2013年05月06日

丸森の秘境へ (夏の旅-新地からのつづき)


丸森の秘境へ

(夏の旅-新地からのつづき)


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山吹や峠を越えて丸森へ

丸森へ峠越えるや朝桜
戦死塚訪ねてみればスミレかな
丸森や山路の深く落椿
丸森に海を望むや桜散る
イノシシの左右に駆けぬ夏の闇
丸森ゆ相馬へ飛ぶや夏の蝶
丸森の奥に家あり夏の星


峠越え蔵王の見えて丸森やなほ雪厚く新緑映えぬ

昼暗き旗巻峠相馬へと下りゆくかな椿散りにき
丸森の森の深きに黒揚羽舞い出て消ゆる山路ひそけし
大内の部落やあわれ天明の碑のあり夏に我が来る
分け入りて二筋の滝岩伝い流れし奥や新緑に映ゆ
二輪草木洩れ日さしてあまた咲く人に知られずここに映えにき
丸森の森の深きに鳥の声かすかにひびく夏の夕暮

丸森に蛙の鳴く声ひびきあう山間深く数軒の家

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二筋滝

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樅の原生林

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忘れられた石

鹿狼山から丸森へ峠を越えてゆく、山吹が咲き桜がまだ咲いていた。ここの坂は帰りの方が辛い。ただ今回は電動自転車だから楽である。庭に三色桜というのが咲いていた。蔵王はまだ雪が厚い。
丸森の景観は変化に富んでいる。阿武隈川があり山が深い。蔵王も見える。金山城など歴史もある。戊辰戦争の戦死塚もある。大内部落に子安観音があり天明の碑があるのも相馬藩の飢饉の影響があるかもしれない、天明山というのも飢饉のとき名づけられたのかもしれない、ただ当時は飢饉だからといって伊達藩で援助することがなかったのである。


今回は手倉山の方に入って行った。そこに流れがありでこぼこの悪路がつづいた。電動自転車だからなんとか上れた。マウテンバイクのオフロ-ドのみちだった。そこは誰も入ってゆかない、車が一台通ったので道が通じていると思ってどこまでも進んだ。あそこは本当に秘境なのだろう。二筋の滝が岩を伝い流れていた。「二筋滝」という命名がいいみたいだ。誰も知らない奥深い谷間に二輪草が一杯咲いていた。あの二輪草を見る人もまれである。何か神秘的であり秘境に入る感じがした。

実際に樅の原生林というのがありそこに十数本の樅の林が確かにあった。樅は一本か二本しか森でも見られないからここは樅の原生林だったのだろう。原生林など今はない、丸森も名の通り森の町であり森が思った以上に深い、ただ杉の森である。もともとここは森林資源で米沢と伊達と相馬が争った境界の地帯でもあった。江戸時代から森林資源が豊富だった。その森に迷ってここの森がどれだけ深いか豊であるか知った。わずかに道のようなものをたどって下って行ったら道が尽きていた。
その時電動自転車をおして前の道にもどるのに大変な労力がかかった。そして森から出れなくなる恐怖を感じた。樹海にまぎれこんだみたくなってしまった。5時過ぎてくらくなりつつあったから余計に恐怖だった。こんな近くでこんな恐怖を味わうとは思ってもいなかった。必死で自転車をおして元の道にもどった。そしたら運良く下る道がありそこを一路下った。この道を下れば前の道に出れると思い安心した。誰も見ないようなコブシの花がひっそりと夕べの闇がつつむなかに咲いていた。


6時ころになりすでに暗くなっていたときまた相馬へゆく道をまちがいた。別れ道があり大きな道の方を行ったらそこは坂になっていてどんどん進んで相馬へ出れるのかと思ったらあの道は相馬に出れない、車の人に聞いてわかった。丸森の奥は深い、あんなところに家があった。それから引き返してやっとこの道をゆけば相馬だと聞いて一路帰った。星が光り蛙の声だけが山間に高くひびいていた。丸森はまだまだわかりにくい場所である。地形に変化があり魅力ある場所だと思った。

相馬に出たの8時過ぎで帰ったの9時ころだった。これだけの運動をしたからぐったり疲れた。
でも自分は身体障害者でなくなったからこれだけの無理ができるし結構無理ができると思った。
登山もできる。今まではこういうことは絶対できない、身体障害者であり小便でなくなったら死にいたるからだ。そういうことはないから安心した。やはり今は手術して正常に戻ったことで体に自身がついた。ヒマラヤ登山すら苦しいけどでるかもしれない、3000メ-トルまで上れば9000メ-トル級の山を見れるのだ。もう一度見てみたいと思った。


こうして家に帰ったら母が足を悪くして動けなくなっていた。トイレにも行けなくなっていた。
食事もほとんどとらないからもう寿命なのかもしれない、90以上になると突然弱るとパタパタと死ぬ人が多いらしい。だから死ぬ時期がきたのかもしれない、明日は入院とかの相談でありちょっと忙しくなるからプログの方は休みになるかもしれない、ただ自分は体が正常にもとったのでその点これら一人でものりきれるなと安心した。やはり介護は第一に健康であり健康がなくてはとても介護はできない、自分も介護されるような状態では介護はできないのだ。

こんなわけでこれからしばらくまた母のことで追われるかもしれない、人間はともかく死ぬまで手間がかかるものでありそれが大変なのである。


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