料理で考えたこと
(地元が復興する気をもたなければ復興はありえない)
それ以上に重要なのは、その料理に込められている「気」だと思うんです。
その食材がどういう想いでつくられたか。どういう想いで運ばれたか。どういう想いで売られたか。その料理をどういう想いでつくったか。どういう想いで食べるのか。
こっちの方が大事ではないですか?
http://okiteru.ti-da.net/e2288185.html
原町の高見食堂のカキフライの味が落ちた感じ、前は食材が良かった。大きな牡蠣だった。今回は何か貧弱な感じがした。そえるものもサラダもない、まあ、八〇〇円では今はうまいものは食べられない、つくづく自分で料理をしているけど料理は本当にめんどうなのである。手間をかけないといいものはできない、だから自分はほとんど料理ができない、すでに四五年家事をやっていてもそうである。家事そのものに熱心になれないし時間もない、家事というか料理は特にその人の才能がものういうみたいだ。まず料理は簡単にできない、でも料理もやはり上手下手もあるけど心をこめることが大事なのか?心をこめても料理は上手下手がある。
プロになると料理でもこれは前より料理の味が落ちたなとかなると何か食べたくなくなる。ただこの辺ではそんなに料理店がないから牡蠣料理のうまい店ないかといってもない、たいがいたいして変わらない、結局牡蠣料理は素材が一番大事である。素材が悪いとどんなに料理が上手でもうまくならない。ただ料理が下手でもそこに気がこもっていればそれなりに満足するのか?
料理運ぶにしても結構手間である。お茶一杯運ぶの手間なのである。ところが人間は気が大事だというときいやいやながら料理でもお茶でも運んでいたらいやいやだからそうした気が料理にこもるかもしれない、もちろんいやいやながら何でもやっていたらやはり気がこもる。
「お前になんか料理するのも運ぶのもいやだけどな、金もらえるからやっているんだよ・・・」
たいがい仕事している人はそうなっている。嫌なんだけど金になるからしかたないとなる。
心こめて料理して運んで売ったりしている余裕がない、なぜこんなに働かされるんだよという意識しかない、自分も介護しているとそう思う、身内すらそうだから他人だったら心を込めて世話するなどあるだろうか?医者でも看護師でもなんでこの赤の他人に心こめて世話しなきゃならないだとなる。
だからたいがいの仕事が強制されて金のためにやっているのではないか?
自分の家に来た人はとにかく金が欲しいしかなかった。全く世話する気がないからそうなる。一人には財産をもっていかれるところだった。家で働いてもらうにしても金だけだとすると本当に恐いことになる。そもそもその家のためであれ人であれ金もらだけだとなる。掃除するにも料理するにも運ぶのもいやいやながらでありそもそもやりたくないのだ。そういう人に金だけ手伝ってもらうことはやがて大きな問題が起きてくる。
それは例えば今この辺は原発事故で混乱して仮設に入っている人は補償金もらえるから働かないでパチンコ屋通いだと批判されている。でもそれが変なのは外から来たボランティアが働いて内部の地元のものが補償金で働かないことは本末転倒なのだ。だから外部から来て働く人がお前らなぜ働かないんだと喧嘩になったこともわかる。地元の人が働かないで復興する気がなくて補償金もらっているから別に遊んでいてもいいんだというのは変なのである。金はもらっている、金があるから別に働かなくてもいいとなるがそれもおかしいのである。自分たち故郷を復興しよう、良くしようという気をもたなかったらそもそも何もはじまらない、別に補償金もらっているからそんなことどうでもいいとなったら一体誰が復興するのだろう。外部の人だっていつまでも助ける訳がないからだ。
どうせ何にもできいなというのもわかる。でも故郷を復興させて良くするんだという気をまずもたなければ何もはじまらないことは確かなので
ある。第一故郷なんかどうでもいいよ、もうここは嫌だと言って別な場所に住むこともできる。それはそれでその人の選択である。でもここに残るとしたらそうはならない。自分たちの住む場所を少しでも復興させて良くしようという気をまず持たなければ何もはじまらいなのだ。故郷を良くするんだ、復興させるんだという気は例えば最近死んだ原町中央病院の院長先生にあった。南相馬市をになう子供が大事なんだと癌になっても働いていたのである。
そういう気をもっていたということである。ところが今やそういう気をもっている人がこの辺ではなくなっている。補償金をもらうことだけが目的となっている。だからますます市町村全体の気が低下してゆき復興もできなくなるということがある。だから意外と気という問題はどこでも大事なものとなる。
でもこの料理にどんな気が入っているとか感じるのかな?高見食堂のカキフライは前と比較して落ちたなとは感じた。素材が前は良かったが今は悪くなった。だからここで牡蠣料理は食べたくないとかなる。そういうふうに評価されると一人の常連客を失うというこにも通じる。でも食材に今金をかけられないということもある。牡蠣でも古いものを使っていて食べられないものを出していた食堂もあった。食べものはやはりいつもいいものを新鮮なものを出すのはむずかしいだろう。ただ高見食堂はサシミ定食などはかなり得である。あれは売りだろう。その店の売りとなるものの味を落としたり手抜きすると客はへるだろう。食べものはみんなうるさいから繁盛しているところはやはりそれだけのものを出している。
気はかなり人間にとって大きな問題だけどあまり意識しない、気など見えないからだ。だか何でも気を発しているのだ。人間からも気が発している。プラスの気を発するものもあればマイナスの気を発するものもある。色気もあるけど気に様々なものがありそれが電波のように発せられる。悪い気を発する人とつきあったり近づくことすら危険である。まずこんな仕事したくないけど金のためにしかたなくやっているんだよ・・今の世の中そういう人がほとんどだというときいかに全体の気が悪くなっているかわかる。金をもらえばこんな仕事はやらない、金がないからしかたなくやっている。では金をもらったらその人は何をしているのか?パチンコやって遊んでいればいいとなる。金さえもらえばいいとなればそうなるのだ。まず何かを良くしようとか何かのために誰かのためになろうとかいう気が全くないのだからそうなる。だからポランティアでもあんなの偽善だというけどやはり復興の一助になろうとする気はある。地元の人にその気がないということ自体もう復興などできないのではないか?そういう気があれば何か解決の道が見いだされるがその気もなければもう全体がどうでもいいとなげやりの気分が覆ってしまいどうにもならない状態になってゆく。
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