2013年09月19日

秋薔薇 (ソニーのRX100M2で夜撮った写真くに感激)


秋薔薇

(ソニーのRX100M2で夜撮った写真くに感激)

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色深め散るばかりなり秋薔薇

秋薔薇五六輪かな陽は落ちぬ
五六輪一輪散らむ秋薔薇
秋薔薇一輪ここに散るを知る
秋薔薇夜の光に五六輪
街の灯のともしや駅に秋薔薇
鶏頭の赤に誰をか触れえべし


見えぬほ子蜘蛛巣を張る休みなくその営みや虫の鳴くかな

津波より二年半過ぎ十五夜や輝きまして平和なれこそ

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今度買ったソニーのRX1002はやはり違う、一眼レフ的なものになっているのかもしれない、高級感があり今までのデジカメでは一番優れていた。六万でこれだけのものが買える。デジカメだけはずっと画素数でもセンサーでも進歩し続けてきたのである。
感度がどんどん良くなっていった。これも何か写った感じがかなり違っている。
このカメラには高級感があるのだ。今までデジカメは二万くらいのしか使っていない、
大きいデジカメは自転車だと大きくて持ち歩きできなかった。
これは多少重いがそれだけに高級感がある。

今日は確かに十五夜であり満月がこうこうと輝いていた。その月もはっきりと写していた。このカメラは夜に強いのだ。夜の薔薇も独特の感じで写していた。街灯の光の方に照らされて浮かび上がった秋薔薇である。

ここで五六輪にこだわるのはやはり写生に忠実だからである。まさにこのカメラでは写生は本領を発揮している。現代は写真の時代である。デジカメになってから特にそうである。写真で日記を残す時代でもある。刻々とした変化をデジカメで残しているのだ。
最近はスマホとかでも写真を絶えずとっている時代である。写真は日常の記録としてメモのようにも残せる時代である。ただ芸術性を追求するとどうしてもカメラはいいものでないとだめである。これまではそれほどいいカメラではなかった。
ただ安いカメラでも画質はどんどん良くなっている。デジカメの分野では進歩しつづけていたのである。今のところはソニーが頭を出た感じがした。

このカメラはレンズ交換もできるから一眼レフ的なカメラだからそういうふうに被写体を深みのあるものとしてとらえやすいみたいだ。特に室内でも何か写りが違うのである。


ともかく今日の十五夜の月の輝きはまぶしい、非常に澄んで輝いている。もう津波からも二年半過ぎた。この辺では当分は災害はないだろう。原発事故は別にして自然災害はないように思う。ただ東京とか関西とかに大きな災害が津波が起きるかかもしれない、東北の方はもうないのではないか?この辺ではまた四〇〇年くらい津波は来ないかもしれない、それだけあまりにも大きな災害だったのである。


鶏頭の赤も独特である。それは触れ得ないような赤である。一点の濁りもない赤である。神道で言う赤心になる。今日はまだ日ざしが暑い、でも風は涼しいから運動には向いている。自分は今相当に運動できるようになったかもしれない、だから山にも登りたいと思った。ここ十年くらい健康で活動できれば有終の美を飾れるかもしれない、それも一重に健康にかかっているのだ。いかに六〇代以降が健康が大事か身をもって知った。健康を損なったらすべて崩れてしまう。金があってもどうにもなちらない、徳田氏のようになったらいくら最高の看病されても悲惨である。


今日の十五夜の満月のように健やかであれば老後も生きる価値があるものとなる。健康は六十代以降は大事である。もちろん確かに金がなければ困ることはある。でも金を使わない気だったら老後は使わないようにできる。旅をしないとそんなに金はかからないだろう。それでもこの年になって金をはじめて自由に使えた。これまで余裕もって金を使えなかった。ただいくら金があっても時代が良くないと金も有効にはならない、技術の発展の恩恵には時代が違いば受けられないのである。デジカメでも今になってこれだけ進歩したがこれまで画質はまだまだであったからだ。


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