柿の連句とエッセイ(2)
代々に田舎に住むや柿と石
我が母に魚と柿や介護かな
柿食えぬ放射能に人乱る
柿の実の夕日に赤く里暮れぬ
柿なりて村を培う歴史かな
渋柿の我が家にありぬ昔かな
トタン屋根雨うつ音や柿のなる
干し柿を好みし母を介護かな
父も死に姉も死ににきトタン屋根貧しき家もなつかしきかな
柿はやはり極めて日本的なものだった。柿は果物でもずいぶん違ったものである。ミカンとかバナナとかスイカとかメロンとか葡萄とかいいろあるけど南国的なものが多い。リンゴと柿は何か違っている。柿の原産地は良くわかっていない、揚子江だというがやはり南の果物なのか?
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」(正岡子規)
この俳句が有名なのはやはり奈良と柿があっている、柿が何か日本的なものだからかもしれない、柿本人麻呂などという人もいるのも何か日本らしい。
『桃栗三年柿八年』(ももくりさんねんかきはちねん)
このことわざの意味は、皆さんご存知の通り「桃と栗は芽生えてから三年、柿は八年で実を結ぶ」ということから転じて
何事も、成就(じょうじゅ)するまでに相応の年月が掛かること。 類:☆大器晩成
じっと待っていれば、やがて良い思いができることの喩え。
しかし実際は柿も3年で実がなる!
ことわざでは柿8年と言われていますが、実際は上手に育てると3年目ぐらいから実をつけ始めるそうですよ。
柿は何か渋い感じがする。大方の果物のように何か甘くないと感じるの実が堅いせいもある。リンゴもそうである。北国的なものを感じてしまう。柿は日本的景色と合っている。それが日本という風土で長い年月をかけて作られた景色だったのだ。それは海岸線に防潮林として作られた白砂青松の風景と同じである。人間によって長い年月をかけて作られたものである。それがまるで自然の景観のようになっていたのである。その景観が津波で根こそぎ破壊されたことには驚いた。柿は奈良の景観に実にあっている。薬師寺辺りでもあっている。柿が外国でもまるで日本原産のようにKAKIで通じているのもやはり日本的な景色を長い年月で作られてきたからである。縄文時代には栗があっても柿はなかったのである。みかんは意外と北国で食べられないものだったけど柿は干し柿などとして食べていたのだろう。
自分の前のトタン屋根の家には渋柿がなっていた。それを思い出すが一緒にいた父も姉も死んでしまった。思い出を話す人は今寝ていて全く耳が遠くて話できない、だから自分一人だけが思い出しているのだ。自分の家のことは何か自分しか知らないというふうになってしまった。今いる家だって新しく建てて40年もすぎたのである。人間は一番思い出のある場所がどうしても家になるのだ。家とともに家族の思い出があるからいつまでも思い出とともに家にいたいという気持ちがわかる。家がなくなるとそうした思い出も消えてしまうのである。家にはそうした思い出がしみついているのだ。
家族もいづれはなくなる、そういうことを家族がある内に現実のものとしてリアルに思っている人はいないかもしれない、家族すらただ仮のものであり家すら一夜の宿みたくなってしまう。これも人間の無常である。いつまでも家族はいないし家もない、近くの家も壊された。あそこの家も相当に古い家だった。二軒の家が壊された。家が壊されるとそれと同時にその家のあったこともその家の家族のことやいすいろ忘れられてしまう。最後に残るのは墓だけになってしまう。原町の実家の墓がそうである。この辺でも木下家の墓は材木屋として知られていたがいなくなってからずいぶん日にちがたっている。息子が二人も死んでいた。そんなことを覚えている人もいないだろう。近くで家を建てるのに請け負ってもらった人だから覚えていた。それにしてもそれもずいぶん昔になったのである。昔になるのも実に早いものである。今は昔というけど今はたちまち昔になってしまうのである。
津波の被害で村がなくなったことなども本当に無常であり今は昔ここに村があったとなってしまったのである。
人間は最後は何でもただなつかしくなる。貧しい生活だろうが家だろうが結局、ただ最後は思い出すだけになるのだ。家族も死んでゆきただ思い出だけになってしまう。そういうふうにふりかえったとき人生などつまらむことにこだわっていたなとかいろいろわかることがある。別に貧しくてもみんな仲良くしていたときが楽しかったなとかなる。豊になっても必ずしも幸福になるとは限らない、この辺は原発事故で家族がばらばらになったことでもわかる。原発は豊かさをもたらしても結果的には不幸をもたらした。家族はばらばらになり思い出の故郷も土地も家も奪われてしまったのである。
村でも長い年月で培われたものが一瞬にしてなくしたのである。柿は村には欠かせないものだったのである。夕日がさして赤く熟れている柿の実はまさに日本的風景だったのである。
柿の話
http://www.musubu.jp/hyoronkaki1.htm
このつづきでもあった。前に書いたもののつづきが必ずある。そういうものがインタ-ネットでは書きやすい、書き換えたりするきもやりやいのである。
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