2014年03月21日

地元でもわからなくなったしゃべらない方言 (ちゃっこいと良く使う60代の女性)


地元でもわからなくなったしゃべらない方言

(ちゃっこいと良く使う60代の女性)
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ちゃこい、ちっちゃこい、ちっこい とも言います。


小さい という意味です。


「あがんぼてちゃっこいなや〜、めんこいなあ」

(赤ちゃんって小さいねえ〜、可愛いなあ)


自分と同世代で同じ故郷に住んでいても方言をしゃべる人はすくなくなった
その女性は昔風の女性で他と違っているのだろうか
貧乏故になんでも「もったいない、もったいない」というのも昔風である

ただ携帯を使いしきりに連絡をとったりあとは現代の生活をしている。
学はないけど未払い賃金のことで労働基準局に訴えてもらうとか言っていた。
自分の正当な権利を主張するのに執拗なのである。
それはその人の個性があるけど戦後教育が民主主義が女性にも普及した結果なのだろう
男女同権なのもそうである

とにかくその女性はおしゃべりであり延々と二時間くらい話し続けるのでつきあうのも疲れる。
女性とこんなに話したことが自分にはなかった。
だから自分は女性のことなどわからない、家族では60年とか話していたが外部の同世代でも話していないのである。
だから地元の人についてもつきあいもないしわからなかった。

その女性はしょっちゅう「ちゃっこい、ちゃっこい」というがそんな方言を地元でも自分は使ったことがない、
これは女性の言葉、方言なのかとも思った。

男性がちゃっこい、ちゃっこいなどと言うだろうか?
女性が言う時、何かその言葉があっている。

赤ん坊をちゃっこいな、めんこいな・・・とかなる

めんこいなどというのも今は使わないだろう。方言はどこでもすたれている

そもそも方言をしゃべらないはいうことは何なのか?
人間は今や土着的生活をしていないからだろう。
方言はその土地に何代も住んで伝えられたものなのだろう。
だから隣の村でも言葉が違っていて方言になっていた

ただこのちゃっこいは北海道の方言だとかともでているから広範囲になっている
小さい⇒ちゃっこいになったことはわかる。

何度もちゃっこい、ちゃっこい・・・と聞く時、それが何か親しみを感じる

方言で津波被害の三陸などで励ましあったというのをテレビで放送していた。
方言は何か親しみがあり人間同士のあたたかみを感じる。
その女性はそうしたあたたかみを実際にめずらしくもっている
だから旧来の義理人情にあついとか田舎的女性の良さをもっているとなる


いづれにしろ方言は露骨に地元のなまりなのである、なまりでお国がしれるというのは本当である

・・・だっちゃ、だっちゃ・・と宮城県のなまりには実際びっくりした。
福島県では浜通りでは宮城県と結婚する人が多いのである。
方言は地域性がありそれが面白さである。
地域に転勤になったサラリーマンが地元にとけこめないというとき
方言が簡単にしゃべれないからだということを言う人もいる
方言でしゃべると心が理屈ではなく通じ合うものがでてくるのだろう

ただ今は地元ですら方言をしゃべる人が少ない
だんだん方言すらなくなってしまうのではないかと思う

方言でも言葉は現実の生活で使われて活きてくる。
何でも使われなくなったものは活きてこないのである

飯館村ではまでいな村作りを目指していた。
このまでいなというのも自分にはわからなくなっていた。
ただ使ったことはあるがあまり聞かなくなっていた

これももったいなという戦前からの貧しい時代の言葉なのである。
何でも買っては膨大に捨てる時代の言葉ではない
そもそもまでいにしろちゃっこいにしろ
そうした方言とは違う社会になっている
グローバル化であり買っては捨てるという消費社会である。
そういう言葉はやはり日本のような小さな村で生活していたものから生まれた
small is beautiful てどという言葉がはやったこともある。
小さいものか見直されるということでそういう言葉が生まれた


ただ時代とは常に変わっているのだ
最近では大きなものよりちゃっこいものが見直される
これからの時代は老人社会でありこれはすべて悪いとはならない
老人は暇だから余裕がありコミニケーションを話すことが多くなる
もともと老人は昔を話すから話すことが好きなのである
若いサラリーマンは時間がなく余裕がないから友達もできないという
仕事に労力が没頭させられて人間同士のあたたかい交流もないという
会社はそうした冷たい空間なのかと経験のないものには殺伐とした


これからはこれだけ老人が増えるのだから新しい老人文化が生まれる。
それは悪い面だけ強調されるのだがいい面もでてくるのだ。
方言をしゃべる女性にしても昔の良さがとりもどされてくる時代になるかもしれない
高齢化社会はだから社会自体を変えるものともなるインパクトがある。
それは殺伐とした会社社会とか企業社会一辺倒の価値観を変えるのである
つまりスロー社会とかちゃっこいのがいいとか
コミニケーションの密な昔の村落社会とか何かそうしたものに回帰する

それは昔とは同じではないがそういう回帰は社会を変える
それは精神的には余裕ある社会への移行にもなるかもしれない
高齢化社会というときそれは若者社会にも影響する
それがすべて悪いものとはならない
もちろん高齢者に金が使われすぎだとかの問題はある
でも良い面に作用すれば若者にも影響してそれもいいものだとなりうる

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