荒地化して羚羊がでて猿が増えた原発避難地域
(橲原渓谷からバラ坂、大葦、大古林道から大原へー春の短歌)
橲原渓谷へ
この岩を飛んで猿がわたっていた
大雪で木が裂けて倒れた
バラ坂ー原町ー川俣線
田んぼだったところをカモシカが逃げる
大古林道へ
町空に交差し飛ぶや初燕
坂越えて隣の山も春の山
春の日や大原に来て双子山
一村や梅の香りに日がなかな
紅梅の燃ゆるがごとく咲きにけり匂いの満ちて朝に映えにき
春の日に人も通わぬ山路かな子猿のあまた群れて増えしも
樅の樹の二本のここに厳かに山陰残る雪なお厚しも
春の朝樹々のゆれにつ四十雀わたりとぶかな山風吹きぬ
山陰に残れる雪のなお厚く我が踏みにつつ苔むす岩見ゆ
二すじの滝の隠され知らじかも春の日さして樹々の間に見ゆ
この奥処雪に埋もれて大岩にまみえざるかもまた我が来なむ
森の奥我がたずねて根っこ一つ隠され残る春日さすかも
山の道春の日さして蝶の飛び我にまつわり小鳥も鳴きぬ
雪解けの水の流れのひびきつつ谷間の深く我が上り来ぬ
人住みし家の跡地は荒地化しキクザキイチゲのここに咲く見ゆ
雪解けの水の流れてひびくかな人し住まじも樹々の芽吹きぬ
樹々芽吹き羚羊いでて雪解けの水の流れのひびきけるかも
美しく椿の囲む大原の家こそ保て人そ住むべし
原町区大原へ


これはクリック拡大


猿跳ね石(丸森)
http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto14/70.html
橲原村から橲原渓谷に入った。ここで考えたことは村とある時、
実際は江戸時代から戦後十年くらいは村であった。村は自給自足しているとき村だった。
それが農業主体の生活から変わった時、村というのは名前だけにもなった。
だからすでに村というとき、昔の村の感覚はなくなっていたのである。
でも田畑があるとそこはまだ村といいう感覚があった
それが原発事故で田畑が荒地化したとき、そこは村という感じはなくなった
それでも家はある。橲原村はまだ人が住んでいる。
そしてもし田畑がなくなればどうなるのか?
都会型になり郊外の住宅地という感覚になるのではないか?
そこは昔の村というものでは実質的にはなくなる
それは自然村とか歴史的村の消失なのである。
そのことの精神的影響も大きい。
村があるとき、やはり昔ながらの田園風景としてなごむ
梅でもやはり香るとき昔の村があっていいなとなるがそれがなくなるのだ
確かに梅が香ってもそこには昔の村はないのである。
一村・・・という詩的感覚も鳴くなのである。
橲原渓谷には車は入れない、ここも原発事故以来だから三年目になり問題になっている。
そして三年も人が入らないとどうなったのか?
猿が大群をなしていた。そこには子猿も10匹くらいいた。
これまでも猿は群れてでてきていたが今回の猿は大群だった。
要するに猿が人が入らないことで増えたのである。
その猿が人が来たので驚いて写真の川を一切に渡り逃げた。
岩が川の中に飛び飛びにありそれを飛んで渡って行った。
子猿もその岩を渡って逃げた。
一匹は渡れず流れの岩の中に取り残された。
でもなんとかわたって逃げた。
だから「猿飛岩」という地名が各地にあるのが具体的にわかった。
猿とつく地名は猿が身近な動物だからついた名前である。
そういう名前がつくのは猿が頻繁に出てきて見ているからなのだ。
この辺ではあんなふうに大群化した猿は見たことがなかった。
それから原町ー川俣線の道路に出てきた所のバラ坂というバスの停留所のある所
その家には牧舎もあったが人は住んでいない、荒地と化していた。
大原でも140軒あって半分が避難した。
鹿島区の仮設にも大原の人が結構住んでいたのである。
あそこはもともと秘境だと書いた
車が頻繁に通るからそういうことを全く感じないけど
車が通らない時は細い一本道が通じているだけだったろう。
だから今の道路の崖の上に六地蔵が隠されるようにあるのもそのためだろう
あの辺に細い山道があったのだろう。
あんなところどうして人が住んだのかというのも不思議である。
大原から遠田という地名がありここはバラ坂とあり大葦となり
さらに上萱はかなり上らねばならないからどうしてあんな不便な所に住んだのかと思う
それだたけ土地を求めて人は奥地へ入って行った。
猿の物語で一反田という地名があるのは面白い
一反田があればそれでけ米がとれるので住み着くことにもなる
あそこはそういう場所だった。平地がわずかしかないからである。
そしてバラ坂というのは何なのだろうとわからなかった
そこが荒地と化して田んぼになったところを踏み入ったら
バラが多くノバラが茨(いばら)になっていて突き刺さった。
ここは茨(いばら)が多くてこの地名がついたのだろうか?
大葦は葦が繁っていたからわかりやすい、バラがつく地名はわかりにくい
ただ地名は原初の状態から名付けることが多いからそうかもしれない
そこに現れたのは羚羊(かもしか)だった。
車が頻繁に通る所に顔を出していた。
すぐ自分の目の前にのそっと顔を出していたからびっくりした。
かもしかをこの辺で見たのははじめてである。
かもしか高見山で見たという報告もあった。
でもこの辺では見ていないからもともと住んでいなかったのだろう。
人が住まない荒地と化して住むようになったのだろう。
浪江の高瀬川では牛が野生化して牛道ができていたというから驚く
カモシカは牛科なのである。
人家がないということは動物にとっては住み安いのである。
人が住まないとイノシシでも増えているし猿も増える
それらが放射能汚染の影響がどれだけでるのか?
放射能汚染された植物を食べるのだからどうなるのか
そんなに影響しないのかもしれない
奇形の猿でも発券されたら大騒ぎになるだろうがそんなこともないのかもしれない
ただあの辺は放射線量は実際は相当に高いのである。
バラ坂⇒大葦から御堂がある大古林道を上ってゆくとまさにあそこは秘境である。
雪が今年は厚く溶けない、川でも水の量が多いのは雪解けの水のためである。
これだけ雪の多い歳はこの辺では一生に一回とかしか経験しないかもしれない
そして樅の木が二本厳かに立っていた。
一本は写真では細くなっていた。飯館村の山の中には太い樅の木が隠されるようにあった。
樅の木は神殿の柱のようにも見える。
ドイツの森は寒い地帯で樅の木が多いからまさに森厳な雰囲気になる。
やはり樅の木は寒冷地帯にふさわしい木である。
だから雪が厚く残っていると樅の木も重みを増して立っているという感じになる
二筋の滝が隠されるように見えた。あの滝も気づかなかった。
今年は水量が多く見えたのかもしれない、丸森にも二筋の滝があった。
あれも隠されるようにあった。こういう滝は他でも多いのだろう。
今回は大岩群のあるところには行けなかった。
雪が厚く閉ざしていたのである。
橲原村から大原の方にまわった。
大原というときやはり橲原からするとずっと広い感覚になる。
それは地名とあった風景なのである。
ここも放射線量が高く半分が避難した。
そこに椿の垣根がある家があった
その垣根は大きく家を囲んでいた。
回りの樹を切ったの除染のためだろう。
何かもったいないと思った。
見ると二つの山が双子のように見えた。あんな山があったのかと初めて見た。
大原はやはり山と関係が深い、山の生活があったところでもある。
戦時中、あそこで猿を食ったという話を聞いた。
イノシシも出てくるというからもともと山が深くかかわっていたのである。
原発事故後の村をめぐって村が村でなくなるということは淋しい
確かに昔のらではなくなっていたにしろ田畑があればまだ村であったからだ
それがなくなると村でなくなる
ただ原町市外の住宅地と化してしまうだろう。
- ようやく秋になるー窓に月(朝露、稲穂、秋..
- 特別暑い夏の詩(鷺、涼しい、雷、夏の雲、..
- 小さきものの声(虫の声)
- 秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい..
- 空地空家が増えるー秋がなくなる (..
- 酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合 ..
- 外は危険熱中症になる―街中を流れる川 ..
- 井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、..
- 老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対に..
- 夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、..
- スーパーヒタチ南相馬市を通過−youtu..
- 空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃..
- 昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電..
- 田んぼの畦道でシロチドリを発見! ..
- 芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など ..
- 合歓の花と待宵草
- 蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の..
- 記憶する方法は本でも理解すること ..
- 夏の夕暮れから夜へ(夏雲雀、合歓の花、夏..
- 夏の朝に海へ行く(立葵、ノウゼン、夏燕)..