2018年07月18日

原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る


原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る

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誰か訪ふ城跡に咲く藤の花夕べとなるや相馬市を去る

草深し霧のかかりて藪甘草群れ咲きにつつ鹿島の暮れぬ

ひまわりの鉄路に沿いて咲きにけり原町駅にぎわう時かな

外から来たら相馬市とか鹿島と原町の区別はわからない,ほかでもそうである
何に違いがあるのかわからない、ただ仙台とか盛岡とか比べるとわかる
でもその途中の市とか町の区別はわからない,平泉町とかは金色堂とかでわかりやすい
特徴がはっきりしているからわかりふすい,ではほかの都市でも町に何か違っているのかというとわかりにくい,その土地のことは長く住まないとわからないのである

相馬市は城跡の神社に藤の花がいつも咲いている、だから相馬市の花としてふさわしいとなる、県の花とか市の花とかあるけどこれもまたなかなかふさわしいのかどうかわからない、鹿島は車輪梅が南限の地として有名だった
この辺ではいたるところに車輪梅が咲いている

でも鹿島となるといつも真野側の岸辺を歩いているが草深いのである
草を刈らないから木も茂っている、本当はあのように草木が茂ると洪水になりやすいとある、でも自然景観から見ると自然があっていいなと自分は見る
自分はいつも景観から土地を見ている、でも実生活かけ離れることがある
八沢浦が津波で元に戻ったというときもそうだった、そこで人が死んでいても江戸時代の浦にもどったことに驚嘆した、景観がもどったことに驚嘆したのである

相馬市は

いささかに 思ひて来しを多古の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし(万葉集/久米広縄(くめのひろなわ)

この歌がふさわしいのかなとなる、いささかに藤の花が咲くと見に来たが実際に見たらもっと美しく一夜その花を見て忘れられないものとなったとか解釈できる
こういうことがある、いくら外国でもイメージしてもできない、実際に行ってみて本当にわかることがある、ただ一方で幻滅することもある
ただ実際に見た方の驚きが多いのである、とてもいちら想像力を働かせても神の創造になるものは人間の力を越える、だからこそ津波で八沢浦が元の入り江にもどったことに驚嘆したのである

原町市は同じ相馬藩内でも違っている、原ノ町機関区として物資の輸送の基点となったからである、それで城のある相馬市より明治以降は発展したのである。
だから駅前通りがあり発展した、相馬市には駅前通りはなかった
城を中心にして作られた街だからである

深草というとき京都に深草という地名があり深草少将とかの姓の人もいる
深草はまさに草深い土地だから名付けられた、ただ今になればそうした地も繁華となり昔の面影がなくなる
江戸などはもう全くない、時代劇が面白いのはストリーもあるがその景観なのである

舟がし水路をゆっくりと行く、その岸辺に菖蒲が咲いている、そこに江戸時代のゆったりとした時間感覚を感じる

舟の行く岸に菖蒲や江戸の町

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江戸は水路がありベネチアのようになっていたのである。
この辺でも小高でも浪江でも風景も違う、新地などは山が迫っているし海も近いから地勢が違っていると感じる、でも浪江は二つの川があり高瀬川の急流があるから景観的には特徴があった、山水画のような岩もあったからだ
大堀焼の窯元のあるところから高瀬川に通じていたのである。
あそこはだからいい場所だった、それも避難区域となり失われた
ただ別にその景観がなくなったわけではない、川は依然として同じようにあるが人が住まなくなったのである。

相馬藩内にはその他飯館村は特別だった、高原の村であり森に囲まれていた秘境ともなっていたのである。そこにも人が住まなくなった、あそこで田んぼの土が削られたりして
いるから無惨だったのである。

相馬市は藤の花であり鹿島は藪甘草があっているかもしれない、原町はひまわりである。現実に線路沿いに大きなひまわりが咲いていたのを見たことがあるからだ
原町には買い物で一週間に一回は行っているし相馬市は遠いがそれでも一か月に一回くらいは行っているだろう、だから自分は鹿島を基点にして相馬藩内を見ている
人間は住んでいる場所がなんであれ中心となり基点となり世界を見るのである
だから世界でも自然でもみんな住む場所によって違って見えるのである。
それは相馬藩内という狭い場所でも実際は多様であり見方が違ってくるのである。
地形的には山下から亘理までは変化を感じないのである。

蝉(相馬市に行く)


蝉(相馬市に行く)

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相馬市の道の駅

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相馬市の空き家
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相馬市の道の駅に来て青田風

松に蝉街道行くや一里かな

ミンミンの森にひびくや古き里
                      
(相馬市)

街中の川に鷺の餌あさる

幽霊も空き家に出るや暑しかな

石一つ葉影に休み障りなし

石一つ夏蝋梅の葉陰にあり

故郷に夕日の没るや合歓の花  

夕日没り里の平和に合歓に月

蛙鳴く声のひびきて夏の闇


相馬市の店に新しき茶碗買うその色よきや我が手にとりぬ


久しぶりに自転車で相馬市に行った、暑かったけどここはなんとかまだ外出できる
三時ころだから暑かったこと暑かった
相馬市の道の駅は青田の中にある、それが特徴である
原町とかは街中にある,それが対象的である
青田の中にあれば自然の中にある、でも店もないから不便だとなる、レストランもないから不便だとなる、その両方をかな備えるのはどこでもむずかしいのだ

松に蝉というとき松蝉のことではない、松蝉という種類がある、これは春とか初夏に鳴ぎだす種類だという、蝉はなきはじめている
松に蝉というとき何か落ち着いて松にとまって鳴いているという感じになる
蝉の声でも街道を歩いて聞いた時ならしみいるものがある
ミンミンも甲高くひびいている、ミンミンの声には子供の時を思い出す
無邪気に大声出して遊んでいたときを思い出す、そこには家族がいて安らぐ場所があった家族は子供の時からはじまり子供の時一緒に生活していないと家族とはなりにくいと思う故郷とは子供時代を過ごした場所ともなるからだ

日立木を過ぎて相馬市に入ると川の中で鷺が餌をあさっている、街中を流れている川が宇多川である、ただこの川は大きな川でないからあまり水量がない
でも何か相馬市にはふさわしい、相馬市は何か城下町で静かで落ち着いているからだ
そこの畠山茶店とかでコーヒーカップを買った
この色が気に入ったからだ、紫でありそこに土色がある、この淡い紫が気に入ったのである、これは女性向きだろう、何か地味な女性向きである
母は地味な女性だったからそれに重ねて思い出したりする
何か死んでから母を思うのも不思議である、生きている時は思っていなかった
今になると自分のためにしてくれる人は一人もいなくなったことで余計にそうなった

相馬市の街中に空家があった、庭も広い、平家の一軒屋だが庭は広い、誰が住んだのだろうと思う、空家が多くなっている、ノウゼンカズラが咲いていたがそこも空家だった
人間が住まないとそこに花が咲いても活きてこないのである。
花まで死んでしまうのである、それが避難区域になった小高とか浪江に行くとわかる
空き家だらけであり死の街と化しているからだ、空き家となるとその周りにも影響する
そこが幽霊の住処のようになる

帰ると夕日が山に没してゆく、合歓の花が咲いている、電車がすぎてゆく
そこで写真をとった
田舎の夜は静かであり夏の闇がおおう、蛙の声だけがひびく,都会だと人人人であり嫌なのである

ただ正直田舎の人間関係はめんどうである、地元の人すらうんざりしている
どこでも知っている人に会うから買い物をしない人もいる、頼んでいるのである。
ス−パ−でも人に会うからである
いづれにしろ人間関係がうまくいかないのは結婚して三人に一人が離婚していることでもわかる、石一つ庭の夏蝋梅の葉陰にあり涼しいとなる、そこに障りがない
でも人間関係には必ず障り(さわり)がある

穏やかな雲間に雷雨が潜むように

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

ほとんど重量とてないとるにたらぬ原子から

世界は最後の審判を受ける
(ハンス、カロッサ)

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

人間はこうして必ず傷つくし傷つけあう、今は穏やかな雲間でもそこに雷雨が雷がひそんでいるともなる、長年一緒に暮らした夫婦でも穏やかな日々が続いても破綻する、要するに人間に永続した平和が人間関係でもないのである。この詩はこの辺の状態にあっていたのである

このプログとかはつれづれままに書くのが向いている、気軽に書ける
それが即座にアップされることが強みである
一日くらい遅れになっても今の気分が反映して読まれることが理想なのである。
全国でも今月が出ていたとしたら他でも出ているからである。
ただ天候は暑さなどでも違ってくるから地域差がある、でも今の時間をリアルタイムに共有することがインタ−ネットの強みでありそれでSNSとかラインとか対話型のコミ二ケーションが普及したのである、それは今の時間を共有することができたからである。
だから本当はすぐに返答するのがいいのでありしないと今を共有できないのである
ただ自分はプログでは返答していない、プログが書くことが先決であり自分の場合長いからそこに集中して対話できないのである
一日長文でもこの頃二回アップしているからである
これだけ書くと書くことに集中するから返答の方はおろそかになってしまうのである。
タグ:街道

2018年07月17日

雲の峰とカンナ(原町へ行く)


雲の峰とカンナ(原町へ行く)

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坂越えて原町に湧く雲の峰  

二手にそ湧きあがりけり雲の峰

雲の峰競い二つやはや崩る

朝の畠陽ざしの強くカンナかな

赤と黄のカンナの映えぬ畑かな  

畑にそ汗だくだくやカンナかな

のうぜんの今日も赤々と道に散る


昨日は坂を越えて原町に行く、本当に暑いからぐったりする
でも俳句とか詩とか自然にふれるとき家にこもっていたばかりでは書けないし描けない
つまり俳句も写生であり絵でも写生が基本だからである

そして不思議なのはここ十年は旅していないけど近くでも自然はあり変化があるなと思った、だから写真にとる風景は季節ごとに変わっている
昨日は坂を越えて原町に行ったら夏の雲が湧き雲の峰となっていた
それで写真を撮り俳句を作った


「若鮎(わかあゆ)の二手になりて上りけり」正岡子規

ここで二手ということが頭にあった、それで二手にした、今年はこうして夏の雲が湧いても雷が鳴ったり雨が降らない、この辺は乾燥している
雲の峰は崩れやすい

雲の峰いくつ崩れて月の山(芭蕉)

山頂や富士より高く雲の峯

富士山の山頂で雲の峰を見た、富士山でも一回しか上っていないのは残念だった
富士山は良く見ていない、また見たいと思っているがなかなか行けない
家が留守にするのが今度は不安になり行けない、何か自分は自由に旅も介護十年してから行けなくなった、これもカルマなのだろう、それだけ旅したから旅ができなくなったということにもなる

畑にカンナが咲いている、これは明るい大らかな花である
畑はするには暑い日ざしでも草取りをすなければならない、だから汗だくだくであり趣味の畠でも苦しいとなる、その畑で野菜を作る女性は太っていて体力はある
ただ畑のマイナス面がありそれを延々き聞かされると嫌になる
意外と田舎だと畑でも回りの人のことが異常に気になる
そこでなにやかにやと悪口を言ったりうまくいかいな、うまくいく人があるがうまくいかない人も多いのである、田舎は人間関係がめんどうなのである
だから都会から田舎に来る人はそれが嫌でうまくいかない人がかなりいると思う

その女性は根っからの農民気質をもっている、それはもともと純粋な農家の出だからである、納豆まで作っていた農家の出だからその血を受け継いでいるとなる
体も頑丈なのである、ただ病気もしていてしょっちゅう医者にもかかっているのである
いづれにしろ毎日草取りが仕事なのである

ここはまだ32度くらいだからいい35度とかなると限界である
福島県の浜通りのいい点はそんなに暑くなったり寒くなったりしない
でも阿武隈高原を越えると福島市に入ると暑いし冬は寒いのである
だからあんなところに住みたくない,体力がないから気候的にはここがいいのである
阿武隈高原の坂を自転車で帰ってくるとき海の方が涼しい風が吹いてきたときはほっとした、自転車はこうして風を感じるから自然を感じるからいいのである
ただ風に自転車は弱い、でも電動自転車は坂と風とかに強いからいい
電動自転車でまた遠くへ行きたいとなるが体力的に苦しいから行けない
でも近間でも季節の変化があるからこうして写真をとり俳句や短歌を作ったりしている

2018年07月09日

藪甘草(土着的な花)


藪甘草(土着的な花)

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夏菊のあふれ咲く家よそおいぬ

紫陽花や笑みのこぼれる七色に

夕ぐれや雨ぬれ赤し藪甘草

草深く雨ぬれ赤し藪甘草

田舎なれ田畑をもちて藪甘草

根を張る木藪甘草や田舎かな


のうぜんのあまた咲きしも嵐来て朝風吹きあれ飛び散りにけり

昨日ある人も骨となりにけり隣なる女にしあれば心残りぬ

向かい住む旧知の女(ひと)の死ににけり何か言わむと言わず死ににき

言い残す言しありなむ死ぬ時にその重みの後に残りぬ


この辺は雨は少雨であり今日も少し降ってもすぐやんだ、それで散歩に出た
藪甘草は田舎的な土着的な花だとつくづく見る、それが夕べに雨にぬれて特にそう見えた
この花はもともと田舎の農家で土着的に生活していればよりそう感じた
今は農家といってもみんな会社員だからである。
村といっても別にみんて農家ではないのである。その辺の感覚は昔とは相当違う
田畑を別に持っていない人もいるしみんな農業しているわけではないからだ

ただこの花はそうして暮らしていた農村にふさわしい花と見る
何かどっしりとして土着して生活する,母親のようて感じに見える
この花に泥臭いが何かあったかいものを感じる
俳句はこうして鑑賞することが自体がむずかしい、だから俳句は鑑賞する方が試される
写生俳句が基本でもその意をくみとることがむずかしいからである。
写生俳句の場合,それを深くよみとらないと何がいいのか皆目わからないとなるからだ

向かい子供から知っている女性が死んだ、そのことがなぜ気にかかったかというと一週間前に外にでていた
その時話しかけようと自分はしていた、ただ元気になったから外に出てきて歩いているのかと思った
そのことで心残りになった、何かこの年になると死ぬ人が多くなる
あの人も死んだのかあの人もかとなる、そしてどんな人でも最後に何かを言い残したいものがある
それが重いものとして残る、それは普通の平凡な人でもそうである

認知症の人でも最後に正気にもどる、何もわからなくなったと思っていたらわかっていたとなると怖いものとなる
あなたが私に冷たくしたのを知っている、わかっているとなると怖いのである。
最後に「ひどい娘だわ」と言って死んだ女性を知っている、本当にひどい娘だったのである
あんな人になるとは想像もできなっかた、いろいろそこにはあってもその無念の声を自分に残して帰らぬ人となったのである。
もちろんその人とはうまくいかない仲だったけどそれにしても娘にしても血がつながらないにしても長い間その女性とは一緒に暮らして家族だったのだからひどいと思う

だから最後に言い残す言葉は重いものとなる、なぜならもう死んだら語ることもないからである
最後に交わす言葉となるけど何かそういうことがこの年になると多くなるなと思った
最後に話して死んでゆくようになる、家族でもそうである。そして永遠にもう話すことも聞くこともなくなるのである。
つつり「ひどい娘だわ」ということは最後に自分に言い残されたのだがそれが娘にも呪いのようにふりかかるかもしれない、
だから最後の言葉は重いものとなるから怖いとなるのだ
認知症の人でもそういうことがあるから馬鹿になったから何もわからないとして対処はできないむずかしさがあったのである。




タグ:藪甘草

2018年07月07日

夕霧と合歓の花とラベンダ−(幻想的な霧の風景)


夕霧と合歓の花とラベンダ−(幻想的な霧の風景)

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霧つつみ夕べや眠る合歓の花

夕霧に浮かべる母や合歓の花

霧深くつつめる墓地や合歓の花

霧の夕やほのかに匂ふラベンダー

ラベンダーに眠れる蝶や霧深し


草埋もれ霧の深しも鶯の夕べ鳴く声聞こえけるかな

藪萱草一〇輪ほど咲く草深し夕べたちこむ霧のつつむも

たちこめる夕べの霧に我が母の面影浮かび合歓の花咲く


霧は別に四季を通じて起きる自然現象である、だから霧を秋の季語とすることはできないただ秋霧としているから秋の霧は秋になる、夏の霧は夏霧としているし冬の霧もある
ただ霧となれば秋とは限らないのである
ただ霧を秋の霧としているのである。ここで霧の夕としたが夕霧と最初していた
それを霧の夕にした、別に夕霧にしてもいいがそれだと秋を感じさせるから霧の夕とした実際は夕霧でも良かった、季語の解釈はいろいろであり定型は必ずしもないのかもしれない

昨日もそうだったが今日もこの辺は霧が夕べになると深くたちこめた
広島の方は水害で被害が大きかった、つくづく日本は災害の国である
津波という大災害があったらまた西日本では水害の被害になりあんなに人が死ぬのも意外である

ここは雨はほとんど降らず幻想的な霧であり霧の情緒にひたっている
水害とかの被害にあった人はこんなのんきなことをにはならない

霧はこの辺では海から朝にたつことが多い、今回は山からたちこめる、それで雨は少雨である、それで霧の中を自転車で走った、なんとも幻想的な風景になっている
何か霧で自分の母親の面影が浮かびそこに合歓の花が咲いている
母のことは生きている時は家では脇役であり思っていなかった
でも不思議なのは死んでから目立たない母のことを思うようになった
性格的には自分と似ている、外交的ではない内向的だからである

内向的な人を外交的な人は嫌う,一般に好まれるのは外交的性格で陽気な人である。
でも内向的な人の性格もいい面はある、ただそれが認めにくいのである。
だからこたそ死んでからその美点に気づいたのである。
母は霧の中にそれも夕霧の中に浮かぶのがふさわしい、やせていたし細身であり内向的だからである。何か幽霊のように霧の中にそれも夕べに浮かんでくる
それがふさわしいのである。

このような感覚はなんというか死んでから感じたことであり自分でも不思議なのである。死者というのは完全に消え去るのではなくやはり生き続ける、面影として浮かぶというときそうである、万葉者の恋の歌が死者を思うものだというときそうかもしれない、
そうなると恋愛歌でなく深いものになる、恋愛歌だったらうわついたものとしかならないからだ、万葉集は何か深く読まないと鑑賞できないのである。
そもそも俳句でも短歌でも深く読むことがないと鑑賞できないのである
ラベンダーの夕べの霧の中に匂うのも何ともいえない情緒があった
霧は幻想的にする魅力あるものだということを今日は一層感じた

月光のしみる家郷の冬の霧 蛇笏

霧と検索したらこの句がでてきた、これは秀作である、家郷と月光と霧を一体化して表現している、これは家郷に長く土着して住んだから作れた句である
家郷の重さがありこれは名句である、こういう俳句でもやはり鑑賞することがむずかしいのである。これは重厚な俳句である。俳句でもこれだけ表現することができる
霧の中に月光というのも幻想的なのである。

2018年06月27日

老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)


老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)

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ふるさとの昔語るや木陰かな

老鶯や昔語りて老い二人

老鶯や草深くして霧深し

根を張る木老鶯ここに長く鳴く


病にし倒れ直りぬふるさとになお生きるかな梅雨晴れの日

紫陽花や梅雨の晴れ間の満月の夕べ明るしはや消えにけり


今19時に雲の晴れ間から満月が出ていた、めすらしいと思って写真をとった
うまく写真はとれた、その時近くの家に紫陽花が咲いていた
梅雨の間の一時の満月だった
こうしてリアルタイムでプログにのせるのが本当は醍醐味である
事件でも速報性で新聞よりテレビが勝ったのと同じである。
ただインタ−ネットのプログはまず時間差があってみている
第一そんなに多くの人は見ていないからだ

同級生と川の土手の長い木陰の道で語る、あそこは場所がいい、座る場所もある
何か木陰で昔を語るのが今や向いているとなる
そこに老鶯が鳴く、老鶯は自分の俳号にしている
これは長く鳴くからである。自分も晩年になってやっと短歌でも俳句でもいんいものができたと思う
俳句より短歌の方が表現しやすい、その理由はただ長いからである。
俳句はもう短すぎて限界になったのである。

真野側は草深い、そこに昨日は霧がかかった、その霧も深かったのである。そこから老鶯の鳴き声が聞こえた
それも趣があった、遠くには行かないがこうして日々に日本の天候は変化するのである。

2018年06月16日

スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


顔見せぬこの家の人やシャガの花

夏草やイタチめずらし顔見せ

忍耐の岩にスミレや母思ふ

我家に70年ありし母なりき死して思いぬその重みかな


家が何かと考えるとき前にも書いた、ホームとハウスは違う、ハウスはただの建物であり箱でもある、ただ日本では家というときまた別な感じになる
嫁の字を見ればわかる、女に家になっているからだ
家はホームという感覚である。家というときだから家に帰りたいというときそこは単なる建物だけではない、あたたかい家族がいる場所がホームなのである。
だから家族がみんな死んでいなくなった自分の家はホームがなくなったともなる

でも不思議なのは人間はやはり死んでなにもなくなるということはない、家には何か死者がまだいるという感じになる、母が死んで3年とかなるが生きているときその存在をあまり感じなかった、それは特殊な家の事情でそうなった
でも70年間家に尽くして働いてきた、それを感じたのは全部家事をするようになってからである。まず誰も自分のためにしてくれない、それで皿洗うを頼むと金をとられる要するにもう今は他者との関係は金しかないのである。
それで金の切れ目が縁の切れ目となる
そういう人は生きているときでも死んでからも何の関係があるのだとまでなる
そういう殺伐としているのが現実社会である。

では家はホームはそうした関係ではない、なぜなら金だけの関係ならその人が死んでも何にも思わないからだ、死んだとき心配するのは財産のことくらいである。
でも家族となると死んでもその家に家族に生き続けている
供養もしているし何か死んで重みが出てくるということもある
生きているときより死者のことを思うようになる
自分は生きているときは家事をして毎日食事用意してくれたことをなんとも思わなかったそれが死んでから65年間とかそうしてくれたことがありがたいことだと思うようになった

人間は家でもそうだし国とかでもそうだし必ずなんらかの犠牲の上に成り立っている
母も家のために犠牲になったという面はあった
国でも戦死者とかあり歴史をみれば犠牲になる人がいる
それで城を作るのに人柱伝説があるのはそのためである。
それは家でも人柱になる人がいる、犠牲が生まれる
母はやはりそうして犠牲になった女性だったともなるかもしれない
ただ自分の家に来てすべてが悪いことばかりではなかった
何かかよわいし世間を渡っていけるような女性でなかったからだ

ただ母の性格は忍耐強いということだった、派手なことはないが大人しいが忍耐強い性格だった、人はその性格もいい面と悪い面が必ずある
外交的な人間がすべていいとはならないのである、でも社会では外交的な陽気な人がどうしても好かれるし評価される
内向きな人は好かれない、そこにも大きな問題がある
営業とかでも必ずしも外交的な人だけが成功するとは限らない、内向きでも誠実な人が成功するということもある、外交的性格の人は人の話をしまり聞かないとこすがあるからだ
人間は死んですべてが消えるわけではない、必ず何かを残してゆく、残りつづける
母のことをあまり生きているときは思わなかったがやはり70年家にありつづけた重みを感じた、歳月が重みを生む、家というのはだから今生きている人だけ成り立つものではない、死者も家に生きているとなる
それは大きな国家でもやはり死者が生きていて支えるともなる
それが歴史の重みとなる、ただ人間は死んだからといってみんなそうして死者を思うことはない、ふしだらなでたらめな人生を送った人は死んでせいせいしたともされる
だから人生を軽んじていい加減に生きると死んでも何も残らないとなる

人間はやはり母から受け継ぐものが大きいのかもしれない、もちろん生きているときは母とか父でも嫌う人はいくらでもいる、自分もそういう面はあった
人間はどうしてもいい面と悪い面があるからだ
でも死んでから母を意識するというのも不思議である。
だから人間は死んですべてが終わるということはないのである。
後世まで影響してゆく,生きている時そこまで考える人はいないのである
だから自殺するとかするとそれが自分だけのことではなく周りの人にも特に家族に影響してくる、やはり人間の生というのは人生は自分だけのものではないからそうなっている
自分だけで終わればいいのだがそうはならないのが人間なのである。

忍耐の岩にスミレや母思ふ

この句にふさわしいのが母だったなとつくづく思う
岩にスミレが咲いているのを見かけるからだ
自分も性格的ににているから石とか岩と一体なるように詩でも書いてきたことでもわかる地味な性格なのである。そういう気質も受け継いだのである。
ただ人間は生まれつきですべてが決まらない、社会という場で人間は人生は作られるのである。天才というのは例外なのだろう、資質的に特別恵まれているからそうなる
でも普通は人生は生まれつきでは決まらない、人生をどう生きたかで決まる
ただ母というのはやはり子供の犠牲になるということもある
一方で逆に子供を犠牲にすることもある、母性はエゴだという人もいる
そう感じて肉親を嫌う人もいる,でもやはり70年家に生きて死んだという重みは死んでも残るものだなと思った

俳句というとき過去の思い出と結びつく、イタチは子供の時自分の家で飼っていたのだ
でも母が毎日餌をやっていたのだが慣れることはなく逃げたのである。
なぜイタチを飼っていたかというと皮をとって売っていたらしい
戦後まもなく何も仕事がなくそんなことをしていたみたいだ
そういうことでも思い出がありイタチが偶然草むらから出てきたので俳句にした
だから俳句はこうして鑑賞するにもその説明がないと鑑賞できない文学だと思う
それはあまりにも短いからそうなっている







2018年06月08日

夏の桜井古墳(俳句短歌)


夏の桜井古墳(俳句短歌)

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古墳の上しきり飛び交ふ夏燕

夏の日や川海近く古墳かな

夏燕モスバーガーに休みけり

高平(タカヒラ)や桜井古墳に夏の月


我が立ちぬ桜井古墳大なりき燕飛び交いつつじ赤しも

草深く蛍袋の咲きにけり桜井古墳の夕暮れにけり

一軒の農家の古く広しかな庭に畑や夏の日暮れぬ


桜井古墳は東北で4番目に大きい,

東北最大の前方後円墳は宮城県名取市の「雷神山古墳」全長168m。次いで会津坂下町の「亀ヶ森古墳」全長127m。3番目がいわき市の玉山古墳」全長114m。同じく若松市の「会津大塚山古墳」全長114mが続く。

名取の古墳でも海側だしいわき市でも海側である。海側に桜井古墳もある
遠見塚古墳も海側である。
一方で会津はもともと国(くに)として知られていた
万葉集時代にすでに国という認識があった,だからあれだけ大きな古墳もある
その歴史は明治維新の城の落城までつづいていた

不思議なのはなぜ中通りには大きな古墳がないのか?

中通りの方が開けた地方だと見えるからだ,ただ古代に浜通りと会津が開けていた
それに何か訳があるのだろう,ヤマトタケルが海沿いに船で制服したという伝説があるからそれもかかわっているのだろう

桜井古墳の上に立つとそこからは海も見えたろうしまた新田川あり川の側だから立地的に納得する
高平(タカヒラ)というのもヒラが傾斜地という意味だと金沢の山側が傾斜地になっているからそこからなづけられた開けた平坦な土地として最初にこの辺で田んぼとかになったのかもれない
泉かんが跡もあるしそこは原町の歴史地区だったとなる

ともかくあの一軒の農家は広い,風も海側から吹いてくるから涼しいとなる
自分の場合はいつも高平は通って原町市街に入るから関心をもったのである。
あの五輪塔もあって関心をもったのである。

今は螢袋が咲いていた,これは梅雨の時期に咲く花である。

あそこは散歩するにはいい場所である,やはり人間は一番適地を選んで発展したとなる
だからその場を踏むとその土地の歴史が実感としてわかる
それは資料とか本だけ読んではわからないのである。





















2018年06月05日

大原と橲原(じさばら)を結ぶ道 (森の中の道で車が通らないのでいい-無意識に成長する木(詩)


大原と橲原(じさばら)を結ぶ道

(森の中の道で車が通らないのでいい-無意識に成長する木(詩)

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この道はほとんど車が通らない,田舎ではこういう道はどこでもある
でもあそこは特別通らない,なぜあそこに道を作ったのか?
別に橲原(じさばら)でも小池は近いし道はある
ここを通るのは車ではまれである。

木蔭にずっと休んでいたけどほとんど車が通らないから気持ちが良かった
車が通らないことは癒しになる,今はどこだって車が通る
あそこは車は本当に通らない
そこに森がおおっていて静まり癒しになる
車が通らない道というのは今になると不思議である。
車が通る道で暮らしているからそれが当たり前となってしまっているからだ

だから車が通らない道がもともと当たり前だったのだがそのことがわからなくなっているそれは道が歩いていたのが歩かなくなったのと同じなのである。
あそこは贅沢な道である,何か仕事とかで車もほとんど通らない
ただ残念なのは一部森の中の木がかなり切られていた
そこは土がむきだしになって嫌だった
何かこの辺は原発事故以後そうした土がとられてむき出しになっているところが多いのである。
自分は異常にそうした景観を気にする,音もうるさいのが嫌なのである。
だから自分は現代的環境に向いていないのだ
自分は介護とかで消耗したし年になって余計にそうなり人ごみの中に行きたくなくなったそれで仙台にすら去年は一回しか行っていない

この辺は高い山とかはないからものたりないが森は結構ある,飯館は70パーセント森だからここからも森がつづいている,その森が癒しになる
そして例えば橲原(じさばら)の入り口に立目石がある
それは変わらずある,その変わらないことが今や貴重なのである。
なぜなら右田の松原ですらなくなった,あまりにも変わりすぎたのである。
それは一身上でも家族がみんな死んだとかともり変化が激しすぎて消耗したのである。
だから変わらないでくれ,そこに変わらないものがいつまでもあってくれとなる
それは老人になるとそうなりやすい,変わりることが嫌だし対応できないのである。
若いときは常に変わっていた方が良かったのである。
老人になると変わることに耐えられなくなるのだ

もともと自然は変わらないの普通である。でも自然でも津浪で松原が喪失したとか変わるあとは工事で変わる,飯館村の大倉の坂を越えた所の小川はなくなった
とぎれどきれになた森が切られて道になったからである。
こうして自然も実は喪失したり変化するのである。
ただ自然でももしこの道が森のままだったらこの森を意識しないということがあった
ここに道ができてここに森があったということを意識するようになったからだ
だからこの道は自分にとってはいい道だったと思う,贅沢な道である。
ただ経済的効果からするとただ公共事業としての効果だったのかとなる
田舎では実際に道を作りすぎていたからである。
それは必要というより業者にとって仕事のために必要だったのである。


無意識に成長する木

車の通らない道
車の通らない道
深く影なして
涼しい風が通ってゆく
深い森に木がゆっくりと成長する
大地に根を張り成長する
栄養は尽きることがない
そんな心配をする必要がない
木は確実に時間の中に成長する
一分刻みの時間ではない
一年十年単位の時間である
木はそこにあっても意識しない
でも木は自ら成長する
深い森の中に音もなくゆっくりと
あらゆるものにせかされる
尽きない不満がおおっている
森に成長する木は何の不満もない
大いなる沈黙の中に
無意識に音もなく成長してゆく

自然は常に沈黙している,だから自然に同化するには沈黙が必要である。
自分は特殊な立場で禅僧のように沈黙する一面つづけてきた
そんなことができたのはつくづく環境に恵まれたのである。
自分は学校もそうだが会社勤めでもできない性質だった
体質的にもそうだった,何か規則通りにできない体なのである。
だから一番嫌だったのは学校だった
大学は授業に出なくてもいいから自分にとってはいものだった
その後自分は仕事もせず遂に老人になったのである。
これは恵まれた家庭環境があり自然とそうなっていたのである。

自然は人間のように意識をもたない,無意識なのである
これも不思議だと思う,人間は意識の塊りである。
常に意識して生きている,その意識することに疲れるのである。
自然は木でも岩でも森全体でも地球全体でも自ら意識することはない
それで苦しむということがないともなる
植物が苦しむということはないからである。
動物になると苦しむが植物や木や石でも何か意識しない
その無意識なるが故に無苦痛であり何か不安もない
人間は常に不安にさいなまさているのだ
それは常に何かを意識するからである。

ただ人間は意識するから生きている
意識がなくなることが実は死だったのである。
家族でも意識しているときは相手が誰かを知っている時は意識しているときは生きているその意識がなくなると死になるのである。
ただ人間は意識することで苦しむのである。
自然は無意識の世界だから癒される
あそこの道はそういう点で心を休めるのにはいい道である。
それが山の奥の方でなく近くにあるからいいのである。
結構あそこは森が深い場所だったのである。


木々の道、リスル=アダンの森
画家 : テオドール・ルソー

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この絵も大陸的である。大きな川が流れていて牛が水を飲んでいる
こういう光景は日本にはない,川が大きく広い
日本にはこうした大きな川がないのである。

ここのサイトは絵を紹介している,インターネットとはこうしてリンクして読むのが効果的なのである。
自分の関心からリンクして読む,「森の道」として画像検索してここのサイトを発見したからである。




2018年06月03日

夏の俳句十句(深野から大原から橲原(じさばら)へ)


夏の俳句十句(深野から大原から橲原(じさばら)へ)

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この尖る(とがる)岩が真ん中にあるのは庭作りの基本としてある
その横に石を置くのもそうである。
この庭も良く作られている,でも金がかかったろうなと思う

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夏雲雀鳴きあいロードに朝走る

朝走るロードにとばす夏燕

墓写す植田やここは長野かな

牧に馬真近に迫る夏の山

牧に草夏の小花や馬のいる

岩尖り夏日のさして庭の成る

草深くユッサの湯や夏あざみ

大原に知る人眠る夏木立

山の道車もまれに木蔭かな

清流に滝のひびきてホトトギス

若竹のたちまち伸びぬホトトギス

夏菊の明るさ広がり走り去る


もの静かアイリスを囲み夏菊の白さの映えて今日も暮れにき


原町の新田川の橋を渡り深野の方へ向かった,途中きれいな花畑があった,そこで写真にとった,あそこではいつも花が咲く
今回はロードで走った,やはり自転車はロードが最高なのである。
自転車が本当に好きな人は風をきって風にのって走るロードなのである。
ただロードは疲れることもある,でも何か今回買った自転車は買い物用であり手軽で小回りは聞くのだが自転車の醍醐味はロードにある
走り心地が全然違うからである。
でも別にどんな自転車であれ自分の場合は景色を楽しむということを優先しているからいいとはなる

長野と深野の境はわかりにくい,小学校は石神小学校なのである。
墓が田の中にあったり稲穂の中にあるのが田舎の典型的な風景なのだ
それは先祖が田の中に稲穂の中にいるという感じになる
先祖と結びついて代々の墓がある
ただ原発事故でそれが一時なくなったのである。
つまりそうして綿々とつづいてきた生業が原発事故によって断たれたのである。
今もまだそうして原野化しているところが結構あるからだ

ただそれはもともと後継ぐものがいなくてなっていて原発事故を契機にやめた人が多いのである
近くの小さな畑で野菜を作っている人を知っているがその隣の畑は今や草茫々である
やっと老人が車にのせられて這いながらやっていたのである。
しかし遂に力尽きたのである。
その結果草が生えて広がってくるから困るのである。
また回りが荒地化しているのも困るのである。
畑でもこうして跡継ぎがいないやる人がいなくなっているのだ
それが原発事故を契機に余計に増えたのである。

深野(ふこうの)のユッサは休むのにいい,食事もできるからだ
あそこの問題は庭が貧弱なのである。
個人の庭を紹介したがいい庭が結構多いのである。
自分は庭を見て歩いている,庭は個性があるから面白いのである。
ユッサの湯ならもっといい庭を作ってもらいたい
最近自分は旅館でもいい庭があるところに泊まりたいなと思うことがある
でもそういう旅館は相当に宿泊費が高くなる老舗の旅館だとなる
庭は京都では庭を見ることになるがやはり日本の文化なのである。

それから大原に回った,そこには南相馬市立病院で同じ部屋にいた農家の人と知りあったあの時病院の窓から大原の方が見えていつも大原のことをその人は話していたのである。そして死んでしまったのである。
今は長男は役所に勤め家は空家になっているのである。
その家は古い家である,なぜなら前田という地名の所に住んでいるからだ
前田とは草分けの農家が住んだ所なのである。

この辺は牧場がある,野馬追いのために馬を飼っているから馬を見れるのである。
これはこの辺の独特の風景である。
写真で失敗したのは背景として夏の山をとれば良かったなと思う
写真は意外にむずかしい、簡単なようでとういうふうに一枚の写真に納めるから構図をとるかむずかしい,ただ忙しいから写真をどうとるか考えられないのである。
ただ旅ではないから次は違った角度からとってみようとはなる

大原から橲原(じさばら)へ行く道は車がほとんど通らない,なぜあそこに道を作ったのかわからない,田舎では前から道が必要だから作っているより公共事業として業者に仕事を与えるということが多かったのである。
それで飯館村の大倉を超えた所は小川が流れ森に覆われた神秘的な場所だったが
道にしてその神秘的な自然は壊されたのである。
ただあそこは七曲がりの道で車では不便だから舗装の道にしたのである。

橲原(じさばら)では児童滝のところでホトトギスは身近に鋭く鳴いた
夏らしい,何か家にいて熱中症のようになった
外に出ないのになった,でも外で昨日も今日も自転車で走り汗をかいた
汗をかくと体温調節ができる,だから暑いからと家に籠もっているのも良くないと思った自分はとにかく家にそんなにじっとしていられない性格なのである。
ただ真夏は無理である,今はなんとか行ける

ともかく花も夏らしい花で一杯だし気持ちよく走り汗をかいた
今は写真の時代だから俳句にしても写真がないと映えないのである。
世界中で写真が無数にとられている時代でありインターネットで見れる時代なのである。

2018年05月31日

海底トンネル地底トンネル (Submarine tunnel underground tunnel)


海底トンネル地底トンネル

(Submarine tunnel underground tunnel)

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permanently frozen ground        enlarge


電車が海底を行く,それを絵画的に表現する,前に自分は鉄道模型で遊んでいた
その時電車にライトが光ったとき一番感動した
暗闇で走らせたとき一番感動した
それが影が映ったときが一番魅了されたのである。
それで海底トンネルのようなものを作って走らせたのである。

私は鉄道が好きだったから日本の鉄道はすべて乗った
ヨーロッパも乗ったしアメリカのアムトラックも乗った
遂に想像で海底トンネルを森の中を地底とンネル行くようになったともなる

たまたまインターネットの膨大な写真や絵を変形して創造したらそこに海底トンネルとか地底トンネルができたのである。
絵は全く描けないが絵のようにできたことで作り続けることになったのである。

Submarine tunnel underground tunnel


The train goes the ocean floor, expressing it pictorially, before I was playing with a railroad model
It was the most impressed when the light shone on the train then.
It was the most impressed when I ran in the dark
It was most fascinating when it was shadowed.
So I made something like a submarine tunnel and ran.

Because I liked railroads, I got all the railroads in Japan
I also rode in Europe and also got Amtrak in America
I finally came to go to the bottom with the underwater tunnel in the forest with my imagination

By deforming and creating a huge number of pictures and pictures of the Internet by chance, there were undersea tunnels and underground tunnels there.
Although I can not draw a picture at all, I decided to keep making it because I could do it like a picture.

2018年05月27日

夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)


夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)

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原町の道の駅の公園

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夏菊にホースに水やしぶきはぬ

夏菊や風にゆれにつ走るかな

夏菊やスーパーヒタチ走り去る

夏菊に風のそよぎて流る川

夏菊や幼児の声のひびきけり

老鶯や松原の影釣りの人

老鶯や木蔭に休み声を聞く

老鶯や住み着く人のなじむかな

無口なる畑に人や菖蒲咲く

素足にてクローバー踏む少女かな

花時計道の駅かな原町に

公園の大木の日影また休む

大岩に山芍薬や広き庭


籬より庭の見えるや青き花中に赤き花目立つ夏かな

急がずに風車の回る夏の日や津浪の後の景色変わりぬ

津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ





原町の道の駅の公園は子供も遊ぶし親も一緒に来るから活きている
でも公園は子供が二三人いるとか少ないし活気がない
公園は何か規制が多くて誰も利用しないとかの意見もある
あそこの公園は利用されているから活きている
道の駅でもあり外部の人もよるしいい場所なのである。
人間はやはりその場が活きるというとき人がいなと死んでいるとなる
道の駅とかは活気がある
素足で少女がクローバーの上を踏んでいるのも見ていて気持ちがいい

右田の松原はなくなったがその時のことを思い出す,松原の影に自分は休み釣りの人が必ずいたのである。今でも釣りしているがあの松原がなくなったから残念だとなる
ただもう思い出の中にしかそれがなくなった
それも不思議だとなる,変わって風車が回っているがあれは風で回るから自然の作用だから悪い感じはしない,ソーラーパネルは景観を乱す
風車も実際はあそこに森を作っても合わない,風車が大きいからである。
とにかくこれだけ風景が変わることが信じられないとなる
スーパーヒタチが走っていたときもあった,もう走らないというのも残念である。

河岸の復興住宅に住む人もなじんでゆくのか?老鶯が鳴いている
河岸の道はいい道である。桜が咲き葉桜になり今は日影となり涼しい、老鶯が鳴いている山シャクヤクが咲いていた庭があった,あそこの家の庭の岩は見物である。
自分は庭を見て回っている,青い花が咲いている庭を籬からとった
それに加工して絵のようにする,今は絵の才能無くても絵のようにできる
まず写真の時代は写真と絵を出さないと芸術にならないのである。
その面ではパソンコとかインターネットで即座に出せるから便利である。
日々の変化を写真に出せることがプログの強みなのである。











2018年05月24日

the sea and seabells (抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)


the sea and seabells

(抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)

Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans

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ipを数えたら確かに80人くらいの外国籍の人がアメリカ人がアクセスしている
一部は自分の日本語の文を読んでいる
でもほとんどは抽象画を見ているのだろう
絵画の写真の有利な点は見ればわかるからグローバル化しやすい
言葉はわかりにくいからできないのである。

つまり世界中の膨大な写真がビッグデーターとしてインターネットで見れるから
その変化も無限になる
私は全く絵の才能はないけどそれでも写真は誰でもとれる時代であり膨大なものが見れる時代である,だからそれらを利用して加工してまたあらたなものを作る
そういうことがパソコンでしやすいのである。


Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans
Some are reading their own Japanese sentences
But most of them are watching abstract paintings
It is easy to globalize because you can see the advantageous points of the picture of the painting
Because words are difficult to understand, they can not.

This means that enormous photographs from around the world can be seen on the Internet as big data
The change also becomes infinite
Although I have no talent for drawing at all, yet it is an era where anyone can take pictures and it is an era when enormous things are seen, so we will use them to process new things again
That is easy to do with a personal computer.

タグ:浜昼顔 seabell

2018年05月20日

南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)


南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)

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萱浜(カイハマ)の方へ

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枯れた林の木がまだ津浪の被害を残していた

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萱浜には特に移民の墓が多い
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公園の大木の影涼しかな

道の駅の公園の木

イオンの側の川の公園

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雉子が鳴いていた

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ほとんど全部クリック拡大しないと鮮明に見えないです



6号線夏野を通り海近し

夏野朝風車の回り沖に船

原町の郊外に赤しケシの花

萱浜に移民の墓や夏あざみ

黄菖蒲や朝の清流に写すかな

清流の岸に黄菖蒲雉子な鳴く

黄菖蒲に朝の流れやツバメ飛ぶ

小学校の運動会や桜草

原町の十字路に咲く薔薇の花

夏の山借景にして広き庭







今日は暑くない,さわやかな5月がもどった,一時急に暑くなり熱中症になったから外に出るのが怖かった,日差しもそれほどでもなくさわやかだった
それで原町まで萱浜の方を回った,夏の花がいたるところに咲いていた
朝から回り気持ち良かった

原町は鹿島などと比べると都会なのだが郊外が広いのである。
それが原町の特徴である。便利な街があり田園地帯も広い
どっちかというと原町が住みやすいだろう
だからもう浪江とか小高とか避難してきた人は帰らないというのもわかる
相当数補償金で家を建てたからである。
だからいくら帰れといってもすぐ近くがこんなに便利で被害もないのだから
こっちに移るとなる,こういうことも復興できないようにしている

昔だったら回りがどこも貧乏なのだから貧乏でがまんするが回りが便利で豊かな暮らしをしていたらそれができないのである。
だから浪江町長が二本松に家を建て飯館村の村長が福島市にマンションを買って暮らしているのである。
その孫は外から通っているのである。そのことが現代を象徴していたのである。
誰も廃墟化して荒廃した街には住みたくなくなったのである。
それがなにかにといっても現実だとなる

原町はイオンの近くの川がいい,あそこにはいつも夏菊が一面に咲く,夏菊が原町の花だと思う,相馬市は神社のある所に咲く藤の花である,飯館村は蛍袋とツリガネニンジンとかがあっていた
鹿島は菖蒲になるのか,何かその市町村にあった花がある
何か不思議なのは原町と相馬市は感覚的に相当違うのである。
原町は明治以降いち早く近代化して平と原町が機関区になり発展した
その歴史の差もある,それが影響して花も映えるとなる
外から来て相馬市と原町の差はわからないだろう

それはどこでもそうである。長くそこに住んでいないと土地のことがわからないのである
ともかく5月は一番さわやかな季節だった,だから最近異常に暑くなるのは気候的に変だった,それで調子を崩した,今日は本当に気持ちいい日だった
これだったら遠くに行けるなと思った,日差しの度合いが違うのである。
日差しが強いと後で熱中症になるようになった
だからそうなると恐怖で自転車でも出れなくなるから辛いとなる

2018年05月15日

葉桜、新緑(写真(映像)の時代)


葉桜、新緑(写真(映像)の時代)

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葉桜や常なる道をまた歩む

新緑の葉群の密にその中に山鳩休み風のそよぎぬ

公園の木蔭に休み新緑に風のそよぎて山鳩を見ゆ


桜の花が咲いているときは華やかなときである。その花も散ってしまいば人との夢のようになり元の葉桜にもぎとったともなる
その葉桜の影なす道を歩むのは地元に住んでいる人である
葉桜を見に来る人はいないからだ
その季節の変化があり遠くに行かなくても何か堅実な生活がつづくともなる
旅をしている時は空間の旅であり時間軸ではない,次々に変わる地点の変化なのである。だから意外と旅だけでは深い精神性は得られないともなる
花の咲くときは一時であり今はなにもない,夢のようであったとなる
でも葉桜の季節は長いのである。それが日常なのである。

今日公園に休んでいたらこの写真がとれた,これもいい写真だった,いい場面がシーンがあったからとれた
この山鳩は長くとまっていた,あそこなら邪魔にはならないしいい場所である
つくづく今は写真の時代である。写真抜きでは報道でもなんでも語れないのである。
それからアニメがこれほどもてはやされるのもそうである。
映像の時代なのである。それはテレビからはじまったがデジカメになりスマホになりインターネットにすぐにその写真が出せる,すると膨大な写真がインターネットに出る
それで写俳という分野も生まれたのである。
俳句でも短歌でも写真があればより訴えるものが生まれるからだ
ただ写真だけでは内面とか精神を深めるものとはならない
そこにどうしても言葉が必要になる

葉桜の俳句でも何の変哲もないがやはり精神的なものとして読む,葉桜という季語自体が華やかに桜が咲く季(とき)があっというまに終わり葉桜になったということで季語となるではこれだけ写真の時代なのだから写真から俳句でも短歌でも
詩でも作れるのではないか?
そう思う写真を見ただけではできない,それはなぜなのか?
やはりその場の雰囲気を写真だけでは表現できないのである。

この写真をとったのは公園であり藤の花の木蔭に自分は休んでいた,そこからこの写真をとった,その場面は立体的であり空間がある,そして風は写真では表現できないのである写真は停止しているからである。ビデオだと確かに風を表現できてもこれも全部は無理である。
ビデオを見てもそれで詩とか俳句短歌でも作れないのである。
やはりその場の雰囲気は写真では表現できないし伝えられないのである。
ただ自分がしている抽象画もインターネット上に無数の写真と映像があるからできたものなのである。これもパソコンやインターネットなどの映像時代になったときできた芸術だともなる

映像の時代というときこれからは教育の分野ですすんでくる,今までは教科書ばかりで習っていたがその習う範囲が広くなる
これからの人達は今までの人より何か創造性を発揮するかもしれない
アニメの南北朝の解説を見てわかりやすかった,あういうのはNHKの教育番組で作っていた,今はこうして民間でも放送する
つまり学ぶ手段が飛躍的に増えたのである。するとこういう時代は暗記一辺倒ではない創造的教育になり天才も生まれやすいとなるかもしれない

言葉というのはやはり映像からするととりつきにくいからだ,ただ映像ですべてが現されるかというとそうはいかない,かえって映像がありすぎて人間の想像力が衰退することもありうる,つまり人間が旅するに歩かなくなったら五感が衰退したのと同じである。
ただ写真にしても近間でも絵になるものがあると思った
ただ今までもあったのだが発見されなかったのである。

タグ:新緑 葉桜 山鳩

2018年05月14日

春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)


春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)

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ここはひびくよう滝ではなかった

もっと下の方だとひびく滝があった,あそこに桜が咲いていた

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これは山上の谷野原の寺の跡なのである。
これがいつの時代のものかわかりにくかった



この山路誰かすみなめ石一つ春の日さして家の隠りぬ

佐須の村住む人なきやあわれかな墓をたずねて春の日暮れぬ

春なれど住む人なきを悲しみぬ佐須の村に来て花は咲けども

ここにある墓もなしかもいづこへと人は去りにき春となりしも

春となり乳神の碑ある家にきて誰か住みなむ佐須村に来ぬ

南朝の栄一時霊山を落ち延ぶ武士や花の吹き散る

山桜はや散りにしをそのあとに滝の轟き夕暮れにけり

野馬追いの旗にし残る南朝の落ち延ぶ武士やその裔を知るかな

寺の跡古き碑ありぬ春の日や心残りて夕べ去りにき

南朝の裔も交じりつ相馬氏の治めし城や時は経にしも


歴史は時代がありその時代の後先が混同するのが一番の問題である。
郷土史研究でもまず村の新旧を知れというときそうである。
この村はこの家は古いのか新しいのかが最初の問題なのである。
なぜなら日本全国で戦後引揚者が山の奥地まで開墾に入ったからである。
そういう村は新しいのである。
そしてそういう村でも江戸時代からつづいている村なのである。

飯館村の佐須というのは佐須(サス)焼き畑のことである。
だからこの焼き畑地名は本当に多い,街の中でも反(ソリ)とつく焼畑地名だったりするからいたるところ焼畑にした,なぜなら今でも農業で一番苦労しているのが肥料だからである。森でも焼き払って灰を肥料にするのが楽だからそうなった
佐須村も江戸時代からあり古いのである。

あそこに乳神の碑が畑にあった,それは明治のものだった,ということは明治時代でも生活は厳しかった,その時牛など飼っていないから牛乳がとれないからである。
戦後自分が生まれ時戦争が終わった時であり牛乳が欲しかったから父親が並んで買ってきたという,その時極端な物不足になっていたのだ
そういう苦労があって自分も育ったというときそれも歴史を知ることなのである。
だから両親とか祖父母から聞く話がまず歴史なのである。

佐須村では人は住んでいるのもみかけるがほとんど住んでいない,一割にも満たない感じかもしれない,ただ全く人が住んでいないのではない,住んでいる
佐須村の中心部で家が多いところには人は住んでいないみたいだ
もともと人が少ないのだから家が多いところに人が住んでいないようでは淋しいとなる
廃村の風景なのである。

あの辺に墓があったりしたがその墓すらなくなった,つまり人が移住すると墓も移住するからである。
佐須村は別である。墓がなくなったのは佐須村へ来る途中の一軒二軒家があったところである。菅野とかあり飯館村の町長もこの村の出なのである。
何か飯館村も原発事故では有名になったとは言える
自分は必ず墓を訪ねているのである。その墓を見て郷土史に興味をもったとなる
墓は資料とは違う,ここに現実に生きた人が眠っているという感覚になるからだ

霊山への道はこの辺では大きな歴史の道である。南朝の城が霊山にあり十年ほどで炎上してその落武者が逃れた道でありその人たちが相馬市と南相馬市の鹿島区の真野に逃れた
この伝説は明確な歴史であり祭りとして残された
鹿島区の只野氏について書いたが只野という姓は本当に鹿島区で多いのである。

何かを自然でも歴史があると違って見える,霊山は歴史の山でもある
だから相馬市の方へ下るとき滝がありとどろく,そこは桜が散ったあとだったのである。何かそれを山桜が散るというとき南朝の滅びを感じる
それは歴史の道になっているからだ
だからやはり最低限をどこでも歴史があるから歴史を知る必要があるのだ
それを知らないとただ自然の中で山桜が散ったとしかならないのである。

ともかく飯館村でも人が住まなくなるとそうした歴史を偲ぶこともできなくなる
佐須村でも人が住まなければそこはどうなるのか?
歴史の道というのではなく廃墟の道,廃村の道となってしまう。
歴史の道というとき何かそこはただの自然ではない,人間の悲哀とかが自然に折り込まれたものとして見るのである。
そういうものは奈良とか京都では歴史があるから常に歴史的に自然でも見ているのである大坂城の桜でもそうである。そこに散る桜はそこで繰り広げられた人間の戦いの跡であり栄華の跡だからこそなんともいえぬものとなる,それが歴史なのである。
東北では桜でも何かそれだけの歴史がないから感じるものがないともなる

歴史を見るときやはり時代が大事である,新旧が大事である。
相馬の城というけどそれは南朝時代の後なのである。
霊山の南朝が滅びたときは今の相馬市には城がなかったのである。
でも南朝が落ち延びてその一族がやがて相馬氏に吸収されて野馬追いに出るようになった只野氏の杉の旗がそうである。他にも南朝が滅びて霊山を落ち延びたとき桑折氏とかもその一族だったのである。それは鹿島区の真野の中館に屋敷を構えたのである

谷野原の寺の跡だったというところには古い碑が集められている
あそこは何か不思議である。江戸時代からあったのだろう
ただ谷野原村というのはない,山上村の一部なのだろう
山上村には山王神社がある,山王の旗が野馬追いに出るがそれが南朝方である。
だから野馬追いの旗では南朝に由来するものは分類できるとなる
一番多いの只野氏の旗なので

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)









2018年05月12日

南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)


南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)

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原町区のダイユーエイトの近く

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上真野川をさかのぼる

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新しくできたつつじの道

地図はクリック拡大


今は藤の花の時期である。南相馬市で藤の花のきれいな場所というと原町区のダイユーエイトの近くの農家であるここでは白藤も多く咲いているから見物である。

それから今日発見したのが上真野側(水無川)をさかのほった所の善徳橋がある所である。ここは桜も咲き柳もありいい場所である。
古い蔵があり落椿がきれいな場所でもあった

最近作ったのか?つつじの道が作られていた,公園ではないが田んぼの回りに作っていた
あそこは自転車でも通れる

それから前に写真に出した老木のある場所は岡和田の辺りだろう
あれもめずらしいし今は都忘れが咲いているのもあっている

南相馬市でも広いから桜でも藤の花でもその他花を見れる場がある
ただ意外とその場所がわかりにくいのである。
桜でも自分の知らない場所に咲いているとしてわからないのである。

車だと通りすぎるから場所を特定しないとわかりにくくなる
地図で指摘したからそこに行けばわかるだろう

観光というときいろいろあるがやはり春から夏は花がいろいろ咲く,それがどこに咲いているか意外と近くでもわからないのである。

藤の花だとあとは相馬市の城跡の神社は咲いているからわかりやすいがその他はわかりにくいのである。
今回でも近くにいい藤の花を発見したのである。

観光は名所だけをめぐるのではない,その土地土地に見るべきものがある,ただそれは目立たないし案内がないのである。
株でも投資信託でももうけているのは知らないものだというとき世の中はそういうことがある
宣伝されるものが売り込まれるものがいいものとは限らないのである。
かえって知らない隠されたところに見るべきものがある
そういうものは自分の目で発見するほかないのである。

宣伝されるものは一般向きのものであり旅の番組でもテレビ局で大衆受けするもの視聴率をとるものにする
でも実際見るべきものはほかにいろいろとあるのだ
だから最近鉄道番組でもありふれて面白くないと思った
もっと細部に注意して編集すれば面白くなる
でもそうなると視聴率は稼げないのである。
そういう番組はyoutubeとかで作ればいいとなるが手間になる
つまり自分なりのものを作ればそれは自分にとってもあとは少数者でも興味ある人には面白いとなる

2018年05月11日

藤の花,菖蒲,つつじの季節


藤の花,菖蒲,つつじの季節

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セディティになお人多し夕燕

蛙鳴く前田や農家もどりなむ

舞入りて二色のつつじ揚羽かな

つつじ咲き駅に出入りや通りかな


朝の海夏の光りのきらめきつ漁船一掃すぎてゆくかな

水張りし田に映れる藤の花農家の古く夕暮るるかな

雨しとと菖蒲のぬれてこの道や今日も通いて買い物に行く


この季節は夏までは自然も天候も変化しやすい,桜が散ってすぐに夏になり藤の花となり菖蒲となりつつじの季節である。
一度にいろいろ咲くから追いついていけない

原町の金沢の坂を上る所にある農家は悠々としていい,あそこにたくさんの藤の花が咲いて倉があり落ち着く,田舎の風景の中心は以前として農家ということがある
風景から見ればそうであるが仕事からみればそうではない
それで前田という地名のあるところは古い草分けの農家が最初に入ってきたところである前田から開墾されて一つの村が形成されたということがある
この辺では原発事故で避難区域になったところでは前田に田植えが行われて蛙が鳴いたとき復興したとなる,そのことは書いてきた
蛙も実は村の一員のようになっていたのである。

今日朝に街中を行ってみたのは二色のつつじである。白と赤である。
そこに揚羽蝶が舞い入っていた
揚羽にその二色のつつじが映えていた
自然はこのように調和するのである。
ただ人間だとつつじを女性のように見るが争いが常にあるからだめなのである。

ともかく常磐高速のSAのセディティは一日人が絶えない,おそらく楢葉の方にはPAがあるがあそこが一番大きいからそうなっているのだろう
食事もできるとか大きいのである。
花でもやはり人が行き来しないと映えないことがある,赤いつつじだとやはり駅に今咲いているがもっと人の出入りがあれば映えるとなる

自分は今や遠くに行かない,近間を回っているだけである
仙台にすら一年行っていない,それでも近くでも結構見るものがあるなと思った
街の通りに菖蒲が咲いている,すると昨日は雨にぬれて咲いていた
そして自分は毎日買い物である。ただありふれた日常であるがその中に紫の菖蒲が咲いていることはあっている
何かその街にいつくというかなじむという感じになる
つまり何か特別なことではなくても日常の中に詩があるともなる,美があるともなる
それは自分が毎日買い物しているから紫の菖蒲が映えるともなる



2018年05月08日

キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)


キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)

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タンポポの雉子に満ち咲き映えにけり

たんぽぽや復興団地にあまたかな

老木に都忘れのあわれかな


タンポポが一面に咲きキジがいる,キジはこのタンポポに飾られている,自然とキジは調和して美しいとなる
でもこのキジは畑を荒らすやっかいなものなのである。
そのことで小さな畑で野菜を作る女性が常にそのことを言う,キジに食われるのである。キジは大きいから畑のものを食べるにしても雀のようなものとは違う
これは畑を作るものにとって害鳥になるのだ
それでネットを張って防ごうとするがその人には金がないからまた金を出してくれとなる何かそういうことが畑でつづいている,種が高いとか肥料が買うのに大変だとか延々とそうなる,まずそれで収穫するのはほんのわずかなのである。
買った方がそんな金がかからないからいいとなる
ただ荒地にしておくのは良くないからしているが金がかかるのである。

もしこの畑で野菜を作っている人とかかわらなかったらこうは見ていない,ただ自然は美しいな調和しているなと見ているだけだったのである。
今まではそういう人とつきあっていないからそうだった,ただ自然の美だけを見ていたのである。
これもまた矛盾であった,これまで述べたように野菜作り花作りはにているのである
肥料とか水はけとか植え替えだとか美しい花を見るにはそうして苦労しないと見れない
それは野菜と同じなのである。
ただ自然に放っておいては見れないのである。

つくづく人間は矛盾している,こういう矛盾はいくらでもある、自分も矛盾している
花の美だけを見ているが花を育てるにはやはり野菜を作るように土とか肥料でも虫にもやられるから薬を使うとかなる
美しい花だけを見るというだけにはいかないのである。

ただキジをタンポポの原の中で見たときは本当に調和していた,キジはタンポポに飾られていた,その時人間にはないもの自然の中でタンポポに飾られていた
その美は人間が作り出した美とは違う,自然が作り出したものである。
それは最も美しいものである。人間は何かこうした美が作り出せない
人間が作ったものでこうした美は生まれないのである。

本当に着飾った女性が美しいのか?そこにこのように自然の美が生まれるのとは違う
第一その衣装を作るのには手間もかかり労苦から産み出される
でも自然のものはそういう衣装がなくてもキジでもキジ自体が美しいのである。
別に着物を着なくてもそれ自体が飾られている
何の労苦もなく飾られている

生命は糧(かて)にまさり、體は衣に勝るならずや。 
空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。
汝らは之よりも遙(はるか)に優るる者ならずや。 
汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長(たけ)一尺を加へ得んや。

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。 
されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及(し)かざりき。

聖書だとキリストはこう言っている,キジを見ればわかる,キジの体は衣がなくても美しいのであり飾られている

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。

労せずして紡ぐとは働かないで自然のものは美しいのである。
人間はなぜこれほど労して働いているのに美しいものを作り出せないのか?
それは自然を見ていれば言えるのである。

ただここでも矛盾しているのである。人間は畑で働いて実りを作り出す,そこにキジが来て食い荒らす,キジはその時人間にとって害鳥になるのである。

だからキジは人間がとらえて前は銃で打って殺していた,食料にしていた
食料として人間の役にたてとなるのである。
人間から見ると動物はそういうものにもなる、ただもし人間がいなければキジはそういうことはない,自然の中で調和して生きていたとなる
別に人間が作った畑が無くても自然界には餌となるものがあるからだ
こうした矛盾は人間が自然の中でいきはじめたときからあったのである。

あの老木は不思議である。本当に生きている?あれでも生きているのかとなる
そこに都忘れが咲いているというのもあっている
まさにそれは自分を象徴している,京都に都に行った日は遠くなり忘れたともなるからだ


2018年05月06日

常磐高速のセディティに市がたつ (苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)


常磐高速のセディティに市がたつ

(苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)

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苔の店と陶器の店

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隣の陶器の店で売っていたもの

海の底のような感じでいい,日常的に使うのはどうか?飾ってゆくのにはいいかも


高速のサービスエリアは連休でにくぎわっていた,店がいくつか出ていた
カレーとナンを売っているのはインド人である。
これはこの辺では売っていない,福島市と仙台市ではナンを出しているレストランで食べたことがあった
だからこの辺ではナンは食べられない,炭火で焼くナンである
他にたこ焼き屋とかも店を出していた,その店の人は知っているおくさんは中国のハルピンから来た人である。これでちょっと国際的になっていることがわかる

山の頂上をイメージしたものを枯木と苔で作った創作品を出していた,この人とは前にあいやはり苔に枯木をあしらったものを買った
今回の出したのはもっといいものである。山の頂上の感じを出した逸品である
その他「やましゃく」とかもだしていた,ヤマサトと聞こえたが山芍薬のことである。

「こんなもの山に咲いているですか」
「咲いていますよ」
「この辺では見ないでしょう」
「これは山形でとってきたものです」
「こいうものは山に入ってもめったに見れないでしょう」
「これは高いですよ,5000円くらい軽くしますよ」
「これは山で見ることはめったにないでしょう」

このヤマシャクヤクははじめて知った
ヤマシャクヤクは山に咲く芍薬でありヤマアジサイとなると山に咲くアジサイとなる
ヤマジサというのもありヤマのジサの木のことであるらしい。橲原(じさばら)という村の名前もある、ヤマシャクはこれはめったに見れない,これは四日くらい咲いて散るとなれば余計に見れない,神秘的な花だとなる

それからこの野草などを売る店の主人は植物に詳しい,前も道の駅で枯木に苔をあしらったものを買ったことがある,今回の作品は前より山の頂上の感じを出しているので傑作である。ただまだ苔が成長していないので残念である,これから成長するという
その人は苔に関心がある,苔にもいろいろ種類があるという,苔は三種類からは知っているけど実際苔の種類は多いのである。

コケ(蘚苔類)の種類は、世界で約二万種ほどありますが、そのうちの1/10、約1800種のコケが日本国内に生育しております。こんな小さな島国に、1800種ものコケ!
日本は、自然豊かなコケ大国なのです。

苔(コケ)は、意外に寒さには強いようです。
しかし、乾燥した冷たい風にさらされると
茶色っぽっく変色して枯れたようになります。
でも枯れてしまったわけではありません。
春になればまた緑色に回復します。
気温の下がる冬、屋外の苔は休眠します。
あたたかい室内に置いた苔は
休眠せず成長を続けます。
冬でも苔の緑を楽しむには
あたたかい室内に置くことです。

苔も不思議である。その人は地球の最初の植物は苔だったという,苔は冬にも強いというとき北欧ではトナカイは雪に埋まっても苔をほじくりだして食べていたテレビを見たことがある,苔がその時貴重な食料となって冬を生き延びていたのである。
苔があるからトナカイも冬を生き延びることができていたのである。
冬は乾いて乾燥して死んだように色もあせるが死んではいない,休眠しているだけでありまた緑の色にもどる,イワヒバも死んだように色が変わりまるまるが死んでいないのである。そうして休眠することができるからこそ冬を生き延びることができるのとなる
植物も冬眠するのかとなる

南方 熊楠(みなかた くまぐす)

生物学(特に菌類学)
民俗学
研究機関大英博物館
主な業績粘菌の研究

この人は外国まで言って苔を研究していたのである。熊野の森は深いから研究には適地だった

 タブノキ(クスノキ科)の朽ち木から採集した粘菌の一種が新種と認められた。熊楠が発見した10種の新種粘菌のうち最初のもの

ただこの辺の植物は生きるのに結構過酷だという,冬は風が吹くし乾燥しているし浜通りは意外と季節的に厳しいと言っていた,なぜそういうかというとその人は植物を苔でも他の花とかでも育てているからそう言っているのである。
かえって雪国は雪が温度が一定して保温してくれるから植物にはいいと言っていたのも意外だった
その人は朽木に興味がありそれに苔をあしらうのに苦労していたのである。

その名も「雪の下大根」は、甘くみずみずしく、食感はまるで梨のよう!!

越冬野菜にとっての最適な条件は、温度が常に0℃にであること、そして、適度な水分が保たれることです。0℃という条件だけでは野菜がパサパサになってしまいますが、雪の下に埋めることで雪がほどよく解けて水分が保たれるので、みずみずしさが増すのです。

雪国を見ると雪に埋もれて何もないようでもこうして恵みを与えるのもつくづく自然だと思った,恵みはどんなところでもある,かえって浜通りが気候的に厳しいというのは意外だったのである。
その人はとにかく苔を成長させたり植物をいかに成長させるか取り扱うかに苦労しているからである,それは野菜を作るとかとにているのである。
その人は山から何か植物を花でも採集するのだがそれもかなり苦労している、うまつやらないと植物がそこなわれるからである。

そして面白い話として虫に食われて茎がだめにして花もだめになるが山の自然の植物はその虫に一部食われても根が他にも伸びてまたそこから茎が伸びて花を咲かせるとか言っていた,植物でも野菜でも虫も大敵なのである。だから薬を使うのである。

一人の客が来た,その人はまた私はクリスマスローズをやっているんですとクリスマスローズの原種をもっているという,それの花は小さいという,花を大きくしたのは品種改良したからである。チューリップの原産はトルコにありその花は小さいのである
でもオランダで品種改良して大きくして種類も増やしたのである。
その人はクリスマスローズを専門にしているから店を出した人もその話を聞いて感心していたのである。
とにかく植物の話になるときりがないのである。肥料がどうだとなるとその人はクリスマスローズいかに扱うかを知っている,しそれを試行錯誤している,つまり花一つにとってもその扱い方が変わるからそうした話はきりがないのでありあらゆるものを成長させることを知っている人はありえないのである。
それだけ広い分野になる,農業とにているのである。
自分は花の美しさを主に見ているがそれを育てるとなるとその知識も膨大でありそれも試してみないとわからないから詳しくなることは至難だとなる
そこで売っている人もあらゆくことには通じていないけど苔とか山の植物を扱っているからその苦労を語るのである。

要するにクリスマスローズに詳しい人はは南相馬市内に住んでいる人である。
その人は互いに親しくなりたいようだったが売る方の人はちょっと変わっているから警戒していて家まで来るのは困るとと断っていた
その人は相馬市の人であった,その人は歴史好きでもあり住んでいる場所のことをしきりに語っていた,姓は伊達である,伊達と相馬の境に住んでいるという,だからそういう歴史に興味をもっている,新地は伊達領だったからである。
海に近いから何か港があったのではないかとも言っていた,塚部という所に住んでいる
それでしきりにそのことを言うからおそらく田んぼの前は塚がありその塚があったから塚部(かつのべ)となったと自分は推測して言った,ただその土地についてはわからない
地名の方が先にあるからそうだと思った,何かその辺で争いがあり墓があって塚となっていたのかともその人は言ったからだ,でも塚というときもしかしたら古墳があるところとなると相当に古いとなるのである。地名は相当に古いからである

その人は歴史にも興味があるといっていた,それでいろいろ話もした,相馬市は実際良くわからないことがある,それは次に書いてみよう。
郷土史というとき実は範囲が広いのである。土地の気候とかどういう植物が生えているとかもそうである。だから今回浜通りが植物の野菜などの生育には雪が降らないのに厳しいというのが意外だったのである。
その地域にはこうしてその土地土地の風土がありそれを基本的に体感しないとその土地のことはわからないのである。
だからそういうことは農家の人が詳しいとなる,ただ花栽培となると野菜作りともにているのである。肥料とか水はけとか植え替えとかなんとかきりなくその扱う方法があるからである。

隣は前も陶器を売っていた,ただここの場所代一日でも7000円とられるという
それで二人で払っているという,7000円は高いとしきりに言う,自分もそう思った
なぜなら半日くらいそこにいたが食べ物と違い売れないからである。
その人は趣味でやっているからいいのかもしれないが場所代も稼げないとなるからであるその場所代は県の方に払われるらしい,というのは道路は県で管理しているからである。セディティは本当に人の出入りが多い,それで警備員が十人もいるのである。
車の誘導などをしているからだ

ただ出店とかは今はあまり見かけない,なんでも日頃売っているからそうなる
昔だったら市場は日を決めて月に何回かしかない,それで二日市とか四日市とか五日市七日市八日市一〇日市廿日市とか地名化しているのである。
今回はその市が小規模だが復活したとなる,その時ここはただ物を売り買いするだけでなく情報をやりとりする場にもなる
それでしきりにクリスマスローズに詳しい人がその人と親しくなりたくなっていたのである。同じ趣味で親しくなりたくなっていたのである。
遊牧民とかなるとまず離れて暮らしているからめったに会わない,すると市がたつとき会うからそこでいろいろな生の情報に接するのである。
だから嫁探しに来るという人もいたのである。

つまり市とはただ物を売る場ではないのである。人間的な場なのである。
そういう機能もあったのだが現代はただ物を売る場でしかなくなって市が消えてたのである
市が立つということは祭りだったのである。祭りの日に出店が並ぶからである。
今回はその市がたった頃のことが復元したとはなる
とにかくあそこだけが人が集まる都会なのである。あれだけの人の出入りがある所はこの辺でないのである。それも遠くから来る人が多いからである。
連休では特にそうだった,ただ別に遠くに来たからといって自分は話はしないしできない駅と違ってここではできない,だからどういう人が来ているのかわからないのである。
ただ野草を売っている人がいてそういう植物に詳しい人が互いに情報交換するということがあった,それが市のもつ機能だったのであり人間の出会いの場を提供していたのである

ともかく連休も終わった,みんなどんな思い出を作ったのか?
自分は今は遠く行かない,近くでも究めるものがあり意外と人間は灯台もと暗しであり知らないことがある,見逃されているのである。
どんな人が住んでいるかも知らないのである。郷土史となるとやはりそこに住んでいる人も対象になる、あの人はあまり話しないが今回はずんぶん話した
家のことも話したのである。だから次にそれを書いてみよう
ただ歴史に興味があるとしても基本的なことは知らない,それが学者と違う
でもあの人から家でも歴史がたどれるのである。
なぜなら伊達という姓自体がそれを物語っていたからである。

最後に苔というとき自分は金閣寺で苔に落ちていた真っ赤な椿を見た
それを今になって思い出した,それはすでに三〇年もすぎているかもしれない
なぜそれだけを思い出したのか,やはりそれが鮮烈だったからかもしれない
それで俳句を作った

椿散る苔に赤しや金閣寺

何かこれが京都らしいとなる,苔寺などもあるのが京都の庭だからである。
つまり椿の赤さと苔の緑と金閣寺の金色が映えているのだ
その対象が鮮烈なものとなっているからだ
苔寺に散る椿の写真がインターネットにある

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夏の季語として苔の花もある,微小な花である

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霊山の苔清水



霊山の岩黒々と苔清水

苔清水修行の僧の霊山に

苔清水というと夏の季語だが自分が行ったのは春だった,でもあの清水はまさに苔清水だったのである。霊山は南朝の城がある前に天台宗の修行の僧が住んでいたのである。
ともかく歴史的に生物学的に地質学的に美的に文学的に宗教的にとか郷土史の範囲は広いのである。
だからとても一人では郷土史は研究できないしそれだけの能力も自分にはない

だから今日花を咲かせるのに植物を扱うのにいかにその実践的知識が必要なのか
一つの花を究めるだけでも大変なのである。すると花の種類も多いからそれにあった扱いが必要となるときそれだけの知識を得ることは不可能だとなる
そのことでもいかに郷土史の範囲が狭いようで広いことがわかるのである。

2018年05月04日

歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで) (都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで)

(都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


小島田から坂を上るところの脇の道は細い,そこを旅人二人歩いた,話ながら歩いた
そこで八重桜を見て今藤の花をみていると歩きながら語った
別にその人は風流とか俳句とか作る人ではないだろう
でも何かそのことだけでも花を見ていたのだと感じた

旅人の行くや道の辺に夏の蝶

旅人と歩きつつ話し夏燕


その道は細いから道の辺の草むらに夏の蝶,揚羽がとまっていた
歩く旅人がその時絵になるのだ,歩く旅人は浮世絵にも描かれたようにそれだけで絵になっているのだ,そんな当たり前のことが現代から消えたのである。
こういう風に感じたのももし六号線の坂を上っていたら感じないのである。
そこは細道ではないからだ,奥の細道というように江戸時代はみんな細道だから人が歩き自然を感じ道連れにになり人情を感じる旅になっていたのだ

旅人が消えたというときみんな車が主役になったからである。
車が国道を流れてゆくだけでありそこに人は主役になっていないのてある。
車に人がいるとも思えないのである。車という機械だけが流れてゆくようにしか見えないのである。車という物体が流れてゆく,通りすぎてゆくだけなのである。
こういう風景が日常風景になったとき人間はそれが当たり前となり何も感じないのである
旅というのは歩きながら自然と共感して一体になることでもある
雲水とかいて修行者もそうして歩いたのである。

人間は今やその基本である歩くとういことをしない,奪われたのである。
だから旅人もいない,ただ車という機械だけが流れすぎてゆくだけの無味乾燥なものとなっている
ただそんなことをとりたてて取り上げる人もいないのである。
そんなことを言うのはもう異常なこの世から離れた世捨て人でもあるとかなる
それだけ人間は人間の基本である,歩くということ,それがなくなったのである。
原始時代から人間は歩くことが基本としてあった,そもそも人間は二本足立った,歩くことで人間になったとされる

木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、(心の青雲ー都築詠一氏)

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

心の青雲の著者の都築詠一氏が死んだがそのことを哲学的に追及した,この掲示板にそのことがでている,哲学的になってむずかしいが人間の認識の基礎は歩くことによって培われたとなる
それで歩くことがなくなったとき人間はどうなるのか?人間の認識は浅薄なものとなる
大地から離れたものとなる,しっかりと大地を歩むことにより人間は大地と一体となるのだ,その基本が失われた時人間は自然を認識できないともなるのだ
この辺はもっと考察する必要がある

ここでは人間が歩いて旅するということで人間を見直す人間の認識の根源に還るとなるとおおげさだがそういうことが実際にあると思う
人間の思考が認識が現代人は深まらないのは歩かないからである。
都築詠一氏は重い荷物をもって歩くことを基礎にして空手に精進したのである。
今や歩くことはこのように自らに課さないとできないのである。
彼自身もこのように歩いて精進していた,それで日本兵が長い距離を歩けた体力と精神力に感心していたのである。
またその時は車のない時代だから歩く力があったとなる
心の青雲の都築詠一氏については最近書いていなかった,ただ歩くことによって日々鍛練していたのである。

ともかく自分自身が今回の経験が不思議だった,共に歩く経験をしていないからである
自転車と歩くのとはまた違うからである。歩く方が認識が深まることはまちがいない
歩いたからこそ道の辺の夏の蝶を見たりして心にとどめるのである。
自転車だと通りすぎてしまうということもある
歩くことただ歩くことが今や人間回復の道である。
歩いて自然でもまわりを認識することが人間回復なのである。
これも都会だとあまりにも雑音が多すぎるから深い認識ができないのである。
歩く禅というのもあるから無心になり歩くということが修行でもある
それで山頭火が歩いて旅して俳句を作った

原町に今日泊まれる旅人や明日またたたむ夏の星かな

夏になると旅人が増える,自転車の旅人もふえる,ただ鉄道はまだこの辺はいわきまではつながっていない,だから六号線をずっといわきまでは歩くことができないのである。
途中は放射線量が高いので六号線は歩いては通れない,あと二年後には開通する
その時浪江とか小高でも人が前よりは帰っているし道がつながるし鉄道もつながるとなる日本後となると震災から9年とかなるから長かかったなとなる

なんか自分は旅していないが歩く旅人が来て自分も旅している感覚になった
つまり歩く旅人とは共感するのである。


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


今日六号線を歩いていた人は亘理から歩いてきた,その人は大船渡の吉浜から歩いてきたのである。約500キロ歩いたという
その人は67歳である。この年でこれだけ歩くのは相当な体力がある
自分はこれだけ旅しても歩いた旅を経験していないのである。
だから歩く旅がどういうものかわからない,自転車ではしても歩くのはまた違っているからだ
ただ歩く旅は国道沿いを歩くからそこは歩く人が主役ではない,車が主役なのである。
それはどこでもそうだが特に国道はそうなる
どうしても遠くから来るとわかりやすい道を行くことになるから国道になる
そして国道沿いにはコンビニとかあり休める所があるからいい,それは昔の茶店になるからだ
まずほんとうき旅は未知の世界へ旅することだがそれは今ありえないのである。
自分は阿武隈高原を自転車で気ままに旅するときそうだった
どっちの未知を行こうかなと分かれ道を自由に選んで走っていたのである。

今日はこの旅人小島田から坂になっている所の脇道を案内して一緒にずっと歩いた
その人とは話ができた,何かそうしてかかわることを嫌がる人が多い
でもなんとかその人とは話ができて1キロくらい一緒に歩み話したのである。
その人は神戸の人であった
みちのくの旅は大船渡の吉浜からはじまっている,一日平均50キロは歩いている
500キロとすると10日間歩いたのかとなる
江戸時代でも約40、50キロ歩いたとなるからスピードとしてはそのくらい歩いたのかとなる,ただ今は道がいいからそのくらいは歩める
でもつくづく体力の差がある,その人の足を見たら太いのである。
その人はマラソンもやっていて日頃歩く旅をしているからできたという
継続していたからできたという,日頃していれば歩く旅もできるとういことかもしれないでも自分は50キロ自転車で走っただけでも相当に疲れる

自転車の旅だと途中で休むことができるし栄養もとることができるからつづけられる
登山はそれができないから苦しくなる
自分は旅してきたから旅する人に興味がある
でも車とかバイクはだめである。早すぎるからである。そういう人とは話もできなかった自転車の旅の人だと話ができるのである。

とにかくその人は自分は旅しているのではないが一キロを同伴した,そして藤の花がそちこに咲いている
その人はみちのくには桜が散って八重桜の時来て今は藤の花になった
それで芭蕉の句を思い出した

 草臥れて宿かるころや藤の花

まさにこれだった,歩いているからこそこの句ができたのであり奥の細道でも歩いたからこそできたのである。だから本当は歩いて旅しないと芭蕉の奥の細道は鑑賞できないのである。
ただもう奥の細道を偲ぶ道はない,一つだけ白河の関所跡は当時の面影を残している
小暗い森を出ると白河の関所跡に出るからである
あとは国道になるからそうした面影を偲ぶものがなくなる

みちのくの旅路やあわれ桜散り八重桜のあと藤の花咲く

桜は散っていたが八重桜になり今は藤が盛りである。その季節の変化があったが10日間ではそれほど感じない,季節の変化を感じるには相当に長い旅をしないと無理である。
でも八重桜が咲き藤の花が咲くという変化があった

50キロ歩く旅人夏の鳥

歩ききて原町宿や藤の花

原町に草鞋をぬぐや藤の花


原町宿はあった,原町は宿場町でもあった,その絵も残っている
あるいた旅ならこうなるのである。車とかバイクとではこうはならないのである。
歩いてきて疲れて草鞋をぬぎ宿をとるところに人間的なものが生まれるのである。
人間が旅しているのであり車や電車でも何か機械が旅しているとはならないのである。
現代は便利になりすぎて旅も失われたのである。
草履をのぐというときいかにも歩いて旅したときの言葉なのである。
そこにはその当時だけにありえたものでありその言葉の意味をくみとれないのである。
一日歩いてやっと休める宿だなとなるからだ
迎える方もそうしうて歩いてきた人をもてなすのにはそれなりのもてなし方があるとなる車で来る人にはそうした苦労がないからもてなすにしても違うものになるのである。
だから現代には旅人はいないのである。それも淋しいことなのである。

その人は原町に泊まり神戸に帰る,いろいろな所をその人は歩いて旅している
それができるのもやはり体力があるからである。
自分は何か体力がなくなった,だから旅はしていない,遠くにも行かない,仙台にも一年行っていないのである。
介護十年していたときからそうなのである。
でもこれだけ旅したから旅人に興味があり旅をふりかえるのである。


2018年04月29日

満月や蛙の鳴いてや田水張る (蛙も同じ命であり復興の象徴になった)


満月や蛙の鳴いてや田水張る

(蛙も同じ命であり復興の象徴になった)


復興団地にタンポポあまり映えにけり

街中の空地にタンポポ咲きまぶし

芸人のボールの高く春の空

自転車に燕飛ぶ影よぎるかな

我が庭のボタン見ぬまに散りにけり

受け継ぎぬ栄華の牡丹我が家かな

満月や蛙の鳴いてや田水張る


受け継ぎぬ栄華の牡丹我が家かな


この辺はまだ復興の途中だということがある,でも蛙の鳴き声もひびくから前のうよな状態にもどっている,今日満月でありすでに夏の月である。
今日も暑かったからである。
それで田水張る田に満月が写り光る,これも人間の営みと自然が調和した姿なのである。その時人間の世界と自然が融和するから美が生まれるのである。

俳句は季語などはこうした稲作とか深く関係して生まれている
だから本当は農業しないと実感が生まれないともなる
なにか田水張る田に満月がふさわしい
復興したなと感じる,そういう光景がなくなっていたからだ
だからこの辺はまだ復興ということを感じないことがあった

やはりこれだけの災害だと復興といっても十年はかかる,もうその時一昔前になる
神戸でも10年たっても以前として復興がすべてにわたってできたわけではなかった
それだけここも甚大な被害だったのである。

ともかく避難区域になった小高とか浪江とかはこうした田んぼがないから復興を感じない自分が復興を感じたのは田が前のように作られて蛙がもどって鳴いた時だったのである。田んぼはやはり復興の象徴だったのである。
田舎では田んぼがないとしたら田舎なのかとなるからだ

ソーラーパネルとか風車とかできてもそれが復興とは感じないのである。
なぜなら蛙は同じ命であり人間と通じ合うからである
人間は機械を利用してもロボットでも同じ命だとは感じないのである。
そこが根本的に違うのである。
蛙は同じ命をもつ仲間だという感じになる
それは理屈ではない,本能的なものである

だから仏教では法華経では草木成仏とか動物も人間と同類としてあわれみをかけたりしていた
それはインドでは今もそうである。動物には人間の情が通じるからである。
それでペットブームになっているのもわかる
ペットは人間の仲間となりうるからである。

機械となるとこれは別なものであり命ではない,そこで人間とは断絶したものであり機械に頼りすぎると非人間的になる,現代はあまりにも機械化して機械に頼りすぎているから人間も非情になっていることはある
牛馬とともに生活していたときは牛馬も人間と情が通じ合うから機械とは違うのである。それで女性でも馬と結婚したとかの伝説が生まれたののである。

避難区域になったところでもやはり田んぼがまた作られて蛙が鳴いたら復興したという感じをもつ,それが田舎の復興なのである
そこにドローンとかロボットの工場ができてもそれが果して復興なのかということもある逆に田畑など金にならないから復興にならないとか言う人もいる
ただ田畑はやはり金になる金にならないの問題ではない
自然の中にあるものであり自然と共生するものとしてある
だからそれを金になるとか金にならないとか経済的効率ばかりから見れないのである。

そうすると今回のように東電によってすべてを支配され,一旦事故になったらすべてを失うのである。町も村も廃墟化して人は住めなくなり老人だけがそこに住んでうば捨て山のようになってしまうのである。
ただ以前として金が大事でありそればかりになるのが現実でもある
でも何が大事なものだったのか原発事故以後見直すべきなのである。

牡丹は庭に今年も咲いた見ぬ間に散っていた,これだけ身近に咲いていてもその花を見ないこともある
この時期はそれだけ変化が激しい,花もいろいろ咲きはじめる
でも何か見逃したなとなる,自分の家も一つの栄華だった,その栄華にふさわしいのが牡丹なのである。
この家にもあとどのくらい住んでいられるのか,この栄華を味わって住んだ人は死んだ
その後に自分がこの栄華の家に住んで終わりだとなる


「農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・
(原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

棚田に移る満月の写真



2018年04月20日

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)


春の日に霊山に行く南朝を偲ぶ

(短歌十首と俳句十句)

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木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり
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かなたに見えるのは何の山だろう
会津の方にも見える山である。


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登山道で見つけた蝶
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霊山の苔清水
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桜は散っていた
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ここは桜が咲いて見どころがある場だった

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谷野原村

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ほとばしる滝のひびきや芽吹きかな

大岩に苔むしあわれスミレ咲く

山鳩や山間の道花の影

苔清水滴り春の鳥の声

岩黒く登山道に山の蝶

山頂の大展望や春の山

霊山の岩黒々と樹々芽吹く

朝桜顕家の像に映えて散る

真近にそ滝のとどろき山桜

山桜ここに散れるや滝ひびく

いづこへと道の分かれて春の暮

夜桜や老舗の味の菓子屋かな

道に出る狸二匹や春の月



川の面に波紋広がりあまたなる魚影を見るや春の奥山

木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり

佐須の峠越えてそ望む残雪の吾妻嶺光り春は来にけり

残雪の吾妻嶺光り連なれりかなたになおも高き峰望む

(霊山城)

大岩の苔むし霊山に南朝の昔を語るや春の日さしぬ

春の日に霊山上りあわれかな束の間に消えし南朝の夢

花と散る南朝の夢今になほその傷痕の残り哀しき

南朝の落武者二手に分かれけり春の日あわれ城下にいでぬ

(金谷原村)

玉野村境の桜盛りなり相馬の城下へ我は急ぎぬ

金谷原寺の跡とて集めらる碑のあまたや春の日暮れぬ

碑の古りて椿の散るや誰がたずぬ我は二度ほどここをたずねぬ



五本松なお三本は残りけり帰りよりて春の星見ゆ

春の灯の街灯あわれ城下町古本屋によりまた一冊買いぬ

我を待つ人とてなしも我が家へ帰りゆくなれ春の夜かな




 山上にはかつて慈覚大師が開山したという霊山寺があった。「霊山寺縁起」によれば、三千六百坊を擁していたともいうから、大伽藍であった。南奥州の天台密教の中心であったと考えられる。今は山上の処々に大きな礎石が多数残り、当時の名残りを留めている。後醍醐天皇の皇子義良親王(陸奥国大守、後の後村上天皇)、北畠顕家(鎮守府将軍)らは建武4年(1337)1月8日国府多賀城を棄て霊山寺(霊山城)に移った。霊山城は南朝奥州政府の重要な基地(国府)となった。しかし霊山城は貞和3年(1347)8月ころに落城、霊山寺の建物群も全焼したといわれる

今日真野川をさかのぼり霊山まで自転車で行った
途中滑(なめ)の滝のほとばしるを見てさらに奥に進む
川の流れがとまり水面に樹々の枝の影を写している
その川を見たら百匹以上の魚影が見えた,この魚は何の魚なのか?
ヤマメだろう,なぜこんなにいるのだろうと思った
この辺は飯館村で一軒の家があり住んでいるみたいだ
でもしんとして人気もない,そして春の川面に水の輪が広がる
それがここでは活きているという感じになる
まるで人のいない所で神が遊んでいる感じにもなるのどかさである。

佐須までの道は前もほとんど人は住んでいなかったのである。
原発事故で一軒二軒くらい住んでる家は見かけた
でもなんとも不思議な感覚になった
人が住まなくなるとどうなるのか?そこには魚は住んでいるのである。
これだけ魚がいると食べたくなる,でも放射能汚染で川の魚は食べられないのだ
おそらく誰も魚をとらないから増えたのだろうか不思議である。
ともかく石一つあり春日がさしてここに居つくというとき人もここに居つくとなればいいのである。人が住まないとそういう感覚にならないのである

佐須を通り峠を越えると残雪の光る吾妻嶺が見える,その時春が来たと感じる
ただあそこの峠も道を直したから前とは違っている
なんか原発事故以降新しい道ができる
相馬市から福島市までの高速道路もできた,それで前の道は車が本当に通らなくなった
それで高速はバイクも通れないからバイクと自転車が通るだけである。
だからかえってのんびり見てまわることができた

霊山というと南朝である。霊山はもともと修験者の修行の場として古くからあった
そこに南朝の国府が置かれた,それも十年にも満たない短い時だったのである。
そして夢のように消えたのである。
ただそうであっても歴史的にこの辺では大きな変化だった
なぜなら南朝の落武者が山上の方と前にあった卒塔婆峠を越えて鹿島区の真野へ逃れたのである。そのことは史実であり先祖として明確なのである。
その祭りもある,それで同級生の只野一族が鹿島区に本当に多いのである。
その只野の先祖をたどると郡山近くの多田野村だったのである。
その一族が鹿島区の真野に逃れてきたのである。
それで只野氏はお浜下りの祭りで馬を先導する役目をになっていたのである。
そのように明確に先祖がたどれるのである。

お浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ
(お浜下りの祭りのおつづら馬の話)

こういう人が身近にいたという驚きである,だから南北朝の時代はわかりにくいけど確実に系譜として具体的にわかるストリー,歴史なのである。
霊山神社には顕家の像が祭ってある,この青年は二一歳で死んだのである。
特攻隊で死んだ若者と同じである。
朝に咲いた桜が一時映えた見ていたら散ってしまったのである。
そういう人もいたということである。

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朝桜顕家の像に映えて散る

前にこういう句を作ったのを思い出したのである。南朝は本当に束の間の夢のように
消えたのである。ただその傷痕は日本全国に今も残している
どれだけ日本全国を争乱の場にしたかわかる

そして新井白石が相馬の城下を縁戚を頼り訪ねていた,その途中に霊山に寄って詩を残していたのである。


  
    霊山鎮  白石   (「新井白石全集」所収)
  
  霊山開巨鎮、郷月照雄藩、
  鐘鼓千峯動、貔貅萬竈屯、
  出師資上略、刻日復中原、       ※上略は上洛の誤記か
  一夕長星堕、年年哭嶺猿、
  
   (読み下し)
   
    霊山鎮  白石
  霊山、巨鎮を開き、郷月、雄藩を照らす
  鐘鼓、千峯を動かし、貔貅、萬竈に屯す        ※貔貅(ヒキュウ)=猛獣
  出師、上洛を資り、刻日、中原を復す
  一夕、長星、堕ち、年年、哭す、嶺の猿 



学問岩とかありここで学んだ修行した僧とか確かにいたのである。
ただほとんどそれがどういうものだったかわからない,炎上して何も残らなかったのである。ともかく南朝の国府としても短すぎたのである。はかない夢と消えたのである。
ただこの辺では明確に残る大きな歴史の跡なのである。

帰りは玉野村から谷野原村によった,前にもここによった,それでいつも気になっていたのが古い碑のある所だった,神社だと思っていたが寺の跡だった
だから墓があり古い碑が集められていたのである。
ただここの碑は相当に古い感じだ,五輪塔の墓もあったが何か記してあるが読めなかった
相馬市では夜になった,六号線を帰ると夜桜が映えていた,そこはお菓子屋だった
船橋屋とかの店がある
老舗の味というとき最近良くテレビの推理ドラマを見る,そこで京都を舞台にして老舗の菓子屋のことをテーマにしていた
そこの老舗の菓子屋は茶の湯で出す菓子を昔から作っていたのである。
その味にこだわっていたのである。それが頑固なまでにこだわっていた
その味を変えてはならないとこだわっていたのである。

つまり京都ととかなると茶の湯が盛んであり歴史も古い,その茶席には生け花とか菓子とかを出す,そういうふうに一体化しているのが文化なのである。
そこに千年の都の文化がはぐくまれ受け継がれてきたのである。
ただそういう伝統はなかなか京都に住んでみないとわからないのである
ただ夜桜と菓子屋があっていたのである
相馬市の桜はみんな散っていたがここだけが残っていたのである

相馬市の六号線沿いの古本屋ではいつも変わったいい本が置いてある
それでまた一冊買った,あそこでは誰かが選んでいるのかもしれない
本も今はアマゾンで注文して買っているが本は無数にあるからどういう本があるかもわからない,偶然に見つけた「農本主義が未来を耕す」宇根豊著は共感した本だった
こんな本があったというのも不思議だとなる
アマゾンでこうして本との出会いがない,立ち読みもできないことが弱点なのである。

とにかくなんとか自転車で霊山まで行って登山もできた
体が弱ったので行けないと思った
でも今度のクロスバイクは意外といいものだった,バッテリーも長持ちするし早いし
何より安全なのである。まずロードは高くなるので危険である。
このクロスバイクは足がつくし小回りがきくしブレーキもかけやすいとかタイヤも太いとか長距離にかえっていいものだった
まずロードは危険である。近くで人がいないところでスピードを楽しむのはいいが長距離だと危険になる,なぜなら道を知らない所を走るからである。
スピードを出しすぎると危険なのである。
これだとまた遠くに行けるかもしれない,それで今度はもっと遠くへ行ってみたいともなる,ただそうなると一泊とするとかなる,ずいぶん長い間介護で自由に旅できなかった
またそれができるのか?それはしてみないとわからないとなる

今この文をプログにアップしようとしたとき春雷が鳴った,何かこれも自分の心と呼応する
天候により心は変化して呼応するのである。
天候は何か予兆なのである。夜ふけて鳴るというのも何かの予兆だとなる
やはり春になりまた新たな活動へ向かうのかとなる
プログの醍醐味はこうして変化する今をリアルタイムに報告できることなのである。
一日でも朝と夜では全く違ったものとして変化することがある
その天候の変化が俳句とか短歌の創作に影響するのである。






2018年04月18日

小さな畑の効用 (荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑の効用

(荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑には自分は投資した,一〇万以上払った,肥料代とか種代とかこの前は道具を盗まれたとかいろいろあるのだ,鳥に野菜を食われたとかもありまず小さな畑をするだけで金がかかる,収穫してもらったものはほとんどないのである。

ではそんなものに投資してなになるのか?普通だったら銀行でも利益にならないものに投資しない,ではそれが全く無駄なものかとなるとそうではない
この辺では一時田畑が荒地化したのである。
今でも荒地化した所が多いのである。この小さな畑の回りも荒地化している
その荒地化していることが荒廃したものとなる

つまり農業は景観を作っているというときそうだった,その景観は田畑があって作られていたのである。その田畑がなくなるときそこは草茫々の荒地となる
ただ一時津浪でこの辺が原始の状態になった,湿地帯になったことには驚いた
八沢浦が元の入江にもどったのを見たときほど驚いたことはない
だからその入江を埋め立てて田んぼを作ったというとき実は自然の景観を破壊していたのである。
稲作も文明であり文明は自然を改造したりするから必ず景観も破壊するのである。

文明とはなんらかで自然に逆らうことなのである。
田んぼにしても湿地帯がある,森がある,自然のままだったらそのままだが開拓開墾して田んぼや畑にすればもともとあった自然は改造されてなくなるのである。
ただ農業は自然と深くかかわって成されるから第二の自然のように感じるのである。

小さな畑を維持することはそれは経済的効果としては利益を上げないのだから無駄だからするなともなる,そもそもその金を誰が出すのかとなる
利益にならないものをしているのは趣味だからである。
趣味でも自分が余裕があってしているのはいい,でも余裕がないのにできるのかとなる
でも経済的効果利益を上げなくてもこの世には有効なものがいくらでもある
第一景観でもそうだろう,景観自体が利益を産むということはないのである。
森だったら木材としてみればそこに利益があるが森自体が経済的効果を利益を上げることはできないのである。

でも森には癒しと景観をもたらす,そういう効果がある,でも利益にならないのである。でも最近資本主義がゆきづまり終わるということが盛んに言われる
それは投資先がない,投資してもうける先がなくなっているからだ
それで銀行で地銀でも利益う上げられないので追い詰められて詐欺まがいの投資信託をすすめている,それで自分も大損したとなる

投資先がないということやAIで人間の仕事がなくなるとか最近良く言われるのはやはりそうした資本主義が継続しても社会に大きな変化をもたらすのである。
スルガ銀行ではもうける先がなく何か不正して問題を引き起こした,借金させてアパート経営とかになる,もうもうける先,投資してもうけることができないのである。
だから今銀行は窮地にたたされているから危険なのである。
窮地にたたされれば人間でも会社でもなんでもするようになる,つまり余裕がない人間でも会社でも国でも危険状態になる

だから投資先がないというとき実は別にある,この辺では荒地化した土地を利用して畑にする,それは利益を産まないとしても一応収穫はあり役にたっているのである。
野菜が高いときはそれなりに役にたっていた
だから全く利益を産まないということではない
ともかく資本主義では利益を産まないものは金にならないものは全く無駄なものとされる芸術などでもそれが金にならないなら無駄なものとされる
その人間は無用なものとされ社会的に価値を認められないのである。

でも何かこれからは価値観が変わる,資本主義でもAI化で仕事がなくなりベーシックインカムのことが盛んに真面目に言われているのも不思議なのである。
ベーシックインカムになると一見無用と思われるものでも価値あるものを追及できる
金にならないものでも人間として価値あるものはいくらでもあるからだ
そういうものにむしろ価値が生まれる,ただ必ずしも金にはならない,利益にはならないただそれを認めるものがあれば価値があるとなる世界になる
そういう社会はイメージしにくい,でもそもそも人間の価値は多様であり金になるだけのものが価値とはならなかったのである。

オランダのチューリップバブルでもそうである。そんなものになぜ大金がつぎこまれたのか?これも投資先がなくなった結果なのである。
ただ一方でそんなのんきな社会が生まれるのかという疑問がある
貧困化している社会でそんな余裕があるのか?利益を上げなければ会社など成り立たないとかある
でもAIでもそうだが資本主義が終わりだというときもそうだが今価値観が変わる時代でそうなっているのだ

例えばこれも問題だが八沢浦を考えるとき自分はそこが田んぼであるより入江であった方が景観的に良かったともともとイメージしていたのである。
この辺はともかく荒い波が打ち寄せるだけの荒寥として海なのである。
でも津浪になって入江になったとききらきらと波が光り寄せていたのには驚いた
それはきれいな入江になっていた,古歌にここの入江を歌ったものが残っていたから本当にそうなったのである。
その時確かに死んだ人がいたのだからそんなことを言うのは余りにもひどいとはなった

これまでは米が生活の中心であり米なくしてはありえない世界だったのである。
でも米が減反政策でこれ以上いらないとなる世界は考えられなかったのである。
技術の発達とかで価値も変わってくるのである。
だから小さな畑でもそれが利益をあげなくても土地を活かすとういことでは無駄ではない,効用があるのだ

ともかくこういうことはなんかあまりにも現実離れしているとなるから実現しないともなる,でもベーシックインカムになれば今まで価値がないと思っていたものを追及できる社会になるかもしれない,すべて金にならないものは価値がないとされる社会だったからである。
つまり何か実用性ばかりを追及してきたのが文明だったのである。
むしろ今度は逆に非実用的なものに価値がでてくる,無用の用の時代にもなるのかとも思う
宗教だど禅宗になると瞑想と沈黙が修行である。それも人間的価値の追及なのである。
そういう社会もかつてはあったからである。
そういうものにただ沈黙して何もしないということはなまけものとして拒否される社会だった,資本主義は宗教からプロテスタントからはじまったというとき瞑想などはしない
積極的に働いて他者に奉仕するという思想からはじまった
その価値観が全世界に普及したのである。
どんなことでも勤労は善とされたのである。それがゆきすぎると資本主義は金儲けだけのものとなり害にもなるのである。

とにかく田畑というのは自然の一部でありそれは社会的効用を利益をあげなくても必要なものとして認識することはある,価値があるものとする
景観を維持するものとしてもある,だから利益を上げなくても必要だともなる
ただそうして維持するにも田畑でも労働が必要なのである。
だからその小さな畑すら維持できなくなる,その女性も年であり毎日腰がいたいといっているからいづれ維持できなくなる,この辺で田畑を原発事故以後やめたのは老人が田畑をしていてできなくなったからである。後継者もいないてからである。
前からそれは言われていた,漁業でもそうである。
だから原発事故だけの原因ではない,前から田畑を維持できなくなっていたのである。
それが事故後一挙に荒地化したのである。
現実に隣の畑は老人が這ってまでしていたのである。
家族が車にのせられてきて農作業していたのである,でも遂にやめて荒地化しているのである。こうして誰かが労働しないかぎり田畑は維持できないのである。
するとそこは荒地化してくるのである。景観も荒れたものとなるのである。

人間が平和に感じるのは自然と調和しているときである。

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この写真のように孫とばあちゃんが一緒に畑仕事をしている,これが本当に平和に感じるこの孫もこの畑を受け継ぐということで故郷の風景でも維持できるとなる
世代の継続が感じられるのである。
そういう風景がなくしたのが原発事故だったとなる

農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・ (原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

これと同じことをここでも書いていたので共感したのである。




タグ:田畑の効用

2018年04月16日

残る花(風荒く散る花)


残る花(風荒く散る花)

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この家の枝垂桜や庭に石建ちて四五年過ぎにけらしも

今しばし残れる花を惜しめども今日も風荒く散らしけるかな

朝よりし風の荒らしも残る花吹き散りにけり燕飛ぶかも

たちまちに花は散りにき風荒し残れる花も明日は散るらむ

残る花枝にゆれにつ風荒らし明日は散りなむあわれなるかな

一時の命惜しめど桜花夢と散りにき風の荒らしも

風に舞い散る花あわれ時はすぐ常なき世なり時はすぎゆく

あまたなる若き命の花と散る散りがたきを散りにけるかな

八重桜手折り仏壇にささげしとその女誰や土手の道かな

闇深くきらめき一つ春の星我が一人なれひそかに見ゆも


桜というときなぜか散る時は本当に美しいのである。だから散るときが最も印象的になるその華やかに散るということで戦争のとき若い人が死ぬとき桜にその命が託された
桜のように散り死ぬことは美しいことだとされたのである。
それは国家によってそうさせられたともなる
ただ桜というのは何かそうしてそう思わせるのである。
それは盛りと咲いてもたちまち散ってしまうからである。
その散るのが美しいからである。そこに桜の特徴があるからである。
ただ万葉集時代では山桜であり散るということがそれほど美しいものとは見ていない


吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな    源義家

桜が散るということで早い時期からその美は見いだされていた

何か今年は風が毎日のように吹いている,それが結構強いのである。
桜の咲くときの天候は毎年違っている,雨が多いときもあった
今年はなぜか風が強い,毎日吹いている
それが今年の桜の咲く天候だったのである。

それで今年は遠くに行っていない,近くの桜だけを見て終わったとなる
土手の道の桜は終わると八重桜が咲いている
仏壇にささげるには八重桜がにあっているとなる
ここの桜は川の土手の桜が美しい,でも河岸にはどこでも桜は今も咲いている
浪江でも小高でも河岸には桜は咲いている,桜並木がある
ただ相馬市にはない,やはり桜は桜並木となっていないと散るときでも華やかにならないここでは真野川の土手にしても十本くらいが成長した桜の木なのである。
だからそれほど見応えがある桜とはならない
ただ桜の季節も早くも終わったとなる

新しく建った家が多いがすでに枝垂桜が咲いている家は五年くらいすぎているのか?
いい石がありそこに枝垂れている桜がいい,やはり時間がすぎると何かそこに根を下ろすようになる,すると同じ桜でも違って見える
千年の都,京都の桜となるとこの辺とはまたその色合いが深く歴史を感じるのである。
桜には何かまた歴史を感じさせるのである。だから歴史のある場だとさらに映えるのである。

ただ桜は早く散るからいたるところに咲いていたとしても時期が短いから一部しか見れないのである。そこが残念なのである
今年は本当にすぐ近くの桜しか見ていないからである。
タグ:残る花

2018年04月12日

大坂城の桜(夕日と桜(続)


大坂城の桜(夕日と桜(続)


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大坂城散る花尽きじ赤々と夕日耀(かがよ)ふその一時かな

大坂城尽きず散る花一時の栄えのあれや夢と消えにき

大坂城栄は一時散る花の尽きじやあわれ夕日耀(かがよ)ふ

秀吉の栄華の日々の短しも夕日耀(かがよ)ひ散る桜花かな

秀吉の栄華も一時夢の跡花散る後に石垣のみうかも

散りやまぬ花にしあれや大阪城なお赤々と夕日耀(かがよ)ふ

盛りとて夕日に映えし桜花明日は散るらむ名残惜しみぬ

この身とて夢幻や盛りなる花も一時この世なるかな

栄なれ夕日に映えて桜花この一時を惜しみけるかな

いづこにも栄はあらむここに見ゆ夕日に染まる桜花かな

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大坂城夕陽に映えて門入れば静心なく花の散るかな

大坂城なほも花散りあましたる花に酔うかな夕陽落ちゆく

大坂城出入り尽きぬ花あまたなお散りにつつ日も暮れぬかも

大阪城難波の夢の蘇るその跡の大いなるかも花散りやまじ

大坂城栄いは遠くみちのくの雪に埋もれて春を待つかな





桜で一番印象に残っているのは大坂城の桜だった,夕日が輝き桜は尽きず散っていた
その光景は忘れずに今も浮かんでくる,それだけ印象的だった
なぜ西の方が桜が映えるのかといえばそこに歴史があるからだ
日本では最初に西が栄えたからそうなる
ただの桜ではなく歴史が織りなす桜でありそれが西にある
桜と共に西では歴史を偲ぶから感慨深いものになる

ただこの短歌はそのつづきだけどイメージしたのは相馬市に街道沿いにある一本の桜が夕日に染まるのを見て作った
あそこの桜は見事である。でも別に大阪城の桜とは関係ない
夕日に染まった桜を見て感じるものがあった
桜はいろんな場所に咲いていてそこに感じるものがある

桜の咲く期間は短いから桜は意外と見れないのである。遠くに行くにしても桜はその時散っていたりする、桜を咲くときに見るのは時間がないとできないのである。
自分は桜を西から東とみてまわった,ある時は西に行きみちのくに帰ると桜が遅く咲きはじめる,逆にみちのくの桜を見て西に行ったら散っていたとかなる
その桜前線が日にちがずれていることがまた日本では見物なのである。
実際に北海道の稚内では六月に桜が咲いていたからである。

桜前線の短歌

これだけ自分は暇だったとなる,しかし介護になり十年は旅はしていない
そのうち忘れるのだが大坂城の桜はわすれがたいのである。
あの夕日がなんともわすれがたいのである。それは普通の夕日ではない
やはり歴史を感じたからだともなるのか特別印象に残る夕日だったのである。




2018年04月11日

夕桜(相馬市に夕べ行く)


夕桜(相馬市に夕べ行く)

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朝桜太平洋や沖に船

夕桜散りてあわれや城下町

城の跡お掘りの暮れて花の屑

橲原や名も知れぬ墓落椿


立谷川夕べ桜の写しつつ町場橋にそしばしたたずむ


相馬市まで街道を行く,日立木の薬師堂は情緒あるポイントである
夕べ桜が立谷川に写っていた,町場橋という名もいい
それから城跡に行った,夜桜にはならない,夕桜だった
相馬市は何か墨絵のようなのである。
派手なものがないしんみりとしている街なのである
ただ外から来た人には城下町といっても城もないからものたりないとはなる

朝桜が咲いて太平洋が開けて見え船が行く,この時船がないて景色も活きてこない
人間の営みと自然がマッチしたとき最も美しくなるのである。
それで橲原(じさばら)でも田んぼが荒れている,人間の営みがない
すると何かそこには大きなものが欠けることになる

それを極端にしたのが原発事故の後の避難区域である。自然があっても人間の営みが喪失したから荒寥としたものになっているのだ

今年は東風でも冷たい,寒い,だからなかなか出かけられなかった,今度買った自転車は風にも強い,クロスバイクは小回りがきくし安全である。
この自転車は買って良かった

タグ:相馬市 夕桜

2018年04月10日

橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化 (桜の俳句)


 橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化

(桜の俳句)

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小池の墓地
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ここの墓は明治時代のものである。
江戸時代から橲原(じさばら)はあったがその後のものである

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朝静か死者や安らかや花の影

朝映える桜に椿立目石

橲原に古木の影や蝶の舞ふ

朝の滝奥にひびきて山桜


二本の枝垂桜や橲原に我が来たりてまたよりぬかな

今日は風がそれほど吹かないので橲原(じさばら)の方に行った,途中小池の桜も見た
橲原(じさばら)は絵になる風景である。
ただ田んぼは荒れているのが淋しい,やはりそこに人間の営みがないと自然でも活きてこないのである。

橲原は鹿島の奥座敷である,水無し川をたどってゆき橲原渓谷から大古の奥まで流れをたどると神秘的なのである。
真野川にはそうしたものは感じない,ダムができたこともある
あそこは隠された景勝の地なのである。

人間は意外と身近なものはあまりに見慣れているからそこが特別なものと思えないのである。灯台下暗しでもある
でもよくよく見るとそこが絵になる風景であり趣あるものであることを発見する

フォトスケッチで写真を絵画化した,絵が描けないがこれで絵の感じがでる
画家だったらもっと良く描けるだろう
ともかく花はどこも盛りに咲いている
ただ風が強いし冷たいからなかなか出れなかったのである。

2018年04月09日

今年の桜の短歌など十首 (寒さの中で咲いた桜)


今年の桜の短歌など十首

(寒さの中で咲いた桜)

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イワヒバにエゾムラキツツジ散る
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若き人住みて春の灯ともるかな

薄物(羅)のカーテン越しに春の月

我が歩む廊下の広く春の月


北風に盛りの花やなお咲きぬ寒さもどりぬ遠くに行かじ

風強く盛りの花をゆすりけりなおし散らじもふるさとに見ゆ

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

ふるさとに咲きにし花の盛りなり遠く行かじも花は咲くなり

残る人老人ばかりふるさとに盛りの花を見つ死なむとす

ふるさとに桜の木の根を我が見つつ盛りとなるや二代住みにき

いづこにも花は咲くべしすみつきて花となるべし時を待つべし

大坂城桜を見しはいつの日や季(とき)の移りははやかりしかも

イワヒバにムラサキツツジの花散りぬ季(とき)の移りに思わぬことあり

冬の日に石にイワヒバ我が庭に長くも見しもムラサキツツジ映ゆ

石の陰冬の貴婦人四五輪の咲きてひそけし今日も見ゆかな

我が庭に苔むす石やこの庭を作り年へぬ六年ほどかな

畑作る人のいいけり寒ければ土あたたまらず仕事遅れぬと

注-ムラサキツツジはエゾムラサキツツジです


今年はまた寒くなった,東風と北風が交互に吹くが昨日も今日も北風が吹きつけて寒い
だから自転車で出かけられない,冷たいし風に自転車は弱いからである。
だから今年は外に桜を見に行かない,ただ家にいるだけである。
介護はじめてから故郷から家から遠くへ出ない日がつづいた,そのつづきでもある

桜は別にどこでも咲いている,いつでもテレビなどでは同じ所を花見山とか写しているが桜は別にどこでも咲いているが紹介しないだけなのである。
このプログのインターネットの強みは紹介するのがテレビだけではなくなったことである実際は誰でも放送できるのである。
テレビで放送しないものは小さな地域でもどこでも無数にある
鹿島駅をテーマにして放送しているのもそうである。

他でも実はこうして定点観測して報告できるのがインターネットなのである。
ただ多くの人には見られないというだけなのである。
鹿島では真野川沿いの桜がいい,ただ成長した桜が見れるのは十本くらいである
あとはまだまだ成長していないからものたりないのである。
あれが成長したら真野川沿いの桜は見物である。
それを見るのはもう老人は見れないかもしれない,ただあと二〇年も生きれば見れるかもしれないとはなる
それだけ木の成長は遅いのである。

桜というとき花というときふるさとだと根を見て花を見るというのも違う,外では根まで見ていない,ただ桜の花だけを見ているのである。
自分はいつもそこを通るから根も見ているのである。
遠くに行かなくても本当は地元の花を見いだして見るべきだともなる
花を咲かせるべきだともなる,地元に花の盛りを見るべきだともなる
その花の盛りとはやはり住んでいる場所が栄えることだともなる
それが避難区域でも桜が咲いているがそれを見ているのは老人ばかりだとなる
春の灯がともるというときそこに若い人が住み着くと華やかにもなる
それがない原発の避難区域は淋しいとなる
世代が連続していないと社会が成り立たないのである。

冬の間は地味なイワヒバとか石ばかり見ていた
そこにエゾムラサキが咲いて散ったのもめずらしい
一時華やかな花で飾られた,この花は良く根付いて咲いたと思う
何かここは土地が悪いから根付かないし花が咲かないのである。
七年以上すぎるとやはり石も苔むしていた
それが時の移りである,何か石も時間とともに根付いて行く感じになる
それも人が住んでいなければどうにもならない
空家の庭は死んでいるのである。

ともかくまだ桜は盛りであり咲いているがまもなく散るだろう。

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

この歌は戦死した若者を思うのにはいい,惜しむ暇もなく散ってしまったからである。
東風は海から吹くから特攻隊となり海に散ったともなる
今年の桜は寒さの中で咲いた桜だったとなる
この寒さは畑にも影響している,土の温度というのが大事なのである。畑とか田んぼでも土の温度とか水の温度も影響するのである。



2018年04月03日

鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)


鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)

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名もしれぬ霞める里も花盛り

花の影車椅子の女休むかな

春の日や今日も霞むや隠れ里

春の日や里の霞みて隠る石

我が家に貧者来たりて花雲り

燕来て旅人来たらむ我が街に

山中の小径を知りてスミレかな

足元にスミレや愛でぬ小さきもの

この道の行く人まれに花の影

この時を写真に撮るや花盛り



見わたせば、春日(かすが)の野辺(のへ)に、霞立ち、咲きにほへるは、桜花かも

今年は何か山でも霞んで見える,春は湿っぽくなるから霞がたつようになる
冬とはこの辺が景色でも変わる

春なれや名もなき山の朝霞 芭蕉

こういう感じである。この辺の山は高くない,隠れ里とかあり霞に隠れるのもいい
ただ人と交わると必ず問題が生まれる
貧者が来て常に金を要求される,田舎では資産がないと落ち着いた生活ができない
公務員とか銀行員とかは前は安定した職業であった
そういう職業がないと田舎では安定して暮らせないのである。
今や公務員でも原発事故後住民がいなくなったりしてもう成り立たなくなる
激務ともなりやめたいというのもわかる
何かそうして田舎では金銭的にも困る人が回りに影響する
都会だと目立たないが田舎では目立つのである
だから日本では狭い村で生活していたらとてもぜいたくな暮らしをできない
回りと合わせなければならないからである
そういう国がもともと日本だったのである。

写真をとるのもむずかしい,構図ができてとるがちょっとした違いでまるで違ったものになる,やはり遠景とアップで両方とればいいものがとれる
その辺がむずかしい,カメラもいいものではないとうまくとれない
写真は現代の芸術にもなった,写真の時代である。
これは別に絵を描けなくてもできるからいい
ただ人に見せるものとなると簡単には撮れないのである。

真野川の岸辺は散歩するにはいい,休む場ももうけられている
ただ桜の木は若い木であり桜はそれほどは見応えがない
一部が成長して古い桜である。そこは見物である
実際桜は日本全国いたるところに咲く,だから上野の桜は景色が良くない
あのような桜が日本の桜として紹介するのもどうかと思う
皇居辺りの桜だったら背景がいいから映える
やっぱりか背景が良くなければ桜も映えないのである。

桜はどこでも見れる,近くでも見ていない桜はいくらでもある
なかなか桜がどこに咲いているかわからないのである。
桜の名所というけど日本ではどこでも桜が咲くのだから名所に行かないでも桜は見れるのである。ただ吉野の桜とかなると別である
日本はこの季節が一番いいことは確かである。
ただ今は旅行しにくくなった,外国人が多すぎてホテルもとれないとかなると旅行しにくい,ずいぶん旅行したから近くの桜を見てるだけでもいいともなる
何か自転車で行くのも疲れるようになった

ともかくなんとかいい写真をとろうとしたがうまくいかない,霞む山がうまくとれない。ただこれからをは写真をとるにはいいシーズンである。

2018年04月02日

春の月(自分の一句の鑑賞)


春の月(自分の一句の鑑賞)

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春の月命ながらふ我が家かな

春の月我が家を照らしつくづくにながらふ命いとしむべしかな

二階から春の月が見える,満月である。
なんかそれが不思議である。
みんな家族が死んだのだから我が家ともいえない
家族というとき家というとき家という建物,ハウスではない
ホームという意味がある,ホームとは家のこと建物ではない
家族がいてなごむ愛し合う場である。
そこに安心がある

ただ家族にもいろいろ問題があり争いがある
ただそれでも家族は他人とは違い助け合うのである。
他者になると非情である,その非情を介護で体験した
自分の病気でも体験した
もう他人とは金しか関係ないのである。
だから弱者化したときこれ幸いと金を要求してきた
ある者は盗みある者は借金を要求しと責められただけである。

自分が二〇代では苦しんでいたけどその後は楽だった
したし楽はつづかない,人間には必ず苦がある
楽のままに終わる人がいないのである。
大金持ちに生まれたとしてもそうである
必ず苦しむようになっている
むしろ苦があり楽がある
苦がないとしたら楽もないとなる

自分が楽していられたのはこの我が家があり家族があったからである。
こんな生活を普通はできない,複雑な家庭でも自分は姉とかいて楽できたのである。
でも介護で苦しんだのもその楽があり苦があったからだとなる
人間は夫婦でも楽ばかり与えないのである。
必ずどっちか病気になったり何か困窮したりとある
それで人間そのものがリスクであり苦になる
それは生きている限り避けられないことなのである。

俳句というとき短いが鑑賞力が必要になる,芸術は鑑賞すること自体むずかしいのであるいろいすな解釈ができる,その解釈によっても見方が変わる
この句でも別に自分のことではない,病気になり入院して帰ってきてつくづく我が家にあり命ながらえたなとか解釈する
そういう解釈がわかりやすいだろう。
自分の複雑な家庭をしりえようがないからである。

ともかく命ながらえたなとつくづく思う,なぜなら自分は体が弱いからもう会社勤めでもできない,精神的にもそうだが体力的にもそうである。
だから三〇年間も家に隠者のように暮らしていたということが不思議になる
今はそういう人がニートとかいくらでもいるからめずらしくない
でも団塊の世代ではそういう人はまれだったからである。特殊な環境で自分はそうなったのである。

その人の一生を象徴して感じさせるものが俳句でもある
ただそれを読み込む鑑賞することがむずかしいのである。
俳句は短いから余計にそうであり鑑賞する力がないとありきたりのつまらないものとしてかたづけられる
つまり俳句は短くても奥深いものがある
ただあまりにも月並みも多く俳句は誰でも作れるから何か読み取ることもむずかしい
ただ俳句でも短歌でも何か他の文学と違って短いから鑑賞力が必要となる芸術である。
そのバックとなるものをよみとる力が必要なのである。
そうはいっても自分も他者の俳句をそんなに深く読んでいないのである。
自分のことだからこうして一句でも自ら書いているのである。

2018年04月01日

春の俳句十句(近辺を回る(続)


春の俳句十句(近辺を回る(続)

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紅梅に鳥の飛びきてなお紅し

十羽ほどはや交差して燕来る

春草や馬駆け少女顔なでる

山に海春望一〇里里めぐる

里山に望む遠くや春景色

木の切られ根っこの残りスミレかな

芽吹きしも空家の庭や淋しかな

川の土手乳母車ゆくや春の雲

誰か住む柳に月や里古りぬ

我が家やなお我生きぬ春満月


紅梅に白木蓮の映えにつつ朝の日さして明るさの満つ

紅梅に鳥が飛んできてとまる,その時紅梅がさらに赤く映える,隣には白木蓮が咲いている,梅は散るも春の盛りである。
近くに牧場がある,その牧場は広い,この辺は野馬追いのために馬を飼っている
でも狭いのが多い,ここの牧場は広いから馬も気持ちいいと思う
その馬を少女がなでていたのである。馬と人間の交流がここにはある

近くの小高い山に登るとここでは山と海が見える,故郷とかどのくらいの広さなのか?
一〇里とすると四〇キロくらいの範囲なのか?
春の日に自転車でめぐってゆく,木が切られた小高い丘がありそこに上ると見晴らしがいい

近くに空家がありそれでも庭に芽吹く木がある,でも人が住んでいなと淋しいとなる
全国的に空家が多すぎるのである。
原発事故で避難区域になったところはまさに空家だらけなのだからあまりにも淋しいとなる
人が住んでいないといくら春となり芽吹いても活きてこないのである。

家族はいなくなったがなお我が家に自分は一人でいる,でもまたこれもいづれはいなくなる,まだ一人でも住んでいるからいいとなる
人間はつくづくいつまでもこの世にいないということを家族の死で本当に実感した
家族すらみんないなくなる,家もなくなる,そういう無常の世なのである。
いくらいようとしてもいられないのである。
結局仮りの住まいになる宿命である。








タグ: 紅梅

2018年03月28日

春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pass vienta8)


春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pas vienta8)

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新しき自転車に乗り初燕

春風を切って走るやクロスバイク

紅梅に木蓮のつぼみふくらみぬ

沈丁花匂い静かに石のあり

春の日や駅に長くも待てる人

草むしる道具の良しと春の畑

蕗の薹水無し川の流るかな

春の鳥声高に啼く森のあり

牛にさす春日やここにいつくかな

春日さす小池の古墳や祖の眠る

近くなれ安政の墓や落椿


ヤマハの2018年度のVIENTAを買った,これはロードとマウテンバイクの特徴を備えたものだった,ロードは軽くて早い,マウテンバイクは悪路に強いし安定しているから安全である。ロードは早すぎて危険なのである。
それでロードは早く軽く走るが危険だと感じた
大怪我した人もいたからである。
この二つの特徴を備えたこの自転車は使える
多少の悪路もタイヤが太めなので走れるしまたスピードも20キロはでる

ただそれ以上になると出ないがこれだたけ出れば早い
ロードだと20キロ簡単に越える速さになる,だからこの自転車は20キロでありそれだけの速さはでない,やはり電動だから重い感じになる
でも20キロということでこれにした,電動自転車は重いのが多いからだ
自転車はまず軽いか重いかで相当に差があることがわかったからである。

今日この自転車にのって近辺を回った,初燕を河原で見た,今年は早いと思う
普通は4月になってから来るからである。
これも何か原因があるのか,渡り鳥だから渡ってくる場所が南の方だとするとそっちが暑く感じたから渡って来たのかとなる

知っている女性が畑で草むしりしていた,とにかく春になるとまた草がはえてくる
それでその草むしるのにいい道具を使っていた
盗まれたという道具でも自分が払わされるのである。
なにやかにやと金を要求される,別に自分の家では今は三日に一度くらいきて皿洗うとしてもそれも数分で終わるのである。その仕事はしなくてもいいのである。

水無し川は今日は流れていた,蕗の薹がでていた,水無し川はどこにでもある
最近雨があったから水が流れていた
小池は古墳が多い,古墳の町として鹿島区がある,だから古墳を見に来たという人もいる古墳でも小さい古墳が多いのが特徴である。
原町には大きな桜井古墳があるがここは小さな古墳である。

小学校の前のところに竹藪がありそこに不動明王が祭ってあった
そこでもそのために自分が金を払っている,その近くに住んでいる女性が金がないと言われ払っているのである。
何かと金を払っているのが自分なのである。
そこに安政と記した墓があり僧侶の墓である。

安政(1854年)は明治に近い,天保でも明治で活躍した人が生まれている年代である。
それだけ明治時代とつながる時代である。
だからこの年代の墓でも碑が多いのである。飢饉のあった天明は相当に古いのである。
あそこは鹿島村内に入る,近くでも知らないものがある

ともかくこの自転車は近くでも利用できる,買い物でも利用できる,遠出もできるものだから便利だ,ただ本当の自転車の醍醐味はロードにある
風のように走る感覚になるからだ,ただ危険になる
この自転車は何かやはり重い感覚がある,自然な走りではないのである。
ただ十分に遠出できるものなのでもう一つバッテリーを買って行ってみよう。














2018年03月27日

春霞(故郷の春の俳句十句)


春霞(故郷の春の俳句十句)

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老木に紅梅映えて農家かな

春うらら孫と畑や里の山

春の日や畑を前に語りあう

春光の川面にきらめき朝の里

春の川流れのはやし子供の声

鳥飛びて流れのはやし草萌ゆる

鳥とまり川面光りて芽吹きかな

川の岸子供あそぶや猫柳

山脈のつづきて遠く春霞

春霞家々離れ隠されぬ


今日は春霞だった,湿り気がでてきて霞になる,のどかな日だった,あそこの老木は記念物に指定されるような木である。紅梅が映えているのもいい
老木は何か田舎的なのである。

孫と畑を耕やしている,それはのどかな風景である。でもその近くの知っている人の畑には延々と問題が起きている,それでその負担を自分がさせられている
今度は小屋に置いた道具が盗まれたとまた負担させられる,今月だけで額も大きい
金だけが費やされるのが現実なのである。
畑を趣味でしていたらかえって相当な金がかかってしまうのである。

流れが早い,そこに鳥が飛び,子供の遊ぶ声がする,それが何かめずらしいともなる
第一今は子供も川で遊んでいないし見かけないからだ
見かけるのは老人だけなのである。
避難区域にった小高とかでも30パーセントが帰っても老人がほとんどなのである。
そういう街になると異常だともなる
老木があって紅梅があって犬ふぐりとかたんぽぽとか花が咲く
それは人間でも子供から老人と世代でも平均して住んでいるのが調和しているのである。老木ばかりだったらそういう世界は自然にもないのである。

故郷とはこうしてやはりこういう景色がある所である。四季があるところである。
季節の変化がありそれで感じるものがある
真野川の岸辺は散歩するのには一番いい場所である。
そういう場所は田舎ではどこでもある,原町だって大きくても新田川がある
ただ相馬市の宇多川は細い,川でも何かもうひとつものたりないのである。
新田川はそれなりに浅瀬でも瀬音がして気持ちいい川なのである。
浪江では川が二つあるからもっといいのである。
あそこの岸にも桜が咲く,それで人がそこに住んでいないのは悲しいとなる

つまり人が住んでいないとなるとそこはどうなるのか?
自然も死んでしまうともなる,人が住んでいて自然も映える,人が住んで生活する中に自然も息づくということがある
それが人が住んでいないとなると何か自然でも空洞のようになる
孫と畑を耕しているのをみればわかる,その時自然と人間は調和しているのである。





タグ:春霞 春の川

2018年03月23日

彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


かよわきも遂に生き抜く百歳を母は死にしもここにありなむ

姉と母我が家を支え久しきを争い憎むも墓に眠りぬ

草うもるこの墓あわれ誰と知る彼岸にあれば花を挿しにき

墓参りつとめとあれや故郷に彼岸にあれば花を挿しにき

この家に長くもあれなその思いここに残るや我が跡つぎぬ


一家族の終わり

悲しみも苦しみも喜びも
ともに過ごしてこそ家族なり
それぞれの家に思い残りぬ
憎しみ争いもつづきしを
最後は悲劇となりて終わりぬ
長い歳月に記憶はここに刻まれ
荒れにし家も静まりぬ
蠟梅の庭に咲きつ雪のふり
寒の戻りや我が家の古りぬ

彼岸だけど昨日は寒かった,前には雪もふった
今年は寒い日がまだつづいた
ストーブから離れられない,でもそもそもあたたかくなる
暑さ寒さも彼岸までというからそれにあっている

自分の家族はみんな死んだ,最後は悲劇として終わった
シェークスピアが悲劇を題材にしたのはやはり人間は悲劇的存在だからである。
悲劇になるようにできている,家族でもそうなのである。
家族でもそれぞれ違っている,同じ家族はない
家族というとき必ずしも血縁とは限らない
家族とは悲しみも苦しみも喜びもともにした一つの仲間なのである。

喜びだけをともにした家族は家族とはいえないだろう。
必ず悲しみがあり苦しみがある
それをともにしてこそ家族なのである。
なにがそれは故郷にも通じるものがある
故郷とは本当は仲間であるとしたら悲しみも苦しみも喜びもともにした人達の集まりともなる
戦後開墾に入った人達は結束力が強いというときそういうことを経験しているからであるだから故郷から離れたくないとかもどりたいとなっているのが老人なのである。
若い人はまだそうした苦しみとか悲しみ喜びを経験していないからである。

人間は悲劇的存在である。それで「悲しむのは幸い」なりとキリストは諭した
なぜ悲しむ者が幸いなのか?みんな悲しむようになることは嫌なのである。
それがなぜ幸いなのか?これは本当にわからないことである。
つまり人間は悲劇的存在なのである。悲しみに終わる存在なのである。
そういうふうにあらかじめ定められている,それは死があるから誰でも最後は悲惨だとなる
そして人間は家族でもなんらか必ず争いが起きて一つにはなれない
たからこそ離婚が三人に一人とか多いのである

人間は最後は悲劇的に終わる,自分の家族も悲劇だった,でも何かそれでもその悲劇の中に人生の深い意味があったことを実体験からしる
悲しみの故に人間はあり悲しみの涙を神はぬぐいさってくれるというとき
この世はそういう場所だということである。
正直家族というのは血縁というのをキリストでも仏陀でも否定したのはそこに真の人間としての愛が通わないからである。
家族にはそんなことがあるかというとそれは肉の愛だからである。
そういう悲劇が自分の家にあった,それはどこの家にでもある問題である。
この世の肉の家族には平和はない,そこに争いが必ずある
それで嫁に来た女性が嫁いだ先の墓に入りたくないという人が三分の一でもいるのがわかる,そこに平和がないからこそ血縁を否定したのである。
だからこそ人間の最後はみんな悲劇なのである。
悲しみの中で死ぬのである。それは定められたことである。
この世自体も最後は悲劇で終わる

一個人も悲劇で終わる
家族も悲劇で終わる
人類も悲劇で終わる
それがこの世の定めである
そのあとに神の国が来る

いづれにしろ死ぬとたちまち忘れられる,こんなに早く忘れられることに驚く
誰かその人を思い出すだろうかともなる,それだけ死んだとたんに人間は忘れられるのである。草に埋もれてその墓は誰かもわからなくなる
60年一緒にいてもそれが本当に一緒にいたのかふら定かでなくなる
それだけ人間は家族でも忘れやすいのである。
60年も一緒にいたのにまた現実の生活に追われ忘れるのである。
彼岸だから死者のことを思い出すということで墓参りがあるのはいいことである。
それでこの一文を書いたのである。




タグ:家族 悲劇

2018年03月16日

雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)


雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)

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新田川瀬音に岸の樹々芽吹く

走り去るあとにひびきぬ雲雀の声

坂を越えて大きく迫る春の山


ふんぷんと梅の香りの放たれる一日田舎をめぐり走りぬ


ヤマハのYPJ-Rは優れものだった,なぜだったのか?
車体が軽いことである。
16キロとかなると相当に軽い,それで電動自転車なのだけどバッテリー500グラムで軽い
他は3キロとか重すぎるのである。

それで悩んでいた人がいた,その自転車を改造してバッテリーを別な大容量のものにしていた,それは自転車屋でしていたのである。
とても坂は上れない,すぐにバッテリーが切れてしまうからである。
そこが最大の弱点であったからだ
それから自転車を軽くするために部品を改造することもしていた
自転車はいかに軽くするかが問題である。軽いと軽快に走る,でも電動自転車だと重くなるからだ

自転車は技術的にもやはり他の機械と車とかとも同じ問題をかかえている

●軽くすること→スピードがでる
●構造的にしっかり作られていること
●バッテリーをを長持ちさせること

自転車が軽いと軽快に走る,それを追及したのがロードである。ヤマハのYPJ-Rは軽いことと構造的にもしっかり作られている
ただバッテリーがあまりにも少なすぎるのである。だから長距離になるとかえって坂があるから疲れるとなる,ただ平地がつづけばこれは楽なのである。
日本では山が多く坂がありすぎるので自転車が使いにくい
オランダなどは坂が全くない,フランスでもドイツでも坂がない広い平坦な地がつづくのである。

長距離になるとこの年でできるのかとなる?
なぜなら筋肉が痛くなるし疲れる,でもしている人はいる
ただ坂が鬼門なのである。
それで今度はクロスバイクを買おうとした,ただミヤタのいいとして田舎では買えないものだった,販売店がなかったのである。
最近はミヤタは販売していない店が多くなったらしい
何か金融商品でも田舎では老人向きのがなく投資信託など銀行がもうかるのもすすめられた,そういう点で田舎は技術的な面でも遅れるのである。
なんでも通販で買えるというが通販では買えないものがあると思った

ともかく相当に自転車に乗ったが自転車のメカについてはわからなかった,自分はメカとかに弱い,それでロードも知らなかったしクロスバイクも知らなかった
ただ自転車は走ればいいと思っていたのである。
ただ坂がいやなので電動自転車を使うようになった
シニア向きに電動自転車が普及した面もある
30万とかで売り出しているのもそうである。
それだけの金をかけるとなるとなかなかできないだろう。
ただ車をもっいればいい車が欲しくなるのと同じで自転車もそうなのである。

自転車の醍醐味はロードにある,走りが全然違うからである。
でも荷物も乗せられないしドロップハンドルだと急にブレーキをかけられないスピードが出るから危険なのである。
坂で一回とめられず転んだのもそうである。そのまま転倒しないと坂をとめれずに下るから死ぬことにもなる,そういう危険なものである。

それで今度はクロスバイクを買おうとしたがいいものが見つからなかった
ヤマハのは30万以上で6月にはでる,でも重さは変わりないみたいだ
どうしてもバッテリーが重くなるからである
ただ30万クラスだとかなり使えるものになる

自転車のいいの自然と一体化することである。
この俳句も自転車で乗ってイメージして作っているし自転車に乗って俳句でも短歌でも作りやすいのである。
それは自然と一体化するからである。
ただこの年になると体がきついなと思う,でもそもそも長寿化社会,人生百年とかなると何か年齢についてこだわることは間違っているのだろう
確かにもう死んでもいい年でも今はそうでもないのだろう
年の感覚は人によって違うが今までの年の感覚ではなくなっている
だからまだ自転車でもロードでも乗り遠く行けるのかとも思う
40キロくらいなら普通に今でも行けるだろう,それこを越えると相当に厳しいなとも思う

ともかくも春なので運動しやすくなった,体を筋肉を鍛えればまた回復するかもしれない,新田川は浅瀬の川であり瀬音が常にしている川なのである。
これは真野川とかと違う川なのである。広瀬川も瀬音ゆかしきとあり瀬音がする街中の川である。川にも特徴がある
こうして音を聞いたり風に吹かれたりするのが自転車であり車ではできないのである
そのために自分はこれまで遂に死ぬまで自転車に乗っていたとなる
自転車人生だったともなってしまったのである。

2018年03月14日

春の日にロードで走る(自転車談義)


春の日にロードで走る(自転車談義)

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これはいい庭である。,これだけの庭を造るには相当金もかかった
大きな石はなく同じような大きさの石を丁寧に組んで作ったという感じだ


ところえて組まれし石の数十個作りし庭や春の日暮れぬ

一本のすぐたつ銀杏枯れにつつ長くもここに立ちにけるかな

雲雀鳴く声のひびきつ軽やかにロードの走るふるさとの道

春風にロードに走る早きかないづこへ気ままにわがめぐるかな

山鳩の今日も来たりて梅におふつつがなき日のもどるにしあらむ


今日は本当に春だった,あたたかい風が吹いてきた,それでロードで走る
ロードは早いから気持ちがいい,ただこれは早いので危険になる
慣れた道なら飛ばしてもいいが慣れない道だと危険になる
ロードがありクロスバイクがありマウンテンバイクがある
ロードはなにか短距離に向いていた
長距離だと坂を上るのがやはりきつい,それでクロスバイクの電動自転車を買おうかと思った,クロスバイクは何かわからなかった
自転車には長く乗っているけどメカのことはわからなかった

自転車はやはり技術的課題としては同じなのかもしれない,材質によって性能が違ってくる
鉄よりアルミニウムがいいしアルミニウムよりカーボンがさらにいい
軽くなるからだ,この材質の問題は車でも飛行機でも何でも同じである。
それから車の構造とか作り方とかも乗り心地に関係している
安い製品はそれなりのものであり高い製品は部品でも材質でも構造でもしっかり作られている,自転車は値段相応なのである。

電動自転車でE=bikeとかがブームなのだろう,最初に出したヤマハのJPYはロードで電動自転車にしたが16キロとか軽いのである。その軽さが軽快に走るようにできている
これは別に電動自転車ではなくてもロードとして走れるのである。
そういうふうに作られている優れたものだった
ただロードはドロップハンドルでありブレーキを急にできないということがある
何かそれで怖いというものを感じた
慣れた道ならいいが知らない道だと危険になる、曲がって突然に車に出くわしたりするからである。その時急ブレーキをかけられないのである。

その点クロスバイクはブレーキをかけやすい,ただこれは乗ってみないからわからない
一応遅かったが自転車はいろいろ乗った,今になると体力がなくなったから長距離は無理でもクロスバイクに乗ってみたい,それなりの遠出はできるだろう。
ロードは近間でスピードを出すと気持ちがいい,でも坂はすぐバッテリーが切れるので無理である。
ミヤタのクルーズは30万とかするが6月に出るヤマハのはさらに3万以上高いから比べると高いとは言えない
最後の仕上げがこのクロスバイクかもしれない,いづれ後は乗れなくなる

とにかく春になると遠くに行きたくなる,体も動きやすくなった
冬は自転車は風とか寒くて動けなかった
ロードは早くて気持ちいいが遠くになると坂あるので体力がないので行けない
金の問題もあるが年になると体力との相談になるのだ
激しい運動は若いときしないとあとはできない
そして自転車の旅でも旅は長距離をすることである。
そうするとそれが印象に残る,電車の旅だと地点地点の旅であり連続しないからだ
長い距離をとにかく走破することが旅を達成することなのである。
それはあとあとまで達成感として残るのである。

今年は平和な日常がもどってきたのかもしれない,30年間ほどは平和がつづいた
それがここ十年は介護で心身ともに疲れた
自分の家に来たのは金を求めて漁るハイエナの群れだった
それで金は大分使った,ともかく春の穏やかな一日だった

2018年03月12日

春の川(春らしい一日)


春の川(春らしい一日)


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誰か来る駅に待つかな春の雲

我が一人黙深くして梅におふ

夕空に一番星や春来る

一番星希望の星や春来る

春満月二度ほど我が家のぞくかな

水豊か流れてここに猫柳ありしを知るやまた来なんかな

春光の流るる川面にきらめき反射して
白鷺のゆくりかに舞いおりぬ
その優雅さやまた舞い去りぬ
桜はふふみ我が歩む土手の道
故郷のこの道にまた花は咲きなむ

自分はふいっと旅に出ていた,そういうときは恵まれていた
その旅ができたのも家に待っている家族がいたからである。
それがいなくなると何か家を空けると不安になるのだ
別に旅はできるのだが家を空けることが不安になる
火事でも起きないとかも不安になる
盗まれるのではないかとも不安になる
だから何か一人暮らしというのは自由があるようでなかった
何か旅に出にくいということがある
だから今は逆に駅で誰が来るのか待っているだけだとなるのも不思議である。
待つ人がいて旅にもでるとなる

今日は春めいていた,河原を歩くのは気持ちがいい,流れる川の面が春の光りにかがやいている,桜もふふみネコヤナギもあった,徐々にふくらんでくる
この辺では川の土手の道が散歩には一番いい
あそこには鷺の巣があり群れて眠る,なんか飛んで行きたくなる季節である。
ただなんか自転車でも腰いたいと筋肉が痛くなる
遠くに行きづらい,なんか近くを散歩するだけくらいになると行動範囲が狭くなる
でも近くに自然があるから気持ちいいとなる

雨がふったので水は豊かに流れている,今日は春になってきた
なんかだんだん遠くには行かず近くが生活範囲になるのかもしれない
それは介護十年ですでにそうなっていたのである。

一番星がきらめいたから何かこれも春らしかった,何か希望の星という感じになる
希望の星が新たな星が現れともなる
春満月がのぞいていたが月が変化するのは早い,ともかく春らしい日だった


タグ:春の川

2018年03月07日

春の日(常磐高速SAのセディティ短歌十首) (猪苗代より来た人とあう)


春の日(常磐高速SAのセディティ短歌十首)

(猪苗代より来た人とあう)

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鹿狼山(がろうさん)が見える
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春の日に来る人あれ遠くよりセディティに我も来たりて迎えぬ

春の日に常磐高速行き交いぬしばし寄りなむ鹿島なるかな

高速に近くに見える鹿狼山春の日に来てセディティ休む

葉牡丹に小さき花の鉢植えをセディティに置き春の日休む

猪苗代まだ雪厚しセディティに春は来るも嘆き帰りぬ

猪苗代真白き雪に染められぬ波打ちひびき磐梯山見ゆ

猪苗代松に雪かな打ち寄せる波のひびきて夕暮れにけり

会津なれなお雪埋もれ遠きかな久しく行かじ旅の日思ふ

社一つ雪にうもれてあわれかな会津の冬の長くありしも

セディティに我がより駅により人の行き交ふ春となるかな

梅開き柚子もなりにき小山田の細き道をし帰りくるかな

一本松切られてなしも右田浜津浪の後に何か残らむ


sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

セディティというのがなにかなじめない言葉である。意味はいいのだが発音しにくいしてわかりにくいのである。
だから意味はいいとして名付けたのはいいかどうかわからない

ばあちゃんが休んでいたので話しかけた,その人は猪苗代から来ていた

「春になりいいですね、どこから来ました」
「猪苗代だよ,雪で困ったよ,雪は嫌だよ」
「猪苗代はそんなに雪降ったかな」
「猪苗代は雪降るよ,今年は特に降って積もったよ,溶けないよ」
「そうだったかな,ここは雪は降らないけど今年は寒かったよ」
「猪苗代は若松市より降るんだよ」
「若松市より降る,あっちの方が降ると思ったけど・・・」
「猪苗代は会津よりふるんだよ」
「ここは春になると東風(こち)が海から吹いてくる
それで放射性が福島市の方まで流れたんだよ」
「そいうことか,こっちは雪がふらないからいいよ」

今日は東風が吹いていた,それは山側にも吹いていた,これは二月から吹き始め3月になるとさらに吹く,それで原発が爆発したのは3月11日でありその風に乗って福島市まで放射性物質を運んだのである。
だからつくづく不運だったのである。北風だと海の方に風が吹いて海に流されたからである。現実に海側は放射能の汚染度が低いのである。浪江の請戸では原発の煙突が見えても0.5とか低かったのである。山側はどこでも高く飯館村は一番高くなったのである。
それは風向きでそうなったのであり不運だったのである。

駅でいろいろ案内がてら話したが常磐高速のセディティでは話にくい,でも今日あったのは原町の人と相馬市と楢葉の人と猪苗代と仙台と茨城の人とかであった
駅でもそうだがどこから来ているから興味があるからだ
楢葉の人は学生であり仙台にいるという。いろいろな人が交わるのが駅でありSA(サービスエリア)である

猪苗代のように福島県でも地域差がある,ハマ,ナカ,アイヅとあり気候も相当に違うのである。たから福島県は大きすぎて一つとなりにくいのである。
浜通りと阿武隈高原を越えた中通りでも気候は違う,会津はもっと違うのである。
だから猪苗代がそんなに雪が積のかということが意外だったのである。
つまり福島県はそれだけ広いから地理とか気候でもわかりにくいのである。
ただこうして地域差があることが面白いのである。
ちょっとでも話すると何かこうして地域差があり気候が違うんだなとわかる
だから駅でも常磐高速のSAでもそういう地域差がある人と交わると面白いのである。
ただあそこは駅のように話せない,話にくい場である。
でもあそこに行くといろいろの地域の人が交わる場なのである。
ただあそこから鹿島の方に来るかとなるとあまり来ないだろう。
鹿島の一本松は切られた,あれを見に来る人は結構いたのである。
何かあと見るべきものがない,ただ鹿島には道の駅がないからあそこにSAができたことはいいことだった
レストランとかあり食事ができるのもいい,だからあそこに気晴らしに寄るのもいいとなる

とにかくこの辺は本当に変わりすぎた、海側でもそうだしまるで変わってしまったのである。こんなに変わるものかど驚くばかりである。
常磐高速は車社会だから鉄道よりこれで変化した,人の流れが鉄道とくらべものにならないからである。それだけ車社会になったことをここにくれば自分は車はないが実感するのである。

2018年03月05日

JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した (JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)


JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した

(JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)
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自分が作った時刻表を置いたトイレとか観光パンフレットを全部撤去した
JRの許可なしで置いてはいけないという

なんでなのか?

いろいろ苦情が来るからだという,パンフレットについても何か聞かれると困るという
これも何なのだろうと思う
時刻表でも自分は10円でコピーして置いておいた,それをみんなもっていった
なぜなら必ず時刻を見に来る人がいるからだ

それをこんなものJRの許可なしでなぜ置いたのか?
みんな撤去しろとなった

ただJRにも言い分がある,何か駅に置くには申請しないとだめだという
それがルールとなっているから守らないとJRでは困るし許可できないのである。
なぜならJRの責任にもなるからだ
それはそうなのかと理解した
申請は個人でも簡単にできるという

JRはまず自分が結構いろいろ無人駅なのでかかわって知っているのに礼一つない
結局お前はここで何しているんだ,何もする必要ない,ここは無人化して自動化しているからだ,こういうことなのである。
そして警察からはお前はここで何しているんだと誰かが通報して職務質問されたのであるそれもみんなの前でである
俺たちがすべて管理する,自動化したら人はいらない,ここで何かするな!
勝手に何もするなとしている,俺たちがすべて鉄道や駅のことはする
他の人はかかわるなということなのか?
ただ勝手なボランティアだから認められないことはある

でもこれは何なのか?

JRはJRだけですべてする,他の人はかかわるな!

こういう管理のしかたなのだろうか?俺たちの仕事の領域に他の人は立ち入るな
無人化して自動化したのだから人はかかわるな!
だから構内に勝手に入ったときJRの人が入るなと言ったのである。
それもやはり鉄道のことはJRでするから他人はかかわるなということである。
でも無人駅だからこそかかわっているのである。
無人駅だとやはり困ることがあるからかかわっているのである。

こういうことなのだろうか?
この経営態度は何なのだろうか?全く地元とか人間を無視した態度なのである
だから無人化自動化をすすめいる,人間とはかかわるな,
パンフレットを置いたのは自分では自転車屋の人である。
そのパンフレットは観光案内なのだから別に許可なくても置ける
何かの宣伝でもないからである。

ともかく市の地域振興課に聞いてみたらJRにはルールがありそれを守らねばならない
勝手に置いてはいけない,そのことはわかった
でもルールでも何か人間味がない,ルールが全能ではないからだ
何か現代の社会はこうしておかしなものになっている

鉄道はみんなJRのものであり他の人は立ち入れるな,鉄道はみんな自分たちでやる
これがJRの上から目線の態度なのである。
人間に関してのサービス精神が全くないのである。
JRではのせてやっている,ありがたく思いという意識しかないのである。
人間がサービスする人間がかかわることを拒否しているのだ
ただもう電車でも駅も無人化自動化して自動運転のようにしたいのである。


何かこれは無人化自動化する社会への警告ではないか?
そういう社会はもう人間味もなにもなくなる,ただロボットがいてすべてまかなえる
人間は必要ないということにする社会である。
そこにAI化とかいいように見えるが人間そのものが排斥されていらないとなる
冷酷な社会になることも暗示している
つまりAI化とか自動化とかはすべてバラ色ではない,人間の暗黒を作り出すものにもなる仕事の場でも人間は効率的でないから邪魔だからいらないとなるからだ
そういう社会はも情もにもなくなってくる
現実になっている,そういう社会にはいくら便利でも生きたくないとなる
結局原発でもそうだが便利だということはすべていい方には働かないのが人間社会だったのである。

時刻表は商工会なり自治体なりで配布すべきなのである。
それもJRの許可が必要でもそうすればこの問題は起きなかった
原町駅の時刻表は作られているし相馬市でも作られている
前は一軒一軒配れていた記憶がある
そうすればこの問題は解決しているのである。
要望として時刻表が欲しいという人が多いからだ
その要望に答えるのが自治体でもあり商工会でもJRでもある
それをするものがいないから問題になったのである。
別に自分は時刻表を置かなくてもいい,置くと金がかかるからだ
だから別に乗客が不便でもいいともなる
何か感謝するわけでもないからだ,ただそこで不便になるのは乗客だとなる
それもやはり乗客がそういう要望を出さないからである。
もし十人でも百人でも要望がありまとまれば圧力になり対策されるからである。
ただそれほどの要望でもないから個々人で不便でも時刻表を見にくるほかないともなる

自分としては申請してまでまた金をはらってまで時刻表を置く気はない
それをするべきなのは乗客なのである。
乗客がそれを要求しない限り不便でもそのままになる
民主主義社会はまとまって何か要求しないかぎりそのままになる
改善されない,ただみんなが困っているのだからそれをまとめる人も必要になる
それが代表となるということである。
つまり政治の問題となる,そういうことで民主主義が発達するということはある

鹿島駅の問題は無人駅になったということにある,普通だったらまず勝手に構内には入れないし
確かに勝手に駅内に何でも置けないからである。駅員がいるから許可が必要になる
その駅員がいないから問題なのである。
無人化して自動化してもそこに人間がないことで生じる問題が必ずあることがわかる
だからAI化で無人化自動化してもそこに問題が生まれるのである。

普通の社会人だったら絶対にあり得ない!!JR駅員の高慢な接客態度

やはり自分だけが感じたことではない,自分は別に乗客としてかかわったのではない
そもそもJRとかには普通の社会人としての常識が通用しないのである。
そうしなくてもいいという感覚であり乗せてやっているという気持ちだからそうなる
いろいすめんどうなことは言うなよ,乗せてやっているのだからありがたく思へ
そういう感覚だから普通の人の感覚がない
人に道を教えただけでありがとうと言うとするとそういうこともないのがJRなのである。
人のことは言えないが国鉄からの殿様商売だとなる
ただ職人として時間どおりに安全に電車を走らせることには勤めているのである。
人へのサービスはぬけているのである。

タグ:JRのルール

2018年03月03日

最近の故郷の風景(春は来たが) (風車もなじむ景色となる?-磯部のパン屋)


最近の故郷の風景(春は来たが)

(風車もなじむ景色となる?-磯部のパン屋)

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風車が回っていない
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磯部のパン屋
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相馬市の道の駅のすぐ近くで二人の若い女性が事故死する

ここで雪の日に二人の若い女性が死んだ
歩道が雪で凍って歩けない,それで車道を通ったのだが白線の内側も凍っていた
すると車の通る車道を歩いていた
そしてトラックにはねられたのである。
これは思わぬ雪と真夜中の三時という時間が影響して事故になった
まず夜は自転車でも危険になる,いくら慣れていても危険になる
第一あそこをなぜ真夜中の三時に歩いていたのかとなる
自転車でも歩道が凍って通れないと車道になるがそこは白線の外に出れば自転車も危険になる
悪い条件が重なって事故死したのである。


風やみて風車回らず冬芒

石十個常連客あれ冬の暮

蠟梅や猫一匹いつき我待つ


この道に若き女性の二人死ぬいたましきかなうらめしきかな

梅咲くもかなたの山は雪なりや厚くも雲の覆いけるかも

春なれば峠を越えて飯館へ我が行かむや雪雲閉ざしぬ

面影のなおも浮かぶや我が家に待つ人なしや春となりしも


磯部のパン屋は場所が自転車でも行ける,相馬市までだとなかなか行けない
ただパンはそんなに種類がないし素人の家族で焼いているという小規模のものだった
機一昨日,強風のとき行って失敗した,風がやみ雨もやんだと思い行った
それから急に風がふいた,そして吹き飛ばされて転んだ
その時自転車の予備の電池をなくした,あれは高いし損した
ロードは軽いけど自転車としては危険だなと乗ってみてわかった
だからへたすると大怪我する危険を感じる
早いから急ブレーキにしてもぶつかる度合いが大きくなるからだ

あそこにあんな民家があったとは思わなかった,東京の方からあそこに移ってきた
その人がパン屋をはじめた,パンはたいしたものではなかったがあそこの場所はいい
自分は何か場所にこだわる,そこがどういう場所なのか,景色がどうかとかまずみる
この辺でも場所が違うと雰囲気でも何でも違っている
狭い場所だからどこでも同じではないかというとそうではない
あそこは海が遠くに広く見えた,それが違っていた
あそこには広い高台があった,あそこには行ったことがなかった
そういう場所に休む場所があるといいのである。

だから限界集落とかなりそうした地域地域が失われることは住んでていて面白くないというか変化がなくなる,場所の雰囲気を変化を楽しむことができなくなる
田舎は多様な場所に住んでいるからである
ともかくあのように今は意外と他から移り住んでいた人達がいた
でも放射能騒ぎとか津浪もあり帰った人も多い
その人も実際はパン屋をするわけではなかったこの辺の特殊な事情ですることになった
商売は常連客があるとリピーターがないと成り立たないだろう
この辺は工事とかで今も外からの人が来ている,それで成り立っている食堂とかある
でも前のようには来ないので地元の人に来てもらわないと成り立たないということがある自分は朝はパンだからうまいバンを食べたいのである。

鹿島区は海岸が風車の風景になった,今日はめずらしく風が吹かないので風車が回っていない,そして冬芒の風景になっている
これもこの辺の風景としてなじんでくるのかとなる
家で待っている人はいない,待っていたのは猫だった
この猫も何か不思議なのである。猫は家にいつくというが本当である。
家の住人のようになるから不思議なのである。

死んだ人もだんだん忘れさられてゆく,去る人は日々に疎しになるがなおやはり面影が浮かんでくる
春といってもまだ春とは感じられない,今年は寒かったからだ
ただ梅は咲き始めたから春にはなっている,鶯の初音も聞いた,雲雀も鳴いたのである。ただ本格的に鳴きはじめるのはまだである。
飯館の方は雪であり雲におおわれて雪がこっちにも吹きかけてくるのがこの浜通りの気候である。







タグ:風車 磯部 冬芒

2018年02月26日

東風(こち)が吹き春北風(きた)が吹く


東風(こち)が吹き春北風(きた)が吹く

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浜通り東風(こち)に春北風(はるきた)風変わる

山鳩の三羽来たりて梅開く

何励むパークゴルフや冬芒

目覚めれば知らずにふりぬ夜半の雪


時にして春の嵐や時代かな若き命を散らしけるかな


出典新古今集 雑上
「めぐり逢(あ)ひて見しやそれとも分かぬ間(ま)に雲隠れにしよはの月影」

夜半(よは)の月の歌である。ここでは夜半の雪である。
夜半に目覚めたら隣の屋根に雪が薄くふっていたのである。
この辺ではあまり雪は積もらないけど今年は一時積もった
これもいろいろに鑑賞できる,何かこの句が死をイメージする
ひっそりと死んでそのあとに白い雪がおおっているとかなる
この辺では雪はなかなか降らないから雪にたいしてイメージがわかないのである。

今年は寒いから冬が長い,パークゴルフは今日もにぎわっている
とにかく老人が多いからいつもにぎわっている,それは無用な冬芒なのかとなる
何かこの辺では人手不足だけど老人は強いられない限り働かない
今日も駅に杖ついてきた老人が5人くらい見かけたのである。
本当に老人が多すぎるのである

今日は東風(こち)が吹き春北風(きた)も吹いた
今頃浜通りでは海からの東風と山からの春北風が吹く
その東風が原発事故で災いしたのである。
東風が福島市の方まで吹いて放射性物質を運んだからである。
これは本当に不運だった,一月頃だったら良かった
まだ東風が吹かないからである。
そして飯館村があんなふうになったのはショックだった
飯館村は森の国であり森に隠された村だったからだ

近くの梅は開いた,まだわずかである。徐々に増えてはきているがまだまだである。
今年は春が遅い,東風でも冷たいのである。
風というのはその土地特有の風が吹く,だから風土となっている
この風を感じるには車ではできない,風を自然を遮断するからである。
ただ自転車は最近疲れる,節々が痛くなる
だから遠くに行くのが億劫になった
後で筋肉が痛くなのである。
知っている人は腰が痛い痛いと実際はなにもしていない
ただ畑をやる気はある,そこに生きがいを見いだしている
腰が痛くてもやりたいことはやろうとする
自分にとって自転車を乗っているのと同じなのである。


タグ:東風

2018年02月15日

白鳥の短歌十首(白鳥は神々しく魅せられる)


白鳥の短歌十首(白鳥は神々しく魅せられる)

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今日見た白鳥

白鳥の暁に映え凍る湖(うみ)

白鳥の凍れる湖に目覚め鳴くその声ひびきしみとおるかな

白鳥の凍れる湖にその翼広げ飛びたたむあかつきの空

この一日吹雪きけるかな白鳥の鳴く声ひびく北海道の夜

白鳥の北海道に映えるかな神々しくもけがれざるかな

山上の湖美し白鳥やスイスの古都を落葉踏み歩む

スイスなる古城のあわれ山険し湖の清しく白鳥浮かぶ

教会も古りて鐘鳴る白鳥の浮かび静けし湖も古りにき

白鳥の真澄の空に列をなし白さの映えてその飛行かな

白鳥の列を乱さず美しく真澄の空に翔りゆくかな

白鳥の白さの映えて神々し神の使いとふさわしきかな


絶景広がる”砂の岬”尾岱沼はオオハクチョウが見ごろ


北海道の尾岱沼(おだいぬま)の白鳥を見た,冬にも北海道に行っていたのである。
北海道は電車でも自転車でもほとんど回った,十回くらい行っていた
それだけ暇だったのと家族がいて安心して旅できたとなる

白鳥には本当に魅せられてしまうのである。神々しい感じになる,まず人間の社会のことをどうのこうのと語ってみてもそこがどんなことをしても穢れの世界でありブラックなのである。結局資本主義社会であれ社会主義共産主義社会であれ人間そのものが汚れたものだから社会もまた汚れたものになる
人間の社会に理想社会などありえないのである。

一方自然を見るとそこに神の技をみる,神の成したイデアを見る,白鳥などは神々しいものであり魅せられてしまうのである。
その神の作り出した技に美に魅せられてしまうのである。
人間でもいくら美人でも人間である限り醜いものがある
何か白鳥とか見ると自然の花でもそこに穢れない,だから神々しく感じるのである。

そして白鳥でもそのいる場所が問題である。この辺ではその場所としてふさわしくない
きれいな湖とか背景が良ければ一段と映えるのである。
ヨーロッパでは何か白鳥が映える静謐な場がある,それが古い歴史とマッチして映える
スイスで晩秋に見た白鳥がそうだった

スイスのルツエレンで見た白鳥がそうだった,山上の湖から清涼な冷たい水が川に流れそこに白鳥がいた,落葉を踏んで川沿いを静かに歩む,そこには古城もあり険しい山が迫ってくる,あそこはいい場所だと思った

神の目的は何か?神が創造したものその中に神を見る,美に神を見る,その美は神の技でありイデアなのである。神のイデアは不滅でありそこに神の創造の技を見て驚嘆する
なぜ人間はいくら社会が進歩したなどと言ってもその大都会を見ればわかる
そこにいかなる美があるのか?高層ビルを見上げて何かあるのか?
毎日蟻のように仕事に追われている,その仕事がいかにも重要なことのように言うが
それならそこになぜ美がないのか?そこにいかにその労働を強いても賛美しても絶望してしまうのである。

神の世界はそういうものではない,神が作り出した技こそ自然にこそ感嘆する賛嘆するものがありそれに魅せられてしまうのである。汚れた人間社会で死ぬより荒寥としてもそこに美があればそこで死ねば満足だともなる
都会のビルの間で死ぬのは無惨である。富豪でもうらやましくもない,自然の美の中にあって暮らし死ぬなら貧乏でも満足だということはある
ただ正直あまり過酷になると詩人が呪い死んだようになるから嫌だとなる
自分は別にそんな過酷な農業をするわけでもない,ただ旅しただけだから良かったとなる
白鳥は猪苗代湖とかでも見られるしその背景が良くないと映えないのである。
それは何でもそうである。自然の美は背景が良くないと映えないのである。


白鳥の詩

ルツエレン写真
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タグ:白鳥

2018年02月14日

無常の世の短歌十首 (空家が増えたり団塊の世代が大量に死ぬ時代)


無常の世の短歌十首

(空家が増えたり団塊の世代が大量に死ぬ時代)


死ぬ前にもだえ騒ぎて声やみぬひぐらしの声耳に残りぬ

その土地に根付き朽ちにし老木のこの土地にこそ思いは残る

大原の知りにし人の眠る墓ここに生きにし思い出深しも

大原に住みにし人の病院に語りつつ死に心に残りぬ

大原に空家のありや誰か住むなお残りつつ冬の日暮れぬ

今日もまた死ぬ人ありぬ 誰なれや何か語らむ一言なりも

近くにそ空家となるもこの女のいづこにあらむ冬の日暮れぬ

家の跡一本残る松静か冬の日さして今日も暮れにき

たちまちに灰となりにし人の生その声やみて訪ふ人もなし

津浪にて消えにし村や形見とて残る碑一つ冬の日暮れぬ

捨てられし墓もありなむ何語る何か思いをここに残しぬ

亡き人の時に顕れ住みし家生きにし土地をなつかむかも

人間の世は無常である。自分はそのことを家族の死で経験したし回りでも津浪原発事故で大きな無常を経験した,人間のはかなさを経験した
死ぬ前に人はもだえ騒ぐ,でも一旦死ぬと何も語らない,あれほど騒ぎ語ったのにもう何も語らない,遺影に向かって話しても返事は全くない
その変化が大きく人間は耐えられないのである。
そうなると喧嘩していたときもなつかしいなとかなる
それはこの世に生きているときが一時だとなるからである
長いようでもいづれは死に永遠に別れてしまうのが人間である。

南相馬市立病院で一カ月入院したとき最期に語ったのが大原の人だった
その人は話することができなくなっていた,ただ最期に話ができるようになった
だから大原のことで生活したことなどの話を聞けたのである。
それもふりかえれば貴重なことだったとなる
その人の墓は大原にあるが家は空家となって跡を継ぐ人は市内に住んで住まない
それも淋しいとなる,何か今はこうなりやすい,空家が膨大に増えてくる
近くでも空家が多いし一人ず住んでいる人が多いのである。
一人暮らしの人が組で四人とか多いし空家が多い
これはここだけではない,一人暮らしと空家が多い時代になったのである。

近くに家だった跡がありそこに一本松が立っている,そこでここに家があったのだと知るが自分はすぐ近くなのに記憶がないのである。
ここに家があったという記憶がないのである。これも奇妙である,宅地整備で変わったためでもある
ただそこに一本の松が立っている,それが形見のように立っている
ここに庭があり立っている,それでここに家があったということを知る
そうでなければ荒地となりここに家があったこともわからなくなる

ともかくその土地に生きたとしたらその土地に思いは残る
何かそうした思いが残る土地が故郷でもある
だから津浪や原発事故とかで故郷を離れた人達は特に老人は悲劇だったのである。
そのことはあまり語られないがやはりその土地に生きてきたのだから思いは残る
人の生が短いとするときやはり長く一緒に暮らした人とかその土地のことは忘れがたいとなるからだ

人は次々に死んでいる,めずらしくもない,これから死ぬ人が増えてくるから駅前の農協の葬儀部門が繁盛するし都会では火葬場がないとか問題になる
田舎の仕事が介護とか医療関係とか葬儀屋が繁盛する,それで地方が活気が出るのかとなると疑問である。駅前だって葬儀屋があるのが場違いに見えるからだ

姉が火葬場で焼かれるときひぐらしが鳴いていた,姉は社交的な外交的な陽気な女性だった,だから認知症になっても同じことを千回もしゃべりつづけた
それを聞いているのが嫌になったがしゃべりつづけた
暴れたり騒いだりもした,でも死んだから何の声もない,返事もない
人生も終わってみれば一時であったとなる,そうして膨大な人が灰となり忘れ去られるだけだとなる

墓地に行けば捨てられた墓も必ずありそれらは誰なのか,何者なのかもわからなくなる
墓は最期の形見でもそれすら忘れられてしまう。
結局この世が無常ということは変わりなかった,ただ多少長く生きて死ぬかの差はあったでも長く生きても遂に死ぬ,それは変わりないことである。
人間は無常の中に生きる,無常から人間を見るべきだともなる
この世のことはすべて無常のことなのである。
だから人生でいろいろあってもこれも無常でありこの世を生きることに生に執着しないことであるとなる
それは一時のこの世のことでありそれは無常となり終わる
そういう無常の観点からこの世を人を見るべきだとなる

家の跡に残された松

ここに家があった
その跡に一本の松が残り立っている
その松は何を語るのか
その松はこの地に根を張り
枯芒の中に家なき跡も立っている
冬の日がさして静かに立っている
松には誠実を感じる
家なき跡も誠実を示しているのか
何かそう人間はありたい
人が死んだ後にあの人はどうだったとなる
死んだ後の評価は大事である
巨万の富を残しても評価されない人もいる
人間の価値は死後に正しく評価される
この松のように人は残るものがあってほしい
誠実な松がここにいつまでもまだ立っている
地に根付いてここを離れず立っている

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原発事故で避難した人々の家はまるでもぬけの殻のよう地なり残っている
それも不思議なの光景である。
あんなふうに街自体が廃墟のようになるとはイメージもできなかった
それこそ無常だとなる,津浪でも村が全部消えたというのもそうである。
そんなことがありうるのかということがこの辺ではつづいたのである。
そうでなくても人間の世は無常である。この辺ではその無常なことに津浪や原発事故で拍車をかけて無常になったのである。
街自体が廃墟化することば一軒の家が空家となり空き地となるのとはまるで違っていた
まだ人が継続して住んでいるから町全体が無常化することはないからだ
それが何を意味しているのかもわからないともなる
ただそこにも継続して人が住んでいたのでありだから愛着が残る
そういうものが失われることはさらに無常であり他とは違っている

2018年02月13日

冷える夜(猫の不思議-なぜペットブームなのか?)


冷える夜(猫の不思議-なぜペットブームなのか?)

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尻尾が焼かれた猫


猫と我ストーブにあたたまり冷える夜

猫鳴きて甘いよりくる冷える夜

声かけて猫と二人や冷える夜

我一人遺影に話かけ答えなし猫にゃおと鳴き冬の夜ふけぬ


この猫が特別自分が飼うということではなかった,いつのまにか居ついたという感覚になる,でも結構すでに五六年とか長くいたなと思う
でも自分はものぐさであり猫を飼い世話することができない性分である。
だからほとんどかまわない,家の中で糞とかするので近くによせつけずいたから
触ったりもしない,しようとすると逃げる
でもなんか猫は不思議な動物がなと思うようになった

猫との縁というものがあるのかもしれない,野良猫は多くてもやはりここに居ついた猫とは特別な縁があったのかとなる
猫の不思議はがらんとした家に一人でいる,そして遺影の母とか姉と語る
しかし答えがない,その時ニャオーと鳴いたのが猫だった,猫が答えたのである。
なんかこれも奇妙だった,猫でも犬でも家族の一員になるというのは本当である。
猫は家の中に入りいつくのでそうなりやすい

猫はこうしていると愛情が覚えるのも不思議である。
そういうことは自分はめんどうだから感じなかった,放っておいたのである。
だから一カ月くらいいなくなってこいつは帰ってこないなと思っていた
そしたら帰って来たのである。その時尻尾を焼かれていたのである。
誰かが子供なのか悪戯したのだろう。
それ以後相当おびえていた,でも今でも二日くらいいなくなるのがこの猫なのである。

猫の不思議はがらんとした家にいるとやはりそれが家族のように思えることである。
何か通じなくても話しかける,するとニャオーと鳴いて答えたりする
猫には何か心でも通じるものがあるようにも見える
ただ良く鳴くのはエサが欲しいというときである
時々魚の余ったのを分けてやっているからグルメ猫になったのである。
やはりそういうものを与えていると猫は要求するようになる
贅沢の味を覚えるのである。

ともかく今日も冷えた,夜も冷えている,しんしんと冷えている
猫と二人というのではないがそうなる
何か一人よりはいいのである。家族がいるという感覚になるのだ
それで猫に財産を残した富豪の人がいる,その気持ちもわかる
子供でも財産が欲しいというだけになり寄ってくるから嫌になったというのもわかる
実の子供ですらそうなのだから他人は金しかない,金の切れ目が縁の切れ目とみんななってしまったからである。
金持ちでもそういうことで孤独なのである。金持ちだ余計にその金をねらってくる寄ってくる人が多いのである。自分は金持ちではない,でも寄ってきたのは金目当ての人しかなかった

そういう人間を見ていると猫に財産を残した人の気持ちがわかる
猫は何を要求するわけでもない,エサをやれば満足する,その他は要求しないからだ
なぜこれほど現代がペットブームなのか?
人間よりペットを可愛がってどうするんだというのもわかる
でもそれには原因があった,人間社会が金だけを求める殺伐とした社会になっているからだ

遍路の乞食がペットを可愛がりすぎる,人間に愛情をもってほしいとか言っていたがあの人も僧侶でもないのにホームレス遍路になりにわか僧侶になってお経を唱えていた
それは信心となんの関係もない,金をやったからお礼にお経をあげるというがそうなれば乞食ではない,あなたにお経をあげてやる僧でありありがたいと思いとなるからだ
何か僧侶などでも江戸時代でもその前でもそういう僧が坊主でも多かったのである。
そうして糊口をしのぐためにただ仮に僧になっているだけなのである。
何か人間にはそうして偽善的な人が多すぎるのだ
宗教でもそういうふうに偽善として使われているのが多すぎるのである。

だからなぜこんなに異常なまでにペっトブームになるのはそうした人間に嫌気をさしてそうなっているのである。
でも自分は触れもしないし異常なほどの可愛がりはしない,女性だといつも赤んぼうのように抱いていたりする,それが本当に赤ん坊のように思えて可愛がっているのだ
女性の本能を満足させるからである。
ともかく猫は不思議な動物だなということは自分が家で飼ってつくづく感じた

私が欲しいのはあなたの財産です
あなたのことより財産です,金が欲しいのです

これが今の人間であり利益から金から離れてありえなくなった,だからその人のことを心配しているより金を心配しているのが普通だからである。それは親子ですらそうなっているから索漠とした社会になっているのだ

2018年02月05日

冬の暮(松川浦ー日立木を回る)


冬の暮(松川浦ー日立木を回る)

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海老村
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百間橋渡りて長し冬の暮

村一つ社一つや冬の暮

蔵ありて郊外の農家冬菜かな

百才の間蠟梅咲きて残る雪


碑の一つ金砂神社や津浪にそ流され残り冬の日暮れぬ

松川浦穏やかにして白鳥の河口に浮かび安らぎにけり

立谷川打ち凍りけり祠町場橋一つに薬師堂かな

日立木の家並みの間の道細し昔のままに冬の日暮れぬ

苦しむもここに生きなむ人のあれともにここに歳月刻む

近くにそ四十雀来てしきり鳴く声のひびけり春めく日かな


海老村から松川浦へより日立木を回る,海老村には金砂神社の津浪に流された碑が集められてあった,あそこには良く寄っていた
文政とあるし湯殿とかあるからこの辺では良く見かける碑である。

百間橋とは一間が一メートル以上あるとして百メートルにもなるのか?
これはただ長いということで百間橋と名付けられた,いつかけられたのかわからない,
やはり長い橋だったのでそういう名がつけられた

日立木はいつ行ってもなにか感じるものがある。
それはなぜなのか?そこがやはり村として街道としての歴史を刻んでいるからだろう。
そして村の要として必ず日本では薬師堂があった
薬師堂とは医者とか病院がないから病気になれば薬師堂で祈る他なかったから要としてあった,要するに病院と同じだったのである。

そしてなぜあそこの橋が町場橋になっているのか?これもやはりあそこが町の中心的場所でそうなっていた
薬師堂の中に古い碑が並んでいる,そこは相当に古い場所なのである。
日本は村中心に生活があり行政もあった,村ごとに人はともに住み苦楽をともにしたという歴史がある。だから何かあそこにはそうして生活してきたものがにじみでているのだ
そういう場所が日本にいたるところにあるにしても外から旅しただけではわかりにくいのである。
そこはありふれた何でもない風景と見るからである。

日本の村は相馬藩内でもその場所によってかもしだすもの雰囲気が違うのである。
それは土地土地によって地理によってそうなる,深野というときあそこもありふれた場所でも何かそこだけに感じるものがある
あそこは地名が影響していることもある,だからあそこに新田川ユッサ温泉があるのがふさわしいのである。あれは本当に温泉なのか?それがわからないにしても場所がふさわしいのである。

いづれにしろ冬はまたしんみりとして田舎ではいいのである。
ただ今年は寒かった,ここ二三日は春めいて近くで四十雀が鳴いた
また寒くなり雪がふるのか?
百才の間は母を介護した部屋である,そこに蠟梅が咲くのはふさわしい
田舎で暮らすことはやはりその土地と一体化して生活することなのである。

2018年01月29日

冬籠もる短歌十首


冬籠もる短歌十首


浪江まで電車二両や冬の山


我が庭に石のひそけく黙しつつ母の面影留めてあらむ

我が家の柱に寄りて姉思ふ常に自慢すその柱かな

ストーブにあたたまりつつ自転車屋に駅や街のこと語りけるかな

冬の日に寒しも今日も駅に来て見送る人あり我も見送る

芒枯れ根雪残りて風寒し常に見る川鴨群れよりぬ

移り住む家にしあれや冬の灯のともり庭にし置きし石かな

冬の夜に月のかそけく雲隠れまた現るも消えにけるかな

手水鉢厚く凍りて溶けざりき薔薇一輪のなお咲きにけり

遠くへと我はいでじも冬ごもりストーブにあたたまり記憶をたどる

一本の薪またくべてあたたまり冬の長き日回想にふける


八畳のストーブをあたためるには丸形のストーブにした,これだと二倍の石油が必要である。でも部屋はあたたまる,椅ゆり椅子に腰掛けてなにることもなくいる
暖炉とか囲炉裏とかは寒いときその火を見ると体も心もあたたまる
そうして記憶をたどる,昔を思い出すのにはいい,だから囲炉裏というのは暖炉でも何か想像力を刺激する,そうして一日家にいることが多いからである。
その時何をするかとなると老人だったら回想に耽るのが向いている
そういう生活に憧れて田舎暮らしをしてみたいとなる人がいることがわかる

近くの薪を積んで暖をとっている人は土地の人ではない,どういう人かわからないがそういう人もいたのかとなる
囲炉裏は炭の時代は街内でもあったし自分の家にもあった
今になるとそんな時があったのかということが不思議になる
その記憶も朧になり思い出せなくなる
その時父親が生きていて怖い存在だった,明治の男性だから怖かった
でも今はそうして過ごした家族もみんな死んだ
結局最後は思い出だけになるのが人生である

駅前の自転車屋に同じ丸形の高いストーブが置いてあった,あそこには駅のことなど話すのに時々行く,あそこは駅前でありいつも駅を見ているから駅の案内所とかに向いているのだ,いつも駅を見ているから自分より案内所としてふさわしいのである。
だからあそこで時々の駅のことを話しているのである。
駅は家族がなくなり他人の家族が見送りするのを自分も見送りしたり迎えているのも奇妙である。駅は何かそうして再開とか別離の場として演出するのである
バスとか車では何かそうした感覚にならない、ただ会って分かれるというだけの感覚になる
駅には何かそうして人生の織りなす舞台を作り出している,また広場の役割もあることを知った

今日老人が来て知った,小高の医者がはじめた絆診療所では車で患者を迎えに来るという専用の運転手もいるとか,そんなことしてくれるのとか疑問だった
往診はしても車で迎えに来るというのは知らなかった
ただあそこは外科であり整形外科とかなるから内科と違っている
あれもできたことはこの辺ではいいことである。
小高で営業できなくなり鹿島に移った医院だったのである。
何かそうした情報が入るのも駅だったのである。

ともかく今年は遠くに行かない,原町までは用事があって自転車で行くが仙台だって去年も一回しか行かない,閉じこもる傾向は介護で強いられてその後も家を留守にすることが何か不安になり遠くに行かない,やはり家を空にすることが不安になる
だからつくづく遠くへ自由に旅できたのは留守する家族がいたからだなとも思う
そして何か旅する気にもなれない,じっとしているのがいいとなってしまった


冬の古き家に

古き家に
また一本
また一本
薪を燃やしぬ
ほのぼのと
あたたまる火よ
家の柱の太く
故郷の森より切りぬ
姉の自慢す柱かな
我は今この家の主
巌のごとく動かざれ
姉死すも
母死すも
六十有余年ともにしあれば
なお石のごとくここにあれ
ああ なお幾年ここに生きむ
我は墓守にもあれ
木の根はこの地に根を張り
冬の日はここに深まりぬ

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自分の家にも鉄瓶があった,重いものだった
ここでは薪を燃やしているからあたたかい
炭だと体全体はあたたまりにくい
薪だったら相当に寒くてもあたたまる

囲炉裏の精(民話)

こういうふうに何か囲炉裏には物語が生まれるのはそこにじっとしてあたたまっていると想像力が刺激されるためである

こんなふうになる,家というのは単なる建物ではない,箱ではないそこには家族の思い出とかありふれで付加価値が生まれる,精神的価値が生まれる
そこで人間が家族が過ごしたという思い出があるから違っている
それで病院で死にたくないとかなる,病院にはそうした思い出もないからである。
原発避難区域でもそうした思い出がある家だから老人は帰りたいとなっている
ただ老人ばかりの町とか村になるともう維持できないともなる

とにかく自分は墓守なのか?そういう役割が残れているということもある
供養が残されている,なぜなら自分の家族は本当に全部死んだからである。
残っているのは墓と思い出だけとなってしまったからである。

2018年01月20日

年明けぬ(短歌十首)


年明けぬ(短歌十首)


新年の真澄の空に鳥一羽羽ばたきゆかむ命なるかな

未来にそなお強くしも羽ばたける鳥にしあれや年の明けにき

大海の寄せにし波の轟きて飛び立つ鴎年は明けにき

広々と海そ開けぬ大望を抱くべしかな年の明けにき

年明けぬ昇竜の年や我が命なお盛りなれや神励まさむ

雪閉ざす蔵王望むや新年に太平洋に陽は昇るかも

船一艘太平洋を進むかな名古屋につき奈良に行きしを

津浪後傷痕の癒えぬ死者の霊なお漂うや年は明けにき

年明けぬ心の広く我があらむ糧は豊かに与えられるべし

新地駅新し遠く金華山望みて仙台年は明けにき

年明けぬ国の境を我が越えて広き世界にまたいで行かむ


今年は自分は昇竜の年かもしれむ,本当にいろいろありすぎて苦しんだ
その苦しみからも解放されて一段落した感じにはなる
旅ばかりしていたがここ十年はほとんどしていない,近辺を回るだけだった
だから視野が狭くなったとは言える

この辺の地理だと蔵王が八沢浦とか磯部からははっきり見える
山形県は雪に閉ざされているが太平洋は開けている
海は何か解放されて大望を抱く,ただ海は津浪で大被害になりその傷痕は癒えていない
ただ太平洋フェリーで名古屋に行き奈良まで行ったことなど思い出した
太平洋フェリーには何度も乗ったからである。

今年はなんとか自分にとっては回復の年でありたい,気持ちも広く大きくもちたい
まだ早いかもしれんが有終の美を飾りたいともなる
創作した詩も山ほどある,それをまとめるのが手間なのである。
芸術となるとなかなか完成しにくい、それだけ世界は自然は奥深いのである。

とにかく波乱激動の年は十年はつづいた,だから一方で安定したいというのがある
だから株とかあまりに変動するのは向いていなかったのである。
老人は内面に熟達するのが向いている,外に向かうことや変化が苦手になるのだ
ただ心は狭められるのも良くない,広い自然を宇宙に目を向けるべきである




タグ:年明けぬ

2018年01月15日

深野の俳句やユッサの湯の正月


深野の俳句やユッサの湯の正月

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深野の隣は大原冬深む

大原に知る人眠る冬深む

深野に大原村や冬日没る

冬の日や長野に古りぬ墓あわれ


石五つつ庭に変わらず正月に活けにし花は葉牡丹なるかな


深野とは名前も関係していて気にいっている,ふこうのであり深野ではないのだ
その雰囲気も何かいいとういうか独特のものを感じる
外から見たらたいした変わらなくなるしその土地のことはわかりにくいのだ
日本では村が生活の基本の単位だった
だから村には歴史がありそこに本当は日本人の心性がある
むずかしくいえばそうなるがやはり日本人は村で生きていた時間が長いからである。
それは悪い面としても反映される,外からの人を受け入れないということである。

ただ現代だともう隣村とか隣の市だろう町だろうが村だろうが関係ないともなる
それだけ広域的にグローバルにも生活しているからそうなった
ただ歴史的には深野と大原は違っている
ここで錯覚しているのは深野が古いということである。
大原は相馬氏が進出してきたとき大原は開墾されたのである。
深野はその前からあった,だから中世の館の地名が二つもある
館とつく地名があるのは古いのである。
飯館村でも館というつく地名があったから中世からあった村なのである。

つまり郷土史は村でもその新旧を知ることが基本にある,だから戦後開墾に入った村が奥地にある,それが何か古い家だとまちがいやすいのである。
そして豪倉という地名は昭和十年だったのであり新しかったのである。
飢饉のために備える倉のことである,米を貯えていた
そして江戸時代のものは墓でも価値があるがこうして新しいものは歴史がないとなり価値がないのである。

ユッサの湯に行った,あそこは時々休息に行くのにはいい,見るべきものもないが庭に石があり森がある,だから安らぐ場である
でもあそこの湯に入ったことはないのである。自転車だと湯冷めするからである。
そして入浴料が750円とかは高いと思う
それが本物の温泉ならいいがどうもそこが良くわからないのである。
確かに温泉は出たとしてもそれがどんな温泉か確かでないらしい
要するに温泉が出てもどれだけ出ているのかもわからない
ただ温泉とすれば価値が上がるから一応そうしているのかもしれない
この辺では温泉は出ないからである。

ユッサの湯に飾ってあった生け花は正月らしくて良かった
生け花は結構センスがないとできないし暇もないとできない
自分もしているが何かうまくいかない
やはりこれも伝統的なものがあるから身につかないし
生け花は金も暇もかかるのものである
それで忙しいからできないということもあった
家事に時間をとられるからである。

田舎の冬はしんとしていいものである。都会だと騒々しいからだ
しんみりと田舎の冬を味わうのがいい,田舎はやはり老人に向いているのである。
ただ何か田舎は恒産がないと住みにくい,家があったり土地があったり田んぼや畑があったりそれなりの財産がないと住みにくいのである。
ただ今はみんな財産は金であり田舎でもほとんどの人が会社員なのである。
それが都会から見ると錯覚しているのである。

深野の豪倉

ユッサの湯

住所

南相馬市原町区深野字荒戸沢15

時間

10:00〜22:00

入浴料

750円

源泉

PH 9.02 源温 28.2℃

泉質

アルカリ性単純泉

効能

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進



間違いなく温泉であるがどれだけの温泉なのかわからない,温泉にも評価がいろいろあるからだ