2017年05月22日

ゼネンコンの正社員は除染で3万円 下請け除染員は7000円の不満


 ゼネンコンの正社員は除染で3万円

 下請け除染員は7000円の不満

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除染などの費用 今年度までだけで3兆円以上の試算


2016年分だけでこれだけかかっている、途方もない金である



 よくわからなかったけど山梨の人はの不満はこのことだった
大成建設とかの正社員は除染作業で一日3万もらっているという
それで一カ月75万になっているという
下請けの作業員は7000円だからその差が大きいのである。
その人は7000円しかもらえないから不満を言っていたのだ

なぜそうなるかというとゼネコンで除染の責任をとりたくないから中間業者をへて下請けにまわる、その中には暴力団関係が人を連れてきて働かせて金がそっちにまわってゆく、責任とは除染をしてそのことで住民からクレームが来るとき困るからだという。つまり自分たちの責任ではない、下請け業者の責任にする
政治家が秘書に責任にしたりするの構造が同じである

そして除染は手抜きでありただ草刈っただげで終わっているのもあるという
実際にモニタリングポストの下の土をとっているからそこは低いけど回りはその倍はあるだからモニタリングポストの数字の倍はみないと放射線量の正確なところはわからない
だから飯館の佐須で0・7が計測されていたけどその倍となると1・4だから高いとなる
今は1以上だと何か高いとみるからである。飯館は全般的に高いのである
その飯館で大成建設が除染作業をしていたのを見ている

除染には国から兆の金がでている、その金がどこにいったのか?
それはゼネコンの大成建設とか清水建設とか大手の正社員に主に流れた
その下請けにも流れたが下請けだと7000円だったから安い
何かここに大きな悪が生れていた、この構造は今だけではない、前からあったことであるその原因はゼネンコに金が回りその金が今度は自民党に献金として回ってゆく構造にあったという。自民党員になっていれば献金はいくらでも可能だとか言っていた
そういう構造は前から言われてきた

よく格差社会のことを言うけどここに大きな格差を産むものがあった
大企業と政府とか大きな権力は結託して利益を得る利権構造があった
その下で苦しむものがいる、その人の不満はそこにあった

3万と7千円の差は大きい

その人は事業を失敗して家族を失ったとか苦しんでいることもあった
だから事業については詳しい、人を使うこともしてきたからそういうことを知っている
ただその人はまだ南相馬市にいて仕事を探すという
でも精神的ショックで病んだから仕事でも何でもできるわけではない
しかし何らか仕事を得ないとまずいということはある
山梨に帰れない事情ができているのかもしれないからだ

いづれにしろ兆もの金が自治体に回らずゼネコンとかその中間業者とか暴力団とかにまわって自治体の復興につながらなかった
つまりその人が言うように自治体で除染をすればそんなに金もかからないしその兆もの金を復興資金として使えば良かったとなる
なぜ自治体は市町村は何もしなかったのかとなる
二本松だったかほんの一部で地元で除染を請け負ってしていたところはあった
でもほんとんどは大手のゼネコン経由でしきられて除染したのである。

結局ふりかえるとまず原発を建てるときから自治体というのはその市町村は何の働きかけもなかった、そこに国の大きな権力が働き県と国でも一体化して原発は建てられたのである。
自治体というとき地元密着であり地元のことを優先する、そこに生活するのだからそうなる、ところが大手のゼネコンはここで生活するわけではないから除染にしても楽してごまかし金だけもらおうとする
もし自分が住んでいる場所だったら動機も違ってくる、放射線でも日々影響するとなるとなるべく減らして生活しようとなる
それは東電が建てた原発でも言えたのである。

東京の電気を供給するなら東京に原発を建てればいい、そしたら真剣に自分たちが危険にさらされるから管理することになる
それが東京から離れてフクシマに作ったのは自分たちの安全を計るためだったのである。東電の社員でも地元に住んでいれば意識が変わっていた
一部はそうだった、だから浪江の津島に放射線のことを知らずに逃げた
その時東電の社員もいて街の方に引き返した方がいいとしてそれに従い住民も引き返したのである。それはその人がここに地元に住んでいたからそうなったのである。
自分も被害者になったからそうなった,そして東電では東京本社から事故のとき指令を出していたのである。ここにも意思疎通がうまくいかなことがあった
それで吉田所長が独自の判断をして失敗したということもとりざたされた

結局自分たちが安全ならばいいということでフクシマに原発が作られたことがそもそも事故にもつながった、離れているから自分たちには被害がないという前提で建てられていたからである。
一方で地元というとそうした国と東電という大きな権力の圧力のもとで自治体でもなんら抵抗するものがなかった
肝心の自治体が自分たちの住んでいる住民を守らない、また住んでいる人たちも自分たちの住んでいる土地を守る意識がなかったのである。
事故後もそうである。ゼネンコの大手に除染をまかせる、そこで手抜きがされるのは外から来た人はそこに住まないから金をもらって適当にやりごまかしして楽したいとなるからだ、地元に住んでいる人とは違った意識になるからそうなる
今回のことで国と県と自治体の関係が問われた、それより自治体が市町村が何ら国とか県のなすままであった、復興するにしてもそうである。
自治体というときそこの住民も自治体の一員だったがその人たちもやはりよそ事のようにして原発が建てられたし事故後も自治体は有効に国からの金を活かせなかった

例えば補償金でも実は兆もの除染費用があるなら自治体主導すれば復興にまわせるし補償金にも回せたのである。南相馬市だったら鹿島区は百億円を支給した
それ以上の金はまわせた、そうなれば小高と鹿島区の対立もなかったともなる
これはいい悪いでないにしろ例えばでありそういうこともできる金が実はあったが活かせなかったのである。
それは自治体でもその住民でももっと一体となり働きかける力がなかったともなる

地元というときそこに住んで生活して死ぬ場所でもある、その土地と一体化してある場でありそれは今の世代だけではない代々受け継がれたものとしてある土地である
そこが汚染されて住めなくなるとかそういうことは地元の人にとっては耐えられないたことでてある。
でも地元の人にしてもそういう強いここが掛け替えのない土地だという意識もなっかのである。そういう危機感もなかった
自分たちで自分たちの住む場所を守らないとしたら誰が守るのか?
もしそういう意識がないとしたら自治体の住民なのかともなる
そんな人は住民としての資格があるのかとまでなる
そういう人は別に一億もらってどこにでも去ってゆくとなる
実際にそうなった面もあった、金の社会であり移動が自由であるときどこでもそうなりやすいのである。
ただそういう人は本当にここに住む自治体の一員としての資格があったのかとまでなる

話は変わるがベトナムではなぜアメリカに抵抗できたのか?アメリカが征服できなかったのか?
それはベトコンがその土地に愛着がありアメリカが外国人が侵略して支配されることに根強い抵抗があった、だから穴を堀り地下にもぐり抵抗したという。
南国だから芋がすぐに成長するから食料になったという。
そのパトリシズム(愛郷心)が根強くあったからあれだけの抵抗がありアメリカは敗北したのである。
それだけの愛郷心があったということ、そういう愛郷心がその土地土地に住む人にあったただ現代では便利なものを求めてそうした愛郷心が希薄化してきたことも事実である。
だからこそ不便になったらこれだけ荒廃したら流出してゆく、不便な所には住みたくないとなって流出したのである。
ともかくこの辺ではいろいろなものが問われた場所になったのである。

あの人の不満は大きいからその捌け口がどこになるのか?それが今度は共産党とかの支持につながる
共産党もまた幹部は贅沢しているし実際は同じ構造があるが刷毛口がないからそうなりやすい
こういう構造はアメリカでもある、大企業が刑務所に入っている人を安い労働力して使っていたのである。
これもブラックジョークとなるが一体悪い奴らは誰なのか?
ゼネコンの正社員なのか大企業なのかとなる
その大企業と結託した政府なのかともなる
正社員と非正規の格差問題でも同じである。
こういうことは歴史上常にあったことである。支配するものと支配されるものがいて支配されるものは悲しむ者となる
この世のとはそういうところであり何か変わらない、正直者は馬鹿を見るということでもある
ただ自分でもそうした得をしている方なのかもしれない、そういう人はやはりいつまでも得をするかとなるとならない
そういうカルマをもったからそのカルマを受ける時がくる
自分が苦しんだのはそのカルマが家族でも積み重なっていかからかもしれないからだ。
そういう社会がいつまでもつづくとは思えないのである。











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原発事故の避難区域の復興を担うものは誰か? (外からの人でも誰でもいいとはならない)


原発事故の避難区域の復興を担うものは誰か?


外からの人でも誰でもいいとはならない


●若い人

●技術を持っている人経験者

●何かを指導できる人(年配でも可)


「南相馬で復興を支えるエンジニアを求めている」。ITに詳しい市内の若者を紹介された。

地元の人間だけになったら、きっと原発の話とお金の話ばかりしていると思う。地元の人間だけでは、芋こじが開かれた場にならない。それでは続かないです。色んな人が来て、色んな人と会える。色んな人と話ができる。

ここで地元の人というとき南相馬市とか相馬市も入る、もっと広範囲になるかもしれないつまり福島市だってそうだし郡山市だって入る、するとそこで補償金のことで争うことになる、特に南相馬市は鹿島と小高が対立状態になった
だからかえって外からの人に期待されるのもわかる、何も土地のしがらみがないからいいとなる

でも移住するにしてもみんなが誰でもいいわけではない、ただ年寄りは若い人ならその土地にとっていいのである。先があるし時間をかける時間がある
年よりは時間がないので先がないので新しいことをはじめるのが苦手になるからである。山梨の人は事業に失敗した、その話は参考になる、人の使い方などを知っている
人がいいので人に裏切られらて失敗したのかもしれない。
だから十年その人も老けてしまったのである。あんまり人は苦労すると年とるのである。自分も若いときそうだった、若いとき苦労したので急激にふけたのである。
そんなもの苦労ではないと言えばそうだが自分にとって苦労だったのである。
その後30歳以後故郷に帰り楽したから体が弱くてもここまで生きたとなる
やはり人間はあまりにもきつい生活だと早めに死ぬようになる
パンも食べられないような生活でははやめに死ぬのはやむをえない

小高は今は外から来ている人が増えたという、小高は前よりは増えているだろう。
こういうときは人手を求めているから他からでも受け入れやすいのである。
だから小高では外からの人が来て元気がでてきているのもそうである。
でも誰でもいいわけではない、何か技術でももっている人がいいのである。
若い人は何ももってなくても若さがあるから受け入れられる、
山梨の人は急激にふけてもう何もしたくないとなっている
人を使うということが嫌になっている、それほどひどい目にあったともなる
人間不信になり病気にもなっているからだ
こうなるとこういう人は何か悪いが受け入れるにしても受け入れる側もその人に何かしてもらうのではなくしてやるという感覚になるから受け入れがたくなる

ただ内輪では帰る人と帰らない人がもめているし南相馬市内でも補償金でもめている
必ず鹿島の人に会うとその話になるのである。
だからかえって外の人の方がいいとなるのがわかるのである。
この辺では外部から入る人が今もそれなりにいる、駅にいるとそういう人たちが出入りしているからわかるのである。外部の人たちがまだ活気を与えているともなる
小池にコモドインとんうホテルができてランチも食べられるようになったのもそのためである。家も何百軒と建って都会化したのである。
駅というのは地元の人たちだけが出入りするのだとつまらない、外部の人が出入りしてくると活気がでてくる、その中には外人もいたからだ

避難区域になった所の復興は外部からの力が必要である。でもそれが誰でもいいとはならない、若い人は技術がなくても経験がなくても受け入れられる、体力はあるしその先が長いからである。
50以上になるとやはり技術をもっているとか何か経験があり人を指導できるとかの人でないと無理だろう。
だから変なのは東京辺りの介護が必要な老人を受け入れろとなるとそもそもこの辺では病院でも看護師がたりないし介護士もたりないのだからそういう人を受け入れるのは金をもらってもできない,人手不足がこの辺では深刻なのである。
そして老人が他より65歳以上が30パーセントとか多いのである。

そして今度は復興住宅に移って来た人も老人が多くその子供は流出して老人だけ取り残された人も多い、都会の老人を田舎で引き受けても例え金があっても活性化はしないのである、金でなんでもできるというわけでもないのだ
復興にしても実際は金が有効に使われずに兆の金さえ無駄だったかもしれないからだ
山梨の人は確かに経営者として経験しているがもう人を使う仕事はしたくないという
では何をするのか?農業するなどと言っても全く農業のことを知らない、だから簡単に考えている、となるとこういう人を受け入れても負担になるだけかもしれない
だから誰でもいいから受け入れるということはできない、ただ若い人は何もなくても受け入れやすいのである。それも40代とまりだろう。

結局これだけ老人が多いということそれが復興の障害となる
老人はこの先どうするかというとき補償金とかの方を先に考える、何か復興するというより楽したいとなる、だから小高の老人は国民年金ではたりないからもっと年金として補償していほしいと訴えたことでもわかる、老人は苦労したくないからそうなる。
農業を会社経営にしたとしても60以上が多い
するとどうしてもそこに若い血を導入する必要があるのだ
これはここだけの問題ではない、ここでは何でも極端なものとして現象化したのである。
ただ数万円の収入を得るために四苦八苦しているとかなると楽ではない、その分を農業していれば野菜とか米をもらいたりすればいい、でもそれも今はむずかしい
第一野菜をもらえばいいというがもらえるほど作るのか容易ではないのだ
今野菜が高くなっているからもらえればいいがその野菜を趣味で作っているだけでも労力が金さえかかる、そして何にももらえないのである。人にくれるほどとれていないのである。
現代は現金収入がないとどこでも生活が苦しくなる、飯館村などでは震災前は自給自足的な生活をしていたがみんな出て行ってしまったという、そういう人はまた愛着がなかったのかとか批判される、苦しいときこそ何か助けになることをすべきだと地元の人は思ったからだろう。

それは地元の人でもそうである。なぜ故郷を捨てて出たのか?外に出た人と残った人で争う、それで飯館村では外に出た人と残った人で草刈りをしたというのもそのためである。この辺では様々な対立が生れたのである。
第一飯館村では補償金をもらって外に出た方がいいという人と残る組が二つに別れて争いになったことでもわかる、その争いが深刻なのである。
蕨平の人は40軒あったが残るのは一軒であり牛を飼うことであれ農業が田んぼの管理でもできなくなっている、それで小高辺りでもあきらめるという人がでてくる
もともと後継者がいなくなっていたから余計にあきらめる人か多くなる
共同性が失われたからその共同性を具体的に意識されたのである。
個々の家というものは常に意識されるけど共同しているということは意識されないのである。
でも現実にコミニュティとかこのうよに破壊されると強く意識されるのである。
特に農家の場合は一軒一軒の家では成り立たないのが農業だったから余計にそうなったのである。

ただこういうときは外からの人も入りやすい、助けを求めているのだから外からの人は若いなら歓迎される、普通だとなかなか入りにくい、その外からの人が逆に指導的立場にもなりやすいのである。
なぜなら地元の人は老人が多く、出る人と残る人で分断されたり補償金とかでもめたりと一致していない、外からの人はかえってそうしたしがらみとかもないし新しいことをしやすいのである。何かこういう場所だからこそ生きがいを見つけやすいともなる
町や村をリードする立場にだって成りやすいとなる
地元の人が困り求めるているからそうなる、普通だったらそうはならないからだ。




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2017年05月17日

海は誰のものか? 船主や漁業権者の不満が原発事故で大きい


海は誰のものか?


船主や漁業権者の不満が原発事故で大きい



 特定の人(漁業協同組合関係者)だけが、漁業権の免許権者である都道府県知事から免許されることによって、一定範囲の漁業を独占排他的に営みその利益を享受することができる、


実際には、漁業権の譲渡は、例外的な移転を除いて禁止され(同法26条1項)、貸付は不能(同法30条)であり、抵当権の設定、使用方法に至るまで、漁業法は多くの制限を科しており、民法上の物権とみなしていると考えられる点は殆どない。

漁業権とは魚などを捕ったり養殖する権利のことで、海を占有する権利ではありません。ダイバーは当然、漁をしている場所で潜ったりしませんから何か捕らないかぎり、漁業者が「ここで潜るな」などと言うのはすじ違いなのです。


フクイチ事故でとん挫した上関原発計画であるが、何が何でも祝島漁民の漁業権を奪うつもりのようです。

10月11日、祝島漁協有志で山口県漁連に申し入れを行い、これ以上祝島漁民が漁業権を売らないという意思を尊重し、妨害しないことを求めました

地理的に限定することはきわめて困難かつ時間的に限定することが不可能であるという、
原子力発電所の特徴を考慮すれば、
そうした広範な人びとからの強い反応は当然だと私たちは考えますが、

祝島支店の32名 (過半数)の正組合員および8名の準組合員は今年3月、
この漁業補償金を受け取らないという意思を、改めて貴組合に申し入れております。

今この辺では補償金でもめている、原発事故で避難解除になったからだいたい支払いが終わっている、でもこの辺では船主とか漁業関係者への不満が根強い、それはもうみんな知っている、海岸に住んでいた人も別に船主でもない、漁業にたずさわらない人は多かったそういう人たちは何ら補償がないのである。
それで海老の人が家も流されて生活が苦しくなったからその不満を言う
しかし海岸に住んでいないものはわからなかったのである。
自分もわからなかった、ただ海岸に住んでいる人は漁業関係者が金があるのを知っていて原発事故前からその不満かあったが公には言っていないのである。

それで原発御殿が建ったとかは本当だった、ある人は船主の家に招待されて金の襖があったという、それは東京の職人を呼んで作ったものだったという、その御殿も津浪で流された、それは請戸の港の家だったという。
このことは例えば駅に東京などから帰省してくる人たちも家族から話を聞いて知っていたのである。もうこの辺ではみんな知っているしその不満がぶつぶつと溶岩のようになっている、だから一面そういう不満が爆発したら怖いとなる
いくらそれだけ補償金をもらっても漁業関係者も安穏としては住んでいられないともなる
そもそも漁業権とは何かとなると明確ではないのである。例えば一定水域での漁業にたずさわる権利というものがある。それは広い領域の漁業権ではない、そういうのは代々受け継がれた権利ともなる

貸付は不能(同法30条)であり、抵当権の設定、使用方法に至るまで、漁業法は多くの制限を科しており、民法上の物権とみなしていると考えられる点は殆どない。

これはそもそも漁業権があるのは認めていても漁業権を売り渡すことはできないとうことになる、ではなぜ東電に漁業権を売り渡したのか?
東電の原発のある場所の水域は東電のものであり他の人は立ち入れなくなったのである。その海を所有していたのは漁業組合だからそれができたのかとなる

不思議なのは今山口県の上関原発建設にあたり

原子力発電所の特徴を考慮すれば、
そうした広範な人びとからの強い反応は当然だと私たちは考えますが、

ここでは漁業者だけではなくその土地の広範囲な人々の協力を得て原発を建てさせないようにしている
ところがこの辺では原発を建てるとき漁業権者がその権利を独占して補償金をもらっていた、事故後も多額の補償金をもらっている、それでみんな立派な家を真っ先に建てたのである。一番手厚いの漁業権者にされたからである。

そもそも海は誰のものかというとき漁業権者のものなのか?市町村のものなのか?
県のものなのかとなる、ここでは意外と県が許可権をもっていて法的な権利をもっている原発を建てるときもその土地の所有者と県の許可で建てられたということになると
県の力が強いからそうなった。
その私的に土地を所有したり海を所有したり山を所有したりということが明治以降にありその弊害がいろいろ現れて原発にも及んだのである。

自然は海でも大地でも山でも川でも一つにつながっているからそもそも一区画を自分のものだという私的所有になじまないのである。
入会権から山を私的所有になると無数に山が分割されてその一部を誰かに売ることができる、するとそこがソーラーパネルにされて自然破壊が起こった場合、山全体に影響が出て村全体にも影響がある、土砂災害が起きるかもしれない、そして有害物質となりそれも影響してくる、自然とはもともと私的所有になじまないから国有になっていた。
そういうことは農業するものにとってわかっていたから田んぼは勝手に売れないものとして今でもある。

海は誰のものかというとき漁業権者はあくまでも市町村とか国からその権利を漁業資源保護のためにとか委託されたものである。
なぜならその許可は県とか国が出しているからである。
それよりそこに住む自治体のものであり漁業権者だけのものではない
その海を自分たちだけの権利にして東電に売り渡すようなことがそもそもできたのかとなる、それは法的にも検討されればおかしなものとなる

あなたたちはそこで漁業する権利を与えます
魚をとりすぎたりしないように保護もしてください
魚でも汚染されないようにしてください

それは言えるにしてもそれがどうして東電に売り渡して補償金を得ることができたのかとなる、漁業の保護とは何の関係もないからである。
むしろ海が汚染されて魚がとれないとか売れないとなるから拒否する
それならわかるが補償金をもらうために漁業権を売り渡すことはできない
第一東電の原発が建っている海岸を立ち入り禁止にしても汚染されたら事故でわかったように海全体に汚染水が流れて拡散されるからである。
それは福島県だけの問題ではない、日本全体のひいては世界の問題までに発展する
だから県だけの許可でもそんなことができたのかとなる

自然の権利となるとそれらは切り離されずつながっているからその権利の主体は広範囲になる、だから一区画を所有しているからそれを売って原発を建てさせて県が許可するなどあってはならないことだった
それも過剰な私的所有の権利を与えたために起きたことである。
俺の海の前まで権利があるとか補償金のために言う人もいた、小高では誰のものかわからない私道まで権利が主張されたりもした
これは人間の欲が限りなくなるから歯止めがきかなくなり自然を我が物にしようとする

猪苗代湖の岸辺の砂浜に自転車で入ったらここは入ってはいけないと言われた、所有者がいてバンガローのようなものを建てていたからである。
猪苗代湖の岸辺も私的に所有されているのか?そこで独占して利益を得ている
それは誰のものなのかとなる、そんなことして利益を得ているとしたらなぜそうできるのかとなる、プライベートビーチとんかのもそうである。
ホテルなどが所有したらそこに立ち入ることもできなくなるのである。
そういう場所が結構ある、すると自然を平等に楽しめないとなるのである。
そうしたかったら金を払いとなるのである。

そもそも土地を売買する投機の対象にした資本主義自体が誤っていたと言う人もいる
土地は全体とつながっているから区画して売ることになじまないのである。
海でも山でも川でもなんでもそうである、それを所有するということになじまない
ただ相馬藩内で小良が浜(おらがはま)という小さな港が双葉にあったりしたのはここはおらの浜だという意識はやはり江戸時代からあったとはなる

今回だけは漁業権者だけが手厚い補償金をもらう権利はない、それは市町村の住民にも権利がある、その海の権利はあくまでも魚をとるための権利であり海を売り渡す権利などないしそもそも法律的にも売るものとして物権とかにならないとあるからである
だから法律的にも違反していたから法的なものとしても裁判になるものでもある
ただこれだけ回りに不満があるとなると漁業権者でも船主でも苦しいとなる
回りがこれだけ不満であることは感じるから苦しいとなる

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2017年05月11日

浪江の山林火災で放射性量は上がっていた (常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)


浪江の山林火災で放射性量は上がっていた

(常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)



東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域に指定されている浪江町井手の十万山で起きた山林火災で、 
県は9日、周辺3カ所で8日測定した大気中を浮遊するちりの放射性セシウム137の濃度が前日の約3〜9倍に上がったと発表した。 

配信 2017年5月10日 

毎日新聞 続きは会員登録をしてご覧になれます 


浪江の山林火災で放射性物質が拡散して放射線量が上がった、やすらぎ荘で9マイクロシーベルとになっている、これは今だと高いとなる
そもそも飯館村でもあれだけ高かったのに草野で7マイクロシーベルくらいあったのにその半分以下とかなっている、0・5とかになっている
それがなぜなのか?除染した結果なのか?
ただ森の中は3マイクロとかありそれは変わっていない、森の周辺の樹木を切って除染した。でも森があるとそこから放射性物質が流出する
山林の放射性物質の放射線量は変わりない

放射性物質は減るのはセシウムだったら30年後でありその間減らない、ただ除染すれば減る、でも山林は除染できないことで浪江の山林火災でまた放射性物質が拡散した
除染するにはどうするのかというと泥ととか土についているからそれを除去する
溜池を今は泥と水を分離して除染している
でも回りから放射性物質の泥がまた流れてくると同じになる
それでも数学的には放射性物質が一定数ばらまかれたというときその一定数が変わらないその一定数を減らすには除染する他ないとなる

部屋の中の放射性物質は減らないのは除染できないからである。
屋根とかは洗い流して樋とか土にたまった放射性物質をとりのぞき減った
山林は除染できないからそこに一定数放射性物質が残存する
だからこれほどやっかいなものはないのである。

モニタリングポストの値は下の土をとったりして設置されているし低い、モニタリングポストの近くでも倍とかありだから倍とかにして見ないとわからない
飯館村で0・5でも実際は1以上になっているから今では高いとなる
0・23以下が住める基準になっているからだ。

なんか放射性物質とか考えると数学的思考が身につくともなる、そもそも数値でしか計り得ようがないからだ。だからこの辺では放射能に興味をもつ子供でも若い人でもでてくることは確かである。現実にこれだけ被害があるからそれが直接かかわるからである。

原発の問題は浪江の山林火災でも同じようなことがおきた

放射性物質は拡散しないから安心してください

こうしたことが福島県の広報で発信された、原発も爆発したとき御用学者がメルトダウンはしていなとしきりに言っていたが嘘だった
今回も同じだった、真実を報道しないでただ安全です、安心してくださいという報道になったのである。
原発はこのうよに常に少しでも不安を与えることに異常に過敏なのである。
そこで真実の報道はおさえられ、安心です、安全ですという報道になる
それこそ「安全神話」を作ったことでもわかる
そして事故が起きるということも言えない、科学的合理的なことも追求されずねじまげられて報道される、そんなわからない危険なものには手を出すなとなる
原発にたずさわるもの科学者でも常におびえているからそうなっているのだ。
いくら安全を唱えても科学者でも不安がありそれでなんとか科学的合理的な追求ではなくごまかそうとする、それが原発にかかわるものの体質となっていたのである。

別に一部で放射線量が上がったとしてもそれを正直に発表すればそういうことはない、でも必ずごまかすからかえって信じられなくなりみんなを不安にととしいれているのであるかえってそのことが不安を拡大させている、不安になる人はその結果かえってふえる
不安になる人は東京でも九州辺りのペットボトルを飲むとかなる
そもそもモニタリングポストがその数値をごまかすものとして置かれていたのである。
だから何を信用していいかわからないのが原発だったのである。

つまり何か原発で起きるときメルトダウンはしないとか今回の火事でも放射性物質は拡散しなとか報道する、そういう体質は変わらなかった
だから今ある原発でも同じであり常に隠蔽されるし安全だ、安全だとごまかしてでも言っていなければならない、そこが原発の最大の問題だったのである。
そのことで拡散することを指摘した新聞社に謝罪させているというのも同じ体質である。
真実の報道をさせないのである。
原発の問題はそういうことが積もり積もって大事故につながっていたのである。
そもそも隠蔽されて真実が追求できないようになっていたからである。
「安全神話」つくれるほど強大な権力をもっていてタッグを組んでいたからできたことだったのである。




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2017年05月10日

原発事故が現代に問うたもの (苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)


原発事故が現代に問うたもの

(苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)

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そもそも自分は農民でもないしまずそうした戦前のどん底の貧乏の農民を理解できない
また戦争で死んだ人たちの苦しみも理解できない、何か理解するというとき同じような体験をしたとき理解できる
ある人は10年夫を介護していた、その時自分も介護していた
でも話したこともないから自分も相手のことは知らないからその苦労も知らない
だから相手も無関心だったし自分も無関心だったのである。
ただ互いにそのことを知ったとき同情しあわたのである。

貧乏でも貧乏を体験しない人はいくら本を読んだとしても理解できないのである。
何かをそのことをイメージしようとしても甘いものとなりできない
だから昔でも歴史でも常に人間は今の生活からしかイメージできないのである。
そこに錯覚が生れる、過去は何か今の生活からみるといい面だけを見るようになる
今からすると自然環境は良かったから昔の方がいいとかなる
でも現実にそこに暮らす人は食うや食わずだったとなりこんな所嫌だとなる
タイムマシンに乗って過去にさかのぼればそうなってしまう
そこは今から比べるとあまりにも過酷な世界なのである。

北海道の開拓にしてもあまりにも過酷でありだから
火のような呪いがあると満直が詩にした、そういうことばぎりぎりの生きる死ぬかのなかで生れた言葉である。普通呪うなどあからさまに言わないからである。
そこまで厳しい生活だったということである。
それは観念的には全く理解できない世界である。

戦争というのも何か美化するようになるけどあまりにも過酷な経験である。
だから姉は従軍看護婦として赤紙一枚で戦地に送られた
四年間シンガポールに今のマレーシアのジョホールバルで過ごした
死ぬときまで何かうなされるようにしてそのことを語りつづけていたのである。
それだけ忘れられない過酷な経験だったからそうなった
そういう過酷さをもう楽な生活をしている現代人には理解できないのである。
もちろん現代には現代の苦しさがありそのことを訴える
でもその時代の過酷さはとても現代では理解できないのである。

だからそういう人たちのことを書くとなると体験がないから書けないとなる
ただ原発事故でそういう農民であれそのことが何を今に語るのかと問われた
今は農業は辛いし金にならないからと常に否定的になり誰も跡も継ぎたくないとなった
親から農業だけはやるなと殴られたとしてその人は原発や建築現場で働いた
猪狩満直の時代はそもそも農業しか仕事がなかった
わざわざ北海道のような所に開拓には入らないが戦前までみんな農業しか仕事がない
そのことが戦争の原因にもなっていたのである。
満州に日本が進出したのは広大な土地を得て農業するためだったのである。
それであの寒い地で米まで作ろうとしていたのである。
農業には土地が必要だから満州に進出したのである。
その後も戦争が終わってもブラジルとかに移民したのも農業するためだった

ところが日本が工業化してゆくと農業に従事する人はどんどん減っていった、今や一割にもみたないし全体の生産額でもそうである。
そういう時代になると誰でも金になる仕事につきたいとなり会社勤めになる
田舎でもほとんど会社員であり農業だけで暮らしている人は一割にも満たないのである。だから人間は時代に適合して生きざるをえない
だから奇妙なのは山尾三省のようになるとパンも食べないとかなるとそれは何なのだ
テレビで良くやる貧乏を見せるための演技なのかとなる
この豊かな時代にパンも食べないとか食べるなとか何なのだとかかえって批判される
そんなことを受け入れる人は今の時代にはいないからである。

山尾三省と猪狩満直とか三野混沌などと昔の農民と比べるとまるで違ったものである。
それはまず観念的に自然と共生する思想があってそういう貧乏な生活を試みたのである。一方で猪狩満直とか三野混沌などはただぎりぎりで必死に貧乏を生きざるをえなかったのである。だからその貧乏を呪うとまでなっていた
それほど過酷だったからである。
自分もまた自然とか農業でも観念的に見ているのである。

では現代にそういう過酷な過去を生きた人たちは何を問うのかとなる
原発周辺はあまりにもその逆だったのである。
漁師は漁師で海を漁業権を売り渡して原発御殿を建てて贅沢していたし
飽くことなく現代の贅沢を求めていた、その欲は限りないものとなっていた
それはもう手段を問わないのである。原発が金になるならいい、それで景気が良くなるならいいとしかないのである。
借金して家を立派な家を建てる人が本当に多い時代である。
借金してまで贅沢したいのが現代である。猪狩満直は粗末な小屋に住んでいた
食うや食わずの生活だった、そういう農民が多いのが戦前だった
その生活の差があまりにも大きいものだった

だからそういう昔の人たちは現代の生活をみてどう思うのかとなる
この生活は何なのだと思うだろう、俺は食うや食わずで最後は病気で死んだ
ここの暮らしは何なのだ、こんな世界がありうるのかとなってしまう。
今から過去へイメージすることは現実にあったことだし一応記録もあるからイメージはできる、でもまた未来となるとこれはイメージできないのである。
ただ農業というのが楽ではないことは変わっていないのである

でも趣味でやっている人がいくら苦労を言ってもそれで生活するわけでもいな、みんなスーパーで買って暮らしている、野菜でもそうである。
だから金なくしては野菜も買えないし暮らしていけないのである。
それにしても人間の不思議はそんなぎりぎりの生活でも希望をもっていたということである。
余りにも満たされた生活では人間は自堕落になり希望すら失うというのも逆説なのか?

原発事故で避難した人たちが苦しいというけども毎日パチンコとかギャンブルしている人がどこが苦しいのかとなる、その人たちに言い分があってもそうである。
6年間はほとんど遊び暮らす楽な暮らしだったなと見るのである。
それは過去の過酷な生活を比べることやシリア難民とかと比べることはできない
それにしても自分は介護していたしその回りでも苦労していた人たちはいる
それを自分たちのみが苦しいと訴えていたのも納得いかなかったのである。
そしてなぜ同情しないのかと怒りになっているのも納得いかなかったのである。

その前にそもそも原発を誘致して贅沢をしたいということがありそれが事故となり漁業でも農業そのものもを破壊されてしまったとなる
その農業などでも飯館村などでは回復不可能にもなっている
水さえ飲めないとまでなっている、それは何なのだろうとなる
そして若い人が流出してもう町も村も維持できない状態になっている
飯館村ではこのままでは1000人くらいになるという、それも老人の割合が半分以上だからどうして村が維持できるのかという深刻な状態に将来なる
そこには希望もなにもなくなってしまうのである。

どんな時でも 仲間よ
俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう
どんなときでも 仲間よ
俺たちは新しい地を継ぐ子供のあることを忘れはしないんだ
(仲間よ、俺たちは戦っている)

俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう

これは何か生きる子供の純粋な気持ちをもちつづけることであり
そして新しい地を受け継ぐ子供のあることとは何なのか?
そういうふうに親が苦労して生きていたときそのことを子供は知っていて受け継ぐ
だからそういう過酷な状態でも人間は希望だけは持ち続ける

一方で農業だけはやるなと親に殴られた人は親になり原発で働いて豊かになってもその地を受け継ぐ人がいなくなったのである。
双葉町では原発と未来を築く町としてあった、その未来は無惨に破壊されたのである。
だから過度な豊かさを求めてそれを得たとしてもそれが未来の希望になるとは限らないのである。
現実に子供たちはその地を受け継がないで去ってしまったということである。
子供が受け継ぐというときカルト宗教団体のうよなものも受け継がないだろう。
いづれその偽善にきづくからである。

だから不思議なのはそうした過酷な貧乏の中ででも人間は未来に希望をもっていたということである。その昔の過酷さと比べると原発事故はまた違った被害だけど楽だとはなる
でも若い人たちは次代を継ぐ人たちは去って行ってしまったのである。

どんな時でも 仲間よ

その仲間もみんなばらばらになって帰ってこなくなったのである。
どんなときという時というとき苦しい時でもとういことである。
それが家族ですらばらばらになり老人だけが故郷に取り残されたのである。
仲間といっても会社員の時代になると違うからそうなったともなる


参考にした本

猪狩満直と「移住民」-佐藤久弥著
posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月08日

なぜ原発事故で若い人は流出したのか? (郷土愛が希薄化した結果?)


なぜ原発事故で若い人は流出したのか?

(郷土愛が希薄化した結果?)

そこがどんなに寒く、どんなに乾燥し、どんなに湿潤な土地であろうともいやなのもはそこを去りそこを愛するものだけがそこに残って作った共同体を愛するものである。それが郷土愛であり祖国愛の源流だろう。

風土と郷土愛-藤井昭二


●自然環境(真善美)

●風土性

●家族(愛)

●郷土の人間関係(協力関係)

●豊かな暮らし(利便性)


この人の考察では自然条件がどんなに厳しくてもそこに人間は住んでいる、黄土高原のヤオトンなどもそうである。草木も生えていないような所に良く住んでいられるとなる
砂漠に住む人でもシベリアでも自然条件の厳しい所に人は住んでいる
そこに住んでいるのはその土地を愛しているというよりそこに住まざるをえないからだろう。

自然環境とか風土性で培われるものがある。それが文化文明を作ったというのもそうである。宗教でも一神教が生れたのは砂漠からである、それはイスラムでも共通している
世界を見ると日本のように山が木で覆われているのは少ない、木もない山も多い、
砂漠の山などもそうである。シナイ山といわれる所も木がない岩山である。
だから住むには厳しいとなる、日本ではそういう点では恵まれている

風土性は人間に大きく影響する、福島県でもハマ、ナカ、アイズでまるっきり風土が違う気候が全く違っている、福島市とかは夏は盆地で暑いからいやだとなる
阿武隈高原を越えると涼しい風が海から吹いてきてほっとした。
何か熱風の中から出てきた感じにもなった。
だから福島市には住みたくないし他にも会津も冬になると雪に埋もれるから住みたくない浜通りのいい点は寒からず暑からずなことである。
だから天候からすれば浜通りは老後のおすすめの場所であり浜通りに住みたいという人はいたし現実にいたのである。
老後を会津とか北海道を選ぶのは気候の厳しさを知らないからだとなる
体の弱い人は住めない、老人には住みにくいとなる
ただそこに住んでいる人はその風土に慣れているから住めるともなる

そもそもその土地が悪条件でも住むというとき郷土愛の前に家族愛というのは誰でももっているから家族がいれば住むとなる、ただ家族に冷たくされたというとき故郷に帰りたくないという人もいる、駅では東京などに出て行った人が女性でも帰ってくる、その時なつかしいとなるときまず家族に両親とかに会えることなのである。
駅では母親が待っていたりするからである。
自分も郷土愛というとき家族がいて家族の元に帰れるということであった
自然とか郷土の人間関係など全く関係なかったのである。
自然とか考えるようになったのはその後のことである。
自分は都会は向いていなかったからである。人ごみとか騒音の環境を嫌悪することがあったからだ

だから今原発事故で郷土から流出した若い人々は飯館村などでも回りの監視状態の人間関係から離れて福島市とか都会で暮らす方がいいとなっている
田舎の人間関係は相互監視状態になっていて窮屈なのである。
そして今は田舎でもみんな農民ではないから共同性も希薄化している
そうなると家族愛となると別に郷土にあるわけではない、どこに住んでも家族が入れば家族愛があるから郷土にこだわる必要がない
むしろ現代は豊かな暮らし利便性が優先されるとなる

だから石川啄木があれほど望郷になったのか不思議だとなる、それほど田舎で暮らしている人に自然への思いはない、自然の美にしても普通の人は農民でも意識しない
むしろ農民だったら苦労だけを言う、ただ自分のように外から見ていると楽だから自然の中に暮らしていることはいいとなる
現代は特に郷土と結びつけるものが希薄化している、だから原発事故で放射能問題があっても若い人たちはこれを契機にかえって流出したのかとなる
ただ老人は郷土に愛着があり残ったとなる
だから自然条件の厳しい所に住んでいるのは郷土愛とは限らないのである。
郷土を嫌っていてもしかたなくいるという人も多いのである。
それよりそういう外の世界を知らない時代はそこに住むほかないとなる

自分が自然環境を重んじるというとき自然の中にロゴスを形成する、アイディンティティ化するものとして追求してきた。そこに精神の調和と形成を求めてきた。
東京とかなると完全にロゴスは崩壊している、無秩序の世界、混沌の世界でありそこに精神の安定はえられない、だから良くあんなところに正常でいられるなと思う
そこに住むことができること自体異常になっているのかとも思うのである。

いづれにしろこの辺で原発を誘致したのも利便性でり豊かな暮らしをしたいためである。郷土愛というより利便性とか豊かさを求めることが強かったのである
逆に山尾三省の不思議は異常に自然環境、風土性を求めていたのである。
それを自ら実践したのである、なんでそこでするのか?
それは演技であり貧乏をショー化するようにも見えたのである。
何か現代はかえって不自然に見えてしまっていたのである。
田舎でも山尾三省のような人はいない、みんな利便性と豊かさを求めている
だから原発事故で放射能の被害もあるがそれだけではない利便性と豊かさを求めてまた田舎の人間関係のわずらわしさを嫌ってこの際都会に出た方がいいともなったともいえる
つまりすべてが原発事故が原因だったとはならないのである。
郷土愛が希薄化した結果として流出したともなる
もし山尾三省のような人がいたらそうはならなかったことは確かだからである。

つまりいい家をもちたい、いい車をもちたい、うまもいものを食べたい、・・・
そうした欲望が限りなくありそうなった、立派な家を借金してまで建てているとか
いい車に乗っているとか漁師は原発の補償金で事故前からぜいたくしていたし原発御殿と言われる家を建てていたり何か欲望のためには何でもするともなっていたのである。
それは別に漁師だけではないみんなそうだったのてある。それが現代の生活でありどこでも同じである。
ある人は見栄のために事業を成功していたとか装っていたけど借金していたのである。
借金してまで自分を良く見せる、そのためにはどんなことでもするというのが現状なのである。
お前も同じじゃないかといえばうまいものは食べたいというのはそうである。
でも家はあるし車はもっていないからそういう贅沢は求めていない
だから山尾三省と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
ただパンが贅沢だとなると誰も今の世の中には受け入れられないのである。

山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰に汚染されているとしても
わたくしには他に還るところがないのだから

この人の不思議は別に原子力発電とか放射能の被害にあったように書いているのだ
老人はまさにこういう心境だから故郷に帰りたいとなっているのだ
若い人たちはそうはならない、若い母親だったら放射能の怖さが優先される
そこに世代が分離して老人だけが故郷に取り残されたとなったのである。


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2017年05月04日

ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎 除染しても放射線量が減らないから困る


ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎


除染しても放射線量が減らないから困る

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溜池の除染作業

よほど郡山の市街地にある某公園の方が高いね。 
そこは池の水位が下がると3マイクロまで上がるし。

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

湖は森林とは違うよ。 
キミは福島の森林が年々セシウム濃度が下がって、湖等が上がってること知らないのか?

日本は世界でも最も降雨の多い地域で、通過する温帯性低気圧(台風等含む)で、放射性セシウムが洗い流されて土壌に染み込んだり、懸濁流水となって、湖沼河川へと集積されている。 
樹木植物に蓄積されている放射性セシウムは主に根茎に集まるので、火災にさらされることの方が希。 
土中には酸素が無いので根茎は燃えない。 


ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう


環境省はダムは管轄外。 
国土交通省はダムの汚染状況を調査中。 
小型のダムである農業用ため池は、農水省と福島県で調査した汚染状況の結果をHPで公表している。 
この結果を踏まえて、2017年度から本格的な除染を既に始めている。 
それまでは各地で実証実験を行い、湖沼の除染技術の確立していた。

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている。

ベラルーシ国立土壌研究所グループの調査で粘土分が少ない土の場合、 
土壌汚染の15倍もの放射性物質が牧草に蓄積されることが分かっていた。


科学に弱くてもこの辺では放射能のことを考えざるを得ない、文系でも理解しようとする的外れなことあるが事故周辺に住んでいると実際に回りの放射線量を計測しているから他の人より理解するということはある
これは2ちゃんねるの論議だからいいかげんなことはあるだろう。
ただあれでもヒントにはなる、あまり専門的になると手も足もでないとなるからだ

浪江で火事があってあそこは避難困難区域だから相当に放射線量が高い、飯館村で木の樹皮は3マイクロシーベルト4年前頃はあった。今は減っているただ山林の中も今も3マイクロシーベルある。
この辺で一番気にしているのは真野ダムの放射線の汚染である。水を利用しているからそうなる、だから飲み水はペットボトルになる、相馬市でもそうである。
するとペットボトル代くらいの補償は継続的にしてくれともなる

自分は溜池で除染しているのを見た、泥と水を分けている作業をしていた

ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている

実験してダムや溜池や湖の除染をはじめている、小池で見たからそれがそうである。
でもこのようにまた回りからセシウムのついた泥が流れてくるから同じだとなると何か除染も徒労だという感じになる
そしてその回りの森の領域が広いからその泥の流出をとめることができないのである。
だからダムでも溜池でも湖でもセシウムが泥が堆積されているから放射線量は上がっている、それは上が水で覆われているから放射線量を水でさえぎるから上がらないだけであるそれは原子炉を冷やしているのと同じ理屈である。

水を取り除いたらセシウムのついた泥の放射線量が高くなっている

家根から流れだしたセシウムは樋で高くなったと同じ

溜池とか湖でもダムでも泥は計れない、でもその水が取り除かれたときかえって放射線量は上がっているというのは怖いことである。
その溜池でもダムでも湖でも除染してもまた回りから泥が流れてくるのだから無駄というときそんなことに金かけて除染していいのかともなる
つまり除染は何か森や山林地帯では効果がないのではないか?
そこには常に泥が流れてきてたまりやすいからである。

浪江で火事では確かに樹皮は飯館村の佐須で3マイクロシーベルとあった、一部にホットスポットがあり20マイクロをこえていたところがあったので驚いた
その泥は確実に真野ダムに流れているのである。

これから政府で溜池とか沼とかダムとかの除染をしようにもできるのかとなる
確かにそうはいっても森自体が広すぎて汚染できないときセシウムのついた泥を取り除けば山林の放射線量は減ってゆくことは確かである。
でもそれは果てしない労役を課されることになる、そのカルマをとりのぞくには半減する30年とかともなり嫌になるだろう。
それが放射能被害の過酷さだったのである。

浪江の火事では樹皮は汚染されたが

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

樹皮は4年前頃3マイクロシーベル汚染されていた、これは自分で計測したから覚えている放射性物質が拡散するかしないかは議論されている
たいした影響もないのかあるのかまたわからなくなるのである。



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2017年05月03日

原発事故で機能しなかった地方自治 「安全神話」が権力と一体化して作られたため


原発事故で機能しなかった地方自治


「安全神話」が権力と一体化して作られたため


そもそも原発自体が一方的権力で作られたものだった、それはアメリカから押しつけられたということもある、アメリカの核戦略とかありそれはヨーロッパともフランスとかも関係してすすめられていた。
だから「安全神話」はこうした権力によって作られたものだった
それはカルト宗教団体とにているのである。
一時東電がオウムと同じだとか言われたのもそうである。
オウムがサリン工場を隠密裏に作り製造していたからである。
そこには理系卒の科学者が技術者がかかわっていたのである。
それが宗教と一体化していたからオウムというのはやはり現代の複雑な科学文明の鬼っ子として生まれたのかとみる

創価はどっちかというと庶民のカルト団体である。貧乏な時代に生まれたからそうなる
オウムはそういうカルトとはまるで違った極めて現代的なカルトだった
それから幸福の科学というのも科学とつくから現代的カルトである。
そして政府と東電(大企業)が一体化して「安全神話」を作りカルト宗教団体化していたのである。
だからこうしたものは現代の文明から必然的に生まれたものだったとなる
それはピカートが言うナチスを生んだ構造がありあのような恐るべき、表現し得ないような犯罪集団と化したのと構造はにているのである。

なぜそうなのかというと「安全神話」が成立したのは権力があったからこそできた
権力と宗教が結びつくときどうなるのか?
この辺では原発が安全ではないというと住めなくなる可能性すらあった
3分の一くらいが直接働かなくても原発と経済が関係していたからである。
大内村で三分の一が原発で働いていたとすると結構豊かな暮らしがあのような小さな村でもできていたとなる、飯館村でも住めなくなった長泥でも原発で働いていた人がいたのである。飯館村は県では咲いていれレブルの収入しかなかった。
何か今でも補償金で売るい、回りの人を気にしないで暮らせる都会生活になじんだとか報告されている、福島市などに家を建てた人もかなりいたのだろう。
桃源郷とか言ってもそれは外から見た人のことでありそこで暮らす人はまた違っているのである。

こういうふうに権力によって強力な「安全神話」が中央の政治と大企業によって作られたとき地方自治体は対抗も何もできなかった。
安全ではないというときそれを科学的に合理的に追求しても無駄である。
そこには専門家の科学者も御用学者としてかかえているしそれが「安全神話」の宗教とさえなっていたからである。
カルト宗教団体が罰があたるとか脅していたり自ら呪縛されているのと同じである。
つまり安全だ安全だと題目を唱えていれば安全だという感覚に原発にたずさわる人々も思い込んでいたのかもしれない、だから安全でないということはタブーになっていたのである。それが権力をもっているからできたのである。
情報もマスコミでも800億円とか電事連から広告料として払われていたから完全に安全でないとかの報道は片隅に追いやられていたのである。

権力と宗教でも一体化するとカトリックのように大きな害をもたらすことになる
人間は心の罪とかより権力に従うし権力を畏れているからである。
権力というとき経済力とか報道力とか政治力とか今なら科学力とか技術力とかありそれらが一体化したものである。それが「安全神話」を作ったのである。
科学とか合理性とかが安全神話を作ったのではないのである。
だからカルト宗教団体が批判できないというときお前ら神に仏にたてつくのか、罰あたるとかで何も言えないと同じなのである。だからこそ「安全神話」になり一種の宗教までなっていた。それは内部の人もそうなっていた、安全を作るより「安全神話」になり宗教のようにただ安全、安全と題目を唱えていれば安全だとまでなっていたのである。

原発が事故をおこしたあとも全くその事故の処理ができなかったのもそうした安全神話がありそれが一挙に崩壊したからである。
安全神話があれば第一事故が起こることを想定していないからである。
実際はスヒーディが風向きを測定して放射性物質が流れる方向を測定していたし東電の社員の人は知っていたのである。
それで津島の山の方に浪江町の人が避難したとき東電の社員の人がいて街の方に引き返した方がいいと言って引き返した人たちがいたのである。

東電の社員は知っていたが政府からも東電からもそういう指示は浪江町の町長にも自治体には報告されなかったのである。
なぜなら「安全神話」が作られて事故は起きないとなっていたからそうなった
そうなれば避難訓練などする必要がないからである。
だから政府と東電が一体化してカルト宗教団体化していた、権力があるから報道もおさえることができたからである。
そういうことはカルト宗教団体では今でもしているからである。権力をもっているからできる、そのことが今回のような大事故になりもう回復できないような状態にしたのである

そして地方自治体が機能しなかったいうとき中央政府から30キロ内は避難命令がでて住めなくなり6年もすぎてもう回復できないような状態になった
科学的には30キロ圏内ではない、風の影響によるから30q圏内で区切ることは必要なかったのである。それがまた南相馬市などでは混乱させられた要因である。
小高が避難させなければ補償金で三つに分断されることもなかった
南相馬市として一括してもらって分配を決める、その時個々人にすべてを配るのではなくその時こそ自治体の自治体を発揮して市の開発とか復興に使うべきだったとなる
そういう指導がなされていれば市は分断されなかったのである。
つまりなんら自治体としての自主性が機能しなかったのである。
その時住民自治もなかったのである。住民もただ金をもらえればいいとしかならなかったそれは一時的なものとして消費され消えてゆくがだけのものになる
後々の発展にはつながらないものとなって消える

また地方自治といっても日頃からそうした土壌がないならできない、急に自治でやれとか言っても日頃そうしてなければできない、そういうものもなかった
中央指導であり地方自治体は下請けであり決めるのは中央官庁だという構造もそうしていたとなる、地方自治も問われたの原発事故だった
市長が何もしないとか役所は何もしないとか言うのは簡単だけど住民も何もしなければ何も変わらないとなる、原発事故はただ科学的な問題だけではない現代社会そのもの文明から起こされたともなる、現実にカルト宗教団体でもそうだし現代文明から生まれた病的な現象でありそれが社会を破滅するほどの力をもつから怖いのである。それはナチスと同じ構造でありそういう社会に生きているからそういう異様なものが生まれてきて席巻してしまうとなるのである。と

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2017年04月30日

ふるさとの老木(詩) 原発事故で奪われた故郷


ふるさとの老木(詩)


原発事故で奪われた故郷


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ふるさとの老木

ふるさとの一本の老木
春の日をあびてなお生きぬ
春の花々に飾られ
広々とした田畑を見て
ここに根付きて長くもあれ
ここにやがて朽ちなむ
この土地に生まれ育ち老いしもの
そが朽ちてもなおここにあれ
在りし日を語りつつ
ここを愛しみつつありしかな


この老木は本当に生きているのか?どこの村でもこういう老木はある
原町区の大原にもあった、そして前田という所に農家があった
そこが空家になっている、その人と病院で一緒になったがまもなく死んでいた
それで死んだ後のことをしきりに息子に伝えていた
でも息子は街に出て働き帰り農業をするつもりはなかった
農業を継いでくれということがあったのだろう
それが悔しいということがあっのだろう。

その農家は相当に古い、前田という地名のある所は草分けの農家である。
前田からその村が拡大したのである。
老木という時、農民とか農家があるとふさわしい
農民とはその土地に根付き生きているからだ
商人とか工業に従事するとかなるといくら故郷に生きていてもその土地と密接に関係しないからである。
たでから農家は三代で農家として認められるというのはそのためである。

ただ一般的に人間は生物の一種だからやはり木や石のようになってゆく
年をとるとなにか動きたくない、定着志向になる
なんか自分も旅し続けたけど疲れて行きたくないとかなる
そして老人は生まれ育った所で死ぬのが幸いだともなる

その自然の生を奪ったのが原発事故だったのである。
そうして長く住んだ土地を離れざるを得ない、住めなくなったからである。
老人が故郷に帰りたいというときそういう自然な心情からそうなっている

ただ老人が帰りたいとしても若い人が帰らないと町も村も成り立たない
春の花々に飾られているというときそれは子供たちとか孫たちなのかもしれない、
老人がその土地で死ぬためにはやはり次世代の人が跡を継ぎその土地での生活の継続が必要になる、それが奪ってしまったのが原発だったのである。
それは酷いことだったのである。
それは金をもらっても補償しきれない問題である。

ただ農業というとき今は誰もやりたくないものになっていた、それで子供のとき親に農業だけはするなと殴られたと語った老人がいた、それは極端にしても親がそういうことを言っていたら子供が継ぐはずがない
その子供は原発で働くようになり避難させられたのである。
だから原発を誘致したというときその前の世代の親にも問題があったとなる
金になるなら原発を歓迎したとなるからだ。未来は原発とともにあるという標語まで双葉町ではかかげていたからである。

タグ:故郷 老木
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2017年04月29日

原発事故の再検証 (原発大崩壊ー武田邦彦の本を読む)


原発事故の再検証

(原発大崩壊ー武田邦彦の本を読む)


●30キロ圏内避難は科学的にも根拠がなかった

科学に弱いと原発事故について理解できない、自分は科学に弱いからとてもたちうちできなと見ていた、でもなんか自分が言っていたことがまともな面もあったなとこの本を読んで思った
素人の常識でも原発に対抗できるものがあったのかとなる

自分は30キロ圏内で区切ったことがこの辺の混乱をもたらした。
素人的にも小高の線量は30キロ外でも相馬市とかでも変わりなかったからである。
でもそれは30キロ圏内でも何か科学的根拠があるのかと思っていたのである。

放射線というのはむずかしくいえば、電磁波、簡単に言えば光そのものですから
直進します、山を越えればフクシマ第一原発は見えなくなりますがフクシマ原発見えない場所では放射線は直接来ることはありません
放射線は薄いものだとつきぬけますが山くらいになるとつきぬけません
距離で計れるのは直接の放射線についてです
半径30キロとかで避難区域を設定するなどほとんど意味のない行為です

ではなぜ30キロに政府では設定したのか?これも無謀なことだったのである。
なぜならそのためにこの辺では南相馬市でも生活が破壊されて住めなくなりもう町ごとゴーストタウンになり回復できなくなったからである。
そして南相馬市では鹿島区と原町区と小高区と補償金で分断されてしまったのである。

小高は避難区域にすべきでなかった

これは科学的にも言えたことなのである。放射能の被害はそこではなかったのである。
ではなぜそうしたのか?それは政府ではその30キロ圏内から20キロ圏内に核兵器のための核廃棄物処理場にする魂胆があったためだという説もある。
人が住まないとなると国のものになり反対するものもいなくなるから好都合になるからだ避難するのは3キロ圏内でも別に放射線量で被害はないという説もある
年間一ミリシヒベルトを守るという武田氏の主張に疑問も多いからだ。
第一そうしたら広範囲に人が住めなくなるからだ。それは科学だけの問題では解決しないからである。

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「現在の「30キロ避難区域」というのは悪例ですが風向き考えていない計画はほとんど意味がありせん

放射線量は風に非常に影響されていた、雲のようなブルームが塊りが流れたのである。
一様に拡散したりしなかったのである。なぜなら浪江では0・5マイクロシーベルなのにバスで双葉に入ったら7になったから驚く、その理由は雲のような塊りが風で流れて放射性物質をばらまいたからである。
赤い帯状の図がそれである。そんなに浪江と双葉が接しているのだから差があるはずがない
それは帯状の雲のようにブルームになって放射性物質が流れたためである。
一様に拡散はしなかったのである。

だからもしその時東風ではなく北風か西風だと海の方に流れて被害が少なくなった
それが不運だったのである。3月11日となると丁度春になり北風から東風が吹き交互に吹くときだったからである。

●ソーラーパネルも自然破壊だった

それからソーラーパネルは自然を破壊しないとして政府で推進したがこれもそうではなかった、水力発電すら自然破壊だった

魚や樹木は川の流れ新しい水が来ることで魚や樹木は生きることができる

ダムというのはやはり自然破壊であった。真野ダムなどもそうである。大倉村の一部、今のダムの底に沈んだのである。

ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず・・・鴨長明

もとの水ではない新しい水の供給がされるとき川は生きていたのである。
そしてあらゆるエネルギーのもとが太陽の光だというときその光を奪うのがソーラーパネルにもなる、

自然エネルギーを使うには山を削って埋め立てる、沿岸部を埋め立てる、平地を広げてゆく、太陽光発電も水力発電も平地が不可欠なのです

日本は森林面積が66ハーセントで世界3位、山地だらけで平地が少ない
日本は自然エネルギーを使うには不適切な国です

何か自然エネルギーがいいようでもこれも自然破壊になる、風力発電でそうである。
自分は科学的なことは弱いからわからないけど自分の判断基準はスタンダードは景観から常に見ているのである。
だから景観が破壊することが一番嫌なのである。
それは別に科学的なこととは関係ない、でも森が削られてソーラーパネルとかになるのは嫌である。風力発電も景観を破壊する、不思議なのは景観破壊からすると原発でも火力でも一部だけだから自然破壊に見えないのである。
ところがソーラーパネルになると広く土地を使うから景観が破壊される、それが飯館村で草野とかでなったのでがっかりした、森につつまれた桃源郷がソーラーパネル工事になってしまったことにがっかりした。
ただ津波で破壊された沿岸部は平地であり土地も使いなくなったからソーラーパネルには向いていたともなる
松原の方が景観的には良かったがしかたがないとかはなった

でも景観がいいということはそこが自然に恵まれたいい場所なのである。景観が破壊されることはだからその場所が本来の自然景観を破壊された悪い場所になったのである。
そういう自然景観を破壊してきたのが人間の文明だったのである。
その最たるものが東京とかの大都会である。自然が全くない人工空間に生きている
そこに自ずと非人間性が生まれてくる、そこには自然の美がないからだ、上野の桜はいいものではない
なんか汚れた感じなのである。大坂城の桜とかとはまるで違ったものである。
それは稲作文明も自然破壊してできたものだったことが津波でわかった。

文明とは自然景観の破壊が必然的に起きていたのである。
海側に開拓したところが津波で破壊されて元の海にもどったから驚いた
白砂松原の風景は実際は稲作のための人工的な景観だったのである。
だから人間の営みは自然破壊がつきものでありさけられないのである。
それがすべて悪いということは言えない、人間は全くの野生とか自然の中で暮らせるのは縄文時代がそうだったがそうなると人口も増やせないからである。
人間の理想は田園的な世界であり全く野生の世界でない、エデンの園も全く自然そのものではない、田園的な人間が手を加えた場所なのである。
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2017年04月27日

小池のため池の除染 泥と水を分離していたー真野ダムはできない?


小池のため池の除染

泥と水を分離していたー真野ダムはできない?

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小池の安養寺のあるため池でなにをしているのかと思ったらその下の方で泥と水を分離しして放射性物質をとりのぞく作業をしていた
最近ため池の除染をはじめた、セシウムは泥についているから泥と水を分離して泥を放射性廃棄物としてとりのぞく、その下に放射性廃棄物場がすでに広く作ってある

除染でもあのような作業を見たのははじめてである。
市に聞いてみたら農林課でしているという、田んぼの関係だとそうなる
なぜそうしているのかというとため池から泥と共にセシウムが流れだすからである。
泥についたままセシウムが流れだすからそれで米を作ると米が放射性物質を吸い込むからため池も除染しなければならない、これも大変な作業と見た
横浜とか相模のナンバーのが来ていた。

まだあのため池は小さいからできる、でもため池は多いし大きなため池もあるからそこまでやるのかとなる、ただため池も汚染されているのだとはじめて思った。
ため池までは注意していなかった、ため池はやはり田んぼでその水を使うから実際は危険なものとなる

米が放射性物質に汚染されている写真を見た、確かに白くなっていて米粒が汚染されていたのである。そういうものを食べると危険になる
放射性物質の汚染は計っているから安全だというがそれでも不安になる
それを証明していたのがため池の水も汚染されるから米も汚染されるのである。

ともかく本当に放射能汚染はあらゆるものを汚染する、やっかいなものである。
一番この辺で原発事故があってから心配だったのが真野ダムの水だったのである。
なぜなら飲料水として利用していたからである。
それは相馬市でもそうである。真野ダムは大倉であり飯館村だから余計に汚染されているからである。
自分も飲み水はペットボトルの水を飲んでいる、たいがいこの辺ではそうだろう。
すると相馬市だって被害者になるのである。

その一番心配な真野ダムはこのように除染できるのかと市に聞いたらその計画はまだないという、あそこは大きすぎてできないだろう、でもこのように明らかに泥にセシウムは付着しているのである。
例えば樋の下が屋根から集まったセシウムで泥に付着して放射線量が7マイクロシーベルとか高くなったのである。
ホットスポットでも飯館村の佐須村で泥が20マイクロシーベル以上あったのである。
その泥が真野ダムに流れていけば当然真野ダムの放射線量は高くなる
真野ダムの泥には相当な放射性物質、セシウムが泥に付着しているのである。

水は影響ないとしても何らかの影響はある、だから安心のためにはここのため池しているように泥と水を分離しなければならない、そして泥に付着したセシウムを廃棄することが必要なのである。
でもそれはあまりにもおおがかりになるからできない、森が除染できないと同じである。つまりお手上げだとなる、いかに放射能汚染がめんどうなものかわかる
完全な除染など不可能なのである。ただ時間がたって30年でセシウムなら半減するとかなる、でもプルトニウムは二万年消えないとかなるから恐ろしいのである。

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2017年04月26日

復興大臣が辞任 それぞれの言い分があった


復興大臣が辞任

それぞれの言い分があった


調子に乗るなよトウホグ土人が。焼け太りの乞食の分際でほざくな。 
東京が無事だったからこそ、今、お前ら土人が生きていられるんだろうが。 
同時期に東京が大規模災害に遭っていたら、お前ら三日で全員野垂れ死んでいるわ


人間はみんな言い分がある。こういうことも東京の人たちだったら言い分としてある
東京の経済力があって東北でも他でも恩恵を受けているとういことも事実としてある
ただ必ずまたそのプラス面があるとしてマイナス面もある。
巨大な東京があることで迷惑になることもあるのが今回の原発事故にもなった
東電では東京に原発を作るのが効率的だけど事故を恐れてフクシマに作ったからだ

東京という膨大な人口が経済力ともなるがそれが圧力となり原発にフクシマに作らせたりする、一方で東京があったから援助が受けられているという側面はある
ただフクシマ原発の場合は津浪とは違って東京の責任も大きいからこの人の言うことはあてはまらない、ただこういう言い分はある

例えば南相馬市でも小高と鹿島区が補償金で争ったとき双方の言い分があり小高の人たちが避難させられたのだから補償金が高くさせられて援助されるのは当然だということにもなった、でも自分が言ったように鹿島区の人たちの言い分もある
なんであいつら毎日パチンコやギャンブルで遊んでいるのだということはここだけではない、他でも言われていることだからである。

今回の震災の被害では地域的対立が東京と福島とか東北とかで鮮明になった
内部でも補償金で争って地域が分断されたことがあった
なんであれそれぞれの住む所や地域が違ったり立場が違うとそれぞれの言い分が生れてくる、それはどうにもならないことである。
だからこういう発言でも一方的に否定することはできない
結局それぞれの言いたいことを言う、言い分を聞くことが民主主義になる

ところがマスコミとかがそうした様々な地域や立場の人たちの生の言い分を取り上げるわけではない、直接民主主義ではない、マスコミによって拡大化される民主主義なのである確かに今回の復興大臣のは発言には問題があった。
ただそれがマスコミによって過度に報道され糾弾される、それが民主主義をゆがめているのだ。
それでトランプ大統領はマスコミを嫌い拒否したのである。一方的に糾弾されるからである。
実際は国民の移民に対する反発は大きかったし中部の製造業など自動車などの工場は閉鎖されて失業しているとかそういう人たちの言い分はマスコミによって無視されていたのである。ただ移民を攻撃していることだげが拡大化されて報道される
それは感情的にまでなる、それはアメリカの国情を正確に伝えていなかったのである。
要するにマスコミは何か一部分でもそれが拡大化して放送される
そういうマスメデアなのである。

双方の言い分を言わせることはマスコミではあまりしない、マスコミで判断して一方的に報道している、そもそも報道されないことに重要なものがある。
何を報道するかもマスコミで決めているからである。すると重要でみんなに知らされるべきことも知らないとなってしまうのである。

ただ言い分というとき個々人でも言い分がありその言い分を聞いていたらきりがないとなる、個々人にも事情があり言い分があるからだ
いづれにしろ民主主義でも直接民主主義ではない、広い範囲になるとそうなる
するとマスコミの報道に左右される度合いが強くなるのである。
でもインターネットでもそれはマスコミを通さない発言だから直接民主主義になる
その生の声が今までとは違っていてもそれがマスコミのようにまだ小さい声にしかならないから影響力が弱い、でも対抗メデアとなったのは民主主義にはいいことだった
第一今までこうして民衆の生の声を知ることができなかったからである。

この辺では津浪の被害者がいて津浪と原発被害者がいて原発避難者がいてとか複雑だったのである。その人たちはみんな利害が一致しないことがあった、それで分断されたのである。だから被害者の言い分だけを聞くというのも一方的になる
原発避難者については言えたのである。

いづれにしろアメリカでもそうだが民主主義でもすべてが公平になることはない、ある集団は地域は無視されて報道もされないことがある。するとそこには援助がいかないとかの問題が起きている、だからアメリカの不満層が無視されていたことなどわからなかったのである。南相馬市内だと一応みんな補償金はもらっているが隣の相馬市になるともらえない、それで不満を言っている人がいたことなど誰もとりあげない
別に放射線量など変わらないのである。
相馬市では真野ダムの水を利用しているとなるとやはり飲み水は利用できないとペットポトルを利用しているかもしれない、するとやはり被害があるとなるからだ
でも相馬市の被害は放射能汚染に関しては何も補償もないのである。

ただわからないのは飯館村でも放射線量で区分けされて補償金の差があったことである。それで除染員が石をぶつけられたとっばちり受けた、どうして飯館村でも補償金の差が起きたのか理解しにくいのである。一様に高かったとみていたからである。
だから一様に補償金は払われていたと思っていたからである。
隣同士を放射線量で補償金に差をつけることがおかしいことだったのである
隣だったら放射性物質だって移動してくるからである。
そういう放射線量で地域を細分化して分断したこと自体が過ちだったのである。

要するに海側は浪江ですら低い、とすると山側と海側に分けるのが放射線量からすれば理にかなっていた、ただ30キロ圏で分けたのがいいのかとなる
それによって生活そのものができない町や村が存続できないような状態になったからだ
科学的根拠があっても何かそれだけでを基準にして良かったのか?
小高などはみんな避難させたのは失敗だったと思う
一旦あのようになると回復できなくなってしまったのである。
避難した人は若い人でも別な暮らしになりそこでなじみ移住先で暮らすことが復興になったからである。補償金もそのために使われて村や町の復興には使われなかったのである。いづれにしろこの辺ではいろいろ問われた、様々な問題が実際的な問題として問われたのである。



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2017年04月25日

国造(くにのみやっこ)が最初のクニ そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


国造(くにのみやっこ)が最初のクニ


そのクニ(郷)が原発事故で破壊された


●鉄道の上り下りの感覚

毛野国」は分割され、都に近いほうを「上毛野国(かみつけのくに・こうずけのくに)」、遠いほうを「下毛野国(しもつけのくに)」とした。

奇妙なのは常磐線が開通してもいわき市までは通じていない、上野までも通じていない、上りと下りというとき都に近い方が上りになり遠い方が下となる
東京を中心になるとき東京に近いが方が上りになり東京より離れることが下りになる

現在は地方から東京に行くことを「上京」と言いますが、江戸の頃は「東(あずま)下り」と称しました。
天子様のおわす京(大坂)が千年の都で、江戸は発展途上の振興地扱いだったからです。
ですから、都会から運ばれてくる洗練された品物を「下りもの」と呼び、それ以外の地方産出のものを「下らないもの」と呼びました。

この感覚は今でもある、でも常磐線が開通して違和感を感じたのはいわき市から東京へ通じていない、仙台にしか通じていない、すると仙台へ行くのが下りになっている
仙台へ行くのは今は上りという感じになる。
駅にいると本当に仙台から行き来する人が多いのである。それはいわき市から通じないということもあるがそれだけではない、新幹線で仙台から行き来する人が多いからである。もともとここは仙台とのつながりが多いから仙台が東北の中心となると仙台へ行くのが上りとなる感覚になる、そもそも東京やいわし市方面から人が来ないから余計にそうなったのである。

「京に上る」というとき何か意気込みがあった、前は東京に行くことでてある。
実際に経済的には地方の会社でも工場でも本社が東京にあるのが多い、それで出張して来る人が結構多いのである。東北サッシの社長は本社は神奈川県にあるとかなる
ホンダとかイスズとか自動車会社も本社から出張してくる人がいた
工場でもそうである。だから実際は上りとなると東京であり下りは東京から東北の方へ離れる時下りになる。
でも常磐線がいわき市から東京へ通じないのだから仙台経由になると仙台へ上りとなる感覚になる。一方通行になったからである。

国造(くにのみやっこ)が最初の国

白河国造
石背国造
阿尺国造あさか
道奥菊多国造みちのおくのきくた
信夫国造 しのぶ
石城国造いわき
染羽国造しめは
浮田国造うきた
伊久国造
思国造

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「国造本紀」の国造系譜 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

この国造で注意しなければならないのがと染羽国造浮田国造である。
染羽国造は「標葉」になって今の浪江町である。
国造みると浮田-染羽が最初の国である。
だから相馬氏が支配して相馬市とか南相馬市となる前の国は浪江町と鹿島であり鹿島には浮田という地名がありそこが浮田国造の置かれた地域だとなる
そこは海から離れた所であるから地域的に住みやすい所であった。
そもそもなぜ鹿島区に古墳が多いのかとなるともともと浮田国造とあり最初の国が設置されていたからである。
それは毛野国と関係していた、毛野は大きな勢力でありそれで毛野系統の国造が置かれた
相馬市であれ南相馬市であれ中心は浮田国造が置かれた鹿島区が中心であった。

このことは注意せねばならない、なぜなら古代にはここに生活の中心があったからであるだから古墳が多いとかなるし寺内の前方後円墳から金銅双魚佩(ぎょはい)が発見されたりしている。万葉集の真野の草原もこの地とされているのはそのためである。
この国造は中央の政権があったとしてそれによって記録に残ったのではない、もともとそこが人口が多いとかクニとしての力がありそれで中央政府から認められて記録に残されたとなる、でも古墳だと原町の桜井古墳が大きいのだからそっちに国造があっても不思議ではない、しかし小さな古墳は小池とか横手に多いのである。

最初のクニというときそれは生活感覚で最小のアイディンティティをもてる範囲を示していたのかもしれない、クニとして意識するということは上からのおしつけではない、何らかの共通の共同の世界がコミニュティが形成されたからクニとなった。
このことは現代にも関係している
鉄道では磐城太田駅があるがなぜ磐城になったのかとなる、もともと高駅という名だった高という地名があり和名抄では高郷のことだろう。
そして浪江町から双葉、大熊とかは車でもいわきナンバーなのである。いわきの勢力下に入っている地域だともなるし相馬氏と岩城氏が争った時は境目にあったとなる

いづれにしろ国造はその範囲が地理的にも生活でもクニとして意識されたのである。
人間は地理が大事だというとき共通のアイディンティティがまず土地から形成されるからである。理念などからは形成されないのである。
アメリカとかは余りに大きいから理念から国家が形成されたs 人工国家になる
でも自然村とか自然国家となるとまず土地から形成されているのである。
土地に根ざしたものとしてクニが起こっているのである。
第一大和というとき山戸であり山の入り口とかであり狭い村の範囲が大きな国となったことでもわかる、ヤマトとはもともと国造のような小さな村の範囲だったのである。
そこに形成されたアイディンティティが国の基になったのである。

ただ地理からみると浜通りとかは地形の変化がない、ところが飯館村とかなると高原になり山に囲まれているから別世界になる、それは地理的には別な国の感覚になる
丸森もそうである。伊久国造になり地理的には別な世界であり別なアイディンティティが形成されるのである。
古代とかなると交通が発達しないから地理的に隔絶して生活していた。
そういう時代でも中央からの大和政権がかかわっていたことも確かである。
縄文時代には国はないからである。つまり国造が置かれたとき中央で国として認めたとなるのだ。だから国造には天皇の系統が記されているのである。
だから古代から中央と地方のかかわりがありそれが現代にも引き継がれている
国家と地方自治体の対立がありそれが原発事故で露になったのである。

●人間はそれぞれのクニを基にアイディンティティを形成していた

奄美の郷(クニ)
奄美の郷人(くにびと)
沖縄の郷(クニ)
沖縄の郷人(クニビト)
アイヌの郷
アイヌの郷人
ホピの郷
ホピの郷人
郷という言葉と
郷人という言葉を
心をかめてつぶやく
統治のない 郷(くに)
原子力発電所のない 郷
核兵器のない郷

(山尾三省)

山尾三省の不思議は原子力発電所のない郷を志向していた
核兵器のない国にするとかは誰でも言っている、連合でもカルト宗教団体でも盛んに言っている、創価でも言っていた、でも創価の聖教新聞では東電の宣伝を一番していたのである。宣伝費を一番もらっていたとなる
核兵器には盛んに反対しているが原発にはほとんどあらゆる団体が推進派だったのである朝日新聞すらそうだった、なぜなら原発事故が起きたとき、中国旅行に朝日新聞社などマスコミの幹部が全部招待されていたからだ。

だから原子力発電に反対しているというのはまれだったしほとんどそれに注目している人もいなかったのである。なぜだから原子力発電所のない郷(クニ)を志向していたのか不思議だとなる、ここに注目している人はまれだったと思うからだ。

いづれにしろ現代の感覚ではこういう郷(クニ)となるとグローバル化でもありえないとなる、だからこそ原発事故だから町や村が離散状態になったというわけでもない、国家の中にグローバルな大企業の中にみんな所属しているからそうなった
みんな田舎でもその土地によって生活していない、みんな会社員として生活しているからである。
つまり郷(クニ)に所属している感覚が薄れているのである。国家に所属しているという感覚より大企業に所属している会社に所属しているのである。
戦争のときは国に命を捧げたのだから国家に所属していた、それが今はそうなっていないだから愛国心なども薄れているのである。
愛国心の基は愛郷心でありその郷とはクニのことだったのである。
人間はアイディンティティを形成できるのは国造(くにのみやっこ)が最初の国だったように狭い範囲だったのである。

そして原発事故ではその郷(くに)は奪われて離散したのである。そしてその郷を回復することが望まれているがそれが不可能にもなっているのだ。
なぜそうなのか?郷というものがすでに喪失していたということもある
グローバル経済でもそうである。
米でもいろいろ食べてみる、会津のひとめぼれを食べたから次とつやひめを食べてみるかとなる、これはやはり一番人気で売れていた、次は何を食べようか、最近は北海道の米もうまくなっているのか?今度は秋田小町を食べてみようと思ったらこの辺で売っていない、無洗米は売っていない、自分はめんどうだから無洗米しか食べないからだ
それがアマゾンの通販で売っていたのである。それも送料込みで値段は高くないのである味噌でも近くに作り売っている、でもそこではダシ付きの味噌ではないから自分は買ってない、時間がないしめんどうになるからだ
こんな生活自体が郷(クニ)が喪失させている原因になっている
お袋の味とか故郷の味はない、どこの郷でも味わえるからだ
ただ会津でも秋田でも山形でも故郷の米を食べればそれが故郷の味だとはなる
ただもともとそういう郷(クニ)の感覚は希薄化していたのである。

ただその土地に生きるものは地理的にはその土地からアイディンティティを形成するのは変わりない、そこに地域地域の文化がcultivate-耕されてculture(文化)になったのである。
それは大きな単位になるときドイツでもそうだがゲルマンの文化が形成されたとなる
国単位で違った個性の文化が醸成されたのである。 
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2017年04月23日

巨大企業などが地域社会をつぶす (原発事故も東電による地域破壊)


巨大企業などが地域社会をつぶす


(原発事故も東電による地域破壊) 

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先進国の人たちが使う紙や木材の量が増えるにつれて、熱帯雨林などの森林はどんどん切られていく。 
日本も、国内に森林があるが、発展途上国から安い木材を輸入し、使い捨てしている。 東南アジアのラワンなどの南洋材は日本に輸出されている。 日本の商社は、フィリピンの森林を伐採しつくした後、インドネシア、マレーシアへと相手を変え、東南アジアの熱帯雨林を食いつぶしてきた
environment_problem/sinrinhakai_sabakuka.htm

これはグローバル企業による森林破壊である。この森林破壊によりそこで昔から暮らしていた地域の人たちも動物も被害を受ける、動物は駆逐される
なぜ原発事故が起きてきたのか追求してきた、それは東電とかの国家並みの巨大企業によって地域社会が破壊されたのである。
東電というのは全く自分などがイメージできない巨大会社だったのである。
国家並みというより一つの国家だったのである。
だからこそ政治家も官僚も検察官も天下り先となりマスコミも何百億という宣伝費を投入できた。それで支配できたのである、実質に権力をもっていたの東電だったのである。
電気を産み出すのは東電であり政府ではないからである。官僚でもないからである。
実質の富は東電が大企業が産み出している、だからその富を産みだすものに従うようになる、地域でも漁業権を売り渡すだけではない、農業の基となる土や水まで売り渡して買い取られたとまでなった、なぜなら土とか水とか森林でも放射能汚染されたからである。
そうなったらもうそこには住めないと町ごと村ごと避難させられて住めなくなったのである。

これまでの地域社会は農業が基でというときどうしても自然環境と適合した生活になる
その生活は自然環境を配慮したものとなる、でないとそこでは生活できないからである。でも大企業はそうした地域社会とは違うものとして巨大化したものである
ゼネコンなら建築を主にして巨大企業になりトヨタなら自動車を作る会社として巨大化する、製薬会社なら薬を売る会社として巨大化する
アメリカだったら軍需産業が発展して巨大化して兵器を売るために戦争まで必要になる
会社は物を作るとしてそれを売って利益をあげねばならない、それが巨大なのだから問題が起きてきているのだ。
自然環境と適合して長年生活してきた歴史とか文化も簡単に破壊してしまうのである。
そしてこの巨大企業が国家と結びつく、東電でもそうだしアメリカだったら軍需産業だったら国家と結びつく、そして国家に戦争しろとまで要求できる
それでアメリカは戦争をしかけて兵器を売るとまでなる
そういう巨大化は何でも社会に弊害をもたらす、社会自体を破壊してしまう力をもっている

それは一つの軍隊でもある、だから政府では戦争準備して兵役にゼネコンの社員をつかせようとしたのもわかる、そこは軍隊組織になっているからだ、建設は戦争するとき不可欠だからである、それだけ巨大だと会社にしても社員に給料を払うのだから仕事が必要になる、その時地域の共同体とか自然環境など考慮しないのである。
森林でも根こそぎ破壊してゆく、それをとめるものが大企業にはない、なぜなら森林を破壊したら水が供給されず田に水が流れないとか農民のように心配しない、ただ木材を得ればいいとうだけになるからだ、その土地の自然環境はそれで根こそぎ破壊されるのである原発事故による放射能汚染も同じだったのである。

力関係では大企業ゝ国家ゝ地方自治体とかなる、この大企業の力は国家をも支配する
そして報道でもマスコミでも支配できた、巨額な何百億もの宣伝費がマスコミに支払われていたからである。そういうマスコミがとても批判などできないのである。
それによって「安全神話」が作られたのである。
内部の人は原発にたずさわる科学者でも技術者でも実は何らかの懸念があり不安があったでも強固に安全神話が作られたのはなぜか?
その前に巨大な権力として構成されてしまったからである。
人間は巨大な権力をもったときどうなるのか?その権力で何でも通すことができるようになる、すべてを支配できるようになる、だからこの辺では地方自治体などその大企業にたちうちできなくなっていた。
東電の幹部に浪江町長が怒っていたけどこれも力関係では東電が上だから腹いせにしかならない、東電と国家は一体となっているから国家と地方自治体では力関係では国家に従わなければならないからである。

そして報道関係でもマスコミは安全神話を作ったのは大企業がスポンサーになっていたからである。福島民報でも民友でも原発に賛成していたし批判はしない、推進役になった。福島県の報道関係はみんな原発の安全神話に加担していたのである。
それだけ報道といっても雑誌を一カ月一回くら発行してどれだけの収入があるのかとなる報道だけではそもそも収入にならない、すると宣伝費にたよるほかなく、東電のような大会社の宣伝費になると報道会社など養うことができるとなる
インターネットとかなるとこれも無料だからできる、でもまだこれはマスコミのような力をもっていない、宣伝力がない。

この大企業との問題はそれか巨大であるために社会への圧力も大きくなることである。
ゼネコンでもやはり仕事が欲しいとなる、社員を養うためにはそうなる
するとオリンピックでもそうだが請け負いたいとなる、オリンピックなどしなくてもいいがゼネコンにとっては必要だとなり圧力となる、そこに国民の税金が湯水のように使われることになる、原発事故でも除染でゼネコンに莫大な金が流れたが復興のためには使われなかったとかなる
こうして巨大企業は一国だけではない、地球全体にグローバルに圧力となっているのだ。多国籍企業が世界を支配するというときもそうである。
製薬会社でも薬を売るために病気を作り出さねばならないとかまでなる、みんな健康だったら薬も売れないあがったりとなるからだ。それは戦争でも言える、戦争がなければ軍需産業では飯の食い上げになる。だから国家に戦争をしてくれと圧力をかける
そういう恐ろしさと矛盾が巨大企業が産み出しているのである。

これは巨大なもの団体組織がもっている害悪がある、例えば創価の墓地建設で自然環境が破壊される村の伝統が破壊されとかで裁判沙汰になったことでもわかる
巨大なるものの弊害が大きいのである。カルト宗教団体も巨大なること自体が社会に圧力をかけてゆがめる、創価は特にそうである、福島民報では聖教新聞を刷っているし毎日新聞でもすっている、そしてマスコミに批判できないようにするのは東電したことと同じなのである。そして大成建設と創価は結びついているのもそうである
創価は宗教とは何の関係もない、なぜなら組織が軍隊組織になっているからだ
参謀とかいたり軍隊の階級制の組織になっている,これは組織化したところではどこでも起きている
そこで目的としているのは人数をただ増やして一票をえて政治権力をもつことしかないのである。

つまり巨大な会社とか宗教団体も危険なものであり社会をゆがめるものなのだ。
それが危険なものとしてあっても巨大なるが故に権力をもっているが故に批判できない、そして東電のような原発事故が起きてとりかえしのつかないことになる
そしてそうした巨大なるもの会社でも宗教団体でも制御することはできないのである。
それでロシアではエホバの布教を禁止したことでもわかる、それは国家にとって危険だと認識したからである。国家がのっとられという危険を感じたからである。
実際にエホバでもそれが数をひたすら増やそうとして権力化してゆく、それは創価と同じである。そうして国家も乗っ取られるのである。
オウムは極端なものとしてオウム王国を作ろうとしていたし創価も創価王国を作ろうとしている、巨大化した権力化した団体組織はみんなその権力故に弊害となりやすいのである巨大なるが故に権力がある故に制御できなくなるのである。
国家自体を東電がとりこんだようになったのもそのためである。

いづれにしろ現代文明はこうして地域社会とか自治体は破壊されやすい、その力関係に大きな差があるからだ、その時どうなるのか?この辺のように故郷にも住めなくなるということである。水も土も森も山を汚染されて住めなくなる、そして故郷からも追われて漂流者になったのである。
だからこの巨大団体組織を制御するものが必要なのだが現代文明にはない、国家すらないすると巨大企業や団体組織が国家となり国民をも蹂躙することになるのである。
もちろん巨大企業でも必要でありそこに勤める人は国民に尽くしているとうこともある。ただ巨大なるが故の弊害がある、その巨大なるが故に国家を左右して大企業が国家となっていることが問題なのである。それはグローバルに起きてきている現代の問題である。

巨大企業は恐竜のようになっている、それらは地方の小さい自治体とか地域社会をふみつぶす、それに抵抗する術がない、自然環境すら根こそぎ破壊される、そんな力は江戸時代まではなかった、現代文明が何かゴジラによって破壊されるように都会だけではない、
地方の自然環境すら破壊する力をもっているのだ
巨大企業もそうだが東京というときその巨大都市が地方自治体とか地方の自然環境でも破壊する圧力になっているのだ
なぜなら東京に供給するものが一千万ともなれば莫大なものになるからだ
だから東電もその電気を供給するために原発をフクシマに作ったり新潟に作ったりしているのである。

東京の人口圧力がそうさせているともなる、その巨大さ故にそれが自然環境破壊になる
もちろんそれで経済力があるともなるがその巨大さが怪物的になり文明を破綻に導いているということもある
だから東京が大地震がきてどうなるのかとか不安なのはその巨大さ故にそうなっている
その被害も莫大なものとなからだ。巨大なるが故にそれが崩壊するときは恐怖となる
地震でも各地に小村があるようなら被害はさほどではない、あまりにも巨大なるが故に
そういう巨大災害で都市そのものが滅びてしまうということもありうる
再建不可能になってしまうということである。そして脱出するほか方法がなくなってしまう畏れがある。ソドム、ゴムラが神に滅ぼされたように脱出するほかなくなるのである。
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2017年04月20日

新しいキクチスーパー開店 鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている



新しいキクチスーパー開店


鹿島区は人口も減らないし前より便利になっている

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前とは違って明るいし見やすい、品物も多い



キクチスーパーが今日開店した、中は原町のキクチスーパーと同じようになっていて品物も増えて見やすくなっている
シシドスーパーもできたし競争になると買う方にとっては便利である。
隣にも新しく店ができるらしい、どういう店かわからない
南相馬市では鹿島区は震災以降かえって良くなっている、人口も減らない、他からわからないけど双葉郡地域からも移ってきて家を建てた人がいるからだ
シシドスーパーの隣に復興住宅ができて浪江の人たちが入っている
経済というときやはり人口がものをいう、一人でもいればそれだけ消費するということがあるから二つのスーパーができたのである。

それで昨日小高の人は人口が多い方が力もつんだよなとか言って嘆いていたのもわかる
小高とか浪江は本当に復興するのがむずかしくなっているのは極端な人口の減少なのである。それも帰ったのは老人がほとんどだからである。
なぜ自分が小高の人は放射線量も低いから帰らないのかと言っていたが
まず回りが豊かな便利な生活をしているとき人間はその生活レベルを下げたくないのである、戦後十年くらいまでは炭を使っていたし水道もない生活だったがみんなそういう生活だからいいわけである。誰もが同じような生活をしていたからいいのである

北海道に土砂崩れとか水害で北海道に移住した十津川村の時代は明治であり結局その村にいても別に豊かな生活などできない、北海道に開拓に入ってもたいして変わらない生活になっていたのである。
なぜこの辺で復興をむずかしくしているのか?それは今回の津波被災地では同じ課題をかかえている、人口の流出であり若い人の流出である。
それは結局とどまるにしてもそこでまず復興すること自体が重荷となるからだ
そうなると便利な所が回りにいくらでもあるのだから原発避難者は補償金をもらったのだから移住した方がいいとなって若い人は帰らないのである。

逆に戦後十年のような生活だったらみんな不便で貧乏な生活をしていたのだから外に出ても同じだとなり残っていたかもしれないのである。
そういう時代の影響が大きかった、町でも村でも復興するということの意義を書いたが
回りに南相馬市だったら原町でも鹿島でも前と同じような生活をしているのだからこっちでもいいやとなってしまう。
鹿島などは前より良くなっているしこっちの方がいいとなってしまう。

いづれにしろ鹿島区ではまだ大東圏建託がアパートを建てている、15棟くらある、だから他から移り住む人がいるから建てている、いわきナンバーが多いから双葉郡の方から移っている、人口はへらないのである。
今回のキクチスーパー開店もこれも買い物にはいいなと思う、毎日買い物が仕事になっているからだ。料理などしていない、何を買うかの方が家事では問題だったのである。
買い物の方のコツがわかれば料理もそれに応じてできる、簡単なものでもそうである。
だから今は品物の数が多いから買い物が一仕事になるのである。

鹿島区でたりないのはレストランとかであり一人暮らしで利用できるものである。
そうすれば一人暮らしでも楽である。何か自分で作ったものがうまくない、外食した方が食堂でもレストランの方でもうまいのである。
ともかく鹿島区は小高と比べるとその差が大きい、鹿島が震災前より良くなっている
もちろん津波などの被害も大きかったのだが人口が減らないのが大きい
人口が減ると一万を割ったりすると相当に影響がでてきていた
全体にしぼんでゆく感じになるからだ。
もう一つなにの店ができるのか楽しみだともなるのが鹿島区である。

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2017年04月13日

話し合いが意思疎通ができない社会 (原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


話し合いが意思疎通ができない社会


(原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


山梨から来た人の言っていることはまともだった、経営に失敗した人だけどその教訓を学んでいた。

「人間は信用できなくてもまず信用するほかないんだよ、それで自分も失敗したんだけど」
「それもそうですね、信用しなければ人も使えないから」
「もっと話し合いすべきなんだよ、相手のことを知るべきなんだよ、今は政治家でも話し合いしなくなったんだよ、選挙民とも話し合わないんだよ」

これは言えるだろう、経営するにしても人を使うにしても最初は信用しなければ何もできない、でもその人は裏切られた、自分もそうだった
話し合いしないとだめなんだよはというときこの辺でも原発事故でも補償金問題でも良く互いに話し合っていない、相手のことも知らない
話し合いといっても日頃から話し合っていないと気持ちを通じ合わせていなとできない

その人が言うには今は政治家でも何でも話し合いをしないと言っていた
政治家は信用できない、ただ利権だけで自分を得することしか考えていない、政治家はあてにならないと言っていた。
この辺では渡辺恒三とかも自分の利権だけを考えていたのだろう。
息子はアメリカの原子力会社のGEに勤めていたし原発は自分の利権として考えていた
それは地元でもみんな金になるものとして誘致していたから同じとはなる

地元で話し合いができていないと結局こうした利権政治家とかマスコミとか政府の権力で自治体が破壊されることにもなった
つまり自治体とは議員とか行政とかの自治体ではない、基本的には住民の自治のことだからである。

補償金とかで市民みんながばらばらになったというとき住民自体に話し合いができていなから国の言いなりになり対抗もできないのである。
だから住民自治が問われたのである。
ただそうした住民自治といっても日頃からしていなと何かあったからと簡単にはできないだろう。

むしろ江戸時代の方が住民自治があったというのも不思議である。封建制で身分制で住民の自治などない社会だと思われているがそうでもない
村という自給自足の社会では互いに親密な話し合いが常に成されていただろう。
そうしなければ生活もできない、みんな農民だとすると利害が一致しているからである
水を使うことでも自然と共生する社会である。

現代が話し合いができないというとき職業も無数に分かれて広域社会であり会社員社会であり会社が違うと相手との交流もなくなる、農業社会とは違う、農民だとやはり常に自然と密接に密着して生活しているから生活感覚も一致している
アイディンティティが一致しているのだ
村社会だと鍛冶屋があってもそれは農民の鍬とか鎌とかを作っていたから農民と一体化する、個々の農民に応じて道具を作っていたりしたのである。
だから村自体がみんな何をしているか知っているし関係しているから話し合いもできるとなる

現代のように広域社会となりグローバル社会になると地球の裏側からチリとかメキシコとかから野菜でも果物でも入ってくる、そうなるともうその人たちとの話し合いなどないのである。そこに介在するのは金だけだとなる
そこで金が重要になってくる、金さえあれば食料でも何でも手に入るとなるからだ
そこには互いの交流もない、話し合いもない、ただ金があればなんでも手に入るという社会になる、つまり金が話し合い、交流する媒介するものとなり生身の人間が交流することはないのである。

そういう社会は民主主義といっても何かその根底に話し合う素地がないから日頃から互いに知らないものとしてあるから話し合いができないとなる
だから皮肉なのは住民自治は江戸時代の方があったともなる
庄屋とか大家でも村の人々を熟知していたから話し合いもできたのである。

原発だって誘致するにしてもただ政治家は利権であり地元の人たちも金になるとして積極的に誘致した、補償金でも個々人ができるだけもらえばいいとしかならない、そこに話し合いはない、その金を市町村の復興に使うことはなかった
個々人に配られそれは一過性のものとして使われて終わるだけだともなる
そもそも自分たちの市町村でもどうするべきかなど考えられないだろう。
その範囲が広すぎると考えられなくなる、村社会とはあまりにも規模が違うからである。

現代とは話し合いとか意志疎通が会社社会とかグローバル社会になれば一番むずかしい、ただ金を通じて経済が結びあっているだけである。
だから金が神のようになってしまう。それはマルクスが指摘したことである。
でも実際は趣味程度の畑を作っている人は何かあったら食料が高くなって買えないとかいうけどそこでとれるものはごくわずかであり一人分にもならない、他人分けるものなど全くとれない、それが地元にあるとしても全くあてにならないのである。

だから金をもっていて買った方があてになる、でも確かに金は紙屑になることはある
でも現実にその畑からとれるものは全く期待できないのである。
そこに金をつぎ込んでもネギ一本すらもらえないのである。
ただ聞いているのは草むしりの苦労から鳥に食われるとか虫にやられたとか
モグラに荒らされるとか盗まれたとかそういう話だけなのである。
だからこれも矛盾だと思った、そんな畑は無駄ではないにしろ全くあてにできないのである。

いづれにしろ現代は連関性なき無数に部品化した社会でありそれがナチスを生んだというといピカートの思想もわかる、ファシズム化しやす社会である。
それは相互のつながりがない社会であり話し合いのない社会である。
ただ金を通じて社会が維持されている社会なのである。
カルト宗教団体もそういうナチスとにているのである。
そこでは一人一人相談になどのらない、何百万もいたらできるわけがない
だから指導は何かあれば題目を唱えろ、一票を入れろ、念仏を唱えろとなるだけである。
それはハイルヒットラーと同じなのである。
それが指導するのには一番楽だからそうなっているのである。

そしまず金だとなる

原発も事故前もそうだし事故後もまず金だとなり補償金をもらうこだけになる
肝心の市町村の復興には使われなかったのである。
その前には話し合いができなかったのである。まず金だとなりそればかりになる
そういう社会だからそうなったともなる
もし江戸時代の村のような自治があれば話し合いがありそうなっていなかったかもしれない、だから何が進歩なのかもわからないのである。
社会は変化はしたが進歩したわけではないのである。

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2017年04月11日

publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった (補償金問題にもあり争いの元になった)


publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった


(補償金問題にもあり争いの元になった)


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明治以降は入会権とかの共同性は喪失した
privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、
「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、奪う、分離するという意味があるようです。

不思議なことは近代化というとき西欧文明に習えばprivateではなくpublicが社会の規範になりpublicの社会作りが行われるはずだった
しかし日本では明治維新後privateが私権が私益が追求される社会になった
日本では過剰に私的所有権を認める結果となったのである。
だから近代化が進歩したものとしてとらえることにも問題があった
江戸時代から明治となったとき進歩したというのではない江戸時代にあった文明が否定されて後退したということもあったのである。

なぜなら日本でもpublicがあった、農業社会だからそこでここの一画が自分の土地であり自由にしていいとかならない、村では共有の上に成り立つからである。
山から流れる水を利用するときも共有である。自然のものは共有なのである。
それを私的に奪いとるprivate社会になったのが明治以降の社会だったのである。
だから明治維新で社会が進歩したのではない、ただ変化したのである。
変化というとき悪く変化することもあるから変化がみんないいわけではなかった

江戸時代は一つの文明を形成していたしその中の価値観で生きていたのである。
この辺で葉山、端山信仰があるのは稲作と密接に結びついたものである。
山から水が供給されて田に流れて稲が実る、だから山の信仰があり山には先祖がいて
春には里におりてくるというときもそれは自然と密接に結びついた信仰となっていた
要するに一つの世界観が形成されていたのである。
エジプト文明でもマヤ文明でも必ず世界観が形成されて文明が成り立つのである。
だからそれらの過去の文明が現代から比べて遅れているとかならない、ただ文明は変わるのであり進歩するのではないのである。

江戸時代は農業中心の稲作文明だからそれは共有するpublicの社会である。それは西欧とは違ったものでも日本的publicなものである。入会権などもpublicなものだった
山の資源は共有されたものである。漁業権もそうである。それは自然の保護にも通じていた、ところが明治になったとき入会権はなくなり私的所有に無数に分割されたのである。そして山でも森でも土地でもつながっている、分割できないものとしてある
それがここが俺の土地だから売ろうとなにしようと勝手だという私的所有権を強固に主張できるようになった
この土地の公共性を無視した私的所有権を強固に認めたとき弊害が大きかった
公共的なものとして利用できなくなったからである。
今でも農地は勝手に宅地にできないとかあるがそれでも私的所有権がありpublicなものが土地の面では失われた

江戸時代は封建制の時代であり土地の上に成り立つ社会である。土地に依存して生きていたからである。土地から実りを得ていたからである。だから土地は共有するものであり私有はできないものだったのである。
土地の私有を強固にすると今度は個々人ではない大企業がその土地を買い占め私的所有権を強固に主張する、そしてその巨大な企業は漁業権でも買うことができたし現実にこの辺では東電に漁業権は売られたのである。
そして自治体すら買収された、入会権でも山林も森も土地も買い取られたとまでなっている、それがわかったのは原発事故で放射能で汚染されたからである
その時、木材も山菜も水さえ利用できなくなったからである。

巨大企業の権力はそれだけ大きいのだからその害も自治体を破壊するまでになる、江戸時代にはそんな大企業はなかったからである。そこが江戸時代とは根本的に違う社会である巨大企業がグローバルに進出するときそれは世界でこういうことが起きてくる
小さな部族社会など簡単に破壊されてゆくのである。
巨大企業が森を買い取ってしまい木材として伐採して森がなくなってしまうことも起きているからである。

要するに江戸時代は自然の生態系の中で生活していた、それが東電のような巨大企業がその生態系すら破壊したのである。地域というのは自然の生態系に生きていたしそれを越える生活はできなかった、しかしその生態系すら無視して破壊することができるのが巨大企業であり科学文明だったのである。
生態系というという時や弥生文明も稲作文明も実は生態系を破壊して成り立っていたのである。
海を入江などを干拓して田んぼにしてそれで人口を増やしてきたからである。
それが津浪で破壊されたことに驚いた、縄文時代は入江になった所には住んでいない
津浪が来た所には住んでいない、第一住めなかったからである。
稲作のために干拓した所が元の海に元の生態系に回復したとなったのである。
だから人間は生態系を破壊することは自然から復讐を受けるということもある
干拓したことがやはり自然破壊だったという驚きである。
なぜなら白砂松原の景色は実際は人工的の景色だったのである。それが根こそぎ津浪で破壊されたのである。

そしてこれらのprivateがこの辺では復興にも影響していたのである。
国であれ東電であれ莫大な補償金や復興資金でも除染費用でもみんな個々人の私的権利として主張されて市町村全体の復興資金に使われなかった
避難区域になって避難した原発避難者にはありとあらゆる補償金が支払われたのである。そして個々人の私的権利として主張されて莫大な資金が国からも東電からも支払われた
そして自分の家の前にも権利があるとか私道にもあるとか仏壇には40万とか補償されたりありとあらゆることに補償金が支払われたのである。
それは私的な個々人の権利として支払われた、そこで放射能量の多寡で補償金も多くもらったり少なくなったり全然もらえないとかこの辺では争いになったのである。
南相馬市は合併した小高,原町、鹿島で補償金の額が違って分断されたのである。

これも異常なほどにprivateが私的権利が主張されたためである
結果的に復興というとき市町村全体の復興とかにそうした資金は活用されなかった
個々人が故郷を出て家を建てたり個々人の復興に使われたのである。
肝心の市町村の復興には活用されなかったのである。
除染でもゼネコンから暴力団に一兆円もの除染費用が流れたとかなった
肝心の市町村の復興資金としては活用されなかった
もしその資金が市町村の復興資金に使われていればまたこの辺は違った状況になった

例えば鹿島区にはもともと30キロ圏外だから補償金はもらえない地区だった
それでは不公平になるとして市長が交渉して補償金を出した
その仮払金は100億円だった、この時だから原町区の人で強固に反対した人がいた
そんな金を鹿島に払うなとなったのである。
その後も今度は小高から避難して来た人たちとも争うようになった
ともかく原発避難者は何でも手厚い補償があり補償金をもらったからである。
ただそれはあくまでも個々人にでありそれを小高だったら小高の復興には活用されていない、原町でもそうである。

そのことが分断された原因でもある。もし小高でも私たちの補償金は街の区の復興に使うとなればまた違った見方が生れた、でも実際は個々人が勝手に補償金を私的に使い外に家を建てたりして帰らないということになった
それは小高の街や区全体の復興として活用されなかったのである。
もし小高全体の復興のためにその金が使われていたら他でもあまり文句は言わなかったかもしれない、なぜなら南相馬市全体をみたとき小高の土地も活用して復興してもらわないと市としては困るからである。
それは小高だけではない、原町でも鹿島でも言えたことだった
鹿島が仮払金百億円をもらったとき個々人に配布されたがもしそれが鹿島区の復興資金に活用すればまた違ったものとなった

そういう提案をする市の担当者もいないし商工会でもしない誰もしない、それは国からの東電からの金が県とか市町村で指導権をもたずゼネコンとかに一兆円の金は流れた
もし県とか市町村ですれば半分くらいの資金でまにあいあとの半分はそれでも5000億は市町村の復興資金、新しい街作りなどに活用されたかもしれないのである。
そういう指導とか提案さえなされなかったのである。
鹿島の仮払金は100億円というけどこれは大東銀行が所有している金と同じなのである。
大東銀行がもつ金か鹿島区に配布されたとなるのである。それはただ個々人に配布されて鹿島区の復興に例えば駅前の開発などには使われなかったのである。
だからその金は一過性のものとして消えたともなる、もし駅前でも開発がなされればその区域の繁栄が長くつづく資産として活用されたともなるからだ

いづれにしろprivateなことに終始してpublicなものが追求されなかった
それで市が分断されたり村も分断されたのである。
ただこのprivateなものとpublicなものの対立はどこでも起きている
大きく言えば国がpublicなものであり戦争とかなればpublicなものが優先され国のために死のことが犠牲になることが強いられる国なくして個々人もないとなるからだ。
ただ現代社会は私的な権利、所有権とか過剰に主張される時代でありその弊害が大きくなったのである。


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2017年04月08日

自治体とは何か? (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


 自治体とは何か?


 (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


そもそも「自治」は前述のとおり「自分たちのことを自分たちで処理すること」です。であれば、処理するための会則なり、法則なり、理念なり、何なりを共有してしかるべきだと思うわけです。「自治体」というならば、その「自」が共有すべき会則等があってしかるべきだと思うわけです。共有とは自分達で決めることです

この辺で起きたことは本当に様々なことが具体的に問われたのである。
それは学問的な問題ではない、具体的にどう解決したらいいかが問われた
第一自治体が崩壊する、町が村がなくなるなどということは誰も想定していないからだ
でも現実に町や村がなくなるということに直面したのである。

そもそも自治体とは何かと問うとき相当にむずかしいテーマでありその解答は実は法律だけの問題ではない、それはむずかしくいえば人間の実存にかかわるものである。
自治体も歴史的に生れたものであり歴史をたどらなければわからない。
日本では村が自治体の基本としてありつづけたのである。それが明治時代で変わったが江戸時代は村中心の自治が行われていたのである。

そして江戸時代をふりかえるとき封建制の時代だとなる、封建制とは何かとなるとそれは土地を基本にした支配制度である。土地が領主から与えられることによって支配が成り立つ、なぜ土地が基本になるかというと農業中心の社会では土地が実りを産み出すものであり土地なくして農業は成り立たないからである。
だから江戸時代までは国単位でも農業中心だから政治でも政り(まつりごと)でも天皇は大嘗祭をして米の豊作を願っていた、豊作を祈ることが天に祈ることが政り(まつりごと)だったのである。

六年甲戌(ねんかふじゅつ)、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一歌一首

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思(おも)へば

天地が栄えるときに民も栄えるというのは農業中心の社会だからその政りごと祭りがありえたのである。それは自然と調和する社会があって成り立つものである。

確かに自治体とは近代的概念として生れた、だから自治体というときヨーロッパの歴史をたどることも必要になる、ヨーロッパにも自治体がありその歴史は古い、それはギリシャのポリスにはじまる、それは城壁げ囲まれた都市のことである。
それがヨーロッパでは自治体体なのである。だからパスポートにあなたはどこの市民ですかと書いてある、citizenが記され、でも日本では村とか町があり市に住まない人もいる
だからなじめないものなのである。

自治体とはな何か問えばそれは人間の根源的な生存にかかわるものである。
なぜなら原発事故でその人間の根源的な生存基盤が破壊されたこともわかる。
水や土や森や山やその生存基盤が喪失したことでもわかる、そうなるともう人間はそこに生きられない、生存基盤が失われたのである。
だからこれほど深刻な問題はなかったのである。

自分のテーマは自然とアイディンティティ化する文化的なものとして故郷を追求してきたその文化すらcultivate(耕す)-cultureだからその土地と密接に結びついて作られてきたものである。ヨーロッパでも葡萄の種類が多い、その葡萄に土地の名前がつけられているそれはその土地で産み出されたものだからその土地の名前がつけられている、それが文化なのである。日本でも米などがそうである。土地土地の米がブランドとなり売り出されているのとにている
文化というときそういう土地土地の地盤があってそこから芸術でも生れてきている
芸術というときそれは個人的なものではない、トータルなものとしての文化であり文明にもなる

木があるとしてその木はギリシャなら神殿の柱となりドイツだとゴシックの大聖堂の柱となる、それはモミの木をイメージしたものでありドイツの森を象ったものとなる
自然を基にして文化文明が生れる、例えば言葉でも日本語は日本の自然から産み出されている、日本の自然と密接に結びついたものとして生れている
それがネティブの言語である。だから日本語がなくなると日本の自然と切り離されたものとなり日本の文明そのものが消失するともなる

ともかく自治体の基本はそうした自然と一体化したアイディンティティ化したものとして築かれてきた、それが人間の存在基盤としてあった、国自体もそういう日本の自然との
アイディンティティ化してあった、だから天皇の政り(まつりごと)があり二宮尊徳の思想が生れた、それは農業中心の社会だから生れたものである。

それが明治以降工業社会になったときそうした基本となる自然から離れたものとして社会が築かれるようになった、その変化があまりにも大きかったのである。
そのために公害が起きたり原発事故では自治体の基盤である水や土や木や森や山が海が汚染されたのだから生きることすらできなくなる
それは文化的なことだけではない、生存するできなくなる深刻なものとなった。

つまり自治体があるとしてその構成するものは基本に自然がある。海があり山があり森かあり水があり土があり空気があるとなる
そういうものが根こそぎ汚染されたときその土地でどうして生きていけるのかとなる
今でもこの辺では水はペットボトルで買うほかない、山の方では自然の水をとって生活していた所がまだあった、それは無料だった、それもできない。
企業が巨大化するときそうした自治体が買い取ることができる、現実に東電は国と一体となり漁業権を海を買い取り自治体の存在基盤である自然も買い取っていたのである。
そして企業は利益だけをみるから人間の存在基盤である海であれ土であれ木であれ森であれそういうものを無視して利益を産み出すことだけを考える
企業にはもともと自治体が成り立つ自然など見ていないのである。

そもそも東京を見ればわかる、そこには田畑がないし水でもどこから供給されているのか意識しない、山から水が供給されていることを意識しない、でもその山も実は放射能で汚染されていたのである。利根川の上流も放射能で汚染されていたのである。
ただ東京にいれば自然はじかに意識しないのである。
そういう社会に生活しているとき自然は意識されない、電気をエネルギーとするとき自然より電気があれば生活できるとなる社会である。
そうなると電気文明となり原子力文明ともなりそれに依存するのであり自然に依存する社会ではない、でも東京すら放射能で水は汚染された生きていけないのである。
大企業は今やそうして自然を無視して破壊する力をもった、それはソーラーパネル工場と化したこの辺でもわかる、それは太陽をエネルギーとしてもやはり森を破壊してそこで水が産み出されるがそれがなくなるとかも言われるからやはり自然破壊だった
それと同時に景観も破壊されるから文化は消失するのである

ともかく原発事故で意識されたのは巨大企業によるまたは科学文明による自然の破壊でありそしてそれが自治体の崩壊になったのである。
法律的に自治体と県と国の関係がありそこで原発事故の問題は処理されねばならないものだった、ただ根源的に歴史的に問う時、これは文明文化というか大きな問題としてクローズアップされたのである。
科学文明工業文明原子力文明の崩壊だったのである。
そういう大きな視点で見る必要もある問題だったのである。
だから個々の問題としていろいろあるがそうした文明論的観点からみて対処することも必要なのである。
そうなると確かにむずかしくてどうすればいいのかわからないとなるが原発事故はそういう人間の存在基盤をゆるがす問題だったのである。
だから文明の転換すら考慮する問題であり個々の問題だけを追求しても解決しないともなる


タグ:自治体とは
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2017年04月04日

原発事故周辺の怖い話 (飯館村にも骨が埋まっている?)


原発事故周辺の怖い話

(飯館村にも骨が埋まっている?)


いわき市と西郷村で死体が埋まっていた、いわき市では借金のことでもめごとがありそれで争いになり殺されたと報道した
西郷村も放射性廃棄物場に死体が発見されたから除染とかの関係者だろう
なぜ殺されたのか?
山梨の除染員が言うには飯館村にも骨が埋まっているという
その人は除染していて石ぶつけられてショックだったと言っていた

飯館村で除染というと裏山などを除染して木を切ったりすると一億円かかったとか言われる、
除染の費用も莫大なものなのである。
だからそんな金を除染などしないで個々人でもらった方がいいというのもわかる
その金は実際はゼネコンとか暴力団とか利権化して地元の人に有効に使われていないのである。
結局自治体で有効に使うべき金がゼネコンだとか政治家だとか暴力団に流れて地元の復興には役に立たないとしきりに言うのもわかる
自治体で除染でもとりしきれば相当な莫大な金が浮く、それが復興資金になる
それもしなかったので肝心の復興のために金が回らなかったという。

何かこの辺は除染関係者や工事関係者とともに暴力団関係も入ってきた、郵便局に若い人が腕に入れ墨をした人が堂々とそれを見せて窓口にいたのは驚いた。
そういう人もかなり入ってきたのがこの辺だったのである
韓国系だかなんだかわからないが売春婦も入って来たとか言うのはそれだけの需要が生れたのがこの辺ではありそれとともに治安も悪くなったのである。

ともかく飯館村などというとそんな話題もない、平和な村だったのである。
今は村を二分して補償金でもめていたりする、原発周辺はみんなそうである。
その巨額な金のために政治家が官僚が利権化してゼネコンとか暴力団に金が流れて肝心の復興のためには使われていないともなる

この辺は正常ではない、異常化した世界にもなった、それは原発誘致してから東電は金のなる木だったから政治家から官僚からマスメデアから地元の人たちも群がったのである。漁業権者は一番金が入っていた。漁業権を売り渡したからである。
そういうふうに原発は巨額な金を生むものであり事故後もそうだった
かえって事故後の方が巨額な金が補償金として支払われたのである。
それで水俣病になった所では補償金で村は破滅したとその経験を書いている
金がみんないいものとして働かないのである。
補償金もらったら働きたくないとかなったりして毎日パチンコとかギャンブルになったりしたのもそうである。

モラル的には相当にこの辺は荒廃した、かつての平和は失われた、前から別にこの辺の人たちがいい人だとか素朴な人たちだったということは今ではない、やはりどこでも今は金、金、金を求めているのは変わりないのである。
ただ飯館村などでも暮らしが隠されていたので見えなかっただけである
それが補償金のためにその醜い人間の欲がむきだしになってしまったのである。
でも除染も終わりになり工事関係者もすでに少なくなっゆくと今度は市町村自体が高齢化社会になり衰退してゆく、南相馬市でも高齢者が65歳以上の人たちが他より10パーセント増えている、災害復興住宅に浪江の人たちが移ってきたとしても老人が多いのである。
若い人は流出しているからだ。
その若い人たちも補償金もらったら仕事はしないとなる
そんなことで復興できるのかとなる、だから金だけでは問題は解決しなかったのである。国では金をやればいいとしてもそれを有効に復興のために活用できなければなににもならない、かえってその補償金のために争い復興の障害になってもいたのである。
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2017年04月03日

原町のタクシー会社がつぶれた原因? (補償金もらって働く人がいなくなったから?)


原町のタクシー会社がつぶれた原因?

(補償金もらって働く人がいなくなったから?)


山梨の除染に来た労働者は元経営者だったらしい、その経営に失敗して除染員になったのか?
だからいろいろこの辺の事情を知り言えるのかもしれない
駅前を開発するには土地と家を持っている人にオーナー制にして補償する
そして駅前開発をやる、そんなことを言っていた

その人が言うには原町のタクシー会社がつぶれたのはタクシーに勤める人を確保できないからだという、補償金をもらった結果働くのが嫌でそうなったと・・・
これは事実関係がどうなっているのかわからないが現実にそういう状態がこの辺にはあった、多額の補償金をもらった結果、毎日パチンコとギャンブルになったのである。
だからありえていことではないが、これを聞いたときこの辺の荒廃が深刻なんだと思ったそこまでなっているのかそこまで補償金が悪い方に作用しているのかということである。
この辺は特に人手不足といわれ、スキヤでは自給1200円で全国一高いと言われた、それだけ復興事業で外から来る人が多かったからである。
特に若い看護師が流出したとかで不足して病院が維持できないとか深刻な状態になった
介護士も不足している、人を募集しても人が来ないということがある
それは実は補償金のためだともなる、補償金をもらったら働かないとなっているからだ
そしてタクシー会社までつぶれるとなると異常事態なのである。

その人がなぜ飯館村で石ぶつけられたのか?そのことがショックだと今回も言っていた。
それは飯館村でも放射線量が高いところと低い所がありそれで補償金の差が大きいから低い所の家では除染している人に石をぶつけた、でもなぜ除染している人にそんなことするのか?それは除染してもらっても金にならなからやつあたりしたのかとなる
飯館村は一般的に放射線量が高いからみんな同じように補償金をもらったと思っていた
でもやはり差がありその差が大きい所で不満が大きくなっていたのである。

いづれにしろもめごとのあるところに入ると危険になる、NHKの放送で自分もなぜ原発避難民側についているのかと不満になったからである。
だから飯館村が村に残す村長派と補償金をもらって外に出る派と分かれて争っているというのは公平に報道していたのだろう。あからさまに争っているということは南相馬市では報道していないからである。
まずシリアみたいな紛争地に入ったらわけわからなくなり危険になるのとにている
事情が複雑でありわからなくなりとばっちりを受けるから報道機関も慎重さが要求される一方に味方したりしたら危険にもなるからだ

普通だったらこういう危機的状況になったら本当は率先して市町村のために働き復興しようという気持ちになる、それは金の問題ではない、市町村でもそうしてもらわないと困るからである。タクシーだってやはり外から来る人も多かったし必要だったからである。
9人乗りのタクシーで小中学生を小高に送迎するのもやはり学校を維持して教育のために尽力しているとなるからだ。
こういうとき何かそれぞれできることをしないと市町村が衰退して消滅する危機になる
それが小高とか浪江とかで起きているからだ。

自分もだからもともと働いていないが介護とかでできなかったが駅とかが無人駅になったのでボランティアしているとかプログで発言して方策を考えるとか提案し情報を伝えている、そんなこと復興に役に立つのとなるがまずいろいろな人の状況を知り話を聞くとういことからも復興がはじまる、だから役にたたないとはならない
何が問題で何をどうすればいいのかわからないからである。
だから外からの提案も参考になるから聞いているともなる

つまり実際は小高の人はお前は何もできないなら何も言うなとか言うけどこれも傲慢なのである。
南相馬市の一市民だったらかかわらざるをえない、財政負担にもなるからだ
そして補償金は国民が負担しているものなのである。なんでその補償金で遊んでいるだけなんだと批判されるのである。
補償金をもらったからタクシーの運転手などしてられるか、そしてタクシー会社がつぶれとなると一体補償金とは何なのだととなるからだ
もちろんその真偽ははっきりしないが現実にここでは補償金でそういうことが起きたからまるっきり嘘だとも言えないのである。

だから補償金で水俣病でもだめにしたというときにているのだ、補償金が必ずしもいい方面に働かない、その利用を誤るとかえってこのように荒廃して市町村自体が荒廃してだめになる、飯館村だってギャンブラーになったとかだめになるのだ
人心が荒廃してゆくときさらに危機的な状態になり市町村自体が衰退して消滅の危機にさえなってゆく、それが今回のタクシー会社が人手がなくてつぶれるということにもつながる、それは相当に深刻なのである。
でも原町ではそんなにもらっているとは思えないが山側でもらっている、また小高の人でも働いていたかもしれない、その辺の詳しい事情はわからないから明確に言えない
でもありえないとも言えないのがこの辺の状況なのである。
タグ:原発補償金
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2017年04月02日

再開した浪江駅に行く (鉄道マニアが多かった)


再開した浪江駅に行く

(鉄道マニアが多かった)

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5万の放射線量を計る機器

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この愛知御津駅がなくなるとか言っていた

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学校の時計は3時30分でとまっている、震災以来とまったままである

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立派な眼科だけど震災前につぶれていたというのは意外
それだけの患者がいなかったのか? 
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飲み屋

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子供部屋がありベッドがある生活があった

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引っ越しの車


浪江まで開通するや草萌ゆる


原町から乗った老人は5万の放射線量を計る機械をもっていた、それはわかりやすいいいものだった、あれだと放射線量は計りやすい、それを見ていたが浪江に来ても0・3にしかならなかった、浪江は市街は意外と低いのである。
浪江におりて歩いたら通りの店はどこも開いていていない、町の役所まで歩いた。
浪江は広い街であり様々な店や医院もあった、でも眼科があったのでめずらしいと思ったが後で聞いたらあの眼科は震災前からつぶれていたというのも意外だった

大きな病院もあったがむずかしい病気は南相馬市立病院に来ていた、実際に浪江の人が入院していて同じ部屋だった、その人は農業で賞をもらうほど優秀な人だった
それだ大学に娘を三人出したのである。昔の平に野菜などを売っていた。
車で毎日来ていて30分かかると行っていた、その人は重体でありしゃべることもなにすることもできない、わずかに妻が来ると手をにぎるだけであり反応がない
植物人間の一歩手前だったのである。だから見ているだけで悲惨だった
でもそれだけした人だから妻と娘は来ていたのである。

浪江で今仕事はじめたのは警察署と消防署であり消防では訓練していてその声だけがひびいていた。あとは仮設の商店が二軒ほど開いていた、カフェが一軒開いていた、後はなにもない、人はまだ住んでいない、引っ越しの車が見えたりしたからこれから移ってくる人がいるのだろう。

何か6年も人が住んでいないとそこは死の街になっていた、小高もそうだったが浪江は小高より広いから余計にそうなる
小学校なのか中学校なのか時計が3時30分で止まったままになっていた
浪江はこの時計がとまっていらい時間がとまってしまったのである。

浪江駅に来ていたのは仙台からの鉄道マニアが多かった、仙台とかなるとそれだけマニアも増える、しきりに車両の写真をとっていた。
切符を集めている人がいてこの駅はなくなるんだよとか言っていた。
鉄道マニアにはいろいろな人がいる、そういう人と話すると確かに面白い
自分もマニアの一人だからである。それは年齢とは関係ないのである。
仙台に直通の電車が日に三本くらいでる、自分が乗ったのも帰りは直通で仙台に行く二両の電車だった、電車の中で近くの鉄道マニアなのか

「磐城太田は昔は高駅と言っていたんですよ」
「磐城太田はずっと磐城太田だよ、それはいつのことなんだよ」

そんなことを言う若い人がいたので調べてみたら確かに高駅として開業した、当時は立派な駅があり駅員もいて繁盛していたらしい。
高という地名があり字地名でありそれが駅名となった
双葉駅の前は長塚駅でありそれは長塚村が江戸時代の宿場町としてあり長塚駅になった
この長塚駅時代に自分の家が酒屋に父が勤めていて関係していてその話を聞いているから何か親しいのである。

高駅の高は古代の郷名に由来するものらしい、そうなると相当に古い地名でありこの辺は古くから人が住んでいたとなる、このように駅名にも歴史がある

それから原町に下りて原町の通りを歩いた、そして鹿島に帰って今度はシシドスーパーの隣の復興住宅の人がいたので話を聞いた、その人があの眼科は震災前につぶれたのだと言って教えてくれたのである。
その人は車を入念に手入れしていた、車庫がないので車が傷むと言っていた。そしてここに駐車しているだけで1500円とられると言っていた。
その人は室原の人でその親は豚を飼っていた、それは品種のいい豚でありキクチスーパーとかで売っていたのである。
伊藤忠商事とも関係して売っていたという、高速ができたので豚を運ぶのにいいとか言っていたがだめになったといっていた。た
でも伊藤忠商事とかと関係していることはそれなりに大規模にしていた
なぜではその人は原発でも働いていたのかとなる
何かこの辺ではそうして原発で働いたとしても農業していたり二つの職についている人も多かった。手間賃稼ぎに原発で働いていたともなる

その人は室原に帰るために拠点を作るのでそのために室原に時々帰っている、他の原町の人も浪江に一町の畑があると時々見に行っている、ここからだと近いからできる
それも確かに復興になっているのだ。すぐに帰って復興するのではなく時々見に行っては復興してゆく、拠点を作るのは帰ることを前提にしているからである。
5年後辺りには全部避難解除になるというからである。

ともかく浪江の前途は厳しい、まず人が住んでいない、人が帰らないのは小高と同じだが小高は住んでいる人がみかけたが浪江ではいない,これから帰るというがそれも一割程度とかなるととても街を復興することはむずかしい。
ここは原町とも離れているから買物でも不便になる、買物バスとかが出るというけど遠いから不便になる、だからここで帰って来る人は少ないし小高と同じく老人が多いのである
ただ浪江の人との軋轢は南相馬市ではまだ生れていない、鹿島と小高は犬猿の仲になったのは補償金のためだった
ただ浪江の人でも工場を経営している人が仕事をくれと原町の仲間に言ったらお前らは補償金たんまりもらっているからと断れた、だから浪江の人でも南相馬市の人とももめたとなる、現実に浪江の人が南相馬市に住んでいればそうなるのである。
シシドスーパーの隣の復興住宅に には浪江の人だけではない、他から来た人も住んでいるという、どこから来たかはわからない。

それでも県で建てた復興住宅で前の駐車場まで金をとっているというのもやはりもうそれだけ県でも国でも補償できないということなのか?
いつまでも補償できないということはあるだろう、県とか国では早く帰って復興してもらいたいのである。南相馬市でも小高の人に帰って復興してもらいたい
それがなかなかすすまないのである。小高は小高工業が300人とか通うようになるから電車でも駅でもにぎわうようになる、浪江はそういうものがないから復興となるなにか起爆剤が必要なのである。
それが何になるのかこれから模索することになる
観光だったらどうしても高瀬川に行けないのは致命的だとなる
あそこが避難解除されれば外から観光だけにでも来る人はいる、あそこは本当にこの辺ではめずらしい名勝の地だからでる



行方郡は陸奥国だけではなく、同名の行方郡が常陸国にあり、後述の『和名類聚抄』中の多珂郷は常陸国の多珂郡(多賀郡)と同じ名である。在地の国造ではなく、常陸国から来た移民を中心にして郡が建てられたのであろう。
古代の郡衙の場所は新田川の河口付近、現在の南相馬市原町区泉にある泉官衙遺跡と推定されている[3]。位置は不明だが行方団という軍団も置かれていた。『和名類聚抄』による読みは「なめかた[4]」で、吉名・大江・多珂・子鶴・真野の5郷があった。
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2017年03月30日

自治が問われた原発事故周辺 巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった


自治が問われた原発事故周辺

巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった

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今日山梨の駅で話した人は結構いろいろ要点をついたことを言って共感した。
何か病気になって仕事できないので医者にみてもらいにきていた。
除染の仕事をしていた。

「この辺では復興として国からおりた金をみんなゼネコンとか暴力団とかに流れて肝心の市町村を復興するためには使われなかったんだよ、区長でもなんでもみんなでその金を使って復興しようとしなかった」
「その国からおりた金でもみんな個々人におりたので個々人が勝手に使い町全体とかの復興のために使われなかった」
「除染費用など自治体で使えば良かっただよ、そうすれば市町村の復興のために新しい街作りのために使うことができた
除染でもこの土地の人がやりそれを復興の街作りに回せば良かったんだよ」
「それはいえるな、結局この辺では6年間住民は何もしなかった、ただ個々に補償金をもうらことしか頭になくなった、それで家族でも地区でも市全体でもばらばらになってしまったんだよ」
「俺は飯館村で除染していたけど石ぶつけられたんだよ」
「ええ、なぜ、そんなことをしたの」
「その家は補償金はその時そんなにもらえない所だった、隣の家は高くもらっていたとかで頭にきて除染している人が怒っていた」
「そういうことはこの辺ではあった、国で放射線量を計り補償金を決めた、それでどこでももめた、地区でも隣がもらってこっちはもらえないとかもめた」
「それより自治体で一括して除染費用をもらって自治体主導で除染すれば良かった
そして復興のための街作りに使えば良かったんだよ」
「それは自分も感じていた、個々人に補償金もらったらみんなかえって町を出て外に家を建てたよ」
「莫大な補償金とかは街の復興のために使うべきだったんだよ」

この人の言っていることは全うだった。飯館村で除染している人に石をぶつけているとういことは飯館村でも補償金で分断されていたのである。今でも大きくは二つに分断されている、補償金をもらって外で生活再建する派と残る村長派である。
この辺は事故後ずっと補償金でもめて分断されてきたのである。
家族すらその一億円の補償金でもめて分裂したとかもある、額が大きくなると奪い合いになる。

その人が言うには区長でもいいからともかくみんなが集まって市町村のために全体の復興のために使うべきだった、そういうふうな仕組みを作るべきでもあった。
一括して自治体でも除染費用を受け取ればそれを極力自治体の力でやればその金は除染だけではない市町村全体のためにも使われたし自治体の人々が俺たちが復興しているんだという気持ちなり復興に精神的にも通じていた

ところが実際はほとんど6年の間住民は何していたかといえばパチンコでありギャンブルに興じていただけなのである。その時精神は荒廃して復興など関係なくなっていたのである。そして補償金しか興味がなくなっていたのである。
もし除染でもしていたら自分たちの土地を自分たちで除染している、復興しているんだという前向きな気持ちになったのである。全部でなくても自治体主導でしていればそうなった、一部では除染もそうしたところもあったがほとんどはゼネコン主体であり地元住民は何もせずにパチンコきギャンブルしかしていないのである。

南相馬市だと小高でも南相馬市内の仮設に住んだから近いのでできたのである。
でも実際は補償金をもらうことしかなくなった
それよりも除染だけではないなにかしら自分たちで復興しているんだというものがないと精神的にももう復興などどうでもいいとなってしまった
ただ補償金をもらえばいいとういうふうになり復興の気力もなくなっていった
だからいくら国から巨額な金が出てもそれが有効に回らなかった。
地区でも市町村単位でも補償金でもめて分断されたのである。

つまり民主主義の自治がなくなっていたのである。みんなでこの困難に立ち向かう下からの力が喪失した、自治体というとき自ら治めるということである、その自ら治めるがなく国からの一方的な指導しかなくそれが自治させなくさせたのである。
それは国だけに責任があるのではなく強力に自治体の住民が結束して立ち向かうことができなかったからである。

ではなぜできなかったのか?
それは震災前からすでにそうした原因があった
それが原発事故を通じて明確化されたというだけだとも見える

農民→農業したくなかった→土地は汚染されて農業はできなくなった
商店→シャッター通り→やめたかった→補償金が入ってやめた
若い人たち→田舎町から出て行きたかった→補償金もらって都会へ出た
若い妻たち→姑といたくなかった→別々に暮らせて良かった

何か前々からこうして田舎ではそういう状況があり原発事故がそれを促進させたのである
いづれにしろ復興というときこの辺では町でも村でも全体の復興には向かわなかった
みんな個々人が補償金をもらいそれを個々人が利用して町全体の復興には向かわなかった精神的にも一致して復興に向かわなかった、復興というとき本当は一年くらいはしかたないにしてもその辺からすでに何らか個々人が復興のために動き働いていないとできなことだったのである。その復興は個々人は故郷が出て家を建てたりして個々人の復興のために6年は費やされたのである。
6年すぎたらもうそうして若い人は流出してもう帰らない、もともと町から出たいということもあり他の都会で住みやすい所で生活しはじめて6年とかなると境遇も変わり簡単に元にもどれないし故郷の復興には関係なくなっていたのである。
人間は6年くらい音信不通になると相手のことがわからなくなり誤解が生れる
6年はやはり短いようで長かかったのである。

ともかく様々なことが問われたが自治体が自治がなかった、その自治とは市長とか議員の自治でもない、村民の町民の市民の自治がなかった、下から押し上げる力が不足していた補償金を要求するにしても個々人ではなく町全体を復興させるにはどうするのかということでその活用を議論すべきだったのである。
そしてその山梨の人が言うにはそうした新しい街作りをしないと若い人も住まない、そこに希望がないから住まない、そして全体が衰退してゆくというのは本当だろう
ただでは都会的な街がみんないいかといったら嫌な人もいる
自分の価値観は性分は都会向きではない、静かで人がいない方が落ち着くのである。
でも一般的にはそうではないから街が衰退してゆくことはいいことではないのである。



メディアが報じない原発禍の街の真実 <第6回>4人世帯で1億1000万円…賠償金で家族がバラバラに(日刊ゲンダイ)

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水俣病でもここと同じことが起きていた、補償金しかなくなったのである。
何か復興もない、昔の村は全くなくなったとある。


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


補償金、義援金で南相馬市の一体感は喪失 (原町の人が義援金も鹿島区に払うなと言うことの傲慢)

過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした (内村鑑三の指摘の再考)

posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月29日

震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇 (震災関連死数が物語るもの)


震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇

(震災関連死数が物語るもの)


震災関連死数 2086 65才以上 1880


復興住宅に入っている浪江の人は一人は室原でその人は母が避難している内に死んで一人暮らしになった、今日あった人は兄と一緒に住んでいたがその兄が死んで一人暮らしだという、何かそれは関連死だったのかもしれない
要するに避難している6年の間に様々な変化があった、その中に震災関連死があった
兄が死んだ人は子供がいないから一人である。
子供がいた人もその息子は東京に出てその子供はその地元の高校を出て就職して帰らない妻も息子の所に帰っていないという、一町ばかりの畑があり通ってみている
近くになったのでそれができるから何か故郷と通じるものができてくる
すぐにではないが故郷とその土地を通じてつながっているという感じになる

ともかく6年という歳月が意外とこの辺りを実際は凄まじく変えてしまったのである。
津浪の被害もそうだけど原発事故の避難でもそうである。
家族でも地域でもばらばらになってしまったのである。
その中で境遇がみんな変わってしまった。身内が死んだりするのは大きな変化である。
自分も母親が死んだから同じである。

だから原発避難者が故郷に帰れというときその6年の間の変化でむすかしくなった。
なぜなら東京まで出てそこで中学校3年と高校3年を過ごすほど長かった
普通はそういう思春期は一番思い出にの残る時期かもしれないからだ。
小学生でも一年生が六年生になっていたからである。
その境遇の変化が既成事実となり重いものとなり帰れなくさせたのである。

ともかく人間の境遇も変化をまねがれない、自分は30年間くらいは変化がなかったが急速の変化に襲われて介護十年して身内はみんな死んだ
人間は別に震災がなくても境遇が変化する、親が死んだ人もいる、妻が死んだ人もいる、夫が死んだ人もいる、様々である
その境遇の変化のためにショックを受ける、世の無常を感じる

つくづく人間は一旦境遇が変化すると既成事実化すると簡単に元にもどれない
それが復興をむずかしくしている、6年も避難している内にみんな境遇が変わってしまったのである。
若い人は若い人で避難している間に生活でも避難した先で合わせる他なくなった
ともかく意外と老人になると境遇が変わりやすいのである。
それがショックになる、あちらこちら病院が変わったり施設が変わったりする人もいる
終の住処(ついのすみか)が得られない漂流老人になる
震災避難者はあちらこちら漂流した、そして震災関連死になった人も多い
そういう安定しないことが老人にとっては最大の不幸なのである。

いづれにしろこうした境遇の変化はもう一旦変えられると元にもどすことが困難になる
これは最初の内はそんなに大きな問題に見えなかった
しかし6年過ぎてその重さに気づいたのである。
一旦変わってしまった境遇はもう簡単には変えられない、町にしても村にしても簡単に修復して元にもどらない、それが大きな誤算だった
若い人でもそれぞれの生活が避難した先ではじまりそこで6年間過ぎたからである。

災害復興住宅の畳みは本物たたみでないらしい、外壁も塗装されていないとかヤハな作りになっている、やはり外観はいいのだがそれだけ安い材料とか手抜きしていたともなる
そうせざるをえない事情もある。
だから建物は外観を見ただけではわからないものだと思った。

復興は様々な悪条件で困難を究める、それぞれの境遇が変わってしまい、それも復興をむずかしくしていた、そして残されたのは老人が多い、福島県内からすら流出しているからである。復興住宅に入っている人すら老人が多い、一人暮らしも多いのである。
だからそういう人たちが帰って何ができるのかとなるし帰っても世話する人もいないのだから復興自体無理だとなる
何もできない、介護とか病気予備軍の老人が帰っても復興はできないからである。


タグ:震災関連死
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2017年03月27日

また建つ大東建託のアパート (鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)


また建つ大東建託のアパート

(鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)

賃貸経営は30年以上の長い事業です。
世間で言われている人口減少がこのまま改善しなければ、多くのアパートオーナーは首をくくることになるでしょう。

練馬で建築と不動産をやっています。やめましょう!
嘘です。820万戸も空き家があり10年で180万戸増えました。
失敗は大家のせい成功は大東建託です。

中々売れないような土地にアパートを建ててもすぐに空き部屋が目立つようになります、、そしてオール借金ですと手元には何も残りません、、赤字にならなければましと言う程度の物です



この辺では様々な変化があった、その一つが大東建託のアパートが次々に建ったことである。それは他所から原発事故で避難して入る人がありその需要が見込めたからだろう。
いわきナンバーが多いことでわかる、それにしても未だに建てられ続けていることの驚きである。
そこでちょうど建築中の場に人がいたので聞いてみた
そこは田んぼだったのだけど端になっていた

「ここは自分の土地なんだよ」
「田んぼだと簡単に宅地にはできないよな」
「ここはできる土地だよ」
「ここは土地を売って大東建託が建てるのか」
「違うよ、自分の土地に自分で金だしてアパートを建てる」
「じゃ、,金がかかるよな」
「一億かかるよ」
「ええ、そんなにかかる、そんな金が用意できるの」
「息子もいいというし借金だよ」
「借金では大変だな」
「15年くらい返すのにかかるよ」

大東建託でアパートを建ててもそれは土地をもった人が金を出して建てる、大東建託は売っているだけである。ただそこには

大東建託でのアパート経営を検討中です。
16戸×平均家賃5万円で初年度の月の収入が約15万円だそうです。
建築費用1億をすべて銀行による借入で30年返済、大東建託は
30年一括借り上げするのでリスクはないと言ってるみたいです。
10年間は家賃の値下げはしない、修繕費は大東建託持ちらしいです。

ここに問題を指摘している、そんなにもうかるものではない、一面危険がある。
こういうことを知ればそんなに大東建託が建っていいものかといぶかる
でもこの辺の特殊な事情がそうしたと自分は見ていた、津浪の被害者とか原発の避難者とか流入しているから需要があるから建ったと思っていた
それにしてもこんなに建っていいものだろうかという素朴な疑問が常にあった
これもかなりのリスクだなと思った。

ただこれももし15年間くらいで返済できればあとは楽になるかのかもしれない、アパート経営とかは千葉県だったかしらないが家賃収入で海外旅行が盛んでない時代からしていた人がいた、その人はそうした早い時期から海外をぶらぶらしている人だったのである。
それができたのは家賃収入で暮らすことができたからである。
だから地主とでアパート経営していた人は不労所得で余裕で暮らせたし働く必要もなかったのである。そういう時代もあった。
人間社会は何かそういう恵まれた人は必ずいる、それは自分もそうだった、親の遺産で暮らせる人もいる、でも自分は海外に気楽に行けるほどの金はなかった
海外旅行は一時航空運賃が馬鹿高い時があったからだ
それでシベリア回りの鉄道でヨーロッパに行った人を知っている、それだけ航空運賃が高かったからである。

賃貸アパートは供給過剰状態だと言っていましたね。マイナス金利政策で行き場を失ったお金が、賃貸アパート建設の融資に向かっているようです。

これと言えるだろう、投資信託などに老人が金をつぎこんでいるのもそうである。その一人が自分でもある
これももうかるとは言えないし危険なものでもマイナス金利になっているからである。
結局これも銀行が高い手数料をとりもうかるが預ける方はもうからない、この大東建託でももうかるのは大東建託で借金してももうからない、損したという人も多いとなる
何か世の中の仕組みはそうなっているのである。
会社とか銀行とかは損をしてまで他人の金を増やしてはくれないのである。

この辺ではともく新しい家がどれだけたったのか、数百個は建った、新しい街が三つできるくらい建った。その中でも目立ったのが大東建託のアパートだったのである。
相馬市だけで28軒ある、鹿島区でも相馬市の半分もある大東建託の数は全国で凄いものとなっているのだ。目につくのはまず大東建託なのである。
ただ原町区は何か少ない、検索できない、他の会社の方が多いのかもしれない。
相馬市は多い、何か理由があるのか?この辺はわからない、鹿島区と相馬市は特に多いことは確かである。

タグ:大東建託
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2017年03月26日

原発事故の国民負担50兆円 (なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担50兆円

(なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担(武田邦彦プログ)


原発事故で驚いたのは補償金がこれほどに出せるものなのかということだった
この辺ではだからいくら補償金をもらうかしか関心がくなった
金さえあればどこに暮らしても変わりがない、スーパーに行けばなんでもある
金さえあれば何でも買える、消費者王様だという社会である。
それで仮設に避難した小高の人は「私たち鹿島の人たちを買物して助けているのよ」と言っていた。鹿島の人が補償金が少ないの何の関心もなかったのである。
要するに別に鹿島の人に助けてもらえなくても何にも困ることなく生活できたからである
もし食料もない、何もないとなればそれをもらったりしたらそんなことはないからだ
そういう不便は全く感じないからだ、ただ土地は無料で借りていた便宜を計られたくらいである。でも別に鹿島の人に助けてもらっているなど微塵も考えないのである。
それは別に小高の人が悪いというのではなくそういう社会になっていたからである。
消費者が王様であり金がもつものが一番偉いというのが今の社会だからである。

ただ補償金というのは特別なものであり普通の生活で正当に得たものではない、それが一番露骨に現れたのは漁業権者だった、漁業権を東電に売り渡して事故前も多額の補償金をもらい事故後もさらに損害があったから補償金が増額されてゆき汚染水が海に流れたとなればまた補償金が上積みされる、原発事故の結果としてさらに補償金が増大してというのは何なのだろうとなる、ただ津浪で大被害にあったが漁港に住んで船主ではない人たちは天罰だとか言っていたのはそういう事情があったからである。
そんなふうにして得る金は何なのだろう、回りの人が許すものかとなる

補償金でかえってつぶれかかっていた商店とかはこの際借金でも払ってやめたとかある
跡継ぎもいないとかすでにもう経営ができない状態になっていた
そういう店などはかえって補償金をもらって良かったとなる
補償金はすべて悪い面だけに作用してはいない、それでかえって得したという人たちもいたのである。でもそれは避難区域になったはところであり一部である。
原発被害地域は広い、浜通りだけでもいわき市は30万として相馬市でも4万とか中通りでも被害があったしそこは人口が多いけど補償金はもらっていない、確かに事業者の補償はあったとしても一般の人はないしその補償金も打ち切られるから倒産する会社が増えるだろうと予測している

漁業権者の場合は極端にしてもそういう金でありだから回りの目が厳しくなった。
だから最近そのことに気づいたのが飯館村でも避難した人は出身を言わないという、回りから補償金もらっているだろうと言われるからである。
小高の人の場合は前はそういう遠慮もなかった、かえって自分でもそうだが文句言うなとか責めてきていたのである。そこに根深い対立が生れたのである。
その対立は地元を分断した。浪江の会社経営している人は原町の仕事仲間に仕事をまわしてくれと言ったとき、あなたは補償金もらっているんだからと断れたという。
それも一理ある、なぜなら事業者となると補償金の額が軽く億とかなるしその額が大きいからである。するとうらやましいなとなる
でも今になると浪江の人たちは県で建てた災害復興住宅に住んでいる、すると原町であれ補償金をあの人たちはたんまりもらっているだろうなとなる
だから補償金が必要でもその金によって地元でも協力できなくなったのである
ただボランティアはそんなことないから歓迎されていた、しかし地元で心が分断されたのであり地元はかえって冷たいというとき補償金のためだったのである。

ともかくそもそもこんなに補償金が出るということの驚きと廃炉事業でも除染でも原発事故の処理には武田邦彦氏が50兆円かかるというから驚きである。
その負担は国民がするのである。そもそもそんな金がかかるとしたら

50兆円もかかる、原発なんかやめろ

国民が怒るはずである。でも国民は原発避難者に対して子供のいじめとかになっているがそんなに税金を負担することに怒らないし原発をやめろとも抗議しない、それは国民的運動になってもいいはずだかそうともならない、議論すらしていないとも言っている
争いになるから議論はしないという、いくら争いになるからといっても50兆円となると国が傾くような金なのである。それになぜ国民が怒らないのかわからないとなる
人間は余りにも大きな金とか大きなことには関心がなくなるのかもしれない
隣の人の月給とか近くの人がとれだけ金をもっているとか何に使っているとかいい車をもっているとかなると異常に気にしてもそういう大きなことは無関心になる

電力会社にしても一年に5000億円くらいしか全部で利益を出していなとしたら50兆円という金はその百倍の途方もない金である、そんなものを経営として成り立たないしやらないでも別に会社でその損失を払うわけではないから原発をやめないという。
その損失は全部国民が払うからいいとなる、そしたら電力会社でも普通だったら東芝であれシャープであれ大企業でもつぶれて社員は路頭に迷う、だからこそ会社経営でも真剣になる、親方日の丸だと真剣にならないということがあり現実に東電の経営者は罰せられないからである。
もちろん武田邦彦氏も実は原発事業に参画していた責任者だったという指摘がある。
そして原発推進者だったという責任者でもあったのだから罰せられ方の側にいた人であり今になって原発反対を言うのはおかしいと言う科学者もいる
原発の御用学者の一人だという批判があるからそんなこと今になって言えるのかということもある。

とにかく補償金は必要にしてもそれが地元でいい面にすべて作用したとはいえいない、悪い面マイナスとして作用した面も大きいのである。
だから原発事故を金だけで解決することはできないものだった
ズタズタに地域が分断されて回復不可能にさえなっているからである。
その後遺症がまた大きかったのである。
復興するというとき地元の人が協力しあうということが必要であり金だけではない、協力しあう助け合う気持ちが必要になる、それが補償金問題でなくなった
すると避難した人たちも金をもらっても肩身を狭くしているからいいものでもない、どっちにしろいいものとはならなかった
第一原発の被害地域は広いけど補償金をもらったのは一部である、するとその回りのものは不満になる、そんなに補償金が払えるものではない、国がつぶれてしまうほどの額になるからだ、そこに国民の不満があっても鬱積して子供のいじめになるだけでありもう原発はやめろと国民運動にもならないのである。
何であれ人間は金にはシビアだから50兆円もの金を湯水のように使う原発に抗議しないというのも不思議だとなるのである


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2017年03月25日

避難した人が帰らないのは既成事実化したから (家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)



避難した人が帰らないのは既成事実化したから


(家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)


小高区と鹿島区の対立はわかるが原町区はそうではないと思っていた
ただ小学生と中学生を送迎する9人乗りのタクシーの運転手が
「小高は甘やかしているんだ」というのを聞いたとき原町でも小高の人への不満があることを知った
なぜ原町は小高について不満がないと思っていたのは原町は鹿島区からする3倍くらい補償金がもらっていると思ったからだ、ただこれは地域によっても違うからわからない。
ただ原町でも不満だというときやはり小高への不満は南相馬市全体としてそうなのであるそれは第一市長自体が小高の人に自立してやってくれと言っているからである。
それが何か表立って言えないのはマスコミでもボランティアでも常にまだ来ていて小高の人はかわいそうだとして支援しているからである。

そもそも小高の問題は30キロ圏内で避難区域にした政府の指導に問題があった。
それは放射線で科学的根拠があったからやむをえない処置ということもあった。
ただ現実の生活を破壊してしまったことが問題だった
何か放射線のこともあるがその放射線問題と現実の生活をどう折り合いをつけるかが課題になっている
いくら放射線が問題でもでは現実の生活を破壊していいのか?
それは飯館村でも他でも起きている、結局今になると町が一旦避難区域になり人が住まなくなるとどうなったのか?6年も人が住まないともう回復できなくなった

第一6年も避難した人たちは外で生活していたというとき学校でも小学一年だったものが六年になっていたのである。すると外での生活になじむ、親でも外で生活することを考える、それで補償金をもらったから家建てたりしたらもう故郷には帰らないのである。
家を建ててそこで仕事をもったりして生活がそこでできていたらもう帰らないのである。農業している人に聞いたら3年農作業しないと体がなまってできなくなるという。
となると毎日パチンコとかギャンブルしていた人たちは農業をしない、補償金をもらうことだけを考えるようになったのである。

だから避難区域に指定して6年もすぎたとき回復できなくさせた、それは国の指導で成されたものだけどそれも大きな問題だった。
避難区域にしてもせいぜい3年くらいだった良かったともいえる
もう6年とかなると回復不可能になっていたのである。
避難した人たちにしてももう外での生活が既成事実になっていたのである。
一旦そうして既成事実化するともうそれを簡単には変えられない
現実問題として家を建てたりしたら帰ることはないのである。
そのことが予想していなかった、避難区域にしたときそこまで予想しなかったのかもしれない、回復できると思っていたのかもしれない。そこに誤算があったともなる

飯館村でも補償金で村を出る組と残る組が分断されたというときもうすでに外で生活する、家を建てて生活している既成事実がある、そうなるともう簡単に帰ることはできない
帰ることは不可能になっている、いくら帰れといっても村長の孫が飯館村の学校に通わないというのはそのためである。
帰るとか帰らないとか分断されたときすでに帰らない人は帰らないのであり分断されたのである。その人たちに帰れというのは無理になっていた
結果的に残されたのは老人だけだったとなる
帰った人の8割くらいは老人なのである。町自体が村がうば捨て山のようにもなる
でもそのためには市町村でも負担が強いられる

南相馬市では復興団地が作られて主に浪江の人たちが入るようになった
5階建ての団地が5つくらいできたのには驚いた
その主に浪江の人たちを南相馬市でかかえることになった
それはいわき市に二万人とか移住して家を建てた大熊とか双葉とかが問題になった
原発の問題はこうして広範囲に影響するものだったのである。
そういうことは全然協議もなにもされていなかった
現実に原発を建てた土地の所有者と県の許可で決められていたのである。
その出発点からして現在の問題が起きる要因を作っていたのである。

ともかく帰れとか言う時、既成事実化しているからそれを言っても無駄だとなる
逆に今度は今の生活を破壊するのかと避難した人たちには言われる
6年の間に回復できない、規制事実化したのである。
例えば石が置かれているとしてその石を他に移すと労力がかかる
でも一旦移すとまた石は重いから他に移すことはできなくなる
既成事実化するということはそういうことだった
だから避難区域にして避難させたことが町を破壊したとなる
回復しようにも既成事実化しているから回復できなくなってしまった。

だから出て行った人をもどすことはできない、するとどうしたらいいのか?
外部から住む人を呼び込むのか?
ともかくすでに規制事実化しているのだからそれを前提にして議論しないと解決方法はない、第一小学校でも中学校でもタクシーで通わせるにも市の負担になる
実際は小高に住んで通わせるのがいいのである。でも小高には住まないのである。
それは飯館村でも起きている、立派な学校を建てても村外から通わせるというのは何なのだろうとなる、そんなら外の学校に通った方がいいともなる
何かそうした矛盾があり苦しむ、単純に帰ればいいと思ったが既成事実化していることが重いものとして今になると影響したのである。




タグ:原発避難者
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2017年03月21日

巨大会社が国家化して原発事故を起こした (巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


巨大会社が国家化して原発事故を起こした


(巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


「国家ではなく企業が世界を統治する」

イギリス東インド会社によるインド統治や東清鉄道、南満州鉄道の鉄道附属地が有名な例だが、イギリス東インド会社以外の植民企業や新しい島を企業が開発した場合など、ほかにもいくつかの例がある。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、その地域に大規模な集合住宅とともに上下水道や学校、警備、インフラ整備のようなサービスを提供し、同時に契約により毎月の管理費や契約違反時の違約金のようなものを定めればよい

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

この辺では様々なことが問題になった。とてもそれに答えを出すことはできない、
ここで問題にしているのは

国家と企業

国家と地方自治体

自治体と企業(会社)

これが問題になる、これも大きなテーマであり簡単に答えは出せない、このサイトで注目したのは

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

これはこの辺のことを考えると市町村とか故郷を解散すること消滅することはありえない市町村とか故郷とかは永続するものとしてある、それが解散とか消滅の危機に瀕している現代は会社社会であり企業社会である、俺は南相馬市の市民だとか浪江町の町民だとか普通生活していたらあまり意識しないし意識しないでも生活できた
ただ原発事故以後はそれぞれの市町村が補償金などをめぐり過剰に意識されたのである。そして避難区域になった町村は消滅の危機に瀕している
それは津浪の被害地でも人口流出でそういうことがある。

そもそも日本人の生活単位が村にあったときそれは自給自足で生きていたからそうなったそこに今のような大きな会社はないからみんな村に属していて村という小さな単位を世界として生きていた。だから会社を社(やしろ)に会するとなり村の延長のように訳したのである。江戸時代には会社はない、でも・・・・屋とか屋号がありそれが会社とにていた
あとは職人でも個人で仕事をもらいしていたのである。

明治以降は会社の存在が大きくなった。会社が国家を左右するまでになって巨大化したのである。だから昨日のトヨタの紡績会社から自動車を作ること戦前からはじめていた
そしてそれが国家ともかかわっていた、トヨタはそれだけ大きくなって経営が苦しくなったときその影響が失業者であふれるとか国家自体もトヨタがつぶれると傾くとまでなり国営会社になった、国家で管理することになった、日銀もかかわり金を出して支えたのである。

このテレビドラマではしきりにトヨタの社長が国を発展させる、国を豊かにするということで国家意識をもっていた、国のために働くのだという意識をもって会社を運営していたそして人員整理をしないということに固執していたのは会社が家族のようなものだからできないとしていたのである。
会社も巨大化すると国家と同じなようなものになる、巨大なるが故につぶすと国家も危うくなるからである。銀行でも日銀の命令で融資させていたのである。
国家と銀行も結びついて資金を調達するのである。

このことを原発事故からみると東電がトヨタにあたる、東電が国家なのか国家が東電なのか区別がつかない、なぜならやはり事故後の20兆円の廃炉資金は国の税金から出るからそうなる、東電の原子力事業は国家もになっていた。
東電も巨大企業だから国家ではつぶすことができないから税金を注入する。
そして自治体とはこの国家と一体化した東電の前に小さいものであり従うほかないものとしてもあった。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、

東電に明らかに富岡町とか大熊町とか双葉町はかいとられていたのである。それ故に自治体は財政的には豊かになっていたのである。
昔の村のような農業中心の社会でもないし出稼ぎをなくすためにとか貧乏を脱するために原発が作られたからである。
その時自治体は東電に支配される結果になっていたのである。
だから東電が原発事故を起こしたときそれと同時に自治体も崩壊した、消滅の危機にひんするようになったのである。

要するに昔のようにこの辺でも故郷という意識は希薄化している、そもそも故郷は何かなどというと別に意識していないのである。
むしろ今は田舎でも会社員がほとんどだというとき会社を意識するが故郷とか自治体を意識しない、それで浪江町の人が会社が二本松に移りその人も移住したとなる
故郷とか自治体に属しているより会社に属しているからそうなる

ただ自治体とはなになのか?そういうことが意識させられた
自治体とはトータルなものとして機能するものである。
だからこういう自治体の危機になったとき病院を維持するには福祉を維持するには教育を維持するにはとか深刻な問題になったのである。
つまり現実にそうしたものも崩壊してゆく危機にさらされたのである。
でもそもそも故郷とか自治体は会社のように簡単に解散できるものなのか?
それが根本的に故郷とか自治体は会社とは違ったものである。

確かに車でも電気でも現代ではなくては困るもの欠かせないものである。
でも車でも電気でもない時代がありそれでも村とかは存在していたのである。
村とかの寿命は千年とかある場合もある、会社のように解散できないものとして継続されてきた
だから山に先祖が眠り守ってくれるとかという意識が生れた、先祖が守るというときそこに代々継続された時間軸としての故郷が形成されてきた。自然と一体化したアイディンティティが形成されてきた。
会社はそんなに継続されない、トヨタの車だった売れなくなり会社もつぶれるかもしれない、でも自治体はそんな簡単に解散したり消滅したりできないものとしてあった

だから故郷でも自治体体でも消滅するということは人間としてのアイディンティティを奪われることでありそれは経済的ものだけでなく人間として生きる場継続する場の消滅だとすると深刻なものになる
それは国家が消失するともにているかもしれないのだ。
だから国家とは何かとなるときも巨大会社と一体化してそれが国家だとなるとき同じなのである。国家は巨大会社の一部門なのかとなってしまう。
国家とは何かと考えるときもむずかしいが何か根本的な問題としてそういうことが原発事故で問われたのである。

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2017年03月20日

霧が勝敗を決した関が原の戦い (原発では先が見えていたのに備えなかった)



霧が勝敗を決した関が原の戦い


(原発では先が見えていたのに備えなかった)


風雲!関ヶ原の戦い!C激突開始

このサイトはわかりやすい小説になっている



誰か勝敗をにぎる
神の関与して歴史は動く
関が原深く霧のおおいぬ
家康の東軍霧の中を進む
小早川秀明の裏切り
三成は敗れぬ
霧深く先は見えぬ
誰が勝敗を握るのか
神のみぞ知る
天の時、地の利、人の和
天候に地の利に人の和
裏切りにより人の和は敗れ
天候に左右され敗れぬ
誰が先を見るのか
霧に深くおおわれ
時ならぬ異変
先は見えずに敗退す
誰も先は見えぬ
勝敗をにぎるものは何か
その采配は誰がするのか
神にしありや知らず
人知を越えるものがかかわる
先が見えぬに故に無謀の暴挙
無惨に屍の虚しく積まれぬ

天の時、地の利、人の和というときこれは必ず影響している、関が原は東西を分かれる地の利の場所であった。
あそこを新幹線でも通ると雪が残っているから寒い感じになる、でも関が原をぬけて近江に出ると景色も変わる、実際にあそこは地理的にもそういう場所である。
だから古代にも東西の戦いがあり雌雄を決したのである。

テレビで見たのでも霧が勝敗を決したというとき勝ち負けはどっちに転ぶかわからなかった。三成の西軍が優勢だったからである。霧がそのとき深くおおい東軍が有利になった
これは信長の桶狭間でもそうである。天候の影響が勝負を決める
要するに霧がかかり先が見えないというときまさに歴史でも人生でも同じなのである。
先を見ることができないのである。

もし先を見ることができたらそれは超能力者であり最高の権威をもつことができる、だから卑弥呼の権威は日食を予言したことから起きていたという説もあるしマヤ文明でも天文学を究めたのは先を見るためである
宇宙を知り天候を知り先を知るためにテクノクラートが支配した
常に文明にそういうことがある、つまり未来を将来を知ることが生死を決するからである
ただ歴史でも個々の人生でも先を見ることができない、深く霧がおおい先が見えない
もし先が見えたら日本でもアメリカと無謀な戦争などしない、その時日本はアメリカに勝つと確信して戦争したのである。負けるとしたらしない、先が見えないことは無謀なことができるとなる

いかに先を見ることが大事かというとそれが生死にかかわり国の運命にもかかわり個々の運命でもそうである。
運命を左右するから先を見ることが大事なのである。
津浪のことだってもしその先を見ることができたら防ぐことができたからそれを警告して実行させたら救世主にもなった。
ただ津浪の予測もできないことはなかった、それは実際は予測できたことだったのである相馬藩では記録がないにしても伊達藩ではあり海が近いのだから危機感をもってもよかったが危機感をもたなかった
人間は危機感をもたない、平和がつづくと危機感がなくなりそれが危険なものになってゆく、何か戦後は平和がつづき永遠に平和つづく感じになる
アメリカが日本を守ってくれるという安易な気持ちになっている
でもその危機感のなさがまた危険なことになり戦争にもなるかもれない

今は予測となると科学である、だから科学だと実際に相馬市でも奥の方に津浪が来ていたことはボーリング調査で震災の7年前に証明されていた、海の砂が発見されていたからだ
ただそれが400年前の慶長津浪かどうかはわからない、貞観津浪のものだったらしい。
それから現実に東電では科学者の集まりだから10メートル以上の津浪が来ると予測していた、このことはやはり科学の時代だということを如実に示していたのある。

30年以内に10メートル以上の津浪が来る!

このことをみんな知識として知れば津浪に警戒して多くの命が助かったかもしれない
津浪に対してほとんど無警戒だったからである。
これを大々的に報道していればこの辺でも自覚して助かった人がいたかもしれない
そうなると東電でも科学者は今でもそうだが神様のようになっていて権威を高めることができたのである
先を見ることが歴史でも個々人でも何でも大事なのである。それは命にかかわってくるからである。

会社でも経営でも先を見ることができないから失敗する、東芝のうよな大会社でも原子力に頼り未来を託した結果、巨大な企業が傾いむいてゆく、先を見る力がいかに大事かこれでもわかる、でもその時は原子力は未来だったのである。
フクシマの事故が起こりもう原子力発電は世界でも見捨てられるようになった
先を見ることが誤った結果としてそれが膨大な命を失いまた社員でも路頭に迷わせることになる

歴史でも会社でも個々人でも先が見えないのである。自分でもさんざんな目にあったとこを書いてきたけどそれは予測されていたし自分も不安だった
こんな恵まれた生活がつづくと思えなかった、それが現実化したのである。
まず結婚していないとか人が増えているけど家族がいないとかなると悲惨な結果が待っている、病気になったり親の介護になったりしたら自分と同じ運命になる
金もないとした自分より悲惨なものとなる
自分は親が心配して保険とかもかけていたし金も残していた。
それもないとすると目もあてられないものとなる、それは実際は目に見えてそうなることはわかるものだったのである。
そういうことを若くても見ている人はいるし賢いとなる、自分はのんびりしすぎていたのである。

もちろん明日のことを心配してもどうにもならないということはある。でも先を見て備えることも本当に大事である。それが生死にかかわってくるからである。
もちろん株でも何でも先を見ることは至難である。何が起きてくるか予測がつかない
でもその予測できないことが致命的になる
東電はその先を予測していたけど備えなかったのである。
そういうことは個々人でもある、個々人だとかえって見えやすいことがある
ただそういう危機感があっても本気にならないからいざそういう危機に瀕したときどうにもならなくなっているのだ。

事業に失敗した人も先を見ていない、そこで本当に無謀な経営だった、自分はかかわならいにしてもなぜそんな無謀なことをしたのかと今ではなる
もちろんそんなに先を気にしていたらなにもできないということは言える
でもあまりにも人は先を見ないで無謀に事を起こしすぎるのである。
原発などはよほど慎重にしないとどれだけ危険なものか科学者はわかっていてもそれに備えなかったのである。
結果的にはもう取り返しのつかない大惨事になったのである。



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2017年03月17日

原発訴訟で東電と国の責任を認める 津浪を予測していたし対策をたてなかった


原発訴訟で東電と国の責任を認める

津浪を予測していたし対策をたてなかった

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今回の判決は別に補償金をもらえない人にも大きい、国と東電に過失があり津浪という自然災害で不可抗力に起きたのではないという判断は大きい

東電は科学者のエリート集団だから津浪を予測していた、30年以内に地震が起きて津浪が起きることを予測していた。

地震が起こり津浪かが起こることを東電は予測していた

ただその対策をとらなかった、それが責任

自分は科学に弱いから変だけど東電は科学者集団だから地震が起こり津浪を起こることをこの辺でも予測していた事である。それも10メートル以上とかの大津波のことを予測していたのである

第一この辺でそんな津浪のことを一般の人は関心がない、津浪など来た事がないから来ないと確信していた、恐れる人もなかったのである。
自分なども津浪のことなど考えたこともない
ただ海岸沿いに住んでいた人は海とは関係なく何か怖いという感覚はあった
それで鹿島だと小学校前まで津浪が来たがそこで浪にのまれる夢を何回も見たのである。あの辺は家がないからそういう夢を見やすかったのである。
だから海岸沿いに住んでいた人たちは夢で浪がおしよせる夢を見ていた
それは津浪とは限らない、高潮でも現実に八沢浦の湊では防潮堤が破壊され水びたしになったことがあったからだ。
海岸沿いには津浪でなくても常にそういうことがあった
それで磯部の佐藤氏は相馬氏が支配する前の中世の豪族で館を構えていたが同じように高潮のために危険だと今の日立木の鬼越城に移ったのである。

ただ夢とか伝説とかなると誰もそれを信じて行動には移しにくい、でも今なら科学者の言うことは信じやすいし信憑性が高くなる

だから東電の科学者はチームは津浪が来ることを予測していた

そのことを知ったら、ええ津浪が来るのか、この辺ではそんな話聞いたことないけど
科学者が言うなら本当かもしれない、警戒しないといけないな

津浪のことをこの辺で相馬でも津浪が来るんだということ大きな津浪が来るということを東電から知らされて警戒する、するとそういう知識がすりこまれるとあれだけの地震だったらもう津浪が来るという知識がすりこまれているから咄嗟に避難した
でも津浪のことをこの辺では知らないし経験がないから警戒しないで避難しないで死んだ人が多い、特に65歳以上の老人はそうして逃げないで死んだのである。
老人でも津浪はこの辺では経験していない、今回の津浪で相馬藩政記に400年前津浪が来て700人溺死という記録があったことが発見されて驚いたのである。

だから東北電力では津浪が来ることそれもかなり高い10メートルも15メートル以上の津浪がくるとして対策をして高い所に建てたから辛うじて助かったのである。
10メートルでは危ない、16メートルにしろと当路の副社長の人が言って高台に作られて助かった。そこは津浪が前にも来ていたからそうなった。

ともかく怠慢だったのは報道関係にもあった
何か危険を知らせる、事前に情報を知らせる、知識を与えるのも報道関係の勤めである。
報道関係者が東電で30年以内に震度8以上の地震がきて10メートル以上の津浪が来ると
予測した

そういうことを新聞でもテレビでも伝えていたかとなると伝えていないだろう。
伝えたとしても読者も無関心だったかもしれない、自分なども原発でも津浪のことでも無関心だったからである。
でもやはり報道関係者にはそうした危険を警告する、知識を情報を与える役目があった
でも福島民報でも民友でも原発は安全だという「安全神話」に組みした方だからそんな危険を警告する報道はしなかったともなる
ただ安全、安全しか言わせなかったからである。それは東電で働く人にも楯にして言わせていたのである。そこで働いている人は今でも東電は批判できないんだよなと言っているからである。

今回の事故のことでももし東電が東北電力のように地元で津浪を警戒して実際に対策をとっていればこうはならなかった
むしろ津浪を警告して東電に助けられたとなり東電様様になっていただろう。
東北電力の女川原発にはそこに避難した地元の人がいて助かったともあるからだ
東北電力のように東電も株があがったのである。
放送というとき自分は今回インターネットがありプログで発信した。
それはインターネットがあったからできたことであり自分の発言などマスコミでは取り上げられない、それは他の人でもそうである。
マスコミは取捨選択する権力をもっているからである

ところが報道する権利はマスコミだけではない、このように庶民さえもてるとなるとまた違った社会になる、自ら報道することはやはりなにかしかの責任と関心を喚起するからである、報道することが実際は興奮することであり金がもらえないとしてもやりたいことがわかった。
こうしてマスコミの記者だけではない一億総記者になる時代である。
そしてこのように号外が出た、そしてそれに対して即座にコメントしてプログで発表するというのもインターネットが速報性に優れているからそうできる
ただまだまだ個人でとは権力がないから追求力が弱いのである。

要するに今回の原発事故は政府と東電に大きな責任がありそれを検察も認めたとなる
地震や津浪の自然災害のためではなくそれに備えることができたのに備えなかった
ただ「安全神話」を作り肝心の備えのためには金もださない、対策をたてていなかったのである。過失致傷の責任があったともなる。
それを裁判で認めた意義は大きい、ただそうなると現実に賠償金の支払いを命じられた
でもその賠償金はまた裁判を起こした人たちだけのものではない
被害を受けたのは広範囲であるからだ、その賠償金をもらえない人の不満も大きいのである。ただ国でもそんなに賠償金を支払えないというのも現実なのである。
それをあまり訴えると今度は国民の反発でいじめとがが起きてくるからだ。


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2017年03月16日

原発事故や津浪で人が住まなくなった土地 (メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地


(メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


地球は誰かの所有するものではない、神が造り神の所有するものである。ところが人間が生れて人間が土地でも海すら所有するようになった
そこで何が起きてきたのか?

津浪や原発事故では人が住まなくなり荒地化した、その土地は自然にもどったようでももどらない、その土地は人間が所有していたから今度はその土地の所有者がソーラーパネルの会社に売ったのである。
ただ荒地としておくより金になるからそうする
つまり自然は自然のままではないし自然にもどらない、自然が所有するというとき人間がいなければそれは自然にもどるし自然のままである。

例えば津浪でもこの辺は八沢浦でも元の入江になったので驚いた、それは浦浪がよせてきて朝日がさしてきらきらさしてきたときは奇跡のように思えた
そこで人が死んだのだが津浪でも美を作り出していたのである
凄惨な光景ばかり津浪では見てショックだったが八沢浦などは家があまりなかったのでそういう光景はなかった。他にもそういう光景は生れたのである。

そもそも八沢浦でも開拓して田にしたのだからそこは自然を破壊してできた場所だった
そういうところは日本には多い、土地がないので埋め立てて田にしたところが多いのである。それが日本に住むものの宿命となっていた、カルマとなっていたのである。

そして松原というのは美しかったがこれも人工的な自然だったのである。
それが津浪により根こそぎ破壊されて流されてしまったのには恐怖した
でも自然から見れば自然にもどったのである。
自然はだから常に美を作り出すから美しい入江にもどったし北海道の釧路湿原のようになったところもあった自然のままだったらそうなったのである。
その光景は美しいものだったのである。

そして今度は磯部でもそうだが右田でもメガソーラー場になった
それは景観の破壊になる、なぜそうなるかというと自然は自然にもどるわけではない
結局土地は誰かの所有地なのである。自然の神の所有ではないのである。
するとその土地をもっている人はその土地をいかす利用して金にしたいとなる
特に津浪で流されて土地があっても何にも役にたたなくなったからである
そして金がほしいとなり土地をメガソーラー会社に売る

もし自然がもどるというとき人間が所有していないなら美しい入江として自然にもどる
人間がいる限りそうはならない、なんとか土地を活かして金にしたいとなるからだ
だから海さえ漁師の組合によって所有されていた、漁業権をもっていたからである。
つまり人間によって海すら所有されていたからその権利を主張して金にしようとする
そして東電に漁業権を売り渡して多額の補償金を事故前も事故後も船主などはもらっているのである
自分の家の前の海にも権利があるとして主張していた
それは金を要求できるからそんなことまで主張する

要するに人間はそもそも自然景観を保つことには無関心である。
なぜなら金にならないからである。土とった所がむきだしになっているのが嫌だと書いたがそれだって金になるから業者に売る
人間はなにかしら利益にならないと生活できないからそうなる
自然が誰も所有されないものなら美しい景観は保たれたままだったのである。
なんとか米が食べたい、土地がない、では海だったところを干拓しようとなり八沢浦でもどこでも埋め立てられたのである。

一番景観を重視していたのは自然そのものでありか自然を作った神だったともなる
人間は生活するためにどうしても自然を破壊しなければ生きていけなかったのである。
稲作だって大規模な森林破壊とか自然破壊であり松原も塩害を防ぐために作られた
人間の歴史はこうして自然破壊の歴史、環境汚染と破壊の歴史でもあった
そうならざるをえないものだったのである。文明そのものがそういう環境破壊を必然的にひきおこした。

それは人間が土地を所有している、海さえ所有しているために自然破壊も起きた。
そもそも漁業権とか山の入会権となるとそこで魚を獲り木材をとるにしても山菜をとるにしてもそこで生活していたら自然を破壊しない、自然を保全しないと成り立たない
そのために漁業権があったし入会権もあった
それを今度は原発に漁業権は売る、津浪の跡は金にならないからメガソーラー会社に売るとかなる。それはそもそも人間が所有しているから必ずそうなる

では個人が村でも所有しないとなると誰が所有するのか、自然にもどるのか自然のままになるのかとなるとならない、今度は国が所有するようになる
誰も所有しないということはありえないのである。
そこで飯館村ではもう放射能汚染で住めないから個々人の土地を売って他で生活したい
その気持ちもわかるのだがでは飯館村とか限界集落など人が住まなくなるとそこが自然にもどるということはない、以前として誰かの所有になる、そこが中国人とかが買い占めるかもしれないし最終的には国の所有になる
国の所有になると今度は放射性廃棄物処理場ともなるしメガソーラー場にもなる
なぜなら人が住んでいないことは国のものとなり反対するものがいないから景観なども気にする必要がないのである。
だからこの土地は俺のものだ、俺の勝手だ、俺も生活しなければならない、一文にもならない土地をもっていても何もならないとなる
それもわかるがそうなると他の人も困る、その廃棄物から南相馬市に放射性物質が流れだしてくる、現実に飯館村でフレコンバックが壊れて川に流れだしたからである。

原発事故でも津浪でも様々なことが問われたが一体土地が誰のものなのか?
海は誰のものなのかということも問われたのである。
土地にかかわらないものでも海で魚をとらないものは何に言うな、海は魚をとる漁師のものだとはならない、ではなぜ東電に海を売り渡してそれで原発御殿とか建てて贅沢していたのか?それは魚をとることと関係ないことである、漁業資源の保全とも関係ない、むしろ漁業資源を汚染したからである。

土地でも海でもつながっている、地球はつながっている、その一区画を所有するということがなじまない、国が所有するにしてもこれまた勝手に国の都合いいようにされてそこに住む住民は困る、だから飯館村でも補償金をもらって土地を売って外で新しい生活をしたいという人と残る人に分かれ争っている
でも人が住まないと飯館村にもソーラーパネルが作られ景観が破壊される、破壊されるだけではない災害にもなるとなり反対運動が起きている
それはそこに人が住んでいるからである。
磯部でも右田でも人が住まないとなるとたちまちメガソーラー場になる
おそらく小高などももう人が住まない領域が広大になるからそこがメガソーラー場になるかもしれない、なぜなら金にしたいと所有者は思うからである。
生活するには景観がどうだとか言っていられないからである。

ともかく人が住まないことで起きることはどうなるかわからないことがある。
でも飯館村だけで決められるのも土地はつながっているから困るのである。
海だってそうである。海もつながっているから一区域だけではない、広範囲に汚染されたし魚は遠くでとれたものも汚染されていたのである。
だから人間が自然を所有する、国でも所有することは問題が起きる
だから土地でもオレの土地だから自由にしていい、海も俺たちの海だから自由にしていいとはならないのである。

太陽光発電と環境・自然破壊:メガソーラー規制は待ったなし

危険な山に作られたメガソーラー

ソーラーパネルの利用としては携帯用のが役に立つかもしれない
ネバールのような電気のない所でも電気が作れるとなるとその利用価値が大きいとなる
ただメガソーラーにしても日本では土地が狭いから自然破壊になる
大陸のような土地があればそうはならない、やはり技術も風土が関係する
風土にあった技術を考える必要がある
原発は日本の風土にも向いていなかったのである。地震が多すぎるからである。


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2017年03月15日

分断された原発避難地域 それぞれの意志を明確にせよ!


分断された原発避難地域

それぞれの意志を明確にせよ!

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原発避難者にも言い分がある。小高の人にも言い分がある。鹿島と同じにするなというときそういう反発はすでにあった。
鹿島の人の言い分とまた原町区の人の言い分も違うのである。
だから本当に複雑なのである。

そもそも避難区域となった小高でも飯館村でも他でもその内部でも分断されている
帰った人は一割くらいであり老人がほとんどである。
そしてその気持ちでも分断されている、帰る人と帰らない人で大きく二つに分断された
でもこれもまた二つとはならない、様子を見て帰る環境が調ったら帰るという人たちもいる。

もう帰らないとして家を現実に建てて避難区域の外で生活をはじめた人たちもいる
その人たちはもう避難区域になったところと関係ない、関係したくないと現実的になる。そういう人もかなりいる、その割合はわからないが調査すれば家を建てた人は確実にそうである。その人たちは復興とは関係ない、何かまだ補償金をもらいたいというだけである
ある人は名取に家を建てた、その人は別に親不孝でもない、親の部屋まで作ったから住んでくれと言っているそうだ、でもその親は小高に帰って住んでいるのである。
でもこうして外に家を建ててそこで仕事をはじめ子育てしている人にとって小高でも避難区域になったところとは関係なくなる
それでも矛盾しているのは親が残っているのに子供は帰らない、するとその親を世話するのは小高だったら南相馬市であり避難区域になった町村なのである。
それでも親が介護状態になったら名取に引き取るようになるのかもしれない、世話する人がいないしもう南相馬市民でもないのだから南相馬市で福祉でもサービスを受けるのはむずかしいからである。

現実にすでに南相馬市では介護のサービスを受けられないとして移り住んだ場所で福祉のサービスを受けている老人が結構いるのである。
東京の多摩に子の家族が移り高校生はそこの学校を出て就職したとかあり浪江の老人は原町市の復興団地に最近一人で入ったのである。
南相馬市では福祉のサービスが人手不足とかで受けられないとなりそうなった。
だからさらにそういうことはこれからも起きてくる

つまり帰りたいといっても避難区域には病院もないとか商業施設もないとか帰れる状態ではないとなり帰らないとなる
その前に現実問題として子供の教育も外で避難した6年の間に他の市とかでした。
6年となると長いである。すでに子供は他の土地になじんだとなる

ともかく帰った人と帰らないとしている人ははっきりしているのだ。帰らないという人と帰った人とは別個のものになったのである。
原発避難者というとき何か未だに浪江だったら浪江町民として考える、飯館村でもそうである。どこでもそうである、それは補償金と関係してその町村に籍を置くとういうだけなのである。
だからこの対処方法は図のように分けて対処するしかない
帰らないという人を帰れといってもできない、それはそれでいいとしてもうその人たちは復興とは関係ない人たちとしてみる
そこがややこしくしているのである。そして帰っている人、帰るつもりの人とが復興の対象となる。でも帰るつもりの人もまたあいまいである
放射線量が低くなったら帰るとか帰れるような状態、医者とかスーパーなどできて環境が調ったから帰る、それまで補償しろ、金をだせ、市長村でも国でもめんどうみろとなる。帰るつもりというのもあいまいなのである。
あなたたちは本当に復興をする気かあるの、あなたたちは補償金をもらいつづけていればいいというだけじゃないの、現実に老人が多いから国民年金で少ないから補償をつづけてもらいたいとテレビで主張した小高の老人もいるからだ。

ともかく何であれ帰って住んだ人はそこに住むのだから復興を目指す、その他の帰るつもりの人はあいまいなのである。自ら何かするのか?ただそこに住める環境が調えば帰るとなる、自分たちはそうしてお膳立てされたとき帰るとしている
そのお膳立てするのは誰なの、それは回りの人であり外の人であり国が被害を与えたのだから国でしなるとなる、南相馬市だったら南相馬市全体だともなるし県だともなる


一方でそうして原発避難民が被害を主張するのはいい、でも今度は国でも国民でもそんなに補償金を払うこと払い続けることに不満になる
それは国民の税金だからである。国策で原発を建てたのだから補償は当然だとなる
でもそうして補償ばかり要求すると国民の反発も大きくなりいじめが起きた
原発避難民は南相馬市内でも分断された、国でも県でもいつまでも期限なく補償はできないとなる
帰るつもりの人たちといってもその人たちは帰るという強固な意志がある人はどれくらいいるのか?それもよくわからないのである。
何かそれぞれの心が分断されたともなる、一致しなくなった。
でもこれはいつまでも避難民が一つとして考えるから複雑になる
図のように分けて対処する、それ意外方法がない、避難民を一つの市や町や村の人として考えるから複雑になり解決できない



放射線量問題があっても帰る人は帰りそこで生活して復興してゆく

帰るつもりの人は帰るものと帰らないものに分ける

あいまいなものを許さない

帰らない人たちは帰らない人たちとして対処する


こうして分けて対処しないといつまでも解決の道が見いだせない

結果的に帰らない人が多くなり避難区域はインフラでも維持できない、もう消滅するほかないとなるかもしれない、現実に人口が減って水道料金がえられないので維持できないという問題も起きている
限界集落化して夕張市のようになりそこでは現在の便利な生活が維持できなくなる
そうなると南相馬市でも財政的負担が大きいから小高を切り捨てるほかないともなる
自分がそうしたいのではないし小高は維持させたいとしても財政的に労力でも人手もたりないとなりそうなる。

要するにそれぞれの意志を確認してはっきりさせてそれで解決の道を見いだしてゆく
飯館村でも一億でも補償金をもらって外に出る人はでる、それを引き止めようとしてもできない、そして残った人は残った人で復興に努力するほかない
でも遂にその限界が来たらまさに限界集落として消滅するほかないとなる
それがいいのか悪いのかわからない、でも何か他に解決方法があるのか?
何かそこに明確化して対処するほかない、いつまでもだらだらああでもないこうでもないとしても解決するのだろうか?
そして国でも国民でもそういうことを許さない、鹿島と一緒にするなというけど南相馬市民でもそういうことを小高の人ははっきりさせて市でも市民でも対処するとなる

実際避難区域の外の人も南相馬市でも県民でも国民でも困る、いつまでも補償金を払い続けることはできない、どこかで区切りをつけなければならない
それが冷たいと言われても現実を解決する方法は他にあるのか?
もちろん様々な立場の人がいるしその言い分を聞いていたらまたまた複雑化する
限りなくそれぞれの言い分はあるからだ。そしたら解決するのは延々ともめてできないのである。

【知に働けば角が立つ,情に棹させば流される】

「意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」と続く〕
理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまう。 

 情に流されるというときいつまでもかわいそうだかわいそうだとしていると情に流されて補償金をいつまでも出し続けろとなり
知に働くと理詰めで言うとお前は冷たい奴だとなる
一体どうしたらいいのか、それぞれの解決策を提示してください



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2017年03月14日

国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ (国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ


(国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家とクニは違ったものである。「心の青雲」の著者にはクニが欠けていたのである。
それは東京とか大都会だとクニがない
「あなたのおクニはどこですか?」と問うとき、国家のことではない、故郷とか狭い範囲の一つのクニである。会津ならそういうクニとしてのまとまりがあるから
「会津嶺の国をさ遠く・・・・・」とかの万葉集の歌が生れた。
防人は国家によってクニから筑紫とかまでも兵隊として行かされた
その時クニからでて国家を意識したのである。それは防衛のためであり戦争のためである

その時防人に出された人の悲哀を歌ったのが万葉集に残された、その時思ったのは自分の住んでいた故郷、クニであり家族である。親であり妻である。
国家は古代からこのように非情なものなのである。クニとは違ったものであり対外的に国家は意識される、だから国家と戦争は一番密接に関係している
外国の戦争のとき一番国家を意識するからである。
だから太平洋戦争のとき一番国家を意識して国家のために300万人が犠牲となったのである。

 久慈川は 幸くあり待て 潮船に ま楫しじ貫き 我は 帰り来む

久慈川はクニを象徴するものでありその故郷にクニに帰ることこそ望みだった。
でも国家のためにそのクニから引き離されてゆく、
クニとはそれは自然発生的に生れたものであり国家は人為的人工的な要素が大きく働く、だからこそstateというときクニとは別な意味になる。
それは国家というとき民主主義でも社会主義国家でも一つのイデオロギー国家になる
それはロシアの前のソビエト連邦でもそうだし中国でも共産主義国家でありアメリカもまた主義の国家である。それはクニとは違ったものである。countryではないのである。

防人でも戦争に出されたが帰ってゆく場所は久慈川が流れるクニである。川というとき大きな川になるとライン川が父なる川というときクニを象徴するものになる
日本の場合は確かに日本を象徴するものとして富士山がある。それは大きな国の象徴として聳え立つことは確かである。
それは国家と違ったクニ意識となる、ただそうして自然とアイディンティティをもつとき戦争とは相いれないのである。富士が優美であってもそれが戦争とは結びつかない
それより何であれ戦争と自然の美は結びつかない,戦争は何であれ自然をも破壊するからだ。
「心の青雲」では戦争に何か英雄的なものを求めている、それは古典的な英雄であるが現代ではありえないし太平洋戦争でもそこに英雄的なものを見いだせるのかとなると疑問になる。ただ喧嘩両成敗のように日本にも理があった

国家を維持するときそれはシリアでもそうだが国家が喪失すると難民化したりする、すると家族もなにもない、ばらばらになってしまう、流浪の民となる。
それは大陸では陸続きで絶え間なく民族間でも国でも戦争が起きていたからそうなった。ユダヤ民族がそうである。国そのものがなくなってしまうのである。
そうなったら小さなクニも家族もないとなるから国家が最優先になる。

クニというとき故郷的なものがありそこには家族がいて死んだ先祖がいるという場所にもなる。国家というと軍隊があり何か重々しいものになる
ただ一庶民でも外国にゆくと日本人ということ日本国家を意識させられる、だから国家意識は別に平和なときでも外国にいるとき意識させられる、外国人から常に日本人とも見られるからである。一庶民でも日本を代表するようにもなる、それは国内ではそういう意識はもたされないのである。

でも外国だと「あなたのcitizenはどこですか」とかパスポートにも記される

 citizenとは市民である。市が外国では国になっている、もともとギリシャの国家というときポリスであり市のことだからである。中世になるとburgessでありburgは城だか城下町とかなり江戸時代の藩単位のクニだとなる、相馬市民とか会津市民とかなる

ある国、または、別の政治共同体に属する生来の、または、帰化した構成員
(a native or naturalized member of a state or other political community)

国家とは political communityであり政治的結合体という要素が強い、それはローマ帝国ともにている、ローマ帝国はどうしてもあれだけの広い領土を治めるとなると政治的結合体となるからである。そこで法律も重んじられ公正さが求められる。
ローマ法が今でも通用しているのはそのためである。それはアメリカ合衆国ともにているのである。

このことが原発と何の関係があるのかとなるとある。原発は国家防衛の視点から国家的政策として作られたのである。それはアメリカからのおしつけがあったというときもそうである。
核装備のために準備のために備えのために原発が国家にとて必要だということがあった。エネルギー政策は国家的なものになるとしても原発は核武装という備えのために国家的政策としてあった。国家防衛のためだというときそれは戦争とも結びついているのである。国家は対外的に成り立ち戦争と一番結びつくのである。
だからこそ「心の青雲」の著者はそうした国家論を語っている

そして国家はクニを破壊したのが原発事故だったのである。国家的政策として原発が建てられクニが破壊された、そして故郷はクニに住めなくなった。クニは放射能物質に汚染されて肝心の水も飲めなくなり作物を育てる土でも汚染されたのである。
つまり防人の久慈川が幸(さき)くありまてというクニが故郷が消失したのである。
帰る場所がなくなったのである。帰る場所があって遠く筑紫まで兵士として遠征した。
でもその故郷がクニが喪失したときもう帰る場所がなくなったのである。
国家によってクニが故郷が破壊されたのである。
「心の青雲」の著者には他でも都会にはそもそもクニ意識はない、育たない、ビルの谷間では川もなにもない、そのクニがなくて国家がある、そうなるとクニは無視されるのである。
しかし人間の生存の基盤はアイディンティティはクニにある、国家とは別でありそれは自然発生的に生れたものなのである。

第一ヤマトというときそれは狭い範囲の村から発祥していた、それが奈良全体となり国家意識が生れた、それはクニが基であり日本語でもそうしたクニから生れたものである。
文化はクニから生れた、国家にはだから常に非人間的なもの冷酷なものが非情なものがある。それはどこの国家でもそうである。
だから国家により戦争でなくてもクニが犠牲にされるということが今回の原発事故でもあった、ただではそのクニを意識すること、守ることがクニに住んでいる人にあったかというとこれもなかった。
第一クニといっても故郷とといってもそれが何なのか、その大切さを意識してたのかとなると疑問だとなる。

いづれにしろ「幸くありまて」というとき何か待つ場所、待っている人がいないと人間は根なし草にもなる。難民になるとそうである。また家族がいなくなると旅しても待っている人がいないから根なし草のようになるのがわかった。
だから故郷とはクニには誰かが待っているという場所だったということも意識したのである。


国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)

「心に青雲」の著者の都築氏の病気の回復を願います

思想的には一致しないが共感することが多々あったからです
そこには一貫した主張があったからです

ともかく60代は病気になる人が多い、自分も一時腎不全になって入院したからである。
ただ自分は腎臓の病気ではなかった、一時透析になるとか医者から言われたのである。
腎臓の病気も怖いのである。

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2017年03月12日

原発避難者の長期補償の主張の問題 地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


原発避難者の長期補償の主張の問題


地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


「地方創生の正体」を書いた山下氏の主張はすぐには帰れといっても帰れない、時間をかけて帰還をすすめるべきだという、だから二重の住民票をもち権利をもたせるべきだとか社会的弱者に陥らないために長期に補償すべきだという
この本には自分は共感したが地元の現実になるとまた違っている

南相馬市内でも小高の原発避難者があまりにも様々な手厚い補償をされたのに鹿島区では補償金がわずかしかもらっていないとか不満が大きかった
それより隣の相馬市では六万くらいしかもらっていないからさらに不満が大きかった
そして避難者は何をしているかというと毎日補償金でパチンコだ競馬だとか東京と仙台まで遊びに行っているというのは本当である。

自分は自分の病気と介護で苦しんでいるとき事業に失敗した遠い親戚の人が来たが借金のためにパチンコ屋で働いていたのである。その時避難者はなにもすることがなくパチンコ屋におしかけた、その後避難者はギャンブルであり仮設にいた6年間もそうした生活をししていただけなのである。

ではさらに長期補償したらどうなるのか?そのまままたギャンブルの生活をつづける、本当にその人たちが帰還して故郷を復興する気持ちがあるのか?
若い人はもう移った先で仕事をもく子供は学校にゆき6年もすぎたのである。
時間はたちまちすぎたのである。その時大きく気持ちで何でも変わってしまったのである
国の方針としてまず放射線量で分断させたことが問題だった。小高と原町と鹿島と相馬市で浜通りならほとんど放射線量は変わらないのである。
だから小高を避難区域にしたことが大きな誤りだったのである。
結果的にもう若い人は流出して帰らなくなったからである。
帰ったのは老人だけでありその負担を南相馬市全体で負うほかなくなったからである。

なぜそうんな放射線量で区分けしたのか?そこに国の算段があった。そうして原発事故の被害者を放射線量で分断して一致して国に反対させないよちうにしたのである。
それは飯館村でも起きていた、飯館村ならほとんど放射線量が同じなのである。
そこでも放射線量で補償金の額の違いがあった、これも国が村として一致させないように放射線量で分断したとなる、分割して治めよという手法だった。

避難解除して無理やり帰らせるのは国では補償金をこれ以上払いたくない、国民の意向でもそうである。そして問題は避難した人がギャンブラーになったとかなっていることである。何もすることがなくそうなった。
それが回りの人の顰蹙をかっているし自分のようにその人だけではないが実害を受けている人もいたのである。
その問題を指摘しないのは山下氏の主張にも問題あるなと議論で感じた

確かに避難解除して一年くらいで補償金を打ち切られることはそうした人たちが社会的弱者となり今度は県とか市町村でそれを引き受けねばならない、すでに南相馬市では小高が負担になる、帰ったのは老人がほんとんどであり病院であれ福祉であれ負担になるだけだとなる、生産的活動をする若い人は流出したからである。
他の津浪の被害地でもインフラの整備はしても肝心の住む人が帰らない、若い人が流出したことが最大の問題だったのである。

ともかくいつまでも補償は国でできない、どこかで時間を決めて打ち切る他ないとういのも国の主張としてわかる、でもだらだらといつまで補償するのだということもまた困る
その反発が実際は大きいのである。
そのことも原発避難者は苦しいとしても自覚するべきだがただそういうと怒るだけでありお前は苦しい人をみて非難して楽しいかとなるだけであり、一体感は失われたのである。
飯館村でも分断されたのは意外だった、結局原発事故は家族でも地域でもばらばらにしたというが本当にそうだった
若い世代と老人世代はばらばらになり地域の連帯もばらばらになりいがみあうようなったそのことが精神的に一体感がなくなり復興できなくさせている要因にもなる

NHKでは影の部分は報道しない、テレビでは影の部分は報道しない
でもそれを報道しないと真実はわからないし誤ったものとして全国でも受け取られるのである。
だから山下氏の意見には共感があったが長期補償とか時間をかけて復興させるとかなるがいつまで補償するのだ、あと何年なのだ、その間避難者はギャンブルで遊ばせるだけなのかともなる
それより原発避難者は老人が多いから国で補償しろとなる、実際に小高の人たちはテレビでそれを主張していたからである。すると原発避難者が特別恵まれた特権を得たとなるのである。別にその人たちにとって故郷の復興より年金とかで補償される方がいいのである長期補償とは死ぬまで補償される方がいいとなるのだ。
長期補償にはそうした危険性がある、復興に結びつくとは限らないのである。

ただこの問題は深刻だから時間をかけねばできないということも言える、急いでやれとしてもできないことがある。でもまたそれが補償金をもらうということと結びつくと問題が生じる、それは南相馬市内でも反発が大きいからである。
国民の反発も大きい、いつまで補償金もらっているんだとかなる
だからその点が議論されなかったのは不満だったのである。

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2017年03月11日

シリーズ東日本大震災避難指示“一斉解除” 〜福島でいま何が〜を見て


シリーズ東日本大震災避難指示“一斉解除”

〜福島でいま何が〜を見て


飯館村でもそうだが分断された、それはもう住めないから補償金をもっともらい村には住まないという組と菅野村長は村に住みつづける人を優先的に考える
菅野村長の考え方は原発事故の時、村人が避難すると村が崩壊するということに危機感をもち避難させなかったのである。
ここから酪農の友達だった人とも分断されて合わなくなった。
飯館村には飯館村の事情がある。やはり一番の問題は放射線量が高いことである。
避難困難区域の近くの蕨平でまだ除染しても2シーベルト以上あった。
2以上になると今では高いとなる、山側の森は3以上あるといっていたが自分も計った時そうだった。そもそも庭とか平地を除染しても飯館村は山が7割以上なのだから山や森を除染しないかぎり減らないのである。一時しのぎに除染しているだけなのである。

だから反村長派の言い分もわかる、そんな無駄な除染するより一億円でもいいから補償金をもらった方がいいという意見である。
実際に除染するだけで一億円の金がかかっていた、家の裏の木を切ったりするとそうなった。
飯館村でも補償金が高い処とで額が違ってもめた分断された、これも国の方針であり国がむしろ村民を分断させるためだったのかともなる、それは南相馬市でも小高のことで分断された。飯館村全体で一つになるより国が分断させたのである。
それは南相馬市でもあったことであり飯館村でもあった。それは国によって成されたともなる。
飯館村の問題は放射線量がもともと高かった、佐須ではホットスポットがあり泥が20マイクロシーベルとあったのだ。それには自分も恐怖した。
なぜならその泥がやがて真野ダムに流れて真野川から下流の南相馬市でも鹿島区でも流れてくる、そのダムの水は相馬市でも利用しているからだ。

だから飯館村の問題は飯館村だけではない、南相馬市にも影響しているし相馬市にも影響しているのである。
だからもう住めないのだから一億円でも補償金をもらって他に移り住んだ方がいいという意見もわかるがまたそうなると人が住まないとそこが荒地になり今度は何に利用するかとなるとすでにソーラーパネルが作られ景観は破壊され森が破壊されて災害が起きるとそこに住む人が反対していることでもわかる。
それは飯館村だけの問題ではないのである。現実にフレコンバックから放射性物質をふくんだ泥が川に流れだしていたからである。
そしてそうして荒地になる、人が住まないとどうなるのか?
そこは国の管理化になり放射性物質の処理場などにされるのである。
住民はそうして補償金をもらえばいいとかなる、それもまた問題なのである。

NHKでは飯館村の問題を飯館村に限ったものとしてしか報道していなかった。
実は南相馬市とも相馬市とも密接に関係していた問題である。
その視点が欠けていたのである。ただ今回は公平に報道していた感じはする
どっちに味方しているとも見えてない
南相馬市などの原発避難者については明らかに原発避難者側にたつ報道だった。
要するに飯館村が二つに分断されたように南相馬市でも補償金で分断された事実があるし他にもある。その分断されたことを隠して原発避難者側にのみ立って報道していた。
原発避難者に文句は言うな、かわいそうのだから言うなという方針をもち放送していたのである。

いづれにしろ復興というとき市町村の復興というとき津浪被害地なら津浪の被害を受けた市町村の復興である。
原発事故の場合は何か違っている、もう放射線の被害で住めないから戻れないとなる。
だから復興を飯館村のような酪農とか牛を飼う村では仕事もできないからあきらめて補償金をもらって他に移り住む組と村に残り生活する人とに分断されたのである。
村長はなんとか村にひきとどめようと学校を新しく作ったり住宅を作ったりインフラを整備している。でも村長の孫自体がその学校に入らないと批判されているのである。
前は村長は福島市にマンションを買ったなどということを言う人がいたが夫婦で普通の住宅に住んでいる、ただそれがどういうものなのかわからない。
福島市に拠点をもち飯館村に帰れというのも矛盾したと思っていたが今はどうなるのかわからない、NHKではマスコミでは何か裏のことは報道しないからである。

飯館村だけではない、なぜ避難区域となり一旦避難した人は避難解除になっても他でも楢葉でも富岡でも南相馬市なら小高でも帰るのは一割程度でありそれも老人だけなのである小高はまだ南相馬市のガバナンスがあり他とはまた違っている、他では水道とかインフラも補償金が払われないと維持できなくなる、人口が極端に減ったから水道料金も一割に減ったらもう維持できない、それはまさに限界集落化しているのである。
インフラを維持できなくなるのだ。それで水道料金が一万になるとか馬鹿高くなりる公共サービスも受けられなくなる、ただこういうときもし自給自足の生活だったら別に山の清水を飲み山の木を燃料としたり炭を使って自給できたのである。
今はそうはいかいならかもう限界集落化するとその地域は消滅する

だから合併を考えているというのもわかま、一つの町や村でももうガバナンスが機能しない、自治体が成り立たなくなっているからだ。
小高はまだ南相馬市としてのガバナンスが機能しているので救われている
でも南相馬市でも小高は負担になっているからみんな帰って仕事をして村を復興させてくれとしているが帰るのは一割にもみたないし老人がほとんどなのである。
ただ4月に小高工業とかが再開すると多少活気がもどってくる、300人くらい生徒がいるし原町とか鹿島や相馬市からも工業専門だから通う人がいるからである。300人は結構多いなと思ったからだ。それも若い人たちだから老人とは違うから活気が多少もどると思ったのである。

津浪でも原発事故でも人口流出が一番の問題だった。やはり市町村というのは一定の人口がないと成り立たなくなる、そして少子高齢化も打撃に拍車をかけた、何かNHKのメッセージをよせていたのは若くても40代でありほとんど60以上の人たちである。
60代になると将来のことを考えるどうせ後何年か生きるだけだとかなるからである。
そして仮設に暮らして6年間すぎたら津浪の被害地では原発事故の被害地と違って補償金がでないから家を建てる気力もなくなったというのもわかる
仮設でもいいとかなる、そういうものだとかともなってくる
その気持ちも老人だとわかる、自分ももうかえって大きな家が負担になっていることでもわかる、老人はいろいろなものをもつことでも負担になるのである。
だから金ものないに家を建てるというのは容易ではないとなる

そういう少子高齢化の影響は今回は相当復興の足かせになったことは確かである。
なぜなら戦後焼け野原になったとき子供が多かった、それが今の団塊の世代なのである。その子供の多いということが日本にとって復興となったのである。
集団就職とかでも田舎から東京に労働力を供給できたからである。
それで高度成長となり日本は復興したからである。
でも今はその団塊の世代も老人となり負の存在となり社会の負担となってゆくとき日本社自体が衰退になってゆくのである。
この少子高齢化が今回の津浪であれ原発事故であれ復興がすすまない最大の要因だともなる

ともかく飯館村でも避難解除するというとき国ではこれ以上を補償金を出したくないから避難解除する、国民でもこんな莫大な補償金を廃炉の金を使うことに賛成したくないからである。ただ国民にしてもこれだけの金が税金が廃炉にはかかる、原発事故が起きたら致命的となり国さえ傾くのだということを自覚すべきである。
原発それだけ他の事業とは違った国家さえ傾けさせるものだったということを自覚すべきだったのである。


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国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)


国と地方の歴史を見直す


(原発は国策であり地域を破壊した)


● 国と地方の歴史

国と地方の問題は人間の歴史がはじまってからある問題である。
もともとクニというのが一つのアイディンティティを育む単位になっていた
それは自然発生的なものでありだから自然と深く関係してアイディンティティ化したのがクニである。

会津嶺の国をさ遠み逢はな はば思ひにせもと紐結ばさね

この万葉集の歌の会津はクニでありこれはすでに大きなクニの感覚である。クニの前にサトとかムラとかがある。ムラは群れるからきてきるから人が群れるだけではクニにはならない、何か一つの連合体ができたときクニになる。
それは外国でも同じである。countryはクニのことだからである。

ここで注意しなければならないのはクニと国家は別物なのである。クニは自然発生的に生れたアイディンティティをもつものである。だからこそ文化的歴史的なものに根ざしている、歴史より文化に根ざしている、cultureはcultivate(耕す)から来ているからである。その土地に根付いて耕したものが文化だからである。

だから自然発生的に生れたのがクニであり何か親しみがある。方言では訛りでクニがわかるというとき方言はやはり文化的なものでありその土地に根ざして生れたものだからそうなる、だからクニに根ざしてこそ文化があり人間的なものとなる
国家というときそれはクニとは別物である。国家には非人間的なものがありまた仰々しいとういか威厳あるものとなる、英語だとstateなのである。
それは威厳あるものでありcountryとは全然違う、countryは田舎でもあるからだ。

ただ国家でも日本ならもともとヤマト朝廷というときヤマトという山戸という一地域のことである。それが拡大して日本になったのである。
だから奈良という地域に最初の国家をが形成されたとき

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

青垣山とはまさね山が垣根としてある、山に区切られたものとしてクニのまほろばがあるとなる。日本は山国だから山で区切られる、盆地のような処をクニとして意識していたのである。
このクニの感覚は封建時代まで江戸時代までつづいたしその後もつづいている。
封建時代もその土地に根ざしているから自然発生的国の意識になる。
だから江戸時代までは多様なクニがあった、それは自然条件でもそうなったのである。

●原発は国家と地方自治の問題を浮き彫りにした

原発というのはこれはクニとしてあるもののなかに地方の自治体に国家が深く関与していた。なぜなら原発は国策でありそれはまたアメリカの強制としても日本に押しつけられたという側面があるからだ。
核戦略として原発を維持しなければならないとか日本の技術力を維持するために原発が必要だとかあったからである。
クニというより国家的意識が強く打ち出されたものだった。
東電でもあれだけ巨大な会社でも国の支援がなければ原発は建てられなかったからであるだからこれだけの20兆円もその後始末にかかるということに驚いた。その補償金の額にも驚いたのである。そんなに補償できるのかともなる
それは国策だったからできたのである。国家的事業としての原発だったのである。
国家がかかわるからこそこれだけの巨大事業が成される、補償もされたということである

でもそれだからこそクニという一つの自然発生的アイディンティティ化されたものは大規模に破壊されたのである。国家が対外的に生れた、外国の驚異、外国に攻められるという驚異から生れたというとき戦争になり戦争は最大の国家的事業でありそのためにこそ300百万人も国家のために死んだのである。
国家なければ家族もない地方もない、クニもない、ムラもないとなる、国家がなければ国の存亡がかかるときそれだけの人が国家のために死なねばならなかったのである
原発は確かにエネルギー政策としてある。でも火力発電所でもいいのだし他にもエネルギーが求められる、でも核戦略がありアメリカの意向もあり原発が作られたのである。
それは国家の政策であり一企業が利益を出すというのでもなかった
そこに原発の特殊性があったのである。

地方と国の関係はそれは人間の歴史がはじまってからある。原始時代になればクマ族だとサル族だとかイヌ族だとかトーテムがあり種族がありやがてそうした種族の統一の象徴としてトーテムポールが生れた。クニとクニの争いはどこでも常にあった。
それを統合するのがまた大きなクニである。会津はそうした大きなクニとして意識された領域だったのである。それは江戸時代でもそうであり今にも継続されるクニなのである。クニは自然と風土と一体化しているから文化的なものとしてアイディンティティ化している、国家は必ずしもそうはならない、だからアメリカとか中国とかロシアとかになるとその国が巨大になるから法治国家とか主義の国家とかなる。
民主主義と社会主義が違うようでもやはり一つのイデオロギーで国家を作るのはにている自然発生的国家ではない、だから何か人間的なものを逸脱してくる、それは戦争になることでわかる。戦争のとき一番国家を意識するからである。

●国策の原発により破壊された地方自治体

結局この国策により地方自治体は破壊された、復興でも防潮堤とか道路とかソーラーパネル事業でもそれが住民にとっていいものというよりは公共事業のようになされていて実際の住民の復興にはつながっていない、住民の自主性がないやはり国策としての押しつけだと「地方創生の正体」では指摘している。
この本では昔のなつかしいクニという意識を基本的にベースにしているのである。
そこが自分も共感するのである。自分も相馬藩というクニの中でも自然発生的クニとしてのアイディンティティを追求してきたからである。
それはその土地の山でも樹でも石でも川でも海でも一体化したものとしてのアイディンティティの形成なのである。

そういうものが国策によりやはり原発事故のあとも破壊されているのである。
もちろん白砂松原の景観は人工的なものだと津浪で意識した。景観を破壊したのは自然自身でもあったという驚きである。
ただ松原も人工的なものだったから自然が破壊したともなる
元の自然にもどったともなる、それが馬鹿高い防潮堤を建てたり何か巨大な公共事業で景観が破壊されたし不自然なものとなる、ソーラーパネル事業でも景観が破壊されるだけではない、飯館村で反対運動が起きたように災害の要因にもなる
自分は何か景観にこだわる、なぜかというと日々そこに生活しているからそうなる
それで屋形の処が土をとってむきだしになったのを毎日見ていると嫌になった。
それは馬鹿高い防潮堤を見ていたら嫌になるだろう。本当にそんなものが必要だったのかともなる、それは不必要な国策による公共事業だったのかともなる
それで女川は防潮堤を作らない街作りをしたのである。
それでも人口流出が大きいからいかに復興が困難なのかわかる

この辺でも人口流出があり小高でも浪江でももう避難した人は10パーセントくらいしか帰らないのである。浪江でも廃炉事業のための宿泊施設の街として復興させるというときそれが町なのか?廃炉事業が終われば生活の糧がなくなり町が消滅する
廃炉事業だけに特化されたものが町なのかとなる。
町であれ村であれ千年とか継続してきたし継続するのが町であれ村であり市なのである。だから昔のクニの復興が問題である。それはやはり漁業でも農業でも林業でも総合的な場としてのクニの復活が必要になる。
国家からのおしつけとしての事業には問題があるとしたとき自分もそう思う
またガバナンスがなくなったというとき小さいコミニュティなど村とか部落でもその上の町とかのガバナンスが自治体が喪失すると維持できないとも言うのもわかる
小高はまだ南相馬市のガバナンスがあるが浪江とか双葉とか大熊や富岡でももう失っている

これも結局現代の社会が広域化しているグローバル化している、田舎でもそうである
村が自給自足していた時代とは余りにも違うのである。
その結果として国家とか巨大会社とかが田舎にもかかわっている
炭焼きでエネルギーを供給していたとき中央の国家にも頼らない自給自足の生活していたから都会でどういう生活をしようと自分たちには関係ないとしていたのである。
そういう生活ができていたのである。

富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹

富んでいる都会のことなど知らないことだ、炭焼きの煙は絶えずのぼりここに自足した生活があるとなっていた。
この時代とあまりにも違う社会になったからこそこういう問題が起きた。
でも人間は過去には戻れない、過去は参考になってもでは未来はやはり別な未来を志向する、だからエネルギーだとソーラーパネルとかなったり風力とか志向したりする
でもそれもまた自然破壊であり同じことの繰り返しだなともなる
いづれにしろその土地から自主的にわきあがるものがないと復興はできない、国家頼りではできないというときそもそもクニの形成とは何なのか?
そういう根源的な問題も問われているからむずかしいとなる


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2017年03月09日

地方創生の正体(山下祐介、金井利之)を読む (国家と科学技術の編の解読)


地方創生の正体(山下祐介、金井利之)を読む

(国家と科学技術の編の解読)


この本はかなり原発事故で起きたことを深く考察して書いている。
ここで起きたことは本当に様々な問題がありだから地方自治体とかが何なのかとか故郷はなにのかとか問われた。
市町村の関係と県との関係や国との関係、東電の関係である。
これが複雑にからみあった問題だったのである。
そして科学技術というのも問題になった。それを多角的に検討している
だから自分が追求してきたものと同じだと共感した。
ただいろいろあるのでこれは検討に値する

科学技術と政治権力とかの関係を説いていることも興味深い
それは自分も追求してきたことである。
基本的にはいろいろあっても科学技術と政治権力が結びついて一体化して原発が建てられ事故を起こしたのである。
要するにテクノクラート支配の崩壊だったのである。
事故が絶対に起きないとしてテクノクラートが原発を建てて事故を起こしたからである。

権力志向の技術者は科学技術を脱ぎ捨てられません、すると結局、すべての人は科学技術に縛られるわけです,科学技術はあたかも自身が権力体のように為政者や技術者も制御し為政者や技術者も制御し、゛為政者や技術者は科学技術を制御できなくなってきます
(国家と科学技術)

科学技術は現代文明を作った、科学技術は現代の信仰であり宗教なのである。
科学技術者が現代の信仰でありそれにたずさわる学者や技術者が神官なのである。
専門家が現代の神官でありリーダーである。でもそこに落とし穴があった。
科学技術を操作するのは人間でありその人間が万能でないから事故も起きる
巨大な複雑な原発のようなものの操作しているが操作しきれずに自壊してゆく
そもそも原発を操作する能力が人間には科学の専門家にもなかった

でも科学技術は信仰であり大衆も核のことなどわからない、そのわからないことをいいことに科学技術で大衆を支配するものとなる
今になると以前として福島産の食品が売れていない、安全だと言っても信用されないのは科学技術者も嘘をつくといことで信用できなくなったのである。
あれほど安全だといっていたのに事故が起きたからである。
科学技術は信用をなくしてしまったのである。学者も技術者も信用をなくしてしまったのである。その影響は計りしれないものがあった。
いくら検査していても安全だといっても信用されないのである。

つまりバベルの塔のように人間の業は崩壊する、原発事故ではそうだった。天まで達するようなバベルの塔の奢りは砕かれたのである。
結局人間の成すこと科学技術には限界があることを知るべきなのである。
絶対に事故が起きないということは絶対に言えないことなのである。
人間は自然でも何でも神のように知ることができないからである。
もし知ったならまさに人間は神となる、でもそれはできないから限界がある
その人間の限界をわきまえないと今回のようなとりかえしのつかない事故になる

文明自体はそういう科学技術の限界で崩壊する、マヤ文明も高度な科学技術の知識をもっていた、天文学の知識をもっていた。それも最後にはその知もゆきづまり世界が何年に滅びるとかカルト的なものとなり崩壊した、
人間の知の限界から滅びたのである。科学技術も極端に押し進めるとカルト的なもの怪しい宗教になってしまう。そこに科学の限界がある。
世界が崩壊する日にちまでマヤ文明では割り出していてそれが現代人がおびえたというのもまた同じである。
世界が滅びるとしてもいつ滅びるからは神のみぞ知るからである。

要するに政府とか東電とかが絶対に事故は起きない、数学の確率で計算したら百万年に一回し事故が起こる確率だと真面目に科学者が言っていたのである。
どんな計算をしたのかわからないがそれを真に受けた人もいるだろう。
その科学自体がカルト宗教のようになっていたのである。
安全神話でもそうである。日本では事故は起きないという神話まで形成されたのである。それがもろくも一挙に崩壊した、科学技術者の専門家は信用できないとなったのである。
この本は原発事故とか原発避難者とか国家とか地方自治体の関係とかを追求しているので自分が追求したことと一致するので順次検討してゆきます

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2017年02月26日

2015-2017 相馬地方のニュースのまとめ


2015-2017 相馬地方のニュースのまとめ



2015-12月 母死亡

2016-1月 母の供養

2016  南相馬市鹿島区にシシドスーパー開始

新鮮なので評判がいい

隣に復興住宅(五〇戸くらい)完成

主に浪江の人、外部の人が入る

原町のキクチスーパーの隣に三階建ての復興団地完成

雲雀が原に五階建ての復興団地完成

全部で一〇〇〇人くらいの規模か?

鹿島区の川子に大きなパークゴルフ場完成

鹿島の仮設食堂のあつみ食堂やめる

野菜食が多かったので自分には打撃

鹿島区のローソンの向かい側の屋形の土とる場所から古墳発見

相馬市の入母屋風の市役所完成

公共の施設は入母屋風に統一しているのが相馬市
城下町としての情緒を大事にした街作りをしている

常磐線が仙台まで開通

新地、坂本、山下の駅前開発

新地には温泉がでて施設ができて駅前に大きな駐車場ができていた
山下に大きなキクチスーパーができる

2017

南相馬市立病院にヘリコプターの着陸場がある脳卒中センター完成

ここの担当の副医院長は手術がうまいと評判

同級の人が脳卒中になり一命をとどめる、他に癌で一人、糖尿病で一人死んだ

新田川の岸辺の公園の脇にテニスコート六面を作る工事開始
運動場を拡大する

原町区の六号線のダイユーの仮設の宿泊所を撤去



津浪と原発事故以後の相馬地域の変化は大きい、それが今もつづいている
ただ仮設の宿泊所が撤去されたということでも除染関係とかの仕事は相当に減っている
地域のニュースとういとき毎日の生活で直接ひびくから中央のニュースより身近なのである。

復興住宅も原町区だと本当に大きいから驚く、1000人規模で大熊とか双葉とか主に浪江の人が入る、ここからだと浪江が近くだから見に行けるから便利だと言っていた。
仮設に住んだり復興住宅に住んだり原発避難者も津浪の被害者も大きな変化を経験した

脳卒中センターなどが完成したのも大きなことかもしれない、同級の人が脳卒中になったが早くみてもらったので助かった、つまり脳卒中はどれだけ早く治療するかで生きるか死ぬかになる、他に近くで癌で死んだり糖尿病で死んだ同級の人がいた。
なんか病気とか死とかが身近になる世代になった。

一番の変化は自分にとっては常磐線の仙台までの開通だった。
それで毎日のように鹿島駅が無人駅になったのでボランティアの案内をしている
なんか自分は鉄道には世話になったし好きだからである

新地駅も新しくなり駅前が開発している、温泉も出たというからその施設もできる
でも駅前にはまだ空き地が多く開発されていない、鹿島区だと三つくらい新しい街ができた、そこに新しい立派な家が建てられたのである。
それはやはり原発の補償金をもらった人たちが建てたとなる
新地では津浪の被害であり原発の補償金はもらっていないから建てられないかともなる

新田川の運動場のある所から拡大してテニスコートが六面できる、これも広いと見た。
それからすでに鹿島区の川子にパークゴルフ場ができてあれも広いのである。
あそこは憩いの場所となると思った、景色もいい場所なのである。

ともかく他にニュースはある、建物も建っているからこの辺の変わり方は大きい
それは新しい施設ができていいことでもあった、ただ小高とかはさびれてしまった。
でも高校が開始すれば多少は活気がもどる

浪江の人たちが主にあれだけの数の復興住宅とか団地に移る、だから原発というのはそもそも広域的に相馬地方全体の問題として最初から検討しなければならないものだった。
今になって補償金でもめるのは双葉とか大熊と富岡とかの一地域の問題としていたからである。
今になればこうして相馬地域でも中通りでも福島県全体をまきこむ問題だったのである。だから最初から広域的に考えて検討していれば共同責任となり補償金でももめなかったのである。
今になってなんだ補償金をもらう人ともらわない人が争うこともなかった。
なぜなら原発はそうして相馬地域全体でも決めていたら責任も全体にあるからだ。
何か原発事故以後こうした責任がそれぞれに問われたのである。
漁業権でもそうだった、漁業組合の責任も大きかったのである。

いづれにしろ地域は密接にそれぞれの生活がかかわりあいがある。
昨日はキクチスーパーでマグロの解体をしていてトロとかが売れていた。
人で一杯でありこんなに南相馬市に人がいるのかと思う
土曜日はイオンでもそうだが混むからねそう見る

津浪原発事故後でいい面はいろいろな施設が作られたことである。
ただこれからは仮設のプレハブの宿泊所が撤去されたように仕事も減ってゆく、外からくる人もすでに減っている,除染も減っている、つまり仕事がなくなってくる
でも人手不足なのは少子高齢化のためである。
まずこの辺は他に10パーセント高齢化している、若い人は流出して帰ってこない、看護師なども子供を連れて流出して帰ってこない、だから脳卒中センターでも看護師不足とかなっているだろう。

ニュースというとき一地域でも様々なものがある。要するにニュースというとき一人一人がニュースなのである。狭い地域だとそうなる。
東京のことなどそこに何ができても便利でもここでは関係ないのである。
仙台なら多少関係はあるが毎日の生活には関係しない、自分は毎日買物している
スーパーとコンビニとツルハとかによる、意外は買物が一仕事なのである。
それだけ買うものが多い、料理するにしても何を買うのかわからなかった
どこに何を売っていることを知ることの方が料理するより先に知るべきことだがそれがわからなかったのである。
それでシシドスーパーができたので良かったなとなる

ともかく自分は良く介護していたとなる、今も家事に追われているから良く介護していたなと思う、それは母の場合はあまり手がかからなかったからだと思う
そうでなければ自分は不器用だしずぼらだからとても介護などできなかったからである。自分の一身上でも10年間は四苦八苦してのりこえたのである


「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない、
唯一生き残るのは変化できるものである」ダーウィン

この辺で起きていること自分に起きたことでもこのことがあてはまるのかもしれない
あまりにも大きな変化のためどまどうだけになる人もいる
何をしたらいいのかもわからない人もいる、老人は特に変化に弱いからそうなる

今までの過去がなくなるとき一体どうしたらいいのか?
街作りでも全く新しい発想が必要になる
変化することができる者がこういう所では生き残るとなる
変化できないものは街自体でももう維持できないからである。
それは津浪の被害地でも起きているのである。

インターネットなんかでもそうである。新しい技術が生れるときそれに適応できなくなるそこでは新しい発想が必要であり変化が求められるからである。






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2017年02月21日

三本の老木が語ること(詩) (原発事故で故郷を喪失した老人を想い・・・)

  

三本の老木が語ること(詩)


(原発事故で故郷を喪失した老人を想い・・・)



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三本の老木

三本の老木はそれぞれ何かを語る

北風の吹く長き冬の日を

村に根付いて生きにし老木は語る

ここに生きたる昔を・・・・・


Three aged trees talk about something each

The long winter day when the north wind blows

I root in the village and make vigor and talk about the aged tree

It is ... here in old days as the vigor


今回の津波でも原発事故でも故郷が問題になった。故郷は何かなど普通は問わない、故郷を失って故郷を問うことになった。
故郷とは何かというとそれは老人にとってはそこで生きたということでありそこに人生が刻まれた土地だということがある。
故郷というとき農業をしていたときは八割も農民だったときは余計にそうだったのである土地に根ざして生きていたから当然だったとなる

今は農民ではない農民は一割にも満たない漁師でもそうであり山での生業でもそうであるほとんど会社員でありそれを象徴していたのが飯館村で今村を支えているのか菊地製作所だということでもわかる。農家が支えているわけではないのである
昔だったら燃料も炭だから炭焼きがどこでも行われていて山村もそれで生活していたのである。森林資源がありそれがエネルギー源となっていた。
そういう生活をしていれば余計にその土地と一体化していた。
それは万葉集に歌われたような自然との密着した生活であり歌が生まれた
だから故郷にそこに長く生きるものは愛着が自ずと生まれていたのである。

老人は故郷でも長くいた場所を離れにくいというときその土地に根付いた老木のようになっているからである。
そして老人はみんな昔を語る語り部になる、その語ることが老人の仕事にもなっていたのである。そして老人の語ることは次の代の人でも同じ土地で同じように農業をしていれば聞くに値(あたい)するものとしてあった。
つまり聞く価値があるものだったのである。つまり老人は昔を語ることでその土地に生きてゆくことの意味を語り知恵を教えていたのである。
だから老人は何も意味もないものとはならなかった。

それもみんなが会社員になったとき会社をやめれば昔を語るにしても会社のことでありその土地のことではない、それは農民ではないからである。
何か現代はそうして世代の断絶が生まれたのである。老人は役にたたない不用なものとされる、それは生活そのものが変わってしまったからである。
農業だけはやるな継ぐなと子供を殴ったということがあり極端にしてもそういう時代になったとき原発は歓迎されたのである。出稼ぎをしなくてもいいとかなったからである。 
それが裏目に出たというのがこの辺である。

人間が故郷に回帰するというとき鮭とかが生まれ川に帰ってくるのとにているきかもしれない。故郷にはそういう強い本能的アイディンティティをもつのかもしれない。
ただ故郷は生まれた場所ではなく長く住んだ場所なのである。
そこで生きたということを記憶されて語る場所である。
老人は最後に記憶に生きるのである。語り部になるのである。
自分も家族も全部死んだとき家族のことも語るようになる、死んだ人のことを語ることがまた勤めのようにもなるのである。
なぜなら死んだ人のことを語るとき死んだ人もここに生きるという感じになるからであるそれが故郷を失ったとき喪失する、そのことが精神的損害であり金では埋められないものがあった。賠償金は別な問題としてあるのだが老人が帰りたいとういときそこが生きた場所、記憶された場所だったからである。

梯立(はしたての) 倉橋川の 石の橋はも  男盛りに 我が渡してし 石の橋はも 

こういう場所だったのである。男盛りというとき青年時代であり壮年でありその時生きた記憶が生き生きとあり蘇る場所だとなる
ただ現代は広域的に生きているから会社人間だからその土地に密着して生活していないからまた違っている、だから故郷にそれほど愛着しないとういことはある。
なぜ川内村が七割りも帰還したのか?それはもともと老人の比率が四割とか高かったからである。老人は帰りたいとどうしてもなる、チェ ルノブエリでも老人は村に帰り細々として野菜を作り暮らしていた、そして医者もいないけど苦しみ死んでゆくようになる。
でも故郷の村に帰って死ぬというまでになる
それだけ愛着があったということにもなる、故郷が死に場所になっていたともなる
人間は最後はどこで死ぬのか死にたいのかというのも問題になる
老人はだからそんなことを思うとき復興には向いていない
死ぬことを考えていては復興できないからである。
でもそうなるのが老人では自然なことなのである。それが許されないということも原発事故がもたらした非情なことだったのである。




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2017年02月10日

ボランティアがまだ来ていた ボランティアとは何なのか自分もして考えた


ボランティアがまだ来ていた


ボランティアとは何なのか自分もして考えた


今日も駅に行ったら新潟からボランティアの人が来ていた。
「新潟に避難した人が言っていたけど新潟の人は親切で待遇が良かった」
そう何度も言う女性の人がいた。それで新潟の人と交流がつづいたりした
その人は前に来ていた、またもう一回くらい来るらしい
東京とか秋田とか他の人とも合流してボランティアに来ていた
焚き出しなのかなになのか仮設に来てしていた
でももう仮設に住んでいる人もめっきりへったからまだボランティアが来ているのかと思った。

この辺では相当にボランティアの人たちがきた、津浪の時も来た。津浪の被害があった家で泥をかきだしていた、そこに京都ナンバーなどがあり全国から来ていた。
それはありがたいことだった、津浪の被害は大きいから助かったのである。
原発避難者の仮設にも全国から来ていた、焚き出しなのか来ていた。
そういう人がまだ来ていたのかとなる
そういう時期は過ぎたと思っていたからである。

ただこのボランティアも本当にその被害地に有効に働いているかどうかはわからない
その善意はありがたいのだがそれが有効になくかどうかはまた違っている
津浪の被害の家で泥をかきだしていた人たちなどは有効でありありがたいとなっていた。では原発避難者となるとボランティアでも必ずしも有効なのかどうかとなるとわからないお前はいちいちそんなことまでケチつけるのかとまた批判されるが人間の世界は善意がそのまま通るとは限らないということである。
善意があってもそれが現実の場で有効になるかどうかわからない
それが世界の援助でも問題になる、その物資でも金でも上前がはねられて肝心の困っている人にゆきわたらないということが問題になる

ボランティアで何か役たちたいという善意はありがたいのだがそれが現場で有効に働くかどうかは別問題である。
ただ援助を受けられる人にとっては全面的にいいものなのである。
地元だと補償金でもめているからそんなことはボランティアには関係ない、親切にしてくれてありがとうとなるだけだからである。
自分でも補償金のことを言うと嫌がられるがボランティアはそんなことを言わないから全面的にいいものとして受け入れられるのである。
そしてなんだ地元の人は補償金のことを何かとうるさいだけで何もしてくれない、冷たいなとなっている
でも一面ボランティアがそうして避難民にまだ援助していることはかえって自立精神をそこなっているということもあるのだ。
それでなぜ地元の人はかえって冷たい補償金のことしか言わないとなっているということも複雑なのである。
外からの人はわかりにくいけどそういうことがNHKの放送でもあったことを指摘した。
この辺は津浪の被害者だとか補償金問題とか複雑になっているからだ。

だからまだボランティアがきていたのか?もう地元の人で復興しなければならないのにとも思う。いつまでもそうしてボランティアを頼っているのかともなる
地元の人は何か自立精神がなくなり他者頼みになり補償金をもらいたい、もっともらいたいだけになっているのも現実なのである。
自分はともかくごくろさまとして新潟のボランティアを駅で見送った。

奇妙だけど自分が駅員のボランティアになっていたのだ。実はこのボランティアは自分が望まれてしていたわけでもない、駅員がいないなくり自分が電車が好きであり鉄道マニアでもあり鉄道に世話になったということで鹿島駅が無人駅になったのでしていたのであるまだ案内しないとわからないことがありそれで案内していた。
それをしていてボランティアは意外と仕事としてやりがいがあり楽しいと思った。
自分は全国でも世界でも旅しているからたいがいの人と話を合わせられる

その新潟の人が新潟でも風が日本海から吹くと言っていた。それで糸魚川の火事が大火事になってしまった。ここでは冬は北風だが日本海から冬は風が吹くのは浪が荒れていることでわかる
自分は糸魚川でも長野県の松本から塩の道をたどり行ったことがある。糸魚川は長い塩の道の終点になっていたのである。ただ日本海となると太平洋と違うから風のことなどがわかりにくいのである。
でも新潟の人かとなると地理的にわかるから話ができる、それは日本全国でもそうである
人間の仕事はみんな奴隷なんだよとか社蓄なんだよとか言うのが多い、仕事したくてしていないのである。ボランティアは志願して仕事している、その仕事がしたくてしているのである。だから意外と生きがいになるのである。
でもそれが金をもらうとその金のために働かせられることになる
金もらっているんだから金を払っているんだからとその金にしばられる
それも当然でありそこに責任も生れるからである。ボランティアは生きがいになるといってもいい加減であり責任はもたないことが多い、そこにボランティアの問題がある。
だからボランティアだからはいってみんな有効に働くとは限らないのである。

でも新潟であれ東京であれ遠くからきてボランティアして何か有効に働かない喜ばれないとしたら実際は生きがいにもならないとなる、それだけの労力を費やしているからである
自分の臨時駅員にしても一日いるわけではない、一日一回くらいたちより案内する程度である。
でもこの前はタクシーに先約がありひどく急いでいた人を六号線に案内した。
あれはそれなりに役立ったなと思った。まだ他から仕事などで来る人があり案内が必要になっているのである。自分は何か案内することが楽しいのである。
何か苦労だということも全く感じない、普通の仕事だとそうはいかない、何かしら苦しいけど仕事をせざるを得ないしそうしていと社会は成り立たないのである。

農業している知人の女性もそもそも苦労を言うけど農業を好きだからしているだけであるかえって金もかかるとれるものは人に分けるものさえ作れないのである
それはだからいくら苦労だといっても生きがいであり楽しみでしているのである。
退職した人などはそうした生きがいが今必要になっているのである。
このプログでもそうである。これもボランティアであり生きがいだとなる
仕事でもあまりにも苦労だったらつづかない、だから仕事は何なのだろうと「経済、社会の部」で追求してきたのである

要するに人間の仕事はこうして生きがいとなり楽しいときその人にあった仕事をしているのかもしれない、ただ現実は仕事となるとみんなそんな楽しいとはならない、厳しいし責任もある、命懸けにすらなる、甘いものではない、でも退職した人とかのボランティアはそうした金とかから関係なく生きがいを楽しみで仕事するのがいいとなる
そういうものが高齢化社会で求められているのである。
また余裕ある社会になるとそうして仕事がボランティアになる可能性がある
自分のしたいことをする、それがひいては社会の役にもたつという仕事である。
ただボランティアはきつい仕事は無理である。だから津浪の被害の泥をかきだすなどは相当にきつい仕事だったのである。
ともかくまだボランティアが来ているがボランティアの時期は終わったと思う
これからそういうボランティアではなく原発避難地域に住み着くとかそういう人が望まれているのである。人が住まないで困っているからである。



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2017年01月30日

原発自主避難者のいじめは朝日の捏造だった (マスコミがシナリオ作り判断するのが報道)


 原発自主避難者のいじめは朝日の捏造だった


 (マスコミがシナリオ作り判断するのが報道)


 朝日女性記者がスクープした「原発いじめ」記事の悪評

朝日に限らず、マスコミは最初に売りたいシナリオを作って 
そこに事実関係や証言の断片をはめ込んでるだけだからな

新聞社の取材受けてみればわかるけど、 
やつら結論ありきで取材するからな。 
初めの想定通りにいかないと発言を切り取ったり、 
無理矢理それっぽい発言をさせて筋書き通りにする。 
取材に行って金かけてるんだから面白い記事かかなゃっきゃってのも分からんこともないが、 
それで「取材による事実」とか誇りにしてるんだから呆れたやつらだよ。 
事実を自分の主観や利益のためにねじ曲げてるのはどちらなのか… 

極左活動家と自主避難者とメディアはズブズブの関係 

差別でっち上げてボクチンはカワイソーな福島のみなさんの味方ですよー 
とすり寄る福島支援者 

なんで今になって続々原発イジメなんて話が出てきたかと言うと 
自主避難者への住宅無償提供打ち切りが近いから 
まだまだ問題はあると長引かせたいんだよ 
そのために受け入れ先の住民を差別主義者ということにする 


自主避難者は地元でも裏切り者とか批判されていた。なぜみんなが困っているとき出て行くんだとか批判があった。
それは原発避難者全般にあった、南相馬市の看護師など原発事故になったときみんな一斉に逃げた、それで批判された。今も南相馬市で避難した看護師は帰ってこないのである。それで病院では困っている、なぜ地元の人を見捨てて避難したのかとなる

それで大内村ではなぜ

C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)

 こういうことを村の方針にした。避難して帰る者と帰らない者のの対立がかなりあるということである。それは自主避難者にもあった。
 それで避難した先でなぜいじめにあったのかというのがそもそも疑問だったのである。
自主避難者ということだと疑問になった。その人たちはそれほど補償金をもらっていないからである。地元でも批判されているのだから避難先でも批判されてもしかがないのかとか自分は思った。
この辺はこうして地元でも外に出ても分断されたのである。

それで前にもNHKの放送で原発避難者でも南相馬市内とかに避難して仮設に住んでいる人たちがいる、その人たちと地元の人たちとは補償金でもめていたことを書いた
NHKの放送で飯館村の人が相馬市のトマト農家に雇ってもらいたいと行ったが断られたとその怒りをぶつけていた。その時は自分もひどいなと見ていたのである。
でもよく考えてみると相馬市でも津波の被害者がいてその人たちは補償金をもらっていないのだから優先したというからそれなりの理由があって全うだったのである。

でもこれはNHKのシナリオでは原発避難者を非難するなということを公に報道して応援していたのである。
朝日の報道もそういうシナリオが意図があり報道していた。
マスコミは事実を報道していんるのではない、事実があってもそこでシナリオを作り編集して報道するのである。
なぜなら津波の被害者にも言い分がありそのことは言わせないからである。
それはいわき市でも同じ団地に住んだから起きたことである。
でも双方が仲直りすることなどを後で放送していた。
このことはなかなか外から見るとわかりにくかったのである。

マスコミの報道は事実を報道してもそれがどこまで事実なのか調べようもないからわからない、良く極端な貧乏の人のことを伝える、それも実際は嘘だったとかなる
こんな貧乏人がいるような社会にしている政府が悪いとして報道している
政権に打撃を与えるためにそういう報道をしている
それを常に否定しているのがネットなのである。
その事実が本当なのかということを問題にしている

今回の自主避難者のいじめ問題でもはじめに朝日がシナリオを書きそれにそって取材する取材することから事実をひきだすのではなくそのシナリオ通りに発言させることがマスコミなのである。
たからそのシナリオに反することは取り上げない、発言させないのである。
ともかく人間はもめているときは喧嘩両成敗なのである。
必ずどちらにもなにかしらの言い分がありどっちがいいと悪いとか簡単に判断できないのである。

ところが何かテレビは一方的になりやすい、心理的な問題としてもテレビは洗脳されやすいメデアなのである。
ネットのように「それ本当なの?」こう簡単なことだが疑問に思わせないでストレートに一方的にテレビで報道したものをそのまま受け入れる、そういうのがテレビでは特になりやすいのである。
裁判だったらどんな人でも双方の言い分を詳しく聞いているのである。
一方的になれば必ず裁判官にそうさせないように提言できる
でもテレビはマスコミは審判者になっていてマスコミの判断があって取材して編集して報道しているのである。それに見ている人は文句は言えないようになっている
ネットだったら絶えず否定できるし真意を追求する、それがマスコミの報道に対してはできない、マスコミの言うことが絶対だとなってしまう
それでトランプがマスコミから相手にもされずトランプはとんでもない奴だとかしかなっていなかった。それで当選したのだから驚いたのである。

ともかくこの辺は津波の被害者もいるし原発の補償金でもみんなが避難者のようにもらってはいないから複雑になっている。
原発避難者に対しての不満が大きい、何か鹿島区の人でもあうとそのことを言うのである別に自分はそれほど金にはこだわらない、でも他の人は自分よりもっとそのことに補償金のことにこだわっているのである。

いづれにしろこの辺では内部でも対立している、地元に帰るか帰らないかでも対立している、だから外から取材する人、マスコミでもこういう問題は相当に慎重さが必要だった。テレビは感情的メデアなのも問題なのである。

この油まみれの鳥を見ろ

イラク戦争のときがそうだった、あれは世界にイラク憎しという感情をもたせたのだ
それは世界的なものとしてその一枚の写真がイラクへの憎しみを作り出したのである。
それは本物の映像ではない、作られた映像だったのである。
ここに映像の恐るべき力を見たのである。
テレビは感情を刺激するものであり事実でもなくても事実として報道されることがあるのだ。

なんで原発避難者をいじめるんだ、差別するんだ

まず感情的にすることが危険なのである。それが朝日とかマスコミのねらいでもある。
そうなると今度は原発避難者でもマスコミでこう言っているとなるとそれが世論となっているように思わせる、みんながそう思っていると思わせるのである。
それでちょっとでも原発避難者を批判するとこいつは何なのだととなり自分も批判されたのである。
トランプでも全くそうしてマスコミに批判されていても当選したということが本当に信じられないことだったのである。
それは日本のマスコミもまたアメリカのマスコミと同じでありトランプを歓迎しないからそうなっていた。トランプが大統領になってもそうであり変わっていないのである。
トランプは結局つづかない、途中で投げ出すとかなんとか当選する前と同じである。
その政策にも過激でも一理はあるがそういうことを報道しない、全部トランプが悪いとなっているのである。

自分も原発に反対である。ただ左翼でもないし地元でこれだけの被害を受けたから原発反対になった。反対するにしても左翼のような意図はないのである。
むしろ自分は日本の伝統を重んじるから心情的には右寄りである
左翼は原発問題を自分の政治運動に利用するという方が多い、原発そのものの問題より今の政治を批判するために原発を利用するとなる、それが必ず反発される原因になっているのだ。
それで原発を批判した左翼系の人があいつは左翼なんだよ、だから原発に反対しているとされた、右からも政治運動に利用しているだけなんだとされて肝心の原発のことその危険性など追求されなかったのである。
原発が危険なのか危険でないのかという科学的なものより原発反対は左翼なんだと決められる
また原発を推進は右翼だと決められる、結果的に科学的に原発が危険のだというまさに政治的な右左の問題ではない、政治的力学のみが働くのである。科学とは関係ないもので左右される
それで左であっても危険を指摘したものは「安全神話」が作られ排斥されていた。
科学でどれだけ危険なのかということが追求されなかったのである。
それも右寄りの人もまたそうして政治運動として原発を見るから本当の危険性を追求できなかった。原発が政治運動の道具にされていたのである。






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大内村の復興の方針の検討



大内村の復興の方針の検討


@ 村に住み続ける誇りや意義をどう取り戻していくか
A 補償させることは重要だが、それ以上に生きる意欲や
目標を見失わないこと
B 短期的・集中的に投資
C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)
D 戻るための新たな制度設計の必要性
 避難者のモラルだけでは解決できない
E 帰還に関わらず生活再建(バリエーションを認める)
F 新しい村づくり ⇒ コンパクトビレッジ

@村に住み続ける誇りや意義をどうとりもどしてゆくか

普通はこういうことは今までは考えないだろう。それを考えざるを得なくなった
何かこの辺ではそうした当たり前のこと故郷に住み続ける意義などを考えるようになった

A補償より意欲や目標を見失わないこと

これもこの辺では補償金でもめたからいろいろ言われたので同じだった。
どっちかというと老人の場合は無理できないから補償金をもらって暮らした方がいいとなる
そこで問題になるのは老人ばかりで村を維持できるのか?
それが原発避難者であれ津波被害者でも共通しているのである。
医療と介護をになうものは若い人だというときその若い人がいないからだ
双葉辺りでも高齢者の医者が死んで病院が維持できなくなる
南相馬市でも看護師不足は解消していない、そこが深刻なのである。
いづれは介護になったとき老人ばかり残ってもそれもできない
介護の負担は自分も経験したが過酷な面があるからだ

B 短期的・集中的に投資

これも老人が多いからこうなったのか?老人は先がない、庭に木を植えても育つの何年もかかるとなると待っていられないから自分もそんに育つのに長くかかる木は植えたくないとなる、そして跡継ぎが入ればいいがそれいないとなると余計にそうなる
原発事故で避難した地域も若い人が流出しているから跡継ぎがいないからこうなったのか?

C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)

この問題も深刻なのだろう。自主避難者も地元の人に批判されていたのである。
故郷を捨ててゆくのとかなる、子供でも親を捨てるのかとなる。
そういう対立が深刻だからこういうことが上から指示されたとなる
江戸時代でも贅沢するなというとき贅沢になっていたからそうなる
禁止されることはそういうことがはびこるから増えるから禁止される
贅沢できることはいいことだったのである。

戻った人と戻らない人で故郷は分断されるからこう言っている
結局今の世の中強制はできない社会である。
ともかく補償金とか戻る、戻らない人でも故郷は分断された
その傷は大きいのである。

村に生きつづける意義というときそれは歴史の保存でもある、農民だと三代で一人前というように仲間に入れられるというとき土地に根ざしているからそうなる
農民は先祖を意識する、代々耕して守ってきた土地がありその土地に根ざしているからこそ先祖を意識する、それで先祖代々の土地は売りたくないのである。
商業とか工業となるとそうした先祖意識は薄いのである。
サラリーマンなども会社に勤めていても先祖意識などもたない、ただ会社から賃金をもらうサラリーマンだとなる、それは一代限りのものもだからである。

ここで問われたことはそれぞれに事情があるが共通している、津波の被害地にも共通した問題としてある。
コンパクトビレッジとかなると飯館村は草野中心にしてそういう村作りをしている、
にたような状況になっている。
小高とか浪江でもコンパクトタウンになる。農業は共同でするほかない、会社組織のようなものになる、若い人が流出したからもう一軒一軒では農業はできないからである。

この方針は良くまとめられている、それは厳しい現実から生れたからそうなっている
3000人の内半分帰っても本当に村が残るのか?消滅するのかという危機だからである。
それは葛尾村とか飯館村でもそうなる、存亡の危機なのである。
葛尾村はもっと人口が少ない、そしたら村自体維持できるのかとなる
それは限界集落と同じである。

農業の復興にしても老人が働き手となってしていたがこれも厳しいし長続きはしない、近くの仮設の食堂も70歳の女性がしていたがとても一人ではやれなくてやめた。
そういうことがこの辺では増えているだろ。それで人手不足になっている
このことは自分のプログで原発事故関連で追求してきたことだった。
だからよく問題をまとめた方針だと読んだのである。

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2017年01月29日

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか? (老人がもともと多く帰ったから?)

大内村ではなぜ人口の半分が帰還しているのか?


(老人がもともと多く帰ったから?)


大内村の人口3,038人

現在の避難者数

平成28年8月1日現在

920人 内訳… 県内734人、県外186人

郵便物の送付先を自宅住所にした方を帰還者とした人口:1,830/2,750(66.5%)(平成28年8月1日現在)

現在の帰還者数

平成28年8月1日現在

778世帯 1,830人

○川内村住基人口 2,756人(1,248世帯)
・65歳以上 1,062人
・高齢者率 38.53%
○村内生活者 1,779人(748世帯)
・65歳以上 717人
・高齢者率 40.30% ・生活者率 64.6%

大内村の復興の方針

@ 村に住み続ける誇りや意義をどう取り戻していくか
A 補償させることは重要だが、それ以上に生きる意欲や
目標を見失わないこと
B 短期的・集中的に投資
C 「戻る」「戻らない」の対立構図を生み出さない
 (二極化が鮮明)
D 戻るための新たな制度設計の必要性
 避難者のモラルだけでは解決できない
E 帰還に関わらず生活再建(バリエーションを認める)
F 新しい村づくり ⇒ コンパクトビレッジ



大内村は三〇〇〇人くらいの人口で1830人が帰っている、これは他と比べると多い、小高では一割もまだ帰っていない、この差は何なのだろうか?

一つはもともと高齢者率が40パーセント近くで高かった、それでこの辺でも故郷に帰りたいというのは高齢者である。高齢者の特徴は過去の思い出に生きることなのである。
するとその思い出はその土地に深く結びついている

自分も故郷とそんなにかかわらなくても家族が二人死んでもう思い出に生きているとなるそして何かこの思い出すということが不思議なのである。
死者は何なのか?それは今生きている人があると認めるときある、だから親子でも親にひどいめにあった人は親を思い出したくない、墓参りすらしないとまでなる

ただあの人はいい人だったなとか思い出すときその人が死んでも生きている感じになる
そしてその思い出が甘美なものになるのである。
なぜそうなるのか?人間は生きているときは何かしら嫌な点がある、そういうものを見ないでいい点だけを死者に見る傾向があるのだ。
だから死者は過去は美化される、江戸時代でもその暮らしは過酷だったのである。
でも何かその時代をふりかえるとき良く見えるのである。
それはその現実を生きる必要がないからである。
いつの時代でも現実を生きることはどんなに豊かでも苦しい面があるからだ。
今の時代は過酷な労働を強いられている、豊かでも余裕がないとかある

ともかく大内村は帰らない人が多いと思ったが実際は老人が多くかえって帰る人が多かった。人口の半分が帰っているのは多いなと思った。
その原因はやはり老人がもともと多く老人が帰ったからなのだろうとなる。
小高でも帰ったのほとんど老人だからである。
若い人は流出しているのである。
そして大内村とか3000人の山村とかなると人と人の結びつきが強い、みんな親戚関係とかなるかもしれない,それは一万の町とかとも違う結びつきがあった
そして何度も言っているように老人は自分もそうだが今や家族をみんな失って思い出に生きているのである。
その思い出すにしてもそこで生活していたところでないと思い出が活きてこないのである思い出はその場所に深く結びついているからだ。
それが故郷ともなる、それで子供が避難してから6年ともなると小学校は別な土地で過ごしていたのである。つまりもうそこに小学校の思い出はなかったのである。

村の再建の方針としてB 短期的・集中的に投資というのは老人が多いからかもしれない
若い人だったら長期的な視点でできる、でも老人が多いということは先がないからできない、それで短期的に集中的に成果を上げることを望まれたのかもしれない
ただこの方針を見ると意外と帰るとか帰らないとか強制していない、強制できないのだろう。
帰る人と帰らない人を分断しないためだろう。
この辺では補償金でもめたように心が一つにならないと復興できないからだろう。
強制しても強制したからといって不満が残ったらいろいろ残らさせられたとかなり村に生きる意欲もなくなるからだろう。

大内村は原発の煙突が見えたとか近かった、それで三分の一が原発で働いていたということは意外と豊かだったのかもしれない、現金収入が相当にあったからだ。
すると老人も蓄えがあり年金暮らしでもできるから帰ったのか?
その辺の事情がのみこめない、まず老人になると小高の人も国民年金ではたりないから一生東電で政府で補償してくれと実際に要求したことでもわかる。
老人はもう苦労したくない、楽したいのである。苦労もできないのである。

でも老人ばかり帰って村が維持できるのか?そのことが心配なのである。
老人だけが残り若い人がいないと村が消滅してゆく危機になる
三匹獅子舞いでも中学校と小学生ですでに20人もいないようだからである。
そういうところで村が維持できるのだろうかとなる

小高の場合は南相馬市内だからまだ医療施設もあり人もいる、それでも65歳以上の割合が全国平均より10パーセントくらい高くなったし、看護師でも震災当時の減った状態からわずかしか増えていない、ということは流出した看護師は帰ってこないということである。それでまともな医療も受けられないとなっているのがこの辺である。

ともかく思い出に生きる場所が故郷とするとき大内村で半分も帰ったというとき老人がもともと多くそうなったとみる。老人は慣れない場所には移りにくいのである。
特に大内村はそうした人のつながりの強い山村だからそうなった。
その仲間も死んでゆくが死者でもやはり思い出して村に以前としているような感じになる自分もそのことを経験している。ある死んだ人を思い出したときその人が以前としてこの町にいる感じになったのである。
まして人と人のつながりが強い大内村だったら死者とのつながりも深いものがあると見たそれでこれだけ帰る人が多いのかと思ったのである。
ただいろいろな事情があるからこれは本当はまだその理由はわからない、自分の推測である。




タグ:大内村
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2017年01月22日

原発避難者、津波避難者もパチンコ通いで同じだった


原発避難者、津波避難者もパチンコ通いで同じだった



業界大手のマルハンもその一つ。全国に300店以上を展開するが、7時開店は石巻店だけだ。「被災したお年寄りから、寂しいので早く開けてほしいという声が寄せられたのがきっかけだった」と相沢昇店長(38)は話す

 売り上げが震災前の水準に戻ったというジョイパークは昨年8月から低レートの専門店に切り替えた。人口が増える見込みのない石巻で生き残るには、自由に使えるお金が多いシニア層を取り込むしかない。


津浪の瓦礫をとりさったところにぽんぽんとパチンコ屋が建った

生活保護費や東日本大震災の賠償金などの 
莫大な税金が 
パチンコ屋に吸い取られる。 
日本人のやる気を奪う 

なぜ、パチンコ屋を廃止に追い込めないのか!!!!

60才以上のじいちゃん婆ちゃんが震災で生きる希望を無くして娯楽として安く遊んでるならわかるが・・・・ 
この中年ナマポ野郎は震災をネタにパチスロやってるだけじゃねーか! 
さっさと原発かマグロ漁船いけや

金はあるから働く必要なんてないんだってさ。かといってボランティアもあほらしいんだと。 
簡単に時間潰せて、運がよければ儲かるパチが一番楽しいんだと。 
競馬は考えるのがめんどくさいそうだ。あと競馬場までの移動。

これ、被災地の閉塞感っていうより、 
義援金や補助金のおかげで、 
仕事しなくてもパチンコしてられる人が増えた、 
ということなんだな。

いわきから宮城、岩手まで、 
パチンコ規制しないとだめだよ。 
機械相手にギャンブル、 
金が無駄になる、話さない、 
ギャンブル中毒、なにもいいことない。 
自治体で積極的に無料の 
公民館、しゃべったり、 
人相手のトランプでも、ボードゲームでも、 
単なるゲーム機でもおいて、人と人の関わり 
作らないと。被災者にパチンコとか、嘆かわしい。 
何にもよいことない。

仕事で行ったことあるけどコレ本当 
あいつら補助金でパチしかしていない 
福島の復興なんて諦めてさっさと核廃棄場所にするべき

義援金や再建支援といった全国(世界)からの善意や血税がパチンコに消えるのか

このことは地元だからプログにずいぶん書いてきた、これは嘘ではない事実なのだから否定しようがない。
この辺に小高の人が大挙避難してきて仮設に住んだとき何もすることがなくパチンコ通いになった。その他風俗とかギャンブルとか遠くに遊ぶ人もいた、補償金がたんまり入ったからである。
何もパチンコに通ったから回りに被害を与えているわけではないからいいじゃないかというけど実際はいわき市でも二万人も移住して家を建てたりしたら病院でも福祉関係でもそんな大勢の人間のサービスはできなくなっていたのである。
それで消費してくれるからいいじゃないかというのもあったがやはり地元の人は反発して実際に落書きとかで原発避難者を責めた。
これも当然だったのである。もちろん原発避難者側にも言い分はある。
でもこういうことはマスコミでは報道しなかった、テレビでは特に報道しなかった。
これはしかし隠しておけない地元では大きな問題だったし外部に対しても大きな問題だった。
そしてボランティアが来てはいろいろと仮設で援助してきたのである。
そして結果的には自分たちはかわいそうなんだから援助されるのが当然だという意識になったのである。マスコミも常にかわいそうな人たちとして外部に報道していたからである確かにかわいそうなことはあったがではパチンコやギャンブルで遊んでいていいということはないのである。

自分も迷惑をこうむった一人である。それは原発の避難者が全部悪いというのではない、親戚の人が介護の時来ていたがパチンコ屋で働いていた、借金してどうにもならなくなりパチンコ屋で働いていたのである。それなりに金になるからだろう
でも自分の家に来ては疲れた顔して何もしないのである。
一週間に一回くらい二三分いて帰るだけである。それも腹ただしかった。
もちろん何もしないというわけではない、なぜでもパチンコ屋にそんなに働いて自分が介護しているのに皿一つも洗ってくれないのか?それが腹ただしかった
ただその後も皿一つ洗ってくれる人が自分の所にはいなかったのである。
今はそのために10万近くも払っているとなる、それだけ他人は親戚でも何かしてもらうことは大変なことなのである。
だからこれもそんなに長くはつづけられないだろう
結局結婚していない人はそれでけ金ではらうと高くつくから損だとなる,でも一人だと何かと困るから金でもたのまざるをえないのである
介護では助けるときは意外と家事が男だとわからないから家事を家に来て手伝ってもらうと助かるのである。ディサービスなど母は嫌っていたし役にたたない、でも介護関係者にしては介護保険から金が出るからディサービスに誘うのである。
そしてそれも結構金がかかるし介護には役に立っていないから税金の無駄だともなる
介護というのは何かそうした無駄が多いのである。
金になっているからと有効に働いているとは限らないのである。

いづれにしろ原発避難者でも津波避難者でも同じような所があった、ただ原発避難者は多額の補償金をもらったから悪質だったとなる
その金もパチンコとかギャンブルに費やされたのかとなる
だからボランティアが来て働いていたけどそういう姿を見て怒っていたのもわかる
何か馬鹿らしくなるのである。
あまりにも過剰な援助であり精神的にもかわいそうな人たちとして認められたからであるそれで避難者は何でも許されると勘違いした人もいるだろう。
俺たちはかわいそうなんだよ、それにケチつける奴はなんなのだ、人間の情もないやつだとなったのである。
人間は援助は必要でもそれに度合いがあったのかもしれない、何でも援助されればいいとなりそれにケチつけるやつは集団で糾弾してくる、マスコミも味方にして糾弾してくるから怖くなるからしないとなる、それが鬱積するから全国的に避難者に対する子供のいじめになったりするのである。

もう一つの大きな問題は老人が避難した人たち多かったことである。老人は何か復興といってもしにくい、老人は楽したいのである。とてもきつい労働などできないのである。
それは自分もわかるから同情した。
でも結果的には復興すべき若い人が流出して老人だけが残されたとなる
そしてますます復興しにくくなったのである。
自分も介護十年もしたらもう介護なとしたくない、後はのんびりしたいとなった。
避難者でもそうして遊んでいたら働く気力もなくなるし老人が多いとなると余計にそうなのである、石巻でもかなりの補償金もらったのである。
保険で一億円もらったとかも聞いた、原発避難者ともにていると思った。
原発避難者と津波の被害者は違っていると思ったがにた所があったのである。

まあ、あれだけの被害があると原発避難者でも津波被害者でも復興というのが重荷になりすぎたのである。津波の跡は壊滅状態になったからである。
そして復興すべき若い人が流出したとき老人だけ残されたときとても復興といってもできない、するとヤケになりパチンコでもしている他ないという頽廃状態になった
ただこれは実は老人の問題として退職してやることがないとか老人が暇になったということもある、それが意外と大きな問題なのである。
老後も長いから相当な時間をもてあましている人が多いのである。
何か高等な趣味をもつことは若い内からしていないとできない
普通に働いている人は特にブルカラーの肉体労働者はそんな趣味をもてないのである。
だから一日暇をもてあまている人が多い
定番はカラオケでありあとはパークゴルフである。だから南相馬市に大きなパークゴルフ場ができたことはいいことである
とにかくこの辺では老人の比率が10パーセントとか増えたからである。

結局老人になると生産活動もしない人が多いし社会にとって負の存在になる。年金だって働いていたからもらえるといってもその金は今働いている若い人が税金からひかれているということもある、その若い人が貧乏なのだからそんな負担をしたくないというのもわかるのである。
そして津波の被害地でもジジババしかいない所に金をつぎこんでもしかたないと官僚が本音を言ったこともこういう状況を見ていたら全部は否定できないのである。
結局のんびりするとか自由になるとかいうときそれは自分だけではできない、誰かがそうさせてくれるからそうできる
自分自体が家族がいたからこそのんびりしていたし自由だったのである。
その家族はほとんど文句も言わなかったからできたことであり他ではできないことだと思う。

でも自分の場合は遊んでいたのとは違う、勉強もしていたし旅でも実際は労働だったということを今では思う、今になると何かそういう旅するエネルギーが消失しているからである。旅することは相当なエネルギーが必要だった、特に自転車旅行となるとそうである。その旅したことにより視野が広がり詩とかも書ける、歴史などの知見も得ることになったのである。
本当の旅は勉強であり注意力を注がないとあとでふりえることができない、記憶に残らないのである。あそこにいい女性がいるなとか気がそがれただけで旅は記憶に残らなくなる回りの景色などもその女性のために記憶に残らなくなるのである。
だから旅には相当な注意力が必要なのである。芭蕉のような旅をしないと旅にはならないのである。だから実際にこういう旅をできる人はまれだとなる
旅人となることは現代では一番むずかしいかもしれないのである。

ともかく現代は寿命が長いから退職してからも長いからそのことを考えねばならなくなった。それは金の面でもそうだし精神的にもその残りの時間をどう過ごすかが意外と大きな問題となっているのである。それは第三の人生となっているからだ
でも結局老人は人生のしめくくりであり総決算である。
それが否が応でもそうなる、自分の場合は旅でも何でもしてきたことなど学んだことなどを作品化することなのである。そのためにあとの老後の時間があるとなる



タグ:パチンコ
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2017年01月19日

原発反対するにはどうするのか? (補償金を要求すると逆効果になる)


原発反対するにはどうするのか?


(補償金を要求すると逆効果になる)


この辺ではこれだけ原発の被害があったから原発に反対になる。
ところがなぜ被害にあった人たちがいてそれを訴えても何か効果がないのはなぜなのか?あいつらは補償金が欲しいだけだ、原発乞食だとか言われる
内部でも補償金でももめて争った経過がある。
こういうことしていると外部でもあいつらは補償金でもめている、結局金目なんだよなとなる、外からもそう見られる

もちろんそれだけの被害があったのだから補償金をもらってもいいしもっともらいとう言う人もいる。でもそれにも限度がある。限りなく金がかかって廃炉には20兆円もかかるとか途方もなくなっている、それで国民の不満がある、税金からその金が出るからである。原発の金は途方もない、その金を福祉とかに利用したら介護なとでもかなり改善されるという。その金は一兆円にもならないのである。
ただ原発は実際はこれだけ金がかかるものだと知らしめたことは効果があった。

でも本当に原発に反対するのなら被害を受けた地元でも何か国民に訴える方法を考えねばならない

補償金が欲しい、もっと欲しい

そればかり言っていると効果がないし逆効果になる、どれだけ金が必要なんだとなってしまう。その金でギャンブルで遊んでいるだけじゃないかともなりますます批判が強まり子供のいじめになったりする。

一方で俺たちは補償金などいらない、もらったとしてもこれ以上は要求しない、俺たちは俺たちでなんとか生活する、必死でする、何かそうしたら国民の見方も相当に変わるだろう
そうなるともう地元の人も必死になる姿がありありと見える、原発被害者はあんなに苦労している、極端になると生きるか死ぬかで苦労していると見えたら相当な効果になる
原発被害者はあれほどまでして訴えているんだとなる
補償金をもらっている限りそうした必死さはない、もっと金よこせと言うだけならそういう必死さは伝わってことない、かえって国民からの反発が多くなる

とにかく補償金をもっとくれというとき国民から反発が多くなる
そのことは原発を作ったときから言われてきた。お前たちは金欲しくて原発を建てさせたその時から多額の補償金をもらって潤っていた。
そして事故後もまた補償金をもらえる、そうなるとこういう人たちが原発反対と言っても何か訴える力が弱いのである。
ただ「俺たちは被害者だ、弱者だ」だから援助されるべきだ、そして内部でも補償金でももめて争いがあり多くもらった人たちが少ししかもらわない人を非難する
それも考えてみれば何かただ少ししかもらわない人たちも結局金が欲しいだけなのだともなる、自分もそうだったから反省されるべきかもしれない、ただ額は多いとは言えないものだった、避難はしていないからそうなった。

つまり本当は原発被害者が一番原発に反対する立場にあった。それがかえってできないようになったのは補償金問題だったのである。
もっともらうべきだという人も外部にもいた、もちろん内部では補償金はもらえるだけもらうとなっていた。
極端にはなるが要するに被害というときシリア難民のようになれば世界にも訴えられる
子供が波に打ち上げられた映像とかみたとき世界が同情したからである。
原発の被害も故郷に住めなくなるということで実際は大きかったのだがそれがそれほど訴えないものだった。
なぜならいわき市に2万人が移り住んだとき次々に補償金で家を建てたりいい車を買ったりギャンブルとか飲み屋で遊んでいたりとかあったからだ。
もしシリア難民ともいかなくてもテント暮らしとかになったらどうか?
それを見た人たちは原発事故はひどいない、原発りてどやめるべきだとなっていたかもしれない、でもそんなことはない、なんだかえって贅沢しているんじゃないかと見られたところがあったことはいなめない、避難者にとっては苦しいとしても外からそうみられないところがあったのである。

結局原発に反対するにしても反対する人もただ反対、反対と言っても効果がない、何かそこに真剣さがないし口だけ言っても効果がない、何かそうした問題でも体を張って反対するような覚悟が必要にもなってくる。
それはその人の生活自体まで問われる、見られることになる
ただ補償金だけをもらいたいだけなんだと外部から見られていたら地元で被害があっても訴えない、もともとあいつらは原発でも金が欲しくて建てたんだ、そして事故後もまた金を欲しいだけでなんだとか見られる
だからそのことを書いてきたけど地元でも生活自体が問われたのである。
豊かな生活を求めてきたのが戦後だった、原発もその一つだった。
でもそこに大きな落とし穴が待っていたのである。

ただ原発の被害は故郷に住めなくなるということだけは知らしめたのである。
空気とか土や水とか基本的なものが汚染されるから住めなくなる、空気が汚染されてそれは何十年と減らない消えないのである。
部屋の中の放射能も減っていないのである。空気の中の原発は減らしようがないとかある水とか土が汚染されたら取り除くということがあるが空気はできない、ただ泥に付着したりするとその泥を捨てるということが除染になったのである。
それが原発の深刻な被害だったのである。
事故が起きたら今住んでいる所に住めなくなるということは知らしめたのである。
それが最大の被害だったのである。
タグ:原発反対
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新しい新地駅が復興構想の見本 (発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)


新しい新地駅が復興構想の見本


(発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)

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人の和も大事、復興も人でもある


新地駅があれほど変わってしまったのには驚いた。人間は変化が激しいとそれが現実のように思えなくなる。それは津波とか原発事故でこの辺では経験してきた。
津波は本当に現実に思えない災害だった、こんなことがあるのかと夢見ているような気分がずっとつづいているし今もまだその津波の被害の跡に立てばなる

今回新地駅に行って不思議だったのはそこは人間の力で変えてしまって現実のように思えなかった。前の駅とは全く違ったものになっていたからである
何か宇宙ステーションなのかデズニーランドの仮想駅なのかそれも現実に思えないように変わったのである。

そういうふうに駅でも人工的な人間の作ったものでも変わると辺りの風景まで変わって見える、蔵王が見えて白鳥が飛び大きく開けて海が見えてかなたに牡鹿半島と金華山が見えた。景観が抜群になったのである。だから新しい観光スポットになると思った。
おそらく鉄道マニアなどがこれから来るかもしれない。

ただ不満だったのは過去の津波のことがその駅に来たら思うものがない、つまりまるっきり変わってしまって過去の痕跡がなくなっていたのである。
その被害は写真とかで見る他なくなっていた。
するとそこにあった津波で死んだ人たちとかも忘れられるとなる
過去と現在を結ぶものがない、全く新しい空間になってしまったのである。

だから駅員は年取ったひとだけどあういう場所には若い人がふさわしいと思った。
その新しい空間でこれから津波の被害があったにしろ若い人はここで生活して行くからである。だから女高生が電車でおりて歩いてゆくのがふさわしいとなる
それは都会的風景なのである。
違っているのはそこは広い自然的空間の中にあったということである。
だから都会の駅より気持ちいい場所になったのである。

ここはだから小高とか浪江で今年は鉄道が通るというとき復興の参考になる。
新地駅があれほど変わったのはやはりあそこはもともと田んぼであり何もない空間だった海の方に村があったがそれもみんななくなった。
するとその広大な空間が生れ自由に新しい街を設計できるようになったのである。
そういうことが女川町とか他で起きているのである。
街ごと泣くなってしまったからそうなる。何もなくなったからこそ新しい街作りができるとなる
その時そこに古いものにこだわるとき新しい街作りはできなくなる
ただ古いものも活かした街作りが歴史を活かした街作りも必要なのである。
ただ古いものにこだわりすぎると新しいものは作りにくいのである。
それで女川町では若い人にその街作りをゆだねたのである。
老人は口だすなとなったのである。

新地駅を中心としたコンパクトシティはやりやすかった。あれだけの広大な空間が生れたからである。そこに温泉も出たということで憩いの場所になるし農園も作る広さがある。そしてこの辺と違って原発の被害がそれほどなかったことも幸いした。
この辺は原発の放射能被害が致命的だったのである。
ただ原発の補償金など新地ではもらっていないからあれだけ広い敷地にも家はぱらぱらしか建っていないのである。鹿島になると三つくらい新しい街ができるほど住宅地が生れたからである。それは原発マネーがあったからである。

とにかく発想の転換が必要なにる。今までは駅は車社会になり利用者がへり駅前通りもさびれシャッター通りになった。でもこれからはまた鉄道も見直されるかもしれない。
そして駅前に大きな駐車場スペースができた。すると車の人も温泉などあれば寄ることになる
公共的施設も文化会館とも作るというからあそこが新しい一つの街になる
すると鉄道でも車でそこに人が集まり人の流れができることになる
あそこは広場の役目も果たす、外部の人と内部の人が交わる場所にもなる
とにかく景観がいいからそれが最大の魅力になると思う。

それで小高などでも駅中心にこうした新しいコンパクトシティを作るのもいいかもしれない、今までの駅前通りという発想では新しいものはできない
この際、今まであったものを無視して新し街作りを目指す、それで新地駅が見本になる。ただあの駅にしても地元の人が新地町の人が役所でしたはいうわけではない、ほとんどはJRが作ったのである。今はこうした会社の力がないと大がかりなものは作れない時代である。
浪江でも今年中に鉄道も通るというとき小高とも結ばれるからそこで復興のはずみとはなる。ただ新地駅のようにはならない、そこが問題なのである。

でも浪江町でも小高でもまず今までのような街はもうありえいことを自覚すべきである。そういう前の街にこだわると新しい街作りができないからである。
ただ伝統的なもの歴史的なものは継続されるべきである。
だからといって前の街のイメージを強く残りいだいていると新しい街作りはできないのである。
だから若い人に新しい街作りを女川町ではまかせたのである。
原発被害地域ではその肝心の主役となるべき若い人が流出したから復興できないのである
鹿島駅で大阪から除染に来た人がこの辺は人がいいから三年もいたなとか大阪弁で話した大阪弁だともめんるんだよなとか言っていた。
都会を嫌う人もいて田舎が見直される時代でもある。
そういう人が移り住むといいとも思った。
その人は旅の人ではないからこの辺の人とか事情を知った人だから違っている
三年も住んでいたらやはりかなり土地のことに詳しくなる。
こういうときは移り安いということもあるから移り住む人がいるかもしれない。
ただ今のような状態ではとても住みたくないとなるだろう。


飯館村の場合は草野を中心にコンパクトビリッジになるのか?
若者を住まわせるための新しい住宅を作っている。
ただソーラーパネルがそこに大きくしめていたり前のような村の景観が多少壊されているでも飯館村でもやはり新しい村作りをする意外にない。
それがどういうものになるのか?それは町や村でもみんな個性があり違っているから個性的な村作りになる。飯館村だったらどうしても山村だから山を活かす村作りがふさわしいとなる。でも放射能被害で山菜がとることができないなど苦しいのである。
牛を飼うにしても土地の牧草を利用できないとか前のようにはいかないのである。
ともかく発想の転換が復興には必要なことは確かである。
でもそれは一番むずかいしことかもしれない、今あるものから人間は発想しているからである。

新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)

タグ:震災復興
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2017年01月16日

豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図 (専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


豊洲市場と原発事故の問題は同じ構図

(専門家集団に会社でも素人は太刀打ちできない)


これほど多くの東京ガス製造工場で、一様にシアンやベンゼンが検出されたということは「石炭の乾留技術は土壌汚染を前提に成り立っていた」と結論付けざるを得ない。

そもそもなぜ東京ガスの跡地に生鮮を扱う豊洲市場が作られたのか?
そこからしてこの問題が発生している
東京ガスがとても売りに出せるようなものでなかったとして東京都に売れておおもうけした。これもおかしな話だった。

「あんな汚染した土地を売っておおもうけした」

そんなことだったのだろうか?東京ガスの会社の責任も重いとなる、なぜならなんらか会社では専門集団なのだからそういう汚染のことを知っていたからである。
でも利益があるということでその土地を売りおおもうけしたのである。
その会社の責任は相当に重いとなる、なんでも利益になるからといってすべて是認されるわけではない、会社は大きな公共的なものであり社会的責任必ず背負っているのである。
そして何かこの問題も利権がからんでいてはっきりしないにしろ東京都議会の議員がかかわりその利権が金がまわっていた。だから手抜き工事が行われた。
その金はどこにまわっていたのか?石原慎太郎などがその手抜き工事を是認して金がまわっていたかと追求がある。別荘を鹿島建設に高く売ったとかなんとかある。
みんな生鮮食料を扱うことがどういうことか意識していなかった
まず生鮮食料を扱うことはそんな汚染していることが一番の問題になるからである。
それが東京ガスとか東京都議会の議員とか建設会社にゼネコンに食い物にされたともなる

この構図が原発事故と酷似しているのである。何か他の事故でも事故になったりこういう問題起きると原発と比べてきたが酷似しているのである。
そこには様々な人々が利権とかかわっていたのである。
ただここでは住民とかいないし生鮮食料品を扱う人たちは別に利権と関係していない
かえって苦しんでいる人たちである。利権はまわっていない
原発の場合は地元住民とか漁業関係者とか議員関係でもやはり利権があり多額の金がまわっていたのである。
原発は豊洲市場とは比べることもできない何千倍なのか?巨大な利権の巣窟だったのである。天下り先として検察とか警察関係も東電がお得意先だったとなる
こういう構図は何か問題が起きる事故が起きるとかいつでも問題になっているバターンなのである。

原発事故でもこれだけ危険なものなのに生鮮食料を扱う豊洲市場とにていたのである。
生鮮食料を扱うことはまず安全性が第一になる、原発は最初から門とも安全性を第一にするものだった。
でも地権者と県の許可で議論もせずに建てられたとなるとその時から今の災いになる原因があったのである、災いは起きたときすでにどうにもならないという状態になっている
その災いの根を断つのは事故が事件が起きてからは遅いのである。
ただそうした危険なものでも意外と簡単に作られてしまうことが問題だったのである。

民主主義はコンセンス得ることが根幹にある。みんなでそれなりに議論して合意することが民主主義の基本としてある。
では豊洲市場問題でそれが行われていたかとなるとされていない、肝心の豊洲市場で魚を扱う人たちが一番被害があるのだからかかわってもいいようだがそういうふうにも見えない、それは原発でも同じである。そこの住民が一番被害を受けるのだから積極的にかかわるべきであった。それも広範囲にかかわる必要があったが実際は地権者と県で基本的に許可されて建てられたということは今になれば信じられないものとして法律もあったともなる

豊洲市場問題でも地権者は東京ガスでありそこは東京ガスが危険な場所と専門集団だから知っていたのである。でも利益のために東京都に売りおおもうけしたのである。
だから日本でも土地の私的所有権が強すぎるのである。

「この土地は俺のものだ、会社のものもだ、どうしようが勝手だ」

この土地所有権の権利が課題に認められすぎたのである。江戸時代はみんな共有財産として土地でも山でも海でもあった。それが今度は会社だとか組合だとか集団でその権利を得るようになった。それから無数に私的所有権を得ることになり俺の土地は売るのは勝手だとなってしまった。
土地はつながっているから公共的なものとしての役割があるから細分化して私的に所有することになじまないのである。
だからそもそも豊洲市場でも東京ガスが汚染しているのを知っていたのに東京都に売っておおもうけしたこと自体が詐欺であり犯罪でもあったとなる
商品の欠陥を知っていて売ったとなるからだ。買った方も東京都も悪いとなる。
そこにまた利権がからんで東京都の議員などがかかわっていたとかなる

原発でも科学者は原発が危険なことを知っていた。まだ建てられた当初はフクシマ原発の時は危険をわかっていた。日本にはまだその技術がなかったのである。
それでお古のマーク1の原子炉をアメリカから買った、買わせられたともなる。
そしてその原発を利権として利用したのが正力松太郎とかだった、自分の会社読売新聞社をテレビ局を成長させるためにそうしたからである。
これも豊洲市場が利権の場所となっているのとにている
科学者の責任は余り問われないが科学者はやはり東京ガスのように専門家集団であり原発の危険は知っていても知らせなかったのである。
強力な安全神話を作った共同責任者だったのである。

そして日本の技術は優秀なんだとかばかり言っている科学者が国民をだましていたともなる、日本の技術は確かに家電とか他の分野で素材とかでは優れている
でも全部は優れていない、原発はアメリカが今でも優れている、だから日本の技術が優秀だから事故が起きないというとき嘘だったのである。
ただ科学の素人は「日本の技術は優秀なんだ」と科学者が言うとき原発でも同じだと思わせる、それが危険だったのである。自分でも科学に弱いからそう思っていたからである。そういう錯覚をうむからあまり日本の技術は優秀だというのも危険なのである。
ある部分については優秀だというのはいいとしても原発ではそうではなかったのである。そういう誤解をもたらしたのが科学者でもあったのだ。
ただ東京ガスと同じように危険な土地と知っていたのに知らせないことは原発にかかわった科学者でも同じだったのである。でも科学者の責任は現代では一切問われないのである
そもそも豊洲市場では魚を売買する人たちと東京都民でも一番かかわっているのだからコンセンスを得る必要があった。それもここではできていない、原発でもそうである。
広域的に住民のコンセンスを得る必要があったが原子力となると素人などわからないからそのコンセンサスを得る議論する席にすらつけなかったのである。
住民にしても利益を得ればいいとしかなかったのも問題なのである。
素人は素人なりに参加できたかもしれないからである、それは巻町でできていたからである。

素人的にも何か直感的に危険を感じることがある

東京ガスの跡地で大丈夫なの?

原発って危険じゃないの?

こういう疑問は素人でももっていた、でもどっちでも素人は肝心の都民とか市場で魚を実際に扱う人たちは除外されていたとなる。
そこに現代の複雑な文明の問題があった。素人は科学にはかかわれない、法律でも専門的なことにかかわれないから一番被害を受ける人たちのことは無視される
会社だって専門家集団でありたちうちできない、安全だと言われればそうなのかとなり反論もできない,原発だってそうである。
マスコミがあったとしてもそういうチェックする機能は果たしていない、原発でも宣伝費をもらえばいいとかしかないのである。
専門家集団に現代社会は牛耳られていることが問題だということにもなる
一見議員などがいてもそうした人たちも科学には弱い、文系も多い、するとその人たちもチェック機能が働かないのである。別な科学者集団に頼るほかないとなる
現実に最近有害物質を調べたら80倍とか危険状態にあったと報告されている
つまりそこが危険でもその危険も報告されないしチェック機能がないのは原発でも同じだったのである。

科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)




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2017年01月15日

本を作る構想ができた 「津波原発事後の教訓」


本を作る構想ができた


「津波原発事後の教訓」


津波原発事故についてはずいぶん連続して書いてきた。それで読み返してみて一冊の本を作る構想ができた。
「津波原発事後の教訓」である。いろいろ書いたが確かに原発避難者からは非難もあったそれもまたこの辺の事情であり原発避難者の見方は当事者として違っていた。
とにかく人間は金になるとうるさいのである。利害がかかわるとうるさいのである。
遺産争いをみればわかる、骨肉の争いになる。

今回のこの辺の津波原発事故は後世に大きな教訓を残したことは確かである。
それは歴史的教訓だった。その当事者となったことで外部から見るものとは違ってくる
前にも書いたようにまず原発は一旦事故になったら広範囲に影響する
30キロ圏内だけではない、飯館村とか中通り、福島市とか郡山市とか白河まで影響したのである。
すると非常に狭い範囲で原発を建てることを決めたこと自体に問題がありそれが後々まで尾をひいたのである。
原発を建てる地権者と県の許可だけで決められたということが異常だったのである。
それだけ回りのものも原発がどういうものか知らなかったのである。

それを知らせるのがマスコミとか学者とか他にもあったが協力な原子力村が形成され「安全神話」が形成されたのである。
原子力となるとわかりにくいから余計に何か危険を言うにてもしにくいのである。
「素人になにがわかる」これは現代は専門家の時代だから何も言うことができなくなる
それは医療関係でも法律関係でも何でもそうである。素人が立ち入れることができない社会である。
マスコミにはそうしたことで危険性を知らせる役目があっても宣伝費をもらってしなかった。マスコミというときテレビでも新聞でも何か公共的のようでも宣伝費で成り立つとしたらその宣伝費を払う会社を批判できない、東電は国並の会社であり宣伝費も莫大だったからである。市町村を買えるほどの大きな会社だったのである。
実際にこの辺では半分が東電の社員のようになっていたのである。
だから原発事故は現代の社会の複雑さから起きたともいえる。

一番怖かったのは日本が震撼としたのは吉田所長が東日本は人が住めなくなる、特に東北は住めなくなると言っていたことである。吉田所長が言うくらいだからそれだけの事故のとき危機感をもったのである。
だから原発は全国的なものとして日本の存亡にかかわる恐ろしいものだと認識したのである。それはチェルノブエリでもすでにわかっていたことである。
ただそれも警告とはならなかったのが日本だった。
原発はロシアとか中国とかアメリカとか大陸だったら広いのだから日本よりは適していた日本は狭いし他に移住することが簡単にできないのである。

武田邦彦氏が言うように一ミリシーベルトを基準にすべきだとしたらそこに住めないとしたらもう福島県の半分も住めなくなる,そんなこといくら科学的には正しいとしても現実問題としてできないのである。
要するに自分は思うにはもう放射能がどうのこうのよりもうその土地に放射能とともに住むほかない、それで病気になっても何になってもどうしようもないとまで覚悟しなければならない、それがた狭い日本だからそうなる、老人の場合はもう他に移り住みたくないということでチェルノブエリではそうなったしここでもそうなっている
それまでの覚悟をもって原発は作らねばならないものだったのである。
そんなに危険なものだったらなぜその前にその危険性を警告しなかったのかとなる
武田邦彦氏も原子力村の一員だったのである。

ともかく原発事故の教訓は後世に伝えられるべき歴史的教訓だったのである。
それは津波でそうだった。なぜこれほど無警戒だったのかというのも今になると悔やまれる、それは別に警戒するものが全くなかったということではなかった。
津波でもスマトラで起きた津波の時も日本だったら警戒しているからあんなことならないよなと見ていたし原発事故でもチェルノブエリのようにはならないよなと日本の技術は優秀だからなと見ていたのである。
今でも右翼系統は盛んに日本の技術の優秀性を言う、確かに日本の技術は優秀な面はあるでも原子力に関してはアメリカがずっと進んでいたし日本には原子炉でもお古のマーク1がアメリカによって買わされたのである。
日本の技術はすべてのもので優秀というわけではなかったのである。

なぜそれが危険かという自分も科学音痴だから日本の技術は優秀なのだなと単純に思う人が多いからである。すると結果的に原発も日本の技術は優秀だから事故など起こらないよなと思ってしまうのである。
それがいかに危険なことか人間の奢りがいかに危険なことかをそれが歴史を見ればわかるその奢りによって滅びたものがどれほどあるか、個々人でも奢りが一番危険なのである。俺は優秀だというときその人は確かに一級の資格をもっていたことで技術的には優秀でも経営はまた違っていて事業に失敗した。技術と経営はまた違っていたのである。
そういう奢りで滅びたことは歴史をみればいくらでもある。
俺は優秀だと身内でも言って最後は認知症になり銀行から金をおろせなくなった、そして最後まで優秀だと言いつつ死んだのも悲惨であり家族だから余計にショックだった。

いづれにしろここでも津波原発事故はそうした教訓を残した、それは歴史的教訓であり後世に伝えられるべきものである。それは世界に対してもそうである。
原発の恐ろしさを知らしめたのである。
しかしそういう教訓を人間は忘れるからまた悲劇が繰り返されてきた。
だからこの辺はそうした悲惨な現実から教訓の場となったのである。

本を出すというとき本を作るのめんどうである。まず流通させるのがむずかしい、電子本になると楽だがそのノウハウがまだわからない。
本は何か一つのテーマで追求したものとしていい、プログだといろいろなテーマに分かれてわかりにくいのである。
だから自分としても一つのテーマで一冊の本にすればわかりやすいとなる
自分にはそういうテーマがいろいろとある。
鉄道の駅の短歌をまとめるとかそれぞれのテーマによって分類して作品化する、それが多くなったから結構な仕事になっているのである。


科学者の責任は問われない科学万能社会
(日本人の技術は優秀だという思い上がり)
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2017年01月14日

小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省 (急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)



小高区と鹿島区のうまくいかなかったことの反省


(急激に起きたことで原発避難者はまとまることができなかった)


近くの小高区の仮設の人がまもなく出るということでモチをついて回りに配ったとか聞いた、そこは回りともうまくいっていた。
別に小高の人にもいろいろいるからみんなが悪いとはならないし自分も話したりした。
基本的には補償金でもめた、でもそうだからといってみんなが悪いとはならない
でもどうしても補償金の問題は大きかった、なぜ小高ばかりが待遇されるのかと補償金をもらえない人たちは不満になった、それは相馬市でもそうだしどこでもそうである。
鹿島はまだ多少はもらっているからいい方だとなる。

そして毎日パチンコとかギャンブルで遊んでいたことも反発された、それも考えると急激に避難者になったことが原因していた。何もすることがなくなり金は入ってくる、やることがないとなりそうなった。
でもその時回りではなんだあいつら毎日ギャンブルで遊んでいるだけだと見られた
避難先では働く人たちがいたからである。そして避難者は常に外部からボランティアなどがきて援助していた、かわいそうな人たちとして援助していた、すると俺たちは同情されるべきであり援助されるのが当然となったのである。
だからそういう人に何か文句を言うとなんだと同情もしない奴なのかと怒る
それにお墨付きをつけたのがマスコミだった、テレビでは避難者のことなど悪く言わない、常に同情する立場にたっていた。
NHKでも原発避難者と津波被害者がいたとき原発避難者の側に味方して放送していた。
なぜ仲間に入れないのかとか放送していた。ただその後は双方が和解することなどを放送していた。

なぜ原発避難者がいろいろ問題になったかというと急激に避難者となったことで村でも町でも混乱したのである。自治体で一つの方向をもって共同して対処できなかった。
そしてどうなったかというと個々人が補償金をどれだけもらうかが問題になり自治体がまとまるとかはなかった。そして結果的には自治体のまとまりがなくばらばらになった。
小高の場合は小高町としてまともまることができなくなっていた。
なぜなら南相馬市として合併していたからである。それはいい面と悪い面に働いた。
ただ他と比べて小高自体のまとまりはなくなっていたかもしれない。

人間はそもそも急激に起こることに弱いのである。自分も一身上で介護だ、自分の病気だということに十年間苦しんできた。そこで事件にもまきこまれた。
本当に急激に起こることに人間は弱い、どう対処していいかわからなくなり混乱してしまう。そういうことでやはり自治体がばらばらになったということもある
第一放射能というのにどう対処していいかわからないからだ。
それが混乱の一番の原因だった。津波くらいだったら苦しくてもなんとか対処できたのである。

こういう危難の時は何か指導者が必要となるのかもしれない、みんなそれぞれに勝手に行動したらまとまりがなくなりそれが回りとの軋轢をうむ、いわき市などでは2万人も移住してその中で家が建てた人が多いというとき市が混乱状態になる
するとその2万人が非難の対象になる、つまり自治体としてまとまり行動しないと回りの顰蹙をかうことになる、その中でばらばらに行動していると何人かでも勝手に金あるんだからギャンブルしようが何しようがかまわないとなっていた
それが回りの顰蹙をかったのである。

そもそもこうして自治体がばらばらになったことが問題なのである。それは原発を建てる時から自治体は広くまとまり原発の周辺だけではなくいわき市でも南相馬市でもさらに広くまとまって原発に対処する必要があったのである。
その土地の所有者と県の許可で原発が建てられたということが異常だったのである。
なんら議論すらなく原発は利益になるというだけで建てられたのである。
そこからして現在の混乱を生む原因になっていたのである。

だから十津川村で土砂崩れとか洪水で大被害を受けて北海道に村が移住したときは村が一つになっていたのである。時代もあるがそういう危難の際にはまとまること団結することが優先されたのである。それを見るとギャンブルどころではない、徹底した節制を全員一致でしていたのである。政府からも援助金をもらったから無駄をしてならないとか全員で徹底して団結して危難に立ち向かったのである。
それだけのまとまり団結ができたのはなぜかとなると時代背景があり今とは比べられないともなるが参考にはなる
そういうふうに団結しなければも自治体は維持できなかったのである。

だから原発避難者でもそうしたまとまりが必要だったが第一原発避難者でも全国に散らばったり福島県でも広いから散らばった。そこからしてばらばらになってしまった。
どこかに一カ所に住めばまだまとまりやすいことがあるが最初からばらばらになった。
その後は何か町の再建するというよりもう町から出た方がいいとなった。
補償金もらってそれで家を建てた人も多いし若い人に多かったのである。
それで老人は故郷に帰りたいといっても町や村を維持できなくなった。
飯館村さえ補償金もらって外に出て牧場経営した方がいいともなったのである。

補償金をらうことにより個々人でその将来を考えるようなった

そうなると町や村を維持しよう、守ろうとか将来を考えることもできなくなったのであるそれは急激なことであり時代背景もある、現代は金があればどこにでも暮らしていいという時代である。
そして豊かな時代だから誰も放射能汚染した所に住みたくないとなった、人間は誰も豊かな時代に不便な貧しい生活など望まないのである。
十津川村の場合は貧しい時代であり北海道に開拓に入る人が普通にいた時代だからそこでの苦労をいとわなかったのである。戦後まもなく津島などに開墾に入った人たちもそうである。働く場所がないのだからそんな場所にでも入って働いたのである。
そういう苦労したから津島では団結していた人のつながりが強いと放送していた。

いづれにしろこの津波とか原発事故は自治体の在り方とか対処の仕方とか自治体とは何かとか問われたのである。普通だったらそんなこと問われない、でも例えばこの辺でとなくても夕張などでは自治体が破産するとかなり問われた、自治体が維持できなくなる
税金も入らなくなり住民もへってゆくから福祉関係で何でもサービスを受けられるなくなるのである。限界集落になっているところもそうである。

危難の時は国でもそうだが一個人のことを言っていられない、日本でも戦争の是非があっても一個人の自由はなくなる、国の存亡がかかっているからである。
それは自治体でもそうだったのだが今の時代は移動が簡単だし時代背景もありそうして十津川村のように団結できなかったのである。
それが原発避難者が各地に散らばり地元の人と軋轢を生んだりした原因だったのである。本当は原発避難者は一つにまとまり団結して対処すべきだったのである
それが急激に起こったことで対処できなかった、結果的に自治体がばらばらになってしまったとなる
だから十津川村と比べるとその差はあまりにも大きかったのである。

移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。


これを読めばひしひしとその時の危機感が伝わってくる。その困難に際して人々がいかに一致団結したかわかる。その覚悟と決意の強さが復興の原動力だったのである。
人間はこういう危機のときでも困難のときでもこうした覚悟と決意があれば力を発揮するものだと思った。
だから避難民はここはかなり参考になると思う。
これを読むと相当なまず覚悟があったということである。原発避難者にはそんな覚悟もなにもない、補償金をもらえばいい、それしか頭になくなっていたのである。
それがまた当然であり回りでもそれは認められるべきでありボランティアでもマスコミでもそうさせたからである。それはしかたないにしても何か過剰な援助でもあった。
そうなると自分たちでなんとか復興しようとする気すらなく個々バラバラになり補償金をもらうことにだけ奔走する、それが回りとの軋轢を生んだ
だから人間は恵まれたからといって豊かだからと言っては限らない、金持ちが協力しあわないで貧乏な時代はかえってわずかのものを与えたりもらったり隣近所と協力していたのと同じである。今の時代はただ求めるのは金だけなってしまったのだからそういう時代背景があってまとまれなかったということもある。
ただ危難の際には普通の場合とは違った対処が必要だったのである。
それができなかったのが復興できなくさせた大きな要因だったともなる

十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった
(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)
タグ:原発避難者
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2017年01月06日

故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった (原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


故郷に帰れないと嘆くのも因果応報、カルマだった

(原発事故の結果楽を求めて苦を受けた?)


この辺では本当に原発で働く人が多かった、原発がある双葉とか大熊とかそこから近ければ近いほど原発で働く人が多かった。だから浪江は相当に多かった。
南相馬市では小高は多かった。原町でもそれなりにいたが数はわからない
原町には工場もあり働く場所があったからだ。
相馬市となるとやはり原発は遠いから働く人はほとんどいなかったのかとなる
大内村は原発が見える位置にあり近かった、三分の一が原発で働いていた。
すると結構豊かな暮らしをしていたとなる、もし原発がなかったら限界集落のようになり過疎地域になっていた。原発があったから村が成り立っていたともなる
だから原発で働いていた人はみんな東電を悪く言えないんだよなと言っている
実際に東電で働くことにより生活が成り立っていたからである。
家を建てたとかなるとそうなる。東電が原発があって恩恵があったのである。

それが事故で一転した、その変わり方はあまりにも激しかったのである。
そこで問われたのは原発が悪いものとなり被害を受けたことである。
原発で働いたことが悪いとまでなってしまった。
そうなるとそうして生きたことの価値まで否定された
それは子供にも俺は東電で働いて家建てたんだよとうことも自慢できない
人生そのものを否定される

現実に息子や娘が子供が故郷を捨てて流出するとき、それが具体的に示されたのである。なぜ親を捨てて出て行くのかというとき

「お父さんは原発で働いていたけど原発なんかいらなかったんだ、そんなところで働くこともなかったんだ、こんな放射能汚染地帯に住めないよ、お父さんたちがそうしたんだよ、出て行くのは当然だよ」

こんなふうになってしまったのである。それは自業自得のカルマだったのかとなる

そしておばあちゃんとかが故郷に帰りたいと泣いているという、金をもらってもありがたくない、故郷に帰りたいと泣いているという。
だからこれも何を意味しているのか考えさせられる

というのは何度も書くが小高の人がもう80歳くらいになる人が親に

「農業だけは継ぐな、やるな」と殴られたというからだ。

このことは何を意味しているのか?ここに重大な過ちがあり原発事故へ結びつく原因があったともなる

もしこういうことがあっても

「農業は苦しい、金にならない、でも懸命にやればここで生きていける、この土地と共に生きていける、息子よ、苦しいけどこの土地を大切にして農業をやるのも生きがいだよ
金だけが人生ではない、苦しいけど今ならそれなりにがんばれば暮らしてはいける」

こんなことを息子に言っていたらどうなるのか?
これは漁業にも言えた、漁業だけでは暮らしが成り立たないと東電に漁業権を売り渡して贅沢をしていたのである。それは事故後もそうである。
漁業というのもどこでも跡継ぎがないとか生活できないとか農業と同じだったからである
双葉とか大熊とかは原町から離れていて働く場もなく出稼ぎに出ていて現金を稼いでいた場所である。
それで原発が政治家によって誘致されたのである。
お前には現実の苦しみなどわからないのだといえばそれまでである。

ただ人間はつくづく因果応報がある、自分もここ十年の介護でその因果応報、カルマを受けた、これは本当に苦しかった。なぜ病気なのに介護してさらに自分にかかわった人たちに責められるのか、本当に過酷だったのである。
同情は一切なかったからだ。それより弱みにつけこまれるだけだったのである。
そういうことも自分が結局楽しすぎたカルマだったと今では思う

そういうことは原発事故でも言える、原発は働く場となり楽をさせた、でもその楽が裏目に出たのである。原発は給料が高いし交付金も高く経済的に楽をさせたのである。
その楽が今度は苦になったともなる
そして息子や娘に言われる

「こうしたのはお父さんやおじいちゃんなんだよ、こんなところに住んでいられねえよ、俺はここを出て行って外で暮らすよ、子供いるし放射能を嫁が恐れているからな

これが因果応報なのか、故郷に帰りたくても帰れないとおばしちゃんが泣くときその息子でも子供でも故郷を壊したのはお父さんやおじいちゃんなんだとなってしまう。
それでも別に知っている人は名取に家を建てて親を暮らせるように部屋まで作っているから薄情なわけでもないのである。
ただ故郷に住めなくなったとうことなのである。
その原因はたどればそういうことを作り出したものが親や祖父にあったとなる

つまりカルマというとき因果応報というとき自分だけ一代で作り出すものではない、祖父母であれ先祖が作り出しているものを次の代のものがその因果をカルマを受けるのであるそれは悪いカルマだけではない、いいカルマも受ける、原発だってではそれで稼いだ金で大学とかに行った人もいるだろう、子供も恩恵を受けていたからだ。
そしして子供は別に故郷を出て外で暮らしてもそれほど苦痛でもいなということがある
やはり一番苦しみを受けたのは親である。帰りたくても帰れないとおばあちゃんが泣いているときそうである。どうしてもなじんだところに年寄りは住みたいからである。
若い人はそういうことをあまり感じないからである。

そうはいっても今は原発事故がなくても全国に散らばり住むというとき故郷にいつまでも住めるとは限らない、実際に近くでも病気になり娘の所に都会に引き取られたとか普通にあるし増えているからだ。だからこれは原発事故があったからだけだともいえない、こうした社会状況も影響している。
ただ人間には必ずなんらかの因果応報が必ずある、カルマを受ける、それは個々人でもそうだしその地域でもそうである。
そういうことがあからさまに具体的に現れたのがこの辺だったのである。



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2017年01月05日

復興は今まであった価値を見直すこと (感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


復興は今まであった価値を見直すこと


(感謝しないことが大きな災いを呼ぶ-津波,原発事故がそれを示した)


人間は普通ありふれたもの普通にあるものに感謝しない、それを感じたの常磐線が5年半ぶり開通したときだった。バスは疲れるし嫌だった。5年半ぶりに乗ったら楽だった、そしてまた仙台が近くなったと思った。自分の場合は鉄道の旅が長いので思い入れがあったのも影響していた。
その時何を思ったのか?鉄道があることに通じたことがありがたいなと思ったことである
電車なら何も普通に走っている、それに感謝などしたことがないのである。
その時何か鉄道を運営しているJRとか運転手とか車掌まで感謝する対象になった。
この人たちが鉄道を動かしていてこうしてまた乗れるのだと思ったからだ。
その前にこの鉄道再建した人たち工事にかかわった人たちにも良くやってくれたと感謝した。これも今までにはありえないことだった。ただ電車賃が高いとかばかりで文句言うことが多かった。でも今はそういうことは思わない、何か感謝したということである。

つくづく人間は感謝しないというとき普通に当たり前にあるものに感謝しないのである。家族を自分は二人失った,そして介護を十年していた。
その時思ったことは自分が今まで食べていたものは食べれない、それより自分で食事を用意するとかなり大変だった。
そして母親が死んで今年の正月でも雑煮が食べられないのでコンビニでもちスープを食べた、これはたいしてうまくない、だいたいコンビニには調味料とか化学薬品が使っているから体に良くないのである。他にも食べられないものがあり悲しかった。
ただ自分の母親は別に料理が得意ではないがずっと食べていたものが食べられないことが悲しかった。
それは結局食べられなくなったからこそそう思ったのである。
要するに人間はありふれたもの当たり前にあるものを感謝しないのである。
失ってみてはじめてその価値がわかり感謝するのである。

だから故郷自体などあることを感謝している人などいないだろう。それは当たり前にあるものなのである。故郷がなくなるなど想像することもできないことだったのである。
それが失ったとき故郷の価値を知ったのである。
そういうことが人間には本当に多い。何か失ってみて本当の価値を知る
妻と長年暮らしていて死んだりするとそうである。その時空気のよう地存在したものの価値がわかる。

人間は失ってみてその価値を知る

人間はそういう性質をもっている、それは何でもそうなのである。
科学のこと技術のことに否定的発言をしたが鉄道も技術である。技術の恩恵も実際は大きいのである。試しに電気がなくなったらどうなるのか?車がなくなったらどうなるのか?
石油がなくなったらどうなるのか?そういうことがこの辺では一時的に本当に起きたのである。電気がないともうご飯もたけなくなり食べることすらできなくなる、すると電気に感謝するのである。だから別に電気を作る原発が悪いものとはならない
電気が悪いとはならない、技術が悪いものとはならない、それは人間の進歩の証しでもあった。技術によって新しい価値が産み出されたのである。
グーテンベルグの印刷機の発明で聖書が一般の人が読めるようになって宗教改革があったそれは技術の力であり技術が新しい価値を作り出したのである。
インターネットなどもそうである。そういうことは人類の歴史でいくらでもある。
人類の歴史は一つは技術革新の歴史だったからである。

その技術でも今回の鉄道の開通でわかったようにその技術がないとすると不便になる、だから車社会になったとき車がなくなったらどうなるのか?
車があることに人々は感謝するようになる、車が交通事故などでマイナス面も大きいのだがそのプラス面もそれにまさって大きいからである。
技術でも科学でもそれがなくなったとき本当の価値を知るのである。
でも一方でそうした技術の価値もそうだがその前に人間は本当に価値あるものを見失っていた。それが津波や原発事故でわかったのである。

●一匹の魚や一粒の米でも感謝しないと危険なことに

南の島々で古くからの災害としていわゆる、シガリナミ(海嘯)の記憶の最も印象強く残っているのは自然である。これがただ一尾の魚を尊敬するかせぬかによってさういう恐ろしい結果を生じたざとつ伝えるのは考えて見れば不思議なことである。
(柳田国男全集-五巻-もの言う魚)

漁業者が一尾の魚を尊敬するなど今は全くないだろう。一尾ばかりとったってなになるのだ。大量にとらなければ商売にならないとか常になっている。そして漁業では金にならない、だから跡継ぎもできない、これは農業でもそうである。一粒の米に感謝していた昔とは大違いである。常にどれだけの金になるのかが問題になる。それもやはり買うものが増えすぎたからそうなる。家もほしい車も欲しい電気製品も欲しい子供は大学まで出すのが普通だとなると常に金がかかるのが現代の生活だからである。
ただそこに大きな落とし穴があった。何か大事なものが見逃されていたのだ。

それは一尾の魚でも神からの贈り物であり一尾の魚をありがたく食べさせてもらう感謝の気持ちが喪失していた。このもの言う魚は神の使いであり危険を告知するものだったともとれる。自然からの何らかの警告として生き物もみるべきものがある。漁業権者にももらろん自分のような魚を食う方にもそうした意識は皆無になった。ただ金を出せば何でも食えるし必要なものは手に入るという感覚になってしまった。そこに人間の奢りが生まれていた。一尾の魚に一粒の米に感謝する心はない、ただ足りない足りないという嘆くだけだったのである。

現代というのはまず第一次産業となるのものが軽んじられた。だから当然漁業でも一匹の魚でも農業でも軽んじられた。全然金にならないものとしてその当事者もやりたくないと軽んじられた。ある者は親に農業だけはやるなと親に殴れたという、その人は原発や建築関係で働くようになった。
要するにそれほどまでに一匹の魚でも一粒の米でも大事にしなくなった。それはすべてがそうである。金になるかならないかですべてが決まる、金になりさえすればなんでもいいとさえなっている。原発もいいじゃないか金になるんだからとなっていた。
その危険性は地元でも問われることもなかった。

そして津波や原発で何が問われたのかというと一匹の魚や一粒の米に感謝しないことだったのである。
科学技術が極端に価値あるものとしたとき一匹の魚に一粒の米に感謝する心を失っていたのである。農業中心のときはそれは祭りとして神への奉納として継続されたものがあったそれは神に対しての感謝を示す祭りだったのである。
つまり逆の意味でそういう本来基本的に欠かせないもの、土や水や木でも汚染されたときその大事さを知ったのである。
そもそも放射能汚染で土も使えない、水も飲めない、木も使えないとなったらもうそこでは生活もできない、住むことすらできないのである。
でも大地に水に木に感謝したりする人はいなくなっていたのである。
だから親は農業だけは継ぐなと子供を殴ったとかまでなっていたのである。

●本来の価値を見直すことにより復興がある

河がうたっている
家畜をはなす若者
ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を
河は夕映えを写す
河は星を写す
歴史をいろどる

真壁仁詩集

この詩のように本来その土地にもっていた価値を見直すことから復興がはじまる
何か価値あるものだったかを見直すことからはじまる。
それをこの辺では痛いほど感じさせられたからである。
土に水に空気にさえ感謝せねばならなくった。なぜなら空気も放射能に汚染されたからである。

でも以前としてそうした本来の価値はおとひめられている,金にならないものは価値ないものとされる。
いづれにしろ一匹の魚に一粒の米に感謝しないものは危険になっていたことである。
金にならない、金にならないというばかりで原発は金になるとなってそれで漁業のことなど考えない、東電にすぐに漁業権をうりわたして原発御殿を建てたのである。
そしてそれが津波で流された、まるでそれは一匹の魚を軽んじたために起きた天罰のようにも思える
それはここだげの話ではない、文明社会自体が一匹の魚を一粒の米を軽んじる社会になっているからだ。そこに危険性があった。

確かに鉄道が開通したとき感謝した。でも一方で一匹の魚に一粒の米に水に感謝しないことは危険なことだったのである。そこに神が見ていて罰を与えるとういことがある。
感謝しないということは神が与えたものを大事にしないということでもある。
電気というのは悪いものではない、でも基本的生活に不可欠なものこそ大事であり感謝すべきものだった。
だからもともとあったそうした基本的なものの価値を見直すことが復興のはじまりにもなる。

ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を

まさにこれなのだ。土を守るというのは土に感謝することなのである。恵みを与える土に森に山に自然に感謝することなのである。
それは千年とか祭りとして継続されたことだがそれが見失われたのである。
いづれにしろ感謝しないこと本来の価値を見失うことは本当は相当に危険なことだったのである。
でも人間は当たり前にあるもの普通にあるものは大事にしないし感謝もしないのである。だから復興というとき何が復興なのか?
そうした本来あったもの価値を見直すことでもある。
だからこの辺が放射能で汚染されてもう食料も生産できないというとき様々な技術を導入してそれで復興を計るのはいいことなのか、技術は悪いものではない、でも原発事故で起きたように本来あったものの価値を見直さないとまた同じことが起きる
一匹の魚に一粒の米に感謝しないことは危険なことだったのである。
ここで起きたことは人類への文明の警告であり教訓だったのである。
だからここだけの問題ではない世界的文明の問題だったのである。


権利ばかり主張して感謝しない社会





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posted by 老鶯 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連