2024年01月01日

2024日本列島新年の譜 【東北から東海道から瀬戸内海か韓国までの旅】


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2024日本列島新年の譜

【東北から東海道から瀬戸内海か韓国までの旅】

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日本列島四海めぐり
波打ちひびき轟きぬ
富士の嶺高く優美に
魚躍りて波しぶき船は出る
千代に八千代に敷島の
海に爛漫桜の映えて大和島
旭日東海に昇り眩しかも
海の幸山の幸恵みそめぐれ
日本列島太平洋に面して
新たに島の生まれて拡大しぬ
海の底より火を噴きて溶岩流れ
黒潮の与那国島より流れめぐる
トビウオの跳ね船は一路進まむ
神の業にそ成りぬ日本列島の栄
日本列島は若し連なり高き山々
その底に熱き溶岩の煮えたぎる
火を噴く山よその地球のエネルギーよ
地球はなお若し神の業なる命は躍動す
神は新たに領海に島を作り出す
その島さらに拡大しつづける
海に沿い桜は咲きつづく瀬戸内海
沖行く船のまじかに絶えず行く
玄界灘を渡りて韓の国古都慶州にも咲く
ここに東海を望み日本列島を望む
大河の岸辺、武寧王の煉瓦にアーチの陵墓
中国南朝の技、銀の匙に栄華の跡
若草映えて日本人の我たずぬ
島の王と呼ばれて日本との縁の深しも
済州島は溶岩の島、赤裸々に噴出して
島は形成され波は崖に打ち寄せひびく
漢拏山高く独立峰かなかなた中国を望む
韓半島も日本列島も望む
日本と韓国は古より縁の深く結ばれぬ
一衣帯水の国にして交わり深しも
今春風は海より吹きそよぎぬ
我が帰る瀬戸内海や航行する船あまた
明石の戸より大和島見ゆ
日本の栄、大阪城の万朶の桜映えぬ
花は尽きず散り花見の人も絶えざれ
夕陽赤々と輝き西の栄や秀吉の難波の夢の跡
みちのくより来りてその栄華を偲びぬ
常に栄は移り変わりゆく
群雄割拠の織り成す諸侯を治め
時を経て大江戸百都市の栄
家康治め豪壮な城そ映えなむ
その諸侯謁見の大広間雄渾な大松
大地に根付きその根の太くくねれる松
海に面して松原つづき富士山を望む
三百年の太平の世は成りぬ
そこに培うものや武士道の侍の誇り
その芯の強くも明治に伝えられぬ
庶民の文化も園芸俳句歌舞伎や華咲きぬ
日本の力よ、衰えざれその美は新たにそ
太鼓を打ち鳴らして天地にひびかむ
日本男児の心意気日本に生きる喜びよ
千代に八千代に継がれ悠久の大和の心
世界に誇るは武にあらじも
平和に成熟したる千年の文化の国
その美は荘重にして荘厳また微細なり
未来を担う熱き若者よ、新たな年に大志を抱け
未来は常に人の意志により変化し創られる
世界は固定したるものにあらじ
地も変わり海も変わり天も変わらむ
神の業は新天地を創り出す
その技の尽きることなく讃えるべしかな
神の祝福の日本列島に注がれむ
神の定めし地理の役割を果たすべしかな
西と東を結ぶ要の国は日本なり
その神の定めし地理を知りて世界の貢献あるべし
そこに神意あり天意あり地の利あり
未来のビジョンは自ずと成らむ
常に世界は定まらず刷新するが宿命
日本列島を潮はめぐり魚は躍り船は行く
新しき未来へ新しき展望を創造の世界に

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日本の地理を見るとあすかから藤原京と奈良の平城宮から京都へとう移った。大阪は戦国時代から秀吉の城となり中心となった。地理的に見ると大阪は湾になっていてまた湿地帯になっていたから飛鳥の方が高台にありそこそこが中心になった。そこからさらに平地の藤原京になり次に奈良盆地の広いところが平城宮になったのである。それから京都は千年の都となった。京都もやはり盆地であり山に囲まれた場所である。

それから日本は戦国時代になると東の方の尾張で信長天下を取る。信長は海に面していて何かそこで港を通じて商売をしていたの見ていた。だから信長には商人的気質がありはぐくまれた。
やはり海に面していると特にそこに港があると海を通じて船が行き来するから外からの情報にも触れるし海の道となり商売しやすいのである

だから信長生まれた地域が地理が信長を作ったともなるなぜなら武田信玄は相当に優れた人であったが山に閉ざされて海の方に出てきたのだが途中で病気になり京都までは登れなかった。つまり山国であり海に面していないということは地理的に不利だったのである。それは会津にも言える。海から遠く山国で山に閉ざされて薩摩長州は海に面しているからその地理的条件の違いで遅れたとなる。

家康は浜松であり地理的に終わりにも近く海に面していたから地理的に有利だった。信長天下布武の筋道を作り秀吉がその後を継ぎ家康が最後のまとめ役となったのである。
そして江戸に幕府を築いたのである。だから地理というのは人間を作るということは確かである。まず地理を見ないと歴史もわからないのである

東海道が日本の幹線となるのは地理的に明確にわかる。千年の都の京都があり百万都市の江戸と結ばれたのである。それは日本の地理の結果だったともなる。その時伊達政宗も仙台とか石巻にも寺がありそこは政宗の住居ともなっていたのである。仙台とか石巻とかは海に向かって開けていて港になる適地だった。だからメキシコからヨーロッパまで船でゆくという遠大な計画が実行されたのである。それも地位的条件によってそうなった。

とにかく日本の中心は京都から大阪へそして江戸関東へと移ったのである。その東西を結ぶのは東海道だったのであり今でもやはり新幹線が行き来して東西を結ぶ日本の大動脈となっているのである。それもやはり地理が影響してそうなったのである
地理から見ればなぜ歴史でも古代から韓国が日本と不可分に結びついていたのかそれもやはり確かに海がさえぎるのだがが行き来があり韓国から日本へ渡来人がやってきたのである。

それで済州島の漢拏山を望んだ時確かにそこから中国から韓国から日本へと展望できる島だったのである。だから地理的に今の韓国と日本は一体化する。
武寧王の煉瓦造りのアーチの墓陵でも中国の南朝の文化が技術が入ってきて作られた。それは大河のほとりにあり大陸的な景色であった。だから地理的一体感を感じるのは今の韓国までだまでにあるということである。

そして私は青春18切符で東北から東京へ東海道大阪まで行きそれから瀬戸内海沿い行き福岡からか船で韓国まで韓国の釜山まで渡ったということがある。それは遠大な旅でもあった。それから韓国から九州に来てこれで東京まで帰ってきたこともあった。だから韓国はやはり一衣滞水の身近な国であったのだ。ただ中国までも船で行ったら上海になると結構遠くなったのである
だからなかなか中国と地理的一体感を感じるのはなかなかできない地理でも人間が感じる体感できるのはやはり限られているのである。

ともかく韓国の慶州までも桜は咲いていたのである。ただ東海道は夜行列車であり富士山とかは見えないし景色も見えなかったのである。青春18切符なら別に大して金もかからなかったのである。だから必ずしも金がないから旅はできないということでもないのである

東北から瀬戸内海福岡と海を渡って韓国まで行ったということは何か達成感があり記憶に残っているのである。やはり長い旅も必要なのである。でも一か月とかなると会社員とかでは無理になっていたのである。あ私の場合は時間がいくらでもありだからこそ長い旅ができたのある。それも結局家族に恵まれた結果としてそうなったのである。だから私は家族に特別感謝しているのである















2023年10月10日

日本の地理は山が多くわかりにくい 【廃藩置県で地形とか無視して県単位では地理はわからない―東海道の旅の詩】

日本の地理は山が多くわかりにくい

【廃藩置県で地形とか無視して県単位では地理はわからない―東海道の旅の詩】


●海に囲まれていても海に面しない県

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海に面していない県

世界を空間と時間軸で見る。空間軸は人間の時間感覚ででは変わらない。でも空間軸にしても例えば日本であっても地理というのは分かりにくい。おそらく日本の地理が分かりにくいのは山が多いからである。

白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 敵守る 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて

万葉集 第6巻 971番歌/

五百重山【いほいやま】 越えて国形を見るとなる

だから不思議なのは意外と海に面している県はこれだけであり少ないと思った。これだけ山が多いのだからもっと海に面してない県が多いと思った。ただそれは県単位で見ているからである
なぜなら福島県はハマナカアイズと分かれている。でも会津になると山に囲まれていて海は見えない。福島市とか郡山市のある中通りでも山は見えないのである。だから県単位で見ると誤解が生じる。海に面してない海が見えない地域は日本では多いのである。

確かに福島県では私の住んでいる浜道りでもいつも海に面している。海を見ている。だからこうしていつも海を見ている地域と海を見えない山を見ている地域とは相当に心境的にも変わってくる。また海に面していても太平洋側と日本海側はまるで違った感覚になる。それが心に相当に影響している。
海にに面していれば広い海を見ていれば心も開放的になる。でも山に閉ざされていれば何か心も閉ざされた感じになる。でも日本は確かに海に囲まれているがまた山にも囲まれているのである。だから国のまほろばというときそこは奈良盆地であり山に囲まれた平地なのである。そういう地域もまだ多いのである。

大和は 国のまほろばたたなづく 青がき山ごもれる 大和し 美 (うるわ)し       古事記・中巻 倭建命

日本はこういう地形が多いのである。

●地理は錯覚することが多い

何か地理というとき必ず錯覚している。なぜこの辺で老人の施設に入っている人が青森に移されたというとき青森というときこれも地理的に東北の端でありそんな遠くに移されたことはなかなか行けないから面倒だと思った。
でも実際は青森でも八戸であり新幹線では2時間くらいである。でも2時間だと仙台から東京までは行かないとしても30分くらいの差で200キロくらいありそれなりに遠いと思った。
でも八戸というとき何か青森という感覚が持てなかった。青森というとき弘前市に城があった所としてイメージする。青森市でも海に面して函館に近いと見る。
だからそもそも県単位で見ることは間違っている。県単位になったのは明治以降であり馴染みがないからである。そこには無理があったからである。

福島県が明治になったとき会津県、二本松県、磐城県になる案があった。これは今のハマナカアイズである。。そして浜通りになると阿武隈山脈にさいぎられて中通りの福島市の吾妻山は見えないのである。だから福島県でも地理的一体感は無いのである。それはそもそも明治以降の廃藩置県で地理的にも歴史的にも無理があったからである。
ただ福島県と茨城県は地理的に分かれている。茨城県は平地が多いのである。でも福島県に入ると山が多いのである。茨城県はもともと関東平野の中に入っているからみちのくに入る白河の関を越えると山が多いということである。だから地理的にわかりやすい。

でも多くの県境でもそこが地形的に境界となっているわけではないのである。ただ東西を見るとき関ヶ原が地理的にも風土的にも分かれ目になっていることは分かる。関ヶ原には春でもなお雪が残っているからである。そして近江に出ると風景も穏やかで春らしくなっているのである。
明確に風土的にも地理的にも境となるところが認識できないのも多い。宮城県と山形県は面白山トンネルを境に風土も景色も違ってくる。春でも面白山トンネルを抜けると山は雪におおわれて雪が残っているからである。ただこうして県の単位でその境が認識されるのはなかなかない。宮城県と岩手県の境はどこなのか。一ノ関は岩手県でありでも平泉になるとでもその境はよくわからない。ただ平泉は一ノ関から近い。芭蕉は来たのは平泉までのである。その西行でも平泉までは来たのその奥までは行っていないのである。

とにかく日本は山が多くて地理が分かりにくい。群馬県とか栃木県とかは山だらけでありわかりにくい。栃木県だと那須は平野が広がっているからわかりやすい。でも栃木県になると会津から山続きでありどこが境なのかもわかりにくくなるのである。ただ群馬県と栃木県は関東であり関八州であり東京の延長としても見る。でも山が多くて関東平野とも違う。
ただ関東でも江戸から静岡県の方に出るには箱根の山があり箱根は天下の剣となっていた。箱根を超えると東海道になり海沿いに街道は続いている。だから山を越えると日本では別世界が開けるということにもなる。

●東海道の詩

箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう


春の東海道

小田原城前は相模湾
後ろは天下の剣の箱根の山
反りて高く見上げつつ
明日は越えなむ旅路かな

三島の宿の賑わいや草鞋脱ぎ
旅の疲れを共に癒すかな
その先遠しも太平洋に沿い
浪は騒ぎて鴎飛ぶかな

箱根を越えてそ東海道
沖行く船見て春の日や
駿河湾に魚踊り富士の峰仰ぐ
街の家並や道は真直に燕来る

花の盛りや波ひびき
次なる宿を目指すかな
松並木その間に見える富士の峰
春光まぶし海は光りぬ

京に行く人江戸に行く人
飛脚も行き交わる宿や
それぞれの旅や身の上も語り
一時の出会いに別れけるかな

旅は道連れ世は情け
惜しむ分かれや分去
見送り遠く消えゆきぬ
その日は帰らず思い出残る

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この東海道でも静岡県があり愛知県があるとしてもその境がわからないのであ。浜名湖が静岡県であり愛知県ではなかった。そもそも県単位で見ることが難しいからである。
大井川とかはやはり日本でも境として意識しやすい。特に川留めとかあるとそこが境と意識する。

ともかく日本全国を旅したから最初は地名に興味を持ち地理に興味を持った。学校の勉強では何か特別興味を持ったこともなく暗記と試験勉強で勉強きらいになった。でも人間は必ずこの世に生きればその人なりに興味を持つことがある。一番興味を持ちやすいのは地理である。旅に憧れるのはやはりあまりにも見慣れた故郷ではなくさまざまな地球の景観を見たいとなるからである。

それで私は学校の勉強では興味を持つものもなくその後の仕事もまともな会社に就職はせず流れ作業とこばかりさせられたから仕事が嫌になり家族に恵まれてただ旅をするようになりそれが仕事にもなったのである。ただそれは特別恵まれたことでありほかの人は20代でまともな職に就かなければそのまま何も身に着かないとなってしまうのである。
そして時間の過ぎるのが早い。何かぶらぶらしているだけでも時間は過ぎてしまうのである。でも旅したことによりそれが記憶として残されているからこうして回想して書いているのである


東海道春の俳句二十句
(歴史は地歴だから地理の理解が不可欠)






2018年09月22日

東海道春の俳句二十句 (歴史は地歴だから地理の理解が不可欠)


東海道春の俳句二十句

(歴史は地歴だから地理の理解が不可欠)

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飛脚行く海風涼し裸かな

飛脚が裸なのは走りやすくするためだった,当時の旅はなるべく荷物を減らすことだった
走っていれば汗かくから裸の方が良かったのである


海望み小田原城や花盛り
春潮のひびき高鳴り小田原城
春の海伊豆半島に富士の峰
駿河湾魚打ちあぐ春の海
陽の昇り海に桜や東海道
東海道通りますぐに燕来る
春風や東海道を飛脚行く
飛脚行く海風涼し裸かな
松古りぬ東海道や春の富士
上方と江戸の行き来や花の春
大井川春の日渡り広しかな
東海道天下の攻防燕飛ぶ
商人の往来盛む燕飛ぶ
長篠を出でて豊橋春の海
豊橋に交わる線や春の月
安宿も東海道や春の月
春の月東海道の旅籠かな
欄干に旅人もたれ日永かな
春の日に舟上り城や橋渡る
残る雪関ケ原出て近江かな
関ケ原越えて近江や春の山
車窓より蓮華畑や近江富士
京に着く春満月やおいでやす
花散るや夕陽に映えし大阪城



歴史は地理がわからないと基本的に理解できない、その地理がわかることは本当にむずかしい、地理は何か錯覚したものとして見ている、地図を見ても実際の実感としての地理はわからない
では地図は無駄かというとそうでもない、地図と実地に歩いた経験があると地図も活きてくる、東海道を知るにはまず地理的にしる
でもここは戦国時代の大きな舞台となったから歴史の知ることも基本的に欠かせない

私が錯覚していたのは信長の尾張と家康の岡崎城が随分近いことだった、隣の感覚である、ということは信長と家康の連合は地理的なものとして納得がいく
家康は後に浜松城へと進出して関東へ進出する
信長の後継者は秀吉となり小田原へ進出する、小田原は要としてある地で進出することができなかった
それから武田軍の勢力が脅威となっていた
それは飯田線で長篠駅がありそこも境界であり地理的に家康の岡崎城や尾張に迫る地点だったのである
飯田線は長い、今はなんとか一両の電車が走っていたり直通ではなく乗り換えたりと不便な所であり廃線路線にもなる
でも豊橋に出るとまるで違ってくる
そこで東海道線と交わるからだ

それは山国から海の国へと出ることなのである
武田は山国であり海に出たいという願望があった
ただそこは信長や家康が支配する領域であり出れなかった
でも騎馬軍団で突破しようとしたが無惨に敗北した
歴史は確実に地理的な要因があり展開している
それは人事だけではどうにもならない、地理の制約を必ず受ける
それは世界史でも同じである
ゲルマンはドイツはライン河で区切られて別な世界だったのと同じである、ローマはライン河に遮られて進出できなかった
そこには強力な民族であるゲルマンが存在したからである

ロシアが海に憧れる、海へ出る拠点を求める、だからウクライナでも黒海がありシリアも地中海の要として勢力下に置こうとする
ウラジオストックは遠すぎるから海へ出る拠点を求めるのである
なぜ信長が天下をとったかというと地理的なものが影響している
とてもいくら優秀でも一人の天才だけで偉業は成し遂げられないのだ
名古屋を見ればわかる、いかに地の利があるかわかる、近江に出れば京都は近い、だから関が原を越えて近江に出て安土桃山城を築いたのである、関ケ原は地理的に東西を分ける場所だった
電車で行くと春でも依然として雪が残っている
でも関ケ原を越えて近江に出ると琵琶湖があり春の山が穏やかに見えたのである
そして近江富士が電車の車窓から見えた、レンゲ畑があり印象的なのである
近江となればすぐに京都なのである、京に上るには支配するにはいい場所なのである

武田軍は山国から出たが病に倒れて上京は果たせなかった
それは騎馬軍団ではあったが山国ということで海に出れなかったからである
信長は鉄の船まで作っている、名古屋湾であれ海に通じていたのである。
東北でも会津は山に閉ざされていて雪に埋もれる、でも伊達政宗が東北を支配したのはやはり海に望み開明的だったともなる
第一メキシコからヨ−ロッパまで船でわたるという壮挙を成し遂げたことでもわかる、それはやはり海に通じていたからである

東海道は日本の幹線でありそこに江戸時代も大阪から京都から江戸との行き来があり大動脈だった、それは今も変わらない
そこに日本の栄えがあった
東海道には長いまっすぐな道路があった
あれもなかなか見れない、それだけ東海道は海側であり平地がありそういう平なまっすぐな道が伸びていたとなる

いづれにしろ歴史は地理を知らずして知りえない
歴史でも文学でも地理と深く関係している
東海道と奥の細道を対比してみるとわかる、みちのくと東海道はまるで違ったものなのである、歴史的にそうである
東海道は上方から大阪から京都から常に往来があり栄えた地域である、日本で一番往来があった道なのである
そこに富士山が見えることでまた日本の中心という感覚に戦国時代以降はなったのである

ただ名古屋に近く吉田城があったがそれは川岸にあり橋がかかっていた、それは浮世絵でも描かれている
でも私が行ったときは春でも城内には枝垂桜が咲き淋しい感じだった、それはなぜなのか?
時代とともに東海道の賑わいは失われた、江戸時代なら旅人が端をたり行き来していた,でも今になると何か車社会になり車が通るが人がにぎわうという感じではない
つまりその時代の感覚は時代が変わるとわからなくなる
一見今では淋しいなとさびれているなと感じても当時は人でにぎわっていたのである、活気ある場所だったのである
鉄道の駅が車社会になる前はにぎわっていた
駅前通りがあり駅が街の中心だったのである
車社会になれば高速のSAとかがにぎわう場所になったのと同じなのである
だから飯田線から豊橋に出て吉田城まで市電で行って吉田城についたとき何かそこは取り残されたような淋しさを感じだのである
ただ今でも別に東海道は繁華な道であるがやはり歩く旅ではないし
車が中心になると吉田城でも江戸時代の東海道の城としてはその当時に見えた風景とは違ってくる

ただ小田原城は花盛りであり大手門が立派でありそして天守があり海を望む、それは当時と変わらないのである
城の魅力はやはり今でもある

大手門威を正して入るかな
天守も臨み春の箱根の山高し
その影おおい海も望みぬ
昔小田原城の栄えかな

城は建築としてやはり侍の精神を現している
建築は精神の象徴なのである、大手門から威を正して入ると天守閣が聳えて主君にまみえるのである
小田原城はいい場所にある、あそこも地理的に要だから秀吉が攻めあぐんだとなる、小田原を突破すれば関東に入るからだ
その時伊達政宗が遅れて参戦したので秀吉にとがめられたが機転をきかして一命をとどめたのである
東海道でも新幹線で行ってはわからない、地理がわからない、だから電車で行くのがいいとなる、歩くのが一番いいがそれも遠くなるとできない、東海道は混んでいるから自転車でも楽ではないからだ
車でこみすぎるところは情緒もなくなるから嫌なのである

俳句にしろ短歌にしろ詩でも文学でも歴史の理解が欠かせない、奥の細道でも平泉の栄華の跡をたずねて芭蕉が名句を残した
自然でも歴史と一体となっているとき自然もさらに映えるとなる
ただ東京はあれだけ栄えているとしても自然か映えない、というよりも自然はないのである
江戸だったら富士山がまだきれいに見えたのである
高層ビルなどがないから見えたのである、それは浮世絵にも残っている

わが庵(いお)は松原つづき海ちかく富士の高嶺を軒端にぞ見る
(太田道灌)

こういう光景になっていた、江戸はいかにも日本の中心としてあった、日本の中心は奈良であり京都であり大阪であったが近江から名古屋から関東へ江戸へ移ったのである
ただ江戸から奥の細道であり発展していないのである
ただいわき市までは複線であた常磐線でも東京と通じているという感じになる、でもいわき市からは単線になり原発事故で途中の双葉大熊はまだ開通していないから閉ざされた感じになる
いわき市から相馬との区間は新幹線もないから遅れた地域に感じるのはやはり地理的なものや歴史的なものでそうなっている






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タグ:東海道俳句