2019年09月15日

故郷の秋に思う短歌十首 (ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)

  
故郷の秋に思う短歌十首

(ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)
                                                    
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ここは公民館である



コスモスに夏菊映えて人集ふ  
                                                          

蝶いくつ舞い入りあそぶ夏菊にコスモスとりどりは朝に映えにき

我が家にうから亡くしてその女(ひと)のなじむもあわれ秋となりにき

ふるさとの我が家になじむその女の近くに住みて満月照らしぬ

その女の何故かかわるふるさとに家族もなしも秋となるかな

病院にありて帰らぬ人のあり家は空家に秋となりしも

近ければ墓にもよりぬ姉死して命日近く秋となるかな

あわただし時はすぎゆくふるさとや家の柱によりし秋かな

ふるさとに家なお残り我一人月の照らして昔偲びぬ

母と姉今はあの世にやすらかに争わざれや秋の夜ふけぬ

人の世に嘆きはやまじいつ果てむ月日はすぎ秋のめぐりぬ

人の世の無情にもまれ傷つきし痛みは消えず秋となるかな

ふるさとに交わる人も争い去りもはやあわじも秋となるかな

人はみな金を求めてあくなきを悲しかりけり秋となるかな


家族が死んでなぜかその女性が自分の家とかかわった
それはただ偶然だった、誰もいないよりいいと思いかかわった
もう四五年くらいになる、この月日が過ぎるのも早い
姉が死んでからは八年とかすぎた
なぜ早く感じたかというといろいろなことがありすぎたからである
何かそうして追われた結果、早く過ぎたのである
その八年間は津波だ原発事故だ、プログで書いてきたようにいろいろなことが災難でもありすぎたのである、
結果的に追われる日々でありそうすると月日が過ぎるのが早いのである
だからここ十年間は倍速で月日が過ぎたのである
そして自分自身もかなり老いたとなってしまったのである

ふるさとが別にいい場所でもない、そこにいい人が住んでいるともならない
ただ家族がいるうちは自分の場合は故郷の人と交わっていなかったのである
そういう特殊な状態で生きていた、なぜなら家族がいてすべて家のことはしてくれたからである、
今は全部自分でやらざるをえない、家事でもそうである
だからまた家事で追われている、家事はきりなくあるからだ

ただようやく秋となってきた、涼しくなってきた、でも今日も外は晴れたが日ざしが強いから夏になっている、
一か月は夏が長引いている感じである

不思議なのは私の友というのではないがその女性の親しい人が男性が病気で三か月入院している、糖尿病である、
それでその人のことを思った
三か月も家が空家になっていることでその人のことを思ったのも不思議である
その人は娘がいても隣の市に住んで一緒に住んでいない、一人で住んでいたからである
だから三か月も空家になっている
その人がいない、空家になっていることでその人を思うというのも不思議である
何か深い関係ではないにしろそう感じるのはやはりわずかでも交流があれば人間はそうなる、その一番の理由が近くに故郷に住んでいるからだともなる

東京とかに住んでいる人はいくら親族でも忘れやすい、心が通わなくなるのである
近いということがやはり心が通うということなのである
故郷とは狭い場所であり本来は心が通う場所になる
原町でも遠いとなり近くがやはり人間が心を通う場所としてある
もちろん実際は心も通わないということも普通にある、必ず嫌な人がいるからである

正直その女性とかは問題がありいろいろ相談されるてこちらも苦しくなる
ただどうしても一人でいると誰かいて欲しいとなるのである
その女性はその男性に頼っている、だから帰ってこないと苦しい、
でも八〇歳とかなり病気なのだから頼りにもできないとなる
そこが老人の問題である、老人は老人に頼れないのである

何か理解できないのは夫婦でも嫁いだ先の墓には入りたくないという女性がほとんどだというのもそれだけ嫁と姑問題があり嫌だからそうなっている
でも長年一つ屋根の下に暮らしてそうなっているのは悲しいとなる
自分の家でもそういうことがあったがやはり最後は争っていても情が通っていたのだなと救われた、
それは六〇年も一緒にいたからそうなったのである
だから人間の交わりは長くないと情が通わないのである
長いといくらもめていてもいつしか憎しみでも愛に変わることがある
なぜなら憎しみの反面は愛だからである、普通は人間は他人は無関心だからである
無関心なことは憎しみより悪いともなってしまうのである
変なのだけど憎むということは愛にも通じてしいる、これも人間の不思議である

とにかく秋となると人間は感傷的になる、だからこんな短歌になったのである

2019年09月12日

夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)


夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)

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クリック拡大(沖に船が見える)

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クリック拡大ー白い花が何なのか、

浜木綿(はまゆう)とにている
でも違っているみたいだ
こういう花をここでは見たことがなかった
津浪の後の変化なのかもしれない、津波で生物でも植物で死んだり再生したりしているからだ

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津浪にも残った松ーその下に松が茂っている


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めずらしい虫、葉は何か、海老浜はマルハシャリンバイの南限の地として有名
つまり南国性の植物が生える場所だとなる



朝の蝉六号線を急ぐかな

夏の日に釣りする人や波しぶき

雷鳴りて後にすずやか月光る


大平洋波打ちしぶき沖に船揚羽のここに舞い去りにけり

珍しき虫の一つや海老の浜八年過ぎし津波の後かな

津波にもなおも残れる松ありて新しく育つ松も頼もし 

津浪より8年過ぎて育つ松繁げるや海老に秋の海見ゆ

鴎群れ大海原の波にゆれ沖に船行く秋の海老浜

ふるさとの小径にここに分かれけりいづくに行かむ秋の日暮れる

水無しの河原に露草あまた咲き今日清らかに水の流れぬ

(南朝語る)

只野氏の南朝語りしきり鳴く蝉の声かな故郷の暮る

南朝を語りし友や秋の蝉ひびきてあわれともに老いゆく

ひぐらしの森の奥よりひびきけり影なす道の行く人もなし

(月)

今日もまた月の窓のぞき我を母の見つつありなむいともは静かに

母もいて姉もありなむ争わず我が家にむつみあうなれ月の光りぬ

別れてもまた会う人や故郷の木陰の道や今日も行きにき

月満ちて明るさ増しておとろえぬ我が老ゆとも智は冴えにけり

山の端に月の傾き光るかな故郷に住み老いゆく我かな 




この三日くらいは天候が次々に変わった、日本の天候は本当に変わりやすい
最初は雨がふって夕べ虹がでた、それから台風がきて昨日は雷が鳴った
その雷もやんだと思ったからまた鳴った、秋の雷となるが昨日は暑かった

この天候の変化の中で海老の浜に行ったりした
そこで古墳が発見されたとか松が意外と高く茂っていたとか変化があった
あそこは風力発電の風車がないからいい、家もなくなったので見晴らしが良くなった
右田の松原はなくなったので鹿島区では海を見る場所としてはあそこが一番いいとなる
つまりビューポイントなのである

雄大な大海原(おおうなばら)に鴎の群れが波にゆれている、何かきもちいい
しかしふりかえると海は怖いものだったなとつくづく思う
その海が見える後ろでは避難して30人が死んだ
そこは高台だから津波の避難所として指定されていたからだ
これも悲劇だった、でもあそこは海を見るにはいい場所として残った

ふるさとで出会うのは同級生の人でありその人は本当に霊山を落ち延びた南朝の末裔の只野氏だったのである、とにかくこの辺は只野氏がやたら多いのである
只野氏一族の町だともなる
ただ南北朝の争いは日本全国にその傷痕を残した、どこでもその争いが伝えられているからだ、それは小さな村でもそうである
それだけこの南北朝の争いは日本の歴史にどれだけ影響したかわかる
天皇が二人になったときどれだけその影響が日本では大きいことを示した歴史だったのである

月は秋の季語である、月がだんだん満ちて明るく輝く、でも今は夏から秋になる時期である、そして夏と秋がある、最近は暑いから余計にそうなっている
何か何度も言っているが不思議なのは今になって知性が冴えている
本でも一か月に10冊とかアマゾンの古本で買っている
だから書評を私はできる、この本が何を言おうとしているから一読してわかるからだ
ただ残念だったのはこんなに本があっても知らなかったし読めなかったのである
本というのは自分の知的関心から買うものだからインタ−ネットのキーワードで関心あることを調べそこで深く知りたいとき本を調べ買う
また誰かの文を読んで紹介されて買うとういことが多くなった
そういう買い方が良かったのである、それが今まではできなかった

そこで田舎ではまず本を買うことができなかったのである
仙台まで行って買うにしてもそこでも本が少なかったのである
すると肝心の本が買えないから知の分野では本当に不利だった
今はインタ−ネットで学者の論文でも読めるから素人でも学者ともなれるとなる
なぜなら文献とか論文とか本を読まない限りプロにはなれないからである

老人は体力は衰えても知性はかえって冴えてくる、人間は死をまじかにすると精神でも相当に鋭敏になってゆく、末期の目で見るようになるからだ
だから老人は知的な世界では充実してくる、私がこれだけてプログで書いていることでもわかる,書くことがいくらでもある、その内容も深く濃いのである

月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか  万葉集4492

こういう感覚は万葉時代にもあった、明確に月を数えてもよんでも辺りの景色は冬と思っても春となっているし秋と思っても夏となっているとかある
今は季節が一か月くらいずれている
今日は秋なのかでもまだ日ざしは強い、ただ今日あたりからは秋らしくなってゆくようだ



2019年09月08日

涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風や故郷に語る畑かな  

老年や山に傾き月光る

猫歩む路地裏の道月光る

月光る嵐の前の静けさに


いつも来ぬ木陰の道に故郷の畑を語りまた逢わんかな   


今日も私と同じ自転車でいつも走っている同級生にあった
その人が意外だったのはその土手の木陰のつづく道のすぐ近くで畑で野菜を作っていたことである
前から書いているように知っている女性が一人で小さな畑で野菜作りしている
そのすぐ裏側の土地だった
それは意外と広いのである、そこは5人で組んでやっているという
三人は原町の人だった、やはり同級生で専業農家の人がいてその人がトラクターとか道具をもっているので草刈機もあり草を刈ってくれる

今の農業はまず必ず機械がないとできないようになっている
すると道具がないと農業はできない、それで畑をうなってもらったりすると金がかかるのである、その知っている女性はそうして一人でしているから金がかかる
その負担を自分が払うようになるので困るのである
その広い畑で野菜を作っている同級生は五人で組になってやっている
一人3000円とか払って共同でしている
それでその同級生は一か月に一回しか畑で仕事はしないという

でも家の近くに畑がありそこでブルーベリーとか他に何か作っている
ブルーベリーはジュースにしているという、そこは家の裏側だからそこは良く行っているでも広い畑の方は一か月一回しか行かないというのも楽だと思った
なぜなら小さい畑をししている知人の女性はもう草むしりやキジに食われたとか道具が盗まれたとかなにかかにか問題があり騒いでいるからである
その割にはほとんど収穫がない、キュウリはとれた、それは売っているのは固いが柔らかくてうまかった
ともかく何のためにその人に金を出しているのか?
それはただ農業というものをどういうものか知るためだけだとなる
その苦労を聞いていると農業がいかに大変なものか実感としてわかるからである
田舎に住んでいても実際は農業のことはわからない

ただ不思議なのは原発事故以後田畑が荒地になり草ぼうぼうになって蛙が消えたということを三人くらいに語ったが反応しない、蛙の鳴き声を聞いて復興を感じたと私はそこで復興を感じた、なぜなら蛙が田んぼに住むようになると鷺も餌があり来る
鷺も一時消えたからである、そして鷺も戻ってきたのである
50羽くらい竹藪とかに巣を作ったからである
つまり田畑でもそれは自然の一部でありだからこそ蛙がいなくなることは自然が消失したと同じだったのである、鷺がいなくなることもそうである

いづれにしろ田舎に住んで農業のことをわからないことは基本的なところ、ベースとなるものを知らないということなのである
でも農業している人でも不思議なのは蛙がいなくなったということに注目していない
もともとあまり関心がなかったからかもしれない
何か赤とんぼが減ったり今は鮎も一匹もいなくなったり自然が消失していた
鮎は原発事故以後全く川に見ないのが淋しい、今までは小粒でも鮎がいたのである
ただこの鮎がいないということはここだけではない、全国的に鮎がいなくなっている
ただ鮎が川をきれいにして鮎が泳ぐようになったとか多摩川とかで写していた
でもなぜ鮎が全国的に減少したり全くいなくなっているのだろうか?
これも自然のなんらかの変化なのである、そういうことが人間に影響する場合がある
なぜなら人間も自然の一部だからそうなるのである

いづれにしろその同級生は話して面白いと思った、農業している知人の女性も畑のことを話するので興味をもった
その人はまた花も栽培している、ノボタンが好きなんですと言って語った
ノボタンは大きな花である、だからボタンとついた、それを確かにカンボジアの道で見た南国性の花である、ある人はクリスマスローズのことをしきり語った
原種も育てているとか言った、その人はクリスマスローズに詳しい人なのである
クリスマスローズ博士なのである、まず花でも育てるのがめんどうなのである
その知識も経験しないとわからないからである
ただその人はなぜそういうことができたかというと前に経験があったと言っていたからできたとなる

老人の趣味となると園芸とか畑での野菜作りとかが向いている
ただ畑となると結構労働がきつくなるから老人にとって辛くなる
知人の女性は腰が痛いとかいつも言っているからである
ともかくこの辺でも全国でも耕作放棄地が増えすぎたのである
後継いでやる人がいないのである
原発事故以後この辺は余計に荒地が増えた、無料で土地は借りられてもやる人がいないのである
それはわずかの畑でも草むしりでも労力がかかるからそうなる
でも荒地になっていると草ぼうぼうであり嫌になる、心まで荒れたようになる
それは原発避難区域の小高であれ浪江であれ飯館村であれ草ぼうぼうで荒れ果てているからである

そこを復興しないと復興できたと思えないのである
たとえ他で工場が店が復興しても復興したと私は思えないのである
だから田舎は田畑でも自然の一部であり田畑が死ぬと自然も死ぬとなる
もともと原始の自然だったらそのままでもいいが一旦人間が手を入れた土地は原野化すると荒れ果てた感じになるのである
だからこの荒地をなんとかしてもらいたいとなる、でも市とかでもそうした荒地を援助するということをしているのか?
NPOでも荒地を無くしてほしいとなる、ただその人が言うには五人は仲間としてうまくやっているからできると言っていた
つまり何か共同ですることが人間は本当に難しいからそうなる
でも農業は一人ではできないと思った、もともと村の共同作業があり農業が成り立っていたからである  

故郷という時一番愛着あるのは農業している人かもしれない、だから生業を返せと裁判を起こした
商業とか工業となるとその土地と密接に結びつかない、商業でも昔の店なら地元密着である
でも今の時代になるともう地元密着の店はなくなりシャ―ター通りになったからである
つまり今はその土地に根ざした生業とかがなくなり農業でも漁業でも林業でも衰退したから故郷に愛着がなくなり原発避難区域では
若い世代は帰らず出て行ったと書いたのである

晩方は涼しくなるから秋である、今日は台風の風が吹いて涼しかった
昼間は日ざしも暑かった、晩方に散歩したり自転車で走るのは気持ちいいのである  
今日は半月が傾き山の方に光っている、それで今その畑を見に行った
明日はこの辺は台風になる、本当に嵐の前の静けさである 
日本は天候がこうして静かに月が光っていても変わるのである
めまぐるしち変わるのである、そして災害も天災も多い国だったのである

とにかく自分が何か人と話すようになったのは家族がみんな死んでからである
話す相手もなくなったためである、それで一日誰かと話する
駅でもそのために行っていた、家だとがらんとして誰もいないからである
それが一人暮らしの問題だった、話し相手とか心配する人もいなくなることだった
外で話すると何か気持ちいいのである、話がはずむのである
それはそこに自然があり木陰とか涼しい風とか受けて気持ちいいからである
田舎はそういうところがいいのである、人ごみで話したりしたくないのである
車の騒音とかビルの谷間で話したりしても何か嫌なのである

幸せな老人よ、この土地はこれから君のものだ
それも広さも君に十分だ、たとえむきだしの石と
泥だらけの藺草の生えた沼が、牧場を一面に覆っていても
幸せな老人よ、君はこの慣れ親しんだ川や
聖なる泉の間に、涼しい木陰を求めるだろう
............ 
(農耕詩、牧歌ーウェルギリウス)

老人の幸せはここにある、でも農業は老人になると辛いのである
ただ自分のように花だけを見ていると楽なのである
だから自分は実地に耕作などしていない、草むしりもしていない
それをしていたらもう思索したり詩を書いたり観想することができなくなる
第一家事だけで相当な労力になっているからできないのである


2019年09月07日

蝉の声に月 (故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


蝉の声に月

(故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


夏の星若人遠く行きにけり

朝蝉の鳴くやカンナの畑に映ゆ

故郷をそちこち回り蝉の鳴く

蝉の声昔神社に子供かな

夕べなお蝉鳴き昔の神社かな

夜に鳴く蝉の音聴くや謙虚かな



我が部屋を覗(のぞ)く月なれここにとどまり暮らしけるかな

我が家に久しく住みぬ思い出や月ののぞきて住みつづけるかも

我が家族時に面影浮かぶかな月ののぞきて跡継ぎ住みぬ


蝉という時夏の季語だけど今は9月でも夏である、一か月くらい季節がずれた
今日も暑かった、日ざしが強いと外に出れない、でもは今は夕方になると涼しくはなっている、でも秋なんだけど夏という感じになるのがこの頃である
ただ今宵は窓に今半月がでているから秋の月になる

何か昨日は中学校の校庭で野球していたので聞いた、その人は先生だった
それから駅であった人は岩手県立の大学生だったらしい
災害防災科となるとそこしかないからだ、それて自説を電車の待ち時間に語った
一時間待ち時間があったからだ、この待ち時間が何か話すのに有効なのである
それで意外といろんな人がいることを報告した
つまりあちこち近くを回っている、知人の畑もいつも回って通っているのである

近くにある神社では子供の時遊んだ、今は誰も遊んでいない、これも淋しいと思った
蝉が鳴いているがあの頃はどこでもわんさと子供が人だかりになっていた
それは全国的にそうだったのである、団塊の世代はとにかく子供が多い、人口爆発の時代だったのである
今は子供が遊んでいるのもぱらぱらとしてたまに見るだけである

とにかくちょっとでも話してみると何か通じ合うことがある
先生など話しないが一クラスが30人だというとき少なくなったと思う
それでも多いから減らしたいとしている
20人に位になるともうマンツ―マンの教育でもできるとなる

何か高校野球のU18で韓国に日本が負けた、野球部がある高校が日本だと3000以上あり韓国は70しかないというのは驚きである
それでも韓国に負けたし韓国は何度も優秀している、それだけの人材が出ている
とすると数とは関係なく優秀な人を育てている排出しているということができる
つまりこれから数ではない、少数精鋭主義になる、スポーツの分野でもそういうことが
可能だとなると知能分野では学術とか芸術とか知識分野では少数精鋭主義が適している
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いのかというとそういう天才を醸成するものが10万以下の小都市が多くそこで育まれたとしている

いづれにしろ相馬藩内だけもこうして報道することは結構大変である
それはわからないことが多いからである、それで駅で聞いてみたりちょっと戸外であった人に聞いたりして見聞を広めているのである
まさに見聞である、実際に見て直接人から聞くことである
柳田国男はそうして人から聞き出すというか実地に現場に行って何か実感したものから民俗学を起こしたのである、それで口碑を重んじた
書類ではない文字ではない言い伝えられたものを重んじたのである
それはいくら本を読んでもわからないことがこの世に多いからである  

いづれにしろ本当に仙台にも今年は一回行ったのか行っていない
近間を回るだけであり自分の部屋にいる、でも老後は家が大事になる
安住するものとしての家が大事になる、貸家とかになると落ち着かないということがあるかもしれない、この家は家族と40年以上とかいっしょにいた
だから思い出がありただの家とは違っている、記憶の家なのである

それで不思議なのは時々死んだ人が自分をのぞいているように思う時がある
幽霊のようにその面影が窓に浮かんだりする、やはり死者は家から離れられずまだいるのかとなる
それだけ長く住んでいれば死者も家から簡単には消えないとなる
だから老人にとって家は重みがある場所なのである、思い出と記憶の場所なのである
後に残されたものもそうして思い出があり受け継いでいるのである
自分の場合は特別家族への思いが深くなったのはその歳月が長かったからなのである


2019年09月01日

時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値 (時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)


時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値

(時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)

時代によって変わる価値という時常に人間は長い歴史で経験してきた
明治以降は特に価値が変わった、江戸時代の価値観がまるで変ってしまった
侍がなくなったということが一番変わったことでもあったし藩がなくなったことでもそうである、殿様もいなくなった
その変化はあまりにも大きいものだった、だからそういうときその時代についていけない人たちがでてくる、変化が激しいのでついていけない
今までの価値観の中で生きようとする
そういうことは歴史の中で常に起きてくる
特に現代は科学技術社会でありその進歩が急だったからめまぐるしく変わりついていけなくなる

交通でも明治以降は鉄道中心であり車社会になるのは高度成長時代からである
その時国鉄時代であり社会党が大きな力をもっていたのは国鉄をバックにしていたからである、そういう時代も国鉄が民営化して車社会になった時変わった
国鉄は消えて輸送は車中心になったからである
その時代は鉄道中心に街作りでも行われていた
鉄道の価値が高いものだったのである、それで原町のように駅前通りが全国で作られ街作りの中心として駅があった
今は鉄道が衰退して高速となりその高速のSAは新しい街作りとはならない
街とは結びつかないのである、一時期に車をとめて休むだけだからである

通信でもまだ電話でも普及していない、手紙とかハガキであったりした
その通信の分野でも急速に変わった、インタ−ネット時代になるとこれは個々人が発信できるので新聞とかテレビが報道をメデアを独占する時代は終わった
携帯電話からスマホ時代になっても変わった
こういう技術の変化が激しかったのが20世紀だった
そういう技術の変化でも価値観が変わる

価値観というのは例えば文学でも万葉集というのが日本の古代という時代から生まれたものである、そこに日本の原始性が残っていて今になるとそれが理解しにくいのはそのためである、平安時代になると古今集となると万葉集とは別ものになっていたからである
つまり時代の産物として文学もありその時代を知らなければ社会でも知らなければ文学も理解できない、それが時代が変わると非常にむずかしくなるのである
なぜ芭蕉の奥の細道ができたか?これも江戸時代初期の元禄時代と関係していた
その時代の産物として生まれた価値を作りだしたのである
だからこれは今では作れないものであり価値が減退することもないのである
一流の古典となると価値が減退しないのである、代々読み継がれるのである
そういうものが古典となる、今の時代でも無数のものが残されても時代に代々受け継がれるものはまれなのである
万葉集の価値が減退しないのは日本という風土がありその原始性を歌っているからだとなる

ともかく人間はその時代時代の価値観に生きている
明治から太平洋戦争までは日本は貧乏だったけど農民が80パーセントだったとか農民中心の社会だった、そういう中で価値が作られていたのである
農業社会の価値観に生きて入たからこれは江戸時代の継続でもあった
なぜなら燃料は山の木材を燃やして作る炭だったからである
街中の家にもみんな囲炉裏があったからである
そういう生活で価値は作られてきた、その時何が大事なものかとなると江戸時代のようにその土地でとれるものが特に米が大事なものになっていた
第一パンは戦前はほとんど贅沢な菓子であり食べていないからだ
子供の時ようやくコッペパンなどが出てきて食べ始めたのである
それは子供の給食にもでてその味を覚えている

囲炉裏があるときその囲炉裏中心に生活があった、特に農家ではあった
そこで薪をくべて煮炊きしていた、そのことに価値を見出していたのが山尾三省である
この人は何げない田舎の生活に価値を見出して極貧の中に60くらいで死んだのである
その田舎の価値とは戦前とか戦後10年くらいまでみんの普通の生活だったのである
今になると自分の家のすぐ裏の堀で洗濯していた、これも今になると信じられない
洗濯機などなかったからである
でもそういう不便な生活でもその時代に作られた価値観がありそれを山尾三省は求めたのである
回顧的価値観とはなってしまうがその時代はそういう生活であり別に特別なものではないからそこに価値あると認めていたとはならない
一時代が終わった時その時代を回顧してその時代の価値を見るとなるのが人間だからである

その後高度成長時代になりこうした江戸時代から継続した生活は失われた
故郷でも田舎でも急速に変わったのである
それで小高に住んでいた人が父親に農業だけはやるな継ぐなとして殴られたというとき
それも極端にしろみんなそういう時代になった
農業とか漁業でも林業でも金にならないという時代になり捨てられた
原発事故になる前から第一次産業は金にならないとして捨てられていたのである
だから漁師は漁業権を東電に売り渡したし農業に従事する者は一割にも満たないものとなった、その時明らかに漁業とか農業とか林業でもか江戸時代から継続してもっていた価値が喪失したのである

なぜなら炭焼きは山村からなくなり石油とか電気にエネルギーが変わったからである
その前に常磐炭田とかあったがこれも終わり炭や石炭の時代は終わった
その時第一次産業は価値ないものとして原発事故の前でも捨てられていたのである
そして原発事故になった、その時この一回捨てられた漁業とか農業とか林業が一番打撃が大きかった
海でも水でも土でも木材でも森でも空気まで放射性物質で汚染されたからである
それか致命的であり住めなくなったのである
人間はその土地に住むということは生態系に依存している
水でも土でも空気まで汚染されたら住めなくなるのである

でもすでに第一次産業はすでに捨てられていた、跡継ぎもいないとか捨てられていたのである、そこに原発事故になり二度捨てられたことになる
それから原発事故の補償金でも故郷の田舎の価値は捨てられた
一億円補償金もらったら故郷のことや田舎のことより自分のこと家族のことが大事だとなりその多額の補償金をもらって故郷を捨てたたのである
その時故郷に残されたのは老人だったのである
老人は故郷に愛着があり残ったが若い世代は金の方が大事であり今の時代の価値観に生きるから広域化社会で金があればどこにでも住みたい所に住めるとなり故郷を捨てたのである

でも故郷には先祖の墓があったり故郷に受け継ぐべき価値あるものがあった
でもそれは目に見えない実利として見えないものがある
景観とか先祖とのつながりとかは目に見えない、だからそれは実は切れやすいものだったのである、金の力が大きくなるとそういうものは目に見えないし実利にならないから無視されるのである、何か故郷には目に見えない実利とならない価値があった
でもそういうものは無視されて捨てられたのである
おそらく老人が故郷に残ったのは思い出がありそこで暮らし歳月があり簡単に捨てられないから残った、それは実利にはならない、金にならないのである
でもその価値が実は大きなものだった、金に変えられない金で作りだせない価値でもあった、第一思い出はもう老人には作れないからである
その思い出はその土地と故郷と一体化してあった、だから故郷に残ったとなる

いづれにしろ故郷は二度捨てられたのである、原発事故前にも故郷の価値は捨てられていたのである、そして多額の補償金が入った時も故郷は捨てられた、そこにあった価値は無視されて捨てられたのである
複雑な事情にしろ親戚でもあった人は親の墓を自分が作ったが墓参り来ないで縁は切れたそれだけの縁だったとういこともあるが何か簡単に親の縁もキレると思った
その人は金がないから十万欲しいと電車賃を送ったが親の墓参りに来なかった
親に苦しめられたにしろ子供の時かわいがられたのだから親を思う心があると思った
実際は全然なかったのである、ただ電車賃十万が欲しいから墓参りに来ると言ったのである、そして墓参りには来ずに縁は切れた

このように十万でも死んだにしろ親の縁でも先祖の縁でもキレルものだと思った
先祖を供養するとか墓参りしても金にはならないから来なかったのである
その人は金が欲しいからであり親を思う心がなかったのである  
親とか先祖を思うとしても金の方が大事になる、それもたった十万で死んだにしても縁は切れたとなる、それはかないこの世の縁だだといえばそれまでだが何かここでも同じようなことが起きたのである
ただキレル縁は不思議にあっけなくキレル、親子の縁だって切れにくくてもキレる
何かこの世の縁はみんな切れるのかとなる
それとは違っても同じようなことがここで起きたのである
金の切れ目が縁の切れ目になりやすいことが変わりなかった

故郷でも田舎でもそうして目に見えないものとして価値あるものがあったがそれは捨てられたのである、多額の補償金の方が一億円の方が価値あるものとなっていたのである
もちろん放射能汚染とかあり帰れないといえばそれまでだが何かそれだけではないものがあった、それと強力な理由とはなったがやはり金の方が価値あるとなった時代だったのである、またグロ−バル化広域化社会の中で価値観が変わったからそうなったともなる
いくらグロ−バル化と広域化社会を批判したとしてもそういう中で生きざるを得ない
その時代の価値観で生きざるを得ないから金の価値が大きくなり故郷は捨てられたとなるただ逆に山尾三省のように東京暮らしの都会人は強烈に田舎生活の価値観を求めて移住して農業して死んだのである、でも田舎の人はそういう価値観をとっくに捨てていたのである
むしろ田舎の人は都会人の価値観に生きていた
いい車が欲しい、いい家が欲しい、うまいものを食べて贅沢したいときりがなかったのである、そのためなら何でもする、東電に漁業権でも売り渡す、農業などしても金にならない価値がないとした
そういう時代の価値の変化の中で原発事故が起きたのである

ただこの価値観は変わる、かえって今度は別な形で田舎が地方が見直される時が来ているのかもしれない、若い人は田舎志向になっている、都会に出ても働いても非正規であり金にならないとか田舎に帰っているという、田舎に星を見にきたという若い人もそうである都会にないもの自然でも田舎に求める時代になっている
そのように田舎は地方は見捨てられたのだがまた価値観が変わってくる
別な形で田舎が地方が見直される時代になる、その兆候が若い人に現れている
すると今後その若い人は60年とか生きる、するとまた時代が変わり価値観が変わるのである
だから貧乏であれ一時代に作られた価値観は貴重なものであり実際は廃れることがない価値がある、それで万葉集は時代が変わっても不滅であり古典になるものも不滅なのであるたから金になる者だけを求めるがどういう価値を求めて生きるかが人間は大事になる
どういう価値を追求するのかが問題になる
でも金になることが必ずしも求める価値とは一致しない葛藤がある
でも今の若い人は金にならなくても自ら求める価値を追求しているという時、時代が変わっているのである、その若い人達の価値観が次の時代を作るからである   

価値が変わってもその時代時代の価値は不変である

価値が変わるとしてもその時代時代に作られた価値は残るし不変である、だから必ずまた時代が変わっても見直されるのである
万葉集の価値が時代が変わっても変わらないように不変の価値をもちつづけいるように変わらないのである
活字でも電子文字になっても別にその内容までも変わらない、内容がなければ価値がないのである
俳句でも短歌でも紙に書いたから価値があるとか電子文字では価値がないとかならないのである
問題は内容にあるからだ、その辺が錯覚しているのである

2019年08月29日

今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)


今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)

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約束の地に実りや虹かかる

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

約束ではなく契約の虹だった、契約というのが日本だとなじめない、約束と訳すとなじめる
そこに言葉の問題がある


今日午後から虹が出た、大きな虹ではない、半分くらいの虹だった
でもはっきりとした虹だった、この頃あまり虹は出ていなかったからめずらしかった
それを見たのはいつも行っている畑の道だった 
虹は夏の季語だけど今日は暑いから夏だともなる、秋の虹だったら秋の虹としなければならないからだ、まだ残暑であり夏だとなる

そこにはいろいろな問題がありそれを語れどきりがない、実りがあるとしても余りにも
様々な問題がありすぎたのである
ただキュウリだけは太いのがとれた、それは柔らかく売っているのよりうまいのである
でもそのキュウリは売れない、もらう人さえいないのである

ただ自分はそこで畑で野菜を作る人の話を聞くことで金を払っているとなる
農業をじかにしるために金を払っている
何かそれが情報社会なのかもしれない、農業を知ることはなかなか田舎でも直接かかわらないものはわからないからである
田舎だと確かに農業は田畑があり身近だけど実際に農業している人としない人の差はこれも大きいのである
そして今では農家でも農業しているわけではない、たいがい農地を貸しているだけだとなる、だから農家の人でも会社員であり農業をしていないのである

虹は聖書では約束を示している、契約の虹なのである
その天国には本当の実りがある、ただこの世ではその実りは本当の実りとならない
ともかくそこで野菜を作る人の苦労を考えると嫌になるからだ
田舎の嫌な面が延々と出てくるのである

つまり畑でもそれは孤立してはできない、隣がありその隣もまたうるさいのである
だからいつも隣の畑の人が嫌だと言って最近死んだが喜んでいたのである
そして近くに団地がありその四階からいつも見て何やかやいう人がいると嫌がるのである田舎では見ていないようでも誰かが見ていて監視しているのである

田舎の問題はこうして人なのである、この人にうんざりしているのである
それは自分だけではない、みんなそうなのである
そうはいっても田舎で人と関わらないでぱ生きていけないのである
私は家族がいたとき田舎に住んでも人と関わらずに生きていたのである
それも不思議だったとなる、家族がみんな死んだ結果田舎の人とかかわって生きざるを得なくなったのである
そこで田舎の人のまた今の人間の金しか求めない醜悪さに直接触れるようになったのである

ともかく自分の生活は普通ではありえない生活だった、そこで変な方向にも行って失敗したのである、こんなふうになったのもいいにしろ悪いにしろ家族がそうさせたともなる
ともかくどんなにしてもこの世に本当の実りは実現しない
この辺が津波や原発事故でがたがたになって混乱したようにもう原発事故で放射能汚染で住めなくなったように本当に地獄化したのである
結局この世は災いの地だったのである、この世が天国になることは絶対にない
この世は滅ぶべき場所であることは間違いない
ただ約束の虹があるよう本当の実りはこの世にはなく天国にある
神の備えし天国にある、それが希望なのであ

2019年08月25日

蝉に虫の音 (夏から秋へ)


蝉に虫の音 (夏から秋へ)

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蝉鳴くや6号線を朝走る

集まりぬでで虫あまた田舎かな

庭に咲く芙蓉の余裕客迎ゆ

夜に鳴く虫の音聴きぬ隅の石


朝目覚めあまた昼顔咲くを見ゆすずめ来たりて一日はじまる

畑にそカンナの映えて朝の蝉盛んに今し鳴きにけるかな


今は夏と秋が混交している、蝉の声は夏である、季節的には秋になるのがまだ暑い
でも秋と感じることもある、虫の音や芙蓉は秋である

カンナは夏である、畑にカンナが咲いているのはあっている
でもその畑でわずかのものを作っている女性がいてその話を聞くともう嫌になる
キジに食われたとかブヨにさされたとか蛇がでてくるとかちょっと手を入れないと草ぼうぼうになっていた
その草を勝手に草刈機で刈った人がいて金を要求されたとかまた金を払わされる
金に窮しているから頼まれないのにも草をかって金を要求する

そもそもその畑をもっている人は金がないのだから要求しても無理なのである
そして自分がいつも払わされている
その畑どれるものはほとんどないのである、キュウリは固くなくてうまいけど他は何もとれないのである
だからキュウリ一本が一万もしているのである、これは嘘ではない、それだけ畑は趣味でも金がかかるし手間もかかるだけなのである
ただ荒地にしておくよりはいいとして援助しているが困っている

芙蓉が庭に咲いている、芙蓉はなにか大らかである、それで客を迎える
客を迎えるには余裕が必要だった、自分は介護十年してそれからも何か余裕がなかったのである、家の中もかたづかなかった
それでかたづけたりして余裕がでた、何か余裕がないのでお茶も出せないということがあった、それよりも自分は今までそんなふうにして客を迎えたことがなかったのである
今になり一人になったからそうなったのである

田舎の一日はこんなふうに始まる、でも田舎だって車がしきりに通るし前の田舎とは違うのである、木陰に休んでいたらそこはクルマが来ないところと見ていたがやはり車が結構きて休めなかった
この辺で損失は右田の松原が津波でなくなったことである
それで木陰なにるところがない、そこではいつも海からの風が吹いて松影の下で休んでいたからである、そうして憩う場所がなくなったことの損失が大きい
かといって津波に文句を言うことはできない、ソーラーパネルはあるだけで暑く感じるのである
ただ山の方には涼しい場所がある、でも自転車で遠いと暑いと最近疲れる
熱中症になることも怖いのである、だから原町辺りまでしか行かないのである

隅の石については「石の涙」の詩で書いた 

隅の石について(石の涙の詩)




2019年08月19日

お盆、墓参り、蝉の声(短歌十首)


お盆、墓参り、蝉の声(短歌十首)

母と姉死したるのちも離れざれ我が身にそいてふるさとに住む

残りにし写真一枚に姉思ふおおらかなりしも笑いありしも

月見草草むら深く咲きそめぬ田舎に我はこもり暮らしぬ

常にして飯館村へ峠越え休みし時に秋の蝉鳴く

紫と白槿咲き雨しととふるさとにふり墓参りかな

雨しとと蝉の声聞くあわれかな田舎静かに時はすぎゆく

今ここにひびき聞き入る蝉の声幾時生きむ雨しととふる

我が兄の墓標を建てぬ故郷に娘は捨てしも我は供養す

歳月はたちまちすぎてみな死にぬ年ふりあわれ墓参りかな

我が家にありしも不幸兄なりし今供養するは我のみなりき

また一つ切れにし縁や無常なりカルマはつづくこの世なりしも 

暗雲の流るも光る満月の光り明るしお盆なるかな  

床の間に白菊活けて奥座敷月影さして虫の音を聴く


今日は台風がきて雨風がある、でもそれほどでもない、昨日は暗雲が流れたが満月が皓皓と光っていた、お盆も終わりである
雨しととふる中に蝉の声がひびく、人間はやはり蝉の声を聴くにしても常に今ひびいている蝉の声なのである
今ここにひびいている蝉の声でありその状況とか場所によって違って聞こえる
今日は雨しととふっているから雨の情緒の中で蝉の声を聴く
こころとはここであり常にここが心が働く場所なのである
なぜならまず遠い所だったらもう蝉の声は聞こえないからである
蝉の声を人間の声にしても遠くなると聞こえなくなる
噂すら聞こえない、それでまた一つ親戚の縁がキレた、それもありまにも呆気なかった
こんなに簡単に血縁でも縁が切れるのかと思った

もともと薄い縁だったということもあった、兄が静岡に移り住んだとき遠くなり縁がうすくなっていた、もし近くに住んでいれば行き来があったからこうはならなかったろう、もう付き合うのも限界だったのである
つまり人間は遠くに住むと去る者は日々に疎しになるのである
いくら交通が発達しても通信が発達しても同じである
ただに会わなければ直接会わなければ情も深まらないし助け合うこともできないのである近くだと憎しみにもなるが遠いと憎しみにもならないのである


何か最後はこの世の事の終活があり清算がある
それでいろいろあり縁もキレたがそれでほっとしたともなる
結局この世の縁は重荷にもなるからだ
それで30年間は何もそうした重荷もなくわずらわしさもなく過ごしていたことが奇跡のようにも思えた、何かごたごたに必ず巻き込まれるからである
それは姉と母とがいた結果そうした安住があったのである
だから姉と母との思いは私の場合は消えないのである

ただ兄に関しては私の家の負の部分であり最後は交通事故で40才で死んだ
その時娘が一人残されたがその娘とも縁が切れた
それも十万電車賃を払って墓参りすると待っていたが来なかった
その娘は親にひどい目にあったから親のことをなんとも思っていなかったのが驚きである十万の金が価値があり親の墓参りなどなんの価値もないし親のことなど思っていなかったのである
何か思いがあり墓参りはするからである、それが全然なかった驚きである

蝉の声というとき私はいつも自転車で飯館村へ大倉村から延々と坂を上って行っていた
自転車だからきついしその坂が長いのである
そしてその峠の手前でいつも休んでいた、その時どういうわけか秋の蝉の声がひびいていたのである、それが印象的なものとして心に残っている
これはなんとも不思議なことであり私はいつもその長い坂の峠の手前で休み秋の蝉の声を聴いている感じになる

そもそも蝉の声というとき

静けさや岩にしみいる蝉の声

この芭蕉の句がどうしてできたのか?これは暑い盛りであり今になると秋だからその時相当に蝉が鳴いていた、何か今は8月になってから蝉がなく、

するともう秋なのである
ヒグラシでもそうである、秋の季語である
だからその時は夏でも多くの蝉がいて一斉に鳴いていたとなる
でも不思議なのはこうして蝉の声を岩にしみいるとして聞いているのも旅人なら不思議である、地元に住んでいるならこうなってもわかるが旅人がそ

んなふうにして蝉の声聞くだろうか?じっと岩のようにしているのは地元に住んでいればそうなる
そこに定着していればそうなる
それは結局江戸時代という静寂の環境がそうしたともなる
芭蕉の残した俳句は今でもどうしても作れないものだからである
それは江戸時代という環境があり作れたとなるからである 

人間は最後に人間でも断捨離があり清算が起きてくる、そして最後に残るものは何なのか?
それはこの土地に住んでいるということかもしれない、心はここだからである
遠く離れていれば心が通わない、ここにいなからである
だからそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
ただまた逆にここにいることでかえって憎しみとかが深くなるのも人間なのである
遠くだったらかえって日々接することもないから良くみていることがある
それはその人が何をしているかも分からないからである
それは勝手な思いこみでありそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
だからこそ「遠くの親戚より近くの他人」になってしまうのである
二年に一回くらい頼りがあってももうその間に何が起きているかわからないからだ
人間は日々変化の中に生きている、人間関係でも変わるからである
ただここはその土地は変わるにしても変わらないから心がここにあるとなる






2019年08月07日

6号線を67歳の自転車旅行者行く


6号線を67歳の自転車旅行者行く

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蝉鳴いて一時出会い別れ行く

街空を増えて飛び交う夏つばめ

のうぜんの命燃やして一つ散る

ダイユーに自転車旅行の人がよったので聞いた
その人は頭もはげていて老人だった
67歳だった、でもバッグを両側に下げてテントも積んでいる

その人は北海道を回り八戸に来てそこからこっちに来た
茨城県の出身である
一か月すでに旅行している、でも茨城県ではまもなくつく

暑い日ざしを受けるとときついと見た
それは最近自分が体が弱って熱中症になるのが恐怖になったからだ
67歳で自転車旅行するのはこの暑さの中にするのがきつい
でもこの前は64歳の人が歩いて旅していた
だから結構そのくらいの年できつい旅行する人がいる

自分も北海道を一か月旅行したけど頭くらくらしてきた
何か浮遊している感じにもなった
北海道は自転車旅行には一番向いている、ただ距離があるから疲れる

前は良く6号線を若い人でも自転車で行く人がいた
今もいるが数は少ない、やはり原発事故で途中とぎれて行けないからである
あそこの道はいつ行けるようになるのか?
電車は来年の春に行けるようになることは決まっている
でも六号線を自転車で行けるのはいつになるのか?

会社を退職すると旅したいということがある
それは願望があるが実現しない、すると退職するとできる
そこで体力が問題だがやれる人はやる
それで九州から青森まで歩いて旅した人もいた
私は旅してきたから旅する人に興味がある
ただ八戸にフェリーで寄ったことはない、八戸と仙台は船だとそれほど距離がない

とにかく暑い、一時会って別れた

蝉鳴いて一時出会い別れ行く

何か最近別にここだけではない、人間はこの年になると本当に「さよならだけが人生だ」となる、一時会ったとしてもあとは永遠に会わないとなる
だから老人になると見方が違ってくる

現代はそもそも出会いがない、出会う時間がないのだ、車と電車でも自転車でも人と出会ってゆっくり話することができないのである
それでどういうわけか駅だと待っている時間が長ければ十分でも二十分でも話する
先日は神戸から来た人と話した

仙台空港から帰る、今はみんな仙台空港を利用して関西方面に行く
だから早いのである、7000円だとか言っていた、安い航空券だからか?
新幹線が早くても金はかかるし時間もかかるからここからは仙台空港を利用する
電車も名取から仙台空港行きがあるだ
つまり仙台空港へのアクセスとして電車を利用するということがある
そういうふうにつながると電車に乗る人も増える、今はいわき方面と電車がつながらないから利用者が増えないのである


2019年08月05日

草深い田舎の夏の花々(白いの家の花々)


草深い田舎の夏の花々(白いの家の花々)   

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老鶯や昼顔咲きて草深し

鬼百合や外人歩む田舎道 

鶏(かけ)鳴きて農家の庭や夏の夕  


草深く月見草咲き黒き蝶二羽の舞いつつ今日も暮れにき

昼顔に藪甘草の草深く咲きて一本木の根ずくかな

十数輪ここに群れ咲く鬼百合に黒揚羽とまる夏の夕ぐれ

百輪のノウゼン散りて千輪のノウゼンなお咲きにけるかな

紫の芙蓉数輪色深めここに咲くかな今日も通りぬ


なんか暑くて昼間ぐったりして一回は寝る、ぼーっとして寝る、だから近くしか行けない疲れて行けない、花が次々に咲いている
白い家は白に花が映える、だから白い家はいい感じである
すでに芙蓉が咲いているから秋は近い、お盆の用意である
この芙蓉は濃い紫色で深みがある 、赤い紫色にも見えた
ここは狭い家でもうまく花を咲かせている、向かい側は畑になっていてダリヤも咲いていた、ここはいい場所である

土手の草が刈られないから伸び放題になっている、そこに昼顔と藪甘草が咲いている
そして木があるのもいいし絵になっている
絵は描けなくても写真を加工すると絵のようになる

農家の庭に鶏(にわとり)が鳴くときほっとする、放し飼いだからである
プレハブがあり道を外国人の労働者が歩いている、これも現代である
鬼百合が咲いているが今や日本人は草食動物だとか言われる
だから外国人でも若い人でいきのいいのがいいともなる
第一建築現場とかなると肉体労働となると荒っぽい人でないとできない
そういう人が外国人にいるというのがわかる
もしかしたら犯罪者なども混じっているのかもしれない

ジャノメ蝶が草むら深く咲いている、そのまわりも晩方になると二羽が待っている
何かそれが月見草にあっている
ただ毎日ぐったりする、だから遠くに行けない、近くをぐるぐる回っているだけである


2019年07月26日

夕風涼し(松川浦で釣りする人)

                
夕風涼し(松川浦で釣りする人)


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キャンピングカーで4人くらいの家族がいた、そんなに寝る所があるのか?
寝るのはホテルにするのか?そうかもしれない、でもキャンピングカーの旅もいいかもしれない
ある場所に家が移動する感じになるからだ、家のようにどこでもくつろげるとなるからだ
ただ自分とは関係ないものである
釣りするにはいいものだということはわかった


老鶯の朝に鳴く声広間に聞く

鴎飛び夕風涼し釣りの人

遠くから夕風涼し釣りの人



暑いから松川浦の方に行ってきた
釣りをしている人がいた、でも魚とれないとみんな言っていた
キリンピングカーで家族連れで袖が浦から来ている人がいた
あれは釣りするには便利である、釣りは時間がかかる、でもキャンピングカーが家のようになんていて休めばいいからである
魚がつれればそこでオカズにもなる、でも釣れていない、海流の関係なのかどうかわからない、春にはホシカレイを釣った人がいた、あれはめずらしいものだった
時期にもよるのか今は魚はとれない、魚を知ることは相当にむずかしい

もう一人伊達市から来た人だった、伊達市は暑いからここはいいと言っていた

伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市になった

この辺はみんな行っている、月舘町だとわかりにくいがここも自転車で行っている
領域としては地図で見ると飯館村くらいである
とすると飯館村がいかに広いかわかる

なんでも霊山にさえぎられて伊達市は放射能は高くならなかったとか言っていた
あの山は山脈ではないしそういうことがあったのか?
その前は高かったことは確かである
第一飯館村の佐須を越えると霊山になるから高いことがわかる
なぜなら飯館村の佐須にホットスポットがあり20マイクロシーベルトあった
これには驚いた、あと草むらは5マイクロシーベルとかあった
だからあの辺は高いのである、すぐ近くの霊山だと高いことがわかる
伊達市では補償金10数万もらった、相馬市では6万くらいだったから不満である

私は自然と接することで釣りしている人とは良く話する
海流がどうだとか魚のことを話すことは自然に通じることだからである
だから釣りは自然と関係するから他の趣味とは違っているのである
それで釣りを趣味する人が自然を語り哲学者にもなっているというのもわかる
釣りすることは自然に通じることなのである

今日は朝目覚めたら老鶯が鳴いていた、二階から聞こえた、二階の寝る場所は広いから気持ちいいのである、でも夏になるとクーラーがないし隣の家の屋根が熱くなり二三度暑くなる、もうっとした空気が充満していた
下の部屋にクーラーがある、そこで仕事している

とにかく暑いと外に出たくなる、前は近くの右田浜の松原の日影で休んでいた
それもその松原が全部なくなったことはショックである
そこに風力発電の大きな風車が4基作られた
その前の高台に松などを植えたがこれは前の松原の回復にはならない
風車の風は自然の風ではないから木に影響すると武田邦彦氏が言っている
科学者の言っていることは違うなと思った
風力発電でも自然のようで必ず自然からエネルギーを奪うものだから自然に影響するのだという
だからあそこに松など植えたのは無駄だった、離れた海老辺りは風車がないからいいとなる

今日は風が吹いていてそれほど日ざしも強くなかった、これから日ざしが強くなると紫外線とか危険になる、それで熱中症になりやすくなったから怖くなったのである
ただどうしても私は外に出たくなる、暑いとクーラーも好きでないからだ
かえって動いた方が涼しくなるからだ
相馬市では一軒も野馬追いの旗が立っている家を見つけられなかった
どうしてなのか、相馬市もまた広いからわからないのか?
とにかく日曜日は野馬追いなのである

2019年07月15日

ダリヤと揚羽の写真一枚


 ダリヤと揚羽の写真一枚  

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また一羽喜々と舞い入る揚羽かなダリヤ花の赤く映えにき

喜々として舞いて去りにき揚羽かなまた明日も花に遊ばむ


 写真はシャッターチャンスを逃すととれない、動いているのはむずかしい
 撮り方もある、どういう角度からとるかとかむずかしい
 毎日見ている所は撮り方を工夫して何度もとれるからいいものをとれることがある
 またいい場所を発見することでもむずかしい

 今日は偶然揚羽が飛んできたときとれたのである
 ただ小さいカメラでとった写真がとりこめなくなった
 何か機械が調子が悪くなると困る
 パソコンは別に悪くはない、カメラに問題がある

 ともかく梅雨で憂鬱になった、嫌になったともなる、でも今日は近くまで出かけた
 気分転換に出かけたが梅雨で気分が晴れない、重苦しいのである



2019年07月04日

2019年07月03日

夏の日(田舎の魅力は小径にある(詩)


夏の日(田舎の魅力は小径にある(詩)

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伸びて咲く遠くの山や立葵

我が家の庭に四十雀飛び入りてめずらしきかな心はずみぬ

故郷の小径に真昼の日のさして行く人なしも蝶のとまれる

夏日さし道しるべあり道の辻日立木まで三里半かな

歩くなれ道は遠しも昔なり道標ここに夏の日さしぬ 

ふるさとの小径を行けばひそけくも菖蒲の咲きて一日暮れにき

トオスミの息をひそめて羽の透き草むら深く眠りけるかな   

 

故郷の小径

ふるさとの小径を今日も一人も通らなかった
夏の真昼の日がさして斑の蝶が一羽とまっていた
その小径をぬけて田んぼが広がり
蛙が盛んに鳴きひびいた
道の辻に大正時代の道標があった
村と村は昔は遠かった
今は車で遠くへ遠くへと向かう
心も遠くへと常に向かっている
ふるさとの小径は今日も一人も通らなかった
夏の真昼に影なして小鳥が歌っていた
ひそやかに菖蒲が数本咲いていた
田舎の真昼は静まり返っている
ああ 騒ぎなき日のもどりぬ
草むらに気づかれずにトオスミがとまっている
ふるさとの小径は今日も一人も通らなかった
紫の文目がひっそりと咲いている
ここに車の音はひびかない
昔から人のみが通う道
小鳥が森にのどかに歌っている
乱されるものがなくその美声のひびく
里の家の土蔵は古り
夏の柳はしだれる
今日水無河原の水は流れて
竹に風はそよぎゆれて日は暮れぬ


田舎の魅力というときいろいろあるが小径が意外と魅力がある
いつも通る小径がそうである、あそこは隠されていて一日人が通らない、クルマも通らない
その道は自分一人が通っている道にもなる
そういう道が田舎にある、でもわからないのである
原町とか相馬市になるとそういう道はわからなくなる
そういう道はまずクルマを使っていたらわからない

でも昔は人が通った道であり村と村をつないだ道である
そもそも昔は歩くほかないから歩いた道だからである
だから道標があったが日立木に三里半とか書いてある
いろいろな方向が書いてある、やはり距離としての目安が必要だったのかとなる
今は距離など関係ない、車で一飛びとなるからである
こういう小径とかを行くのはマウテンバイクがいい、舗装されていないからである
今度の電動のマウテンバイクは自分にあった自転車だった
ロードは高いのを買ったけど全く使いなくて損した
ロードは若い人向きである、また老人でも乗っているが若い時から乗っていて慣れているからできる
普通はロードは老人に向いていない

とにかくあそこの小径は自然がある、今日はトンボが盛んにむれとんでいた
なぜあそこにそんなにトンボが群れてとんでいたのか?
荒地化したところでそうなったのか?でもその辺は田んぼは回復している
ほんの一部が荒地になっているだけである

なしょうぶ(花菖蒲) 

葉が菖蒲に似ていて花を咲かせるから。

あやめ(菖蒲) 

剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様。花基部の網目模様からの説もあり。

かきつばた(杜若) 

かきつばたの色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのがなまったもの。

菖蒲は花が大きい葉も大きい、菖蒲(あやめ)花も小さく文目ともあてる、乾燥地に咲く、今日私が見たのは文目である
野生のものだからである、でもあそこの池は枯れたのか?ちいさい溜池だった
すぐ近くに大きな溜池があるからあそはなになのか?

あそこには小さな丘があり眺めがいい場がある、樅の木が立っている、でもそこに上る道は草に埋もれていた
だからあそこの道は誰も通らないのである
そういう道を通り静かな田舎で過ごす、そういうことは震災前からつづいていた
でも介護とか自分の病気とか津波とか原発事故でこの辺は騒々しくなったのである
それで前のような静かな日がもどってきたのかとなり安らいだのである





2019年06月28日

crests of venice(ベニスの紋章) abstract paintaing in venice


crests of venice(ベニスの紋章)

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ヨ−ロッパは芸術的に刺激される場所である、ベニスのような都市は他ではありえない
それが国家でありイスラム圏にトルコまで力をもっていた
ヨ−ロッパには都市国家がありそれが歴史的魅力を作っている

Europe is an artistically inspiring place, a city like Venice can not be the other
It was a nation, and it had power to Turkey in the Islamic area
Europe has a city state that makes it a historical attraction




2019年06月21日

Abstract Egyptian Building


Abstract Egyptian Building

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Tracks of vision in the desert

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エジプト文明の謎はアミニズムの世界がありまたピラミッドを作る知性と技術があった
そこにはすでに数量で政治を行うという現代の高度な統計を駆使した社会と通じている
それで書記官は崇拝された、今の官僚と同じなのである
官僚は予算を数値化して予算を分配することで力をもっているから同じなのである

そして大陸の文明というとき砂漠でも陸地でも平坦な土地がどこまでもつづくからそこで設計するということ地面を計ることが発達する
それで幾何学も発達する、エジプト文明はそういう点で高度な文明だった
ヒエログリフの文字もあったことでもそうである

エジプト文明には広大な砂漠という平坦な土地に設計してピラミッドを作る
そういう広い陸地を設計して巨大な建物をピラミッドを作るというのは大陸だからできる日本のような山が多い島国ではできないからだ

つまり広大な土地を俯瞰して設計して建物を配置する、ピラミッドを作るということ自体が文明になった、エジプト文明とか西洋文明でも建築物は欠かせない
その国の中心となる建築物がある、それがピラミッドであり教会でありモスクだとなる
建築物にその文明を象徴するものがある、それはマヤ文明とかインカ文明でもそうである中心になるものが石の建築なのである
石は不朽でありそれで今にも残って当時のままに現存することで古代でも現実感を帯びて歴史を偲ぶことができる

日本のように木の文明となるともう木は二三十年でも古くなるといたみ朽ちてゆく
とても石のように残らないのである、だから日本では歴史を偲ぶことがむずかしいのである、常に新しいものとして木で建てられるからである
その差が大きいのである
そして設計するとかは戦争では戦略に通じる、俯瞰的に大局的設計して戦略をたてることができないのである
刀を使う、鉄砲を使うとかはしても大きな戦略をたてることはできない
設計ができないからである、設計することは戦略をたてるとにていたのである

何か抽象画でも設計に通じていた、原画をアレンジして作っていても何か設計して建物を作るようなことをしている
日本には設計する思想がない、なぜならヨ−ロッパの都市は人工的に設計して作られているからである、日本には都市でも設計されて作られていない、何か無秩序に拡大したとなるからだ、それは設計の思想がないからである



The mystery of the Egyptian civilization was the world of the aminism and also the intelligence and technology to make the pyramid
There is already a connection with a society that makes full use of the modern high-level statistics of conducting politics in quantity
So the clerk was worshiped, the same as the current bureaucracy
Bureaucracy is the same because it has the power to quantify the budget and distribute the budget

And when it comes to civilization of the continent, where the flat land in the desert and on the land will last until it is designed there and the development of measuring the ground develops
Then the geometry also develops, the Egyptian civilization was an advanced civilization in that respect
The same is true even with the letters of hieroglyphs

In the Egyptian civilization, make a pyramid by designing on a flat land like a vast desert
Designing such a large land area and making a huge building into a pyramid can not be done in an island country with many mountains like Japan because it is a continent

In other words, the construction of a pyramid that can be designed by designing a large area over the land, creating a pyramid itself has become a civilization, even in Egyptian civilization and Western civilization, buildings are indispensable
There is a building that is the center of the country, it is a pyramid, a church and a mosque
There is something that symbolizes the civilization in the building, and it is the stone architecture that is the center that is the case with the Mayan civilization and the Inca civilization.
Stones are timeless, so they can survive today and still have a sense of reality in ancient times by surviving as they are

When it comes to the civilization of trees like Japan, the trees are already gone as old as twenty-three years
It does not remain very stone-like, so it is difficult to see history in Japan, because it is always built with wood as a new one
The difference is large
And it is not possible to design strategically in a comprehensive global design that leads to strategy in war.
Using a sword or using a gun can't make a big strategy
It is because I can not design, it was said that designing had a strategy

I was familiar with the design of any abstract painting, and I did something like designing a building even if I made an arrangement of the original painting
There is no thought to design in Japan, because the cities in Europe are artificially designed and created, and it has not been designed and made in Japan in Japan, and it has expanded to something disorderly It is because there is no idea of  design

2019年06月19日

梅雨の晴れ間(水無河原- 屋形の阿弥陀寺の墓



梅雨の晴れ間(水無河原- 屋形の阿弥陀寺の墓)
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六号線車の行き来立葵

墓地に蝶眠るや夏の夕べかな


宝永と草かくす碑のはつに見ゆ梅雨の晴れ間に夏の日さして

地震より崩れし墓のそのままになお語れる津波の被害

竹に風そよぎようやく夏の夕水の流れぬ水無河原  

雲間にそ満月かがやき田舎の夜ふけて静まりまた眠るかな


水無河原が冬からずっと雨が降っていないから流れているのを見なかった
からからに乾燥していたのだ
それがようやく三日前辺りに雨が相当ふって流れた
それで気持ち良かった

六号線を車がひっきりなしに走りそこに立葵が咲いている
車はきらいだが今は車社会に生きているかどうにもならない
人はどんな人でもその時代時代を生きているし生きてきたのである
だから自分等は車社会を生きていないともなる
車がない人はやはり現代の車社会から取り残された者になる
でも何か車は詩とか写真にならないのである
電車は絵になっているのとは違う、ただ自分はクルマのことはわからないのである

墓地に夕べ蝶が飛んできてその草むらに羽を休め眠る
その墓地の墓の一つは2011年の震災のときから崩れたままである
まだあのときのままなのである、10年近くになるのにあれだけの被害だとまだその被害が全部は消えることはないし語りつづけられる
今回の新潟とか村上市の地震で津波来ると警告したとき1メートルでも高台に避難した
東日本震災の映像が焼き付いているからである
テレビの映像の影響はそれだけ大きいのである
言葉ではとてもあの悲惨な状況は伝えられないものだったのである

宝暦と宝永の墓なのだろう、それがすぐ近くの屋形の阿弥陀寺の脇に見つけた
あそこの墓地に行けないと思っていた、寺の墓地は入れないことがあからだ
檀家の人しか入れないことがある
阿弥陀時は岩松氏の墓があるから鎌倉時代からでありこの辺では一番古いとなる
鎌倉時代のものはこの辺ではその墓でも碑でもほとんど残っていない
ただ原町の高平に中世の遺跡群として残っているだけである

私は墓を見るのはそれがただ資料ではなく現実にここに人が生きていたと感じるからである、ただ墓でも倒れていたり誰も供養にも来ない墓が結構ある
これも無常である

この宝永と宝暦はかなり古い、元禄は一番この辺では古かった
宝暦は日立木の薬師堂にあった、宝暦より宝永が古いから阿弥陀寺はもともと鎌倉時代の岩松氏の菩提寺になっているから古いから残っていたとなる

梅雨の晴れ間に夜三日前ほど満月がかがやいていた、梅雨はこれからもつづく
今日は朝晴れたがまた曇り雨になった

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ここは屋形の隣の田んぼの中の墓地

2011年の震災のままに倒れたままで直していない

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2019年06月16日

相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニ (バラに囲まれた古風な館の喫茶店)


  相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニ
  
  (バラに囲まれた古風な館の喫茶店)

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柏崎に喫茶店があることも知らなかった、薔薇の園の中にメルヘンチックな喫茶店があって食事を出していたのである
それは若い人向きのものである、あれも意外だった、あそこを通らなかったのが失敗だったのである
2013年に始めたというから津波の後でも早い時期に始めていたのである
道の駅では休んでいたがあそこでは休んでいなかった、私は喫茶店が好きである、あそこは高台にあり見晴らしが良かったのである
鹿島の海老村のニコニコ堂の喫茶店も納屋を改造したのもであり奥まった山陰にありその場所に特徴がある
でも料理は予約が必要であり二三回入って後は行っていない
ここも場所がいいのである、見晴らしがいいのである、それで試しに入って見たのである 
ただムーミンとか何か子供っぽいというか老人になると合わない、あれは若い人向きなのである
それで煉瓦のアーチの門とか作れば古風な感じになる、丘の上の古い館になる
ドマニとはイタリア語で明日となるとまた明日も来てみたいなともなる

何か喫茶店というかこれは場所がいいと価値が高まる

柏崎老鶯鳴くや喫茶店

こんな俳句を作った、そこは薔薇の園である、若い人向きでも老夫婦が経営していたのである
退職した人らしい、だから若い人向きだけど老人が経営して実際に仕事しているのである海老のニコニコ堂喫茶店も場所がいい、隠れたような場所にありわからない
二三回行ったが食事は予約制なのだが入りにくかった、そこも若い人向きである
何か隠れ家という感じなのである、前に庭があるのもいい
私は全国を旅行したときどうしても休む場所が必要になる、そこで考えたり詩作したりししていたからだ、だから喫茶店は好きなのである
ただ都会は景色がいい所の喫茶店には入れない、そこが問題なのである

とにかく人間は近くをかえって意識しないし見過ごしているのである
それは原町の高平の六号線脇の五輪塔のある墓地でもそうだった、あの辺は歴史ある場所だった
西殿とありそれから歴史を探った、あそこは西殿があり東殿があり沢田館があったから官衙とは関係なかった
そこでも最近発見して探求したのである
つまり一番近くにあるものがわからない、見ていないのである

相馬市の道の駅には良く行く、あそこまでは近いが相馬市までになると遠くなるからだ
あそこには五本松があり今は三本松になった、あれは枯れてしまうのだろう、それも残念である
何か松は人間に最も親しい木であり友のように見えるのである
だからいつもあそこを帰って行くとき松があるので家に帰ってきたような感覚になるのである
今は誰も家族が待っていないが松が待っているとまでなる

キーワード検索で五本松と入れると詩にしたものや写真がでてきます



2019年06月08日

初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)


初夏から梅雨へ短歌五首(我が家に籠る日々)
   

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夏菊や真昼の光受けて映ゆ                      

黄菖蒲や草むらいでてキジの鳴く

街道を歩む人あり松に藤


夏菊に夕日のさしぬ田の面かな浜風吹いて海の近しも

影と添い石は黙(もだ)して我が庭に舞い去り消えぬ黒揚羽かな

死す人のなお面影にその家に残るやあわれ春は逝きにき

雨のあと濡れにし薔薇に夕日さし我が籠りし家なりしかも

我が一人籠りし家そなおここに齢(よわい)重ねむ薔薇雨にぬる  


老人になると家が大事になる、それで子供がいなくなって広い家だけど家賃が10万かかるけど他に移れないという人がいた、愛着があるから移れないという
その家は借りているでもそうなる、思いがそこにあるからだ
家には死んだ人も六〇年も住んだとなれば思いが残っている
その家から離れたくないとなる、最後は施設に入っても家に帰りたいというのもわかる
ただこの世の無常は家さえ実際はなくなっているのだ
家族はそういう人も死んでいるからだ、ただ昔一緒に過ごした家族のもとに帰りたいということなのである

何か私の母は目立たない女性でありだから影のように添うともなる
それは自分もその性格は受け継いでいるのである
何か引きこもりというかそれは批判されるけどそういう性格の人はいるのである
そういう性格はそれにあった生活がするのがいいのだが何かそれが社会ではできないのである
だから陰性の人は内向的な人は損なのである、どうしても外向的な人が好まれるからだ
自分にしてもいつもにこにこしている四〇くらいの女性はいいなとか思うからである
でも人には生来の性格がありそれを変えようがないしそれを批判してもしょうがないのである

暑かったが寒くなり梅雨入りになった、街道を歩む人は絵になる
何か歩いている姿が絵になる、歩いている姿に感動するというのも変なのである
車が道路を突っ走っているからそうなる、道路は歩く場所でなくなっているからだ
だから歩いている姿に感動するというのも本当に変な社会なのである
ただそれを異常だとは誰も車社会だから思わないだけである

草臥れて宿かるころや藤の花(芭蕉)

この句は歩いているからこそできた、歩いている人を見ていると藤の花の季節には自ずとそうなる、

旅の宿奥の小部屋や藤の花

こんなふうにもなる、旅するということも現代は失われているのである
電車の旅でも旅人にはなれない、やはり歩くと旅になり絵になるのである
そして今は旅人は歓迎されない、金持ちの保養する人が歓迎されているのが旅館でありホテルなのである、ホテルとなるとまた旅情がないのである
旅に明け暮れたがここ十年は介護とかでしていない、何か疲れたとなる
遂に旅する気がなくなったともなる
ただ今度の新しい自転車は楽なので遠くに行けるがその気力がなくなっている
旅も遂にはできなくなる、人生も何しても短いなと誰でも最後には思う

花吹雪過ぎく時の早しかな

本当に過ぎゆく時は早い、この句も誰か作っているようにも思う
ただ感じ方が違ってくる、人生の華やかな時は花吹雪のように知ってしまうとういことである



2019年05月26日

夏蝋梅、夏の庭に畑(クリスマスローズの詩)

     
夏蝋梅、夏の庭に畑(クリスマスローズの詩)

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涼しきや夏ろう梅の葉陰にそ石の一つの休みけるかな

うつむきてクリスマスローズ石の側長くも咲きて夕日さすかな

黄菖蒲のあまた咲きにし畑にそ笑い声ひびきなお暮れぬかな

夕べなお明るし庭に咲き初めぬ夏蝋梅や道に面して



クリスマスローズ(冬の貴婦人)

石のそばに
クリスマスローズが
いつもうつむき咲いていた
長く咲いていた
この花にそっと誰かふれなむ・・・

この夕べ光りが庭にさし
その花にさした
その花には陰になり
光がささなかったが
今日光がその花にさした

いつもうつむいている花
うなだれている花
石のかたへにひっそりと
冬の貴婦人という名がいい
でも今はもう夏なのに咲いていた

神この花を知りやはり光がさした
それを知ったのは何か月も過ぎてからだった
でも神は見ていて光がさした 

黒揚羽が庭に舞い家に籠る
その石のかたへに神の加護ありて
我は安らかに眠らむ 

Christmas Rose

By the stone
Christmas Rose
It always bloomed
Long bloomed
It feels like someone touches this flower

This evening light is in the garden
I saw the flower
It becomes a shade to the flower
There was no light
Light came to the flower today

A flower that is always depressed
Nodding flower
Secretly to the stone
The name of a winter lady is good
But now it has already bloomed in summer

God knows this flower and the light still came
It was after months since I knew it
But God looked and lighted

God bless you by the stone
I sleep in peace     


これもグーグルの翻訳だけど何か韻を踏んでいる
それは偶然にしてもそうである
ただこうした翻訳した詩とかは外国人に通じるのか?
絵なら抽象画でも通じることがある
でも詩となると相当にむずかしくなる
第一自分自身が外国の詩を訳せないのである
だからグーグルの翻訳は便利である
ただ詩となると限界がある


クリスマスローズは冬の貴婦人であり冬に咲く花である
でも夏になっても咲いていた、長く咲く花である
今日は真夏の感じだったが浜通りは30度は越えない
海からの風が吹くからだ
その花は

耐寒性強い
耐暑性弱い
耐陰性強い

というとき冬にふさわしい花なのである
日陰に向いている花である
だから長く咲いていたのか?
でも本当に長く咲いていたのである、枯れないのが不思議だった
それは日当たりが悪いからかえって良かったのかとなる
場所にあっていたから良かったとなるのか?

花にはいろいろあり性質があり育てるのもむずかしい
私の庭はここは納屋であり土が悪いから花を植えても育たないのが残念である
ただバラは咲く、30輪くらい蕾が出ている
根が深く張るのは育ち花が咲いている
夏ろう?梅でもそうである、これは大きな葉が育ち木陰をなすので夏にふさわしい
本当はもっと花を楽しみたいが庭が狭くて細くて鑑賞できない
第一庭の手入れ自体がめんどうになる、人間一人でそんなにいろいろなことはできない
手伝いさんとかは今はなにもしない、何か金ばかりせびられるので頼みにくい
私は金持ちでもないからである

ただ畑代は払っている、畑をの話を聞くのが興味あるからだ
川端に黄菖蒲が一杯咲いていた、そしたら夕べ木陰の道で休んでいると畑に女性の大きな笑い声が聞こえた、その声になにか陽気な気分になった
なぜなら畑をしている女性から聞くことは憂鬱なことが多いからだ
絶えず周りを気にしている、近くに団地のビルがあるがそこからも見ているという
そんなところから見ている人がいるのかとなる
隣の畑とかでもその人が気になり心が休まらないのである
そしてカンナの花も盗まれたとか必ず盗まれる話になる
この前は組費を集めて盗まれたとか必ずトラブルになるのである
それを自分が払わされるから嫌になるのである
ただ花とか畑に詳しいからそういうことで受け入れているのである

いづれにしろ畑に大きな笑い声がひびいたときは平和が戻ったということを感じた
やはり生業がないとその土地も死ぬのである
原発避難区域の小高であれ浪江であれ草ぼうぼうであり田畑は荒地しかないからだ
するとそこに生業もないから死んだものとなる
活気が生まれてこないのである、それは飯館村でもそうである
そこに生業があり人の手がはいり笑い声でも聞こえればその土地は活きているのである

それで田んぼに満月が映り蛙の声が合唱がひびいた、その時も元に戻ったということを感じた、つまり蛙と田んぼは一体化していたのである
田んぼがなく荒地になっていれば蛙もいないからである、、蛙も生きることができないからである
そもそも田舎は田畑がなければ田舎と感じないからである
ロボットとかドローン工場ができてもそれは田舎にふさわしいとはならないからである
ソーラーパネルでもそうである
そこには何か安らぎがないのである
だからビルばかりの東京とかなるともう精神的に異常化してくる
そこになごむものがないからである





2019年05月22日

夏野(萱浜をめぐる)


夏野(萱浜をめぐる)

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船遅し菜の花満ちて海藍し

赤と白桜井古墳につつじ咲く

夏菊の庭に咲き満ち海望む

縦横につばめの飛びぬ夏野かな

石一つ古代の跡や夏野かな

隠されし木陰の道の涼しかな


牡丹咲きつつじの映えて朝日さし影のなきかも栄なるかな

我が家に牡丹五輪咲きにつつ栄えありにし跡を継ぐかな

満月の田に映りつつ蛙鳴く声のひびきて平和もどりぬ


写真は瀬戸内海のどこかの島だった、そこに一面に菜の花が咲いていた
そこをゆっくりと船が行く、瀬戸内海だと絶えず船が行くのが見える
その時私は島めぐりしていたのである
それも何十年も過ぎると記憶もなくなる
ただ船にはひかれている、電車もそうだがやはり風景にとけこむからである
そして船を見ていると何か時間がゆっくり進むように思う
車とか電車でも早く過ぎるから時間が早く過ぎてゆくように錯覚するのである
ともかく現代は時間に追われている
そんなふうにのんびりと島から島をめぐっていたというのもふりかえると恵まれていた

それから日本の船はほとんど乗った
一番長かったのは沖縄まで一週間貨物で行ったことだった
東京からはその船しか出ていなかったのである
第一そんな船に乗ること自体がどれだけ暇人だったかとなる
菜の花の季節はと終わった、萱浜は菜の花と海の風景が見られた

牡丹が咲いてこれも散った、どういうわけか庭の牡丹だけは毎年五六輪咲く
牡丹はまさに栄いの花である
隣の庭に咲いていたのは牡丹とつつじである
そこは空家の庭である、塀がないから丸見えになる
主はいなくなっても花だけは咲いているというのも不思議である
ただこの家には人が住むというが未だに住んでいない

萱浜は夏野になっている、田んぼがあることはある、でも原野化しているのが多い
そこに夏の黄色な小さな花が一杯咲いている
新しい電動自転車は悪路でも行けるし平坦な道でも坂道でもすいすい行くから楽である
これに乗ると何かどこまでも行きたくなるのである



古代の泉官衙遺跡の正倉院がある場所を表示した案内を設置した
一葉松の近くでありあんなところだったのかとわかりやすくなった
ずいぶん離れていると思ったが泉官衙遺跡は広い地域だったのである
何かその遺跡の石が発見されて露頭してあったとか案内に書いてあった

ここまで運河があったということが証明されている
それを絵にしたのをパンフレットで出している
何かそんな運河があったのかと見る
湿地帯だったから船でしか行けないということがあったのだろう
古代には船が運送に利用されているのが結構多いのである
陸地は湿地帯とか道がなかったから原始の状態になっていて船で行った方が便利だったとなる

それにしてもあんなところに正倉院があったとは意外だった
つまり泉官衙遺跡は広い地域であり新田川橋の高平の西殿はやはり古代の泉官衙遺跡と関係しているのだろうか?
それだけ広い領域であったのは意外だった
ただ西殿の地名は古代に由来していない、なぜなら沢田館があり西殿と東殿があったからである
でも古代に由来して西殿と名付けられたものはあるから注意すべきである
タグ:夏野 萱浜

2019年05月16日

宮沢賢治の中尊寺の詩より (大盗とはグロ−バル経済で起きていることだった)


宮沢賢治の中尊寺の詩より

(大盗とはグロ−バル経済で起きていることだった)   


 中尊寺
            宮沢賢治

七重(じゅう)の舎利の小塔(こたう)に
蓋(がい)なすや緑(りょく)の燐光

大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映(は)えかゞやけり

手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔
大盗は礼(らい)して没(き)ゆる


この詩は、簡単に言うと、金色堂に盗みに入った大泥棒も
金色堂の放つ燐光と、その迫力に盗むことが出来ず、
一礼をして、その場を立ち去っていくと言った意味です。

 この大泥棒は、源頼朝を指していると言われていますが、
他にも幾つかの説があるようです。

これも不思議な詩である、詩とかは隠喩がありいろいろに解釈できる
一つの解釈ではない、人によって時代によって解釈が違ってくる
そういう詩がいい詩だともなるしそもそも芸術は鑑賞する方が問われるのである
鑑賞する側も芸術家でありそうした才能も要求されるのである
まず宮沢賢治の詩そのものもか難解であり理解しにくい所がある
法華経に通じないとわからないとかなると余計に難解なのである
こうした難解なものでも後世に残っている
やはり後世になって認められることがある

この詩を私が今に生きて感じたのは解釈したのは何か場違いのような気もするが
この大盗(だいとう)という言葉である
これが何を意味しているのか?
大泥棒の意味なのである、ここでは源頼朝とか鎌倉幕府側のことを言っている
この金色堂の荘厳は盗まれず破壊されず残った
実際は堂塔伽藍は火を放たれて焼失したのである、その跡は忘れていた
そして芭蕉が来た時もその金色堂が残っていたことで「五月雨のふりのこしてや金色堂」の句が作られた、宮沢賢治の詩と通じるものがある
何かその美が尊いものとして残されたとなる 

1453年にコンスタンティノープルがオスマン軍率いるイスラム勢力によって占領されたのです。普通に考えれば、異教の建造物は破壊の対象となるでしょう。しかし、征服したメフメト2世はアヤ・ソフィアの美しさに感銘を受け、聖堂を完全に破壊するのではなく、わずかな改修にとどめてモスクへ転用したのです。

その美の威容に破壊できなかったことでは金色堂とにているかもしれない。
人間は醜いものだと破壊衝動が起きる、だから今の東京とか大都会には美になるのものがないから原子爆弾でも落としてもいいとかなるかもしれない
京都には文化財があったからアメリカ軍が空襲しなかったというのもそのためである
歴史という時、宗教でもそこに荘厳な美が残されて偲んでいることが多い
それはキリスト教圏内で多い、それがルネサンスの芸術に集約されたともなる
仏教でもそこに美があり後世のものが偲んでいるのである
現代文明にはなぜか全体的に美の感覚が消失している
ビルだってビジネスとしての機能性しかないのである、それが世界的なグローバル経済の結果だったのである  

これだけの富が生まれても美が生まれない、その象徴がアメリカ主導のグロ−バル経済からは美が生まれていない、世界の富がアメリカに集まりその数パーセントに金が流れ込んでも何か美は生まれていないし作り出されていなのである
だから美は必ずしも金があるからといって作り出されない、ルネサンスは確かに
メディチ家の繁栄はフィレンツェ・ルネサンス文化の発展につながったということは言える、そこに富豪がいて芸術家のパトロンになり繁栄したとはなる
ではなぜアメリカの一部の投資家などに莫大な富が集積されているのに何か美が創造されていないのはなぜかとなる

確かに金がないと経済的に余裕がないと芸術は生まれないことは言える
個人的にも宮沢賢治のように裕福な家庭だからあれだけの才能を発揮できた
あのころは農民は貧乏でどうにもならない時代だったけど賢治の家は裕福だったからいろいろなことを試すことができたとなる
ただ賢治は天才だったからできたということがある
でも家が裕福で余裕があることが隠された才能を伸ばすことがある
不思議なのは現代は経済的に余裕ある人が多い、第一なぜ働かない人が人口の三分の一もいるのか?

またニートとか全く働かない人がこれだけ多いのか?
貧乏だったらどんなに苦しくても働かなければ生きていけないからである
戦前はみんなそうだった、するとそうして働かない人は貴族なのかとも見てしまうのである、そこから非正規で苦しんでいる人が生活保護自由時間をもてばしたいことができるとしている、それはおそらく現代的にはベーシックインカムでありそこでしたいことするとなる

ここで言いたいのはグロ−バル経済とは何なのか?これを知らなければ現代を知り得ようがないのである、それはこれまで書いてきたように一万くらいの田舎でもグロ−バル経済の中に組み込まれていて逃れることができないからである
そしてグロ−バル経済とは「大盗」が跋扈して世界から富を集めているのである
それがグローバルな多国籍企業だともなる、国自体も実は歴史的に見て大盗である
ジンギスカンのモンゴル帝国も大盗であり中国国内でも時の権力者に対して反乱を起こして盗賊が皇帝にもなっていたからである
つまり「大盗」になれば英雄なのである
それは現代でも同じである、小盗は厳しく常に罰せられるが大盗は国を盗むのだから罰せられないのである、むしろ国をのっとるとなると英雄になるのである
それは歴史でも戦国時代があり熾烈な権力闘争に勝てば国の富を得るとなる
カルト教団でも国をのっとる、権力を得たいとなり選挙で勝つことを最大の目標としている、そこでその首領が実は大盗賊の親分だともなっているのである

つまり大盗とはグローバル経済になれば国自体であり多国籍企業になる、そもそも世界からグロ−バル経済で数パーセントの人に富が流れていること自体がその人たちこそ世界の富を収奪している大盗なのである
ただそれらの人たちは罰せられることがないのである、むしろ崇められているから陰謀論が生まれる
どういうふうにしてその富がごくわずかの人に集まるのかとなるからだ
でそうはいっても日本自体だってグローバル経済で高度成長が一時は大盗だったともなる
グロ−バリゼーションとはそういうものだともなる

グロ−バル経済というときそれだけの富がごくわずかの人たちに集められているのになぜでは歴史的に富が集中するとそこに美が創造された、でも創造されていない、その莫大な金は何に使われているのかとなる、金の使い道が変わったということもある
その世界から集めた金はどこに投資されているのか?それは科学技術の分野だともなる、ITとかもそうである
その金の使い方は歴史的にはエジプトならピラミッドとかギリシャなら神殿とかその後キリスト教なら大聖堂とかなりルネサンスになる、そこには宗教が関係していたのである、ピラミッドが謎にしても王の墓ではなく当時の宗教的建造物だという見解が出ているからである、そこに民衆の宗教的熱意があって作られたともしているからである

現実にいくら権力者がいても民衆の意向が働く、ローマでは大衆が望むのは「パンとサーカス」でありあの巨大なコロッセウムもサーカスに猛獣と人間の戦いの見世物として作られたというのも矛盾なのである
でもそれは民衆が望んだからだとなる、今でも大衆を望むものがありそれでテレビというマスメデアが大きな力をもったのである
それは大衆が作り出したものであり権力者だけでは作りえないからである
常に視聴率が最大の問題でありそれで会社の宣伝媒体となっているのが現代社会であるからだ

いづれにしろ資本主義であれグロ−バル経済というのが何なのか?
これが理解できなくては今の世界は理解できない、ところがそれが理解しにくいのである
おそらく大盗というときそれが本当に大盗でありかつての富をもつものとは違い美とか文化を創り出さないためなのかとも思う
多国籍企業だと後進国の人たちの安い労働で成り立つ、それは別に日本でもそうして外国の安い労働力に依存していた
逆に今度は外国人労働者が世界から入ってきて非正規の氷河期世代の30後半から40代の人が低賃金に抑えられている
それもグロ−バル経済の結果なのである、そしてもう俺たちは捨てられるという恐怖を語っているのである
それがグロ−バル経済なのである、労働自体が世界的競争にさらされるからそうなる

グロ−バル経済の問題はいろいろある、そもそもグロ−バル経済が何か知ること自体容易ではない
だから常に陰謀論になって終わる、ただ確かなことは歴史的に富が集まれば文化が芸術が美が生まれた
それがグロ−バル経済にはない、かえってグロ−バル経済は国々の地域の文化を破壊しているのである
日本語すらグロ−バル化すれば必要ない、みんな共通の言葉がいいとなり英語を共通語にすればいいとなる
それで非正規の人たちが英語を覚えて外国人労働者をマネジメントする立場になれと訴えている
そしてもう日本人のアイディンティティは保てない、日本語が通じない外国人労働者に日本人は入っていけない、排除されるというのもそうである

それからグロ−バル経済にはかつてのようなキリスト教でありイスラム教であれモラルがないのである
ただモノであれヒトであれ自由に流通する世界である、モラルがないからそこにあるのは金だけが唯一の価値となる
そこで悪魔的に世界の富が世界の数パーセントの人たちに集まる、でもそこには何ら文化的なもの美的なものも創造しないのである
美とモラルとも関係しているからである、だからエジプトでも宗教がありキリスト教でもイスラム教でも仏教でも背後にモラルがあって文明が作られていたのである、それがグロ−バル経済にはないことが最大の問題なのである
そこで世界は精神的に荒廃して退廃してゆく、だからその限界がきて資本主義のグロ−バル経済は崩壊する
では次の時代はどういう時代になるのか?それは何か大きなショック的なものが起きて変わるのか?
世界的恐慌が起きるのか、世界的戦争が再び起きるのか?津波のような大災害が起きるのか?
原発事故のような破局的災害が起きるのか?
何かわからないにしてもそういうことは起きる、そういう変わり目に来ているのである


2019年05月12日

近辺の夏の短歌(原町区馬場村の墓)


近辺の夏の短歌(原町区馬場村の墓)


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(鹿島区)

ふるさとの小径にあわれすみれかな

ふるさとの小径のあわれ我が行きて夏の夕ぐれ細き月いず

故郷の道隈なくも我か行くもなお知らぬ道夏の夕ぐれ

雲雀鳴く夕べに波のひびきけり夏の日輝き山脈に没りぬ

 (馬場区)

釣り人や藤の花垂れ奥の沼

夏の花まばゆく映えて石神村の広くもあるかな

水張る田山影写し奥の家藤の花房長く垂れにき

二本の木の下にあわれ文久の墓夏の日ここに夫婦(めおと)眠りぬ

夫婦なれここに生き死ぬあわれかな二本の木のここに離れじ

ここに生く形見と墓や忘るるな我尋ねて夏の日暮れぬ

(飯館村)

飯館に住む人あわれ何頼る花は咲くとも糧のありなむ



石神は広い、小学校が二つもあるし広い、

明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、石神村・牛越村・大谷村・大木戸村・大原村・押釜村・信田沢村・高倉村・長野村・北長野村・馬場村・深野村・北新田村の計13か村が合併して行方郡石神村が発足

こうなったから広くなったのである、でも昔の村を郷土史だと見なければならない

今日は石神村の昔の馬場村に行った、山側であり荒れた土地が多かった
やはり放射線汚染されている度合いが強いからだとなる
この辺では山側は荒地が多くなっている、そこで生業がないとき荒れたものとなる
自然があっても生業がないとそこは荒れた感じになる
人間の手の入った所は必ずそうなるのである

飯館村で出会った六〇代の女性がいる、すると山菜を私は食べているよという
それも糧である、花が咲いても糧がなければ生きていけない
そこが田舎キの問題だとなる、美しい自然があっても糧がなければ生きていけないのである、飯館村だって米でもとれればそれが糧となっていたし山菜でもそうである
それが放射性物質で汚染されて食べれなくなったからそうなったのである

奥の方に溜池があった、そこは自然の沼のように見えた、釣りしている人が五六人いた
そこではブラックバスは放されていない、鮒を釣っていた
私は釣りする人には興味がある、なぜなら釣りする人は自然の中に溶け込むからである
だからパ‐クゴルフとかパチンコとかで時間を潰すよりはいい

馬場村の丘の高台に日本の木があった、それもかなり古い木である
その下に墓が五つくらいあった、そこに信士信女とあり夫婦の墓がある
ここは文久となると幕末だが農民の墓があった、ただ農民が墓をもてたのは幕末頃であるその頃豊かになった人が墓を作ったのである、その頃墓を作るだけでも手間だから金がかかったから作れなかった
そして墓で注意すべきなのが一家の墓はないのである
個人墓か夫婦墓なのである、一家の墓は明治以降国の政策でおしつけられたものだったのである、だから実際は不自然なものなのである
新しいものであり日本の古い伝統から生まれたものではないのである

夫婦墓は明治になってからもありそれは江戸時代の継続としてかえってあった
家族の結びつきもあるが夫婦の結びつきが強いからそうなったともなる
そこに古い二本の木があったということがいかにも夫婦(めおと)の木と見た
こうして自然と一体化してあるとき何か昔を偲ぶことができる
その土地に何かを残して伝えているとなる、伝説とかの類もそうして生まれた

ここで大事なのは人間はそうしてその土地に墓があるときその継続として次代の生があるつまり苦労してその土地を拓き暮らした人がいてその次の世代もまたそこに生きる
そういう自覚が必要になる、墓でも残ればそれを自覚する
墓はだから次代に受け継がれるなにかだともなる
農家の場合は土地と一体化しているから土地に記憶が刻まれているとなる
それで津浪や原発事故などでその土地自体が荒廃して住めなくなったことは次代に受け継がれるものがなくなったことなのである
津波の恐怖は村自体根こそぎなくなったから伝えるものもそこになくなる
それで津波は語り継がれなかったとか言う人もいる

農家でも跡を継がれないということはその土地に生きた人たちのことを忘れるということである、それで大原でも知っている農家の人の家が空家になっている
その人は死んでしまい墓に眠っている
息子はいても跡を継がない、すると何か伝えたいものがあっても伝えられないのである
いづれにしろ墓を見る時江戸時代は貴重なものとして見る、明治以降はなぜか貴重なものとして見ないのである、歴史だと古ければ古いほど価値があるとなるからである
元号でも古ければ価値があるからだ、相馬市の新田になぜ元禄の碑があったのかと思う
そこは新しく田として開拓した所である、それがすでに元禄なのである

いづれにしろまた新しい自転車で毎日のようにサイクリングになった
ほとんどの道を行っているがまだ行っていない道があった
馬場村には初めて行ったのである、それだけ相馬藩内でも広いのである
今度のヤマハの電動自転車は悪路にも強いし楽に走れるからいい
それで行動範囲が広がったのである
退職したトラック運転手の人も自転車で近くを回っている、自転車は健康的いいのであるまず会社を退職したら仕事することはむずかしい
ボランティアでも無料でもむずかしいことは駅でしてわかった
つまり老人は退職したら何もするなとういことなのである
これもおかしいと思うけどそうなのである
だからパークゴルフとかパチンコとか釣りとか遊んでいるほかない、そうならボランティアのようにめんどうなことはないのである
そもそもそのように社会がしているのである
ただ消費者になれ生産者にはなるなともなっているからだ


昨日はそれほど暑くなかったから良かった、でも暑くなると熱中症が怖い
ただ今の時期は一番いい時期だからでかける、後は梅雨になりまた七月から八月は暑くて出かけられない、自転車はもろに光を受けるから夏が本番になると出かけれなくなるから今の内出かけた方がいいとなる


2019年05月10日

藤の花、菖蒲の季節(相馬市には藤の花が合っている)


藤の花、菖蒲の季節(相馬市には藤の花が合っている)

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玉子屋


藤の花垂れにし下に休む人その後我も休むかな

八重桜に菜の花映え街中や玉子屋にそ働く人あり

玉子屋に働く女やあわれかな墓に入りしも花をささげぬ

紫と白の藤咲く相馬市に奥ゆかしくも住み人のあれ

路地を入り白菖蒲咲くを我見つけ知られざりしもあわれ深まる

人生の移り変わりの激しかな津波に病杖つく人かな  

若葉に風のそよぎて鳥飛ぶや藤の陰にし人は休みぬ


藤が咲き菖蒲の季節になった、相馬市は城下町であれ入母屋作りで公共の建物は統一している
それが原町とは違う、原町の駅前の丸屋には十階の建物がホテルが建つとうから驚く
とにかくこの辺は震災以後ホテルが建てられつづけている
こんなにホテルがあっていいのかとなる、まだ原発の廃炉作業がつづくから需要があるともなる

その村とか街にあった花がある、相馬市は藤の花である、城跡の中村神社に藤の木があるからだ
そして白い藤も咲いている、城下町としてしんみりとして合っているのである
ただあそこで城下町を意識するかというと外から来ても意識されないだろう
細い路地があるからそれで城下町を意識することはあるが他に何か意識しにくいのである

原町はひまわりの花があっている、明治以降常磐線の機関区としてそこから街が発展したからである
つまり鉄道の駅中心に街が整備されたからである
それまでは浜街道沿いの宿場町だったとなるからだ
そこは相馬市との大きな相違である、だから今になっても駅前に十階ものホテルが建つことでもそうなのである

でも相馬市にはそういうビルが建つと景観がそこなわれる、何か低い家並みがあるのが素朴な感じがするからだ
それで原町と相馬市では違っているのである
それぞれの街で町でも村でもなんらか特徴がある、でも有名でない所はわかりにくいとなる

鹿島には玉子屋は有名であり街中に工場がある、そこに八重桜と菜の花が咲いていたのも合っていた
そこで働いていた女性も死んで今は墓の中である、その墓がすぐ近くにある
そこは自分の家の墓でもある
そこに津波の被害者が主に右田の人たちが復興住宅地の団地にいる
その公園でいつも休んでいる、そこには藤棚があり藤が咲いている

それにしても復興団地があそこにできると思わなかった、前は幼稚園があったがそれもなくなった
こんなに変わるとは思いもよらなかった
人生は本当に有為転変である、烏崎村の人と土手の道で語ったけどその人も津波の被害にあった人だった
そして脳卒中になり杖ついている
病気になっている人も多いのである、それは自分自身もそうだった、家族はみんな死んだとかなりただ茫然としているだけだった
人生とはこんなに変わるものかとただその無常に驚くだけである
もともとそういうことが人生だったともなる、なぜなら70年前は戦争であり三百万人死んでいるからである
長い人生のなかではそうして変化することを知った

路地は入ったら白菖蒲が咲いていた、あそこに咲いているのは気づかない
街中の畑にも菖蒲が咲いていたこともあったが今は荒地になっているのも淋しい
畑でもそうだが荒地になっていると良くないのだ
そこで花でも植えているだけでほっとする、そこに美が作り出されるからだ
ただそうするのにも手間がかかり金がかかるからできないのである
何かそういうことをNPOでしてもらいたいともなる
駅の見守りなど本当に必要なのかどうか疑問だからである、いれば安心感があるにしろ駅の業務をしないというのも変ったからである

今日は暑い、暑いともう自転車で出かけられなくなる、自転車は日ざしをまともに受けるから困るのである
それで去年は熱中症になったから怖くなったのである



2019年04月28日

八重桜(相馬市から日立木の街道帰るー田町は新しくしたが昔の情緒が失われた)

                                            
八重桜(相馬市から日立木の街道帰るー田町は新しくしたが昔の情緒が失われた)

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日立木(薬師堂ー町場橋)


猫柳に万寿菊さし供養する

八重桜影なす道や常の道

八重桜に山吹き咲くや季(とき)移る

八重桜に菜の花映ゆやなごむかな

八重桜心温む女とあれ

城跡や花散る後にたずねけり

小泉川渡る小橋や落椿

(日立木町場橋)

日永きや我が通り行く町場橋

町場橋薬師堂や夕桜

街道のなお行き来かな夕燕

こうもりの街道に飛ぶ日の長し



(塩嘗地蔵)

街の辻塩嘗め地蔵の古りにしを枝垂桜に行き交う人かな

宝暦の碑のある辻の地蔵かな枝垂桜や小橋渡りぬ


小泉川を渡って橋の右の袂、桜の木の下に塩嘗地蔵がある。塩嘗地蔵は、海から発見されたというのでこの名が付いた。


桜は散り八重桜の季節になった、八重桜に山吹が咲いているのも今の時期らしい
ただ今日も寒いから季節的には変である
八重桜は心温まる感覚になる、それは母のような感覚にもなる
この花は桜とは対象的である、桜は一時美しく咲いて散ってゆく、散るために咲いている感じになる、八重桜は心から温まるように咲くのである
どちらの花がいいというより違った性質の花なのである
桜が散った後に八重桜咲くのもふさわしい、一時の華やかな桜は散ってほのぼのとあたたかい八重桜が咲く、ほのぼのと心温まる花である

その花に山吹とか菜の花でも合う、花はなんでも調和するのである
人間は絶対に調和しない、それが不幸なのである、女性が二人いたらすでに調和しない
そういう中で自分が育ったから異常な家族で育ったから骨身にしみてわかっている
花は不思議に必ず生け花でも一緒にさせば調和している、そこに美を産みだすのである
猫柳と万寿菊を挿すとそれも合っている、万寿菊という名がいいのである
これは長く咲いているからだ

桜が散ったあとも何かしんみりと情緒感じる、桜は一時夢のように咲いてはかなく散って何もない、それが桜らしいとなる
相馬市で感じたことは城下町なのだが情緒がある所は小泉川の小さい橋を渡る塩嘗め地蔵がある辻である
そこの石碑に宝暦とあった、これは天明より前であり古い、日立木の薬師堂にも宝暦とあった、宝暦時代はかなり古い、馬頭観世音があったがこれはたいがい新しいのである
明治だと古く大正とか昭和でもある、戦前は馬を運搬でも農耕にも使っていたからであるこの馬頭観世音は江戸時代のものだと思う、年号は読めないが読む方法があるらしい

とにかく何かあそこが江戸時代らしい情緒を感じる
小さな川があり小さな橋がある、それを渡る、それは江戸でも時代劇で良く出てくる風景だからだ、そこちは必ず柳があり柳橋とか名がついている
それが江戸時代の情緒だったのである
そしてこれで感じたことは田町は新しくしたのはいいのだが古い情緒が失われたのであるこれもなんか変だった、新しい方がいいと普通は思う、自分もそう思っていたのである
でもこの塩嘗め地蔵に来ると昔にもどった感覚になる
そこに何か昔を伝えるものが残っているからそう感じたのである
新しくなった田町通りには昔を感じないからである
だから街作りというとき新しいものにするのはいいのだが情緒が失われることがあるなと見た
城だって新しい城は博物館のように見えるのである、実際に博物館になっている
だからそこに何か本当に昔の侍が暮らしていたという感覚が喪失しているのである

相馬市は城下町だというとき辻を曲がって細い路地とかあるからそれを感じる
城跡にはせ何もないにしてもやはり城があったとも意識する、でも石垣しかないからもう一つ城があったのかなとイメージできないことがある
でも一応城下町なのである、でも野馬追い祭の華やかさか比べると城跡は貧弱すぎるのである、だから外から来た人は何なのだろうと思う
あんなに華やかな行列の割には城跡は貧弱だからである

相馬市は城下町風の入母屋作りにして街を統一しているのはいいと思う
原町だと最近駅前のマルヤで十階建てのホテルを作る工事していたのには驚いた
それができると十階からだと海が見える、南相馬市立病院はこの辺で一番高い建物であり屋上から海が見えたからである
十階となると病院が五階くらいだから凄い高いなと見た
そんな高い建物はこの辺にはない、それが駅前にできると目立つと思った
相馬市は城下町の雰囲気を出すためにそうした高い建物はない入母屋作りにしている
だから相馬市と原町は違った街なのである

帰りは日立木の薬師堂の町場橋を渡り帰る、町場橋というのは何なのか?
町場なのか、何かそこが町になっていたのか?そういう名残がある
とにかく昔の街道には何かそうした情緒が残っているのだ
それは歴史が作り出したものなのである
浜街道は歴史の道だったからである、そこが六号線とかの道とは違っているのである

2019年04月24日

残る花(林道の山吹など)


残る花(林道の山吹など)

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タンポポに走る人行く朝桜

一斉にタンポポ埋める空地かな 

病院や曇りてあわれ残る花

村と村つなぐ細道スミレかな

山吹や林道つづく森の奥

山吹や岩根露わに森の奥

山吹や林道の奥人入らじ

病院や曇りてあわれ残る花


川岸にコゴミとる人みかけにし何かなごみぬ春も暮れゆく

故郷に残れる花のあわれかな名残り惜しむや明日は散りなむ

夕ぐれに残れる花の散りかそか今日もこの道一人行くかな

新しき家になじみぬ夕暮れに枝垂桜の色を深めぬ


常磐高速道路のSAからトンネルをくぐり小山田の山神の神社のあるところの脇を入って行った
そこはどこまでも森だった、ぬけることができない森だった
高速道路の脇にあんな深い森があると思わなかった
小山田の奥にある森は橲原(じさばら)の方にぬけられるがこの道はぬけられない
どこまでも道がつづいている、遠くから山を見てもそこにこうして深い森があることがわからない、日本では山と森が一体なのであるすでに山吹が咲いていたからそうした奥にふさわしいとなる
でもその森の中に入ってみないと森でも実感できないのである

あそこの奥で見たものはゼンマイなのか、コゴミなのか?わからなかった
似ているから良くみないとわからない
それで川岸の木が切られてそこにコゴミを採っている人がいた
こんなところにコゴミがあるのか?普通は山の奥にあると思っていた
そこは木が生えて隠されていたのである

川岸の水の流れているところにコゴミが生えるというときやはりこんな街中の川でも生えるのかと思った、ここは確かめる必要がある
前は近くでも山菜採りしていた人はいるが放射能騒ぎでしなくなっていた
こうして季節の楽しみを奪ったのも原発事故だったのである

何かこの辺では元から住んでいる人ではない
ハーブだよと匂うよと教えた人も地元の訛りがない、東京弁である
何かこうしてこの辺では外から入って来た人が多いのである
だから新しい家が次々に建ち新しい街ができたともなる
そこの新しい家に枝垂桜がしだれている、それも何回も見ていればなじんでくる

タンポポが六号線の空地に一杯に咲いてうめる
何か空地でも花で埋まってしまうのも気持ちがいい
人間がいなくなってもそこは花野になっていることがある
現実にこの辺は原発事故以後草原化してそこに雲雀が鳴いたときあっていた
つまり雲雀は草原にモンゴルの広い草原に鳴くのがふさわしいと発見したのである
田んぼより草原にふさわしい鳥だったのである

今は残る花でありかそかにまだ散ってゆく     

国土の70パーセントある忘れらた日本の森林 
(小山田の常磐高速のSAの脇に延々と森がつづいていた)




2019年04月19日

故郷の丘(万葉ふれあいセンター)の桜とスミレ

               
故郷の丘(万葉ふれあいセンター)の桜とスミレ

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故郷の丘にスミレや花の影

満月や栄一時花の散る


故郷の丘にスミレの咲き満ちて朝花散りて光満つかな

桜咲き朝に霞みぬ鹿狼山ここに望みてさえづりひびく


鹿島の桜田山の桜とか万葉植物園は何か死んでいる、来る人もいない
桜の木が枯れているのだ
でもその代わりに整備したのが万葉会館の丘である
あそこは新しく整備して手入れしたから休む場所もあり気持ちいい場所である
あそこから展望できる、ただあそこからは海が見えないのが残念である

鹿狼山(がろう)は見えた、あれは雲雀が原からも見えた、高い山だから目だって見えるでも400メートルくらいなのである、この辺には高い山はないからものたりないのである

丘にはスミレが一杯咲いていた、桜の木はまだ成長していないのもある
あそこは利用したことがない、まず図書館には行かない、ネットで検索しているからだ
ネット最新の学者の論文が読めるのである、それも無料なのである
すると素人でも研究に参加できるとなる
本をとりだして調べるのが手間なのである 

昨日も満月であり今日も満月だった、ただ今日は雲が流れて満月が光っている
花は散っている、でも全部は散らない、半分くらい残っている
まず桜は実際はどこでも日本では咲いているが咲いている期間が短いのでなかなか見れないのである、日本では桜の名所はいくらでもあるからだ  
上野の桜などは見栄えしないのである、やはり都会の桜は見栄えしない
京都と大阪は別である、なぜなら京都とか大阪になるとそこに歴史がありその歴史によって違って見える
大阪城の桜はそうだった、夕日のなかに桜が散って人が絶え間なく来ていた
その夕日の色がなんともいえないものだった、まさに歴史の栄華の大阪城があって
人間の栄枯盛衰があり夕日が大阪城に映えたのである

とにかく桜は一時で散る、満月が輝き散っていた、人間の栄華も一時だったとなる

大阪城の桜

人生百年時代はあせる必要がない (余裕がない人は人を助けることもできない―起業もできない―失敗する)


人生百年時代はあせる必要がない

(余裕がない人は人を助けることもできない―起業もできない―失敗する)


●あせり追われ試験の点数のために勉強する

●あせり早く成功しようとする

●あせり早く成果を出そうとする

●今だけを見て長い先が見れない

●ともかく何するにも余裕がない

私が学校が嫌なのは常に試験試験でありその結果ですべてがみられる
試験の点数がすべてだとなる、そこで自分なりに時間をかけて勉強できない
思考するにも時間がかかるから手っ取り早い解答を出すことで試験の点数をあげる
学校時代から何か常に余裕がなくさせられていたのである
すでに人生は学校時代で学歴で決まるとかいうのもそうである
人生は常に急がされているのである

「忙しい人」は、余裕がないことからその場しのぎの考えで行動することもある

何をするにも起業してもすぐに成功しようとする、成果を出そうとする
そのように追い込まれたりしているから余裕がない
すると起業するにしても十分な資金がなければ余裕がないからつづかない
なぜならすぐに成果をだせない、もうからないとしたらすぐに起業してもやめることになるからだ
でもそれだけの資金の余裕がある人は少ないとなると起業はむずかしいとなる

私が会った人はすべて余裕がなかった

起業した経営者も借金でおいつめられていたからまず自分が苦しんでいることより借金を返すことで頭が一杯だから自分が病気であり介護で苦しんでいてもそんなことに心を配る余裕がないのだ
だからそもそもそんな人は人を助けることはできなかったのである
また手伝いさんでもその人も金に困っている、窮している、すると家に入ってきて物色して金を盗むことしか頭になかったのである
でもそういうふうに手伝いさんとかは金に困った人が多い、余裕ある人はしない
そういう人は遊んでいるのである、金に余裕があるからそんな下働きのようなことをする必要がないからである、それで家に入る人は問題が起きやすいのである
絶えず主人の金をねらっているとなれば安心がなくなる

それから地銀の人でもノルマを課せられているからノルマを果たすことが頭で一杯になっている、成果をだすことで一杯になっている
私は銀行を地銀を信用していた、まかせてくださいというから信用していた
金融のプロだと思っていたのである
でも今や地銀は存続するかどうかの危機であり全く余裕がなくなりもうけることができなくなり投資信託をうりこみ手数料商売になっていたのである
だからリーマンションックの時半分になった株が元にもどり上がり調子の時投資信託に回して損したのである、もしそのままにしていれば相当な利益になったのである

その原因は地銀はもう追い詰められている、余裕がないからである
こうしてそもそも余裕がない人と会社でも接すると危険なことになる
相手のことなどとても考慮できないからである
ただ追い詰められているのだから自分のこと自分の会社のことしか頭になくなるからである
そうして犯罪というのはこうして金でもなんでも余裕がない人が起こすのである
明日食べる金がないとなれば強盗ともなり殺すことまでする、それは余裕がないからである 
余裕がない人と接すること自体が危険なものとなっていたのである

だから余裕というのは何するにも大事である、ただその余裕をもたせられないのが人間なのである、余裕をもって勉強しなさいとか誰も言わないのである
今勉強して試験に受からないとあなたの人生は終わりだとか追われて勉強させられる
何が自分自身のペースでじっくり考え勉強することもあったがそれもできないのである

何するにも人はあせるしあせらされるのである、まず起業してもすぐにもうけをだして成功しなければならないとなる、二三年はそんなにもうからなくても徐々に成果をだしてゆくとかにならないのである、それはそれだけの資金でも余裕がないからである
それは自分自身もそうだった、何かあせりすぐに成果を出そうとして失敗していたのである
人間のすることはなんでも時間がかかる、芸術だって何かすぐには天才でない限り会得できないのである
何か凡才でも俳句とか短歌でもつづけているとそれなりのものができるようになる
私自身がそうだった、20代でも30代でも何か才能があるとみられなかったのである
凡才でも継続は力なのである、何か一つのことでもいろいろな分野が学問的にも実業でもいろいろある、それを継続してゆくものがあればやがて成功する成果が出せるとなる
だからどうしても大器晩成を目指せとなる、早熟なものは花火のように天才でも終わる
成功をせりすぎるのが人間なのである
そして人生百年時代のいい面はそれだけ長い時間の中に成果を出せばいいとなる
あせる必要がないのである、人生50年だったらそんな悠長なことを言っていられないからである                                

余裕がない人はすでに失敗している

日本がの戦争でももう物資が石油でも不足する、するとあせる、追い詰められる、余裕がなくなる、そこで遂にがまんができず暴発する、無理な戦争をして大敗北になった
それは日本には余裕がなかったからである、アメリカには何でも物資でも戦略的にも余裕があった、追い詰められていなかったのである
余裕がないということですでに負けていたのである
すでに余裕がない人でも会社は負けている、そして悪あがきをしてさらに事態を悪化させて失敗して終わる                                     

つまり余裕がない人は会社でもそういう人と接することは危険になる
とても相手のことを考慮できない、ただ手っ取り早く利用することしか頭にない
その人が病気だったらかえってつけこむにいいとなるから怖いのである
また弱者に対してそういうことが通りやすいからである
病気でも薬を売るにしても相手の弱みにつけこむということが常にありいらない薬を医者でもだしているからである、それは一種の脅迫までになり現実に自分は借金して追い詰められている人から脅迫されたのである
だから余裕がない人は危険なのである、でもそういう人が世の中には多いのである

人生百年時代はあせることはない、百年で成果は出せる

こういうふうに人生百年時代のメリットはある、暗黒面も大きいのだが何か人間が成果をだすにはとにかく時間がかかるのである、学問でも芸術などでも本当に時間がかかる
学問となると特に積み重ねだからそうなる
それで〔少年老い易く学成り難し」となっているのは今でも同じなのである

お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ

これなどはそうだと思う、愛ある人が成功するというときそれは成果をすぐに出せることにはならないからである、愛と言っても余裕がなければ愛もありえないのである
すぐに利益を出すということしか頭になくなるからである

2019年04月17日

桜咲く春の日に原町ー小高ー浪江まで浜街道の旅)


桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)
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小高神社


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小高の街中のマルシェ


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六号線桜の映えて望む海

東風吹きて浜街道を遠くへと

沖に船浜街道を旅の人

坂越えて春の山々遠くへと

街道や蛙の鳴きて旅の人  

街道にスミレあまたや歩む人

街道に休むやここに花の影

孟宗竹歩む街道に椿かな 

街道に菜の花匂い歩む道

街道を調ぎりとび歩む道

春の日や喫茶店に昼の月


(小高)

花の影つづきし道を東京より来たりし女歩みけるかな

花覆う小高神社の石段を上りてあわれ古(いにしえ)偲ぶ

海よりの風竹にそよぎ桜かな小高神社に我が参りけり

何残る小高神社に散る椿武士(もののふ)の歌ここに残れり

街中に貴船神社や桜映え海に向き建つ社なるかな 

中庭に憩える広場や我歩む柱廊の道春日さすかな 

(大悲山の磨崖仏)  

千年の杉に昼なお暗きかなみ仏の形磐に残れる

千年の杉に桜明るく真昼間に映えてしばし装(よそお)ふ 

はや桜散りそめにけり光中街道遠くさらに行くかな

変わらざる古き碑三つ並びつつ街道来たりて花の影かな  

幾曲がり街道行くや春の日に誘われ行くや次の宿かな

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(浪江)  

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 右手イチョウの大木の下に檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だそうだ。
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浪江神社では、お目当ては浪江宿北口、すなわちさっきの新町交差点にあったという道標だ。本殿左にずらりと並ぶ石塔群の一番奥の「金毘羅大権現」がそうだ。「右ハせんだい 左ハむろはら おゝほり」と書かれているようだ。浪江駅換線碑もある。安政の大火の後、火伏せの行事として浪江宿の西側の火除地に出羽神社を創建して始められた裸詣(はだかまいり)は、今は浪江神社を出発する。出羽神社がここへ移って浪江神社になっているからだ。



三本の枝垂桜の参道や参る人無く社は荒れぬ

三本の枝垂桜の色濃くも神社に映えて我訪ね暮る

帰らざる人無き後の家の跡春になりしも街の淋しき

一本の銀杏の古りて標かな散りし椿や浪江に入りぬ

散る椿踏みて街道我が来たり浪江に入るや昔の宿かな

知らぬ道来たりてあわれ桜にそ月の光りて行く人もなし

春の夜帰れる道に月影のさして明るし家に着きなむ  


原町の六号線から津波の後に海が見えるようになった、松とかにさえぎられてこれまで見えなかった
浜街道というとき海が見えると思うが見える場はまれであった、電車から見えなかった
それが津波で松原などがなくなり見えるようになった、景観が変わったのである
元の景観に戻ったともなる

奥の細道というとき道が細いということは自然がその道に充ちることになる、道が細ければそうなる
六号線だとそこは車専用の通り道なってしまう、だからそういう道を歩いても自然を感じないことがある
ただ六号線から海が見えて沖に船が行くのを見えた、その景観は良かった

小高について土手の桜の道は長い、そこを東京から来た女性が歩いていた
小高でも浪江でもそういう遠くから来る人はいる、小高の桜は小高神社から土手の道へとずっとつづいている
小高神社から実際に海が見えて海が近いから駅の手前まで津波が来ていたのである

マルシェによったがあそこは回廊のようになっいて中にいろいろに利用できる部屋がある
日本庭園がある中庭もある、その中に食堂と喫茶店もあっていい感じだった
あういうものができるとここに住んでもいいなとなるかもしれない、今まではなかったからである
小高はかなり人がもどって住んでいる

そこから大悲山のまがい仏によった、あの千年の杉は見応えがある、桜がそこに咲いていた
でも散り始めてもいた
そこに三つの碑が並んでいた、何の碑なのかいつの時代なのかわからない
街道にはそうして歴史のあるものが残っているし何か歴史を感じさせるから違っている
福岡からなのか詳しく歩いて写真をだして説明しているサイトがあった
あれも感心する、あんなに外から来た人が昔にあった街道まで探り行く人は地元でもいないからである
自分もめんどうだからそんなことしていないからだ
やはりでもあのように街道では歴史を知らないと本当の旅はできないともなる

小高に入る手前で銀杏の木があり地蔵が祭られている、それは檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だというが街道の目印のようにも見えた、でも浪江の小さい範囲での境だったのである
江戸時代では年貢を村ごとにおさめていたから境にうるさかった、隣の村とでもそうであり争ったりしていた

それから浪江に入り「浪江神社」によった、サイトの説明ではもとは出羽神社であり浪江神社になった
何か古い感じであり枝垂桜が三本咲いていた、それが人がわずかに棲んでいる街にあって社は荒れていた
それも何とも言えぬ淋しさを感じた、人が参らない神社も一段と淋しさを感じる
それは山の中の限界集落では余計にそうだった、人が住まなくなって神社も捨てられた、神様をも捨てられたともなるからだ
浪江では建物がかなり壊されている、そこに新しい家が建つならいいが建たないとなるとそこは空地になり荒地となってしまうから一段と淋しくなるのである

そこには確かにサイトの説明にあるように金毘羅の碑があったし安政の碑があった
そして安政時代に浪江では大火があり街自体が変化した
それでその跡をサイトではたどっている
古いものと新しい道ができたからである
大火事になってもその後も人が住み続けたから今日があったが原発事故では壊滅的被害を受けた
そもそもこうした歴史とかが人が住まなくなれば絶えてしまう、その歴史の消失も重要な課題としてある、神社でも何でも歴史的なものでも人が住んでいれば活きるが住まなければ死物となってしまうからだ
それは先祖を捨てることにも通じているのである

いづれにしろ今回は浪江までだが旅した気分になった、今度の自転車は軽快に走るからいい、倍速になるからかなり遠くまで行っても楽なのである
ただ浪江までであり双葉になるともう行けない、自転車は通行止めだからである
でもいつになったら通れるのか?それもわからない。電車は来年開通する
とにかくいきている内にいわき市まで行けるだろう
ただ体力がなくなってくると行けなくなる、残された時間は後何年かかもしれないという不安があるのだ

桜はどこでも咲いている、帰りは街道ではない知らない道を夕暮れから夜に帰ってきた
その知らない道に月が光り桜が映えて美しかった
今の時期は一番いい時期である、でもすぐに桜は散ってしまう
何か不思議なのははじめて街道を通る気分だった
何か人間は忘れやすい、それで初めてまた通るように新鮮だった
やはり旅は歩くのがいいのだが自転車だと自然と一体化できる
道の辺にスミレが一杯咲いていたのも良かった、その時歩く旅人がいたら絵になっていたのである、自然を感じるにはやはり歩くことがいいのである
車は何か自然を感じない、ただぶっ飛ばして過ぎ去るというだけになるから嫌なのであるともかく短い道のりだったが旅であり旅してきたことを思い出したのである

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2019年04月14日

芽吹き( 近間を回る)

  
 芽吹き( 近間を回る)
  
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写真と水彩にアレンジしたものである

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これは暗い所で撮ったから相馬焼がうまく映っていない
生け花で壺と花は一体である
だから壺が大事になる
ここでは相馬焼が活きていたとなる
ここは常磐高速のSAである
あそこは人の出入りが多く時々催し物があるから花でも飾る
鹿島駅の方は人の出入りがないから何も飾らないのである



この道やスミレにそえて小さき花

光満ちしょじょうばかまに蕗の薹                            
                        
浜通り桜に東風の吹きそよぐ                        

今しばし散るを惜しみて花の影

ぽっかりと春の雲浮き国見山

百輪の椿に桜光満つ

坂越えて視界新たや芽吹くかな

磐を打つ流れひびきて芽吹きかな

我が走る流れ早しも燕飛ぶ

若草に燕の飛びて流れかな 

相馬焼紅梅さして迎えけり


咲き満ちる花に夕日のさしにつつその栄しも短きものかな

栃窪に蔵ある家の古りにしや枝垂桜に夕暮れにけり  

昨日も近くを新しい電動自転車で回った、これは何度も言うが平均時速20キロは出る
そして走りが軽いのである、走りそのものが違っているのである
だから楽に走れるとなり遠くまで行ける
バイクとまではいかないにしろそれと似た感じになる
ス―ピド感覚が違っている、それで行動する範囲が広がったのである
道を悪い所も行けるのも強みである

この俳句には実はこのヤマハのJPY-XCに乗って生まれたともなる
水のように早く流れ燕のように軽快に早く飛ぶ
その感覚がこの一連の俳句にでている

坂を上ると新しい視界が開ける、今は芽吹きと桜の咲く季節である
ただ桜は夕日がさし映えているときすでに散ることを予感する
不思議なのは山桜は散っていた、たいがい街の麓の染井吉野が咲いた後に山桜が咲くが
すでに散っているのはなぜだろうか?
これもわからないことであり残念だった

とにかく今は一番でかけるのにはいい、5月になると日ざしが強くなり去年は熱中症になったことがあるからだ、今年はまだ去年より暑くはなっていない
なぜ今これほど出かけようとしているとかとなると去年は暑かった
6月になると梅雨になり出かけられない、次に7月8月は日ざしが強く出れなくなる
日ざしを自転車はまともに受けるからである
日ざしに体が弱くなったからである
すると今の季節が出かけるのにはいいとなり新しい自転車で遠出するとなったのである




2019年04月12日

高倉村の短歌十首と詩(生業がなくなると村も死ぬ)


高倉村の短歌十首と詩(生業がなくなると村も死ぬ) 

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高倉は奥にしあれや生業のここにもありて春の日暮れぬ

高倉に山雀見つく誰か棲む広き庭かな春の日暮れぬ

高倉を装う桜あわれかな墓地のみここに訪う人もまれ

高倉や巌にスミレ清らかに流れの上や我がたずねけり

高倉の春の日あわれ古き家田の手入れやしばし語りぬ

高倉の花に染まるも墓地ありて訪ねる人もまれに淋しも        

高倉に山雀一羽見つけしも辺り人無く春の日暮れぬ

墓一つ倒れてあわれ夏草にここにも生きにし人のありしも

高倉にしみじみ鳴きぬ蝉の声街を離れてここにひびきぬ

山の村貧しく淋しも誰か見む神見守りて愛しむべしも

高倉の街に遠きを生業のここにありしも冬の日あわれ  




高倉村の老夫婦

国見山の麓高倉村押釜村
押釜村に紙漉き一六戸
個数数十軒相共に暮らしぬ
水清らかにその生業厳しも
高倉村社も古りぬ碑も古りぬ
草刈りする老人あり
今草茫々と草に埋もれぬ
ここに共に暮らす日の長しも
街より離れて遠く
秋の蝉鳴く声ひびきあわれも
この山里に長くも暮らし
やがてここに死すや
岩のごとくここにとどまれや
その裔も見守りてあれや
しかし悲しも里は荒れにけるかな
虫かすかに鳴きて老夫婦
ここにありしもあわれかな




高倉村は江戸時代からありその前からもあった、それなりに古いとなる、でもでもあんな奥にどうして暮らしていたのか?
今になるとそう思うがどうも江戸時代とかなると違っていた、木材の供給地であり炭焼きをしていたし紙漉きも盛んだった
生業がその土地にあったからだ、そこが今と大きな相違なのである 
飯館村でも1950年代に11000人いた、その後6000人になった、約半分になったのである
戦後は引揚者が入ってきて増えたのである、だから良く貧乏な時代にそれだけの人を養っていたと今になると不思議になるのだ
戦後10年くらいは炭焼きもしていた山村に仕事があったともなる、でもそれも10年くらいで終わったのである

いづれにしろ押釜村とか高倉村とか大原村とか橲原村は奥座敷になる、特に高倉村と橲原村は秘境のようにもなる
でもどうも江戸時代でも戦前でもそれだけ人口がいたということはそうではなかった
人が結構いてにぎわっていたともなる、それが勘違いしているのである
高倉村は行き止まりの村であり何か一段と淋しい所だと思った、でも不思議なのは高倉村から石神村が分村した原町市史に書いてあった、これもだから理解できないのである、石神村は今は広いからである

とにかく何か山村とかは別に原発事故前からグローバル化などで燃料も炭から石油となり木材は外材になり生業が奪われていたのである
それで原発事故でそうして生業が奪われていた所にさらなる打撃となったのである
そして生業がなくなると実は村も死ぬのである
それは具体的に山の手入れをしないとかいろいろ人の手が入らないと何か自然も荒れて災害すら起きてくる
だから生業を返せと裁判を起こしたがこれも前からすでに生業はいろんな面で奪われていたのである
漁業だってそうなっていたから漁業権を東電に売り渡したりした、それは実はグローバル化経済とか産業構造の変化で限界集落が全国に生まれたのである、だからマクロ的視野から見るとその影響が余りにも大きすぎたとなっていた 

いづれにしろ桜の咲いている所は工事している、バンガローがあるが人がいなかった、何か他から移った人が神社に異常に興味をもっていた、その人と駅で会ったがどこに住んでいるかわからなかった
ただあのような奥地に桜があんなに咲いていたが何か村自体は淋しいとなる、田畑は荒地化して放置されて外に出た家もある
そうなるともう村は死ぬ、多少でも田畑があり営みがあり生業があるとき村は生きていたのである
もし生業がなくなればただ家があるというだけになるからだ

次は高倉村の歴史を探求して書いてみよう

タグ:生業 高倉村

2019年04月10日


春の丘のスミレ(隠された道)

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春光や道いくつも分かれけり

隠されし道にすみれを見つけけり


高倉の奥にしあれや古き家春の日来たりて我は偲びぬ

丘の上に松風なりて鶯の鳴く声ひびき樅の木も立つ


故郷でも狭い場所でもまだ行っていない場所がある、そこはいつも通っていたのである
それは小山田の丘だった、そこに道があり電動自転車で上った
この自転車はもともとマウテンバイクだから道が悪くて行ける
だから行動範囲が広がったのである

そこは意外と眺めのいい所だった、丘であり樅の木が一本立っていた
それが目立っていた、鶯がなき松風が鳴る、気持ちのいい場所だった
そこにはタラの芽の木が何本かあった、あれは一か所に集中してあることが多い
でもあんな近くにあるとは思わなかった、あれは知っている人はいる
あれはうまいからみんな探しているからである
近くでもまだ行っていない所を未だに発見しているのは不思議である
灯台下暗しなのである

高倉は奥の行き止まりである、あそこに住んでいる人に聞いたら戦後開墾に入った人ではない、百年くらい住んでいるというから戦前から住んでいる古い家だとなる
その土地を見る場合新旧が問題になる
あのような奥でも戦後開墾に入った人が多いからである
その見分けが大事なのである、古い家はやはりその村を語るものでありまず知るべきだとなる

橲原でも大原でも高倉でも山の方にあるのは何か奥座敷のようになる
でもそういう場所で放射能汚染で田畑でも放置されて草ぼうぼうになり荒地になっていると淋しいとなる、人間はそこに営みがないと自然まで死んでしまうのである
人の手が入らないと山でも山林でも何か問題が起きてくる
そういう場が失われることは全体からみると小さい部分でも何か貴重なのである
ただあんなに桜が咲いていたのは意外だった
あそこはバンガローとかがあり休む場所になっていたが人はいなかった

高倉からさらに道がありあそこはどこに行くのか?飯館村の長泥の方に行く
でもそこは立ち入り禁止かもしれない、ただ前は細い森の道を行っていた
道にさそわれてどこまでも行く、それが旅でもあった、道は未知だからである








タグ:スミレ 高倉

2019年04月09日

津浪原発事故の自治体崩壊の恐怖 (人が流出して人が住めなくなる)


津浪原発事故の自治体崩壊の恐怖

(人が流出して人が住めなくなる)   

政経東北 April 2019(平成31年 4月号)CONTENTS
政経東北4月号  

瓦解する南相馬市「二つの公立病院」
非現実的な再編計画をゴリ押しした門馬市長
利権化する放射能ゴミ処理
勉強会で報告された各地の事例
福島沖大地震予測問われる企業の防災対策
原発賠償を不当拒否された郡山市の事業者
関係者が明かす東電「不誠実」の数々
なぜ、福島は分断するのか(脳神経学者・伊藤浩志)
科学は「公正中立」という幻想
生き残り模索する観光業界
求められる県の戦略的取り組み


この辺で起きていることは何かそれを追及してきた
何かこれほどの被害なのに危機感がないのかもしれない
小高辺りでもなんとかなるさとか関心は補償金しかなかった
補償金が頼りの綱だったのである
でもその補償金が全体の復興につながらなかった
かえって若い世代の流出をまねいたのである
なぜなら今の世の中は江戸時代とは違う、金さえあればどこに住んでもいい時代なのである、そうなるとスーパーすらない、医療も福祉のサービスもまともに受けられないとなるともう住んでいられないとなる
江戸時代だったらもう藩から簡単に出れないから今とは違っている
でも相馬藩では天明の飢饉のとき三分の一が流出して荒廃した
江戸時代でも逃散があり厳しく禁止されていた
この辺で起きたのはまさにこの逃散なのである
人々が補償金をもらったからそれで全国に散らばり逃散した
それが奇妙なのは医師会に活きていた

現代の日本において、勤務医の辞職を逃散と呼ぶことがある。72時間連続の当直明け勤務など、労働基準法に違反する長時間労働を強いられている病院の医師が、待遇が改善されずに絶望して辞職することを指す。

そのことは何か小高病院の問題で医師がとても入院させることは無理だとして辞職したことと通じている、看護師だって集まらないからである,医師の負担も増えるからである
でも市長が強行したとして批判されている
今何が起きているのか?

●医療崩壊
●福祉崩壊
●教育崩壊
●農業崩壊
●商業崩壊
・・・・・・・・
  
自治体崩壊

こういうことが起きている、小高病院の問題は医療崩壊が起きているからである
現実に知っている人は白内障の手術は糖尿病があるら仙台市でしている、それも病状が悪いとして二か月くらい入院している
ただ仙台には娘がいるからそういうことができている
南相馬市ではいい医療が受けられないとなれば他でもそうなる

福祉崩壊はこの辺では施設は立派なものがあるとしてもそれを維持するマンパワーがない介護士とか不足している、するとどうなるのか?
みんな青森に送るられるのである、青森では施設の入居費が8万と最低だからである
南相馬市は13万円で全国平均並みである
そして青森だと仕事もないからそうした仕事をする人がいるということである
これはここだけではない、福島県全体でもそうなのである
立派な建物があっても施設があってもそこで働く人がいないのである
特に原発事故地域では若い世代が流出しているからである
そして教育も崩壊しているという時、若い世代が流出したからだとなる
逃散したからだとなる、江戸時代のようにその逃散を禁止できないから余計にそうなる
そして取り残されたのは老人だけなのである
その老人もただ負担になるだけなのである

津波原発事故で感じたことは村ごと津波で消失してなくなるとか住んでいる場所にも故郷にも住めなくなるということである
例えば大きく国家が崩壊するようになるとこんいな状態になるかもしれない
流民のようになる、ただその流民も現代では難民とは違う贅沢なのである
国家自体が崩壊するようになればどこにも日本に住むにして厳しい条件になるが今はどこでも住めるし豊かな生活をする場に移動する
それで東京の老人は松山市が福祉のサービスがいいからと移住している
金さえあればどこでも住めるとなれば当然そうなるのである
いくら先祖がどうだとか故郷がどうだとか言っても危機的状態になれば特に医療が崩壊するとなると住んでいられないとなるから最初にその問題が深刻なものとてし起きている

そして例え十億円あったとしても誰もこうした現代で普通に受けられるサービスも受けられないとすると誰も住まないのである
金があってもなんのサービスも受けられない、スーパーさえないとしたら買い物すらできないからである、草茫々の荒地の中に十億円の豪邸をもって住んでも何の豊かさも得られないとなるからだ
つまり限界集落化した状態がこの辺では津波の被害地でも大規模に起きているのだ
そして復興でもうまくいっていない
つまり建物とか高台を整備してもそこに人が住まないのである
それは新地の喫茶店でも言っていたが駅前にあれだけのホテルでも立派だしテナントが入れる建物を作っても問題は客が来なくてはどうにもならないと言っていた
そういう施設がなくても客が人の出入りがあれば繁盛するとなる
それは教育でも立派な学校を作ってもそこに通う子供がいないのである

そして政経東北でそういう建物を維持するのには金がかかる、もう維持するだけで容易ではない、そして財政破綻が生じてくる、建物の維持のために予算だけがとられるというのとにている、夕張では観光用の立派な建物を作っても人が入らなかったのである
その建物を維持できなくなり壊すことになったのである
復興ができないというとき津波被害地でもここでも建物とかインフラとかはできたが肝心の人がそこに住まないのである、それは人が逃散してしまったからである

なぜ天明の飢饉から相馬藩では立ち直ることができたのか?
それは人が三分の一に減っても越中などの移民で補うことができたからである
それが今は時代とか様々な悪条件でできないのである
かえって人が移動しやすいから流出しやすいのである
全国を東京の老人が住む場を選べる時代である、だからこそ選ばれない自治体は逆に極端に荒廃して限界集落化する
一から何かを始めるような時代ではないからである
それで相馬が飢饉の時、人を呼びために宣伝歌として作られたのが相馬民謡だったという

相馬相馬と 木萱もなびく なびく木萱に 花が咲く

そういうふうに人を呼び込み減った分を補った結果復興したのである
それができたのは労働力であり人であった、インフラとかの建物とかではなかったのである
そういう問題に再び直面しているのも不思議だがこの辺のカルマなのかとなる
いづれにしろ今回の政経東北の示唆しているのは参考になる
原発の被害地域は例えば大熊から双葉から浪江からと合併してコンパクトシティ化するとかもそうである
現実に大熊とか双葉とか浪江でも復興するとなるとできない
南相馬市地域にもそういう人たちが相当数すでに住んでいるから実質は広域的な問題となり南相馬市とかでもそういう避難民をかかえこんでいるからである
そうしたら南相馬市とか浪江でも分離して考えることできなくなっている

ではそれをどう具体的に進めるのかとなるとむずかしい
相馬藩としてあれば政治が一つにまとまるからできたが今はできない
そういうことをどう進めるのか?それも大きな政治の課題となる
復興庁があるとしてそういうことをどう進めるのか?
それも見えていない、そういう間にすでに十年とか失われた時となってしまったのであるその時間のロスも大きい、時間のロスは意識しにくいからである
でも流出した若い世代が帰らないのはすでに移住した先でも子供も学校でもそれだけの年数を過ごせば故郷とはどこになるのかとなるし知らないともなるからだ
そして時間は戻らない、人生でも青春時代でも二度と帰ってこないということが深刻なのである

人間は危機感がないというとき現実にそうなってみないと感じないのである、そこが弱点なのである
津浪でもまるで危機感がなかった、でも自治体崩壊というのは実際は眼に見えてもいる、それは現実化しているの避難区域である
そこは依然としてゴーストタウン化しているからである、その危機は個々人が良ければいいとてし生活していても全体が市町村が自治体が崩壊すればもう個々人でも家族でも住めなくなる、いくら金をもっていても住めなくなる
その恐怖はこの辺では現実のものとして見えているのである
そういうことはここだけではない、夕張とか限界集落でも日本全国で少子高齢化で起きてくる
ただこの辺ではなんでも極端なものとして起きているのである

2019年04月08日

南相馬市の桜の短歌十首(その見所の場所と写真十枚)


南相馬市の桜の短歌十首(その見所の場所と写真十枚)


原町市街の桜(雲雀が原)
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雲雀が原

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旧街道ーヨーク紅丸の入口
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牛越城の桜

高倉の桜

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山雀を見つけた

橲原の桜

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立目石

小池の桜

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常盤木の松に桜や御本陣勇む騎馬者駆け上る所

旧街道枝垂桜の優艶に松も古りにき傾き立ちぬ

牛越城一時の城山桜咲きて装いけるかな

高倉の春の日あわれ古き家田の手入れやしばし語りぬ

高倉の花に染まるも墓地ありて訪ねる人もまれに淋しも        

高倉に山雀一羽見つけしも辺り人無く春の日暮れぬ

大谷に四本の枝垂桜のあわれかなこの家の古りしや夕日さし暮る

大谷の細道暗く椿咲き孟宗竹に赤く映えにき
            
大原に桜の咲けど空家かな我知る人は墓に入りにき

橲原の夕べあわれも立目石桜の映えてこの道暮れぬ

円墳に木の根付きて芽吹きけり小池の家や桜咲き暮る

川岸の樹々の芽吹きて盛りなる花より花へ鳥なき飛びぬ 

まず雲雀が原に行き御本陣山から桜を見た、それから旧街道に出てヨークベニマルの所で枝垂桜を見た、次に高倉の方に行きそこにもバンガローがあり墓地があり桜が満開だったでもそこのバンガローとかには人はいなかった
老人が一人田んぼにいた、あそこは田んぼ畑も回復していない
放射線量が高いのと若い人が外に出て帰ってこないといっていたからだ
それでカモシカが出て来たとかイノシシに荒らされるとか言っていた 

人の手が入られないと荒らされるし草ぼうぼうになり荒地化するのである
農協に頼んで何かしていることは言っていた
でもあそこにも桜が満開だった、あれだけあそこに桜が咲いているのが意外だった
山雀を一羽見つけた、山雀はなかなか見つけられないがやはり山が近くなると山に入ると見かける

それから大谷(おおがい)に出た、あそこには四本の枝垂桜の咲く家がありその裏は小暗い道になり孟宗竹の生える小径になっているその脇は新田川なのである 
それから橋を渡り大原にでる、そこに病院で知り合った前田という所に住んでいた人を知っている、その人は古い農家でありでも今は息子が跡を継がないので空家になっているつ、息子は市街の方に住んでいる
その墓をたずて墓参りしたことがあった、その墓は杉の木立に隠れてあった

大原から新しくできた森の道を行き橲原に出る、小池との境目の石として立目石がある、その前に桜と椿が咲いていた
それは写真をとるにはいい所だった、その頃薄暗くなり日が暮れようとしていた 
小池では古墳に木が根付き芽吹き桜が咲いていた、その前の畑で仕事する夫婦がいた
街に帰ると真野川の岸辺の桜を通り家に帰ってきた

桜は別に遠くに行かなくてもどこでも咲いている、ただ船岡の千本桜のような所はここにないのは残念である
でも高倉のようにほとんど誰もたずねないけど満開の桜が咲き桜色に染まっている
都会だと人が混みすぎて嫌なのである、外国人の観光客も今やそういう人が混む上野とか避けるのも理解できる
日本がだったらとにかく桜どこでも咲いているしまだ発見しない桜が無数にある
それは二週間くらいしか咲いていないかさ桜を見ることはむずかしいからである
今日は南相馬市の桜の紹介である




2019年04月06日

春の陽昇る(桜咲きはじめるか北風が吹いている)


春の陽昇る(桜咲きはじめるか北風が吹いている)

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春草や朝はや鳥翔け陽の昇る

6号線風にゆすられ朝桜


三人の子をもつ家族移り住む土筆も生えて時は移れり

自転車に走れる道にたんぽぽの咲き増えるかな遠く海見ゆ

昨日今日咲きそむ桜に風荒しみちのくにしも我は住むなり

雲雀啼く声のひびきて陽の昇る草も萌えにつ望む海かも

みちのくに桜も咲くも北風の朝なお吹きてゆすりけるかな


今日はめずらしく朝4時ころ目を覚めた、これまで寒くて7時ころまで普通は寝ていた
昨日は23度くらいと暑いくらいだった
今日は北風が朝から吹いて寒く感じる

朝早く目覚めたので海の方に行った、朝はどうしても浜通りだと海の方に向かうのである春の陽が昇ってきていた、カメラは一眼レフの大きなカメラをもって撮った
写真を撮るのはむずかしい、刻々景色が変わる、太陽でもかわる
その瞬間をとらえるのはむずかしいのである
自転車だと写真はとりにくいのである

ただプログなどしているとどうしてもきれいな写真が必要なのである
これは朝一報のリアルタイムの報道だとなるからだ
つまりインタ−ネットの醍醐味はリアルタイムにある
今の時間に起きたことを報道すればそれはテレビとかと同じになる、それがもっとリアルにするとナマ放送になるのである

この放送することはしている方が興奮することがわかった
放送されるのを見ているより自分で放送した方が興奮するのである
ただこれだけの膨大なプログがあるとするともう読まれたり見らるのは至難である
でもyoutubeでもそうだけどテレビとか新聞とかの競合になっいるのだ
やがて同じレベルになるのか?インタ−ネットのことをテレビでニュースにすることが多くなったことでもわかる

ともかくみちのくもここも桜が咲いたけど今日は北風が吹いている、昨日とは違っているそれで出かけられないとなる

2019年04月03日

老人は過去を昔を語ることに役割がある (でもそれを受け止める場や共同体がないと活きない)


老人は過去を昔を語ることに役割がある

でもそれを受け止める場や共同体がないと活きない

本来なら老人は、>人生経験を積み様々な知識と知恵も持っています。それを次の世代に伝えていくことは、老人の役割として大事なことであるはず。

市場社会が進行し共同体が破壊されると、根無し草の労働者は定年になると同時に社会的役割から除外され、年金頼みの生活しかなく、家庭の中ではお払い箱・厄介もの扱い。さらには福祉施設に押し込まれ、あらゆる生産的活動からも遮断されてしまう。


老人には老人の役割がある、役割があったとなる、それが喪失したのも現代である
老人の役割は昔をこれまで生きたことを語ることにあった
それが昔話になりそれも歴史であった

その語ることが極端になると認知症になると若い時のことは忘れられないから遂に千回も同じことを語る、それで嫌になったがその語ることが生きたことだったからそうなったのである
姉の場合は従軍看護婦として今のマレーシアのシンガポールから橋を渡ったジョホールバルで四年間地獄の苦しみを受けた、だからそのことがどうしても忘れられなかったのである
それでそのことを死ぬ直前まで語っていたのである

でも語るという時、それを聞く人、受ける人が必要になる
それが現代では欠けているのである、世代間でも断絶しているのである
そせそも現代社会はあらゆるものが分離してパーツ化している
子供は年代ごとに分類される老人もまた分離されて隔離されて収容される
昔の村だったらそこでは長老とかいたり子供も若い世代も一つの村の中に生活していたのである                                            

だから老人でもその村の中で生き続けやがて死んでゆくがその後も村の中で生き続ける
世代間の連続性があった、そこで語ることも受け止める人があり伝えられる
囲炉裏を囲んで老人は孫たちに語ったりしていた
語るにもそういう場が必要なのである
そういう場がないと語ることも活きてはこないのである

会社で60年とか働いて退職するともうその人のいる場が消える
なぜなら会社を退職して地域で生きろといってもその連続性がないから語る場がなくなるもし死ぬまで会社にいるならそうはならない、会社は一過性で消えるものも多くなっている、銀行すら消失するとなるとそこで連続性は断たれる

老人はその人生を語ることなのだがそれを受け止めるコミニュティとか場とかないと活きてこないのである
語ることは何か文章にするのとか違っている、語ることはまた女性が得意なのである
だから語り部とかに向いている、話がうまいのである
そういう人を知っている、とにかく話だけはうまいのである
それで欠点としては口だけの人だともなる、何か口からでまかせだともなる

でもその人がこういうことで働いて苦労したとかいろいろ語る時、その人は故郷で生きてきたから故郷という場がありそれを聞いているのも受け止めるのも故郷に住んでいるからこそできるとなる
もしそういう場がなかったらいくら話しても活きてこないだろう
例えば今南相馬市から青森の老人ホームに送られ人が多い
でもそういうふうに離れるともう故郷とは別な世界になり何か語るにしても活きてこないということがある

ただ語るにしても人間はいろいろであり語るべき人生であったのかともなる
やはり老人が語り重みがあるというときそれだけの人生を生きたということで重みがでる例えば私はFXでデイトレダ―で億万長者になったとか聞かされてもつまらないとなる
老人の価値も今では金で計られるとしても過去を語る時もし何か波乱万丈の人生を送ったりするとそれに耳を傾ける若い人がはいる

それで面白いのはヤップ島の石の貨幣があるがそれが海に沈んで取り出した時、その苦労を語りその石の貨幣の価値がその語りによって価値があがってくるというのである
つまりそういうふうに語れるものがありそれが価値となっていたのである
老人の価値もそうである、どれだけ語れるものがあるかでその老人の価値を計るということもある

何か語るということは語る時人は全身で感情をこめて語るから文章にするのとは違う
そこに深い思いがあり語るのである、なんかyoutubeではその個々人の語りが活きている
そして語りだとわかりやすいからつまらないものでも見る人が多いのである
文章を読むことはかなり疲れるからである
だからテキストの時代からyoutubeの語りの時代に入ったという人もいる
本当に武田邦彦氏などは語るのがうまいと思う
だから個人で10万とか見られるのはやはり語りがうまいからだとなる

私も老人にしてもこんなに毎日書いているのは語りたいということがある
語り表現したいことがありそうなる、それが簡単にできるのでこんなに延々と書いているのである、ただ自分の場合は話すのが下手だからyoutubeには向いていない
テキストで流すのならいいが向いていない
文章には語るよりもっと深いものを表現できる

ただテレビが依然として人気があるのは表現がわかりやすくしているからである
語りであり文章ではないからである、そうなるとみんな知識人でもないから見る
ある特定の知識人相手ではない、大衆が相手だからである
万葉集が令和の新元号で話題になったとき人気になったというときもそうである
それを大衆向きに面白おかしく説明する
そこにどうししても浅薄なものとなるがそれも関係ない、大衆向きの娯楽のように放送しないとみんな見ないからである
要するにテレビはパンとサーカスなのである、もともと馬鹿を相手にしているという感覚なのである、それで肝心なものが放送されなかったり議論されないのである

ともかく膨大に老人ばかり増えてくると老人の価値は減退する
寿命が60年とかの時代はそうして生き残った老人は価値が自ずとあった
今はない、むしろ早く死んでくれとかなっているだけである
ただ昔から老人にも役割があり価値があり村という共同体の中では活かされていたことは確かである、その時でもやはり貧乏だから食わされないとかの問題はあった
でもたいがい長生きするのはまれだから老人の役割はあり活かされていたともみる

2019年04月02日

春に寒い北風〈桜前線)

                                                    
春に寒い北風〈桜前線)


北風のなお吹きつけて厳しかも我が生ここに刻みけるかな

春に吹く春北風とはハルキタであり何かあたたかい明るい感じである
ここ何日かは冷たい冬の北風である
だから季語にあっていない
芯からその北風を受けて寒い、一日一回はどうしても買い物で外に出る
それで自転車だからまともに北風を受ける

一旦あたたかい春が来たと思ったけど今の時期でもこんなに寒いのかとなる
そういうことはこれまでもあった、最後の寒さであることは確かである
元号も変わったけどこの令和の令が冷をどうしてもイメージするのである 

人間は何か長く生きればその生をその土地土地に刻む
つまりなぜ老人が原発事故でも故郷に帰ったかというとそこに自分の人生があったからだとなる
やはりそれぞれに苦労して人生を刻んできたからである
それは親でもそうだし先祖でもそうだったのである
もしその場を離れると人生の刻まれた歴史が失われるともなる

何かたいして苦労ではないにしろ今頃の北風にはそれを感じた
今頃は東風が吹くのに今日は本格的な北風だったからだ
だからみちのくではまだ花は一分も咲いていない
でもいわきでは咲いた、そこでその距離を感じる
いわきはここよりあたたかいし仙台はここより寒い
80キロくらいの距離がそうさせているのである

西の方は東京でも桜が満開になっている、でもここは何か冬にもどり北風が吹きつける
それで日本列島は桜前線でその土地の気候の風土の差が現れるのである
旅していたとき西の方が大阪京都は花の盛りでもみちのくはまだまだでありまた逆にみちのくに桜前線で咲くときは西の方は散っているのである
この桜が華やかに咲いて散るのと桜前線が距離で咲く時期が散る時期がある

この距離感覚が今はなくなることがまたもののあわれを感じなくさせた
芭蕉の奥の細道でも新幹線で二時間ちょっとで来るとなると何の感懐もなくなる
つまり距離感がその時は日本の最果てに行くという感覚が「奥の細道」を生んだ
「五月雨のふりのこしてや光堂」とかもそうである
はるかにみちのくの平泉にたどりついたら金色堂だけが栄華を残していたとなる

現代に旅は消失したのである、豪華なホテルに泊まってもそれは旅ではない、保養であるそして今のホテルでも旅館も旅人を迎えるものではない、そこで金を払って保養するとかうまいものを食べるとか役割が違ってきたのである
そういうところで旅人は歓迎しないし旅人自体がいなくなったのである
江戸時代だったら歩く旅だからみんな旅になっていたし宿でも旅人を迎えるものだったのである、お伊勢参りだって一か月となればそれも歩くとなるとみんな旅をしたとなるからだ

桜は満開もいいがその後に散るということが桜の魅力であり日本人の心に影響した

はるけくも千本桜たずねればみな散りにしを我が帰るかな(あわれ深まる)とでもなる

船岡の千本桜は見応えあるがそこまでは自転車で本当に遠かった
それもその時今の楽な自転車ではなかったから余計にそうなる
そうして苦労して来てみたらみな桜は散っていたのである
この時深いもののあわれをかえって感じたとなる
それは芭蕉がはるばる苦労して来た平泉で感じたことと同じなのである
距離感覚の喪失が旅を消失させたしもののあわれも消失させたともなるのだ
つまり何かを得れば必ず人間は何かを失っているのである

とにかく今北風を感じるという時、車だったら感じない
「風流は寒きものなり」ともなる、ただ今の時期に寒いの厳しさを感じる
そこでそういう厳しさの中に人間の生が刻まれたと感じるのである
60まで旅したがその後十年は介護などでしていない
それだけ旅したからいいともなる、今は外人が多いし日本人が旅しずらくなった
それも日本が観光で金を稼ぐとなり貧乏になったからである
そういうふうに常に時代は変化するのである

時移る令和となるや春寒し

この令和の令が冷をどうしてもイメージする、万葉集のように梅の花の宴をイメージしないのである
そこに漢字の特殊な差用がある、それでどうしても地名でも音に漢字をあてたときその漢字を意味としてとらえる
そこで地名でも実際は音なのに違ったものとして意味から地名をみるのである

ともかくここ数日は春寒しというより寒戻るとなっている




2019年03月31日

春の雷ー燕来る (原町ー川子ー大内を回る―川子の溜池で釣り、大内の隠された墓地)


春の雷ー燕来る
(原町ー川子ー大内を回る―川子の溜池で釣り、大内の隠された墓地)


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原町の街中の畑

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家の跡の池と墓地への道

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元禄までたどる先祖

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春の雷蘇えるかななお生きむ

十羽ほど交差し群れてつばめ来る

三色の花活け外に燕来る

隠されし墓地を見つぬけ落椿

さえづりや姿を隠し林中


街中の畑やピンクのチューリップあまたふくらむ原町に来る


今日は晴れ間が見えたので原町まで行った、道の駅の食堂は200人は昼間来ていた
十人が働いていたからそれでも人件費にかかる  
日曜日は稼ぎ時である、結局人件費が一番かかるから経営する方にしては機械化したりAI化したりするのである、とにかく人間を働かせるほど難儀なことないのである
雇う方が雇われるより凄いエネルギーが必要なことは確かである
雇うとなるとその家族のことや必ず人間は病気とかにもなるしさまざまなことを考慮すると人間を雇うコストは高くつくのである
だから一見外国人労働者を入れるのはいいがそのコストがかえって高くつく場合がある

今日は鹿島にも燕が川の上を10羽飛んだ、燕が来たから本格的に春になる
雲って寒いが燕を見たら何か本当に春が来たなと感じた
それで新しい自転車で遠くに行きたくなった
今度の自転車は快速である、平坦な地でも坂でも楽なのである
だからこれは本当に半分バイクに乗っている感じなのだ
それで今日もいろんな方面に行った
                                        
川子の溜池で釣りをする人がいた、あそこではいつも釣りする人がいた釣れるのは何かと言ったらブラックバスだという、それから鯉とかだという、

ブラックバスは、北米原産の淡水魚で、全長50センチ(最大70センチ)にも達し、、魚はもちろん、エビ、カニ、カエル、イモリ、ネズミ、鳥など、動くものなら何でも食べる肉食魚だ。バス釣りのマニュアル本には、「大きなバケツのような口は、小魚を追い、食いまくるフィッシュ・イーター」と書かれている。さらに、外敵からオスが卵を守るなど、極めて繁殖力も強い。

5月の連休ともなれば、県外のバスファンで連日満員御礼の盛況ぶり。右は、夫婦、子供、家族そろってバス釣りを楽しむバス釣り風景。今やバス釣り人口は300万人に膨れ上がった。八郎湖には、ボートが飛び交い、バシャ、バシャとヨシの中で騒いでいるのは全てバスばかり。この変わり果てた八郎湖に、かつての生態系は確実に破壊されている現実があった。                        

ブラックバスブームにのって大繁殖

ブラックバスは日本で繁殖した、それが釣りする人には人気になった
釣り道具やではわざと放したとかも言っている
これも釣り道具屋にすると今や遊びとしての釣りでありブラックバスでも釣れるとなると釣り道具やも繁盛するとなる
何かこうした歪みが現代文明には多いのである
いらない薬でも飲まされるしいらないものでも買わされる、でも商売だからと金儲けのためにそうなる、それが釣り商売の人にも起きていたのである
私は釣りをしないが釣りに興味があるのはそれが自然と深く関係しているからである
だからパチンコとかギャンブルやるよりいいと見ている

原町の蔵をる家の畑は広い、そこにチャーリップが飢えてった、ピンクのチャーリップだった、街中の家でありまだ農家だった所である
そこから大内の方へ回った
大内の坂を上るとそこは家の跡でありそこに池があった
これは自然の池ではない、この家の池だったのである
その家がなくなったことで墓地への道が見えた
その墓地は隠されていたのでわからなかった
意外と墓地はこうして隠された場所にあるからわからないのである
そこに大内という姓の墓誌には元禄までたどれる祖先を記されていた
元禄までたどるとなると相当に古いのである

大内村は後ろの高い所に住んだ人たちが古い、下の平地に住んだ人は後から住んだ人たちであり津波の被害にあった
だからもともと高い所に住んだ人たちは古い家であり津波の被害にあわなかったのである湿地帯を田にしても高台に住んでいたのである
そこは急な高台ではなく人が住める場所だったのである
そこから海が見えて沖に船が行くのが見えた
おそらく松原が津波で流されて遠くからもこの辺では海が見えるようになった
それは新しい景観であり悪いともいえない
松原にさえぎられて海が見えないから浜通りでも海が鉄道に乗っても見えなかったのである

とにかくに三日前には春の雷が鳴った、春の雷は二回くらいしか鳴らない
そして今日は燕が群れをなして飛んできた
今年もこれで春が本格して何か新しく始動する感じになる
ただ今日も寒いのである、すでに磐城では桜が咲いている
この辺はまだまだなのか?後一週間くらい後に開花になるのか?
いよいよまた桜の季節になる

2019年03月27日

初燕(近辺の春)


初燕(近辺の春)

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巣箱が二つあった



初つばめ原町に見て電車行く

耕しの婦人二人や春の暮 

若草や新しき家の増えにけり

我が町や古墳の上に草萌ゆる

何を置く巣箱二つや春の暮


昨日に原町で見たのは初燕だった、この初燕はどこで見るかが大事である
その場所が印象的なものになる、原町はふさわしかった
原町はこの辺では相馬市は城下町で古いが新興都市でもあるからだ
明治以降に原ノ町駅が機関区となりそれで発展したのである

旅路来て赤絵町かな初燕

赤絵とか柿右衛門の赤絵は有名であり海外に売り出された、それは伊万里から外国に輸出されたか伊万里焼になった、それが海外でもヨ−ロッパでも珍重されたのである
それが古いヨ−ロッパの城に残されたのを最近発見されたというのもそれだけ輸出された品だったのである

その時九州を旅していたが遠かった、九州は東北からだと一番遠く感じる
北海道より遠い、そこに初燕が飛んだのを見たのは新鮮で印象に残っている
ただあまりにも時間がたちすぎたのである
旅は実際60歳までつづいた、そして介護になり十年はしていない
30年間くらい旅に費やしたのである 

私の住んでいる所は本当に家が増えた、それも新しい家が多いし一つの新しい街ができた感じになる、それは津波と原発事故が重なり移ってきて家を建てた人が多いからである
新しい家が本当に多い、古い農家の家はもう少ないのである

女性が年配の婦人が二人耕している、そこは荒地が多いのである、人間はやはり営みがなくなると荒廃してゆく
でも知っている人の畑の前と隣はやめた、一人は這ってきて車にのせられてきて畑で仕事していたが遂に続かなくなりやめた
もう一人は病気になり死んだ、それでまた荒地になってくる、荒地がこうしてどうしても原発事故以後増えるのである
ただ新しい家は増えたのである

南相馬市の鹿島区で見るとなると古墳なのである、小池に多い、それも隠された場所ちるありわかりにくい、これが古墳なのかと見分けがつかないものもある
なぜ小池にこれだけ多いのか?それはやはりここが古代に人が多く住んだ場所だからとなる
ただ古墳となると原町区の桜井古墳は大きいから目立つしそこが中心だったと外から来た人たちも見る、つまり外から来る人たちに目立つものがないと観光として受けないのである
古墳に草萌えるというのも何かここらしいとはなる
古墳は墓であるがその祖先の墓の上に草萌えて春がやってくるというのも人間の営みである、人間は祖先がいてその祖先の上にまた生活を重ねてゆく
死者を養分として代を重ねて栄えてゆくのがどこでも人間の営みだからである
それが人間の歴史でもある、必ず過去が歴史はそうして代々つづいてきたからである

ゆっさの湯の食堂は奥の方に新しく変えた、そこの方が前よりいい感じになった
食事するにもどうしても環境が影響する、その味も価値なのだが価値にはいろいろな価値がある、景色のいい場所で食事するとやはりうまく感じるからだ
狭いごちゃごちゃしたところで食べたくないのである
だからゆっさの湯は場所としてはいいのである、ただ庭が貧弱なのである
あそこは近いから時々行ける距離にある
気分転換にいろいろな場所で食事したりコーヒー飲んだりするのがいい
場所を変えると気分も変わるからである



2019年03月25日

春の日に原町まで自転車で(俳句十句)


春の日に原町まで自転車で(俳句十句)

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新しい高台に墓地ができる
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黄色のはマンサクてはなく蠟梅だったろう

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これは紅梅ではなく桜だろう
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坂越えて隣の市へ春の雲

公園に子供遊ぶや草萌える

東風(こち)吹きて浜街道を旅行かむ

さえづりや春街道の細き道

春の丘新しき視界開きけり

春の日や黄金神社を見つけけり

風そよぎ伸びゆく竹や蕗の薹

広き野や鳴きあいやまぬ夕雲雀

若草や電車の音のひびくかな

近くにそ夕べに濃くも梅にほふ  

風そよぎ流るる水に春の日の反射し光り芽吹きけるかな


原町まで天気がいいので行った、石神の方をぐるっとまわってきた
東風が吹くと春らしい、それは浜街道にふさわしいのである
さえづりもひびき何かまた旅したくなった
相当に10年とか旅していないからだ
今度の電動自転車だと何かスイスイ行けるから気持ちいいのである
前だとこうはならない、やはり機械の影響もつくづく大きい
それで車に乗った人はもう手放すことができなくなる気持ちがわかる

途中に黄金神社が山の中にあった、これは金華山神社だろう
この神社を他にも見たからである
これは比較的新しい、明治以降のもあるからだ

それから石神の方に出たが石神は広いと思う、もともと原町は広い地域である
新しく高台が造成されたのは雲雀が原の近くでそこは墓地だった
相当に広い墓地であり区画して市で売りに出している
おそらく津波の被害で墓を失った人が新しい墓を建てているとも言う
でも津波の被害地でも萱浜でもそうだし海老村でもそうだし烏崎村でもそうだし新地とかでも不思議に墓地だけ残っている不思議があるのだ
それでそこに今も墓参りしているのであるただ流された墓地もあるからどうなのかわからない
墓地は江戸時代の墓があると興味があるが新しい墓には私は興味がない

それから石神のどこなのか?イオンの近くである
これは桜であり梅ではない、それから万作である、なんとも春らしい
梅はこんなふうには咲かないだろう

それから新田川の高松の方に行く所で電車の写真をとった
若草が生えて春らしいとなる、電車はまず待ち構えてとらないといい写真はとれない
大きなカメラだと即座にとるのはむずかしい
だからここが写真をとるにいい場所だとして狙ってとらないといい写真はとれない
でもそうなると自転車ではむずかしいのである
なぜ撮り鉄がいるのかとなるとそれは電車は景色にとけこむのである
車は景色に溶け込まないのである
電車は絵になるのである、それで電車が走らない地域は何か淋しくなるのである

鉄道の効用は歴史が長いのとそこでただ人を乗せるだけではない、人間の生活と景色と一体化している
それで四季の中に鉄道は電車は映える、それで採算がとれないローカル線でも残してほしいというのは何か乗り物としてだけ見ていない、一つのあるべき日常の景色とっなっているからそうなる
だから鉄道がなくなると一段とさびれた地域に見えてしまうのである

とにかく今日は春らしい一日だった、どうしても春になるとぶらぶらしたくなる
そのポタリングでもサイクリングでもこの電動自転車は快適なのである
だからもっと遠くへ行きたいとなったのである
旅もまたできるのかと動いているうちに思った
山元町までは相当に遠かったがそれでも何かまだ行けるなと感じたからである
それだけ乗りやすいのである、だからこの自転車だけは今まで買った自転車で最もいいものだった、やはり楽に走れるからいいのである
今までのどうしても疲れる、そういう走りしかできなかったのである
それで自ずと行動範囲が広がったのである






2019年03月22日

春の日に山元町までの旅の俳句と短歌

  
 春の日に山元町までの旅の俳句と短歌

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亘理まで5里中村へ三里とある

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この石はみ応えがある
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八重垣神社の松は残っていた、ここは海に相当近い
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津波の後に長い高架橋のレールになった

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ここは五本松だったが三本になった





朝雲雀六号線を遠くへと

我が家を遠く離れて春の山 

東風(こち)吹くや境を越えて遠くへと

草萌えて電車の来るや海望む

大石に一日におうや庭の梅

正宗の休みし石や落椿

春の闇三本松の浮かぶかな
                                    

新地なる道標(みちしるべ)古り春日さしその道のりや昔思いぬ

正宗の休みし石と吾も休む津波の後の春の磯山 

海霞み島の見えじも船影の二艘進みぬ春の昼かな  

椿咲き松によりにつ正宗の休みし石や沖行く船見ゆ

春の山霞て見えじ島の影二艘の船の沖に行く見ゆ 

(八重垣神社)

津浪にも神社の松の残りしを春の日さして我はやすらふ

山に没る春の夕日や海よりそ満月上る浜街道行く  

春の灯や電車の音に浜街道旅人の行く影のありしも

我がよりぬ坂本宿の古きかな春の満月夕べ昇りぬ 

鹿狼山見えて高きを我が還る6号線の春の夕ぐれ  

松川浦月影さして鷺一羽なお餌漁る春の夜かな  


五本松三本残り支え合う人のごとしも月影さしぬ

五本松三本松のなお残り我が還り来ぬ春の夜かな

三本松変わらずここにあるべしや我が待つ人のなしとて待たむ


相馬市を越えて新地に行くと道標がある、それで坂本まで何里とか記してある
それを見ると何か旅に来たなのという感じになる

大石の庭は前にも見た、あの石がいいのである、そこに梅が匂っていた
それから新地を越えて山元町に入った、ここは行ったことがなかったのである
何百回と仙台に通っていたがこの海岸沿いは行ったことがなかった
実は新地の海岸までは来ていた、でもそこから先は遠いなとなり行かなかった
つまり自転車だとなかなか遠くに行きにくいのである
ここから5キロで温泉かと遠くへ行ってあったが引き返すと10キロになるから遠くなるすると先を急ぐから行けないとなる
ただ電車の中から山下駅からいつか海の方に行ってみようとは思っていたのである
それがこの年までついに行かなかった
人間は近くでも行かない場がある、その間に月日が流れて津波の後に行くことになったのである
人間は意外と灯台下暗しで終わることがあるのだ

磯ア山でも津波が襲ったが辛うじて被害をまねがれた
そこに正宗が座ったという石があった
そこからの見晴らしはいいが港もあり船もあったが漁には出ていないという
その道はサイクリングにはいい、堤防の上を走ったら気持ちがいいとなる

八重垣神社とは何なのか?海に迫って神社がある、そのことはまた歴史の探求として書いてみよう、ここでは旅として山元町まで行ったことを書く

山元町の街の方に行くと夕暮れになっていた、郷土資料館によった
そこに坂元のことが記された木簡が発見された、坂元願とかの木簡であり古代のものである、坂元宿はそれだけ古いことに驚いた
山元町は古代の歴史として相馬の延長にあることがわかった
これも鉄道だけだと線だけの旅になりわからないと思った
鉄道の旅は日本全国を隈なく乗ったけどそれだけではわからないのである
第一そもそもすぐ近くの山元町のことを知らなかったからである
人間は交通が発達して便利になってもかえっていろいろなものを見逃しているのである
感じなくなっているのである

夕日は山に没しその時満月が出た、坂元駅辺りでかなり暗くなった
でも六号線をひたはしり鹿狼山が見えた、あれはこの辺では一番高いから目印になる
それから相馬市の方に行く道ではなくて松川浦に行く道路を進んだ
そして松川浦に出た、満月であり月の光りが入江に反射していた
写真をとったが夜でうまくとれなかった
鷺が一羽月明りのなかで餌漁っていた

そうして相馬市により食事して例の五本松の所にくる、今は三本松しかない
それも枯れるかもしれない、何か松は枯れやすいのである
春の夜の闇の中に三本松が影となり浮かぶ
その松は人間に見えるのである、松は一番人間に親しいものであり人間に見えるのであるだからこの松が還ってきた自分を待っているというふうに見えるのである
家には誰も待つ人がいなくても松が待っているとなる  

今回は介護とかで旅は10年くらいしていなかった
それで新しい電動自転車で旅した気分になった、やはり旅で見る時の自然でもなんでも違って見えるのである、旅人して見る景色は違って見えるのである
新鮮に見えるのである、だから旅人になる必要があるがそれが今ではしにくい
車でもバイクでも早すぎて旅人とはならない、通り過ぎるモノになっているからだ
電車でさえ旅人としての経験はできない、現実に何百回も仙台に通い山元町を通ったのにそこを知らなかったからだ

旅の問題は自転車だとしても六号線だけを通っていただけではその土地のことはほからないということである
海から山へと横の方面も旅しないとわからない、ただ六号線は遠くに行くにはどうしてしも便利だからそこだけを頼りに通りすぎてゆくのである
寄り道できないことが問題なのである、その時何か大事なものを知らずにただ通り過ぎてゆくだけだとなる
そういうことが現代では多すぎるのである

とにかく旅したな旅人のようにまたなったなとつくづく思った
でも山元町から越えると仙台の方に行くともう日帰りはできないと思った
やはり80キロ行くとして帰りもそうなるから行けない
泊まるとなると結構楽ではない、ただこうして動いていれば体力も筋肉もついてくるかもしれない、ただ一日とか休めば楽なのである、連続して自転車をこぎつづけることは苦しくなる、ただまたさらに遠くへ行ってみよう
そう思うのはどうも去年でも4月5月でも光線が紫外線の影響か日射病に熱中症になってひどいめにあったからまず光線には弱くなっているからだ
夏は全く旅は自転車ではできないと知ったからだ
すると3月から4月がいいとなるから今の内に行った方がいいとなる
ただこの自転車の弱点は荷物がのせられないことなのである
そしてスタンドがないからとめるのに苦労するのである
長距離になると荷物がのせらられないことは苦しい、そこが一番の問題だった












2019年03月21日

春彼岸(満月に梅匂う)


春彼岸(満月に梅匂う)

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今出ている月(19時14分)


家一軒ここに隠され匂う梅

朧月ひそかに棲みて匂う梅

花々や墓地賑いぬ春彼岸

落椿あまたや続々墓参り


誰が知らぬ人花挿して我が墓や死ににし人を一人偲びぬ

せわしなに時は過ぎゆく死す人の忘るは早し彼岸はめぐる

次々に人の変われるこの世かな今日ある人も明日なしかも

梅の花匂い放ちて夕べ散る満月照らし心おきなし

紅梅の匂いに満月美しき盛りの時や幸にめぐまる

月影に浮かびしもあれ死にしもその面影や彼岸となるかな 


彼岸だけは墓地はにぎわう、それにしても人の世は変わりやすい、人自体が次々に変わる
死ぬと忘れられるのも早い、そして時間が過ぎ去るのも早い
家族が二人死んだけど一人は8年過ぎたしこれも早い、一人は三年である
そして残された人もまた生活とかいろいろ追われる
それでこの辺は津波とか原発事故などがありめぐまぐるしく変わった
なにやかにやで自分も一人で暮らすのが3年すぎたのである 

年をとれば今日ある人は明日なしかもとかなる
同世代の人が次々に死んでゆく、有名人でも死んでゆく
するとその死者をいちいち偲ぶことすらできないのだ
なぜなら次々に死ぬ人が知っていても増えてくるからである

昨日は満月でありその後朧月になった
梅の花も十分ににおいを放ちそして満月に照らされる 
私の場合はめぐまれていたが不幸に死んだ人も多い
実家の墓では肺病で25歳で死んだとか記されていると墓参りすると何か苦しくなる、圧迫されるのだ
でも実家の墓には私はもう行かない、300万もらって墓を頼むと親戚が墓参りする
その人は地元に住んでいない、もう会うこともない
何か自分の親戚はもめていたし特に母方はそうである
でも親戚はもともとなかったしすべてその縁も切れたとなる、これも無常である

彼岸には死者を偲ぶことはいいことである、一年に二度でも人間は現実に存在しないと忘れるのである
日々の生活に追われ忘れるのである、死者でも生者でも「去る者は日々に疎し」になる
実際現実に逢わなければ死んでいるとも同じだともなる
この世とは無常の世である、それは老人になると否応なくただ事実として示されるのである
若い内はまだ親か元気だったりするからまた同世代で死ぬ人もいないから感じないのである

ともかく十分に梅のように匂いを放ちそして死ねば恨みは残さないだろう
でも人間はつくづくいくつになっても生に執着するのだ
それは生物の本能だからどうにもならないとなる
生きれるかぎりは生きるとなるからだ

昨日は月影の中をずっと自転車で走ってきた、そして今日は墓参りである
家族が待っているいるわけでもない、一人暮らしにもなれてくることは確かである
要するに人間は何でもなれるということなのは確かである
どんなことでも受け入れざるを得ない、それが現実を生きることなのである




2019年03月18日

春時雨(人間の五感が機械化で失われる―旅もなくなる)

                     
春時雨(人間の五感が機械化で失われる―旅もなくなる)

柔らかに白髪をぬらす春時雨


春時雨というのがある、それは二三日前だった、これもまた帽子をかぶっていると感じないことがある、でも顔をぬらす春時雨だったから感じた
まず車だとこういう自然の変化を感じない、季節感もなくなる
第一風を感じない、車は閉鎖された空間だからである
風を肌で感じられない、今どういう風が吹いているのか感じないのだ
俳句とかだとどうしても季節を感じなかったら作れない
だから今の車社会ではそうして俳句とか季節感をテーマにしたものは作りにくいとなる

最も自然を感じるのは歩くことである、でも私自身ほとんど歩かない、すると歩く感覚が消失しているのだ、歩くことは今や車社会になると最も新鮮な原初的な経験になったのである、だから文明が発達したから人間は進歩するわけでもない
かえって人間の五感は消失してゆく、そうして自然でも感じなくなることは貧しいともなる、物はあふれて機械で便利になっても五感で感じることが消失していることは貧しいとなる

それから便利になると距離感がなくなる、芭蕉が旅したみちのくでも平泉でも新幹線で二時間だとなると何の感懐もなくなるだろう
ただ旅は通り過ぎてゆくだけだとなる、そしたらもう俳句などでも作れない
作ったとしても別なものとなる、距離感を感じること遠いなと感じるかことも一つの人間的感覚である、それが新幹線や飛行機によって奪われるのである
それで千本桜を見に船岡とかに自転車で行ったことがあった
その時その桜はみな散っていたのである
あれだけの桜がもう散っていて残念だったとなるがそれも一つの感懐を生んだのである

はるけくも千本桜を訪ねればみな散りしあと我が帰るかな

あれだけの桜がみんな散ってしまったなと深い感懐が生まれた
それははるばる苦労して自転車で来たからだったのである
その距離の感覚が深い感懐を生んだのである、それは芭蕉でも同じである
はるばる平泉に来たら五月雨の中に光堂が朽ちずに残っていたとなる
それははるばると歩いてようやく訪ねた距離感にあったのだ
その距離感がなくなるとき人間の感懐もなくなる
二時間でみちのくに来たとかなればそこは隣の村に来たと同じである
説きおさの感覚がなくなったのである

だから現代では旅というのは消失している、旅人もいないのである
ただ旅館とかホテルは旅の宿というより何を食べるとかグルメとかなり保養の場なのである、今のホテルは江戸時代のようにまず旅人を受け入れる所ではない
そこで高い金をもらって保養させる場所なのである
江戸時代なら木賃宿であり旅人の宿だったからである、泊まることを優先した場だったのである、だから豪華な保養のホテルがあっても現代では旅人の宿はないのである
旅人は歓迎されない、まして自転車で旅するような人は汚いし受け入れにくいし歓迎されないのである、まず旅人を歓迎しないのがホテルであり観光旅館である
それで私は旅したとしてもそうしたホテルとか観光旅館が多いからそういうものが嫌いだったのである、そういう場所は金持ちしか歓迎しないからである
それはどこでもそうだが江戸時代ならそういうことはないのである
おんな貧乏だから安く旅人を泊めていたのである

結局時代によって失われるものがある、それは絶対に返ってこない、再現できない
時代は再現できない、芭蕉の時代を再現できないから芭蕉のような俳句はもう作れないのである、つまり人間社会は得るものがあっても必ず失うものがある
だから人間の幸不幸など計れないのである、縄文人が不幸だったともいえない
そこで自然に驚嘆して日々生きていたのかもしれない、もちろん苦しんでもいた
ただその時代時代に感じるものが違っていたのである

ともかく現代とは人間の五感が消失してゆく時代である
膨大な映像時代になっているのもそうである、でもその映像を見て本当に人間の五感で感じるものを得られるかとなると得られないのである
その壮大な空間をテレビの画面では4Kでも8Kでも再現できないからである
人間は原始的な感覚をかえって機械化で喪失している
何か写真をとればそれで自然を感じたように錯覚しているのである
それは参考になるにしても五感で感じるものとは違っているのである

そこで現代では俳句とか短歌とかそうした五感で感じるものが衰退している
膨大な映像時代でありそれに圧倒されているからである
映像によって自然でもなんでも感じたとなるからである
でも実際は感じていないのである、感じることができないのである

ただそうはいっても機械をすべて否定はできない、今度買ったE-BIKEは走り自体が違っていた、だから軽快にどこでもすいすい走れる、自転車だと風でも感じるし五感で感じるから世界が広がった感じになったのである
自転車でもやはり遅いとすいすい走らないと行動しにくいのである
でもバイクだとはやすぎるのである、ただ車と違ってバイクは風は感じる

それで霊山から相馬市の方に下ってくると海から吹いてくる東風を感じる
その時山から海に近づくのを肌で感じるのである

東風(こち)吹くや相馬市に向かい山下りぬ

霊山から下りくると東風(こち)を体で感じる、その時相馬市に帰ってきたとなる
海の方に向かっていると感じる、それはいつも海側に住んでいるから余計に感じるのである、海の見えない地域では東風(こち)でもまた違ったものになる

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ

 右大臣菅原道真の歌でも東風(こち)は山から吹いてくるのである、京都は山に囲まれているからである、東山があるごとくその感覚は海側とはまるで違った感覚になるのである、それで会津は広いし方角がわからなくなった
 それは周りが山に囲まれているからそうなったのである
 ただ日本海になれば海に面していても風は違ってくる、だから風は場所によって違って感じる、だから風土だとなるのである、その土地の風土は土だけでなく風によって感じるのである


2019年03月16日

春の日に多珂神社近辺をたずねる


春の日に多珂神社近辺をたずねる


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多珂神社

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紅梅の朝に匂いて鳥の来ぬ近くに椿赤く映えにき

日々ここを通りて匂う梅の花さらに匂いのましにけるかな

参道の苔むし静か春日さし狛犬久しく守りいぬかも

綿津見の神社のありて海望む春の日さしぬ丘の上を行く

羊歯生えてここに根ずきぬ古木かな南方の木なり春の日さしぬ

隠されて古き墓あり林中今日我たずね春の日暮れぬ

木の切られその根の残るこの家の古きにあれや椿の散りぬ


多珂神社の近くに綿津見神社がある、とにかくこの辺では綿津見神社がなぜこれほど多いのかというのが謎なのである
多珂神社は近江にある多賀神社由来だというのはわかる
綿津見神社は安曇氏の神だとしても安曇氏という名前も聞かないから不可解なのである

綿津見神社となれば海に望む場がふさわしい、でも飯館村にも綿津見神社はある
海から山へと移動している、神社とは移動するのである
例えば山の神社が海の方にも移動する、山津見という地名が松川浦にあるからだ

いづれにしろスダシイの森があったがそれも南限の地として南方系の木がここに繁茂していた、それは車輪梅が南限の地として海老村に自生していたことでもこの辺が気候的に南方系の植物が自生する限界の地だったのである
それで真野の草原(かやはら)はそうした境界線として奈良の都の人たちに意識された場所だったのである
                 
何かこの辺では放射能汚染の関係で木が切られている、それも大きな木が切られている
家の周りの木が切られている、何かそれも残念に思う
屋敷林ある家は古いからである 

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この説明の碑は何なのだろうか?こうなると記念碑である
看護婦になった動機がここに記されている
墓とは記念碑なのか?そもそも墓が何なのかわからないことがあるのだ
記念碑となればこうして記しておく、でも記念碑として残されるのは何か特別にその土地でもどこでも功績のあった人であり普通の人はこうして記念碑を建てない
そもそも墓が記念碑なのかとなるとこれもわからないからだ
記念碑となれば記念碑だらけになってしまうからだ
そもそも墓参りするのはその家のものとかその家系に連なるものである
一般の人は他人の墓参りなどしない、私が墓を見るのはそれは土地の歴史を知るためである、ここが江戸時代からあったのかと知るためなのである






2019年03月09日

春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道

  
春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道 

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大倉

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枝が折れた木
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これはアカタテハなのだろう

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樅の木の若木

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蛇のようにからまる蔦と樅

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佐須の峠より吾妻連峰―クリック拡大



霊山から見える残雪の吾妻連峰


初蝶や樅の若木の育つらむ

初蝶の崖に動かぬ一羽かな

初蝶を山の奥所に二羽見たり

猫柳山の家一軒残りけり   

東風吹くや相馬市に向かい山下りぬ

滝一つ山にひびくや芽吹きかな

山下る春田に流れひびくかな   

三本の松の残りて春の暮


さえづりの山にひびきて渓流にそいて上るや残る雪かな

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の二本春日さすかな 

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の若木のここに育つらむ

瑞々し若木生い立ちさえづりの高鳴りひびき山を登りぬ

痛々し枝おれし木や山の奥春の日のさしてやわらぎにけむ 

蕗の薹はやいでにけり飯館の山の奥所や沢のひびきぬ

春日さす道そ遠くも来たりけりなお住む人の家しありなむ  

ここにありし家はなきしも春日さし何をしのばむ飯館村に

残雪の吾妻嶺望む我が越えし佐須の峠や伊達に入るかな

残雪の吾妻嶺光る霊山を我が登りてさえづりひびく

霊山の高きにさえづりひびくかな吾妻嶺望み残雪光る 

(山津見神社)

岩にふれよじりのぼりぬ隠されし社の一つ春日さすかな

隠されし社一つやよじのぼる岩場の道去年の落葉踏みて下りぬ

玉野村昔の道に古き家去年の落葉踏み春の日通りぬ 

サイクル者走り来たりぬ春の日や若き等の命燃えにけるかな 

月光りなお我家のありにしや夜梅におい帰り来たりぬ  


大倉から佐須へ霊山と最近買った自転車で行った
失敗は8万で買った一眼レフのカメラを落としてだめにした、直すと3万以上かかるので買えなくなった
新しいのを買った方がいいからだ、今度の自転車の弱点は荷物をのせられないことだったのである
もう一つの一万のカメラもこわれた、これはいいとして8万だとかなり損だった
そのカメラはほとんど使っていなかったからだ、何か高く買ってもロードでも使えなかった
カメラは落とすと使えなくなる
自転車が動くから落としやすいのである

大倉には家が残っているからそこで猫柳が映えている、家がなくなると何か映えないのである
そこは自然に帰るというものでもない、荒地化するのである
大倉とか佐須には家は何軒か残っているのである                      

前に詩にした日本の樅の木はここだったと思ったがはっきりしない、こんなふうに見えなかった
その時秋だった、何かそうして実景でも心の中で見ることがあるから実際は違っていることもある
樅の木が新しく水々しい葉で育っていた、何かそれが新鮮だった
つまりこれもここに新しく育つ命であり人間に見えるからである
人間が住んでいればどこでも人間化するのである
そこが原生の自然とは違っているのだ
だから人間が住まなくなるとそこが一段と淋しくなるのである

佐須の峠を越えると残雪の吾妻嶺が見える、ビューポイントである
でも写真はとれなかった、紹介したプログの写真を参考にしてください

それから霊山を下ると小さな社が二あった、玉野にあったのは若木神社と愛宕神社と八坂神社である
八坂神社は多い、これも渡来系だというが浜通りなるわかるが山の方まで古代に来たのかともなる
玉野の伊達と相馬の境にある集落は古い、宿場町だと土地の人が言っていた
確かに古い家がありそれから昔の道に古い碑がある、元禄の碑とかあり古いのである
ただに西玉野とかあり昔は笹町と言っていた
西玉野の方なのか?そこは戦後開墾に入った集落があるという
そこで酪農で牛を飼っていた人はそうして戦後開墾に入った人だった
その人の妻はフィリンピン人だったのである
それから浪江の津島で妻が都会に出たいと夫を襲ったのは中国人の嫁だったのである
要するに日本人の嫁が来ないからそうなったのである
別に街にも外国人の嫁は来ているのである、それだけ嫁がいないからそうなっているのだ

そこから下り途中に鳥居があったから上った、そしたら岩場をよじのぼりそこに小さな社があった
隠されるように合った、それは山津見神社だった、おそらく佐須の山津見神社の分社なのだろう
今回の短歌のテーマは去年(こぞ)の落葉である
何かその去年の落葉を踏むということはこの土地に住んでいるからこそである

そして相馬市に出ると帰りは五本松を通る
そこにはもう三本しか松が枯れてないのである
でも何かそれが人間に見えるのである、松は人間に一番親しい木なのである
杉とか樅の木は人間には見えないからである
何か三人人が待っているという感じになる

家に帰ると誰も待つ人がいない、何か一人になってから家もなくなるんじゃないかと不安になる
そもそも誰も待っていない家というのも不思議なのである
ただ家が待っているというわけにはならないからである
まあ、警備してくれと親しい人には頼んでいる
ただそれも頼りないことはある、でもいないよりはいい

新しい電動自転車は楽である、ただ荷物がのせられないこととスタンドがないこととそういうものが長距離になると不便になる
カメラを落としたのもそのためだった、だから使いこなすにはそれなりになれる必要があるのだ








2019年03月08日

梅匂う日々(災いないことが幸せ)


梅匂う日々(災いないことが幸せ)


日を重ね濃厚に梅の匂うかな今日も通りて夕ぐるるかも

馥郁と梅の匂いて山鳩の今日も来たりて事のなきかも

山里に老梅匂い家古りぬ昔の暮らしここにありなむ

春日さす姉母死しても我が家かな災いなくもここに暮らさむ

事もなく石にありなむ春日さし老いにし日々をここに過ごさむ
                                            

結局人間は災いがないことが平和だったのである
とにかく一身上でも津波原発事故でもこれほどの災いはなかった
もう本当に消耗したとなる、気力もなくなる
まず人間の一生で災いがないなどありえないのだ
だから火宅の世なのである
だから何も事がないことが平和なのであり何か退屈だなというときその時は平和な時なのである
現実は何か必ず災いがありそれにみんな苦しんでいるのである

だからいろいろあっても江戸時代が戦争がなくなったことで300年平和だったことは奇跡的なことだった、絶えず戦争が世界では起きていたからである
20世紀は戦争の時代だったのである

ともかくこれだけいろいろなことがあればもう何も事件が災いが起きてくれるなとなる
でもこの世から災いがなくなることはない、だから災いがないことこそ平和だとなる
津浪や原発事故が大災害だが常に災いは起きてくる
それはニュースを見ればわかる、災いは絶えることがないのだ

老後は意外と家が大事になる、そこがくつろげる場所として終の住処として重要になる
そうして家族はみんな死んだけど家に住んでいられるから幸いだとなる
だからそうして住み慣れた家を失うことは相当にショックだったのである
タグ: 梅匂う

2019年03月03日

フラワーアレンジメント(孟宗竹と花)


フラワーアレンジメント(孟宗竹と花)


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二本の柱のごとし孟宗竹その間に飾る春の花かな


これも苦労して自作した、フラワーアレンジメントは花だけの要素ではない
壺とかバックとか関係している
例えば茶室だと花を生けたとしてもそれは一部である
それは全体の中でまた活きる

フラワーアレンジメントは最近していなかった、一年くらいしていない
結局これも手間なのである、そして金もかかる
家事からなにからとても人間いろいろなことに手が回らない
ただ孟宗竹は好きであり今は一人だから好に家自体をアレンジできるのである

つまり芸術はアレンジなのである、私が抽象画を他者の写真なり絵を加工してアレンジしているのもそうである
芸術とはアレンジなのである、花を飾る舞台を作ったからまたフラワーアレンジメントをしてみた
ただ写真ではうまくとれなかった、暗い場所だからうまくいかてかった
写真を結構むずかしいのである

2019年03月01日

春の山鳩


春の山鳩

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春の鳥盛んに飛び交い呼び合いぬ

山鳩の十羽遊びぬ春野かな

街の上いづこに飛ぶや春の鴨

餌ねだる猫来る家や春の昼


今日もまた梅のにおいて山鳩の来たりて去りぬ事のなきかも

春日さし桜井古墳の大きなる主の二人やここに眠りぬ


山鳩は平和の象徴である、それが春野に十羽くらいきていた
その野というのが津波の跡でまだ田んぼになっていない所だった
何かまだこの辺はそういう所がある
ただ田んぼがないというときそこは本当に原野になってんるのである
ただまだ春草が生えたり花は咲いていない、そこは放っておくと花野になる
何かそういう光景をこの辺では津浪の後に見てきた
それもいいなとかなるとしかられるが野というとき田畑でもない
原野のことだがそういうのは日本では平地にはあまりないのである

ただ震災から8年もすぎとるとやはりいつまでも津波のことや原発事故のことを忘れられないにしても元の平和がもどってほしいとなる
いつまでもそれをひぎつっているのも問題だともなる
そういわれなくても人間は何でも忘れやすいのである
人が死んだとたんその人はあいまいな存在になり忘れられてゆく
ただそうはいってもあれだけの津波とかの被害はひきずる
実際に被害にあった人はそういう光景が頭に焼き付いて離れられないとないとなる
こうした巨大なさいがいは何百年一回なのだからやむをえないとなる

梅が匂う、山鳩が来る、それはなんでもないことだけど平和を感じる
一身上でももう人間とは思えない狂気のような人が来て自分の家はずたずたにされてきたからである、人間恐怖症にもなった
その人間のあまりのひどさにただ唖然としているだけだったのである

桜井古墳の不思議は二人の木棺があり二人が葬られているという
それは何を意味しているのか?
何か二つの勢力があってそれが和解してここを治めた人が二人が眠っているのか?
そういうことはありえる、それは自分の家でもそうだったからである
二人がいてこの家を支えて栄えさせたからである
ただ二つの勢力が争ってそれが和解して一つの古墳に収まったのかともなる
とにかくあの桜井古墳は大きいから頼もしいとなる
やはり何かそうした標しになるものがないと古代でも歴史を感じられないのである
鹿島区の古墳は多いのだが小さいから見応えがないとなってしまう

猫は隣の家に5匹くらい集まっていた、それを見ていると面白いとなるが猫の問題は増えすぎるのである、餌をやると増える、それで地域猫として地域の人が協力して飼うことをしている所がある、猫の数も去勢して調整している
ただそうなると誰が金を出すのかとめんどうになる
野良猫は何かいたずらされて傷つく、私の家の猫も尻尾を焼かれたのである
それからビッコの猫がいる、片方の足が使えないのだか結構早く動くのも不思議である
その猫をねらって黒い大きな猫が襲うのを見た
猫には相手が身体障害でもそんなことかまわない、同情がないから獣だとなる
猫は何か観察していると面白い、猫は無邪気である、動物でも人間のように邪心がないから欲がないから癒されるとなる
餌をやれば後は何も要求しないからである、人間はあまりにもいろいろなことを要求しすぎるのである、子供すらただ財産を欲しいというだけになっているから猫に財産を残したとか犬に残したというのも理解できるのである

ともかく今日はあたたかく外出するのにはいい天気だった


2019年02月26日

松川浦の春の俳句と短歌(写真)

松川浦の春の俳句と短歌(写真)


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残雪の蔵王が見える

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百間橋

川添の森の塩釜神社

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和田の浦
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船越観音の錨堂の錆びた錨

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新しい喫茶店
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ホシカレイ

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磯部の高台から夕べ見えた蔵王

すべてクリック拡大できれいに見える



蝋梅や蔵ある家に映えにけり

春の日や百間橋を渡りけり

広々と海の開けて東風吹く

巌に松根を張り望む春の山 

椿咲き船越観音にもうでけり

錨堂いわれを語り落椿

新しき喫茶店より望む春の山

のどけきや魚を待ちぬ釣りの人

春の日や星カレイを釣りあげぬ

船無事に帰るや山に春陽没る


釣人に平和もどりぬ松川浦沖行く船に鴎飛ぶかな

津波にも残れる松に春日さす沖行く船の二三艘見ゆ

大平洋東風(こち)吹きわたり残雪の蔵王望みぬ山形思ふ

川添の森の社を守れるは狛犬二頭春は来たれど

長々と春の夕映え松川浦平和もどりぬ我が帰るかな

夕影に蔵王の姿磯部より大きく見えて春の日暮れぬ


宇多川の河口から残雪の蔵王が見えた、そこから百間橋を渡り川添の森に入る
そこに塩釜神社の社があった、なぜこんな森の中にあるのか海岸沿いにもある
宇多川にそってあるから川沿いの森となった
これを見たらこの短歌がぴったりだった

松の風夜晝ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に 石川啄木


夕風の光も清き川添のもりて涼しき秋の初風

もりて・・とは森のという字なのか?光がもれるからなのか?
ここに森がなかったら変である 

松川浦は和田の方から見ると違って見える、あそこは奥になっているから意外と津波で松は枯れていない、第一そっくり松が残っている
津波はともかく地形の影響が大きいのである、前に山があるのも影響したのだろう
ここまで来て津波の勢いが弱まったのだろう
ただ塩水を被るとたいがい松は枯れているが枯れていないのである

船越観音とか錨堂は松川浦で海らしいもので見ていた方がいいとなる
貝殻地蔵などもそうである

この新しい喫茶店と軽い着るもの売る店はできて二年くらいらしい
最初貨物車両とか利用した簡単なものだと見ていたが中に入ると鉄で作った立派なものである、だからこれは結構金がかかっている
ただ問題はコーヒー飲むにしても座る場が5つつくらいしかない
ゆっくり休めない、でも立地はいいのである
春の山も見えたし前が浦になっている、ただ今は潮が引いている時期で水が少なく干上がっていた
380円のコーヒーだけど立地がいいし休む場がないのでそこで休んだ
今は喫茶店だけではコーヒーとか飲み物だけではやっていけない
だから喫茶店専門の店は旅をしてもなくなっているのである
それで軽い着るものを置く方が広いのである
でもちょっと休憩するにはいい場所だと思った

それから埠頭では魚を釣る人をみかけた、ホシカレイを釣ったところだった
これは高級魚でありなかなかとれないものだった
鰈の種類も多いのである、そこで魚の話を聞いて面白かった
親潮の魚はうまい、黒潮の魚はそれほどでもないとなる、カツオなどは黒潮だということはわかる、サンマは親潮であり一時水温の関係でサンマの群れがよってこないとか騒いでいた
とにかく海の世界は広いということである、黒潮は与那国島から流れ出して日本に流れるあの辺ではトビウオが飛んでいた、海の世界はやはり沖縄とか南である
私は日本全国をほとんど行っているし特に最初は船旅をした
東京から一週間かけて貨物船のようなもので行ったことがあった
今は出ていないだろう、そういうふうに旅は時間がかかる、だから金があるだけでもできないのである、まず船旅は時間がかかるからである
ただ船旅は体力的には楽だから世界一周でも高齢の人でもしているのである

ともかくのどかな光景がもどったとはなる、ただ潮干狩りができていないのは観光的には打撃である、また海岸の松がすべて消失したことも景観的には殺伐としたものを感じる
それでも春の夕映えを浦に写ししていて写真を撮る人が何人かいた

それから磯部の高台を回ると蔵王が大きく見えた、宇多川の河口からも見えた
磯部からやはり一番大きく見えるのである
雲一つないからはっきり見えたのである、蔵王は雲がかかると見えないからだ

写真を連続的に見れば臨場感がでてくる、今の時代は写真が欠かせないのである










2019年02月23日

紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)

  
紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)



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萱浜の新しい墓地

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春北風(はるきた)に向かいて走る新自転車

海近く桜井古墳に東風(こち)吹きぬ

山鳩の飛ぶや回りぬ故郷を

萱浜に墓地のみ残り雲雀鳴く

春日さしのっそり見つむ牛の顔

紅梅や泉の跡に観音像   
             
春の日や砂に遊ばむ沖に船


昨日一昨日は春北風(はるきた)だった、春の光があかるいが春北風(はるきた)がふきつけた、でもやはり春である、それで自転車で走るのも軽快である
今度の自転車は軽快に走るから気持ちがいい

桜井古墳は海に近いから一時東風(こち)が吹いた、今頃になると東風が吹くようになるそのために原発事故で爆発したとき放射性物質をふくんだ雲のブルームが飯館から福島市に流れて大被害になったのである、どうしても東風が吹くとそれを思い出すのである

萱浜には墓地しか残っていない、それもみんな新しい墓であり
前のように江戸時代の墓が残っていない、墓誌にも江戸時代のものがない
だから昔を偲ぶものがなくなったのも淋しい
やはり墓も歴史の記念のようになるから古いものが残っていれば価値がある
墓でもそうだが神社でも古いと価値があるとなるからだ

泉の酒が湧いたという泉長者の井戸の跡から11面観音像のある辺りはこの辺では古い文化の歴史地帯だともなる、そこに紅梅が咲いていたのはあっていた
あそこも高台にあるということは古い場所は津波からまねがれた
何か古い場所には意味がある、萱浜はもともとここも湿地帯だったからである

金沢からは沖に船が見えた、砂浜があり子供でも遊べば活きてくる、あそこは前にさえぎるものがないため津波がもろに襲い被害が大きくなった
火力発電所は壊れないにしろ被害が大きかったのである
前に全くさえぎるものがなかったためである

とにかく春である、遠出するにはいい季節となった