宮城県人と福島県人の違いは何なの?
(宮城県人は東北人ではない?)
宮城県人は、東北人でいて東北人ではない。福島県より東京には遠いのだが、100万都市・仙台はもちろん、そうでなくても、かなり都会っぽいのである。なにせ、「仙台の如きは当時繁昌の地なる故、風儀上国に習へり」(『新人国記』)とあるように、江戸時代初期からすでに、上国(京都に近い畿内の国々)に似たところだったのだ。気質も、淡白でさっぱりしている。
http://www.k2.dion.ne.jp/~nipoon1/miyagi.htm
県民性は明治維新から作られたものだから歴史が浅い、江戸時代だったらその気質もその土地に密着しているから相当に違っていた。飯館村とかが明治以降合併したとき佐須村と大倉村は民情が一致しないから合併しないと村誌に書いてあった。なに、大倉と佐須はすぐ近くだ、民情が一致しないとは何なのだろうか?
詳しいことはわからないが人間が何かしら違っていた。それにしても同じ山の村でありなぜそうなったのだろうか?それだけ隣り合う村でも交流がないから違和感を感じていたし
付き合うということもしなかったのかもしれない、つまり江戸時代はいかにそれぞれの村が小単位で自給自足していたかである。今の時代にはそこが理解できなくなっている。
そんな狭い村でどうして生活できたのか?それが理解できないのである。
ただ最近南相馬市では小高区の人がどうのこうの鹿島区の人がどうのこうのとか言うのは原発避難民が押し寄せてきたために目立つからそう言われるようになった。双葉町の人はあつかましいとか批判されたりするのもそのためである。別に原発事故がなかったらそんなこと言われなかったろう。ただ原発で金が入ってくるのでうらやましがられただけなのである。それが今になるとただ金に汚い奴らだとか批判されるだけになったのである。
小高の人は人がいい人が多いとか鹿島の人は人が悪いとか言われるのもそのためだった。全然気質が違うという。そんなこと考えもしなかったが何かそういうことがあったのかもしれない、今でも隣り合っても民情が違うことがありうる。
でもそもそもそうした民情とか気質とかはわかりにくい、ただそういうことは常に話題になる。
福島県では特に浜通りでは相馬地方では仙台のつながりが強いから宮城県人とかかわる人の数が多いのである。結婚する人も宮城県の人が多いのである。それで面白いのは新地に伊達氏の家系の武士出身の人がいて相馬市との合併を頑固に反対していたという。
なぜ新地が相馬市と合併してもいいようでもそうなっていないわけがこんなところにもある。新地は伊達藩と相馬藩の境目だから特殊なのである。あそこに文禄の碑があったことでも伊達藩は相馬藩より古いのである。その碑はやはり伊達政宗の朝鮮出兵と関係して記念に建てられたのかもしれない、なぜなら新地は伊達領にもなっていたからである。
わざわざ文禄の碑とか記念に残すのはそのためだったかもしれないのだ。
伊達政宗は本当に東北人とはそもそも思えないのだ。それはやはり仙台がすでに繁華な都会でありそこでそうした気質が養われたとなる。本当に宮城県は東北ではないというときその気質がそうなのである。東北人は鈍重で真面目であり融通がきかいなとかず-ず-弁で世渡りが下手だとかが常にイメージされる。宮城県人にはそういうことがないのである。伊達政宗は現代に現れてもたいして違和感がない人間だったのである。
ただそうした都会人的気質が福島県人からすると嫌われるということがある。
それはなぜか?福島県人はまだ宮城県人より素朴なものが残っているためだという。
そんなことあるのかと思うがそういうことは類型的にある。宮城県人は仙台を中心にして拡散した都会なのである。岩沼や亘理あたりまでも仙台の延長なのである。だから仙台中心の県なのである。工業都市であり商業都市であり東北の中心の交通の要である。
それが江戸時代よりそうだったのである。仙台平野の米は石巻から船で江戸に送られていた。そういう商業都市として江戸時代からあったことが違っていた。
商業的だということは人と渡り合うことに優れている。それは関西と似た気質を形成する。
人間は不思議に国の訛りでおさとが知れるというのは変わっていないところがある。
なぜか、宮城県に住んだり宮城県人とかかわった人が・・だっちゃ・・だっちゃと語尾になる。この言葉でまずこの人は宮城県人だとわかる。相馬ではんだ、んだでありだっちゃは異質なのである。それで丸森になるとんだちゃになっていた。これも丸森が一時期相馬藩になっていたから相馬とかかわりが深いからそうなった。んだ-ちゃと宮城県と福島県の方言が一緒になってしまったのである。方言は山形でも青森でも相当に違っている。
訛りが強いと聞き取れないことがある。秋田弁でも山形弁でもなまりが違うのである。
雪国の方言はなまりは何か内にこもるような鈍重な声になっているみたいだ。
宮城県のだっちゃは何か明るい感じがしたのである。方言はまず何か地域で育った人間を感じさせるのである。江戸っ子になればあれだけの都会で生きるのだからぐずぐずしては生きられないからはっきり物言う言葉になる。それは都会だから仙台と宮城県人とにているのだ。んだんだ・・というのは何か鈍重で機敏性がないのである。
京都弁だと言い方やけにやんわりしているのである。女性的でありなるほど京都なら常に人ととかかわるからそうなったし大阪だともうかりまっかとかが挨拶になる。それは商業都市だからそうなる。京都弁は政治都市だから本音と建前を分けた言葉となる。
本音を簡単に出したら権力者に抹殺されるという恐怖があったのだろう。
結局言葉にも常にその地域性が現れていたのである。京都ではどうしても権力者の天皇も住んでいた都市だからそうなった。上のものに気づかうためにあのようなやんわりとした言葉になっていた。そのやんわりとした言葉は表向きで実際は刺があり本当の心は表に出さないのが京都人だとなる。権力者と絶えず接していればそうなってしまいそういう気質と言葉が生まれたともなる。
福島県というとき広いから一様化できない、会津はまた山国であり別個の世界である。でも山国であり強情だとか融通性がないというのも地理的歴史的に培われて気質が育てられたのである。福島県は宮城県と比べると素朴なところがまだ残っている。それは保守的な気質にもなっている。ただ浜通りとか会津ではまた違っている。
祖先につながりを感じる(全国統計)
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