船岡の一目千本桜と蔵王の短歌20首
(山は場所によってまるで見え方が違う)
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春の日やキジが見送る逢隈駅
ぽかぽかと春の雲浮き電車待つ
伊達領の船岡城跡花に雲
途中下車北白川や蛙鳴く
一本の椿の木や北白川
北白川待つ人一人春の昼
花に雲ゆうたり歩み花尽きじ
歩む道千本桜尽きず咲く大枝ゆれて長き道かな
城跡に登りて高き花に雲さえづり高く山にひびきぬ
蔵王映え吹き下ろす風なお寒し千本桜八分咲きかな
蔵王なお雪打ち煙り年輪を重ねし桜咲きつづくかも
みちのくの千本桜やなお寒し蔵王は雪に打ち煙ぶるかな
みちのくに千本桜咲きにしも畑耕す人のありしも
雄大に蔵王の映えてみちのくの千本桜咲きにけるかも
雄大に蔵王の映えてみちのくの千本桜春なお寒しも
蔵王映え雄大にして新幹線走り去るかな樹々の芽吹きぬ
雄大なる心をもてや蔵王映ゆさえづり高く山にひびきぬ
雄大な蔵王の映えて何か言う千本桜の咲きてこそあれ
瑣末なる生活に痛む我が心蔵王を望み明日をたくさむ
雄大な蔵王を望み人の世の悩みそいかに心晴れにき
みちのくの心とあれや蔵王映え春にしなおも雪打ちふぶきぬ
何故に人の心のいやしきを花と咲き蔵王を仰ぎ忘るべきかな
貧しくも蔵王を仰ぎみちのくに住みし幸い春のおとずれ
美しき心となならむ花に映え蔵王を仰ぐみちのくの春
人の世の心はただに金のみやみちのくの宝蔵王にそあり
人生きるこの世の闇の深きかな蔵王を仰ぎ忘るべきかな
今更に蔵王ありしと我が仰ぐ近くにありし宝なるかな
ゆうたりと桜の大枝ゆれにつつ千本桜にたんぽほの映ゆ
みちのくに大いなる詩(うた)の起こらむや千本桜に蔵王を仰ぐ
啄木の歌碑一つあり船岡に蔵王を歌わず死する悲しさ
この世の々誰か背負わむみちのくの花の盛りやしばし忘れむ
みちのくに桜前線電車のり追いて旅せし時のしあわせ
蔵王映え雄大にして新幹線走り去るかな樹々の芽吹きぬ
仙台の人と語りぬバスを待ち桜はまだと夕暮れにけり
仙台に来しも長きや時流れ世の移るかな花また咲かむ
岩沼から船岡へは近かった。前にも千本桜を見ていたけど実際は良くみていなかった。意外と近くを良くみていないのだ。こんな近くに蔵王あれほど雄大に美を極めて聳えているとは思わなかった。
船岡城跡から見た蔵王は最も映えていた。山は富士山でもそうだが見る地点によって全く違ったように見えるのだ。山は大きく見える所が一番いい、蔵王は確かに電車で阿武隈川を渡るとき見えるのだがその山はいつも見ているのだが感動しなかった。今回はあんなに雄大に見えることに感動した。
ヒマラヤでもそうだが3000メ-トルまで上らないとヒマラヤの山の雄大さはわからない、3000メ-トルまで上ったときまるで天に到達するようにヒマラヤ見えるのだ。見る場所によって全く違ったように山は見えるのだ。富士山にしても日本橋から見える富士山を浮世絵に描いているが富士山がぼつんとでているふうにしか見えない、蔵王にしてもぽつんと出てるのしか見えない場が多い、肝心な山形県側から見るとあそこはまるで蔵王の雄大さ美が全く見えないのだ。蔵王の裏側になって全く映えない。
今回見た船岡と穴場として北白川駅をおりて見た蔵王は本当に荘厳だった。北白川はたまたま乗り違い下りてしまったのである。それがかえって良かった。そこから新幹線が通っていたし最近でたはやぶさも走っていた。緑色の車体が新鮮だった。あそこは仙台に近いのに鄙びた場所だった。駅も無人駅だった。あの辺なども電車では通っていたがあそこに下りたことはなかった。あそこで新幹線と東北線が交わっていた。人間はつくづく近くのことを良くみていないのだ。船岡はあれだけ蔵王が雄大に見えるのだからあういう所に住みにはいい、浜通りの最大の弱点はこうした大きな高い山が見えないことなのだ。あういう雄大な山を毎日みていれば心に必ず影響する。そこから雄大な詩でも絵でも芸術が生まれてくる。
この六年間世間のことでせめさいなまされてきた。今も継続中である。人間の世の中はあまりにもささいなことで悩まされる苦しめられるから嫌になる。つまり蔵王のような雄大な山とはにてもにつかなささいないことで責められる場所なのである。人間である限り死ぬまでそうなのだろう。ささないことも無視はできないものにしろ最近は嫌になってしまう。だから30年間この世と交わらず生きていたときは本当に幸せだったことがわかった。桜前線を追って電車できままに悩むこともなく旅した時が自分の最高の幸せだった。その気分が今回の小旅行でよみがえったのである。春の雲が浮いて途中下車して思わぬ景色に遭遇したのもそうである。やっぱりこの世のわずらいから離れて自由に旅しているときは最も幸せだったのである。それが一日でも近くでも電車にのってよみがえったのである。人間はつくづく幸福が何かわからないのだ。
そんなに自由に旅していたときそんなに幸福なことか思わなかった。それが全くできなくなったとき何と幸福だったろうとかなる。それは別に
自分だけでなく今回の津浪や原発事故で避難者になった人たちもそうである。故郷を追われ狭い部屋におしこめられている。すると故郷で大きな家に家族一緒に暮らして庭いじりもできた。そんな家族と家と故郷を失ってはじめてあの時は幸せだったなとなるのである。それが当たり前のときそんなことを思いもよらないのだ。そういうことはこの世で長く生きれば経験しているだろう。突然境遇が変わることがあるからだ。人間は一生恵まれたままでは終わらない、どこかで必ず災難があり苦しめられるのである。苦しみのない人生などなかったのである。今や自分もなにやかやと詰問される身になったのである。それも自業自得といえはそうなのかもしれない、ただ人間は雄大なもの大きくなりたいというのがある。ささいなことにぐじぐじ生きたくない、蔵王のように雄大なものになりたい、そこに自然の意味がある。
船岡には啄木の歌碑が一つホ-ムにあった。あれは何なのか?啄木は別に東北でも故郷の渋民村と盛岡とかを短歌にしたけどあとはしていない、松島であれ蔵王を歌っていない、それだけの時間がなく死んでしまったのである。なぜ東北では啄木と賢治がぬきんでているのか?それはやはり天才の独創性があったからだ。それはまねできないものでありあれだけの若さで生み出した独創性があった。
芸術は独創性がなければ何の価値もない、その独創性は簡単に出せるものではないのだ。
斎藤茂吉などは「.陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ.」などの短歌があるがこれも確かにいいとしても何かしっくりこない、蔵王はみちのくを二つに分けるほど大きな山だというが分けるというより山形県と宮城県から見えるという山である。だからそれほどこの短歌から雄大なものを感じるというものではない、つまり斎藤茂吉にはどうしても正岡子規の写生の継承者であり地味だということがある。それは自分も写生からはじめたから同じである。茂吉には啄木や賢治の独創性はない。詩人というものでもない、短歌の専門家のうよなになっていた。だから意外と芸術的評価は低くなるかもしれない、芸術の評価は相当にむずかしい。ただ時代的にやはり変化する。かえって評価があがるものもあるし全くかえりみられなくなるのもある。啄木と賢治はこれほどなお文学的生命をもっているのは天才の独創性がありそれがまねのできないものだからである。それもあの若さで成し得たということが驚きなのである。もちろんその批判もある。でもやはりその独創性がまねできないということである。
宮城県美術館で「高橋英吉展」見てきた。やっぱり実物を見ないとわからないことがあった。芸術にしろ自然でも実物を見ないかぎり本当の感動はない、彫刻とか建築は特にそうである。
「潮音」は潮風を深く吸い込んでいる感じが良く出ていた。あの像からは潮風がふきつけ潮風と一体となっているものを感じた。もう一つの漁夫像は体が丸み帯びて豊かな肉体の安らぎを感じた。
潮風を深く吸いつつかなた見ゆ海の広さや春は来にけり
高橋英吉もこれだけの独創性と才能があった。それも若くてそうだった。もし長生きしていたら世界的彫刻家になったかもしれない、その才能も戦争で奪われたのである。戦争では相当の才能ある人の命が奪われた。生き残った人たちはずるい人たちだったかと言われ、その人たちが本当は日本をだめにしたのだとかも言われる。実際に戦犯の人もいて読売新聞社の原子力発電の父と言われた正力松太郎がそうだった。その時も裁かれるべき人間が裁かれなかったのである。今度の原発事故でも誰も裁かれないのとにている。
ともかく一目千本桜は八分咲きであり昨日は寒かった。もう今日明日は満開である。ただ仙台は一分咲きにもなっていなかったのは不思議だった。たいして距離もないのになぜ咲かないのかと思った。やはり桜前線は寒暖の影響が距離で起きているためである。だから桜前線を追って旅することが日本の春でもある。この辺は交通の便悪くなった。帰りは直通のバスだった。これは便利であるからいい、やはり電車は楽である。バスは何か疲れるのである。
逢隈駅ではキジがでてきて電車を見送った。あそこは山になっているから野鳥がさえづったり蝉がなく、やはり自然があると違っている。電車の旅は駅にとまり駅を楽しむことが旅でもある。
でも今は通りすぎるのが多いから旅にならない、やはり時間をかけて途中下車するのが楽しいのだがそれだけの時間がない、そして今はロ-カル線は一旦途中下車したたら次の電車がいつまでも来ないとなるから簡単におりられないとなる。東北線は本数が多いから途中下車しても白石-仙台間は困らないからいいのだ。まあ、春は旅したい季節なのである。一日でも近くで楽しむことができたので良かった。
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