2014年02月10日

なぜ事故が起きるのだろうか? (事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


なぜ事故が起きるのだろうか?

(事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


事故がなぜ起きてくるのか?それは不注意とかが一番言われる。
でも注意しても事故は思いがけなく起こる。
だから事故は運不運だともなってくる。
なぜ今回水道管などか壊れて大量の水漏れをしたのか?
それも自分が留守の時に起きたのか

これは何なんだろうとなる

その原因はたまたま遠くに外出したことにあった
それも仙台に行ったのは約一年ぶりであり出かけていない
だから母が入院している間に行きたいと思っていた
自分はこれまで自由にどこでもふらっと遠くに旅もできた
そういう自由があることはよほど恵まれていたのである
なぜなら他の人は勤めていれば時間に出勤して
休暇をとること自体簡単にできないからである


それが家族が病気になり自分も病気になりここ7年間は介護でできなくなった
介護になると代わりがいないと外出すら余裕をもってできなくなる
それが一番自分には辛かった
全く自由が奪われてしまったのである
それも結局はあまりにも恵まれた結果なのである
「お前には十分自由を味わったからもうあなたの自由はない」
そう宣告されたと同じである


今回の大きな事故も何かそういう宣告を破ったことが原因している
お前は勝手には外出できない、遠出はできない
今までは家族がいて留守していたのだからこんなことは起こりえようがないのだ
要するに「お前にはもう自由がないのだ」ということを宣告されているのだ
その宣告を破ったがゆえに大きな事故が起きてしまった
それも自分がいないときに起きた
自分がいればその事故もたいしたものとはならなかった
水はすぐとめられたからである

てもこんなことは40年に一度くらいしか起こらないのである
だからその事故の時、家にいないということはよほど不運だったのである

事故に運不運があるとき、それは単に不注意とかではない運命的に事故が起きる
だから事故の原因が何なのか、それは運命だったということにもなる
そして事故がカルマだったということも指摘される
カルマというときその人が事故を起こすカルマをもったから起こす
自分の兄弟の一人は自分の父は同じではないが工場で事故で死んだ
その息子であったが40歳で交通事故で死んだ
だから二代して事故で死んでいるのはなぜなのだろうとなる
これもカルマなのかとなってしまう


ただこの世で事故はいつでも起きている、最近聞いた話では電柱に上る電気の仕事をしている人が
感電して死んだという、あそこには6000ボルトの電気が流れているという、
だから危険であり死ぬ人がいても不思議ではない
すると電気はボタン押せば使えるがその電気を作り保つことは危険があるということも認識する
命がそこて犠牲にされているということも認識して電気はありがたいものだとなる
原発でも事故が起きなければそうなっていたのである

だから事故はいつの世でもあり一つの犠牲だったともなる

なぜなら事故は交通事故でもそうだが車社会ではどんなに注意しても起きる
だから車社会の犠牲として事故が起きるからやむをえないとして保険金がでる
電気も同じなのだ
電気を維持するためにはやはりそれを保守点検する人がいてそういう事故が起きた
それは電気社会を維持するための尊い犠牲だったとなる
一種の電気を維持するための殉職だったとなる

原発事故でも電気社会を維持するために不可欠であり
犠牲者がでてもしかたがない、それより電気がなくなったら今の社会は維持できない
だから原発なしでは社会は文明は維持できないからつづけるべきだということになる
だから原発は簡単にやめるわけには行かないのである


いづれにしろ事故は何か運命的に起こらないか?
今回の事故にしても自分にとっては何か運命的だった
自分が今出かけなければあとはまた出かけられなくなる
そう思ってでかけたとき事故が起きたのだから運命的である

だから事故でも運命論的にとらえる人もでてくる
事故にあうべくしてあったのだ、死ぬべきして死んだとかさえされる
原発事故も起こるべくして起きた

巨大地震津波が起きたのも運命的であり事故も起きた
事故は運命的起きたということである
運命的とはどんなことをしてもさけられずに起きるということである
そこには神の意志さえ働いて起きるともなってしまう
だから人間の力ではさけられないものとして起きるのだともなってしまう

事故でも今回の原発事故でも予測しえないものが起きて起きるからそうなる

交通事故だってどんなに注意してもたまたま車を運転している人が暴走したりすれば
さけられない、自分が悪くなくても死んだりする。
だからそれもよほど不運だったとなる
それは相手の過失でそうなっても不運だったとなる

事故でも犯罪にあうのも運命的で運不運があったとなる
自分が突然病気になり入院して火事場泥棒にあったのも
大不運だったがそれも運命的でありさけられなかった
つまりそういう犯罪にあうべくしてあったとまでなる
犯罪というはそういう側面があるかもしれないのだ
なぜその人だけが犯罪の被害者になるのが不可解なことがあるからだ


ともかくこの7年間に自分に起きたことは何らかのカルマの結果でもあり
起こるべくして起きた運命的なものがあったということである
カルマとはなんらかのツケである。それを人生で積んでいるのが人間である
一番わかりやすいのは借金である
借金は具体的なカルマでありツケだからいづれは隠すことができず払わされる
それが過酷なものとなっている場合がある
その清算もいつかは要求される

だから自分に起きたこともカルマでありツケを払わされているとなる
原発事故でもそういうことがいろいろ起きている。
原発避難者は原発では金銭的に恩恵を受けていたとか言われる
それか今はカルマとなりツケとなって過酷なものとして支払いを要求されている
いづれはカルマはツケは個々人でも団体でも支払わされるということである

posted by 老鶯 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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