尾瀬沼から霊感を得た詩ー天上の神の園
天上の神の園
鋭く山頂は天を衝き聳え
突如雷鳴がひびき稲妻が走り
岩は凝固して沈黙する
その片へに神秘の花は咲く
蛇紋岩に薄雪草よ
その山の上の湿原に咲く花々
心地よく池塘に映しぬ
その穢れなき花
その水の鏡は平静にして
心清き者のその花を見る
天上の花の楽園にあれ
幽かにトウスミトンボのとまり
ここを乱してはならぬ
神の御顔がここに映る故
神は聖なる地をゆくりなく逍遙する
原始の山は厳しくせり上がり迫る
岩盤にほとばしり流れよ
生々流動する大自然のエネルギー
瀧は轟き渡る、その大音響よ
神はコンダクターその棒を一心にふる
自然は一つに統合されて神殿を形成する
原始の森に精妙にして荘厳なひびき
その低音のバスと高音の調和
天地に鳴りひびくものよ
天に木霊する歌声よ
汝は天に召されるべしや
清き流れはさらに遠く下る
かしこ素朴な村々が隠されあり
その営みありて神は良しとする
貧しきも養うべきものあり
そを神はつつみ隠しぬ
人よ醜き顔を出さざるべし
汝は隠されるべし
尾瀬沼からイメージした詩だけどあそこは天上の花の楽園であった。あれだけの自然は世界でもなかなかなかもしれない。
山でもそうだし三条の滝も凄い、ただ40年前とかになると記憶が薄れる、でもやはり現場び立つことが一回でも印象に残る
私の旅は尾瀬から始まっていたのである。何か老人になって会社を退職してからとかいろいろな体験をしなで失敗したとかある
時間はそもそも何らか体験する知識でも体験して知識を広めることがある
でも登山とかなるときつくなる。私は体力がないので尾瀬に行った後に何か死ぬよう疲れたのである
登山は相当に疲れる。だから40くらいでやめて自転車旅行になった、北海道は自転車で半周したとかある。一か月くらいかかった。その時は電動自転車がでていないから苦しかった。でも若い時はまだ行けたのである
だからきついことは若い時でないとできないから老人になって時間と金があってもできなくなるのが問題なのである
ともかく時間はたちまち過ぎる。今やきついことはできない、何か死が目の前に近づいているともなる
同年代の死が毎日のようにテレビで報道される、それだけ同年代で死ぬ人がますます増えて来る
団塊の世代が膨大に死んでゆく、それで今度は火葬場がたりないとかなる、学校で教室がたりないとなっていたが今度は
火葬場が足りないとなるのが団塊の世代である
いづれにしろ何でも体験したもの知識でも何か関心のある本でも集めただけでも後で役に立つ、その知識でも今読み返すと理解できるとなる、それでヘルダーリンの詩とかも理解できて自分の詩にも取り入れるとなる
自分が主体になり引用できるとなる。そうしてこそ本当に本は読んだことになる
私の詩の一つのテーマとして山がある、でも山でも詩にするときその崇高な巨大な山を詩にすること自体それに相応するものを自分自身の中の魂になけらば表現できない、そこに限界を感じる、そもそも自然を表現すること自体超人でもないとできないとなる。とても軟弱な人間では表現できないのである
ただ天才でなくても体験して感じるものがありまず体験することが大事だとなる
それは特に外国を知るには本を読んでもテレビを見ても実感することができない、つまり実感することが大事なのである
山を表現するには登山すべきだとなる。でもヒマラヤとかなると表現の域を越えている。
それで十回もヒマラヤに行った人がいたことはうらやましかった。こうして人間はとにかくいろいろなことを体験しないで後悔しているのであある、体験することでも限られているから後悔する
そもそも会社員だと一か月とかの休暇をとれない、すると長い旅はできない、とにかく50才でバックパッカーになって世界を旅行したのが良かった、そのご60才から親の介護で近くすら旅もできなくなったからである
だから本当に人間の体験することは限られている。たちまち時間が過ぎてしまうのである
世界は自然には美がある。でも結局人間はどこの国でも醜いのである。それは共通している。田舎の自然は美しくても人間は醜いのである、何か蛇が草叢から出てくる感じになる。だからその暮らしを隠せとなったのである
人間の暮らしは自然の中に隠されて自然が映える。それは東京のような大都会を見ればわかる
一千万の人間が作った大都会は自然はなく隠されないからむき出しになり醜悪になっている
それが何なのか異常な異様な別の惑星に来た感じになる、そこには美がないのである。荒寥とした人間砂漠になる
それは今や世界の大都市で共通している。そこにホームレスが路上にたむろして薬物中毒になり彷徨う、何か世紀末的風景なのである。要するに自然に隠されることがないから人間の醜悪さがむきだしになっているのである
そこではまともな人間は存在しえない、そこには狂気的カルト教団とかナチスとかが席巻したのも文明の病的現象として生まれたのである。宗教の始まりが聖なる山からギリシャでもモーゼのシナイ山でも中国の山でも天台宗が起こりそこで修行した
だから東京のような大都会から生まれたカルト宗教は何か聖なる要素がゼロなのである
だからそこから本当の詩であれ芸術でも生まれようがないのである
The Garden of the Gods above
The sharp peak of the mountain rises to the sky
Suddenly thunder rumbles and lightning strikes
The rock is solidified and silenced
Mysterious flowers bloom on one side of it
Light snowdrops on the serpentine rock
Flowers bloom in the marshland on the mountain
Reflected in the pond and tangled pool
Its unblemished flowers
The mirror of its water is calm
The pure in heart see its flowers
Be in the paradise of heavenly flowers
A damselfly perches in the shadows
Do not disturb this place
for God's face is reflected here
God wanders tirelessly through the holy land
The primeval mountain rises severely and looms
Let it flow over the bedrock
The energy of nature, alive and flowing
The waterfalls roar and resound, their great sound
God is the conductor, waving his rod with all his might
Nature is united to form a temple
An exquisite and majestic sound in the primeval forest
The harmony of its bass and treble
That echoes through the heavens and the earth
O singing voice that sings in the heavens
Thou shalt be called to heaven
The clear stream goes farther down
Here and there simple villages are hidden
God is good because of their workings
Though poor, they have something to nourish
God hides it all from sight
O man, do not show your ugly face
Thou shalt be hidden
Translated with DeepL.com (free version)