冬に訪ねる多賀城跡(俳句、短歌) (1)
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壺の碑
たずぬべし廃寺の跡や冬の暮
街道に二本の松や冬の暮
街道に二本の松や雪の嶺
いしぶみや街道の松に冬紅葉
古き碑のここに並びて刈田かな
冬の暮多賀城にも仮設かな
(旧今野家住宅)



薪積みて母屋の古りぬ落葉かな
中門や馬の名を呼び親しかな薪積む家の冬のくれかな
岩切と陸前山王多賀城と歴史の道や冬のくれかな
多賀城の跡をたづねて冬のくれ末の松山都に知られぬ
冬の山遠く望みてはるけきや都を離れ多賀城に来ぬ
多賀城を訪ねたのもひさしぶりだった。多賀城の正殿跡に立ったのは何十年ぶりかであった。近くでもこうして一回限りで寄っていなかった。近くが意外と見逃されているのだ。曇っていて写真でははっきりしないけど遠くに山が望まれて雪も見えた。蔵王や泉が岳などが見えたようだ。
多賀城跡から平城宮(ならのみやこ)や京都を望んだらずいぶん遠い感覚になる。ひさしぶりで行ったからみちのくは奈良からはどれだけ遠かったか?その感覚は古代では今の十倍くらいの距離感があった。世界の果てに来たような感覚にもなっていた。その遠さがみちのくだったのである。
人間はやはり年よっても感じ方が相当に違っている。若いときは何かこうした歴史的な場所でもあまり感動しないし良くみていないのだ。人間はどんなに美しい場所でも歴史的な場所でも感じないものは感じない、外国旅行でも同じである。感じることはやはりその人のもっている力量である。
芭蕉はあれだけみちのくの旅で感じたのはやはりそれだけのものをもっていたからである。
旅しても感じないものは感じないからである。
今回印象に残ったのは街道の二本の松であった。二本松という地名があるがなるほどなとこの松を見て思った。ここの道は細いから奥の細道がまだ偲ばれる。実際はかなたの山に雪が見えたのである。写真ではやはりとりきれないものがある。遠くのものが見えない感じられないのである。山が遠くに連なり見えた。それがみちのくの遠さを感じたのである。今は冬紅葉の季節であり壺の碑がにあっていた。これの解釈もいろいろあり謎である。
。
今回は移築した今野家が興味深いものがあった。蕪木門があり中門があり母屋がある、中門は馬小屋になっていた。その馬小屋には今にも馬が出てきそうな感じだった。名前を呼べば馬が顔を出す、いかに馬と人とが一体化していたかこの家から感じた。本当に馬は家族の一員だったのである。
薪が積んであって冬支度でありいかにも今の季節にふさわしい、冬紅葉も映えていた。
母屋がどっしりとあり中に土間をあがるとおかみの部屋になりそこで家族が集まり食事をする。
旅館のおかみはここからきていたのである。母屋の中心がまさに母でありおかみだったのである。
日本では女性の力が結構大きかったのである。おかみにはさからえないとなっていたのだ。
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