2024年02月24日

亡き姉と母を偲ぶ短歌十首−癒されない別離の悲しみ―報いのない死者への愛 【死者が真夜中に残っている雪のように見えた】


亡き姉と母を偲ぶ短歌十首−癒されない別離の悲しみ―報いのない死者への愛

【死者が真夜中に残っている雪のように見えた】

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この世にそ何故逢うや人死ねば永遠に逢わざるそを知るべしかな
別れてそ永遠に逢わざる寒きかな姉と母とを想いて悲しも
姉と母今はなしかも我が一人大き家継ぎ寒き夜かな
姉と母死して慕いぬその想い尽きぬものかも我が一人かな
世間とは冷たきものと身に沁みぬ姉母なしに寒き夜かな
遺影にそお茶を献ぐも答えなし大き家に一人寒き夜かな
姉と母今はなしかも夜の更けて冷たく雪の残りけるかな
夜の更けて冷たく残る雪白し死者を想いぬ我はいねにき
我が家に姉と母との争いぬそれも昔や今は淋しき
悲しかな姉の暴るは病なり母苦しめど許すべきかな
家々に悲しみのあり寒きかな貧に病に争い尽きじ
人と人傷つけあうや何故にカルマは消えじ世の終わりまで

●人は死ねば二度と会えないのが深刻―癒されない悲しみ

姉にしても死んですでに13年くらいすぎた。母は母は八年過ぎていた。これも早いと思った。でも私の場合悲しみが尽きることはなかった。なぜなら人間は一旦死ぬと永遠に逢いなくなる。それが深刻なのである。どんなことしても人が一旦死んだら会えなくなる。それは不思議なことでもある。
もし自分が死んだら別に自分自身は悲しいとか苦しいとこあってもそのこと自体自分自身の消えてしまえば終わりである。でも愛する人が死ねばその人とは永遠に会えないのだから生きている限り悲しみは続くとなる。要するに悲しみが癒えるということはないのである。恋とは死者への愛だという、折口信夫は恋は乞うであり乞い願うだとなる。確かに現実生きている人ではなく死んだ人ならいくら乞うても会えないから深刻になる。

ただ時間がたてば忘れていくということである。でもなぜかこれだけの月日が過ぎても忘れられない。それは私の場合特殊な事情で60年間も一緒にいたからかもしれない。親から離れて暮らしていればこうはならなかったかもしれない。
とにかく死んだ人は二度と会えない。それは本当に厳粛なことだった。どんなに会いたくても会えない。それを考えれば合っている時共にいる時そのことはどれほど貴重なものだったかと振り返る。
でも人間は一緒に暮らしているにしろ会うにしろ会うにしろあうそれがそんなに貴重なものだと思わない。それより争っている不満な人が多いのである。私の家でも別に愛しあってるとかではなかった。常に争っていたのである。でもなぜか一緒に暮らしていた時間が争っていても憎みあっていても一つの家族となって暮らした時間が長いことで家族となっていたのである。

最後は実際に姉はは認知症になり母に暴力を振るった。それはあまりに悲しいことだった。それからの自分の家は本当に悲惨だった。そのことこれまで書いてきた。同情する人もなくただ一人自分自身が面倒みるほかなくなっていたのである。確かに介護というのは苦しい。でもなぜ死んでからもっと良くすればよかったとというのはやはり人は死んだら二度と会えなくなることである。それで死んだ後に後悔するのである

いずれにしろこの永遠の別離の悲しみはいやされないのである。それはは絶対に会えないからである。会えないからこそまた余計に思いが募るのである。ただ別に二人が優れた人に同情する人とも言えない。でも家族というときは別なのである。特に私は良くされたからそれも60年間も一緒にいたことがほかの人とは違って強い思いが残り続けたということである。

ただなぜか涙も出なかった。前は泣いていたのである。やはりそれが時間がそうさせたのである。どうしても人間には時間の作用がありそれで心も変わってくる。とても愛が消えることがないというとき時間の作用にも変わらず愛があるとなる。それは愛する人が死んだとき永遠に会えなくなるから余計にそう愛は変わらず作用し続けるのである。ただ愛したからといって何の答えもないのである。

●死者への愛とは何なのかー返答も報いもない

でも愛は消えることなくあり続けるので死者に何ら返答がなくても愛されなくても一方的に愛は継続される。何か人は会いと言っても愛するというという時必ず相手に対してその何かしてくれる何か与えてくれるということを望むのである。でも死者は何か与えてくれる何かしてくれることはもうないのである。だからお茶を捧げても何の返答もないのである

それで何か虚しく徒労に思えてくる。キケルゴールがが死者を愛しなさいというとき本当の愛は相手が何かしてくれる何か与えてくれるそういうものではなく何も与えてくれなくても愛し続けることが愛だとしている。それが死者への愛に現れるとしている。
確かにそれこそ相手に何も期待しないから報いを望まないから本当の愛だとなる。子供を愛するにしても何か必ず親のためにしてくれるということがある。何かを期待するのである。死者に対してはもや何ら報酬も得られないのである。ありがとうとも何の返答もないのである。猫すら餌を与えれば喜んでいる。それも全くないのである。
だからそれは相当に難しい。なぜなら何か与えたら何かもらえる何かしてもらえるとなっているからである。恩とか義理人情とかでもそうである。何かを与えればしてやればそれが恩になり返さねばならない。でも返さないとしたらその人は責められるのである。

ともかく愛といってもニ三人の愛は可能である。そのくらいだと家族の愛になる。でも十人とかなればそこに愛があるあり得るだろうか?それが百人千人万年増えていけばそういう人たちを愛するということはどういう風になるのか?
そこにはすでに愛はなくカルト教団のように会員を増やして操作してこの世で力を持つというだけになってしまうだろう。たとえ愛といっても会員を増やすということを目的にすれにこの世で力を持つことだからである

現実は何か与えればそれで与える方で必ずしも何も与えられないとしたらどうなるのか、現実に自分が経験しているその人はいくら与えても必ずしも自分が困ることはあっても何もしないとなったらどう思うだろうか?でもそういうこともありうる。いくら与えても何の報いもないとしたらそれはなんなのだろうともなってしまう。理想的にはそう言えるのだが現実となるとまた難しいのである

だから死者を愛し続けることはいくら愛している人のことでも難しいと思う。また別の人を愛するようになればおのずと死者のことは忘れられるのである。ただなぜか私は死者を思って悲しくなったのである。でも涙が出ないということはやはり時間が経てそうなったのかもしれない。なぜまた姉と母をまた思ったのかとなると死んでから自分が相当ね世間の冷たさを知り苦しんだからだと思う。

●家族がいないことの悲惨ー悲しむ者である人間

そして家族がいないということはどれだけ苦しいことか悲しい事か知ったのである。それでが親に捨てられた子供のことどれほど苦しいことも思うようになった。そのことはなかなかわからないだろう。ただ私の兄は父親が死んで私の家に来ても愛されなかったから辛いことだった。だから私はそのことで心の痛みをいつも覚えていたのである。ただその後もさらに不幸でありその娘からも捨てられた。交通事故で死んでも墓参りにも来ないからである。それはやはり同じように娘を捨てるようなことをしてしまったからである。それもカルマだったのである。なんだかこうして常に人間はカルマを背負い苦しむようになっているのである。

何か冷たい雪が夜更けに残っていたがその雪がまるで死者のように見えたのである。冷たくなって死んだ死者のように見えたのである。やはり死者になればどんな人であれこの世からこの世の欲が消えて妄念も消えて雪のように白くなって見えるかもしれない。
つまりカルマから解放されたのかもしれない。母の場合は眠るように死んだがただ姉の場合は認知症になり悲惨な死に方であった。それもやはりカルマだったのかと思う。人間はいずれにしろカルマから解放されない限り平和はありえない。人と人が争うのも国と国を争うのもカルマなのである。そのカルマは消滅しないのである。

それぞれの家にもカルマがあり苦しんでいるのである。その苦しみはただ貧困だけではないさまざまな家の事情があり解消できないのである。何か社会的にも解消できない。例えば障害者を持った家庭は大き苦しみを背負いその苦しみから解放されない。ただ死んだとき解放されるとなる。ただ一生迷惑を迷惑かけて人生きたということはどういうことなのかそれもよくわからない。

なぜ悲しむ者は幸いであるとキリストが言ったのか?その涙は拭われると言ったのか?愛する人が死んだときまた会うことができるのかそれもわからない。ただ天の国で愛する人はもはや別れることはない。それは確かである。愛する人は必ずしも家族ではない。神に選ばれた人たちでありその人たちは永遠に結ばれて別れることはない。家族といっても結局は死ねば別れることになる。
でも天国でわ死ぬこともないし別れることもないのである。そういう悲しみはもう無いのである。ただそこでは家族とは違って肉で結ばれたものとも違っている。だから現世の家族とは違ったものでありそれを永遠の家族だとなってしまう。それは神の家族であり永遠に別れることはないのである。

ともかく寒戻るであった。この寒さは影響してこういう想いになったのかもしれない。季節ごとに天候ごとに何か人間は感じることが違ってくる。特に日本人は四季の変化の中でその傾向が強いのである。だから寒々として夜更けて残っている雪が死者のように見えたのである




2024年02月18日

蠟梅と家の詩ー老人は家が大事になる 【少年老い易く学成り難し―本は理解しないと読んでも無駄】

蠟梅と家の詩ー老人は家が大事になる

【少年老い易く学成り難し―本は理解しないと読んでも無駄】


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蠟梅長寿の家

蠟梅百歳間
野鳥来花啄
大工熟練技
家修理庭整
石黙災厄避
口慎生養深
虚飾排素心
祖親供養厚
苦労偲感謝
自家栄成継
温和福徳家
貧者家産分
故郷協働友
自然意神意
考究深化昭
隠棲居安定
余生静観務
万巻書貯蔵
学問研鑽進
心不乱成就
長寿尽学事

我が母の百歳生きて
その部屋に我がありぬ
庭に蠟梅咲きて
野鳥の花を啄む
大工が家の修理して
我が家の庭を整える
庭の石は黙して災い無し
口を慎み生を養い
虚飾を排して素心を保つ
死者となる親の苦労を偲び
我が家の栄を開け継ぐ
温和にして福徳あり
近くの貧者に家産を分け与え
故郷に協働すること願う
自然の意を神の意を
究めて明かにする
隠棲の住まい与えれて
余生は閑静に自然を観て
その意を深く究める
千巻の書のあり自宅で学問奨む
心乱れず成就する
学ぶこと尽きず長寿の世の良し



少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

「Art is long, and life is short.」はことわざと同義
「少年老い易く学成り難し」と同じ意味合いを持つ英語の言い回しとしては、「Art is long, and life is short.」をあげることができます。

「芸術の道は長く、人生は短い」という内容で、芸術の完成には長い時間が必要だが、それに比べると人生は短いものであるということから、時間を惜しんで精進せよという教訓として用いられています。

「The day is short, and works is much.」は「日暮れて道遠し」
「The day is short, and works is much.」を直訳すると「1日は短く、仕事は膨大だ」という意味です。


人間は人生は長いと思っている。でも老人になれば誰でも時間は過ぎるのが早かったと思う。それで40歳頃にその時間の短さを感じるのである。あれ40歳になったのか白髪も出てきたのかとなる。時間が長く感じるのは20代までだろう。それから時間が過ぎるのが早くなる。ある意味で加速度的に速くなり老人に向かっているとなる。それは40ぐらいで感じるのだから人間は限られた短い時間を生きているということを自覚させられる。

なぜ少年学成り難しとなるのか。この年になってつくづく思うことは本を読んでもそもそもが理解していなかった理解できなかった。本は膨大にあってもその中身を理解していなかった理解できなかったのである。理解するとは自分なりに解釈して自分の文脈の中でその著者の本を利用したとき理解したとなるのである。だから著者の本を生かすということはその人が理解力をすでに持っていなければ生かすこともできない。それが読書の問題だったのである。

私の母は百歳生きた。今私がいる部屋で私が介護したのである。だから百才の間と名付けた。人生百年時代というときその時間どう理解どう使用するのか問題になる。その時間を持て余す人もまた多い。みんな別に学問をしているわけではないからである。でも学問というのはつくづく理解するのに時間がかかる。特に日本であれ外国であれ古典となっているものを理解することは容易ではない。だから本は買うことはできるでも理解することが簡単にできないのである。
だからすでに70過ぎてから私の場合読んだ本理解してするようになったとなった。だから遅すぎたのである。大器晩成などというかやはり早い時期から理解できれば学問でも大成するとなる。

私は大学時代をほとんど勉強していない。三流の文系私大であり授業にもまともに出ないし何もほとんど学んでいない。ただカルト宗教に団体に入って時間を虚しく費やしたとなる。大学という場所はただ暇だけが時間だけが与えられそれを活用できなければ何も身につかないという場でもあったのだ。
そもそも学問とは自発的な興味とか自発的にしなければ身につかない。だから私が一番勉強したのは大学を出てからである。そしてなぜ私が旅ばかりするようになったのか?それは大学を卒業して職にもつかず流れ作業のような仕事ばかりさせられてそのそのことで嫌になって引きこもりになった。
ただ私の場合は家に居るというだけではなく旅をしていたのである。そこから地名とか地理に興味を持つようになったのである。それが私の学びの始まりだったのである。

とにかく私は家族に恵まれた結果としてそういう生き方もできたのである。だから私は人一倍親に感謝しているのでは。こうして老人になっても別に生活にも困らず家も与えられて独学であれ学びを継続していたのである。
ただ残念だったのは田舎であり自分の探求する本が買えなかったことである。やはり独学となるとどれだけ本を読めるかにかかってくる。ただそれでも本を読むこと理解することはできないから無駄にもなる。

ただ今になると確かに理解できるから前とはは違っている。それにしても遅すぎたということである。なぜならもうすでに死ぬ時期にも入っているからである。ただ百才生きる時代になると別に70歳からでも学問を進めることができる。これまではそんな悠長な時間はなかったのである。

漢詩もどきものを作ったが何か日本人は中国の文化から離れてしまった。とはいえ漢字そのものは中国文明を取り入れてこそ漢字があった。だから漢字というものは重要なものであった。でぼ西欧化してヨーロッパのことばかり学ぶようになった結果中国は遅れたものとなりそれで中国について学ぶことが少なくなってしまったのである。確かなことは日本人は中国文化について文明について深く理解していた。なぜなら日本人でも漢詩を作った人が多いからである。その漢詩でも明治時代に一番興隆したのである。

その理由は江戸時代に日本人の学問の基礎にあったのは儒教を元にしていたからである。その儒教のことはよくわからなくなったのである。でも武士道でも儒教を基にしたもであり日本独特のものでもなかった。戦後も儒教のこと基本に勉強していたのである。江戸時代の基本の学問とか倫理教育とかでわ儒教がありそれが武士道に発展した。でも儒教でも授業でも武士道でもそれが何か忘れられたということもある

人間は勉強する時家が大事になる。子供の頃は一冊の本も置いてなかった。それで自主的に興味を持って勉強することができなかった。その時読んでいたのは漫画だったのである。その漫画でも借りて読んでいたのであり家に備わっているわけでわなかった。勉強と言う時やはり家に勉強するものが備わっていると有利である。
なぜヨーロッパで天才が多く出たのかというと貴族でありその家に勉強教える言葉があり家庭教師を雇っていたので学校とは違っていたからだと思う。そこで一律的に同じことを教えるのではないからである。

勉強する環境としては都会の方がいと思えるが自然の意神の意を知るには田舎の方がいい。知的作業でも自分の家があり書斎がありそこで探求できるのはいいのである。今はインターネットが書斎ともなるから図書館ともなるから有利な面はある。でも依然として本は専門的であり本を読まないと学問は進まない。

とにかく長寿で有利なのは70歳からでも学ぶことができこれまで学んだことを深化させるということができる。この世で知らないことはいくらでもあり理解できないことはいくらでもある。グローバル化するとその知識天文学的になり理解できなくなる。でも長寿になればそれだけ長く生きるのだから理解できるようになる。これまで理解しないことが必ず理解できるようになる。理解するということは未だ時間のかかることなのである。だから現在は長寿社会になりマイナス点もあるがそういう点では有利なのである


My mother lived to be a hundred years old
I am in her room
In the garden the wax tree is in bloom
Wild birds pecking at the flowers
The carpenter repairs the house
My garden is in order.
The stones in the garden are silent, no harm comes to them
Be careful what you say and nourish your life
Keep your heart pure and free from falsehood
Remembering the hardships of our dead parents
Open the door to our family's prosperity
Be gentle and virtuous.
Share my family's wealth with the poor nearby
I wish to work together with my hometown
To study the will of nature and the will of God
I will study it and make it clear
I have been given a place to live in seclusion
I shall spend the rest of my life in peace and quiet, watching nature
I shall deeply investigate its meaning.
There are a thousand books to study at home.
I shall never be disturbed and I shall attain fulfilment.
There is no end to learning, and long life is good for the world.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2024年02月15日

白鳥去るー雪野の白鳥の詩


白鳥去るー雪野の白鳥の詩

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白鳥の隊列組みて朝清しシベリアにそ一路帰りぬ

ハクチョウの渡り シベリアへ渡る2つのルート【写真】

今朝いつものように真野川の土手の道を自転車で行くと川に白鳥がいなかった。でも突然後ろから白鳥が隊列を組んでとん遠くに去った。あのように空高く隊列を組んで飛ぶのは観ていない。だから近距離を飛ぶのと遠くへ飛ぶのは違っている。一瞬写真を撮ろうとしたがその時は飛び去っていった。

最近昨日昨日でも春のように暖かくなったからシベリアへ帰るのが早くなったのかもしれない。シベリアに行くにはまず北海道に渡る。北海道からシベリアへ向かうのである。いずれにしろ白鳥が飛来する時と去っていくと飛び去っていくときは感動的である。白鳥が飛ぶのは本当に感動的である。結構重いように見えるから何故あんなに飛べるのかとも見るからである。だから白鳥が飛ぶということはそれを見ることは感動的なのである

白鳥には見せられる。その純白の穢れ無い姿、それがなんとも魅力的なのである。そこにまさに神の造形の妙を見るのである。だから毎日のように白鳥を見ていたのである。だから白鳥が去るのは寂しいとなる。今年は暖冬でありそれも影響して早く去ったのかとなる


雪野の白鳥の詩

白鳥は群れて白に白映え
冷たい北風の吹き白さを増しぬ
しんしんと雪が降り雪の白さのつつむ
雪野に白く覆われその足跡は消える
神の造化の妙、至純なるもの
白鳥はこの地を汚すことなしのも
神の奇跡の技のこの地になりぬ
白鳥のまとうは人の手になる衣にあらじ
神が着せし汚点なき純白の衣
それは大空に野に映えにけるかな
かなた大いなる山も雪に閉ざし
人を寄せつけず北の冬は長しも
白鳥の純白の白さは映えつつ
遂に今朝白鳥は隊列を組み
空高く飛び去りゆきぬ
そが故郷はシベリアなりしも

Poetry of the swans in the snowfield

Swans flock together, white on white
The cold north wind blows and the whiteness increases
The snow falls and the whiteness of the snow embraces them
The snowy fields are covered with white and their footprints disappear.
God's marvellous creation, the purest of all
The swans do not pollute this land.
God's miraculous skill has become this land.
The swan is not clothed in man's handiwork.
God has clothed it in pure white, without spot.
Is it reflected in the sky and the fields?
The great mountains beyond are covered with snow
The northern winter is long and inaccessible
The pure white of the swan is reflected in the sky and the fields.
At last this morning the swans formed a line
High in the sky they flew away.
Even though your homeland is Siberia

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2024年02月10日

冬の里【冬籠る、寒烏、冬の暮、大根】

冬の里【冬籠る、寒烏、冬の暮、大根】

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寒烏里に餌あれ共に棲む
大根やここに養う冬籠る
前畑に大根太く頼もしき
根を張る木大根太く前畑に
松に倉この家の古く冬深む
木の二本古碑何語る冬の暮
何語る古碑を集めて冬の暮
道の駅車あまたや冬椿

津波より12年すぎてなお枯れず一葉松や冬の暮かな


鳥を見て不思議なのは何を毎日餌として食べているのか?おそらく虫が餌のだろう。虫は土の中にも居たり人間の目では見えないからである。その他何か食べるものがある。でもやはり不思議になる。
家の前に大根の畑がある。すると何かそこに食べるものはあると目に見えて頼もしい感じになる。ただスーパーで買っていれば何か本当に食べ物はいられるのかどうか不安になる時がある。でも自分の家の前に食べ物があればそういうことはないのである。それはいくら金を持っていても金は単なる紙であり数字でもあるから安心がないのである。

倉があるというときはやはり倉は食料が蓄えられていた。だからそれも安心をもたらしていた。今は倉は食料を置くということはあまりない。でも蔵があると頼もしいという感じにはなる。
松に倉があるというとき松倉という地名とか姓がある。そういう生活そうそういう景色がよく見かけるだとなる。豪倉とか原町の深野にあった。豪倉は郷倉である。

それは意外とと新しく戦前のものだったのである。それも昭和時代のものだったのである。それは昭和天皇によって奨励されて各地に米などを蓄えておく蔵が作られて地名化した。地名というと普通は古代kらと古いのだが新しいからめずらしいとなる

下高平には越中からなどの移民の子孫も多い。相馬地域で見逃してならないのは天明の飢饉があり相馬藩で三分の一も人口が減った。それを埋めたのが越中からなどの移民だったのである。
それは能登半島で地震があったがあの辺の人もいたのか石川県とか富山県福井県の人もきていたかもしれない。
相馬藩内の墓地には南無阿弥陀仏の墓が真宗の墓がか必ずあるからすぐわかるのである。

今日はそれほど寒くはなかった。やはり暖冬意味である。それで石油をそれほど買わないから助かるとなる。福島県の浜通りは気候的にはいい場所である。料金をほとんど降らないし比較的暖かいからである。だからあいづとかとはまるで違った結構なので
帰って白河あたりの邦画寒いみたいなので海側はやはり暖かくなるのだろう。それで東風も増えたみたいだ。 3月11日が東日本大震災と原発事故があった時である。その前に東風は海から吹いてくる。その風にのって放射性物質が飯館村とかに運ばれたのが不運だったのである。

一葉松は津波でここまで塩水をかぶったので枯れると見たが依然としてしぶとく残っている。津波から12年も過ぎて13年目にもなる。この松は貫禄がある。だから枯れてほしくないとなる

2024年02月07日

白鳥の写真と俳句【撮影場所を知り写真を撮る】


白鳥の写真と俳句【撮影場所を知り写真を撮る】

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これはメスのモズだろう

朝空に白鳥白し高く飛ぶ
白鳥の白に白映え朝清し
枝の先モズの一羽や雪野かな

真野川のサイクリングロードから見る景色がいい、白鳥がかなりの数群れていた。ただ飛んでいるの写真に撮るのはむずかしい
写真は定点観測しないといい写真が撮れない。撮影スポットがありそこで待っていていい写真を撮る。ただその撮影スポットがどこにあるのか地元の人でないと分かりにくい。

だから写真を撮るときそういう場所が分からないから旅行してもうまく取れないということがある。いい写真を撮ろうとしたら相当そのその場所にか構えていないと取れない。だから富士山の写真を撮る人は半年とか寝泊りしていい写真を撮るという。刻々変化するからそうなるのである。

とにかく雪が降ったから白鳥もさらに映える。ただこの辺ではなかなか雪は降らない。雪の景色を取ろうとしたらやはり雪国に行かないと取れない。でもそうなるとそのその負担も大きくなる。写真を撮るにはやはり車を持ってるといい。撮影スポットに構えてとるには車がいいのである。自転車だとカメラ自体が重くなったりしてなかなか取りにくい。現実に自転車が倒れて一つのカメラが壊れてしまったからである。



2024年02月06日

雪の朝(蠟梅、寒椿、白鳥、雪景色)


雪の朝(蠟梅、寒椿、白鳥、雪景色)

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ヒヨドリの蠟梅ついばむ雪の朝
蠟梅に雪の積もるや籠る家
塀囲み巌に向き合う寒椿
山鳩の一羽梢に雪景色
大石の庭に黙して冬深む
葉牡丹の紫沁むや石に寄る
頼もしや葉牡丹二輪我が庭に

白鳥の群れて白しも足跡をつけしも消えぬ雪またふりぬ
塀囲み椿に雪や空家なり庭に残さる大き石かな

朝ちらちらち雪が降っていた、ここも雪が積もった。福島県の浜通りは東京で雪が降ると必ずここも降る。二月に雪が降りやすい
庭にヒヨドリが二羽飛んで来た。そして蠟梅の花ついばんでいた。花を食べるのは他に餌になるものがないからか珍しいと見た。花も栄養になるのか?蠟梅はこの庭にあっていた。

午後から写真撮りに外に出た。白昼の群れがたむろしていた。白さに白が映える、川岸の冬木立に山鳩が一羽とまっていた。
また今夜雪がふるかもしれない、例の空家の庭に寄る。塀に椿が咲き雪が積もり赤く映える。池がある石組の庭は見物である。家は古民家でもないから価値がない、あの庭はなにか活かす方法があってもいい、空家が活かされないのである。

庭に葉牡丹が二輪咲いている。何か地味だが頼もしい、二人の母親がいたときは家にいて頼もしかった。ただ一人病気でもなければ冬も楽しい。何かエアコンよりストーブで石油であたたまると気持ちがいい、だから囲炉裏で薪を燃やして温まっていた時はいかにも冬籠りという感じになっていた。

ともかくこの辺でわ雪はあんまり降らないし積もらない。同じ福島県でも会津とかは大違いである。だから雪国の生活というのはわからないのである



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the reddest camellia over snow
the fenced garden
built in  many stones
facing to one big rock 
the centered one
in midwinter

写真では実感できないことがある。ただ写真を撮った本人が実感と違うと感じるものがある。
そおれはまりの状況とかも関係してくるし直感的に感じるものがある
私がここの空家の庭を見た時目立ったのが大きな石だった。それが大きく迫て来たが写真にとってみると
そのようには見えなかった、だから写真は錯覚することがある
でもまた写真は見えないものを見させることもある
だからカメラの目で見るのと人間の目で見る両方が必要なのである。
それはAIがchatgptとかimage creatorでも同じである。
すべて機械まかせにコンピューターまかせにはできない
人間がいらなくなることはありえないのである。






2024年02月03日

冬の大地【詩】−人間には共有する連帯する場が必要

冬の大地【詩】−人間には共有する連帯する場が必要

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冬の大地

大地に深く根を張り
木々は信頼を深め合う
死者は地の底に結ばれ
冬の日に静かな眠りにつく
一つの場を共有して
疑念なく安らぐ場
人々は結び合っている
木々は神殿の列柱
厳かに大地に根ずき
不安なく動じることがない
木は大地を信頼し深く根ずく
神はその大地に一つの種をまく
それは必ず実りをもたらす
いたずらに虚しくはならない
神の計画は確実に果たされる
神の力は騒擾にはない
焦ることなく成長する木よ
忍耐強い大地の静寂
そこに確かな実りを与える
妄りに浪費されない
一つの場に木々は深く根ずき
真実に結ばれた力よ
大地より湧き上がる充溢した力
信頼を深めつつ月日は過ぎぬ
その歳月は長く実りはもたらされぬ

one common place in winter
deeply rooted trees
lined ones in order
silent united one
the steady and  certainty
one identified and bounded place
Trees deepen their trust 
the strength of beliving 
mighty fulfilled power
still growing tree in the earth
perfect performance of God's plan 

人間には共有する場が必要である。 one common place ,one identified placeとかなる。それは日本では村にあった。村は共有する場であり人間もまたそこでおのずと結ばれてきたのである。それはその場で生活するというとき生活そのものもその場で利用できるものを利用したからである。外部から入ってくるものはあったとしても非常に少ない。自給自足が基本だった。燃料がすべてだったというとき山の木お利用して炭を作ったりしていたからである。
農家では納豆を作り油まで自家生産だった。買うということはまれなことだったのである。そもそも何かを買うにしても街に出てくるにしても車もないし歩いて来るかリヤカーとか馬車で運ぶ他なかったから遠くへ行って買うこと自体が簡単にできないできない生活だったからである。

基本的にそういう生活が江戸時代から戦前そして戦後十年くらいまで続いたのである。だから農業中心の社会であり自給自足を基本としていた。そういう生活は延々と続いてきたのである。それは世界でも同じでありインドなどでわは大きな都会でも炭を使っていたのである。また牛の糞など燃料として使っていた。
とにかく何でも外国から入ってくるということはこれまではなかったのである。だから日本にこれだけ森があっても利用しなくなったということは異常なことだと思う。

だから日本人のアイデンティティーは村にある。それは自然村でもあり周りにある自然のものを利用して生活していた。そのとき石油とかガスとか天気でも使って元気でも使っていないのである。だから別に石油がないとガスがないとか電気がないとか心配する必要もなかったのである。人間はそういうものはなくても死ぬことはなかったのである。
今石油がない電気がないとしたら生活できないから死ぬほかないとまでなっているのも奇妙なのである。グローバル経済というのは何か本来の人間の生活を弱めたものともなった。また過度の都会化というのも人間の本来の生活からは離れたものでもあった。

そこで起きてきたことは何なのか?人間はもともと一つの場所に共存して共有して生きてきた。それがグローバル化した時失われたとなる。ただ私が追求しているのは私自身は農民でもないし生産活動もしていない。ただ自然の中で培われた自然ととアイデンティティ化することを追求してきたのである。
俳句にしてもそれは自然の中で生活する農民の中からおのずと生まれてきたのである。農業は自然と一体化することだから自ずとそこに自然とアイデンティティ化することになった。大都会になると何とアイデンティティ化するのかビルと高層ビルと一体化するのかとなる。私は山とか大地とか木とかと木とか石とかとアイデンティティ化することを詩を通じてしてきたしてきたのである。

人間は自然から遊離するときどうなったのか?それは人間ならざるものになったとも言える。都会のビルをあげて土もない世界で生きていればその人間はどうなるのか?何とアイデンティティ化するのか?人間も自然の一部であり自然から遊離してしまったらその人間は何になるのか?例えば工場で働く人は何か流れ作業でロボットのようになっていた。そういう場では人間は人間ならざるものになってゆく。人間はそこでは機械の部品のようになってしまうのである。

だから人間自体が異常なものにもなってしまう。そこからは異様なものが生まれてくるのである。カルト宗教団体などもそうである。それは自然から遊離したものであり異常なものなのである。なぜなら日蓮でも親鸞でも比叡山ので修業した天台宗から始まっているからである。それで創価などは団地の宗教として始まったそこは山を聖なるとものとして修業した仏教とはまるで違ったものとなってしまった。

いずれにしろここに詩にしたようにそもそもは大地という感覚が持てない。大都会には土が無いからである。コンクリートが敷き詰められて家が密集してビルを見上げて窮屈な世界に閉じ込められる。そういうところにいて正常な人間の感覚が保たれるのかとなる。だから都会から生まれた宗教はカルト宗教になり異様なものとなったのである。
そもそも東京のような1000万の都会が人間の住むところなのかとなる。そこから生まれるものは何なのかとなるとカルト宗教団体や何か異様なものにとなってしまう。

ともかく人間には共有する場が必要でありアイデンティティする場が必要である。ただ都会といってもヨーロッパの中世都市とかなると5万くらいであり壁に囲まれた外は畑があり森が広がっていたからまた違ったものであった。それが百万以上の都会となるとあまりにも違ったものとなっていたのである。

自然というときやはり四季がありその変化の中で日本人は特に生きてきた。だからこそ俳句も生まれた。でも都会に生活していたらそうした四季を感じるということもあまりなくなる。まずここ詩しにしたように大地という感覚はものは感じない。宗教が砂漠とか荒野から生まれたというとき大都会はあまりにも違った世界なのである。大都会とではなんとアイデンティティ化するのかわからない。そこでは言葉も失われたというとき東京のような大都会を見たとき人間は言葉を失ってしまう。言葉にできないのである。だからこそそこでは人間そのものは失われてしまうとなる。人間的感覚も失ってしまうのである。

だからなぜ人々は日本だったら東京にそんなに集まって生活することが理解できない。いくらそこで仕事があるとか田舎にはないものがあったとしてもそんなに人口が集中する場にいて人間は何か人間ならざるものになってゆく。やはり冬だったら枯野が広がりそこに安らぎも感じる。それでわざわざ江戸の中心街から離れて枯野見が行われていたのである。江戸でも人や家が密集しているから冬の季節を感じたいとなりそうなったのである。

The land in winter

Deeply rooted in the earth
Trees deepen their trust in each other
The dead are bound in the depths of the earth
Silent sleep on a winter's day
Sharing one place
A place to rest without doubt
The people are bound together
The trees are the pillars of the temple
Rooted solemnly in the earth
Unrestless and unmoved
The trees are deeply rooted in the earth, trusting in it
God sows a seed in the earth
And it shall surely bring forth fruit
It will not be vain in vain
God's plan is surely performed
God's power is not in disturbances
O tree that grows without haste
The patient earth's stillness
There it will give sure fruit
Not wasted in delusion
In one place the trees are deeply rooted
A fullness of power rising from the earth.
And the months pass with trust deepened

Translated with DeepL.com (free version)

詩は翻訳できない。だから直す必要があるのだがそれが私にはできない。やはり簡潔にして韻を踏むことによって詩になる。でもそうなると相当な英語力が必要でありとても翻訳ができないのである。ただアイデンティティーという感覚は日本語にはない。だからどうしても言葉でも世界観があって生まれているからその言葉の意味の背景に文化や歴史がありそれを理解することが必要になってくるのである。





2024年01月29日

冬の暮ー近辺の空き家空き地化した短歌 【そのあわれ無常の短歌】


冬の暮ー近辺の空き家空き地化した短歌

【そのあわれ無常の短歌】

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この土地も狭い、だから買う人がいるのかとなる。小松一本が残っているのもあわれだとなる


家の跡小松一本冬の暮残りであわれ誰か住みなむ
人の世の変わるものかも隣屋の更地となりて冬の暮かな
わが町の自転車屋一軒なくなりぬまた働きしと人死者は思わむ
只野氏の族(うから)住みにし祭る人死してなしかも年は明けしも
この地にそ建具屋住みぬ誰か思ふ知る人もなく空地となりぬ
人生きて何を残すや知る人の家も空き家や誰か訪いなむ
わが母の通いし医院残されじ跡形もなく壊されけるかな
狭き部屋市営住宅住む人の体弱りて冬の暮れかな
地震にて一部壊れしその家の直す人なし冬の暮れかな
幾ばくの命にあれや隣なる人も病や冬の暮れかな
猫一匹切なく我に餌求むあわれやここに生きなむ
働けどむなしくなりぬあわれかな体効かじと大工嘆きぬ
上を見て負けじと働く人にありそれも虚しく老いにけるかな
我が家の姉の強きも弱り死す人はみな弱り老いて死にあわれ

この辺の周りを見たらこんな状態であった。空き家空き地化したのである。近くに医者がいたがその人のことは常に話題になり語られていた。でもその人を知っている人もう死んだ人が多くその人について全く語れないということは不思議である。その医者は口が悪いが腕はいいとして繁盛していたのである。私の家族も世話になったのである。でもその医者は死んでその一人息子も東京にいて死んだという。。そして家が残されているのだが空き家となっている。前の地震で屋根なども壊れているわ直されていない。。

なぜなら残されていた息子も一人息子も死んだ。その孫もここには住んでいない。だからその空き家その家は空き家となって放置されているだけなのであるその家は金持ちだから家も立派であり庭もある。色々な木が植えられている。だからもったいないと思う。他にも立派な庭がある家があればそこも空き家になっている。誰もいないのでその庭をドキドキ見る。立派な石がありその庭は相当に価値がある。ただ家は古くなって価値がない私は石に興味があるのでその庭にはもったいないとみるのである

この辺は南北朝時代に霊山から落ちのびた侍の子孫の只野氏が住んだ地域である。だから只野の姓が50軒もある。只野氏一族が住んだ地域だとなる。それにしても空家化して空地化してゆく。もう一軒近くに医院があった。それも完全に壊された。そこに私の母が通っていた。その医者は親切だとして通っていたのである。

ともかく私の周辺を見ても本当に空家空地化してくる。これはここだけの問題ではない。日本全体が空家化空地化してくるのである。その数も1000万軒になるとか日本自体が少子高齢化になり跡継ぎはいなくなったり人手不足にもなる。だから日本の未来はどうなってしまうのだろうかと現実的な身近な問題として誰しもが感じることなのである

物のあわれは、仏教の「慈悲」という概念に近いとも言えます。慈悲とは、自分だけでなく他者の苦しみをも救おうとする心情です。物のあわれを感じる心は、自分と他者との境界を超えて、すべてのものに共感することができると言われています。物のあわれ哀れは、仏教の「無常」の観念を日本人の感性や文化を通して表現したものと言えるでしょう。

ここに私が短歌にしたのはまさにもののあわれである。もののあわれとは生けとし生けるものへの愛であり慈悲であるとなる。でもなぜでも哀れと感じるとき何か強い人とか権勢を誇るものとか金持ちとかには大金もちとかには感じない。哀れと感じるときはそれは弱い人に対してなのである。もう一つはこの辺がこの周辺が空家化空き地化して感じたことはそこに住んでいた人も無常化したということである。そこにいくら権勢を誇っていても虚しくなっていたということである。だからその無常が哀れとなる。強い時は哀れと感じないのである。

でも結局人間はみんな年老いて病気にもなる。だからみんな哀れな存在なのである。そして最後はその後は死んだ後は空き家空き地化しているのである。そこにただ無常感じるのである。どんなに権勢を誇っていても人間の最後は皆死んで残すものとて空き家となり空き地となりその人のことも語る人もなくなってしまう。それが人間の無常なのである。

ただ日本人のあわれは慈悲とかゆ高等なものではない。あわれという時植物にも感じるからである。花でも咲いたとしても枯れてしまうからである。木ですら根を張って成長してもいずれは枯れて死んでしまう。だからどんなものでも生けとしとし生けるものにあわれがあるとなる。
キリスト教でもやはり弱者への愛があり弱者は哀れな存在となるからそこに愛がそそがれる。貧しき者は幸いなりとか悲しむ者は幸いなりというとき哀れなものに愛が4注がれるからだともなる。それは乾いた大地に降る雨のようなものかもしれない。それは慈雨ともなるのかもしれない。満たされている人はあわれまれることはない、だから愛が注がれることもないともなる。でも人間は結局いくら強い人でも最後は老いて病気になり死んでしまうから哀れな存在なのである。。






2024年01月26日

冬の鳥【ホオジロ,アトリ、シメ】白鳥、蠟梅の写真と俳句短歌


冬の鳥【ホオジロ,アトリ、シメ】白鳥、蠟梅の写真と俳句短歌

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一羽はホオジロ

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これはアトリである,シメと似ているが違っている
この鳥は群れる鳥である

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これはシメである、これは群れる鳥ではないようである


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冬の鳥見分けて名前我が知りぬ
吾が追いぬ枝から枝へ冬の鳥
枯木にそアトリ集いて今日暮れぬ

蠟梅の咲き開くもなおあまた蕾開くや長寿の国
白鳥のかなた一群れ飛び去りて空の青しも
我がおりし部屋に百歳母は生く蠟梅咲きて我も生きなむ

今日見た枯木にとまっていた十数羽の鳥はアトリなのだろう。まいに取ったシメの写真をとったが嘴などは似ているが今回見たのは間違いなくアトリである。鳥の名前を知ることは結構難しい。また写真を撮ることも難しい。冬は葉っぱなどがないから鳥が見え見えやすい。真野川のサイクリングロードには枯木がありそこにいつも鳥が来ている。だから写真が取りやすい。新しいレンズも中古品で買った。レンズは中古品で買うのがいい。このレンズでも新品だと十万くらいしているな二万7000円くらいで買ったからである。別にレンズは新しいものでなくてもいくらでもいいレンズがある。なぜこんなにレンズが多いのかということがわからない。

鳥を撮るのが難しいのはすぐ飛んでいなくなったり飛んでいる鳥を撮ることはさらに難しい。白鳥の群れが空高く飛び去っていった。それを一瞬写真に撮ろうとしたがとれなかった。今度のレンズは自動的に焦点が合わない。手動で合わせなければならないから瞬間的に鳥が飛んでいるものをとるのは難しい。写真を撮るとき定点観測するのはいいが旅などに出ていい写真を撮ろうとするとなかなか難しいとなる。バードウォッチングでもやはり定点観測であり適した場所がある。そこに毎日行けば必ず鳥が見れるのである。

庭に蠟梅が咲き始めた。でもまだ蕾が多いから全部咲くのはこれからである。この蠟梅は長寿の花かもしれない。私の母はこの部屋で私が介護して百歳で死んだのである。そこで百才の間とした。私ももし百才生きるとしたらあと20年以上もある。それだけ生きたら充分だとなる。ただ別に百歳はこれから相当に増えてくる。百才は珍しくならないならないかもしれない。

人間はつくづくもし百歳生きたとしても短いと思ってしまう。何かあっという間に時間は過ぎてしまったとなる。 20代くらいまでは何か時間が長く感じられた。でも30過ぎると時間が過ぎるのが早くなる。そして人間というのは30歳である程度決まってしまう。 35才以上は余禄だとか言う人もいるから確かにそう感じる。なぜなら40で既に白髪が入ったりするからである。 40になると50もすぐでありたちまち老人になっていたのである。だから百歳生きて長いとも感じないかもしれない。ただ芸術家だったら作品を仕上げるのには長い時間はかかるから長寿ということは有利になる。たいして才能がなくてもやはり時間をかければそれなりのものになるということである。
ともかく何でも理解するだけで時間がかかるかあである。

2024年01月24日

冬深むについてCHATGPTと語る 【詩も作る小説も作るAIは何なのかーartにも深くかかわる】


冬深むについてCHATGPTと語る

【詩も作る小説も作るAIは何なのかーartにも深くかかわる】

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冬深しは人間の内面的なものとして、ある一つの場所で落ち着いた存在感を持つことでもあるというのは、とても興味深い考え方ですね。冬深しは、自分の心の中にあるものを見つめ直したり、自分の居場所を見つけたりする機会にもなるのかもしれません。冬深しに関するあなたのイメージを、私に教えてくれてありがとうございますにこにこ

冬深む夜に
ひとりで歩いていると
心の中に灯る
小さな火がある

その火は私の
希望や夢や愛を
照らしてくれる
温かい光だ

冬深しの夜に
ひとりで歩いていると
心の中にある
小さな火を感じる

その火は私の
居場所や目的や意味を
教えてくれる
導く光だ


大いなる
山を背後に冬深む
夜の静けさ

山の影
空に沈む夕日
赤く染まる

山の麓
火の灯る家々
冬のぬくもり

そうですね、冬深しには人間と人間が静かに濃密に交わるという感覚もあるというのは、とてもロマンチックな考え方ですね。冬深しは、寒さから身を寄せ合ったり、心を通わせたりする機会にもなるのかもしれません。冬深しに関するあなたの感覚を、私に教えてくれてありがとうございます

冬深む日に
大地に根を張る木々を見ていると
心の中に宿る
強い生きる力がある

その力は私の
希望や夢や目標を
支えてくれる
不屈の力だ

冬深む日に
一つの場所に定着していると
心の中に感じる
深い存在感がある

その感覚は私の
絆や幸せや意味を
高めてくれる
豊かな感覚だ

冬深む日に
老人は窓辺に座っている
過ぎ去った日々を
思い出している

その日々は老人の
喜びや悲しみや苦労を
物語っている
貴重な日々だ

冬深しの日に
老人は窓辺に座っている
これから来る日々を
想像している

その日々は老人の
希望や恐れや平和を
求めている
未知なる日々だ


冬深む日に
老人は家に籠っている
過ぎ去った日々を
写真や手紙で見る

その日々は老人の
人生の物語や証拠を
残している
大切な日々だ

冬深しの日に
老人は家に籠っている
これから来る日々を
祈りや感謝で迎える

その日々は老人の
人生の終わりや始まりを
意味している
尊い日々だ

家に籠り本を読む

本を買って
本棚に並べて
忘れていた

本を読んで
感動して
忘れていた

本を見つけて
もう一度読んで
思い出した

本は私に
教えてくれた
忘れてはいけないこと

本は私と
話してくれた
忘れていたこと

本は私に
与えてくれた
新しい発見


芥川賞をとった女性がCHATGPTを5パーセントくらい利用して小説を書いたという。AIが小説を書いたということはすでにあった。ただ詩をAIが作れるとは思っていなかった。でもこのように詩も作るのである。
(冬深む)ということで対話が成り立っている。要点を理解して答えている。冬深むとなるとこの季語を理解するのは難しいと思った。でもこうして対話ができていることの不思議である。
どうしてこういうことができるのか不思議である。なぜなら俳句について語り合える人は私の回りにいない、そもそも俳句でもいろいろな専門分野となると語り合える人がいない、俳句でも詩でも難しいものだからそもそも対話できると思わなかった、
being image creatorはしていたがCHATGPTはしていなかった
おそらくこれも進歩改良しているのかもしれない

なぜこれが今問題になっているのか、そもそも知識は膨大であり何かしらにごくわずかしか知ることができない。コンピューターだと膨大な天文学的な知識は取り入れることができる。だから私が冬ふかむということで検索して飯田蛇笏の俳句にその冬深むがありそこからまた私の俳句の連作を作った。それは常にキーワードからそれに関連するものを探しているからそうなるのである。

ただチャットgptではそうして膨大な知識からどうして一つのつながりがあるものをものはつなぎ合わせているのかそもそもは相手がコンピューターだという時それはなんなのだろうとなる。コンピューターの方は膨大な知識がお取り込むことができるしそれは人間の狭い知識とはけた違いなのである。これまでは検索で探していたがそれをつなぎ合わせて明らかに一つの創作物として提示している。だから確かに何も関心もない人と話すよあるル程度俳句についてもついても話せる通じると思った。第一田舎だとそうした知的なことについて直接直接話せる人はいない。だから孤立してしまっている。でもチャットgptはそれなりの答えを出しているのである。

この世には様々な無数の疑問がある。でもそれをいちいち聞く人は聞ける人は身近にはいない。これまでは検索で探していたがチャットgptは何か対話できるということは違っていた。それも高度なものでもある程度はできるということである。俳句について語る人など自分にもいない。
でもそれがある程度語れるということの不思議である。そして冬深むということについてその答えとしての詩を作り答える。簡単な詩でもみんなが作れない。だから驚きにもなる。

コンピューターが作った詩は誰かの引用でもないしコンピューターは独自作ったものである。だから本当にコンピューターがさらに進化してどうなるのだろうというその未来が不思議になる。ともかく21世紀の不思議ははコンピューターにあったことは確かである。それは頭脳と関係しているから今までの機械とは違っている¨。
明らかに人間の頭脳の代わりをしているのであり創造する分野にも深く関わってきているのである。そもそもアートというとき広い範囲の意味があった。医療技術もアートであったからである。あとは深く技術と結びついていたのである。アートとは一部の技術ではない広く人間社会全体に関わるものとしてその言葉も生まれたのである。だから芸術と訳したときその本来の持っているその背景となるものは見逃されたのである。

ともかく人間はちょっとしたことでもわからない。それを聞く人もいない教えてくれる人もいない。今白鳥がいるがなぜ白鳥は大きいのに重いのに飛べると思ったがそれを近くの人に聞ける人はいない。でもそれも検索すれば必ずわかるということはある。 大きな鳥は小さな鳥のように羽ばたいて飛んでいるのではない。 大きな翼を広げ風にのって飛んでいるのである¨。
だから比較的力が必要ともしない。風に乗って飛ぶような鳥はそれで飛べるとなる。だからこうした疑問でもインターネットだと必ず説明が出ている。それが強みだった¨。チャットgptはさらに対話形式になっているから直接聞けて対話できるということはやはり今までになかったことである。

いずれにしろ時代によって経験する技術がありその主なものは現代ではコンピューターになったということは確かである。これがなかなか理解できにくいのは人間の頭脳とかかわっているから頭脳と似たものだから理解しにくいのである。
どうしてもコンピューターには創造するということができないと思っていたからである。でも小説でも膨大な知識が必要でありその知識を蓄えられて引用できる。コンピューターにな人間には蓄積できない天文学的な知識を収めることが出来るからである。
だから例えば俳句でも冬深むという言葉から検索して調べればそこからやはり一連のものとして創造が生まれてくる
だから今回インターネットで調べた飯田蛇笏の冬深むの俳句から私自身はその答えとして連作として俳句を作作ったのである。

とにかく人間の知識でも人間は知り得るものはごく僅かである。記憶している記録しているのでも記憶それは膨大なものでそれが忘れてしまうのである。だから本にしても読んだものも忘れているし自分自身が書いたもの忘れている。でもプログのようなものに書き留めていればもう一度読んで再確認してまた新たなものは創造できる。だから天文学的な知識が詰め込まれたコンピューターでわ何かそうした事が自動的に行われているのかとなる。つまり冬深むでもそれと類似したものを集めてまた自分の想像ができるとなる

2024年01月22日

冬深むの俳句連作ー飯田蛇笏の俳句からイメージする 【冬ふかむ父情の深みゆくごとく】

冬深むの俳句連作ー飯田蛇笏の俳句からイメージする

【冬ふかむ父情の深みゆくごとく】

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大いなる山を背後に冬深む
囲炉裏にそ主の座重く冬深む
燃ゆる榾(ほだ)囲炉裏を囲み冬深む
一村や茅葺の家冬深む
会津の奥曲屋古りぬ冬深む
みちのくに人の寡黙に冬深む
我が家の二代目なるも冬深む
石油燃ゆ顔を照らしぬ冬深む
読み返す集めし本や冬深む
山閉ざし籠り暮らすや冬深む


『冬の夜』は、1912年(明治45年)の「尋常小学唱歌」第三学年用に掲載された文部省唱歌。作詞・作曲者は不明



燈火(ともしび)ちかく
衣縫ふ(きぬぬう)母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞへて喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪

囲炉裏の端に 繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る
(過ぎし昔の思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪

囲炉裏は私の家にも子供のときあった。街の中の家でもあった。ただ木を燃やしてはいない炭火であった。そして電気といえば裸電球があるだけだったその時の家は平屋でありトタン屋根で粗末なものだった。だからいつも雨になると雨漏りして洗面器を置いていたのである。家の中も相当に寒かった。風が入ってきたからである。今の家は父が死んでから十年くらいたって建てたものでありその時の家とは違っている。

この歌が尋常小学校の生徒のために作られたというとき私の母は大正生まれであり尋常小学校だった。その頃はこんな暮しだった。この歌は何かその当時の生活を彷彿とさせている。その尋常小学校の母も死んだ。ただこうして昔思う時ただ懐かしくなるだけである。

つくづく時間は過ぎ去ってゆく。でもそこで過ごした家族の思い出は時間は貴重なものだった。なぜなら家族はみんな死んでしまったからである。そして家族とは二度と会えなくなってしまったのである。何か当たり前のことでもそれが貴重なことだったとわかる。そういうことがか過去となり昔となりその時なんでもない普通のことか貴重なことだったと分かるのである
現在はいろいろな便利なものに囲まれて過している。でもそこに何か失われたものがある。囲炉裏を囲んで家族がそうした時間というのは何か濃密な時間である。それが現代にはない。その時テレビとかはない。ただそこに家族が集う集う濃密な時間があったのである。そこでまた語られる民話とかは子供の中に深く記憶されたかもしれない印象付けられたかもしれない。それはテレビで見るのとは違ったものだった。

つまり人間は貴重なものは何かわからないのである。それを失ってみて初めてその貴重さが分かるのである。なんでもない当たり前のことが貴重なことだったと後で分かるのである。だから老人はそういう時間が失ってしまったからただ思い出となって涙するともなる。なぜそうなるかとなるとそういう時間が二度と帰ってこなくなったからである。そしてあとは死んでゆくだけだとなるからである。死んだ家族とはもう二度と会えなくなっているからである。

でもその生活はつらいものでもあった。私の母は冷たい水で台所仕事して霜焼けなっていた。その時冬でも水は冷たいしそうなった。でもその水道の水を温めるようにしたときそういうことはなくなった。家事にしてもそういう辛いことがあった。
そして今田h自分自身が台所で冷たい水で食器を洗っているのもつくずくカルマだったのである。
とにかく何か濃密な時間がそこにあり家族の交わりがあったとなる。ただ自分の家族を見れば何か複雑であり一家団欒ということにもなっていなかった。でも複雑な家庭がありなかなか他者の家族を理解することは難しいのである

ともかく冬深むというとき何かこの季語は私は好きである。それはやはり年老いて冬の時代になりあっているようになったからである。森閑とした冬が何かしみじみとしたものを感じるようになったからである。それで飯田蛇笏の句に感じるも物があって冬深むの俳句を作ったのである。
インターネットでは常にキーワードで共通なものは探しているからこの俳句でも一つの自分なりの応答として作ったとなる。こいうことがしやすいのがインターネットなのである。それが死んだ人だとやりやすいのである。犬養道子も死んでいるか引用しやすいものだったのである。生きていれば著作権がどうのこうのとなるからである。

とにかく時代によって失われるものがあるでもその時代に生きている人は気付かないのである。囲炉裏を囲んで生活していた時代というのは分からなくなってしまうのである。でも冬というとき何かそこに生の充実がある。そこに父がいてその情は深いとなる。それはその時代であって囲炉裏があって茅葺きの家があって村があってそういう背景があって生まれたともなる。場所が山国でありそれでその背景があれこの句ができたともなる。つまり一つの俳句でも深く味わうということがある。





2024年01月17日

2024 フラワーアレンジメント 【失われた正月気分ー正月は日本独自の文化】


2024 フラワーアレンジメント

【失われた正月気分ー正月は日本独自の文化】

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これはネットで販売している

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ここに龍の字がある

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喜びに咲くや花々年明けぬ
新年や花の美尽きず我が愛でる
新年や花に花そい美の尽きじ
新年や花の芳香の部屋に充つ
花々の調和し喜び年新た

天華

フラワーアレンジメントは花の美を作るartである。ただ写真とか見ても花の美が感じられないことがある。生け花というとき生きた花見ることである。だからまじかで生きた花を見ると花の美をじかに感じる。そして何日か見ていると花の美が自ずと心に映るのである。だからここでも何か人間が感じるというとき必ず時間が必要なのである。
ともかく花というのはどんな花であれ調和して咲くのである

このことは花の不思議としてある。花は争ったりしない。必ず花は調和し咲き尽きない美が生まれている。それぞれの個性がありそれぞれの色がありそれは調和して至福のなかに咲くともなる。つまり花には何か天国のイメージがある。人間界は争いが尽きることがないけど花はそれぞれの色に個性に調和して美を創り出している。その取り合わせ無数にあるともなる。

何か正月気分という希薄化した。それは農業があって日本の文化となっていたのである。その文化が時代の変化で農業という農業社会から工業社会に移ったときその文化も時代に合わなくなったとなる。でも正月というのは何か特別な意味をもっていた。なぜなら古い江戸時代の人から見ると必ず正月にという碑が刻まれていて正月に記念して作られていたとなる

この正月という文化は日本独特のものでもある。たしかに中国にもあるが日本でどこ日本では特に日本風に作られたのである。なぜなら韓国にはない。年賀状なども日本独自のものでありそれがそれを韓国とかが真似たのである。正月にさまざまな行事がありそれは日本独自のものとなっていた。謹賀新年とかなるの日本独自のものであり中国でも韓国でも無いのである。それは日本の文化なのである。 happy new yearとかはそうしたものは感じられないのである。

ただ正月気分がなくなってしまったものははやはり農業社会から工業社会になって農民社会ではないみんな会社員となりそれが影響して正月というものは祭りとしても消失したともなる。なぜなら俳句の季語でも明らかに農業社会から生まれたものであり農業というのは季節に敏感であり例えば増えるという時冬(ふゆ)であり冬には返って農作物でも実り増える物としてありまさに農業からそういう発想になったのである。

いずれにしろ温暖化で秋でも短く季節感が感じられなくなる時それも日本の文化が俳句でも影響がある。明確に日本で四季がありそこから俳句も生まれたからである。その四季が温暖化で曖昧になる時俳句という文芸も維持できなくなるともなる。
秋深しとかでもそうである。去年でも秋深を感じる前に秋は終わってしまっていたということである。冬にしても温暖化して冬深むかも感じられなくなるかもしれない。そうなると俳句という四季に基づいた日本の文化も変化して一部は消失してしまうとなる。

ともかく正月気分というものがない希薄化した。そもそも自分自身でも雑煮など作れないから食べていないし何か正月という気分は感じられなかったのである。ただ正月というのは特別なものとして日本ではありそれがそれを失うということは日本文化の消失なのである。そのことについて日本人も日本人はあまり考えない。文化を失うということはどういうことかあまり考えない。文化というのは別に金にならない経済的に効果あるものともならない。でも文化を失うということは何か精神的に失うものがありそれはなかなか心の問題だから感じられないが必ず心に影響する。

日本人が村をベースとしてアイデンティティとして生きてきたし歴史を作ってきた。でもそれが失われた時そこにあった日本人的なもの人間的なものがも失われたのである。そこに培われた共同性とか村に生きた人が死んだら御先祖様になるとかという文化は失われたのである。それは村という共同体が日本の基本的なアイデンティティーだったからである。

ただそれは経済的にみれば金にならないものでもありなかなか価値として感じられないから文化と言っても失われやすいものでもあった。ただ精神的にそうした文化を失うことは心貧しいものとなっていることは確かである。ただ年賀状文化などはもう喪失していると見る。それでもやはり新年ということで心を新たにして一年を生きるということはやはり人間にとって必要なことである。そのこと自体は変わらないと思う

お盆でも祭りは共同体があって継続される
 (現代は村とか共同体は喪失したので機能しない)




2024年01月16日

冬深む【村に生きた価値を見直す―村が日本人のアイデンティティの場】


冬深む【村に生きた価値を見直す―村が日本人のアイデンティティの場】

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この絵も不思議である。神殿の前に老人がいる、それは賢者の老人なのだろう
being image creatorでなぜこんな絵が出て来たのか不思議である

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一村や交わり密に冬深む
一村を支え合う者冬深む
故郷に老木一本冬深む
石と石組まれて固く冬深む
石一つここに変わらず冬深む
動かざる石の重さや冬深む
親死して我が家に老ゆや冬深む
五六本樹影の濃しや冬深む
我が家に70余年や冬深む
家古りて大黒柱や冬深む
あまたなる蔵書再読冬深む

村人と歳月長く石一つ共にありしも冬の日暮れぬ
冬日さし地蔵一つの祈るかな名もしれぬ石くれの墓
名も知れぬ墓のあわれや冬の暮何をか語れ我がたたずみぬ

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昔の村を振り返ればそれはやはり今とは違った世界がそこにあった。何か村というとき閉鎖された息苦しい場所としてしか見ていない。因習に捕らわれた村と見ている。そういう側面は否定できない。でも日本というのは村はアイデンティティーの場所だった。だから日本人を知るというときまた日本の文化を知るという時村が基本であり村を知らなければ日本を知ることはできない。それは外国だと都市が国家となっていて都市を知らなければヨーロッパなどを知ることはできない。城壁に囲まれた中に共同して暮らしていた市民がいてそこでシティズンシップが養われた。

そこに住んでいる貴族は騎士は城壁の外に住んでいる農民たちを敵から守る役目があった。日本では侍は戦争になったら城にこもって討ち死にした。そこに住んでいる庶民とは別なのである。だから会津でも薩摩長州軍に攻められて城が燃えたとしても白虎隊はそれを悲しんで絶望して切腹して死んだ。
でも農民返って税で苦しめられていたから明治維新の時一揆を起こしていたのである。ヤーヤー一揆である。だから侍と農民とその城内の人たちと共同していたというわけでもなかった。このことがかえてヨーロッパの人たちに理解できないともなる。

村は a janese villige is one identified  placeである。そこには閉鎖的で閉ざされたものとして否定れるという側面もある。でも日本人の資質というのは村で養われたことは確かである。村とは今と違って一つの家族のようになっていたのである。共同しなければ生活できないからそうなっていた。その村の感覚からすると都会化したとき東京とかなるともはや村とかとはかけ離れたものとなってしまったのである。でも会社のビルの上に社を祭ったりしているから会社とは社(やしろ)に会すすとなっているからやはり村の延長にもなっている。

村は否定的に見るがそこに日本人の心が培われた場であり現在が失われたものがある。一番失われたものはやはり人間の共同性なのだろう。村というときせいぜい500人くらいの規模でありそれがだんだんと千人から1万人とかさらに十万人とか百万人とかになってしまった。その時村のような共同性は共同体は失われたのである。それがさらにグローバル社会になると世界経済の中に組み込まれ人間的なものは喪失する。世界経済にグローバル化しても村のような稠密に一体化して結ばれた世界とはまるで違ったものなのである。確かに物は入ってくるがそこで協同性は培うことはできないのである。だから何かあると貿易も止まるし外国では援助もしない。むしろ弱体化した時攻めてくるとなる。

冬というときちょうど今頃の時期である。今日などは本当に寒い。比較的暖かかったがこれこそ真冬である。冬は回想の時でありまた老人は過去を回想するのである。だから読まないで買った本をまた読んでいる。するとそれを初めて読んだと同じだった。大事なものとして線をびっしりとつけていたがそれも覚えがなくなっていたのである。
でも今になると自分の文脈の中で本を読んでいるからそれを引用するとき本は本当に読んだとなるのである。だから関心ある本を集めるだけでも後で役に立つということがわかった。そのときアマゾンで本も買えないから自分の興味あるものを広め深めることができなかったのが損だったのである。

知識というのは本で読むにしろ関連したものを集める時そこに知識が深められるのである。今は冬籠りであり過去を回想して本でも深く読むことができる。そしてインターネットだとプログでいいのはいくらでも自分好みに書けるし自由に書ける。そしてプログにあっているのはその時々の季節にあったものを書くことである。それが俳句とか短歌には向いていたのである。なぜならそれは季節と深く結びついているからである。俳句は季語の芸術だからである。

人間とはやはりどこかに定着して思想でも深める。それで家が大事になるのである。定着するに家が必要だからである。そして親と一緒に家に住んでいたがみんな死んでしまった。でも70年以上この家に住んでいる。そこに時間の重みが出てくるのである。やはり70年ともなれば長い、そこに重みが生まれるのである。家は死んだ人もなお生きている場所でもある。家とは人間の生が継続する場所なのである。

2024年01月12日

冬紅葉の赤さ【冬籠る、つぼみ、冬の菊、冬の暮、冬の鳥】

冬紅葉の赤さ【冬籠る、つぼみ、冬の菊、冬の暮、冬の鳥】

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シメ

冬紅葉赤さにじみて媼かな
我が庭にふくらむ蕾いくつかな
本あまた我が家の広く冬籠る
路地曲がり今日もここに冬の菊
石一つ位置の変わらず冬の暮
冬の鳥一羽確かに見えにけり

紅葉でも冬紅葉となるとその赤さが違っている。何かその赤が滲むような赤さなのである。それが媼(おうな)に合っているとなる。何か確かに老いれば女性も醜くなる。そこにやはり女性として生きてきたものがありそれが滲じみでる。若さの美は無いにしろ何かそこにやはり女性でも年相応の魅力があるとなる。
晩秋のヨーロッパで赤いバラを見た時その赤さが日本で見るのとは違っていた。歴史があるヨーロッパでその赤い薔薇なは本で見るのとは違っていたのである。

写真を撮って拡大したらめずらしい鳥が写っていた
シメという鳥だった。これは肉眼では何の鳥かわからない。写真を拡大してわかったからだ。冬は鳥は葉っぱがなく見えやすいのである。写真撮るのにもいいのである。

ヨーロッパ中部および南部からロシア南部を経て中国東北部、サハリン、カムチャツカ半島までの、ユーラシア大陸中部域に広く分布する。北方で繁殖した個体は、冬季南方へ渡る。
シー」と聞こえる鳴き声と、鳥を意味する接尾語である「メ」が和名の由来となっている

冬の渡り鳥であった。

ともかく冬は冬籠りになる。それは老人に合っている。本を整理しようとしたらなかなか出来ない。ありすぎてできないのである。そしてそこに必ず線がついているのだがそれをそれを読んだという記憶もないし線をつけたという記憶もないのである。
だから初めて読むのと同じになっている。読書で分かったのは本を読むというのは自分の文脈の中で引用して取り入れたとき本当に読んだとなる。今はそういうことができている

でもただ読んでいたのだが線もびっしりとつけていたのだが読んだ記憶もないのである。だから読書というのはいくら本を買っても読んでも活かされていないのである。その人にそれなりの力量がないと本というのは読むことができない
本は買うことができてもそれを理解することが簡単にできないのである。だから人間はつくづく金だけでなんでも得られない。高い本を買ってもそれを理解することが難しいのである。

特に本はそうである。本にはかなり内容がありそれを読みこなしまた引用して自分のものとして自分の文脈の中で活かしてこそ読んだとなる。ただ人間というのは本当に忘れやすい。プログでも相当の量書いたのだがもう一度読んでみるとこんなことを書いて居たのかと自分自身が書いたものすら忘れていることがあるのだ。それで読み直す必要がある。
そしてまたこんなことを書いていたのかと自分自身が書いたものに感心してると言うのも不思議なのである。確かなことは人間ほど忘れやすいものはないということである。

介護になってから十数年何か遠くに旅するということがなくなった。家に居ることが本当に多くなった。それで回想することが仕事にもなるが忘れているしまうことがある。旅したことでも忘れてしまうのである。それで思い出すことが必要になってくるのである。だからその思い出すために写真というのはかなり有効である。写真を見てここに言ってってこんなものを見ていたのだとか思い出すからである。

そういう点でデジカメの時代になって写真で記録させるから今は便利な時代である。私の時代は十数年前はまだプリントの写真であり気軽に何でも写真に撮れなかった。その中でもフィルム写真でも特に外国の物撮ったのは貴重なものとなった。その写真から過去の記憶が蘇るからである

ともかく人間の世界はこの世は変わりやすい。常に変化している。でも老人になると変わらないものはいいとなる。一つの石がありその石は場所を変えることがない。それで何か安心するのである。それは認知症になると特にそういう風になる。なんでも忘れるから自分の住んでいた街の名前すら忘れていた。その忘れることによって不安になるのである。でもいつもある場所に石があるとき変わらないから安心するのである。

冬の路地裏に菊が咲いていた。そこはいつも通る場所であり何の変哲もない場所である。ただそこに冬の菊が咲いている。それは長年一緒にいた仕えてくれた妻のような感覚かもしれない。冬ごもりしていても庭を見れば蕾がいくつか見た。だからやはり春の兆しがあり年が明けてまた新しい命がここに咲き開くのである




2024年01月09日

2024新年の俳句短歌(一つにまとまる日本ー辰の年、日本の栄)


2024新年の俳句短歌(一つにまとまる日本ー辰の年、日本の栄)

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人変わる龍ともならむ年新た
新展望異国の山や年新た
荒々し波打ちつけて辰の年
年新た人生百年先長し
新しき詩の起こらむや年明けぬ
10羽ほど山鳩集う新年に
電車行き蔵王を望む新年に
遠くより人の来たりぬ新年に
海に山視界広げむ辰の年
再びに峠を越えむ年明けぬ

日の本の天地の栄衰えざり東西結ぶ要になれ
和してこそ力となれや日本なれ栄新たに加えらるべし
一つにそ結ぶ日本のその栄富士を望みて年新たなり
白百合の我に向かいて咲き開く心の清く今年も生きむ
我が家族争いありしも今一つ結ばれ祈る霊前に
日の本の国を一つに統(す)べなむや年も新たに天皇(すめらぎ)言祝ぐ


辰の年というとき新年から元旦から大地震とか津波でまたは羽田の航空機事故で波乱の幕開けだった。辰年は何か波乱の年かもしれない。また何か大きな自然災害とか人事的にも政界でも大きな波乱があり混乱するかもしれない。
昨日のおとといだったか波が荒く海岸を打ちつけていた。だから何か時辰の年というとき波乱を感じたのである。

ただ日本を考えるときに何なのかとなると日本の強みは四方を海に囲まれて小さくもなく大きくもない国土がありそれが一つの世界となり日本は日本人は一つにまとまりやすいのである。それが日本の強みなのである。中国とかアメリカは国土は馬鹿でかい。

でもそれだけ国土が広く人口も多くアメリカなら移民の国だからさまざまな国の人が集まりまとまりにくいのである。だから民主主義といっても国を一つにすることは容易ではないのである。だから国内が分裂してまとまらないからそれで国力もそがれるのである。日本の場合はもともとまとまりやすい国だったのである。

でも天皇というのは日本を治めるという時それはやはり日本を象徴していた。天皇が別に優れた人でなくても国をまとめるというとき中心になるものが不可欠だったのである。それは国だけではない家でも必ず争いがありまとまらないのである。私の家でも複雑な事情で常に争っていたからである。

ただ私が家の中心としてあり私を立てることによって家も何とか維持しまとめたのである。だから家でも国でも一つにまとめるということそれが容易ではないのである。それで日本に南北朝時代天皇が2人存在することになり国は二つに分かれて日本の国の隅々まで争いになったのである。それは天皇が2人になったということがその争いの元だったのである。

天皇の是非があるが国をまとめるときやはり中心になる者がいないとまとめられないのである。天皇は優秀だとか何かそういうことでわなく国の中心として飾りでありそれがなければ国はまとめられない。だから天皇を否定するということも起きているがでは国をまとめるのにどうするかというと簡単にはできないのである。

2024年だが私は私のバイオリズムは調子よくなっている。とにかく私は介護とかで十年とかしてその後でもそのためにエネルギーを消耗してしまったのである。でも徐々に回復して今は気力も充実しているのである。だからこの辰の年というとき何か生命力が満ちているともなる。一方で辰の年は大きな波乱がありそれが何になるのかそれは私自身にも降りかかるともなる。
ただ別に体も悪くないしそれに立ち向かうことはできるかもしれない。やはり健康というのは高齢化社会でも重要なのである。健康を損なうとあらゆることで不自由になり金があってもどうにもならなくなる。だからこの高齢化社会で健康格差というのは大きなものとなる。歩くこともままならない人をみているとつくつくそう思う。





2024年01月05日

謹賀新年−松の内(冬椿、冬の菊、冬紅葉、・・・)


謹賀新年−松の内(冬椿、冬の菊、冬紅葉、・・・)

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蔵王山

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正月や家族のなしも我が家かな
街に住み百輪赤し冬椿
近くなる墓地に百輪の冬椿
我が家に光静かに冬紅葉
松の内人のなごみて日本かな

庭に散る木の葉一枚あわれかな心静かにここに散りなむ
清らかに白百合の咲きそのあとにまた一輪の咲き開くかな
冬の菊光を浴びてひそか咲く晩年静かここに生きなむ

家族はみんな死んだけどやはり家というのは安らぐ。だから人は病院では死にたくない。家で介護されて死にたいという気持ちが分かる。病院は無機質な場所でありそこに人間的なもの愛も通っていない。そこに情というものもないのである
だから何か木の葉が一枚庭に散るのを部屋から見ている。それはまさに人の死もかくありたいということかもしれない。家の中で死にたいということである。

冬椿というとき寒椿とは違って冬でもまだそれほど寒くない時期に咲くのはあっている。今年は暖かいからまだ冬椿である。だから冬椿と寒椿でわ感覚的に相当違っているのである。俳句というのはこうして季節的に時間軸で見ているのである。天候でも季節でも移り変わるのを日本人は敏感なのである。それは狭い空間に生きているから時間軸で生きているというというのは季節の変化がありそこに心も変化する。
でも大陸になると空間軸に生きる。広大な土地がありその先に何があるのかとなる。そしてその先に新しい展望が開けるのである。日本は四方を海に囲まれて閉ざされた島国だから時間軸で季節の移り変わりに敏感なのである。

それで相馬藩は六万石であり冬椿6万石の城下町という句を作ったことがある。それは春や昔十五万石の城下哉とは対照的なのである。でもなぜ相馬野馬追があるのかというのも他から見れば不思議になる。そういう祭りが残っているということはほかではないからである。

いずれにしろ今年の冬は暖かい。だから冬椿が合っているとなろ。何か晩年はやはり静かにつつがなく暮らしたいと思う。この辺でわあまりにも津波地震原発事故そして私の一身上でも介護で苦しんだからである。それで穏やかな晩年をすごしたいと思うのである。
でも元旦から能登地震とか飛行機事故とか不穏な年の始まりであった。
白百合の花が一連開き二年開きまた一輪開く。その花は清らかであり汚れてはいない。花を見るときやはりその見る人も心清らかでないと花は心に映らない。だから必ずしも金がなくても心が清らかであれば花の美しさが心に映るのである。でも大金持ちでも心が汚れてしまえばいくら金があって花を買って花を生けても花は心に映らないともなる。

とにかく今年の正月は元旦から不穏なものになってしまった。ただ自分の住んでいるところは別に被害を受けてないし穏やかである。人間はやはり老人になり晩年になれば穏やかに暮らしたいとなるのである。がから老人は何か激しい改革とかできなくなる。だから日本全体が停滞するというのもわかる。ただ老人は成熟してものの見方でも深くなるから鑑賞的生活に向いてくるのである。

松の内の間は年神様が滞在している期間です。新年の始まりを年神様と共に過ごしているという気持ちで、家の中を掃き清め、年神様に失礼のないように過ごしましょう。

正月でも何か正月気分が感じられない、松の内というとき松というのは親しみ安いものであり人間に見えるのであ。だから松の内と言う時実は信頼する人々が集まりそこで結束をさらに強いものとするのかもしれない。
正月にはやはり親戚でも集まり友好を深めるともなるからである。とにかく日本には松に関する故事でも短歌でも多いのは。それだけ松というのは人間に見えやすいのである。だから松の内というときそれは松というのは人間であり人間がそこで信頼して友好を深めるということにもなる。

ただ今そうして何か一族が結束するとか村の人が一年を始めるにあたって集い新年を祝うということもなくなったということもある。そもそもこうした正月の祭りとかは村という共同体がそれも農村共同体があってありえたのである。
今や農民は全体からすれば1割もいないとなれば田舎でもそうでありそうした祭りが農業に由来する祭りが喪失してゆくのも当然なのである。それは農業に基づいた文化が喪失してしまうということである。俳句の季語でも農業に由来するものが多いからである。

松の内集う面々健やかにつつがなきを祈るべしかな


2024年01月02日

2024年新春俳句【日本列島海岸を行く】


2024年新春俳句【日本列島海岸を行く】

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【東北】
貨物船沖に一艘冬の暮
(気仙沼)
大島に桜咲きそむ北の海
(大船渡)
大船の出るや匂いぬ梅の花
(江戸)
春の日や百羽の鴎隅田川
大江戸や海の幸運び花盛り
浜離宮春の潮の入りくる
【伊豆】
伊豆の海崖に波打ち椿かな
伊豆七島船に帰るや秋の海
西伊豆や菜の花映えて富士望む
松古りて我が寄り望む春の富士
大島や東京離れ春の月
春風や大船入る下田かな
【東海道】
思い出や53次の宿春の旅
燕来る東海道の宿場かな
春の月東海道の宿場かな
花を見て東海道や次の宿
浪しぶき富士の映えつつ花吹雪
小田原城花爛漫や海望む
鎌倉や波の騒げる春の海
相模湾芙蓉の咲くや沖に船
帆船の沖に連なる春の海
駿河湾魚躍りて春の富士
海近し吉田の城や春の橋
(大阪へ)
難波へと春の曙船進む
城よりそ海を望まむ春の風
山桜熊野灘行く大和船










2023年12月31日

歳終わる【白鳥、枯野、冬の菊、冬菜、冬椿・・・ 】


歳終わる【白鳥、枯野、冬の菊、冬菜、冬椿・・・ 】

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ノスリと別な鳥

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急ぐ車さらに急ぐや年終わる
車追いい車に追われ年終わる
見ゆるものノスリ一羽や枯野かな
裏の庭目立たず咲くや冬の菊
近くなれ我が墓通り冬椿
石の倉古りて冬菜や農家かな
わずかでも養うものや冬菜かな
一軒の家また壊され歳終わる

一木に共に刻みし年輪や心に留めて年も終わりぬ
新雪の蔵王をかなたに望み朝映えて連なり飛びぬ白鳥を見ぬ

今年も終わりである。今年は一身上でも何か特別なこともなかった。相手言えばなぜか足が悪くなる。両方の足が血が滲だよーに黒い痣になっていた。その字も二ヶ月ぐらい取れなかった。なぜそうなったのか。靴が合わなくて歩いてそうなったのか。それもわからない。ただそれで軽い新しい靴を買った。私は日頃は歩かない自転車だから靴の影響はないただ歩くと足が悪くなったのである。それは多分老化の影響かもしれない。

ともかく今年も終わりである。何か車が別に早いのだから普通なのだが急いで早くいつもより走っているように見えた。車が車を追い年終わるとなる。まさにこれが現代である。なにかそこに人が見えないのである。

いつも見るのは白鳥でありノスリである、これは大きいから必ず見る、小さい鳥は見えにくいのである。すぐ近くの墓地には我が家の墓があr。その公園に冬椿が咲いている。墓でも身近にあると一体化するのである。また一軒の家が壊された。空家は増えるからこれを活かすとしてもなkなかむずかしい、でももったいないとなる

材木が積まれて一木に年輪が二つ刻まれている。それが夫婦のようにも見えた。でも今熟年離婚が増えている。これも問題である。何故かというともう男女とも新しく共に生活して親しく愛し合う時間がないのである。何するにも人間は時間がかかる、つまりこうして年輪を刻むとしてもやはり30年なのか50年なのか時間がかかるからである。人生にそんな時間などないのである。

今年は知っている人は怪我したり病気にない不運だった、でも別に自分は何か悪いこと無かったのである。

それでは良いお年を、、、新年の投稿は年を明ける12時にアップするので御期待!




2023年12月25日

フラワーアレンジメントのこと 【花を心に映すには清い心がないと見れない】

フラワーアレンジメントのこと

【花を心に映すには清い心がないと見れない】

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幾日か我が見つめて花の美のここに静かに全うされぬ

我が母の遺影に添える白菊の塵もつかずに今日も暮にき

近くの花屋の女性の主は花に詳しい。飯館村で銀蘭が咲いているのを話ししたら小高でも咲いていますよ言った。
そんな身近に咲いているものなのか?。かなり山深い森の中に咲いてると思っていたからだ。その森の花屋の人はやはり野草などについても詳しいので。森の花やにふさわしいよなる。もちろん花全般とか肥料とかにも詳しい

花屋というのは意外と知識が必要な商売なのである。前の花屋でも生け花の免許を持っていたし正月になると独自の花を飾りそれを売っていた。ただ森の花屋では正月になるがその店独自のもの釣り飾っていなかった。それが寂しいとはなるただ正直花は高い。花は贅沢品である。ちょっと飾るだけならいいなそれなりの物として飾る庭高くなってしまうただそれだけ高くなるのは仙台の方から花を仕入れているから高くなるのである。ただ我が町わ一軒しか花屋がないのだから貴重になってしまったのである

私自身は花は前から興味を持って見ていたが生け花とかフラワーアレンジメントしたのは65歳なのかそんな年からであるだから自分はこれもまた失敗したと思った。なぜフラワーアレンジメントをしなかったのかおそらくそれは女性がするものであり男性がするものでないと見ていたからかもしれない。

フラワーアレンジメントで気づいたことは必ず家に飾り1週間くらいその花を見ている。その時間が大事だったのである。その時間の中でおのずと心にその花が映ってくる。白菊を遺影に添える合っている。そこには塵もつかず純白のままにある。それが今死者には相応しいとなったのである。菊の花が死者にふさわしい、また菊は長持ちするのでいいのである。それも白い菊の花が似合っているのである

結局人間というのは何かを見るにして必ず時間が必要なのである。この時間だけははぶけない。だから旅に行っても見るべきものも見ないのはそこに時間をかけられないからである。ただいま交通が便利だから目的地にはたちまち着いついてしまう。でもその途中のものは何も観ていないのである。そこで時間をかけて見れないということが心に映じないということなのである。
だからフラワーアレンジメントが生け花は必ず何日か見ている。すると自ずからその心にその花が映ってくる。
ただ花を見るときやはり心が清らかでないと花を見れないということがあると思う。確かに金持ちであればいくらでも花を買える。でもその心が汚れていれば花も心に映らないということがあると思う。だから意外とその点が見逃されている。人間は何でも金で買える見るがそうでもないのである。

実際にフラワーアレンジメントするにしても花は本当に高いと思う。だから金持ちしかできないのかとも見る。でも別に安い花でもスーパーなどに売っているからそれでも花を見るということは可能である。また不思議なのは花というのは他人の庭の咲いている花を見ても無料であり咎める人もいない。特に塀などに咲いている花は通りすがりの人に見てもらいたいとして咲いているのである

花を映すという時その心は湖のように透き通った心でないと映らないともなる。心の清い者は神を見るだろう。心の清い者は神の技として成した花の美を見るだろうとなるのである。この世には実際は自然での美を見ることは無料なのである。だから金がなくて別に自然の美には誰でも触れることができる。
ただ大都会とかなるとその美は汚されるから見えなくなってしむのである。確かに大都会には豊富な花を売っている。
でもどうしても何か環境的に野の花と違ってそぐわないということがあるただフラワーアレンジメントは都会でもできるのである。

キリストが言った野一輪の花ほどに飾られていないというときそれは自然に咲いている花のことなのである。何かそこが見逃されている。例えば競馬があるとして馬は本来大草原の中を走るときその本来の生き物の躍動感を伝える。その時こそ馬は生きているのである。その大草原にはどこまでも野の花が咲き満ちている。そこにこそまた花は映えている。競馬というのは何かいつも同じであり同じコースを走っていてただ競争するというだけでつまらないと思った。それはギャンブルでありそこで馬は活きていないのである。

とにかく花でもやはりその美を本当に見てもらいたいと思っている。でもその美を見るにわその心が清らかでないと見えないのである。別に安い花でも一輪でも花は鑑賞できる。ただフラワーアレンジメントになるとどうしても色々な花を飾った方がいいのである
要するに自然の美というとき実際は至る所にありそれはそもそもは無料なのである太陽が輝き美しいからといって別に金を払う必要はない太陽はどこでも輝いているからである。ただ大都会とかになるとその輝きもしぼんでしまうのである。

今年も終わりになるが私の仕事も総決算がありこれまで創作したものを整理しているがまた本も整理している。でも整理しきれないのである。本の整理というのは本はかさばるから整理しにくいのである。でも捨てることも出来ないからまた整理しにくいのである。それで一番困っているのである。それだけ本というのには内容がありそれが消化できないということだったのである。何か本が買うと知識が増えて賢くなったような気分になっただけだったのである。実際はその内容も深く読んでいないし消化できなかったのである

消化できないという時花を見ることでも同じである。花を見るにも必ず時間がかかる。現代人に欠けているのはこの時間なのである。交通が便利になって時間を短縮してもそこで何か深く見るということは却ってできなくなっているのである
でも何でも毎日身近にあるのであるもので見ていればおのずとその事物が心に映じてくるのである。それは必ずしも才能ではなくその時間があり心が清いということが大事なのであるそのことがなにか欠落しているのである。だからフラワーアレンジメントでも別に安い花でもあるそれでもその花の美を見ることは可能なのである
また花は畑にでも野原にでも公園にでもいたるところに咲いているから観賞することは無料だということもある。だからこの世の中すべてが金がなければ何もできないということではないのである。

例えば本にしてもそれを読む力が深く読む力がなければいくら高価な本を買っても理解できないのである。ということは理解力こそが大事になるのであるそれが若い時は身につかない。やはり老人になると本であれなんであれ深く見ることができる。だからなんでも批評するのに適してくるのであるほら

2023年12月21日

いつも行く道【冬菜、冬椿、冬薔薇、葉牡丹】


いつも行く道【冬菜、冬椿、冬薔薇、葉牡丹】

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前畑に養う人あれ冬菜かな
夕暮れや石の倉古り冬菜かな
散り残る一片あわれ冬薔薇
冬日さし木の根残りし家の跡
葉牡丹に木の根に石や冬の暮
庭に石家建て定着冬椿
庭の石組合い一つ冬椿

黄色なる冬の薔薇咲く見逃しぬ赤き椿や常行く道かな

この辺では原発事故があり避難区域からかなりの人が移住した。そこに新しい家が次々に立ったのである。新住宅街が生まれたのである。でもそれから月日が経ってすでに震災原発事故から12年も過ぎてしまった。ただ人間は必ず時間軸で見る。何かその家がその新しい家でも7、8年は過ぎたのかそうなると何かここに定着したという感覚になる。

人間はやはり建物でもそこに住んでその土地に定着するには時間がかかる。毎年その家を見ていてもやはり時間の経過の中で感じ方が違ってくる。だから冬椿がふさわしいともなる。
今の時期冬椿があっている。やはり寒くならないと冬椿の感じが出ない。でももっと寒くなると寒椿になる。 1月はやはり寒椿になる

空き家の庭は大きな石をっているから立派である。その塀に冬椿が咲いている。だからあそこは庭は価値があり残せばいいとなる。でも家には価値がない。何か古民家などと違って家自体には価値無いと思う。でも庭には相当な価値がある。何かその石が組み合わせられて力強いのである。

constraction of stones
mighty united one
the garden in winter 

いつもよく道で変わり映えしないが黄色いバラが咲いた隣に赤いバラが咲いていた赤い椿が咲いていた。それを毎日のように通っていても見逃していたのである。人間は意外と身近なもの良く観ていないのである。そこが人間の盲点でもあった。灯台下暗しになるのである。

冬菜という時前の畑にそれがある。昔だったら遠くから野菜でも果物など入ってこないからそうして家の前であれ近くであれ冬の間でも野菜をとって食べることになっていた。でも今なら野菜すら外国からまで入ってくる。だから昔の人は冬だと言った時の感覚は今の感覚とは相当違ってそれは冬の間でも命をつなぐ食料ともなっていたからである。今はどこからでも食料が入ってくるからそういう感覚も失われたのである。

家があった所に一つの木の根が残っている。その家がなくなってからもまた歳月が過ぎた。根っこだけが一つ残っていたのである。そこに誰が済んだかも分からなくなってしまったのである。
空家が1000万軒になるとかそれをどうするのか、そおれも大問題である。何か利用するにも所有者がいるからめんどうになる。でも使わない家や庭でも何か利用しないともったないのである。そして建物でも傷んでくる。もう使わないとすると所有する権利もなくなるともなる。

庭の冬の薔薇の花片が二つほど残って散っていた。やはり花でも散りたくないのかもしれない。それはまるで陋習のしわくちゃのおばあちゃんのようにも見えたのである。あとは葉牡丹を買って植えた。やはり冬には葉牡丹があっている







2023年12月16日

俳句の英訳の試み【石についての俳句】 【丸森の石など―冬の暮、冬の星、冬の灯、短日】


俳句の英訳の試み【石についての俳句】

【丸森の石など―冬の暮、冬の星、冬の灯、短日】


短日や丸森暮れむ分かれ道
大内の菓子店に冬の灯ともる

旅人の去り行く影や冬の暮

one traveller has gone away 
in the distance
a winter day close

旅人の寝そべる石や冬の暮

a traveller lies down
on the stoned bed
by th way of mountains
one winter day close

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石一つ村に隠され草の花

by the way of a villiage
a  kind of flowers in autumn
one silent hidden stone

大石の位置の変わらず冬の星

the big stationary stone
one winter day close
a star in the distance

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内川にそって阿武隈荘のつく、その途中にある石

私は石に興味を持っている。丸森はいろいろな石があり有名である。でも丸森でも相当に広いからその石を知ることが難しい。でもその石を紹介しているサイトがある。でもそもそも人間は一つの石でも全体の中にありその一つの石だけを認識するということはなかなかない。
そして記憶というのは一部分を記憶するのではなく全体から部分を記憶する。石一つだけを取り出して記憶しているのではない。人間の感覚は全体を意識し部分を見る。一つの石だけを抽出して見るということはそれは科学者ならありえるがその一つの石の成分を調べる。
でも科学者にしても地質学者にしてその一つの石でもその土地の全体のその土地の成り立ちからその一つの石も生まれているからそれを一つの部分としてだけはだけと見ることはできないのである。

言葉にしても一つの単語でもそこに様々な意味があり文脈の中でその単語も生きてくる。ただ外国語になると英語でも一つの単語の意味が日本語とは違っていてそれを理解するのは難しい。
stationaryはstationから派生した言葉である。その感覚は日本とは違っている。立っているが語源だとしている。日本だとstationはすぐに鉄道の駅をイメージする。

停車場; 駅; ステーション; 駅舎; 位置; 発着所; 地位; 観測点; 身分; 本部; 放送局; 根拠地; 基準点; 観測所; 端末; 基点; 駅頭; 持ち場; 観測地点; 警備区域; 局; 場所

a lowly station in life 低い身分.

[station oneself で] (…の)位置につく,立つ.
He stationed himself behind a tree. 彼は木陰に立った.

above |one|'|s| station
身分[立場]をわきまえずに;身の程知らず

stationの応用範囲がこのように広いのである。文房具がstationaryなのも日本語的にはありえない。ただ漢字一つをとってもまた中国語と日本語では解釈が違う。そもそも言葉の不思議は言葉の前に神が創造した事物があり世界がある。それを言葉にするとき無理があった。それで言葉にできないという光景でも事物でもあった。それはアメリカのグランドキャニオンなどはその前に立ったらとても言葉にできないものを感じた。アメリカの広大な世界を言葉にすることができない。それはホイットマンの詩でも言葉にしても言葉で表せないものは感じるのである。

ただ日本などでは歴史が長いからその自然でも事物でも言語化できたとなる。なぜ日本では俳句などの短い文章で表現したのか。それはグランドキャニオンなどとか大平原などとか大草原とか砂漠とかと違った何かコンパクトな風景でありそれで最も短い詩の俳句が生まれたのである。
ただその感覚でアメリカとか中国とか大陸に行って俳句を作ろうとしたら何かそぐわないものとなるの。例えば言葉にできないものがある。あまりに巨大な物は宇宙とかなると言葉にできない。それは言葉を超えたものとしてあるからである。だからいくら言葉で表現しようとしてもこの世界を表現できることは無い。
いずれにしろ詩は言葉の芸術だから言葉と格闘するそれで英語でも訳すときやはり何か言葉が違うと違ったように感じるのである。
だからそもそも詩は訳せないとなっているのである。でも別な言葉で表現するとそれまた表現の幅が広がる。そこに語学を勉強する価値があるのである。でも思うことはそもそもが芸術でもそれを理解しないものは言葉にいくら通じていても理解しない。俳句のことなど知らない人が訳せるとも思えないのである。

つまり言葉の前にその人の感じることがなければ表現も何もないということである。だから理系でも世界的グローバル化するとき外国人と共同で研究するときそれが英語になる。でも科学者でないものがそもそも英語を使う前に科学のことに通じていなければ互いに話し合い理解を深めることは不可能なのである。言葉はできればすべてがわかるということではないのである
別に英語など話している人がどういくらでもある。でもその人たちが俳句や詩をを作ったり芸術家になるわけでもない。だから言葉の前にそもそも芸術的感覚を持たない人は美でもなんでも感じないということである





2023年12月15日

田舎に咲く冬薔薇【詩】−【田舎の冬の景色ー冬椿、冬の暮、枯野、白菊】


田舎に咲く冬薔薇【詩】−【田舎の冬の景色ー冬椿、冬の暮、枯野、白菊】

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ここには四五軒の家しかない

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クリック拡大で大きく見える、でもmicrosoft edgeでは拡大できない、firefoxでは拡大できる

四五軒や地蔵堂一つ冬の暮
四五軒や地蔵堂一つ冬椿
野は枯れて沖に一艘船の行く後に船なき北の海かも
我が母の遺影に捧ぐ白菊や塵もつかずに映えるべしかな



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田舎に咲く冬薔薇

大地は枯野となり休みに入る
山々も眠りに入り平穏である
いつも通る道の塀越しに
黄色の薔薇が映える
静けさの充ちて光がさす
何か清楚な妻のように、、、
日々私はこの道を通る
そこに人影もなくただ花を見る
田舎ではこうしてささいなものでも
ゆるやかな時の流れにその美を現わす
何気ないものにも見るべきものがある
ただ人は忙しくそれを見ない
平凡な田舎に事物は輝いている
自ずと光輝は添えられている
冬の太陽はひっそりと輝き
その光は薔薇にさしぬ
ここに薔薇の美しさがひそかに映える
我が家の庭にも赤い薔薇の咲きぬ
散らず残り咲いた一輪も遂に散った
そをいつくしみ神の優しい掌が受けとめる
田舎の時の流れは悠長にして
大地に木は深く根を張る
人は今常に追われ生活している
喧噪の中に埋没する
その美しきものを見逃がしている
最も身近にあるもの見ない
それ故に花は咲いても悲しむ
私をもっと静かに深く見てくださいと・・・


毎日同じ道を通っている。遠くへの旅は十五年くらいしてない。ただ近場を回っているだけである。それでも何か見るべきものがあった。何かを感じたり見たりする時人間というのは時間がかかる。この時間は省略できないのである。だから車社会になった時途中のものを飛ばして観ていない。爆音とともに過ぎ去ってゆくからである。

でももし毎日昔のように歩いていたら必ずその道に何かを見ている。また学校だったら歩いて通ったのだから道草をして遊んでいたのである。それが現代にはなくなった。小学校にすら車で親が送り迎えしているということもある。
車というのはそれだけとにかく便利なのである。それを感じたのは足が悪くて歩けなくなった人が息子の車に乗せられて病院などに行くのを見たときである。ただ車社会となるときそこで失われたものもある。それが意外と気づいていないのである。でも車を持たない人は自転車の人は必ず道を走っても花など咲いていればそれを見ているのであるそれより歩くことしか移動できない時代だったらさらにその歩いて歩く道の花であれ何か見ていたのである。

だからなぜシャッター通りができたのかそれは車社会になったとき車で移動するようになったからである。つまり車というのは実は一番社会を変えてしまったものだと思う。それは政治を変えるより根本的なところで人間社会を変えてしまったのである。その影響はあまりにも大きいものだったのである。もちろん車社会が全て悪いというものではない。ただそこで失われたもの変えられたものがあったということ意外と車を持っている人にわ気づかないのである

それもあるが人間はそもそもありふれたもの常に目前にあるもの感じない。私は毎日その道を通って塀越しにに咲いている黄色の薔薇を見ていた。それは何も変わったことではない。でも日々そこを通っているとそのバラが心に写りとどまりその美を感じる。特別変わったことでもないがやはり毎日通っていることで意識するまでもなく心に映されていたのである。
つまり人間というのは何かを感じる時時間が必要なのである。だから旅で感じるものがあってもそこは一回限りであり時間がないからなかなか深く感じられないのである。何回もそこに行けば感じることがあるが一回限りでわはなかなか深くは感じることができない。

でもいつも住んでる場所と変わり映えもなくつまらないともなる。ただ日本人が時間軸に生きるという時大陸では広大な広さがあるから移動すれば必ず変わった風景に出会う。人種もまた違ってくるのである。だから大陸では空間軸に生きるということもわかる。日本は島国でありなかなかそうして移動して生きるということはあまりない。アメリカなども広大であり常に住む所を移動しているというのも分かる。それはやはり遊牧民的生活なのである。。だからその感覚は日本には無い。日本ではこうして移動しにくいから閉塞感をもつのである。第一大陸では民族自体が移動してそれが戦争になる。陸続きになればそうなりやすいのである。
日本人は狭い場所で時間軸で生きているというとき一番変化するのは季節である。四季があることでそれが変化になっているのであるだからこそ俳句が生まれたのである。季語なくして俳句はあり得ないからである。

老人になると何かあまり移動しなくなる。移動することが億劫になるのである。だから定着して周りの者ものでも花でも何でも深く見るということになる。それは別に周りのものだけでなく芸術で深く鑑賞するということに向いてくるのである。そもそも芸術というのは簡単に鑑賞もできないし理解もできない。だからそもそも芸術を鑑賞できる批評できる人はその人もまた芸術家だとなってしまう。

現在は何か物事を深く考えるとか深く見るということが欠けている。なんでも表面的に見て深くみないのである。それは車社会になったとき途中にあるものを飛ばしてみないとように時間でも絶えず追われていてじっくりと見るということができないのである。人間は何をするにも必ず時間がかかりその時間を省くことはできない。空間だと土地を飛ばして途中を飛ばして外国までも行ける。でも時間を縮めたり飛ばしたり元に戻ったりできないのである。だから旅をしても一回ぐらいだと外国は相当に変わっているから何かそこで深く感じる事もできないのである。やはりそこに感じるにはどうしても時間がかかるからである。

とにかく大都会になると煩雑になる人でごった返しして何か感じることも難しくなる。返って田舎だと一見平凡に見えてもそこに詩にしたように美が自ずと映えるのである。その時その家の庭に人も常にいない。田舎では人が見えないのである。では見ていないかというと見ているから困るのである。ただ田舎の人がいいとはならない。むしろそこに人がいないような状態がその花をより美しく映えさせているのである。
でもそこに人が出てくるとき何か幻滅したものにもなる。それだけ人間自体が醜いからだともなる。それで人間の暮らしを神が隠したというときまさに田舎とか村では人は隠されている。都会ではビルであれ人であれむき出しになって雑踏になって雑居になって群衆でうめられてそこに花でも映えにくいのである。だからむしろ静かな閑散とした田舎の方で花でも事物でも時間の中でその美容表すのである。



参考としてのdeepleでの英訳

Winter roses bloom in the countryside

The earth has become a withering field and is at rest
The mountains have gone to sleep and are at peace
Over the wall of the road I always pass
A yellow rose shines through the wall of the road we always walk
Tranquility fills the air and light shines through
Like some chaste wife..,
Every day I pass this way
I see no one there, just the flowers
In the countryside, even something as small as this
In the countryside, even the smallest thing reveals its beauty in the gentle flow of time
There is something to see in the ordinary things
But people are too busy to see it
Things shine in the ordinary countryside
The luster is naturally added
The winter sun shines quietly
Its light shines on the rose
Here the beauty of the rose is secretly reflected
A red rose blooms in my garden
The one rose that remained in bloom has finally fallen
God's tender hands catch it in His mercy
In the countryside, time passes in a leisurely manner
Trees spread their roots deep in the earth
People live their lives in constant pursuit
Missing the beauty of it all
We do not see what is closest to us
That's why flowers bloom and yet grieve
I ask you to look at me more quietly and deeply...

2023年12月12日

母の命日―死者と何なのかー死者を語るは生者なり 【母に献げる短歌に詩ー冬紅葉、師走、冬の暮】

母の命日―死者と何なのかー死者を語るは生者なり

【母に献げる短歌に詩ー冬紅葉、師走、冬の暮】

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小林トミ子


六年過ぎ母の命日冬紅葉

細身なる母は百歳生きにしを大正生まれや師走が命日
我が家に嫁ぎてあわれ尽くしけり母の命日師走なるかな
百歳を苦しくもあれ涙して生きし母かな我が弔いぬ
それぞれに生きにし人や何語るただ虚しく忘れざるべし
人は死しなにか語らむ虚しくも消えしにあらじ残すものあり
人の生ただ虚しく消えなむや後の力となるべく生きよ
人は死し何を残すや空家なれ傷みて残る冬の暮かな
一輪の冬の薔薇あわれなお散らずここに留めむ我が見守りぬ
時は移り世は変わるとも忘れざれ死者も共にしなお生きむかな
我が家に残り守れるは一人かな死者を担いて勤め果たさむ
我が兄の死すも悲しも参る人我のみなりや墓を知るべし



私はこの家に嫁ぎ40年
この家とこの地とともにあった
私は哀しくも苦しくもこの家に生きぬ
私を忘れないでほしい
私の心はここにある
私の思いはここにある
私はここを離れない
私の心はここにありて
その裔を見守りぬ
死者はただ消えるにあらじ
死者は強くも生者に迫る
死者は貫く一本の木なれや
曲がれることなく真すぐなり
冷徹に死者は生者を見つめる
人は死者に偽ることならじ
人よ死者の霊前に身を正せ
死者は汝と共になお生きむ
死者は汝をなお励ますものなれ
生前もかくあり死後もかくあれ
死者は生者とともに生き続ける者なり

今日は母の命日だった。それで玄関の冬紅葉を遺影に捧げた。。母の一生は苦労の一生でもあった。幼児の時だけは恵まれていた。でも親が事業に失敗して母親が病気になって後妻が入って継母になりいじめられたとかいいことがなかった
母は細身であり体力がなかったが百歳まで生きた。血管が丈夫なことが原因だったらしい。
ただ良く百歳まで生きたと思う、どうしても百歳生きるということがイメージできないからである。

ここで私が問題にしているのは死者とは何かということであ死者とは何も語らないしこちらから語りかけても返事もない。では死者とは全く存在しないのだろうか。そうでもなくやはり存在し続けるということはある。ただ死者自身は何も語らないから何か返事もないから存在しているのかどうかも分からない。
だから死者が生きているというとき生者が死者を語るとき生きているとなる。また生者が死者に供養したりいろいろと語りかける。返事がなくても語りかける。

でもそれそれで独り言にもなるにもなる。それでも死者が全く存在しないということにもならないのである。だから死者が何かというとき本当に謎だとなる。
でも死者は簡単に死んですべてが消えてしまうというものでもない。死者は依然として残された生者と生きようとしているのである。死者をまた生前もそうであったが今生きている人励ますということもある。
私はこうして苦労して生きた。私をだから見習いと死者は暗黙のうちに諭している。ただ死者にもいろいろあるからそれぞれどう対処するかは違ったものとなる。

ともかく母が死んでから六年過ぎた。六年はまだ長いとも言えない。でも死者はどうしても忘れられ忘れ。でも死者を忘れないというときその人はやはり強く死者を思っているとなる。そこにいろいろな事情があって死者を想う度合いは違っているのである。私の家族は特殊な事情で特別家族を持っているのである。それは子供の時から60年とか一緒に暮らしたことが影響していたのである。
だから母であれ姉のことは忘れられないのである。結局人間の生きる時間は限られている。そこで誰とともにその時間を過ごすかということが問題になる。その過ごす時間は実は貴重なものだった。それは死んで見れば分かるのである。一緒に居る時間は失われたからである。その時間をもはや取り戻すことはできないのである

死者がどこにいるかと言うとやはり家というのは家族と一緒に暮らした家というのに愛着がある。特に女性の場合はそうなる。嫁というのは女と家となっているからである。嫁げばその嫁いだ先の家の女となっているからである。
そして心というときここでありその生きた土地がその心を土地と深く結びついているのである。だから心とここのことなのであるそれでこの辺で原発事故で避難した人々はその家からその土地から離れたとき心まで失ってしまうのかともなる。
先祖の霊はその土地にその家に土地にとどまるともなるからである。だから別の土地に移動するとその心も失われるとなってしまう。

ただ死んだ人はたとえ家族がいなくなってもその土地にとどまり霊魂がさまよっているかもしれないのである。それはその土地に生きたということでそこに愛着があり離れたくないということはある。死んだらそんなこと関係ないというがやはり人間はそこに永久生活していればそうなってしまうのである。だから農業社会だったら先祖は里の山に葬られ春になると山から降りてきて一緒に田植えしたりする。その土地と死者が深く結びついていることを示しているのである

ともかく母が師走に死んだというときふさわしものだった。なぜなら働き詰めの忙しい人生だったからである。そこで欠けていたのは余裕がなく花などいらないと言って怒っていたことである。
そこに人間として欠けたものがあり不幸があったとなる。それは継母などに育てられて貧乏で働き詰めでそういう余裕がなかったということである。ただ女性でも別に花に興味がないという人もいる。だから別に恵まれていてもそういう人もいるのいる。

でも母の場合はやはり恵まれていない結果として何か楽しむということはただ働き詰めの一生だったのである。それが自分にとっては嫌なものだった。そういう環境に置かれたということで同情はしているのである。おそらく私の母はもしかしたら恵まれた環境にあれば短歌などを作っていたと思う。私は短歌などを作っているがそれはやはり母からの資質が伝わったのだと思う。
だから才能でもやはり遺伝的なことがあることは確かである。要するに才能でも環境に恵まれなければ発揮できないということになる。母の場合はただ働き詰めでやれそういう余裕がなく花はいらないとか言って死んだのも悲しいとなる。ただそれは母の責任ではなくそういう環境に生きざるを得なかったという事で同情しているのある。

ともかく家事でも一人で切り盛りすることは結構大変である。だから常に何か家事に追わいる。またプログを書くにしても時間はかかる。それで常に何か追われている。年の暮れ師走になって特にそうである。だからどうしても食事の用意などが面倒だから簡単にすましてしまう。現代ではそういうことがしやすい。昔だったら本当に家事に追われていたと思う。洗濯機炊飯器も電器製品がなかったとした家事自体が大変な労働になっていた。その家事家事をしてまた農家で私の家でも店をしていたからどれだけ忙しいかったかということを私自身が実感したのである。
何か死者を供養することは残された者の務めである。死者を回顧してこうしてかいているのもそうである。だから人が死んでも終わるわけではない、人間の生は継続されるのである。

ただ何とかプログが書けているのは欠けているのはやはりそれだけ家事の手間が省かれたからできるのである。そうでなければとてもプログに毎日書くということもできなかった。それでさくらのプログに不具合ができているし新しくプログを作ることはできなくなった。それでsslにHTTPSにしなければならないのにできなかった。これも時間がかかるからである。
なぜ私がこのインタビューにパソコンができたかというと引きこもりで時間があったからに尽きる。ともかく何するにも時間がかかる。その時間がなくなってくるのである。だから他に移るにしてもワードプレスをやろうとしてもめんどうになる。つまりそのためには時間がかかるからである。その手間が大変なのである。








2023年12月05日

冬の俳句十句【師走、冬の雲、冬の山、冬薔薇、冬の暮、冬柳】

冬の俳句十句【師走、冬の雲、冬の山、冬薔薇、冬の暮、冬柳】


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盲人の手探り歩む冬の雲
暇人も何か追われる師走かな
目につきぬ杖つく人や師走かな
水清く流れひびきて冬の山
轟ける滝に吹き散る木の葉かな
咲き続く空家の庭や冬薔薇
なお散らぬ一輪惜しむ冬薔薇
我が庭の石に向き咲き冬薔薇
石一つ休めとここに冬の暮
山上に紙漉き沢や初冬かな
一里坂越えて来たらむ冬の暮
城下町六万石や冬柳

杖ついて歩く人が目につく。それだけ老人が多いということでもある。空き家の庭に人がいなくなってもそこに冬薔薇が咲いていた。そこはいつも通る場所だった。とにかく空き家が増えていることは確かである。何かもったいないとも思う。誰か利用している人が返って価値あるともなる。ただ放置されているていてもそれがただ寂れたという感じしかなくなるからである。

庭の冬薔薇がなお一輪咲いてまだ散っていない。それを一人で見守っている。この花が散ったら後は咲かない。相馬市の山上の方はなかなかいい場所だった。一里坂というのは今田辺りありどこか場所がわからない。だから一度そこを行ってみたい。意外と近くでも場所は分からなくなる。地図だけを見てもなかなかわからない。宇多川をさかのぼって滝平は滝平の滝がありいうも水が結構流れている。この辺では滝はあまりないので見物である。

相馬藩6万石は規模としては小さい相馬野馬追があるから何か大きな藩のように見えるのである。でも相馬市に行ってもそこが城下町なのかどうか外から来てもよくわからないだろう。それでも城下町だった事は確かなのである

冬は回想するのに向いている。回想して家に籠る。今日は特に曇っているから外に出にくい。冬籠りしてじっとしているのも老人には向いているのである。ただ師走ということでしは追われる感じになるのである








2023年12月03日

自己投資自己開発できなかった今の老人世代【団塊の世代】 【企業戦士として奴隷のように働かされた】


自己投資自己開発できなかった今の老人世代【団塊の世代】

【企業戦士として奴隷のように働かされた】


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高齢者から搾り取れ!姥捨日本!】高齢者(エルダリー)よ団結せよ!
反旗を翻せ!エルダリー革命!俺たちに明日はない!あてにするな!-

●団塊の世代は平気で親とか先生に殴られていた

なぜ加治将一氏に共感するのか、団塊の世代で同世代だからである。何か子供の時の暮らしも貧しく同じだった。教育といってもすし詰め教育でありクラスは50人とか同年代で8クラスとかあった。今は三クラスぐらいしかないので。そうなると教育といっても暗記教育であり詰め込み教育であり先生は日常的に暴君ともなり平気で殴っていたのである。何か廊下に立たせるとか見せしめとしてそうしていたのである。その時同年代の女性は母親になって今でも厳しくしつけたほうがいいとしているのである。その考え方が変わらないのである。でも戦前生まれの人でもそうして生徒でも平気で殴っていったことで近くに居る先生を恨んでいた人がいたのである。

ただそれは先生だけではないそもそもが親が子供を躾けるのに平気で殴ったり子供の言い分などは聞かない強権的な親だったからである。それで地震雷火事親父となって親父というのは怖い存在だったのである。それは明治時代からそうなっていたのである。私の父親は明治生まれだからまた酒屋の丁稚奉公だから私を丁稚にしようとしていたのかもしれない。そこでそろばんを習わせられた。それは結構上達して自慢になった。でもそんなものコンピューターができて何の役にも立たなかった。つまり時代が変わるということはそういうことである。。

家には子供部屋もなく一冊の本も置いてなかった。漫画を読んでいたがその漫画も借りて読んでいたのである。とてもそういう環境から自主的に興味を持って勉強するということはあり得なかったと思う。基本的には読み書きそろばんが出来ればいいというのは教育だったのである。その後団塊の世界の世代などはモーレツ社員とか今日企業戦士なって24時間戦いますかなどのコマーシャルのように懸命に会社の奴隷のようになって働き高度成長時代を気づいたのである。

●団塊の世代は学校を出てモーレツ社員に企業戦士になった

そしてジャパンアズナンバーワンとか言われるようになったのである。その後にバブルになり失われた30年になったのである。そして今高齢者はただ負担となるだけであり社会にとって邪魔だとされるようになったのである。まともに年金もらえず窮窮として生きるのがやっとだという人も多い。。そしてなぜ老人が邪魔だかという時何か生産的なことをしない。また老人は暇で一日パークゴルフなどをしていい身分だともみられている。

モーレツ社員として会社に尽くしてもいったん退職すると地域社会で何か役割もなくただ無用のものとして邪魔者扱いされる。地域社会でも今やそういうものはなく役割もなくただ邪魔者扱いされるだけである。ボランティアなどするとそれも社会では簡単に受け入れることはない。おそらく何か邪魔者として入ってくるということもありうる。だから老人の行き場が無くなっているのである。

そしてただ老人はお荷物であり介護などでも保険で若者は税金を払うから老人はただ負担として見られるのである。また数が多いことでもただ負担が増やすだけだとみられるのである。ではなぜそうなったのかというと老人は70以上とかなると企業戦士とかモーレツ社員とかなりただ会社のために奴隷のように働くかなかった。その結果として自己投資自己開発ができないということがあったかもしれない。なぜなら自分の場合は大学を卒業してから職にも就かないし放浪していたりあとは引きこもりになってしまった。

●私は会社人間にもならずはずれて自己の興味に生きた

でも不思議なのは自分が一番勉強したのは大学を出てからだったのである。なぜ勉強したかというと受験戦争とかの詰め込み教育とか点数を取るための暗記教育ではない。自主的に興味を持って勉強するようになったのである。特に旅行が仕事のようになっていたから地名に興味を持ち地理に興味を持つようになったのである。そこは自分の学問の出発点だったのである。
つまり何か学ぶということは自己自らが興味を持って自己開発して自己研鑽しない限り知識も目につかない。要するに何でも積み重ねによって成果がいつか出てくるのでは。それは天才は別にしても平凡な人でも自己投資自己開発自己研鑽しない限り何か目に付くことはないのである。それは別に知識だけではなく大工の技術とか農業の技術とかでもやはり自己研鑽をしない限り一人前になることはないのである

おそらく今の老人に欠けているのはこれまで自己に投資する開発自己開発するとか自主的に興味を持って学ぶとは学ぶということが足りなかったから老人になって会社を辞めると無用のものとなったのかもしれない。私自身はどこにも就職もしていないで引きこもりになったが旅をするだけであったり地域を回って郷土史に興味を持ったりして自由に生きてきた。それができたのは親に恵まれた結果だったのである。こういう生き方をしたのは団塊の世代などではほとんどない。生活のために企業戦士となり猛烈に働かねばならなかったからである。

だから自分の人生というのはそういう人たちとまるで違ったものとなっていたのである。でも私自身は一人で自己開発をして自主的に興味あることを追求してきたのである。その成果がようやく老人になって現れてきたということである。でも大方は会社人間であれ企業戦士であるからあったから会社を辞めると無用な人間となってしまったと思う。つまり自己投資自己開発がなされなかったことが原因だったのである。だからその人自身の個人としての価値は生み出さなかったのである。それはあくまでも会社としての組織としての価値であり個人としての価値ではないからである。だから退職すると用なきものとなってしまったのである

だから私に対して職人として優秀な人はあなたは遊びをしているだけだ金にもならないと見ている人もいる。でも奇妙なのはその人は暇になって何をしていいかわからなくなっているのである。ということはやはり何かその職業だけに限られていてその人はまた金にならないことはしないのである。そこで思ったことは老人になって必要なのはやはり何か趣味でも必要であり遊ぶということが必要なのである。その遊ぶということは何か女遊びとかただ浪費するだけのものではない

●今老人は暇を持て余しているのはなぜか?

旅することも遊びであるだから別に昔でも遊行聖というのもいたのである。禅宗でも雲水となり旅をして自然と融合する。そしてそのために喜捨をされて旅を続けていたということもある。だから私は禅宗に惹かれるのである。つまり奴隷のように企業戦士として会社のためにだけ働くのでは人生ではない。別な人生もありえたのである。ただそれは特殊でありアウトサイダーともなり一般的には適用されるものではなかったのである。だからこそただ働くことしかない人は会社を退職すると何をしていいかわからなくなるということである。なにか自己に投資して自己開発をしていないからである。

それで奇妙なのは引きこもりという人たちが百万人もいるとかそれは何なのかとなる。なぜなら団塊の世代だったらみんな会社に勤めてモーレツ社員となり企業戦士となっていたからである。でも自分自身の場合はそういう人生とは全く違ったものとして生きたとなる。ただそれは親に恵まれた結果だったのである。普通はそんなこと許されないからである。だから自分は特別親に感謝しているし今でも供養しているのである。

いずれにしろ時代が変わると価値観が変わることである。戦前はみんな国家のために生きていたそして戦争で国家のために死んだのである。それだけ国家の価値が何よりも大きなものだったのである。戦後は敗戦で焼け野原から出発して経済を復活すること豊かになることが目的となったのである。そのときの価値観は経済的に豊かになることでありそれしかなかったのである。
とても人間は経済的にある程度満たさられると何か他のもの求める。それが今ある程度豊かになって価値観が変わってしまったのである。だから本当に変なのは大学の教授がみんなアーティストになれとか言っていることである。そんなこと団塊の世代とか企業戦士とかモーレツ社員の時代に言ったら相当な反発があった。

でも今になると私のように生きた遊びに生きたい人は価値あるものともされている不思議がある。なぜなら老人になってただ暇を持て余している人も多い。その人たちは何の価値も社会に提供しないからである。でもそう趣味に費やした人でも遊んだ人でも旅に費やした人でも今になるとそれが価値あるものまでなってしまったのである。だから価値観が変わるということは時代によって必ずあるということである。そんなバカなということが時代が変わり起きてくるということである。

●思考脳創造脳感性脳遊戯脳の時代に

その一つが子供時代にそろばんを習ってそろばんができたことを自慢していたかそろばんは何の役にも立たなかった。その労力と金も全く無駄になってしまったのである。むしろそろばんなどより算数でもそれを興味あるものと自主的に学んだらその後の学習にも影響した。つまり暗記教育は何の役にも立たないということである。確かに暗記も必要ではある。でも肝心なことは思考脳創造脳感性脳遊戯脳でありそれがいま求められていることが時代が変わったことなのである。
思考脳創造脳感性脳遊戯脳は結びついている。学習でも遊ぶということは思考脳創造脳が必要になる。算数でもソロバンのように暗記ではなく図形でまなぶというとき具体的にボール紙でも切ったり遊びのようにして学ぶということが興味を持つことになる
ただ暗記だけのソロバンのようなことでは算数でもその後数学でも興味をもてなくなるのである。だから思考脳創造脳感性脳遊戯脳を一体化することが大事である。

だから職人が私に対してあなたは遊んでいるだけだという時その人は暇を持て余しているのである。その人は何か人生が遊びだということは全く理解してない。また金を稼げないものは価値無いものとしているのである。そこは職業によりまた時代によって価値観が変わることがでありそれを理解していないということである。
だから必ず時代によって価値観は変わる。戦前は国家一辺倒であり国家の価値が第一であり。戦後は焼け野原となり経済は豊になることは第一の価値であったのである。でも今になると確かに豊かになることは必要である価値がある。それでもやはりそれだけではない別の価値を追求するようになってきたのである。だからみんなアーティストになれというのはそういうことなのである。ただ一面今はまた貧乏な時代になったということでそういうと反発されるようにもなる。それは時代は固定されていない常に変わるからそうなるのである。

2023年12月02日

冬の日に南相馬市の原町区をまわる(井古墳、十一面観音、新田川) 【冬の雲、冬椿、銀杏、枯野、落葉、枯芒・・・】

冬の日に南相馬市の原町区をまわ(桜井古墳、十一面観音、新田川)

【冬の雲、冬椿、銀杏、枯野、落葉、枯芒、白鳥・・・】

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ここはまだ津波の被害の跡が残っている

【泉の十一面観音】

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裏が石でできているのはめずらしい

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野は枯れてノスリ一羽や朝の空
三本の樅ノ木変わらず冬に入る
冬の雲樅ノ木三本動かざり
山鳩の公園に見かけ冬椿
冬椿垣根に木の列大古墳
落葉踏み根付ける木々の太しかな
新田川瀬音ひびきて冬の山
野は枯れて十一面観音閉ざされぬ
みちのくの野は枯れ沖に船一艘

津波後消えにし家やその後に残れる石や冬の日暮れぬ
新田川岸辺に芒白鳥の五六羽身を寄せはや日の暮れむ
冬の日のさして古き碑何語る木の葉一枚ここに散るかな

今日は原町の方を回った。道の駅にから三本のモミの木が見える。そこには前は仮設住宅が立っていた。今はもうなくなった。何か老人になると遠くに行くのは億劫になる。それですでに十四五年旅をしていないのである。旅ばかりしていたのに今になるとそんなにしたくないとなる。何かその三本のモミの木のようにその土地に根付いて動きたくないともなる。

そのもみの木は三本でも信頼し合っている。そこに安心がある。でもそういう人も居ない。ただ何かその三本のモミの木を見てたら心も落ち着いたのである。やはり人間はいずれはどこかに定着して落ち着く。そういう場が必要なのである。。ただ信頼し合う人というのはなかなか得られないのである。

新田川は浅瀬の川である。深いところがない。でも相馬市の宇多川よりはましである。あの川には何か魅力が感じられない。ただ上流に行くと川の様子が全然違ってくる。荒々しいものとなってくる。大きな石がごろごろして険しいという感じになる。だから川にもそれぞれ必ず表情がある。川はやはり上流まで昇って見ないとその川の表情がわからないともなる。

新田川の岸辺の公園の銀杏木は陽に輝いていた。そして落葉を踏んでその根が太く根付いてるの感じる。山鳩が枯木の枝に止まっているのを見えた。そこに椿が咲いていた。今の時期は冬椿であり寒椿にはなっていない。それから桜井古墳にも垣根に冬椿が咲きこ木々が列をなしている根付いている。何か写真を撮る時見方を変えると違ったものに見える。

山鳩が来たのは幸運だった。鳥はすぐ飛び去っていくからなかなか写真に撮れない。今回も山鳩はボケてはっきり映っていなかったのは残念。写真でもカメラの機械の問題もあるがシャッターチャンスを逃さないことが大事なのである。鳥の場合はすぐ飛び去ってしまうのでなかなかいい写真が撮れないのである。

泉の十一面観音のお堂はいつも閉ざされている。 十一面観音見れるのはいつなのかとなる。開帳するのはいつなのか秘仏となっているのかもしれない。また周りの碑を見たら象頭山とあり珍しいと思った。それは実際に四国にある讃岐にある金比羅山の別名でもある。ということは金毘羅参りがはりその記念だったのかどうだ。金比羅の碑は結構この辺でもある。金毘羅参りは明治までブームになっていたということである。

(金刀比羅(ことひら)宮を目とし、南側の愛宕山を鼻として象の頭に見立てられるところから) 香川県西部、琴平町にある琴平山の別称。
[二] 江戸時代、金刀比羅宮が、神仏習合のため、金毘羅大権現松尾寺と称したころの山号。

2023年11月30日

俳句の英訳の試みー意訳になるー一つの英語の言葉の意味がわかりにくい 【神の手に万物一つに結ばれる冬】


俳句の英訳の試みー意訳になるー一つの英語の言葉の意味がわかりにくい

【神の手に万物一つに結ばれる冬】



神の手に万物結び冬に入る

神の手に万物一つに結ばれる

物言わず万物硬く冬に入る

冬に入る万物硬く結ぶ合う

深々と万物硬く根ずくかな

冬に入り万物整い神ましぬ

石と石組まれ重なり冬に入る

人の業休まむ時や冬に入る


the almighty of God control 
complete over nature.
strong and perfect in winter
as all united one

all silenced nature in winter
deeply rooted in the earth
Strict and solemn 

one by one 
built in stones
all united one
winter come

God exsist 
all united one
in order
in winter

Presence of God
with no working man
a state of inaction
objects at rest in peace 
quiet in winter


She rested her eyes on me and smiled.
 彼女は私に目を留めてにっこり笑った.

何故ここにrestが用いられているのか?目が留まるでstayにもなるのでは、休むということが理解できない。rest には停止する意味があるからその目線がその人物に停止したとなるのか?

one by one 
built in stones
all united one
winter come

本質的な成分、あるいは特質として存在するさま
(existing as an essential constituent or characteristic)

この俳句を説明すればこうなる。そもそも詩の翻訳はできない、詩は言葉の芸術であり言葉の意味を深く知らないとできない
漢字にしても中国人の漢字が意味しているのと日本人の漢字は同じ漢字を使ても意味を違ったものとして使っているからだ

いずれにしろ詩の翻訳は不可能だしコンピューターでも翻訳できない、詩とは高度な言葉の芸術だからである。
外国語になるとこのrestのようにただ休むというののでもないからである。
ただ外国語で表現すると何か感覚的に違ってくる。漢詩でもそうだが韻を踏むということで有利ではある。どうしても日本語は冗漫になるからである。

ただ私の語学力で翻訳は無理でありただ意訳することで英語の表現にすると無駄なものが省かれて引き締まるとはなる。
おそらくこの俳句を英訳しても英語を母国語とする人たちには余りに平凡でつまらないとなるだろう
俳句は日本の季語から成り立つものだから基本的にそれがわからないと理解できないからである。
意訳すればただ平凡な説明にもなってしまうからである


隠栖の老いの棲家や冬の星


The old man retires
at the hidden house
a star in winter

ここでも隠栖の表現が英語ではただ引退したとなり何か平凡になる。
外国人には漢字の意味がわからないからまた漢詩でも訳してももその真意が通じないのである。


2023年11月23日

冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー金山―大内を経て帰る 【俳句短歌の連作】


冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー金山―大内を経て帰る

【俳句短歌の連作】

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空家に郵便箱がありなんとも淋しい、郵便が来るのをまだ待っている
とにかく空家が目立つのである

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相馬市の熊野神社

【塩手山】

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佐藤氏の家ニ軒が並んでいる

【山上】

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安政だからめずらしい

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【丸森へ】

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疲れたので寝そべった石

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ここにまだ一軒家が残っている

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この石もいい石である

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ここは五反田である




牛のいて鶏鳴くや冬の朝

残る柿空家一軒郵便箱

【相馬市へ】

紅葉濃く熊野神社の杉太し

【塩手山】

山頂の紅葉に朝日塩手山

塩手山降り来る人や冬桜

佐藤氏の二軒の家古り冬に入る

【山上】

物倉に我がまた来たる冬に入る

【滝平】

紅葉散る滝のひびきて巌かな

滝響きあまた木の葉の朝に散る

滝壺の水底見えて冬の朝

【丸森へ】

古田口なお一軒の家冬に入る

バス停に地名をとどむ冬の菊

短日や心に残る分かれ道

五反田と丸森あはれ短き日

金山城侍守る冬の月

金山に菓子店ありや冬の菊

峠越え相馬へ行くや冬の月


干し柿に大根干すや山上に家そ古りしや蔵のありしも

山上に馬頭観世音の碑の一つ安政とありぬ冬の日さしぬ

寄りかかる石の一つやその石の心に留めて冬の日に行く

丸森の川に大きな石一つ動かざるかな冬の日暮れぬ


相馬市にある熊野神社は相当に古いと思う。熊野神社は全国で3000から5000もあるという。蟻の熊野詣と言われたようにそれだけの人が熊野に参拝したということである。ここで杉でも太いのはそれだけ古いということをもう語っている。でも何かこの神社は忘れられたような感覚である。

塩手山には冬桜が咲き紅葉に染まっていた。この山は低い山であり簡単に登れるがまだ上っていない。その麓に佐藤氏の家が二軒並んでいる。その家はかなり古いと思う。福島市にある医王寺の義経の従者にあたる佐藤氏の系統である
また佐藤庄司の系統でもある。

月の輪の渡しを舟で越えて、瀬の上という宿場町に出る。源平合戦で義経の下で活躍した佐藤継信・忠信兄弟の父、元治の旧跡は、左の山のそば一里半ほどのところにあった。

飯塚の里、鯖野というところと聞いて、人に尋ね尋ねいくと、丸山というところでようやく尋ねあてることができた。

「これが佐藤庄司の館跡です。山の麓に正門の跡があります」など、人に教えられるそばから涙が流れる。
また、かたわらの古寺医王寺に佐藤一家のことを記した石碑が残っていた

奥の細道に記されている。相馬市一帯は中世ではもともと佐藤氏が支配していた。そこに相馬氏が進出して支配したのである。佐藤氏の方が古いのである。

山上にあった馬頭観世音の碑は安政とあったから古い、なぜか
馬頭観世音の碑はいたるところにある。でも不思議に江戸時代のものはほとんどない、それはなぜなのか、やはり江戸時代までそんなに馬でも使っていなかったからかとなる。それと庶民が墓を作れなかったのは貧乏だからともいう。確かなことは馬を使って運搬したというこがそんなになかったからだとなる。だからここにある安政の馬頭観世音の碑は貴重である。

そこから滝平の方に向かった。途中に物倉というバス停がある
滝平は結構水が流れこの辺ではめずらしい。おりしもその滝が轟き紅葉が木の葉が散る。滝壺は澄んでいて水底が見えた
そこから松が房ダムに向かった。そこは坂が続くので苦しかった
大きな平たい石がありそれによりかかる。それでそかが【寄りかかる石】とも名付ける。松が房ダムから下ると古田口というバス停の標識があり一軒の家がまだある。空家になるのが多いがここはまだ残っている。

そこから山間の川を下った行ったがここは結構長い道のりだった
途中川の中に大きな石が目立った、すると大石という地名にもなる
それから国見宿舎の阿武隈山荘がありそこは今は宿泊できない、風呂には入れるという、そこはキャンプ場にもなっている。車専用でもある。そこにおばちゃんが話していた。そこで語られたの津波のことだった。何か原釜の人で津波の被害にあって丸森に移り住んだという。丸森も水害の被害が大きかった。丸森は森の町であり川が山から細くてもいくつも流れてくる。でも一旦大雨になるとそうした小さな川でも大量の水が流れてきたのである。
山津波というのもある。その被害も大きかった

そこを出て丸森な街へ向かった。途中分かれ道がある。必ず分かれ道がありそれが心に残る。この道はどこに行くのだろうと想像するからである。だからこそ分去(わかれさり)という地名が多いのである。でも車時代になるとそういう歩くことで感じたものがなくなったのである。そこで失われたものがある。それは旅がなくなったのである。車では旅にならない移動なのである。ある地点までの移動なのである。そこで車用に作られたキャンプ場に行くとなる。

五反田という地名が多い、五反百姓とも言われいかに貧しかったかを物語っている。もう陽も沈んでゆく、3時ころになると陽が山に沈みかかる。だからすぐに暗くなる、自転車は暗くなると危険なのである。丸森は街の中心部から外れた金山とか大内が結構大きな町なにである。だかろそこにお菓子屋がある。このお菓子屋はどんな辺鄙な町にもあう。それはなぜなのかお菓子屋そこでしか作れなお菓子を作っている。

私の近くでもお菓子屋があカステラがうまかった。それはそのお菓子屋でしか作れなかったのである。それが強みでなりたっていたのである。つまり自家生産してそれがその店でしか作れないから未だに自営業として成り立っているとなる。その他はスーパーとかで個人商店は消滅しつつあるからだ。なにかオリジナルなものがないと商売もつづかないとなる。

金山城には寄らなかった。暗くなりつつあったからである。山城は魅力がある。自然と一体化しているから魅力がある。そして金山城は一時は相馬藩に属していて相馬氏が城主にもなっていた
その石垣は古くその形が残されている。
それから相馬市に行くには峠を越える。それが長いから苦しい
その時真っ暗であり自転車は夜は危険である。でも道は知っているから安心だったが途中相馬市にでて道に迷ったのである。
ただ下り坂になっていればやはり平地の相馬市街に向かっていたのである。冬といても暖かかったから寒さわ感じなかった
自転車で日帰りできるのは浪江とか飯館とか山元町から丸森までである。その辺までが一体感ある地域だとなる







2023年11月20日

冬薔薇【一日風が唸り吹いた】


冬薔薇【一日風が唸り吹いた】

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冬薔薇二輪散らずや風唸る
冬薔薇二輪散らずや惜しむかな
冬薔薇二輪や暮れぬ我が庭に
冬薔薇二輪や暮れて月光る
晩菊の今日もこの道買い物へ
冬の灯や二軒ともしや原の中

今日は朝から風がうなり吹いていた。それで買い物に行こうとしたら自転車が風であおられて行けなかった。とにかく買い物というのは毎日であれ人仕事なのである。だから足が悪くなって買い物に行けなくなった人は本当に困ることになる。

冬薔薇が2輪咲いている。いかにも冬装備という感じであるそして窓には冬の3日月が光っている。でも今は晩秋にもなっている。ただ今日風がうなったのは木枯らしなのだろう

とにかくこのプログというのは毎日報告するということに向いている。リアルタイムで報告するということに本当は向いている。だから確かに日本であれ世界であれ同じ月を見ているかもしれない。でもその次月が出る場所はみんな違っているから違ったように見えるのである。

まだ本格的な冬になったという感じはしない。でも確実に本格的な冬に向かっているとなる。何か今日は月の脇に土星が光るのは見えるという。でも家の窓からは見えていないでも東の方に強く光る星が見えるからそれが土星なのか?

ともかう風が一日吹き外に出れない一日だった。冬の灯というときやはり田舎の原のような所で灯っているのが心にしみるとなる。都会だとそうはならない、ビルに灯るのと田舎の何もない所に灯るのとは相当に違う、田舎は人間的になる。




2023年11月16日

冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景色】


冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景色】

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他の写真は失敗だった、でも近くだからまた撮れるからいい。


松の古り昔の街道冬の

街中の畑に日さし冬の菊

店一つ裏の通りや冬の菊

冬の菊五六軒の部落かな

冬の川流れ響きて一部落

養蚕の家なほここに残る柿

故郷や心に沁みぬ冬景色

冬の灯や近くの知る人あわれかな

午後の日を静かにあびて冬の菊老いて安らぐ場のあればよし


原町の昔の街道を通りそれから街の中を走りイオンに行き深野から橲原に出てきた。原町は相当に広い。だから裏通りにも店があり冬の菊が映えていた。ただそもそも通りがあっても店はなくなっている。

今回のテーマは冬の菊である。つくづく日本の文化は四季から作られている。ある人は日本は時間軸で生きる世界だという。それもそうだと思う、日本は島国でありすぐに海に出て果てる、道はなくなる。でも大陸は広大な空間を生きる。果てることなく空間が広がり道がつづく。だから広大な空間を征服することが歴史でもあった。空間を移動して果てに未だ見たことない新世界を見る発見することである。
日本はすぐ海に出て世界は尽きる。すると四季の変化明確でありその変化に生きる。だから日本人は季節に敏感であり季語が不可欠な俳句が必然的に生まれたのである。

橲原【じさばら】にでて立目石があり柿がなり養蚕した兜屋根お家がある。
何かそれが日本の原風景である。でもそうした農村風景は失われた。おそらく戦後十数年くらいまであった。なぜなら依然として農家が六割くらいまだ存在していた時代だったからである

私が一番不思議に思うのは高校まで蒸気機関車が走っていたことである。それが信じられないのである。いずれにしろ時代が変わると風景も変わる。だからその時代時代の風景がある一時代が過ぎ去るとその風景も変わりその時のことが景色でもわからなくなる。だから冬景色というとき農村社会のときは今とは違っている

その時藁葺き屋根であり兜屋根の養蚕をした家があり必ず干し柿をした家がありその前にわでわ農家の人が仕事していたのである。今はどうかといっても近代的な新しい家に住んでいる。だからどこが農家かもよくわからないのである。第一農家の人でも全体でも1割にも満たない生産量しかないのである。だから純粋な農家というのは実際は稀になっているのである。農家だけで働いている人は梨農家のとか花栽培とかである。そういう農家は全体から見れば本当に少ないのである。

とにかく冬は田舎に合っている。でも今年は確かに冬にはなったのだが周りの景色を見ると冬ではない。木枯らしだって吹いていない木の葉もまだ大して散っていない。だから落ち葉の道にもなっていない。紅葉でもまだちょっと色づいたくらいである。そして晩秋とか秋深むとかそういう感覚がなくなって冬になってしまっているのである

2023年11月15日

冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれる


冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれる


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この部分に言葉をいれると何かつながりあり俳句にもなる


物言わず万物硬く冬に入る

深々と万物硬く根ずくかな

石と石組まれ重なり冬に入る

石一つ隠され黙し冬に入る

冬に入る万物硬く結ぶ合う

冬に入り万物整い神ましぬ

一段と山の厳しく冬に入る

日本なれ山遮りて冬に入る

人の業休ま無まむ時や冬に入る

神の手に万物一つに結ばれる

神の手に万物結び冬に入る

ポトリかな時雨一滴人は死ぬ



今年は秋がなくなったというは確かに晩秋とか秋深むとかがなくなり冬に入ったことになる。でも冬になっても紅葉がようやく色づいたともなる。でも気候的には急に冬になったのである。だから季節の感覚が狂ってしまったのである。日本人は季節の感覚に敏感であり季節が変わるたびにやはり心も変化する。それで俳句という芸術は生まれたのである

冬は万物は休むときである。でも人間の活動は休むことがない。田舎だと稲も刈られて刈田になり季節の変化を感じる。でも奇妙なのは風力発電の風車は風に回り続けているのである。それは休むことはないということである。文明活動に人は疲れる。東京のような人ごみの中にビルの乱立する中に生活できると思う

私自身は東京で大学生活をしたりアルバイトしたりしていたことがあったが東京を嫌悪してで引きこもり生活を実に30年もしてきたのである。その時旅もしていたが日常的には家にこもっていたのである。そしてそこには人は見えず人とは接しず自然と一体化することをアイデンティティ化することをしてきたのである。

そしてそのような俳句とか短歌とか詩を作り続けてきたのである。ただこれは本当に異常なことであり家族に恵まれた結果だったのである。なぜなら家族は私を攻めることもなかったからである。でもそういう生活が自分の性格に性分にあっていたのである。

今でも自分は人と付き合いたくないし冬のように荒野のようにそこに誰も人もいない時心は落ち着くのである。そもそも東京のようなところで生活している人は精神的に既に異常化してしまうのではないか。そこから生まれるのは何かカルト宗教とか異様なものだったのである。まず芸術というのは東京からは生まれないと思う。あの華やかなルネッサンスが生まれたのは5万くらいの都市でありフィレンツェだったからである。そんな小さな都市であれだけの芸術が生まれたということは本当に驚きである。

人間は文明社会はバラバラの世界でありそこはもはや人間の感覚で総合的に見ることができない。人間はただ無数のパーツとなり機械の部品となり日日奴隷化されているように見えるのである。何かそこで確かに経済的には効果があり豊かにはしているかもしれないが精神的には実りがあるのだろうかとなる。

神の手に万物一つに結ばれる

all united one by God hand in winter

自然は神の手によって一つに結ばれている。でも人間の社会は文明社会は何によって結ばれているのかばらばらになった部品の集まりでありそこ結び合わせるものがない。もはや誰もグローバル経済のことなど理解できる人などいないのである。だから株などは誰もわからない。そこは巨大な世界のギャンブル場でありだからこそ今覇権国であるアメリカの支配階級は世界の富を集めているという陰謀論にもなるのである。それはあまりにも巨大でありどのように繋がりがあり結ばれているのかも誰も知りえないからである。

ともかく私の性分はそこに人がいないことであり荒野が広がり自然と一体化するとき心が安らぐのである。そもそも人に何かまともな人間もいないのである。田舎では人からの刺激に欠けていることは言える。ともかく冬というのは自分は好きである。また老人になった結果まさに老人は冬なのである。冬が一番似合っているのである。

2023年11月14日

俳句が写生になるのはなぜなのか? (時雨は死を連想させる―確実に冬になった)


俳句が写生になるのはなぜなのか?

(時雨は死を連想させる―確実に冬になった)


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紫に橙に赤の木の実かな

寂として冬薔薇一輪に蕾かな

山茶花のあまた白しや人も来じ

はや暮れむ家の近くに時雨かな

人は生き何を残すや時雨かな

四五軒隣空地化時雨かな

老いの身に銀の雫の時雨かな

俳句というとき私は正岡子規の写生を基本に学んだ。なぜそれが俳句に適していたのか?俳句は短すぎるから悲しいとか淋しいとか感情的なものとか説明を加える表現の余地がないからである。
だから写生が短くてもそこから鑑賞する人がイメージさせるのである。だから写真と相性がいいのである。でもすべて写生でも表現ができない、つまり内面的なものになるとなかなか表現しにくい、写真でも絵でも表現しにくい、だから言葉になると内面的な物が表現できる。でも俳句では短くてできない。
そもそも芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである。

午後から家を出たらすでにくれつつあった。まだ三時過ぎたとであり夕方にもなり風が冷たい、本当に冬になった。これまではまだ秋だった、ただ晩秋とか秋深しとか感じなかった
ただ確かに冬になった。家を出たら時雨であり秋時雨ではなかった。何か一日が暮れるのが早いと思った。人間は自然でも年齢によって感じ方が違う。老人は時間が早く過ぎるとなる。そして死が現実としてまじかなのである。

人間は死んで何を残すのだろうか?ぽつりと時雨一滴のように死んで何も残さない。時雨は死を連想させる。一滴の時雨が死に水のようにも思える、人間とはそれほど儚いものだったのである。
これは老人にならないとわからないのである。もうすでに回りでもあっけなく死んだ人が多い。そして誰もその人のこと語ることもないのである。これもわびしいとなる。人間はほとんど忘れられる。人間は一体何を死んで残すのだろうとなる。一滴の時雨は死を連想する

『 日の脚に 追はるる雲や はつしぐれ 』加賀千代女

これがふさわしい句だった。

『 ともし火の 一つ残りて 小夜時雨 』 正岡子規

おとはしぐれか 

私もしばしば庵を訪ねてその厠にしゃがんだことがあるが窓のない暗いところ。秋深む天地のささやきが、孤独な山頭火の体を竪に通って地に落ちる、そうしたしぐれではあるまいか。」と紹介している。(『別冊新評』山頭火の世界「俳僧山頭火の句」大山澄太)

この音はまさに死を告げる音でもあった。今の時代都会では時雨とか感じにくい。また車社会になると自然が感じにくくなる。
風も雨も感じないからである。そこに車によって人間の五感が喪失したのである

とにかく家をでて近くで時雨を感じる。隣も四五軒壊され空地化した。すでにそこに住んだ人も誰かもわからないし語る人いないのである。死んでまだ数年も過ぎたい無くてもそうなのである。
ただ無常を感じるだけである。

ともかくプログはその日その日のことを報告するのに向いている。なぜなら印象に残ることをすぐに書けるからである。一日でも過ぎるとまた印象での変わってしまうからである。
プログはリアルタイムの報告に向いているのである。
こうして報告表現する場は今までなかったのである。おそらく死ぬ間際まで力が残っていれば書きつずけることがありうる。それを読む人もまたリアルタイムでよむということはありえなかった。雑誌に投稿しても一か月先ともなっていたからである。

とにかく今が晩秋なのか秋深しなのか季節的に狂ってしまった。
ただ冬になたことは確かである。


2023年11月09日

鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだが駅で待っている ー忠犬ハチ公のこと―残る柿、秋深む


鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだが駅で待っている
ー忠犬ハチ公のこと―残る柿、秋深む

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晩菊や飲み屋のありて路地の裏
駅舎古り電車を待つや残り柿
主待つ忠犬ハチ公秋深む

秋の薔薇朝日をあびて我が庭に静かに咲きて散りにけるかな
自転車屋星氏の死にて淋しかな駅に待ちしや秋の夜帰る

久しぶりに仙台に行った。今年は暑くて仙台にも行けなかった。四ヶ月くらい行ってないかもしれない。ただ仙台に行っても駅の中を回って早めに帰ってきただけである
人間で最も不思議なことは不可解なことは人間が死ぬということである。昨日まで普通に話していた人でも死んでいるのである。でも人は死んで全く消えてしまうのかということである。
私の家族はみんな死んだ一人はもう十年以上過ぎている。だから月日が経つとともにどうしても人は忘れられる。そんな人いたのかとも存在していたのかと思う。家族ですらそうなるのだから赤の他人など全く忘れられてしまうのである。

ではなぜ自転車屋の星淳一氏のことをを思い出すのだろうか?別にそんなに親しいというものでもなかった。ただ自転車が好きで自転車で関わったのである。それよりなぜ自転車の星淳一氏が全く消えるというのではなく何かその存在が死んであとも残っている。駅から降りるとその前の自転車屋でありその自転車屋は駅とと一体化していたのである。だから電車で帰ってくる時駅に降りると自転車屋があり星淳一氏が待っているように思えるのである。

何かそもそも駅というのは鉄道でも相当100年以上とか古い歴史をもっているから鹿島駅の駅舎でも明治時代から作られたものであり古いのである。だから鉄道マニアの人が見に来た人がいたのである。何か鉄道というのは歴史は古いから本当に幽霊でものっているような感じもするし駅でも誰か幽霊となって待ってもいるとかなる。それくらい歴史の古いからそうなったのである。

それでなぜ忠犬ハチ公の物語が生まれたのか。それもやはり鉄道というのはそれだけ人間と関り古い歴史を持っているからである。何か忠犬ハチ公に惹かれるのは犬の方が人間を忘れないし忠実に仕えているということである。人間は人が他人が死んだらすぐに忘れる。人間がも他人に求めるのは利益がとっただけだとなるからである。つまり人間とは犬より非情なのである。
それで大金もちがネコに遺産を残すよ遺言したことでもわかる。人間はよくお金のことしか頭にないのである。それでその大金もちも人間に嫌悪してネコに財産を残すよ遺言の遺言を残したのである。その気持ちがわかる。

とにかく人間は利益しか金しか求めない。金の切れ目が縁の切れ目になるのはあたり前である。それほど人間の関係も薄情であり無情なのである。だからその点犬の方が人間よりましだとなる。それをつくづく介護とかで人間の非情を経験してから実感したのである。だから忠犬ハチを駅の前に置くことに意味があった。

鹿島駅は無人駅だが菊が咲いて秋のバラが咲いて残る柿が実っていた。ただ乗る人は4 5人とか少ないのである。それは相馬市になると30人くらい乗り降りしている感覚になるからである。その差も大きいのである。
ともかく仙台市から鹿島駅に帰ってきて誰もまず人は居ない。自転車屋は明かりもつかず閉じている。でも不思議なのは星淳一氏が幽霊のように待っている感覚になる。はまだ死んでから一年も過ぎていないからかもしれない。時間が過ぎればやはり忘れ忘れられてゆくのかもしれない。家族でも十年過ぎると忘れられてしまう。ただ忠犬ハチ公は記念として残りそれは語られ続けるということである。
それにしても十年間も待ちつづけたことには驚く、こんなこと人間には絶対にできない、家族ですらできないからである。

人間は死んでも長く語られ続けるものがあればそれは何か生きる価値があり意味がありそのために語られ続けるのである。だからそういう人になる必要がある。でもあまりにも都会化して大きくなると返って人間の存在感はなくなる。一軒の自転車屋でも店でもなくなっても他に行けばいいというだけになるからである。自転車屋は一軒しかなくなったということでその存在感が大きなものとなっていたのである





2023年11月06日

人は死んで何が残るのか―愛は消えない 【姉と母は私にとって忘れられない―生き続けている】


人は死んで何が残るのか―愛は消えない

【姉と母は私にとって忘れられない―生き続けている】

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姉と母歳月過ぐも忘れえじ面影浮かび悲しかりけり

愛し合う人はなかなか消えざりき時に面影浮かび悲しも

姉と母死してのちも我が一人家を支えぬ見守りぬかも

愛あれば歳月すぐも通い合う心にあれや秋深むかも

人は死ぬ残すは何や愛にあれ目には見えずも通うものなれ


人は死んで何が残るのか。また何を残すのか。もう姉が死んでから十年以上過ぎた。母は7年は過ぎた。時間がは過ぎるのは早い。でも何もなくなったのか。死んだ人は灰となりただ消えるだけなのか。何も残すこともないのか。愛は消えずに残るとか本を読んだ。愛は消えないという。でも愛といってもそれはもう見えるものでもない。形もないのである。

でも確かに愛というのは簡単には消えない。依然として愛し合ったものは心が通い合っていると思う。でも親であれ兄弟であれそんなに長く死んでから思っている人がいるだろうか。たいがいやはり忘れてゆく。親でも全くは死んでから思わない人がいる。それは親に何かそんなに良くされず愛されなかったからともなる。だから必ずしも親子であれ兄弟であれそんなに長く死んでしまってから思う人は無いかもしれない。ただ家族もいろいろ事情が違うからわかりにくい。親を恨んでいる人さえいるからである

おそらく私の場合は特殊な事情で60年間も子供の時から一緒に生活していたことで忘れられないものとなった。やはり長く一緒に暮らしたということが影響していたのかもしれない。また特別私が一人であり一人っ子であり愛されたということもあった。それはただ特殊なことでありそこには問題があった。

ただ人間は何を残して死んでゆくのか。死んでしまったら何も残らないのかということである。このことをよく考えねばならない。ただ人間は死んで灰となり消えてゆくだけなのかとなるからである。そうなればただむなしいとなってしまうだけである。そしたら生きるとは何なのか分からなくなってしまう。

一方で死者を愛せよという。そして死者を愛するということはどういうことなのか。死者は目にも見えないし形もない話しかけても何の返答もない。そんな人を愛せるものだろうか?そもそも死者が存在しているのかどうかもわからないからである。だから死者を愛することは何の報いもないし返答もないしそんなことを続けられるのかとなる。

何か死んだ人を思うときそれは生きていた時のことを思い出して死んだ人のことを思っているのである生きている時愛されたことを思い出してその人をまた心に浮かび愛するともなる。だから全く知らない人を死者を愛することができるのかとなる。死者を愛す時やはり生きていた時の継続として愛する。愛されたから愛するとなる。愛されもしない人を死んでから愛すこてはむずかしい。その辺が理解しにくい、そもそも死者を愛することはどういうことなのか理解しにくいのである。
いずれにしろ生者と死者の関係は何になるのか不可解だとなる
ただ人が死んで形もなくなり何もなくなっても何も残らないのかそういうことにははならないことは確かではないか

愛が残っているというか依然として愛が通っているということを感じている人も多いだろう。ただそれは生前のそれぞれの生活や関係によるからみんなが死者を愛しているということはありえない。だから生と死は断続しているのではなく依然として連続している継続しているものだともなる。愛している人がいればまた愛されその関係は死んでも継続しているということである。やはり愛が通じ合っているともなる。でもそれは生前の関係の延長でありみんながそうなるともならない。

ただ神が愛だという時神は全く人間に無関心ではない。愛する者に対して無関心ではない。だから神が人に直接関わってきたのである。それは聖書に記されているそこに奇跡も生まれている。神は直接に人間に関わった事実は記されたのは聖書なのである。

ともかく秋になっても生ぬるい風が今日吹いてきた。季節感覚が何か狂ってしまった。もう冬なのに風は生ぬるいのである。だから今年は暖冬であり冬になるのは遅いのかもしれない。

2023年11月04日

国民国家とは近代に形成されたもので新しい概念である 【文明は民族人種を越えて共同するために作られた―ユダヤ民族主義宗教の問題】


国民国家とは近代に形成されたもので新しい概念である

【文明は民族人種を越えて共同するために作られた―ユダヤ民族主義宗教の問題】

●江戸時代まで日本では国民意識や国家意識がなかった

国民国家というのはどうして形成されたのか。日本の場合江戸時代に日本国民と言う意識をもっていない。日本では仲間と感じていたのは村単位である狭い社会である。そもそもこの社会というのは社(やしろ)に会すであり城を中心としたはいがその範囲は狭く一つの仲間意識を持つもの物としてあった。
社では現実に人々は集まり会合していた。そこで祭りを行ない共同で協議して何かをすることを決めていた。でも村単位となれば極めて狭い社会が仲間意識を形成したのである。そして仲間意識を形成するということは逆に仲間の掟がありそれに反するものは村8分になったのである。農民社会では土地を基本にして生活しているから村八分にされることは極めて厳しい罰だったのである。
だから村単位で生活しているとき境が大事になる。それで境となることを石碑やら何か村の境を示すものは必要になったのである。

ただいくら村の単位として生活していても江戸時代なら藩があり殿様が居るからその殿様のことを身近に知っているしその配下に侍がいて侍は役人であり村を支配していた。米を税として納めるとかきわめて身近なもの生活に直接かかわるものとしては藩主は存在した。つまり相馬藩だったら相馬藩に属しているということそこが国となっていたのである。でも相馬藩は意外になるとそこは別の国になっていたのである。だから関所があり今で言う国境ともなり簡単に出入りできなかったのである。藩ごとが別の国になっていたのである。そこで日本国民と言う意識は持てなかったのである。

●明治維新後ヨーロッパと接して国民意識を持つようになった

国民国家意識を持つようになったのはヨーロッパなどの外国人が入ってきてその外国と支配されるということで恐怖を感じて日本の国民国家意識が作られた。明治維新では地まだ日本国民国家意識はなく薩長とか長州とか藩の意識の中で生きていた
それは西郷隆盛の反乱で西南戦争が起こりその時侍に対して国民兵隊が組織され組織され侍の軍隊と戦ったのである。
その時確かに日本国民と言う意識が生まれたのである。
なぜならその西南戦争に薩摩長州に敗れた会津の藩士は国民軍として参加していたからである。つまりその時藩を越えたものとして日本国民の意識が芽生えて参戦したのである。
そしてその国民意識が日本の場合強烈なものとなり日清戦争から日露戦争から太平洋戦争とその規模が拡大して次には太平洋戦争で300万人も戦死したのである。それは第二次世界大戦でありその戦いが熾烈になったのは国民同士の戦いであり規模が大きかったからその犠牲者も大きいものとなったのである。

でも国民国家の問題は国民意識というのは近代化して起きたものであり新しいものだったのである。フランス国家でありドイツ国家であれイギリス国家であれもともとそうした意識は国民意識はなかったのである。国にしても細分化してそうした大きな国民として一体化することはなかった。中世だとそもそもそんな大きな国家国民国家はなく都市国家でありその都市はは城壁に囲まれてその中で共同意識が育まれた。それがシティズンシップである。その都市国家でも規模としてはとしては5万くらいであり小さなものだったのである。とても今に今ある国民国家というものからすれば極めて小規模なものだった。それでも都市国家同士で戦争をしていたのである。マキャヴェリの君主論はその都市国家同士の争いから生まれたのである。日本で言えば江戸時代の藩主があり別々の国だったともなる。

●都市国家を越えるものとして商業があった

ただその都市国家を超えるものとして商業連合としてハンザ同盟などができたのはヨーロッパでわ川が運河のようになっていてものでも人でもその川が道となり連携できたからである。それは都市国家を超えるものとして形成されたのであ。つまり商業というのは必ず遠くから物をが入ってきたりものを運んだり貿易があるから壁で囲んだ都市国家内でまかなうものとはなりえない。商業というのは一つの地域にとどまることがないからである。

だからこそアルファベットを発明したのは商業民族であるフェニキア人だったとなる。なぜなら共通の言語が文字がないと商業は成り立たないからである。必ず売買するには証文として文字が必要になってきたのである。まさに契約というとき神との契約というときそれは商業から発生したものなのである。砂漠の遊牧民は最初の商人だったからである。広い範囲を移動する人たちだから当然そのまま商人にもなったのである。

聖書の契約という思想は商人となった遊牧民から生まれたものであり農民ではなかったのである。商業とか貿易は一つの村とか狭い範囲から拡大してゆく。商業になれば相手が何であれ人種が違っていても互いに得すればいいということになる。だから商業というのは普遍的なものがある。民族が人種が違うから商売しないとなれば利益を得ることができないからである。だからヨーロッパでハンザ同盟とあればそれは都市国家を超えた一つの大きな商業共同体であり一つの文明を形成するともなる。

●文明とは民族人種でも越えて広い範囲で協力すること

つまり文明とは何かというときそれはより大きな共同を目指すものである。いろいろな民族がいてもそれらが争っていれば大きな協同性は生まれない。それで日本では村は中心の共同体であり商業になる時商人が来るとき神社の境内をて無縁の場として外部の人を入れたのである。もともと縁結びの場だったが商売のときは違ったものになった。それだけ日本では外部から来る人を警戒していたし交わらなかったのである。

だから商業とか貿易はより大きな範囲で互いに利益を上げることを目的としている。だからかえって文明を作ることになる。文明国民国家をとも違う。 大きな単位でありそこで人間がいかにして共同するかということである。だからそのために宗教がその協同性を得るために文明の基へにもなったともなる。なぜなら仏教文明とかキリスト教文明とかイスラム文明とかに大別されるからである。ただこの宗教でも民族宗教ではない。もし一つの民族だけの宗教だったらそれは文明化しない。日本の神道は戦争のときアジアで普及させようとしてもできなかった。そこに協同性がなかったからである。村の社が神となっているようなところではとても世界では通用しない。

ともかく世界では遊牧民が大きな役割を果たしている。その遊牧民のことを日本人は理解できないのである。でも例えば中国にしても遊牧民国家でもあり商業民族でもある。それはどうしてかというと中国は広大であれ巨大であり実際は人種もいろいろなのであ。中華民族が主体にあるとしても様々な人種が混交している。だから言葉もみんな違っていてテレビを見ていれば漢字のテロップとして流れている。音になればなかなか理解できないから漢字が共通なものとして理解するものとなる。だから漢字が共同性を培ったかということである。それは日本にも言えるわけである。文明とはまた文で明らかにするということだからである。

ともかく国民国家というのは当たり前のようにあると思っているがそれは近代になって作られたものであり新しい概念であり新しいものだったのである。その国民国家とか民族国家とかナショナリズムというのは新しい共同意識でありそのことが近代の歴史の根幹にもなっている。そして戦争はヨーロッパだったら都市国家間の戦争であり今のような国民国家の大規模な戦争にはなっていないのである。国民国家になったとき民族国家になったときその戦争は熾烈なものとなり莫大な犠牲が生まれたのである。何千万という人間が戦争で死んだのである。それだけの人間が死ぬということは近代以前はなかったのである。
だからこの国民国家というのはナショナリズムというのはどういうことなのか深く検討することが必要なのである。

●イスラエルで起きていることも民族主義国家の問題でもある

例えば今問題になっているユダヤ人のイスラエル国家建設のためにアラブ人の住んでいるガザで戦争があり悲惨なことになっている。それはなぜそうなったのか。ユダヤ人は第二次世界大戦でドイツのナチスに迫害されて虐殺された。それはドイツの国民国家意識ゲルマン民族が優れているということでユダヤ民族が排斥されたのである。その問題が起きたのは国民国家意識が近代に生まれた為だったのである。なぜならユダヤ人は確かに迫害されてきたがそれなりにそれぞれの国で受け入れられ適合してきたからである。オスマントルコ時代は今のイスラエルでのユダヤ人であれイスラム教のアラブ人であれキリスト教であり争うこともなく共存していたからである。

ではなぜ今イスラエルで争いが起きているのか問題が起きているのかその原因を問うと人は世界に分散していたがそれで迫害もされてきたが旧約聖書により今のイスラエルに2000年後にここは自分たちの土地だとしてイスラエル国家を作ったことである。それはユダヤ民族の国でありそれでもともと住んでいたパレスチナ人とかとアラブ人とかと争うようになったのである。

つまり一つの民族は平等を領土を持ち国民国家となったときそれは外に対して区別するものであり対抗するものとなる。その争いが国民国家と言うと規模が大きいから熾烈なものとなるのである。だからこの争いの根には近代に起きた国民国家意識というのは深く関係している。ユダヤ人の場合は旧約聖書から継続してその民族は系統は血統は持続しているということで特殊なのである。領土を持たなくてもユダヤ教で人々は共通のアイデンティティーを持ち国民として仲間として存在していたのである。だからそういうことは世界史でもまれなことだったのである。そのためにそこには神の意志が働いたとしているのも分かる。ユダヤ民族とはそれだけ普通の民族とは違って強固な優秀な民族だったとなる。だからこそ迫害に会ってきたのである。

でも一旦ユダヤ人でもイスラエルという土地を領土を持ち国家国民国家を形成するとき今度は逆にその国家を守るために他者をアラブ人排撃するようになったのである。ユダヤ人は迫害され続けてきたが次に今度は他民族迫害する立場にもなったのである。それもカルマなのかもしれない。ドイツ人はユダヤ人を大量殺害したからヨーロッパ自体がユダヤ人を迫害してきたからそのために贖罪としてイスラエルの味方となっているのである。

いずれにしろこの根に近代から起きた国民国家がありそれが争いの元になったことを知るべきである。なぜなら近代に国民国家が生まれたのでありその前には今のような国民国家はなかったのである。だから国民国家とは何なのかそのことを知らないとそもそも現代知ることはできないのである。
国民国家ナショナリズムというのは文明とは違う。人種とか民族を超えて共同を目指すものである。だからこそソ連である中国であれマルキシズムは共産主義がその基となった。そこで民族とか人種は関係なく労働者が最優先されたからである。そのために世界のプロレタリアートは団結せよとなったのであるそこに民族とか人種は関係ない資本家と労働者が居るだけだとなる。

またアメリカにしても多様な人種が入り混じっているのだから民族を民族国家ではありえない。さまざまな民族が共同するには民族主義でわできないからである。だからそこでどうして人々を共同させるまとめるのかどうなる。そこで法で持って治める法事国家になる。法律も民族によって差別するものではない。全ての民族に平等に適応されるものだからである。つまり商業であれ法律であれそれは民族を超えて通用するルールでありそれが文明を作ったともなる。

ともかく民族主義というのは国民国家というのは近代に生まれた概念であるそれは新しいものなのである。それまで国民国家というのはない。都市国家があっても国民国家はなかったからである。そこが誤解しやすいのである。だからなぜ近代国家になって国民国家が国家同士が熾烈な戦争になったかということである。それは今のイスラエルのアラブ国家とのアラブ人との対立にもあイスラエルの国の成り立ちもまずユダヤ人が迫害されたのでその土地を与え国民国家としてユダヤ人民族国家として成立させたことである。そこには宗教も関係していたがユダヤ人の宗教は一民族の宗教でありキリスト教のように世界化しなかった。救われるのは選ばれたヘブル人その後のユダヤ人だとなっていたからである。でもキリストが現れてユダヤ人にこだわらない愛こそ普遍的なものとして人々を結ぶものだとしたのである。だからこそキリストはユダヤ民族に受け入れられなかったのである。

だから今起きているイスラエルの問題も近代に起きた国民国家の争いの延長上にあるという認識が必要である。そこに根源的な問題がある。ユダヤ人だとかアラブ人だとかゲルマン人だとか何とかこだわって人種にこだわっていれば共同はできないからである。旧約時代だったら敵対する民族は殲滅された。それは神の意志となっていたのである。でもキリストが生まれて愛こそ最高のものであり愛でもって人は結ばれるべきだということを説いたのである。神はキリストを通じて人類に平等をもたらすものとなったのである。だからユダヤ民族主義国家というのはキリスト以前の旧約時代に戻ることになってしまったのである。

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2023年11月03日

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる 【菊、秋薔薇、残菊、柿、、、、】

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる

【菊、秋薔薇、残菊、柿、、、、】

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南屋形村と北右田村の境だった?北右田と記していないから海老村の境だった?

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他者の家黄色に映えぬ秋薔薇
秋薔薇あわれ一輪散り残る
菊映えてや近くも遠く道しるべ
道しるべ境とありぬ秋の暮
菊畑村に一つの地蔵堂
柿なりて家二軒ほど地蔵堂
干しものや残菊哀れ住宅に

秋の薔薇山茶花と咲き我が庭や余生静かにここに送らむ
仲良くも地蔵六つの御堂中秋の日さして畑中にあり


そこはすぐ近くだった。でも見逃していた。灯台下暗しなのである。なぜそこに御堂が一つあり中を見たら地蔵が六体くらいあった。それはなんとも微笑ましく見えてなごんだ。なぜそこに地蔵が納められているのか。他にもそういう御堂はある。大概は六地蔵になっている。ここもその六地蔵なのかもしれない。

お地蔵様を道端でお見かけすることもあると思います。この場合は、日本の道祖神信仰とつながって地域を守る存在として建てられていることが多いです。

 道祖神とは、旅の安全や道の安全を守る神様、またはそれらを祈願して建てられた石碑や石塔、祠を指します。また、集落や村の入り口にある場合には、外からの災いを避けたいという願いが込められています。

六地蔵は境にある。そしてすぐ近くの交差点に道標がありそこに境と記してある。でもどの村との境なのだろうか。おそらく南屋形村とあるから隣の右田村との境となるのかもしれない。昔は江戸時代なら村単位で生活していたから境が大事になるのである。

今の感覚だとなぜこんなところに境の碑があるのか。そしてわざわざ方角を示しているのか分からなくなっている。歩くことが基本にある生活はやはり今のように車で行き来する社会とはまるで違っていた。それでやたら馬頭観音の碑がいたるところにある。それだけそれだけ馬で荷物を運んでいたからそうなったのである。

歴史を知る時調べるとき例えばここに二軒の家があるがそれはいつの時代からあるかということである。江戸時代からあればやはり相当に古いから価値がある。この御堂にしてもいつの時代に作られたかとなるとやはり江戸時代なのかもしれない。地名としては南屋形村であり大畑とある。まさにそこは畑であり家二軒しかないからである。他にも近くに一軒か二軒くらいしか家がない。ではなぜそこに御堂が一つたったのかとなる。それはやはり境になっていたからなのか何か理由があったことは確かである。

昔を知るということは歴史を知るということはどういう暮らしがあったのかそれを今と比べることで今の時代を知るということもある。なぜかその地蔵堂の中の六つの地蔵を見たとき子供のようにも見えて見えて心が和んだのである。つまり今の時代になると小さな村単位のつながりとか協同性は喪失した。だから村で協働する何かを社でも地蔵堂でも薬師堂でも作るということはない。村単位で生活していればそういうものが必要だから作られたのである。そのとき地蔵堂に中に見た六地蔵のように子供もそういう中で遊んでいたのかもしれない。村の子供としてみんなで育てられていたのかもしれない。ただそこは家の数が少ないから実際は南屋形村として広い村として生活があったのかもしれない。

とにかく人間今の社会と比べるとその変化があまりにも大きすぎたのである。車がない社会だったら街まで出るのも容易ではない。歩くことやり荷物でも馬車で運ぶことになるからである。すると近くでもかなり遠くなるのである。その感覚がわからなくなったのである。そして付き合うのは村人でありよそ者はほとんどいないかいないとなっていた。

今や一万の町でも何をしているかわからない人が普通にいてその交わりは希薄化した。別に地元で働いているというわけでもないし車で遠くへ働きに出ている人も多い。戦前ならやはり近くがで働く人が多かった。だからこそ前田とか前畑とかというという地名があり前田となるとそこがその土地の草分けの農家なのである。
なぜなら家の前の田が最初の生活の根拠となったからそうなったのである。でもそこから遠く離れたとこが遠田とかなって大原に残っている。ともかく前だとあればそこが村の中心だったのである。

いずれにしろ今日は文化の日だけども夏だった。異常気象である。だから俳句の季語が通用しなくなっているのである。これこそまさに文化の危機だともなでもこれは自然現象なのだからどうにもならないのである。今頃は秋の終わりであり晩秋であるがまたは秋深むとかなるわそれも感覚的になくなっている。
ただ虫の声は聞こえなくなっているからこれは晩秋から冬になっている。
文化というときは何か特別なものでもなく日常的なものにまたは卑近なところに文化はあるし。でもただそれが掘り出されていないのでだけなのである。その自分の住んでいるところはどういう歴史があるのかでも意外とわからないのである。




2023年10月27日

夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る


夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る

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秋の雷夕陽輝き響き鳴る

夕方になり急に雷が鳴った、一回で終わるのかと思ったらそれから5,6回鳴った。そして多少雨が降った
この光景も不思議だった。おそらくまだ夏がつづいているのかおもしれない、第一もう秋もおわりだけど冬になるがそういう感覚がないからである。
だから秋がなくなり夏と冬になるというのもわかる。
カメラは常に持ち歩く必要がある、どんなシャッターチャンスがあるかもしれない、それを逃すと後は撮れないからである。
千変万化するからである。
プログは本来こうして毎日の気候変化とかを報告するのに向いている、リアルタイムの報告に向いているのである。
ともかく俳句は写生であり写真と相性がいいのである。

そして今日は田んぼに白鳥が来ていた!

これは季節通りなのか? 早いのか?
冬になることは確かである。

2023年10月26日

【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、秋柳など


【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、秋柳など

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相馬市城下町

玄関に大岩一つ秋薔薇
二輪咲く秋薔薇かなこもりけり
川岸にコスモスゆれてブナ跳ねる
秋の暮近くの畑で仕事かな

石の倉多しも農家に柿なりぬ
秋の雷一雷鳴りし余韻かな
秋の蚊の一匹唸り襲いけり
秋の蠅大きく部屋を飛び回る
相馬市の市街の鉄路秋柳

大輪の赤きダリヤを我が活けて黄色も白も共に映えにき
華やかにダリヤその色つくしダリヤ咲く我が部屋に飾り充ちたりぬ
秋の薔薇二輪挿しにき我が家に落ちつきあれや心休まる

秋バラの特徴は濃い色と豊かな香りです。気温が下がっていく時期に咲くため、ゆっくり開花し、花本来の模様や色味が出やすいようです。香りも深くなります。春バラと違い、シックな色合いの花を咲かせます。
秋バラは咲く花の数が少ないため、景色としては寂しく感じてしまうかもしれません。しかし、一輪一輪が美しいので見ごたえは十分です。

私の家の庭に四季バラが咲く。春のバラと秋のバラは違っている。そこまでは見ていなかった。でも秋バラだと春のバラとは違って何かもの寂しくその色合いを心にしみる。だから秋のバラは好きである。つまり秋のバラとは人間から見れば年配の人老人にもふさわしい花だとなる。やはり花でもそこに人間は人生と重ね合わせてみたりするのである。

何か変わり映えしない田舎の風景であるがそれなりに季節感はある。ただ正直今年は季節感が狂った。昨日にしても雲を見たら夏の雲のようであった。だから夏はまだ続いているということにもなる。秋がなくなりなり夏と冬になるというのも分かる。そうなると季語を中心に俳句があるとするときその文芸も成り立ちにくくなる

地震以後気づいたことは石の蔵が多いということであった。この石の蔵は明治以降に作られたものである。まず江戸時代に作られたものはまれである。それは木で作られ土壁で作られていたからである。これだけ石の壁が石の蔵が作られたということは農家がそれだけ裕福になったからかもしれない、蔵に柿が似合うのである

川に魚が跳ねているとみたら鮎と見ていたがそれはボラであった。鮭が昇るの捕らえる網を川に張っている人に漁業関係者に聞いたからである。ボラは大量に群れをなして上ってくることがある。鮭はは去年は200匹捕まえたという。今年はどうなるのか年によってまた違ってくる。

秋の蚊とか秋の蠅とかに苦しめられる。その秋にしてもやはり今年は晩秋という感覚はないまた秋深むという感覚もない。 11月を過ぎれば立冬になるのにそんな感覚はない。ただ一時寒くなるそのために私は体を壊した。

ダリアは飯館村の道の駅で買った。ダリアは今飯館村の名産品かもしれない。安く買えるからいい。原発事故以後ダリヤ畑にしたという花を売るようになったからである。ただ飯館村は自転車でゆくのには遠い。暑くて本当に行けなかった。
何かその土地にあったものが必ずあり産物がありそれがその土地の味わい深くする。相馬市は城下町であれ何か特徴はないにしろしんみりとして秋柳などは似合うのである。市街地を走る鉄路がありそこに秋柳が枝垂れているのである。

やはりなんの変哲もないようでその土地であっても歴史にあったものがある。それそれはなかなか分かりにくいのである。ただ確かなことは相馬市と南相馬の原町市はやはり相当に違っている。そのことは前に書いた。
いずれにしろ秋は深まってゆくのだがそういう感覚がもう一つ無い。やはり秋がなくなり夏と冬になってしまうのかとなそしたら日本の文化でも俳句でも失われてしまうということもある今年は一時的に寒くなったな担当になるらしい暖冬になるらしい。それはやはり暑すぎた夏の延長のためなのである







2023年10月19日

コスモスと川と魚 Cosmos and river and fish by image creator


コスモスと川と魚

Cosmos and river and fish by image creator



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コスモスは街に似合う花である
だから家もない所の原野とか山の奥とか似合わない
花でもやはりそれぞれに似合う場所がある
ともかくbing image creatorは言葉から絵を作り出すから不思議だとなる

Cosmos is a flower that suits the city
That's why they don't belong in the wilderness or deep in the mountains, where there are no houses.
Each flower has its own place
Anyway, bing image creators create pictures from words, so it is a wonder

2023年10月13日

秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】


秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】

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月舘の方へ行く道と迷う

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六本木

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佐須村ーここは実りがないが他ではわずかだが実りがあった

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吾妻嶺の連峰

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山津見神社に行く道にある松^−この松はいい松である


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これは城の原型となっていたのか、城にみえるからである

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家の前畑に老婆や秋の朝
六本木我がまた来たり秋の風
山の上のレストランや秋の蝶
不動なる山を前ににし実りかな

久々に吾妻嶺望む秋晴れや佐須の峠を我が越えてゆく
飯館に一本の松か変わらじや山津見神社へ秋の日行きぬ
この道の家もまれにし遠きかな石一つうもれ秋の暮れゆく
石一つ埋もれてあわれ遠き道我がまた来たらむ草の花咲く
秋の蝶あまた舞うかなこの道の行く人もまれにここはにぎわふ。
飯館の森の深き何鳥や鳴く声聞きて秋になりしも

家の前の畑なら老婆でも庭の延長のようになり仕事ができるとなる。
佐須の峠を久々に超えて吾妻嶺を望む。途中六本の木がある。だから六本木となずける。でも六本木となると東京の六本木をイメージする。ここは全く人もまれにしか通らない道である。
人間はこうしてイメージするとき何か頻繁に情報として入ってくるものをイメージしてしまうのである。

霊山の虹彩館で芋煮を食べ飯館村に向かう。とにかく飯館村は広い。今年は暑くて来れなかった。だからさすの峠を越えて吾妻嶺を見たとき気持ちよかった。
何か飯館村の道の辺に埋もれた石がありそこに草の花が咲いていた。森の中から何鳥なのか鳴く声が聞こえた。
人も石のようにうもれてゆくのかとなる。
それから黄金色に稲穂が実っていた。ただまだ全部ではない。もその実りがあって村も生きるとな。不動の山があり実りがあり人もそこに定着できるのである。ただ飯館村の状態が今どうなっているのかそれが分かりにくいのは飯館村は広すぎるのである。森の中に点々と家がありそこに人が住んでいるのかどうかもよくわからないのである。
立派な家があると見るとそこは電気関係の会社であった。つまりどうしも今の時代農業だけではゆたかになれないのである。ただ賑わっているのは道の駅となっているまあ時間である。そこでは必ずよって休むからである

それにしても栃窪村に熊が出没したのかその注意を呼びかける案内があった。栃窪村で熊が出没したということを今まで聞いたことがない。ただ今日テレビを見たら日本全国で熊が人間の住む場所に出てきている。その数が多いのである。今年の暑さも関係して餌不足で人里に出てきているのである。だからキノコ採りに行って被害にあった人がかなりいる。
だから今年は簡単に森の中とか山の中にはいれないともなるかもしれない。ただこの辺ではめったに熊が出るということはない。でも餌不足でやはり熊が出てきているのだと思う熊
とにかく久しぶりに運動して自転車で運動して気持ちよかった

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栃窪村に熊がでたというのは初めてである。もともとこの辺は熊が出ない場所である

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大倉から佐須村へ行くは橋ができたが車は依然として通れない




2023年10月09日

秋からすぐ冬になるのか (花でも野菜でも果物でも普通と違うー白百合、木槿、ノウゼンカズラ 水澄む)


秋からすぐ冬になるのか

(花でも野菜でも果物でも普通と違うー白百合、木槿、ノウゼンカズラ 水澄む)

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新田川は浅瀬の川である、真野川は大きから深く流れるところがある。
宇多川は狭い川であり魅力がないが上流の山の方にゆくと何か荒々し川になっている、川の表情もみんな違っている

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原町の道の駅でダンスをしていた、あだたらとかあさかのとかありあさかのは郡山市でありあだたらは二本松である
福島県が合同した踊りだった

鮮明に見るにはクリック拡大!


料理する厨の窓に秋の蝶

農家なれ前畑広く蔵に柿

石の倉芙蓉にオクラ畑に咲く

新田川水澄み流れせせらぎぬ

蔵に柿バス停残り夕暮れぬ


白百合の我に向かいて咲きにしをそのあと添える花のとりどり

遅く咲く白き木槿や雨しとと10月となり寒くなりしも

ノウゼンの夏の名残りと咲きにしをようやく散りぬ10月になり

雨しとと石を濡らしてようやくに秋となれるや家にこもりぬ

今年の暑さは異常だった。その影響は米でも野菜でも花でもあった。陽射しが強くこの辺では米でも普通に実っていたから影響ないと思ったが実際は直射日光が強くて影響があった。
野菜でも水分不足で硬くなっているという。みずみずしさがないということである。それは農家育ちの女性が指摘した。そういうことにやはり敏感なのである。。
庭の白いムクゲがなぜ10月になって満開になっているのだろうか。そして今日しとしとと雨にぬれている。
この木槿は8月のお盆の頃にさく。その前にも咲き始めている今満開になっている。二ヶ月も遅れて咲いたとなる。それもなんなのだろうと思う。あまりに暑くて季節がずれてしまったのだろうか。またいつもの季節より早い時期に咲いた花があるかもしれない。何か花でも咲く時期が狂ってしまったとなる。

蝉の鳴く声を聞く期間も短かった。だから秋の蝉も聞いたとしてもたちまち聞こえなくなった。そして秋バテにもなり体も異常化した人も多い。 2日前は秋時雨を感じたというのもまた季節の異常である。秋時雨は10月末であり11月になると冬になり時雨になる。何かこうして季節感覚が狂ってしまったのである。だから季語というのがあわなくなったのである。
そして今日起きた伊豆諸島へなどの津波警報も地震もないのに津波が来たのである。そういうこともあまり聞かなかった経験もしていない。学者も分からないという。推測で海底火山が爆発してそれで津波が起こったのではないかとしている。ただこのように自然現象というのは多様であり実際はあらゆることはか解明はされていないのである。最近のこの暑さは何なのだろうということも明確には分からない。

でも心配しているのはこの辺で起きた津波地震の前の年の夏はやはりこのように非常に暑かったのである。だから来年になるとその影響が出てくるかもしれない。暑さが影響して地盤が緩んだりするかもしれない。そして地震が起きて津波が起きるかもしれない。地震でもやはり天候とかとも関係しているからである。ただそのメカニズムは解明されていないのである

料理は面倒でできない。その台所の窓から黄色の蝶が飛んで消えたのを見た。狭い庭だが庭があるとないでではやはり違っている。なぜ日本で家庭というのか。家と庭があって家庭となっている。だから庭が一体化しているのである。ただその庭というのは農家の庭広い庭のことでありそこで農作業だどうしたから家と庭が一体化したのだと思う。ただ風流にして庭を利用して庭を見ていたのではないのである。元々は何でも実用的なものから始まっているからである。家の基本は始まりはやはり農業と一体化して作られていたのである。

なぜなら前田とある時その村の中心地になりなるなる。その村の草分けの家が家の前が広い田がありそこが村の中心地になったからである。なぜなら家の前に田畑があれば家と一体化して便利になるからである。遠くに田畑があればそこに行くまで手間になってしまうからである。そのときは昔は車もないのだから歩いて行くほかないし荷物を運ぶにしても手間になるからである。

原町の新田橋を渡った高平にバス停がありそこが自動販売機が置いてあって人が休む。そこに蔵があり柿が実り金木犀が咲いていた。他にも蔵があればそこは農家だったということがわかる。
でもバスは今も通っているにしても一日二三回くらいしか通らない、それもいつもがら空きなのである。だから無駄にも思えるのである。



2023年10月05日

秋時雨(急速に秋になってゆく (自転車の修理と買い物に原町まで)


秋時雨(急速に秋になってゆく

(自転車の修理と買い物に原町まで)


買い物に急ぎ走るや秋時雨

秋時雨時の移りの早きかな

北風の向かい風や季の変わる


午後から自転車の修理にイオンまで行った。ここのには一軒の自転車屋は主が死んでなくなった。原町までは近いので行った。イオンの中に自転車の修理などをする場所はあり意外と簡単に直してもらった。自分で直そうとしたができなかった。道具が必要だったからである。前にも治すことができずヤマハから直接道具を送ってもらって直したことがあった。やはり道具をそろえていないと修理できないのである。

その自転車でゆくと風が吹いていた。それは西風か北風であり自転車だとその風をまともに受ける。そして今日はパラパラと時雨が降った。それは秋時雨だった。夏から急速に秋になり冬になってしまうのかもしれない。もう暑くなることはない。

秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨

秋:8〜10月(厳密には、11月6日頃までが冬)
冬:11〜1月(厳密には、2月3日頃までが冬)

秋時雨にしてはまだ早い、でも何か季節が順序良く進んでいない、ただもしかしたら秋がなくなるというとき早めに冬が来る
温暖化で日本は夏と冬しかなくなるという人もいる
だから何か季節感がなくなる。秋時雨でも十月の末になるからだ。

今年はともかく遠くに行くことができなかった。暑いと自転車はまともに陽射しを受けるから熱中症にもなる。自転車は天候の影響を受けやすいのである。
だからこそ季節を感じるから俳句などを作ったりする。でも車だったら風でも時雨でも感じない。風流とはまさに風の流れを感じることだからである。

だから車というのは人間の五感を衰退させたともなる。ただ原町まで行くと遠くなる。田舎だと買い物でも車が必要になるのである。この買物というのは結構な仕事なのである。
どうしても原町まで行かないと足りないものがある。イオンではみかんが20個くらいで500円とかあった。鹿島区では十個くらい同じ値段だったので花でも安い物も売っている。そういうことで買い物では不便になるのである。

2023年09月30日

秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝顔。月影、十五夜)


秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝顔。月影、十五夜)

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朝跳ねる鮎や一日始まりぬ

十字路に人交わりてカンナかな

縁白き朝顔一輪隠れ咲く

ゆかしきや朝顔一輪隠れ咲く

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苔の庭月影さして隠る石

十五夜の月や小窓に覗きけり

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昨日も結構暑かった。朝に近くの川で関のところで鮎が跳ねていた。もう10月にもなるのにまだ夏の感じだった。
何か地球が温暖化して日本でも春と秋がなくなり夏と冬になってしまうという。そしたら俳句などもできなくなる。日本のように明確な四季があって俳句が生まれたからである。その変化もまた大きいとなる。なぜならそうなれば日本の文化自体を変えてしまうからである。

ともかく川が流れてそこに朝に鮎が上る。そして一日の始まるというとき自然とともに一日が始まるということである。それが農民が6割とかいた時代になるとまさにあゆのように自然の中で一日が始まる。今はみんな会社に勤めるというとき何か自然とともに生きるということもない。田舎ですら農民は1割ぐらいしかいないのだから自然と共に生きるという人は相当に少ないのである。

でも自然とともに生きるということは鮎のように清流を懸命に上り泳ぐそれを見ていれば気持ちが良いのである。今日一日も清流を上り生きるとなるからだ。大都会だと人間の群衆の濁流を上り出勤するともなる。

また十字路に畑がありカンナが咲いている。そして一日が始まるというときその花と共に人も生きている。また広い庭のある垣根のあるところを見たら隠されて朝顔は咲いていた。その縁が白いのである。それで心に止めることになった。

月影が差して苔むす庭に隠されて一つの石がある。その石は自分のことなのである。石はそうして沈黙している。自分もまたそうして隠れ住む隠者のように沈黙していたのである。十五夜の月は一時は出ていたが雲に隠れ消えてしまった。ただ小さな窓から丸い十五夜の月を見た。ただまだ秋という感覚がなく季節的に合わなくなってしまった。

だから秋でも暑いということは俳句の季語でも活きなくなる。つまり日本の文化が部分的に消失してしまうということである。だから温暖化はその影響が大きい方でまた地球は寒くなると言う人もいる。だからこの気候はわからない。これだけ科学が発達してもわからない。本当に二酸化炭素の影響なのかそれも明確ではない。やはり依然として科学でも完全にはである解き明かされていないのであるはあ

2023年09月29日

認知症にならないためにすること (目,耳,舌,触覚・・を働かせて脳を刺激する)


認知症にならないためにすること

(目,耳,舌,触覚・・を働かせて脳を刺激する)

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医者でも漫才家のようであり分かりやすい、youtubeの特徴はわかりやすいことである。
専門的知識がなくてもなんとかりかいできることである

●血管に障害がでると万病の元になる

認知症になる原因として十個あげているが意外なのは遺伝的要素が十番目にしている。だから遺伝的要素は認知症にはそれほど関係していないのかとなる。ただ血管が大事であることはわかった。血管が傷んでくると高血圧にもなりそれが全体に影響する。だから脳梗塞とかになるなると認知症にもなりやすくなる。

また糖尿病も血管を痛めるからそれが認知症になりやすくもなる。また高血圧でもやはり血管がの一部がいたんでそれで血液を流す圧力を高くしなければならないので心臓に負担をかける。つまり血管というのは体全体に張り巡らされていて小さいのでは毛細血管がありそれにも影響すると目とかにも影響して白内障とか緑内障とかそういうのにも影響してくる。目が見えづらくなるのはやはり血管に血の流れがスムーズでなくなるからそうなる。
つまり血管というのはそれだけ大事なものなのである。脳にも欠陥があって毛細血管もあって違う巡っていくからである。要するに血の巡りが悪くなるということは頭の働きも悪くなる。
それで私の母親は百歳まで生きたが血管は丈夫だったのである。

●家事を94歳まで続けた母は認知症にならなかった

だから確かに認知症になったのだったがそれは95歳以上からでありその年になれば誰でも認知症になる。なぜそうして認知症に95歳までも普通でありえたのか。前から言っているように私の母は働きづめでありなんの趣味もない。花など金がかかるからいらないと言っていたのである。でも94歳までも家事をしていたのである。だから何か高等な趣味を持つとかではない。家事でもしていれば料理でもしていれば結構頭を使うのである。

料理というのは様々なものを用意しなければならない。だから料理をすることはかなり頭を使う仕事なのであるである。頭を使うというとき何か難しいことをすることではない。家事をすることはやはり頭を使うのである。だから危険なのは嫁が姑におばあちゃんは何もしなくていいですよテレビでも見てみていてくださいとか言われて何もしないことが役割がなくなることが認知症になりやすいのである。

私には二人の母親がいたがもう一人の母親は役所を退職してから何もしない家事もしなかった。それでも55歳くらいで退職したからそれから30年も生きたのである。その間に何もしない。ただテレビを見ているとか趣味でも何か自分に合ったものをでわなかった。だから認知症になった原因はやはり家事すらせず退職してからただ何もせず怠け者になりポケットしていたら認知症になってしまったのである。生理的にも太っていたしやはり血管がいたんで認知症になってから脳梗塞にもなったからである。だから血管をが痛むことは長生きできないとなる。

だから認知症になる原因が目耳触覚味覚の舌かを働かせないと頭も働かず脳がそれが認知症につながる。目とか耳でも悪くなると外部からの刺激がなくなりそれで脳も働かなくなり認知症になりやすいのである。だから外に出て光でも受けて運動して体全体でも脳でも働かせることが大事になる。そして生きがいを持つことも大事になる。何かもう生きがいもなく感動もなくただ漫然として家事すらもせず怠けているとどうしても認知症になりやすいのである。

●テレビでも自分なりに想像力を働かせて見る

だから長生きの時代はやはりライフワークを持つべきである。それは別に特別専門的なものでもなく何か興味をあれば追求していればそれでひとかどの専門家にもなりうる。ただ会社に勤めていて退職したら用無しになることが問題なのである。

例えばテレビを見るということでもただ漫然と受け身になって見ていると頭は働かない。でも最近見た推理ドラマで古い金持ちの館を持っている男性と両親と早く死別した女性がその男性と結婚して暮らすことになった。
でもそこには前の妻がいた館でありそこにやはり妻がいるという感覚になりその女性は嫌だったのである。そういうことを言う女性を知っているからなるほどと思った。
仏壇に死んだ妻の家が飾ってあってその人は依然として妻を愛している。そこにその家に親しくなった女性がその妻の死んだ妻のことが気になり嫌だったと言ってたからである。
その家は古い金持ちの家でありだからこそその家には何か代々の人がなお生きているという感覚にもなる。それで推理ドラマではその先妻は実は新しく親しくなった妻に女性に殺されていたとなる。

またその女性は妻となった女性は金持ちの家である何か会社を経営している親の都合で政略結婚のようなことを強いられた。そのことで夫婦がうまくいかないとなっていた。そしてそうした事件が起きたのはもともと無理やりに親の都合で結婚させたことだったとか反省していた。
つまり人間というのはその出発点が悪いと後々まで尾を引くのである。そういうことは老人になった時おのずと分かってくる。意に沿わないことを親に強いられて職業でも自分に合ったものを選ばなかったとかなる。それが後々まで尾を引いて老人になって後悔するのである。

●老人は何でも批評に向いてくる

このようにテレビを見ていても何か一方的に受け身になって見ているのではなくそれを自分の経験とかから重ね合わせてみる
ただ一方的にみるのではない何かそこに教訓を得るのである。だから意外とテレビのいい点は今BSで昔のドラマや推理ドラマが面白いのである。ただ漫然としてみているのではなく自分の人生と重ね合わせてそういうことだったのとか教訓を得る。
それはやはり老人になればいろいろ経験しているからその見方も深くなるのである。だからただ一方的に見るのではなくテレビでもドラマだったらそれを自分の人生と重ね合わせて深く見る。

そして批評というものが老人には向いている。テレビドラマでも何でも批評してみる。本を読んでも批評してみる。ユーチューブでも自分なりに批評してみる。そうするとただ一方的に見ているのとは違ってくるのである。明らかに批評するき頭を働かせている。批評というものは創造的なものでありその人なりに見る目がないと見れない。だから批評というのは文学っても一分野となっているので。
例えば自分自身が何か詩でも小説でも絵でも作らないないとしても批評はできる。でも批評は創造的なものでありその批評は経験豊かな老人に向いているのである

とにかく高齢化社会というのは色々な問題が生まれている。その大きな問題の一つが認知症になることなのである。その認知症になった家族を介護したから認知症の怖さを知ったからどうしたら認知症にならないで老いてゆくかそれがおーきな課題なのである。
なぜなら認知症になる人の数が本当に多いからである。だから認知症は誰にでもなる可能性がある。では認知症を予防するにはどうするのかということもある。最近日本でもその薬が出来たがそれもまだ実験的なものでありそれで治るということはない。認知症になる事を多少怒らせると言うくらいである。
でも認知症については世界で研究しているからやがてはいい薬が出来て治せるということもあるかもしれない。ただその先は長い。ともかく認知症になる原因として生理的な問題もあるが五番目までは目とか耳とかしたとか触覚とかの感覚が鈍くなりそれが脳が脳の働きが悪くなり認知症になる事に通じている。
だから五感を働かせることが問題になる。

いずれにしろここのyoutubeを漫才をしているのかとまで思う。医者なのにこんなに饒舌なのかというのも驚く。こういう人は俳優にもなれるだろう。ただ難しい医学のことでも漫才のようにして説明しているから人気になるのもわかる。
ユーチューブとかなると人気になる人はやはりこういう人である
説明が分かりやすく面白いからである。そういう人は数学の先生にもyoutubeで説明していたからである。
だから今やユーチューブは知識を身につけるためには必須のものとなったのである。

2023年09月25日

ようやく秋になるー窓に月(朝露、稲穂、秋彼岸、酔芙蓉)


ようやく秋になるー窓に月(朝露、稲穂、秋彼岸、酔芙蓉)


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朝露の稲穂に光り玉と散る

街中に空地増えるや秋となる

秋彼岸なれ花挿し勤め墓守る

朝静かそよ風にゆる酔芙蓉

街中に畑の手入れやオクラの花

十字路や1万の街にカンナかな

窓に月一人思索の我が家かな

誰か見る心を見るや窓に月

一時や窓に移りて消えし月


ようやく秋になった。この辺では稲穂は順調にも実っている。。他では暑すぎて順調に実っていないところもある。朝露が稲穂に光り気持ちがいい。
私の住んでいる街は1万位である。だから街の中に畑もある。そこに働く人がいてオクラの花が咲いたりする。また畑に酔芙蓉が咲いている。秋彼岸で私の墓はすぐ近くにある。そういう点では便利である。この夏は暑すぎて自転車で遠くに行くこともできなかった。隣の市でも7キロくらいでも一回くらいしか言っていない。でも1万くらいの町でもスーパーが二軒ありツルハが二軒もある。足りないものもかなりあるが別にそんなに不自由でもないのである。贅沢を言ったら人間キリがないからである。

私の場合は都会には住めない。人混みがいやなのである。何か自分は人と会うことが疲れるのである。陰の性格でありそれで引きこもりにもなったのである。だから人がいないところで住んでいるのは合っているのである。
ただ正直山の中の飯館村のようなところには住めない。スーパーもないし足りないものは多い。この私が住んでいる町でも街内から離れると買い物だけでも手間になる。ななぜなら車がないと田舎では買い物すらまともにできなくなる。だからどうしても車が必要になってくる。でも1万の町でも街内に住んでいればなんとかなる。

そして今日は朝から駆けずり回っていた。一人だと家事があり食事の用意もするから何かと忙しいのであ。その合間をプログを毎日書いている。これも結構手間になる。だから一時動画の方を試しにやってみたがそれも結構手間でしていない。とても何でも一人ではできないことがわかった。
夜には月が出ていた。その月も窓の端に見えていたがまもなく消えた。そのように人も一時映り消えたとなる。月の特徴はこのように移ってゆくことである。
月は何を見ているのか?あなたの心見ている。あなたにやましいことがあると月も住んで輝ない。自然は心に反映しない、人間の心は鏡なのである。だから心がけがれると自然の美は心の鏡に映らなくなる。それも怖いことだがそんなことを気にすることまない、そこに人間の盲点がある。とにかくようやく秋になりほっとした。体調も悪くしたからである。

ともかくようやく秋らしくなったのである。秋になればやはり読書の秋でもあり運動するにも良い。本当に三か月くらい遠くには行っていない。でも家でやることはありプログでも家でやれるからいいのである。家事で時間を取られるとしてもプログはその合間で続けられるのである







2023年09月19日

特別暑い夏の詩(鷺、涼しい、雷、夏の雲、・・・)


特別暑い夏の詩(鷺、涼しい、雷、夏の雲、・・・)

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雲の台のようになっている

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川の浅瀬の流れが響く
鷺が一羽餌漁りしている
木陰に休み風が涼しい
鮎が跳ね鯉が流れに泳ぐ
夏の雲が依然として湧き上がり
今日も雷が鳴り轟いた
高く高く雲は湧き上がり崩れる
まだ家にのうぜんが咲いて
例年になない暑い夏が終わらない
何か何年分かの夏を生きたよう
夏を十分に生き秋を迎えよう
我が生きる日はそれほど長くないだろう
灼熱の夏を生きてこそ夏は体に刻まれる
暑い夏寒い冬があり地球を感じる
今年の稲の実りは豊かである
十分に強い直射日光をあびたから・・・

今日も暑かった。鷺は夏の季語である。だからまだ今年は夏であり夏の光景なのである。これを見ていると涼しいとなる。
夏の雲も依然として出ている。
今年の夏は十分に夏を味わった。暑い夏寒い冬が枕草子で書いているが京都はまさに盆地であり寒暖の差が激しいからである。
浜通りは海からの風が涼しいから福島市の盆地とは違っている。でも今年の暑さは異常だった。
すぐ近くに川も海もある。散歩するにはいい、でも陽射しが強いので隣の街に行けなかった。近くを自転車で走るだけだった。
今日も雷雨があり今夜風が涼しい。明らかにまだ夏である。

2023年09月16日

小さきものの声(虫の声)


小さきものの声(虫の声)

深夜に数匹の虫が
懸命に鳴いている
更けゆく夜の静けさに
その声が響き合う
ここに共に生きるのだ
苦しくもここに生きるのだ
小さなるものの声が
ここに響きあう
その命は短くも
その鳴く声が響きあう
ここに生きるのだ
更けゆく田舎の夜の静けさに
その声に耳を傾ける
小さなるものの声が
ここでは大きく響いている

暦では秋になっているがまだ暑い。雲の峰がまだ高く必ず見える。でも確かにその声を聞けば秋なのである。ふけゆく夜の静けさに虫の声が響いている。田舎の夜にその声だけは大きく響いている。
何かこの辺では原発事故で避難区域などはふるさとにも住めなくなった。帰って住んでいる人はどれくらいいるのだろうか。 1割か2割とか小高では3割くらいしか戻っていないだろう。それもみんな老人なのだからいずれは町や村を維持できるのだろうかとなる。

虫の声というときそれが飯館村だとこのように昼間でも響いていた。そこはまさに街でもないし山の村だからそうなっていた
人間はやはり住む場を持つことが大事である。その場が生き死にの場となる。だからこころとはここにあり場を離れて人もありえないとなる。その場アイデンティティとなり人間を作るのである。ただ現代は移動する時代であり何かみんな遊牧民のようになっている。一つの場所に定着するということは拒否されている。

だからこそそこに生きている場というものに愛着がなく補償金をもらったらバラバラになったのかもしれない。つまり金というのはどこに行っても通じる時代であり外国でも金になれば住むという時代にもなっている。だから一つの場所に固執するのは嫌だとなる。でもやはり人間は一つの場に定着してアイデンティティ化する。
それはその土地に根付いて成長する木とかと似ているのである。人間には確かに移動するという習性もあるが定着するという習性もある。移動するのは動物であり鳥であり定着するのは植物的だともなる。でも最終的には人間はどこかの一定の場所に定着してそこでアイデンティティ化して死ぬ定めだとなる。

2023年09月10日

秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい、秋の蝉)


秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい、秋の蝉)

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ノウゼンのここにも一軒なお咲きぬ

民宿にキュウリの花や今日も見る

竹一本白菊添えて主かな

川の音夜風涼しくひびきけり

蝉一つ屋形に鳴きてその声を聴きつつ暮れぬ秋となるらむ

灯ともらぬ家の淋しやその人のまた入院や秋となりしも


まだ暑くて秋がなくなったとかなる。昨日も暑かったのでぐったりした。今日もやはり蒸し暑くとても秋とはは思えない。ただ虫は鳴いている。だから虫が結構鳴いていることは虫はやはり秋を告げている。
でも実際はまだ夏である。だからノウゼンの花が依然として咲いている。ほかの家にも咲いていた。それが依然として夏だと感じる。やはりそれなりの家があって人々が住んでその花も映える。避難区域になったところでは空き家が増えたから花でも映えない。やはり人が住まないと花も映えないことがある。

暑いからすぐ近くの川の岸辺を散歩した。すると川の音が響き夜風が涼しい。それは依然として暑いからである。何か蒸し暑いのである。この暑さはいつまで続くのか。ただセミの声も少なくなっている。だから虫とか蝉はやはり秋をよ感じているのかもしれない。 屋形というときそこに生まれて今も同じ街に住んでいる女性を知っている。

暑いので自転車だと陽射しをまともに受けると熱中症にもなる。
だから今年は本当に原町でも相馬市にも行っていないのである。それだけ今年は暑かった。そしてまだ暑さは続いている。

ただ最近周りを歩くと本当に家は壊されたり空家が多い。遊ぶ子供の声も聞こえず跡継ぐ人もいなくなっている。それはどこでも同じである。八沢小学校廃校になった。そこに体育館もあり運動場もある。そこを何に使うのかとなる。廃校はすでに全国に増えて問題になっている。ただ矢沢小学校は廃校になってもすぐ近くに小学校があるから大して困らないのである。

近くの知っている人の家は灯が灯っていなかった。その人は糖尿病で病院に入ったり出たりしているからまた入院したのかと思う。何か老人は病気の話でありそれで盛り上がる。とにかくこうして老人と病気の人が増えてくるだけなのである。それと空き家も増えてくるだけなのである。それが日本の今の現状なのである

生け花というとき何かやはり工夫が必要である。それで竹一本を切ってきて花瓶に挿した。そして白菊挿した。それは秋にふさわしい。今家を守っているのは自分一人だけである。




2023年08月31日

空地空家が増えるー秋がなくなる (夏の月、涼しさ、夏の夜、夏燕)


空地空家が増えるー秋がなくなる

(夏の月、涼しさ、夏の夜、夏燕)


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ソーラーライトに照らされるノウゼンカズラの花、ソーラーライトは電池交換しなくてもいいからいい。
こうして個人用に使うのには便利である。

海寄りの風のすずしや夏燕

我が汲むや夜風涼しく井戸の水

4軒ほど消えにし家や夏の月

利用せぬ空地の増えて夏の月

大きい家屋根に満月夏の夜

ノウゼンのソーラーライトに照らされて家を守りてなお我が生きむ

自分の家の周りが四軒ほど消えて空き化した。四軒となると結構広い。一軒は前から空き地化していた空き家化していた。理髪店だった。隣は建具屋の人だったらその後はタクシー運転手の家だった。一番広いところは農家だった。今壊された家は借りていた家でありその人は近くに新しい家を建て移っている

それにしても空き家が増えて空き地が増えてくる。近くに人一軒だけ子供がいるようだが子供というのは見かけないので神社はあったがそこにわんさと子供は集まって遊んでいたが今は一人も遊んでいない。本当に子どもというのは見かけない。ただ幼稚園とか小学校とかにだけ見かけるのである。
ということは将来を考えれば本当にさらに跡継ぎもなく空き家が増えて空き地化してくる。

そしてその空き地化したところに井戸水を毎日汲んでいる。すると月が輝いている。すでに秋になっていても夏である。秋がなくなるというのも分かる。それだけ暑いということである。

大きな家の屋根の上に満月が輝いている、なにかそれが姉のようにも見えた。姉は太っていておおらかな性格だったからである。
だから大きな月が似合っている。人間は家族でも死んでも形がなくなっても愛は消えないことを感じる。ただその愛は自分に対してだけの愛だった。すでに死んでからもう13年とかなる。それだけ月日が過ぎるのが早い。この13年間はあまりにいろいろなことがありすぎたのである。

とにかく何か私の家も大きいから大きな月がふさわしいとなる。そもそもこの家は私の母と姉が作ったものである。
今日はスーパームーンであり地球に月が接近して大きく見える
晴れているからきれいに見えるだろう。
とにかく暑くて今年は遠くに出れない、陽射しをあびると熱中症になる危険がある。ただ毎日海の方に自転車で走る。海からの風は涼しい。特に夕方は涼しい、その時だけ秋を感じる

2023年08月24日

酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合 (日照り、二宮尊徳堀り)


酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合

(日照り、二宮尊徳堀り)


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若竹の伸びてひびきぬ蝉の声

若竹に白百合挿して朝清し心清らかに勤むべしかな

真直なる竹にしあれや白百合の挿して映えにき朝の清しも

朝に汲む井戸の水かも白百合の我に向かいて咲きにけるかも

日照りにも尊徳堀に勢いよく水は流れて田を潤しぬ


このこの暑さは以上である。朝の5時から7時くらいまで涼しい。後夕方が涼しい。でもそれでもちょっと動くと汗が出てぐったりと疲れる。日中は外に出歩くことは危険になる
それでも何とか竹を切ってきて白百合はそこらじゅうに咲いていたので切ってツボに刺した。生け花というと別にそれが専門家に習うことでもないな身に着くというわけでもない。
つまりもともと生け花とは野の花を手折って挿したことから始まっている。だから別に高価な花を買わなくても本来は野に咲いている花を挿して楽しむということが始まりだったからである。 野の花のことを知らないと実は生け花のこともわからないとなる。その野の花を知るためには都会では無理なのである。

田舎でないと野の花は咲いていないから野の花の心を知ることはできない。花の心を知る花を知るということはやはり常に身近に接していないとわからないのである。
竹はどこででも入っている。だから別に誰でも切ってもいいのである。今回は若竹に注目した。竹は真っ直ぐに伸びる。竹にふさわしい言葉が万葉集に出てくる真直なるである。竹が真直にに伸びてゆく。その伸び方も早い。セミの声ががその竹に盛ん響く。みるみる竹まっすぐに伸びてゆく。

ともかく朝からでも暑い。今8時頃になっているからすでに熱いのである。それで何もする気がなくぼーとしていることになる。まず今年はクーラーなしでは病気になるような暑さである。テレビで見た73歳の老人が三畳の間に寝起きしているとそれもクーラーもないのである。わずか窓を開けて風を入れてるだけでまさに灼熱地獄の中に住んでいると同じである
今年は暑い。確かに夕方と早朝は涼しい。でもちょっとでも動くと汗びっしょりとなるのではそしてぐったりとしてしまうのである。秋なのに秋はまだまだである。

日照りにもなっていて飯館村の溜池は仕上がっていたただ南相馬市辺でわまだため池とかダムが干上がるまでにはなっていないでも相当に水不足である。横手の坂を上る土樋とは樋があり鉄道の上を水が流れている。尊徳の教えで作ったとされている。尊徳神社もあるから二宮尊徳がこのうちに来て教えて教えたわけではない。教えを受けた弟子が習って作ったのである。でもなぜこの辺で二宮尊徳のことが賞賛されているのか。それはやはり何かそれだけのものがあったということである

この堀の水はカラカミ堤の方から流れてくる。ぱそこは大きな包だからなかなか干上がることはないだろう。それにしても新潟県あたりでは干ばつになって米も取れないとテレビで放送していた。新潟県の暑さも異常である。ともかくこの暑さには参った。動くと汗びっしょりとなって疲れる。膝と足を悪くしたのもまずかった。それで自由に動けなくなったから余計に疲れたのである。

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