民間の津波の伝承の語るもの
(津波はやはり天罰だったのか?)
●柳田国男の全集より-津波の伝承
故佐藤喜真興英君の集めた南島説話の中に中頭郡美里村大字古謝の出来事として、次のような口碑が採録されている。昔この村に一人の塩焼男がいて海水を汲みにでて一尾の魚をとりそれを籠に入れて我が家の軒につるしていた。
ものを言う霊魚を害しようとした者が大津波によって罰せられたとういことは同時に一方のこれを放そうとした者の助命を意味しこの塩焼き男が生き残った故に恐ろしい話は後に伝わったのである。
(柳田国男全集-五巻-もの言う魚)
今回の津波ほど不思議なことはなかった。どうしてこんなことが起きたのか?それいろいろ書いてきた。しかしその疑問は解けないだろう。そこには想定外であり人事越えたものが働いたとなるからだ。ただ過去にも日本では津波がまれにしても全国であったのだからその伝承が残されている。その一つがこの話である。これはまさに今回の津波をどう解釈するのかを考えるときかなり参考になるし示唆的である。
一人の無頼漢がそのもの言う魚を食べようとした。この無頼漢とは何なのか?これは前にも書いたがこの辺では萱浜(かいはま)の松林で女高生が殺され犯人が首つって死んだのである。それは津波が来る何日前だったのである。だから津波が来てあとで女高生の死体も見つかった。これは津波が来たからこのことも関連あるものとして見るようになったのである。それは他の人もインタ-ネットに書いていた。そういう伝承は津波によってただの犯罪ではない、津波と関連づけられるようになる。自分もこの六年間の苦難を書きつづけてきた。津波の半年前に酷い犯罪にあった。そして津波が来るまでその犯罪者を激しく呪いつづけたのである。その人は別に警察に逮捕されていない、しかし警察に逮捕されない事件など山ほどあるのだ。ただこれもこれだけの津波が起きたから津波との因果関係を考えるようになった。他の人もいろいろ津波の後に考えているかもしれない、無頼漢とは自分の経験では犯罪者だった。田舎でもみんな素朴ではない、特に現代は広域社会だから昔の素朴な村社会とはまるで違う。
田舎の素朴さがう失われたというときそれが今回の相馬双葉漁業組合のことを度々とりあげた。原発事故では漁業権者が一番恩恵を受けていたのである。その補償金で億の金をもらったとかは船主なら嘘ではないだろう。原発事故以後も漁業権者には手厚い補償金が支給されているのだ。だから相馬総合病院に入院したとき請戸の人が特別室に入り家を建てると言っていたとき船主なのか?やはり漁業権者でありそれだけの金が入るのが原発だったのである。富岡町長の五億円の津波に流された金庫が話題にのぼったのもそれだけ原発から生まれ金は巨額だったのである。今でもこんなに補償金がでること自体驚きであった。右田の人が町内に立派な家を建てられたのもやはり漁業関係者だからだろうとなる。
ただ金をもっていても土地がないと家は建てられないから地元だから土地が手に入ったから建てられたと推測される。
●一尾の魚が意味しているもの
この伝承が意味しているものは何なのか?
これがただ一尾の魚を尊敬するかせぬかによってさういう恐ろしい結果を生じたざとつ伝えるのは考えて見れば不思議なことである。
漁業者が一尾の魚を尊敬するなど今は全くないだろう。一尾ばかりとったってなになるのだ。大量にとらなければ商売にならないとか常になっている。そして漁業では金にならない、だから跡継ぎもできない、これは農業でもそうである。一粒の米に感謝していた昔とは大違いである。常にどれだけの金になるのかが問題になる。それもやはり買うものが増えすぎたからそうなる。家もほしい車も欲しい電気製品も欲しい子供は大学まで出すのが普通だとなると常に金がかかるのが現代の生活だからである。
ただそこに大きな落とし穴があった。何か大事なものが見逃されていたのだ。
それは一尾の魚でも神からの贈り物であり一尾の魚をありがたく食べさせてもらう感謝の気持ちが喪失していた。このもの言う魚は神の使いであり危険を告知するものだったともとれる。自然からの何らかの警告として生き物もみるべきものがある。漁業権者にももらろん自分のような魚を食う方にもそうした意識は皆無になった。ただ金を出せば何でも食えるし必要なものは手に入るという感覚になってしまった。そこに人間の奢りが生まれていた。一尾の魚に一粒の米に感謝する心はない、ただ足りない足りないという嘆くだけだったのである。
今回の津波でどこでも漁業にたずさわる人々が村や町自体が消滅するほどの被害にあった。それでみなん天罰だというときそれは確かに一理あるのだ。それは松川浦の近くの磯部辺りでも立派な家が建っていたという人がいたから福島県の浜通りはそれだけ原発の恩恵が大きかったのである。なぜなら漁業権者の許可がないと原発はまず建てられないからだ。今でも汚染水の問題があり漁業権者と相談しているがそこでも交渉すればさらに補償金が上積みされるともなる。だから漁業権者の権利が一番大きいものだったのである。
それで天罰があたったというと言うの地元の人たちでもあった。
現代は科学が信仰にまでなている時代だから何か郷土研究など好事家のすることであり真剣なものではない社会に役立つものではないと見られていた。しかし津波のことで郷土研究でも実際は大事な学問であることを認識した。それは東北電力の副社長が岩沼に住んでいて山の方まで舟がながされてきたという伝承を聞いていたから危機意識があり10メートルの所をもう15メートルにしろと主張して今回は女川の原発はぎりぎりでひ助かった。
ただこれは近くの三陸でも明治に大津波で一万人と死んでいるのだから危機意識が違っていたのである。東電は最近になり津波のことを科学者によって指摘して危ないと何度も警告されていた。自分も時事問題で相馬のかなり奥まで津波が来た痕跡が砂の採取でわかっていて報告されていたのでそのことだけ注目した。それは貞観津波のものだった。
でも慶長津波は400年前のことだったのである。
●科学万能時代の警告が津波だった
人間は今や科学で何でも解明されている。そういうふうにみんなが思うようになってしまった。ところが科学で解明されないことがまだまだある。でも科学でやがて解明されると思うようになった。それで原発を推進していた科学者が確率的には一万年に一回しか事故は起こらないとまじめな顔で言っていたしみんなも信用していたのである。でも400年に一回くらいは大津波が来るのだからそれは全く歴史を無視したものだったのである。
つまり津波の盲点は人間の歴史が軽視されていたことなのである。歴史というとき災害の記録も歴史であり戦争のようなものだけが歴史ではなかった。人間は歴史を無視するとこういう恐ろしい結果になるということが証明されたのである。現実に松川浦にも津神社があり今回訪ねた原町の北原にも高い所に隠されるように津神社があった。それが何なのか地元の人も注目しないし忘れられていたのである。津神社の下には普通だったら津波のことが記憶されていれば家を建てない、これより下に家を建てるなという津波の伝承が残っている地域もある。だからどうしてそういう危険な場所に家が密集してしまったのか?
それは津波の伝承が失われてしまったためなのか?その辺はこれからの研究が必要である。
人間はすべてを科学で解明できない、例えは浪江の標葉郷はシメハはシメノであり禁断の地の地名だった。だから地元の人が郷土史家がここは禁断の地だから原発を建てるべきではないと言ったら笑われるがそれも馬鹿にできないものだったことが津波の後に判明したのである。科学的なことでこの世のことがすべて解明できないから縁起が悪いとかなどが今でも生きているのである。人生にしたってそうである。どこかに神の働き関与がありそれは科学的にはすべて解明できないのである。例えば放射能にしてもこれはどこまで体に影響するものなのか?これも実際は経験しないことだからわからないのである。そういう資料もないからわからない。本当に住めないのか?その判断は何によって決めるのか?
ただ科学的なものだけで決められるのか、現実問題として老人なら放射能と関係なく愛着ある家にもどり暮らしたいという要望がある。そういうのも無視はできない、だからチェルノブエリでは老人は帰って野菜を作り生活していた。それはもう放射能の線量だけでは判定できない、人間としての切実な要求を無視できるのかとなる。別に老人なら多少の放射能を気にしないからである。
今回の津波では一尾の魚にも恵みとして感謝してきた、何か最近自分の一身上ではただ自分から金だけをむしりとりむさぼり感謝もしない、ただ金さえとればいいんだとして自分の財をむさぼりくらおうとする人ばかりと接していやになった。何かしてくるならいいが何もしない、お前は金だけをよこせばいいんだとそれは強盗に近いものとなっていたのである。現実に強盗が入ってきたのである。そういう社会風潮になっているのも何か今回の津波と関係しているかもしれない、どういう因果関係があるのか?ただ科学的に規則的津波は起こるだけでは納得できないだろう。ただそういう伝承は科学の時代には軽視されてきた。現代は一般の人でなくても科学者であれ官僚であれ東電の幹部でも政治家でももの言う魚を奪った無頼漢となっているのかもしれない、あの人たちは事故前は紳士とみられていた。エリートであった。でも津波以後は科学に奢り金持ちとなっていた強欲な人たちだとなり罰せられるべきだとなった。それは地元の人たちにも言えるし自分にも言える。
つまり一尾の魚も尊重し資源として食べ物として貴重なものとすることが現代社会からなくなった。あらゆるものが足りない足りないという人が多すぎる。魚でも食べ物でもただむさぼり食らうだけであり食べ物に感謝している人などいない、農民でもなぜ米が高く売れないのだと商品として見ているのが今の社会である。実りそのものに感謝する人はいないのである。自分もただ金を要求されるむさぼられる対象でしかないと同じだった。感謝も何もない、金をもらえばあんたなんか何の用もない、死んでしまいとまでなっているのだ。それは親子でもそんな風潮でありモラルの頽廃が末世症状を呈しているのだ。
こうした末世にはやはり大きな自然災害が起きてくる。そういう考えるのもやはり科学的なことだけで人間の起きる事象が解明できないからである。
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