津波の被害は現場に立って説明されなと実感しない
(八沢浦の悲劇ー崖の上に上りぎりぎりで助かった)
名付ければ「命拾いの崖」なのか
八沢浦で現場で津波の被害の話を聞いた時ある程度実感した。
津波の被害はその現場に立たないとその恐ろしさが実感しにくい
「浪が前からも横からもきてここで合流したんですよ、
あそこの家の人はあの崖によじ上って助かったんですよ
白石から移り住んだ家族は何人か一緒に死んだからかわいそうでした
海岸沿いには30軒家がありましたよ
もう私等は貯金なんかしませんね、生きていたのがもうけもんですよ
家も何も流された人の気持などわかりっこないですよ
いくら言っても他人事ですから・・・・・」
前に書いた八沢浦は前に丘があるとないので明確に明暗を分けた。
意外と津波はみんな一様によせてこない、それを目の当たりに見たものと
見ないものの差は大きい。
一時テレビでも津波が渦巻いていたとき恐ろしかった
あそこでも崖の前で津波が前からも横からも押し寄せた時、どれだけ恐ろしかっただろう。
というのは八沢浦では海老でも崖の所や高い町があった所に高く寄せてきたという。
その浪が海老から下った鶏足神社がある坂でさえぎられて弱まって助かったという人がいた。
なぜあそこに津波が高く寄せたのかわかりにくい。
津波は一様な高さでは寄せてこない、ある所では高く寄せてきていたのだ。
それは海底の地形とも関係していたとか複雑である。
とにかくあそこの崖に上って助かったというとき、あそこの前の津波は空恐ろしいものだった。
その崖にしてもギリギリの線だったから津波にのみこまれる恐怖におののいていた。
その時助からない死ぬと思っていたかもしれない、その恐怖がどんなものだったか
想像もできない、ただなぜ自分が今回その話しで
ある程度津波の恐怖を感じたのかというとあそこの崖を見たからである。
あそこのぎりぎりで助かったということがあの地形を見て崖を見て実感したのである。
あの崖の上に逃れて助かった人が戦慄するさまがイメージできた。
だから津波の被害はその現場に立って被害を受けた人から聞けばある程度実感できる。
その高さと地形の関係が一目瞭然になるからだ。
だから津波の被害にあったビルを三陸の方で残すべきだというのはその高さ実感できなくなるからだ。
思った以上に津波は高いから想像できなくなっているのだ。
津波の被害は今でも残っている。こんな大きな石が流されてきたとか残っている。
それよりやはり津波は高さがわかるとその恐怖をイメージしやすいのだ。
あそこはあの崖が高さを示しているから実感しやすかったのである。
だからあそこの崖の上に立ってみて津波のことを想像すると空恐ろしいものがよみがえってくるだろう。
実際に「こんなに高いところに津波がおしよせた」ということが実感できるのがあの崖の上だったかもしれない、
あそこは何かそういう点で津波を知るのにわかりやすい場所に見えたのである。
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