2025年04月27日

蟻穴を出る【燕来る、牡丹・・・】

蟻穴を出る【燕来る、牡丹・・・】

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蟻の巣にスミレやここに営みのありて我が見る小世界かな

蟻運ぶ虫の羽根かな巣までの長き道のり我は追いにき

巣より出る蟻やぞろぞろ仲間かな餌を探しに四方に散る

大輪の牡丹の今年も庭に咲く新しく植ゆ牡丹も咲かむ

路地裏や燕数羽の鳴き飛びぬ街に活気の戻りなむ


何か蟻一匹が虫の羽根を運ぶ、その距離も結構長いと見た。やっと巣がありそこからぞろぞろ蟻が出て来た
そこにはスミレがさいていた。玄関の前にはタンポポが咲き路地裏の家の間を増えた燕が飛び交う
今日は暑かった。春暑しである。こういう時遠出すると危険である。何故なら日射病になることを経験しているからである
この世界の驚異は必ずしも大きなものにあるわけではない、蟻というのは不思議であり脅威でもある
これだけ小さいものが長い距離を虫を運んだ。そんな力がどうしてでるのか、小さいだけにそう見る
またなぜ土の中で冬も生き続けるのかとなる。

2025年04月26日

春の新田川と八重桜の道【春の山、タンポポ、・・】

春の新田川と八重桜の道【春の山、タンポポ、・・】

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新田川の光り流れてタンポポの岸辺に咲きて我が走るかな

新田川光り流れて芽吹きかな八重桜咲き静かに歩む

新田川の岸辺に咲きぬ八重桜土地の女(ひと)の静かに歩む

新田川光り流れて春の山望みなごみぬ家居ともしく

耕しの人の畑に春の山望み新たに流れひびきぬ

はや散りぬ桜の後にほのぼのと八重桜咲き流る川かな



新田川の特徴は浅い流れなのである。川自体も大きな川ではない、川にも特徴がある、この辺で真野川は大きな川であり
それなりに深く流れる所がある。そしてさかのぼると相当に長い、新田川でも飯館の草野から流れるから長いが大きな川ではない
とにかく浅い流れであり青葉城恋歌の瀬音ゆかしきになる。
川にも特徴がある。相馬市の宇多川は水量もともしく川幅も狭く何か川という感じもしない
でも上流に行くと荒々しいものになる。石ごろごろになり何か意外なり急流にもなる
ただ水の量は少ない、浪江の高瀬川は渓谷になって流れるからこの辺では観光地になる

新田川が春の光に反射して流れる、岸辺に芽吹く木があり八重桜咲つづきそこを女の人が歩む、春の山が望まれ絵になっている
桜は散り季節が変わってゆく、






2025年04月25日

桜が散り八重桜に変わるーなぜ悪いことが続くのか 【大原を回り帰るー前田の空家のこと】


桜が散り八重桜に変わるーなぜ悪いことが続くのか
【大原を回り帰るー前田の空家のこと】

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花散りて幻なれや夢の跡

大原の小径にあわれスミレかな

大原や山吹咲きて畑かな


山桜高きに咲くや大原の前田の道を我は行くかな

大原の前田に残る空家かな春となれども人は住まじも

大原になお耕やさぬ荒地かな春となれども淋しくもあれ

大原の人ともにし病院に我がありし日やその人も死ぬ

風唸り夕べの道やかそけくも残れる花を我は見るかな

故郷に夕べほのぼの八重桜今日もこの道我は行きけり



大原の斎藤氏の家は空家でありそこは住むことはない、なぜなら息子は市街の方に住んでいるし農業を受け継がないからである
前田というとき草分けの古い家である。だから家も古いとなる。
南相馬市の病院で同じ部屋でありその時話を聞いた。そして病院の窓から大原の方を見ていた。
一か月は長かった。でも意外と早くその後死んだ。墓は杉の林の中に隠されるようにあった。
大原は結構放射線被害があり田畑は除染したとしても放置されて草ぼうぼうになっている
一分は回復しても何かもともと後を継ぐ人がいないとかで放置され荒地化する
何か空家が目立つのである。それがもったないと見る

ともかく桜は散った、桜の咲く時期は短い、今は八重桜になる、桜と八重桜の感じは相当に違う
何か八重桜だと定着してほのぼのとする感覚になる、あたたかさがある。桜が咲いた時から常に散る予感はする
だから桜が散ったとき夢のようい幻のように見える、俳句でも夢の中で思案して創作していた
ただ花散るや・・・・夢の跡・・・というときその間に別な言葉を入れていたが思い出せなくなった
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡から連想したのだろう

故郷やよるもさわるも茨の花 (一茶)

一茶がなぜそうなったのか、私も家族がいるときは故郷はいい場所だった。でも死んでからはいい場所ではない
店では断れるとか何か拒否される、そこにはやはり悪質な人間がいる。だから私も一茶のように感じた
結局人間どこに住んでも同じである、そこには嫌な人間が悪質な人がいる。その人達から逃れようがないのである
つまりこの世は人間が地獄を作りだす場なのである
だから天国でしか安住の場はないのである

私の不満を言ってもなぜなのかとなれば私の父親違いの兄は5歳まで一緒にいたとしても私の家では後妻に来た子供なので良くしなかった。となれば故郷はいいものではなかったとなる。でも死ぬ前に不思議に家に回ったのである
母親がいて回ったのである、だから兄から比べれば私は相当に恵まれていたのである
そのために家族が死んでから嫌なことが苦しいことが続いている、それもカルマだったとなる
まずいいことが続いて一生は終わることないし悪いことが続いて終わることもない、人間は何かそうなっている
私は余りにも恵まれた結果として悪いことが続いたのである

ただ人間は他人のことをとやかく言う前に自分自身が愛ある人間となりほのぼのとしたものを自ら作り出さないとこの世は良くならない、自分がほのぼのとしたものを愛ある人となれば他者も故郷でも住みよい場所になる
でもそれは至難だとなる、言うは優し行うは難しとなる。


2025年04月24日

春の夜に死んだ姉の夢を見た―家に通い続ける愛 【布団があたたく姉の愛に包まれた感覚なっていた】

春の夜に死んだ姉の夢を見た―家に通い続ける愛
【布団があたたく姉の愛に包まれた感覚なっていた】

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心のゆくばかりなつかしい女の匂いをかぎ、性欲と悲哀と絶望とにたちまち胸をおそわれ…芳子が常に用いていた蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れたビロードの襟に顔を埋めて泣く

『蒲団』(ふとん)は、田山花袋の

春の夜や姉の寝たる広き部屋その布団に寝てぬくもり感ず

今死んだ姉の夢を見た、姉が死んで13年以上も過ぎた、それも早いと思った、姉と言っても母にもなっていた
子供の時から60年も一緒に暮らしていたからである。姉も結婚しないから私を子供のように見ていたのである
母は脇役であろ女中とかにもなった。それも複雑なのだけどこの家を作ったのは確かに父であったが実際は姉と母なのである
だからこの家の作りは姉が作り姉が中心の家になっていた作りもそうだったのである、間取りも姉の八畳間があり私の部屋はなかったのである。それは個室ではない昔の家で家で法事とかしたから広い間が必要だった
つまり昔風の家で冠婚葬祭を家でしていた。ある農家の家は20畳間なの30畳間なのか広間があってそこで人が集まる
江戸時代なら庄屋のような家となる、そこで役人を接待したりとか公共的なものとしてもあった
襖で仕切られていてもそれを開ければ大広間になるからである。

ともかく私の部屋はなく後から付け足して作ったのである。だからこの家は姉が主役の家となっていた
実際父親が中学の時死んだあとは気丈夫な姉が父親代わりになったのである。だからこそ私は大学にも行けたし大学出ても就職せずとも家に引きこもり旅ばかりしていたとなる。一方で父親違いの兄は五歳まで一緒にいたが良くされず母の実家にひきとられて5年暮らした、そして集団就職で静岡の方に行き交通事故で40才で死んだのである。
その差も大きかった。そのために姉が認知症になり母に暴力をふるい別々に暮らすようになった
その間私は二回病院に入院して手術もした地獄を経験した、でもそれは私の家のカルマでありその家のカルマは必ず長男長女が負うのである、そういう宿命にあるので逃れられないのである

何か複雑なのだけど死んだ人は依然として家にいるともなる。確かに布団という小説はそれを示している
それは若い女性だがそれと似ている、姉の寝ていた八畳間で布団に寝ていて姉の夢を見たからである
太っていてやせた母と違って温かみがあった。だからは私は姉の方の影響を受けたのである
そして60年も一緒にいたということが影響したのである。それは複雑な家族でもやはりそれだけ長く一緒にいたということが
忘れられないものとなり死んで13年以上過ぎても夢に現れその布団がまるで姉のように思えたのである

だから家には死んだ人が生き続けるともなる、それで空家が多いけど空家に入ると依然として幽霊になってその家の人が出てくる感覚になる。幽霊となってもその家に住み着いているのかとも感じる
やはりその家に長く住んだから死んでも離れたくないということはある。家とか土地に執着するとなる
私は最後二人を懸命に介護した。それだけ特別良くされたからである。そのことをわかってくれて死んだから遺影でも笑っていていつも語りかけている。

他では親でも子供を恨んで死んでいる人も結構多いからそうなるとどうなるのか?
その家に親の恨みがこもるかもしれない怖さはがある。ただ今は空家になっているから離れて住んでいるから感じないかもしれない。でも空家でも何か死んだ人でもそこに依然として霊がとどまっているという感じにもなる
家はやはりそこに愛着があり思い出がありそうなる。単なる物ではないのである

姉は別に他人に優しいとはならなかった。ただ自分には特別良くしたのである。母は脇役であり姉は私に過剰な愛を注いだのである。もし姉がいなかったら私はどうなったのかと思う。最悪の人生になったかもしれない、母だけではどうにもならなくなっていたからである。だからこの家には姉が死んでも依然として姉の愛につつまれているとも感じるのである

愛は死んでも残っているとも感じる、愛は消えないとも感じる。ただそれはあくまでも私に対しての愛であり他者には冷たいとなっていたのである。いずれにしろ何か人間は死んですべてなくなるということではない、愛はありつづけるともなる
ただそれはみんなが実の親でもそうはならない、何か私の場合は特別に愛を受けたからそうなったとなる
それは特殊な事情でそうなったのである。確かなことは愛する人が愛される人であれ愛は依然として通い合っているのかとなる
つまり死んでも形はなくなっても愛は通じているのかとなる

でもすべての人はそうならない、実の親子でも今はうまくいかず親を恨み今度は親が年老いて子供を恨んでしんでゆくとか普通にある。だから人が死んですべてが消えるわけではない、愛は依然として残り消えないともなる
それで死者を愛せというときも死んだ人には通じないのいではなく愛すということが大事だと言ったのだと思う
現実に死んだ人でも愛は残り通じ合っている。死んだ人はい依然として愛が継続されているともなる
それは何か説明しにくい、見えないものだからである。

人間は死んだ時点で見なくなり急速に忘れられる。でも忘れられないのはやはり愛してくれた人だとなる
それは実の親でもみんなそうはならないのである。親を恨みまた子供を恨み死んでいる人もいるからである
するとそれは何か必ず影響するのではないか?

つまり愛ではなく怨念が消えず残る!

親戚の女性は実の母親と5歳までしかいっしょにいない、それで認知症になり金があったので施設に入れた
その娘は全く親と思っていないのである。ただ金があるので施設にあづけてかかわりたくないのである
これも自業自得である、また私の母親は継母にいじめられて育てられた
そしてやはり施設に入りそこでないか精神の異常をきたして死んだ、でも母はその人の遺骨を引き取った
大学病院で解剖することを頼んでいたからである。ただ最後に母に悪かったなと謝って死んだのが救いだった
ともかく家族もいろいろいろであり複雑である。ただ別に継母でも愛情を注げばそうはならなかったのである。

何か愛ではなく怨念が残ることは怖いことでもないか、だから親でも粗末にしたりまた子供でも愛さない、何か子供でも親は無条件に愛さない
私の姉は無条件で自分を愛してくれたのである、何か注文したりしなかったのである。
ただそれは特別なことであり他者にはなかなか理解できないのである

故郷に姉の愛あり八重桜

いずれにしろ死んでも母を一般的に忘れられないのは愛されたからだとなる、父親はそうならないからである。
愛の力はどうしても母親にあるからだとなる。


2025年04月23日

古墳に根付く木【春の山、若草、牡丹の芽、タンポポ、山桜、】


古墳に根付く木【春の山、若草、牡丹の芽、タンポポ、山桜、】

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春深む古墳に根付く木一本

家の庭畑のありて春の山

若草に山鳩数羽集まりぬ

朝鳥の飛び来て映えぬ椿かな

牡丹の芽日に日にふくらむ希望かな


海広く朝タンポポの一面に浪打ち寄せて我が走り去る

田舎の小径にあわれスミレ咲く今日行きしは我が一人かな

鹿島なるSAに寄り見る山桜今盛りと咲きにけるかな



古墳の町としてあるけど家の前が庭が古墳になっている。そこに一本の木が根付いている
すると先祖に根づいているつながっているとなるのかと見た
ただ古墳が墓なのかどうかわからないがそれは遠い先祖が生きて残したものであることは確かなのである

家の前が広い庭であり畑があるというのは田舎では普通にある。するとそこで食料がとっると言うことで何か金を持っているより安心だともなる、なぜなら紙幣は紙切れだから預金封鎖だとか物価高で目減りするとかあり安心できなくなった
だから貯金に利子が5パーセントかついていた時代があったが特別恵まれた時代だったのである
なぜなら今でも十年前に貯金したのに満期になり利子がついているからである
だから30年前とかの利子が高くついたとき利子だけでも相当に増えていたのである

だからこういう時代は畑でももって食料を確保しておけとなる
ところが農業は簡単にやれない、もうわずかな畑でも鳥に食われたとか盗まれたとか肥料代がかかるとか種代がかかるとか
苦労が多いが実際の収穫は10倍も費用がかかりわずかだったとなる、素人が簡単にできるものでないのである

常磐高速のSAは人でいつも混んでいる、山の方だから山桜が咲いていた
すでにできてから5年くらいすぎた。それに比べ鹿島駅は壊されるとか言われて小学生は壊さないでと集まりアピールした
明治にできた駅舎で古く鉄道マニアが見に来たりしていたからである

今年は新しく植えた牡丹の蕾が二つふくらんでいるので楽しみである。二三年は葉っぱしか出なかったのに咲くのも不思議である、別な牡丹は30年なのか40年なのか5つつくらい咲き続けている
その土地と合えば咲きつづけるとなる
とにかく花でも咲き続ければいい、米でも野菜でもとり続けられるから恒産となる、でも金融商品は貯金でも紙切れになる恐怖が付きまとっているのである





2025年04月19日

長閑な故郷−古墳の町【長閑、タンポポ、蟻穴を出ず、春霞、桜、チューリプ、、】


長閑な故郷−古墳の町【長閑、タンポポ、蟻穴を出ず、春霞、桜、チューリプ、、】

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家の庭に古墳がある、二つある。それだけ古墳が多い

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蟻穴を出でて喜び遠くへと

家の前タンポポあまた増えにけり

春の日やぽかぽかあたたむ古墳かな

我が里に古墳いくつか長閑(のどか)かな

春霞連なるや山の屏風かな

自転車に走りゆくかなつばめ飛ぶ

竹しなり自転車走る里の道

チューリップ駅の案内模様替え


長々と柳のたれてこの道や桜も映えて菜の花も見ゆ



玄関を見たら蟻が一匹動くのが早いかなりたちまち遠くへと進んだ、それもは早かった、穴から出て喜ぶ動いたのかとなる

今日は23度で暑いくらいである。だから長閑となる。古墳の町とか宣伝しているけど何かぽかぽかとその小さな古墳を春の日があたためる感じにもなる。死者が眠るのかその死者も気持ちいいとまでなる
阿武隈山脈は屏風のように連なり霞む。

駅の案内は新しくした。でも駅はずっとかかわっていない、閑散としている。チューリップがいい、でも常磐高速道路のSAと比べると余りにもその差が大きい、駅に人の出入りは少なすぎる、一人くらい駅に待っているとかなる
そして駅前の自転車屋の人は死んで淋しいとなる。
ただ駅は街と直結している。でも常磐高速のSAから街に来る人はいないのである。分離しているのである
だから街を活性化することにはならないのである







2025年04月18日

桜咲く谷野原ー玉野村−霊山ー飯館村へ【霊山南朝滅ぶ短歌−北畠顕家の死と桜】


桜咲く谷野原ー玉野村−霊山ー飯館村へ【霊山南朝滅ぶ短歌−北畠顕家の死と桜】

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谷野原

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玉野村

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霊山紅彩館

【飯館村】

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木戸木(ことぎ)



かなたへそ峠を越えむ燕来る

峠越え燕飛び交う季(とき)は来ぬ

上り来て朝の耕し金谷原

一すじの滝のひびきや朝桜

大滝の響き芽吹きや登る坂

拓けたる玉野の平地春野かな

梅匂う遅きも玉野の平地かな

玉野にそ梅の匂うや休むかな

君子蘭広間に休む窓映る

【飯館村】

菜の花の匂うや山の穏やかに

栃窪に灯ともりあわれ蛙鳴く




横川の朝にひびける流れかな桜の映えて更に奥行く

石一つ据えて金谷原誰か住む枝垂桜や街は遠しも

老いてなお坂を上るも春なれば他所の桜を見むと欲すも

おのがじし満ち足り咲くや君子蘭窓に映りて我が休むかな

【北畠顕家花と散り南朝滅ぶ】

霊山に春風唸る南朝の城そここにと時は過ぎにき

春風の霊山に唸り武士(もののふ)の城にありしも南朝滅ぶ

霊山の巌黒々と春の風唸り吹くかな武士(もののふ)籠る

春の風唸り吹くかな時は過ぐ山は変わらじ人は変わりぬ

朝の滝轟き桜一時の栄いにあれやはやも散りなむ

朝の道桜咲き継ぐ霊山へ滝そひびきて風の荒らしも

春の風唸り吹くかな霊山に顕家若く花と散るかな

顕家の駆けゆく姿りりしくも花と散るかな風荒く吹く

風荒く朝に散る花顕家の一時映えぬ武者姿かな

目覚めれば花のあまたの散りにけり風吹き唸り夢の跡かな

(木戸木)

木戸木(ことぎ)にそ桜咲くかな十本ほど幾人かここに住むもあわれも



今年が風は強く吹く、自転車だとまともに風を受ける、ただ車だとまたそうした自然を風でも感じないのである
それで自然と一体化しないから俳句でも短歌でも詩も作れないとなる
今回は春風でも荒く吹いたからである。それで霊山についても風がうなり吹いたのである

この道は歴史の道でおある、霊山が炎上して逃れたのがこの道だからである。落武者となって相馬市であれ南相馬市の鹿島区でも逃れた。特に鹿島区では日吉神社があり逃れた一族の根拠地となった。その一族の只野氏の姓が本当に多いのである
50軒とかあり原町区へも相馬市へも拡散している。だからなぜこれほど多いのかとなる、その一族は繁栄したとなるからである
南朝の将軍北畠顕家は21才で死んだ、これは早すぎる一瞬の光芒を放ち死んだとなる。

ただどうして霊山のような山で生活できたのか?前は相当の数の僧が修行していた、でもその食料などどうして供給したのだろうかとなる。山を登り運ぶにも大変だし誰が供給したのかとなるからである

太平記』の物語では、顕家の軍は徹底的な略奪を行いながら行軍し、顕家軍が通った後には人家どころか草木も残らなかったと描かれている。同物語では、「これらの行動を恥知らずの夷の軍勢であるから」と批判的に描写されている。霊山包囲などの苦境からの出撃により物資が絶対的に不足していたという事情が反映されたと伺われる。

これはやはり霊山では食料に苦労したために食料を確保する強引なものになった、それは霊山での経験でそうなったというとき
事実からそうなったとなる

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金谷原では松母姫が死んだ。その碑がある。霊山から逃れてここで死んだ。横川の橋のたもとでここに住んでいる女性と語ったことがある。その若い女性は歴史クラブに入っていて詳しかったのである。

松母姫ここに死すと語りけり横川に咲く桜を見て暮る

電動自転車の問題はバッテリーが意外と早く切れることである。それで霊山できれたのであととで苦労した
坂だと歩くほかないからである

飯館村の木戸木(ことぎ)を回ると暗くなりつつありそこに十本くらいの桜が咲いていた。そこに住んでいた人は何かその桜を植えた話を語っていた。その人はその桜の咲くところで畑仕事をしていた。でも85才とかで体が弱り苦しいと言っていた
だから今はその畑は放置されているしそこに住んでいるかどうかもわからない。
ただあのような不便なところに住んでいて車もないし80才過ぎるとかなると暮らすのも難儀である
なぜなら配達してもらうとかバスをまって買い物しているとか行っていたからである、今そこに住んでいるかどうかもわからない、飯館村ではそもそも原発事故以後二割くらいしか残っていない、それも老人が多いから村が維持できるのかとなる
玉野村小学校でも廃校となり臼石小学校も廃校となりと廃校になる学校が本当に多いのである

ともかく自転車で行くのもだんだん苦しくなる。ただ人間は日ごろ筋肉でも鍛えていると老人でお強化される
なぜ疲れたとなれば冬の間運動しなかったからである。それで筋肉が弱ったのである。だから日頃運動していれば筋肉は強化されるのである。

それにしても今日も風が強く桜はかなり散った。山の方は咲き始めえもありまだ散らない、気候の差でそうなる
ただ飯館村では咲いていてのである












2025年04月16日

アメリカの覇権は終わる―関税問題はそも徴候 【ローマ帝国が東西に分裂したようになる―貨幣も別々になった】

アメリカの覇権は終わる―関税問題はそも徴候
【ローマ帝国が東西に分裂したようになる―貨幣も別々になった】


アメリカが世界の富を集めている、グローバル経済で収奪している。そう、見ていたがアメリカにすれば逆に世界から収奪されているのだということで関税をかけることになった。アメリカは世界から輸入するだけで輸出するものが限られている。
アメリカの製造業は衰退した。世界から輸入ばかりしていたら当然国も貧しくなってくる。
でもなぜアメリカではそんなに輸入できたのかということである。外国から物を買うことができたのかということである。

アメリカの主要な産業はITと農業であった。農業は主要産業でもあるというとき、その広大な土地がそうさせたのである。日本の農家と違ってその生産力は百倍にもなるという。それだけ平坦な土地があり。日本の零細な農業とはまるで違っているからである。その農業にしても関税が高くして買わないとなり農家が大打撃になる 。ブラジルからとか輸入するからとなる
経済は生産と消費があり。いくら作ってもそれが消費されない売れなければ作っても無駄だとな
る。アメリカは世界の巨大な消費地であった。でも自ら生産しないで消費ばかりしていたらその国は豊かにはなれない。
アメリカはそこで行き詰まってしまった。

でも、消費というとき江戸時代の江戸は大消費地であり何か生産しているわけではなかった。侍は別に何か生産していないからである。要するに、ただ消費するだけだったのである。ではなぜそのようなことが可能だったのか。
それは政治的軍事的機能はあり参勤交代でもそれは無駄なようで消費するだけでもやはり経済的効果をもたらしていたのである。それによって宿場町ができてその街道筋も栄えたのである。でも、侍は何かを生産するということはなかったのである。
それとアメリカは似ているかもしれない。輸出するものは少ないにしろ軍事大国であり世界の政治的中心にもなっていたからである。つまり、大消費地になっていたのである。アメリカ人はたとえ、金がなくてもクレジットカードで消費しているのである。だから、その借金も膨大なものになっている。国自体が外国からの国債でその金額も膨大だからもし中国であれ、日本であれその国債を売ればアメリカは窮地に立たされる。

ともかく、アメリカはなぜ高い関税をかけるようになったのか。それはトランプだけの思いつきでもなくアメリカ全体の経済的問題として、必然的にそうなったとしている、売るものがなく借金しても買ってばっかりいたらその国はとても持たない。ただ、アメリカはドルが基軸通貨であり紙幣を刷ればそれでなんでも買えばばいいとなるかなるか。そんなこと続かないわけである。とても金融だけの経済では行き詰まってしまうのである。経済と政治は一体でありその経済を無視して政治だけでは覇権国になれない。アメリカは経済大国だったからこそ、覇権国になりえたのである。その経済が衰退する時覇権国にはなりえなくなる。

その基軸通貨のドルでも。世界的信用を失ってゆく。それはローマ帝国でも東西に分かれたとき別々の貨幣となり衰退したと同じである。つまり、世界的にドルの価値が下がり基軸通貨でなくなり中国の人民元がグローバルサウスでは基軸通貨となってゆくこともある。つまり、アメリカの覇権は失われて、世界も分断されるということになる。
ローマ帝国も政治と軍事力、軍事力で大帝国になっていたが東西に分離して貨幣も別別のものになり、衰退したのである。

だから今、アメリカもローマ帝国のようになってゆくのかもしれない。アメリカのドルはもはや基軸通貨として維持できなくなる。政治力と軍事力だけでは覇権国になり得ないとなる。今、世界はそういう岐路に立たされているのかもしれない。
アメリカの国自体が。内部から崩壊して行く。政治軍事力だけでは維持できず。やはり経済的問題として維持できなくなる。
アメリカは世界から孤立して行くのかとなる。世界の警察とか言われたが、それも維持できない。それだけの経済力もなくなってきている。何か武器すら製造できなくなっているという。だから。軍事力と政治力はその裏付けとして、経済力がなければ成り立たないということである。それは表裏一体なのである。

ただ、そうなると日本の立場は中国とアメリカに挟まれて苦しい立場になる。でもアメリカに頼っていればいいという時代は終わった。となるアメリカはアメリカファーストになり自国を守るだけで精一杯になってしまう
でも中国に従うのかとなるとそれも難しい。中国の属国となり奴隷化されるかもしれないからである。それは日本だけではない。世界的にアメリカに頼ることはできないしパックスアメリカは終わったということである。
それでまた世界が分断されて第三次世界大戦が始まるという人もいる。群雄割拠の戦国時代になるのかともなる?
いずれにしろ日本の外交は相当に難しいものになる。

日本はそもそも。東西を結ぶものとしての地理がある。世界的役割があった。中国に先んじて西欧化したのも、そのためであった。ただ逆に、その東西の狭間で分断されるということにもなりかねないのである。ともかく、世界の覇権は常に移動してきたからやはりアメリカもその覇権が維持できなくなる移動してゆくそれは避けられない。となるそういう歴史の転換点に来ているということを認識する必要がある。アメリカの覇権の一方的関係は終わったということである。その次にどうするのかとなると日本は相当に難しい立場になる。でも、政治的には混乱しているし経済も衰退しているからこれまた危機になる。
すると挙国一致内閣作り対処する他ないかもしれない。右とか左とかで争っている時ではなくなるかもしれない。
確かなことはアメリカの覇権は失われてゆくということである。



2025年04月15日

春の雷の俳句連作 【春の躍動の詩】


春の雷の俳句連作 【春の躍動の詩】

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活動や鳴り響くかな春の雷

新しき事起こりなむ春の雷

停滞を破り鳴りなむ春の雷

日本を新たにせむや春の雷

未来へと四方に轟く春の雷

天来の声轟くや春の雷

春の雷新発見や進みなむ

天才のまた一人い出む春の雷

天よりそ霊感を得む春の雷

不意をつく驚天動地の春の雷

船出せむ海にも響く春の雷

満開の花に轟く春の雷

老骨も蘇らむや春の雷

坂のぼり鍛える若者桜咲く

川流れ場所を移りて桜見る




春の躍動


巨きなる山に挑め

その頂上を極め征服せよ

そして天に上らむ

そこにいくつもの天の宝庫あり

その扉を開けよ

停滞を打ち破れ

一つの場所に囚われるな

灼熱の溶岩の山

海を望みかなたに飛翔せよ

突然は春の雷は鳴りひびき

強烈な閃光が走る

いたるところに桜は咲き

日本よ、停滞を打ち破れ

新しいは発見のあれ

新し詩の起これ

躍動する自然に合わせよ

汝は大いなる山に登り挑戦せよ

果敢にぶち当たりその山を征服せよ

汝は頂上より天翔り神にまみえむ

牡丹の芽は未来へ大きくふくらみ

タンポポはどこまでも咲き続く

大輪の花は遅くも開花する

そして海に出て轟き響く波の押し寄せる

自然とともに躍動する者よ

血は湧き踊りめぐる

神の栄光は自然にあり

その業は限りなく魅了する

そのインスピレーションは絶えることはない

汝は地球を宇宙を詩う者なれ

創造主なる神に習え

常に創造を試みよ

新たな未来は開けむ










2025年04月14日

相馬市の城下町の夕桜【初蛙、燕来る、夕桜、夜桜、春の雷、和紙、、】


相馬市の城下町の夕桜【初蛙、燕来る、夕桜、夜桜、春の雷、和紙、、】

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初蛙我が家に向かい鳴きにけり

初蛙我なお生きむ我が家かな

新しや路地裏にも燕来る

復興や松川浦に燕来る

女高生相馬の城下夕桜

若人の声のひびけり桜かな

城下町老舗の菓子屋夕桜

よどみなく桜に満月昨夜なれ

夜桜に雷の閃光続け様

春の雷あとに満月の光輝かな


移り住み建てにし家や石すえて枝垂桜の色濃く垂れぬ

夕暮れに堀に映れる桜かな相馬の城下灯ともるわわれ

城跡に咲きし桜に夕日さし土地の人なれしばし語りぬ

桜色淡くも染めて城下町店の灯ともり細き道かな

城下町和紙に映えるや夕桜その色しみぬ店の灯ともる



昨日の朝に蛙が大きな声で我が家に向かい鳴いた。冬眠から目覚めて鳴いた。それがなんともいい感じだった。
空家が増えているから人が住んでいなければ家も死んでいる。蛙が鳴いても空家だったら活きてこないとなる

松川浦から相馬市に行った。曇っていたが夕べになり晴れて来た。桜は満開だった。黒橋を相馬高校の学生が走り上っていた
柔道部で訓練していた。城跡の桜は満開で夕日がさしていた。相馬高校は城跡のすぐ近くにある
相馬女学校というと古いので長刀(なぎなた)を習っているのはやはり城下町であり侍の伝統があるからそうなる

城跡と言っても何かそこで歴史を感じるものがない、城があれば感じるが何にもないから感じにくいのである
ただ町割りとか城下町になっているから南相馬市の原町区とは違っている

何か和紙というのが日本的でありその感じが何となくいい、曇っているようくすんでいて真っ白なものとも違う。また厚みがあるも違う、ざらざらした肌触りもある。何か城下町であれ和紙が似合うとなる。

またお菓子屋というのはその店独自のものを味を売っているので生き残る、普通の店はスーパーができてシャッター通りにな

っても生き残る。何か丸森の金山とか街の中心でなくても菓子屋はあり成り立っているのである
それは自家生産であり独自の味をつくりだしているかなのである。同じものを売っていないからである

近くに原発避難区域から移住した人の家でもすでに十年とか過ぎるのか石をすえ枝垂桜が咲きその色も濃くして落ち着くとなる

家に帰り夜になって稲妻が走り雷が轟いた、春の雷である。それも三回くらいつづけざまに光った。
なんか今年は風が吹き雨がふり雷がなり稲妻が走る荒れ模様である

そしてたちまち桜も散ってしまうとなる。なんか波乱気味なのか、穏やかではない、ただこれからどうなるのかはわからない

よどみなく桜に満月昨夜なれ

昨夜は満月が満開の桜に輝いていた。今日は一転して雷であり稲妻が光った。変化が激しいのである

それから今外で見たら満月が輝いていた。これだけ自然の変化が今日一日であった

春の雷あとに満月の光輝かな

2025年04月11日

仙台市の夕桜【夕桜、花曇り―和紙の魅力】 kyoutsakura.jpg


仙台市の夕桜【夕桜、花曇り―和紙の魅力】

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仙台や人の往来夕桜

仙台や60万石夕桜

仙台の店店のぞく夕桜

城の跡謂れを語り夕桜

みちのくの黄金の御仏夕桜

墨汁の和紙ににじまむ夕桜

みちのくや今日も暮れゆき花曇り



桜が咲いてから風が吹き曇る、桜の季節でも天候は毎年変わるから違って見える
仙台市は何か特徴がない、商業都市であり観光には魅力がない、城下町でもそれも何か明確ではない
つまり特徴がないのである。第一青葉の季節はあっても桜は余り咲いていないからである。

今日も花曇りでありみちのくにふさわしのか、和紙は使わないがそれは実用品ではなく特別なものとなり
アートに使うとなる。和紙は曇った感じにもなるから花曇りにあっているのか、和紙自体が芸術品だとなる。
和紙自体が作るのに紙漉きがあり相当に手間であり苦労なのである
だから貴重になったのである




2025年04月10日

近辺桜の俳句【朝桜、タンポポ、スミレ、落椿、花曇り】


近辺桜の俳句【朝桜、タンポポ、スミレ、落椿、花曇り】

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十羽ほど山鳩集う朝桜

玄関にタンポポすみれ人迎ふ

朝桜椿百輪と映えにけり

相馬藩六万石や花曇り

奉納や二宮神社に桜かな

我が市に観光客まれ花曇り

夕暮れの小径や数輪落椿

淋しきや桜の咲くも空家かな


今日は花曇りだった。相馬藩は六万石である。小藩である。二宮神社は二宮尊徳を祭っている。この辺では常に語られる。
でも二宮尊徳は相馬に来ていないのである。その弟子は二宮仕法を学んで実行したのである。

写真はカメラにより映りが違う。ただきれいに映るのはレンズも重く持ち歩くのがめんどうになる
ただ写真を追求するとカメラとレンズに左右される
フェスブックは写真中心である。だから投稿するとききれいな写真をアップしたいとなる
カメラは持ち歩くと重いと嫌になる。だからカメラはいい写真撮るとなると結構苦労になる

私の場合はそこまで凝ってはいない、でも映像の時代であり写俳(写真+俳句)という分野が生まれたことでもわかる
正岡子規の写生俳句と写真は相性がいいからである
小径の椿の写真は方向を変えて撮ったら違った風に撮れた。撮り方によって違ってくる

それにしても空家が目立つ、桜が咲いても空家なのが淋しいとなる
玄関にはタンポポとどうしてかスミレも咲いた。どこからか種が飛んできてこんなところにも咲く
桜の咲く時期は短いから見逃してしまう。だから見れない桜がいくらでもあるとなる
この辺は外国人の観光客は来ない、今や日本国内をゆっくり旅もできない
つくづくこれがグローバル競争に負けることであった。円高では貧乏人も外国旅行できたができない
日本は貧乏国になったからである。






2025年04月08日

南朝滅ぶ霊山の桜【山桜咲く大倉村‐佐須村ー石戸村ー石田村】


南朝滅ぶ霊山の桜【山桜咲く大倉村‐佐須村ー石戸村ー石田村】

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桜はや散りにけるかな滝ひびき落ち延ぶ武士(もののふ)南朝滅ぶ

もののふに巌の黒くも硬きかな夕べ桜の霊山に咲く

(親王桜)

丸森に形見と残る桜かな南朝語り夕暮るるかも

顕家の死ぬも早しも朝に映ゆ花の散りしも南朝滅ぶ

霊山を守れる城の巌硬く黒々として桜咲くかな

霊山を城と守りぬ月光り闇に咲きにし桜なるかも

横川に桜の咲きてあわれかな松母姫を土地の女語る


清らかに巌にひびく流れかな朝に見上げぬ山桜かな

風うなり山桜散る山間に流れの清く朝の空澄む

石田村桜に一つ大岩やここに暮らし歳月思ふ

大倉村佐須村あわれ咲く桜ここにも栄えし家のありしも


霊山神社は霊山の麓でも山を登った所で隠されるようにある。そこに北畑顕家の像がある
霊山から落ち延びた道は歴史の道である。その末裔が南相馬市の鹿島に住んだ。日吉神社は末裔の只野氏など落ち延びた武士が
祭った神社である。とにかく鹿島区には只野の姓の人が本当に多いのである。只野一族の町だともなる
それは南相馬市でも相馬市でも只野の姓の人がいるから繁栄したとなる

霊山城は十年存在したが炎上して南朝は滅びた。その落ち延びたとき扮装したのでそれが祭りとして残っている
宝財踊りである。


松母姫碑(福島県相馬市山上字横川)
 北畠顕家の愛妾として、萩の局、松代姫、松尾姫などの名が知られている。この松母姫碑は、松代姫の母のものといわれてる。

「浜通り霊山落城の痕跡をたどる」研修会を開催しました

これも霊山から落ち延びて残した遺跡である。それを横川の橋で桜の咲くのを見て土地の娘が語った。
相馬市の方にも落ち延びたからその途中でここで死んだのかとなる
顕家は21才で死んだ。余りにも早い死だった






2025年04月07日

満開の桜となるも夕べ風荒く吹く

満開の桜となるも夕べ風荒く吹く

夕風に咲きにし桜ゆすらるる落ち着かぬかな心騒ぎぬ

咲きそめし桜と見るもたちまちに満開となり夕風唸る

たちまちに桜満開さにあれど夕べに風の荒く吹くかな

昨日土手の桜を見たら一分二分咲いたのかと見た。今日見たら満開だった。これも早いと見た
夕べ夜に相馬市の方に行ったら風が温かく寒くなかった。だから温かくなったと思った
ともかく桜は咲いたなと思ったらすぐに散るのを予感する。何か最初から風が荒く吹いたことで今年は特にそのことを感じた
つまり桜は見ていても違ったものになる。また場所によっても感じ方が違うし天候の影響もある

桜の咲く時期が短いので桜は遠くだとなかなか見れないのである。大河原の方の一目千本桜でも去年行った時もすでに散った後だった

我がたずぬ千本桜の散る後やはるばる来しもむなしかりけり

桜は別にどこでも咲いているでもなかなか見れないのは咲く時期が短かすぎる。その短いゆえに桜を見ることを見のがすのである

未だ見ぬ桜の多しも日本にそ生まれ惜しむは桜なるべし

プログのいい点は時々刻々の変化を伝える、実況中継することである。なぜなら原町の桜でも早く咲き鹿島相馬市と桜前線は移ってゆく、その変化を伝えられる。でも別にそんなにプログを日々見ている人はいないだろう

どうしてか盛岡の桜は見ていない、桜咲く時期にうまく見れないのである。でも青森の弘前城の桜は見ている

船岡の一目千本桜と蔵王の短歌20首 (山は場所によってまるで見え方が違う)



2025年04月06日

原町の小川町に初燕【牡丹の芽、桜、鶯、落椿・・・】


原町の小川町に初燕【牡丹の芽、桜、鶯、落椿・・・】

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牛越城


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(鹿島区)

若草にノスリの飛ぶや朝開けぬ

十輪ほど朝の小径や落椿

誰が参る墓地にあまたの落椿

水無川清く流れて朝桜

牡丹の芽太しや庭の石重し


(原町)

小川町流れのひびき初燕

小川町桜に流れ初燕

原町や電車の音に初燕

夕鶯いづこに隠る藪深し

風唸り桜咲きそむ牛越城散るも早しや一時の城


昨日は初燕を原町の小川町で見た。初燕は感動的である。「旅路来て赤絵の町や初燕」有田町に来た時は初燕を見た。
初燕をどこで見るか今回は原町の小川町で見た。それもふさわしかった。原町は新興の市でありそれが似合っていたとなる
牛越城にはすでに桜がさいていた。そこは5年で終わった。城というより館があったとなる。

今日は朝周りを廻った。小径に椿が散っていた、あそこの道はいい道である。何か田舎は小径がありいいのである
水無川も流れて桜も咲き気持ちいい、鹿島区にも燕を見た。ただ土手の桜はまだ咲いていない、でも他で咲いているのもある。
咲く時期が違っている。


水無川が今日は流れて桜が咲く、結構水は出ていた。ここの水は清らかである。
ともかく桜は咲いた時から散るを予感する、咲く時期が短いからである

ひさかたの 光のどけき 春の日に静心なく 花の散るらむ 紀友則

静心なくというとき咲いた時から散るのが早いからそうなる。そして桜は咲く場所とか近くでも多様である
それで咲く時期が短いからなかなか見れないのである。桜だと車の方がいい、いろいろな場所に咲くからである
有名な桜の名所も多様だからである。とにかく花見の時期である、相当桜を見てきたがとても日本全国でも近くでも見切れない
それは早く散っていしまうからである


2025年04月04日

庭の奥に咲く白椿ーみちのくの桜は一分咲き(短歌)


庭の奥に咲く白椿ーみちのくの桜は一分咲き(短歌)

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雨しとと奥に隠れて白椿咲くを見てをり一人籠りぬ

奥に咲く白椿にそ雨雫曇れる日にや籠りけるかな

隠れ咲く白椿かな奥ゆかし我が一人家に籠り見るかな

一つ木に赤と白との椿咲く調和してそ美しきかな

みちのくの桜は一分咲きにしもなお冷たく風の吹くかな

家の前タンポポ咲きぬ通りをたまに人行く街に住むかな


昨日もその前も雨だった。だからめずらしくかなり川に水が出た。結構山の方で雨が降ったのかもしれない
何か冬は家に籠りまだ寒くなり家に籠る。窓から白椿が隠れるように咲くのが見える

椿でも一本の木に二色の赤と白とが咲いているのもめずらしい。その家は医院であrったが空地になった
ただ椿の木は残っている、結構広いと見たがその土地を利用する人はいないだろう
その周りの家も二軒ほど壊され空地となった、とにかく空家と空地が街中でも増えて来るのである

ここの桜は一分咲きである。風が冷たく吹いてきた。昨日よりはあたたかいが風が冷たかった。自転車だと風とかを常に感じる
タンポポが家の前に咲いた。通りをたまに人が通るがほとんど通らない。
ともかく外に出にくいから籠っているとなる

プログとかはその時々のことを放送するのに向いている。桜が咲くのは場所によってずれがあり桜前線があり北上する
西の桜が散ってもみちのくの桜は遅く咲きだす。その変化がいいのである
北海道の稚内では6月に咲いていたからである。

2025年03月31日

会津の心(詩)ー【風土と地理から見る会津−会津は古代から一つの国だった】


会津の心(詩)ー【風土と地理から見る会津−会津は古代から一つの国だった】

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会津の心

会津の土を踏み
会津の山を見上げ
会津の大川の流れの岸に立ち
そのひびきそ良しも
城の街中にありぬ
あわれしとしとと雨降り
桐の花は濡れ誰が眠る墓や
更に奥に激流は磐を打ち轟き
鬼百合四五輪燃え咲きにけるかな
七つ岳や夏の日映えぬ
蒲生岳鋭く聳えて燕飛び交う
会津の古沼に潜むは何そ
会津の奥残る曲屋に
白い蕎麦の花咲き
なお暮らしのあれや
落葉踏み社の古りぬ
立木観音真直ぐに立ち厳しく
土地の人々祈りけるかな
歴代の会津藩士の墓所や
何を語るや共に眠りぬ
しんしんと雪は降り
悲しくもあれ踏みにじられし歴史
その傷痕は深く消えず残りぬ
会津の深き雪を自ら踏み
会津の心を知りぬ
水清く雪清く心洗われる地
その真白き雪は穢れを拒む
一本の古木や芯太く年輪重ね
この地に根付き直ぐに立ち
強くも直き心にしあれ
人の心もここに養われぬ
ならぬものはならぬ
その意志強くも立ちにけるかな


会津とは何かというとき地理と風土から見る。ただ行政的単位ではなく風土と地理に根ざして育まれたアイデンティティ化したものとしての国を見て心を見る。それで(風土)のように見る。それが色濃く現れているのが会津だとなる

会津嶺の 国をさ遠み 逢わなはば 偲びにせもと 紐結ばさね

会津は東北では一番古い地域であり国として意識されていたのである。茨城県とかでも国として意識されていない
つまり東北では一番古い場所であり国として意識された場所だとなる。

四世紀の始めに、崇神(すじん)天皇が四方の敵を討つために、四道(しどう)将軍を派遣した。大彦命(おおひこみこと)は北陸道をすすみ、武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東国に進軍した。そして、二人は会津で出会った。それで、「相津(あいづ)」の地名ができた。

斉明天皇4年(658年)4月に越国守であった比羅夫船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。また、有間浜で渡島の蝦夷を饗応している

日本海側は太平洋側より早く開けた。それは海が比較的穏やかであったからである。それで安倍氏が飽田・渟代−秋田、能代まで船で行ったとなる。つまり日本海側から交通でもあり開けた。逆さ地図で見れば韓半島でも大陸でも船で行き来できたから
出雲に国引き神話が生まれたのが必然だった。渤海国などの交流もあったのもそうである
何か交通でも錯覚する。日本海は何か今になると陽が沈む淋しい地域に見える。でも古代でも江戸時代でも船による航海が盛んであった。それは日本海が冬でなければ太平洋とは違って穏やかだったからだと見る
北前船も日本海側を行き来したからである。

また一方でなぜ毛野氏が大きな勢力を持っていたのか?それは日本では最初は縄文人は山とか森に棲んでいた
毛野氏の領域は高い山もある山間地域である。飯館村でも縄文中期の遺跡が発掘されたとか山側が古いのである。

志賀高穴穂朝の御世に瑞籬朝の五世孫賀我別王を以って国造に定め賜う

毛野氏でも賀我は加賀別王がかかわり浜通リの南相馬市の鹿島区に浮田国造が設置されたのはなぜだろうとなる。
賀我別とは今の加賀地方であり日本海に接している。毛野氏の勢力が大きいからこそ浮田国造が設置された

いずれにしろ会津も山深いけど栃木群馬県も山深い。それも高い山が多い。山が多いから日本の地理はわかりにくいのである。
会津は山がそれも高い山ひしめいているから浜通リからするとさらにわかりにくくなる。
舘岩となるかなり奥地だが隣に栃木県の山が聳え群馬県と連なり山また山なのである。
会津は東北で唯一国として意識されたのは群馬栃木県の山側の毛野氏の領域がありそこが日本海側にも通じていた所である
青森の三内丸山の縄文遺跡からヒスイが発見されたのもそのためである。
会津はやはり東北で最初の国となったのは日本海側からみれば納得する。また毛野氏の栃木県と群馬県と山つづきであり
そうした地理から古代に大塚山古墳に三角縁神獣鏡が唯一発見された

会津の地が大和政権の支配下に組み込まれたのは7世紀の阿倍比羅夫の東北遠征以降であるという従来の説は覆され、古墳の造営された4世紀末にはすでにヤマト王権を構成する首長が存在していたことが証明された。
それだけ古い地域だったのである。

こうして空間軸と時間軸で解読する。会津がわかりにくいのはまた日本がわかりにくいのは山が多いから見遠し効かない、それでわかりにくいのである。ただその地を踏まない限りその土地のことは理解できないことは確かである。
日本国内でもそうだが外国だと余計にそうなる。実地にその地を一回でも踏まないと実感できないのである

ともかく会津は古代から一つの国として意識されていた。それで桐の箪笥とか会津塗とか木地師の歴史がある。あとはソバが有名である。落人の里として知られる桧枝岐とかなると隔絶していて米は食べず蕎麦が主食だったとなる

一つの国として文化も養成された場所だとなる。それはドイツとも似ている。そこも風土的に歴史的に形成されたからである
寒い地期なのも似ているのである。ただドイツにしても平野が広いから日本とは違う、日本は大和であり山が多い。
その山が多いいから山に遮られて地理がわかりにくいのである。

なぜ会津であれボッシン戦争でうまく対処できなかったのか、それは余りにも融通性がない真面目実直なのが東北の武士であり
それで横暴な薩長軍にうまく対処できなかった。うまく交渉すれば白虎隊が二本松少年兵の悲劇はなかったとされる
世良をうまくおだててもあしらえば悲劇はなかったとする。東北人には何かそうして交渉するにも商人的なものがなく
悲劇になったと明治維新という過ち(原田伊織)で言っている。明治維新でうまく立ちまれずそれで会津の悲劇も生まれた
それと比べると伊達政宗は芝居気があり秀吉との交渉でもうまくいったのである。ただ伊達政宗はとても東北人と思えない人だったのである。だからめずらしいとなる。

会津でも融通性がないというときならぬものはならぬというときただ頑固になっている。そういう気質は風土と山国で培われたのかとのなる。海に面していれば開放的になるのか、伊達政宗は海に面してそうなったのかとなる
その場所に寄り形成されるものがあることは確かである




2025年03月25日

近辺の春【初蝶、若草、福寿草、蓮華、椿】


近辺の春【初蝶、若草、福寿草、蓮華、椿】

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山鳩に初蝶飛ぶや大原村

若草や風のそよぎて走るかな

一面に農家の庭や福寿草

誰は眠る蓮華に古墳真野の里

椿咲き鳥の飛び来て去りにけり

鳥飛びてきらめき流る春の川


大原村では初蝶を見た、山鳩が木にとまていた、のどかな風景である
福寿草が農家の庭に一面に咲いていた。古墳には蓮華は咲く
平和な光景である。まもなく桜も咲くだろう



2025年03月23日

芽吹きの庭【牡丹、梅匂う、落ち椿、クロッカス、白椿】


芽吹きの庭【牡丹、梅匂う、落ち椿、クロッカス、白椿】

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里に老ゆ夕陽赤々梅匂う
朝の風芽吹きあまたや我が庭に
牡丹の芽10ほどありや重し石
知られざる田舎の小径落椿
梅匂ふ部屋に老女と話すかな
石の側クロッカス見ゆ我が庭に
白椿一輪隠れ咲き初めぬ

今年は新しい牡丹が咲く、蕾が出ている、でも二年間くらい葉っぱだけしか出ないから咲かないと思った
土に合わないから咲かないと思ったが咲く、だから楽しみだとなる
牡丹は隣の庭にも咲く、そこも空家であり塀もない、一時家族が来たが住まないのである

クロッカスが一輪石の側に咲いた、この花は去年も咲いたが他の花咲かない、白椿は裏の方に咲いた
細長い庭でもそれなりに花は咲く、広くなると手入れが大変になる
今日はあたたかい、春らしいとなった

2025年03月18日

尾瀬沼から霊感を得た詩ー天上の神の園


尾瀬沼から霊感を得た詩ー天上の神の園

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天上の神の園

鋭く山頂は天を衝き聳え
突如雷鳴がひびき稲妻が走り
岩は凝固して沈黙する
その片へに神秘の花は咲く
蛇紋岩に薄雪草よ
その山の上の湿原に咲く花々
心地よく池塘に映しぬ
その穢れなき花
その水の鏡は平静にして
心清き者のその花を見る
天上の花の楽園にあれ
幽かにトウスミトンボのとまり
ここを乱してはならぬ
神の御顔がここに映る故
神は聖なる地をゆくりなく逍遙する
原始の山は厳しくせり上がり迫る
岩盤にほとばしり流れよ
生々流動する大自然のエネルギー
瀧は轟き渡る、その大音響よ
神はコンダクターその棒を一心にふる
自然は一つに統合されて神殿を形成する
原始の森に精妙にして荘厳なひびき
その低音のバスと高音の調和
天地に鳴りひびくものよ
天に木霊する歌声よ
汝は天に召されるべしや
清き流れはさらに遠く下る
かしこ素朴な村々が隠されあり
その営みありて神は良しとする
貧しきも養うべきものあり
そを神はつつみ隠しぬ
人よ醜き顔を出さざるべし
汝は隠されるべし


尾瀬沼からイメージした詩だけどあそこは天上の花の楽園であった。あれだけの自然は世界でもなかなかなかもしれない。
山でもそうだし三条の滝も凄い、ただ40年前とかになると記憶が薄れる、でもやはり現場び立つことが一回でも印象に残る
私の旅は尾瀬から始まっていたのである。何か老人になって会社を退職してからとかいろいろな体験をしなで失敗したとかある
時間はそもそも何らか体験する知識でも体験して知識を広めることがある

でも登山とかなるときつくなる。私は体力がないので尾瀬に行った後に何か死ぬよう疲れたのである
登山は相当に疲れる。だから40くらいでやめて自転車旅行になった、北海道は自転車で半周したとかある。一か月くらいかかった。その時は電動自転車がでていないから苦しかった。でも若い時はまだ行けたのである
だからきついことは若い時でないとできないから老人になって時間と金があってもできなくなるのが問題なのである

ともかく時間はたちまち過ぎる。今やきついことはできない、何か死が目の前に近づいているともなる
同年代の死が毎日のようにテレビで報道される、それだけ同年代で死ぬ人がますます増えて来る
団塊の世代が膨大に死んでゆく、それで今度は火葬場がたりないとかなる、学校で教室がたりないとなっていたが今度は
火葬場が足りないとなるのが団塊の世代である

いづれにしろ何でも体験したもの知識でも何か関心のある本でも集めただけでも後で役に立つ、その知識でも今読み返すと理解できるとなる、それでヘルダーリンの詩とかも理解できて自分の詩にも取り入れるとなる
自分が主体になり引用できるとなる。そうしてこそ本当に本は読んだことになる
私の詩の一つのテーマとして山がある、でも山でも詩にするときその崇高な巨大な山を詩にすること自体それに相応するものを自分自身の中の魂になけらば表現できない、そこに限界を感じる、そもそも自然を表現すること自体超人でもないとできないとなる。とても軟弱な人間では表現できないのである

ただ天才でなくても体験して感じるものがありまず体験することが大事だとなる
それは特に外国を知るには本を読んでもテレビを見ても実感することができない、つまり実感することが大事なのである
山を表現するには登山すべきだとなる。でもヒマラヤとかなると表現の域を越えている。
それで十回もヒマラヤに行った人がいたことはうらやましかった。こうして人間はとにかくいろいろなことを体験しないで後悔しているのであある、体験することでも限られているから後悔する
そもそも会社員だと一か月とかの休暇をとれない、すると長い旅はできない、とにかく50才でバックパッカーになって世界を旅行したのが良かった、そのご60才から親の介護で近くすら旅もできなくなったからである
だから本当に人間の体験することは限られている。たちまち時間が過ぎてしまうのである

世界は自然には美がある。でも結局人間はどこの国でも醜いのである。それは共通している。田舎の自然は美しくても人間は醜いのである、何か蛇が草叢から出てくる感じになる。だからその暮らしを隠せとなったのである
人間の暮らしは自然の中に隠されて自然が映える。それは東京のような大都会を見ればわかる
一千万の人間が作った大都会は自然はなく隠されないからむき出しになり醜悪になっている

それが何なのか異常な異様な別の惑星に来た感じになる、そこには美がないのである。荒寥とした人間砂漠になる
それは今や世界の大都市で共通している。そこにホームレスが路上にたむろして薬物中毒になり彷徨う、何か世紀末的風景なのである。要するに自然に隠されることがないから人間の醜悪さがむきだしになっているのである
そこではまともな人間は存在しえない、そこには狂気的カルト教団とかナチスとかが席巻したのも文明の病的現象として生まれたのである。宗教の始まりが聖なる山からギリシャでもモーゼのシナイ山でも中国の山でも天台宗が起こりそこで修行した
だから東京のような大都会から生まれたカルト宗教は何か聖なる要素がゼロなのである
だからそこから本当の詩であれ芸術でも生まれようがないのである




The Garden of the Gods above


The sharp peak of the mountain rises to the sky
Suddenly thunder rumbles and lightning strikes
The rock is solidified and silenced
Mysterious flowers bloom on one side of it
Light snowdrops on the serpentine rock
Flowers bloom in the marshland on the mountain
Reflected in the pond and tangled pool
Its unblemished flowers
The mirror of its water is calm
The pure in heart see its flowers
Be in the paradise of heavenly flowers
A damselfly perches in the shadows
Do not disturb this place
for God's face is reflected here
God wanders tirelessly through the holy land
The primeval mountain rises severely and looms
Let it flow over the bedrock
The energy of nature, alive and flowing
The waterfalls roar and resound, their great sound
God is the conductor, waving his rod with all his might
Nature is united to form a temple
An exquisite and majestic sound in the primeval forest
The harmony of its bass and treble
That echoes through the heavens and the earth
O singing voice that sings in the heavens
Thou shalt be called to heaven
The clear stream goes farther down
Here and there simple villages are hidden
God is good because of their workings
Though poor, they have something to nourish
God hides it all from sight
O man, do not show your ugly face
Thou shalt be hidden

Translated with DeepL.com (free version)

2025年03月15日

梅匂う里【暗香の意味】


梅匂う里【暗香の意味】

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村里幽径
処々梅匂
暗香蓊葧
暮春帰宅
手折一枝
壺挿家内
馥郁充満


田舎の径行き
そこはかとなく
処々芬々と梅匂ふ
その一枝手折り
我が家に持ち帰る
馥郁と暗香に充ちぬ
都会にあらじ
金にならじも
田舎の良きこと
春の日廻りて暮れぬ


どこからかともなく、良い香りが盛んに漂ってくるさま。
「暗香」はどこからか漂う良い香り。
「蓊葧」は勢いが盛んな様子。
「暗香蓊勃」とも書く。

漢詩は作れないけど漢字の感覚を知るには漢詩を知ればいい、ただ暗香というのはわかる。
日本語にするとそこはかとなくとなる。梅は匂いにありそれが田舎だと四方から匂ってくる
梅の木はかなり多い。それでまた野の梅を手折り家に挿す。これは無料である
うめが四方から匂うという時小さな都市でもそういう感じにはならない、やはり村の感覚だろう

ただ今日は曇っていたし寒かった。今年は意外とまだ寒い感じである


梅が香を 夢の枕に さそひきて 

     さむる待ちける 春のはつ風  (『金塊和歌集』巻上・春・15)実朝

 (大意) 梅の芳しい香りが春の初風に乗って運ばれてきて、私の春の夜の夢

    の枕辺で漂っている、あたかも私の目覚めるのを待っているようである。



妨碍春眠花訊    春眠を妨碍(サマタゲ)る花訊(カシン)    [上平声一東韻 ]

梅花若開前院中, 梅花 開いたが若(ゴト)し 前院の中(ウチ), 

隨風夢枕暗香籠。 風に隨(シタガ)いて 夢枕に暗香(アンコウ)籠(コモ)る。 

有如等待人覚醒, 人の覚醒するを等待(マツ)が如(ゴト)く有り, 

送馥正是春初風。 馥(フク)を送るは 正(マサ)に是(コ)れ春の初風。


 
 夢枕に暗香(アンコウ)籠(コモ)る。この暗にというのがいい、はっきり口に出さずに、なんとなくにおわせるさま。それとなく。
そこはかとなくというのもなになのか、どことなくとか何か確定できないあいまいなことなのか、言葉の由来があり漢字と日本語では違っているのである。
ともかく漢詩から漢字の感覚を知る、ただ正直漢詩は難解すぎる。



梅匂う【紅梅、椿、春の月ー空家のこと】


梅匂う【紅梅、椿、春の月ー空家のこと】

内密に遺影や二つ梅匂ふ
新築の家や紅梅匂うかな
石の庭梅の匂うや人は棲む
玄関に人去る後や春の月
知る道や月影さして梅匂ふ

空家にそ残せし梅を我が手折り壺に挿せるも匂いけるかな
我が家に来たれる女あわれかなひそかに去りて春の月見る
人住まぬ家のあわれも石に向かいて椿咲き散る

梅が匂うという時それは内密にとか何か内輪の中で匂うとなる、内密に匂うとなる
ともかく近辺を行くと空家が目立つのである。空家に入ったわけではないが裏に咲いていた梅を通り私の家の中にさした
そこも家のものでも何か外に咲いているのと同じだった

この空家問題も相当に深刻である。そもそも原発事故の避難区域は空家だらけのゴーストタウンにもなったからである
だから全国的にも空家をどうするのかが大きな問題になる。



菅原道真 月夜見梅花(月夜に梅花を見る)

月耀如晴雪 月の耀(かがや)くは晴れたる雪の如し
梅花似照星 梅花は照れる星に似たり
可憐金鏡転 憐れむべし 金鏡の転じて
庭上玉房馨 庭上に玉房の馨(かお)れることを



月が輝いているのは、まるで晴れた日に(見えるきらきらした)雪のようである。
梅の(白い)花は照らされている星に似ている。
とても愛おしいことよ。黄金色の鏡(のような月)が移りゆくにつれ、
庭では玉のように白い梅の花が香ってくるのは。

梅と月は何かに似合う、梅の季節であり田舎であればすぐ近くでも梅は咲き匂うがそこも空家だったが壊されて空地になったのである。ただこの辺では原発避難区域から移住した人たちが新しい家を建てて住んでいる
一方で原発雛区域で空家だらけになっている。その空家をどうするのだろうとなる

2025年03月09日

日が永くなる【牡丹の芽、日永、春夕焼け、白鳥去る】

日が永くなる【牡丹の芽、日永、春夕焼け、白鳥去る】

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日永きや夕月光りて鳥の飛ぶ

道真直ぐ一番星や春夕焼け

夕闇に白鳥飛びて去りにけり


紫のクリスマスローズ一輪を部屋に飾りて我が見つあわれ

新しく我が庭に植えし牡丹なり芽三つあり咲くを待つかな

山形ゆ嫁ぎ働く若き女我が街に住み一冬すぎむ


6時ころまで明るかった、日は長くなった、外に出ると日が暮れて夕焼けが残る
でも夕べは雪で朝は一面に雪だった。昨日は寒かった、でも着実に春は来ている
日が永くなった6時でも明るい感じで夕月が光り鳥が飛んでいた
白鳥はニ三日前シベリアへと向かい何羽か飛び去るのを見た


牡丹の芽が三つほど出ていた。これは紫の牡丹であり二年なのか葉っぱだけで咲かないと見た
でも今年は三つくらい芽が出ているから咲くのが楽しみである。
近くに山形から嫁いだ若い女性がいる。山形に住んでいるから市内では雪はあまりふらないという
面白山トンネルをぬけるといつも残雪の山が見えるから雪が降ると思った
ここから蔵王ははっきり見えるから山形の方が近く感じる
でも福島市の吾妻山は見ないから福島県でも身近に感じないのである。


クリスマスローズを買った、400円くらいで安かったので買った。何か2000円とか高いのである
それは特別作り売りにだしたのだろう。
家に来る老女は杖ついて来るけど今はなくなった相双緑化とかで働いていたので花とかに詳しいのである
老人の価値は見た目はあまり関係なくなる、美人でも全然花に興味もない知らない女性と話しても価値がないと見る
老人になると何であれこれまで人生で経験したことが価値になってゆく、その人は見栄えが悪くても花に詳しいので価値があるとなる
つまり人間は何かを経験して積み重ねたものがありそれが価値となるのである
それは必ずしも金ではない、金があってもその人の経験してきたこと学習してきたことが価値になる
そこが誤り安いのである、金だけを得る為に働いた人は老人になると後悔する
金がなくてもいいというのではない、金だけでは価値にならないということである




丸森の森に咲くコブシの花ー宮沢賢治の寂静印の花か



丸森の森に咲くコブシの花ー宮沢賢治の寂静印の花か

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森に包まれた花

森に包まれて白いコブシの花が咲く
森の道行く人もなくひそまり
その花は黙す石の上に散る
花は深い森に隠される咲きぬ
天よりその花を見るのは神のみ
石は互いに黙しつつ歳月は過ぎぬ
そこは神の杜にしあれ
不埒な者の踏み入るべからず
寂静印の花なるべし


諒安(りょうあん)は眼を疑いました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いているのでした。その日のあたるところは銀と見え陰になるところは雪のきれと思われたのです

「マグノリアの木は寂静印(じゃくじょういん)です。ここはどこですか。」 

宮澤賢治「マグノリアの木」より



丸森は文字通リ森の町である。森が深いのである。だから丸森の花はコブシになるかもしれない、でもコブシは純白な花ではない、曇った感じの白だとなる。別にどこにでも咲いている。ただ神秘的するためにマグノリアの花とした
何か私は北海道を自転車で巡りポプラの木の見える農家にコブシの花を見た
開拓の家となる北海道にもコブシはふさわしいと見た。

丸森は森に包まれて森が深い、一時森の中にに入り迷って出れなくなる恐怖を味わった。その辺にコブシが咲いていた
でも最近山ごとソーラーパネルになったりしているのが残念である。丸森は江戸時代に木材資源が豊富なので米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材をめぐって争いになったことは有名である、それだけ森が深く木材が豊富だったからそうなった
今になるとその木材が外材中心になって活かせないからソーラーパネルになった。それに反対するがそこで暮らすとなると何らか収入がないと暮らせないからそうなる。ただそこで失われるるものもある

森が癒しの効果をもたあすからである。それは飯館村でもそうである。森に囲まれているからである
太い樅ノ木が丸森にも飯館村にもあった。それは神殿の柱のようにも見えた
それでドイツでは黒い森があり樅ノ木で有名でありその森を模したのがあの重厚なゴッシクのカテドラルになったのである
もともとヨーロッパは森に覆われていた、それを今でも残っていたのがウクライナとかロシアの森なのである
平原を覆っているのは森なのである。

いずれにしろ原発事故以後ソーラーパネルとか風力発電とかがこの辺では多く作られた、全国的にもそうである
ただそれもまた自然破壊にもなったのである。人工的なものは自然破壊になる。それが人間の宿命だとなる

2025年03月04日

蠟梅の花を食べるヒヨドリ【石一つの詩ー牡丹の芽、春の風】

蠟梅の花を食べるヒヨドリ【石一つの詩ー牡丹の芽、春の風】

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蠟梅の花を食べるやヒヨドリの今日も来たりぬやつつがなしかも
蠟梅に雪降り寒く春はまだなりし家に籠りぬ老いし我かな
我が母の百歳生きぬこの部屋に我が介護せしや蠟梅の咲く
我が庭に石の黙して蠟梅の咲くや静かに部屋に籠りぬ
新しき植えし牡丹の芽我が触れにつ花咲くを待つ
石一つここに動かじ春の風そよぎ流れの音も響きぬ
岩を打ち滝の轟く春なれや猛り啼き飛ぶ鳥の音ひびく



石一つの詩

広々と安らぐ枯野の大地
石は黙して耳を澄まし
残る虫の音を聞く
木の葉は石に舞い散り
北風唸り吹き石は黙しぬ
石は所を得て鎮まりぬ
時に休み騒がざれ
汝いかに労するも世は変わらじ
人の労苦は限りなく続き
人の世の騒擾は止むことなしも
人はカオスの世界に倦み疲れぬ
石一つに心を集中する
争いはやまず大地を乱す者等らよ
虚しく人の骨は埋もれぬ
神は関わらざるかな
その岩盤の石は堅く
平和の礎を据えて
末永くここにあるべし
春の風は石に吹きそよぎ
またここに清楚なる木の花の咲くべし


庭の蠟梅に毎日その花を食べにヒヨドリが来る
それで困ったのは蠟梅の花がなくなることである
それで追い払ったが必ずまた来る、しつこいのである。
直ぐ逃げるにしても何度でも来る。やはり今の時期餌が山にもないのだろう。木の実などもないのだろう
ただ蠟梅の花など食べて栄養になるのか、それが自然の不思議である。
結構ヒヨドリは桜でもタンポポでも花を食べている
それは写真で調べられて出ていた。花が栄養になるのかと思う

実なら栄養になることは理解できるが花がなるのかと思う
母は子の部屋で5年間くらい寝て百歳で死んだ
そこに自分がいる、どうして百歳も生きたのかわからない、細身であり体は丈夫でなかった。でも私はとてもそんなに生きられないだろう、ただ百歳生きる人は増えてくる、こういう時代である
昨日は雪も降りまだ冬である

私ののテーマは石であり石の詩を相当に作った。何か大都会とかの騒擾を嫌うようになり田舎の家に籠るようになった
何かそれが私の性分に合っていたのである。人づきあいが苦手だからである。だから誰とも会わず一人黙っていると心安らぐのである。
今日は真冬並みに寒い、春はまだだとなる。







2025年03月02日

春の日に原町へー買い物のことなど 【東風(コチ)、春の雲。草萌える、春の山、紅梅】


春の日に原町へー買い物のことなど
【東風(コチ)、春の雲。草萌える、春の山、紅梅】

東風吹きぬ桜井古墳や海近し
東風吹きて海に向かうや沖に船
紅梅や原町の通り見つつ過ぐ
春風や原町の通り走りけり
原町の郊外広く春の雲
原町の郊外広く草萌ゆる
原町の郊外広く春の山

大原の前田に住む人我が知りぬ春は来たれど今は亡きしも
橲原に紅梅咲きて立目石変わらずここにありにけるかな
人死すも思いは残るその土地に家に石のごと重く残れる

暖かいから原町の桜井古墳から郊外と広く自転車で回って来た
空家に紅梅が咲き街の通りを走る、ただ町の通りは寂れている
やはりイオンとかだけでは街が賑わうとはならい、でも車社会になってそうなったのである。だから車の影響がどれだけあったかを知るべきである。前は駅前から歩く人がいたが今では少ないからである。

原町は郊外は広いのである。だから街の感じはそれぞれ違ているただどきでも駅前通りは寂れている。これも車社会になったからである。一か所で買い物するのが便利だからである
でもイオンは相馬市でも撤退した。原町のイオンがある所の書店もやめた。今どうしても書店は苦しい、みんなアマゾンとかで買うからである。通信販売の有利な点は言葉で検索してボタンを押すと次の日に配達される
原町でも一軒しか書店がなくなった。書店は本当に消失してゆく

それで同じものがヘルメットが原町のダイユーエイトに売っていたのである。結局商品が多くなるとどこにあるかもわからなくなる。すると言葉を入れて選択した方が思ったものが買いやすいのである、ただタブレットを二万で買ったけど日本語表示でないとか使いなかった、こういう失敗があるあるからすべえがいいわけではない、ともかく商品の種類が多いと選ぶのもわからなくなる。

脚が悪くなった老人に杖をかってやったけどそれには電灯がついてまた大きな音も出て折り畳みできるのである
こういうものは通販でないと買えないのである
またおかしなのはケーズ電気で買い物して車で配達してもらうと高くなる。配達料がとられる、でもケーズデンキの通販が注文すると配達料はとらないのである。私は車ないので大きなものは配達してもらわないと困る。これもおかしなことだと思った

大原に回ったがそこには南相馬市立病院で同室だった斎藤氏が農業して住んでいた。そこは前田だから草分けで古い家だったのだろう、それもずっと空家である。息子がいても街に住んでいるからそこは誰も住まず壊されるとなるのか、そういう空家が多い
でも人間は死んでも思いが残る。その家とか土地に思いが残っている。その人間の思いというのは簡単には消えない
怨念となって消えないもおのもある

それで網走の監獄で200人死んだとなればそこに怨念が残る
網走という地名にその怨念が乗り移っているともなる
人間は死んでも確かに思いは簡単に消えないのである。




2025年02月07日

宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】 【なぜ地蔵が多いのか?】


宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】
【なぜ地蔵が多いのか?】

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中に小さな地蔵がある、それは子供なのか?地蔵は子供と関係している
何かこの地蔵堂は一つの家族のように見えたのである。

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる

晩菊や畑の中に地蔵堂
風花や風の冷たく雲に月
夕月や寺に大石残る雪
寄り合いぬ御堂に地蔵外寒し
外寒し子供の地蔵御堂内
寒きかな数軒守る地蔵堂

昨日の雪が石に残っていた、宝蔵寺の石はいい石である
あそこは陰になって暗い、朝は日がさしてもあとはささない

玄関に夜出たら風が冷たく雲に月が出ていた。寒くなった。
雲に月が出ていた

屋形の地蔵堂の中を良く見たら子供の地蔵があった。小さくて気ずかなかった。そもそも地蔵と何なのか?
際立って 子供 の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また 小僧 姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や 水子 の供養において地蔵信仰を集めた。 関西 では 地蔵盆 は子供の祭りとして扱われる。

何か地蔵は子供と関係していた。屋形の御堂のなかには小さい地蔵があった。それが子供なのかとなる。もう一つは水子供養で子供を中絶して産まなかった供養である。
ともかく何らか子供と関係してここの地蔵堂もあった。
ここにあるのは何か小さな子供の地蔵がある。それが一緒にあるのは家族のように見える。

そもそもこうした御堂はいたるところにある。でも家数軒とかしかなく守られてきたのかとなる
あの辺でもそうである。何かそれは村が家族のようになっていたからかもしれない。村でも家が数軒とか離れているのである
ともかく御堂でも一つの共同体のなかにあり守られてきたとなる
今はそうしたつながりは希薄化しているから忘れられるともなる
ただなぜ日本にはこんなに地蔵が多いのかということである

地蔵信仰は子供の守り神であり子供の病気であれ何か子供を守ってくれるとなり地蔵が祭られた、切実な身近なものとして周りにあるのはそのためである。
とにかく墓をみると子供が死ぬことが多かった。いろいろな病気で死にやすかった。これは墓をみればわかる。いかに子供が早死にしていたかである。だからこそ子供を供養するということで地蔵が多いともなる。



2025年01月30日

AIが作る枯野の詩【ほぼ完璧だが私が直し付け加える】

AIが作る枯野の詩【ほぼ完璧だが私が直し付け加える】

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AIの枯野の詩の私が改変付加した詩

枯野の詩

枯れた野原の風が吹き抜け、
ひときわ静かな、冷たさを帯びた空。
残るは枯葉だけが、地に舞い落ち、
踏みしめる足音が響くのみ。

古びた木々は身を縮め、
その枝は空を指し、無言の祈り。
しかし大地に根を強く張り
定めの場所を動かない

どこか遠くで鳥の声、
孤独の中で響き渡る。
枯れた野はただ広がり、
時間さえも忘れたかのように。

枯野に一つの石がある
人影も見ず石は黙して
風の音を聞き瞑想する
そこを乱す者はいない

その風景はかえって心安らぐ
都会の群衆の騒擾もない
平穏であり深い安らぎがある
存在するのは一つの石

けれども、ここには何かがある、
それは生命の影、残された証。
枯れたからこそ、美しいと知る、
空虚の中に生きる力を感じて。

生と死の間に広がるこの野は、
過去を抱き、未来を待つ場所。
枯れた草が次の命を育むように、
終わりは新たな始まりへと繋がる


Poem of a Withered Field

The wind blows through a withered field,
The clear sky is quiet and cold.
Only dead leaves remain, fluttering down to the ground,
and only the sound of footsteps echoes.

The old trees shrink back,
Their branches point to the sky in silent prayer.
But the roots are strong in the earth
They do not move from their predetermined place.

Somewhere in the distance, a bird's call
echoes in the solitude.
The withered field just spreads out,
as if even time has been forgotten.

There is a stone in the dry field
Not a soul to be seen, the stone is silent
It listens to the sound of the wind and meditates
No one disturbs it.

The scenery is rather peaceful
There is no disturbance of the city crowd
There is peace and deep serenity
There is only one stone

Yet there is something here,
It is a shadow of life, a sign of what is left.
I know it is beautiful because it is dead,
Feeling the power of life in the emptiness.

This field that stretches between life and death,
A place that embraces the past and waits for the future.
As withered grass nurtures the next life,
the end leads to a new beginning.

Translated with DeepL.com (free version)


AIの作る詩の原文

枯野の詩

枯れた野原の風が吹き抜け、
ひときわ静かな、冷たさを帯びた空。
残るは枯葉だけが、地に舞い落ち、
踏みしめる足音が響くのみ。

古びた木々は身を縮め、
その枝は空を指し、無言の祈り。
かつての緑は今、ひとひらの夢、
風に流れて、遠くへ消えた。

どこか遠くで鳥の声、
孤独の中で響き渡る。
枯れた野はただ広がり、
時間さえも忘れたかのように。

けれども、ここには何かがある、
それは生命の影、残された証。
枯れたからこそ、美しいと知る、
空虚の中に生きる力を感じて。

生と死の間に広がるこの野は、
過去を抱き、未来を待つ場所。
枯れた草が次の命を育むように、
終わりは新たな始まりへと繋がる


AIが作る詩はほぼ完璧である、でもやはり私は付け加えて作った。石は詩の中に入っていないが石を中心にもした
何故なら私を石をテーマともしているからである
つまりAIの詩は80パーセントくらい完璧でも20パーセントが足りないとなる、だからそれを人間が直したり手を加える部分が残る

それでも

主役はAIであり人間が補助役になっている!

翻訳とかでも今やこのように90パーセントくらいはAIがする、でもあとの一割は人間の手を加えることが残されている
でも主役はAIになるというのも不思議である。

ただこれが詩として英訳する韻を踏むとかなるとそこまではできない、それでもこの詩は英詩としても読めるだろう
つまり英語圏の人でも詩として読めるとなる
フェスブックにこの詩を載せれば理解する人がいるかもしれない
ただ写真と映像中心なのでわからない、ともかくあらゆる分野でAIは不可欠になる。それは進歩しているし進化し続けるからである。
ただどうして詩まで作れの不可解になる












2025年01月29日

AIが作る詩の不思議ー森の小径と小鳥のさえずり


AIが作る詩の不思議ー森の小径と小鳥のさえずり

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森の小径と鳥のさえずり

小径を歩けば、
足音ひとつ響かず
緑の葉がにつつまれ
空気は清らかで澄んでいる

遠くから聞こえるのは
鳥たちの歌声
一羽が歌い、また一羽が応える
そのメロディーに聞き入る

木々の間を風が流れ、
枝を揺らす音さえも
鳥の声と一体になって
心地よいリズムを刻む

歩みを進めるごとに
そのさえずりが近くなる
まるで森が私を歓迎するように
ささやくような歌声が響く

軽やかに枝々をゆらして
あちこちと渡り飛ぶ
四十雀のかわいい姿を
目ざとく見つける

どこからともなく、
鳥たちは歌い続け
その声に導かれるように
小径を辿る私の足も軽くなる

森の息吹とともに
鳥たちの声が織りなす
心地良く清流のひびき
自然の交響曲に包まれぬ

岩は互いに黙して
岩はその声を聴いている
その岩に鳥の声がひびく
そして岩はまた黙しぬ



私が見たのは四十雀である。このAIの詩と同じ経験をした
それをAIが表現した驚きである。私自身詩を作っていても表現されていないからだ。だからこのAIは不思議になる
全く脈絡もなく並べたものでもない、明確に一つの意味あるものとして作られている。

軽やかに枝々をゆらして
あちこちと渡り飛ぶ
四十雀のかわいい姿を
目ざとく見つける

岩は互いに黙して
岩はその声を聴いている
その岩に鳥の声がひびく
そして岩はまた黙しぬ


付け加えたのはこの部分だけである。私が近くの森で見たのは四十雀だからである。
それにしてもAIとは何なのか不思議になる。詩を作ることは高度なものでできないと思っていた。
でも実際は詩でも作れる。絵でも作れる。ただ四十雀は絵としては出てこなかった

いずれにしろ翻訳でもまずAIで翻訳して人間が訂正して付け加える作業になる
だから人間の役割がなくなることはない、それでも人間のすることでもかなり縮小されていく、
だから機械的な仕事は消失してゆく、事務作業でもそうである。
なぜなら詩は高度なものでAIにはつくれないとおもっていたができる、すると事務作業はさらにAIが得意な分野になり
代替えできるとなる。でも詩でも絵得でももともと理解できないものはやはりAIを効率的に利用できないとなる
どうしても芸術とかでは人間がまだ必要になる、それにしてもAIがますます進化したらどうなるのか、それに気ずかない人もいる。まず70以上とかなるともう無理である

私がプログでもSSNにしなかったりワードプレスにできないのもめんどうになったからである
何かいろいろと面倒になり付かれる。ただ近くで教えてくれる人がいるといいがそれもいない
そもそも教える方でも面倒であり手間なのである。だから70以上になると無理だとなる
そうなると時代に取り残される、老人はそうなりやすい、日進月歩で技術が発達するからである。
ともかくどうしても手間暇がかかる。プログでも毎日書くのが手間だけは省けないのである





2025年01月28日

AIの枯木の詩ーAIが作る詩

AIの枯木の詩

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古い村の枯木、風に揺れ
ひび割れた幹が語る時の影
昔の人々の足音を覚え
長い歳月の中で静かに息をする

枯葉が舞い、土に溶け
その根は今も大地に深く
しっかりと根は張りつ
ここに根ずいて動かない

冬の寒さに耐えし枯木よ
その枯れ枝に星が煌めく
村の記憶が宿るように
今もひっそりと佇む

誰も知らぬ時の流れの中で
ただ一つ、変わらぬものとして
枯木はそこに立ち続け
過去と未来を見つめている

これもうまい詩である。相当に優れた詩である。
こういう詩を作れる人がいるのかとなる
だからAIは不思議になる、どういうメカニズムで作ているのか不思議なのである。
村と一体となった枯木を表現している

遥か昔、若葉を広げていた
あの頃の色を忘れずに

その根は今も大地に深く
しっかりと根は張りつ
ここに根ずいて動かない

これは何かそぐわない、それで直した。でも後は直すところがないのである
AIの衝撃は大きい、本当にこれは大きな人間の革命である
頭脳と深くかかわるから人間の最期にたどりついた技術革命だとなる ARTはそもそも広い範囲
をさしていた


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冬深むの俳句―【枯木、冬深むー寒烏ー写生俳句が基本】





冬深むの俳句―【枯木、冬深むー寒烏ー写生俳句が基本】


冬深むの俳句―【枯木、冬深むー寒烏ー写生俳句が基本】

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大きな石が要石になる

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冬深む大地の底の硬きかな
石と石組て堅きや冬深む
家一軒土台の硬く冬深む
礎のここに定めて冬深む
要石庭に重きも冬深む
石重くそえて映えにし冬椿
読み返す分厚き本や冬深む
向き合いぬ枯木二本や田舎かな
寒烏一羽とまりて村の道
姉と母思い続けて冬深む

姉と母我が家をともに支えにつ60有余年その重みかな

枯木二本が田舎の道に向き合い立っている、それは何でもないありふれた風景である。でもそれに感じるのは田舎だからである。都会では感じにくい、その道はほとんど人が通らない、車でもあまり通らない、それで向き合い立っている、それは老人にも見える。それが何なのだとなるが写生俳句は説明するのではなく事物を通して語らせるのである。俳句は短いから説明できないからである

空家の庭はいい石を使っている。この庭の中核となるのが要となっているのが大きな石である。その石が全体の中心であり支えている。この庭は遺産として残せる、でも家の方は貧弱なのである、そこの家は毎日通っているし入れる 冬椿が咲く垣根もある
ともかく空家が本当に多い、だから誰も住まないことがもったいないとなる。ただ私は家より庭に注目している
石に興味があるからそうなる。

ともかく冬は田舎がいい、都会だと枯野もなく冬を感じにくい
それで江戸時代に枯野見があったというのもやはり季節を感じたいらそうなった。枯木でも村に調和してある。ただこの写真は街はずれのものであり本当の村ではない、そういう村は今は限界集落になっている。別にここは街内と変わりないのである。
冬深むとなる時今頃である。ただこの辺の冬は短い、雪も降らない、雪国の長い冬はないのである
でも雪国だと自転車で走れなくなるから困るともなる。それでも雪国の世界はこの辺では理解できないのである




2025年01月26日

『秘密の湖』―私の改変した詩 【AIは創作のヒントを与えるー完成したものとはならない】


『秘密の湖』―私の改変した詩
【AIは創作のヒントを与えるー完成したものとはならない】

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森の奥に隠れた湖
静けさに包まれ、誰も知らぬ
その水面は鏡のように
空を映し、心を映す。

昼も夜も変わらぬ顔
ただ時が流れるのみ
小さな波がささやき、
風がそっと耳打ちする。

誰も足を踏み入れぬ場所
その静寂に、ひとり佇む
湖の底に眠る秘密は
語られることなく、ひっそりと。

木々の影が揺れるとき
光が湖面を踊らせる
それはただの光の遊び
キラキラと光り戯れる

誰も知らぬその場所に
誰も探しに来ぬけれど
その湖が知っているのは
心の奥にひそむ願いだけ。

そこに森の奥に一つの石
それはいつも黙してある
誰も知らぬ隠された石

それは石の精なのか
ひそかに歩み来たりて立つ
その岸辺に湖を乱すことなく
そして森の奥に帰って行く

森は静まり風がそよぎなる
小鳥がさえずりその声がひびく
石は黙って聞いている
ここに踏み入る人はいない

湖は太陽を映し微笑む
雲が流れここを乱すものはいない
時に鹿が水を飲みに来る
湖はただ鏡のように静まる

そこは一つの神秘なる聖域
聞き耳をたて神がいる
そこを乱してはならない
森の石は深く静まりぬ




AIからヒントを受けて詩を作る、小説でも作る時代になる。なぜヒントになるのか、それは何か膨大な情報にアクセスしてそうなるのだろう
それにしてもただつなぎ合わせてできるものなのか
そのメカニズムがわからない、でも明らかに創作するヒントを与える
こうして改変すればAIだが作ったとはならない、自分の創作だとなる

AIの詩を改変したのは次の詩である、あきらかにこれがヒントになり作れた

【AIが作った詩】

『秘密の湖』

森の奥に隠れた湖
静けさに包まれ、誰も知らぬ
その水面は鏡のように
空を映し、心を映す。

昼も夜も変わらぬ顔
ただ時が流れるのみ
小さな波がささやき、
風がそっと耳打ちする。

誰も足を踏み入れぬ場所
その静寂に、ひとり佇む
湖の底に眠る秘密は
語られることなく、ひっそりと。

木々の影が揺れるとき
光が湖面を踊らせる
それはただの光の遊び
それとも、忘れられた物語の欠片か。

誰も知らぬその場所に
誰も探しに来ぬけれど
その湖が知っているのは
心の奥にひそむ願いだけ。


2025年01月23日

「沈黙する石」ー受容する器の石 "The Stone of Silence" – The Stone of the Vessel of Acceptance


「沈黙する石」ー受容する器の石

"The Stone of Silence" – The Stone of the Vessel of Acceptance

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AIの詩

静かなる石の声、 誰も聞かぬ無言の詩。
永遠の時を見つめて、 語らぬ言葉、揺るがぬ意志。
流れる時に身を委ね、 存在の意味を内に秘め。
その重み、その質感、 触れることなく感じ取る。
沈黙の中に宿る力、 言葉にせずとも響く魂。


自作の詩

石は受容の器
一か所に動かず
何かを感じる
風が囁き、雨が語る、
石はただ静かに受け止める。
女性的に何事も受容する
受け身になり相手と合わせる
それは一つの器
その器に記憶を留める
嵐に打たれることもあるが
石は静かに忍耐する
嵐が通り過ぎて石は感じる
やさしい光をそよ風を
そして石の側に一つの花が咲く
石は何かを受けとめる
受容の器の機能
一か所に動かずとも
様々のことを感じる器


A stone is a receptacle of acceptance
Not moving in one place
It feels something.
The wind whispers, the rain speaks,
 Stone just quietly accepts.
Feminine and receptive to everything
Passive and in tune with the other
It is a vessel
And in that vessel we keep our memories
It can be battered by storms, but
But the stone is quiet and patient
When the storm passes, the stone feels
A gentle light, a gentle breeze
And a flower blooms by the stone
The stone receives something
Functioning as a receptacle
Without moving in one place
It is a receptacle that senses many things


AIからインスピレーションを受けて詩を作る、これも不思議だとなる。詩は簡単い作れない、何か下手な詩をウェブに載せる、
別に誰かが審査するのでないから自由なのである
そうした下手の詩よりAIの詩は優れている、それが謎なのである

ただAIの詩は不完全である。それでもヒントをもらい私が作った
何かAIが他の分野でもヒントを与える作用があるのは確かである
いずれにしろAIが何なのか?それは社会全般に影響するときどうなるのか?ARTにも影響するとどうなるのか?
それでも依然としてこのように人間がかかわらないとARTの分野では通用しないだろう

2025年01月19日

冬の暮に周辺を回る【冬紅葉,枯葉−命長ければ恥多し】


冬の暮に周辺を回る【冬紅葉,枯葉−命長ければ恥多し】

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橲原の立目石
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冬紅葉そちこち農家石の倉
立目石ここに変わらず冬の暮
散りもせぬ数枚の枯葉窓に見ゆ

大原に生きにし人の墓ありぬ我がたずねて冬の暮かな
病院に共にありしもその人の死してあわれや家継ぐ人なし

今日はあたたかいので大原から橲原をまわった。大原は原町の公立病院で入院して同室だった。それで大原のことを語った。
それもたちまち過ぎてその人は死んだ。空家になった家のことと猫のことを心配していた。斎藤茂延(しげのぶ〕氏の墓は木立の中に隠れるようにある。だから最初気づかなかったのである。
それにしても歳月はたちまち過ぎる、十数年前になりその記憶も定かでなくなる。
とにかく人間は確かに苦しいこともあるがそれも時間が過ぎれば忘れるのである。そしてその記憶もあいまいになる。
今も空家としてあるがそこには住む人がいない、息子は街中に住んでいるからである。

橲原の立目石は目印となる、それは変わらずあったが空家も何軒かあり耕作地は荒れたままである。でも人が住んでいるのは別に農業だけで生活していない勤め人だとなる、あそこで土地も狭いから農業だけでは暮らせない、前は木材をとり生活になった
私の家も柱を橲原の木を利用している

家に帰り数枚の枯葉を見る。なかなか散らない、それは今の老人をイメージする。余に老人が多いから早く散ってくれ死んでくれともなる。徒然草で兼好が長生きすると恥多しというのもまた真実である。何か77才で店員になって客の応対するのは向いていない、本当は女性がするべきだが募集しても来ないのだろう
そこは繁盛しているとは見えないからである。そして同級生の人がお前は何もしていないから来るなとかその人はとても客の接待ができるとは思えない、場違いなのである
でも田舎では店でも医者でも断られる、私も三か所で面と向かって断られたのである。ここに田舎の異常性がある。ただスーパーとかではそういうことはない、、小さな店とか開業医ではある。田舎ではそうした常識もない人がいることは確かである

キクチスーパーでは老人が働いているがかたずけとか掃除している。レジはしないからである。
老人が金がなく働かざるをえないとしても恥をかくことにもなる
老人に向いているものならいいがそうでないと恥をかくとなる
ただその人例外的で異常な人だったかもしれない。確かなことは客の直接接するとなると女性の方がいいとなる

命長がければ恥多し

これは本当である。確かに金がないから仕事するにしても恥をかくことが多くなる。だから仕事をしないでいるのもいいとなる
隠居となれば仕事はしない、返って若い人の足手まといにもなるからである。ただやむを得ず仕事している、その仕事でも老人に向いたものならいい、スーパーのかたずけとか掃除なら別に客に直接接するわけではないから裏方となり目立たないからいい、ただレジになると結構目立つから老人には向いていない、ただその人は普通ではない、簡単なようで勤まるように見えない

いずれにしろ高齢化社会は老人が問題になる
窓の外に枯葉が散らず見える、今の老人は早く散ってくれ死んでくれと見られる、つまり長生きするのもそうみられると楽ではない、精神的にも苦しいとなる。まず老人で尊敬される人は極わずかだろう。あとは死んでくれとなるから長生きも苦しいとなる
命長がければ恥多しとなるのが高齢化社会でもある。それでも長生きがすべて悪いとはならない。要するに余りにも数が多い時はどうしても長生きすることは恥多しになる

そして死んで清々したとか見られるのもつらい。ただ正直老人が多すぎることそれも変な老人が大量にいるというとき集団自殺しろとかなる。それも高齢化社会の大問題なのである。
そもそもこれだけの老人が長生きしたということを経験していないのである。ただ老人がやっかいものと見られるとき老人にしても生きること自体苦しくなるのだる。

2025年01月17日

山のAIの詩について 【山が語るもの―山は聖なるもの修行の場】


山のAIの詩について

【山が語るもの―山は聖なるもの修行の場】

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山のAIの詩

山よ、あなたの静けさを
人はどれだけ求めても、
その広さを、深さを、
理解することはできぬ。

あなたの息吹は風となり、
私の肩に吹きつける。
足元の土はあなたの記憶、
手を伸ばせば触れられるかもしれぬ。

けれども、私はただ登る者。
あなたの頂に立つことなく、
その偉大さに心を預けて
足元を踏みしめるだけ。

山よ、あなたはいつもそこにあり、
人の暮らしの一部にならず、
ただその姿で語りかける


これは明らかに詩になっている、全体として統一されている、ちぐはぐではない、山というときそれも人間をイメージすることあある、そうした天才とか現実にいる。そういう人は普通の人は理解できないのである。そもそも詩とか芸術は理解する鑑賞すること自体がむずかしのである。
山に登ったけど確かにこれと同じ感覚をもった。山を知ること容易ではないからだ。山の全体を知ることはできないのである
山はただその姿を見るだけでも心魅かれる
それが独立峰だと余計にに魅かれる、だから富士山とか岩手山とか岩木山は魅了される。私の住んでいる福島県の浜通リは高い山がないからものたりないのである。
山はいつも見ていると心に反映する。だから富士山がいつも見られ所にいる人がうらやましいとなる
富士山は外国人でも魅了される。その富士山でもいろんな場所で見るとまた違っているのである

ともかくこのAIというのが何なのか、これが芸術とも深くかかわる。そもそも詩が普通の人は作れないしそもそも鑑賞もできないのである。だから詩について語り合う人など稀である

その偉大さに心を預けて
足元を踏みしめるだけ。

山よ、あなたはいつもそこにあり、
人の暮らしの一部にならず、
ただその姿で語りかける

山は超俗的であり聖なるものとして天台宗が日本の宗教の起源になった。山で修行したのである。山は俗を離れて聖なるものとして修行の場になった。まず今の宗教はあまりにも大衆化して聖なるものなど微塵もない、そこは俗化してむしろ異常なほど欲望を追求する場である。

煩悩即菩提とあれば煩悩があらばあるほどいいとなる。ただ勝手に俗人の都合のいいように解釈しているだけなのである。カルト宗教はあまりにも俗人と迎合しすぎてしまったのである。そこには本来の宗教の要素がゼロなのである
まず大都会からそもそも聖なるものがないのだから異様なものが生まれてくるのである。
だから清浄な聖なる自然と合一する、その最たるものが山でありそこにこそ宗教の根源があったなる

山よ、あなたはいつもそこにあり、
人の暮らしの一部にならず、
ただその姿で語りかける。

つまり余りにも人の暮らしの一部になりすぎたのである。俗化してしまったのである。

いずれにしろAIというのは現実の社会にどれだけ影響するのか、
それがARTにも影響するというとき何なのだろうとなる




2025年01月15日

2025新年 万寿菊


2025新年 万寿菊

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大輪の菊一輪に三輪の万寿菊そえ新年を祝う

万寿菊は名前がいい、これは長寿の花である、長持ちする花である。新年にふさわしいとなる。
百歳まで生きる時代になるとき万寿菊はふさわしい花だとなる
私の母hは百歳生きた。でも姉は85才で死んだ
なぜ母が100歳生きたのか?細身であ丈夫な人ではなかった
ただ血管が丈夫でありそれが影響した。なぜなら72才くらいで脳梗塞になり歩くこともままならぬ女性がいる。そして糖尿病にもなっているからである
糖尿病というとき血管を悪くするから目も悪くなる
体全体に影響するから寿命も短くなる

ともかく私の幸運は二人の母親に尽くされたことだった
こういうことはなかなかないだろう。争う家族でもあったが私にとっては良く作用したのである

なぜその母親の息子が母親の介護で虐待のようになっているのか、それはやはり粗末に扱われたからだともなる
その事情はわからないにしろそんなに冷たくするのはそれなりの事情がある

いずれに今年一年も親が残した大きな家に住めることは幸福である。何らかで親の影響は大きいことは確かである。
私が自由に生きられたのも親のお蔭だったからである。

2025年01月14日

2025新年松川浦相馬城下町


2025新年松川浦相馬城下町

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冬の浪飛沫き灯台沖に船
松川浦船の帰るや冬鴎
新年や参る神社に錦鯉〔八幡神社〕
六万石城下に時雨我が帰る
ニ三人城跡訪ね冬の暮
新年に白鳥飛ぶや道の駅

市〔街〕に来て若き女性の声ひびく冬の椿の窓の外に赤し


松川浦を回り相馬市の城下町に来た休み八幡神社の錦鯉を見て道の駅により帰った。
時雨に濡れた、自転車だと風を受けるし雨でも受ける、ただ時雨を感じるときは車ではできない、風も感じない、自然を感じないのである。そこは密閉された空間になるからだ
また車の人とは対話しにくい、閉ざされた空間にあるからそうなる。

ともかく2025年は始まった。今年はどうなるのかいいことを言う人はまれである。私自身のバイオリズムは悪くない、これまでしてきたこと学んできたことの総まとめである
ただ年齢的には厳しくなる。

今年も書き続けますのでよろしくお願いします

2025年01月12日

朝に蔵王がはっきり見えたから新年にふさわしいーAIが作る雪山の詩 【福島県南相馬市からも見える】


朝に蔵王がはっきり見えたから新年にふさわしい-AIが作る雪山の詩
【福島県南相馬市からも見える】

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新年に真白く雪に覆いたる朝日さし映ゆ蔵王望みぬ

朝に珍しく曇っていたけど蔵王はきれいに見えた。蔵王はなかなか雲がかかっていたりしてはっきり見えないからめずらしいと思った。
曇っていても蔵王にだけ陽が射して明るくなっていた。
蔵王は確かに山形県と宮城県と福島県から見える

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

みちのくと言ってもこれは福島県と宮城県と山形県である。
福島県でも浜通リの南相馬市の鹿島区までは見えるが原町区となると見えない、だから幸運だとなる、なぜなら浜通リは高い山がない、最高で400メートルの鹿狼山しかないのである
それで何かものたりないのである。会津となると同じ福島県でも遠すぎる

ただ蔵王は山形県からみてもきれいに見えない、太平洋岸から見るときれいに見える。ともかく高い山があるところはその山が心に反映する。でも雪の日が多くはっきり見える日は本当に少ない、雲もかかりやすいからである。
今日朝にはっきり見えた蔵王は気持ち良かった、新年にふさわしかったとなる



雪の山

静寂の中に響くは、
雪の舞う音すら遠く、
白き山々の頂きに、
天の息吹が宿る。

氷の息吹を纏いし、
その姿は威厳を放つ、
古の時を越えて、
静かに語りかける。

空を飲み込む高さに、
星々もひれ伏すだろう、
月の光を浴びながら、
雪の王国は眠る。

風が囁く、氷の詩、
冷徹でありながら美し、
その厳しさの中にこそ、
命の力を感じる。

雪の山よ、お前は誰か、
遥かな遠い記憶か、
それとも未来の夢か、
ただ一つ、永遠の存在。



なぜAIが詩を作るのか?これは明らかに詩であり誰でも作れない
詩を日ごろ作ている人もつくれない、どういう仕組みで作っているのか謎である
AIはまだ何かわかっていない、詩となると相当に高度なはずだが作っている
詩など全く理解しない人が多いというとき不思議になる
たいがい詩について語り合う人などいないからである。
AIは芸術の分野にも深く入り込んでいるのか謎である

2025年01月11日

2025新年の詩

2025新年の詩

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2025新年の詩

崇高なる山よ、威厳に満ちたる岩よ
年古り賢者は俗を離れ棲む
そが語るは真言、ロゴスなれ
重々しく打ち響き調和を示す
雑音はなくその絶妙なる神の指揮
そこに乱れなき統一がある
岩と岩は山と山が荘重に響き合う
峰々は高く連なり天に聳える
木は強く根を張り神殿の柱ともなる
大空に高く高く鳥は飛翔せよ
大海の彼方に大陸の境を越えて
地球は一つ俯瞰して遠望せよ
その羽ばたく翼の力強さよ
彼方へ彼方へと飛翔する
その力の増すとも衰えざれ
未だ見ぬ花を島に発見する
波は打ち寄せ轟き脈打つ波動よ
新年の太陽は喜々と輝き昇りぬ
神は新しい業を示すだろう
神の国を目指して心高鳴る
そこに賢者は集い新しい国造り
アテナイの学堂にも似て
共に計りてうむことを知らない
そこに神の力が加えれて
神の御意なる荘厳な都は成りぬ
そして神への讃歌が止まず響きわたる
大合唱は全地に鳴りとよむ


O sublime mountain, majestic rock
The wise man of old has left the mundane world to dwell here.
He speaks the true word, the Logos
That echoes and echoes and echoes in harmony
There is no noise, but the exquisite divine command
Therein lies the undisturbed unity
Rock to rock, mountain to mountain, they resonate in majestic harmony
Peaks soar high into the heavens
Trees are strong with roots and become pillars of the temple
High in the sky, high in the sky, let the birds soar
Beyond the oceans, beyond the borders of continents
The earth is one bird's eye view in the distance
Let the strength of its flapping wings
Soaring onward and upward
May its power increase and yet not diminish
I discover a flower on an island that I have not yet seen
Waves crash and roar, pulsating waves
The New Year's sun shines with joy and rises
God will show us new works
Our hearts soar toward the Kingdom of God
Wise men will gather there to build a new nation
Like the school of Athens
Together they measure and know not what to do
God's power is added there
God's will, the majestic city is done
And hymns of praise to God resound unceasingly
A great chorus rings throughout the land

Translated with DeepL.com (free version)






2025年01月08日

俳句短歌連作冬深む


俳句短歌連作冬深む

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二本の木の根露わに冬深む
二本の木の落ち着くや冬深む
この道に列なす樹々や冬深む

神殿の柱の如く根を張りぬ木々にしあれや冬深まりぬ
遺影にそ熱き茶献げ我が家を一人守るや冬深まりぬ
親残す家にしあるかな我が住みて守るべしかな冬深まりぬ
我が家の廊下の広く日向ぼこ我を育む家にしあるかな

冬深むでは相当に俳句を作ている、プログで便利なのは検索できることである。【冬深む】で相当の数の自部の作った俳句が検索できる。そして何か自分の書いたものを何であれ忘れている
そしてこんなこと書いていたのかと自分自身で感心しているのも不思議である、ともかく人間は忘れやすいのである。
冬深むというときこれは田舎に住んで感じることである。
木をテーマにしているが木が大地に力強く根を張っている

公園の二本の木は根が露わである。だから都会でも感じないことはないがやはり感じにくいとなる。
ともかく木を見ていると落ち着いてここに動かず根ずいていると感じる。それで見ている方も心静まる。木は神殿の柱になるのもわかる。整然として列成す樹々はまさにそうである。
冬深むは一月後半からかもしれない、今日は寒くなって来たからふさわしいともなる

2025年01月02日

新年2025言祝ぐ短歌十首 【謹賀新年【松竹梅ー笠間焼、唐津焼・・・】


新年2025言祝ぐ短歌十首
【謹賀新年【松竹梅ー笠間焼、唐津焼・・・】

新年言祝ぐ短歌十首

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大和なれ西と東の結ばれて一つとなれや栄のありぬ
大海の波の轟き陽は昇る天地の力衰えざるべし
天皇の大和一つに結ぶかな民の和して栄あるべし
千歳経し岩の重くもここにあり梅の匂いて長寿の国かな
百輪の真紅の椿我に向き咲きて新しき年を迎えぬ
故郷の荒れにけるかなその栄天地と共にあるを知るべし
我が母の百歳生きてその栄姉と共に作られしかな
二本の大地に根を張る木のあれや巳年に粘り生きるべしかな
注連縄の結びの強く御社や大和の栄さらにあるべし
それぞれの国の栄や交わりてさらにますべし年は変わりぬ
大木の大地に根を張り土地土地に真直に生きて栄あるべし

今年もmusubu.jpをよろしく

注連縄は結ぶであり日本を結ぶである、それが日本の文化でもある。



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唐津焼は虹の松原のあるところにある。唐津城がありいい場所にある。松竹梅の松である。
笠間焼は茨城県であり土を求めてここに窯を開いた、やはり陶芸は土が大事になる。笠間焼は今は自由に作ることでここに集まる人がいる。自由な作風が許されるからいいという。確かに相馬焼だと伝統がありそれをベースにしている。陶芸は江戸時代からの伝統がある。相馬焼はかなり古く返って他に相馬焼の技術を伝播した。

梅を描いたのは何かわからない、中古店で売っていた、松と竹と梅がそろったので新年にいいと思った。
私は旅して窯元をまわった。陶芸は日本独特のものでありその土地の土からつくられるとしたら正にculture-cultivate(耕す)ものだとなる。茶道の抹茶茶碗もあるから日本の伝統文化なのである。

とにかく今年の正月は穏やかである。風もそれほど吹いていない。でも一番の問題は日本の貧困化である。これが一番深刻である。ミカンでも高いから買わず安い缶詰のミカンにした。
何でも高すぎる。こうして食料品とかが上がると苦しいとなる
今年どうなるのか、日本の景気は良くなることがない、じり貧になるだけなのか、こういとき人心が荒廃してゆくし現実に生活が苦しく余裕がない人が増大しているから犯罪も増える
でも景気を良くする何かいい方法があるのかとなれば見当たらないのである。
せいぜい節約する他ないのである。




2024年12月30日

冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る 【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】


冬の日に原町【太田】の墓地を見て小高の大悲山石仏をを見る
【冬椿、冬の日、冬田、冬の暮。。。】

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白旗神社(しらはたじんじゃ)は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社である。白幡神社・白籏神社とも表記される。
多くは源頼朝を主祭神とするが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多い。社名は源氏の旗である白旗に因むものである。


冬田中社一つや何語る
冬椿五体の石仏黙すかな

松一本根付きて太く頼もしや倉も二つや冬の日暮れぬ
【墓地】
墓地一つ尋ねてあわれ年の暮若く幼く死ぬ人のあり
冬の暮墓地を尋ねてあわれかな死者もの言わず何語るらむ
戒名に国を支ゆと農の字や誇りとあれや時は移りぬ
【小高】
小高城石段踏みて我が上る冬の日静か椿咲くかな
この地にそ巨杉根を張り石仏の五体黙しぬ冬の暮かな
この地にそ巨杉二本の根を張りて石仏動ぜず冬の暮かな
老人の何を語るや日短かき間もなく死して語らざるかな
何をか語らむとして語れざる人死にゆく短き日かな


冬の墓地

幼くも若くも死すや
その命尽くさず死にぬ
生きたしと生きるもならじ
その無念墓の語るかな
冬の日さして静か
短き日は暮れむ

冬の暮の街道

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小高より浪江に行きぬ
浜街道や古き碑三つ
何を語るやあわれ
菊も枯れなむ
日短く暮れんとするも
我が引き返して帰るかな


原町の北原から太田神社のほうに行く道に墓地がある。大きな墓地ではない、幼く若く死ぬ人が多かった、特に幼児の死亡が多かった。医療が発達しないのでそうなった。今は幼児で死ぬ人は稀だろう。そういう時代が動物のように子だくさんでないと生き残る人が少ない、それは自然の摂理だった。だから昔は食べ物すらないのに子だくさんになっていた。つまりその中で丈夫な子が生き延びればいいとなる。

戒名に立国院興農欽郎

「欽」は、「つつしむ」や「からだをかたくとじてつつしむ」、「かしこまる」

これは戦前の人でありこういうことがあった。この意は明確である。農民であり国を担うという固持がある。興とは農を興す意味である。これは何か意味が分かりやすい。他の戒名は意味がわかりにくいのである。つまり戒名を見ただけではその人のことがほとんどわからないのである。そうなると何を後世に伝えるのか不明になる。

ともかく人間とは何かを語る、墓でも何かを語る、でも何を語るのか明確ではない、老人は昔を語る、その生きた人生を語る
人間とは語ることに特徴がある、動物は語ることがないからである、語ることが歴史であるーhistory-物語なのである
ただ墓からその物語を知ることは難しい、戒名くらいではその人がなにをいきたかなどわからないからである。

ただ人間は老人になるとわかる結局その人が何を語るかが人生だったともなる。それもその語る時間すら消失してゆく、短い日はすぐに暮れてゆくのである。それだけ人間の一生もはかない
わずかのことを語り死んでゆくし何かそのことでも忘れられるのである。ともかく何かを語りそれが語られ続ける人は本当にまれである。死んだらそこに記されるのは何なのか年齢くらいなのである。語られるとしても数行で終わりなのである。

小高は一軒スーパーのような店がある、そこには人が入っていた
でも年配の人が多い、小学校も中学校も閉鎖している。だから問題は若い人とか子供がいないのだから後継ぎもなくなる。
そしたら街を維持できるのかとなる、それは空家だらけになり空地化してゆくのは私の周りでもそうであり全国的にもそうである
それで原町であれ鹿島であれ相馬市であれ原発避難区域から移住した人が多い、それで集約化しているから街が維持できるともなる。とても原発避難区域が復興できるのはむずかしいとみる

次代を担う子供がいないからである。自分の周りで街内に住んでいても子供が見かけないからである。
だから集約化して住み街を維持する他なくなるかもしれない。
いずれにしろ今年も終わりである、浪江の方には行けなかった
また夜に転んだから危険だった。自転車は夜は本当に危険である
4回くらい堀に落ちたり死ぬこともあった、でもすぐ暗くなるので困るのである。遠くには行きずらいのである

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試しに住んでくださいとなる。なかなか定着するとなるとむずかしい、でもこういうときはよそ者でも歓迎される、でも若い人になる。老人が移住しても負担になるからだる。





2024年12月27日

時雨―年の瀬【鉢植えの花ー冬薔薇、サザンクロス、冬柳、、】


時雨―年の瀬【鉢植えの花ー冬薔薇、サザンクロス、冬柳、、】

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年の瀬や時雨ポタリと人は死ぬ
路地裏の道に時雨や枯れし菊
墓地一つ尋ねてあわれ年暮れぬ
村の道老婆の歩み冬柳
一人のみ駅舎に待つ人冬薔薇

寒木の十本しみぬ街中の公園に休む我が一人かな
残されし空家の庭に大石の二つ静かに冬の暮かな
家内に咲かせし小さき薔薇の花我が愛でにつつ冬の日暮れぬ


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紫のハイビスカスの高貴なる
小さき薔薇の二輪やサザンクロス
我が家にいて愛でるかな
ここに調和して咲きにけるかな

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紫の花はハイビスカスなのか、サザンクロスはわかりやすい
鉢植えの花は長持ちするからいい、生け花は今年の夏は暑すぎてしおれるからできなかった。鉢植えだと一か月とかでも咲いている。500円くらいの安いのでもいいとなる

路地裏の道を行くと時雨にあった、ぱらぱらと明らかに時雨だった。時雨は何か死をイメージする。山頭火は時雨の詩人だったが音は時雨かと時雨に注意していた。後ろ姿の時雨てゆく・・・
とか旅で終わった人である
詩でも人によってテーマとするものが違ってくる。

ともかく時雨は何か死をイメージする、年の瀬でもあり年の暮であっても遂には人は死ぬとなる。





2024年12月26日

年の暮短歌二十首−磐城太田駅―原町‐飯館村〔木戸木、長泥、津島〕【冬の暮、年の暮、冬椿、・・・】

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冬の暮の俳句−正岡子規の写生俳句について【寒木、冬椿、冬の暮・・】

我に向き百輪咲きぬ冬椿
冬椿石に向かいて咲きにけり
田舎なれ家のともしく冬木立
冬の暮空家に残る石二つ

松二本離れずここにありしかな変わらずあれや冬の日暮れぬ
松一本ここに年輪重ねつつ蔵二つあり冬の暮かな
墓地一つ年も終わるにまたたずぬ記せし名に昔を偲ぶ
無人駅磐城太田の淋しきや乗る人まれに冬の暮かな
年の暮空家多しも営みのありにし家の石も淋しも
北風の唸り吹きにつ黙す石人行くまれにこの道暮れぬ
北風の吹きて小高の道遠し我が引き返す年の暮かな

木戸木〔ことぎ〕にそ住む人あわれ畑荒れ老いの一人や年も暮れなむ
長泥や山に埋もれし墓なりき誰か参らむ冬の暮かな
荒れ果てし津島のあわれ人住まず祖〔おや〕も悲しむ年の暮かな
津島にそ診療所一のつありしもあわれ人は住まじも
飯館の峠の道の苦しかも年の暮また我が行かむ思いはせにき
年の暮ともしびあわれいくつかなか語ることなく今年も暮れむ

姉と母今は亡きしも我が家になお共にあれ年の暮れかな
我が母の嫁ぎて長し百歳を生きて眠るや年の暮かな
我が姉の家を作りし自慢かなお共にあらむ歳の暮かな
病み老いる女悲しも皺深く貧にも苦しむ年の暮れかな
男一人厨に立ちて年の暮母の苦労を偲ぶもあわれ
食器洗う水の冷たく我が母のしもやけになるそを思うかな


磐城太田駅から原町の六号線の方に向かった。
昨日の続きになるが松は目印になりやすい、松は何か高くもないから人間的でありだから目印となり地名化しやすい、二本松の写真はまさにそうだった。一本松の地名も近くにあった。後は五本松とかの地名があり親しみやすい、でも松が枯れやすいことが問題なのである。どうしても空家が必ずあり目立つ、広い庭があり蔵がある、そこに残された庭の石も淋しいとなる。ただそこは原町市街に近いから小高のように街全体が寂れるのとは違う
でもどうしても空家が気にかかるのである。空家が一千万軒になるとか日本の大きな問題なのである。

小高の方に行こうとしたが風が吹くのでやめた。自転車は風に弱いからである。そしてさびれた街に行くのも気が引けるともなる
また小高まで行くと疲れるともなる。
磐城太田駅の前の惣菜屋には人が並んでいた。あそこは辺鄙でもいい物を作るので売れる、距離は関係ない、みんな車で来るからである。
原町の市街に帰る途中墓地があった。そこの戒名が農とついて国に尽くすとかの漢字でありめずらしいと思った。写真とるのを忘れたのが失敗。

飯館村の木戸木には80過ぎた老人が一人住み畑を耕していた。
でもその畑も放置されていた。体が悪いと言っていたからつづかなくなったのだろう。その人は車もないのだからとてもあそこには住むことは無理と見た
また長泥で山の中に墓があり誰が埋まっているのか墓参りもできないかもしれない、住民がいなくなれば墓も放置されるのである。津島でも診療所があったがあそこは誰も住んでいない廃墟と化した。放射線量が山でも高いからとても除染しても住めるのかとなる、訴訟をしているがあそこが被害が一番大きかったのである。まるで秘境でもあった。

ともかくあのような辺鄙なとこれも人が住まないと荒れて来る
そういう場所に住むことは価値があった。大都会にビルの谷間の家に住んでもそこに魅力を感じないのである。
田舎でも農家となると大地に根付いて存在感がある、一軒一軒が存在感がある。その相違が大きいのである。

また私の家のことであるが何か人は思うとき存在するというときそうかもしれない。死んだ人でも生きている人が思うとき死者も存在する、全く思わなければ存在しなくなる、それは今生きている人でも近くでもその人を思わなければ存在しなくなる
それが最近近くで経験している。近くに住んでいても50年とか合わず暮らしていればまた思わなければ存在しなくなっていたのである。現代は一万とかの田舎でもそういうことが起きる
何か協働して働いていないとその人の存在がわからなくなる

家族がみんな死んで厨で食器とか洗う、その洗う水が冷たい、私の母は温水器を使わないとき霜焼けになり苦しんでいたのである。その後温水器を設置したので楽になったのである
ただ家を直してあたためる水は使用していないから冷たい、それで母のことを思い出したのである。
ともかく私は姉と母には特別良くされたので忘れられないのである。知っている人は脳梗塞で体が不自由なのに息子は助けない冷たいと嘆く、やはり子供の時からの関係があり良くしないとやはり良くされないカルマともなる。家族関係も親子関係も兄弟関係も様々でありそれがわかりにくいのである。

今年も暮れるが自転車で堀に落ちて死ぬところだった、夜であり危険であったが土手に落ちたので助かった、堀の水路に落ちたら確実に死んでいた。自転車では結局三四回確実に死ぬところだった
前歯二本をぬけたのもそうであった。自転車でも死ぬことは結構ある

今年はプログでコメント読んでいなかった・結局何か答えることはエネルギーが必要になる、家事を全部していて暇がなくなった
プログを書くだけで精一杯にもなった。またこれまで書いたものも多い、だから自分の書いたものでも他人が書いたように思えるのも不思議である。









2024年12月25日

冬の暮の俳句−正岡子規の写生俳句について【寒木、冬椿、冬の暮・・】


冬の暮の俳句−正岡子規の写生俳句について【寒木、冬椿、冬の暮・・】


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鹿島厚生病院前の公園の木、整列しているから神殿の柱のように見える

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磐城太田へ行く道であるが閑散としている

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原町の公園の木


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この松はいい松である



十数本寒本今日も病院前
家継ぎて墓を守れや冬椿
誰が墓や落葉を踏みて我がたずぬ
松二本行く人まれに冬の暮
松一本蔵ある農家冬の暮
冬の暮根を露わに二本の木

俳句というとき正岡子規の写生俳句が明治になり主張された。
それはやはり明治になりヨーロッパの文明が入って来て影響した。絵画でもそうだし芸術にも影響した。だから写生俳句もその一環として主張された。というのは俳句が短すぎるから説明を省く、説明していたら五七五に収まらないからである。
それで短歌の方が説明することができるので短歌だとまだ現代でも通じるかもしれない、俳句は短すぎて表現の幅がなさ過ぎるから限界を感じる、ともかく感情的な言葉は省く
淋しい悲しいうれしいとか入れただけでもう表現する余地がなくなる。だから簡潔に見たままを五七五にまとめる。

十数本寒木今日も病院前

寒木が十数本ある、病院前にあるとかそこには説明も感情的なものもない写生なのである。事物をもって語らせるのである説明はしないのである。【鶏頭の十四五本ありぬべし】という子規の俳句が問題になった時これが俳句なのかという批判があった
私自身もこれが俳句になり芸術になるのかと思う
でもあくまでも子規の写生論は新しい俳句の創作方法であり見方だった。これまでそんな創作方法とか鑑賞方法もなかったからである。そこに子規の功績があった。

だからこの写生俳句というのは写真と相性がいいのである。写真はありのままをそのまま写すからである。それは絵画とも違うからである。それで写俳という分野ができたのもわかる。
だからカメラは常時携帯する必要がある。

また尋ねたのは墓地であった。ただ今や空家も多く墓も後継ぎがいなくなり守れない、立派な墓があっても守れない、近くの知っている人が最近死んだ。でも空家となり娘がいても隣の市に嫁いだからその墓は受け継げない、200百万かけて作った立派な墓でも受け継ぐ人がいないのである。だから墓などに金をかけるべきでなかったとなる。

ともかく今日は比較的あたたかいし原町まで出かけた。
自転車は風に弱いのと氷りが張ったりすると危ないからなかなか遠くには行けなくなる。それで運動不足になるので困る





2024年12月24日

飯館は雪ー冬籠る雪国の短歌−雪国で育まれる情 【エアコンより石油ストーブであたたまるのがいいー囲炉裏がなつかしい】


飯館は雪ー冬籠る雪国の短歌−雪国で育まれる情
【エアコンより石油ストーブであたたまるのがいいー囲炉裏がなつかしい】

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飯館は結構雪が降った

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裏山の小径




北風に向かいて走る聳ゆ山
朝望む飯館の山残る雪
寒鳥や梢鋭く唸る風

裏山の小径静かに木の葉散る行く人今日我一人かな
ほのぼのとストーブの火にあたたまり我が一人しももの思ふかな
はらからと囲炉裏を囲み燃ゆる火や顔見合わせて冬の長しも
雪深く積もりてあわれ家々や火にあたたまり籠りけるかな
村一つ冬籠るかなしんしんと雪は降りにつ閉ざさる道かな
村一つ冬籠るかなしんしんと雪は降りにつ長き冬耐ゆ
村一つ積もれる雪やしんしんとともる灯あわれ長き冬かな

朝自転車で走ったら北風が唸り吹いた、そして飯館の方は雪が降ったことを山に雪が残っていたのでわかった
飯館は標高が400メートルくらい高いから寒く雪が降った。
でも南相馬市だと降らないのである。この辺では雪が積もるということはめったにない、まず雪国で雪に閉ざされることはないのである。でも会津の方ないなると雪に閉ざされる

会津若松市となれば何か雪に閉ざされるという感覚にはなれない、会津でも広いから村になると雪に閉ざされる
本当に雪国を知ろうとしたらそうした辺鄙な村でないとわからない。それはイメージにすることになるが実際住んでみれば雪など嫌だともなる。でも現代では交通が発達しているから物流があり
閉ざされることはないだろう、昔のように物流がない時代だったら閉ざされる。

ただ雪国の特徴として何か情が厚いというときやはら雪に閉ざされた冬が長く何か心情的にも自ずと助け合うとか長い冬を村人が共に耐えるということで一体感を持ったことは確かである
原発事故で新潟に避難した人がしきりに新潟の人は親切だったというのは雪国で育まれあものがあり情が篤くなったともみる
ただ正直雪国の感覚がわかりにくいのである。実際住んでみれば雪が嫌だとなるだろう。雪かきだけで大変な仕事になるからである。また自転車とかでも雪で走れないとかなる。
ただイメージで雪を見るのとは違うからである。

それでも囲炉裏を囲み薪をくべ家族があたたまるとき一体感がある。やはりみんなで密着する、ほのぼのと燃える火を囲み密着する。そこに他とは違った連帯感が生まれるとなるし情も自ずと厚くなるなる。ただ現実問題として今は辺鄙な村で生活することは厳しい。でも車があるから昔のように閉ざされるはないだろう。

確かなことはエアコンは夏でも冬でもいい感じがしない、石油ストーブは火でありエアコンと違いじかに火であたたまるから囲炉裏で薪を燃やしてあたたまるのと通じる
でも石油代が高くつく、何か街中でも薪ストーブにするのはやはり薪を燃やして体をあたためるのは違ったものになるから敢えて手間でも使っている。
とにかくは外は北風が唸り今日も寒い、本格的な冬になる

2024年12月19日

冬の城〔Winter Castles in Japan〕


冬の城〔Winter Castles in Japan

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冬彦根城

厳守城郭
雄壮威風
武士登城
大門閉鎖
守備万全
寒夜天守
三日月光
〔雄壮に城の構えや冬に入る〕







なぜ都会シニアはピンピンで地方シニアはヨボヨボなのか… 【整形外科医が勧める健康寿命を伸ばす意外な活動−生活習慣が影響】


なぜ都会シニアはピンピンで地方シニアはヨボヨボなのか…
【整形外科医が勧める健康寿命を伸ばす意外な活動−生活習慣が影響】

私の患者さんを見渡しても、都心在住の方は意外とよく歩いています。一見、運動とは縁遠いような高齢の女性が、実は買い物好きで、百貨店の中を3時間ぐらい平気で歩いているのです。

 地方在住の高齢者は、車社会の中で歳を重ねてしまったせいか、なかなか長時間は歩けないようです。学会で全国各地に行くと、地方では実年齢より老けて見える人が目立ちます。何より姿勢が悪いのです。背中が曲がっていたり、O脚になるなど、骨格に問題があると、どうしても老けて見えます。

なぜ都会シニアはピンピンで地方シニアはヨボヨボなのか…整形外科医が勧める健康寿命を伸ばす意外な活動

田舎では一人一台車を持っているのをみかける、老夫婦でも一人一台持っている、そんなに必要なのかとも見る
費用もかかるともみる。

都会から田舎に来て田舎の方が地方では実年齢より老けて見える人が目立ちます。何より姿勢が悪いのです。背中が曲がっていたり、O脚になるなど、骨格に問題があると、どうしても老けて見えます

これは意外である。田舎の方が車に乗る度合いが多い、買い物でも家族が車に乗せてくる。その老人が杖をついている人が多い、こんんなに杖を使っているのかとも見る、でもそれは高齢化社会だからであり仕方ないともみる。
ただそれが都会の人より目立つというときどうしてなのだろうとなる。つまり都会の人の足は電車であり東京ならそうである
すると移動するのにかなり歩く、駅の階段でも歩く、階段は結構きつい、何故なら私自身二階にあがるのに難儀しているからである。
ただ本当に田舎の老人の方が弱っているのか、その原因が車を使い歩かないからなのかそれもよくわからない、でも整形外科の人だから良く観察しているからそれを否定もできない

確かなことは人間は本当に生活習慣というのがどれだけ影響するかである。都会では車に乗らず歩くことが多いというとき日常化しいるときやはり筋肉が鍛えられているとなる
車だと確かに肌肉が鍛えられない、買い物でも遠くになるから歩かない、車に乗せられてくるとかなる。それで筋肉がつかず弱っているのか。正直本当にこれだけの車社会になればそれが何らか体にまで影響することは確かだろう。
それは体だけではない心に相当な影響がある。ただそれが自覚できなくなっている。騒音でも車がひっきりなしにゆくことでも気にしなくなっている。だから一時この辺が原発事故で車が通らなくなったとき不思議な感じになった。
私自身は家が密集して人が密集している東京などは返って精神的に落ち着かない。何か精神の錯乱状態のようにも見える
そういう場所にいたくないのである。車が多すぎるし人も多すぎる。車の影響は人間まで変えたことは確かである。

今でも避難区域になった小高などは車が本当に通らない。だから昼間でも静かなのである。そういう事で車というのはどれだけ影響したかを知るべきである。私自身は車を持っていないから車がどういうものか実感できないのである

ただ私は常に自転車に乗ってきた。長距離でも乗ってきた。今でも毎日自転車には乗っている。だからもしかしたら私がまだ足腰が丈夫なのはそのためのかもしれない特に自転車は腿〔もも〕の筋肉をうからそれが体全体に影響したかもしれない

ともかく運動することは体を活性化するから血流でもよくするから筋肉も使うからいいのである。車だとどうしてもほとんど筋肉も使わないし足腰もただ座っているだけで使わない。ただ一番使うのは目であり神経だとなり何かそこで身体的というより精神的に疲れるものかもしれない。
ただ今車なしでは仕事もできないのだからどうにもならない

でも確かに人間は生活習慣病があり習慣の力がなんでも大きいのである。勉強でも常に習慣的にしていることが進歩させるのである。才能にしても普通の人は積み重ねが必要であり習慣的に訓練していなければものにはならない上達はしないのである。

人間は習慣的に自らの意思でもって鍛えないと怠るとそれが習慣的になり怠け者になり身にに付かないということである
そしてその習慣的にしてきた積み重ねてきたことが必ず60以降に現象として現れてくる。 60以降は遺伝的な病気も出てくるが習慣としてしてきたことが現象として現れる。酒やタバコでも習慣的にしているとそれが必ず60以降に体にもあらわれてくるのである。それは食べ物でもそうであり何を習慣的に食べてきたか体に蓄積されてそれが現象となって現れてくる。最後でこれは避けることができないのである。

だから車ばかり乗っている人は60以降に何らかの現象が現れてくるかもしれない。体に筋肉がついていないから運動もしないからそれが積もり積もって体の現象として現れてくる。人間というのは本当に習慣というものが大事である。悪い習慣を持てばそれが必ず60以降とかなれば症状として出てくるのである。

私自身は32才で酒とタバコもやめた。それがよく作用したことは確かである。酒とタバコでも習慣化していることはやはりそれが積もり積もって60以降とか現象として必ず現れる
ただ人間は今はいいとなってその遠い先はみない。でも青春時代の不摂生とか不品行とか性の乱れとかが影響する。
若い時の放蕩とかは危険になる。人間は普通の人は節制が必要なのである。老人の問題はすでに若い時から始まっている
なぜなら人間も連続したものであり一人の人間が若い時と老人として別なものでもない分離できないからである。
ただ老人はもはや変えることができなくなる。老人は結果でありその結果を生み出すのはこれまでの人生だからそうなる
それでも健康に関しては60以上でもやるべきことがあり可能である。とにかく人間は60以上何であれ積り重なったものが結果となる。それは健康でもそうだし知的のものでもそうである。
何かを積み重ねているからである。

2024年12月15日

冬の星の俳句ー英訳俳句−【冬の星宿、冬の月、・・・】


冬の星の俳句ー英訳俳句−【冬の星宿、冬の月、・・・】

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電線に椋鳥百羽師走かな
人対し抹茶を飲むや冬に入る
冬の灯や貧者の家知る日々の道
訪ぬ人なしや玄関冬の
家族無く一人籠るや冬の星
冬の星孤高の山頂引き締まる
山の上修行の僧や冬の星
明かに冬の星宿結ばれぬ
冬の星煌めき強く増え光る
隠されて大石黙す冬の星
絶壁の巌の反り冬の星


冬の星孤高の山頂引き締まる

winter come
one sparkling star
on the peak of the mountain
keen and severe

隠されて大石黙す冬の星

the big hidden rock
the sparkling star
the silenced one
in winter

明かに冬の星宿結ばれぬ

the clear stars in winter
delight united one
with no doubt

冬の澄んだ星
ひとつになる喜び
迷うことなく

人対し抹茶を飲むや冬に入る

man to man
Japanese tea ceremony
deep taste in winter

男同士
茶道
冬の深い味わい


deeple翻訳で訳した、これも合っていたのか?

寒き日に 
茶室の静寂 
湯気の立つ 
抹茶の香りに 

心も温まる 
雪の外
風の音さえも
消えゆく中 

茶碗に映る 
微笑む心 炎の灯 
薄き光に 影踊り

心の奥も ゆらりゆらりと
 手を伸ばし 温もりを感じ 
抹茶の味わい 冬の安らぎ

by chat GPT


英語でoneという表現がありこれが一つになるとか何かを指すのである。正直英語の感覚はネテブの人から習わないとわからないのである。
たまたま英語教育する先生がいてわかったのである。それも30とかになってからである。自分が勉強したのは大学を出てからなのである、英語でも英語のニュースとか聞いて音を覚えた
今ならなんでもyutubeとかで独習できるから有利である

大学では何か学ぶ場なのに学ぶ場が返って整備されていない、ただ学生の数だけが多い詰め込む場所だったとなる。
大学はただ自習する場で先生が教えないというのも変だったのである。だから英語はまずネテブの人に習うべきだったなる
今ならそうした環境があり無料でも学べるか有利である。

ともかく自分の場合学んだのは大学を出て独学になってからだったのである。だから何か何でも覚えることでも創作することでも理解することでも遅かったとなる。でも今は長生きの時代だからこうして成果が出て来たということである

いずれにしろこの年になっても学ぶことはあり学ぶことに終わりがない、でも死が近くなているのだから先がなくなってしまったということで【少年老い易く学成りがたし】であり無常迅速である、ただたゆまず学び追求していれば別に天才でなくてもそれなりのものになる。要するに人間は一生修行なのである。