2019年05月09日

なぜ駅の高校生の見守り役が駅の業務をしないと契約したのか? (専門以外の人が立ち入ることを嫌っていたから?)


 なぜ駅の高校生の見守り役が駅の業務をしないと契約したのか?

 (専門以外の人が立ち入ることを嫌っていたから?)

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こういう契約がどうして結ばれたのか?
それが理解できなかった  
これを契約条項に持ち出したのは誰なのか?どういうわけでそうなったのか?
これはJRの方で駅の業務はしないようにと市側ので認めたNPOに提示して決めたのではないか?その経過がわからないにしてもNPOが提示したのではないだろう
JRでそう提示してNPOは受け入れたのではないか?

なぜそう思ったかというとJRとかでも外部の人が勝手に立ち入ることを嫌うのである
駅の業務に立ち入れさせたくないのである
でもわからないのは他ではかえって駅の業務を委託している
それも危険なことも委託している
それはコスト削減のためにそうしている
こういうふうに正式にJRと民間が契約してならいいとなるのか?
それはJRでそういうふうに認めているからである
それで安全管理ができなくなるから労働組合では反対している

だから危険でもない「駅の業務をしない」という契約をしたのだろうか?
委託すると金がかかるからなのだろうか?
この辺のことがわかりにくいのである
まず駅で乗客の案内をしても危険なことはないからである

おそらく自分の場合は許可もされていないで勝手にしていたからJRで嫌い立ち入らないようにとしたとなる
何かそのことがわからないのである
役所仕事としてここでもある、私の部署ではないので他の人に聞いてくださいとかなる
それが現代社会である
つまり〈私たちは高校生の見守り役以外はしません、そうJRと契約していますから」とかなる
それで駅前の自転車屋でもいつも見ているから木が枯れたから水をやるとかしてもいい
それが人間の務めだと言っていた
今の社会は部分化専門化してその部分しかしない、そして無数の部分の仕事に分化しているのである、それで全体を知る人は誰もいないのである
まず全体を知り得ようがないのである

こういうことは別にここだけではない、役所でもそうだがどこでもそうなのである
無数に分化された社会であり専門化された社会だからである
原発でもそこは専門家しか立ち入ることはできない、そして誰も全体を知るものはなかった、吉田所長すら肝心の復水器について知らなかった
なぜなら私は資材部門だったからと言っていたからである
また社長でも会社全体を知る人はいないのである、何か一つの専門に詳しくてもあらゆることに詳しい人はいないしなりえようがないからだ

例えば原発では千人の電気仕事をする関係者がいた、配管の仕事をする人もいた
だからその人たちは実はこれは危ないとか現場で仕事して知っていたのである
では所長であれ幹部であれ上の人はそうした細部のことを知っているかというと知らないのである、いくら技術者として優秀でももう全部を知る人などいないのである
そんなことができるのは神だともなってしまうのが今の社会なのである

だから駅で勝手にボランティアしてなぜ仙台行きと原町行きのホームがほからないのが不思議だった、そんなことが当たり前であり誰でも知っていると思ったからである
ところが遠くから来る人はそれがわからないのである
それでその表示をするようにしたかしたのである
つまり上の人はすべてを知っているわけではないのである
だから原発では電気関係者が千人も働いていたということはそれだけ複雑なものが原発
だった、そしてその電気関係者はどこが危険が知っていたが上の人はそれを認めなかった上の人には何も言えない、もし逆らうというと会社自体がつぶされる
東電の命令は絶対だと言っていたからである

いづれにしろ現代文明社会はこうして原発事故でもそうだが破綻してゆるのではないか?ナチスがなぜ起きたのか?それはこうして専門家して無数に部分化した社会をまとめるために起きたとしている人もいる
つまり一つになるにはハイルヒットラーが一番わかり安いからである
カルト教団でもそうである、そこではめんどうな教義はどうでもいい、大衆がてっとりばやくわかることがいい、それで題目を唱えていればすべて解決するというのが一番いいとなるのだ、教える人も楽なのである、それで一日中題目を唱えている人がいたのである
そんなことしたって解決するわけがないのにもそれがわかりやすいからそうなるのであるナムナムとひたすら唱えることがわかりやすいからである

そしてなぜボランティアが難しいのか?
ボランティアがなぜ嫌われるのか?
それは専門化部分化した社会では私が駅にたまたま無人駅化したから勝手に駅員のようなことをして嫌われたと同じなのである
そうした専門化した部分化した仕事では第三者は素人は入りこめないのである

「お前はなんの権限があってしているのだ」
「そこは俺たちの会社の組織の許可がなければ入れない」

これはどこでもそうなっているのである、特に原発とかなると国がかかわっているから余計にそうなっているのだ、第三者は入り込めないのである
すると内部は秘密のベールに覆われているし知り得ようがない
そこから今回のような大事故になったのである
それがこれからも今の文明社会で起きてくる、全体を知る人などいない
部分部分で仕事していて他のことはわからないし立ち入ることもできないからである

ボランティアは何かそうしした専門家ではない、だから専門的に仕事している人がそうした何も知らない素人を入れるのは嫌うのである
それは一万くらいの町でもこの町がどういうふうになっているのか?
それもグローバル化とも関係してわからないのである
だから昨日は会社で働いていた人の話を聞いてそんな人がいたのかと知ったのである
その人はすでに40年前とかに海外旅行にヨ−ロッパまで行っていたことに驚いた
円がどるで240円の時だったからである
こうしてつくづく身近でもどういう人がいるかわからないのである

昨日また会った人はネパールの若い女性である、前も黒い顔の女性が二人いたからスリランカかと思った、それもネパールの女性だった、この辺では福装の裁縫会社で働いている女性が多いからである
グロ−バル化することでもさらに複雑になっているのが今の社会なのである
つまり一万の町ですらいかに複雑になってどう動いているのかなどわからてい
実際に隣の人が何をしていのかも未だにわからないことがあるのだ
田舎だからそんなことがないと思うがある、そういう社会なのである
だからボランティアというのは何か得たいの知れないものと現代では成り安いのである
なぜならみんな専門部門で仕事していて何かフリーのボランティアは何する人だとなってしうまからである

奇妙なのはだから全体を生きようとするものはアウトサイダーになるほかないとかなる
つまり無職になる他ないとなる、無職は専門家にならない、素人だけであらゆることにかかわるからだともなりそれも逆説だとはなる
ただはっきり言えることはこうして素人の外部のものを立ち入れさせないと会社でもどこでも内部だけでしかわからなくなりそこで原発事故のような破局的なことが起きてくる
原発が素人などわかないから知らせることも見せることも許可されない
でも原発でも科学者でなくてもわかることはありえたのである
原発は別に核分裂して熱をたして蒸気で電気を起こしているからである
それは蒸気機関車でもそうでありその基本的原理はわかることなのである
核のことはわからないにしてもそういう原理はわかるのである

ともかく無人駅でボランティアして社会が見えることがあったのは不思議だった
第一ここでこんなにいろいろな問題があると思わなかったからである
それじ社会勉強にはなったとなる
郷土史研究というときそれは総合的なものであり町でも歴史から地理からあらゆることを全体的に見る作業だからである、その一つに駅があったということなのである




2019年05月08日

「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる  2015年4月より「業務委託駅における業務の委託範囲拡大」が実施された。


「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる

  2015年4月より「業務委託駅における業務の委託範囲拡大」が実施された。

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  人身事故などが発生し輸送障害が起こった場合、今までは最終的な安全確認は管理駅社員(JR社員)が行っているものを、業務委託駅社員が行うことができるというものだまた、列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。
  
  つまり、駅における安全の確保に関してJRが全く責任を取らなくなるということだ。
  この攻撃に真正面から立ち向かい、職場から、「鉄道業務の外注化反対!」「乗務員勤務制度改悪反対!」「分社化・転籍反対!」の怒りの声を組織しよう。
  
  
これも何なのだろうか? 

業務委託駅社員にまかせる→コスト削減→安全が損なわれる

駅の機械化自動化→コスト削減→サービス低下

何か大きな都会の駅でも機械化自動化している、委託業務というのは駅の業務を委託することである、無人駅では管理することをまかせる
それは一日一回見回りしているだけである、でも一応管理を委託している

その駅の委託業務の範囲を広げる→安全が損なわれる

それで組合が反対している
でもなぜ鹿島駅では無人化したか駅の見守り役は置いたの高校生の見守りということで駅の業務はしないという約束でしたのである 

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。

これはとかなり専門的になるから危険なことは確かである
でもなぜそんなことまでまかすのか?
私はそんなことをまかせられない、駅でボランティアで時間とかその他案内しただけで嫌がられ拒否されたからである
別に無料でしているからコストとは関係ないのである
だからJRではただ素人の人がJRの職員でないものが入ってきて何かされるのを嫌がってそうしているのかと思った

でもここではJRではコスト削減のために危険な専門的な仕事まで委託業務する

これも何かなのかわからなくなった
結局JRでは経営が苦しいから委託業務する、JRの正社員でするとコストがかかるからだとなる、JRではなるべく正社員を減らして委託業務してコスト削減するとなるのか?

何かそういうことは日本全体に起きている、正社員になれない非正規社員が膨大なのである、一千万とか二千万とか非正規の時給労働者となっているのは本当に異常だと思う
それからグローバル化して外国人労働者が大量に入ってくるとますます底辺労働者は賃金が低くおさえられるのである
それで絶望を語っている底辺労働者がyoutubeにいた

でもここで起きていることはなになのか?

JRではコスト削減しろ

●危険なことでも委託業務させてコストをおさえろ

●機械化自動化AI化してコストをおさえろ

何かこういうことなのだろう
ではなぜ駅の見守り役には委託業務させないのか?
これもコスト削減であり委託業務させない、させるとコストがかかるからなのか?

でもわからないのは危険な仕事まで委託業務させているのである
この辺の理由がわかりにくい

ただ確かなことはJRではコスト削減のために委託業務と自動化機械化AI化している
委託業務でもコストがかかる場合はしない、それが鹿島駅の無人駅の高校生の見守り役だったのだろうか?
私が勝手に駅員のようなことをしたことを拒否したのはなぜなのか?
別に危険なことではない、それよりもこれは危険である

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務

そういうことまで委託業務している、確かに危険なのにさせているのは何なのだろうとなる

そしてJRでは責任はない、委託業務者にあるとしている!

自動化機械化AI化すれば責任はJRにはない!

それは乗客にある、自己責任だとなるのか?

実際に駅員がいないのだから人間がいないのだから責任はないとなるのか?
機械とかAIはロボットは責任をとれないからである

これも何か変なことであり何か問題が起きる、その時どう対処されるのか?
法律的にどうなるのか?それは自動車の自動化とか他にもAI化で無人化される店とかいろいろな分野で起きてくる問題である
責任をとるものは誰なのか?機械やAIやロボットには責任はとれないからだ
結局責任は人間がとるほかないからである

いづれにしろ無人駅問題からこれだけいろいろなことがあり波及するとは思わなかった
とすると様々な現場で報告することはささいな場所でもありうる
ただ今までのマスコミでは報道されないだけだったのである
この報道にしてもマスコミでは取り上げないからだ
ただ無人駅を面白がってとりあげる放送はある、秘境駅とかである
でも現実の鉄道に関するこのような問題はとりあげないし追及していないのである
だから現場からインタ−ネットではいろいろなことを追求するようになる

それで「底辺労働者」についての深刻の訴えに同情したともなる

Love & Freedom「底辺労働者」が現実を生々しく体験から報告している(youtube)

こういうことはマスコミでとりあげない、報告されない、だから報道も変わったことを意識したのである

コスト削減はJRだけでない、底辺労働者が増えたのは会社のコスト削減のためである
東電でもコスト削減した結果として原発事故が起きた
社長でもコストカッターとして知られていたのである
結果として安全が無視され大事故になった
何か社会でも共通した問題がある、それで一番わかりやすいのコストカット、削減のために会社が賃金とか安全にかかる費用を削減する、それはグローバル競争にさらされているからそうなる
また日本が経済が停滞して貧困化しいるからだともなる、会社に余裕がないからそうなる
また鉄道は利用しなくなったからそれで収入が減ったからだともなる
そこに現代の様々な問題が鉄道をとってもあり無人駅から見えたとなる










ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている (日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)


ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている

(日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)

駅の近くに大きなホテルがあり、そこで日帰り湯に入るためにこの駅で下車しました。駅舎もなくホームに直接出入りすることが出来ます。ホームには、待合所があるだけの本当に質素な駅です。

駅などで発券する長方形の切符の場合は、列車に乗る前に改札印を入れる「コンポスタージュ(Compostage)」が必要なことが多いです。「必要ない」と書かれている切符もありますが、すべては仏語で書かれているため、とりあえず乗車前に刻印しておきましょう。  
切符を買う時間がないからと、飛び乗りで乗車すると、車掌から切符を買う際に通常の数倍の車内乗車料金を請求されます。

私がなぜ無人駅で駅員のようなことをしていたのか?
それは自分自身が鉄道旅行が好きで日本全国を鉄道で回ったからである
ヨ−ロッパで鉄道に乗ったし中国でも乗った、アメリカでも乗ったからである
つまりそれだけ鉄道には世話になったとなるからだ

確かにヨ−ロッパでは刻印しないで乗ると馬鹿高い罰金がとられるとかあった
私はしなかった時外国旅行者ということで許されたのである
本当は許されない、ヨ−ロッパの鉄道は日本とはシステムでもかなり違っている
それも20年前だから今は違っているようだ

つまりホームまで自由に出入りできるとか自由があったのはやはり自己責任社会だっからなのかとなる、刻印しないと罰金がとられるというのもそうである
ただ日本でも今では駅員がいていない所は自己責任なのである
駅員が教えてくれないからである、そこに問題が生まれることは延々書いてきた

ただ無人駅では自由にホームに出入りできるのが多い、第一駅員がいないのだからそうなる、監視カメラがあってもわからないし注意されないからである
日立木駅をみればわかる、誰も見ていないから待合室の壁が壊されたのである
あそこでは自由に出入りしても誰も見ていないしわからないのである

いづれにしろ日本の駅がうるさいくらい危険ですからとか電車がいちいち来ることでアナウンスする、そういうことがヨ−ロッパの鉄道では一切ない
そこは文化の相違なのだろう、ヨ−ロッパは自己責任社会だから危険は自分でさけてください、それで事故が起きても鉄道会社では一切責任はとりませんとなる

でも不思議なのは自動化機械化するとすでに自己責任なのである
JRでは自動化して乗客が困らないように便宜を図っています、それで何かあったら自己責任ですとなる、駅員がいると責任が駅員からJRになるからだ
だから駅の見守り役でも駅員がいる切符売り場だったところにいるから駅員だと乗客は思ってしまうから駅の業務はしないという訳にいかなくなるのである

いづれにしろもう鹿島駅は無人駅ではないと思う
朝と2時半ころは高校生の見守り役として駅員がいるとなる
昼間は確かにいないがそれだけの時間が駅員がいるとなるからだ
とすると駅員と思い駅の業務をするようになる、あそこにいるとわからないと必ず聞かれるからである、それで私たちは駅の業務はしないですとは言えない状態になっているからだ

ただ駅の業務をしないとういのはJRで責任をとりたくないからなのだろう
でも自分自身は駅の業務をしていたのである
JRの許可もなくしていたのである、それは乗客に聞かれたからそうなった
でも別に自分はJRから頼まれたわけでもないし委託された駅員でもないのである
だから本当は駅の業務はしてならないものだったのかとなる
ただ駅の外での案内などは自由である、そこは駅の管轄にないからである

とにかくここたけではない、会社員でないのものが勝手に会社の仕事などできないだろう、かかわることもできないだろう、仲間で組織で仕事しているからである
そういうふうにして外部の者は会社とかの内部には入れない
原発でも確かに仕事で入る人がいても厳重に管理されている、許可がなければ何もできないからである、そういうことはわかる
ただ私がしたことは別に危険なことでもない、あそこで駅の業務といってもそんなに危険なことはないのである 
のでも何かJRからするとしてもらいたくないということがあった

それは組織で仲間で仕事しているので関係ない第三者に入ってもらいたくないのということはあった
ただ駅はJRだけでなく地元の市民でも遠くの人でもみんなかかわっている
それは実際は人間は会社にしてもなんでも公共のためにある
公共善のためにあるとかなる、だから会社でも悪いことをしたりするから原発でも外部の第三者の監視が必要だったのである
それが原発になると絶対にできない、それが大事故につながったのである

つまり社会でも公共善とかのためにみんながかかわる、知るということも大事である
そこで知らされないと何もわからないからである、そして国民のためにもならないからである、そこに報道の役割があったのかとなる
無人駅の問題を追求したが無人駅はそういうことだったのかと考える人も関心を持つ人もでてくる、ただ鉄道はマニアのようにな人が関心をもっているが今は乗る人が少ないから関心がないことが問題なのである



2019年05月07日

なぜ日本の駅はホームに勝手に入れないのか? (自己責任社会ではないから?すでに駅の見守り役は駅の業務をしている)


なぜ日本の駅はホームに勝手に入れないのか?

(自己責任社会ではないから?すでに駅の見守り役は駅の業務をしている)

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ヨ−ロッパの鉄道だと自由にホームにできたり自転車をそのまま電車の後部にのせたりできる、そういうふうに作られている
それがうらやましいと見た
日本ではそのホームに勝手に入れないのか?
私はただ無人駅になっていたから入ったのである
でもやはり無人駅だから勝手にホームに入って送別する人がいた
それは駅員がいないからそうなっていたのである
それも便利だと思った

でも今は高校生の見守役がいるようになったから駅員と見るからできなくなったかもしれない、自分の場合はもともと嫌がられていたからそうなった
そもそもヨ−ロッパの駅ではあんなに駅のホームに自由に出入りできるのか?
そうなると危険にもなる、事故にもなる
日本ではうるさいくらい電車がきましたから気をつけてください案内する
ヨ−ロッパの鉄道ではしないのである
それも不思議だと思う

日本はなにかやとうるさい、干渉する、それは後で事故が起きたりすると責任が問われるからなのかもしれない、それで駅の業務をしないとJRと契約したのはそのためなのだろうでも駅は無人化してヨ−ロッパの駅と同じになっていたのである
誰も見ていないから自由に出入りする人がいて当然だからである
ただ監視カメラは見ていたからそれで見守り役が入るなと注意した
でもその高校生の見守り役は契約では駅の業務をしないとなっていたのである
ただ最近は案内したし駅のホームに入って盲人を導いた時まねてしたのである
だからこれはどうなったのか?
駅の業務もするよようになったのか?
すでにしている、ホームに入るなというときJRの命令で駅員のようになり言ったからである、つまり見守り役でも駅長の命令がありそれに従ったのだから駅の業務をしていることにもなる

いづれにしろ今は確実に駅の業務をしているのである、だから契約とは違っている
すると駅の業務をするから責任も生じてくるのか?
もう無人駅ではない、駅員がいてホームに入るなとか命令できるからである
駅員の役割をしているのだから契約は無効になる
つまり駅の見守り役は駅の業務をする、だから乗客にいろいろ聞かれたら案内する義務も生じるし責任も生じるとなるのか?
これは法律問題である、法律も責任問題がありそれを追求しているのかもしれない
何でも法律では条項では責任をとりませんとういことがうるさいくらい書いてあるし
そして保険とかでは小さな文字で書いてあってわからない
後でそれを証拠しにて責任をとりませんとなっているのである
責任を恐れるから最初の契約は駅の業務をしないとししていたのである
ただ駅の業務をすでにしているとなるとどうなるのか?
駅員として義務を果たせとなるのか?その結果には責任をとれともなるのか?

こんなことくどくど追求するのも何なのだが何かこれが法律なのかとなる

駅の業務はしません、駅のことに関しては責任はとりません

駅の業務は実際している その責任はどうなるのか?

JRとの契約を駅の業務をしたことで破ったのか?その破った方に責任があるとなる
JRは何かあっても関係ないとなるのか?

いづれにしろJRは駅の見守役はどうしても駅の業務にかかわらざるをえないからそうさせるべきである、ただそうなると駅の業務をするということでJRはその負担をしなければならなくなるかもしれない、現実にも駅の業務をしているからである
だから乗客に何か聞かれたら答えていたしすでにしているのである

そこで何が問題が起きたら事故でも起きたらどうなるのか?

だからそもそも駅の業務をしないとしたのが辻褄が合わないものだった
だってあそこにいれば駅の業務をぜざるをえないからである
ただ奇妙なのは自分が勝手にボランティアで駅の案内とか業務を駅の駅舎内でしていたことはするなと命令されたとはなる

いづれにしろ駅の業務はしますと書いていた方がいい
その方がすっきりする、それで別に事故が起きることもないと思うからである
現実にもう駅の業務をしているからである
それはJRでもそうさせるよになったのだから駅員としても扱うべきだともなる
そうしたくないとしてもそうしているからである
私はボランティアでそうしていたが断ることはできたし禁止できた
でもあそこの駅の見守役は市とも提携してしているからあそこにいることを拒否できないのである、拒否できないというより駅の業務をしないということでJRで契約したからである
ただ駅の業務をしているのだから契約違反だと今度はなる
それなら駅の見守り役にそのことを注意すべきだとなる
駅のホームに入るなと駅長が直接言うべきだとなる

ともかくなんか法律だとめんどうになる、それはなぜそうなるのか?
責任問題になったときやっかいだから事前に法律で決める
それで条文を作りそれを証拠として責任をとらないようにするとなる

駅の業務はしない→すでに駅の業務はしている →法律違反

駅の業務はする→JRにも責任がある→駅員と同じになるから・・・・・

まあややこしくなるが法律も詭弁だとなるがそういうことにはなる

駅の見守り役は鹿島の人がするべき? (なぜ相馬市とか原町の人がしているのか?)


駅の見守り役は鹿島の人がするべき?

(なぜ相馬市とか原町の人がしているのか?)


これも疑問なのである、相馬市の人もnpoに参加してしている
でも鹿島駅なら鹿島の人が見守りするのにふさわしくないか?
だってここにいつも住んでいみているからである
原町だったら原町の地域がありそこでボランティアする
現実に原町には制服を着た駅の案内役がいたけどその人は原町の人だったからである
もしそこに相馬市の人とか鹿島の人がいたら違和感が生まれる
そこまでこだわらなくてもいいにしろ本来は地域の人の見守りだったらそうなる
時々鹿島の駐在所のパトカーが駅を見守りしている
それは高校生の犯罪が起きたことがあったからだ
警官でも管轄地域がありそこで安全パトロールししているからである
そしてなぜ南相馬市ならいいが相馬市の人がきて南相馬市の役所で税金を払ってみてもらっているのか?
何かそれも疑問になる

こんなことくだくだ言うのもいやだがこれも市政とかと関係あるのかもしれない
だって高校生の見守りでもそれは地域と関係しているからである
だから鹿島の地域は鹿島の人が見守りするのが理にあっている
もちろん反論はあるしそれぞれの理屈は言えるからなんともいえない
でも市政の問題としてあるのはやはり市民の税金を使っているからだともなる
無料のボランティアだったら何も言わないだろう
ボランティアでも結局何か無責任なのである
別にしてもいいとかしなくてもいいとかなっているからだ
一旦金をもらうとなると人間社会は責任が生じるとなる
だから市役所の人でも大きくは政府でももともと国民の税金で運営しているのだからその責任があるから無駄に使うなと監視が厳しくなる
そういう責任も背負わされるとなる

でも駅の問題で複雑なのはそこには市民が関係していることである
JRだけでは運営できない、だからトイレは南相馬市で作り障害者施設の人が毎日ぴかぴかに磨いているのである
商工会ではJRから頼まれて一週間に一回くらいゴミ箱などの掃除をしている
それもJRでは金を払ってしているのである
全部こうして頼んだ所は金を払っているのである
ただその責任はゴミを片付けて掃除するというだけである
後は駅の業務とは関係ないのである

いづれにしろ駅のボランティアというと盲人とか障害者の補助とかが多い
それはやはり駅では困るからである、だからそこにボランティアの需要がある
無人駅で何か案内するとかは募集ししていないようだ
ただ無人駅でも一日一回回ってもらう管理する人は頼んでいる
そうなるとそういう人はいつも一日見ている駅前の自転車屋がふさわしいとなるのだ

考えてみると南相馬市では高校生の見守り役をとして金を払うようになったのか?
それは許可したのか?これも良くわからないのである
どういうプロセスでそうなったのかわからない
相馬市の人が人が入っているというのも何か南相馬市内ならそういうことはしないのではないか?
地域のボランティアだから地域の人がするのが合っているからだ
ボランティアでなくてもその地域に住んでいる人が見守り役には一番ふさわしいからだ

こんなことでも何か市政と関係していて具体的に政治と関係しているともなる
それは予算とか税金の使い道に一番関心があるからだとなる
予算を配分することに自治体でも一番関心がありまた国から配布される地方交付税に関心があるとなる、その予算を握るのが財務省だとかなるから国の力をそこで感じやすいとなるのである
ただ国というとあまりにも巨大すぎて理解できないのである
6万とかの自治体だと理解しやすいのである
だから政治の基本はそうした狭い範囲での民主主義が成長することだともなる
その手段としてインタ−ネットの活用がある
なぜなら誰もこんなこと取り上げないし関心もないからである
それでこれを読んだ人が関心をもつかもしれないからだ

ここにこういう問題が市の中でありますよと訴えることができる
ただ正直南相馬市内でも関心がないことは確かである
なぜなら車社会だからそもそも鉄道に関心がないからである
そこが最大の問題なのである、鉄道を利用する人が常磐高速の十分の一もないだろう
その差が大きすぎるから何かあってもほとんど関心がないのである
ただ三陸鉄道とかでは廃線になると町が廃れるとして運動になった
それは只見線でもそうである、存続するかしないかとかなって始めて全体の関心になる
普通は関心がないから問題にもならない気づかないのである

ただ小さな自治体でもいろいろな問題がある、それが報道されない
まず無人駅のことでこれだけ報道したということも意外だったのである
こんなところにこんな問題があり報道することがあったとは思わなかったからである
でもこれもやはり南相馬市の問題であり市政の問題だったのである

つまりインタ−ネット時代はこうしてその場その場で問題提起してそこにこういう問題があるということを知らせることができる
それで問題を共有するものとなる、ボランティア問題でも自分と全く同じ経験をした人がいたからである、なるほど同じだなと読んだからである
そういう問題の共感はインタ−ネットでしやすいということがある
ただそれにしても読まれるのが少数だからあまり影響はない
でもこういうことがやはりインタ−ネット時代の報道だったのかともなる
こんなことでこれだけ書いていることも不思議だったからである
報道そのものがインタ−ネットだと変わる
ただまだそれに気づいていない、でもテレビでは報道されないことが膨大にある
それが一応書いて知らせることができる、それはやはり何か時代の変化であり進歩なのかもしれない、マスコミからミニコミになるのか、そういう時代になったのである

善意でもボランティアはかえってむずかしかった (自分が感じたことと同じことがネットでも書いてあった)


善意でもボランティアはかえってむずかしかった

(自分が感じたことと同じことがネットでも書いてあった)

ボランティアで一所懸命 時間を費やしてやってきたことが、感謝どころか誤解を生み、なんだか人間関係に疲れました。 家族のことだけやってればよかった。すいません 愚痴です。 いやな思いをされた方はスルーしてください。

電車で座席を譲ろうとして「相手から年寄り扱いしないでくれ!」と怒られたりするなど、これまでの人生で経験したことがなかったのでしょうか。 
逆に、相手は良かれと思ってしたことがこちらにとって大迷惑、善意だとわかっているだけに余計困ったこととかありませんでしたか。 

私はボランティアはあくまでも自己満足の世界だと割り切って考えています。

幼稚園や小学校の役員を今まで引き受けたこと数回です。 
これも無報酬で、まるで通勤しているが如く園や学校に通っていたので 
立派にボランティアだと思いますが、感謝されるどころか 
文句の言われどおしだったことも、あります。 
先生に嫌がらせされたことも。 

一生懸命、やっているのに、 
空回りして、認めてもらえず、かえって悪意に受け取る人もいますしね・・・ 
空しさを覚えるときがありますよね。 


ボランティアはかえってむずかしい、例えそれは善意であれ無料であれむずかしい
そのことを体験から書いてきた、これと同じことを経験してここに書いてきた
そもそもなぜこうなるのか?
例えば私は苦しいです、助けてくださいと頼まれれば助けることがある
それで頼んだ人が何かと文句言うことはない、でも頼まないのにかかわればそんなことしてもらわなくてもいいのにうるさいとなるだけである

電車で座席を譲ろうとして「相手から年寄り扱いしないでくれ!」と怒られたりする

自分も案内してこういことがかなりあった、うざいとされるのである、スマホを見ているから必要ないともされる
つくづくここに書いてあるようなことがボランティアの人は経験しているのだ
善意があったとしてもそれを相手が認めるとは限らないのである
かえってうるさいとなったりうざいとなることがある

そして会社とかJRでもかかわっているとそれはさらにむずかしくなる
そこは会社の運営方針がありJRで認めない者は何もしてはいけない場だったのである
無人駅だから最初は困っている人がいたので自分は案内していた
それはそういうふうに自然になったとなる
困っているから教えたとなっただけである、それはそこが無人駅という特殊な場でそうなったのである
そこは本当は人が必要なのだけどコストがかかるからJRでは人を置かない
無人化する駅が増えてゆく

でも不思議なのは駅の見守り役は何なのだろうか?

ボランティアなのだろうか?

南相馬市とJRが契約してそこに高校生の見守り役限定として常駐させるようになった
それで自治体から金が払われている
金をもらっているとするとそれはボランティアなのだろうか?
市民の税金が払われている、それもわかりにくいのである
でもあそこにいる限り見守り役でも鉄道の案内役をさせられる、現実に駅の業務はしないとしても自分が教えたりまた案内もするようになったからである

つまり市民の税金をもらっているということですでに何らかの責任が生じているのか?

確かにしているとなる、ただその責任は高校生の見守り役というだけであり駅の業務はしないという限定責任なのである
でもあそこにいると必ず鉄道のことで聞かれるのである、駅員に見えるからである
服装でもそうである、駅員に見えるからだ、第一あそこは駅員がいる場所だからである

駅員に見えるから駅の案内してもらいたい、鉄道の案内をしてもらいたいとなる
現実に乗客は聞いているのである、それをしないというとき何なのだろうとなる
その駅員がいる場所にいるべきではないとなる
誤解されるからである
別に高校生の見守役だったらそこにいる必要もないのである
奥にも広い部屋があるからそこから見守っていればいいとなる、何の問題もないのである駅員のいる切符売り場にいるから鉄道のことで聞かれるのを避けることができないのである
そこにいなければ聞かれないのである                          

つまり駅員のようにしている、その場にいることが問題なのである

それは自分が駅員でもないのに駅員のようにふるまったことで注意されたと同じなのである
駅の案内もしないならそんな場所にいると誤解される、なぜ案内しないのだともなる
だからあそこの切符売り場にはいるべきではないとなる
自分もボランティに誤解されたようにである

お前らは駅とか鉄道にかかわらないならそんな誤解される場所にいるな!

こうなるのである、ホームに入るなというのもわかる
でもお前らもそんな誤解されるような場所にいるな、駅の業務にかかわらないとしたら
奥から高校生を見守っていればいいとなる
乗客とはかかわらない場所にいて見守りしていればいいのである

なぜお前らは金を自治体からもらっているのだ

高校生の見守りのためです

そうならそうでいい、切符売り場に駅員のようにしているな!

こうもなってしまうのである、なんかこんなに複雑になるとは思わなかったけど
これも社会勉強だったとはなる   
駅とはそれだけ公共的場だからである、JRだけのものでもない自治体もかかわり外部のものも関わる場だからである
それで駅構内はJRが管轄するから一切かかわるなというのも問題になる
何か悪いことをするなら別なのだけどみんながかかわる場所だからである

見守り役は市民全部ですること!

高校生の見守り役とういけどそこにいる周りの人も見守っているのではないか?
駅前の自転車屋は本当に一日中見守っているから一番詳しいのである
私は数十分くらいしかいない、毎日たちよるにしてもそうである、だから見守り役にはならない
そしたら自転車屋が見守り役に一番ふさわしいとなる
自治体からも金をもらってもいいともなる、現実にあそこの自転車屋が町の人が集まる場にもなっているからだ
その対応もいいのである、それでその人も見守り役に不満を言っていたことがわかるのである
JRの人は何も言ってこないとか、市の方でも何も言ってこないとか言ったいたからである
それは自分自身のことでもあてはまることだったのである
見守りとは本当は市民全部ですることである、誰か怪しいのか地元の人が見ていることである
それはあそこの駅の見守り役だけでたりることもないのである、安心感はあるにしても回り全部で見ていることが安心感につながるのである

いづれにしろボランティアは本当に自分だけではない、もう不可能なくらいむずかしい
だからこんなことでこだわってやるのが馬鹿らしいとなる
そんなこと誰も望んでいなとかなりかえって叱られたりうるさがられたりいろいろ拒否されたらやれないとなる
かえって何もしない方が楽である、第一できないのである

ただ駅の見守り役は限定にしろみんなの税金でしているのだから何らかの責任が生まれるもし誰かが子供が昼間でもいないときホームに入ってきて事故が起きたらどうするのか?

それは誰の責任になるのか?

無人駅の責任は誰にあるのか?監視カメラで見ていても注意できないからである
昼間は無人駅だけど常駐している人がいるのだからその見守り役でも責任が問われるかもしれないのだ、だから何か無人駅というのは不思議である
それはAI化とかでコンビニでも無人化するとかコストを減らすために無人化が増えてくるときこういうことと同じ問題が生まれることは確かである
そのことをまさに無人駅で体験して伝えたとなる
だから何らか自分の経験したことは将来のAI化とかの問題の参考になる
自分自身も何か社会勉強になったのである
社会というのは仕事をしてみないとわからないところなのである
それをしていなかったから自分には欠けるものがあった
社会とはこのように複雑なのである、責任とかも問われるし簡単にボランティアでもできない、おそらくそこには責任問題が生じるからだとなる
責任をとりたくないから駅の業務はしないとか契約している

でも何かあった場合、誰が責任とるのだろうか?
                                                      
無人駅だから責任はJRでもとる必要がない、責任は全部乗客にあるとなるのだろうか?
これも何かわからないことでありボランティアでも保険に入るとかしているのもそのためである
それだけめんどうになるとボランティアは簡単にできないとなる
だから自分の場合はただ駅で人と会ったり何か聞かれたらするとかそういう無難にしていることが得策だとなる
ただうるさがられて文句言われて警察にも通報されるとかそれしかなかったからである
こんなことまでしてやれる人はいないとなる
ただ無難に駅で人とあったり話したり聞かれたら案内するとか程度にする
駅構内では何もできない、監視カメラでも駅長とか見ているからである
それは警察と同じなのである、そういう場所だったのである

立派にボランティアだと思いますが、感謝されるどころか 
文句の言われどおしだったことも、あります。 
先生に嫌がらせされたことも。 

これと同じだった、案内してもうるさがれなぜお前はここにいるのだとかなり駅長はは嫌がらせをする
文句の言われどうおしだったこともそうである
感謝は案内した時あったから違っていたがそれは遠くから来た人たちでありその人たちはまた来ないから地元の人は何も認めていないのである

つまりお前はそんなことする必要がないとうい事なのである

誰も望んでいないことをしても嫌がられるだけで感謝はしない、遠くの人は感謝したとしても後は来ないからである
ただあそこの駅は親切だったとかになることはありうるがそれもわからない、みんな忘れるだろう
一時のことだからである
それで何ら認められることもなく嫌がられるだけだったとなれば誰もやらないとなる
だから頼まれないのにやることが問題なのである
道がわからないのですが教えてくださいと言えば教えるがこちらから教えるとなるとスマホでいいやとかなるから嫌がられるからしない方がいいとなるのだ


駅の構内での案内は終わりです (駅の構内では何であれ認められない者は勝手にできない)


駅の構内での案内は終わりです

(駅の構内では何であれ認められない者は勝手にできない)

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駅のホームに入ったら監視カメラがあって入ってならないと駅長に言われたと
駅の見守り役に言われた
確かに前にも入るなと言われたことがある
でもその時は無人駅だからそうなっていたのである
また盲人の人を案内したりゴミを拾ったりもした

でも見守り役が今度はいるし見ているのだから自分はやめた
うるさくてだめなのである、目障りにされているからだ
見守り役は市からも認められ金も払われているからやれる
何か余計なことはするなということである

ただ駅は広場のような所ともなっているからそこで人に会うことはある
でも一切駅の案内とかはしない、うるさくてだめなのである
何か困っているような人がいても相手もうるさがる場合がありむずかしい
そしてなんら認められないし駅長自体からもやるなとされている
そしたら何もできないとなる

それで駅のことはこれで終わりにします
自分はあとは時々駅の中で人に会いには行くが案内とかなにもしないです
監視カメラでも見ていて何もするなと言われるたからである
自分はずっと駅のことを無人駅だから見ていた
でも案内役とか見守り役が常駐するから役目は終わったとなる
見守り役はJRにも認められているしその人が責任があり自分にはもう責任はない
かえっていろいろなにかやと言われてだめなのである
警官が来て怪しいと職務質問されたりしたしもうかかわることはできない

ただ別に乗客として駅で話したりはする、でも駅の案内とかはできない
何しているのかと注意されたりうるさいからである
そして何ら認められることもないしかえってうるさがられるだけだからである
だから正式に認められた見守り役がすればいいし後は私はなにもしない
まずできないのである
ただ駅は出会いの場所であり何か外部の人と話したりはする
でもあとは駅なのかでは案内とかはしない
ただ外に出た所で案内することはあるかもしれない
なぜなら駅の中はJRの指揮のもとにあり認められない人はできないからだ

とにかくボランティアは自治体であれ何であれ認められないとできないし
保証もなにもない、かえって事故になったりしたら責任を問われたりする
つまり個人的にボランティアはできない、何か募集してそれで認められればできるのである
勝手にすることはできない、なぜなら駅内はJRの管轄にあり勝手に何か案内でもできない
ただ駅の中ではなく外ならできる、そこはJRの管轄ではないから何も言えないとなるからだ
まず駅構内ではたとえ良いことでもできない、勝手にはできない
無人駅だったから自分はしていたけどこれからは見守り役がいるのだからできない
でも見守り役は昼間はいないのである、そこに問題があるけど案内はできない
監視カメラで見ているからである

ではここの部の駅の案内は終わりです

ただ駅についてとか鉄道交通に関しては書くことはあります

2019年05月02日

中国人の女性二人を駅の見守り役が案内する


中国人の女性二人を駅の見守り役が案内する

中国人の女性が二人来た、その人は鉄道のことが全くわからない
最近来た人なのだろう、中国人は入れ替わり来ているからだ
そこで高校生の見守り役の人が今回は説明した
スマホで中国語を訳す機能がついている
それはポケトークだった、それで説明した
ただなかなかそれでも通じにくい、ポケトークは自分でも買ったが試していない

その機会がないから使えない、語学は実際に外国人と通じることをしゃべられないと上達しないのである
田舎ではそういう機会がない、でも外国人は増えている
この前土手を歩いていたら黒い女性が二人いた
インド人かと思ったがおそらくスリランカ人である
日本に来るのは東南アジア系とスリランカ人が多い、前は男性のスリランカ人がいたからだ

その女性は駅の見守り役がちょうど仕事が終わり原町に行くから車で一緒に行くかといいそれで車に乗って原町に行った
その前に原町行の電車が来たのだがわからずに乗れなかった

今回は高校生の見守り役が駅の業務をしないとしていたが今回はしていた
スマホで翻訳機能あるものまで使っていた
だから態度が変わったのかと思う

自分も教えたがまずあそこにいれば制服でも来ていれば駅員と思い聞くのである
自分は制服も着ていないからこちらから声をかけないと聞かれることはないからである
そこにボランティアでも問題がある
ただ自分は本当に気ままに10分と20分とか気ままにたちよるだけである
それでも何か用があるのも不思議である

いづれにしろ駅でも日本はグローバル化しているから案内が必要である
多少でも英語がしゃべると便利なのである、中国語は発音では全く分からないからだ
それで漢字を書いてやりとりしていたのである
英語と言っても中学英語でもわかれば通じやすいのである
単語を並べただけでも通じる場合があるからだ

とにかく外国人労働者はこれから増えてくる、来年からは法律が改定されて施行されるから余計に増える、田舎でも外国人労働者は前から増えていたのである
この辺は原発とかの関係でそういう所で働く人もいるから増えているとは言える
ただ外国人労働者が増えると40歳の底辺労働者がyoutubeで訴えていたように
賃金があがらなくなり苦しい立場に追い込まれる
仕事も外国人に奪われるとなる、でも外国人でも若い労働者がいいから日本では受け入れるとなる、それも日本人を優先にしないで外国人を優先にするのはおかしいというのは本当である
ただそれがグローバル化なのである、モノでもヒトでも自由に出入りするのがグロ−バル化なのである、そこに矛盾が生まれる
日本のもともとあった森林資源とか日本人そのものが排除されるのはおかしいというのは本当である

2019年04月20日

駅の高校生の見守り役は何もしない (駅前の自転車屋も怒っていた)


  駅の高校生の見守り役は何もしない
  
  (駅前の自転車屋も怒っていた)
  
駅前の自転車屋はいつも駅を見ている、だから駅のことに一番詳しいのである
それでその人は言っていた

私は自転車置き場を作る時これでは自転車置く場所に困りますよ

そのことを忠告していたのである、現実に駐車場として8台分を置くスペースを作った

でもそこに車を置いたら自転車が置けなくなる!

それが工事するときからわかっていたことだったのである
なんでかえって不便になるようにしたのか?

それは車を止める場所がなかったからだ、これは常に駅の問題だったのである
駅前には一時的に止められても長くは止められない
広いスペースは商工会との契約で金を払って駐車の場所を確保している
だから他の人はとめられないのである

それでそこに遠くから来た人でも長くとめられる駐車する場を作った理由はわかる
駐車する場所がなくて困っていたからである
でもそのために大勢の人が利用する自転車の置き場がせばめられて自転車すら置けない
車があったら自転車を取り出すこともできなくなるような状態になっている

商工会の観光係では予約があると金を払えば止められるらしい
ただまだ一度もそこに車が止まっているを見たことがない
商工会の収入となるのはわかる

それから駅の見守り役は何もしない!

駅前の木が枯れるので水をやっていた、それを見守り役に頼んだらしないという
見守り役は駅の業務でもそうした駅の関係でも何もしない
そういう約束だという、何かもめごととかトラブルに巻き込まれることを異常に恐れているのである、それは人間としての常識もないと自転車屋の人は言っていたことがわかる
自分自身もそれで怒ったからである
私は何もしないように上司に言われていますと言うのである
でも市の方から金はもらっている、何もしないのにもらっているとまでなる

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遠くより来る人あれや駅前の花壇に赤くチューリップ咲く

駅前の花壇に赤くチューリップ朝の光に映えて咲くかな


駅前の花壇には今はチューリップが咲いている、そこで遠くから来る人が来るとそれが映える、駅は内部の地元の人だけではない、外部から来る人とも交わる場なのである
そこに駅がいろいろな人が交わる場になって活気をもたらすのである
内部の人だけだったらこうはならないのである
そういう営みがあって駅は活かされるのである、そこが駅の特徴なのである
街の玄関となっているのが駅なのである
だから木でも枯らせると駅の雰囲気に影響する
ただ駐車場の前にも花が咲いていたがそこも荒れている
駅開設120周年という花文字も枯れてなくなった
どうしても植物は手入れしないと枯れたりしてくる、だから人の手を加えないと荒れるのである

2019年04月18日

新しい自転車置き場に自転車があふれる (車の駐車に場所がなくなったためー車に追いやられる自転車)


新しい自転車置き場に自転車があふれる

(車の駐車に場所がなくなったためー車に追いやられる自転車)

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新しくできた自転車置き場に自転車があふれていた、歩道になっているところが自転車であふれている
それで前の方に置いた自転車を取り出すのに苦労していた
なぜこうなったのか?
前は両側に自転車が置かれていたからこうはならなかった

それは駐車のスペースを確保するためだった!

これもなんか現代を象徴している、前も言ったがどこでも車は駐車する場がないことに困っている、そこで必ず家を壊されると街中では駐車場になる
つまり車は場をとる、占有率が高いのである
それで津波の時は車が道路にあふれ渋滞になり被害になった

何か自転車が百台もあるのかごちゃごちゃとつめこまれてあり
その前に4台くらいの駐車のスペースを新しくとった
そこにまだ車をとめたのを見ていない
まだ契約していないのだろう
ただそれはどうしてそう決めたのかわからない?

なぜ市の方で新しくするのはいいとしてかえって不便にしたのだろうか?

駐車のスペースは商工会も関係しているのか?
あそこは商工会で契約して金をとっていると聞いたからである

とにかくあれを見たとき自転車は隅に追いやられる
自転車は急に飛び出してきたりするから目障りになる
それで車の人は嫌っている
車社会だからそうなる

車の問題は場所をとる、空間占有率が高いのである、それで駐車場が問題になる
そして自転車は住みに追いやられる、それが車社会だからそうなった
ただあそこは高校生などが自転車をあれだけ利用しているのだから問題になる
私自身は利用していない
いづれにしろ歩行者とか自転車は軽視される、すべてが車中心に回っている
そういうことが当たり前だとなり田舎だと車を持っていない人は能力が劣っているとも
変な奴だとも見られるのもおかしいのである

田舎だとチャリ乗ってると不審者扱いなんだろ 

田舎では、車乗ってないやつは障害者扱いなんだな。 
いい大人が、自転車乗ってるだけで職質される

自分自身もこういうことを常に経験している
田舎だとかえって自転車が目立つからである
車だと誰が乗っているかもわからない、変な奴などいくらでもいるがそれが見えないからわからないのである
いづれにしろこんなに車社会になっているのは本当は異常なのかもしれない
ただその異常さに気づかない、それでかえって正常な者が自転車に乗る人や歩行者でも排除される社会なのである

2019年04月15日

強風で大幅遅れ (新幹線で帰る人があせって車で原町駅に行く)


強風で大幅遅れ

(新幹線で帰る人があせって車で原町駅に行く)

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今日は強風で遅れた、一時間遅れで電車が二つは出た
その後さらに遅れた、とにかく風が強いから遅れる

そこに来たのが新幹線で帰るという人だった
その人は相当に困っていた、それでインターホンで連絡した
浜吉田で何か飛んできて障害になり遅れたとアナウンスがあった

そしてその人は電車は日立木を出たと私に言ったが電子掲示板には電車が走るマークがでていないのである
それは新地に来ればでるのである、だからもう一回私がインターホンで聞いた
すると山下に来ているという、ただ風で規定があり止まると言っていた

それで山下まで来れば鹿島駅まで来て原町駅で折り返しになるから行けると言った
それでなにやかにやとあった、四人くらいで来ていたのである
ただ新幹線に乗るのは一人だったかもしれない
その人は困った様子だったからである
それで他の人が車で原町駅に行った方がいいとなり原町駅にその人を車に乗せて行った
原町駅だと直接駅員にも聞けると言ったり売店があると教えたからだ

そこにいた高校生の見守り役は何も教えない
なぜなら私は駅の業務をしない、責任を問われるからしないとそう言ったからである
これもおかしいと思う、そこで困っていたら別に教えても問題はない
ただ昨日はホテルを間違って自分が教えた
そういうことがあり責任が問われることがある
でもそもそもJRで教えない、みんな自動化しているからそれで間に合わせろとなっている、それも無責任だと思う
みんな自動化しているから教えなくてもいいとなっているのも変なのである

その時しきりに原町駅だと駅員に直接聞けるからいいとなり原町駅に行ったからである
その人は新幹線で遠くに帰るからあせっていたからだ
風の時は必ずこういうことがあり混乱する
二人は地元の人だったからあわてない、でも遠くから来る人はあわてる
前はタクシーで原町駅まで行った
それからバスが直通のが仙台に出ている、風でも出ている教えた
それは原町駅に行けばわかると教えた

この風の時はやはり遠くから来た人は困る、帰れなくなるということもある
そして鹿島駅にはバスの停留所の案内の紙は貼ってあるが時間がでていない
午後に一回二時ころのが出ている、その時間を出していない
時間を書いておけと言っても書いておかない
前は私がその時刻を書いて張っていたがルールで置かないと取り除かれた
これもおかしなことなのである
ではバスの時間を書いておけばいいのだが書いていないのである

ただ私一人だけではなく何人かJRに訴えればJRではそれに答えるのである
仙台行きと原町行が外から来た人がわからないと言ったら表示してくれたからである
ただ鉄道を利用する人が少ないから関心がないのである

ともかくこれだけ風が強いとルールで泊まるからまた電子掲示板でも時間がさらに遅れるそれで電子掲示板も変わるからそれだけではなくインターホンで聞いてみる必要があるのだ、ただ日立木駅まで来ていたというのは間違っていた
聞き違えたのである、それで私が聞いたら山下駅まで来ているが風で止まることがあり時間的にまだ遅れかもしれないと言ったのである

それで四人ほどで来た人は車を運転して原町駅に行ったのである

タグ:強風で遅れ

小田急で学生が駅員のアルバイト (学生も仕送りがたりず苦しむ時代)


小田急で学生が駅員のアルバイト

(学生も仕送りがたりず苦しむ時代)

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 駅員でもバイトにしているのは金がかかるからである
小田急というとき大学で通って利用していた
だからなじみがある

ここで人身事故があると大学に行けなくなるというのはそこで時間がとられるからなのかよく人身事故ではないが信号機の故障で遅れることは経験している
人身事故もあったから経験している

そもそも何か駅で無人駅でも事故があったら誰が責任がとるのか?

今高校生の見守り役がいるけど駅の業務はしないとしている
朝はいても昼間はいない、自動化した無人駅とかでは誰が責任をとるのか?
これもわからない、日立木駅で待合室の一部が壊された
普通はあそこまでやることはない、鹿島駅だとトイレに落書きされたが日立木駅の被害は駅を壊されたのだからひどい
それはあそこが乗り降りが二三人なのか本当に少ないからである
そして駅前には店もなにもなく見ている人もいないからである
もちろん夜にしたとしてもあそこまでやるのは気がひけるからだ

いづれにしろ人件費を減らすのと今学生の仕送りが8万とかなり苦しい、親の給料があがらないのと学費とか家賃とか生活費は上がっているからだ
学費でも相当に上がっている、私立でも上がっている
安いアパートもなくなっている、だから学生はみんなバイトをしている
そしてバイト中心の生活になり勉強もできないとなる
文系だともともと勉強していない人が多かったからそれも社会勉強なのかともなる
それなら文系はたいして役にたたないから大学に行っても無駄だとなる

40代でもリストラが話題になっているのは人件費が負担になるからである
駅の無人化でもそうである、鹿島駅とかで高校生の見守りは南相馬市で金を出している
相馬市の人も来ていたが南相馬市で金を払っているのである
だから駅の業務をしないのだからJRでは金を出さなくてすんでいる
それがそうした取り決めをした理由である
駅の業務を委託すればJRで金を払う必要が出てくるからだ

駅の無人化と社会で自動化がすすむのは人件費節約のためである
40代のリストラでもそうである
駅にかかわりそこが社会とかかわることだとも思った
案内で間違ってホテルを教えたことでもそうだった
案内でも仕事ととしていれば間違って教えたら大きな問題となる
なぜならもし案内所で間違って教えたら客が困るからである
それで学生が駅員としてアルバイトしてもそこで社会を学ぶことはある
むしろ学校では文系の場合遊んでいるだけだとなるからだ
自分の場合社会経験が足りないから仕事しなかったから結局そこで問題が起きたのである


2019年04月14日

間違ってホテルを教えた (北海道から来てレストパルに泊まった人)


間違ってホテルを教えた

(北海道から来てレストパルに泊まった人)

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今日駅にいたのは消防署の人だった、そこでおりてきた乗客がキップを消防の制服を着ていたので渡そうとした              
その制服が確かに駅員に見えたのである
わからない人はやはり制服で判断する
キップの入れる場所は入り口にあるがそれに気づかない人が多い

そして今日は大失敗だった

レストパルに泊まるという人を案内したのがてっきり小池にあるコモドインのホテルだと思った、ここからホテルだとそれしかないからである
それでそのことを案内して失敗した

レストパルは六号線の金沢にある、そこは大きな食堂があるということでは同じだった
そこは結構立派なホテルだった
いつも通っている所で知っていたが名前を注意して見ていなかったのである
人間はつくづく灯台下暗しである
名前に注意していないのはそこを見ていてもホテルとして利用しないからである
あそこでは食事したこともあるが名前に注意していなかった
それが小池の方のホテルだと思ったのである

つまり地元の人でもこうして知らないことがあり道を教える場合でも勘違いして教えることが良くる、だからスマホとかの方が間違わないことがある
それは私自身が旅して良く経験している
地元の人でも道を丁寧に教える人はいない、適当にあっちだこっちだとか言うだけなのが多いからである
そもそも地理は事前に知っている人でないとわからない、それで相馬藩内でも道とか聞くときもともとある程度知っているからわかるのである

その人は北海道の登別からきた、室蘭だとも言っていた、登別と室蘭は一緒だとも言っていた、そこは行ったことがあるが室蘭と登別の地理はわからなくなっていた
伊達紋別駅ののことをしきりに言っていた

それは伊達市のことであり伊達市は今の亘理から出た伊達藩の侍だと教えた
何か苫小牧から近かかった、それも頭の中でわからなくなっていた
これも地図をみればわかるが頭の中だけではわからなくなる
だからこそスマホで地図を見るのは人の案内より確かなのでいつでも見ているのである
ただそれだけでは案内はできない、人に聞く必要もあるがこれも今回のように地元の人でもあいまいにいい加減に教える人が多いのである

とにかく今回の案内は失敗だった、最近コモドイの食堂にはずっと言っていない
それで鹿島に来てホテルに行くとなるとコモドインだとばかり思っていたのである
レストパルは案内したことがないからである
つまり案内でも常に専門的に案内していればそこで調べたりして正確に案内できる
普通の人は案内人ではないのだから適当になってしまうのである
これは案内する人も気をつけねばならない
タクシーがきて別な方向に行ったので間違ったことに気づいたのである
大きな食堂があるということは同じだったがそれ以外の案内は間違っていた
駅の案内ではホテルのことは良く聞かれるから知っている必要がある
それも意外とわからないことがあるのだ

2019年04月09日

無人駅を自動化してもわからないことがあった (人がいないとわからなくなることが依然としてある)


無人駅を自動化してもわからないことがあった

(人がいないとわからなくなることが依然としてある)

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私が行ったときはこれはみんな運休になっていた
その後一時間遅れの原町行が表示された


私が行った時は電光掲示板でもみんな運休になっていた
でも不思議だったのは原町行の向かい側のホームに二人待っていたのである
それがわからなかった、もし運休になっていることがわかったらいるはずがないからだ
それも知っている人がいたから地元の人だから電光掲示板を見ないはずがないと見た

それでインターホンで次の原町行が来るのですかというと来ないという
それで向かい側の人にそのことを伝えた
そしたら一人はこっち側に渡ってきて確かめに来た
電車は来ないですよというとどうしようかと聞いた

ところがまた状態が変わり一時間後に原町行が出るとアナウンスされた
それが電光掲示板に出た、それでこれは間違いなくこの時間に来ます
一時間待てば来ますということでその人は待つことにした
バスもでているといったが午後からは一本しかでないから一時間待つとまた向かい側のホームに行った

ではなぜこうなったのか?

その二人が向かい側の原町へ行くホームに行ったときは運休とは電光掲示板に出ていなかったのである、そう言っていたからである
その後に運休になったのである、風ではなく信号機の故障とかで遅れた
意外と信号機の故障の遅れは前にもあったからある
ちょっと時間のずれで向かい側のホームに待つことになった
これはアナウンスしてもわからないことがあった
そこでいつまでもホームで待つということがありえた

そこで思ったことはやはり人がいないといくら自動化してもわからなくなることがある
すべてを機械とかでまなえないのである
もちろんなかなか電車が来なければ電光掲示版を見に来るかもしれないがそれでもいつまでも待っているということが起きていたことは確かである

いづれにしろ昼間ちょっと様子見にゆくだけで用が何かあるというのも不思議である
既に2時ころ高校生の見守りの人がきた、でもその人は駅の業務をしないのである
ただそこにいるというだけなのである、でも駅員が来てありがとうということがあったからその時何かあったらしい、何か人がいないと困ることはある

だから無人化して自動化ですべてまかなうことはできないと思った
それでもみんなそのことで騒がない、人を置いてくれとは騒がない
高校生の見守りが必要だとしたのは乗客の要望だったのかわからないけど市の方で決めて金を出すようにした、そこに乗客で要望を出したとは思えないのである

2019年04月08日

常磐高速の鹿島のSAの向かい側の山の休息所から海が見える (ここにいる人を見たことがないが車でも行ける道があった)


常磐高速の鹿島のSAの向かい側の山の休息所から海が見える

(ここにいる人を見たことがないが車でも行ける道があった)

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いつも見ている休息所に人がいたのを見たことがない

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休息所までの道

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ここから広く海が見える

いつも常磐高速のSAに行くと道路の向側に休息所が一つ見える
あそこちいた人を見たことがない、あそこに行けるのかと不思議に思っていた
実際はSAの入口から山の方に分かれ道がありそこは舗装されていなけど
そこを廻って行くといける
車でも行ける、そこの休息所からは松川浦まで見える、海が見える展望が開ける
気持ちのいい場所だった

でもあそこにいる人を見たことがないのである
あれはSAを作った時、設置したものである、それは展望がいいからである
展望台なのである
でもせっかく作っても誰もあそこにいるの行くのを見たことがないのである
だからもったいないと思った

それは行き方がわからないからである、あそこの分かれ道はわかりにくいからである
人間は近くでもわからない、ましてや遠くから来たから余計にわからない
そこでた常に案内が必要になる、スマホだけでもわからないことがあるだろう
第一あそこに注意してあそこに上れるのかと見る人もいないだろう
まず用をたす、食事することなどを考えるからだ
そして去ってくだけなのである 

人間は今車とか利用すると本当にその土地のことがかえってわからない
それで自分自身も山元町のことがわからなかった
電車で何百回も通っても山下駅を通り過ぎるだけだったからである
つまり便利な道具を使うとかえって地理がわかるようでわからなくなるのである
要するに地理を実感でわからなくなる
だから記憶にも残らないのである、歩いて旅した体で土地のことが記憶される
自転車でもある程度記憶されていてふりかえり詩にしたりできるが
車とかでは遠くに行けることが有利でも記憶されない

つまり遠くまで行ったということが記憶されないことがあるのだ
遠さの感覚もなくなるからだ
まず常磐高速でも通り過ぎるだけでありそれだと何も土地のことはわからないとなる
現代は面の情報より点の情報になっている
そして便利になりすぎてかえって地理でも見逃しているのが多くなるのである

人間は未だに近くでもわからない場所があった、昨日はそこを発見した
それは今日の俳句短歌の部に書く

2019年04月06日

常磐線(仙台ー原町)ー風で一時間以上遅れ (昨日は東京の中学生がカメラももって来ていた)


常磐線(仙台ー原町)ー風で一時間以上遅れ 

(昨日は東京の中学生がカメラももって来ていた)

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一時間は遅れていたー運休とも出ていた


今日は風で遅れた、今日は朝から風が強かった、
駅にいたのは中国人の女性二人と後から子供が二人きた
中国人は仙台行きであり子供は原町行だった
そこで説明した

一人は仙台行きだが一時間遅れの電車が原町でおりかえしでちょうど来るときだった
その人は駅前の大岩商店で菓子を買った、お土産に買った
あそこでお土産買った人をはじめて見た
やはり人の出入りがあると外部の人が来るとお土産を買う
駅と高速の鹿島のSAであれだけお土産を売っているのもそのためである
お土産は内容もあるが場所が影響しているのである

昨日は中学生がカメラバックをもって駅に来ていた
それがニコンのいいカメラだったのである
中学生にそんないいカメラもたせるのかとなる
東京の人であり中学生で二日くらい泊まり来るというのも驚いた
中学生には見えなかったからだ
東京だとなにか早熟になる、いろいろな人と接して成長するからだ
そういう刺激には都会では恵まれている

だから趣味を究めるにしても仲間もできやすいし上達する
そういう店もある、田舎だと何か人間的に文化的にも知識的にも遅れるのである
その一番の要因が本すら読めなかったことだった
本の量は今になるとこんなに膨大にあると思わなかった
今はアマゾンで古本の安いの主に必要な時買っている
それで知識量が増大したのである
何か調べにも田舎だとできなかった
今はインタ−ネットでできる、家に居ながら学者の論文も読める

とにかく一週間に一回と仙台に行っていたのは本を買うためだった
それだけ本を買うだけでそれだけの労力が必要だった
ところが今思うとその本すらほんのわずかし買えなかった
本の量は仙台の大型書店などの十万倍なのか百万倍なのかあまりにも膨大にあった
その中には古本があるからそうなる
通販で田舎の不利な点は解消したのである

ともかく春になると遠くから来る人が増えてくる、鹿島駅に撮り鉄とかマニアがくる
最近私もいい写真を撮ろうとしている、でもそうなると荷物になるのである
私は駅のウオッチャーである、今日誰が来たとか小さな駅で無人駅だからできる
ただ30分くらいしかいない、それでも一日一回は必ず寄っている

2019年04月04日

駅の高校生の見守り役は楽だ (それでもJRの駅員が来てお礼していた)


駅の高校生の見守り役は楽だ

(それでもJRの駅員が来てお礼していた)

駅の高校生の見守り役が楽である、大変なんだよなとかいうけどこれもおかしい
ただ今日は原町の駅員がきて何かあったのかお礼をしていた
何かあって連絡して来たらしい

ではなぜお礼をしたのか?
それはやはり団体でしているのかともなる
私は何かしても駅で困ったことが連絡してもかえって迷惑がられるからだ
つまり人間が認められるのは有効なことをしているとは限らない
やはり団体として認められるとそれだけで何もしなくても金が入る場合がある
それは上の方の天下りしている官僚とかがそうなる
椅子に座っているだけで金が入ってくるとなる

それで駅の前の自転車屋も不満を言っていた
自転車屋の人はいつも駅を見ている、そして何か聞かれることもあったからだ
でもJRでは何もお礼もないと言っていた

商工会にしても団体でしているから掃除を頼まれればJRで金を払っている
こういうことは個人ではできない、個人は今の社会では何もできないような仕組みになっている
それもわかる、なぜなら個人はどうして信用させるかむずかしいのである
それで自分自身が知らない個人を家に入れて手伝いしてもらって大変な損害をこうむったからである、大金を失ったからである
それは家政婦団体とかに入っていないし個人で働いてもらっからそうなった

もし団体だったら今度は団体の責任に連帯責任になる
団体が会社がその個人を雇って派遣するからそうなる
純粋な個人だと何かあったとき他に誰も責任はとらないからだ
だから現代はみんな組織であり団体で行動している

カルト教団などでも労働組合でも何であれ団体化組織化しないと信用されないし圧力にもならないし権力を持つことができないからである
だから団体化組織化しないと今は何もできないということがある
何かいいことをしても個人だと得体の知れない胡散臭い奴だとしかならない
団体組織に入ればそれでその人に一目置くとなる社会である

ただ私はそこをボランティアというのではなく、一つの広場として人の行き来を見たり知っている人と会って話したりしている
今回は足の悪い女性が向こう側のホームから階段を上り下りてくるのに時間がかかる
病院に通っている女性だった、前にも見ているからだ
それで大変ですねとか声をかける、そういうことはいくら監視カメラを見ていてもできない、ロボットでもできないのである
だからエレベーターが必要だということもわかる
本当に老人がここの階段で落て大けがをしたことがあったからだ
結構駅の階段は老人にはきついものとなっているのだ

向かい側の原町行のホームの休憩場に原町行という方向を示すものを設置した
それは水戸管理局の人が何人か来たときあそこに設置するとわかりやすいと私が言ったのである
なぜなら改札口を出るとすぐに目に入るからである
ただ駅には三か所原町行を示す表示板がある、それでもわかりにくいのも不思議だった

いづれにしろ駅のボランティアの監視員のようになっているのが自分だと思った
ただ私は昼間にせいぜい30分くらいしかいないのである
ただ駅によるのが気分転換みたくして寄っているだけだとなる

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ここが一番わかりやすかった


2019年03月28日

鹿島駅の高校生のNPOの見守りは三人交代でしている (一人は相馬市の人だった―情報には知的なものと情的なものがある)


鹿島駅の高校生のNPOの見守りは三人交代でしている

(一人は相馬市の人だった―情報には知的なものと情的なものがある)

その人がなぜ昼間に駅にいたのか?
制服を着ているからすぐにわかる
昼間も何かあるから見てこいと言われたという
でも奇妙なのは駅の業務にかかわらないという契約で南相馬市でNPOに頼んで人を置いたのである

そこの人はなるべく乗客とはかかわらないと言っていた
めんどうなことになると嫌だからとかかわらないとしている
それは私自身が何かおせっかいでかかわりそんなこと知っているとか地元の人に言われたからである、迷惑がられたし警察がきて怪しいと職務質問もされた
それからJRの人にもかかわるなとか何か嫌がられている

でも何か変なのである、駅の業務にかかわらないとしたらそこになぜいるのか?
ただ高校生の見守りだけ何もしないのである
だからそこにいる人は携帯用のテレビを見ているだけだとなる
それはいるだけでも安心感はある
だから無駄だとはならない、でもいくらもらっているのか?
南相馬市から金は出ているからあそこでその役割がある
つまりもし無料でしいているなら何も市民でも文句など言わない
そこに南相馬市民の税金で多少でも払っているとなるとまた別になるかもしれない
そして相馬市民にも金を払っているということもある

ただ駅で何か案内といってもそんなにはない
地元の人は自動化していることでわかっているからである
それでも遠くから地元の人でないと自動化してもわからないということを書いてきた
そもそも駅の業務にかかわらないとしてJRと南相馬市が契約してはじまった
その理由は何なのか?そのことも理解しかねるがそれを疑問に思う人もいない
それだけ今は駅に関心がないのである

人間はただ何でも機械化自動化してどうなるのか?何かそこに欠けるものが生まれてこないか?
実際はスマホとかばかりみているとかSNSでコミ二ケーションしているがそれだけで人間社会が成り立つのかとなると疑問になる
それは自分自身がパソコンで発信しているから否定はできない
ただ今の社会に欠けているのは何か人間が失っているものがある

家庭に、学校に、会社に、社会に、街中に会話をする声が耳に聞こえる事がない。まあ、考えが無いんだよなあ。だから話す事がないんだ。笑ってしまう。 まあ、岐路に来たんだ。欧米の真似をしてきたんで考える必要がなかったんだ。もう、自分で考えなければならないんだ。根底からさ。信じるものまで届くまで考える必要があるんだろうなあ。だから、揺さぶられてしまう。根が深くなければ、ちょっとした風でも倒れてしまう。

これは何を言っているのかわからないけど

家庭に、学校に、会社に、社会に、街中に会話をする声が耳に聞こえる事がない。

これは言える、みんな駅でもスマホを見て人がいても関係ないとなっている
人がうざいのである、だから何か話しかけると嫌がある人が多くなる
でも結構駅ではちょっとでも自分は話したから話するのがみんな嫌だとも見れない
それは人による、でも一般的に現代は会話がない社会である
だからこそ自動化無人化がすすめられる、人がいなくてもいいとみんなが思っているからである、特に駅に鉄道を利用しないから関心がないからである

江戸時代とか戦前とかは何か会話が多い社会だったろう、それは狭い地域で暮らしていたからである、それで田舎ではかえって根掘り葉掘り聞かれて嫌になることがあった
ただ逆に現代は生の面と向かった会話が少ない社会である
そこで一見情報社会で膨大な情報にふれていても何かそれで心が豊かになったとも思えないともなる

情報という感じは情に報えると訳した時何かここに日本人でもそこにただのインホメーションでないものを伝統的にもっていたからこの訳になったのかもしれない
インテリジェンスでも情と訳されていない、インテリジェンスは分析加工とかの意味があり情報にはただ知るだけではないそうした作業が不可欠である、それをテレビではしているがその加工された編集されたものによって偏ったものに必ずなっているのである、インテリジェンスは自分の頭でするものであり他人の頭でするものではないとなる

情報に知的なものがあっても情があって情報があるとなっていないのである
人間が直接かかわるとやはりそこに必ず自ずと情が働くのである
スマホの方が今でも便利である、知的にはそうである
ただそこには情が欠けた空間なのである
一方で情だけでは知的なものではたりなくなる、なぜなら知らない場所に行ってまず正確に丁寧に道を教えたり目的の場所を教える人はいないからである
そうなるとスマホの方が知的にはいいとなり地元の人に聞いたりしないのである
それがただ一方的に今は知的なものだけになっているのが問題だとなる



2019年03月19日

無人駅の日立木駅の待合室が一部壊される (そこで会ったのは中国人の高校生だった)


無人駅の日立木駅の待合室が一部壊される

(そこで会ったのは中国人の高校生だった)

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ここには防犯カメラがなかった



相馬市の道の駅から駅にかかわったので日立木駅に来てみた
そしたら待合室が壊されていた、それは結構損傷が大きい
そしてそこにいたのは中国人の高校生だったのである
その高校生は4年間くらい日本にいたとか普通に日本語がしゃべれる
相馬市の東高校に入学して中退したとか言っていた
一年生でやめたらしい、母親は中国人である

そこで日立木駅の入り口の待合室が一部壊されていた
そのことで話し合っていたら見守り隊のパトロールが来た
それで高校生はスマホを貸してその見守り隊の人が警察に連絡した
私は警察に連絡しろと言ったからである
鹿島駅で落書きをされたとき警察に連絡したからである

とにかく無人駅は特に日立木のように日中だと一人二人くらいしか乗り降りがない
駅前にはなにもない、人の目が全くないとなると荒らされやすい
そしてそこには防犯カメラが一台もなかった
これも不思議である、鹿島駅には4台くらいあるからだ
なぜここはこうして見ている人もいないのに防犯カメラがないのが不思議だった
こういう場所にこそ防犯カメラが必要だからである
おそらく費用の面でとりつけないのかもしれない

まず日立木駅は乗り降りするにも一人か二人しか昼間は見ない
高校生の通学などでは三人四人とかなるかもしれない
それだけ少ないから駅でも人がいることはほとんどないともなる
そういう所は昼間でも誰も見てないから荒される
そういうことは予想していた
それを現実に目にしたのである
ただこれが昼間にしたのかどうかはわからない
鹿島駅ではまず昼間は人の目があるからできない
向かいの自転車屋の人はいつも見ているからである

ここも水戸管理局内で管理している
水戸管理局の人は水戸から来るのではない、ここに住んでいるのである
ただ管理局が水戸になっているだけなのである
しょちゅう水戸から来ていたらやはり大変だと思ったがそうではなかった

ともかくその中国人の高校生と駅で話してこんな人がいたのかと驚いた
中国人は良く見かける、女性が日本人と結婚した人も知っている
その高校生は日本語では困ることがない、第一高校生なら読み書きだってしているからである
しかしその人は相馬市の東高校に入ったがやめたという、その理由はわからない
それで今度は原町の高校を受験するとか言っていた
それで通うので駅に来たのだという、駅の近くに住んでいたのである
あれだけ日本語ができるということはもう日本人になれると思った

中国人で女性の人が裁縫会社のフクソウに来ているが日本語はしゃべれない
ただ昨日はコンビニで阿武隈信用金庫のカードで金を下ろせないと騒いでいた
それは本当に下せないものだから信用金庫に行って直接聞いてみないとわからないと教えた
中国人はそれなりにいる、ただ中国人は前と違ってそんなに貧乏ではない
むしろ中国人の方が日本人より金持ちが多くなっている時代である
だから日本に来るメリットがそんなにあるとは思えないのである

ハルビンから来たというがこの辺はその方面からの人が多い
名取の空港から飛行機で行くのかと思ったら行けないという
新潟から行くと言っていた、北京から三時間で成田に来た
中国は飛行機だと近いのである、ただ新潟まで行くとしたらちっょとめんどうだなと思った
ただ飛行機で直接ハルビンに行かなくても北京に行ってそれから電車を利用すれば行ける
とにかく今は中国は近いのである

いづれにしろ日立木駅で中国人の高校生と話しするとは思ってもみなかったがそういう時代だともなる、どこに外人がいるかもしれない時代だともなる
東京に行ったら外人だらけだとなる、田舎でもやはり外人がこうして普通にいるからである
あの人はもう日本人であり日本で暮らすのに困らない、でも何か学校でつまづいたのだろう
それは日本人だって学校でつまづち、不登校になる
自分自身も高校は嫌だった、そこで勉強嫌いになったのである
その人が東高校を中退した理由はほからないがやはり何か中国人だからなのか?
他でもそういう人がいたとかテレビで見たからそうなのか?
別に言葉に困らないのだからなしめないとは思えない
言葉が通じなくてなじめないとテレビでは放送していたからである

この人の場合はほとんど言葉では困らないのである
第一また原町の高校に行くということは日本語でもできるからそうなっているのである
中学とか高校で外国に来るとやはり外国に溶け込みやすい、言葉も覚えるのである
だから外国になれるには若い内なのである
人間は何でも時期がありそれを逃すとできなくなるのである
それで自分は50歳で外国旅行して大失敗したからである

2019年03月12日

望遠レンズで電車を撮る


望遠レンズで電車を撮る

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これは一眼レフの望遠レンズで撮った、これまで利用しなかったがやはり良く撮れている一眼レフは重くなり持ち運ぶのに不便なのである
特に自転車だと余計にそうなる、それでカメラを落として壊したがレンズ部分だったので本体は壊れずに助かった
一眼レフなにか構えて獲らないとまくいかないだろう
とっさに反応して撮ることはむずかしい
駅で待っていて撮った
撮り鉄がいるがそれはやはり電車というのは絵になるからである

今回でも望遠レンズだから紅梅が映っていたのである
電車は景色とマッチするからいいのである
あとは広角レンズをアマゾンの中古品で買うのもいい
そうなると持ち運ぶに大変になる
そして写真をとるために旅するようにもなるからかえって回りのものを人間の五感で見ないということがある
そこも問題だと思った、やはり人間の五感にまさるものはないからだ
そうはいっても紅梅が映っていたということでそこが新鮮だった
なかなか肉眼で見えないものが写真で見えるということもあるからだ
その兼ね合いむずかしいとなる

2019年03月08日

以前として原町行と仙台行きがわからない人がいる (JRの人が4人今日見に来た)

以前として原町行と仙台行きがわからない人がいる

(JRの人が4人今日見に来た)


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こういうふうに書けばわかりやすい

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2とかは二両の電車が止まる位置、4は4両となる



今日駅に四人ほどJRの人が来た
何を見ていたかというと2とか4の番号があるけどあれは二両の電車が止まるとか4両の電車が止まる位置だった、あれは普通はわからない

それから仙台行きと原町行きのホームがわからないので良く聞かれると言った
そのために向かい側に渡る階段の前に原町行と書いたものを入口にかかげたが
それでもわかりにくいのだろう
駅の入り口に1番線と2番線の仙台行きと原町行のことを書いた紙を張ったがそれでもそれがわからないのである
これも意外だった、初めての人はわからない、気付かないのである

だから向かい側の2番線の休憩所のところに大きく「原町行」と書けばわかりやすいと言った、ただJRの人は誰かわからない人が言うことを聞かない
でも原町の駅長は私がそのことを言ったら聞いて階段の所に原町行と書いたものをかかげたのである

何かこういうことでも現場にいないとわからないのである
私自身がそんなこともわからないのかと思った
はじめての人には意外とわからないものなのである

今日は競走馬で引退した馬を見に来る人がいた
それで案内した、その人はその馬主と事前に連絡していたのである
それは右田の建設会社の置き場にあった
それは牧場でないからわかりにくくかったのである
有名な皐月賞をとった引退馬だからぜひ見たいと来たのである
それで私はそこまで案内した

そのことは明日書く、写真をとれなかったから明日写真をとってそのことを書く
案内することは時々ある、ただ不愉快なのは何かわからないと思い説明すると説明されなくてもわかっているとか怒る人すらいる
それは地元の人だった、だから何か教えたくてもむずかしいところがある
相手が聞いてきたと聞きならいいが自分が何か案内する人となっていないからから聞くこともしないともなる
その辺は何か身分がない認められないボランティアはやりにくいのである

でもNPOの高校生の見守り役は何の役にもたっていないといつも見ている自転車屋の人は言っている
第一駅の案内を運行でもなんでも鉄道に関してはしないと契約を交わししているからだ
それは市とJRで決めてそうなったのである
でもどこから見ても駅員に見えるのである
だからそういうことを聞かれて案内しても別にいいのである
でもJRでは責任をとらされることを恐れるから嫌がるからそうしている

なにかこれもおかしいのである、無人駅で責任をとらされるとしたらその他にもある
子供が入ってきたり何か無人駅で危険なこともある
では何かあったら誰が責任をとるのかともなる
無人駅だから責任は乗客にすべてあるとなるのか?
ここにも無人駅の問題があるがJRではそんなことかまわないのである

この見守り役にしてもそこで何をしているのかというと小さな携帯のテレビを見ているだけなのである、あとはなにもする必要ない、ただ高校生は通り過ぎてゆくだけだからである
それで市で金を出すというのも何かおかしいとなる
ただ個人的なボランティアは一切何か認められないのである
ただ怪しいとか警察に通報されたりJRでは嫌がられるだけなのである
前の自転車屋は四六時中を駅を見ている
でも一切JRの人は来ていない、自転車屋は案内所みたくなることがある
聞く人がいないからそこに聞きにゆくことがあるからだ
でもJRでは一切関係しないのである
JRは何か無人駅にすればすべて事がすむとしているからだ

ただでは乗客でも問題がある、みんな利用しないから駅に鉄道に関心がない
もし多くの人が利用すれば関心を持ち無人駅ではだめだとかなる
でも関心がないから無人駅でいいとなる、そして無人駅でもわかっているから説明もいらないとなる
それでも盲人団体の人たちは東京で事故があり死んだとかあり無人駅にするなと抗議しているのだ、それは団体だからできたのである

ここでも毎日盲人の人が按摩で通っている、それで私は案内したりする
その人を毎日自転車屋の人は見ているのである
誰が来ているから毎日見ているのである、それは四六時中駅のじき前であり見えるからである、だから自転車屋が案内所に向いている
そこにはいつも人がいるからである
それで今日も自転車屋の人と話したのである

でも不思議なのはヨ−ロッパでは駅があってもホームに出入り自由である
無人駅とにている、自転車でもそのまま入ってのせられる車両がある
だから自由である、でも何かあったら自己責任になっているのだろう
私はわからないのでホームにある検札を入れる場所が機械があるのにしないで怒られた
それをしないと相当な罰金になっている
そういうことは無人駅と同じになっているのかもしれない
ヨ−ロッパでは日本の駅でも他でも自己責任になりやすいのである
そこで事故が起きてもそれは乗客が悪いとなるからそうなっている
日本がでは会社の責任になりやすいからうるさいとなる
責任をとりたくないからそうなることはわかる

2019年03月06日

駅から見える社会(高齢化社会で葬儀に来る人が多い)


駅から見える社会(高齢化社会で葬儀に来る人が多い)


駅にどういう人が来るのか?
多いのは葬儀に来る人である
昨日も横浜から葬儀に来た人だった
前は常磐高速を来たが今回は新幹線で来た
それは高速は楽なのだが高速に入るまで混雑するからだとも言う
高速は楽なのかとなればそうなのかとなる
結局車をもたないものは車のことはわからないのである

その人見た感じは相当年である、80歳にはなっているだろう
二か月前にも葬式に来たという
何か葬儀に来る人が多いと見ている
それは高齢化社会が影響している、高齢化社会とは介護とか病人とかなる人が増えてゆくのである、また多死社会になるのである
それで駅前が農協の葬儀屋になっていることでもわかる
それはあまりいい印象を与えないのだがやはり時代なのだろう
前はそこはスーパーだったからである
そして田舎だと毎月のように葬儀にでて香典を出す人がいる
親戚が多かったりするとそうなるし死ぬ人が増えるからそうなる
そこでその出費も大変なのである、それも無駄だと思うが人間関係が田舎だと濃密だからそうなる

とにかく知っている人も実際に何もしない、いつも腰が痛いとかなんとかで半場病人のようになっている、そして病院に行くことが多いから金がかかるのである
他の人でも駅であった老人も月に三万が医療費にかかっているという
3万となれば保険があってもそうなれば相当な金を払っていることになる
ある人は糖尿病で最近はしょっちゅう点滴とかで入院している

また同級生は一人は脳梗塞になり足を悪くしているが一人で暮らしている
もう一人脳卒中で死線をさまよったが頭も何でもないし体も普通にもどっている
ただやはり相当に体が衰弱しているから無理はできない
それは見た感じでわかる

駅でも老人が多い、高速のSAは若い人とか世代でもいろいろである、子供多いから子供の遊びも用意している、駅は高校生の通学が多いがあとは老人が多いとなりかたよっているただなんらかで老人が鉄道を利用する人が増えていることは言える
だから高齢化社会の交通は車だけではないものに変えることも必要になる
つまり高齢化社会は車社会を見直すことになりうる
それは悪いことではない、あまりにも車社会になりすぎたのである

自転車でも自転車道路があれば使いやすくなる、日本では狭いからまた作りにくい
また坂が多すぎるから自転車も利用しにくい地形的に不利な点がある
ヨ−ロッパなどは平坦な道がどこまでもつづいているからだ
とにかく自転車で困るのは坂なのである、だから電動自転車がいいとなる
今回のヤマハのYPJ-XCはE-BIKEは意外と老人向きだったのである
すいすいと悪路でも坂でも上れるし乗った感じまず今までのとは違う
それはドライブユニットが進化したからそうなっていたのだ
それは体力がない老人用にヨ−ロッパでは開発されていたのである

高齢者社会というとき負の部分が多いののは確かである
病人とか介護とかばかりなるとそれはただ子供とか孫の世代の負担になるだけだとなるからだ
プラスの面としては高齢化社会はそれに適応した社会に交通でもそうなることは悪いことではない、車社会を変えることにもなる
それはかえって暮らしやすいものとなるかもしれない、やはり車だけの交通社会は老人には向いていないからだ
とにかく駅から見えてくる社会がある、駅ではちょっとした会話が成り立つからこの人が何で来ているのかわかったりする、それがいいのである
常磐高速のSAではそういうことがわからないのである
ただ一時たちよるだけである
駅の場合は何かその町に市に用事があってきているから高速のように通り過ぎるだけではない、そこが高速とは違っているのである
だから高速はほとんどSAから町には市には寄らないのが多いのである


2019年02月19日

悪質な駅のトイレの落書き (これは夜にしていると犯人は知るのはむずかしい)


悪質な駅のトイレの落書き

(これは夜にしていると犯人は知るのはむずかしい)

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駅のトイレにこれだけの落書きをしていた、これはひどい、悪質である
このトイレはJRが管理しているのではない
市で運営してるトイレなのである
それで毎日障害者施設のあさがおの人が来て掃除している
ぴかぴかに磨いているのである
その金は市から出ている

これは別に無人駅だから落書きされたともならない
なぜなら他でもコンビニとかでも夜に落書きされているというからだ
ただ空家とかはされやい、無人駅でもあまり人の出入りがないとされやすい
でもこれは無人駅だからというのではない
夜に落書きされたらわからないからだ

ただ無人駅でもカメラ4台があり監視しているがトイレにはない
駅だけにあるとなると誰かはわからない
この苦情は市の方にゆき、また警察に連絡するとかなるかもしれない
ただ毎朝あさがおの人が掃除しているからこれも掃除して落とすことになる
その時なんらか市の方の係に連絡することになるかもしれない
これは悪質である
別にこれは空家だとか関係ない、コンビニでも夜にされているとういからどうにもならないとなる


「BSP CLOTHING」というYoutuberは、オーストラリアを拠点に活動するグラフィティアーティストだ。

Facebookには衣料品ブランドと紹介されているが、これまでにオーストラリア、タイ、ドイツ、フランスなど様々な場所で落書きを行っている模様

落書きは、他人が見ていない時間や場所で行われる卑劣な行為です。犯人である当人たちは面白半分でも、落書きをされた側の個人の住宅や店舗にとっては深刻な被害です。消すために多額の費用や時間を要する場合もあることから、すぐには対応できない状況もあります。落書きは、人に不快感を与えたり、まちの美観を損ねるだけでなく大きな犯罪へとつながる危険性も潜んでいます。

【参考】刑法 第261条(器物損壊等)→3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料
【参考】軽犯罪法第1条第33号→拘留又は科料

落書きは結構罪が重いのかもしれない、実際に悪質であり後の処理にも手間になる
それより公共の場でされると目立つから困る、通りでもそうである
でも世界でも全国でも落書きは多い、

ただここでMEMORY 20の意味がなになのか?
20歳のことなのか?
これは外国人なのか?、その辺は謎である、外国人も多くなり落書きしているというからだ、外国人の落書きは大胆なのである

これは無人駅だからといって起きた事件でもないが何か人がいないとこういうことをされやすいのである

秋田、青森両県のJRの無人駅8駅で25日以降、駅名標などに落書きされているのが相次いで見つかり、JR東日本秋田支社からの被害届を受けた両県警が建造物損壊の疑いで捜査を始めた。

 落書きされていたのは、羽越線の折渡(秋田県由利本荘市)、奥羽線の前山(同県北秋田市)、糠沢(同)、下川沿(同県大館市)、五能線の艫作(へなし、青森県深浦町)、追良瀬(同)、驫木(とどろき、同)、陸奥柳田(同)の各駅。いずれも駅員は常駐していない。

こうなりやすいことが無人駅にはある、つまり管理している人がいないからだ
勝手にホームにも入れるしそれでJRの人が点検に来ていたとき勝手に入るなと言われたけど普通は管理する人がいないのだから自由に出入りできるのである
だから無人駅人が管理しない家でも土地でも荒らされてもどうにもならないのである

2019年02月17日

不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか (無人駅ではどうなっているのか?)

                
不正乗車は「運賃3倍」徴収、時代に合っているか

(無人駅ではどうなっているのか?)

 今では駅の無人化や省力化が進んでいる。改札口にバーのない入出場を記録するための簡易なICカードリーダーが設置されているだけの駅も増えている。その点では有人駅が多かった時代よりも、監視の目を盗みやすく少額の不正乗車がしやすくなっている面もある。
 乗車券確認が乗客の行動に委ねられることになるのならば、引き換えにその信頼を破壊した場合のペナルティを重くすることで、抑止を図るというのは合理的である。

 東洋経済オンライン

感心するのは無人駅では入り口に乗車券とか入れる箱を設置している
それを定期的に見回りに来て回収する
それを見ているとみんな真面目であり切符を入れている、それには感心する
通り抜けることは簡単だからである
例えばA駅からBCD駅となるときB駅までの切符を買ってD駅は無人駅だからそのまま素通りすればわからないからだ
それはキセル乗車とにている
なんかそんな経験している人は多いのである、それに責任も感じなかった

最近遅きに失したが社会的責任を感じるようになった、人間は社会的責任を感じるには仕事をしてみないとわからない
だから自分の欠点は備わらなかったのは社会性だった
旅ばかりしていては社会性は備わらないのである
だからニートとかの危険性は社会性が備わらないからある所で介護とか何かあると危険になる、対処できなくなるのからだ

要するにここで問題になっているのはサービスを提供する側と提供される側の問題なのである
第一そうだろう、何か食堂に行ってもどこかで買い物するにしろ何でもサービスを提供される側にばかりなっていたら社会のことはわからない
もし仕事しないニートとかなるとそのことがわからないのである

そしてサービスを提供する側には必ず責任が生じる
それで必ずクレームが文句が言われるし責任が問われるのである
でもサービスを受ける側、消費者側になると何も責任を問われないのか?
それが無人駅とかの問題だったのである

サービスを提供する側でもそれ相応の金をもらえないと提供できないのである
千円でいい料理をだしてくれと言ってもそれには限度がある
それはなんでもそうである、金によって提供するサービスには差が生じるからである
JRでは経営上収入がローカル線などでは少なくなっているから駅員を置けないのであるそれが東京でもかえって自動化したのはそれだけ自動化した方が手間が省かれるからだ
そこで経費を節約できるからである
機械化自動化は医療でもAIを利用する時医者不足だから機械に頼るようになるのであるそれはこれからどこでもそうなる
ただもし駅員を乗客側で置けと言うなら今の乗車賃を倍にするとかなる
また不正乗車を見つけたとき多額の金を罰金として払ってもらうとかなる

ここまで考える人は少ないだろう、それはJRという会社が巨大会社だから別に倒産するようなことがないからだと思っている
でもローカル線では経営的にコストとして維持できなくなり廃線になる
それを維持しろといってもできない、サービスされる人が利用しないのだからできないのである、それを維持しろというのは勝手だとなる
それで自治体がかかわり費用を負担するとかしてなんとか維持するとなる

結局現代の資本主義社会は金が責任なのである、もうからなければ金にならなければ維持する責任などないのである
もしJRで駅の高校生の見守り役でなくて駅の業務にかかわらせると切符販売でもさせるとそこに費用の負担が生じるからしないのである
業務委託すればJRで金を払うことになるのだから無人駅にする意味が価値がなくなるからである

要するに現代の社会は金が責任なのである、百円、千円、一万と金によって責任が課せられている、だから何であれ一億円持っている人は一億円の責任が課せられることになる
それをギャンブルとか無駄に使うと責められるのである
だから金のない人は責任はないとなる、だからかえって気楽だともなる
とにかくなんであいつはあんなに金をもっているんだ、その分を社会に尽くしてもらおうとなるからだ
金を与えるということは責任を課されたともなるしそれは雇うことは金で責任を与えることになる、それで悪ふざけで動画をインタ−ネットにアップしアルバイトは賠償金まで請求されることになる
ただそうはいってもなぜアルバイトがそんなことをしたのか?
それは自給とか安いからでありその自給なりの仕事と責任しかないということでそうしたからそんなに責めるべきではないというときもそうなのである
金の多寡によって責任の度合いが決められているのが資本主義社会だからである

いづれにしろ無人駅の問題はサービスを受ける乗客とそれを提供する側の両者に責任がある、責任は何か一方的なことはない、原発事故でも責任は住民にもあったというときもそうである、金欲しいから積極的に誘致したのも事実だからである
だから住民の責任もなにかやとあるが問われる結果になったのである

江戸時代なら政治に庶民は口出すこともできないから責任は全部侍にあったとなり重い責任を課せられていた、それで切腹させられたのである
それで庶民はそういう重い責任を負いたくないから侍になりたくないとなっていたのである、気楽な方がいいとなっていた
でも今の社会はあらゆる人が責任を課せられている社会なのである
それも金によってその責任が問われる明確化されている社会だとなる
何であれ金を多くもらった人はその分の責任が問われる、果たしてくれとなる
金の多寡によって責任の度合いが決められている社会だともなる
とにかくなんらかの責任の自覚をする、それを庶民にも要求される社会である
だから不正乗車を軽く見ることはできないともなる
ローカル線とかげは金を払わないから廃線になる、でも廃線にするなと言うのは無責任だとなるからだ


2019年02月16日

無人駅の責任問題(自動運転の責任問題に通じている)


無人駅の責任問題(自動運転の責任問題に通じている)

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切符の販売や清算、列車の運行等に関する駅業務のご案内はいたしかねます

なぜこのようにわざわざ書いたのか?
また乗客に表示してわざわざこういうことを記しておくのか?

これはJRが責任を明確にして責任をとりたくないからである
それは私が自作した時刻表とかまた案内の紙でも張るなと言われたからである
それはなぜだったのか?

それはもし私がそうしたらそれはJRで許可したことになり苦情とか問い合わせがJRにゆくからそういったのである
別に悪いことをしていない、JRのためにもいいことなのだがJRではそうさせない
それはそこに必ず責任問題が生じるからである

だからなぜわざわざこのことを明記しておくかというとその駅に人を置くのはあくまでも南相馬市と業務のことで相談して契約したのである
そのことは新聞に出ていた

ここに人を置くのはあくまでも高校生の通学者の見守りとしているからだ
そのためにJRは駅の業務のことはかかわらせないようにした

もし駅の業務で委託するとなるとそこに責任が発生する

JRで頼んだのだからJRにも責任があるとなる
そしてこうした大会社になると何か事故とか問題が起きると大きな賠償金を要求されるのでそれを恐れるのである
それは市役所とかでも国とか大きな会社でも賠償金を要求される
それだけの支払い能力があるからだ、アメリカの会社では何百億もの金すら要求されたからである、だからこうなると責任のことに相当に気をつかうことになる
それがこの一文の表記ではなかったか?
また市から委託されたことでnpoの人も駅の業務には責任を持ちませんということになる
そのことで責任を負いませんともなる
市では金を払っているからだ、ただその仕事は高校生の見守りに限定されているのである
でも不思議なのは無人駅でも問題が起きることがある

そしたら誰が責任をとるのか?

例えば子供が無人駅だから勝手に入ってきてホームで遊んだりしたのである
そこで事故が起きたら後誰が責任をとるのか?
その責任はとる人はいないのである
そうしたしらその子供が悪い、親がいたら親の管理責任だとかなるのかもしれない
無人駅にしたのは経費節約のためであり乗客がそのコストを払わないから無人駅にしている、だから乗客にも責任があるとなる
JRではサービスを提供するにしても経営が苦しいのだからその分乗客が自主的に利用してくれとなる

実際に盲人がホームで事故で死んだりした、その時JRに盲人団体が抗議した
今でも無人駅化に反対している
それにもまた問題がある、その盲人に払う手間とかありそれを払うのがJRだけなのか?それは国の福祉問題でありJRだけにその労力を払わされるのでは困るとかなる

ともかくこれは自動運転で一体事故が起きたら誰が責任をとるのか?
そのことで問題になっているがこさとにているのである
ロボットとか機械とかコンピュターのソフトとかいろいろあっても結局責任をとるのは人間なのである
この責任問題から人間が逃れられないようにできているのである

だから悪ふざけで動画をインタ−ネットにアップしたアルバイトの料理担当者が会社の評判を落としたと賠償請求するとかなる、現実に株が下がったとか実害があった
つまりアルバイトでも責任がそこに生じている

そして必ず雇う側でも雇われる側でも責任が生じている
雇ったらその人の責任をもつ、その仕事をやらせる責任をもつ、雇われる側もその責任をもつ、双方に責任をもつ、そういう自覚のもとに契約するのである
だから実際は雇う側も雇うとき慎重にもなる、変な奴を雇って会社に損害与えるようなことになったらまた責任を問われるからである

ともかく常になんらか人間社会は責任がつきまとっていてそれから逃れられないのであるそれで会社とかではその責任を問われることを恐れるからこうして慎重になる
でも無人駅にして責任はないとかにはならないのである
いくら自動化してもそこで何かあったら責任はJRに会社に問われるのである
なんとか責任を逃れるようにしても逃れられないというのが現実なのである

そもそも人間は生まれ時にすでにそれだけでもう責任が問われて生まれてきていたのである
それだからこそ泣いて生まれてくるのだという理屈も成り立つ
そもそも人生そのものの責任からも逃れられないのである
それも死なない限り責任から逃れる術がないのである


2019年02月09日

JRの業務委託の駅員が不正


JRの業務委託の駅員が不正

福岡市交通局は8日、市営地下鉄の駅構内に乗客が捨てた1日乗車券を駅員4人が拾い集め、不正使用していたと発表した。手口を教えあったり、拾った券を融通しあったりして、昨年4月から今年1月にかけて計118枚を帰宅する際に使ったという。

 4人は、交通局が業務委託したJR九州子会社「JR九州サービスサポート」の50〜60代の男性契約社員。福岡空港駅に勤務し、乗客の案内などを担当していた。会社の調べに「交通費を浮かせようと思った」などと話しているという。

こういうこともあるんだな、無人駅では切符を捨てる人がいる
それは入り口に切符を入れる箱があるがそれがわからないことがあるからだ
初めての人はわかりにくいのである
そこには別に切符でなくても金も運賃も入れられるのである
でも運賃がぴったりでないと多くても少なくても困るのである
それで無人駅から乗った人に自分がちょうど小銭があったのでぴったりにして払わせた
その箱は原町駅の人が見回りにきて回収しているのである

この事件は業務委託しているからJRで頼んでいるから金も払っている
今鹿島駅に朝9時頃と3時半から7時ころまでいる人は業務委託されていないのだ
ただ通学の高校生の見守り役なのである
それはNPOが市から委託されてしている、だから市の方から金が払われているのだ

ただここで問題なのは業務委託して金までもらっている駅員となっている人が不正を働いたことである、これで思ったことは乗客は真面目だと見た
無人駅から乗ったとか別に誰も見ていないのだからそのまま通り抜けてもわからないからだ、真面目にみんな駅員がいなくてもごまかさないのである
何か律儀だなと見た、それには感心したから今回の駅員が不正することがそれも業務委託されて金までもらっている人が不正をしたということが対象的にそれが悪いものに見えた
なぜならそもそも駅員が不正したら乗客だって不正して当然だとなってしまうからであるこれは官僚でもなんでも上に立つものが不正したら下の者も不正してもいいということにもなる
駅員が不正していたら乗客も不正してもいいとなるからだ

無人駅化しているのは乗客が不正しないモラルがあるということで成り立っている
無人販売でもそうである、それは客を信用しているからできる
無人駅なら別に通り過ぎてもわからないからだ
そこにあまり悪いという感覚がなくなるのである

でも鉄道を利用する人が地方だと少ないから鉄道を維持することに金がかかるからJRでは無人駅にしているのである、すると客も鉄道を利用する人もそういう自覚が必要だとなる無人駅だからといって運賃を払わなくてもいいということではないのである
ただでは鉄道を維持しなければならないとかそういう自覚を持つ人は少ないだろう
現実に廃線寸前のローカル線でも別に車は利用しても鉄道はあえて利用しないからである
いづれにしろ業務委託することはJRで金を払うのだから責任が生じる
私はボランティアでありわずかの時間しか駅にいない、だから何の責任もないのである
つまり金をもらうことは責任がそのことで生じているのである
金をもらわないボランティアは責任はないのである
また責任あることはしないとなる、それがボランティアなのかもしれない
だから気楽であるが金も与えられないしその仕事すら認められないのである

いづれにしろ仕事という時サービスを提供するものと提供される者がいる
意外と提供される者は提供する者のの心がわからないのである
それは自分自身が一方的にサービスを提供される方だったからそうだった
サービスを提供する者の心を知るには自分もそうして仕事をしてみないとわからないとなる、サービスを提供する方の気持ちもその仕事をしてみればわかるとなるからだ
だからキリストが仕える者になりなさいというときそのことだったともなる
食料だって作る人の苦労をしらなければそのありがたみもわからないのである
だから消費者が王様だというのはおかしいのである
生産者がサービスする方が偉いともなる、それは金に関係なくそうなのかもしれない
何も提供しないものは実際は何も得られない、そうなるのが人間関係だともなる




タグ:駅員の不正

2019年02月04日

強風で18時頃まで全運休 (二人がバスで原町まで行けたのは幸運―バスの時刻表作る)


強風で18時頃まで全運休

(二人がバスで原町まで行けたのは幸運―バスの時刻表作る)

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一人が3時前に駅に来た、原町駅に行くと言った
電車は運休なのでバスがあると言ったら一人で歩いて行った
その人は幸運だった、ちょうど3時21分の原町駅前行があった

案内したら一人がバス停で待っていた
3時21分は原町回りの飯館行きである、それで原町駅行きが三便増えた
それを時刻表に作った

原町までタクシーで行くと4000円はとられる、風の時電車は困る
今回は幸運だった、飯館経由の福島市行に乗れたからだ
こういうときはバスが必要なのだが少なすぎる
それでも三便増えたということで乗れたのである

2019年02月03日

常磐高速のSAは日曜日でもすいていた (小高の若い人が働いていた)


常磐高速のSAは日曜日でもすいていた

(小高の若い人が働いていた)

鹿島のSAで小高の若い人が働いていた、あそこでは30人くらい働いているだろう
掃除する人だけで10人くらいとかきいた
土曜日とか日曜日に行くと車が一杯だった、食堂も一杯だった
今日見たら閑散としている、めずらしいと見た
正月に外出したから今はまだ寒いし雪もふったから外出しないのだろうと言った
それからどきうししても常磐高速は二車線なのでつかえるから利用しにくいと言っていたそれで東北道を利用する人が多い

それはわかる、もともと東北道の方が新幹線でもなんでも東北に来るには利用しているからだ、どうしてしも東北に遠くから来る人は浜通りは少ないのである
そして外国人が多いというのも昨今の事情である
確かに時々外国人をみかける、ベトナム人が多いというとき福島県はベトナムと友好関係を結んでいるからだともいうのもわかる
ベトナム人は今は中国人より多くなっているのだ
でも私が見た限りでそんなに外国人が多いとは見えなかった
ただその人は毎日そこに勤務しているのだから自分よりは詳しいのである

ここはいつも混んでいるとかいうとあまり混むと宮城県の方でもっと客を集めたくなるとかいう、亘理の鳥の海がSAになっている、鹿島のSAが混むのは途中が遠いからここによりやすいとか言う
そういう地理的条件でそうなっている
福島県と宮城県が客をひきこむために争うというのもまたあるのかと思った

高速のSAには私は良く行くようになった、やはり食堂があることと休む場所があるためである、時々催し物もあるのがいい
今日は駅前の鈴木食堂で弁当を出していた、それは今までにないものだった
鶏肉の弁当で500円は安かった、それから粟饅頭を買った
これも駅前の大岩食堂で出しているものなのである
これでわかるように駅前では商売にならない、人が集まらないからである
だからパークゴルフ場でも蕎麦とかうどんを鈴木食堂で出している
あそこも老人が集まる、だから商売になる

ただSAの問題はほとんど街の方に来る人がいない、一時的に休憩して去ってゆく
駅の場合は街と直結しているから違っている、街を歩いたり利用するのである
ただ鹿島神社の火伏祭りを見に来たと伊達の人が言っていたが特別案内するものがない
小池の古墳を見に来た人はいた

駅とSAには交互に行っているがやはり食堂とかが中にあり休む場あるのとないの差は大きい、それは街中にあるとしても駅にまた駅前にあるのがいい
でも大岩商店とか鈴木食堂があっても鉄道で来た人は鈴木食堂は聞かれたことがあったがあとはほとんど関心がない、でも駅に休んでいると何かこの辺で休む場所とか食べる場所とかお土産売る場所ありませんとは聞かれたことがある
ただその数も少ないから商売にならない、だからSAに置いたのである

小高の若い人が働いていたので小高がどういう状態なのか聞きたかったがわからなかったでも老人が鹿島の病院に親の介護に来ている人とかもう一人やはり親の介護している人に出会ったし新聞にも仮設に住んで親の介護している人とか知った
つまり介護している人が老人だから多いのである
そしたら親を介護した後その介護した人が今度は介護される方になる
そういう老人ばかりの町が成り立つのかという疑問である
シルバータウンが成り立つのかという疑問である
働く場もないからここで働いていたともなる
別に今までも小高の人は原町でも他でも働いていたから特別なことではない
でも小高で働く場があればいいとなる


先日一時帰宅した際に全線開通した常盤自動車道を走ってみた。それほど混み合ってはいなかったが、いわきインターチェンジから北は片側一車線。一台でも遅い車がいれば、全体がそのペースで走らなくてはならない。追い越し車線はたまにしかなくその区間も短い。

この高速道路の特徴は避難区域の中でも最も規制が厳しい「帰還困難区域」の中を通ることだ。富岡インターチェンジを過ぎるとすぐに「帰還困難区域」に入る。次の浪江インターチェンジまではサービスエリアもパーキングエリアもなく通過するだけ。トイレは「ならはパーキングエリア」から「南相馬鹿島サービスエリア」まで50キロもないので要注意だ。楢葉から浪江にかけて9箇所の放射線モニターが設置されてリアルタイムで線量をデジタル表示している。大熊町を通過するところで最高値が毎時5.7μSV。他はずっと低く毎時1〜3μSV程度だった。意外にも居住制限区域の楢葉町で毎時4μSVを超す表示が出た。

日本エネルギー会議

http://www.enercon.jp/%E6%9C%AA%E5%

88%86%E9%A1%9E/8957/

こういう事情があったので鹿島のSAは混んでいた




2019年02月01日

なぜ駅の見守りは鉄道運行の業務はしないのか? (それはJRで責任をとりたくないから?AIは機械は責任はとらない)


なぜ駅の見守りは鉄道運行の業務はしないのか?

(それはJRで責任をとりたくないから?AIは機械は責任はとらない

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切符の販売や清算、列車の運行等に関する駅業務のご案内はいたしかねます

なぜこういう取り決めにしたのだろうか?

JRでは責任をもちたくないから

おそらくここを一番肝要なものとして決めた
それはなぜかというと私自身が時刻表とかバスの案内とか乗り継ぎの案内を置いたり貼った時、禁止されたからである

ではなぜ禁止されたのか?

それはJRで許可したということはJRの責任になる、何かとJRに問い合わせが来るからである

許可した会社に責任がある

とにかくなんでも契約がめんどうになり複雑になりわかりにくいのは何かあった時の責任を逃れるためなのである
何かあると必ず責任が問われるからそれを怖がっているのである

でもここでは

JRで見守り役を置くことを許可した
でも鉄道の運行とか鉄道関係の業務にはかかわらない
こういう契約で市で頼んだNPOに委託したとなる
これは例えば政府で東電に原発を作ることを許可した
だから政府にも責任があるというのと同じである
なぜなら許可したりしない権限は政府にあったからである

それで不思議なのは駅を無人化して自動化するとそこには駅員がいない
今いるのは高校の通学生などの見守り役であり駅員ではない、駅の業務にはたずさわらないとしているからだ

つまりこれも変だなと思った、責任をとりたくないのはわかる

では駅を無人化したら責任をとらなくてもいいのか?

何かあったらそこに駅員がいないのだから自己責任にされる
JRでは自動化して乗客に困らないようにしました
後は何かあったらそれはJRの責任ではない、自己責任ですよ
これも奇妙だなと思った

つまり機械化自動化するとそこに責任者はいないのである
機械やロボットや自動化したコンピュターが責任をとることはないのである
機械やロボットやITでもコンピュターでも責任はとらないのである
ここが人間と機械やコンピュターの相違だった
何かあれば故障したら責任とるのはコンピュターではない人間なのである
責任をとれるのは人間しかいないからである

だからJRで駅を全自動化して機械化して経費を節約するのはわかる
でもそのことでその責任は実は乗客の自己責任になったのである
例えば勝手にホームに入れるが事故が起きたりしたらその責任はJRにはないとなるのだ
これは何か変でではないか?

現実に無人駅から無人駅に乗った人が支払いに困ったがでもそれを教える人もいない
駅員がいないからだ、ただインターホンで聞くことはできる
でも分からない人は聞くこともできない、初めての人はわかりにくいからである
第一常に仙台行きと原町行のホームさえわからないから良く聞かれるからである
張り紙しているのだけど聞かれるのである

要するに全自動化して人は置かないということはJRで責任をまねがれて自己責任にするということではないか?

そこに責任をとる人間はいない、機械とかコンピュターとかAIでも責任はとらないからだ
これはこれからの時代を示唆している、何でも自動化するがそこに人間がしないとなると事故がおきたら誰が責任をとるのか?
機械はもともととらない、コンピュターもとらない、AIだってとらない
それで自動運転でそこが問題になったのである

何か人間には社会には常に責任問題がつきまとっているのである
それだからこそJRでこれほど責任をさけている

でもそもそも全自動化して無人駅化していることこそ無責任だ!

そこに人を置かないことが危険にもなるし責任をもたないというのも変なのである
ただ駅員を置かないということにはJRの言い分もある金がかかるから置かないのであるまた見守りの人との契約もJRで鉄道の業務に切符の販売でも委託すると金がかかるから頼まないのである
経営的に人を雇いないからそうなっているのである
それは利用者にも責任があるともなる、利用する人が少ないならどうにもならない
利用者が責任をとってくださいとなる
無人化しないと鉄道の経営はできないからそうしているとなるからだ

なんかこんなことまで考えるのもめんどうだと普通はなる
これは何か事故があったりすると法律問題になりこうした理屈で争うということにもなるなんか自分は理屈が好きだったから今になると法律を学べば良かったと思う

とにかく社会は責任問題にうるさいのである
正式に雇われない人には賃金の不払いが日常的にある、ちょっと飲み屋で手伝ってくれとか頼まれた人に賃金が払われない、また前も半年も働いても賃金がもらえなかったとかある
それは正式に契約しないで働いているからなのだ
だから明らかに働く方にも責任があるともなる、働いた分をちょんと払わないなら訴えるとか何か対抗策が必要になるしそういうところでは働かない方がいいともなるからである

無人駅では運賃を払わなくてもわからない、それは各自の自己責任にしているのである
JRでは鉄道の経営が苦しいからそうしている
つまり自己責任というのはJRにだけあるのではない、利用者側にもある
鉄道を利用したいなら自己責任でしてください、駅員を置くことはできないですけど支払いをしてくださいとなる
だから消費者に責任がないようでもある雇う人や雇われる人の関係でもどっちも責任があるとなる
要するに人間社会には人間には責任が必ずつきまとっているのである
それをむずかしくいえば宗教的になるとカルマだとなる  

いづれにしろ無人駅がこんなにいろいろな問題が生まれるとは思っていなかった
これは明らかに未来の問題なのである、なぜならしきりにAI化機械化自動化とか現実的に言われている時代である

でもAIが判断したとしてもAIは責任はとらない、機械もコンピュターもとらない
責任をとるのは人間なのである

このことは肝に命ずるべきである

2019年01月26日

南相馬市鹿島区海老で交通事故発生 (福島市から駅にレッカー車来る)


南相馬市鹿島区海老で交通事故発生

(福島市から駅にレッカー車来る)

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福島市から駅に来たレッカー車


駅に待っている人がいたから鉄道利用すひる人かと思ったら海老の雪道で事故を起こした人だった、スタッドレスタイヤをしていても事故にあいかなり危険な目にあった
その人は怪我はしていなかった

レッカー車が福島市から来た、そんなに遠くからなぜきたのか?
福島市の人だったのか聞いていない
ただ駅は街の中心のようになっているから車の人も来るのである
ここで待ったり情報をしいれたいということもある
ここでは道の駅がないかち駅に来るのである
自分も自転車旅行では駅によることがあったからだ

雪で一分くらい電車は遅れたが後は遅れなかったから雪の影響はなかった
風の影響の方がここでは大きい
なんでも車に乗っているばあちゃんんが車は重いと安全だとか言っていた
でも税金が高くかかると言っていた
重いと風に強いし安定はするがスピードか出にくくなる
電車も軽くなっているからスピードが出るが風に弱くなり安定しないから原理は同じだと思った

今度買ったヤマハの電動自転車は本当に優れている
雪道も馬力があるから普通に走れた、それからタイヤが特別制でありマウンテンバイク用高だから頑丈であり雪道でも滑らなかった
これもやはり電車でも車でも自転車でも重いもの大きいものは安定しているのである
その原理は同じだった

とにかく交通事故は毎日のように起きている
雪道には車は弱い、そうなると車は利用しにくくなる
だから会津とか雪国は大変だと思う
ここは雪が降ったとしても一年に二三度なのである
雪かきもする必要はないのである
その点は住みやすいとなっている

2019年01月25日

無人駅から乗った人の案内しない駅の見守り役 (無人駅から乗る人の注意)


無人駅から乗った人の案内しない駅の見守り役

(無人駅から乗る人の注意)

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逢隈から鹿島駅までは760円である
この運賃表を見て金を用意する
または車内で車掌から切符を買っておく

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ここに切符か運賃をちょうどに入れる
あとで駅員が回収する

相馬救援隊の見守り役は駅の運行とかの案内しないと張り紙があるが
これもおかしいなと思った
実際に今日無人駅の逢隈駅から乗って鹿島駅まで来た人がいた
それで切符がないとかどこで支払うのか見守り役に聞いた
でもわからないから教えてやった
見守り役はこうした鉄道の運行にかかわらないいっても必ず聞かれる

つまりあそこにいれば駅員と思う

だから駅員の役割をせざるをえないのである
ただ無人駅から無人駅に来るののはめんどうである
入口に切符だけではない金も入れられるのである

でもその人は千円をもっていたが運賃表を見ると760円だった
千円はもっていたが丁度ぴったりに金を入れなければならない
それができなかった
それで私がたまたま小銭があったので760円を入口の切符入れに入れるようにした
前は小銭がなく前の自転車屋で交換したのである
ここが一番面倒なのである

ただ変なのは前の切符売り場に人がいれば駅員だと見る
だから当然それでわからないと聞くことになるのである
でも運行にはかかわらない、高校生の見守りだけだというのも困るのである

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切符の販売や清算、列車の運行等に関する駅業務のご案内はいたしかねます

ここには明確にそう記されている、でもどうしてもあそこにいると駅員に見えるのである
だから必ず運行について切符についても聞かれる
私はそれで教えてやったがあそこの人は見守り役だけしかしない、それが何かおかしいのである
覚えることは簡単だからである、おそらくJRでそういうことを頼むとなると金の支払いとか責任問題を気にしているのかばしれない
何か案内の人が間違うともしJRで頼むとJRに苦情が来るからである
それでわざわざこの張り紙をしていたとなる
とにかく責任が問われることを嫌があるのである

だから私が自作の時刻表を勝手に置いた時もJRで置いたものとするとJRの責任になるから置くなとなったのである
こういうことで現代というのは窮屈な社会だと思う
それはなんでも何かあると責任問題が生じるからである
要するに私たちのすることは高校生の通学などの見守り役でありあとはかかわらないし責任をもたいなと張り紙で書いたのはそういうことである

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真野川の鉄橋工事ーこれは工事としては大きい、ユニオンがしている



2019年01月24日

相馬救援隊の鹿島駅の見守り開始


相馬救援隊の鹿島駅の見守り開始

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朝は早い、6時ころから三時間くらい見守りする
あとは午後三時から七時である
これは長い時間である、新地駅では午後四時で閉じる

ここでは切符とかは売らない、JRで頼むと金を払うようになるからだ
ここの救援隊は南相馬市で払ってnpoに頼んでいる
仕事は駅の案内というより高校生の安全を図る見守りなのである

でも必ず人がいれば運行となにか必ず聞かれる
今日も風で遅れたからそういうことでも聞かれる
ただ人がいると聞けばいいのだから安心感がある

私のたちよる昼間はいないから依然として案内はある

タグ:相馬救援隊

2019年01月23日

元トラック運転手が言う (車を運転する人は運転できない自転車の人を見下している)


元トラック運転手が言う

(車を運転する人は運転できない自転車の人を見下している)

その人は大型トラックの運転手だった、そういう人と良く会う
考えてみるとそういう人は仕事で東京を行ったり来たりしている
仕事の場が地元というわけではない、だから意外と地元で仕事したという感じがないのかもしれない、広域社会になるとそうなる人が多いのである
地元だけで生活している人は意外と今は少ないのである
第一農業とかに従事している人は一割にも満たないからである

その人は車を持っている人は車のない自転車を利用している人を見下しているという
運転もできない、免許もとれない劣った人だとしている
確かに身分証明書だって免許証が一番認められている
だいたい車が運転できないと仕事にもつけない、役所でも免許がないと就職できなとかなっている、そういう時代である

そして奇妙なことはなぜその人とは話すようになったのか?
それはその人が車に乗れなくなって自転車に乗るようになったからである
その人は足を悪くしてアクセルを踏み間違えるとか車を運転できなくなったからである
それで自転車に乗っているから自転車の話になって話せるとなったのである
それは前からであった、自転車に乗っている人とは話しが合うのである
自転車を通じて話せるとなるからだ、車だとそうはいかないのである
だから良く自転車に乗っている人とは私は話すのである

最近同級生が脳梗塞になりそれで自転車で散歩するので土手で出会い話すようになった
その人は車は運転できる、川子のパークゴルフ場に今日いたので話した
あそこまでは車で行ったのだろう、道具もあるからそうだろう
私の新しい自転車のことで話したのである
私は良くゴルフするわけではないがあそこは見晴らしがいいので自転車でたちよるのである、自転車で一周するのである

ともかく車に乗っている人が車に乗れない人を見下しているというのはわかる
何か欠陥があって車に乗れないのだろうとなるからだ
でもそれではスマホとかパソンコでインタ−ネットができない人を見下すということもある
60以上になるとインタ−ネットできない知らない人も多いからである
そうするとそういう人は若い人に見下されるともなる
でも車だけは老人でも多数が乗っているから違うものとなる
第一車が運転できないと結婚できないとか男としての立場がないともなる
女性すらみんな運転できるからである、女性に運転してもらとなると男の価値でも下がるとなる、男性が運転して女性をエスコートする、守るということで男としてのプライドが保てるとなるからだ

人間は歴史的に見てもそういうことは常にあったのである
何か道具とかをもつものと技術をもつものと持たないもので差別されるとか常にあった
それは国でもそうだろう、なぜ中国はあんなに技術的にも最低の国だったのにアメリカで通信分野で同等になり追い越すとまでなると中国人は優れている凄いなと見るからだ
技術の優劣によって人間の優劣も国の優劣も決まるとなるからだ

ただ老人になり車も乗れなくなったりするとどうなるのか?
その人はもう人間失格だとすら価値ないものだとすらなる
もし車が乗ることに価値あるとしたらそれがなくなればそうなりやすい
現実にそうなっている人が足を悪くして車に乗れなく自転車に乗るようになった人なのである
自分自身にしてもパソコンができるからプログなどで毎日発信できる
パソコンができないと何もできないとまでなる
第一いちいち雑誌のように出すとなると大変な作業になるからだ
もうそれは一個人で不可能なのである
インタ−ネットだったら気軽に無料でできるからしているのである

でも奇妙なのは別に例えば絵画でも文章でも詩でも作品でもインタ−ネットでなくてもパソコンを通じなくても発表できる、文章だったら本にしてでもできる
本当は絵画でも文でも作品でもその内容が問題なのである
内容によって優劣が決まるのでありパソコンでも道具にすぎないのである
ところが人間は道具によって優劣が決まってしまう
それは戦争でもそうである、核兵器をもつ国が強いとか優秀だとかなる

ただ車を持っている人が運転できる人が運転できない自転車に乗る人を一段低い劣ったものとして見ているというのも変だと思う
人間の優劣がそれで決められるのか?人間の優劣は道具をもつものとの差だったのか?
それは時代でも石器時代から鉄の時代になったとき歴史が大きく変わったように人間の歴史そのものがそうだったともなる
鉄の時代になったとき石器しか使えない人は原始人であり野蛮人にもなったからである
でも何が野蛮なのか文明人なのかもわからない

なぜならその道具をもって機械でもって大量殺戮してきた文明人が優秀なのかとなるからだ、それこそ野蛮人だったともなるからだ
だから道具とか機械とか知能でもAIとか進歩するけどそれを利用している人が優秀なのかとなるとわからない
つまり殺人兵器にも使えるし実際に使っている、人間はいくら技術が進歩してもかえって大量殺戮時代になったのが現代だったのである

道具とか機械でも一歩使用を誤ると取り返しのつかないことになる
この辺の原発事故がそうだった、自然環境が汚染されてとりかえしのつかない状態になった、一歩誤れば技術の進歩でも大きな災いをもたらすのである
今日も現実に交通事故の負傷者がドクターヘリで運ばれた
交通事故は毎日のように起きている、そしてドクターヘリなら車より超高速の時速200キロで福島医大まで運ばれたからこれも技術の進歩が成した
でも交通事故は本当に毎日のように起きている
車があるために事故は絶対に減らせないのである
ただ将来自動運転になれば減らせるのか?そうなったと違った局面を迎えるのか?

ともかく高齢化社会だなとつくづくち感じる、そういう人たちが増える時やはり交通の問題が起きてくる、車だけには頼れない、車が乗れなくなると弱者化されるからだ
すると鉄道とか自転車が見直されるのである
そもそもE-BIKEはヨ−ロッパで老人が体力がなくなっても自転車で楽しめる利用できるものとして作られたことでもわかる
ヨ−ロッパとかアメリカでは速度制限がないから30キロ以上で走ってもいいしバイクとして使っていたからである
つまり高齢化社会というのはそういう側面もあり社会自体を変えるものにもなる
それは必ずしも悪いものとはならない、今まで見逃されていたものが再び別な形で復活するかもしれない、それが鉄道でも自転車でも見直す契機になり車だけではないものの利用によって何か人間的なものを取り戻すということもありうると思ったのである

2019年01月18日

新聞に出ていた鹿島駅に置く見守りの人について (電車の運行などにはかかわらないのはなぜなのか?)


新聞に出ていた鹿島駅に置く見守りの人について 

(電車の運行などにはかかわらないのはなぜなのか?)

市が同社から同駅舎の一部を借り、同市のNPO法人相馬救援隊が駅に駐在して利用者の見守りや観光案内などを行う。同社によると、地域活性化事業で自治体と協定を結ぶのは同支社管内初めてで、県内でも珍しいという。

1/1(火) 11:16配信 (福島民友)

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ここでは切符を売らない、なぜか?
切符を売るとなるとJRで委託することになり金銭の負担が生じる
でも自治体がかかわると自治体でnpoに払うことになる
どういう協定なのかは詳細はわからない

ともかく定期的に見守り役がいれば助かる、そのことは書いてきた
いろいろ聞かれるからである、その時直接その見守り役に聞けばいいからである
私はイレギュラーに30分くらいしかいなかった
でも結構その時案内があったから案内はある

タクシーの電話番号は駅舎を出た所にあるが気が付かないのである
それをスマホで探すのだがすぐに見つからない時がある
そういうことでも駅に人がいれば聞けるからいいのである

駅はやはり街の案内所である、鹿島には道の駅がないから車の人もここに来るからだ
ここが街の中心としてわかりやすいし車も一時的でもとめられるからである
商工会も近くにあり観光案内しているがわかりにくいし車もとめにくいのである
だから外から来た人にとっては目立つわかりやすい場所がいいのである 

とにかくこの駅の窓口の張り紙には

切符の販売や清算、列車の運行などに関する駅業務の案内はいたしかねます

これは何を意味しているのか?
JRでは切符の販売はしないというのは何かめんどうになるからだ
機械を設置したり費用もかかるからだろう
また委託するとJRで金を払うことにもなるからだろう
列車の運行などの案内をしないというのも解せない
なぜなら駅員が窓口にいるからだ
そしたら必ず聞かれるからである、でも何かJRでは責任を気にしている
だから駅を勝手にはできない、無人駅でもできない
私が自分で作った時刻表でも置くなとなんでも勝手にできない
それは駅の方に苦情が来るからである

この張り紙だけを見ると高校生とかの見守りが中心になるのか?
それは小高駅では高校があり高校生の出入りが多いということでここの駅員が小高に移った
ここもそういうことなのか?何か女性だと心配することがあるからだともなる
それで自分が警察に通報されたのもそのためなのかとなる
今はそういうことに過剰に敏感になっているからだ

今日孫と一緒に来たばあちゃんが椅子に座ると寒いと言っていた
座布団でも置けばと言ったが私は置けない、JRの許可がないと置けないと言った
ただ小高には他でも座布団を置いている、それはJRの許可をとっている
その許可をとることがめんどうなのである
だから商工会とか団体に入らないと何でもしにくいのである
まず個人は何もできない、今の社会はそうなっているのだ
それが善意でもできない、個人のボランティアは認められないのである

私は別にただ駅に案内するとかあるがそこに買い物ついでに様子を見ているだけである
でも今度の見守りの人は長くいる
でもなんらか電車の運行のことは聞かれるのである
つまり会社でも何でも今は責任を気にしている
それが過剰になるともう何もできなくなる
子供に声かけることすらできないような状態になっているのだ
そういう窮屈な社会になってしまったのである
それはテレビで全国放送すると過敏に反応するからである
事件とかは常に起きているが全国だらそうなるが全部はそうならないのである

今日も風で遅れたからそこで心配になる、そのことで水戸の案内所に連絡したりした
20分くらいの遅れだったようだから良かった
運休になることもある、これから風が吹くからだ
それが駅のこれからの一番の問題なのである

今日は相馬救援隊の人が一人来ていた、見守りの人を置く場所を直していた
それは記事にもでていた
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ふるさと納税で寄付金をもらっていたが平成30年で中止している
でも相馬救援隊の活動はしている







タグ:相馬救援隊

2019年01月16日

鹿島駅に市でNPOの見守りの人を置く


鹿島駅に市でNPOの見守りの人を置く

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ここに人を置くとすれば駅員のようになる
切符も売っているのかとと思う
どういうことになるのか?




昨年12月10日に相馬(福島県相馬市)−浜吉田(宮城県亘理町)間で運転を再開し、JRが1カ月間の利用実績を調査。新地(福島県新地町)−岩沼間では震災前の86%に当たる1日平均約8400人、原ノ町−新地間では82%の約3100人が利用した。平日の利用者数の落ち込みが大きく、JRは、通勤客が大幅に減ったと分析している

通勤客は山下駅、山元町が津波の被害で人口減になった、あの辺まで仙台の通勤圏だったのである
通勤となると高校生の通学のように毎日乗るから定数になるから乗客が常時見込めるからいいとなる
双葉とか大熊、富岡とかまだ不通になっているのも痛い
この辺は原発があり乗降客が多かったからだ
ここがいわき市までつながればまた乗降客は回復する

鹿島駅には常時見守りの人を置くようになる、コーヒーは出さない
市の方で援助する、npoの人が来る
私は30分くらいしかいないから役にたたない
でも常時いれば直接わからないとき聞けるからいい
自分の仕事はなくなるということはある

ただ自分は駅が広場の役割がありそこで何か話したり案内したりする
今日は小高のばあちゃんが鹿島がなつかしいと言って待っていた
息子なのか淡路島の方に行ったという、それで原町の復興住宅に住んでいる
この人も車をもっているが何か車検とかで電車で来た
誰もいない駅より何かちょっとでも話したりするとなごむということはある
ただ嫌がる人もいるからみんなと話はできない。
ばあちゃんとかは話しやすいのである

その駅の見守りの人でも市の方で金を出す、npoだからそうなる、でもいくらくらいもらえるのか?たいした仕事ではないにしろ半日でもいれば仕事である
それで金をもらうからである

自分の役目は終わったともなるがこれからも駅に30分くらいは買い物帰りにたちよる
そこで待っている人と話したりする、また駅は広場でありそこで土地の人ともあって話したりする場である

でも駅に常時人がいるということは切符でも売れるはずだがしない
そういうふうにJRではしない、市の方で見守りの人を置くとなるとそうなのだろう
切符くらいついでに売るようにしたらいいと思うが何かめんどうなのだろう
そうなるともしかしたらJRで金銭の負担があるから頼まないとなっているのかもしれない今日は市役所の人とJRの人が来ていて相談していた
でも金銭の負担は市の方でするのだろう

2019年01月13日

トラック運転手に女性が増えている (機械化で女性でもできる時代になっている)


トラック運転手に女性が増えている

(機械化で女性でもできる時代になっている)

その人はトラックの運転手だった、良く自転車に乗っているからまた駅であった
自転車の人とは自分も乗っているから話しやすい
なんで自転車に乗っているんだろうと思ったから足を悪くして車に乗れなくなったからだった、アクセルとブレーキを間違うから車には乗れないと言っていた
その人も80近いのかもしれない、ただトラック運転手していて車に乗れないのは辛い
前にも80の人が車の免許を返して失敗したとい言っていたからである
ただ本当に車が危険になり乗れないという人が80近くなると増えていることは確かである
そいうう人に4人くらいあっているからだ

高齢化で車を利用できないと鉄道とか自転車を利用するようになる
自転車は電動自転車ができて便利になった
自分が今度買った電動自転車は悪路にも坂にも強い、半分のバイクのように走るから楽である、今日はそれで山上とか今田の奥の高い所を走ってきた、遠くに海が見えて気持ち良かった、今日は風も吹いていないので楽だった
その途中で交通事故を見たのである  

その運転手はしきりに女性が運転手になっているのが多いと言った
女性でもできるのと聞いたら今は女性が増えている、でも力仕事があるのではとか聞いたら今は機械化しているから荷物でも自動化して下したりしている
それから運転席も快適にできているという、それで細腕の女性でもしているしできるという、そんなものかと知らないから思った
月給もとる人は一か月50万もとっている人がいるという
それは多いにしても女性でもトラック運転手になるとスーパーとかのパートなどよりずっと高くなる 

今は人手不足だから待遇も良くするし女性でも男性と変わらず仕事ができる
だから人手不足の解消は女性の活躍にあるのかもしれない
女性が建築現場にも入れるような環境を整えれば入ってくる
テレビでトラックの自動運転を言っていたが現実にトラックは半分自動化しているらしいだから女性でも入り安いとなる、農業も機械化しているからこれも人手不足を補えるかもしれない、つまり人手不足は外人頼みでなくても解決する方法が今ではあるとなる

なんらか今は女性が男性の職場に進出する、それはやはり女性も外で働かざるをえない時代になっているからだ、共稼ぎでないと生活が成り立たないとかなっているからだ
すると収入のいい職場に女性も進出してくる
それが機械化で楽になれば余計にそうなるのである
やはり機械化ということが大きなポイントになる
今度買った私の電動マウンテンバイクのように体力なくなってもこれならまだ坂でも遠くへも行けると思ったからだ
これだけは技術のありがたみを感じたのである、車にも乗れないから特にそう感じたのである

実際は女性が男性の職場に進出して働いている、鉄道でもそうでありどこでもそうである第一女医が多いのもそうである、それは女性が働き安い職場が増えたためなのである
力仕事というのは機械化しているから別に力がなくてもやれるとなれば女性でもやれるとなるからだ、現代は力があるということがメリットにならないのである
これからAIも進歩すると簡単な頭を使う仕事も自動化される、すると人手はいらなくなるのである
だから外国人だけに頼るというのは疑問なのである
外国人労働者に頼るのは国と国の問題になりめんどうになるからである




年間休日120日以上!積み降ろしはリフトで行う大型ドライバー

雇 用
正社員
職 種
女性も活躍中の大型トラックドライバー
給 与
月給 310,000円〜330,000円
固定残業代含む
◎交通費別途支給

運送会社=男社会のイメージはもう昔!
中島急送では女性が輝ける仕事が多数あります!
女性だけのドライバーチーム発足につき大募集!
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女性の体力では難しい業務が多いのはもちろん、文化としても男性至上主義が根強く残っていたからでしょう。

しかし! その時代もついに終焉を迎えつつあります。

我らが運送・建設業界にも女性進出の大波が打ち寄せてきたのです…!!

レッスン2

■トラガール(女性トラックドライバー)急増の2大理由

男文化を貫いてきた業界に、女性ドライバーが増えてきたのは何故でしょうか?
その理由は、2つありました。

理由1.インターネット通販の普及
大きな理由の1つは、『Amazon』や『楽天市場』といったインターネット通販の普及です。



やはり時代が変わっていた、通販全盛時代となり人手がたりない、でも女性でもできる仕事でありかえって女性が選ばれている事情がある、たから時代が変わるとある仕事はヘリある仕事は増えてゆく
それは機械化でもAIでもそうなのである
それで意外と女性向きの仕事が増えてくるかもしれないのである、これはその一例なのである

六号線鹿島区永田で交通事故(午後1時頃)


六号線鹿島区永田で交通事故(午後1時頃)

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9日午後5時すぎ、南相馬市鹿島区南柚木の国道6号線で、軽トラックと普通乗用車が正面衝突する事故があり、さらに普通乗用車のうしろから別の軽乗用車が追突しました。
この事故で軽トラックを運転していた相馬市山上の解体作業員、粂井浩志さん(61)が心肺停止の状態で病院に搬送され、その後死亡しました。

今日起こった事故は永田だった、柚木の手前である
坂を上る時に起こった、私はずっと前にもこの坂を下った所でも事故が起きたのを見ている
柚木はその先である、六号線でも事故が起きている
硝子片が散らばったくらいであった
でも毎日のように南相馬市内でも事故が起きているのである

だから私は原付のバイクに乗らない、歩道を走れないからである
今度の電動自転車は半分バイクだから楽である、坂でも悪路でもすいすい行くから結構今日は相馬市の山上や今田の奥の方へまた坂を上り高い所にも行ってきた

2019年01月11日

列車見張員がレ‐ルを点検 (2019仕事始め)


列車見張員がレ‐ルを点検

(2019仕事始め)

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列車見張員とは列車が来るのを工事している時見張っている
電車来る前に工事をやめる、何かこれで遅れて事故にあって死んでいる人もいる
それは必ずしも電車は定期運航していないからである
事故があったり風で遅れたり正確に時刻を決められないからである

たしかにうちの警備会社
列車見張りの手当てが500円つくので
昼だと9500円夜勤だと1万500円
昼夜働いて2万円
この現場は日曜休みなので6日間×2万円=週給12万円
一ヶ月だと50万円近く稼げるわけです

でも毎回昼夜やると家に帰れないんで
これはさすがに極端な計算です

普通の警備員よりは金になる仕事のようである、でもトイレに行けないとかになると困ると思った

ただ今日来た人は大工さんが使う水平機のようなものをレールに置いて計っていた、ちょっと高くするとか低くするとか言っていたからである
レールの点検作業をしていたのである、こういうこともしている

鉄道というといろいろな仕事がある、駅関係もあるし鉄道だとその他常に保守管理の仕事があり毎日のように来ているからだ
ただ現代の仕事はわかりにくい、でもそこで定点観測していると何か見えてくるものがある
それは別に鉄道だけではない、毎日仕事している所で定点観測しているとその仕事が他者にわかりやすいことがある
それがインタ−ネットではしやすいのである
福島県の新聞でも二つあるにしてもそうした細部は報告されないのである
本当におおざっぱなものしか報告されない
まず福島県だって広いからである、そこに情報環境が変わったのだけど大きなものは対応できないのである

それでこうした細部をインタ−ネットだと報告できる、その細部から見えてくるものがある、駅ウオッチャー、鉄道ウオッチャーになっているのが自分である
何かそういう人も必要なのかもしれない、ただどこでもそういうことはしにくい
内部情報は公開されないからである
でもインタ−ネットだと個々人が放送できる、全国にもできることが強みなのである

今年もテーマとして報告することがあるのか?
マイカーとマイホームのことを批判したけどマイステーションとかマイタウンとかなるとは私的なものではない、そこを自分のものとして共有するものであり私の駅でありまたみんなの駅なのである、ただ先にマイステーションになるしマイタウンになるのである
私の駅だから私の街だからそれにかかわり知ると良くしたいとかなるのである

ただ何もしなくてもまず人間は相手のことでも知ることが先なのである
知らないことにはどうにもならないのである
知るということはその人を理解することであり仕事でも知ることはその仕事を理解して相手を理解することなのである
つまり現代は相手の仕事でも何でも知らないことが多すぎるからである
また知り得ようがないからである
記者とか報道関係はそういうことを伝える人だったのである
それをプライベートでも目立たなくても無料でもやれるようになったのがインタ−ネットだったのである
タグ:列車見張員

2019年01月10日

車社会と鉄道の相違の考察 (マイホームとかマイカーの時代へ)


車社会と鉄道の相違の考察

(マイホームとかマイカーの時代へ)

自家用自動車を「マイカー」という言葉で呼んでいるがこの言葉ほど自動車に対する日本社会のとらえ方を象徴したものはない
他人にどのような迷惑を及ぼそうと自らの利益だけを追う
飽くことをことを知らない物質的欲望がそのままこの「マイカー」という言葉にあらわされている
「自動車の社会的費用」宇沢弘文

戦前と戦後を比べると何が変わったのか?
戦後十年から二十年はまだ車が普及していない、だからその時それほど車の影響はなかったし主要な交通機関は鉄道とかバスだった、特に鉄道が国鉄だったから鉄道が輸送の中心だった

車の問題は社会全体も人間そのものの人格すら変えてしまったほどに影響が大きかったのである、街路が消滅して街の活気が失われた、車の問題は車一台がしめる面積が意外と気づかないかもしれない大きいのである
だから駐車場が必要でありその面積を確保するのが問題になる
駅前にはそうした面積を確保できないのである
車は駐車する場所の確保に一番困っているからである
すでに日本全体でも土地の面積は道路と駐車場で二十パーセント以上占められているのである
だから車は今までの街の中に商店が密集して駐車できないことが一番問題になり郊外の大型店に移り街は寂びれてしまった、シャッター通りになったのである

車は歩行者や自転車からすると常に危険なものだが車にとってみると自転車とか歩行者は目障りになる、突然横切ったりするからである
それで自転車で行くと必ず自分はどなられることが多い
自転車は脇を通り車の邪魔をするなということである、それより歩行者とか自転車は邪魔だとなっているのだ、自転車専用道路は日本にはほとんどないからである
歩道を行くのだがそこは段差が必ずあって走りにくいのである
だからマウンテンバイク型のがいいとなる

車が社会そのものも変えたしそれだけではない人間の人格まで影響したのである
「キレル」人間を大量生産したからである、老人がキレルというけど車を運転する人はみんな突然後ろからスピードを出して目障りな歩行者や自転車をどなりつけて猛スピートで走り去ってゆく、キレルのが車なのである
機械が社会を変えただけではない、人間の人格まで変えたことが深刻な問題なのである
ただ便利なものとして何でも日本人は受け入れたのである
技術の危険性は原発でもそうだが考慮していないのである
便利ならいいとなっているからだ

実際人格を変えるということは本当に危険だし住みにくくなる、人間同士の関係もギスギスする、そこにはもう人間としての情は通わなくなる
第一車に乗っている人は歩行者のように歩かないからその人すら認識できないのである
ただ通り過ぎてふっとばしってゆくだけである
そこには人間と人間の情が通わないのである
例えば馬とか牛とかに農業で仕事でじかに接していると相手も動物だから情が通うのである、だから馬には名前をつけて人間のように呼ぶ、それは今はペットになっている
つまり情がない社会でペットはその代償となっている

車の問題はいろいろあるがやはり戦後の社会そのものを人間の人格まで変えてしまったのである、それは確かに世界共通の現象なのである
このマイカーということとマイホームというのも共通している
その私的な所有と空間の私的な占有とマイ・・・となるとき他者を排除するものとなる
それは公共性が喪失したものとなる
プライベートとかもそうである、プライベートは奪うとういことであり、本来共有のものを奪うとういことなのである
明治からでも私的所有過度に認めて山が入会権として共有だったのにそれも無数に分割されていちいち私有している所有者の許可が必要となり山を共同で管理するできなくなったのである

戦前は異常に国家優先の社会だった、でもそれは公共的なものとして全体としての共同の意識をもっていた、それが過剰になっていた
でも戦後は逆に私的なものだけを追求するようになったのである
そこに共有するとか共同するとか公共的なものを追求することが喪失した
そして金だけを求めてマイ・・・となり他者とか公共的なものとか全体とかへの意識が希薄化したのである、それは明治から私的所有を過度に認めてからもそうなっていた
でも国家という共同意識はありそれが過度になって戦争にまでなったということはある
それが極端に戦後は私的なものを追求するようになったのである

マイホームとか核家族とかでもそうだった、マイホームに象徴されるのは自分の家族のみの利益を求める世界である、核家族となるとまさに家族でも夫婦単位の家族であり昔のように大家族ではない、国家というものを極端に戦争に負けて否定するようになったのである、だから日本では愛国心も薄れただ自分だけの私的な利益だけを追求して家族でもマイホームという核家族単位の幸福を追求してきたのである
それは他者を車のように排除してマイカーでありマイホームになったのである
日本がではつくづく戦後は公共的なもの大きな共同体的なもの価値は追求されなかったのである

こういうことがこの辺で起きた原発事故でもあった、簡単に町でも村でも避難区域になりゴートタウンになった
それはそうさせられたとしても何かこんな簡単にそこに長年住んでいた町や村が崩壊するのかということが信じられなかった
それも結局私的所有とかマイホームマイカーの時代になったからなのかとも思う
自分の家族さえ良ければいいとかマイカーとなるとマイカーを家にしている人もいるからそのままマイカーで補償金をもらえば他に移ればいいともなるからだ、市町村に住んでいてもそのつながりは希薄になっていたのである
市町村全体のことを考える人はいない、ただマイホームマイカーなのである、他は知らないとなっていたともなるからだ


鉄道にはひかれる原因はそうしたものが失われたからである
鉄道には車両の中でも共有する空間であり車のように排除する空間ではない、みんなで共有するものとしてある
駅でもそこは広場的な出会いと別れの共有して情を通う場を提供しているのである
高速道路のSAにはそういうことがないのは車だと直接家まで行くから家で出会いと別れがあるから他人は関係なくなるのである
駅だとそこで共有の空間であり他人も一緒にそこでかかわるのである
だから一緒に見送ったり出迎えたりしているのである

人間というのが社会というのが機械とか技術によってどれだけ変わるかを考慮していないそれが人格まで変えてしまうとういことが考慮していない
でも便利なものはやめられない、その便利さによって恩恵も大きいからである
ただ人格まで影響すると人間は無情なロボットだらけになってしまったのかともなる
つまり無情非情化した人間となりそういう人たちの中で暮らすことは地獄だともなる
現実に今の人に情はなくなる、そうなると病院とか介護とかの分野では情が大事になるけど人間はロボットのように処理される
だから病院とか介護施設とかは怖いなと経験してつくづく思ったのである

宗教とかはもともと情の世界を人間の根本としてとらえてきた、愛とか慈悲とかそうだろう、でもこうして機械技術が発展すると情のない人間にとりかこまれて生活することになる、そして金が突出して力をもつ世界となり人間を人間とみない、金になるかならないかしか付き合う判断がないのである
それで自分が介護とか病気になり苦しんでいる時一切同情がない
ただこいつから弱っているから金をとればいいしかなくなっていたのである

確かに便利さでは格段に進歩したのだが人格とか人間の情という面では衰退した
江戸時代は逆に技術がないから病気になったら直す術もなくあきらめていた
ただみんな他人でも長屋に住んでいたら家族のようにして情をかけたのである
だから現代は確かに機械や技術の進歩で病気も直せるし栄養もとれる
ただ逆に情がない社会になっている
それで江戸時代が今に比べると全部悪いとはならないのである
技術がない社会としても情で補っていたのである

そして私自身は情がある社会がいいともなる、情ある人に看取られて死んだら幸福だとなる、病院は情がないからみんな嫌がるのである、確かに技術は進歩しているが情はないのである、医者にも看護師にも希薄である
だから時代時代でいい面と悪い面がでてくるとつくづく思う
それで江戸時代がすべて悪いとはならないのである
現代は江戸時代のいい点が失われたからこそ江戸時代を良く見えるということである

2018年12月29日

駅と高速のSAの違い (駅は会い別れる公共の場)


駅と高速のSAの違い

(駅は会い別れる公共の場
                            

今日も見ゆ保線の人や年暮れぬ

三人ほど帰省を待ちぬ年末の駅や我もともに待ちにけるかな


今日は年末だから三人ほど帰省の人をまっている人がいた
一人は浮田であり離れていても歩いてきた?
車で来たのではない、それでタクシーで帰るために呼んだ
携帯ももっていない、でも待っている時間に来なかった
それでタクシーにのって家に帰った

帰省の人は今頃だったらある、それで自分も一緒になり待っていたとなる
前にもそうして迎えに来たり送ったする人がいて一緒に見送ったりもした
それが無人駅だとしやすいのである、なぜなら駅員がいないから出入りが自由だからである
ヨ−ロッパの鉄道はみんなホームに自由に出入りできる
自転車も載せる車両があり直接ホームにでてそのつま載せることができる
あれができたら自転車で遠くに行くのも楽である
折りたたんだり袋に入れることもないからである
それが日本でできないのが残念なのである

ここで高速のSAと駅の違いに気づいた
高速のSAは人を出迎えたり送ったりしない
なぜなのか?
車だと直接家まで行ってしまうからである
出会いと別れは家にある、車はこうして閉ざされた他者を排除するものにもなる

なぜなら駅だと一緒に見送ったり出迎えたりできるが車は家に直接行くことができるからそういうことがないということに気づいた
この差も大きい、駅というのはそれだけ人間の出会いとか別れを公共的な場で演出していたのである

ただ私は駅をそんなふうに見ていなかった
機能的なものとして見ていただけである
でも何か家族が死んで待っている人もいなくなった、それで今度は自分自身が迎えたり見送ったりしているともなる
でも別にそういう人もいないのである

ともかく駅が鉄道がなぜ車と違うのか?それは鉄道は長い歴史のなかで人間の出会いとか別れとかまた何か人間的なものが情でもしみこんでいるからである
それが車との大きな違いだったのである
だから鉄道がなくなるということはそうして人間の出会いや別れなど情がしみこんだ場がなくなるから淋しいとなる
どうしてもバスとか車とかにはそういうものを感じないからである

今日も保線の人たちがきていた、毎日のように見かける、それが仕事なのである
駅にかかわったというのも何か不思議である
それはただ無人駅になったから偶然にそうなったのである
そして毎日寄るにしても30分いればいい方である
だから後は自分の創作とかプログとか本を読むとかできるのである
もう一時間だと長くなる
なぜなら家事に時間をとられるからである、全部自分一人でしているからである
だから暇なく何かをしているのが強いられているのが自分である
これだけの仕事をこなすのは大変なのことである
それも介護をしなくていいからやれたとなる


2018年12月21日

撮り鉄、乗り鉄、描き鉄・・・・ 〈思い出の駅の物語)


撮り鉄、乗り鉄、描き鉄・・・・

〈思い出の駅の物語)

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NHKのおはよう福島で放送していたのは描き鉄であった
駅の絵を鉛筆で描いていた、女川駅とか新地駅は津波で流されたが新しくなる前の駅を描いていた
鹿島駅でもよく撮り鉄がくる、そこでなんで行き先の案内板を写真に撮ってゆくのか?
これを東京からわざわざ撮りにきた人が今日いた
若い人である、前にもこの案内板は撮りに来た人がいた
そして駅舎とこの鹿島駅という表示を取ってゆく
これはと撮り鉄では人気なのである
相当に古いものだかららしい。

それでNHKのおはよう福島で描き鉄の鉄道の駅とかの展覧会を地下道でしていた
駅には確かにいろいろな思い入れがある人がいる

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だからこれはわかる、私自身は撮り鉄ではない、乗り鉄である、乗るのを楽しむ
それで日本の路線は私鉄をのぞいてほとんど乗ったのである
鉄道は絵になる、風景になる、自然とマッチするのが自転車と同じように魅力があるのである、それより鉄道は歴史が古いから何か駅でもそこには人間の情がしみこんでいるのである

それぞれの物語があるというとき駅で良くあうのは東京から実家に帰省する人である

「もう私の父親は92歳ですよ、もういつ死ぬかわかりません、私は高校出て東京に憧れて出たんです」
「自分も東京に憧れて出た口です、ただ大学で遊んだだけだから集団就職とはあまりにも違ったものでした、中卒の集団就職の人たちは苦労しましたから・・・・」

この女性の世代は高校出た人である、だから60代になるのだろう
団塊の世代は中卒が三分の一いたのである
高卒までこの土地にいた人ととは良くあう、集団就職で中卒で東京に行ったという人とは意外と会っていないのである
その時は東京に憧れるというとき女性でもそうであり東京は特別な憧れの都会だったのである、だから田舎を脱出して東京に行きたいというという人が多かったのである

田舎なる駅舎の寒し一時を話して別る東京にさる女(ひと)

良く駅ではぽつんと待っている人がいる、駅は誰いなくて淋しいわとか地元の女性が一人待っていた、そうやはり感じていたのである
駅は出会いと別れの場所でありそれは歴史が明治から始まっているから古いのである
だから何か人間の情が駅にはしみこんでいるのだ

そして不思議に駅で別れてあの人は東京に去った、その去る余韻があり東京でどういう暮らしをしているのかなとも想像する、去ってもその人のことを思うのである
別にその女性にはじめてあった人であってもそうなのである

2018年12月15日

JR仙台病院で癌検査に行く人 (この辺は仙台の病院に行く人が多い)


JR仙台病院で癌検査に行く人

(この辺は仙台の病院に行く人が多い)


JRの仙台の病院に癌検査に行くという、これはJRの専用ではない、一般の人も利用できる、農協ともにている、鹿島の厚生病院は農協の出資でできた
デイサービスの施設でもそうである、農協の組合員は優遇されることがある
農協では介護事業と葬儀事業をしている

仙台の病院に行く人は多いなと最近思った、知り合いの人は糖尿病があり白内障の手術をした、めんどうだから仙台の病院で手術をしてもらうことになった
それだけいい医者がいるということなのだろう

知っている女性は腰が悪いと仙台に行きまたその医者の案内で東京に行った
いい写真がとれる機械があるとかで行った
そして二回目は何か腰を楽にするものをつけるためにそれを取りにまた行った
その人は金がないのでまた自分が援助を強いられた

ともかく仙台に行く人は多い、病気はこの辺では困る、いい医者がそんなにいない
だからむずかしい病気になると福島の医大でありあとは仙台になるのだ
仙台からも医者が診にきているからだ
癌などはめんどうだからそうなる、設備も必要だからである

脳の詳細な写真をとれる機械は福島市と郡山に二台しかないとされる
この辺で認知症の脳の写真をとったが何もわからないものだった

でも三万とられた!

それは写真をとっても何もわからないのに金をとるために写真をとっただけである
一割負担だとすると写真をとるだけで30万するからである
その収入が大きい、こうして医療費用は膨大な無駄がある
最近無駄な薬を出さないと政府でも抑制しているのも当然だとなる
それが税金としてはねかえってきて国民の負担となるからだ
でも病院とか医師は機械に金がかかるとなればどうしても金をとらねばやっていけないから無駄でも金をとることをする
そして実際に新しいいいき機械がないと患者も来ないとか大きな都市では競争も激しいからである

その女性とは結構いろいろ話した、別にはじめてあった人である
畑のことを話したので興味をもった、それを書いた
駅は意外とナマの情報を得られる所だと思った
人間はまず自分の住んでいる場所について街でも身近なことを知らないのである
何するにしてもまず知ることなのである
相手のことでも相手を知らなければ理解しえないからである

ただそういう相手をしるとか市町村のことを知るというのは結構むずかしいのである
近くだからわかるようでわからない、人の動向も住んでいる土地のことがわかならいのである、その知らないことからいろいろな問題が起きてくる
その最たるものが津波や原発事故だったのである

もっと土地のことを知っていれば津波でもある程度さけられて被害が少なくななった可能性があった、原発事故でも地元の人がもっと知る努力をしていればこうはならなかった
ただ原発の場合は立ち入ることも聞くこともできないから知らされないのだからどうにもならなかったのである
現代複雑な社会であり知ることが知識が膨大であり多すぎるから処理しきれないのであるそして迷路に陥ってゆく、小さな一万の町に住んでいてもその土地のことでも人のことでもいろいろとわからないのである

そして知らないことが致命的なものとなる
それが津波であれ原発事故であれ甚大な被害に通じるから知らないことが怖いのである

2018年12月14日

福島市から来た遺品整理の会社の人と会う (ひとものがたりの会社である)


 福島市から来た遺品整理の会社の人と会う

 (ひとものがたりの会社である)


 今日駅であったのは遺品整理をする「ひとものがたり」という会社だった
 遺品整理というとテレビで話題になった
 それが福島市にあったのが意外だった
 仕事するために駅まできていた
 そして駅に着いた人を車に乗せて去った
 斎藤商店の車も来ていた
 それは廃品処理の会社であり自分も行ったことがある
 市で委託して廃品を処理している

 時代によって仕事が生まれる、老人が増えるとまた一人暮らしとかが増えるとこういう仕事が生まれる、田舎だと親戚がいて孤独死などはあまりないと思うが孤立した一人暮らしが増えている
 それは自分自身がそうだったのである
 ゴミ屋敷清掃なども請け負っている
 人間一人が死ぬということはめんどうなのである
 いろいろな処理があるからだ
 それで死者が増えれば高齢化でまた時代で一人暮らしが増えるとこんな商売も生れる

 第一駅前が葬儀屋になっていることでもわかる、もともとはそこは駅前の農協のスーパーだったのである、その時は駅前にまだ人が集まっていたからそうなった
 農協の仕事でも今や介護とか葬儀とかなっている

 何か駅前に葬儀屋があるのはあまりいい感じがしない
 それが何か暗くしているという感じにもなる
 しかし時代でありどうにもならない、少子高齢化でそうなっているのだ
 ただ新地駅前は温泉ができるとか施設もできる
 大きなビルも建設しているからあそこでは駅中心に人が集まる
 山下駅でも駅前にキクチスーパーができたから前とは違って人が駅に集まる

 原町駅は前に立派な図書館ができたが今になるとそれは失敗だったともなる
 やはり人が集まるもの、スーパーなどができると良かったのである
 駅からイオンス―パーに行くのが遠いからである
 前はヨークベニマルがあったがなくなったのも駅に人が集まらないとなる

 ともかく駅は意外と人が交差する場であり活きた情報を得る場でもあった
 こういうことは常磐高速ではできない、話しかけることもできないからである
 どういう人が来ているのかわからないのである
 駅では人が少ないから話かけることができる
 だから世の中の流れをここで知る、活きた今の情報を知る場だということを知った
 インタ−ネットとかスマホだけではわからないことがある
 別にインタ−ネットで調べれば出ていたが直接そういう人に接して話を聞くのとはまた違うからだ

2018年12月11日

常磐高速の鹿島のSAのイルミネーションがいい


常磐高速の鹿島のSAのイルミネーションがいい 

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鹿島の駅は去年と同じイルミネーションである
なかなか年毎に変えるのは予算とかまたは手間でできないのだろう
鹿島のSAは道路公団とかかかわってしたのかきれいにできている
通り抜けができる所がいい、他でも今の時期はいろいろ見れる

馬をあしらったのは相馬らしいとなる
常磐高速ではとにかく人が集まるから何かしらイベントするのに向いている
何かを売るというときもやはり人が集まらないと売れないのである

2018年12月01日

風で電車が遅れる季節に


風で電車が遅れる季節に

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電車が風で遅れるようになった、それでとまどう人がいる
すると若い女性は遅れたと言ってどうこうとか教えていたら
私は知っているからいいわとか待っている人の前で言う
前にもそういう人はいた、地元の人はなれているから知っている
またスマホでも見て遅れが連絡されているのもわかる人がいる
でもみんなそうではない

駅に来た若い女性でもわからない人がいた
それは何か電車がどうなっているのか見にきたのかもしれない
それで説明したらわかったとなる
地元の人でもわからない人はいるし説明するとわかる人もいる

だから自分は知っているからというのは勝手なのである
その人は他の人を考えないのである
こういうふうにコミ二ケーションできない人はいる
何か話しかけても答えない人はいる
今はそういう人が多くなっているのかもしれない

若い人で遠くから来た人でも話せる人は話せる
その人は仕事できたけど津波のことを知りたかった
海は近いですかと聞いてきたからすぐ近くの高架橋に上れば見えると教えた
海は松原がなくなくり直接見えるようになったからである
その人は長崎の人だった、若いけどはきはきして受け答えが良かった

人にもいろいろだからこれはどうにもならない、別に聞かれなければ答える必要がない
でも遅れてみんなとまどうことがありそれを聞いた時、知っているからいいわとかいうのは身勝手なのである、他の人のことを考えていないのである
そこでまた私自身がここで何をしているのかということを認められていないからだともなる

つまり自分はJRからも客から認められないということがある、ボランティアには何かそういうことがある、ただ組織的にnpoとかの一員とかでやれば違っている
そういう人は報酬をちょんともらっているからだ
ただそうなると定期的に仕事をしないとだめになるからできない

いづれにしろこれからは風で必ず遅れる季節である
これがこれからの鉄道利用と駅の一番の問題なのである
タグ:電車の遅れ

2018年11月27日

駅のインターホンは水戸にしか通じない (原町駅に通じなくなっていいのか?)


駅のインターホンは水戸にしか通じない

(原町駅に通じなくなっていいのか?)

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これは前から張ってったが気づかなかった
ただ時間がででいない、三回は原町に行くとして早朝があり実際は二回しかない
あとは一日二回くらいのバスが出ている、その時間をのせる必要もある
これから風で遅れたときなど知る必要があるからだ
タクシーだと高くなるからだ

これが私の作った鹿島駅の案内である―バスの利用を示していた
でも駅内にはっていたが駅長に置くなと言われてとられたのである

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この時刻表は小高浪江行きでも出ているので便利である
ただどこで出しているのかわからなかった



インターホンに出たのは原町駅の人ではなかった
水戸管理局の人だった、水戸管理局の人は来るけど原町が直接管理しているから
水戸ではいろいろなことで連絡取れるのか疑問になった

そもそも原町駅が隣の駅なのだから連絡するのには便利である
それをわざわざ水戸にしたのか?管理局になっていてもなぜなのか?
新地まで水戸管理局になっている、後は仙台である
仙台は近いから水戸にていること自体不便である

人手をはぶくために水戸管理局に通じるようにしたのか?
理由はわからないが原町駅でないとなかなか案内しにくいだろう
原町からバスが出ているしこの辺では交通の要だからである

ともかく何か自分が駅長とか駅の関係者に嫌われている
何か余計なことをしているとみられる
でもなぜそうなったのか?
それが無人駅になったからである、無人だから勝手に人が入ってきてもしょうがないのである、別に悪いことするのでもない協力している
それなのに一顧だにない、むしろここで何しているのだ、余計なことをするなと敬遠されているのである

ただ去年から飯館へ福島市に行くバスは出ていた、ここに張り紙してあった
でも自分は気づかなかった、なぜ張ってったのを気づいたかというとプログに書いてあるから日付を見てわかった、人間は記録していると後でそのことを思い出すのである

その前に私は飯館から福島に行くバスの案内とか原町のバスの案内を作って駅内に張っていた、それを断れたのである、その理由はルールがあり勝手に駅内を許可なしでは使ってならないということでそうなった
これもおかしいのだが責任とれないからだとか言っていた
何か外部の者を排斥する傾向がある、でも駅はJRだけのものではない
市町村でも外部から乗る人もありみんなのものなのである
だから便利にしようとしているのにいちゃもんつけてボランティアはうざいとか嫌がらせのようなことをするのはおかしいのである

ただ今度は原町駅を管理するのは水戸管理局でありそこに連絡するとなるとどうなるのか原町駅の人の文句を言うとどうなるのか?
水戸管理局は命令する立場にあるからどうなるのか?
ただ原町駅で直接管理しているのだから水戸では何かわからなくなることがある
それが納得いかないのである

2018年11月22日

踏切にも監視カメラ


踏切にも監視カメラ

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踏切監視カメラの元々の設置理由は「踏切事故が発生した際の証拠」「遮断機を折って強行突破する車への牽制」ですので、「列車の本数が少なくて、歩行者しか通れない」ような踏切なら、設置していない可能性はあります

監視カメラを踏切につけていた、どこにでも監視カメラがあるがわからない
駅にも無人駅だと必ずついているしどこでもついている
4っつ監視カメラがついている
駅は外部からの出入り口になる、国境とか関所とかとにているのだ

何か振り込め詐欺の犯人が監視カメラに映っていたとかともいう
逮捕されたかどうかは定かではない、犯罪者をチェックする役目もある
それは関所とにているのである、現代は関所の役割になるところがない
あまりにも自由になりすぎたのである
車だと高速などでは料金の払う場でチェックするにしても車はチェックしにくい
だから車だと遠くに簡単に逃れられてしまうのである

ともかく駅とか鉄道はいつも下請けの専用の会社の人たちが仕事している
ほとんど毎日のように来ているのである
それが仕事なのだからそうなる、点検保守管理をしている


でも踏切を通る人も映るしそれで監視していると不安になる人もいるのもわかる
前は踏切番人がいた時代もあった
踏切はやはり危険だからそうなっていた
まず今はどこかで監視カメラに映るらうにできていることは確かである
踏切の監視カメラはどこでも普通に設置されていて今までここに設置されないのはかえって変だったとなる
結構ここの踏切は人はあまり通らないが車が通るからである
小学生とかは別な道がありここを通らないから安全ではある

2018年11月20日

駅のことを説明しいたらコーヒひもらった (ボランティアをする思想について)


駅のことを説明しいたらコーヒひもらった

(ボランティアをする思想について)

何か一人の女性に駅のことを説明していた
たいだいいつも駅の機能のことをいろいろ説明している
駅はこういうものでありこうあったほうがいいとか書いてきたことを説明した
その人は長く待っていたのである
だから今まで書いてきたようなことを説明した
そしたら自動販売機でコーヒーを買ってくれてもらった
自分が何かしているということを認めたからそうしたのだろう
その人とははじめてあった人であり地元の人である
でも地元の人でも自分がしていることに認める人はいない
かえってあいつは何しているのだと怪しまれ警察に通報された
ボランティアにもいろいろ問題がある
責任もありそれで訴えられた人もいるしいろいろある
それが善意であっても無償であっても責任が問われたりいろいろある

それでここでの考察に興味をもった

金子郁容の『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書、1992 年)では


ステップ1「まず、自分から動く」――勇気をもって
ステップ2「評価を相手に委ねる」――ゆったりと
ステップ3「相手が動いたら、タイミングよく対応する」
        
何のルールも後ろ盾もないところで、ひとりの個人として行動するからである。そこには、自由もあるが、リスクもある。そのようなリスクを犯して、互いに出会うところに、人間としての対等の関係があり、人間としての尊厳があり、相互承認が成立する。最初に引用した文「ボランティアは「助ける」ことと「助けられる」ことが融合し、誰が与え誰が受け取っているのか区別することが重要ではないと思えるような、不思議な魅力にあふれた関係発見のプロセスである」

ボランティアは何か法的にも保護されていない、でも責任が課せられることがある
災害で事故にもなる、するとボランティア保険に入らないとできないとか意外とボランティアはめんどうなものなのである
だから私の場合はそんな責任あることはしない、駅でゴミ拾うとかちょっとした案内するとかだけである、だからそこには責任は生じない
一つの公共の場所として自分自身が利用者となってそのついでにそんなことをしているだけであり何か特別しているという意識はないのである

何か乗客とかに教える場合でも強制はしない、案内を強制はしない、いやがるなら何もしない、話もしない、だからこの三原則は興味深いとなる
ボランティアは災害などの支援などになると体力的にもきつすぎるから報酬を与えるペきでありとてもこのようなのんびりしたものではやれないのである

だから責任のないものであり評価もされない、今回のようにコーヒーをもらうということが一つの他者からの評価だったとなる

「相手が動いたら、タイミングよく対応する」

これは自分自身がしていた、あの人困っているのかな道を聞きたいのかなと見えたとき
何か困っていますか、知りたいことがありますかと軽く言う
でも別にスマホとか自分で探す人には言わない、そのタイミングが大事になる
ただ別に私が案内しなくてもどうにかなるから必要ないともいえる
嫌がられる場合もあるからだ、その辺のタイミングがむずかしいのである

ともかくボランティアは災害とかの支援となると労働がきつい、責任もあり、事故になったりすると困る、だからそういうものは組織化して対応するべきである
それは有償にもするべきである、責任が生じるからである

ともかくここではいかにボランティアが弱い立場であり何の保証もない、そして責任も課せられたらとてもできない、だから自分のような軽い責任もないボランティアならいいとなる
しかしそうなると誰も認めないということもある、それもしかたないとしてやるとなる
ただ邪魔になる場合だってありそれで鉄道関係者とか駅長でも嫌っている
でも駅はJRのものだけではない、利用する人でも自治体でもかかわるものである
だからNPOでコーヒーを出す人をおくとか市役所の人が来て工事をはじめるのである
だからNPOとかでするのはボランティアとは違うのである
それは市の方で援助して金も払うとかありNPOがかかわればボランティアではない
有償の普通の仕事ともなっている

だからボランティアは何か?

それを定義することはできない、個人と団体でやるのはまた違っているからだ
ここでは個人のボランティアのことを書いているのかもしれない
それも何の後ろ盾もないボランティアである
それを何か思想的に裏付けしようとしているのもあったということである
ただそこまで軽いボランティを考えるのかとなると普通はない
私もただそんな意識とか思想もない、偶然無人駅になって聞かれることがあったりしてしているだけである、別にそこでボランティアしなくても駅は機能しているからである
だから誰も認めなかったが一人昨日は何か認めることがありコーヒーをもらったということになる


2018年11月14日

新地駅は仙台行き相馬行きで間違う (1番線で両方行くが4回は2番線で行く)


新地駅は仙台行き相馬行きで間違う

(1番線で両方行くが4回は2番線で行く)



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これがまぎらわしい

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この時間以外の電車が1番線から発車

この時間のみが2番線から発車

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今日は折り畳み自転車BD1で新地に行ってきた

新地駅は本当に立派になった、地下道までありエレベーターが通じている
大都会並みである
そして駅中心の街作りをしている、今建築中である
そこに温泉ができたりみんな憩える場を作る
すると鉄道を利用して他からも来る
鹿島の温泉好きな人は鉄道で行きたいと行っていたからだ

山下駅でも駅前にスーパーができたから駅前中心ににぎわうようになり鉄道でも利用される、つまり鉄道だけではもうにぎわいはもどらない
駅前に駐車場を広くとりそこにいろいろな人が集まる施設を作る
ただ温泉は売りになるがそれがどれくらいの温泉なのか?
そうなると交通の便がいいから人が集まるとなる

街作りを考える場合、一か所にいろいろなものが集積すると効果が大きくなる
例えば外から来る人は不案内でありいろいろなことがわからないのである
点々と離れていると買い物でも食事するにしてもわからないのである
地元の人は知っているから行くけど外から初めてくる人はわからないのである

そして新地駅の最大の問題が仙台行きと原町行きの番線が間違えることである
私自身が間違って2番線に行って帰ろうとした
それで一時間遅れた
なぜなら新地駅では駅員がいても4時で終わりだからである

どうしても一番線と仙台行きだと思っていた
鹿島駅でも良く仙台行きが何番線か聞かれる
それは表示してあるのだが聞かれる
でもその表示に初めての人は気づかないのである
つまり問題は戸外部から初めての人はいくら自動化してもわからないことがあるとなる

実際に一人は間違って2番線に行っていた、それは表示してあることがわからなかったのである、1番線が仙台行きであった、指定された時間が2番線である
それは4回ある、でもあとはみんな1番線なのである
これは本当に間違いやすい、だからいくら表示していてもそれに気づかないのである

乗車証明書もあったがそれも気づかない、目立っているのだが気づかない
バスで団体の人達がバスで20人くらい降りて来た
その時スイカなどない人は乗車証明書が必要になる
でもわからないのである、それは鹿島駅でも経験していた
それでここでも教えて案内してやった

駅は確かに自動化できる、でも新地駅ではじめてくる人はわからない、いくら自動化してもわからない、表示の張り紙があってもわからないのだ
おそらく時間がないからそれを知り理解することができないのかもしれない
私は一時間遅れていたから理解した
それも待っていた新地の人に聞いてわかったのである

だから自動化機械化ロボット化はできる、でも人間がいないとどうしてもわからないことがある、ただロボットでもうそのことは必ず聞かれるのだから答えることはできる
機械化ロボット化できるのだがそれが完全に成されていないということがある
アナウンスで仙台行きと原町行きの番線が間違うから注意のアナウンスを定期的にしていれば間違わないとなる

でも人間がいないとどうしても何かたりないものがでてくる
だから本当にすべて自動化AI化できるのか疑問になる
ただわからないが間違って2番線に行った人は引き返した
それはスマホを見ていたのである、だからスマホを見て気づいたのかともなる

折り畳み自転車は重かった、だからエレベーターがあると助かる
老人が多くなるとどうしても荷物をもって階段を上り下りするのが苦労なのである
相馬市にはエレベーターはなかった、それもおかしいと思う
思うにそれだけ金をかけられないということなのだろう
エレベータ−は相当に贅沢てあり金がかかるからだ
新地駅は特別津波の後に良くされたのである

2018年11月13日

市役所の人とNPOの人が駅に来る (駅にコーヒー出す場とか人を置くとかする)


市役所の人とNPOの人が駅に来る

(駅にコーヒー出す場とか人を置くとかする)

市役所の人とNPOの人が駅に来た
切符売り場のところをガラス窓にしてコーヒーを出す場を作るとか
人を置くとか言っていた
切符売り場の所をガラス張りにすることは確かである

ただコーヒーを出すとか人を置くとかは決まっていないらしい
人を置くとなると金がかかる
でもnpoとかなると市から援助される
現実に市役所の人がきて工事の手筈を整えていたからである

商売になるのはむずかしい、それほどの人の出入りはない、ただあそこの駅の入り口の自動販売機は売れる、待つ人が多くそれで飲み物が必要になるからだ
別にコーヒーはそこで飲める
ただ何か憩いの場とするのか、人を置くというのは何か他に目的がある

その担当の人は地域振興課の人だったからである
駅に人が朝から長くいればわからないこととか案内はその人に聞けばいいのだから安心になる
今日も年配の女性が二人ただ駅に来ていたのである
その二人と長く話した、何かそういう憩いの場として駅もある

そして駅は外部とのつながりがある、外部の人が必ず来るからである
それで無人駅でわからないことがある
地元の人はわかっているがわからないことがある
そこに問題があった、でも常時人がいれば聞けるからいいのである
私は一日一回くらいちょっといるだけだからである
でも今日は二人のおばあちゃんがきて話していたのである
一人はこの土地の人ではなかった、移り住んだ人である
それから小高のおばあちゃんとも話した
だから今日は結構長くいたのである。普通は長くはいない、だから長くいる常時いる人が必要なのである

コーヒーを出すとかなれば食べ物をパンなどを置くということもある
前は確かに売店があった、とういことは鹿島駅はそれなりに出入りがあるところだったとなる
今でもそうである、だから何か駅をもっと良くすることが望まれていた
ドアを直したとか良くはなっている
ただやはり売店とかくつろげる、憩える場としての機能はない

ともかく駅も変わる、無人駅はやはり良くない、ここはそれなりに人の出入りがある
だから無人駅になるところではなかった
でも商売となるとむずかしい、採算はとれない、でも市の方でnpoに頼めば市の方で援助するからやれるとなる
ただこれは検討中でありわからないという、でも市の方でも鹿島駅のことを地域振興課で考えていたのである
だから市の行政が何も無関心ではない、鹿島駅のことを考えていて実行に移したとなる

掃除は商工会にJRで頼みしてもらっている、金はJRから払われている
駅の外のトイレも市役所て障害者施設に頼み金を払っている
切符を売ればいいのだがJRでは機械が設置できないから断れられた市役所の人が言っていた、切符を買えないことはやはり困るが断られたのではしかたがないともなる

ともかく地域振興課では駅のことを考えていた
駐輪場も作ったしドアも直したと駅は改善されたのである