柳津の粟饅頭の店が消失(会津は粟饅頭に栃餅がうまい)
柳津に自転車で行ったとき、粟饅頭もらったことを覚えている。あそこが焼けたというのは驚き、四軒も焼けたとなるとショックだったろう。粟饅頭はうまい。
あの辺は栃餅もうまい、その味がいかにも山国の会津の味だった。
浜通りだと松川浦でとれる石鰈がごちそうである。これはとれたてのがうまい。それも原発事故で食べられないのが漁師にとっても悔しいだろ。自分で米が作れなくて買っているのが悔しいという農家の人がいた。やはりこういうところにどんなに補償金もらっても失ったものの大きさがあった。
地元でご馳走するものがないとなると淋しいことである。新潟に避難したこの辺の人が言っていた。新潟では待遇が本当に良かった。温泉にも入れたとか布団は一人一人用意されていたとか食事も良かったとか言っていた。そんなに良かったのか?
バスで避難しろと言われた時不安だった。でも実際はバスに乗っていってもちゃんと待ってくれていた人がいて好待遇だったから旅行気分にすらなっていたのである。
ともかく旅の思い出として料理の思い出がある。でもこれは今はなかなか得られない、郷土料理は特別な店に入らないと出ない、その点、江戸時代の方がその土地のものを食べられたかもしれない、なにしろ江戸時代はその土地のもので自給自足していたからかえって土地のものがうまいということがあった。漬け物でも梅干しでもみんな違っていたのである。
今は確かに全国の食べ物が食べられるけど鮮度が落ちる。でも今日の白ミソというのを味噌汁にしたら東北とは違って薄味だった。東北の味噌は塩分が強い。それで脳梗塞などが多くなっていた。料理とか味噌でもその土地の繁栄である。それでも今は土地の特色を出すことがむずかしい。どうしても一様化してしまうのである。
会津の米がうまいのは水がいいからなのだろう。何か淡白であり水が影響しているのかもしれない、特に白いという感じもする。
料理は必ずその店独自のものを出さないと食べ物は誰でも評価しやすいから繁盛しないだろう。もしそうした独自のものが作れるなら宣伝も入らずに繁盛する。いくら宣伝しても食べ物は中味がすぐわかるから無駄なのである。薬なんかはきくのかどうかわからないから絶えず宣伝していると催眠術のようにきくように思えてくるから不思議である。
テレビの青汁の宣伝でもそうだしスチームの宣伝もそうだった。テレビは何か買い物だけではない、ニュースでも解説されると暗示にかけられているのである。嘘も百回言えば信じるということになる。原発は安全だ安全だと絶えず言っているとその当事者も安全だと思うようになっていたのかもしれない、安全だ安全だと題目を唱えるように念じていたのである。
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