2017年10月20日

歯でまともに食べられない影響は大きい


歯でまともに食べられない影響は大きい

つくづく歯は大事である。ご飯がまともに食べられない,触るといたい,右はかむことができないようになっていた,でも左でかんでいたから不自由は感じなかった
食べるのに一苦労なのである。
まともに食べられない影響は大きい,まずご飯をまともに食べられないことは精神力も低下する
人間は食べることが生きることの基本だからである。

ただ自分の母親は60代で自分の歯がなくなって入れ歯になっていた,でも百才まで生きたから不思議である。歯が悪い人が長生きしないとか趣味がない人が認知症になるとかもすべての人にあてはまらない,自分の母親は何の趣味もない,ただは働くことだけだったからである。そうして90数才るで働いていて認知症にならずにすんだ
でも94才ころから寝たきりになり認知症になった
これはやむをえないことだろう。

人間は食べる楽しみがなくなったら終わりなのかもしれない,胃ろうなどで生かされていても何の楽しみもなくなる,食べるということは人間の場合,動物と違って腹を満たすだけのものではない,何か食べることは人間の場合,さまざまな役割があり腹を満たすということだけではないのである。

だから人間が食べることができなくなる,味覚もなくなるとかなると悲劇である。
人間として生きる力もなくなってくる
それは食べることがただ腹を満たすだけではない,何か精神的活力をもたらすものとしてもある。
お茶は食事して飲んでいたがそこから茶の湯が生まれたように人間は必ずしも腹をみたすだけのものとして食事があるのではない,人間は何でも動物とは違いがつがつ食べるだけではない,精神的なものを付加され追及されてゆく

ともかく歯はすぐに直せない,保険の関係で医者は何回も通わせるという
アメリカの歯医者は長い時間治療して一気に直してしまうという
この相違も大きい,医者が今でもめんどうなのは何回も通うようになるからである。
今回も一週間に一回行って一カ月くらいかかるという
そうなると今でも食べるとあたり痛みを感じるから食べづらいのである。
一カ月こうして不自由な生活を強いられるのである。

まあ,こうした歯医者であれ医者は重要なものになる,だから飯館村のような医者も歯医者もない村に住みたくないということがある
別に川俣でも通えるからいいが車がないと不便だとなる
原町だと駅から歩いて行ける範囲にだいたいある,だから不便を感じない
ある程度選ぶこともできる,今回は早く治療してもらいたくてそこにした
一カ月待って初診をうけつけるその後も一カ月くらい置きに予約制となっていたら長すぎる
それだけこむということはやはり他と違ったものがあるのだろう。そこに患者が集中しているからである。

今日は原町駅ではお土産を駅の売店で見ている人があった,その人はこの土地の出身者だった,やはりお土産が必要になる,駅では買いやすいのである。
それから駅前で「原発反対」の抗議をしている人達がいた,どこかの党派とかと思ったがそうではない,みんなで集まり定期的にしているという。
そして駅で桜井市長にあった,最初わからなかった,でも確かに桜井市長だったのであるなんかそれも不思議だった,なかなか市長には会わないだろう。
別にすれちがっただけだったけど原町だとこういうことがある

今日は雨でびしょぬれになった,でも原町でも歩くと違って見える
路地裏の方でもここにこんな店があるとか認識するのである。
歩いて見るものは何か違ったもの死とて見えるのである。
今は歩かないから余計にそうなる,だから本当は街は歩くべきなのである。
すると街に発見するものが生まれまた町の魅力が作られるともなる
原町は大きいけどまだ歩ける範囲内にある
ただ歩けるように街が作られていないのである。
そうなったのは街を人が歩かなくなったからなのである。
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今度はかぶせた歯がぬけた (今日の内に歯医者に行く)


今度はかぶせた歯がぬけた

(今日の内に歯医者に行く)

人間はつくづくこの辺の原発事故でもそうだが日常の何気ないことが貴重なことを知ったそういうものは意識できない,無意識的になっていた,空気のようになっていた
それは家族でもそうである,親でも妻ても何でもしてくれるときそれが当たり前と化してありがいともなんとも思わなくなっている
それが一旦死んだりしていなくなるとその存在の大きさと貴重さを自覚する
親に死なれる妻に死なれると家事でも自分でやらざるをえなくなり大変なことになる

今度は歯が奥の方にかぶせたのがぬけた,不思議なのはこの歯もかぶせたものだと思っていなかった,長い間意識していなかったのである。
この歯は自分の歯だとてっきり思っていた,何の不都合もなくなっていたからである。
だから意識しない,前も前の三本の歯が欠けて入れ歯にしていたのも忘れていた
それは自転車で転倒して前の歯が三本折れたのだ
この時は打ちどころが悪いと死んでいた
危険な事故だった,それはすぐ近くのいつも通っている道で起きたのである。
自転車も結構危ないのである。

ともかく人間は体でもどこかが悪くないかぎり意識しない,意識するときは病気なのである。歯が痛いとなればやはり歯が悪いと意識するし体のどこが悪ければ意識する
でも健康であれば意識しないのだ
体の一部が悪くなればそこを常に意識していなければならなくる
歯などは何も意識しないときが一番いいわけである。

人間はこうして日常生活でもそれを意識しない,価値あるとか意味あるとかそんなことを考えないのである。ただ当たり前として日々暮らしているのである。
でもこの辺のように家にも住めなくなり故郷にも住めなくなるとき意識せざるをえない
今まであった平凡な日常の価値や意味を意識する
まず故郷自体に住めなくなるなどありえないことだったからである。
故郷がなくなるなどありえないことだったからである。
でもそれが現実この辺では起きたのである。

例えば医者でも歯医者でも病気にならなければ歯が悪くならなければ別に必要ないとなるでも一旦こうして歯が悪くなると歯医者のことをあれこれと意識する
初診でもみてもらうのに予約して一カ月もかかるのとか驚く,もうこの歯医者にはどんなに優秀でもかかれないのである。
それで今日の内に初診でもみてもらう医者に行くことにした
インプラントできるとなるとそれなりの設備があると思い行くことにした
この辺では歯医者も多いが選べるとまでならない,いい歯医者はすでに予約で一杯とか行けないのである
その医者がうまい下手は関係なくなる,なるべく早めにしてもらいたいのである。
ごっそり奥の歯がなくなったから苦しいからである。
今日は雨ふっているけど予約がとれたので行くことにした




タグ:歯医者
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2017年10月15日

食中毒か,嘔吐に下痢


食中毒か,嘔吐に下痢

スーパーで買ったレンジであたためるだけのラーメンが良くなかったのか?
腹の調子は良かった,食欲があったからだ
だから胃腸が悪くてなったのとは違う。

下痢にはなっても嘔吐したことはなかった,かなりの悪い症状だった
だから一日寝ていた

ただその原因を考えると一つではないかもしれない

●天候不順

●ウィルス

●不潔にしていた

天候不順もかんけいしていたかもしれない,急にまた寒くなったからだ
それで体の調節ができなくなったかもしれない,やはり病気は一つの原因ではなく複合的に起きてくる

それでも食中道だとすると問題である。ラーメンを食べた人が何人かでも食中毒になればラーメンに原因があったとなるからだ
それはわからないからやはりなんらかの複合的原因でそうなった

ウィルスでもノロウィルとかで死んだ人もいる,冬になるとウィルスの食中毒になりやすいともある

ただ食道でもスーパ-の食べ物でもなる,そしてもう一つの原因が自分が手を良く洗わないとかあったかもしれない,自分は何か不潔なところがある。
料理するとなると絶えず手を洗う必要があることを知った
そこからウィルスが入ったのかもしれない,それは可能性としてはある


タグ:食中毒
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2016年07月21日

紫外線の怖さ(今年は特に紫外線が強いので日射病に注意)


紫外線の怖さ(今年は特に紫外線が強いので日射病に注意)


薄い雲の場合、紫外線の 80%以上が通過します。

紫外線被爆は一日をとおして蓄積されていきます。

サンバーンは私たちが感じることのできない紫外線
によるものです。暑さを感じるのは赤外線によるも
ので、紫外線ではありません

 わが国では、大気清浄化の取組によって、以前に比べ大気はきれいになりまし
た。つまり、紫外線をさえぎっていた大気汚染物質が減少したため、紫外線カット
効果が薄くなったともいえます。


今年は4月から紫外線が高かった、紫外線は暑さとは違う、赤外線が暑さをもたらすという、紫外線は暑さをもたらすものではないとすると暑く感じなくても紫外線はあびている今年は4月ころから紫外線が強かった、それで外出してなぜ日射病のようになったのだろうといぶかった。
もともと自分は暑さに弱いし光にも弱い、でも4月からこんなに光の影響を受けたことはない。小高に行った時もそれほどの暑さとは思えない、夏だったら普通の暑さだろう。
ただ違うのは紫外線が普通の年よりかなり高いのである。
駅までも近いし電車に乗って小高まで行ってほとんど光をあびていないからなぜまた日射病のようになったのか?
これは年のせいかなとも思った。でもそれはあってもそれだけではない、明らかに紫外線の影響がある、これまでも暑い時がいくらでもあったがこれほどに日射病になるようなことはなかった。
日射病の怖さは良く老人が畑仕事していて死んでいたということがニュースで伝えられる老人はやはり紫外線にも弱いのである。

この紫外線は全く目に見えないから感じないものではない、放射線とは違う。何か光の感じが違うなと体感する、いつもの年とは違う光だなと4月ころから思っていた。
調べるとインターネットだといろいろでていた。

4月22日には、この10年間の中で一番早く「非常に強い」の基準値を超えたそうです。

4月から紫外線が強かった。

薄い雲の場合、紫外線の 80%以上が通過します。

曇っているから安心して外出していた。これも違っていた。そもそも赤外線は雲でさえぎられる。紫外線はさえぎられないということである。
そして曇りの日に庭仕事しただけで日射病のようになったことがこの説明でわかった。
曇った日でも紫外線が強く受けることがある、確かに老人になると体の抵抗力が弱くなるからそうした紫外線でも影響を受けやすい、ただ紫外線に対してはあまり警戒しないということもある。

紫外線にはUVBとUVAがあって、自宅に居てもガラスを透過して紫外線が入るそうです。

これもそうなのか、やはり庭でも紫外線をあびるとなる

皮肉なのは紫外線をさえぎる大気汚染物質が減少したために大気がきれいになったため紫外線のカットがそがれた、たいがい空気がきれいになったら人間の生活にはいいはずである。オゾン層というのも意外と意識しないがオゾン層で紫外線がさえぎられなかったら人間は生きていけなくなる、そのことで人間が滅びるとまでなる。

其の光を和らげ、其の塵を同じゅうす。すなわち、自分の光り輝く才能や知徳を隠して、世俗の塵にまみれ、慎み深く目立たなく暮らせという教えが「和光同塵」ー老子

つまり科学とは関係ないかもしれないが、あまりにも光が強すぎるとここでは紫外線だけど良くない、塵があって強烈な光がさえぎられてかえっていいとなる
大気汚染というかそれも全部悪いともいえなっかたというのも奇妙である。
放射能でも放射性物質でも低いとかえって体にいいとか言う学者がいた。
何か放射線でも全部が悪いというのではなく人間にも良く働くとなればいい、ただ放射性物質は自然界にない物質を作り出したことが問題だったのである。
考えてみるとこの老子の思想は不思議である。
光を和らげるというのは光をさえぎり弱めるであり塵と同化するという思想は普通にはイメージできない、発想できない、だからこの思想は不思議だとなる。

紫外線被爆は一日をとおして蓄積されていきます。

放射線と同じなのは一年で被爆する量がいくらかと計算していることである。
だから外で働いている人は危険になる、でも農家の人は草むしらないといけない、工事現場でも一日外で仕事しているから紫外線をあびる
この辺では工事が多く絶えず外で仕事している人が多い、家を建てるにしても楽ではないとみる、ただ自分はそんなに外にでていなくても日射病のようになったということは明らかに今年の紫外線は相当に強いことは確かなのである。

この辺では絶えず放射線とかが問題になって現実の生活に影響しているから科学に弱くても考えざるをえなくなった。だから放射線研究所ができた。
紫外線もままた人間に影響する目に見えないものである。
インターネットだと知識が広まることは確かである。科学に弱くてもいろいろつなぎあわせると理解した気分になる、でも深いところは素人にわからないのである。

紫外線のグラフ

タグ:紫外線
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2016年02月21日

自分の目次一覧が表示され読める


自分の目次一覧が表示され読める


ここで自分ののプログの目次の一覧が表示されているから便利


これは便利だろう。今まで書いたきたものが時系列に目次が表示されている、クリックすれば読める

タグ:目次一覧
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2015年12月09日

フランス人の一人旅の女性とあった (コメリの放射能汚染物質の廃棄場を写真でとったいた)


フランス人の一人旅の女性とあった


(コメリの放射能汚染物質の廃棄場を写真でとっていた)


最近できたコメリの脇の大きな放射性廃棄物の一時保管場所の前に年配のフランス人にあった。
何才かわからないけど60まではいかなくても50くらいの女性である。
不思議に思ったのはその放射性廃棄物処理場の写真をとっていたことである。
写真をとりに来たといっていた。新聞記者なのかとも思ったが普通の旅行者である。
あんなところでばったりあったので驚いた。


その女性はそこは放射性廃棄物であることを知っていた。英語がしゃべれるからわかったそれからここからすぐに海で津波の被害があったことも知っていた。
つまりこの場所がどういう場所が知っていたのである。
何らかの関心がありここに一人で来た
この辺は世界でも有名になったこともあり来てみたのかもしれない
ただ女性の一人旅というのはめずらしい、でも今や世界は一人旅は女性でもめずらしくない
インドまで日本人の女性が一人旅していたしなぜかいたるところに日本人がいた
日本人宿もどこにでもあるから日本人に合わないことはなかった
なんでここに日本人がいるのかと不思議に思った。
その時は円高で日本人の海外旅行者が特別多かったこともあった


今は日本に相当数の外人が旅行に来ているから都会に行けば珍しくないだろう
ただこの田舎で一人写真をとっていることはめずらしかった。
一日は泊まると言っていた。何かその女性はあまり話したくない
逃げる感じだった、まず日本は女性の一人旅でも安全である。
何か事件に巻き込まれることはない、女性の一人旅でも安全だから旅しやすいとなる
これたらは田舎の方にもそうした一人旅の人などが来るかもしれない
フクシマは世界的に有名になったから来るということもある


世界はグローバル化していて人の交わりでもそうなっている
仕事でグローバルに活躍している人と旅だけでグローバルするのはかなり違う。
旅だとどうしても表面的であり深くコンタクトすることはむずかしい
海外旅行で自分は何か外人と表面的でもものおじせず話せるようになった。
別に英語ができなくてもいいのである。
中学英語くらいで表面的なことは通じる
なぜ日本人が英語できないかというしゃべれないかというと欧米人にものおじするからだというのわかる
欧米人と話す前にものおじするから話せない、英語ができないというのもそうである。


自分が中国で犯罪にあわなかったのは汚い恰好して中国人に見えたからである。
日本人と中国人の区別がつかない、韓国人でもそうである。
だから金あるように見えないから犯罪にあわなかったのである
中国人は団体で買い物などに爆買しているがやかで一人旅とかでも来るようになるかもしれない、その時田舎に来るが中国人だとやはり日本に来たとき日本人に見えて見分けがつかないのである。
東京辺りでも中国人と日本人の見分けがつかない、中国語をしゃべっていたのであれ中国人だったのかとなる


フランス人でもフランスに行ってもも英語をしゃべらない、みんなが英語をしゃべれるとは限らないのである。
いづれにしろ田舎でばったりとフランス人の女性の一人旅の人にあったことは一つの事件ともなる
ただこの辺はそういう外人が結構来ているかもしれない、世界的に有名になっているからである。
ツバメの放射能汚染を調べる人がアメリカのサースカロナイナ大学が来ていたりいろいろな人が世界から来ているということはある
ただあの女性は新聞記者かと思った。でも普通の旅人である
しかし何かそれ意外はわからないからつまらないとなる



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2015年08月29日

田舎でも差があり一万くらいだと限界集落化してゆく (自転車屋がなくなり困る)


田舎でも差があり一万くらいだと限界集落化してゆく

(自転車屋がなくなり困る)


家の地区など もうどこに自転車屋あるのかしりません。
今の中学生とかどこで自転車買ってるのか不思議です
自転車パンクしたらもはや自分で修理するしかない状態です

近くの自転車屋がなくなるらしい、というのはまだ50代くらいで病気になりできなくなった。
このことが自分にとっては困った。なぜなら自転車は買ってもあとの保守が必要であり自分は不器用でできない、パンク修理することもできなくなる
こうなるとパンク修理くらい自分でやれるようにしないと困る
自転車は結構自分で部品交換までしている人がいる。
構造が簡単だからできるのである。でも自分は何か機械は不得意である。
車の運転も自分には向いていない、必ず事故になっていたし死んでいたかもしれない
原付の免許をとろうとしたがこれも危険だからしていない
だから自転車屋がないということは苦しくなる

何か現代は不便なところはさらに不便になり住みにくくなる
需要がないから便利なものもできない
都会だと様々なサービスが提供できるのは人口が多いからである。
老人だけが集まる食堂ができたりもする
老人に対するサービスもふえている。
一人暮らしだと野菜が不足する、だから野菜を細切れで売っていたのは便利だと思った。なぜなら一人暮らしは野菜を無駄にすることが多いのである。
何でも一人暮らしは何か生鮮食料だと残したりして投げたするから無駄が多くなって損なのである。

なんかここだとまず商店街の店屋は薬局くらいししかなくなっている。花屋は確かに一軒あるがこれも花の種類が少なすぎる。
通りを歩く人も今とほとんどいない、車が通り過ぎてゆくだけである。
駅前の自転車屋があったのは鉄道と深く関係していた、自転車はもともと鉄道で運ばれてきたから駅前に店をかまえた。
引き込み線があって物が運ばれてきたからである。
駅前通りも今やシャッター通りになった。
田舎では確かにみんな車をもっているから自転車屋がなくても困らないのである。
まず車がない人は必ず貧乏人であり社会的地位は低い
自分は別に車をもてるが車の運転に向いていないのである。
自分は必ず事故を起こすから乗らない、乗らずに田舎で暮らすことができたのは仕事もしなかったからである。

自分は車より自転車が好きなのである。風を切って自転車にのるとき一番幸福感を感じるだから自転車にのらなくなったら死にたいとまでなるだろう。
自転車の不思議は一台一台乗り心地が違うことなのである。
だから五台くらいあるが乗り心地が違うから楽しめるのである。
田舎に楽しみがないというのは歓楽街のことなのか?
田舎は十分に楽しめる、自転車に乗る空間が広がっている、自転車で自然と一体化できる特に電動自転車だと坂が気にならないからこれもいい、体力がない老人になっても楽しめる
そして田舎では自転車道路がありほとんど通るひともいないから悠々とどこでも乗れる
等位だったら自転車で事故が起きたり何かと狭いから何でも窮屈なのである。
まさに田舎は贅沢な空間がある。spacious(贅沢)なのである。
そもそも田舎を楽しめない人間は人生すら楽しめない人だろう
自然と切り離された人間をイメージできない、自分は大学時代に四年間住んで都会を嫌悪するようになった。
その後は性格でありほとんど隠者のような生活になったのである。

まず芸術というとき自然の感性が基本にあり俳句でも四季がない自然がないところでは作れないだろう。
そこからして田舎を嫌うとしたら芸術の基本的感性すらみがけないのである。
田舎の人間関係を嫌うのはわかるが自然と隔離された大都会に住むことで自然と遊離したら感性がみがけない
そうなるとほとんど人類が残した芸術というのを理解できなくなる
それがいかに人間を貧しくするか?
そんなことを考えない社会というのも異常である。
都会に住んでいる人はキリコのようなロボット人間に化しているのかとも思う
常に像で考えろと言う人かいるがその像が自然がないのだからイメージできないのである像とは山とか樹とか石とか自然の像のことだからである。
高層ビルを毎日見上げていたらどんな像が生まれるのかとなる。
毎日株のやりとりでパソコンの画面ばかりみていたり何か人間が機械化している
都会人の感じることはかなり浅薄になっている
それはそもそも自然という人間を形作る基本が喪失しているからである。

不思議なのはまず自分のように山とか石とか樹とかそうしたものから発想しいてる人はほとんどいない、あらゆる問題でもそうである。
農民だと意識しなくても無意識のなかに自然と通じている。
でも経済的には苦労ばかりで金にならないと嘆くばかりである。
ただ今は金のかかる時代だから田舎を余裕をもって生活するとなるとかえって資金が必要だとなる。
農業は趣味としてやるのもいいがそのために余裕で暮らす金が必要となるのが現代である田舎に作らすにもそうした矛盾がある。
田舎に対する誤解は一万の街内と500メートル離れただけの地域とは相当違っている。
500メートルはなれるとそこは農家が多く、農家のつきあいはめんどうになり拘束される
四六時中回りから看視されていると嘆く人がいる。
街内はそれほどないからである。
それかちさらに一キロとか離れると街が遠いから買い物に不便になるのである。
それで田舎では車なしでは暮らせないのである。

いづれにしろ自転車屋がなくなることは自分にとっては痛手だった。
田舎は便利な生活になるとどうしても分散する生き方は不便になる。
でも分散していたのは米を作り野菜を作る土地が必要でありその土地を得るために分散したのである。それも自然に則った生活だったのである。
その時別に車がなくても自給自足していたのである。
つまり不便でも自足していた生活だとなる
だから今でもそうした不便でもある程度自足するという心構えないと田舎では住めない
便利なもの便利なものを求めることは自足していないのである。
田舎の生活なら本当は自給自足の生活をしたときこそ田舎を知る
近くの森から燃料の薪をとり清水をくみ最低限でも田んぼと畑で食料を自足する
そうして生活したときそれが本来の田舎の生活だったのである。
今やそれをするには資金があって趣味的なものとしてしかできない
それも矛盾しているのである。
なぜかというと街から離れるとすでに車が必要でありそれにコストもかかるからである。一万の街内ならなんとか自転車でも生活できるとなるからだ。

そもそも自分にしてもカナダの国債とかアメリカに投資しているとかそんなことをしていまこと自体大きな現代の生活の矛盾である。
でもまず田舎では公務員くらいしか余裕もって生活できない、職はないのである。
ただこの辺は原発でも火力でもあったからそれなりにあった。
だから比較的豊だったのである。それが原発事故で悲惨な状態になった。
家を維持にするは相当な資産がないとできない、田舎の生活は収入が低い割りには金がかかる、だから食料くらい自給しないと割りに合わないのである。
自分はただ親の遺産があってのでなんとかやれているというだけである。
遺産とか資産がないと田舎では生活が苦しくなる。

自分は相馬藩内は意外と自然が変化に富んでいるからあきないということがあった。
双葉以南になるとあまり感じないが浪江は二つの川があり高瀬川渓谷があり風光明媚である。
原町も鹿島も相馬市も松川浦があり新地も地形的に変化に富んでいる
それから丸森も森が深いからいいし飯館村もそうだった。
山元町から亘理へ行くと何かそこは景色的に地形的に平凡になるから魅力を感じない
蔵王が見えるところで自然の変化を感じる
いづれにしろ田舎を楽しめないものは人生そのものも何も意義あるものも感じないだろうただ田舎の人間は都会の人間より劣っているというのも確かだろう
優秀な人間は田舎には残っていない、何かのんびりしたのを好むから才能ある人間は特に理系の人などは残らないだろう。

芸術家なら田舎なしではありえいな、例えば自分が抽象画をパソコンで作ったがそれも自然をイメージする力がないと感じないのである。
これ何なのだろうとなるとき何か自然をイメージするからだ。
そのイメージ力がないと鑑賞もできないとなる。
ともかく地方創生が課題になっているがこの辺はその自然が放射能で汚染されたから致命的だった。もう立ち直れない状況である。
もっとも田舎的なものが一番打撃を受けたからである。その最も基礎を成すものが失われたということはその損失は計り知れないものとなってしまったのである。

brainnnn123444.jpg

日本の自然の魅力が複雑な地形にある
大陸だとどこまでも平坦な平野がつづいたりあきる
日本は地形が複雑だからあきないのである。

この絵でも火山があったり湖があったり森があり複雑になる。
それが狭い国でもあきない理由なのである。


タグ:自転車屋
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2015年07月07日

仙台へ仙石線が開通したので石巻から女川まで行く


仙台へ仙石線が開通したので石巻から女川まで行く

今日は晴れたし三日間母を施設にあづけたから出かけることにした
仙台から仙石線が開通したので石巻まで行き女川まで行く
津波の後の復興の様子を見に行く
津波の被害を受けた所は高台になって海が見えない
野蒜なども駅前が山のような高台を築いた
あれを見ればいかに津波が高く被害が大きかったわかる
津波を防ぐの山のような高台を築くほかない
ただ海が見えず見晴らしが悪くなるから景観的にはマイナスである
ともかくまた出かけるのはひさしぶりである

タグ:仙石線
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2015年03月20日

南相馬市の鹿島の仮設の食堂について (くつろぐ場とはなっていない)


南相馬市の鹿島の仮設の食堂について

(くつろぐ場とはなっていない)


鹿島の仮設食堂でバイキングにしたのはめずらしい。原町ではしていた。でも千円だから高い、コーヒーは無料であるからそれほど値段は変わらないかもしれない
バイキンク形式は毎日変わるから常連になっても今日は違っているなとなり来る
ただレストランとかは意外と雰囲気とかが大事である。
仮設では狭いし作りにくい、あそこは他より広いがレストランのような雰囲気が作りにくい、ただ食べるだけだとなる
まあ、仮設だと狭いのだからしょうがないとなる。
今は半分くらいは除染とか外部の人が入ってきている
それでどこでもレストランとか食堂はにぎわっている。

レストランとかは本当はいろいろなものがある。
ただ腹を満たせばいいというのも普通にある。
一般的な食堂はそういうのが多い
ただ人間は腹を満たすだけではない、そこにいろいろな付加価値を求める
もちろん腹を満たせばいいという人もいるし金をかけられない人もいる
スキヤなどはただ安く食べられればいいとなっている
あこも人手不足で時給1200円でも集まらない
この辺は特にそうだが全国的に人手不足が深刻である。
人手不足で熱海では経営難になったとか他でもそうである。
介護関係はますます人手不足になる

つくづく人手不足というとき人手は必ずしも金を高く払っても補えないということがあるまず人間はロボットのように機械のようには使えないのである
家で働いてもらうような場合、経験があるからちょっとしたことでも人を使うことの大変さがわかった。それで大損にもなった。
家で働いてもらうにはまず信頼関係が一番大事なのである。
これは簡単にできない、それなりの金を払ってもできない
例えば信頼関係ができているのはその家に十年とか働いている人なら信頼できる
その十年の間にはなんらか金だけでな人間的やりとりができているからである。

ともかくあつみ食堂は前は弁当屋だったのでその時も買っていたから料理がうまいことはわかっていた。今でも料理はいい、どっちかというとバターとかで味付けしているから若者向けというか現代風にしているのだろう。
料理はいいとして何か仮設食堂はくつろげる場所ではない空間がない
それがそんなに問題あるとは思っていなかったが何かくつろいで食事できないことを感じた
もちろんそれは個人的な好みもありかえって場末の飲み屋のような所でくつろげるという人もいる
そこのマスターとかと親しいとくつろげるとかといろいろ要素が入ってくる
つまり食堂であれレストランであれ食べるだけではない付加価値が必要になる
そして現代の商売はものがあふれているから付加価値の面が大事になる
でもそこまで考慮して商売するとなると大変な作業になる

ともかく食事は何かくつろぐ時でありただ腹を満たすだけだと人間のような気がしないとなる。
介護になってからずっと一人だけで食事であるが家で食べている方が落ち着く
ただ食事の用意がめんどうなのである。
だから家事に時間がとられる、家事はいろいろあって時間がとられる
それで外で食べた方が時間の節約になる。
食事でもレストランでも一人で食事すると嫌で一人暮らしの人が良く女性の友達を誘っているのもわかる。
その相手によっても食事の楽しさは変わる
結局人間は機械でないのだから人を雇うにしても誰でもいいとうわけではない
家で手伝ってもらうにも相性とかかえってめんどうなのである。
人手不足の時代だけとどこでも誰でもいいというわけにはいかないから人手不足はこれからもつづくだろう。
極力機械化するとしてもやはり人手が必要であり人手不足はつづくのである。


タグ:仮設食堂
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2014年09月11日

ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性 (やがて津波の跡も観光地になる)


ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性

(やがて津波の跡も観光地になる)

京都から来た人が女性二人男一人が写真で紹介したひまわりバックにして写真をとっていた。
あそこのひまわり大きい、あそこはこはひまわりがずっと咲き続けているから大きくなった。
ほかのひまわり畑は枯れてさいていない、咲いているところも小さいひまわりである。
でも南相馬市がひまわりの市になったと書いたがやはり外から来た人もそのひまわりに注目したのである。

京都というそこに住んでいるだけでうらやましがられ所である。でも意外とそこに住んでいる人は京都のよさ知らないことがある。
京都にはなんでもあるから京都の人は旅はあまりしないともいわれる。
奈良の人に一作日はあったが若人は地元のことがわからない、いくら歴史があっても普通はわからない、そして若い時はただ外に憧れているのである。
要するに長年住んでいる場所に感動している人まれである。
京都には山ほど文化遺産があっても感動しない人もいる。
いつもみているから感動しないのである。

観光でも京都はわくりにくい、特に歴史的なものはわかりにくいのだ。どこでも歴史を感じることはむずかしいのだ。京都はありすぎてかえって文化的なものさえ興味がなくなるということも起きているだろう。
京都は街のなかでもきれいな水が流れているのがいい。
まわりが山に囲まれているからまだ自然はある。
ただ今日会った若い女性がここは広く感じるといって言っていたことがわかる。
京都も都会であり家が密集しているかそう感じる。東京よりはいいのだがやはり広々とした空間はないのである。
だから鰻の寝床もような町屋になった。

現代は医療関係は田舎と都会の差はあってもそのほかで差が感じられなくなった時代である。仕事面では都会中心でも文化的に東京や京都や大阪が中心とはならない時代である。むしろ自然がないのだから自然の感性はつちかえないということもある。平安時代の環境とはあまりにも違いすぎるのである。
要するに京都からはかえって紫式部や枕草子がうまれにくいのである。
現代は文化的面では都会に住むメリットが少ない、京都の日常は家が密集して狭い空間に押し込められている感じになるのだ。

「田舎の学問より京の昼寝」
これは今まではあった。でも交通が発達してインターネットで通販時代になると買い物でも不便を感じないのである。情報的にもそうである。
今ではかえって京で昼寝しても何にも得るものがないだろう。都会と田舎の環境がそれだけ似通ってきたからである。
むしろ田舎で都会をはなれて昼寝していると都会の喧騒から離れて人間的になり感傷的になる。物思うのは田舎の方が向いている。
兼好法師の徒然草の時代とはあまりに違いすぎるからでる。

結局人間はどこに住んでも感じるものがなければどこにすんでも同じである。名所に行っても同じである。
現代は何かに深く感じることができなくなっている。
情報社会になっても感受性は衰えている。人工的空間で機会に囲まれ生活しているから自然への感受性が衰退する。

石や岩を詩にしてきたがその石や岩は都会にない、それは具体的な像としてもてないから言葉も観念的なものとなる。言葉と具体的な事物が結びつかないのである。
だから今や人間は政治人間経済人間科学人間になり本来の人間はいない、トータルな人間もいない、ただ部品化した人間しかいないとなる。

郷土を考えるとき自分は全体としての郷土であり部分として機能するものではない、なんでも全体として機能するものとして見るのである。
小さい田舎だとそいうことがしやすいということもあった。福島県でもこれをアイデンティティ化することはむずかしいのである。
ともかく人間の充実した生は自然を離れてはない、なぜこれほどに殺伐として美のない世界になっているのか?
これが繁栄といえるのか、いずれにしろ都会の価値はここ十年くらいでインターネットの発達などでまた下がった。

南相馬市の将来像は描かれていない、まだ混乱状態にある。ただフクシマが世界的にも有名になった。
全国的にも有名になったから今までは南相馬市を観光する人は少ない、野馬追いくらいだった。
だから外から来る人少なかった。六号線で道の駅ではあっていた。でも自転車を借りて見て回る人は見かけなかったのである。
ひまわりが咲いているということでもそれが人を引き付けるものにはなるということである。
津波の被害地域はまだ観光にするのは無理である。でも現実は津波の被害地を見て回っている人がいる。
その人たちにとっては観光でしかないのである。
だんだんかいそうだというよりそいうふうにポンペイの遺跡見学のように時間がたてばたつほどなってしまうのである。


タグ:京都
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2014年09月04日

自分のパソコンの履歴 (親指シフトキーボードで文章をスムーズに書けたことがパソコン つづけることができた)


自分のパソコンの履歴


(親指シフトキーボードで文章をスムーズに書けたことがパソコンつづけることができた)


自分がパソコンに親しんだのは富士通のオワシスのワープロからだった。
これはたまたま買ったワープロがオワシスでありそこから親指シフトキーボードを覚えた。
それがパソコンでもできたのでパソコンに親しんだ
パソコンでつまづくのは文章をいかにスムーズに打ち込むかなのである。
いちいち文章を打つのにてまどうとパソコンは使えない
ローマ字入力だとどうしてもスムーズに打鍵できない
親指シフトキーボードだと思考の邪魔にならないようにスムーズに打鍵できる
自分はローマ字入力だとパソコンに親しめなかったろう

だから自分はパソコンも富士通のものをずっと買っている
パソコンは今やどれでも親指シフトキーボードがあれば使える
ただこれをしていると他では不便な面がでてくるだろう。
少数者しかしていないからサービスが少ないから対応できなくなる
でもwin8でも親指シフトキーボードで打鍵できた。
ソフトを売っているところで対応していた

親指シフトキーボードからはじめるとそれをつづける人は多い
でもこれを知らない人はローマ字入力になる
ローマ字入力だと長い文章には向いていない
だから親指シフトキーボードでないとパソコンを自分は使いなかった
どうしてもパソコンでも文章がめいんになるからだ

今回win8が使えなくなったのでXPの古いパソコンでアップしようとした
そしたらやはりパソコン自体が画面が狭いとか文字が雑に見えると違っている
新しいパソコンはきれいに文字もでている
パソコン画面は広い方がいい、狭いと窮屈になる

パソコンはその人なりの仕様に使うことがある
ただソフトはあまり使わない方がいい
なるべく少なくしてシンプルにして使った方がいい
そしてパソコンで大事なのは安全性だった
突然クラッシュしたりウィルスで機能不全に陥るのが一番怖い
それが突然になることが多いからである。
reg clean proは別なパソコンにも入ってきた
こんなものがすべてのパソコンに入り混乱させる
それは今や何億という人に影響するからその範囲が広くなる
だからこれは世界的犯罪でありこういうものをで
インターネットが攪乱することは世界的犯罪であり重罪にすべきである
今やパソコンとかインターネットは世界のインフラにもなっているからだ
この世界的システムを破壊する罪は大きいのである。
パソコン
は一部のマニアの時代はとっくに終わっているからだ

明日は初期化の作業になるだろう
半日もかかるというのは困る
初期化することにはかなり抵抗があったがどうしようもない
やはり最初に親指シフトキーボードが使えないと
何もできないから困る
あとは順次そろえればできる
その親指シフトキーボードも一つの字がキーボードの一つが故障したらこれは不便で使えなくなった。
この故障にも困ったがこれは直してもらうのは簡単にはできない
サービスする場所が限られているし通販で買ったものだからである。
こういう特殊なものになるとパソコンは使いにくくなるのだ。
ただその特殊化があったからこそ自分はパソコンを使い続けることができたのである。


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バソコンの怖さ (プロダクトキーをなくしてオフィスのソフトが使えないークロウドで記録が取り出せない)


バソコンの怖さ

(プロダクトキーをなくしてオフィスのソフトが使えないークロウドで記録が取り出せない)


reg clean proはマルウェアでウィルスとは違うと言っていたが
それも影響してパソコンのスタート画面が出なくなり
富士通のサポートに連絡した。

セーフモードでたちあげて通信もできている。
でもオフィスのソフトが使えなくなっている
そこにワードとかワンノートがあり
それがクラウドに記録されていても取り出すことができない

今度はマイクロソフトに聞いてみると
再インストールと直るというが
買った時箱に入っていたものに
プロダクトキーの番号があれば再インストールできると言われたが
その買った時箱もなげたしプロダクトキーは見つからない
前もソフトのキーをなくして新しく買ったりしていた

ここもパソコンを使う点で注意する必要がある
オフィスは三万もするから簡単に買えない
記録したものはだいだい移動したからいい
でもオフィスのワンノートに記録したのがクラウドになって
取り出せないのだ

クラウドというのがわかちらないので使っていなかった
新しいものはわかりにくくなるからこまる
ここではプロダクトキーがいかに大事になっているかわかる
これがないとお手上げになってしまうのである。

記録さえ移せば初期化してもなんとかなるが
記録したものが取り出せない、消えることがパソコンの一番の怖さである。

ただ今回わかったことは富士通であれマイクロソフトであれ
直接聞いて答えてくれたので助かった
有料とかなっていたので電話をかけなかった
料金は今のところとられていない
富士通はサポートはいい
それも一年の保証期間があと三日くらいで切れる時だったのである。

ともかく完全にクラッシュしたのは違うから助かった
パソコンはやはりわからないところはすぐ聞いて対処した方がいい
マイクロソフトでも聞けるとは思わなかった。
ソフトの会社は電話しても通じないのが多かったからだ

パソコンはやはり会社だったら詳しい人がいるからすぐに聞けるからいい、
個人でしているとやはりわからなくなったら富士通のすぐに聞けるようにしておかないとまずい、つまりクラッシュする突然アクセスできない
壊れることがパソコンでは一番怖いからである。

posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年08月30日

windows 8が最新のアップディトすると画面が真っ暗になり起動できない


windows 8が最新のアップディトすると画面が真っ暗になり起動できない

windows 8が最新のアップディトすると画面が真っ暗になって画面が出なくなった。
ただハードディスクは壊れていない、ファイルも消えていない
ワードで呼び出すことができた

不具合がありアップディトはしないとマイクロソフトで報告していた。
どういう具合でこうなったのかわからない

パソコンは一端不具合があるとめんどうになる。
だから前は嫌になっていた。
ただインターネットは普通に使いている

この修復はプロに頼むほかない、電話で解決できればいいが
ともかく復元ポイントに戻すのもリスクがあるとかパソコンはまだ危険なものである。
問題はファイルがワードのソウトから呼び出せる
富士通のパソコンでは画面が出なくてもメニューボタンからソフトが機能している。

こうしてプログにもアップできているから直せるのだろう。
でもこうなると結構めんどうである。
他でも報告してあるから被害にあった人はいる

約一年使ってまたパソコンのトラブルである。
もう一台あるけど通信にはさしつかえない
だから基本的な所は壊れていないみたいだ

ただ修復するのがインターネットに出ていたが簡単にはできないのが困る
明日電話で富士通に聞いてみよう






タグ:Windows8
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2014年07月29日

試しです


試しです

調子悪い
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2014年05月28日

「新田川温泉はらまちユッサ」でバッグを忘れた


「新田川温泉はらまちユッサ」でバッグを忘れた


八木沢峠の麓の太古を回り飯館村へ行った。
その帰りも八木沢峠を下ってきて原町のユッサに回って食事した。
その時、バッグを忘れたのでカメラも入っていたから
その写真が出せない

すぐ気づいて電話したらあったので明日とりにゆく

ちょうど150円で天ぷらを出していた、いろいろな野菜天ぷらであり
安いなと思って食べた。
ここでこんなのを安く出しているのかと思って聞いた
それは水曜日の午後5時からだけ特別出しているそうである
だからそれを知って来ている人もいるようである
あの天ぷらだけで天ぷら定食になるから得である。


原町ユッサの湯に入ったことはない、750円にもなったら入りにくいだろう。
でもあそこは鹿島からも近い場所である
だから行きやすいということはある

あそこはオカズまで食券を買ってからだからめんどうだった
何かちょっとめんどうだとそれに気をとられてしまう。
なれればいいのだがはじめてだととまどい気をとられたのである。

他でも湯だと靴を入れるのともう一つ中にも脱衣場で鍵をかけて
貴重品を入れるからめんどうである

意外とこうしたことが手数がかかるとわかりにくくなり本当は利用しにくい。
食券にするのは出す方では計算とか便利でしいても
利用する方では不便な場合がある
それがほんのちょっとした手間でもそうなる

外国旅行ではそういうことでわからずに失敗の連続だったから
自分では外国旅行はしたくないとなる
簡単なちょっとした手続きでわからなくなるのだ
そして人が教えてくれないということがまたかえって不親切に思えるのだ

現代の社会は人と人がやりとりする前に機械が介在してめんどうになるのである
バソコンでインターネットを利用するにしてもそうである
だから今はスマホとか携帯とかでインターネットを読んでいる人が多くなった
読むだけならその方が簡単だからである

近間だったら忘れ物として本当になくしたことはない
どこに忘れたかだいたいわかるから必ずとってくれている
でも自分は何かに気をとられて忘れるから困る

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2014年05月06日

コメントについて


コメントについて

コメントはまれにしかないので見ていないことがあった
コメントされればみんな一応反応として出している
ただ答えるとは限りません


忙しいのでコメントに答えることがめんどうになるからです
通りすがりの・・・とか言われても答えようがないです

自分のプログはそうした今までの文字の会話の場とも違っています

ただ反応があればうれしいのでコメントはなくても
こんな反応があったとかとして出しています

だからコメントは見ずに遅れることがあります


ともかく自分はプログは書き続けています
書くことがここに書いているだけではなく他にもあります
プログはその時々の情報を自ら書いて発信して情報を蓄積するのにいい
だからコメントがなくても書き続けている
あとで役にたつこともある

つまり日にちが記されるのであの時点でこんなことを書いていたのかと
自分で参考にもなるから書いている

ともかく人間は忘れやすいからこうして日記で何でも書いておくのがいい
だから東松島の鳴瀬川の土手を下りた白萩や浜市などの写真が貴重なものとなった
なぜなら津浪で家も通りも松も流されてしまったからである。
ただ一本だけ松が残っていた、その写真が一致したのでわかった。
こうして記録として大事になることがある

要するに現代は写真でも膨大な記録が残され集積されていく時代なのである。
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2014年04月02日

今日の予定 (母のショートスティ、仙台から松島へ、津波の被害を見る)


今日の予定

(母のショートスティ、仙台から松島へ、津波の被害を見る)


母のショートスティ 2日間泊まる

自分は仙台から松島に行き一泊の予定
途中野蒜などの被害地を見る
それから石巻から女川の被害地をみる
泊まりは一日だけ


ショートスティがとれたので一泊して野蒜などの被害地を見てくる
どういうわけかあの辺を旅行した写真入の記事が常時アクセスあることが謎である
あの辺は結構家が密集しているから被害が大きかったのだろう

まだどうしても津波の被害か関心になる。この辺では旅行を観光を楽しむということにはなっていない、

だから実際に女川辺りの街全体が被害にあったところはまた違っている。
この津波の被害も実際に見てみないと実感できない、テレビだけではわからないことがある。

すぐ近くの津波の被害にあった人の家に行った。その話を聞くと水害の被害とは津波の被害は違う。
床下から水があがって床上になり家を壊す他ないと言われたという。
海岸から3,4キロ離れていたした被害がないと思っていたがそうではなかった。
その人はそこに住めなくなり避難した。
そししてボランティアなどがきて泥さらいや瓦礫の処理をしてくれて助かったという。
ボランティアは一生懸命やっていたという。
近くの親戚などは見ているだけで手伝ってくれなかったとか言っていた。

津波の被害は実際にあった人でないとわからない
近くでもたいしたことがないと見ていたのである。
まず自分は二週間は自分のことで追われていて津波の被害者のことを見ていない
みんな放射能騒ぎもあり自分のことで精一杯だったと思う。
だからその時、知り合いの人に助けられたことにその人は恩義を感じていた。

いづれにしろ津波原発事故の後遺症は長くつづく、何があったのか近くでもわからないことが多いのである。
今になって冷静に語る人がでてきているのだ。


昨日も今日も忙しい、まだ常に何かちに追われている状態がつづいている。

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2014年02月08日

今年も不運がつづく (水道管が壊れ大量の水もれるときいなかった)


今年も不運がつづく

(水道管が壊れ大量の水もれるときいなかった)


今年もなんか不運だった。
遠隔操作でプロバイダーを変えて失敗したり母がトイレに行けなくなり入院した。
入院したら医者から退院許可がおりたから
ケアマネジャーと退院のことを相談してくださいと言われてショックだった。

そして今日は最大の不運だった。

入院している間に仙台に行った。約一年ぶりだった。
何やかにや追われて行けなかった。介護していると外出ができなくなる。
その外出した時に水道管が壊れて大量の水もれをしていたのである。
仙台にいるからそのことに気づくことはできない。

ただ最近知り合った人が電話でしらせてくれた。
その人は近くに住んでいるから5時ころきてそのことを知らせてくれた。
じも水漏れを知ったのは隣の人だった
その人が水道管の元栓をとめてくれた。
これは助かった。

大量の水漏れでどのくらい水道料がとられるのか不安である。

今まで水道管が壊れるなどありえなかった。
何の原因かわからない、台所が凍ったということもない。
それで水が出なくなったの原因なのかわからない。
大きな太い水道管から水がもれたのだから
こんなこと水道を設置してからない、もう40年間もないだろう。
それが自分が仙台に行ったとき壊れたのだからよほど不運である。

温水器も40年使って壊れたし家自体老朽化しているのだろう

本当に一人暮らしはどんな危険が待っているかわからない
突然病気になり入院して一カ月病院から出れなかった
そのとき家は火事場泥棒にあい大金を失った
今回も自分が留守のときに起きた

一人暮らしでは留守にすると何が起きるかわからない
だから電気のブレカー落とし水道の元栓を切ることは必ずしなければならない
ブレカーも落とすことがなかった
それに気付かなかったのである。
だから一回電気を消し忘れ仙台に行ったとき、火事になる恐怖を味わった
火事になったら大迷惑になるから大変である。
こういうことは経験を積まないとわからない
家族がいるときはこんな心配はなかったからである

介護したりして一人暮らしだと何か起きるかもわからない

そして隣の町でも意外と緊急の時は役に立たない
車で10分でも何かめんどうなのであり手間なのである
だから遠くの親戚より近くの他人というのは本当である
その遠くの親戚は今では東京辺りはをイメージするが
実は隣の村のことだったのである
隣の村でも車もない時は遠くなっていたのである


今日は大雪であり水道は出ない
市に知らせたら水道科は今日は休みだという
確かに今日は土曜日だった
これも不運だった
近くの水道屋来ると言ったがこの雪で来なかった

でも回りが平常なので水道が出なくてもすぐには困らない
明日になれば買い物もできるからである
ただこの寒さで電気がとまったら大変なことになる
暖房できなくなるからだ
石油ストーブは置いていないからだ


今ふりかえると津波原発事故のときは電気も水道もとまらなかった
そこで二週間の米のたくわえがたまたまあったのでしのいだ。
でも水道がでないと水をもらう必要があり苦しくなった
ご飯をたけないということがあった

だから水の貯えも必要だった
緊急時の貯えは何かしら必要である
ただ回りは平常であれば買いものもできるからしのげる
ただ外から物資が入らなくなりここでは苦しんだ
交通が遮断されてそうなった

それが今は正常なので自分がこうなっても数日間のしんぼうというだけである

ともかく緊急時の備えは必要である
それでも電気がとまり水道がでないとなるとパニックになる
ただ今回のように回りが正常だったら買い物もできるから困らない

大雪になると車もスリップするとか危険である
自転車もスリップしやすいから危険になる
今はここは雪はやんだみたいが


明日はなんとか水がなくてもしのいで月曜日まで待つほかない
皮肉なのはこのもらった水が一本あったというのも何か暗示している
緊急のために水を供えておけよということなのだろう

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これ一本だけがあった


40年間壊れない水道管が壊れた


原発は40年で大事故になった


400年間なかった大津波で大被害になった



災難はこうして長い期間の中で起こる
「災害は忘れたころにやってくる」というのは本当である
水道管が壊れて、温水器が壊れた、原発が壊れたというのは
一つの原因は明らかに古くなって壊れたということがあった

人間が作ったものは古くなり機械でも危険になり事故が起きる
人間も古くなると老人になると病気になると同じなのである


この世では災難は400年単位とかなれば必ず起きる
それも想像もつかないものが起きることは確実なのである
だから備えをしなければならないのだしていないのである



70年代に建設されたコンクリート構造物が2005年から2010年ころに一斉に崩れ始める
http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans040.htm


機械でも古くなれば故障が多くなる。そういう原発がマ-ク1の原発が他にもあるし
40年とか使っている原発があるけどそのままにしている。コストの面からしたら古くても使っていたのである


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2013年11月11日

冬の虹を今とってきた (冬薔薇の写真もとった-写真なしでありえなくなった写生俳句)


冬の虹を今とってきた

(冬薔薇の写真もとった-写真なしでありえなくなった写生俳句)

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一陣の風の荒しや冬の虹

風雲にかかりて消えぬ冬の虹
故郷に老いて友あれ冬の虹
長々と消えるまで見ゆ冬の虹
幅広く切れ端残る冬の虹
冬の虹余韻の深く消えにけり
粗末なる住宅の庭冬薔薇
風荒らし雨滴のつきし冬薔薇

冬薔薇凍れるごとく二輪かな

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今日も一日で天候の変化があった。最初は雨であり北風がふきつけた。かなり寒かったから冬になったことをみんな意識した。炬燵も必要になった。それから午後からやはり北風がビュビュ-吹いた、黒い雲がかかり虹がかかった。それは夏の虹とは違って幅広いが三分の一くらいしか虹はたたなかった。でも長くかかっていた。今年は虹を結構見る。
秋の虹も見た。今日は雨風であったが夕べ近くは晴れになった。ただ風は吹いていた。
虹はやはり縁起がいいような気もする。今年は虹をいくつも見たから縁起がいいかもしれない、体が回復したことで今年は余裕だった。ただ縁は二つ切れたけどあの人たちとはもうかかわりたくないい、人間はかかわる人間によって幸不幸があり運不運もある。

不運な不吉な人間も結構いしてこういう人間にかかわると親戚であれ何であれ必ず不幸になる。不幸にさせられるのである。実際に家の中には強盗だった入ってくるから怖い。
ある人はただ金だけを要求する。地獄まで金を要求し続ける。それが当然だとも思っている。こういう人とつきあっていたらきりがない、そんな人が結構いるのだ。

冬野に虹という時、やはり老いてから友はできにくいが何か深い信頼のなかで暮らしたいとなる。虹が契約の虹だというとき人間と人間が結びつくことを象徴しているのが虹なのである。もしそういう人がいれば虹のように老いても心は結ばれているのだ。

この薔薇は近くの家の庭の薔薇だった。いかにも冬薔薇らしいと思い写真にとった。写真でわかったのはそこに雨滴がついていた。それは肉眼ではわからなかったのである。

このソニーのRX100M2はやはり写真の醍醐味がわかる。写り方が今までのと違ってプロ的に感じるのだ。だから写真撮るのが楽しくなった。平凡な景色でも違って見えるのである。この辺で住宅というと4000円くらいで入れる一軒家の住宅である。でも古いが庭があったりしてそこに覗いたら冬薔薇が咲いていた。庭がもてるからいいとなる。そういうところで冬薔薇のようにつつましく暮らしている人がいればいいとなる。今日来た人などはそうかもしれない、ただ不満ばかり言っている人が多い。


ともかく今日の天気も変わり安かった。今年は秋が短くすでに冬になったのだ。
日本の天候は変わりやすいから狭いところに閉ざされていても変化がある。
大陸のような砂漠のようなところだと変化がないから飽きてしまうだろう。
日本は天気の変化が激しいし四季があるから狭い所に一カ所に閉ざされていても飽きないということはある。

いつれにしろ写生は今やデジカメなくしてはありえなくなった。写真で見て俳句がありうるのだ。冬薔薇に雨滴がついていたと言葉で表現してもそれを明確にイメージできないからだ。写真を見れば一目瞭然になるからだ。

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2013年10月25日

秋雨の情緒(今年の気候は変則的だ)

 


秋雨の情緒(今年の気候は変則的だ)

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庭広く舞いつつ去りぬ秋の調
二羽舞いぬ小雨にぬれつ秋の蝶
言い残すことなおあれや残る虫
秋雨にぬれて烏や里に住む
秋雨に鴨も雀も吾もぬれる


窓の辺にしばらくあれば一二枚木の葉の散りて雨しととふる

庭広く大きな石の一つかな秋雨しとと心鎮まる
秋の薔薇三輪残り吾が町の駅の淋しく雨しととふる

雨しとと石にふるかも山茶花の白き一輪咲き開くかな

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普通秋雨というと9月だけと今年は梅雨が8月まで長くつづきそのあと秋になったのかと思った。でも一時お盆が過ぎても暑かった。9月も暑い時があった。そして10月まで台風がきた。何か温暖化で今年は今までになく変則的なのである。
だから今は秋雨なのかと思う。そんなに強い雨ではない、しとしとふっているからだ。

烏が一羽電線にとまり雨にぬれながらとまっている。そういう姿はいつもみている。すると烏に人間も共感する。雨にぬれて買い物にゆく途中で見るから余計にそうなる。
人間と同じように烏も同じ里に故郷に住んでいると感じる。
都会ではそういう感覚がなくなる。自然の生き物でもそうは感じない、故郷の同じ一員のようには感じないのである。


石にもいろいろな個性がある。その個性に気付かないのだ。石の形もあり大きさもある。自分がみていたのは隣の大きな石なのである。形が平べったく隠れてある。隣の庭は広いから自分の部屋から見える。するとその石を意識するのである。自分の家の庭でなくてもいつも見ているものは心に深く知らずと記憶されているのだ。

石でも樹でも長く見ていると人間は自然の事物と一体化する。そういうふうに人間も自然の一端にあるのだから自ずとそうなってゆく。ただ自然はどこにでもあり故郷にだけあるのというのではない、ただ長くいるとどこであれ自然と一体化してゆくのである。
啄木があれだけ故郷を思ったのは東京という大都会にいて自然にふられることがなかったからである。もし自然豊かな所にいたらその自然に共感していたのである。

それでもあれだけ故郷を思うということは感性がよほど豊かだったのだろう。
なぜあれだけ感性が豊かだったのか普通では考えられない、感性は実際は長い年月で作られていたのである。あんなに若くてあれだけの感性をもっていたことか不思議なのである。感性というのも訓練であったのが自分だったからである。

今は冬も近くなっている。でも台風が来ているから秋である。確かに晩秋という感じがしない、秋深むという感じもしない、でも木の葉散りはじめている。それでも秋深むという感覚になれないのが今年である。

庭は一つの自然であり金持ちの家でも隣に大きな庭があると自然を感じるのだ。
豪邸には妬みが起きるが自然はかえって恩恵を与える。隣が大邸宅でも森のうよになっていたら都会でもそこが自然になるのだ。それが自然の不思議さである。

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2012年11月15日

田舎では落とし物は戻ってくる(家の中に入ってくる人が一番危険)


田舎では落とし物は戻ってくる

(家の中に入ってくる人は一番危険!)


サイフとかカ-ド入れたのを自転車から落としていた。一瞬盗まれたかと思ったが今までにそういうことはなかった。ス-パ-に3,4回忘れてももどってきたし他でもわざわざ電話してきてくれて店もあった。それで5千円お礼したこともあった。今回は金は2,3千円しか入っていなかったがキャッシュカ-ドが一枚入っていたのですぐ連絡した。そのあと警察から連絡来て落とし物をとりにゆくことになった。仙台で落とし物したときも警察に届けられていた。案外落とし物は日本では届けられる。そもそももしかしたら落とし物はたいして金など入っていないからかもしれない、大金が入っていたらどうなるのか?その辺がわからないけど日本で落とし物が帰ってくる割合はかなた高いだろう。これが外国だったらほとんど帰ってこないかもしれない、そういう点、日本は安全である。狭い所だから落としていたらすぐもどれば落ちているものがそのつまにしていればわかる。そういうことも何回かあった。今回は人が通るところなのでそういうことがなかった。ともかく落とし物がかえらないことはなかった。ただ田舎が安全かというと家の中に入ってくるものはやはり金がからむことだと今は相当に危険である。あんな大胆な人が田舎にいるとは思わなかった。


今でその人ととは狭い田舎だから会っている。警察に届けても証拠がないということでとりあわない、警察は意外と犯罪では頼りにならない、なぜなら盗みでも何でも明確な証拠がない限り警察ではとりあげない、めんどうになるからだ。めんどうなことには警察はかかわりたくないのだ。なぜ尼崎の角田に警察がかかわらなかったのか不思議に思うだろう。それには何かかかわりたくないものがあったのだ。それは何かわからない、在日だカルト宗教団体だとかの巣窟でありそういう背景が何かあったので警察はかかわらなかった。あれだけの犯罪でもそうなのである。警察は証拠がはっきりしているものでないとかかわらない、それを決めるのは検察官であり警察官ではない、書類の手続きやら何やら今は人を犯罪者にすることは大変な労力がかかるのだ。だから今の時代は大きな犯罪でも見逃されているのが非常に多いのだ。
あれだけの犯罪でも見逃されていたということでもわかるのだ。殺人ですらかなりのものがつかまらないし見逃されているのだろう。もう一つは犯罪の範囲が広がりすぎたのである。世界まで広がったらなかなかつかまらない、そして人権に配慮するから犯罪者をつかまえにくいのである。


江戸時代がなぜ安全かといったら狭い範囲、村の中で生活しているから安全なのである。よそ者はめったに入ってこないしよそ者は必ず注意して見られているから犯罪できないのである。今は田舎ですら外国人が車で入ってきたりできる。関所があるわけでもない、誰だかわからない人が入ってくるのである。ただ実際問題として人間一番怖いのは内部の人間である。戦国時代でもそうだが内部に送られた密偵とか内部にまぎれこんで攪乱するとか内部でとりいって信頼されてあとで裏切られるのが一番怖いのである。だから角田の事件はわかりにくいけど家族の内部に入って内部を牛耳られたからあのような悲惨なことになった。そういうこと人類の歴史が始まって以来教訓として残されていた。
トロイの木馬である。木馬が贈り物として城の内部にもたらされた。それが何なのだろうといぶかっていたが城の中に入れてしまった。家の中に入れてしまったのである。城の中に家の中に敵を入れてしまったのである。これほど危険なことはなかったのである。角田の事件もやはりわからないあまりにも残酷なものにしてもやはり家に引き入れて起こったことなのだ。これは田舎でも今は関係ない、やはり金の力がものいう時代だから家の中にはよほど信頼する人でないとまかせてはいけない、家の事情もわかりそれが本当に危険なことなのである。老人などは特に危険である。


結局この安全管理は人間にとって盲点だった。会社経営している人などは借金している人は信頼してはならないとか言っている人がいる。金持ちは貧乏人とつきあうなとか世間に通じている人は言っている。人は簡単に信じることは命取りになる。ただではその信頼関係はどうして作れるかというと非常に今はむずかしい。村のような狭い範囲だったら互いに顔見知りであり江戸でも狭い範囲で生活しているから顔が金の代わりになる。あとで払うよと言っても顔で信用される。今は例えばコンビニなどでは外から人が入っているから監視カメラで見ている。店長は監視カメラを管理している人なのである。それだけ盗む人が多いのかもしれない、ただその金額は極めて少ない、家の中に入ってくる人はその家の財産がねらわれるから怖いのだ。貯金通帳もねらわられる。ボケ老人だとそうなる。
これは田舎でも今は金の世の中になっているから危険である。田舎も昔の田舎とは違っているのだ。やはり金がものいうことは田舎でも今は同じだから金にこだわる。人間関係も金を通じてしかありえない社会となっているからだ。


まあ、自分の場合はあまりにも世間にうとすぎたのである。坊ちゃんだといえばそうであった。そんな悪い人がいると思えなかったのである。もちろん悪の判定は簡単にできないにしろあまりにも人を信用しすぎたのである。それは田舎ではそんなことしないという先入観があったのだ。それが変わってしまったのである。ただ30年間くらい何も問題が起きなかったこと自体ふりかえるとあまりにも恵まれていたことだった。身内が認知症になってからすべてが狂ってしまった。そこからいろいろな問題ばかり生まれたのである。それで今はショ-ペンハウエルの本は一番読んでいたがまた読み返してなるほどなと思う。人間というのは災いがいかに多いかである。その災いこの五年間で嫌というほど経験した。だから今願っているのは災いのないことだけである。津波という自然災害もそうだけど

原発事故もありこれほどの災いはなかった。今はただ石のように何も災いの起きないことがどれだけ幸福なことか再認識した。便りがないのはいい便りだいうのは本当である。絶えず便りがきたとしても悪い知らせであり災いが人間を通じてもちこまれるのだ。いい便りなどほとんどないのである。
石のように何も起こらないことが幸福なことである。それを今回ほど願ったことはない、結局原発事故の災いはこれから放射能被害などどれだけ長い期間つづくかわからない、もううんざりしている人も多い。でもここに住んでいる限り逃れられない問題なのである。


アンケ-ト

百万サイフに入っていたら警察に届けますか?
一千万だったらどうですか?

金額によって人間の心理はかなり変わるだろう。
例えば百万であれ一千万であれ盗んだ人は返さない
もう十万くらいだったら返すが
額が大きくなると返さない
額によって犯罪の度合いが決められていたのだ


「死罪」では、強盗傷害や十両以上を盗んだ窃盗犯に科せられた


これは相当に厳しい、江戸時代は刑罰が厳しいことでもなかなか犯罪できない社会だったのである。今は十両など盗んでもわからない人が多いしつかまらないしそんなこと日常的に起こっているのだ。

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2012年11月12日

浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルがきました (一カ月読んでいませんでしたのでここでも返事します)


浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルがきました

(一カ月読んでいませんでしたのでここでも返事します)

浪江町の赤字木(あこうぎ)の方からメ-ルが来ました
その返事を一か月以上していませんでした
メ-ルを都合で読んでいませんでしたのでここでそのことを書かせてもらいました


ここのところ入院したりしてメ-ルを二か月くらい見ていませんでした
それでさくらのサ-バ-から重要な連絡が入っていたのもみていませんでした
あと一時間ですべて消されるところでした


メ-ルで困ったのは迷惑メ-ルが多すぎることです
そのためにメ-ルを見るのが嫌になって見ていなかった
メ-ルはやはり定期的にみている必要がある
プログでメ-ルだしましたとコメントで連絡すると必ずみます
プログでのコメントの方が毎日見ているのでわかるのです
メ-ルは毎日見ていなかった、一か月とかみないことが結構ありました


赤字木の人は避難して仮設に住んでいます 曽祖父が「相馬藩政史」にかかわったようです
「手書き原稿を始め参考資料等、数多の古文書も保管しておりました」とあるから由緒ある家の方だったようです

赤字木(あこうぎ)は山中郷だった、飯館、葛尾(かつろう)村の領域だった、山中郷は相馬藩ではあとから郷として組み入れられた。そして野馬追いにもでるようになった。馬を飼うのに餌とするものがあり野馬追いにでる馬も飼っていた。薪もとれたし塩の道でもあり相馬藩としては重要な山の村になっていた。


先祖代々の歴史と努力を一瞬にして葬り去ろうとしている国策には怒りを禁じ得ません。


やはりこれだけの歴史を山中郷の赤字木でももっていたのだからそこを放射能で追われたというのは怒りになる。一見外から見ると浪江とかは歴史がないように見える、特に双葉とか大熊はそうである。それでも江戸時代からの歴史がある。浪江は古代から標葉郷として四つの郷があったのだから古代からの歴史があった。ただ双葉、大熊は古代ではない、相馬藩になってから開墾されたのかもしれない、ただそれだけの積み重ねた歴史があるのだからその怒りは理解できる、ただ赤字木が山中郷になっていたのは知らなかった。浪江の標葉郷の方だと思っていた。


メ-ルはこれからなるべく読みますが毎日は読めないです、迷惑メ-ルで嫌になるのです
他にメ-ルアドレスを増やそうとしているのですがうまくいかなかった、その準備中でした
プログの方にメ-ル出したよと一言連絡してくれれば必ず読みますのでよろしくお願いします


注意

メ-ルを出して返事がないと思っている方、連絡してください

今回赤字木として出しましたが個人情報が出されるのが拒否する時は連絡してください

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2012年09月03日

天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど (人間は最後までプライドをもつ)




天使にも悪魔にもなる看護婦(師)のことなど
(人間は最後までプライドをもつ)


脈をとる看護婦の手の

あたたかき日あり
つめたく堅き日もあり。啄木


病院とか病気は非日常的なものを作り出す。特殊な感受性を作り出す。啄木は天才的な感受性をもっていたから病気になりあれだけの短歌を最後に残した。正岡子規の俳句も病気から生まれたのである。また死を常に意識していたから平凡なものでも違って見えた。今は看護師だけどこんなふうになかなかここまでは感じない。自分は病気が病気だけにオムツとか必要とした。そのとき看護婦にひどくしかられた。手術の後に汚してしまったからだ。頭がまだ朦朧としているときだった。そのときなぜそれほどそのことが気になったのか、頭に来たのか、それは相手が孫のような女性だからであった。プライドがひどく傷つけられたのである。そもそもオムツ自体がプライドを傷つけるものである。
一時的ならいいが長くなると悲惨なことになるのはそのためである。


つくづく人間はプライドに最後まで生きる。それは認知症でもそうだった。認知症の最大の特徴は最後までプライド失わない、馬鹿になってもプライドを失わないのである。馬鹿になっても馬鹿にされると怒りそれが暴力の原因にもなっているのだ。人間は馬鹿になってもプライドだけは失わない、プライドを傷つけられた時、命をかけて相手を殺すことも普通に起こる。韓国と中国があれほど日本を憎むのは民族のプライドが傷つけられたからである。それは消えることがないのである。犯罪も人間としてのプライドが傷つけられるから起こる。金がないということもあるがそれより人間としてのプライドが金がないということで傷つけられることが原因なのである。


今回もプライドを傷つけられたから看護婦に対して不快感をもった。看護師にはやさしさが必要というときこのやさしさもつことはいかにむずかしいものかわかっていない、看護師も最初は天使だけどあとで悪魔になるというのもそのためである。やさしくしようとしても現場で常時そうはいかなくなる。看護師でないにしても老人に嫌悪感をもっている若者も多数である。あとはただ機械的に仕事して月給もらえばいいとかなる人もいる。ただ看護師とか医者の問題は医療的技量もあるが人間的やさしさが必要だというとき今回のようにプライドを傷つけられるとコミニケーションができなくなることが深刻なのである。何か症状を訴えることもしにくくなる。その人が怖いとなるからだ。つまり病人は弱者である。その弱者をいたぶることはあまりにも容易なのである。認知症の看護とかそのほかこの五年間は弱者のみじめさを味わってきた。この世で弱者をいたわることはない。
弱肉強食の世界である。だから火事場泥棒なども経験した。


相手の弱みにつけこむことは日常的に起こっている。最近の日本でも経済が弱くなった日本は怖くないと回りから責められていることでもわかる。医者がなぜ一般的に傲慢になるのか、相手が弱者だからそうなる。病気になり弱ったときにしか接しないからそうなる。相手が弱者だから自分の命令に従わねばならないとなり上下関係ができてしまう、医者でも看護師でも不満があっても逆らえないとなる。そして病院は外にはでれない刑務所であり管理される。だから物体のように管理されて死ぬということがある。体はみるが人間のプライドは病院や看護師や医者は重んじないのである。だから重症になるとその人の意志すら伝えられなくなり尊厳死などは病院ではありえないのである。病院では体はみても人間の精神はみないのである。こういう問題は高齢化や死をどう迎えるかで起きている。家で死ぬというときそこが尊厳を与えられているからだろう。病院ではありえない、特に身寄りがない人などは病院では悲惨である。
誰もみてないからさらに弱者となりそのとき実験台にされたりと医者や看護師はそのとき悪魔に変身してしまうのである。



 
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2012年09月01日

無事手術終わりました

 
無事手術終わりました

自分の場合は前立腺肥大でも特別大きく普通は一時間半で終わるが二時間かかって出血も多く手術の後で輸血した。麻酔で頭が三日ほどくらくらした。
でも点滴も終わり尿も出るようになったのであとは楽である。
この病気は尿道を圧迫して尿がでなくなる病気である。
最悪は尿がでなくなり腎臓に影響して腎不全になり死ぬこともある。
南相馬市立病院に一カ月入院したのはそのためだった。

昔はじいちゃんが小便でなくなって死んだと言っていたらそれは前立腺肥大で死んだらしい。昔はこんな軽い病気でもかなりの人が死んでいた。
管入れて小便をとれないとするとそうなる。これは年取るとなる病気だからこういうことはありうる。


相馬総合病院は泌尿科で有名らしい。院長先生が泌尿科であり三人も専属の医者がいる。毎日手術している。南相馬市立病院
では若い医者が一人であり簡単な治療しかできない。病院によってこれほど違うのかと思った。
ただここは迷路のようになっていて見晴らしは良くないので快適とは言えないのが残念である。でも海が見える所が三階に一カ所あった。今日わかった。
それほどここはわかりにくい病院である。


一般的に泌尿科はみんな軽度で病気のように思えない、たいがい二週間で退院している。自分もうまくゆけばそうなるがわからない。同じ病室のものはみなそうなので毎日暇だから話しして暇つぶしして笑っている、病人には思えないのである。ただ場所が場所だけにいやなのである。


ここには津波で家を流された新地の人や浪江の請戸の人がいた。その人は深刻ではないのも不思議である。土地は買い上げて
もらえるとかこのさい職をやめてのんびりするとか、仕事しないから太ったとか請戸の人は特別室であり金持ちらしい、息子に家を建ててやるとかでも土地が高くなっているとかそういう人はやはり余裕がある。余裕があるのは家族が死んでいないからである。

ここの階には丸森、新地、相馬市、小高、浪江やいわきとかの人がいた
それらの人は元気だから話しできる。新地の古老のような人がいた。
実際に城跡の保存とかしている、なんか聞いたことがない話しを聞いた
話しがうまいから新地の生きた古老である。

なかなか通信できなかったが場所を変えてできた、
コメントは遅いのでできない

まあ、苦しい時はすでに過ぎたからパソコンもできる
暇だから文章書くのには向いている

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2012年08月21日

明日から入院です



明日から入院ですのでプログはしばらく休みです

病院からも送信してみますが遅いので長い文は無理です

何回か送信できればいいほうでしょう
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2012年08月19日

病院に持っていくもの(通信実験)



 

病院に持っていくもの


病院は暇だからノートパソコンで通信できるといい

それで実験です
古いので遅いしうまくいかなかった
今回は用意していくので前よりはいいかもしれない
病院から最後のメッセージをアップします
冗談ですけど・・・
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2012年08月11日

さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン


さくらのプログに宣伝が入り「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウン

さくらのプログに今度はアップロ-ドするとき、そこまで下に一行宣伝が入る
そのために不具合が起きた。「HTML」のコピ-するとエクスプロラ-がダウンする。
何度もやり直さないとコピ-できない、「HTML」をコピ-して二つのプログを作っていたので困った。こんなところまで宣伝を入れるのはせこいなと思った。
インタ-レスマッチの宣伝もしないのに消えないのである。
インタ-ネットの世界は安いから何らかこうした宣伝でもうけないかぎりもうけられない,
だからここまでせこく宣伝しているのだ。
いちいちアップロ-ドするとき宣伝でてくるので目障りなのだ
それで何もないならいいが不具合になっているから困るのだ。

プログは毎日書いているからスム-ズに書けないと困るのである。

今のところ、入院とかで他に移れない、退院したら移らざるを得なくなる。
今は本当に宣伝から逃れられないのだ。宣伝が収入源になっているのはさくらのプログでも
安すぎるからそうなるのである。レンタルサ-バ-でも管理するのが結構人件費など金がかかる。
だからどうしてもどこでも宣伝を収入源としようとする。
ただ利用する方にとっては困るのだ。


利用者がなんといってもプログはサ-ビスでしているのだからどうにもならんだろう
他に移ってやってくれとなる。もっと金払っているならこうはならないのである。

posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年07月13日

最近アマゾンで買ったもの(ニッチなものが売れる) (情報は連鎖して買いものもある時代)


最近アマゾンで買ったもの(ニッチなものが売れる)

(情報は連鎖して買いものもある時代)


最近買ったもの


アマゾンの電波時計 1800円
citixonnnclock.JPG


電波時計だから時間をあわせる必要がない、温度計とアラ-ムがついている。アラ-ムは最初ピッピッピッ・・・と単調になりづけ今度はピピピピと激しくなり続ける。一様な音ではないのがいい、だからこれは小さくも目覚めやすい、持ち運びにも便利である。1800円では安かった。


36GBのUSBメモリ- 1600円


これも安いから買った。それほどいいものではない、近くの電器店では倍以上している。


みちのくの都 多賀城・松島 (よみがえる中世)

chuuseibook.JPG


見逃していたのは岩切が重要な中世に栄えた要所だったことである。奥大道の要所だったから歴史が積み重なっていたのだ。それを見逃していたのである。この本も知らなかった。仙台のこうとう台公園の近くの喫茶店をかねた古本屋に置いてあることをインタ-ネットで知った。でもアマゾンで安く買えた。これも情報の連鎖で買い物しているのである。ともかく岩切には一回行ってみる必要がある。


岩切について
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/panfu/pdf/53.pdf


この年になるとあらゆるものの整理になる。人生自体が整理になる。本も整理することになる。こんな本読んだなとか読み返している。これはこういうことだったのかと深く読める。意外と本は何があるかわかりにくいのだ。そして地方では本は買いにくいものだったのである。今はアマゾンで古本でも何でも買える、アマゾンでないと買い物がかなりあるからアマゾンを利用する人がふえたのである。ただ余りに高いもの大型のものは買わない方がいい、軽いと思ったバッグが形は良かったのだか重かったとか手にとれないので失敗する場合がある。だから一万くらいまでの買い物に向いているのだ。椅子などでも大きさや座り心地まではわからないのである。

ともかく本も整理になるが人生そのものが整理になる、こんなことしたとか、過去をふりかえりその意味は何だったのかとか必ず反省する。その時人生とはこんなものだったのかと誰でも覚らされるのである。

自分の場合は変わったいたにしろ家は余りにも居心地が良すぎるところだったのだ。二人の女性が仕えていたし何不自由がなかった。今思うとつくづく楽だったな幸福だったなと思いかえす。その期間も実に長すぎたのである。今になってそれがすべて反転した。自分をみてくれるものは一人もいない、これも自業自得だった。人間は何であれ結局自業自得である。借金で苦しんでいる人は本当は自業自得である。金がないのに金を使っているからそうなる。病気すら自業自得なのかもしれない、酒を飲み無理をしていたら必ず年取ると体に影響して病気になりやすいのだ。これはすべてとは言えないがそういう傾向は一般的にある。不摂生の結果として病気になってくる。

原発事故だってこれも地元の人にも責任があり自業自得だと他から言われるのも一理あり否定はできない、原発で利益を他よりも得ていたのだから地元も悪いとなる。これは日本全体自業自得だともなる。そんな危険なものを放置していたのは国民に責任があるともなる。自分のようなものは自由に生きてきたのだから野垂れ死にしろと言われてもしょうがいかもしれない、それも自業自得である。本当は責任を他者のせいにするのは間違っている。いろいろ境遇があるにしろそうかもしれない、そして時間はもどってこない、後悔してももどってこない、青春などたちまち過ぎて遠い夢の世界になる。この世で一番貴重なものは時間でありその時間が一番消失しやすく取り戻すことができないのだ。だから青春を浪費したものは一生を浪費したともなる。


老人が一番欲しいものはとかキ-ワ-ドでくるがモノを欲しがっていると思っているが老人が欲しいものは時間であり時間で得られたものだったのである。時間など何もしないでも何をしてもすぐ過ぎてしまうのである。女性はたちつち老いて美貌を失うのも早い。それでも60代になっても化粧して男を求めているのが業なのだろう。実際は皺を隠しているが近づけば見える、若いときの姿はもうないのである。老人になるとこうした悪あがきがふえてくる。あきらめきれないのである。いくら若返ろうとしてもできないのである。老人はやはり心の方にその精力をシフトする、集中することになる。
外見はもうどうにもならない、ただ精神的に気品があれば体はだめでも美しいということがある。そういう美しさを目指すべきだったともなる。ともかく失われたときこそ千金の価値があったのである。

今日はむし暑い、こうなるとなかなか知的作業が進まない、頭を使うことが嫌になるのだ。こういうときは北海道が一番気候的にはいい、からっとしているしこうしたむし暑さがないからである。
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2012年07月12日

相馬市の病院へゆく (この辺の福祉の問題など-やがて施設も病院も入れなくなる)


相馬市の病院へゆく

(この辺の福祉の問題など-やがて施設も病院も入れなくなる)


老鶯や鯉ゆうたりと小泉川


今日は相馬市の病院に行った。手術の日が決まった。施設に家族もあづけられる。手術自体は2,3週間でありたいしたことないみたいだ。でも手術だからそれなりに大変だということがある。ともかく介護していて介護する人もいないのだから何でも大変なのである。介護して一人は死んだけどそのために病院にも行けずに悪化させたのである。幸い癌とかでないから助かった。体力的には落ちてない、普通の生活ができる。老人をみていると歩き方でわかる。歩き方をみていればこの人の体力がどれくらいかわかる。老人は見た感じでわかるがそれは歩き方と姿勢なのである。ぴんと背筋が張ってすいすいと歩いている人はまだ老人には見えない、例え白髪でもはげていてもである。ところが歩き方を見ているとやっと歩いているような感じの人は年だな、老人だなと見てしまう。自分は歩き方から老人には見えないだろう。すいすい歩けるし背筋も張っている。姿勢は悪くないからだ。それでも介護保険を納める年齢になっている。60代とか個人差が大きくなる。十歳くらいは違って見える。

60以後は年に関係なく歩き方を見てその人の体力の度合いを計るといいかもしれない、やっぱり人間は歩くことが基本なのだ。歩けなくなったら途端に老いてしまうだろう。

30年一人暮らしている相馬市の老女がアイネットのことを言っていた。緊急時の連絡のシステムである。その女性は福祉関係で無料で入っている。隣近所は全くあてにならない、都会と同じだと言っていたことは自分もつくづくそうだと思った。ちょっとしたことも頼めない、隣近所は無縁化している。頼りになるのは福祉サ-ビスでありここが機能しなかったら例え何なろうが隣近所は放置される。
死んでいてもわからないだろう。これは田舎でもそうであり社会自体がそうなってしまったのだ。

だから福祉サ-ビスが機能しないと悲惨なことになる。「おにぎり食いたいと・・・」と言って生活保護を受けられなかった人が都会で死んだ。昔だったら隣近所に言っておにぎりくらい食べさせてあげたろう。貧乏でも米をわけあったとかある。それが今の時代は全くなくなった。だからこそおにぎり食いたいと言って死んだのである。誰もおにぎり一つあげることもできなかったのである。そういう社会になっているということなのだ。隣近所は本当に無縁化してしまったのである。
ただ金があればアイネットとか隣近所の役割をするサ-ビスを受けられる。これもまたまさに隣近所が全く無縁化しているからこそ商売として成り立つ、そういうサ-ビスが仕事になるのもまさに現代を象徴しているのだ。何でも金を通じてサ-ビスを受ける社会なのである。だから一面金のない人はこういう社会ではさらに無縁孤立化してゆくだろう。ただ金だけでは何もできるわけではない、それは自分が痛感した、近くだと思って頼んだら犯罪にあった。もう金しかその人は求めていない、その現実に唖然としたしこれが現代社会なのだと痛感した。それは田舎でも都会と同じなのである。
農家辺りではまだ多少は隣近所は違っているかもしれないが街内どこも同じである。

不思議なのは隣近所でも何か困っても「福祉関係に頼んでください、民生委員に頼んでください」で終わりである。家族が認知症になったときも誰もかかわらなくなった。ただ病院に入ったとき看護師などがかかわってくれたのである。施設に入ればかかわってくれるのが現代であり隣近所は全くかかわらない時代である。それでもこの辺では福相とかの会社で募集しても人がこないとか働き手が流出していることが深刻な問題となっている。病院でも看護師、医者がたりないとか介護関係もたりないとかそういうことが深刻になってくる。

だからみんなが「福祉に頼んでください・・」というときその本人もそう言われる。重篤になったらやむをえないにしろちょっとしたことも頼めないのである。金がない人は特に苦しくなるはずである。金がないなら助けてやっても損なことはないのだ。打算的にしろ恩を与えることでもいい、人は助けて損になるはずがないのだ。何も得られないにしろ損にはならない、重篤になっている場合は別である。ついで買い物してやるとか留守だったら家をちょっとみてやるとかである。そういうことすら頼めないのが現実である。人によるにはしろそういうのが現代社会であることはまちがいない。

ともかくこの辺の状態といろいろと深刻である。自分は住むところがあるからまだよかった。他の人は飯館村でも住む所を奪われたし一体これからどうしていいのだろうと途方にくれているだろう。

津浪の被害にあった人もそうである。岩の子で津浪の被害にあった人がいた。塩害で田んぼがだめになったとか聞いた。様々な負担がのしかかっている。だから自分たちのことで精一杯だというのもわかる。そして若い人が流出することはこの辺ではいかに深刻なのことかまだ自覚していない、老人とか高齢者や病人ばかり残されことになる。その時「福祉の方に相談してください」だけでは解決しえなくなる。それだけの余裕がないし病院だって重症の人すら早めに出され自分で食事の用意すらできないような人が病院から出されていることが放送された。そううい時代になってくる。「福祉で頼んでください」で解決すらならいい、その福祉への期待が崩れることがあるのだ。だからなんだか三年も胃ろうで病院に入っている人などが増えてくるとそのあとに入れことができなくなる。そういうふうに病院でも施設でも手当てしているとあとにつかえるものが困ることにもなるのだ。いいところで死んでもらわないともうあとがもたないという事態になりつつあるのだ。とにかくこの辺ではこれから病院でも福祉関係でもまともなサ-ビスが受けられなくなる可能性が強いのである。そういう自覚にまだ欠けているからのんきなことを言っている、今度は自分の身にふりかかてっくる。


今やここに残り暮らすことは今までとは違っている。何らか互いにここに残るために協力するとかそういうことが必要になってくる、在宅介護だってもう施設に入りきれない病院ではめんどう見切れないからそうなっているのだ。だから隣近所の無縁化社会はこれに拍車をかけるから「おにぎりください・・」と言っても誰もくれない、餓死してゆく人が増えてくる。だから最低のセ-フティネットで現物を供給する場を作るのはいいかもしれない、アメリカではそうしている。生活保護だってふえる一方なのだからこんなことつづくはずがない、限界がきているからだ。ともかくこの辺ではまともな福祉サ-ビスも受けられなくなるかもしれないからそういう自覚をして残るほかないかもしれない、でなければ福祉サ-ビスのいいところに金ある人は移るほかない、都会の年金生活者は福祉サ-ビスのいい市に移住しているのだ。つまり現代は金があれば移住しやすい社会である。だからこそ若者もこんなふうな状態になるとこの市長村はもう未来がない、こんなところで暮らしていてもいいことはないと移住する人がふえてくるのだ。そして残されるのは老人とか病人とかばかりになる。でもそれを補佐する福祉が維持できるかと言ったら若い人がいなくなるのだからできないのである。


小泉川の所は情緒があり鯉が泳いでいるのがいい、相馬市は駅前から開発などしない元のままの街だった。そこが原町と違っていた。細い路次が多く城下町の名残がある。

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2012年04月29日

タンポポ(耕されない田畑がタンポポで埋まる)

タンポポ

(耕されない田畑がタンポポで埋まる)


年老ゆも鳴き合いひびく夕雲雀


たんぽぽや子供の顔に輝きぬ


タンポポの耕さぬ田畑に満ちにけり


草原に春の夕風海近し


耕されない田畑に一面にタンポポが咲き満ちている。ハコベのようなものも咲き満ちている。あとは一部耕されているが草原化している。草原だと風も夏の感じになる。海まで見通しが良くなったから風が海から気持ちよく吹いてくる。この景色はまた北海道なのである。北海道は牧場で草原なのである。一面にタンポポの咲いている所がにているのだ。この景色も悪くないと思うがこういう状態でそのままにしておくわけにはいかないだろう。


ソ-ラパネルの仕事も山の木を切ったりして大変ならしい。何か仕事を生み出すにしても簡単にはできない。みんなこの先、福島県などはどうなるんだろうと心配する。田畑の仕事がなくなったら農家の人はどうなるんだろうとか他からも心配になる。ただハウスでいろいろな花を栽培している家があったけど花は放射能の影響はない。水田がなくなっても一面に花が咲いたらかえって美しいともなる。ひまわりは相当植えてあるから一面のひまわり畑になる。


タンポポが辺り一面咲いている。そのタンポポにかがみ子供が遊んでいる。その時自然と子供は一体になっていた。その花に近づける顔にタンポポも明るく輝いて咲いている。畠打つとか耕しとか人間と自然が一体化するとき調和して美しいのである。


my cultivating homeland in spring
humanbeing and the earth in one body


以前として家の方が整理できない、本は乱雑に積まれているしまだ地震で壊れたところや掃除しないところがある。一人は寝ているのでなかなか咲きに進まない。一年間すでに整理に追われている。

近くの人が死んだ。老夫婦であり二人とも病気みたくなっていた。夫が先に死んだけど妻ももう一人では生活できない、90近い人が買い物している。回りにはそんな人ばかりである。老々介護とかよたよた何とか歩いている高齢者である。この辺は津浪、原発事故で病院や福祉関係のサ-ビスの質が落ちた。これから施設に入るのは容易ではない、国では在宅介護にしようとしているが今や少子化や家族数が致命的に少ない、その中で一人倒れられると介護する人大変なことになる。自分は二人も介護する人いたが一人は苦しかったけど死んだので助かった。もし二人も介護していたら自分も倒れた。少子化というのは高齢化して二人でも四人でもその少子化した子供がみなくならねばならぬ。
その重荷はとても背負いきれないものとなる。兄弟もいないとなれそうなるのだ。昔のような大家族だったらなんとかのりきれる。少子化やら高齢化やら一人暮らしの増大はこれから悲劇を生む。

90近い人が多い、その人たちはどうしても病気とかになり倒れる、それが見えているのだ。百までも健康な人などまれだからだ。その時老々介護とかなり共倒れになる人も多数でてくる。
近くで死んだ人は子供が親のめんどうみなけれならなくなる。一か月くらい子供ではなく近くの人がめんどうみていたという。子供でも離れていると今はめんどうみないのである。だからといって近くの人がめんどう見るなどとは今はならない、少子高齢化はやはりえびつな社会構図なのである。

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2011年10月12日

自分に起きたちょっとした事件の謎(犯罪は田舎でも増えている?)


自分に起きたちょっとした事件の謎

(犯罪は田舎でも増えている?)

犯罪が増えているとか増えていない主観なんだよ、自分のみにふりかかったら犯罪が多いなと思う
そうでない人は犯罪はあまり関係ないんだよ、犯罪を身近に感じて犯罪を知るんだよ
今回のことも変だった、小さなバッグを忘れた、それを知ったのが自転車でしばらく離れてからだった。忘れた場所はわかっていた。そこにもどってみたらなかった。それで近くのス-パ-に行ってみたら届けられていた。そのス-パ-に忘れた記憶はなかったが一応たずねてみたのだ。5分くらいしかたっていないからわかっていた。そしたらバッグがス-パ-に届けられていた。近いからス-パ-に届けたのだ。

「お礼をしてくださいよ」と店員に言われた。

店員に電話番号と名前が書かれたメモを渡された。

そのス-パ-では金がなくて外でカ-ドで一万下ろして使った。2千円内の出費だったろう。その時一万なのだから一万を使うはずがない、バッグが届けられていたしお礼をしろとも言われたので電話した。出たのは20才以下の高校生くらいの男子だった。そのバッグは通信販売で買ったばかりであり一万した。あとはカ-ドとデジカメが入っていた。あとは何も入っていない、でも全部で5万くらいとして一割の5000円払った。失敗したのは電話したときパッグの中味を見ていなかった。金が減っていることにきづかなかった。確かに一万をス-パ-に出したのだから2000円しか残っているはずがない、かといってぬきとられたとも思えない、わざわざ届ける人がぬきとるわけもない、するとス-パ-のバッグをわたし人がぬきとったのか、それとも自分に何か落度がありなくなっていたのか?その辺がわかりにくい、金はス-パ-でしか使っていない、・・・・その辺が謎になっている。ス-パ-内で忘れたならス-パ-の責任になるがその外になると警察に届けるものだった。ス-パ-に届けるものではななかった。ただ警察すら忘れ物の金をぬきとっていた事件があった。これはぬきとりやすいのである。小額だったら全くわからないのである。


バッグを届けた人に5千円をわたした。母親と一緒であり顔を見たらとても金をぬきとって届けるような顔ではなかった。すがすがしい顔をしていた。それも母親と一緒に来ていたからあの人はぬきとるようなことはしないと思った。人間はやはり表情を見るとわかるということがある。ただそれは人間を良くみれる人でないとむずかしい。人間の表情をよはとることはむずかしい。 するとス-パ-の店員がぬきとったのかとなる・・・それが有力だが自分の落度もある。小額をぬきとる犯罪がありそれはわかりにくくされて誰も訴えないということがあった。それは巧妙な犯罪である。犯罪者はそういう所に頭が働くのである。乱暴な犯罪はよほどせっばつまった人がするのだろう。


自分は最近どうしてか犯罪にあった経験があり犯罪を考えるようになった。これは額が少ないからどうでもいいことだがそれでも何か最近田舎でも犯罪が増えているかもしれない、せちがない、世の中になっている。余裕のない社会になっている。ともかく格差もひどいし時間給とか派遣という労働の仕方が労働倫理を壊している。まともに正直に働くことが馬鹿らしくなっている。自分も時間給とか派遣の働き方は大問題だと思う。それは底辺の労働のモラルを壊してしまったから犯罪は増えていると思う。ただこういうのは統計的には客観的にはわからない、そして警察に検挙されない数も膨大である。警察では小さい犯罪にはかかわらない、はっきりとした証拠がないかぎりかかわらない、それは大きな犯罪でもそうである。今は明確な証拠がない限り警察は動かないのである。結局犯罪がふえたとか増えないは主観的なものである。犯罪にあった人は犯罪のことを真剣に考える。あわない人は考えない、他人事であり面白がるだけである。それは殺人事件でもそうである


推理としては


●届けた人がぬきとった


●ス-パ-の店員がぬきとった


●自分が何かしらで金をなくした


何かで落としたのかもしれない、その可能性もある、ただ一カ所だけよって使ったあとは使っていない、それも何百円だけである。そのあとは自転車で去っただけである。
推理としてはこのどれかである。自分の過失も十分にある、そういうことも前にあった。
だから疑うのは良くないが最近犯罪にあったので主観的にそう思ってしまった。

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2011年08月23日

コメント一つ削除しました



要請がありましたので一つのコメント削除しました


メ-ルを読まないときあるので・・・コメントを削除してくださいと書いてください


メ-ルが読めないのは宣伝が多すぎて開いていないです


実名など出して困る人があると思いますから削除するときも実名は出しません


インタ-ネットはいつまでも残るので困る人がでてくるかもしれません

プログでは相手のことが良くわからないので最初は匿名で書き込みをして

あとでメ-ルなどで連絡するといいようです

連絡は匿名でコメントでしてメ-ルを出したよと書いてください

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2011年08月10日

南相馬市ニュ-ス




解除されても補償がなくなると困る人もでてくる。原町区は会社などすでに移動している所がある
その人たちが解除されてもどってくるのか?医療は正常化してくるのか?
ケ-ズ電気とか山田電気がまたはじまるのか?

原町区は解除されても20キロ圏内の小高は解除されないだろう。
すると以前として立入禁止区域が南相馬市内にあり正常化しない
立入禁止区域は何か国境のように線引きされて嫌なんだよ

だから原町区は正常化しにくいんだよ、解除されてもまだ変則的になるんだよ
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2011年06月18日

相馬総合病院に検査入院(2日間)


明日は相馬総合病院に検査入院です、二日間です。老化の病気です、泌尿器系統です
ガンの検査もするらしいです、でもこの癌ですぐに死ぬようなことはないようです
80以上とかなればかえって治療などしない方がいいとも言われています
まだその年にならないから手術とかなるようです、でもこれも病気は病気です


今南相馬市の原町区ではニュ-スでもわかるように治療をまともにできません
入院もできません、一週間に二三回とか私立でも開いていません、ただ治療費は無料です。
原町区の緊急避難準備地域というのは本当に変です、福島市や郡山市の方が放射線量が高いですから避難地域すべきなんだけどできない、政府で補償しきれいですから・・・
でも1000名くらい避難していた、やっぱり危険な領域になっている


相馬総合病院は東北大の医者や研修生来ています、南相馬市立病院は福島医大です
相馬市は宮城県の方が交通的に便利である。電車にしても原町駅始発-仙台駅であった。
今は代行バスが亘理まで出ている。新地が相馬市と合併しなかったのは伊達藩とのつながり深い武家の家があって主張したからだというのも他からはわかりにくい、江戸時代の境にはそういことをひきづっている。双葉町辺りも相馬藩の境だった。夜ノ森は余の森だったから、相馬藩主の余の森だった。つまりどこの境でもそこには歴史の興亡の場となったからそうなる。
末続駅と新妻一族の村だったということを書いたがあそこも相馬藩と磐城藩の興亡の地点だからそうなった。


そして今南相馬市と相馬市の間になって境となっているのが鹿島区だとなる。ただ相馬市は原町の倍の距離あるから経済的に結びつくにも問題がある。でも病院が機能しないことは住みづらくなる。実際に緊急な時があり入院もできないとなると大変である。救急車が相馬で受け入れられず福島まで行ったとかそうなると大変である。高齢化社会は病院がまともに機能しないなら早死になってしまうだろう。病院が良ければ長生きになる。医療の進歩とか病院の設備の良さとか福祉の良さとかで長生きしているのだ。すでに85才で近くの人が胃ろうになって3年くらい生きている。前より良くなったというから驚きである。胃ろうになると死期も早くなると思っていた。そうでもない人もいる。これも医療の進歩と手厚い介護あるから長生きになる。

ともかく明日は検査入院である。

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2011年02月17日

現代の貧乏や借金する人には責任がある(目黒の老夫婦殺傷事件は韓国に愛人がいたため?)


現代の貧乏や借金する人には責任がある
(目黒の老夫婦殺傷事件は韓国に愛人がいたため?)

これがサブプライムローンの実態・貧乏な人への間違ったお金の貸し方 ...

ローン返済に行き詰まり、差し押さえで家を失う恐れのある家庭は220万戸に上ると試算する。これは米国史上最大のアフリカ系米国人の富の喪失となる恐れがあると同氏は考えている。借り手がより適切な助言を受け、より適切なローンを組んでいれば、大部分は避けられた喪失だ。
http://www.asyura2.com/07/hasan49/msg/700.html


そもそも金もないのに借金させていた。そのことが世界的不況の引き金となった。現代の貧乏とかには大いに疑問があるのだ。なぜなら昔の貧乏のことをいろいろ書いてきたが米が食えないから米が食えれば満足だ、飢死しないからいいとか、戦後10年くらいも卵も食べられないという貧乏があった。また外国でもそうだがトルストイなども大貴族でありその下に多数の貧民をかかえていた。貧乏でもそうした格差が極端な場合は同情すべきものとなる。地主が羨望されたことはやむをえなかった。その格差が大きすぎたし豊になる手段もなかったからである。
しかし現代の貧乏は米が食べられない人はいないだろう。昔の貧乏から比べると金持ちの生活になっている。結構贅沢するために貧乏だと言っている。金がないと言っている。福島県のいわき市の東京の目黒まで行って殺人した人は韓国に愛人を作っていてその子供が病気だったらしい、それで困って殺人まで犯したとか言っている。これも実に身勝手な話しである。そんなことをして金がないと他人を殺してゆく人に同情はできない、もし難病の子供がいて困っていて金が欲しくて殺人を犯したとなれば同情する、でも韓国にまで愛人がいてその子供のためとなれば同情しないだろう。65才でそんなことをしていたのもまず60代から70くらいまでは倫理感がまるでない人が多いのだ。そして犯罪が国際化するのも特徴である。70歳の女性が麻薬の運搬人をしていた。金がないからだというが60代でも70でも犯罪も国際化するのがこれからの特徴である。60以上の犯罪はいろいろな面で増えてくる。これは貧乏というだけではない、贅沢したいための犯罪なのである。海外旅行したくて自分の家に放火した若い女性もいた。これも今食べるものがないから盗んだとかではない犯罪である。


今は金がないというときそういう分相応な暮らしをしていて貧乏なのではない、贅沢したいために貧乏なのである。自分が接した人でもなぜそんなに借金までしなければならないのか?車を一人一台もっていて減らすこともできないし贅沢もやめられず借金するとなるとそういう人に同情するのも馬鹿らしいとなる。どん底に貧乏で飢死するような人は今はほとんどいない、生活保護もあるし最低限は保証されている。生活保護している人も金がたりないたりないともっと金が欲しくてアルバイトしている。なぜなら子供に塾に通わせるとか貧乏人ではできないことをさせようとしているからである。別に子供が優秀なら今なら高校くらいは出れるようになっている。しかし塾に通わせるというのは生活保護では無理でもしようとしている。今貧乏だ金がないというとき明日食べるものがないという米を食べるものが贅沢だという貧乏ではない、より贅沢するために金がない、金がない、貧乏だというのが多いのだ。だから今の貧乏な人には同情できない、借金する人もずいぶん身勝手だなと思ってしまう。昔の貧乏なら同情すべきとなるが今はそうはならない、貧乏でも個々に事情があるからすべてとはいえない、でも何かそうした身勝手な貧乏を主張して借金やら犯罪までに走る人が多すぎるのだ。60代からは物欲中心に生きていたから貧乏にがまんできないこともあり犯罪に走るのである。


もちろん今の雇用状態、フリ-タ-とか派遣とか時給制というのは問題がありそこに貧乏の原因があり改善すべきだというのはわかる。いつの世にも不公平があるのはさけられない、だからといって今は貧乏だからと言って同情すべきような貧乏とは違う。自分も別に金持ちではない、普通の暮らしをしている。車もないのだから金持ちとは言えない、でも今の貧乏だという人には同情できない、極端なホ-ムレスとかは違っているが普通に暮らしている人は貧乏だと思えない、もちろん持ち家をもっているとか格差はある。それにしてもそうした貧乏だからだと同情して手痛い目にあってから同情しえなくなった。現代は金持ちになれる機会がそれなりにもたされている。地主と小作のような他に働き場所もないような戦前のような社会ではそうはならない、金持ちになる機会が極端に制限されていたからである。現代は金持ちに本当になりたかったらなれるという可能性が大きい社会である。貯金だって節約すればできる、それでも贅沢したいから金持ちにならないということがあるのだ。「俺たちは貧乏だ、社会のせいだ、金持ちは俺たちをこき使いもうけているんだ・・・」とか恨みつらみを言うけどそれがすべてなのか今は疑問なのである。「あなたたちにも金がない責任はあるんじゃないですか」というところが多分にあるのだ。だから現代の金にまつわる犯罪は本当に今日明日食べるものがなくて飢死しそうで起こす犯罪とはまるで違うのが多いのである。外国まで愛人をもってそのために殺人まで犯す、そうした犯罪が多いしこれからも60代以上の人で増えてくる。

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2011年02月07日

原町へ用事の一日


原町へ用事の一日

今日は原町まで風が強くて大変だった。電動自転車はバイクとにているから風にも強い。ヤマハのパスブレイスはとにかく坂に強い。相当急な坂でも上るようにできている。急勾配でも上るようにできているのだ。別にまだ自転車にはのれる。でも松川浦まで行ったあとに筋肉痛で苦しかった。やはり時間的に長い運動すると筋肉が弱っていから筋肉痛になった。それでも運動はできるからいい、腎臓透析している人でも普通に運動もしているから不思議である。病気にもいろいろありかえって適度な運動をした方がいい病気もある。糖尿病とかそうである。腎臓や前立腺は適度な運動は影響しない、管を入れてもそんなに困ったということはないから助かった。
今日はまず私立病院で管交換してそれから高見ホテルのレストランでカキフライ定食を食べ次に3Dを見れるメガネを買った。最近ソニ-の新しい3D対応のテレビを買ったからだ。でも3D対応している番組やCDはまだ売っていない、ギャオというところでブレ-レイを借りた。ブレ-レイもまだ対応しているのが少ない、3Dもブル-レイもこれからのものなのだろう。立体になるとき地図が立体になるといい。地図は平面的ではものたりない、立体になるとわかりやすいからである。ただまだ開発途上のものである。人間の欲望は限りがない、こういう欲望は悪いものではないからいい。それからキクチス-パ-でパンを買った。パンが原町や相馬市意外ではいいのを売っていないので困る。今はパン食が多くなっている。朝はどうしても簡単だからパンにしてしまう。それよりもう自分の家ではご飯自体二分間でレンジでできるインスタントの米である。ほとんど寝たきりだからその介護になると簡単にすましたいのである。自分も今日は介護用品店で小便用の袋を買った。それから向かいのココスでコ-ヒ-を飲み休んだ。ここの石窯パンというのはうまい。これは焼きたてだからうまい。飯館のアグリでもこれと同じパンを出していた。そしてソフトバンクの携帯の解約を一つした。最後によったのがサイヤでおかず類を買った。あそこはいろいろあり食事の用意には便利である。ライスカレ-の弁当を買って家で食べた。


買物だけでもこれだけあった。まさにこれは現代の生活だった。今は一人暮らしでも困らないようにできている。ただ五、六万の市でないと現代の生活の標準的なものにならない、小高とか鹿島では相当にたりないものがある。郡山で駅前に病院とか図書館とかス-パ-が一緒になるビルを作ったとかあるが病院は今や一番街でにぎわう場所なのである。人の出入りが一番多い場所である。小高でも鹿島でも村でも病院は高齢化社会だから一番人の出入りが多くなるのだ。だから駅前にそういう施設をもってくれば人が集る。イオンの問題は六号線から離れているから問題である。車だったいいのだが自転車だと今日のような風になると行けなかった。自転車はここから5キロ先に温泉があるとわかってもその5キロが遠くなるのである。往復10キロになったりするからである。自転車は風雨にはやはり弱い。今日は風で大変だった。でも普通にまだ動けるからなんとか家で介護して自分のこともできている。それが救いだった。




今日の仕事


市立病院→高見ホテルレストラン(カキフライ)→電器店(3Dテレビメガネ)→ブル-レイレンタル(ギャオ)→キクチス-パ-(パン)→ソフトバンク(携帯解約)→介護用品店(小便袋)→ココス(石窯パン)

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2011年01月28日

カキフライがうまいレストラン


六号線の高見ビジネスホテルのカキフライ定食はいい、カキが大きいからいいのである。他では小さいから牡蠣を食べた感じがなかった。仙台でもそうだった。あの半分くらいの牡蠣しかなかった。大きな牡蠣でないと牡蠣は食べた気がしない、料理の半分は食材によって決められる。いくら料理人の腕が良くても食材が良くなければだめである。前は浜御膳とあるごとく魚料理がうまかった。料理人が友達から生きのいいの仕入れて出していた。その料理人は変わって島た。自分は牡蠣が好きだからあそこは750円だから他と同じ値段で食べられる。
料理は全部がうまい料理とはならないみたいだ。どこのレストランでも一つは目玉商品のようにうまいのがある。原町の道の駅ではテンプラ定食がうまいからいつも食べていた。

レストランは料理で個性が出せるから値段だけでは決められないし安いから必ずしも繁盛するわけではない、他の商品は同じ品物だったら安く売る方を買うが料理は安いからいいとか必ずしもならない、料理には必ず食堂やレストランによって差があるのだ。あそこのあれがうまいということで繁盛することがある。だから一面料理は小さくても商売できるということもあるかもしれない、同じものだったら安い方がいいからス-パ-になったけど料理だけは店ごとに違うから小さな店でもやっていけることがある。チェ-ン店が多いにしてもそのチェ-ン店でもやはり目玉になるような料理を出さないとはやらないだろう。そして一回食べてこれはうまいとなると必ずまた行くことになる。カキフライは好きだからまたあのレストランに行くことになる。原町は食べるところもいろいろあるからいい、料理できないから外食の方が楽である。結局用意したり洗ったりするのが手間になってしまうのである。そういう家事に追われてしまうのである。明日は介護関係で役所の人とまたあうことになる。介護度3になっているから結構サ-ビスは受けられるのだ。

一人暮らしするには原町くらいの都市でないと今は不便である。食事と病院で困るのだ。今日も病院に書類を用意するために行ったし車がないから不便になるのだ。

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2011年01月23日

新年おめでとう(年賀状)

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遅れましたが年賀状です、今年もよろしくお願いします

皆様も今年は良い年であるようお祈りします


社会状況は本当に悪いですが光明の世界を目指して進むほかありません


皆様もご努力ください、やがて新たな光明は見えてくるでしょう


過去から現在へ未来へと人間の歴史は繰り返しです


新しき年には決意を新たにして進む他ないでしょう

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2010年11月08日

病院は一方で病気を作り長引かす場合がある


病院は一方で病気を作り長引かす場合がある

病院では必死に医者でも看護師でも病気を直そうとしている。そこに別に悪意がない、でも一方で病院は病気を作り病気を直すのを遅らす場合がある。病院にはどうししてもバイ菌が多い、病人ばかりだから当然といえば当然である。病院では耐性菌とかどんなに抗生物質を開発してもきかない菌が培養されている。病院は無菌ポックスにしてようとししているがその無菌ボックスこそ菌が培養されやすいという皮肉がある。そもそも無菌にすることはできない、細菌を絶滅させることはできないということもなるほどなと思った。人間が細菌に対して耐性をもつ意外防ぐ方法がないというのも本当なのだろう。今度一カ月も入院したのは実は二週間で退院できたのに悪性の風邪にかかり四〇度もの熱を三日間だして寝込むようになったためである。これは隣にいた人も尿路感染から四〇度の熱にうなされていたから自分も尿路感染したのかもしれない、四〇度の熱はものごころついてから経験していない、病院は病気を必死に直そうとしても病気を一方で作り病気を長引かせることもある。病院に入れば体力も弱っている病人ばかりだから院内感染しやすい、それでいつも老人がまとまって死んでいるのはそのためである。介護に来ていた同じ病室の人も熱を何日が出して風邪が治らないというのも自分から写ったのかもしれない、熱が出る風邪だったのかもしれいし何らかのインフレインザとか悪性の細菌のせいだったのだろうか?ともかく病院は外から来るものにも危険な場所だったのである。ただ外から来る人はまだ耐性があるからいい、病院内にある人は体力が弱っていて重体になりやすいのだ。


病院では必死に病気を直そうとしても病気を作り病気を長引かせることもある。そういう恐怖を味わったのが今回の一カ月の入院だった。これは別に医者や看護師が悪いという問題ではない、悪意があるわけでもない、ただ入院費を稼ぐために入院を長引かせたり病院から出したりということはあるかもしれない、でも医者や看護師は病気を直そうとしているのでありわざわざ病気を作り出そうとしているのではない、でも病院はすべて患者の病気を直すように働かないのである。

病院にはバイ菌が多くマスクをしても無駄だというのも本当だろう。菌に強くなる耐性を持たない限り無駄なのだろう。本質的に菌は絶滅できない、菌と共生しなければならない、動物も害があると言って皆殺しに死していたら生態系は死に人間生活にも影響するのと同じである。菌も一つの全体の地球の命として存在してそれを絶滅できないのである。この世に悪人がいて悪人を絶滅できないのとにている。悪人もこの世に存在する意味があるから存在させられているのかもしれない、だから悪人をこの世から絶滅できないと同じように細菌も絶滅できないのである。いくら絶滅したようでも新たな細菌が生まれてくるのはそのためなのだろう。


やはり病院よりは家という日常生活がある場所の方が患者にとってはいいのだろう。病院内は外の風が入ってこない、一歩も病院からでれない、外の景色は見えて良かったが外の自然を風を感じることはできない、死ぬ場所としても良くない、何か次々に病人が運ばれモノのように処理される感覚になる。看護師の仕事もたいがい人間を機械的に扱い処理している。それでも下の世話など大変なのだから看護師をやる人はみんな大変だと言って評価している。みんなそんな汚い仕事をやりたくないからである。でも忙しいから一人一人に注意を払うことはできない、次々に仕事をこなすだけで手がまわらない、廊下を走っていることでもわかる。だから死ぬときもそうしたあわただしい雰囲気の中で体はよく診てくれるのだが死ぬ環境を整えることはできない、在宅で死ぬのとはかなり違うのである。でも最後になると重体になるから在宅でみるのはできなくなる。それで最後は病院で死ぬことになるのだ。


病原菌とのいたちごっこ
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/d/20101108


ここは病気にも詳しい、看護師も指導しているらしい、こういうことを書けることはめずらしい、内容も深いものがあるのだ。

タグ:院内感染
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2010年11月04日

冬に入る南相馬市原町区大原村


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大原に二三羽見つけし秋の蝶


大原や朝水清く秋の蝶


大原やみな旧知の人や柿なりぬ


大原や日さし静かに秋薊


大原や家のまばらに刈田かな


大原や刈田となりてあわれかな我が知れる人の農家ありにき


杉の木の二本残りてあわれかな刈田となりて廃屋淋し


大原や確かに遠しも海近く桜井古墳秋の日暮れぬ



やはり病院で知り合った大原の農家の人の家は奥だった。すぐ後ろはまでゆきづまりであり新田川の上流の水が流れるところで水がきれいだった。すぐ近くは県道で車が通るからそこはにぎやかであり淋しいとはいえない、でも川の方に入ると淋しいのである。だから猿とかイノシシがでてくるということに納得した。猿とかは県道の家の多い所まででてくるというからずいぶんずうずうしいと思った。それだけ人を恐れなくなったのだろう。イノシシは川沿いに孟宗竹がありその竹の子を食べるから竹のあるところにでてくる。また川岸に竹が多いのは竹は根を強く張るから堤防を強化するからだといいうのもなくほどなと思った。相馬の宇多川でも川沿いに竹が多いし「竹の内」という地名が各地に多いのはそのためなのである。


それにしても大原ではなくても三キロくらい離れた地点で農家の人に家を聞いたのだがすぐわかって教えてくれた。入院したこともわかっていた。なぜかいうとこの辺で広く農地を請け負って仕事をしていたからである。ずいぶん広い範囲でザイのほうになると知り合いになっていることに驚く。どこでその人が何をしているかすぐわかるのである。それも相当に広い範囲でわかってしまう。でもそこに住んでいる人は孤立しているとは思えない、すぐ近くに娘の嫁ぎ先があるからだ。そしたら頻繁に寄れるのだから孤立した老人とは違う。家で一人で住んでいても孤立しているとは思えない、ただ意外と原町市街までは遠いことや家の作りが昔風のただ広いというだけで現代風ではないから若い人は街の現代風の家に住むようになったのかもしれない、あの辺でもすでに廃屋になったのが三軒あるという、一軒本当に幽霊が住んでいるのではないかと思うような淋しい廃屋だった。


人間は意外と自分の住んでいる場所のことがわからない、歴史は地理だと言ってきたけどその地理が地元でもわかったようでわからないのだ。例えは新田川の病院の近くに東北でも三番目くらいの桜井古墳があるけどやはりはやく開けたのは海側であり大原のような奥ではない、でもすでに江戸時代から大原村はあった。その距離感がわかりにくいのだ。大原はやっぱりずいぶん古代からすでに奥地だった。この距離感はやはり身近でもわかりにくいのだ。いつもあの道は通っていても大原を意識して通ったことがなかった。なるほどここは地名的にも広い原だったことが実感されたのである。郷土史研究というけど本当に地元のことがわからない、そこに住んで生活した人は自分より体でその土地のことを知っているのだ。特に農業していた人は回りの自然と一体となり住んでいるから余計にそうなるのだ。地理というとき全体を立体的に体でしることであり例えば国道とか県道を通っていてもわからない、そこから脇道にそれて全体の村の地理をしることなのだ。・・・・村というときその村全体が一体となり生活していたのであり地理的にも村の全体を知る必要があるのだ。現代はどうしても部分的な把握にあ終わってしまうのである。全体を見る努力が必要なのである。


まあ、なんとか電動自転車で行けたけどなかなか遠くなると辛い、でもこんなに動けることが不思議である。腎臓はそんなに悪くならなかったのだろう。でも正常ではない、小便袋ではなかなか大変である。でも自転車にのれたことは本当にうれしい、自転車に乗れなくなるのじゃないかと心配したからである。農家の人は冬は仕事しないとうのも不思議だった。今は会社勤めだから仕事している。だから冬は昔はみんな出稼ぎに東京に出たのである。自分は回りが農家でも農家のことをしらない、街の人は農家のことを知らないことがあるのだ。都会の人はもちろん農家とはなになのか知らないのである。この世には知らないことが非常に多いのだ。この年になっても回りが農家でも農家のことを知らないということ自体おかしな話しだったのである。

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2010年10月18日

浪江の請戸の農家の人

大原に住む農家の人ともに病室に過ごす秋の夕暮
大原に住み仕事をやめると後を心配する農家の人

十五町の田畑を持ちて働きし男も悲し言うことなしも

請戸は浮渡神祠が由来ではないだろう。請け負うから請戸になった。
くさ野神社は、浪江町の海岸部請戸にある。請戸(奥相志には受戸と記す。)

浮渡神祠が由来なのだろか?請戸は請け負うからきている。では何を請け負うのか?相馬藩で請け負わせた、土地を貸して開拓させた。請戸は港を思うけど田を請け負ったところである。請戸は請戸という地名が先にあった。四国に請谷(うけたに)などがあるにもそうだろう。つまり請戸が先にあり浮渡神祠があった。ただ請戸というとき地形ではないからそれほど古いとも思いないのである。浪江についてはまだ詳しくないから詳しい人に聞く他ない。

なぜ今いま請戸に興味を持ったかというと病院の同室の人に請戸の人がいたからである。この人は十五町もの田畑耕し乳牛もやっていた。すごい働き者だった。妻が毎日きて一生懸命介護している。子供も娘が四人いてみんな大学にだしたというからすごい。だからいつもこのこといい介護している。でも本人はしゃべることができない、わずかに手を握ると握り返すくらいである。それでもわかっているんですよと何度言っては介護している。今日は娘が二人きて介護している。ほんとうにうらやましいと思う。今どきこんなに手厚く介護している家族はいない、となりの人も重傷なのだが娘が近くにいても一緒に住んでいないのだ。

十五町というと感覚的にわからないが隣の人も5町といっていた。それも古い農家と言っていたから15町の田畑は相当に広い、現実に2千万の機械を使っていたという、隣の人は7百万だった。いかに規模が大きいかわかる。農業は機械の費用も大変なのである。年取ると農器具に頼らざるわえないとか農業は高齢化しているからそうなる。最近農器具を操作して事故で死んでいる人が多くなっているのもそのためである。機械に金を使い農業をやめた人もいる。農業も今は農器具と密接に結びついているのだ。大原に住んでいる人は大きな家にすんでいるが後継ぐ人がいないといっている。農家の人でもいまや大家族でなくなっている。大家族というのは農業を根幹としていたときありえた。大家族でなければ労働力がたりなくなるからそうなる。現代のように極端に工業化したとき核家族がうまれたのであり家族も社会の変容で変化するのであり大家族がいいといっても昔に帰れないのはそのたあめなのである。みんな女性も会社勤めの時代だからである。だから請戸の人のような家族は今では少ないのである。親とも別々に暮らす人が多いのだ。家族が変化したのではない、社会が変化して家族が変化したのであり家族も社会の一単位であり大きく視野を広めれば国がなければ家族も維持できないともなる。
郷土史も過去だけからは興味をもてない、現実に住んでいる人がいて過去に興味を持つのである。
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原町大原の農家の人


原町の病室に見ゆともる灯は大原辺り秋の夕暮



霊(たま)あはば 相ねむものを小山田の 猪田禁(も)るごと母守らすも


説明はここに
http://www.hitohaku.jp/news/docs/hm17-3.html



同室の人は最近きたのだけど息するのに苦しいし呼吸困難の様になっていた。ぜーぜーとなりそのたびに看護師を呼んでいたし看護師が絶え間なく世話していた。しゃべることが全くできなかった。よほどの重態だとみていた。ただ体はそれなりにうごいてはいた。でも今日耳鼻科で診てもらったら普通に話す様になったのには驚いた。そして今までのように苦しい状態が6カ月もつづいていたという。そんなに長く入院していたのである。それが突然耳鼻科に診てもらったらしゃべれるようになったのだから奇跡的である。自分でも突然こんなに良くなるのが信じられない、そんなに突然なおることがあることの不思議である。草刈りしていて倒れた。腸捻転になりばい菌にやられ敗血症になった。敗血症は全身がやられる危険な病気である。実際は死線をさまよってたのである。突然よくなったのではない、6カ月間治療して良くなったのである。


その人は原町の大原の人で農家の人だった。家の人がきて話していた。これまで田畑をやていたがもうやれない、草刈りもやれないと・・・・
際はだめだ、猿から猪からハクビシンから狸から農作物が食い荒らされる、猿は柿を食う、頭がいいから種をだしてくようになったとか豆の束をもっていったとか、猪もでてくる。
猪を捕らえて殺して街に売ったら警察につかまったという、鳥獣は許可がないと殺すことはできないからやっかいである。この問題はすでに人間が稲作を田を作り始めたときから始まった。縄文時代は共生していたのである。田を稲を猪が荒らすようになったとき問題が生まれたのである。稲作は自然の破壊でもあった。今でも稲作は農薬やそのほか自然破壊になっているがすでに田を作り始めたときからそうなっていたのである。


大原というとき前にも書いた。病室の窓から大原の辺りが見えるのだ。その大原の人が同じ部屋にいた
のである。それも今日六カ月間しゃべれない人がしゃべりわかったのである。

原町の病室に見ゆともる灯は大原辺り秋の夕暮

まさにこの歌のとうりに大原の人が同室にいたという不思議があった。病室では病気で親しくなりやすいからこうした話しを聞きやすいのである。

故障になった・・・・・プログが操作できない・・・小文字だがこのままだすほかない・・


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2010年10月13日

南相馬市立病院に緊急入院!


南相馬市立病院に緊急入院!

病院から無線通信で書き込みしていますので

主プログhttp://www.musubu.sblo.jp

ここが主プログなのでこちらから見てください

ここには速度が遅いのでできません
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2010年09月19日

猛暑の後遺症(人間は生きることはなんらかの犠牲がある)


猛暑の後遺症(人間は生きることはなんらかの犠牲がある)


猛暑の後遺症は体に影響が大きかった。今年の五月ころから胃腸の調子を悪くした。オレンジとか最近は甘い糖分の多いミカン類が出ていたが果物好きだから食べすぎて胃腸を悪くしたのがはじまりだった。そのあと庭作りで無理したことと暑さが重なってずっ-と胃腸を悪くした。今も本調子ではない、胃腸は体はもともと弱いにしてもこんなに長くつづくことはなかった。そして猛暑がやってきた。最初は長くつづくと思わなかった。それがいつまでも34度とか35度とかここでもつづいたのである。それが体の変調にをきたした。どうしても果物類など甘いものばかり食べたから体が変わってしまった。あまりに甘いものは胃腸に良くなかった。それが長くつづいたことがまたひびいたのである。そしてお盆過ぎたら涼しくなると思ったがろらずさらに暑くなったことがひびいた。その時北海道に避暑に行くかと考えた。今までならこんなこと簡単にできた。
ところがここ五年間は介護とかになりどこにも出れない、そのことが一番辛かった。今も半場介護生活だからできない、梅雨の間はふらっといつでも北海道に一カ月くらい行っていたことがあった。そういうことが簡単にできたのである。今になると一日の旅行することが大変なのである。それより姉が生きているときは一日の中でもすら自由がなかった。誰もみてくれないから8時までには帰らねばならない、するとのんびり一日すら旅行できなかった。それでも自転車でなんとか近くを回っていた。今になると自由に旅行することがこんなにむずかしいものができないのかとつくづく思った。


自由に旅行することは相当恵まれていないとできないものだった。なぜなら普通の人は勤めているのだから一カ月の休暇などとることができないだろう。とするとまともに働いた人は自由な旅行ができないとなる。本当に旅するとなると時間も金もそれなりに必要だし大変な労力がかかる。今は車で簡単に行けるじゃないかとなるがでも電車とか自転車だとそうはいかない、まず時間がかかる。だから普通に勤めていたらそうした電車とか自転車とか徒歩とかの旅行はできない、それから体力もないとできない、60からでも自由な旅行をする人はいるが一般的に体力あるうちでないとできない、だから自由な旅行することは本当に相当恵まれていないとできないものだったのだ。そのことを今否が応でも認識させられた。ええ、今まで簡単にいつでもふらっと旅立つことができたのにできない、そのことが衝撃だった。そしてつくづく思った、今回の猛暑で自分は体を悪くして寿命を縮めてしまったと・・・これは誇張ではない、もちろん高齢者で死んだ人もいたのだからこの猛暑の後遺症は相当の人々が受けているのだろう。ただ北海道にお盆過ぎた辺りから行っていればこうならなかったろう。それかできなかったことが寿命を縮めた。それが悔しかった。

そんなことが悔しいのか贅沢だ、ク-ラ-がなくて死んだ人を考えろとなるが自分のことを正直に言っているだけである。なんて情けないやつだともなるがどうにもならない、あの時北海道に行けたらこんな体の調子になる必要はなかったと恨めしかった。なんか今になると介護のために犠牲になったと思った。そんなことで犠牲になったといえるのかとおしかりを受けるかもしれないないが贅沢な時代には贅沢な不満が出てくるのだ。そういう不満に満ちているのが現代なのである。山村で医者にかかれないで死んだとかなるもの凄く悔しい思いをするだすろう。昔だったら江戸時代だったらそもそも医者などいないから法印とかに祈ってもらって終わりである。あとは地蔵様にでも祈るほかなかった。それはそれでその時代のことであり不満があってもどうにもならなかった。でも今の時代は病院は街に出ればあるしできるからこそ大きな不満となる。だから昔がこうだったからそんな贅沢あきらめろとは言えないのである。現実に心臓移植で一億ではたりないとか募金している人がいるがそれも心臓移植で生きられるとなると募金で金が集まるとなるとそれを人は望むのである。昔だったら心臓移植などできるはずがないのだからあきらめるほかない、現代では望みがあるとなるとあきらめきれない、不満が残るのだ。そして現代はグロ-ルバル化社会だから国内だけではない外国までその希望を満たしてくれるところがある。心臓移植でもできる生きられるとなるとその可能性に賭ける人もでてくる。それができないと心臓移植さえできていたらもっと生きられたのにと不満になるのだ。

現実に沖縄には安い宿に3年いた老人がいた。金沢辺りの人であった。寒い冬を雪ばかりの世界をさけて沖縄でのんびり暮らすことが今ではできるのだ。だから北海道で避暑して暮らすこともできる。そういう安い宿も用意されていた。一カ月でなくても二週間くらい行けていたら相当楽だった。それができなかったが恨めしいのだ。その原因が介護にあった。もう先が短い老人のために若い人が犠牲になるのはおかしい。若い人は老人の介護に使われこと自体不自然を感じてしまう。老人のために若者に犠牲になる社会に未来はない、親がどうしたって子供のために犠牲にならざるを得ない運命にある。逆に子供が親のために犠牲にされるというのは不自然である。戦前はそういうことが多かったし今でも後進国では子供は労働力として考え生み育てている国も多い。人間は結局、何らか犠牲にならざるをえない、親は子の犠牲になるのはしかたがない、でも老親のために犠牲になるのは不自然である。自分の場合は犠牲の上に恵まれたから今になると文句は言えない、自由がありえたのはやはり親であれ誰であれ犠牲があったからである。この世の中、そもそもいかに犠牲が多いか、犠牲になるために生まれてきたのが人間なのだ。ある人は若くして肺病で死んだ、その話を聞きこの墓に埋まっているということを聞くとき胸がつまる思いがする。自分の父親は上の学校にあげてくれと言って中学のとき死んだ。ろくに学校もでていないからそう言ったのである。みんな何かしら犠牲があり不満があり恨めしく犠牲となり死んで行った。その犠牲の上に我々の生がある。

一番犠牲になったのは戦争で犠牲になった人たちである。戦争の是非はともかく20代で国のために死ぬということそれがどれほどの悔しさだったか今回の猛暑の後遺症で重ねて思った。この年になってそんなことですら悔しい思いをするのだから戦争で若くして死んだ人の悔しさは計りがたい、想像を絶する、でも歴史は今から考えるほかないのだ。自分の経験から重ね合わせて歴史はしるほかない、そんなもの犠牲でも何でもないとなるが自分にするとやはり辛いなと思いその辛さから昔の苦労を偲ぶ歴史を偲ぶのである。いづれにしろ今回の猛暑は辛かった。最近血の小便が出たのにびっくりした。内蔵機関も相当弱ったのである。本当におおげさではなく寿命が縮まった。ただ前のように北海道に避暑していればこうならなかったとつくづく思った。それができなかった。それで犠牲になったと悔しかった。今まで簡単にできたことそれができなかった。ええ、なぜこんなことが今できないのかとつくづく思った。それが寿命を縮め体を衰弱させて持病を悪化させたことが悔いるのである。でも介護は実際どうにもならないのだ。それで犠牲になる人があとをたたないのである。60代以上の人はそれなりに生きたのだからしかたないといえばそれまでである。でも人間は贅沢な時代は贅沢な時代なりにいろいろ不満があるものである。やはり命にかかわることになると人間は健康にもっと生きたいということは変わらないのである。こんなに長生きしても人間がこれだけ生きたからいいやとはならない、他からいくら言われてももっと健康に生き何かを成し遂げたいとなるのだ。それを感じたのが今回の猛暑による後遺症だったのである。
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2010年07月30日

本を半分捨てる


本の重さで家が傾いていると大工さんに指摘されて重い全集などの本を捨てた。本は本当に重過ぎるのだ。とくに厚い本があり重いから家が傾くほどになる。これは冗談ではない、本当に本を貯めるとそうなっていたのである。本は実際に集めても半分も読まない、全集なども読まない、調べるために買っておいても読まないのである。それで無駄が多いのだ。今はインタ-ネットで調べられるので本の役割も半減した。でも本にはインタ-ネットにはない豊富な情報が蓄積されていた。でもその本を利用することがめんどうなのである。本は調べることがめんどうなのである。どこに何が書いてあるか本が増えれば増えるほどわからなくなり同じ本を買っていたこともある。本を所有するには限度がある。あまりに多くの本を貯えても利用できない、ただツンドク、積まれているだけでありそれが家を傾けさせるのだ。

本に愛着があるのは確かだが知識愛と書物愛は違う、書物愛は書物そのものに愛着ができてしまう。本来は知識を得るのが本の役目だがモノとして本があるから本を手放せなくなるのだ。本は今まで必要不可欠なものだったが本は意外と調べるにも手間であり不便な面があることにインタ-ネットとか電子化されたとき感じるようになった。本自体を裁断して電子化する作業ができるようにもなった。本というのはインタ-ネットとと電子化で見直されるようになった。本は意外と調べるのには不便なのである。結局理想的には本もインタ-ネットのように自由に検索されるようになると新しい知的世界が開ける。それがインタ-ネットで一部実現しているのだ。第一どんな人でも本を貯えるには限度があるからだ。

ともかく本もそうだが晩年になると最後は人間はただ捨てることが多くなる。つくづく人間には無駄なものが多過ぎるのだ。着物を一山買っても着ることもなく終わり無駄になったり本当に死ぬときはもう何もいらないとなる。残るものとなると本当にわずかなものである。人間はあれも欲しいこれも欲しいとはじまるが最後はもう何もいらないとなってしまう。知識にしてもいくら本を買っても消化できるのはほんのわずかであり知的成果として残せるものもわずかである。結局知識も虚しいともなってしまう。人間は最後はいろいろなものをもっていてもわずらわしいだけになる。人間モノにとりかこまれているけど最後に必要なものはモノとしてはほんのわずかである。「もうなんにもいらない」となってしまう。来世に旅たつとき何が必要なのか?となる。それはモノでも金でもない、死ぬときはこの世のものは消失してしまう。この世の価値は消えてしまう。
この世にいくら拘泥しても死ぬときはもう執着しても無駄である。この世に価値あると思えたものは消失してしまうからである。ええ、人生はこれだけなのか、人生は終わって見れば一瞬でありいくらこの世で財を築こうがその財は来世にはもっていけない、この世に宝を積んでもむなしくされる。天に宝を積めというのはこの世が全く一時的なものだったからである。これは誰しも老人になると実感として悟る。若いときは無理でも老人になると現実問題としてみんなそうなっているのだ。

焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火
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2010年06月15日

食は文化だった(アメリカ人と日本人の体は違っている)


食は文化だった(アメリカ人と日本人の体は違っている)

最近胃腸が悪く今までになく長引いたので健康のことを前より考えるようになった。

口蹄疫問題の深層は何か?(牛肉を食べることが必要なのか)
http://musubu.jp/jijimondai40.html#kotei

ここで「魏志倭人伝に牛、馬、虎、豹、羊、鵲(かささぎ)が(すま)ないとある。日本には牛、馬、羊はいなかった。 」日本は古来、魚介類中心の食生活だった。家畜文化がない特殊な国だった。

その謎も「アメリカ人の腸と日本人の腸は何が違うか?」という章を読んで解けました。また、アメリカ人の異常な太り方をしている人を見て、なぜあそこまで太れるのか不思議に思っていた謎も解けました。
新谷先生いわく、日本人があそこまで太れないのは、そこまでいく前に胃を悪くして食べられなくなってしまうからなのだそうです。それだけアメリカ人の消化器官は日本人に比べ丈夫なのだそうです。また、アメリカ人の胃腸が丈夫なもう一つの理由は、アメリカ人の方が消化酵素の量が多いからだそうです

アメリカ人の太りようは日本人の太りようとは違う、本当にとうしてあれだけ太れるのかと思うほど太っている。アムトラックに乗ったが座席が日本の座席より広いから悠々として楽である。そこに巨体のアメリカ人がどっしりと座っている。鉄道の軌道も広いからそうできる。いかにも大陸的である。アメリカ人とかヨ-ロッパ人はもともと牧畜民であり乳製品を食していたから体の作りが根本的に違っていたのだ。病気でも日本人は胃癌が10倍もアメリカ人より多いのは日本人には胃腸が弱い人が多いことがわかる。人間の体自体がその土地の文化から作られてきた。そこにグロ-バル化した結果、人間の体まで変化してきたのが現代だったのである。理想的なのは地産地消だったがその枠をはるかに越えて様々なものを食べるようになった。そうすると体も変化して栄養取りすぎの糖尿病とか太りすぎで高血圧とか心臓病が増えたりする。その国や民族の体質は長い年月をかけてその土地に合うように作られてきた。だからアメリカ人の体質と日本人の体質は相当違っている。アメリカ人が消化酵素の量が多いということは肉食とかにも向いているのだろうし乳製品、チ-ズなどを食べるのに向いているが日本人は向いていないのだ。
だから牛肉とか豚肉とかがつがつ食べることに日本人は向いていない、胃腸がそうできていない、むしろ米などが主食だから腸が消化するために長くなっているのだ。食をグロ-バル化することは体まで破壊される。いろいろな栄養がとれていいのではないかとなるがそれ以上に余計な栄養をとりすぎて病気になりやすいということもある。現代にはその傾向が強い、自分の場合も果物類が好きだから暑いのでとりすぎたということがあった。やはり今は何か栄養をとりすぎて病気になりやすいのである。

1日3食説が広まったのは、近代以降、かのトーマス・エジソンが、新発明のトースターを売るために「健康のためには1日3食。アメリカ人は朝食をしっかり食べるべきだ」という話を広めて以降のようです。
(おかげで、新発明のトースターはたくさん売れたそうです。)

食習慣も新しい機械の発明で変わってしまった。本来はそんなに体が要求しなくてもモノでも必要でなくても買わされるのが現代である。売る方で売れないと困るから買ってくれとなる。
仕事でも仕事がないと困るから無駄な公共事業でもやめるわけにはいかない、そして一番怖いのはいらない高価な薬まで飲まされることなのだ。製薬会社では薬が売れないと困るから必要のない薬でも売るようにしかける。インフレインザのワクチンなども過剰に危険性を宣伝する。製薬会社はマスコミでも政府にでも金を供給して危険性を過剰にあおり売らせる。これも薬が売れないと困るから製薬会社がそうしくむから買わせられることになるというのも納得がいく。
極端でもない現実の問題としてアメリカは兵器産業がありそこで武器を作っていても売れないと困るから戦争をしかけて売り込むというからこれも怖い、現代の経済はそういうことが多いのである。

オリンピックでもグロ-バル化した世界でありこれも実際は平等なものではなく歪んだものにした。柔道でも日本の文化であり世界の競技となるとき力だけのプロレスとにたものとなり柔道という日本の伝統文化自体が失われたという皮肉があるのだ。マラソンは耐久力の勝負だから日本人に向いていたので女性で金メダルをとることができた。その他が全く勝てないのはそもそも牧畜民系統の食生活から作られた体力と米を主食とする農耕民では根本的に違っている。消化する酵素の量が違うとかなると肉食でも平気であり体力も相当違ったものになる。だから筋力の勝負ではアジアでは日本人は欧米人に勝てないのである。つまりグロ-バル化したオリンピックはそれぞれの国の文化の破壊でもあったという皮肉がある。一見グロ-バル化の平等の競争のように見えても根本的に体力と力では勝てない競技が多いからそうなっいるのだ。欧米人に有利な競技になっているからかえって不公平なのである。グロ-バル化そのものがもともとは欧米人に有利なように作られていた。欧米に世界が支配されたから当然そうなったのでありスポ-ツも一見平等の原理が働いているようでも根本的には欧米人が有利なようにできていたのである。

 

余談だが老人は金を使わないというが健康関係のために医療のためには使うのである。このところ胃腸が悪くていろいろな薬を買ったりした。それも高価なものもあったが高価なものでも買わざるをえなかった。医療には実際は金がかかるのだ。でも老人はこういうところには金を使う、他はあまり使わない、つくづく人間で一番大事なのは健康である。特に60以降は金があっても健康がないなら不幸になる。健康の価値は年とることに比例して重要になってくるのだ。若いときは健康問題はそれほどではない、現実にこんなに胃腸が弱くても長引いたことがなかったからである。


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2010年05月25日

今度はギックリ腰



前になったのは大腰筋痛だった。これは意外だったのは太股の筋肉が痛くなるのだ。立ち上がるたびにビリッと痛くなる。これを直すために風呂に入り立ったり座ったりしていたのが逆治療で良くなかった。これも湿布とか冷やすのが良かったのである。今回も風呂に入っていると気持ちよくなり同じことをしていた。これは温めると良くない、ただ本当にギックリ腰なのかどうか不明だが急激に立てなくなり脊椎が痛いからまちがいないだろう。ここでも自己判断しているが母が近くの整形で見てもらい注射したらかえって悪くなったとかインタ-ネットに


間違っても整形外科医の診察をうけ、腰に直接局所麻酔薬を注入する(神経ブロック治療)治療を受けぬように。ぎっくり腰の本質を知らない医者だ

もしかしたらこれなのかなと自己判断した。医者でも必ずしも判断がまちがわない、いい治療するとは限らな

いのだ。こう書いているのは整体師だからこれも信じていいかどうかわからない、
結局、胃酸過多でもなぜそうなるのかわからないとか試してガッテンでも骨のことを放送していたがカルシムの骨密度が高くても糖尿病になっている人は骨が折れやすいとかいろいろな病気の原因がわからないということに改めて現代の医学もそんなに進歩していないのかと思った。肺結核などは直したしこれは難病だったから直せたのに胃酸過多の原因がわからないとか
は他にも簡単な病気の原因がわからないのかと改めて人間の体はまだ医学でもわからないことが多いんだと思った。


結局自分が連続して病気になったのは未だに胃腸が直っていない、これは明らかに老化現象でありもともと弱かったものが悪くなった。そのつづきとしてギックリ腰になった。これは因果関係がある。老化現象として連続的に体に症状がでてきたのである。まあ、それほど重症というのでもない、なんとか歩けたし買い物もできた。そしてショックだったのは老々介護とかになる恐怖だった。病人が病人を介護するようになる恐怖である。お手伝いさんもしばらくこないから助けがない、老々介護はこれから増えてくる。なぜなら60代の団塊の世代の親が介護状態になる人が多いからである。60代になると個人差はあっても病気になりやすいからだ。認知症の人が認知症の人を介護することをNHKで放送していたがそんなことできない、認知症の人は食事の支度すらできない、金のこともあいまいになるとしたらどうして家のことを管理できるのかできない、正常な人が助力しないかぎり不可能である。

ともかくギックリ腰は安静にしていれば直るから安心だった。悪いことが未だにつづいている。
やはり60以降は健康が一番の問題になるのだ。健康でさえあれば問題ないのである。

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2010年05月21日

キャノンの一眼レフカメラはやはり直っていなかった



キャノンの一眼レフカメラは直っていなかった。error99と出ないだけで症状は同じである。
必ずバッテリ-を入れ直さないとセットから電源が入らない、いちいち写真とるとき必ずバッテリ-を入れ直さないととることができないからめんどうである。壊れたというのではないが何らかの不具合でありインタ-ネットにもerror99のことが出ていたからその情報の方が正しかった。
これは簡単に直らないのである。電器店の人も良く操作していなかった。これは電器店で直せるものではない、やはり根本的にメ-カ-で失敗した製品だったのだろう。
メ-カ-でもこういうものを製品として出していたことは問題だった。カ-ドは関係なかったのである。カ-ドが関係するとは思えなかったからである。
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2010年05月19日

キャノンの一眼レフカメラのerror99は解決


キャノンの一眼レフカメラのerror99は解決

 

キャノンの一眼レフカメラのeroor99の原因は記憶するカ-ドだった。カ-ドなら何でもいいと思い通信販売の安いのを買って入れていた。それが原因でeroor99が出たことは意外だった。
電器店ではカ-ドが高いと思い通信販売で買ったことが失敗だった。カ-ドはみな同じだと思っていた。通信販売の弱点がこんなところにあった。そのカ-ドはカメラ用ではなかったのだ。
カ-ドもセットとなっていて電器店で用意したのを入れていれば問題なかった。
カメラでもそうだが機械も単体で機能しているのはない、今や様々なものが複雑に構成されている。昔はパソコンの周辺機器が相性が悪いとか機能しないのが多かった。今はそういうことが解決されたからどれでもいいと思っていたのだ。どんなものでも単体で機能するものはない、必ず総合的に機能する働くようになっている。通信販売は単体で安いものを買うことがあるがそれで失敗したのである。やはり電器店でセットとして買うのがいいのである。通信販売にもこうした弱点があった。こうしたことはなかなかわかりにくいしそういうことがかなりある。そういう知識は相当専門的だからわかりにくい、カ-ドがどの機械にも有効とはなっていなかったのだ。

人間の体も一部分が悪いからその一部分を切り取ってしまいば直るというのが西欧の考え方である。ところが人間の体が悪くなるのはやはり全体的な影響から部分がおかしくなる。特に老人の病気は老化が影響しているから全体の体の機能の衰えから病気になるから直しにくいのである。人間の体でもそうだし地球の生命もそうである。単体で存在しうるものはない、大きな全体の中に機能している。地球自体でも宇宙があるから地球が惑星がありうる。地球単体で地球は存在しえない、生命は一部分を切り取って単体で存在することはできない、全体の中で生きることができる。口蹄疫の問題にしても水牛をとり入れたらそれに付随してウィルスも入ってきた。水牛は日本ではとり入れていなかった。そこに落とし穴があった。グロ-バル化はこうしたウィルスの侵入などが防ぎようがない、どこからでも入ってくる、つまり食品だって単体ではない、そこにバイ菌も付着していたり何か良からぬものが同時に入って来たりする。これだけ自由に行き来する社会はもはやそうしたものを防ぎようがないのだ。

日本では牛、馬、豚はいないという漁業で成り立っていた国である。牛、馬、豚や羊でもそれに適した地がありそれが文化だった、culture(耕す)だった。それがグロ-バル化で破壊されて本来の日本の独自の生態系が破壊される。それが二十世紀になりあまりにもグロ-バル化しすぎたのである。だからそれぞれの固有の文化は破壊されるし生態系も破壊される。セットで存在する生命体が破壊されてしまう。日本ではもともとも牛、馬、豚がいなかったのだからやはり畜産というのは向いていなかったのではないか?外国には必然性があっても日本にはなかった。それが極端なグロ-バル化で破壊された。口蹄疫の問題もやはりグロ-バル化の問題として露出したのである。



キャノンの一眼レフカメラは直っていませんでした。
error99と出なくても症状は同じでありバッテリ-を入れ直さないと
セットに電源が入らない、いちいちバッテリ-を入れ直さないと
写すことができない、ただ途中でerror99が出ないだけで
写すときは必ずバッテリ-を入れ直さないととることができないのである。
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2010年05月16日

夏の月と星

moonstar11.jpg


お月さん、こんばんわ


お星さん、こんばんわ

どっちもぴかぴかきらり

田舎の町の夜の空

ケロケロ蛙が鳴いて

なんていい夜なんだ

お月さん、こんばんわ

お星さん、こんばんわ



今日はあとから晴れた、夜の空を見たら細い三日月の真上にきらきら星が一つきらめいている。これはめずらしいなと思い写真とってみたが夜はうまくとれない、キャノンの一眼レフで
error99がでたけどあれは問題らしい、不良品として日本の製品もそれもメ-カ-で出しているのでとまどった。今までそういうことはなかったからだ。error99がでるとなかなか直すのがむずかしいらしい。そういう不具合があるのにメ-カ-の製品として売ることもあるのかと思った。
日本のメ-カ-品だと信頼しているからだ。

 

インタ-ネットでは確かに同時にあの細い月と星を全国でいや世界中で見てるはずなのである。やはり同じ様に見えているのだろうか?ツイッタ-などで世界中からつぶやきでも報告があればわかりやすい、星とか月はやはり地球からだと同じように見えるから共通のものとして認識しやすいのである。インタ-ネットでは同時にリアルに存在している、今の時間を共有できる。それはどんなに離れていてもできるのだ。その同時間を活かすことがインタ-ネットを活かすことになる。あの月と星をみんなが見ているはずだからだ。ただ都会だと見えにくいから違っている。田舎だったら同じように見えているはずである。

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