グローバル化時代には世界が他山の石となる
(なぜ日本ではスマトラの大津波のことをもっと検証しなかったのだろうか?)
他山の石(たざんのいし)の意味
他の人のつまらないおこないであっても、それを参考にすれば自分を成長させる役に立つこと。
「他山」…他人
「他山の石」…他の人のつまらないおこない
「友人の失敗を他山の石とする」
これは中国的大陸的発想なのだろう。中国は広いから他山の石とかは普通にある。
他山の石となると関係ないように見えても中国という広い国でも関係しているということが成り立つ。
日本人的島国的発想は他山の石をそもそも認めにくいのである。
村という小さな単位が生活の基本にあったから遠い国の価値もない石などに価値を認めない、何の関係もないと関心をもたない。
それが日本人の島国的偏狭性を作り出した。
ただ世界がグローバル化したとき、世界があらゆることで他山の石となってしまった。
毎日のように世界の出来事がニュースで流されるから他人事ではなくなる。
それでも日本人はそういうことを他山の石として価値あるものとして自分たちの生活に影響するものとしてとらえていないのだ。
それは島国的閉鎖的環境で培われた国民性である。
日本から離れた国で何が起ころうとそれが自分たちに何の関係があるのだと思ってしまう国民性である。
大陸は陸続きだから隣の国に異変があれば必ず影響する。
その危機感覚は相当に違っているのだ。だから外国の情報に対しては敏感になる。
日本は海に囲まれていたから海が障壁となっていて守られているという感覚になっていた
しかし日本は海についても他山の石だったのである。
なぜスマトラのあの大地震震度9があり大津波があったとき、それを他山の石としなかったのだろうか?
そのことが今になると不思議なのである。
絶えず報道していたのは津波に対する警戒態勢がなかったとか日本ではありえないことだったということばかりだったのである。
日本ではみんな逃げていたからあんなに死者は出なかったろうとという報道が体制だった
スマトラでは津浪に無警戒だったとか日本ではありえないとか思っていたのである。
津浪国でありながら他国の津浪を他山の石としなかったのである。
それは原発事故でもそうだった。チェルノブエリの事故も他山の石にすることはなかった。
日本の技術は優秀だという先入観があり安全神話が官民一体となり作られていた。
日本の技術が優秀だという時、すべての技術が優秀ではなかった。
それをとりちがいていたのである。カメラでは優秀でも原発という総合技術になると優秀ではなかったのである。
総合的な面ではアメリカの方が優れていたのである。
現代ではあらゆることで他山の石が要求される時代である。世界中のことに関心をもつことが要求される。
グローバル化がいい悪いということがあっても現実に世界が狭くなり結びついているから無関心ではいられないのである。
だから何が他山の石になるかわからないのだ。
一見つまらない世界の事件が他山の石となり日本にも参考になるし影響してくる。
そういう時代に否応なくさはんせられているのが現実なのである。
だからなぜスマトラであれだけ巨大地震があり大津波があったのにそのことについて日本でも恐怖しなかったのか?
いろいろな面から探求していないのか不思議だった。
日本ではそんなことが起こらない、警戒態勢があるから起こらない、人はそんなに死なないと思っていたのである。
あれだけの津浪が起こったのだから日本でももっと警戒すべきだった。
日本では津浪国でありあんなに人が死ぬことなどありえないと思っていたのである。
つまり「他国の友人の失敗を他山の石とする」 とすることができなかったのである。
現代は世界中で起きることが他山の石とすべき時代となっている。
「あんなこと外国で起きているけど日本じゃありえないよな・・・・」
そういうふうに見ている人が多いのである。
でも世界に起きることが即日本にも起きるし影響するのがグローバル化の時代なのである。
グローバル化がいい悪いという面があっても世界が一体化することはさけられないのである。
それは自然現象でもそうなった。スマトラは日本との地震の関連性はプレートは違うし関係ないよと専門家さえそう見ていた。
でもあれだけの津浪の被害を見たら日本は震度9の地震が近くで起きたらどうなるだろうと真剣に検証してもいいはずだったのである。
日本人は海のことにもっと関心をもっていいはずだがなかったというのも不思議なのである。
スマトラも海に囲まれていたし日本も同じだった。
いづれにしろ日本人の島国的発想はグローバル化時代では危険である。
日本人は卑下することもないけど何か日本人は優秀なんだとか特別なんだという意識が
醸成されやすいのが日本の島国的環境なのである。
そういう面はあってもまた反面大陸的発想がないが故に他山の石的発想がない故に
日本は世界から孤立したり自画自賛になりやすい国柄なのである。
日本のいい面はいい面として認めることは否定しない。
でもあらゆることで日本が優秀だとはならないのである。
スマトラのように津浪であんなに死んだようなことは日本では起こらないよな
チェルノブエリの事故のようなことは日本では起こらないよな
日本は津浪国だし日本の技術は優秀だからな・・・・
こういう発想が日本人にあったからこそ津浪と原発事故が起きたともいえるのだ。
だから中国とかインドとか大文明を作り出した国に学ぶべきものはかなりある。
ところが現代だと中国でもインドでも何か後進国として見ている。
何も学ぶべきものがないとなってしまっている。
欧米から学ぶべきものはあっても中国とインドにはないと思っているのだ。
それは技術的な面ではそうでも文明は技術だけではない総体的なものだから
大文明を作り出した国に学ぶべきものはやはりあるのである。
ともかく諺など日本でもいろいろあってもそんなもの哲学とか宗教からすると低いものだと思っていた。
でも最近、いろいろ自分の一身上で深刻な経験を積んで諺(ことわざ)がいかに
人間の普遍的経験から生み出したものであり今も通用しているか身にしみてわかった。
「金の切れ目が縁の切れ目」というとき、これも全くそうだった。
金だけのつながりは必ず切れる。親戚でもそうだしそうういことは時代が変わっても変わらなかったのである。
むしろ現代では金がすべてになるときその言葉が最も適用されている時代になっていたのである。
他山の石もむしろグローバル化した現代にこそ最も普遍的なものとして通用するものとなっていたのである。
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