2014年01月28日

全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた (その人も相馬で津浪の被害にあった)


全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた

(その人も相馬で津浪の被害にあった)

最近知り合った人に三陸に行きたいからインターネットで調べてくれと言われた。その人は友達と二人で行く、一人は75歳で車での旅はしたが電車の旅はほとんどしていない、だけど三陸を旅したいという、三陸は津浪被害で鉄道が破損して途絶えた区間ができた。
でも全線開通したという、それが4月でありだから行きたいとなった。
またNHKのドラマでも有名になったこともあり行きたいとなった。
一人も60代の女性だけどテレビの鉄道番組を見るのが好きだという、その女性は働きつめであり貧乏でもあり電車の旅をしていない、団塊の世代は会社勤めでも結構遊んでいるし旅行しているのだ。自分は例外にしてもだからどこどこに行ったとかいうとだいたい日本なら全国行っているのでわかる。

三陸の鉄道が全線開通したというとき、早く開通したと驚いた。常磐線は六年後とかいつになるかわからないからだ。なぜそんなに早く開通できたのたろうかとも思う。
映像を見た限りあんなひどい状態から良く全線開通できたものだと思う。
鉄道のトンネルを被災者が歩いているのを見たときは驚いた。その訳は鉄道は歩くのには便利だったのかもしれない、三陸はトンネルが多いし隣への道が途絶えれば鉄道の方が便利だとなって歩いていたのかもしれない。
テレビで見ただけでは被害状況はわからない。

ただ自分は三陸でも岩手県も宮城県の海岸線も全部電車に乗っている。全国ほとんど乗って私鉄の線くらいしか残っていないのだ。けれどもここ七年間は介護などでしていない。ただ一回岩手の釜石まで行った記憶がある。その時釜石駅まで津浪が来た報道されて驚いた。釜石の海を見ていないからだ。あんなところまで津浪が来たのかというのかどこでも驚きだった。


三陸に旅行したいという75歳の人も津浪の被害にあった。3キロとか離れていたけど津浪の被害にあった。床上浸水だった。自分が見た限りでは床下でたいしたことがないと思っていた。津浪は洪水とは違う、圧力をともなった波が押し寄せてくるから50センチでも怖いのである。遠くでも怖いものなのである。その人はその時近くの女性に助けられたのでその女性と三陸に行きたいというので自分に調べてくれと言われた。
それで調べたら津浪を語る旅行も盛岡からも三陸沿線からも出ている。
全線開通して旅しても津浪の被害状況を見るためのものものになる。
でもその二人は津浪の被害者でもあるから話しがあうということにもなる。


その75歳の男性は津浪の浸水で一時相馬市に避難して一年間くらいアパートで暮らして最近ようやく荷物を家に運んだという。それから仙台の方にまで避難したという。
縁故の人がおおくててきた。仙台では一時物が不足して物を買うために並んでいたという。仙台でどうしてなのか?津浪の直接の被害はないし東京からの道路も断たれたわけではなかった。ただ名取の仙台空港や仙台港には倉庫が一杯あり船が入ってきていた。
そうしたところて物流が途絶えたのだろうか?その辺の事情がわからないが仙台まで津浪の被害が影響していたことは意外だった。確かに長町辺りも仮設住宅が建っていた。


仙台に避難者が集中しているということはあるだろう。相馬辺りでも原発避難者でも仙台に避難してそこに住み着くという人も出ているという。仙台は東北では一番の都会だから住みたい人がいた。でも住居費でも何でも高くなるから苦しい面はある。
この辺は相馬まで仙台と常磐線でつながっていた。通勤していた人もいた。だから常磐線を通じて関係が深い。福島市より関係が深かった。現実に鉄道が途絶えたときバスは出ていてもなんか行きたくなくなったのである。介護で行きにくいこともあるがやはり電車は便利なのである。


ともかく自分は考えて見ればた旅ばかりしていたのだから旅の案内に向いているとは言える。インターネットでも案内しやすくなっている。旅行ガイドというのが自分に実際の職業としたら向いているかもしれないと思った。ただ自分で自由に旅行はしたいがガイドなとしたくないということはある。でもどういう見どころがあるかは教えられる。
盛岡だったら城跡と中津川と北上川と岩手山は見ていけとかなる。それは観光案内にでていてもそれより深く説明できる。文学的にもできる。でも文学的なことはあまり普通の人は関心がない、でも関心がなくても庶民的な案内もできる。旅行ガイドというのもまたプロフェシャナルにありえるそれでも旅は自分なりの発見をするのが旅だというとき人まかせでは自分なりの旅はできないのである。


大船渡辺りを電車が通ったとき朝日が昇っていたことを記憶する。それは冬でありきれいだった。でもあの大船渡の被害も大きかった。家族五人くらいか死んで一人残された人が自殺したという報道があったときその被害がどのくらいのものなのか何も解説しなくてもわかった。津浪とは一家全滅になるような恐ろしいものだったのである。
いづれにしろ三陸の旅は津浪の被害の跡をたずねることになるから今までの観光旅行とは違ったものになる。そういうことを事前に心得ていないと地元の人に拒絶されるかもしれない、まだそういう観光のらヴな浮かれたものにはなっていないのである。

posted by 天華 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/86265753
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック