今回の津浪災害の責任論
(一体この世の問題の責任は誰にあるのか?)
●責任は個人にとどまらず必ず他人に負わされる
NHKのクローズアップ現代で生前に障害がある子供のことがわかるようになった。
それで中絶する人も多くなったがあえて産む人もいた。
その判断には悩んだというのもわかる。
障害者を産んだら生涯めんどうみなければならないのか社会でどう受け入れられるのかと悩んだ
それはすでに一個人の問題ではない、社会の問題でもあった。
社会で障害者をどう受け入れるのか、そんなやっかいな子供を生んでくれるなという
社会の要請もある。社会での負担も大きいからである。
すると産むか産まないかは個人ですら決められない、
個人ですべて負担しきれないからそうなる。
障害児を産み育てることは他人が無関係ではない他人もかかわる問題だったのである。
だからつくづくあらゆることの責任は誰にあるのかとなる。
離婚にしてもその影響は子供も一番受けるし回りも必ずまきこむのである。
離婚は別に二人だけの問題であり二人が責任をとればいいとはならない
子供も大きな傷を受けるし影響も受ける、回りも大きな影響を及ぼす
必ず離婚でも回りをまきこみ混乱させる。
親戚も混乱するしいがみあいにもなる。
だから離婚も二人だけの問題ではない。
その責任は二人だけではなく他者にも及ぼすのである。
そしてあまりにも無責任な結婚と離婚が多すぎるのである。
その責任は本人は負わない、離婚してすぐ生活保護を受けるとかするものもいる
そうした個々人の無責任な態度が社会の負担となってゆく
これは借金でも同じである。
見栄から借金しているのが実に多い、身の丈にあった生活をしていれば借金する必要はなかった。
でも借金して見栄を張り成功者を装っていた。
その責任は本人がとらない、他者に責任転嫁される。
その被害者が自分でもあった。
病気の時まで相手は借金で追い詰められているから自分を助けるところではない
「金をだせ、金をだせ・・」と請求される
弱者であり前からの関係もあり助けるものと思って頼った。
そしたら軽く一千万の機械を買ってくれとか要求してくる
何か頼めばそれだけの金を要求する
もし車を頼めば一回百万もとられるかもしれないような恐怖だったのである。
相手はそう思っていなくても事業している人の金銭感覚はそうなのである。
だからとても頼めないと思っていたがなりゆき上頼らざるをえなかったのである。
こうして人は自分の責任をとらない、他者にその責任をおしつけるのだ。
自分の弱さにつけこんで火事場泥棒にもあったし
こうして借金の要求をされて苦しめられたのである。
脅迫罪とは実際には害を与えなくても恐怖心を与えたことで罪に問われている。
だからこうして恐怖心を与えたものも罪に問われる
恐怖心を与えたものは何も感じていないのである
●津波災害の責任を誰に問うのか
今回の津浪原発事故の責任も一体誰の責任なのだろうか?
天災となれば責任は人間側にはないからあきらめるほかない
でも簡単にそんなであきらめつかないからいろいろ責任論がでてくる
古代だったら天皇に責任があったとか王様に責任があったとか
王様自体が責任をとらされて殺されたということもあった
それだけ被害が大きいから犠牲が必要になったのである
●津浪は天災だから責任が問いない
●津浪を警戒しなかった住民が責任がある
●津浪を警戒しないで逃げない住民に責任がある
●気象庁やマスメデアがNHKが適切に警告しなかった
●これは無念の死者の怨霊
●人心の乱れによる人間世界に対する罰としての災害
・・・・・・・・・
その責任を問いば一つではない、様々な複合要因でそうなったとなる
死者の怨霊とかは馬鹿げて非科学的だとも現代では批判される
でも相馬藩で700人溺死と一行しか記されないことが
今回の津浪の被害を大きくしたことにも通じていたことは確かである。
その責任は誰にあるのか、為政者にもあったとなる。
400年前の人に責任があるのかとなればそれはもう問うことはできないにしろ
400年前まで責任を問うのが歴史だということも認識されたのである。
その因果が400年前までさかのぼって問われたのである。
歴史の因果とはそうし千年でも二千年でも現代に影響しているということなのだ。
人心の乱れもそんなもの自然が起こすことであり科学的な法則として起こってくる。
プレートは人間の世界とは関係ない地球の規則的運動であり人間の世情とかとは関係ないというのもある。
でも本当にそうなのか?人間界が乱れる時自然も乱れることはありうる。
自分の一身上のことも関係ないのか?
なぜ自分はこんな非情な目にあわねばならなかったのか?
それはお前のカルマであり自業自得だとも言える
でもそうした非情があり呪いつづけたとき津浪原発事故が起きたのである。
他人の一身上のことなど関係ないというが自分にすればそうではなかった
そういう非情な目にあったときやはり自然も非情になり怒ったともとる
だから古代に無念に死んだ人の怨霊を恐れたというのもわかる
その怨霊と自然災害を関連づけたのもわかる。
貞観津浪や慶長津浪といった大津浪が起きた時は日本の歴史では混乱していた時代である
蝦夷征服で大和政権に殺された蝦夷の怨霊が問題になったのもわかる。
慶長津浪では戦国時代でありここでも時代は乱れ混乱していたのである。
その時は人心が乱れ殺された人たちの怨念に満ち満ちていた時代だったのである。
戦国時代から鎖国の300年は貧乏でも人心は安定していたのである
だから大災害も比較的起きていないのである。
明治維新以降は西欧化され日本的なものが否定され日本人の心は乱れた。
三回も大戦争があり犠牲者があった。
太平洋戦争では300万人死んだとか犠牲者があった。
明治以降は人心が歴史上最も乱れた時代なのである。
戦後60年は経済成長の時代であり確かに平和がつづいた。
ただこの高度成長時代は金だけが唯一の価値となり人間は非情化した
だから人心はやはり乱れていた。
そうして60年後に津浪原発事故が起きたのである。
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