2021年09月19日

秋夕焼け、実り、満月(十五夜)(金色堂)(津波の跡の庭の石)


秋夕焼け、実り、満月(十五夜)(金色堂)(津波の跡の庭の石)


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ここの庭はその松にして記念のように残ししている
小屋が一つ建っている、他は消えてしまった
津波の記念として残しているのかもしれない
ここの近くには新しい家が建っている



みちのくや秋夕焼けに星一

みちのくの秋夕焼や金色堂


満月に星一つ添えきらめきぬ夕べ静かに波のひびきぬ

津波後残せし庭に石のあり月影さしてここを離れじ

美しく満月光る夕べかな実りもどりて癒されるらむ

満月に実りとなれる仕事あれ満月輝き曇りなきかも

紅く染む夕べの雲に満月の光りて黄金の実りもどりぬ


今日は満月だった、2021年の十五夜は、9月21日(火)です
まだ満月ではないにしろほぼ満月だった
今日は快晴だから月も雲に翳ることなく輝いていた

海の方に行ったら満月が輝き昇っていた
波も台風が去り静かになっていた
そして山の方は夕焼けの雲になっていた、秋夕焼である
満月に星がひとつ輝き山の方の秋夕焼けに星が一つきらめいた
やはり秋らしい

右田浜で海から離れた所の家でも流された、でもそこには庭だけが残っている
石がいろいろありいい庭だったそこに平板な石がありこの平板な石が何か大地に密着した感じでいいのである、そしてその石はその家があった所から離れないようにありつづける人間化した石なのである、庭にある石は人間化しているのである
だから人が住まないと余計に淋しくなるのである
それが避難区域となって捨てられた家と庭に感じたからである

ともかく実り季節であり黄金色に稲が輝く、浪江の人が全く草ぼうぼうになっている
田んぼのことに無関心なのは変であった
ただそうなったのは田舎でも農家は一割にも満たないとか少なくなったからである
ただ面積からすると田畑は依然として広いのである
それだけの面積を占めても農業で暮らしている人は一割とかなのである
他の人は会社員であり別な仕事をしている

ただ最近は金融関係はいい仕事ではない、ブラック化している
それはゆうちょでも人をだますような保険を売りつけていたとか地銀でも投資信託とか
理解できないものを売り手数料を稼ぐ商売になった
それは証券会社のすることであり本来の仕事ではない
だから満月が光り曇り鳴きとはならない、曇ってしまうのである
そこに後ろめたいものがありもともとその地域地域に貢献するものであったがそうはならない

ただでは銀行をどうするのかとなるとむずかしくなる
職業とはそもそも何らか業を持っているのである
江戸時代まではそういうことは少なかった、それぞれの分の仕事に励めば良かったのである、だから外国人は日本に来たときみんな幸福そうな顔をしていると見たのである
人間は仕事でもしていることが顔に出る
その仕事がいいものなら顔もいい顔になる、その仕事が悪いものなら顔にでて暗い顔になる
金が入ったとしてもそうなる、顔は偽れないことがあるからだ
ともかく現代は人をだますような仕事が多すぎるのである
農民が大半の時代はそういうことはなかったとも見るからである

秋夕焼けというとき金色堂を見て電車から見た空が秋夕焼けだった
それもみちのくにふさわしいともなる
最近旅もしないで思い出す旅をつづけている
いかに記憶することが人間に大事なのかわかった
記憶がよみがえり旅に行った場所を思い出す、そして詩にしたりする
その時深い詩が作れる、つまり記憶を深化できるのである
だから旅というのは記憶することが大事だったのである
記憶するにはやはり一人旅でないとだめである、二人だと気が散って自然を記憶できないからである

ともかく旅したことを記憶としてよみがえりそれを今まとめている
それも膨大なので整理するのが大変なのである
詩集とするためにまとめている、これは結構骨がおれる
プログでも毎日書くと疲れる、失敗したのはプログを同じものをのせるのに二つ出していることである、予備にしたのだが二つにのせると手間なのである
プログとか意外と手間なのである、写真とかをのせると手間になる
でもこれが自分の仕事であり旅したことが人生でありその実りが詩歌として現しているのである

2021年09月17日

虫の声、実り、秋薔薇、朝顔(初秋の故郷の径ー俳句は写生)


虫の声、実り、秋薔薇、朝顔(初秋の故郷の径ー俳句は写生)

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虫いくつ桜井古墳によりて鳴く

金無きと今日も嘆くや昼の虫

故郷の実りや草に蝶眠る

夕月の雲に隠れて虫の声

掃除して墓を守るや虫の声

故郷の前田に実り蔵と松

大石を残して空家秋薔薇

新築の家もなじむや秋薔薇

五六本金木犀や街の中

秋燕数羽や去らむ早きかな

彼岸花田舎のともしび径暮れぬ

秋の星二階の部屋に読書かな


耳すまし一人の部屋に夜の更けてこおろぎの鳴き虫の鳴くかな

虫の音をまた一つ聴く故郷あわれ夕暮れにけり

虫の声一つ一つを聞きにつつ今日も暮れなむ故郷の径


俳句は写生であるというときこれらの私の句も写生である
特に「五六本金木犀や街の中」これはまさに写生そのものである
だからこんなのが俳句なのかとなる、これは本当に公園に五六本咲いていた
それでこんなに咲いていたのか思い作った
ここは気付いていなかったからである
金木犀が結構咲いている、でもこの花は散りやすいのである、それで気づかなかったとなる、近くでも気づかないのが結構ある

秋薔薇というとき近くの家は空家になった、そこに大石がありそれをいつも見ていた
石が好きだから見ていたのである、何か平たい石でありどっしりとしていたからである
それをいつも見ていたら自分の庭のように思えたのである

虫の声というときいつも金がないと嘆く女がいる、そもそも一ケ月分の金が足りないのだから必ず電気水道ガスの金が払えない、米代も払えない、息子がいてもやはり何かあって絶縁状態である、近くにいて足場を仕事にしているからいい車を買ったとか金はもっていても頼れないのである
桜井古墳に虫が鳴くというとき何か先祖が眠っているから頼るともなる

稲穂が色づき実りの季節である、草叢に黄色蝶がとまり眠る
この時蝶という美があり実りがあり調和する、実りが無かったら蝶も実は眠れない
食べるものの心配とか生活の心配していると安らかに眠れない
そういう人が現実にいる、ただ別に地元で米をとれなくても金さえあれば今は食料に困ることはないのである
でも本当は土地の実りがあって安心だとはなるのだ、なぜなら外から入ってこなくなることもありうるからである
それでこの土地でとれた「天の粒」という米を買った、別に味は悪くない
五〇〇円くらい安いから得だともなる

前田という地名がある、大原にある、そこは草分けであり村の中心であった
なぜなら大原には遠田とかの地名もありそれは相当に離れた山の中に田んぼがあったからである、ただそこの家の人は死んで空家になっていた
息子は農業を継がず市内に住んでいるからである

この辺では外から来た人が新しい住宅地に住んでいる
家をみんな新築して住んでいる、だから新しい町が三つくらいできた感じになる
でもその土地になじむのには時間がかかる、家でも人でもそうである
一つの風景としてなじむには一世代とかかかるのかもしれない
ただ不思議なのは何して働いているのか金を得ているのかわからないのである
地元で働いているとは限らない、車で原町とか小高でも浪江でも通っているのかもしれない、そこにはまだ原発関係で仕事があるのかもしれないがわからない

ともかく秋らしくなってきた、涼しいから助かる、涼しいと頭も働くとなる
今日は高速のSAに行ってきた、あそこは近いからいい、気晴らしにいいとなる
駅の方は今は行っていない、ただ高速では人と話すことはない、駅だと何か話しやすかったのである、一人二人くらいしかいないからである
ただ案内はしない、コロナウィルスがあり何か話しにくい、それで今年も遠くに行くことがなかった、巣籠り生活である、もう秋燕であり燕もまもなく去るとなる

2021年09月07日

秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)


秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)

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街中に二つほど聞こゆ秋の蝉

女一人一本松に桔梗咲く

我が家に一人聞き入る虫の声

城下町六万石や秋柳

誰が家や城下町に咲く桔梗かな

秋の蝉いくつか聞こえ城下町

秋の雲影を落とすや城下町

紫の木槿に暮れぬ旧街道

旧街道虫の音聴きて帰りけり

一本松残りて暮れぬ実りかな


女一人寄るべく人もなかりしに松一本に桔梗咲くかな

宇多川の流れに秋の日の光りつつ暮るるもあわれ久々に来ぬ

親しくも松に寄りつつもの思ふ秋は来にけり虫も鳴くかな



女一人で住んでいる人がまた近くに何人かいる、これも不思議なのである
女性でも一人暮らしが多くなっている、老人でも多くなっている
子供と一緒には住まない人が多くなっている、老人の一人暮らしが相当に多くなったのである、庭に松一本がありそこに桔梗が咲いている

6月の始めに相馬市に行った、それから二カ月以上行っていないだろう
というのは梅雨になり暑くなったら行けなかった、7月には暑いとか8月の後半は秋雨になるとか季節が変則的になる二カ月以上相馬市に行かないというときめずらしいともなる暑いと自転車だと熱中症になりやすいから行けなかった
それから何か雨がふりつづいてことで行けなかった
原町も行けない日が続いたのである、まさに巣籠り生活である

相馬市に行く途中の五本松は三本松があったが一本しか残っていなかった
それも淋しいが一本でもあればいいなと見る
五本松から三本松となり一本松となってしまった
これは何か家族を象徴している、家族がみんな死んでいなくなったとか見るからだ
松は人間のように見えるのである、だから古来松は短歌でも俳句にもなり安いのである
田た松並木はかなり少なくなっている、相馬市への旧街道は松並木が残っている
やはり旧街道を行くと道が狭いからそこで自然でも感じる、今回は木槿が咲いていたとか虫の鳴き声とかを感じる、だからこそ「奥の細道」だったのである
細道だから車も通っていないから自然を感じていたのである

ともかく相馬市の不思議は原町では感じないものを感じる、一応六万石の城下町ということで違ってるともなる、ただ外部から来ても城もないし感じにくい
碁盤の目のように細い路地がありやはり城下町なのである
高いビルがないもの影響しているのだろう
公共の建物も入母屋作りに統一しているのも風情を作っている
でもどこが城下町とかになるのか外部から来ても感じにくいだろう
一応石垣などは残っているが他はなにもないからだ
もしビルとか高いものを建てたら違って城下町ということを感じなくなっていたかもしれない、ただそうした雰囲気をかもしだすのはやはり歴史があるからだとなる

秋になったから気持良く相馬市に行けたので良かった
暑いと今は出かけられない、日射病になるからだ、またコロナウィルスの影響で遠くに行きにくい、すると運動不足になるのだ
日本は狭い国であるが四季がありそれが変化をもたらし旬の食べ物がありそれが日本の文化なのである、それがなくなると日本の良さまでなくなってしまう
だから温暖化の影響は大きい、でせ実際は温暖化はないとしている
人工的に温暖化になったのでありコンクリート化した都市とか地方でも道路のコンクリートの反射とかで暑くなった、クーラーの使用でも暑くなった
二酸化炭素が出し過ぎるというよりコンクリート化の影響も大きいのである

秋はやはり芸術の秋になる、プログだと今経験したものをすぐ書いて出せる
こういうことは今までできなかった、雑誌に投稿しても一か月後だったからである
ただこうして自分はプログに書きつづけている、結構これも疲れる
それでコメントに答えられない、プログに書くことを優先するから答えることができていない、後は家事に追われているのである、今は一切の家事を一人でしているからである







2021年08月31日

雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)


雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)

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津浪から十年過ぎて残っていた木の根っこ
他は当時の面影となるものはなくなった
高い防波堤になり松も全部なくなったからだ

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右田浜から離れた家の庭
ここはそれなりに海から離れていたけど新しい家も近くに建ったが
ここは庭だけを記念のように残している
石は流されなかったのである


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小山田への小径


川子の坂を上る脇の溜池


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燕あまた飛びかい増えぬ晩夏かな

波の音海面光り朝の蝉

雲の峰頭上に高し見上げけり

雲の峰巨人の顔や真上かな


木の根っこ右田の浜になお残る十年過ぎしも津波の跡かな

この家の石に亀置く津波にて庭のみ残り今日も暮れゆく

燕飛び流れの早し鮎跳ねて朝一回り走り来るかも

この小径行く人もなし影なして夕べ涼しく蝶の舞いさる

溜池に羊草咲き影映し波紋ひそかにソバナあまた咲く

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

石を積む庭を作りし誇りかな病にあれど家にあるかな


時期的には晩夏である、今日は涼しいから助かる、夏の雲というのも出ていない
雲の峰というのはいい季語である
頭上に高く雲の峰がもくもくと見えたときそこに人間を見たともなる
神話の巨人が見上げる感じになった、それが真上にあったからだ

海の方では海老浜に蝉が鳴いていた、朝にひびく、そこは津波で村が流された
でも後ろに森があるから蝉が鳴いている、海面が朝の光りでまぶしい

右田の浜の海より離れた場所の家では庭だけが記念のように残っていた
いい石の庭だった、そこに亀が置いてあった
津浪から十年過ぎると何か津波を思い出すものもなくなるからここは記念なのだろうかとなる、津波で石すらかなり流された、ここでは石はそのままに残っていた

京は涼しいので川子の坂を上った、そこの小さな溜池によった
ソバナの花が咲いているから秋ではある、羊草がここには咲く
近くでもいい場所がある、小山田の方に出る小径はいい所である
ほとんど人が通らない、一日一人くらいとかなっている
そういう道が近くにあるといい、みんなコンクリートの道になったからである
とにかく暑くて原町に行くかと思ったら行けなかった

近くの知人の庭は大きな石が積まれたいい庭である、私は石に興味があるから石をながめるのである、その庭は石をまるで石垣のように積まれている
それは自慢になる、そして糖尿病で半年くらい入院していた
それが嫌で今は在宅で治療している、病院より在宅の方がいいし家で死にたいとなるのはやはり家には長く住んでいたしそこが城のようにもなっている
病院だと何か自慢するものがない、そこにいれば自分自身の存在感がある
この庭は私が苦労して作ったのだと言わなくても実感するからである

私の姉も常に家のことを自慢していたからである、家はやはり単なる箱ものではない
何か存在感を示すものであり精神的なものも付与されている
記憶の家ともなっているのである、家から離れた病院とかなるとそういう精神的なものが喪失する、ただあわれな病人となるだけである

ともかく夏も終わりに向かっている、やはり暑いと体に答える
涼しくなると頭も働くが暑いとぐったりして働かないのである


2021年08月19日

夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)


夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)

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キツネノカミソリの名の由来
https://kurashi-no.jp/I0017882

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街の中朝よりひびく蝉の声

夕日さし競いて険し雲の峰

古墳にそ赤き花咲く夏の夕

烏群れ夏野に夕月安らぎぬ

一村や小山田村の実りかな


ひそかなる小径に一羽黒き蝶舞いさリ消えて行く人もなし

影なして庭石涼し籠もりつつ今日も暮れにき逢う人もなし


昨日も晴れて夏だった、それで雲の峰が夕べ見えた、しかし今日も晴れたが雲の峰が見えない、やはり季節が変わり見えないのか?
お盆が過ぎたのだから秋にはなっている、ただ夏は残暑がありまだまだであるのが普通である
今日は暑かった、暑いとぐったりして昼間に眠る、暑いというき下の部屋の前が広くコンクリートになっている、これが道のコンクリートからと重なって部屋が暑くなる
クーラーがあるからその部屋にいる

でも天気予報を見ると朝は曇りとかまた雨になっている、温度も下がる
夏はもしかしたら今日で終わりなのか?
何か天候が今年は変である、夏なのか秋なのかわからなくなる
晩夏という季語もあるがこれもなにかしっくりしない、夏と秋が混在したようになっているからだ

暑いから今日は6時過ぎて自転車で一回りした、小山田の方に行く小径は一日一人も通らない、そこを一羽の小さい黒い蝶が飛んでゆき消えた
小山田村は意外と遅く開拓された地域でもある
あの辺をまわるのは気持ちがいい、何か昔だったら一村一村が一つにまとまっていて
暮らしがあった、というのはみんな農家だったからまとまるのである

今はそういうことはない、また米をとるにしても米でもどこからでも入ってくるとなると貴重に見えない、現実自分自身がスーパーで外から入ってくるブランド米を食べているからだ、ここでとれた米を食べていないのである
すると何かつながりが感じられなくなる、それが現代のグロ−バルな広域社会なのであるでも津浪とか原発事故で外から食料が入らなくなったとき古米を配った
これは助かった、やはり外から米でも入らなくなると困るのである
それは日本自体がそうである、外国から食料でもいつも入ると限らないからである
中国と対立したりすると食料でも安いものでも入ってこなくなるからだ

私は巣籠り生活だと人に会わない、ここ一週間逢っていない、ただスーパーには行っている、遠くには行かない、仙台市にも行かない、こういう生活はコロナウィルスには強いかもしれない、相馬地域でも一人二人とか感染者が出ている、一人でも田舎では警戒する
ただ仕事している人は人と接触するから強制的にに職域としてワクチンをする

烏が群れて夏野に夕月がでている、ここで夏野としてたのはこの辺では田んぼが荒地になり夏野化している所が結構あるから田んぼではなく夏野となる
昔だったら荒地にしたりはしない、農業中心の社会だったらわずかの土地でも活かしていかないと暮らしていけなかったからである
今はそういうことがない、とにかく夕べは涼しいから気持ち良かったとなる




2021年08月17日

月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


雨ぬれて買物に行く夏燕

霧雨にぬれて草深く月見草

雨の日や外に出られじ秋の蝉

雨しとと石を濡らして秋の蝉

八畳の間に姉の寝るかな我も寝る悠々として心地良しかな

この天気は変である、秋雨にしては早いけどそんな感じにもなる
ここは十年以上変な天候がつづいている、北海道が本州より暑かったりとか気候の異変がある、ただ都会だとアスファルトとかクーラーの熱で暑くなっている
田舎でも街中だとやはり暑いのである
それでこれまで農家の土間があったが土は冷房装置でもあった
熱をさましたりまた冬はあたたかくしたりする自然の冷房装置としてあった
それが自然な生活だった、だから意外と茅葺屋根でもそうした自然の作用が住みやすいということもあったかもしれない、現代は何でも機械化して人工化するからそれが作用して都会だと異常に暑くなることはある
ただ北海道がなぜあんなに暑くなるのだろうとなる
それは梅雨の時いつも北海道に行っていたからありえないと思ったからである

草深くというとき月見草があっている、それが霧雨に濡れている
庭の石が雨に濡れている、今は下の部屋にいる、蝉が一匹鳴く声がひびいてくる
何かこの蝉の声も季節的におかしい、夏の季語なのに夏はあまり蝉の声が聞こえなかった今年は蝉の声があまり聞こえないとも見る
確かにお盆過ぎれば秋なのだがまだまだ夏のはずである
だからこれもおかしい、季節感がおかしくなると俳句などを作るのに困る
ただ短歌ならそれほどではないだろう、別に季語を入れる決まりなどないからである

八畳の間は姉が寝ていた、広い部屋である、そこに今自分が寝ている
何かこれも不思議である、そこにをとしても姉がいるという感覚になる
姉は子供の時から一つ屋根の下にいて最も親しい人になっていたのも不思議である
母はそういうふうにならなかった
だからそこに姉がいてあたたかく死んでも感じるのである
だから家というのは家族が死んでもやはりそこに依然としている感覚になる
その部屋に60年とか寝ていたからである、そこにまた温かみが残されているともなる
ただ姉が死んでもう十年も過ぎたのである、でも依然として家には死者がいる感じなのである、ただその感じ方は人によって違うのである
親でも全然感じない人もいるからだ

何か巣籠り生活というとまさに雨にもなりこの頃ずっと遠くに行かない、庭の石が雨にしとしと濡れてまるで梅雨である、そして秋の蝉の声がひびいてくる

外は雨茶室に籠もり秋の蝉

こんな風流の感覚になる、ただ巣籠り生活だと広い家が必要になる
家の影響が精神に与えるものは意外と大きい、だから老後は広い家が必要だと思った
ただ二階となると上り下りでめんどうになるし体が弱ると平屋がいいが平屋でも広い部屋が必要だと思った
とにかく家は単なる箱ものではない、そこに長く住んでいたということで何か死んだ人でもそこに依然としている感覚になるとつくづく感じたのである
ただ母の場合は自分の部屋もなく何か女中のようになっていたのである
それはまた問題であったがそうなったことを今や変えることはできない、だから死後も
この家での居場所はどこだったのだろうかともなる
でもそういう事実をもう変えることはできない、そういう変わった家族でも変えることはもうできないのである、それが自分にとって悪いとはなっていなかった
家には何か語り尽くせないものがある、それは単なる箱ものではなく家族の思い出とか
何か精神的な目に見えないものが家には残っているためだと思う





2021年08月07日

雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)


雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)

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夕蝉や原町までや一走り

あらぬ方夏の雲湧き四方望む

夕日さし虹たち映えて雲の峰

六号線夕日に虹たち雲の峰

雲の峰たちまち消えてまた湧きぬ

今日いくつ競いて湧きぬ夏の雲

精一杯今に生きむや夏の雲

大空に雄峰いくつ夏の雲

涼しさや夜風を受けて走るかな

鮎上る流れや遠く雲の峰

雲の峰崩れてさらに大きかな



今日は夕方ひさしぶりで原町に行った、暑くて行けなかったが夜は涼しいから行った
最近は夏の雲を観察して写真をとっている、いい写真を撮るには常にカメラをもっていないとシャッターチャンスを逃す、一瞬一瞬風景は変わっているからだ
特に夏の雲は変わり安いのである

原町に行く六号線の坂を下る所で大きなキノコ雲がでてそこに虹がかかっていた
何かこれはめずらしい、雨が降ってこの虹がかかったとも思えない
なんでここに虹がかかったのか?
虹を研究して地震と関係づけた市井の学者が虹から地震を予知した
これは何なのか?地震と関係あるのかとなるとわからない
ただいい虹である、大きくはならない虹である

ともかく今日はなんとか原町に行けてよかった、やはり買い物があり原町に一週間に一回くらきは行く必要があるからだ、ただこの電動自転車は荷物をのせるには苦労している



2021年08月02日

アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ


アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ

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にいにいの街中に鳴きめずらしやその声聞きて朝を迎えぬ

大輪の芙蓉は花の王者かなとりどりの花囲みて咲きぬ

鬼百合の花十輪大輪の芙蓉を囲み燃えて咲くかな

庭広くアメリカ芙蓉の隠れ咲くとりどりの花も映えにけるかな

駅に咲く芙蓉の花にとりどりの花や乗り降りの人


芙蓉は南国産である、やはりこれだけ大きいと南国産になる、でも北方系では北海道などにシラネアオイとか咲くから大きな花はある
これはしかし色も鮮やかで南国産である、写真のはアメリカ芙蓉である
これが駅前と他の家の庭にも咲いていた
これだけ大きいと目立つ、花の王者にも見える
蓮の類だとするから確かに大きいことで似ている、大きな花は牡丹でもそうである
これも花の王者なのである,カンナなども大きな花でありこれは外の畑などに咲いているのが似合っていた

芙蓉が俳句では秋になっている、でも夏でも映える、夏にふさわしい、この花を中心に様々な小さな花も咲く、中心になる花になる
ただ俳句にするとどうしても芙蓉だと秋になっているからこまる
今日も暑くて外に出れない、朝のうちに写真をとった

駅にもアメリカ芙蓉が咲いていた、でも駅には本当に人がいない、今は何もしていない、できないのである、やはりもっと人が多くないと淋しいとはなる
ただ高校生の見守り役がいて一応駅員にはなっている
高速のSAと比べると人の乗り降りが少なすぎるのである、高校生の通学のためにあるとなっているのがローカル線である
なんか推理ドラマでどこの駅で切符を買ったとか無人駅でおりたとか映していた
それは30年前くらいの映像なのである、なぜなら万博のことを話題にしていたからである

何かテレビのドラマを見ると30年前とかになっていて昔を偲ぶとなる
今は切符でもあまり使わない自動化しているからだ
いちいち切符をはさみで切ったりしない、あれば乗ったという印しだった
今は自動化しているから切符を切る駅員はいなくなったのである
ただ注意すべきは監視カメラで見ている、それで駅長から自分は駅内に入った時とがめられた、無人駅でゴミなどを見ていたからである
意外と無人駅でも監視カメラがあり出入りを見ているのである
ただ30年前となると駅員が人の出入りを記憶していてそれで犯人を探すが今はそういうことはない、自動化しているからである、そしてみんな監視カメラで犯人を捜しているのである

玄関にいたらニイニイゼミが鳴いていた、めずらしいと聞いた、蝉は鳴き始めたがまだ少ない、ニイニイゼミはあまり聞かない、とにかくこれからも暑くなる
コロナウィルスで外に出れないし暑くて外に出れない、夕方やっと出るだけである



2021年08月01日

芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


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海に向き芙蓉の咲くや船の行く

揺れる船近くに見ゆや雷鳴りぬ

鬼百合や波打ちしぶき船のゆる

鬼百合や浪打しぶき釣りの人

しぶきあび釣り人あれや夏の海

波ひびき浜通りなれ雷鳴りぬ

雷鳴りて濡れて帰るや自転車に


暑くてぐったりした、それで曇ってきたので海の方に行った
海老の浜に行くと芙蓉が咲いていた、芙蓉というと秋にもなるが芙蓉は広い海にもふさわしい、芙蓉は好きな花である、何か大きくゆったり咲くからである
女性でも性格がいろいろありゆったりとした女性がいるし神経質な女性もいる
それは男性でも同じである、私は神経質なのでおおらかな女性がいいのである
細かいことを言う人にあっていない、それで私の姉はそういう女性だったから良かったのである、でも母は自分と似て神経質で繊弱だからかえってあっていなかったのである
人間はやはりこうして家族に影響を受けやすいのである
夫婦になってもそうである、性格が同じだとかえってうまくいかないとういこともある

漁船がまじかに見えた、かなりゆれていた、それでカメラが20倍とかなっているので乗っている人が見えた、二人である、この船は烏崎港から来たものである
こうして船でも魚をとっているとき人も活きているのである
ただ相当に海で魚をとることは危険である
とにかくこの辺は変わりすぎた、前は松原がありその松影で私は休んでいたのである
その松は全くなくなって風車の風景になってしまった

海老浜の部落は消失した、そこは原になってしまった
鬼百合が咲いていた、そして崖の下で釣りする人がいた、そこはかなり危険な場所である波しぶきをあびる場所である、釣り場としてはいいが危険である
時々釣りして死ぬ人がいる、ただ釣りは生業ではなく遊びだとみられる
でも海はやはり危険ともなう、川でも時々釣りして死んだ人がいるからそれなりに危険だとなる

とにかく突然雷が鳴ったがすぐやんだ、多少濡れたが涼しくなって良かった
今は山の方が晴れている、たいしたものではなかった
雷はパソコンが危険になる、雷で突然停電になったりするとまずいから困る
浜通りは福島県の海側であり海の景色になる
それが普通なのだけど中通りから会津になると山側なのである
この山側の感覚がわからないのである、また山しかみないとなると海のことがわからないただ海側だと海から涼しい風が吹いているからそれほど暑くないから気候的には助かるのである

2021年07月23日

のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)


のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)

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こちをつりあげる

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津波にも残った右田の木ー後は何も残らなかった



のうぜんや我が家栄い幸分けつ

夏の雲海に湧くかなひびく波

夏の海エイの子どもを釣りにけり


ノウゼンの我が家を飾りあまたかなまた一輪の今し散るかな

夏蝋梅高くも伸びてその葉陰ノウゼンの花からまり咲きぬ

朝静か黒揚羽一羽舞い入りぬ石の黙して引きこもるかな

我が庭に一羽とまりて黒揚羽休むもよしや石は黙しぬ

津波後三本の木の残りけり十年過ぎても離れざるかな


ノウゼンが今盛りと咲いている、我が家は栄えた、二代でも栄えた
残されたのは自分一人でも栄えた家である、そこには犠牲があった
不幸もあった、でもなぜかこの家と家族で育てられて自分はたいして才能もなかったが
才能を個性を出すことができた
おそらく一人の人間の才能を開花させるには親は犠牲にされるとなる
また次代のものを育てるために親は犠牲になる、だから一代で栄えるのはむずかしい
あまににも貧乏では才能を開花させることはできない
辛い仕事で余裕もなければできない、それで才能を開花せずに終わった人も多いのである才能といっても生まれつきなにかあったとしてもそれを開花させる環境なかったらできないのである
何か自分は特別恵まれていたのである

そこであまたノウゼンが我が家を飾り咲きその幸を分かつとなる
これが咲くときは野馬追いになるが今年も中止になった
夏蝋梅は茎が高く伸びて広い葉が覆う、そこにノウゼンの花が蔓が伸びてからまり咲く
いかにも夏らしい風景だとなる、狭い庭でも庭を楽しめる

ただ黒揚羽が舞い入り石は黙している、そのように自分も石のように黙して引きこもる
それが長年の自分の生活だったのである、そこで引きこもり時代のようになったがそれは自分にはふさわしいのである、でも家族に恵まれたからそんな生活をできたとつくづく家族を全部失って感じたのである
今は全部自分でしなければならなくなったからである、家事を全部やることは手間だからである



エイの生息分布は北は北海道南部から南は東南アジアまで、広い分布域を持ち、日本を含む東アジア地域位生息しています。 浅い海の泥や砂地を好み、特に幼魚では海水浴場の浅瀬や川の汽水域にも生息していることがあり、海水浴場に遊びに来た人や潮干狩りに来ている人は遭遇するかもしれません。

エイの釣り情報 釣り場 5月から10月にかけて広い時期に釣れる。

エイは群が集まる河口の周辺で釣るのがおすすめで、エサとなる底生動物が溜まる淀みの部分や消波ブロックの周辺などを狙うのが狙い目です。 釣り方は仕掛けをポイントに投げ、置き竿であとは狙いがエサを食べるのを待つだけです
https://kurashi-no.jp/I0012414

まず「カスベ」はエイに良く使われる名前で、魚のカスっぺというところが由来です。なんとも悲しい名前ですね…。

また「スベスベ」というのはそのままで、鱗が少なくて触った感じがスベスベというところが由来です。
https://aquariumpicks.com/deep-sea-ray

「大言海」には、『昔の公家などが正装した時に手に持つ細長い「手板」を「笏(こつ)」といい、今も神官が儀式の時に用いている。魚形が「笏」に似ているところから訛ってついた。』とある。

ガラゴチ(瀬戸内)・・・・「ガラ」は「瘡(かさ)」の方言で、体皮の粗雑なことを言う。この魚の鱗が堅くカサカサしているこ
              とからの呼名。
ゼニゴチ(長崎)・・・・・・銭瘡ゴチの略称で上記と同様。
ヨゴチ(富山)・・・・・・・・「ヨ」は「エ」の転で「善」や「吉」の意。ヨゴチとは上等のコチを呼ぶ。
ムギメ(四国)・・・・・・・・麦の穂の出る晩春初夏に旨い魚の意で呼ぶのであろう。

11月頃になると瀬戸内海の水温も20℃を切るようになる。春に20℃を越すのが6月なので、陸上での季節感とはややずれたものがあるが、魚たちにとってこの20℃前後が暮らし振りに変化をもたらす温度帯である。

コチの頭は嫁に食わせ・・・・・・棘だらけで食べるところがないコチの頭を食べさせて、にくい嫁をいびるという意味。
コチの頭には姑が知らぬ身がある
                ・・・・姑はコチの頭だけ与えて嫁をいびったつもりでも、実はコチは頭部にある頬肉がカサ
                   ゴなどと同じで一番旨い。どんなにつまらなく見えるものでも、よく探せば捨てがたい、 価値があるというたとえ。


                   
                   
今日夕暮れに右田浜に行ったら10人以上の人が河口で釣りしていた
波が寄せる場所でも三人とかいたし多かった
最初にマスクしろとか言う人がいた、ここでマスクをしろというのも何なのかとも思ったマスクをしていたが鼻までしていなかったので隠せとなった
他の人別にマスクをしていないのである
ここに来ているのは福島ナンバーだから遠くからは来ていないのである

最初に出会った人はエイを釣っていた、それも小さいから子供である
ここでエイがとれるのかとめずらしかった、エイで調べたらこれは実際は北海道まで結構とれている、北海道の方が水揚げ量が多いのである
ただこれは水温が上がるとやってくる、あたたかくなるとやってくる
魚は回遊していて水温かあたたかくなるとやってくる魚がある、釣りの時期として5月頃から夏がいいというのもそのためである

次に寄ったのが郡山の人でありハゼを釣っていた、私がいるときも一匹釣った
これはどこでも釣れる、この人はエイを下流で釣ったと言っていた、大きいものだった
エイは結構いるのである
またウナギの小さいものを釣ったとも言っていた、ウナギがまだいるのかと思った
天然のウナギなどいなくなったと思っていたからである

私は前は浅瀬でしじみをとっていた、津波の後に浅瀬がなく上流の方でしじみをとる人がいた、ただ前とは相当に川が変わったのでしじみをとる人はあまりみかけない
しじみはスーパーで買った、地元でとれればいいがそれもできないのは淋しいとなる
この人は郡山市から来た人だった、釣りを始めて十年だという、小名浜とかにも行っているという、ここに来ているのは地元の人でない、福島ナンバーで中通りの人がほとんどである、中通りには海がないから釣りのために海に来るのである
そして浜風が涼しいから魚はつれなくても気分いいとなる
ただ右田浜の松原がなくなり高い堤防になり家もなく風車になった
あまりにも変わりすぎたのである、昔の面影は何もなくなったのである
その人はそういう光景を知らない、ということはここには釣りに来たことがなかったとなる

次に波を寄せ九方見たら一匹の魚を釣り上げて車の方へ向かう人がいた
その人の所に行き魚を見たらこれはコチだという、、その魚をはじめて知った
意外と海側に住んでいても魚ことや海のことを知らないのである
そして魚の種類が多すぎてわかりにくいのである
魚の生態もわからない、地域によって呼び名が変わるというのもわかる
同じ魚でも地域によって変わる

今日はオリッピックの開会式だけば見ない、NHKでも最近ほとんど見ていない
何かオリッピックには興ざめしたからである、そんなもの見る価値もないともなった
それは世界中で起きている、もうオリッピックは今までのように見ないと思う
一部の利権であり利益のためのオリッピックだったことが可視化されたからである
それが極端だったのである、オリッピックがこんなに汚れたものだとは思っていなかったからだ
今や関心あることは分散する、今日は海岸に行って釣りの話を聞いてそっちの方が面白かったとなる

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2021年07月22日

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City of Indus  Civilization

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2021年07月21日

野馬追の旗、鮎、雲の峰、黒揚羽(隣の空家)


野馬追の旗、鮎、雲の峰、黒揚羽(隣の空家)

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野馬追の旗印は何を意味しているのか未だにわからない

これは何なのか、旗を調べている人もいない


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野馬追の旗のなびくや雲の峰

旗印鮎の上りてはねにけり

競い合い左右に高く雲の峰

六号線夕陽に赤く夏の雲

大広間我が眠るかな夏の星


我が庭を今日も舞いゆく黒揚羽石は黙して家にこもりぬ

我が庭の夏蝋梅の葉陰にそ黒揚羽の休みけるかな

のうぜんの我が家を飾りこの街に栄えし時そここにありしも

隣なる家は空家やあわれかな薔薇一輪の残り咲くかな

隣なる家に残りぬ庭の石二十年住む人は去りしも

故郷の木陰の道の親しかな暑き日なれど今日も行きけり


毎日夏の雲が湧いている、野馬追いは今年はするにしても一部であり雲雀が原での神旗争奪戦はしない、一応行事として小高の野馬掛けなどをするだけである
ただ橋に野馬追の旗がたてられているから野馬追いを感じただけである
真野川にはやはり鮎が上っていた上流でも鮎の群れをみた
やはり下流で鮎が跳ねて水が出たので上ってきた、これは放流した鮎ではなく去年放流した鮎が育った自然の鮎なのだろう、小さい鮎だからである

隣の家は空家になった、広い庭があり石があった、その庭に入り石を見る
薔薇も一輪咲いていた、何か隣となるといつも見ていたから自分の家の延長のようにも見ている、そこには樹々があり風にそよぎ緑があるから気持ちいいのである
隣でもやはりこうして樹々があるとかすると気持いいのである
20年も住んでいたとなると何か借りていたとも思えないだろう
その人はただ近くに新しい家を建てて移った
他の空家はそうではない、人がいなくなり誰のものなのかもわからないのだ
ただその庭は広いしもったいないと思う、でも所有者がいるから勝手にはできない

黒揚羽が庭に休む、石は黙している、そして私は引きこもりじっとしている
何かこういう生活か今までの自分だった、人とほとんど接することなく家に引きこもりまるで沈黙の行をしていたからである
それも異常だった、それができたのは家族が二人いて自分を60まで世話してくれたからである
そのために私は二人の親への思い入れが今でも強いのである
他の女性は息子に縁を切られた、それはおそらくその親に金をねだられたり世話するのが嫌でそうなった、全く関知しないからである、家族遺棄社会というのもわかる
何か今や家族でも介護でも頼りにならなくなっている
それは介護となると負担が大きくなるからそうなる、仕事でもやめざるをえなくなったりするからだ

ともかく暑いので夕方6時になってやっと買い物に行く、暑さでばてる、特に汗が出ないから老人は熱中症になりやすいのである、家にいても死ぬということがある
やはり汗が出るということは体温調節することであり汗がでないと熱が体内にこもり熱中症になるのだ
近くの木陰の道がありそこは気持ちいい、後は家に籠もっているだけであり運動不足になる、また暑くて原町にも行けないのである
何か老後は家が大事になる、家が住み心地が良いと楽である、それはやはりあまり遠出とかしないからである、家に籠もることが多いからそうなる
その家も広いといいのである、家の中でも歩ける廊下とかあると気分転換になる
その広い家から夏の星がきらめくのが見えた

2021年07月15日

田園の小径(詩) (自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)


田園の小径(詩)

(自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)

あちらこちらと気ままに蝶の飛ぶ
白鷺が忍び足に歩み狙いを定め
辺りを乱さず餌を的確に獲る
草叢深く藪甘草の点々と咲く
情厚き田舎の人のように
田舎のともしびのように
梅雨はまだ明けぬ夏の夕暮れ
でで虫は急がす歩み
森の中に鳥が鳴き塒に眠る
道の辺に所を得て石は黙し
自然は自ずと調和する
神知らしめる世界にあれ
老いて残り少なき日を楽しめ
我が家は豊かに恵まれぬ
神に祝福されし者よ
その富は分け与えむ
しかし老いと病と貧に苦しむ者
その嘆きは尽きることなし
ただ田園にたりぬを言わじ
神のその日の糧をそれぞれに与えしを
平和なる田園にあれ
田園の荒れれば悲し
山鳩の葉陰にとまり平和なれ
少なきもまた良しとすべしかな
人の欲の限りなければなり
その土地土地に与えるものあり
そこに実りのありて幸いのあり
外にのみ幸いを求めて得られず
その足元に幸いのあるを知るべし


ブラウニング「春の朝」

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


神しろしめすというときそれは自然の中にあり自然の営みのなかにある
ただ自然という時意外とそれを知ることがない、自然がどういうものかわからない、とにかく自然を知るには時間がかかるのである、木が成長するのに50年かかるように人間も自然を知るには同じようにかかるのである
自然で一番不思議なのはなぜいろいろな生物が動物がいて餌を得ているのか?
それが一番不思議なのである、なぜなら人間ほど毎日の糧を得るために汲汲している者はない、そのために食糧でもなんでも貯蔵している、ため込んでいる
自然にはそういうことはない、でも日々の糧は与えられているのである

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか

これは自然を観れば実感する、日々なぜその食料が与えられている
貯えることはしないでも日々与えられている、人間はもういくら食料があっても金があっても明日食べ物が得られないと不安なのである
そういう不安が消えることがないのである
だから自然を観察しているとそういうことがないことが一番不思議だとなる
今なら米にしてもありあまっている、そしたら食べ物がなくなるということは考えられない、でもなくなるという不安がなくならないのである

確かに石油とか電気がなくなることはありえる、それは魔法のようにして産みだされたものではない、電気も実際は石油が基で作り出されている、何か燃料となるものが必要なのである、原発も魔法となるのがそれは余りにも危険なものだったのである
でも人類は戦後でも炭を燃料としていたのである
電気など裸電球一つであり使っていないのである
ここ1世紀くらいが電気を使っているでありそれまでは使っていないのである
つまり人間は電気無しでもこれまで生きていたとなる
電気がなく死ぬことはないのである、でももう今や電気がないと生活できないとなったし車がないと生活できないとかなったのである
でもそれで死ぬことも人類が滅亡することもないのである
むしろ原発で滅亡することがありうる

今や人間は自然から学んでいない、田舎に暮らしていても農民でも1割にもならないし
自然を学んでいない、そして不満ばかりを言うのである
自然を学ぶというときこれは田舎に住み相当な時間が必要になる
なぜなら山であり木であれ長い時間のなかに成長するものでありそれと同じように長い時間をかけないとその意味するものが何か知りえないからだ

自然を観察しているとそれは単純なことでも知りえないのである
キリストは自然を観察してそのことを語ったのである、なぜ人間だけが毎日不安と心配が消えることがないのか?それはいくら貯えてもいてもそうなのである
でも日本でも今や米なら余っている、貯えられている、なくなることはないのである

とにかく自然を観察しているとそこに平和がある、調和がある、でもこの辺は津波と原発事故で乱れた、田園は荒らされた、田畑は原野化したのである
その原野化したとしてもそこに自然に美があり原始的な湿原が生まれたのである
それも不思議なの光景だった、津波では無惨なものしかなかったと見ているが奥深く入江が生まれて波が朝日に光りきらきらと寄せた、それは八沢浦とかでそうでありまた他でもそういうことがあった、それで驚嘆したのである
他にも釧路湿原のような原初の自然が甦ったのである
確かにそこでは赤子が死んで津波の中から発見されたということなど悲惨があった
ただ自然が甦ったということに驚いたのである

もう工業化した現代文明は自然に学ぶということがなくなった、自然より科学技術一辺倒なのである、だからこそ原発に頼り科学技術者を神のようにも崇めたとなる
それで確かに豊かになったのである、ただその豊かさは原発事故でだいなしにされたのである、第一故郷に住めなくなったらもともこうもない、住めないということが最大の被害だったのである、貧乏でも住めるならいいとなり蝋燭でも家族とともに故郷に住みたいというようになったのもそのためである
そもそもそうして人は電気無しでも住んできたのであり死ぬことはないからである

神しろしめす世界とは自然のことである、それは田園にある、都会にはないのである
ましてや東京のような一千万の都会にはもう自然はないのである
ただて田舎に住んでいる人が自然を知っているかというと知らない
むしろ金にならないとか不満の方が多いのである、だから原発が金になるということで積極的に誘致したのである
なぜなら農業でも漁業でも林業でも衰退産業であり1割にも満たない、それはもう常に金にならないとなり拒否されてきたのである
親も跡を継ぐなと子供を殴ったりした、その子供は原発で働くようになったのである
そうして故郷に住めなくなったのである

お前の言うことは現実を知らない、甘いというのもわかる
どれだけ農民が苦しんできたか知らないというのもわかる
だから農業とか漁業でも林業でもすべていいものとはならない、自分の場合は自然から糧を得るということはしていないからである
それがどれだけの苦労かわからないとなる、私の場合はただ自然を観察しているだけだとなる、だから楽だなと見られる、農民の苦労を知ったらそんなことにはならないというのもわかる
だから別に農業とかが全部いいとはならない、農業でも工業的なもの道具が不可欠であり稲荷神社とは鋳成りであり鉄で作られる道具を祭っていたとなるからだ
農業文明にしても工業文明があり溜池を作る土木事業もあったからだ
農業とはそうしてやはり総合的なものなのである

問題は田舎でも自然のことを知らない、学ばないということである
キリストがナザレの田舎から生まれたのであり都会ではない
だから自然を観察していてそういう言葉が生まれたのである
そしてどうしても反都会であり反文明になる
なぜなら大都会から東京でもそこから災いがもたらされた
東電は東京だからである、コロナウィルスでもそうである、この辺では東京のライブハウスに行った人が陽性になったからである

奇妙なのは例えばエジプト文明の方が自然を学んでいた、だからこそあらゆるものが生物でも人間と同格の神になったのである,アニミズムとなるにしろやはり自然を深く観察して生まれた文明だとなる
現代文明は自然と遊離した文明であり自然を遮断するのである
卑近な例では車は便利でも風とか光りでも遮断する、鋼鉄で遮断する
だから自転車で行くように自然と一体化しないのである
この自分の詩でもまさに自転車で回っているから感じたことなのである
自然と自転車が一体化している、小径を行くには自転車がいいのである
また燕のように風を切り飛ばすこともある、こうして鳥ともなり蝶ともなり自然と一体化するのである
人間の五感が脳がおかしくなっているというとき自然を感じなくなっているというとき
車ばかりに乗っていたらそうなるのである
だから車がいらないというのではなく人間の五感を車では遮断されるということである

いづれにしろ自然を観察して自然を知らなければ神も知りえようがない
東京とか大都会にいたら自然はわからないからである、そこで人間はうつ病とかなる
宗教などもそうである、都会から生まれたカルト団体の宗教はもう病的なものであり
ナチスのようになる、そこでは自然とかけ離れた世界だからである
当然そこでは本来の生物の平和などないのである、全体が病的異常な社会なのである
その文明から異様なものがカルト宗教団体とか病んだものが生まれてくるのである
ただ田舎では自然を学んだり知っているかとなるとそれもないのである
結局田舎の人間が今や素朴などどない、やはり金しかなくなっている

ただ人間の生活を隠したということで人間が自然の中で隠されたとき良かったのである
だから私自身は田舎にいても人間とは付き合わなかったのである、その時平和だったのである
もともと人間嫌いであったからもある、田舎の人間も醜悪なのである
そうできたのは家族がいたからだとなる
これも異常だったとなるが文明人も異常だったのである
異常性は比較すると見えるのである、自分自身が異常な人間だとしるのは比較するときなのである、その本人もわからないのである
私の所にきたのは介護になったときそういう異常な人たちだった
人のことなど省みない異常化した人間たちであり地獄だった
ただそういう人達は自分が異常だということを自覚していないのである
これと同じように自然界から観察して見た時人間社会が都会でも異常なのかわかるのである

2021年07月14日

夏の小径の花 (フラワーアレンジメントの写真にとる工夫)


夏の小径の花

(フラワーアレンジメントの写真にとる工夫)

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点々と田舎のともしび藪甘草


この道のなお明るしや我が一人花を手折りて帰る夕暮れ

野の花を手折りて帰るこの道やとがめる人なし桑の実もなる

百合の花瓶に挿して匂いけり広き室にし我が飾りけり


雲っているけど外を自転車で一周して来た
街に一軒の花屋で花を買った、ここでは一軒しかなくなった
ただ畑が荒地化したところで花が咲いていたので手折り挿した
そこはとがめられることはない、なぜなら畑は荒地化しているからだ
そういう土地が多くなった、相当に田んぼでも荒地化した
この辺は特に放射線の被害でそうなったがそうなりやすくなっていたのだ
たいがい老人は体が弱り田畑を維持できなくなっているからだ
とにかく田畑を維持することは手間であり苦労が多いのである

藪甘草はいかにも草深い田舎に咲くのにふさわしい、これは何か花瓶にさすのには向いていない、草深い所に咲くのが向いているしいかにも素朴な田舎の女性のような花なのである、昔の農家の嫁のような花である
ただ今は農家でもサラーリマンしていて農業で生活している人は限られているのだ
農家育ちの女性はそういう感じである、ただ見映えが良くないから底辺として苦労して生きたとなる

フラワーアレンジメントでも写真をとるとき他の写真を見たら背景とか照明で工夫している、フラワーアレンジメントのいい写真をとるには写真室が必要だと思った
ただそうなるとめんどうになる、バックの背景を変えて写真を撮った
田舎だと野の花を無料でとったりできる
次は海辺で拾った石を花台にした写真をとってみる
近くにあるものを利用することが田舎ではできる
芸術は別に高価なものを買ってできるともならない、ただ工夫が必要だとなる

2021年07月10日

薔薇、擬宝珠(ぎぼうし)、フラワーアレンジメント


薔薇、擬宝珠(ぎぼうし)、フラワーアレンジメント

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はなやぎて薔薇の花咲く十数輪尽きじと咲きぬ栄なるかな

我が庭のしとと雨ぬる石のそばギボウシ(擬宝珠)の花咲き開くかな


一本の木に二色の薔薇が咲いた、この薔薇は次々に咲いた
他でも薔薇は咲いているからここの土地は薔薇は咲く
だから薔薇を植えればいいと見た、土地に合わないと咲かないからだ

今の季節は梅雨でありしとしと雨が降って外に出れない
そこで庭の石を見ている、擬宝珠(ぎぼうし)の花が咲いている
しっとりと濡れて咲いている、梅雨にふさわしいとなる

フラワーアレンジメントは壺とか背景とかでも違って見える
写真を撮るのにはそこを工夫しないときれいにとれない

今年はこの辺は雨はさほどふらない、何日かして晴れる
去年は雨が降って被害があった
もう少し雨が降った方いいようにも思う
田んぼで水抜きするというのは水があまりたまっても稲の生育には良くないからだ
田んぼは水の管理がむずかしいのである

2021年07月05日

梅雨の詩(老鶯鳴く田舎)


梅雨の詩(老鶯鳴く田舎)

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故郷に老鶯鳴く

土手の道老鶯鳴きて草深し
我なお故郷に生を養ふ
歳月はたちまち過ぎて老いしも
70過ぎし齢(よわい)に驚く
かく人生の過ぎる早しも
今死地に入る幽冥の時期そ
雨しとと石は濡れ
黒揚羽一羽庭に舞い去る
常に行く道草深く老鶯は鳴きぬ
我が元に一人の老女来たりぬ
貧しくも我に頼りぬ
我が家族はみな死にたり
人の世の移ろい激しも
津波に原発事故に翻弄されし歳月
今しかし樹々の根のごとく
大地に深く根を張り安定すべし
心乱れず木のごとくあれ
汝を養うもののここにあれ
そが余生のここに安らかなるべし
もはや争いなきを祈りぬ


老鶯というのと夏鶯とは同じ季語でもかなり違っている、感じがまるで違っている
老鶯というと老いたという感覚になる、夏鶯というと明るい感じになる
なぜ老鶯とか言うのか不思議だとなる
老いる鶯というのが良くわからないのである
ただ私の俳号としたのは老鶯は長く鳴いている、春の鶯だと短い期間である
老鶯というのはかなり長い期間鳴いているのである
それで私自身が短歌と俳句でも詩でもいいのが作れたのはずいぶん年とってからなのである
それで長く鳴いているというときそれは歌っている、俳句とか短歌でも詩でも作っているということである

とにかく自分が70も過ぎているということに自分自身が驚いている
そんな年になったのかと驚く、70過ぎるとなると相当な年だからである
だから今はただあとは死ぬだけだということしかなくなっているからだ
人間は年とるのでもこういんう年になっても突然年とったという感覚になるのだ
だから自らその年に驚くとなる

ともかく家のことでも介護でも周りのことでもいろいろ翻弄されているうち十年過ぎたとかなり老いたのである
ただ今落ち着いてこういう詩を書いたのである
梅雨の時期であり何かふさわしいとなる
そして余生は安らかなるべし・・・・とつくづく思ったのである

別に長生きするこは悪いことではない、生を養いなお余生をつつがなく生きたとなる
ただ病気になったらなるべく世話にならず死にたいということである

草深し里でありそこが自分にはふさわしい、私はとても東京のような場所に住めない
やはり生を養う場所は田舎なのである

2021年06月29日

夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真


夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真

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真日さして道幅広く立葵

朝よりし夏の雲湧く走るかな

夏の雲湧きあがるかな海広し

朝ひびく波の音かな夏雲雀


一本の木の木陰に我が休む故郷のその木を今日知りしかな

家の跡一本の松ありにしを遂に切らるも根っこ残りぬ

花台の硬き石にそ一輪の清楚なる花我が挿しにけり


梅雨の晴れ間に夏の雲が湧いた、でも山の方は梅雨の雲でふさがっている
これで感じたことは浜通りというとき海が見える地域である
でも中通りと会津では海は見えない、阿武隈山脈にさえぎられて浜通りから中通りの高い山とかも見えない、猪苗代湖も見えない、その相違は大きいのである
地理的一体感を持てないというときハマ、ナカ、アイヅと福島県が分れて地形も違っているからである、むしろ太平洋沿いの宮城県の方と地理的一体感を感じる
現実の世界でも常磐線で仙台市まで通勤圏になっている所もあり仙台市の方に一体感を感じる
会津となると別世界なのである
それで山から太陽が昇る感覚がわからないのである、また日本海だと海に太陽が沈むというときそれは太平洋から昇る太陽とは逆になるからこれも感覚的にそういう場所に住んでいたら相当に違ったものになる

夏の雲湧きあがるかな海広し

広々と太平洋が広がり山の方は梅雨の雲で塞がっているが朝に夏の雲が湧いている
この句は単純でも浜通りを象徴している

一本の木があった、そこに木陰がありそこを通る、その時その木を始めて意識した
なぜなら暑くてその木陰が気持よかったからである
だから自然にあるものでも何かみんな意識しないのである
なにかのきっかけで意識する、木があるところはいくらでもあるからなかなか意識しにくいのである

近くの家の跡に長く一本の松が立っていた、でも遂にその松が切られた
そして松が残った、家の跡に人も住まなくなって長い、ただ一本の松がそこに人間のように立っていたのである、松はそれほど高くないから人間のように見えるのである
何か長くあるものはそれがなくなってもすぐには忘却されない
長くあったからいつも見ていたからそこにまたあるような気になる
それは人間でも同じだったのである
長く一緒にいれば死んでも家族でも消えないのである

花台の石は浜に行って拾ってきた、でも暗くて映っていない、花台にはいい石だった
ここに昼間また花をさしてみよう
花台は男なのかもしれない、そこに一本の花を挿す、まさにこれは幽玄の美である
生け花とかフラワーアレンジメントも芸術である
それは花瓶とかその花台とか背景とか全体が関係しているのである
一つの美的な場を作ることだからである
だから花台の石も関係していたのである









2021年06月25日

雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる


雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる

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鯉が泳いでいる

睡蓮やゆうたりと浮かび鯉泳ぐ

次々に鮎の跳ねたり雷鳴りて虹のかかるや夕べの川かな


雷が鳴った、でもすぐに止んだ、雨はぱらぱらしか降らなかった
なんか雨がこんな感じで長く降らない、だから川に水が流れていない
でも下の方に行ったらそこは水がかなりある
堰で水の流れが止められているためである
そこで鮎が次々にはねていた
上流では鮎が上るのを見ていない、だから今年も鮎が上ってこないのかと見ていた
去年は鮎を放流したのが群れて上っていた、それは大きい方だった
でも放流しても次の年は上ってこない
鮎は一年で死ぬとするとその親が子を産み下流から海から上ってくる

秋に河の河口近くで孵化したアユの仔魚は河口から遠くない範囲の海にでてプランクトンや小さなエビなど動物性のものを食べて育ち、春になると5〜10cm程の稚魚となり河を遡上しはじめ、食性も主に岩に付いている藻を食べる

 秋になると産卵期を迎え、体色も婚姻色へと変わり、1匹のメスの産卵に対し、複数のオスが射精することが知られています。通常アユは1年でその一生を終えます
 
 一年で死ぬから年魚ともいう、私が見た鮎は去年放流した鮎が産んだ子なのだろうか?今年また放流したのだろうか?その辺がわからない、漁業組合に聞けばわかるかもしれない、確かに鮎が跳ねていた
もし去年放流した鮎だとするとそれは自然の中で鮎が育ったから自然が回復したともなる
川を観察するのは10年くらい鮎を見なかった、見たのは放流した鮎でありその鮎が子を産んで川に上ってきたというのは見ていないのである
もしそうなら自然が回復したと見るからだ
この辺では自然が回復することはやはり人間の営みだけではない、それはやはり復興になる
それで田んぼが回復して蛙の鳴き声がひびいたとき復興したと感じたからである
するとその蛙を食べる鷺がもどってきたのである
つまり田舎では生態系を身近に観察できる
ただ何か川で子どもの頃、カジカとかいてとっていたが川に魚など見ないのである
ただドジョウがいたのは見たことがある
やはり生態系を見るのは人間と関係しているからである

光学30倍のカメラでその鮎の跳ねている姿を撮ろうとしたができなかった
動画でとれば良かったとなる,光学30倍でも小さいものを撮るのはむずかしいとなる
真野川には鯉がいる、これは目立つ、それは放流されていついたのである

とにかく虹がかかった、でも虹も半分くらいの虹だった
でも今日は暑くなった、夏らしかったとなる

 



夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮


夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮

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右田浜

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海老浜

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一つの木に二つの色の薔薇が咲いている


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光学30倍だと大きくとれる、でも汚点(しみ)が見えた



夏の朝波打ち際に釣りの人

夏の海朝日光りて釣りの人

夏の朝波のひびきて雲雀鳴く

木にとまり朝の河岸鷺休む

睡蓮の近くに寄れば汚点見ゆ


車輪梅海老浜に咲く村は消えしもここにまた咲く

津波跡松の育ちて車輪梅海老浜に咲く村は消えしも

ほのあかく薔薇の花咲く我が庭に雨しととふりぬれし梅雨の日

薔薇の花一つの木にそ二色や朝日のさして映えにけるかな


梅雨になりこもるだけである、だからなかなか俳句短歌はできにくい
今日は朝晴れたので海の方に行った
そしたら雲雀が鳴き波打ち際で釣りする人が何人かいた
あれはなかなか豪快だと見た、釣りは自然と一体になったものとして見る
だから釣りする人は絵にもなる

ただこの辺の海は津波で余りにも変わりすぎたのである、もう前の面影すらなくなった
わずかにこの砂浜だけが残ったのである
ただ前も砂浜はなくなっていた
今は松原もないしキャンプ場もない、防波堤が高く作られて囲み風景が失われた

でも海老浜では車輪梅(シャリンバイ)が咲いていた、この花は南限の地として海老浜が有名だったのである、奄美大島辺りから種が流れついて咲くようになった
ただこの辺は気候の変わり目でありそうなった
真野の草原の万葉の歌はそうした気候の変わり目として境として歌われたのである
海老村は津波で消えてしまった,50軒くらい家があったのか残ったのは数軒になってしまった

薔薇は根付きやすい、そしてこんなに咲くのが意外だった、私の庭は土が悪いので根付かないのである、でもこんなに多く薔薇が咲くのは不思議だとなる
ただ多少肥料をやったせいかもしれない、花も野菜と同じで肥料をやらないと咲かない
でものうぜんかずらは玄関のコンクリートに囲まれた中のわずかの土でもその下に深く根付いて咲くのである、花でも木の花だと土深く根付くと花も栄養をとるので咲きやすい
でも根を張らない花は咲きにくいともなる

パナソニックのLUMIXは光学30倍であり鳥などをとるにはいい、いいカメラである
倍率が高いカメラを欲しかったので買った、それで今回鳥を撮ったのである

2021年06月12日

夏の日、立葵、(幅広き街の道)


夏の日、立葵、(幅広き街の道)

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立葵は明るい陽射しにあう、梅雨の時期に合わない花である

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声高に鳥のさえづり幅広き道に映えにき立葵かな

我が歩む常なる道に山鳩の葉群れの陰にとまり見ゆかな

雨ともし溜池ありて流れ来る水の音聴く田の畔歩む

赤々と夏の夕陽の没りゆくに声の限りに雲雀鳴くかも

我が庭に二色の花藍色に紫の花色深め咲く


この頃暑い、それで熱中症気味になる、老人は汗がでない、自分は特に出ない、すると熱中症になりやすくなった、この熱中症は甘くみれない、一二回痙攣起こしたからである
それで死ぬということもありうる
それでアマゾンで熱中症を警告する機械を注文した
知っている人は汗かいて嫌だと言うけど汗をかくのは体温調節するから健康なのである
ただその女性は腰が悪いと常に言っている

いつもの土手の道を歩くそこの木に山鳩がとまっていた
それを写真にとった、カメラは軽いのと重いのとでは相当違った感覚になると思った
重いととっさの場面をとりにくいのである
だからこの一万の中国製のカメラは優れている、でも大きいし持ち運びにいいとはならない,ズームも弱いからだ
ただこれだけ大きくても軽いということはカメラとして優れていると知った
何か一眼レフは重いからだ

六号線に出る幅広い道はめずらしい、どうしても日本の道路は狭くなる、アメリカとか中国だととちが広いから広い空間を活かせる、それで啄木の歌があるのは札幌だとなる

幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ

北海道は日本では平原のような所があり大陸的だからである、それで梅雨の時期はいつも行っていたからぜいたくだった、梅雨も嫌だし暑さも嫌である
ただここでは海からの風は吹いて涼しい、ただ右田浜の松原がなくなったことは残念である、あそこでいつも休んでいたからである

何の鳥か一羽しきりさえづっていた、街の中に鳥が来て鳴くということは回りに自然があるということである、でも店とかはほとんどないのである
あそこはツルハのための道路だともなる

今年は雨が何かこの辺でともしい、ぱらぱらとしか降らない、それで田も一部乾いているとも見る、でも溜池がありそこから水が流れて来る、その音を聞いて安心はする
いくら雨が降らなくても水は山の奥で流れている、水をためる機能がある
だから丸森のようにソーラーパネルで山全体をおおったのは危険ともみる
木がないから水をためられないし大雨で土砂崩れもおきやすいとみるからだ

夕陽が赤々と映えて沈んでゆく、何かそれはもう人生の終わりに輝く太陽ともみる
その時雲雀がしきりになく、つまり人生の最期に声の限りに歌うのである
それで今私はそうして旅したとかを回想して作品をまとめているのである

庭にまた一つ花を植えた、この花はなかなかいい、色合いがいいのである
庭作りはやはり老後の楽しみにはいい、生け花などもいい、巣ごもり生活にもいい
ただ花が高いのと庭が広くないとそれなりに楽しめないとはなる

2021年06月03日

夏の日の俳句十首(田舎の小径)


夏の日の俳句十首(田舎の小径)



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夏あざみ十輪ほどや草深し

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クリック拡大で鮮明に


復興や声高に鳴く蛙かな

十種類花の買いにき夏の雲

門に松庭の奥にそ白菖蒲

黄菖蒲や新築の朝の御堂かな

トオスミの沼にひそむや隠さる径

ホトトギス街中に鳴き夕べかな

野の道に黄菖蒲映えて夕日影

そちこちに老鶯鳴きて田舎かな

人知らぬ木陰の径や田舎かな

畑にそポピーの赤く夕燕

夕燕交差し飛ぶやポピー赤し



田んぼに声高に蛙が鳴くというとき復興を感じた、でも田んぼでも原野化しているのもまだ多い、それは前から農業が後継ぎがいないとか原発事故だけではない
いづれは耕作放棄地になるともなっていたのである
この際あきらめたとなる、あとは耕地整理で広い田んぼにする工事をしている

田舎の魅力が小径にあるというとき田舎にはそうした小径が多い
そこを散歩するなり自転車で行くと涼しいし気持いいとなる

昨日は花丸に花を買いに行った、荷物をつけられる自転車だと原町までも結構楽ではなくなる、それで困っている、あそこは花の種類が多い
シラネアオイとかも売っていた、あれは北海道に咲く大きな花である
でも高山植物は庭に植えても根付かないだろう
花を見るには北海道がいいとなる
それで梅雨の季節にはいつでも北海道に行っていたのである

そのようにいかに自分が恵まれていたかをふりかえる
それも家族に恵まれたからだとなる
だから家族の影響は人間にとって本当に大きい
家族によってその人間形成が左右されるともなるからだ

ホトトギスが街中にも鳴いていた、ということは街があってもやはり自然の影響がある
まわりは田畑であり街中にもホトトギスが来るとなる、それは原町でもあったからそこはそれなりの大きな街でも周りは田畑だからそうなる

大内村のあの家は古風な作りでいい、蔵があり松があり門がありその奥に白菖蒲が咲いていた、その隣に古い御堂が新しくなっていた
この御堂は800年代のものであり坂上田村麻呂に由来しているからこの辺では相当に古い薬師堂だった、ということは大内村はそれだけ古い由来がある
それを証明しているのがこの御堂なのである

2021年05月28日

竹の子、菖蒲、夏の山、薔薇(夏の日に近辺を回る)


竹の子、菖蒲、夏の山、薔薇(夏の日に近辺を回る)

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紋見るや夏の日影に蝶一つ

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竹の子のここに伸びなむ力かな

校庭に若き等の声若葉かな

ゴミとして捨てらる蟻のあわれかな

草深し墓地にあやめや文久と

押し車畑を行くや菖蒲咲く

野の道に桑の実食べて甘きかな

一時の牛越城や夏の山


我が庭に牡丹の継ぎ咲き絶えじかも栄もここにつづくべしかな

薄紫の薔薇の二輪を我が植えてまもなく散りぬはかなかりけり

薄紫二輪の薔薇の散りにしも心にとめぬ我が庭なれば

田の道に夏の日影やなおさして我が走り行く悪路なれども



庭に薄紫の薔薇を植えたが一時咲いてすぐに散った、これは根付かなかった
何かそれで源氏物語のことを思い出した

「紫」の名は古今集の雑歌

「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞみる」

女性は関係ないにしろ紫とは上品な色なのである、この感覚である

牡丹だけは二十年なのかそれ以上なのか咲き続けている不思議がある
種が落ちてまた今年も二輪くらいは咲いたからである
こうして同じ場所に咲き続ける、そうしてこの家の栄もつづけばいいとなる
でも空家化してくる、それが問題なのである

今は菖蒲(あやめ)の季節であるが散り始めた、桑の実はどこにでも鳴ってきる、これが甘いのである、だからこうして無料で食べられるものはマナだとなる
理想的にはこうしてマナを食べて自由にどこにでも鳥のように行けたらいいとなる

今日は晴れたから朝と晩に自転車で近くを回った
昼間は日射病になるから行けない、晩方はすずしくて気持ち良かった
そこに竹の子が生えていた
何か自分自身が生きている土地に竹の子がでてくることは力強いと感じた
竹の子は食料にもなるからだ
でも今は食料でも地元でとれたものをほとんど食べないのである
スーパーで外から来たものを食べるだけだとなる

そうなると本当に田舎に地元に生きても何か力が湧いてこないともなる
そういうことが本当はグローバル社会の問題でもある
本来はなるべく地元のものを地産地消がいいのである
グロ−バル経済が一見いいようで何かそれが本来の自然に生態系に基づいて生活していないからすべていいものではなかった
それでコロナウィルスが生まれたと言う科学者もいるから共感した

ここに地元に竹の子が伸びる、それを食べる、何かそれは遠くから来てスーパーで食べるのと同じようで相当に違っている、その竹の子を食べたらその土地の力を感じるだろう
そういうことに農業の意義があったとなる
でも現実はもはや不可能になっている、自分自身すら米は会津の米がうまいと他でもブランド米を買って地元の買わないのである
どうしてもうまいのを食べたいからそうなってしまったのである
グロ−バル化というとき外国まで食料を輸入する依存することは相当に問題なのである
竹の子は夏の季語であった

原町の牛越城は5年間しかもたなかった、その後は相馬市の城に移った、中村城である
でも5年間でも城ともなっていたのである
だから歴史ともなる、その歴史があるから普通のただの山ではないとなる
だから必ず歴史を知らないと深い見方ができないのである










2021年05月26日

株は人間の心理と深く関係している? (人間は一回損するとまた損すると思う)


株は人間の心理と深く関係している?

(人間は一回損するとまた損すると思う)

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何か株を知っている経験のある富裕な人が株が心理の問題というとき自分もそう思った
景気とは気のことだというのもそうである
みんな景気いいと思えば景気良くなり景気悪いとみんなが思えば景気が悪くなる
そういうことは確かにある

またなぜ人間の心理と深く関係しているかというと

一度損した失敗した経験は脳に深く刷り込まれる

株で一度損するとその損したことが頭にいつまでも残る、また損するのではないかと不安になる、実際はそうではなかったのだ
最近の株高を見てもわかる、こんなに上がるのだったら前にすすめられたとき買えば良かったとなる、買うチャンスが二回あったからだ
今はやりのAI関係とかGAFAとかの株を奨められたとき買えば良かったとなる
また一年前だったかすすめられたとき株を買えば良かったとなる
こんなに上がると思わなかったからである

なぜその後自分は株を買わなかったのか?

それは例えばリーマンショックの時半分になった株が元にもどり上昇した
その時チャートでも上昇傾向になっていたのだから普通は売らない
その時地銀の営業の人はその株を売ってJーreitに回した
そしてJ-reitが暴落したのからまねがれたのはそもそもそういうふうに地銀の営業マン
が信じられなくなったからである、そこで値下がりする前に売って助かったのである
チャートのグラフが上昇傾向の時はそもそも売らないからである

ではなぜ売ったのか?

J-reitを売って手数料をとるためだとなる
常に銀行でも証券会社でも頭にあるのは手数料をとることである
それで客のことは二の次三の次になる
客の利益のことより銀行や証券会社の利益が優先するからそうなる
その判断を地銀の営業にまかせたた自分自身の責任もある
そもそも責任をとるのは客であり地銀でも証券会社でもとらない

こういう経験した結果として何かその経験が頭にすりこまれて買う気がなくなったのである、この人は顧客より自分の銀行の利益であり証券会社の利益でありそれが優先される
何かだから常に買ったり売ったりさせる、その度に手数料が入るからだ

今回のもそうである、チャートで上昇傾向にあるから短期間で百万とかでも勝って売ればもうかるとすすめる
ところがそれも手数料をとるためのものだとみてしまう
なぜなら短期間で売ったり買ったりしていればその度に手数料が入るからである
確かにそれはいい方法にしても地銀とかにしてみれば手数料とるための方便だともみてしまう

だからこういうことを経験すると何か地銀の営業の人は信用できないとなる
この経験があとあとまで尾を引く

地銀の営業の人の一回の失敗があとあとまで尾をひく

つまりそれが頭にすりこまれる、次もまた損するのではないかということで手を出せなくなる
これは本当にその人が悪いというより人間の心理と深く関係していることがわかった
だから株は人間の心理の問題というのもわかった
例えば道を行きどこかでつまづいたりする、その経験が深く脳に刻まれる
するとまたその道を行くことを警戒するとなる
またつまづくという恐怖心が脳にすりこまれるのである

別に株は上がったり下がったりするのだから全部銀行とか証券会社が悪いというものではない現実に一年前でありその前にでも買えばこんなに株が上がったのだから大儲けにもなったなるからだ
ただその時、前の失敗のことが頭にすりこまれてまたそれを簡単に変化させることができないのである
それは人間の心理の問題である

そして株は老人に向いていないという時こうして目まぐるしく変わることに老人はついていけないということである、株の変化が最近特に激しいからである
そうなると一日中株の投資の上がり下がりを追って売ったり買ったりしていなければならない、そういう人がいて大儲けしている人はいる
でもそれもまた疲れる、他のことが何もできなくなるとなる
それも時間の無駄とみる、だから自分は地銀の営業の人にまかせたのである
でもそれが間違いであったと知ったからやめたのである

ともかく老人は変化に弱い、、だから株には向いていないと思った、投資でも向いていないと思った、貯金が一番向いているのだ
でも利子もつかない時代になると貯金も安心できない、そうなると老人は困るとなる
最近はめまぐるしく変わりすぎるからだ
正直津波原発事故コロナウィルスでも変わりすぎた
そして株とかやるとまた変化が激しい、それで老人には株は向いていないと思った
株は短期と長期があるにしろ短期でもめまぐるしく売ったり買ったりするからめんどうだとなるし長期だと先がないから向いていない

要するに人間は何をするにも時期がある

なぜそもそも自分が大金を投資につぎこんだのか?

それをふりかえると思わぬ遺産が入り何の考えもなしに大金を投資したのである

私は全然株のことも投資のこともその時わからなかったのである
その後インタ−ネットで勉強しただけである
そして投資信託の分配金で一か月数十万になるとか読んで決めたとなる
他の記事を詳しく読んでいないで決めたのである

これは何故だったのか?

結局これは別に知識なくても投資をする時期だったからだとなる
投資の知識ゼロでも投資する時期だった、そして遺産が入ったことでそうなったのであるだから何をするにも時期がある
投資するにも時期がある、投資は若い時からしているべきである
例えばなぜ醜男(ぶおとこ)と美女が結婚しているのかとみる
それはその時たまたま同じ職場にいたとかの偶然の出会いでそうなったともみる
何かいろいろ考えることもなくその時二人が出会ったとういことが大事なのである
その時期に出会ったということが大事でありそれでそうなったともみる

そして人間は時期を逸したら何もできなくなる

つまり自分の大金の投資も別に得する損する知識があるないとか関係なかったのである
ただたまたま遺産が入ってそういう時期にあっただけだったのである
その後は失敗したからもうからないという頭のすりこみが強く株をする気もなくなったのである、それでまた逆に失敗したともなるのだ
なぜ老人が株に向いていないのか、それは長期に見れない、株は長期にみればもうかるものなのである、それはリーマンショックで経験しているからである
そして老人は短期の株の売買より長期の方が向いている
一見短期が向いているようで向いていない
老人の心理を理解できないということも問題なのである
老人は先が短い、長期の投資はできないし短期でも向いていない

要するに株とか投資に向いていないのである
一番向いているのは貯金なのである、ただ今は利子がつかないから投資しろとなる
でも老人の心理を知れば株は向いていない、だから営業の人でも売りにくいとなる
そもそも短期で売ったり買ったりするのに老人はついていけない
老人は先がない、とういより老人は死がもっとも身近なものとなるときそうして生き馬の目をぬくような株取引には向いていないのである
ただこれだけ株が上がったという時、株でみんな損することはない、だから株なんかするなと言えない、若い人は株は投資はするべきだと思う
少額でも訓練していれば後で役に立つからだ
そもそも株をしなければ資本主義のことがわからないだろう
だから株をすることは勉強にもなるからである


2021年05月21日

桐の花、夏蝋梅、薔薇(最近の短歌十首ー桐の花の詩)


桐の花、夏蝋梅、薔薇(最近の短歌十首ー桐の花の詩)

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夏蝋梅

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ゴミとして掃かれる蟻やあわれかな


我が家につばめ飛び入り去りにけり新しき事起きるべしかな

庭作り働く人のその姿たくましきかな夏の日さしぬ

はなやかに庭を充たして赤き薔薇今盛りと咲きて映えにき

風そよぎ夏蝋梅の我が庭に心地良く咲き影なし休む

黒揚羽飛びてさりにき我が一人家にこもりぬ裏の路地かな

音もなく桐の花散るひそけくも我が命も散るべきものかな

雨しとと桐の花散るこの道を今日も行きしもひそけかりけり

雨しとと水たまりにそ桐の花映して静か我が一人行く

雨しとと水たまりにそ波紋かな桐の花散り道のひそけし

ヨシキリのしきり鳴きにき河原かな小さき町を我が行き来する



真昼の桐の花


屋敷林の影が濃く

長い木陰の道

蔵があり前畑が広い

農家が点々とあり

家はひっそりとして

誰も顔を出さない

農夫が黙って畑を耕している

桐の木が一本

真昼に花が咲く

年老いて今は思う

こういう所に安らぎがある

人は隠れているがよし

こうしてただよそ者として

通りすぎるとき平和がある

藪をつつけば蛇がでる

土を掘ればまた虫が出る

人の世は欲の世

人と交われば欲が出る

血縁とて交わればもめる

人と人とに平和なし

この世に災いは尽きることなし

この道を行く人まれに

桐の花はただ天上を向き

わずかにそよ吹く風にゆれ

静謐さ保ち咲いている

この道をさらに行けば

墓所ありて眠る人は幸い

人に世話にならず

人知れず眠るは幸い

そこに永久の安らぎがある

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桐の花の季節である、この花は雨しととふる季節に梅雨にあっているのか?
今年は梅雨が早い、いつも行く裏の道に桐の花が散っていた
桐の花も神秘的である、私の性にあっいるのは桐の花かともなる
何か気づかれないようにひっそりと咲いているからだ

いつもの裏の道を今日行ったら水たまりができて桐の花が散っていた、何かそれでしんみりとする
ただ桐というと会津の木なのである、桐箪笥とか桐の木が用いられるからだ
だから会津に行った時、やはり雨しととふり桐の花が咲いていた

雨しとと会津の墓地や桐の花

こんなふうになる、何かその土地に似合った花がある
でもちょっと旅しただけではわからない、真夏にも会津に行ったが奥会津では鬼百合が咲いていた、それも墓地の中だったのである
だから相反した花でも会津という土地柄に合った花だともなる

今自分の庭に咲いているのは夏蝋梅である、これは葉が大きく高く伸びる、そこに小さな花をつける、これも変わった花だと見る
赤い薔薇が咲いてまた夏蝋梅が咲いて夏である

自分の性格は母親ゆずりである、何か人をいとい内向きであり静かにしていることを好むからである、そういう点で桐の花があっているとなる
まさに詩のうな状態にあるのがいいとなる
とにかく人と人の間には必ず問題が起きて災いが起きる
自然は融和しても人は融和しないのである

それでなぜか自分に来た人が離婚した人が多い、最近小高の人も離婚した
その事情と経過はわからないが60過ぎて離婚した
その人と関係していた女性の人も離婚した、あの人も離婚したとかあの人も離婚したのかと本当に離婚が多い、男女でもこうして離婚が多い
熟年離婚も相当に多いだろう、それだけ男女ですら人間はうまくいかないのである

結婚はおそらく私にはわからないにしろ男女の恋愛とかで結婚しても好きで結婚しても
いろいろあっても結婚というのはうまくいかない理由はなにか?
それは男女二人だけの関係にしてしまうからでないか?
それで昔なら家と家の結婚だった、家というの中心にあって結婚があった
江戸時代でも侍の家なら御家大事なのである
だから江戸時代は藩という言葉はない、・・・御家中である、それが公(おおやけ)であり大きな家が一つになって尽くすということになっていた
つまり男女の好きだとかだけでは結婚は成り立たないとなる、結びつかないともなる
私の家は異常な争う家だったけど家が家を維持するいうことで最後まで成り立っていたから維持できたともなる、その家の中心が自分だったのである

ともかく人間関係はむずかしい、どこでももめている、別に家族でもみんなもめている
兄弟でももめている、だかち血縁でもうまくいかないのである
それで自分は人間関係が嫌で引きこもりになったともなる
人間を嫌い山や木や石とか自然と一体化することをしてきた、そこに人間がいなかったのである、人間からは必ず災いが起きて来る、だから人間と接することでどれだけ問題が起きているのか?それが人間社会だとなる
人間と接しない方が幸福だともなる、だから人間と接触しない、コロナウィルスは悪いことばかりではないとも見ているのである
人間は今や接触過剰になっていたからである






2021年05月15日

田の面に映る故郷の山を見て復興を感じる (故郷の夏の景色)


田の面に映る故郷の山を見て復興を感じる

(故郷の夏の景色)

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蛙鳴く声のひびきて里に生く

雲流れ影なしすずし走るかな

タンポポに朝日にきらめく田の面かな

夏菊に田の面に写し朝の空


べチュニアとジキタリスかな花二つ我が庭に植えきわだちにけり

鉄道の敷地に咲きぬつつじかな菓子店より赤く映え見ゆ

ふるさとの山影映す広き田や復興なりぬ十年過ぎて

ふるさとの田に水充ちて山の影映して朝や雲雀鳴くかな


海の方に行くと朝に広い田に山の影が映っていた、その田が震災以後広くした田である
それは今でも田を広くしている、だから山影もその広々とした他に映っている
もう小さい田は荒地化して放置された、そしてそこは荒地化した
もう小さい田をやるメリットがない、手をかけてやってもただ労力の無駄だとなる
なぜなら金にならないからである

でも田を広くすると機械でもやりやすいから機械に合わせて広くしたともなる
その田を広くする工事はまだ他でもしているからである
そもそも日本の田は細分化されていた、零細なものだったのである
ただこの辺では米は飼料米として売られている、いくらでもうまい米が入ってくるから競争できないのである

ともかくこうして十年過ぎてやっとこの辺は復興したなとみる
それは長かったとなる、田に一杯水を張り田植えして故郷の山の影が映る
畦にはタンポポとか夏菊が咲いている、ここに何か生業があり人と自然の調和した世界が回復したとなる
ただその田の面には風力発電の風車が映っていた
かつての松原はなくなったのが残念だとなる

なんとか家の方を修復した、実際は家の中は震災以後こわれた所があり直していない
でも塀とか庭を作ってもらった大工兼庭師兼・・・の人に直してもらった
それで掃除もしたのでかたづいたとはなる
なかなか整理できないので困っていた、自分はだらしないので掃除とか整理をしていなかった、何か億劫になりしていなかった、というのはやることが多すぎてできないのである家事全般を一人でやること自体手間でありできなかった
どうしても一人だと人手が足りなくなるのである

何か駅前の菓子店から鉄道の方を見たら赤いツツジが映えていた
店の中から見る風景がまた違っていた、その赤さが一段と映えていた
つまり花でも自然でも家があり店がありその内部から見たとき別に見える
自然でも人間の営みと一体化した時一段と映えるということがある
だから街に通りに咲く花は違っているのである
ただ駅前には自転車屋と菓子店しかないのが淋しいとなる

いづれにしろ蛙が鳴く声がひびき白鷺がまばゆく映えて夏菊も咲く、そうして自然も蘇り生業がもどった
ただ墓地のある所は荒地でありそれで震災の荒廃が残っている
避難区域となった小高であれ浪江であれどうしても田畑が荒地化していることが嫌なのである
例え米が今は重要でないとしても田畑は自然なのである、だから蛙がなき白鷺が来て花が咲き故郷の山を映す
田畑は自然と一体化しているから自然の復活にもなっていたのである
それで田畑がこのように復活しないと復興したように見えないのである

花というのはべチュニアとジキタリスを並べて植えてみたらその個性がきわだっつものとなる、この花は何か独特である、ジキタリスは薬にもなっている、花は意外と薬になるものも多い、この花に不気味な伝説があるのはイメージできる

2021年05月12日

藤の花と相馬の城下町 (中村喫茶店の藤の花)


藤の花と相馬の城下町

(中村喫茶店の藤の花)

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城跡にシャガの花

中村喫茶店

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松並木影なし行きて藤の花

城下町路地の細道藤と松

城跡に何を語るやシャガの花

藤垂れて黒門下り夕暮れぬ


白藤の風にそよゆれ城跡の掘りに映れるあやめの花かな

紫と黄色のあやめ堀映り静かに歩む城下町かな

藤の花午後散り静か喫茶店猫一匹の歩みけるかな

長々と藤の花垂れそよゆれぬ優雅な時を過ごすべしかな


相馬市の城跡の藤の花をみて中村喫茶店の藤棚の花を見た
中村喫茶店の藤は半分は散っていたので残念だった
藤の季節である、どうも万葉集時代は藤の花はまだ日本的美として見出されていなかったそれがわかるのは平安時代になり藤の花が良く愛でられるようになったからである
それは宮廷の御殿の庭に植えられて愛でられるようになったからである

つまり庭で見ている藤と外で見る藤は違っていたのである
万葉時代は外で見た藤であり庭で見るということはまだなかったともなる
藤棚で藤を見るのは平安時代からであろう
他の花でも庭で見る花と自然の中で見る花は違って見えるのである
庭で見る花はより人間的な花となる、それは庭の石すら人間のように見えるようになるからだ、それで原発事故の避難区域で空家となった家の庭が淋しいのは主がいなくなり
何か石すら人間に見えるからである、人間化した石だから余計ち淋しいと感じるのである
藤は日本の歴史のなかでよく鑑賞されてきた花である、松も同じなのである
松はその高さでもあまり高くないし人間に見えるのである
だから次の歌はそれを象徴しているのだ

「常磐なる松の名たてにあやなくも、かかれる藤の咲きて散るかな。

(歌意、松の緑の美しさを引き立てるために咲いて散っていくことだ)」は
内親王の髪上げのときの屏風絵に題した紀貫之の歌だそうで、貫之集、和漢朗詠集に
採られています。

名たてとかあやなくとかわかりにくい、名たてとは松をひきたてることなのか?
あやなくもというのもわかりにくい古語である、あやとは文ともあてる
何か理由もなくとかの意味で藤の花と松を歌っている
常盤の松によるかよほい女性を暗示しているともなる、あやなくとは頼りないとかよめる松と藤はこのようにあっているのである

そしてなぜか相馬市の城下町に藤の花があっているのだ、だから城跡の藤の花もいいし
中村喫茶店の藤の花もいい、ただ庭はまだ改造していない、なんか金がかかるからである今日は午後でも人が来ていたのはあの藤の花をみるためなのである
ただ半分は散っていた、その下をひっそりと猫が歩むのが合っていたのである
相馬市の城下町は何かひっそりとしているから猫にあっているともなる

城跡の掘りには紫と黄色の菖蒲が映っているのもいい、城下町に菖蒲も似合うからだ
相馬市の不思議はなぜかしんみりとしてこうした花が似合うのである
原町とかとはまるで違った雰囲気があるのが不思議なのである
だから城跡に何もなくてもやはりそういう歴史があり雰囲気が残るものなのかとなる
でもそこに街が発展して高いビルなどが建つと東京のように煩雑になり江戸の雰囲気は感じなくなるなのである



2021年05月07日

夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ (新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)


夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ

(新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)

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菜の花になべかんむり山町暮れぬ

そちこちに鳴く声ひびく夏雲雀

朝日さし白鷺十羽まぶしかな

庭に石風の涼しく午后下がり

菖蒲咲き横断歩道待ち渡る

チューリップ黒きや通り人行かじ

逃さじやシャッターチャンス夏燕


いつも行く木陰の道の長しかな街になじみて我が暮らしけり

鍋冠山(なべかんむりやま)というのがこの町の象徴である、この由来がわからない
誰が名付けたのかわからない、でも意外と古いのかもしれない
なぜなら近江の方でなべかんむり山祭りとあるからだ
だからこれがいつ頃名付けられたのか?それが問題なのである
近江との関係だとすると製鉄関係で技術者が古代に行き来していた
実際に近江に行っていたのである、するとそういう人達が名付けたのかとなる
それは古代だからずいぶん古いとなる
意外と地名は古いのである、古代に名付けられたのが結構多いのである
故郷でものたりないのが高い山がないことである
それで角田とか丸森に行くと蔵王が見えるからそれが心に反映して人格にも反映する
ここは海があっても高い山がないからそれが景観としてものたりないのである

夏になった、水張る田に白鷺が十羽朝日がさしてまぶしかった
純白の衣にまぶしかった、鷺は夏の季語である、夏になったのである
夏に白鷺は一番映える、真っ白なのが映える
写真を撮ろうとしたがカメラがなかった
いつシャッターチャンスがあるかもしれない、だからカメラは常に持ち歩く必要がある
写真をとることは結構な労働だと思った
ただ見映えする写真をとることは容易ではない

横断歩道を渡る所に菖蒲が咲いている、それでその菖蒲を見て渡る
その時何か落ち着いて渡るとなるが実際はその前を自転車で横切ったりする
田舎だからあまり車が通らないからだ
でも駐在所があり見ている時がある、こんな見方は俳句らしいとなる

庭では午后下がり涼しい風がそよぎ気持ちいい、外は暑くなった
年になり暑さに弱くなった、汗がでないから体温調節ができないのだ
それで家にいても熱中症になるというのがわかる
また紫外線にも弱くなる、それで春でも外を自転車で行ったとき痙攣をこしたことがあるだからこの熱中症は結構危険なのである

だからどうしても夏になると遠出できなくなったのが残念である
なんか丸森の方に行ってひどく疲れたからである
筋肉の痛みがとれないのである、やはり筋肉が弱ると老化のしるしだともなる
それで年取ると身近なものが大事になる
なじんだ場所とか街とか人とかが大事になる
そこで暮らしやすいと楽になる、それで原発事故で老人が残ったのがわかる
なじんだ場所や人と暮らしたいとなるからである

真野川の土手の下は新しい通りにしたけど店が一軒つぶれ新しい理髪店ができたけど
高齢のために閉店したと張り紙があった
つまりあそこには通りでも店がないから活きていないのである
場所としては真野川が土手がありいい場所なのである
散歩しているからである
でも今通りは店はだめなになっている、みんなスーパーに集まり小さい店は成り立たないからである
ただあそこに喫茶店があればいいなと思う、私は喫茶店が好きだからである
場所としていいとしてもまず客が来ないからやっていけない
前は喫茶店があったがやめたからである、どうしても客が来ないから通りの店はなくなったのである
でもあそこの通りは花が咲いていいのである、それがもったいないのである







2021年04月26日

八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)


八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)

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母と子と八重桜見るその道を今日も我行く心あたたむ

桜散るあとにほのぼの八重桜母と子の連れ立ち見るかな

今朝見れば牡丹は散りぬ早きかな栄一時風のうなりぬ

散る牡丹残る花びら今朝見えてまもなく散らむ風の唸れる

我が庭に輝き映えしは一時や牡丹は散りぬ夢のごとくに

五六輪赤き百合咲く我が居間に匂いは満ちて家を継ぐかも

飛び交いぬ燕にあれや小さなる街の行き来や我は忙し

庭に咲くタンポポやはや綿毛飛びまた他にそ種を運びぬ


母の思い出の赤い百合
https://ameblo.jp/teddypapa/entry-12441751163.html

ここではこの赤い百合から母を偲んでいる
こうして死んだ人でも偲ばれる時、何かその人はなお生きている
ところが肉親だろうがなんだろうが全く偲ばれない人がいるのだ
それは肉親でもそうなのである、迷惑ばかりかけたとか親を恨んでいる人がいるからだ
そういう人は肉親でも死んだ偲ばれないのである
そうなると死者も浮かばれないとなるがそれは自己責任だったとなる
何か後世に後のものに何も残さなかった、というより不快なものとしてあり思い出したくないとなっている

百合というと白だと見ていた、こんな赤い百合があるとは思わなかった
これは匂わないと言うが結構匂っている
こういう大きな花にはやはり大きな家が広間があると映える

庭の牡丹は今朝見たら散った、花びらが残っていたが散った
そして今日も風が朝から唸り吹いている
この家を作ったのは父であり次に継いだのが姉ともなっていた
姉は気丈夫でこの家をもりたてたとなる、だからその時輝いていたのだ
それも80年とか戦前から家にいても死んだら呆気なかった
でもこの家に姉は輝いていたのだ
つまり人間は栄えるのも一時である、女性でも輝いているのは一時なのである

タンポポでも庭に咲いたが綿毛となり飛び他に移って咲く、常にこのように自然でもとどまらない、移ってゆく、ある所が栄えてもそれも一時であり他に移るのである

ともかく今日はまた朝から風が強い、そして結構寒くなっている
季節は移っている、桜が散り八重桜が咲きそこに母と子がいた
八重桜を母が示して幼子がいた、何がそこに平和を感じた
こういう光景が原発避難区域にない、子供がいないからだ、いるのは老人だけだとなる



2021年04月23日

山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり


山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり

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この鳥が何の鳥かわからない、山雀なのだろうか?
黒く見えるのは光りの関係なのか?鳴き方はそうかもしれない
前から写真をとればわかった、後ろからだったのでわからなくなった
ただ街の中で山雀を見たことはない


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ペチュニア


峠二つ越えてかむや春の風


巌打つ流れのひびき高きにそ朝日にほふ山桜かな

風吹くに遠くまで行く山桜映えて美しもはや散りなむ

つぼみなれ開くを待ちつ我が庭にそを見守りつ時をすごしぬ

ゆくりなく朝鳥の来てさえずりぬ芽吹き新たな庭に見るかな

ゆくりなく鳥のさえずり去りにけりいづこにまたやさえずりしかな

いくつもの薔薇の蕾や我が庭に咲くは楽しみ朝の一時

ペチュニアの藍色深き一輪を我が庭に置き部屋にこもりぬ


山桜はまだ咲いている、ただもう散るだろう、にほふというのが映えるという意味もあるただ今の感覚ではもうにほうは匂いということが頭の中で週間化しているから合わないとなる

鳥がさえづっていた、電線に止まりさえづっていた、何鳥なのか?
写真をとったがわからない、ただその鳴き声は良く聞く、でも鳥はすぐに飛び立つので
写真にとりにくい、芽吹きがあり薔薇もいくつも蕾が出て来た
薔薇だけは何か咲く、それでもう一つ黄色の薔薇を買ったきて植えた

狭い庭だからいろいろな花を植えられない、そして必ずしも咲くとは限らない
それが問題である、でも庭を手入れするとなるとまた時間がかかるのである
料理から何から時間がかかってできないのである
その合間を見てプログを書いている

ペチュニアの花は百円だった、でも藍色が深く気にいった
花は結構高い場合がある、百円だったら今回限り楽しんでも損にはならない

今日は気候的には快晴であり外に出るのに最適だった
月末になると熱中症の警告を出すとか自転車で外にでにくい、何か自分は熱中症になりやすくなったからだ
でも福島市の方の桃の花を見たいということがある
それで出かけた方がいいとはなる、でも遠いので困る

飯館村の方へ高い峠を越えてもう一つ低い峠を越えて福島市の方へ二本松の方へ行こうとしたがその時バッテリがきれたので引き返した、坂を上ると電気をくうから困る
ただ今出かけないと、暑くなると出かけられなくなる
夏になると自転車は危険になるからだ





2021年04月19日

花は散る―その後に八重桜咲く


花は散る―その後に八重桜咲く

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あやめ咲き顔見せぬ女(ひと)庭に石


花はみな散りにけらしも風うなり時の移りのはやかりしかも

しばしの間残れる花見ゆたちまちに風吹き散らし消えてなしかも

夢なれや一夜の嵐に花の散るなほうなり吹く風の音聴く

ほのぼのと桜散る後八重桜心温かき女(ひと)のあれかし

同じ場に牡丹の種落ちて咲く我が庭に見て栄受け継ぐ

白椿奥にひそけく隠れ咲く心静かに我のみ見ゆかな


二日三日風が強く吹く、嵐もあった、そしてたちまちに桜は散った
桜は散るのが早い、だからどうしても死を連想する
それで特攻隊は桜散るごとく死んだということで死を美化されたと批判がある
本当に夢のように桜は咲いて散る、人間でも60年一緒に暮らして死んでしまいば
一場の夢になってしまう、そんな人いたのかともまでなる
それは家族ですらそうなのである
今年は桜は早く咲きそして風がうなり吹き散った

その後に八重桜がほのぼのと咲く、その赤さが映える
庭には牡丹が咲き朝の光りを受けてまばゆい、この牡丹の不思議は何十年も咲き続けていることである、何か自分の家の庭では花が咲かなくなる、栄養分がたりないのか咲かなくなる、牡丹は大きい花だからこうして咲き続けているのが不思議である
一旦は去年は5輪くらい咲いたがそれが途絶えて種が同じ場所に落ちて別に新しいのが咲いたようである、だから二輪しか咲かないのである

あとは白椿が咲いている、それは奥の方で見えない、何か女性でも目立たない人がいる
性格的に家にこもり顔も見せない、隣とかにもいる、性格的にそういう人は男女でもいるそういう内向きの人は損である、自分もそうだから何か好まれない
でもそういう性格を変えることはできない、見方によれば奥ゆかしいとなる

自分はとにかく人間が苦手である、人と会うのが苦手である、だから引きこもりになったそういう性格の人はいる、それを無理やり外交的にするのはかえって悪い方向に向かわせる、内向的でもその性格にあったことをしていればいいとなる
厥か社会ではしにくいのである、だから自分は学校とか会社とか集団生活するところがあわないのである
一人することがあっている、芸術とか何か一人でできること、創作することがあっているとなる、ただそういう生活を許す与えてくれる場がない、そういう人は引きこもりになるのである
でももしそういう人でも内向的でも才能を開発することはできる
それが自分にはできた、そういうことが許された家庭環境だったからである
普通はこういうことはありえないのである

自分は人間は交際は苦手というより人間嫌いなのである、だから常にイメージしているのは自然であり木とか石とか花とか山と自然の事物とアイディンティティ化することであるそういう詩を書き続けているのである
そこには自然があっても人間がいないのである、人間は自分にとって嫌なものとして何か常に歪んだものとして見える、それで人間と接したくないとなった
ただこれも問題であった、でも性格的にどうしてもそうなるのである、これだ極端化すると異常化することが問題なのである




2021年04月15日

朝桜、春の草、里の春、牛と春草 (春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)


朝桜、春の草、里の春、牛と春草

(春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)

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雨しとと残る花散る常の道

朝桜車行き交い六号線

朝桜映えて海見ゆ鳥の飛ぶ

蝶一つ紋あざやかに目の前に

チューリップ原町の通り店多し

山桜そちこち映えて風の鳴る

(牛)

牛のいて春の草食(は)う木の根っこ

タンポポや牛草を食(は)うゆっくりと

菜の花や外に放ちぬ牛二頭

草を食む牛の二頭や春深む


春耕や街の郊外広しかな

春草や家新しく畑かな

牛のいてニワトリも鳴く里の春

昨日はちょっと雨だった、すでに近くの桜はほぼ散った、それで余花になる
川子の坂で山鳩が猫に襲われていた、その時自分が来たので猫は逃げた
山鳩は血を流していた、猫は結構鳥を襲う、鳥もねらわれているのがわからない
これも残酷だともなる、ただ鳩をなぜかエジプトで食べている
日本人が好物だというのも不思議だった
外国通の人が増えたからそうなる
鳥は飛べなくなったらもう死ぬほかない、敵から逃げることもできないし餌をとることもできない
人間も実際は人間としての機能を発揮できなくなったら死ぬほかないともなる
ただ人間の場合は簡単に動物のように見れないから問題なのである

原町というと何か何度言っているけど相馬市とは違う感じなのである
モダンな近代的都市となる、ただ今日チューリップの写真をとった通りは昔の浜街道なのである、現代の通りは六号線の方に移っている
でもそれなりに店はある、でもやはり六号線に道の駅がありそこに行くとなる
原町にはどうしても買い物に行く

前に写真にとった、牛二頭がいた、郊外であり前は寝そべっていた
今回は草を食んでいた、何か牛を見るとどっしりとして安定した感じになる
何か自分の牛の詩がずいぶん読まれていることが不思議である
光太郎の牛の詩として読んでいたのである

牛二頭寝そべり静か秋深む

こんな句を作ったと思う

何か動物でも身近にいるとそれが精神に影響する、牛を見ていると人間自体もどっしりとしたものになる、だから動物と身近に接していた時代は人間は動物化した
動物の面をかぶんたり動作をまねたり踊ったりして動物と一体化するのである
だからニワトリでも籠に飼われて卵を産むロボットにされるときそれはまた人間もロボット化されるのである
そこに自然な生はなく動物はそれぞれの天性をもったものを活かせないとなる

とにかく原町の郊外は広い、だから街も広いが田畑も広いとなる
それで前は5万くらいの人口があった、土地にそれだけ余裕があるからだ
原町くらいだと一人暮らしでも楽である、便利なものが一通りそろっているからだ
ここでは弁当屋もなくなったから食事を作るのがめんどうなのである
ただ原町まで自転車で近いからいいのである
今はみんな車で行くけど自分は車がないから困るのである
ただ自転車者は自然ととけこむのである
まず車だと風を感じない、春風でも感じない、すると自然を感じないのである
その差も大きい、ただ目的地に行くのには車がいいとなる

丸森まで行ってなにか今回異常に疲れた、4,5日過ぎても筋肉が痛く疲れていた
だから年齢的にかなり自転車で行くのが苦しくなったともなる
運動した後に二三日過ぎてからでも筋肉が痛くなったり疲れるのである

2021年04月13日

桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)


桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)



今朝見れば風の荒しも花は散り残れる花をなおゆすりけり

桜花一時映えて散り惜しきうなれる風や無常なるかな

星いくつ夜の桜にきらめきて清しも一時散りにけらしも

美しくきらめき星のいつくかな花のにおうや若き日にあれ

世の中のうつろい早し風あらく散りにし花や命かえらじ  

朝明けて沖に船見ゆ桜花新地の山に映えて美し


散る花のなおも尽きじも大阪城夕陽の赤く栄短し

霊山城一時夢や落ち延びし武者や夕べに花の吹き散る

丸森の桜やあわれ夕暮れて峠を越えむ相馬に去りぬ

阿武隈川流れ渦巻きそのたもと満開の桜吾妻峰も見ゆ

青葉城石垣反りて燕飛び川のひびきて桜咲くかな

筆甫なる奥深きかな謂れある桜の古りてたずぬ人かな


(千本桜)

千本の桜の散りぬそのあとに訪ねてあわれ虚しく帰りぬ

この世とは夢にしあれや千本の桜も散りぬ何を残さむ

優艶に枝垂れ桜や池映し御所も近きに今日の日暮れぬ

瀬戸内や桜の中を電車行き海そ映えにき船も行くかな

海に向き椿の赤し瀬戸内の島々めぐり沖に船行く

春の日や海峡狭く大船の汽笛を鳴らし迫りて去りぬ

韓国へ渡りてなおも慶州に桜咲くかなともに栄えむ


瀬戸内や常夜灯に落椿

瀬戸内に海田とあれや桜咲く 



桜前線の短歌(北から南へ)

桜前線の短歌―鑑賞



今日桜を見たら散っていた、風が荒く吹き付け散っていた、残れる花があり風がしきりにゆすっていた、桜もこの辺では終わりとなるのがまだまだ北の方では桜が咲いている
稚内では6月でも咲いていたからだ
ただ桜という時、やはりこれは山桜だと自然の桜であり万葉集で歌われたのは山桜である桜が本当に愛でられたのは江戸時代からでありそれはソメイヨシノとかであり山桜とは違っていた、山桜とソメイヨシノとかではかなり違ったものになる
ただ色合い的にはソメイヨシノとかが色が濃くきれいである
山桜は白いので色は単純だからである

大阪城の桜が一番印象に残ったが次に京都の桜も印象に残った
枝垂れ桜が優艶に池に映していた、そこが御所の近くだったのである
まさに京都らしいとなる
次に青春18切符で瀬戸内海を行き韓国まで行った、そのとき延々と桜が咲いていた
それは韓国までつづいていたのである
古都の慶州にも桜が咲いていたからである

東北の桜というとき霊山から相馬市の方へ下る、その桜が印象的だった
霊山が炎上して南朝の落武者が逃れた道である、だからこれも何か桜という時歴史と関係している、その時逃れた落武者がこの辺の先祖となっている


ここで桜前線の短歌を出していた、桜の短歌は相当に作ってきた、それらをまとめれば一つの歌集になる、でもそれをまとめること整理することが大変な作業になっている
そういうことで整理することが今は仕事になっている

桜という時、旅して思い出すのである、一番印象に残ったのは大阪城跡の桜である
あれだけは忘れることができない、あの大きな大阪城跡に桜が尽きず散っていた
その時夕陽が赤々とかがやき沈もうとしていた、それが何とも言えぬものだった
それは単に自然の中で見た夕陽とも桜とも違っている
大阪城に西の栄が集中していて歴史がありそれで自然の中の夕陽とは違っていたのであるそこには秀吉の栄華があり人間的なものが反映しているから違って見えたのである
あのように見えることは他ではない、東北とかなるとそれだけ栄えたということがないからである、そういう歴史が東北にはないからである
城にしても小規模でありあれだけの大規模な城はないからである

それから桜で見ごたえのあるのは白石の千本桜である、ここの桜は見ごたえがある
桜の木も相当に古いものだからである、東北と言えばここの桜である
それでそこまで自転車で行ったことがある
ところがその時千本桜にたどりついたときみんな散っていたのである
せっかく遠くに来たのに散ってしまったことが残念だった
でも何かそのことがかえって印象に残っていたのである
あれだけの桜を見にはるばる来たが散ってしまったなとなり印象に残ったのである

今回は丸森の筆甫の桜が印象に残った、奥深い所に南朝ゆかりのウバヒガン桜が咲いていたからだ、それは南朝ゆかりのもので親王桜という名がつけられていたからだ
それから金山城の桜を見て帰ったのである

もう一つ絶景ポイントとして阿武隈川をさかのぼり梁川の方面に行く所に満開の桜が咲いていた、そこで川が曲がり流れがたぎる場所である、そしてそこから残雪の吾妻峰が見える、そういう絶景ポイントがある
そこは桃の花も咲くからいい場所なのである
この絶景ポイントを知っておくべきである
車をもっていたらそこに楽に行けるからである、自転車だとなかなかむずかしい
今回は何か体力が衰えて体中が痛くなったからである

桜という時どうしても散り安いから特攻隊のようにいさぎよく散る象徴になったのであるそれは戦争のためにそうなった、それを批判する人がいる、桜が戦争のために利用されたとなるからである、そんなふうにして桜のようにいさぎよく若くして散るのが美しいと死が奨励されたからである
でも若いならそういうことはない、生きたいと思うのが普通である
ただ桜はそういうふうになりやすいのである、咲いた時からもう散ることを予感する
だから静心なしというのが桜なのである

とにかく日本は桜の国である、桜はどこでも咲き日本の美となる
それでもこれだけ旅しても桜が見れないのは見る時期が限られているからだ
二週間くらいで散ってしまうとなると全国に咲いても桜は見れないからだ
私はいくら旅したとしても桜を見るのは限られている
でも西の桜を見て西の桜が散ったら東北に帰って咲く桜を見たのである
桜前線をたどれば一か月くらい桜は咲いているのである
桜はやはり車があると全国の桜を見やすい、そういう人にあったからである
退職して夫婦で桜を見て回る人が井田からである








2021年04月06日

山桜咲く大原から高倉を回る (生業もなく活気がなく空家が増える山村)


山桜咲く大原から高倉を回る

(生業もなく活気がなく空家が増える山村)

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双子山とかなる

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山桜が結構咲いている

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春来るも前田に空家ここに住む人は死ににき墓はあれども

病院に空家となりし家のことしきりに言いし人は死ににき

山桜錦となすも大原や前田に後継ぐ人なし淋し

清らかに山より水の流れ来て二輪草ここに咲きしも奥の道行く


大原の前田に私立病院で同室だった人がいた、それはS氏である、その病室からは大原の方が見えた、一か月暇でありその大原のことをその人は語った
ただその人は一人で住んでいたのである、息子夫婦はいても住んでいなかったのである
市内に移り住んだからである、それで死んだ後のことはなにかやと話ししていたみたいである
そして心配していたのは飼っていた猫のことだったのである

前田という地名はそこに草分けの人が住みそこから大原村の中心になった
なぜなら現実に大原からさらに橲原の方に上る道の脇に田が隠されるようにありそこが遠田となっているからだ、だからS氏の住んでいた前田は村の中心だったともなる

病院で知り合った人は大原の墓地に眠っている、その通りに空家がまたある
それが煉瓦の風呂があり何かそこは不気味である、幽霊屋敷のようになって残っているからだ、ただ煉瓦の風呂を作っているということはそれは自慢できるものだった
その風呂は家の中にはない、外風呂である、便所も外である
水道もなく水洗トイレがないときはみんな外風呂だったり外の便所であった

そして自分の家でも風呂は父親が手造りしたものだったのである
外風呂であり桶の様な風呂だった、鉄砲風呂であり上から材木屋でのいらなくなった木材の切れ端をもらって新聞紙で燃やしていた
それが自分の仕事だったのである
現実に自分自身がそういう暮らしをしていたのである、ただ子供の時だから記憶が薄れてしまった、炭を使い囲炉裏もあった、それは街中で暮らしていてもそうだった
だからそういう暮らしがあったということが不思議になる
山村でも農村の生活でもそれと同じだったのである
そういう生活は貧しくても金はかからない、金をかけることもできないからそれで生活が一応なりたち飯館村だって一万人も住んでいたときがあった
だからそういうことが信じられないとなる
人間はそういう場所でも実際に今より多くの人が生活していたのである

何か空家が目立つ、ここだけではない、街からちょっとはずれた所でも空家が目立つ
おそらく農業していたのだけどやめた家かもしれない、というのは家の隣に御堂があたりするからだ、御堂は実は縁側があり中でもみんな集まる場所であり公会堂のようになっていた、それは農村社会ではそこが中心となり共同するものとしてあった
ただ農村社会でもそれが壊れて過疎化すると捨てられて廃墟化してゆく
それが大規模になったのが原発事故の避難区域である、空家だらけだからである
ただ農村とか山村の過疎化がありそれが日本では進行してゆく
ここでも原発事故以降山の小規模の農家は田畑を放棄して草ぼうぼうになっている
そこにソーラーパネルを置かれる

大原村の隣の大谷村でも八坂神社があり薬師堂があるがそこでちょっと話した人の家は壊されていた、その人はすでに市内に移り住んでいたのである
何か八坂神社もまた多い、これは疫病を防ぐものとして建てられたとかともいう
その隣に薬師堂があったからだ、ただ薬師堂が村の中心になっているのは病気を治すめたに祈る場所としてあったからである、病気になったらこうして祈るほかなかったからである

それから山間の道を行き高倉のハートランドはらまちに行った、そこは閉鎖状態であり一部バンガローが壊れていた、あそこはあまり利用されずじまいだったのか
震災以後は放置されてしまったのか、一人何かそこに外部から来た人がいた
その人と駅であった、そしたら詳しく南相馬市の神社のことを研究していたのである
その人が今住んでいるかどうかもわからない、第一ハートランド原町は長らく休園しているからだ
こうして何か山村には活気がなく生業(なりわい)も廃れている
そもそも農業だけをしている人は少なくなっていた
でも今の状態より田んぼで田植えしたり稲刈りしたり生業があって一応農村の形があったそれが震災以後は荒地化してしまったのである

南相馬市農業農村活性化施設に係る対応方針
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/34/7644-3.pdf

高倉に関してはあそこはあまり場所がいいとはいえない、高倉ダムがあり行きどまりになっている、広い土地もない、飯館村だと広い土地がありそこだと山村の空気に今でもふれることができる、ただそこも震災以降は荒地となり人は住んでいない、時々そこに住んでいた人がなつかしんで新しく建てたこじんまりとして家を別荘として利用しているだけなのである、そこにはもう生業(なりわい)がない、何か生業が形だけでもあればやはり活きた村となる、でも人も住んでいない生業もないというときそこは死んだ村になってしまったのである、ただ家があり住んでいる人は大原とかにもいるから原発避難区域とは違っている

とにかくあのように山桜が身近に咲いている、それが山に暮らす人の錦だけども人が住んでいないとなると生業もないとすると村自体が何か活気がないとなる
それから鹿島区の川子の原町火力発電所石炭灰埋立場への道を下るところで知っている人がゼンマイをとっていたのである、そんなところでゼンマイをとれるのかと意外だった、かなりの量をとっていた、ゼンマイは山の方にあると思っていた
そこはゼンマイが集中してあったのである、その人はもともと仕事しないニートである
自転車にのっているから合っていたのである、何か自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
奇妙なのはその仕事もしないニートが山菜とりをしている、それがまさに生業だとなる
他にもコゴミとか山に入ってとっている、これも料理するのがめんどうだけどその人はしている、田舎ではセリとか野草でもとる人が女性ではいた、ただ放射性物質で汚染されてからとらなくなったのである、それが飯館村では一番打撃だった
つまり山菜料理が定番になっていたからである、その暮らしが奪われたことも大きな損失だったのである

2021年04月04日

故郷の桜


故郷の桜



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ふるさとも花に染まりぬ朝(あした)かな

遠くより近くも桜の錦かな

我が家より真野の中館の桜かな

朝桜風のうなりてちりそめぬ

花の影行く人わずか今日も暮る

霊山の岩黒々と夕桜


残雪の吾妻嶺光り阿武隈川たぎち流れて花盛りかな


桜は日本がだったらどこにでも咲いている、意外と注目していないが南相馬市の鹿島区が桜が映える場所がある、全体的にも大きな通りもないし街もない農村風景だからそこに桜が咲き映えている
でも何か原町とか相馬市では桜がそれほど映える場がない、確かに相馬市だと城跡に桜並木があり桜が咲いている、ても市全体となると何か桜が映えるとも見えないのである
ただそれぞれの場所に桜は咲いているからそうして近くでも発見されていないのである
あまりにも日々見慣れた景色は感動しないのである
だから人は旅にでるのである、遠くに向かうのである

ひごろ憎き烏も雪の朝哉 (松尾芭蕉)

何かこれがわかる、田舎だと醜いものが目立つのである、でも朝が明けたら一面に雪におおわれていたとなる、それが桜にも言える、一面が桜におおわれ花の雲となっている
それは日本だったらどこでも見られる景色なのである
それが日本がの良さだとなる、だから桜の名所は無数にあるとなる
名所と言われるところだけが名所とはならないのである
鹿島区だと万葉ふれあいセンターも桜の名所となっている
ただ桜田山の方は桜が枯れてしまっているの名所が変わったともなる

それから自分の家から真野の中館の桜が見える、ここは南朝の武士が霊山から落ち延びた一族が住んだ只野氏はその時落ち延びた侍だったのである
それがこの土地の先祖ともなった、なぜなら只野という姓が50人とか南相馬市に多いからである

桜で圧巻だったのは残雪の吾妻嶺が見えて梁川から阿武隈川を下った時である
桜と桃の花が一緒に咲いて美しい光景になる、阿武隈川が蛇行してたぎつ流れる
それが雄大な景色となっていた
そして丸森を去るときに峠を越える

峠越え丸森去るや夕桜

こんなふうにして自転車で回っていたのが自分だったのである
何か丸森は夕桜として印象に残る場所だったのである
こういうことはまず車だと印象に残らないのである、過ぎるのが早いからである
峠を上ったな越えたなとかの感覚がもてないのである

峠越ゆ人の姿や春の暮

何かそこに人の姿が見える、でも今は車しか見えないのである
それで広重のような絵にならないのである
車が峠を越えて行くとかそれが絵にも詩にもならないのである
私はそうして自転車で坂をあるときは歩いて上っていたからそれが体に残る
車ではそうして記憶に残らない、ある地点から次の地点まで早く到達するかだけになってしまうのである
つまりどこでも今や人の姿がないのである

今日は花曇りになった、桜の時期でも天候は変化する、明日は雨となりもう桜は散るという、花の時期はそれだけ短いのである
この辺の問題はやはり小高とか浪江とか双葉でも人が流出したことである
家はあるのだが人は住んでいないのである
そういう町とか村でも桜は咲いても映えないとなる

さまざまのこと思ひ出す桜かな

命二つの中にいきたる桜かな 芭蕉

奇妙なのは小高でも浪江でも双葉でも桜並木がある、そこを去った人が多い
でも帰ってその桜を見る人がいる、浪江の桜は手入れしていた、でも帰る人は一割もないのである
だから人が住まないと桜も活きてこないのである
命二つとはまさにそこに住んでいた人たちのことである、一つの命ではない、みんなの命がそこの市町村で生きていたからである
そしてその故郷の桜をみると様々なことを思い出すともなる

何かこの辺は本当に不思議である、浪江の復興住宅に住んでいる人と話をする
その人も一か所ではない転々として住んだ、そして今ここに住んで自分と話ししていることも不思議だとなる、そんな運命がありうるのかとなる
第一故郷に住めなくなるとはいうことなど予想もしなかったことである

我が町の浪江の人や帰らざる故郷思ふ桜咲けども

何か流転の人生ともなった、普通はこんなことはありえないことだったのである













2021年04月01日

桜満開ー相馬市へ行く(八幡神社ー相馬の城跡ー松川浦−写真で見る)


桜満開ー相馬市へ行く(八幡神社ー相馬の城跡ー松川浦−写真で見る)


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熊野神社


相馬の城跡

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田町通り

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相馬の街道


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パノラマ写真

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宮の池桜満開金の鯉

着物来て桜に映える少女かな

三々五々は花見の人や城の跡

初燕相馬の城下にぎわいぬ

新しき田町通りの柳かな

紫木蓮相馬へ行くや夕べかな

街道に残れる松に夕桜

走りつつ星の光るや桜かな


いづこへと我は行きなむ分れ道心気ままに春の浮雲

(八幡神社)

朝日さし桜は池に映り映え三匹ほどの錦鯉見ゆ

(熊野神社)

杉高くここに根付きて残りしも社はすたる春になれども

(相馬の城跡の桜)

城跡に咲きし桜や重なりて相馬の栄ここに築かる

城跡に花盛りかな相馬藩新たな栄ともに築かむ

相馬藩いたく傷つくさにあれど春はめぐりて新たな息吹

木蓮の真白く映えて桜咲き連なる山や陽は昇りけり

(松川浦)

松川浦春の光の水面にそはねてまぶしも霞む山かな

天地に海の展けて春日照り日本の国土うるわしきかな

大いなる旅路にあれや我が国土四海に臨み春の陽没りぬ

海広く視界開けて沖に船春日かがよひ海に没るかな

広々と暮れゆく海や春の陽の燃えつつかがよひゆらめき没りぬ

海鳴りの四方にひびきつ春の陽の山にかがよひ没りにけるかも

日本列島四海に望み輝かむ生きてこそあれ天地とともに

山に月没りけあかつき海明けて春陽かがよひ鴎飛びゆく

一二羽の鴎飛び来ぬ松川浦ここに休まむ春の夕ぐれ




相馬市へ桜を見に行った、風は吹いていたが快晴で気持ちよかった
何か今年はすでに木蓮も盛りとなり咲いている、梅が散って匂いが濃く充満していて
桜が満開となった、つまり一時に春の錦となったのである
木蓮は遅く咲いているからである
春が早めに来てすでに春爛漫になったのである

相馬市の入り口辺りで熊野神社があったがすたれていた、参る人もいないようだ
そういう神社も増えてくる、なぜなら農村の共同体の中心として神社があったからだ
それがなくなると神社もすたれる、共同体が喪失してゆくからである
あの熊野神社は杉が高いし相当古いともみる、その杉が古さを語っている

松川浦は見晴しが良くなった、前は松原があってこんなふうに見えなかった
ただ松原があったときはそれが景観を作っていた
松川浦は景観としては津波で消えてはいない、海辺の磯部村は消失した

ともかく春の松川浦は絵になり写真になる、この辺では浦とか入江がないからだ
それで八沢浦が本当に津波で入江になったときは驚嘆した
その入江に波がよせてきらきらと光っていたのである
松川浦ではあのように波はよせない、穏やかでありあのような波は寄せない
浅いこともある、あの時相当に海が入り深くなっていたから波が寄せたのかもしれない
もしあのような風景がもどっていたらここは名勝の地になっていた
今はそうした景観は変わり殺風景にもはなった

松川浦に夕日が没り一二羽鴎が海から飛んできた、松川浦に休むのだろう
休むにはいい場所だと見た
ともかく今は写真をとるにはいい季節である、絵になる風景が多いからである
桜の問題はすぐ散ることである、だから桜の名所が日本だといくらでもあるが実際は見るのは限られているのである
二週間くらいで散ってしまうからである、それで私は日本全国をこれだけ旅してもやはり桜を見たのは限られているのである

相馬市では初燕を見た、この初燕はどこで見るか年によって違っている
今回は相馬市で城下で見た




2021年03月31日

霞と海と桜花 (世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


霞と海と桜花

(世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


亡き女(ひと)の霞の中に面影やなお消えずして愛は通いぬ

愛らしくむつむ山鳩や里は霞みぬなごみけるかな

梅散りてなおにおいこく桜咲き装いあらた錦なす里

苦しみを耐えてこそあれ春は来ぬ霞に映える桜花かな

苦しくも生きてあれこそ春めぐるその喜びに神の国見ゆ

日本にそ生きてあれこそいづこにも桜の咲きて装いにけり

船通ふ海の展けて桜咲く朝の光りに山より望む
                                               
敷島の大和に生きて海開け朝の光に桜咲き満つ

川の面の朝日に光り鶯の鳴きて桜咲き山は霞みぬ

ふるさとも春の錦やよみがえる悲しみこえてここに生きなむ


今年の春のテーマは霞である、その年により感じるものが違うのである
日本の詩歌とかみるともう俳句で表現するのは無理に思える、短かすぎるからである
ただ不思議なのは短歌はまだ活きる、それは長いから表現できるとなる
俳句だともう感情的なことは表現できない、だから写生になる
短歌も実は私はアララギ派であり写生を基本にしている
でもどうしても短歌は感情的なものが入ってくるし表現できるのである

春の霞のなかに何かほのぼのとして亡き女が浮かんでくるともなる
というのは自分はなにか特別家族に恵まれたからである
複雑でも二人の母親がいたともなるからだ
何か争っていても自分にとっては二人の母親に恵まれたともなる
それもなかなか他者には理解できないがそのことで私は特別な想いを親にもつようになった

ただそれが介護になり死んで地獄と化したのである
この世の非情と冷酷さを一身に浴びることになった
来たのは地獄人間だったのである、悪鬼のごとき人間だった、だから人間はつくづく恐ろしいと思った、人間は弱者化するとそれをいいことに責めてくる
そして他者の苦しみは蜜の味となる、田舎だと特にそうなるのである
ただ現代は金だけの世界となり全般的にそうである

地獄という時、それが人間が地獄を作りだしているのである
自然は地獄を作りだすというわではない、確かに自然災害があり津浪でも空恐ろしい地獄が現出した、だから自然も地獄を作りだすとなる
でも何か自然には悪意があってそうしているのではない
つまり科学的に見れば別に自然に悪意はない、自然の法則がありそうしているだけだとなる、人間を苦しめてやろうとなどしていないのである

でも人間は悪意があり欲があり人を苦しめる、地獄人間となる
そして人間の作りだした地獄の方が自然災害より怖い、戦争で三百万人死んだとか原爆だとか原発事故でもそうである
ただ自然災害でもウィルスとかなるペストがあり病気があり最悪になった
人間の地獄はまた病気にもあったのだ、どれだけ病気に苦しめられてきたかそれは今も継続している、老後はいくら金をもっていても病気になって寝たきりになったら何にもならないとなるからだ

いづれにしろ人間が地獄を作り出す、借金している人は地獄人間と化す、もう相手のことを人間とも見ない、借金が理由で犯罪者になるのは普通だからである
そんな人が来たのも最悪だった、こうして自分は最悪の苦しみを受けたのである
人間の欲とは本当は実に恐ろしいものなのである
人間は金によって欲によって変質するからである
そして平気で人を殺すともなるからだ

人間の恐ろしさはエゴにある、他人はもう人間でもない、ただ利用するだけのものにもなる、今なら金のために人間があるのであり金にならないならもう人として扱えないとなる非情の世の中である、そういう地獄がこの世の現実だとなる
人間は非情化して外道化して獣化している
それこそ地獄化している、そういう人の中に生きているこそ地獄なのである

ただ救われているのはそういう世界でも春が来れば自然が装い美がありそこが今度は逆に神の国を想わるのである
そういう美がなかったらただ獣が徘徊する地獄に住むことになる
そんな世界に耐えられなくなる

ともかく本当にここ十年くらいは地獄を見た、その前にも見たが人間の恐ろしさは人の皮をかぶった獣だということである
その中身はただ欲でありエゴなのである、だからこの世が滅ぼされても不思議ではない
それで霞の中に隠された村があるということが平和なのである
人間の暮らしは隠されるべきだったということである
それは人間自体が醜いし人間が作るものも醜いからである、それは大都会とか東京を見ればわかる、そこに自然がないから美がないのである 

世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶 

この世はまさにこうである、地獄の中にも桜が咲いているということである
地獄に美があるから救われているのだ、だから生きることもてきるのである
その美があふれているのが春だとなる
日本は今桜によそわれてどこも美しいのである、それを見れば日本に生れて良かったなとなる


2021年03月30日

霞む山に桜は満開 (今年の桜は早く咲き散るー真野川の岸の桜)


霞む山に桜は満開

(今年の桜は早く咲き散る―真野川の岸の桜)

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万葉ふれあいセンター

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みちのくや桜満開霞むかな

みちのくの山の霞みて籠もるかな

春霞山のかなたに隠さる村

我が町やたずぬ人あれ霞むかな

我が町のなべかんむり山霞むかな

東風吹いて山は霞みぬ浜通り

蕗の薹あまたや街見ゆ丘の上

タンポポの隙間いで咲く力かな

家の主春ゆうたりと一人かな

人は逢い人は別れぬ霞かな


我が町の丘を染めにし桜かな山の霞て遠く連なる

今年はや満開の桜映えにしも散るも早しも霞けるかな

月満ちて桜満開早きかな散れる花びらここに見ゆかな

人の世の時の過ぎゆく早しかな花の咲きしも霞てはや散る

面影の霞て消ゆや時すぎぬ人ははかなく逝きて帰らじ


今年は桜が咲くのが早かった、すでに満開であり夜見たら花びらが散っていた
桜が満開になったらもう散るを予感する
それが桜なのである、だから今年は桜が散るのが早い、だいたい普通はみちのくだと10日頃に咲いていた、10日も早いと相当早く感じる
その速さがまた時間が早くすぎて老人だと何かさらに時間が過ぎてゆくのが早いと感じてしまうのである

桜の咲く季節でも毎年違った天候になる、今年は霞む、まさに春の季節で水蒸気が多くなり霞む、桜の時期はこれまで私はほとんど旅していたのである
だから桜前線を稚内まで旅していた、そこでは6月でも桜が咲いていたのである
それは北限の地だった、また桜の季節は青春18切符で瀬戸内海まで行き韓国の慶州にも渡って桜を見たのである、韓国の古都の慶州には桜が咲いていたのである
そういう旅をしてきたのが自分だった、でも遂に介護になり十年間は旅していない
旅ができなくなった、今でもしていない、旅もいつか終わるということである

でもこれだけ旅したら満足だとなる、それでもヒマラヤとかをもっと見たいと思ったができなくなった、だから見るべきものを見てないなと損である
ヒマラヤに十回も昇った人を知っているからだ、それだけ魅力がある場所だったのである
今年の桜は霞のなかでみる桜である、家族もみんな死んで何か家族すら遠い存在となってゆく、霞んでゆくとなる、それだけ人が逢うとか一緒に60年暮らしても死んでしまえばその面影も思い出も定かでなくなる
つまり霞んでゆくのである、それだけ人間も年以上一緒にいても忘れやすいとうことである、人間ほど忘れやすいものはいない、時間が忘れるためにあるとも思う
津波の被害が生々しくてもそれすら時間の経過の中で夢の様な出来事として忘れられてゆくのである、ただ原発事故だと放射線の被害がありそれが残っているから忘れられないとなる

ただ人間は霞むとき何か醜いものが隠される、飯館村などは山脈のかなたにあるとか隠されていたとき美しい村だったとなる
何か人間は必ず醜いものがある、でも霞の中に隠されるとそれが見えないからいいのである、要するに人間は醜いから隠されるべきだとなる
第一大都会など東京など見るのも嫌だとなる、隠されて見えない方がいいとなる

浜通りは海から春になると東風(こち)が吹く、そして阿武隈山脈は霞んでいる
この東風が飯館村から福島市に吹いて放射線の被害を大きくしたのである
もし時期がはせずれていたら北風が吹いて海に放射性物質は流れてそれほどの被害にならなかったかもしれない、これも不運だったのである

この町のなべかんむりやまは本当に鍋の形をしている
この名前にしても不思議なのである、これは古代からつけられた名前なのか?
なぜなら近江の方になべかんむり祭りとかあるからだ、これも不思議なのである
鉄生産とかかわって近江から実際に工人がきて往き来していたことがあるからそこから名付けられたのとなる、そんな古い由来があるのかというもの謎である
あの山はこの辺を象徴する山である
ただ山としてはこの辺は高い山がないのでものたりないのである

いづれにしろ今年の桜は早い、そして早く散る、たちまち桜の時期は終わることになる

若菜つむ 野邊の霞ぞ あはれなる 昔を遠く 隔つと思へば 西行

若菜つむとは春が来て新しく出てきた若菜をつむ、しかし野辺は霞んでいる
それは時が移り若菜とは何かすでに新しい生活が始まっている
死んだ人も遠くなり新しい人との生活が始まっている
すると死んだ人は遠くなり忘れられてゆく、それが人生である、人の世である

これに通じているのが

草の戸も住みかはる代ぞ雛 (ひな) の家 芭蕉

となる、何か老人になると若い人とか少年とかみると不思議になる
そんな若い人がいるのかとなる、孫でもそうなる、人の世とは常にこうして変転してゆく常なきものなのである、無常の世なのである
変わらないものはないのだ、日々変わっているし年々変わっている
それが世の中である、とにかくこの辺は津波と原発事故で本当にがらりと変わってしまった、風景まで喪失して変わってしまったのである
だから逆に石とか木とか山とか変わらないものを求めるということがある
変わらないことで心の安定を得るのである
桜もまたすぐに散るから不安定だからである、静心なく花の散るらむ・・となるからだ

桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)


桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)

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朝桜六号線を走り来ぬ

次々に芽吹く樹々かな六号線

走り来る蕗の薹あまた六号線

公園に婦人と話す花の影

窓によりそ朧月見ゆ思案かな

雲いでて満月光る桜かな

原町に昔をかたる花の影樹々も古りにし公園なるかな

昨日は原町に行った、そこで原町の道の駅の公園で休んだ
あそこは道の駅があり人も来るから休む場所としていい
婦人がいて昔を語った、無線塔があるところが花時計になっている
でもあそこにあったというのがもうイメージできない
それほど変わってしまったのである
ただその女性はここで子供の頃遠足に来たとか無線塔があったことを知っている
そもそも無線塔自体知っている人は相当な年になっているのだ
航行に通っていたとき確かにあった、でも40年以上前に壊された
何かあの無線塔はその時大正時代に最新式の技術で建てられたものである
それは関東大震災をアメリカに伝えたとういことで有名になった
私の母は関東大震災を揺れを感じて知っていた

信じられないのは高校に通った時、原町だったがまだ蒸気機関車だった
それが信じられないのである、そんなものが走っていて乗っていたということが信じられないのである、私は学校が苦手であり思い出したくない、今は自由に電車に乗って楽しみだからいいが学校に通うのが嫌だったのである
とにかく何かこうしてもう遠い昔になることが不思議なのである
本当にそんなことがあったのかということになる
そうして世の中はあまりにも変わってしまうことである

最初は原町は旧街道の宿場町だった、そこで原町村があった、でも今の様な街はなく
雲雀が原があり原っぱであり原町になった
それで一騎だけ野馬追に出ていたのである、宿場町がありあとは田畑だったとなる
それから原ノ町駅ができて駅前通りになり今の街ができた
駅前通りは街になった、でも今度は車社会になると道の駅が中心になり駅前通りから六号線の方が新しい街になった
こうして常に町の新旧が生まれる、だから狭い地域でも常に古町と新町が生まれる
今は道の駅から新しい街が生まれる、それで復興でも飯館村だと道の駅から復興した
浪江町だと新しく先日できた道の駅から復興してゆく
鉄道の駅ではないのである、鉄道は今や交通の要ではないからである

昨日は窓を見たら朧月であり満月だった、何かこの時期雲がでて霞みやすいから朧月になる、今日も本当に春霞だった

ともかく六号線が主要な交通になるとき道の駅が中心に新しい街が形成される
私は一週間に一回は原町に必ず買い物とかで行っている
原町は8キロくらいだかさら近いから行きやすい、相馬市はその倍あるのでなかなか行けない、そしてあそこの公園がいいのである
つまり公園でも街なかにある公園は行きやすいから活きているとなる
夜の森公園になると場所がいいにしても離れていて孤立している感じになる
だから人の往来がないと公園でも利用しないとなるのだ

今日は真野川沿いを桜の写真をとった、何か早い桜の開花だった、すでに満開であり花もわずかだが散ったから今年の桜は早く咲き散る
次はその写真と俳句短歌を出すことになる

2021年03月24日

沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径)


沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径

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姉と母の真ん中に自分がいる、その真ん中の花が自分なのである

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八沢浦の耕作放棄地ー屋形の裏





初蝶や沈丁花匂う庭に来る


春なれや一輪大なりガーベラを真中にさして他も映えにき

我が庭にスノーフレークかそか咲く誰が目にとむ我の眼にとむ

我が庭にエゾムラサキの今年また咲きにけるかな虫の飛び来る

裏山の森にさえづる春の鳥一羽ひびきてしずまりけるかな

ふるさとの隠されし道や我が来れば梅のにおうや生業の跡

白椿庭の裏にそ隠されて人に知られず咲き増えしかな


今日庭に初蝶を見た、この蝶の紋様がいい、これを庭で見るのはめずらしい
沈丁花が匂いそこにとまっていた、それでうまく写真がとれた
蝶とか鳥は写真にとりにくいすぐ飛んで消えるからである
鳥は一番写真をとるのがむずかしい
だから庭でこの写真をとれたのは貴重だとなる

それからエゾムラサキも咲いた、この花は毎年咲く、花は肥料でもやらないと咲かなくなるのがこの花が毎年咲いている,エゾとつくように北海道の花である

八沢浦の高台の山を歩いた、そしたらそこにも田んぼがあった、でも耕作されない田んぼとなっている、何か震災以後はこうして不便な場所にある田んぼとか畑とかは放置されるようになった、小さな田んぼでもそうである
もともとたいした収入にもならないからやめる人が多かった
特に高齢化で田畑を続けることだ出来なくなっている、それで全国的に耕作放棄地が増えたのである、日本の不思議は本当に田んぼが高台でも狭い土地でも田んぼにしていた
それだけ食料として欠かせないからそうなった

八沢浦となれば干拓して広い土地が田圃になったのだがもともとこうした狭い高台などでも田んぼにしていたのである
八沢浦とは八つの沢の浦であり今広く田んぼになっている所は海だったのである
入江となっていた、それが津波で入江になったときほど驚いことはなかった

ともかくふるさとでもまだ通らない道がある、これだけ隈なく行っていてもそうである
そこははじめて行った場所だったからである、細い道がいくらでもありそれがわからないからそうなる
やはり春になるとこうして自転車で回るのがいい、その自転車でもヤマハのYPJ=XCはタイヤも太いして悪路でも行けるマウンテンバイクだからいいのである
これだけは本当に役立っている

今日は飯館村の方に塩の道を通って行った、次は飯館村の春である


2021年03月20日

春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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ここで充電できるのは便利


真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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葵の紋の蔵―立派な蔵である

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな    

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹  

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ
  

      

昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ




昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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2021年03月18日

梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅の香の広間に満ちて遺影あり

梅林に入りて匂うや一人かな

里めぐり梅のあまたや匂い充つ

虚しくも梅の匂うも空家かな

春日さし我が家に居つく猫一匹 


田舎というのは悪い面も相当にある、今はどこでも人間が素朴などとないのである
それは社会が金中心になったためである
何か共同性とかもない、津波とか原発事故で絆を盛んに言われたがそれもなくなっていた絆がかえって外部とあった、内部にはなかった 

ただこうしてマイナスの面も大きいのだけど梅の季節になると何とも梅の香りがそちこち流れて来る、すぐ近くに梅林もある、だから梅の季節は気持ちいいとなる
こういうことは都会にはないからだ
こういうのが田舎のいい点だとはなる


梅林鶯聲を聽く<宮崎東明> 

春天風暖かにして 塵寰を出ず
最も喜ぶ吟行 一日の閑
歩歩蜿蜿 平野の路
登登曲曲 鬱林の間
忽ち梅樹を看る 東西の谷
時に鶯聲を聽く 前後の山
杖を松根に停めて 酒を斟む處
詩篇未だ作らず 已に酔う顔

ばいりんおうせいをきく<みやざきとうめい>

しゅんてんかぜあたたかにして じんかんをいず
もっともよろこぶぎんこう いちじつのかん
ほほえんえん へいやのみち
とうとうきょくきょく うつりんのあいだ
たちまちばいじゅをみる とうざいのたに
ときにおうせいをきく ぜんごのやま
つえをしょうこんにとどめて さけをくむところ

塵 寰塵の世 俗世間
蜿 蜿うねりくねるさま
鬱 林こんもり茂る林
忽ふと
聽聞こうとして聞く
早顔酒に酔った顔

意解
 春日和で風も暖かくなって俗世間から出ることにした。詩を作りながら一日のどかに出歩くのはこの上もない喜びである。
 平野の道を一歩一歩うねりくねりしながら進み、こんもり茂った林の中を折れ曲がりながらぼつぼつ登りつづけていった。
 ふと、東西の谷間に梅林が目に入り、折しも前後の山々から鶯の声がして耳を傾けた。
 私は杖を松の根もとに置いて休み、酒を酌んでいると、思う詩がまだできていないうちにもう酔ってしまった。


この漢詩は日本人のものだった、でも何か自分が感じたものと一致していた
梅の香りに酔うということで一致していた

梅堯臣(1002-1060)

適興野情

千山高復低
好峰随處改
幽経独行迷
霜落熊升樹
林空鹿飲渓
人家在何許
雲外一声鶏 

適(まさ)しく 野情にかない
千山高く また低し
好峰 随處に改たまり
幽経 独り行きて迷う
霜落ちて熊は樹に升(のぼ)り
林空しく鹿は渓(たに)に飲む
人家 何許(いずこ)にか在る
雲外 一声の鶏

これもまさに常に自分が田舎を自転車でめぐっている状態と同じである
ただここに熊がでてきて鹿が水を飲むというのは違っている
1000年前の人だから当然そういう場所が中国でも多い
中国に三回行っても結局深い所がわからなかった、まず中国を知ることは不可能である
広すぎるからである

田舎だと細い道がありそこが幽経なのである、そういう道は一日でも一人くらいしか通らない、一人も通らない時もある、ただ田舎でもそういう道はまれになる
たいがい舗装されたりしていて車が通るからだ、そこは確かに車が通っても乗用車は通らない、だからそこは隠された道なのである

ともかく梅の季節であり梅の香りは野に流れて香りが満ちている、その時確かに平和である、つまり田舎でも人と必ずしも接しないでその香りに接していればいいとなる
その時田園に暮らす喜びが自ずと充たされるのである

雲外一声鶏

今はこれが感じない、鶏は卵を産む機械として機械のようにされている
それが不自然なのである、でも田舎では今でも話し飼いの鶏がいてそれを見た時ほっとしたのである、田舎でも機械化人工化しているから何か殺伐としてくるのである
本来の田舎はなくなっている、そしてこの辺はその工業文明により原発事故で荒廃してしまったのである
ただ別に避難区域にならなかったところは変わりなくなったのである
飯館村とか小高区とか浪江とか双葉とか大熊が元の状態にもどらない
だから梅が咲いてその匂いも流れても何か空家の梅のように虚しいとなる

人間はやはり自然に平和を見出すべきなのである、自分はその平和を樹と石とか山に見出してきた、それを詩にしてきた
平和とは平和と叫ぶことではない、平和運動ではない、平和な状態なのである
そういうとき東京という場所にはそもそも平和はないのである
あれだけ建物と人が密集して自然がなければ平和はない、平和を感じることは不可能である
平和とは戦争のないこととかでもあっても実際は日々の日常に平和を感じる場所なのである、それが都会にはないのである
ただ正直田舎は理想的な場所ではない、それを原発事故のことでもずっと指摘してきた
田舎の人間も醜いのである、ただその暮らしが隠されていたとき飯館村のような平和があったとなる、それが原発事故でずたずたに破壊されてしまったのである
それが最大の原発事故の罪深さだったのである
ただ東京の人はそういうことに痛みを感じない、そういう場所に住んでいないし遠い場所で関係ないとなっていたからである

野の梅を手折り遺影の飾る広間にさす、すると香りが部屋一杯に満ちる
家はやはり広い方がいいのである、日本は狭すぎるのである
テレワークになったとき狭いアパートとかで誰ともしゃべらずパソコンに向かって仕事しているのも確かに味気ないとなる
でも広い家で庭があり田舎だったら散歩しりして英気を養うことができる
都会で一日狭い部屋にいたらうつ病になる

この家は親が建てたものである、ただ一人では広すぎるとなる
でも近くでも本当に広い家に一人で住んでいる女性でも多い、子供は別になっていないのである、だから家に関しては田舎は贅沢である
それで住宅に住む人は見劣りすることになる、そこに格差が現れる
でもその人でも二階もあり三部屋とかあり一人で住んでいるのである
これからは空家がますます増えてただ提供される時代が来るとなる
家にあまり金をかけない時代が来る、そこで悠々と暮らすのが本当の豊かさだとはなる
茶室があるとしてもそれは広い家があり部屋があって利用する特別の間である
普通に暮らすには広い家の方がいいのである
とにかくこの広間に梅の香りに充たされる、それは親が残したものであり私は恩恵を受けているだけなのである、だから人間は親に恵まれないと損だということは確かである





2021年03月17日

梅の香りの季節

梅の香る季節                                   


紅梅に白梅香る朝の道

前畑に梅と菜の花仕事あれ

東風(こち)吹きて海の望むや椿咲く


春風の吹きてしなれる細し木や家を支えし手弱女(たおやめ)の母

春日さし旧街道に松一本ここに変わらず頼もしきかな   

芬々と梅の香れる夕べかなゆくりなく過ぎ我が身にしみぬ  

梅の香のそちこち満ちて回りける夕べになおも香りのこしも

梅の香に充たして帰る我が庭に沈丁花の香りも充ちぬ

隠されて我のみ見てや白椿庭の奥にそ咲きて静まる


家の前に畑があることは仕事と直結している、畑の手入れは結構大変だからである
それをいつも目の前で見ているから畑と家と人間が一体化する
だから前畑という姓があり後畑(うしろはた)とかの姓もある
前田は家の前にある田であり特別な意味があった、そこは前田があり草分けの農家だった前田はその村の中心となった所であり重要だとなる

植松にある松は太い、それで頼もしいとなる、あそこは旧街道であり街道には松がふさわしいのである、松は何か人間に見えるのである
ただ陸前浜街道はまだ双葉とか原発のある地域は通行できない、車だと行けるが自転車だと行けないのである、途中が途切れてしまったから街道も活きていないとなる

今回は写真を出していない、次に写真を出してみよう
とにかく今は梅の季節である、田舎だとどこでも梅があり匂うとなる

2021年03月09日

いぬふぐり、梅、椿 (原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)


いぬふぐり、梅、椿

(原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)

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(原町の道の駅の公園)


春日さすベンチあたたかいぬふぐり

公園に雀群れ来ていぬふぐり

春の日や母と子遊び木の根あり

(上高平)

山鳩の来たりてにおう庭の梅

また一つ綿津見神社や椿咲く

古碑並び大木の下に落椿

元文の碑我が目にとめて落椿


原町の道の駅の公園に休み上高平の方を回った
道の駅には良く行く、あそこで買い物したり食事したりする、また高見ホテルの食堂にも行く、原町というとき駅前通りとかには行かない、道の駅周辺で買い物をして駅前の方には行かない、イオンには時々行くけど遠い、イオンは離れすぎている
今の時代でわかることは街中には行かない、そこか古町のようになっている
原町だと街道があった所が最初に栄えて次に駅前通りが栄えて次に六号線の道の駅周辺が栄える、このように常に街は変わる、それは昔からそうだった
つまりこれは浜街道があり次に駅前通りがあり次に車社会になったとき六号線の道の駅周辺が新しい街になったのである
交通によって街が変化したのである、だから交通の影響が本当に大きいのが人間社会なのである

あそこの公園には良く行く、それも地の利があり便利だからである
あの辺で買い物して道の駅で食事して休むのに便利になっているからである
街というときいろいろなものが一か所に集まると人も集まり安いのである
そういう所に公園があると利用される、夜の森の公園となるとそういう場所ではない
公園として孤立しているのである

あの公園で目に留まるのが木の根っこなのである
それで木の根公園とかなる、公園にも特徴があるのかもしれない、何でも特徴はある
ベンチに座ると下に犬ふぐりが咲いていた
雀が群れてくる、母と子が遊び平和な光景である   

それから桜井古墳の方に行きそこは運動場であるが公園でもあり新田川沿いを必ず散歩している人がいる
そこで木の写真を撮った、あの木はなんでもない木のように見ていたが写真を撮ってみて一列に並んでいる、それが神殿の柱のように見えた、列柱のように見えた
何でもないものでも発見がある、それでカメラは欠かせないのである  


春の樹々

大地に根づきし樹々の
ここを離れずさらに
強く根を張り動かじ
春の光の柔らかくさし
樹々はここにあることの
冬を耐えて喜びに満ちる
十羽ほどの山鳩の群れ飛びきて
平和の日はもどりぬ
鳥は自由にそちこちの樹に
飛びて止まり飛びまわる
梅の香は馥郁と流れ
樹々はここに深き契りを交わす
その誠は変わらず
この地に根を降ろして動かじ
ここは安らぎの地なり
ここに人は離れず
ともにありしを喜ぶ

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それから上高平の方を回ると綿津見神社がある、相馬地域ではとにかく綿津見神社が多いのである、神社の半分くらいが綿津見神社に思える
後は八坂神社が多い、この綿津見神社は海人族の安曇氏などが移住してきたことに由来している、縄文時代があり弥生時代がありその弥生時代のものだと思う
だから相当に古いしここの先住民が残した神社ともなる
ただそのことについてまだ深く考察した人はないようである
ただ西殿とかは殿とあるごとく古い場所である、すぐ近くに南北朝時代の五輪塔があるからだ

そしてこの綿津見神社の古い碑があるが元文というのは相当に古い


元禄げんろく    1688.9.30    〜    1704.3.12     
宝永ほうえい    1704.3.13    〜    1711.4.24     
正徳しょうとく    1711.4.25    〜    1716.6.21     
享保きょうほう    1716.6.22    〜    1736.4.27     享保の改革
元文げんぶん    1736.4.28    〜    1741.2.26     
寛保かんぽう    1741.2.27    〜    1744.2.20     
延享えんきょう    1744.2.21    〜    1748.7.11     
寛延かんえん    1748.7.12    〜    1751.10.26     
宝暦ほうれき    1751.10.27    〜    1764.6.1     宝暦事件
明和めいわ    1764.6.2    〜    1772.11.15     
安永あんえい    1772.11.16    〜    1781.4.1     
天明てんめい    1781.4.2    〜    1789.1.24     天明の大飢饉


元禄まだはいかないにしても相当に古い、つまりこの神社は古い
ただ古い碑にしても江戸時代のものである、弥生時代とかではない
ただ神社自体は弥生時代にさかのぼる由来がある
とにかくこの辺は歴史が古く考察する必要がある






2021年03月07日

春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)


春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)
                            
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金沢の一番星


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東風(こち)吹いて桜井古墳や海近し

春の雲ふらりとよりぬ喫茶店

蔵ありてここに休むや松と梅

春の空高速より見ゆ鹿狼山

平穏に日がな匂いぬ梅満開

紅梅や山鳩来たる庭広し

紅梅や牧に馬かな草もゆる

ふるさとの墓地に眠るや春の山

                        
春の日や若き女(ひと)あれ我老いて昔を語る人となるかな

隠されて溜池ありぬ春の鴨あまた群れいてここになごみぬ
      

先日は桜井古墳をまわり金沢の一番星の喫茶店に行った、あそこは松と蔵なのである
今回のその松の隣に梅が咲いていた
そこで火力発電所がある前に私は砂浜がつづいていて歩いていたとか話しした
でも右田の松原は流された、金沢にも松原がありそのマツは太かったのだ
それは津波でなくなったのではなく火力発電所ができたりしてずっと前になくなっていたのだ
あそたでキャンプする人もいたのである
松が太いということはそれだけ古いということである
金沢は元禄時代に開拓された場所だから実際に古いのである
松と蔵があるから松倉珈琲店なのである

今日は寒いけど晴れていたから鹿島の高速のSAに行く食事した
あそこは鹿島では一番にぎわう場所である、街中とか鉄道の駅は閑散としている
でも車時代だからあそこは一番にぎわっている
そこから鹿狼山が見える、あそこもすでに三年以上すぎるとなじんでくる

紅梅も咲いた、山鳩が飛んでくる、牧場に馬がいる、野馬追いに出すために飼っている
この辺の風景である

それから小池の奥の方に溜池があった、そこは行ったことがない
一回くらい行ったのか忘れていた
こんな所に溜池があったのかと新しく発見した感じだった
意外とこの溜池は多く知らないのがまだある、それだけ溜池が日本では多いのである

そこに鴨が群れていた、隠されて群れていた、鴨は秋の季語であり冬の鴨があり春の鴨がある、こんなところで鴨が群れていたというのは意外だった
何か隠されていることが神秘的だとなる
飯館村はそうした隠された村だった、それが原発事故以後は様々なことで醜い場所になったのである、これまでは問題があるにしろひっそりと隠されていたから良かったのであるそもそも人間は醜い、でも自然の中に隠されているとその醜さが現れないからいいのである

ただ今回は鴨がこんなにここに群れていたことは発見だった
ただ水が相当に少なくなっている、雨がふらないからだ
今日は春と言っても寒い、春寒しだとはなっていたが天気がいいから出かけたのである







2021年02月22日

の日に鹿島区の古墳、新田川ユッサから大原による


春の日に鹿島区の古墳、新田川ユッサから大原による

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ふるさとの古墳に根付く木冬深む

家の脇古墳いくつか春の山


春日さし石あたたかや五つほど

春日さし寄り合う人や石五つ

石五つ変わらずここに春の暮

春日さし老いゆくものや石五つ

春の雲ぽっかり浮きて昼の月

ふるさとの小径を行きて梅にほふ


広き庭いぬふぐり咲くも廃屋や遊ぶ子もなくさみしかりけり

大原に春田やあわれ知る人のここに眠るも残る廃屋

大原の暮らしを語る人のあれ廃屋淋し春の日暮れぬ


鹿島区は古墳の町とされる、古墳がやたらと多いのである
原町区は大きな桜井古墳だからそこがこの辺の中心だった
そこに二人が葬られた棺があるというときそれは同時代に葬られたのではない
二人の天皇が葬られた古墳があり時代的にずれている、時間差があって葬られたのである桜井古墳は大古墳だが鹿島区は小古墳がやたら多いから古墳の町とされる
その古墳に木がねづいているのも古墳の町らしいとはなる
歴史が継続しているという感覚になる、祖先がそこにいて継続しているという感覚にもなる
歴史は継続である、それが原発事故でふるさとの歴史は断たれる危機になった
他に移れば歴史の継続はなるなる、他ではまた一から歴史を作ることになるからだ
つまり移り住んだ人たちはこことは別な歴史を作ってゆくことになりここではその歴史の継続はなくなるのである、墓すらやがて子どもたちが移動した場所に移るからである

新田川ユッサによった、あそこの庭は貧弱でも一応庭である、庭に関心がある
石が好きであある、だから日本庭園のいいものを見たい感じたいとなるがこの辺にはない博物館でも庭がうまく作れていないのである
日本庭園がある旅館に泊まりたいともなるがそこは相当に高くなる
ただ泊まらないにしろいい庭を見たいとなるが見れないのである

ただあそこで風呂に入り休む場所としてはいい、石が五つというときそれは人間でもあるそしてそこに変わらず同じ場所にあるというとき落ち着くのである
というのは余りにもこの辺は変わりすぎたからである
それから年取ると変わることが苦手になる、変化に弱くなる
それで変わらない方がいいとなる、いつも親しい人が同じ人がいた方がいいともなる
それで心の安定がある、石五つつくらいありそれが仲間だともなる
ぽっかり春の雲が浮き昼の月もでていた

何か廃屋がある、その庭は広い、いぬふぐりも咲いたが人がいないので淋しい
そこで遊ぶ子でもいれば活きてくるがいないからそこが死んだ空間になる
何かそういう廃屋が増えてくる、日本で800万軒が廃屋化するというからそれは全国的なものである、第一原発避難区域になったところは廃屋だらけだからである
そこに残されたのは老人だけである、つまり極端な現象として限界集落になったのであるだからそういう老人を誰が世話するのだろうとなる、なぜなら子供の世代の人たちは補償金をもらって仙台市とか隣の市とかに移住して帰らないからである

大原の前田とうところに住んでいた人と南相馬市立病院に入院していてあった
その人は猫を飼っていてその猫を心配していたのである
子どもの世代は原町市街に移って住んでいて家だけがあった
そして死んで家は残ったが誰も住んでいないのである
墓も大原にありそこに眠っている、何か農村でも山村でも空洞化した
それは原発事故で余計にそうなったのである
春になれば春田になるのがでもそこで農業を受け継いで暮らす人は減った
だから子供は農業を受け継がないのである





2021年02月20日

春の風、春北風(はるきた)春の雲ー震災から十年過ぎる


春の風、春北風(はるきた)春の雲ー震災から十年過ぎる


冬芒根ずき離れず故郷に

寒もどるともに耐えなむふるさとに

春寒しなぐさめあわむ老二人

津波跡十年過ぎて春の雲

春北風(はるきた)に向かいて走る苦ならじも

春風に揺すらる樹々や走るかな


津波と原発から十年過ぎる、やはり十年一昔になる、それで感覚的に自然の見方も変わってくる、最近まででも津波の恐ろしさは消えなかった
海は本当に怖いものだった、それも想像を越えて怖いものとして印象付けられた
今でもそうである、でも十年すぎてやっと何か春の雲が浮かんで平和だとみる

それで十年ということでテレビでもいろいろ企画して被害を言うかそれに関心がもてなくなった、地元でもそうだとすると外部からでも余計にそうである
今やコロナウィルス一色になり津浪や原発の被害が忘れらさてゆく
私のプログのアクセスも半分くらい減った、そのアクセスは津波と原発関係だったことがわかった、つまり外部の関心も減ってしまったからである
ただ原発の被害は避難区域ではつづいている、人は帰らないし回りが草ぼうぼうだからである、それで復興したということはない、ただそれ以外は地元でも復興しているのである
今日は風がいているけどあたたく春になっている
それで原町とか回ってきた、ただ風が強いのですぐに帰ってきた
その風でも春北風(はるきた)であり北風とは違うから楽である
ようやく春になってきたと思う

寒戻るでありストーブから離れられなかった、男女一組でロードで走る人がいた
原町の人だった、原町ではロードに乗る人に良く出会う、原町はそういう仲間がいる
この前は70近くの人がロードに乗って飯館村まで行っていた
ロードとなると老人には向いていない、その人はずっと乗っていたからできるのである

ただ自転車は老人にも向いている、まず登山はきつい、途中て休むにしても自転車のようには休めない、自転車だと途中で休んで飲み食いもできる、店でできる
それで北海道に行った時は一日休んでは進んだ、時間をかければ老人でも行けるのであるだから趣味としてはいい、老人になってもできるからである  

天災は忘れた頃にやってくる、、、先日の地震が大地震を思い出させた
それも十年目だった、忘れつつあるとき思い出させたのである
だから怖かった、それだけまだ記憶から消えるとはなっていないからである

2021年02月14日

春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)


春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)

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遠くに霞む山と海が見える


曙に明星輝き目覚めかな

二階より春の曙我が家かな

広き廊春日のさすや家を継ぐ

春の山一村の墓地ともに眠る

船の行き遠山霞み波ひびく

春光や南へ向かうバイクかな

百輪の椿や往来六号線

城跡のお堀に写る春の雲

松川浦鴎飛びつつ船あまた

昔なれ百間橋や春日没る

急がじや春の夕暮れ我が帰る


春の鴨波紋広がる静けさや細き月しも池に映しぬ




家というのは人間に相当影響する、精神にも影響する、狭い家に住んでいると心まで狭くなる、そもそも日本人の家は狭すぎるからだ、それで茶室が文化になったのである
それは日本人の家がもともと狭いからそれを活かしたものとして文化となった
でも実際は広い家の方がいいのである
その家の広さが人間の精神まで影響するからそうなる
広い家でゆったりしていれば心にも余裕ができる
私の家は土地は最悪である、街で一番低い土地にあり水害にも二回あっているしこの前も水があふれて家に入ってきたからである
家自体は大きいのでゆったりする、二階には広い廊下がある
そこを歩むと気持ちがいいのである
そこから毎日春の曙を見ていると気持いいとなる
家というのは家そのものも価値もあるが景観がいい場所にあると価値が増す
私はそれで喫茶店とかでも景観のいい場所にあるといいとなる
外の景色を見てコーヒー飲むのは価値がある、せせこましいところだと嫌なのである

相馬市は地震で道の駅でも店も休んでいた、商品とか地震で落ちた、相馬市では数軒屋根の瓦に被害があった
どういうわけか南相馬市は震度6強にはなっていない、相馬市と新地はなっていた
それで相馬市に多少被害がでた
ただ今回の被害はわずかだった、死んだ人もいない、だからこうして俳句とか短歌も出せる、これが東日本大震災のようになったらそんなところではない
ただ八沢浦が美しい入江に戻ったというときはひんしゅくをかった
その時実際にそこで死んだ人が結構いたからである
ただ自分としては入江になったことが先になりその風景に驚嘆したのである
それはここが入江だったらなとイメージしていたからである
それが実際そうなったときほど驚いたことがない、奇跡だと見た

浜通りの風景は太平洋が見えて山が見えることである
春となり山が霞む、一方で大平洋が広がり船が見える
岡山から転勤してきた人が瀬戸内海は船が常に行き来しているからいいとか言ったら
こちらの海も広いからいいと言った
つまり瀬戸内海の海をいつも見ているとそうなる
こんなに広い海もいいなとなるのである
人間は同じ場所にいるとその景色にも飽きるのである
人間はその住んでいる場所から見える景色がある、それそれぞれ違った原風景となる

相馬市の城跡のお堀には春の雲が映っていた
それから松川浦に行き小泉川の百間橋を渡り帰ったきた、橋は新しい橋を作り工事中だった、百間橋とは当時は長い橋だったから名付けられた
それだけ長い橋を昔は作ることが難儀だったからである、それで百間橋と名付けられた

夕暮れに溜池に波紋が生じて春の鴨が池にいた
森には細い月が光っていた、自然はこうして調和する、乱れることはないし静けさのうちに暮れてゆく、
ただ地震も自然の作用だとなるがこれだけはあってほしくないものである
天国には海はないというとき海は何か怖いものであり落ち着かないものだからである
ただ浜通りは海が原風景になっている

とにかく今回の地震は怖かった、その余震も大きいのが来た、だからまだ大きなものが来るかもしれない、ただ被害は少なかったからやはり春を楽しむとなる
これが被害が大きかったら楽しむとはならない、それで短歌でも俳句でも出せるとなる

2021年02月10日

寒木、蝋梅ー写生俳句のこと(死んだ母を想う不思議―万葉集の歌)


寒木、蝋梅ー写生俳句のこと(死んだ母を想う不思議―万葉集の歌)

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ふるさとに根付きて老いぬ冬芒

我が母の百才生きし冬芒

風うなり墓地を囲みて寒椿

蝋梅や我が家に余生くつろぎぬ  

石垣を離れず松や冬の暮  

玄関に枯木の影や籠るかな

十本の樹に寒さのしみいりぬ
                                                

百才を生きにし母や蝋梅の咲きてその後我の住むかな
                                

母のことを語るのは不思議である、母は脇役であり目立たなかったからだ
私自身も母を注目していなかった、嫌いの所があり母を良く思っていなかった
ただ人間は何か死ぬと生きているときき別な見方をするようになる
それが不思議だとなる、死んでからその人を深く想うということがある
だから万葉集の歌が恋愛ばかりだと見るのは間違っている
そうしたら何か浅薄になるからだ
恋は乞うであり死者を想っているのだというときそうなるとその想いは深くなる
もはや肉体として存在しないからこそその想いは深くなるからだ
ただ自分の場合生きている時母を想うこともなかった、むしろ嫌なものにも思っていたのであく、それが不思議なのである


獻舎人皇子歌二首

たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼め過ぎむや

現(うつつ)には言は絶えたり夢にだに続(つ)ぎて見えこそ
直(ただ)に逢ふまで 二九五九


母に許されれば結婚できましょうという意味である、でもこれも別な解釈があるかもしれない
母が言い残した言葉なればその言葉は重要でありその言葉に頼む、年の緒長くその言葉を伝える重んじるという意味ともとれる
状況からは違うにしろそういう解釈もありうる
それで母が死ぬ間際に一か月前に認知症だったけど正気にもどり言った言葉が忘れられない、それは孫に言い残した言葉だけど孫にはその言葉は伝わらなかった
それも一緒に生活したこともないから疎遠になり伝わらなかった
ただ自分自身は正気になって大声で言い残したことに驚いたのである
最後の言葉はやはり人間にとって誰であれ重みがある
その母の言葉を年の緒長く頼む、守るということにもなる

次の歌も言は絶えたりというとき死んだともとれる、でも夢に見えるとなる
これも必ずしも恋愛の歌ではなく死んだ人を想っていることともとれる
そもそも万葉集の歌が何を意味しているのかわからないのがあり研究が続けられている
それは古代の人の心が今と違っていて理解できなくなったからである
つまり自然の中での原初的心性というべきものが近代人からは喪失したからである

芒というときこれは意外と深く根を張るものなのである、だから簡単に引きぬけないのである、一見芒は木と違うから根を深く張ると見えないのである
実際は深く根を張っている、そうみると違って見える
百才生きた母にはふさわしいものともなる、ただ百才も生きると幽霊のようにもなって生きるともなる、まず百才まで生きるとどんな感じになるかイメージできないのである

蝋梅も咲いたし、梅も咲きはじめた、実は今日はあたたかい、昨日は真冬だった
ようやく春になるらしい、このくらいだと楽である
俳句はやはり写生である、十本の樹に寒さのしみいりぬ・・・というときまさに写生である、十本というところに意味がある、「鶏頭の十四五本もありぬべし」子規・・・これに写生が集約して表現されている、つまらないとなればつまらないがそれが写生俳句の本質を表現したものだから論争にもなったのである
だから十本の樹というのがまさにこれと同じなのである
これは街中の公園にある、ちょうど十本くらいある、十本の樹があり寒さがしみいりここに耐えて建っているとかみる、その解釈はしないのが写生俳句である


寒木

風うなり木に寒さしみいる
椿の赤く真の心に安らぐ
人はめいめいの場に
分かち合いともに生きる
人と人は場に結ばれぬ
信頼で深く結ばれ一つになる
かくて離れざるかな
寒さしみいるともあたたかき
人の心のかくあれば・・・・

(十本の樹に寒さのしみいりぬ)


説明すればこうなる、説明をはぶけば写生俳句になる

とにかく蝋梅というとき母を想い出す、何か百才を生きた母にふさわしいとなるからだ
ともかく死んでから母を想っているというのは不思議である
死んでから存在感を示しているのが不思議なのである
どうしても依然として母が家にいるという感覚になるのだ
これはおそらく夫婦でもどちらかが死んでも依然とてしう家にいるという感覚になっている人がいる、それは家で暮らした歳月が長かったからそうなっているのだ
だからもし息子でも娘でも一緒に暮らさないとそういう想いが起きないかもしれない
70年も一緒に暮らしたことでそうなったからである
ただ正直母のことは私は嫌うところがあり死んでからこうして思うことが不思議なのである

2021年02月06日

チューリップのフラワーアレンジメント (クラウンオブダイナスティなど)


チューリップのフラワーアレンジメント

(クラウンオブダイナスティなど)

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仙台で買いしチューリップめずらしき王冠の名や我が家に飾る



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仙台の駅構内でクラウンオブダイナスティを買った、花は種類がないとあきる
この辺ではそもそも相馬市の花屋だと仙台の市場まで行って買っていた
でもそこは仙台まで行っていてもあとはここまで売りに来たのを買っているとかなる
だから種類が少ない、田舎では花屋で生計をたてるのはむずかしいだろう
簡単な仏壇の花などはスーパーとかでも売っているからだ

ではフラワーアレンジメントする人は限られている
そしたら売れないとなる
そしてこれも金がかかる、花は枯れやすいから買っていると金がかかるのである
また暇も必要になる、だから金銭的にも時間的に余裕がないとできない
そういう人は田舎には少ない仙台辺りだと都会だからいるとなり商売が成り立つ

とにかくフラワーアレンジメントでは写真をとり記念とする
それが2現代的な鑑賞の仕方だとなる
写真のとるこつは花だと接近してとると映える
今は写真がかかせいない、そうして花だけではない、いろいろなものと結びつける
花だと花瓶が必ず必要であったりどうしたしら見映え良くするかとなりその背景も考えるただそうなるとプロ的になり時間も手間もカメラもと金もかかる
正直金はかかったとしても人間やれる時間が限られている
とても何でもできないのである