2023年02月04日

冬深む俳句十句 (人間には共有する場が必要である)


冬深む俳句十句

(人間には共有する場が必要である)

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蝋梅や貧者を世話し家の主
街中の神社の古木に寒烏
冬の鴨身を寄せ合うや橋の下
庭の石場所を変えずに冬深む
家になお死者の生きむや冬深む
老人が老人世話す冬深む
我が一人墓を守るや冬深む
冬深む齢を重ね里に老ゆ
土地土地の生きにし場所や冬深む
大原の老木あわれ冬深む
松一本社を守り冬深む
土地土地の土とならんや冬深む
土地土地に年輪刻み冬深む
共に生く場を持ち死なむ冬深む
土地土地の古き家尋ね冬深む
老夫婦結ばれ離れず冬深む

共有す一つの場に生く冬深む

one common life
identified place
deepend winter
in my homeland

冬深むという時これは1月から2月だろう
今は2月4日でも春になったがまだまだ冬である
確かに春の兆しは出てきている蝋梅でも咲いたからである
季語としては西と東では季節感が違っている
西は早く暖かくなるみちのくはまだ冬が長い

北海道だとさらに冬は長いだから季語も違ってくる
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる、人間はやはり一つの場所があってそこでい一体化してゆくアイデンティティ化してゆく、それが自然なのである木がに根付くように人間もそうなる。

ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる
人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きる木は長い時間をかけてその土地に根付く
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる人間はやはり一つの場所があってそこで一体化してゆくアイデンティティ化してゆくそれが自然なのである木が根ずくようになる
ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる

人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きるきそして長い時間をかけてその土地に根付く
そういう場所が人間には必要なのである
そういう場所を奪ったのが原発だったのである
老人がそうしてなじんだ場所に住めないことは金銭的なものより精神的な衝撃が大きかったのであるでもそれもカルマであり責任は住んでいる人たちにもあったとなる

そもそもそうした精神的なものは自覚しにくいのである
それは失ってみて初めて分かるのである家族でも親子でも夫婦でも死んでみるとその貴重さが価値が分かるのである生きているときはわかりにくい感じにくいのである
だから故郷を失い家族がばらばらになった時痛切にそのことを感じたのである
いつも通る橋の下に鴨が数羽群れている身を寄せ合って群れている
それはありふれた景色であるでも俳句は写生である、ありのままを写すのである
橋というのは人間的なものなのであるそしてそこに鴨がいる
ということは鴨も人間的なものとしていることになる橋があることによってそうなったのであるつまり何でも人間化するのである動物もこうして人間化したものとして表現するのである

老夫婦となると冬深むにふさわしいとなる、でも熟年離婚が多いことにも驚くのであるもうそれも大きな損失である68とかにって離婚する人もいる
でもそもそも人間の時間は限られているそんな年になって人間関係を親密さでも信頼でも作ることは難しくなる
ただいかに男女関係でも人間が平和的にありえないということなのである常に不和が生じるのは人間の世界なのである

蝋梅が咲き始めたそれを母がいた部屋から見ているここで母は寝ていた私は介護したそれでこの部屋を百才の間とした
蝋梅という時これはやはり長寿の花かもしれない百歳まで生きれば充分であるでもその前に病気になるから人間は長生きするのも問題となるのである病気にならなければ別に長生きしてもいいのであるこの部屋から今日もウグイスを見た、その鶯が蝋梅にとまっていたのである
その取り合わせが良かった縁起が良いとなる
写真を撮れなかったがインターネットにでている、蠟梅ででてくる








2023年02月01日

ダイユーエイトの敷地にある田母神の社 (冬に見えた珍しい鳥ーマミチャジナ?)

ダイユーエイトの敷地にある田母神の社

(冬に見えた珍しい鳥ーマミチャジナ?)

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めずらしやマミチャジナイ群れ飛びて枝にゆられつしばしとまりぬ

うぐいすの二羽庭に来て飛び去れりめずらしきかな冬にこもるも

松一本御田母神の守りけり何を語るや冬のくれかな


今日は朝に鶯が二羽庭に来た、冬になると餌がともしいから鳥が餌を探してくるのかもしれない、庭の木の実などを探しにくる、外に出たら頭に白い筋が入っていて腹がモズのような色をした鳥が群れて飛んできた、これはつぐみかと見たが違っている
腹の色が違っている、でも何かと調べたらマミチャジナイとかあった
これならそうらしい、でも聞いたこともない名なのでそうなのかと見た
名前自体がなじみがないからだ、でもツグミでないとするとそうなる
鳥はなかなか見分けにくい、ゆっくり見ていられないからである
写真をとるのもむずかしい、すぐ飛び去るからである
ただ偶然カメラに写っていた、だから間違いないのかとも見た
冬の鳥は葉陰とかに隠れないので見やすいということがある、写真にとるにはいいとしてもすぐ飛び去るからむずかしいのである

ダイユーエイトの入り口に「御田母神」がある、

田母神俊夫という自衛隊の幹部の人が一時有名になったけどこの人は郡山市田村町の出身だった、ここに田母神の地名がある

田母神村: 江戸時代から明治時代中頃まで陸奥国安積郡(田村郡)にみられた村名。当初は白河藩領、寛保元年幕府領、寛延2年常陸笠間藩領、安永6年幕府領、同7年磐城平藩領、寛政3年からは常陸笠間藩領と推移


ここが笠間藩に一時なっていた、笠間焼がありそこで絵付けとかして遊んだことがある、茨城県にはあまり藩はないし城もなかった、だから観光する場がなかった
ただ焼き物から見ると笠間焼とかあるのは江戸時代からあったとなる
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田母神{田母神}の発祥地はここであり田村というとき田村の姓が近くにもありそこから移住してきた人があったためだともなる
この田村は坂之上田村麻呂にも由来している古代からのものである
南相馬市の鹿島区の大内村に坂上田村麻呂に由来する御堂がある
つまり古代から田村とは関係していたのである
それは800年代だから古いのである

いづれにしろあそこはもともと田があり田母神が祭られた、でもその由来はここではない田村町の田母神の神も人ともに移動してきたのである
そういうふうに神も移動するのである、移動するとき人がいて移動する
御神体も人とも移動するのである

いづれにしろここに田があったとき田母神様が活きていた、でもダイユーエイトができたとき田がなくなりただ社だけが残ったとなる
こういうことはいくらでもある、そもそも神田とあれば神の田でありそれが東京のど真ん中にあってももう田をイメージなどできないからである
ただ小さな社でもビルの谷間に残っている、ということはその社でも残っていれば何かを昔を語りつづけけいるのである
でもそれが何かなのかは不明にもなる、何か伝えるために残っている
今この社を守っているのは松一本だとなる
前は六号線であり車が毎日往き来してもこの社に目を留める人はいない
私はダイユーエイトができる前からこれを知っていたらその変わりようを書いた
つまり郷土史として書いたとなる






2023年01月29日

真野川の鉄橋の下の白鳥の写真


真野川の鉄橋の下の白鳥の写真

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氷を割って泳いでいる
薄氷である


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氷割り泳ぐ白鳥朝に見ゆ山は雪なり冷えにけるかも

朝の日の光り反射す川面かな白鳥群れて白に白映ゆ

目覚めれば地表は雪や白鳥の五六羽飛びぬ空澄みにけり

今日は真野川の鉄橋の下に白鳥が30羽くらい群れていた
白鳥のいる場所は変わる、田んぼにいるときもある
ここでこんなに数がいたのはめずらしい、ただここで餌をやっていないのである
白鳥はやはり特別寒い時美しく映える、この辺ではあまり寒くならない寒さの中の美は
感じない、でも白鳥はヨ−ロッパでもいる、ということは白鳥はロシアからシベリアから冬に渡ってくるとなる、でもロシアから来たのは攻めてきたのは残酷な軍隊だった
自然ならそこに美があるが人間は美を破壊するのである

写真はやはり場面とカメラの性能に左右される、私のカメラは高いものではない
またレンズにも左右される、レンズが何十万とカメラより高いのである
野馬追いの写真を撮りに来た人は50万とかのカメラをもっていたのである
カメラが趣味の人は多い、ただ写真もその場面に出合い、その一瞬をとらえることがむずかしい、近くだから撮れたが遠くになるとむずかしくなる

とにかく現代は映像の時代である、だから写俳というのが生まれた、そもそも正岡子規は写生の俳句で俳句の革新を計った、だから写真と相性がいいのである
でも俳句は短すぎるから限界を感じる、短歌だとまだ長いから表現の幅がある
俳句と短歌を作っていてもやはり俳句は限界を感じる
ただ芭蕉のような俳句を作れたのか不思議だとなる、芭蕉より優れた俳人は出ていない
またこれからも出ない、なぜなら時代が違っているからである
現代のような風景と時間感覚とかではとても芭蕉の時代とは余りにも違っている
でも不思議のなのは蕪村は絵画的であり現代にも通じている
だから正岡子規は蕪村を良しとして写生俳句を唱えて革新したのである

ともかく今日は寒い、今キーボードを打っていても手が冷たくなる
ただ白鳥は寒さに映える、冬の美の象徴である



雪の中の白鳥

純白の衣の朝日に輝き
光りは水面に跳ねぬ
雪の朝白さ白さの映えて
優雅に水の上に浮かぶ
乱れなくその純潔の美
その高潔なる貴族のごとし
鴨の群れは下々と従う
神は我が意を得たりと
そのイデアは地上に成りぬ
太陽は喜々として輝き
また朝にここに喜び輝きぬ
その翼を広げし飛翔の躍動
白鳥は凍れる夜に星座と輝く
田舎にそ何か見るもののあれ
北風の吹きつけ白鳥の鳴く声がひびく
その凍てる空に弦の音のように響く
ふの触れがたき聖なる鳥よ
神は自然の天然の美を与えぬ
純白の雪に覆われて人は見えず
白と白は互いに映えて美しさを増しぬ
ただ白鳥のみそ映えるべきかな
黙して自然の美を見よ
黙して自然の声を聴け
地も聖なるものとなるべし

2023年01月28日

みちのくに枯野が似合う(枯野の俳句十句)


みちのくに枯野が似合う(枯野の俳句十句)

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みちのくや休みに入るや枯野かな
人死にて争い終わる枯野かな
みちのくや枯野に残る金色堂
みちのくの金色堂や雪覆う
凍てりつく池や映えにき金色堂
みちのくや線路遠くに枯野かな
青森は遠き果てなり枯野かな
みちのくや枯野の駅や二三人
みちのくや都の遠く老いにけり
争いし境も消えて枯野かな
みちのくに栄華もなしや枯野かな
みちのくや風の唸りて黙す石
みちのくや抹茶を飲みて冬深む
みちのくや木を深く張る木冬深む
みちのくや心にしみぬ冬景色
みちのくへ上野を離れ枯野かな

目覚めれば地表は雪や白鳥の五六羽飛びぬ空澄みにけり

その場所場所で役割というか特徴がありそれに見合った場所としてあるのが本来はいい
アイディンティティもそうして作られる、それぞれ違った地理と風土がありそこに文化が生まれる、みちのくというときもそうである、ただはちのくといっても広いのである
芭蕉がみちのくを旅したのは平泉までである、そこからみちのくは岩手県があり青森県がありと広いのである、ただみちのくというとき地理的に風土的に北であっても北海道とは風土とか地理でも相当に違っている
みちのくは古代史からすでに日本の歴史と深く関係していたからである
それで縄文時代となると東北地方が先進地域だった、礼文島に縄文人の骨が発見されて
アイヌとは縄文人の後裔だとDNAの研究で発表した学者がいる
アイヌが縄文人だったのかとなるがそれに疑問を持つ人もいる
アイヌとは比較的新しい民族だという人もいる、もしアイヌが縄文人の後裔だとしたらアイヌ語が原日本語の祖語となるから大きなも問題になる
それで日本全体の地名をアイヌ語にあてはめた時代があった、でもそれは無理だった

いづれにしろみちのくとなると地理的風土的歴史的にアイディンティティが作られた場所である、だから北海道とは違った世界である
そしてなぜかみちのくに合うのが枯野なのである、わび、さびの世界なのである
みちのくは経済一辺倒の世界とかは合わない、大坂だったら商人の街でありあいさつがもうかりまっかとかなる、仙台市だともともと商人の街であり普通は東北弁だとんだんだになるが語尾にだっちゃだっちゃとなりこれが異質なのである
んだんだというのは何か口籠る言葉であり北国的である
でもだっちゃだっちゃというのは感覚的に全然違っている、押しが強い言葉なのである
伊達藩から伊達政宗のような人が出たという時何か異質なのである
東北人であのような芝居めいたことができる人はいないだろう、くそ真面目という感覚になるからである、ただ相馬藩とかでも実際は千葉県とかから移住してきた相馬氏一族が支配した藩だから別に土着的な人達ではないものが入ってきている
でも方言からするとんだんだとだっちゃだっちゃは余りににも違っているのである

上野去り平野開けてみちのくに我が帰るかな秋の陽没りぬ

上野駅を離れると浦和辺りなのか平野が広がり枯野にもなる、その時地平線に秋の夕陽がかがやき沈みみちのくに帰ってゆく、電車からその赤々と燃える秋の陽を見る
そして常磐線でもいわきまでは昔の平駅までは東京からの通勤列車が出ている
いわき市まで通っているのであり東京は意外と近いとなる
福島県は東京と近いのである、だから東電の原発でも建てられたとなる
郡山市だったら東京から一時間くらいなのである、通勤していた人もいるのである
でも会津とかなると不便であり遠くなる、会津は福島県でも浜通りから遠い、東京よりも遠いという感じにもなっている

ともかくみちのくでも広い、芭蕉が旅したみちのくは平泉までである
そこから岩手県になり青森へともつづく、そこはまさに辺境の地なのである

常夜塔雪に埋もれて野辺地かな

野の辺というときそうなる、津軽鉄道の津軽中里から十三湖に行った時寥々とか湖に風が吹いていた、そこも本州の果てなるか所である、ただ昔栄えた港があった、何かそれも津波で流されたとか言われる、砂に埋もれてしまったとなる
青森はみちのくの果てである、でも函館に行くとそういう感覚はなくなる、函館は明治に反映した近代的なしゃれた街なのである、感覚的に全然違っている
北海道はアイヌの歴史であり日本の歴史の中に入っていない時期が長かったからである

それにしてもなぜ芭蕉は旅に病んで夢は枯野を駆け巡るとなったのか。。。。
みちのくを旅したのは夏だったからである、秋だったら枯野にもなるがみちのくの枯野をイメージしたのか
その辺がわかりにくいのである

江戸だと枯野見があった、わざわざ郊外に枯野を見に行った、それは江戸は人でやはり込み合って枯野がなくなっていたからである
それで風流を演出したのである、今の東京なら電車でも車でも相当遠くに行かないと枯野はないのである

2023年01月20日

冬薔薇、冬の灯、冬の空、枯木、冬の暮 (農家育ちの老女が昔を語る田舎の冬)


冬薔薇、冬の灯、冬の空、枯木、冬の暮

(農家育ちの老女が昔を語る田舎の冬)


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依然として死者は家に取りついている、離れたくない
家はだから物だけとはならないのである

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木一本真すぐに伸びて冬の空

門古りけ農家一軒冬菜かな

古井戸や昔を残し冬の暮

冬の灯や近くに親し家一軒

晩年に才の開くや冬薔薇

石静かようやく咲きぬ冬薔薇


玄関の曇り硝子に映りたる枯木の影や母をし想ふ

この家になお離れじと玄関の硝子に映る枯木一本

冬の薔薇一輪開き間をおきてまた一輪開くを待ちぬ

我が庭に冬の薔薇咲く一輪や静かに見つつ今日も暮れにき

冬あわれ農家生れの老女なれ昔を語り時は過ぎゆく


農家に育った女性は何か街で育った人とは違う、土着的なものを感じる
土地と一体となり生きたとうい感覚になる
農民的体質を感じる、なぜなら茅葺の家にも住んでいた、意外とあたたかいという
土間があたたかいというとき土だからあたたかいとなる
茅葺の家でもやはりそこに人間が培った技があり知恵があるとかなる
だから必ずしも古いものがすべて遅れたとか悪いものだともならない
ただ今になるとなかなかわかりにくくなった
ただ一軒の農家でも自給自足的な暮らしをしていた
まず農家だと買うということがあまりなかったろう
街だとやはり買うことがある、食糧自体買うからである、水さえ隣の井戸からもらっていたとかなるからだ、とにかく現代は買うことが多すぎる
そのために金がかかり結果的にすべて金で計られる時代になったのである
その女性は老女十ならない、72歳だから今ではならない、でも苦労して病気にもなり10歳老けてみえる

何か介護とかなると近くに親しい人がいると助かる
なぜなら隣であれすぐ近くだと毎日のように気軽に行ける、様子もたずねることができるでも隣の市でも8キロ離れたとしても遠くなる、車があっても手間なのである
だから相馬市まで15キロになると結構手間なのである
その人は一人で家にいる、糖尿病でもある、今までは100メートルくらいしかないから歩いて行って話し合い相手になったりしていた、でも脳梗塞で入院した結果そこまで歩いて行けなくなった
また何か不和になり行かなくなった、娘は一人娘でかわいがって育ても冷たいと言っている、金に厳しいとも言っている
その女性が来ても財産ねらいなのかと気にしていて病気になって入院してもお見舞いもないとか言って切れたともなる
ここでもういくら血縁であれ親族であれ近くでも疎遠になることがある
かえって他人が親しくなり助けることもある
それで家族遺棄社会が言われるようになったのである
ともかく介護になるとどうしてももう家族だけではやっていけないのである
負担が大きいからやっていけないのである

冬は昔を語るのにいい、昔を回顧するのにいい、そして人間は待つ時間が悠長に待つ時間も必要である、薔薇でも一輪咲くのも遅かった、それから蕾となりまたそれが開くのに時間がかかる、早く咲かせることはできない、そこに時間の作用が必要である
現代で失われたのはこの待つ時間である、待っている時間の余裕がないのである
駅でいいのはこの待つ時間があったということである
たとえ10分でも待っている時間が人間的だったのである
高速のSAで待つということがないからである
そして本当に待つ時間がないというとき人間が成長させるにも子供をみるにも時間の余裕がない、絶えず膨大な知識に追われじっくり何かを追及する時間がないのである
ただ正直自分の場合は才能にしても華開くのが遅すぎたとはなる
何か理解するのに何でも遅すぎたのである、勉強の方法も悪かったのである
何かやっと冬になって薔薇が咲いたとかなるのと似ている




2023年01月11日

2023冬の俳句短歌8(冬の暮の庭の石−芽吹く花の蕾ー母のこと)

2023冬の俳句短歌8(冬の暮の庭の石−芽吹く花の蕾ー母のこと)

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母は隠れるようにあり姉は目立つ

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新春や松が枝に添えるボケの花

満月や新春三日縁起良し

土壁の蔵に家古り冬柳

家古りぬ社やここに冬の暮

門古りて前田に育つ冬菜かな


津波にそ社流されその跡に枯木一本守り残りぬ

津波後庭の残りてあわれかな石に寄りにつ冬の暮かな

冬の川ひびき清らかその音を聞きつつ歩む心静かに

平穏の日々こそよけれ冬の薔薇我が一人見て暮れにけるかな

石と石物言わずあれ冬の日や穏やかにしてここに暮れなむ

姉と母今は亡きしも冬の暮思い出深く我が家にそあれ

我が庭に根付く木のかたへ久しく見ずや石のあり堅きものかな

我が母の目立たずありぬ陰にあり石の堅きも冬の暮かな

白百合の一輪咲きて我が家に待ちにしあればまた一輪咲く

狭き庭椿牡丹薔薇の芽のふくらむを見ゆ楽しみなりき


今日ひさしぶりで庭を見て水をやった、玄関の木には水をやっていた
でも狭い庭でも全部水をやるのも手間で忘れていた
億の庭を見たら椿の蕾がでていたし牡丹の蕾もでていた
やはり春になっている、今年はもしかしたら春が早いのか?

そして新しい部屋では庭が板で遮られて下の方が隠された
それを庭に出て久しぶりで見た感じになる
根付いた木がありそこに石があったのを見た
その石は堅いと思った、それは母のことを思った
母は目立たない女性であり陰の女性だったからである
そして馬鹿真面目で働くばかりだった、そこで性格的にかたよってものになっていた
面白味のない女性となっていた、それも生い立ちが恵まれていないからそうなった
花より庭に豆を植えて置けとか花にも興味をもたなかったからである
ただ人間は誰かのお陰でありうる、陰になる人がいて表に出る人がいる
それでお陰さまでとなる。、陰になる人がいることを知るべきだとなる

私の家族の不思議はおおらかな姉がいて陰となる母がいて成り立っていた
こういう家族も他からはわからない、でも自分にはいい影響を与えたのである
母だけで父が死んだ後維持できなかったからである
何か母親べったりとなって育つとかえって子供は母を嫌うことがある
そこに緩衝材として叔父とか叔母とか祖父母とかがかかわると子育てにいいとなる
それが核家族でくなったことが子育てが母親一人の負担になることが問題を生んだのである

花でも家に飾ると白百合でも待っていないと咲かない、その待っている時間が実は大事なのである、期待して待っている、それが実は無駄なようで人間にとって有効な時間なのである、それは駅で待つということがありそれが人間的であり駅を活かしていたのである
でも高速道路では待つとういことがないのである
車で寄ってすぐ出て行くだけだとなる、確かに便利なのだがそれがかえって人間的なものを喪失させていたのである
だから高速道路のSAに行くけど魅力を感じないのである、あそこで遠くから来た人と話すこともないからである、駅でちょっとでも話すことができてそれが良かったのである
現代はとにかく人間的なものが喪失してゆく社会である
一見無駄なように見えても無駄とはならないのが人間なのである
それで老子の無用の用の思想が生まれたのである、あらゆものが用で埋め尽くされた都会とかはそこに人間的な空間が失われてしまったからである

御刀神社は津浪でも残った、でも社は流された、この神社ゆ由来は相当に古い、物部系統であり原町の桜井古墳の時代のものである、それは海老とはエヒであり蝦夷(えぞ)なのである、海老には古墳がいくつかありこの辺では古い場所なのである
江(え)とつく地名は蝦夷がいたときからある、江垂(えたり)でもそうである

津浪で判明した江垂の地名の謎 (気になる江のつく地名2-地名伝説には嘘が多い)
気になる江(え)の地名 (蝦夷(エミシ)もエである)

今年はどんな年になるのか?新年に三日ほど満月がでていた
これは吉兆なのかとも見た、何しろ災難が自然災害でも病気でも多すぎた
それで平穏でありたいとなった、何か私は異常だったのたけど30年くらい平和に過ごしていた、そこで引きこもりとなり沈黙業をしていたともなる
だからこういう人生も不思議だとなる、今なら引きこもりとかニートが本当に田舎に多いのである、そういう人とどういうわけ自分は田舎町をぶらぶらして逢うからである
これも時代である、そういう人が普通にいるのが現代なのである





2023年01月08日

2023初春日本列島栄華の詩 (鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)


2023初春日本列島栄華の詩

(鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)
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初春日本列島栄華の詩

夕陽に染まる鹿児島の開聞岳
今も煙り吐く桜島迫り
そのシルエットは離りゆく船に見る
目覚めれば四国沖船に昇る春陽を見ぬ
そして難波の港へと船は進めり
明石の戸より大和島見ゆとあれ
春の瀬戸の島々潮はめぐりぬ
秀吉の我が世の春と大阪城
桜満開人絶えず門を入り城内をめぐる
桜はやまず散るやその人の波
夕陽赤々とその昔日の栄心にしみぬ
西の栄よ、我は東に向かいぬ
駿河湾浪ちひびき魚躍り挙がり
富士嶺の高く日本の象徴
天下の険、箱根の山を越えて
海を望めば小島に波よす伊豆七島
小田原宿やその囲い厳しく関東治む
今花盛り望む海や帆船のあまた寄る
小田原を攻める秀吉の連合軍
伊達政宗も遅れて参戦
次に家康大江戸三百年の栄を築く
さらにここより陸奥は遠しも
故郷に帰れば桜咲きそむ
西の桜は散りしもみちのくに桜は咲きぬ
美しき日本の国よ、長寿の国よ
その栄は国土とともに天地とともにあれ
我が命大和にしあれ富士仰ぎ直(なお)くまことにここに生きなむ

電車の旅もずいぶんしたけど船の旅もした、船の旅もいい、一番長かったのは沖縄まで貨物船のようなもので行ったことである
一週間もかかったのである、船旅は時間がかかる、次に電車の旅でありそれも飽きたので自転車の旅になったのである、それだけ旅をしたということである
日本は海に囲まれているからやはり船旅は経験する必要がある
これだけ旅するにはとても勤め人ではできない、自由な時間が与えられたからできたのである、何か今になると旅もできない、意外と退職して自由時間ができてもできないことがある、それは金がないからではない、旅でも結構疲れるからである
だから外国旅行となるともうできない、それで50歳でバックパッカーになったしたのが良かった、その後は介護となりできなくなったからである
人間の一生はともかく短い、何かやろうとしてもできないし何か自分のしたいことをしようとしてもできずに終わるのである
それからその人に合った仕事など与えられないのである、私はたまたま家族に恵まれて好きなことをしてきたのである

旅という時本当は歩いて旅したりしないと地理はわからない、天下の険の箱根の山を登り越えてゆく、それも歩いて行ったら実感するのである
東海道でもそうである、でも車で混雑しているから往時のことがイメージできなくなっているでも海でも富士山でも同じようにある、だから地理は地形はそもそも変わらないのであるともかく船で鹿児島から桜島を見て開聞岳が夕陽の中にシルエットとなり船が離れゆき、大阪に向かったのは印象的だった、そして四国沖で春日が昇るのを船から見た
それから大阪に着き大阪城跡で桜を散るのを見た、その時夕陽がなんともいえぬものであり赤々と輝き沈んだ、それは西の栄を象徴していたのである
つまり自然と人間の歴史が一体となって反映されたものであり自然そのものというものではなく人間の歴史が加味された夕陽の色だったのである
西に先に日本の昔日の栄がありそうなったのである、それはナイル川の岸辺の西の方に太陽が沈んで行くときも感じた、エジプト三千年の歴史が繁栄されてその夕陽が輝き沈んでいったのである、だから歴史がわからないと深く自然でも見れないとなる

それから西から東に行くと富士山が見える駿河湾となり天下の険の箱根の山を越える
そして小田原になる、ここは西と東のせめぎ合いの場所だったのである
小田原城は強大な城郭であり関東を治める城だったのである
そこから家康が治め大江戸三百年の栄を築いたとなる
さらにみちのくとなると辺境の地だったとなる、でも伊達政宗が出て東北の力を示したとなる

華城春望<篠崎小竹>

突兀たる城樓 海灣を俯す
春空目を縦にせんと 一たび登攀
千帆白く映ず 洋中の島
萬樹く圍む 畿内の山
酒を賣るの店は 平野に連なって盡き
花を看るの船は 上流自り還る
牢晴の天氣 多く得難し
凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

 斜陽大阪城

昔日斜陽赤
大阪城栄跡
秀吉栄華偲
万朶桜散花

凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

この景色だった、夕陽が赤々と大阪城に輝き映えて沈んでゆく、それを現していたのである、春の夕陽が沈んでゆくのを惜しむのである
それは西の栄華を象徴していたのである、漢詩はむずかしいから作れない、でも確かに表現的には一致していたのである
詩となるとやはり言葉によって感覚的に違ってくる、だから詩語を知らないと表現できない、漢詩だと詩語としてあるから表現できているとはなる
ただ大阪城でも今はビルに囲まれているから当時の規模の大きさを感じなくなっている
でも石垣がやはり規模が大きいので当時の城の大きさを感じる




2023年01月05日

元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ (冬桜、寺の鐘、冬の星)


元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ

(冬桜、寺の鐘、冬の星)



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これは雄なのである、背中が青く腹が赤いのである

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これはメスである

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これは雄か雌がわからない、腹が赤いのは朝日がさして赤くなった
でも背中が青でもなく雄なのかどうかわからない

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新春に見つけし雄雌のイソヒヨドリ

めでたしやイソヒヨドリの雌と雄

新年や波打ち寄せてイソヒヨドリ

(冬桜)

石重くすえてここに冬桜

冬桜石にひびきぬ寺の鐘

冬桜石に寄り暮れ一人かな

土着して蔵ある家や冬桜


石寺の鐘重くひびくや冬の暮

石一つ千歳動かず冬の星

大石に清流のひびき冬の星


海岸の堤防の上に見つけたのはイソヒヨドリであり前にも見かけたからである
雄は青色に赤い腹していてきれいである、でも今回見つけたのメスだった
これは見映えしない色である、地味である、メスがたいがい地味である
雄は雌の気をひくために自然界では目立つ色をしている
ジョウビタキとかでもそうだった、メスはきれいではないのである
鳥をとるのはむずかしい、すぐ飛んで消えるからである
だから狙い定めて写真をとらないととれない、つまり定点観測が必要になる
あそこは毎日自転車で行っている、そしてイソヒヨドリがいたからわかった
ただ雄は見ても雌が見たことがなかったのである
ともかく雄雌の番いを見たということは縁起がいいとはなる

去年になるが宝蔵寺に冬桜が咲いていた、どっしりと石がありそれに似合っていた
寺でいいのは鐘の音である、山とか大地に厳かに響くのがいいのである
教会の鐘だと甲高いし重みを感じないのである
冬桜は年が明けて少し咲いていたけど散った、秋桜があり冬桜があるとしてそれも12月までなのかとなる



2023年01月03日

2023年新年短歌30首 本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること


2023年新年短歌30首

(本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること)

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我が家や遺影に花を飾りつつ新年迎え共にあるべし

我になお学ぶべきことあり尽きじかも今年も励み齢知らじも

新年に花を飾り松が枝をさして調和し末永くあれ

新年に病も癒えむ我が家に来たりし女やなお生きむかな

赤々と椿百輪公園に原町の道新年に来ぬ

枝張りて木は真すぐに大地にそ根の深く張り椿は映えなむ

それぞれの地に住み人は日本にそ年も新たに力を得なむ

去年(こぞ)に死ぬ人の悲しもその遺志の継ぐ人あらむ年改まる

良きものや電熱ベスト我がまとい技も進みて老いを生きなむ

美しき日本にあれや富士の山新年に映え栄もあらむ

初春の東海道や富士に松波音ひびき今宵の宿かな

富士の嶺映えて旅人東海道五十三次行く春の風吹く

日本にそ生きにしものや大海の波の轟き初日昇りぬ

新しき世の拓けむや老いてなお力尽くさむ日本なるべし

新年を言祝ぐものや大地より山より海より力を得なむ

そが力何に尽くさむ真なれ徒に生きざれ時の貴重なるべし

北風の音のみひびき我が一人巌のごとく打ち籠もるかな

新年に希望はいかに生まるるや偽りに生くば力を得じも

新年や直き赤き心にそ再び日本に栄のあらむ

東西の要とあれや日本なり対立の世にそ和をもたらすべし

神の意志日本に働き新たなる世の拓けるや祈るべしかな

芽吹く木の若き力の育ちなむ様々な花の色にそ調和し映えむ

深々と根を張る樹々やその根こそ見えずも木を支えぬ

騒々しき世を離れてそ黙す石北風鳴りて地も休むかな

争いの時に聞こえず北風の鳴りて休みぬ石一つかな

石一つ何も成さざるも春来れば花も咲きなむ誰か休まむ

復興は人智を越えし神の業働きてこそ成るべきものなり

日本にも衰えざるや天地の力の充ちむ年改まる

大洋に旭の映えて船はいず海の命の尽きざりしかかな

大海に波うち寄せて新年や魚躍りて旭日照らしぬ

海囲み日本育む山々を仰ぎ祭りて初日のさしぬ


今年はどういう年になるのか、いい予想はない、それはみんな経済的な面でそうなのである、日本は後進国になりもう先進国ではないというときも経済的なもの、科学技術的な面で言われる、でも自然からみれば自然はどこの国でも美しいものがある
それは神が地球を作ってから変わりないのである
その美は衰えることがないしまだ発見されない自然の美がある
日本には日本の自然の美がある、それは他の国と違った美なのである
その作られた風土と地勢とから見れば日本は魅力的だとなる
実際世界の大都会をニューヨークでも上海でも東京でもそこに魅力が感じないのは自然の美が映えないからである

都市でもルネサンスが生まれたのはフィレンツにしても5万くらいだったのである
つまり5万くらいであのような魅力的な美の都市が生まれていたのである
それは何のだろうとなる、経済力からしたら雲泥の差がある
一千万都市と5万の都市の差は余りにも大きいのである
だから経済力があり美を産みだすことはない、むしろ経済力だけだとそこは殺伐とした
金だけの世界になる、金融市場の世界の中心のニューヨークなどでもそうである
そこに世界の金が集められ収奪されているともなる

宗教でも大都会から東京から生まれた宗教はカルトでありそこに本来の宗教は何一つないのである、ただ人を集めて大衆化してごたごたと人を選ばずあらゆる人を集めて数で勢力化して権力化利権化するだけである
だからそこから何一つ良きものは生まれない、美も生れない、ただ醜悪な物が生まれるだけである
江戸が美しかったというとき百万くらいであり回りは田園だったのである
そして水路がめぐらされてベネチアのようになっていたのである
もちろん過去を美化することはあるが一千万の大都会を見てもそこには群衆と車と高層ビルなどを見るだけであり人間はただ蟻のようになっているだけである
わからないのはそうして醜悪なものとなるのは何故かとなる
人間のエネルギーがなぜこうして一千万の人間が集まってエネルギーとなってもそこに何か美でも良き物が生まれないのかわからないのである

それより富士山は常に優美に映えている、自然は太古から原始から変わらず美しく映えている、それは人間が作ったものではない、神が創ったものである
だから何が繁栄なのかわからないのである、もちろん日本が貧乏になるのがいとかではない、大都会のような東京のようなものが繁栄にはならない、だから繁栄とは何かとなると

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
                       海犬養岡麻呂
                       
これなのである、天地(あめつち)が栄えるということは天地は常に栄えていたのである天地の美は常にあり変わることがないのである
神は実りを与えていたのである、それは経済的な面からみれば繁栄の時とそうでないときはある、でも天地の栄とは必ずしも経済的な面だけではない、栄えるとは天地の美があって栄えるともなる、天地の美を失う時、そこに栄があるとはならないのである
現実にこの辺では原発事故で住めなくなった、それは何なのか追求してきた
天地とともに栄えることが基本であり科学技術によって人間は栄えるとはならないのである、もちろん科学技術とか否定するのではない、優先すべきは神が創った業でありそれとともに栄がある、それを失った時、真の栄はないのである

だから東京であれ経済的には巨大化して栄えていてもそこに神の業(わざ)なる自然が映えないから殺伐としているだけなのである
江戸には美があったというとき百万都市でも自然が回りにあり水路が縦横にめぐらされてそれが美を作っていたのである
だから何が栄なのか、常に経済的な面から科学技術的な面からしか見ない
なぜかえって自然を破壊して美を消失させたのが大都会だったとなる
すると何のためにそこで生きているのか労働したのかともなる
むしろ極端になるがそんなものはない方が良かったとまでなってしまうのである

いづれにしろ正月でも正月気分などない、ただ年が変わるというだけである
正月とは祭りでも農業から農民生れたものだから現代では農民は全体の一割もいない
田舎でも農民はそんなものである、だから田舎でも農業のことを知らないのである
私自身も知らなかったのである、つまり現代人は田舎に住んでいても都会人になっているのてある、会社員なのである、それで浪江町で電気工が回りが田圃でも草ぼうぼうになっても何の関心もなかった、悲しいとか嫌だとかもない、全く無関心だったとのである
かえって補償金もらって良かったと言っていたのである
それだけもう農業を知らない人が多いのである、そのことは農業が自然と密接につながっているから自然のこともわからないとなる

むしろ田舎の方にこれから栄があるともなる、その栄は物質的なものではなく自然に映えるものとしての精神的なものである、それは文明ではなく文化だともなる
文明という時大きなものであり文化となると地域地域に根ざして生まれるものだからである、巨大文明都市から小規模地域都市こそ繁栄があるとなる
それを具現したのがフィレンツとかのルネサンスの都市なのである
それは5万くらいの小都市だったのである、それでもあのように荘厳華麗なルネサンスが生まれたのである
おそらく日本もこれから地方の小都市からルネサンスが生まれる、今の機が熟しているのである、高度成長時代は経済成長のみでありそれは物質的なものであり真の繁栄はそれではない、荘厳な美の創造なのである、それは飯館村などでも原発事故があり廃村みたいになったがそこには森に囲まれた美は残っている、だから美の創造はまたそこからもありうる、もちろん物質的なもの食料でも必要だから美だけでは成り立たない、でも大都会とは違って依然として森が消失したわけでもないからそこから再生しうるものがある

東京などでも大都会は何か戦後の焼け野原のようになるのではないかとも危惧する
そこに美がなく精神文化はない、巨大なあくことなく食い続ける胃袋しかない恐怖であるがつがつと食う怪物でも住んでいるのかとなる
だからなぜ東京に人が集まるのか理解できないのである、もちろん田舎がいいわけではない、人間は劣悪だともなる、でも自然に隠されたようになっているとき自然の美が映えるという逆説がある、醜い人間が隠れてあるとき自然の美が映えるのである
だからそもそも人間はなぜあくせく働き消耗されてゆくのか?もし何か意味ある美のあるものに費やされるならいいが実際は醜悪なものに労働を強いられる消耗されるだけだとなる、カルト教団のようなものに消耗され費やされているだけだとなる
ともかく何でもそうだが人間は末永くあることを願う、あまりにもあらゆるものが泡のように一時のものとして消えてゆく
人間の交わりでもふりえれば瞬間であり後は永遠に逢わないとなりはかないとなる
長くつづくものには価値がある、あらゆるものがただたちまち消えてゆくだけである、百年二百年でも継続されるのに価値がある
それでSDGs(持続可能社会)が言われるようになったのである、経済的繁栄は一時的なものである
でも天地の繁栄は太古から古代から変わらずつづいている、その美も一部損なわれてもつづいている
はかなくうたかたのように泡沫のように消えてゆくものに価値はないのである

今年も俳句短歌や詩など創作に励みますのでよろしくお願いします


天地の栄の歌を作った人のこと

犬養部は犬を用いて宮門、大和朝廷の直轄領である屯倉などの守衛に当たる品部であり、海犬養は、県犬養、稚犬養、阿曇犬養、辛犬養連、阿多御手犬養とともにこれを統率した伴造6氏族の一つである。
海犬養氏(海犬甘氏)は、海神綿積命の後裔を称した海神族に属する地祇系氏族で、安曇氏と同族とされる
これは私が古代の部で相馬地域に特に南相馬市の原町区に綿津見神社と山津見神社が多い、原町区には綿津見神社が
やたら多いのである、その関連した地名も多いのである、安曇族の後継者の名前が地名化しているのである、海犬養とあるように海に生きる海人族だったのである
その人が天地の栄の歌を残していた、とういうことは相馬地域にも深い因縁があるともなる
天とあるときこれは天はアマとかともなり海のことだとも解釈している
海人族からすれば天ではなく海なのである、海の魚などをとって生活していたから海の恵みで生活していたからそうなる













2023年01月01日

2023−新春東海道俳句十句


2023−新春東海道俳句十句

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広重画 冨士三十六景駿河三保之松原


ハ百八町大江戸の春明けにけり

めでたしや江戸前の魚味の良し

新春や大橋三つ舟百艘

初春や鴎百羽や隅田川

山登る箱根の道や春の夕

花満開小田原城や海望む

街中の道真すぐに燕来る

春光の電車の行き東海道

波ひびき魚躍りて望む富士

駿河湾魚打ち上げ東海道

海に映ゆ桜満開東海道

沖に船東海道や春の風

東海道でも旅した時とぎれとぎれになる、京都まで歩む旅でないからそうなる
東海道はやはり海に面して京都大阪まで伸びている、駿河湾がありそこで波がうちよけ魚が躍りうちあげられたのである、そして富士山が見えたのである

今東海道となると車が多いから偲ぶことがむずかしい、とぎれとぎれにたどるから旅ともならない、今はいくら歩いても当時の旅を再現はもうできない、車や電車の旅になるからである

新年早々申しわけないがトイレが詰まった、今回は簡単に直せなかった
何かついていない、なぜこうして自分には災いがつづくのか?
大晦日につまったのだが今年もまた災いが来るのか?
ともかく幸先が悪かった、去年の内に修理できれば良かった、それが大晦日だったのが不運だったとなる、前は自分で直したが今回は直せなかったらである

ともかく今年も去年の地震で散乱した本とかかたづけていない、障子も直していない
何かいろいろと追われてできないのである
今年の最大の問題はWIN8.1のサービスが終わりWIN11になるのがめんどうなのである
プログに書くことで時間がとられるからいろいろ手が回らないのである
今まで書いたものを整理することは続く、その量も多いので整理するだけで大変である

今年も書きつづけますのでよろしくお願いします


2022年12月31日

流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)


流星、年の暮、冬銀河(年の暮、年終わる)

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many lined trees
deep rooted one
stedy walking road
in winter



冬流星光芒迅速七つかな

動乱期流星光芒七つかな

流星の一つ大きく年終わる

瞬時なり冬流星の墜ちにけり

一つ一つ無益にあらじ冬銀河


冬の日の川の岸辺の桜の木育つ待つや一歩一歩歩む

この道を今日も歩みつ年暮れぬ一本一本根付く木かな

川の面に冬の日まぶし鴨の群れ相寄りにつつなごみて暮れぬ

我が姉と母しもなおも我を見む寒き日なれ熱き茶献ぐ


今年も終わる、流星は秋の季語になっている、でも冬にもみかける、今回見たのは冬である、一週間前くらいだった、冬の方が星がきれいに輝く、冬流星としたが流星で冬の季語にもなるのではないか?
動乱の時代に早死にした若い人がいる、明治維新などがそうだった
でもそこにも瞬時であれ光芒があり命が活きたとなる
街一軒の自転車屋の人も死んだ、自転車屋はこの街から無くなったのは淋しい
流星のように消えてしまったとなる
だからまだ喪の期間であり新年を祝うのをたらうこともある

冬銀河となると星となると無数の星があってもその一つ一つは無益なものがない
そもそも地球にも自然には宇宙では無益なものはない、石一つでも意味がある
でもなぜか人間は無数の人間がなぜ死ぬのかもわからない、無数の人間が無益なことにその労力をそそがれる、これが一番の謎である
戦争でも権力闘争でも何千万と死んだとかそれは何なのだろうとなる
そうなると人間の命は何なのだろうとなる

河岸の桜の木はまだ大きく育っていない、でも一歩一歩歩む、やがて大きく成長して桜が満開に咲く、でもその先が長いのである、だからもうこの年になると大きくなった桜の木は見れないとなる
残念なのは原発事故の避難区域になった所である、そこでも桜並木があり桜は咲く
でも人が消失した、残っている人は少ない、木が成長するには50年とかかかる
それだけの時間で育ったものでありそれは町の人々とともにあった
つまり桜の木で成長して満開の桜を見るには時間がかかるのである
その木でも人とともにあった、でも人が消失したときその桜の木も活きてこないとなる

ともかく人間の生は一歩一歩歩むことである、それしかない、冬だと静かに歩む
そして大地とも一体となるのである、だから冬はかえって大地の力を感じる
それで冬はふゆで増えることだったのである、冬に野菜がかえって育つことがあり冬となった、それは実地の農業から生まれた言葉だとなる

今年も災難だった、地震だけは恐怖だった、未だに家の中がかたづいていない、片づけられない、まだ家を修復していない家がある、それだけの被害だった
そもそもなぜこんなに災害が多いのか?それが疑問になる
今回は隣の原町は被害が少なかった、相馬市とか鹿島区は被害が大きかった
もう災難はごめんだとなる、平和でありたいというとき戦争がなくなってほしいとかあるても自然災害もなくなってほしいとなるがこれは防ぎようがない
地震は防ぎようがないのである、そしていつくるかわからないのである
来年はどうなるのかいい年になると予想する人はまれである
経済的にもっと悪化する、人々に余裕がなくなることも問題である

余裕がない人は困った人を助けることができない、自分のことで精一杯になるからである私が介護で苦しんでいる時来た人はみんな余裕がなかった
だからさんざんな目にあった、大金は盗まれるとかいろいろ責められたのである
それはみんな余裕がないからそうなったのである
余裕がない人はそもそも人を思うこともできない、自分自身のことで精一杯だからであるだから意外と余裕がなくなる社会は全体的に殺伐としたものになる
それが怖いのである、そうは言っても人間は希望をもって生きねばならない
どこまでも希望をもって生きねばならない、今世でだめなら来世へ神の国へ行くことで希望を持つのである、人間はなんらか希望がなければ生きられないのである

今年もプログを書き続けた、書くネタがなくなることはない、でもwin11に移行するのがめんどうである、何かめんどうなことをしたくなくなった、家事に追われているしめんどうなことをしたくないのである、でもどうにもならない、これは変える他ないからである
来年も頑張りますのでよろしく、良いお年を・・・

2022年12月21日

冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)


冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)

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真野川の朝

一羽はノスリでありもう一羽は何なのか、写真に写っていたが肉眼では見えなかった
こういうことがある、肉眼で見えないものがカメラで見えることがある



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新田川

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津波の跡がここには生々しくここには残っている

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石置きて曇り硝子に冬紅葉

山は雪ノスリ止まりて冷える朝

雪の山寒鳥二羽や朝に映ゆ

我が街の仕事場なれや冬の菊


十本ほど根付き変わらじ冬樹立つ

寒椿昨日の雪残り明けりけり

閉ざされぬ十一面観音寒椿

死神に追わるる齢や師走かな


朝の空は白鳥一羽鳴きにつつ仲間を探し翔けりゆくかな

新田川山は雪かな瀬のひびき桜井古墳のここに鎮まる

冬の日に桜井古墳に我が上る土地の歴史のここに始まる

津波に流さる家のその跡に石の離れず冬のくれかな

主なし家の跡かな石のみそ残りてあわれ冬の日暮れぬ


玄関の曇りガラスに冬紅葉が映る、母は12月12日死んだ、今年も死んだ人がいる
12月に死んだ人がこの町で二人くらいいる、自転車屋の死はショックだった
師走とは師のために走るとなるが死神に追われるという感じにもなる
どうしてもこの年になると近くでも知人でも死ぬ人が増えてくるからである
母は目だたない陰の人だった、性格的にそうだった、それで私も性格が似てそうなのである、それで冬紅葉忌としたのである
一昨日は雪が残っていた、この紅葉の木はいつも12月頃に紅葉になる
なんか母にふさわしいともなる

原町の新田川の岸辺の公園に十本くらいの木がある、そして椿に昨日の雪が残っていた
一昨日のことである、桜井古墳は大きい、その上に上った、見晴しがいい
山の方は飯館村の方は雪になっている、飯館村は標高が高いから早めに雪がふる
新田川は浅い川でありそれが飯館村の草野から流れている
浅い川だから瀬音がするのである

津波の跡が残っているのは桜井古墳からすぐ近くである
ここに津波に襲われて家が流された、でも林の樹々が枯れても残っている、厥か痛々しいのである、11年過ぎてもここではまだ津波の跡がまだ生々しく残っている
家の跡に石がありそれが離れずに残っているのもあわれだとなる
石がここを離れたくないと残っている、この辺の被害は大きかった

泉の十一面観音は中が見えない、また見たことがない、でも史跡とはなっている
師走はいろいろとやはり忙しいとなる、仕事しなくても忙しさを感じる
知っている人が退院したり自転車屋が死んだことなど近辺で変化があったのもそうである家事も忙しい、暇なく何かをしていなければならない、それでコメントをしていない
何か追われているのである、いろいろなこれまで書いたものの整理にも追われている

そして今やいつ私自身が死ぬかもしれない、これも恐怖である

だから「死神に追われる齢や師走かな」となる、死神に追われて逃れられないとなる










2022年12月13日

冬の朝の虹(写真) (六号線の塩崎方面にかかる)


冬の朝の虹(写真)

(六号線の塩崎方面にかかる)

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朝に雨夢かと消ゆる冬の虹

高平から川子を回り塩崎の方でる道を行くと虹が出ていた
小雨が降っていた、でもあんな方向から虹を見たのはめずらしい
ここではたいがい海の方向に虹を見る、山の方に見るのはめったにない
虹を見る時は縁起がいいとはなる






2022年12月12日

冬の日の俳句十句ー鹿島区から原町へ (枯菊、冬紅葉、葉牡丹、冬の暮・・・)


冬の日の俳句十句ー鹿島区から原町へ

(枯菊、冬紅葉、葉牡丹、冬の暮・・・)

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あわれかな里の小径にあきつ死ぬ

冬の日や里の小径を今日も行く

枯れ菊や今日も行く道日あたたか

葉牡丹の白紫や据えし石

家籠もる曇り硝子冬紅葉

めぐり来る母の命日冬紅葉

塀長く家を構えて冬紅葉

深野(ふこうの)に構えし家や冬紅葉

家一軒林に隠れ冬の暮

ユッサの湯庭に石五つ冬の暮

残りたる五輪塔の墓冬の暮

継ぐ家や冬菜に墓地に残る柿


白鳥の朝の飛翔や鳴き声の晴れし空にそひびきわたりぬ



里=人の住まない山などに対して,人家のあるところ。村落。人里。
田舎。在所。ふるさと。
そこから、実家 在所を
指すように、なりました。
home town of something

宛所が「里刀自」とあり、三六名の農民を郡司の職田の田植のために徴発するという内容のものである。まず第一に、刀自は、家をおさめる主人を家長、主婦を家刀自とするように、集団を支配する女性をよぶのに用いている。

里刀自小論 : いわき市荒田目条里遺跡第二号木簡から
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019549184

天皇の藤原夫人(ふじわらのぶじん)に贈へる歌一首

わが里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)

里は狭い範囲であり隣に里がありそんなに離れてはないのである

日本にも中国の「里」が伝えられ、律令制では、大宝律令で「里 = 5町 = 300歩」と規定されていた[3]。

当時の尺は、現存するものさしの実測によれば曲尺(1000D 33 cm ≒ 30.3 cm)より2   3 %短いため、歩・町も同じ比率で短くなる。当時の1里はおよそ533.5 mであったと推定されている[4]

里とは自然界と人間界がありその中間になる、里は人間化した畑とかある田んぼでもある場所である、でも自然界と接していて動物でも侵入してくるが里には人間が住んでいるので動物も入ってこない場所としてあった、棲み分けがあった
最近は熊もでも自然界に棲息していたものが里にでてきて人間が住む都会まで出没するようになった、里とは動物でも入らない場所だったのである
動物の棲息範囲から逸脱するのは森に食料がなくなったためとかなる
雲南とかでの野生の象が都市まで出てきたのがそうである、食べるものがなくて移動したのである
動物との棲み分けが必要であり里はその境界として機能していた、動物は里まで出てこなかったのである、ただ里に人が住まなくなると熊でも猿でも侵入している
それは原発避難区域になったところではそうなった、猿でもイノシシでも侵入してきたからである

里というと里とは人間が作った庭の延長のようにも思う、なぜなら故郷でもは里くらいの狭い範囲だと庭のように思えるからである、だからそこで赤とんぼでも死んでいるとあわれだとか見るのである、蛙などでも極めて里にふさわしい、蛙が鳴く声は里にひびくのである、一時は原発事故のために田んぼが荒地になった、その時蛙も鳴く声も聞こえなくなったのである、つまり田んぼも里の景色として第二の自然となっていたのである
蛙はそうした人間化した第二の自然の中で鳴いていたのである
里の範囲だと庭の延長であり何か人間化しているのである
不思議なのは里というとき日本語ではさとるから来ているともなる、里に住んでいて悟るとなる、里の範囲なら狭いから悟る納得して知る範囲にあり愛情でも通う範囲ともなる
村は群れるであり人間をイメージする、自然はイメージしないのである
だから里というのは日本の風土から生まれた独特の感覚なのだろうとなる

枯菊に日があたたかくさしている、これは老人をイメージするのである
親を介護する感覚になる、ただ枯菊が多すぎる老人が多すぎるのが問題なのである

冬紅葉というとき母は12月15日が命日である、それで冬紅葉記とした
今は冬紅葉の季節である、
新田川のユッサの庭には五つくらい石がある、でもものたりてい庭である
もう少しいい庭にすればいいが狭すぎる

白鳥は増えた、20羽くらい見た、白鳥は飛ぶ時が気持ちいい、これから本格的な冬になる、みちのくの冬はわび、さびがあり冬らしいとなる
みちのくは依然として荒野の感覚がある、それで枯野がふさわしいとなる



2022年12月07日

冬の日に新田川を下り墓を見る (枯芒、寒椿、冬椿、年暮れむ・・)


冬の日に新田川を下り墓を見る

(枯芒、寒椿、冬椿、年暮れむ・・)

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新田川瀬音ひびきて枯芒

寒椿赤々と散り映えにけり

公園に赤々と散る冬椿

地元住み桜井古墳に木の葉散る

津波跡樹々枯れ残り冬芒

天明の碑ここに残りて冬の暮

ふるさとの墓をめぐりて年暮れむ


二本の木の残りて津波跡社のありと冬の日暮れぬ

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光明真言とは空海の密教から来ている、15万偏というのは唱えることである
光明とは太陽のことである

https://onl.la/vGSkdcq

ここに詳しい、ここに信女とあるのは女性である、天明とあるとき女性個人の墓はないからおそらく僧侶の妻だったのだろうか?信女とあれば女性であり信士となれば男である
ただこの墓からはこれくらいしかわからない、でも天明の碑はあることはある、私の家の近くの神社にもあった、でもあまりみかけないのである
もう一つも年号であるが読めない、文とついている、文とつく年号は多い、天明の後の年号だろう

信女、大姉、院大姉と位が上がっていきます

大姉というのはみかける、でも戦後ではただ寺で戒名をつけてもうけるためになった
だから別に金を払えばどんな戒名でもつけられるとなったのである
ただ大姉となれば本来は武家とかの家の出だったのかもしれない、でもそもそも庶民には墓はなかったのである



新田川は浅い川である、だから瀬音がひびくのである、真野川は意外と長い川であり瀬音がひびくともならないのである
上流の方では浅いからひびくが街中の川はひびかないのである
川でいいのはやはり浪江の高瀬川の方だろう、渓谷もあるからあそこを訪ねる人は多かった、ただまだ立ち入り禁止にもなっていたが自転車では行けるようになった

公園に赤々と椿が散っていた、今の時期では冬椿の方がいいかもしれない
冬椿というとき「城下町相馬六万石や冬椿」こんな感じになる
相馬市と原町の雰囲気は全く違っているのである
原町には歴史を感じないのである、原ノ町駅が機関区なり駅前通りができて栄えた
新しい市という感じである、でも相馬市は駅前通りとかはなく城下町としてあった
だから城があったところから街が形成されたのである
田町通りというのは田があったところであり地名化した、この地名は日本では多いのである、そもそも田だった所が多いからそうなった

新田川の下流の方に行き川畑とかの姓の墓があった、確かに新田川か近いからそういう名前になったのか、これは他にもあるからわからない、ただ川の側の畑も多いからそういう地名があり姓になったことは確かである
戦後まもなく食べ物がなく川の中の空地を畑にしていたのである
それは私の家でもそうだったのである、なんとか食料を得るためにみんなそうなったのである

あそこに二本の木があり社があった、津波にも流されたみたいだが古い碑が積まれてあった、そこに天明の碑を見つけた、これはめずらしいと見た、天明の碑はなかなかない
天明というとき相馬藩が飢饉で三分の一の人口が消失したのである
それがどこに行ったかもわからない、その跡地に欠けた土地に越中とかから移民が入ってきた、それが三分の一だから多いのである、そのために真宗系の墓が多い、それは見るとすぐわかる、なみあぶだぶつと記されているからである
天明は一つの時代の区切りである、それは飢饉があり相馬藩が苦しんだからである
今回の震災も津波の被害もそうである、時代の区切りは何か大きな事が起きた時である
戦争があれば戦後と戦前は全く違ったものになったからである
だから本当は年号でも変えるべきだったともなる、戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違った世界になったからである

原町でいいのは食事する所があるからいいのである、道の駅の天丼はうまい、あと高見ホテルの食堂のさしみ定食は安くてもお得になるからいい、最近は・・・食堂の牡蠣と大きな海老のテンプラがうまい、いい材料を使ったいるからいい
六号線は行き安いからそこに好みの食堂があると助かるとなる
ただ食堂は必ず飽きてくるから一人暮らしは最低でも自炊するほかないのである
でも料理はめんどうだからしていない、家事をやるだけで手間なのである
全部一人で家事をすることは手間である、だからプログに書いて後は時間がなくなる
それでコメントにも答えていないのである
今年も暮れてゆくが地震の被害は大きかった、まだ本など片づけていない、もともとこの本が片づけるのに苦労しているのである、捨てる訳にもいかないので困るのである
蔵書となると歳になればたまる、それもその人の人生を語ることになる
どんな本を読んできたのかでその人を知るてががりにもなる
だから良くテレビに出て来る人がいる、学者でも他にもいる、すると書斎が写っている
その本を見るとこんな本を読んでいるのかとみるのである

今年もやはり墓地を墓を見て暮れるとなった、墓は確かに死者を語るものだがその情報が少なすぎるのである、名前くらいしわからないからそうなる
そこで郷土史を調べるには物足りないとなる
戒名くらいでもその人のことはわかりにくいとなる、でも天明の碑は古いから注目したのである

津波の傷痕は依然としてある、でもだんだん薄れてはいる、右田にある津波で流され家の跡の庭の石は見物である、記念として残しているのか?
他にも空家になって残された石がある、立派な石の庭がある、それがもったいないとなる家より何か庭の方が価値あるとみる、石には価値がある
石が好きだからそうみるともなる、何か活かす方法がないかとなる
またいつまでも空家がありそれが片づけられないである、六号線の南相馬市立病院の近くのレストランだったところでもそうである
あれはいつになったらかたづけられるのか、何十年とあるからだ、この空家の問題が全国的である、活用されないなら壊す方がいいかもしれない、なぜなら見た感じが嫌なのである、寂れた感じになるからである、だから何らか活かす方法が必要なのである

でも商売としては今は成り立ちにくいだろう、相馬市の中村喫茶店でも閉店になったかたらである、あそこでなるとは思わなかったからである
コロナウィルスの影響もあったと思うがそもそも商売でも今やうまくいかない時代であるだから誰かが食堂でも始めるとならないのである
戦後まもなくだったら食堂でもバラックのうよなものでも繁盛したろう
私の家の店がそうだった、資本金はほとんどかからない、ただ品物を並べたものだったのである、それでも売れたからである、他の零細な商店でも物を置けば売れたのである
今はそんなことにならない、飲食店で成功することは相当に難易度が高いのである
なんでもそうである、だから銀行では金を貸す人がいないとなっているのである




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津波の跡に残された家の跡

津浪に家は流されぬ
残りしは石の庭
重々しくも重なり残りぬ
そのかたへ山茶花の咲き
野は広々と枯れにけり
その花の母のごとしや
その花の妻のごとしや
ここに家族の暮らしてありぬ
またここを訪ねて我が一人
ありし日を偲びけるかな
津浪より11年の歳月は過ぎぬ

2022年12月05日

冬桜、山茶花、残る柿、枯野・・(津波で流された家の庭の石) (隠された社一つが語るもの)


冬桜、山茶花、残る柿、枯野・・(津波で流された家の庭の石)

(隠された社一つが語るもの)



小池の埋もれた社

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天文時代で相馬氏の戦勝記念のものだったのだろう
でも津浪のことは記されていないのである
記録に二行だけしか残されていない
これも不公平ではある



右田の津浪に流された家の跡の石の庭

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何か石にも表情がある




隠されて夕月光る冬桜

みちのくや夕月光り枯野かな

山茶花や家は消えしも残る石

社一つ語るは何や冬の暮

落葉踏み隠さる社一つかな

橲原に立目石あり残る柿


冬桜を相馬市の塩手山の登山口で見た、原町では六号線の・・の農家の広い庭で見た
昨日はすぐ近くの小池でも見た、三カ所で咲いていたから意外だった
おりしも夕月が光っていた、それも良かった
ただ今日は曇って雨がぽつり降ってきて寒い、冬になった
それで石油を買った、冬支度になった

朝右田の方に行くと例の石の庭があった、ここにはいろいろな石が見られる
家は津波で消えても庭は残り石が残ったのである
私は石に興味があるからしげしげと見る、石にもなんらか表情がある
ここは大きな庭でありいい石を使っていたのである
ここに家があるときは見ることもなかったが津波に家が流されてこんな庭があったのかと発見したのである、家にはさほど価値がないのかもしれない、最後に残ったのは石だとなる、他でも空家がありその空家が老朽化しているからさほど価値あるとも見えない
でもやはり立派な石組の庭がありそれが残っていて価値あると見た

小池に鳥居がありここに何かあるのかと小高い丘を登る、道のようだが道とも思えない
こんなところに社があるとかと上った、そこにあったのは相馬氏が戦った戦勝記念の社らしい、板にその由来が記してあった、でもここは誰もお参りしていないだろう
落葉に埋もれて訪ねる者もいないとなる

ただこうして戦国時代であれ相馬氏が誰々と戦ったとかは相馬藩政記に詳しく記載されて残されている
こうして埋もれているにしろ戦争の勝利の記念の社も残されている
でも津波の被害のことはたった二行しか記されていなかった
相馬氏の関心はその時この一帯を治めるための戦争のことだったのである
津浪で700人溺死と記しても社とかは何も残されていないのである
庶民は記録が残せないということがあった

今でも権力がないと記録でも残せない、マスコミが力を持ったのは報道できることであった
テレビで報道するだけで知られるし勝手に報道などできなかった
でもインタ−ネットで庶民でもこうして報道したり記録したりできるのである
プログなどは手間であっても無料で簡単にできるからである
ただ一瞬にして記録でも消えることが不安なのである
400年後に残るかとなるとそれはわからない、石にでも記せば残るとはなる

こういう場所に山津見神社があったりする、相馬市から霊山へ行く道に山津見神社があり南相馬市の鹿島区だと栃窪に山津見神社がある
でも鹿島区にはなぜか綿津見神社はないのである、原町は本当に多い、10以上くらいありここも綿津見神社なのかと見る、結構大きな神社なのである
そして意外とその由来でも語られていないのである、これも不思議だとなる
安曇氏系の海人族がここに開拓に入り残したものなのである

ともかく神社は謎である、でも古代にさかのぼり古いのが多い、ただ天文となればかなり古いとなる、でも神社の由来は古代からのものがあり古いのである
日本がの歴史を知るには神社を知る必要がある、そしてその土地の成り立ちを知るにも神社をたずねて知る必要がある、でも旅だと時間がないから見れないのである
神社は数も多いからわかりにくいのである、それだけの時間の余裕が旅ではないのである近くだって知らない神社が由来がわからないのが多いからである

季語/冬桜(ふゆざくら)を使った俳句 | 俳句季語一覧ナビ (haiku-kigo-ichiran.net)
冬桜というのも味わいがありいいと思った、結構咲いているので鑑賞するといい、場所がわかりにくいが
紹介したがもう散っていたとなる


2022年11月30日

冬の菊が似合うもの(葉牡丹、冬桜、冬薔薇) (磐長姫のことなど)


冬の菊が似合うもの(葉牡丹、冬桜、冬薔薇)

(磐長姫のことなど)

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冬桜農家の古りて石の蔵

世も変わる家新しく冬桜

この家に仕事場あれや冬の菊

細工する仕事やここに冬の菊

同じ道今日も行きにき冬の菊

冬の菊夫に仕え歳古りぬ

墓守る我が一人かな冬の菊

葉牡丹や磐長姫を想うかな


石ここに置いて幾年なじむかな葉牡丹植えて冬の日暮れぬ

冬の日に誰と逢うべし静かなる昔のことを語るもよしかな

冬の薔薇五六輪の蕾見ゆ咲きしを待ちぬ我が庭にあれ


俳句は写生だというとき一見何でもないようなものでもそこに俳句になるもの詩になるものがある
そこは農家なのか畑仕事をしている人がいる、だから納屋みたいなものがあり道具類が置いてある、そこに冬の菊が目立たないように咲いている
冬の菊というとき何か質素な夫に仕える妻のようにも見える
木工の仕事をするものも合っている

葉牡丹は岩長姫に似ている、見映えは良くないが体が丈夫で農作業などができる女性だとなる
庭の石は何かここになじむにも時間がかかる、何でも人でもそうだし時間をかけないと信頼関係は作れないのである、そして老人になるともうそうした時間がないのである
だからかえって死者が親しくなる、死者でも家族だったら長い時間を一緒に暮らしたからである
だからわからないのはら熟年離婚なのである、これも増えている、でも68歳とかで熟年離婚して親しい信頼関係が作れるのか、おそらくその人は元気だから不倫だったのかもしれない、その年でもそういう人は現代ではいる、ともかく元気な人は元気であり老化して弱る病気になる人もいるが今は元気な老人が結構多いのである
何か老人が若返り性欲も復活してそれで夫婦の仲が悪くなったという映画を見たことがある、その人はそういう人かもしれない、だから元気すぎることも困る面がある

人間は近くでも良く見ていないのである、灯台下暗しなのである
いづれにしろやはりそこに何らか暮らしが仕事が生業がないと自然でも活きてこないのである
だから空家が多くなるとき淋しいものとなる、その家は医者としてこの辺では常に話題になる人だった、でもその人のことを語る人もいないのが不思議なのである
それはその人とかかわった人も死んだことにもよるがこれも不思議だとなる
ただその人の残した家がありそこは空家化して庭には紅葉が映えている
でも地震で壊れた部分を屋根瓦など直していないから荒れてくる、一部は屋根瓦から草が伸びている、そしてその家の一人息子も死んだのである、その子供は東京にいるがこの家はただ放置されるだけなのかとなる
これももったいないと思う、ただそうして空家化しているのは原発避難区域だったら空家だらけであり空家の街にもなっている

とにかく誰か住んでくれとなる、でも人が移り住まないのである
小高だったら原町に住んでいる人が多い、浪江の人も住んでいる
この空家問題は大きな問題である、街の中でも空家が目立つのである
それが活かされていないのである、ただ持ち主がいて勝手にはできない
でもそうして放置されている家でも土地でも何かただ迷惑になるだけである
ただすぐ近くの街中の空家が数日かかって壊された、そこは空いた土地になる
そういう時隣の人が利用しやすいのである
土地を買う手に入れる時簡単にできないのはいろいろ事情があるのでできない
でも隣の人だと利用しやすいとなる、私の隣でも空家であり広い庭がある
だから庭を利用したいとなるか持ち主がいて事情があってできないとなる

原町へゆく高平の農家の庭が広く椿と冬桜が咲いていた、石の蔵もある
そこの家は古い、冬桜はいいものだと見た
やはり家でも庭でも人が住まないと活きてこないのである
空家一千万とかなるのも恐ろしいし温泉街が廃墟化したり日本が縮小してゆく時
空家や耕作放棄地が増大している、そのことが大きな問題なのである
全体に縮小寂れていく、その極端なものとして原発事故で町や村自体が廃墟のようになっていることなのである、これは回復できないように思う
一旦あれだけ荒廃するともう回復できないように見える
ただ老人だけが残ってどうしても復興できるように見えない、墓場のようになってゆくのかともみる、外国人でも住んでくれともなるかもしれない、なにかいい方法がないのである

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木花之佐久夜毘売とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、「石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」ことを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。

『日本書紀』には、妊娠した木花開耶姫を磐長姫が呪ったとも記され、それが人の短命の起源であるとしている。

また『古事記』において大山津見神の娘で、須佐之男命の子の八島士奴美神と結婚する、木花知流比売(このはなちるひめ)は石長比売の別名であるとする説もある。


この神話でも事実に基づいている、今でもそういうことがありうるからである
農家だと磐長姫のような女性を嫁にした方が仕事ができるからいいとなる
でも男性は美人の方を好むからこういう問題が起きたし今でも起きている
ここに大山津見神というのが出て来るがこれは郷土史の方で考察したようになぜか相馬地域に多いし他でも思った以上多いのである


2022年11月26日

南相馬市の海老の宝蔵寺の紅葉(紅葉、冬桜、銀杏、椿、冬あたたか) (冬の日に海老ー八沢浦−磯部ー原釜ー相馬市へ)


南相馬市の海老の宝蔵寺の紅葉(紅葉、冬桜、銀杏、椿、冬あたたか)

(冬の日に海老ー八沢浦−磯部ー原釜ー相馬市へ)



御刀神社(右田)
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海老村の宝蔵寺の紅葉
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冬桜がめずらしい

原釜

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クリック拡大で鴎が大きく見える
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全部クリック拡大すると鮮明に見えます!


古寺に大石重し冬桜

古寺に大石数個紅葉映ゆ

冬桜紅葉の映えて古き寺

黒橋に紅葉の映えて城下町

人も見ず家々静か冬の蝶


黄金色に銀杏かがやく朝の日や椿も赤く映えにけるかな

重なりて色合い深く紅葉かな池に映して石の黙しぬ

八沢浦津浪に消えし家の跡我がたずねて冬の日あわれ

高台に海の見えつつ船の行く磯部の村の冬の朝かな

原釜に鴎の群れのあまたかな冬あたたかに船も帰り来る


右田の御刀神社の銀杏を見た、この銀杏はそれほどのものではなかった
この御刀神社は物騒なものなのである、なぜなら蝦夷征服と関係していたからである
刀というのはここで刀を突きさしたとかあるからだ
これは物部氏だったらしい、海老とエヒであり蝦夷のことなのである
海老には最近海に面する崖のところで古墳が発見されたのである
他に古墳が発見されている古い場所なのである
烏崎村より古いのである、古墳があれば古いとなる、ただ古墳でも埋もれている所がありわからないものがある、海老辺りはわからないのである
確かなことは古墳時代から人が住んでいたのだから古いのである
もともと港であり漁港でもあった、だから魚をとったり貝をとったりとか海に面して生活していたのである

八沢浦では二軒ほど津波で流された家の跡をたずねた、ここには石垣があり結構高いように見えるがあの津浪では軽く越えて流された
何でも恐ろしいのは津波が八沢浦とか海老村とかで渦巻きのようになっていたという
その光景を見たら恐怖である、海老村では海岸に接した高台が避難所に指定されてそこに逃げて30人くらい死んだのである
そこは確かに高いのだが海に面していてその高台まで津浪が来たのである
それで右田の松原のある家の人がここまで逃げてきたのだが九氏いっうを得て助かったのである、何かにつかまって助かったらしい、その経験も恐怖だった
海老は高台だから津波が来ないと思っていた、でも津浪は海とも関係して陸地から見てわからないものだったのである
震災から11年過ぎてもその傷痕はまだ痛々しいのである

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津浪は前にさえぎるものがないと被害が大きくなる

次に磯部の方に行った、磯部でも高台の方は津波の被害がなかった、もともと古磯部というのがあり地名にあり高台に住んでいたらしい、被害が一番大きかった磯部はもともと砂州のような地形だったのである、だからひとたまりもなかった、家が津波で揚げられたとういう、その光景も恐ろしいものだった
まずこんなことは予想もできない、イメージもできないことだった

原釜でも変わり果てた、海に面した低地の家はみんななくなった
でも入江の砂浜には鴎がたくさん群れていた、昨日は晴れてあたたかった
それで平和を感じた、ただ11年過ぎても何か完全に癒されることはない
それだけの大被害だったのである、ただだんだん忘れられてゆくにしろ20年過ぎてもまだ忘れられないともなるのかもしれない、それだけの大被害だったのである

相馬市では黒橋に紅葉が映えていた、相馬市の中村喫茶店は城下町に合っていたが閉店したのは意外だった、これはここだけではない喫茶店は激減しているのだ
喫茶店だけでは営業できないのである、レストランとか食堂だと日常的に通うが喫茶店ではそれがないしただコーヒーとか飲み休むだけでは成り立たない
でもレストランとか食堂と喫茶店は役割が違うのである
どうしてもレストランとかはうるさいし落ち着かない、それで何か本を読んだり書き物したりするのにはいいとなる

だから私は喫茶店が好きなのである、でも喫茶店はもうなくなるとまでなる
成立っているのは車でももっていけるハンバーグ店とかである
相馬市には二軒ほどあり若者とかでにぎわっている、あれが気軽るで値段も安いからいいとなる、これも時代なのである
喫茶店でも高級店にして金持ちでも何かサロン的なものとして利用があるかもしれないがどうしても田舎ではそんな人がまれなのだから成り立たないとなる
そしてイオンがなくなったことの影響も大きい、あそこでは休んでいたからである
食事も気軽にできたからである、中に喫茶店もあったからである

ともかく昨日は天気もいいし気持いい日だった、今日は朝から曇っている






2022年11月24日

冬の蝶(ルリタテハ)が庭に来る―茶室のこと (葉牡丹、冬あざみ、冬薔薇)


冬の蝶(ルリタテハ)が庭に来る―日本文化と茶室のこと

(葉牡丹、冬あざみ、冬薔薇)

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風うなり籠り隠る家冬の蝶

北風や茶室に一人籠もるかな

この道の碑の古りあわれ冬あざみ

この道を今日も行くかな冬あざみ

冬薔薇一輪あわれ茶室かな


茶室への径や待ち屋に落葉かな石に対すや主と逢わむ

北風の唸りて茶室に一人あれ茶碗の古りてその重さかな

土壁の茶室に映る日影かな木の葉の散りて径そ暮れゆく


3月〜12月
成虫は初春頃から秋の終わりか初冬までのかなり長い時期を数回に分けて活動しています

木の根っこ
葉牡丹
庭の石
冬薔薇一輪
唸る北風
一人籠もる家

今日朝窓の外を見たら黒い蝶がいた、めずらしいと見た、結構長くとまっていた
それはルリタテハである、羽寝かきざぎざしているしこれは春に山で見かけるものだったではなぜ冬になって街の中で見たのか不思議だった
でも季節的には初冬まで飛んでいる蝶とある
これは普通は山で春を告げる蝶と見ていたから意外だった

狭い庭でもそこは自然があるから蝶でも鳥でもくる、この前はジョウビタキの冬鳥のメスを見かけた、雄はきれいだがメスはきれいではない、紋様もないのである
なぜルリタテハが飛んできたりするのか、それはこの辺はまだ自然が回りにあるからそうなる、この前はジャコウアゲハも飛んできたからである
とにかく庭があるとやはりそこが自然であり自然のものを呼び込むのである

この庭が日本独特の文化となったことがわかる、茶室があり庭があり茶道が生まれた
それは極めて日本的なものとして自ずと生まれたのである
外国のような荘厳な豪華なものではないが小さな茶室という空間が俳句のようなものでも日本的文化を育んだのである、だからエジプトであれ巨大建築があるのとは大分違った文化なのである

わび、さび、ほそみ、とかなる、何かそれは冬の枯野などにふさわしいのである
茶室だと待ち屋とかあり出合いを演出する、ただそういう文化が生まれたのはやはり時間間隔が違うからである、時間の流れが遅かったからそういう文化が生まれた
いちいちそんなふうにして逢う時間を作ること自体は忙しい現代に作れない、似合わないのである、時間の感覚は時代によって相当違っていたのである
現代はまた情報洪水になり何んでも追われている、無の空間が作りにくいのである
茶室とは老子の言う無用の用の空間になるからである

別に私は茶道のことなどわからないが日本人であれば日本の自然に接していれば自ずとわかるものなのである、それは外国でも同じなのである、なぜ万里の長城があるのかとなる大陸は陸続きなのだから侵入する敵を止めることができない、だからこそ万里長城ができた、ウクライナでもロシアが所有しているクリミア半島を壁で囲むようにするとかいうのもそうである、陸続きになれば戦争になればそうして壁を築いた侵入を防ぐほかないからである、だからヨ−ロッパでも都市は壁で囲まれているのである
日本の都市に壁がないのはもともと陸つづきでないから異民族が侵入していこないからそうなったのである

小さな庭でもそこに自然は調和する、木の根っこがあり石があり葉牡丹を植え冬薔薇が一輪咲いているのはいかにも冬らしい
そして一つ一つの事物が何か語っている、互いに調和して語っているのである
だから庭は一つの自然の空間なのである
いづれにしろ冬は老人にあっている、冬ごもりとなり籠もるのである
私は陰の性格だから人と逢うのはまれにしてこうして一人茶室でも籠っているのが気持いいとなる、でも庭は欠かせない、狭い庭でも蝶でも鳥でも来るからである
ただ今日のルリタテハは意外だったとなる
思わぬ訪問者であり幸運だったとはなる、これはおそらくもっと自然のある場所だと家で自然に接することができる、でもそうなると不便になる
だから適当に便利で自然がある場所がいいのである
ただすべてがいい場所などないのである、回りに嫌な人間もいるし何かと不便であったりいろいろ不満がありそういうものはどこにいてもなくならない
自然はいいが人間は嫌だとしてまた都会に帰る人もいるということである



2022年11月19日

塩手山の登山口に咲いていた冬桜(晩菊、冬の灯、冬の星、残る柿)


塩手山の登山口に咲いていた冬桜(晩菊、冬の灯、冬の星、残る柿)

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ここは家の前の畑である、田から仕事しやすいのである

塩手屋山の麓

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冬桜が二本

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今田の古い道

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安永だから古い

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滝平の滝は紅葉が赤ければ良かった
紅葉は季節が終わっていた

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一つの根に三本の木が生えている

玉野村へゆく宇多川の上流



飯館村の佐須

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ここは何を祀っているのか
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享和と見える

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飯館村の前田

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真野川の隠れた大石



牛のいてこちらを見るや残る柿

晩菊や前畑に仕事老婆かな

冬の日や安永の碑古き道

冬の日や古き碑残り松一本

二本の山里に根付く冬桜

冬桜佐藤氏の末二軒かな

塩手山佐藤家二軒冬の暮

根の一つ三本の木や冬の暮

冬の灯や木戸木(ことぎ)にあわれ三軒ほど

石一つ隠され知りぬ冬の星


古き碑の昔の道に並びつつ松一本や冬の日暮れぬ

土壁の蔵に冬日さし映えにけり残る柿あまたこの家の古りぬ

幽かにも冬の林に鳥の声ひびきてあわれ一軒の家あり

山そそり巌にひびく滝の音秋の朝日の頂にさしぬ

境なれ玉野そあわれ冬の日や若木神社をたずねけるかな

霊山をたずねれば紅葉終わりしと南朝亡ぶ我が帰るかな

辛うじて享和と読める佐須村の碑の古りあわれ冬の日暮れぬ


相馬市の塩手山の方をまわり霊山に行きそれから飯館村の佐須村により草野の方に行った距離的には10時半頃を家を出て回ったがそれほどではなかった
ただ日が早く暮れるので急いだ、でも帰りは真っ暗になっていた
そして残念だったことは紅葉は終わっていた、霊山でも終わっていた
紅葉の期間も短い、たいがいもう散っている
紅葉は山より庭とかに真っ赤になっている、やはり真っ赤だと紅葉らしいとなる

ここで一番の見物は塩手山の登山口に咲いていた冬桜である
これは意外だった、こんな所に咲いているのかと不思議だった
確かに農家の庭に冬桜が咲いていたのを見たことがある、でもあそこは山の方であり
冬桜が咲いているので心にしみるともなる、ただあそこが村という感覚はない
家が少ないからである、今は山里でもそこから街に勤めのために通っている人が多いからだ、現代では本当の山村というのはなくなっているかもしれない
自給自足の山村は消滅しつつあるのかもしれない、限界集落となっているからだ
塩手山には二軒佐藤家がある、その佐藤家は佐藤庄司などがいて義経に使えた武士でありその墓がが医王寺にありそこから移住してきた人の子孫だとなる
佐藤家にもいろいろあるがここの由来はそうなる、磯部に住んでいた佐藤氏はその系統であり鬼越館に移った佐藤氏である

義経が挙兵した頼朝のもとへ駆けつける際に従い、目覚ましい活躍を遂げた佐藤継信・忠信兄弟。しかし、継信は屋島の戦いで、忠信は京都で、それぞれ義経の身代わりになって壮絶な最期を遂げています。この佐藤継信・忠信兄弟の墓をはじめ、佐藤一族の墓が並ぶ医王寺。武蔵坊弁慶の笈(おい)が納められ、松尾芭蕉の句碑も立っています。(福島市飯坂)

こうして福島市でも浜通りでも歴史としてつながっている、身近だと歴史をたどることができる、でも高速道路は確かに早くていいのだが用事があるときはいいのだが旅するには向いていないのである、途中に必ず古跡とかがあるからだ
南相馬市の鹿島区には50人くらいなのか只野の姓がある、これは郡山の多田野村から出た姓なのである、霊山が炎上して逃れた落武者の末裔だったのである

宇多川の形がいい大きな石は工事があり土に埋まっていた、それも残念だった
あの石は博物館とかに置けばいいようにも思えた
それから玉野村近くにまた山ごとソーラーパネルにする工事をしていた
どうしても山は仕事がないからそうなる
特に福島まで中央道が直通したとき前の道は旧道となり車が通らない
だから霊山の紅彩館まで影響したという、途中に寄らなくても行けるとなるからだろう
でもソフト屋は繁盛しているように見えた、あれはうまいから寄る人がいると見えた
旧道はサイクリング道路としては最適である、でもそれでは地域に何かうまみがない
だから店でも食堂でもやめたのである
とにかく車社会というとき車の影響が大きいのである
シャッター通りになったのも車の影響があるからだ

2022年11月18日

冬の空家の庭ー(紅葉、残る菊、山茶花、冬薔薇 、残る菊)


冬の空家の庭ー(紅葉、残る菊、山茶花、冬薔薇 、残る菊)

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右田浜の津浪で家が流されても庭だけは残った
石は重いから流されず残ったとなる
でも石すら流されてなくなったのである
それで庭の石が利用されず積まれたままになっている所がある


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石黙し紅葉の赤さまして映ゆ

滝ひびき紅葉の赤く朝の山

冬の日や田舎に寡黙石の庭

田舎なれ墓地の目立ちて枯野かな

冬の日や平板な石に亀二つ


白鳥の五六羽朝に鳴きにけ連なりにつつ雁も飛びゆく

冬の雁朝群れ飛ぶや海の面の光り反射しまぶしかりけり

我が庭に冬の薔薇咲くいとしみつ晩年過ごしぬ

我が庭に葉牡丹植えぬ紫と白や冬日さす石のかたへに

落ち着きて寄り合う石に残る菊冬の日さして晩年過ごす

街中の空家の庭に残る通りなれども活かされじかも

山茶花の咲きて石重く残りにしも人住まぬ庭我が見ゆるかも

残る柿なお我が家に生きなむや近く住む人の余命を思ふ


空家が増えるのも問題である、空家が活かされない、空家より価値あるのは庭だったようにも見える、私の場合に石に興味があるからそうなる
空家は壊されても津波で家が流されても庭の石が残っている、ただその石もただ積まれていて利用されないのももったいないとも見る
ただ庭は広い土地が必要だからなかなか利用しにくいのである

今年は白鳥はここでは四五羽しか来ていないのも淋しい、白鳥は一度来た所にもどってくるというがなぜ今年はこんなに少ないのか去年は数が多かった、それで飛んでいるのが気持ち良かった、今年は飛んでいるのも見ないから淋しいとなる

なんか急に寒くなった、冬になった、石は沈黙している、そうして田舎でじっとして寡黙に過ごしているのがいいとなる、それが自分の性分にあっているのである
近くの知っている人は糖尿病であり寿命も短いだろう、でも糖尿病も簡単には死なない
家に来ていた人も脳梗塞になったがこれも簡単には死なない
知っている人で脳梗塞になった人を5人くらい知っている
そういう人は夫を十年介護したとかいうのが普通なのである
この介護の期間が長いことが苦しくなるのである、最低でも5年はかかるからである

とにかく冬らしくなった、紅葉も盛り終えつつある、霊山の方に行こうとしたが疲れて行けない、やはり疲れやすくなったのである、自転車だと遠すぎるとなる
近くでもっと紅葉を見たいと思う、何か老人になると意外と近くが大事になる
介護するにしても近くでないと不便になる、それが隣の市でも8キロでも10数キロでも車だと近いようだが遠いのである、手間なのである
たから老人は近くで動かない石のように共にいることが合っているとなる
ただ問題はいろいろと合わないことがありもめることである
昔の村のように長く一緒に共同して暮らしていた人はうまくゆくが今だとそういうことがないからうまく付き合えないのである

ただ正直老人になるとどうしても出不精になり家にこもるとなる、だから庭とかがあり花とか石を見ているのが合うようになる
脳梗塞でも家にじっとしているにしても庭があるとその庭の花とか石を見たりまた多少庭の手入れなどしていれば気がまぎれるとなる、そのくらいは動けるとなるからいいのである


2022年11月11日

晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)


晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)

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地震で壊れてまだ直してない家がある
私の家もまだかたづけていない、本とか散乱したままなのである

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蔵二つたわわに柿のなりにけり

晩菊や田舎の墓を守る人

柿成りて田舎の墓を守る人

畦道に薊のあまた残る菊

畦道に蝗めずらし里に死なむ

二片(ふたひら)の花びら残る秋薔薇


我が庭に散り残る秋の薔薇二ひらやあわれ日もはや暮れぬ


冬になったとしてもまだ秋であり晩秋である、季節的には冬でも秋なのである
だから季語が合わなくなっている

田舎で目立つの墓地である、村ごとに墓地がある、その墓地を見る、そこで江戸時代の年号を見ると古いとなり価値あると見る
人間は親が死に自分自身でも老いると墓守りにもなる、墓を守ることが勤めともなる
ただ今は墓すら受け継がれない、その子供が東京とかここなら仙台市とかに出る
だから仙台市から墓参りに来る人も結構いる
駅では墓参りに遠くから来た人と合っているからである

めずらしく蝗を見た、弱っているから死ぬのだろう、何か蝗というのも見かけくなった
子供の時は学校でも蝗とりしていて蝗を食料にしていた、それは売れたから学校でも生徒に蝗とりさせていたのである、蝗でも里というときやはり人間とともに生きているという感じになる、ただ蝗は害虫にもなるから食べていたとなる

どうしても今の感覚だと里という感じがしないのである
村というのもそうである、里というときすでに過去のなつかしいものとしての里なのかもしれない、

なつになれば わらしこおよぎ
どじょっこだの ふなっこだの
おにっこきたなと おもうべな

「夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
山の畑の くわの実を
小篭に摘んだわ まぼろしか

どじょうは実際に味噌汁にして食べていた、鮒釣りもしていて鮒も食べていたのである
そこには子供が遊んでいたからである、ゆうやけこやけの赤とんぼでもそうである
赤とんぼもあまり見かけない、でも浪江の荒地には赤とんぼが一杯飛んでいた
人間がいなくなると赤とんぼとか増えたのかとなる
クワの実とか結構あってこれはうまいものである、養蚕していたとき桑畑がありクワの実を食べていた、これは山にもなっていたのである

要するに時代によって風景も作られている、江戸時代の浮世絵の風景でも今写真のようにみてもその時代の雰囲気がなかなか実感できない
それほど時代が変わり何でも変わってしまったということである
何か奇妙なのは道を歩いて旅していると歩いている人間がいたとういことが不思議にもなる、なぜなら今は車の時代であり歩く人はいないからである
たまたま歩いて旅する人はいる、そういう人はめずらしいとなる
歩く旅を自分も経験していないから歩くこと自体新鮮な経験になってしまったのである

俳句はやはり写生である、「百輪ほど畦の草踏み冬薊」そこにはずいぶん薊が咲いていたこんなに多く咲いていたのを見ていなかった
薊は冬にふさわしいのかもしれない、薊はその土地に根付いている土着している感じだからである
秋薔薇が咲いて花びらが二ひら残っていた、庭になると人間とより一体化して見る
庭に咲いている花は自然に咲いている花とも違う、石でもそうだが花もより人間化するのである、だからこそ人が住まなくなった庭はより淋しく感じるのである
今日は朝は寒かったがその後は確かにあたたかくなった、だからどうしても冬というより晩秋なのだろう、季節感が狂うから俳句を作る時困るのである

2022年11月10日

小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー 紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー

紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


(小高へ)

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木の蔵はめったにない、だからこの家は古い

ここは小高の城のある手前であり空家なのである
空家でも立派な家がある、庭でもいい庭がある、だから誰も住まないことが
もったいないのである
ただ11年も過ぎてすまないことは住むことがなくなるのか?
結局震災以後でわかったことはいくら一軒一軒の家が立派でも
全体が荒廃してしまえば価値がなくなる
荒地の中に一軒の豪邸があったとしても価値がない
その市町村全体が荒廃するば価値がくなるのである

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小高城

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ここも家があり庭があったのか、または石が集められたのか

大悲山の石仏

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浪江の空家の庭

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高瀬川の紅葉

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猿の腰かけ石

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この三角の山がいい


小高城据えにし石や秋の暮

あわれかな小高浪江に残る虫

大岩の庭に動かじ残る菊


小高なる城跡だずね色濃くも紅葉映えにき石段下る

(大悲山の石仏)

黄金色(きん)の銀杏のの木の葉を散りしきて紅葉映えにき石段上る

千歳古る巨杉の幹や三体の平安仏や紅葉赤しも

平安の磨崖仏かな何を聞くここに黙して冬に入るかな

三体の平安仏の不動なり幽かに残る虫の音を聞く

(人住まぬ家)

誰か住む岩の一つの大きなるその岩により残る菊咲く

松一本見事なるかなここに住む人は誰なれ冬となりしも

(大堀の里)

陶工の家々寄り合う大堀や落葉に埋もれ荒れ果てにけり

大堀に菩提寺あれや人住むは江戸時代より秋深まりぬ

大堀の神社に残る大きなる木の根ふたつや秋深まりぬ

ここにしも山津見神社や高きかな我が上りたずね秋深まりぬ

(高瀬川溪谷)

渓谷に清らかな流れそそる岩紅葉に映えてひびきけるかな

渓谷の流れの奥に秀麗な山の映えにつ秋の陽没りぬ



夕暮高瀬川紅葉の詩

高瀬川流れ清らか
そそる巌に色濃くも紅葉映え
その巌の間にひびく流れや
秀麗な山そ映えにき
秋の陽は輝き没りぬ
岩と岩は厳かに向き合い
ここに千歳の経にけるや
その流れは汚れじも
その麓大堀の相馬焼き
技を磨くも捨てられあわれ
夕べ静かに流れの音聞きつ
落葉を踏みて帰りぬ
その逸品の一つ我が家にあり


動かざる石仏に巨杉

石仏は千年ここに動かない
ここに三体の石仏
もの言わず動かない
この石仏のありしときより
この杉は成長しつづけぬ
かくしていつしか巨杉となりぬ
この木はここに千年生きぬ
その重々しさよ、内なる力よ
充実したる内からみなぎる力よ
この木はもうテコでもここを動かない
ここに黄金の銀杏の葉の散りしき
眩しく日はさして輝く
紅葉も色濃く映えぬ
平安の仏はここに動かぬ
何をその耳は聴くのか
千年黙している石の仏よ
幽かに残る虫の音を聞く
人もここに動かずあれ
この地に根を張り千年動かざれ
この地に根を張り千年生きよ
ここの大地に深く食い入る根よ
ああ 人の生ははかなし
百年生きるも短し
たちまち時間は過ぎてゆく
あわただしく過行く生よ
千年動かざるこの石の仏を
千年ここに根付く巨杉を思へ
かくあれば命の重みは自ずから備わる
人はたやすくその土地を離れ
何も残さず消えゆくものなれ
その生は浮薄にして束の間に消ゆ
木の根はなおもここの地を離れずあり
そはこの地を離れて何を残せしや
そが血脈は絶え根となる土地のなし
代々重ねる生の重みなし
その命は虚しく消えてなし
人よ、根になる土地を持て
そこに根を張り有意義な生を成就すべし


小高城によりそこにやはり紅葉が映えていた、そして何か庭の石だったのか集められていた、そこに家があり立派な庭がありその石だったのか
小高城というとき相馬氏が最初に築いた城だから歴史が古いのである
その後原町の牛越城から相馬市の前の中村に城を築いたのである
その歴史を知る時小高は意味ある場所だとなる
相馬野馬追には中村神社(宇多郷)と太田神社(中郷)と小高神社が行列に出る、それは小高が古いからそうなる

私は石や岩に興味がある、自分自身が内向的であり黙している石が似合っているとなるからである、石にはなんらか岩でも表情がある、だからそこにあった石に感じるものがあった、それで俳句を作った、ただ冬になったのに秋の暮となっているのはまだ秋の感じだからである、昨日はあたたかったからである、何か季節感がはっきりしなくなったのである秋の暮とか秋深むとかになるが冬になっている、でも実際は今は紅葉で晩秋なのである

他にも浪江に入ったらやはりいい家がありそこに大きな岩があった
残る菊がありふさわしかったとなる、庭に石を据えるとことは人間も石のように動かいな定着することなのである、でもそれが原発避難区域では失われたのである
立派な家があり庭があっても誰も住んでいないのである
これは本当にもったいないと思う、そして空家のままにしておくと町全体にしても活きてこないのである、人が住んでこそなんでも活きてくるからである
そうして空家を放置しておくとこはその持ち主でも権利を失うことかもしれない
そもそも住まないとしたら空家としておくことは困るとなる
たまに見に来て掃除などしている人は近くでいる、でも20年とか空家とかなっているのもある、そしていつ誰かが住むのだろうとなる

大悲山の石仏は平安仏であり千年過ぎているという、その時植えられた杉があのように大きく育ったのである
その杉は見事である、その杉と同じく石仏も古いのである
そこで思ったのはこのように人もまたここに根付いてあれということである
それは原発事故で原発避難区域が人が住めなくなり離散してしまったからである
そのために何か拠り所が必要になったのである
この石仏も古いからまた杉ても千年も過ぎているとなるとかくも長くここに根付いていたということで人もそれを拠り所にするのがいいとなる

大堀は荒れ果てていた、でも細い道があり陶工の家々が20軒くらいあったのか、めれは江戸時代からつづいていたのである
それで神社に大きな杉の根っこが二つほど残っていた
その根っこがまさにここに根付いて暮らした人たちを象徴している
神社とはこの土地に根付くものだとなるからだ
ここも山津見神社があるからその起りは古代に遡るのである
海人族の安曇族がここにもにも入ってきていたのである

ともかく石が定着のシンボルである、だから大悲山の石仏にしても平安時代からあり
またその巨杉が千年とかしてあのように貫禄あるものとなった
石仏にしても千年そこに座して動かなかった、それは大地に根付くように動かなかった
また古碑がありそこに大きな木の根っこがある、他の神社にもある
それはやはり木がなくなったわけではない依然としてその根っこ存在して存在を主張しているのである

現代の問題は余りにも変わりすぎるのである、10年一昔と言うけどそういうことはあっても変わらないものがある、千年も変わらないものがある
それが千年の巨杉であり平安時代の石仏だとなる
その変わらないことで動かないことで重みがあり存在力がある
それは余りにも現代は移動する動くということにある、そのアンチテーゼとして動かないものとして木でも石でも石仏でもある
原発避難区域は一挙に捨てれてみんな移動して帰ってこないからである
そうして縄文時代から弥生時代から住み続けてきた場に人がいなくなる
跡を継ぐ者もいない、そのことが今や全国的日本の縮小化で起きているのである

人間はアイディンティティ化する場が必要なのである、それが本来の国である
大都会ではとてもそうしたアイディンティティ化する場とはなりえない
だからそれぞれの国に生きることでアイディンティティ化して生の充実がある
小国とは小さな国であった、でも国でありその小さな範囲で人間の生は自然でも一体化したのである
ただ現代はそうした国が喪失した、広域化とか商業は必要でも余りにもその生活圏でも拡大して人々のつながりは金でしか得られなくなったのである
今や農民すら金であり共同体というのは喪失している
みんな広範囲な所で働いているからである、建築土木関係だと本当に遠くに行く
仕事が地元にないとき遠くに行くのである、だから近くでも何しているのか仕事しているのかわからないのである、それは田舎でもそうなのである
車時代になると近くが遠くなり遠くが近くなっているのである
そういう社会だとやはり何かあると簡単に解体してしまうのかとなる
グロ−バル化とかでも広域化経済でも何か土地に土着するとかがない
それは自由を求めるからそうなるとしても人間の充実した生を大地に根付いたものを作れないとういことである、そこに精神の充実が得られないのである


相馬焼の歴史
http://www.musubu.jp/somayakimono1.html

むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ

大堀小学校の校歌に柿の木が歌われている、柿がふさわしいとなる
ただ柿の木は高くは伸びないか合わないともなる
ただ柿のなる陶芸の里としてふさわしかったとはなる

大悲山の巨杉
http://www.hitozato-kyoboku.com/daihizan-sugi.htm

2022年11月08日

常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)


常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)

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ここに大きな平な石があった、庭としては広い

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(隣の庭)

庭広く紅葉に松や大き石

朝日さし隣の庭に紅葉映ゆ

街中の路地裏の道冬たんぽぽ

三色の晩菊に日さしあたたか

墓地近く晩菊三色映えにけり

常なりき今日もこの道冬薊


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

これは別にしてここに移した、今日は陽射しがあたたかだった
今年はやはり暑かった、太陽が関係もしている
だから秋が短く冬にもなったがまだ冬という感じはしないのである

いつも行く道でも季節の変化がある、晩菊というという時老人なのである
それぞさに色が違うということはそれぞれの人生を生きてきたからそうなる
それで老人は語ることに意義がある、浜通りは冬でもあたたかいときがあるから冬たんぽぽが路地裏の道にも咲いていた、いかにもそこに似合っていた
花でもやはり人間とともに活きているからである
ただ路地裏だと飲み屋とかあるから何か花にはふさわしくないともなる
だからだから都会のネオン街などにはふさわしくない
どうしてもそういう場所に花が映えないとなる
花が映える場所というのはネオン街とかにはない、花を飾っても酒の匂いがしてまた女性でもそこでは本当の美はない、虚飾の世界なのである
やはり花は野に映えるとなる、でもフラワーアレンジメントとかわび、さびの世界の茶室には野の花も映える、また別に外国の花でも花は映える
その場が問題なのである
私は親の遺影にいつも花を献げている、花は死者にささげるのにはふさわしいとなる
死者はもう汚されることはないからである、また自らも他者を汚すことがないからである
ともかく庭でいいのは身近に自然を感じることである、日常的に感じることである
だから隣の庭も自然と感じる、都会では大きな庭があればそこに自然を感じるとなる
それはその家だけのものではなく全体に影響するのである
いづれにしろまだこうして空家になっても回りに人が住んでいればその自然は活きている不思議がある、それはまだ回りに人が住んでいるからである
でも原発避難区域になったところでは回りにも人が住んでいないのである
だからその空家の庭でも誰もみないとなる、特に農家などは街から離れて孤立しているから余計に見ないのである、そこは死んだ家にもなってしまうのである
空家をどう活かすかは全国の問題である、もったいないからである

2022年11月06日

冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)


冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)

降居神社

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大国主は出雲系の神である

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湯殿碑は本当に多い
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この根っこが凄い、太い根っこが張っていて力強いのである
大地からどんなしても離れないというもの感じる
これは相当に大きな木だったことは確かである



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ここの前は広い畑なのである、前畑になっている、こういう所に住んで仕事することは
何か充実感があることは確かである、前の畑で野菜でもとれれば食べ物があるから安心だとなる

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中村喫茶店が閉店したのは驚いた
庭もあったし藤の花がきれいだった
これをどう利用するのだろうか
誰かがまた何か利用してはじめるのか
喫茶店はやはり贅沢できない時代になり成りたたなかったのか?

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イオンも閉店して喫茶店がないので近くのハンバーガー店に入って
休んだ、喫茶店は休むのにいいがやはり料理がでないと成り立たない
でも休む場所が必要なのである




(降居神社)鹿島区岡和田

誰が守る社ひとつや冬菜かな

晩菊や神社の由来尋ぬかな

冬日さす白壁の蔵に古木の影

門古りて蔵に農家や柿なりぬ

農家なる前畑広く黄菊映ゆ

冬の鴨三羽寄り合う城の堀

閉店や中村喫茶店冬に入る


木の根っここの地に根付き離れざる冬の日たずぬ降居神社を

石段の古りて上るや社かな落葉を踏みて謂れをたずぬ


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

今回は降居神社をたずねた、ここはなぜか訪ねたことがなかった、神社の数も多いからである、ここの神社の由来はわからないという

856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。

また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
https://onl.la/HJjD66P

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。

記紀の記述
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB#%E4%BC%9D%E8%AA%AC

この降居神社の由来は出雲系なのである、国譲り神話があり東北に逃れて来たのが出雲系である、諏訪神社などもそうである、それで東北のズーズー弁と島根鳥取とかの方言が似ているというのももともと蝦夷がいる東北に逃れた人達である同族だったとなる
八重言代主神とあり山元町に八重垣神社がある

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

この八重垣である

ともかく神社の謂われは古いのである、湯殿の碑など江戸時代に作られた碑があるがその前にこうして伝説があり古代にさかのぼるのである










2022年11月04日

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

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庭に石長くもあれや秋薔薇

頬濡らす一滴の時雨老い深む

短日や老人生きる日数かな

故郷の小径を行くや冬に入る

故郷の病院に入り冬日没る

この道に今年も咲きぬ冬薊

老一人木戸木に残り冬籠る


我が庭に一輪秋の薔薇咲きてしみじみと今日も一人見ゆかな

姉と母遺影に花を我が献げ訪ぬ人もなし冬に入るかな

知る人の病院に入り逢わざりき治れと祈り冬に入るかな

野は枯れて陽の没り早し夕雲に月の光りて老いし我かな

空家なる庭の紅葉の赤く映ゆ人住まずば誰に映ゆらむ


文化の日すぎて今日は明らかに冬だった、冬日が山脈に没するのが早かった
短日にもなった、一昨日なのか確かに時雨もあった、時雨というと山頭火である
後姿も時雨れてゆくか・・・となる

老人になると短日が似合っている、時間がすぐ過ぎてゆくからである、老人は冬に合っている、ただ今老人といっても70以上になる、60代は初老であっても老人とも言えなくなったのである、高齢化で老人という感覚が相当に変わったのである
長生きでないとき老人は何か貴重に見えたかもしれない、それは長生きする老人が少なかったから希少価値があった、それで姥捨て山伝説とかあるがこれでも本当のところはわからない、子捨てとか間引きとかは食い扶持を減らすために現実にあった
でも老人は長生きしないから江戸時代辺りだとあまり迷惑をかけずに早めに死んでいたともなる

知っている人は近くの病院に入院した、逢ってもいない、病院はウィルスが怖いのであるうようよしている場合がある、それで私自身が風ひいて40度の熱が出たのである
病院というときやはり地元の病院だと何か安らぐとなるかもしれない、近いと看病にも行きやすいとなる
ただ病院でも人による、医者でも看護師でも人がよければ場所は関係ないともなる
そもそも昔だったら村で病気になったりしたら薬師堂で祈るくらいしか方法がない

でもスリランカの村のように村人全員で祈っていたりしたかもしれない
高度な治療などできないから祈るほかなかったからである
でもそういうことでやはり精神的影響はある、そういう思いが伝わるからである
私が入院したときは相馬総合病院では看護師に虐待のようなことをされたからいいものではなかった
ただ今は看護師でも老人とか病人を嫌っている、それは数が多いからである
病院でも老人病院になっているからである、だから病院でも番号で呼ばれるとか無機質な空間なのである、そしてかえって病気を悪化した人がいたのであ
確かなことは老人の病気の対処は違ったものになる、老人医療を言う医者がいるがそうなく

私が毎日語りかけているのは姉と母の遺影である、私は姉と母のことを一番今でも大事にしている、それだけ良くされたのでそうなったのである
ただ本当に死者を愛すということはなかなか継続しにくい、全く返事がないからである
だから日々に去る者は疎しとなりやすいのである
ともかく今日は本当に冬になった、秋は終わった、ただ秋は短すぎた
紅葉はこれからであり晩秋が冬になった

奇妙なのは隣の空家に紅葉が赤く映える、でも見る人はいない
私がその紅葉を見て私に映えていることの不思議である
時々に庭に入っているからである、つまり空家の庭になったのだが半分自分の庭のようになっているのである
その家とは自分の家でいさかいがあった、でもその人達はみんな死んだのである
隣同士では何かもめることがある、でも今はみんなそうした人達も死んだのである
つくづく人間はこうして何か争うものであり醜いずるい人がいる
でもいづれはみんないなくなるのである、でも何か後味が悪いものを残すとなる
ただその家にもともと住んだ人はずっと前から住んでいない、別な所に住んでいたから
それも変わってしまったのである
そこに二十年以上住んでいた人は借りて住んでいたのである

飯館村の木戸木(ことぎ)に一人80以上の人が住んでいる、そのことを書いた
あそこに一人住んで冬ごもりとなるのかと思う、あそこは大倉でもあり意外と近いと思った、草野の方に行くと遠い感覚になる、もともと大倉は近かったのである
ただ坂があるので苦しいのである、車だったら近いとなる
自転車だとどうしても近くでも遠くなるのである
ただ一つの空間を共有する地域だと思った、川俣になると飯館村から十キロとなるから遠い、別な世界にもなる、飯館村まではもともと相馬藩内だから地理的にもそういう範囲にあった、でも葛尾村となると三春に近く遠く感じるのである




2022年10月21日

今年の冬が早い、近隣の無常迅速の短歌二十首 (柿の俳句に冬に入る故郷や家の短歌)


今年の冬が早い、近隣の無常迅速の短歌二十首

(柿の俳句に冬に入る故郷や家の短歌)

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伊達市石戸村

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石の庭我が家に安らぐ柿なりぬ

老人の我が家に安らぐ柿なりぬ

蔵古りて柿のたわわに石戸村

秋の夕一番星の冴え光る

枯山水流れひびきて冬の庭

組み合いぬ石と石かな冬深む


漁の船幾艘浮かぶ秋の朝海面光りて輝きまぶしも

何を見む何を語らむ命かなふるさとにあり冬に入るかな

誰か住むその跡に咲く菊の花我が手折りて室に挿すかな

金木犀一時匂ふ広間かな我が家の栄にあづかる人かな

近く住む医者を語れる人もなし何を残さむ忘れらるかな

苦しみつ生きてあわれも我が家に語りし女や病に倒る

病なれなほ生きなむ家にあれ齢幾ばく冬に入るかな

ふるさとに老いてなほ生くそれぞれに語るものあれ冬に入るかな

松一本家の跡にしありにしも今無きかも冬に入るかな

故郷の夕べさみしも幽かにも虫鳴く声に耳を傾けぬ

地震にそ壊れし家のそのままに空家のあわれ何を語らむ

昔なれ子供遊びし神社かな今は淋しも声も聞かじも

神社にそ天明の碑ありこの地にも歴史はありぬ我が家も古る


我が家に越中よりの移民なれ相馬の歴史語るもあわれ

小高より原町に住む女にあれ老いて変わりぬ無常なるかも

昨日(きぞ)ありし人は今無し無常迅速冬に入るかな

若き時逢いにし人はいづこにや行方も知れじ永遠に逢わざれ

誰が問うや墓のあわれも戦争に死す人なりし省みる人もなし

戦争に苦しみ果てしその命生きて語れる人も消えゆく

子に恨み残して死にぬ親ありぬこの世の縁の切れるも早し

我が母の遺影にそえてカーネーションの紫濃きをさして偲びぬ

言絶えて遺影微笑我を見む花を献げて守る家かな

清らかにきらめきあいぬ秋の星み空の澄みて濁りなきかも


昨日は北風が吹いた、今年はもう冬なのかもしれない、夏が来て秋が来ても短い
冬の感覚になっている、ただまだ紅葉にはならない、何かつくづく近隣を見ても死んだ人の家が空地になったりまた地震で壊れた家がそのままになっていたり今年の地震はまだ修復されていない、屋根が直されていない家がまだまだある
私の家の中もまだかたづけていないのである

本当にこの年になると無常迅速である、こんなに変わるものなのかとなったのは震災原発事故以降でありその後すぐに家族もみんな死んだ
何かめまぐるしく変わったのである、こんなに変わるものかとただ驚くばかりである
この世の中とは本当に変化である、常なき世界なのだ、無常の世界なのだ
それは昔からそうだったのである、だからこそ別に宗教を知らなくてもそのことは諺に残っている

若い時はどうしてもこうした無常だということがわからない、ただ人生は無限につづくものとみる、ところが30過ぎるともう青春とか若さは消えてゆく
そして40才になると白髪でてくる、つまり初老にもなる
だから実際は高齢化社会でも老いることは早いのである、青春はもう夢のように消えてゆく、それはあっという間だったとなる
その時あった人はどうなったのか、それももうわからないし逢うこともないとなる
人間が逢うということは縁があってそうなるのだがそれも束の間であり別れから一期一会となる出合いを大事にしろとなる

でも実際はいくら人と逢ってもそれはこの世の一時であり後は永遠に逢わないのである
もう50年前ともなれば本当にそんな人いたのかとまでなる
それで確かに子供の時五年間一つ屋の下で暮らした人のことを覚えていなかったという
女性がいた、その人は非情化した人間だからそうなった
でもその人とは本当にいたのかとも50年も過ぎるとなる

回りを見ると空家になったり空地になったり死んでしまったりしている
近くの医者はとにかく話題になる人だった、でもその医者のことを語る人もいないのが不思議である、あれほど語っていたのに語る人も死んだこともあるが他でも語ることがない家は残されているが地震で屋根をが壊れても直していない、一人息子も78歳で死んだと聞いて驚いた、その家にしても放置されているだけである


とにかくこの辺は原発事故の避難区域になった所は空家だらけであり老人が住んでいるだけでありやがて消滅するのかとなる、これも余りにも大きな変化だったのである
次々に人間関係でも変わってゆく、五六年家に来ていた女性も突然脳梗塞だ倒れた
これも大きな変化だった、その人の親しい人も糖尿病であり最近あったらめっきり老けていた、病院通いであり八五歳になるとやはり老ける、でもぼけではないない
どうしても病気になれば老人は一挙にさらにふける

その人は病院に半年くらい入院していた、でも病院にいてかえって悪くなりもう入院したくないと言っている、家に帰ってきてかえって回復したのである
そして良く庭を見たら柿がなっていたのである
その庭は大きな石を積み重ねた立派な石の庭がある、それはすでに若い時人一倍働いて家でも庭でも作ったのであり自慢なのである
だからそういう家にいることは病院と違って気持ち的に尊厳があるとなる
老人になれば体だけではない、やはり心が問題になるのである

だから総合診療が必要だとなる、家で死にたいというのは家がアイディンティティの場でありそこが生きた証の場所でもあるから家で死にたいとなるのである
そして死者は家でなお生き続けているのである
なぜなら残された人がいれば供養しつづけるからである、死者も家に生き続けるからである、また故郷でもそこは生き死にの場所であるから老人になると離れたくないとなる
ただ若い時なら他の場所でも慣れるから第二の故郷となるのである
だから老人は故郷を離れることが辛いとなる

柿は何か日本的な果物であり、KAKIで外国にも通じる、柿と石ともあっている
それは単に果物ではない、何か精神的価値がある、バナナとか外国の果物はただ食べるだけだが柿には精神的な意味を感じる
それは極めて日本的なものになっているからだろう
私の母親は柿が好物であり干し柿を食べていた、大正生れだから果物でもいろいろ食べられなかった、柿は干し柿でも子供の時から食べていた
そして霊山を越えて伊達市に入るとあんぽ柿で有名になる、石戸という村の名前もいい
そこで柿がたわわになっていた、柿の季節でもある
ただ私はあまり柿は食べない、他にいろいろ果物が今はあるからだ
かえって柿は高い、干し柿でも高いと思った、やはり果物も種類が増えたから他のものを食べるよちうになったのである
ただ石戸村には柿が似合っていた、その名前が良かったのである
だからまた行ってみようとなるが結構遠いから疲れる、でも紅葉を見に行きたいとなる

2022年10月19日

白鳥来る(今年は早い)ー秋の蝶など


白鳥来る(今年は早い)ー秋の蝶など


高空に朝日まぶしく白鳥来る

玄関に大岩置きて菊の花

玄関に大岩起きて秋の暮

石の庭二羽ひそみいし秋の蝶


朝確かに白鳥が群れて飛んでいた、朝日がのぼり美しい光景だった
高い空に78羽は南の方に飛んでゆく
私のプログで白鳥が来たのを調べても11月になってから来ている
今年は早い、でも北海道の稚内とかに白鳥が来たことを写していた
日本海とか長野県でも10月下旬には来ている
すると今頃来てもおかしくないがここでは早いと見た

なぜなら稚内で二週間ほど休み移動するとテレビで説明していたからである
だから今年は早いと思った
一瞬写真をとろうとしたができなかった、でも気持のいい朝だった
白鳥は冬を告げる鳥だから冬になったともなる、でもおかしなことは秋なのに秋の紅葉も見ていないのに冬になったということは秋が短すぎるとなる
今は秋なのである、晩秋ともなる、秋が短すぎたともなる、季節感としては変になる

隣の空家の庭に入る、空家だから誰もとがめるものもいない、そこに秋の蝶が二羽ひそんでいたのである
空家でも近くにいると誰かが見ていたり勝手に入る人もでてくる
ただ空家にしておくのはもったいないと見る、その庭は広いからである
大きな石もありそこで暮らしがあったとき庭も活きていたとなる
洗濯物干したりして大きな石があって活きていたのである
空家になると家も庭も死んだようになるのである
それはこの辺では原発事故で避難区域はみんなそうなったのである
空家の街になってしまったのである
ともかく今年は急速に秋が短く冬になるみたいだ、ただまだ紅葉は見ないから季節感が狂ってしまうのである

玄関に大岩を置いてある家が結構ある、なんかどっしりとしていい感じである
知っている人の家にもある、その人は病院に半年くらいとか入院してつくづく嫌になったそしてかえって病気が悪化した、糖尿病であり最近また悪くなっていたらしいが良くなったと喜んでいた、糖尿病であり苦しんでいたからである
ただ見た感じは相当にふけていた、耳とか悪く良く聞き取れないと言っただ実際は会話は普通にできていたから認知症にはなっていない
知っている人が脳梗塞になり入院したとか隣の人が心臓病になったとか癌になった人もいる、でもその人は癌になっても十年くらい働いているのが不思議なのである
点滴をする場所がなく首にもした痕があった、でも癌では今やは簡単には死なない時代になっている
こうしてとにかく老人と病人が増えるばかりなのである、そしてその世話や介護となる重圧になるのである、それはもう誰もがそうなるから人事ではないのである





2022年10月11日

秋夕焼 秋薔薇(日が短くなる)


秋夕焼 秋薔薇(日が短くなる)


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故郷に老いをともにし秋夕焼

秋の薔薇庭に咲きだす一輪や老いにし女のまたたずねくる


夕方外に出たら意外と日が短くなっていた、陽が山に没るところだった
今頃こんなに日が短くなったのかと意外だった
今日は昨日より暑かった、夏が長く秋が短い、こうしてすぐに冬になる

老いるということは様々である、同じ年の人は若い、禿げてもいないし白髪もない
あの人はなんなのだろうとみる、老人ではなく加治兄とか呼ばれていることでもわかる
40代前にしか見えないのである
同じ年だったら禿げているか様子からしても老人風になっているからだ

毎日のように来る女性は普通の人より老いている、何か体ぎごちなくいつも何か地ぶつかったりして体をいためている、見た感じも老いている
その人は死っている人の所に毎日行っている、糖尿病であり世話するというのでもなく話し相手として行っている
でもその人はそもそも介護とかなるとできない、弱っているからだ
老々介護となるのは厳しいのである

老人はみんな一様ではない、年齢通りでもない、老いた感じも違う、やはり見た感じで判断するとなる、自分自身は体は動くのである、その人が体の動きが悪いのである
だから転んだりするから危険である

ともかく老いをともにするというとき現代ではそうした農民社会ではない、だから老いをともにするとしても何かつながりが持ちにくいのである
孤立しやすいのである、それは田舎でも同じなのである
その息子は足場の仕事をしていて最近佐世保まで行った、そんな遠くに行っているのかと驚いた、でも前は青森に働きに行った人を知っている
工事関係は仕事が遠くになる場合がある、そうなると地元で仕事しているとは限らない
とんでもない遠くで仕事しているともなるのである

いづれにしろ老人は高齢化社会でいろいろ問題になる、一人娘でもその娘を嫌って逢わないとう言う人もいる、今こうして介護でもめやすいのである

秋夕焼がきれいだった、確かに秋なのである、でもまた冬が近いとなる
秋は相当に短くなる、だから日が短いのは冬だから冬の感じにもなったのである

2022年10月05日

コスモス、カーネーション、朝顔など(ようやく秋になる)


コスモス、カーネーション、朝顔など(ようやく秋になる)

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ニチニチソウ
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紫のカーネーションと母
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庭に来た四十雀



我に向き十数輪咲くひまわりやカンナの赤く映えにけるかな

三色の朝顔咲きぬ板塀に今日も通りて心なごみぬ

三色のコスモス壺にさしにけりここに調和し心なごみぬ

カーネーション紫濃しや我が母の遺影ににあう家を支えぬ

我が向かい一つきらめく秋の星神の御意にそかなうべしかな

夜のふけて幽かに一匹虫の声心の奥にひびきけるかな



カーネーションの花は母の日に送るものだった、カーネーションにはいろいろな色がある紫色もある、これは濃い紫だが薄い紫色もある
これこは仙台市で買ったものである、仙台市だといろいろな花の種類を売っている
この辺では仙台市から花を買っている、花の市場は仙台市にあるからだ
そこには外国からも入ってくるからだ
ただ今のところ自分の住んでいる町には一軒しか花屋がなくなった
花屋も維持するのがむずかしい
この紫のカーネーションは自分の母にあっていた、何か控えめであり地味だからである
もう一人の母親ははでなのである、でもここで問題なのは必ず二人の母親がいたから
どうしても二人を差別するとまずいのである
だからもう一人の母親には明るい大きな花があっているから挿すことにする

フラワーアレンジメントは野の花をとってでもできる、コスモスは川の土手に咲いていたものだからである、ただ壺も関係している、だから壺をある程度集める必要がある
私が買ったガラスの壺は安いものである、別に安くてもいいのである
何でも高価なものがいいとは限らない、その花にあったものが必要だとなる

いつも通る道にも三色の朝顔が咲いている、色が違って調和していることに心がなごむ
まずこの世の中とにかく色を一つにされる、学校などでも何か黒い制服でありユニホームを着せられる、自由がないのである
カルト教団とか軍国主義とかにもなるナチスのように一色にされる、そこは黒一色の世界なのである、個性は認められないのである
そこに調和なく心がなごむことはないのである、神の創った世界は様々な色があって調和しているのである

今日は涼しかった、ようやく秋になる、読書するとかにはいい季節である
夜がふけて一人幽かに鳴く虫の声を聴く、結局一人くらいならその悩みとか不満でも聞ける、もう五人くらい来てもその声を聴くことはむずかしくなる
今付き合っているのは一人くらいしか自分にはいない、人と付き合うのが疲れるからだ
それで引きこもりにもなったのである

ともかく人間は死んでも死んだ人と語り続けるものだと思った、何か認知症になった老人が死んだ人と話しつづけている
それを聞いて奇妙に思った、病気だからそうなったのかと思った
でも実際は普通でも死んだ人と語り続けているのである、そして死んでもすぐ忘れる人はそれだけ印象に残らなかった人なのである、でも延々と語り続けられる人は依然として生者の中に生き続けているのである

2022年09月26日

ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)


ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)

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これは松島で見た根っこだけど太い



 秋の蝉ひびきともしき牛越城

 地に根付き太き根っ子や里の秋

 里の秋畦道出合う烏かな


 一匹の虫鳴く声の幽かかな我が家に静か昼に聞き入る

 岩一つ玄関にすえ秋なれや余生なおもここに生きなむ

 岩一つ重しもここに一代に家を築きぬ秋の日暮れぬ

 我が家に昔を語る人のあれ桔梗の咲きて我は聴きにき


 今日も実際は暑かった、陽射しがまだ強いのである、昨日もそうだった、だから体調を壊した、でも夕方になったら涼しくなった、夕陽が山に没るのでも秋だった
 もう夏は終わりだろう
 牛越城は相馬藩の城でも五年で終わった、短い期間だった、相馬氏に移るまでの一時期の城だった

 ここで毎日逢うのは烏である、人はいても人とは逢わない、変なのは田舎でも人が今何しているのかわわからないのだ
 ただ一軒の家のことはそこに介護とまでゆかなくても話し相手をしている老女がいて
その話を聞くし一回だけ行ったことがありその庭が石造りの池があり立派なのである
玄関にも大きな岩がある、でもその人は糖尿病であり苦しい
介護する人が毎日のように来ているみたいだ
でも病院にいるよりは自分が苦労して一代で作った家にいるのが精神的にもいいとなる
家だ人間としての威厳を保てるからいいとなる
病院だと病人でしかなくなるからだ

我が家で故郷の昔を語った、小高の人と同級生だった、人間は最後は老人になったら何を語るかである、もしその人なりの人生を生きたら聞くに値する
それは別に地位があるとか金があるとかとかではない、その人の人生はいろいろであり
そういうもので価値があるとは限らないだ
まずカルト教団とか組織団体だけに生きた人の話を聞いても価値を見出せない
それはその組織や団体にいる人にとっては語られるけど外部の人にとっては関心もないのである
ただ何でも人は経験することが違っているから何かしら聞くに値することはある

今年は秋は遅くなった、10月になればやはり本格的な秋になる
そしてまもなく今年も終わりに向かってゆく、何か後期高齢者になったからこんな年まで生きたのかとなる、でも実際は人間は依然としていくら生きていても何かその年どうりではないみたいだ、それで加治兄とか呼ばれている人は不思議である
youtubeに出ているが本当に自分と同じ年なのに若いのもである、もう40代にしか見えない、本人は30代とか言っている、頭が白髪にもなっていないのである
40になると白髪がでてくる、禿げて来る、それもないのである
その人は年齢のことは言うな、年齢で差別するなと言っている
つまり老人は必ずしも年齢通りになっていないのだ

近くの老人は女性だけど私より10歳以上若いのに白髪で真っ白であり杖ついているのである、もう80才のようになっているのである
どうしても人間は見た感じで判断する
私は確かに体が弱っているけどまだ結構体は動くし頭も回転している、私は20代で老成していたから自分を見た人は若い時と20代と同じだと言っている
自分はおそらく20代では意外と苦労して消耗したためだろう
その後は家で引きこもりになり最近引きこもりを籠り人と改めることになった
その隠り人だったのが自分だったのである

 老人は今は平均的には実年齢より10歳引いた年齢は適正年齢である
70歳だったら60歳なのである、ただそれ以上に若い人がいる
だから現代は年齢では計れないのである

2022年09月11日

ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)


ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)

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ハマニガナ
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しじみとる場所が上流になった
今日は日曜日で人が多かった

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空家の大岩
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この車に夏菊が映えるとき確かに美があった

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写真で見たらこれが写っていた、肉眼ではわからなかった



雨しとと慣れにし道に秋の蝶

夏菊の白い車に映えにけり

ハマニガナ砂地に根はるも家はなし

尼蛙我部屋のぞき月の出る

名月のしばし映えしも雲隠れ


しじみとる人の増えしも真野川や土手草深く月見草咲く

朝静か街中にひびく秋の蝉その一匹の声に聞き入る

大きなる岩一つ残し空家かなその重みにそ秋は来にけり


朝曇っていた、雲に陽射しがさえぎられていても暑くなっている
昨日も陽射しが強かった、だから庭の剪定してもらっても暑いと思った
確かに秋になっているが今年は何か陽射しが強い、陽射しをあびると疲れる
そして私が恐れているのは熱中症なのである
だから陽射しが強い時は外には出ないようになった

今日は右田浜の方に行ったが釣りする人はいた、でも砂浜でも狭いし後見えるのは風車である、あまりにも変わりすぎたのである、家もなくなったし淋しい
ただそこにハマニガナが咲いていた、これは砂地でも根をはる、砂に栄養があるのかとなる、それも不思議である

真野川には日曜日でしじみとる人が増えた、結構しじみがとれるようになったのかもしれない、震災前は自分も良くしじみをとっていた、津浪以降はしじみとる人はなかった
でも三年前くらいからとる人が増えたようだ
真野川のしじみはいいしじみだった、大きな蜆もとれたのである
ここで良くなったのは土手にサイクリング道路ができたことである
これが意外といい、前は舗装されていなかった、舗装した結果自転車で走り安くなったのである
景色自体が人工的にも変わるし自然の影響でも変わる、常に変化してゆくのである
ただ山は変わらない、海は前から変わりやすかったのである

中秋の名月は昨日なのか確かに満月が見えた、その前は一時現れ雲に隠れた
街は静かであり秋の蝉の声が一匹ひびき聞き入る、一万くらいの町だと自然が色濃く反映するからいいのである、ただ足りないものがありそれで不便なのである
人間は住む場所に相当に影響される

空家に一つの大きな岩が残された、あの岩は貫禄がある、一応人が住まなくても地震があり手入れしていた、とにかく空家が多いしこれからも増える
一応大きな岩が残って依然として重くその家に残っている、つまりすぐにはそうして人がいなくなっても消えるわけではない、その岩は重く依然として残ってこの家を語っているともなる
家がなくなった跡地に一本の松が残った時もそうだった、その松が最後にその家があったことを示していたのである

近くの家の庭に白い車がありそこに夏菊が映えている、私は車は好きではないけど
これは美的なものがあると見た、俳句とは写生だというときありのままを写す写真と相性がいいのである、ここにむずかしく作るものはなくただそのありのままを写真のようにとるのが写生俳句なのである


2022年09月08日

白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)


白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)

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雨しとと慣れにし道に秋の蝶

尼蛙我部屋のぞき月の出る


白百合の空家に咲きて我のみや見つつめでるや花も喜ぶ

白百合のそちこち咲きて人も見じ辺り静けく雨しととふる

白百合に竜胆さして我が一人部屋にし見つつ心静まる


白百合が空家の跡とかに多く咲いた、それを手折り花瓶にさした
隣が空家になりそこの庭に五六輪白百合が咲いた、不思議なのは人がいない所で咲く花は活きていない、花も何かに向かって咲いている
人に向かっても咲くし石に向かっても咲く、何か咲く相手が物でも必要だとなる

静けさや岩に沁み入る蝉の声 芭蕉

これもやはり蝉の声が岩にしみいる、岩や木があってそれに向かってひびくのである
岩はその蝉の声を吸収するのである
だから空家でもそこに奇妙だけど自分がその庭に入ってその花を見ているときその花を活きているとなる、ともかく空家が多いのである
何か今年はそちこちに白百合が咲いた
種が飛んだのかもしれない、白百合だと清楚とかになる
清純だとかなる、写真を撮らなかったのでこれは合成した写真である
私のしていることは抽象画でも合成である、パソコンのソフトげ変化させているだけである、それも創造ともなる、著作権違反にもなる場合があるが微妙である
もう原画とは違っているからである

白百合は散った、雨がしととふっている、黄色の秋の蝶がいつも行く道によこぎり飛んだ人はなるべく顔を出さない方がいいともなる
そこに醜いものが現れるからである
田舎だと人が住んでいるかどうかわからない感じになる、でも必ず誰か見ているのである誰も見ていないようで見ている、監視されているのである
何か人がでてくると蛇が出て来る感じにもなる、人は隠されていた方がいいともなる
人からどうしても何か醜いものがありその話にしても嫌なことが必ずある
私はだから本当は花だけでも見ていれば幸せだともなく

そして窓に尼蛙がでてきて今度はいつも来る猫が顔だした、餌をやっているからである
そんなものはいいとなる、蛇が出て来たら嫌だとなる
ともかく夏はいろいろ花が咲くからいい、でも夏も終わりである
今日は相当に温度が低くなった、明かに秋であり秋雨である
これからはそんなに暑くならないだろう、でも関東以西は暑い、暑さも苦手だから東京とか大阪方面には住みたくないとなる
この浜通りだけは気候的にはいいのである、暑からず寒からずとなっているからだ
体を考えるならとても会津とか北海道とかには老人は住めないと思う
気候の影響も大きい、同じ福島県でも福島市は夏は蒸し風呂になるから住みたくない
特に最近暑くなっているから耐えられないとなる




正しく向き合うもの

朝日に向かいひまわりが多数咲く
白百合が五六輪石に向かって咲く
天に向き純白のこぶしが咲く
花は花に向かって咲く
あなたは何に向かって咲くのか
あなたは神に向かって咲けるか
そうなるには心が清くなければならない
心を正さなければならない
そうでなければ神と向き合いない
あなたは眼をそむける
心がやましいことをしるから
山と山は向き合う
石と石は向き合う
正しき姿と心で向き合う
不純なものがなければ
人は神に向き合える
それがなければあなたを目をそむける
あなたはまともに見れない
あなたの心は神に見られている
偽ることはできない
あなたはアダムのように神から隠れる
それは罪を犯してやましいものとなったから


Things that face the right way

Numerous sunflowers bloom facing the morning sun
White lilies bloom toward the 56-ring stone
Pure white fists bloom facing the sky
Flowers bloom toward flowers
What do you bloom toward?
Can you bloom toward God?
To be so, your heart must be pure
Your heart must be righteous
Otherwise, you will not face God
You turn away
Because your heart knows what is wrong
Mountains face mountains
Stone and stone face each other
Face each other with righteousness and heart
Without impurity
Man can face God
Without that which turns you away
You cannot see properly
Your heart is seen by God
You cannot fake it
You hide from God like Adam
Because you have sinned and become a reproach

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)


2022年09月01日

隠された村ー山の抽象画 a hidden village and abstract mountains


隠された村ー山の抽象画

a hidden village and abstract mountains


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隠された村があり
神秘の沼がある
沼には何がひそんでいるのか
深い霧におおわれる
その村への道は消える
村は山に閉ざされ隠される

There is a hidden village
And a mysterious swamp
What lurks in the swamp
Covered by a deep mist
The road to the village disappears
The village is hidden by the mountains

2022年08月31日

山の詩ー山明ける、山は修行の場、海側だと山がわからない(秋の蝉、虫の声)


山の詩ー山明ける、山は修行の場、海側だと山がわからない(秋の蝉、虫の声)


蝉鳴いて清流ひびき山明ける

このあたり社一つや秋の蝉


朝静か遠くよりひびく秋の蝉その声部屋に一人聞き入る

秋の蝉鳴く声やみぬ余韻かな我が部屋に一人耳を澄ましぬ

鈴虫のすずろに鳴きてひびきけり田舎に住みて心澄むかな

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる

山明けるというとき海側に住んでいる人は実感できない、常に海から陽が昇るからであるでも日本だと山が多いし山に囲まれいる地理でもある、すると山から陽が昇るという感覚がわからない、日本海だと山から陽が昇り海に陽が沈む、この感覚は太平洋側と反対なのである、この相違は大きい

まず福島県でも太平洋側になると浜通りになると海に常に面していて海から陽が昇る
でも中通りとかなると山から陽が昇り山に陽が沈むのである
この感覚がわからないのである

天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂

山から月が出るというとき太平洋側では海から月が昇ってくる、そして山に月が傾いてゆくのである、奈良に住んでいて印象に残っていたのは山から出る月になっていた
どうしても海側に住んでいると月と山なのである、でも三笠の山で見ていたのは月が出ることなのである、太陽もそうだが山から昇り山に沈む、月も山からでて山に沈む
この感覚がわからないのである、また京都でも東山とういとき陽が昇る方向にある

陽炎の中やゆらつく東山 許六

名月や膳にすゑたる東山支考

祇園清水冬枯もなし東山 子規


春の夜は東山よりくると云ふ寺寺靄し月のぼるとき 晶子

東山というときこんな感じである、東山から月が昇るのである、でも旅しても何かそういう月も太陽も見ていないからわからないのである
冬枯れもなしというとき東山が常に陽が昇り春の感覚になっているからだともなる
でも陽が沈むとなると全く違った感覚になるのである
それで私が旅して印象的だったのは琵琶湖の湖西にいて東(あずま)から陽が昇ったのを見た時である、あんなところから陽が昇るのかと意外だった、それで東(あづま)だということを意識した、それは関ケ原がありそこから東はあづまなのである
だから名古屋は東(あづま)なのである、そこが西と東の境なのである
旅で感じるのは陽が昇る方向と沈む方向である、アメリカだと西海岸に陽が沈む、太平洋でも陽が海に沈むのである、エジプトだとナイル川の西側に陽が沈むのを見た時感慨深いものがあった、そこは黄泉の国ともされていた

赤々とナイルの岸に沈む陽をピラミッドを背に我が見つめをり

ここに三千年の歴史がありその陽が沈むのは何とも言えぬものがあった
これは大阪城で感じた、満開の桜が散ってゆくときであり太陽が赤々と燃えて沈んでゆくその夕陽がなんともいえぬ人間の興亡と栄をその夕陽に感じたのである
つまりそれは単なる自然としての太陽ではない、人間の歴史が重なり色合いを深くしていたのである、日本でも西になると歴史が長いし日本の歴史を作った場所だったから違っていたのである

この辺でものたりないのは山がないことである、阿武隈山脈は山ではなく高原だというのもわかる、高い山がないのである、ただ蔵王が見えるからあれば山だとなる
でも独立峰が富士山とか岩手山とか岩木山とかあるとそれが心に映じて精神まで形成されるのである、どうしてもこの辺では山の感覚がわからないのである


山明けぬ

山に陽の昇り
山は明けぬ
どうどうと滝の音
ひびきわたり
清らかな流れのひびき
荘厳なる山は明けぬ
山は暮れぬ
大いなる沈黙に
山は億年の重み
山は動かず
滝はひびきわたる
山は重々しく
その実体は真実
口を硬く閉ざして
不言の行を続ける
山は忍耐なり
一切の騒音を拒絶して
寡黙にして真実を示す
山は明けぬ
喜々として陽は輝き昇り
真日さして明けぬ
山は金色の太陽の台(うてな)
山は徒言を言わず
粛々として己を正す
山に雲が彩り映えて
陽は静かに沈みぬ
今日一日輝く照らす喜び
山はまこと神の実在なり
滝の音は流れの音は
雑音にあらじ
その神なる山にひびき調和す
そして山と山は黙し合う
山と山は騒がず
深く静かに重く連帯する
千古変わらずに結び合いぬ

The sun has risen over the mountains

The sun rises over the mountains
The mountains have not yet dawned
The sound of waterfalls
the sound of waterfalls
The sound of a pure stream
The majestic mountains have not yet dawned
The mountains have gone dark
In the great silence
The mountain weighs a billion years
Mountains do not move
The waterfalls echo
dignified  and united mountains 
Its substance is truth
With mouths rigidly closed
And continue to do the work of silence
The mountain is patience
Rejecting all noise
It shows the truth in silence
The mountain never dawns
The sun shines brightly and rises with joy
The true day has not yet dawned
The mountain is a golden sun
The mountain speaks no idle words
It is solemnly correcting itself
The mountains are colored by the clouds
The sun is setting quietly
The joy that shines through this day
The mountain is the reality of the true God
The sound of waterfalls and streams
Are not noises of noise
They echo and harmonize with that divine mountain
And the mountain and the mountain are silent
Mountains and mountains do not make noise
Deeply, quietly, heavily united
They are bound together as they have been for a thousand years


山が信仰の対象となるのもわかる、山で修行するのもわかる、モーゼもシナイ山に登り
神からの啓示を得た、もともと天台宗とか日本の仏教は山岳宗教だったのである
中国でもそうだった、創価とかの団地の宗教とか都会の宗教とはまるで違ったものだったのである、カルト宗教とは文明都市化大衆化したものであり政治化経済化した権力化した宗教とかとは全く縁もゆかりもないものとなったのである
一種の文明の病理的現象として生まれたのである、毎日選挙運動であり人、人、人・・・と絶え間なく交わる世界である
だから自然とは関係しない、都会から生まれたものだから当然だとなる、都会では人は群衆となり大衆となり個々人は存在しない
集団示威行動となりナチス化するのである
現代の宗教はとにかく大衆化して人を集める、会員を増やすことしかない、そして社会的圧力となり権力を持つのである、それが社会を席巻してナチスとかなるから危険なのである、そもそも大都会でも自然から遊離した場所でありもう人工化した世界でありそこに山など関係ない、高層ビルを毎日見上げていたらどうして精神が形成されるのかとなるからだ、自然があり自然とアイディンティティ化することで人間の精神はもともと形成されるそれが都会にはないのである、もちろん都会には都会の良さがあるにてもその規模が巨大化しすぎたのである、東京とかなくとそこが人間の住む世界なのかとなる
一体そこはどこなのか、とても人間の住む世界とは思えない、別な惑星にでも来たのかとなる、その大都会から生まれる宗教は異様な病理的現象であり宗教はカルトとなり歪められるのである




2022年08月29日

秋の蝉(イオンも閉じて相馬市が何か寂れた感じになった)


秋の蝉(イオンも閉じて相馬市が何か寂れた感じになった)


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のうぜんかずらは今年はまだ咲いている、普通は散っている
季節の関係で暑さがつづき咲いているのか
もともとこの花は次々に尽きることないように咲く



うろこ雲新たな沼に映すかな

ノウゼンのなお燃え咲くや揚羽来る

秋の蝉ひびくもなしや五本松

久しきに城跡たずね秋の蝉

秋の蝉ひびくもあわれ城下町

ノウゼンの尽きることなくなお咲きぬ朝揚羽の二羽舞い来たる

日立木の道の駅の近くの五本松があった所に喫茶店があったが閉じていた
喫茶店は相当どこでも減った、休む場所を求めてなかなかなくなった
そして五本松は二本とか残っていたがみんななくなった
そのために秋の蝉が鳴いてもひびくものがないとみる
蝉の声はもともと木に止まり鳴くのだから樹があってひびくとなる
でも石にもひびくともなる、「静けさや岩にしみいる蝉の声」芭蕉がそうである
岩にしみいるというのが何とも日本的であり夏を感じるのである
これは外国語では表現できない、蝉の声が岩にしみいってゆく、一心に鳴く蝉の声がしみいってゆく
その蝉の声も数が多い、森に一斉に鳴いている蝉の声がしみいるのである

松は枯れやすい、道の駅は閉じているが令和4年の秋に新装開店するとある
何なるのかわらない、そしてイオンで休むとしたら閉じていた
地震で壊れた所を直すためなのか、でも地震の後に行った時は普通に開いていたみたいだ一時的なものなのかやめるのかわからない、でもイオンは意外簡単に撤退しやすい
その後が空洞化して困ると他でも言っている、何故そうなるのかというとイオンとは資本でも外から入り土着的ではないのである

商店街だとみんな個々でそこに住んでいる住民なのである
イオンの場合は雇われた人達であり実際の経営は東京の本社でしている
それはレストランのチェーン店でもそうなのである
そうなればコンビニだってチェーン店だから本社がやめるとなればやめる
でも土着的にその土地に根付いていれば簡単にやめないとなる
ここに大型店の問題があった、でも今でもとても小さな店でやっていけない
ただ中型のキクチスーパーとかシシドスーパーだから地元の人が経営しているから
簡単にはやめないと思う、イオンは大資本であり土着的ではないのである

相馬市街を回ってみても何か活気が感じない、もともと商店街はどこもそうだった
だから同じだとなるのがやはり何か全体的に寂れているという感覚になる
でも六号線にトヨタカローラいわきの大型の店ができるみたいだ、やはり車だけは車社会なのだから大きな新しい店を出すとなる、その他は寂れた感じになる
ただもともと相馬市は城下町でありしんみりとしていたのである
そこがいいところでもあった、でも何か暮らすとなると寂れた感覚になる
それはここだけではない日本全体に起きていることである
それで車だけに頼らない社会になると街は返って活気がでるというのもわかる
そもそも街を歩いている人は少ないからである
私自身でも歩くのではなく自転車で走るとなっているからだ
鉄道だと不便なのである、駅らかまた歩くのも大変なのである
鉄道がどうしても廃れているのもわかる、駅からの交通の便がないのである
そこでタクシー利用すると金がかかるから損なのである

うろこ雲が右田浜の新たに生まれた沼に朝写っていた、でもそこの写真をとらなかったのが失敗だった、常に写真をとるようにしていないとまずかった
そして意外は二度と同じ場面をとれなくなるのである

ともかく相馬市に行ったのも久しぶりだった、暑いのと曇りであり雨にもなり行けなかった、相馬市は天候が悪いと行けない、原町の倍の距離があるからだ
んづれにしろ涼しくなったから自転車で走ると快適である
今度は飯館村から霊山から石戸村に行こう、秋はサイクリングには最適である


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ここにうろこ雲が映っていた



2022年08月27日

北海道苫小牧から樽前山まで俳句十句 (岩袋のことなど)


北海道苫小牧から樽前山まで俳句十句

(岩袋のことなど)

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苫小牧白波よせて夏に来る

ルピナスや船着きおりぬ苫小牧

広き野にサイロの農家菖蒲かな

夏の日やレールの伸びる北海道

沼に鷺車窓より見て北海道

大輪のシラネアオイや湖澄みぬ

波よせて甘草咲くや走り去る

鳥高く大空に飛翔夏の朝

旅たちぬ鳥の飛翔や夏の朝

煙吐く樽前山や藪甘草

どっしりと牛数頭や藪甘草

悠々と牧場に牛や菖蒲かな

頂上の風の荒しも岩袋


風に耐え頂上近く岩袋ここに咲けるや我が登り来る

北海道は10回行っている、でも30年とか過ぎると記憶もあいまいになる
そして今になると旅した場所を思い出すことが仕事になる
そして意外と思い出せない、忘れているのである、印象的な場所として思い出すことはある、でも人間の弱点は常に忘れることにあった
そこで今ならデジタル写真が記憶にとどめて後で回想するにのにいい、でもその時はフィルム写真だからあまり写真をとれなかったので残っていないのである

この場所が記憶に残っているのは樽前山が煙がはいているとかめずらしかった
山の形も樽のようである、ただアイヌ語らしいからちがっているらしい
そこで苫小牧から鉄道が通っていておりたのか、また自転車で行ったのか、覚えているのは鉄道があり踏切りがありその辺を歩いた、するとサイロがあり牧場がありそこに大きな菖蒲が畑に一列に咲いていた、そして広々とした牧場があり牛がいた
その牧場の柵に藪甘草が赤く咲いていた
そういう風景として記憶されていた、全体が記憶されたのである

岩袋を見たのは大沼公園でありそこに上って頂上辺りでみた
山だから風が吹いていてその風に耐えて咲いていた、いかにも岩袋らしいとなる
これを樽前草といっているのは樽前山に多く咲いているからそうなった、もともと岩袋である、岩に咲くからその名がついた、何かふさわしいとなる、岩とともに耐えて咲くとなるからだ

ふりかえると写真が貴重だった、この樽前山が見える牧場でも一枚の写真が残っただけだった、これが貴重なのである、なぜならフィルム時代の写真だからである
旅をするなら今ならデジタルカメラでとにかく記録として大量に写真をとることである
なぜなら30年とかすぎると記憶があいまいとなり思い出せなくなるからだ
人間にとって意外と記録が大事だというとき何百年前にあったものでも記録がないと
なかったことになる
この辺の津浪の記録は相馬藩政記に二行しかなかった、生波で700人溺死と記されていた、生波(いくなみ)とは津波のことでありその時まだ津波という言葉が生まれていない慶長津浪の時生まれた言葉なのである、この記録津波が来るまで学者すら知らなかった
これがいかに貴重な記録だったか知るべきである

ともかくこれだけ旅したとしても30年とかすぎると忘れる、思い出せなくなる
その時写真が残っていれば貴重だとなった
ところが今回の地震でその写真でも本でもばらばらになって未だに整理できていない
だから毎日整理に追われている、写真も整理していたのだがばらばらになってしまったのである

苫小牧の近くには支笏湖があり途中にウトナイ湖とかありその沼は水がきれいだけど浅い支笏湖の宿には泊まった、苫小牧におりるとルピナスの花が咲いていてそこからすでに北海道だとなる
一応思い出して俳句にしたがいいものともならない、そもそも北海道は広いし大陸的だから俳句が合わないのである、北海道に苫小牧で仙台から船でつくとそこから何か空気まで違っているのである、北海道が外国人にも人気があるのがわかる
本州とはまるで違った雰囲気があるからだ
たたすでに二十年くらい行っていない、だから月日が過ぎるのが早すぎるのである
なんとか一枚の写真を探し出した、藪甘草が牧場の脇に咲いていたのである
そこか煙吐く樽前山が見えたのである
北海道はまた旅したいが介護十年してまた出かけると家が留守になるので出れない
何か遠くに行きづらくなったのである
それで思い出す旅を家でつづけているのである

2022年08月18日

晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)


晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)

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電線に山鳩がとまっていた
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朝早み釣り人あれや夏の海

夏の海光りまぶしく朝に来る

朝早み波音ひびき夏燕

我も濡れ一雨ふりて夏の鳥

山鳩に虹の断片里暮れぬ

夕燕盛んに飛ぶや夏の暮

雲赤く漁船帰るや夏の海

草深しジャコウアゲハ二羽の飛ぶ

大窓に三度ほど映る夏の月



月見草草叢深く咲きにつつ里は暮れにきつつがなしかも

秋めきて夕風涼し鉢植えの桔梗を買いぬ我が家にそ飾らむ

我が家に帰ればかすか虫の音の聞こえて我は一人かな

石二つ庭の日影に今日もあり黒揚羽来て去りにけるかな

行燈のともしびあわれ幽かにも面影浮かび消えにけるかな

我が墓にお盆に参り花さしぬ家族はみな死に月日は過ぎぬ

我が家に鉢の桔梗やそれぞれの人生を語り郷土に生きぬ


お盆も終わった、今は季節的には晩夏なのだろう、まだ暑いからだ
でも30度くらいだと涼しい、一回外に出たら雨がふったがふぐやんだ
空を見たら虹がかかっていた、でも断片でありすぐ消えた
山鳩が電線に止まり道路の水たまりに雲が映っている

ジャコウアゲハは8時ころ飛びたちまた庭にもどり飛んで消えた
そして真野川の土手の道を行くとジャコウアゲハを二羽みつけた
この辺を飛んでいるらしい、二羽もいたというのはめずらしい
蝶道があるとかいいうからこの辺を飛んでいるみたいだ

晩夏でもあきめいてきている、虫の音も聞こえる、スーパーから鉢の桔梗を買って飾ったやはり今夏から秋に向かっている、でもまだ残暑があり夏である
夏は夏らしいのがいい、でも34度とかなると厳しい、ぐったりして何もできない
頭も働かない、とにかく今年は暑くて遠くに行けない、原町に昨日は行ったが熱中症を恐れているので行けない、だから家に籠っているのである

海の方には夕陽がさして雲が浮かんでいる、そして漁船が帰ってくる
これがこの辺の日常的風景である、朝には海に太陽の光りがまぶしく釣りする人がいた
ここは海からの風が涼しい、会津とか山の方になると暑くなる
でも川があって川風がありそこにもやはり涼しさがある
ともかくまだ夏は終わらない、夏はもう最後に熱く燃える、高校野球のように熱い青春ともなる
ノウゼンカズラは一時散ったが今も盛りに咲いている、この花だけはこんなに咲く、これは夏にふさわしい花である

ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている (動植物にも人間の心が通じる?)


ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている

(動植物にも人間の心が通じる?)

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電灯の明かりに見えたジャコウアゲハ

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雨の中で庭に止まっているジャコウアゲハ

8時45分くらいに飛び立った



動植物でも神秘的である、蝶はその中でも謎であり神秘的である
これは科学的に生物的に研究している人がいる
私は文系なのでそれはできない、でも蝶は蜜を吸って生きているのかと見ていた
でも葉も食べるのである
それは日ごろから蜜だけ吸って生きていけるのかと思っていた
花が少ないし簡単に見つからないことがある
葉ならいくらでもあるからなるほど葉をたべていれば生きていけるとなれば理解できる
草食動物があり草や葉だけで生きるからそれありだとなる

ともかくジャコウアゲハを川の土手で見た、その次の日に私の庭に止まって一夜明かしたのだ、このことが不思議なのである
なぜ私の庭に来て木の葉に止まり一夜明かしたのか、そして今も止まっている
だから外で見たとき何か心が通じ合ったのか?
あなたの庭に行きますからよろしくとかなっていたのかもしれない
蝶は曇りとか雨になれば飛ばない、光に反応して飛ぶからである
だから曇って雨になり今日も雨だから動かないのである

動植物は科学的分析しても謎になる、そもそも自然界はまだまだ謎なのである
その謎は解き明かされていないのである
それと私がここで問題にしているのは人間と動植物でも心が通い合うのかということである、何か植物でも愛情をもって育てると育つとか言われる
それは眼に見えない愛というものが通じるかなのかとなる
植物とか花の不思議はその土地に合わないと咲かない、それで私の庭の一部は土地が悪く咲かない花があった、ただ薔薇だけは一杯咲いてのである
だからこれも謎である、こんなに一杯咲くのかとうれしかったからだ

もう一つ今年は7月にノウゼンカズラが一杯咲いた、でもそれから散った
でも今も一杯咲いている、蔦が家に張ったので切ったがすぐに伸びて一杯咲いた
もともとこの花は一杯咲くのである
でもなぜこんなに咲くの不思議である

我が家の栄いけるかもノウゼンの一時は散りてまた咲き満ちるかな

今日もまたニチニチソウに水をやる

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ニチニチソウにはこんなに色が多様である
これは通販で売っている、一万もすると高いと見た


庭に咲く花や家を飾る花はその家と関係しているかもしれない、ただノウゼンカズラは別にどこの家でも咲いている、そして鉢植えのニチニチソウを部屋に飾り水をやる
このニチニチソウという名まえがいいのである、毎日咲いているとなるからだ

いづれにしろ花も神秘でありその種類も多い、だから花も不思議だとなる
ただ花でも美的なものとして見るだけでなく育てるとなると土だと花を科学的に知る必要がある、それが文系では苦手である、花も肥料をやらないと咲かないからだ

ともかく老人の趣味とかで園芸はいい、それは毎日身近で植物と花でもかかわり見れるからである、遠くに行くとなるとめんどうになるからだ
まず多少病気になっても庭があれば慰められる、花や植物や木に慰められる
それで病院に半年とか入院していた人は家に帰ったら回復したということがある
つまり病院には何か癒すものがないのである、無機質な空間なのである
医者でも看護婦でも確かに懸命に仕事している

でも家族の役割はにないないとかある、そもそも医者とか看護師でもどうしても大勢の患者を診るからとてもみんなに親切にはできないのである
だから議員でも番号で呼ばれたとかなる、それはみんな大勢の一人にすぎないからであるその人は妻をなくしているから家には一人である
でもその家は若い時苦労して建てた家であり誇りとなる家である
だから家に帰った時、そこに安心があり家とともに威厳を保てるともなる

病院ではただ病気をもったやっかいものとしかならないのである
そこに病気にどう対処するかとなるとただ身体を看るだけでは人間には対処できない
心の問題がかかわってくる、ただそこは医者でも看護師でも限界がある
だから看護師でも家族の代わりはできないと言っていた
それより私は看護師に虐待されたから看護師は患者をとくに老人をやっかいものであり何ら生産性のない者とも見ている、そもそも病人を嫌がっているのである
老人を嫌悪しているのである、それはこれだけ老人が多ければそうなる
病院でも8割とかもう老人だらけだからである、もし老人でも少なければこうはならない希少価値があるとなる、それが今は全くないから老人にとって生きにくい時代なのである

まず医者とか看護師でも性格の悪い人は普通にいるのである
でも性格は見ない、医者の技量だけをみる、でも直接人の体にふれて看るというときそこに愛が通わないとできない、でも愛といっても大勢になると対処しきれないのである
あなたは特別の人ではない大勢の中の一人にすぎないのである
家族だったらあなたは特別な人であるが病院でも患者は大勢の一人にすぎない
だから番号で呼ばれたりするのである

ただぜいたくを言えば病院には広い庭があり花壇があり散歩できるとかなればいいとなる病院にはただ身体をみるだけではない、癒しの機能があってもいいとはなる

2022年08月16日

真野川の土手でジャコウアゲハを発見!


真野川の土手でジャコウアゲハを発見!

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この花はシソの科のものらしい、卵をみつけるウマノスズクサではない
尾に黄色の点があるからジャコウアゲハに間違いない




川原や荒地などの明るい場所や生息地の上を緩やかに飛ぶ。河川付近によく見られるのはそこが食草の一つである草本のウマノスズクサの成育環境であるからで、畑の生垣付近などウマノスズクサの成育環境があれば見られる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%82%B2%E3%83%8F#top-page

このジャコウアゲハは希少な生き物で、絶滅危惧種に指定されているようです。

ウマノスズクサはアリストロキア酸という毒性のあるものを持っています。

そんなもの、普通でしたら食べませんよね。

しかし、ジャコウアゲハの幼虫はそれを食べます。

食草がなくなると長距離を飛んで移動すると思われ、今までみかけなかった場所で突然発生することもあるようです。
https://pet-dictionary.net/archives/3253


真野川の土手で見つけた、羽の下に黄色い点々があるから間違いないだろう
これは前は自分の庭で見た、珍しい蝶である
ウマノスズクサに卵を産みその幼虫がこの草を食べる
親になった蝶は他の草も食べている

この蝶はめったに見れない、でも生息地は秋田県とかまでありどちかというと南に棲息する、ただウマノスズクサを探しているから遠くから飛んでくることがある
今回見れたのはラッキーだった、真野川の土手の道は舗装されたのでサイクリングにいいそこでこの蝶を発見した、近間でこうした自然があることは住んでいていい
ただ真野川には鮎もはねていない、鮎の子を放流しても鮎はもどってこなかった
それが淋しい、ただ河口ではいつも魚釣りをしている人がいる
海の魚が河口まで入ってくる、蜆とる人も数人見かけるようになった
ともかく津波で海岸も川も変わった
夏はやはりいろいろな植物や花や野鳥に魚でも自然に生きているのを見れるのがいい
都会だと見れないからである

2022年08月13日

車社会を見直すべき  (歩く旅のことがわからない、人間的感覚が喪失した―俳句で偲ぶ昔)


 車社会を見直すべき

 (歩く旅のことがわからない、人間的感覚が喪失した―俳句で偲ぶ昔)

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高齢者が日常の買い物や通院のために自分で車を運転しなければならない街は、単純に不便で暮らしにくいということです。高齢者にとって、公共機関と徒歩で利用可能な施設は不可欠で、利便性の高い地域に施設が集まっていることが大切になります。また、居住地域が一定範囲内に収まっていれば、送迎・訪問介護等の福祉サービスも効率よく提供できることになります。

なぜ車社会の街は暮らしにくい? 3つの要因で今後注目の「コンパクトシティ」とは

https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-2950/

車がないと買い物ができない。
車がないと仕事にも行けやしない。
とどのつまり車がないと生きていけない。


地方で普通の生活をするにはテレビより洗濯機より何より、車が必需品なのです。まさにマストアイテム。
地方でそれなりの暮らしを実現しようとしたら1家に1台ではなく1人1台なんです。
電車・バスの生活に不便がないので、よっぽどのことが無い限り車を持つという発想にもなりません。

つまり都会の人々は歩きます。
この地に足着いた「歩く」という行為が、街の活性化にはとても重要だったんです。
https://onl.bz/E7iXyq9

●歩く感覚で見れなくなった社会

くるま社会というとき車によって社会が適応したとなる、社会があって車があるのではない、車があって社会がある、するともともと共同体として機能していた社会が車社会になり共同性すら失われる、社会の問題をいろいろ追求してゆくと車社会にこそ問題があるということを社会全体で追求しないのである
それはトヨタの車が今や日本の輸出品だとかなっていることも関係している

それもあるが今や車無しの生活が考えられなくなっている
まず車ありきの社会である、本当に車無しでは仕事もできない、車持っていない人は本当に変人であり社会で役立たない人達だとなる
だから私は自転車に乗る人とは話しする、でも車持っている人と話ししないのである
そして変なのだがニートとか良く合う、田舎でもまたこうして働かない若い人達が普通にいるようになったのである、その人達は車を持っていないのである
だから車も持てないとういことはもう社会人として能力がないとも見られる
第一車なしでは働くこともできないからである

農家の人でも農地に行くのに必ず車で行くからである、また荷物を載せるにも必要であるつまり農業でも車なしではできないのである、前はリヤカーとか馬車で荷物を運んでいただからそもそも遠くへ荷物を運ぶこと自体簡単にはできない、すると回りにある物だけで自給自足の生活になる
それで農家では納豆でも油までも自家生産だった、カヤの木の実から油をとっていたとかなる、つまり何かを買うということはまれだった
だから村と村でもたいして離れていなくても交わることもなかったのである
隣の村から麦つきに来ていた若者が蛇だったとかいう伝説が残るのもそもそも隣の村でも遠くなっていたからである
今は歩かないから歩く感覚で社会を見れないのである
それで飯館村の大倉村と佐須村で明治になり合併しようとしたができなかった
その理由が民情が違うからだとなっていたのである
民情とは何かとなるとわかりにくいが何かそこでわかりあえないものがあったとなる

私が大倉村から佐須村まで自転車で行くと結構遠いと感じる、そこは山間の道であり余計にそう感じた

そこを歩いたらどうなるのか?

5,6キロでも相当に遠く感じる、つまり歩くということはそれだけ近くても遠くなってしまうのである、自転車でも遠く感じる、でも車だとあっという間につくとなる
それで不思議なのは現代の人間とは遠くが近くなり近くが遠くなったのである
近くが遠くなったというとき近くの人間関係が希薄になったということでもある
なぜなら私の子供の時は私の家では店をしていたが近所の人達が客となり近間で用をたすほかなかったからである、歩いて生活するとなると遠くには行けないからである
歩いていたから商店街もありえたのである
今は車でも郊外のイオンとかに行くから買物でも車なしでは生活できないとなる
それでシャッター通りになったのである

●鉄道の時代

そもそも街自体が駅前通りがあったように鉄道があって通りができた
鉄道が交通の要になっていたときはそうである、原町市(区)は駅前通りができたのは鉄道が開通したからである、原町区は常磐線の機関区にもなっていたからである
福島県では昔のの平駅今のいわき駅とが機関区になっていたのである
そしていわき市には常磐炭田があり石炭を運んだり資材を木材や木を運んだ
森林鉄道がありそれが高瀬川から葛尾村の方まであり岩をけずったトンネルが残っている森林鉄道が網の目のようにめぐらされていたのが日本であった

でも車社会になったとき鉄道の時代は終わり車社会になった
車で物を運ぶ時代となった、自転車屋とかは駅前にあったのは鉄道で物を運んでいた時代に駅前に運ばれたからである、そこでどこでも貨物列車の一部が入る

旅客の乗降、貨物の積卸などを行うために設けられた場所のことを総称して「停車場」(ていしゃじょう)といいます。
鉄道は人と物を運ぶ事業なので、旅客を乗降させたり、貨物の積み卸しをしたりする場所が必要です。こうした場所は、役割によって「駅」、「信号場」、「操車場」に分けることができます

引き込み線が必ず駅にあったのだ、鉄道はもともと貨車であり北海道だったは石炭を運ぶために作られていた、乗客のためではなかった、小樽などがそうである
北海道は石炭の産地であり石炭を運ぶものとして作られた
常磐炭鉱があり東京にいわき市から運んだと同じである
驚いたのは原町紡績にも原ノ町駅から直接引き込み線があり生糸を横浜などに運んでいたのである、その原町紡績に私の母は十年間糸取りとして働いていたのである
人間は常に過去のことがわからなくなる、その最たるものが歩く感覚で社会を見れないことである、この変化は余りにも大きかったのである

常磐高速道路ができて鹿島地区にSAができたがそこは鉄道の駅からすると百倍以上の人が出入りしているだろう、千倍かもしれない、駅だは数人くらいしか乗り降りしないからである、その相違も大きいが高速のSAはそこに一時的にトイレに行くとか食事するしかないあとはすぐ離れてゆくだけで町の方に来ることがないのである
この相違も大きいのである、それは街とは離れた世界でありイオンともにている
経済的効果がないのである、働き口になっていても街自体の活性化にはならないのである道の駅より活性化にならない、道の駅は街中と通じていることがあるからだ

江戸時代を知るにはまず歩いてみなければわからない、お伊勢参りでも東海道でも歩いていたからである、参勤交代でも歩いていた、だから相馬から江戸まで8日とかかかった
往復になると16日もかかる、それは今の感覚では実感できない
そこからして必ず過去を見るとき誤解しているのである
江戸は簡単に行ける場所ではない、頻繁に行ける場所ではないのである

●車は場所をとり他者と交わらないマイカーになる

社会が変わった、人間は冷たくなった、人と人のつながりがなくなった、地方は衰退するばかりだ・・・・
いろいろ言う時それが車社会となったということである、その変化が一番大きかったのである
いかに車社会が社会を根本的に全体的に変えてしまったかそれを知らなければ時代を知ることはできない

それが津波でも車社会が影響していたのである、車が逃げようとし渋滞してそれで車が流されて被害が拡大した
車だと早く逃げられると思ったが都会で渋滞化して前がつかえてかえって被害を拡大したのである、車というのは意外と場所をとることが問題だったのである
鉄道だったら多人数を運ぶ公共性がある
車はマイカーであり個人的消費するものとしてある、他者は無視する公共的なものではない、その問題として場所をとることである、歩くとなれば一人の人間だから場所をとらないが車で移動することは場所をとるのである

そして車は車内で閉鎖された空間であり交わらないのである
それで自転車でテントを張ったがそこに車に乗った人がいて止まっていたがわからなかった、たまたま話しかけたので人がいることがわかったのである
つまり車に乗った人とは旅は道連れ世は情けとならない、情など通わないのである
ただどういうわけかバイクの人とはたまに話ししたりする
バイクと自転車は多少近い仲間だとなる、でもバイクと自転車の相違も大きいのである
何か百キロ走ってきて帰ってきたとかなる、そのスピードは車と同じなのである
だから若い人がバイクにのりそれなりの年配の人が自転車で旅することは相当な相違がある、自転車は相当に疲れるからである

ともかく田舎でもトラック運転手が多いとみる、また物を運ぶ仕事が多いのである
通販時代になり物を運ぶ仕事も増えたのである
あるトラック運転手だった人は足を悪くしたとかで仕事をやめてから自転車に乗って近辺を回っている、その人と良く合うのである、相当な年だけでと自転車で回っている
また老人になると80才くらいで免許を返納する人達が増えた
すると足がないということで困る、鉄道もバスも不便だからである
何か高齢化社会は車社会に合わないのである、むしろ公共交通が必要になっているのだ
ただ正直不便である、ここでは原町まで行くのに鉄道で行ってもそこから用を足すには歩くと遠くなるからタクシーを利用する、すると金がかかるとなる
だから私自身も原町でも相馬でも自転車で行っているのである
ただ自転車は暑さに弱い、今暑いから熱中症にもなるから一か月以上原町にも行っていない、そういう不便が自転車にはある

●人間回復には歩くか自転車がいい

車というのは何か人間的なものを失う、それは別に車だけではない、道具自体が必ず人間的なものを失うものだった、それで二千年前に老子は鍬を使うことで人間的なものを失うと警告していた、道具でも石を投げ合い戦争している時代と鉄器で戦争している時代とではまるで違ったものとなる、鉄だと大量殺戮も可能である
その道具が核兵器まで発展したのが人間である
道具にはそうした負の面が人間が生れてから最初からあったことなのである

また旅の面から見ると歩くことがなくなったということは旅自体が喪失したともなる
車で旅するとなると旅にならない、ただ目的地までいかに早く到達するかとなるだけである、その途中は省かれるのである
実際に地理を理解するには路査(とうさ)することである、実地に歩いてみることであるそうしてこそ地理を実感できるのである、その感覚はいくら地図を見てもわからない
実感できないのである、そこにまた過去を見ることでも誤解が生じているのである
また旅したとしても車の旅は途中が省かれるから記憶に残らないのである
大地を牛のように歩いたら記憶に残る、その記憶に残らないことが意外と重要なことになる、なぜなら老人になると辛い旅とか登山とかてきなくなる
すると今まで旅したことを回想する、でも記憶に残っていなかったら回想もできないからである、それで後で旅しても旅していなかったとか損したことに気づくのである
新幹線で一気に仙台なり青森に行ったとしても途中は通貨しただけであり記憶に残らないのである

老人になるととにかく何を経験したかを語ることになる、旅でもそうでありいろいろな仕事のことでもそうである、みんな体験していることは違うからである
だから老人はその語ることで価値があるとなる、でもニートかが老人になって二三行しか語れることがないというのはあまりにも悲しい、60才まで生きてそれだけなのかとなると何のために生きたかもわからない、つまり老人になると語られることでその人を見ることになる、記憶に生きることになる
それで私の姉は従軍看護婦で四年間マレーシアのジョホールバルで働いたことを死ぬ直前まで語っていたのである、その青春の記憶は認知症になっても忘れることがなかった
そこが人生で一番強烈な印象となったからそうなってしまったのである

老人は語ることで価値がある、それはみんな違っている、ある人は若い時人一倍働いて
立派な庭と家を建てた、その頃トラック運転手でも一か月百万もらったとか言う人もいた稼げば稼ぐほど金をもらっていたのである、その石で組まれた城壁のような庭は価値があり自慢する、そして病院に半年くらいてかえって体が悪くなったが家に帰ったら回復したとかいうのもわかる、家というのはそういう効果がある
他にも15歳で大工の修行して優秀な大工になった人もいる、そこで注目したのが15歳だったということである、もう何か物になるにはその年代でないと物にならないとなっている、明治なのか昔は13歳であり18歳になるともう親方は弟子にしなかったという
もう遅いとなっていたのである、つまりいかに若い時から修行しなければならないかである、それは何でもそうなのである、人間の時間は限られているからである


●俳句で回顧する歩いた時代の感覚

御堂まで一里あまりの霞かな

同じ橋三たび渡りぬ春の宵

夕雁や物荷ひ行く肩の上

井戸の水汲む白菊の朝かな

つくづくと行燈の夜の長さかな

(漱石俳句集)

御堂まで一里あまりの霞かな

御堂というのはそこは休む場所としてもあった、だからそこに寝泊まりした人もいた
また雨宿りもしたのである、それで私は自転車で雨が急に降ってきて本当に御堂で雨宿りした

雨宿り御堂のあれや夏燕

おそらく一里歩いたら御堂で休めるということでこの句ができたのかもしれない
一里という距離感はあくまでも歩いた距離感だからである

夕雁や物荷ひ行く肩の上

荷物を肩に背負い運ぶのは日常的なことである、雁のように飛んで行くことはできない
車だとまさに雁のように飛んで行くともなるから違っている

秋の日や松一本一本や歩むかな(自作)

松一本一本を見つつ歩く、自転車でも一本一本の松を見て走る、車だったら通りすぎるだけなのである、途中が省かれて記憶されないのである

こんなふうな俳句になる、それもこれは自転車で旅したから思い出として記憶されていたのである、現代では記憶する旅がなかなかできないのである
大地を足ずふみしめてゆけば記憶に残る、一歩一歩牛のようにスローに踏みして行けば記憶に残る、でも車で行ったら通り過ぎるだけであり途中は記憶に残らないのである
だから人間が体験するということは車がないとできないということではない
歩くことしかできない時代でも深い体験はできたのである
むしろ人間的感覚で旅ができないから経験ができないから失われたものがある
また貧乏だから体験できないということもない、何でも今なら金がないと体験できないと思っている、でも人間に与えられた時間は平等なのである

いくら金があってもあらゆる体験はできないのである、時間は限られているからだ
でも金があれば留学などできるからそれは大きな体験となる
でも貧乏だからといって体験できないことはない、体験するにしても人間は多様だからである、会社員となるのも体験である、でも変な話だけど問題だけどニートも体験なのである、仕事もしない会社員にもならない、ただ時間だけがるというのも体験なのである
確かなことは人間の体験する事でも時間が限られているからわずかだとなる
私は最初は鉄道の旅だった、それが飽きて自転車の旅になった、でも歩く旅をしていないのである、これは経験として欠けているとなったが歩く旅は容易ではないからしなかったのである、ただ自転車だと歩く旅にも近いからイメージできるとはなる

明治生まれの漱石の俳句でも昔の俳句は今の時代の感覚では理解できない

井戸の水汲む白菊の朝かな

これも井戸があったときの感覚でできた句である、何か瑞々しいとなる、それはなぜか?これも井戸の水だからそうなった、水道の水ではないのである
これも井戸がなくなったときその感覚がわからなくなる、井戸の水は自然の水でありそれで白菊も映えて新鮮な感覚になる

つくづくと行燈の夜の長さかな

行燈だったら今の電気時代の灯とは違っている、現代は明るすぎるのである
そして情報洪水でもあり時間に追われるのである、明治辺りだったら行燈がともりじっとしているほかないとなる、外は真っ暗だとなるからだ

何か現代は科学技術が経済でもグロ−バル化して発展したけどそれが限界に来たともみるSDGs(持続可能社会)が言われるのもそうである、かえって不便な時代でも見直される
その時代が回顧してなつかしくみる、人間的なものがあり情があったとかふりかえる
要するに必ずしも科学技術の発展でも経済発展でもすべてがいいものとして働かないのが人間社会なのである
だから確かに経済不況とか日本の貧困化も問題だが社会を見直すことが迫られている
そのために原発事故とかコロナウィルスとかがありそういうことを契機として社会自体を見直すことが必要である
でも誰も車を手放すとかはできない、つまり車はそれだけ肉体の一部とも化しているからである
車を持たない自分としてはキャンピングカーの旅をしたいと見た
家が移動するのだからある地点まで行ってそこで長い時間を過ごすにはいいとみた
というのは移動することに疲れたからである
でも車社会は見直すべき時代に入ったことは確かである






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2022年08月10日

盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月) (暑くて外に出れず部屋に籠もる)


盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月)

(暑くて外に出れず部屋に籠もる)

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右田浜に新しくできた沼
ここにアメンボウなどが棲みついた
ただ脇に風車があるから風景としては良くない

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舗装されたサイクリングロードはいい

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なべかんむり山が見えるけどこの辺は高い山がない
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夕方に霞んだ山脈

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きれいに見るにはクリック拡大




暑ければ海に向かいぬ浜通り

草深し蟹横切りて隠る夏

白鷺の川面に映し去りにけり

夏霞山の高くも見ゆるかな

ヒグラシ屋形の森に鳴きにけり

下り来て河口の広く夏の月

草深き夜道を行きて夏の月

老鶯や草深し里月光る

大窓に映りて二階や夏の月


白鷺の木にとまりけり一時や川風涼しまた飛び去りぬ

アブラゼミミンミン蝉や我が部屋に聞こえて今日はニイニイゼミかな

一夏に4種ほどの蝉の声我が聞き分けて部屋にいるかな

草深し鶯鳴いて隠されし花も眠らむ月の光りぬ

昼顔の四五輪咲きて草深し今日またここに我は来たれり

新たにそ沼やあまたのあめんぼう波紋交わり生きにけるかな


暑くて外に出れない、ただ晩方頃涼しくなるので自転車で海の方に向かう
舗装されたサイクリングロードはいい、でも河岸は草に埋もれている
合歓の花は散った、あそこの真野川の土手の道には合歓の木がいくつかあり咲いた
その岸辺は夏草にうもている、白鷺が川面に影を映して毎日一羽来ている
遠くを見ると山脈が霞がかかり夕暮れになる、その時なぜか山が高く見えた
この辺では高い山はない、400メートルの鹿狼山が高いから遠くからも見えるだけである、ただ蔵王が見えるのだが夏は雲に隠れて見えないのである

夏草というとき草深しになる、そもそも草深し里である、南相馬市でも原町区はもともと市であり相馬市は城下町であるから感覚的に違っている
例えば季語にしても「夏草や兵どもが夢の跡」とかなるにしても今はそういう感覚はない
あまりにも遠い昔のことだからである、だから俳句とかでもその時代でしか作れないものがある、その価値はもうそういう時代がないのだから再現できないのだから貴重だとなりその価値が衰えないのである
でも現代は俳句でも文明化して自然が映えないからそういう価値あるものは作れないともなる
鹿島区となると草深し里となる、飯館村はまた高原の村でありそれで涼しいとなる
だから海があり山がありとこの辺は変化にとんでいる、ただ高い山がないのでものたりないとなる、その代りとして一応蔵王が見えるのである
老鶯は俳号にしたが今は天華である、何か老いて鳴いていると確かにあっていたのだが天華の方がいいとなる

今日も暑い、34度くらいになる、もうっとして外に出れない、自転車で夕方に近くを回るだけである
ただ部屋にいても蝉の声は聞こえるようになった、油蝉、ミンミン蝉、ニイ蝉、ツクツクボウシとかである
もうお盆であり秋ともなるが今年は夏が遅い、蝉の声も少ない
それより小さいモンシロチョウなどが少なかった、わずかしか見てない
でも黒揚羽は結構見た、黄揚羽も二三羽見た、黒揚羽は結構見ている
本当にモンシロチョウ類はまれにしか見なかった
何か異変があるのかとなるが全国的にそうらしい、一地域のことではない
また鮎は放流したがその鮎が成長して上ってこない、だから川には魚がいないから淋しいとなる、やはり鮎とか岩魚とかが住んでいるのは会津の山の方がいい、川でも激流などがありいい、でも今は行けない、ウィルス騒ぎで行けない
それよりももう自転車では行けない、体も弱り行けない、また家を留守番する人もいないので行けない、結局自由に旅できたのは姉と母がいた結果だった
介護になって十年その後も何か行きづらくなったのである

ともかく暑いから夜も外にでる、夏の月がでている、田舎だと夕涼みとかなる
都会だとこうはいかない、散歩する場所がない、それで恵まれているのだ
ただ暑い時外で仕事している人がいるが苦しいと思う、また必ず田舎でぱ草刈りがあり
これもこれだけ暑いと危険にもなる、熱中症になる
私は二回くらい前に痙攣したので警戒している、でも運動は必要なので夕方に海の方に行くのである
でも松原も津浪でなくなり涼む場所がない、日影の場所がない、風車が回っている
ただそこに新しい沼ができた、そこにあめんぼうがあまた波紋を広げ泳いでいる
トンボも飛んでいる、何か前もそうだったがこうして水辺ができると昆虫が集まってくるのである、ただ風景としては風車とかあり自然の状態ではない
この辺は風景が変わりすぎたのである

2022年07月31日

合歓の花、芙蓉、ひぐらし、夏の雲 (隠された家ー八沢浦から相馬市の方へ)


合歓の花、芙蓉、ひぐらし、夏の雲

(隠された家ー八沢浦から相馬市の方へ)

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松の影芙蓉の映えて家一軒

隠されて瀟洒な家や日影道

溜池に風のそよぎて合歓の花

合歓の花枝しなだれて眠るかな

坂越えて遠山望む風涼し

蝉の声ひびきわたるや家数軒

芙蓉映ゆ家々離れ庭広し

六号線トラック休む夏の雲

ひぐらしや村々あわれ墓地たずぬ

純白の白百合に向かい雷鳴りぬ


八沢浦の方から回り道して六号線の前の道の駅に出た
そこの道は細い道であり気持いい道だった
上り下りして変化があった
一軒の瀟洒な家がありそこに芙蓉が咲いていた
芙蓉は秋の季語だが今頃咲いている
この花は大きいのでゆったりとしていい
この花は飯館村に何か合っていたのである
土地土地に合う花がある

こういう家は農家とかとは違う、相馬市とかが近いから勤めている人である
他にもそういう家があったからだ
でも隠されるようにしてあり場所がいい、田舎ではそういういい場所に住める
でも街の中だと密集しているから都会的になる

合歓の花がため池がありさざなみ風にゆれて咲いている
合歓の花一部は散ったがまだ咲いている盛りにもなっている
やっと蝉の声を聴いた、森があるところでは結構鳴いていた
私は必ず墓地をたずね墓を見ていた、江戸時代のものがあれば古いなり注目していた
ひぐらしは蝉はようやく鳴き始めたようだ

六号線の道の駅は休館になった、また新しく始めるらしい
そして近くの喫茶店も閉店して売りに出されていた
その近くの食堂も三軒くらい閉じたみたいだ
五本松があったが三本松になり遂に一本になりみんな消えた
何か淋しいとなる
コロナウィルスの影響があったのか?良くわからない
暑いから相馬市の市街には行かなかった

昨日あたりはカサブランカが庭に咲き雷鳴が鳴った、でも大きな雷ではなかった
いかにも夏らしい、でも今日は暑くてここも34度くらいになりぐったりした

2022年07月28日

お医者さんのyoutube-医者の本音 (投資信託をすすめる老人にすすめる銀行員)

お医者さんのyoutube-医者の本音

(投資信託をすすめる老人にすすめる銀行員)


在宅看取りをしたくない医師の本当の理由とは0認知症専門医・長谷川嘉哉

高齢者に投資信託を売る銀行員は天国に行けない0認知症専門医・長谷川嘉哉

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お医者さんがいるとして知っていることは患者から見たお医者さんである
では医者から見た患者はどうなっているのかはわからない
それでここで医者が一番重んじていることは晩酌でありこれを邪魔されたくないということだという だから在宅看取りはしたくないという、急に呼び出されるのは嫌だという、真夜中にもなるからである

そんなに晩酌が大事なのか?

救急医療もあるがそれで邪魔されたくないという、考えて見れば毎日患者を診ているから別に患者を大事に見ているわけでもない、親しい人でもない、医者から見ればその他大勢にすぎないのである
それで病院で議員が番号で呼ばれたことに怒った
それは病院でも常に不特定多数の大勢の人を診ているからそうなる
別に家族でもないし赤の他人でありそこに愛情が通うということもない
だからこそそういう不特定多数の人の救急医療でも晩酌を邪魔されることは嫌だとなる
それは医者側から見ればそうなる、あなたは特別の人ではない大勢の中の一人にすぎないのである

でも特別扱いにしてもらいたいとかなる、何であなたが特別なのかとなる
それより晩酌を邪魔されるとしたら患者が憎いともなる
その本人にとっては緊急でも必ずしも医者はそうではない、毎日患者を診ているしその数も多いからである
医者から見れば患者より大事なのは医者の晩酌だとなる
それもわかりやすいとなる、まず他人のために親身になる人はいないのである
我が身が先なのである、自分を犠牲にしてまで働きたくないのである
患者はそういう医者の心を知るべきであるとなる、それが別に冷たいということでもない医者は聖人でもなんでもない普通の人だからである、ただ医療の技術があるということで違っているだけだとなる
でも医者だけはお医者様とかなり特別尊敬されていることは確かなのである

ともかく人間は相手のことを何でも理解できない、職業のことが理解できない
なぜなら医者になって患者を診ることなど体験できないからである
そこに必ず誤解が生まれるし高望みしたり要求も高くなる
でも医者にとって一番大事なことは晩酌でありそれを邪魔されてまで患者を診ていられないということである、それで今なら医は算術にもなるのである

そしてここのyoutubeで高齢者をだます銀行の投資信託をすすめる銀行のことを批判している、あなたたちは天国に行くことはできないですよと批判している
投資信託は銀行がもうかる仕組みでありそれもわかりにくいし顧客のことなど考えていない、手数料商売であり銀行側は絶対に損しないものである
そんなものを高齢者に売りつけて罰が当たりますよと言っている
それは経験しているからわかる、本当に手数料商売であり顧客のことを考えない
そしてこのお医者さんはその金はどういう金かしれと言っている
それは汗水たらして貯めたお金なのである、だからそういうお金を自分たちの利益のためだけに奪うことは大きな罪だとまで言っている、天国に行けないと言っている
そこまで言うというのは驚きでもある

ただ私自身の金が確かにそれなりに大きな金であっても遺産で入ったものだから自分自身汗水たらして働いたものではない、だから自分の金にはつくづく重みがないのである
だからこういう金は消失しやすいと思った、苦労して得た金ではないからである
他の人は家を建てたとき相当に苦労しているからである
私自身も大きな家に住んでいるとしてもそれも親から譲られたものであり私自身は苦労して建てたものではないのである、そこは違っているのである

そういう人から金を奪ってもいいとさえるな、それで大金を盗まれたということもある
なんでお前は苦労もせずに金が入るのくだと羨まれるのも当然だとなるからだ
こういうことは私だけではない上級国民とかにはある、それでその金を奪いとかまでなるそこに罪悪感すらなくなる、確かに資本主義社会だととんでもない格差が世界で生まれている、その格差があると汗水たらして働いても金にならない人は恨みとなる
そうした恨みが世界で蓄積されるとその念がやがてそうした大金持ちに向かい恐ろしいことが起きることにもなる、その念が恨みがいつか確実にその大金持ちに向かうからであるそして革命とかなり殺されるともなる

ともかく人間は家族でないかぎり他人となりその他大勢に過ぎない、だからその対応は親身にはならない、それが世の中だとなる、資本主義だと弱肉強食の競争社会だとなる
それはいつの世でも同じだった、そもそもこの世の中みんなブラック会社でもある
それは他者はあくまでも自分の利益を得るためにあるのであり他者のために犠牲的に尽くす人などいないからである、そのためにこの世に生きることは地獄になるのである
それは自分自身でもそうなる、そしてまたこの世では偽善が多いのである
カルト宗教なども全く偽善にすぎない、宗教なのだから他者を愛すとか慈悲とかあるのかとなると全くない、ただかえって宗教が祈るのはエゴであり自分の欲望を満たすために
毎日祈っているのである、他者よりエゴの欲を満足するために御利益のために祈っているそれが集団的組織的になったのがカルト宗教団体なのである

党派であるときそれは自分自身のエゴの延長として党派があり党派団体組織に属さないものは人ともみない、それで何かあると組織団体意外の人は罰当たるとか地獄に落ちるとか平気で言うのである、それはただ自分たちの利権とか利益を阻害するものとなるから言うだけである、そういう本人たちがエゴであり地獄に行く人達なのである

この世とは本当にブラックであり罪の社会であり職業でも一部を除いて業{カルマ}を持っている、それが人間である、職業がブラックなのが多いのである
社会自体がブラックだからこそ出世とは世から出家することであったのつまりこの社会にあればもともとブラックなのだから罪を犯す、罪に染まるからこそそうなったのである
いい職業としては大工とか建築関係は別にそこで働いている人はブラックにはならない
ただその上で指導する人は社長とかでも仕事をもらうために賄賂がやったりもらったりする、でもその下で働く人は別にそれで罪になるとはならないのである

ともかくここのyoutubeで医者自体が投資信託をすすめる銀行員は天国に行けませんよというのはなるほどと見た、でも別にみんながそうではない、つまり苦労もしないで金が入るような人からは奪ってもいいとすらなる
それで自分自身は奪われたのである、ただ銀行員がそういう商売になったというのは意外だった、もともと金貸し屋でありそういう業(カルマ)をもっていてそれが不景気でそうなってしまったのである、だから確かに今銀行員はいいものではなく、農業を自らたずさわるとかしたのもわかる、何かそうなると後ろめたいものとなりそれが心に影響してくるでもこの世の中ブラックなのだからそこで良心を保つことはむずかしいとなる

そこに職業の大きな問題がある、まず文系の職業は何かブラックなものにかかわりやすいのである、証券会社にしてもそうであり物造りとは違うからそうなる
それで理系の人は物造りに携わる人がいい顔になるというのはわかる
文系にはいい仕事がないのである、それでたそもそも文系の大学はいらないとまでなる
私自身も体力があったら大工の修行でもしていた方がましだったとなるからだ
何か職業につくものが身につかないのである、それが大きな問題だったのである




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2022年07月21日

合歓の花、揚羽、立葵(なべかんむり山)


合歓の花、揚羽、立葵(なべかんむり山)

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なべかんむり山

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これはベトナムで買った、刺繍である、合歓の花なのである





合歓の花今日も舞い来る黒揚羽

川下やなべかんむり山に合歓の花


立葵に黄色の百合そえて咲き黄揚羽とまり朝日さし映ゆ

黄揚羽の立葵にとまり朝日さししばし目をとめ去りにけるかな

フエ宮に合歓の花散りもの寂びぬたずねてあわれベトナムの都


真野川の舗装されたサイクリングロードに合歓の花が咲いている
そこに黒揚羽来る、何羽か来る、それで写真をとろうとした
でもかなり散っていた、何かこの合歓の花と黒揚羽は合っている
毎日黒揚羽来ている

合歓の花というときベトナムのフエ宮殿に合歓の花の並木道があった
でもその合歓の花は散っていた、だから何かものさびしいものだった
宮殿跡にしてはものさびしい、やはり一時栄えた都でも宮殿でもそれが終わると
ものさびしいものとなる、栄華があったとしてもその跡は余計に寂しいものとなる
ただここの歴史はわかない、外国のことはわかりにくい
ただ宮殿にしても中国の模倣である、ベトナム的なものは感じられない
中国をミニチュアにした感じである、それに比べるとアンコールワットはそのスケールが違う、だからなぜあんな壮麗なものがあるのか謎だとなる
その壁画には中国人の兵士も彫らていた、そこは中国にも及ぶ一大仏都だったとなる
また漢字も使っていたから中国の影響があった

なべかんむり山は常にここから見える、合歓の花が盛りと咲いている
ただ阿武隈山脈は高い山がないからものたりないのである
でも蔵王が見えるから蔵王は山形県でも一体感を感じるとなる
山はやはり会津とかなると山国であり山を常に感じるとなる
風景では山がないとひきしまらない、高い山を毎日仰いでいたら心も高まるとなる
それがこの辺の景観でものたりないことなのである

写真は結構むずかしい、蝶は絶えず動いてるのでむずかしい、でもインタ−ネットで検索すると合歓の花と揚羽の写真がうまくとっているなと感心する
写真は豊富である、だから比べてみると良くとれているなと感心する

それから街の方を回る、畑の道に立葵が咲きそこに黄色の揚羽が止まっていた
これは近くできれいに写真がとれた、黄菖蒲と見ていたのは黄色の百合だった
この写真はうまくとれた、今は写真と俳句とか一体化して写俳とかの分野ができた
これだけ映像の世界になるとそうなる
そうして写生俳句は写真と相性がいいのである、見たままを俳句にするからである

ともかく暑い、朝に陽射しをうけたらぐったりした、昼間は蒸し暑い、体がばてる
でも野馬追いが23日だとするとすぐである、二年くらい祭りがなかった
23日頃は晴れとなる、そうなると見映えがするとなる

2022年07月17日

藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)


藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)

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この蔵は大きい、写真にして見たらわかった
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横手の古墳

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擬宝珠

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ここは広い、野馬追いが近い、相馬ではそのために馬を飼っている

きれいに見るにはクリック拡大



草深く藪甘草や石の倉

草深く藪甘草や古墳かな

擬宝珠や石雨にぬれうなだれぬ

擬宝珠や石によりにつ黒い猫

水増して流るる川や夏燕

走り行く夕風涼し夏燕

夏の日や小径にとまる黒き蝶

立葵黄菖蒲映えて畑の道

紫陽花の青色に暮れる夕べかな

牧広く夏の夕べや馬一頭


今回の地震で気づいたことは意外と石の倉が多いことだった
身近にっても気づかないことがある、この石の倉は明治以降に作られたものだろう
喜多方市では蔵で有名だがレンガの蔵がある、これも明治以降である
土壁の蔵は古い、江戸時代からある、でもなんでもそうだけど江戸時代から残っているものは少ない、だから煉瓦の蔵も明治以降である
煉瓦はそもそも明治になって外国から入ってきたものでからである
レンガは耐火にはいい、木の家は燃えやすいからだ、ただ地震には弱いのである

日本は地震が多いからこの石の倉はほとんど一部が壊れていた
でも何か蔵ある家は古いとなる、ただ今は蔵は使っていない、ある蔵は孫の写真が飾ってあるだけだった、あとは古い家具などが置いてあった
でも田舎の風景としては蔵があると家が古くどっしりとした感じになる
喜多方市では豊かになると競って蔵を作った、それは金があるといい車を買うのと同じだった、立派な蔵を建てたことは成功したということである

鹿島区は古墳の里として有名である、小さな古墳が多いのである
でも原町区とか相馬市には古墳が少ないのである
原町だと大きな桜井古墳がある、でも小さな古墳がない、その相違は何なのか?
それは歴史的にこれまでの私のプログで書いてきた
大和王権が鹿島区の方に勢力を伸ばした、旧来の勢力は原町区にあったからである

今藪甘草の季節である、これは草深く咲くいかにも田舎らしい花である
それで原町市だったときは原町の花はひまわりにした
相馬市は城下町であり藤の花である、ちょうど城跡に藤の花が咲いているからだ
また中村珈琲店の脇にも藤棚があり咲くから相馬市に似合っている
県の花とか市の花とか町の花とかある、それはやはりそこにふさわしいからだとなる
飯館村は芙蓉なのである、芙蓉を植えていたからである
ゆったりと大きな芙蓉が咲いているのにふさわしいとなる
ただ何カ月も飯館村には行っていない、ただ佐須の方を回って霊山から石戸村の方に行った
梅雨が戻りなかなか行けないし暑くなるとまた陽射しで熱中症になりやすくなり行けなくなったのである
小山田の奥の方に行くと空家がまた目立つ、そこに青色の紫陽花が庭に咲いていた
でも人は住んでいない、この空家は大きな問題となる
今日はちょっとの間晴れた、ずもすぐ曇って雨がぱらぱらふってきた
例の小山の間の小径には黒い小さな蝶がとまっていた、そこは一日行く人もないなのである、あの道は田舎らしい道である

この季節に立葵が咲くが梅雨にはあっていない、からっと晴れて青空に伸び咲くのが合っている、ただ神鳴りがなって立葵が映えた
ともかく最近近くしか行っていない、でも季節の変化があり夏は花も多く咲くから見るものはあるとなる、庭には擬宝珠が咲いた、
黒い猫に餌をやるので毎日のように来る、田舎だと回りに空地とか畑とか田んぼだから
別に糞とかで汚さない、都会の家が密集したところでは庭を汚すから餌をやるなとなっているのだろう、別に苦情は来ないからである
ただこの黒い猫は全くなれない、すぐ餌をやると逃げる、近づくにも慎重でありなれないのである、一旦野良猫になるとなれないのかもしれない、また猫にもよるのかとなる


2022年07月12日

紫陽花に合歓の花や黒揚羽 (梅雨の戻りで家に籠もる)


紫陽花に合歓の花や黒揚羽

(梅雨の戻りで家に籠もる)

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陽の昇り海面まぶしく夏雲雀

ノウゼンのあまた咲き散り雷鳴りぬ

黒揚羽とまり舞い去り合歓眠る

誰なれや駅に待つ人合歓の花


紫陽花や今日もここにし休むかな木陰涼しく並木道かな

雨しとと雨音聞きつ家こもり紫陽花の咲く庭を見てをり

山帽子の花あまた咲き雷鳴りて雨にぬれにつはや晴れにけり


一昨日とかは晴れて暑かった、それで雷鳴りが何度が鳴った、いかにも夏らしくなった
でもその後は曇りと雨で梅雨のようになった
紫陽花は梅雨に似合う花であり家で見るのふさわしいとなる

家のノウゼンが咲いた雷が鳴り響いたのも合っている、野馬追い近くになるとノウゼンが咲く、今年は普通に野馬追いはやるらしい、ただまた感染者が増えたから外から見に来る人が集まるかどうかわからない

合歓の花は真野川の下流の海に出る方の堤防に三つ四つ木があり咲いている
そこに黒揚羽が寄ってくる、それを写真にとったが黒揚羽がぼけていた
ここはまだいつも通るて必ず黒揚羽が来るから写真をまた撮ってみよう
合歓の花がぼけていたのは良かった
黒揚羽は結構みかける、でも小さいモンシロチョウなどが少ない、小さい蝶は多い、でもわずかしたみかけない
蝉も鳴き始めないのも不思議である、それは他でも報告されている
何か異変が起きているのか、年によって変わることはある

梅雨のようになってうっとしい、それで家に籠もっている
まず自転車だと暑いと熱中症になるし曇り雨となると濡れるから原町とか相馬市にでも
一か月以上とか行っていない
家にこもっているほかない、家の修理は終わった、でも今度は自分で手作りとかで本を整理する棚を作ることにした、大工さんに頼むと金がかかりすぎるのである
大工仕事は自分でもある程度はできると見たからである
どうしてもでき合いのものではなく自分に合った部屋にあったものにするには手作りするほかないのである


2022年07月04日

紫陽花を植えた真野川の土手の道 (雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)


紫陽花を植えた真野川の土手の道

(雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)

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紫陽花の厨より見て料理かな

陽の光り雷雲湧きて立葵

ノウゼンや野馬追近く熱くなる


紫陽花の木陰の下に咲きつづき土手の道朝に歩むや川は流れぬ

木陰なす道を今日も我が行きぬなじみし街や行く人はまれ

夏の雲湧きにけるかな野馬追の旗のなびきて朝橋渡る

大きなる窓に山帽子の花あまた咲きて雷鳴り雨にぬれにき


真野川の土手の道に新しく紫陽花を地植えした、箱に植えた花は何か合っていなかった
木陰の下に紫陽花が咲いているのが合っていた
やはり地植えとなると自然になる、箱となると不自然になるのである
あれは何か宣伝のためだったのか?
なぜなら箱ごとにそれを植えた人の名とかグループの名が書いてあるからだ
そんなこといちいちしているのも合っていなかった
反対の岸の新しいサイクリングロードは地植えの花が咲いているからいいとなる

急に黒い雷雲が湧いて雷が鳴ったのであわててパソコンの電源を切った、でもすぐに晴れてきた、この雷で困るのはパソコンがあるので困るのである
今年は立葵は晴れた時に咲いているから夏らしいとなる
梅雨の時期に咲き始める花だからである
これは夏の陽射しのなかで咲くのがふさわしいのである

橋に野馬追いの旗がなびいている、そしてノウゼンが咲いた
ちょうど野馬追いの時この花が一杯咲くのである
今年は例年通り祭りはするらしい、それで野馬追いに出る人は心が熱くなっている
二年間くらい中止していた、ただ7月の終わりころだからまだ時間はある

ともかく今年は梅雨がなく真夏が来た、今日は昨日より涼しいので助かった
暑いと何もする気がしなくなる、それも困るのである
まだ家を直す所がありまた大工さんが来る、山ほどの本も散らかったままなのである
暑いと片づける気力もなくなるのである
でもなんとか整理して良かった、狭い部屋だから余計なものを置かない方が良かった
整理するのは意外と自分だけではできない、ただ勝手になげられたものもありこれも問題だった、家が大きいと整理も簡単にできないのである

生前整理とか会社もできたからそういうものに頼むのもいい、ただ本の整理は簡単にできない、利用することもありとっておくとなる
本というのも中味を良く理解していないのである、だからまた読んでみると始めて読んだような気分になる、それだけ人間は忘れるとなる
やはり何回も読まないと理解できないのである
ものを書く人は私設の図書館のようなものが必要である
インタ−ネットだけではたりないからである、本には学者であれ個々人であれ人生の成果のようなものとして残されたものなのである
実際30年前くらいに買った本の著者が結構死んでいるのである
残されたのは本だったとなるしそれ以外知りえようがないとなっているからだ

2022年06月19日

夏の朝のと俳句十句ー浜通りの場のエナジー(詩)



夏の朝のと俳句十句ー浜通りの場のエナジー(詩)


草深く老鶯鳴きて影深し

一本の木の影深し今日も行く

夏の海燕飛交う朝の海

海よりの風のそよぎて立葵

海へ行く道真っすぐや立葵

海岸や朝波ひびき都草

夏燕風車の回り朝の海

黄菖蒲や六号線を走る朝

釣り人に波の飛沫や夏の海

広がりぬクローバーの野夏雲雀

海近し浜昼顔を見つけけり

風涼し広き二階や我が家なり

雷鳴りぬ海に向かって浜通り

老鶯と夏鶯では感覚的に相当違う、老鶯と俳号にしたがそのあとは天華にしたのである


浜通りの場のエナジー

今日も愛用のヤマハのYPJ-XCで走った
真っすぐな道を海に向かって
スピード出す、夏雲雀がさえずる
今日も浪は轟き寄せて荒々しい
その波の音に合わせて夏雲雀が
一心にさえづる声がひびき高鳴る
気持良くこの辺でぱ東風(こち)が吹きそよぐ
大平洋から吹きそよぐ風
その風は涼しく心地良い
浜通りは南国的である
マルハシャリンバイの南限の地として知られ
スダシイ神社もある
これは沖縄の山原に自生して育っている
なぜかここには綿津見神社が多い
それは海の民の安曇氏の末裔が来た証拠
海に面して桜井古墳がある
そして鹿島区の寺内の古墳地帯から
十人ほど乗れる船の線刻画が発見された
マルハシャリンバイは奄美大島から種がながれついた
海とかかわり海人がやってきた地帯
そして巨大な津波が港の村を呑みこんだ
村は海にのまれ人々をさらった
いくつかの村は跡形もなく消滅した
そうして死んだ人達の霊が海に浮かぶのか
八沢浦はもともと入江であり海だった
津波で入江にもどり朝の光りに
きらきらと光り穏やかな入江の波が寄せた
まにで奇跡のように縄文の海が再現した
烏崎の方の船着に津波はおしよせた
そこは船が寄り市庭という地名があり
人々は交易した場所であった
そして江戸時代からあった右田の松原は一瞬で消失した
その幹は太く根を下ろしていたと見えたが
松原は自然の多様な森ではなかった
根こそぎ松は津波に流された
ここは太古から海と深くかかわる地帯
漁に出た船が帰ってくる
太平洋から東風が吹きそよぐ
山から吹く北風西風とは違う
広大な太平洋洋から吹きそよぐ風
常に荒々しく太平洋の波はひびき打ちつけ
津波の空恐ろしい記憶がここに刻まれた
それは百年二百年後も消えないだろう
人の力、人智を越えたものが大海にある
その底知れぬ世界が海にある大地にもまだある
そこに巨きなものを養うものがある
フタバスズキリュウがその姿を現して消えた海
サンゴの化石が山の方に発見された土地
千葉県から熱帯魚を追ってやってきた若者
浪立海岸に浪がしぶきあがり彼方の沖を船が行く
鴎が飛んできて鵜が飛んできて川をさかのぼる
今日も波はひびき荒々しく打ちひびき高鳴る


浜通りというとき海と切り離せずある、暑い時は必ず海に向かう、すると海からの涼しい東風が吹くのである、前は右田の松原があったが今は風車が回っている
その風景は余りに変わってしまったのである
ただ土手の道がサイクリングロードとして舗装されたので気持ち良く走れる
まず福島県となったら広い、浜通りとなったら中通りでも会津でも違った風土なのである中通りからは海が見えない、浜通りからは阿武隈高原でさえぎられて吾妻嶺は見えない
すると地理的風土的一体感がないのである、何か見えないということは人間にとって視界にないので認識できなくなる

それで不思議なのは物があり余って扉のある棚にしまっている、するとそこに何があるのか忘れるのである、認識できなくなるのである
そしてそこにあることを忘れるのである、これと同じで常に視界にあり見えるものは認識しやすいが見えないと忘れて認識できなくなる
そのことで津波では津波が襲って見えて来てから車であれ歩くことであれ見えてから逃げた人が結構多いのである、いろいろな人から話を聞くとそうなのである
つまり津波は見えてからでも逃げれば助かったともなる
八沢浦など海がすぐ近くだけど津波が来てから見えたので裏山にすぐに逃げて助かった人もいる、だから人間にとって見えることは大事なのである
津浪でも前に家が建て混んでいると見えないから逃げないということもあったのだ

ともかく浜通りは海と切り離せずある、日本も海に囲まれいるのだから海と切り離せずある、でも中通りでも特に会津とかなると山に囲まれた世界であり風土だからそこに住む人の意識は相当に違ってくる、山から太陽が昇り山に沈むという感覚が浜通りからするとわからないとなる、常に海から太陽が昇ってくるから一日は海から始まる
海から東風が吹いてきて涼しいのである、山に囲まれていれば山から風も吹いてくる
その相違は相当に感覚的に違ったものになる
そして浜通りからは高い山が見えない、阿武隈山脈はあくまでも高原のようなものであり山とという感じはしない、ただ飯館村になると標高が高く夏でも涼しいとなる
だから軽井沢のようにもなる

ハマ、ナカ、アイヅで福島県は風土的に分けられる

いづれにしろある土地のことは一年くらい住んでみないとわからない、つまり日本海とか会津とかだと雪に埋もれた冬を住んでみないと理解できないのである
それは外国でも同じである、日本だったら四季の変化が激しいから一年住んでみないとその風土でも文化でも理解できない、何故なら俳句の季語を理解するには一年日本に住んでみないとわからないからである、これは外国でも同じなのである
そこで文化を理解するのはむずかしいのである、その土地の風土と密接に結びついて文化があるからだ、それげオープンカーがヨ−ロッパで普及したのは風土の関係だったのである、陽射しは弱い地域だから日光浴にもなるのでオープンカーが普及したとなる
技術でも風土と関係しているのてある
基本的に風土とか地理から文化が作られるからそこをわからないと政治でも文化でも何でも理解できないとなる

木にしてもどうも大陸だと太い大きな木が育ちやすい、だから建築材として使いやすいとなる、松などがそうである、外国の松は太いし大きいから日本の松とは違っている
ただ北海道のトド松とか蝦夷松は松の部類に入っていないから利用していなとなる
日本の森と外国の森の相違を書いただ森とあっても同じ森ではない、その内容が相当に違っているのである、どこまでも平坦な地に森が覆っている大陸と日本の森は相当に違っているのである

浜通りは津波がありそのことでまた福島県でも中通りとかは会津とは違っていた
むしろ宮城県から岩手県でも海とのつながりがあり海と一体化していたのである
だからもっと海とのつながりを知るべきだったとなる
なぜなら津波は相馬地域には来ないとしていたが実際は慶長津波で700人溺死という記録があったそれは忘れ去られていた、でも宮城県から三陸岩手県では明治に一万人死んだ
津波があったのだから身近だったのである
つまり海岸線は津波が来るのである、周期的に大きな津波が来る場所だったのである

そしてなぜ相馬藩地域に特に南相馬市の原町区に異常に綿津見神社が多いのか?
これは海人族の安曇族の一団が海から入植してしきたからだとなる
そして飯館村に入り焼畑農業を伝えたのである、綿津見神社と山津見神社が対になっているからである、それはまさに海があるからこそであった
そして真野の草原の万葉集の歌は南相馬市の鹿島区が大和王権の境界となっていた
それは風土的地理的境界であったことを考察して書いてきた
海老浜の車輪梅が南限の地であるということでもそうである、そういう風土だったのである
フタバスズキリュウとか鹿島区の真野川の上流の山間からサンゴの化石などが発見されたのもそのためである、南国的風土でもあったのである

現実に千葉県から熱帯魚を追って波立海岸まで来ていた人がいたのである
それは小さなものでも気候的にいわき市辺りはあたたかい黒潮が流れる地域だからともなる、親潮と黒潮の境目だともなる
だからこそ海人族の安曇族が船で来たとかになる、どうも千葉県にも安曇族の跡が残されているからそこから移住してきたとなる、それは海伝いに来たとなるのである
それだけ海とのつながりがあるのが浜通りだとなる

今日も暑い、でもここは海の方に行くと海からの風で涼しいのである
それで右田浜の松原があったときはそこで涼んでいたのである
でもそれはなくなった、また松の苗を植えたが風車もあり風景がまるで変ってしまったのであ
私の二階は広いから涼しい風が入る、これはクーラーの風よりいい、天然の風だからである、でもさらに暑くなるとクーラーになってしまう、耐えられなくなる
でもやはり海からの風は天然のクーラーだとこの辺ではなるのである
そして今神鳴りが鳴った、やはり本格的な夏が到来したとなる

雷鳴りぬ海に向かって浜通り


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寺内の古墳から発見された
十人乗りくらいの船なのである
だから結構大きな船を操作した一団がいたとなる
それは海人族の安曇族でありその後継者だったとなる