2023年10月31日
学歴コンプレックスの異常さ 【大学を出ない人は大学を異常に誇大化している】
2023年09月22日
利から離れた場が教育には必要 (宗教も学問も学校も利と結びつき堕落した)
2023年08月06日
文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか (原発事故ではあらゆる学問が必要になった)
文系大学はいらない、理系と文系とは何なのか
(原発事故ではあらゆる学問が必要になった)
●中世の大学は神学部、法学部、医学部だった
米国において官職・公職に就く方法が次の2つだからです。ひとつは富を持っていること、もうひとつは適切な信用保証を持つことです。最も優れた信用保証が法学の学位なのですね。それゆえ、政治家になりたい人たちはロースクールに行くわけです。
予言者と呼ばれた進化人類学者が予測「米国には“終焉の時代”が訪れ、共和制は衰退する」(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
文系大学がいらないと言う時それは社会に出てほとんど役に立たないからである。モンゴルが侵略して殺されなかったのが職人だった。職人はやはり役に立つから殺さなかったのである。また日本の戦争でも太平洋戦争でも学徒出陣があり理系の学生は強制されなかったのである。職人も理系でありそれは社会に役立つものであり認められたものである。
文系理系と簡単に言うけどそれは命にもかかわるものだったのである
そもそも歴史的にも物つくりは理系だからである。石器を作るにしてもその石を見分けねばならない、石器でも黒曜石が貴重だった。
ただヨーロッパの大学で中世からあったのは神学部であり法学部であり医学部であった。この三つから大学が始まっている。文系の場合は神学部と法学部なのである。ただ現代になると神学部は宗教となるがそれはなくなった。でも不思議なのは大学でも宗教系の大学は多いのである。ヨーロッパから文明が入ってきた時キリスト教系の大学は増えて作られた。また今でも仏教系の大学が多い。文系がいらないというときなぜこんなに宗教系の大学が多いのかとる。
そもそも文系がいらないというとき宗教などは無駄だからいらないとなる。医学部などは今でもそうだけ医者は特別尊敬されている。病気の問題が人間にとって一番深刻だからそうなっている。だから、もともと仏教でも病気を癒すと言うことがあり科学技術が発達しない時神にでも祈る他なかったのである。現実にキリストは奇跡で病気を治したからである。だから人間にとって医学は不可欠のものとなったのである。
それから法律というのも今でもそうだが現実社会で不可欠であり実効性があり弁護士資格を持てばそれは社会で実際に役立つものである。その他の学部は経済学部とかあってもそれは何か役に立つということはない。一種の教養となる。実業とは結びつかないのである。私は経済学部で何もほとんど学んでいない。なんだ何か知らないが。マル系の人がいてマルクス経済学が教えられた。でも実際は何か経済学といっても何を学ぶのかもはっきりしない?ゼミでも1、2回教授が来ただけであり。教授は授業にすらしない教授とは一体何をしているのだろうとなる。文系だと何の研究をしているかもよくわからないのである。結局、ただそこでは遊びの場であり時間潰しの場になっていたのである。
●文系は教養である―独学できる
私の場合は奇妙だけど実際は宗教学部に入ったと同じである。カルト教団に入ったからでそれは全く大学でないか教育するということがないからそうなったのである。そもそも教授でも一回くらいしかあっていないからである。
大学とは自主的に勉強する場合であり。何かを教えるという場でも無いのでだから高校から大学の変化があまりに大きすぎて文系の場合はおかしくなる人がいる。ギャンブルに費やされたとかカルト教団に入って費やされたとか学生運動で暴力となり青春のエネルギーを発散させたとかなる。もともと文系は何を学ぶのかも明確でなくて入ってくるからである。理系の場合は少人数で実験を必ずしなければならない。レポートをさなければならない。そこで遊んでる暇などないのである。それは職人でも同じである。知っている人は大工さんは十代から修行して技を身につけたからである。つまり職人は理系でありそれは実社会で役に立つ金になるからである。
文系というときそれが実社会でどう役に立つか見えないのである。経済学部に入ってマルクス経済学を学んで、何がそれで実社会で役に立つのそれもわからない。むしろ高卒で銀行に勤めた人の方が直に経済というものを学ぶのである。ただ法律は現実の社会で役立つものであり別なのである。文系は法学部を除いて教養なのである。一般常識を身に着けるだけである。それは社会で直接役に立つものではないのである。
建築関係なら経営できるようになれば設計できるようになればやはりそれは実社会で役立つのである。
「art」は英語だけど、さらに語源を遡るとラテン語の「ars」なのね。
この「ars」には、「技術」や「資格」「才能」といった幅広い意味があったの。
このうちの「技術」には、「人の手を施して装飾する」という意味合いも含まれていて、これが現在のアートの直接の由来になっている。
ただ、この時点では「人の手を施すこと全般」が含まれていたので、医術や建築工学、学問までもが含まれていたのよ。
「人の手を施して装飾する」というときそれは職人であり意外なのは医者もartととして含まれていた。人の手を使い病人を見て直すからだちなる。
ともかく今のアートは実用的なものとしてあった。今のアートは実用から離れて画家とか音楽とか特殊なものとして見られる。でももともとはアートはあらゆる実用的なもののとしてあった。
何か時代をさかのぼれば遡るほど。一つの言葉で広い分野のものを指している。時代が進めば進むほど専門家して言葉も違って使われるようになったのである。
●宗教は宗はむねなるもので古代からあった
宗教は古代からでも原始時代からでもあった。縄文時代でも宗教はあった。それは祈る姿の土偶が発見されているからである。つまり人間は無力だから神に祈ることになる。病気は深刻であり医療も発達していなければ神に祈る他なかった。だから仏教とか神道でも加持祈祷があり民衆は頼ったのである。
中世の大学は医学部と神学部と法学部だということはそこに大学のオリジンがある。ただいまの大学と違っているのは神学部が重要視されていたことではそれは明らかに文系なのでる。文系不要論を言うとき今では神学部はいらないとなる。僧侶はあれ牧師など何か社会に役に立たないそして今は地位が低い。でもなぜ神学部が重要視されたかというと、やはり人間は生きる根本として宗教は必要であり。神を知るということは一番大事なことだからである。この世の中、神などなくして成立してなぜ神が必要なのかとなるからであるなっている。
実際奇妙だが私は大学に入っても創価などのカルト教団に入ったともなる。
そこもまた宗教とはなんの関係もない場所だった
そこは選挙をのためにすべてあり宗教は御利益のためであり人間がなぜ死ぬのかなど追求する人はいないのである。そこでは政治家になりたい人や現世でとにかく成功する地位を得る金持ちになるそれを異常な熱意で追求している。世俗より世俗的な場である。それは別に宗教を看板にしなければ社会ではそれをとがめたりしないのである。
その人は世俗で成功する、金でも女でも得るためにあからさまなのである。別にそれは世俗では普通のことでありとがめることもないのである。でも宗教を看板にすると矛盾してくるのである。
人間の最大の問題は人間がなぜ死ぬかということである。
ここは科学技術かいくら発達しても解決できない。なぜなら永遠の命を与えるのは神しかできないからである。だからいろいろな知識があっても技術があっても一番優先されるのは当然なのである。ただ宗教はいくら学問してもわからない。何も聖書を読まない人すら聖霊を受ければ一発で分かるのである。だから神学部などは無用だとなってしまう。いくらそこで学問しても神についてはわからないからである。それは文系が要らないと同じである。それ文系の学問はそもそも独学できるものでありだからこそ文系大学だと遊びの場に暇つぶしの場になっていたのである。。
むしろ教会とかに行っても牧師に説教されても理解できない体験からしか理解できないからである。理系の学問となると、それは現実社会と結びついて実効性がある。文系はそもそもそういう風に社会で役に立つものでもない。ただ社会で役に立たないからといってに無駄なのかとなれば、そうでもない。つまり人間が最初に知るべきものなの神がいるかどうかであり神を知ることであるからである。それは科学技術が発達しても同じで最上階に全能の神がいて全ては成り立っているからである。
とにかくドイツだと十才で職人の道を行くか大学に行くかきめられるという。学問に適しているかどうか10才できめられるという、それも早いと思うが社会では効率的になる。なぜなら職人でも技を身に着けるのは10代になりそれも早い時期だないと見に着かないとされるからである。文系の大学はそれで何の役にもたたないとなる。
●原発事故ではあらゆる学問が必要になった
ただこの辺で起きた津波や原発事故は理系が中心であっても文系的なことも必要であった。それは学問の全般的なものに及んでいたのである。そのことを私は追求してきた。でも理系でないから原子力の事、放射線のことなどわからなかった。でもそれ以外でも広範囲にあらゆることが関係していたのである。郷土というの特定の好事家が追求するものと思っていたがそうでもなかった。なぜなら相馬藩内で400年前にやはり慶長時代に慶長津波がありこの辺でも700人溺死したという記録が残っていたからである。それはたった二行だったけどそれがいかに貴重なものだったか津波が来て原発事故になり認識されたのである
そのほかにもこの土地特有の問題があり原発の時不運にも春になると海から東風が吹きそれが風に乗って飯館村とか福島市まで放射性物質が運ばれたのである。それで放射性物質が風に乗って流れるということを知らないので浪江町の町長は一番放射性物質が多く流れた津島に避難したのである。そもそも東電では事故はないと安全神話を作っていたのだから事故が起きたときの備えなど何もしていなかったのである。それで最初に頼ったのはアメリカだったのである。日本の技術者はお手上げとなり、何もできなかったともなる。
でも現実東電に働いてした人は避難するとき海の方は安全だとして山の方に向かったが、引き返して海の方に避難したのである。だから、やはり東電の人は放射線がどういうものか知っていたのであっる。でも地元の町民には知らせなかったのである。秘密のベールに隠されてのである。ただ安全神話を作りそれで安心していたというのも大きな怠慢だったのである。
このように津波原発事故でわかったことは理系文系だけで分けられない総合的なものして郷土でも見る世界でも見ることが強いられたのである。ただ、それを見るとしたら、とても一人の人間では不可能であった。そんな知識を持っている人などいないからである。 それを知りうるのは全能の神しか無いともなる。そこに人間の限界があり。原発は人間が操作するできるものでもなかったのである。
元々宗教とは旨(むね)なるものであり総合的なものとしてあった。現代は無数のもの分化してパーツ化して全体を見ることができなくなったのである。でも一地域であれそこに生態系があり歴史がありそこには地質学も関係してさまざまなことを総合的視点で見る必要があったのである。原発となると、やはり理系が中心にしても文系も関係していたのである。
だから理系と文系を分けて文系がいらないということにはならない。でも現実問題として文系大学などいらないというとき文系は独学できるからである。実験などもしないしただ本を読むということが基本になるからある。それでそれで現実それで大学文系大学は教授が何も教えないという場所だったというのも奇妙なのである。要するに文系大学には教授などいらないのである独学できるからそうなっている。するとただそこが遊びの場となり必要ないとなるのは当然である。ただ体育系とか友達を作るとか何か学問以外での遊びの場でもそれが人生にとって無用の場ともならないのである。でもそんなところに国で金を費やすのは無駄だとの今はなる。そんな余裕がもはや国にはないからである。
●文系大学は国で金をかけるのは無駄ーただ文系的なものは必要
だからドイツのように十歳で職人になる人と学問を追求する人を分けるということも社会にとっては効率的になる。別に文系なら独学できるからである。それより文系の大学だと何かテーマも持って追求する場であり。そういう。テーマも何も持ってない人は大学に行っても何を学んでいいかも分からなくなる。私はむしろ大学を卒業してから学ぶ事が多かったのである。大学卒業してから旅に費やされた。それで地名に興味を持ったのである。そんなこと大したことない。実用性がないといえばそれまでである。
ともかく文系理系というとき医療の分野でも関係している。医者は理系であり薬を飲ませ治療する手術もする。患者を見るときそこには必ず精神的なものは作用する。医者でもただ金を払ってくれる患者として金儲けのさせてくれる人間としてしか今は見て医は算術となっている。だから病院は無機的な空間であるそこに精神的安らぎがないのである。それで家で死にたいというときはなぜそうなるのか?家というのもまた単なる建物ではないのである。建物を建てたのは職人である。でもそこに魂を入れるのは人間だとなる。何か家は物的な建物というだけでないものがある。
ここで人間が暮らした歳月があり家にはただ雨露を凌ぐというだけではないそこには不思議に愛というものは通い合っている。家族が死んだ後も愛が通い合っている。愛は消えないのである。だから家族が死んで13年経っても必ずしもその人の形はなくなっても見えないところで愛が通じあっているという感覚を経験する。それは説明できないものでもある。でも家にこだわるのはそういうことがあるからだと思う。死んだ家族が依然としてその家の中に居るという感じになる。だから建物は物体でありでもそこに通いあうものは愛でありそれでそこに家は単なる物体だけとはならないのである。
だからそこでも理系と文系の問題があるかもしれない。それで物と心は一体であるというのは東洋的思想である。物に憑につくというとき心が憑くということになるからである。それはやはり科学でも説明できない問題なのである。だから理系と文系とかで明確には分けられない。ただ、文系は別に大学に行かなくても教養であり本を読んでいればわかるのである。それで文系がいらないというのはそうして特別に大学という場でなくても学べるからそうなっているのである。
2022年11月27日
発達障害の謎―計算できない、漢字が文章が読めない (抽象化が理解できないー人間を数字化抽象化する危険)
2022年09月16日
文系大学はいらない (職人なった方がましだーyoutubeで学んだ方がいい)
2022年06月25日
親の背中を見て育つが活きていた時代 (身近な家業とかで職業を理解した時代)
親の背中を見て育つが活きていた時代
(身近な家業とかで職業を理解した時代)
どうして諺(ことわざ)が生まれたのか?
それは現実社会から必然的に生まれたのである、その諺は古代からでもつづいたものがある、それは人間の生活が綿々と継続されて来て残されたのである
諺を残したのは庶民であるがそれが依然として活きているのは人間というものが基本的な所で変わらないから活きている
もし人間がまるで違ったものになってしまったら諺でも通じなくなる
親の背中を見て育てというときもそうである、親は何も言わなくても日々の行動の中で子供に押しえるものがありそういう言葉が生まれた
また働くの語源が端を楽にするというのもそうである、それは身近で親が働くの見ていて子供ながらに辛いとも見ていたからで親を少しでも楽にしたいということで生まれた言葉である
ただ現代になると時代の変化で社会の変化でそうして伝えちれた諺でも格言でも様々な伝統でも失われてきた
「親の背中を見て育つ」ということでもそもそもそれは農民社会や職人社会で職住一体になっていた時そういうことを実感する
生業とか家業とかは代々その土地で家で伝えられたものを受け継ぐからである
ところが現代のように親が働く姿を身近で見ない、すると親の背中を見て育つというとき親は家ら分離して会社員になるのが普通となるとき親は家から出勤したらその背中は見えないのである、会社で何して働いているのかもわからなくなっている
身近な所でも働く姿が見えないのである
都会だと一時間かけて会社に通勤するとかなると余計にそうなる
そこで何が起きて来るのか?
子供は親から学べない、親の背中を見て育たつことにはならない
また戦後まもなくでも隣近所で何をしているから見えていた社会である
石屋は一日近くで石を削っていたとか塗り屋は一日漆塗りをしていたとか篭屋は籠を編んでいたとか何か仕事が近くで見えていたのである
それで子供の時でも何かこういう仕事があるのか見ていてそれでそういう仕事をしてみたいとかなっていた、近間でそういう職業が見えていたからである
そして農家でも子供は必ず働かさせられていた、人手がたりないので家業も多いので働かせられていた
私は毎日学校から帰ると店をしていたから配達をさせられたのである
自転車で卵買いにも活かされた、それで近くの橋が土橋でありゆれて怖かった
糠に卵子をいれていてそれが必ず割れるのである
その卵買いに行った場所は街から近い場所である、小池とかそんな近い所に戦後の引揚者が入って細々と農業をしていたのである
その時どれだけ戦争の引揚者が職がなく荒地を開墾したのである
でも厳しいので半分は撤退したのである
何か辺鄙な所に飯館村だったら木戸木となると山の狭間にあり平な土地がないのである
そんな所でも戦後引揚者が入って来たのである
それで共栄橋とかあればそういう名は地形と関係ないから戦後の引揚者の村なのである
ともかく戦後十年の生活は江戸時代からつづくまた古代からつづく原始的生活でもあった
まいにち、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯せんたくに行きました・・
https://guzlog.com/shibakari-405
柴とは雑木であり小枝とかでありそれを燃料としていたのである、だから子供の時近くの裏山に本当に落葉拾いとか柴刈りに行った経験がある、戦後は燃料は炭であり柴であり薪だったのである、それで便所紙は新聞だったり風呂の焚き付けだったりした
紙もまともにない時代だったのである、電気は裸電球一つくらいしかなかったのである
水道もないしガスなども使っていない
そして街中でも本当に裏の堀川で洗濯していた、これも信じられないともなる
だから継続された原始的生活だったともなる、そういう状態で良く生活できたとも思う
だから家の中に一冊の本もないし鉄腕アトムとか鉄人二十九号とか読んでいたにしろそれも買ったものではない、貸本屋から借りたものだったのである
本とかは高くて買えないものでありせいぜい教科書を買うくらいだったのである
だから知的興味を育てる環境とはなっていなかったのである
そしてあまり貧富の差はなかった、そもそも物がなかった
農家の人の話を聞くと家で納豆を作っていたとか栢木(かやのき)の実から油を作っていたとか油まで作っていたのである、農家は自給自足であり買うことはほとんどない、物がない時代は買う生活ではないからである
そういう時代は農家の方が豊だったのである、なぜなら卵すら食べていないからである
私が子供の時卵買いに行ったのは店で卵を売るためだったのである
農家の人は卵を鶏を飼っているから食べていて恵まれていたとなっていた
バナナすら私の父親が病気になって仙台市まで行って買ってきた、バナナすら売っていなかったのである
ただ私の家で店をしていたとき私は嫌だった、母親は食事すらゆっくりできないのである必ず食事中にお客さんが来るからである、そして家事もしていたから暇なく働いていたのである、それが自分には嫌だったのである、親の背中を見て育つというのは本当である
それで店というものを自分は嫌悪していたのである、そういう職業につきたくないとなっていた、まともにゆっくり御飯も食べられないとなればそうなる
親の背中を見て育つというとき逆に親の仕事を身近に見るからそんな職業には着きたくないともなる
ある人は小高の人だったが親に農業だけはやるなと殴られたという、農業は実際は労働が厳しいから子供に継ぎさせたくなかったからだとなる
その子供は成長して原発で働きまた建築現場で働くようになったのである
ともかく現代は職業が見えない、近くで何をしているのかわからないのである
それでも地震で壊れた家を大工さんに直してもらった時、その人の職業を具体的に理解する、それは補助役もしたので理解する
職人とはどういうものか理解する、職人が気にするのは水平器で計る

切りすかす長押(なげし)の子口すぢりくくいかに押せどもあわでこそあらめ
大工の仕事はこうして何か合わせることが多いからこうした歌が生まれた
今は水平器でも電子化している、精密に計れる
私の家は地震で沈下したり傾いているということでしきりに水平器で計っていたからだ
親の背中を見て育つというとき職人は親方であれ兄弟子であれ技を盗むとか見様見真似で仕事を覚える、だから下働きでも親方にでも兄弟子でもついて仕事をしていると自ずと覚えることがある
それで私自身が直接手伝ったので大工の仕事はこういうものかと多少はわかったのである
仕事をするときの職人の姿勢はやかましく言われた、それは職人のみだしなみであり見栄でもあった、結局正しい姿勢が正し仕事をするの不可欠なのである
年季は十二,三才から始まり、だいたい21才と兵役の年限にあける
そのくらいの年から入らないと仕事が覚えられない
一七,一八歳から始める者は中年者と呼ばれて歓迎されないし事実大成もしなかった
「職人」竹田米吉ー現代教養全集
何を志すにも早い時期にしないと大成しない、家を直した人は一五歳で親方に弟子入りしたという、それも早いようだがその位でないと遅いともなっていたのである
それで志すというとき「若き内に神を知れ」というのも同じだったのである
そのくらいから求道していないと神を知ることはできなくなってしまうのである
だからいかに若い時が大事なものが後でわかる、たちまち時間が過ぎてしまい何も身につかなかったとなってしまうからである
それで大卒でも新卒を会社で採用したいのである、なぜなら若い時期に仕事を覚えやすいからである
そして人間の一生は若い時の二〇代までその方向が決まってしまうから怖いのである
大工として大成するにも一五歳から始めないと遅いとなるのである
ここを肝に銘じないと後で本当に後悔する
それで今の学校教育というのは相当に問題がある、親の背中を見て育つはなくなった
学校という場で社会から分離した場で言葉と数字と記号ばかり習い試験ばかりさせられた優越を決められる、そこは社会と遊離した場所なのである
理系の場合はいいとして文系は何も身につかないのである
そこはただ遊びの場だったからである、それで文系はいらないとなるのも当然だとなる
弁護士の資格をとった人などはいいとしてもあとは実際は何ら社会に出て役にたつものを身につけていない、むしろ大工さんの方が現実社会でその技を発揮することができているのである
劣等生でまた性格的甘やかされたからでもあるが学校教育は問題が多すぎるのである
知識でも知恵となったり現実社会を生きるものが身につかないのである
それでもともと親方がいて弟子となり修行を積むのがいいとなる
学校は集団化して先生でも団体の世代のように五〇人学級とかなれば目くばせができないそこでは知識だけであり知恵として身につかないのである
親の背中を親方の背中を兄弟子の背中を見て育つことがないのである
何か抽象的記号の世界となりそれが現実社会と遊離していて興味も失うし実業として身につかないのである
そのために文系大学はかえって実業を専門学校化した方がいいというのもわかる
大学は遊びの場であり何も身につかないからである
もう文系大学はいらないとなる、文系大学出ても何の価値もないとなる
文系は別に独学できる、本を読んだり今ならインタ−ネットで無料でyoutubeでも勉強できるようになったからである
今の社会はとにかく活きた人間の姿を見て育つということがない、AIロボットに学べとかまでなる、そこに生きた人間が手本になることはまれである
そういうのは今度はカルト宗教団体の教祖とかなりナチスのヒットラーとかになってしまうのである、そうなるのは現代ではもう教育する場がない人もいないからそうなる
集団化であり組織化でありそこに模範となる個人は排除されている
つまり習うべき人はなく、独学するほかないのである
また師とかでも普通の人には必ず差が大きいので偶像化するのである
人間が偶像化しやすいのである、弟子とはただ師に従うロボットのようになってしまうのである、ほとんどの大衆カルト教団ではそうなっているからである
つまり現代では自己教育しかない、だから何か技術を身につけるにしてもそお模範となるものはないし学べないともなる、そこに社会の荒廃が生まれている
いづれにしろ人間は積み重ねである、知識でもそうである、何でもそうである
それで推理ドラマで悪いことを積み重ねた人は親からも実際は犯罪を犯していなかったのに犯罪を認めた、誰も日ごろの行動を見ているから悪い奴だとして信じてもらえなかったのである
人間日頃の行いが大事
家を直してくれた大工さんでも一五歳から修行して技を身につけた、それで原発避難地区から避難して別な街に来ても一応南相馬市内だがその技が優れているから認められるとなる、でも何も技もない特技がないとしたら歓迎されない
パチンコとギャンブルに明け暮れる、最初の内はうかたがないと見ていたが一一年も過ぎてもそういうことをしていたら回り人は嫌悪するとなるからだ
芸は身を助く
芸は技は身を助く
ともなっていた、老人でも何かを身に着けていれば敬われることはある
その一生で積み重ねた経験したことがありそれが参考にするということである
●本は理解しなくても買って私設図書館を作るべき
本を千冊くらい買っても消化していなかった
ただあの本に職人のことを書いたことがあったなと覚えていた
それでもう一度読んで引用したのである
ただ正直そこに書いてあったことは忘れていたのである
でも確かに職人のことを書いてあったなと探して読んでみたらなるほどと理解して引用したのである
本を理解するのは自分の文脈の中で引用したときなのである
でもとにかく本は理解しなくても買うことも大事だと思った
そして興味ある本をそろえるのである、私設図書館を作るのである
こうして時々拾い読みするとなるほどと理解するのである
だから本は買うだけでも後で役に立つとなることがわかったのである
家の修復も前半戦は終わってほっとした、でもまた直す所がありそれは秋になるだろう
2022年06月21日
戦後教育の失敗 (資本主義欧米の競争原理でモラルなき教育ー個々の利益追求で崩壊した―原発事故避難地域)
戦後教育の失敗
(資本主義欧米の競争原理でモラルなき教育ー個々の利益追求で崩壊した―原発事故避難地域)
●江戸時代から明治から戦前は道徳が科目でも優先された
戦前と戦後と江戸時代と明治時代の相違が余りにも大きすぎたのである
何が変わったかというと技術的な面とかいろいろあるが社会のモラルが変わった
道徳が変わった、また消失した、でも不思議なのは江戸時代で一番重んじられたのは
教育でも道徳である、塾の先生でもその人がいい人なのかモラル的に優れているのかで
判断された、医者だと医は仁術となっていた、道徳的なこと人情的なこと心が一番重んじられていたのである
それが可能だったのは塾など読み書きソロバンであり今のような複雑多岐なことを教えることがないから道徳が重んじられていたのである
医者にしてもそもそも患者にしても病気は治らないものとして医者に行っていたから病気が治らないとしても医者が責められることがなかった
だから医は仁術であり心の方が重んじられたのである
そういう時代背景があって道徳がモラルが重んじられていた
その模範となったのは武士であり武士道があった、武士は人の鏡としてあった
日本の侍は貧乏でありたいし庶民の生活と違わないのである
それはヨ−ロッパの貴族階級とはまるで違ったものだった
そのために明治にキリスト教が入ってきたとき内村鑑三のように武士道キリスト教にもなったのである、でも日本が取り入れた西欧文明とは技術文明だったのである
ヨ−ロッパに派遣されたエリートが注目したのはその科学技術でありキリスト教ではないキリスト教文明ではなかったのである
そしてモラルというとき日本では天皇を鏡として
明治23年に教育勅語が発布されると、修身科は、教育勅語の精神を学校教育において具体化する教科として一層重視されるようになった。
戦前は、「教育勅語」によって国民にわかり易く「教育の日的」が示されていた。
「国民として」「人としての道」を、家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に示した。
修身の授業を通して「偉人の生き方」などを示しながら具体的に子供たちに教えた。
戦前の教育と戦後の教育
江戸時代も明治以降もやはり道徳をモラル第一にしていた経過があった
それが戦後アメリカに支配されて民主主義国家となったとき日本はモラルなき経済となりモラルなき社会と変質したのである
そしてやたら個人の権利を主張するのが民主主義となりモラルはない私益の追求となったのである、結果的に日本に道徳はないしモラルなき経済ともなった
ただ他者は利益を得るための道具のようになった、もう人間とは見ていないのである
それは教育でも私益の追求であり知識はそのために身につけるのである
それで団塊の世代から受験戦争となりただ知識は立身出世のためであり知識はそのための最大の力となったのである、それは福沢諭吉の学問のすすめから始まっていたのである
一方内村鑑三などはキリスト教を基にしてモラルを説いていたのである
でも日本全体は福沢諭吉の学問のすすめの方向に向かった
だから戦後もやはり学問とは立身出世の道具となった、受験戦争が熾烈であれそこで仲間でも蹴落として上位に立つ、仲間との競争に勝つことが第一の教育となったのである
そうはあっても依然として修身とかモラルが第一とされていたのである
●自己を他者と比べて優秀さを異常に競うようになった戦後の教
その人は技術的に優秀なことがわかるが必ず人と比べて体力でも技術でも自分が優れていると自慢する、それが尋常ではないのである、でもそうして人と比べて競って優秀さを競う教育が過熱したのが戦後教育だとなる
他人を蹴落として上昇志向をもつ、団塊の世代はとにかく人数が多いから椅子取り合戦になっていた、そういう熾烈な競争社会を生きて来たのである
それでスポーツでも常に競争でありオリッピックで参加することに意義があるなど全く関係ない世界である、一秒でも一分で早く走り勝ち抜く人が勝者だけが尊ばれる世界であるそれでスポーツのことを加治将市氏が批判するのはわかるとなる
「俺はお前より上だ」こうして異常なほどに他者比較してマウントするのか現代人であり戦後の人間なのである、それは戦前と戦後の教育が社会がまるで黒から白に変わってしまった結果なのである
それは一部の高学歴とかエリートとかだけではない、庶民でも同じなのである
上か下かと異常に序列を気にするのである、俺はお前より上だとなり必死になっている
その評価として学歴をみたり大学を序列化するのもそうである
これも戦後教育の悪しき結果なのかもしれない、本来のヨ−ロッパの文明を取り入れたのではない、それを悪しく取り入れた、だから個々人の権利が異常に主張するが肝心の個々人の責任は無視される、権利と責任は一体でもそうである
私益が全面にでて公益は消失する、だからこの辺で原発事故になったとき簡単に町でも村でも解体して崩壊したことが信じられないとなる
こんな簡単に町でも村でも崩壊するのかという驚きであった
そこには何かすでに公益と公共性とかがなくなり私益のみがあり私益だから補償金をもらうことが第一となったのである
それであらゆることに補償金を要求したとなる、家の前の海は俺の物だとか私道でもそうであり仏壇から何から物品も保証しろとなったのである
でも肝心の全体の町とか村とかを復興しようとする意志はなく多額の補償金をもらったら若い人は町や村を捨てて流出して老人だけが取り残されたのである
これも戦後の社会の変化とか教育の変化があってそうなったのかともみる
ヨ−ロッパではパブリックなものがありプライベートとは奪うということが語源としてある、つまりこの私益のみの権利の追求が戦後社会だったのである
アダムスミスは、人の本性は利己的であるという前提に立ち、自分の利益のために働く個々の人間の利己的行為が社会的分業を成り立たせ、市場はうまく機能すると考えました。そのことを著書で「見えざる手」に導かれるとスミスは表現しました。
人間はこの前に公共性とか共同性とかがあってこうしたことも成り立つ、なぜなら現実に市とか町とか村とかがなぜ成り立っているのか?もしアダムスミスのように私益を追求するばかりになると市町村は維持できなくなる
ある人は優秀だからあくことなく私益を追求する、それは確かに悪いことではない
だから立派な家を建ていい車でもった、それは悪いとはならない、資本主義社会では誰でもいい自転車であれいい車を買うことは奨励されている、それこそ社会を発展させるものとされたのである、そういう人がいてこそ社会は発展する進歩すると奨励されたのである
●原発事故で提起された全体の問題
でもこの辺の原発事故で起きたことはその人は苦労して建てた立派な家でも庭でも津波の被害もあったが放射線被害があり住めなくなって放置した
それも大損だった、それより原発避難区域ではそうした立派な家でも庭があってもその町に住む気になれない、寂れてしまだからである、すると家が確かにまだあるし住んでいるでもそこに住む価値が極端に低下したのである
つまり町全体が村全体から人がいなくなり住めなくなりいろいろな施設でもスーパーでもなくなり買い物もできないとか不便になったときそこにいくら立派な家があっても価値がなくなり放棄してしまったのである
つまりいくら私益を追求しても町でも村でも全体が寂れてしまって不便になったときその価値も極端に低下したのである
でも何か小高の隣の原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも移り住む人が多いからそこでの価値が上がったのである、今でも移り住む人が家を建てているからである
全体の価値が上がったという矛盾がある
これは日本全体を見てもそうである、日本全体が高度成長のときは個々の価値も上がっていたのである、貯金でも退職金が一千万あったとしても銀行にあずければ7パーセントもあり十年も過ぎたら倍になっていたのである
今は例え二千万退職金もらっても実質は物価高とか利子がつかないということで半分の価値しかないのである、貯金も価値がないのである、目減りするだけであり最悪は紙幣は紙きれになるという預金封鎖を言われるのである
それは日本全体の価値が低下したからそうなっているのてある
別に個々人の私益の追求をとがめることはできないことは確かである
でもそれも全体の市でも町でも村でも繁栄があって個々人の繁栄もある
それがこの辺では問われたのである、教育にしても同じである、ただ個々人の私益のための教育であり個々人の立身出世のためでありそのために手段も選ばない、とにかく何としても競争に勝たねばならないとなる
もちろん競争が悪いとはならない、でも全体が落ち込めば個々人の競争も成り立たない
それが現代の落ち込んだ貧困化した日本の実態なのである
戦後教育の失敗は過度な利己心の追求でありそれがモラルを荒廃させたのである
戦前は日本全体を統制するモラルが修身とか一応ありそれで競争だけの世界とはなっていなかった、共同体が第一としてあったともなる
その共同性がモラルが崩壊した時どうなったのか、この辺のように簡単に町や村が崩壊して消失したとまでなる、それは必ずしも放射線だけではない、何か戦後社会の矛盾がマイナスの面が極端に現れた結果だともみる
だから戦後70年であらゆることが教育だけではない社会全体が行き詰まりになった
教育といっても社会全体の一部としてあるのだから当然荒廃するとなる
アダムスミスのように利己心の追求が繁栄させるとしても全体が衰退すれば個々の繁栄もありえないのである、それで不思議なのは原発避難区域に豪邸を建て立派な広い庭を作っても回りに住む人がいなくなり町自体が寂れてしまい様々な便利なものスーパーでもなんでもなくなるとそこに住む価値がなくなる
そしてその豪邸は価値がゼロにもなり放置されてそこに住んでいた人は別な地域に移住した、利己心の追求はいいとして全体が寂れればそういう町に住んでいてもその豪邸も価値がゼロになってしまったのである
●町全体と国とか全体を意識された原発避難区域
人間は自己の利益を見るが全体は見ない見えない
人間の弱点はここにあった、自己の利益の追求には熱心でも回りを全体を見ないのであるそれが原発事故で一挙に避難した人が帰ってこずに廃墟のような街になった
そしたらそこで苦労して私益の追求であれ建てた豪邸の価値もゼロになったのである
売るにしてもそういう家を買う人もいないのである
だから全体を人は見ない、突然この町はどうなったのだ、誰も住まなくなるのかとまでなった、こんな所に豪邸があっても住んでいられないとなり移住するとなる
そこで問題になったのは全体なのである、町全体であり村全体なのである
市でも町でも村でもその全体が寂れれば個々の利益は追求できないのである
確かに個々に私益でも追及することは是認される、しかし市でも町でも村でもまた大きくは国でも衰退すると個々の私益の追及もできなくなった
ここでいくらいい暮らしを豊かな暮らしをしようとしてもできないからである
ただ人間は全体を大きなことを理解することが苦手である
目先の金とか利益を常に意識するが大きな全体を意識することができない
それで原発事故の避難区域で復興しようとしたとき全体を町を村を全体を意識せざるをえなくなったのである、個々人だけではもう復興できないからである
ただ現代社会は個々に分解してアトム化しているから全体を意識できない
江戸時代やその後農村社会でもそういう500人単位の共同体だと全体を意識する
でも今は職業も多岐にわたり分化しているので全体を意識しにくいのであ
だから原発避難区域では何か突然もぬけの空のようになった
それは本当に不思議な光景だったのである、あっという間に町や村から人が去り戻ってこない、家があってももう誰も住まない、空家の街とも化したのである
一方でその回りにも人が移住して新しい街が生まれた、新築の家が50軒くらい建ち
原町でも鹿島区でもまた相馬市でも新地でもそうであり新しい街が三つくらいできた感覚になったのである、その相違も余りにも大きかったとなる
簡単に町でも村でも捨てられたような感じになったのである
その時みんな全体を見るから全体を意識せざるをえなくなった、個々の私益の追求は是認されてきたがまず全体の復興なしで個々の復興もないとなったのである
このように国家とか市であれ町であれ村であれ全体としてある、その全体は意識しにくいのてある、まず国家となると大きいからもうわからない、でも戦前は常に国家を意識して日本人は生きていたのである、全体が国家が優先された社会だったのである
でも戦後は個々人の私益の追求が資本主義社会で優先された、個人と私益の追求だったのである、それが極端になりそれぞれの個々の利益を追求することが良しとされた
だから教育でもそれはあくまでも個々人が立身出世のためであり個々人の利益のためであり他者は眼中にない、他者は個々人の私益のためにあり利用するものだとなってしまったその矛盾が原発事故でこの辺で極端なものとして現象化したので驚いたのである
2022年06月05日
人間を作るものは経験である (農家の女性が草花に詳しい、庭に畑があり広い庭をもっていた)
2022年05月14日
子育てはどうあるべきか? (体罰を容認する古い世代―厳しくしつけろはいいのか‐親ガチャの問題)
2022年02月13日
これからの社会は暗記脳ではやっていけない-仕事がなくなる時代 (教育でも、思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳を鍛える)
2021年09月20日
思考脳、創造脳を鍛える時代 (数学も考える手段としてあった)
思考脳、創造脳を鍛える時代
(数学も考える手段としてあった)

私は文系であり数学が苦手だった、その原因が必ずしも生来的なものではなく学校での暗記教育にあった、だから高校まで自分で考えて勉強したこともない
何か興味あって自ら勉強したこともなかった
まず家には一冊の本もないのだから家で自主的に勉強する環境がなかった
また成長しても30才以上になっても家に一冊も本がなかった
それでいつも本を買うために仙台市まで行くほかなかった
専門的な本がまず売っていない、そして仙台市でも本は限られていたのである
これは相当なハンディキャップがある、なぜなら文系となると本を読めば知識が広まるからである
本が買いないとすると知識を広め深めようがないのである
それで町の本屋では「冠婚葬祭」とかが百万部も売れてベストセラーになっていたのである、要するにそんな本しか置いていない、田舎では専門的な本を読む人自体極端に少ないからである
東京だと古本屋もあり本は手に入る、それでわざわざ東京まで行って全集を買ったりしたまず本を手に入れることが知識を広める深めることでありそれ意外にないとしたら
勉強しようがないとなってしまうのである
ただ田舎は感性を磨くのには適している、自然があるから適している
逆行に東京とかなると感性は磨けない、自然がないからである
すると俳句とか短歌でもなかなか作れない、季語が必要でありその季語は自然の中で農民が暮らしの中で作りだしてきたものだからである
勉強とは試験のためにしているのではない、でも実際は試験のためでありそれも暗記だけの教育でありそうなると何かに興味を持つこともできないのである
だから高校まで何か考えたことはなかった
人間が生きることは無数の疑問がありなぜかと考えることが人間たらしめている
それで宇宙は考えないが人間は芦のように弱い存在だか考えることで宇宙より優っているとかにもなった
考えない人間はそもそも人間でもないとなる、奴隷だともなるし機械だともなる
現実にこれほど文明化しても自ら考えない人は多数なのである
それでカルト教団とか大衆を洗脳するマスコミに支配されることになる
数学でも実際苦手でも考える手段として学べば専門家になれなくても興味をもつ
ただ暗記だけだったらそれは考えないのだからつまらないとなる
でも江戸時代辺りまでは実用として読み書きそろばんが必修であり自ら何かを考えるということはできない環境だった
でもそろばんができるとか子供のとき自慢になったがコンピュターがでてきて何の役にもたたなくその労力も無駄になった
活字拾いをして印刷していた文選の仕事も能力として認められていたがそれもコンピュター化して役たたないものとしてその技術で就職しようとしたが採用されず犯罪者になったというドラマを見た
人間社会にはこういうことが常にある、もともとあった技術が進歩して新しい技術になったとき不用になる、そのために職を失う
静岡では大井川の渡しの仕事をしていた人が明治になり失業した、その人達はお茶作りをするようになったのである
人間社会には常に技術とか時代が変わりこれまでの技術でも知識でも無用化される
そういうことは常に起っている
もし技術でも時代が変わらなければ経験あるものが歳の功となり偉いとなっていたのである、老人は尊敬されていたとなる、でも今は技術革新の時代であり老人の経験も活きてこないから老人はいらないとなるのである
要するにこれから大事なことは思考脳と創造脳を鍛えることである
ただ暗記していては世界の競争に勝てないからである、日本は暗記脳に優れていて明治維新とか戦後の高度成長を成すことができた
それもものまねに優れていたというにすぎなかった
日本で戦後電器製品が売れたのは別に発明でもなかったのである
日本で優れているのは改良改善だというとき何か全く新しいものを作りだしたことではないのである、日本人はそもそも自ら考えることがない同調民族でありみんな同じにしようとする、だから異質な者を特に嫌う、村社会なのである
だから何か変わった奴は嫌われて排除される
でも大陸となると違っている、中国でもあれだけ広いから変わった人間もいる
そういう人間も役立つとかとみる、寛容さがある
それで「奇貨置くべし」とかの格言が残る、変わった奴も何かに役立つとして食客として食わせておくとなる
こういう志向が日本人にはないのである
いづれにしろ自分はもともと学問とか好きだったのだが学校での暗記脳教育で自ら考えることをしないので興味を失った、私が自ら勉強しはじめたのは大学を出てからだったのである、それで何か理解することが遅すぎたのである
もはや死ぬ時期になり理解力と思考脳ができてきたのである
第一50歳からバックパッカーになって世界を旅行したことも遅かったのである
それで相当に時間を無駄にしたのである
例えばグロ−バル化を考える時、数学的に考える時どうなるのか?
距離、時間、スピードの関係で考えると距離は変わらないが時間は短縮できる
スピードを速くすれば短縮できる、10キロを一時間で行くとして徒歩で行くのと車で行くのと違ってくる、100キロを時速50キロなら2時間で行く時速70キロなら
100÷七〇=・・になる1・4時間とかなる
AからBまで行く時間は短縮できる、距離自体は変わらなくてもスピードが速くなれば短縮できる、そうして世界には相当な距離で隔てられていても世界の物流が早くなる
物を運ぶにしても船と飛行機では格段の差かある
百倍とか千倍の差がある、なぜなら船だと一か月とかかかってしまうからである
その差が大きくヒト、モノの交流が盛んになりグロ−バル化社会が生まれた
そして時間でもそれだけスピードによって変わった時、空間も拡大して認識する

正方四辺形を一周する時間を図式化する、一辺一時間で行くすると一周するのに四時間かかる、次にその倍の面積になると二時間で一辺を回ると八時間かかる、次に一辺を三時間で回ると一二時間かかる
つまり空間軸が広がるとその広さを理解するにも到達するにも時間がかかる
ただスピードを速くすれば早く回れる到達するとなる
それで空間の理解が深まることはないのである
確かなことは空間軸が拡大することによって比例してそこを回り理解するのには時間がかかることなのである、空間軸が拡大すれば時間軸も拡大する、比例する
ただそれは数学的な思考でありその空間を理解することは数学のようには理解できない
ただ空間が拡大すれば時間も多く必要になることは確かなのである
でも飛行機で世界を回っても空間を理解することはできないのである
いづれにしろグロ−バル化するということは距離を短縮する、距離自体は不変だがスピードによって距離を短縮するとなる
空間が拡大してスピードが速くなるとどうなるのか、世界の経済成長とか技術が伝播する時間が極端に短縮したのである、中国が十年そこらで急成長したのも交通の発達で空間が狭められたからである、すぐに先進国に追いついたのである
飛行機がないような時代はそういうことは不可能だった、船で運ぶような時代では不可能だったのである
またインタ−ネットとかで通信で世界が結ばれるのもグロ−バル化を促進した
江戸時代のように飛脚で手紙でも運んでいたら時間がかかりすぎる
瞬時に世界と交信できるので世界が村となるというマクルハーンが言ったようになった
ただ通信でも映像でも瞬時に送られてもそこにはぞの場のこと空間を地理を理解することはできない、それで誤解が生まれて油まみれの海鳥を世界では誤解した
イラク戦争でイラクが悪い奴だとすりこまれて怒りになったのである
その周りは別に油に汚染されていなかったのである
ともかく文系であれ理系であれ思考脳を鍛えることが大事になる、数学をただ暗記だけで教えないことである、図形を使い考えさせる思考脳を鍛える教育が必要になる
思考脳と創造脳を感性脳を鍛えることが必要になる、これからのグロ−バル化世界では思考脳と感性脳に創造脳が求められているからだ、これは子どもの時から訓練していないと身につかない
簡単なことでも計算でも思考脳を鍛える、だからソロバンのようなものはもう役に立たない、それはあくまでも暗記脳だけのものだからである
そうなれば計算機とか機械に変わられたのである
暗記脳的なものはコンピュター化される、AI化される、翻訳でもAI化されている
ただ思考脳と創造脳は絶対にAI化できないのである
つまり思考脳と創造脳が人間たらしめているのである
結局人間の能力は実は見出されていない、開発されていないのである
何か素質があり生まれつきなものがあったとしてもそれが開発されないと埋もれたままなのである、その素質が遺伝で決まっているとしてもそれが見いだされ開発されなかったら才能も開花しないのである
これからの教育は一律に学ぶ暗記脳から思考脳と創造脳を鍛えることである
それは別に特別な人だけのものではない、鍛錬で身につくものでもある
もちろん天才とかはごくごくまれにいるが一般の人でも思考脳と創造脳を鍛える時代なのである、そもそもコンピュターとかAIとなれば機械的なことはしなくつてもいい、必要ないのである、だからコンビニでもスーパーのレジでも機械化されて人が必要なくなる
人間に必要なのは何かと問われるのであり今までの教育の仕方では現代のグロ−バル化には適合できないとなる
2021年09月07日
思考脳を育てない教育-抽象化とは (暗記教育は奴隷人間を作る―学校は全体主義教育)
思考脳を育てない教育-抽象化とは
(暗記教育は奴隷人間を作る―学校は全体主義教育)
人間の能力は抽象化能力だった、この世に具体的な事物があってもそれを理解するには抽象化能力が必要になる、抽象化能力とは外界のものをどうして理解するかとなる
例えば話する時でも実際は抽象化しないと話しができない
対話もできない、そこに山があるとしていちいち山がなんであるか説明していたら話しもできない、川があるのに川という言葉がないと話もできない
山という言葉があり川という言葉があるとき別にじかにそこに山がなくても川がなくても話しできるようになるからだ
ただ山と言ってもいろいろある、ネパールのように8000メートルの山もあるし川でも外国の川は長大である、だから山であれ川であれ多様である、ただ基本的に山とはこういうものであり川とはこういうものだという共通認識がないと話しもできないのである
一応外国人と川について共通認識があるから対話でもできる
それが言葉の力だとなる
例えば砂漠というとき日本にはない、それをどうして理解するのか?
どこまでも砂しかない世界というのをどうして理解するのかとなる
そこで外国を理解するのが不可能にもなってしまうのである
基本的に数字と文字は抽象化されたものでありこれが文明の基本にもなった
漢字だと象形文字であり具体的な外界のものを絵のように理解してそれを記号化したのである、だから漢字の方が具体性がある、他の言葉はみんなアルファベットが基本である
表音文字になった、漢字は世界では特殊なのである、韓国のハングルでもやはり表音文字化したものである、漢字は絵画的なものであり具体性があり表音文字のアルファベットなどより抽象化されていないから理解しやすいとなるか反面抽象化されないことで覚える漢字が多すぎるから複雑になる、それで韓国ではハングルにしたのである
漢字だけ覚えるだけ相当な労力が必要になるからだ
いづれにしろ人間の能力は抽象化能力でありそれが文明を作ったのである
例えば数字自体が抽象化能力であり何でも数で数えるという時、その属性を無視する
人間が一人いるとして男女がいるし背の高い人もいるし太った人もいるし黒人もいるし
見た感じはみな違っている、でもそういう属性を消去してただ一個として数字で数えるのは数字によって抽象化したということである、それは究極の抽象化なのである
それは四角があるとするでも四角ということでも面積が違ったりする、ただ四角ということでA=Bとなる、でも実際はA=Bはない、石があるとして全く同じ石はないからである、一つの属性をもって同類として分類する、それも抽象化なのである
数字化することは最も抽象化する作業である、だからエジプトでは穀物の量を計算して数字化した書記が神のように崇められ権力をもったのである、それは今の官僚に通じている抽象化能力が数字で数学で一番わかりやすく現れるからである
ただ抽象化の危険は実際はあらゆるものを数字化するとき人間の実体現実から離れたものになる、この人間の数量化抽象化から何が起きたのか?
それは人間自体が抽象化され数字化されてしまった
人間は数字であり番号であり人間という実体が抽象化されて喪失した
村の様な単位て生きているときは感じないがその生活する範囲が規模が大きくなると
日本のGDPはいくらだとか今年の経済成長率はいくらだとかあらゆるものが数字化するからである
カルト教団なども宗教とは関係ない常に数で計られ数が多ければそれが権力に結びつく
民主主義は選挙で決まるのだからすべて数で決まるから権力を得るために数なのである
人間一人で主張しても相手にしない、10人でも集まれば必ず相手にする
ボランティアでも20人集めないとできない、つまり権力をもたないとボランティアもできないのである
ここから何が起きてきたかというとナチスが生まれたのであるファシズムが生まれたのである、様々な人間の属性の多様性を無視してただ人間は数となった、すると人間は番号となもなり数と処理されるものとなり大量殺戮になっても何も感じなくなったのである
しょせん人間も数であり番号に過ぎないとなるからだ
それは民主主義でもそうであり数の民主主義であり百万票を得なければならないとなれば人間を数として見る、一人一人のことなど見ないのである、要するに人間は数であり番号にすぎないとなる、だから簡単に数として処理されてガス室送りにもなる
ガス室に送る事務官は人間を人間と見ていない、数として帳簿を見ていただけだとなる
でも一人一人の人間が苦しむのを現場で見ていたら恐ろしいとなったろう
でも別にそういう現場を見なければ人間も番号であり数として処理するだけなのである
例えば原始部落のような少人数のコミニュティで暮らしていたら日本の村のような所で暮らしていたら人間を数字で処理することはない、一人一人が別であり数として見ることはないそもそも数として見ることは非人間的なことである、でもそれが文明を作ったのだから
抽象化するということがすでにナチスのような大きな災いを産む原因があったともなる
それで文明自体が滅びるということにもなる、現実の実体から離れて抽象化されてすべてを数字化することがそうなるのである
だから原発でも常に問題になるのが放射線量で数値化することでありコロナウィルスでも感染者を数値化することであり数で判断するのである
実際はすべての感染者が同じ感染者ではない、症状も違うし同じ感染者はいないともなるただ現代文明はあらゆることが数化する、数でみて人間は番号化されて管理されるのである、一人一人は番号にすぎないのである
文明社会はどこでも常に数の計算している、つまり常に数値化しているのが日常であり
そこで人間はただ数にすぎないとなっている
だからそうした文明が世界で共通化した、グロ−バル化したとき戦争になったとき何千万人も死んだとなる、それも人間が数字として処理されるだけのものとなったからだともなる、そもそも中国であれインドであれ十億の人間がいるというとそれは理解不可能になるそれはただ数とみて脅威だとなる
聖書では数を数えて神から罰せられたことがあった、数は結局常に権力となるからである十人より百人が集まれば権力となる、だから民主主義では数が権力なのだからカルト教団でも数を集めることが第一目的となる、その内容など関係ないのである
だから暴力団だろうが有象無象のものが雑多に入り込んでくる
一人一人などどうでもいい、数が集まれば選挙に勝てるとなるだけである
結局こうして現代文明社会でまともでありうるのは人間でありうるのはアウトサイダーになる、後は百万分の一とかの数にすぎないのである、数として番号として処理されるだけだとなる
ただ人間の能力は抽象化能力であり学問でもそうである、抽象化して思考できないことからその差が大きくなる、人間の学力の差は抽象化能力の差なのである
思考するのも抽象化できないから思考できないともなるからだ
私は数学とか苦手でありそのために劣等生であり大学を出たとしてもFランに近い
その原因は数学が苦手だったということである、それは学校が暗記ばかりの勉強だからそれで学問に興味をもてなかったのである
数学でもやはり暗記しているだけでは思考脳が身につかない、数学は高度なものでもないにしろ暗記脳ではできない、身につかない、応用となると思考脳が必ず必要になる
だから思考脳の訓練をしないとだめなのである、それが学校ではないのである
学校は軍隊であり工場なのである、ただ暗記して上の命令に従うだけだとなる
こうした学校教育が全体主義をナチスを産んだ素地としてあったのかもしれない
その学校からドイツのヒットラーユーゲントとか生まれたのもわかる
学校は全体主義を育てる場所ともなる、民主主義でありながら学校は全体主義てある
ただヨ−ロッパとかアメリカの教育はデベートとかあったり何か個性を育てるということがある、でも教育にしてもやはり大衆教育となると全体主義的になる
だからなぜヨ−ロッパから天才があれほど生まれたのか?その原因は貴族社会であり個人に家庭教師をつけていたからだともなる、学校がなければそうするほかない
学校ができたのは近代化されて大衆教育になったからである
そうなると一対一となると相手をの個性を見て教育するとなるからそこから個性を才能を伸ばした人達が生まれたともみる
そして何より教育される環境があったとなる、書斎があり本が家庭にあるのとないのとは相当に違う、私の子供の時高校までも家に一冊の本もなかった
ただ鉄腕アトムとか鉄人二十一号とかの漫画を貸し本屋から借りて読んでいたのである
つまり家で読んでいたのは漫画だったとなる
私が本当に勉強したのは大学出てからの方だった、それは日本全国を旅して地理に興味をもったからである、本の世界ではない実物の世界に接して興味をもったのである
だから教育は学校でも本からだけでも学べない、実物から経験から学ぶのである
それがないとただ本だけの世界とか学校のような無味乾燥なものの中では興味を覚えないのである、外国のことならいくら本を読むより一回でもその外国に行った人の方が実感をもつから知っているとなる、百聞は一見にしかずとなる
ともかく教育というと教えるというとき実はそれが創造的な作業である
どのように教えるかはその教師によってみな違ってくるということありうる
つまり教師が思考脳をもたないと実際は創造的教育はできないのである
ただ暗記教育だけになってしまうのである
学歴による社会の分断 「日本人の3人に1人は日本語が読めない」
【1】日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない(正しく読解できない)
【2】日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生以下の数的思考力しかない
【3】パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
【4】65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない
数式として抽象化できていると解きやすい、それを図形化するとめんどうだともなる、ても具体的図形化するわかりやすいのである、図形には具体性があるから数字だけではない図形化して思考する
それが絵画は世界共通化している、絵の価値は世界で理解できる
言葉となるとむずかしくなる、それで私の抽象画でも理解されて世界で見ている人がいるとなる、それは全く絵の才能がなくてもソフトで変化させてできるのである
これはコンピュターがうまれてできたart(技術)だったと理解したのである
これは結構むずかしい、つくづく自分は数字に弱いから文系なのである
ただ抽象的思考と思考脳が人間の能力を作ったことは確かである
正直文系は数字に弱い、ところが文系でも言葉の抽象能力は優れている、ただ物を考えるというとき数学でも同じものがある、抽象化することで同じなのである
だから数学でもそこで思考脳を鍛えるものとしてやると興味をもつ、ただこれも先天的なものかもしれない、どうしても高度なものになるとついていてなくなる
ただ確かなことは思考脳を鍛えることが訓練することが大事なのである
でも学校教育は暗記脳一点張りだから思考脳が育たないのである
そうして理系の優秀な人でもオウムのようにロボット化奴隷化されたのである
ただあのようになるのはナチスとかまた現代的な文明社会から生まれたものだったのである、理系文系と分れるのではなく総合的思考脳が育ちにくいからである
もはや全体を総合的に見れる人はいない、だからコロナウィルスでも理系の細菌学者とか文系の政治家とか官僚がいてもそれを束ねる人はいない、そんな両方の知識を持っている人はいないからである
2021年06月01日
立場が変われば見方が変わる(相互理解の難しさ) (男女でも見方が変わる)
2020年09月26日
天才はどうして作られるのか? (ヨ−ロッパにはなぜ天才が多いのか)
2020年01月22日
体罰の是非 (団塊の世代は父親に普通に殴られていた)
2019年10月29日
相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)
相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)
例えば,「良妻賢母」主義を実用知たらしめる「裁縫」は高等女学校では必須の学科目であり,また,伝統的には近世以来の女性の徳目の一つである「婦功」(あるいは「婦工」)の意味が込められていたはずであった。
http://www.seiryo-u.ac.jp/u/education/gakkai/h_ronsyu_pdf/12_2/04_inoue.pdf
私がなぎなたを始めたのは女学校に通っている頃でした。当時、学校の正課、体育の授業の一つになぎなたがあって、面白くてね。先生も東京で勉強をなさった方が教えてくださっていたので、楽しく取り組んでいました
女子への裁縫教育を目的とした私塾で、修業年限を1年とする。
1905年(明治38年)5月 - 中村町に移管され、「中村町立相馬女学校」に改称。
以後5月1日を創立記念日とする。
1911年(明治44年)3月 - 「福島県相馬実科女学校」(相馬郡立)に改称。修業年限 を4年とする。
1920年(大正9年)4月 -「福島県相馬高等女学校」
裁縫教育を目的とした私塾ということは習いものくらいのものだった、それも一年だからである、次に技芸学校となっているのもそうである
その後はも実科女学校だから実用主義である、それでも明治から始まり大正までさかのぼるというのは古いと思った
水害の状況を調べるために宇多川を下っていったら相馬東高校があった、ここは相馬女学校が基になっていた、これは相馬藩内では一番古い学校なのである
そこでクラブ活動になぎなたがあるとそこの用務員にあって聞いた
そんなものがまだあるのかと思った、弓術なら良くみかけるけどなぎなたはあまりももう聞かないだろう
明治となると江戸時代の継続がまだあった、だから第一明治維新で侍がいなくなったとき教師になる侍が多かったことでもわかる
なぜなら士族はすでに家庭で独自の教育をしていたからである
するとどうしても士族の教育が学校にも持ち込まれるのが自然である
つまり人間は全く新しいことはできない、必ず前の時代の継続なのである
だからこそ天皇制によって復古によって明治維新が成されたのである
その後も実用主義である、でもなぜ士族の子はそういうことになじまないというとき
何かそういうことは家でしてくれる使用人がいたからなのかとなる
裁縫を第一とするものに反発するものが芽生えていたとなる
それは女子が今までのただ結婚するということを目的とした花嫁修業とかに反発する新しい女性の芽生えだったのかもしれない
女性としてのエリートだったのである、というのはまず女学校には入れない、金がかかるから入れない、それで私の姉は女学校に入りたかったと悔しがっていたのである
なぜなら頭が良かったし体力とか他の優れていたからである
だから学校は一番だったしマラソンでも一番になっていたかとなっていた
その後看護師の免許も東京でとった、それもなかなかできないことだったのである
つまり相馬女学校出たということは特別でありだからそれを自慢したかったのだろう
どうして大倉から相馬女学校に入ることができたのか、これもおそらく山では木材が売れて金になった時代だったからだとなる
その人は親戚の家から鹿島から相馬の女学校に通ったという
字が書けない女性がいていつも人に頼んでいた、それで気がひけていたという人を知っている、ある人は子守りして学校に行けず小説読んで字を覚えたという大正生まれの人もいる、学校にまともに行けない人が結構いたのである
今でも裸足で歩いている人がいる国でありそういう国もまだ世界にはある
そういう時代が学校というのが貴重なものであり知識を得る唯一の手段だったのである
だから学校が重要な意味をもっていたのである
学生運動でも実際は大学の不満から生まれた面があった
マンモス大学となりまともな授業がないのが私立だったからである
1000人とか一つの講堂で授業するのだから学問に興味を失ったのである
そして文系となると本当に大学は遊びの場でしかなかった
毎日麻雀しているものとか授業に出ないことが自慢だったのだから変だったのである
何か知りたいことを独学する場所だったのである
そうなれば別に大学に行かなくてもいいともなる
ただ当時はそういう環境が整っていなかったのである
まだまだ教育環境は貧弱だったからである
それはAIのビッグデーターの思考方法と同じである
膨大な知識を集めてそれを編集するようなことをしているとそれは新たな創造物になるのである、自分はそれをしているのである
集合知ということがそうである
だから今の時代はインタ−ネットをしないと相当に遅れる、学校というのも知識の面ではもう時代遅れなる、youtubeでは優秀な先生が実際に教えているからである
すると学校で教えられるよりも理解が早くなるのである
なぜなら知識が自由化して膨大化しているからである、学校という閉じられた空間で学ぶだけの時代が確実に終わったからである
すでに学校は前時代の遺物のようになってしまうもしれない、そこにいろいろな問題が生まれてもう持続できなくなる
結局何でもその時代の反映としてあり学校も教育も同じなのである
教育でもそうである、世界に伍してゆくにはそうならざるをえない
そうして教育自体も変革を迫られているのである
信仰にしても求めよさらば与えられんとうなると求めないもの絶対に信仰が何であるのかその精華を得ることはできない、そもそも求めていないからである
学問でも何か強く求めるもの問うもの学びたいものがあれば雑学でも得ることがある
それで自分の場合は全国を旅行して地名に興味をもち地理に興味をもったとなる
だから学校を出てからの方が勉強するようになったとなる
それには命がかかってくる、知らないと大損したり命まで失うから学ばないで得られくななる、でも学校だというそういう真剣に学ぶということがないのである
そうして時間の無駄になる、ただ人間は何でも経験である
例え間違ったとしても経験することの方が知識より先になる
学問はそうした社会での様々な問題に直面してから本物になる
それは津浪とか原発事故とか今回の洪水の問題でもそうなのである
どうしてそうなったのかとかその問題を解決するにはどうしたらいいのかとかそれは命にかかわるものとして解答を出すことを要求されているからである
2019年09月07日
高度成長時代は平均的人間を大量生産する画一教育 (次の時代は自己啓発による創造的人間を作る自己教育)
2019年07月31日
認知症の謎ー忘れるのはなぜなのか? (ただの暗記ではない、理解して覚えたものは忘れない!)
あとがき