「田舎には何もない。とにかく都会に」「時代錯誤な文化が嫌で閉塞的な人間関係をリセットしたかった}
―今の田舎の環境は変わっている
僕が住んでいたところはあぜ道と小川が流れているだけで、何も楽しいところはありません。高校の修学旅行で大阪に行ったときに、初めて一人で電車に乗ったことは今でも鮮明に覚えています。数分おきに電車が来て感動すると同時に、今田舎を出ないと、今後新しい体験はできないと思うようになりました。
●田舎から親元からの脱出願望はある
私も田舎を脱出したいという願望が強くたまたま能力がないが東京の三流大学に入った。ともかく私は東京に行きたかった
50年前ともなれば今の環境とは全然違うだから東京に行くということは特別なことであり憧れにもなっていたのである
それから勉強するにもネットなどないのだから本屋などで専門書などを置いていないし勉強する方法もなかったそれでなぜ東京から帰ってきて家にいて仙台に1週間に1回くらい通ったのは本を買うためだったのである。文系なら本を読むことで独学できる。別に大学になる行くこともなかった現実私立の文系などは勉強するのではなく遊びとか暇が与えられただけだったからである。
だからほとんど大学では勉強していないのであるそれでなぜ卒業したのかもわからない要するに私立の文系となればただ入学させてあとは自分で勉強しろというだけで第一教授でもゼミで1回くらいしか会っていないそもそも授業は無いのである
だからそこは公園だったというのも不思議なのである。
ただ自分にとっては親元離れるということで精神的に自立したという効果があったのである。でも何を勉強していないのである私が本当に勉強したの大学が大学を出てからなのであるそれは何か自主的に勉強するようになったのである英語など大学で勉強していなかったがテレビで英語の音を聴く事をしていた
まず英語の音を知るためにテレビで英語喋る人の音を聞いていたのである。それは意外と効果的なものだったのである。まず英語というときその発音に慣れて聞き取ることが大事だったからである
でも私の英語は極めて初歩的なものであり高校レベルくらいまでクラスだったとなるただそのごろインターネットもないし田舎で勉強することは本当にそういう機会がなかったことは確かである。
だから独学するというのは相当難しいことだったそれがわかったのインターネットが普及してアマゾンでほう買うと古本であれなんであれ膨大な方があったことに驚いた
あらゆる本がボタンひとつ押せば配達される。その違いも大きいものだった。その当時はやはり独学するということはかなり難しいものだ今なら本当にユーチューブで独学ができるいろいろな情報に接することができるだから別に都会に行かなくても情報は入るし学ぶこともできるように思う。
●田舎でも村には住めないー5万くらい以上の街がいい
むしろ自分にとって田舎はを学びの場だったのである。自然を見て俳句とか短歌を作るしも作り自然と一体となるアイデンティティ化する作業してきたからであるそして私自身にとって東京嫌いになったのはただそこが騒々しいだけである
群衆が大衆が誰かわからない人間がただそこで密集してここは無い疲れるだけの世界だと見るようになった
でも田舎だと特に農家などは何かその一軒の家が存在感はある
都会では一軒の家などは別にいくらでも家があるんだから存在感がないのである。ただ奇妙なのは田舎には確かに常識もない変な人間が存在してそれが存在感を持っているということはそういう人が目立つのである。
だから田舎の人間は姑息である今でも村8分ようなことはある。私は一万とかの町とかではなく5万くらいの原町くらいの市とかでも十万くらいでの都市に住むことを奨める。それは周り田んぼであり東京都下の大都会とはやはり違っているのである
昔の村のようなところにはときたま行くのは良いがそこに住むことは人間関係で苦しいことのだから進めることはできない
でも5万くらいの都市でもちょっと足をのばせすぐに自然に囲まれた村があるいつでも行けるのである。
ただ誰でも何かその一つの場所に住んでいることはあきる。それで嫌になるのである。でも私は旅ばかりしたというのもやはりまた自分の住んでいる狭い場所から脱出したいということでそうなったのである。それで梅雨の時期には必ず北海道に行って
北海道っていうのは私の第二の故郷になったのである
田舎と都会といっても田舎でも1万以下の千人くらいのまたは百人くらいの数十人の村がありとりと多様である
だから1000万の都会とかなるとそれはとても比べようがないものになってしまう。理想的なのはやはり5万くらいか十万くらいの都市に住むことでありそこに文化がないかというとあれだけのルネサンスの文化が華開いたフィレンツェなど5万くらいの都市だったのである。それであれだけのものを芸術は花開いたというか花開いたことが驚きになる
田舎には遊ぶ場がないとかいうのも違っている私は自転車で近くを回っているのやはり自然の変化があり飽きない
自転車で行ってもどこまでも家やビルでいやになってしまうだろう
そして狭い場所に押し込められたような感じになって嫌なのである。ただ若いときは刺激を求めるからどうしようもないということである。
ともかく今になるとインターネットが発達して何か情報的にも知的刺激にでも常に得ることができるし別に東京などに行かなくても独学もできるし困ることもないと思う。テレビだけだったら情報に偏るから田舎では損になる。
実際に田舎だと70すぎるとスマホなどをしていない人がいて同級生でも私のことを知らない人がいプログ読めないからそうなったのである。だから田舎に住むなら今ならインターネットがあるから格差がなくなってきたのである。
むしろ田舎の方は静かであり何か知的作業には向いているのである。そして別に今は誰でもプログでも発信できるからそれも差別がなくなったのである。本を出すとかなるとそれは特別な人でありできないプログラムは無料で誰でもできるのである。ユーチューブでも別に誰でもできる。ただ手間はかかせないのである。だから東京に住むことの利点があるのかよくわからないのである。確かに東京には東京のいい点もありそれは否定できないも今田舎でも別に独学もできるし様々な情報に触れることもできる東京でないと得られないというものは減ったのである
●田舎の不利な点、何でも自由に選べない
何か自転車で最新の自転車は通販でいろいろ売っているとしてもあとで修理してもらえないとことなり限られてしまったのであまた病院でも田舎だと医者が限られているから困ることはそれでも難しい病気になったら仙台市の方に行った人はいる
仙台市は通うには大変でもやはり一時間くらいで行けるから電車で行けるから便利だと思うだから何か別に東京に住まなくても文化的にも情報的に見劣りすることもないのでる
田舎の問題として何でも選択する範囲が狭くなる、前は一つしかスーパーがなかった。すると独占状態になり物価でも隣の市の同じスーパーより高くなっていたのである。
また田舎では常客にならないと店で断られることもある。三か所で私は断られたし他でも医者でも断られる
だから村に一軒しかない店とか医院とかになると困る
都会のように選べなくなり何かうまくいかないと断られ足りしたら困る、つまりそれが村八分なのである。現実に村だった今でもある。ただ別に他で買い物ができるし医者でも何軒かあるからそういうことはここでもないにしろそういうことで問題がある
ただ東京に出たいというときそれを別に人間は一か所に居ればその場所に飽きてしまうのである。それだからこそ旅をしたいということになるでも旅したいという時別に東京に行かなくても東北地帯でも北海道でもやはり狭いところから脱出して新しい広大な世界を見ることができるのである。だからなぜ今東京に行くメリットがあるのかよくわからなくなったのである。
ただ大学というとき理系とかなるとやはり設備の整った大学に入って勉強できるとかになり文系などは別にそうした設備もないなくていいし本を読んで学ぶということになる
独学できるのでそうした環境がインターネットで整ってきた
だからサイバー大学とかな生まれたこともはそういう点で田舎と都会のハンディキャップは無くなっているのだと思う。だから逆に別に東京に憧れると言う人は減ってると見ていた。私が若いときの時代と相当に違っているからです
正直別に東京に行くというのではなく人間はその狭い場所に地域に必ずあきる。もっと様々な世界を自然でも触れたい見てみたいということはあるそれは別に東京に行きたいということは違っているのある。要するに脱出願望はあるそれは別に東京に行かなくても満たされるのである
今やむしろ田舎の方に農業とか知ると興味深いものになる
でも田舎に住んでいても農民は一割にも満たない
というとき農業を直に知る人は接するする常に少ないのである。だから田舎に住んでいるからといって今や都会化しているともなる
でも田舎にいたからと言って昔のように様々な学ぶ機会とか情報に触れられないということはなくなったのである。ただ若いときはどうしても田舎を嫌がる親元を離れて都会に脱出したいと言う願望があるでもそれは振り返れば別に東京でなくても地方都市でも良かったのである
変なのは東京で電車が数分おきに乗るということに関心しているというのも何なんだろうと そんなこと感動することなのかとなる。
地方だと鉄道はあっても一時間おきとかさらに一日に3 4回くらいしか走っていないところもある。でもみな車が持ってるいるから移動できないことはない
でただ私の場合は隣の市まで8キロぐらいしかないから自転車で通える便利であり不便なことはないのである
だからこの人の言っていることはただ若いという時そうを感じるのである
●老人になると静かな落ち着いた田舎に回帰する
だんだん時間が経って年取ってきたら田舎の方が良いとなってしまうのである。若者の価値観と老人の価値観は違ってくるからである。老人になれば何か静かで落ち着いたところが良いとなるのである。
私自身はそういう傾向が若い時からあったから違っていた。それ以後田舎で引きこもりになっていたのであるそこで禅僧のように沈黙行をしていたのである。
そして自然と一体化するアイデンティ化することを試みてきたのである。そしてそれを俳句や短歌詩にすることをしてきた。そもそもそうしたものを自然に常に触れていなければできないことだったのである。
とにかく今は東京とか大都会と田舎でも何かそれほど差はなくなってきた。確かにあることはあるでもそれを埋めめ合わせるものはインターネットでとかで生まれた。田舎でも別に学問であれ知的なものであれ身につけることは可能である
むしろ静寂の中で自然と一体化すればそこに芸術が生まれてくるだからなぜ5万くらいのフレンツエの都市であれだけの芸術が生まれたか知るべきある。大都会からはそうした芸術の天才も生まれないのである。そこにも自然が欠けていて自然の美に触れることができないからである
1000万の都会となればそれはもう異常な世界で今人口が減少して行く都会から田舎に分散させるべきだと思う。そんなに1000万も人が集まるということ自体異常だからである
別にリモートワークとかそんなに都会にだけ人が集まらなくても仕事もできるようになっているからである。そして田舎は空家が多いからからそこで住むというのもいいことであった
ただ一万の町とかさらに小さな村とかには住むのは人間関係が難しいから仕事もないから進められないとなる
別に5万であれ十万であれそういう所は自然に囲まれているしてちょっと足をのばせば自然があるのだから東京都は違うのである。わざわざ江戸でも枯野見で行くこともない。ちょっと外に出れば枯野になっているからである。すでに東京ではもはや枯野など見ることはできない相当に遠くに行かないと見れなくなっているからである
ただなぜ今でも東京志向が強いのかとなれば就職の選択が極めて限られているからである。東京だとスキルがあればだが様々な職業がある、田舎は極めて限られているから問題なのである