秋深まる奈良の短歌十首(平城宮をみちのくより偲ぶ歌)
(小国が分立した時、文化が生まれ天才が生まれた)
飛鳥にてガラスの工房その跡や瑠璃の杯見つ西域思ふ
大仏の掌厚く慈悲の眼や日本(やまと)の国を見守りはるかな
みちのくの黄金に塗られし大仏の金箔はげて秋深まりぬ
秋日さし大仏殿の甍にそ黄金の鴟尾光り大和の成りぬ
大仏の力みなぎり大和国治まりけるかな秋深まりぬ
大仏は大日如来大きなる眼の見開きて国を見守る
あおによし奈良の都や唐国へ遣わさる人思う秋かな
仲麻呂の帰らざるかな天の原月を仰ぎて唐国に死す
女郎(つらつめ)の家持思ふ奈良にありみちのく真野や帰らざるかな
三輪山は神そのものと祈りける尊きものや秋深まりぬ
薬師寺の塔の古りにき土壁の塀に秋の日さして暮れにき
法隆寺芒なびきて塔古りぬ大和の道を踏みしめ歩みぬ
会津なる大古墳かな吉備国の謂われをたずね秋深まりぬ
安達太良の名は奈良にしも知られてそみちのくの暮れて秋深まりぬ
(天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも-阿部仲麻呂)
福島県までは思ったより近畿と奈良との関係はまだ大和政権にならない時代から結びつきがあった。会津の大恷R古墳に吉備国と同はんの同じ型の三角神獣鏡が埋蔵されたことでもわかる。東北でここしかない貴重なものだった。大和として統一国家ができる前から吉備国などと通じていたのである。そもそもそんな遠い地域にどうして吉備国がかかわったということも謎である。吉備国は奈良の大和ができる前には大きな国だった。その力は韓国と深いかかわりがあり実際に吉備韓子という人すらいた。そして笠氏は吉備笠と古くは呼ばれていたし吉備と一体だったのである。棚倉の八槻神社の謂われにあるように神依媛と神石萱という二人の巫女がいた。これはこの地にいた原住民の巫女である。神石萱というときこの萱は伽耶に通じている。萱は当て字なのである。カヤというのは日本に韓国から渡ってきたとしても相当に古いのでありそれで在地の勢力となったともとれる。ただこの萱がまた単なる萱なのか繁っている萱なのかわかりにくい、石巻の萱原もそうである。ただそこに真野公という木簡が発見されたからその真野公から真野川の地名が起こり萱原の地名が残ったのかもしれない、萱原という地名はまれであり萱が繁っているだけのものとは思えないのである。福島県はこのように古代には吉備であれ奈良であれ近江であれ意外と関係深い地だったのである。
奈良の大仏は華厳宗でありこれは極めて国家的色彩の強いものであり鎌倉の大仏とはまたその歴史的意味が違ってくる。大日如来でありまさにその威容が余すことなく示されている。これは蝦夷を殺したための供養のためにもあった霊を鎮めるためにあったというのも本当だろう。坂上田村麻呂を祭ってある清水神社もそうらしい。蝦夷というものは相当に奈良の大和政権で恐れられていたのである。ただその実体は歴史の中で勝者により消されてしまって不明なのである。
ともかく奈良だったらもう読み書きできるのは貴族と僧侶階級だけであり庶民はほとんど読み書きできないから経文も書き読みできないからただ経文を暗誦するほかない、その暗誦すらないから奈良の大仏を見たとき仏の力をもまざまざと見たのである。現実にやはり古代にあれだけ大きい仏殿を建て大仏を作ったら庶民も平伏するのは今でもそうである。それは国家鎮護の大仏でありその現すものは内面化した鎌倉仏教とは余りにも違っていたのである。その頃の仏教は貴族と僧侶階級だけのものであり庶民は関係なかったのである。ただあれだけ巨大な大仏を見れば国家の威厳を力を何も言わずに示すことができたということである。ただでは大きいだけなのか?大きいだけだったら歴史的遺産とはならない、そこに内実があり外観と一致して歴史的意味があったのである。明治以降に作られた相馬市日立木の百尺観音や最近観光のために作られた巨大な仏像とか観音様などはただ見せ物にすぎないのである。何らそこに価値や意味を見いだせないのである。日本の最初の国家がなり日本の国家の栄あれという祈りがこめられているのだ。そんなものは宗教の強権的な支配だという批判も必ずある。でも現代の政治を見たまい、全くそこにはこうして千年後にも残るようなものが作られているのか?ただ毎日胃袋のことであり物質的なものだけが追求されているのである。もちろん国家の百年の計などはない、ただ物質的経済の追求でありそのために政治も科学も宗教もある。宗教も全くカルトてあり異様な集団化した現代文明の病的現象なのである。国家の威厳とか重さとかは消失しているのだ。そして個々の欲望の追求が資本主義となりただすべての価値が金の追求になってしまったのである。
今歴史をふりかえれば奈良時代、万葉時代は日本の大地と一体化した理想的なものとして見えてくる不思議がある。日本人のアイデインティティが築かれたのは万葉時代だった。もちろんその後も日本の歴史が積み重ねられてきた。江戸時代もそうだし過去は今からすると極端な貧乏しかないから誰もそんな時代に帰りたくないというがそれと歴史をふりかえるのは歴史の価値を見いだすのは別なことである。その時代時代に築かれた全体として歴史を見るのである。日本ではやはり近い所では明治時代は和魂洋才で文化的には充実していた。今は洋才和魂であり日本的な文化が魂が衰退している。
奈良も唐と一体となって文化が華開いた時代であったので明治時代とにていたのである。ただ唐の文化のように日本化、国風化できていない、奈良の後に国風文化が起きたように今は欧米化から国風文化の時代である。それは政治的にもアメリカや中国からと日本はまた独自の道を模索する時代にもなっている。
日本はまた国風化するというときその大地に還る必要がある。ところが今やその大地は消失してしまった。大阪でも東京でも文化復活の基である故国の大地や森が消失したのである。それは世界的にもそうである。グロ-バル化というのは経済の追求であり文化を作らない、文化はその国の土地に根ざした時生まれる。その土地を耕す時、culture-cultivate-になる。みちのくにはまだなんとかのその耕すべき大地がある。原発事故で大きな痛手負ったので福島県は苦しいがみちのくは岩手県とかさらに広い地域がまだ残されているのだ。福島県でも会津は本当に広く古代から一国である。そこは放射能汚染からなんとかまねがれたのである。つくづく自分が相馬という地域にありアイデインティティを追求してきた。なぜなら現代はこのアイデインティティをもつことが至難なのである。このアイデインティティはやはりそれなりに狭い地域でないともてないから郷土にこだわるということがあった。一つの関連する有機的に結合した場所として追求したのである。ちょうど相馬藩くらいが適した広さだったのである。それで面白い一文を本から発見した。
ルネサンス時代、イタリアは小いさな独立した地域に分かれていた。その土壌からダビンチやハケランジェロなどが天才が綺羅星のごとく輩出した。近代ではゲ-テ、シラ-モ-ツアルト、ベ-トベンなどが神聖ヤ-マ帝国から離れ小国が乱立したとときに輩出した。ビスマルクがカイザ-のとき統一したときドイツは矮小化した。(40歳過ぎてからの賢い脳の作り方-高田明和)
「世界国家かできこれが大きくなると文明の創造性は消失する」トインビ-
これは現代のグロ-バル化は経済だけの追求でありそこからは文化は生まれない、文化は小国でもその国の大地に根ざすとき耕すとき生まれる。ヨ-ロッパはもともとロ-マ帝国から中世になり小国に分立したからこそ様々な多様な文化が創造された。ヨ-ロッパでなせあれほど天才が多いのかというのもこれで納得がいく。それぞれの国が個性を育んだのである。例えばベルギ-などもベルギ-人としてこだわる、自分たちの国は小国でも別なのだとこだわるのがヨ-ロッパなのだ。日本だったらそれぞれの藩にこだわるのとにている。そういう態度が独自の文化を生むのでありグロ-バル化でどこでもコカコ-ラを飲んでいるとかでは料理すら独自のものが生まれないのである。小国の利点は有機的に結合したなかで生活できるから一つの世界観を作り安いのである。人間はあまりにも大きくなるとアイデインティティが見いだすことがむずかしく作りにくいのだ。中国とかアメリカはあまりにも大きいからなかなか自分たちのアイデインティティをいだしにくいのである。例えば福島県でも実際は広すぎる。だから会津についてはあれだけの山があっても浜通りに住んでいるとその山国のことが未だにわかりにくいのである。毎日山を見ていれば一体化してゆくだろうがたまに行くだけでは一体化できないのである。だから会津は会津としての国意識がありそこで独自の文化がもともとあって育まれるのである。会津には独自の山の文化が生まれる素地がある。一方浜通りは海に通じた文化が創造される。海から昇る太陽と山から昇る太陽はまるで違ったものなのである。風も海から吹いてくる風と山から吹いてくる風はまるでちがったものなのである。山風と海風はまるでちがったものでありそこに文化の相違が生まれるのである。
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