2022年09月26日

ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)


ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)

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これは松島で見た根っこだけど太い



 秋の蝉ひびきともしき牛越城

 地に根付き太き根っ子や里の秋

 里の秋畦道出合う烏かな


 一匹の虫鳴く声の幽かかな我が家に静か昼に聞き入る

 岩一つ玄関にすえ秋なれや余生なおもここに生きなむ

 岩一つ重しもここに一代に家を築きぬ秋の日暮れぬ

 我が家に昔を語る人のあれ桔梗の咲きて我は聴きにき


 今日も実際は暑かった、陽射しがまだ強いのである、昨日もそうだった、だから体調を壊した、でも夕方になったら涼しくなった、夕陽が山に没るのでも秋だった
 もう夏は終わりだろう
 牛越城は相馬藩の城でも五年で終わった、短い期間だった、相馬氏に移るまでの一時期の城だった

 ここで毎日逢うのは烏である、人はいても人とは逢わない、変なのは田舎でも人が今何しているのかわわからないのだ
 ただ一軒の家のことはそこに介護とまでゆかなくても話し相手をしている老女がいて
その話を聞くし一回だけ行ったことがありその庭が石造りの池があり立派なのである
玄関にも大きな岩がある、でもその人は糖尿病であり苦しい
介護する人が毎日のように来ているみたいだ
でも病院にいるよりは自分が苦労して一代で作った家にいるのが精神的にもいいとなる
家だ人間としての威厳を保てるからいいとなる
病院だと病人でしかなくなるからだ

我が家で故郷の昔を語った、小高の人と同級生だった、人間は最後は老人になったら何を語るかである、もしその人なりの人生を生きたら聞くに値する
それは別に地位があるとか金があるとかとかではない、その人の人生はいろいろであり
そういうもので価値があるとは限らないだ
まずカルト教団とか組織団体だけに生きた人の話を聞いても価値を見出せない
それはその組織や団体にいる人にとっては語られるけど外部の人にとっては関心もないのである
ただ何でも人は経験することが違っているから何かしら聞くに値することはある

今年は秋は遅くなった、10月になればやはり本格的な秋になる
そしてまもなく今年も終わりに向かってゆく、何か後期高齢者になったからこんな年まで生きたのかとなる、でも実際は人間は依然としていくら生きていても何かその年どうりではないみたいだ、それで加治兄とか呼ばれている人は不思議である
youtubeに出ているが本当に自分と同じ年なのに若いのもである、もう40代にしか見えない、本人は30代とか言っている、頭が白髪にもなっていないのである
40になると白髪がでてくる、禿げて来る、それもないのである
その人は年齢のことは言うな、年齢で差別するなと言っている
つまり老人は必ずしも年齢通りになっていないのだ

近くの老人は女性だけど私より10歳以上若いのに白髪で真っ白であり杖ついているのである、もう80才のようになっているのである
どうしても人間は見た感じで判断する
私は確かに体が弱っているけどまだ結構体は動くし頭も回転している、私は20代で老成していたから自分を見た人は若い時と20代と同じだと言っている
自分はおそらく20代では意外と苦労して消耗したためだろう
その後は家で引きこもりになり最近引きこもりを籠り人と改めることになった
その隠り人だったのが自分だったのである

 老人は今は平均的には実年齢より10歳引いた年齢は適正年齢である
70歳だったら60歳なのである、ただそれ以上に若い人がいる
だから現代は年齢では計れないのである

2022年09月11日

ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)


ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)

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ハマニガナ
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しじみとる場所が上流になった
今日は日曜日で人が多かった

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空家の大岩
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この車に夏菊が映えるとき確かに美があった

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写真で見たらこれが写っていた、肉眼ではわからなかった



雨しとと慣れにし道に秋の蝶

夏菊の白い車に映えにけり

ハマニガナ砂地に根はるも家はなし

尼蛙我部屋のぞき月の出る

名月のしばし映えしも雲隠れ


しじみとる人の増えしも真野川や土手草深く月見草咲く

朝静か街中にひびく秋の蝉その一匹の声に聞き入る

大きなる岩一つ残し空家かなその重みにそ秋は来にけり


朝曇っていた、雲に陽射しがさえぎられていても暑くなっている
昨日も陽射しが強かった、だから庭の剪定してもらっても暑いと思った
確かに秋になっているが今年は何か陽射しが強い、陽射しをあびると疲れる
そして私が恐れているのは熱中症なのである
だから陽射しが強い時は外には出ないようになった

今日は右田浜の方に行ったが釣りする人はいた、でも砂浜でも狭いし後見えるのは風車である、あまりにも変わりすぎたのである、家もなくなったし淋しい
ただそこにハマニガナが咲いていた、これは砂地でも根をはる、砂に栄養があるのかとなる、それも不思議である

真野川には日曜日でしじみとる人が増えた、結構しじみがとれるようになったのかもしれない、震災前は自分も良くしじみをとっていた、津浪以降はしじみとる人はなかった
でも三年前くらいからとる人が増えたようだ
真野川のしじみはいいしじみだった、大きな蜆もとれたのである
ここで良くなったのは土手にサイクリング道路ができたことである
これが意外といい、前は舗装されていなかった、舗装した結果自転車で走り安くなったのである
景色自体が人工的にも変わるし自然の影響でも変わる、常に変化してゆくのである
ただ山は変わらない、海は前から変わりやすかったのである

中秋の名月は昨日なのか確かに満月が見えた、その前は一時現れ雲に隠れた
街は静かであり秋の蝉の声が一匹ひびき聞き入る、一万くらいの町だと自然が色濃く反映するからいいのである、ただ足りないものがありそれで不便なのである
人間は住む場所に相当に影響される

空家に一つの大きな岩が残された、あの岩は貫禄がある、一応人が住まなくても地震があり手入れしていた、とにかく空家が多いしこれからも増える
一応大きな岩が残って依然として重くその家に残っている、つまりすぐにはそうして人がいなくなっても消えるわけではない、その岩は重く依然として残ってこの家を語っているともなる
家がなくなった跡地に一本の松が残った時もそうだった、その松が最後にその家があったことを示していたのである

近くの家の庭に白い車がありそこに夏菊が映えている、私は車は好きではないけど
これは美的なものがあると見た、俳句とは写生だというときありのままを写す写真と相性がいいのである、ここにむずかしく作るものはなくただそのありのままを写真のようにとるのが写生俳句なのである


2022年09月08日

白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)


白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)

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雨しとと慣れにし道に秋の蝶

尼蛙我部屋のぞき月の出る


白百合の空家に咲きて我のみや見つつめでるや花も喜ぶ

白百合のそちこち咲きて人も見じ辺り静けく雨しととふる

白百合に竜胆さして我が一人部屋にし見つつ心静まる


白百合が空家の跡とかに多く咲いた、それを手折り花瓶にさした
隣が空家になりそこの庭に五六輪白百合が咲いた、不思議なのは人がいない所で咲く花は活きていない、花も何かに向かって咲いている
人に向かっても咲くし石に向かっても咲く、何か咲く相手が物でも必要だとなる

静けさや岩に沁み入る蝉の声 芭蕉

これもやはり蝉の声が岩にしみいる、岩や木があってそれに向かってひびくのである
岩はその蝉の声を吸収するのである
だから空家でもそこに奇妙だけど自分がその庭に入ってその花を見ているときその花を活きているとなる、ともかく空家が多いのである
何か今年はそちこちに白百合が咲いた
種が飛んだのかもしれない、白百合だと清楚とかになる
清純だとかなる、写真を撮らなかったのでこれは合成した写真である
私のしていることは抽象画でも合成である、パソコンのソフトげ変化させているだけである、それも創造ともなる、著作権違反にもなる場合があるが微妙である
もう原画とは違っているからである

白百合は散った、雨がしととふっている、黄色の秋の蝶がいつも行く道によこぎり飛んだ人はなるべく顔を出さない方がいいともなる
そこに醜いものが現れるからである
田舎だと人が住んでいるかどうかわからない感じになる、でも必ず誰か見ているのである誰も見ていないようで見ている、監視されているのである
何か人がでてくると蛇が出て来る感じにもなる、人は隠されていた方がいいともなる
人からどうしても何か醜いものがありその話にしても嫌なことが必ずある
私はだから本当は花だけでも見ていれば幸せだともなく

そして窓に尼蛙がでてきて今度はいつも来る猫が顔だした、餌をやっているからである
そんなものはいいとなる、蛇が出て来たら嫌だとなる
ともかく夏はいろいろ花が咲くからいい、でも夏も終わりである
今日は相当に温度が低くなった、明かに秋であり秋雨である
これからはそんなに暑くならないだろう、でも関東以西は暑い、暑さも苦手だから東京とか大阪方面には住みたくないとなる
この浜通りだけは気候的にはいいのである、暑からず寒からずとなっているからだ
体を考えるならとても会津とか北海道とかには老人は住めないと思う
気候の影響も大きい、同じ福島県でも福島市は夏は蒸し風呂になるから住みたくない
特に最近暑くなっているから耐えられないとなる




正しく向き合うもの

朝日に向かいひまわりが多数咲く
白百合が五六輪石に向かって咲く
天に向き純白のこぶしが咲く
花は花に向かって咲く
あなたは何に向かって咲くのか
あなたは神に向かって咲けるか
そうなるには心が清くなければならない
心を正さなければならない
そうでなければ神と向き合いない
あなたは眼をそむける
心がやましいことをしるから
山と山は向き合う
石と石は向き合う
正しき姿と心で向き合う
不純なものがなければ
人は神に向き合える
それがなければあなたを目をそむける
あなたはまともに見れない
あなたの心は神に見られている
偽ることはできない
あなたはアダムのように神から隠れる
それは罪を犯してやましいものとなったから


Things that face the right way

Numerous sunflowers bloom facing the morning sun
White lilies bloom toward the 56-ring stone
Pure white fists bloom facing the sky
Flowers bloom toward flowers
What do you bloom toward?
Can you bloom toward God?
To be so, your heart must be pure
Your heart must be righteous
Otherwise, you will not face God
You turn away
Because your heart knows what is wrong
Mountains face mountains
Stone and stone face each other
Face each other with righteousness and heart
Without impurity
Man can face God
Without that which turns you away
You cannot see properly
Your heart is seen by God
You cannot fake it
You hide from God like Adam
Because you have sinned and become a reproach

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)


2022年09月01日

隠された村ー山の抽象画 a hidden village and abstract mountains


隠された村ー山の抽象画

a hidden village and abstract mountains


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隠された村があり
神秘の沼がある
沼には何がひそんでいるのか
深い霧におおわれる
その村への道は消える
村は山に閉ざされ隠される

There is a hidden village
And a mysterious swamp
What lurks in the swamp
Covered by a deep mist
The road to the village disappears
The village is hidden by the mountains

2022年08月31日

山の詩ー山明ける、山は修行の場、海側だと山がわからない(秋の蝉、虫の声)


山の詩ー山明ける、山は修行の場、海側だと山がわからない(秋の蝉、虫の声)


蝉鳴いて清流ひびき山明ける

このあたり社一つや秋の蝉


朝静か遠くよりひびく秋の蝉その声部屋に一人聞き入る

秋の蝉鳴く声やみぬ余韻かな我が部屋に一人耳を澄ましぬ

鈴虫のすずろに鳴きてひびきけり田舎に住みて心澄むかな

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる

山明けるというとき海側に住んでいる人は実感できない、常に海から陽が昇るからであるでも日本だと山が多いし山に囲まれいる地理でもある、すると山から陽が昇るという感覚がわからない、日本海だと山から陽が昇り海に陽が沈む、この感覚は太平洋側と反対なのである、この相違は大きい

まず福島県でも太平洋側になると浜通りになると海に常に面していて海から陽が昇る
でも中通りとかなると山から陽が昇り山に陽が沈むのである
この感覚がわからないのである

天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂

山から月が出るというとき太平洋側では海から月が昇ってくる、そして山に月が傾いてゆくのである、奈良に住んでいて印象に残っていたのは山から出る月になっていた
どうしても海側に住んでいると月と山なのである、でも三笠の山で見ていたのは月が出ることなのである、太陽もそうだが山から昇り山に沈む、月も山からでて山に沈む
この感覚がわからないのである、また京都でも東山とういとき陽が昇る方向にある

陽炎の中やゆらつく東山 許六

名月や膳にすゑたる東山支考

祇園清水冬枯もなし東山 子規


春の夜は東山よりくると云ふ寺寺靄し月のぼるとき 晶子

東山というときこんな感じである、東山から月が昇るのである、でも旅しても何かそういう月も太陽も見ていないからわからないのである
冬枯れもなしというとき東山が常に陽が昇り春の感覚になっているからだともなる
でも陽が沈むとなると全く違った感覚になるのである
それで私が旅して印象的だったのは琵琶湖の湖西にいて東(あずま)から陽が昇ったのを見た時である、あんなところから陽が昇るのかと意外だった、それで東(あづま)だということを意識した、それは関ケ原がありそこから東はあづまなのである
だから名古屋は東(あづま)なのである、そこが西と東の境なのである
旅で感じるのは陽が昇る方向と沈む方向である、アメリカだと西海岸に陽が沈む、太平洋でも陽が海に沈むのである、エジプトだとナイル川の西側に陽が沈むのを見た時感慨深いものがあった、そこは黄泉の国ともされていた

赤々とナイルの岸に沈む陽をピラミッドを背に我が見つめをり

ここに三千年の歴史がありその陽が沈むのは何とも言えぬものがあった
これは大阪城で感じた、満開の桜が散ってゆくときであり太陽が赤々と燃えて沈んでゆくその夕陽がなんともいえぬ人間の興亡と栄をその夕陽に感じたのである
つまりそれは単なる自然としての太陽ではない、人間の歴史が重なり色合いを深くしていたのである、日本でも西になると歴史が長いし日本の歴史を作った場所だったから違っていたのである

この辺でものたりないのは山がないことである、阿武隈山脈は山ではなく高原だというのもわかる、高い山がないのである、ただ蔵王が見えるからあれば山だとなる
でも独立峰が富士山とか岩手山とか岩木山とかあるとそれが心に映じて精神まで形成されるのである、どうしてもこの辺では山の感覚がわからないのである


山明けぬ

山に陽の昇り
山は明けぬ
どうどうと滝の音
ひびきわたり
清らかな流れのひびき
荘厳なる山は明けぬ
山は暮れぬ
大いなる沈黙に
山は億年の重み
山は動かず
滝はひびきわたる
山は重々しく
その実体は真実
口を硬く閉ざして
不言の行を続ける
山は忍耐なり
一切の騒音を拒絶して
寡黙にして真実を示す
山は明けぬ
喜々として陽は輝き昇り
真日さして明けぬ
山は金色の太陽の台(うてな)
山は徒言を言わず
粛々として己を正す
山に雲が彩り映えて
陽は静かに沈みぬ
今日一日輝く照らす喜び
山はまこと神の実在なり
滝の音は流れの音は
雑音にあらじ
その神なる山にひびき調和す
そして山と山は黙し合う
山と山は騒がず
深く静かに重く連帯する
千古変わらずに結び合いぬ

The sun has risen over the mountains

The sun rises over the mountains
The mountains have not yet dawned
The sound of waterfalls
the sound of waterfalls
The sound of a pure stream
The majestic mountains have not yet dawned
The mountains have gone dark
In the great silence
The mountain weighs a billion years
Mountains do not move
The waterfalls echo
dignified  and united mountains 
Its substance is truth
With mouths rigidly closed
And continue to do the work of silence
The mountain is patience
Rejecting all noise
It shows the truth in silence
The mountain never dawns
The sun shines brightly and rises with joy
The true day has not yet dawned
The mountain is a golden sun
The mountain speaks no idle words
It is solemnly correcting itself
The mountains are colored by the clouds
The sun is setting quietly
The joy that shines through this day
The mountain is the reality of the true God
The sound of waterfalls and streams
Are not noises of noise
They echo and harmonize with that divine mountain
And the mountain and the mountain are silent
Mountains and mountains do not make noise
Deeply, quietly, heavily united
They are bound together as they have been for a thousand years


山が信仰の対象となるのもわかる、山で修行するのもわかる、モーゼもシナイ山に登り
神からの啓示を得た、もともと天台宗とか日本の仏教は山岳宗教だったのである
中国でもそうだった、創価とかの団地の宗教とか都会の宗教とはまるで違ったものだったのである、カルト宗教とは文明都市化大衆化したものであり政治化経済化した権力化した宗教とかとは全く縁もゆかりもないものとなったのである
一種の文明の病理的現象として生まれたのである、毎日選挙運動であり人、人、人・・・と絶え間なく交わる世界である
だから自然とは関係しない、都会から生まれたものだから当然だとなる、都会では人は群衆となり大衆となり個々人は存在しない
集団示威行動となりナチス化するのである
現代の宗教はとにかく大衆化して人を集める、会員を増やすことしかない、そして社会的圧力となり権力を持つのである、それが社会を席巻してナチスとかなるから危険なのである、そもそも大都会でも自然から遊離した場所でありもう人工化した世界でありそこに山など関係ない、高層ビルを毎日見上げていたらどうして精神が形成されるのかとなるからだ、自然があり自然とアイディンティティ化することで人間の精神はもともと形成されるそれが都会にはないのである、もちろん都会には都会の良さがあるにてもその規模が巨大化しすぎたのである、東京とかなくとそこが人間の住む世界なのかとなる
一体そこはどこなのか、とても人間の住む世界とは思えない、別な惑星にでも来たのかとなる、その大都会から生まれる宗教は異様な病理的現象であり宗教はカルトとなり歪められるのである




2022年08月29日

秋の蝉(イオンも閉じて相馬市が何か寂れた感じになった)


秋の蝉(イオンも閉じて相馬市が何か寂れた感じになった)


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のうぜんかずらは今年はまだ咲いている、普通は散っている
季節の関係で暑さがつづき咲いているのか
もともとこの花は次々に尽きることないように咲く



うろこ雲新たな沼に映すかな

ノウゼンのなお燃え咲くや揚羽来る

秋の蝉ひびくもなしや五本松

久しきに城跡たずね秋の蝉

秋の蝉ひびくもあわれ城下町

ノウゼンの尽きることなくなお咲きぬ朝揚羽の二羽舞い来たる

日立木の道の駅の近くの五本松があった所に喫茶店があったが閉じていた
喫茶店は相当どこでも減った、休む場所を求めてなかなかなくなった
そして五本松は二本とか残っていたがみんななくなった
そのために秋の蝉が鳴いてもひびくものがないとみる
蝉の声はもともと木に止まり鳴くのだから樹があってひびくとなる
でも石にもひびくともなる、「静けさや岩にしみいる蝉の声」芭蕉がそうである
岩にしみいるというのが何とも日本的であり夏を感じるのである
これは外国語では表現できない、蝉の声が岩にしみいってゆく、一心に鳴く蝉の声がしみいってゆく
その蝉の声も数が多い、森に一斉に鳴いている蝉の声がしみいるのである

松は枯れやすい、道の駅は閉じているが令和4年の秋に新装開店するとある
何なるのかわらない、そしてイオンで休むとしたら閉じていた
地震で壊れた所を直すためなのか、でも地震の後に行った時は普通に開いていたみたいだ一時的なものなのかやめるのかわからない、でもイオンは意外簡単に撤退しやすい
その後が空洞化して困ると他でも言っている、何故そうなるのかというとイオンとは資本でも外から入り土着的ではないのである

商店街だとみんな個々でそこに住んでいる住民なのである
イオンの場合は雇われた人達であり実際の経営は東京の本社でしている
それはレストランのチェーン店でもそうなのである
そうなればコンビニだってチェーン店だから本社がやめるとなればやめる
でも土着的にその土地に根付いていれば簡単にやめないとなる
ここに大型店の問題があった、でも今でもとても小さな店でやっていけない
ただ中型のキクチスーパーとかシシドスーパーだから地元の人が経営しているから
簡単にはやめないと思う、イオンは大資本であり土着的ではないのである

相馬市街を回ってみても何か活気が感じない、もともと商店街はどこもそうだった
だから同じだとなるのがやはり何か全体的に寂れているという感覚になる
でも六号線にトヨタカローラいわきの大型の店ができるみたいだ、やはり車だけは車社会なのだから大きな新しい店を出すとなる、その他は寂れた感じになる
ただもともと相馬市は城下町でありしんみりとしていたのである
そこがいいところでもあった、でも何か暮らすとなると寂れた感覚になる
それはここだけではない日本全体に起きていることである
それで車だけに頼らない社会になると街は返って活気がでるというのもわかる
そもそも街を歩いている人は少ないからである
私自身でも歩くのではなく自転車で走るとなっているからだ
鉄道だと不便なのである、駅らかまた歩くのも大変なのである
鉄道がどうしても廃れているのもわかる、駅からの交通の便がないのである
そこでタクシー利用すると金がかかるから損なのである

うろこ雲が右田浜の新たに生まれた沼に朝写っていた、でもそこの写真をとらなかったのが失敗だった、常に写真をとるようにしていないとまずかった
そして意外は二度と同じ場面をとれなくなるのである

ともかく相馬市に行ったのも久しぶりだった、暑いのと曇りであり雨にもなり行けなかった、相馬市は天候が悪いと行けない、原町の倍の距離があるからだ
んづれにしろ涼しくなったから自転車で走ると快適である
今度は飯館村から霊山から石戸村に行こう、秋はサイクリングには最適である


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ここにうろこ雲が映っていた



2022年08月27日

北海道苫小牧から樽前山まで俳句十句 (岩袋のことなど)


北海道苫小牧から樽前山まで俳句十句

(岩袋のことなど)

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苫小牧白波よせて夏に来る

ルピナスや船着きおりぬ苫小牧

広き野にサイロの農家菖蒲かな

夏の日やレールの伸びる北海道

沼に鷺車窓より見て北海道

大輪のシラネアオイや湖澄みぬ

波よせて甘草咲くや走り去る

鳥高く大空に飛翔夏の朝

旅たちぬ鳥の飛翔や夏の朝

煙吐く樽前山や藪甘草

どっしりと牛数頭や藪甘草

悠々と牧場に牛や菖蒲かな

頂上の風の荒しも岩袋


風に耐え頂上近く岩袋ここに咲けるや我が登り来る

北海道は10回行っている、でも30年とか過ぎると記憶もあいまいになる
そして今になると旅した場所を思い出すことが仕事になる
そして意外と思い出せない、忘れているのである、印象的な場所として思い出すことはある、でも人間の弱点は常に忘れることにあった
そこで今ならデジタル写真が記憶にとどめて後で回想するにのにいい、でもその時はフィルム写真だからあまり写真をとれなかったので残っていないのである

この場所が記憶に残っているのは樽前山が煙がはいているとかめずらしかった
山の形も樽のようである、ただアイヌ語らしいからちがっているらしい
そこで苫小牧から鉄道が通っていておりたのか、また自転車で行ったのか、覚えているのは鉄道があり踏切りがありその辺を歩いた、するとサイロがあり牧場がありそこに大きな菖蒲が畑に一列に咲いていた、そして広々とした牧場があり牛がいた
その牧場の柵に藪甘草が赤く咲いていた
そういう風景として記憶されていた、全体が記憶されたのである

岩袋を見たのは大沼公園でありそこに上って頂上辺りでみた
山だから風が吹いていてその風に耐えて咲いていた、いかにも岩袋らしいとなる
これを樽前草といっているのは樽前山に多く咲いているからそうなった、もともと岩袋である、岩に咲くからその名がついた、何かふさわしいとなる、岩とともに耐えて咲くとなるからだ

ふりかえると写真が貴重だった、この樽前山が見える牧場でも一枚の写真が残っただけだった、これが貴重なのである、なぜならフィルム時代の写真だからである
旅をするなら今ならデジタルカメラでとにかく記録として大量に写真をとることである
なぜなら30年とかすぎると記憶があいまいとなり思い出せなくなるからだ
人間にとって意外と記録が大事だというとき何百年前にあったものでも記録がないと
なかったことになる
この辺の津浪の記録は相馬藩政記に二行しかなかった、生波で700人溺死と記されていた、生波(いくなみ)とは津波のことでありその時まだ津波という言葉が生まれていない慶長津浪の時生まれた言葉なのである、この記録津波が来るまで学者すら知らなかった
これがいかに貴重な記録だったか知るべきである

ともかくこれだけ旅したとしても30年とかすぎると忘れる、思い出せなくなる
その時写真が残っていれば貴重だとなった
ところが今回の地震でその写真でも本でもばらばらになって未だに整理できていない
だから毎日整理に追われている、写真も整理していたのだがばらばらになってしまったのである

苫小牧の近くには支笏湖があり途中にウトナイ湖とかありその沼は水がきれいだけど浅い支笏湖の宿には泊まった、苫小牧におりるとルピナスの花が咲いていてそこからすでに北海道だとなる
一応思い出して俳句にしたがいいものともならない、そもそも北海道は広いし大陸的だから俳句が合わないのである、北海道に苫小牧で仙台から船でつくとそこから何か空気まで違っているのである、北海道が外国人にも人気があるのがわかる
本州とはまるで違った雰囲気があるからだ
たたすでに二十年くらい行っていない、だから月日が過ぎるのが早すぎるのである
なんとか一枚の写真を探し出した、藪甘草が牧場の脇に咲いていたのである
そこか煙吐く樽前山が見えたのである
北海道はまた旅したいが介護十年してまた出かけると家が留守になるので出れない
何か遠くに行きづらくなったのである
それで思い出す旅を家でつづけているのである

2022年08月18日

晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)


晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)

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電線に山鳩がとまっていた
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朝早み釣り人あれや夏の海

夏の海光りまぶしく朝に来る

朝早み波音ひびき夏燕

我も濡れ一雨ふりて夏の鳥

山鳩に虹の断片里暮れぬ

夕燕盛んに飛ぶや夏の暮

雲赤く漁船帰るや夏の海

草深しジャコウアゲハ二羽の飛ぶ

大窓に三度ほど映る夏の月



月見草草叢深く咲きにつつ里は暮れにきつつがなしかも

秋めきて夕風涼し鉢植えの桔梗を買いぬ我が家にそ飾らむ

我が家に帰ればかすか虫の音の聞こえて我は一人かな

石二つ庭の日影に今日もあり黒揚羽来て去りにけるかな

行燈のともしびあわれ幽かにも面影浮かび消えにけるかな

我が墓にお盆に参り花さしぬ家族はみな死に月日は過ぎぬ

我が家に鉢の桔梗やそれぞれの人生を語り郷土に生きぬ


お盆も終わった、今は季節的には晩夏なのだろう、まだ暑いからだ
でも30度くらいだと涼しい、一回外に出たら雨がふったがふぐやんだ
空を見たら虹がかかっていた、でも断片でありすぐ消えた
山鳩が電線に止まり道路の水たまりに雲が映っている

ジャコウアゲハは8時ころ飛びたちまた庭にもどり飛んで消えた
そして真野川の土手の道を行くとジャコウアゲハを二羽みつけた
この辺を飛んでいるらしい、二羽もいたというのはめずらしい
蝶道があるとかいいうからこの辺を飛んでいるみたいだ

晩夏でもあきめいてきている、虫の音も聞こえる、スーパーから鉢の桔梗を買って飾ったやはり今夏から秋に向かっている、でもまだ残暑があり夏である
夏は夏らしいのがいい、でも34度とかなると厳しい、ぐったりして何もできない
頭も働かない、とにかく今年は暑くて遠くに行けない、原町に昨日は行ったが熱中症を恐れているので行けない、だから家に籠っているのである

海の方には夕陽がさして雲が浮かんでいる、そして漁船が帰ってくる
これがこの辺の日常的風景である、朝には海に太陽の光りがまぶしく釣りする人がいた
ここは海からの風が涼しい、会津とか山の方になると暑くなる
でも川があって川風がありそこにもやはり涼しさがある
ともかくまだ夏は終わらない、夏はもう最後に熱く燃える、高校野球のように熱い青春ともなる
ノウゼンカズラは一時散ったが今も盛りに咲いている、この花だけはこんなに咲く、これは夏にふさわしい花である

ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている (動植物にも人間の心が通じる?)


ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている

(動植物にも人間の心が通じる?)

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電灯の明かりに見えたジャコウアゲハ

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雨の中で庭に止まっているジャコウアゲハ

8時45分くらいに飛び立った



動植物でも神秘的である、蝶はその中でも謎であり神秘的である
これは科学的に生物的に研究している人がいる
私は文系なのでそれはできない、でも蝶は蜜を吸って生きているのかと見ていた
でも葉も食べるのである
それは日ごろから蜜だけ吸って生きていけるのかと思っていた
花が少ないし簡単に見つからないことがある
葉ならいくらでもあるからなるほど葉をたべていれば生きていけるとなれば理解できる
草食動物があり草や葉だけで生きるからそれありだとなる

ともかくジャコウアゲハを川の土手で見た、その次の日に私の庭に止まって一夜明かしたのだ、このことが不思議なのである
なぜ私の庭に来て木の葉に止まり一夜明かしたのか、そして今も止まっている
だから外で見たとき何か心が通じ合ったのか?
あなたの庭に行きますからよろしくとかなっていたのかもしれない
蝶は曇りとか雨になれば飛ばない、光に反応して飛ぶからである
だから曇って雨になり今日も雨だから動かないのである

動植物は科学的分析しても謎になる、そもそも自然界はまだまだ謎なのである
その謎は解き明かされていないのである
それと私がここで問題にしているのは人間と動植物でも心が通い合うのかということである、何か植物でも愛情をもって育てると育つとか言われる
それは眼に見えない愛というものが通じるかなのかとなる
植物とか花の不思議はその土地に合わないと咲かない、それで私の庭の一部は土地が悪く咲かない花があった、ただ薔薇だけは一杯咲いてのである
だからこれも謎である、こんなに一杯咲くのかとうれしかったからだ

もう一つ今年は7月にノウゼンカズラが一杯咲いた、でもそれから散った
でも今も一杯咲いている、蔦が家に張ったので切ったがすぐに伸びて一杯咲いた
もともとこの花は一杯咲くのである
でもなぜこんなに咲くの不思議である

我が家の栄いけるかもノウゼンの一時は散りてまた咲き満ちるかな

今日もまたニチニチソウに水をやる

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ニチニチソウにはこんなに色が多様である
これは通販で売っている、一万もすると高いと見た


庭に咲く花や家を飾る花はその家と関係しているかもしれない、ただノウゼンカズラは別にどこの家でも咲いている、そして鉢植えのニチニチソウを部屋に飾り水をやる
このニチニチソウという名まえがいいのである、毎日咲いているとなるからだ

いづれにしろ花も神秘でありその種類も多い、だから花も不思議だとなる
ただ花でも美的なものとして見るだけでなく育てるとなると土だと花を科学的に知る必要がある、それが文系では苦手である、花も肥料をやらないと咲かないからだ

ともかく老人の趣味とかで園芸はいい、それは毎日身近で植物と花でもかかわり見れるからである、遠くに行くとなるとめんどうになるからだ
まず多少病気になっても庭があれば慰められる、花や植物や木に慰められる
それで病院に半年とか入院していた人は家に帰ったら回復したということがある
つまり病院には何か癒すものがないのである、無機質な空間なのである
医者でも看護婦でも確かに懸命に仕事している

でも家族の役割はにないないとかある、そもそも医者とか看護師でもどうしても大勢の患者を診るからとてもみんなに親切にはできないのである
だから議員でも番号で呼ばれたとかなる、それはみんな大勢の一人にすぎないからであるその人は妻をなくしているから家には一人である
でもその家は若い時苦労して建てた家であり誇りとなる家である
だから家に帰った時、そこに安心があり家とともに威厳を保てるともなる

病院ではただ病気をもったやっかいものとしかならないのである
そこに病気にどう対処するかとなるとただ身体を看るだけでは人間には対処できない
心の問題がかかわってくる、ただそこは医者でも看護師でも限界がある
だから看護師でも家族の代わりはできないと言っていた
それより私は看護師に虐待されたから看護師は患者をとくに老人をやっかいものであり何ら生産性のない者とも見ている、そもそも病人を嫌がっているのである
老人を嫌悪しているのである、それはこれだけ老人が多ければそうなる
病院でも8割とかもう老人だらけだからである、もし老人でも少なければこうはならない希少価値があるとなる、それが今は全くないから老人にとって生きにくい時代なのである

まず医者とか看護師でも性格の悪い人は普通にいるのである
でも性格は見ない、医者の技量だけをみる、でも直接人の体にふれて看るというときそこに愛が通わないとできない、でも愛といっても大勢になると対処しきれないのである
あなたは特別の人ではない大勢の中の一人にすぎないのである
家族だったらあなたは特別な人であるが病院でも患者は大勢の一人にすぎない
だから番号で呼ばれたりするのである

ただぜいたくを言えば病院には広い庭があり花壇があり散歩できるとかなればいいとなる病院にはただ身体をみるだけではない、癒しの機能があってもいいとはなる

2022年08月16日

真野川の土手でジャコウアゲハを発見!


真野川の土手でジャコウアゲハを発見!

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この花はシソの科のものらしい、卵をみつけるウマノスズクサではない
尾に黄色の点があるからジャコウアゲハに間違いない




川原や荒地などの明るい場所や生息地の上を緩やかに飛ぶ。河川付近によく見られるのはそこが食草の一つである草本のウマノスズクサの成育環境であるからで、畑の生垣付近などウマノスズクサの成育環境があれば見られる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%82%B2%E3%83%8F#top-page

このジャコウアゲハは希少な生き物で、絶滅危惧種に指定されているようです。

ウマノスズクサはアリストロキア酸という毒性のあるものを持っています。

そんなもの、普通でしたら食べませんよね。

しかし、ジャコウアゲハの幼虫はそれを食べます。

食草がなくなると長距離を飛んで移動すると思われ、今までみかけなかった場所で突然発生することもあるようです。
https://pet-dictionary.net/archives/3253


真野川の土手で見つけた、羽の下に黄色い点々があるから間違いないだろう
これは前は自分の庭で見た、珍しい蝶である
ウマノスズクサに卵を産みその幼虫がこの草を食べる
親になった蝶は他の草も食べている

この蝶はめったに見れない、でも生息地は秋田県とかまでありどちかというと南に棲息する、ただウマノスズクサを探しているから遠くから飛んでくることがある
今回見れたのはラッキーだった、真野川の土手の道は舗装されたのでサイクリングにいいそこでこの蝶を発見した、近間でこうした自然があることは住んでいていい
ただ真野川には鮎もはねていない、鮎の子を放流しても鮎はもどってこなかった
それが淋しい、ただ河口ではいつも魚釣りをしている人がいる
海の魚が河口まで入ってくる、蜆とる人も数人見かけるようになった
ともかく津波で海岸も川も変わった
夏はやはりいろいろな植物や花や野鳥に魚でも自然に生きているのを見れるのがいい
都会だと見れないからである

2022年08月13日

車社会を見直すべき  (歩く旅のことがわからない、人間的感覚が喪失した―俳句で偲ぶ昔)


 車社会を見直すべき

 (歩く旅のことがわからない、人間的感覚が喪失した―俳句で偲ぶ昔)

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高齢者が日常の買い物や通院のために自分で車を運転しなければならない街は、単純に不便で暮らしにくいということです。高齢者にとって、公共機関と徒歩で利用可能な施設は不可欠で、利便性の高い地域に施設が集まっていることが大切になります。また、居住地域が一定範囲内に収まっていれば、送迎・訪問介護等の福祉サービスも効率よく提供できることになります。

なぜ車社会の街は暮らしにくい? 3つの要因で今後注目の「コンパクトシティ」とは

https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-2950/

車がないと買い物ができない。
車がないと仕事にも行けやしない。
とどのつまり車がないと生きていけない。


地方で普通の生活をするにはテレビより洗濯機より何より、車が必需品なのです。まさにマストアイテム。
地方でそれなりの暮らしを実現しようとしたら1家に1台ではなく1人1台なんです。
電車・バスの生活に不便がないので、よっぽどのことが無い限り車を持つという発想にもなりません。

つまり都会の人々は歩きます。
この地に足着いた「歩く」という行為が、街の活性化にはとても重要だったんです。
https://onl.bz/E7iXyq9

●歩く感覚で見れなくなった社会

くるま社会というとき車によって社会が適応したとなる、社会があって車があるのではない、車があって社会がある、するともともと共同体として機能していた社会が車社会になり共同性すら失われる、社会の問題をいろいろ追求してゆくと車社会にこそ問題があるということを社会全体で追求しないのである
それはトヨタの車が今や日本の輸出品だとかなっていることも関係している

それもあるが今や車無しの生活が考えられなくなっている
まず車ありきの社会である、本当に車無しでは仕事もできない、車持っていない人は本当に変人であり社会で役立たない人達だとなる
だから私は自転車に乗る人とは話しする、でも車持っている人と話ししないのである
そして変なのだがニートとか良く合う、田舎でもまたこうして働かない若い人達が普通にいるようになったのである、その人達は車を持っていないのである
だから車も持てないとういことはもう社会人として能力がないとも見られる
第一車なしでは働くこともできないからである

農家の人でも農地に行くのに必ず車で行くからである、また荷物を載せるにも必要であるつまり農業でも車なしではできないのである、前はリヤカーとか馬車で荷物を運んでいただからそもそも遠くへ荷物を運ぶこと自体簡単にはできない、すると回りにある物だけで自給自足の生活になる
それで農家では納豆でも油までも自家生産だった、カヤの木の実から油をとっていたとかなる、つまり何かを買うということはまれだった
だから村と村でもたいして離れていなくても交わることもなかったのである
隣の村から麦つきに来ていた若者が蛇だったとかいう伝説が残るのもそもそも隣の村でも遠くなっていたからである
今は歩かないから歩く感覚で社会を見れないのである
それで飯館村の大倉村と佐須村で明治になり合併しようとしたができなかった
その理由が民情が違うからだとなっていたのである
民情とは何かとなるとわかりにくいが何かそこでわかりあえないものがあったとなる

私が大倉村から佐須村まで自転車で行くと結構遠いと感じる、そこは山間の道であり余計にそう感じた

そこを歩いたらどうなるのか?

5,6キロでも相当に遠く感じる、つまり歩くということはそれだけ近くても遠くなってしまうのである、自転車でも遠く感じる、でも車だとあっという間につくとなる
それで不思議なのは現代の人間とは遠くが近くなり近くが遠くなったのである
近くが遠くなったというとき近くの人間関係が希薄になったということでもある
なぜなら私の子供の時は私の家では店をしていたが近所の人達が客となり近間で用をたすほかなかったからである、歩いて生活するとなると遠くには行けないからである
歩いていたから商店街もありえたのである
今は車でも郊外のイオンとかに行くから買物でも車なしでは生活できないとなる
それでシャッター通りになったのである

●鉄道の時代

そもそも街自体が駅前通りがあったように鉄道があって通りができた
鉄道が交通の要になっていたときはそうである、原町市(区)は駅前通りができたのは鉄道が開通したからである、原町区は常磐線の機関区にもなっていたからである
福島県では昔のの平駅今のいわき駅とが機関区になっていたのである
そしていわき市には常磐炭田があり石炭を運んだり資材を木材や木を運んだ
森林鉄道がありそれが高瀬川から葛尾村の方まであり岩をけずったトンネルが残っている森林鉄道が網の目のようにめぐらされていたのが日本であった

でも車社会になったとき鉄道の時代は終わり車社会になった
車で物を運ぶ時代となった、自転車屋とかは駅前にあったのは鉄道で物を運んでいた時代に駅前に運ばれたからである、そこでどこでも貨物列車の一部が入る

旅客の乗降、貨物の積卸などを行うために設けられた場所のことを総称して「停車場」(ていしゃじょう)といいます。
鉄道は人と物を運ぶ事業なので、旅客を乗降させたり、貨物の積み卸しをしたりする場所が必要です。こうした場所は、役割によって「駅」、「信号場」、「操車場」に分けることができます

引き込み線が必ず駅にあったのだ、鉄道はもともと貨車であり北海道だったは石炭を運ぶために作られていた、乗客のためではなかった、小樽などがそうである
北海道は石炭の産地であり石炭を運ぶものとして作られた
常磐炭鉱があり東京にいわき市から運んだと同じである
驚いたのは原町紡績にも原ノ町駅から直接引き込み線があり生糸を横浜などに運んでいたのである、その原町紡績に私の母は十年間糸取りとして働いていたのである
人間は常に過去のことがわからなくなる、その最たるものが歩く感覚で社会を見れないことである、この変化は余りにも大きかったのである

常磐高速道路ができて鹿島地区にSAができたがそこは鉄道の駅からすると百倍以上の人が出入りしているだろう、千倍かもしれない、駅だは数人くらいしか乗り降りしないからである、その相違も大きいが高速のSAはそこに一時的にトイレに行くとか食事するしかないあとはすぐ離れてゆくだけで町の方に来ることがないのである
この相違も大きいのである、それは街とは離れた世界でありイオンともにている
経済的効果がないのである、働き口になっていても街自体の活性化にはならないのである道の駅より活性化にならない、道の駅は街中と通じていることがあるからだ

江戸時代を知るにはまず歩いてみなければわからない、お伊勢参りでも東海道でも歩いていたからである、参勤交代でも歩いていた、だから相馬から江戸まで8日とかかかった
往復になると16日もかかる、それは今の感覚では実感できない
そこからして必ず過去を見るとき誤解しているのである
江戸は簡単に行ける場所ではない、頻繁に行ける場所ではないのである

●車は場所をとり他者と交わらないマイカーになる

社会が変わった、人間は冷たくなった、人と人のつながりがなくなった、地方は衰退するばかりだ・・・・
いろいろ言う時それが車社会となったということである、その変化が一番大きかったのである
いかに車社会が社会を根本的に全体的に変えてしまったかそれを知らなければ時代を知ることはできない

それが津波でも車社会が影響していたのである、車が逃げようとし渋滞してそれで車が流されて被害が拡大した
車だと早く逃げられると思ったが都会で渋滞化して前がつかえてかえって被害を拡大したのである、車というのは意外と場所をとることが問題だったのである
鉄道だったら多人数を運ぶ公共性がある
車はマイカーであり個人的消費するものとしてある、他者は無視する公共的なものではない、その問題として場所をとることである、歩くとなれば一人の人間だから場所をとらないが車で移動することは場所をとるのである

そして車は車内で閉鎖された空間であり交わらないのである
それで自転車でテントを張ったがそこに車に乗った人がいて止まっていたがわからなかった、たまたま話しかけたので人がいることがわかったのである
つまり車に乗った人とは旅は道連れ世は情けとならない、情など通わないのである
ただどういうわけかバイクの人とはたまに話ししたりする
バイクと自転車は多少近い仲間だとなる、でもバイクと自転車の相違も大きいのである
何か百キロ走ってきて帰ってきたとかなる、そのスピードは車と同じなのである
だから若い人がバイクにのりそれなりの年配の人が自転車で旅することは相当な相違がある、自転車は相当に疲れるからである

ともかく田舎でもトラック運転手が多いとみる、また物を運ぶ仕事が多いのである
通販時代になり物を運ぶ仕事も増えたのである
あるトラック運転手だった人は足を悪くしたとかで仕事をやめてから自転車に乗って近辺を回っている、その人と良く合うのである、相当な年だけでと自転車で回っている
また老人になると80才くらいで免許を返納する人達が増えた
すると足がないということで困る、鉄道もバスも不便だからである
何か高齢化社会は車社会に合わないのである、むしろ公共交通が必要になっているのだ
ただ正直不便である、ここでは原町まで行くのに鉄道で行ってもそこから用を足すには歩くと遠くなるからタクシーを利用する、すると金がかかるとなる
だから私自身も原町でも相馬でも自転車で行っているのである
ただ自転車は暑さに弱い、今暑いから熱中症にもなるから一か月以上原町にも行っていない、そういう不便が自転車にはある

●人間回復には歩くか自転車がいい

車というのは何か人間的なものを失う、それは別に車だけではない、道具自体が必ず人間的なものを失うものだった、それで二千年前に老子は鍬を使うことで人間的なものを失うと警告していた、道具でも石を投げ合い戦争している時代と鉄器で戦争している時代とではまるで違ったものとなる、鉄だと大量殺戮も可能である
その道具が核兵器まで発展したのが人間である
道具にはそうした負の面が人間が生れてから最初からあったことなのである

また旅の面から見ると歩くことがなくなったということは旅自体が喪失したともなる
車で旅するとなると旅にならない、ただ目的地までいかに早く到達するかとなるだけである、その途中は省かれるのである
実際に地理を理解するには路査(とうさ)することである、実地に歩いてみることであるそうしてこそ地理を実感できるのである、その感覚はいくら地図を見てもわからない
実感できないのである、そこにまた過去を見ることでも誤解が生じているのである
また旅したとしても車の旅は途中が省かれるから記憶に残らないのである
大地を牛のように歩いたら記憶に残る、その記憶に残らないことが意外と重要なことになる、なぜなら老人になると辛い旅とか登山とかてきなくなる
すると今まで旅したことを回想する、でも記憶に残っていなかったら回想もできないからである、それで後で旅しても旅していなかったとか損したことに気づくのである
新幹線で一気に仙台なり青森に行ったとしても途中は通貨しただけであり記憶に残らないのである

老人になるととにかく何を経験したかを語ることになる、旅でもそうでありいろいろな仕事のことでもそうである、みんな体験していることは違うからである
だから老人はその語ることで価値があるとなる、でもニートかが老人になって二三行しか語れることがないというのはあまりにも悲しい、60才まで生きてそれだけなのかとなると何のために生きたかもわからない、つまり老人になると語られることでその人を見ることになる、記憶に生きることになる
それで私の姉は従軍看護婦で四年間マレーシアのジョホールバルで働いたことを死ぬ直前まで語っていたのである、その青春の記憶は認知症になっても忘れることがなかった
そこが人生で一番強烈な印象となったからそうなってしまったのである

老人は語ることで価値がある、それはみんな違っている、ある人は若い時人一倍働いて
立派な庭と家を建てた、その頃トラック運転手でも一か月百万もらったとか言う人もいた稼げば稼ぐほど金をもらっていたのである、その石で組まれた城壁のような庭は価値があり自慢する、そして病院に半年くらいてかえって体が悪くなったが家に帰ったら回復したとかいうのもわかる、家というのはそういう効果がある
他にも15歳で大工の修行して優秀な大工になった人もいる、そこで注目したのが15歳だったということである、もう何か物になるにはその年代でないと物にならないとなっている、明治なのか昔は13歳であり18歳になるともう親方は弟子にしなかったという
もう遅いとなっていたのである、つまりいかに若い時から修行しなければならないかである、それは何でもそうなのである、人間の時間は限られているからである


●俳句で回顧する歩いた時代の感覚

御堂まで一里あまりの霞かな

同じ橋三たび渡りぬ春の宵

夕雁や物荷ひ行く肩の上

井戸の水汲む白菊の朝かな

つくづくと行燈の夜の長さかな

(漱石俳句集)

御堂まで一里あまりの霞かな

御堂というのはそこは休む場所としてもあった、だからそこに寝泊まりした人もいた
また雨宿りもしたのである、それで私は自転車で雨が急に降ってきて本当に御堂で雨宿りした

雨宿り御堂のあれや夏燕

おそらく一里歩いたら御堂で休めるということでこの句ができたのかもしれない
一里という距離感はあくまでも歩いた距離感だからである

夕雁や物荷ひ行く肩の上

荷物を肩に背負い運ぶのは日常的なことである、雁のように飛んで行くことはできない
車だとまさに雁のように飛んで行くともなるから違っている

秋の日や松一本一本や歩むかな(自作)

松一本一本を見つつ歩く、自転車でも一本一本の松を見て走る、車だったら通りすぎるだけなのである、途中が省かれて記憶されないのである

こんなふうな俳句になる、それもこれは自転車で旅したから思い出として記憶されていたのである、現代では記憶する旅がなかなかできないのである
大地を足ずふみしめてゆけば記憶に残る、一歩一歩牛のようにスローに踏みして行けば記憶に残る、でも車で行ったら通り過ぎるだけであり途中は記憶に残らないのである
だから人間が体験するということは車がないとできないということではない
歩くことしかできない時代でも深い体験はできたのである
むしろ人間的感覚で旅ができないから経験ができないから失われたものがある
また貧乏だから体験できないということもない、何でも今なら金がないと体験できないと思っている、でも人間に与えられた時間は平等なのである

いくら金があってもあらゆる体験はできないのである、時間は限られているからだ
でも金があれば留学などできるからそれは大きな体験となる
でも貧乏だからといって体験できないことはない、体験するにしても人間は多様だからである、会社員となるのも体験である、でも変な話だけど問題だけどニートも体験なのである、仕事もしない会社員にもならない、ただ時間だけがるというのも体験なのである
確かなことは人間の体験する事でも時間が限られているからわずかだとなる
私は最初は鉄道の旅だった、それが飽きて自転車の旅になった、でも歩く旅をしていないのである、これは経験として欠けているとなったが歩く旅は容易ではないからしなかったのである、ただ自転車だと歩く旅にも近いからイメージできるとはなる

明治生まれの漱石の俳句でも昔の俳句は今の時代の感覚では理解できない

井戸の水汲む白菊の朝かな

これも井戸があったときの感覚でできた句である、何か瑞々しいとなる、それはなぜか?これも井戸の水だからそうなった、水道の水ではないのである
これも井戸がなくなったときその感覚がわからなくなる、井戸の水は自然の水でありそれで白菊も映えて新鮮な感覚になる

つくづくと行燈の夜の長さかな

行燈だったら今の電気時代の灯とは違っている、現代は明るすぎるのである
そして情報洪水でもあり時間に追われるのである、明治辺りだったら行燈がともりじっとしているほかないとなる、外は真っ暗だとなるからだ

何か現代は科学技術が経済でもグロ−バル化して発展したけどそれが限界に来たともみるSDGs(持続可能社会)が言われるのもそうである、かえって不便な時代でも見直される
その時代が回顧してなつかしくみる、人間的なものがあり情があったとかふりかえる
要するに必ずしも科学技術の発展でも経済発展でもすべてがいいものとして働かないのが人間社会なのである
だから確かに経済不況とか日本の貧困化も問題だが社会を見直すことが迫られている
そのために原発事故とかコロナウィルスとかがありそういうことを契機として社会自体を見直すことが必要である
でも誰も車を手放すとかはできない、つまり車はそれだけ肉体の一部とも化しているからである
車を持たない自分としてはキャンピングカーの旅をしたいと見た
家が移動するのだからある地点まで行ってそこで長い時間を過ごすにはいいとみた
というのは移動することに疲れたからである
でも車社会は見直すべき時代に入ったことは確かである






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2022年08月10日

盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月) (暑くて外に出れず部屋に籠もる)


盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月)

(暑くて外に出れず部屋に籠もる)

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右田浜に新しくできた沼
ここにアメンボウなどが棲みついた
ただ脇に風車があるから風景としては良くない

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舗装されたサイクリングロードはいい

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なべかんむり山が見えるけどこの辺は高い山がない
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夕方に霞んだ山脈

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きれいに見るにはクリック拡大




暑ければ海に向かいぬ浜通り

草深し蟹横切りて隠る夏

白鷺の川面に映し去りにけり

夏霞山の高くも見ゆるかな

ヒグラシ屋形の森に鳴きにけり

下り来て河口の広く夏の月

草深き夜道を行きて夏の月

老鶯や草深し里月光る

大窓に映りて二階や夏の月


白鷺の木にとまりけり一時や川風涼しまた飛び去りぬ

アブラゼミミンミン蝉や我が部屋に聞こえて今日はニイニイゼミかな

一夏に4種ほどの蝉の声我が聞き分けて部屋にいるかな

草深し鶯鳴いて隠されし花も眠らむ月の光りぬ

昼顔の四五輪咲きて草深し今日またここに我は来たれり

新たにそ沼やあまたのあめんぼう波紋交わり生きにけるかな


暑くて外に出れない、ただ晩方頃涼しくなるので自転車で海の方に向かう
舗装されたサイクリングロードはいい、でも河岸は草に埋もれている
合歓の花は散った、あそこの真野川の土手の道には合歓の木がいくつかあり咲いた
その岸辺は夏草にうもている、白鷺が川面に影を映して毎日一羽来ている
遠くを見ると山脈が霞がかかり夕暮れになる、その時なぜか山が高く見えた
この辺では高い山はない、400メートルの鹿狼山が高いから遠くからも見えるだけである、ただ蔵王が見えるのだが夏は雲に隠れて見えないのである

夏草というとき草深しになる、そもそも草深し里である、南相馬市でも原町区はもともと市であり相馬市は城下町であるから感覚的に違っている
例えば季語にしても「夏草や兵どもが夢の跡」とかなるにしても今はそういう感覚はない
あまりにも遠い昔のことだからである、だから俳句とかでもその時代でしか作れないものがある、その価値はもうそういう時代がないのだから再現できないのだから貴重だとなりその価値が衰えないのである
でも現代は俳句でも文明化して自然が映えないからそういう価値あるものは作れないともなる
鹿島区となると草深し里となる、飯館村はまた高原の村でありそれで涼しいとなる
だから海があり山がありとこの辺は変化にとんでいる、ただ高い山がないのでものたりないとなる、その代りとして一応蔵王が見えるのである
老鶯は俳号にしたが今は天華である、何か老いて鳴いていると確かにあっていたのだが天華の方がいいとなる

今日も暑い、34度くらいになる、もうっとして外に出れない、自転車で夕方に近くを回るだけである
ただ部屋にいても蝉の声は聞こえるようになった、油蝉、ミンミン蝉、ニイ蝉、ツクツクボウシとかである
もうお盆であり秋ともなるが今年は夏が遅い、蝉の声も少ない
それより小さいモンシロチョウなどが少なかった、わずかしか見てない
でも黒揚羽は結構見た、黄揚羽も二三羽見た、黒揚羽は結構見ている
本当にモンシロチョウ類はまれにしか見なかった
何か異変があるのかとなるが全国的にそうらしい、一地域のことではない
また鮎は放流したがその鮎が成長して上ってこない、だから川には魚がいないから淋しいとなる、やはり鮎とか岩魚とかが住んでいるのは会津の山の方がいい、川でも激流などがありいい、でも今は行けない、ウィルス騒ぎで行けない
それよりももう自転車では行けない、体も弱り行けない、また家を留守番する人もいないので行けない、結局自由に旅できたのは姉と母がいた結果だった
介護になって十年その後も何か行きづらくなったのである

ともかく暑いから夜も外にでる、夏の月がでている、田舎だと夕涼みとかなる
都会だとこうはいかない、散歩する場所がない、それで恵まれているのだ
ただ暑い時外で仕事している人がいるが苦しいと思う、また必ず田舎でぱ草刈りがあり
これもこれだけ暑いと危険にもなる、熱中症になる
私は二回くらい前に痙攣したので警戒している、でも運動は必要なので夕方に海の方に行くのである
でも松原も津浪でなくなり涼む場所がない、日影の場所がない、風車が回っている
ただそこに新しい沼ができた、そこにあめんぼうがあまた波紋を広げ泳いでいる
トンボも飛んでいる、何か前もそうだったがこうして水辺ができると昆虫が集まってくるのである、ただ風景としては風車とかあり自然の状態ではない
この辺は風景が変わりすぎたのである

2022年07月31日

合歓の花、芙蓉、ひぐらし、夏の雲 (隠された家ー八沢浦から相馬市の方へ)


合歓の花、芙蓉、ひぐらし、夏の雲

(隠された家ー八沢浦から相馬市の方へ)

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松の影芙蓉の映えて家一軒

隠されて瀟洒な家や日影道

溜池に風のそよぎて合歓の花

合歓の花枝しなだれて眠るかな

坂越えて遠山望む風涼し

蝉の声ひびきわたるや家数軒

芙蓉映ゆ家々離れ庭広し

六号線トラック休む夏の雲

ひぐらしや村々あわれ墓地たずぬ

純白の白百合に向かい雷鳴りぬ


八沢浦の方から回り道して六号線の前の道の駅に出た
そこの道は細い道であり気持いい道だった
上り下りして変化があった
一軒の瀟洒な家がありそこに芙蓉が咲いていた
芙蓉は秋の季語だが今頃咲いている
この花は大きいのでゆったりとしていい
この花は飯館村に何か合っていたのである
土地土地に合う花がある

こういう家は農家とかとは違う、相馬市とかが近いから勤めている人である
他にもそういう家があったからだ
でも隠されるようにしてあり場所がいい、田舎ではそういういい場所に住める
でも街の中だと密集しているから都会的になる

合歓の花がため池がありさざなみ風にゆれて咲いている
合歓の花一部は散ったがまだ咲いている盛りにもなっている
やっと蝉の声を聴いた、森があるところでは結構鳴いていた
私は必ず墓地をたずね墓を見ていた、江戸時代のものがあれば古いなり注目していた
ひぐらしは蝉はようやく鳴き始めたようだ

六号線の道の駅は休館になった、また新しく始めるらしい
そして近くの喫茶店も閉店して売りに出されていた
その近くの食堂も三軒くらい閉じたみたいだ
五本松があったが三本松になり遂に一本になりみんな消えた
何か淋しいとなる
コロナウィルスの影響があったのか?良くわからない
暑いから相馬市の市街には行かなかった

昨日あたりはカサブランカが庭に咲き雷鳴が鳴った、でも大きな雷ではなかった
いかにも夏らしい、でも今日は暑くてここも34度くらいになりぐったりした

2022年07月28日

お医者さんのyoutube-医者の本音 (投資信託をすすめる老人にすすめる銀行員)

お医者さんのyoutube-医者の本音

(投資信託をすすめる老人にすすめる銀行員)


在宅看取りをしたくない医師の本当の理由とは0認知症専門医・長谷川嘉哉

高齢者に投資信託を売る銀行員は天国に行けない0認知症専門医・長谷川嘉哉

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お医者さんがいるとして知っていることは患者から見たお医者さんである
では医者から見た患者はどうなっているのかはわからない
それでここで医者が一番重んじていることは晩酌でありこれを邪魔されたくないということだという だから在宅看取りはしたくないという、急に呼び出されるのは嫌だという、真夜中にもなるからである

そんなに晩酌が大事なのか?

救急医療もあるがそれで邪魔されたくないという、考えて見れば毎日患者を診ているから別に患者を大事に見ているわけでもない、親しい人でもない、医者から見ればその他大勢にすぎないのである
それで病院で議員が番号で呼ばれたことに怒った
それは病院でも常に不特定多数の大勢の人を診ているからそうなる
別に家族でもないし赤の他人でありそこに愛情が通うということもない
だからこそそういう不特定多数の人の救急医療でも晩酌を邪魔されることは嫌だとなる
それは医者側から見ればそうなる、あなたは特別の人ではない大勢の中の一人にすぎないのである

でも特別扱いにしてもらいたいとかなる、何であなたが特別なのかとなる
それより晩酌を邪魔されるとしたら患者が憎いともなる
その本人にとっては緊急でも必ずしも医者はそうではない、毎日患者を診ているしその数も多いからである
医者から見れば患者より大事なのは医者の晩酌だとなる
それもわかりやすいとなる、まず他人のために親身になる人はいないのである
我が身が先なのである、自分を犠牲にしてまで働きたくないのである
患者はそういう医者の心を知るべきであるとなる、それが別に冷たいということでもない医者は聖人でもなんでもない普通の人だからである、ただ医療の技術があるということで違っているだけだとなる
でも医者だけはお医者様とかなり特別尊敬されていることは確かなのである

ともかく人間は相手のことを何でも理解できない、職業のことが理解できない
なぜなら医者になって患者を診ることなど体験できないからである
そこに必ず誤解が生まれるし高望みしたり要求も高くなる
でも医者にとって一番大事なことは晩酌でありそれを邪魔されてまで患者を診ていられないということである、それで今なら医は算術にもなるのである

そしてここのyoutubeで高齢者をだます銀行の投資信託をすすめる銀行のことを批判している、あなたたちは天国に行くことはできないですよと批判している
投資信託は銀行がもうかる仕組みでありそれもわかりにくいし顧客のことなど考えていない、手数料商売であり銀行側は絶対に損しないものである
そんなものを高齢者に売りつけて罰が当たりますよと言っている
それは経験しているからわかる、本当に手数料商売であり顧客のことを考えない
そしてこのお医者さんはその金はどういう金かしれと言っている
それは汗水たらして貯めたお金なのである、だからそういうお金を自分たちの利益のためだけに奪うことは大きな罪だとまで言っている、天国に行けないと言っている
そこまで言うというのは驚きでもある

ただ私自身の金が確かにそれなりに大きな金であっても遺産で入ったものだから自分自身汗水たらして働いたものではない、だから自分の金にはつくづく重みがないのである
だからこういう金は消失しやすいと思った、苦労して得た金ではないからである
他の人は家を建てたとき相当に苦労しているからである
私自身も大きな家に住んでいるとしてもそれも親から譲られたものであり私自身は苦労して建てたものではないのである、そこは違っているのである

そういう人から金を奪ってもいいとさえるな、それで大金を盗まれたということもある
なんでお前は苦労もせずに金が入るのくだと羨まれるのも当然だとなるからだ
こういうことは私だけではない上級国民とかにはある、それでその金を奪いとかまでなるそこに罪悪感すらなくなる、確かに資本主義社会だととんでもない格差が世界で生まれている、その格差があると汗水たらして働いても金にならない人は恨みとなる
そうした恨みが世界で蓄積されるとその念がやがてそうした大金持ちに向かい恐ろしいことが起きることにもなる、その念が恨みがいつか確実にその大金持ちに向かうからであるそして革命とかなり殺されるともなる

ともかく人間は家族でないかぎり他人となりその他大勢に過ぎない、だからその対応は親身にはならない、それが世の中だとなる、資本主義だと弱肉強食の競争社会だとなる
それはいつの世でも同じだった、そもそもこの世の中みんなブラック会社でもある
それは他者はあくまでも自分の利益を得るためにあるのであり他者のために犠牲的に尽くす人などいないからである、そのためにこの世に生きることは地獄になるのである
それは自分自身でもそうなる、そしてまたこの世では偽善が多いのである
カルト宗教なども全く偽善にすぎない、宗教なのだから他者を愛すとか慈悲とかあるのかとなると全くない、ただかえって宗教が祈るのはエゴであり自分の欲望を満たすために
毎日祈っているのである、他者よりエゴの欲を満足するために御利益のために祈っているそれが集団的組織的になったのがカルト宗教団体なのである

党派であるときそれは自分自身のエゴの延長として党派があり党派団体組織に属さないものは人ともみない、それで何かあると組織団体意外の人は罰当たるとか地獄に落ちるとか平気で言うのである、それはただ自分たちの利権とか利益を阻害するものとなるから言うだけである、そういう本人たちがエゴであり地獄に行く人達なのである

この世とは本当にブラックであり罪の社会であり職業でも一部を除いて業{カルマ}を持っている、それが人間である、職業がブラックなのが多いのである
社会自体がブラックだからこそ出世とは世から出家することであったのつまりこの社会にあればもともとブラックなのだから罪を犯す、罪に染まるからこそそうなったのである
いい職業としては大工とか建築関係は別にそこで働いている人はブラックにはならない
ただその上で指導する人は社長とかでも仕事をもらうために賄賂がやったりもらったりする、でもその下で働く人は別にそれで罪になるとはならないのである

ともかくここのyoutubeで医者自体が投資信託をすすめる銀行員は天国に行けませんよというのはなるほどと見た、でも別にみんながそうではない、つまり苦労もしないで金が入るような人からは奪ってもいいとすらなる
それで自分自身は奪われたのである、ただ銀行員がそういう商売になったというのは意外だった、もともと金貸し屋でありそういう業(カルマ)をもっていてそれが不景気でそうなってしまったのである、だから確かに今銀行員はいいものではなく、農業を自らたずさわるとかしたのもわかる、何かそうなると後ろめたいものとなりそれが心に影響してくるでもこの世の中ブラックなのだからそこで良心を保つことはむずかしいとなる

そこに職業の大きな問題がある、まず文系の職業は何かブラックなものにかかわりやすいのである、証券会社にしてもそうであり物造りとは違うからそうなる
それで理系の人は物造りに携わる人がいい顔になるというのはわかる
文系にはいい仕事がないのである、それでたそもそも文系の大学はいらないとまでなる
私自身も体力があったら大工の修行でもしていた方がましだったとなるからだ
何か職業につくものが身につかないのである、それが大きな問題だったのである




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2022年07月21日

合歓の花、揚羽、立葵(なべかんむり山)


合歓の花、揚羽、立葵(なべかんむり山)

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なべかんむり山

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これはベトナムで買った、刺繍である、合歓の花なのである





合歓の花今日も舞い来る黒揚羽

川下やなべかんむり山に合歓の花


立葵に黄色の百合そえて咲き黄揚羽とまり朝日さし映ゆ

黄揚羽の立葵にとまり朝日さししばし目をとめ去りにけるかな

フエ宮に合歓の花散りもの寂びぬたずねてあわれベトナムの都


真野川の舗装されたサイクリングロードに合歓の花が咲いている
そこに黒揚羽来る、何羽か来る、それで写真をとろうとした
でもかなり散っていた、何かこの合歓の花と黒揚羽は合っている
毎日黒揚羽来ている

合歓の花というときベトナムのフエ宮殿に合歓の花の並木道があった
でもその合歓の花は散っていた、だから何かものさびしいものだった
宮殿跡にしてはものさびしい、やはり一時栄えた都でも宮殿でもそれが終わると
ものさびしいものとなる、栄華があったとしてもその跡は余計に寂しいものとなる
ただここの歴史はわかない、外国のことはわかりにくい
ただ宮殿にしても中国の模倣である、ベトナム的なものは感じられない
中国をミニチュアにした感じである、それに比べるとアンコールワットはそのスケールが違う、だからなぜあんな壮麗なものがあるのか謎だとなる
その壁画には中国人の兵士も彫らていた、そこは中国にも及ぶ一大仏都だったとなる
また漢字も使っていたから中国の影響があった

なべかんむり山は常にここから見える、合歓の花が盛りと咲いている
ただ阿武隈山脈は高い山がないからものたりないのである
でも蔵王が見えるから蔵王は山形県でも一体感を感じるとなる
山はやはり会津とかなると山国であり山を常に感じるとなる
風景では山がないとひきしまらない、高い山を毎日仰いでいたら心も高まるとなる
それがこの辺の景観でものたりないことなのである

写真は結構むずかしい、蝶は絶えず動いてるのでむずかしい、でもインタ−ネットで検索すると合歓の花と揚羽の写真がうまくとっているなと感心する
写真は豊富である、だから比べてみると良くとれているなと感心する

それから街の方を回る、畑の道に立葵が咲きそこに黄色の揚羽が止まっていた
これは近くできれいに写真がとれた、黄菖蒲と見ていたのは黄色の百合だった
この写真はうまくとれた、今は写真と俳句とか一体化して写俳とかの分野ができた
これだけ映像の世界になるとそうなる
そうして写生俳句は写真と相性がいいのである、見たままを俳句にするからである

ともかく暑い、朝に陽射しをうけたらぐったりした、昼間は蒸し暑い、体がばてる
でも野馬追いが23日だとするとすぐである、二年くらい祭りがなかった
23日頃は晴れとなる、そうなると見映えがするとなる

2022年07月17日

藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)


藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)

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この蔵は大きい、写真にして見たらわかった
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横手の古墳

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擬宝珠

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ここは広い、野馬追いが近い、相馬ではそのために馬を飼っている

きれいに見るにはクリック拡大



草深く藪甘草や石の倉

草深く藪甘草や古墳かな

擬宝珠や石雨にぬれうなだれぬ

擬宝珠や石によりにつ黒い猫

水増して流るる川や夏燕

走り行く夕風涼し夏燕

夏の日や小径にとまる黒き蝶

立葵黄菖蒲映えて畑の道

紫陽花の青色に暮れる夕べかな

牧広く夏の夕べや馬一頭


今回の地震で気づいたことは意外と石の倉が多いことだった
身近にっても気づかないことがある、この石の倉は明治以降に作られたものだろう
喜多方市では蔵で有名だがレンガの蔵がある、これも明治以降である
土壁の蔵は古い、江戸時代からある、でもなんでもそうだけど江戸時代から残っているものは少ない、だから煉瓦の蔵も明治以降である
煉瓦はそもそも明治になって外国から入ってきたものでからである
レンガは耐火にはいい、木の家は燃えやすいからだ、ただ地震には弱いのである

日本は地震が多いからこの石の倉はほとんど一部が壊れていた
でも何か蔵ある家は古いとなる、ただ今は蔵は使っていない、ある蔵は孫の写真が飾ってあるだけだった、あとは古い家具などが置いてあった
でも田舎の風景としては蔵があると家が古くどっしりとした感じになる
喜多方市では豊かになると競って蔵を作った、それは金があるといい車を買うのと同じだった、立派な蔵を建てたことは成功したということである

鹿島区は古墳の里として有名である、小さな古墳が多いのである
でも原町区とか相馬市には古墳が少ないのである
原町だと大きな桜井古墳がある、でも小さな古墳がない、その相違は何なのか?
それは歴史的にこれまでの私のプログで書いてきた
大和王権が鹿島区の方に勢力を伸ばした、旧来の勢力は原町区にあったからである

今藪甘草の季節である、これは草深く咲くいかにも田舎らしい花である
それで原町市だったときは原町の花はひまわりにした
相馬市は城下町であり藤の花である、ちょうど城跡に藤の花が咲いているからだ
また中村珈琲店の脇にも藤棚があり咲くから相馬市に似合っている
県の花とか市の花とか町の花とかある、それはやはりそこにふさわしいからだとなる
飯館村は芙蓉なのである、芙蓉を植えていたからである
ゆったりと大きな芙蓉が咲いているのにふさわしいとなる
ただ何カ月も飯館村には行っていない、ただ佐須の方を回って霊山から石戸村の方に行った
梅雨が戻りなかなか行けないし暑くなるとまた陽射しで熱中症になりやすくなり行けなくなったのである
小山田の奥の方に行くと空家がまた目立つ、そこに青色の紫陽花が庭に咲いていた
でも人は住んでいない、この空家は大きな問題となる
今日はちょっとの間晴れた、ずもすぐ曇って雨がぱらぱらふってきた
例の小山の間の小径には黒い小さな蝶がとまっていた、そこは一日行く人もないなのである、あの道は田舎らしい道である

この季節に立葵が咲くが梅雨にはあっていない、からっと晴れて青空に伸び咲くのが合っている、ただ神鳴りがなって立葵が映えた
ともかく最近近くしか行っていない、でも季節の変化があり夏は花も多く咲くから見るものはあるとなる、庭には擬宝珠が咲いた、
黒い猫に餌をやるので毎日のように来る、田舎だと回りに空地とか畑とか田んぼだから
別に糞とかで汚さない、都会の家が密集したところでは庭を汚すから餌をやるなとなっているのだろう、別に苦情は来ないからである
ただこの黒い猫は全くなれない、すぐ餌をやると逃げる、近づくにも慎重でありなれないのである、一旦野良猫になるとなれないのかもしれない、また猫にもよるのかとなる


2022年07月12日

紫陽花に合歓の花や黒揚羽 (梅雨の戻りで家に籠もる)


紫陽花に合歓の花や黒揚羽

(梅雨の戻りで家に籠もる)

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陽の昇り海面まぶしく夏雲雀

ノウゼンのあまた咲き散り雷鳴りぬ

黒揚羽とまり舞い去り合歓眠る

誰なれや駅に待つ人合歓の花


紫陽花や今日もここにし休むかな木陰涼しく並木道かな

雨しとと雨音聞きつ家こもり紫陽花の咲く庭を見てをり

山帽子の花あまた咲き雷鳴りて雨にぬれにつはや晴れにけり


一昨日とかは晴れて暑かった、それで雷鳴りが何度が鳴った、いかにも夏らしくなった
でもその後は曇りと雨で梅雨のようになった
紫陽花は梅雨に似合う花であり家で見るのふさわしいとなる

家のノウゼンが咲いた雷が鳴り響いたのも合っている、野馬追い近くになるとノウゼンが咲く、今年は普通に野馬追いはやるらしい、ただまた感染者が増えたから外から見に来る人が集まるかどうかわからない

合歓の花は真野川の下流の海に出る方の堤防に三つ四つ木があり咲いている
そこに黒揚羽が寄ってくる、それを写真にとったが黒揚羽がぼけていた
ここはまだいつも通るて必ず黒揚羽が来るから写真をまた撮ってみよう
合歓の花がぼけていたのは良かった
黒揚羽は結構みかける、でも小さいモンシロチョウなどが少ない、小さい蝶は多い、でもわずかしたみかけない
蝉も鳴き始めないのも不思議である、それは他でも報告されている
何か異変が起きているのか、年によって変わることはある

梅雨のようになってうっとしい、それで家に籠もっている
まず自転車だと暑いと熱中症になるし曇り雨となると濡れるから原町とか相馬市にでも
一か月以上とか行っていない
家にこもっているほかない、家の修理は終わった、でも今度は自分で手作りとかで本を整理する棚を作ることにした、大工さんに頼むと金がかかりすぎるのである
大工仕事は自分でもある程度はできると見たからである
どうしてもでき合いのものではなく自分に合った部屋にあったものにするには手作りするほかないのである


2022年07月04日

紫陽花を植えた真野川の土手の道 (雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)


紫陽花を植えた真野川の土手の道

(雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)

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紫陽花の厨より見て料理かな

陽の光り雷雲湧きて立葵

ノウゼンや野馬追近く熱くなる


紫陽花の木陰の下に咲きつづき土手の道朝に歩むや川は流れぬ

木陰なす道を今日も我が行きぬなじみし街や行く人はまれ

夏の雲湧きにけるかな野馬追の旗のなびきて朝橋渡る

大きなる窓に山帽子の花あまた咲きて雷鳴り雨にぬれにき


真野川の土手の道に新しく紫陽花を地植えした、箱に植えた花は何か合っていなかった
木陰の下に紫陽花が咲いているのが合っていた
やはり地植えとなると自然になる、箱となると不自然になるのである
あれは何か宣伝のためだったのか?
なぜなら箱ごとにそれを植えた人の名とかグループの名が書いてあるからだ
そんなこといちいちしているのも合っていなかった
反対の岸の新しいサイクリングロードは地植えの花が咲いているからいいとなる

急に黒い雷雲が湧いて雷が鳴ったのであわててパソコンの電源を切った、でもすぐに晴れてきた、この雷で困るのはパソコンがあるので困るのである
今年は立葵は晴れた時に咲いているから夏らしいとなる
梅雨の時期に咲き始める花だからである
これは夏の陽射しのなかで咲くのがふさわしいのである

橋に野馬追いの旗がなびいている、そしてノウゼンが咲いた
ちょうど野馬追いの時この花が一杯咲くのである
今年は例年通り祭りはするらしい、それで野馬追いに出る人は心が熱くなっている
二年間くらい中止していた、ただ7月の終わりころだからまだ時間はある

ともかく今年は梅雨がなく真夏が来た、今日は昨日より涼しいので助かった
暑いと何もする気がしなくなる、それも困るのである
まだ家を直す所がありまた大工さんが来る、山ほどの本も散らかったままなのである
暑いと片づける気力もなくなるのである
でもなんとか整理して良かった、狭い部屋だから余計なものを置かない方が良かった
整理するのは意外と自分だけではできない、ただ勝手になげられたものもありこれも問題だった、家が大きいと整理も簡単にできないのである

生前整理とか会社もできたからそういうものに頼むのもいい、ただ本の整理は簡単にできない、利用することもありとっておくとなる
本というのも中味を良く理解していないのである、だからまた読んでみると始めて読んだような気分になる、それだけ人間は忘れるとなる
やはり何回も読まないと理解できないのである
ものを書く人は私設の図書館のようなものが必要である
インタ−ネットだけではたりないからである、本には学者であれ個々人であれ人生の成果のようなものとして残されたものなのである
実際30年前くらいに買った本の著者が結構死んでいるのである
残されたのは本だったとなるしそれ以外知りえようがないとなっているからだ

2022年06月19日

夏の朝のと俳句十句ー浜通りの場のエナジー(詩)



夏の朝のと俳句十句ー浜通りの場のエナジー(詩)


草深く老鶯鳴きて影深し

一本の木の影深し今日も行く

夏の海燕飛交う朝の海

海よりの風のそよぎて立葵

海へ行く道真っすぐや立葵

海岸や朝波ひびき都草

夏燕風車の回り朝の海

黄菖蒲や六号線を走る朝

釣り人に波の飛沫や夏の海

広がりぬクローバーの野夏雲雀

海近し浜昼顔を見つけけり

風涼し広き二階や我が家なり

雷鳴りぬ海に向かって浜通り

老鶯と夏鶯では感覚的に相当違う、老鶯と俳号にしたがそのあとは天華にしたのである


浜通りの場のエナジー

今日も愛用のヤマハのYPJ-XCで走った
真っすぐな道を海に向かって
スピード出す、夏雲雀がさえずる
今日も浪は轟き寄せて荒々しい
その波の音に合わせて夏雲雀が
一心にさえづる声がひびき高鳴る
気持良くこの辺でぱ東風(こち)が吹きそよぐ
大平洋から吹きそよぐ風
その風は涼しく心地良い
浜通りは南国的である
マルハシャリンバイの南限の地として知られ
スダシイ神社もある
これは沖縄の山原に自生して育っている
なぜかここには綿津見神社が多い
それは海の民の安曇氏の末裔が来た証拠
海に面して桜井古墳がある
そして鹿島区の寺内の古墳地帯から
十人ほど乗れる船の線刻画が発見された
マルハシャリンバイは奄美大島から種がながれついた
海とかかわり海人がやってきた地帯
そして巨大な津波が港の村を呑みこんだ
村は海にのまれ人々をさらった
いくつかの村は跡形もなく消滅した
そうして死んだ人達の霊が海に浮かぶのか
八沢浦はもともと入江であり海だった
津波で入江にもどり朝の光りに
きらきらと光り穏やかな入江の波が寄せた
まにで奇跡のように縄文の海が再現した
烏崎の方の船着に津波はおしよせた
そこは船が寄り市庭という地名があり
人々は交易した場所であった
そして江戸時代からあった右田の松原は一瞬で消失した
その幹は太く根を下ろしていたと見えたが
松原は自然の多様な森ではなかった
根こそぎ松は津波に流された
ここは太古から海と深くかかわる地帯
漁に出た船が帰ってくる
太平洋から東風が吹きそよぐ
山から吹く北風西風とは違う
広大な太平洋洋から吹きそよぐ風
常に荒々しく太平洋の波はひびき打ちつけ
津波の空恐ろしい記憶がここに刻まれた
それは百年二百年後も消えないだろう
人の力、人智を越えたものが大海にある
その底知れぬ世界が海にある大地にもまだある
そこに巨きなものを養うものがある
フタバスズキリュウがその姿を現して消えた海
サンゴの化石が山の方に発見された土地
千葉県から熱帯魚を追ってやってきた若者
浪立海岸に浪がしぶきあがり彼方の沖を船が行く
鴎が飛んできて鵜が飛んできて川をさかのぼる
今日も波はひびき荒々しく打ちひびき高鳴る


浜通りというとき海と切り離せずある、暑い時は必ず海に向かう、すると海からの涼しい東風が吹くのである、前は右田の松原があったが今は風車が回っている
その風景は余りに変わってしまったのである
ただ土手の道がサイクリングロードとして舗装されたので気持ち良く走れる
まず福島県となったら広い、浜通りとなったら中通りでも会津でも違った風土なのである中通りからは海が見えない、浜通りからは阿武隈高原でさえぎられて吾妻嶺は見えない
すると地理的風土的一体感がないのである、何か見えないということは人間にとって視界にないので認識できなくなる

それで不思議なのは物があり余って扉のある棚にしまっている、するとそこに何があるのか忘れるのである、認識できなくなるのである
そしてそこにあることを忘れるのである、これと同じで常に視界にあり見えるものは認識しやすいが見えないと忘れて認識できなくなる
そのことで津波では津波が襲って見えて来てから車であれ歩くことであれ見えてから逃げた人が結構多いのである、いろいろな人から話を聞くとそうなのである
つまり津波は見えてからでも逃げれば助かったともなる
八沢浦など海がすぐ近くだけど津波が来てから見えたので裏山にすぐに逃げて助かった人もいる、だから人間にとって見えることは大事なのである
津浪でも前に家が建て混んでいると見えないから逃げないということもあったのだ

ともかく浜通りは海と切り離せずある、日本も海に囲まれいるのだから海と切り離せずある、でも中通りでも特に会津とかなると山に囲まれた世界であり風土だからそこに住む人の意識は相当に違ってくる、山から太陽が昇り山に沈むという感覚が浜通りからするとわからないとなる、常に海から太陽が昇ってくるから一日は海から始まる
海から東風が吹いてきて涼しいのである、山に囲まれていれば山から風も吹いてくる
その相違は相当に感覚的に違ったものになる
そして浜通りからは高い山が見えない、阿武隈山脈はあくまでも高原のようなものであり山とという感じはしない、ただ飯館村になると標高が高く夏でも涼しいとなる
だから軽井沢のようにもなる

ハマ、ナカ、アイヅで福島県は風土的に分けられる

いづれにしろある土地のことは一年くらい住んでみないとわからない、つまり日本海とか会津とかだと雪に埋もれた冬を住んでみないと理解できないのである
それは外国でも同じである、日本だったら四季の変化が激しいから一年住んでみないとその風土でも文化でも理解できない、何故なら俳句の季語を理解するには一年日本に住んでみないとわからないからである、これは外国でも同じなのである
そこで文化を理解するのはむずかしいのである、その土地の風土と密接に結びついて文化があるからだ、それげオープンカーがヨ−ロッパで普及したのは風土の関係だったのである、陽射しは弱い地域だから日光浴にもなるのでオープンカーが普及したとなる
技術でも風土と関係しているのてある
基本的に風土とか地理から文化が作られるからそこをわからないと政治でも文化でも何でも理解できないとなる

木にしてもどうも大陸だと太い大きな木が育ちやすい、だから建築材として使いやすいとなる、松などがそうである、外国の松は太いし大きいから日本の松とは違っている
ただ北海道のトド松とか蝦夷松は松の部類に入っていないから利用していなとなる
日本の森と外国の森の相違を書いただ森とあっても同じ森ではない、その内容が相当に違っているのである、どこまでも平坦な地に森が覆っている大陸と日本の森は相当に違っているのである

浜通りは津波がありそのことでまた福島県でも中通りとかは会津とは違っていた
むしろ宮城県から岩手県でも海とのつながりがあり海と一体化していたのである
だからもっと海とのつながりを知るべきだったとなる
なぜなら津波は相馬地域には来ないとしていたが実際は慶長津波で700人溺死という記録があったそれは忘れ去られていた、でも宮城県から三陸岩手県では明治に一万人死んだ
津波があったのだから身近だったのである
つまり海岸線は津波が来るのである、周期的に大きな津波が来る場所だったのである

そしてなぜ相馬藩地域に特に南相馬市の原町区に異常に綿津見神社が多いのか?
これは海人族の安曇族の一団が海から入植してしきたからだとなる
そして飯館村に入り焼畑農業を伝えたのである、綿津見神社と山津見神社が対になっているからである、それはまさに海があるからこそであった
そして真野の草原の万葉集の歌は南相馬市の鹿島区が大和王権の境界となっていた
それは風土的地理的境界であったことを考察して書いてきた
海老浜の車輪梅が南限の地であるということでもそうである、そういう風土だったのである
フタバスズキリュウとか鹿島区の真野川の上流の山間からサンゴの化石などが発見されたのもそのためである、南国的風土でもあったのである

現実に千葉県から熱帯魚を追って波立海岸まで来ていた人がいたのである
それは小さなものでも気候的にいわき市辺りはあたたかい黒潮が流れる地域だからともなる、親潮と黒潮の境目だともなる
だからこそ海人族の安曇族が船で来たとかになる、どうも千葉県にも安曇族の跡が残されているからそこから移住してきたとなる、それは海伝いに来たとなるのである
それだけ海とのつながりがあるのが浜通りだとなる

今日も暑い、でもここは海の方に行くと海からの風で涼しいのである
それで右田浜の松原があったときはそこで涼んでいたのである
でもそれはなくなった、また松の苗を植えたが風車もあり風景がまるで変ってしまったのであ
私の二階は広いから涼しい風が入る、これはクーラーの風よりいい、天然の風だからである、でもさらに暑くなるとクーラーになってしまう、耐えられなくなる
でもやはり海からの風は天然のクーラーだとこの辺ではなるのである
そして今神鳴りが鳴った、やはり本格的な夏が到来したとなる

雷鳴りぬ海に向かって浜通り


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寺内の古墳から発見された
十人乗りくらいの船なのである
だから結構大きな船を操作した一団がいたとなる
それは海人族の安曇族でありその後継者だったとなる



2022年06月13日

雉、夏雲雀、ホトトギス、夏菊(庭の薔薇)


雉、夏雲雀、ホトトギス、夏菊(庭の薔薇)

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ソニーのα6000は古いとしてもきれいに映る
これは買い得だった、やはり映りが小さなデジカメとは違っているのである
あとはレンズの影響もある、私の場合自転車だと大きいカメラをもちにくいのが問題なのである



雉鳴くや日始まる夏野かな

ホトトギス朝鳴き一日始まりぬ

夏雲雀波音ひびき朝走る

大海に朝日まぶしく夏雲雀

夏菊の真昼明るし黄色かな

夏菊や流れひびきて走るかな

草深く老鶯鳴くや雨しとと


華やかに赤に緋色のバラの咲き黄色の蕾や我が庭に見る

一輪の薄紫の薔薇は散る我が庭にあわれしのびけるかな

毎日朝は海の方に自転車で走る、すると必ず雲雀が盛んに声の限りにさえづっている
ねこに浪がよせてひびき朝の太陽がぶしい
これが浜通りの日常的風景である、海と切り離せずあるからだ
田舎だと雲雀がさえづり雉がなきホトトギスが鳴き一日が始まる、
サイレンも鳴るがそれよりこうした自然の生き物とともに朝を始めるのがいい
都会だったらこういうことはない、時計と車の騒音とか様々な人工的音からはじまる

要するにだから最初からそういう場所で人間は疲れるのである
最初から何かエネルギーが消耗するのである
題目とか念仏を唱えて始まる人もいるがそれもまた異常なのである
人間の感覚がおかしくなっているのが現代なのである
ただ山伏のように山に向かったほら貝でも吹くのはやはり自然と一体化することである
だから山岳宗教である天台宗などに惹かれるのである
都会から生まれた宗教はカルトであり自然とは切り離された異様なものとなっている

庭の薔薇は白と赤と薄紫の薔薇が一輪咲いた、華やかに赤とだいだいの薔薇が映える
そして薄紫の薔薇は一輪のみでありはかなく散った
そして今黄色の薔薇の蕾を見ている、薔薇は私の庭の土にあっているのか結構咲く
薔薇がいいのは色が多彩であり種類が多いことなのである
四季薔薇もあり四季を通じて楽しめるのもいい、狭い庭だから限度はある
ただ自分の庭に咲いている花でも薔薇でもそれはまたペットを飼っていて人間の情が移るようにもなる、植物にでもそうである、庭に咲く花は外の花とは違うのである

庭でも手入れしないと荒れる、剪定も必ず必要なのである、だから広い庭でいろいろ植えていたら植木屋に手入れを頼むことになるのでめんどうである
それで江戸では武家屋敷があり必ず植木屋があった、庭を手いれる松などを選定する職人がいたのである、松は必ず剪定が必要だからである

今頃の花としては桐の花があったがすでに散った、この花を神秘的である
何か紫色であり一輪だけ咲いた薔薇ともにていた、これもはかなく散ったからだ
源氏物語の夕顔とも似ていた、桐の花も薄紫でありこの花も神秘的である
何か自分の性格にあった花でもある、花にはいろいろある、それも余りにも多様なのである



庭の薔薇の花

赤色のだいだいの薔薇
狭い庭を飾る夏の日
先に一輪薄紫の薔薇は散る
白い薔薇も咲き散る
そして今黄色の薔薇一輪の芽が
ふくらんできている
それが何とも言えぬ
それぞれの色に咲き
個性的だからこそ映える
同じ色の薔薇はない
それぞれの色を尽くして咲く
狭い庭を彩りそこに幸福がある
狭き庭は美しい薔薇に充たされる
色とりどりの薔薇に充たされる
それぞれの色に咲き充たされる



人間でもこうなればいいのである、みんな同じ色であってはならない、そこで充たされることはない、それぞれの個性がありそれが集まるとき美しい神の園ともなるのである
だから組織集団には美はない、ただ同じ色でありスーツを着て制服を着て一色の色しかないのである、そこで心は充たされることはないのである

2022年05月25日

雷雲が湧き、黄菖蒲が映え、ホトトギスも鳴き夏らしかった


雷雲が湧き、黄菖蒲が映え、ホトトギスも鳴き夏らしかった

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草深く老鶯鳴くやわび住まい

黄菖蒲や朝のあいさつひびくかな


幹太く木陰に咲きぬ菖蒲かな涼しくここに落ち着きにけり

草叢に夕べ黄菖蒲明るしや雷雲湧きてホトトギス鳴く

草深く鶯鳴きて夏の日や家に籠りてその声聞きぬ


何かあいさつは大事なのかもしれない、良くあいさつしようとか書いてあるのを見るからだ、ボランティアの交通整理員の女性はいつも見ていて声をかけている
一時間くらいだから楽だとなる

木陰に菖蒲が咲いている、何か涼しげで落ち着く、このように太い幹の木の影でわずらないく災難もなく咲いていたいとなる、というのはこの辺では余りにも災難がつづきすぎたのである、私の場合も災難の連続だったのである
だから何もなく木陰で菖蒲のように咲いていたいとつつづく思った

今日は夕方になると雷雲が湧いた、福島の方で暑く雷雲が湧いた、雷ここではは成らなかった、でも夏になったと見た、黄色の菖蒲が映えている、そして毎日行く道派草深く
老鶯が鳴いている、この老鶯というのが夏鶯とはかなり違ったイメージになる
だから言葉からイメージすることは大きいのである、全く違ったものに思えるからだ
そもそもどうして老鶯になったのかわからない、私の俳号を老鶯にしたが後で天華にしたでも老鶯というのもふさわしいとも思った
草深い田舎でわび住まいしているのが自分だからである
ホトトギスも夕べに鳴いた、夏らしいとなった、梅雨の前の夏である

絵は全く描けないが写真を合成してなんとか絵にした、これも苦労だった
才能がないということはやはり努力するほかないとなる、でもそれも限度がある
それでも一応絵にはなっているので自己満足しているだけである

2022年05月18日

原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ (夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)


原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ

(夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)

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旧街道には菖蒲が似合うー雲雀が原の脇の道

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雲雀が原神社とは特攻隊を記念した神社らしい

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抱月荘の道ー下に川が流れている


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片倉村ー矢川原の沼

小高への旧街道

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石の倉は新しい、隣の木の倉は古い
ここは地震で壊れていないが相馬市と鹿島区では石の倉は一部だが
ほとんど壊れた




この道や日影の長く藤の花

原町の旧道行くや菖蒲かな

原町の郊外広し夏の菊

原町の郊外広く夏つばめ

白藤や清流の奥にひびくかな


黄菖蒲に紅睡蓮や真昼かな

一村や沼に映せし夏の山

何蔵す枯木を映す石の倉

旧街道影なす道の涼しかな

二本の樹影涼しく旧街道

街道や旅は道連れ蛙鳴く

街道を行くも遠きも夏の山


旅人の木影に休みまた行くやその一本の樹の標なり


今日はそれほど暑くないと思い出かけた、22度くらいだから暑くなかった
陽射しもそれほどでないから行けた、やはり25度6度となると今は厳しい
どうしても熱中症を恐れているからだ
でも今日は爽快という感じで走った

原町の旧街道から宿場があった街道を行き抱月館がある所をぬけて片倉、矢川原を通り
小高に行ってまた旧街道を帰ってきた
原町の郊外は広い、原町は原っぱだったというとき名前があっている
雲雀が原がありそこは原っぱだったのである
鉄道ができて駅前通りになった、もともと雲雀が原で相馬藩は馬を飼いならすことをしていた、だから野馬追のする雲雀が原は今より何倍も広かったのである
文字通り原っぱだったのである、それで原町村がありそこから一騎野馬追にでていた
たいだい三騎くらい一村からでているがここは一騎ということは小さい村だったなる
つまり原っぱが広がる所だったのである

ただ宿場町としては大きいようだった、なぜなら絵図に残っていて宿場がつづいている
だから宿場町として原町は発展したともなる
宿場というとき原町とあとは双葉浪江とかにあった、相馬藩の城のあった相馬市から
原町までだと20キロ以上になる、原町から浪江とかなるとまだ遠い
ともかくここが一応江戸時代は街道だったのである、相馬藩と伊達藩が江戸へ向かった道である、それで面白いのは伊達藩の人達が通る時はその殿様に許可を得て通らせてもらっていたのである、そこは他でも同じなのである
藩が違うと別な国になっていたからである、そこで通行証が必要になり関所で見せて通らせてもらう、藩の外は別な国になっていたからである
今のパスポートと同じだったのである

何か旅がなくなったと何度も言っているが旅するとは車でぶっ飛ばして通り過ぎることではない、本当は歩いたら本当に旅とはどういうものか実感できる
なぜなら六号線だと写真にとったように木の影が道をおおうようなことがない
六号線では自然が映えないのである、だから六号線を旅しているがそれでは本当の旅は実感できないのである、でも今は便利だから結構歩いて旅していた人がいたのである
でも本来旧街道を歩くとき、そこで本当に旅がどういうものか実感する

そもそも江戸時代の道はもっと細かった、「奥の細道」というように本当に人が二三人くらいしか歩く幅がない道だったのである、だから今の旧街道より車が通る道よりさらに狭い道だったのである
旅とはそもそも道をたどるのが旅である、道は未知なのである、この先行けば何があるのだろうとなる未知の旅なのである、それは徐々に歩いて行くと新しい風景が開ける
そういう期待もある、道のものに出合うのが旅なのである
車では通りすぎるてしまい旅は実感できない、ただ早く目的に着くということだけであるそして宿でうまいものを食べたいとなる、旅自体をなくなったのである

だから道路が広くなり車の道となったとき旅は喪失したのである
六号線だとどうしても木の影が道をおおうようにはならない、広いし車がひっきりなしに流れてくるからである、でも実際は国道が便利だから歩く旅の人も六号線を歩いていたのである

原町の特徴は郊外が広い、街が広がっているにしろ郊外も広いのである
これは相馬市では感じられない、すぐ山になって狭いと感じる
ただ海の方に行くと広いとは感じる、でも原町と比べると地相が違ってるのだ
この地相が違うと感覚的にかなり違ったものに感じる
確かに海に面した浜通りは地相は似ている、でも城下町の相馬市と原町は相当に違った雰囲気なのである、これはただ外から来た人にはわかりにくい、それは全国を旅しても同じである、みんな同じように見えてしまう感じてしまうのである
だから長年住んでいる場所になじんでいないとその相違は感じられないのである
原町は市街も広いし郊外も広いのである



小高では帰っているかと聞いたら帰っていないという、市の職員がIT関係の人が外部から来て住んでいるとか言っていた
テレワークするので移り住んだのかもしれない、ただ詳しいことはわからない
やはり空家が多い、小高で違うのは車の数は少ないのである、街中を車が通らないのである
だから騒音と車が嫌いな人は住むのにはいいかもしれない
でも小高は不便だから住みたくないから原町に移った人が多いのである
私も車が嫌いだからそういう場所だと落ち着くということはある、でもやはり小高とかなるといろいろ不便になる
でもそこに住めるのは車を持っているからである、別に原町に車で買い物でも行けばいいからである
ただ小高の立派な家を置いて原町に移った大工さんを知っている
どうしても原町が便利だから移るのである、だから復興は進まないとなる

カメラを忘れたがスマホで撮った、だから鮮明ではない、スマホは今や必ずもって歩く、これは欠かせなくなっている







2022年05月12日

全国焼きもの紀行俳句 (日本の茶の湯、わび、さびの文化と陶器の世界−窯元を訪ねる)


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(日本の茶の湯、わび、さびの文化と陶器の世界−窯元を訪ねる)

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赤マルは私が訪ねた場所

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(唐津焼き)

唐津焼の窯元たずぬ落椿

松に寄り窯元ありぬ落椿

窯元や唐津城近く春の湾

(伊万里焼)

初燕旅人来たる赤絵町

春日さし店に並びぬ備前焼


(清水焼きー京焼)

清水焼春にぎわいぬ坂の店

京言葉清水焼き買い話すかな

春の日や京都をめぐり土産かな

(笠間焼き)

笠間焼冬に訪ねて絵付けかな

益子焼民芸作家や初秋かな

土触り古陶に茶の湯冬籠る

窯元に孟宗竹や冬籠もる

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九州は伊万里焼で有名である、そこか柿右衛門の赤絵の絵付けで有名になり世界に販路を広げた、その港が伊万里だったのである、もともとは有田焼だったとなる
ここには春に行った、有田町の通りに赤絵町とありなるほどと思った
九州は窯元が多い、というのは朝鮮から陶工が・・・の時に秀吉に寄って連れてこられたからである、朝鮮では陶芸が盛んであったからだ
朝鮮の文化として百済だと美的な趣向がありそれで陶芸にも反映された
もともと古代には須恵器が作られた、ただその前に鎌倉時代でも中国とか朝鮮から陶工は入ってきていた

日本のやきものの転換点は、より硬質な須恵器の技術が朝鮮半島から入ってきた5世紀といえます。「焼締(やきしめ)」という非常に高い温度で焼く技術が初めてもたらされたのです。やきものは窯のなかで焼くと1200℃以上の高温になり、器に降りかかった燃料の薪の灰が溶けてガラス質が器の表面を覆います。この自然釉が素焼きの土器の段階から、釉薬をかける陶磁器の段階への入り口になりました。

六古窯―〈和〉のやきもの」
https://intojapanwaraku.com/craft/2536/

須恵とか末次とかの姓とか地名はこれに由来している、その地名も多いのである
福島県浜通りに末続駅などがあるがこれもそうかもしれない、そもそも須江、須恵は陶であり陶器のことなのである

唐津焼の特徴であった質朴さと侘びの精神が相俟って茶の湯道具、皿、鉢、向付(むこうづけ)などが好まれるようになった。また、唐津の焼き物は京都、大坂などに販路を拡げたため、西日本では一般に「からつもの」と言えば、焼き物のことを指すまでになった。とりわけ桃山時代には茶の湯の名品として知られ、一井戸二楽三唐津(又は一楽二萩三唐津)などと格付けされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E7%84%BC

唐津焼は地味な色でありわび、さびを感じるから後に茶の湯で使われたとなる
湾に面して唐津城があり虹の松原があり風光明媚な所にあるのがいい、城が見えて窯元があるというのはまれだろう、窯元となるともともと土地土地の土を使うから辺鄙な山間とかにある、大堀相馬焼きももともと駒焼きは城下にあったが土をとるために浪江の大堀に移ったことでもわかる

備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E5%89%8D%E7%84%BC

この備前焼が須恵器から発展しているというのも興味深い、なぜなら須恵器も鉄のように硬いのである、この備前焼も鉄のように硬くて重量感がある、それで落としても割れないとされたのである、それだけ西の方になると歴史が古いのである、それが現代まで残されたとなる、ここではただ通り過ぎただけだった、でも一回でもそこをじかに訪ねていたことは貴重である、やはりその地をじかに踏むことだけで価値があるとなる
今になると30年40年前になると遠い記憶となるが一応記憶にまだ残っている
やはり文化というのはその土地から直感的に感じるものである
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの地をじかに踏まないとわからないという人がいたがそうである、CULTUREとはCULTIVATEてありその土地土地を耕すということが語源になっているからである、土着的なものだからである、だからその土地を踏むということが文化を理解することになる、ただ正直大陸となると中国でも余りにも広いので理解することがむずかしいのである

京都なると清水焼きだがもともと京都は日本の文化の発祥元であり日本の文化の中心ともなるから陶器でもいろいろ作られた、京都にはまた陶器でも全国から集まった
でも土はとれないので絵付けが発展したとなる、京から様々な紋様が生まれたりしているからそうした装飾関係は京都が優れているのである

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京焼と清水焼の違いは、これは以前(江戸時代ぐらい)は清水焼以外にも、粟田口焼・八坂焼・音羽焼・御菩薩池焼などが京都市内各地にあり、それを総称して「京焼」という言葉が使われていました。
しかしその後、時代の流れとともに清水焼だけが残って、現在ではほぼ「京焼=清水焼」という形になっています。

池映す枝垂桜や京暮れぬその色濃くも染まりけるかな


京都つうのすすめ
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201108.php

https://www.seigado.jp/concept/


何かここでも私は絵付けしたりしていたのである、それで京都弁を聞いたのである
京都を語ればきりがなくなる、でも京都でも三回行ったとかめぐっていたのである
つまり旅し続けていたのが自分だったのである

あと笠間焼があるがこれも笠間藩があり窯元を訪ねた、そこで絵付けした
絵が描けないにしろ旅の記念になるものとして遊びでしていた
笠間焼でも相馬焼きが古く教えに行ったとかある、相馬焼きの陶工は各地に技を教えに行っていたのである

益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていた。その後、1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC

笠間焼を受け継いだのが益子焼であり民芸で有名になった、何か飾らない素朴な味わいがありその装飾も単純なものになっていた、つまりそれが民芸だとなる
茶碗でも壺でもあまり装飾が派手になると本来の趣を損なう、生け花にしてもやはり素朴な土の味わいを出すのがいいとなる

要するに茶の湯とかはもともとわび、さびを基にした日本文化である
伊万里焼は磁器であり土の香りはしないのである、ヨ−ロッパでも磁器の陶器であり日本の土の匂いのする陶器とは違っている、陶芸は日本独特の文化なのである
それで最近気づいたのだが茶の湯だとお菓子をそえて出したりする
そのお菓子でもさほど甘くないお菓子が日本がの特徴である、外国はケーキのように甘いのである、確かに甘いものもあるが渋い味の菓子があることに気づいた
それを添えると何か日本的な味がすると感じた、味もわび、さびの感覚なのである
どちらというとソバが日本的なものでありうどんとかは小麦であり日本的ではない
ソバは現実に日本で山奥でも作られていて常食となっている
福島県の奥の秘境だった桧枝岐ではソバが常食となっていた、米は食べれないことが多かったからである、山間地では稗とか粟を食べ、またソバを食べていたのである
それでソバの花が咲いている

曲り屋に蕎麦の花かな奥会津

こんなふうにもなる、ソバの菓子もあり何か渋い味だとなる、渋みというのもまた日本的なのである、外国だと渋い味は嫌われるだろう、ほとんどが甘いからである
ただ文化というのは意外と日本に住んでいてもわからないのである
これが日本的なのかということは外国を知ればわかるのである
そこに日本的なるものの価値を見出すのである、グローバル化はそうした国々の文化の価値を見出すものならいいがかえって国々の文化を破壊することがある
日本の食文化でもハンバーグだとかいろいろ入ってきて破壊されたからである
反面日本食が外国で健康食としていいとして受け入れられている、これはいいことである日本食はもともと肉食から発展していない、肉料理は日本では発展しなかった
肉の代わりに魚を食べていたからそうなった
魏志倭人伝に牛、馬、羊がいないと報告されたときそれが日本がの特徴だったのである
日本は漁労民族だったからである、海の幸、山の幸の国だったのである
ソバはか山の幸だったともなる、その味は渋いとなる




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茶菓子としては甘いものは合わないかもしれない
この胡桃餅は甘いというほどでもない、何か合っている
他にも蕎麦の味がした菓子なども合っていた
日本の菓子は多様だからこれも日本の文化となっていたのだ

日本の茶の湯とはもてなしから始まった
人をどうもてなすかとうことがありそれが一つの文化とまでなったのである
もてなすということは何かへりぐだらないとできない
それで殿様でも身分が高くても茶室では対等になったということがある
一人が威張っていたらもてなしにはならないだろう
単純に考えれば納得がいく、茶室では上も下もない世界とかなる
ただ戦国時代だと密談の密室の世界になってもいたのである

2022年05月10日

夏の日に相馬市から新地の花木山ガーデンに (途中骨董店による・・相馬焼きの話しなど・・)


夏の日に相馬市から新地の花木山ガーデンに

(途中骨董店による・・相馬焼きの話しなど・・)

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城跡の藤の花
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城跡にシャガの花が咲いていたし新地にも結構咲いていた


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槻木駅などがあるから同じようなものか?

新地花木山ガーデン

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利休梅


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相馬市六号線の骨董店

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この急須と湯のみが十四代も使われたという、だから5万とか値をつけている
これが水分が減って乾いたために軽くなっている
陶器が磁器と違うからそういうことになる、土だからそうなる
そういうことも意外である、ただそれだけ年月が過ぎれば何か変わることは確かである

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天皇の菊の紋があり金箔がある、高貴な感じになっている
デザイン的に優れている、でも小さいから御菓子など置くにはいいかもしれない

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ここは着物店なのか? この蔵にはお宝があるのか、牡丹が似合っていた



馬走り自転車は知る青葉風

相馬市に我が入り行く菖蒲かな

長々と木陰の道や藤の花

藤垂れて暇(いとま)のあれや昼の月

海の風海浜公園夏雲雀

散り残る利休梅見る小径かな

森暗し影なす道にシャガの花

影深し大槻神社にシャガの花

城跡や草深しもシャガの花

城下町紫色に暮れるかな


駅前の花壇に赤のチューリップ次に黄色の咲きて燕とぶかな

広々と大海開け夏の日や牡鹿半島金華山見ゆ

山々の新緑に映え海開け牡鹿半島金華山見ゆ

ガーデンに珍しき花夏の日や新たに見ゆる花にしあるかな

黒橋を上れる人の二三人若葉茂れる木の袂(たもと)に見ゆ

城跡に藤の花あまた垂れにけり白きつつじも映えてひそまる

喫茶店藤の花垂れ一時を休みて静か城下町かな

城下町辻を曲がりて職人の家あり伝ゆ技のあるべし

十四代使いし茶碗とその色の心にしみぬ謂れを聞きて

城下町夕暮れ帰る紫の牡丹の咲きて大き蔵かな




花木山ガーデンからの眺めは最高てある、広々と海が開け牡鹿半島と金華山が近くに見える、ただ正直ガーデンそのものはものたりない、でもそのために300円とる
それは花を見るというよりあの広大な景色を見るためにも払うとなる
やはり眺めのいいところにある喫茶店でもあれレストランであれ価値がある
あそこの眺めは特別である
新地は海が近く見えるのである、相馬市でも鹿島でも原町でも海は結構遠いのである
新地は庭の前が海が見えるという感覚になる、それで巨人が手を伸ばして貝をとって食べていたという伝説がある、現実に海が縄文時代には入りこんでいたのでそれは事実である貝塚がそれを物語っている、貝を食べて捨てた場所だからである
海から離れていてもかなり近いからである

今は藤の花の季節である、藤の花と似合っているのは相馬市なのである
なぜなら城下町だからである、何か何もないようでやはり歴史がありそうした雰囲気を出しているのである、相馬市が街作りとして良かったのは役所も入母屋作りにして落ち着いたものにしたことである、高いビルがないこともいい、でも新しくできた田町通りは城下町の雰囲気とそぐわないという感じにもなる、ただあそこにある大きな柳の木は合っている
相馬市というとき紫の菖蒲が入り口に咲きそして藤の花が垂れ咲いている
中村喫茶店の脇の藤棚がそうである

六号線で骨董屋があるので入ってみた、ほとんど茶碗だった、相馬焼きのことで語ったがその主人は女性でありそれなりに知っている、そもそも骨董屋というとき歴史もかかわるし美的鑑識眼も必要である、だからこれも結構才能がないとやれないかもしれない
ただスーパーのように物を売っていると違う、その品物についての由緒とかを語らねばならないからだ
テレビのお宝発見だと書画骨董でもそれが本物なのか偽物なのか見分けるのはむずかしい絵でも鑑賞することができないからである
でもどれがいいものなのか簡単に分からなのである
そもそも芸術とかなると鑑賞すること自体がむずかしいのである

まず本当に高価な価値あるものは見つからないだろう、だから十四代も使い続けられたという茶碗とか急須となると相当に価値がある、それで五万の根をつけた
でもその価値が解かるのかとなるとわからないとなる
ただわかるのは十四代をも使われたことで価値があるとなる
そこにその茶碗の歴史がある、茶碗通じて受け継がれたものがある
相馬駒焼きを受け継いだ人は死んだと言っていた、前ら浪江にあった相馬大堀焼になっていた、相馬焼きは江戸時代からのものでそれが古いのでその技を教えに各地に行っていたのである、だから相馬焼きには価値がある
ただ馬の絵で年代がわかるという、でもそれを見分けるのはむずかしい
この馬の絵を相馬焼きに教えたのは外から来た人だとしている
つまり何かアイディアとは意外と外の人が与えることが結構ある
そこにもともと住んでいる人が気づかないことがあるからだ
だから外部の人の話をとかも聞く必要があるのだ

いづれにしろどんな職業でもプロになるのは容易ではない、第一農業自体がむずかしい
土のこととか肥料のこととか花でも育てるのがむずかしい
だから花屋も相当に知識と経験がないとできない、要するに料理でもそうだがなんでも
プロになるには相当な熟練と経験と知識が必要になる
骨董屋となると意外とこれはただ物として売るものではない、そのいわれや歴史や美的な
鑑賞力も必要になる、そうするとそれらをみんな備えることはできないともなる
でも骨董屋はただ売る商売ではないと見た、その品物にまつわるもの、いわれや歴史でも知らないと売れないと見たのである
ただその骨董屋も城下町内にあれば合っている、六号線だと城下町からはずれているからだ、城下町内にあるのがふさわしいとなる、でもそうなると地代とか高くなるからと言っていた







2022年05月07日

ロシアの技能者や富裕層や若者の大量流出ー遊牧民を理解しにくい日本 (原発事故でも三年避難して故郷に帰らなくなった)


ロシアの技能者や富裕層や若者の大量流出ー遊牧民を理解しにくい日本

(原発事故でも三年避難して故郷に帰らなくなった)

ウクライナに侵攻中のロシアで、国民が国外に出る動きが急増している。独立系メディアが6日、連邦保安局(FSB)の統計として、今年1〜3月に約388万人が国外に出たと伝えた。 
渡航先は旧ソ連の構成国が多く、前年同期の5倍近くにふくれた国もある。今後も人材の流出が続けば、ロシア社会に大きな打撃となる可能性もある。
https://www.asahi.com/articles/ASQ5666J1Q56UHBI024.html


国外避難民は
コソボ紛争(70日間)→戻る
ボスニアヘルツェゴビナ紛争(3年間)→国外定着


原発避難民もそうだった、三年間離れるともう帰ってこない、避難した先で仕事を持ち暮らすと帰ってこない、農家の人が言っていた、農業でも三年間していなと体がついていけない、できなくなると言っていた
三年間が目安だったのである、その三年間も過ぎて五年間も避難期間にしたから帰ってこないのである、老人は外に出ても仕事もできないから愛着があるから残った
でも老人だけの街では維持できない、小高とかでも原町に移った人が多い
原町は便利で暮らしやすいからである、別に隣なのだからあまりに移っ抵抗はないだろう
ロシアでは富裕層とか技術者がそして若者が流出している
日本でもひろゆきが日本がに希望はないと海外脱出を盛んに言う
でも日本は言葉との障壁があり簡単に脱出できないだろう
陸続きの国は移動が移住でもしやすいのだろう

ウクライナ人でもテレビに出ている人は英語を話ししている、やはりロシア語も英語と通じるものがあるのだろう
ただアラブ語とかなるとかなり異質だから違っているだろう、でも英語はやはり世界の共通語になっていることを感じる
英語は世界でも通じやすいのである、中国人とちょっと英語で話したことでもわかる
エリート層は英語が普通に使えるのである
日本はもともと閉鎖的な国だから外国へ移住するのは相当にハードルが高い

そもそも陸続きだということが移住が大陸国家間で常にあった、モンゴルがウクライナまで攻めてきたというのも驚きである、モンゴルとか遊牧民は日常的に移動しているから
移住という移動することに抵抗がないのである
ヨ−ロッパの成立がこうした東の遊牧民の流入に対して作られたという時もそうである
東欧の小国がなぜあるのか、それは遊牧民国家なのである、遊牧民はまた様々な民族が入交り混血しているのである、こうした多様な民族というのも日本は同一民族としての歴史が長いから理解しにくいのである

大陸国家だと大量に人間が移動する、それが戦争にもなる、ゲルマン人の移動とかもそうである、それがローマ帝国を滅ぼしたともなる、東の遊牧民はまさに移動する民である
それを一番象徴していたのがモンゴルなのである、それでロシアもモンゴルに征服されてタタールの軛としてあった、モンゴルに囚われたとなる
要するに東欧諸国はそうしした遊牧民の末裔なのである、ドイツにもスラブ人が入ってきて混血しているというのもそうである
日本はまたこの遊牧民というのを理解しにくいのである、そうした人々を見ていないし歴史的にもわかりにくいとなる、日本は島国で閉鎖され国で定着民だからである

だから地政学ではロシアは必ずウクライナとか西欧に進出する、また戦争になるということを予言していた学者もいる、それは地理の宿命としてカルマとして説いている
その地理もあまりにも広大なので日本人には理解しにくいのである
とても旅行したらいではわからないのである
そうした広大な領土を支配するとなるとどうしても独裁となり皇帝となる
社会主義になってもその伝統は受け継がれる、恐るべき強権国家になる、統一できないからである、社会主義とは全体主義のことだから独裁国家として採用されたとなる
民主主義とかはそうした広大な国家には合わないのである、そうしたら国がばらばらになってしまうという恐怖がある
また風土からもロシアの寒さがロシア人の忍耐強さと連帯を育んだとしている
一方で野蛮性も依然として残ったとしている
そもそも遊牧民は常に戦闘的でありその暮らしが移動であり日常が軍隊化していたのである、だから戦争には強かったとなる

ともかく歴史でもカルマである、歴史は繰り返すとういことである
だからウクライナでもやはりロシアが攻めてくるということは予想されたとなる
でも意外だったとしているのはロシアの本質を見誤ったとなる
ロシアの国の本質は変わらなかった、西欧化しないものがあり何か強固な土着性が残っている、それは広大な森林地帯とか土地があるということなのである
森が境界となるときそれはヨ−ロッパでもそうだった、ウクライナでもキエフの近くに広大な森が見えた
大都会の近くに広大な森があり百キロ離れたチェルノブエリノブエリは原発事故でその広大な森に埋もれたのである
そこにヘラジカとか狼が棲むようになった、それはこの辺では原発事故で猿やイノシシが空家まで侵入してきたのと似ている
広大な森が境界にもなる、なぜなら相馬藩でも原発があった大熊辺りは森が覆っていたからである
それで殿様の森ということで余の森ー夜の森となったのである

いづれにしろ大陸国家を知るには遊牧民を知ることである、でもそういう人達を身近にみていないかった日本人には理解しにくいのである、イスラエルも実際は遊牧民国家であった、今では半分は砂漠でありラクダを泊める隊商宿もある
キリストも遊牧民の末裔である、第一アブラハムは神の命令でどこに行くとういのでもない、イスラエルに向かい祖となったのである、そういうふうに常に移動する民族なのである、出エジプトでも必ず異民族と出合い戦いとなる
だから遊牧民というのは農耕民のように定着しないのである、その心性は定着する農耕民から見ると理解しにくいのである
とにかく大陸国家では中国でもそうだが遊牧民に侵略される恐怖があった
それで万里長城が作られた、遊牧民は絶えず移動するからその移動することが常に戦争ともなっていた

大量の人間が移動することはそこに衝突があり戦争にもなる、だから領土が国が日本の島国のように安定して同じということがない、領土は常に縮小したり拡大したりする、ウクライナでもボーランドの一部だったとかともなっいる
言語の相違があっても共通な面もある、国境は不変ではない、常に大陸国家の興亡で変化しているのである
それで今回のロシアのウクライナ侵攻でかえって反撃されてロシアは縮小してさらに小国化するとされる
ただまたロシアは広大な土地がありそこからまた蘇るともしている
それで経済でも意外としぶとくそれほど経済封鎖してももちこたえていて影響しないというのもそうである
要するにロシアの広大な地理とか風土を簡単に理解できないためロシア自体を理解できないとなっているのである
世界を知るには地理を知ることだがこれが簡単にわからないのである
そこから誤解が生れるしロシアとは何なのかロシア人となになのかとなり戸惑うのである

地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン

これはわかりやすい、ロシアのことも今回のウクライナ侵攻も予測していた、地理の宿命としてそうなるとして予測していたのである

夜ノ森以北は炭田・鉱泉地帯ではなかった地域である。1896年4月1日に双葉郡が成立する前は、夜ノ森を境にして南が楢葉郡、北が標葉郡(しねはぐん、しめはぐん)であった。戦国時代には岩城氏領(南)と相馬氏領(北)の境であり、江戸時代には磐城平藩(南)と中村藩(北)の境であった

言葉は相馬藩では新地が伊達藩だから仙台弁にもなるが他なっていない、磐城とどう言葉が違うかわからない

2022年05月06日

南相馬市鹿島区真野川沿いのサイクリングロード地図 (新しい海まで通じる道)


南相馬市鹿島区真野川沿いのサイクリングロード地図

(新しい海まで通じる道)

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鹿島区役所の土手の脇の道を行かないと行きどまりになるから注意

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今橋の下、鉄道の下が工事中で通行止めになっていた

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橋の下を二つくぐり鉄道の下を行くとここにでる、ここからは見晴しが良くなり
海でる道になるからわかりやすい


真野川沿いに新しくサイクリングロードができた、土手の下は新しくできた道である
この道は街の中にあるから街の人が散歩している
ただここまで高速常磐道のSAから自転車で来るとなると結構遠いとなるかもしれない、
ただこの真野川沿いから海に出る道は景観がいいから気持ちがいい

本当は駅前から行けばいいが鉄道を利用する人は本当に少ないから高速のSAから人を呼び込むために地図を作った、だからSAに自転車を置いて利用してもらう、でもそれはしていない、ただ駅前の星自転車屋では自転車を貸している
駅前らだと便利なのである、それほど遠いともならないからだ

道順としては桜田橋、鹿島区役所の脇の土手の道を下るところがある
ここを下って川沿いを行くと橋の下をくぐり鉄道の下をくぐり土手の道に上り
するとそこからは舗装された土手の道を走れば海に出る
海に出る新しい高い堤防からは阿武隈山脈の端の方に蔵王が見える、今は残雪でありきれいである、この蔵王が見えるのは鹿島区までである、結構大きく見えるが注意しないと見えないともなる

このサイクリングロードは走り安いし景観がいいからおすすめである

ただ知らない人は初めとかなるとち地理がわかりにくいのである
間違い安いのである、時間が限られているからゆっくり見れないということがある
それが問題なのである、やはりどうしても時間をかけてゆっくり見ないと記憶にも残らないのである、狭い町でも村でも見る場所があるが必ず急いでいるから見過ごしてしまうのである、第一最近蔵王が見えることがわかった、それは堤防が高くなったから見えたのである、だから堤防ができたりして景観も変わるのである
ただ風車とか海岸が狭くなったとかあり景色としては物足りない
砂浜にしても狭いからである、それにしても余りにも津波で変わってしまったのである
前の風景が全く失われてしまったからである

新しき道の通じて燕来る

菜の花の道や近くの人の常に行く

はや花は散りて菜の花の道を行く街の小さく人もまれなり

2022年05月01日

知らないうちに蓄積されているカルマ (いつか必ず苦しみとなって現れる―世界の紛争もカルマが関係している)


知らないうちに蓄積されているカルマ

(いつか必ず苦しみとなって現れる―世界の紛争もカルマが関係している)

カルマは何度も言っているけど苦しみとなって現れない限り意識できないのである

なぜこんなに苦しむのか?

苦しむ時なんでそうなのかとなる、すると積もり積もったカルマがありそれが苦しみとなって必ず現れる、それは突然なったわけではない、実際はカルマが積もり積もって最終的に60以降になると現れる、それでなぜだろうと意識する
いろいろな個々の事件でも世界情勢でも何らかその国々のもっているカルマがありそれが戦争とかで苦しみとなって現れる
それがみんな突然に見えるのはその国の歴史のカルマとかに無関心だからである
個々の事件でも突然起きるが何なのだろうとすぐには理解できないのである
人間は空間軸で見るのは即座に見れる、どこで何か起きたかと空間軸でみる
だからtake placeなのである、でもその事件でも時間軸見るとなるとむずかしい
ウクライナ戦争でもそうである、そこにいつも注目していない、だからクリミア戦争で
ウクライナが戦争に備えて準備していた、アメリカとかがすでに軍備を援助していた
そういうことを知らないのである
時間軸で理解することは歴史を理解することがむずかしいように簡単にできないのである

ともかくカルマというとき知らないうちに蓄積されている、ただそれが表面化しないかぎり意識しない、例えば自然災害でもプレートが徐々に動ている、突然急激に動いて地震になるのではない、徐々に動いていてそれが限界にきて地震になる
何か必ず前兆がありそれが積もり積もって大地震になって現れる
でも地震が起きない限り意識できないのである
そして個々人でもカルマというとき一代だけでない、必ず親とか先祖でも関係しているのである、親の因果子に報いというときそうである

なぜこんなに苦しむのかとなるとき親が関係している
親の因果が子に報いとなる、ただそれは悪い事ばかりではい、いい面を親から受け継ぐのである、なぜ自分が介護でこれほど苦しんだのか、それはやはり親の因果が子に報いたためだとなる
なぜなら前ら言っているように私の母の実家でもそこは常にもめごとがある不和分裂の家でありそれが解消していないからカルマとなって苦しみとなってやはり不和分裂の因果を受け継ぎ苦しんだとなる、ただいい面も受け継いでいるから悪い事ばかりではない

でも苦しみとなって現れるのは悪い面が知らないうちに積もり積もって最後に苦しみとなって現れる
そして自ら苦しまない限りカルマは解消できないのである
これは宗教団体とかに入っても解消できない、個々に苦しまない限り解消できない
集団で解消できないからである、むしろ組織化した集団化したカルト教団はカルマの集積した場所だから集団的助け合いとかより
集団的に積もり積もったカルマが集積している、そしていつかそのカルマのために破たんする自壊するのである

そして怖いのは結婚すると相手の家族のカルマを引き継ぐことである
なぜその人は事業で失敗したのか?事業もなんらかカルマが関係しているのかもしれない事業は個人ではできない、必ず家族もまきこむ、家族全体でするものだからである
するとその家族のカルマがもろに現れる、それでビジネスで成功するなら商売人の女性を嫁にしろとかなる、そういう女性は肌でもって商売のことを知っているからである
そして意外と家風とかも大事になる、悪い家風がありそれに夫でも嫁でも染まるのであるそもそも事業に向いていない家風がある、とにかくケチくさいとかなると商売に向いていないともなる、絶対に一円でも損したくない、ただでは何もしないとかの家風の家もあるからだ、損して得をしろというがそういうことが全くない家風の家もある
そういう家が事業を起こして成功するだろうか?損していいということではないがそういう人に仕事を頼むだろうかとなる
要するに家風がありそれが事業に影響することはその家の持っている家風がカルマとなっていることなのである

とにかくカルマは知らないうちに積もり積もっている、それだけは確かである
ニートとかは家族が世話しているからいいと思っていると親の介護にあったり親が死んだりすると最悪になる、何をしていいかもわからなくなる、それで死体と一緒に呆然として一緒にいたとかなる、社会性もなくそうなったのである
それは自分自身のことだったのである、つまりいいと思っていたらそれが知らないうちにカルマとなって積もり積もっていたのである
カルマは必ず知らないうちに蓄積されていてそれがいつか現れる

例えも金持ちの家でも不正に金を貯えたりしているとそれがカルマとなり苦しみとなって現れる,兄弟で骨肉の争いとなったりする、また陰謀論で良く言われるが特権階級に世界の富が蓄積されている、それは天文学的なものとなりそれがカルマとなりそこから巨大な災いが生まれて来る、そうした富豪は必ずしも幸福とはならないともなる
なぜなら世界の富を収奪して豊かになったからである、それがカルマとなって苦しみとなって現れる
戦争で武器を売ってもうけているような国とか商売している人が金持ちになっても果たしてその人達が幸福になれるのだろうか?
なぜなら他人が死んで血で塗られた金だからとなる、またグロ−バル経済で儲けている人も貧乏な国の人の労働でもうけていたとかなりそれがカルマともなってくる
だから現代のグロ−バルな経済のシステムは崩壊して世界恐慌になったりする
それはカルマが積もり積もって破壊的現象となり世界的な苦しみがもたらされる

いづれにしろなぜ自分自身がこれほど親の介護で苦しんだのか?

それはやはりカルマが積もり積もってそうなったのである
それは自分だけではない、カルマは必ず知らないうちでも蓄積されているのだ
それがいつか苦しみとなって現れる、世界の歴史でも一見アメリカとかソ連(ロシア)でもイギリスでも中国でもフランスでも常任理事国となっているがその人達は戦争で勝ったとしても実は責任が課せられている
なぜならドイツとか日本は壊滅的に破壊されたからである、日本は原爆まで落とされた唯一の国である、ドイツもナチスは批判されてしょうがいなとしてもウクライナ戦争に積極的に加担しなかった、武器も供与しなかった、ヘルメットだけ供与したことでアメリカからとか責められた、イラク戦争の時でもアメリカに援助しない戦争に参加しないとして責められた、でもそもそも日本はアメリカに徹底的に国土まで破壊されたのだから戦争を放棄した国でありそれが世界から認められていたのである
それなのにアメリカが参戦しろうというのは勝手なのである

つまり戦争に勝った者にも責任が課せられていた

大国が強い者には責任が課せられている、強いから大国だから何でもできるとはならないのである、だから負けた国は戦争になんであれ加担したくないというのは当然なのであるその責任はアメリカが戦勝国がとれともなるのである
それを戦争に加担するように強制するのはおかしいのである
ドイツでも日本でも戦争したくない、こりごりだとなった、でもアメリカはその後も戦争しつづけてきたのである、でも敗戦国のドイツでも日本でもまきこまないでくれとなるのは当然なのである、だから戦勝国のアメリカでもイギリスでもロシアでも勝った国には
勝った国のカルマが生まれていたのである、金持ちには金持の責任が生まれている
それがカルマなのである、つまり人間はカルマから逃れられない存在なのである

そしてカルマは罪でもありそれが人類に蓄積されていてその清算が強いられる
それがハルマゲドンの最終戦争で清算される、その最悪の地獄のあとに千年王国が生れともなる、だからドイツでも日本でもウクライナ戦争に消極的なのは当然なのである
それを責められるべきではないのである、戦争に深入りすべきではないのである
要するに戦勝国も今度負けるとなるのがカルマとなる
アメリカでもロシアでも今度は負けるべきだとなる、そうすれば負ける国の痛みがわかり戦争したくないとなる、また日本に原爆を落とされたようにアメリカにも落とされればその痛みがわかる、それがカルマの法則なのである
アメリカはドイツや日本のように国土が戦場になったことはない、焼け野原になったこともない、ただ焼野原にした方なのである
そのカルマがアメリカにある、それが何らかこれから苦しみとなって現れる
それで一番核を恐れているのがアメリカだともなる

いづれにしろ人類そのものがカルマが集積している、蓄積している、そしてカルマとは罪でもあり人類の罪の決算がカルマの決算がハルマゲドン、人類の最終戦争になる、罪の総決算が来る、それが最後の審判にもなる
イスラエルが建国されたことは大きな歴史的事件でありそれでエエゼキル書の予言がロシアに適応されるとなる
集積蓄積された人類のカルマの総決算となれば前代未聞のカルマの総決算となるから信じられなものとなる
それがもう近い時期に起きるともなるから恐怖なのである


2022年04月29日

新田川の岸辺の八重桜が見物 (タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)


新田川の岸辺の八重桜が見物

(タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)
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喫茶店8.30

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西洋シャクナゲを植えた覚えがないのである、これも謎である

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新しい新築群の家の一つ

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この土壁といいいかにも昔の生活の名残りがある、木の根と石があっている
私の家も最後に土壁にしたのである、その時職人がいなくなっていたのである

たんぽぽの咲きつづくや海に出る

タンポポの朝咲きつづき海に出る

街中にたんぽぽ映えて往き来かな

大海の波の音ひびき朝雲雀

六号線八重桜咲き喫茶店

定着す枝垂桜に庭の石

浜街道新緑そよぎ走るかな

五六羽の山鳩集い草萌ゆる(午後)

土壁に石に木の根や草萌ゆる

夕燕交わり盛ん街を行く

浜街道ツツジの赤く夕暮れぬ

若き等にツツジの赤く夕暮れぬ

一心に鳴き続けるや夕雲雀

悔いなくも鳴きてひびかむ夕雲雀


石ありて菖蒲の静か事もなく庭に咲きつつ余生あるべし

いづこより種の飛びきて我が庭に紫のつつじ咲くもあやしき

この道を今日も行くにき庭の石枝垂れ桜やなじみけるかな

新田川の岸に八重桜咲きつづき午後の陽射しに川面光りぬ

街道の道になお長く太き松我がよりにつつ春の日暮れぬ


浜通りだとタンポポが咲くとき海に向かうのが向いている
海には開放感があるからだ、六号線8・30には一回だけ入った
何か喫茶店が私は好きである、喫茶店には八重桜とか合っている
安らぐ場所だからである

この辺では3.11の震災以後新しい家が建ち新しい街が二つくらいできた感じになる
枝垂桜が咲き庭の石を見るとここに定着して落ち着いたという感じになる
人間はなかなかその土地になじむことがむずかしいからだ
十年くらいすぎてようやく多少はなじむとかなる、とにかく人間はなじむにしろ時間がかかるのである

昨日は晴れたので浜街道を行きそこで発見したのが新田川の岸辺に咲いていた八重桜の並木道である、これは知らなかった、近くでも知らない場所がまだある
何かいい場所がある、でもどうしても原発避難区域になったところは小高でも浪江でも
飯館村でも寂びれたものとなり花も映えない
やはり人間が住んで暮らしがないと花も映えないとなる

つまり純自然のままの状態と一旦人間が住んだ場所とは違う、人間の手の入らない純自然の場所はそれはそれで荘厳なものがある
でも一旦人間が住んだ場所では人が住まなくなると淋しいものになる
それが庭でわかる、庭の石でも木でも人間化しているからだ
それで空家になったところでは余計に淋しくなる
石でも木でも人間化していたからである

工場のある浜街道の松の木は幹が太いしいい木である、街道には松がふさわしいのであるただ浜街道も依然として双葉、大熊とかは自転車では行けない
街道としてつながらないのである、街道は今は旧道ともなっていたがそれなりに車でも通っていた、それも通らないとなると淋しいとなる
やはり人間の生活があり人間の行き来がないと道も活きないとなる

ともかくここ十年以上は災いがつづいている、それで疲れた、ただ今や災いなくて余生をすごすことである、年取ったら負担になるからだ、
30年以上は災いがなかった、一回水害があり床上浸水になったくらいである
平穏な生活が30年とかつづいた、それは今なれば特別恵まれたことだったのである
この世とは常に火宅の世であった、戦争というのは自然災害より最悪だった
それが70年前に現実に日本でもあり3百万に死んでいるのだ
そしてウクライナ戦争になった、激動の時代になったのである
人間はもう70年も生きていれば必ず大きな変動があり翻弄されるようになっている
一生平穏で終わることはなかったのである

俳句とか短歌でも今や写真は欠かせない、なぜなら私は写生俳句から俳句でも作り始めたからである、短歌でもそうである、写生というとき写真とあっているのである
それは見たままを映しているからである
そして時間的にも朝なのか午後なのか夕方なのかが写生でも大事である
八重桜の写真は午後であり夕方になりそれが合っていたのである
昨日は晴れていたので気持ち良かった、写真もいいのがとれたので満足である
いい写真をとるコツはただ枚数を多くとることである
いろいろな角度から枚数をとってそこからいいものを選ぶのがいい、それがデジタルカメラの時代の写真のとりかたなのである

ただレンズとかにこるときりがなくなる、そして重いので持ち運びにくいから困る
ただ写真にこるとどうしてもレンズの作用が大きいのである
私はそこまでこっていないのである
でもどうしても今は映像の時代であり写真がないとものたりない
インタ−ネットのいい点はいくらでも映像が素人でも出せることなのである
これが雑誌だったら印刷していたら大変な金がかかりできなかったからだ
それで現代は表現の時代でありyoutubeで個人でもテレビ局にもなれる時代なのである
ただ手間はかかる、ワードプレスとかSSLにできないのがまずいと思っている
それも今になるとなんかめんどうになっている、だから技術的なことは若い時からなじんでいないとできない、それで今は若い人が有利になるのである

2022年04月21日

二本松城の桜散る(短歌) (一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)


二本松城の桜散る(短歌)

(一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)

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千本桜は一部咲いていても実際はほとんど散っていた



二本松城へ


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山桜は咲いていた

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天主台からの展望

クリック拡大
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街中の坂の道に清水が滴りたまり飲める

きれいに見るにはクリック拡大してくださしい




赤々と朝チューリップ駅を出る

日立木駅はや花散りて電車すぐ

走り行く車窓に見ゆる朝桜

海沿いを咲きつづくかな朝桜

駅とまる鳩や電車を待ちにけり

雄大に蔵王の迫り芽吹きかな

旅人や流れたぎちて燕飛ぶ

千本桜花散る後の余韻かな

十万石六十万石や桜かな

仙台城六十万の夕桜

春の月赤くも笑う顔に見ゆ



福島や菜の花桜桃の花電車過ぎ行く境を越えて

つばへ飛び千本桜なお残る花のあまたや散りにけるかな

二本松城天主台高く桜咲き四方の山々望みけるかな

二本松城高きに上り高峰を仰ぎ見るかな春になりしも

なお残る二本松城の桜かな山を上りて風騒ぎ散る

山桜なお残り咲き大方は散りにけらしも二本松城かな

城あれや桜は散るも優艶に枝垂桜の赤さをましぬ

天を衝く高峰そびゆ四方の山見晴らす春や二本松かな

二本松城白壁映えて根づく松枝垂桜の色濃く暮れぬ

二本松城高きに上り桜見ゆ四方見晴して栄なるかな

二本松市街を通り岩よりしたたる清水我が飲みにけり

二本松城今はあまたのスミレかな庶民の上り花見て帰る

城近く耕す人や力なり菜の花桜に飾られけるかな

二本松城こぶしの咲きて夕日さし山城なれや高きを上る

少年隊城を守るとここに死す今年三日で花は散りしと

二本松山々高く囲みつつ国をし思ふ花の咲くかな


二本松まで折り畳み自転車で岩沼回りで行った
桜は一目千本桜でも散っていた、今年は桜が散るのが早かった、ここでは四日で散ったとか二本松では三日で散ったとか言っていた、だから一部咲いていたにしろほとんど散ったのである
なぜか桜は二本松だと近いと見えて遠い、それで前も桜は散っていたのである
外でも桜を見ようとすると散っているのである
それ一目千本桜でもその時自転車で苦労して来たがみんな散っていたのである
要するに桜は見ようとすると散っているのが多いのである
咲く時期が短すぎるからである

浜通りでものたりないのは高い山がないことである、でも蔵王は南相馬市鹿島区まで見えるのである、ただ蔵王が大きく見えるのは中通りである、二本松城の天主台に登るとその高い山を望むことができるし二本松城は古い城の山城の形がそのまま残っているからめずらしいのである
確かにあそこに立つと一つの大きな国を感じる、それも山々に囲まれた国を感じるのである、それで明治維新で二本松県になるということもあったのである
ここから会津とかなると遠いのである、浜通りは阿武隈山脈にさえぎられて福島県は地理的に分断されているからである

二本松は坂が多い、その坂を上って山の間の道に岩から清水がしたたり飲めた
市街のなかにそういう場所があるのはやはり山があるからだとなる
近くに畑がありそこで畑を耕す人がいた、それも街の中になるのである
地形的にそうなっている、ただ耕地としては斜面が多いから利用しにくい
そもそも日本は平地が少ないの山国である、だから野(の)とは斜面のことなのである
また平とは狭い地域で山でも平となっている所が耕地となるから地名化したのである
つまり平な所が日本がでは貴重なのである

ともかくもともと日本でも地形によって城でも作られた、要害となる場所に作られた
それがやがて平城になった、でも山城の形態を残しているのは少ないのである
二本松城は大きくても山城の形を残しているから魅力がある
城をいろいろ見ていてもこういう城が日本がでは見ていないのである
全体の山を利用して城を作っているからである


写真には文字が入っていないですが俳句と短歌をあはまてください



2022年04月12日

桜と山鳩のの写真(Cherry blossom photos)


桜と山鳩のの写真(Cherry blossom photos)

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母と子がいる

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背景の樹は桜ではないけど桜に見える

真野川の堤防の道の桜はいい、写真を撮ったが必ずしもうまくとれていない、写真はやはり大きくして見ないと見映えがしない
ブラウザではどういうわけか自分の場あい、firefoxでしか写真とか拡大して見えないのである



母と子や堤防の道夕桜

山鳩の番いの写真はうまくとれた、背景は桜ではないが桜に見える
このように山鳩の番だといいのだが人間だととにかく離婚が多いのである
私が接した人は本当に離婚した人が多い、人間はそれだけ男女でもうまくいかないのである
三分の一は離婚している、熟年離婚も多いのである
人間社会には常に争いがあり平和がないのである




2022年04月11日

桜はすでに満開になった (桜についてのエッセイ・・・)


桜はすでに満開になった

(桜についてのエッセイ・・・)

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桜と風ー平泉―高館の桜

抽象画は何をイメージしていいのかわからないがここでは義経堂の桜をイメージした
というのは私自身が訪ねたとき、夕べ風が荒れてふきつけ桜がゆれて咲いていたのである
波乱の一生だった義経にふさわしいと思ったのである



日永きや道真っすぐに遠くへと

街中の通りを飛ぶや燕来る

前畑を耕す女や春の暮


ひとしきり梅はにおいて散りにけりその余韻の深く我が住む里かな

一分咲きたちまち桜満開や時の移りのかくも早しも

そちこちに夕べ桜や里めぐり誰か住みなむ灯のともるかな

春の日や我が家のこと知る人あり語りて偲ぶ母と姉とを



夕方相馬市の方へ行って途中でラーメンを食べた、自分はラーメンはあまり食べない
相馬市の道の駅の前の方でラーメンを食べて帰ってきた
相馬市の方はまだ二分咲きくらいの桜があった
原町は一昨日でも満開だった、鹿島は今日は満開である
桜は年により咲き方が違う、今日は急に暑くなったから満開にもなった
桜は桜前線がありやはり徐々に日本列島を北上してゆく
それも原町と鹿島と相馬市でも咲く時期が微妙に違うと思った

桜前線というとき私は北海道まで旅して6月に稚内で桜を咲くのを見たである
桜前線はそれだけ日本列島を北上して咲くのである
ある時は青春十八切符で瀬戸内海の方まで行き下関から韓国に渡り韓国の古都の慶州まで行った、その時慶州にも桜並木があり咲いていたのである
ただどういうわけか盛岡とかの桜はまだ見ていない、弘前の桜は見たのである
桜はいくら暇でも見ようとしても見れない、なぜなら桜は無数にあり咲く時期が二週間とか短いから散ってしまうから見れないのである

それで白石の千本桜を自転車で見に行った時、すべて散っていたのである
その散っていたことになんともいえぬものを感じた
はるばる苦労してきたのに桜はすべて散っていたからである
それは芭蕉が奥の細道で「五月雨の降り残してや光堂」という感懐と通じるものがあったはるばるみちのくの平泉まで来て雨がふりしとる中に光堂のみが残っていたことであるここに空間軸と時間軸で感じるものがあったとなる
その時すでに鎌倉時代から400年以上過ぎていたからである
みちのくという未知の遠く離れた所とそして400年という時間が過ぎたことで感じて作られた句なのである
これが新幹線で三時間くらいで来たとしたらとてもこんなふうには感じないのである
だから時代が作ったものであり今では作れないから価値が衰えないのである
古典はそうしてもうその時代でしか作れないものがあるから価値が衰えることがないのである

高館の義経堂や風荒れて夕べしきりに桜ゆれさく

この時風が荒く吹いていたのである、それで印象に残ったのである

今日自分の姉と母のことを知っている人とあった、意外と死んでから知っている人とは逢わない、その女性は店をしているとき豆腐を下ろしていたのである
だから意外とずっと前のことまで知っていた、私の子供の時から知っていたというのは意外である、なんか人間は昔のことになると人でもわからなくなる
でも私の姉と母のことを知っていた人がいたのでなつかしかったとなる
死んだ人は忘れやすい、語られることもなくなる、あれだけ近くの医者のことは常にみんな話題にしたけどその人が死んでもう誰も語らないということが不思議なのである
人間は本当に死ぬとたちまち忘れられる、そんな人いたのかとまでなる
これも無常なのである

桜咲く道に出合いて我が家の姉と母とを知る女〈ヒト)と語る

とにかくこの町でともに生きたということで連帯感を感じる、ただ今はもうそういう連帯感もない、それは自分自身の問題があってそうなってもいる
何かこの土地でともに生きたということが感じない、でも昔の村だったら本当に村人は一家族のようになって生活していたとなる
すると年老いてどうなるのか?ともにこの村で生きて来たなという連帯を感じる
それで墓地でも墓がなくてもホトケッポという共同墓地に埋められた、そこには個人の墓も家族の墓もないのである
ただ今はその土地に深い思いがない時代でもある、村人というより会社人間になったとき会社で共に働いたなということでふりかえる、でも会社は村とは違っている
村とは自然とも一体となった深いつながりがある共同体である
会社は自然とは結びつかない、社会の一部としてある
村は自然とも一体化して存在した、だから祖先は山にいるとかなる、その祖先が春には里に下ってくる、そういう感覚は農耕社会の村に自ずと生まれたものである

ともかく祖先でもそこで生きた土地から離れずにあるというのが農耕社会なのである
遊牧民社会だったらそういうことはない、常に移動するからないのである
そしてこの世では異邦人だというときいろいろな民族が混交しているからそうなる
正に民族が違って異邦人になりやすいのである,ユダヤ人は国を持たないからどこに行っても異邦人になっていたのある
ただ日本だってこの世にいるのは一時だということをつくづく感じる
旅して一時泊まる仮の住いとかなる、いづれもう死ぬともなるとそうである
人間の出合いでも一時逢うだけでありもう永遠に逢わないのである

あなたと会いましたね、後は永遠に逢うことはありませんとなる、これが老人になれば現実なのである
何か人間の出合い出も瞬間的にもなる、この世にいつまでもいる普通思っているがこの世とは去る場所であり留まる場所ではなかったのである
結局人間はこの世から消えてゆくものにすぎないのである、最後はこの世にいるは一時だったとなる、そんなに短いのかとなるとそれを老人になれば誰でも実感するのである

日はかなり長くなった、ラーメンを食べて道は薄暗くなったが明るい
こうなると遠くへ行きたいとなる、でも今日のように暑いと自分は熱中症になるから怖いそれで去年だったか春に暑く遠くへ自転車で行ったら熱中症になり痙攣起こして危険だったのである、それでこりたから暑い時は警戒するようになった
こたれもやはり歳とったということである
ただこんなに春にまた暑くなることはなかったように思える
4、5月とはこんなに暑くならずあたたかくでもこんな陽気にはならなかった
それで自転車で遠出できたのである





2022年04月08日

若草、燕来るー南相馬市道の駅の公園 (桜はまだ一分咲きー燕は来た)


若草、燕来るー南相馬市道の駅の公園

(桜はまだ一分咲きー燕は来た)

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写真を切り取り絵にできる
これは著作違反にならないだろう、やはり創作なのだ
ただこの老人はいかにもあっている
こういう光景は簡単にとれないのである



燕来る朝の流のひびくかな

五六羽の燕来てちちと鳴き飛びぬ

庭の石重くもすえて芽吹くかな

街道の原町宿や一分咲き

若草や公園に遊ぶ母と子


みちのくに花咲くを待ついまだしも燕は来たるもなば待ちにけり

公園のベンチに老人休むかな春の日さして根っこ残りぬ

空家なる庭に咲きにし水仙を我が見てあわれ残る石かな

梁太く蔵の喫茶店喜多方や外に残れる雪の重しも


原町の道の駅の方には良く行く、その隣が公園なのでそこに休む
そこにベンチがあり母と子が遊んでいた、若草の緑が映えてベンチに休む
あそこには木の切り株がある、何かそれが老人にふさわしいのである

一方昔の街道の方は古くてもほとんど行かない、買い物もしないし用がないからだ
駅前通りもほとんど利用しない、実際の実用としては道の駅中心になる
その街道は一分咲きになっている、雲雀原の街道はやはり旧街道であり宿場があった
そもそも原町という名はそこは雲雀原のように原っぱだったのである
あんなに家は密集していなかった
そこで原町村があり一騎だけ野馬追いに出ていたのである
そして雲雀が原辺りでも開墾されて農業をしていた人達がいたのである

不思議なのは原町で一分咲でも鹿島区では一分先にもなっていない
微妙に桜前線は天候に左右される、今回の地震で原町区は被害が少ないと見た
ブルシートのかかった屋根がほとんど見なかったからである
今回の被害は相馬市と南相馬市の鹿島区がひどかった
何かここは不運ではありたたられているのかとも見る

桜という時桜前線なのである、それで私は桜の咲く時期に京都の方に行きみちのくに帰ってくるとき、桜はまだ咲いていなかった、それがみちのくらしい、
逆に京都大阪の方が桜が満開になり散った後にみちのくは満開になってゆく
京都とか大阪とみちのくを行ったり来たりしていたのが自分だった
それだけ暇だったのである、旅することが仕事になっていたのである
それは家族がいて恵まれた結果だったのである

ある場所の思い出がある、今はこうして旅を回想することである
喜多方では蔵の喫茶店がありそこから外を見ると雪が重く残っていた
それが印象として記憶している、この記憶していることが大事なのである
旅をいくらしても忘れたら何にも思い出せなくなったら行ったことにもならなくなるからだ、そしたら回想することもできないのである

空家が多い、隣も空家になった、そこに水仙が咲いているのを見る
ただこの家の人は近くに家を建てたのだから町内に住んでいる
でももう誰も住んでいない人もいる、それで今回の地震で瓦が壊れたまま放置されているのもある、すると雨漏りなどするから困ると見た
つまり空家というのはこういうふうに日本の大きな問題なのである
とにかく空家が一千万軒に成とか尋常ではないからだ
第一原発事故の避難区域になった所は空家だらけでありなんとか利用してくれとなっているからだ

桜前線の俳句短歌2
http://www.musubu.jp/sakuranewpage2.htm

2022年04月03日

春の朝、春寒し、沈丁花、桜まだ咲かない (堤防が高くなり右田から蔵王が見える)


春の朝、春寒し、沈丁花、桜まだ咲かない

(堤防が高くなり右田から蔵王が見える)

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右田の堤防の径から見た蔵王
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舗装された道


春の朝山鳩鳴きぬ街の中

波よせて海面光りて朝雲雀

春寒し里人と話し常の径


堤防の高くなりにし残雪の蔵王の今日も我が見ゆるかな

梅の香の流て夕べ鶯の鳴きて帰れる細き道かな

沈丁花今年も咲きて我が家に歳を重ねて匂いの満ちぬ

みちのくは桜は咲かじその蕾なおかたしかな今年は寒しも


朝は毎日海の方に自転車で行く、その堤防が舗装されたから走り安くなった
真野川沿いにもサイクリングロードができたからここも自転車で行くのにいい
やはり舗装されると軽快に走るのである
そして真野川の河口と海側の堤防が相当に高くなったのである
だから蔵王が良く見えるようになった
冬の間は雲がかかって見えなかったが春になって見えるようになった
八沢浦からは前も見えていた、蔵王を見えるのは南相馬市でも鹿島区までである
原町区では見えないのである、これは景観としてはかなり違ったものになる
蔵王を身近に感じるのと感じないのでは相当に違ったものになる

何か高速道路のSAから電動自転車とかおいて観光させるといいとか言う人があった
つまり車で来る人は鹿島区の街の方にでも来ないからである、一時的に食事したりトイレを利用して去るだけだからそう言ったのである
鉄道だったら駅前通りができたように街と深く関係していたが車は通りすぎるだけなのである
ただ真野川沿いの堤防が舗装されたので走り安い、街の中でも堤防の下にもサイクリングロードを作ったからサイクリングするには良くなったのである

沈丁花の匂いはいい、その匂いが濃厚なのである、そして歳重ねてその匂いが深く感じるこの家にしても長く住んでいるからである
何か老人は何でもかえって深く感じるのである、感じ方が深くなってくるのである
ただ年ごとに年齢でも自然でも何でも感じ方が違ってくるのである
故郷とかもう見飽きたとかになるがそれでも人間は感じるものがある
要するに狭く深く感じることがある、それは人に対してもそうである
里人と話する、するとここに共に生きているなとか共感するものがある
日本人は俳句だと季語が必ずあるように共感するというとき常に天候なのである
天候が変わり安いのである
今日は実際にまだ寒い、今年は寒い、そこで春寒しとなって老いた女性と話する

いづれにしろ狭くても深く感じることがある、広くても浅く感じることもある
広くなると感じ方も違う、なかなか広い所に旅しても深く感じることはむずかしい
ただ不思議なのは思い出す旅なのである、そこで記憶したことを深化して感じ直すことをしている、その時大事なのはいかに記憶しているかどうかなのである
これが意外と見逃されているのである、なぜなら度でも忘れやすいからである
するとせっかく旅しても忘れると何にもならないとなるからだ
だから思い出すように旅する記憶するように旅することが大事になるのである

でも現代社会は便利になりすぎてただ早く早く通りすぎるだけになってしまった
そして心に深く残るものがなくなったのである
それで便利なことはかえってマイナスにも働いたのである
一歩一歩大地を細道を踏みしめてゆくとき心に残る、自然を感じる
浜街道の細道を行くとき自然でも感じるのである、六号線だと感じなくなる
鶯の声を聞こえたり細道だから自然が身近になり感じるのである

今年は寒い、でも東京辺りはすでに桜は咲いた、でもこの辺はまた蕾が堅い感じがする
桜は咲く時期が毎年違っている、早い時もあり遅い時もある、今年は別に遅いということではないらしい、でも寒いから遅い感じがするのである

2022年03月30日

春の日に横手から松川浦へ (喫茶店は場所がいいと価値がある)


春の日に横手から松川浦へ

(喫茶店は場所がいいと価値がある)

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ドマーニより外を見る



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横手の御堂
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まだ白鳥がいた、今年は寒いからなのか?(宇多川の河口)

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グランパ
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偶然こんなふうにとれたのも不思議
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これは大きな石の倉庫である、石の蔵は結構被害があった

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城跡の石灯籠は全部落ちた




(横手)

春なれも御堂廃れて木の根っこ

春の日や円墳いくつか横手かな

(松川浦)

春の山丘の上なる喫茶店

若妻と子とにぎわいぬ春の草

白鳥なお残りいて春日さす

松川浦水面光りて初燕

松川浦春の鴎や喫茶店

春の夕母の子を抱き眠るかな


犬ふぐり御堂の前に咲き満つも参る人なく廃れけるかな

春なれも横手の御堂廃れたり地蔵倒れて直す人なし


横手から松川浦の方に行った、横手は円墳が五つくらいある、これは電車からも見える
そして南相馬市の鹿島区は古墳の町として知られている、それだけ古墳が多いからだ
ただ桜井古墳のような大きなものはない、
今回はその円墳の後ろに御堂がありそこは廃れていて誰もお参りしない
地蔵とかも倒れていたし直す人もいない、その隣の家は空家になっていた
何か空家が目立つのである
この御堂は誰も参る人がないから廃れた、でも江戸時代からありここに人がお参りしていたときは活きていた、その暮らしが消失したのである
これは別に原発事故とは関係していない、その前から廃れていたのである
こうして暮らしがなくなると御堂でも神様で死んでしまうのである

そういうことは原発事故の避難区域が空家だらけとなって多い
そうでなくても空家が増えて限界集落がふえて昔あった暮らしが失われ神社でも御堂でも廃れるのである、何があそこに祀られているかもわからない、やはり時代によって失われものがありそれはもう回復しないのである、なぜならそうした暮らしがなくなったからである、村があるとしてもそういうものもここではなくなっている
ただ古墳があるのだから古代から長くここに人が住んでいたのである

次に相馬市の道の駅から近い小高い丘にあるカフェDOMANI【ドマーニ】でランチを食べたここは二回しか行っていない、ここは場所がいいのである
前は畑であり春の山が見えた、畑には春の草が見えた
メルヘンチックに作った喫茶店である、あれは結構金がかかった感じがする
子供と若い人に向きに作っているとしても結構年配の人も入っている

今春休みだから母と子どもと一緒に来た人がいた
そこでちょっと話した、ソロバン習って何の役にもたたないと言ったらその母親もソロバン習ったという、でも二十代でソロバン習っていたのか?
もうソロバンを習う塾はなくなっているのではないか、ともかくせっかく子供の時習ったものでも何の役にもたたないのには本当に損だと思った
どうしても時代が変わるとそうなることがある、先を見据えて勉強しないと何の役にもたたず大損だったとなる

それから松川浦に行き新しいレストラン兼喫茶店に入った
そこは前が松川浦に接して景色がいい、でもそこは喫茶店ではない、レストランであり食事する場所である、だから中はうるさくみんなで食事していた
喫茶店はやはり食事するだけではない、くつろぐ空間の演出が必要である
でも今はもう喫茶店だけではやれないから相当に減ったのである
私は喫茶店が好きである、休み物思いにふけったりしていたからだ
喫茶店は場所が影響する、あそこは薔薇の花を飾って有名である
でも前が畑で山脈が見える、場所としてはいい、磯部にも新しい喫茶店ができたが海も見えないし入る気がしないのである
初燕を見た、二羽くらい見た、これはどこで見るかで印象が変わる、初燕はまさに本格的な春の到来を告げるものである

やはり眺めがいいというときそれで価値が生まれる、気分よくなるからだ
この辺で喫茶店でいいのは中村珈琲店では藤の花が咲き見物である
後は鹿島区の海老村の隠れた所にある納屋を改造した喫茶店もいい
でもここは二回くらい行ってあとは行っていない、まだやっているのかどうかもわからない、ここは予約制であったから簡単には入れなかったのである
あとは鹿狼(がろう)山のふもとの喫茶店は海を望むから気持ちいい場所である
ただそこは自転車で行くのには遠いから簡単には行けない

それから松川浦の新しくできたグランンパは眺めがいい、じき前が松川浦である
春の光りに水面が反射していた、鴎が飛んできた、鴨も泳いでいた
ここは眺めとしては一倍いい、でもここは喫茶店ではない、食事する場所なのである
だからいろいろな料理を出している、喫茶店としてくつろぐには向いていないとはなる

それから浜の駅松川浦によった、これは震災以後できたのものである
ただあまり買うものがなかった、魚とかでも種類とか少ないし買い物で得するというものも見えない、ここは観光客用なのだろう、観光客用は意外と高くてもいいものがないことがある
そもそも漁業というのは衰退産業であり跡継ぎいないとかなっていた
だから実際原発事故でわかったように東電からの補償金で事故前もそっちのほうが収入が大きかったのである、漁協組合はそれだけ補償が大きかった、そのことは追求して来た
ただそうなったのも結局農業とか漁業が衰退産業になっていたからである
そこで東電の原発に頼っていたとなる
でもこれから食料危機が言われているから地元の農業でも漁業でも食料を供給する仕事は大事にされるようになるかもしれない、海外からも食糧か入って来なくなると騒いでいるからである、すると国内で食糧を供給することは大事な優先的な仕事になり収入をも増えるかもしれないのだ
時代が変わり価値ないものが今度は価値があるようになる、原発は確かに金の生る木だったがそのマイナス面が事故で露骨に現れたのである

ここより地元の人が買っている、JA旬の広場が安い、花でも半分くらいの値段である
花は高いからである、ここは地元の人が行く場所である
でもかえってこういう場所が安いのである、別に品物が悪いわけでないのである
こういう場所の方が日常的に地元の人が利用していてかえっていいのである
旅すると観光用の店に入ると高くて損するとなる、でもこういう場所は地元でしかわからないことがある

地震の被害は松川浦でも家全体壊れたのは一軒くらいでありそんなに目立つものはなかった、ただ屋根はそれなりに壊れていた、津波の被害からすれば比べようがないとなる
だからこうした記事でも出せる
相馬市内で大きな石の蔵を直していた、石の蔵は地震には弱かった、でも結構石の蔵があると見た、全体的に見ればあれだけの大地震でもそんなに被害があるとは見えない
津波の被害が一番恐ろしいのである

母親が子供抱くのを見て帰る、地震はあったが全体的には平和である
ただ家の内部はそれなりに壊れている、私の家の場合、階段が壊れたので危険になっている、なかなか被害全容はわかりにくい、それなりに被害はあった
でもあれだけの地震であっても全壊した家は見なかったのである
地震だけの被害だったらそれほどではないと見たのであく

春の日に横手から松川浦へ (喫茶店は場所がいいと価値がある)


春の日に横手から松川浦へ

(喫茶店は場所がいいと価値がある)

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まだ白鳥がいた、今年は寒いからなのか?(宇多川の河口)

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グランパ
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偶然こんなふうにとれたのも不思議
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これは大きな石の倉庫である、石の蔵は結構被害があった



(横手)

春なれも御堂廃れて木の根っこ

春の日や円墳いくつか横手かな

(松川浦)

春の山丘の上なる喫茶店

若妻と子とにぎわいぬ春の草

白鳥なお残りいて春日さす

松川浦水面光りて初燕

松川浦春の鴎や喫茶店

春の夕母の子を抱き眠るかな


犬ふぐり御堂の前に咲き満つも参る人なく廃れけるかな

春なれも横手の御堂廃れたり地蔵倒れて直す人なし


横手から松川浦の方に行った、横手は円墳が五つくらいある、これは電車からも見える
そして南相馬市の鹿島区は古墳の町として知られている、それだけ古墳が多いからだ
ただ桜井古墳のような大きなものはない、
今回はその円墳の後ろに御堂がありそこは廃れていて誰もお参りしない
地蔵とかも倒れていたし直す人もいない、その隣の家は空家になっていた
何か空家が目立つのである
この御堂は誰も参る人がないから廃れた、でも江戸時代からありここに人がお参りしていたときは活きていた、その暮らしが消失したのである
これは別に原発事故とは関係していない、その前から廃れていたのである
こうして暮らしがなくなると御堂でも神様で死んでしまうのである

そういうことは原発事故の避難区域が空家だらけとなって多い
そうでなくても空家が増えて限界集落がふえて昔あった暮らしが失われ神社でも御堂でも廃れるのである、何があそこに祀られているかもわからない、やはり時代によって失われものがありそれはもう回復しないのである、なぜならそうした暮らしがなくなったからである、村があるとしてもそういうものもここではなくなっている
ただ古墳があるのだから古代から長くここに人が住んでいたのである

次に相馬市の道の駅から近い小高い丘にあるカフェDOMANI【ドマーニ】でランチを食べたここは二回しか行っていない、ここは場所がいいのである
前は畑であり春の山が見えた、畑には春の草が見えた
メルヘンチックに作った喫茶店である、あれは結構金がかかった感じがする
子供と若い人に向きに作っているとしても結構年配の人も入っている

今春休みだから母と子どもと一緒に来た人がいた
そこでちょっと話した、ソロバン習って何の役にもたたないと言ったらその母親もソロバン習ったという、でも二十代でソロバン習っていたのか?
もうソロバンを習う塾はなくなっているのではないか、ともかくせっかく子供の時習ったものでも何の役にもたたないのには本当に損だと思った
どうしても時代が変わるとそうなることがある、先を見据えて勉強しないと何の役にもたたず大損だったとなる

それから松川浦に行き新しいレストラン兼喫茶店に入った
そこは前が松川浦に接して景色がいい、でもそこは喫茶店ではない、レストランであり食事する場所である、だから中はうるさくみんなで食事していた
喫茶店はやはり食事するだけではない、くつろぐ空間の演出が必要である
でも今はもう喫茶店だけではやれないから相当に減ったのである
私は喫茶店が好きである、休み物思いにふけったりしていたからだ
喫茶店は場所が影響する、あそこは薔薇の花を飾って有名である
でも前が畑で山脈が見える、場所としてはいい、磯部にも新しい喫茶店ができたが海も見えないし入る気がしないのである
初燕を見た、二羽くらい見た、これはどこで見るかで印象が変わる、初燕はまさに本格的な春の到来を告げるものである

やはり眺めがいいというときそれで価値が生まれる、気分よくなるからだ
この辺で喫茶店でいいのは中村珈琲店では藤の花が咲き見物である
後は鹿島区の海老村の隠れた所にある納屋を改造した喫茶店もいい
でもここは二回くらい行ってあとは行っていない、まだやっているのかどうかもわからない、ここは予約制であったから簡単には入れなかったのである
あとは鹿狼(がろう)山のふもとの喫茶店は海を望むから気持ちいい場所である
ただそこは自転車で行くのには遠いから簡単には行けない

それから松川浦の新しくできたグランンパは眺めがいい、じき前が松川浦である
春の光りに水面が反射していた、鴎が飛んできた、鴨も泳いでいた
ここは眺めとしては一倍いい、でもここは喫茶店ではない、食事する場所なのである
だからいろいろな料理を出している、喫茶店としてくつろぐには向いていないとはなる

それから浜の駅松川浦によった、これは震災以後できたのものである
ただあまり買うものがなかった、魚とかでも種類とか少ないし買い物で得するというものも見えない、ここは観光客用なのだろう、観光客用は意外と高くてもいいものがないことがある
そもそも漁業というのは衰退産業であり跡継ぎいないとかなっていた
だから実際原発事故でわかったように東電からの補償金で事故前もそっちのほうが収入が大きかったのである、漁協組合はそれだけ補償が大きかった、そのことは追求して来た
ただそうなったのも結局農業とか漁業が衰退産業になっていたからである
そこで東電の原発に頼っていたとなる
でもこれから食料危機が言われているから地元の農業でも漁業でも食料を供給する仕事は大事にされるようになるかもしれない、海外からも食糧か入って来なくなると騒いでいるからである、すると国内で食糧を供給することは大事な優先的な仕事になり収入をも増えるかもしれないのだ
時代が変わり価値ないものが今度は価値があるようになる、原発は確かに金の生る木だったがそのマイナス面が事故で露骨に現れたのである

ここより地元の人が買っている、JA旬の広場が安い、花でも半分くらいの値段である
花は高いからである、ここは地元の人が行く場所である
でもかえってこういう場所が安いのである、別に品物が悪いわけでないのである
こういう場所の方が日常的に地元の人が利用していてかえっていいのである
旅すると観光用の店に入ると高くて損するとなる、でもこういう場所は地元でしかわからないことがある

地震の被害は松川浦でも家全体壊れたのは一軒くらいでありそんなに目立つものはなかった、ただ屋根はそれなりに壊れていた、津波の被害からすれば比べようがないとなる
だからこうした記事でも出せる
相馬市内で大きな石の蔵を直していた、石の蔵は地震には弱かった、でも結構石の蔵があると見た、全体的に見ればあれだけの大地震でもそんなに被害があるとは見えない
津波の被害が一番恐ろしいのである

母親が子供抱くのを見て帰る、地震はあったが全体的には平和である
ただ家の内部はそれなりに壊れている、私の家の場合、階段が壊れたので危険になっている、なかなか被害全容はわかりにくい、それなりに被害はあった
でもあれだけの地震であっても全壊した家は見なかったのである
地震だけの被害だったらそれほどではないと見たのであく

2022年03月23日

地震から今日昨日は厳しい寒の戻り (激しい変化の春)


地震から今日昨日は厳しい寒の戻り

(激しい変化の春)

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これも不思議な現象だった、自分の家を象徴していた
父親の遺影は額縁も壊れて落ちた
死んでから50年以上過ぎている、姉の遺影は落ちず母の遺影は下に落ちたのである
ダルマは落ちなかったのは本当に不思議である
何か自然災害でも不思議なことが起きる、このことは自分の家を象徴していたのである




近寄りて紅梅匂ふ今日も来ぬ

山鳩の今日も来たりて梅匂ふ

満月や梅の盛りに匂うかな

大地震の朝明けて聞く初音かな

寒戻る大地厳しく凍てりつく

枯枝に雨滴凍るを朝に見ゆ


山鳩の今日も来たりて紛々と盛りと尽きず梅匂ふ

なお揺れむ地震(ない)恐ろしもこの土地を離れられざり梅の匂いぬ

姉と母我に尽くして死ににしを忘ることなし供養するかな


大地震から昨日は真冬になり凍てりついた、春だなと見ていたら昨日は真冬の一番の寒さの感じだった、朝は雪景色になった、その雪も凍てりついていた
この変化は激しかった
地震の被害もあったからこういうときは風流もなくなる
でも春は春である、地震の前は満月だったし梅が盛りと匂っている
ただとても自然を楽しむとかならない、恐怖にふるえてはそんな余裕がないとなる
また地震で壊れた所も直していない、でも屋根瓦が破壊されなかったのは良かった
新し家でも今日見たら結構壊れている
場所により地震の影響は違ってくる、それでも電気水道は元にもどったから良かった

人間はこんなに地震があったり津波があったりと災難がつづくと地震とか津浪のない所に住みたいとなる、でも簡単に離れることができないのである
今回の地震で姉と母の遺影を飾っていたが母の遺影が落ちて汚れていた
でも姉の遺影は落ちなかったしダルマも落ちなかった不思議がある
父の遺影は高い所にあったから落ちた
これも不思議だと思った、自分の家では姉が主役であり父親のようになっていた
母は脇役になっていたのである、だから母の遺影は落ちて汚れていたとなる
ただ私は60歳まで二人に尽くされたから忘れられないのである
それで供養しているのである

家族にはいろいろありみんな違っている、複雑なものがあり他者からわかりにくいのである、ただこうして自分が自由に生きられたのは姉と母がいたからである
そして今は一人になり家を継いで守っているとなる
それぞれの家には歴史がありやはり家とか土地と一体化するのである
ここでは一回は家が水没するくらいの被害にあった
それで二階が必要だと新しく建てた、でもまた堤防が決壊して床上浸水になった
ここが一番街で一番低い土地だからである
でも父親が苦労してこの土地を買い家を建てたという歴史がある
家には必ずそれぞれに歴史がある、その歴史を知ればここも貴重だとなる
でもここの土地は価値がない、低いから水が下水から家の中に入ってきたことが最近あったしこれからもあるからだ
意外とこの土地の歴史は分らないで家を建てたりすることがある注意である

いづれにしろ空間軸と時間軸でなんでもある、でも時間軸のことがわかりにくいのであるウクライナやロシアを理解するにしても空間軸だとなんとなくわかるが時間軸となるとれき死となると簡単にわからないから誤解するのである
そもそも地元にしても狭い範囲でも時間軸で理解することがむずかしいからである

まずロシアとか中国でも満州とかなると相当に寒い、凍てりつく大地である
だからそういう広い土地に住んでいる人の気持ちもわかりにくいのである
ロシア人は忍耐強いというとき寒い地域だと日本でも東北でもそうなる
でもロシアとかの寒さはこことは比べようがないのである
ただ黒海沿岸は比較的あたたかいというときクリミア半島はロシア人が別荘にしているというときそこはあたたかいからである
ロシア人の別荘は地中海沿岸でも暖かいから金持ちは持っているとなる
またシベリア地方に移住させられたのはクリミア人だというのもそうだったのかとなる
シベリアとかなると誰も住みたくないとなる
ロシアでも中国でもアメリカでもそれが広いから日本人感覚で理解できないのである



2022年03月14日

春の朝、万寿菊(春の虹の写真を今日の朝撮った)


春の朝、万寿菊(春の虹の写真を今日の朝撮った)

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山鳩の鳴きて目覚むや春の朝

春の日に国見山見ゆ鹿島より

山の方朝日のさして春の虹

春の虹切れ端残る街の上

石二つ庭に動かず万寿菊


葉牡丹の一冬耐えて桜草我がそえ置きて春の日さしぬ

三輪の万寿菊さく我が家になお姉母とここに生くべし

今日も見ゆ汚れなき花我が部屋に心に映り安らかなるべし




朝は自転車で外に必ず出る、天候を見るためである、これまでは白鳥を見ていたが白鳥は去った、今日は山の方に虹がかかっていた
これはめずらしい、この辺では夕方に海の方に虹がかかるのが多い
天候的にそうなる、山にかかるのはめずらしいのである
虹は最近ずっと見ていなかった、春の虹はあまり見れない、それで気持ち良かった
その虹は長くかかっていて街の上に切れ端として残っていた

やはり街というとき一つの共同体としてある、イオンとか大きなスーパーが街ではない
人工的なものでありそこに虹がかかっても映えない
ただ本当に街は寂れてしまったのである、街は本当は新しく作らないと再生しないと思う今までの街では店すらなくなっているから街になっていないのであく

万寿菊というとき名前がいいし合っている、何か長く咲いていてその色がいいのである
それで死んだが姉と母がなおほのぼのとしてここにいる感じになる
死者もやはり家には生き続けているのである

葉牡丹に桜草を買ってそえた、葉牡丹は氷りつく手水鉢の脇に一冬耐えた、そこに桜草を置いて華やいだ、春の日がさして心地よいとなる

2022年03月11日

震災原発事故で失われた時間軸の歴史 (震災から11年後で忘れられてゆく)


震災原発事故で失われた時間軸の歴史

(震災から11年後で忘れられてゆく)

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震災から11年も過ぎるとあれだけの惨事でも忘れられてゆく、地元でも避難区域ではない所は関心が相当に薄れてゆく、でも避難区域になった所は依然として元のように回復しないからその場に住んでいれば震災のことが忘れられない
ただ移住した人々はどうしても疎遠になり忘れられてゆく、人間は過去はどうしてもないがしろにされ今に何でも関心が向く、次々にコロナウィルスとか今度はウクライナにロシアの侵攻とか北方四島でロシアがミサイルを発射したとかなると今はそれが恐怖になる
ともかく私の個人的なことでも家族が認知症になったとか次々に恐怖を経験した
原発事故ではウクライナの原発が攻撃されたとかプーチンが核を使うとか恐怖になった
家族の認知症からはじまり恐怖の連続だったのである
だからこれは何なのだろうとなった、世界最終戦争も言われた
こんなに災難がつづくことが何なのだろうとなる、末世であり世界終末現象なのかと恐怖する

原発事故で失われたものは何なのか?

世界が空間軸と時間軸で形成されている時、時間軸で積み上げられて作られたものが失われた、人間は何か事が起きる時必ず空間軸と時間軸で起きる
それでtake place(起きる)であり場所が関係している
でも時間軸でも事が起きることを見なければならない
ウクライナでもあの辺は歴史をたどれば複雑であり国が消長を繰り返していた
今の国は領土でも同じ領土ではない、広がったり狭くなったりしている
歴史的興亡があり国土でも同じ国土ではない、それは日本とは違った歴史だからである
この時間軸で見るのがむずかしのだ
ウクライナでもロシアが攻め込んできたのはすでにシリアにありそこが発端となって連続していたのである、こうした事件でも突如過去と関係なく起きていないのである
ただ外部の人は常に時間軸で見ていないから理解できなくなるのである

ともかく何か原発事故で失われたのか?それは時間軸で積み上げてきたものである
時間軸というときわかりやすいのは親が残したものである
さらに祖父母が残したものでありさらに時間をさかのぼると先祖が残したものだとなる

例えば土地土地には必ず歴史がある、一つの区域でも歴史がある
それで最近近くに移り住んだ人に自分の家のことを語った

「私の家は街で一番低い場所にあるんです、それで伊勢湾台風とかで家が流されるくらいの水が押し寄せて大変な目にあったんです
二回も床上浸水にあったんです、ここは低いから土地の価値はないんです
この前も下水から水があふれて家の中に入って来たんです」

「それなら知っています、見てましたから」

それから私の父は葛尾村で生まれ双葉町の新山で酒屋の丁稚をしていた
そこから暖簾分けしてここに来た、酒屋でありそこでこの土地を買ったのである
ということはこの土地は街で一番低いにしても苦労して買った土地なのである
そういう歴史をがあり意識する、それは何でも個々人の家でも歴史があり
国でもそうである、歴史がありその歴史が語られる
ただこの歴史は忘れられやすい、百年前の津浪の大被害でも忘れられるからである
人間は実際にな生々しく感じられる過去は祖父までである
でも歴史は実際は延々とつづいている、日本だと先祖は山に入って神になるというときそうである、それは時間軸で見る世界観なのである
代々つづく家はこの辺だと野馬追いにでる家は古いとなる
南北朝時代からの歴史がこの辺にある、只野の姓はこの町に多い、それは霊山に南朝の城がありそれが炎上して滅ぼされて逃れてきた人達の末裔だったのであるつ
それで野馬追の旗には菊の紋がある、それは南朝の紋だったのである

その人は最近来たからこの土地のことがわからないのである、つまり空間を移動してきたが時間軸のことはわからないのである、人間は空間は簡単に移動できる
でも時間軸で起きていることは簡単に理解できないのである
確かに空間軸としてこの場所があり時間軸で災害の歴史がある
ただ時間軸となるとなかなかわかりにくいのである
それで外国に行っても時間軸で作られたこと起きたことは理解することは容易ではないのである、二千年前の歴史を理解することは本当にむずかしくなる

そもそも身近でも時間軸で理解することはむずかしいし近くでも気づかないのである
何か南三陸なのか百年前にあった津波のことを記した石碑があったが流された
でもその石碑のことを知らない人が多かったという、石碑にしていても百年前でも忘れ去られていたのである、それが津波で流されたので元にもどした
そのことは相馬藩内でも相馬藩政記に二行だけ津波のことが記されていた
生波(いくなみ)で700人溺死と記されていた、それは400年前のことである
戦国時代のことでもあった、それも忘れ去られていたのだ、学者すら津波が起って発見したのである、だからこの辺では津波が来ないとなっていたのである
百年前でも忘れられるのだから400年となればもう誰も注意するものもいなくなっていた
でも私は郷土史とか興味があるからもしそいいう碑があれば注目していたかもしれない
やはり碑のある場所があり時間軸としてもある、そういう記念碑なのである
それで碑として残すことに意義がある
つまり碑をいつも見ていれば忘れないとなるからだ

原発事故などで失われたものはこうした時間軸で形成された歴史である
もしこの土地を離れて別な土地に移住した人達は土地と時間軸で形成された歴史が失われる、それを語るにもそういう土地も家もない、みんな新しく始まるのだから語りようがないとなる、ただ津波や原発事故のことは語られる、ただ家とか町とか村の歴史は失われる代々築いた歴史は失われる、例え三代くらいでもやはり歴史となるからである
その損失は自覚されにくいが大きいものともなる
老人にとって一番大事なものは何かとなると、思い出なのである
思い出も空間軸と時間軸で作られる、この時間軸で作られたものは空間のように具体的に感じない、それは物として残るものではなく心に刻まれたものだからである

人間は愛情にしても何でも時間がないと生れにくい、全然知らない男女でも見合い結婚でも長く暮らしている内に家族となるというのもそうである
家族でも本当の家族になるには時間が必要になる、家族とは長い時間で育まれたものである、子供の時から一緒に暮らすことで家族になるのである
だからいくら血縁でも私は母親だと言っても一緒に暮らさないとそう思えないのである
他人でも一緒に長い間暮らしいると家族になるのである

いづれにしろ津波とかでは延々とつづいてきた歴史が断絶した、別に空間は土地がなくなった訳ではないが人間が継続した生活の歴史が断絶したとなる
移住した人たちは一から新しく歴史を作るとういことになる
人間はどうしても一代では何か成すことがてきない、豊かにもなれない、必ず代々の積み重ねがあって豊かになる、何か自分の場合は明治生まれの父親でも貧乏であり大正生れの母親も貧乏である、それはみんなその時代は貧乏だったのである
そうしして家族に不幸があり何か私の家族は私のためにすべてあったとも思うようになった
兄がいたとしても交通事故で死に不幸だった、それは自分の家の事情でもそうなった
そうして最後に残ったのが自分一人だったのである、自分一人が墓参りをして供養しているとなる

ただ親とかなるとそれは子供の血肉ともなる、自分自身を作りあげてきたのが親であり
先祖だと自覚する、自分の場合は特別恵まれたからそう意識する
長男長女はその家を受け継ぐものであり大事にされる、その代り責任も押し付けられる
そこで家族が認知症になり死ぬ思いして介護したとなる
長男長女は家のカルマをいい面も悪い面も受け継ぐのである
だから財産でも兄弟姉妹で等分するというのはかえって不公平にもなる
なぜなら家を継ぐのは長男であり長男は責任を課せられているからだ
それは人間の長い歴史でそうだったのである、兄弟で平等だというのはかえって不公平にもなっていたのである、財産だけはもらうが親の介護するのは世話するのは長男にまかせるともなったりするからである

とにかく震災から11年過ぎるとやはり忘れられてゆく、もう外部では関心がなくなる
では復興したのかとなると避難区域はしていない、空地だらけ空家だらけなのである
子どもたちはもう帰ってこない、生活が別になり帰ってこないのである
取り残されたのは老人だとなる、それも親とか祖父母とかのカルマでそうなったのかともみる、原発の危険性を無視して金を求めるだけだったからである
それがカルマとなって責任となってとらされたのである
すべてではていにしろ必ず人間はカルマが作りその責任をとらされるのである

2022年03月05日

葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ー牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)にした)


葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)

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小林天華

玄関に春の日してやわらぎぬ

村の道蝋梅二本なごむかな

春の星並びて三つきらめきぬ


我が家に手伝う女や紫の葉牡丹静か色を深かめぬ

紫の葉牡丹静か色深め我が元にそ一冬咲きぬ

我が家の広き間にしも赤き百合匂い放ちてその香の充ちぬ

今日も見る壺に挿す花その色の心に深く映しけるかな



森の奥人目に触れずこぶし咲く石は黙してその花宿す

森の奥誰かひそけく去りにしを人目にふれずこぶし咲き暮る



俳句と短歌を並行して出してきたがどうしても俳句は表現に限界を感じる
短すぎるのである、でも短歌はそれなりに深いものができる
それはやはりただ長いということにある、その長さで表現の幅ができている

俳句は写生で作って来たが蝋梅が二本咲いているとか星が三つとか何々が十輪だとか
数を表現する、だから鶏頭の十四五本のありぬべし・・という子規の俳句が問題になったのである、数によって感じ方が違ってくるからである
蝋梅が二本咲いているのと一本では違っている、二本咲いていたのはめずらしいとなる

葉牡丹は冬にふさわしい、家に来る女性は葉牡丹だともなる、何か見映えがしない
苦労して他の女性よりふけてしまったのである、ただ手伝いさんとかではない
実際はほとんどなにもしないからである、一人でいるのもまずいからつきあっているともなる

花でわかったのは花を心に映すには時間がかかる、フラワーアレンジメントでも一週間以上毎日見ていると心に映ってくる、色を深めるという感覚になる
葉牡丹の紫は何かほのぼのとしてにじみでるものがある
人間は空間軸と時間軸で常に構成される、何かを見るにも必ず時間が必要なのである
花でも家の中で長く見ていれば心に深く映じてくるのである

こぶしの花は丸森の森の奥の方に咲いていた、ここは人がほとんど通らない森の道である丸森は森が深いのである、飯館村もそうだが丸森は江戸時代から木材が豊富で相馬藩と伊達藩と米沢藩で争っていた、それだけ森が深いから木材があった
でも最近は山全体がソーラーパネルになったりしているので森が映えないということはある、とにかく科学技術はどうしても自然と相いれないものがあり景観を壊すのである



自分のペンネームを俳号を天華にした、花をテーマにすることが多いからこれがいいと思った、老鶯はやめた、私は天の国に行き花園にいる、花を見て過ごすのである

2022年02月27日

相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅


相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅

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相馬藩六万石や冬椿

城下町石橋わたる冬椿

城下町松は忠義や冬椿

冬の灯や職人の仕事城下町

薬師堂紅梅匂ふ町場橋


日立木の薬師堂に紅梅が咲いていた、今年は寒いから早いとも見た
第一相馬市まで自転車で行けなかった、昨日は春の陽気になり行った
城下町というときそこに歴史があり何かしら感じるものがある
相馬市は原町のように新市街が形成されないから城下町のままの町割りになっている
そこでいつも感じたことは冬椿が似合っているなと見ていた
石橋があるのは小泉川の塩地蔵のある所である

日立木の町場橋とか町場川がなぜ名付けられたのかわからない

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。

歴史的に日本の住宅は、伝統的木造軸組工法により大工や左官、とび工など地域に住む職人により建築されてきた。大工#町大工を参照

日立木を行く
http://musubu.sblo.jp/article/187242550.html

9世紀初頭の丸森町の「町場替」は、過去の水害に対応した空間編成によって
町場が形成され、現在の丸森町の「原型」をつく

丸森町に城下町が川の側にあった、そこに町人の町屋があった、
下級武士とか足軽町とかがあり居住地が分かれていた
その後新町場が生まれたのが今の斎理屋敷のある通りである

(19世紀初頭丸森町の「町場替」と歴史的空間の変遷
https://irides.tohoku.ac.jp/media/files/disaster/typhoon/marumori_machiba_19thcentury_ver1_5.pdf

では新地の町場橋はそこに居住していたのが大工とかの建築関係の人達いてそうなったのか?
それとも宿場と宿場の間の距離にあり町場となったのか?
相馬市の城下町からそれほど離れていない、だから城の延長地域として町場があったのかとなる、宿場町にしては近すぎるからである、ここで泊まる必要などないからである
鹿島町でも宿場町とはならなかった、原町になると宿場町になった
相馬市から20数キロあったからだ
日立木の町場とはやはり大工町とかあるようにそういう職人たちが住んでいたのかもしれない、ここに薬師堂がありそこの碑を見れば相当に古い、ただ町場橋は江戸時代に名付けられたものだろう

ともかく城下町の雰囲気があるとてしも外部から来る人には感じないともなる
城にしても石垣だけだし何かここに城があったのかともみるからだ
でも何か雰囲気として歴史がある所にはある

金沢の松曲がり古り十月桜

金沢の兼六園がそうである、金沢となると百万石だから歴史を感じるものがある
城があるところには一応城下町であり歴史を感じる

春や昔 十五万石の 城下かな 正岡子規

これは松山藩のことであり明治28年の作である、この時代はまだ江戸時代の雰囲気が残っていた、正岡子規が侍の出であったしまだ遠い時代のことでなかったからだ
ここで明らかに十五万というのが活きている、それなりの規模だからである
相馬六万石とは違うからである、何か城というとき何万石とかでその規模が計れる
だから会津藩三十万石・・・とかなりその下にそれにふさわしいものを入れるといい
これが自分にはできなかった、やはりそこに住んでいないとぴったりしたものが作れないともなる、六万石となる冬椿があっていたともなる
私は正岡子規の写生俳句を習って俳句を作りはじめた
この写生俳句はあまり才能を必要としないのである
見たままを写真のようにして作るからである

薬師堂紅梅匂ふ町場橋・・・これも全く写生なのである、そのままであり何かイメージして装飾するものもないからである、でもその場のことを如実に語っているのである
何か葉牡丹でも俳句にしたが十輪とか数字にこだわるのも写生だからである

今日はあたたかったが急にまた北風が唸りふき寒くなった、春は名のみの・・とかなる
やはり今年はまだ寒くなる、自転車は風とか寒さには弱い、昨日も風は吹いていた
でも行って良かったとなる

2022年02月24日

冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)


冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)

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山々のさえぎり隔て冬深む

みちのくの大地に根ざし冬深む

みちのくの人や寡黙に冬深む

沈黙に通じ合わなむ冬深む

沈黙し徒言聞かず冬深む

石一つ境に変わらず冬深む

昼の月何事もなく山眠る

冬の山聳え厳しく朝仰ぐ

大いなる山に忘却雪積もる

沈黙の行をつづけむ冬深む

家古りて囲炉裏を囲み冬深む

風唸り軒に干し柿冬深む

ノスリ一羽寒さ身にしむ止まる枝

山は雪ノスリ一羽や冬芒




昔の生活を偲ぶことはただイメージするだけならそれが理想化されるのである
昔は良かったなというときそれは過ぎ去ったからいいものに見える
でも実際の生活となると過酷だった、綿の布団が戦国時代辺りからできてきた
その前は麻のようなものをかぶって寝ていた、それは綿の布団ではないから痛くなっていたという、人間はいかに贅沢になったか、それを歴史を調べればわかる
ただ実感するのは相当にむずかしい、意外と綿の普及は遅かったのである

しらぬい 筑紫の綿は身に付けていまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
         巻3−336 沙彌満誓(さみ まんぜい)
         
奈良時代にも綿があった、でも日本で使われたのは室町時代からだったとある

敷島の やまとにあらぬ 唐人の 植ゑてし綿の 種は絶えにき 」
       衣笠内大臣家長(1193−1264)

綿の再栽培は文禄の役(1592〜1598)のおり朝鮮から綿種を
持ち帰ったのちで室町末期以降盛んになりました。
種は絶えにきというとき日本で栽培するのに失敗していたとなる
戦国時代になり普及したのである

例えば今普通に使っているものでも醤油とかが普及したのは江戸時代である
味噌はすげに戦国時代に普及している、でも相当に貴重なものだった
醤油は明治になってから普及したら簡単に使えるものでもなかった
それで何もオカズがないときは醤油御飯にしていたのである
醤油をかけると何でもうまいとなっていたのである
こういう歴史をふりかえると今はふんだんに使っているのも貴重だったことを知る

今年は今日も寒い、北風ヒューヒューと外で吹いている、この辺はそんなに寒くないのに今年は寒い、すると寒さの生活を昔の生活を偲ぶとなる
囲炉裏は戦後十年くらい街の中の家でもあった、自分の家にもあった
それをふりかえるとそんな時代があったのかと不思議になる
別に子供の時それで嫌だとか不満もなかった、子供の時は多少貧乏でも餓えるようなことがないなら親の愛情があれば不満もなかったのかもしれない
だから私は一人っ子で大事にされたから不満がなかった
ただ現実に私の母親は子供の時継母に育てられたから悲惨だったのである
また兄も連れ子であり自分の家にいたのは5年間くらいであり大事にされなかったのである、それで死んだけど今も墓を建てて墓参りしている
子供の時冷たくされるのは相当に辛いだろう、ただそのために親二人の介護で死ぬほどの苦しみを味わったのが自分だったのである
人間は何でもいいようにはならない、いいと思うことは必ず反転して悪くなるのである

冬深むというとき今頃はもう春になるが今日はまだ真冬である
だから冬なのである、後二日くらいで天気予報では春らしくなる
冬深むという季語がまだ今でもあっている、みちのくと言っても広いから果たしてそれで一体感を感じるのかとなる、青森辺りは雪に覆われているし全然違った環境である
会津でも雪に埋もれている、だからみちのくという大きい範囲で一くくりにはできない
ただみちのくという感覚は一応共有するものがある
沖縄に行った時あなたは東北人ですねと見ただけてそう言われた
やはり東北人には一目見てもわかるものがあるのかもしれない、それは本当に一目見ただけでそ言われたからである、しゃべりもしないのにそう言われたのである
そういう雰囲気があったからだとなる
何か東北人は寡黙な内気な性格が多いからかもしれない、自分はそもそも内気であり性格的なものが陰だからまた余計にそう見えたのかとなる
確かなことは東北人の気質と関西人の気質は陰と陽のように違っている
これは確かである、でも個々人をみればやはり陽の人と陰の人がいるから一般化はできない

宗教となると修行するということがある、欲をつつしみ口をつつしみ心身を浄めることがある、でもカルト教団とか他の宗教団体でもそういうことをしない、ただ集団で示威行動して欲をつつしめなど言わない、修行もしない、御利益を求めて欲をかえってもてとも
指導しているのだから異常である
何か多少とも欲をつつしめということがあってもいいがそういうことは一切ないのであるだからそれが宗教として認められるのかともなる、ただ宗教を利用して実際は御利益を求めるだけだからである、つまり宗教の初歩的なものもない、ただあくことなく欲望を求める世間と何ら変わりないのである、それで税金を免除されているのもおかしいのである

みちのくとはともかくそれなりその土地の歴史と性格がありアイディンティティが形成されたとはなる、でもみちのくは東北は一つにくくれない、東北でも広いし多様だからである、ただみちのく的なものはある、それは何なのか?その土地と歴史から生まれたとはなる、それは芭蕉の奥の細道でみちのくという感覚が一般化したとなる
でも芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだから狭いのである、その先が実際は広くありそれもみちのくとして延長して見られるようになったのである
ただ何らかみちのくのアイディンティティはあるとはなる
みちのくは繁華な都会とかではなく枯野があっている、その枯野で都会から離れて心をいやす場所だともなる、つまりみちのくは心を癒すホスピタルの場所にふさわしいとなる
喧噪の都会を離れて心を休める癒すにはいい場所だとなる

語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな  芭蕉

いろいろ苦労があったことでしょうがここで心も体も癒してくださいということである
ともかく東北に多いのが湯殿の碑なのである、それは農家の人が冬に湯治に行ったことでそうなっていた、那須辺りからも来ていた、やはり温泉は体にいいとなる
そして農家の人達がそこで仲間と一緒にくつろぐとなる、なぜなら昔の村だったら家族のようもなっいていたからである、そういうのは時代の雰囲気として芭蕉も感じていたのである、今はそんなことはない、みんな農民ではないし会社員だからである
でも一時会社員でも高度成長時代は団体旅行で温泉でにぎわったのである
でもその温泉街が廃墟化しているのは驚いた

枯草や温泉街の夢の跡

こんか感じになるのも時代である、ただこの湯殿信仰には何かみちのく的なものが感じられたのである

ノスリが一羽枯れ枝に止まっている、河の岸であり朝であり山脈は雪が残っている
まだ冷たい風が吹いている、冬芒というのが風景としてあっている












2022年02月22日

白鳥の詩、石の庭、寒椿 (真野川の白鳥の写真)


白鳥の詩、石の庭、寒椿

(真野川の白鳥の写真)

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石組みの庭の堅固に寒椿

石の庭堅固に組まれ朝に雪

石の庭組まれて堅固冬の暮


白鳥の群れて飛び立つ昨日の雪山脈に残り朝に映えにき




蔵王と白鳥

蔵王は雪に真白く閉ざされて
かなたにその威容や重しも
飄々と風唸り雪に埋もれぬ
その姿の厳しく汚れを拒絶する
白鳥の群れ喜々として朝に飛び立つ
その清しさよ心打つかな
その鳴き声は寒空にひびきわたり
二月になお寒しもなおしばしあり
やがてまもなくシベリアの地へ去る
白鳥は大空を翔け去りぬれ
寒さの中にこそ白鳥の純白は映えぬ
神の創りしものの純美こそ誉でよ
その技の巧みにして奇跡なりしも
去りにしあとにただその美麗な姿を見る
ただ神の成さむとせしイデアを見るなり




朝に毎日外に出て白鳥をみる、朝と夕べに白鳥は飛びやすい、今日は晴れて白鳥の群れが山脈の方に富んだ、山脈は雪が残り映える、背景が良くないと映えない
近くには火力発電所の煙突の煙が見えるのと今工事しているから写真たとまずい
でも白鳥でも飛ぶもの動くものは定点観測しないといいものがとれない

それで八沢浦からは蔵王が大きく見えるので写真をとるにはいい、でもなかなか白鳥を飛んでいるのを撮るのはむずかしい、写真は動くものを撮るのがむずかしい
今日は意外ときれいにとれていた、白鳥はやはり寒い時が一段と美しいのである
そして回りの環境が景色に映えるとさらに美しいとなる
ただ写真でもどうしても定点観測しなといいものがとれない
別に白鳥はどこでもみれる、だから北海道辺りだとさらに映える

蔵王は実際冬にも行ったしそこはいつも雪が降っている、雪に埋もれている感じになる
蔵王に映えて白鳥が映えて群れて飛ぶときさらに美しくなる
ここでは高い山がないから蔵王が見えることは貴重である
ただ蔵王は原町区からは見えないのである

そして神が示そうとしたのは何か?それは神が創造したイデアなのである
白鳥をイメージして作ったイデアなのである、だから白鳥が去ってもそのイデアは残る
イメージとしてイデアが浮かんでくるのである

近くの空家の石組の庭はいい、空家が多いが家自体には今はあまり価値がない
ただ家と言う時、そこに長年住んだ人は愛着がある、何か家族がみんな死んだけど
依然として家族がいる感じになる、いつも待っている感じになるから不思議なのである
私は石に興味がありだから庭に興味がある、庭だと余計に毎日身近だから一体化しやすいのである
それであそこの空家の庭は立派である、だからあの庭には価値がある
家には価値がないのである、あの庭だけを記念に残すといいとかなる
つまり空家が増えすぎたけど何か活かす方法があるともなる

2022年02月21日

安曇氏が大和の建国に深くかかわっていた (安曇氏と物部氏は一体ー綿津見神社が原町区に多いのはなぜ)


安曇氏が大和の建国に深くかかわっていた

(安曇氏と物部氏は一体ー綿津見神社が原町区に多いのはなぜ)

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松川浦の原釜にも龍神社がありこれも安曇系の海人の神社である
原町区だと山の奥の高倉に綿津見神社がある
ヤマトタケルの東征神話の竹湊とはたかみなとかもしれない
なぜなら多珂神社神社が高倉に綿津見神社がありここが上陸地点だった
それは安曇系の海人族が入ってきたことが下敷きとなって作られていたのだ
日本の神話は海人族が作ったものである
だから海の匂いに満ちている、それで倭人とは安曇系の海人族だった
また南相馬市の鹿島区の真野古墳群の寺内から発見された船の線刻画は十人くらい乗れる船だとしたら大きいのである、これは東北で初めて発見されたのである
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大原の綿津見神社がここにあった


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ある神社から分霊をして他の地に祀る事を「勧請(かんじょう)」といい、この勧請によって神社が増加していく。

明治初期、約200人に対して一社の神社
こうして全国に創建された神社の数は、明治時代初期で20万社とも云われる。
明治時代初期の日本の人口は約3500万人だったので、およそ200人に対して一社の神社があった事になる。

氏神(うじがみ)って何?
元々の氏神は、「氏」の神と書くように、その地域に住む豪族が祖神または守護神として祀っていた神のことを指します。




■「物部氏族」の出自は極めて難解で、その一族諸氏(阿刀連、津門首、物部依羅連など)の分布・性格、奉斎神(石上神宮を和邇氏族の物部首〔のちに布留宿禰姓〕と共に奉斎)や祖神の所伝(山代国造と共通の祖神を有する)から検討したが、遠祖の「天目一箇命」・「少彦名神」兄弟の母は、「海神族綿積豊玉彦命」の姉妹、「豊玉媛」(高比売)であり、

https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/d4761b6042228547370f9e65cfbe84ae

倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。その遠祖・椎根津彦は綿積豊玉彦命の曾孫とされ、一族は神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる海人族の一族。後裔に久比岐国造や青海氏、明石国造、吉備海部氏などがある

なお、和氏は百済の国王・武寧王の子孫なので、別系統である。

https://library.answerthepublic.net/japan/A/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E9%80%A0

・綿積豊玉彦
@父:伊弉諾尊 母:伊弉冉尊
A子供:豊玉毘売(彦火火出見尊妃)玉依毘売(鵜草葺不合尊妃)宇都志日金折命(別名:穂高見命:安曇氏祖)振魂命

安曇氏系統の氏神として綿津見神社が全国に建てられた、ここでは八木氏が氏神となっていた

安曇族は2〜3世紀の物部東征とともに大和へ進出。やがて物部の力が衰退して神功皇后の時代になると、安曇氏も新権力のもとで朝廷に服従する側にまわったと考えられます。綿津見三神が住吉三神という呼び名に変わったことがそれを象徴しているように思います。

紀元前から博多湾周辺を治めていた安曇族の王こそが、君が代に歌われた「君」であり、志賀島から出土した漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られた可能性が高いようです

安曇野市の穂高神社

紀元前から博多湾周辺を治めていた安曇族の王こそが、君が代に歌われた「君」であり、志賀島から出土した漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られた可能性が高いようです。

記事の中で、安曇族は古代中国においては「倭人」と呼ばれた人たちだったのではないかという仮説も書きました。また徐福を日本へ連れてきた海人族かもしれないことや、いくつかの系図から徐福の血筋と関わりがあるとみえ、姻族の可能性が高いとも書きました。つまり古来より北九州を根拠地とする海洋民族がいて、大陸との交易を自在に行い、そのうちに徐福渡来と関わることで親族となっていったという見方です。古代においては航海を掌握する者こそが権力を握るともいえ、徐福は古代日本の海人族である安曇族、宗像族(出雲系)を真っ先に手中に収めたと思われます。

そして安曇磯良とは何者なのかを調べれば調べるほど、出雲伝承の伝える徐福の息子、五十猛(のちの香語山)に繋がっていきました。実際、丹後の海部氏(籠神社宮司家)と博多志賀島の志賀海神社宮司家の安曇氏は親族ということです。一方物部氏とは非常に近い存在でした。武力の物部氏と航海を司る安曇族が協力して九州を支配していたようです。海部氏も物部氏もどちらも徐福の直系です。

出雲伝承では、徐福の連れてきた海童たち(少年少女)は漁業を営む者が多く、彼らは綿津見の神(海神)を信仰していたと伝えています。彼らはやがて出雲の竜神も拝むようになり、両方の神が合体して竜宮信仰が生まれたのだといわれます

https://somosora.hateblo.jp/

これらは総合すると安曇氏と物部氏は一体であるとなる、安曇氏が君が代の「君」だとするとき日本建国の基が海人族の安曇氏にあったとなる
漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られたというのもそうである

ただこの辺でわからないのは物部氏に関する神社とかはない、すべて綿津見神社であり
後は対になった山津見神社である、明らかなことは松川浦に山津見という地名と和田(綿津見)が地名化している、それは松川浦の奥まった場所でありそこに船で上陸して山の方に向かったのである、それはわかりやすいのである
なぜなら今でもそこは船が上陸する適地だからである
ただ当時は海が深く陸地に入り込んでいたから船が入り安かった、それは鹿島区でも原町区でもそうである
そして桜井古墳は新田川の岸辺と海に近いのである

また最近大原に綿津見神社があったことを発見した
こんなところまであったのかと驚いた、そこから八木沢峠を上って飯館村に行ける
そしてそこに綿津見神社と山津見神社がある、八木沢は安曇氏系統の同族である
犬飼(犬養)もそうである、こうして点々と安曇氏の八木氏系統の同族が地名化している鹿島区に綿津見神社が見当たらないとしたが栃窪村には山津見神社がある
山の方に入ると山津見神社になる
ただ高倉にも綿津見神社がある、こうして安曇族系統のものが山の方に入っていったのである、でも綿津見神社がそれほど古いと地元の人たちは意識していないだろう
桜井古墳とか鹿島区の古墳なら古いと見るが綿津見神社とか山津見神社が古いとは見ていないだろう、そもそもそうした古代からある神社とあるのに何か謂れも伝承もないことが不思議なのである

ただなぜ桜井古墳が原町区にあるのか?

なぜ原町区に綿津見神社がこれほど多いのか?

物部系の神社とか地名とかがないのか?

綿津見神社が鹿島区に見当たらないのか?

この疑問はやはり鹿島区の真野郷より前に原町区に安曇族系統八木氏が入ってきたからだろう、そして物部氏と一体化したのだろう、物部氏の神社としては海老に近い御刀神社がある、これは海老がエヒであり蝦夷であった、だから刀を使い征服したみる
だから物部氏は原住民の縄文人の蝦夷と戦ったともみる

物部系の神社とか地名とかがないのか?

これは安曇系八木氏が入ってきてそれが主役となり物部氏は従属した立場になったからともなる、そして次に大和王権の国造(くにのみやっこ)が浮田に置かれて中央の奈良の大和王権がかかわり大伴氏がかかわり真野古墳群ができて寺内の前方後円墳から金銅双魚佩が発見された、その下賜されたのは大伴系の有力者だったと推測する
つまり大和王権の支配地域と鹿島区はなり真野郷はなった
浮田国造から中央の大和王権の支配がここに成立したのである
こうして海洋民族の安曇族が日本国家の建国の基となっていたのである







 
 
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2022年02月16日

冬深し、枯木、冬樹、老木、残る雪、春夕日(冬から春へ近辺回る)


冬深し、枯木、冬樹、老木、残る雪、春夕日(冬から春へ近辺回る)

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橲原村の立目石
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大原の柿の木の老木ーいかにも老木らしい
畑に雪も残っている

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この木は古いものではない、ただ10ねんくつらいは過ぎた


玄関に老骨のごと枯木の影

影の濃く冬樹数本一人行く

この道の親しく行くや冬深む

冬の水底まで澄みぬ巌かな

大原に老木一本冬深む

枯草や温泉街の夢の跡

春夕日山の端に没り一番星


春日さし橲原(じさばら)への道我が行きぬ立目石あり残る雪かな

静謐の宮居にあれや花咲きぬたずぬる人もひそけかるべし


今年は寒かった、二月でもまだ冬深むとしいう感覚である、東北だと立春が二月というより三月になるだろう、でも隣の空家のボケの花は咲いていた
二月に春の兆しはある

橲原(じさばら)から大原を回ってきた、今年はやはり雪が残っていた
この辺でぱ雪はほとんど残らない、実際二日ほど春めいたから雪はほとんど溶けたのである
橲原に立目石がありそれが目印となる、でも田畑は荒れてしまった
山村があり漁村がありという風景はそもそもそこに暮らしがあって作られて来た
それが原発事故で荒れ果てた、でも不思議なのはそういう場所でも山村でも生活していたのである、私の家は橲原の木材を利用して建てたと姉が自慢していた
戦後まもなくは木材とかは地元のものを利用していたのである
なぜなら戦後十年くらいは炭だったから燃料になる木材が必要だったからである

何か原発事故以降山村は荒れ果てた、それが淋しい、ここだけではい限界集落が全国各地にあり消滅する危機にある、喜多方の奥の方にもそういう集落がありyoutubeで見た
会津の方でもかなりそうした限界集落がある
そして東山温泉とか他でも温泉街が廃墟化しているのは驚いた
それは高度成長時代の夢の跡だともなる、その頃景気がいい会社とかで団体旅行が盛んだったからである、それが今は減少してコロナウィルス騒ぎでさらに打撃を受けた
ただ私は温泉宿に泊まったことがない、高いから泊まったことがない
何か北海道辺りでひなびた温泉に途中よって泊まったことがある
ただそれがどこかかは忘れたのであく

今は旅ししているのではない、保養でありそれで常に食事が問題になるのである
うまいものを食べて飲めや歌いやになっていた
それが廃墟化しているから一時の夢の跡になってしまったのである
私は温泉街などは好きではない、ひなびた宿とか何か温泉でも秘湯とかがいいとなる
実際に車だと本当に秘湯めぐりをしている人がいる
でも車がないとできない、温泉は交通の便が悪いからである

橲原から大原へ行った、そこに老木がある、柿の木である、いかにも老木らしい
大原でもそこも田畑が荒れ果てた、そこの前田とかに住んでいる人と南相馬市立病院に一か月入院していた、でもその人がいつも心配していたのは猫だったのである
息子はいても農業の跡を継がないからだ、そして今は空家になった
息子は市内に家を建てているから住まない、近くにまだ幽霊屋敷の廃屋が残っているのも不思議である、本当にあそこは幽霊屋敷である
幽霊が未だ住みついているのかとなる、そのために壊さないのかとなる

日本でも山村とか辺鄙な場所が限界集落となり消滅してゆくのは淋しい
というのは街とか都会ばかりだと何かものたりない、自然の中に人間も生きていてこそ自然も活きるとなる、そういう場所がなくなることは何か変化もなくつまらなくなる
いろいろな場所に生きていてこそ変化があるからだ
町とか都会ばかりだったら人間の暮らしに変化がなくつまらなくなる
ただそこに暮らす人にとっては厳しい、だから消滅してゆく

ただまだこの辺では街に近いから消滅するまではならない、でも原発避難区域になった場所は維持できないだろう、一万の町でも6000人の村でも限界集落化して消滅に向かっているとみる、日本はとにかく人口も減り経済力も減退して縮小ししてゆくからである
ただ村は古代からもずっと続いてきたのである、それがなくなることは歴史も失われるそれで飯館村の神社を見たら誰もお参りする人がなくなり神様も淋しいとなる
神様も捨てられたゆくのである

枯木の影が玄関の曇り硝子に映っている、それがまるで百才生きた母のようにも見える
木でも石でも家と一体化する、だから人が住まなくなった空家は一段と淋しくなるのである、つまり庭の石でも木でも人間化していたのである
そのために人が住まないと一段と淋しく感じるのである
田舎はやはり静謐であり冬深むという季語を感じる、これが都会だったら感じない
それで私は瞑想して何も聞こえないとき至福を感じるのである
そういう引きこもりの生活を30年くらいしていたから異常だったとなる
性格が陰でありそうなったとなる、ともかく誰もいない人がいない世界に安らぐのであるそして自然と同一化アイディンティティしてきたのが自分だったのである
それもは家族に恵まれたからできたので家族には感謝しているのである

6号線を川子から金沢の方に喫茶店というか農家の民宿のようなのがある、あそこは休むにいいのだがどうしても食事が限られている、原町には外食に行くのでただ珈琲だけを飲むためには寄りにくい
一人暮らしは食事に料理に苦労しているからである
新田川のユッサとかで食事できるにしても遠いのである、やはり原町の道の駅辺りが自転車で行くのには便利なのである

2022年02月14日

葉牡丹(写生俳句と写真)


葉牡丹(写生俳句と写真)

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葉牡丹の十輪ほどや冬の月

葉牡丹の十輪ほど庭に氷張る

石堅く組まれし庭や冬の月


俳句は写生が基本てある、短いからいちいち説明したら表現できないからである
そして写真と写生俳句が合うのである
なぜなら写真とは写生であり写実であるからだ
絵画とも違って写生でありありのままを映しているからである
つまらないようでそれが真実を現しているのである
それで(写俳)という新しい俳句と写真が結合した表現が生まれた
これはデジタルカメラとインタ−ネットができて誰でもできるようになったのである
雑誌だと捨身を出すことは簡単にできない、費用もかかる
でもインタ−ネットだとかからない、またスマホ時代いになって余計に気軽るにできるようになったのである

空家の庭を見て俳句を作っているのも変である
ただあそこの庭は本当に立派なのである、だからもったいなと見ている
誰か活用すればいいと思う、空家の活用はこれから問題になる
ただあそこは家の価値はない、でも庭の価値は相当にある
古い家は価値あるものもあるが住みにくいと隙間風が入るとかで問題である
それでも自分の家には家族と住んだ思い出があり愛着がある

昨日辺りまでは寒かったが今日はあたたかい、なんとなく春めいてきたのである
ただこれからまた寒くなる、今年はまだまだ冬である


大地にほのぼのとその色深く
紫や白に葉牡丹の咲く
冬なれどあたたかく
母の愛のごとく咲く
そこに目立つ美のなきしも
何かほのぼのとあたたかきかな

こんな感じになるのが葉牡丹は鉢にはふさわしくない、地植えで畑に大きいのがもともとの葉牡丹だからである、でもさの鉢植えの花は近くの森の花屋で買ったが良かったとなる

2022年02月13日

機械とAIが仕事を奪うとどうなるのか? (思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になる)


機械とAIが仕事を奪うとどうなるのか?

(思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になる)

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戦前とかなると大正生れの母は働き詰めの一生だった、原町紡績で糸取りをして10年間働いた後東京に出て女中をしていた
働いた金は親にやっていた、それはネパールとかベトナムでも親に仕送りするから似ている、子供は今と違って労働力だったのである、農業でも何でも労働力として大事にされたのである、だから農家だと女の子より男の子が労働力になるから大事にされたとなる
何か私は戦後小さな店を出していて配達とか卵買いとか働かされたのである
私の父親は酒屋の丁稚であり明治生まれだから子供はそうして働くことが普通だったのである、今だったら子供は勉強しろとなるだけである

また私の母親は家が事業に失敗して貧乏になり何か女性としてのたしなみもこせてもらえず働きづめの一生だった、それが貧乏な時代はみんなそうだったのである
その後東京に女中になり働いた、その頃東京で中産階級でも二人も女中を雇ったいたとかなる、それだけ電化されてないなのだから家事が大きな負担となっていたのである
子供の時竈とかまだ使っていたから何か原始的生活だったのである
そのため家事労働が大きな労働となっていたのである

そうして働くことしか知らない、そこで花にも興味をもたない、花嫁修業もない、ただ親のために働かされるだけだった、それが不幸なことだった
だから母親も異常化していたのである、花などいらないとして全く働き金になることしか興味がなかった、戦後は食べ物すらないのだからやはり働き詰めだった
そこで庭の花を植えるとより豆を植えていたのである、食料の方が大事だったのである
戦後は食料で苦労していたからである

そうして時代により人間の価値観でも変わる、女中はもう必要ないのである
電器製品で何でも米でも簡単に炊ける、そうすると結婚しなくても別に独身でも生活できる、もし電気製品がなかったら独身で生活するのは苦労だった
家事に追われて仕事もできなくなる、今でもやはり私は家事を全部しているから追われるのである
その当時は女中が不可欠な女性の仕事となっていた、それだけ家事が手間だからである

今自分の仕事をしているのはインタ−ネットでプログとか毎日書いていることである
でもこれだってもし紙に印刷して書店に置くとかなるとできない
なぜなら書店だって金にならないものは起きたくないからである
また出版となると金がかかる、なぜ新聞とか雑誌でも衰退してゆくのかというと金がかりすぎるからである、本でもめんどうになる、でも出版社とか通さなくても書店に置けなくても別にネットだと同じようなことができる
金にならないにしろいくらでも自分を表現できる、それを即座に放送できるとなる
だから本を作るのに活字を拾う仕事があったがそれもなくなった
みんなコンピュター化したからである、新聞だと紙代だけでも金がかかるし印刷するのにも金がかかる、そして一軒一軒回って配るのにも金がかかる

するとどうなるかとなると莫大な金がかかる、それをどうしてまかなうかとなる
それが宣伝費だとなる、すると宣伝費を出す会社に忖度するとなる
だからこの辺では原発が危険だということを報道もしない
なぜなら東電から電事連から800億円の宣伝費が出ていたからである
つまり旧来のメデアは金がかかりすぎて自立した報道はできないのである
テレビだってその装置からして莫大な金がかかっているから六局が独占していたのであるそれがyoutubeになると個人が放送局になる時代になったのである
つくづくプログなど簡単にできる、ただそのコンテンツは簡単に作れない
だから今まではメデアは放送する装置を持っていて莫大な金をかけてしていたがそんな金は必要ないから誰にでもできるからその放送する内容がコンテンツが勝負だとなった
テレビが面白くないのは今までは放送するだけで価値があったが今はない
ただ芸能人の馬鹿騒ぎでありそんなものはちょっとでも知的なものを追求している人は見なくなったのである
だからどれだけ個人レベルで大きなことをしているのかわかる

ただ問題は誰でも放送できるとなればその内容が問題になり簡単に見られないことである
機械化、コンピュター化、AI化で仕事がなくなるという時、時代が変われば仕事が変わる鉄道ができたとき旧来の馬を使って運んでいたものがなくなる、静岡の大井川の渡しの仕事をもくなる、そこで茶を作ることを仕事にしたとかある
そこに新しい仕事を生れそうしなければ食べていけないからだ
だから今仕事がなくなるという時,ベーシックインカムが言われるのはそのためである
仕事がなくてって別な仕事につける人はいいのである
ところがプログラマーとか機械化でもそれに従事できる人はわずかなのである
すると大勢が機械でもコンピュターに仕事が奪われる、代わりの仕事があってもないとするとどうするのかとなる、それでベーシックインカムが言われるようになった

例えばどういうことになるのかというと、手伝いの女性がいる、でもその女性のすることがないのである、みんな家でも家事は機械化されている、自動化されている
するとこの家に来てもなにもすることがないなとなる
でも主人は花が好きで生け花をしている、するとその女性は花に興味がある
だからその花を鑑賞する目がある、そしてその家に来てすることは花を鑑賞するだけだとなる、他はなにもしないのである、でもその需人は一人暮らしだから話し合い相手が必要である、その女性は話しがうまいのでそれで雇っているともなる
つまり価値観が変わってそうなったのである、これまでは働くことが価値があり働かざるものは価値がないとされてきた
でもその労働が機械がしてコンピュターがするとなると価値観が変わる

一体人間は何をしていればいいのか?

こうなるのである、そこで何が必要かとなると思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になるのである、それはコンピュターではできないものだからである
感性脳というとき自然の美を鑑賞できることである、食べ物を作るだけではない花でもその美を鑑賞できる感性である、でも意外と女性でも花に全く興味ない人がいる
その人は農家に嫁いでもサラリーマン家庭になっていたから農業のことが全くわからないのである、だから話しても農家のことなど何もわからない、ただ古い家であり紙漉きをしていたとういことで興味をもった
でも庭があるとしてそこに花を植えたとか話を聞かないのである
だから生け花を見ても関心をもたないのである
そうなると現代ではかえって大きく欠けたものがになる

要するに感性脳がないことになる、人間の本来の仕事は実際は感性脳とかが重要である
神の業を讃嘆することが地球とか宇宙を作った神の目的でもあったからだ
その目的に沿うことが本来の目的だとしたらそうなってきたともいえる
つまりベーシックインカムになったら依然として思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳は必要だからである、これは機械化できないしコンピュター化できないからである
そこにに人間に人間たる所以がありそれは悪いことではないとはなる
ただ何であれ理想はこの世では実現しないのである
この世は神の国にはならないからである


2022年02月11日

真野川の鉄道の下の方に白鳥の群れ (雪の中の白鳥(詩)


真野川の鉄道の下の方に白鳥の群れ

(雪の中の白鳥(詩)

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グリック拡大するときれいに見える


グーグルクロウムではクリックしても大きく見えない
でも別な画像編集ソフトでコピーして大きく見ることができる





白鳥の群れが真野川の鉄道の橋の下の方に集まっている
結構な数である、真野川の岸で餌をやっている人がいるのか
餌をくれる人を待っているようだ
でも実際は川の近くの田んぼにいる

基本的には水草や草の実などの植物を食しているが、時に昆虫・貝類・甲殻類も食し、穀類も食す。

田んぼにも餌がある、白鳥の一番の不思議はあれだけ大きいものが重く見えるものが飛ぶことで悪、どうしてそれだけのエネルギーがでるのかとなる
それもシベリアまで渡るエネルギーが出ることで驚きである
白鳥は朝と夕方に飛ぶのを良くみかける、それが気持いいのである
ただこの辺でぱ火力発電所から煙がでてくるからそれが白鳥とは合わないのである

今日は雪で朝真っ白になっていたので写真を撮りに行った
白鳥は聖なる鳥のようにも見える、白鳥はヨ−ロッパでも良くみかけた
まさに貴公子なのである、古い教会とか城とかの側に湖がありそこに白鳥が似合っていたのである

白鳥とは神のイデアの傑作である、自然の美は花でもイデアなのである
そのイデアを見ることが美を見ることだ人間も浄化される
とにかく自然のものは生物でも自然とぴったりと調和している
でも人間は調和しないのである、だから人間は隠れているべきだともなる
顔を出すなともなる、そして沈黙の中に美は映えるのである
私は人間は見たくないのである、人間は必ず何かこの地を汚すものだからである

それは火力発電所から煙がもうもう出ているのもそうだった
原発もそうだったのである、風力発電でもソーラーパネルでもやはり自然エネルギーとか言っていたがそうではないのである
人間の作りだすものが自然と根本的に調和しないのである
ともかく自然の美を自然と調和するには沈黙が欠かせないのである
それが普通の社会ではできない、引きこもりだとできるのである
これもマイナス点が大きいのだがやはり神のイデアを見るには沈黙が欠かせないのである
自然と調和するというときなぜ白鳥が餌をとれているのか不思議になるからだ
確かに人間が餌をやるにしてももともと田んぼとかにも餌がある
そうして生きていけることが不思議なのである、なぜならあれだけの大きく重いものが飛ぶには相当なエネルギーが必要と思えるからだ
それがシベリアまで飛ぶとしたらそのエネルギーは相当なものである
そんなエネルギーがどこにあるのかとなるからだ



雪の中の白鳥

純白の衣の朝日に輝き
光りは水面に跳ねぬ
雪の朝白さ白さの映えて
優雅に水の上に浮かぶ
乱れなくその純潔の美
その高潔なる貴族のごとし
鴨の群れは下々と従う
神は我が意を得たりと
そのイデアは地上に成りぬ
太陽は喜々として輝き
また朝にここに喜び輝きぬ
その翼を広げし飛翔の躍動
白鳥は凍れる夜に星座と輝く
田舎にそ何か見るもののあれ
北風の吹きつけ白鳥の鳴く声がひびく
その凍てる空に弦の音のように響く
ふの触れがたき聖なる鳥よ
神は自然の天然の美を与えぬ
純白の雪に覆われて人は見えず
ただ白鳥のみそ映えるべきかな
黙して自然の美を見よ
黙して自然の声を聴け
地も聖なるものとなるべし


the beauty of swan

The pure white robe shines in the morning sun
The light splashes on the water
On a snowy morning, the whiteness reflects
gracefully floating on the water
The beauty of her innocence without disturbance
Like a nobleman in his integrity
The flock of ducks follows with the lower classes
God has found his will.
His idea has come to earth
The sun will shine with joy
And here in the morning it shines with joy
Its wings are spread and its flight is lively
The swan shines as a constellation in the frozen night
There's something to see in the countryside
The north wind is blowing and the swans are crying
It echoes like the sound of strings in that frozen sky
O sacred bird that cannot be touched
God has not given us the natural beauty of nature.
Covered in pure white snow, no one can see
only the swan should be reflected
Be silent and look at the beauty of nature.
Be silent and listen to the voice of nature.
The earth should also become holy.

2022年02月08日

南相馬市の道の駅からアップ 実験です

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夕暮れになりました、そろそろ帰ります