2023年04月06日

鹿島駅で運輸省に入った人と話す (国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で運輸省に入った人と話す

(国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で上真野の人がいて話しした。
その人は運輸省に入り仕事していたという。
国鉄のことを盛んに言っていたからその関係の仕事をしていたのだろう。
でもその人は国鉄のことを盛んに言って社会党を支持していた。社会党は国鉄があって政党として成り立っていた時代があった。でも鉄道が衰退して民営化されて国鉄の時代は終わった。国鉄関係で働く人が地方でも多かった。
今の駅の前に国鉄の官舎があり小学校の同級生にそういう人がいたのである。国鉄というのは他にも近くで線路工夫をしていたり勤めている人が多かったのである。国鉄一家ともなっていたのである。
それは鉄道が運輸を担っていたからである。
それも車時代になると輸送でも車に変わってしまって衰退したのである。

その人はなぜ運輸省に入ることができたのかそれはその人が優秀だったからではない。その時斎藤邦吉が国会議員であり大臣にもなったからその人に100万とか裏金を包んで出して入ることができたという。その人を見れば確かにそう思う。
とても運輸省になど入れる人に見えなかったからである。
今77歳にしてもすでに80以上であり85くらいにも見える。もう70歳上くらいになると歳では計れない、見た感じでも十歳くらい違っているからである。
とにかく老人になって故郷に帰る人が結構いる。前にも会ったことがある。それがわかるのはしゃべることが東京弁であり標準語をきれいにしゃべるからである。訛りは確かに国の手形なのである。
前にあった人は埼玉の方にも住んでいて関東地方転々としていたから訛りはいろいろと重なっていたのである。
だから訛りは隠せないのである。訛からその国のことが分かるのである。

駅だと何かこうして前もそうだったが一人二人くらいしかいないので話すことがある。でも高速道路のSAはよそからから来た人と語ることなど無いのである。
だから外の人と話しないからどういう人が来ているのかわからないのである。そしてあまり待つということがないのでしゃべることもないのである。
ただ最近は駅で話すこともなかった。ボランティアで案内していたが警察が来て怪しいとされ職務質問されてからは行かなくなったのである。

今日は久しぶりに人がいたので入ってみたらその人は私に向かって話しかけたので話したのである。
話が通じるのはやはり同世代だからである。でもその人がどうしても運輸省などにはいれる人とは見えなかったのである。
その人自身が運輸省にははいれないと思ったが斎藤邦吉の口ききで入ったと言っていた。そういうことが就職を斡旋することが金としてやる仕事にもなっていたということがわかる。
今でもそういうことがあるかもしれない。政治だとやはり利権の
関わりでそうなりやすいのである。
ともかく国鉄があったとき社会党が力を持ち結果的に国鉄が民営化するときでもかなりのお金を辞めた人にももらえたのである。それはまだ社会党が力を持っていたからである。

今は国鉄はなく農業もう衰退した時農協も力を持っていたが今はない。票田として農家があったが今は農家も少ないから表になり得ない。
それで公明党とか創価の力を借りて自民党は生きながらえているのである。統一教会問題もそこから起きていたのである。
このように政治は利権でありその利権団体でも時代で変わるから支持する組織団体も変わる。いずれは創価も衰退しているから頼りにならなくなる。すると次の頼りになる票になるものを組織団体でも探さねばならなくなる。

いずれにしろ国鉄の時代は社会党が力があり社会党の政治家が国会で常に質問して自民党を攻めていたことを思い出す。
今は野党でも何か能力に欠けている。自民党攻めるにしても何か強力ではないのである。社会党も万年野党だったがそれなりに自民党強く攻撃していたことを思い出すのである。
それは国鉄が鉄道が国の運用にない大きな力を持っていたからなのである

とにかく東京で暮らした人も結構故郷に帰ってきている。でも老人であり働くわけではない、つまり東京から地方に帰るのは老人である。若者は地方に来ないのである。だからこれでは地方の活性化にならない、むしろ病気になり介護になる割合が高くなり地方ではより高齢化社会になる。飯館村にしても一割なのか二割なのか入って来た人たちは年配のひとである。
その人たちは郵便配達とかで働いている。でも50以上とかなりいずれは老いてゆく、するとどうしても介護とかで世話になる方になるから問題なのである。先を長くみれないので困るのである。またその人たちは子供もいないし未来を担うことができないのである。ただそれはここだけの問題ではない、日本全体の問題であるがここでは原発事故で津波の被害でも極端なものとして現実化したのである。

2022年12月17日

無人駅で事故で死んだ盲人 (只見線開通ーその思い出など)


無人駅で事故で死んだ盲人

(只見線開通ーその思い出など)



大分県津久見市のJR津久見駅構内の線路上で15日、高齢女性が特急列車にはねられ、死亡する事故があり、女性は片方の目が不自由な視覚障害者だったことが17日、捜査関係者への取材で分かった。当時は駅員不在の時間帯で、県警は状況を調べている。

 県警によると、亡くなったのは市内に住む無職小島得江さん(82)。15日午後5時50分ごろ、線路上で大分発宮崎空港行き特急にちりん13号にはねられた。運転士は「線路からホームにはい上がろうとしていた」と話しており、県警は誤ってホームから転落した可能性もあるとみている。
 
  津久見駅では午後3時以降、駅員を置いていなかった。

続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/04be5c1d6166d3e56e94ffd29944ac42b988857a



市となっているけど人口17000くらいみたいだよ
夜の田舎駅のホームは薄暗いんだよ

めくらで田舎に住んだらアカン
都会に住んで助けてもらわな
田舎じゃ人がおらんからサポートしたくてもできん

親族が付き添えよ
駅員のせいにすんな

原発より危険なのにまったく安全性を考慮されない
電車は人殺しし放題なのにおとがめも裁判もなし
駅に入る前、踏切手前で徐行すれば全て解決するのに

健常者以外は付き添い必須でいいよ
全責任は本人と付添が負うべき
駅員さんに余計な手間を掛けさせるな


駅員がいれば助かった、でも夜になるとここでは高校生の見守り役もいない
誰もいないとなると危険である、そもそも夜に盲人が出歩くのは危険である
それは自己責任になるかもしれない、82歳で片目が見えないとかで夜に出かけると自己責任になる、でも確かなことは駅員がいればこうはならなかったのである
でもコストがかかるから無人駅になったのである
どうしても安全はなくなる、駅員が人間が見守らないと安全は確保しにくい
監視カメラがあってもそれで安全をすべては計れないのである





私は無人駅で案内していた時、盲人の人が必ず通っていた、そこで案内した
でもその人は慣れている、だからかえって干渉されるのを嫌がったいた
ただ無人駅では盲人とかは危険である、だからこうした事故が起きた
年も年だったということもある、私が案内した人は中年だったからである
老人が無人駅に乗ることは危険になるかもしれない、片目が見えないというがやはり
敏感に反応できないことはある

でも無人駅はいろいろ問題がある、そのことを書いてきた、駅というのでもこれも自ら
駅員とかなり体験しないとわからないものだと思った
なぜならいつでもただ乗る方からしか見ないからである
それはなんでもそうである、客となるのと接待する方とか物を売る方とかなるのは全然違ったものとなる、だから客にばかりなっていたら社会のことはわからないとなる
客になることは経験できてもサービスする方とか何か提供する方になることはできない
だから無数の職業があっても理解できないのである

私の無人駅の案内の経験でもこんなに駅には仕事がありまた駅にはいろんな人が来る場所だと思わなかった、結局それはそこは少数しかこないのと待っているから声をかけて話を聞くことができたのである
そこでいつも聞かれたのは上りと下りの行き先だったのである、これが意外とわからないものだったのである、それは他の無人駅で同じ経験をしたからである
都会だと行き先案内とかあったが田舎だとない場合がある
それで駅長にそのことを言ったら跨線橋の階段の前に行き先を提示するようになったのである

とにかく別に今の駅は鹿島駅は無人駅ではない、高校生の見守り役として常時市から派遣された人がいる、だから無人駅ではないが昼間はいない、何か昼間でも駅に一人二人としか見えないのである
にぎわうのは高校生の通学する人である、あとは閑散としているだけである
将来的には駅は駅でくなる、別な用途として活用されるとか言う人もいる
つまり駅だけの機能としてだけではない、何か別な物としても活用される
確かに今の状態ではもう鉄道自体が一部をのぞいて活用されなくなるからそういうのもわかる
観光列車になっている所もある、水害の被害から回復して10年ぶりとか開通した只見線がそうである、そこは観光路線にはいいが日常的にはあまり活用されない
第一日三回くらいしか時刻表で見て乗れないとなると不便すぎるのである
本当に観光路線として残すほかないともなる
それにしても百億以上もの金が復興にはかかったのである、その後の経営もむずかしいのである、福島県で金を出すということで再開したのである

結局只見線は鉄道マニアが写真をとるためにあるのかとまでなる
鉄道マニアにとってのみ必要なのかとまでなる、

雪深く只見の駅や我が泊まる一夜の宿や思い出すかな

一回雪まつりがあったとき泊まったことがある、また只見線は新潟県の小出が終点であるそこに魚野川がありその岸の食堂で鮎の塩焼きを食べたことを覚えている
魚野川というごとくいい川であり鮎がとれていたのである

魚野川流れの早く鮎を釣る一両の電車橋わたり来ぬ

小出とかは大きな川がありいい場所である、でも一日三回しかの便がないことは淋しいとなる



2022年11月15日

北海道に新幹線は不必要 (新幹線より時速30kmのSLを北海道全域に導入すべきだった)


北海道に新幹線は不必要

(新幹線より時速30kmのSLを北海道全域に導入すべきだった)

●北海道の旅の記憶

列車好きって鈍行好きだよな
鉄道わからんでもそれくらいは知ってる

予約取れないほど人気だった寝台列車を廃線にして
1両1人しか乗ってない新幹線ができたんだぜ?

寝台列車いいかも
ここでしか乗れないみたいなのを北海道でやるなら寝台列車復でいいんじゃね?
SLとか豪華列車は走りまくってるし

広いすぎるから電車は不利なんだよね。
どこに行くにしても電車だと駅まで遠すぎるという。

北海道には十回くらい行っている、必ず仙台から船で苫小牧まで行ってまわった
苫小牧につくと空気まで違っていた、苫小牧は市になっていても工場などがあっても
広いのである、回りは原野なのである、苫小牧からすでに北海道の景色なのである
ルピナスとかの花が咲いていることは日本ではないからである
旅だと北海道なら船で行くと旅情がある、船で行き電車で旅するとなると鉄道ばかりの旅とは違ったものとなる、だから函館までの連絡船があったときは旅でも違ったものとなった、連絡船は日常的に使用するものであり観光だけではないから何かそこに人間の物語があったとなる

今海底を走る電車だとそうしたものを感じなくなる
要するに何か新しい技術ができて便利になっても必ず失うものがある
それはデジタル社会の落とし穴でも書いた
便利さ効率を追求してゆくとそこに人間的なものが失われてゆく
旅情も失われてゆく、鈍行から普通列車になり急行になり新幹線になる
その過程で失われたものがある、夜行列車は消失した、だから夜行列車は体験できないから体験したいという人も出て来る、寝台列車はやはり旅情があるからだ

北海道に新幹線がいらないというときビジネスとか日常の足としては使わないからである何か一両の電車が広大な荒野を走っているのは実用的ではないからである
そこでぽっぽ屋とかの高倉健の映画があった、ただノスタルジックなものとしてあった
ただそうして駅舎には人間的なもの情がにじんでいる場だったのである
北海道は観光列車がいいというときそれはまた違ったものになる
観光だけとなると何か生活感がないのでやはり鉄道も活きないとなるかもしれない
ただ観光列車とかしか活かせる道がなくなっているのである

●時代による時間感覚の相違

現代は時間の感覚が違っているしこれまでも時間の感覚が違っている、江戸時代と明治時代でも時間の感覚が違っているしそれから大正、昭和となり戦後の昭和となり時間の感覚が違うのである
それと距離感も違ってくる、第一江戸時代に参勤交代とかで江戸まで行くにどれだけの時間がかかっていたか、相馬からでも8日間かかるとしたら往復二週間もかかるのである
すると江戸とははるかに遠い世界でありそこに行けるのは一生のうち何度かとなる
また仕事で行くことも簡単にできない、そして手紙ですら飛脚が運んでくるのだからめったに便りもないのである
その時間感覚と距離感覚の相違が常に時代によってあった
その時代とは科学技術が人工的に作ったのである
時間か早くかんじたり遅く感じたりするがもともと時間はない、時間は人間によって環境によって作られてきたのである、それは明治以降時計が普及すれば時計で時間が計られるすると一分でも計られるから時間に追われるようになる
つまり人間は時計によって時間に追われるようになる、そのこと自体人間の感覚が変わってしまったのである

寺の鐘が時間をつげていたときは何かゴーンゴーンと野に鐘の音がひびきわたる
その感覚は時計で感じる感覚とはまるで違ったものでありそれは自然のリズムと合っていたのである、一分刻みの時間ではないからである

春の野にひびく鐘の音野良仕事

その鐘の音を聞いて時間を感じる、その感覚は今とはまるで違ったものになる
鐘の音は大地に山にゴーンとひびきわたる、それは自然と融合した音ともなる
江戸時代の時間の感覚は自然のリズムとともにあり悠長だった
そこに江戸時代の価値があった、そして暗くなれば電気もないのだから夜は早めに寝るほかないしそして朝は早く目覚めて仕事するとなる
自然のリズムに合わせて生活するほかなかったのである、だから朝廷というときでも朝に官吏が出勤するからそうなった、暗くなると仕事ができなくなるからである
だから仕事はたいがい大工とかでも午后の二時くらいでやめていたとかなる
それは自然のリズムにあわせて仕事する他ないからそうなった

おじいさんの古時計は歌で有名になったがやはり柱時計が昔は家にありそれが大きいし
時間の進み方が遅かったのである、振り子が動いていたのも何か機械が悠長に動いている感覚にもなっていたのである、電子時計になると人間的でなくなる
機械でも人間的なものがありそれが電子化するとなくなる
だから時間の感覚はそうした機械とか道具にも影響されるのである
デジタル表示の時計とアナログ表示の時計の時間の感覚は違う、時間の見方が違うのである、時間を距離的にも見ている、一時間後とか一時間前とかを見る、今の時間ではない
先の時間と過去の時間も見ているのである
だから時間の感覚は同じ一時間でもいろいろな条件で違ってくるのである
だからそもそも時間がないと書いたがそういうことなのである

停車場の柱時計を仰ぎつつ現(うつつ)なや朝のストーブの椅子に 牧水

これも駅に大きな時計があり仰ぐとまでなる、ストーブがあるとういこともなつかしいとなる、エアコンではないからストーブだとぽかぽかとあたたまる、その相違も大きいのである、それでわざわざ薪を燃料に使ったりするのは今になると贅沢である
でもストーブの方がエアコンり何か冬らしい感覚を味わうのである

●失われた旅情

旅というとき早いのがいいとはならない、目的地にできるだけ早く着くとしたら旅にはならない、だからこれだけ交通が便利になっても旅を経験している人は少ないのである
旅をしているのではない移動しているだけなのである
どれだけ早く目的地について後はうまい料理を食べたい休息したいとなる
途中を楽しむことがないのである、車社会ではそうなった、旅は道連れ世は情けもなくなった、車では人と人の出合いなどないからである
旅情もないのである、分去(わかれさり)という地名が残っているのはそこで旅人は分れ永遠に逢わないとなっていたからである
そこで別れを惜しむからである

分去旅人別る秋の暮

こんなふうになる、これが車だと感じないのである、つまり歩いて旅しない限り感じられないのである、この道は分かれてどこへ行くのだろうとかなり道は未知だったのである
それは自転車ではある程度感じる、私は阿武隈高地をそうして自転車で旅していて感じたからである,道は未知として延々とつづいているからである
でも現代ではその未知なる道の旅が失われた、それは車社会になると道はレールの上を走っている感じになる、決められたレールの上を走る道路なのである
そこに未知の感覚は失われる、鉄道にしても決められたレールの上を走るのであり歩いて道を旅するのとは違うのである
現代は何か未知の感覚が失われたのである、あらゆることで交通も発達して情報が氾濫して道の感覚が消失してしまったのである、あらゆるものが既知に なってしまったのである
いづれにしろ北海道は魅力がある、広いから鉄道で旅行するのも魅力がある
ただ現実問題として日常的に利用するのは不便なのである
駅まで遠いというのもわかる、北海道は広いからそうなる、そうでなくても駅まで遠いとか駅からの足がなくなったことも影響している

私でも原町、相馬市まで行くのに自転車だからである、何故ならイオンとか行くのに遠いからである、買い物も駅から遠いし用をたすのにも遠いからである
そこが鉄道の問題である、車だとどこにでも行けるとなるからだ、この利便性の差が大きすぎるのである、、ただ正直私は車は好きではない、そのことは延々と書いてきた
またバスでもあまり好きではない、鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある
だから近くに確かに高速道路のSAはにぎわっていても何か人間的なものか感じない
駅で待つような人間的なものを感じないのである、駅だと人の出合い別れを演出した場所であり何か人間的なものがある、だからいろいろと語られるのである
人間の情がそこにのりうつっているからかとなる、ただ機能的な場所ではない、人間の悲しみ喜びが演出された場所だとなる、停車場という言葉でもそうである

ふるさとの なまりなつかし 停車場の ひとごみのなかに そをききにゆく 啄木

これもそうである、駅でボランティアのまねごとをしていたとき原発事故などで外部から来る人が多かった、そこでなまりを聞いてどこの人かと聞いたからである
なまりで国がわかるというのもそうである、なまりは本当にいろいろある、そのなまりが何かあたたかみがある、標準語とは違うのである、だから奇妙なのは故郷に帰って来た人が埼玉とか回ってその土地の訛りが自ずと身について複合した言葉をしゃべっていたのである、これも変なものだったのである

ともかくまず鉄道が活きていた時代は失われた、鉄道の駅と高速のSAを比べるとその相違は大きい、人の出入りが千倍も違うかもしれない、今は鉄道の駅は無人化したりして一人二人くらいしか待っていないとかある
高校生の通学では利用している、だから高校生の見守り役を市では雇ったのである
前は駅前通りとかあり駅が中心だったのである、だから駅前はにぎわっていたのである
でも高速のSAとなると街から離れていて街に来る人はまれである
ただ街から離れた場所で一時的に休む場所だとなり街の活性化にそれほどならないのである、まず街まで来る人はまれだからである
そして鉄道とは違って待つ時間もないからそこで何か見知らぬ人でも話すこともないのである、それは結局車というものが技術が人間社会を変えたということなのである
そこで必ず人間は確かに便利になっても失うものがある、得るものがあれば失うものがあったとなる

2022年04月22日

折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった (相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)


折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった

(相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)

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折り畳み自転車は意外と旅がしにくかった、いちいち折り畳み袋に入れるのもめんどうなのである、そして私の自転車はドイツ製のBD1でありこれは10数年前に買ったもので
いいものなのである、重さも11キロくらいで軽いのである
でも持ち運ぶと結構重かった、特に階段を上り下りすると相当に負担になった
それでエレベーターを利用するといいと思った
また折りたたまないで階段を上り下りすれば楽である
折り畳み自転車は利用していなかったのでうまくいかなかった
途中でチェーンがねじれて動けなくなり駅から自転車屋に行き直してもらったから助かった、前は8キロも歩いたことがあったから自転車は怖い面がある

結局何か折り畳み自転車を利用するメリットを感じなかった、というのは駅から歩いてもいい距離しか使わなかったからかえって折り畳み自転車が移動するのに足かせとなってしまった、十キロでもいいから利用していたらそうはならなかった
前は駅から二十キロとか離れた距離を行ったから有用だった
今回は駅からそんなに離れない距離しか行かないからかえって足かせとなってしまった

というのは岩沼で乗り換え次に大河原でおりて次にまた白石で降りて福島でとまり待ち合わせで二本松に行った
岩沼から直通で二本松に行く電車はないのである
これも不便だと思った、そこで50分とか待ち合わせがあったりして時間が遅れると困るのである
それで良く自分の街の無人駅でも待ち合わせの時間が一時間とかなり隣の市まで歩いて行こうとする人がいる、一時間おきとなると一時間を待つのが長いのである
なぜなら旅でも先を急ぐことがあるからだ
今回の目的は人目千本桜を見るのと二本松の桜を見ることだったからだ
今は鉄道の旅はしにくい、便秘が少ないのが最大の問題である
新幹線とかは30分おきくらいに行くとなるがローカル線は一時間おきになっている
もっと間が空くことがあるから利用しにくいのである
30分おきくらいだと相当に利用しやすい、なぜなら30分は待てるからだ
一時間になると待てなくなるのである




stationshop1.jpg
白石市駅前の店兼食堂


これが良かった、白石市なのに駅前に食堂がないことは変だった
でもここではいろいろ用がたせる、買い物もできるし食事もできるからいい
やはり駅ではちょっと離れていても待ち合わせでは不便になる
どうしても駅内とか駅前に必要なのものなのである
でも駅で案内してそういうものがないので困る人がいたのである
というのはどうしても駅で待ち合わせの時間があるからそうなる
それが不便なのだが人間的なものも生みだしていたのである
ただ忙しい現代では電車は時間があきすきで不便になってしまったのである




駅前のことでは白石市の駅前で食事しようとしたが食堂が見当たらないのも変だった
普通駅前にあるはずだがないのである
そして駅前に店がありその中に食堂がある、でもそれは狭い場所であり食堂とも言えないそこで野菜とか果物とか売っていて手作りの惣菜が売っていた
それをおかずにして隣の狭い食堂で食べさせるのである
それが何か人間的で良かったのである、おばちゃんが声をかけたりして人間的なのであるだからスーパー等と違ってこういう小さな店は人間的なものが残っている
それで旅して阿武隈山中の石川の方に行った時、万屋(よろぶや)が残っていて
そこでご飯と味噌汁が無料で御馳走してくれたのである
こういうことは今の時代にはありえないことだったので不思議だった

要するにまずコンビニとかは人間的なものがゼロである
人間的なあたたかみなどない、客でも逆に店員を人間と見ていない、店員も客を人間とは見ていないのである、どっちにしろロボットという感覚なのである
そこには確かに便利さはある、コンビニエンスがあるが人間的な情とか消失している
それはやはり車社会になってそれに適合することでそうなったとみる
鉄道だとまだ人間的なものがあり駅前通りとか発展したのである
駅というのは街の中心的機能としてあった
なぜ食堂がないのかと聞いたらみんなやめたと言っていた、経営として成り立たなくなっている
何か駅前より今は車社会になると道の駅が中心になる、現実にこの辺でも原町の道の駅が中心であり駅前通りはすたれている、道の駅が街の玄関ともなる
要するに駅とういのはそれだけ車社会になり利用価値がなくなったのである
何か鉄道開通から150年とかがその記念のハンカチを買った、150年過ぎて鉄道の変化も大きかった

次に二本松へ行った、二本松の駅前にインド料理店があるのは不思議だった
そこでナンとカレーとか食べた、カレーに豆が入ったのがうまかった
カレーの種類は多い、本場のものだからうまいと思った
インドにもネパールにも行ったからということで入った、ネパール料理もだしている
この料理は共通している、外国料理はどうしても口になじめないものがある
それで外国旅行ではまともなもの食べた記憶がないのである
もちろん自分の旅の目的はあくまでも旅することであり料理にはこだわらないというよりこだわれないとなっていた

ただなんかこれだけ旅ばかりしている旅の評論家のようにもなっていることに気づいた
夜になり今回泊まろうとした、アーバンホテルとか駅前に大きなホテルがありそこに泊まろうとした、ただ折り畳み自転車などをもっていると面倒になる
何か現代は旅人はいない、ホテルを利用しているのはビジネスマンが多いとなると背広を着てネクタイをしめているという感じの人が多数である
するとなかなか入りにくいとなる、まず自転車旅行だと泊まることもできないとなる
汚れることもあるからそうなる

その前の日本風の旅館ならいいと思って聞いたらそこは満員だった
実際はアーバンホテルも満員だったのだ

コロナウィルスウイルスですいている空きが多いみて泊まろうとしたができなかった
これは意外だった、そしてこれから連休にかけて意外と宿は混んでいると思った
もうコロナウィルスのことをあまり気にしなくなったのかもしれない
でもうるさく電車でアナウンスするから警戒しているかと思った
でも駅前の旅館でもホテルでも満員なのだからそうとも見えなかった

ただ正直ホテルと旅館でも旅人に親切ではない、特に満員とかなると普通の客でないと嫌われる、ただ部屋があいていれば嫌でも泊まらせるとなる
とにかく自分はこれだけ旅してもホテルとかただ泊まるだけである
でも何かそこに人間的なものはない、だから例え困っていても親切にはしない
別なホテルがあると言っても暗いし行きにくいのである
ただ今回は別に日帰りの旅だから気にすることはなかった
でも帰るのにも福島市で乗り換え岩沼で乗り換えその岩沼から新地行きでありそこで
50分待って11時ころに原町行に乗ったのである
たこれだけ遅い便があったから乗れた

旅行で注意すべきは

連休に向かい宿は満員になっているかもしれないから注意!

有名な観光地だと泊まれないことがあるから注意である

旅でぱ泊まれないことが一番困る

でもそれを泊める方は気にしないのである、でも寝る所もないとしたらどうするのか
それは本当に困るのである、だから自転車旅行ではテントとかが必ず必要なのである
それで水戸黄門の映画で必ず旅籠ではなく民間の家に泊めさせてもらうともなる
それは宿が満員だと本当に困るからである、でも泊める方は全くそういうことは気にしない、そこの心遣いはないのである
そもそもホテルがホスピタルとか病院の起源になったからだ旅人をいたわることから始まっている、それが今はないのである

まず金が第一であり金によって待遇は変わる、そしてそもそも車で来るのだから歩いてくるのではないからねぎらうとかいたわりとかはなくてもいいのである
つまり現代には旅人はいないし旅人をねぎらうということもなくなったのである
でも歩くとか自転車とかの旅となると疲れるのだからねぎらいが必要なのである
でもそういう人は例外だから歓迎したりもてなしはしない
それは車社会になれば自転車が邪魔なのと同じでありそんな客は邪魔だともなるのであるそれは人が悪いというより車社会になって人も変わってしまったのである

なぜ自分が自転車旅行にこだわっているかというと車だとどうしても風とか感じない
鉄道でも電車だと風とか感じないのである
風流とは風を感じ流れを感じることである

旅人に流れだぎちてつばめ飛ぶ

川が激しく流れる、旅人もその流れのように行く、また禅宗では雲水となる
雲のように流れ水のように流れる、それが旅なのである
それで私は禅宗にひかれるのである車ではその風を遮断するから風流もなくなのである
とにかく一日の折り畳み自転車でも相当疲れた、体力の限界を感じた
やはりきつい旅でもなんでもできなくなるからできる内にしていた方がいいとなる
とても今でも外国旅行はできないとなるからだ


2022年04月11日

鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない (多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない

(多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


公共交通機関で無料配布していた紙の時刻表を廃止する動きが相次いでいる。インターネットの普及が主な理由だが、新型コロナウイルス感染拡大による公共交通機関の利用者減少で廃棄が増えたことも要因だ。高齢者を中心に存続を求める声もあり、行政が代わりに発行する動きもある。

 「紙時刻表の配布終了について」。JR新潟駅前にある新潟交通(新潟市中央区)のバス案内所窓口にはこうしたお知らせが貼られている。

 同社は年2回のダイヤ改正ごとにA3判の時刻表1万部を発行していたが、昨年11月のダイヤ改正からやめた。代わりにネットの時刻表などを利用するよう呼びかけている。

 新潟市中央区の無職女性(73)はバスターミナルに貼られた時刻表をスマートフォンで撮影しながら、「不慣れで時刻表のサイトを開くことができない。紙の方が見やすかったんだけど……」とため息をついた。

 同社が紙の時刻表を廃止したのは、経営改善の観点からだ。新型コロナの影響で業績が悪化し、市から2億5000万円の財政支援を受けるなど厳しい経営状況が続く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a81196c6625b498310cbb0947e8e1c64fa0eb301



今日も駅にたちよった、そしたらスマホを見て何か探している人がいた
それで聞いてみた、名古屋にあるセントレア空港に行くのだが電車の時間が一時間半くらいあとになる、それでた早く行きたいので困ったと言っていた
それでタクシーで行くとかいったが金がかかりすぎると言った

この前も女性二人が下りて次の電車が来ないので待っていられなくなり原町まで歩いて行くところだったが雨がぽつぽつとふってきて引き返してきた
その人もタクシー利用するとか言っていた
今確かに地震の影響があり時間通りに来ないとか本数が少ない
前は一時間置きには来ていたのである、それも影響しているがそもそも一時間置きでも外から来るとなると本数が少ないのである

結構仙台空港を利用する人がいる、今ならその方が早いからである
新幹線にしても四時間とかかるとなると一時間くらいなると早いのである
つまり電車でもこうして飛行機時代になると飛行場と鉄道が結びつくと利用者が増える
そのために仙台市から直通の仙台空港行きの路線ができたので便利である

とにかく鉄道はローカル線は維持できるのか、廃止になる路線が多くなる
終に時計までもゴミ箱までも撤去された
そして時刻表も置かないとなった、前は小さなものだが小冊子のようなボケっとに入るような時刻表を出していた、それもやめた

私はボランティアで時刻表を作って駅に置いた!

でも駅長から断れられた、もう駅に出入り禁止になるくらいになって現実そうなった
なぜなら怪しいとして今度は回りの人が警察に連絡して人が大勢いたときにイベントがあったときに職務質問されたからである
またお前は何しているのだと客から案内したりしたらそんなことをするなと怒った人もいた、それから自分がホームのゴミ箱にゴミを捨てていたが監視カメラで見ていて駅長からホームに入るな言われた
こういうことで駅にはかかわらないことにしたのだがただ慎重に軽く駅の外で何か困っているから聞いたのである
今は別に高校生の見守り役がいるから聞けるが昼間は一時誰もいない

ともかくなぜ鉄道の駅が無人化してあらゆるサービスがゴミ箱もなくなり時計もなくなり時刻表もなくなる、それは結局鉄道に乗る人が減り続けているからである
だから廃止路線が増えてきる、経営できなくなっている
車時代になると鉄道を利用しないから乗り方すらわからない人が多いのである
それだけ鉄道は利用しなくなったということである
でも老人になって今度は車に乗れない人が免許を返納した80歳くらいの人が鉄道を利用するとなる、でも時刻表を今度はスマホで見ろとかそれもできないとなると不便になる
時刻表すら配れない時代になったのである
また勝手にこうしたもの駅に置いて配ることはできない、それがJRで置いたものとなり時間が間違ったりすると客から苦情がくるからである
それで駅長に無料で置いても断られたのである

ボランティアは勝手に個人ではできない!

これは肝に命じるべきである、社会にはそれぞれ組織でしていてそういう中に勝手に入ることはできない、つまりボランティアはそれなりに組織化して自治体でも公共的に許可されないとできない、それで退職した人がボランティアで何か問題がありかかわったが
裁判沙汰にもなってのである
20人くらいで組織化して社会から承認されないとできないのである
だからかなり何か教えるにしても慎重にしないと回りからあいつは何しているのかとなり警察が来たりするから注意すべきである
むしろボランティアは個人ではできないのだからするべきではないとなる
ただちょっとかかわるくらいならいいだろう
でもまた駅では監視カメラで見ているから注意である、何か善意でしていていてもJRとか市とかの許可ないとできないと見るべきである

その人は困っていたがちょうと車の人が名取まで行くとなり乗せてもらったのである
これは本当にラッキーだった、こういう親切は助かるしいいものなのである
また高校生の見守り役も中国人が困っていて隣の原町駅に車で乗せてくれて行けた
でも駅で個人的にかかわることは危険である
結局鉄道の時間は一時間置きでも不便だからそうなっているのである

とにかく何か私はこうしてもともと鉄道の旅が長いし鉄道マニアにもなった
それで実際に無人駅にかかわり案内したりしたことはいい経験だったのである
まず人間は仕事がいろいろあっても簡単に仕事はできない
ボランティアでもできない、ただボランティアでもどうしたらできるのか?
それはこの辺で起きた大地震の被害のためにDRTが駆けつけた、これはボランティアでも財団が運営してプロ集団だった、重機も持ってきたし屋根の上にのぼって仕事をしていた
それができたのは仕事のプロがしていて危険な仕事もできるからである
こういうボランティアとなると全然違ったものである
地震の被害でも個人で行って何か手伝いましょうとか言っても受け入れないだろう
ただ自治体で窓口を用意して認められればできる

いづれにしろいくら善意があってもボランティアは簡単にできないことを知るべきである
それが本当に警官が来て怪しいとかなり裁判沙汰にもなるからである
だからボランティアをしたかったら20人くらいでも組織化しないとできない
個々人ではできないようになっている、特に災害のボランティアは危険にもなるから本当はプロ集団でないとできないと知るべきである

ただなぜ無人駅が問題になるのか?

それは駅だと何かわからないことがあり困ることがある、すると何らか教えてもらう人が必要になる、でも高速道路のSAでは困る人がいないのである
掃除する人がいても金を払っている、それだけ人が来るから金が払うことができる
鉄道ではそれができなくなっているのである
だから外のトイレは南相馬市で作り掃除は毎日しているがそれは障害者団体の人に金をはらってさせているのである
JRだけではもうそうした費用を払う余裕がなくなっているからである
だからいづれは採算がとれない路線は廃止されてゆく
もし維持しようとしたら自治体でその費用を払わざるをいなくなるだろう
ただ飛行機の場合、飛行場までアクセスするのには必要だとなる

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DRTが作ったプレハブ小屋

ここはプレハブでも二つくらい作り仕事がプロでありボランティアというらり政府から派遣された人たちにも見える
一種の自衛隊のようにも見えた、ボランティアに見えなかった

2022年04月04日

鉄道の駅と高速道路のSAの相違 (駅にはコミニュケーションが必要になる)


鉄道の駅と高速道路のSAの相違

(駅にはコミニュケーションが必要になる)

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なくなった時計


最近は高速道路のSAの方に行く、そこだとレストランもあり広い休憩所もある
おみやげ店もある、でも随分鉄道の駅とは違うことに気づいた
今日は久しぶりで駅に行ってみたら若い女性の二人がいた、どこに行くのかと思って見ていたら駅を離れて歩いて行った、それからまた引き返した
それで聞いたら原町まで行くと言っていた、電車を待っても時間があるので歩いて行くとして駅を出たのである
前はこういうふうに駅についた人を案内していたことがあった
高校生の見守り役の人が常駐するようになってからは駅に行っていなかった
それでタクシーで行くとか言った、歩いて8キロくらいあると教えた
この距離だと歩く人はいる、後は雨が降ってくるとかかかわりたくないようだから去った何か教えるにも嫌がるとか怪しまれることがある
それで警官まで来たことがあり慎重になっている

でもここで気づいたことは必ず駅はなにかしらコミニュケーションが必要な場だということがわかった、なぜなら電車が遅れたりまた時間表を見たり今回のように原町まで行くとか歩く人もいたのである、つまり駅とは何かしらわからないことがあり聞くようになる
そして必ず駅の中になにもないから店や食堂を探す人がいる
駅前で探すし駅前通りがあるのはそのためだった
高速のSAだとレストランでも土産店でも休憩所もある、無人駅になると座る椅子があっても何もない、最近はホーム内にあったゴミ箱も撤去されたし時計まで撤去された
ただ無人駅でも鹿島駅は高校生の見守り役が常駐しているから無人駅とは違う

でもゴミ箱もないというのも困る、駅舎で食事したりすることがあるからだ
何かこうしてできるだけ無駄をしないようにする、なぜならゴミ箱を設置していたとき
商工会の人にゴミを捨ててもらっていた、そのことでも金を払っていたからゴミ箱を撤去したのである
高校生の見守り役は市の方で金を払っているのである、外のトイレも市で作ったものであり毎日障害者の人が掃除しているのである、その費用も市で払っているのである

とにかく高速のSAに行ってもそこで人と話すことなどない、そして困る人もいないのである、電車が遅れる心配もないし待っていることもない、ただ一時寄ってトイレに行くとか食事するとかで何か困ることがないのである

鉄道の駅では何か必ず困ることがある!

困ることがあるから人に聞く必要がありコミニュケーションが要求されるのである
その若い女性でもそうである、駅に降りた、でも次の電車を待てないのか何か原ノ町駅まで行くのどうしようとなった、雨もぱらぱら降ってきたとかなり駅にもどった
トイレにも入った、タクシーで行くにしても聴かなければならない
その電話番号を書いてあるのが入り口でそれが意外とわからないのである
今はスマホなどがあるから調べられるにしても何か聞くことがコミニュケーションが必要になる、もちろん人とかかわらなくても別にいいとしても鉄道の駅だと何かわからないことがあると思った、まず高速のSAではそんなことが全くないのである
そして街の方には来ない、SAによって後はまた別な所に行く、街とは全くかかわらないのである、鉄道の駅は降りたらそこで通りに出て街と必ずかかわるのである
だから駅前通りができたとなる、駅内には食堂もないからである

何かこうして比べると高速のSAと鉄道の駅は相当に違ったものである
それで街とかかわらないから地元とはかかわらないからサイクリングさせて真野ダムの方に行かせるとか観光ルートを作るのがいいと言う人があった
町自体とは全くかかわらないからである
そうなると市町村でも活性化はできないとなる
あれだけ人が出入りするのに市町村とは関係ないともなる、人の流れがただ高速だけであり街や町でも村でも波及しないのである
鉄道の駅はかえって時間を気にしたりいろいろわからないことがあり聞くことがあり不便だからかえって人間的な場となり見知らぬ人でもコミニュケーションが必要になっていたのである、人とのふれあいが必要になった
そこで実は人間も必要だったとなる、ただ駅長とかでもお前はなにしているのだと拒否されたし回りからも何しているのかそんなことをしなくていいとかあからさまにも言われた

つまりそもそもそうして車と違って駅に関心がないのである
だからこそ市町村でも無人駅でもいいとなるのである
ただ高速のSAだとコミニュケーションは必要ない、困ることがないからである
やはり人間は困ることがあるときどうしてもコミニュケーションが必要になる
困るということは助けてもらいたいということである、それがなければ人間は無人駅でもいいしロボットでもいればいいとかなる
でもロボットにはできないものがある、どうしてもそこに人間が必要なのである
ただ現代社会はそういう人間がいること自体うざいとかなる
困ったことがあっても知りたいことがあってもスマホを見ると人間がうざいから必要ないとかなっている社会である、だから案内するにしても拒否する人がいる
ただ駅員がいれば聞くがいなければ無人駅なら聞きようがないのである
ただ鉄道は利用する人が少ないから駅員は置けないのである

鉄道の駅はどうしても時間通りに電車が来なかったり何かあると遅れたりする
それで必ずコミニュケーションが必要になる、それが特に無人駅で起きる
何か人間は困ることがある、すると相談する相手が必要でありコミニュケーションが必要になる、人間は困らなければ別に他人に頼る必要がないのである
だからコミニュケーションも必要ないのである
自分は家族が何でもしてくれたから困ることがなかった、それで引きこもりもできたとなる、でも家族が介護になったりして困ることになり相談しようとしたその相手もいなかった、でもその時コミニュケーションが必要になる
それで引きこもりはコミニュケーションができないから親が死んで死体と一か月とか一緒にいたとかなる、人間はやはり困ることが必ずある、それに対応できなくなるのだ

高速のSAでは全く困る人などいないのである、だから何かを聞いたりすることもない
ただトイレにより食事したり休憩して去るだけなのである
でももし何か困ることがあったら聞いたりする、するとそこにコミニュケーションが生まれるのである

私は何にも困りませんよ、かかわる必要はないです

こうなっていて土地の人とも何らかかかわることがないのである

私は何にも困りません、かかわらないでください

こうなるのは実際は傲慢だともなる、それは自分のことでもあったから責められない
人間は人の世話になりたくないのである、なぜなら人の世話になることは何か重荷ともなる、負債を感じるからである、それで金を払って困った時助けてもらうとなれば恩義などは感じないのである、むしろ金を払うのだからちゃんとやれよとかかえって要求することが強くなるのである、それが現実の社会である
でも駅では金を払うから案内しろとかできない、無人駅であり誰もいないからである
でも何か知りたいことがあり困ることがある、それもたいしたことがないから別に無人駅でもいいとなっているのである
ただ前のように乗る人が多ければ鉄道会社でも案内でも何でも人を配置できるのてある
鉄道自体の衰退がありどうにもならないともなる
車社会になったとき根本的に社会が変わった、車に適合した社会となる、その変化の中で失われたものも多いのである
それは歩く旅から鉄道の旅となり車の旅と変わった、その変化の中で失ったものがある
便利な生活文明化しても必ず人間は得るものもあるが失うものがある
人間そのものがなんでも得るものがあれば失うものがある、老人になって失うものが多いがまた得るものもある
だからもう何かを得ることは何かを失うことだともなるし何かを失うことはまた何かを得ることだとなるのが人間根なのである



2022年02月02日

将来鉄道の廃線になるのが多いのに驚いた (鉄道は駅名が心に残るー東北の廃線となる路線)


将来鉄道の廃線になるのが多いのに驚いた

(鉄道は駅名が心に残るー東北の廃線となる路線)


東北地方において将来廃止が予想される路線を示したマップである。東北地方では、
JR 線は奥羽線、花輪線、釜石線、気仙沼線、五能線、左沢線、山田線、石巻線、大船渡線、大湊線、只見線、男鹿線、津軽線、田沢湖線、磐越西線、磐越東線、米坂線、北上線陸羽西線、仙石線、仙山線、東北線八戸線の  路線、公営、市営鉄道は津軽鉄道線、いわて銀河鉄道線、フラワー長井線、阿武隈急行線、会津鬼怒川線、会津線、弘南線、秋田内陸線、十和田観光電鉄線、青い森鉄道線、大鰐線、鳥海山ろく線、南リアス線、北リアス線の 14 路線の将来廃線が予想されるという結果となった

鉄道維持可能性シミュレーション結果に基づく 考察


茶色は私が乗った路線でありほとんど乗っているのである


鉄道は危機的状態である、これだけの路線がなくなるということはショックである
私はこの路線をたいがい乗っている、赤線の所は乗っている
花輪線とかは相当に運営するのもむずかしいと肌で感じた
そして何か鉄道というのは不思議に沿線の景色より必ず駅名が心に残るのである
そのために地名に興味をもったのが自分だった

花輪線だと兄畑とか小屋の畑とかの駅名が心に残った、その時は駅は雪に埋もれていた
そして

花輪線に好摩(こうま )に駅があり

霧ふかき好摩の原の停車場の朝の虫こそすゞろなりけれ  啄木


こうま」の地名由来を和語の範囲の中で解釈しようとしても無理があるようです。

やはり、この地名も、次のようなアィヌ語を語源に持つ古地名として考えるべきであると思います。
「こうま」は、=アィヌ語の「ク・オマ・ナィ(ku・oma・nay)」
=「仕掛け弓・そこにある・所」になります。

こうまはクオマからきていて漢字をあてた、そういう地名は北海道に多いしまたアメリカの地名にもインディアンの名付けたものから地名化しているのとにている

渋民(しぶたみ)…

「しぶたみ」も、アィヌ語を語源に持つ古地名であり、次のような解釈があると思います。

1.「しぶたみ」の語源は、=アィヌ語の「スプ・タ・アン・ムィ(sup・ta・an・muy)」→「スプタムムィ(suptammuy)」で、その意味は、
=「渦流・そこに・ある・淵」になります。

原町の萱浜の近くに渋佐という地名がある、これもアイヌ語由来なのか、萱浜はもともとカイ浜でありカイと北海道のカイでありカイというのは民族名である
するとこの辺にアイヌが住んでいたのか?
ただ渋いとかあり渋民とかありこれは普通にある地名である、だからアイヌ語をあてるのはむずかしいとなる
そもそもアイヌ語というのは日本全国の地名をアイヌ語にしたことがあったが今では否定されている、青森と岩手とかなるとアイヌ語らしいとなる
ナイというの川でありそれは青森県とかに共通して多いのである

左沢(あてら)沢線というのにも乗った、あてらとはあちら側であり向かいの岸だとなる要するに川を意識するとき向こうの河岸を意識していた、川を渡ることがありそうなったとなる

ここで将来廃線になるのが仙山線とか仙石線とかがあるのかとなる
仙石線だったら仙台から石巻まで通じている、ここは相当に仙台市が拠点として郊外になるから乗る人が多いからどうしてなのだろうとなる
仙山線は山形の方に行く線であり途中山寺がある、これもやがて廃線になるのか?
今はあまり乗っていない、それよりバスの方が便利になっているのだ
だから今は高速バスを利用する人が多いのである、自分でも利用したからである

ただバスの旅は情緒がない、鉄道には情緒があるというか相当にパスとは違ったものである、だから鉄道は文化になもなっていた、人間の歴史として刻まれていたのである
そこには様々な人間のドラマがあり鉄道はそうした歴史があって貴重だった
でもそれがなくなるとそうした歴史と思い出も失われることになる
それが淋しいとはなる、ただ代わりにバスもあるし車もあるからそれほど困らないかもしれない、鉄道の問題はそのメンテナンスとかに電気とかなると相当に労力でも手間でもかかることが問題なのである、単なる道だったらそういうことはないからである

ただ山田線とか磐越東線でも極端に便数が減ったのである、一日数回とかしか出ない
数回というとき朝晩の通勤とか一日4回なのかそれくらいしかない
少なくとても一時間に一回くらいの便数がないと不便になる、利用しにくい
それで私はいわき市から郡山市に行くのにバスで行くほかなかった
便数が極端に少なくなり待っていられなかったからだ

それにしてもこれだけの線がなくなることはもう鉄道自体がなくなるともなる
ただ利益をあげているのは新幹線でありその新幹線につなぐものとしてローカル線があるまた常磐線だと名取の飛行場につなぐものとしてもある、なぜなら名取から飛行場までの線ができたからである
そして名取の飛行場から大阪へ飛行機で行く人が結構いたのである
大坂となるとやはり飛行機の方が便利になるからだ

鉄道というとき日常ではなく観光路線にもなっている、五能線とかがそうである、観光路線として残しているのもある、日常的にはみんな車だからである
ともかくこれだけの路線がなくなるということはいかに鉄道自体も消滅してゆくのかとなる、利益が出ないから消滅するともなる
結局みんな車をもっているのだから車が足になっているから鉄道が消滅しても別に困らないからである、そうでないならばみんな騒ぐから廃止することはできないのである
観光路線だけで維持するのはむずかしい、現実にコロナウィルス騒ぎで観光客も来なくななったからである、鉄道を利用する人も減った、それも経営的苦しいとなった

ただ鉄道に私が思い入れがあるのはやはりそれだけ鉄道で旅したからである
それで今思い出す旅をしている、でも思い出すのもあいまいとなってゆく

霧ふかき好摩の原の停車場の朝の虫こそすゞろなりけれ

つまり霧深いというときまさに遠い過去は霧の中にありあいまいとなる
ただそこで虫がかすかに鳴いている、その音に耳を傾ける、まさにそれが記憶なのである

新地駅数分止まり月照らしかすかに虫の音我は聴き待つ

新地駅は前は虫の声とは聴いていた、あそこで必ず6分くらい交換の待ち合わせをしていたからである、でも津波の後は高い場所に新しい駅を作ったから虫の音も聞こえなくなったのである
こうして待つということが人間的な時間を演出していたのである
それは駅でも同じである、その駅に時計までなくなるというのは何なのだろうと思う
もう駅は維持できずに無人駅化してゆく、時計すらない、ただまだ駅には必ず待つ時間がありそれでそこで遠くから来た人と私はボランティアのようなことをして話していたのである、駅に多様な人が来ていたのである

常磐高速のSAにも行くがあそこにはそういう人間的なものがないのである
ただその人の出入りする人数になると何十倍にもなる、駅でぱ待っているのは昼間だと数人であり一人の時もある、もう日常的には駅は閑散としている、使われていないのであるそれでも駅を維持するには掃除とか必要でありゴミ箱があったが撤去された
ただ外のトイレは立派なのである、障害者用のトイレは広々としているから贅沢である
健常者のトイレはかえって狭いのである、その障害者用の立派なトイレを毎日掃除しているのが障害者だというのも奇妙である

ともかく鉄道の旅は長いから愛着がある、でもこれだけの路線が将来なくなることはショックである、もう鉄道は新幹線くらいしかた残らないのかともなる
これも淋しいとなる、北海道だと半分がすでに消失した
もう北海道だと路線が維持できない、すでに私が旅したときから半分は消失したとなる






2022年02月01日

駅から時計も撤去、ゴミ箱も撤去 (鉄道は極力人へのサービスを減らすーこれも車社会の弊害)


駅から時計も撤去、ゴミ箱も撤去

(鉄道は極力人へのサービスを減らすーこれも車社会の弊害)




駅員もいない
切符切りもいない
時計もない
ゴミ箱もない
時刻表もない
喫煙所もない
売店もない

(´・ω・`) もはや駅は電車の止まる公衆便所だなw

JR東海は合理的過ぎてつまらん企業だが、
JR東はケチ臭すぎてサービスが落ちていく一方なんだな

維持費がかかるからって、そのうち駅もなくなるぜ

客が勝手に時計置いとけば
その人は救世主になれる

いらないインフラは撤去だろ
信号なんかもそう
多すぎる
歩道橋とかも
通学路とか一部のぞいて撤去して一時停止や横断歩道に置き換えろ

この企業、長期的に見たらいろいろとやばそうだな

駅の時計って特別仕様で高いんだよな
普通の電波でいいだろうに

乗客が、明確に批判しない限り
JRは、あれもこれも省略する気だ

たぶん、「まさかこれは、省略しないだろう」
というものも、省略してくる

そこの駅の住民が
何を省略しても、物分かりのいい住民だったら
そこの駅の沿線民が、不便を背負えば、いいじゃないか
てことで
何も言わないやつ、ばかり、なんじゃないの?山梨はw

手元の細かい表示物を見るのが苦手なお年寄りにやさしくないJR東日本
この企業もう終わってんなあ

公衆電話もゴミ箱も灰皿も椅子も無くなってしまった
ちょっと座りたいと思っても有料で喫茶店に入るよう仕向けられている

非常に時計が必要な商売をしておきながら、コスト削減とは。
流石にやり過ぎという感があるな。
というか、そこまでコスト削減しないといけないというのが情けない。

駅員もアウトソーシングだからだよ
いまやJRの正規はなにもやってない

いろいろ面倒くさいのはわかるけど、
駅にゴミ箱や時計がないのは不便だよなあ

時計にしろゴミ箱にしろクレーマー対策は見え見え
どこまで責任回避体質なんだよ

駅構内の時計不要言い出すような経営陣だと
そのうちに車両メンテも不要言い出しそうで怖いな

色んなところから日本の衰退が見えるな
そのうち外国のように時刻表もあてにならなくなる。

ほんとにJR東日本って利益優先すぎて自分の事ばかりだよな
電車内の飲食やノーマスクを野放しにしてないで乗客の身になれゴミクズ

そのうちベンチもトイレも撤去されるんじゃない
「だって掃除に労力かかるしメンテナンスにお金かかるし、撤去したら良い事だらけ!俺って頭いい!」ってw

サービス業がサービスやめたらお終い
自由だから何をやってもいいなら業務もやめればいい


駅の看板も取り外そう!
スマホで見れば何駅かわかるんだし、メンテに労力とお金がかかってムダ!
って言い出すよw

老人になるとスマホや腕時計の小さな数字にピントを合わせるのが苦痛なのでホームのでっかいアナログ時計は助かる
高齢者だらけの5ch民なら同意しろ

いやマジで時計は残せ
これから年寄りがさらに増えるのに時間確認にいちいちバッグからスマホ出せってか?
ゴミ箱撤去といいコスト削減に血眼になりすぎて市民の利便性を疎かにするのやめろ

大きな時計は遠くからでも見えるし便利なんだよな
腕時計もしてないからないと不便

とにかくインフラの質をこれ以上落とすのはやめろ
国家の体を成してないぞ
ベンチもゴミ箱もない街、時計のない駅、こんなの近代国家じゃねえよ

スマホ、関係ないやろ。
時計も置けないほど、貧乏になった日本。

時計のメンテナンスさえ出来ないのに、車両や設備のメンテナンスが出来るのかね。

日本の衰退が誰の目にも見えて来たな。
時計がほしいなら自分で買えよ、自治体。乞食か。

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1643672848/



この5chが面白かった、要所をついている
鹿島駅のゴミ箱なくなったのを報告したがこれは全国的なものでJRの方針でそうなっていたのである
なぜそうなったかというとゴミ箱のゴミを片づけるのに商工会に頼んでいた
すると金を払うようになりやめたのである
ゴミをかたづけてもらうだけで金を払うのが馬鹿らしいとなった
私はゴミ箱がどこにあるのかと聞かれたので教えたりした
ホームにあったからだ、何か駅というのは初めての人には簡単なことでもわからないのである

一番わからないのは上りと下りのホームのことがわからなかったのである
そんなこと簡単なようでも初めての人にはわかりにくくなる
それは自分自身でも波立海岸がある久ノ浜駅で経験している
表示板がなかったからである、鹿島駅でも駅長に表示板がないから行き先をホームを横切る跨線橋(こせんきょう)の入り口にあった方がいいと言ったらしてくれたのである
ここで論議しているように地元の利用する人が何も言わなければ不便なままなのである
私は一人だけでそこでたまたまボランティアのまねごとをした結果こうして欲しいと言ったらしたのである
だからJRでも何もしないということはない

ただ今回のゴミ箱の全国的撤去は不便だとしても回復しないだろう
JRの方針であり一駅のものとして実行したのではないからだ
ゴミ箱は駅には不可欠でもあった、なぜなら駅で弁当を食べたりしていた人がいた
するとそれあなげる場所がないのは困るからだ
駅は休憩所にもなっているからである

ただこうして何でもなくなるのはJRの経営が厳しい、乗客が減る一方だとなるからそうなる、でもそもそもJRは人にサービスするという心がない、経営がないのである
それはみんな言っているからである
ただ線路の補修とか安全は日々計っている
でも人へのサービスはもともと関心がなかったのである
だから経営が苦しくなれば無駄なものは極力省くとなる

そしてまずJRとか会社ではよそ者がかかわることが嫌うのである
それで時刻表を自分で作って置いたが拒否された、またゴミのことでもゴミを投げるゴミ箱のことを聞かれてホームに入ったのでしかられた
監視カメラがあり見ていたのである、無人駅でも今は見ているから注意すべきだと思った
時計すら置かないというのはこれも意外と管理することがむずかしいからだとしている
つまり駅のような公共的場ではずさんにしておけない、正確に時計でも運行しなければならない、時計が遅れたりすると苦情が来るからだ
自分が作った時刻表でもこれが間違っているとJRに苦情が来るので拒否された

そしてとにかく余計なことをしたくない、金のかかることは極力省くようになった
今鹿島駅に高校生の見守り役の人がいる
これはJRでは駅の業務をするなと契約してさせている
なぜなのか?それは駅の業務をさせるとJRで金を払うようになるからだろう
それでゴミ箱のゴミをなげるのを商工会に頼むとき金を払っていたからである
高校生の見守り役は市で金を払っているのである
だからJRでは金を払っていない、外のトイレも掃除は障碍者施設の人が毎日していてその金も市で払っている、ただ駅内の掃除は外部に頼んでいた

とにかくJRでは・・するな・・するなになる

そのうちベンチもトイレも撤去されるんじゃない
「だって掃除に労力かかるしメンテナンスにお金かかるし、撤去したら良い事だらけ!俺って頭いい!」ってw

本当にこうなっているのだ、それがますますエスカレートする何もなくなってしまうかもしれないというのも冗談ではないのだ
ただそれだけ鉄道の経営が苦しいからそうなる

でもこのことは日本衰退の象徴であり外国から来て無人駅だらけで時計もないのかとなる後進国なのかとかなる
そもそも鉄道だけではない、日本が衰退してあらゆるもののサービスがなくなってゆく自治体すら消滅してゆくのだからゴミ投げるにも有料となったりあらゆるもののサービスが低下してゆく、少子高齢化でもありそのことが鉄道にも影響しているのだろう
鉄道は車社会でそうなったのであり鉄道会社だけに責任があるとはならない
鉄道の乗り方さえ知らない人がいるからだ
それだけ車社会になっていたのである、でも最近80歳くらいで車の免許を返上した人が増えた、それで鉄道に乗りに来た人がいた
だから高齢者の足として利用することもありそこで時計もないということはどうなるのか?

日本というのは貧困化もそうだがあらゆることでサービスでも低下してくるし維持することもできなくなる、医療でもそうである、日本は再び後進国化しているのである
中国とかの方が進んでいてましだともなっている
あらゆるインフラも維持できなくなる、そして電気でも水道でもガスでも石油でも高くなる、それを利用することすらできなくなる、なぜなら毎月電気水道ガス代を払えない人がいるからだ、基本的なものすらまかなえなくなっているのだ

鉄道関係はまたコロナウィルスで打撃を受けた、、またオミクロンで打撃になり回復しない、どうしても遠くに行くことがしにくい、弱り目にたたり目となる
常磐線はなくならないと思うけど経営するには厳しいだろう
仙台とつなぐために常磐線はなくすことはできないだろう
でもこうして鉄道だけではないあらゆるものが日本で衰退してゆく
自治体でも消滅してゆく、それが原発事故の避難区域で起きた、そういうことが実は全国的に起きて来るのが日本なのである
鉄道の駅の無人化と空家の増大もリンクしている、自治体か空家だらけとなり空洞化してゆく

ただ大正時代とかなると鉄道があっても客として乗る人はまれだった
簡単に乗れるものではなかった、汽車賃が高かかったからである
今は移動するのに不便なことはない、車があるしまた津波と原発事故で鉄道が閉鎖されたときでもバスが仙台市まで通ったから不便はなかったし今でもバスはでているのである
こうして鉄道の代わりになるものがあるから鉄道にそもそも関心がないのである
そのことでゴミ箱を撤去したからといってみんな騒いだりしないのである
車関係でこんなことがあったらみんな騒ぐが鉄道は利用者が少ないからしないのである
そういう背景があってどうにもならないとなる

2021年12月11日

鹿島駅でゴミが捨てられなくなった (ゴミは持ち帰りで駅でも捨てられない)


鹿島駅でゴミが捨てられなくなった

(ゴミは持ち帰りで駅でも捨てられない)


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前に駅にいたらゴミをどこになげるのかと聞かれた
それでホームにありそこに捨てられるのと外にも捨てられるゴミ箱があった
そこでタバコを吸う人がいて吸い殻を捨てていた
それもできなくなったみたいだ

なぜこうしたかというとゴミを捨てるのは商工会に頼んでいた
それで商工会に金を払っていた、JRでは節約するから頼まなくなった
今駅にいるのは高校生の見守り役でありJRの業務はしないという約束なのである
なぜそうした取り決めをしているかというと何か切符を売ることを頼んだりしたら
JRで金を払うようになるからである
経営が苦しいから節約するようになる

私はボランティアで客にゴミをなげる場所を聞かれたので教えたり自分で捨てたりしていた
でも高校生の見守り役に中に入るなとか言われたしまたJRの駅長が監視カメラで見ていて注意された、誰も見ていないようで見ているのである
こうしてともかく無人駅だったとき乗客に聞かれて教えたりしていた
自分で時間表も作った、これも撤去させられた、なぜそうなったかというとJRの責任となり乗客に聞かれるからである、時間が間違っていたりしたら聞かれる、つまり責任問題になる
なんでも責任問題になるのが社会であり人間なのである

でも不思議なのは無人駅にすること自体JRの責任問題にならないか?

盲人団体では危険だから無人駅にするなと抗議があったからだ
無人駅にすること自体勝手に子供でも入ってきて危険にもなる
だから無人駅にして事故になったとか責任が問われることだってある
でもJRにしてみれば乗客が少なくなれば節約せざるを得ない
だからゴミ捨てるのでも商工会に頼まなくなったのである

いづれにしろ原発事故でもわかったように人間の問題は常に責任が問われることなのである、だから何かと細かい契約をして責任をとらないようにしているのである
だからボランティアの問題は金をもらわないとか何か無責任だから意外と簡単にできないそのために裁判沙汰にもなっているしまた一人ではできない、JRであり自治体であり許可されないとできない、何でも勝手にボランティアだからと受け入れられないのである
その大きな理由が必ず責任問題になるからである

でも無人駅にすること自体が相当な無責任にならないか?

誰が責任とるのか、機械がとるのか?やはり何かあったらJRとかに責任が問われるとなる無人駅にしていたから事故があったとなるからだ
でも法律的にはJRに責任はなく乗客の責任になるのか?

外国ではもともと改札などなく自由に出入りできる

スイスでは切符なしの乗車は罰金100CHF

切符を買わずに電車に乗ってチェック係に出会ってしまったら、もちろん切符を買ってないことがバレますよね。

その場合、罰金100CHF(約10,000円)を支払わなければなりません。

回数券の場合は、電車に乗る前に駅のホームにあるオレンジの機械に回数券を差し込みましょう。

差し込むことで日付を入力することができます。
これをしていないと、切符を買っていない扱いになるので注意してください。


私の場合回数券であり機械にさしこみ日付を記入しなかったのでとがめられた
本当は一万でも罰金がとられたのである
ただ見逃してくれたのである
また知らないうちに国境も越えたりしていた、それだけヨ−ロッパだEUになって越えやすくなっていた、でもその時ユーロ―という共通貨幣はなかった

ヨ−ロッパだとこうして自己責任社会なのである、でも違反することを知らないと法外な罰金をとられるから怖いとなる
日本では手を取り足をとり教えたりするがヨ−ロッパでは教えないとなる
すべて自己責任になってしまう
日本でも無人駅化するとかなる自己責任になる、事故を起こしたら自己責任になる
JRと自治体の責任ではなくなる
つまり知らないでは済まされない、知らないことも自己責任になるのである


あとがき


何か奇妙なのはゴミでも商工会にJRが頼むと金を払うことになるからしたくないというのはわかる
でも商工会で無料でボランティアですれば金はかからないのである
駅内で弁当を食べていた人もいた、するとゴミがでるしそれを持ち運ぶとめんどうになる今ゴミを投げる場所がなくなっている、そういう人達は今度は車から道に捨てたりする
自転車でもゴミがなげるところがなくて困ったことがあるからだ

結局無人駅が問題になるのはJRが管理するのだがゴミ箱でも使えなくしたのはそれをJRでしたくないからである、手間になるからである
そきして頼むと金がかかるからである、
商工会でゴミ投げをJRから頼まれてしていたのも金をもらえるからである

でもこのゴミ投げこそ駅をきれいにするために必要であり無料のボランティアがするもはのなのかもしれない、ただゴミを集めて投げるだけだからである
ゴミが投げられなくて困る人は確実に駅でいるからゴミ箱は必要だとなるからだ

ただ正直これもめんどうになるからかかわりたくないとなる、またかかわれないとなる
JRでもかかわるなとか周りからも警察がきて何をしているのかと回りの人が通報したり
あからさまにここでそんなことするなとか乗客にでも言われた

要するに一番無難なことはかかわるなということである
ただそのために不便になったりするのは乗客になる、それJRではどうでもいいということである、JRではそういう人へのサービスを考慮しないからである
それは車内でもそうでありJRが重視しているのは電車の安全な確実な運行である
それ意外は仕事と見ていないからである

ただ乗客にとっては困ることになる、JRは公務員ではない、民間だから利益を出ないことはしない、国鉄時代とは違うからである
それでも市町村でも自治体ともかかわる、街全体ともかかわるのが駅である
でもまた利用者が少なくなるとみんな関心もないとなる
まあ、ここでは鉄道自体は廃止にはならないからそのくらいの不便は見逃すともなる
要するに今関心があるのは車であり道路である、鉄道は乗る人が少ないから関心がないのである、もっと乗る人がいればみんな関心をもち要望もでてくるがそれが今はないのである







2020年12月06日

冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)


冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)

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写真はある場所を決めてとるといいもしれない、特に動く電車などはそうである

それで塩崎のところは構図としていいから撮っている
今回は冬夕焼けを背景にしてスーパーヒタチを撮った
ただ電車に明かりがついていないので物足りないとなる
時間的に5時ころになるがその前にもう夕焼けになっていたのである

2020年11月27日

無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた (無人化で弱者は捨てられる)


無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた

(無人化で弱者は捨てられる)

久しぶりで駅によった、昼間には弁当など必ず買うので駅に寄っていた
それで無人駅であり聞かれることがあり案内していた
その後いろいろあってしていなかった、仕事も終わったと思っていた

ただ今日老人が電光掲示板を見ていた、そしてノートにその時間を書いていた
時間を知りたかったらである、つまり時刻表がないからわざわざノートに書いていた
別な場所に一日の時刻表の掲示板があったが電光掲示板の方を見ていた
それで案内した、カメラがあれば写せばいいものだった

そして乗車証明書のあることも知らなかった
たいがいもう地元の人だったら知っているはずだからである
だから地元の人の案内は終ったと思っていたのである
それからコロナウィルスがあり話しにくい、外から来た人もなかなか話しにくいことがあり駅によることもなかった

鹿島駅は高校生の見守り役がいるとしても昼間はいないのである
ただ駅の業務をするなという約束で高校生の見守り役をしているのである
なぜそうなったのか、それは駅の業務をするとJRで金を払わざるを得なくなるからだとみている、それで前の自転車屋までにその高校生の見守り役に何も言うなと言ってきたという、それほど何か駅のことにかかわらせたくないのである
見守り役は特別そうしたのであり市の方で金を払ったりするから仕方なくそうしたのである

とにかく全国で無人駅はこれからも増えてゆく、第一東京とか大都会でも無人駅にしているからである
それで盲人の団体が抗議していた、やはり危険になるからそうなる
でも実際車椅子とか盲人のためにわざわざ隣の駅から呼び出されて案内するというのも手間だとは見ていた
嫌でもしょうがなくてしていたのだろう

ともかく鉄道は赤字路線が多く維持できなくなっているのだ
コロナウィルスも相当に影響した、その損害は大きなものだった、何百億の損失とかにもなった、人との行き来が制限されると交通関係は大打撃になったのである
これはバスとか航空会社でもそうである、
最近また感染者が増えたからまた乗客が減ってゆく

航空会社が鉄道と関係ないようでもしている、なぜなら仙台空港が名取にありそれを利用して大坂とかから来ている人が結構いたからである
仙台空港は直接に仙台駅と結びついているからである
このコロナウィルスの交通の影響が大きかった、ウィルスは人から伝染するから人の行き来することが一番のリスクとなったからである
それで江戸時代のような交通が発達しないと見ている時代でもコレラとかの感染はとめられず拡大したからである
だからこれだけ交通が発達した時代はかえってウィルスにとっては広まり安かったとなる便利なものがかえってウィルスには都合いいものだったとなる

だから何かグロ−バル経済とか交流とか交通が発達することがいいものに見えていた
でも物事には必ずいい面と悪い面がでてくる
グロ−バルに人、モノが自由に国境もなく出入りする、それが限界に来たともなる
そのマイナス面が出てきたのである,ウィルスにグロ−バル経済は弱かったということである、だから社会自体の見直しまで要求されるようになったのである

いづれにしろ前からも言っていたが時刻表がない、配られていないことが問題だった
おそらくその人は老人だからネットを見れないこかちそうなっていたのである
無人化すると老人はITに弱いからそうなる
IT弱者の問題が無人化ででてくるのである
ただコストの面でそうした弱者は切り捨てられるのである

2020年10月27日

北陸エリアにある140駅の約8割が無人となる (無人駅化すると自治体とか住民の支援が必要になる)


北陸エリアにある140駅の約8割が無人となる

(無人駅化すると自治体とか住民の支援が必要になる)

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日本経済新聞-10月27日

今後JR西日本の在来線縮小がすすめば地域の交通維持のために自治体の存在感を高まる可能性がある


すでに鹿島駅ではこうなっている、高校生の見守り役は南相馬市の方でNPOに金をだしてそうしている
でも不思議なのはそれは高校生の見守り役に仕事がを限らせている
何か案内すらするなと駅の業務にかかわるなとしている
そういう契約の下でやらせているのである
その理由は良くわからないが無人駅でもかかわらせたくないのである
だから監視カメラで監視している

それで前の自転車屋に高校生の見守り役に対して何も言うなと言われたという
これもやはり何か駅にかかわらせたくないのである
そのために自分も無人駅になったので良く最初はわからないことがあり地元の人に聞かれたのでたまたま案内したりした、今でも遠くから来た人はわからないことがあり聞かれるのである

それは自分自身が久ノ浜駅に行ったときそこも無人駅でいわき方面と仙台行き方面がわからなくなる、そのことを鹿島駅で良くきかれたのである
また原町駅が終点になっているとき、番線が変わるのである
だからそんなことでもはじめての人はわからなくなると思った
それで駅の跨線橋に行き先の案内板を設置するように言ったらしてくれたのである
でも久ノ浜駅ではそれを言う人がいないから設置しないのである

ともかくJRでは駅でもかかわらせたくない、だから今鹿島駅で高校生の見守り役がいるがその人たちは案内するなとか契約してさせている
でももう無人駅にするのはJRだけではコスト面でできないからそうなっている
すると自治体で駅にかかわらざるをえなくなる
現実にすでに高校生の見守り役でも市の方で金を出しているのである
自治体がすでにかかわって駅を維持しているのである

ただ別に駅のことでも無料のボランティアでもやりたい人がいるかもしれない
でもJRでは無人駅でも他者にかかわらせたくないのである
そういってももう自治体でかかぉらざるをえないのである
だから高校生の見守り役のNPOには市の方で金を出しているのである

北陸の方になるとこの辺よりさらに収益が悪いし乗る人も少ないから8割が無人駅になる
収益は新幹線の方で稼ぐとなる、そしてそういう線は廃止にもなってゆく
それが時代の流れだともなる
ただコンビニでも無人化するというけどそれでやっていけるのか?
何かロボットが客の接待をするというとき味気ないものになる
必ず人間的なものが必要になるからだ、索漠として社会にもなる

何か駅は人を待ったり別れたりと車と違ったものがあり人間的な場面を演出してきたのである、だから駅は様々な人間が交差する不思議なの空間になっていたのである
それは自分自身が求められしないのに駅員のボランティアをしてわかったのである
ただ全く認められず地元からも排斥されて遂には怪しい奴だとして警察に通報されてみんなの前で職務質問されて追放されたともなる
勝手になにもするな、必要ないとされて終わったのである
ただ自分としてはいい経験だったなとつくづく思っているのである
なかなか職業を経験することはむずかしいからである、一日駅員など放送することがあるが一日で駅のことはわからない、結局それでも二年間くらいしていたようだからそれなりに駅というこういうものか駅員というこういうものかとわかったことは貴重だったとはなる

いづれにしろもうJRだけで鉄道でも駅でも維持できない、でも無人駅でも極力その住民でもたとえ無料のボランィアでもJRではかかわらけせたくないことは確かである
わざわざ駅前の自転車屋にもそう言っているからである
でもその駅前自転車屋に昼間が高校生の見守り役がいないから聞きに来る人がいるという
つまり何かわからなことがありそうなっているのである
だからJRというのは自分たちで鉄道でも駅も維持できないから回りの住民でも自治体でもかかわる
そうしなければ維持できない、そこを認識していないともなる
何らか協力しなければ維持できない、でもそうしてJR意外の人がかかわるの嫌っているのある
だから無人駅にすることですべて解決するとはならないのである

2020年10月01日

十五夜の月と電車の写真一枚


十五夜の月と電車の写真一枚

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十五夜や電車の行き来平常に

最初スーパーヒタチの写真を撮ろうとした、満月と写そうとした
広角レンズには収まったが列車はうまくとれなかった
その時満月は薄い雲に隠れて光っていた
だから写真をとるのは動いているとむずかしい、背景でも満月と一緒にとろうとしても雲に隠れたりするからである

今日は十五夜であり満月である、電車の行き来は正常にもどった
ただコロナウィルスでまた乗客は少ないし遠くからも来ない、駅でマスクしているから話すこともできない、写真をとるには困らない、ただ鉄道写真は意外とむずかしい
動いているからその一瞬をとらえるのがむずかしい
そこにスキルとカメラとレンズが必要なのである
夜景をきれいにとるとするとかなりの用意が必要である
そこまでやるとなると金もかかるしめんどうになる  

レンズが高いのには驚く,カメラ本体より高いのである
今のカメラでは夜景はきれいにとれない、ただ写真にこるとやはり景色でも見方が変わってくる、何か平凡なものでも違ったもものに見える
人間の眼とカメラの眼で二つで見れるから視野が広がる
こんなふうに見えてこんな写真がとれるんだとなる
それは近くでも一つの場面を詳しく見る、いろんな角度から見る
それで近くでも結構写真になるものがあると思った

JRは乗客を人と見ていない (お上であり人を運ぶモノと見ているー無人駅のボランティアは排除されるだけだった)


JRは乗客を人と見ていない

(お上であり人を運ぶモノと見ているー無人駅のボランティアは排除されるだけだった)

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武田邦彦

本当にそこは人にサービスするということはない
監視しているのである、刑務所の中のように見回りしている感覚なのである
だから上からの目線で命令するという感覚なのである


ここで新幹線のことで見回る車掌がまるで監視しているとか客として扱わない
国鉄時代と同じで上から目線で命令する感覚だとか不満を言っている
それは武田邦彦氏は前も言っていたのである
何か気軽に話もできない、旅も楽しむことができないというのもわかる

例えば航空会社だと飛行機の中はキャビンアテンダント女性がいてサービスしているし親切である
鉄道の場合はそういうことはない、人間に対してサービスするという感覚がないのであるそれは自分が駅でボランティアしてわかった
いろいろ案内とかしてきた、それはただ偶然に無人駅になったからである
そこで聞かれたのでただ案内しただけである
ゴミ箱がホーム内にありゴミを投げる場所がわからないので私は乗客のゴミをホーム内のゴミ箱に捨てたりした
そしたら監視カメラで見ていて駅長が私にホームに入るなと今は常駐している高校生の見守り役に注意されたのである

そのこともそうだか何かと自分が無人駅でたりないものを言うとなんだこいつは目障りだとしていた、私がそこで何をしていたかはわかっていたのに何もするな、かかわるなという態度だった

無人駅だから何もしなくていいんだ!  

これがJRの基本的態度なのである、つまり人間に対するサービスは全く考えていない
だから新幹線で見回りしていても客を監視しているのでありサービスするという感覚はない、そもそもサービス業と考えていない
あくまで人でもまるでモノのように目的に安全に運ぶことを主眼としていて人に対するサービスは考えていない

人は乗せてやっているんだ、ありがたく思い!

これがJRの基本的態度でありまた国鉄時代のお上の上から目線の態度なのである
ただそれは自分の場合、ボランティアしても誰も認めない、乗客自体が風を吹いて遅れた時、案内したら血相変えてそんなことするなとわめいて怒っていた
そして遂にはあいつは怪しいやつだとして誰かが匿名の人が通報してきたのである
それもみんな集まっているとき公衆の面前で職務質問されたのである

だから別に駅長とかJRの人だけではなかった、結局誰も認めなかったということである
ただ私の目的は駅でいろいろな人と出会って情報を仕入れることだった
だからその延長としてたまたま案内していたのである

ともかくJRの問題はまず人を乗せているのではない、モノを目的地までに時間通りに正確に安全に運ぶことを仕事としている
人へのサービスは眼中にないのである
だから駅は効率的にコスト削減のために無人化する、車内でもサービスする感覚はない
だから弁当食べてもあとかたづけはしない、航空会社とは違っている
そもそも鉄道は貨物輸送からはじまったのであり観光で乗客をのせるというのは付随的なことだったのである

ただ時代が変わるとただ人を安全に運ぶとかではなく、人へのサービスも必要になる
つまり社会が豊かになると基本的に安全に時間通り運ぶのが基本であっても人へのサービスが必要になってくる、それでローカル線でも観光列車になりそこでは人へのサービスが求められるのである、今の時代はなんでもハードからソフトの時代になっている
観光業はソフトである、ソフトとは柔かなとなり柔軟な対応とかなハードとは違っているつまり鉄道が車に押されて客が維持できなくなるというときソフトの面で充実させることがかえって必要になる
鉄道を観光で利用するとなると何かソフトの対応が必要になるからだ

いづれにしろ今回のコロナウィルスで鉄道の客とか航空の客が激減したことには驚いた
鉄道まで激減した、それも何なのだろうとなる
それは自分に対する冷たい仕打ちから罰を与えたともとりたくなる
それも一方的でもJRは全く人間のサービスを無視した会社であるからそうなる
とにかく自分の駅でしたことは全く否定されて排除されただけだったとなる 

ただなにかにやといっても自分の場合はJRにはずいぶん乗ったから世話になった方でありそれであまり文句は言えないとなるがそれにしても自分にされたことはひどかったとはなる
それはなぜか、乗客でも駅長でも誰も認めなかったことである
でもそれなりに役立っていたのだがそれが認められなかった、余計なお世話だとなってしまったのである


なぜ態度が悪い?
このような駅員の態度の問題はJR東日本が発足してから起きたことではない。国鉄時代から続く内容である。

国鉄時代からのお役所体質
黙っていても会社が儲かる構造
もともとは公企業だったため、お客様への質の高いサービスというよりもただ電車を動かすことに重点が置かれていた。

JR東日本の駅員の態度が悪い人、なぜそんなに多いのか?

これはみんな思っていることである、だから今回のようなコロナウィルスで客が乗らないというときこういうことも考え直すこともあるとなる、どうしたら客を増やせるかとなる時、人へのサービスも考えざるを得なくなるからだ
要するに乗せてやっているという態度は収入が減ることもないからそうなっているからである



2020年09月08日

駅のボランティアで一番頭に来たこと (ただ排除されることしかなかった)


駅のボランティアで一番頭に来たこと

(ただ排除されることしかなかった)


駅のボランティアで一番頭に来たことは乗客からも駅長からもただ排除されるだけだった

●駅で良くゴミをなげる場所が構内のホームにあり客に聞かれたので教えた

 それで時々構内に入ってゴミ箱を点検していた

 そしたら駅長に構内に入るなと言われた

 今高校生の見守り役がいてその人に言われた

 その人には盲人の人が来るからと案内するように教えた

 その人は公式に認められた人だから後から来たとしても自分に命令した

 お前はここに必要ないという態度だったのである

 でもどんな場所にもそこに経験者がいて先人がいる

 それで後から来た人は教えを乞うことがある

 でも今はそういうことがなくなった、むしろ後から来て金がある人など威張っているという社会である、そして情報でも地元のことでも無関心ともなる

●警察に見知らぬ人がいるから誰かが通報してみんなの前で職務質問された

これも頭に来たことである、野球場が鹿島にあり二軍の試合があり人が集まった
その前で職務質問されたらその人は何なのかとみる
そんなところで勝手に何をしているのかとみる
ただその時前の自転車屋と客の人に時刻表を配ったのでこの人は悪い人ではないと弁護してくれた

●客の若い女性は風の時、電車が遅れたので状況を教えているともの凄い剣幕で怒った
 そんな説明などいらない、やめろと大声で怒った

 私は風が吹いた時必ず遅れるので説明していたのである
 それはプログで報告していた、それは客に感謝されたことがあった
 その時は無人駅化したので教えることがあった
 私は別に駅のボランティアをしようとしたわけではない
 無人駅化して乗客に訊かれたから教えた結果ボランティアになったのである

今のように高校生の見守り役がいればもうしない、私のしたことはプログに書いた

そしてコロナウィルスでもう駅で人と接して話することもできなくなった
実は私が駅でボランティアするようになったのは駅でいろいろな人と出会い話して情報を得ることだったのである
それも駅にいた目的だったのである、だから何かボランティアしているとか大げさなことでもなかった、ちょうど昼間買い物して寄っていたので自然にそうなったのである
それでそこにある不具合があり客に困ることがあり教えたとなる

そしてそんなささいなことでも現場のことは駅長でも知らないと思った

それは例えば東電でも原発でも内部で配管の仕事をしている人が言っていたが危険なものがあったと報告していた、でも上の人は幹部の人は知らないと言っていた
また何か建築土木関係の仕事している人も現場のことで上の人に助言したことがあったという、つまり現場のことを上の人が知らないということがあることを知った
私はまず社会経験がないからここでのボランティアは社会経験になった
だから私にとって悪いことではなかった
そういう経験ができたことが貴重だったのである
人間を作るのは経験である、実地の体験である、だからあるゆる場所で仕事している人がいてもその仕事について理解できないのはその仕事を経験できないからなのである
それぞれ仕事していても自分は全くかかわらないのだからわからないのである
駅だって自分はただ電車で旅しているだけだったのであり本当は相当に鉄道会社には世話になっている、でも鉄道のことをその仕事についてはわからないのである

ただJRの問題として駅から駅と安全に時間通りに運ぶことは徹底して力を注いでいる
毎日点検もしている、でも客へのサービスは関心がない、そのことは他の人も指摘していた
だからこそ駅はただ客が通り過ぎてゆくだけであり機械をロボットを設置していればいいという発想にしかならない、コストを削減するためにそれでいいとなったのである

ところがただ運ぶだけではない、客へのサービスとか何かハードだけではない、ソフトの面で力を入れるということも現代では必要かもしれない
日本の鉄道の歴史はまずインフラのハードを整えることだった
それは車社会になってもそうである、まず道路の整備だったのである
でもそうしたハードも一応できあがると人へのサービスが仕事にもなる
そのソフトの面として人へのもてなしとかサービスへ仕事の内容が変わることがある
でもそこはほとんど考慮されていないのである
何か今やハードからソフトの時代になっている、パソコンでも最初はハードが大事だったがそれも多少スピードが早いとかで進歩もとまる、そしハードりソフトだとなる

つまりソフトとは他だと人的サービスともなる、観光でも中国人は最初は爆買いであり物の消費だったが事の消費になる、何か必ず物でも食事でもそれるにまつわる物語があり
観光でもハードの整備があってもソフトの面の充実に消費が向かうのである
鉄道の問題はハードが主要なものでもソフトの面に人的サービスにも目を向けないと収入が減るだけだとなる、それかコロナウィルスでさらに拍車をかけた
極端に100からゼロにまで落ち込んだからである
そうなるとどうするのかとなる

ただソフトというときコストがかかるとから無人駅にすればいいとかなる
そこで何かソフトの肝心な人間的てもの情がなくなる無味乾燥なものになる
でもJRではそれでいいのである、人間のサービスよりハードを整備することが仕事だと思っているからである
それは理系の技術者の発想になる、それが主要でも時代によってハードの整備が整うと
ソフトのサービスを人は求めるようになる、だから機械化ロボット化AI社会でも人間的なものがいらないとはならない、そうなると殺伐とした世界になる
すでになっている、もうどこにいっても人はいらないとなる社会になる
ロボットと機械の方が資本家にとっては効率的でいいのである
でも人間社会はすべて効率で計れないのである、それがまさに人間的なことなのである

いづれにしろ鉄道は公共事業じたら外国では国で援助しているとか鉄道は駅でも公共性が高いのである、鉄道会社だけで運営できるものではない
現実無人駅でも駅のトイレは国で支援して新しいのを建てたのであり掃除は駅ではなく
福祉関係の人達が市から金をもらってしているのである
駅はそうした公共の場であり会社でもやはり公共性があるから会社だけのものではないのである、市民がかかわる場所であり市民のものだというものがある
それで自分のように一市民がかかわってもただ排除されるだけだったとなる
だからボランティアでさえ実は権力をもたないと何もできない
もし何人か集まり市から認可されれば金でももらってたいしたこともしなくても認められて自分のように排除されることはないのである
ただ自分の場合はそこで学ぶことがあったから良かったとはなる
つまり駅から見えて来る社会がありそれが意外と広範囲であり小さい田舎でも見聞が広まったことが自分が得たものだから無駄なことではなかったのである

なぜ人間が他者を理解できないのか?

それはそもそも人の仕事が多様で理解できないからである
今の社会は無数のパートで成り立っている、すると原発でも吉田所長が復水器のことを知らなかった
それは最も大事なものだったのである、それが所長でも知らない
そんなことがありえるのかとも思った、でも他の大会社の社長すら専門以外は知らないのである
でも社長になっているのである、そういう社会なのが現代なのである
だから駅長でも駅のことがみんなわかっていることでもなかった、現場の人が知っているということがあり指摘したら直したことをプログで報告したのである、だから駅とかは意外と広範囲に社会とかかわる場所だったなと回想するのである


2020年08月24日

夏の日の電車の写真二枚 (スーパーヒタチと雲)


夏の日の電車の写真二枚  (スーパーヒタチと雲) 

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スーパーヒタチは早いから余計とりにくかった
そして太陽が逆光になってうまくいかなかった
でも二カ所に狙い定めたから一枚はうまくとれた
まず電車とか動くものは構図を決めて待ってとらないとうまくいかない
最初から場所の設定をしてどうとるか決める

でも背景の空は変わる、夏は雲が変わり安い
また太陽も刻々変化して光りも変わる
それで撮るのが難しい
ただ今回は街の中だからとりやすかった
5時にスーパーヒタチが来ることがわかった
だからこの時間も正確に見ていないとうまくとれないのである

2020年08月05日

スーパーヒタチのデザイン


スーパーヒタチのデザイン
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写真の時代はまた絵を見直す時代にもなる
写真なのか絵なのかわからなくなる
私は本当に絵の才能はゼロである、でも何かこうしうてデザインするのが好きだった
でも絵具を使っては全くできない、でもパソコンのソフトだと次から次にできる不思議である          

それはなぜなのか?写真が絵になっているからそれを加工するとデザインするとまた別なものに変化するからである  
だからソフトを使いこなすと新しい創作ができる
問題はソフトをなかなか使いこなせないことなのである
才能というより今やいかにソフトを使いこなすかだともなる
AI時代はパソコンのソフトで才能を拡張するのである
今回もソフトで使っていない機能を使ってこれができたのである

常磐線というと太平洋側を通る、でも海が見える場所がほとんどなかった
でも新地駅から山下駅と高架橋になり海が見えるようになった
電車から金華山とか牡鹿半島も見えるということもある
ただまだ一回もスーパーヒタチに私は乗っていない
ただこのスーパーヒタチの車両に魅せられたとなる

海と草深いみちのくの感じを出そうとしたデザインである、
他の写真でも加工すると別なものになる
それは全く絵の才能がなくてもできる
要するにいかにソフトの操作に習熟するかが問題なのである
ARTとはまさに技術のことだったのである

2020年08月03日

夏の雲とスーパーヒタチ

 夏の雲とスーパーヒタチ(写真)

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夏の雲湧きあがるかなスーパーヒタチ一路仙台へ走り去りゆく

午後4時30頃スーパーヒタチが通る、だからその時間にねらって写真をとる
その背景が違うと同じでなくなる
今日は夏の雲が出て光が雲間からさす、ただこのとき電車は相馬市の方へ行く
でも原町へ行くようにも見える、これが写真からはわからない
動画だったらわかるのである
電車がやはり場所を選定してねらってとるととれる
今回は偶然だったがカメラがあったので撮った

連休はいっぱい乗っていたけどまた少なくなった、10名も乗っていない
こういう状態がいつまでつづくのか?
交通関係は苦しい時期がつづく・・・

2020年07月24日

電車と藪甘草(写真)


電車と藪甘草(写真)

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10輪ほど藪甘草や電車行く



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みちのくへスーパーヒタチ藪甘草

クリック拡大するとマスクをした乗客が見える




藪甘草というとき何か田舎くさい感じの花である、あつぼったく農民の感じのような花である
だから普通電車が似合う、普通に利用する日常の電車である
ただ写真ではこき花が大きくとれない、前も花は遠くからだと大きくとれず映えなかった
だから大きくして加工するほかないのである
十輪ほどというときそれは人が十人くらいだともなる
ただこの列車は六両だから本当はそれなりに人が乗っているとみた
でも写真で見たら乗客が見えないのである

だから人も映ると活きた写真となった、生活感が出る
ここに人が乗っていないからただからの電車が走っているように見えた
人間はつくづく人がいなければ生活していなければいくら電車が走っていても活きない
それは原発避難区域で人がいなくなった飯館村でも感じた
空家だらけであり別荘のような新しい威を建てても人が住んでいないのである
生業もない、だから村が死んでいるのである

でもスーパーヒタチは今日は連休で相当に乗っていた、写真の車両は満員のようにも見えた
ただマスクをしているから警戒はしている
やはり東京から仙台の方の移動がある、でもまた東京から人が来るとコロナウィルスを運ぶから困るのである

沖縄の与論島では10人くらい感染者でて騒いでいる
医療体制がないから対応できないとかなる
こうした離島となると問題である
でも沖縄とか観光収入をに頼っているから来てもらいたいとなる
そういう時代は何か本来の生活ではなかったともなる
外部から来る観光が頼りの生活はうウィルスには弱かったのである

そうでなければ離島こそウィルスには一番強い場所だったのである
人から人への感染はないからである
それで江戸時代のコレラの流行では福島県の桧枝岐(ひのえまた)は感染しなかった
そこで米を食べられずソバが主食でイモリを焼いて燻製にしたものを食べていた貧しい地域だったからである
ただそういう孤立した場所はウィルスには強かったのである
人間社会はそもそも何が良く作用するかわからないのだ
いいものでも悪く作用したりする、だから辺鄙な地域は嫌だとなるがそこにもいいことはあるのがこの世なのである

離島というとき波照間島とかにも行った
そこで井戸が枯れた所がありそこに人が住んだ跡があった
シマでは水不足に苦しんでいたのである

ともかく東北にも結構連休で人の流れがある、そこでまたコロナウィルスの感染者が増える
仙台市はまたわずかでも増えたからである、それは前ら予測されていたことである


2020年07月19日

スーパーヒタチが真野川の鉄橋をわたる (約午後5時ー川面に光が反射する写真)


スーパーヒタチが真野川の鉄橋をわたる

(約午後5時ー川面に光が反射する写真)


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superhitachiriver.jpg

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この写真は車の通る六号線の橋の上で撮った、ちょっと危険だった
でもそこからしかいい写真がとれないのだ
撮り鉄になると危険な場所になる場合がありとがめられた

ただいい写真は撮る場所が肝心である
それば日ごろ見ている場所だったらねらってとれる
でも遠くになるとその撮る場所がわからないのである
これは日ごろ通っている場所だから構図ができていたから撮れた
ただ午後5時だから暗い感じになり一枚は手を加えた

とにかくこのスーパーヒタチは絵になる
でもまだ一回も乗っていないのである
まだ梅雨が明けないから行く気がしない
今日は晴れたのでチャンスだと思いとった
良かったのは日曜日で六号線の橋をトラックがあまり通らなかったことである
橋の脇の狭い道から撮ったから危険になる

これは広角で連続で写真をとった、何か写真をとることも仕事である
相馬新報というときプログでも私的なものでも記者になっているからだ
何か文系は就職先がジャーナリストとか報道とか出版関係とか銀行とか何か限られている
ただ相馬新報とかで自由に自分の考えを述べるというのはやりがいがある
収入はないけどこれはブロガーとかユーチュバーとか新しい仕事になった
それで一か月百万とかの収入があるというのも驚きである

それで大勢の人に見てもらうために奇抜なことをしてつかまった若者がいた
これもマスコミと同じだったのである、マスコミだって視聴率をあげるために芸能人に
そういうことをやらせているからである
テレビが個人化したテレビというのもありえないことだった

ただマスコミの番組作りは鉄道でも旅の番組でもつまらない
何か食事とかありきたりのことしか映していないのである
何かかえってマニア的に廃線の旅とか何かこったものにする
でもテレビはとにかく万人向きだからいつも食事とかばかり映しているのである
万人向きだということはかえって今はつまらないものになる

youtubeだと何かマニアックなものあることを追及する、トンネルの旅とかなにかテーマをしぼり番組作りする
そういうことをしやすいのである、自分は鉄道が好きだからそういう番組作りをしたいとなる
ただ動画となると手間が大変だからできない
それで写真には今こっている

2020年06月28日

絵になるスーパーヒタチ(写真)


絵になるスーパーヒタチ(写真)

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これは真野川で撮った、ただ川面に午後の光りが反射するところを撮ろうとしたが
曇って来てできなかった
シャッターチャンスが一回しかないというときその時々の天候が一回しか経験できないからだともなる
写真はやはり写真をとる場所が大事である
それが旅行したりするとわかりにくいのである、だから地元だったらここが写真をとるのにいいと見て何回も撮ってみるからいい写真がとれる
今回は川面に反射する光がとれなかったが次は撮れるとなる
今は梅雨で曇りだから撮れないと思い撮ったのである

5万で広角レンズ買ったから今試し撮りしている、やはりレンズが広角でないと景色になるといいものがとれないと今まで思っていたからである
ただ私は写真は素人である、レンズのこともわからなかったからだ
ただいい写真を撮るにはどうするのかと考えるようになり広角レンズを買っただけである
本当はフルサイズのカメラでレンズがいいとなっている、そうなるとまた重くなったりめんどうである、金もかかる、どうも自転車だといい場所で写真がとれない
重いと運びにくいのである、今の自転車の欠点は今まででは一番良かったが荷台がないことが最大の欠点だったのである

写真を撮ることは本格的になれば結構な労働になると思った
だから写真をそうして職業にする人が多いこともわかる
それだけた写真の時代ということになる

都草スーパーヒタチ走り来る

都から東京から人をのせてくるとなるが実際はまだ乗る人が本当に少ないのである
だからもったいないともみる、でもこれからは東京中心の社会でなくなるかもしれない
となると新幹線とか高速で東京につなぐということが時代に合わなくなるともなる
コロナウィルスが社会を変える、それが鉄道にも交通に一番影響したからである

2020年06月23日

ボランティアは一人ではできない (JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


ボランティアは一人ではできない

(JRとか会社や地域でも自治体の許可がないとできない)


たまたま無人駅で聞かれたことがあり案内があったりして無人駅にかかわった
でもそれで認められたことはない、むしろ嫌がられたりそこで何をしているのかととがめられたりするだけだった
ただ外から来た人はそれなりに認めて案内するとありがとうと言われた
こんなことでありがとうといちいち言うのかと意外だった
それだたけ自分はなにか社会性に欠けていたしそんなことでありがとうなど言ったことないからである

無人駅にいてこれまでも書いてきたが何から用があった、それを指摘して直したことがあった、そのことを書いてきた、実際は何かそんなことあるのかと自分で思ったいた
でも意外とたりないことがありこうすればいいということがそこにいてわかったのであるだから現場にいないとわからないものだと思った
現場にいるということ現場で仕事している人がわかっている
それで原発では2000人もの電気関係者が働いていた、その人たち原発の内部を知っていた配管などが老朽化しているとか見て知っていたのである
でも上の方の幹部はそういうことを知らなかったのである
そして現場の人は上の人に何も言うことができないということが事故にもつながったのである、東電の幹部の権力に逆らうことができなかった、なぜなら下請けであり仕事をもらえなくなるからである、そういう上下関係が明確だったのである

無人駅でボランティアしてそこを管理している人が無人駅でもいる
それはJRであり駅長とかである、他の線路と電気の管理している人もいる
それはJRの管轄下にある、また掃除しにくる人もやはりJRとかの許可を得てしている
それで金をもらっている、今度高校生の見守り役としてNPOの人もJRの許可を得てしている、あとは南相馬市の行政の許可を受けてしている、金をもらっているからだ
つまり何かしらかかわれるのはこうして許可を得た人でありそれには金を払われているのである
商工会でもかかわっているが掃除してもJRで頼んでいるのであり金をもらっている

それでホームにゴミ箱がありそれをかたづけることをしている、そのことでゴミをなげることで良く聞かれたのである、ゴミ箱のある場所がわからないのだ
ホームにあるからだ、そういう案内もしてきた
それは聞かれるからそうしたのである

でも駅長とか高校生の見守り役にそのゴミ箱を見るためにホームに入った時監視カメラに映りホームに入るなと言われたのである
ホームに入るのは高校生の見守り役である

あとは許可がないかぎりホームには入れない!

でも昼間の二三時間は誰もいない、無人駅になっている、だから勝手に入る人がいるかもしれないが監視カメラで見ているから注意した方がいい

いづれにしろ無人駅でも許可なしで勝手に駅にかかわることはできない、商工会ならJRと交渉しているからできる、花壇とかも作ったからである
でも個人的には何もできない、無人駅でも管理しているのがJRであり駅長の権限がある
だからゴミ箱がどこにあるかと聞かれて案内したりしたができない
要するに個人的にはボランティアするのは不可能である
何かボランティアするときは市町村でも受付で許可してボランティアをさせるからである勝手に被害のあった家に手伝いますとかはできないのである

おそらく個人的にボランティアはできるのは市町村内でゴミでも落ちていたら拾いかたづけるくらいである、何かどこでも個人的には勝手にできない
下手すると怪しいとして通報されて警察が来てみんなの前で職務質問されるようになる
そして何より駅を利用する人もなんら認めないから余計にできないとなる
外から来た人を案内してもその人はここに住んでいないから後は関係ないからである
ここに住んでいる人でもお前はなにしているのだしなくていいとかもあからさま言われたからだ、ただいろいろ風で遅れたとか案内することはあったのである

他でも個人的にボランティアは保証もなにもないとか言う人がいた
ボランティアはとにかくNPOになると10人以上必要でありそうなると認められる
個人ではなにもできない、誰も許可しないからである
そこに住む住人すら認めないとしたらただ怪しいとなり警察に通報されるだけになる
つまりそこに住む住民が認めまたJRでも会社の人が認めない限りできないのである
ただ駅で別に外から来た人と話はできるのである
だからそういうことは別にとがめられないがその他何かしようとしてもできない

ただJRとか鉄道の問題はいろいろある、コロナウィルスで急激に乗客減ったことは驚いたスーパーヒタチに乗る人は数人とかなのも残念なことだった
東京と通じること東京の人が来ることはどうしてもうつされるとなるから嫌がる
解除になっても何か依然としてゼロにはならないのだから嫌がるとなる
だから新幹線などは痛手であった、ただ解除されたから増えたとういこともある
もう鉄道自体維持できないというところも北海道など前から廃線寸前の線があった
そういうところは維持できないとなる

ただ観光用として必要だとかはある、鉄道がないと遠くから観光に来ないというのもそうである、でもインパウンド観光はなかなか回復しにくいだろう
それともう鉄道だけでは維持できない、私鉄の収入はホテルとか売店とか多角経営をしてその収入の配分があり成り立っている、JRとかそれがないから鉄道だけに輸送だけに頼る経営は苦しいとなる
でもJRには何かそうした人にサービスするという観点が欠けている
人に対してはただ乗せてやっているだけだとなる、ただ技術的な点では絶えず点検して
安全を計っている

これから鉄道が生き残るという時そうした多角経営が必要だというとき人へのサービス精神はないから問題になる
まずこれは鉄道だけではない、何でも機械化して無人化して人がいなくなる
それで人件費をはぶけるとなる、でもそもそも人件費を考慮する前に人はいらないと思っているのがJRなのである、ただ鉄道の機械だけに運行だけに力を注げばいいとしているからである、そういうことで人へのサービスは欠如しているのである
それは他の人も指摘しているからわかる

これは鉄道だけではない、コンビニでもどこでもみんな機械化する、あとAI化する
すると人間はコストだからいらないとなる
そういう世界がどうなるのか?まず人間の情とかが消えた殺伐とした世界になるかもしれない、人間をただコストとみるのが資本主義社会なのである
そういう社会は今やゆきづまっている、すべてを機械にロボットに代わることはできない人間にしかできないことがありそれがあってこそ人間の社会なのである
人間をただコストとしか見ない社会は殺伐としてくる
そこに人間的なものが排除されてゆく、情もなにもない、愛もなにもない
そこにはただ無味乾燥な情も愛もないロボットしかいなとなるのである

ただ機械化とかロボット化AI化とかをすべて否定することができない、それが極端になるとそればかり追求するとそういう社会がどうなるのか?
それは決していい社会ではないし人間にとってそんな社会に住みたいかともなる
鉄道にもいろいろな問題がありただ無人駅とか鉄道から見える社会があった
鉄道というのはいろいろ社会と広範囲にかかわる
それでもコロナウィルスはショックだった、これは遠隔交通は不利になる
東京の行き来がどうしても敬遠されるからである
でもコロナウィルスで社会全体が見直されるから交通関係の見直しも要求される
現実に常磐線で名取で乗り換えて仙台空港に行く路線があるがそれも急激に減った
飛行機に乗らなくなったからである、つまり鉄道と空港も結びついていた
交通はパスでもタクシーでも何でも結びついているから影響が大きかったのである 




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この決まりで高校生の見守り役をしている
つまり駅の業務をするなかかわるなということである
でも実際は特に切符売り場の所にいれば必ず何かを聞かれる
だから今では聞いている
それをさけることができないのである
だからこの契約は守れないのである

ただなぜこの決まりにしたのか?

それはJR側で切符を売るとか頼むと金がかかるとかあった
また私のボランティアが拒否されたように何か高校生だけの見守りだけということで
駅の業務にかかわらさせたくないということがあった

そこは無人駅でいいのであり何か案内などでもするな、かかわるな!

こういうことがここにはあるのかもしれない、それは自分にもされたことだからである
でも盲目の人が電車に乗るのを助けてくれというときわざわざ連絡すれば原町駅から来ていたし車椅子の人でも原町駅から連絡があれば手伝うために来ていたのである
だから無人駅では何もしないが原町駅の駅員は来るのである
ただそこの無人駅ではJRの許可なしでは何もしていけない、するなということなのである



2020年06月03日

スーパーヒタチは絵になり写真に映える


スーパーヒタチは絵になり写真に映える

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夏菊にスーパーヒタチ映えて去る

夏燕スーパーヒタチの走りさる

吹きぬける風や青葉に映えて去る  


スーパーヒタチは見ていて気持ちがいい、それじ写真をとる、写真撮るためにいい場所を決めて写真をとる
写真がむずかしいのは場所の選定とか構図とかいろいろ要素がありそれがうまくいかないそれでし写真のプロは何百万のカメラをもっているとyoutubeで説明してい
メカに左右されるとある
なかなか大きな画面になると花などはとりにくいことがある
ただそこまでやるとなるとめんどうである

今は駅には行っていない、このスーパーヒタチの写真をとることが鉄道に関係することである、これは絵になる、走っているのを見ているだけで気持ちいいのである
でもまだスーパーヒタチに乗っていないのである
乗っているのは一人とか本当にがらあきである

とにかく今の季節は写真とるにはいい、花とかいろいろ映えるからである
今は映像の時代だから俳句でも写俳と言われたように写真と俳句が一体化する
だから写真は欠かせないのである、ただ重いととりにくい、私は自転車だから重いカメラはもちにくい、それで落として一部レンズが壊れたからである


2020年05月24日

磐城大田駅で撮ったスーパーヒタチ(菜の花に映える)


磐城太田駅で撮ったスーパーヒタチ(菜の花に映える)

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菜の花の隣は麦畑になっている、麦を栽培するようなった
ここはもともと田んぼだった

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磐城太田駅は無人駅である、そこに菜の花が咲いていたので待って写真をとった
鯉のぼりも見えたから絵になっている
撮り鉄も面白い、その撮影ポイントを探すことからはじまる
乗り鉄から撮り鉄に変わった、とういのはここ十年以上旅していないからである
私は車窓から常に風景をながめていた
それは贅沢な時間だった、でも鉄道趣味でもいろいろある
模型を楽しむのもあるしメカもある、自分はメカには弱い
ただ鉄道は風景にとけこむから絵になり写真になるから好きなのである

菜の花や電車を待ちて写真とる

ただ写真を撮るのに待っている、乗るためではないのも変である
そしてコロナウィルス騒ぎで電車に人が乗っていなのである
これも奇妙だった
ただ自粛が解除されたのでこれから乗るようになるのか?
それでも東京まで行くのはまだ危険である
原町の食堂では幸楽苑とか狭い場所で密集してラーメンを食べていた
あれもあんなに密集してコロナウィルスにうつらないのか?
何かそうした不安もなくなっているようである


2020年05月02日

夏の日(スーパヒタチの写真)

夏の日(スーパヒタチの写真)

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タンポポの綿毛や飛ばむ草原をスーパーヒタチの朝に行くかな

2020年04月13日

山元町を走るスーパーヒタチ (春の夕暮れ金華山と牡鹿半島が見える)

                        
山元町を走るスーパーヒタチ

(春の夕暮れ金華山と牡鹿半島が見える)

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この場所は撮影ポイントである、金華山と牡鹿半島が山元町に来ると大きく見えた
新地からも見えたがここでより迫って見えた
これは午後4時半頃であり下りが先で上りが10分後くらいに来る
だから撮影する時間としてもいい、ただ夕暮れになっていたのではっきりしない
でも金華山がかなり大きく見えている
良く見ないとわからないかもしれない
このスーパーヒタチにはこの辺の復興を感じた

ただコロナウィルスを人が運んでくるということでこれまた時期が悪いとなった
電車は密閉された空間で喚起が悪いからだ
だからどうして満員電車とかでも東京ではうつると思う
それをとめることができないことはやはり感染者が増えてゆくように思う
とにかくこのスーパーヒタチが走ったことは見ていても気持ちがいい
普通電車だと絵にならないがスーパーヒタチは絵になる
これにまだ乗っていない、何か家の工事とかコロナウィルスとかで忙しくなったのであるここまでは新地から自転車で行った

2020年03月25日

9年ぶり常磐線全線開通 (スーパーヒタチも走る)


9年ぶり常磐線全線開通

(スーパーヒタチも走る)

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これは仙台行きである



走り来るスーパーヒタチ芽吹きかな

9年ぶりスーパーヒタチに春日さし命の通う鉄路なるかな

9年ぶりにスーパーヒタチが走る、車体も格好いい、全面がいい、前のとは違っている
このスーパーヒタチには良く乗った
それにしても長かった、一時はスーパーヒタチは走らなくなると言った
それでてっきり走らなくなるのかと思った

でもこうして走っているのを見ていると気持ちがいい
何か鉄道には思い出あり鉄道が好きなのである
だから駅で案内したりしたのは鉄道が好きだったからである
だから無人駅になって案内した経験は貴重だった
あんなことができたのは無人駅になったからできたのである
何か仕事でもみんな簡単にできない、させてくれないのである
だからいろいろ仕事があって経験してみたいことがあってもできない
やはり仕事も与えられるものであり勝手にできないということがある

いづれにしろ本当にスーパーヒタチが走り命が通う線路となったと感じた
何か大げさにも思えるが鉄道はそれだけ歴史が長いからそうなっているのだ
実際に鉄道は明治から百数十年も人を乗せてきたからである
それが車とは違ったものなのである
鉄道を通じて人生の別れとか出会いを演出してきたからである
人間の情が鉄道にはしみこんでいるとまでなる

これで東京に行きたいとなるが今は行けない
ただすでに東京にも十数年行っていないのである
高速バスで行こうとしたがこれも疲れる、何か人ごみに行くのも疲れる
それで仙台に去年は一回行ったくらいであり今年も行っていない
コロナウィルス騒動もあり行きにくいとなる
このスーパーヒタチには乗る、いわき市辺りまで花見に行くとかなる
でもコロナウィルスというのが嫌なのである
東京から来る人がいるし電車の中は密閉しているから喚起が悪い

とにかく常磐線が全線開通したことは祝すべきでことである
これこそ復興である、五輪の聖火リレーなど何の復興にもならないものだったのである
だから中止してもいい、復興の効果など何もないからである

2020年03月05日

常磐線全線開通は3月14日 (今日も風で遅れている)


常磐線全線開通は3月14日

(今日も風で遅れている) 

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ネパールの国旗、字は訳せない
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今日は久しぶりで駅に行った、風が吹いて遅れていた
高校生の見守り役が案内していた
駅の業務は何もしないというが必ずあそこにいると聞かれるのである
ただなぜそういう契約をしたかというとJRでは駅の業務を頼むと金を払わねばならないからだろう
NPOでは市の方で金を払っているからだ
これも実際はおかしいのである

無人駅というのはそしたら誰も人がかかわらない、かかわってはならないとなる
そこに責任問題も生れるからである
でもそこで責任問題が生まれるとはならないだろう
危険なこともないからである
無人化するのはコストの面でわかるにしても問題がある

誰かかかわれば責任問題が生じる

でも誰もかかわらなければ乗客が困る

でも困っても結局乗客の責任だ

こうなってしまうのである、現実にそうなっている

常磐線全線開通は3月14日である、寄せ書きがしてあった
そこにネパールの人が書いていた

国旗の真紅は、ネパールの国花であるシャクナゲの色であり、ネパールのナショナルカラーでもある。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。2つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められている。
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前のホンダの会社にネパール人が勤めていた
それから福装にも勤めていたネパール人の女性が何人かいた
ネパール人はベトナム人と同じく増えている
ベトナム人は相当に多い

ネパールのトレッキングで3000メートルくらいの高さに赤いシャクナゲが咲いていた
雪がそこにはあったからいかにもヒマラヤらしいとなる
その時春であり曇っていてヒマラヤの8000メートルの山々が見えなかったのが残念であった、春より10月頃の方が晴れるから見やすいとなる
トレッキングで日本人で十回も行ったという人がいた
山に魅せられたらそうなる、特にヒマラヤとなるとそうなる
エベレストでは登山の行列ができてかなり死んでいることでもわかる
別にそこまで逝かなくっても3000メートルの高さに上るとそこから8000メートルの高さの山が見えるのだから本当に高い、天をつくように聳えるから荘厳である

今になると外国旅行も行けないとなった、一回だけでも行ったのが得だったとなる
シャクナゲの赤とヒマラヤの雪の峰のコントラストが際立つ
それで国旗でもそれをあしらった
三角の国旗はネパールだけでありヒマラヤを象って作った
ネパールらしいとなる

相馬地域に移住した人も書いていた、この辺では津波や原発事故以後移住した人がいた
小高にはいた、喫茶店を経営していた
ロボティックスとは萱浜にできたロボット工場である
あれは先端技術の開発している工場である
それでテレビでどういう仕事をしているから説明していた
あれはこの辺では復興のためにいいものだった

駅にはすることもないのでずっと行っていなかった
ただ風がまた吹いたのでどうなっているから見に行った
ただ高校生の見守り役とは話しない
前の自転車屋の人も不満なのである、その人も話しないからである
本当はあそこは鹿島区の人がやれば良かったともなる
                                                  
ただ問題はコロナウィルス騒ぎである、どうしてもいわきの方まで開通すると東京からでも人が来る、そこで感染のリスクが高まる
ただ仙台で一人感染したが福島県では出ていないのである
福島医大には感染者が収容されても福島県自体からは感染者は今の所でていない
でも仙台に出たということは仙台は危険である
私は去年も一回くらいしか仙台に行っていない、今年も行っていない
近間も回っているだけである
こうして閉じこもっていれば感染はしにくいことは確かである

2020年01月12日

2020 新春 常磐高速SA-セデッティ鹿島ー無人駅の鹿島駅


2020 新春

常磐高速SA-セデッティ鹿島ー無人駅の鹿島駅

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丸森の秘境(二輪草)

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常磐高速SAに飾っいた造花が良かった、何か森に隠された花に見えた
それは丸森の秘境で見た二輪草の群落を思い出した
ただあそこは洪水で流されて夏になっても咲かなくなっているだろう
あれだけの水が出たから流された
あそこは道があっても入りにくい場所だった
そういう所は田舎だったらどこにでもある
でも外から旅行に来た人は入りにくいのである
第一そういう場所は住んでいても地元の人すらわからないのである

常磐高速のSAも開通して四年とかになる、あそこでお土産を買うのはいいのである
良く駅でお土産買いたいという人にであった
それで香の蔵まで買いに行った人がいる
つまり駅とか何かお土産を買いたい場所なのである


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それでもう一つ買ったのがこれだった
年輪をうまく使ったものでありこれはいいと思い買った
これは新地の田村商会で作っていたものである
他にも木のお盆などを売っていた
やはり木という素材を活かしたものはいいと思う
それが新地で作ったとなると地元になるからいいと見た
何か特産物がこの辺でないからである

食べ物は何か放射能被害でだめになったとかある
ただ特産物を作ることは本当にむずかしい
なぜなら野菜とかにしてもそういうものは長年にわたりその土地を改良して作る
まだその土地の土が関係していたり気候が関係しているからむずかしい
雪の下キャベツとか会津にある
それは雪によって甘味がますという、それで今年は降らないので困っているという
そういう風土から作られた特産物はだから簡単に作れないのである

この辺で寄る場所は無人駅と常磐高速のSAくらいしかない
無人駅の方は最近案内していない、案内する人がいないともなる
春になるといわき市と通じるから外から来る人がふえるということはある
ただ常磐高速のSAのようにはいかない

何もしなくても一応駅の所は通るからそこにいたりする、何か駅が私は好きなのである
鉄道の旅行が長いからそうなった
ただ電車を待っているだけでもいいのである

寒雲や電車待ちぬ無人駅

こんな感じになる、何か駅自体が一つの人が交わる場所としていとしい場所になっているそれで廃線になるとき人々が惜しむのである
こういうことは車社会になるとなくなっている
人が交わる場がなくなっている、車は人が交わらないのである
ただ目的地に行くだけである
駅は何か待つということは人間的な時間を作り出していたのである

2019年12月27日

鹿島駅に来た外国人を回想する


鹿島駅に来た外国人を回想する


●母親がフィリンピン人でここに住んでいてカナダのトロントに青年が来た

フィリンピン人は結構いる、前は風俗関係とかダンスとかで来ていた

ネパール人が駅の向かい側のホンダの車会社にいて日本に5年とかいる
奥さんをつれてくるという、4000メートルのヒマラヤに住んでいる

ネパール人とは原町のユッサであった、第一福装に勤めている女性がいる
その女性はいつも見かけるからである

●ベトナム人が結構見かける、原町に鹿島にもいる

 ベトナム人は一番多いことは確かである
 次に見かけるのは今はネパール人である
 中国人は少なくなった、ただやはり福相に勤めているからいる
 前の満州地域から來る人か多い
 この土地の人と結婚していた女性もいた

●タイの放浪画家が来た
  
原町の高倉の知人をたずねてきた、その高倉の人は外部から来て住んでいた人だった
その後はわからなくなった

●フランス人の教師が野馬追いに来た、平泉にも行くと言っていた

野馬追いには必ず外人がくる、でもなかなかちょっとの時間だから話ができなかった

●ドイツ人の技術者が来た

風力発電の関係で来ていた、東北電力の原町火力発電所にも来た


駅は外部の人が入る玄関にもなる、だから外国人も来ていた
これだけ見ていてもいかに地方の田舎でも国際化しているかわかる
やはりベトナム人ネパール人が目立つようになった
田舎でも一万くらいでもまた原町となると人口が5万とかなるから多い
原発関係で働いている人もいるのでこの辺には来る


来年は常磐線もいわきとつながるから乗客も増える
ただ実際は双葉とか大熊が避難解除されても人はもどらない
浪江でもそうだし小高でもそうである、老人だけ帰ってどうなるのとなっているからだ
だからそこに金をつぎこんでも人が帰らないから無駄だともされる

とにかく駅にどんな人が来るかを知れば人の流れもわかるし世の中の動きも多少はわかる普通はどういう人かなどわからないからだ
それで関所を通る時、この人はどういう人かとわかる、どこの出身だとかわかる
どんな職業かもわかる、今の時代はどこから来たのかどういう人なのかもわからない
車だったら通りすぎるだけだとなる

何か駅は関所とにているのである、それで防犯カメラに犯罪者が映っていたとかあった
つまりどういう人が出入りしたかチェックされているのである
たたこんなことを知り得たのは無人駅であり駅に待っている人はが数人単位であり一人だったりしたからである
ただ今は無人駅とは言えない、高校生の見守り役が朝と二時半からいるからだ
ただ半分は無人駅となっている

誰が来るや無人駅も年の暮

2019年12月01日

無人駅でまだ案内があった (人が少ないと人間的になる逆説)


無人駅でまだ案内があった

(人が少ないと人間的になる逆説)

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ここがわかりにくい

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こんな電車が走るのか・
スーパーヒタチが走るのか


昨日はばあちゃんが障害者用のトイレの前に立っていた

でもドアが開かない、そこは手で押しても開かない

手をかざすと開く

これも意外とわかりにくい、普通は押すからである
その隣に普通の人が使うトイレがある
そこの女性用のトイレは小さいのである
この障害者用のトイレは中が広々としている
それは車椅子でもはいれるからである
でも車椅子で入っている人も見たことがないのである
これも考えてみると矛盾である
普通の人のトイレをもっと良くしているべきだともなる
ただ車椅子利用のためにそうなった
そこを毎日掃除しているのがあさがおという障害者の人たちなのである
こうしたちょっとしたことでもはじめての人はわからないのである

その人は何かを探していた、駅の前うろうろしていた、それで聞いてみた
そしたらまずタクシーに乗りたいが乗る方法がわからなかった
普通はスマホを見て呼ぶ、その人はスマホをもっていなかった
それでタクシーの番号を教えた
それが駅を出た前にありわかりにくかったのである
それは前から知っていた、それをタクシー会社に言って中に案内を羽ってけといったがしていない

その人はどこに行くのかと聞いたら「香の蔵」でお土産を買いたいと言ってタクシーを呼んだのである、そこまでは結構遠いのである
前にもお土産を欲しいという人がいた
駅ではどうしてもお土産が欲しくなる買いたい場所なのである
でも原町には多少お土産を売っているが駅では売っていない、そもそも無人駅だからである、駅前にはお菓子屋があるが店はない
その人は食堂のことも聞いた
それですぐ前の鈴木食堂があると案内した、そういうこともはじめての人はわからないのである

ただ今はスマホを見ている、それも無人駅だったら当然そうなる
今日は日曜日で高校生の見守りがいない、昼間はいない
その人たちはそんな案内をしない、ただ高校生の見守りとして仕事を限定しているのである
でもこの前盲人の音楽家が来たときは荷物などをもって送った
だから今は駅の案内も多少はしている

お土産だったらまず常磐高速のサービスエリアまで行くのが一番いい
そこには何でもある、相馬地域のお土産もあるし食堂もあるし休む場所もある
その相違が大きいのである
もし駅でも客が高速のように来れば必ず店でもなんでもできる
でも無人駅なのだから何もできない

ただ奇妙なのはそうして人が少ないこということはかえって人間的になる
そもそもサービスエリアでは話することがほとんどない
ただ人が流れてゆくだけだからである
ちょっとしたことでも話すことはできないからである
だから時々無人駅でどんな人が来るのかちょっと立ち寄っている
でも最近は高校生の見守り役がいるから買い物帰りちょっとよるだけである

駅前には冬薔薇が咲いている、そこに虫一匹が飛んでいた
なにかのどかなだなとなる、でもこれでは商売にはならないのである

無人駅虫一匹飛び冬薔薇

2019年11月19日

盲人が復興団地の慰安に来た (大阪からでギターとか音楽での慰問である)


盲人が復興団地の慰安に来た

(大阪からでギターとか音楽での慰問である)

今日午後から駅に回ったら盲人が二人来ていた
復興団地で音楽会してし慰安したという
鹿島の復興住宅はある、浪江の人たちがシシドスーパーの隣に住んでいる
その人たちのことなのだろうか?鹿島には復興団地とか大きなものは建っていない
原町の復興団地にも行ったのかもしれない
そして鹿島駅から乗ったとなる、原町だと復興団地が4階建てとかで多いからである
そういう需要は原町だとあるからだ

ただまだそんなことしているの?

盲人が二人来るとなると手間である、案内の人が一人ついていた
ギターをもっていた
盲人は琵琶法師とかもごぜとかも盲人であり歌を歌ったりして金をもらっていた
座頭などは按摩だった、何か食べるために盲人でも仕事しなければならない
それで鹿島駅には浜吉田から按摩するために仕事で定期的に通っている人がいる

でも慰安するにしても何かかえって援助がないとできないともなる
その人は大阪と神戸の人だった、大阪の人は本当に良く来る
名取で乗り換えて仙台空港から大阪に帰る
だから鉄道は空港へのアクセスのために不可欠だとなる
鉄道と空港が結びつけば鉄道も活きてくるとなる

そこで何かおみやげがないかと言われたがここでは売っていないと言った
何か仙台でずんだもちを買いたいとかしきりに言っていた
空港で買えるだろうと言った

今日は風が吹いていたので遅れたていないかと見に行ったのである
実際原町行は10分とか遅れていた
だから仙台行きも途中で遅れるとういことがありうる
風がこれから吹くと新地辺りで止まるからだ
原町行が遅れると次に仙台行きが遅れる
それで困るのが飛行機は時間に遅れると乗れなくなるし後の便もなくなる
それが一番怖いのである
外国に行くときそれで本当に怖い目にあったからだ
乗り遅れたら大損になる、そして成田空港だと一時間以上とか時間がかかりすぎていたのである、羽田空港だと楽なのである

いづれにしろまだ復興団地に慰問に来ているのも意外だった
もう9年とかにもなる、そんな時は過ぎたようにも思うからだ
ただどういうわけで来たのか良くわからない
もしかしたら仕事として来たのかもしれない、音楽興業だったのかもしれない
ただ盲人は音に敏感になるから音楽に向いている
盲人のピアニストが脚光をあびたのもそのためである

最近は駅に昼間は寄っていたが案内はしていない、今日は風が吹いたので様子を見に行ったのである
自転車で風の中を原町まで行った帰りに寄ってみたのである

2019年11月03日

南相馬市でサイクリング大会 (常磐高速のSAでは国土交通省の人と会い話する)


南相馬市でサイクリング大会

(常磐高速のSAでは国土交通省の人と会い話する)

●スポットを巡り、得点を競うサイクリングイベント!
 〜ツール・ド・ニッポン2019〜ライドハンターズ in 南相馬

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鹿島駅により去って行く

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SAにより去る別なグループ

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国土交通省の車

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ここを地図で印をつけていた


 
今日鹿島区で三人が駅がどこだと聞かれた
それで案内した、何か南相馬市でサイクリング大会があった
それはインタ−ネットに出ていた
背番号していたからである

駅がスポットになっていた、聞いたら原町区の人で三人がロードに乗っていた
一人は若い女性であり一人はニュージランドの青年だった
一人は白髪の老人だった、何か前にも原町に住んでいる人でロードにのっていたのには驚いた、63歳とかであり大倉で坂があるから良くロードで乗れると思った

常磐高速のSAでも背番号したサイクリングする人が三人見かけた、やはりSAがスポットとなっていたから寄った
とにかく原町ではロードに乗っている人が多い、老人も乗っている

そこで国土交通省の人にであった、78人集まっていた
地図を広げていた、北の入りという川に印をつけていた
ここは地元でもわからない、そもそも小さな川の名前とか知らないのである
栃窪をいくら通っていてもそこに川があったのか認識していないのも不思議である
そういえば川があったなとみる

いづれにしろ地理は地元に住んでいてもわからないことがある
だから今日来ていたのと岐阜県とか三重県とか遠いしわからていと思う
すると道案内とか地元の地理に詳しい人が必要だともなる
国土交通省の職員だからプロだから地図を見ればわかるとしても地理だけは簡単にわからない、地理はそこに住んでいると体で覚えるものだからである

今回小河川が氾濫したのは一度に大量の雨が集中したからだと言う
こんなに小河川が氾濫するのは意外だったからである

それから水無川原に人がいた、何か珍しい石がないか探す人がいた
それから鮭が上ってきていた、普通ここには鮭は上らない、水無川であり流れない時があるからだ、高い堰がありここは上れないからである
何か真野川の下流で鮭をとる簗が流されて上ってきているとか言っていた
もっと橋の上にも鮭は上りそこで死ぬのをいつも見ている

そして環境省の人が数人やはり真野川の水質調査をしている、その人たちはここに住んで定期的に調査している、真野川は水が大量に出たので放射性物質が泥として流れてきたのを調べているのかもしれない

とにかく国土交通省というのは興味がある、なぜなら私は旅してきたから地理とか地形に興味があるからだ、日本の国土に興味がある、ただ理系ではないからとてもそうしした場にかかわることはできない、でも地元の利がありやはり専門でなくても遠くからくればわからないから地理は教えることがあるとなる
地理だけは本当に地元ですらわからないものでありまして遠くから来たら余計にわからないのである

それでその水無川の橋で出会ったのは同級生のT君だった
同じ自転車に乗っている、私の勧めた自転車がしきりにいいというとき自分自身もこの
ヤマのYPJ-XCには感心している、だから遠出をしたくなる
これはただスタンドがないので不便だというのは同感だった
これはマウテンバイクになっているから若者向きだと最初思っていた
でも実際はこれは軽く走れるから老人向きだったのである
T君は一回手術している自転車でも遠くには行けない、でもこれは乗り安いというとき運動にはいいのである

なんか体が弱ってくるのが嫌だというのもわかる、その先どれくらい自転車でも運動できるのかとなる、ただ現代は元気な老人は元気なのである
まず老人は同じ年でも病気になったらその差が大きくなる
老後というとき金も大事だけど健康に活動できるかできないかでその差が大きいのである


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水無川

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この上は上れない


2019年10月26日

常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休 (線路工事のユニオンの列車来る)



常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休

(線路工事のユニオンの列車来る)


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大型保線機械による線路整備工事乗り心地の良い線路状態にするために、
夜間に終電から始発までの限られた時間で、大型保線機械により、線路の不陸をミリ単位で修繕しています。

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山下ー原ノ町間は運休、他にも東北線でも運休とか遅れとかある
そして引き込み線に来ていたのは線路工事用のユニオン建設の列車である
こればなかなか見れないだろう

何か常磐線が来年双葉とか大熊とか富岡とかが不通になっているのが開通するので
その工事のために来ているのだろう
まずこういうものはなかなか来ないからである
それでまだある引き込み線が使える、必要だったとなる

駅前の花壇は美しくしてある、これはなかなかいい
ただ案内板のところは荒れている
花壇の手入れも手間になるのである
とにかく台風が去った、一騒ぎだった
最近は駅の方で何かすることがない、ときどき外から来た人と話していたがそれもしていない、でも何か変化があるとき報告する

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2019年10月05日

駅で島商会(shima)に行く名古屋の自動車販売会社の人と出会う


駅で島商会(shima)に行く名古屋の自動車販売会社の人と出会う

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今日駅で会ったのはシャツにrukunetと印刷してあったので楽天なのかと思った
聞いてみたら名古屋の自動車販売の会社だった
どこに行くのかと思ったら(島商会)だった
島商会は中古の車をロシアとかに売っているこの辺では有名な会社である
松川浦からも車を出しているのか?
ウラジオストックに運びそれからロシアに鉄道で運んでいる
客船は新潟から出ているし自分も行ったことがある

名古屋だとトヨタがあるから車の販売があることはわかる
駅であったのはそうした会社の人も来る
一番来ていたのは津波や原発事故以後は工事関係者だった
今はあまり来ていない

東北電力の原町火力発電所にはドイツ人が来たり風力発電関係でもドイツ人が来ていた
風力発電はドイツが先進国だからである
その他東北サッシと友伸エンジニアリングの社長も来た、その人は神奈川とかに住んでいた、あとはタニコーの人も迎えに来ていた
鹿島区ではこのくらいの会社しかない

ただわかったことは駅に外から来る人で聞いてみると人の流れがわかる
どういう仕事で来たかもわかる、ただみんなに聞けるとは限らない
今回はシャツにrukenetと記してあったので聞いてみたのである

島商会はこの辺では大きい会社である、200名くらい雇っているから大きな会社である外国人も島商会に来たのを知っている、それは黒い肌の人だった
どこの国からわからないが中古車を欲しい人が外国から来る
日本の中古車は人気だからである
あそこも高い場所だったか津波が来て一部車も濡れた、でもそれより高い所に会社があったから助かった
あんなところまで津波が来るということの驚きである
そこは下を見ると平地とか見ると相当に高いからである
だから海岸は高いと思っていても今回の様な津波だったら被害になる
それで怖かったのは東北電力の原発工事が小高と浪江の中間点ではじまるところだったことである
それは今回の事故で中止になったのである
ただあそこの高台までは津波は来なかったみたいだけどどうなっていたか本当に怖かった

ただロシアは意外と北海道から近いとしてもなじみかない、交流がない
旅行もしにくい、ロシアは観光客を歓迎していない
その点韓国になると全然違っている、歴史的にも古代から交流がある
その差が大きいのである、シベリアとなると極寒の地でありそれも影響している
あまりにも寒いから強いウオツカのようなものを飲むほかないともなっていたのかもしれない

島商会は外国に中古車でも販売すると国際的な会社だとなる
それも立ち上げた人は地元のひとである、島という姓の人である
国際的だから前に英語のできる大卒の人が雇われていた
その人はすでに実務をできる英語の能力をもっていた
今は秋田国際大学が人気なのは英語の実務能力が身につくから就職もできるからである

ただこの辺は東北電力の火力発電所とそれから双葉大熊富岡の原発の経済効果が本当に大きかったのである、今でも原町火力発電所は働き場所として大きいのである
原町で働き場所がないと言っていた人はもしかしたら原発があればまたそっちの方に働きに行っていたかもしれない、15万ではやっていけないと言っていたからである
そういう人にとって原発があることは助かるから原発をやめろとか言えなくなるのであるただ原発事故でわかったようにそこに危険があった
住めなくなったということは何であれ最悪である、15万の給料でもなんとか生活していれば住めるとはなる、でもそれに賛成る人はいないのである
ただその人は原町火力で階段を上り下りがきつくなってやめたのだから働く場所はあった年取ってそれができなくなってやめただけなのである

2019年09月03日

駅でみる老人と若い世代 (老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)


駅でみる老人と若い世代

(老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)

駅で依然として無人駅で乗車証明書をとることがわからない人がいる
今はあまり案内していないが依然として老人は地元に住んでいてもわからない
昨日は三人くらいわからなかった
その人も鉄道を利用していないので電車の乗り方がわからなくなっていたのである
車ばかり利用していると電車の乗り方すらわからなくなる
それはよほど電車を人生の中で利用していなかったということである
それは逆にどれだけ車社会になっていたかを証明している

何か無人駅でも老人は困ることがあり教えることがある
普通はみんな自動で改札するからである
それで何か教えようとすると怒る人もいる、余計なことをするなと若い人はそうなる
でも老人は違う、何か話ができる、駅で待っていてもちょっとでも話することができる
昨日は「鹿島は原町よりいい」と老人が言った
その女性はちょっとでも教えられたり話できたからである
原町駅だと大きいからそういうことがないからである
つまり小さい駅とかまたここが無人駅だからそうなった
なぜ鹿島がいいとか言ったとき、小さい街だからかえっていいということがある
小さいことは人が交わり安い人情的になる

そして何より駅には待つ時間がある、この待つということが人間的時間をもたらしているだからそごで10分でも待つ時間があれば何か話したりできるのである
かえって待つという無駄な時間が人間的時間をもたらしている
ただ現代は人と人が機械化してスマホとかで交わらない、駅でも年配の人でもスマホを見ている、その人自体が携帯をもっていたし直接人に頼らない時代である
第一無人駅になっいていることが機械化して人間を省いていることなのである
ただ最近は朝と二時半から高校生の見守り役がいる
ただ駅や鉄道の案内とか無駄なことにはかかわらない、待っている人と話したりはしないJRでは駅の業務を頼むと金がかかるから頼まないのである
高校生の見守り役は市でNPOに頼んでさせている、金は市から払われている

人間は何かできるとか〈俺は助けてもらわなくてもできるからいい)というとき傲慢になっている、それは自分自身がそうだった
介護も十年とかしてさんざん苦しめられた、自分も病気になった
その時弱者になった、するとなんとか助けてもらいたいとなるがそれもなかった
それも自分のカルマだった、ただ駅でわかったことは老人は弱者でありわからないことがあり教えてもらいたいという気持ちがある
またいろいろ人生を経験して謙虚な人が多い、だから話ができる
でも若い人は何も教えてもらいたくない、うざいんだよ、駅には人などいらないんだよとかなっている、つまり傲慢なのである
若い人は弱者の気持ち、老人の気持ちがわからないのである

その原町から来た女性も喜んでいたのはばばあと言われて無視されるだけだと言っていた若い女性なら勝手に近寄り教える人がいるがばばあにはいないということなのである
結局若いということだけがいいとはならない、若い人には弱者の気持ちとかわからない
老人はみんな弱者化する、でもその老人の気持ちがわからない
すると実際は介護とかには向いていないとなる
ただ介護となると体力仕事にもなるからしているだけだとなる

何か自分は本当に駅にいるのはわずかな時間である
30分もいない、でもそこから見える社会があるものだと思った
自分は社会性が欠けていた、だからこういう所で社会であり社会がいかなるものか見えてくる、やはり家に引きこもっていただけでは社会はわからないのである
それは本を読んでも社会でも何でも何か実感が大事だからわからないのである

2019年09月01日

鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる (徒歩旅行者を案内)


鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる

(徒歩旅行者を案内)


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ここに新しい駐車場ができ


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プラッサー&トイラー (Plasser & Theurer) は、オーストリアの線路工事用重機メーカー。本社をウィーン、工場をリンツに置き、欧州周辺の鉄道をはじめ、ロシア、アフリカ、中南米、アジア、そして日本にも輸出している世界規模のマルチプルタイタンパーメーカーである。

1953年にオーストリアで設立。欧州では同業他社としてスペノ社とマティサ社(共にスイス)があるが、世界の鉄道の大半ではプラッサー&トイラー社の製品が採用されている。

日本では1971年、プラッサーグループの日本法人として日本プラッサー株式会社(豊島区駒込)を設立。旧国鉄(現・JR)、日本の私鉄をはじめ公共公団との関わりも深い。

2010年現在、製品は世界104か国へ輸出されており、15,000台以上が稼働している。全世界の従業員3,000人のうち1,500人がオーストリア勤務である。

引き込み線にこの車両がとまっていた、何なのかと見て調べた
これはオーストリア製であり線路工事用の車両である
なぜ外国製を使用しているのか?日本で作れないのか?
日本でその技術がないのか?日本が鉄道の先進国のはずである
ただこれは確かにオーストリア製であることは間違いない

これが引き込み線にとまっていたことは本当にめずらしい
引き込み線は昔は荷物をおろすために使われていた
自転車屋が駅前にあったのは鉄道で運んでいた時代があったがらだとしている

例えば繩屋という屋号の家が近くにある、それは梱包するのに縄が使われていたからだ
つまり荷物を出すにも縄で梱包するからだった
ともかく引き込み線は無用のものと思っていたがこうして使われていた
まだ残っている駅が多いが使用されることがあると思った

今はあまり駅で案内しないが毎日買い物の帰りに駅は通る
駅で案内はしなかったが昨日はコンビニにいたら徒歩旅行者とあった
その人は星を見たいとして〈手の沢)に行くと4時ころ栃窪の方面に向かった
でも栃窪には手の沢がない、瀬の沢があり間違いかもしれない
子供の頃、ここにきたから行くのだという

私は遠いと行ったが行きたいというので4時ころ栃窪まで行く道を案内した
真野川沿いにでてここをこの真野川を上って行けば栃窪に出ると行った
また真野ダムがありそこは高いから星空を見るにはいいと言って案内した
それにしても若いということは体力がありバックパッカーのように荷物を背負って
4時になってもそんなに遠くに行けるからうらやましい
自分は旅行しても徒歩旅行というのはししていないのである
だから自分は意外と本当の旅行を経験していないとなる
徒歩旅行はかなりきついと思うからだ
栃窪に行くにしても食料が必要でその若者はコンビニに寄ったのである

別に六号線では徒歩旅行者とは年配の人でもあう、徒歩旅行者には話しかけやすい
なぜなら歩いているからだ、自転車だとやはり走っているからとまらない限り話しにくいとなる
徒歩旅行者だと接触しやすいのである、クルマだと全く接触できない、話しかけたりもできないのである
ともかく駅でなくても案内することはあると思った、時々こういう人を見つけて案内している

不思議なのは都会の人は田舎に憧れているのだ、田舎の人は若い時は都会に憧れる
でも今はどっちかというと田舎に自然志向が強いともなっている
それで非正規の派遣の非正規底辺労働者がyoutubeで若い人が田舎に実家に東京から帰っていると言っている、金にならないから田舎に帰っているという
ということは地方に若い人が帰っている、東京から若い人が離れているともなる
時代はむしろ田舎志向になっている

山尾三省はあれほど田舎に憧れて田舎で最低限の生活をして死んだのも逆説である
それほど東京で生まれ育ったから田舎に憧れて田舎で生活して死んだのである
つまり田舎に住んでいる人より強烈に田舎志向が強かったし田舎人より田舎を求めていたというのも逆説である
ただ六号線を行く人は山の方には行かない、六号線をたどって歩いている
それだと便利だからである、でも山の方が景色がいいし魅力がある
でも遠くに行くとなるとどうしても便利だから六号線を行くのである

夏の星若人遠く行きにけり

2019年08月16日

鹿島駅前の花壇に新しい花が咲いていた


鹿島駅前の花壇に新しい花が咲いていた

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ここは一回120年とかの花文字を作ったが枯れて消えた
次にできたのがこの花壇である
小さい花がいろいろ咲いていていい
これを作るのにも手間である、ここは良かった
でもこの花壇を見るのは外から来た人はなかなか見ない
案内板の方を見る

そこにこれより大きな花壇があるかそこくは草が伸びていた
外から来た人は目立つものしか見ない
私もずいぶん旅したが旅すると細部が見れないのである
気付かないのである、そこには時間がないからなのだ
だから何かもったいないと思う
旅では良く見ることができない、次から次と新しいものを見るからそうなる
ただ毎日ここに来ている人は見るのである

私は今でも一日一回は来ている
でも前のように案内などはしない
ただ外から来た人と時折話したり案内をする
それも時間的には短いのである

この前は蔵のある家で観光に利用するとかで女子学生が東京から来た
その人は駅舎を写真にとっていたので話しかけた
鹿島駅の駅舎は古いままなので良く写真をとるのである
そして只野という家に蔵が二つありスマホの写真でみせてくれた
今は農家でも蔵は実際にあまり利用しないだろう
ある人の農家の蔵には孫の写真が飾ってあるだけだった
これももったいないということはいえる

その女子学生は観光会社でインターのようにして働き仕事を学んでいる人だった
とにかく鹿島区には只野という姓が本当に多いのである
いたるところ只野という感じになる
その只野にくいてはプログで書いた
それから末続駅では新妻という姓が多い、墓地でも8割が新妻だったのである
ここから何か歴史がわかる

ただ人口が多くなるといろいろな姓が交じっているからわからなくなる
観光というときどうしても歴史を知ることが欠かせないのである
その土地の歴史を知ることが欠かせない、でもなかなかわかりにくいのである
只野(ただの)ということで蔵を利用して観光に役立てるというとき
まず只野の姓が何を意味しているかここでは知るべきだとなる

そもそも旅でもどういうふうに観光するか?それが問題だった
私の場合でもただ通り過ぎるだけの旅にもなっていた
その土地のことを深く知ることができなかった
それをふりかえるともったいなと思った
今になるとなかなか旅ができなくなっているからだ

今から旅するとするとどこかにいい場所に滞在することである
北海道辺りが一番いいと思う
次から次に場所を変えると印象が薄くなるからだ
それは老人には向かいないからだ
でも私は駅に毎日一応行っているが電車の旅も飽きたのである
むしろ自転車の旅ならもっとしてみたいとなる
見る風景が違うからである、電車だとこれも細部を見れない
大きな景色を見るにはいいが細部はすぐに過ぎ去るから見逃すのである

お盆で遠くから来た人も去った、何か盆踊りしたもの知らず終わった
お盆の終わりには花火を打ち上げたがしなくなった
だからお盆という感じも特になかった
なかなか行事をするにも金がかかるからできないともなる

ともかく駅前の花壇は良かった、ただ案内板のある花壇は草が伸びているのでなんとかしてもらいたいとはなる、それも町の人がしないとできない
すぐにどこでも草ぼうぼうになる
土手の道の草を刈っていた人はボランティアだった、ただ市から頼まれているが道の片側だけであり両側をしているからそれはボランティアだったのである
ボランティアでも草刈りとなると暑い時は疲れる
そうなるとボランティアだって簡単にできないのである
自分はただ一日一回様子見に回るだけである

2019年07月18日

駅の入り口の自動ドアがしまるので風が入らない (住民が関心がないと何でも改善されない)


駅の入り口の自動ドアがしまるので風が入らない

(住民が関心がないと何でも改善されない)

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この入口のドアが自動化されている、開けると自動的にしまる
それで風が入らない
ただ電気自動ドアではないので簡単にあけたままに誰でもできる
でもJRの許可がないと勝手にはできないのである
おそらくJRに言えばそうしてくれることは確かである
高校生の見守り役にでも言えばJRに言えるからすぐにそうしてくれると思う


今日はむし暑い、それで駅にいたら風が入らないので暑い
入り口を自動ドアにしたからしまっている
開けても閉まるようになっているからだ
これが冬の時はいいが夏になると風が通り抜けないので暑い
改札のところは手動であけてそのままになる
だから風が入ってくるが入り口は入ってこない
風はぬけていかないから暑いのである

ただ入り口を開けておくことは誰でもできる
閉まらないようにできる
ただこれもJRの許可がないとできない
何か言うとまたうるさいとなるし今は見守り役の人がいるからその人が言うべきだとなるただ苦情を言うにしても住民とかは言わない
私が外から来た人にら原町行き仙台行きのホームがわからないから表示するように言ったのである
それがその場にいてそんなことがわからないのかと意外だったが外から来た人には良く聞かれたからそのことを言ったら表示するようになったのである

だから誰かがとにかく言わないと簡単でもできない
高校生の見守り役に言うか、住民が直接JRに言わないとだめである
自分はもう何も言えない、何かうるさがれたり駅長からにらまれているからである
また外から来た人は言えない、そこに住んでいないから言えない
一時的に来る人は言えないのである
不便でもなんでもあきらめるほかない、こんなものだとしてあきらめる
要望するにもいつも使用するわけではないからだ

つくづく何か不便になったり問題があっても住民自体が気づかない時があるし
関心もないなら改善はされない、別に簡単なことでも改善されない
そしてここでも

鉄道は誰の者なのか?

消費者と住民のものである

鉄道というときそれがJRが所有してJRのものだという感覚になる
だから住民でもサービスを受ける側でも乗せてもらっているから何も言えないともなる
でも海は誰の者かということでもと漁師の人が消費者のものだ
そういういって本に出していたことはそうなのかと思った
海は漁業組合のものであり船主のものになっていたからである
だから漁業権があり東電に売って多額の補償金を事故前も事故後ももらっているからだ
これもこの問題と多少にている

鉄道はJRのものだ

消費者のものではない

だから文句は言うな

こうまでなる
でも利用するのは住民であり消費者なのである、その利用する人にも権利がある
でも権利があるとしても利用する人がそれ相応の負担を責任をとっているのかというととっていない、ただ要求するばかりだったらJRでも勝手だとなるからだ
JRでも負担ばかりで損してまでやる義務がないからだ
海は誰の者か、漁業組合と船主のものだ、では権利があるとしてその責任はきれるのか?実際は権利を主張して海を放射性物質げ汚染されたのは漁業権を売った組合や船主にもあった、でもそのことを誰も追求しないのである

何か民主主義は住民が権利があるが責任もある社会である
住民が改善する意志がなければそのままなのである
いくら一人個人がこうしたらいいと主張しても誰も聞かないとしたらそのままなのであるかえってそういんう個人は無関心だったり排除されるのである
それは住民の責任もなるのである

いづれにしろ駅のことは実際はささいなことであり誰も関心がない
だからとやかく言っても無駄だしそのままでいいとなる
ただ駅にかかわったことは一つの経験でありここにも住民自治とか民主主義と関係するものがあったと自覚したのである


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2019年07月14日

大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組 (閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

                                                      
大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組

(閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

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温泉宿と駅を一人でこなしている

末続駅おりてあわれや菖蒲咲きわずかの畑耕す人をり

山間の駅におりたち数軒の家や郭公の鳴く声のみひびく

日立木駅畑耕す女見えて他に人なし春になりしも

春の日や我がおりたちて駅舎にそ待つ人あれや長くもありぬ 

  

井川線はダム建設の資材運搬用に敷設された専用鉄道

1935年(昭和10年)大井川電力の専用鉄道として千頭0大井川発電所(奥泉付近・現在は廃止)間で運行を開始。762mmの軽便鉄道規格。翌1936年(昭和11年)狭軌(1,067mm)に改軌。1954年(昭和29年)中部電力の専用鉄道として大井川ダム0堂平(井川から分岐する貨物線の終点・現在休止中)間運行開始。1959年(昭和34年)中部電力専用鉄道を大井川鉄道が引き継ぎ大井川鐵道井川線として旅客営業を開始。1990年(平成2年)アプトいちしろ0接岨峡温泉が新線に変更、アプトいちしろ0長島ダム間がアプト式で電化。

千頭0井川間25.5km、起終点を含む14駅があります。トンネル61箇所、橋梁55箇所。全線の3分の1がトンネルと橋梁です。

筆者は、2014年9月6日に井川線を訪れましたが、その4日前に閑蔵駅南600mで崩土が発生し接岨峡温泉0井川間が不通になってしまいました。2017年3月にこの区間が復旧して、ようやく2018年4月2日に再訪しています。

NHKの放送で見たこの井川線は面白い、番組としてもうまく作っている
温泉があり宿がありそこが駅になっていて昔の古い駅のままであり切符を売っている
昔はあんなふうだったなと見る

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それから土本駅は土本という姓の家が3軒ほどあって駅の名になった
それは常磐線の末続駅がそうである
そこの墓地をみたら8割は新妻姓だったのである、新妻一族の村だった
でもその数は多い、土本は三軒とかなると少ない

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それから閑蔵駅ではばあちゃんが特産のニンニクの井川大蒜とかを作っていてそれを店で作り売っている
こんな山奥になると米がとれないから稗を作り饅頭にしていた
蒜とはニンニクであり仙石線に野蒜駅があったからここでも食料としていた
何かそれもここでは滋養があり体にいいと見た、山奥では米がとれない飢饉のとき山には食べ物があり助かったということはこうした稗とか食べていたからなのか、それて江戸では江戸煩いといって脚気になり死んだ人がいる
それは稗などを食べないでビタミンB1で死んだのである
だから山にはかえって滋養があるものが食べ物がある、山芋とかそうである、山には山の幸がある 
つまり山には様々な種類のものがとれていたからそういう偏って食でかえって病気にならなかったともなる
ただ今は山の暮らしがわからなくなった、何か過疎地で貧しいということしか頭に浮かばなくなったのである  

それ以外ではここ井川で育て続けられている在来種の野菜が多くあります、井川ニラやおらんどと言うジャガイモ、からし菜、2段葱、小さなニンニク井川大蒜、特にこの大蒜はニンニクらしさがしっかり香り、火を入れると口に美味しさの広がる特長があります、他にも韮は味が濃く生で食べても辛味の強さよりも甘味を多く感じました。
このような在来種多くは代々この土地で育てて来た野菜で、地域の伝統行事や食文化と密接な関係があります。


 五月の節句には、ホモロコシの粉で柏餅を作ります。柏餅といっても、標高の高い井川では、この時期カシワの葉がまだ小さいために、ホオの葉が使われます。
そのほかホモロコシの団子を、季節の野菜とともに味噌仕立ての汁で煮る汁煮団子もよく食べられていました。
   
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    在来作物

 ここに井川産のものがこれだけあることはここが貴重な場所だったことがわかる、閉ざされていてかえって種が保存されたという、雑種にならなかったということなのか?山には山の幸があった 
ただ井川線で肥料も運んでいたというからどうしても肥料は不足になることがわかる


静岡県川根本町の地名

かんぞう

閑蔵

くわのみ

桑之実

こざるごう

小猿郷

やまいぬだん

山犬段

そばつぶやま

蕎麦粒山


この閑蔵(カンゾウ)は萱草なのか?当て字なのか、でもなぜ閑(ひま)な蔵にしたのか、何もない蔵なのか?
今は花を見ているけど昔は食料と薬としてみていた、花ばかり見ていたら生活できないからである
桑の実とかあるのもわかる、これは自生していてうまいのである、山犬とは狼のことである
蕎麦粒山とはまさにここで蕎麦を作っていた

いづれにしろ小海線でも山深く無人駅がありその前に数軒の家がありそこが駅のなかと思った
そういう駅がかえって記憶に残る、人で混雑した駅は忘れやすいのである
私はこうして電車の旅も長いから記憶の旅をつづけている
そことで問題になるのはいかに記憶されているかなのである
記憶していればまた記憶がよみがえり何かしら書いたり詩にできる、でも忘れるとできないのである
金谷から大井川線で千頭まで行ったことがある
そこから井川線があることは知らなかった、それはさらに奥だったのである

今回のNHKの番組は構成が良かった、やはり作り方で番組も相当違ったものになる、鉄道番組は多いが何か見慣れて飽きたともなるからだ
私は全国の鉄道にほとんど乗っている、それでこの番組で日高線のことを写していた、途中海の波で浸食されて鉄路が破壊された
それで復興できなくなっている、もう沿線の自治体で何億もかかるから無理だとしている
あそこはそうなるかもしれない、ただ様似は高山植物の宝庫だから貴重である、そこが終点だった

日高線終点なれやアポイ岳東菊(あづま)みて霧のかかれる

この山は必ず霧がかかる、小高い山でも高山植物の種類が多いから貴重である、ともかく私は本当に日本だったらたいがい行っている実際にその場を踏んでいることが貴重だった、だいたいその場所をイメージできるからである
そして記憶の旅をするときインタ−ネットが役に立つ、その場所が必ず写真入りで出ている
すると思い出すからである、この思い出すことが大事になっている、記憶から呼び出すことが仕事のようになっている
家族の介護でそういうことすらできなかった、なぜなら暇なく追われていたからである
今は介護もしていないのでこうして思い出す作業をして書いているのである

とにかく駅でも鉄道でも思い入れがある、だからこそ私の町の無人駅でボランティアなどを偶然にして駅や鉄道にかかわったことは貴重な体験だった
人間は思いというものが大事である、無人駅ではロボットでは情がない、人間は何事思いというものが生まれる
その思い大切なのである、なぜなら今になるともう人とは二度と会わないとかまた旅に行った場所にも二度行けないとかなった
特に外国に行くのはもうできないと思った、何か疲れてだめなのである、気力もないのである
だからこうして思い出す旅をしてその記憶をよみがえらせて書いているのである


2019年06月27日

無人駅化の問題の情報を集める (鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)


無人駅化の問題の情報を集める 

(鉄道に関する法律があり駅には個人でもかかわれる?)  

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ここの番組が無人駅化の問題を動画で要約している、これを見れば具体的に問題がわかる


始発から午前6時半まで駅員が対応せず、インターホンで対応する駅が広がっています。もしも転落や落下物などがあった場合、発見した乗客がインターホンで近くの駅に連絡をとり、駅員がいない場合は、そこから人が駆け付けるということになります。
埼玉県は、このインターホン対応駅名を把握していませんでした。私たちは独自に調査をし、JR武蔵野線、JR宇都宮線、高崎線の大宮以北、川越線など、相当数にインターホン対応の駅が広がっていることを確認しました。早朝無人化と言えるインターホン対応は中止し、駅員を配置すべきです。また、JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです

JRは更にインターホン対応駅を広げていく計画ですが、待ったをかけるべきです。企画財政部長の見解を求めます。交通政策基本法は「交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し、及び協働しつつ、行われなければならない」としております。法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです。企画財政部長の答弁を求めます。


 JR九州が3月のダイヤ改定に合わせて実施予定だった大分市内8駅の無人化について、日豊線の牧駅を除く7駅で先送りされることが15日、分かった。障害者や高齢者を中心に利用者からの反対意見が強く、このまま導入しても理解が得られないと判断したとみられる。    

 駅無人化は法に逆行


 首都圏の駅にもじわりと広がりを見せている。今年3月からは東船橋駅のほか、同じく総武線の下総中山駅や幕張本郷駅にも、早朝時間帯の完全無人化が導入された。無人化の決定に一律の基準はないようだが、これら3駅の1日の平均乗車人員は、下総中山と東船橋で各2万人程度、幕張本郷で約3万人(いずれも2017年度)の規模になる。

改札の部分的な無人化については、2013年度から23区内の駅にも導入されてきた。これらの駅では「駅遠隔操作システム」を活用。近隣の駅から券売機類を監視・操作し、客対応はインターホンを通じて行う仕組みだ。


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 2018年時点で約5万4000人と5年前と比べて4000人減少した
 そして大量退職を迎える55歳以上が4分の一をしめる 

 自動改札機というのは意外と高価で複雑で大掛かりなメカなので、どこにでもポンポン設置するというわけにはいかない。切符が詰まる等のトラブルが起きたときにどうするか、という問題もある。


1日の乗客が100人程度の駅にすら駅員を置けと?
たった100人のためですら1ヶ月15万円以上もの人件費を掛けろと?
この設定なら乗客一人あたり1500円以上の収入がないと見合わないね。 

これだけの情報があった

交通に関する施策の推進は、国、地方公共団体、交通関連事業者、交通施設の管理を行う者、住民その他の関係者が連携し
及び協働しつつ、行われなければならない

住民その他の関係者が連携し・・・ということはその自治体の住民がかかわることができる
何かJRが決めるものではなかった、住民であれば誰でもかかわれるのか?  
個人はだめなのか?そこには規定していない、こういう法律があるということも意外である

JRでは退職者が増えるとかしても補充しない、5万人から4万人になってもそれで間に合わせる、そのために自動化をすすめている
それは鉄道を利用する人が減っているからだ、地方の田舎の無人駅はそうであるからやむをえないのかとなる
でも都会の駅でも無人駅化しているのはなぜだろうとなる
それはJR全体で人を減らすことにして自動化を進めているからである、人手がたりなくなるしコストでもそうである
田舎だけの問題としてとらえていないのである

ただ無人化してインターホンで連絡しても隣の駅の人がかけつけてくることは鹿島駅ではない、水戸駅で一括管理するようになったからである、ただ水戸駅から連絡があれば原町駅でかけつけることはありうる
盲人の人が一人通勤していて原町駅の駅員が危険だからと呼び出されたことがあるからだ
今は駅の高校生の見守り役が案内していると思う、私がその人に盲人が来たとき教えたからである

ただインタホーンではわかりにくいことがあった、第一初めての人はどこにあるのかわからない
また会話するにもわかりにくいことがある、それで私が仲介して話して支持したのである
無人駅の問題は初めて利用する人がいるとき慣れていないから問題になる

無人駅を見ていて感じたことは何でも機械化自動化AI化とかの時代になるけどそれですべていいのか?

その問題を提起している、でもコストを抑えねばならない、働き手も少なくなるときどうして維持するのか?
それはJRだけの問題ではない利用者の問題でもある
JRでそれだけのサービスを要求するならもっと鉄道を利用してくれとか電車賃をあげるとかするとなる
特に国鉄から民営化したとサービスはコストでするとなったからである
誰がそのコストを負担するのかが問題になるからだ
ただ機械化自動化でもコストがかかっている、券売機を改札を自動化してスイカで無人でできるにしても故障したりすると業者にたのむ、定期的に点検しているしそこで金がかかる、つまり自動化機械化でも必ず保守点検に金がかかるのである
だからそうしたコストはいくら人を減らしてもかかるとなる

とにかく高齢化社会になると自動化しているとめんどうになりわからない、インタ−ネットを設置していてもわかりにくいとかなる
それはテレビで報道していた、それを駅で案内して自分も感じたからである
老人は人の案内がないとわからないのである、機械とかに弱いからである
つまり自動化機械化社会は高齢化社会に向かないのである、高齢者は障害者ともにている、障害者は人がいなくなると困るというときそうである、でも障害者のために社会があるのではない、そのコストを払う方になると大変になる
障害者とか福祉には限度がある、それだけの余裕がもう日本にはないのだから要求もできないとなる

法に基づき、鉄道を利用する住民が県やJRと協議のできる場を設置すべきです

こういっても個人では通用しない、無視される、商工会とかの団体で交渉しないと通用しないのである
せいぜい邪魔になるとかで排除されるだけになる
ただ南相馬市とJRで交渉して駅に高校生の見守り役を置いたのである
ただそれも駅の業務はしないという契約で置いた、それも理解できなかったがやはりコスト削減のためだったのだろう
商工会にゴミの処理を頼んでいる、そのためには金を払っているからである
また委託すればその分金を払うようになるから頼まないとなる
駅の高校生の見守り役は南相馬市の方でNPOに払っているからだ、JRはそのNPOには金は払っていないからである
  


駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)


駅に七夕の飾り(南相馬市(原町)ICにバスセンター)

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駅に幼稚園なのか保育所なのか七夕の飾り
アイスクリーム屋になりたいといのが短冊に三つあった
アイスクリームが食べておいしいから印象に残りそうなった
消防士になりたいとかもあった

ただ駅に電車を見に来る人がいた、孫を連れて来る人がいた
ただホームに入ると人がいなくても監視カメラが見ていて注意される
それがうるさいのだ、今は誰も見ていてないようで見ている
まず駅はつくづくうるさい場所なのである
だから今はかかわらない、昼間に高校生の見守り役がいないとき客と話ししたりするだけである

東北アクセスのバスセンターが常磐高速の入り口にできていた
そこにはコンビニがあり喫茶室がある
そこが休憩所になっている、それでコンビニでコーヒーを買ってそこでお菓子でも買って食べて休めるからいいと思った
でもあそこからバスに乗る人がいるのか?街からずっと離れているからである
原町の百円ショップでもコーヒーが飲めて百円の菓子を買って食べることができるのが便利である
喫茶店だとそうしして気軽には入れないからである

バスも双葉大熊間がバスで行くほかないからいわき市までバスで行くと便利である
またさくらバスは東京まで行く、予約制である
5000円とかで安いが時間的に疲れる、大きなバスではないからだ

なんか私は介護とかで疲れて遠くに行く気力がなくなった
だから介護になってからほとんど遠くに行っていない
仙台までも今年になって一回行ったのかそれもわからない
たいがい一か月に一回は行っていたけど行かないのである

老人になると遠くに行くのが億劫になる、人ごみとか乗り物でも疲れるのである
だから60まで海外でも行っていたのが良かった
もしそうしなかったら介護になって海外に行くことができなかったから大損失であり
知識でも発言することでも幼稚なものになって笑われていた
そして意外と人生は短い、またたくまに過ぎる
二度と旅もできなくなる、退職してから自由に旅しようとしてもそこに思いがけないことが起きてできなくなるときがある
人間には意外とそんなにチャンスが与えられていないし時間も限られているのだ

2019年06月18日

こ線橋の工事 (駅の見守り役に駅の業務はしないと契約したのはJRで金をはらいたくないため)


こ線橋の工事

(駅の見守り役に駅の業務はしないと契約したのはJRで金をはらいたくないため)

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これも相当に古い、屋根が錆びついていた



こ線橋の屋根の修理である、写真でし見たら錆びていた
ここに注目している人はいない
ただ写真をとって見たら気づいた
これも相当古くなっていたのである

とにかく鉄道は毎日の用地ユニオンなどが点検している何か仕事しているのである
そういう人に金を払うからJRでは金を使う
それだけ鉄道というのは金がかかる、そのインフラを維持するのに金がかかる
道路よりかかるのかもしれない、電気系統もあるからかかる

それでわかったことは

なぜJRでは駅の見守り役に駅の業務をしないとして南相馬市が委託したNPOと契約したのか?

これがわからないことだったがやはりJRとしては節約して金を払いたくないからだった
業務を委託すれば金を払わざるを得ないからだ
駅前の自転車屋に駅の前で頼むにはいいとしても金を払うのが嫌で頼まないのかともなるただ商工会には掃除を頼んでいるからJRで金を払っているのである
それはやむをえずそうしているとなる

鉄道はとにかく整備するだけで金がかかる、今の利用数では維持できないとなる
昼間などを見れば本当に乗っている人が少ないからである
その割には鉄道を維持するには金がかかりすぎるのである

常磐高速のSAだと掃除する人だけで二人の女性を雇っていることでもわかる
それだけの差がある、駅前のトイレの掃除はあさがおが障害者施設の人が毎日掃除している、それも市の方で払っている、そうしないと駅自体が維持できないのである

前の駐車場は一台だけが遠くの人が泊まる場だが後はそこにとめるのは契約した人だったらしい、遠くから来てとめる人は少ないからかもしれない、でも一台でまにあうのかともなる

いづれにしろ今は昼間は遠くから来た人の案内はたまにすることがあるが地元の案内はしない、地元でわかっているからである
それで駅に来たのではないが駅前に車が来てあそこの豆腐がうまかったからその豆腐屋はどこかと聞いてきた、それは30年前とかの話である
その豆腐屋は知っていたから教えたけどなんでそんなことのために聞いたのか来たのか良くわからなかった、ただ駅前にはこうして鉄道を利用しない人が結構来るのである
やはりこの街の中心と思うから来ている、それで案内が必要になるときがある


2019年06月13日

駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違


駅の短歌(常磐高速のSAと鉄道の駅(日立木駅)の相違

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日立木駅

ここにも引き込み線があって荷物を運んでいた



駅前につつじの咲くや今日もまたここに来たりて電車行き来す

藤の花たれてあわれや日立木駅なかなかに来ぬ電車待つかな

日立木の駅前の畑耕しぬ女(ひと)のありしも電車来ぬかな 


何か駅には人間的なものを感じる、今は常磐高速のSAにも行く、そことの人の出入りは百倍なのか千倍なのかそれだけの差がある
それでトイレだけ掃除するのには女性が二人働いているとか掃除専用の人でも働いている20人くらい働いているのか?

そこの経営者と親しい人がいて老人だけど4時間くらい働いている
いつもは何に水やりしている、花だけでも多いから水やるのが大変なのである
駅でも花を置いてあるが商工会とか前の自転車屋で水やりしていた

私は駅での案内はやめた、とにかくJRとか駅長でも目障りにされてうるさいのである
もしかしたら警察に通報したのは駅長かもしれないとまで思う
あいつをなんとか排除したいと見ている

それで自分で刷った時刻表を置いた時、ルールが置けないと断られた
でもばあちゃんが自分の刷った時刻表をもっていた、駅には小さな字が見えないような時刻表は措いてるが大きな文字の時刻表は置いてないからである
それを大事そうにもっていたのである
でも時刻表は配られていたのである、自分自身それをもっているからである
ただそれをわからなかったという人もいた
最近新聞をとってないから折込みの広告見ていないから問題だとは思った
新聞は新聞より折込みの広告などが重要な場合があるからだ

まず常磐高速では鹿島の街に来る人はほとんどいないだろう
それで観光のために真野ダムの方にサイクリングするとかの用意をするとかあった
でもまだしていない
ただ休憩のためにあそこは人は必ずよるのである、ここで休憩をとらないと四ツ倉の方になり遠いからである

私は鉄道の旅が長いから愛着がある、日立木駅は本当の無人駅である、一日の乗降客が何十人になるのか?駅には防犯カメラもない、本当に無人駅なのである
駅前には何もない、それで駅が壊されたのである
ほとんど人が出入りしないからそうなったのである
まず駅の中まで壊されることはありえないからだ、それだけ人の出入りがない無人駅なのである

そこで電車を来るの待っていた、藤の花たれてなかなか電車は来ない
畑を耕す婦人が見える、何かこういう無人駅でも鉄道マニア来たりするかもしれない
いつでもあそこで乗ったり降りたりするのは一人か二人なのである
それでも駅には何か人間的なものを感じるのである
それだけ鉄道の歴史が長いことにもある、百年以上とかあるからだ
そこで人間の生活が積み重ねられてきたからである

タグ:日立木駅

2019年05月09日

なぜ駅の高校生の見守り役が駅の業務をしないと契約したのか? (専門以外の人が立ち入ることを嫌っていたから?)


 なぜ駅の高校生の見守り役が駅の業務をしないと契約したのか?

 (専門以外の人が立ち入ることを嫌っていたから?)

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こういう契約がどうして結ばれたのか?
それが理解できなかった  
これを契約条項に持ち出したのは誰なのか?どういうわけでそうなったのか?
これはJRの方で駅の業務はしないようにと市側ので認めたNPOに提示して決めたのではないか?その経過がわからないにしてもNPOが提示したのではないだろう
JRでそう提示してNPOは受け入れたのではないか?

なぜそう思ったかというとJRとかでも外部の人が勝手に立ち入ることを嫌うのである
駅の業務に立ち入れさせたくないのである
でもわからないのは他ではかえって駅の業務を委託している
それも危険なことも委託している
それはコスト削減のためにそうしている
こういうふうに正式にJRと民間が契約してならいいとなるのか?
それはJRでそういうふうに認めているからである
それで安全管理ができなくなるから労働組合では反対している

だから危険でもない「駅の業務をしない」という契約をしたのだろうか?
委託すると金がかかるからなのだろうか?
この辺のことがわかりにくいのである
まず駅で乗客の案内をしても危険なことはないからである

おそらく自分の場合は許可もされていないで勝手にしていたからJRで嫌い立ち入らないようにとしたとなる
何かそのことがわからないのである
役所仕事としてここでもある、私の部署ではないので他の人に聞いてくださいとかなる
それが現代社会である
つまり〈私たちは高校生の見守り役以外はしません、そうJRと契約していますから」とかなる
それで駅前の自転車屋でもいつも見ているから木が枯れたから水をやるとかしてもいい
それが人間の務めだと言っていた
今の社会は部分化専門化してその部分しかしない、そして無数の部分の仕事に分化しているのである、それで全体を知る人は誰もいないのである
まず全体を知り得ようがないのである

こういうことは別にここだけではない、役所でもそうだがどこでもそうなのである
無数に分化された社会であり専門化された社会だからである
原発でもそこは専門家しか立ち入ることはできない、そして誰も全体を知るものはなかった、吉田所長すら肝心の復水器について知らなかった
なぜなら私は資材部門だったからと言っていたからである
また社長でも会社全体を知る人はいないのである、何か一つの専門に詳しくてもあらゆることに詳しい人はいないしなりえようがないからだ

例えば原発では千人の電気仕事をする関係者がいた、配管の仕事をする人もいた
だからその人たちは実はこれは危ないとか現場で仕事して知っていたのである
では所長であれ幹部であれ上の人はそうした細部のことを知っているかというと知らないのである、いくら技術者として優秀でももう全部を知る人などいないのである
そんなことができるのは神だともなってしまうのが今の社会なのである

だから駅で勝手にボランティアしてなぜ仙台行きと原町行きのホームがほからないのが不思議だった、そんなことが当たり前であり誰でも知っていると思ったからである
ところが遠くから来る人はそれがわからないのである
それでその表示をするようにしたかしたのである
つまり上の人はすべてを知っているわけではないのである
だから原発では電気関係者が千人も働いていたということはそれだけ複雑なものが原発
だった、そしてその電気関係者はどこが危険が知っていたが上の人はそれを認めなかった上の人には何も言えない、もし逆らうというと会社自体がつぶされる
東電の命令は絶対だと言っていたからである

いづれにしろ現代文明社会はこうして原発事故でもそうだが破綻してゆるのではないか?ナチスがなぜ起きたのか?それはこうして専門家して無数に部分化した社会をまとめるために起きたとしている人もいる
つまり一つになるにはハイルヒットラーが一番わかり安いからである
カルト教団でもそうである、そこではめんどうな教義はどうでもいい、大衆がてっとりばやくわかることがいい、それで題目を唱えていればすべて解決するというのが一番いいとなるのだ、教える人も楽なのである、それで一日中題目を唱えている人がいたのである
そんなことしたって解決するわけがないのにもそれがわかりやすいからそうなるのであるナムナムとひたすら唱えることがわかりやすいからである

そしてなぜボランティアが難しいのか?
ボランティアがなぜ嫌われるのか?
それは専門化部分化した社会では私が駅にたまたま無人駅化したから勝手に駅員のようなことをして嫌われたと同じなのである
そうした専門化した部分化した仕事では第三者は素人は入りこめないのである

「お前はなんの権限があってしているのだ」
「そこは俺たちの会社の組織の許可がなければ入れない」

これはどこでもそうなっているのである、特に原発とかなると国がかかわっているから余計にそうなっているのだ、第三者は入り込めないのである
すると内部は秘密のベールに覆われているし知り得ようがない
そこから今回のような大事故になったのである
それがこれからも今の文明社会で起きてくる、全体を知る人などいない
部分部分で仕事していて他のことはわからないし立ち入ることもできないからである

ボランティアは何かそうしした専門家ではない、だから専門的に仕事している人がそうした何も知らない素人を入れるのは嫌うのである
それは一万くらいの町でもこの町がどういうふうになっているのか?
それもグローバル化とも関係してわからないのである
だから昨日は会社で働いていた人の話を聞いてそんな人がいたのかと知ったのである
その人はすでに40年前とかに海外旅行にヨ−ロッパまで行っていたことに驚いた
円がどるで240円の時だったからである
こうしてつくづく身近でもどういう人がいるかわからないのである

昨日また会った人はネパールの若い女性である、前も黒い顔の女性が二人いたからスリランカかと思った、それもネパールの女性だった、この辺では福装の裁縫会社で働いている女性が多いからである
グロ−バル化することでもさらに複雑になっているのが今の社会なのである
つまり一万の町ですらいかに複雑になってどう動いているのかなどわからてい
実際に隣の人が何をしていのかも未だにわからないことがあるのだ
田舎だからそんなことがないと思うがある、そういう社会なのである
だからボランティアというのは何か得たいの知れないものと現代では成り安いのである
なぜならみんな専門部門で仕事していて何かフリーのボランティアは何する人だとなってしうまからである

奇妙なのはだから全体を生きようとするものはアウトサイダーになるほかないとかなる
つまり無職になる他ないとなる、無職は専門家にならない、素人だけであらゆることにかかわるからだともなりそれも逆説だとはなる
ただはっきり言えることはこうして素人の外部のものを立ち入れさせないと会社でもどこでも内部だけでしかわからなくなりそこで原発事故のような破局的なことが起きてくる
原発が素人などわかないから知らせることも見せることも許可されない
でも原発でも科学者でなくてもわかることはありえたのである
原発は別に核分裂して熱をたして蒸気で電気を起こしているからである
それは蒸気機関車でもそうでありその基本的原理はわかることなのである
核のことはわからないにしてもそういう原理はわかるのである

ともかく無人駅でボランティアして社会が見えることがあったのは不思議だった
第一ここでこんなにいろいろな問題があると思わなかったからである
それじ社会勉強にはなったとなる
郷土史研究というときそれは総合的なものであり町でも歴史から地理からあらゆることを全体的に見る作業だからである、その一つに駅があったということなのである




2019年05月08日

「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる  2015年4月より「業務委託駅における業務の委託範囲拡大」が実施された。


「安全の要」である駅業務の外注化は鉄道の安全を崩壊させる

  2015年4月より「業務委託駅における業務の委託範囲拡大」が実施された。

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  人身事故などが発生し輸送障害が起こった場合、今までは最終的な安全確認は管理駅社員(JR社員)が行っているものを、業務委託駅社員が行うことができるというものだまた、列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。
  
  つまり、駅における安全の確保に関してJRが全く責任を取らなくなるということだ。
  この攻撃に真正面から立ち向かい、職場から、「鉄道業務の外注化反対!」「乗務員勤務制度改悪反対!」「分社化・転籍反対!」の怒りの声を組織しよう。
  
  
これも何なのだろうか? 

業務委託駅社員にまかせる→コスト削減→安全が損なわれる

駅の機械化自動化→コスト削減→サービス低下

何か大きな都会の駅でも機械化自動化している、委託業務というのは駅の業務を委託することである、無人駅では管理することをまかせる
それは一日一回見回りしているだけである、でも一応管理を委託している

その駅の委託業務の範囲を広げる→安全が損なわれる

それで組合が反対している
でもなぜ鹿島駅では無人化したか駅の見守り役は置いたの高校生の見守りということで駅の業務はしないという約束でしたのである 

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務についても、業務委託駅社員が自らの判断で復帰扱いを行い、管理駅に事後報告する。

これはとかなり専門的になるから危険なことは確かである
でもなぜそんなことまでまかすのか?
私はそんなことをまかせられない、駅でボランティアで時間とかその他案内しただけで嫌がられ拒否されたからである
別に無料でしているからコストとは関係ないのである
だからJRではただ素人の人がJRの職員でないものが入ってきて何かされるのを嫌がってそうしているのかと思った

でもここではJRではコスト削減のために危険な専門的な仕事まで委託業務する

これも何かなのかわからなくなった
結局JRでは経営が苦しいから委託業務する、JRの正社員でするとコストがかかるからだとなる、JRではなるべく正社員を減らして委託業務してコスト削減するとなるのか?

何かそういうことは日本全体に起きている、正社員になれない非正規社員が膨大なのである、一千万とか二千万とか非正規の時給労働者となっているのは本当に異常だと思う
それからグローバル化して外国人労働者が大量に入ってくるとますます底辺労働者は賃金が低くおさえられるのである
それで絶望を語っている底辺労働者がyoutubeにいた

でもここで起きていることはなになのか?

JRではコスト削減しろ

●危険なことでも委託業務させてコストをおさえろ

●機械化自動化AI化してコストをおさえろ

何かこういうことなのだろう
ではなぜ駅の見守り役には委託業務させないのか?
これもコスト削減であり委託業務させない、させるとコストがかかるからなのか?

でもわからないのは危険な仕事まで委託業務させているのである
この辺の理由がわかりにくい

ただ確かなことはJRではコスト削減のために委託業務と自動化機械化AI化している
委託業務でもコストがかかる場合はしない、それが鹿島駅の無人駅の高校生の見守り役だったのだろうか?
私が勝手に駅員のようなことをしたことを拒否したのはなぜなのか?
別に危険なことではない、それよりもこれは危険である

列車非常停止警報装置の復帰扱い業務

そういうことまで委託業務している、確かに危険なのにさせているのは何なのだろうとなる

そしてJRでは責任はない、委託業務者にあるとしている!

自動化機械化AI化すれば責任はJRにはない!

それは乗客にある、自己責任だとなるのか?

実際に駅員がいないのだから人間がいないのだから責任はないとなるのか?
機械とかAIはロボットは責任をとれないからである

これも何か変なことであり何か問題が起きる、その時どう対処されるのか?
法律的にどうなるのか?それは自動車の自動化とか他にもAI化で無人化される店とかいろいろな分野で起きてくる問題である
責任をとるものは誰なのか?機械やAIやロボットには責任はとれないからだ
結局責任は人間がとるほかないからである

いづれにしろ無人駅問題からこれだけいろいろなことがあり波及するとは思わなかった
とすると様々な現場で報告することはささいな場所でもありうる
ただ今までのマスコミでは報道されないだけだったのである
この報道にしてもマスコミでは取り上げないからだ
ただ無人駅を面白がってとりあげる放送はある、秘境駅とかである
でも現実の鉄道に関するこのような問題はとりあげないし追及していないのである
だから現場からインタ−ネットではいろいろなことを追求するようになる

それで「底辺労働者」についての深刻の訴えに同情したともなる

Love & Freedom「底辺労働者」が現実を生々しく体験から報告している(youtube)

こういうことはマスコミでとりあげない、報告されない、だから報道も変わったことを意識したのである

コスト削減はJRだけでない、底辺労働者が増えたのは会社のコスト削減のためである
東電でもコスト削減した結果として原発事故が起きた
社長でもコストカッターとして知られていたのである
結果として安全が無視され大事故になった
何か社会でも共通した問題がある、それで一番わかりやすいのコストカット、削減のために会社が賃金とか安全にかかる費用を削減する、それはグローバル競争にさらされているからそうなる
また日本が経済が停滞して貧困化しいるからだともなる、会社に余裕がないからそうなる
また鉄道は利用しなくなったからそれで収入が減ったからだともなる
そこに現代の様々な問題が鉄道をとってもあり無人駅から見えたとなる










ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている (日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)


ヨ−ロッパの鉄道は自己責任社会に基づいている

(日本でも無人駅は自己責任である、責任をとる駅員がいないから?)

駅の近くに大きなホテルがあり、そこで日帰り湯に入るためにこの駅で下車しました。駅舎もなくホームに直接出入りすることが出来ます。ホームには、待合所があるだけの本当に質素な駅です。

駅などで発券する長方形の切符の場合は、列車に乗る前に改札印を入れる「コンポスタージュ(Compostage)」が必要なことが多いです。「必要ない」と書かれている切符もありますが、すべては仏語で書かれているため、とりあえず乗車前に刻印しておきましょう。  
切符を買う時間がないからと、飛び乗りで乗車すると、車掌から切符を買う際に通常の数倍の車内乗車料金を請求されます。

私がなぜ無人駅で駅員のようなことをしていたのか?
それは自分自身が鉄道旅行が好きで日本全国を鉄道で回ったからである
ヨ−ロッパで鉄道に乗ったし中国でも乗った、アメリカでも乗ったからである
つまりそれだけ鉄道には世話になったとなるからだ

確かにヨ−ロッパでは刻印しないで乗ると馬鹿高い罰金がとられるとかあった
私はしなかった時外国旅行者ということで許されたのである
本当は許されない、ヨ−ロッパの鉄道は日本とはシステムでもかなり違っている
それも20年前だから今は違っているようだ

つまりホームまで自由に出入りできるとか自由があったのはやはり自己責任社会だっからなのかとなる、刻印しないと罰金がとられるというのもそうである
ただ日本でも今では駅員がいていない所は自己責任なのである
駅員が教えてくれないからである、そこに問題が生まれることは延々書いてきた

ただ無人駅では自由にホームに出入りできるのが多い、第一駅員がいないのだからそうなる、監視カメラがあってもわからないし注意されないからである
日立木駅をみればわかる、誰も見ていないから待合室の壁が壊されたのである
あそこでは自由に出入りしても誰も見ていないしわからないのである

いづれにしろ日本の駅がうるさいくらい危険ですからとか電車がいちいち来ることでアナウンスする、そういうことがヨ−ロッパの鉄道では一切ない
そこは文化の相違なのだろう、ヨ−ロッパは自己責任社会だから危険は自分でさけてください、それで事故が起きても鉄道会社では一切責任はとりませんとなる

でも不思議なのは自動化機械化するとすでに自己責任なのである
JRでは自動化して乗客が困らないように便宜を図っています、それで何かあったら自己責任ですとなる、駅員がいると責任が駅員からJRになるからだ
だから駅の見守り役でも駅員がいる切符売り場だったところにいるから駅員だと乗客は思ってしまうから駅の業務はしないという訳にいかなくなるのである

いづれにしろもう鹿島駅は無人駅ではないと思う
朝と2時半ころは高校生の見守り役として駅員がいるとなる
昼間は確かにいないがそれだけの時間が駅員がいるとなるからだ
とすると駅員と思い駅の業務をするようになる、あそこにいるとわからないと必ず聞かれるからである、それで私たちは駅の業務はしないですとは言えない状態になっているからだ

ただ駅の業務をしないとういのはJRで責任をとりたくないからなのだろう
でも自分自身は駅の業務をしていたのである
JRの許可もなくしていたのである、それは乗客に聞かれたからそうなった
でも別に自分はJRから頼まれたわけでもないし委託された駅員でもないのである
だから本当は駅の業務はしてならないものだったのかとなる
ただ駅の外での案内などは自由である、そこは駅の管轄にないからである

とにかくここたけではない、会社員でないのものが勝手に会社の仕事などできないだろう、かかわることもできないだろう、仲間で組織で仕事しているからである
そういうふうにして外部の者は会社とかの内部には入れない
原発でも確かに仕事で入る人がいても厳重に管理されている、許可がなければ何もできないからである、そういうことはわかる
ただ私がしたことは別に危険なことでもない、あそこで駅の業務といってもそんなに危険なことはないのである 
のでも何かJRからするとしてもらいたくないということがあった

それは組織で仲間で仕事しているので関係ない第三者に入ってもらいたくないのということはあった
ただ駅はJRだけでなく地元の市民でも遠くの人でもみんなかかわっている
それは実際は人間は会社にしてもなんでも公共のためにある
公共善のためにあるとかなる、だから会社でも悪いことをしたりするから原発でも外部の第三者の監視が必要だったのである
それが原発になると絶対にできない、それが大事故につながったのである

つまり社会でも公共善とかのためにみんながかかわる、知るということも大事である
そこで知らされないと何もわからないからである、そして国民のためにもならないからである、そこに報道の役割があったのかとなる
無人駅の問題を追求したが無人駅はそういうことだったのかと考える人も関心を持つ人もでてくる、ただ鉄道はマニアのようにな人が関心をもっているが今は乗る人が少ないから関心がないことが問題なのである



2019年05月07日

なぜ日本の駅はホームに勝手に入れないのか? (自己責任社会ではないから?すでに駅の見守り役は駅の業務をしている)


なぜ日本の駅はホームに勝手に入れないのか?

(自己責任社会ではないから?すでに駅の見守り役は駅の業務をしている)

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ヨ−ロッパの鉄道だと自由にホームにできたり自転車をそのまま電車の後部にのせたりできる、そういうふうに作られている
それがうらやましいと見た
日本ではそのホームに勝手に入れないのか?
私はただ無人駅になっていたから入ったのである
でもやはり無人駅だから勝手にホームに入って送別する人がいた
それは駅員がいないからそうなっていたのである
それも便利だと思った

でも今は高校生の見守役がいるようになったから駅員と見るからできなくなったかもしれない、自分の場合はもともと嫌がられていたからそうなった
そもそもヨ−ロッパの駅ではあんなに駅のホームに自由に出入りできるのか?
そうなると危険にもなる、事故にもなる
日本ではうるさいくらい電車がきましたから気をつけてください案内する
ヨ−ロッパの鉄道ではしないのである
それも不思議だと思う

日本はなにかやとうるさい、干渉する、それは後で事故が起きたりすると責任が問われるからなのかもしれない、それで駅の業務をしないとJRと契約したのはそのためなのだろうでも駅は無人化してヨ−ロッパの駅と同じになっていたのである
誰も見ていないから自由に出入りする人がいて当然だからである
ただ監視カメラは見ていたからそれで見守り役が入るなと注意した
でもその高校生の見守り役は契約では駅の業務をしないとなっていたのである
ただ最近は案内したし駅のホームに入って盲人を導いた時まねてしたのである
だからこれはどうなったのか?
駅の業務もするよようになったのか?
すでにしている、ホームに入るなというときJRの命令で駅員のようになり言ったからである、つまり見守り役でも駅長の命令がありそれに従ったのだから駅の業務をしていることにもなる

いづれにしろ今は確実に駅の業務をしているのである、だから契約とは違っている
すると駅の業務をするから責任も生じてくるのか?
もう無人駅ではない、駅員がいてホームに入るなとか命令できるからである
駅員の役割をしているのだから契約は無効になる
つまり駅の見守り役は駅の業務をする、だから乗客にいろいろ聞かれたら案内する義務も生じるし責任も生じるとなるのか?
これは法律問題である、法律も責任問題がありそれを追求しているのかもしれない
何でも法律では条項では責任をとりませんとういことがうるさいくらい書いてあるし
そして保険とかでは小さな文字で書いてあってわからない
後でそれを証拠しにて責任をとりませんとなっているのである
責任を恐れるから最初の契約は駅の業務をしないとししていたのである
ただ駅の業務をすでにしているとなるとどうなるのか?
駅員として義務を果たせとなるのか?その結果には責任をとれともなるのか?

こんなことくどくど追求するのも何なのだが何かこれが法律なのかとなる

駅の業務はしません、駅のことに関しては責任はとりません

駅の業務は実際している その責任はどうなるのか?

JRとの契約を駅の業務をしたことで破ったのか?その破った方に責任があるとなる
JRは何かあっても関係ないとなるのか?

いづれにしろJRは駅の見守役はどうしても駅の業務にかかわらざるをえないからそうさせるべきである、ただそうなると駅の業務をするということでJRはその負担をしなければならなくなるかもしれない、現実にも駅の業務をしているからである
だから乗客に何か聞かれたら答えていたしすでにしているのである

そこで何が問題が起きたら事故でも起きたらどうなるのか?

だからそもそも駅の業務をしないとしたのが辻褄が合わないものだった
だってあそこにいれば駅の業務をぜざるをえないからである
ただ奇妙なのは自分が勝手にボランティアで駅の案内とか業務を駅の駅舎内でしていたことはするなと命令されたとはなる

いづれにしろ駅の業務はしますと書いていた方がいい
その方がすっきりする、それで別に事故が起きることもないと思うからである
現実にもう駅の業務をしているからである
それはJRでもそうさせるよになったのだから駅員としても扱うべきだともなる
そうしたくないとしてもそうしているからである
私はボランティアでそうしていたが断ることはできたし禁止できた
でもあそこの駅の見守役は市とも提携してしているからあそこにいることを拒否できないのである、拒否できないというより駅の業務をしないということでJRで契約したからである
ただ駅の業務をしているのだから契約違反だと今度はなる
それなら駅の見守り役にそのことを注意すべきだとなる
駅のホームに入るなと駅長が直接言うべきだとなる

ともかくなんか法律だとめんどうになる、それはなぜそうなるのか?
責任問題になったときやっかいだから事前に法律で決める
それで条文を作りそれを証拠として責任をとらないようにするとなる

駅の業務はしない→すでに駅の業務はしている →法律違反

駅の業務はする→JRにも責任がある→駅員と同じになるから・・・・・

まあややこしくなるが法律も詭弁だとなるがそういうことにはなる

駅の見守り役は鹿島の人がするべき? (なぜ相馬市とか原町の人がしているのか?)


駅の見守り役は鹿島の人がするべき?

(なぜ相馬市とか原町の人がしているのか?)


これも疑問なのである、相馬市の人もnpoに参加してしている
でも鹿島駅なら鹿島の人が見守りするのにふさわしくないか?
だってここにいつも住んでいみているからである
原町だったら原町の地域がありそこでボランティアする
現実に原町には制服を着た駅の案内役がいたけどその人は原町の人だったからである
もしそこに相馬市の人とか鹿島の人がいたら違和感が生まれる
そこまでこだわらなくてもいいにしろ本来は地域の人の見守りだったらそうなる
時々鹿島の駐在所のパトカーが駅を見守りしている
それは高校生の犯罪が起きたことがあったからだ
警官でも管轄地域がありそこで安全パトロールししているからである
そしてなぜ南相馬市ならいいが相馬市の人がきて南相馬市の役所で税金を払ってみてもらっているのか?
何かそれも疑問になる

こんなことくだくだ言うのもいやだがこれも市政とかと関係あるのかもしれない
だって高校生の見守りでもそれは地域と関係しているからである
だから鹿島の地域は鹿島の人が見守りするのが理にあっている
もちろん反論はあるしそれぞれの理屈は言えるからなんともいえない
でも市政の問題としてあるのはやはり市民の税金を使っているからだともなる
無料のボランティアだったら何も言わないだろう
ボランティアでも結局何か無責任なのである
別にしてもいいとかしなくてもいいとかなっているからだ
一旦金をもらうとなると人間社会は責任が生じるとなる
だから市役所の人でも大きくは政府でももともと国民の税金で運営しているのだからその責任があるから無駄に使うなと監視が厳しくなる
そういう責任も背負わされるとなる

でも駅の問題で複雑なのはそこには市民が関係していることである
JRだけでは運営できない、だからトイレは南相馬市で作り障害者施設の人が毎日ぴかぴかに磨いているのである
商工会ではJRから頼まれて一週間に一回くらいゴミ箱などの掃除をしている
それもJRでは金を払ってしているのである
全部こうして頼んだ所は金を払っているのである
ただその責任はゴミを片付けて掃除するというだけである
後は駅の業務とは関係ないのである

いづれにしろ駅のボランティアというと盲人とか障害者の補助とかが多い
それはやはり駅では困るからである、だからそこにボランティアの需要がある
無人駅で何か案内するとかは募集ししていないようだ
ただ無人駅でも一日一回回ってもらう管理する人は頼んでいる
そうなるとそういう人はいつも一日見ている駅前の自転車屋がふさわしいとなるのだ

考えてみると南相馬市では高校生の見守り役をとして金を払うようになったのか?
それは許可したのか?これも良くわからないのである
どういうプロセスでそうなったのかわからない
相馬市の人が人が入っているというのも何か南相馬市内ならそういうことはしないのではないか?
地域のボランティアだから地域の人がするのが合っているからだ
ボランティアでなくてもその地域に住んでいる人が見守り役には一番ふさわしいからだ

こんなことでも何か市政と関係していて具体的に政治と関係しているともなる
それは予算とか税金の使い道に一番関心があるからだとなる
予算を配分することに自治体でも一番関心がありまた国から配布される地方交付税に関心があるとなる、その予算を握るのが財務省だとかなるから国の力をそこで感じやすいとなるのである
ただ国というとあまりにも巨大すぎて理解できないのである
6万とかの自治体だと理解しやすいのである
だから政治の基本はそうした狭い範囲での民主主義が成長することだともなる
その手段としてインタ−ネットの活用がある
なぜなら誰もこんなこと取り上げないし関心もないからである
それでこれを読んだ人が関心をもつかもしれないからだ

ここにこういう問題が市の中でありますよと訴えることができる
ただ正直南相馬市内でも関心がないことは確かである
なぜなら車社会だからそもそも鉄道に関心がないからである
そこが最大の問題なのである、鉄道を利用する人が常磐高速の十分の一もないだろう
その差が大きすぎるから何かあってもほとんど関心がないのである
ただ三陸鉄道とかでは廃線になると町が廃れるとして運動になった
それは只見線でもそうである、存続するかしないかとかなって始めて全体の関心になる
普通は関心がないから問題にもならない気づかないのである

ただ小さな自治体でもいろいろな問題がある、それが報道されない
まず無人駅のことでこれだけ報道したということも意外だったのである
こんなところにこんな問題があり報道することがあったとは思わなかったからである
でもこれもやはり南相馬市の問題であり市政の問題だったのである

つまりインタ−ネット時代はこうしてその場その場で問題提起してそこにこういう問題があるということを知らせることができる
それで問題を共有するものとなる、ボランティア問題でも自分と全く同じ経験をした人がいたからである、なるほど同じだなと読んだからである
そういう問題の共感はインタ−ネットでしやすいということがある
ただそれにしても読まれるのが少数だからあまり影響はない
でもこういうことがやはりインタ−ネット時代の報道だったのかともなる
こんなことでこれだけ書いていることも不思議だったからである
報道そのものがインタ−ネットだと変わる
ただまだそれに気づいていない、でもテレビでは報道されないことが膨大にある
それが一応書いて知らせることができる、それはやはり何か時代の変化であり進歩なのかもしれない、マスコミからミニコミになるのか、そういう時代になったのである

善意でもボランティアはかえってむずかしかった (自分が感じたことと同じことがネットでも書いてあった)


善意でもボランティアはかえってむずかしかった

(自分が感じたことと同じことがネットでも書いてあった)

ボランティアで一所懸命 時間を費やしてやってきたことが、感謝どころか誤解を生み、なんだか人間関係に疲れました。 家族のことだけやってればよかった。すいません 愚痴です。 いやな思いをされた方はスルーしてください。

電車で座席を譲ろうとして「相手から年寄り扱いしないでくれ!」と怒られたりするなど、これまでの人生で経験したことがなかったのでしょうか。 
逆に、相手は良かれと思ってしたことがこちらにとって大迷惑、善意だとわかっているだけに余計困ったこととかありませんでしたか。 

私はボランティアはあくまでも自己満足の世界だと割り切って考えています。

幼稚園や小学校の役員を今まで引き受けたこと数回です。 
これも無報酬で、まるで通勤しているが如く園や学校に通っていたので 
立派にボランティアだと思いますが、感謝されるどころか 
文句の言われどおしだったことも、あります。 
先生に嫌がらせされたことも。 

一生懸命、やっているのに、 
空回りして、認めてもらえず、かえって悪意に受け取る人もいますしね・・・ 
空しさを覚えるときがありますよね。 


ボランティアはかえってむずかしい、例えそれは善意であれ無料であれむずかしい
そのことを体験から書いてきた、これと同じことを経験してここに書いてきた
そもそもなぜこうなるのか?
例えば私は苦しいです、助けてくださいと頼まれれば助けることがある
それで頼んだ人が何かと文句言うことはない、でも頼まないのにかかわればそんなことしてもらわなくてもいいのにうるさいとなるだけである

電車で座席を譲ろうとして「相手から年寄り扱いしないでくれ!」と怒られたりする

自分も案内してこういことがかなりあった、うざいとされるのである、スマホを見ているから必要ないともされる
つくづくここに書いてあるようなことがボランティアの人は経験しているのだ
善意があったとしてもそれを相手が認めるとは限らないのである
かえってうるさいとなったりうざいとなることがある

そして会社とかJRでもかかわっているとそれはさらにむずかしくなる
そこは会社の運営方針がありJRで認めない者は何もしてはいけない場だったのである
無人駅だから最初は困っている人がいたので自分は案内していた
それはそういうふうに自然になったとなる
困っているから教えたとなっただけである、それはそこが無人駅という特殊な場でそうなったのである
そこは本当は人が必要なのだけどコストがかかるからJRでは人を置かない
無人化する駅が増えてゆく

でも不思議なのは駅の見守り役は何なのだろうか?

ボランティアなのだろうか?

南相馬市とJRが契約してそこに高校生の見守り役限定として常駐させるようになった
それで自治体から金が払われている
金をもらっているとするとそれはボランティアなのだろうか?
市民の税金が払われている、それもわかりにくいのである
でもあそこにいる限り見守り役でも鉄道の案内役をさせられる、現実に駅の業務はしないとしても自分が教えたりまた案内もするようになったからである

つまり市民の税金をもらっているということですでに何らかの責任が生じているのか?

確かにしているとなる、ただその責任は高校生の見守り役というだけであり駅の業務はしないという限定責任なのである
でもあそこにいると必ず鉄道のことで聞かれるのである、駅員に見えるからである
服装でもそうである、駅員に見えるからだ、第一あそこは駅員がいる場所だからである

駅員に見えるから駅の案内してもらいたい、鉄道の案内をしてもらいたいとなる
現実に乗客は聞いているのである、それをしないというとき何なのだろうとなる
その駅員がいる場所にいるべきではないとなる
誤解されるからである
別に高校生の見守役だったらそこにいる必要もないのである
奥にも広い部屋があるからそこから見守っていればいいとなる、何の問題もないのである駅員のいる切符売り場にいるから鉄道のことで聞かれるのを避けることができないのである
そこにいなければ聞かれないのである                          

つまり駅員のようにしている、その場にいることが問題なのである

それは自分が駅員でもないのに駅員のようにふるまったことで注意されたと同じなのである
駅の案内もしないならそんな場所にいると誤解される、なぜ案内しないのだともなる
だからあそこの切符売り場にはいるべきではないとなる
自分もボランティに誤解されたようにである

お前らは駅とか鉄道にかかわらないならそんな誤解される場所にいるな!

こうなるのである、ホームに入るなというのもわかる
でもお前らもそんな誤解されるような場所にいるな、駅の業務にかかわらないとしたら
奥から高校生を見守っていればいいとなる
乗客とはかかわらない場所にいて見守りしていればいいのである

なぜお前らは金を自治体からもらっているのだ

高校生の見守りのためです

そうならそうでいい、切符売り場に駅員のようにしているな!

こうもなってしまうのである、なんかこんなに複雑になるとは思わなかったけど
これも社会勉強だったとはなる   
駅とはそれだけ公共的場だからである、JRだけのものでもない自治体もかかわり外部のものも関わる場だからである
それで駅構内はJRが管轄するから一切かかわるなというのも問題になる
何か悪いことをするなら別なのだけどみんながかかわる場所だからである

見守り役は市民全部ですること!

高校生の見守り役とういけどそこにいる周りの人も見守っているのではないか?
駅前の自転車屋は本当に一日中見守っているから一番詳しいのである
私は数十分くらいしかいない、毎日たちよるにしてもそうである、だから見守り役にはならない
そしたら自転車屋が見守り役に一番ふさわしいとなる
自治体からも金をもらってもいいともなる、現実にあそこの自転車屋が町の人が集まる場にもなっているからだ
その対応もいいのである、それでその人も見守り役に不満を言っていたことがわかるのである
JRの人は何も言ってこないとか、市の方でも何も言ってこないとか言ったいたからである
それは自分自身のことでもあてはまることだったのである
見守りとは本当は市民全部ですることである、誰か怪しいのか地元の人が見ていることである
それはあそこの駅の見守り役だけでたりることもないのである、安心感はあるにしても回り全部で見ていることが安心感につながるのである

いづれにしろボランティアは本当に自分だけではない、もう不可能なくらいむずかしい
だからこんなことでこだわってやるのが馬鹿らしいとなる
そんなこと誰も望んでいなとかなりかえって叱られたりうるさがられたりいろいろ拒否されたらやれないとなる
かえって何もしない方が楽である、第一できないのである

ただ駅の見守り役は限定にしろみんなの税金でしているのだから何らかの責任が生まれるもし誰かが子供が昼間でもいないときホームに入ってきて事故が起きたらどうするのか?

それは誰の責任になるのか?

無人駅の責任は誰にあるのか?監視カメラで見ていても注意できないからである
昼間は無人駅だけど常駐している人がいるのだからその見守り役でも責任が問われるかもしれないのだ、だから何か無人駅というのは不思議である
それはAI化とかでコンビニでも無人化するとかコストを減らすために無人化が増えてくるときこういうことと同じ問題が生まれることは確かである
そのことをまさに無人駅で体験して伝えたとなる
だから何らか自分の経験したことは将来のAI化とかの問題の参考になる
自分自身も何か社会勉強になったのである
社会というのは仕事をしてみないとわからないところなのである
それをしていなかったから自分には欠けるものがあった
社会とはこのように複雑なのである、責任とかも問われるし簡単にボランティアでもできない、おそらくそこには責任問題が生じるからだとなる
責任をとりたくないから駅の業務はしないとか契約している

でも何かあった場合、誰が責任とるのだろうか?
                                                      
無人駅だから責任はJRでもとる必要がない、責任は全部乗客にあるとなるのだろうか?
これも何かわからないことでありボランティアでも保険に入るとかしているのもそのためである
それだけめんどうになるとボランティアは簡単にできないとなる
だから自分の場合はただ駅で人と会ったり何か聞かれたらするとかそういう無難にしていることが得策だとなる
ただうるさがられて文句言われて警察にも通報されるとかそれしかなかったからである
こんなことまでしてやれる人はいないとなる
ただ無難に駅で人とあったり話したり聞かれたら案内するとか程度にする
駅構内では何もできない、監視カメラでも駅長とか見ているからである
それは警察と同じなのである、そういう場所だったのである

立派にボランティアだと思いますが、感謝されるどころか 
文句の言われどおしだったことも、あります。 
先生に嫌がらせされたことも。 

これと同じだった、案内してもうるさがれなぜお前はここにいるのだとかなり駅長はは嫌がらせをする
文句の言われどうおしだったこともそうである
感謝は案内した時あったから違っていたがそれは遠くから来た人たちでありその人たちはまた来ないから地元の人は何も認めていないのである

つまりお前はそんなことする必要がないとうい事なのである

誰も望んでいないことをしても嫌がられるだけで感謝はしない、遠くの人は感謝したとしても後は来ないからである
ただあそこの駅は親切だったとかになることはありうるがそれもわからない、みんな忘れるだろう
一時のことだからである
それで何ら認められることもなく嫌がられるだけだったとなれば誰もやらないとなる
だから頼まれないのにやることが問題なのである
道がわからないのですが教えてくださいと言えば教えるがこちらから教えるとなるとスマホでいいやとかなるから嫌がられるからしない方がいいとなるのだ