2013年11月26日

なくなってはじめて意識する人間の感覚の不思議 (歴史には記憶が消える空白化が膨大にある


なくなってはじめて意識する人間の感覚の不思議

(歴史には記憶が消える空白化が膨大にある)

日々通るこの道の脇家の跡誰か住みしと冬のくれかな


●その家が消えてはじめて意識する人間の感覚の不思議


人間の不思議はその家がある時はその家のことを意識しない、六号線の脇の家もそうだった。誰が住み何をしているのかも意識しない,普通にありふれた一軒の家にすぎない、そこに誰が住んでいて何をしているのかも関心がない、しかしなぜその家がなくなった時、その家のことを意識したのだろうか?
そこを散歩の為に毎日通っているということもあった。毎日通るからどうしても更地と化したその場所が気になる、意識するのである。
もう一つはその家について誰が住んだのか何をしたのか?そうしたことが全く不明なためである。だからこの家は何だったと意識する。
これは人間として奇妙なことである。それは人間特有の感覚である。
あった時何も意識しない関心もないのになくなったとき意識する。


例えば墓にしても碑にしても名前がなかったり何も書いてないものがある。字も薄れて何が書いてあるのか年代もわからない、すると何とかその書いてある字を知りたいとなる。知り得ないから余計に知りたいとなるのも不思議である。かえって明確に字が記されているとああそうかで終わりになる場合もある。だから人間の感覚は不思議である。
謎であればその謎を知りたい究めたいとなる。
古代文明の興味はすでにわからない謎になっているからいつまでたっても興味の対象となっているのだ。

そしてもう一つは人間は何らかの空白に耐えられないのだ。真空になっていることを許さない、そこに何かがあるべきものとしての感覚である。何もないということはそれは物理的現象だけではない人間的に存在についても言えるのである。
何もないということはあってはならないことなのだ。

だから奇妙なことなのだけどここに住んだ人は誰だったのだ?何をした人だったのだ。
故郷にとってどういう人だったのだとかまで考える。
この辺は津浪で家をなくした人が多い、それから移動したり何かで家が壊されて更地になった所もふえた。そして次々と家が建っているのが現実である。
そういう変化の激しい地域になっている。
だから家がなくなったのはこの家だけではない、でもなぜかその家を意識するのは自分が毎日通るということにもあった。
その家に住んだ人について何も語り得ないことが空白になっいることがかえって余計に意識するようになっている不思議である。


●人間も生きている時は意識せず死んだ時意識する


人間でも生きている時は意識しない、死んだ時かえってその人を意識するようになる。
大原の斎藤茂延さんのことを忘れていたが死んだと聞いてまた意識した。より深く意識するようになった。一カ月ではなかった。実際二〇日間くらい一緒に病院にいて話を聞いただけだったが病院は閉鎖された特殊な異様な空間でありそれで親密になったということもあった。ただその前にその人のことを全く知らなかった。大原についても興味はなかった。だけどその人を通じて大原に関心を持つようになった。
そして死んだ時さらに関心をもつようになった。


あの人がここに生きて死んだ、この土地で農業していたからこの土地に愛着をもっていただろうな、それで跡継ぎがないとか廃屋が増えて村が廃れてくるとか何かそういうことに関心をもつ、そして山の中に田んぼなのか荒地になっているところを見たら先祖がさぞかし苦労して開墾した土地なのに捨てられる、放射能汚染地域でもう誰も耕さないのかとなると悲しいとなる。

それがちょうどその茂延さんの墓所のすぐ近くだったのである。

そして茂延さんは死んだのだけどまだ愛着ある大原に生きていると感じるのも不思議である。なんか大原の道を歩いているとひょいと出てきて逢うような気がするのも不思議である。これは都会に暮らしている人と違ってその土地と密着して生きた農家のような人たちはそうなる。死んだらその土地の先祖となりその土地の霊となる。山の神となるというのはそれは理屈ではなく日本人の自然な感覚だったのである。


●歴史にも記録の空白化がいくらでもある


いづれにしろ人間はどんな人でも死んだ時点で死んだ時その人を一時的でも意識する。
近くに住んでいた人は一回も話していないし名前もしらないし何をした人かもしらない、仙台から拾ってきたんだとか噂していた。でも三〇年も一緒にいたのである。
周りの人も何もしらない、一人だけ知っていた人はいるにはいた。
でもほとんどの人はその人について何も知らない、それで夫は金がなく市で始末してくれるだろう、無縁仏になると言っていた。でも最近籍に入れていたとすると墓に入れられたのである。でも貧乏だから母親の名前も墓誌に刻んでいないから何もできないのである。そういう人でもその人は何だったろうとなる。
それなりの人生があったのだろうと思う、すぐ隣にいても全く不明だったという不思議である。無縁仏になっていてもそれなりの人生はあったとのだろうとなる。
ただもう誰もわからないし知り得ようもないのだ。誰ももう聞こうともしない、これも全くの消失空白化になっているから気にかかるということもある。


歴史的にも歴史となると膨大な人々が生きているのだからいくらでもこうした記憶の空白化は起きている。人間は日々死んでいるのだから日々忘れられてゆくというのも現実である。相馬藩でなぜ溺死者七〇〇人としか四〇〇年前の慶長津浪のことが記されていないのか?これも謎であり歴史の空白化現象なのかもしれない、他に・・千軒とか街ごと消失した伝説が各地にある。多賀城にもあり横浜にもあり草戸千軒は有名である。
それらについてもただ・・・千軒があったということしか伝えられていない、だから本当にあったのかどうかさえわからないのだ。ただ草戸千軒の場合は最近発掘物で実際にあったとわかったのである。

相馬藩政記のことを時々紹介しているけど他のこと戦争のことや跡継ぎ問題などはことこまかに記録している。だから津浪で七〇〇人死んだということの記録が一行だけというのはやはり一つの歴史の空白を作り出していたのである。
津浪でも相馬市の奥まで津浪が来ていたと土を掘り下げてわかった。それは貞観津浪の砂だった。とにかく歴史となると長いからそうした記録の空白がいくらでもある。
津波で神社のことが問題になったけど神社についても謂われもいつ建てられたのかもわからないのが多い。
建てたときはやはり何かしら建てる理由があり建てられたけどわからなくなってしまったのだ。
でも何らかの記念であったことは確かなのである。
津神社などは何かわからなくなっていた。それが津波の記念だったのかどうかなのもよくわからないのだ。
津波のあとの百年後とかにも建てられているからだ。
意味不明の神社が相当数ある。それも歴史の空白化現象なのである。

posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係
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