冬の星
(今年は晩秋なのか冬かまぎらわしい-日本の文化は木にあり変わりやすい)
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隣家の紅葉の赤し時を経て
晩秋の山脈日当たり影深む
大原の土埋もる碑冬薊
新築の家真新し冬の星
新築の家はや成らむ冬の星
陽のあたるところも見えて影深む冬の山脈今日も見ゆかも
今年は冬なのか晩秋なのかまきらわしい。季節的には冬でも秋が短かったから阿武隈山脈を見ると晩秋の色合いにも見える。でも寒いから冬なのか枯野だから冬なのかとも思う。要するに秋が短いとか晩秋とか秋の暮とか秋深し・・といいう季語の感覚がなくなると
何かが狂ってくる。今まであったものがなくなる、なじんだものがなくなる。
その影響は結構大きいだろう。季節は普通は変わらないからである。それか熱帯化するとかなったら感覚的におかしくなってくる。
それは日本の文化の喪失さえ感じるようになる。晩秋とか秋深しとかは極めて日本的季節の感覚だったからである。それは人生観とかにも影響してくる。
日本では季節から季語が生まれ微妙な自然の感覚を磨いていたからである。
日本の紅葉が外国からも見るんにくる人がいることは日本のようなきれいな紅葉に外国はならない、なんか今年のような秋の鮮明な紅葉でなくて冬紅葉のような光景が外国らしい。日本のような紅葉は日本でしか見れないのである。するとそれは相当に貴重なものだったとなる。日本の自然は特殊であり日本でしか感じ得ないものがかなりある。
雨の多様性などもそうである。だから擬態語が発達したのかもしれない、日本の自然は変わりやすい、それで日本人は変化に強いと言う人もいる。また変わりやすいから一貫したものが作れないともいう。アメリカ人も戦争に負けた全く変わってしまった日本人を信じられないとか驚いたように本当に変わり身が早いのが日本人なのである。
隣に新築の家が建った、ほぼ外観はできた。今は積み立てるだけだから早い、冬の星が一つ屋根の上に今日も輝いている。日本人は木の文化なことも変わりやすい性質を作ったのかもしれない、木は生きているのであり生きているから木はやがて死ぬこともある。寿命がありそれも短い、伊勢神宮の二〇年で遷宮して新しく建て替えることでもわかる。
日本人は古いものを尊ぶというけど絶えず新しいもの変える文化なのである。
二〇年ごとに代えることでまた技術が伝承されてゆく、建て替え作業のために技術が伝承されてゆくということがある。それも木は生きているからである。
外国では歴史的なものは城でも古いままにそのまま残すのが多いというけと石だから古いままに残せるのである。日本は木だから必ず木は生きているから死ぬのも早いのである。だから絶えず建て替えることが迫られる。そもそも日本の家の寿命が三〇年とかなると開国では驚く、開国では100年など当たり前とてっているからだ。
日本は歴史があるといっても何か継続した時間の中で維持する思想がない、それは津浪でも現れていた。相馬藩で四〇〇年前の津浪のことを全くわすれていたことでもわかる。
ただこれは相馬藩の記録には戦争のことなどことこまかに書き記しているから無視されたのだろう。ただ民衆側でも何か記録に残せたはずである。伝説にも残らないということが未だにわからないのである。言葉でも日本語には時制がなく過去を明確に意識できないのである。ゆく川の水は絶えずして元の水にあらじ・・・・絶えず水のように流れてやまないのが日本人の精神でありだから変わりやすく過去も忘れやすい、ただ利点として変化しやすいから変化に強いともなる。でも日本人的な一貫したものを作れないという弱点にもなっている。
明治維新の時、城をみんな壊してしまいというのも今になるともったいないことだったとなる。今に城が残っているのも五つくらいしかないというのもそのことを示している。
真新しい城にしたとき何か違和感があるというのは外国のように石の城だったら昔のままに残っているからその歴史を感じる。新しく作られた城はむしろ現代を感じてしまうということがあるのだ。過去のもののように思えなくなると外人が言っていたことでもわかる。古いのに古くない新しい建物になっているからそう感しるのである。
人間は斎藤さんの死んで偲んだようにある土地ときりはなせくあった。斎藤さんが大原て生きて大原で死んだ。そこが死ぬ場所であった。そういうことを老年になるといやおうなく感じるだろう。特に農家の暮らしをしてきた人は自然とそうなる。その土地と一体化するのである。だから墓はまるで木の根っこのようになっているのだ。
でも大原は老人だけになり荒地となってしまうのか、農業も跡継ぎがいないなど各地で土地も利用されず荒地になる。この辺は津浪原発事故で現実にそうなってしまった。
日本の人口がこれから四千万減るということは農業をやる人がさらに激減してこの辺のように荒地として残されるようになるかもしれない、でも先祖は日本人の場合、その土地に思い入れが強いから悲しんでいるだろ。
だんだん日本人のアイディンティテの場所がなくなってしまのだろうかと思うと淋しい。
烏が山に帰る、山はやはり死に場所なのである。何かだんだん身近な人も死んでゆくと死をさらに意識する。だから死に場所は山であり山に烏が帰るように山で日本人が死ぬというのが日本人的感覚なのである。病院では死にたくない、死んだら山に葬ってほしいとなる。そして先祖となる。こういうのは理屈ではないのだろう。そういう文化を日本人は自然とともに作ってきたのである。
今回北斗七星がはっきり見えた。星は見える場所によっても相当違っていた。今回は明らかに北極星をさしていた。星も見る場所と違っているから生きている間でも違ったように見える。狭い場所でもそうなのである。だから角度を変えるとまた違って見える。
今回は明らかに北極星が輝きあの方向が北だと明確に意識されたのである。
相馬氏の妙見信仰は北斗七星だから星なのだけど日本だとあまり星を意識しない、
ただ冬は星がきれいに見えるから今回は北極星を明確に意識したのである。
「北極星に進路をとれ」と自転車を走りながら明確に意識されたのだ。
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