かまきりの道をさえぐや旧街道
坂越えむ今ひとしきり蝉の鳴く
母なおも歩きひとしきり蝉の鳴く
秋の灯や近くに知る人親しかな
廊下長く夜風涼しく月光る
鴨三羽照らさ見ゆる月夜かな
我が部屋に光を求め枯蟷螂
前より色づく稲田松並木通りて相馬の城下に来しも
今日は相馬市に行った。稲田が広がり前より色づいている。これが普通の光景なのである。何か鹿島から相馬に来る平常の景色があり元にもどったという感覚になる。相馬市は前と何も変わらない感じがする。ただ津波の被害地域は松川浦や磯部は街内とは違う、磯部には一軒の家もなくなったからだ。街道というとき浜街道は日立木から相馬市の城下町まで一番昔を感じる。昔を感じるには道が大事なのである。六号線を通って昔を感じる人はいないからだ。そこが歴史の重みなのである。
その歴史の重みは教えられなくてもあの街道を行くとき自ずから感じる。歴史は体で感じるものなのである。知識だけから感じられないことがある。かまきりが道をさえぎっているのも細い道だから道をさえぎっているともなる。奥の細道だから昆虫でも道をさえぎることができる。かまきりというと人間もかまきりのような人がいるだろう。動物も人間を象徴しているのだ。蛇のように執念深いとか言うのもそのためである。
かまきりはまだ青い、枯蟷螂になっているのを部屋で見た。蟷螂は確かに不気味である。かまきりでも光を求めてやってくる。蛾もやってくる。
今年は8月初旬まで梅雨だったしそのまま秋になるかと思ったら急に暑くなりそしてまた涼しくなりまた暑くなり涼しくなり今日は台風が来ているので夏なみに暑かった。なんか今年の天候は変だ。
今日はだから蝉が鳴いても夏である。夏と秋が交互に来ているのだ。
月というと秋の季語である。川に浮かぶ泳ぐ鴨を月が照らしている。確かに三羽見える。それがなんなのだともなる。でもこれが写生俳句なのである。月は三羽の鴨を自ら照らして知っている見ているともなる。
相馬市の小泉川の上に橋がかかっていて柳がたれていた。それは秋の柳で風情があった。そよそよとわずかにゆれている。相馬市は城下町にふさわしくいつも静まりかえっているのがいい。
小泉川も川なのは川なのだけど堀の感じもする。気持ちよく流れるのが見えないのだ。
それでも川なのは川だから川端柳として日本的風情がある。江戸の風景でもあった。時代劇では必ず橋があり柳がたれているからだ。
イオンのキタムラ写真では簡単にフォトブックが作れる。あれは便利だと思った。それも15ペ-ジでもネット注文だと1200円というのは安い、昔は本に写真をいれたら十万とかかかると言っていた。
本自体作るのが百万以上かかっていた。今は写真入りでもこれだけ安く作れる。本も一冊だけでもオンデマンドで機械的作れる。電子化したから安く作れるのである。
なぜそれに注目したかというとどうしても電子化するだけでは記録は消えるのが不安なのである。
あのように写真でも簡単に本にできると記録として残すのにはいい、50年前の白黒の貴重な写真が残っていた。写真は50年残るし本でも残る。電子では十年も残るのか記録するものが信用できないのである。
あれだと写真入りの俳句とか短歌を残すのにはいいのに向いている。ただテキストファイルはできないので本を作るというわけにはいかないが俳句短歌は作れる。ネットから注文してイオンのキタムラで受け取れるのは便利である。デジタル化でも写真の現像的なものが商売になっている。デジタル写真をきれいに印刷したりはパソコンではむずかしいのだ。だからネット化して全国を相手の商売が生まれたのである。電子化してもプリント屋として残ることができたのである。電子化してもみんながみんなだめになるということでもない、新しいビジネイチャンスも生まれたのである。それを活かしたから全国ネットで商売が成り立ったということである。
最近親しい人ができた。その人がすぐ近くに住んでいた。住宅だけど秋の灯がともっている。ともかく東京など遠くなると親子だろうが疎遠になるし何かあっても助けてもらえない、それが原町でも同じだった。車で来るとなるとめんどうになる。
介護とか病気とか何か緊急のときでも本当に町内とか近くでないとできない、だから遠くの人に金を使うのが馬鹿らしいからつきあわない、近くの人に親切にしたりすれば助けてもらえることもある。
ただ今は金だけでは助けてもらえない、その人は困っていたのでちょっと助けたから金だけの関係でないものができたからいいかもしれない、人は悪くない、素朴なのである。
つくづく人間の関係は変わる、これも無常である。この辺は特にそうだった。故郷の人がみんなばらばらになってしまった。
それだけ激変したのである。その中で避難中ち病気を悪化して死んでいる人もかなりいるのだ。
この変化はあまりにも大きすぎたのである。だからいろいなことでどう対処していいかわからなくなっているのだ。
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