2023年11月11日
漁業権は大きな権利だったー漁業者が反対すると原発は建てられなかった ー女川の原発の場合
2023年10月30日
こころはここにある(詩)ー浪江町津島のNHKの放送の感想【2】 ●こころの詩−場所の価値−自然のない大都会に価値がない
2023年10月29日
NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない 【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】
2023年10月09日
津波原発事故の前と以後で時代の雰囲気が変わった 【浜街道の小高の古い道標−プログの記録より】
2023年09月03日
原発事故の失敗の原因 (急ぎすぎたことや目前の利を優先した―人間は核を操作できない)
2023年08月26日
処理水は安全なのかー 科学的公正さが追求されない (政治的経済的利権思惑が真実を歪める)
2023年08月24日
処理水放出は安全なのかー東京の為に犠牲になる地方 東京が災いを生むー膨大な電気を消費する東京
2023年08月22日
処理水が安全なのか信用できない (これまでも政府は嘘つき安全神話作って来たから)
2023年08月20日
放射性物質を海に流す問題 (漁業者は多額の補償金を事故前にもらったことで責任が問われた)
2023年07月14日
原発事故の原因の真相 青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る
原発事故の原因の真相
青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る
(4) 【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました【虎ノ門ニュース,高橋洋一,原子力発電所】 - YouTube
【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました
●原発事故の原因が明らかになる
原発事故の原因のことを追求してきた。それが単に地震と津波で不可避的に事故が起きたのであり。それはやむをえないことだった。そういう風にに見る人も多かった。でも今になるといろいろ。別な見方が出ている。それは私自身が追求したことでもある。このユーチューブで追求していることも共感した。
津波と地震が原因ではない。
国の行政の対処は悪かった。
行政で癒着が生まれていた
保安院は何の役にも立たなかった
アメリカのお古の原子炉を買わされた
東電内で若い人の意見を聞かなかった
科学者集団の十数メートル津波がくるということを無視した。
その無視した無視できた人は東電の幹部であった。
・・・・・・・・・・・
何か私自身が言っていたこと共通したことがかなりあった。それは事故後に言われたことでもある。ただこの人は危機管理の専門家である。 東電とかでも何か対策をしない。地震津波であれ事故に対して対策をしないということではなかった。
ただそれが実行されなかったので。だから若い人の意見をきいて防潮堤を高くして作りとか他でも対策は検討されていたのである。
専門家の科学者一団が津波が十数メートルの津波が来るとして警告もしていた。しかし、それも無視された。だからその責任がすべて地震と津波であり不可避的なものとして起きた起きたのでありその責任はないとなった。でもいろいろ検討すれば明らかにそれだけではない。責任があったのである。
つまり危険なことが内部からも。外部からもすでに指摘されていたのである。
ただ、それが上層部や政府や関係者が無視したのである。
●権力によって必ず歪められる社会
そしてそこには必ず権力が持っている者がいてそれによって歪められる。
その権力をもっているものが。アメリカでもあった。
社会というのは必ず権力によってゆがめられるのである。権力を持てば得をする。悪い事しても咎められることもない。そして誰でも権力を持ちたいとなるなる。その権力にもいろいろあるが。金も最大の権力である。巨額のお金を使用できることが権力になる。それは原発でもそうだった。その巨額の金は想像もできないものだった。それは事故前でもそうであり事故後もそうだった。国の予算の何兆円という金が湯水のように使われていたのである。そのお金を使えば危険も無視される。誰でも金を欲しいから危険に眼をつぶる。地元の人でもお金をもらえば何も言わないとなる。こうして危険は無視されたのである。
その権力を持つものの最たるものがアメリカという巨大な権力である。これこそもう逆らうことはできない。だからアメリカでいらなくなったお古いのマークワンという古い原子炉に日本に売ったのである。それを買った日本にも問題はあった。でも相手がアメリカだとなると従わざるを得ないのである。このように原発は国際問題でもあった。原発は外国でも事故にあれば周りに影響するから周りでも監視しなければならないものであった。その国は勝手にできるというものでもなかったのである。そして今になってトリチウムの海への放水が世界で問題になっているのである。魚が汚染されるとかで問題になっているのである。
ともかくこの世で問題になるのはこの原発問題でもその事故の原因はなんであったかというと必ずしも地震津波ではない。人間側の問題としてあった。そこに人間側の不用意が問われたのである。
その人間側でも誰が責任があるかというと権力を持ったものなのである。若い人たちが防潮堤を作れとか高くしろとか東電内でも提言していたのである。また、科学者集団が十数メートルの津波がくると提言していたのである。
でも東電の幹部はそれを受け入れなかった。だから東電の幹部には重い責任があった。でも何ら責任をとっていないのである。財産没収くらいしてもいいのだが、それもされていない。つまり権力を持つものは責任をもつのである。実際に若い人たちが提言していたのに無視した。その無視する能力を持った者は権力を持つものだからである。だから、実際は権力を持つということは非常に責任があり怖いことなのである。
●報道も権力によって歪められる
でも誰も権力を持ちたいというのはそこで金になり得するからだ。結局全ては権力によって歪められる。そして人は権力に従うのである。マスコミでも実際は福島県の福島民報などは県の出資が半分であり創価の聖教新聞を刷っている。または宣伝で成り立っている。ほかの新聞も原発組合の電事連から800億円もの宣伝費が出ていたのである。
だから何も言えないのである。事故が起きていた時そのマスコミの幹部が中国に招待されていたのである。朝日新聞社でも招待されていたそのことでもわかる。いかに権力によって歪められるかである。というのは新聞を作り発行することは莫大な金がかかるからである。
するとその金をどうするのかとなる。 新聞を読む人から金を取るだけでは足りないからである。そこで宣伝費をもらい成立する。それで双相リテックとかを宣伝していたのは東北政経だったのである。双相リテックことは除染で大儲けした会社であり。大した技術がなくても幹部でその金を何10億のお金を山分けした。銀座で遊んでたりしていたのである。それもやはり雑誌を出すにしても金がかかるからである。つまり報道するにしても権力が必要なのである。金もない権力もない人は。何も言えないのである。ただインターネットができて発言できるようになったときある程度は報道の自由が生まれた。プログなど手間がかかっても金はかからないからである。でも別に写真とか動画でも出せるのである。そこが大きく変わったことである。
本にしても雑誌にしても私自身図書館にお前は個人というだけで本すら置けなかった、権力のないものは簡単に無視されるのである。
何か発言するにしても本を出すにしても、必ずその背後に組織団体があって発言できているのである。純粋な個人が発言すると言うことが殆どできないのである。一見個人が発言するように見えてもその背後には大きな組織団体があって発言できているのである。だから背後に組織団体の権力をもたないのは何も発言できない。ボランテアでも20人が集まらないとできないのである。現実に駅でボランテアしたら警察に公然と職務質問されてできなくなったからである。公務員とは、そういう権力を持った人であり図書館に本を置かせないということもできるのである。また出版もさせないということも簡単にできるのである。そこには警察もかかわてくるのである。東電には自衛隊でも幹部が天下りしていたからである、だから民主主義でも表現の自由などないのである。
マスコミはたとえ発言ができても司会者が中心でありその脇役として多少コメントさせてもらう。
だから最近ユーチューブを見ているとテレビには出ていたがその本人がユーチューブに出て話しているのを聞くと何か違っているのである。今回でも青山氏はテレビにも出ていた。でもその人の言ってることはつけたしのようなものであり、その人の全体像はわからない。今回でもこの人は何の活動をしているのか?危機管理の活動をしている。そしてフランスにも実際に行ってその暴動のことを語っていた。そんな活動をしているのかとわかったのである。その個人のことは今まで報道されていない。だから分かりにくいのである。マスコミをとうして語るとき必ずマスコミの意向が反映するから。その個人のいうことが必ずゆがめられるそこで誤解をするのである。こうして個人自体がユーチューブで話す事は違っているのである。その辺が報道でも変わったことである。
2023年07月06日
科学技術は万能ではない (地球はもう増えた人類を養いないー人口が減り森が回復する)
持続可能社会というとき例えば子供の時水道がなく近くの家の井戸水をもらっていた。それは60年前以上である。そこの水が。依然として出ていた。この辺は原発事故になり。水すら飲めなくなった。でもそこの放射性物質を検査してもらったら飲めるという。それで飲んでもでもいいからと言われて今その水を飲んでいる。地下水絶えることなく水を供給するのである。夏だとその水は冷たいのである。だからこそスイカなどを井戸で移動で冷やしていたのである。その井戸水は今になると貴重に思えた。それはすぐ近くにあり絶えることなく水が出てた出ていたということで持続可能社会のSDGsの見本でもあった
井戸の水は絶えることなくあり飲めど飽かないのである。その自然の恵みは絶えることなく持続可能社会(SDGs)の象徴だったなる
2023年06月15日
2022年に漁業法が改正されていたー原発事故で問題になった漁業権 (漁業権は喪失して外部の参入が許可される)
2023年06月08日
原発事故危害地域の予算は国がなお援助している (故郷を失うことの精神的影響)
2023年05月07日
なぜ危険な原発がやめられないのか (政治権力利権の判断と科学的合理的判断)
2023年04月27日
原発事故の多額の補償金が復興を阻害した (復興より補償金をもらうことことが第一になった)
2023年03月11日
春の日大工とともに家を直す (仕事は利益だけを得るものではない、道徳なき経済と化して荒廃−原発事故から12年後)
2023年03月07日
東日本大震災から12年 (避難区域は復興していない、避難した新潟県は親切だった)

2023年02月04日
福島6町村の復興再生計画、事業完了率10%台 (原発避難区域は復興できない)
2022年12月25日
原発再稼働の問題 (まず東京に原発を作るべきーそこが議論もされない)
2022年12月15日
政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか? (メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)
政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか?
(メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)
●政経東北が渡部恒三を今も持ち上げるのは何故なのか?
ただこの福島第一原発は3〜40年が稼働限界だとされていました。
その前提に従い前福島県知事佐藤栄佐久は原発を廃炉にすべく手続きを行い徐々に機械を停止させようとしていた。
原子炉の寿命を延ばし能力を上げるプルサーマル計画も許可しない方針で、一時期には完全に停止させています。
この現福島県知事、民主党佐藤雄平という人物はナニモノなのか?
でちょっと調べてみたんですが、渡部恒三の甥なんですね。
つまり叔父さんが誘致した原子炉を自分の代で廃炉にしたくなかった、というかなり個人的な理由でプルサーマル計画を受け入れた可能性がある。
まあまんざら渡部恒三に原因が無いわけでもない
しかし、中曽根康弘、正力松太郎に源流をもつこの国の原発推進策に、なんら疑問をさしはさむことなく、福島はもちろん全国に「原発安全神話」を吹聴してきた一人こそ、渡部氏その人ではなかっただろうか。
「私の選挙区福島県は日本の原発の30%を占めているが、そこで育った私はこの通り元気いっぱい、健康そのもの。原発をつくればつくるほど国民の健康は増進し国民は長生きし厚生行政は成功してゆくのではないかと思う」。
ばかばかしくて、このブログにのせるのも憚られるが、渡部氏の支離滅裂な思考法や、おべっか使いの人間性を物語る挿話としては、なにがしかの意味があるかもしれない。
衆院や参院の議長といった名誉職に就くことだけが残された政治家人生の目標であるに違いないこの人物を、黄門様だのご意見番だのと持ち上げて、何かにつけてコメントを求めるマスメディアは、いまいちど、彼の言行録を総点検してみてはどうか。
https://ameblo.jp/aratakyo/entry-10881034842.html
渡部の甥の 佐藤雄平 は福島県知事で、
黄門さまと共同でアメリカ企業のご機嫌を伺って原発推進してました。
国会議員一人の力でここまでたくさん原発作った例は過去に一度も無い。
同じ原発王国の福井や新潟と比べてもその差は歴然。
しかも発注したのが米GE社製不良品だったからこのザマ。
そのうち渡部恒三が昔この原発宣伝してた映像が出回るようになって議員辞職確定だろうhttps://armchairanthroposophyst.hatenablog.com/entry/20110321/1300675636
福島原発事故は人災だ。渡辺恒三は誘致した責任をとり即時議員を辞職して放射の悪被疑者に詫びよ。日本の悪党たち(官僚。大手メデイア11社。既得権益勢力。など」と裏で連携し小澤さんをいわれのない(疑惑」で追い落とす民主党内の悪党の先導役をしていた渡部恒三のような裏切り者が福島県民を不幸のドン底へ追い込んだのだ。
渡辺恒三は福島県で一番力を持っていたんだろう
そいつが口だけではない、実際に第一原発の土地を持っていた!
これは責任を逃れようないよな
佐藤えいさく-前の知事は原発反対だった
それで甥を知事にした
そんなこと福島県のメデアでも誰も追求していない
福島県も原発利権にどっぷりととりこまれていた
それで外部から福島県が自業自得だというのは福島県民として辛い
福島県民も監視役もないしみんな原発の危険性を言う人はいなかった
南相馬市は原発から遠いと思っていたから自分も大丈夫だと思っていた
原子力には無知だったし無知にされていたのだ
それが今回の苦しみを生んだのだ
「原発で長生き出来る」などとほざいていたくらいだから。
事故以後にまったく顔を出さないのが甚だ怪しい。
自分の出身地であり選挙区でもある福島県が危機に瀕しているのにもかかわらず発言も聞かない。
普段なら出るなと言っても出しゃばる男なのに。
本人は原発利権と裏切りの人生、息子はCIA工作員、甥がMOX(モックス)知事・・この一族、終わってるな。
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/439.html
●なぜ政経東北では渡部恒三をもちあげるのか?
●南相馬市の前市長の桜井氏をもちあげるのか?
●相双リテックを裏表紙で堂々と宣伝していたのか?
政経東北の12月号で渡部恒三記念館ができたとか政経東北は原発事故前からその後でも持ちあげている、これは異常ではないか?
なぜそれほど持ち上げるのか、原発事故前ならまだわかる、そもそも原発については隠ぺいされてわからなかったからだ、その隠ぺいされたことは権力によってそうさせられていた
原発は国が主導して県に命令して南相馬市とか相馬市とか地元とか双葉町でも大熊町でも自治体に何ら反対することもできない仕組みになっていた
強力な国の権力と東電が一体になり作られていたのである
そしてその利権は余りにも大きいものだったのである、庶民には想像を絶するものだった原発事故以後も補償金だとか除染とかで十兆円とかの規模にもなる巨大なものだったのである、国家的事業であり太平洋戦争とも似ていたのである
だから地方自治体にどういうものか説明もされない、何か原発自体立ち入り禁止であり
アンタチャブルな領域になっていた、ブラックボックスになっていた
そこに政府官僚が検察でも警察関係者でも海上自衛隊でも天下りしていたのである
その強大な権力に反抗することもなにもできない、そもそもその内部のことなど立ち入り禁止であり知る術もなかったのである
そもそも国ー県ー自治体があるとしても自治体は関与できなものでもあった
そこに御用科学者もいてもう何もできない、調べることもできない、鉄壁の権力で作られていた
そこにマスコミでも福島県のマスコミは何ら危険を知らせるとかなかったのである
それより原発推進でありそのために電事連から800億円がありそれが宣伝費として回っていたのである、これも巨大な想像できない金である
そして原発事故があったときマスコミ関係者の幹部が中国に招待されていたのである
そこに朝日新聞社も招待されていたのである
つまりこれだけの権力を持っている組織が原発の「安全神話」を作っていたのである
これは鉄壁の布陣であった、それを砕いたのはマスコミでも何でもない、津波だったのである、とてもこれだけの権力になったら人間では破壊できないものになっていたからである
●読売新聞社の正力松太郎が最初の原発推進者だった
そもそも原発は読売新聞社の正力松太郎がかかわり作られたのである
正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。
当初はアメリカも、弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた
何かマスコミとかその背後関係はわかりにくい、正力松太郎はCIAのスパイだったという
戦後日本を支配するためにそうなった、戦後はいづれにしろアメリカに負けたのだから
アメリカに従属する他なかったのである、だからアメリカの力を借りて読売新聞社と日本テレビを作り育てたのである
こういう裏があってもマスコミは原発事故後はそれを明らかにしていない
読売新聞社でもその創始者を批判したりしない、そしていかにも事故後は原発事故の避難者とかを助ける方に回って援助していると積極的に加担したとなる
それが矛盾していたのである、自分達の会社の非を知らせずに原発避難者に協力している地元の人達はそれを知らないのか批判もしなかったのである
マスコミもこうして利権にあづかっていたから原発の危険を知らせることもなかった
例えば潮とかの雑誌を出している創価の聖教新聞でもそれがマスコミで二番目くらいに多かったのである、環境保護となにか原発を表に出さないでうまく原発推進の広告を出していたのである
創価とはともかく権力を得ることしか頭にない、だから利権となればどんものもでも食いついてゆく貪欲なのである、それが危険でもなんでもかまわないのである
創価の雑誌でもまず広告費をとることだと発破をかけている
新聞とかテレビで一番大事なことは真実を知らせることではない、広告費をとることなのである、その最大の広告費をだしてくれのが電事連とかになる
その額があまりにも大きいからである、つまりマスコミはそもそも報道するだけで金がかかりすぎるからそうなる、社員の月給でも払わなければならない、新聞だったらいちいち一軒一軒配達しなければならない、新聞をするだけで金がかかりすぎるのである
それで福島民報では創価の聖教新聞を刷っているのである
ここからして今統一教会が責めているが創価を福島民報では責められないのである
つまり福島県のマスコミ自体が完全に政府であれ官僚であれとりこまれていた
だから原発の批判できなくなっていたのである
福島民報は県で50パーセントも出資もしている、県や政府の広報機関になっていたのである、今ではインタ−ネットで盛んにこうした既得権益を持つものを批判するようになった、ただ11年前の原発事故だとまだyoutubeとかは盛んでなかったようである
何か権力を持っている批判しにくいのである、最近なぜあからさまに統一教会問題でカルト教団が批判されてそのために創価でも批判される
それはやはり会員数も減り票も減り弱体化しているからたたくようになったのである
これからますます弱体化すればその悪は暴露されてゆく、渡部恒三でも現代の水戸黄門様とかメデアでもてはやされていたことでもわかる
でもその黄門様が悪徳代官でもあったとなる、そうなったのは津波の力でもあった
もう人間の力ではその悪を暴露などできなくなっていたのである
●いかなる報道機関にもメデアには中立はない
マスコミが矛盾しているのは政経東北でも盛んに原発の責任とか情報発信して批判している、でも政経東北自体が悪の権化ともなく渡部恒三を未だに持ちあげているのか?
ここに何か裏がありもともと資金も入ってきたためのなのか?
そのことは相双リテックの宣伝をしていたことでもわかる、その会社は除染の費用何十億を幹部が山分けしていたからである、つまり政経東北もまたその利権にあづがっていたのである
それで原発関係のことで記事にしているけど矛盾がある、自らが襟を正さなければ真実の報道もできないとなる
ただメデアには中立という意味があるけど中立でありえないのである
どんなメデアでも人でも中立であることはむずかしいのである、その中立でありえないのは必ず利権がかかわるからである、人間はやはり金に左右される、金をくれるならおめこぼしするとなる、また積極的に宣伝もするとなる、それは費用がかかりすぎるからであるもしインタ−ネットで報道するならプログなどでするならまたyoutubeでもするなら金はかからないのである、手間はかかるとしても金はかからない、すると中立でも真実の報道はできるのである、私自身がそれをしている、誰からも金などもらっていないからである別にもらわなくてもできるからしているのである
それは影響力もたいしてないから注目もされていないからだともなる
でも原発事故では現場にいた一人だからやはり報道するには有利だったのである
内情がある程度わかっているし自分自身とも深くかかわるものとなったからである
原発事故では報道もマスコミも批判された、確かなことは報道は報道するものによって必ず偏る、自分たちの有利なように報道する、それはいかにも中立を装うNHKでもそうである、NHKは相当に偏っているのである、原発事故でも津浪の被害者より原発事故の被害者の方を優先して報道した、その数も多いからかそうなった
そして地元の人でない人は津波の被害者と原発の被害者が同じ地域にいた
仮設住宅にも団地のような所にもいた、そしていわき市の方で暗に津波被害者が原発避難者に冷たいと言わせていた、それは津波被害者は原発避難者のように補償金をもらっていなかったからである、そこに不満があり仮設でも一緒にいても話すこともなかったとなっていたのである
でもなぜ原発避難者側に味方する報道をNHKはしたのか?
それは幹部達が協議して今話題なのは国民の関心が原発避難者にあるは見たかららしい
とにかくNHKは金には困らない、余っているとしても中立ではないのである
そもそも中立な報道機関はないのである、何かしら偏っているのである
個々人でも争っているとき双方の意見を聞かないと判断を誤る
何事賛成反対がある、だから一方だけを話させるとき不公平になり判断を誤るのである
だからかえって赤旗であれ聖教新聞であれ偏っていてもそういうものだとして見ている
でもNHKとかは他でも中立を装うから偽善にもなる、実際は中立ではないのである
今年も終わりになるが原発事故関係ではあまり書かなくなった
日本全国でも関心が薄れている、でもこの原発事故や津波の被害は世紀末的な大きな事件だった、だからこれは歴史的にも大きな事件であり後々まで追求される
そして真実が明らかにされる、その時権力を担ったものが責任があり追求される
権力を持つことは大きな責任をともなっている、現代ではその責任は金になる
金を多く持っている人は責任がある、一万には一万の責任があり十万には十万、百万には百万、千万には千万、一億には一億とか十億には十億とか責任が課せられているのであるそして悪事は隠ぺいできない、いつか暴露される、それには時間がかかる
一世紀とかかかるとか歴史だともう千年前のことでも悪事がようやく暴露ささて語られるとかなる、でもいづれにしろ悪事でも隠ぺいされたままにはならない、いつか何らかの切っ掛けで暴露される
その悪事も暴露するのがマスコミなのだけどそれが何の役目も果たさなかったのである
むしろ悪事を推進する方にもっないたのである、だからマスコミは信じられない、その権威は失墜した、インタ−ネットでも問題はあるが報道もマスコミだけではない何も権力もない人でも報道して批判している、突出していたマスコミの報道も水平化されたのであるだから独占権力だったマスコミは驚異となった、もう新聞を見ない、テレビも見ないとなるとその役割は終わったとまでなるからである
2022年12月02日
大アマゾン 最後の秘境―NHKスペシャル (森林破壊と原住民の抵抗ー原発事故との比較)
2022年11月09日
浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨 (街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)
浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨
(街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)
震災時、浪江町には約2万1千人が暮らしていた。今年2月末現在、町内居住者は1596人町に住民票がある人は1万6650人。今も多くの人は避難生活を続けている。
(2021)
東電の賠償金は原発からの距離などに応じ、有無や額が異なり、原発周辺の住民が「賠償金をもらっているだろう」と妬まれるケースも珍しくない。「家を建てても避難民という気持ちが消えない」。津島の美しい星空や家族同然の地域の絆は、賠償金でも取り戻せない。同じ津島の避難者宅を訪ねるのが楽しみだが、10年を経て連絡がとれなくなってきたという
https://mainichi.jp/articles/20210310/k00/00m/040/190000c
震災前、浪江町には6つの小学校と3つの中学校に約1,700人の生徒が通っていたが、今は、2018年に完成した「なみえ創成小学校・中学校」に通う約20名だけだ。児童・生徒が戻らないことから、昨年、7校を2021年4月に一斉に廃校し校舎を解体することが決まった。
浪江町に入ったら立派な家がある、庭に大きな石がある
でも人は住んでいない、原発避難区域では結構立派な家がある
でも人は住んでいない、それがもったいないのである
ここの家でも立派な岩があると見て帰った
小高でも紅葉がきれない庭があり家があった
庭に興味があるが人が住んでいないのでもったないと見る
浪江町の大堀から高瀬川に行って来た、大堀は陶工の家が空家化して廃墟化していた
陶工の家が30軒くらいあったのか、細い道を分け入るとこんなに陶工の家があったのかと見た、ある所で相馬焼きの焼き物が散乱していた、あれはなぜかたづけないのか?
結構高いものがあるが放置したままなのである
一時緊急避難しても帰ってきて相馬焼きの焼き物を整理して持って行けばいいとも見た
おそらく帰ってこないし焼き物もしないので放置したのだろう
入り組んだ道に陶工の家がありもう誰も住んでいない
ただ来年はここも避難解除になる、でも入ることができた
ここは震災前のままであり放置されたままである、ただ除染の人達がいた
あんなふうに荒れ果ててしまうのもショックである、陶工はみんな福島県であれ各地に分散した、だから相馬焼きをまとまって窯元で伝統を支えることはできなくなった
窯元が集まり技を伝いまた新しいものを作りだす場が窯元だった
そこが高瀬川の岸辺になり立地に恵まれていたのである
そしてそこは江戸時代からの歴史があった、相馬焼きは青ひびとかの技は各地に伝えられたのである
むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ
2. 遠い道 夕やけ雲の お山から
海までつづく たかせ川
あゆも かじかも かにさんも
みんな なかよい おともだち
3. おじいさん おとうさんも かあさんも
べんきょうしたのは この学校
わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ
大堀小学校の校歌であるがここに柿の木がでている、それで私は震災前にたずねて柿の俳句などを作った、柿がふさわしかったのかもしれない、それにしてもその荒廃は悲惨である、震災の時そのままであり捨てられた感じである
わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ
このあとつぐ人が子供が消えたのである堀小学校の跡は荒地になり鳩を手にもった少年像が残っていた、なんともわびしいとなる
●大堀には古い歴史があった―神社をたずねる
大堀は江戸時代からの歴史かあるから神社もある
そして山津見神社が高い所にあった、これは発見だった、こんなところまであるのかと驚いた
とにかく相馬藩の地域には綿津見神社と山津見神社が多いのである
これは一対としてあり飯館村には綿津見神社と山津見神社がある
それは安曇族の海人族が入ってきた証拠なのである
だから小高の海岸にも綿津見神社があり浪江町の大堀にも山津見神社があった
それだけこの辺は安曇族が古代に最初に開拓に入った場所なのである
本当にこれだけ綿津見神社と山津見神社があることは驚きである
後は愛宕神社とか天神社とか他にもあった
江戸時代からのものであるが山津見神社は古代に由来するから注意すべきである
この耳塚に埋められているのは、八面大王の耳であると言われている。八面大王はこの安曇野地方の伝説では鬼とされ、悪逆の限りを尽くした後に坂上田村麻呂によって攻め滅ぼされたとされている。しかし蘇ることを恐れた田村麻呂は、八面大王の遺骸を切り刻んで各地に埋めたのである。耳塚はその耳を埋めた場所であるとされているのである。
https://japanmystery.com/nagano/otuka.html
大塚神社が城県とかにもあり他にもある、全国的にもある、九州にもある、この大塚は何なのか?津浪の被害にあった磯部の近くにも大塚神社があった
これは全国的に多いがその由来がはっきりしないのである
大塚とは塚だから墓であり古墳に由来するのか、謎である
ただここで安曇地方に関係していたことがうかがわせるものがある
安曇はまこ海人族であり何か土着の人々が大和王権に逆らったから伝説として残されている、ただそれが大塚とどういう関係になるのかわからない
つまり塚というから大とは王の意味だともしている、つまり王の塚⇒王塚⇒大塚となったこれは天皇と関係しているのか?なぜ全国にあるのか?地域の王であり天皇とは違ったものなのか、何らか古代は安曇族でも全国的に大和王権に天皇が全国の唯一の王とはなっていない、そういう時代に地域の王を埋めた所が古墳が大塚がありそれが大塚となったのか
ただ安曇族の山津見神社の脇に大塚東照宮とあるのは大塚と王のことであり東照宮とは家康のことである、つまり王なる家康となるがもともと大塚と安曇族が関係していてそうなったのかとなる、家康が王となったので大塚とはもともと王から由来すると王なる家康となるのである
他に愛宕神社とか天神社があった、この由来も何なのか、神社には由来が不明なものが多いのである
ただ地域でも地域の地域でも古い神社がありそこには人がもともと住んでいて継続していたのである、その継続が原発事故で断たれたのである
でもまた全国的に人口が減って過疎化して限界集落となり村自体の歴史が失われてゆくのが日本だとなる
●高瀬川溪谷へ行き帰る
高瀬川の渓谷へは交通止めがあったが入ることができた
紅葉の渓谷で水墨画のような風景になっていた
11年ぶりに来たがやはりここの風景は特別である
車が一台葛尾村の方から来た、車も通れないことがないのかもしれない
でも車は二台くらい通ったがやはり交通止めになっているからだろう
ここにトンネルが二つくらいありそこを目指して走って来た
でもなかなかトンネルが見えないのでここではないのかと疑った
でもまもなくトンネルが見えたので良かった
10年も行かないとわからなくなる
街の中は新しい食堂が増えた、道の駅にもあるが他に食堂が多いと見た
あとはホテルがにぎわっているみたいだ
つまり原発の仕事や浪江でも除染の仕事がつづいている
そうした原発事故関係の仕事をする人達がまだ多いのである
夜道を原町から金沢を経て鹿島に出る道にプレハブがあるがそこが思った以上電気がついていてここにも未だ原発関係で働く人がいるのかと見た
昼ではわからなかった、原町でも双葉で車で労働者が送られることがあるだろう
原町から浪江までは18キロだったから車だったら近いのである
まず小高であれ浪江であれ田畑は荒地化している、でも耕運機が道を行くから農家でも農業をはじめた人もいるのかとなる
ただ見たかぎりでは田畑があり人の手が入ったいるのが見えなかった
農業が回復することはむずかしいだろう、何か街中に横浜から来た若い人が案内していたがなかなか農業を回復させることはむずかしいとなる
ただ外部から若い人が入ってきている、駅前の新しくできた案内所でも横浜から来た若者だった、でも目的は何かとなるとなかった、だからもしかしたらこういう人は定着しないかもしれない、今は外部から来る人が歓迎される、そもそも住む人がいないからだ
でも何か目的がないと定住しないかもしれない、コンビニで働いていた人も若者である
だから地理がわからなかった、その道は川俣に通じる道だった
何かあの道は歩道でも広いから新しくできた通りらしい、新しい食堂もあったからだ
それでコンビニもできていたのである
次は小高の大悲山の石仏から高瀬川溪谷への短歌です
2022年10月03日
真野川に鮎が上っていた (天然の鮎は放射性物質の汚染度が高い)
真野川に鮎が上っていた
(天然の鮎は放射性物質の汚染度が高い)
真野川で投網をしていた人がいた、めずらしいと思って見ていた
土手に車が止まっていたので聞いた
漁業組合の人だった
今年は鮎が上るのが跳ねるのが見えなけどというと鮎は上っている、今は落鮎で大きくなっているという、そして天然の鮎は放射性物質の汚染度が高いという
それは長い間苔などを食べているからだという
特に天然の鮎は汚染度が高いという、なぜなら汚染された苔などを食べつづけいるからである
でも放流した鮎はそうではない、短い期間でありそれほど汚染されていないという
だから山女(ヤマメ)などは汚染度が高い、年中川にいるからだ
真野川の上流に水無河原の上流にもいる
そして真野川の真野ダムの下にやはり流れをせき止めたダムがあった
それが今回の大地震で壊れた、それでそこから泥水が流れ出した
それで濁った水が真野川に流れ込んだ、それは放射性物質に汚染された泥だったのである
新田川で釣りしていた人がいたが新田川で鮎は放流していないから天然の鮎だという
ということは食べると危険だとなる
とにかく真野ダムの泥には放射性物質が堆積している、そこから水道の水を利用しているから困る、そして真野ダムは大きくて除染できないからである
だからそこからどうしても放射性物質が流れたまるのである
ともかく県の人でも川を調査していたが今でもつづいているという
この放射性物質の汚染がやっかいである、いつなったらなくなるのかわからないからである
たた新田川で鮎は放流していない、真野側では依然として放射性物質を調べている
県で調べている、上流に真野ダムがありそれが問題なのである
またその下にダムのようにな流をせき止めたものがあり今回の大地震で壊れて泥水が流れた、それで一時真野川は泥川になったのである
今漁業組合の仕事はこうして放射性物質の汚染を計る仕事にもなる
真野川の河口ではしじみもとる人がみかけるようになったがそのシジミでも管理するのは漁業組合なのである、でもシジミはどうなるのかとなるとやはり放射性物質に汚染されているのか、それは良くわからない、鮎は汚染された苔を食べるので汚染される
しじみはどうなるのか、松川浦ではまだアサリとりなど許可していない
ともかく真野ダムに大量の泥がありそこに放射性物質が堆積されるさとが不安になる
だから水道の水を飲まない人がいる、相馬市でも真野ダムの水を利用しているからである川の汚染は川は狭いし海のように攪拌して薄められない、トリチウムを海に流すと問題だが川のように狭くないから拡散する、それで海に流そうとしている
それでも影響はある、でも川の問題の方が深刻だったのかとなる
放射性物質は回りの森からでも流れ出してきて真野ダムにもたまるからである
それは除染できないのである、セシウムの半減期が30年とかになるからそうした長い時間を待つほかないしまたプルトニウムとかなると二万年消えないとなるからやっかいなものなのである、だから原発は一旦事故になったとりかえしつかないものとなる
でも石油が高くなり電力を維持するには原発の再稼働しろという声が大きくなっている
でも原発のリスクが大きすぎるのである
2022年09月15日
新田川で鮎釣りしている人がいた (でも真野川ではいないー鮎が上って来ない―原発事故のその後)
新田川で鮎釣りしている人がいた
(でも真野川ではいないー鮎が上って来ない―原発事故のその後)

真野川では事故直後、国の放射性物質の基準濃度を超える1キロあたり2100〜3300ベクレルのアユやウグイ、ヤマメが見つかった。出荷制限と釣り自粛の呼びかけが続き、遠方からも訪れていた釣り客の姿は、今はみられない。同漁協理事で釣具店を営む森幸春さん(60)は11年近くにおよぶ出荷制限について、「『生きている間はもう釣りはできねえか』と言う人もいる」と明かす
https://www.asahi.com/articles/ASQ3651YGQ2HUGTB00L.html
冷水病が日本の河川に蔓延して以後は、これが極端に低下しており、場合によっては10%を切る事例も報告されているすべての河川でそのように悪いわけではないものの、平均的にみると40%程度まで落ちているのではないだろうか。つまり、生残率はかつての半分近くにまで低下しているのである。
この傾向は規模の大きい川ほど顕著である。つまり、容器の大きさからいうと1000匹必要な釣り場に実際は100匹しか放流されていないというようなことが普通に起きているのである。
https://hito-ayu.net/opinion_04.html
サケと違うのは母川回帰をしません。 その時に一番条件の良い川を選らで遡上を始めるそうです。
ヒトが作るダム、堰、コンクリート護岸、生活排水、工業廃水が、
アユの生活環境を脅かしていることは皆さんご存知の通り です。
この30年間、全国的に天然アユの遡上数は激減しています。
http://to-ayukebari.life.coocan.jp/ayu_seitai/ayu_seitai.html
全般的には海産魚の放射性セシウム濃度は順調に下がり、2017年に一部の出荷制限魚種を除くすべての魚介類に試験操業対象種が拡大され、漁業の再開に向けた取り組みも進められています。現在では郡山市内のスーパーなどでも、「常磐もの」として福島県産のカレイなどが並べられているのを見かけることもあります。一方で、淡水魚の放射性セシウム濃度は海水魚よりも高い値が続いており、比較的汚染の低い福島県中通りを流れる阿武隈川であっても、基準値を超えるヤマメ・イワナが2018年にも何検体か報告されています。淡水魚の放射性セシウム濃度は、流域内でも地域間、個体間で非常にばらつきが大きく、「安定的に100Bq/kgを下回る」と判断することが難しいことが、出荷制限や採捕自粛の解除が遅れる一つの原因になっています。このように、海水魚に比べ、淡水魚では放射性セシウムによる汚染の問題は今でも収束していません。今後、淡水魚の放射性セシウム濃度はどのように減少し、いつになれば心配なく食べられるようになるのでし
https://www.nies.go.jp/kanko/news/38/38-2/38-2-04.html
今日新田川で鮎釣りしている人がいた、鮎がとれるのかと聞いてみて
そしたら結構大きな鮎もとれたという、鮎は稚魚を放流しているが放流していないくてもとれたという、県庁の方で聞いて見たら毎年稚魚は放流しているという
私は毎日真野川を見ているけど鮎が跳ねたのを今年は見ていない、去年なのかその前なのかさらにその前の年なのか鮎の稚魚を放流したのを現実に見ている
県庁に聞いたら毎年放流しているという、となるとなぜ真野川だけに鮎が上ってこないのか?
この辺は県庁の方でも調べていない、ただ毎年鮎の稚魚を放流している普通だったら川を上ってくる、それが来ないとなると何なのだろうとなる
何が原因なのか?それがわからない、新田川は浅い川である、でも水が勢いよく流れていた、新田川には上にダムがない、真野川には飯館村の大倉に大きなダムがある
それで水質が違ってくるかもしれない、真野川でここに住んで放射線を計る人がいた
それはかなり長く川の放射線を計る仕事をしていた人がいた、専門家がいたのである
川の魚は一時食べるなと警告された、相当に放射性物質に汚染されているからとしてそうなった、海の魚より汚染が強かった、それは海は広いから拡散されるからである
川は狭いので拡散されないことが原因だった、狭い場所に滞留するということもあった
特に依然として真野ダムの泥には放射性物質が付着している
真野ダムの水は飲料水としても利用している、本当の除染は真野ダムの底の泥とりはらわなければならない、でもそれはできない、ただ溜池は除染した
でもそれも全部はできない、なぜなら回りの森からでも放射性物質は流れ出してたまるからである、つまり完全に放射性物質を取り除くことは不可能なのである
川で釣りする人とみると何か復興したのかともみる、でも真野川では見ない、それで淋しいとなる、もともと川には魚は見ない、子供の時カジカとかとっていたが今は子供も見かけない、そもそも地域でも子供が見かけない、子供が見かけるのは幼稚園としかないのである
ともかく鮎というとき私の父親は鮎釣りが好きでありその時結構大きな鮎をとっていいオカズになっていた、また田んぼの畔で鰻釣りもしていた
その鰻もうまかったのである、それを料理するのに家族みんなで大騒ぎだったことを覚えている、今は鰻もとれない、農薬で汚染されているとかなる
小川もなくなりメダカともいない、田んぼを流れる小川もなくなった、みんなコンクリートの堀になったからである
田んぼが回復して蛙が一斉に星空に向かって蛙の合唱になったとき復興を感じた
自然が復興したことを感じた、川でも鮎釣りする人でもいれば復興したとなる
ただ真野川では上流で蜆とる人は増えた、もともと真野川ではシジミはとれていたのである、それもいいシジミがとれていたのである
ただ貝類にも放射性物質はあるとされているからどうなるのか?
11年過ぎてもういいのだろうか、前の日常がもどるのはいいことである
とにかくこの辺の変化は余りにも大きかったのである
磯部でも海老村でも烏崎村でも根こそぎ津波で消失したことはショックだった
その傷痕はまだ消えない、ただ11年も過ぎると忘れて関心もなくなることはありえる
外部ではそうなっている、次々に新しいことが起きるので忘れられる
でも裁判では東電に賠償を言い渡された、
経営幹部が任務を怠ったことによる東電の損害として、廃炉について約1兆6150億円、被災者に対する損害賠償費用について計7兆834億円の支払い、除染・中間貯蔵対策費用計4兆6226億円を認定した。
https://www.bbc.com/japanese/62159103
これは当然だった、これもコストにこだわり失敗した、津波を科学者が警告していたのに対策をとらなかった、権力で安全神話を作ることには熱心であった
でも肝心の安全対策は金がかかるからしなかったのである
その代わりにその金は安全神話を強固にするため福島県の報道機関でも朝日新聞でも毎日でも読売でも創価系の潮にも回った、すべて宣伝費として安全神話を強固にする方になったのである
電事連でも800億円の金が注がれたのである、安全神話のために湯水のように金が注がれ
肝心の津浪であれ安全対策のためには金を使いたくないとなっていたのである
これは報道関係にも責任があったのである、金をもらえばいいとなって安全神話に加担したものとなったからである
10メートル以上の津浪が来る!
みんなこれを知ったら警戒していて逃げて助かった人達もいた
あらかじめ知っていれば警戒するからである、それは科学的根拠のあるものだったからである、それを東電の幹部でも無視したのである、だから当然責任をとれとなる
財産没収でもいいとなる、それだけの責任ある人達だったのである
2022年09月02日
浪江を偲ぶの春の短歌 (ふるさとの文学散歩―常盤芳秀の歌−津波原発事故で失われたもの)
浪江を偲ぶの春の短歌
(ふるさとの文学散歩―常盤芳秀の歌−津波原発事故で失われたもの)
大堀に陶工の技代々に磨くも良しや春の日たずぬ
大堀に買いし陶器の我が家にありてなじみぬ春の日暮れぬ
高瀬川流れのひびき高鳴りぬ春の日さらに上に登りぬ
高瀬川登りてあわれ葛尾に磐城落合の名そ残りけり
浪江町今は荒れにし悲しけれ昔の栄もどることなしも
浪江町生きにし人やその墓地も荒れて捨てられ春も悲しも
請戸港昔栄えぬ江戸にしも松前にしも宮古にしも行く
誰か住む津波に流さる家の跡椿の咲くも人は住まじも
古き蔵残れる家や戻りきてここに住みなむ椿咲くかな
請戸港昔の面影ここになし春の日さすも高き防波堤
甚大な津波原発その被害春のめぐれど立ち直れじかも
長塚に銀行ありと姉遊ぶそのこと聞きしも遠くなりぬる
ふるさとの文学散歩―浪江町の文学碑ー常盤芳秀の歌(1860−1920)−松本博之著
澤井屋という金物店を経営しながら詩文をよくし、すぐれた書家でもあった
万延元年江戸で桜田門外の変が起り幕末動乱の歳に浪江で生まれた
父は剣を斎藤弥九朗道場に学び、新道無念流免許皆伝の腕前であったという
事あって諸国を遍歴し旅の途中この浪江に立ち寄ったところ人物を見込まれて常盤家に入ることになった
芳秀はこの父に剣の道を学び、明治八年藩錦織晩香が幾世橋村に開設した希賢舎で漢学を学び塾頭をつとめた、また国学派の歌人海上胤平に歌学を学んだ
芳秀の師の海上胤平は千葉県海上郡三川村に文政一二年(一八二九)に生まれ江戸で千葉周作に剣を学び・・・
師弟の縁がどのようにして生まれたのかはわからないが、金物などの商品を仕入れるために請戸港から年に数回金物などを仕入れるために廻船に便乗して上京したという、その折東京の師の居宅を訪ねたのだろう
この人は大和田建樹と同時代の人だった
浪江波うつ稲の穂の
長塚過ぎてゆたかなる
鉄道唱歌を残した人だった、他にも短歌を多く残した
ここに長塚とあるのは双葉駅とは後からできたものであり元は長塚だったのである
私の父が双葉の新山に酒屋の丁稚として働いていて長塚に銀行があったらしい
銀行というものはめずらしいものでそこで子供の時遊んでいたか言っていた
この文章は江戸時代の状況を現している、必ず侍は剣の修行をしている、だから父は剣を斎藤弥九朗道場に学び、新道無念流免許皆伝の腕前となっていた
どこかの道場に属して剣の修行をしていた、それは良く時代劇ででてくる
道場破りとかでもそうである、この人も諸国を回っていた、そうして浪江の常盤家に養子となったのかとなる
そういう父を持ったのが芳秀だったのである、ここにリアルな江戸時代の人間が語られている、常に文武両道であり文は短歌であり国学になっていた
そこでここで注目すべきは
金物などの商品を仕入れるために請戸港から年に数回金物などを仕入れるために廻船に便乗して上京したという
ニシンの買い入れのために北海道の松前まで原釜からも請戸からも船が米を積んで行ったということを書いたが江戸にも行っていたのである
ただ江戸へ運ぶのは米とかであり乗客は運ばない、ただそこに便乗させてもらったのである、ただ江戸から金物を仕入れるということはあった
江戸時代には鉄道はなく船が主な交通となっていた、小名浜から石炭を積みだして東京に運ばれていた、常磐炭田があり鉄道ができる前は小名浜から石炭が運ばれていた
ともかく船が運ぶために利用されて江戸まで通っていたことは確かである
その鉄道にしても
一と筋の煙を立てて走り行く車屋形の早くもあるかな 芳秀
こんな感覚だったのである、車屋形とはまさに車が家になっいてる屋形になっているというふうにも見た、そういう感覚だったのである
煙はくとは蒸気機関車であり石炭を燃やして走らせていたからである
私が蒸気機関車で原町の高校に通っていたということも信じられないとなる
覚えているのはトンネルがありそこで煙が出て顔がすすけたということがあった
江戸時代から明治の変化で大きいのは鉄道が全国にめぐらされたことなのである
それまでは関所があったし簡単に藩の外にでれなかったが切符一枚で全国どこにでも行けるようになったからである
だから鉄道が新しい日本を開いたとまでなっていたのである
ともかく浪江町は本当に津波と原発事故で変わり果てた、復興はしていない
2万人いて一六〇〇人帰ったとしているが残ったのは主に老人である
残念だったのは大堀焼きの窯元があった場所である、高瀬川があり場所が良かったのである、それが窯元は散り散りになってしまったのである
失われたものが余りにも大きすぎたのである
2022年06月20日
原発事故、国の責任否定 「対策命じても防げず」―避難者訴訟・最高裁初判断 (東電に天下りした官僚は金を返すべきーそれが責任)
2022年05月05日
接続可能な社会とは(SDGs) (原発事故で問われたもの、豊穣の海と漁師の詩から―生業とは天職とは)
接続可能な社会とは(SDGs)
(原発事故で問われたもの、豊穣の海と漁師の詩から―生業とは天職とは)
豊穣の海と漁師
朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな
高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うには、彼らの到達したものは彼らの体と魂に結果を残すものではない限り
すべて彼らの身につかず、浪間に消える‐ホイットマン
どちらも基本的な意味は同じですが、「体」は純粋に肉体のことを表し、人間以外の生物にも使うことができます。
一方、「身体」は人間のみに使い、肉体だけではなく心も含めた心身のことを指します
たとえば、「身につく」などです。この言葉は体に何かがくっついているという意味ではなく、技能などを習得した、という意味ですよね。
https://gimon-sukkiri.jp/body-spirit/
現代の風景はこの辺だとと相馬市の松川浦でも大きな火力発電所あり最近はガスのタンクもある、港からガスを入れて遠くまでガスを配給する施設ができたからだ
浜通りは発電所が多い、それで原発も作られた、風景としてはみなとがり一応漁師がいて魚をとったりしているが風景としては発電所のウェエトが大きくそれが風景となっている港は小さいのである、その風景そのものが現代を如実に語っている
生活からすると魚をとって生活するとかそれはもう極一部のものである
特に福島県の浜通りは漁獲高が宮城県と比べれば十分の一くらいしかないのである
そしてそもそも第一次産業の農業とかでも十分の一くらいの生産量しかないのである
だから現実は農業とか漁業で仕事している人は意外と少ないのである
それで現実にそういう人と逢わない、田舎にいてもそういう人は少数者であり現実の生活は会社員とか工場で働いている、東北電力の火力発電所でも千人働いていたとか
双葉大熊の原発はさらに多く働いていたとなるからそこが生活の糧となっていたとなる
それで事故後でもそうして原発で金になっていたから批判できないともなっていたのである、漁師の場合は船主だと事故前でも多額の補償金がすでにもらって原発御殿が建てられていた、それで漁師でない人は不満だったのである、事故後も手厚い補償をされたのは船主とか漁師である、だから立派な家を率先して建てたともなる
ただ津波の被害は本当に悲劇でありそのことは批判できない
でもそもそも漁業だけではない、第一次産業は農業でも漁業でも林業でも衰退して全体の生産量の一割にもみたなくなったのである
ただ不思議なのは依然として回りが田んぼだから田舎は農業で成立っているように見えるでも実際の経済はみんな会社員であり農業とか漁業している人は少数者である
特に漁業で生計を立てている人は前からごくわずかだったとなる
福島県の浜通りは海に面していても宮城県のように漁獲量が十分の一くらいだから前ら少なかったのである
ただそれでネットで魚がとれなくて生活が成り立たないから応援してくれというプログを見たことがある、やはり漁業は苦しいのだと見ていたのである
でも事故前でも補償金をもらっていたから船主とかは生活には困ることもなかったのである、ただ港があっても別にみんな魚をとることで生計をたてているわけではない、やはり松川浦とかなれば大きいから港の機能があるから船でも入って来たり火力発電所でもガスタンクが最近できたりとそっちの方の仕事がある、荷物も入ってくるから漁をする仕事よりそっちの方が仕事となっている
ただ事故後生業を返せ!
と裁判所に訴えた人たちがいる、この生業とは何なのか?
これはやはり第一次産業に従事する人達のことではないか?
それは自然の恵みで直接暮らしている人達だとなる、海で魚をとる、大地から実りをえる農民がいる、森から木材をとるキコリがいるとかそういう人達だろう
生業とは天職のことでもある、天から与えられた職業だとなる
何かむずかしいものではない、それは自然の中で自然から糧を得るとなればそれが生業であり天職となる、そういう仕事は今盛んに言われる
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは
持続可能な社会とは、「地球環境や自然環境が適切に保全され、将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満たすような開発が行われている社会。」と言われています。
持続可能な社会とはもともと戦後辺りまでそういう社会だったのである
なぜなら戦前でも農民が八割という社会は当然そうなるのである
自然から直接実りを得て生活していたとなるからだ
そういう社会は接続可能な社会なのである、なぜ自然が死ぬことがない、途切れることなく実りをもたらしてくれるのか?
自然そのものが何万年であれ何億年であれ地球が生まれてから生物が生まれてから持続可能でなかったら継続されない、そこに生物の死があり生命は途絶えるのである
ただ恐竜などは環境に適合されず死に絶えた、だから必ずしも生命がすべて継続されるとは限らない、人間も恐竜のようになることもありえるのだ
それは核戦争とかで放射性物質の汚染でこの辺のように空気でも水でも土でも汚染されればそうなるのである
だから高度な文明はかえって自然を破壊して汚染して生物が人間でも住めなくなることがありうる、一時この辺はそうなったからである
いづれにしろ人間の存在価値とは何なのか?
それは人間の仕事から見ればわかりやすい、漁師とか農民とか職人でもキコリとか生業と言われるものは自然があり人間が存在してからあった、それは食料などか生きるには欠かせないからあったとなる、縄文人でも生きるために貝をとったり山菜をとったり海の幸から山の幸を得て暮らしていたからである
そういう仕事は人間が生まれた時からあったとなる、だから生業となる
そして自然の中で生きているから自然と一体となる、海でも大地でも森でも山と一体化して暮らしていた、そこで体も作られたのである
身が作られたのである、からだは殻の意味であり死んだ人の屍とされる、からだは魂がぬけた抜け殻とされていた、でも身には心があり身につくとは仕事を通じて心も身に着くとなる、身につくとは魂が身に着くということでもある
本来の仕事とはそういうものである、でも一方で人間には仕事は職業として業ともなる
カルマともなる、そういう仕事もまた多いのである
何か武器を作るとか戦争を仕事とした兵隊もいる、今なら警官とかでもそうした業として仕事がある、ただ医者にしても何か必ず業を持つ、なぜなら人間がみんな犯罪を犯さない病気にならないとなれば戦争もないとなればそうした仕事は必要ないからである
そういう職業があること自体が問題でありない方がいいのである
とにかく現代文明社会は無数の業なる仕事が増えたともなる、本来の仕事が生業とか天職がなくなり人間はホイットマンの詩のように讃歌されないものとなった
それは東京とかの大都会を見ればわかる、そこで何か讃歌されるものがあるのかとなる
そこに自然はない、ただ人工的空間でビルの狭間で人は呻吟しているだけだとなる
そこにあるのは群衆であり大衆でありただ数として数えられるだけの存在でありそこに
人間を讃歌するものがあるのかとなる、ただ巨大なビルを仰いで人間は卑小化する
蟻のようになっているのだ、だから奇妙なのは人間の価値を存在感を見れば縄文人の方が人間の価値を具現化していたともなってしまうのである
その大都会から生まれるのは何か、宗教にしてもカルトであり政治は大衆を相手にするからナチス的なものになる、宗教はもともと清浄な自然から生まれたものだというときそれが全く無いからである、ただ数を誇り権力化しているだけである
そこに讃歌すべき人間はいないのである、むしろ機械が代わりとなり機械が讃歌されるとまでなる、人間はただ無意味なもの無価値なものただ数として権力化する存在になる
でも大都会に住む人が現代人のエリートであり田舎に住んでいる人達は金にもならないとか無価値に無意味にされている、田舎のインフラでも都会の人が税金を出して維持するとかなる、これもまた現代文明の矛盾である、それで田舎でも明治時代でも炭焼きしていた山の人は都会の人に頼らない自立しているとして誇っていたのである
何も都会の人が税金を払うこともないからである
ただエネルギー問題にしても今世界から石油でもガスでも石炭でも輸入するから外国に頼っていて自立していないとなる、そのエネルギー問題が大きい生存にかかわるものとなる風景として海岸に風力発電の風車があり火力発電所があり原発があったことでもわかる
そっちの方が大事な産業であり原発事故前ならそこで働く科学者が技術者が神官ともなっていたのである、この地を支配する者となっていたのである
それが原発事故で一挙に崩壊したのである、持続継続されないものとなったのである、
ゲーテ「漁師」(ドイツ詩100選を訳してみる 2)
お日さまも お月さまも
海の中でお休みになって
波を吸い込み 二倍も美しいお顔になって
戻ってくるではありませんか。
底深い楽園が 神秘的にうるおう青色が
あなたの心を誘いませんか?
https://note.com/lulu_hiyokono/n/nd4dbeb11f14f
お日様もお月さま自然の中でこそ映えるということでうまい詩である
とても都会ではお日さまも月も映えないのである、死んでしまうのである
2022年05月04日
沖縄の人と話して水不足で困ると聞く (いろいろ不便があっても原発事故は住めなくなったから最悪だった)
2022年01月18日
南相馬市長選挙の争点は何なのか?ー復興していない避難区域 (政治は利益の公正な配分が主題ー補償金配分で鹿島区は不満)
南相馬市長選挙の争点は何なのか?ー復興していない避難区域
(政治は利益の公正な配分が主題ー補償金配分で鹿島区は不満)
南相馬市は11年前の原発事故で、南部の小高区を中心に避難指示が出され、6年前に解除されましたが、人口は震災前から2割近く減少した一方、65歳以上の高齢者の割合は36%と、10ポイント余り上昇しています。
また、深刻な医療人材の不足から、小高区では、現在も入院機能を備えた医療機関がない状態が続いています。
今回の南相馬市長選挙の争点が良くわからない、明確ではない
桜井前市長は左寄りの人だったから野党からの支援があり前の選挙では原発反対を訴えていた、でもその他は良くわからない、ただこの辺ではもともとこれだけ原発被害があるのだから原発には反対である、だからそういうことよりこの辺で問題なのは補償金の分配だったのである
鹿島区では30キロ外になり補償金が少なかった、正直自分がもらったのは一人70万であり二人だったから140万だったとなる
でも原町市は三倍ももらっていたのである、その差は大きい、ただそのことを鹿島区の人はあまり言わない、ただ不満が内にこもっているとなる
そして
医療費無料が10年でありそれが一年伸びた!
これも大きい、なぜなら私は病院に通っていて半年で無料が打ち切られたことを身近に感じたからである
すると老人が多いから10年間医療費無料というのは大きい、これも30キロ内だけは特別待遇になったのである、ただ小高区は避難区域になったから補償金が多いのは当然だとなる
要するに思うに原町は鹿島区の二倍でも良かった、その余った分を鹿島区にまわせば良かったのである、ただ第一原町区の人がネットで鹿島区には金はやるなと市の予算を使うなと訴えていたのである、ただそれを知っている人は少ない、ネットはそんなに影響力ないからである
でもそれを読んでいたときこれは何なのだろうと思った
その後今の市長になり最近高速が無料になった、でも遅かった!
老人が多いと医療費が負担になる、近くにそうして病気の老人がいるからわかる
何かと医療費の負担がある、だから医療費無料は大きいのである
ともかく今や日本は少子高齢化で老人が増えるばかりであり南相馬市は原発事故で65才以上の人が35パーセントとか他より多いしその将来もますます老人ばかりになる
知っている人でも必ず糖尿病とかガンとか眼が悪いとか泌尿科だとか病院通いなのであるでもその人は金もないのである、そんな人ばかり増えたらどうなるのか?
それで将来でも暗い見通ししかできないのである
南相馬市は小高と原町と鹿島が合併したけど原発事故で補償金で分断された
合併して共同して共益関係になればいいが分断された
政治というのは常に地域エゴがありそれで争うとなる
そもそも政治というと戦国時代とかあれば地域同士の争そいなのである
何か入会権の争いがあり大名がかかわり戦争になったとか言う人もいる
水争いとかもあり権益をめぐって人間は争いになる、その構図は世界でも変わりないのである、それが人間の業(カルマ)であり変わらないのである
原発だって東京が危険だから福島で作れとなったのもそもそも地域エゴだったのである
自分たちは安全を計り福島はその危険を引き受ける代わりに東電で金を出すという仕組みだったのである
そして政治は利益の配分の調整である
これは必ずある、原発の補償金でもそうだし今度はコロナウィルスの補償金でももめたのである、必ずこの利益の権益の分配でもめるのである、それが戦国時代にもなったのである
だからこの利益の分配がうまくいかないと分断して協力できなくなる
政治家の役目はその分配を公平にすべきなのだがそれがうまくいかない
ただ今回の選挙の構図は中央の政治が反映されていた、桜井市長を応援するのは左であり門馬市長を応援するのは自民党とかの現政権である
二つの勢力があり票の取り合いになる、前回の選挙では200票差で桜井氏が負けたから今回も接戦になる
ただ地方だと必ずしも右左とか関係なく地元に地盤を持つ人が有利になる
そして意外と政経東北で今の門馬市長が相馬市長の立谷 秀清氏に頼っているとか書かれた、立谷氏の助言で動いているとか書かれた
それもわかるのは立谷氏は医者であり病院も経営している、だからコロナウィルスでも
いろいろ検査してそれが全国でも注目されて取り上げられている
つまり医者だからそれができたのである、それが強みとなっていたのである
ただ自分の病院経営にかかわってそこに力をそそぐとか批判もあった
ただ一時震災の時水を配ることでミスがあり同級生から殴られたという事件があった
不手際があってそうなった、でもその後は医者として手腕を発揮しているともみる
南相馬市長でも桜井市長は畜産課の大学を出ていて相馬市長は医者であり飯館村の村長の菅野氏も畜産課なのか農業関係なのである、それから門馬氏は東北大の工学部というから理系なのである、理系だと原発事故では力を発揮だきたかとなるとそうでもない
なぜなら吉田所長が肝心の復水器のことを知らなっ方のである
それは自分の資材の分野ではなとして知らなかったのである
今や社長でも会社のことを全部知る人はいないのである、それだけ複雑化しているから社長でもわからない、そしたら支持も出せないとなるのだ
ともかく南相馬市では原発事故からの復興が最大問題である
でも復興はしていない、むしろ復興というより縮小してコンパクトシティとかの構想にもなる、小高の人は原町区に移っている人も多い、そして取り残されたのが老人なのである子供たちは流出して老人だけが残された、そういう場所で復興がありうるのか?
元に戻すというより何か別な対策が必要になる
つまりこの辺では原発事故で極端な現象として日本の未来を先取りした地域になった
自治体がゴーストタウンになり消滅するようて状態になった
それも回復できないのは少子高齢化とか日本の経済の衰退とか縮小化になりそうなった
戦後の焼け野原から日本が復興したのは子供が本当に多かった、そして戦争の引揚者は
不便な土地に開墾に入り生活した、それは働く場所がないそうなっていたのである
でも半分は撤退したのである、だからそういう場所で良く生活できたとなと今ならみる
そういう人を私は知っている、それも小池に開墾に入っていた、それは街から近いのである、そんな近くで開墾する場所があったというのも不思議なのである
飯館村とかにはあっても街の近くにあったというのが今になると理解できないのである
そこに私は店をしていて子供の時卵買いに行っていたのである
その人は一人で暮らしていてぎりぎりの生活だったのだろう、その時かえって良かったのは元からの農家だったのである、食料を作っていたから良かったのである
何か地方の選挙だと政党中心ではない中央政治とは別になる面がある
地元密着であっり地元の問題を解決することである、でも原発は中央政治と密接に関係していたのである
それは沖縄でも辺野子のアメリカ軍基地建設問題でも起きている、これはアメリカ軍の基地問題だけど原発ももともとアメリカと関係していた
アメリカの要請に答えて原発が最初読売新聞の正力松太郎が新聞で宣伝したとされる
そもそも原発の技術はアメリカ指導で作られたものであた国産ではないから事故が起きたともなる、管理がてきないものだったのである
そのことがわかったのは事故が起きたとき最初にスピーディ(放射線量探知機)のことを連絡したのはアメリカだったのである、日本ではお手あげであり助けを求めたのはアメリカだったのである、それだけ日本では原発を管理する能力もなかったことの証明だったのである、だから事故になって東電でも日本政府でも何もできなくなっていたのである
いづれにしろ何を判断材料にしていいかわからない、ただもしかしたら例えば自民公明が一体なら創価の票が自民に投じられるなら門馬氏が勝利するとなるからこういうとき自民は創価に頼りがいあるとなるのか?
ただ最近公明も自民と協力しないと分裂の危機にもなっている、ただ地方の選挙でも一定数の票を操作できることはこういう接戦になると強みだと思った
第一浮動票はあてにならないのである、気まぐれなのである
自分自身でもそうである、右でも左でもない何かの組織に属しているわけでもないから
気まぐれであり選挙で票を得たい方になれば頼りにならないということがわかる
何かその人は前から桜井市長のことを悪く言う、鹿島区の人も桜井市長のことを悪く言う人が多いというがこれも根拠が良くわからないのである
政治はその人の人格などあまり関係ないように見える
要するに政治とは公正な利益の配分が第一である、それで必ずもめているからである
そうしたら南相馬市としてみんな一体となり協力しえないとなるからだ
ただ完全に公正に平等に利益を半分することは不可能である
得する人と損する人が必ずある、その調整が政治なのだと見る
この図で見ると人口7万から2040年に4万くらいになる、3万減る
80才以上が一番増える、それは今の70代とかが団塊の世代が80以上になってゆくからである、その後も65歳以上の高齢者が増えてゆくのである
そして子供と若い世代が40以下とかが本当に少ないのである
だから将来の人口構成は80才以上が一番多く下の世代を圧迫する
でもさらに2040年から何十年とかすぎると老人は少なくなり全体の人口も半分くらいになるかもしれない、
これは南相馬市で原発事故で極端化したが全国でそうなのである
夕張市とかはもう自治体として維持できないようになっているし室蘭市の人口が18万から8万以下になったのは驚いた、鉄鋼工場がなくなり働く場所を喪失してそうなった
日本が縮んでゆくことの衝撃である
老朽化したインフラの水道管とかでも修理に費用がかかる、それも負担できないとかなるつまり今までも自治体のインフラであれサービスも維持できなくなる
ゴミを処理するのにも市民が金を払うとかなる、様々な負担が増えるのである
生活保護にしても最低限もらえない、食べることもできない状態になっている
物価高があがりそうなっている、でも市では知っていても援助しないのである
その余裕がなくなっているのだ、それは全国でそうなる
老人になったら生活保護になればいいとういが最低限の保証すらできない状態になるしなっているのである、コロナウィルスでも生活保護が増えたのは65才以上の老人なのである
これから日本が縮(ちぢ)んでゆく衝撃がつづく、そして適正規模人口になって安定するとなる、膨大な耕作放棄地とか空家が2000万軒とかそういうことは東京でも起きてくる、人口が急激に減少してゆくからである
南相馬市でも7万から4万になる衝撃は大きい、いろいろな施設でも維持できなくなる
維持費がかかるるからだ、特に医療関係の人員が確保できない、グラフでも病床数は震災前の半分になっている
こういう状況になると南相馬市の未来とか何なのかとなる、小高とか避難区域はもう維持することがむずかしいともみる、それで小高から原町に移住した人が多い
また浪江とかからも復興住宅に移住している、そしてその原発避難区域は復興できるように見えないのである、また飯館村でもそうである、とても復興できると見えないのである取り残されたの老人ばかりであり若い人は流出したとなるからだ
まるで姥捨て山のようになったともみる
もしかしたら老人は故郷に愛着があるからそこで骨をその土地に埋めるというのもいい
でも奇妙だがその跡継ぎが供養する人もいないとなるとその土地に死んでも浮かばれないともなる、なぜなら死者でもやはり生者とつながって生き続けるからである
死者だけになるとそこは幽霊がさまようまさにゴーストタウンになるのである
お参りされない神社とか供養もされない墓かとが捨てられてそれも一段と寂しいものとなる、やがて幽鬼ともなり彷徨う死の町や村になる
一旦人が住むとそこは自然にもどるわけではないのである、死んだ人の霊というか行き場がなく彷徨うともなるのである
それがなくなると死者も笑わないし幽鬼と化してゆく、浮かばれない幽鬼となり彷徨うとなる、それが町とか村全体で起きたのがこの辺なのである
だからまるで現実とは思えない、映画のようにも思えたがこれが現実だったのである
震災から十一年過ぎてもやはり同じなのである、原発避難区域は復興してないのである
グラフでも農業自体に従事する人も60才以上であり若い人は極端に少ないから維持できるのかとなる、農業は労力がかかる、機械化してもかかる、その割には収入が少ないからこれまでもやめる人が多かったのである
だから原発事故の周辺地域は元の相馬藩内となるが復興していないのである
それをこれからどうするのか、市長選挙で問われるてもそれに答えられるのか?
それは市民全体の問題として継続されているのがこの辺なのである
2021年12月26日
南相馬市の地産地消のソーラー発電風力発電の取材 (そのデメリットもあることは伝えなかった)
飯舘村のメガソーラーに直撃雷!? 接続箱2つで火災(page 4)
落雷の直撃により、33枚もの太陽光パネルが損傷したメガソーラー(大規模太陽光発電所)がある。空に向かってタワー(支柱)やブレード(羽根)の伸びる風力発電設備は、国内に導入以来、落雷被害に苦しんできた。一方、野立てのメガソーラーに直接、雷が落ちることはほとんどない、と思われてきた。だが、必ずしもそうではない。
https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/feature/15/302961/021400042/?ST=msb&P=2
事業用太陽光発電所に対し太陽光パネル1m2当たり50円を課税する「太陽光パネル税」の導入に現実味が出てきた。屋根上を除いた連系出力10kW以上の野立て太陽光に課税するもので、岡山県美作市が法定外目的税として新設を目指し、今年3月に条例案を議会に提出した。
https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00007/00043/?ST=msb
春先に薪ストーブに入る長さに
(当然だが、それぞれの薪ストーブで燃やせる薪の最大長さがある!)
チェーンソーで玉切りし、
斧や薪割機で割って、
日当たりがよくて風通しのいい、
雨のかからない場所に積んで
半年以上乾燥させないといけない。
家を建ててから気づくことF・・・薪ストーブは本当に手間がかかる!
https://www.kasahara-net.jp/blog/awareness/entry-83.html
前桜井市長がyoutubeに出て南相馬市の電力について語っていた
南相馬市は原発事故後にソーラーパネルとか風力発電に力を入れて来たからだ
意外だったのは東京にソーラーパネルの電力を送っていたことである
地元ではなく東京なのかとなる、あとは東北電力に送っているがそれも地元ではない
東北全域で使うとなっている
この地産地消のエネルギーでも問題がある、私が一番気にしているのは景観を悪くすることである、それを一番感じたのは宇多川上流の山がまるごとソーラーパネルになったことである、あれは危険でもある、人家がないにしろ水の保水能力がなくなり下流の相馬市にも影響する、現実に相馬市内全域が水害になった、水浸しになったからである
宇多川の堤防が一部決壊もしたから被害が大きく広がったのである
また飯館村で落雷があり被害があった、それから取材した右田でも掘りから水があふれ水没したのである、もともとそこは低い場所で水が集まる場所だったからである
津浪でも塩崎の方まで水がおしよせたことでもわかる、低湿地帯だったのである
そのことを語っていた、ただ熱海のような場所と違って回りに人家もなくなったので安全だとパいえる、人家がないと環境が悪くなっても文句を言う人がいなくなるのである
もし人家があったら風力発電もうるさいとかなる
そこに人家がなくなることの危険がある、飯館村とかでも人が住んでいてももう全体で一二割とかしか住まないとなると村でも景観が悪くなったからとか文句言う人もいなくなるのである、そして放射性廃棄物の処理場にされる
そして南相馬市にその放射性物質が入ったフレコンバックが破れて川に流れそれが南相馬市に流れて来るのである
つまり人が住まないということは現代では自然にもどることではない、国でもなんでも勝手にされてしまう、人が住んでいれば環境でも配慮するから反対するこになるが反対する人もいないか危険なもので勝手にされるのである
そして危険が回りに及ぶのである、だから飯館村の村議会選挙で南相馬市とは関係ないから口出すなと応援する人に言われたことが納得できないのである
もう飯館村は自治体として自立してやっていけないとも見るからだ
現実に南相馬市と合併するほかないという女性もいたからその人は現状を理解していたとなる
川俣村では前と同じように住んでいるから飯館村で風力発電を作ったら景観が悪くなると反対したからである、そこに前と同じように人が住んでいるからである
つまり人が住まなくなるとそこは自然に還るけでもない、かえっていろいろな問題が起きてくるのである、だから意外とそれが周りにも影響する、だから飯館村の問題は回りの市町村の問題にもなるから問題なのである
第一原発事故ではトリチウムとか海に流すことで世界から海を汚すなと批判されたことでもそうである、環境破壊は一地域の問題ではない、世界の問題になっているからだ
そのために二酸化炭素を出すなとか接続可能な社会を作るということに世界でなったのである
このyoutubeで南相馬市では薪を使う家が増えたと言っていたがこの薪を燃料にすることはとんでない労力がかかり手間になるのだ
それは石油を自動で入れないで手でいちいち押して入れていたことでわかった
これがめんどうで手間だったのである、その労力は馬鹿にできない、今は何でも機械でして電化しているから一人暮らしもできる
もう昔のように炭とか使っていたらこれも手間である、その手間を考慮したら今は簡単にできない、覚悟が必要だというのもわかる
子供の時は自分は風呂炊きが仕事だった、それも電気ではないからガスでもないから
紙くずとか残った木材の切れ端を無料でもらって炊いていたのである
つまり家事は本当に労力がかかっていた、だからそういう時代にもどることは簡単にできない、今はなんでも便利になっているし余った労力は別な方にまわす
コンピュター化してAI化しているからである
確かに地産地消は必要である、何か日立て小型の原子力発電の装置をカナダから受注したとか聞いた、この小型原子力発電は事故になっても軽くすむからいいとされていた
福島原発となると余りにも巨大すぎたからその巨大さによって甚大な被害になった
故郷に住めなくなったのである
でも再生可能な自然エネルギーでまかなうことも厳しいものがある、だから原発も20パーセントは維持しようとしている、これも大きな問題である
日本では風土的に原発とかでもソーラーパネルでもあっていない、地震はあるし津波もあったしソーラーパネルでも広い土地がないことが問題なのである
中国でもアメリカでも無限の土地がある、平坦な土地がいくらでもあるのとは違っているだから丸森の山ごとソーラーパネルにした、それで保水能力が消失して人家がなくても
宇多川が増水して水害になることがありうる
最大の問題はFITてあり20年間高く電力を買い取られることである
でもそれも後十年くらいでありあとはそうはならない、これだって税金だから金がかかっている、その分上乗せられて税金としてとられているのである
なんかこのyoutubeではメリットは語られていてもデメリットはそれほど語られていなかった
何事メリットとデメリットがある、放送は必ず一方的になる、自分自身でも偏るからである、ただ地元で原発事故にあったことで関心を持つようになったのである
おそらくこの主催者は左寄りの人だろう、前市長の桜井氏も左寄りであり原発反対で市長選挙で訴えたが小差で敗れた、だから何か偏っている
今度来年の一月に南相馬市長選挙がある
今の現市長の渡辺氏が東北政経で相馬市の市長の手下のようになっているとか批判されて問題になった、その記事が意外と影響するかもしれない、かなりのマイナスになるからだただ東北政経というのも相双リテックの宣伝をのせていたからそもそもこうした地域の雑誌でも偏っているのである
結局地域の雑誌とか資金がないからそうなる
でもこのyoutubeとかのテレビ放送は金がかからない、でも取材となると結構めんどうになる、とても一人ではできない、でも資金はそれほどかからない、だからこうして個人局でもyoutubeで放送しているのである
私でもプログでも手間なのだけど放送できる、だから一人でしている
家事も全部して放送しているのである、それだけ通信が発達した結果できるようになったのは大きい、今までにはないものが次々に放送されて読まれる
それによっていろいろな見方が生まれる、第一地方のことは全国放送ではしにくい
地方地方にはそれぞれの事情がある、南相馬市内でも違っている
福島県ならハマ、ナカ、アイヅとなり風土も歴史も違っている、それを知ることはなかなかできない、だから南相馬市と相馬市とかでもいろいろ放送するものがあるとなる
それで毎日こうして自分もプログで書いているのである、こういうことがかなり変わったことである、こうして自分なりの意見でも書くことができるからだ
すると一方的な見方にはならないのである
ただ来月の南相馬市長選挙の情報は不足している、争点もまたわからない
原発反対だけでは決められない、第一みんなこの辺では事故で反対が多いからである
それは当然でありそれに代わる何か政策とかを打ち出さないと判断しにくいとなる
2021年12月19日
原発事故と酷似していた十津川警部の推理ドラマ (原発が産業廃棄物会社となっていたー大企業の下請け会社問題)
原発事故と酷似していた十津川警部の推理ドラマ
(原発が産業廃棄物会社となっていたー大企業の下請け会社問題)

今日見た推理ドラマの十津川刑事出演の構図は原発事故と同じだった
原発が産業廃棄物となっていた
大企業がその産業廃棄物場を青森の各地請負仕事していた
そこに政治家がかかわり大企業がかかわり広告会社がかかわり下請け会社がかかわる
そこに悪の権力の構図ができあがる
このドラマで一番印象的だったのは下請会社の人である
「私らは小さな会社です、大企業から仕事をもらえないとつぶれししまうんです」
この言葉切実だったのである、これは東電で働いていた電気関係者が事故の時千人とかいたと働いている人に聞いたからである
また親戚でもないが東電の下請けで会社を経営している人もいたからである
また東電に逆らうと仕事をもらえないとか言う下請けの会社がいる
東電に文句があっても何も言えないという人もいた
配管など老朽化して危険なことを知っていても東電には何も言えないと言っていた
つまり大企業の東電の権力は絶大なものだったのである
それは自治体とかを越える権力であった
自治体に命令できる権力だった
産業廃棄物の反対運動している人もこのドラマでいた、弁護士まで雇い戦っていた
でも下請け会社の人に殺されたのである
これも何かこの辺でもありえたと思う
まずその権力と金は利権は信じられないほど大きなものだったからだ
それは除染費用で6兆円も国の金がでたとかそれが大企業が請け負って下請けでも請け負った
それでたいして技術もないのに相双リテックなどに何十億の金が入り幹部が山分けしていたのである、みんなその原発マネーに狂ってしまったのである
だから反対などできなかった、漁業組合の利権も大きかった
そういう土建業者とか漁業関係者とか農業関係者の農協とかは力をもっている
票田でもあった、利権を得る共同体なのである
その人たちは結構怖い面がある、その利権団体を批判したら本当にこのドラマのように殺人までなっていた、下請け会社ではドラマでは反対同盟の人を殺したからである
この辺でも事故前に原発に反対していたら住めなくなるだけではない、村八分にもされ
殺されまでなっていたかもしれない、人間の欲は抑えられない、危険は無視される
つまり
「俺たちの会社が大企業から仕事をもらえないとつぶれるんだ」
こう言っているのが切実だったのである、それは東電の下請け会社が多く東電の城下町のようになっていた浪江とか双葉とか大熊町とかではそうなっていた
まず東電がなかったらその自治体自体が財政でも成り立たなくなっていた
勤め先とかでもそうであり町全体にしても原発マネーが回っていたからである
だから小高に東北電力の原発も工事が始まる時建築関係者は喜んでいたのである
でもそれはもうここだと20キロ内になっていたから怖いことだった
そもそも自分は原発のことを知らないし関心がなかったのである
30キロ離れているから関係ないと見ていたのである
ただ専門家は東電内で働く人たちは危険を感じていたが東電の権力と国の権力でおさえられていたのである
そして地元でも建築土木会社に関係で仕事している人が多いから自分たちの生活がかかるから簡単に反対できないのである
地方では権力を持つのはそうした人達でありあと医者など医療関係者も持っている
ただ東電とか大企業になるとそれはもう自治体を支配するまでなっていた巨大権力だったのである
広告の仕事をしていた女性の人は国会議員に世話になっていたからその殺人にも加担したのである
人間は金に困ると借金したりするとモラルが消失して悪に加担するのは推理ドラマの定番である
もう毎月電気水道ガスがとめられるとなれば金が欲しいしかない、その金の出どころなどどうでもいいとなる、それが人間なのである、追い詰められ人間はモラルが消失する
犯罪になる歯止がかからなくなるのである
この構図にいるトップが東電であり県であり国だった
渡部恒三はトップの政治家であり原発をもちあげていた、そして息子はアメリカの原子力会社のGEの社員になっていたのである
その渡部恒三でも持ちあげていたのは政経東北であった
福島県のマスコミは報道関係は例えば福島民報とは政府の県の広報機関なのである
なぜなら県が50パーセント出資して成り立っているからである
だから原発の危険など報道しないのである
原発は国家権力が働いているから逆らうことはできない、国家の命令が県に下り県では自治体に命令するのである、そのために地元に飴を与える、金を与えるのである
それで地元も完全にとりこめたのである
そうなるともう誰も反対できないとなる
今でこそ原発を批判するがこうして国家権力で「安全神話」を作られた時もう逆らうことはできない、それは戦争の時と同じである、反対者は特高がきて警察に逮捕される
なぜなら検察と警察も国家権力だからである、戦争でも国家権力が実行したものであり
従わなければ検察と警察がかかわり逮捕されるのである
マスコミでも政府の県の広報機関であり「安全神話」に加担していたのである
このドラマは本当に生々しいリアルなものだった、それは本当に現実を反映したものだったのである、こういうことなのかとわかりやすかったのである
私自身が今原発事故のことでいろいろ追求しているけどまず事故前だったら怖いことになった、殺されることだってありえたとこのドラマを見て感じたのである
つまり下請け会社にしてみれば生活がかかっているからそうなったのである
ここでも同じ事が起きても不思議ではなかった
その後も原発事故の補償問題で南相馬市とか飯館村では分断された
その額がまた大きかったからである
ただ自分が原発事故のことを追求できたのは小高と原町区は鹿島区より三倍もらっているし医療費と高速料金が十年も無料だった、そして医療費無料が一年伸びたのである
ただ鹿島区も高速料金が無料にはなったのである
ただその差も大きいものだったのである、ただこれは相馬市とかも別に放射線量など同じでありそれで6万もらって終わりとかなっていた不満だったのである
ただ私の住んでいる場所は一人70万もらった、相馬市は六万しかもらっていないのである、原町区は三倍もらっている、医療費無料とかでも差別された
そのために生活保護でも医療費でも一部金がかかり国民年金をわずかでももらっていると最低限すらもらいないのかもしれない、4万くらいもらってどうして生活できるのかとなる
これはここだけではなきい、ロスジェネ世代はもう生活保護すらもらえない、もらっても雀の涙ということを示唆しているのである
ともかく人間は利権と利益には敏感でありそのために争う、またその目の前の利益のためにモラルも消失する、危険も返りみなくなるのである
この辺ではそれが他より強かったともなる
こういう状態ではもう何も反対はできなかった、反対運動している人達もいなかったからである、左の人達でもしていなかったのである
それで新潟県の小さな巻町でどうして反対して原発を作らせなかったのか不思議なのである、そこには新潟日報などが応援していたのである
これは本当に稀なことだったのである
金をもらいば何でも危険なものでも容認する、それが人間である
それに逆らうものは殺されるとまでなるから金は怖い
でも金をもらうことは必ずやはり責任がつきまとっているのである
金をもらったことは許可したことでありそのことで起きることの責任が生じていたのである
だから原発事故でこれだけの被害にあっても東電とか国家にも何か批判できないとしているのである、それは金をもらったからだとなる
「あなたたちに金をやりました、十分な金をやりました、だから批判しないで下さいよ」
こうなっていたとなる、ただ人間は目の前の利益だけを権利だけを見るのである
私だって原町区のように三倍の補償金をもらっていたら何も言えないのである
あなたは補償金それだけ受け取りましたから何も言わないで下さいとなるからだ
ただ南相馬市内で公平でなかったとして批判しているのである
この構図は何か共通している、どこでもあうりうることである、それは権力とはどういうものかをわかりやすく示しているからだ
権力の恐ろしさをわかりやすくドラマ化しているからである
ただ江戸時代の悪代官のように単純ではないから簡単には理解できないのである
2021年12月05日
南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う (小高に住んでいる女性である)
南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う
(小高に住んでいる女性である)
Tシャッツを飾っているので何だろうと思った
清掃のボランティアだった、海をきれいにしている人達だった
その女性は秋田からきて仙台市にも住んで小高に今住んでいる
地元のことに詳しいから結構長くいるとなる
まだボランティアがいるということだがあまりに関心がなくなっている
一時はボランティアに来ても帰ってゆく人も多いという、やはりなじめないのでそうなる何か地元でも関心がなくなる、外部からでも十年過ぎると関心がなくなる
何かその女性は積極的であり秋田から来た東北人にも思えない
それで語尾にんだといっていたのは何故だろうと思ったら秋田弁でンダスと語尾の発音になる
このンダというのは東北弁で共通なのである
ところが仙台弁だけはちがう、だっちゃだっちゃになる、だからもともと伊達藩の仙台圏は東北でも異質の場所なのである
ただ丸森の人はんだちゃといったときんだにはこうしてバリエーションがあると思った
んだーだっちゃが合成してんだちゃになったのである
方言は何か国の訛りというように面白いのである
とにかくどうしても震災から十年過ぎて十一年にもなると関心が相当に薄れる
何か私は景観にこだわる、景観のいい場所には行ってみたいとなる
小高とかはあまり景観に特徴がないのである、双葉とか大熊辺りでもそうである
飯館は別である、高原の別世界になっていたのである
丸森は阿武隈川あり蔵王が見えるとかであそこは景観に魅力がある
鹿島区だと意外と気づかないかもしれないが蔵王は鹿島区からも晴れた日にはっきり見えたのである、この辺では高い山が無いから蔵王を見れることで南相馬市では鹿島区がいい場所だとなる、原町区になると蔵王は見えないからである
ただ原町区の魅力は街の魅力であり景観ではないから別である
私の場合はこうして景観がいいというときその場所に何度でも行きたいとなる
浪江町だと高瀬川渓谷があるからあそこに行ってみたいとなる
でもあそこは避難区域になっていて行けないから残念である
ここのサーフィン場には飲み食いする場所がない、だから作ればいいと話したが商売として成り立たないとやっていけない、ただサーフィンに来る人はいる、外の人も来る
でも景観的には火力発電所とかありいいとはならないのである
それでも遊園地もあり休む場所が欲しいとはなる
2021年11月17日
自治体が財政破綻するとどうなるのか? (夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)
自治体が財政破綻するとどうなるのか?
(夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)
https://onl.tw/DytNuKx
財政破綻の恐怖を夕張を例にして具体的に説明しているからわかりやすい
部長とか率先してやめた、給料でも退職金でもたいしてもらえなくる、もう生活していけない状態になる、するとサービスする消防隊員でも減り救急車すら一台となり隊員もいなくなり命にかかわってくる
病院でも看護師も医者でも雇えなくなる、給料が払えないからである
すると第一公務員もやめるのだから一般の人も流出してゆく
その原因が税金が何倍も高くなるのだから住んでいられなくなるのだ
そして人口が激減してゴーストタウンのようになる
残されたのは老人だけになった
そしてもう自治体は自治は成り立たなくなり国の管理下に入り何もできなくなったという
これは原発事故周辺ともにている、南相馬市は一部であるが飯館村とか浪江とか双葉とか大熊とかは自治体全体がこのうよな状態になった、自治体が崩壊したのである
住民から税金もとれないし公務員に給料も払えない、これは会社が倒産したと同じである様々なサービスが受けているがそれが受けられなくなる
原発事故周辺はこれと似ているのである、ただ違うのは国から手厚い援助がありそれで持っている、飯館村などは80億円とか支援があったとか多額の補償金をもらった
でもそれも継続はしない、一時的なものとして消える
だから人も流出した、子供もいない、立派な学校を建てても外から通うだけだからである
もう飯館村の住人自体が言っているように飯館村がなくなるというとき何か夕張と似ている、ただ別に公務員には給料は支払われているし財政破綻は今はしていない、国からの援助があるからだ、でもいづれ継続できなくなる
住民は流出して子供もいない、自治体という時自治があるから自治体なのである
でも自治体も自ら自治ができないとき国の管理下に入る、すると自治はなくなり国の思うようにされる、例えば放射性物質の置き場だとか核処理場とかにされる
もう自治する住民がいないから反対する人達もいなくなるからだ
何か不思議なのは空家が増大していることである、自分の回りでも隣が空家になったとか最近一人死んで空家になったとか近くにもいい家があり庭があったがそこも長い間空家になっていたのだ、だからもったいなと思って見た
そして空家になると奇妙なのだけどそこに持ち主がいないから勝手に入る人が出て来る
それが自分でもあった、隠されたようにあった家に入ったら立派な庭があったからだ
別に見るだけならとがめる人もいないのである
不法侵入になるとしても空家になると誰もいないということで勝手に入る人がでてくるのである
まず浪江でも小高でも双葉でも飯館村でも空家だらけなのである
そんな市町村が成り立つのかと理屈ではなく感覚的にそう思うのである
廃墟の町とか村が成り立つのかとなる、つまり自治体が崩壊するということがこの辺で現実に起きているのだ、ただ国からの援助がありそれで今は持っている
でもやがて援助もなくなるとどうなるのか、夕張のように国の管理下に入りもう自治体の住民自体では何もできなくなる、そこで国の言いなりになるほかなくなるのである
自治体の自治がまさになくなる、自治体の住民がいなくなればそうなるからだ
こういうことは自治体が財政破綻が起きる、それが夕張市に起きた
もともと炭鉱がありそれで栄えていた、それがなくなり衰退してそうなった
この辺では原発がありそれで栄えていたが事故になり衰退したのである
ただ南相馬市となると小高区の一部がそうなったが全体はなっていない
だから自治体は維持されているのである
でも財政援助は十年つづけられたがそれも打ち切られた
すると自治体の経営も苦しくなる、それで生活保護でも実際は年金をわずかもらっても後は医療費とか無料のようでもそれも必ず金をとられる、何か住宅を直しても無料ではないその人はもう生活保護でもそもそも生活できないのである
それはやはり自治体で生活保護をまともに支給できなくなっている
このことは氷河期世代になると深刻になる、もう生活保護はとても最低限の補償はされないのである、そんな金がないしできなくなるからだ、それも恐怖である
結局飯館村は確かに国とか東電とから援助があり今は成り立っている
でもそれも継続しない、老人ばかりの村になって継続しない、若い世代は流出したからである、夕張とかなると極端であり住んでいられないからである
この辺も極端なものとして住んでいられないから若い世代が流出したのである
南相馬市だと小高区は別に南相馬市だから原町区とかに移り住む人が多かったからである原町区だと病院でも買物でも何でも便利だからこの際移り住んだ方がいいとなってそうなった、残されたのは老人だけなのである
ともかく夕張市は炭鉱の市として栄えた、それがなくなったとき急激に衰退した
この辺は原発で栄えたがこれも事故で同じように回りの市町村が衰退した
何か経済でも特化したものに頼るとこうなりやすい、でも不思議なのはSDGs(継続可能社会)を盛んに言うけどそもそも縄文時代から飯館村でもその村があり今まで継続していたのである、人口の増減などがあっても村は継続されてきたのである
だから別に原発がなくても市町村が成り立たない、継続されないとういことはない
だから継続できないということはそれが最大の問題だったともなる
継続を第一にすれば価値とすればその方法はあるし現実に縄文時代から今まで継続して町でも村でも成り立っていたのである、
その継続が断たれることが最大の問題だったともなる
多少縮小しても継続はされていた、それが自治体自体が破綻して崩壊するということは何なのだろうとなる
継続することが第一だ
こういう価値観になれば別にこれまで縄文時代から継続して村でも成り立っていたのだからその目的でもって村は継続できるのである
でも不思議なのはもう車がないと電気がないと住んでいられない、継続できないとなるのも変なのである
継続ということを第一の価値とすれば別に継続して村でも町でも維持できるのである
もちろん現代となればその維持の仕方は違ってくる、でも市町村自体が無くなるということはありえないのである
なぜなら相馬藩で飢饉になったとき三分の一の人たちが流出した、でもその三分の一を埋めたのが越中などからの移民であった
その移民はいい土地ではない土地を得て開墾して住んだのである
その時代が農業で生活していたから土地を無料でもらえるとして移民が来たのである
その苦労も並大抵なものではなく加賀泣きとして伝えられている
でもこうして相馬藩は飢饉からも立ち直ったのである
これを比べるとなぜここだけではない、自治体が財政破綻して崩壊して継続できなくなるのか?縄文時代から継続していた村でも無くなるのかということである
車を使うな電気を使うなとかいうのではない、何らか自治体を維持できる方策があると思うから言っているのである、ただ最大の問題を自治体を継続させることだとしていないことになるのではないか?
それを第一として目的としてあればそのためにはどうするのかとなる、それを全体で協議するとか何か解決策を見出すとなる
ただ現代は個々に利益を求めるだけでありそうした全体としての志向がないということでそうなっているのか、つまり十津川村のように自然災害にあって村が壊滅的状態になって北海道に移住したとき村人が一致団結してできたからである
それは村がもともと強固な強固な共同体として機能していたからできた
今はそれがないから個々がばらばらになりかえって自治体を共同体を維持できなくなったともなる、そもそも農民共同体のようなものが喪失していたからである
だからこそ多額の補償金をもらったら即座に仙台市辺りまで移住したのである
別に農民社会でないから土地をもっていないから金さえあればどこに住んでもいいとなっているからそうなったともなる
そこで継続されなくなったのである、農民社会では土地が生産に不可欠だから移住しにくいからである
ともかく自治体の財政破綻は自治体の崩壊となりそれを具体的に示したのが夕張市だったのである、その悲惨はこの辺と似ているのである、ただこの辺はまだ補償金をもらっているから何とか維持できている、でも実質は小高区とか浪江とか双葉とか飯館村は崩壊しているのである,持続継続できなくなっているのである
災害の多発化・激甚化で空き家は新たな事態を引き起こす存在に。家をつくることしか考えてこなかったツケ 野澤千絵
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e4f81795a291be2a48ebb5470f374eba2025c81?page=3
こういうことも言える、家が建て過ぎてそれを引き継ぐ人がいなくなったいるのだ
それは墓でも引き継ぐ人がなく墓じまいするようになる
これも継続ということをないがしろにしためである、現代とは一代限りとかしか考えない未来に継続されることを考慮しない社会なのである
今良ければいいあとは野となれ山となれとなる社会である
だからエネルギーでも今使ってなくなってもいいやとなる
それでSDGs(持続可能目的化社会)が言われるようになったのである
目的が持続可能に置くということで悪、そのために一致協力することである
それぞれが勝手にしたら成立たないからである、持続できない継続できないで市町村でも崩壊するとういことにもなる、それが原発事故のこの辺の状況だったのである
2021年11月15日
権利と責任は一体(漁業権の問題など) (原発事故で問われた重大な責任)
権利と責任は一体(漁業権の問題など)
(原発事故で問われた重大な責任)
明治時代になったとき西洋の法律を取り入れた、しかしその訳でも日本にもともとないものを訳すとなると簡単にできなかったから誤解が生まれた
権利は権理と最初訳していたのである、これの方が正しかったのである
なぜなら権利を与えられるにはなにがしかの理由がありその理由があって権利が与えられているからだ
ところがこの権理が権利になりまさに利益を求める利を求めるだけになったのである
そこに権利が与えられた理由がリーズンがなくなったのである
とにかく権力を得て利益を得ればいいとなってしまったのである
それはあらゆることでそうなった
身近な所では相続でも兄弟姉妹で相続を等分する権利があるとなり長男に財産を特別に得ることはなくなった
でも長男は優遇されてもその家を受け継ぐ責任が課せられていたから特別遺産を受け継ぐ権利があったのである
長男は親の世話をみるとなったのもそのためである
それが等分に分けることは確かに兄弟に遺産を平等に分割するのだからいいように見えるしかしそうなると家を継いでも維持できなくなる、そのために遺産がないと金がないと
家や土地まで売らなければならないとなったりもめる
田畑をもって農業して生計したりしていると困ることになる
また家を持っていて都会辺りで土地を売るとなると困る
介護でも誰がするのかとなると今までなら長男が遺産を主に受け継ぐから責任がありそうなっていた、つまり権利には必ず何か権利を与えられる理由があり責任が課せられていたのである
何かこういうことはいくらでもある、とにかく人間は利益を得たいということでは共通している、権利を得て利益を得たいとして働いているともなる
だから地位を得たいとか上級人間になりかいとかなる
高級官僚が地位もあり金も入るということでうらやましがられる
でもその優遇される地位でも高給取りでも必ず責任が課せられているのである
しかしその責任が無視してまず権利を得る利権を得る、利益を得るとういことが先になる
原発事故ではその重い責任が問われたのである、でも誰も責任を果たしていないのである漁業組合が船主などが特に事故前も多額の補償金を得て原発御殿を建てていたとかうらやましがられていた
その時も漁業関係者は原発を建てて利権を得て利益を得ればいいとしか思っていなかったそこに重大な責任が課せられていたのである
つまり利権を得て利益を得て多額の補償金をもらったことが重い責任となっていたのである
政府でも東電でも
「私たちはあなた達に補償金を払います」
「では事故になってもあなたたちは文句を言わないようしてください」
「・・・・・・・・」
「それを了解してもらいますよ、そのために金を払うのですから」
「・・・・・・・」
本当はこういうことで金は払われていたのである、ところが漁業権というのは漁業組合に入っている船主とかが独占しているものであり港に住んでいる人でももらえなかったのである、その理由となると
〔あなたたちは漁業者はなぜそうした利権があり利益が得られるのか
漁業権は何のために与えられているのですか?」
「漁業資源の保護のためです」
こういうことで理由があって利権を得ていたのである、でも肝心の漁業資源の保護が原発事故でできなくなったのである
でも政府と東電にすれば
「あなたたちは漁業組合は海を汚されてもいいと了解しましたね、そのために事故前にすでに多額の補償金を払ったのですから・・・」
こう言われることにもなった、そして今度はトリチウムを海に流すという時もあなたたちは漁業権を私たちに売ったのです、そのために金をすでに払っているのです
文句は言えないでしょうとなる
もちろん事故後の補償金はさらに増やすし継続して補償しますから文句はないでしょう
こんなふうになったのである、もし漁業権を漁業組合だけでものにしないで自治体とかのものとして協議していたら別である
漁業組合は海は俺たちの物だから勝手にしていいのだとなっていたのである
つまり権利があり利権があり利益があるとなるがそこに重大な責任が課せられていたのである
資源保護を目的として権利が与えられていた!
その肝心の漁業の資源保護ができなくなったのである
だから権利は権理であり理由があって権利が与えられている、漁業組合に漁業権が与えられていたのは漁業するための資源保護のためだった、そうならば原発を建てるとき事故前にでも多額の補償金をもらうことはすでに海を汚してもかまわないですねという了解を契約をしたとまでなる
それは漁業組合で海は俺たち漁業者のものだと権利を主張して利権をえて利益を得るためにそうした、でもその権利には理由があり重い責任が課せられていたのである
ただこれはこの辺で具体的に起きたことでわかりやすいが他でもいくらでもこうしたことが起きている、なぜならまず利権であり利益だとなり他のことは責任でも無視されるのである
責任といえば東電に天下りした官僚たちも事故の責任があった
なぜなら多額の金を東電からもらっていたからである、それは自衛隊でも海上保安庁とか警察関係でも司法関係でも官僚が天下りして多額の金をもらっていたのである
その金をもらっていたことで重大な責任が課せられていたのである
安全を計ることに無関心ではいられなかったのである
だから天下りした官僚はその金を返還すべきだとなる、金をもらうことは必ず具体的な責任となっていたのである
でも実際は権利をもち利権を絵て利益になればいいしかないのである
弁護士でもただ相談するだけで百万とられたとかあり弁護士という資格をもっていて不正を働いたのである、弁護士という資格はそうして利権となるから利用したとなる
もちろんそれを相談した人も悪いとなるが死んでしまった
この人にも責任があったが死んだから問われない、ただ自分の家にも責任があったともなる、そんな金をなぜ払わなければならないか理由がないからである
だからなんらか金には常に責任が具体的なものとして課せられている
そして責任が自覚されないのである、それで後から原発事故のように責任が問われる
それで必ず何でも契約書には細かく責任をとらないことを記されている
「私たちはこういうことがあっても責任はとりません」と記されているのである
それは必ず後で責任問題になるからその責任をさけるために事細かに責任をとらない旨を記しているのである
本当に原発事故では天下りした政府関係者でも東電の幹部でも無罪を主張するとか全く
責任をとる人が一人もいなかったのである
でも人間は必ず責任を取らされる、戦争の結果として3百万人が死んだのである
責任をとらされたのである、一体のその責任は誰にあったのかとなる
あまりにも重い責任をとらされたのである
原発事故でも故郷に住めなくなる、貴重な自然と融合した飯館村でも住めなくなるとか重大な責任が生じていたのである
なぜそれが重大なものかというと飯館村でも縄文中期の遺跡が発見されたとか古いからである、つまりそういう古い時代から今日まで村は継続していたのである
最近盛んにSDGs(持続可能目的化社会)が言われるけどまさに縄文時代から継続してきた生活が村が失われることが最大の問題だったのである
村でも継続されることが第一なり
縄文時代から人が住んで生活していたのにできなくなる、このことは何を意味しているのか?その長い人間の歴史が失われることである
何であれ貧乏であれ継続される社会こそ重要だとなる
そういうことが燃料は炭であれ食料でも貧しくても縄文時代から継続していた歴史があったということである、その継続したものが根こそぎ原発事故で失われたとういことそれが人間にとって何を意味しているのか?
それがこの辺では問われたのである
とにかく今の社会は本来の目的からはずれたものとして利益のために何でも正当化されるのである
2021年10月31日
共同体の喪失が原発事故であからさまになった (日本国家の共同性も喪失すると国家も防衛できない)
共同体の喪失が原発事故であからさまになった
(日本国家の共同性も喪失すると国家も防衛できない)
私権私財を削って、公共に供託するどころか、逆に、公権力を用いて私利私欲を満たし、公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりがエスタブリッシュメントを形成している。「そういうことができる」ということが権力者なのだ、そのどこが悪い。文句があるなら、まず自分が権力者になってみろ
https://news.yahoo.co.jp/articles/db2511a35d07dc9b8465f838ae2e63ae3a1ac2ef
これには共感する、現代社会から公共性がなくなった、共同体もなくなった
何があるのかとなるともう目先の金しかないのである
人は金のために動く、その金がどういうものかなど考えない、金を得ればいいしかない
それは当然目先のことしか考えない、今金になればいいんだとしかないのである
共同体とかいうときそれは目先の利益で作られたものではない、長い年月で作られてきたものである
農民社会だと自然が相手だから長期的に見ないと生命も共同体も維持できない
木が成長するのに50年かかるとすると果実を受け取るのは次の代なのである
実際に果実を受け取れるのは常に親の代ではなく子供の代である
第一富が貯えられるには一代では無理だからである
家と土地を得るこめに一代目は費やされるがそれを受け継ぐ子供の代だと楽になる
だから農家の家に生まれれば土地もありノウハウも受け継ぐことができるから楽なのである、そもそも農業は何もないところから始めるとしたらその苦労は並大抵ものではない
個人的にはそうなるから共同会社のようなものに入り勤めるのがいいとなる
現代社会には公共性とか国家とかの共同性がない、金を得るために個々人があり共同体はなくなった、それが如実に現れたのが原発事故で避難区域になった町や村である
目先の補償金をもらうことしかなく町や村を維持するとかはなかった
だからいち早く町を見捨てて移住した人たちが多い
もうこんな場所にいられないとしてそうなったのである
そもそも原発を誘致したのは長い目で見てない、今金になるということで誘致したから危険も無視したのである
だから村や町はもう古代から長く地方でもつづいている、それが一挙に簡単に崩壊してゴーストタウンにビレッジになったことに驚いた
もちろん放射線被害があるからやむえないなということはあった
住んでいられないということもあった、でもそれだけで町や村が崩壊するのかとなる
不思議なのは戦後の焼け野原からでも日本は復興したからである
何も無くなっても復興したからである、だから放射線の被害があったとしてもそれだけで簡単に崩壊して無人化することに驚いたのである
もう町や村でも共同体はなくなり一時的なつながりしかないものになっていた
第一農業でも漁業でも林業でも携わる人は一割にも満たないとかなっていたからである
自然に依拠する仕事は長い年月つづいていた、それは自然に依拠するから商業とか工業とかとは違うからである、でもその前に農業でも漁業でも林業でも日本では衰退産業となり跡継ぎがないとなっていたのである、金にならないとしてそうなった
林業はグロ−バル化で外材を輸入して日本の森は豊富なのに利用されなくなっていたのである
それが原発事故となり一挙に崩壊したのである
だからすでに原発事故前から第一次産業は崩壊していたのである、原発事故はただその契機となっただけだともみる
そうして事故のあとは補償金を得ることしかなくなった
自分の家の前の海も権利があるとして補償金を要求していたのである
私道であれなんであれ補償金をもらうために主張したのである
漁業権をもっている船主や漁業組合は特に権利が大きいから原発事故前から多額の補償金をもらっていた、そして原発御殿が建っていてうらましがられていた
そこがまた津波の被害が一番大きいものとなった、村自体消滅したからである
それも何のだろうとなる、何か罰だったのかとも見てしまう
自然の恵みに感謝することもなくただ自然をむさぼるというのが現代社会である
まず漁師でも海で魚をとれることに感謝している人はいない、一匹の魚に感謝している人もいないし農民でも一粒の米をとれることに感謝している人もいない
ただ金にならないということで嘆いているだけだったのである
それは別に漁師とか農民だけではない、それを買って食べる人も一匹の魚に感謝したり
一粒の米に感謝して食べている人はいない、ただ値段をみているだけであり結局だから金が欲しい金があればいいということになっていた
そういうことがもしかしたら津波ともなり自然から復讐された災いがもたらされたのかもしれないともなる
そもそも日本の祭りでも外国でも自然に感謝するということがあった
それが資本主義社会とかグロ−バル化経済になると消失した、すべては金で買えるからそうなった、かえって貧乏な時に自然に感謝していたのである
またそうした祭りがあることで農民共同体でも漁民共同体でも山林共同体でもありえたのである、それはどうしても自然と共存しないと生きていけないからそうなったのである
商業や工業社会になるとどうしても自然と分離してゆくから自然とは何かわからなくなったのである
いづれにしろ公共というときそれは自然は公有のものであり公共のものである
海でも山林でもそうである、土地は実際は公共であり公有のものであり私有のものとしてありえなかった、だから過度に明治以降私有を認めた結果として入会権として共有していた山は無数の私有地として分割された、結果として公共事業するにも私有に分割されて今や誰の所有もわからず公共事業もできなくなった
つまり公共性が消失した社会になったのである
だから古代から継続された村でも町でも簡単に崩壊したともなる
公共的なものとして市町村があるわけではない、公共のものとしてあるわけでもないみんみんな私有としてあるから家の前の海が俺のものだから補償金を払えとなったのである
そしてプライベイトというとき奪うという意味でありまさに私的に奪うものとして土地でもなんでもあったとなる、そこに公共性は喪失していたのである
だからこそ公共としてある市町村でも簡単に解体してしまうとなる
津浪以降盛んに絆が言われたがそれは絆が失われた時代だからそれが言われたのである
この辺ではボランティアが絶えず来ていて外部との絆が生まれた
でも内部では補償金で分断されていたのである
ともかく現代社会は個々人が金を求めてアトム化原子化した社会であり共同体は喪失していたともなる、だからこんなに簡単に町や村が崩壊して消失することになった
もちろん放射線被害のためだともなるがそれだけでこんなに簡単に町や村が崩壊解体するのだろうかという疑問があった
一家族ならありえても町や村までは簡単に崩壊して解体されることに驚いたのである
ただそれはここだけではない、全体的に国家的に世界的にもそうなっている
だから何かの契機で簡単に市町村でも崩壊してしまうのかともみる
絆とかなくなっているからだ、みんな求めるのは目先の金だけの社会である
それは田舎でも同じである、田舎は農民共同体であったが今は一割にも満たないからである、ほとんど会社員になっているからである
日本が衰退するというときこうした公共性がなくなったとかから見る人は少ない
技術競争に後れをとったからだとかなるのが一般的である
でも日本社会の構造の大変化がありそれが衰退の要因だとはみない
つまり日本の共同体の崩壊がありそうなったとはみない
そこにはもう日本国家共同体というものもない、だから常に国際性ある金持ちの人は
ひろゆきとかは日本を脱出する準備をしろとか金持ちは日本を出ることを考える
それは中国の富裕層でもそうである、中国となると常に政変があり既得権を失うからそうなる、日本ではあまりそういうことがなかったがグロ−バル化して同じようになった
でも日本ではそうして外国に移住するこということがあまり経験していなから躊躇するのである、ただグロ−バル化するということは市町村だけてはない、日本自体の公共性でも共同性もなくなるのだからそうなりやすい社会だとなる
実際に今田舎に住んでいる人でも一億円やるからとなるとかえって都会に出るとなるだろう、東北だと仙台市に住みたいという人が多い、それで補償金で仙台市に移住して成功した人もいることでもわかる、つまり共同体とかは関係なく金さえあればいいとなる
そういう社会は金融を生業としてユダヤ人とも似ている
なぜならユダヤ人は常に国家にいても土地をもてないとか共同体から除外されたからそうなったのである、それで国家をもちたいとなりイスラエルが建国されたからである
いづれにしろなぜ日本がこれほど貧乏になり衰退してゆくのか?
その理由は必ずしも技術開発に遅れたということだけではない指摘には共感する
そもそも日本国家として共同性すら喪失してしまった板ということである
逆に戦争の時は過重に日本国家の共同性が主張されていたのである
だからそれをなつかむ人さえ戦後はいたとなる、でも戦後社会は日本国家としての共同性すらなくなるとどうなるのか?
この辺で原発事故で簡単に町村が崩壊して解体したようにもなる
金が第一とするから金にならないから日本にいてもしょうがいなとなり外国に脱出する準備をしておけとかなる、日本がなんてどうなってもいいとまでなる
そうしたらもう日本国家も維持できなくなる、つまりすでに内部で共同体は喪失しているから維持もできないとなるからだ、それこそ国家の危機であり経済の衰退どころではないこれから日本国家が消失するという危機にもっないる、すでに内部でそうなっているのだから外部からの攻撃に弱いとなるのである
何かこれは右翼的でありそんなことは古いともなるがそこにこの辺のように町村が簡単に解体してしまう危機がある、それはそうなってみないと理解できないのである
日本国家自体が解体する危機になる、それが外国から中国などから攻められた時そうなる日本国家としての共同性もなくなっていればそうなる
逆に戦争の時は日本国家の共同性が過度に強調されたのである
それで日本隅々まで戦争のために神社に戦勝を祈っていたのである
そういうふうに極端な反する状態があり戦前と戦後ではそこが根本的に違った社会になったのである、防衛力にしてもそれか技術的な問題としてあるのではない
日本国家共同体の絆がなくなればもう日本を防衛するという気力も精神力もないとなる
だから平家と源氏の争いで鎌倉が公家についた平家と戦い勝ったのは鎌倉の武士には主従関係が強固だから勝ったと分析するのもわかる
ローマが衰退してゲルマンが優勢になったのも人間の強固な主従関係があったからだとしている
意外と日本の軍隊にはこの主従関係の強固さがなかったから敗れたという分析もある
上官と下士官の結びつきが主従関係が弱かったとしている
その関係は一朝一夕には作れない、武士の主従関係はその土地に根付いて何代か経て作られたものだからである、だから人間関係てもそうした強い絆を作るには時間がかる
旧家でもそこの召使がいたとしても使用人がいたとしても主人との信頼関係を作るには時間がかかる、だから使用人でも同じ家に十年勤めていたら信用できるとなるのである
ともかく人間が信頼し合うには簡単にできない、時間がかかるのである
2021年10月25日
農業でも漁業でも衰退して原発が作られた (親は農業でも漁業でも苦労が多いから継がせたくなかった)
農業でも漁業でも衰退して原発が作られた
(親は農業でも漁業でも苦労が多いから継がせたくなかった)
NHKの伊勢海老をとる漁師の放送をしていた、なぜ漁師になったかというと前は別な仕事をしていたのである、ところが交通事故で複雑骨折とかして仕事ができなくなった
それで親が漁師をしていたのでなった、そしたらまた仕事中に目を汚して片目が見えなくなった
何か不運のようでまず交通事故になる人は多い、そこで怪我してそれが尾をひく
一番ケガしやすいのが交通事故なのである、また結構何か仕事で事故になる
その人も結構厳しい人生となったのである
でも親が漁のことをいろいろ教えた、それでやっていけた、すると親子のつながりは強くなる、でも漁師には親はしたちないというとき仕事の辛さと危険を体で知っているから
子供にはやらせたくないとなる、そうして漁師でも継ぐ人は減ったとなる
何か親は自分の仕事を継がせたくないという時、仕事の辛さとか危険を体験しているからそうなる
農業でもやるなとして親に殴られたという話を聞いた、その人は建築現場や原発で働くようになったのである
これも農業は苦労が多く金にもならないとしてそうなったのである
ただそういうことがこの辺では原発事故で大きな問題になった
船主とか漁業組合は漁業権をもっているからそれで事故前も補償金をもらい原発御殿が建っていたとか批判されるようになった
鹿島と原町区にある火力発電所でもそうである
そこの漁師では二回も補償金をもらっていたのである、そのために高価な着物が売れたとかまた航空運賃が馬鹿高い時にヨ−ロッパ旅行していたのである
その頃航空運賃が50万くらいしていたからである
海外旅行の費用は50万円程度、現在[いつ?]の換算で300万円前後か)で、一部の富裕層に限られており、庶民には夢であった
こういうことがすでにこんな田舎でできていたことに驚いた、それだけ二回も補償金が火力発電所建設と原発で船主とか漁業組合に入っていたのである
ということはさほど魚がとれなくても十分に豊かに暮らせる金をもらっていたとなる
おそらく魚をとるだけではやはり農業と同じように金にはならなかったから漁師でも跡を継がないとかつづかないとなっていたろう
実際に松川浦の漁師は魚がとれなくて売れなくて困るとかネットで報告していたからである、でも今振り返るとそういうことはなかったのである
つまり魚がとれなくても補償金で十分に暮らせていたのである
いづれにしろ農業とか漁業とか林業は衰退産業でありそれも苦労が多いし危険だから後継者もいないとなる、ただ全部ではなく一部ではもうけている人達もいる
全般的には後継者がいないとか衰退産業であった
でももともとは農業でも漁業でも林業でも主産業だったのである、農業だと養蚕農家が多く生糸が輸出産業となっていたのである
だから別にそういう時代は漁師でも生活していたし後継者もいたのである
辛いとか危険でもそうして生活するほかないからである
ただ時代が変わってそうなったのである、とにかくそうしたことで原発が金になるからいいとなって積極的に誘致された、原発は金のなる木だった
その労働にしても放射線被害があるから何分か中に入って働き休むとか何か重労働でもないみたいだった、それより普通の三倍もの金になっていたのである
そのために飯館村の人も働いていたのである、それだけの金になる場所だったのである
それでこの辺では金持ちになった人が結構いたとなる
それが事故で裏目になった、そこには危険が隠されていたが金のために無視されたのである、何しろ今の時代金になるとなると目の色を変える、まずは金だとなるからどうにもならない、みんながそうなっている時反対することは不可能になる
安全神話でも地元の人が信じたとなるのは金のためだったとなる
それが一挙に事故で崩壊したのである
だから本当にそうして親が子供に苦労させたくないという親心が仇になったともなる
今になると日本が貧乏になり何か金になることもないというとき盛んに農業が有望だとしているのも不思議なのである、農業でも実際は小規模農業ではなく専業農家が野菜でも大量に作り市場に出している、キャベツ農家とかいて外国人を安く雇い一千万とか稼いでいる富裕農家がいる、それを見れば別に農業ですべて稼げないということではない
ただ農業でもその形態が変わったのである、農産物の八割はそうした専業農家で作り市場に出しているのである
農業でも漁業でも林業でも全部がだめになっていない、一部でも成功して金になっているのは依然としてある
確かに親が子供には苦労させたくないということがり親心があった、それが悪いとはならない、でもまたそういうふうに自分のしてきた仕事を全否定するようなことを言うのはおかしいともみる、何かしらその仕事に誇りがありいくら苦労したとしてもその仕事まで人生まで否定するというのがわからないのである
それも結局すべて金にならないということに尽きる、そのことが原発を積極的に誘致した大きな原因ともなっている、また双葉とか大熊辺りは仕事がなく出稼ぎしていたから地元で働きたいということでもそうなった
ともかく原発のことを良くわからないままに目の前に金になるということで金をつきつけられて地元の人が危険を無視したとなる
そして30キロ離れていると関係ないと思っていたのも盲点だったのである
つまり事故になることなどほとんど考えていないからそうなった
でもチェルノブエリでは人が住めなくなった、あれを見ていれば危険だと推測するがそれもしなかった、何か日本人は優秀だとか技術的に優れているとかで慢心していたのであるまた津波でもスマトラ津波があったときも日本では津波に警戒しているからあんなにふうにはならないと見ていたのである
日本人はこうして慢心していたのである、太平洋戦争でもそうである、アメリカがどういう国かも知らない、それて甘くみて慢心して3百万人も死んだのである
やはり人間が慢心する奢ることがいかに危険かわかる
高度成長時代がありその時、ジャパンアズナンバーワンとか奢りがあった
日本は別に優秀でもなかった、今になると韓国や中国でも同じように電器製品を作っていて日本だけが作れるものでもなかったのである
ただ確かなことは第一次産業だけでは豊かになれなかった、工業化しないと豊かになれない、それは中国をみればわかる、たちまち工業化IT化して豊かになったからである
イスラム圏では工業化しないから豊かになれないのである
でも工業化は必要でも原発となるとそれが危険であることを隠していたのである
別に原発がなくてもそれなりに暮らしていける、第一江戸時代から戦前でも電気もまともにもないのに暮してきたからである、そこでは金持ちもいたのである
養蚕農家があり農家でも暮らしていけたのである
原発がなくても高度成長時代はあった、電気は作れていたのである
原発の危険は「安全神話」で隠された、安全だ安全だ念仏のように唱えていたである
その裏返しは技術者はその危険を知っていた、でも安全神話は権力で隠されていたのである、原発はブラックボックスとなって一般の人には地元に知らされないからである
それが事故になり白日の下にさらされたのである
その巨悪が暴かれてさらされたのである、だからこれだけの国家的巨悪はとても暴くことが不可能であり津波が暴いたともなる
そしてその責任をとった人は政府でも東電でも依然として一人もいないのである
ただ地元の人は故郷に住めなくなるという責任をとらされたのである
必ず責任は人間とらされる、カルマとなる
それから逃れることはできないのである、原発はそうした重い責任があるものだったが
それが権力で見逃されたのである
2021年10月18日
原発事故でなぜ一挙に町や村が崩壊したのか? (広域化グロ−バル経済で共同体のつながりがなくなっていた)
原発事故でなぜ一挙に町や村が崩壊したのか?
(広域化グロ−バル経済で共同体のつながりがなくなっていた)
飢饉の時などは比較的余裕のある藩でも「津留」といい禁輸措置をとりました
自分のところに波及するのを過度に恐れたわけです
結果としてしばしば食料が不足地帯に流れず飢饉が不必要に激化する傾向がありました
川とか海の港で行われた、相馬藩でも飯館村が飢饉の時相馬藩内では援助したが伊達藩ではむしろ関所でとりしまり支援しない、それが江戸時代だった
こういう社会とまるで逆なのが現代だけどやはり国内ではこういうことがなくてもグロ−バル化すると外国から品物が入って来なくなる、最近ではコロナウィルスでマスクが自国で生産していないので中国から輸入するほかなくなったとかある
つまり現代ではグロ−バル化すると外国から品物が入らないと致命的になる
最近では円安になり小麦の値段があがるなどして影響が大きい
どうしても自国優先になるから食料が何かの影響で入らなくなると窮地になる
一方で地域の繋がりが希薄化した、米でもなんでも食料でも外部からいくらでも入ってくるとなると地元でとれるものにこだわらない、野菜にしてもみんな外から九州でも北海道からでも入ってくる、すると地元に頼らないのだから地元の農家でも別になくても食料は入るとなるから関心が薄れるのである
米でも様々なブランド米がありただ金があればどれでも選んで買えばいいとなる
ただこの辺で天の粒とかは500円くらい安かった、それは別にうまくないものではない
だから安さで買った、野菜でも地元のはわずかでありみんな外部から入ってくる
それは専業農家が大量に安く作って売っているものである
約八割は専業農家がキャベツでも何でも作って売っているのである
だから農業がもうからないというがキャベツ農家は一千万の収入があるとかされている
ただその労働力がたりないので外国人労働者を安く雇っているとなる
つまり労働力を安くして安く売れるとなる、これもまた広域化グロ−バル化経済だとなるのである
でもこうなると地域とかのつながりは希薄化する、何か昔の村とかとはもう違っている
昔の村だと自給自足が基本にあった、なぜなら戦前でも戦後まもなくでも農民が八割とか戦後でも六割とか多かったからである
すると農民社会であり農民は今でもそうだが結びつきが強い、それで三代でも農家でないと仲間になれないとか言われる
それは江戸時代から村の結束は強かった、人間は共同体というとき生産共同体であり消費共同体というのはない、米でも共同の労働があってそこで村の結束が生まれた
だから農家が前は大きな票田となっていたのである
現代経済は消費社会ともなっている、消費者は王様だともなる、何か店でも農家でも米を買ってくれとなる、買ってくれる人がお客様となるからだ
米でも今年はコロナウィルスで消費が減って余り米の値段が下がったとかなり買ってくれとなる、でも消費するだけだと仲間にはなれない、人間の結びつきが生まれない
だから何か地域の結びつきは希薄化してきた、農家でも全体の生産の一割にも満たない
いくら
回りが田畑があっても現実の経済では田舎でも経済の比重が前より相当に下がっている
それで原発事故で仮設に住んでいた人がここで買い物したりして金を使うから地元の人達を助けていると言っていたのである、それが何かおかしいのだけどここに現代の社会を象徴したものがあったとみる
消費者は王様だとなっている社会だからである、そこで地元の人に助けられているという感覚はなかったのである、かえって外部から来たボランティアは毎日来ていたから外部の人に助けられている、なぜ地元の人は不満なのかとかえって地元の人達とは一体感もないのである、地元の人達は冷たいとなっていたのである
これも何か矛盾していたがこういう社会で起きた現象だとも見る
こういう社会だったら別に金があれば他に移り住んだ方がいいとなる、地元はかえって冷たいとなるからだ
でも例えば原発事故以後この辺で荒地化したが農業をやる人はなかなかない
そんな小規模の農業はただ骨が折れるだけだとなる、そして高齢化しているから知っている人の畑で野菜を作っていた人も体が弱りやめた、回りも病気とか高齢化でやめた
でもその後も誰も畑で野菜を作る人はいない、放置されているだけである
戦後は引揚者が働く場所もなくどんな不便な場所にも開墾に入った、そういう時代なら
そうした空き地は利用されていたのである
その原因は広域化とグロ−バル化経済にあったともなる
このことは飢饉になったら外部から物資が入ってくる、外国からも入ってくる
でも遠くから外国から物資を入れることは頼ることは入らないと危険になる
どうしても自国優先になるからである、地元優先になる、だから広域化グロ−バル化経済はすべていいものとして働かないのである
そして地域の結びつきが弱くなったという時こうした広域化グロ−バル化経済が影響している、食料でも外部から入り頼るとなると地元の農家などでも存在感がなくなる
外部からいくらでも食料が入ってくるではないか、地元のうまくない米など食べる必要がないとなる、
そこで一番肝心なものは何か
金があればいい
こうなったのが現代である、金があれば外部からいくらでも買えるからである
そうして地域のつながりが薄れるとどうなるのか、何かあると地域が簡単に崩壊する
それが起きたのが原発事故で町や村が一挙にゴーストタウンにビレッジになったことである、これは放射性物質汚染で住めなくなったこともある
でももともと農業でもそれが主産業ではない、だから東電で電気関係の仕事をしていた
浪江の人は補償金もらって老後も安泰であり良かったとしている
あれだけ寂れた街に住んでいてもそうである、回りの田畑は草ぼうぼうでもその田畑に無関心だったのである、もともとその人は電気関係の仕事だから田畑が草ぼうぼうになっても関係ないのである、別に金があれば一応何でも買えるからである
確かに買い物が不便でも品物は外部から入ってくる、要するに金さえあればどうにかなる最も怖いのは金がないことである、それで最底辺層は毎月ガス、電気、水道が止められることで窮地に追い込まれるのである
そううい人は金が得られるならば地元に執着しないだろう、第一そこまで貧乏なら外部に移って豊かに暮らせるならそうするからである
原発事故でなぜ簡単に村でも町でも崩壊したのか?それは放射性物質に汚染されて住めないともなった、でも不思議なのは地元でももともと米でも野菜でも外部から入ってくるものを食べていた、だから放射性物質に汚染されないものを買って食べればいいのである
そうすれば地元に住めなるとなる、ただ空気とか水とかまで汚染されたから住めないともなった、でも別にもし放射性物質汚染でも気にしなければ住めるのである
食料は外部から入ってくるし車があれば買い出しもできるからである
だからすぐに飢え死にしたりしない、江戸時代の飢饉だと飢え死にしている
外部から食料が入ってこないからである、津留とかは外部に食料を流出しないように止める役割があった、飢饉の時などは流出しては困るからである
何か現代は外部とのつながりはこうして強くなった、それもグロ−バル化すれば外国とのつながりでもそうである、でもかえって地元の地域のつながりは希薄化したのである
原発事故では仮設には毎日のようにボランティアが来て援助していた
こうして外部とのつながりが強調されたのである
そして内部のつながりは奇妙なのは補償金で分断されたのである
こっちが多くもらったこっちはもらえないとして分断してしまった
あとは多額の補償金をもらった人たちは外部に流出した、仙台市とかに資本金ができたので商売して成功した人達もいる、つまり金があればどこでも移住していいし一旦村でも町でも荒地になりゴーストタウンになったら他に移った方がいいとなる
その資金も金も得たからである
私は別にそういう人達を批判するのてはなくそういう社会で起きたということを考察しているのである
だからこれは別に原発事故という特殊なことでもなくても他でもありうる
地元のつながりは希薄化しているから地元にこだわらない社会である
金さえあれば便利な所に移ればいいとなるからである、例えば老後でも東京に住まずに金さえあれば地方でも住めるとなる、その選択は自由であり問題は金があることである
ただこうした社会は村でも町でも市でも簡単に崩壊しやすいともなる
外部とのつながりの中で生きているから別に今住んでいる地元にこだわる必要ないとなるからだ
金がすべていいものとして働かない
これも現実なのである、結婚するにしても金持になると相手が金ばかりを見て寄ってくるとか金を目当てにするのが多くなる、自分の家族の介護でも来た人たちは金を得たいためであり現実に大金を盗まれたりした
兄は交通事故で死んだけど雇い主は働いている時はいい人だったが保険金がおりるとなり豹変した、身よりがないものと思っていたから保険金の受取人になろうとしたのである
原発事故でも多額の補償金をもらえるとなるとそれしか頭になくなったのである
そうして町とか村の復興など念頭になくなる、ただ金が欲しいとなるだけであった
あとはその金で外に出て新しい家を建てればいいとなる
現代社会の怖さはすべて金になり金に追われ金に狂う社会なのである
確かに放射性物質お汚染があるのだから仕方ないと見る、その放射性物質でも30年とか消えないとかなっているからだ、そんな所に住めないというのもわかる
でも代々住んでいた場所にこだわりがあり何かそれだけが理由とも思えないのである
たとえそうであっても簡単に町でも村でも捨てられることがあっていいのかとなる
それが一部の人ならいいが全体でそうなってしまうことがあっていいのかとなる
でも現代は町でも村ですらそういうふうにつながりが希薄化しているから簡単に町や村でも捨てられるとなったのかと見る
やはり広域化グロ−バル化経済の中でこういうことも起きて来たとみる
共同体とは基本的に生産共同体であり消費共同体ではない、その生産共同体が農民を中心とした第一次産業を基本とした共同体が町や村を構成しなくなった
そもそも消費だけの共同体は成り立たない、消費するものが王様となりえない
その土地で生産するものがあって共同体も成り立つからである
だから一時的には補償金で成立つとしても継続しては成り立たない、何かしら生産して金を得なければ生活できなくなる、ただ現代はベーシックインカムなどが言われるから
消費に重点が置かれる社会にもなる、生産しないで金をもらえる
でも消費共同体とかはありえないだろう、何か生産しないで消費するだけの社会はありえないからである
2021年10月13日
金は具体的な責任だった (原発で金をもらった官僚でも返すべき)
金は具体的な責任だった
(原発で金をもらった官僚でも返すべき)
監督官庁である経済産業省と電力会社との癒着による安全監視体制の欠如だ。原発を持つ電力会社9社に、役員として天下った経産官僚は、過去数年に限っても分かっただけで10人。天下り後は猛スピードで常務や副社長に昇格するのが通例で、年収は推定2000万円〜5000万円+退職金。無責任な官僚の豊かな老後と引き替えに、国民がモルモットにされている。
副社長の推定年俸は、有価証券報告書に記載された役員報酬総額から推定すると、低く見積もっても約4000万円。東電在任中に白川氏が億の単位の金を稼いだことは確かだ。
白川氏が経産省時代にやっていた仕事とは電気を安定して供給するよう電力会社を指導することだった。この指導役がいったん役所を退職すると電力会社に高給で雇われたわけだ
http://www.mynewsjapan.com/reports/1416
原発事故の責任は東電でもそこで恩恵を受けた官僚でも天下りした官僚でもとっていない官僚でも海上保安庁からも検察からも警察からも様々な人達が天下りしていた
ただ官僚だけではない,原発マネーはあらゆる分野や湯水のようにばらまかれたのである電事連では800億円とかがマスコミに宣伝費としてばらまかれた
そこには朝日新聞さえ入っていたのである
丁度原発が爆発した時中国に東電がマスコミの幹部を招待していたのである
この原発マネーは地元の有力者にもばらまかれた、それで大熊町長が津波で流された5億円の金庫を探してほしいとなったのである
とにかく原発マネーは想像を絶する巨額なものだった、それは事故後でもそうである
何兆円という金が除染に使われたり延々と巨額の金がつぎ込まれたことに驚いた
原発とは普通の一企業のことではない、国家的大事業であり規模が違っていたのである
だから金でも湯水のようにそこから出て来る
それでその金でモラルでも何でも麻痺したともなる
金になればいいじゃない
まずこれしかないのである、そこで危険性は見逃されたのである
最初は高い場所に原発を建てる計画でもそれをやめた、わざわざ高くした盛り土を削って低くしたのである、地下に電源を置いていたためだともなる
地下に電源を置いたのはアメリカに習ったからである、アメリカでは竜巻があり地下に電源を置いていたからである、これも日本の風土を無視してそうなったのである
日本の技術者がそういうことを考慮しない結果でありアメリカ頼りのためにそうなったのである
日本の技術ではそもそも原発を操作することができなかったのである
だから湯川秀樹博士まだ早いとして反対したのである
科学者でも技術者でも全部が無能わけでもないし有能な人は相当数いたのである
だから配管が危ないとか危険性を指摘していたが東電は受け付けなかったのである
近いうちに十数メートルの津波が来るとして科学者集団が指摘もしていた
これだけ別に有能な科学者がいたのである、ただ東電はコストがかかるととたあわなかったのである
東電という会社自体の問題があった,コストカッターとして社長にのし上がったのが事故を起こした時の社長だったことでもわかる
コストが優先であり危険は無視されたのである
とにかく原発事故の責任は誰なのか?
そのことが明確にされていないのである、そして裁判になっても無罪を主張しているのである、罪にされないのである、そもそもその裁く検察が天下りしていたのだから裁くこともできないともなる、東電で利益を得ていたからである
でも責任を問いばこうして天下りした官僚にも責任があった、それが全然問われないのである
責任が何かというとき金をもらうことが責任だとつくづく思った
でも実際はこの世の中で金をもらえばそれは何でもいいとなっている
金を得れば勝ちだともなる、でも金には何か必ず責任が生じている
金をもらうことは具体的な責任となりカルマとなる
私は何も責任はありませんと言ってもこれだけの事故を起こしたのだから
「あなたは東電から多額の金をもらっていたでしょう」それが責任なのです
あなたたちはもっと東電にかかわり安全を計る立場にあったのです
こうなってしまうのである、金をもらえばいいというだけではかたづかないことだったのである、やはり重大な責任が課せられていて多額の金をもらっていたのである
金をもらうこと金を得ることは責任なのである
それは地元の人に言えた、船主などは原発御殿が建つほど事故前も補償金をもらっていたからである、事故後ならもらっても問題ないが事故前にもらう権利があったのかとなる
漁業権を売ってもらったからだ、それで海を汚したからとして補償金をまた要求する
船主とか漁業関係者の補償は特別多かったから問題になった
つまり今になって金をもらったことの責任が問われるようになったのである
だから金をもらうことは具体的な責任としてわかりやすいのである
ただ正直人間は金をもらえばいいとしかない、その金がどういう金であれそうなりやすいそしてその金を追求すると誰しもその金が良い金なのか悪い金なのかとなると判断がつかなくなる、そんなことしていたら本当に金持ちになれないし金持ちはみんな不正に金をもらっているとなる、株とかでもうけた金も実は黒い金不正な金だともなる
弁護士でもなぜ相談しただけで百万もとったのかそれも今になるとおかしいと気づいたのである、何かそうして金は具体的な責任でありそれがやがてカルマとなって現れる
そういう自分でも親が公務員だったので得していることを知っている
するとそれも不正の金であるとなる
そういうことでもしかしたら親が介護になり死んだりして大金を盗まれたのもそういう因縁があったからなのかともなる
何かしら金にはそういう悪い金がありそれとかかわらない人がいないかもしれなからだ
ただその額は小さいが東電の場合は余りにも大きいから問題になったのである
だから東電に事故にかかわって得た金は官僚でも返すべきである
東電の原発にかかわって法外な金を得た人は返すべきだとなる
それが責任であり全く幹部でも金を返さないし責任が問われない、幹部は財産没収してもいいくらいである、でも全然その責任が問われないのである
地元の人達も責任があったが故郷に住めなくなったということで責任とらされたのであるもちろんその人達も金をもらって承認したのだから責任があった
金をもらったのだから共犯者であり何も言うなともなる
つまり金をもらうことはそういうことなのである、共犯者であり責任があるから何も言うなとなってしまう
こんなことを言っていたら確かにもう金をためること金を得ることができなくなるかもしれない、でももしそうした金をもらっていなければ責任を問われることがなかったことは確かである、そこに金の怖さがある
事故後でも補償金でこの辺はもめた、30キロ圏内は南相馬市だったら原町区までは手厚い補償金をもらったのである
そして十年間も医療費無料高速無料になっていたのである、30キロ圏からはずれた鹿島区は一人70万の補償で終わったし医療費は半年で打ち切られた
高速もそうである、最近になって高速無料にした、さらに30キロ圏内は医療費が一年くらい延期されて補償されるようになった、この差は大きいものだった
ただまたこの金のことでこれだけ補償して金をやったのだから文句言うなともなる
30キロ圏内ではそうなる、そうすると東電に文句もあまり言えないとなる
それもまた金の効果なのである、金をやるから東電に文句を政府にも言うなとなる
それをある程度受け入れるほかない、それはなぜか?
金をもらったからである
でも奇妙なのは私が住んでいる地区は一人70万しかもらっていない、隣の原町区は三倍もらっているのである
するとどうなるのか?
不満があり東電でも政府でも批判することになる、それができるのはなぜなのか?
金を少なくしかもらっていないからだ!
もし原町区のように三倍ももらっていたら批判しにくくなるのである
それで私はプログで原発事故のことを追求できるとはなったのである
でもマスコミのようにお前に宣伝費として金を払うからとなると批判はできなくなる
それがマスコミであり福島県の新聞でも雑誌でもそういうことがあったのである
何しろ新聞でも雑誌でも出すには金がかかるからそうなる
だから財界福島とかでは東電の批判を最初していたがやめたとされる
東北政経でも相双リテックの宣伝をのせている、そこで多額の除染マネーが入って幹部で億の金を山分けしていたのである、でも東北政経ではそれを批判できない、宣伝費として相双リテックから金をもらっているからである
マスコミも東電から金をもらっているから批判しにくいとなる
地元の人でも東電で金を得ているからそこで働いた人たちは批判しにくいと言っていたことでもわかる、金をもらうということはそういうことなのである
全く金をもらわなかったらそういうことはありえないのである
それでドラマにしろヤクザが親分から金をもらったから頼まれて人を殺した
それも金をもらったからだとしてる、金というのはそういう責任を課せられていたのである
だから金の流れをつかむと悪が見えやすいから裁判では金の流れを把握する
それによって犯罪を追求できる、具体的な証拠となる
そしてグロ−バル経済とかではもう金の流が天文学のような数字になって見えない
だから必ず陰謀論になる、巨額の金が不正に流れる、その金で世界が操作されているとなる、それはまさに悪魔的だともなる、ただ世界となるとその規模が大きすぎて見えなくなるのである、でもその金の流れから悪が具体的に見えることになる
ただ金にしても使う時とを使われるのかも問題になる
猪苗代湖で水上ボートで子供を殺して親の脚を切断するほどの事故を起こした人はこの辺で工事が多くなって足場事業で金が入って人だったのである
また補償金でレクサスとか高級な車を買った人も多くひんしゅくをかったのである
だから金を何に使うかも具体的なものとして見えるからそれが責任にもなる
つまり金の流れからみると具体的でありわかりやすく悪が可視化できるのである
いづれにしろ責任を追及すればそうした金は返すべきだとなる
官僚でも天下りした人達とか東電にかかわり法外な金を得た人達は返すべきだともなる
まずその人達は何の責任も自覚していない、ただ得しただけだからである
法律的には返さなくてもいいとしてモラル的には返すべきだとなる
それが責任を果たすことだがそんなこと一切ないのである
だから誰も原発事故では責任をとっていないのである
何か会社で不正な金が使われると自殺したりする人がいるがこれだけの大事故でも大惨事でも東電では一人もそういう人はいない、良心の呵責にな苦しんだ人は一人もいないとなる、幹部でも無罪だとか主張しているだけなのである
それを裁く検察もまた金をもらった有罪の人であり犯罪者だとなったら裁くことなどできないのである
だから巨悪となるともう人間では裁けないとなり神が裁くほか裁くことが不可能になるのである
2021年10月06日
原発事故における理系と文系の問題 (総合的な知が必要でありそれは不可能だった)
2021年09月26日
若い人の甲状腺被害が多いのははやはり原発事故の結果か (復興しない原発避難区域―飯館村など)
若い人の甲状腺被害が多いのははやはり原発事故の結果か
(復興しない原発避難区域―飯館村など)
●放射線により甲状腺被害が増えたのは確か
津田教授 福島の有病率は、全国平均甲状腺発症率(5〜24歳)の17〜22倍と多発であるという結論になります。2巡目の検査で新たに見つかった甲状腺がんは、1巡目の検査後の約2年の間に5.1mm以上に成長したと考えられます。これらの腫瘍が、その後も同様のスピードで成長する場合に一生発症しないと考えるのは困難です。
原発事故の放射線被害もわかりにくい、でもやはり確実に被害が5〜24歳)の17〜22倍と
多いとしたらこれは具体的でわかりやすい、明らかにここに被害が見られたとなるからだ武田邦彦氏もこのことを指摘している、でも報道がされないとしている
福島医大と長崎医大で甲状腺癌の共同研究をするというときやはり事実として被害があったからだとしている
でも原発事故前でも危険が報道されない、事故後も報道されない
ここにマスコミの問題があった、報道できない何かがあるのでできない
県の政府の広報となっているのが福島民報でもあるからだ
県の出資が50パーセントにもなっているからだ
また創価の聖教新聞を刷っているから公明党は政府側に自民党につくからそうした報道を抑えることができる、だから報道機関が自立していないと大事なことでも報道されないのである、それが原発にありとりかえしのつかない事故になったとなる
原発マネーはあらゆる所に流れていたのである
報道機関ならマスコミなら全部であり丁度爆発した時全マスコミが朝日新聞社の幹部まで中国に招待されていたときだったのである
それはコロナウィルスでもある、本当のことが良くわからないからである
また科学的なこと専門家しかわからないから簡単に騙されることにもなる
自由な報道にするには何かの団体とか権力者に忖度するとできないのである
でも今まではマスコミしか報道できないのだから一個人などではできないからそこで報道されないとわからないのである
だから飯館村では子供が住めないから学校でも村外から数人通っているだけである
空気に放射線が依然として放出されているとなると飯館村内に入ることや住むことはむずかしいとなる
ただ老人は関係ないとしている、飯館村の老人は山菜を食べていると言っていたからである、老人は気にしなくてもいいとなる
放射線被害があるのは若い世代であり子供に影響したことが致命的だったともなる
もし子供に影響がなかったら親でも一緒に住めるとなっていたからである
それでいくら立派な建物を建ててもそこで子供が学べないということにもなった
この放射線の被害のやっかいなのはセシウムの半減期が30年とかプルトニウムだと二万年消えないとかなりこうなると住むこと自体が不可能にもなる
飯館村はそういうレベルにあるのかもしれない、土壌でも山林でも放射性物資に汚染されてそれを除去することは不可能になっているからだ
最近私は放射線量を計っていないが空間線量みたいのが減っていなかった
ここは放射線量が0.2とかそもそも低くかったから減らなくてもいいのかと見ていた
飯館村では0.7マイクロシーベルトとかある、でもモニタリングポストの線量は低くしている、その下の土を除いて設置されているかである
それを大成建設とかで設置していたのである、そのことを飯館村の人が指摘していた
何かこうして政府のしていることが原発ではごまかすことが多かったのである
それに加担したのが御用学者だったのである
●放射線の被害は長く続くからやっかい
原発の放射線被害というのが具体的に見えるものとて提示されない
すると危機感も感じないのである、何も被害がないじゃないかとなる
コロナウィルスでも具体的に被害があり苦しみ死んだりすると危機感を感じ外出や遠出でもひかえる、具体的に被害が出ないと危機感を感じないのである
もう十年も過ぎると外部でも関心がなくなる、ただそこに住み南相馬市でも現実問題として放射性物質が依然として飯館村から川を通じて流れて来るのだから敏感にはなる
でも今年は明らかに鮎が海から上ってきた、それは今年放流したものとは違う
自然に繁殖した鮎が海から上ってきたと見た、なぜなら小さい鮎だったからである
もともと事故前でも鮎はこの辺では小さくなっていたからである
すると自然も回復したのかともみる
チェルノブェリでは子供の甲状腺癌が多発してそれを見た時悲惨だったのである
福島でも増えたとしても報道しないからわからなくなっていたのである
やはりその時の映像のインパクトが大きかった、福島では全然報道されないのである
ただ飯館村は回復していない、田畑でも回復しない、ただダリヤを250円で買った
ダリヤ畑があった、花栽培は放射線の被害がないからできるとなっていた
他の農作物は依然としてまだ放射性物質がふくまれて安全とは言えないのか?
ただ測定して安全だとはしている、でも回りの山林から放射性物質が流れ出して来る
それを止めようがないのである、それは雨で流されて真野ダムにたまりまた新田川を通じて原町区にも流れて来る
それで放射性物質を含んだ土を入れていたフレコンバックが破れて流れ出したことがあったからだ
いづれにしろ原発事故で避難区域になった所は復興していない、帰還もしていないから
放置されて田畑は原野化して荒寥としている
ただそうした地域でも補償金をもらったから生活している人はいる
でもなにか生活の持続可能な場所とはなっていない、原発事故の補償金をもらうための利権の場所のようになったのかもしれない、除染では何兆円もかけたしその金は相双リテックとかに流れて幹部で何億円とか山分けしたとかなる
また建築土木関係では仕事が増えてもうけたとなる
それでいわき市の足場会社の会社の息子がプレジャーボートを買って子供を殺してその母親の両足を怪我させた、切断した、それを見た時ショックだった
何か関係ないようでもこれも原発事故が回り回って影響したのかとなる
金回りが良くなってそれが事故につながったのかとなる
高級な車を買った人も多いからである
●放射線量で補償金で分断されたのは政府の策略だった
とにかく原発は莫大な金が流れた、事故前でも事故後でもそうなのである
こんなに莫大な金が使われることに驚いた、でもいくらそんなに金が使われても復興にはつながらないともなった
村民の1人はこういった。「原発事故のせいで村が3つに分断され、賠償額にも差ができた。事故の前はみんな気持ちが通じ合い、トラブルなんてなかったのに、ねたみやひがみが生まれている」
星英雄:先が見えない−−分断と風化に抗して希望を模索する飯舘村〈飯舘村レポートA〉
飯館村などは一様に放射線が高かったのだから賠償も一律で良かったのである
これは今になると政府が住民を分断させるためにしたとも思える
隣同士で補償金の額をめぐって争った所がかなりある
実際に放射線量はほとんど変わらないのに差をつけたのである
鹿島区は30キロで区切りそれで原町区は三倍ももらい、医療費も十年過ぎても延長してもらい、高速も無料だったのである
この差別は大きかった、相馬市でも市内を計ったら放射線量は変わらなかった、かえって高い所もあったし他にも周辺地域で伊達市でも隣同士とかで親戚でも補償金をめぐって争っていたのである
こんなことしたのは政府の策略だったのかとなる
なぜなら分断されることは被害者一致協力できないことになったからである
●ハコモノに金をかけて作っても復興にならない
奥尻町では被災者一人あたり、405000万円が復興で使われ、義援金も一人あたり1000万円ぐらいあった。そこまでしても、それだけにしかならなかった」
飯舘村・菅野典雄村長「経済一辺倒のままでいいのか」 将来を見据えた復興のありかたとは
奥尻島でも津波の被害で建物とか公園とか箱物を作っても復興できなかった
被災地に求められているのは『何かを生み出す人』です。お金を使う人はいらないんです被災地に多いのはお金を使う人たち
https://www.huffingtonpost.jp/2014/03/02/reconstruction-of-the-great-east-japan-earthquake_n_4886571.html
これは事故から7年後とかその前に言っていることである
10年も過ぎたらまた状況が変わっている、一番変わったのが外部でも関心が薄れて内部のことがわかりにくくなっていることかもしれない、飯館村の村議会選挙のことを知ったそこで運動員にうろうろするなとか南相馬市なのにそんなことを言っているのは信じられなかった、つまり飯館村内にもいろいろな人がいるにしても外部の人が相当にかかわってきているのに南相馬市なら地理的にも一体なのにそんなことを言うこと自体信じられないとなる
おそらく議員選挙に出た人も飯館村には住んでいないのではないか?
外部に新築の家を建てて飯館村を利権の場として利用していることもある
住んでいれば住民になるけど実際は住んでいない人が多い、それでこじんまりした新築の別荘を建てていて時々帰ってくるというのもそうである
いづれにしろ十年過ぎても復興はしていない、ほんの一部であり全体的には原発避難区域は復興していない、全体的に田畑は荒れ果てて住んでいる人は老人であり若い世代は流出したのである
最近では小高区の大工さんが立派な家を建てていたが原町に中古の家を買って移り住んだとかある、飯館村の人でも周辺に移り住んでいるのである
補償金で新築の家を建てた人も多いだろう、すると生活する場所が村外であり通うにしても村の住民という感覚になれないだろう
金をいくらつぎ込んでも復興にならない、それは奥尻島でもそうだった、補償金でも援助金でも相当にもらった、そして菅野町長がさらに支援金をもらうためにテレビで宣伝したのを見た、そんなに金をもらっても復興できていないのである
湯水のように金を使っても復興しないのである
それはなぜなのか?金を使う人ではない、何かを新しく作りだす人が必要だというのもわかる
でもそれはたいがい外部から来た人達がしている、外部頼みなのである
ただもう外部の人でも関心あるのは減少して一部の人しか継続してかかわらない
それで川俣町の山木屋の人が大学の人が来たが一時期だけかかわって後は来なかったとなる、そういうボランティアでも多いだろう
継続してかかわることはむずかいしからだ、ただ南相馬市とかだと地理的に一体だから無視できないのでかかわるとなる
飯館村は飯館村だけでは自立できないのではないか?
それで南相馬市と合併すれば復興を広域的に考えるからそこに何か開けるものがあるかもしれない、ただ全体的に原発事故の避難区域になった所は十年過ぎても復興していないのである
2021年09月22日
原発は地域エゴから始まりさらに地域エゴで分断された (飯館村でも南相馬市と合併するべきだった)
2021年07月12日
価値は多様であり金ですべて計れない―家の価値 (原発事故の避難者でもすべて金で贖えない)
2021年06月30日
「福島原発で今起きている本当のこと」宝島社ーを読んで (東電の余りにもずさんな対応が今も続いている)
「福島原発で今起きている本当のこと」宝島社ーを読んで
(東電の余りにもずさんな対応が今も続いている)
この告発は内部の技術者がしている、でも専門的知識がなくても理解できる
何かそれほどむずかしい専門的なものでもない
原子力となるとまず素人はわからないから黙っていろとなる
政府と東電と一体化して利権化権力化してそこはアンタッチャブルの原子力村になり
外部の者が入るのを拒む村ができあがった
著者もその原子力村周辺から出ないで閉ざされた原子力村にかかわるだけだとなった
一種のブラックボックス化した狭い範囲で外部との交流を断絶していたとなる
ここで告発した技術者は多様な外部の人を中に入れるべきだったとしている
外部の人に点検させるべきだったとしている
それが強力に権力化してできなくさせた、素人がわからないというけどその内部で仕事していた人たちは素人だったという、どんな専門的なことでも何か素人でもわかることがあるともなる、素人の指摘が的を得ていることもあるという
それを現場の人から聞いた、その人は現場で仕事していた、でも監督する人に直接その不具合などを言って提言までしていた
現場の人が何もわからないということでもなかった
ただ強権的に上の人が命令するので逆らえないとなる
自分自身職についていないからそういう経験がないからわからない
ただ駅のボランティアをして上り下りがありそのホームが外から来た人が意外とわからない、それで何度も聞かれたのでそのことを駅長に言ったのである
そしたらホームをまたぐ橋の入り口に行き先の表示をしてくれた
また水戸管理局の人が来て向かい側のホームの休憩所に行き先を表示してくれた
それは改札からホームに入ると一番目につくからそれを言ったらしてくれたのである
水戸管理局の人は見回りして点検している
でもそれに気づかなかったのである
それはそもそも乗客とは直接接していないからである
JRでは毎日安全運転のために線路とか電気設備は点検しているが乗客へのサービスをあまり重視していない、だからそれを指摘する人がいる
原発というのは複雑怪奇なものにもなっていたがそれが全部わからないというのでもなかった、この本では何度も配管が無数にあり老朽化して危険だったと内部の人が事故前にも言っていたが東電の幹部は取り合わなかった
配管とかなると素人でも直接見れば痛んでいることがわかったとなる
ただ何も言えないような状態にしていた
下請けでも東電に嫌われると仕事がもらえないとかなり何も言えなかったとなる
なぜそうなるかというと権力化するとそういう下からの意見など聞かない無視できる
科学的な合理性があっても無視できる、科学技術者であってもそうした科学でも合理的なことでも無視できる
また政治家もかかわって一体となりさらに強固に権力化するとそれを外部から点検できない、何も言うこともできない、原子力村に閉ざされてさらにブラックボックス化してそうした危険も放置される、ともかく「安全神話」を作りただ安全だと言っていれば良く肝心の安全は無視されてずさんだったのである
科学者でただ安全だ安全だとカルト宗教団体のように題目を唱えていれば安全になると思っていたのも不思議だとなる、それが科学技術者なのかともなる
神が仏が守ってくれるから安全だと思っていたのかとなる
実はそういうことを可能にしたのは政治とも権力化して一体化して強力な権力を持ったからだとなる
科学合理性とかは無視されカルト教団のようになり一切外部からの干渉を拒んだためだともなる
マスコミでも原子力村の一員と化して利権化していたら地元のマスコミでも何も言えなかったのである
権力とは常に危険なものであり暴走したりする、それは日本の戦争とかナチスとかでも起きている、権力の肥大化暴走をどう抑えるのかが大きな問題なのである科学技術と政治の問題が現代では大きなテーマとなっている
コロナウィルスでもそうである、科学者がいてウィルスにどう対処するかを言っても政治的判断で科学者に従わないということもある
政治家と科学の専門家とのせめぎあいが展開される
だから原発とコロナウィルスも似ていると思った
科学的合理性を言っても通じない、政治的判断でオリッピックも強引に進められる
原子力村がありオリンピック村があった
原子力村の利権はやはりフランスとかアメリカがかかわっていた汚染水浄化装置もフランスの会社とアメリカの会社が請け負った、それも実績もない会社である
それで日本制ではないのでトラブルが発生しても対処しにくいとしている
そもそも原発は日本の技術で最初から作られていない!
マーク1というお古の原子炉でもアメリカがもうけるために供給した
安全性が低いものでもアメリカは外国だから売ればいいとなっていた
外国になれば無責任化する、自国だったら責任が問われるが外国だと余りに問われないからである
外国だと武器でもなんでもうりつけてもうけるとなる、誰もよその国のことを責任持てないからそうなる、そこに他国に頼ることの危険がある
これはオリンピックでもそうだった、バッハ会長が利権のために金のために日本で危険でもオリンピックを強行する、中止すると莫大な金が入ってこないからである
オリンピック利権村があり原子力利権村があった
なぜ国民がこれほど反対しているのにオリンピックを強行しなければならないのか?
原子力村と同じくオリンピック利権村がありそれがIOCとか世界的に
利権化しているからやめられないのである
常に地震の危険にさらされている全国各地にある原発も止めねばならない、それができないのは膨大な利権が吹っ飛ぶからです
惨事は利権の執着が産んだのでありこの期に及んでなおその執着は下劣な情報操作に明確に現れているのです
これはなぜオリッピックに執着するのかと似ている、巨大な利権のためにやめられないのである、国民全体を無視しても一部の利権者のためにやめられないのである
また原発の場合は国防上、核兵器を作るプルトニウムを生産しておいて核武装するためだとしている
それで右では核武装派であり原発に反対しないのである、これも理解できないのである
それで武田邦彦氏が右の団体には仲間に入れないという、原発の問題は平和利用の反面
それが核兵器となることにある、それは人類滅亡にもなる危険なものにもなる
そういう目的もあり原発は危険なものとなる
米ソ冷戦では本当に核戦争の危機にもなったからである
今度は米中対立で核戦争の危機になる、原子力はそういう恐怖に常におびえていてければならないのである
2021年06月05日
原発事故と蛙(童話風に)
2021年05月25日
除染専門会社へ県で土木事業を請け負わせた問題 (トリチウム放出には県民投票を!日本には民主主義がなかった)
除染専門会社へ県で土木事業を請け負わせた問題
(トリチウム放出には県民投票を!日本には民主主義がなかった)
このことで除染専門会社が普通の土木事業に参加した、でもその技術はないのにそうした除染のために作られた会社であり入札させるのはおかしいとしている
ではどうして自治体で技術力もない除染専門会社に受注させているのか?
これは自治体の問題であり責任ではないか、技術力もないのになぜ受注させているのか
そこが疑問なのである
誰かが政治家でも力があって受注させているのかともなる
第一そんな技術力がない会社に受注させないだろう
それで後で地元の業者にしりぬぐいさせている、そんなことをわざわさして手間をかける必要がないとしている
地元の業者に受注させればいいとなる
でもそこに除染専門会社が入れるのはなぜなのか、何か安くできるからだとしたらそれは自治体の責任になり行政の責任になる、問われるべきは行政だとなる
議会で議員が追及すべき問題だともなる、そこで議員も問われているとなる
なぜ追及しないのかとなるからだ
それで相双リテックは除染専門会社であり清水建設の下請けになった、何の技術力もないのになった、そして幹部に何億も金が支払われた、それは陰で大物の政治家が働いたからだと追求している記事があった
その相双リテックの宣伝が政経東北の裏表紙を全面的に飾っていた
つまり政経東北はこういうことがわかっているのだから相双リテックの不正を追求できるがしていないのである、それは宣伝費が相双リテックから得ているからだとみられてもしょうがない、宣伝費をもらった会社は追求できないとなる
ただ政経東北では知事をトリチウムの海の放出で批判している
処理水海洋放出は県民投票で決める
まず内堀知事は県民投票を行い、その中で議論を尽くすべきである
漁業関係者のみうがステークホルダー(利害関係者)のように扱われているが様々な形で影響を受けるとすると県民すべてがステークホルダーとなる
ステークホルダーは、極めて広い範囲の人・団体が対象となるが、大きく分けて「直接的ステークホルダー」と、「間接的ステークホルダー」とに分類できる。直接的ステークホルダーとは、主にユーザーや顧客、株主、従業員、取引先、金融機関などを指す。企業やグループに直接関わりがあり、影響を与える又は受ける人・団体を指す。間接的ステークホルダーとは、従業員の家族、労働組合、公的機関、地域社会などの、間接的に影響を受けるステークホルダーを指す。
このことは私自身が追及して述べていたことである
漁業組合とか船主が事故前も多額の補償金をもらっていた、漁業権を盾にしてもらっていた、そして漁業組合と東電の交渉だけで決められて
ここで言うステークホルダーの範囲はそこに住む住民にもかかわり福島県民にもかかわり広くなれば海全体を汚染するのだから世界の人にもかかわるとなっていたのである
それが漁業組合と船主とかだけの交渉となったことに問題があった
それで海は誰のものかとういことで追及して来た
そもそも内堀知事は政府の言いなりといっているのもそうである
要するに政府の下僕として遣わされた人だともなる、だから県民の意向は考慮しない
ただなにか県民投票というのもなじみがない、県民意識もそれほどない
第一いろいろあっても議論の場もない、すると報道するのは福島民報とか民友とかでありテレビでも報道しても一方的であり関心をもたないのである
民主主義でも本当は県民でも市民でも町民でもまず地元の問題を議論する場すらない
また重大なことを知らされることもない、それで重大なこともあずかり知らないところで決められていたのである
つまりそういうふうに民主主義が機能していないから上の人のやりほうだいとなっていたその象徴が安全神話の形成だったのである
どうせ原子力のことなど地元の人は知らない、関心があるのは利益だけだ、だから金を与えればいいのだとなっていた、それを受け入れたのも地元住民なのである
何かそもそも市政でもさらに県政とかなると一庶民など発言する場すらないのである
私が今こうして発言できるのはインタ−ネットができたからである
政経東北は確かに今の問題をわかりやすく切り込んでいることは言える
でもまたそれでも一方的になる、そこにも矛盾と利害関係があり
相双リテックの法外な除染の利権を報道せずに裏表紙に会社の宣伝をしているのである
だから何かそうなるとそうした悪を追求できるのかとなる
宣伝費をくれるなら追求しないとなるからだ、それは他の新聞でもテレビでも同じなのである、もう大きな組織集団として権力をもっているものは追求できない
相双リテックなど小さな会社でも宣伝費をもらえば追求しない、だからとても巨大な権力組織団体は追求できないとなる
その時悪は増長してそれが大きな被害となってゆく、悪は常にそれを指摘しないと増長してゆく、そして止められなくなり大事故とか大被害となったとき気づくのである
それが原発事故で判明したことなのである
だから私自身もインタ−ネットで発言できることによってジャーナリストの端くれとなり目覚めたのである、まずこうして発言できなかったら目覚めることもないしただ上からの言いなりだったとなる
まず本など普通出版できないしマスコミで発言などできないからである
私の本は個人というだけで地元の図書館に置くことすら断られたことがあった
ただその本は重に郷土史でも個人は取り扱ないとして拒否されたのである
こうして一個人など何も発言できなかったのである
日本には民主主義はなかった!
日本は20年から1つ順位を下げて67位となった。慣習や経済的利益に阻まれて記者が権力監視機関としての役割を十分に果たせていないなどとした。
つまり日本にはお上の言いなりであり有権者でも個々人は発言もできなかったのである
マスコミで発言できるのは極一部のマスコミのお気に入りでありマスコミの言いなりになる人だけである、NHKでもそうである、NHKが指導するのでありNHKの言いなりになる人が発言できるだけなのである、NHKが報道はとりしきるとなる
NHKの意向に反する者は拒否される、そして何も起きないならいいがそこで大きな被害が
国民に及ぶことがある、それが戦争の被害だったり原発事故の被害だったりまたコロナウィルスでもマスコミがとりしきるとやたら危険をあおるだけであり真実が見えなくさせられるのである、第一統計が出ていない,データーがないということで優秀な学者も判断できないとしている、隠蔽されたりしているからそうなる
日本には本当に報道の自由がない国だったのである、一応見かけは自由なようで自由がない、厳しい規制の社会なのである
ただインタ−ネットがそれを打ち破る強力なツールとはなるがそれもわからない
なんらかまたここでも規制がかかったり脆弱なものがあり一個人だと発言が制限されるとなるからだ
「生活困窮」の原発避難者が急増 今になり原発事故の責任の重さが住民に問われている
「生活困窮」の原発避難者が急増
今になり原発事故の責任の重さが住民に問われている
この辺でシシドスーパーの隣に復興住宅がある、そこに主に浪江の人たちが住んでいる
そこで良く出会う人がいる、大工をしていたという、でもやめたという
だから暇でいつも川を見ている
家とか土地があり補償金はそれなりにもらったから困らない
でもその額が例えば5000万としても多いかどうかはわからない
なぜなら土地と家で5千万も前のような家を建たればかかるともなる
建売住宅だと2500万である
とにかくその補償金でも高いとも言えないかもしれない
ただ一億円くらいもうらとそれなりに補償されたとなる
それだだけの財物補償された人は少ないともなる
そして意外と今原発避難者の生活困窮者が増えたのはなぜなのか?
●補償金をぜいたくで使ってしまった
●思った以上補償金がもらえなかった
こういうことが理由となる、その人は小高の人でありもともと金使いが荒い
でもそれだけの仕事ができる稼ぐ人だからとやかく言うことはできない
補償金で贅沢したという時、やはり高い車を買ったとかはそうである
一時レクサスを買ったとかで話題になった
だから金使い荒くなって金がなくなったという人もいるのである
そして移住先で仕事がてきないとかもある、また仕事をしないということもある
つまり何かこの辺ではすべて原発事故が原因であり東電や政府の責任としているが
住民の責任もあったことが見逃されている
何か全く住民には責任がないともなっている
住民の責任が自覚されていないのである
そもそも原発は受け入れた時、大きな責任が住民に生まれていた!
大きなリスクを負う、責任を負うことになった!
ここが見逃されているし自覚されていなかった、それが事故で否応なく自覚されたのである、住民の責任もいかに大きく重いものだったか自覚させられた
人間はつくづくいい面と悪い面をもたらすことがほとんどである
いいと思うものが悪いものに変化する
そのことは自分自身の介護で苦しんでわかった
自分は親に一番良くされたのである、だから親は自分にとって一番いいものだったのである、でも認知症になったとか二人の親を介護するために死ぬほどの苦しみを味わったのである
ここでもいい面が悪いものとして作用するようになったのである
でも結果的にこの場合は総合的にはやはり自分にとって親は他の人たちと違って特別いいものだったのである、だから今でも感謝して供養している
原発でもそういうことがあった、原発は地元の住民にとって悪いものではなかった
それで経済的にはうるおったしそこで働いて豊かになったからである
だから誰も反対する者はいなかった、今でも東電を責められないというのはそういうことがあるからだ
ただ事故になった結果それが反転したのである、そして住民もその責任の重大さを否応なく自覚させられたのである
そこには大きなリスクがあった!
そのリスクによって大損失となった、その重大な責任が自覚させられて負うことになったその責任は「安全神話」作った東電とか政府にもあった
リスクがあるとういことを説明しなかったからである、ただ安全神話をおしつけるだけだったのである、そうして安全をかえって備えなかったのである
そのことは銀行の投資信託とか株を営業の人にまかせて買わされて損して失敗したのと似ていた
確かなことは銀行は絶対に損しない!
手数料だけが確実に取る、その額が3パーセントとか大きい
銀行は全くリスクをとらないおいしい商売なのである
そして地銀は投資信託とか株式のことを専門ではないので知らないのである
でもすすめるのは手数料が高いし絶対に銀行が損しないからである
ではまかせた客に責任がないかとなればある
あるないにかかわらず責任はまかせたにしろ知らないにしろ自己責任だとなる
つまり知らないではすまされないのである、自分の金が勝手に奪われのは自己責任だともなっていた
原発でも同じである、そこに住んでいる人が原発のことを知る必要があった
でも「安全神話」で知らされなかった、少なくとも銀行の場合はリスクは言っていたのである、原発の場合はリスクは言わない、絶対安全だとしか言わなかったのである
言わせなかったのである、マスコミでもなんでも権力で口封じしていたからである
そして政府とか東電では責任はとらない、それは銀行とも似ている
その幹部でも責任はとらない、誰か刑罰になったとかいうとならない
何か幹部の財産でも没収されたかとなるとならない
これも本当におかしいのである、というのは例えば司法関係の人も東電に天下りしているしそれで告発もできない、裁判もできないともなったのかとなる
誰一人として重い責任を自覚した人はいない、というのは自殺した人が政府で東電の幹部でも一人もいないからである、会社でも政治家でも何か賄賂とかあると秘書が自殺したりする、でもそういうことも起きなかった
これだけの大事故でもそうだったのである、誰も重い責任を自覚しなかったいうことである
今原発避難者が生活が困窮しているというとき原発を受け入れた責任を身をもって受けているともなる、それが全部政府とか東電の責任ではないからだ
地元の住民にも広くみれば原発を受け入れた日本国民の責任だったともなる
例えは戦争で三百万人も死んだ、その責任は誰にあるのか?
全部が政府とかマスコミとかいろいろあってもその責任は国民全部にあるとなり300万人が死ぬことにもなったのである
そういう自分自身にも責任がなっかとなるとあった
ただ30キロ外だから責任がそれほど課せられなかったとはなる
でももっと関心を持つべきだったと反省する、それだけ重大なものだったからである
とにかく人間は意外と責任を自覚しないのである
ではどうしたら責任を自覚するのかというと苦しむ時なのである
それはカルマでも同じである、カルマを意識するのは苦しむ時なのである
苦しんでカルマが清算されるからである
だから補償金で贅沢したというのは一面おかしなことだった
酷ではあるがもっと苦しめばその責任の重さをカルマを自覚したとなるのだ
その苦しみによって原発がどれほど危険なものだったかを自覚できたのである
それでもっと苦しんで原発の恐ろしさを知るべきであり知らせるべきだともなる
一旦原発事故になったらあのように悲惨なものになり責任を負わされるとういう証人になるからだ
それが補償金が何億をもらったとかかえっていい暮らしができるとなれば原発はただいいものだったとなるだけであり誰もその責任を自覚できなくなる
それで何か補償金で贅沢してまた苦しいから補償しろとかいうのも勝手だともみる
ただ飯館村は原発の恩恵を受けていないから例外だとはなる
ても飯館村の人でも原発で働いていた人がいたのである
要するに人間は何であれ必ず責任が課せられている、それがカルマなのである
何か行った行為にカルマを産みだしてカルマは責任として負わされそれが苦しみとなってはじめて自覚されるのである、もし苦しみがなかった自覚できないからである
ただ得をすればいいというだけ決めるとこうして重い責任がカルマが課せられていることを自覚できない、でものちのちそのカルマが苦しみとなって現れる
私の場合は親の介護でその苦しみが現れた、でもトータルでは親の恩恵の方が大きかったから感謝して供養しているとなる
でも原発の場合は恩恵より苦しみの方が大きくなったとみる
それが今生活困窮として現れている
現実に復興住宅に住んでいる人で金がなくて夜電気を消しているとか金がなく苦しんでいる人がいる、財物保証が少ない人だったからだろう
双葉町の人がコンビニに強盗に入っというのも理解できないことだったが何か補償金を
遊びに使ってなくなったのかもしれない、そこまですることがありえないからだ
やはり十年もすぎると貯えもなくなる、補償金も打ち切られとかなってそうなった
そして苦しむことでその責任を自覚させられているともなる
2021年05月10日
小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている (将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)
小高の人でも浪江、双葉でも原町とか近くに移住する人が増えている
(将来的には避難区域は老人だけの町になり消失する?)
今日聞いた話では小高の大工さんが5000万もした新築の家を捨てて原町の中古の家を買ったという、それは50坪だからとても広い庭は持てない、前は広い庭があり新築の和風住宅でありその家は立派なものだった
それが息子夫婦も外に出て帰ってこない、だからその新築の和風住宅は無駄になった
第一誰も住む人がいないからである、だからもったいないとなる
また家というのは建物だけではない、自分の家のことでも書いたがいつも家のことを親は自慢していたからである
それは50年前とかで私の家は一番土地が低い家で父親が双葉の酒屋で丁稚をしていて暖簾分けしてここに来た
だからその土地を手に入れるにも苦労して次に水害で二回も床上浸水したのである
去年の台風でも土地が一番低い場所にあるから水があふれて家に水が入って来たのである幸い床上浸水にはならなかったので助かったのである
家というのには何かそれぞれ歴史があり苦労話がある
だから親がいたときはいつも家のことを自慢していたのである
それは認知症になってもそういうことを覚えていてわかっていてそう言うのである
つまり家は何かしら人の思いがのりうつっているのである
だから単なる建物、モノではなくなっているのである
だから施設に入っている人でも「家に帰りたい、帰りたい」というとき家という建物ではなくそこで暮らした家族の思い出がありそうして暮らした時に戻りたいとなっているのだただそうはいっても時間をもどすことはできない、ただ家が残っているとその家を通じてやはりその人の記憶と思い出がありそこに存在感を見出すのである
そしてその息子でも娘でもやはり一緒に住んでいればその親の思いが伝わるのである
だから家というのは単なる機能的なものではなく精神的なものともなっている
だから認知症になっても自分が苦労して建てた家だ子供に自慢するとき喜ぶのである
ともかくその人が原町に中古の家を買っても息子夫婦はいない、そして苦労して建てた家でももう息子も孫もいない、仙台の方に行ったらしいからだ
そしてなぜこうして小高でも浪江でももう他に移って生活するのか、それはもう自分の町が復興しないと見ている、できないと見ている
本人もあきらめているというためである
何か人間で悲惨なのは王様で貴族とかでもまた金持ちでも零落したときなのである
召使とかを雇い贅沢していた人が零落することが最もみじめになる
だから豊かに暮らしていた原発避難区域では突然そういうふうに零落して荒廃してしまったのである
その時町を復興させる気力すらなくなったともなる
すなわちかつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。
しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。
http://musubu.sblo.jp/article/176648961.html
本当にこのようになっていることが言っているからその洞察力には驚く
放棄された土地とかタヌキとキツネの住処になっているのも現実なのである
内村鑑三の場合はその原因を道徳の問題として語っている
ただこの土地の人でも道徳が関係しているとは思っている人はほとんどいないとなる
ただ単純いい暮らしをしたい、贅沢な暮らしがしたというだけである
それはどこでも同じだからそにれついて無闇に批判もできない
ただ欲望と原発が結びついた結果として悲惨なものになったのである
例えば時代が違えば戦後焼け野原の日本に戦争をまけて引き揚げた人たちが条件の悪い所に開墾に入った、そういう集落が日本の田舎には多いのである
知っている人では小池に開墾に入った、そこは街から近い、そんな所に開墾する場所があったのかとみるからである
でも仕事がなくどうにもならなくなりそうして開墾してなんとか暮らしたとなる
でも厳しいので半分くらいは撤退したとなる
原発事故から十年すぎても復興はしていない、このように避難区域から移住する人が実際は多くなっている、その理由は小高から原町だったら隣でありそこはたいがいそろっているから暮らしやすいのである、私も原町に住んでみたいともなるからだ
現代だったら便利な場所に住みたいとなる、仙台市とかに津波とか原発事故とかで移り住んだ人が多いのもそのためである、もともと仙台市に住みたいという人が多かったから
津波とか原発事故を契機にこの際移り住むという決断ができたとなる
原発事故の被害者は補償金を結構もらったからそれでまた移りやすいとなっていたのである
でもせっかく建てた立派な家を失うことはただ家という物を失うだけではない、そこで暮らした思い出も失うとなる、そこで生活した思い出は外に移るとだんだん消えてゆく
家とかその町が活きていれば思い出しやすいからである
そういう思い出は簡単に作れない、もう二度と作れない、60過ぎてから他の場所に移ったりしたらなかなかなじめないし思い出を作りにくいのである
ただ南相馬市内での移住だから楽だとはなる
浪江とかなると南相馬市の市民になっていないのである、宙ぶらりんな状態が続いているのである
その人はなんか大家族で住んでいたがそれが一人とかなり淋しいとかなる
何か妻も息子の所に行ったとかある、他の人でもそういう人も結構いる
つまり家族がばらばらになったのである
だから補償金を持乱たとしてもその失ったものは相当に大きいとなる
つまり補償金だけでは補いないものがある
また補償金がいいものとして作用してもいないのである
なぜなら補償金もらったから外に出た方がいいとなると町や村の復興はなくなったからである
ただこうなってゆくと復興できない、老人だけの町となると介護になったりまたそこで町を継続できない、そして南相馬市でもそういう小高のような区域をかかえることは負担になる、若い人がいないのだから町を支えられないともなるからだ
それは南相馬市全体の負担になってしまうのである
それはだから他人事ではない、相馬市でも新地でも移住した人たちが多いからである
だから周辺地域もまきこんで問題になっているのだ
こうしてもう町でも村でも維持できないというとき切り捨てるということも考える
なぜならここだけではない、負担が大きくなると町や村も維持できない
大きな地域の限界集落のようになってしまったのである
それで避難区域の復興をあきらめるということも考えられる
現実問題として維持できない状態に老人ばかりでなってしまうからである
もちろんそうならないのがいいしそうあってほしいが現実問題としてどうにもならない
切り捨てるということにもなる
ただ南相馬市なら原町に移り住むとかする、現実にそういう方向に向かっているのかとも見るからである
2021年04月24日
原発反対が被害があった地元の人が先頭に立てない矛盾 (補償金増額交渉になり外部と協力できないーはだかの福島ータクキヨシミツを読む)
原発反対が被害があった地元の人が先頭に立てない矛盾
(補償金増額交渉になり外部と協力できないーはだかの福島ータクキヨシミツを読む)
不思議なのは肝心の原発事故で一番被害にあったその場所で原発反対運動ができない
別にしているのではないかともみる
でも具体的に原発反対運動でも地元では必ず補償金をもらうための反対運動であり具体的に金を東電であれ政府に要求しているのである
それで南相馬市の鹿島地区で原町区と合同で原発反対の集会があった
それが協同できなかったのは原町区は鹿島区の三倍の補償金をもらっている
それで協同するにもできない、30キロ圏内補償金の差が大きかったからである
もし同じ補償金を求めて増額を求めてならできるがそもそもこの金の問題で協同できないつまり肝心の原発事故の一番の被害者が証人が原発反対ができないのである
それは再三言っている漁業組合でもそうである
事故前も多額の補償金をもらっていて事故後もさらに相当な増額されて浪江の請戸では
10億円もらった人がいるというときそれが嘘でも浪江の人たちでも補償金の差が大きいからそういう噂がでてくる、それだけ金が飛びかうのがこの辺だったのである
大熊町長の金庫が津波で流されて探してくれとか噂になった
そこには5億円が入っていたという、それもまんざら噂ではない
それだけの金が事故前でも事故後でもさらに金がとびかう場所だったからである
その後除染で地元の業者の幹部に何億円の報酬があったとかなる
それが不正で警察に逮捕までされた
このようにこの辺は常にそうした金の話題になった場所なのである
原発というのはそれだけ金のなる木だったのだである
まるで金にむらがる巣窟ともなった
第一天下りというのも官僚も多い、検察から警察から海上保安庁とか自衛隊でもそうである、原発はこうして金をうみだすものでありそこにあらゆる人が群がったのだ
だからいくら原発反対とか言っても肝心の被害者は先頭に立てない
あいつらは金が欲しくて運動している、俺たちは金と関係なく原発に反対している
だから金が欲しい被害者と一緒には運動できない
こうなってしまう、だからこの本を書いた本人は一緒に原発反対運動をしない
大内村に住んでいたのだから補償金をもらえたのにもらわなかった
つまり補償金を欲しいというだけの人とは一緒に行動できないとなった
「獏原人」というヒッピー集団はそもそも山尾三省とかの思想に共鳴する人たちだったろう、ただ山尾三省のように明確に原発に反対して自ら行動として農業をしていたのとは違うみたいだ
原発事故以後山尾三省が見直された、なぜなら明確に原発に反対するものとして農業を屋久島ではじめたからである
だから説得力がある、それは飯館村ではじめた「までいな村」のさらに極端化したものだろう、だから半裸で生活していたというからだ
ただそれは変人集団であり周りでは必ずしも歓迎されないしそれに共鳴ひる人たちは村でもいなかったろう
むしろ山尾三省のようにもっといい暮らしをうまいパンをいい車をいい家がほしい・・・その欲望がかえってこの辺では強かったのである
パンが贅沢だとなんたら誰もそんな生活についていかない、でもその極端化したことが
地元の人でも故郷に住めなくなってロウソクでもいいから家族一緒に住みたいとなったのである
それは原発事故の結果住めなくなったからそこまで言うようになったのである
ただここでも農業や漁業も林業でも衰退して跡を継ぐ人がいず困っていた
むしろそういう一次産業では豊かになれないとして原発を積極的に誘致したのである
それは地元の要請でありまたそれに応じた県の政策にもなっていたのである
それで「「原子力明るい未来のエネルギー」がスローガンになっていた
しかし原発は致命的な結果をもたらした、空気と水と土と森の木材まで汚染したから住めなくなったからである
だからこそこういう極端な状態になるとなんとか住めればいいとなる
住めることが幸せだとなってしまう、そういう極端なものにもなったのである
ただ事故後もここに住む人たちの意識は生活態度は変わらなかった
今度は補償金闘争となりどれだけ補償金をもらうかで協同することになった
その額がまた大きいのである、ある人は大熊の牧場主は5億円もらったとか飯館村でも一億円は軽くもらったとかその噂が絶えないのである
請戸の船主が十億円もらったというのもそうである、漁業組合とか特に船主は手厚かったからである
それがまるっきり嘘とはならない、現実にもらった人はいるのである
それだけ手厚い補償金だったのである
だから矛盾しているのは海にトリチウムを流すなというとき必ずそこに金が関係してくるしないとしてもこれまで金をもらっていたのだからまた金が欲しくて海を汚すなと言っているのかとなる
だから韓国とか中国でトリチウムを海に流すなというときそれが嫌がらせともなるが
海はみんなものだからそう言っているのである
だからいちがいに否定はできない、ここで矛盾しているのは中国でも韓国でも原発をもっていて韓国ではトリチウムをすでに海に流している
その量も多いとしている、これも矛盾なのである
そもそも原発自体を廃止する作らないことこそが世界でも協同すべきことなのである
それが肝心の原発事故の地元で先頭に立てないのである
地元では金のための運動となり外部では金は関係ない、むしろ自腹を切っての運動ともなるからである
その差が大きいために協同できないのである
そして事故後も依然として事故前とこの辺では変わっていない、事故前は豊かな暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致した、事故後は今度はより多くの補償金をもらう運動に変化しただけである
そこに共通しているのは金がもっともらいうまいパンをいい車をいい家が欲しい・・・・限りない欲望の拡充なのである
だから何かその補償金は別に復興のために使われていない、かえって豊かな暮らしができない、放射性物質で汚染されたからもう住めないと若い人たちは補償金をもらい外に出て行き新しい家を建てて帰ってこないのである
要するにもともと郷土愛とか何か地元に執着するものがなかった
ただ老人は思い出に生きるから故郷に執着して帰りたい住みたいとなったのである
それは現代ではここだけではない、金があればどこに住んでもいいし移住でもできるからである
そして地元の人でも放射性物質に汚染された場所に住めないとなればそれまでだからである、子供たちに悪いとなれば何も言えないからである
とにかく原発というのは最初の段階でその是非をよくよく議論して決めるべきものだったのだろう、ただ金になるからと安易に決めたことが問題だった
第一賛否両論などない圧倒的に地元の人たちも賛成してはじめられたのが原発だったのである、それだけ農業や漁業や林業だけではもう成り立たない社会になっていたこともあるでも逆に何かその農業や漁業や林業が一番被害が放射性物質に汚染されたのである
土や水や森林でも人間のベースとして必要なものが生態系が汚染されて住めなくなったのである
でもそれはもともと衰退産業でありそれより金になる原発だとなり景気良くなると歓迎されていたのである
それで小高ではすでに東北電力の原発が開始されるところだったが事故で停止されていたのである、そこでも小高の人が景気良くなると言っていた
それも今考えると事故になったら今度は南相馬市全体がまた相馬市まで影響して住めなくなったということがあったから恐怖だった
それもまた知らないともなっていた、地元の新聞でもテレビでも雑誌でも取り上げなかったのか、一応報道するにしてもその危険性を警告はしていなかったろう
だから知らないうちに重大なことが決められていてそれが気づいたら大災害になったともなる、だから無知は恐ろしいとなる
自分自身はとうかというと30キロぎりぎりだから何か他人事にもなっていた
遠いから関係ないと見ていた、でも小高に東北電力の原発ができたらそうはならない
もうすぐ近くという感覚になるからだ、それすら知らなかったのだ
まず直感的にそれだけ近いと何か不安になる、それは理屈ではない、直感的にそうみる
「現地調査を行った東電社員に大熊町長が宿舎に突然四斗樽をもって現れ「陣中見舞いに酒をもってきました、私は東電原子力発電所に街の発展を祈念して生命がけ誘致している本当に発電所を東電は作ってくれるのですか
私の車を使ってください、新車のデポネア、(三菱の最上級車)翌日回してきたという話も紹介されている」
大熊町長という5億円金庫が流されて話題になった、その町長とは違っていても何かこうして実際は双葉町でもそうだが積極的に誘致されたものだったのである
町民全体でその良し悪しを議論すらしていないのである
原発ありきではじまっていたのである、確かに立地場所で反対があったが金をやったら簡単に許可したということもそうである
一億円もらったとかなれば誰でも売りたいとなるからだ
ただこの問題はそうしたわずかの土地所有者とかの問題ではない、福島県全体にそれより日本全体にも世界にも影響するものとして見なかったのである
だから今になって中国とか韓国からトリチウムのことで批判されるのである
それはここだけではない、日本政府の指導のもとで原発のプロパガンダが行われてマスコミにも莫大な金が流れて洗脳されていたから何か探ることもできないものになっていた
それはアメリカの後押しがありアメリカで古い型の原子炉のマーク1を売りつけたのである、それは後進国にはお古が武器でも売りつけられるのと似ていた
でもこの原発は危険なものだから日本政府もずさんであり責任があった
東電だけの責任ではなかった、政府指導で行われたものだからである
政府に責任があるというとき政府は議員が国民が選ぶのだから国民にも責任があったとなる、それは戦争とも同じだったのである、軍部に責任があったことは確かでも国民も熱狂していたというからである
ともかく原発に関しては本当は国論を二分するようにな論争が必要だったともなる
そういうこともなく一方的に決められあとは「安全神話」が強力な権力で作られて終わったのである、その安全神話には明確な根拠などなかったのである
ただ反対されるのが嫌だから権力でおしつけただけだったのである
このことをふりかえると金でふりまわされていた、その金が実は具体的なカルマとなっていた、東電であれ政府であれ金をもらった時点で具体的に了解したとなる
だからお前たちは事故にあっても何も言えない、金をもらったからだとなる
それでヤクザの仁義でも金をもらったからヤクザの闘争に参加して人を殺したともなる
それはドラマでも金をもらったらそうまでなる、地元の人たちは金をもらった、受け取った、その時点で例え今回の様な大事故になっても何も言えないとまでなる
お前らは共犯者だともなる、確かにそうだともなる
なぜなら自治体の一員というよりは東電の社員と同じになっていたからである
東電がヤクザではないにしろそういう立場になっていたということである
でも今回の本はやはり事故前から大内村に住んでいたことで説得力があった
それが他と違っていたのだ、やはりそこに住んでいる人が命にかかわるのだから切迫した状況を伝えられるのである
内部の人が批判するのはむずかしい、実際に補償金をもらっている