2017年05月30日

札幌から新幹線で来た年配の女性 新幹線ができて遠くから来る人が増えた


札幌から新幹線で来た年配の女性

新幹線ができて遠くから来る人が増えた

老いてきぬ鹿島駅かな恩あるとはるばる遠く暑き日なりしも


最初あったのは40代くらいの女性だったか、何か買いたいということで大岩菓子店によった、ちょうど留守でお菓子が買えなかった、何でも十三年前はそば屋もあり弁当も売っていたという、ええ、13年前はそうだったのか?
もっと前ならわかるけどそんなときまだソバ屋があり弁当売っていた?
そのソバはうまかったという、13年前というとそんなに昔のことではない
その頃まだ駅前に今と違って店があったとなるのか?
駅前ではコンビニとか何か軽いもの買う店がないことが問題なのである。
大岩菓子店だけであるが前にもその女性は買っていたのである。

もう一人の女性は杖ついて歩いていた、タクシーできた、墓参りに来たという
鹿島の親戚の人に戦時中なのか戦後なのか食料をもらって助かった
そのお礼にきて墓参りしにきたという、魚をとっている漁業関係者で魚ももらったのかもしれない、今頃世話になったときているのはよほど苦しいときで食料が貴重な時だったからだろう
自分の家の人にも戦後仙台に買い出しに行ったということは聞いている
その女性はこの辺に住んでいたのか、あとで北海道に移ったのか?
話す時間は短かった、すぐに電車が来たからである

ただつくづく駅にちょっとの間いてもいろいろな人が来ると思った
そこに駅の魅力がある、例えは会社でも学校であれ公務員であれみんな決まりきった人とつきあっている、農家でも農家の人とか他の人と接する機会がないのが現代である。
駅にはいろいろな人が一時でも交わるのである。
そういう場所は今はなかなかないだろう

その女性が札幌から足が悪くても来れたのは新幹線ができたからだとなる
それと常磐線が開通したので乗ってみたいと来る人も多い
だから仙台を往来する人が3倍に増えたのである。
新幹線効果が大きい、足が悪くてもここまで来れる
ただ函館まではいいにしてもそれから札幌まで遠い
自分も乗ったことがあるから遠いなという記憶がある。
函館までなら相当に近くなっていることは確かだがそれから札幌までとなるとやはり遠い
前も函館から来た人はいた、やはり新幹線にのって来てみたいという人がくる
新幹線効果というのは確かにローカル線でもある
新幹線とつながってローカル線も生きてくるからだ
新幹線の収入と他の駅の売店とかホテル経営で95パーセントの収入があり今回の常磐線の復興は400億円かかったがそれでまかなえたのである。
まずここのローカル線でそんな金が出せないからである。

駅からいろいろわかることがある、今日見たら燕が入ってきて糞をして壁とか汚れていたそれで巣を作れないように網をしたりした、あの被害は結構大きいかもしれない
ガラスだとふきとれるが壁だとふきとれないからだ
小さな駅でもなにかかにかある、自分が行っているのは一日の内一時間かくらいである。でも何かあるし用があることが不思議なのである。
全く用がないとつまらないともなるからだ。


タグ:札幌 新幹線

2017年05月24日

今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


これまで書いた今日の鹿島駅を新しいカテゴリーにまとめた
一月から5月まで書きつづけた
定点観測になった、これは日々変化することだからプログに向いていた
プログとはその日のことを報告することになる
すると日々変わる場で定点観測することに向いているのだ
だから地域地域で放送局になれるのがプログなのである。
それも南相馬市だって広いから鹿島駅を中心にした定点観測になる
他の人はまた別な定点観測の報告する
小高の人がしているが情報量が少ないのである。

駅というのは実際ボランティアしてみたら不思議な所だった
これは駅を利用する一乗客だったらわからないことだった
駅にいると今日も地元の知っている人が話しした、自分の母親のことを知っていた
そしてそのことを聞いてあの人は自分の母親のことを語ってくれたとなり親しみを覚えた
何か故郷とは親とか祖父母とも関係している場なのである。
誰か知っていて語ってくれるとうれしいとなる
誰も知らなくなったら淋しとなる、死者もそうして知る人がいて語ってくれるとここが故郷で母でも父でも生きた場所なんだなとなる
だから避難地域になったところでは墓参りするにしても知己もいなくなったりすると何か淋しいとなる
ただ墓だけが物のように残されているのが淋しいのである。
やはり人間は物だけではない、そこに物語ることがあると死んだ人も生きてくるのである。
だから歴史はHI-STORYなのである。

駅は意外と実際は活気がある場所だった、あそこは駅だけではない、車の駐車場として利用されている
トイレもきれいだし良く車で来る人が利用している
自分の母親を知っている人は孫の迎えるためにきていた、小学生が駅前に集まってくるのである。
だからいろいろな人が来るから活気がある場所なのである。

今日は自分のプログを読んでいた川崎の人が来たのもそうである。
自分はいつもいるわけではない、主に昼間に一時間とかいる
他の時間もいるがいつもいないのである。
その人は会って良かったと言っていた
そういう外部からの人も来て混じり合う場所なのである。

なんかあそこにいるとさびれた町にしても活気があるなと思う
一番人が集まるのは今はどこでもスーパーだけどあそこであまり人と話したりはしない
何か駅の不思議は人を迎えたり送ったり待ったりすることにある
それが人間的な場所を演出しているのである。
駅は駅前は広場になっているのだ、そういう場はなかなかない、そこで町に生きるものの活気を感じたのである。
淋しさをまぎらわすにはいいとなる、そこは何か人間臭い場所だったからである。

今は買物にしても何にしてもほとんど人と話もしないからである。
駅の特徴はまた多様な人が世代でも交わっているのである。
あそこは小学生が集まる、駅前で遊んだりもしている、だから子供から老人から外部の人も来てまじわる場所だったのてある。
そういう場所はなかなかない、確かにスーバーには町の人全員がきている感じにはなる
でもそこで何か多様な人がいるという感覚になれないのである。
大勢人が来ているなと感じるだけである。
おそらく駅は迎えたり見送りしたりするから違っているのだ
それが人間臭い情をかもしだす場にもなっているのだ、別れとか出会いを演出する場だから人間的なのである。
「元気でな」とか「また帰るのを待っているよ」とか親と子の出会いと別れがある
そういう場所は駅にしかない、道の駅ではそんな光景はあまりないだろう。
そういうふうにして人が集まるから違っているのだ




タグ:駅の不思議

今日の鹿島駅 (川崎市から来たボランティアと駅で会う)


今日の鹿島駅


川崎市から来たボランティアと駅で会う


今日駅で会ったのは地元の人だった、時々自分の家族のことを知っている人とあう。みんな死んだよという、あの人は顔は知っている、近くに住んでいた人である。
だから母親のことも知っている、何か駅はつくづく人が出会う場所である。
それは地元の人だった今はなかなか会う場所がない、すると今あの人はどうしているんだろうとなる、そしたら死んでいたよとかなる
もう誰なのかわからなくなっている人もいる、人も常に変わっているのである。
死ぬ人も増えてくるから余計にそうなる

今日もう一人あった人は川崎から来たボランティアの人だった
その人は自分のプログを読んで駅に来ていたのである。
プログを読んでいる人とじかに会うことはほとんどない
ただ最近駅のことを書いてここにいることを知って会いに来たのである。
原町の橋本町の墓地の近くに事務所がある、その橋本町には自分の母親の実家の墓があるだからあそこに入る所だろう。

川崎市というとき小田急線沿線で百合ヶ丘という所に下宿していた、S大学に通っていた
自分は大学でも問題起こしていたからあまり思い出したくないということもある
ただ自分は確かに川崎市にいたのである。
S大学(生田キャンパス)まで電車5分 新百合ヶ丘→これだった
向ヶ丘遊園地は有名である。百合ヶ丘という所の下宿だった、そこは結構田舎だったのである。回りに田んぼとか畑があったからだ、その様子も相当に変わっているだろう。
川崎市というときそういう因縁があったとなる
それにしてもあまりにも昔であり記憶が遠のいてしまった

ボランティアの人は川崎市の人である。年は自分より4,5歳年上だった
でも小高の人よりは若く見えた、その人は引っ越しの手伝いなどしているから力仕事をしている、でも結構その年では楽ではないとも思う
高速を使ってきている、ここまで来るのに費用がかかるといっていた。
自腹だとなると川崎からここまで往復するとなるとそれなりの費用がかかる
年金暮らしだからそんなに使えないというのもわかる

何でも南相馬市で飯館などで切った材木を燃やしているという、それも何なのだろう。
浪江で森林が燃えて放射性物質が拡散すると騒いだ、飯館村の木材は最初は3マイクロシーベルとあった。だから木材でも高いのである。その後は減った
樹皮に放射性物質が付着しているという、だからそういうものを燃やしていいのかという疑問はある、ただそうしたものでも処理しないと困るから燃やすのである。

それにしても74才くらいなると力仕事は結構きついように思う、ただまだそのくらいの年で農作業もしている人がいるからいろいろである。
そういう年でもやはりここまで来てボランティアしているのは熱意があるというか驚くということもある、この前の人は福岡県から来ていた、駅の前のホンダの車販売店に友達がいるということでここまできた、その後は熊本に移動してボランティアしているという
やはり何か役に立ちたいといいう気持ちがあり行っている
その人はフェスブックもしている、だから年はとっても時代の利器を利用している
自分もそうだがこの年だと簡単にできないと思うからだ
自分はたまたまワープロから通信して覚えたのである。それは偶然だったのである。
それは富士通のワープロに通信するものがついていためにできたのである。
自分でしようとしたのではなくそういうワープロを買ったからできた

何かボランティアの時代ということもある、それだけ老人が多く生きがいを求めているのである。ただ費用がかかるとなると結構楽ではない、自分がしているボランティアは簡単だし金がかからないからそういう負担がないからいい、交通費だけでもそれなりにかかるとなるとボランティアも楽ではないとなるからだ
ただ74歳とかなるとそういう人も来ているのかとなる,だから高齢化社会なのである。
ボランティアというときその土地の人とつながりができる、すると移住しやすくなることは確かである。
ただ働いている人が多いからボランティアは暇がなければできない金も必要になる
それで60代から退職した人たちが多くなっている、でもその人たちが移住するとなるとむずかしい
今はボランティアで助ける方でもだんだん助けられる方になるからそうなる
ただこの浜通りでいいのは気候なのである。これだけはすすめられる
暑くもなく寒くもないから老人が住むにはいいのである。

SHIMIZU様?、ボランティアごくろうさまです

これからも相馬地方の情報発信しますのでよろしくお願いします

2017年05月19日

今日の鹿島駅 (原町の人と石巻の娘のところに行く人の話)


今日の鹿島駅


(原町の人と石巻の娘 のところに行く人の話)

三〇キロ圏内で区切ったのは補償金をその他に払いたくない政府の都合だった

今日は結構人の出入りがあった、ちょうど電車が来た時、小池の人が来た、電車は走り出していた、電車は走ったら止まらない、その後は一時間後になった
例の盲目の人が来て案内した、飯館村の蕨平の人も親戚の人が死んで来ていた
その石巻の娘の所に行く女性は石巻に嫁にやった人だった
石巻の娘は困っているので良く行くという,その人も電車のことがわからなくなっている人だった、時間をまちがえて遅れた
娘の夫は一番被害のあた日和山の前の工場で働いたとういう、何でも自転車で逃げて助かったとか言っていた、あの時車だったら渋滞してかえって危険だったとなる
日和山の前は家が本当に多いから被害が大きくなった

そして新しく建てた家が被害にあったという、何かこの新しく家を建てたのに津浪の被害にあったということは良く聞く
他人の家でもあそこでは新しい家を建てたのに被害にあったという
知っている小高の人もそうだった、塚原の人で新しく建てた家であり借金があった
それが津浪で被害にあい帰らないという、ただ小高の人はまだ補償金がもらえたから救われているともなる
海老の人が意気消沈していたのは原発補償金をもらったとしても少ない、宮城県などでも石巻などでも一億円とかもらったのは
極一部の人だろう、ただ何らかの補償が国から出た、一軒五〇〇万円は支給されたみたいだ
津浪の土地は海老でも国で買い上げたが安いと海老の人は言っていた。

それと川がありその川をさかのぼったら被害が大きくなったという
あの川は大きいから確かに津浪だと川をまずさかのぼるから被害になる
この辺でも真野川でも自分のすぐ近くまで川から津浪がおしよせて上ってきていたのである。その時みんな騒いでいたがあとかたづつに追われてわからなかった
物が落ちて散乱していたからだ
石巻は一番被害が大きく死者も多く一年前とか行ったが店も閉まっているのが多いし流出した人口も多いから復興するのも容易ではない
ともかくつくづく津浪の被害は広範囲なのである。何かしら東北では影響を受けているとなる

次に来たの原町の人だった、一人は若く中通りに住んでいるという、小高でも鹿島でも様子を見にきた、その人は津浪や原発事故の時は原町に住んでいた

「小池などは放射線量が高いから補償金高くもらってもいいはずだ」
「でもさ、国で三〇キロ圏で区切ったのはなぜかわかるか」
「理由があるの」
「福島市でも郡山で放射線量はこの辺より高いんだよ、放射線量を基準にしたら福島市や郡山市にも払わなければならなくなる、するととても払いきれなくなる」
「確かにそうだな、三〇キロで区切る必要などなかった、距離と関係なく風の流れて放射線量は影響された、小高でも浪江ですら海側は低いんだよ、相馬市だってこの辺と変わりないよ」
「小池とか山側が放射線量が高い、でもそういうことで補償金払っていたら郡山市とか福島市るで国では払うことになる」
「そういうことだったのか」

そういう理由で30キロ圏で区切ってその内は補償するとうことに決めたのか?
何がしかの科学的根拠もあると思ったがないとすると小高はそもそも避難区域にする必要などなかった、ただ国の政策で三〇キロ圏内にしたとなる
小高が避難区域にされたのは科学的根拠もなにもない、ただ政府の都合で補償金を福島市とか郡山市に払いたくないからそうしたのかとなる
確かに三〇キロで区切ればと政府にとってそれがわかりやすいからであり都合がいいからだとなる、それは住民とはなんら関係なかったことなのである。

南相馬市内でも良く放射線量のことをいう、小池の人も高いというし実際に田んぼを作らないのが多い。放射線量たと南相馬市内でも山側は大原とかは高いから避難区域になって仮設に住んだ人たちがいる
そういう人たちは補償金も高くもらっていた

「俺が住んでいる所は放射線量が高いんだよ、だからもらって当然だよ」
「そうなるとさ、福島市や郡山市はこの辺の海側より高いんだぜ、そうなると国では払いきれなくなる、だから三〇キロ圏内を基準にして払ったんだよ」
「それもそうだな、海側だと0.3以下だから放射線量を基準にしたらもらえない地域だよ
そうしたらまた不満がそこに起きる」
「もしさ、そこに住んでいる家で放射線量を正確に計って補償金を支払っていたらどうなるのか、それで公平になるのか」
「これもならんだろう」
「なぜならこの辺では真野ダムがあったらその水を飲んでもいるし利用するからその影響があるからだ、自分もペットボトルの水を未だに利用しているからな」
「やはり補償金はそうしたスポットスポットの点で放射線量を計ってそれで補償することになじまないんだよ、大地でも川でも山でも空でもみんなつながっているから放射線の影響を受けるからな」

飯館村は高いから例外として後は払わないことにしたというのもわかりやすい
原町でいくらもらったかと聞いても答えない、何かそれがわからないのである。
避難した人はもらったというけど鹿島でも半分は避難したからである。
ただ明らかに三〇キロで区切ったのだからその圏内は確実に補償金を高くもらったのである。
それから二本松とか福島市で耳にしたことではやはり避難した仮設の人がぜいたくして補償金で遊んでいることに不満な人がいるという、やはりそのことはここでも同じだからあった


こうして直接話してみると何か情報はいろいろありわかってくるものがある。
原町の人とあんまり補償金のことは話しない、ただ合併したけど原町中心に予算が組まれて使われたということは確かである。
合併してももともと原町が人口が鹿島と小高を合わせたより多かったのだから当然そうなる、原町が予算を一人じめするということにもなったのである。
そのことは前から言われていた、鹿島では原町に金をくれてやったんだとかとられたんだとか言う人がいた、実際そうだったのである。
だから飯館村は合併しなくて村独自で交渉したから今回は得したとなるのだ

ともかく駅にはいろいろな人が実際交わる場だった、あの人は車で来たが駅に立ち寄って様子を見に来たのである。小高の駅も見に来たがトイレが良くないとかいっていた
鹿島の駅にいると良くトイレを車で来た人も使っている、トイレのために立ち寄っているのである。、鹿島にはそういう場がないからかもしれない、駅はこうして電車を利用する人だけが来る場所でもないのである。
だから駐車場が狭いから広くすれば活性化されることは確かなのである。




●小池の母親が津浪の被害にあった嫁いだ娘のいる石巻に行く

●原町の人が鹿島を見に来る

●中国人が三人駅より帰る


これもニュースである。中国人が三人駅から帰ったのはこの辺では外国人労働者がいる
ベトナム人がいたしネパール人もいた、中国人はやはり一番多いだろう
ただ今は中国人よりベトナムやネパール人が統計では増えている
駅は全国的であり国際的であり地元でもある
これは震災以後にこうなった、だから仙台を行き来する人が三倍増えたのである。

中国人でもやはりありがとうとか言葉を覚えて切符代わりの証明書のことを教えるとそういう、それが印象を良くする、やはりこうして言葉を覚えることは効果がある
ありがという、この言葉外国で一言覚えるだけでかなり効果がある
自分はそういう点だめだった、ただこの中国人は旅行者ではない、日本人に混じって長い間働いた結果覚えたのである。
なにか英語ではない、外国語となると一言でも覚えるのが容易ではない
特に中国語は発音がわからないのでしゃべっているのが皆目わからない
それで漢字を書いたり英語でコミニケーションを計るのである。
英語だと単語を一言でも知っているからいいのである。






















2017年05月11日

今日の鹿島駅 飯館村の人と小高の人と話する


今日の鹿島駅

飯館村の人と小高の人と話する


実家が鹿島にある女性が来ていた。そういう人は多い、町の変わりようなどを説明する
飯館の蕨平の人がまた来ていた、鹿島にある競輪の券の売り場にゆく、あそこには定期的に来る人がいる、タクシーで行くからそれなりに収入にはなる
あそこができるとき反対する人たちもいたがおしきられた、自分も反対の方だった
それでも仕事ができるとか人が集まるとかで賛成した
底辺で働く人はあそこで掃除の仕事ができるからいいとか言っていた
底辺だとそういう発想になるのだろう。だがらの悪い人も来る
でもこのギャンブルだけは人類からなくすことはできないだろう。
なぜ寺が博打場になったのか?寺銭が払われたのか?
これも何か人間の業みたいなものなのかもしれない、酒とかもそうでありやめることができない、貧乏なときは酒は栄養補給だったのだろう。
タバコもやめることができない、でも阿武隈山地は葉たばこで生活できていたのである。

飯館の人は今回は釣り竿を三本くらいもってきていた、釣りもしていたのである。
海の方だと満潮のときでないとだめだという、満潮の時期を新聞など調べて行くという。なんでも最近、ホッキガイとか牡蠣などもとれたという、松川浦の人は85歳で牡蠣を震災後も食べていた
その人も飯館村の放射線量が高いことを知っていても平気で飲んでいるという。
全然気にしていない、老人は関係ないんだよとなっているからだ
今回の放射能汚染で老人は影響を受けないのである。
だから避難しても帰るというとき故郷への住み慣れた所へ帰るということもあるが放射能をこのように全く気にしないことも原因しているのである。
確かに85歳なら放射能など関係なくなるからだ

飯館村では大きな川がないけど岩魚がとれるの?と聞いたらとれると言った
かえって細い川がいいんだよ、岩魚はそういう所を好む、岩魚を釣れる人は上級者だよと言っていた。
飯館村には大きな川がないのである。細流はある、自分がいつも行っていたのは大倉から峠を越えて飯館村に入る場所だった、そこには家が二三軒あったが一軒が廃屋になり
一軒が残っていた、その時そこは森につつまれていて人が通れる道があってもめったに通らない神秘的な場所だった、そこにはきれいな水が流れていて岩魚がひそんでいたというでもその岩魚を見ることはできない、今は舗装した道ができてその神秘的な森につつまれた細流はなくなった、でもその細流は今も流れている
ヤマメは橲原(じさばら)の水無川の上流の八木沢峠の麓の川に行くと深い淵があり泳いでいるのを見たことがある。
あそこは今は放射線量が高く避難区域になって空家になっている家がある

大石の裏にできたたるみや、岩の下にあるえぐれ、倒木などの障害物の周囲にできる緩流帯はイワナの好む緩い流れと隠れ場所を兼ね備えた高ポイントとなっている場合が多いのです。

水が少ない場所でも生きていけるように、歩くことができます。歩くと言っても、前びれを上手に使い、身体をくねくね動かして、水のない場所も移動します。

飯館村に住んでいる人に直接話を聞くことはなかなかできない、ただそこに住んでいる人は確実にその土地のことを知っているから聞いてみる必要がある。
山には山の暮らしがある。岩魚でもとれれば食料にもなるからだ
自分はそうして釣りとか農業に実際にたずさわらない、そこに自然をみるとき欠けたものになる、実際に釣りとか農業をすれば自然に直接接するから自然により深く知ることになる、それで釣りをしながら山村を歩く哲学者がいたということもうなづける
釣りは自然と接するものとして有効なのである。
ただ自分に釣りは向いていない、自然が好きとしてもじっとして待っているのが嫌なのである。何かすぐに動くのがいいのである。だから自転車で次々に回ってゆくとなる
でもそれも自然と接することなのだが釣りは明らかに自然と融合するものになる
ギャンブルよりは趣味としてはいいのである。

今日は小高の人にもあった、小高の人はやはり金をもっているのだろう。
その人は車がないので原町に良くタクシーで行っていたという、原町までタクシーで入ったら4000円くらいとられた、だからやはり小高の人は補償金で金が今はあるようだ
ただこれからは金が入ってこないのだからどうなるのかとなる
その人も老人だから働くつもりはない、そういう環境で働く気もなくなったのである。
でも働ける人は働いた方がいいよとか言っていたのも矛盾である。

そのうち小高に帰って住んでいる人が駅に来た、仮設の仲間だった人である。
その人は原町とか鹿島のスーパーでも買物に来ている
小高にはスーパーがないのだから買物に来る、鹿島でもキクチスーパーが新しくなりシシドスーパーもできたから買物はできる、シシドスーパは原町にはないからである。
シシドスーパーはもともと卸屋だから新鮮なものを売るから評判が良かったのである。
小高の人は今仮設に残っているのは一割くらいである。
いつまでいられるのか?まだまだいられるみたいだ
でもその人が言うには仲間が減るとやはり小高に帰る人も増えてくるという、仲間が残っているとまだ残る人がいるという、それも六年間もいて親しくなり仲間となったからである。

ともかく駅にいろいろな人が行き来して集まるのである。
山梨の人は弁護士の事務所で助手みたいなことをしているみたいだ
その人も定期的に通っている、事業をしていた人だから事業のことなど人を使っていたからそうした人事にも詳しいのである。
そして言っていることがまともなのである。補償金でもちゃっと使い道を決めさせて与えないとただ浪費するだけになるとか人にはそれぞれの生活があれその分を越えた金をもらうとどうなるか、金銭感覚が狂いその人の生活を乱してしまうというのもそうである。
思わぬ大金が入ってきていいようでもそれで贅沢して浪費して終わりになるしもう金があるからと働かなくなるというのもそうである
この辺は実際にそうなってしまったからである。
あの人は経営者として失敗してもそういう人事の経験を積んでいるからまともなことが言えるのだろう。
大阪の人は何でもあからさまに言うけど本当に相手を助けるときは本気で助けるという。そういうことはやはり様々な人を使っていたから人に詳しくなる
ただその人は裏切られてそのことがショックで人を信用できなくなったのである。
自分もそうなったから同じ経験をしたからその人のことを理解できるのである。

ともかく駅は様々な人が行き来して集まる場所なのである。
今日は南相馬市のリサイクルセンターの近くの会社の人も来ていた。
東京からは清水建設の人が三人くらい来た。
清水建設の事務所はまだ鹿島区にあるからだ
まだ外からの人も来ているのである。それで前より仙台を行き来する乗客が三倍に増えたというのもそのためである。

いづれにし老人が多く集まるというときこの辺は他より10パーセント65歳以上が多いのである。それと仮設に住んでいる人も老人が多かった、だから老人は暇だから川子のパークゴルフ場に百人もいたように暇な老人が集まるからそうなるのである。
ボランティアを求める人も退職した人が多い、この辺に小高でもまだボランティアが来ているからだ。それはどういうことかというとむしろその要望があるというよりボランティアをしたいという人の要望の方が大きいのである。
道路公団に勤めていた人は道の脇を何か探していたのもそうである。
道路公団に勤めていたからそういうことをしていたのである。
自分も介護が終わり余裕ができると関心がいろいろな方向に向く

この辺は実際は自然でも豊かであった。釣りをすれば魚の生態系とかに興味をもちひいては自然を深く理解することになるのである。
つまり旅をしなくてもこの辺はもともと自然が豊かだから発見がある
だからわからないことも多いのである。飯館村は広いからそうだった
隠された知らない細流が他にもあったとなるのである。










2017年05月09日

今日の鹿島駅 (「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議)


今日の鹿島駅


「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


鉄道の保守管理の人が定期的に回って見ている、前も盲人の歩む黄色のブロックを見て直した、盲人というとき一人が定期的に通っている、でも向かい側には行かない
だから危険というものでもないが電車に乗る時は多少危険になる
ただ車掌が見ていて確認している
駅で盲人を見るのは定期的に通っている人だけである。
でも一人でもいれば整備する義務がある、法律でも決まっているのだ
でもいつも思うことは盲人が利用するのは田舎ではほとんど見ないのである。
そのために黄色のブロックを作るのは贅沢なようでもそれだけ障害者のために金を使う労力を使うことは弱者に配慮した社会だとなる
ただ現代は盲人でも車だとか電車でも危険が多すぎる、人とぶつかるくらいならいいが
車とか電車は危険になる、だから盲人にとっては危険が多い社会である

今日きた人は相馬の天の粒という品種の米作りに関係している人だった、その人は話しなかった、話する人としない人がいる、ただパンフレットのようなものを見た
そこに天の粒とあったからである。それをインターネットで調べたらずいぶん出てきた
天の粒は外国まで売り出して相当に宣伝している
相馬の米として売り出しているのである。これは品種改良したもので相馬のブランド米として売り出しているのである。ただその人は何もしゃべらなかった。

それからまた四人くらい保守点検に来ていた、定期的に来ている、それから原町の駅員がきてホームのトイレに何か置いた、そして燕が巣を作っていたのを壊してそこに巣を作れないように網をかぶせた
自分が燕の糞を掃除したから汚れるから撤去したのである。
定期的に原町の駅員が回ってみている、何かこうして仕事がある
無人駅でも定期的に見回ることが必要になる

無人駅でも困らないにしても何かそこに人間の手が必要になる、そして何か話したりすると人間的になる、ただ普通は駅で話したりしないので話さない人もいる
ただ駅には必ず待つ時間がありそこで何かしら話するということがある
その待つ時間が人間的なものを駅に作り出しているのである。

今日は岩沼から来た老夫婦がいた、その人は電車に乗ったことがないで乗り方がわからなくなっていた、本当に電車の乗り方すらわからなくなっている人が意外と多い
それだけ電車というのは乗らないものになったということである。
車社会になったということである。電車の乗り方がわからないなどありえいことだったからである。その人は町中でまた会った、自分の家の近くに来ていたのである。

ともかくいろんな人が行き来している、駅の面白さはそこにある。
もちろん話せる人とできない人がいる、だからなぜ来ているのかわからない人もいる
でもこの街に駅に来たということは縁であり何かが記憶されるのかもしれない。
ただ自分も鉄をとでずいぶん旅したけど駅でも待っていたけどそこで土地の人となど話したことがないから普通は話などしない
でも駅はただ通過する場所ではないことに気づいた、駅で待つ時間も何か旅していたら印象として残すべきものである。それで撮り鉄は駅舎の写真をとるのである。
ただ写真ばかりでも記憶に残るとはならない、写真で残して思い出すこともあるが人間はともかく忘れやすいのである。

駅というのはほんの一時でも何かを人が残してゆく場でもある。そういう人々が交差して電車を待っていることは駅に人生も交差している、そういう場所は今はなかなかない
そういう世代を問わず職業問わず貧富も問わず地域も問わず近くでも遠方のものでも交わるという場は意外とない、子供と子供が交わる場は学校である。病人と病人が交わる場は病院である。仕事として交わる場が会社である。
ではそういうものを越えて交わる場というものが現代にはないのである

だから駅というのはみんな気づいていないが不思議な場所なのだ
それに気づいたのは駅員のボランティアしてみてわかった
旅しても駅はやはり通りすぎるだけであるが駅にいて案内したり見送ったりしていると何か駅が人間的交流の場であることに気づいたのである

人が出会い、そして別れる場である、ときめきがあり、悲しみがある
その駅には様々な人が混ざりあっている、裕福な人もいればホームレスもいる、健康な人もいれば病んでいる人もいる、
いわば停車場は人の博物館だ
(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)

待合室の長椅子の
ビロードの
毛の中に
魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である。(小熊秀雄)

この本は鉄道好きな人には相当に奥深いものを読み込んでいる、停車場は人の博物館だーまさにこれを感じた、ただ停車場というときそれは昔の感覚である。
その時はさらに駅は人間臭いものがあったからだ、そしてその時代は鉄道が最盛期であり人が駅に集まっていた時である。だから駅が最も熱気があったし駅前通りができたのもそのためである。
だからその時代なら余計にそうなる、薄荷(はっか)の匂いがするというときそのことなのだろう。小熊秀雄は北海道の出身だから薄荷の博物館が北見にあるからなじみのものだった

魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である

ここが駅の不思議だったのである。一時であれ何かしらその人のたましいのかけらを駅に残してゆく、地元の人も利用するから遠方の人が駅にいるのとはまた違っている
でも駅には様々な人が行き来している、地元の人でもそうである。そういう場所が今は意外とないのである。病院だったら病人と老人がほとんどでありいろいろな世代の人とは会わないのである。学校だったら子供だけとかそういうことが多いのが現代である。
だから田舎駅ですらいろんな人が行き来していることが違っている
そこに駅の魅力を作り出している、一時でもそれぞれ多様な人々が魂のかけらを残してゆくのである。

駅にさす花を入れ換え様々な人出入りして今日もすぎゆく

ともかく駅にかかわることはそこが無人駅であっても人間的なものを付与される、そこに人間がいなければそうはならない、ただ機械がロボットがいるだけになる
機械やロボットはその人間的なものを嗅ぎ取ることはできないのである。
そこに人間がいてはじめて嗅ぎ取ることができる

実際に駅にはどこでも今や監視カメラがあり犯罪者がつかまえられたというから驚きである。田舎の駅でも監視カメラがどこにあるかわからない、監視社会なのである。駅には犯罪者もいるし変な人もいる、がらの悪い人もいるしそっち系の人もいる
つまり本当に人間の博物館になっているのが駅なのである。
でも監視カメラであれ機械がいくら精巧になっても人間的なものは人間しか感じることができないし作り出すことができないのである。

参考にした本(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)




2017年05月04日

駅員の仕事 人は勤める場所に愛着をもつ


駅員の仕事

人は勤める場所に愛着をもつ


昨日は原町から来た駅員が反吐をはいたのを掃除していた。
ということはこの人は迷惑をかけたのである。
しかし謝ってもいないだろう。
迷惑かけたということを意識しないだろう。
それは掃除している人を見ないからである。
ゴミを駅になげていた人もいた、自分はそれをかたづけた
ゴミをなげる人はそのことを知らない
世の中はそういうことが多いかもしれない
誰かがその後始末をしている

駅はいろいろと機械類とかも整備しているしこの前は盲人用の歩くブロックを直していたいろいろみるべきもきがある。雪かきも冬にはしていた
駅を整備することにはそれだけまた労力がそそがれているということでもある
自分はつばめが糞をしたので窓を掃除した
掃除というのが仕事として家と同じようにある

昨日は連休で遠くから来た人がいた、一人は車できて見送りしたのか、鉄道は利用しなかった。それでも駅前は車でも利用されている
何でも駅員が言うには仙台まで乗車客が3倍に増えたという
それはいつも駅で行く先を聞くと仙台を行き来している人が必ずいるのである。
この辺では外部から来る人がまだいる、それで仙台まで行く人が増えている

駅は鉄道だけではない、駅前とか街とも密接に関係している
駅が街の玄関口だというとき駅からその街に入るから玄関の印象は大事だとなる
だから美観も大事になる、花とか木でも植えてあると憩いの場所になる
だから八重桜を虫が来るとか駅前の住民がJRの職員に切らせたことは納得できないのである

無人駅になる小説

駅への愛着をライトノーベルにしている、掃除することはその駅に愛着ができる。
人間はその勤め先には愛着を持つ、ただ不思議なのは自動化して無人駅になるとそこには人がいないから愛着をもつ人がいなとかなる
そういう駅は人間的なものが消失して無味乾燥になってしまうだろう。
確かに人がいなくても困らないかもしれない、でもそこには人間的なものが人間臭さがなくなる、そういう駅に来た人も何か淋しとかなるかもしれない、無人駅だとこの街は寂れていると感じるというのもそうかもしれない

駅は何か人間的な場所だった、その一つの原因として駅は待つことにあった
待っているからこそ短い時間でも自然な会話が生まれる、話したくない人もいる
撮り鉄とかはそうである。写真とることだけを目的にしているから話しかけても会話はない、そういうネクラな人が多いということである。
もちろん自分もそうだったから人のことは言えない
何か自分は家族がなくなって一人になったとき淋しいから常に会話を求めるようになった家族がいないということは心境ががらりと変わる
妻が死んでがらんとした大きな家に一人いる人は二階には行かないというとき淋しくなるからだろう。こういう気持も一人になってみないとわからないのだ
なんか一人ということは人間にとって異常なことなのかもしれない、特に大きな家に住む人はそうなる

人間の生活は仕事はいろいろあるが駅員とか鉄道員という仕事もただ乗客になるのと鉄道員として働く勤めるのは全然違ったものである。
人間は仕事のことは実際に仕事してみないと理解できない、農民のことでも何でもそうである。仕事とは何なのか?それはただ月給ももらうことだけではない、仕事をもつことで得るものがある、だから豊になり働かなくてもいいとなっても人間は働くことを求める
生きがいを求めて働きたいとなる、それでシニアの大きな問題が生まれる
退職してから先が長いとなると暇になるからだ
今シニアで相当に暇に困っている人がいる、それでパークゴルフ場が繁盛しているのである。

何か高等な趣味はもちにくい、それは巣てに若いときからしていないと趣味でもてきない自分はこれまで鉄道の旅をずいぶんしたからJRには世話になったともなる
その時そんなことを考えもしなかった、何かしてもらっても感謝の気持もなかった
金やればいいじゃないかとしか思わなかったのである。
でも社会はそういうものじゃない、そこに勤める人がいて世話になっていたのである。

ともかく人間は農民でも何でもそうだけどその仕事をしてみないとその仕事から実感する見えるものがわからないのである。
もし本当に自然がなにか知りたかったら農業をしてみないとわからない。
それをしたのが山尾三省だったがパンも食べられない過酷なもので妻も自分も早死にしたのである。そこまではやりたくないのが自分であった。
体力がなくても長生きしているのは楽をしたからである。

駅の面白さはそこが外部と内部の接点になっているということもある。
内部の人ばかりとつきあっていると監視状態になる、四六時中見張られていると嘆く人が近くにいる、飯館村でもそういう監視状態が嫌で都会に出てそっちの方がいいと帰ってこない若い人がいるというのもわかるのだ。
駅だと外部への出口でもあることである。何かそこから自由になるという感覚になる
旅立つときはそうである。でもまた帰る場所でもある
東京辺りに出て故郷に帰ってくる人も多い、それはなつかしい家族との再会になる
ただ家族がなくなるとき待つ人がいないから淋しいとなるのだ。
だから今自分が旅しても帰ってきても誰も待つものがいないから嫌だなとなる
待つ人がいて自由に旅立つことができていたのである。
タグ:鉄道員 駅員

2017年05月03日

鹿島駅でJRの職員と話する 駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)


鹿島駅でJRの職員と話する


駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)

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ここは鉄塔が立って切られたとばかり思っていた
鉄塔が建ったことで風致的には悪くはなっていた

何本かあり他は切られている
この一本だけが切り株だけ残したようだ
駅の方の近くに咲いていた記憶があるからだ



今日駅に行ったら原町から来た駅員が階段を掃除していた、酒飲んで反吐をはいた人がいた、それで連絡があって掃除していた、
これは電車にのる人も嫌だから早めに掃除しないとまずいからである。

そこで八重桜を切ったのはもったいなかったと言ったらあれはこの辺の住民が虫がくるからと毛虫がその木から来る切ってくれと要望があり切ったんですと言っていた
それが本当なのと一瞬疑った、あの八重桜から虫が来るから住民がJRに抗議して切らせたそんなことができたのか、あの八重桜がある場所はJRの敷地内でありてっきり無線塔のようなものを建てたので邪魔で切らせたと思っていた
だから意外だった、でもそんなことできるのか?

確かにあそこの駅は市とか区とかで管理している、民営化になってJRは国鉄ではないのだからJRと市町村とで分けて考えるようになった
国鉄時代は国の管理だから市町村との関わりも密になる
JRは一つの私企業になったのだから自分たちの権限が強く主張できるとなる

でも駅となるとどうしても公共性が要求される、JRの勝手にはできない、それが住民が虫が来るからと八重桜を切らせたのは住民の要望に従ったとなる
それは悪い意味でそうさせられたとなる

そもそもなぜ駅前の住民がそんなことを要望して切らせたのかとなる
八重桜があり駅で電車を待っているときそれが自分の一つの思い出となって詩を書いたりした、それを駅前の住民が切らせたのは虫の被害からだったというのは意外だった
そしてそんなことができるのか、権限があるのかとも思った

駅はその駅前の人たちだけではない、鹿島区全員が利用するし原町から来る人も遠くから来る人も利用するのである。そしたら八重桜があった方が美観としてはいいのである。
そういう美観の観点から意見を言ったりして実行されることはなかなかない
何か景観とか美観は金にならないからだ、古い街並み保存でもそうである。
だから景観とかは一番破壊されやすいのである。

人間は例えば自然豊かな田舎でも美観とかに無頓着な人はいる、そもそも個々人でも女性でも生け花に興味がない人もいたし自分の母親は庭とか花に興味がなく働き金を稼ぐことしか興味がなかった、そういう時代の人だといえばそれまでだが最期は庭に木を植えたらそんなものに金使うなと言っていた、ただ後は反省した。

近くでも広い庭があるのに何もない荒れ放題にしている人がいる、小石くらいでもまけばきれいになるし川の感じもでてくる、それが何もない方がいいのだという
そういう人もいるし別に田舎に住んで農業していも美観のためにしている人はいない
米をいくら作っても金にはならないとかそういう実利的なものとして農業をしている
だから美観とか景観を問題にすることは普通はないからである。
男性で生け花しているのはめずらしい奇特な人だともなることは確かだからである。

ではあそこの地区の人たちが美観を問題にしていないかというとそうでもない
チューリップを花壇に植えていたからである。それが咲いている
ただ虫が来るかとそれがそれほどの被害だったのだろうか?
その前にそれを要求する前に議論も何もなかった
それでもその人たちの住民の要望であの八重桜は切られたのである。

法律的にはJRのものでありJRはその駅前の住民の要望だけで切る必要もなかった
なぜなら明らかにその土地の所有者だからである。
隣の庭の木から虫が来るからと切れとは簡単に言えないだろう。
だとしたらJRではもっと広く意見を聞くべきだったとなる
そこを利用する人はその駅前の人たちだけではないからだ
それは公共的なものであり公共的とは広くみんなのものだともなるからだ

こういうことは原発でもあった、原発は東電という私企業が土地の所有者との県の許可だけで建てた、そんなことができるのかとなる
議論もなにもなく建てられたとなるとそんな危険なものがどうしてそんなことができたのかとなる、でも法律的にはできたともなる
ただ回りの住民が反対すれば市町村でも反対すれば作れなかった
それを新潟県の巻町ではできたからである。

いづれにしろ国とか私企業でも会社でも公共的要素が必ずあり勝手になんでもできるとはならない、そのせめぎ合いがあって当然なのである。
そして住民といってもその範囲が広い場合がある、駅を使うのはそこに住んでいる人たちだけでもないのである。
だから公共性が高いから駅前の人たちだけで決められるのかともなる
その要望にすぐ従って切ったというのも納得がいかない面がある

「この八重桜は駅前の住民が虫が来て嫌だから切ってくれと要望がありました」
「ええ、そんな要望ならもっと広い住民の意見も聞くべきではないか」
「そうはいいましてもこの八重桜に関心ある人はそんなにいないでしょう」
「いや、そうでもないかも、それはいつも春になると咲いていたしなごみを与えるものでしたから」
「でも駅前の住民がうるさいし答えるほかなかったのです」

こんなふうになって切られたのだろうか?別にその八重桜が切られたの惜しんでいるのは自分くらいだとなるとそうかもしれない、そうなるとその八重桜を大事にしている人がそもそもいないとなれば切っても文句を言う人もいないから問題ないとなる

現実はあの八重桜が切られて残念だったなと言う人はいないしそんなこと気づいてもいないとなるとそうなる。
何か具体的に物を売ってもうけたいとかは常にある、そういうことは賛成しやすいわかりやすい、でも美観が景観がどうのとなると一般的にはおろそかにされる
でもいい庭を作りたいとかなる人はやはり普通は関心があるはずなのである。
駅前をきれいにする花でも飾りきれいにするという感覚があるはずである。
だから地区の人がチューリップを植えたのである。

ただ八重桜には関心がなかったとなる、人間は何かバランスが欠けている、実利の面では強調しすいしまた反対しやすい、でも美観が景観がどうのこうのというと同調する人は少ないし無関心になる、だから田舎の人が別に自然を大事にしているということではない
美観とか景観を維持するために農業しているのではない、米でも野菜でも食べ物を得るためにしているのである。またそれを売りたいためにしているのである。
ただ農業は自然と密接に関係しているから景観とか美観が自ずと守られてきたとなる
白砂青松の景観は松原は塩害を防ぐためであり美観のためではかったからである
ただ景観と美観というとき馬鹿高い防潮堤を作ったとき住民が反対した
海が全く見えず閉ざされてしまったからである。それでも実利的には津浪を防ぐということでやむをえないともなった、意見は二つに分かれたのである。

ただ八重桜の木はそれほどの論議にもならないのはその木に日頃から関心ある人が少なかったとういことだろう。でも駅前にそうした桜の木でも何か木があることで庭があり自然があるいうことでなごむことはある
今の時代は貧乏な時代とは違う、そうした景観でも美観でも考慮する時代になる
花より団子の時代ではないのである。団子より花の時代になってきている
だからあの八重桜が切られたことは残念だった
ここにも自治とか民主主義の問題があった
なぜなら市町村でも住民でもJRという企業でもかかわる問題だったからである。
そういう三者が協議することも必要だったからである。
ただJRでは市の方とも協議はしているという。

小高では駅にいろいろ住民がかかわっているという、そうなると小高の方が住民としては駅に対して関心をもち熱心なのかとなる
前は鹿島より小高の方がずっと良かったというとき小高の人はそれだけ街作りに住民が関心があったからかもしれない、今は原発事故の結果として小高はあのように悲惨な状態になったのである。鹿島はかえって事故前より良くなった面がある
人口も減らないしスーパーも二つできたとか他に暮らしやすくなった面があるからだ
だから小高はそれだけの被害を受けたから補償金も他より高くもらってもいいとなった
ただ浪江でもそうだがパチンコとかギャンブルばかりしいると批判されるのは当然なのである。それで怒るのはおかしいのである。

ともかく確かに八重桜は一本残ったけどあれは八重桜としても前のように大きなものでないから見栄えがしないのである。
そして大きな八重桜は切っても切り株が残っているからまた成長してくる
でもそれは30年先なのか50年先なのかもう大きくなるのを見ることは自分はできないのである。この辺では多くの松などが津浪で流され多くの木も切られた、そこにも貴重な木があったかもしれない、除染でも切られたからである。
やはりそれも景観の破壊だったのである。

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遠くからも目立つ土がとられた屋形の場所



2017年05月02日

矢車草(駅から見える社会) (駅は街全体の中に機能する)



矢車草(駅から見える社会)


(駅は街全体の中に機能する)

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つばめが飛び込む、巣を作る所を探している

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矢車草をさした

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駅前の花壇のチューリップ





矢車草駅にさしにき遠くより来たれる人を駅に待つかな

駅舎にそつばめ飛び入りさえづりぬ真昼明るく電車来たりぬ

駅の窓つつじの赤く出入りする人さまざまや通りを行きぬ

駅前のチューリップの色様々に人交わりつばめ飛び交う



駅に矢車草をさした、駅ににあっていたかもしれない、駅で感じることは人の生活の活気を感じることである。
それと同時に花なども映える、生活と自然が一体となる場というものがある
森とか山とかはまたそうした人間の日々の生活とは違った神聖な場所としてあるともなる
やはり人間の生活が活きていないと街も人も活きないということがある。
それと呼応して自然も活きるというのを感じる
電車と駅には何かそうしたものが交差する場所であることに気づいた

そこには様々な人が行き来しているのだ、山梨の人は事業に失敗したから延々と人に裏切られたことを語る、それは自分も経験したから同調する、人も使っていたので人の使い方を知っている、そしてしきりに駅前開発のことを具体的に言うのも経営者としての経験があるからである。

鹿島駅の問題は空家が二軒とかやめた理髪店とか何かさびれている、一軒の食堂と自転車屋はまだ活きている、でも不思議なのは街の人々があそこで交差している交わるのであるなぜなら中学生でも高校生でも利用するし小学生があの駅前に集まる、下校の道となっているからだ。

今の社会は何か人でも何でも別々になりこういうふうにいろいろな人が集まる場がないのである。働くにしてもどこで働いているか見えないしわからないことが多いのである。
奇妙なのはローソンで働いている女性がいるけどあの女性は街の中に住んでいる
でも自分がローソンに行ったときコーヒーをたのむ、するとそのコーヒー入れてくれてわたしてくれる、あそこは人の手でしていて自動化していない、人の手でわたしているのである。
でもそれだけをしてくれるロボットとして働いているように見える
部品化したようにして働いているのが今の人間であり労働なのである。

何かおかしいのは学校でもそうである。学校では今は大人とは隔離されている、学年でも別々にされ交わらない、いろいろな人と年齢が違っても交わることがないのである。
江戸時代辺りだと村だったらそういうことはなかったろう。
常に大人も若い人も年寄りも子供も交わり一緒に暮らしていたことは間違いない
だからこそ他人の子供でも村の子供はみんなの子供のようになっていた
それで名付け親とかにもなるし子供同士が兄弟姉妹のようにもなる風習があった

現代社会の江戸時代と比べると明確に見えてくるものがあるのた。もちろん江戸時代がすべていいとかになはならない、今の社会は変だなというとき江戸時代にはこうだったとなりそれが明確に見えてくるのである。
人間は部品化分類化されて区別され区分けされて多様な人と交わり暮らしていないのである。

そして現代の仕事が面白くないのはそうしてどんな職業でも部品化部分化しているからである。教育だって先生だって英語だったら英語だけを数学だったら数学だけを教えているそうなるとつまらないということもある、教える方も部品化されるからつまらないとなるのだ、小学生の先生などはいろいろな教科を教えるから全体的な感覚になるからもしれない、中学になったら専門化するから部品化されるのである。


この前イスズの自動車会社の人が東京から来た、今イスズの車が売れているというときトラックなどが売れているのだろう。、イスズだけのトラックが並んでいるのを見たからだするとなるほどイスズの人が東京から来て今トラックなどが売れているとういことでこの辺ではつながりを理解するのである。

現代はまず全人間として生きることは不可能になっている、その人はアウトサイダーとなり社会の異端となる、上野勝利氏のように無職だと全人間になるというのは逆説なのである。なぜなら何か職業についたならそれは巨大な複雑な社会の部品、歯車となることだからである。それはどんな高度な職業でもそうである。医者でもそうである。
体全部を見る医者いないからだ、体の部分をみる医者はいるが体全体をみる医者はいないのである。
医者以上にに社会は部品化しているから職業をもつことは一つの歯車部品化されることである。

だからコンビニでコーヒーを渡す仕事もそうである。それだけの部分化した仕事をしているだけだとなる、それはロボットでも自動化してもしているからだ
将来的にコンビニでも人間の仕事が自動化されるというとき機械と同じような仕事はそうなる、ただそこに若い美人がいるとかると価値が生れてくることはありえる
受け付けでそういうことがあるがAI化されると仕事がなくなる
実際にロボットに見える仕事が日常的にあるからだ。

無人駅化したのが鹿島駅ではあるがこれも無人化できたということである。
駅も別に無人化できる、でもそこで何か人間的なものが必要であり自分がそれを補っているとなるがそれも別に必要でもいなともなる
ただそこに人間的な役割がありそれで駅も活きてくるということはある
なんらかどうんなところでも自動化しても人間の仕事はありなくならないとういことはある。

駅はともかく駅だげではないその駅前は広場の役割があり車の人も利用する
そして様々な人が交わる場所としてある。そこに燕も飛んできて花も映える
これはかえって小さい駅だと人間的になるということがある。
大きな駅ではただ人は通りすぎてゆくだけになるからだ。
駅をただ鉄道の駅としてみる、利用するというとなると車社会では活きてこないことは確かなのである。

写真とると駅は鉄道と一体としてある、その駅前もそうである。
だから駅を写真に撮る人が結構いる、鹿島駅も結構写真撮っている
ただ撮り鉄などは無口でしゃべられない、そういうネクラな人が多いともなる
ただ写真を撮ることだけであり人は相手にしていないのが変なのである。

今回これだけ駅を見て写真をとれたのは地元だからである。
毎日行っていて変化しているし全体を見れるからとれた
旅だとどうしてもこのように見れない、何か目立ったものしか見ないのである。
そして必ず見逃しているものが多すぎるからもったいないとなる
だから本当は駅でも長くいればいろいろなものが見えるかもしれない
すぐに去ってゆくから記憶に残らないともなる

2017年04月28日

街は相乗効果で栄える 駅前から発展した街をふりかえる


街は相乗効果で栄える

駅前から発展した街をふりかえる

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街というとき鹿島区を参考にするとまずどこでもその当時そうだったが一軒一軒の店があった、駄菓子屋とか隣は魚屋とか豆腐屋とか酒屋とか呉服屋とか電気屋とか様々な店が並んでいてそういう狭い地域で生活していた、第一遠くには行って買物はしていない
車もないし歩いて生活するのが基本だったからである。
こういう生活も今になると便利だったとなる、スーパーでも買い忘れがある、豆腐買ってなかったとか納豆買ってなかったとかあるからだ
近くだったらすぐに買いに行けたからである。
この時から街は常に相乗効果があって成り立つ
魚屋とか豆腐屋でもなんでもばらばらに離れていると生活しにくいからである。

次に街の発展は駅ができて駅前通りが作られ発展した。その頃まだ車をもつ人は少ない、ダットサンとか三輪車風の荷物をのせる車は先に使われていた
最初は人をのせるというより品物を運ぶためにそういう車が使われた
鉄道でも最初は石炭とか地方から木材とか石とかを運ぶために発展した
網の目のように森林鉄道がめぐらされたのもそのためである。
この時は鉄道の時代だったのである。

鹿島区を例にするとなぜ駅前に農協のスーパーができたのかというとまだ駅が街の中心ということがあったからである。
その時スーパーができたときすでに街の通りの店は衰退していたのである。
スーパーの時代になるとそのそろえる品数が違いすぎたからである。
駅前に自転車屋があるのは引き込み線で貨物車両が入り運ばれたからである。
映画館というのも駅前の今のではない細い路次が通りでありあった
つまり娯楽施設もありそこが街となり相乗効果でにぎわっていたのである。
駅前だと運びやすいということがあったし駅前旅館とかできたのも鉄道が盛んな時代のことである。
この辺でも鉄道は働き場所であり線路工夫をしていた人や国鉄職員も多かったのである。それは今は鹿島駅前にホンダの販売店があると同じである。
今は車にとって変わられたのである。

街の発展をみると相乗効果なくしてありえない、第一東京があんなに巨大化したのは東京にあらゆるものが集まり生産消費しているからである。
そこに巨大な相乗効果が生れてそなっている、仕事するにも便利だからそうなっている
官庁でもなんでも集まっている方が仕事しやすいからである。
それでなかなか移転などできないのである。

原町区で元の原町市でも旧街道から駅前通りとして発展した
それで自分の母親が原町紡績で働いていたのだがその工場まで引き込み線があった
鉄道で運ぶためにあった、鉄道しか遠くへ輸送する手段がなかったのである。
まだトラックなとは普及していなかっ、第一戦前なら戦後十年でも舗装はされていないからである。だから埃がだったり雨がふると水たまりができたりと道は汚れていたのである今の南相馬市の鹿島支所の真野橋は木の橋だったのである。
子供の頃、その橋を渡ったが木と土の橋でありゆれたりして危険な橋だったのである。
そもそもが江戸時代の橋とさほど変わらない橋だったのである。
それで橋は良く洪水で流されていたのだ

相馬野馬追いでも新田川で橋が流されて行列がとめられている絵が残っているからだ
その当時洪水が多かったのである。
自分の家は街では一番低い所であり二回も洪水の被害にあった
だから全国的に日本は洪水の被害が多いから橋がどこでも流されることが多かったのである

相乗効果というとき最近コモドインというランチをはじめたホテルに行っている
あそこは料理人がいて洗練した味の料理を出している、そもそもあのような山側にホテルができたのはこの辺で津浪や原発事故で外部から除染とか工事関係者が入ってきたからである。まだ溜池の除染が近くではじまったとか工事もあるから人が入ってきている
それであんな山側にホテルができた事情がある
何かあのホテルに行ってランチを食べるのが不思議な感覚になる
あんなところホテルができると思わなかったからである。
それは宮沢賢治の「注文の多い料理店」とうい童話が現実化したような錯覚になった
花巻とかいの町も当時は小さいが何かそうした都会風なものが入ってきていたのである。
それとにたような状況が最近ここで起きているのである。

何か都会化したなと感じる
距離的には通える範囲であり自転車でも遠さを感じない距離である。
そのホテルでランチすると今度は近くのコンビニがありそこによることになる
何か食後のデザートのようなものをほしくなる
そのホテルのランチでもそうしたものを添えているがたりないのでコンビニによる
そうするとそこが一つの街になるのかと感じたのである。
つまり相乗効果がホテルとコンビニで生れたとなる

鹿島駅前を何か開発すればいいとか書いたがこの前は山崎パン屋でサンドイッチを買って食べていた人がいた、山崎パン屋はそういう買物ができたとしても駅から近いとは言えない、そこが一番の問題だった、前は鹿島駅内に売店があったからそのときは人の出入りが多かったのだろう。
だからこそ農協スーパーが駅前に出店したのである。
その時駅前開発が議案となったが何もできずに今日いたっている、その内車社会になり
駅前の農協もなくなった、鉄道は衰退したのである。
原町だったら六号線に道の駅ができたりと六号線沿いが発展することになった

街が栄えるにはやはり相乗効果がないと栄えないことは確かである。
何か今のようにてんでんばらばらになっては便利でないからだ
仮設商店街というのも新しいを相乗効果を産むものとして作られ一時は成功した。
ただ外部から入る人が多かったからこの辺ではその繁盛も一時的だったともなる

駅にいると食堂が一軒ありそこで食事する人が結構いるなと見た
昼間にきた人は食事する場所を探しているからである。
でもそれも良くわからないようで教えたりする
鹿島駅前は何もないように見える、それが不便なものとなっているのだ
やはりそれでは相乗効果を生まないのである。
店はやはりいろいろなものが集まった方がいいのである。
結局車社会が街作りを変えてしまったのである。
六号線沿いに店が点々とあるのは車社会だからそうなる
街の通りがシャッター通りになるのもそのためである。
大きな駐車場が必要になってくるからである。

スーパーは一軒でもそこでなんでもあり相乗効果を出している
でもスーパーだけでは本当は街の形成はできないのである。
街というときそれは総合的なものであり必ずしも買物だけではない
ぶらぶら街を歩いてみたいとかあるからだ
イオンのように離れて巨大なものが一つあるというのは不自然なのである。
そこにツタヤとかあるのも相乗効果ではある、パチンコ屋もできたのもいいとはいえなくてもそうである。そこに人が集まることが相乗効果なのである。

いづれにしろ小池のコモドインでのランチは自分にとって新鮮な経験だったのである。
小池など通りすぎるだけであり何かそこを街のようには意識しない所だったからである。だから一つでもホテルができてそこでランチなどできるとなると感覚的に違ったものとなることを感じた、そして相乗効果が生れるのである。
その辺りは自然も豊富だから「注文の多い料理店」のような錯覚を産む場になったのである。



2017年04月21日

今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)


今日の鹿島駅(春の雷が鳴り虹がかかった)

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屋形の方に虹が見えた、でも駅からも見えたのである。
はっきりした写真をとるために近くでとったのである。



つばめ来る糞を残して田舎駅

春の雷人交わるや田舎駅

春の虹待つ女(ヒト) あれや田舎駅


今日は別に何もない駅だったが時刻表が汚れていた、それは昨日つばめが駅の中に入り巣を作ろうとしていたからである。
それでこれは掃除しなければならないと思った。駅でも汚れることがあり掃除も必要である。

それから突然春の雷が鳴った、かなり大きな音だった、次ぎにもう一回鳴って終わった
この時自分はなんとなく虹がかかると思った
そしたらうっすらと虹が出ていた、それで見えやすいところで写真をとった
虹は消えやすいので写真がとりにくい、そして写真でもそれがいつの季節の虹かわかりにくい、虹だけとってもわからないからである。
だから写真ですべてがわかるとはならないのである。

なんか今年は調子いいかもしれない、結局介護十年間というのは長かったのである。
十年一昔となる、それにしても時間はたちまちすぎると思った。
何かが苦しいことがあるとそのことに追われて時間がたちまちすぎる
そして次々に人が変わるのである。

80くらいになるとみんな浦島太郎になる、若い人は年寄りを知らなくなる、今の時代は特にそうなる、退職したりすると会社人間だった人は役目がなくなり会社の人とも交流がなくなり忘れられるのだ
とにかく人間は忘れられやすいのである。だから社会的役割を退職しても老後でも持つ必要がある
それでシニアのボランティアが増えているのもわかる、何か役割を求めてしているのである。

ただボランティアもむずかしい、それが利益を求めるとボランティアではなくなるし何かそれで報酬を求めてそうである。そういう人はシルバーセンターで金をもらった方がいいとなる、それもまた社会の役に立っているからだ
ボランティアは報酬を求めないことが基本にあると思った
もちろん自分のしていることはそんなもの何の役にたっているのともなる

ただ何か駅のボランティアが自分に向いていた、別に一日中いるわけでもないし時々来て駅をみているだけである。それでも何か用があったりするからいいのである。
今日は掃除しておくとかなる、するとなんらか役目があるとなるからだ
退職でも老後でも役目がなくなることが意外と大きな問題になってくる
生きがいもなくなるからだ、でもまた介護とかの仕事は負担が大きすぎてやれない、苦しくなるものはボランティアしにくいのである。
正直十年間介護してエネルギーを消耗したからである。

今日は春の虹を見たので縁起がいいとなる、それより天候は経験でこの空模様は虹がかかるなと察する、実際に今日はそうだった、この辺は海側に虹がかかりやすい、それも夕方に陽が沈むときにかかりやすいことは経験で知っていたからである。
だからこれは偶然ではない、確率的に虹が出やすい状態だったのである。
天候もだから偶然というより縁起がいいというよりは確率的に判断できるのである。

ともかくこのプログは刻々変わる変化を報告するのに向いている、天候は刻々変わっているからである。すると読む人も臨場感があって読むとなる
二日遅れとかなると何か臨場感がうすれてくる、だから今日この虹を見た人は共感するとなる、見ない人はあの天気だと虹がかかったのかとみる
ただ相馬市と原町では天候は違っている、鹿島だけで雷がなり虹がかかったようである。

2017年04月20日

小さな駅から見えるもの (車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


小さな駅から見えるもの


(車社会を批判した本を読む-「日本文明最強の秘密」増田悦佐)


「日本文明最強の秘密」増田悦佐)
は示唆に富んでいる、車と電車の対比で車社会の非人間性を説いている、それは常日頃自分も感じていた。
ただそれをこういうふうに明確に理論化することはできなかった。
車は人と人の交流を拒絶する閉鎖された空間なのである。
だから歩く旅なら必ず道行があり歩きながら旅すると親しくなったのである。
そういう人間的なものを排除したのが車である。
ある所で自転車でテントを張っていたら車から出てきた人がいた
その車に泊まっていることがわからなかった、車で寝泊まりしている人はわからないのである。だから交流もないのである。
たた車は閉鎖された空間だから自由がある、プライバシーが維持できるとなる
一方電車は区切られた部屋がない、ヨーロッパだとコンパートメントがあるがそこでも何人か一緒になる。何か車の人とは話ができない、そこに乗り合わせた人しか話はできない電車ではみんな一つの車両にのるだからそうした閉鎖的空間は作れないのである。

車社会は人を分散させ居住地差別を作り出し本質的に貧乏人、高齢者、ハンディキャッフをもった人間を排除する社会だ、車社会は車に乗れない人の身分を半人前にして彼らを社会の「一人前のメンバー」から排除した。

車をもつものともたないものの差は大きい、就職するにも車が運転できないとできない、それはなぜかというと当然車社会になっているからそうなっている
車で一軒一軒回るとか車なしでは何もできない社会になっているから車をもたない、運転できないのは一人前にならないそれは障害者と同じになってしまうのである。

それで駅でボランティアしていて不思議に思ったのは盲人が通っている、それで何回か電車にのせてやる、それは車掌も気にしている、やはり結構電車にのるのは危険なのであるハードルが高いのであり危険がともなっていたのである。
車社会では盲人でもそうした配慮がない社会である。車社会にとっては歩行者とか自転車は邪魔者になる、目障りなのである。そういう社会が車社会なのである。
車が必要であるとしても車が貨物だけの輸送になればかなり減るし違ったものになる
田舎では一人一台ももっている家がある、だから車が多すぎるのである。

つまり車をもたない人間はハンディキャップをもった人とにているのである。
でも車でも今は高齢者も80くらいでも普通に運転している
知っている人は80くらいの人にのせてもらっている、そのことによって頼りにされているでももしもっと年をとり運転ができなくる,危険になるときどうなるのか?
もう運転できなくなることは頼りにもされないとなる、第一夫婦がいて夫が運転できないというのは男としての能力もない頼りにならないとされるのが車社会なのである。
でも高齢化社会になると運転は危険になるし相手もいるから運転免許をとたあげるまでになる。でも車社会ではそうすると高齢者は無能化されるのである。

この本で指摘していることには自分は共感した。車をもっていないし生活は自転車が足となっているからである。でもさらに年をとると自転車も近くはいいとして遠くなると無理になる。その時電車を利用するようになるかもしれないのである。
高齢化社会には車が向いていないということがあるのだ
そして車社会はエネルギーの効率か悪いというのもそであり貨物輸送に向いているというのもそうである。遠い距離を運ぶには鉄道が向いていても荷物をおろして点から点の移動は向いていないからである。

そしてこの本で面白かったのは

高齢化するほど、新しい環境への適応能力が鈍くなるので、なるべく早く移住してしまったほうがいい、どうせ移住するなら一家離村、集落離村をして都市生活に適応した方がいい

こんなことを言っているが何かこの辺では原発事故で避難区域になった所ではもう一割くらいしか帰らないとなると町や村を維持できなくなる
それもほとんど老人だからそこでこれから生活を維持できなくなる
介護するにしても訪問するにも老人はまとまっていた方が効率的になるからだ。
だから老人は親しい人たちとかえって移住した方がいいのかとなる
ここには自分が書いたように町や村でも歴史的アイディンティティとか自然とのアイディンティティとかいろいろあり簡単にはいかない問題である。
ただ小高とか浪江を見ているとこれはもう前のようにはもどれないとみるからこれもありなのかと思った。これに異論があるし自分は賛成ではなかった。
でも現実的問題として老人だけ帰って復興できないしその老人を誰がめんどうみるのかとなるからこれもありなのかと思った。

ともかく駅が意外と自分にとって社会の眼を開かせた場所になったことの不思議である。なぜそうなったのかというと家族がみんな死んで一人になったことがあり淋しいから駅に行き話すようになったからである。
そして駅は意外と人間的な場だと発見したのである。多様な人々が交わる場所であることを発見したのである。
もともと自分は鉄道の旅が長いし旅ばかりしていたので鉄道が好きだったこともある
それが影響してボランティアの駅員になったとき鉄道を運営する側に立つことの不思議を経験したのである。

ただ鉄道の現状は過酷である。下の図でもわかるようにかろうじて常磐線は仙台まで残る線だったのである。それでもいわき市から原ノ町までは二両しかでなかったし過疎の線でもあった。しかし仙台まで通じることで常磐線は活きていたのである。
だから常磐線にかんしては過疎の線とは廃線にはならない線だったのである。

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地図を良く見なかったがいわき市まで常磐線は東京までの通勤列車がいわき市からもでている
複線でありいわき市から仙台間は単線なのである。
いわき市から原ノ町までは時間も別であり一時間に一本も通らない、いわき市から原町の間には市になっている区間がない
いつも二両の電車であり乗る人が少ないし駅も無人駅が多い
ここは過疎化している、今度は原発事故でさらにもう人が住まないとなるここの常磐線を維持するのは苦しい
双葉などはこの区間が開通してもとめれない、放射線量が高くて止めれない
でもいわき市と常磐線が通じないと鉄道も活きてこないのである。
たから3年後くらいに通じるがその沿線には人口が10分の一とかに減っているとしたらどうなるのか?
その影響はあまりにも大きいとなる

2017年04月14日

今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)



今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)


昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる

駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。

この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う

わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる

何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ

図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。

ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。

まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである



2017年04月10日

開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



2017年04月05日

とある田舎駅の人間模様 (春の日に盲人を導くー短編小説)


とある田舎駅の人間模様

(春の日に盲人を導くー短編小説)


つくづく駅にはいろんな人が来るものだと思った。今日来たのは盲人だった、その人はヘルパーなのか若い男が助けて駅まで来た
それで聞いてみた

「どこへ行くんですか」
「浜吉田です」
「あそこも津波の被害がありましたので驚きです」
「駅も津波をかぶりましたよ」
「そうですか、早く復旧はしたようですが」
「2年目でした」
「浜吉田はやはり浜が近かったんですね」

そこで目について失礼とは思ったが聞いて見た、何か駅というところは見知らぬ人でも話やすいことに気づいたのだ

「目が見えないのは一番辛いでしょう」
「30才になって見えなくなったんです」
「そうですか、30才までは見えていたんですね、じゃ社会のことがわかってから見えなくなった」
「ぼんやりとは見えることは見えるんですけど」
「全然見えないのとは違う」
「目が見えないと音には敏感になりますよ」
「そうでしょうね、でも目が見えないのは一番辛いと感じる」
「まあ、外にも辛いことはあるでしょう」
「電車にのるのは怖いでしょう」
「まあ、なれていますから」

まず盲人などと話したことがない、ただどこでもがある視覚障害者誘導用ブロックはあるのでここを盲人が歩くということは知っている、でもそんなに盲人が歩いているのを見たことがない

2種類あって誘導用のものが線状ブロック、一時停止、注意を促すものが点状ブロックです

そういえば確かにそうなっている、ここまで普通の人は注意していない、良く見るとその誘導用ブロックはホームのトイレまで導いている、つまりいたるところにあるのだ
普通だと電車に乗るのは危険だし怖いと感じる、ヘルパーが必要にも見える
それで自分が電車が来て誘導したのだがその時杖でたたいて乗るのだが結構危険だった
ただ車掌が見ていたから安全ということはあったのかもしれない
なぜか自分に車掌が挨拶して去って電車は去って行った。
駅員なら車掌も安全確認とかするのかもしれない、なぜ無人駅のボランティアの自分にしたのか、それは盲人を導いていたのでそうしたのかもしれない。

ともかく意外と田舎駅でもいろいろな人が乗り降りするものだと思った。
一番多いのは仙台へ行く人と来る人である。

「この駅には花がさしてあっていいじゃない」
「あれは自分がさしたんですよ、金盞花とか万寿菊という花でしょう」
「気がきいてるんじゃない」
「この花は長く咲いているんで好きなんですよ」
「花があるのはいいことよ」
「無人駅なんたけどやはり人がいないと困ることあるんですね、それで近いもので駅を見に来ているんですよ」
「常磐線も仙台まで開通して良かった、電車のありがたみがわかったね」
「そうですね、バスは不便だったから」

駅では良くホームで見送りするけどここは無人駅なので出入り自由になっている、それで見送りすることが自由にできるのもいい、駅で見送りすることが人間的な光景なのである今日は春の陽気であたたかった、それでまた一句作る

春日さし盲人導く田舎駅

万寿菊駅に明るくまたおいで

自分でもこの駅で毎日人と会って話しているのも奇妙である。なぜそうなったかというと家族がみんな死んでから家にいるのが淋しくなったからである。
だから今までは家族がいるときは介護していても淋しいことがなかったのである。
家族がいなくなると家ががらんとして淋しくなるのである。
妻をなくした一人暮らしの人がそのことをしきりに言うのもわかった。
そして一人暮らしの人が人ごみのなかにデハートなのかスーパーなのか行って淋しさをまぎらわしているという気持がわかった

駅前にはいつもタクシー会社の人がいる

「タクシーも歩合制ですか」
「まあ、おいしい商売ではないよ」
「歩合制でもある額を越えないともらえないよ」
「近くだと600円くらいだからな、数をこなすのも大変だ」
「基本給はもらいるけどいい商売ではないよ」

このおいしいというとき暴力団風の人が国から受注する仕事はおいしいと言ったのでタクシーの運転手がおいしくないというときそういうことがある。
おいしいというとき株とかなにか労せずにもうけることである。
でも何か一般的には仕事は地道であり目だたないし大きな収入にはならない
でも駅で見ていたら9人乗りのタクシーがありそれで小中学生を送迎している
すると一見タクシーは人を運ぶだけのものであり何の役にたっているのかと思うが実は
そのことは教育という仕事にもなっていたのである。
教育は先生だけが知識を教えるものばかりと思っているが違っていた
つまり裏方としてタクシーの運転手でも給食を作る人でも協力しているのである。
要するに仕事とはみんな部分をになっているからそれでタクシー運転手ならただ一区間を運ぶだけの仕事だとなり仕事の生きがいが感じられないともなる
何かこれだけ複雑な社会では人間の仕事はどうつながりあるのか見えないのである。

だから駅に来てみてそれが見えたということがあった、いろんな人が出入りしているのが駅なのである。いろんな人と接するのが駅なのである。
遠くの人とも接するからそれは外部とのつながりのある場でもある。現実に外国人も来ていたからである。
もともと鉄道の旅が長いから鉄道好きである。でも駅で別に話したりしなかった。駅はただ一時よる過ぎ去る場所にすぎないのである。
でも駅にはいろいろな人が出入りするものだと思った。高校生などは毎日通学しているし通勤している人もいる、でもこうして盲人なども来るということが違っていたのである。

2017年03月22日

駅の活性化を考える (付加価値とコラボーレーションの時代)


駅の活性化を考える


(付加価値とコラボーレーションの時代)

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チューリヒ中央駅

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体と
なっている。
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余暇的付加価値:

小規模な住宅地に接するように立地することで、非日常的な空間をもたらし、
「休憩」「おしゃべり」という余暇活動を促す。

 集客的付加価値:

国道との距離が近いことで、
道の駅のような役割を担い、「草花見学・育成」「駅
舎見学」という集客性の高い活動を促す。

 行楽的付加価値

駅舎とホームが直結することで、ホームへの出入りが容易になり、
ホームまで「駅舎見学」「飲食」という行楽地的活動を促す



社会は同じようなことを考えている人が必ずいる、インターネットではそれがわかるので共通項が即座にキーワードで出てくるのでそこから議論を深めることができる

駅の用途というとき普通は電車をのりおりする場としか考えない、人がそこで出会って分かれるという場でもある
だから別に電車を利用しない人でも駅前には仕事でも待ち合わせとか多様な人が訪れる
道の駅にもそういう機能があるが駅にもそういう機能があり道の駅のない町でも駅が一番目立つしわかりやすいから駅に行く
自転車旅行でも知らない町に行ったとき駅に行くのが便利である。
そこで情報を仕入れるのである
駅は街全体の中で機能する役立つ場としてある。

だから電車を利用しなくても駅前にもっと店やその他施設があれば集まる
それで南相馬市では駅前に図書館を作ったがあれは外から来た人は利用しない
まず自分も調べ物するとき旅行で立ち寄ったがとても時間も余裕もないのでできない
外から来た人はそうした時間の余裕がないのである。
図書館は相当に暇な人でないと利用できない、いちいち本を調べるのがめんどうなのである。
インターネットだとこのようにキーワードでそれなりのものが出てくる
これを図書館で調べるとなるともうできないのである。
だから図書館にはここ10年もほとんど行っていないのである。
家事でも時間がとられるからそうなった。原町で遠いためにもそうなる

駅では意外と多様な人々が来て分かれる場であることがわかった
高校生とかばかりが目だつけどそうではない、遠くから来る人が意外といる
今日あった人は千倉の住宅に中学と高校の時住んでいた人である。
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからそれも遠いと思った。
結構昔とか前にここに住んでいて来る人がいる

やはり一番多いのは仙台から来る人である。この前も墓参りに来たとかある。
この辺の墓地は仙台から来る人が多い、それだけ仙台との交流がこの辺は深いのである。車で来る人も嫁の実家がここだとかありそういう縁の人が来る
墓地を見ると意外と今は外から来る人が多い、仙台のナンバーは良くみかけるからだ。
仙台に移り住んで墓参りだけに来るといひ人もいるだろう。
現代は移動しやすい時代だから何代も墓がつづくということがむずかしくなり
墓が捨てられるというのもそうしてみんな広い地域に住むようになったからである。

「草花見学・育成」「駅舎見学」という集客性の高い活動を促す

要するに駅を公園とか花壇とか何か街の中で憩いの場所として活用する
電車が来る鉄道のみに利用を限定するのではなく街の中での駅舎の活用を考える
一つのものに限定して利用するというより街という中に鉄道の駅もあり活用される
そこは待ち合わせの場だったり人と人が出会う場であったり憩う場所だったりする公園とか広場の機能をもたせる
公園はあってもそこは地元の人しか利用しないし子供が少ないから子供もあまり利用していないのが淋しい

鹿島駅前には春の日がさしてクロッカスが咲いていた、そこは花壇になり憩いの場となるただ八重桜の木は切られたのでその影に休み電車を待つことはなくなった
駅は公園とか広場とかの機能がありそこに花壇があれば四季の花が楽しむ場ともなる
そして外からの人が来ても第一印象としていいものになる
原ノ町駅は大きくても前に広場もないし憩う空間がないのである。


なぜ自分が駅に行くようになったのかというと駅はすぐ近くであり一人になってからそこで人と交われるということを発見したからである。
ちょうど無人駅となっていたのでそれで何かしらの役に立つから行くようになった。
そしてホームに出入り自由だから見送りしているのである。
待合室で待っている人は誰かと話したい、今日あった人もそうである。
知り合いもいなくなっているとか言っていた。
そこに人がいて少しでも人と話したりすると駅でも活きた場所となる
何か今はそういう場所が少ない、コンビニでもスーパーでも買物する場であっても人と人が出会う場でもない、買物をすることで時間がとられる

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体となっている

確かに欧米では駅のホームへ出入り自由なのである。無人駅で駅員がいないから出入り自由になり自分は見送りしている、ホームに出入り自由になるとそうでないのとではかなり違ったものになる、ホームに出入り自由になるとそれは広場とか街と直結して出入り自由な空間となるのである。もし駅員がいて切符をみるとかするとホームには出入り自由になれないのである。そこに無人駅となり自由に人が行き来する空間が生れたとなるのも不思議である。
うらやましいのは自転車も自由にホームへ出入りできてそのまま電車にのせられるようになっている
自転車専用の車両があるからだ、だから街とホームとは道として直結しているのだ
日本のように輪行するとかなるとめんどうなのである。自転車をこのように利用できれば電車の利用も増えるはずである。

「駅舎見学」というときヨーロッパの駅は立派なのが多い、アーチ型のローマ風の威風堂々したもの大きな教会のような神殿のようなものがあるから駅舎が見学の対象にもなるしまたヨーロッパでは建物が人間に威厳を与える、それはアテネィの学堂というラファエロの絵にも現れている、そういう駅におりると何か人間にも威厳あるものに見える
ヨーロッパの文明は建築と不可分にあり建築が威厳を与えている文明である。
だから駅もそうした建築として威厳あるものとして作られたともなる

そして駅だと待つ時間がある、それが見ていると30分くらいある人が多い、それは外から来た人なのである。待ち合わせの時間がローカル線で生れる
都会の路線だと新幹線とかなるとそうした待ち合わせの時間はもてないのである。
その待ち合わせの時間があることでそれが人間な時間が生れるのである
ただそこで待っているだけではつまらないから多少でも話したりするといいとなる

新地駅とか山下駅は駅前が広く駐車場になり山下駅はスーパーができたので駅に人が集まるようになった。
新地駅でもまだ施設ができていないが温泉が出たとかで施設が作られると人が電車を利用しなくても駅前に人が集まる、鉄道だけの駅ではない、町全体の中に駅が活用するものとして新しく作られたのである。
海が見えるようになり見晴らしが良くなったことでもそこが外から来る人にとってもいい場所になった。
いづれにしろ駅を鉄道だけの駅として利用するだけになるとやはり現代の生活には合わなくなり廃れてゆく、市や町全体の中に駅も活用されるようにする
それはこの辺でも小高でも浪江でもそういう街作りを志向する、ヒントになる
駅が活性化する場として蘇るとういことがある。
ただ鉄道だけを利用するということになると廃れるのである。

現代は食事するにもただ腹をみたすだけでいいとはならない、その空間を楽しむとか何か付加価値が要求されている、ただうまいもの食べるというだけでは今の生活にはあわないだからいい景色があり内装もきれいだとかなると食べるものもおいしいとなる
要するに一つだけの価値ではない、付加価値が要求されて何かとのコラボーレーションが要求されるのが現代だとなる

2017年03月16日

今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る) (田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場)



今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る)


田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場


今日きたのは二人連れのドイツ人と日本人である。電気関係の人であり東北電力に来た
東北電力は鹿島からも近いから前にも来た人がいた、タクシーで行った
東北電力の火発は2000人くらい働いているとか雇用がある。

日本人はそのドイツ人を案内しているから英語がしゃべれる、まず英語がしゃべれないと案内はできない、理系とか技術者は英語を覚えやすいと思う
仕事でどうしても国際的になっているからだ、これは別に文系の仕事でもそうである。
今や庶民レベルでも国際化している
フィリピン人の母親を頼ってきた若者が英語をしゃべっているから別に英語がしゃべれるから偉いとはならない、その人はエンジニアだから違っている
ネパール人だって英語を話している、ネパールは世界の最貧国だけど英語は話しているのである。

そのドイツ人を案内した日本人がいたから通訳になったからこの辺の事情を話した。
ベトナム人とかネパール人が多いと話したら通訳したので理解した
会話と英語の文章読むのとは違う、会話は慣れが関係している
日本人は外人に特に欧米人にものおじするからしゃべれないというのもわかる
また相手がエンジニアとかなるとまたしゃべりにくいとなる
何か引け目を感じるからである。

今回来た人はステータスが一番高い人だった、だからかえってめずらしいとなる
そしてつくづく感じたことはこんな田舎町が国際化していることである。
これは十年間介護していて気づかないことだった
もちろん津浪とか原発事故で全国からも海外からも関心が集まり来たためである。

それにしてもこんなに一田舎駅が国際的になっていることには我ながら驚くし知らない人もいるだろう。
そんなに外国人が来ていたのかとなる、中国人ならめずらしくはない。
でも多様な人が来ている、ただエンジニアとか知識人とはなかなか合わない
そういう人とはなかなか話もできない、外人が俳句を作っているとしてもほとんどいいのがない、やはりこうした文化の理解となるとレベルが高すぎるのである。

でも国際交流はほんのちょっとした会話でもありうる、だから白馬村のおばさんが外人のスキー客を迎えるようになったのはそのためである。
日本が貧乏になるとき外人が観光客で迎えるというときどうしても国際化せざるをえな、それは庶民のレベルではじまっていたのである。

自動化した電光掲示板がジャパニーズオンリィというとき東京辺りでは英語ででてくるからかもしれない、いづれにしろ東京だって十数年行ったことがないから変わっているだろう、外人だらけだというとき前も隣にいた人が日本人だと思ったら中国人だということがあった。今はさらに多様な外人が来ていることはまちがいない
モノだけではない、ヒトが入ってくるとどうしても庶民レベルで国際化する
ただそれは前からあったことだが観光客が増えたとういことで誰でも外人と接する
すると英語も必要になる、ただこの英語でも会話力はやはり慣れだからあのように日常的に外人と接している人でないとすらすら英語がでてこないのである。
ドイツだと英語の元はドイツ語なんだから知識人は英語をしゃべれる

とにかく鹿島駅のような所が全国の人が集まり外人もいろいろ来る場となっていることには驚いた。
前から外人の労働者が来ていたことは来ていた。でも今は無人駅とはなっている田舎駅にこんなに外国人が出入りしていることには驚いた
だから何か毎日駅に行って案内することがある
外人ではないが今日は「右田の一本松」を見に行くという人が若者がいた
その人は歩いて見に行った、若者は3キロくらいは歩く、海の方まで歩く
そういう津浪とか原発事故関係で結構前よりは来ている
ここ何日かは風が吹かないので電車は遅れない

東北電力が大きい、その会社の人が住んでいる社宅、団地もある。
この辺では東北電力は大きな存在なのである。それは原発が東電がこれほど大きな会社だとういことを事故後に自分が自覚したのと同じである。
東北電力はこの辺の大きな仕事の場となっている
それは東電の原発とにていたのである。

ただその人はこの辺の事情を全然知らない人だった、はじめてきた人である。
原町がここよりずっと大きいということも知らなかった。
南相馬市として合併したことも知らなかった。
ここには何もない原町には何でもあると言った
ホテルもあると言ったが何にも知らないのである。
労働者として来た人はこの辺のことに詳しくなっている
その人は全然知らない人だったのである。

今思ったことは野馬追いのことをちょっと説明すれば面白かった。
写真も駅に飾ってあったからである。「サムライ」と言えば通じたかもしれない
つまり観光案内として駅にも人が必要なのである。
ただ待ち合わせ時間でも短いから観光案内とまではいかない
日本人だったら観光に来ている人がいるから案内できる
外国人で仕事に来た人には説明するのは時間がかかるしめんどうだとなる
「サムライ」が通じれば通じたかもしれない、しかしその「サムライ」さえ知らない人がいる、フィリピン人の若者は相撲は知っていてもサムライは知らなかったからだ。

今日とまっていたのは原町の平和タクシーである。
その運転手が言うのには鹿島から原町へのせることはできるが
鹿島内はできないという、権利がないからできないという
タクシー会社も権利が制限されている、今は鹿島では北郷タクシーしかないのである。
鹿島の駅前はともかちこうしていろいろな人が出入りする場だったのである

ともかく国際化しているということはあらゆる面でそうだが最近は観光面で国際化している、別に欧米人だけではない、中国人は普通になったが東南アジア方面からも来ている
だからそうなるとみんな英語が通じるわけではない、そうなるとコミニケーションに困るかえって中国語はわからない、発音がわからない、だからこの辺にいつも中国人がいても話すことはできないのである。


2017年03月14日

鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー ( 小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない)



鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー


小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない

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鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー



これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。

でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである

その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。

ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。

結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。

それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。

このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。


ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。

2017年03月10日

今日の鹿島駅 (カナダに住んでいるフィリンピン人の若者?)


今日の鹿島駅

(カナダに住んでいるフィリンピン人の若者?)


今日あった若者はなんかわかりにくかった、フィリピン人であり母親が鹿島に住んでいるという。
父親というとわからない、母親が住んでいるからカナダから来た。
でもその若者は15年間カナダに住んでいてカナダで育った、国籍はフィリピンなのかもしれない。カナダに住んでいるという

カナダのどこと聞いたらアトランタだという、でもアトランタはカナダだと思ったがアメリカだった。ただアトランタ航空でカナダに入ることがある
その航空の利用を言ったの?でも何度も自分はカナダに住んでいると言ったのである。
なんかこの辺が不可解になる。
どうもアトランタをトロントと間違いたらしい

ただ間違いなく鹿島区に母親が住んでいて来たことは確かである。
名取にビリヤードに行くと言っていた、これも何なのだろうと思う
なぜカナダに住んでいるとい言ったのか?
やはりアトランタとトロントを間違えたとしか思えない

英語がしゃべれるからアメリカでもカナダでも住める、この人は良くわからなかった。
前にはアメリカの英語の先生がいた、一番感心したのは日本語を流暢に話す中国人だった元の満州の吉林省から来た人だった、三年間いて流暢に日本語を話すようになっていたから驚きである。

田舎でも今や広域化して国際化しているのだ、まず中国人はどこにでもいて働いている
それから出稼ぎ者がこの辺では来ている、この前はベトナム人は中国人に連れられて工事現場に日本人が車で連れて行った。その中国人は日本語を話すことできたのである。
中国人はどこにでもこうしている

東北サッシの社長が神奈川に住んでいて見送りしたとかいかに田舎でも広域社会で国際化社会になっている、その若者の母親がフィリピン人だということは農家に嫁いだのとも違う、水商売関係の人なのか?フィリピン人関係は多いからである。
仮設に住んでいる小高の人がフィリピン人の女性を連れ込んでいたとか聞いた
なんかこれももしかしたらつながりがあったら奇妙だとなる

毎日駅に行っているがここ三日くらいは風で遅れていない、でも風は多少吹いている
本当に田舎の小さな駅でもこれだけの多様な人が出入りしていることには驚いた。
レンタカーで駅に来た人は鹿島から仙台に嫁いだ女性がいて実家に帰ってきた
子供もいた。この人は別に鉄道を利用して来たのではない
駅を駐車場として利用していたのである。そういう人に何人かあった
福島市から仕事に来た人もいた、レンタカーを利用していた。
タクシーで来た人もいた、つまり駅は車の人も駐車場として利用しているのである。
ただ鹿島の駅の駐車場は狭い、駐車場を広くしていればもっと人が集まる場所になる
新地とか山下駅前は駐車場を広く作ったから鉄道利用しない人でも集まり安くなったのである。
特に山下駅はすでにキクチスーパーができたから余計に集まり安くなった。

フィリピン人の若者はセブンエレブンがないとか聞いたから近くにあると教えた、橋をわたってすぐだと教えた、途中のキクチスーパに寄って買物した。
待ち合わせ時間が一時間くらいあったからである。
鹿島駅前には何もないことが問題なのである。前にもそういうことがあった。
お土産は六号線の香の蔵で買う人がいたが駅からは遠いのが問題なのである。
まあ、キクチスーパまではそれほど遠くないといえばそうだが電車の待ち合わせ時間はそんなに長くはない、するとどうしても何か買う店が必要になるのである。
でも鹿島は小さいから何もないのである。相馬市と原町駅前にはある
ただ毎日行っていると待ち合わせする時間をもてあます人がいる
何か買いたい人もいるがそれがないのである。

来日フィリピン人の変遷と現状

フィリピン人は人口の約一割が海外で働いている、移民の国である。
アメリカとかカナダにも多い、英語がしゃべれる国だと移民しやすいのである。
ただフィリピン人でも英語をしゃべるれ人は少ないという。

フィリピン人が英語をしゃべれこる訳

英語が身につく環境が実際の生活の中であるからである。
日本だといくら英語を習ってもそれを使う環境がないから英語ができないのである。
自分も日本にいたらほとんど英語はしゃべらない
必要ないからそうなっている、旅行で使う英語は限られている
だから海外旅行したくらいで英語を使うとしても深くコミニケーションする英語は使えないのである

2017年03月08日

今日の鹿島駅 (名取の空港から大阪へ行く人)


今日の鹿島駅

(名取の空港から大阪へ行く人)


今日は風もないから電車は遅れない、ここ三日くらいは風がなくおだやかなので遅れがない。今日であった人はどうも記者らしい、どこかで見た顔でもあった。

「名取から大阪に行くんです」
「大坂まで飛行機で、いくらかかります」
「8000円です」
「それは安いな、新幹線だったら大坂まで3万以上かかる、そんなに安かったのか」
「常磐線が仙台まで通じたので名取の空港に行き安くなったんです」
「でも最近毎日のように風で遅れているから困る人もいた、新幹線に乗り遅れたとかいう仕事の人がいましたよ」
「名取まで直通だし何便かは大阪に行きます」
「大阪城の桜は見物だったな、西を旅すらなら大阪へ飛行機で行った方がいいな」

仙台空港から大阪への飛行機代が8000円というのは安い、沖縄に仙台空港から行ったけど3万だった、帰りも3万だった、往復6万となると高い、そんなに安いのかという驚きだった。
これはいろんな航空会社があり選び予約するのが結構むずかしいかもしれない、ただこれだけ安いものがあるのか?
普通は2万5千円くらいになっているからだ。
つまり常磐線が仙台まで開通し結果として名取へ行くのが便利になったから利用する人も増えるとなる
でも大阪も外国人だらけというとき何か泊まるホテルさえ確保できない、カプセルホテルには泊まれるのか?自分が泊まっていたのは東京ではカプセルホテルだった。
今になると外国人でホテルは泊まれない、何か外国人が増えて窮屈になっている
だから日本人が日本を旅行するのに向いていないともなった。
東北辺りはまだ空いているから旅行はしやすいだろう。

もう一人であった人は地元の人であり東北サッシの人だった

「あの人は社長なんですよ」
「ええ、あの人がですか」
「神奈川の人なんです」
「東北サッシというと桜田山にありずいぶん古い」
「50年たちました」
「その頃からあったのは知っています」
「今は人手不足で困っています」
「なかなか熟練しないとやれない仕事でしょう」
「70人くらい従業員がいますが人手がたりないんです」
「この辺は仕事が復興事業で増えましたから」

社長は神奈川の人でありその人を駅に見送りに来ていたのである。自分も一緒に見送ったのである。無人駅になりホームに出入り自由だからできる
その社長はこの土地の人と縁故ある人であそこに会社ができた。
駅にいると意外とそこが人の出入りする場所、情報を得る場所交換する場だということがわかった、今日は会社員と見ていたが征服が背広のような黒だったからそう見た
その女性は相馬高校だった、その制服だった、前は紫色の縞模様だった、だから征服も変わった、何か会社員のような制服に見えた
何でも吹奏楽部に所属していてその関係で来ていたらしい。

ともかく駅は意外といろんな人が出入りする、若い人でも年寄りでもそうである。
なかなか若い人と話す機会がないがあそこでは話せる
つまり駅では同世代の人とか年寄りとかばかりいるむけではない、世代だけではない、いろんな人が職業も様々な人が出入りしている場である。
今はまだこの辺は工事関係者も外部から来る人が多い、だからソ連時代にミシンを売るためにガサフスタンまで行っていた人に出会ったことは驚いた。
その人はこの町に住んでいるのである。

自分にとっては駅は面白い場所だと気づいた、いろいろ話できるし情報も得ることができる、大坂間で飛行機で8000円で行けるのは意外だった、特別安い切符を手に入れたからかもしれない、飛行機代も季節により変わってくるからである。

そして無人駅でも困ることがあると利用している人も言っている、何かとまどうことがあるからだ。最近は風で遅れることが最大の問題だったのである。
遅れると新幹線に間に合わないとか飛行機だともう乗れないとかまでなるから怖いのである。

ともかく自分は旅をしてきたから乗り物には興味がある。飛行機でもかなり乗ったからだただ飛行機のことについては良くわからない、だから8000円で大阪に行けるとなるとそこから瀬戸内海と九州に行った方が得だと思った
ただ春になれば外国人も増えて日本は旅しずらくなった。自分が旅したとききは一番いい時期だったともなる、これ時代なのである。
何かするにもいい時代と悪い時代があり時代の影響をまねがれないのである。



東北サッシ工業株式会社

本社工場
〒243-0401
神奈川県海老名市東柏ヶ谷6丁目20番32号
TEL 046-231-4021 FAX 046-231-4026

・東北サッシ販売株式会社
南相馬市鹿島区寺内字迎田39
TEL 0244-46-5291(代) FAX 0244-46-5292

・東和工業株式会社
南相馬市鹿島区江垂字桜平41
TEL 0244-46-2131(代) FAX 0244-46-2125

・東北精工株式会社
南相馬市鹿島区南柚木字仲板282

東北サッシの本社は神奈川県にあり鹿島区にこれだけ会社がある。
東北サッシはこの辺では大きな就職する場になっている
ただ人手不足なのは全国的にもそうだがここは特にそうなっているのである。

2017年03月07日

故郷の駅の八重桜(詩) 思い出のある場所が故郷


故郷の駅の八重桜(詩)

思い出のある場所が故郷

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信号室があり新しく鉄塔が建てられた

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建物財産標とは、国有鉄道(→JR)が建物の用途毎に設置した
建物の分類や建物の使用開始(或いは登録)年月日を示した札である

M 30年とあるのは

1897年(明治30年)
1898年(明治31年)
Mは明治のことでありこの駅舎は明治30年に建てられたから古い
そして31年に鹿島駅が開業した

30年に中村駅が開業して31年に原ノ町駅が開業した
ともかく建物財産標はそれだけ古いものであり鹿島駅は古い駅舎そのままだった


ふるさとの駅に
八重桜咲き
その花の影に
我がたたずみて
電車を待ちぬ
そのあたたかき
ほのぼのとしたる
八重桜かな
母のごとしか
姉のごとしか
我を待ち迎え
見送りしものあり
しかし悲しかも
その八重桜は切られて
その根のみ残りぬ  
ああ 我が母も姉も死ぬ
我を迎え待つ者のなしも
我はただその切られし
切り株を見るのみなりしも


一本の桜と古い駅

鹿島駅には八重桜が咲いていた、それが5年8カ月ぶりに再開したとき切られた、根が残っているがそれが桜となるのかわからない
自分はいつもその八重桜の下で電車を待っていた、電車は待つということがありそれが人間的なのである。待つということは人間的時間を作り出している
今は忙しいから待つ時間がもてないのである。10分20分でも待つ時間があるとそれが人間的な時間となり思い出となる。だから新幹線は何か思い出となりにくい、ただ目的地に行くだけだとなるから旅にはあまり向いていないのである。

昨日も広島から来た人がいた、何か駅舎の作られた年を見ていた、36年前とか書かれていたのか?これには注目していなかった。ここも5年ぶりとかに再開したので鉄道マニアでも来る人がいる。広島は遠いなと思った。ただその人とは会話は成り立たなかった、会話できる人とできない人がいる

ともかく毎日駅に行くとそこで人とふれあうことができることがわかった。
自分は家族がいなくなって本当に淋しくなった。もう待っている人も誰もいない、それが悲しいとなる、八重桜はほのぼのとしてあたたかい、桜とは違ってすぐ咲いてぱっと散るのとは違う趣がある。それはぱっと桜が咲いて散った後ほのぼのと咲くのである。
それは何か母のごとく自分の場合は姉のごとくとか愛を感じる
複雑でもそうである。八重桜はそういう家族の愛を感じるのである。

その八重桜が切られてないことがショックだった、信号室があって何か鉄塔を建てたために切った。それが残念だった、切り株だけが残っている、この根からまた新しい八重桜が咲くのだうか?
その八重桜の根を見たとき自分の家族が死んだのでそれを同時に思ったのである。
根だけしか残っていない、それは墓だけしか残っていないとかともなる
何か故郷というときそういう思いとか愛着がある場所なのである。
家族をみんなもっているからそういう愛のある場所である。

ただ家族に愛があっても故郷の人は愛があるかというとまた別である。故郷を一茶のように嫌悪するものもいる、ただこの辺では故郷とは何かとか避難したり故郷自体が消失したりしたから考えるようになったのである。
津波でも村そのものが消失したりしたからそうした愛着ある場所がなくなった
そのことがショックだった、老人が帰りたいというときそこに愛着があるからである。
それが失ってみてわかる、それがあるときは考えないのである。
だからここでも八重桜が切られてなくなったとき自分も考えたのである。
それが貴重なものであり思い出の木だったのである。
そういうことがこの辺ではいたるところで起きたのである。

右田の一本松というと津波で残った松だがあれはそもそも松原としてあったから一本の松としては意識していなかった。松原は一本一本の松を意識しない所だった
駅の八重桜は一本の木として意識していたのである。
要するに自然でも人間化する、八重桜には家族とか母とかでも人間をみるのである。

ともかく家族をみんな亡くして誰も待つ者もいない、それが淋しい、世間の風は冷たいが家族の愛につつまれていたときを思い出すのである。
それが思い出となってしまった。今は自分が待っていて迎え見送りしているというのも奇妙だとなる。
駅が結構いろんな人が出入りする、すると淋しさもまぎれるのである。
一人暮らしの人が老人がスーパーなどに毎日行くというときその気持がわかる
そういう人が出入りする所で淋しとかがまぎらわすのである。
それは妻を失ったとか一人身になった人しかわからない心境である。

家族が死んだり愛する者が死んだりするとそれがずっと尾を引いて癒されないのである。それはなぜか、死んだ人とは二度と会えないからである。会えないからこそまた悲しみがつのってくる、生きているときは嫌な人でもあったことはある、でも死ぬと二度と会えないから余計にまた会えたいとなるのである。
だから人間は二度と会えないということで会っていると有意義になる、一期一会とかなる自分は60年も一緒にいたからそのことで忘れられないとなる
だからどうしても老人は故郷に思い出のある場所に帰りたいとなるのである。

木造の古い駅舎

2017年03月05日

今日の鹿島駅(春の日) (10年ぶりにいわきをまわり来た人)



今日の鹿島駅(春の日)

(10年ぶりにいわきをまわり来た人)

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紅梅や仙台に通ず線路かな

鹿島駅十年ぶりに来たりしと春の日さして鉄道の旅



今日は風がなく遅れがなかった、春の穏やかな日だった。土浦ナンバーの水戸管理局の人が信号室を見て回っていた。一人はこの前来た検査車両に乗ったことがあるという。
あの検査車両は浪江とか双葉大熊まで電車を通すために実験している車両である。
浪江は今年中に再開する、3月30日で避難解除になるからである。

そして双葉から大熊とかを通っていわき市までも開通する、その工事は点検ははじまっていたのである。ただ放射線量が高いので双葉とか大熊の駅にはとまらないという。
浪江から双葉に入ると0・5マイクロシ-ベルトから7マイクロシーベルトになるから高いから止まれないことがわかる。でもそうなるとなかなか双葉、大熊などの復興は遅れるとなる。いづれにしろいわき市までも通じる日が近いことを知った。

今日会ったのはいわき市からこっちに回って来た人だった、何かこっちに縁があったらしい人である。茨城の大学に在学していたというからだ。
震災前に来る予定だったがこれずに10年ぶりに来たという。鉄道の旅が好きだとは言っていた。今日は日曜日だから仕事ではない。
10年ぶりに来たとなればなつかしいのかもしれない、仙台まで開通したので来たのだろう自分でも介護ですでに東京に十年以上行っていないのである。

昨日は福島市からタクシーを貸し切りで鹿島駅まで来た人がいた。前も福島市からレンタカー借りて来た人がいた、鹿島では待ち合わせ場所がないので駅にしたという。
福島市から来るのは福島市に県庁があり仕事で福島市から南相馬市に来るということがある。新幹線を利用しても遠回りで時間がかかるから金がかかっても会社なら金が出るからタクシーできた。福島市には貸し切り専用のタクシーがある。
辰己屋というタクシー会社である。この会社を近くの人が知っていた。

近くに星自転車屋と大沼菓子店がある、10年ぶりに来た人は香の蔵でお土産を買った
うまいと言っていた。前に東京から来た人がわざわざ六号線の香の蔵にお土産を買いに行った、あそこまで行くのは不便である。
スーパーキクチの方が近い、あそこでも菅野漬け物屋のものは売っている、数はすくない

とにかく駅はこうして出会いの場所なのである。外から来る人が必ずいるしまだ工事関係とかで来る人もいる、やはりまだ開通したばかりだから外から来る人が多い
だから意外と何か用がある、別にいなくてもいいがやはり無人駅は困ることがある。
3月4日からの時刻が変わるので時刻表を置いたけど風で飛ばされていたのである。
それを原町駅に連絡したらすぐにまた置いた、セロハンで箱をはりつけて飛ばないようにしていた。時刻表をみんなもってゆく

ともかく紅梅が咲いて線路は仙台に通じているのがいい
いわき市まで通じればさらにいい、ただ特急ヒタチは走らない、もう走る姿を見れないとなるのは残念である。新幹線があるから時間的には東京まで行くのは変わらないからである。でももう一度鉄道ファンなら乗ってみたいということがある。
ただ十年以上その人もこっちに来なかったが自分も十年以上介護とか東京に行っていないのだ。時間がすぎるのはとにかく早いのである。

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福島貸切辰巳屋タクシー


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 常磐線の復旧に400億円かかっているからすごい、でももうけているのは新幹線でありあとは5パーセントしか収入がない
新幹線に接続するものとしてローカル線がある。ローカル線が維持できるのは新幹線があるからだとなる
これが鉄道の経済の実体なのである。

2017年03月04日

車の話題 (車と鉄道が合体する場としての駅を考える)


車の話題


(車と鉄道が合体する場としての駅を考える)


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鉄道社会なら借金せずともどうにか暮らせるが 
車社会では大部分は嫌でも車のローンを抱える事になる。 
しかし、税金すげー払ってるよな考えたら。今年からリサイクル料金もいるしな。 
もうすぐ車検で頭痛いよ。駐車場代だの車検・税金、保険料とかに随分使ってるな。 
別に車が絶対必要な訳じゃないし、どうしてもの時は 
レンタカーやタクシーで代用できるからなぁ。手放したら海外旅行2回ぐらい行けそうだ・・ 

地方はフリーターでさえも車が必要。 
例え貯金無くともフルローン組んででも車が必要。 
自動車税、ガソリン代、オイル交換、タイヤ交換、その他諸々・・ 
果てしなく金が必要。 はよ脱出したいわ。 
しかし、車関係に金掛かって貯金が溜まらない。 何の為に働いてるんだ俺? 
ガソリン税、重量税、自賠責、自動車保険、維持費、 
取得税、駐車場、車検、リサイクル料、自動車税、消費税、 


自分は車をもっていないから車のことがわからない、すると実は今の社会もわからないのとなる、なぜなら今の社会は車なしではありえない社会だからである。
自分は家庭環境に恵まれて別に仕事もしなくても良かったから車がなくても良かった。
おそらく車をもっていたら自分は事故で死んでいた。
なぜなら自分は車を運転できない、注意散漫でできないからだ。
自分は金はあっても車をもつ気になれなかったのはそのことがある
そして車だと自然を遮断する、自転車だと常に風を感じるから自然を感じる
今の季節なら海から東風(こち)が吹いて来ているから春を感じる
この東風が3・11に吹いたため飯館とか福島市まだその風に乗って放射性物質が運ばれたのである。
車はまた注意していなければならないから外の景色をゆっくり見れない
ただ密閉した箱の閉ざされた空間が移動するだけだとなる
風を感じないというとき風土も感じないとなり旅したことにもならなくなる

とはいえ現代で車をもたない人は変わり者であり貧乏に見られる、仕事でも車が必要だからまともな仕事につけないともなる、車のことがわからないと実際は社会不適格者になっているのが現実である。そもそも自分は社会不適格者だったのである。
社会に適合できなかった、それが学校時代からはじまっていた、集団生活ができない、そこには甘やかされて育ったということもあった。
ただ大学に入ってから体育系の部に入ったりカルト宗教に入ったりしてなんとか集団生活になじもうと必死だったのである。
ただその後は仕事は流れ作業のようなものしかしていないから仕事を嫌悪するようになってしなかった。家庭環境に恵まれたからそういう生き方もできたのである。

車をもたないということは原町の六号線から入るモスバーガーを20年間知らなかった
あそこは車しか入れない場所だと思っていたのである。
あの辺には喫茶店がなくていつも困っていた,自分は喫茶店が好きだった、喫茶店で物思いにふけるのが自分だった、今やこの喫茶店はめっきりへった。
でもあそこに20年間も喫茶店としてあったのに気づかなかったのは車を利用していなかったからなのである。そういうことは今の社会では相当にある。
車をもたないということは戦国時代なら馬をもたないと同じとなってしまう。
足軽として仕えるような身分になっているのだ。足軽とはまさに足で歩くほかない職業だったのである。

ともかく田舎では車がないと生活できないというとき農業でも車なしではできない、軽トラックを必ず使うからである。最近知人が80近くになるのに新しい軽トラックを買った
農業しなくても軽トラックは必要なのである。それで軽トラックが一番売れていることでわかる。
ただ新地から鹿島に通っている人が50過ぎだろうか?免許もっているのに車が金がないというのはどういうことなのか?そんなに貧乏なのか?
中古品で20万で買える、その金もないのか、ガソリン代とかかかるとか言っていたがそんなに貧乏なのかとなる、車は実際はいろいろ保険とか車検とかかかる
金のかかるものである。自分は車を乗っていないからその分一千万くらいはトータルで金がかかっていない、残ったともなる
ただ車を知らないということは現代の社会を知らないということなのである。
それは何かと自分は隠者のような生活をしていたから社会を知らなかったのである。

なぜ車のことをしらないと社会の不適合者になるかというと社会自体に関与できないということもある。
例えば今この辺は津浪や原発事故で困っている、ではその復興にどうするかというとき車社会になっていれば車をどう活かすかが問題になる
とすると車を乗っていない者はそのことがイメージできないのである。
でも鉄道には関心をもっていたから鉄道の駅の回りに駐車場を広く新地とか山下では作ったので鉄道と車が合体したようになり駅周辺が活性化した。
別に鉄道利用しない人も車で駅周辺に集まるとういことがあるからだ。
そして鹿島駅に福島市から来た人は待ち合わせ場所として駅を利用していた。
目立つ所がないのと道の駅がここにはないからだ。
駅はやはり街の中心としてありその再開発として考える必要もある。
浪江でも鉄道が開通したら駅中心のコンパクトシティにするようになる。

いづれにし日本は貧乏社会になっている、消費者金融から借りている人が一千万人いる。その数も多い、近くでもみんな借金している、遂に犯罪者になる人もいた。
金をもっているようでも立派な家に住んでいても借金していそうしている借金社会になっているのが現代である。
ただ車が買えないというのは相当な貧乏だと思う。
車というとまだアジアの後進国では買えない、ベトナム辺りでもホンダのバイクとかが交通手段であり道一杯にバイクであふれているのである。
だから車が普通にあふれている光景が世界ではすべてではないのである。
カンボジアではバイクで観光していて中国人がそのバイクを土地の人に貸して商売している、あんな商売なら資本金があればできるなと思った。
なぜならバイクはそんなに高くないからである。カブであり安いからである。
カブの時代が日本にもあったことを思い出したのである。その時は車は普及していない

ふりかえると高校生まで蒸気機関車で原町まで通っていたことの不思議である。
トンネルをくぐると煙で煤になっていたからである。しかしその後すぐ電気になりその頃一番鉄道が利用されていたと南相馬市のチャンネルで放送していた。
あそこにホーム側とは待合室側でソバなどが食べられる丸屋の経営の店があった。
あういうものが手きていたことはやはり繁盛していたからである。
鉄道の利用客が多かったからである。国鉄時代を築いた一時期があったからである。
自分の母親が原町で原町紡績-原紡に勤めていたがその原紡に引き込み線がある写真があった。鉄道と直結していて運ばれていた。戦前であれ原町からも森林鉄道網が縦横に走っていた。そして木材とか石とかを積み出して東京に運んでいたのである。
それは資源を国内で利用していたから全国的にそうだったのである。
だから原町駅にもその貨物をのせる引き込み線かあった
それが車時代になり鉄道は衰退した

だから常磐線でもそうして繁栄した時期の半分以下の乗客になっているだろう
だから何か400億もかけてよく鉄道を復興したと思う、それだけの利益をこれからあげられるのかとなると疑問だからである。でも鉄道はこれからまた見直され利用されるようになるかもしれない、車だけに頼る時代は今やまた車が売れないとか買えないとか貧乏時代になるとまた変わる、車はなにかと金のかかるものだからである。
それでも車のことがわからないと社会はわからないのが現代である。

鹿島駅の前は駐車ス-ペスが狭すぎる、自転車置き場がある所は個人用の駐車場として決められている、だからあそこにはとめることは違反なのである。
つまり鹿島駅は駐車場がないことが一番の問題なのである。
通りが廃れたものただ車が通過するだけだから廃れた
駐車場を広くとれないからである。それで新地駅とか山下駅は駐車場を広くとれたし山下駅にはキクチスーパーができたから駅前に人が集まるようになった
車と鉄道が合体したような場になったのである。




タグ:車社会

2017年03月03日

今日の鹿島駅 風で遅れて新幹線で帰れない人がいた


今日の鹿島駅


風で遅れて新幹線で帰れない人がいた


今日も風が吹いて電車が遅れた

「新幹線で帰るつもりが帰れなかった」
「仕事だと困るでしょう、時間を決めて合うこともあるし時間どおりに運行しないと予定が狂う」
「この前は相馬市からバスで仙台に行きました」
「そうですか?まだ仙台までの直行のバスが出ている、バスは風と関係ないからいい

こうも毎日遅れると困る人がいる、バスもだから必要ともなるな」
そういう仕事の人もいた

もう一人は前にも見かけていたが新地の人だった
仕事でいつも鹿島に来ていた
話できな人かと思ったらできた

新地駅は立派になっていいよな」
「俺は運転免許もっているが車買う金ないんだよ」
「運転できるのか?、中古安いじゃないか」
「金がねえんだよ、ガソリン代もかかるしな」
「車はもつだけで車検とかもあるし金かかるよな
自分は金はあるけど運転できない、運転免許あるのにもったいないな」
「金がねえんだからしょがねえよ」
「世の中金があっても何もできるわけじゃないよ、うまくいかないんだよ
自分は自転車で原町や相馬市に買物しているよ」

あの人は話できない人かと思ったら話できる、これだけ話すればそれなりにその人のことがわかる。
もちろん車が運転できても車を買う金がないから鉄道を利用している
そういう人もいたということである。

「新地の駅は新しくなっていいよな、何であれだけの土地があるのに家がたたないのかなやっぱり金がないのかな、鹿島では三つくらい新しい街ができたくらい家が建ったけどな」
「家は建たない、金がねえんだろう」
「新地に原発の補償金はおりてねえらからな、その差は大きいよ」

新地の駅前に広い宅地用の土地があるが家が建っていないのは変だなと思った、鹿島では次々に新しい家がたち三つくらい新し街ができた、だからそれと比べるとなぜあれだけの広さの土地にまだ家が建ってないのかなと思った。
新地に他から来た人も小高でも大熊とか浪江とかからも来て建てた人がいる、小高の人が建てたとは聞いた、やはり原発の補償金がもらうのともらえないのではその差が大きい
津浪で家を流されても津浪の被害だけでは金が入らないからだ。

ともかく駅はいろんな人が出入りする場である。地元の人でも外部の人でもそうである。今日はおしの人が来ていた、最初わからなかったがしゃべることができない、耳が聞こえない、字は読めるからスマホを見ていた、説明したらなんとかわかったみたいだ。
別に障害者でも来るがめずらしいとは思った。
つまりいろんな人が駅には出入りしているのである。


2017年02月28日

鹿島駅に止まった「電気・軌道総合試験車」は格好いい (浪江まで開通する準備らしい)


鹿島駅に止まった「電気・軌道総合試験車」は格好いい


(浪江まで開通する準備らしい)

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この車両は、線路に異常がないか走行しながら検査する「電気・軌道総合試験車」とか「検測車」と呼ばれる車両。
この白地に赤いラインの外観の車両は、JR東日本が2タイプ所有する。
1つは、電車(モーターで走行)の「East i-E」。茨城の勝田の車両基地に所属。

この列車を見たことがある方は、かなりラッキーかも。日本中に1本しかなく、神出鬼没な列車だから。
ただし、秋田市内の車両基地(秋田車両センター=一つ森公園と金照寺山の間)に所属しているから、秋田では他地域よりは見やすいかも。

今日止まったのはこの車両だった、客車かと思ったが「電気・軌道総合試験車」というものだった、なぜこれがここに来たのか、線路の点検などで一両くらいのはくるがこんな長いのは来ない、だから珍しいし写真をとった

これは3月に浪江が避難解除になり電車も開通するということでそのための点検に来た電車だった。
この車両は一本しかないというと滅多に見れないものだとなる
インターネットだとすぐわかったから便利である。

鹿島駅に毎日行ってきるけど何かあるのが不思議である。
この前は中国語で話している人がいた、中国人が二人にベトナム人が一人だった、
これも不思議な関係だと思った。
ベトナム人を中国人が案内していた、その中国人は日本語がしゃべれたのである。
それで迎えに来た車にそのベトナム人をのせたのである。
工事関係か除染関係かそういう人がまだこの辺には来ている

仙台に行くという若い女性がいた、その人はなまりが違っていたらどこと聞いたら宮城県の人だった、宮城県は近いけど語尾に「だっちゃ、だっちゃ」というのが違っている
相馬ではだべとしか言わないからだ。新地ではもともと伊達藩だからだっちゃというらしい、新地の女性でだっちゃと言う人がいたからである。
なまりなつかし停車場というのはやはりそうである。
言葉にはなまりがありその人が土地の人とは違うなと判断する、でも今は標準語を話すから分からないことはある、でもなまりはでてくる、それでお里が知れるとなる
それがまた面白いともなる

ともかく鉄道好きなのはこうした車両に魅力を感じる人もいる
自分は鉄道の旅が長いから興味がある
浪江まで開通することもかなり復興にはなる
やはり新地や山下のように駅前を開発して人を集めるというのも見習うべきだろう。
鉄道が街の基点、玄関口になることを見直すことも必要である。
新しい街作りというとき長い通りの商店街は向いていない、なぜなら車の時代だから車と鉄道とが合体したような新地とか山下駅が参考になるのである。

「お帰りなさい」というとき上がり志向から下り志向になる時代でもある
駅は「お帰りなさい」というだけではない「行ってらっしゃい」という見送る場所でもある、だから自分は行ってらっしゃいと見送りしているのである。

2017年02月17日

風の影響で毎日のように遅れる仙台までの常磐線 (駅は人が交わる人間臭い場所だった)


風の影響で毎日のように遅れる仙台までの常磐線

(駅は人が交わる人間臭い場所だった)


今日は春一番が吹いて風で電車がまた遅れた。最近はともかく風が毎日吹いて電車が遅れる、最初は3分とか4分とかだが50分とかになり運休になる場合もある
今日は特に風が強かったからそうなった。

一時間とか待つとなると急いでいる人、仕事している人は困るだろう。
阿武隈信用金庫の人が何か投資の講演会があると人を待っていた。
その時はまだ遅れていない、その後に遅れたのである。

銀行は銀行法において、株式会社であることが規定されています。株式会社である、ということは、株主に利益を還元しなければ存続できなくなりますので、銀行が最も優先すべき事は利益をあげること、ということになります。

一方信用金庫は、ある地域内の地主や有力者、そして地域住民が会員となり出資し、設立した非営利法人です。そのため、利益よりもその設立理念である「会員の相互扶助にり地域社会の発展」に重きをおいています

信用金庫としんきんと銀行の相違は何なのか、双相信用金庫とかあったが合併して五城信用金庫とかなった。阿武隈信用金庫も今回の津浪や原発事故の被害地域が主な地域になっていた。亘理にもあるが狭い範囲である。阿武隈という地域である。浜通り地域である。信用金庫と株式会社である銀行の相違はより地域に密着したのが信用金庫だとなる
銀行は株式会社だから利益をあげて株主に配当しなければならないが信用金庫は株主より地域に密着して産業を会社を育てるという役割になる
銀行は小さい銀行でも福島県全部に支店をもっているしその資本金の額も大きいのであるそれでも阿武隈信用金庫でも投資信託をしている、これは信用金庫ではしていないと思ったがしていたのである。

投資信託を銀行に頼んだか興味深く聞いた、もっとこの辺の経済のこと震災の影響を聞けば何かわかることがあったと思うがあそこでは長い話はできない、待合室だからである。でもそれなりにいろんな人が出入りしていてちょっとでも話すと面白いと思った。
特に今この辺は外部からくる人が多いからである。
その人は地元の人だった。
郷土史研究などというと歴史だけで好事家のようなものだと思うが実際は故郷全体のことに関与することである
だからそういうことをプログで追求してきた。ただそうなると相当な広範囲な知識が必要になり自分だけでは手に負えない、記者だと雑誌でもそういうことを追求している
福島県には二つの雑誌があるからだ。でも東電については追求できなかった。
なぜなら東電はマスコミならどこでも宣伝費を払っていたからである。
そもそも雑誌などでも一カ月一回福島県で出してそれで生計が成り立つのかとなるからだ
地域というときそれは日々生活している場所だから全国的なニュースとか世界的なニュースより関心がある直接的なものとしてじ
かに影響する場である。

それで原発というのはそういうものとしてあったが地元なのに関心が薄かったのである。それより関心が喚起されなかった。それはやはりた報道の問題があった。
報道の意義は宣伝費を多くもらっているから何も言えないでは地元の人にも役にたたないとなる、新潟日報だけが巻町が原発に反対したとき同調したということで評価されている福島県の報道関係では反対した報道はなかったのである。
それも怖いことだなと今になると思った。第一報道すること自体やはり権力を持たないとできない、新聞社とかテレビ局を見ればわかる、報道するにも会社をもち金がかかる
新聞社などはあれだけの紙を刷って配っているのだから金がかかる
とても報道する内容だけでは成り立たない、だから宣伝費に頼ることになるし聖教新聞でも刷って金を得ることになる、そういう所から入る金は大きいからである

でもそうなると報道は会社の悪でも真実は追求できないのである。結果的に地元の人でも今回の原発事故のように大惨事となるまで追求できない
日本は報道の役割は権力側につきすぎる、権力にこびるだけなのである。そういうシステムになっている、たから原発の安全神話が通っていたのである。
そもそも報道とはなにかとなる、そんなことを考えたのはプログを書くようになってからである。前はホームページを書くようになってからである
それまで一個人が報道することはできなかったからである。
まずインターネットは発信することが楽だし金が全くかからないことでみんなしている
そしてリアルタイムであるから報道局を個人でさえもつことができる

そして感じたことは今はyoutubeで個人でも放送しているのである。
そのyoutubeを見て思ったのはテレビに出るときは何人かが対話形式で話しする、そこは一人の個人の発言の場所ではない、何人かがコメンテーターとして発言している
そしてそれはテレビ局の意向にそって発言を許されているという感じになる
そこで一番力をもっているのは司会者なのである。
司会者が意見を言うのは本当はあってはならないことだが司会者が常に意見を言うからもう客観的報道は不可能になる、司会者の言い分を意見を言う場所でありコメンテーターが飾りとして呼ばれているようになっている
だからyoutubeで個人で発言しているのを見てこれは今までとは違うなと見える
有名なテレビに出る人が個人で発言しているのである。
そうなると十分にその個人の言いたいことが言えるし深いことも言えるのである。

鉄道の駅は意外と人が交わりあう場所であり生の情報を得る場所であることにきづいた。もともと鉄道が全盛期のときはそういう場所だったのである。人間臭い場所だったのである。
それで奇妙だけど阿武隈信用金庫の人はまるっきりビジネスマンであり標準語を話す、それは今では当たり前になっているが駅というのは地方にある駅ならなまりがでてくるのが普通だけど今は子供まで標準語の世界になった、その時何か地域的なものが失われているのである。なまりには何かあたたかみを感じる、標準語はまるで英語のように感じるのである。英語は世界の標準語にもなっているからである。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 石川啄木

なまりが聞こえるような所が鉄道の駅だったのである。今は地方でも子供まできれいな標準語を話すのである。ビジネスマンになったらもう標準語しかない。
そこに何かあたたかみがなくなるのである。
そして奇妙だけど新地とか山下駅が新しくなり都会風になったときひなびた田舎の駅という感じではなくなった、それそれとして新鮮なのだが古い駅舎では昔ながらの人間臭いものを感じる、いづれにしろ自分は毎日駅に行って様子を見て案内したりしている
ボランティアの駅員になっている、何か自分には鉄道には旅が長いから思い入れがあるから鉄道にかかわりたいともなる

今日は春一番が吹き春時雨にもなった。日本の気候はつくづく変わりやすい、なんかいつも電車が風で遅れるとそれも結構長くなったり運休したりもする
すると川止めのような感覚になる、川止めだと一日も二日も待たねばならなかったからである。やはり人間は自然の影響からまねがれないということも未だにあるのだとしる
これだけ便利な社会になってもそうなのである。風の影響を受けないようには技術的にはできるがそれもまた工事が大変になる、技術が進歩してもやはり自然の影響をまねがれない、原発事故だって津浪という自然災害をまねがれなかったのである。
人間は科学技術がどれほど発展しても以前として自然の影響を受けるしその災害からもまねがれないものだと思った。


2017年02月06日

冬の暮(鹿島駅の写真と詩)



冬の暮(鹿島駅の写真と詩)

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思わぬものが写っていた  

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鹿島駅今日も待つ人冬芒

待つ人や枯木一本駅舎かな


鹿島駅待つ人一人山脈の雲に翳りて冬の朝かな

鹿島駅乗る人一人待ちにけり枯れし芒や朝の一時

鹿島駅引き込み線の残りけり我がたどりつつ冬のくれかな

北風の今日も唸りて遅るかな電車を待てる駅に我がいぬ


故郷の駅

この駅になにかあれかし
年明くも芒の枯れにしままに
80となれる人こそあわれ
昔の駅のことを語りぬ
鉛色の雲の棚引きて
今日も見送りのあり
故郷に親交をあたため
また一人去りにけるかな
人の世の歳月の流れの早しも
すでに還らざる人もありしも
もはや会うことなしも悲し
我が腹からもみな墓に眠りぬ
墓ののみ名を留める人もあり
今我を迎え送る人もなしも
なぜ今我の他者を迎えて見送りぬ
我も老いしも故郷の駅に・・・・


鹿島駅のなんでもない風景が心にしみる、それはなぜか?やはり年を重ねて見る目が違ってきた、なんでもない風景にこそ実は深いものを見いだすのである。
ただそれを見いだせない、たいがい死をまじかにしたときはどんな人でもありふれた光景でもこれが最後だとなったら全然違って貴重なものに見える

自分でも家族はみんな死んだし迎える人もなくなり心境が変わってしまった。
人は結局みんな別れてゆく、永遠に会わないという感覚になる
「さよならだけが人生だ」というのは本当に実感である。
人は何度も会えると思ったがもう会えないとなる

駅で別れて遂には会えないともなる、墓に入った同級の人もいるし家族でも会えなくなるもう墓に眠っているだけである。
今まで見てきたなんでもない風景すら見納めだとかなる

引き込み線はまだ残っていた。これも注意していないから見ていなかった。
ここから貨物の車両が入り荷物を運んだのである。
それで縄屋とかあり梱包に使っていた。それもずいぶん昔のことである。
八〇の人は別な所から高架橋を渡ったと言っていた。
蒸気機関車の時代である。
引き込み線は原町紡績の工場の中まで通じていた。
汽車で作ったものを運んでいたし材料も運んでいた。
原ノ町は機関区になっていたからである。

こういう駅は別にありふれている、でも年を重ねれば全く違って見えるのである。
今日はこの写真をとった後北風が強くうなり吹いた。
この辺は朝は静かでもそのあと風が吹いてくるから注意である。
そしてまた今回も六〇分とか遅れた、運休もあった。
新しくなった路線は高く作ったので風の影響を受けやすくなった。
しょっちゅう遅れているのである。

撮り鉄という人がいるけど何もないありふれた駅に人生があり物語があることを見いだすのはむずかしいだろう。でも駅にはそういう物語が人生が感じられる
車には道の駅でもバスでも感じにくい、駅はそういう人生の出会いとか別れとかを演出する場である。

鉄道の駅は玄関であり待ちあう場所であり迎える見送る場所なのである。
そこに他の乗り物とは違う意味がありそれが見直されるかもしれない。
そういうものは混んでいる駅だと見いだしにくい、こうした平凡な田舎の駅だと今は冬芒になっていて季節感があり感じる、写真も季節を感じないと情緒がない
これが原町駅とか相馬市の駅になると枯れた芒が見えないので季節を感じなくなるのである。

タグ:鹿島駅

2017年02月05日

冬の暮(今日も駅に見送る)


冬の暮(今日も駅に見送る)


80の歳と昔の駅語る親交あたため冬の日さりぬ

ふるさとの駅に帰りて冬のくれ別れを惜しむ80の人かな

年はふり芒の枯れて別れゆく故郷の駅今日も見送る


今日見送ったのは80歳の人であり大宮の人だった。親戚とかでくるのは東京辺の人が多いその人は80歳の人であり昔の駅は高架橋をわたるのはこっちの方だったとか言っていた。そういう時があったのか忘れていた、蒸気機関車の時代も経験している
自分が子供のとき知っているのは引き込み線があり荷物をそこで下ろしていたのである。それで近くに縄屋とかなったのは梱包するために縄を必要だったためである。
輸送がほとんど鉄道に頼っていたからである。

駅は何か迎えたり別れたりする人間臭い場所だったのである。
自分が無人駅になった鹿島駅で案内して一緒に見送りしていると奇妙な感じになる
自分も一緒に別れを惜しんでいる感覚になる
道の駅とかバスの停留場ではそううい感覚にならないのである。
そこが鉄道の魅力なのである ただ新幹線になるともうそういう雰囲気はない
ただ止まるまもなく過ぎてゆくだけだとなる
人間的になる時間ないのである。

待つ時間は実際は人間的なものを演出する、待っていることが旅で記憶に残ることを何度も書いてきた。待つ時間が実は旅では重要な要素になっていたのである。
自分が駅員のようなことをボランティアで演じているのも奇妙ではある。
何か自分は鉄道の旅が長いから駅でも愛着を感じるからそうなった。
駅はつくづく人間臭い場所だったのである。



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2017年01月27日

今日の鹿島駅


今日の鹿島駅


今日は川崎から来た人が「香の蔵」に行きたい、タクシー呼びたいと言って聞いてきた、おややげを買いたいと言っていた。
あそこはお土産にはいいものを売っている、地元の菅野漬け物店で実際に漬け物を作っているからである。そこに長年勤めていた女性を知っている
その人には世話になったけど死んだ、菅野漬け物店はこの辺では有名である。

ここで気づくことはお土産でも買いたいとなっても駅では買えないことなのである。
六号線まで出ていかないと買えない、車で来たならいいが電車で来るとそうはいかないのである。だからタクシーを呼んで買いに行った。

もう一人は新地の人であり最終の電車の時間をいつかと聞いてきた。
それで一〇時何分だとか教えた、無人駅でありなかなかわかりにくいところがまだある。なぜ新地の人がというと新地までも仙台まで電車が開通したからである。

すぐ駅前の「車輪梅」とかで飲み会があるらしい、それで最終の電車を知りたかった
そこから駅はすぐ近くであり帰るには便利である。高架橋をわたる必要もない
新地との交流も電車の開通で再開されたともなる

鹿島駅は無人駅になったけどやはりまだその利用方法が知らない人が多い
それで自分はときたま気晴らしに行って教えたり案内している
地元の人でもまだ利用になれていないのである。
だから案内人が必要なのだと思った。

たいがい乗車証明書をここで押してとってから乗りあとでそれを見せて金を払うですよと教えている、そのことがまだ知らないのである。
そしてそんなことを教えてもたいがいありがとうと言っている
こんなことでもありがとうというのかと思ってそのことを前にも書いた
言わなかったのは本当に少ない、若い人が一人言わなかったのはだから目立ったのである
自分もありがとうとあまり言わない、自分は社会と隔離したような生活を三〇年くらいしていたから何か社会常識がなかったのである。
ただここ十年介護とか自分の病気で苦しみ社会とかかわり社会常識が備わったともなる
たいだい普通はありがとうとささいなことでもいうのが普通なのかとなる
すみませんとはいつも自分は言っていたがありがとうとはあまり言わない、そこが社会常識がないということだったのである。
感謝の経済学などとだから自分には言えないところがあったのである。
それは経験してきたから書いたのである。

ともかく人にありがとうと言われことは悪い気持ちはしない、こんなささいなことでありがとうと言われのかということも再認識した。
二年間くらい食事を出してくれた仮設の食堂だったらていねいに今日はありがとう、ごくろうさんでしたと礼をするのは当然だが駅でちょっと案内してありがとうというのは意外だったともなる

どうもたとえ社会的に認められた生活をしてきた人でもその人は資格があり機械とかに詳しく仕事ができてもなんかそうした社会常識がない人だったようにも思う。
そういう人がよく会社を経営できたのかと思う、経営と機械いじりとか理系の研究だけの生活とかは違うからである。あの人も社会常識がなかったのかとも思う

要するに社会的に仕事をしないことは何か欠けてくることはまちがいない、自分はそういう点で欠けていたのである。
考えてみると普通の生活では人間は常にありがとうという立場にある。
医者とか看護師をのぞいてありがとうと言う立場にある。ありがとうと言われる立場の人は少ないと思う、もしそういうふうにありがとうとばかり言われる立場にいると人にそんなささいなことでありがとうとは言わないだろう。
自分の接した人は普通に生活している人だからなのかもしれないとなる

駅では人の流れがありそれで人がどう動いているのかを実際に見ているのも面白いとなる暇になったから気晴らしに駅に毎日行ってそうしているのである。
でもそこには無人駅になってなんらかの用が生れていたことを知ったのである。
あそこには無人では困ることもある、人が必要なのだと思った。

タグ:鹿島駅

2017年01月19日

新しい新地駅が復興構想の見本 (発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)


新しい新地駅が復興構想の見本


(発想の転換で新しい街作りー小高や浪江も参考になる)

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人の和も大事、復興も人でもある


新地駅があれほど変わってしまったのには驚いた。人間は変化が激しいとそれが現実のように思えなくなる。それは津波とか原発事故でこの辺では経験してきた。
津波は本当に現実に思えない災害だった、こんなことがあるのかと夢見ているような気分がずっとつづいているし今もまだその津波の被害の跡に立てばなる

今回新地駅に行って不思議だったのはそこは人間の力で変えてしまって現実のように思えなかった。前の駅とは全く違ったものになっていたからである
何か宇宙ステーションなのかデズニーランドの仮想駅なのかそれも現実に思えないように変わったのである。

そういうふうに駅でも人工的な人間の作ったものでも変わると辺りの風景まで変わって見える、蔵王が見えて白鳥が飛び大きく開けて海が見えてかなたに牡鹿半島と金華山が見えた。景観が抜群になったのである。だから新しい観光スポットになると思った。
おそらく鉄道マニアなどがこれから来るかもしれない。

ただ不満だったのは過去の津波のことがその駅に来たら思うものがない、つまりまるっきり変わってしまって過去の痕跡がなくなっていたのである。
その被害は写真とかで見る他なくなっていた。
するとそこにあった津波で死んだ人たちとかも忘れられるとなる
過去と現在を結ぶものがない、全く新しい空間になってしまったのである。

だから駅員は年取ったひとだけどあういう場所には若い人がふさわしいと思った。
その新しい空間でこれから津波の被害があったにしろ若い人はここで生活して行くからである。だから女高生が電車でおりて歩いてゆくのがふさわしいとなる
それは都会的風景なのである。
違っているのはそこは広い自然的空間の中にあったということである。
だから都会の駅より気持ちいい場所になったのである。

ここはだから小高とか浪江で今年は鉄道が通るというとき復興の参考になる。
新地駅があれほど変わったのはやはりあそこはもともと田んぼであり何もない空間だった海の方に村があったがそれもみんななくなった。
するとその広大な空間が生れ自由に新しい街を設計できるようになったのである。
そういうことが女川町とか他で起きているのである。
街ごと泣くなってしまったからそうなる。何もなくなったからこそ新しい街作りができるとなる
その時そこに古いものにこだわるとき新しい街作りはできなくなる
ただ古いものも活かした街作りが歴史を活かした街作りも必要なのである。
ただ古いものにこだわりすぎると新しいものは作りにくいのである。
それで女川町では若い人にその街作りをゆだねたのである。
老人は口だすなとなったのである。

新地駅を中心としたコンパクトシティはやりやすかった。あれだけの広大な空間が生れたからである。そこに温泉も出たということで憩いの場所になるし農園も作る広さがある。そしてこの辺と違って原発の被害がそれほどなかったことも幸いした。
この辺は原発の放射能被害が致命的だったのである。
ただ原発の補償金など新地ではもらっていないからあれだけ広い敷地にも家はぱらぱらしか建っていないのである。鹿島になると三つくらい新しい街ができるほど住宅地が生れたからである。それは原発マネーがあったからである。

とにかく発想の転換が必要なにる。今までは駅は車社会になり利用者がへり駅前通りもさびれシャッター通りになった。でもこれからはまた鉄道も見直されるかもしれない。
そして駅前に大きな駐車場スペースができた。すると車の人も温泉などあれば寄ることになる
公共的施設も文化会館とも作るというからあそこが新しい一つの街になる
すると鉄道でも車でそこに人が集まり人の流れができることになる
あそこは広場の役目も果たす、外部の人と内部の人が交わる場所にもなる
とにかく景観がいいからそれが最大の魅力になると思う。

それで小高などでも駅中心にこうした新しいコンパクトシティを作るのもいいかもしれない、今までの駅前通りという発想では新しいものはできない
この際、今まであったものを無視して新し街作りを目指す、それで新地駅が見本になる。ただあの駅にしても地元の人が新地町の人が役所でしたはいうわけではない、ほとんどはJRが作ったのである。今はこうした会社の力がないと大がかりなものは作れない時代である。
浪江でも今年中に鉄道も通るというとき小高とも結ばれるからそこで復興のはずみとはなる。ただ新地駅のようにはならない、そこが問題なのである。

でも浪江町でも小高でもまず今までのような街はもうありえいことを自覚すべきである。そういう前の街にこだわると新しい街作りができないからである。
ただ伝統的なもの歴史的なものは継続されるべきである。
だからといって前の街のイメージを強く残りいだいていると新しい街作りはできないのである。
だから若い人に新しい街作りを女川町ではまかせたのである。
原発被害地域ではその肝心の主役となるべき若い人が流出したから復興できないのである
鹿島駅で大阪から除染に来た人がこの辺は人がいいから三年もいたなとか大阪弁で話した大阪弁だともめんるんだよなとか言っていた。
都会を嫌う人もいて田舎が見直される時代でもある。
そういう人が移り住むといいとも思った。
その人は旅の人ではないからこの辺の人とか事情を知った人だから違っている
三年も住んでいたらやはりかなり土地のことに詳しくなる。
こういうときは移り安いということもあるから移り住む人がいるかもしれない。
ただ今のような状態ではとても住みたくないとなるだろう。


飯館村の場合は草野を中心にコンパクトビリッジになるのか?
若者を住まわせるための新しい住宅を作っている。
ただソーラーパネルがそこに大きくしめていたり前のような村の景観が多少壊されているでも飯館村でもやはり新しい村作りをする意外にない。
それがどういうものになるのか?それは町や村でもみんな個性があり違っているから個性的な村作りになる。飯館村だったらどうしても山村だから山を活かす村作りがふさわしいとなる。でも放射能被害で山菜がとることができないなど苦しいのである。
牛を飼うにしても土地の牧草を利用できないとか前のようにはいかないのである。
ともかく発想の転換が復興には必要なことは確かである。
でもそれは一番むずかいしことかもしれない、今あるものから人間は発想しているからである。

新装の新地駅短歌十首 (一変した新地駅の驚きー観光スポットになった)

2017年01月04日

5年半ぶりに開通した常磐線 (駅は人間臭い場所だった−新地駅の記憶(詩)


5年半ぶりに開通した常磐線

(駅は人間臭い場所だった−新地駅の記憶(詩)

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明治時代日本に鉄道が導入されたとき、今の「駅」にあたるものも含め、列車が止まる場所はみな停車場と名づけられた。利用者はこれを駅と呼ぶことが多く、鉄道関係者も時に停車場、時に駅と用語を混用した。時とともに駅が優勢になったが、昭和時代まで停車場という言い方は残った。1936年(昭和11年)の鉄道省の職制改正によって、停車場と駅の呼び分けが明確になり、一般の会話から停車場という表現は少なくなっていった。

今でも都道府県道・市町村道の法定路線名には「停車場」という言葉が使われる。例えば、札幌駅から南にのびる道路は、北海道道18号札幌停車場線(通称:札幌駅前通)である

停車場というのは死語になったけどこれは最初はただ車両が止まる場所だった。
駅とは違っていたのだ。なぜそうなったのか?
駅というのがまだそんなに生れなかった時代の名残りなのだろう。
車両が止まるから停車場でありそれは駅とは違っていたのである。
停車場線というのも不思議である。車両が止まる場所へ通じる道路だとなる。
駅には前は引き込み線があり貨物車両が入り荷物を運んでいた。
だから駅前には自転車屋があったという,荷物を運ぶに便利だからである。
その頃車とかは使われていないからである。
縄屋とかあったのも縄で梱包するからである。
とにかく交通の要として鉄道があり駅前が街の玄関口でありにぎわっていたのである。
駅は人が集まる場所であり交差する場だったのである。
水上勉の「停車場有情」という短編小説などがあるのもそうである。


年末は駅では除染の人でも工事関係者でも中国の女性の出稼ぎ者でも故郷に帰る人が多かった。長崎の人もいた。駅はもともとそういう人間模様がある場所だった。
人間臭い場所だったのである。それは何か車社会の道の駅とは違った感覚の場所である。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

様々の人間模様や駅をたち帰る人送る年のくれかな

去年は結構駅で外から来た人を案内したり話したりした。鹿島駅が無人駅になったから案内する人がいないのも困ることがある。

正月になり二日は今度は常磐線で帰る人がいた、その人は車をもっているから電車には乗らない、それで電車のことがわからなくなっている
今は車社会だから電車のこと鉄道のことをわからなくなっている人が多いのである。
自分は車に乗っていないから車のことがわからないのである。
今どきそんなことがあるのかと思ってしまう。

「電車はいいよ、景色を見れるから、車だと景色は見ていられないから」
「常磐線は今度は高架橋になり海が広く見えるよ,船も見えたよ」

そう言って見送る人がいたが確かに電車だと景色をゆっくり見られる、車だと運転に集中するから景色が見れないのである。そういうことも車に乗らない人は良くわからないのである。
常磐線は五年半ぶりに開通した。今度は高架橋で広く海が見えるし船が行くのも見えた。

東京へ帰れる人を見送りぬ人も老いにし駅舎も古りぬ

常磐線五年ぶりにし開通す仙台に通じひびき高鳴る

ともかく自分にとってこの常磐線の開通は復興を一番感じた、というのは自分は仙台には良く行っていたし旅をしたからである。
その時はあまり電車のありがたみを感じなかった。つまりこの辺では当たり前にあるものが失われた。第一故郷に住めなくなるなどということをイメージもできないものだったのである。
今でもまだ仮設に住んだり移り住んだ人がいるからその心境はどういうものなのかその人にしかわからないだろう。

普通に電車が走る、今までは原町と相馬市の間しか走っていない、なにかそれも不思議だった。でも仙台まで通じるとまるで違ったものを感じた
その電車が走るひびきは仙台へ通じていることなのだ。その相違は大きいのである。
バスは何か疲れるし好きではない、電車は乗っても楽なのである。
津波で流された駅は新地でも山下でもずいぶん立派になった。
ひなびた駅が都会風になったのである。

まずこの辺はいろいろ変わり方は激しいのである。
駅をおりて浪江の人が新しくできた復興住宅に行ったりと除染や工事関係者がまだ外部から入ってきている。
駅というのがその街の玄関だというとき確かにそうである。
駅からその街をまず見るからである。電車の旅でも駅の名前がなぜか心に残っている
駅はバスとは全く違った乗り物なのである。バス停なとには何か今でも原町の深野の
豪蔵とかの地名が記されている、高瀬川を上った葛尾村に磐城落合とか停留所の地名が記されているときやはりそこでその土地のことを記憶に残すからバスでも昔はその土地の字名を記憶に残したのである。

駅はやはり途中下車なのである。

新地駅おりたちあわれ虫の声ここに聞きつつ月の光りぬ

新地駅五分まちつつ交換の電車を待ちぬ秋の夜かな

日立木駅ものさみしかもおりる人一人二人や冬のともしび

前の新地駅では交換のために五分間待っている、新地駅に来るともう相馬であり鹿島も近いとなる。
その時は家族がいて待っている人がいたからなにかほっとする
今になると家族もみんな死んだから一人帰るのが何か淋しいとなる

いづれにしろ鉄道には自分は相当に愛着がある。鉄道マニアになもっている、ただそのマニアでもいろいろある。鉄道だと今はローカル線では観光鉄道になっているところもある津軽鉄道などがそうである。スト-ブ列車でもある、春には乗ったが冬には乗っていない、やはり冬に乗ることで津軽を感じるだろう。
鹿島駅でもストーブがあったという、何かその記憶にともしいが確かにあったのだろう。それはどこでもあったものである。スト-ブがあるということはそこで待ち時間に会話がある。
この待つ時間が旅では記憶に残るのである。今の時代待つということが効率化で失われたのである。結果的に人生の時間が失われていたのである
瀬戸内海でも旅したとき土地の人と船を待っていたことが記憶に残る
瀬戸内海では船が日常の交通手段だから観光ではないから違っている
そこで瀬戸内海の人々の生活を感じるのである。観光では生活を感じにくいのである。
津軽鉄道があったとしても今はどこでも車が主だとすると何か違ったものになる。

今は車社会だというとき道の駅が生活を感じるものになる、でも何か鉄道の駅のように人間味を感じない、鉄道には何か人間味を感じるのである。
人を迎えまた見送ること、電車を待つことそれは人間的なことなのである。
車には何かそういう人間味がないのである。機能面がけが優れていてそこに人間的なものが生れないのである

常磐線が仙台まで通じて仙台に行きやすくなった。それでまた出かけたいとなる。
仙台に出ればまた遠くに行き安いから旅もしやすいとなる。
ただ何度も言うが旅で大事なのは記憶に残る旅をすることなのである。
それが一見非効率的なものになる、電車を待つとか船を待つとかの時間が記憶に残っている、そういう時間が実は大切な時間だったのである。
だから旅をふりかえると不思議なのである。その記憶が宝となっているのである。
それで思い出して短歌なり俳句なり詩にしているのである。
回想するたびというのもつくづく今になると不思議である。
かえって旅しているときより深く見ているのである。それは人生でもそうである。
その時々の経験したときは何かわからないが老人になるとその意味がわかり記憶が宝となるのである。

だから生きるというときどういう体験を積んだかであり必ずしも大金持ちになったとか金では計れない、何か大きな冒険をして九死に一生を得るというごとくそういう経験した人は貴重な経験をしたのである。津波とかがそうだった。そんな経験は滅多にできるものではないからである。


記憶の駅

津波に流される前の新地駅
五分交換のために電車を待つ
ホームにおりると
虫がかすかに鳴いている
月が光り新地の海側の家々
それらはみんな津波で流された
ここはすでに相馬に入り
我が家も近くほっとする
その新地駅は新しくなった
でも自分は前の新地駅に
なお幽霊のように立っている
そんな簡単に人は変わるものではない
人は長く生きていればどこにも愛着が生れる
だから愛着ある場所にいたいのだ
津波で流された後に松の根が残っているように
人の記憶はそう簡単には消えないのだ
私はそこに以前としている
家族もみんな失った自分だが
やはり以前としているように思う
長くあったものはそう簡単には消えない
記憶はその人の中に残っているのだ



こういうことなんだろ、津波とかで家が流されて人も大勢死んだ、原発事故で避難した人々の気持ちもこういうことがある。
だから老人はどうしても故郷に帰りそこで死にたいという気持ちになるのである。
何でも長くいると愛着が生れるからである。若い人にはその気持ちがわかりにくいのである。老人になると記憶を生きるようになるからだ。
新地駅はまるで変わったものになった。するとそこからこのように過去を回想することはできないのである。
すると過去の記憶と今の記憶の断絶が生れるのである。そういうことは歴史でいくらでもある。東海道などはもうそこに江戸時代を回想することがむずかしくなる
その変化が激しすぎたからである。
中原中他の「桑名駅」では蛙が鳴いていた。桑名というという東海道の宿駅であったがそれがた現代と結びついている。そういうことは今はまれである。
この辺はまず大きな変化に見舞われた、だから経験し得ないことを経験したのである。