寛政地震で相馬藩内で8人死んだ津波があった
(200年前だったがこれも記録されていなかった)
1793年 2月17日
(寛政 5) 陸前・陸中・磐城 8〜8.4 仙台藩(現、宮城県)で死者12、家屋破損1,060余。宮城南部の震度は5〜6程度であった。相馬で津波があり、死者8発生。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/information/council/shuto-research/jishin_kentou/c_js06.html
寛政五年正月七日午刻(昼九ツ時過)(1793年2月17日正午過頃)牡鹿半島沖に大地震が発生した。
『古廟山主将記録』には、大津波が発生し須賀浦にて家17軒が流れ12-13人が流死したとある。『東藩史稿』には仙台藩領内で圧死12人、馬13頭、潰家1060余とある[1]。
全体で潰家および流失家1730軒余、船の流失・破損33、死者44人以上とされ、相馬では余震が10ヶ月以上続いた記録がある[2]。
宇佐美龍夫(2003)は、津波が相馬、いわきで引き波で始まったことから1896年の明治三陸地震にも似ていることを考慮して震央(北緯38.5°、東経144.5°)をより沖に定め、規模もM8.0-8.4と推定した。1897年の地震との類似を考慮すればM7.9程度になると推定している[2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E5%9C%B0%E9%9C%87
寛政五年(1793)宮城県沖に
発生した地震の詳細震度分布と津波の状況
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/16-Namegaya1.pdf
ここの図では松川浦から請戸で2メートルから4メートル浸水している
この時8人死んだということはそれなりの被害があった
津波は慶長地震の津波だけではない、相馬藩内でも寛政地震であった。
慶長地震が400年前でありその200年後に寛政地震があり相馬地方にも津波があった
それは今から200年前でありこの辺が津波の伝承を聞かないというとき
200年前だったらその伝承が残ってもいいはずであった
400年前は無理にしろ200年前となるとそんなに昔とはならないからだ
ただこれについても相馬藩政記に記されていなのだろう
慶長津波では400人溺死と記されている。寛政地震津波では記されていないとすると
このことも謎になる。
まあ、死者8人くらいなら軽くみることもわかる。
でも津波の記憶は残しておくべきだった、伊達藩には記されていて伝えられた。
そして慶長津波も寛政地震津波も今回の三陸沖津波も震源地か近いのである。
だいたい同じような場所から起こっているかことに注意するべきだった
そこには明らかな周期性があり大きな地震が百年単位とかで起きている。
明治時代にも三陸津波で大きな被害があった。
だから相馬は宮城県とも岩手県とも近いのだから無視できるものではなかった
それが何か相馬では福島県の浜通りでは津波は起こらないという感覚になっていた
三陸で岩手県でまた津波か、ここには津波は起こらないよという感覚になっていた
ても歴史を調べれば400年前にも200年前にも大きな津波がきていたのである。
ただ200年前の寛政地震津波でも8人死んだくらいだから記録にも残らなかった
だからここの津波についてもほとんど相馬藩でも知られていないのである。
民間の伝承も残っていないのである
ただ津波が200年前にもあった、
それも8人も死んだということは重大なことだったのである
つまり歴史では何が重大なものかその時ではわからない
この時は相馬藩は戦国時代ではなく政治も安定していた時代である。
だから自然災害にも藩で注目してもいいはずだった
それも注目されなかったのはなぜかという空白が問題になる
相馬地方では津波か来ないということがみんなで思いこまれていたのである
だからまるで危機感がなかった
三陸に起きても相馬では起きないという確信のようにまでなっていたのである。
でも現実に200年前にも来ていて8人か死んでいる
だから相馬地方でも浜通りでも津波は来ると警戒してければならなかった
今回のようなき巨大なものではないにしろ津波は日本の海岸では必ず来るものなのである
そういう宿命、カルマを背負った国土が日本だったのである
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