2017年10月19日

秋薔薇(ありふれた日常にも意味と価値がある)


秋薔薇(ありふれた日常にも意味と価値がある)


石ありて今日もこの家に秋薔薇

秋薔薇ここに散りしを我は知る

駅に待つ年配の女(ひと)秋薔薇

秋薔薇時の移ろふ雨しとと

柿なりて地元の人や駅に待つ


人は生き人は死ににき今ここに誰を待つなれ冷たき雨ふる

駅に前一度会いにし年配の女(ひと)と語りぬ秋となるかな

しとしとと石をぬらせる雨にあれ茶の花庭に散りて静けし



常なる道

人は生く
その場その場に
石のごとく
住みて変わらじ
秋薔薇
今日もこの家に咲き
同じ道行き
日は暮れぬ
営みのかくもあれかし
ありふれて目立たず
騒ぎもなしも
実りは刈りとられぬ
その生活すら
奪われることあり
ふるさとを失い
慣れにし家に住めず
ふるさとは荒野と化しぬ
その道を行く人もなく
花は散りにき

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秋薔薇というとき自分のテーマでもある,俳句はあまりにも短いから読む人が相当にイメージできないと鑑賞もできない芸術である。
写生俳句にしてもただつまらないともなるからだ,だから俳句から詩にした方がわかりやすいとなる,今回は詩にした

駅で年配の女性が電車を待っている,何か落ち着いている,子供も大きくなり外国で働いている,このくらいの女性だと落ち着いているなと見る,隣に20代の若い女性がいるが何か待つにしても落ち着いた感じがない
秋薔薇というときこうした年配の女性にあっている

毎日同じ道を行く,変わり映えしない道である。自分は旅ばかりしたが介護とかでここ十年はほぼ同じ道を行ったり来たりしているだけである。
でも人間はこうしたいつも同じような生活していることに価値があり意味がある
それに気づかされたのが原発事故で避難して人が住まなくなった町とか村なのである。
そこでこうした日常が奪われたからである。
それで「生業を返せ」と政府や東電に裁判をした人達がいた

人間は当たり前にあることの意味や価値を感じないのである。
そういう価値とか意味に気づきにくいのである。
こんなして毎日同じ道を行くことでもそこに意味と価値が実際に見いだされるのである。だんだんと年取ると余計にそうなるのである。
遠くに行くのが億劫になるからである。

2017年10月05日

十五夜の月(秋薔薇) (平凡な日常に深さを感じるのが写生俳句)


十五夜の月(秋薔薇)


(平凡な日常に深さを感じるのが写生俳句)

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月の輪は空が湿っているからでる,だから雨になる




静けさや石に日のさし秋薔薇

誰が見るやひそかに散りし秋薔薇

秋薔薇一輪のみや咲くを見る

老人に古き駅舎や秋薔薇

十五夜や里の実りを照らすかな



一枚の広葉散りにし玄関に秋をし思ふ誰かまた死ぬ

雲隠れ月に昨夜は憂いけり今日十五夜の月の明るし

雲隠る月やまたいで光るかな人の心の移り安しも

夜のふけて今日も聞き入る虫の音一匹のみそ我が一人かな

母はなき我が一人住み虫一匹その音を聞きつ夜もふけにけり

我が家に十五夜の月明るしも事なくあれと祈りけるかも


今も十五夜の月が明るい,昨夜は雲に隠れたりしていた,つくづくそしてこの月が雲に隠れたりまた出て光る,それが人間の変わりやすい心を象徴していたのである。
なんかまだ自分はそうして人間関係でもめている
何か金をせびられるている,それが憂いとなる
自分は確かに三十年間は金は決められた額しかもらえなかった

だから金持ちとはいえない,金には余裕がなかった,でも別に金に苦しむということもなかった,ただ余裕はなかったから金持ちとは違っていた
実際は金持ちの気分を味わったことがない,金持ちとは何かともかく余裕があることなのである。別に金をある程度使っても気にしないのが金持ちである。
その金持ちといってももともと金がない生活をしていたら百万あれば大金にもなる
一億円あっても金持ちの気分になれない人もいる,だから金に対する感覚はみんな同じではないのだ
ただ金というのは相手もあり人間関係のなかで金から離れられないのである。
でも人間が金だけの関係となると本当に悲しい,兄弟る金でもめる
また金ある人と金のない人は調和しないのである。平和がないのである。

十五夜の月は誰でも無料で見れるし世界中どこにでも輝いている
みんなその月を見てなごむのである。自然には金は関係ない,金がある人が特別きれいな月を見るということもないだろう。
みんな同じように美しい十五夜の月を見れるのである。
あばら家からもきれいな月はみれるし月は差別なく照らすのである。
金持ちの家だからと特別美しくみえるけでもないのである。
ただ都会だときれいに見れないからかえってそこに自然の格差がある。
あばら家からもきれいな月を見ることができる都会は金をもっている人が多くてもかえって自然はないしきれいな月と星とか見れないのである。

金によって憂いるというのが多いだろう。金から人間は生きている限り解放されないのだ別に金なくても美は鑑賞できる,今日の十五夜は美しい,それは金がなくても見れる
自然の美は別にフラワーアレンジメントなどしなくても花を買わなくても野の花を見るのは無料なのである。

今虫が一匹鳴いている,母も百才で死んだ,そしてなお今も鳴いているのか?
その一匹の虫の音に感じる

俳句などは鑑賞する方が優れていなと鑑賞できない
写生俳句は特にそうである。

静けさや石に日のさし秋薔薇

これはあまりにも平凡なのだけど深さがある
石に秋の日がさしている,そこに秋薔薇が咲いている
それがなんとも合っているのである。
つまり日常の中に深さがある,なんでもないことに深さがある
写生はまさにそのなんでもないことことなのなかに深さを感じることなのである。

2017年10月03日

震災6年後にもどった故郷の景色 (ふるさとの秋(詩)


震災6年後にもどった故郷の景色

(ふるさとの秋(詩)

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ふるさとの小径を行きて
我が足元に野菊の花咲く
野に黄金の実り
今一しきり蝉の鳴きにつ
夕べ鷺の群れ大空を
悠々と大気を吸いて
翔りつつ巣に帰りぬ
川の面に写る秋の雲
流るるもなくとどまり
鴨数羽むつみ離れじ
我一人旧き家に帰りぬ
ここに住む日も長しも
我がはらからのみな死にぬ
悲しかな世の無常身にしむ
ただ思い出のここにあるかな
歳月の過ぎるは早しも
同じ歳逝く人の帰らじ
夜こめて虫の音聞きつ
訪う人もなく月ののぞき
広き間に一人眠りにつきぬ
み空に星影清くきらめきて
地は遠く離りて安らぎぬ
穏やかにその放つ光よ
まことに神のそこにあれかし
死者は今は霊となり
天にそ輝き憂いなからむ


復興というとき田舎の場合,自然が関係していた,都会だったら自然は関係していない,最初に田んぼが増えたとき蛙が盛んに鳴いた,それは去年だった
その時もその鳴き声に復興を感じた

今年は鷺が増えたことである,大空を群れなして飛ぶ鷺の姿に感動した
前は一羽くらい飛んでいたが今は群れなして飛んでゆく
それがなんとも気持ちいいのである。
そういう姿を6年は見ていなかったからだ

そして川岸の竹藪に50羽くらいが帰って眠る,それもこの辺の自然が復興したことなのである。つまり田んぼが増えたそれだけの餌が蛙でも増えたからである。
田舎はそもそもだから田んぼとか畑がない田舎が考えられなかった

そういう景色は見慣れたものであり単なる景色というより原風景である
だから一旦荒野化したときこれは何のだろうと見た
今でも津浪の跡とか田んぼでも荒野化している所はある
でも50羽も鷺がいるということはここに餌があり自然が回復したとなる

田んぼとか畑とかはそれは人間が自然に手を加えたものでもやはり自然の延長としてあるだからそこに蛙がすみ水生動物がすみそれを餌とするものが棲むようになる
ただ鹿島だと新築の家が何百軒と建ち増えたから何か都会化したなと思う
でもやはり田んぼが広がり畑があるのは田舎なのである。

小高とか浪江とか他の原発避難区域とか津浪の後に回復しない土地は蛙でも鷺でも帰ってこない,ただ一時湿原化して沼とかがあちらこちらにできた
それで日本にはともかく沼という地名が多いのはそうした原初の状態があったからだ
そこにトンボとか一時水生動物が住みついたのである。
トンボは水辺で繁殖するからである。
何か赤とんぼある場所で増えた,それは湿原化して沼地が生まれたらだろう。

ともかく田舎の風景は長い間に千年とかで作られた風景なのである。
それが原野化して湿原化した,それも逆に原初の状態にもどったのだから
自然の回復だったのである。だからそこには美も生まれたのである。
これを言うとまたここで被害にあい死んだ人がいるんだとしかる人がいる

それでも自然は都会とは違って美を作り出すのだと思った
湿原は原初の状態であり釧路湿原のようになる
防波堤かできたがもしそれがなければ自然の回復だったのである。

一方で稲の実りがあるのも元の景色の回復である。それは景色だけではない,
生活の基盤としてある米をとれるさとの回復である。
この辺の米は原料米とかで家畜の飼料になっているのは残念だろう。
でも一応田んぼとか畑が回復することは自然の回復でもあった

この詩はまさに田んぼとか畑とかが回復して鷺が帰り元の故郷の秋になったからできたとなる
タグ:故郷の秋

2017年09月30日

ようやく秋になる (俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)


ようやく秋になる

(俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)

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ここから海老の海が見える
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津浪から6年すぎて成長した海老浜の松

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八沢浦から見える蔵王連峰



コスモスや海に通じて陽の昇る

牛のいて秋の日ざしや田舎かな

柿なりて電車を待つや田舎駅

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

衰えぬ枯蟷螂やみな老いぬ

老人のパークゴルフや秋の雲


津浪より6年すぎて生い立ちぬ松の緑や秋の海かな

秋晴れに蔵王望みぬ八沢浦昔の面影なお残りけり

水無川今日流れひびきて秋風に竹そよぎゆれ走る道かな

東京へ出かける人や今しばし故郷の駅に柿はなりにき

はや風に散る木の葉二三枚今70才に死ぬは早しも

よく見れば我が足元に野菊咲く実りもあれや里の暮れにき

この辺り蝉のへりにつ鳴く声を聞きつつあわれ今日も来るかな

ひたすらに虫の鳴く声ひびきけり命短く夜も鳴きにき



俳句は短歌より短いからどうしても鑑賞する方が実はむずかしい,鑑賞する方が優れていれば写生俳句は生きる,でも鑑賞する方が劣っているといくら優れた俳句でもその良さががわからないのである。

例えば今日の俳句では

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

これをどう読むか?駅は自分のテーマになった,だから一応今も毎日行っている:ただ長くはいない,今は柿がなっているし秋薔薇の季節である。
するとそこから鑑賞する,季が変わるということは女性だったら春の薔薇の季節があり夏の薔薇の季節がありそして秋の薔薇となり冬の薔薇となる
若いときは春の薔薇であり夏の薔薇であるがやがて結婚して母となり成熟してくると秋の薔薇とかなる,中年になり中高年になってゆく

そして今までは駅では見送られた方なのである。
かならず東京辺りに行く人をみかける,一方で娘や孫を駅に出迎える人もいる
そのように立場が変わってくるのである
そして不思議なのは見送られていたときと今度は逆に見送る立場になるが両方を経験するとき人間として成長することがある。
見送られるだけではその時見送ってくれた人の気持ちがわからないのである。
親になってはじめて親の気持ちがわかると同じである

今日は八沢浦から蔵王が見えた,あれが蔵王なのかといつも不思議である。
あんなに大きく見えるのかというのが何回も見ているが不思議なのである。
八沢浦は別に津浪が被害があったからといって地形までは変わっていない
津浪で地形まで変わることはない,海岸線は変わったが地形全体は変わらないのである。もともと八沢浦は入江であり蔵王をその入江の水面に写していたのである。
それが津浪で再現されたとき驚いたことはなかった。

いづれにしろ「心に青雲」の都築詠一氏が69才で死んだのは驚いた
それはやはり十年間くらいプログと読みつづけていたからだろう。
そうなるとやはり何かしら相当な影響を受けていたのである。
それにしても本当にひたすらに最後を鳴いていた虫の声だった
そして命が尽きたのである。
団塊の世代はこれから死ぬ人が増える,では何を語って死んでゆくのか,戦争経験者と違ってたいして語ることもなく死ぬのが団塊だとか評判が悪い
だから尊敬も若い人はしない,それに不満があってもどうにもならない

川子にパークゴルフ場は今日も老人でにぎわっていた,あそこは広いし見晴らしがいいから気持ちいいい場所なのである。
パチンコなんか一日狭い所でとじこもり健康的ではない,パークゴルフはその点健康的なのである。遊びでも自然の中の遊びなら気持ちいいのである。見ている方も気持ちいいのである。

ともかく秋らしくなった,日ざしもそうである。だから外出するにはいい,自転車でまた遠くへ走りたいとなるが何か疲れるから原町辺りまでしか最近は行かない
相馬市まで原町の倍あるから長い間行っていない,やはり疲れるようになったのである。,

2017年09月08日

ソバナの花-月(小池の墓地)


ソバナの花-月(小池の墓地)

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秋の雲ホールにねらい定かな

にぎわいぬパ-クゴルフ場秋の蝉

夕月や数羽の鷺の巣に帰る

虫の音や大き家に我が一人かな


月澄みて今日ものぞくや我が部屋をものしずかにして文を書くかな

小池なる墓地にあわれや草むしてソバナの花あまたうなだる


今年はなんか天候が変だった,梅雨が長引いた8月末までつづいたようになり最近晴れた感じは秋なのだが夏のような気もする,今日は残暑のような気もした
パークゴルフ場はにぎわっている:そこで鳴いているのは秋の蝉なのか夏なのかわからない,蝉といえば夏だからである。

ソバナの花といえば墓地にあっていた,死者は何も言わない,ソバナの花がそこにうなだれ咲いている,小池に行ったのはコモドインの食堂に行ったのである。
小池ではあの墓地が目立つ,あとは古墳くらいである。
自転車だと結構遠い感覚にもなる
土地土地に感じるものが違う,だからそうした部落がなくなったりした田舎の魅力は半減するだろう。

月がものを書く自分の部屋をのぞいている,やはり月は秋である。
虫の音が大きな家に一人いる自分に向かって鳴く
その声に耳を澄ます,何か一人くらいならなんとか世話できる
家に来ているのは一人だけだからである。
それもいろいろ問題がある
今日も今も窓には月がでている,満月である。 

2017年08月31日

鷺が元の巣に帰り平和な里にもどる


鷺が元の巣に帰り平和な里にもどる



深野(ふこうの)に夕べひびきぬ蝉の声

善徳橋今日もわたりて木槿かな

鷺脚を流れる水に浸すかな


合歓の花風にそよぎて田舎駅でで虫の殻や電車とまりぬ

水無川今日清らかに流れつつ翡翠数羽飛びて来れり

山鳩の夕べ飛ぶかな我が里や実りそめにし稲穂見るかな

山鳩の夕べ飛びにつ今日一日平和に暮れむ心なごみぬ

我が里に牛のいにつつ動かざれ秋めく風の吹きにけるかな

鷺あまた前の巣にそもどりけり夕風涼しともに眠りぬ

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この辺は元の状態にもどりつつある,鷺の群れが竹藪にもどり眠る
あそこには震災前も鷺が群れていたからだ
それで前のような状態にもどったと感じた。それだけ田んぼが増えて餌も増えたからである。田んぼがなければ鷺も増えない,なんかこの辺は動乱がつづいたのである。
それは自分の一身上でもそうである。精神的にもへとへとになってしまった。

だから何か今は平和だなとつくづく感じる,そういう光景は30年くらいつづいていたのである。
人間は一生の内平穏無事には終わらない,時代的にも大きな変化に必ず見舞われる
これから生きる人もそうである。それはどういう変化なのかもはや想像もつかない,
想像もつかない変化が起きる

蛙が盛んに鳴いたときも復興を感じた,そして鷺が増えたことで復興を感じた
常磐線が開通したことで復興を感じた,そこで駅のボランティアしているのも不思議だとなる
ただ小高とか浪江となるとその差が大きすぎるのである。
自然も田んぼがないから蛙も鷺もいないのである。
前も田んぼがない田舎が考えられないと書いた,田んぼは単に米をとるというだけではない,日本人の原風景になっていたからである。
だから都会の人と田舎の人の感じ方は違うのである。
神戸の地震のような復興と田舎の復興は違うのである。

田舎というとき深野(ふこうの)とあるがそこの感覚はやはり独特なものがある
それは簡単に言い表せない,歴史的には深野は大原よりかなり古い,
中世の館という地名が二つあるからだ,大原は相馬氏進出して開いた
相馬氏から来る前から深野はあった
郷土史は村の新旧を知れというときその土地についてわかり俳句や短歌や詩にするときでも深いものができる,また鑑賞もできる

ただ深野に夕べ蝉が鳴いている,ただそれだけでは何がいいのかとなる
深野とは短歌ならその前に枕詞がつく,暮れなづむとかなる

暮れなづむ深野の里に我が来る蝉の音ひびきあわれ深まる

小池から坂をおりて「ユッサ」にゆく道である。あそこは実際に草茫々にまだなっているところがある,そこは牧草地にするという,小池でも震災前から牧草地になっていたところがある,牛舎がありやめたのかと思ったらやめていないという
また牛を飼うことをはじめると言っていた
結構広い土地が牧草地になる,ただ田んぼかなり増えた

田舎は村ごとに違った印象を与える,その土地土地の地貌が違うのである。
それが自分にとっては詩とかの題材になる,何か今はその土地土地の特徴が失われているが以前として地貌というものがある。
栃窪も橲原でもそうだし大原もそうだし特徴がある
今よりそこで自給自足していた時代はもっとその土地は特徴があった
生活そのものすら他の村と違うということがあった
だから日本は無数の村があるとしてその村は地形的にも違っていて地貌があり狭い国でも変化がある。大陸だとどこまで行っても平坦で嫌になるだろう。
日本は海あり山あり変化があるから旅をしてもあきないのである。

小池の善徳橋は前は木の橋で趣があった,土橋のようなものだった,真野川だってそういう土橋であり子供のときわたったがゆれるから何か怖かったのである。
そういう橋は洪水になると流されやすい,日本では橋は頑丈でないから流されやすいのである。野馬追いの行列も新田川をわたるとき橋が流された絵が残っているのもそのためである。
善徳とは人の名前である。橋でも田んぼでも人の名前がつくということはそれだけその人が生きていたとき何か貢献してそうなったともなる
人の名前を簡単にはつけられないからである。

水無川は最近雨で水が流れている,カワセミを三羽ほど見た,これはめずらしいとなる

今合歓の花が咲いている,駅の向かい側にも咲いている,そして夕べに電車が来てとまるでで虫の殻が残っていた,何かそれは田舎の平和な風景である。
しかし駅にあやしい人がいるということで警察に通報されたことはショックである。
その時田舎の駅の平和は乱されたのである。
だからそれには自分は怒りになっているのだ。

山鳩は平和の象徴である。そして稲穂が実りそめる,なんとなくもう今年は秋めいた。
ただ今日も曇っているから天気がぱっとしない日が本当に長くつづいたなと思う。
タグ: 山鳩

2017年08月25日

生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな (フラワーアレンジメント)


生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな

(フラワーアレンジメント)

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蛍光灯の下でこんな色合いになった
写真にとってまたあとで活け直す,いい写真をとるにはそれが必要
それは生け花を完成させるためにも必要
写真の時代だというときこれもあらゆるところに影響している
写真ぬきでは何もできない時代でもある

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我が家に数日活けし花々のその色つくし咲きて散りにき


赤は赤
黄色は黄色は黄色
白は白
それぞれの色に花は咲く
争うことなく
我が家に咲きて散る
かくあれば幸いなるかな
神はそをよしとして
その家を祝福する 


花はやはり自ら剣山に植えないと花を活かせない,壺にさしているだけでは活かせない
ただいろいろなことを一人でやるのに限界を感じた
家事からなにから一人でやるのが大変なのである。
花を活けるにしてもやはり時間と金がないとできないのである。
今になるとやることが多くなったのである

ともかく人間はそれぞれの花が調和して咲くような場がない,そして人間は花のように調和しないのである。
赤い花があり黄色い花があり白い花がありそれぞれが活きるのが花である。
そこに無駄なものはない,それぞれの花はその個性を出して活かしあうのである。
生け花は女性として身につけるものだろう。

花を愛さない女性は何か欠けている,美人でもそうである。
その人は全然花に興味をもっていないのである。
その女性は感じのいい女性でも何かそのことが一番欠けているのである。
それは家にそういう花を愛するということがない家だったのかもしれない,その人の性格が良くてもそういう家だったのかともなる。

何か男が生け花すると奇異にみられる,花を買いにいってもそうである。女性が多いからそうなる,今はだから自分では買っていない,でもやはり自分で花を選び買うのも楽しみである。花はすぐ枯れやすいのも問題なのである。
花屋のは冷凍室にあるから枯れやすいというのは本当である。
そして夏は特に枯れやすいのである。だから生け花は金がかかる
ただ女性の、たしなみとして生け花は不可欠と思える
花も飾っていないような家は何か淋しいし大きなものが欠けている
そういう無風流な人を見るとき人自体に疑問を感じる
その人間自体が殺風景なものとして見てしまうのである,ただ男性で花に興味をもっているのは少ない,でも男女に関係なく花を美しいと見る,女性とか男性とか関係ないのである。

この花は近くの花屋で買った,一年以上買わなかった,買う人がいたので買わなかった
でも自分で選んで買わないと自分好みのものもアレンジできない
花も自分のテーマである,ただ生け花と自然の花は違っている
生け花だと自然にもない花がある,大きなダリヤは見応えがある
ただすぐに写真を撮らないと夏は枯れる,冷凍室に置いたのは枯れやいのである。
畑で育てたものを市場で買えば長持ちする
ただ今の時期は枯れやすいから注意である。
明日はこの花を剣山でさしてみよう。

2017年08月19日

蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の鳴き電車の待ぬぬ駅舎かな

雨しとと蝉の声ひびき城下町

城下町出会える女や秋の雨

城下町かぼちゃの花に雨のふる

蝉の声柳しだれて城下町

城下町屋根の低くも秋の雨


六万石城跡に秋の雨しとと今日たずぬる人もなしかな


今年の気候は本当におかしい,この雨は秋雨なのか,それとも梅雨のつづきのなか,夏ななのか?季節がわからなくなっている
だから秋の雨とするのも何かあわないのである。
蝉の声にしても秋の蝉になっているがその前に夏の蝉の声があって秋の蝉になる
それがぬけているからおかしくなる,蝉の季語は夏でありその夏が早めにあって梅雨がつづているという感覚になる
ということは俳句の季節感が狂ってしまって俳句にならないともなる
俳句は季語を基にしているからそうなる
これから残暑になったらまた季節感が狂ってしまのうである。

相馬市まで用事があって二カ月ぶりくらいに行った,最初一カ月は暑いから行けなかった次に雨で行けなかった,自転車でも行けない,原町まではなんとか行った
相当に今年は体が弱った,夏ばてにもなった

相馬市は城下町の風情があるというとき実際は何もないのだか街の形が変わっていないからだろう。城下町のままの町割りになっている,だから駅前から発展した原町とは全然違っているのだ。
そして平凡なことだが屋根が一般的に低く感じられる,高いビルがない
すると何か江戸時代のような町に見えるのである。

公共施設が入母屋作りにしているのも効果的である。だから相馬市は歩いているだけで情緒がある街である。ただ何かもないということはある
その何もないということがいいということがある。
現代派はなんでもありすぎて情緒を壊しているからである

傘をさして一人の女性と出会う,なにかそうした当たり前のことに人間的なことを感じる日本には雨が多いから雨の情緒があった,それは歩いていると自ずと生れる
車ではその情緒を味わうことはできない,車は常に情緒を壊すものとしてある
自転車でも歩いて感じるものとは相当に違う。
歩いていると一軒一軒の店でも家でも見るのである。
だからこそ歩く生活なら街の通りを見るから街が活きていたのである。

城下町といっても相馬六万石となると回りは田畑であり淋しい風景だったのである。
今その名残はある,まず観光客が野馬追い意外でたずねてもここに発見するものがあるだろうか?城跡にしてもここに城があったのかとも思う
何か城下町というものも感じない,だからここが観光の目的地にはならないだろう。
でも何か街の雰囲気はそれぞれ違ったものがある。
相馬市と原町を比べると明確である。そのことはいつも言っているがやはり相馬市は城下町だからそうなっている,でも外から来た人にはわからないのである。

2017年08月14日

木槿とお盆


木槿とお盆

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写真は花を活けたらすぐにとらないとだめになる
とりかたも結構むずかしい




なにかあれここに住みつき木槿かな

雨しとと石に木槿や田舎かな

夏燕水面に触れ飛び涼しかな

電車来て黒揚羽舞う田舎駅


姉と母なお我が家にともにあれ今争わず供養するかな

畑よりとりにしダリヤ霊前に備えてでで虫つきてありにし

のうぜんのなお残り咲き雨にぬれ散りけるかな夏はすぎなむ


今年の天気はおかしい,最初に早めに暑い夏が来て次に梅雨が長引いていま感じだ
だから季節の感覚がおかしくなる,こういうことがこの頃多い
蝉にしても夏に盛んに鳴くが実際はもう秋であり秋の蝉になるけどそういう感じがない
逆に秋が早く来すぎたともなる,季節感がこの十年間くらいおかしいのである。

お盆にふさわしいの木槿の花である。何か田舎的であり素朴な感じになる
花にはいろいろあるが何かを象徴している,俳句は短いなかに深さを現す
要するに俳句は作る方より鑑賞する方が試されているのである。
短いからそこに深いものをくみ取ることが鑑賞することが必要になる
そもそも木槿の花がどういうものか深く見ることが必要になる

そして人間はある場所に定着しないと深くなんでも見れない,旅では通りすぎるだけだからである。定着する場が必要なのである。それは故郷なくてもいいのである。
ただ田舎でないと定着しても何か自然の深さを知ることはできない

知っている人が畑からダリヤをもってきた,そのダリヤを見たらでで虫がついていた
こういうのが田舎ならではではでる,ただその畑では金がかかり収穫がほんどない
ただ草むしりしているだけなのかとなる

電車が来てく黒揚羽が舞う,黒揚羽がつくづく田舎の駅にふさわしかった
駅もお盆でにぎわっている

ともかく今年は季節感が狂った,そうなると俳句でも何かうまく作れないとなる
俳句は季節感を基にしているからである。ここ十年は季節感が狂う,すると俳句の文化すら影響を受けているのである。
5,6月辺りが真夏のような時がありその後梅雨が今もつづき秋になるとなると季節感が狂ってしまうからである。

タグ:お盆 木槿

2017年08月07日

原町の道の駅で野草展(レンゲショウマは見たことがない)


原町の道の駅で野草展(レンゲショウマは見たことがない)

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時々道の駅で野草展が開いている,さほど見るものがない,今回はイワヒバが多かった
イワヒバはいろいろ種類があるという,茨城県の太子ではイワヒバを売っているので買ってもらった,高いが品種的にはそれほどいいというものではなかった
イワヒバは岩にあうからイワヒバである
これをとるのは容易ではないから高いのである。

レンゲショシウマという花は本当に見れるのか?
こんな花が近くの山に咲いているのか?高山の花だと思った
シャンデリアのように開いている
これを自生してる山の中で見たら神秘的である。

野生の花はやはり野山に咲いているのを見たとき一番美しいし神秘的になる
この花を見たいといってもかなり山奥に入らないと見れないだろう。
花は高山植物を見てきたがそこまで行くのが苦しい

尾瀬にはいろいろ花が咲いていたけどそそこまで行くのが大変である。
至仏山に咲いていた花は神秘的だった
尾瀬にはもう一回行って見たい,でもこの年になるとなかなか行けないなとも思う
人間はこれほど旅をしても見るものがつくづく限られていると思う
だから時間が貴重なのである。

人間はくだらないことに時間を費やしすぎるのである。花を見る時間もやはり人生の中で貴重なのである。花のことを知らない人が多い,すると何か欠けていることになる
女性でも四〇代の人が生け花もしていない,農家に嫁いでも花のことを知らないのである美人でも何か大きなものを欠けていることに気づいた

一般的に男性は花に興味がない,だから花屋で男性が花を買いにゆくと変に見られてしまうのである。
ただ別に野草展では男性の人も花を育てている,そういう趣味の人はいる
やはり高山植物は神秘的である。今になると見れないものとなってしまった
人間は何か何をするべきだったとか必ず老人になると悔いる

それは時間が無駄なことに費やしているからそうなるのである。
時間を有効に使っていないのである。
そしてその貴重な時間がいつかはなくなってしまうのである。
今になると自転車旅行もできないとかなる
時間があっても今度は体力がないとなりできないとなる
つまり時間でも体力でもいつまでもあるものではない,限られたものとしてしか人間には与えられていないのである。




2017年08月03日

月見草(霧雨にぬれて咲く)


月見草(霧雨にぬれて咲く)


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霧雨や夕暮れの道月見草

霧雨やしとやかに咲く月見草

藪甘草咲きにしあとに月見草

数人の行き来す道や月見草


お伝えしたように月見草は、夕方から徐々に花が開き始めて夜になる頃には全開で咲き誇ります。
このように夜に開花することが由来となり、「月見草」と名付けられました。

月見草は夜開くから月見草になった,夜に月を見ている花となる
普通に見るのは待宵草である。宵を待つようにして咲くとあるからやはりにている
でもこの花は開いているのを見るより群生しているのを見る
田舎だと群生している,特にこの辺は荒地が増えた結果待宵草が一面に咲く

いつも行く道には最初藪甘草が咲いていた,次にしっとりと月見草が咲いた
この順序がいい,最初に赤い藪甘草が咲く,人生では青春は赤である
だんだん年取るとしっとりした月見草がふさわしいとなる

月見草には霧雨があっていた,今日は霧雨だった,日本では雨の種類も多い,
小雨となれば霧雨とは違う,霧雨はしっとりとぬれる
ふっているのかふっていないのかもわからない,音はしない,何かそれが待宵草,月見草にふさわしい

人間の性質にはいろいろある,激情的な人もいるしおとなしいおだやかな人もいる
激情的な熱情的な外交的な人は鬼百合とかにふさわしい,月見草の性格はおとなしく穏やかである。自分の母親はそうだった,だから自分も性格的にはそうである。

日本語のしとやかにというのがぴったりなのである。人間の性格はやはり親から受け継がれるのだろう。月見草の花言葉が無言の恋とかなっているのもそうである。
母も無口でありおとなしい性格である。自分も何かにている
じっとしていてあまり人とは接したくない,これは猫ににている,猫の性分があるとなる
田舎の道は数人しか歩まない道がいくらでもある,ほとんどそうかもしれない,今は車だから余計に歩く人を見ないのである。車には情緒がないのである。
そうしてただ歩いていることに情緒が生れているのも不思議なのである。
人間はそもそも歩くことで自然と一体となることがあったからだろう
それで浮世絵は歩くことで情緒をかもしだしているのである。

この辺は震災以後混乱状態になったけどそれまではどこにでもある静かな田舎だったのである。それは一身上でも介護や自らの病気などで乱されてしまった
後は静かに穏やかに過ごして死んでゆきたいというのが願いとなる


タグ:霧雨 月見草

2017年08月02日

蝉の声(はらまちユッサに行く) (話しかけることは心にかけること)


蝉の声(はらまちユッサに行く)

(話しかけることは心にかけること)

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一の旗使いの走る朝の蝉

原町になお巣を作る夏燕

合歓の花月のほのかに夕べかな


五六つ庭に石かな蝉の声ここにひびきつ夕暮れぬかも

のうぜんの熱くもも散りてそのうあとに鬼百合咲きて燃えにけるかな

藪甘草咲きにしあとに月見草さきてあわれも月のいずかな



話かけることは心をかけること」

ユッサの玄関にあったこの言葉は面白い,なぜこの言葉がいいと感じたのか?
それは駅で常に自分は話しかけるようになったからである。
駅だけではない,自分は何か一人になってから人に話しかけるようになった
家族がいるときは人に話しかけたりしない,家族がいたから淋しいということはなかったでも家族がいなくなると家でも一人でがらんとしている
それで家にいたくなくなり外に出る,そして話しかける
そればこでもいいということはない,話しかける場所がある
駅とかユッサとかくつろいでいるから話しかけやすいことがあった
でも誰でも話しかけることはできない,嫌がる人がいるし話たくない人もいるし
怒る人もいるからだ:その辺のタイミングとかがむずかしい

今日は山形の人であり山形では雪かきなどが大変だと言っていた,山形は相当雪が降るところだった,それは春になっても山形に入る面白山トンネルをぬけるといつも山に雪が残っているからやはり雪がふる場だった
それから盆地のようになっているから夏は暑いと言っていた。
ただこのユッサは七五〇円とか湯でとるのは高いと言ったら山形では温泉がどこにでもあり三〇〇円くらいで入れると言っていた
この辺は温泉はないからここは一応温泉だから高いのかもと答えた
この辺では温泉は貴重なのである。

山形でも前から常に言っているように地理がわからないと話が合わせられないのである。全国を隈なく自分は行っているから外部の人とと話を合わせられる,外部の人と話すときはまず地理を知らないとできないのである。

今日はユッサは野馬追いも終わり休みでもないのですいていた,あそこに食堂があり日替わりで出しているしオカズも出しているからいい,オカズの手作りがあるから自分にとってはいい,まずオカスが一人で作るのがめんどうだしまずいのである。
外の料理の方がうまいのである。ただ最近暑くて行けなかった
車がないから暑いと行けない,今日は秋のように涼しいから行けた

ともかく「話かけることは心をかけること」それは自分のことを思うときぴったりだった
人間が話かけるときは心をかけるのである,ただ単に話かける,機械とは違う,相手のことを察して心にかけて話するのである。
つまり人間が話かけることは相手のことを気にかけて思って話するのである。
話しかけることは単に話すのではない,人間の場合は心を通いあわすことなのである。
それは二言三言でもそうかもしれない,そで触れ合うも他生の縁となるの話しかけることなのである。
ただ話しかけられることを嫌う人がいる,それは自分もそうだったが駅でも話かけるのは何か役に立ちたいと思ってしているだけなのである。
別にプライバシーがあるから答えなくてもいい,第一あまり普通駅など話しかけない
大きな駅だったらそうなる,田舎の小さな駅だからこんなことができている
だから小さいことは人間的になるのである。

ただ日立木駅とか本当に一人くらいしかのりおりがない,まず外部から来る人かない
そうなると話しかける人もいないとなる
そういう駅も淋しいとなる,あそこは自転車でそう遠くはないから食事するにはいい
オカズが日替わりで変わっているからである。
水曜日はテンプラのあげたてを安く一五〇円でサービスしている
あれは本当にサービスとしてしているのである。
だから今日は得したとなる

野馬追いは終わった,原町で燕がなお巣を作っていたのも原町にふさわしいと思った
原町は街としてもともと大きいからなお燕が巣作りしている,それは人が多いから
何か大きな街だとふさわしい,まだ燕は巣を作っている,燕はまだ増えるとなる

藪甘草のあとは月見草がしっとりと咲き月がでていたのもふさわしい
なんか今日はすでに秋めいていた

2017年07月26日

夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)



夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)


快晴の朝の空飛ぶ夏つばめ

駅前にふえて飛び交う夏つばめ

ひるがえる野馬追いの旗夏つばめ


しとしとと雨ふり
草むら深く
月見草群れさき
日陰蝶飛び
でで虫の歩む
いつもの道を
今日も行くかな


今日は快晴である。昨日は雨がふった,朝は快晴で気持ちいい,それほどの日ざしでもないかもしれない,紫外線を計る機械をなくしてしまった,体感的に日差しもそれほどではない,ただ熱中症は要注意である。そのために遠出ができなくなって困る
天気予報では注意となっているらやはりそれほどではない,体感的なものと一致していた警戒があり厳重警戒があるからだ

季語的には夏つばめがひったりである,今の季節らしい,こういうときでも外を自転車で走ればきもちいいだろう,本当に最近ずっと遠くに行っていない
仙台にも行っていない,自然とともかく気持ちいい,自然に生きるものはまさに自然だから気持ちいいのである。人間は不自然に生きているから気持ちいいとはならないのだ
人間は何か常に不健康なのである。タバコなど吸っているのもとがめはしないが何か不自然である。健康的に感じないのである。今は女性はタバコを吸う人が多い
ストレス社会になりタバコを吸う人が増えたのだろう。

ともかく家の中にとじこもりなのは良くない:これも不自然であり不健康だとなる。
ただ暑さで外に出れない,北海道に行きたいとかなる
でも外出しにくくなった

昨日は雨であり草むらに月見草が咲き黒い日陰蝶が飛ぶ,そしてでんでん虫がゆっくりと歩む,昨日は梅雨の感覚であり今日は梅雨が晴れたとような感覚である。
野馬追いの旗がひるがえっているからあと二三日で野馬追いである。
結構駅はにぎわうだろう。
天気予報ではまた曇りがつづくから梅雨は明けていないのだろう。
それでもこれまでのような暑さはなく一段落なのかもしれない
体調を壊したから暑さは嫌である。
自分は暑いところは苦手である。胃が必ず悪くなるからだ
また寒いところも苦手なのである。だから気候的にはここがいい場所なのである。

タグ:夏つばめ

2017年07月14日

立葵 (俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

立葵

(俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

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燕が飛んでいたがうまくとらえられなかった

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この木はあまりいい木ではないがこれも写生である。
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夕方の夏の雲


全部クリック拡大しないと見栄えがしない


のうぜんの玄関に散り蟻歩む

また一つのうぜん散りぬ玄関に

五六輪藪甘草や木の根元

立葵その明るさや燕飛ぶ

立葵高くも伸び咲きつばめ飛ぶ

明るくも笑い微笑む立葵 


立葵風にそよ揺れあまた咲く夏の雲湧く朝に映えにき

野馬追いの頃にのうぜん咲きぬあまたかな一輪散りてまた散りにけり


夏らしい雲が湧いていた、今日は紫外線計測器で昼間が8とるなと厳重警戒になる
日ざしが強い、熱中症になったから無理はできない
でも毎日二回くらい買物で出なければならない
それと運動と気晴らしのために外にでる
食事はほとんど買ってすませている、家事からなにもかも一人でやる時間がない


俳句はつくづく写生である、単純な写生でも深い意味をもつ、短いから写生に徹しないと芸術になりにくい、いろんな説明もできないからだ
のうぜんの花が散ったところに蟻が歩んでいる、それがまさに写生なのである。

五六輪藪甘草が木の根元に咲いている、それも写生である
それは詩を作るようにイメージで作っていないありのままだからである。
ありのままだけどそこに深い意味が見いだされているのである。鑑賞する人はその意味を見いだすことが必要である。
俳句はともかくシンプルがベストである。短歌となると表現の幅が広がるからまた違っている

野馬追いの頃になるとのうぜんが咲き始めるからにあっている、藪甘草も咲く、だからこの辺では野馬追いが迫ってくる時に咲く花だと意識する、それは土地柄だとなる
そういう土地柄があるのが文化だともなる

いづれにしろ現代はなんであれ写真の時代である、写真なくして情報もありえない
デジタルカメラの威力が大きい、写真にとると見えないものが見えてくる
それが発見なのである。ただ肉眼でしか見えないものもある。
写真でしか見えないものもある、立葵とのうぜんの花がそうだった
微細なものはデジタルカメラが映し出す、人間の目には見えないのである。

俳句はだからデジタルカメラなしではありえない
写生もデジタルカメラと融合してありえる時代である。
その写真もインターネットだと出しやすい、他のメデアは出しにくいのである。
雑誌でもこんなに写真をのせられないからである。
夏は近くでも被写体となるものが増える、だからカメラを絶えず持ち歩いている必要がある。

ともかく今日も暑かった、クーラーの部屋に一日いるほかない、今前のホームページとかプログの記録の整理があり仕事がある。これも骨がおれる
プログは記録しにくい、なんとかまとめて整理する、それが膨大だから結構な仕事になるホームページを二〇〇〇年にはじめたからすでにプログも十年であり一七年間も書き続けている、だからふりかえりまとめる必要がある




2017年07月10日

涼しさ(ロードが気持ちいい)


涼しさ(ロードが気持ちいい)

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涼しさやロードに走る早朝に

涼しさや夕べロードに走るかな

六号線夕日の赤く夏雲雀

五六輪薔薇に映えにき夏の月

黙(もだ)深く花に月影死者眠る



暑くて昼間ぐったりして眠くなる、早朝が涼しい、ロードに走ると気持ちいい
やはり自転車はロードに乗らないと醍醐味がわからない
それが自分の失敗だった、自転車のことがわからなかったのである。
ただロードは遠距離ようだと思ったがそうではなかった
ヤマハの電動のロード(YPJ-R)は坂を上る馬力がない、だから遠距離になるとかえって苦しい、ただ近くでスピード感を楽しむのには良かった

今は遠くに行かないから買って損はしなかった、遠くに行くと坂が多いから前の馬力がある方が役に立つ
ともかく早朝と夕方走ると涼しさを感じる、あとは暑くてぐったりして寝ていたりする
何か体に答える、この辺は涼しいにしても暑いと感じる、梅雨はどうなったのか?

墓地の前をいつも通るから花をさしていないと淋しいとなる
造花は何か嫌なのである。造花は死んだ花なのだからなんとなく嫌になる
でもそんなに花はさせないから造花にしておくのである。
それは墓とは彼岸にかかわるだけで日頃はかかわっていないのである。
それも手間になるからだ、ただ常日頃墓地が近くにある人は時々花を挿すのである。
だから墓も近くにないと活きていないということはある
ともかく死者は眠るだけである。一旦死ねばもう騒がない、語ることもない
語るのは生者だけになるのだ。

真野川の夕日の写真はいかにも暑い感じである。コンクリートだから情緒はないが木の橋だったら絵になる、浮世絵に橋の絵が多いのはそのためである。


2017年07月08日

今朝の写真二枚(朝日と馬)


今朝の写真二枚(朝日と馬)

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朝早み馬の歩むや陽の昇る

朝早み青田の中を馬の行く


朝日の昇る写真をとった、今日も暑くなる太陽である。
馬が散歩しているのは野馬追いに馴らすためである。
こういう風景はこの辺らしい

何か馬というときなじみがない、馬が生活の中に生きていない
だから実際は馬というのが実感できなくなっている
ただ競馬の中で馬を見るだけだからである。

馬と暮らした生活があったのは戦前まではあった、農耕馬とか荷馬車とか利用していたからである。そういうことがなくなったとき馬は生活から消えた
すると馬というものがわからなくなる、ただ野馬追いの時あれだけの馬が出ると圧巻になる、馬が生きていた時代を彷彿とさせるのである。

世の中なんでも日常として活きないものは死んでゆく、牛はまだ牛肉として乳牛として利用されるから活きている、馬は何か利用価値がなくなりせいぜい野馬追いとか競馬でしか見ないのである。
ただこの辺は野馬追いがあるから馬に関心をもつときがある。


8時9分 地震を感じた、昨日は突き上げるような地震で震度4

その余震らしい、これは気づかない人もいるだろう

やはり突き上げるにきた、震度1にもなっていないだろう。

タグ:馬の写真

2017年07月07日

夏の月(木蔭の道と家の畑)



夏の月(木蔭の道と家の畑)


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どっちもクリック拡大

夏菊や少女等走る土手の道

畑仕事休みてくつろぎ風涼し

街中の家の畑や夏の月

畑仕事終えて眠るや夏の月


田舎の夜静かにふけて夏の月窓にのぞきて安らかなるかな

紫陽花咲き木蔭の深き道の奥石造りの蔵のあるかな


毎日土手の道を中学生が走っている、暑いのに走れるから若いとなる
畑仕事している所で休む、風が涼しい、昨日は雨降って土がしめっていたから涼しいということがあった

今日は暑かった、それで紫外線を計る計測器を買った
いろいろ試してみたが危険領域を越えるのは昼間である。
角度によっても違う、今日はそんなに危険ではなかった
何か計測すると安心になる、それは放射線量でも同じである。
でもこの機械は目安であり役に立たないかもしれない

小池に行く木蔭の道は気持ちがいい、紫陽花が咲いて奥に石造りの蔵の家がある。
石造りの蔵は古い、何かこうした田舎の風景になごむ、それは何でもものだが心が安らぐしかしここではそこはダンプが通るから落ち着く道ではない
ただ木蔭になる道だから気持ちいい道である
田舎は特徴がないようでもそうした自然と織りなした絵のような風景がどこにでもある
ただ発見されていないのである。新地辺りはそういう風景がある
木蔭を感じるのにはやはり車ではできない、自転車ならできる

夕方になり満月が出た、新しい家の庭が畑になっていた
これもなんとも心がなごむ、畑があるということでなごむ
それも家の前にあるからいいのである。手入れする人がいるからできる
何か庭でも何でも手入れするのが手間なのである。
自分は何でも一人だからできないのである。
この辺は街からはずれている、でも街からそれほど離れていない所である

田舎では夜は静かにふける、窓から覗いているのは月だけである。
田舎ではただ人間ものぞいている、それは監視して見張っている目である。
そこに田舎の矛盾がある、その目は相手を思う目ではない
相手のあら探しをする目なのである。
畑でもいつも言っている、じろっとあの人はこっちを見る、あの人は腎臓が悪くて
人工透析している、黒くなると死ぬんだよという。
たしかにじろっとこっちを見ていた
畑でも隣同士でもそうした目があるのが田舎である。
だから人間に関して田舎がいいということはないのである。むしろ田舎の人間は根性が悪いというのも本当である。

ただそういう人間関係を無視すればただ夏の月がかがやき窓からのぞいている平安がある何か月は平安の象徴である、この辺は平安が失われていたのである。
ともかく暑い一日だった、今や熱中症を恐れるようになった
昼間の10時から2時ころは紫外線は強くなるから出ない方がいい
でもその後は計測器では低くなっていた、だからそれほどでもいなのかもしれない
まあ、機械からだけではわからないことがある。
身体が疲れていたりしたらやりやすいからである。

2017年06月22日

変わらぬ石(詩)-橲原(じさばら)への道 (写真からよみとれるもの)


変わらぬ石(詩)-橲原(じさばら)への道

(写真からよみとれるもの)

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今日はここに小さな石があった、これは孫石となづけた

そして一方の道は家に通じているのがいい

ここに人が住んでいるのがなんともいえぬ人間的なものを生みだしている

道が曲がっているのもいいのである。

人間が住んでこの石も生きているのである

それは写真を見て発見したのである。

だから写真には奥深いものがある

デジタル時代は写真の時代であり写真の芸術の時代である。

人間はなんでもない普通の場所に何か深いものがある

それがなかなか住んでいて発見できないのである。

これは英語にするとこうなるかもしれない

The stone on the way at home

在宅して、在宅日で、自国で、本国で、気楽に、くつろいで、(…に)慣れて、精通して、熟達して、ホームグラウンドで

この家に通じる道はそういう感じなのである。なんでもないがこれは人が住んでいるからなのだ
前に八木沢峠の下の大葦とかに住んでいた家の道も空家になったが
人が住んでいたということで at homeに感じたのである。
人のぬくもりを感じた道になっていたのである。
それはなんともいえぬ不思議な感覚である。


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立目石から菖蒲が咲いているのが見える

写真で見ると大きな石に見えるから不思議である。

違った表情の石に見える

そこに写真の不思議がある

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浪江の高瀬川近くの石-皺のように表面がなっている
それで皺石と名付けた
これは一回しか見てないけどいい石である。
これも人が住んでいないと活きないのである。

変わらぬ石

木陰の道が通じている
山の奥の村に
そこに一つの石がある
その石は変わらずある
確かに変わらずある
そこに安らぎがある
奥の村に変わらず
その石はある
どっしりと動かずある
そこに留まり安らぐ
菖蒲が木隠れに咲いている
昔のままにある村
そこに老いれば安らぐ
そこに石のように眠りたい
変わることに疲れる
変わらぬものに安心がある
深い安らぎがある


橲原の方に行った、木陰の道がつづいていて気持ちいい、ただあそこも変わった、高速ができたことが一番変わった、その影響も大きい、前の感覚は高速ができて相当に変わった隠された村のようにあったがそういう感じではない
一つの道路ができたりソーラーパネルとかできると相当に感覚的に変わる

最近この辺では変わることに疲れていないだろうか?
特に避難解除になった小高とか浪江とか変わりすぎたのである。
今まであったものがなくなる、街すらなくなる、村もなくなるということが信じられない想像すらできないことだった
津浪と原発事故はあまりもにも大きな変化であり対処できないのである。
特に老人は変化に弱いから対処できない

要するに変わらない石のように安らぎたいとなる
そこに変わらない石があることが救いなのである。
自分がテーマとしたの石が多い、だから石の詩は百くらいすでに書いているのである。

道でも木陰が反映される道は安らぐ、道が広いとまた違ってくる、木陰が反映しにくいのである。だから小池の道は脇道の方が木陰があり涼しい
でもあそこはダンプが通るから危険なのである。
道一杯にダンプが通る、この辺はいつになったら元の平穏な世界にもどるのかと思う

ただそれで小池のコモドインのホテルで今日もランチのカレーライスを食べたのである。橲原の立目石は鹿島区では象徴的な石である。
浪江では一回だけ見た石は「皺石」となづけたけどあれもいい石だった
でも浪江には人は住んでいないからその石も活きないのである。
自然でも人が住むと人間化した石になるのである。
それは庭の石がそうである。今避難解除された区域でも空家が多い
すると庭の石を見ると淋しい感じになる、なんともいえぬ寂寥感がある
それは近くの空家の庭の石でもそうなのである。
一端人が住む石まで人間化していたからそう感じたのである。

浪江の皺石(詩) (一つの石の存在感についての考察)

2017年06月20日

夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)


夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)




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奇しけくも十一面観音の残りけり囲む木立の神寂びにけり

三本の樹高台に残りまばゆくも夏の花咲き海を望みぬ

広々と海の開けてハマヒルガオ都草咲き沖に船行く

萱浜に矢車草の一面に津浪の後や海の暮れにき

夏の海望みて墓地の萱浜の高台よりや沖行く船見ゆ

萱浜や海を望みて残る墓地沖に船行き夏の日暮れぬ



日々晴れて泰山木の大輪の花の真白に空に向き咲く

夏菊のエントランスに咲きにけりこの家新しく朝日のさしぬ


萱浜は津浪の後六年すぎて見晴らしが良くなった、海が広々と見える、この海が広々と見えるのは松原とかにさえぎられて見えないことがあった
萱浜の松原はいい松原ではなかった、何か陰気だったのである。
松がなにかぼそぼそと生えていて暗かったのである。
右田の松原は調ったいい松原だったのである。
あそこで女子高校生を殺して自殺した若い人がいたのである。
何かあそこは陰気な場所だったのである。
自分はだからあそこは好きではなかった
何かそういう場所だからこそそんな事件が起きたのかと思う
自然でも何か場所的にも悪い所があるのかもしれない
そういう場所で自殺が起こり安いかもしれない

ただ六年すぎて萱浜に行ったら見晴らしが良くなり気持ちよかった
広々と夏の海が広がり沖に船の行くのが見えた
雫(しどけ)の方は萱浜よりずっと高く高台に樹が残っていたりまた十一面観音堂は木立に囲まれ残っていた、あそこも津浪が来たが高台なので残った
墓地も高台なので残った。
十一面観音堂は泉が先でここに移されたのだろう。
雫(しどけ)という地名は謎である。ただ雫(しどけ)は高い所にあり家も残っていた
つまりそこは古くから人が住んでいたのである。
萱浜は江戸時代には住んでいてもその前には住んでいたのか?
雫の謎は雫(しどけ)とは山菜のことなのである。
とすると山菜が地名化したとしたら海ではなく山側に山菜とれて名になったのか?
そこは高い場所であり山の暮らしもあったのかとなる
ただ山といっても山とも言えないしここは謎なのである。

津浪で変わったのは景観を変えてしまったことなのである。萱浜は相当に変わった
見晴らしが良くなって気持ちいい、夏の海が広々と開けて沖に船が行く
ここで良かったのはソーラーパネルがなかったのである。
磯部や右田はメガソーラー場になったからここもなるのかと思っていた
これかるなるのかわからない、海側はソーラーパネルになってもどうにもならない
これから風力発電の風車が作られるからまた景観が変わる
それも景観を乱すものになるがこれもどうにもならないだろう。
海側は家がなくなったし開発しやすいからだ
ただ飯館村の森は保存してもらいたい、でも誰も住まなくなるとどうしてもソーラーパネルとかになりやすいのである。後は放射性廃棄物の捨てる場になりやすいのである。

これだけ景観が変わるということは思わなかった、自然はそもそも変わらないものとしてあると見ていたからである。
常磐線沿線は海が開けて高架橋になり見えることは観光的にはいいだろう。
矢車草の畑があったのも変わったことである。
菜の花の春に咲かせたが夏は矢車草である、これは海にあっているかもしれない
青い色が海をイメージするからである。
何か景観が変わると雰囲気まで変わる、萱浜というときこんな感じではなかったろう。

景観というとき泰山木の花が今さいているけどこれはアメリカ大陸に咲くのにふさわしい、ひまわりとか泰山木の花はアメリカ大陸が原産地だとなる
そこの気候は空は広く毎日晴れているのである。
今年の梅雨は空梅雨なのか毎日晴れているから泰山木の花がふさわしいことを感じたのである。
花は原産地がどこかということを知るといい、つまり花でも咲くにふさわしい風土が場がある、日本の花は南国系統が多いのである。
ただ北方系は北海道に咲いているのである。
今年の梅雨はどうなってしまうのか?紫陽花は梅雨にあう花であり日本原産なことでもわかる、紫陽花は日本の風土に咲くのふさわしいのである。


2017年06月16日

冬の貴婦人(詩) (死者はどこにいるのか?)


冬の貴婦人(詩)

死者はどこにいるのか?


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夏蝋梅の広い葉陰に
ひっそりと冬の貴婦人
石によりそいもの言わず
あるとしもなく
患いもなく咲いている
それは母のようでもある
おとなしい静かな女
死んだけどまだいるような
その花のように
自分を見ているような
死んだ人はどこにいるのか
その長く親しんだ所に
まだ愛着を覚えているのかも
ならばここに安らかに眠るがよし
我もここにありしも
姉もまたここにあるがよし
争わずにこの家にあるがよし
今望むことは患いなきこと
ひっそりとして誰にも迷惑かけず
患わせずあること
それが幸いなりしを知る
夏蝋梅の花に
蜂が一匹ささやき去りぬ


人間は外部の環境でも日々変わっている、この辺は特に変わりすぎた、信じられない変わり方だった、津浪原発事故で田んぼが草原になったり環境自体がありえないように変わってしまった。
そういうとりまく環境も変わるが人間の心の内部も心境は実際は日々変わっている
介護をしているとき、十年だから長かった、でも死んでみるとまた違ってくるし死者への思いは時間がたつごとにまた変わってきているのだ。

なかなか最初は死者を死んだ人として受け入れられない、それは人によって家族環境によって違う、いつまでも死者のことを忘れずに思っている人はいるし忘れる人もいるからだ死者は骨となり灰となり消える、では一体どこにいったのだろうとなる
墓にいるのかとなるとそれもわからない、ただ一応墓にいるとしてお参りしているのである。

死者はだから花の咲く庭にいるとかにもなる、母はおとなしい内向きの性格だった
だから冬の貴婦人にふさわしいとなる、何かこの花は目立たない、でもいつまでも咲いていることに気づいたのだ、それで百歳まで生きた母にふさわしいと思ったのである。

自分の家族は複雑だった、だから母というとき何か普通の母とは自分にはならない
でも何か不思議なのはその方が自分には良かったのである。
母を嫌う子供がいるとき母のエゴがむきだしになるからである。
自分の母が一人だったらそうなった、でももう一人姉がいたのでそうはならなかったのである。だから母といっても普通の母ではないのである。

ただどうしても女性はその嫁ぎ先が家になるのではないか?嫁という字がそれを物語っている、実家を出たら他人の家が家になる、それでも「女は三界に家なし」とは

「三界」は、過去・現在・未来の三世のことをいい、女はそのどこにも安住の場はない、という意味です。

三界で三千世界とも云うこと、それは広い世界を意味し、この世の別名だと云うこと…。また、女にとって生まれ育った家は自分の家ではなく、嫁いだ処が家になる

これは時系列ではなく場所のことだろう。この広い世界に安住となる家がないということである。

だからまた嫁ぎ先の墓に入りたくないという人も多く夫が死んだら婚姻を解消して親戚とも縁を切り嫁ぎ先の墓には入らない、それが果して女性として幸福だったのだろうか?
今さら実家の墓に入るというのも時間がたったし別になっているのだから納得できない
そもそもまた実家で受け入れてくれるだろうか?
女三界に家なしとは嫁ぎ先にもなければもう実家にもないのではないか?

よくスピリチャアル関係では人が死んだらどうなっているかを言う、それはあくまでもイメージの世界でカルタシスのように作り出した世界なのである。
だからこれを信仰ととりちがえるのは良くない、それは勝手に死者をイメージしてなぐさめているのである。
死んで天国に行くとしても天国はそういう場所ではないからだ。

ただ人間は何か死者が何なのかいうとき死者とか語るというときそうなりやすい、自然の事物にも死者が投影されるのである。
だから葉山信仰では死んだ祖先は山に眠り春には田植えの時は里におりてくるというのもそうである。
死者が自然の中に生きているということで死者は死なずその土地に継続して生きる
つまりこの信仰は稲作かあって成り立つことでありそれは土地と密接に結びついて成り立っていたのである。土地から離れてはありえない信仰だったのである。
大和魂などというときも日本国という土着した魂のことである。
それは国土から離れてありえないのである。
一神教は砂漠から生まれたというときそうしたことはない、土地と離れてある信仰だからである。天に本当のホームがある信仰だからである。
地上では遊牧民のように家をもたないのである。

それはそれで死者を想うことでも人は年月がたつにうちに心境が変わってくるのだ。
だからプログというのはそうした環境の変化とか心境の変化を日々伝えることに向いている、一冊の本ではそういうことはない、あとからまとめて書くということになるからだ。日々変わることを伝えることに向いている、なぜなら環境でも心境でも日々変わっているからである。

死者でも二年目三年目とか5年目とか十年目とかで死者に対する思いは変わる
それで仏教では何回忌として供養したのである。
それで供養して金をとるというシステムを作ったのである。
ただそれも人間は死者を忘れられないということがあったからである。
先祖崇拝はそれで世界的に起きた最も古い信仰にもなる
でもその信仰とは本当の信仰は別なのである。

死者はどこにいるのか?それはやはり愛する人のもとにいるのではないか?
死者を想う人がいればその人の元にまだいる、そうなるのが自然だともなる
だから死者でも無縁仏とかなると誰も想う人がいないとなる
でも結局はみんな最後は無縁仏なのである。
子供でもやがては親が死んでも日常の生活に負われて忘れるからである。
ただそれでもなかなか忘れない人はいるから個々人によって違う
自分は特別な事情があって親を思っているのである。

ともかく死者も美化されやすい、生きていれば嫌な面があり一緒にもいたくないということが夫婦でも家族でもあった、死ぬとそうした嫌なことをなくなるから美化されやすいのである。
ただ死者がどこにいるかとなると墓にいるというよりは長く暮らした家の方にまだいるともなる、なぜなら家での暮らしが長いからである。
だから死んでも愛着をもっていることは確かなのである。

私は死んだ母親の遺影を飾っていますが、毎日話しかけている。
そうすると、そこに母親がいるのがわかる。

「その人がいる」と想い続ける限り、
 その人は「存在」し続けます。

これは単純だけど死者に対してどう対処するか簡潔に示している
死んでもその人を思っていればいるが想わなくなればいないのである。
それは死者に限らない、生きていてもその人を想わなければその人はすでに死んでいる、いないと同じなのである。
今生きていてもそうである。もしその人を憎むとしてもその人はいる
憎むということはその人にこだわっている、愛の反面なのである。
人は無関心になればその人は死んでいるいないのである。
生きていても死んでいるのである。

その人の逝きしもなおも面影の浮かびて見ゆる我が家にありて

どこに死者の面影が浮かんでくるかというとどうしても女性の場合は家になる
家が長く住んだ場所だからである。だから家がなくなることは死者も思いなくなるということがある。それが原発事故で故郷や家が消失したことの大きな精神的損害だったともなる

2017年06月15日

冬の貴婦人と薔薇の花 (フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)


冬の貴婦人と薔薇の花

(フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)

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「姉妹」

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「清楚」

壺と一体化しているのかフラワーアレンジメントである。
壺によって見え方が違うからだ

上のは壺があっていないのだ、ただ壺もそろえるとなると金がかかる
これらの花はスーパーですでにアレンジメントされたものだったのである。

単純なものでも映える、多くの花をさすとかえってだめにもなる

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冬の貴婦人

これはクリスマスローズとういうから薔薇の一種だけど薔薇に見えない



老鶯や長き土手道歩むかな

路地裏の曲がりし道や黒揚羽


駅にまた新たに花の植えにけり日々我ここに寄りにけるかな

華やかにはや薔薇は散りぬ石の蔭冬の貴婦人なお咲きにけり

蜂のきて夏蠟梅にささやきぬ庭の静かに継ぐ我が家かな

大輪の薔薇に向かいて今日も咲く百合の花かな朝日のさしぬ

移り来て住む人若し夏の日に薔薇明るく咲きにけりるかな

清楚なる紫の花壺にさし我が家落ち着く家族のなしも


何か最近いろいろ駅のボランティアなどして追われていた。だから仙台にも半年で一回しか行っていない、近くをぐるぐる毎日まわっているだけである。
原町や相馬市にも行っていない、なんかだんだん出無精になった
人ごみの中に出たくないとかなった、これも年なんだろう。
老人はあまり遠くに出歩くことに向いてない、家でじっとしているのがあっている。
行動範囲が狭くなるが深くものを観るということに向いている。

だから花というのは外で観るだけでなく身近で観ることが深く見れることになるからどうしても小さい庭でも必要になる
大きな庭だと管理するだけで水やるだけで手間になる、一人で家事全部しているし買い物もしているしできないのである。
自分のテーマは花でもあった、花は高山植物でも北海道でも見てきた。
北海道では花が見れるからだ。檜扇菖蒲なども見たしハクサンチドリも低地に咲いていたのである。北海道ともずいぶんご無沙汰している、20年くらい行ってない
10回くらいそれも一カ月くらいぶらぶら旅していた時がなつかしいとなる
北海道と沖縄は日本では外国なのである。風土がそうだからである。

冬の貴婦人は長く咲いている、目だたない花である。これが花なのかと思う
葉のようにしか見えないのである。ただバラが散ってもまだ咲いている
今年もずいぶん花は咲いたがその初夏の華やかな季節は過ぎた
すでに梅雨の時期に入ってきた。

フラワーアレンジメントは意外と壺が大事である。壺と一体化して花が映えることに気づいた、すると壺をいろいろ用意する必要がある、でも壺は高いからそんなにそろえられないだろう。自分が買ったのは安物だけど別に関係なくいい壺があった。
通販で買った、今はこういう点では便利である。何か買い物も自転車だとなかなか原町でも相馬市でも行けない、何か疲れるようになったからだ。
通販だとボタン一つ押せば配達してくれるから助かる、でもこういうのは買い物の楽しみがないというもいえる、ただ車がないと通販は便利だなとつくづく思う
重いものになると自転車では運べないということもある。
買い物のに関しては田舎でも不便はない、確かに実物をみるのが一番いいがそれができないにしても通販で買えることは田舎と都会の差をなくしたのである。

自分は都会には住めない、人ごみもいやだし騒々しいし嫌なのだ、前からそうだったけど老人になると誰でも都会は嫌になるだろう。
イギリスの貴族が田舎に土地をもつことだというときその意味がわかる
gentleman とはgentle とは静かな穏やかなという意味だからである。
都会ではgentle man にはなれないからだ。
冬の貴婦人ではないが本当の貴族は田舎に住むべきなのである。
田舎でイングリッシュガーデンのようなものを作り住める人が豊かな生活だったのである




八輪の牡丹

八輪の牡丹が我が庭に咲く
朝の光を吸い爛漫と咲き誇る
その栄えを誰が受けるのか
この家を築いた父と姉と母
しかしみな死んでいない
時にその牡丹の前にいる
明るく輝く咲く牡丹の前にいる
八輪の豊穣な牡丹
その前で満面の笑み
その家を栄えさせるもの
家々にその謂れがある
そを受け継ぐものは幸いなれ
ある町に一つの家が栄える
それには謂れがある
しかし富には何か呪いが隠されている
故にこの世の栄はつづかない
その豊穣の富を受け継げない
その後に石の陰にひっそりと
冬の貴婦人が咲いている
薔薇の花も華やかにいろいろ咲いたが散った
ただこの花はいつまでも咲いている
これは薔薇の花とは思えない
それから夏蝋梅の広い葉陰に咲いている
ただ一人自分だけがこの家を継ぐ
その日はまだ長いかもしれない
ここにじっくりと腰をすえて
その余生を実りあるものにしたい
花は尽きず咲いている
その花にあきることはない
それだけ花は豊富である






2017年05月31日

白藤(鹿島区小池の道)


白藤(鹿島区小池の道)

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石すえて菖蒲を奥に庭成りぬ

これは最近できた庭である。いい庭である。

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山高く迫りし朝や夏雲雀

故郷の昔を語る緑陰に

石すえて菖蒲の奥に庭成りぬ


白藤の散りてひそけきこの道に倒れし墓や名をとどめけり

白藤のさわに咲きける小池なるこの道今日も行きにけるかな

一本の木陰に菖蒲ここに咲き白き山藤咲きつづくかな

我が庭にまだ色づかぬ薔薇の花咲きしを見ゆかな朝の一時



白藤の花

白藤の花の散るかも
ありとしもなくあわれ
この道や小池の墓地へ
倒れし墓一つ名をとどむ
いづれは誰も墓の中かな
ただここに生きしと
墓に名をとどむもかな


この辺の山には高い山がない、でもなんか朝に高く見えた、それは気持ちで高く見えた
山は実際に気持ちで高く見えることがある、自然も人の気持ちが影響して見え方が違っている
健康であれば自然も力強く見える、病気になると気弱になると自然も萎縮するのである。

小池の脇の道は静かでいい道である。でもここを今はダンプが通るからまた田舎の良さがそこなわれてしまった。ただコモドインとかのホテルができたのは何もないところだから良かったとなる、まずいつになったら工事が終わるのかわからない
ダンプが裏の道でも突然来るから危険である。

だから詩にしたような感じは今はない、ただあそこの道があれだけ白い山藤が咲いているのはめずらしいと思った、この山藤は結構咲いている
ダンプが通らなければここは何か木陰になっていていい道だとなる
詩にしたのは家の庭の藤棚に咲いていた白藤である
その白藤と山藤は違っている

この道を行くと墓地がありそこに倒れた墓があったのもあわれだとなる
小池というとき古墳が多い、だから古墳を今も発掘していたし古墳を見に外から来た人もいたのである。
何かどこにでも町でも田舎で面白いのはさらに村ごとに地形的にも特徴がある

橲原(じさばら)村になればもっと奥になる、そのじさばらはジサの木に由来していたのである。
なぜここにこんなに山藤が咲いているのか?
もともとこうした森があり咲いていたのだろうか?人工的に植えたとも思えない
数が多いからである。

万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。

 木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。

エゴの木というのは多い、エゴの花は良くみかける、

橲原(じさばら)の名前はここに由来していた。やまぢさのぢさである。


なぜぢさとなったのか?万葉集を知った人がなづけたのか?めずらしい名前だから不思議だとなる、地名には何か古い由来がある。寺内などもなぜなのか?
寺があったからなのか、あそこにホトケッポという村の埋葬地があった
それも関係しているのか、寺内は古い場所でありそれから小池の方に広がった
小池はどうしてその名がついたのかこれもよくわからない、池とか関係しているのか?
小さな池があったからなのか?堤のことなのだろうか?

わかっているのは橲原(じさばら)はもともとエゴの木の森であり開けていなかった
ただ江戸時代には木材の供給地として村としてあったのである。

いづれにしろどこでも田舎の面白さは地形が違っていて村ごとに特徴がある
海側と山側では根本的に違っていることもある
この村ごとになると相馬市でも原町でもわかりにくくなる
大原とか深野はわかりやすいが他はわかりにくくなる
浪江とかなると村ごとにはさらにわかりにくくなる、細部がわからなくなるのだ。





タグ:白藤 山藤

2017年05月23日

菖蒲(原町の庭二つを見る)


菖蒲(原町の庭二つを見る)

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老鶯や畑耕して夕暮れぬ

新築の家次々にツツジ咲く

石の庭垣根に覗き菖蒲かな

石の蔵木一本に菖蒲かな

夏菊や六号線を原町へ

浪江まで電車の行くや夏の山

喪にあれや濃紫の菖蒲咲く


静かにも藤の花散るそのあとやひそけく我が通りゆくかな

一本の樹の影なして菖蒲咲くこの家変わらずここにありしも

新緑の森にあわどもその中に枯れし樹ゝも交じり立つかな


老鶯が鳴く、その鳴き声に合わせて畑を耕す女性がいる、その時間は自然の中にある。
原町にひさしぶりに行った、駅の方に行っていたし暑くて行けなかった
今日くらいの暑さはそれほど答えないみたいだ

原町も新築の家が次々に建っている、スーパーキクチの隣は新しい住宅街になった
鹿島も新しい住宅街ができた、原町は復興団地も10くらいできたのか?
広いからわかりにくい、今日は川子の森の道を通りパークゴルフ場を回り六号線を下り道の駅に出た
別にな何か見るべきものもないがダイユーエイトの隣の家の庭は良くできている
何か落ち着く庭の作りである。庭というのは一見しただけでは鑑賞できない
時間が必要なのである。それはなぜか?石というのは時間の中で見ないと見れないからだ
樹でもそうである。時間の中で心の中に定着できるのである。
石灯籠も塔になっていてあれも合っている
そして水が流れていないが流れるようにしていたみたいだ、堀のようになっている
この庭を垣根から覗くと菖蒲が咲いているのもうまく作られている
隠されるように咲いているからだ。

庭は家々で違っているのがいい、家はそんなに違うように見えない、ただ家は庭と違って住んでみないとわからないから評価しようがないのである。
庭は見ればわかるということがある。
原町の今回写真に撮った庭は古い家のもともと農家の庭である。
だから石の蔵がある家は古い、そこの庭は広い、藤棚があったがすでにみんな散ったのが残念だった
今年は藤の花を見ないうちに散ってしまった。駅の方にかかわったのと暑い日がつづいたこともある

あの広い庭の蔵のある家でもなんかこの辺では変動が激しいからなくなってしまうのかとさえ思う、あれだけの家に人が住まなくなったりするとそう感じてしまうのである。
普通だったらこの辺でそんなことは考えない、農家は何代もつづきそこにあるからだ。
なくなることなど想像もできないのである。

川子の森は日影になり気持ちいい場所である。近くにあういう場所があるのはいい
遠くになるとそういう場所があっても楽しめないのである。
ただなんかこの辺はそうした自然の場所も変わりやすいのである。
ソーラーパネルとか何か切られて宅地になることが多いのである。
それだけ変化が激しい場所なのである。
だからどこでもダンプが来るから自転車でも怖いとなる、まだ落ち着かない場所なのである。ただそれで人が外から入ってきてきているから活気がでているともなる
それでも相当に減ってきているし仮設のプレバブの宿泊所も壊されているのである。

ともかく今日の夏の日は暑くないから出かけることができた
何か気候が変わっているから困る、5月というといつも自転車で遠くに出かける季節だった、それがなかなか行けなくなった、疲れやすくなっているからだ
今日みたいだったらまだ行けるが遠くに行くの億劫になるのだ
今日は夏らしい夏だった、五月の夏だった、山脈も夏の山であり一応浪江までは通じた
浪江まで電車で行けるということはできる。

近くの知っている人が死んだ、同じ病気だったけど何かで重症になった
でも実際は十年介護していたのである。そうなると自分もそうだが疲れたとなる
その妻も老けてしまったとなる、介護は長いから苦しいのである。
十年となったら一昔になるくらい長いのである。その負担にまいってしまうのである。

菖蒲といったら普通は紫である。黄色の菖蒲は黄菖蒲となるのだろう。
庭は別に自分の庭でなくても鑑賞できるのである。日本の庭は垣根になっているから外から見える、格子のようにさえぎられていてもそこから見えるというのも風情がある。
ただ塀で囲っている所もありそうなると全く見えないからつまらないとなる
吉田兼好風に言えばそうして塀で囲った庭に風流はなくすさまじきものとなる
垣根はやはり日本独特のものである、外から満ちれてもいいという安心感があってできたことだからである。ヨーロッパの庭は塀で囲まれているから全く外から見えないからである。






タグ:菖蒲 夏の庭

2017年05月20日

(都忘れ)街中の空家の不思議 (空家でもまだ人が住んでいることを偲べる)


(都忘れ)街中の空家の不思議


空家でもまだ人が住んでいることを偲べる

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木漏れ日に蟻の歩める暑さかな

一畝をうない終わるや暑さかな

車輪梅の垣根や路次の家暮れぬ



鉄線の空家に咲くや路次裏の今日もこの道行きにけるかな

玄関に一本の松残りつつ都忘れの名残に咲きぬ

玄関に一本の松ここにしも暮らしのありし路地裏の暮る

車輪梅の垣根を作りここに住む人のなしかも花は咲けども

雨戸しめそのままなれや空家かな昔住みにし人をしのびぬ

路地裏の道に明るし夏の花咲きしもここを行く人のまれ

夕暮れや空家の庭に紫と白の菖蒲の咲くやいつまた来なむ

いくつかの石の並びつ淋しかな空家の庭や今日も通りぬ

庭の石位置は変わらずここに住む主を待ちぬ久しかりけり



この空家の不思議は何か?古い小さい家だけど狭い庭だけど良く作られている、ジャングルのように木とか葉でおおわれている、そこに花が咲いている、鉄線の花だった
垣根は車輪梅で作っている、車輪梅はこの辺では南限の地に咲くとして海老浜で有名だった、この辺では車輪梅は良くみかけるのである。

玄関に一本の松がありそこを出入りしていたのである。客も迎えたのである。
この空家の不思議は庭が良く作られている、狭いけど庭が丹念に作られている
花もうまくあしらい咲いている,樹々の葉がまるでジャングルのようにおおっている
これは狭い庭だからかえってできたことである。

この家には誰が住んだのか?ここにも生活があったのである。
ただ近くの人はこの同じ町内に新しく家を建てて移ったのだという。
でもこの空家は本当に空家らしい空家なのである。

もう一つの空家は家は古くなっていない空家には全然見えない、実際にその家は時々持ち主が帰ってきてみているのである。
そこに紫と白の菖蒲が咲いている、それをみているのは自分である。

毎日こうして街内を行ったり来たりしている、すると空家でもここには誰が住んだのだろうかと思うようになる、やはり人間は住んでいればどんな場所でも一体化するのである。空家でもやはり人が住まなくても以前としてそこに人が住んだとしてその家と庭からまた人を思ったりするのである。

つまり空家になっても更地にならない限りなにかしら人の住んだとものとして跡をとどめている。だから取り壊されない限り幽霊屋敷のようになっても家があれば以前としてそこに住んだ人を思うのである。

そしてもう一軒の空家は一〇年とか二〇年とか空家になっていたかもしれない、でもやはり時々帰ってきている、それもなぜだろうとなる。
そこには淋しく石が昔のままに置かれて家族が帰るのを待っているのである。
石も人間化しているのである。だからその石は自然にある石とは違うのである。

空家というとき避難区域になったところは空家だらけである。
そして空家が全国で八〇〇万軒になっているとか異常な事態でもある
だからどこでも空家が目立つ、避難区域はそもそも空家の街となってしまったからである。
空家でもいろいろあるがこの空家は庭がいいしここに住んだ人が風流人とかでもなくても何か庭を自然を愛した人かもしれない、花を愛した人かもしれないとなる
この家も壊されればここに住んだという記憶が失われるのである。

避難区域で空家だらけだけどその空家は前に住んでいた人を待っているのである
家もそうだが庭もそうである。時々帰ってくる人があれば完全な空家ではないのである。ただ人が帰るのを待っている一時的に空にした家だとなる

ともかく狭いところでも日常的に行き来していると一体化してゆく
だから年取ってからはあちらこちら旅するというよりこうして一定の場所にいて観察した方がいい、遠くでも一週間とか住んでいるのがいい、するとその土地のこともわかってくるのである。

女性が畑を耕していた、夕方でも今日は暑い、そういう姿をみていると食べ物でも貴重だと思うのである。苦労して作っているんだなと見るからである。
でも機械で自動的に野菜でも何でもとれたらありがたみがなくなってくるのである。
誰も機械には感謝しないからである。
ともかく今日は暑くて外に出れなかった、何か暑さに弱くなっている
疲れやすくなっている、だから今日は一回しか外に出なかった



2017年05月19日

シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない) (街作りのテーマ)


シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない)

(街作りのテーマ)

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この通りを歩いている人はほとんどいない

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こっちの薬屋は今は行っていない,近くのツルハに行っているからだ


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ここは新しくできたアパートである。

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草原の夕べ明るし夏雲雀


新しき家やはやも草伸びてシャガの花咲くこの通りかな

木陰の道を我が行き来しシャガの花新しき家に咲きて暮れにき

夕日さしシャガの花咲き庭に石新住宅街や街の変わりぬ

色濃くも菖蒲の咲きし通りかな人行くまれに我が今日も行く


なんか前からそうだったけど街でもその回りでも自転車で回っている、まず駅に行きそこで案内したりする、鹿島にボート工場があったの?東京から本社から来る人を迎えに来ていた。他の会社でも駅に迎える来る
それからキクチスーパとシシドスーパーとツルハをドラッグストアを回る

外食は今度は小池のコモドインにしている、距離的に原町になると遠いがあそこは町内だからいい、そしてそこは町から離れているので気分転換になる
外食がうまいものを食べるということもあるが気分転換の効果もある
だから本当はながめのいい郊外とかがいいのである。
街内だとそれがない、それでも仙台辺りは並木があり緑がある
でも最近はまた仙台にも行かない
なんか遠くに行く気力がなくなった

深野のユッサもいいが距離的に遠い、自転車だと遠くなる、最近疲れやすくなるから行きたくなくなる、鹿島で暮らして問題なのは外食する場が限られていることである。
仮設ではもう一軒しかないがメニューが限られている
それでコモドインは日替わりがあるからいい、駅にいると食事したいという人がいて
駅前の鈴木食堂による人がいる、あれを考えると昔は駅前は人の出入りが多かったから駅前で商売になることが多かったろう。
ただ仙台を往来する人が三倍に増えたということはいいことである。

鹿島は前に街作りとして新しい通りを作った
川沿いだがあそこは通りとしては新しいし気持ちいい場である。
木蓮が咲いたり通りに花を咲かせている、川が近くだし自然景観もいい、駅前から昔の旧道は自然景観は良くないからだ

ただその新しい通りがほとんど活かさていない、店がほとんどない、それはどこでも同じである。だから歩いている人はめったにいない、ただ車が通りすぎるだけである。
だから何か淋しいという感じがする、でも通りを花で飾っているのである。
スーパーとかにないものは通りには自然が活きていたり通りを歩く楽しみとかある
それがあれば楽しいとなる、前は喫茶店があったみたいだがやめた

結局街というのはある程度の人口がないと何をしてもうまくいかないだろう。
人口一万では発展しない、少なくても二万あればそれなりの街になるかもしれない。
ただ鹿島区は新しい住宅街ができた、だから人口は減っていないが高齢化もあり活気があるとはいえない、これはどこでも同じだがやはり一万の人口の限界現象がある
だから新しい通りを作っても活かせないのである。

ただ鹿島区は何か都会化したと感じるのは新しい家が増えたためである。
その家の数が多いからである。小池辺りでも増えたしあの辺は田んぼだったが住宅地になった。そこにコモドインなどの復興関係のホテルなどができたから都会化した

基本的に街が死んでいる通りが死んでいるというときそれはシャッター通りになっているというとき車社会になったからでありそれをあからさまに批判している本がでていた
「成熟社会」とかの本である。
今思潮として高齢化した結果、昔のような近隣関係とかコミニュティとかの回復を言う人が増えてきた、それを破壊した一番の原因が車社会になったことだからである。
ただ車をもたないとか車社会を批判すること、それが社会の歪みをもたらしたことはあまり言わない、それは原発に反対できないのと同じだった
車社会に反対するというとき車をなくせということではない、何らか制限が必要だということである。

だから交通にしてもバスとか何かそれに変わるものが必要である。駅にいるとそこからの足がないからだ、だから車で迎えに来る人が多い。
都会でかえって車なしで生活できる、鉄道網がありかえって効率的になる
田舎は広いから車なしでは住めない、ただ街内に住んでいればなんとか住める

人間が住みやすい場所は必ずしも田舎ではない、田舎的ものと都会的なものが調和した場所なのである。田園といってもそこに都会的なものがある場所である。
だから鹿島に欠けているのは外食するレストランなどがないことで一人暮らしは困る

いづれにしろ奇妙なのはシャガの花となると何か山の中の人気のない所に咲くものだと見ていた、そういう感じの花である。それが新しい通りというか住宅街に咲いている
そしてすでに草が伸びてそこに咲いている
このことが何かこの辺の変化を現している、都会的なものと田舎的な幽邃なものがあるとなる、あまりにも都会化した場所にはシャガの花はにあわないからだ

雲雀というとき草雲雀とかあり草原ににあっていた、田んぼより草原ににあうのが雲雀だったのてある。この辺は海側がまだ草原なのである。
この風景も前から不思議だった、草原とういモンゴルになるからだ
モンゴルの風景が一部ここに再現されている不思議である。
ただあとはソーラーパネルになっている、でもあそこだとソーラーパネルはそれほど目立たない、飯館村は森の国でありその山に森を削ってソーラーパネルにすると目立つのである。景観が破壊されるのである。

ともかく津浪や原発事故以降景観までこんなに変わることの驚きである。
それで新しい経験をしているということもある
今日あたりも快晴だけど暑いし日ざしが強いと最近疲れる、紫外線は体に良くない
そういう点で老いを感じる、おそらくなぜ昔を回復しようとする思潮が出てきたかというと高齢化社会は歩く生活とか近接社会とかそうした昔のスロー社会とかに向いているからである。若いときは高度成長とか大都会が向いている、高齢化社会にはそうしたかえって活気あるものと見えたものがあわなくなっているからである
ただやはり人間的活気も必要でありそれが通りにないからもったないと感じるのである。

2017年05月12日

初夏(小池の横峯堤(つつみ)は広い)


初夏(小池の横峯堤(つつみ)は広い)

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寺内の横峯堤

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パノラマ写真-クリック拡大

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小池の墓地とコモドインホテル



葉桜の風にそよぎて小池かな

葉桜の影や小池の墓地の朝

八輪の牡丹の散りし虚ろかな


知る人の今日も畑にありにしを我は成すじも実りを思ふ

八輪の牡丹の散りてそのあとに緋色の牡丹我が家に見る

横峯の堤の広く藤の花隠し田なれや朝風涼し

白藤の咲きにし家や今日来ればはや散りにしを街にもどりぬ


小池の横峯堤は広いから気持ちいい、そこに隠された道があり堤の反対側に行くと
小道があり田んぼがあった、藤の花も咲いていた
別に堤がありこの田んぼのために作ったのか、そこには田が二三反なのかあった
ともかく日本は田を作る、狭い所でも田を作る、そうすれば米がとれるからである。
あそこは隠し田のような感じにもなる、日本ではあのように隠れるようにしてある田が多いのである。
こんなところにも田があるのかとなるのが多い。

小池も変わった、未だに仮設もありプレバブの宿泊所がまたできたりあのコモドインというのが一番この辺では意外なものだった
あれでも最新のホテルなのである。復興用にしてもホテルまでできるとは思わなかった。あそこのカレーはうまい、料理人が朝食と夕食を出しているからだ
食事が出るということそれが料理人がいて出しているからいい、普通はビジネスホテルとかなると食事は出さない、復興用だから食事が必要となるからかもしれない。

今や夏になった、暑いので熱中症気味になる、今年咲いた八輪の牡丹は散った。
そして鉢植えの緋色の牡丹が咲いた、今の時期いろいろな花が咲く
知っている人は毎日畑に行く、暑いときは朝に行く
でもそこで何がとれているのかほんのわずかなのである。
その人自体ほとんど野菜でも買わなければ生活できないのである。
その金を誰が供給するのか?

ただ豊かになるとベーシックインカムが現実味を帯びてくる
無理して嫌な労働はしない、それでも人は生きがいを求めるし労働をすることは確かである。それが暇になった退職したシニアがボランティアを求めていることでもわかる
毎日何もしないということに何か社会にとって無用にされることに耐えられないからだ
高齢化社会の問題はその数が多いということである。
その数の多さが圧力になる、高度成長の時は団塊の世代は数が多いから活力となったのである。高齢化社会でも同じなのである。

鹿島でも本当に変わった、寺内の孟宗竹の林も切られた、整地して売り出してまた家が建つのだろう。とにかく新しい家が次々に建つのである。
その新しい家が何百軒ともなっている、だから何か都会化したのである。
それでももともと一万くらいの町だから自然は豊かだとなる

今日鹿島駅で東京から来たのは鹿島カントリークラブに来た人である。
一年に一回くらい来るという、あそこはいいですかというと環境的にいいという、
東京から来るとなると金持ちなのだろう。
それでも金を落とすからいいともなる、仮設の人が金が入って消費しているから助けているのよというとき今の時代だったら原町まで4000円でタクシー利用してくれれば会社では助かるともなる
でもその金がいつまでつづくのか?年金とも違うしいつれは枯渇する、その時どうなるのかと思う。確かに小高の人が国民年金ではやっていけないから生涯補償する年金をもらいたいというのは誰でもそうなのである。
でもそれなら南相馬市全部で要求すれば文句は言わないが小高ばかり要求したら不公平だとなる、それは前からももめていたことだからである。


2017年05月11日

老鶯、夏の月(里に老いる)


老鶯夏の月(里に老いる)


老鶯や共に老いゆく里のあれ

老鶯や堤の広く里暮れぬ

田の増えて蛙も増え鳴く夏の月


今日の夜は夏の満月である。そして鹿島区では田んぼが増えた、だから蛙が増えて鳴く声も騒がしくひびく、田んぼが増えると蛙ももどってくるのである。
去年よりもまた増えているから農業も相当復興している、ただ山の方は田んぼにしているのはまだ少ない、田畑でももう跡継ぎがない所は荒地のままでありそれは別に利用するようになる、大きな畑にした所は会社経営にするとか言っていた。
小高ではそうするというとき個人の家ではやれなくなっているからだ

横峰の堤は広々としている、そこに夏になれば老鶯が鳴く、夏鶯と老鶯の受ける感じは相当に違う、老鶯というときどうしても老いたなるから老人をイメージするのである。
だからこの俳句もできた、高齢化社会というのはこれからさらに社会の問題になる
そもそも高齢者多いということはそれだけ社会全体に圧迫する、人口圧力が大きくなる
すると社会全体が高齢化社会になるのだ。若い人は何かかえって目立たないのである。

団塊の世代は若いときは今とは全然違う、暴力的になったとしてもその若いエネルギーが社会に噴出していたのである。それだけ若い人が多く日本は若い社会だったとなる
高齢化社会になるとこれは未だ経験しないものであり社会自体が高齢者に老人基準になるのである。それは停滞した活力のない社会ともなるがまた反面落ち着いた社会とか今までにない社会になる。

老いゆくというときどうしても共に老いるということで長く住んだ所に老人は住みたいのである。老人になるとなかなか新しい場所でも知己でも得にくいのである。
ただ別に老人になってもかえって今まで知らない人とも交わるのも増えている
老人ホームに入ったらそこでは今まで知らない人たちが一緒に暮らしたりしているからである。

この辺は小高とか浪江とかの老人と知り合うようになったのもそうである。
普通だったらあまり交わらないからである。元の相馬藩内で人が交わるようになったのである。近くの仮設に住んでいるから当然そうなる

老いるというときやはり里に老いるというのが自然である。
その里というとき街ではない、田んぼとか畑とか自然な生活のある所である。
そうなるとこの辺でも原町とかなると大きな街になるから里とはならない
鹿島、小高はまわりが田畑がら一万くらいの町だと回りが里になっているのである。
だから原町とか相馬市に暮らすのとはまた違った感覚になるのだ

前にも詩にしたが森の樹々がともに年輪重ねて老木となりやがて森に倒れ木となり還ってゆくという感じになる、ともにそこに年月を重ねた木なのである。
そこに木の連帯感が生れていたのである。


老木の語ること(詩)
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2017年05月07日

庭の石の意味するもの(詩) (震災以後変化した街の様子)


庭の石の意味するもの(詩)

(震災以後変化した街の様子)
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これは原町だけどこの石は大きいし貫祿がありいい石である。
石にも個性がある、この石は見ていると心も落ち着く
これも新しく建った家のなである

庭の石の意味するもの

一つの石が据えられる
動かぬ石が据えられる
それはこの土地に生きる標
そして庭に花が咲く
赤いつつじが燃えるように咲く
その石の陰にひっそりと咲く
冬の貴婦人は目だたずに
また新しい家が建ち
ここに住む人がいてシャガの花が咲く
一つの石は定着する意志
ここに生きようとする意志
ここに根を張る意志
木を植えるのもまた同じ
土地に根を張り育ち花が咲く
人のいない空家に残る石
その石が淋しいのは
そこに生きる人がいなくなり
そこに人の生きる意志がなくなったから

庭というときその意味するものは何か?それはやはり思想がある。
庭作りするとき必ず石をすえるとき石は何を意味しているのか?
石は定着するその土地に生きようとする意志なのである。

この辺で不思議なのは次々に新しい家が建ち人が移ってくる
その人たちはここに前から住んでいる人ではないだろう
いくら津浪の被害があってもこんなに家が建てられないからである。
アパートに大東建託もまだ建てられている、15棟くらいある。
これにも驚きである。そんなに入る人がいるのかとなるからだ
いわきナンバーが多いときやはり浪江とか大熊とかでも移ってきている人がいるからだろう。復興住宅も浪江の人がほとんどだからである。

仮設になると庭もないしそこに仮りにいるというだけになる、でも一軒の家を建て庭に石をすえるとここに定着して住むとみる
だからこうして新しい家を見ているのが不思議だとなる
この辺はほとんど変わらない町だったからである。
いつまでも西町の70坪700万円の土地は売れていなかったのである。
それがたちまちに一つの新しい街に変貌したのである。

一方で小高区とか浪江町でもそこは家が空家になり人が住まなくなった
人が住まないと家も死んでゆくし街も死んでゆく
それは近くに人が住まなくなった家がある、その庭は結構いい庭なのである。
でもその石を見ているとなんとも淋しいのである。
石が淋しく感じるというのも不思議である。
つまり庭に据えられた石は人間になっていたのである。
それは自然の石とはまた違っていたのである。
だから人が住まなくなったとき余計に淋しものを感じたのである。
あそこの家は時々帰ってきてはいるから何なのかわからない
連休には車で帰ってきていたが日頃は誰も住んでいない空家である
だから完全に空家ともいえないのかもしれない。

ともかくこの辺の不思議は原町とか鹿島にはこうして新しい家が次々に建っている
原町は広いからもっと建っているだろう。復興住宅でも規模が桁違いだとなる
だから人口は南相馬市で6万くらいになっていても減っていても実際の人口は違う、
まだ除染でも工事関係者も来ているし外から浪江からなど入って来た人か多いから
一万くらいは南相馬市の人口になっていない、だから7万くらいあった元の人口とさほど変わらないかもしれないのである。
鹿島区になると人口も一万となるとさほど変わりないしスーパーも二つできて良くなっている
コモドインなどホテルも小池にできたことは何か都会化したなと思う
一万といっても外からきて住民登録していな人がかなりいるとなると1万より1000人なのかわからないが多くなっている
やはり人口でその市町村の規模を見るとわかりやすい。

とにかくこんなに大きな変化を経験することはなかなかないことだろう。
小高とか浪江とか避難区域になったところはこの逆であり極端な変化になった
家が空家だらけで街がゴーストタウンのようになっている
その差が大きすぎるのである。だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも金のある人は家を建てているのである。
するとますます小高とか浪江とかに帰らない人が多くなる
何かそういう大きな変化にとまどってしまう。
ただ原町とか鹿島は避難区域となったところとは違い今は街自体は影響を受けていないのである。




2017年05月06日

つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった) 増えた新築の家に花が咲く


つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった)


増えた新築の家に花が咲く

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ユッサの庭-クリック拡大

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冬の貴婦人




石すえてつつじ燃ゆるやユッサかな


新しき住まいを得てそ住み着くやシャガの花咲き通う道かな

藤の花緋色の牡丹蔵ありし昔栄し街中の家

石により冬の貴婦人淋しきを星型の花回りに咲きぬ


原町のユッサは本物の温泉だった、この辺では温泉は湧かないからただ普通の水だと思っていた。となるとあの温泉はこの辺では貴重だとなる
この辺には温泉はないからだ。湯本から北はない。
それで今度できる新地の駅前の温泉も価値がある。
あれはまだ工事はじまらないからいつできるかわからない
ともかく本物の温泉にはこの辺では入れない、それで700円とか高くなっていたのである

庭にツツジが赤く新緑だった、あそこの庭ももっと見栄えのいいものにするといい
今回はつつじが咲いてそれが温泉とあっていたのである。
それが本物の温泉だということで価値が生れた
すいたときに入ってみてもいい、自分はあそこでは入ったことがない
700円は高いと思ったのである。でもこの辺では本物の温泉は近くで入れないから価値がある。

鹿島区の街中に白藤が咲いて緋色の牡丹が咲いた、その家に蔵があるということは古い家で昔栄えた家もしれない、一方でこの辺では新しい住宅地が広がった
ダイユーエートの近くにも新しい住宅地が生れた、それは比較的安い建て売りである。
2300万円とかで売り出している、それでも日本の家は高すぎるのである。

今家建ててるなんちゃらホームもほとんどアブナイんやで上物で3000万なら 
純利益は1000万こえるんやでボウズ丸儲けなんや

これは本当かどうかわからないけどこうした内部情報というか実際にたずさわった人が言うとき信憑性がでてくる、そんなにもうけるから日本の家は高いとなる
ただ建て売りは土地こみだから高くなる、あそこの土地は500万くらいしていたからだ
するとそれほど高いとは言えない、他は高級住宅街となった、三つくらいそういう街が生れた

そこにシャガの花が咲くというとき街として見るとまた不思議に感じる
シャガの花は山の村のようなところに咲くのがあっていると思ったからである。
でも街の中に咲いてもそれなりの情緒が生れていた
仮設にはやはり庭でも何でも仮の宿で落ち着かないしにあわない
でも一旦庭ある家に住むと落ち着いてここに住み暮らすんだなとみる

なんか毎日街を回りを見て歩く、遠くに旅しないと回りを良くみる
白藤に緋色の牡丹が咲いていた家は古い家なのだろう
蔵がある家は古い家である。街中にはあまりないからである。
なんらか昔なら街中でも栄えていた家があっても不思議ではない

いづれにしろこれだけ新しい家ができたことの変化もまた驚きである。
この辺はほとんど変化がない世界だったからである。
西町の70坪700万円の土地が売られていたがいつまでも売れることもなかった
それが次々に新しい家が建ち新しい街ができてゆくことには驚きである。
それは別に悪いことではない、特にいい庭に花が咲いていると鑑賞できるからいいのである。つまり家でも庭が整備されてきれいであり花が咲いていると街全体の美観が良くなるのである。
街中でも郊外でも今の時期は花めぐりするのがいい、今が一番花が映える季節だからである。

2017年05月05日

小池の墓地を見て帰る (コモドインの近く)


小池の墓地を見て帰る


(コモドインの近く)

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小池なる墓地の木陰に休みつつここに眠れる人し思いぬ

墓一つ倒れてありぬ参る人なきや我が見て街に帰りぬ

名前のみ墓標の八つここに生く人のありしも誰がかえりみるかも

白藤のさわに咲きにき小池にそ住む人あれやひそかすぎゆく


墓地と桜

一つの墓地に花は散りにきあわれかな
ここに眠れる人は誰なれや
生きてあるとき華やかなる時もあれ
たちまちに花は散りにき
そして墓に入りにつ語らざるかな
かく時の移りは早しかも
いづれはみな墓の中なり
墓に入れば騒がずや
花はみな散りにけるかな
月こそいでてここに眠れる


小池のコモドインの近くに墓地がある、結構広い墓地である。小池で何か見るのかというとき外から来た人は古墳を見てきたという、鹿島区だと古墳が目立つから見るようになるあとは撮り鉄であり鹿島駅とかは古いものだから撮ってゆく、他にも小高ともありその人たちは仙台から車できて写真を撮ってゆくのも変だった
鉄道マニアだったら電車に乗るべきだからである。
ただ写真をとるとなると場所が問題になるから車で来ていたとなる

古墳も墓だとすると自分が小池で見るものはなにかとなると墓だけだとなる
小池の墓地は桜の木があっていい場所だった、墓地も広い
嘉永とかあったから江戸時代からあった墓である。田舎の墓はたいがい江戸時代からつづいている墓である。鹿島区の街中にある墓地でもそうである。

倒れた墓がありあれは誰もお参りもしない墓になった、墓はそれでもかたづけるわけでもなく残っている、個人墓であり姓と名前が記されている、古い墓は個人墓であり夫婦墓が多い、他に八つくらい道標がありそこには名前だけが記されている
そういう墓は使用人なのか?それとも兄弟なのか姉妹なのかわからない
そういう墓はどこにでもある

墓になぜひかれるのか?それがやはり人間の無常を示しているからである。
でももしその人が生きていて出会っていたらいい感じがしないとういことはある
死んでみてなにかあわれだとなる、人間は死んでみると本当にはかない
最近近くで十年介護していた夫が死んだ、それも生きている時は長いが死んでみるとつくづくみんなあっけないなと思う
最後は墓になってわずかに名前が記されていても省みる人もなくなるのである。

小池の墓地がある所は工場もある、ただ何を見るかとなると墓なのである。
それは古墳でもそうである。この墓に興味をもったのはコモドインに食事に来るようになってからである。つまり何かに興味を持つのは意外とただ昔だけではない、今が関係している、コモドインという所でランチを食べに来ているとあの墓地を通るから関心をもつようになるからである。だから山奥になるとなかなか行けないから日常的には関心をもてないのである。


あっけない死

近くにまた人が死ぬ
あっけなくころんりん
ええ、あの人が死んだ
あっけなくころんりん
同じ年だった
もう還らぬ人
あっけなくころんりん
死んだらみんなあっけない
あんなに気丈夫な人も
あっけなくころんりん
病気と老いと死には誰も勝てない
こんなにあっけないのか
今や老いれば次々に死んでゆくだけ
あっけなくころんりん
死んで何を残すのか
何にも浮かばない
泡のように消えただけ

人間は死んでみるとみんなこんなものになることの不思議である。
死ぬまで大騒ぎしても死んだとたんにこんなにあっけないのかとなる



2017年05月01日

春の日の平和な風景 畑に孫と座る女


春の日の平和な風景


畑に孫と座る女

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建物は復興住宅

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川岸の家の近くに四十雀が来る

クリック拡大するとはっきり見える


春の日や畑に孫と座る女(ヒト)

鶯や手押し車に行く土手の道


なんでもない光景が平和である。孫と一緒にばあちゃんだろうか、座っている、その光景は何を意味しているのか?
次代を継ぐものとここで暮らしたものとの連続性を示している
一方で農業は金にならない、苦労ばかりだからやるなというときそこに世代のつながりが断たれる、そういうことは別にしてこの光景が何か平和を感じた
なんでもないことがこの辺では貴重なものとなった
ただあそこの畑の回りは荒地になっている、キジとかも前よりは多いし知っている人の畑も鳥に食われたとかなんとかある。
つまり農業とかは実際にしてみるのと何もしないで見ているのでは相当な差がある
労働でも外から見ているのと実際にしているのでは違う。

ただなぜその光景が平和を感じたかというこの辺ではそういう風景が一時失われたし避難区域になった所では今も失われたままである。
なぜなら若い人は流出して田畑は荒地になってしまったからである。
この辺も一時はそうなっていたのである。でも回復してこういう風景が見れるようになった、ただ前の半分くらいしか回復はしていない、やめた人も多いということである。

人間はやはり自然と溶け込むときそこに自然なもの平和を感じる、手押し車を押して川の土手の道をゆく老女を見るときもそうである。
それは自然の一風景となって自然にとけこむ、それが病院とかなると無機質な空間となり人間的でなくなる、だから都会などでも平和を感じない
自然がないから人工的空間だからなごむものがないのである。
ただ人は仕事に追われてせわしくしているだけだとなる
仕事しているにしてもそれが自然の中だったらこうした平和を感じる

ともかくこの辺ではなんでもないありふれた日常が奪われたのである。
それは別にありふれたことだから貴重なものとは思っていなかったのである。
老人と子供世代と孫は離ればなれになり分断された
だから避難区域ではこのうよな光景は見れないのである。

技術でも自然と調和したもの、水車とかなら良かったのかもしれない、ただそれはノスタルジックに回想するだけで電気なしの生活はありえないのが現代である。
ただ江戸時代の風景を見たら平和を感じるだろう
小川すら今は堀りになりなくっないるのも自然がそこで失われているからだ
不思議なのは車は自然の中にとけこまない、車を俳句にしたりすることはないのもそのためである。
車を風景の中に絵でも描かれているのはまれである。車は自然に適合したものではない
何か突然空間を引き裂くように車が突っ走るのである。それはバイクでも同じである。

何か自然に反するものがとどめなくあふれさせた、そこに制限があっても良かったともなる、車が必要でもそこに制限が必要だったともなる
車社会は社会そのものを変えてしまった、その影響があまりにも大きすぎたのである。
技術は明らかに何でも無制限に取り入れるものではなかったのである。
つまり技術は制限が必要なものでありそうしないと社会の調和も破壊されるのである。
それは原発でも同じだったのである。
技術だったら科学だったら何でもいいとなり取り入れることが危険だったのである。

そんな風に見ているものはまれだがそれが人間の感性の異常をもたらしているのかもしれない、キレル老人などというときそもそも車というものはとキレルものだからである。
車社会というときそのことが実は平和ではないということもある
電車は撮り鉄とかいるように自然の中で映えるのである。
車にはそういうことがないことでもそれがただメカになっているためだろう。

いづれにしろ何か人を見ても広い庭があるのにただ何も手入れもしなくて何もなくてもいいとか言う人がいる、小石でもまけば川の感じがでる、そういうこともしない、そこに風流心がない、女性でも花に興味がない人もいる、生け花もしていない
何か風流がないというときそれも人間として大きく欠けているのだ
それは別に田舎で暮らしていても風流と関係ない人は普通にいるし多い
だからとやかく言うことでもないが何か淋しいとなる



2017年04月29日

春の雷(コモドイン(小池)から牛越城へ)


春の雷(コモドイン(小池)から牛越城へ)

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鹿島区横手の老木


春の日や老木ここになお生きる

家の前タンポポにスミレなごむかな

道草や少女手にする八重桜

菜の花を手にし畑におばあさん

コンビニに新緑映える小池かな

牛越城空打ち曇り春の雷


小池なれ桜は散りぬその後の墓地の静けさ誰が眠るかな

山桜残れる花の我が帰る道に一ひら散るあわれかな

山桜風にゆれにき牛越城五年ほどして移る城かな


小池のコモドインでまたカレーを食べた、エビフライを頼むと三〇〇円になるが今は百円割引している、入っているのはやはり二人くらいだった
あそこで食事するとなんか不思議である。あんなところにレストランがあることはイメージもできなかったし現実にそこで食事する経験がまた変化だった
この辺はとにかく変化の連続だったのである。それは全部悪いとはならなかった
津浪の被害などはそこで家族を失った人からみると最悪だった
原発事故もいいものではなかった、これも実際は最悪だった
ただあそこにレストランができたのはこうした事情で復興のホテルになったからである。鹿島区は前より街が良くなったのである。
ただ駅前とは前の通りとかはそのままであり何も新しいものはできていない

小池にあるコンビニによるとそこに小池は自然は豊富だから新緑が見える桜も見える
すると何か新鮮な感覚になる、都会的なものと自然がマッチした風景になる
今までは田舎的風景しかなかったからである。
景観を重んじる自分は自然の風景の中にレストランなどがあれば憩いの場ともなる
ただコモドインの向かい側は何か倉庫なのか工場なのかいいものではない
コモドインの近くにあったのはあとは墓地だった、でも桜が咲いていた
その桜も散っていた、何かこの辺に名所というのがともしい
だから墓地が目立ち自分はその墓地を見て回っていたとなる
そこから郷土史に興味をもったとういことがある

牛越城は五年で移った城である。でも一応そこに城としてあったことが歴史となっているから違っている、低い山でもそれが要害の山であり城となっていた
人間はやはりそこに城があったとなると見方が違ってくるのである。
単なる山とは見ないからである。今日は春の雷がまた鳴った、春の雷は夏の雷とは違い一回か二回しか雷鳴がならないことで春の雷なのである。

あの老木は天然記念物のようなろ老木である。あれは本当に生きているのだろうか?
大原にも老木がある、どこにもこうした老木はある
それは何を意味しているのか?その土地に根付いた老人をイメージするのである。
古木より老木となると老人をイメージするのである。
つまりどこの村でも昔は老人がいてそれが何かしらその土地にあって生きていたのである老人は昔を語りその土地のことを語ることなど何か意味あるものとしてあった
ただその時老人は少ない、もう60くらいで相当な老人になっていたかもしれない
あとは死ぬ人が多かったからかえって貴重だったということもあったろう。
そういうのが自然村であり人間も自然的に生きるということがあった。
今はなんでも不自然なものとして生きるのが文明なのである。

俳句というときこれは写生であるがなんかただ記録しているということもある
写真がない時代だとそういうことがあった
ともかく人間は忘れやすいからた、だから書くということは記録することなのである。
プログは日々感じたことを記録するということが基本にある
今日何をしたか、何を感じたかなどである。
それをあとで深化して詩にしたりするのである。

駅の前は小学生がいつも通る、八重桜が咲いていて少女が手にしていた、そういうこは少女しかできない、極自然なものなのだがそこになごむものがある
ばあさんではないが50代くらいの女性かな、手にしていたのは菜の花だった
これもあっていたとはなる、いろいろな花が咲きだす季節である。

近くの神社で祭りがあった、踊り手の少女がいた、この辺にあんな子供がいたのか?
なんか今は隣近所でも関係が希薄である。すると神社なども関心がなくなっているのだ。自分は介護十年していてその間に社会から遠ざかった
介護していると何かその関心が狭い範囲に閉ざされのである
常に介護している人に注意を向けねばならないからだ
介護なくなったとき回りのことに注意を向けることができるようになった
介護というのはそれだけ負担が重く人間を異常化させていたのである。





2017年04月27日

桜は散り今年の春も逝く (枝垂桜の咲く家(詩)


桜は散り今年の春も逝く


(枝垂桜の咲く家(詩)


枝垂桜の咲く家(詩)

桜ははや散りにき
幾度かの風に散りにき
この道を今日も行けば
残れる花のあわれかな
とある家の枝垂桜や
夕日のさして
庭に石の落ち着く
ここをよしとて
居を定める人のあり
河原に鶯ないて
我が行き来するかな


今年の桜は終わった、外に桜を見にゆくこともなく終わったからめずらしいとなる、何か出かけるのが億劫になった
新しく建った家の枝垂桜はいい、あの家の庭はいい庭である。垣根だから丸見えである。庭は別にその家だけでなく外の人も見るからいい庭だと外の人にとってもいいとなる
塀に囲まれているとそうした庭も見えない、垣根だと外から見えるからいいのである。
それは日本的であり日本が安全な社会だからである。
外国では分厚い塀で囲まれているからだ。無防備では住めないからである。
そもそも街自体壁で囲まれているのが外国の街だからである。

日本はやはり季節の移り変わりに感じるものがある。
桜が咲いたと思ったらもう散ったな春も終わりだなと感じる
その季節感の故に季語が発達して俳句が生れた
残る花という季語も生れた、こういうふうに微に入り細に入り季節の言葉があるのは日本だけなのである。

仮設はもう終わりである。でもまだ住んでいる人はいる、家建てて庭を作りそこに石を置いて枝垂桜まで咲くと落ち着くなとなる、それは外から見てもそうなのである。
仮設は外から見てもいいものではなかった、二三軒の風流なものとしてあればいいがあれだけ仮設があるということは津浪の被害地でも異様なのである。
その仮設暮らしでも六年過ぎてさらに住んでいるのも限界だとなる
でも仮設から出れないという人もいる、高齢化でもう新しい家を建てる気力がないと言っている人もいる、それで最初から長く住める家を建てた方が良かったとなる
それも法律でできなかったとか今になるといろいろ反省がでてきた
まず日本では家を建てることが金がかかりすぎるからそうもなったのである。

ともかく今年の春も終わりである。

故郷の外にいでずに花も見ずはや散りにけらしも春は逝くかな

まあ、これも一つの情緒である。故郷に桜は咲き散って終わったということである。
常に旅していた自分にとってはめずらしいことだともなる
ただ介護していたときが長いから10年前から遠くには行けなかったからめずらしいともならない、ただ桜の季節はやはり桜一色にそまるのが日本だとつくづく思った。


2017年04月22日

南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ (コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)


南相馬市鹿島区の小池のホテルでランチ

(コモドイン南相馬ー都会化した鹿島)

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百人は収容できる新しい簡易宿泊所(小池)

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ボランティアのバスが二台とまっていた

クリック拡大すると東日本震災ボランティアと書いてある

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もう一部屋がありそこも広いのである。

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これで800円は安い、牡蠣もついていたからである。(日替わり定食)


春日さし石あたたかく動かざり

春の日や死者安らかに故郷に


今日も小池のホテルにランチが食べられと知ったのでランチを食べに行った
途中に家の前古墳があるのは目だつ、寺内と小池は古墳が多いのである。
なぜあそこに古墳なのかとなると高台であったからだろう。
平地は湿地帯が多いからあのような高台が住みやすいとなる
そこに眠っている人は安らかだなと春の日だから思う

石でも春の日がさしてここがいいと動かないともなる、だから老人になって住居を移すことは酷にな、それで小池の人に聞いたのだが右田の人たちが小池に移り家を建てた、でもその一人の老人がその新居に入ってからまもなく死んだという、そうした関連死がこの辺には多いことは確かである。老人は変化に弱いからである。

そして小池にまた百人は入れる簡易宿泊所がまたできた、なぜまたこんなに外から人が入ってくるのかと思う、一部はすでに簡易宿泊所は壊されているからだ。
ここの簡易宿泊所は部屋数が多いからまだそんなに外部から人が入ってくるのかとなる
この辺ではすでに除染は終わっているからである。
ただもしかたら鹿島からでも原発事故のあった所に双葉や大熊の方にここから行くということはある。そのための宿泊所になるということはある。

ここから近いところにできたホテルは前からあるのは知っていたがランチをするようになったのは知らなかった、去年からすでにはじめていた。近くでもわからないことがある。この辺はまだ変化があり変わってゆく、原町まで行けばレストランなどが多くランチには困らない、でも遠いからなかなか行けない、自転車だと散歩がてらに来れるから便利である。何かホテルというとき都会的である。あんなところにできるとは思わなかった。

そしてボランティアをのせてきたのか?二台のバスが駐車していた。そんなにまだボランティアが団体できているのかとなる
その後ろは青森ナンバーのダンプが十台くらいあった。これも何なのかわからない。
青森の会社が来ているのだろう。

それにしてもそのホテルの食堂には50人くらい収容できる感じの広さがあった、本当に普通のホテル並みである。そんなに人が来るのかと思った。
11時30分で入ったのは自分一人だったからである。ボランティアなど団体がくれば確かにそれだけの人数分が必要である。もちろん泊まっている人も食事するから用意した。
他にも会社がそうしたホテルになった所がある
でもそんなに外部から人が入りつづけるのかとなる、すでに一段落しているからである。その辺がわからないが鹿島区は何か震災以後外部の人が大量に入ってきて変化した
あのようなホテルのランチが食べられるとは鹿島ではおもいもよらなかった。

鹿島区は都会化しているというのも家が次々に建ったからである。新しい街が三つ四つできたと思う、そして大東建託のアパート15棟は建っている、二つは建設中である。
いわきナンバーだから浪江とか双葉や大熊とかからも人が入ってきているのだろう
だから鹿島区のの人口は減らないのである。
だから都会化して便利になるということがあった
それに比べると小高とかの差はあまりに大きいから小高に住みたくなくなる気持はわかるそうなると余計に住みたくないとなり残っているのは老人がほとんどである。
それは老人は石のようにその土地に定着して動けなくなるからである。
人間も生物だから植物のようにもなるのである。

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コモドイン南相馬市




2017年04月21日

春ののどかな風景になごむ田舎 それが放射能災害で失われた悔しさ


春ののどかな風景になごむ田舎


それが放射能災害で失われた悔しさ

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鶏(カケ)鳴いて牛なき昼間のどかかな

菜の花に鶏庭歩む農家かな

犬連れて長き散歩や春の草


散り急ぐ桜にしあれ闇深し浮かばれぬものは御霊なるかも

吹きあれる嵐もやみて残る花夕日のさして我がおしむかな


この辺の変化は大きすぎた、のどかな田園風景でも失われたことがある。
津浪の被災地でもそうだし放射能汚染でもそうだし今でもその影響が大きい
放射性物質の廃棄物があり前の田園風景とは違う、ただ田畑はそれなりに回復している
畑になると半分くらいしか耕作されていないだろう。
そこは荒地になっている、農業はもともと高齢化して跡継ぎがいなくなっていた
そしてこの辺では若い人の人口が流出して老人が他より10パーセント増えた
だから繁盛しているのは最近川子にできたパークゴルフ場である
あそこは本当に広いから気持ちいい場所である。
そこに百人くらいいたのには驚いた、それだけ暇な元気な老人が集まっていたのである。

街からすぐ近くに庭にまさに庭鳥が鶏が歩いている、コケコッコーと辺りに鳴き声がひびく、その近くに牛が飼われてモウとなく、それが田園風景であった
それは昔ならどこにでもあった田園風景である。そこで心が和む
それが街のすぐ近くだからこの辺はそういう場所でもあった
一万の町だったらどこでもそういう風景があった
それが放射能騒ぎで乱された、そして平安がまだもどっていない

ただ鹿島区はまだいいほうだろう、小高とか浪江は悲惨である。
一旦街でも人が住まなくなるとあれほど荒廃するのかと思う
この辺の問題は若い人の流出であり特に若い女性が流出している
すると結婚して子供を産む人がへっているから将来の人口構造も老人だけが増えるとなる
自分の場合は別に都会に今は憧れたりしない、田舎の方が魅力があるし自分にあっている老人になると都会には住みたくない、特に東京などに住みたくないだろう
銀座とかなんとか行きたくもないのである。人が混みすぎるからだ
関西でも京都でも行きたくない、今や外人で観光客が増えすぎているからだ
それで情緒も壊されているのである。

芸術とかなると田舎かからしか生れないだろ、文化だってそうである。
ただこの芸術もそのベースになる田舎の生活がなくなったらありえないのである。
飯館村などは森のアルカディとか桃源郷の感じがあったが放射能汚染で土がけずられ放射性廃棄物場となる、ソーラーパネル場になるとかでそこも前の平和なのどかな風景は失われた、だから自分にとってはこんなふうにしたものに怒りを覚える
そもそも田舎を愛さないもの、自然を愛さないものが人間なのか?
東京のような所に平気で住んでいる人間が人間なのか?
そういう疑問が常にあった、そういう異常な人口環境で生活している人間はもはや人間なのかとまでなる
そこからもしかしたら原発事故も生れてきた、まずそういう人たちが自然環境とかを考慮しないからである。ビルの谷間で生きていても平気な人たちだからである。
そういう非人間性が原発を作り出して田舎を破壊したのかもしれない
ただそれに同調したのも地元の人たちでもあるから都会だけの責任ではないともなる

いづれにしろ桜は今年は早くも散った,外の桜を見ることもなかった
散りいぞく桜だった、そして浮かばれぬというとき戦争で死んだ300百万人の御霊だともなる
あの風は強く被害もあった、ソーラーパネルが災害復興団地から落下した
やはりソーラーパネルはこれから何が起きるかわからいのである。
台風などがきて破壊されるかもしれないし土砂崩れもおきてくる
山には作るのは問題がある。ただソーラーパネルは参入しやすいのかもしれない
どこでもソーラーパネルになっているからである。
そしてこの辺では津浪であれ放射能被害で荒地が膨大にふえたからソーラーパネルになりやすいのである。その荒地になったとこに設置しやすいとなるからだ
津浪で磯部であれ右田であれもうそこには誰も住んでいないからメガソーラ場になったのである

2017年04月19日

死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


死を連想する桜(小夜嵐に散る桜ー三島由紀夫の辞世の歌について)


夜をこめて風吹きあれぬ残り咲く桜も散らむたちまちにして

我が家に風の荒くも吹き唸りきしみ春の夜落ち着かぬかも

小夜嵐花吹き散らす死ぬ人や世にある時のままならぬかも


 今年の天候は去年から変わりやすい、暑くなったと思えば寒い、寒暖の差の激しいのは去年からだったのである。今も風はうなり吹いている、これは小夜嵐である。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐 三島由紀夫

三島由紀夫が死んだの11月だからこれは想像の歌である。
でもそもそも桜は本当に死を連想するのである。それは咲いた思ったら散っているからそのように短い命ということで戦時中は若い人の命は桜にたとえられた、そして桜が散るように死ぬことがいいことだとされたのである。そのことで批判が今になるとでている
若くして死ぬこと別にいいことではないからである。
みんなもっと生きたいと死んだのである。誰も死にたいとは思っていなかったのである。その苦渋の歌も残されいる、全うされなかった生だったのである。
不思議なのは3百万に死んだとしてもその死を今になると深刻に考えないことなのであるこれだけの人間が死んだら一体なんなのだろうと真剣に考えるからである。
それがないというのがわからない、三島由紀夫はそれを考えた人だったのかもしれない

ただ三島由紀夫は有名になりぎた、マスコミにももてはやされた、だから現実社会というより仮想のマスコミでその名が実質の人間以上に拡大化された、マスコミに紹介されて宣伝されると今でもその人物が巨大化されることがある
何百万人の人が見ていればそうなる、ただ今ではマスコミというのはインターネットとか対抗メデアがでて常に批判の対象になったからあの時代とは違っている
第一あの時代にマスコミ自体が批判の対象になることはなかなかなかった
テレビはお茶の間に入りその影響が大きかったのである。
楯の会の若い人の制服を来て行進しているときそれがドラマを演出しているのかと見えたそれが現実とは思えなかったのである。

何かマスコミとかテレビは今でもそうだが現実と乖離していることがある。
仮想の世界と見ている場合がある、それより仮想と現実の区別がつかなくなるのである。それで仮想の作られた映像が真実と思わせられていたことがありそれが問題になった。
イラク戦争の時は油まみれの海鳥を写して世界でイラクはひどいことをするなと怒りになったのである。
マスコミとかテレビは演出するものであり現実と真実とは違ったものなのである。
だから三島由紀夫が現実に決起して自殺のようにして割腹して死んだのには驚いたのである。演技だと思っていたのが現実になったことにみんな驚いたのである。
ただ人間は自ら英雄になろうとしてもなれない、その時代もあるし平和な時代に英雄になることはできない、いくら演出してもドラマの主人公になろうとしても現実ではなれないのである。その時代時代で状況が違ってくるからである。

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

散るのは死ぬのは嫌だというのが普通である。でも散るこそ死ぬこそいさぎよい、死ぬこそ華々しいことだとなった、三島由紀夫は老人になることを異常に恐れていたのである。その気持ちはわかる、想像してみても老醜はあまりにも悲惨だったのである。
それはもう自分でもそうだがみんな恐怖なのである。でも逃れようがないのである。
だから早く盛りの時に桜のように散った方がいい、死んだ方がいいとなるのもわかるのである。
三島由紀夫は英雄になろうとしたが演出しても時代でなれなかった、「心の青雲」のプログの都築氏もそうした英雄を望んだ、でも病気になりプログは中断された
都築氏の方が空手の師範であり実践者だったのであるから三島由紀夫より現実的に英雄になれた人間だったかもしれない、でも病気で中断した、プログを読んでいてなぜ透析しているほどなのにあんなに強きなのかわからなかった
人間はどうしても病気になると弱きになる、自分も病気していたからそうだった
自分の病気は腎臓も悪くしたが透析はしていないし結構身体障害者になり苦しかったが
その時介護までしていたからそれほどの病気ではなかったともなる
でも実際は相当に苦しかったのである。

この歌にも三島由紀夫の作られた演出していることが現れている、作為的であり別にさきがけて死ぬ状況にもないのに自らそうしただけだったのである。
それはまさに演技者でありマスコミにもてはやされた人でありそういう人は演技者になりやすいのである。現実の人間は小さくても巨大化されから巨大であらねばならいとなってしまうことがある、マスコミによって作られた虚像になりやすいのである。
その当時はそれだけテレビとかマスコミの影響が大きかったからである。
演技者は現実の英雄にはなれない、今の時代はそうした派手な英雄は求めていないのである。マスコミはテレビは虚像を作り出すのである、今でもそういうことがある。
でも今はマスコミを批判する対抗メデアがインターネットが出てきたりしてマスコミにテレビの報道に乗らなくなったのである。




桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)



桜散るー春時雨(仮設になお住む小高の人ー車椅子の行く風景)

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畑中を車椅子行く春時雨


幾年をここに桜の咲きて散る仮設に小高の人なお住みぬ

はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく

復興の団地の隣公園に椿の散りぬ3年はすぎぬ


畑の中を車椅子を押して行く人がいる、何かその光景も自然ととけあっているからなごむこれが病院だとそこは無機質な空間になる、人間はやはり障害者になっても自然の中にあるのが幸福だともなる、そういう配慮はなされていない、病院の中に庭があってそこで自然を感じるということもある
ターミナルケアの病院ではそういうことをしている、それは高額になり金持ち用になる
最期の時はただ体だけをみていてもそれが幸福とはならない
だからガンになっても登山したり合唱したりとしているのはそのためである。
最期はチューブで生かされいるのは悲惨である。
それが直るならいいが直らないから悲惨であり非人間的になるのである。
春時雨というのは結構経験するものである。ただこの季語に注意していないとわからないということはある。

川岸に小高の人がいた、一度も会ったことのない人である。その老人は小高に帰るのかと聞いたら新しい家を建てる予定だが大工さんがいないのでできないとか言っていた。
何か小高の人は新しい家建てるという人が前にもいた、でも老人だけが帰って新しい家に住んでどうなるのだろうとは思った
ただこの際金が入ったりしたから新しくするということはあるだろう。
復興住宅には入りたくないと言うのは家賃が結構高いからである。
近くの復興団地は7万とられているとか言っていた、家族が多いとそうなるし所得によって家賃は差があるからだ。
自分の墓の前の復興団地もすでに2,3年は過ぎているしその隣の公園ではそこに住む人が利用している、そこに椿が散っていた。

仮設暮らしというのは5年とか6年とか住んでいるというどういう気持ちになるのか不思議である。それはそうして住んでいる人しかわからないものである。
小高の人が鹿島に六年も住んでいるというのも不思議だとなるだろう。
他でも津浪の被害者でも未だに仮設に住んでいるし新しく家を建てる人はいても建てられない人も多い、原発避難者は小高でも新しい家を建てるというとき補償金をもらったからそうなるし恵まれているとなる
どうして新地駅前にあれだけ土地整備したのに新しい家が建てられないのか?
やはりそれだけの資金がないのだろう、家を建てるには土地こみ3000万くらい必要になるだろう。その金は大きい、そしてなぜ新地駅前の施設が工事がはじまらないのか?
それも人手不足が影響している、建築関係の人手不足は全国的なものである。

ともかく時間と共に次々に変わってゆくのが人間社会である。それが無常なのである。
震災から6年すぎたときもう祖父母とその子供と孫の生活は変わってしまったのだ。
生活が別々になってしまったから若い人は帰れなくなったのである。
この辺の変化が大きすぎたのである。その変化の波にもまれて時間が無常にすぎたのである。



はや散りて残れる花も風荒く今日にも散りなむ時はすぎゆく


今年の桜はこんな感じだった、咲いたと思ったら散っていた
天候の変化が激しい、一日のうちでもかわりやすい、今は風が強くなっている
プログだと一日の変化だが今昼間であり風が強くなったので書き加えた
こういうリアルタイムの報告に向いている
天候は刻々と変わっているからだ、今の季節は花がいろいす咲いたりまた変化が大きいからである



2017年04月18日

落椿の里(橲原をたずねて)



落椿の里(橲原をたずねて)

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夕日さし土蔵の壁や落椿

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立目石



夕日さし土蔵の壁や落椿

この村に子安神社や春の暮

橲原の名もなき墓や落椿

橲原の渓流に和して夕鶯

渓流に声をみがきぬ夕鶯



滝響き高きに咲きぬ山桜夕日のさして風に吹き散る

夕日さし散りし椿や橲原に名もなき人の静かに眠る

渓流に鶯鳴きて橲原の夕ぐれあわれ山桜散る

橲原に御堂の一つ夕ぐれや枝垂桜に暮るる道かな

立目石夕日のさしてここにあれ渓流のひびき春の日暮れぬ

橲原に一軒隠され家のありたずねてあわれ春の夕ぐれ

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

帰りきて待つ人なしも我が家かな春の夕星(ゆうづつ)一つきらめく


橲原にひさしぶりに行った、滝の所までは行ったがその奥には暗くなって行けなかった。あそこも放射性廃棄物場になった所があり風致が乱された
ただこの辺では人が住まなくなったというところはない、ただ八木沢峠の麓の家は住まなくなった、それは川をさかのぼったずっと奥である。

橲原(じさばら)というのは不思議な場所である。栃窪とも違う、狭い隠された山間の中にある小さな村である。この村でも江戸時代からあった。たいがい日本の村は江戸時代からある。
そもそもいつも思うことはこうした小さな村が日本には多い、そうしたらどうして暮らしていたのかということが不思議になる、橲原だったら木材資源があり炭焼きをしていたとかは山村だったらどこでも同じである。田畑はあるにしても狭いからその村で食べるくらいはとれた。あとは炭焼きとかで現金収入を得ていた。
炭焼きというのがあり生活できていたのかとなる

自分の家はその時まだ外材が入らないので姉が同級生がいてその人が橲原に住んでいてキリでありその人に木材を選んでもらい買い今の家を建てた
こういうことは戦後まもなくは普通だったのである。
外国は関係ない経済だった、森林でも森林鉄道が網の目のように張りめぐらされていたよように木材であり石材を蒸気機関車で運んだのである。
それは主に東京に運ばれたのである。ただ外国と関係しているというときアメリカに絹製品を売るために養蚕が全国でどこでも盛んでありそれは外国と関係してそうなっていたのである。それが外貨をかせいで外国の資源を石油なども輸入していたとなる
だからその時も外国と関係しないということはなかった
でもその絹製品を生産するのは養蚕だから農業だったのである。
だから山村でもできたしどんな辺鄙な所でもできたのが養蚕だったのである。

ともかくそうした国内経済とか自給自足の村とかに成り立っていたときはそれぞれのつながりが生活の中であった、そういうことは江戸時代から万葉集時代までそうだったし戦後十年くらいまではその延長だったのである。

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

「黒木」は皮のついたままの木のことである

橲原の木を柱にしその家に我が住む久し老いにけるかな

こうなるときやはり生活の充実感を感じる、外材だとそれを感じにくい、それは食糧でも地元からとれたものを食べているのが充実感があるけど外部から入るのが普通だから昔とは違っている、米でもそうだからそこが昔と一番違っているのかもしれない。
熊本地震でも橋が壊れて孤立する村ができた、今でも不便なのである。
今は流通がたたれると生活できないとかいう人がいたが本当にそうである。
あらゆる物資が村や町の外から入ってくるからである。外国から入ってくるのも普通だからである。
そういう生活は便利でも何か不安があり充実感がないのである。
その不安とは何かの異変が起きて外国からは物資でも入らなくなるという不安なのである

橲原は戦後やはり小池ですら戦争の引揚者が開墾に入った人たちがいた。だから開墾に入った人たちがいたかもしれない、ただ狭い所だから飯館村のようには開墾する土地がないからわずかだろう。あの名もない石くれの墓は明治時代からのものである。
なぜあのような墓なのか?普通でも墓を作ることは金がかかるから簡単にできなかったのである。だから墓でも今とは違って粗末なものが多いのである。
まず五輪の塔の墓は武士のものであり庶民はそんな立派な墓は作れないのである。
庶民は江戸時代は墓自体作れなかった、村のホトケッポという場に共同で埋めていたのである。
死者が眠る場所にふさわしいのは山である。だから山にもともと死者を埋めていたのである。
それで万葉集にも死者は山に眠っているのである。その山で死者に会いにゆくということがあった。
海側に墓地があるのは何か今回の津波のように向いていない、波の音がするし落ち着かないのである。

橲原の不思議は隠されたようにある村なことである。今は別に農業しているわけではないみんなどこでも会社員である。ただそこに田畑があり一応農村という外観があるとそこから昔を感じるのである。
だから放射能騒ぎがあってから田畑が作れないとか放射性廃棄物場になるとかそれで乱されたのである。この辺はまだ人が住めるし住んでいるからいいのである。
全く住めなくなった所がありそこは廃村になってしまったからだ。

橲原は落椿の里である。あの名もない墓地の所に椿が散っている、それがなんともあの場所にあっている、そういう場が田舎にはある、その場独特の雰囲気である。
それは新地でもそうであり飯館村でもそうであり何かその村特有の雰囲気がある。
それが放射能騒ぎで乱された、飯館村はソーラーパネルの村になったからそういう雰囲気がなくなった、それが一番自分にとっては悔しいとなる。
そのことで怒りを感じるのである。
例えば都会などは東京でも何か地震でも戦争でも破壊されたときそこはもともと自然が存在しないのだからその跡は無惨でもそんなに感じないかもしれない
そもそもあのような煩雑な場所に人間が住んでいることが異常に思えるのだ。
感覚的におかしくなってしまう、若いときはあのような都会の方でも良かったのである。田舎はなにもないものたりないものとして嫌っていたのである。

とにかく元のような平安な村にもどることである。それは橲原だけではない、避難区域になったところでもそうである。そういう村が消失したということは大きな損失なのであるそして放射性廃棄物場になりソーラーパネルの村になるのも困るのである。
海岸側はある程度はしかたないだろう。山村までソーラーパネルになるのが嫌なのであるでも飯館村ではなってしまった。橲原にはないが原町でも奥の方にソーラーパネルが設置されていたりする、それが数は少なくても嫌だとなる

それにしても家族が待っていない、それでも我が家なのだろうか?
家族がいないという経験もまた不思議である。介護していたときはやはり家族がまだいたから違っていた。がらんとした大きな家に一人いることが何か違和感を感じる
淋しいということもある、でも組でも四人は自分と同じく一人暮らしであり大きな家に住んでいるのである、一人は女性なのである。そういう独居老人が増えているのだ。
そこに問題も起きるのである。
何か家族がいないと誰かと話したいとかなってくる、それでスーパーであれ人ごみに老人が行くという気持がわかる、自分も家族がなくなってから人がいるところに人と話したいとなり駅に行ってボランティアしている、そこで人に話しかけているのである。
それを嫌がられることもあるが外からきた人には案内ということがあり用があるからいいのである。

今年の春は桜が散るのが早い、山桜さえ散っていた、山桜は染井吉野より遅く咲くがもう散っていたし船岡の千本桜も散っていたと車で行った人が言っていた、全国的にも桜が散るのが早かったことはまちがいない、今年は外に桜を見に行く前に散ってしまったとなる

タグ:橲原 落椿

2017年04月17日

朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)


朝桜(相馬市から新地まで-俳句十句と写真)

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相馬氏の八幡神社

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相馬神社
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相馬の城跡の堀の桜


新地の景色

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今落ちた椿
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新地を行く電車
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ここから海が見えた

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新地駅

注意ークリックして拡大しないときれいに見えません

今回の写真はみんな大きくしないと見栄えがしません


朝桜遠くに行かむつばめ飛ぶ

八幡の鳥居の赤く朝桜

金色の錦鯉に朝花散りぬ

金色の錦鯉浮き朝桜

馬を曳き相馬神社の朝桜

今落ちぬ椿の赤し望む海

朝桜海を望みて新地かな

新しき新地駅かなつばめ来る

残雪の蔵王光り見ゆ新地駅

春の朝海を望みて電車行く

草萌えて電車の行くや望む海

薬師堂帰りきてあわれ夕桜


朝日さしロードに走り風に散る花や遠くに我が行かむかな



朝からロードで新地まで行った、途中八幡神社の桜を見た。朝日がさし晴れていたからきれいに写真がとれた、写真は光の影響が大きい、桜はすでに盛んに散っていた
あそこの錦鯉に金色のがいて写真にとれた。
相馬神社では馬を曳いていたのは神社で野馬追いの馬を飼っているから相馬らしいとなる
新地の風景は変わってしまった、電車が海を望んで走っている、あういう風景はまるで変わった風景だし駅でもそうである。
新地の地形の特徴は海と接して高台になっていて海が望める
その高台に家が点々と森につつまれてあるからいいところである。

仙人は山の上から手を延ばして海の貝を取って食べていたと言われ、その食べ滓の貝殻が山のなかから今でも見つかるとのことです。これは、縄文時代の貝塚であり、この地域には石器時代の昔から集落があり、その遺跡が後に伝説を生んだと見られます

手長明神の伝説は各地にあるとして新地はその伝説が勝手に作られたものではない
現実に海の近くの高台に貝塚が発見されている、貝をとって暮らしていた人たちがいたのである。そういう地形になっているのである。
だからなんでも伝説でも歴史でも地形をみることが大事になる、その地形は地図を見ただけではわからないのである。

新地は津波の被害が大きかったけど新地駅は前より開発された良くなったし風景までが変わり電車からみる景色も海が広々と見えるから良くなった。
ただ風の影響を受けるので自分が見た写真にとった電車も徐行していた、それで写真もとれた。写真をとるにはいい景色に変化したのである。
そして新地にはソーラーパネルがなかった、だから景色が乱されていないからいい
実際に新地の人口は減っていない、若者も流出していないのである。

それに比べると小高でも浪江でも飯館でもその差が大きすぎるのである。
飯館は森につつまれたアルカディアだったけどソーラーパネル工場と化してしまった
あそこの草野に住宅ができるとしても何か住みたくない。風致が乱されてしまったのでがっかりした。
この辺で風光明媚というとき浪江の水墨画のような高瀬川であり森につつまれたアルカディア、桃源郷とかが飯館村であり新地は手長明神の伝説が残る海に接して高台に人家がある所としてあった。

阿武隈山脈は森が多いし森につつまれた世界である。だからそういう森の影深いところが多いのである。その風景自体変わっていないが飯館村は変わってしまった。
それが残念なのである。第一土がけずりとられたままで田畑も耕作できなくなったからである。だから飯館村が離れていたけど原発事故の影響が大きかったなと思う
何かそうした風景というのは景観というのは心に影響する、ソーラーパネルはその景観を乱すから嫌なのである。でも土地の利用方法がないからどうにもならないのである。

源義家の〈吹く風をなこその関と思へども道も狭(せ)に散る山桜花〉

今回は朝桜が晴れ渡り映えた、そして風で桜は散った、天候も昼間からは曇り雨も降ったそのあとまた晴れたのである。
だからこの歌がふさわしかった。ここでは山桜になっているけど自分が見たのは染井吉野の桜である。第一山桜だとこんなに散る景色は見ないのである。
だから何かこの山桜と染井吉野が混同されやすいのである。
これは感覚的には相当に違ったものであるが今は染井吉野の桜を見ているのが多いのである。

帰りは日立木の薬師堂の桜を見て帰ってきた。今回も疲れてぐったりして病気のようになった。何か疲れやすくなった。だから自転車は苦しくなった、でもやはり自然と一体化するのには自転車でありまた車もないから自転車で行く他ないのである。

2017年04月14日

朝桜(今年の桜は・・・)


朝桜(今年の桜は・・・)

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鳥の飛び海を望みて朝桜

東風(こち)吹きて海を望みて朝桜

誰か見る桜咲きそめ昼の月

雨ぬれて水々しかな春の草

春の日や山鳩待ちぬホームかな

一里ほど歩いて大地に草萌ゆる

浪江まで開通するや草萌ゆる

山一つ霞むや遠く暮れてゆく

金屏風桜の映えて大広間

政宗の60万石の夕桜


みちのくの桜さきそむ雲間より月いで光りまた隠る

咲きそめし桜やあわれ雨しととぬれてまれにし人の行くかな

たちまちに死してかえらぬ人にあれあといくたび桜見むかな

若くして死す人あわれ生きたしと咲きし桜にその思いかな

満開の桜の風に吹きゆれぬ亡きにし人もかくありしかも

満開の桜そ今し朝日さし輝きけるや鳥飛びわたる

広々と海の開けし満開の朝の桜の丘に映えにき

盲人のまた来たりしやみちびきぬ駅舎に我の今日もありにき


今年は何か気候が変則的である。昨日は冬のように寒く今日は夏のようにもなった。
こういう気候は去年からつづいてる、寒暖の差が激しいのである。
今日の一日はまず駅に行った、そしたらやはり前にあった盲人がいたので導いた。
外部からの人も来たが仕事はわからなかった

それからロードで金沢の方に向かい坂をおりるとき転んだ、そこは急な坂でもなかったが坂はロードだと危険になる、下り坂は自転車では危険になる
前にもそういうことがあった。ロードだとスピードがでているから余計危険になる
そこは転んでも転びやすいところであり草地でありケガするとは思わなかった
自転車はパンクしたのか傷ついたが自分は何の傷もなかったので良かった

そこでそこから歩いたから疲れた、でも歩くことで発見することがある
現代は歩くことが人間回復なのである。つまり歩くことが新鮮な経験なのである。
歩いて見える景色は感覚は違っているのだ
人間の感覚は歩いてみる景色と自転車から見える景色と電車から見える景色は違っている車から見える景色は自分にはわからない、ともかく歩くことが新鮮な経験になっているのだ。車社会になると本当に歩かない、大地をふみしめて歩むという基本的なことがないのである。だから車ばかり乗っていないで歩くべきだとなる。

街まで一里くらいあるいた、草萌える季節であり遠くに鹿狼山が霞んで見えた
歩くことによって俳句でも短歌でも詩でも絵心も生れる、歩くことは新たな発見することなのである。
峠だって歩いて越えたら感覚的に違ってくる、歩けば江戸時代にもどる、江戸時代にもどりたいとか自分は書いてきたが江戸時代にもどりたい、江戸時代を経験したいのなら歩いてみることである。歩いてみる景色が江戸時代になるのである。
戦前までは結構歩いていた、車も乗っていないから歩いていた。
鉄道も実際は高い乗り物だから庶民はそんなに乗っていない、リヤカーとか引っ張り馬を利用していた、鉄道は貨物も多かったのである。

人間を回復するというとき車社会を一時的に拒否することが必要になる
だから鉄道の駅が意外と人間的な場所だと発見したのである。
車社会というのは何か否定できないものでも人間的なものを失わせたことがある。
車には人の出会いとか人間のぬくもりとかを拒絶するものがあるからだ。

今年の桜はあまり感じるものがない、ただ家族がみんな死んだのでそれで桜をみると死んだ人を思い出す
満開の桜のように咲いていたときもあったなと思い出す、それも死んでしまえば昔のことになる
最期は無惨に死んだ、みんな輝くと時は短いのである。
結局それは貧乏人だろうが金持ちだろうが栄華を究めても同じである。
一時の栄えだったとなる 

秀吉であれ政宗であれ結局一時の栄華を究めたにすぎない、別に自分の家なども規模は小さくても栄華があったが死んで消えた、
今跡を継いでいるのが自分だとなる、自分は何もしていないけど受け継いだだけだとなるがやはり栄華がある
貧乏のままで終わるのもまたわびしいとはなる、いづれにしろ栄華は一時のことなのである。
人間は王様に生まれても寿命はみんなさほど変わらないからである。

2017年04月10日

今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


2017年04月03日

春時雨(原町の駅前通りを歩む)


春時雨(原町の駅前通りを歩む)

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原町の通り歩みて春時雨

春日さす通りに鳩や歩むかな

原町の通りを歩み柳かな店を見につつ帰りけるかな


昨日は浪江を歩き原町により食事をした、それは原町の駅前通りだった、ただその食事はエブフライとかだったが味は良くなかった、チェーン店で作るのとは違うプロが作るのとは違う味だった、それは家庭料理の域をでていない平凡なものだった
やはり揚げ方がうまくできない、料理は自分もしたがむずかしいしめんどうなのである。だから自分は未だにまともな料理ができない、これも結局才能だった、向き不向きだったどんな人でも何でもできるわけではないのである。
人間は何かができる得意だとしたらその他のものはできないともなっているのだ

原町の駅前通りはめったに歩かない、自転車で六号線の道の駅にある方に行くからであるそこで用をたしてしまうからである。
でも街に来る楽しみは通りを歩き季節を感じたり買物することである。
通りを歩むのとイオンとかで品物だけに囲まれるのとは違う
通りを歩むとやはりそこに自然を感じるのである。

昨日は晴れていて本当に春時雨だった、春時雨は結構経験している、なんか雨すら甘い感じがするのである。通りを鳩が歩いているのも平和である。
歩いて経験する、歩いて見えるのものが違ってくる
そして現代はこの歩くことが極端に喪失した時代なのである。
ただ通りでも車は通りすぎて行くだけだからである
歩くことは人間回復になる、本来の五感をとりもどすことにもなる

だから通りが廃れたけどこれからまた見直されるかもしれない、高齢化社会になると車を利用しにくくなるからだ
ただ原町の通りは狭いし歩きにくいのである。相馬市は歩き安いし新しい通りを作った
だから歩く楽しみが他よりはあるとなる
城下町の雰囲気がそれなりにあるともなる

本当は通りでも街でも改革しなかぎり人を寄せつけることはできないだろう
旧来の通りはもう時代にあわないからである。
でもそれには相当な改革が必要になりできない、だからかえって津浪で街全体が喪失したような所では新しい街が作りやすいということもある
新地駅周辺とかはそうなった
通りの復活は旧来のままではできないからである。

靴屋で買物した、いい安いぴったりの靴があったのは意外だった、品揃いもいいものだった、いつもイオンとかの靴屋で買っていたがあそこにはいいものが置いてあった
要するに買うつもりではなかったが通りを歩いているとのぞいたりするから買ったりもする、つまり街には人の流れが必要なのである。
そして歩く楽しみがある通りがあればいいとなる
図書館などが駅前にあるのはあっているかどうかわからない
図書館はかえって閑静な郊外とか森の中にあるような所がいいかもしれないからだ
第一じっくり勉強するには本を読むのでもそういう雰囲気が必要だからである。
ただ自分は図書館に10年くらいほとんど行っていない、その時間が今でも家事は追われなくなったからである。

それにしても朝日公園の通りの店の裏が廃屋化していたのはまずい
あんな街の中心があのようだと荒廃している感覚になる
正直駅前と通りは魅力がないのである。ただ春時雨とか自然を感じるというのは違っている、若い女性だったら街をさっそうと歩きたいとかあるだろう
イオンだとかただ買物ということしかないからである。
通りとは街とは商品だけではない、人を見せる場所でもあるのかもしれない
そういう機能が街にはある通りにはある、だからこれから見直されるかもしれない
人間は買物だけではつまらないとなるからだ。




タグ:原町 春時雨

2017年04月01日

浪江町の春の詩 (浪江駅開通を祝して)


浪江町の春の詩

(浪江駅開通を祝して)

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春の渓流轟き鳴りぬれ
巌重なり塔なして
景勝の地、高瀬川にあれ
奥をたずねて心洗われむ

清流の岸辺、根を張る木
古の技を伝え育む
大堀の相馬焼きの窯元
畑耕す人もありしも

広々と海を望みぬ請戸港
漁に出る船や勇ましかも
鴎群れ飛び波のひびけり
大漁の時もありて港にぎわふ

浪江にそ二つの川の流れけり
鮭の上りて幸もあれ
川岸の桜並木を歩むもなつかし
いつの日か往時の栄いもどらむ

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棚塩の海岸

浪江はやはり高瀬川である、あの川はこの辺ではめずらしい、激流であり上流にダムはない、水墨画のような巌がある、あれが名勝の地である。
景観的にも二つの川があり恵まれている、海も望み請戸港もあり魚もとれたしあそこには岩手県の宮古から鉄の材料が運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣の伝説が生れた

それから相馬焼きの窯元が大堀にあり高瀬川の上流の岸辺にあり立地的に恵まれていた。浪江町はこうして実際は景観的には恵まれていたから観光でも人を呼べる環境にあった
ただそれも請戸港から原発の煙突が見える、そんなに近いのに実は請戸港の放射線量は0、5とか低いのである。海に放射線量が流れたから海側は低いのである

それにしても請戸港は津浪で壊滅した、それがあまりにも酷い風景である。
ただすぐ近くに原発の煙突が見えたのだから危機感を感じる人がいたかもしれない、
でも実際は漁業権を東電に売り渡していい暮らしをしていたのである。
それが今になって露になり批判されている

ただ浪江とかなると実際は原発で働く人があれだかけ近いのだから三分の一はいた、原発は賃金が他により危険だから二倍三倍になるからだ
それで家を建てたという人がいたり金持ちになった人がいたのである。
とにかく経済的には原発周辺はうるおっていた。
だから誰も今でも東電を批判できないんだよなとなっているのである。

でも原発事故はあまりにもこれもひどいものだった、村とか町とか消滅させるほどの被害になるとは誰も思っていなかった、もう大堀の相馬焼きは回復しない、放射線量があそこは高く以前として避難が解除されないからである。
もうすでに相馬焼きの窯元は白河だとか二本松だとかではじめている、大堀で相馬焼きが作られることはないのである。

浪江町には二つの川があり風光明媚な土地だったのである。海はあり川あり山ありといい所だったのである。それが回復不可能になったというのはなぜだろうとなる
それほど原発事故の被害は大きかった
結局、原発でも公害になるとみんなだめになるというのは本当だった

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結局細々としてもそこには自然が汚されずあった、そこで町でも村でも継続されたのである。
まず公害になると市町村自体が継続されない消滅の危機にさらされるのである。
この辺ではつくづくこれと同じ反省を強いられているのである。


写真絵はがき-ここに激流の高瀬川


参考となる詩

浜街道春の浪江町

高瀬川轟き流れ春の日や
広々と浪江の大地開けたり
大堀に陶工の業は受け継がれ
相馬焼きの一品を買いぬ


高瀬川春の光にきらめきて
山鳩の嬉々と飛びつつ
春の日に二つの川落合いて
太平洋と流れゆくかな


その昔言祝ぐ橋の一つかな
村と村とは結ばれ栄いぬ
浪江の大地を耕すものや
新たなる力を注がむ


流れ入る川や広々と
かなたに望む行く船や
春の日に鴎群れ飛び
請戸の湊に漁船いでゆく


知られたる高瀬の清水や
西行もここに喉を潤しぬ
浪江の宿や相馬の殿も休み
磐城の境大熊に向かわむ


夜ノ森は余の森なりき
森深く小暗き道なり
その森に境を成しぬ
小良が浜もここより近しも


高瀬川轟きその奥そ深しも
葛尾村は山中郷の相馬藩
三春藩との境を成して
野馬追いの旗を伝えぬ


浪江は標葉郷にて相馬藩
野馬追いにその旗連らぬ
その日のまた来たらむや
相馬の武士の心騒ぐかも

タグ:浪江町の詩

つばめ来る(祝-浪江駅開通)


つばめ来る(祝-浪江駅開通)


我待ちて紛々とにおふ梅の花

梅の花余すことなく香り散る

万作に冬の貴婦人ボケの花

木蓮の蕾ふくらむ希望かな

10羽ほど一気に来る燕かな

浪江駅開通するやつばめ来る


東風(こち)吹いて枝のゆれにき四十雀しきりさえづりわたり飛ぶかな


今日は十羽ほど燕が来ていた、普通は一二羽と見かけるけど今年は一気に十羽も燕が飛んできていた、そして浪江駅が開通した
何か縁起がいい日だとなる、復興には曇っていたがいい日だったとなる
燕が来るということはやはり何か新しいものがもたらされて何か新しいことがはじまるとかそういう兆しとして燕が象徴されるからだ

でも実際は浪江町でも前途は厳しい、17パーセントとしか帰らないとか帰るのも老人だけである。自転車屋をはじめた人も78歳だとか跡継ぎもいないから店は補償金もらってやめたとかそんな人だけでは復興できないだろう。
でも浪江町はそもそも拠点となる町自体を失い役所も他の市町村にもうけていたので浪江町が避難解除されたことで拠点ができるのはいいことである。
復興するにも地元に帰らねばできないからである。浪江町では公務員が忙しくてやめたいとか言う人がいるというのも公務員は一番恵まれていたなど田舎ではなっていたがそんなものでもなくなった、もう町の生き残りをかけて仕事せざるをえなくなったのである。

浪江町に鉄道が開通したら避難解除したら行きたいのは高瀬川である。
あの川は激流となっているから他の川とは違うし名勝の地であった
ただあそこに大堀焼きの窯元があったがそれもなくなったし放射線量が高い所でそこは避難区域のままであり立ち入り禁止になっているみたいだ
そうなると浪江町の魅力がなくなる、でも駅が開通することは復興のはずみにはなる

東風(こち)は浜通りでは海から吹く春を告げる風である。
その風でしきりに枝がゆれ四十雀がさえづりつ飛びわたってゆく,いかにも春らしい
だからまた遠出したくなった、ただ自転車となると体力的に厳しくなっている
でもなんか自転車でないと自然と一体になりにくいのである。

吾妻山の記憶としては白木蓮である。

山高み残れる雪に木蓮の白さや朝の風に走りぬ

この辺では高い山がないから吾妻山は高い山として望めるから気持ちいいとなる。
これも自転車の旅だから記憶に残っているのである。
鉄道とかだと風を感じない、すると記憶に残らないのである。
意外と車でも風を感じない、するとその土地のことつまり風土が記憶されないのである。
ともかく介護もないから今になると自由にまた旅ができる、だからまた行ってみたいとなる





タグ:つばめ来る

2017年03月24日

春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)


春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)

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蝋梅や塀静かに猫歩む


この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ


駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである

仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。

なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。

家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。

地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう

ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。

だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。

2017年03月22日

春の日の短歌


春の日の短歌

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新しき視界開けぬ春の山

new sight open in the distance

I look around mountains in spring


やすっぽし壺の壊れて悔やまぬも価値ある壺の壊れて惜しも

白菊に朝の日さして金盞花添えて咲くかな我が部屋に見ゆ

こころよく仕える人のあれにかしその女なしも我は哀しき

蝋梅に朝の日さしてなおも咲く母なき後の部屋にいるかな

電車の音のひびくを家に聞く仙台に通ず春の朝かな

駅前に黄のクロッカス咲きにけりその明るさや客を待つかな



壺でも価値のある壺が壊れたら惜しいと思う、でも安っぽい壺なら惜しいとは思わない、ただ壊れたかとかなるだけである。やはり人間も価値が違っている、
ただ人間の価値はわからない、ロックフェラーが死んだけど巨万の富を残したけどその人がどれだけ価値があるかもわからない、どれだけ人類に貢献したかとなるとわからない、むしろロックフェラーは悪の権化のように影の支配者のように常に陰謀論で言われているからである。
本当にロックフェラーが価値ある人物だったかどうかわからないのである。
とすると金だけで人間の価値も計れないとなる、なぜならそれだけの巨万の富を残したのだからそうなる、金で計れば一番価値あるとなるからだ。

金盞花と万寿菊は同じものだった、この色は明るい、確かに金色に輝いている
人間でもまずこころよく仕える人はほとんどいない、いやいやながら仕えている、働いている、金のためにしかたがないんだよなとなる、でも家族だったらそういうことはない
結局家族がみんないなくなってその悲哀を介護から十年間自分が苦しみ悲しんだ
家族がいないことがどれだけ悲惨なことになるか今になって身をもって経験したのであるそれも自分のカルマだった、なんらか起きることはカルマなのである。
複雑ではあるが蝋梅はまだ咲いている、3カ月咲いている、こんなに長く咲く花はない
だから長寿の花としてふさわしい、そして人間は死んでも何かその後がある
家というのは嫁いだ娘のことをその部屋に親が偲んでいるとか何か家にはそうした思い出が残る、人間の家は単なる箱ではない、何か精神的なものが付与されている
だから原発事故でも津浪で避難した人はその家がなくなることが悲しいとなる
家に帰りたいというとき家は単なる物ではない、箱ではないからそうなる

電車が仙台まで開通して不思議だと思ったのはその電車の行く音が家までひびいてくる
それは仙台まで通じている音なのである。
今までは相馬市と原町間の短い区間であったが今度は仙台からさらに遠くへと通じている音である。それが春にふさわしい
この辺では仙台に行く人も来る人も多い、この前は岩切から来ていた。
駅で送り迎えしているのが自分である。駅は今まで感じなかったがそうして人が交わる場所だったのである。バス停にはそういうことはない、何か駅は単に人を運ぶというだけではない、駅に駅前に広場の役目があるとか何か人と人が交わる場所としての機能があっただから駅というの交通の手段としてみるだけではない、そうした別な視点からも見ることが見直すことが必要である。
交通の手段だけだとすると車にはかなわないからである。鉄道とか駅とかには他の役割が機能があるべきでありそうすれば駅も鉄道も活性化するともなる


2017年03月20日

春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る (山から海が広々と見えるようになった)


春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る

(山から海が広々と見えるようになった)

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パノラマ パークゴルフ場の向かい側の山から見る-クリック拡大

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春の山沖に船行く望む丘

船二艘望む丘かな春の海


川子のパークゴルフ場に行った、そこで話を聞いた。

「パークゴルフは簡単にできるもんですか」
「なかなかそうでもないです、ゴルフやっている人も苦労したと聞きましたから」
「この回りを自転車で走れるコースにするのもいいのでは、自転車が好きなもので」
「いや、パークゴルフの玉は重いから危険です」
「あの玉は重いんですか」
「転がってくると危ないです」
「そういうもんなのか、簡単にはできない」
「上達するには訓練もありますしみんなが上手にはなれない」
「そういうもんですか、なんか甘くみていたな」

前の人はパークゴルフは簡単にできると言っていた、では簡単にできるのかと思った、今日聞いた案内の人はかなりむずかしいと言っていた。
前の人はパークゴルフのことを知らなかったのである。
ともかく何であれ遊びだって知らないということは経験していないことは簡単に考えてしまうのである。あの玉が転がってきて危険だとは思わなかった、確かに重そうに見えた

自転車走るのは無理なようだ、向かい側の森を切った所の上り道を電動のマウテンバイクで上ったら山から海から視界が気持ちよく開けた。
この辺は何か森を切ったりして土をとる場所が多いのである。あそこもそうなのかもしれない。ただ道ができていて上に上れるようになっていた
あそこは何かマウテンバイクのコースにはいいなと思った。

山も見えるし海も見える、海には二艘の船が行くのが見えた、あそこを整備すれば気持ちいい場所になる。見晴らしがいいからだ

その後は右田の方にでて帰ってきた、途中津浪で流された右田の墓地に墓参りする女性がいた
何か津浪で変なのは海老でもここでも烏崎で墓地が残り家がなくなっていることなのだ
墓は立派なのが多いのである。
だから常にこの逆だと良かったのになと思う
墓地が残って肝心の住む家がみんななくなってしまったからである。
墓地がなくなっても家があればまた墓は作れるからである。
家がなくなり墓参りする場になったというのも奇妙な感じになる
その人は家を町内に建てたという、仮設でも原発避難者と小高の人をうらやましがっていたかもしれない、津浪の被害者には補償金は出なかったからである。
その女性は家を建てることができたのだから余裕がある人だったのかもしれない。
海老の人はローンで苦しいと言っていた。

ともかくあそこの土地はどうするのかやはりソーラーパネル場になるのか?
田んぼにするとは言っていた、何かにしないと金も入らないしただ荒地になっているだけである。だからどうしても何か金になることに使うようになる
それがみんないいとは限らない、ソーラーパネルがどうしても一番作りやすいのである。
地元のことでも良くわからないことがある、パークゴルフでも経験していない人はわからないのである。また土地の利用をどうするかなども関心をもつ
それは毎日行き来しているからそうなる、何かこの辺は突然にソーラーパネル場になるのが多いのである、これは全国的にそうである。
ソーラーパネルは意外と簡単に設置できるかばしれない、そんなに大工事にはならない
何かそうして安易に作れるからこんなに増えたのかもしれない、業者も増えたのである。それがかえって景観の破壊に通じていたということがある

2017年03月18日

春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る



春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る

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パノラマ写真ーソーラーパネルがあるのも今の風景である。
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クリック拡大

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この石はいい石である、これだけの石があり新築である。
誰が建てたのか?気になるが原町は広いからいちいち気にしていられない

古いままの原ノ町駅

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ここにレールが使われていた




紛々と梅のにおふや晩年に

梅林や牛に山鳩畑かな

街中に牛飼う家や春の雲

大石をすえて新居や梅におふ

春耕や残る街中の畑かな


久しくも一本松のここに立ち一つの池の水ぬるむかな


梅は盛りでありいたるところにおっている。晩年というとき一見年取って嫌だなとみる。でも自分はあらゆるものを深く見れる鑑賞できる、詩などもいいものが創作できる
今まではなかなかいいものが作れなかったが自然にできるとなる
やはり芸術などもなかなかすぐには理解できないし創作もできない
それだけ自然を知るのには歳月が必要だともなる
普通の人だったらどうしてもそうなる、だから大器晩成とは別に大器でなくても理解が深まるし創作もできるようになるのだ。

今日見た風景は変わっていた。六号線の高見町から海の方に行くとそこは工場があり倉庫などがある一帯である。渋佐地区になる
仙台にも卸町とかありそういう場所であり景色は良くない。
でもそこに牛を飼う農家があり畑もあった。この風景も不思議だった。
こんなところに農家があり牛を飼っているというのもにあわない風景だった
この辺はもともとは田畑であり農家があった所である。

この梅林に山鳩も来ていたし鳥がとまっていて春の雲が浮いている
何か牧歌的だなと思うが全然そういう場所ではない、第一ここに農家がある、牛がいるということがそぐわないのである。
でもこういう場所がまだ街中に残っていたことはなごむともなる

何かこの辺でも新築の家が増えた、浪江の人が建てた家もあった、小高の人も建てたし相当に原町でも新築の家が増えた、原町はこの辺では一番住むには便利だからである。
原町は大きいからわかりにくい、鹿島区くらいだとすみからすみまでわかるとなる
それでもわからないものがあるのが現代の社会なのである。

今日は原町駅に行き原町の駅舎を見た、そしたら意外とそれは鹿島の駅舎と同じく明治30年に作られたままのものだったのである。
改装はしても中味は変わっていなかった。
南相馬市のチャンネルで原町駅のことを説明していた。
ホームにレールが使われていた、あれは気づかない、なぜレールなど使ったのだろうか?やはり明治となると鉄が貴重であり建築するにも利用したとなる
壁は自分の家がそうだったように土壁だったろう、するとまるで大きな農家のような造りだったとなる、原の町駅は大きいから昔は残っていないと思った。
蒸気機関車のとき方向転換する場があり大きな駅だった、今は半分くらいに縮小している

高校のとき通った駅だがその時蒸気機関車だったけど鉄道自体に興味はその時もっていなかった。やはり人間は興味をもたないと注意して見ないのである。
勉強だって興味がなければしないし強制的に試験があるからとやらせても身につかないのである。
鉄道だといろいろ興味をもつ人がいる、一番多いのは撮り鉄である。
デジタル写真の時代だからそうなる
ただ鉄道は自分でも原町に行くときめったに乗らない、買い物でも自転車である
途中回れないとかへ不便である。駅に来ても歩いて用たせないから困るのである。
タクシーになるとまた金がかかるからである。駅からのアクセスが不便だから利用しないそれで北海道は半分廃線になというのもわかる。
日高線を復旧するのに130億かかるというから洪水で破壊されたレールは放置されたままである。そしてもう復旧できないから廃線にすると会社では言う。
常磐線の復旧は津波で流された区間を直すのに400億かかった
でも東JRでは復旧したのである。今月は浪江まで開通する

今日は彼岸の入りであり原町の橋本町では墓参りの人が来ていた。
原町の街中で畑を耕す女性がいた、まだこういう光景はこの辺ではある。
それでほっとするということはある。
ただ原町の街は通りはシャッター通りでありさびれている、これはどこでもそうである。何か復興事業も一段落してこれからさらにさびれてゆくから困る
それは相当に深刻な状態になるかもしれない、震災前だって生活が苦しい人が多い
そのことで自分はひどいめにあったことを書いてきた。
復興景気は終わるとこれから農産物でも放射能で売れないとか苦しくなる

何か自分でも自分が病気になったり介護になったりさんざんな目にあったことを書いてきた、つくづく負のスパイラルに陥ってゆくのが人間である。
だから小高でも浪江でも飯館でも避難区域になったところは負のスパイラルに陥りやすいから復興がむずかしくなるのである。
結局いいことにいいことが重なり悪いことには悪いことが重なるのである。

また川子のパークゴルフ場によった、あそこに植えた樹が大きくなるにはこれも何十年とかかる、それで夏は日影がなくなるので日ざしをまともに受けたらできないと思った。
海岸地帯も日影ないので夏はいられない、木が育つまでには何十年もかかる、50年もかかるとなったらもう今生きている人は日影休むことができない
でも20代とかなら老人になったときその木も成長しているから休めるとなる
今の老人は日影に休むことができないのである。
だから老人は先は短いからそうした息の長いことをするのに向いていない
だから復興するのにも長い先を考えるとしたらできない

人間は先をみることがつくづくむずかしい、何が起きるかわからないからである。
東芝で失敗したのは原子力に力を入れすぎたことである。
それが未来だとしてフクシマで事故になりその影響でアメリカの会社まで影響して窮地に追い込まれたのである。先をみることを誤ったのである。
それが致命的結果になったのである。
ただその先をみるというときこれは老人ではできない、先がないからである。
たから老人は復興に向いていないのである。



2017年03月11日

今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家)


今日の南相馬市鹿島区(薪ストーブの家) 

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ここが五六軒が空家になり空き地化している、街の真ん中なのである。



今日の鹿島駅ではない、鹿島区である。自分は毎日鹿島区内を行ったり来たりしている、前から注目していたのが薪を積んである家である。
街中にどうして薪を積んでストーブに使用しているのか?
それが今日薪を積んだ軽トラックの人がいたので聞いてみた

「これも燃やしているんですか」
「そうです」
「いろいろな木があるみたいですね」
「ナラとかケヤキとかあります」
「木によって燃え方は違うでしょう」
「そうですね、杉の木は燃えやすくてだめです」
「燃やしても長持ちしないとやはり薪の場合はまずい」
「堅いのいいです」
「これだけのものを集めるのは大変でしょう」
「これはもらったものでありいらなくなったものです、家の柱などには使わないものですこれは象の置物です、外材も多いです、何か燃やしてくれと頼まれることがあります」
「自分も子供の頃゛バタをとりにいってて鉄砲風呂で風呂たくのが仕事でした」
「そういう時代もありましたね」
「薪でストーブはあたたかさが違うでしょう」
「そうですね、部屋全体があたたまります」
「それにしてもこれだけの薪を割ったりそろえるのは大変だな」
「あそこにも薪を貯える場所を作ったんですよ」
「そんなに薪が必要になるのか」

現代生活に合った薪ストーブ選び

何軒か街中でも薪ストーブをしている家がある。これも今では相当な贅沢である。
これをしているのは倉庫になったような所であり暮らしているのは別な所だった。
薪ストーブというとき冬を楽しむにはいい、エアコンよりぽかぽか体全体が家全体があたたまる感じだからである。
田舎では囲炉裏があり一日燃やしていた、その囲炉裏の側で寝ていたのである。

薪を積んだ家というとき栃窪村などにもあり場所としてはいかにも山の村としてあっている。

栃窪に薪積む家や冬籠もり

こんな感覚になるが街中だとなにかそういう感じはないしこの辺は特別寒い所ではないから必要でもない、やはり寒い山国だとあっている。

この薪積む家の人と話して次ぎに知っている人の畑を見に行った。イヌフグリの根っこをとっていたた。その根っこが細かく張っている、だからそれをとるのが苦労なのである。荒地になったところにイヌフグリが一面に咲いてきれいだと思ったがこれが畑として作物を植えるのには苦労なのである。
その畑に毎日行っている人は畑の話をする、でもイヌフグリが花であり春の季語でありその花の名前も知らないのである。
花を活けるのだが畑でとれた地元の花は長持ちする、でも一旦冷蔵庫に入れた花は長持ちしないという、そういうことに詳しい、野菜作りと花は植物だからにている。
土作りも花の場合も必要なのである。

自分の場合はイヌフグリというとき春を告げる花としてしか見ていなかったのである。
農業するものにとってこうしたものが実際は草にすぎず邪魔者になっているだけだとなるその近くに畑まで歩いてもこれない老人が畑で作業している。もう歩くのもやっとなのである。それで娘が車で迎えに帰るのである。それほどまでして畑をやるのかとなる。
この辺は回りが荒地化しているのだ。それが何か影響してくる
前はこういうことがなかった。その知っている人は一年で千円で土地を借りて野菜作りしている。
ただほんのわずかのものしかとれない、一回トマト数個もらっただけである。
そして苦労話は百倍しているだけなのである。
鳥に食われた、盗まれたなんだかんだと苦労話だけなのである。

その次は買い物でスーパーに行った、新しいのが一軒できたので便利になった。
そこに売っていたのがイスラエル産の果物である。
イスラエルからも果物が来ているのか?それがいぶかったが自分はイスラエルに行ったことがありキリストの生まれたナザレにも行った、イスラエルで誤解しているのはあそこは砂漠であり土地が肥えていない、それで入植して人工的に潅漑などして果物などを作ってたいる、グレープフレーツの品種改良したものである。


スウィーティーはアメリカではオロブロンコ(Oroblanco)と呼ばれているもので、1958年にカリフォルニア州のカリフォルニア大学リバーサイド校柑橘類研究所においてグレープフルーツ とポメロ(文旦の一種)を交配し生まれた品種です。この時に姉妹品種の「メロゴールド」も生まれています。

オロブロンコというのも売っていた。ただイスラエルから輸入されているとういのは意外だったのである。それだけ本当に田舎でも国際化したグローバル化経済の中にある。
田舎といっても昔の田舎とは違うのである。田舎的なものは残っていても自給自足の田舎などどこにもない、どこでも山の中でもグローバル化経済の中にあるから金がないと生活できないのである。

なんか自分は母を介護したときは淋しさを感じなかった、絶えず母に注意していなければならなかった、だから精神的余裕がなかった。外に注意を向けることができなかった。
そして大きな家に一人になったとき感じたことは何かからんとした所に一人いることが普通ではない、淋しいと感じるようになった
それで人恋しくなる、それで駅とかに言って話しかけたりする、今までは家に人がいれば淋しいとういことは感じなかったのである。
それで一人暮らしになった人がお前は介護していても家に人がいるからいいと言っていたその人も妻を失い大きな家に一人でいるようになったからである。
だから一人暮らしになるということがどういうことなのかこれも経験しないとわからない
もう一カ所は街中に空家が四五軒まとまってあり空き地化したところを毎日通る、そこには公園もあるが老人が出てきたので聞いてみた。

「ここには空家が多いな、どこに行ったんですか」
「町内に移動しただけです」
「町からでたわけではなかった」
「あそこも空家なんです」
「あそこは空家に見えないな」
「私も一人で暮らしているんです」
「自分もそうですが・・そういう人が増えたよ」

あそこは別に他の市町村に出た人ではない、そういうことが多いから聞いてみたがかえって金があるから新し場所に家を建てたとなると余裕があったとなる
この辺では震災以後新しい街が三つくらいできたくらい新しい家ができたからである。
鹿島区は人口は減らないのである。人口が減るとやはり全体の影響が大きくなる

いづれにしろ自分は小さな範囲で介護以来生活している、でもそこからも世界は見える
つまり田舎でもいかにグローバル化経済の中にありまねがれないということである。
だからとても昔の自給自足の田舎とは余りにも違いすぎる
イスラエルの果物が輸入されているというのもそうである。そういうことは外人が入ってこなくてもそうでありそういう世界に田舎でも組み入れられているのである。
カナダのトロントから鹿島区に住んでいるフィリピン人の母親を頼りきた息子がいたりとそういう世界に田舎もなっているのである。
そして自分がカナダの国債を買って損したというのもそうである。
そういうことは田舎だってあるしグローバル化経済からどこでもまねがれない社会に生活しているのである。アフリカの奥地でもドルが通用するとなるとそうである。
そこで「ワンドーラー」をくれとかロバに乗った子供が叫んでいるのが現代のグローバル化経済社会なのである。
原発事故だってグローバル化経済とか社会とか世界的なものでありそれが事故となり問題化したのである。原発の是非は世界的な問題でありそれでフクシマが有名になったのである。

タグ:薪ストーブ

2017年03月08日

50年あった東北サッシを思い(詩) (工場も郷土史になる)


50年あった東北サッシを思い(詩)


(工場も郷土史になる)


桜田山に
東北サッシありて
50年は過ぎしも
今日神奈川の社長を
鹿島駅に見送りぬ
そこに働く人も老いにけり
春なれどもなお寒しも
風花の舞いにつつ
東北の風の冷たし
我は今日も見送り
駅に電車を待ちぬ
同輩もみな老いゆくや
すでに死す人も病になる人も
この駅の建てられしは明治30年
歴史をここに刻むかな

東北サッシは桜田山にあったからなじみがある。他に工場があったがつぶれた。
それを長い間見ていた、ただつくづく50年とかあること自体が何であれ歴史になったと思う、会社でもやはり長くあればそれが歴史となる、郷土史にもなる
人生50年となるからそれだけの長い間故郷にあったことが歴史になる

すでにその人も退職する年齢だというときそうである。白髪も多いから同じである。
その工場にその歳まで働いていたということが重みになる
工事でも人間はそこで働いているということは愛着が生れる
50以上の人が癌になり死ぬということを意識したとき工場で一緒に働いていた人とまた会いたいとか働きたいというのもわかる
工場でも長くいればそこの人でも仲間となり愛着が生れるのである。

鹿島駅は明治30年に建てられたのである。それは相当に古い、蒸気機関車の時代もありそれを自分は経験している、その前からも走っていた、ただ戦前はどうだったのかとかその歴史が今一つわかりにくい、原町駅には蒸気機関車の方向を転換する場があった。
原ノ町駅は明治になりできて原町が相馬市より発展したのである。
その原動力となったのが蒸気機関車であり駅だったのである。
その時森林鉄道も全国にあり東京に木材などを運んだからである。
常磐線は常磐炭鉱があり石炭を運んだ、小樽なども石炭を運ぶために作られた。
石炭を運ぶために作られたのが鉄道である。貨物列車の方が先にあったとなる

いづれにしろ何でも歴史がある、明治からの歴史もある、ただ身近なものでもそうした歴史があっても忘れられる、注目しない、駅に人間模様があった。
なんか戦後まもなくは仙台に買い出しに行ったということを姉から聞いた
そんな時代もあったが忘れられる、集団就職でも駅から上野に向かった
それも自分は大学に行ったのだからその時は関心がなかった
ただ常磐線はそうして行き来したから思い出となる

いづれにしろ郷土史の範囲となると本当に広いのである。一人一人の人間が郷土史になるからである。すでに老人になればそういう歴史を一人一人刻んできたのである
現代史も歴史になる、なぜならすでに団塊の世代でももう70とかなり歴史となる
そういう歳になったということである。

a 基本給(月額平均)又は時間額138,000円〜160,000円

でも東北サッシは月給が安い、田舎ではこんなものなのか?
こんなんで生活できるのか?もらっている人はもらっているだろうが安い
田舎は公務員とか医者などが高いが後は安いのが多いのである。
これが初任給なるわかるが安いと思った。
これでは人手不足でも人が来ない,そもそも若い人も少ないのだからそうなる
人手不足といっても誰でもいいわけではない、つまり誰でも人がいないからと補充できないからますます人手不足になるのである。
お手伝いさんであろうが掃除するだけでも誰でもいいというにはならないのである。
それは相手が人間だからそうなっているのである。