2020年09月20日

虫の音(夜に相馬市まで行く)


虫の音(夜に相馬市まで行く)

山鳩の二羽来たりぬ実りかな

秋夕焼け六万石の城下町

秋柳田町通りの飲み屋かな

秋の灯や職人の家や城下町

虫の音の松にひびきて夜のふけぬ   


夜の道長きや虫の音聴ききにつつ我が帰り来ぬ相馬藩かな


今日は何か月かぶりで5時ころ相馬市に行った、何か暑いとかまた曇っているとか雨とかで行けなかった、やっと涼しくなったので夜に行った
月もでていないから情緒はなかった
でも夕方に秋夕焼けになり夜になり虫が鳴いている
街道の松並木の松は見えないが虫はその松に鳴いている
松は見えず沈黙しているが虫の音を聴いているのである

相馬市だと原町の倍の距離があるから長い、夜の道を虫の音を聴きつつ帰って来た
これが車だと虫の音も聞こえない、全く無視される
ただゴーンと飛ばして去ってゆくだけである
つまり車は自然にやさしくないしまた自然に溶け込まないのである
人間は自然と一体化するとき人間もまた自然の中で映える
たいがい鳥でも何でも自然の中に溶け込み映えているからだ
人間だけ自然と調和しないのである
相馬藩というとき一つの歴史的地理的国だとなる、その中を行き虫の音を聴くとなる
一匹一匹の虫の音を聴く、それはまた人間でもある
狭い範囲だったら虫の音も聞けるとなるからだ

山鳩が二羽くる、そこに今実りの穂がたれる、その時平和がある
鳩は平和の象徴だからである、だから原発の避難区域では田んぼが荒地になって実りがない、それが荒寥としたものを感じる

いづれにしろ相馬市は六万石の城下町である、だから何か目立ったものもない、城さえないが違っている
原町とは感覚的に全く違っているのである、ただそういうことは外から感じないと思う
どこが違うのかとなるからだ、何かそういうことがある
そこに住んでいないとそうしした相違がわからない  
田町通りの柳は大きいからいい、すると何か老人が飲み屋に集まり話しているとかイメージする、でもあそこは新しくなったから路地裏の飲み屋ととは違う雰囲気である
ただ秋柳というとそういうイメージになる

何気ないところにいいものを発見する、見慣れた風景が実は他にないものを感じる
それで真野川の落合橋のことを写真にしたりしてそこで語る人がいたことを昨日はプログに書いた
でもここに住んでいてあそこに何か特別なものがある、何か詩的なものでも美的なものでも感じるものがあるとは見ないだろう 

ただどこにでもある橋としか見ないだろう
とういのは自分自身が最近までこの橋に注目していなかったからだ
すでに老人になりその橋はいつも見ていて通っていたのにそうなのである
ただあそこで鮎が上ってきて見るようになったりしてあの橋は何かいい橋だなと見るようになったのである
だから人げは近くでも何か感じない、ありふれたものでありそんなものが特別だと見ないのである 
それで常に遠くに憧れて遠くに行く、でも近くは見逃しているのである
それは自分自身もそうだったからである

2020年09月19日

真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人 (釣りする人が本当に多い)


真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人

(釣りする人が本当に多い)

ochaihashiaki11.jpg
クリック拡大

真野川-落合橋

真野川の落合橋で何をしているのか川をみている人がいた、鮎の群れを見ていた
その人は相馬市から来た人であり新しい住宅に住んでいる
この辺では前は磯部の人とか知っていた、津波の被害者であり家なくなったのでこっちに建てた、とにかくだから知らない人が増えたのである

その人は近くの前ら住んでいる人を釣り仲間である、その人もかと知って驚いた
本当に釣りする人は多い、そんなにいるのかというくらいである
この前はシシドスーパーの復興団地に住んでいる人も何もすることがないので釣りをしている、遠くまで車で行っている、それで大きな平目カレーをもらったことがあった
これは大きいものだった、こんな大きなものが釣れるのか、これを引き上げるのは大変だと見た

私自身は釣りをしない、でも釣りをしている人は何か自然の中にひたっている感じになり時々サイクリングして話かける、釣りのことで話すると自然のことを知ることになる
私の父親は年取ってから仕事もせずに魚釣りしていた、鮎もとっていたし鰻もとっていたその頃の鮎は大きくうまかった、オカズになっていたのだ
戦後の何もない時代だからオカズになっていたのだ
鰻はミミズを棒に入れて田んぼの畦でとっていた、でもあまりついていって釣りに子供のころ興味がなかった、でも今ふりかえるとそうして鰻を釣るということは不思議である
今は鰻はとれないし鮎も見ないのである

ただ今回落合橋の下の流れに鮎の群れが大量に見えたし跳ねるから気持ちがいい
鮎がいると石の苔を食うから石がきれいになると言っていた
この鮎はここに産卵に来たとか言っていた、ここの流れはきれいである
去年の台風で流れが変わりそれで水がきれいになったともみる、鯉もここにいた
ただ新田川で鮎の稚魚を放したとかも言っていた、そうした鮎が今年はこんなに上ってきたのか?その理由がわからない、その人は川を観察して鮎は何匹かみかけていたという
ただこんなに多くの鮎が今年だけでありそれは一か月前くらいからなのだ
だからなぜこんなに鮎が上ってきたのか理由がわからない
放射性物質の汚染で川の魚は食べるなと言われていたしそれから専門の人が常時ここの水質とか生物とかを検査していた、だか最近は見ないのはどうなったのか?
10年もすぎればやはりもうそんなに気にしなくてもいいのかもしれない
ただ川の放射性物質の汚染がどうなったのかわからない

本当に釣りは奥深い、それは自然が奥深いからである、海とかを知るには魚釣りがいい
何でも魚を釣れないことも釣りだとしているのもわかる
何か釣りすることは自然に溶け込むことだからである
だから海で釣りする人と時々話したりする
一瞬魚が海ではねたのを見た時感動した、トビウオがはねたのは与那国島に行った時見たあの跳ね方は醍醐味がある、まさに飛ぶ魚である、でもここの海で魚をはねたのを見たのははじめてである、めったに魚がはねるのは見れない

人間は意外と田舎に住んでいても自然のことがわからない、第一田畑でも実際にそこにかかわらないとわからない、私が畑で野菜作りする女性を援助したのはもともと農業を知りたいということがあった、それで実際に聞いてそういうものかと知った
私が自然とかかわるというとき実際の農業とか漁業とか林業を労働でかかわっていない
それをしないのは疲れるからである、まず頭脳労働になると家事でもそうだけど他のことができなくなる、それで疲れて考えることすらできなくなるからだ
人間は何でもできるわけではない、こうして文章を書くだけ疲れると他のことができなくなる

ともかくいろいろな人の話を直接聞くことは知識を広げることである
ただみんながそういうふうに話をできない、小高の人のことを書いたがあの人は話しがうまかったのである、今日あった人も話ができる人である
とにかく魚屋でありプロの料理人だから魚の料理の仕方も知っている
その他の釣りしている人とは違う、料理人から直接話を聞いたことははじめてである
料理は自分てしてみると何か用意するだけで疲れる、それだけ何か様々なものを使うから化学の実験みたいになり何か疲れるのである、そのあとかだつげでも手間なのである

釣り道具屋がかならずありそれが商売になるのはそれだけ釣りを趣味にする人が本当に多い、海がある場所では特にそうなる
なんでも沖に船をだして釣りするのはいやだとその人は言った
なぜかというとここで釣れと決められるからだという、自由がなくなるからだという
つまり釣りする場所も自分で発見してゆくことがありそれが面白いとなる
そこで穴場を発見するということもある

いづれにしろ釣りは自然が相手だからただ釣りするだけではない、釣りしない時間でも釣りなのである、何も釣れなくても釣り自体が自然に溶け込むことなのである
私が釣りをしないのはそれが手間だし時間がかかるからである
私は自転車で移動するのが好きだからじっとしていられないのである
人間は何でもできない、写真でも最近いい写真を撮ろうとしてレンズも買った
でもこれもまたレンズが高いとかこったらきりがなくなると思った
人間そんなにいろいろなことはできない、ただ釣りは自然を知るにはいいのである
畑はめんどうてありかなりの労働になる、釣りは自然を楽しむという感覚になる
それほどの労働とは見えないからである

釣りをして哲学者になった人もいるということはそれだけ釣りは自然とコミットするものだからそうなった、結局暇な老人が増えた時、釣りする人はもともと多かったからさらに多くなったとみる、あの人もしているのかあの人も釣りしているのかと驚きである
パチンコしているよりはいいとなる
私自身は釣りはしないが釣りのことを魚のことをもっと知りたいとなると釣りのことを知ることはそうしした知識を深めることになる

鮎のことで忘れられないのは新潟県の小出で魚野川が前を流れていて大きな鮎が群れて泳いでいた、そこの食堂に入ったら大きな鮎の塩焼きを食べた、それも高くはなかった
その味がよかった、あとは鮎は子供の時に父親がとってきたのを食べたのを覚えている
でもその後は鮎は食べたこともない、それで久慈川に行った人に鮎を買ってきてもらったがうまくなかった、どうも養殖の鮎だったらしい
今はこの養殖の鮎が意外と多いのである、養殖だと大きくなるからだろう
でも鮎は養殖だと味がない、何か熊野で上流で鮎をやいたのを売っていた
それを食べたが本来の鮎の味はなかった、それも養殖だったからだ
なぜなら観光客だと相当な数を出すからそんなに天然の鮎だったら数がとれないから養殖なのである

次々に鮎の跳ねたり落合橋話のはずむ釣りのことかな

落合橋は落ち合うというようにあそこで話するのに向いている、前あそこで話したことがあった、その下の橋になると大きくなり水がきれいに流れていないのである
あそこは話しするのに向いていいなのである
あと土手の道の木陰の道も散歩する人がいて話しするのに向いている
自然の中で話しすると何か話しがはずむのである
その人はプロの料理人だからその方面の話を聞けば料理についても理解が深まる
あの人も結局暇な老人である、こうして暇な老人が増えたのである
そういう人が何しているかというと釣りしている人が本当に多いのである
また勤め人でも釣りを趣味にする人は本当に多いのである



2020年09月18日

松と倉のカフェー金沢の一番星の秋



松と倉のカフェー金沢の一番星の秋




matukuraletter111.jpg

matukuraaki11.jpg
奥に蔵が見える

matukur5a555.jpg

matukura333.jpg



matuchoukura11.jpg

揚羽が飛んでいる

matukura444.jpg

すべてクリック拡大





揚羽来て我が休めるや松と倉

松に倉季節変わりてうろこ雲


秋の蝉ここに鳴きにき我が命残れる時を惜しみて聞きぬ  


何か観光課の人が一番星の庭を撮影していた、観光課だから宣伝するためなのだろう
あそこは野馬追いにも出ているとすると古い農家である
だからあれだけの広い庭がある

あそこは入り口に松がありそれがいいのである
そして蔵がある、それで松倉となる、そういう苗字もある
一番星というのは似合わない、ここの特徴を現していないからである
命名にもセンスが必要だとなる
何かこれからの時代、センスが必要になる、観光だってそうである
何かを発見するセンスが必要である、花屋のことでもセンスが必要だと書いた

これからの時代は何か芸術的センスとかが必要になる、つまり確かに食べる料理も大事であり基本である、でも何かハードの時代からソフトの時代に移行している
建物でも頑丈に作るハードの技術が基礎になる
でも豊かな時代になると装飾にこるとか家具を選ぶとかなる

だから喫茶店とかでも景色のいい場所にあるといいのだ
ここは景色がいいというわけではないが広い庭と松があるから目印となる
ただ原町には海が見える場所に喫茶店があればいいなと思っていたが何か津波の危険があり建てられないとか言っていた
でも海が見える場所にあってもいいとなる

前はカレーでも1000円近くしていたが500円では安い、丼物も500円である
あういう所は普通は高くなる、場所代で高くなる
安くしたのはなぜか?やはり人が入らないからかもしれない
テイクアウトもしている、ただ三種類くらいしかない
あそこは近いから気軽によれる、息抜きにはいいとなる
相馬市はずっと行っていない、暑くて行けない、今日もむし暑かった
まだ残暑である
でも空にはうろこ雲が出たから秋でもある

写真でわかったことはとにかくいろんな角度から多角的にとってみることである
松と蔵が偶然に一緒に映っていた、まさに松倉だとなる



      


2020年09月16日

虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)


虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)

cosumosukiku111.jpg

natugikuchounew333.jpg

tombminori11.jpg

すべてクリック拡大



陽の昇り朝や実りに露光る
                                             
障害者ここに住むかな虫の鳴く

秋の蝉近くの墓地にひびくかな  

墓地ありて先祖見守る実りかな
 

行き来する落合橋や夏菊にコスモス咲きて季節移りぬ                                                  

のうぜんのあまた咲きしも遂に散り一輪残り秋となりしも

近くにそ鳴きにし虫の数匹やその声の今日も我にひびきぬ   

夜通しに虫一匹の鳴くその声を我は聞きつつ眠りけるかな

夜の更けて一匹鳴きぬ虫の声心にひびき残りけるかな   


虫の声が真夜中まで夜通し一匹鳴くのを聞いていた、何かそれは一人の人間の嘆きとか苦しみとか訴えを聞いているともなる
つまり多数ではない、一人の人間としてその虫の声を聴く、それが人間的だとなる
そもそも人間は多数になるともうその声はただ騒音になってゆく
威圧的なものとなり虫の声というものではない、だからカルト教団などは一人一人の声を聴くなどない、ただ一票になる数を集めることだけである
ただ一匹とか数匹とかだとなんとか虫の声でも聴けるとなる
集団になるともう聞けない、疲れるとなる

障害者が住んでいる住宅がある、ここに障害者が住んでいるということを知る
それだけでも何かいいのかもしれない、みんな実際はそういう人を知らない、無関心だともなるからだ
今年の夏は蝉しぐれとかひぐらしとか鳴くのを聞いていない、何か夏から秋なのか
そういう季節の変化がわからなくなっている
ただ今鳴く蝉は秋となる

落合橋という名前がいい、どこにでもあるものだがここで落ち合うというのがいい
だから地名は心にも影響するのである、何か詩的なものがないようで見慣れた風景は絵にならないようでも
実際はそうではない、ただ身近だありふれて美が発見されないのである
盛岡だと橋の街であり有名だけど名所でなくても見るべき感じるものがある、ただ発見されていないだけなのである

実りの季節であり稲田の中に墓地がある、すると先祖が見ているという感覚にもなる
だも街中の墓地にはそういうことはない、でもすぐ近くだから墓地の前を通る
そこに自分の家の墓がある、墓も身近なのである
それでときどき花をさしていないと淋しいなとな花をさしたりする
でももし墓地すら墓すら遠くにあるとそうは感じないのである
だから何でも遠く離れててしまうと死者すら遠いものとなり忘れられるのである
関心をもつのは今そこにあるものなのである

墓参りの効用はとにかくそこで死んだ人を思い出す、死んだ人が存在したことを確認するということである、それだけでも効用がある、そうしないと人間は次々に目前のことに追われて死んだ人を忘れるからである
人間ほど忘れやすいものはいない、だから人間は過去に起きたことでも記録していなと忘れる、その時何があったのかも忘れる、ましてや次代の人は過去に何が起きたのかわからなくなる、それでこの辺で400年前に津波があり溺死した人が700人と記録されていた
それで津波があったということを知ったのである   

今日はむし暑いからまだ夏でもある、ただ秋でもある、そういう季節の変わり目だけど
最近はその境目がはっきりしないのである




2020年09月10日

夏の終わ-夏菊、コスモス、雲の峰 (写真をとるのは労働である)

夏の終わ-夏菊、コスモス、雲の峰

(写真をとるのは労働である)

cloudsummercc33.jpg

natugikuchoupp66.jpg

natugikucosmos555.jpg

cloudmountain1111.jpg


すべてクリック拡大

雲の峰うろこ雲見ぬ朝の空

夏菊を見つつ走りぬ自転車で

雲湧いて夏菊一面流れかな

夏菊に揚羽喜々とし舞いにけり

夏菊にコスモスまじり土手の道


雲の峰うろこ雲かな夏よりし秋にうつれる流る川かな


自然は刻々変わっている、買い物帰りに真野川の土手の道で雲の峰を見た
でもその脇にうろこ雲が出ていた、そこを写真にカメラがなくとれなかった
それが失敗だった、家に帰ってカメラをとりにいってまた撮った
その時うろこ雲と消えていた

今日は日中に急ににわか雨のようなものが降った、何か雷雨だったのか雷もならないようだった、それもすぐやんだ
このように日本の天候は本当に変わり安い、すると写真を撮るにしても刻々変わっているからシャッターチャンスを逃すのである
だから常時カメラはもっている必要がある
それでスマホで今は写真をとれるから便利だとなる

土手の道には夏菊が一面に咲いていた、それからもうコスモスも交じり咲いていた
いかにも初秋らしいとなる、真野川の岸辺は花壇にしたが去年の洪水で流された
でも夏菊はその花壇のあったところに増えて咲いていた
自然はこうして回復する、花だったら回復しやすいとなる、でも原発事故では田畑は回復できなくなった所がある

もう夏は終わりだろう、明日からは雨になり秋雨に涼しくなるだろう
やっと体も楽になる、何か毎日ぐったりしていたからだ
何か写真とるのは結構な手間である、だからいい写真をとるとなると相当な時間をかけて構えていいカメラでいなと撮れないことがわかった
前も写真をとったとしても安いもので記録するということが多かった
今はなんとか見映えするものを撮ろうとしている、それで広角レンズを中古で買った

近くで写真をとる絵になる風景がある、見慣れているから写真にはならないと思っていたが意外と絵になるものがあった
写真をとるときやはり一定の場所でとる、変化を見て撮るのがいい
でも車がないからそれができない
真野川の土手の道は散歩するにはいい道である
人間は意外と近くの住んでいる場所がいいと見ないのである
それはあまりにもありふれてなれてしまった見えなくなるということがある
何か特別変わった風景を求めるが近くで写真になる風景があったとなる
人間は近くを発見していないのである

写真を撮ることは遊びでも労働だと思った、だから写真家が多いしセミプロとか写真をする人が多い、それほど写真は魅力あるものだと今頃気づいたのが失敗だった
つまり人間はこうして何か気づかないのである、そしていつのまにか時間を無駄にして
人生も終わりになっているのである
趣味だって簡単に身につかない、試行錯誤が必要になる
また機械を使いこなすことも必要になる、だから何でも日頃からの積み重ねなのである




2020年09月07日

晩夏(今日一日の変化を写真にとる) (草原化して池溏が生まれた写真)


晩夏(今日一日の変化を写真にとる)

(草原化して池溏が生まれた写真)  

DSC06425.JPG

pondsummer111.jpg
トンボとあとから5、6匹に増えた

rainbowpart11.jpg

陽が没す前に虹の切れ端が雲に出た

sunsetrrrr123.jpg
夕焼けが広がった

nouzenmoonend11.jpg

月とノウゼンカズラの花



飛びかいぬ池溏にトンボ喜々として

蝶眠る池溏に映る夏の雲

夏草や池溏に波紋夕暮れぬ

陽は没りぬ虹の切れ端晩夏かな

夕焼けや鉄路の向こう広がりぬ

鹿狼山見えて夕焼け空を染める


今日一日でも景色が変化した、塩崎から六号線の所が津波以降草原化した
一部は田になったが写真のように草原化して池溏(ちとう)が生まれた
これは尾瀬とか釧路湿原にある、もともと海側は広い湿地帯であり津浪の後に湿地帯化ししていくつもの沼ができたことに驚いた
それを写真で相当撮ったから貴重だった、こういう光景はやはり何百年に一回とかしか見られない光景なのである、それで顰蹙をかったが余りにもその変化に驚嘆して心を奪われてしまったのである、正直そこで死んだ人よりその激変した自然に驚嘆してしまったのである

こういう池溏には必ず野生の生物がすみつく、まずトンボが集まり繁殖する、水辺が繁殖に適しているからだ、また蛙が卵をうみおたまじゃくしが泳ぐのを見た
その数も多い、何か波紋があるのはあめんぼうとか生き物がいるからだろう
ここは写真とるにはいい場所である

風景は常に刻々変わっている、だからシャッターチャンスがその刻々にある
それである程度時間をかけないといい写真はとれない
待っていないととれない、すると時間と手間がかかる、これも地元だから構えてできるが旅行になるとむずかしくなる、急ぐからである
でもこんなに刻々と変わる自然には驚く、だから自然を見ているとあきないとなる
夏は特に変化するから写真をとる場面が増える
晩夏であり初秋だがやはり今年はまだ最後の夏が燃え上がっている

今の時代はやはり映像の時代であり映像で記録することが必要になる
それがプログだと日々発信できるからいいのである
それが後で役にたつし記録したものが貴重になる
とういのは何か読み返したり写真を見ても本当に人間は忘れる、自分が書いた文でも撮った写真でも忘れるのである
こんな文を書いていたのかとなり不思議なのである
だから人間は何でもメモしたり写真をとったりと記録することも大事になる
それが一年でも二年でもすぐに忘れる、ましてや10年もすぎたら全く忘れてしまいそこにいたのかもわからなくなるからだ
特に外国などは変わっているし二度と行けないから写真でも記録が大事だったと思う

とにかく今年の夏もそろそろ終わりだが今日も曇っていたとしても暑かった
びっしょり汗をかいたから体にはいい、体温調節ができる
これからは何とか自転車で遠出ができるようになる
これまでは強い日ざしを受けると日射病になるから怖くて出れなかったのである

残念なのは夕焼けが空を染めたがその二分後とかに電車が来た、その時写真をとればいいものがとれた、でも電車とかがとりにくいのは今景色がいいとしても電車が来なかったりしていい写真がとれないのである
いくら待っていてもその時は夕焼けはたちまたち消えてしまったからだ
自然の背景が天候は刻々変わっているからそうなるのである
それで鉄道写真でもいいのは相当に苦労して時間かけて撮ったことは間違えない
ただ見ている人はその苦労がわからないのである
それは何でもそうである、食料でもいくら苦労して作って売っても買って食べる人はその苦労がわからないのである 

私のプログにしても一日二回アップすると相当に手間である
それで何かコメントても答えられない状態になっている
何か相手に答えるということは手間であり対話することは実際は相当な労力が必要であるだから対話するとなるとこれは時間をかけてその場限りでないものとなる
それは別にそうした場をもうけないとできないと思った
それでフェスブックもしてみたがやり方がわからないとかなった
何かどうも使い方がうまくできなくなったのである

それにしてもこのうよなプログとかのメデアでも個人的でもこれだけ表現できる時代である、本とか雑誌とかに出すのは普通の人はできない、でもプログとか誰でもできる
このうよなものでも一つの個人の表現の場になりうるのである
ただこれだけで物足りないのでワードプレスとホームページを作り直そうとしたが
とにかく手間がかかりすぎてできないのである
毎日二回アップしていたら他のことができないのである
家事もしているから毎日追われているのである

2020年09月06日

秋の蝉、芙蓉(近間の道)


秋の蝉、芙蓉(近間の道)

fuyochou11.jpg

fuyoucouine222.jpg
クリック拡大

moonflower222.jpg


今日の真夜中のノウゼンカズラと月


このベンチまた休むや木陰かな

揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る

この道や慣れにし通う秋の蝉 

昔よりありにし家や秋の蝉   


蝶を追い花を見につつ雲立ちぬもう一夏を我は生きなむ  

注-鳩は山鳩である


ここ十年以上近間を行き来しているだけである、人間は最後は近間が大事になる
ついのすみかとなるからだ、近間は若い時から常に平凡でものたりないものを感じて来た自然でもそうである、この辺では高い山がないからものたりないのである
でも人間は平凡な中に感じるものがあり日常は平凡なのである
ただ70年もいきれば必ず大きな事件でも災害でも起きるものだと思った
津浪や原発事故やコロナウィルスでもそうである
70年ごとに人間社会では大きなことが起きる、そして社会ががらりと変わることがありうる、それが今なのである

ただ私の生活は毎日慣れた道を行くだけである、でもそうして慣れた道を行くと秋の蝉が鳴いていると心にひびく、そしてこの家は昔からあった家だなと何でもないことでも感じるものがある
原町では道の駅の脇の公園で木陰のベンチで休んだ、そこで小高の人と話したことがあった、あそこはいい木がありいい場所である
そうして何かあるなんでもない場所でも愛着を感じる
それはもう死も身近にみえてくると人間はどんなささいなことでもそこがかけがえのないものに思いてくる、場にしても人にしてもここにもういなくなるとか人にしてももう会わないとかなるからだ
その時誰しも何気ないものでもいとおしく思うのである

こういうことをまず若い時は感じない、田舎なんか平凡でつまらない、飽きたとかなっていた、それで私のように旅ばかりして遠くに憧れるだけだったのである   
そして顔を知っていた俳優が二人死んだ、70才だった、こうしてともかくテレビで親しんだ俳優も死んでゆく、あの人も死んだのかとなる
いくら長生きでも70ともなれば死ぬ人が多い、でも高齢化だと70以上でも首相になったり大統領になっている、アメリカも高齢化である、80近くで大統領が勤まるのかともみる

芙蓉が咲く道がある、そこに揚羽が盛んに舞っていた、この芙蓉はあまり大きい花でないのでものたりないとはなる
そこに秋となり実りそめた稲穂が色づき垂れる、自転車で行くと涼しさを感じる
ただまだ夏であり夏も感じる、帰ったらぐったり疲れた、それは陽がさして午後からかえって暑くなったからだ 
それでまたぐったり疲れて寝込んだ、まだまだ暑いのである

やはりカメラは常に携帯する必要がある、シャッターチャンスが近くにもある
ただ正直人に見せるような写真はいいカメラでないとだめだなと思った
でもそうなると写真とることで手間になる、いい写真をとることはやはりセミプロになってしまう、雑誌にのるようなものだともう写真とることに集中しないとできない
ただ今では素人でもいい写真はいくらでもでている
でも残念なことは写真はすばらいしのだが俳句とかそえてもそれがほとんど駄作なのである
写真はかえって若い人がうまい、でも俳句とかなると駄作が多いとなる
両方がうまくなるのは結局人間にはむずかしいのである


2020年09月05日

蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)


蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)

nouzengraden111.jpg

nouzencar11.jpg

nouzennight11.jpg
これはノウゼンだけど夜撮ったのでこんなになった
実際は紫色だったが色をソフトで変えた
こんな花が熱帯でも咲いているだろう


natugikukeitou1111.jpg
この蝶の名前がわからない、白い筋がある

鶏頭が咲いているから秋なのだが一昨日も暑かった




夏の蝶写真にとらえる瞬時かな

朝の蝉今日も買い物自転車で

熱帯夜外にでて花を見る

真夜中にノウゼン見るや月光る 


写真で見るのと肉眼で見るのは違う、カメラによって機械によって見えないものが見えるだからカメラは常時携帯する必要がある
近くでもシャッターチャンスになるものが結構あると思った
それだけ自然は多様なのである

今年はまだ真夏である、そして夜は熱帯夜である、もう沖縄にいると同じである
夜も暑苦しい、それで真夜中に外にでて涼む、すると満月がでている
ただ黒い雲が流れて隠された
写真にとったがノウゼンはこんな色ではない、でも花は熱帯でこんな色のが咲いているかもしれない、花というのは南国系統が多いからである
椿でも南国系統だからである、椿の種類は多いからである

わかったことは南国系統の花はまさに熱帯夜のような暑い場所で映えるものである
だから熱帯夜にふさわしい、日本だと沖縄は南国であり南国系統の花が咲く
それも暑いからその花にふさわしいものとして咲く
だから風土によって様々な花があり風土にあって花は咲くのである
つまり花が咲くのがふさわしいのはその風土を知らないと本当はわからない
南国系統の花が多いというとき暑い所で見ないとわからない

沖縄だとなぜ家の作りでも開放的であり月光がさしこんで明るくするのが似合っている
熱帯の月はまた違っているのである、熱帯地域に住んでみないとそうした感覚はわからないのである
日本では一応沖縄のような熱帯地域もあり北海道のような寒帯の地域もあるからその風土を経験できる、ただ暑いのは苦手なのである、なにかぐったりした

今年は蝉が鳴いていても最初8月になってひぐらしが鳴いたと聞いた
でもその後ヒグラシが聞こえないのである、蝉しぐれというときヒグラシである
それもない、だから季節的におかしくなっている
それはここ十年くらい異常に暑くなっているのもそうである
四季が狂ってしまって俳句でも季語が通用しなくなる
9月でも熱帯夜なのである





2020年08月31日

雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂浜)


雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂浜)

summercloudbbb22.jpg

summercloudbig11.jpg
真野川の落合橋

seasidesand111.jpg

原町金沢の砂浜

クリック拡大



雷鳴りて鮎の跳ねる流れかな

あめんぼう流れつつ輪を描くかな 

夕陽さし落合橋に雲の峰

(電線にとまる鳥)

里の秋烏鶺鴒雀かな


一羽の鴎

砂浜に鴎一羽
遠くより飛び来て
遠くへ去りぬ
砂浜の足跡は
よす波に消されぬ
あとには夏の海が広がり
波は崖に打ち寄せひびく
鴎は空に大海に
かなた飛び去り消えぬ 
鴎は今いづこにありや
ただ波のひびきと
青い空にその一点
白い鴎は消え去りてなし
鴎は天地を宿として
はるかな旅をつづけている  


真野川に鮎が跳ねて上る、その時雷が鳴る、雲の峰が落合橋にいくつか見えた
いかにも夏らしい、昨日はまた暑かった  
鮎が跳ねて上ってゆくのは気持ちがいい、あめんぼうが流れにいくつもの輪を描いてい

でも曇っていたので自転車で金沢の浜に行った
人は結構日曜日なのでいた、それでもっと海に近い場所があり行ったら砂浜が広がり崖になっていた
ここは元の自然のようになっていた、砂浜があったからだ、一応金沢には砂浜がある
右田浜にはなくなっている、松原もなくなったから淋しい
金沢でも前は松原があったのだ
その時まだあの火力発電所はできていなかった、それで烏浜から原町に出る所に自然の砂浜があった、そこを歩いていた
それが全く変わってしまった、自然もこのように大きく変化する

一羽の鴎が飛んできた、砂浜にとまり歩いた、またすぐに遠くへ飛び去った
そして広い海と波のひびきがあるだけだった
何か鴎とかは気持ちがいい、大きな海と一体化したのが鴎である
常に大きな海がある、その海を自由に飛んでいる感じになる

その点人間は自然と一体にならない、何か隣に異常な老女かいて悩まされている
普通ではない、何か不満があり騒いでいるという
今そうした異様な老人が増えている、キレる老人でもそうである
退職すると老人の役割りもなくなる、また子育ても終わると女性の役割りもなくなる
それで何もしないでただ不満をぶつけるだけになる
その老女は本当に異常である、隣だから逃げるわけにもいかない
近所つきあいもしないで何かわけのわからことを口走り変な恰好して迷惑な飾り物をしたりしている、そんな人が警察を呼んだりして苦しめているというのも変である
そんな人のために警察が来ているのも変である
第一何も迷惑かけなくても通報されれば警察は来るというときそうである
結局警察はそうした事情を呑み込めない、土地の事情も知らないからそうなる
それで自分自身も駅でボランティアして怪しいとして通報されたからだ

田舎だとまずその土地の事情を知ることが必要になる
そうしてあまり近所付き合いとか他でも介入することは問題になる
都会のようにはいかないと思う、それで土地の有力者は田舎では有利になる
警察でも一目置くからである、またそうしないと警察でも仕事がうまくできないということはある
ただこの迷惑老人は田舎だからではない、どこでも高齢化で起きているのだ
ますますそうした人が増えてくるのだ

とにかくこうした人間と鴎を比べるとあまりにも差がありすぎる
そんな人間は消えてほしいとなる、でもそういう人間はいくらでもいるのだ
だからなぜ人間はこんなに醜いのだろうとなる
それは常々思っていることだった、動物より人間は醜悪になるのはなぜだろうとなる
蛇のように隠れていればいいが人間は隠れることはない、醜悪でも隠れないのから困るのである

結局なぜ私は旅ばかりしていたのか?それはこうした田舎の人間の醜悪さを嫌悪していたからである、旅をしていれば鴎のようになり接することがないからである
田舎にいるにしても一時的なことでありあとは去るだけだから良かったのである
ただ今は旅はできない、何か疲れてしまったからである
でもつくづく近くでも知らない所が未だにあることの不思議である
あそこの砂浜は注意して見ていなかったからである
今は何かこうした砂浜がない、鹿島にも松川浦にもない、ここはまた砂浜がある
ただ東北電力があるので自然の景観とはならない、でも砂浜が広がっていたので気持ちいいと見たのである

今日は涼しいから助かった、暑くてぐったりして昼間でも寝ていた
これからは自転車で遠くに行けるかもしれない、やはり運動できないことは体に悪いからだ

2020年08月28日

夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


sagikawa1.jpg
mangawanew22.jpg

0chiaibbbb1.jpg

tonbokuro11.jpg

waterwaku1.jpg

ここから水無川の水が湧いてい流れる
nowaterriver11.jpg

水は川を流れていない



夏の朝川きらめきて流れけり

草深し川面きらめき鷺一羽

カワセミの隠れて消えぬ草深し

清流を朝百匹や上る鮎

鮎百匹川にもどるや泳ぐかな

鮎跳ねて川生き返る流れかな

行き交いぬ落合橋に雲の峰 

涼しさや流れの変わる岸に立つ

涼しさや水無川に水の湧く
                                              
のうぜんの夜咲き星の輝きぬ


沖縄や真澄の空にディゴ咲き海青々と赤さのにじむ


7月までは夏と思えなかった、それから暑くなった、朝から暑いけど夏らしい光景になった、鮎が真野川に大群となって上ってきた、それで毎日真野川に行っている
真野川は去年の台風で流れが変わった、砂利と砂場が増えたのである

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

この飛鳥川は小川なのである、ただ真野川でもこんなに変わってしまっこというのは同じである

それで川の中に入りやすくなった、そこで見ていたら鳥がきていた、海の鳥であり千鳥かもしれない、そのさえづりが川にひびいた
それからカワセミも見た、この鳥は結構ここでなくても見かける
でも一瞬にして消える、岸の草深い場所に消えてでてこなかった
これを写真にとるのはむずかしい、つまり鳥が常に来る場所でねらっていないととれないからだ

真野川で思ったことは鮎でも大群が上る、鮎が跳ねて川を上る
その時川が活きていると見た、つまり川に魚がいて川も活きる
魚でも何か川に見かけないのである
新田川でも魚を見たことがないのである

川に魚がいて川も活きる

町や村でも人がいて活きる

自然もそうだが町や村に人が住んでいなければ活きない、それは同じだったのである
川に魚がいないとなればただ水が流れているだけだとなるからだ
それは落合橋に雲の峰が見えて人が行き来している、中学校があるから生徒も通っているそれで橋も活きている、あそこの橋は川が下に見えやすい、ところが下の大きな橋は川がにごっている、ここの川は浅く清い流れになっているからここの橋から鮎を見れるのである

それから水無し川はからからだけど堰の下にの隅から水が湧いて流れていた
水無川は流れていなくても下を流れてここから出て来ていたのである
それはなんとも涼しいものだった
近くでも意外と知らないことが多いのである、ここははじめて発見したからである
それで写真とる絵になる場所があると思った
今遠くには行けない、日射病になったことで怖くなったからである
でも近くならいい、近くにも自然があり見るべきものがある
そういう点写真の趣味はいいのである、釣りの趣味もいいがこれはじっとしているので合っていない

とにかく暑い、これは沖縄だと思った、熱帯であり熱帯夜である
それで沖縄にいる熱帯地域にいる感覚になった、夜でも暑い、するとのうぜんがまだ咲いている、星が月が輝いている、熱帯地域にいる感覚になる
星でも熱帯の星である、この辺では熱帯の感覚はない、沖縄を知るにはやはり熱帯の感覚である、だから沖縄は日本では東南アジアであり熱帯であり本州とは別な世界であり魅力あるとなる、北海道もまた別な国の感覚になる
それで日本は熱帯から寒帯まである自然の多様性に富んでいる
大陸などからすると相当に自然自体も独自なのである
ヨ−ロッパだったら熱帯となるとアフリカに行くほかない、エジプトとかもそうである
外国に行くほかないからである

熱帯というとき沖縄だと赤い花が多い、それが似合っている,ブーゲンビリアとかディゴの花とかである、その赤さが空の青と海の青に映えているのだ
ただ沖縄には二回くらいしか行っていないのである
ディゴの赤は赤でも明るい赤ではない、沈んだような赤である
これはインド産だったのである、それでなるほどと思った
インドらしい花である、ブーゲンビリアは明るい花であるがこれは赤でも違った赤である法体地域には熱帯らしい花が咲くしまた花は熱帯原産が多い
この花一つとってもつくづく地域性がありそれが文化を育んでいたのである

この赤い花とヒンズー教とかも一致するし蓮の花がお釈迦さまの花だというときもそうである、そして北海道は高山に咲く花が平地に咲く、寒帯地域だからである
文化はその風土と密接に関係している
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの大地を踏まねばならないと言うのもわかるのである、文化とはcultureはcultivateでありその土地土地の自然を耕すことで生まれたものだからである
日本でも俳句とか短歌を理解するには日本に一年最低住んでいないと四季の変化がわからないし肝心の季語がわからないとしたら理解しようがないからだ 

今日もとにかく朝から暑い、それでまた河原に行って写真をとりたい
落合橋の雲の峰は映っていなかった、こういうことがある
だから写真を撮ることはシャッターチャンスが大事になる
写俳はまさに写真と俳句を組み合わせた写生だからである
写生というとき写真と絵は違う、現実の写実が写真なのであり絵はイメージされたものだからである、だから写真を絵にしたがこれは写生ではないのである
なぜなら雲の峰は夕暮れに遠くに見えたからである
雲の峰は夕暮れに今たつ、今日も朝から晴れているから写真とるにはいい
でも遠くには行けない、近くでも夏は変化するから絵になる

digoflower1.jpg

2020年08月26日

蝶の写真一枚

蝶の写真一枚

chouphoto111.jpg

夏の蝶花園に入り蜜を吸う

写真は何か偶然である、だから何枚も量をとることがうまくなるコツだというのもわかる
適当にとっていて数が多ければいいものに当たるともなる
これも偶然だったのである、動いているものは連写になる
偶然に背景がぼけていたのもいい

写真も相当に訓練である、カメラの良し悪しもあるが数多くとることである
それなら誰でもできるとなる、いろいろ考えないで量をとることだとなるからだ
これは実際に見てとったり良かったのである、わからないところも映っていたのである
何か写真の眼が人間よりすぐれた所があるので発見があるのだ

結局私が継続している抽象画もそうである、コンピュターで生まれた新しい芸術なのである
AI時代になるとますます人間の能力がコンピュターによって開発される
すると能力がなくてもそれなりのものはできるとなる

この蝶はあまり見映えがしない、揚羽だったち夏らしかったとなる
とにかく今日も暑かった、川に行ったがそれは明日のせる


2020年08月24日

雲の峰(電車の写真はとりにくい)

  
雲の峰(電車の写真はとりにくい)


summercloudmmmmmm1.jpg
クリック拡大

スーパーヒタチが去った5分後くらいにいつのまにかこんな大きな雲の峰が出ていた
意外と早く雲が大きくなる、だから夏の雲は変化するから飽きない

鉄道がここを通っているがこの場面でスーパーヒタチを撮れば絵になっていた
電車が動いているし背景も刻々変わっているから写真をとるのがむずかしい


刻々と形を変える雲の峰

場所変わり消えてはたちぬ雲の峰 

ぐんぐんと大きくなりぬ雲の峰  

雲の峰たちまち大きく聳え立つ

向こうにたちこちらに立ちぬ雲の峰

雲の峰燕飛び交い電車行く

草原に風のわたりて雲の峰 

鷺の二羽向かい合いつつ川に暮る
      

にいにいの鳴きてみんみん鳴きひびく近くに昔遊びけるかな    


雲の峰が見える場所がある、それは年によって違う、今年は夕暮れになると山の方に見える
雲の峰は震災の前の年のとき大きく見えた、その時も異常に暑かったのだ
それでいろんな形に雲が変容するのを見た
その翌年の3月に津波が来て右田の松原は根こそぎ消失してしまったのである
何か異常に暑くなることは大地にも影響して海にも地下にも影響して地盤がゆることがあるかもしれない、それで大地震の前に暑くなることはありえる
天候の影響は地球全体を変えるからである

昨日は雲の峰の写真をとるために待っていた、でもスーパーヒタチが去った後に5分くらいあとに大きな雲の峰がいつのまにか出ていた
もしそれをとれた絵になっていた
写真はやはりシャッターチャンスを逃すとあとはとれない、いくらいいカメラでもとれない、そして動いているものをとるのはむずかしいのである
特に電車とかはむずかしい、相当に構えてねらってとらないととれない
それでけ写真をとるということは労働にもなる、疲れるのである

ただ写真撮ることの効用は写真を撮ることにもあるがその場にいて自然の雰囲気を味わうことにもあることを知った、一時間くらいいると辺りの雰囲気にとけこむからだ
だから実際は写真一枚を見ただけではその場にいる経験とはならないのである
その写真をとった人はそういう場にいたことを記憶して写真からその場の雰囲気を思い出すから価値がある、その場にいない人はなかなかいい写真でも切り取った一部しか見ないからものたりないものとなっている 

とにかく映像の時代だから写俳とかうまれた、正岡子規の写生俳句とカメラは合うからである、見たままを俳句にするということはまさに写真なのである
そこに技巧をこらさないことだからである、余計なイメージをしないことだからである

今年は遅れて夏が来た感じである、でも30度くらいだったら夏らしいとなる
でも自転車で遠くに行くことはむずかしい、日射病になるからだ
それにしても自然は刻々変化している、だから近くでも良く観察していると飽きないのである

雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉

これは雲の峰の名句である、雲の峰は崩れやすいのである、でも崩れてはまたたちまち大きく雲の峰がそびえ立っている
だから一か所にいて観察していると変化するから飽きないのである


 ここで雲の峰と電車を映している










2020年08月21日

雲の峰の写真(自分で撮った一枚の写真はいろいろ記憶されている)


雲の峰の写真(自分で撮った一枚の写真はいろいろ記憶されている

kanaaaaa111.jpg

smallsunflower11.jpg

naturoubaiha1.jpg

natukumo1111112.jpg

すべてクリック拡大-enlarge



はや目覚め仕事をするや蝉の声

のうぜんに揚羽の二羽や舞いて去る

のびやかに草原広し夏の蝶  

夏の雲峠に湧きて越ゆるかな

雲の峰峠を越える若さかな

新築の家また建ちて雲の峰

遠くまで電車の音や夏野かな

遠くへと線路の伸びて雲の峰

夏の雲カメラかまえて電車待つ

ひぐらしや近くを一回り帰るかな
                                                    
夏の雲六号線の夕べかな


夏蝋梅葉陰の広く影をなしトオスミとまり消えにけるかな


今日も暑かった、朝四時頃起きてその時未明なのに蝉が鳴いていた
それから昼間ぐったりして寝た、夕暮れにまた自転車で近くをまわった
写真をとろうとしたが電車を撮るのはむずかしい、ここは一時間置きにしか来ないからである
スーパーヒタチは三回くらいくる
写真は待ってとるのだがその時天候が変わる
雲の峰が夕べ出ていたがその時電車は通らず雲の峰がくずれてゆく
だから写真はテクニックと機械の良しあしもあるがタイミングなのである
いい場面に出会いばいい写真になる
人生もタイミングだった、自然は刻々変わっているからその一瞬をとらえるのがむずかしいのである

雲の峰の写真でも一つの山のように高くなれば雲の峰らしくなる
線路の脇の雲の峰はそうなっていたがまもなく崩れた
雲の峰はくずれやすいのである、「雲の峰いくつ崩れて・・」となってしまう
夏の雲の写真でネットでみたら峠に湧いてるのがあった
夏の雲が湧いているとき峠を越えたら気持いいとなる
ただ暑くても行けない、三回くらい熱射病になって痙攣まで起こして死ぬ恐怖を味わった何か熱中症でも熱射病でも突然倒れるらしい、近くに人がいないと危険だとしていた

若い人ならロードで峠を越える、女性でもそれが醍醐味だと言っていたからだ
ただそういう若い日もたちまち過ぎるのだ
今や近間を回っているだけである
とにかくカメラをとることは場所の設定があり構図をとるとか一瞬のチャンスをとらえるとかむずかしいのである
それで車がないとできないというのもわかる、なぜなら選んだ場所で構えていなければならないからである

カメラのいい点はそこでどういう状態で撮ったか覚えている、記憶していることである
それでいくら他人のいい写真を見ても感動しないことがある
それはその場に立って撮った記憶が他人にはない
その一枚の写真だけではない、どういう時と場所で撮ったかを全身で覚えているから
自分自身がとった写真と他人がとった写真にはかなり相違がある
一枚の写真から自分自身がとった場合それ以上のものが記憶しているからである

2020年08月20日

abstract garden


abletter11.jpg


gardencircle5.jpg


flowerarengemmm3.jpg

dalia123_FotoSketcher1.jpg

flowercircle2.jpg

flowerarengemmm4.jpg

moonab6.jpg
islamic world

seaunite7.jpg

united venice -KINGDOM OF VENICE-KINGDOM OF THE SEA

2020年08月15日

虹の写真をとれなかった(写真の効用)


虹の写真をとれなかった(写真の効用)

ここに雲と虹の写真が今日見たのと似ている
E3%81%A1%E6%99%B4%E3%82%8C

summercloud2222.jpg

summercloud111.jpg

クリック拡大

ここに鉄道がありここを電車が通ればシャッターチャンスだった
でも一時間置きだから通らなかった
でもすぐ電車が来た、でもそのとき雲は暗くなってこんなに赤くなっていない
ただこの赤さはパソコンのソフトで調整したのである
実際に見た感じはこんなふうだったからだ

新築の家十軒ほど夏の雲

自転車に一雨ぬれて虹を見る

三方に夏の雲湧く盛夏かな

消え残る虹を惜しむや時はすぐ

夕陽さし赤々と映えぬ夏の雲 


虹が一雨ふって東の空にかかった、自転車で買い物に行ったら虹がでた
一部晴れていたのでぬれても行った
そしたら虹が出たのだがカメラをもっていなかった、何か肝心な時カメラがないのであるいい写真をとるとき

●カメラの良しあし

●シャッターチャンス

●構図を作る

とかあるがこれらの条件があってもシャッターチャンスがありこれは意外と大事である
カメラがいいものでなくても今回のようにシャッターチャンスを逃すと二度ととれない写真というのがある、それが結構多いのである
特に動いているものをとるのが至難なのである
絶えず動くものとは変化しているからうまくとれないのである
動いているものは自分で構図を作ってとらないとまたいいものがとれない
動いているからこそ定点でとることが大事になる

それで一日定点観測してカメラを構えて置く人がいる
富士山で半年もそうしていい写真を撮るためにいる人がいたとかそれほど富士山でも刻々変化するからそうなるのである
つまり自然は常に刻々変化している、そこでシャッターチャンスが大事になる
その一刻を逃すと二度とその場面をとれないからである
それは前にも経験していた、だからカメラは常時持っていることが必要になる
今はスマホとかもっているから便利である

写真をとるということは記録としても効用がある、なぜなら自分自身とった写真はさらに自分にとって価値がある、どういう場所でどういう季節に時期に撮ったかを記憶しているからである、すると自分が撮った写真から辺りのことを思い出すのである
それで外国旅行は写真で撮ったことが貴重になる
でも私が海外旅行したときはデジタルカメラの時代ではなかったから写真でもとる量が少なすぎたのである、でも写真を見て思い出すのである
今になるともう海外旅行ができないなと思った時貴重になる

いづれにしろシャッターチャンスもそうだがチャンスは人生に本当に一回二回くらいしかないものがある、例えはなぜ人はその女性と結婚したのか?
あの人がなぜあんな不細工な人と結婚したのかとみる
するとそれはその出会いの時がありそのチャンスをものにしたからだとなる
双方がまさにそのチャンスがあってそうなった
別に相性がいいとかなんとか様々な条件よりその時に出会った、チャンスをとらえたからだとなる
そして時間が過ぎるのが早いから二度とそのチャンスがなく消えてしまいまたたくまに老いてしまうのである
だから人生ではチャンスがタイミングが一番大事なのである
なぜならそのチャンスとかタイミングは二度と帰ってこないからである
チャンスとタイミングとは虹のようにたちまち消えてしまうのである

ただ虹でもこの辺は海に面していて必ず山に夕日が沈むとき海の方に虹が出る
それは住んでいればわかる、だから夕立がきて雨がふれば虹がかかりやすいのである
するとそこを狙って虹もとれるとなる、でもそれが結構手間だとはなる

自然を感じるというときやはりもし車だったら雨にぬれない、それはいいものとみる
でも自然を感じないのである、車の問題は風も感じないし雨ももちろん感じない
それは快適なのだけど自然を感じないのである
春雨や濡れて帰ろう・・・とかならないのである
つまり風流がなくなるのである、風流とは風の流れでありその流れを感じさせないのが車なのである
だから私は車が好きではない、車は絵にも詩にもなりにくい、でも電車とかなぜか風景ととけこみ絵になりやすいのである、それで撮り鉄がいる
でも電車は動いているから定点で撮る必要がありこれは結構手間である
旅したとしてもどこを選べばいいのかとか場所の設定とかがなかなかできないし時間がかかる、住んでいる場所ならわかるが旅しているとそれがわからないからだ

ともかく写真は文でもメモするより記憶を呼びだすから貴重である
そしてインタ−ネット時代になるとリアルタイムで放送できる
ただ今回のように場所が違うと虹は見れないから全国的には共有できない
でも月とかは世界で共有できる、同じ月を世界で見れるのである
それでリアルタイムで放送する、それは生放送になる
そうなると手間であり旅しながらまた放送するとなると苦しいとなる
前に文章だけでそうしたことがあった
でもかなり手間になる、でも写真を出すのはそれほどめんをとではないともなる
ただこれは一回もしていない、それだけする気力もなくなった
ほとんど家にいるようになったのが自分だからである












2020年08月13日

abstract japanese houses

posttodayeee1.jpg

post abstracts on Thursday

木曜日に投稿します

abstract japanese houses


japanesegallary1111.jpg
enlarge-クリック拡大

This is a warehouse in Japan, and if you make a gallery there, the picture will be more lively
The architecture and the painting are integrated, the painting was originally displayed in the church and integrated with the architecture
There was art as a unit of architecture, music, and painting, not just a painting alone.

japanesehouseart1.jpg


coolevening4.jpg

japanesehousewaygreenend2.jpg
Japanese Aquarium-enlarge

ここまでクリック拡大

fishmystery3.jpg


summernightway1.jpg

blueway5.jpg
 a way in winter

univercitybloc6.jpg
laboratory



私の抽象画は本当に絵の才能が全くないのでそれでソフトを利用して創作しているだけである
でも何かこれも創作なのである
いろいろ絵の素材があり組み合わせたり張り付けたりして作っている
それで才能がなくても絵を楽しめる
つまりAI時代とはそういうことができるとなる
コンピュターは人間の能力を拡張するのである
それがインタ−ネットで常に写真でも絵になる素材がふんだんにあるからやりやすいのである


My abstract paintings have absolutely no talent for painting, so I only use software to create them.
But something is also a creation
There are various drawing materials and they are made by combining and pasting
That’s why you can enjoy painting even if you have no talent
In other words, that will be possible in the AI era.
Computers expand human capabilities
It is easy to do because it is the Internet and there are plenty of materials that are always pictures and pictures.

夏の星、流星


夏の星、流星  


夏の星百個ほど我にきらめきぬ 

夏の夜や流星三個我が見たり

若き日や旅路の遠く夏の星

夜汽車行く音のひびきて夏の星


一瞬の光芒に消ゆ流星や夏の夜になお星は満ちにき

ペルセウス流星群とか見た、三個だけだったが見た、この流星はかなり明るく輝く
一瞬目の前に流れてきたときは驚いた
間違いなく三個は見た

この流星は3時前頃からたくさん見れるらしい、でもそれまで起きているのがめんどうである、今回もなんとか三個は見た、結構大きなものだった
この流星群は大きく見えるらしい、この辺では薄い雲がかかった

電車の音がかなり離れていたけど結構大きくひびく、電車の音は意外と遠くまで大きく響くものである
それで旅の日を思い出した、電車では相当に旅している、全国の路線の80パーセントくらいは乗っている、主なものでも私鉄をのぞいて乗っている
だから私は鉄道に興味がある、それで無人駅でたまたま駅員のようなボランティアした
経験は貴重だった、でもコロナウィルスとかになりできなくなったし駅長とか利用する人は遠くから来る人は案内した時ありがとうと言われたが地元では認められなかった

津波の後は海側は真っ暗になっている、人家がないからだ
ただ風力発電が電気の光りを放っている、ただ星は良く見えるのである 

12時過ぎて三日月が光っていたが黒い雲に隠れた、また流星を見ようとしたがあきらめた
流星はなかなか見にくい、ずっと空を見ているので疲れる、それでもいつもわずかの流星しか見ないのである



2020年08月07日

夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)


夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)

summermoon111.jpg

                          
石黙し庭の日影や黒揚羽   

黒揚羽今日も四五羽やこもる家

渓流に和してひびきぬ蝉の声

村一つひぐらしの声ひびき暮る

ひぐらしや人なお奥に住みにけり

ひぐらしや向かい岸よりひびくかな

夏燕一人暮らしやレストラン

川の水豊かに流れ夏の月

夏の月街中に棲み草深し

涼しきや路地裏の道猫に月


ここに生きここに死になむ命かなひぐらしの声ひびきて暮れぬ


黒揚羽毎日四五羽来ている、庭でも狭いから人一人しか通れない
でも二階だと庭が見えないが下だと庭が見える、すると鳥とか蝶が来るからいい
そこに石は黙している
何か慇懃な黒揚羽がここに似合うのである、そして石は黙しているとは自分のことなのである

自分はとにかく人と会うことが苦手であり会うだけで疲れるのである
それで引きこもりで30年間がいたからだ、その時家族は三人であり二人以外付き合いがなかった、それは人と付き合うのが疲れるからである
ただ自然に接するにはやはり石が黙しているように木が黙しているように山が深く沈黙するように沈黙して自然と一体化する
だから人と会って騒いだりすると自然に接するには自然の声なき声を聴くにはだめなのである
それで「静けさや岩にしみいる蝉の声」となる、ただこれは旅で芭蕉が俳句にした
だから旅でも自然に集中しないかぎりこういう俳句はできない
曾良が道中に一人いただけだからこの句ができた
もし団体旅行で騒いでいたらこの句はできないのである

ひぐらしというとき秋なのである、お盆は秋である
でもまだ夏である、これから夏である、だから暑い、ぐったりして最近昼間は寝ている
でもヒグラシは秋の季語なのである
温暖化とかではないと思うが季節感がおかしくなった
ことしは梅雨が長いのでそうなった、一時は寒いくらいだった
だから今から本格的な夏とみる
ひぐらしが鳴いても秋となると季節感がなくなる
ひぐらしは何か晩年にふさわしい、もう死が近づいている
ここで死んでゆくのだなと自覚する、老人の不思議はもう死があるだけになる
この世とはもう本当に一時的にわずかなの時間いるだけなのである

川の向かい岸からひぐらしの声がひびく、それがなんとも心にひびく
向かい岸にも人が住んでいるとかなんでもないことが心に感じる
老人は感傷的になる、涙もろくなる、なんでもないことでも感じる

二三日前に夏の満月がでていた、それが河原に光っていた
夏草が茂る河原に光っていた、雨が降ったので水は豊かに流れていた
あまり川に水は流れない、でもこの辺では真野川は大きな川なのである
水量が豊かだというとき大陸の川である
また日本でも大きな川がありそういう川に夏の満月が光るのがふさわしいとなる
新田川は浅瀬であり満月を映すとはならない川である
浪江町の高瀬川はいい川である、二つ川が街中を流れている

今日は原町の高見ホテルのレストランに行った
燕が飛んでいた、そこは広いのである、だから距離をとれるからコロナウィルスを防ぐにはいい、他では狭い所があり一回だけ行ったが同じ名の高見食堂がありそこは人が密着する他ない狭さである
日本は食堂でも飲み屋でもレストランでさえ広く場所をとれないことが問題なのである
狭い所で人が密着すればどうしても感染するからだ
だからあそこはコロナウィルスを防ぐ場としては最適である
ただ料理は同じでありあきる

でも一人暮らしはどうしても外食の方がいいのである、簡単でいいのである
料理はとにかく手間なのである、料理に凝ったら後何もできなくなる
プログに書くだけで手間なのである、手間だけは便利になっても省くことはできない
一人暮らしは料理が問題なのである、原町だと一人暮らしにはいい
いろいろ一人暮らし向きのものがあるからだ、まず鹿島には弁当屋もなくなったから困るのである
一人暮らしは気軽である、これから一人暮らしが増えるし増えている
夫婦でもどっちか死ぬと一人になるのである
だからソロ社会になるというのもわかる、一人は気軽である、でもまた一人はいろいろと困ることがある
孤独死などもそうであり一人だと何か家でも誰もいなくなると不安になるのである
それで外出もしにくくなるのである

今は猫一匹と一人の老女とつきあっているだけである
それでも何か人と接することが自分には疲れるから異常だとなる
この猫は餌食べるにしてもなつかない、手がかからないからいい
自分自身がこの猫と似ていたのである
人にかまわれるとか嫌なのである、月の性質がある、猫と月はにあっているのだ

DSC04877.JPG

高見ホテルのレストラン

ここは広い、距離がとれる、悠々として座り食事できる
だからコロナウィルスには場所としては最適なのである







2020年08月02日

鬼百合とダリヤの写真


鬼百合とダリヤの写真

oniyurinew1.jpg

oniyuriii11.jpg

bigflwer234.jpg

oniyuriageha111.jpg

oniyuriwindow111.jpg


dalia44444.jpg

dalia123.jpg

dalia55555.jpg


庭に咲く鬼百合見れば思い出す強気の姉の家を守りぬ


鬼百合というとき姉の花である、姉は太っていて強い女性だった
だから男でも恐れていたのである、男でも全然怖がらないのである
男の方が怖がってしまうのである
人を見る時真正面からにらむ、話するのにも堂々と話す
それで父親死んだ後、家が守れたし自分も楽したとなる

ただやさしさには欠けていたのである、人間は結局あらゆるものを備えた人はいない
優しい人は気弱になるし何か性格的に欠けるのである
人格的にあらゆるものを備えた人などいないのである
第一人の性格は人間は悪いと見えるものがいい方に働く

でも姉は最後は認知症になり悲惨に死んだ、最大の弱者となったという悲劇である
それには驚くばかりだった、強い人間も最後は弱者になる
ただもし急激に倒れた死んだからそんなことには見えなかったかもしれない
なせなら突然死んだのだからそこに弱さを見せることもないからである
まず病気になったりしたらどうしても弱者になるからである

いづれにしろ花とともに人も思い出すのである、特に花となると女性をイメージする
花にもいろいろありそれが様々な女性をイメージするのである

とにかく家は一人では作れない、男女があり総合的なものとして作られている
そこに家の意味がある、それは会社でも同じである、様々な人が力を発揮して作られる
家は最小限の共同体なのである、これは自治体とか村とか町とか市でも同じなのである
ただそれが現代では大きくなりすぎて一つの共同体として感じられないのである

厚生病院の裏の畑にダリヤが咲いている、その隣の庭も花が咲いている
そこの家は留守だったので写真を自由にとれたのである
写真は結構むずかしい、花は近づいて大きくとるのがコツのようだ
そしてカメラもいいものでないと本当はきれいにとれないことがある

揚羽がとれたので良かった、揚羽と鳥が動いてすぐに消えるからとるのがむずかしいのである

今日はここは晴れた、梅雨はようやく明けた、写真をとるにはいい、ただ暑くなると日射病になるのが怖いのである
老人はこれに気をつけないとまずい、ただ晴れてからっとしているからいいみたいだ


2020年08月01日

去年の水害の爪痕 (上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)

 去年の水害の爪痕

(上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)




mapjisabara1.jpg

mapjisabara2.jpg

mizunashiii1.jpg
これは小池の付近である

kazaana123.jpg

風穴の湯への橋が壊れた

これも不便だったと見た、渡ることができないからだ


mizunashik3.jpg

ここはなんとか自転車で通れた


mizunashik444.jpg

mizunashirr77.jpg
mizunashik55.jpg

mizunashi666.jpg

ここで完全に通行止め

jisaba77.jpg

橲原(じさばら)は草ぼうぼうで田畑は荒れている

ここは回復しないのか ?




上真野川というより水無川である、ここは下の方では普通は水が流れていない、水は下をくぐって流れている、でも上になると水は流れている
小さいようで上になると結構大きな川にも見える
この川のさらに奥は神秘的な場所になる、そこに行く道はなくなっていた

とにかくこの川沿いに道が寸断されていた、それも大きくえぐられて危険になっていた
こういう場所は車は通れない、自転車だとたいがい通れるのである
でも急に前が崩れていると怖いことがある、それは高倉の方でそういう場所がやはりあり危険だった、前は陥没していたからである

去年の水害は思った以上深刻だった、いたるところに水があふれて砂利が流れだして道をさえぎった、木も流された、相当な水量だったのである
それで丸森町で被害を大きかった、何か雨の量が相当なものだったのである

この復旧は長くかかる、新田川でも被害があり壊れた土手は復旧していない
何か災害がつづく、災難の時代なのである

浜通りは海側は午から晴れた、山側はまだ梅雨の雲がある、でもそろそろ梅雨は明ける
長い梅雨だった

2020年07月31日

紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌) 紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)


紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌-  亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)

cattuyu11.jpg



cattuyu1122_FotoSketcher.jpg

この猫は人になれない、さわらせない、近くにはよる
猫を飼う人はその猫に似るというのも本当かもしれない
自分の性格がこの猫ともにているからだ
なれなれしくなく何か人となじまないからだ
この猫は一か月くらいいなくなって尻尾を焼かれて悲惨だった
そこから血が流れていたのである、それもとまったので助かった
そのために余計に人になれなくなったのかもしれない
ただもともと人になれない猫だったのである

いつでもつんとしている、これがいつもの表情なのである
だからまさにこの写真がこの猫にふさわしいとなる

写真の不思議は絵に近くになる、絵の才能が全くなくともパソコンで絵にできる
ここで気づいたのは葉っぱに雫が見えた
するとここを目立たすようにもできる
ここに雨粒を大きく見せたりして加工するのである
また絵だと銀色にして雨粒を描く
つまり猫そのものがシルバーなのである、何か明るい感じがしない
猫は梅雨の日にあっているともなるからだ



雨しととこの道今日も合歓の花

鬼百合の競い咲きにし十数輪 

(京都―八坂神社)

古木なる枝垂桜や京の夕

京の日や枝垂桜によりそいぬ


山鳩の野に飛びにつつ働ける人のありしも実りのあらむ

我が庭の石のぬれにしその上に猫の座りて家にいつきぬ

めずらしき蝶のとまりし街の辻我のみ見るや心にとめぬ

交われ近くの女(ヒト)や草深く藪甘草咲き我が家のあり

紫陽花のことしもやさしく庭に咲き亡きにし女を我が偲ぶかな

我が身とて消えゆくものを今しばし花のそばにしよりそいあらむ

花とてもよりそう見れるその人のありしを思ふその場なるかな


梅雨がつづいた、そろそろあけるかもしれない、今日午後三時空を見たら晴れて来た
何か山鳩は鳩は平和の象徴である、田舎では山鳩は常に見かける鳥である
その鳥にしてももし原発事故のように荒地になって野に働く人もいなかったら
その鳩も活きていないとなる、もし全く人の住んでいない原始の自然だったら別にそこに活きていた

でも人が住むようになったとき違ったものとなった
人が野に働き平和な時、鳩もその人里に来て調和する、人の生活と調和する
そこに暮らしがなくなったらそうは感じないのである
それを象徴しているのが飯館村とか原発避難区域になった所である
人が住んでいない、暮らしもない、それげ生業を返せと裁判も起こした
今あるのはソーラーパネルと今度風力発電とかの工場ともなる

それは確かに利益を出すものだから仕方がないともなる
でもそこに山鳩とかが飛んできて調和するだろうか?
ただ別に田んぼで働いていた人は草刈機で草を刈っていた
するとやはり機械の騒音とかがそこにある
意外とこの草刈の騒音が嫌だいう人がいたのもわかる
毎日どこかで草刈しているからその音がするからだ
だから機械から離れて人はもはやありえないのである

庭の石に猫が座っている、雨に濡れた石に座っている
それを見ていると石と猫は一体化して調和する
猫が石になり感じである、自然は動物でも自然と調和する
なぜ人間だけが調和しないのかとなる

庭に紫陽花がやっと咲いた、今回は切ったので遅く咲いた
その時ここに姉が立っている感じになる
ただやさしいというとき自分にはやさしかったが優しいという女性ではなかったのである人間は死ぬと理想化するのである、悪い面が見えなくなるからである
となるとやさしいと偲ぶのは何か理想化してやさしい観音様のような女性がそこにあるように見たともなるのだ
人が死ぬとどうしても理想化されやすいのである

花の不思議は花を見ている人がいる、やがてその花を見ている人も消える
その時花もまたその人を偲んでいるとなる
これは別に恋とかの歌ではない、万葉集の歌は死んだ人を偲ぶ歌だとされている
恋とは乞うだったとしている、もう一度死んだ人と会いたいという歌だったとされているからだ

ともかく花とともに季節は変わる、今は合歓の花が咲き山百合が咲き鬼百合が咲いた
花ともに季節は変わってゆく、お盆になればもう秋だとなる




京都の八坂神社について書いた、あそこは30年前とかに行った記憶がある
何か本当に遠い日のことになった、でも京都は春夏秋と四回くらい行っている
それで八坂神社の枝垂桜は大きく見物である
京都に咲く桜でも何か違ってい見えるのが不思議である
それは千年の都だから自ずと何か歴史がそうさせているのである
でも正直インパウンドで外国人であふれたときは行きたくなくなった
情緒もなにもなくなるからだ、修学旅行生でもうるさかったのだから古の京都の情緒はなくなったのである
今なら本当に京都に行くのにはいい、閑散とした京都はありえなかったからである
でもコロナウィルスでまた行けないとなっているのだ
とにかくこれだけ旅行したがそれも今は記憶としてたどるだけだとなる

2020年07月19日

春時雨、夏の海(梅雨の晴れ間に原町の萱浜まで)


春時雨、夏の海(梅雨の晴れ間に原町の萱浜まで)

summerkiku1111.jpg

matunihonss12.jpg

ここまでクリック拡大


haramachistreets1.jpg

fishinghhh1.jpg

fugukusa1111.jpg

くさふぐ

garounatunew.jpg

snailgate22.jpg




松二本街道に影なし夏の朝    

あふれ咲く夏菊の黄に赤映えぬ

原町の通りを来たり春時雨
                                                
浪しぶき魚つりあぐ夏の海

はねとびし魚を見るや夏の海

釣り人と魚を語る夏の海

6号線夏の雲湧き鹿狼山

玄関の戸にでで虫やこもる家


街道に太くも根付く松にあれ夏の朝行き影をなすかな    


五本松から高松を通り原町の通を来て萱浜の方を回り帰ってきた
高松は松とあるごとく確かにそこは一段と高くはなっている
そこに太い松がありあの松はいい松だと見ていた

陸前浜街道として何かにあっていた、松は人間に見える親しい木なのである
街道というと高松から坂を下り新田川の橋をわたり原町の街中に出るがそこをまっすぐ行って四つ葉通りがありあそこが宿場町になっていたのである
そういう古い絵が残っている、そこが街道だった
駅の方に行くのは明治以降の街並みだった
駅から発展した街並みだった

ただ今この駅前通りはさびれている、店を閉じているのも多い
何か活気が感じられない、シャッター通りになったのはどこでもそうである
とうしても六号線の方が便利なのである
やはりスーパーがあるとないのでは相当に違う、駅前にヨークベニマルができたので駅前の活気は多少もどった

それからスーパーキクチのある裏の小浜のいととんぼの店によった
あそこの野馬追カレーうまい、それより日替わり惣菜を売っているのがいい
それも一つ150円くらいなのである
それがなぜかというと惣菜を作る人が日ごとに違っているからだという
スーパーだと同じ人が作っているからいつも同じだとなる
とにかく一人暮らしはオカズに困る、ただ近くだったら毎日でも来れるが遠いから来れないのである

何か雨がふったと思ったら春時雨だった、久しぶりに晴れたが雲が出て雨がふったのは時雨だった、春時雨である、何かこれは街にふさわしいともなる
冬の時雨と春時雨はまるで違ったものである、何かシャボン玉のようにも感じる

それから萱浜の方に行った、そこで釣りしている人がいた
その人は相当に釣りをしている、仙台の方にも釣りに行っている
漁礁を作ってそこに小魚を集めて魚を集めていると魚ことがくわしい
釣りは遊びでも自然と一体になるから釣りの人と話したりする
なかなか釣れないと言っていた

その時海面を魚が飛んでいた   
そこの辺でそういう風景を見たことがなかった
与那国島の方に行った時はトビウオが本当に高く飛んでいたのには驚いた
今日見た魚は高くは飛ばないがやはり飛ぶ魚がいる
それを見て気持ちよかった
釣りの人はスズキだとか言っていた  

ボラがジャンプする理由は?
ボラは水面近くを群れで泳ぎ回り、水面上を体長の2〜3倍もの高さでジャンプする習性が知られています。外敵や物音に驚いたりであるとか、体についた寄生虫を落とすためであるなど、様々な説が唱えられてます

トビウオだけではない、飛ぶ魚がいたのである

そこでもう一人の人が釣ったのは草河豚(くさふぐ)だと言っていた 
これはフグだから危険である、プロでないと料理できない、何か釣り人にとっては厄介者らしい、
一時津波の後に湿地帯のようになり金沢で大量の魚が入ってきて泳いでいた
それはボラだったのだろうかフグだったのか?
大きさはほぼ同じである
一時津波の後に三年前とか魚が相当に釣れたらしい、魚を獲る人がいなくなり増えたためである
釣りというのは何か自然ととけこむからいいのである
それで時々釣り人と話ししたりする、今日はひさびさに晴れたので気持ち良かったからだ
夏はやはり海が気持ちいい、久々に晴れたから自転車で回ってきた

家に帰ったら玄関の戸に出んてん虫がついていた
何か自分にふさわしい、それで急ぐ人は来たるべからじとした





2020年07月12日

梅雨の日-薔薇(写真5枚)−rose photos


梅雨の日-薔薇(写真5枚)−rose photos


rosedark1.jpg

rosethree111.jpg

iceberg111.jpg
アイスバーグに蟻がついていた

rosethreeee44.jpg


rosephoto55.jpg



アイスバーグ白さの映えて浮かぶかな

一輪のアイスバーグの隠れ咲く

ノウゼンの散り重なりて雷鳴りぬ

大らかに薔薇一輪や壺に映ゆ


三色の薔薇を飾りて壺に挿す外はなお梅雨の雨ししとふる

壺に挿す三色の薔薇我が家に色を深めて外は雨なり

しっとりと雨に濡れたる薔薇三輪庭に咲きにつ我が見ゆるかも

薔薇は一番種類が多いから花として鑑賞するにはいい
アイスバーグという薔薇を庭に植えた、ただ何か枯れるのが多い、土が悪いからだろう
名前があっている、アイスのように白いからだ、本当にアイスクリームの色である

この薔薇は原町のイオンに売っていた、それも三百円もしない安いものである
近くでは一輪でも700円とかだった、花は高くつくがイオンでは安い花が売っている
ただ自転車だと遠いのである、まずフラワーアレンジメントは金がかかる
だから金持ちしかやれないともなる
ただどうしてか私の姉は生け花を習っていた、今は花嫁修業として生け花を習う人は少ないだろう
それを教える家も見かけないからだ、前は近くにあったがその人はずいぶん前に死んだ

三色の薔薇を買った、これは安いから得だった
れで写真にとった、写真も最近こっているにしろむずかしい
でも偶然何か色が違ったようにとれた、これは偶然だった、絞りとかを調整していたらこんな色になった

何かフラワーアレンジメントは壺と関係している、その背景も写真をとるのに工夫が必要である
そういう場を一応作ったがまだ工夫がしかけがたりないのである
いろいろやることができないのだ、家事だけで追われているからだ
暇なく文を書いたり調べたり写真をとったりしている、その間に家事をしていると暇がないのである
介護しているときよりは暇ができたがやはり暇なく追われている

今日も雨であり庭の石が雨にぬれている、まだまだ梅雨はつづく
ただ籠っていても忙しい、結局私は家でもともと何でもしていたからテレワークなのである
こうしてすぐに写真でも文でももインタ−ネットでアップできる
だから実際は一人でこれだけしているのは相当な仕事量なのである
これもインタ−ネットだからできたとなる
ただプログでも簡単のようで時間がかかる、最低でも三時間かかる、他の人は最初は8時間がかったというのもわかる
いろいろ練って出すにはそうなる

それで試しにフェスブックをしよとしただ一回も見ていない、書き込みもしていないし見ていない
時間がなくて見れないのである
プログに出すだけで時間がとられるからだ、他にも文にするのに必ず参照するものがあり時間がかかりできない
私の文は長いからそれだけ労力を必要となっているのだ
だからコメントされても答えることをしていない、プログに書く方を優先しているから答える余裕がないのである

とにかく今日のテーマは薔薇だった、アイスバーグは前に撮った写真だがあとは今日撮った写真である
名前は「三姉妹」とかなるだろう、それぞれに色が違っていたからである
自分のプログで失敗したのは二つのプログに毎日アップすることだった
それが手間になったのである、意外とインタ−ネットの問題は手間がかかることである
だから時間がかかる、それで他のことができなくなるのである
それ必ず校正が必要なのだがそれが完全になされない、直したつもりでも直せない所が必ずあり二つのプログを直すのが手間になるのだ

読んでいる人は感じないかもしれない、でも売っているものでも相当な手間がかっている
でも金をだして買うだけなのである、その労力を考える人はいないのである
youtubeでもそうである、これも編集するとなると相当な手間だとしている
いくら便利になっても何かこうして手間は省けないのである

昨日は神鳴りが何回も鳴った、玄関のノウゼンカズラの花が重なり散った
これは毎日咲いて散っている、これは野馬追が近づくと咲く花なのである

2020年07月02日

梅雨籠り(梅雨から梅雨晴れの日)


梅雨籠り(梅雨から梅雨晴れの日)

ajisaiike1.jpg

クリック拡大



都草スーパーヒタチ来るかな

老鶯の家近く鳴き籠るかな

夏の日や日影に休み昼の月

煩いなく木陰に石の二つかな  


草深く雨しととふり梅雨籠る老鶯の鳴く声今日も聞くかな

草深く老鶯鳴きて雨しとと今日もこの道我が行けるかな  

長々と日影の道の涼しかな我が親しみし通ふ道かな

そちこちにでで虫道をさえぎりて田舎の道を今日も行くかな

この道の人も通らず池映る紫陽花のみそここに静まる   
                          

梅雨籠るという季語があった、これは使ったことがなかった、季語は多いからみんな使えないのである、梅雨の季語でも十くらいある、それだけ日本人は季節の変化に敏感なのである

老鶯というとき何か自分の俳号にしていた、というのは草深い田舎に住んでいるからである、草深いというとき隣の原町とか相馬市はそうはならないのである
一万くらいの町だと草深いともなる

日影に休んでいたら昼の月がでていた、何かこれが自分の生活だった
仕事もしないでどこかぶらぶしていた、そして家に帰れば食事が用意されていた
今違うのは食事の用意が大変なのである、家事も一人だから追われるのである
その間にプログを書くと毎日が何か追われる生活なのである
それは介護になってからもそうであり終わってもやはりつづいている
でも多少余裕があり日影に休んでいると昼の月がでていたのである

川子の道は人が通らない、というよりは今はどこでも人は歩くのを見ないのである
ただ車だけは実際は通っている、どんな辺鄙な場所でも通っている
でも車だと人が通っているという感覚になれないのである
車は人と接触しない、ただ通り過ぎて行くだけだからである
何か車というのは常に遠くに行く、心も常に遠くに行くという感覚になっている
それで近くにあるものを人でも風景でも見ないということがある

今日は農家がありその向かい側の池に紫陽花が写っていた
それを見る人は誰もいない、農家でも人影もみない、何かそれでかえって紫陽花が水に深く映っていた、それを見ていたのは自分だけだったとなる
田舎の道をさえぎるのはでで虫である
この辺が都会とはあまりにも違っているのである

これからまだ梅雨がつづくのか、今日は梅雨の晴れ間なのか、梅雨が今年は明けるのが早いともいうがどうなるのか、梅雨籠りの日がつづいたこの頃であった




2020年06月30日

南相馬市鹿島区の花幸園芸店が閉店 (残した一つの正月の作品)


南相馬市鹿島区の花幸園芸店が閉店 

(残した一つの正月の作品)

flowershop1.jpg


flowershop2.jpg



正月の寿春

円は満願、調和、円満
紫菖蒲は清楚な妻
チューリップの大きな蕾
未来へ開く瑞々しい若さ
葉牡丹は田舎的素朴質実
若松は初々しい命の緑
黄色の蘭は無垢なる幼児の色
正月に床の間に映えて
この家を言祝がむ




鹿島区の花幸花屋が閉店した、何か人が入っているのを見たこともないからやっていけるのかなと見ていた、花の種類も少ない、花屋の商売は結構むずかしい
花屋というのは実は相当な知識とセンスが必要である
まず花を育てる土とか肥料の知識が必要である
それは農業で畑で野菜を作るのと同じである、この知識は簡単に身につかないのである
だから農家だとその家のものが跡を継ぐのが有利なのである
親から実地で教えられるからである

それから花屋とかは何か芸術的センスが必要である、だからこの店では生け花の免許をとっていたことでもわかる、生け花の素養が必要なのである
それと美の感覚、芸術的センスが必要なのである
ただ花を売るということではない、花に対してのセンスが必要になる
私自身は花に興味があり高山植物でもずいぶん見て歩いた
それでフラワーアレンジメントに興味をもって最近はじめたのである

ただ花屋というのは結構金もかかるし金持ちの人したできないと思った
だから鹿島区ではあとは「森の花屋」しか残っていない、ここは小高の人がはじめた
ここは大きいけど花が少なくなっている、仙台まで買いにいかないと花は買えない
相馬市の駅前の花屋では仙台まで花を買いに行っていた
そこで病院に行って花を買ったりしていた、そこで写真をとりフラワーアレンジメントに興味をもってはじめた

ただ鹿島区では小さいから花屋でも商売が成り立たなくなる、それで仙台ですら今回のコロナウィルス騒ぎで花屋で花が売れくなくなったとかなっている
国分町で水商売の人が買わなくなったからだという、あういうところには花をふんだんに使って飾りつけをするからである
それからまたコロナウィルスで結婚式とか葬儀でも人が集まるのが嫌われたことで花を買わないということもあり苦境にたたされた
花屋はそうしたイベントとか集まりとかに花を使ってもらえないと成り立たない
だからお盆にはみんな花がを買うがそれだけではやっていけないとなり閉店になった
もう一軒の花屋だって成り立つかどうかわからないのである

この正月の花飾りが記念として残したものともなった
これは自分がいいとして評価したが本人はあまり関心がなかった
他人が評価して本人が評価しないのは変だった
これは和洋折衷で私が評価したのである

何かどうしても通りの店がシャッター通りになる、それは前のように大規模でないとスーパーに人が一局集中したように
小さい店はやれなくなる、それでせっかく鹿島区で真野川沿いに新しい通りができても歩道ができても
一軒も店ができていないともなる、それがもったいないのである
でも花だけが咲いているが人が歩いているのを見るのはほとんどないのである
店とはもともと見せるだったのである、その見せる店がないからどこの通りも死んだとなる

花でも簡単なものはスーパーで買ったりするからである
だから花の専門店となると相当な技量と芸術的センスとかがあって商売しないと成り立たない
それから都会でないとそういう客がいないから成り立たないとなる
自分自身は花が好きだから花屋に興味があった、花とかお茶とか短歌と俳句とか深く関連していたからである
それは日本の伝統であり日本文化だからである、だから花屋はそうした専門性がありスーパーとかにないもので
商売する、それは小さな店でも成り立つとなるがそうした客は都会でないといないから田舎では無理だったとなる
でも田舎でも花の苗とかみんな買っている、原町には相馬でもそうした需要がある
こうしてまた一見店が消失することは通りが淋しなるのである

これも郷土史であり郷土史とは記録として残すことである
これは5年前のことであった
そして「相馬新報」とは地域の新しい報道なのである、古いものと新しいものを知らせるということになる
古いものでも常に発掘したり調べないとわからないのである
それで400年前に700人生波で津波で七百人溺死と相馬藩政史に記録されたのが津波の後に発見された
これがいかに貴重な重大な記録だったかを知ったのである
それから東電では科学者が十数メートルの津波が来ると報告して警告していたのである

でもそれを大々的に知らせることがなくこの辺では津波が来ないとして大被害になったのである
だから知らせるということが報道の使命である
それは地元に密着しないとできない、その土地と深くかかわって報道しないとできないのである
福島県となると広くてそうした土着的密着した報道はできないのである
そこに「相馬新報」の意義がある
そうしたことができたのもインタ−ネットが生れてできたとなる、それは無料で誰でもできるからである
ただ手間だけは省けない、毎日書くことは相当に手間になるからだ
そのことで自分自身が費やされていることでもわかる、本当は一人ではできない、狭い地域でも実際は報告することは多様だからである






2020年06月20日

青葉繁る仙台の写真十枚


青葉繁る仙台の写真十枚

sendaistation11end.jpg

sengaistation10.jpg

sendaistreet9999.jpg



錦町公園

dovepark99.jpg


himarayasugipar;88.jpg
ヒマラヤスギ
tutujipark6.jpg


勾当台公園

parkflower555.jpg

terassforest3.jpg

traintree11.jpg
この蒸気機関車と木があっている
やはり何かまだ人間的なものを感じるからだろう
新幹線とかなったら木には合わない

aobajyoo1.jpg


つくづく高い所にあるなと見た
これも本当に見たのは10年ぶりくらいかもしれない
不思議なのは人間は何度見ても違ったように見えるのである
こんなふうに見えていたとは思わなかったからである

べてリック拡大しないと見映えがしないです,

広角レンズでとっているので余計に拡大しないと写真が活きない



夏の朝鴎群れ飛ぶ山下駅

車窓より遠望の景色夏つばめ

そちこちに若き等休むつつじかな

車窓より蔵王を望む夏の暮


喫茶店のテラスに休み風涼し青葉繁りて樹々の高しも                                

我が歩む青葉の影の通りかな若き等と交じり風の涼しも

深々と青葉繁りて石垣の高きにありや正宗の城 
                            

山下駅に鴎が群れて飛んでいた、やはり海が近いからある、それで山元町の津波の被害が意外と大きかったのもわかる、駅まで鴎がむれて飛んでくるということはそれだけ海が近いのである
常磐線沿線には鴎が飛ぶのが見える

仙台市はやはり若い人が多い、学生も多い学園都市でもある
だからそちこちに若い人が歩み休んで読書したりする、今はみんなスマホだったからなんか変だとなる

とにかくこれだけ市街に木が多いというのもめずらしいだろう、この木を維持するのは結構大変らしい、それは車の排気ガスとか汚れた場所にあるからそうなる
第一ヒマラヤスギのある場所はヒマラヤだからである
そこにこそ最もふさわしい木だからである

今回は広角レンズでさっそくとってみた、やはり見栄えするのがとれた感じがする
何か写真はちょっと角度を変えただけで違ったものになる
だからいろんな角度からまた接近してとるといい、でも写真をとるということを目的すると結構疲れる
今は写真を趣味とする人が膨大である、写真をとるために旅をしているとかカメラなしでありえないのである

写真のむずかしさは旅しても何か撮影ポイントがわからないのである
そこに住んでいればここから写真をとったらいいとかわかってくるが他だとなかなかわかりにくい、そして写真は車がないと運ぶのに重いからめんどうになる
自転車だと倒れてカメラを一部損傷したことがあるからだ
それで本格的にカメラはしていなかった
ただ旅もしなくなったのでカメラにこるようになったのである
最低広角レンズは必要なものだった、今回それでいいものがとれた感じはする


この写真の絵画化



2020年06月18日

仙台市の花屋もコロナウィルスの影響 (一年半ぶりに仙台に行く)


仙台市の花屋もコロナウィルスの影響

(一年半ぶりに仙台に行く)

aobahanaya1.jpg

クリック拡大

sendaihanaya3333.jpg

sendaihanaya222.jpg

sendaihanaya1.jpg


クリック拡大で鮮明に




仙台や青葉影なし花屋かな

とりどりの花をそろえて飾りけり青葉しげる仙台市かな


「花の流通を止めないためにも、お力添え下されば幸いです」

 店先の張り紙に足を止めると、オレンジのガーベラが1輪100円で売られていた。鈴木啓示さん(40)が経営する花屋の仕事の多くは週に一度、飲食店に花を飾る「生け込み」

 夜の街・仙台市国分町苦境 ひそかに消えていく店

 
仙台市に一年半ぶりにくらい行った、キタムラの通販でレンズを買ったのを受け取るためだった、キタムラは大きい店だと思ったら小さなビルの一部屋を借りてやっているだけである、一応カメラとかレンズが並んでいたが小さい
でも通販だけだと知らない人は不安になる
実際その広角レンズを使い森の都の仙台市を歩き写真を撮ったが途中でレンズの焦点があわなくなった
それでまたキタムラに行ってみてもらったら直っていた、シャッターボタンを半押しないとだめだと言っていた、でも別そうしなくても最初は映っていたし別なレンズでも映る
こうして何か問題が起きたとき店がないと困るのである
だから通販だと高い買い物が怖い、それで前にキタムラの店が相馬市にあったのでそこでカメラをうけとったのである、リアルな店があることは安心に通じている

仙台市に行くのは何か不安だった、遠くから来る人が必ず交わるからだ
それで仙台市がコロナウィルスの影響が大きいというとき東京とか遠くから人が来るのが多いからである、東京は東北の交通の要だからそうなる
仙台市に住んでいる人が秋田に移って感染したとかあるからだ
仙台市は東京とか遠くから来る人でにぎわう、だから飲食店でもそういう人が客になるから遠くから人が来ないと商売にならないと見た
実際は喫茶店などは空いているようだ、ただすべてがそうではない、別に普通に混んでいる所がある、公園の近くの軽食の店は人が入っていた
あそこは公園があり憩う場所があり場所がいい
仙台市は森の都というごとく青葉の季節には森が側にあるような感じになるからいい

ともかく仙台市は東京からの支店が多い、それでどうしても東京から新幹線できて交わるただ常磐線は通勤列車であり仙台市近辺の人たちだから違っている
通勤列車は満員だったけどそこに東京の人はほとんど交わらないから安全だとも思った
新幹線だったら東京とか遠くから来るから交わるので嫌だとなる

仙台市を歩いて店を閉じたところもあり公共のものも閉じているところがあった
まだコロナウィルスの影響があるとも見た、ただ普通にも見えたからその影響がわからないがやはり影響は大きいようだ
ただ花は好きだから見たが花の種類が多い、相馬近辺では花の種類が少ないのである
花の市場は仙台市にあり相馬の花屋では仙台まで買いにゆきそれを店で売っている
だから種類が少ないのである、仙台の市場では外国からも来るから種類が多くなるのだ

「花の流通を止めないためにも、お力添え下されば幸いです」

こういうとき相馬の方とか近辺にも影響している、花の市場が仙台市にあるからだ

とにかく国分町などは影響が大きい、水商売であり濃厚接触するからである
一時は国分町は震災以後、工事関係者の人たちでにぎわったのである
でもそれもなくなり今度はコロナウィルスで店をやめる人が多くなるというのもやはり水商売だからなのかともなる
つまり不要不急のものはコロナウィルスの影響が大きかったのである
普通に仕事しうている人はそういうことはない、現実に通勤列車は満員であり接触するから嫌だった、ここは変わりないからだ
ただスーパーヒタチに乗っている人は十人くらいだったから少ない
それはやはり遠くの行き来が抑えられたからである
とても今も東京には行きたくない、福島市で今日一人感染したのは県を越えた人と交わったためらしいからだ
いくら解除されても何か東京の方から来る人は嫌なのである
福島原発では放射能がうつると東京の人たちに嫌がられていじめもあった
でも放射性物質はコロナウィルスのようにうつらないのである
だからこれもおかしいことだったのである
それで今度は東京の人は来るなとか嫌がられるのはカルマだったとつくづく思う

仙台市にはいつも本を買うために行っていたが今は本などいくらでも通販で買える
それで仙台市に一年半も行かなくても困ることもなかった
ただ仙台市で商品でも現物で見れるから違っている
通販では現物を見ないから失敗したことがあるからだ、店とは見せるだというとき見せることから商売が始まるからである

仙台市は森の都というごとく意外と街中もそうだがその回りも森になっている
青葉城の回りは森になっている、だから東京などよりは自然が身近にまだあるとも感じた

2020年06月17日

夏の日の花の通りー南相馬市鹿島区の花の写真


夏の日の花の通りー南相馬市鹿島区の花の写真   

letterkashima11.jpg                             

kashimaletter1.jpg

mapkashima111.jpg

cloverstreet888.jpg

streetflower444.jpg

street flowerswhite.jpg

rosestreet555.jpg

ここのシシドスーパーの復興団地の通りの花はきれいである
これだけの花が咲いているのは見ものである

whiteiris8888.jpg

rosestation77.jpg

鹿島駅の花壇

rosehouse888.jpg

rosethree.jpg

rosegarden222.jpg

naturoubai22222.jpg
クリック拡大で鮮明に見える




道広くクローバー一面に匂うかな

白菖蒲咲きしもあわれこの道を行く人なしに我が通りゆく 

日のさして葉陰に咲きぬ夏蝋梅我が家にあり籠り暮らしぬ


鹿島区では一時仮設がそちこちに建った、今は全部なくなった、その後が空地となり道路の脇が一面のクローバーの野になった
これもまた変化である、何かこれも夏らしく気持いいともなる
これは北海道の景色である

それで北海道の札幌の通りが広いということで

しんとして 幅広き街の秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ 啄木

これを思い出した、でも明治でも札幌は都会である、だから一万の町とは違っている
でもそれと似た光景が広がっている
そしてこの通りにはいろいろな花が咲いている、ここは新しくできた通りでありまっすぐである、その通りにそって夏でありいろいろな花が咲いている
まさに花の通である、でもその通りを歩いたのを見たの一人だった
あとは車しか通らないのである
また店もほとんどない、だから新しい通りを作っても店とかがないから淋しいとなる
でもこの場所はいい場所である、真野川が流れて土手があり散歩にはいい場所である

鹿島区というと旧陸前浜街道がある、この道は狭いのである、でも古い道である
だからその道に沿って町ができた
でも何かこの新しい道の方が広々として景色がいいし花も植えてあり気持いいなと見た
でも店はないのである、だからもったいないとも見た
街の通だとしたらそれにふさわしいものがあってもいいと見た
ただ店を出せないのはやはりそれだけの客が来ないからである
それでほとんど人も歩いていないのである
今はただ人は歩かない、みんな車だから歩かない、それで通りでも人が歩かないのであるそれはやはり車社会の弊害なのかもしれない、車だと通りを歩いてちょっと寄るということがない、イオンのような所に遠くても行ってしまう
それで街の通りは廃れたとなる、本当は旧街道の町を一部この新しい通りに移せばいいのだがそれが簡単にできない、それだけの店を維持できないからである

いづれにしろただ花を見て通るだけの通りである、ただ花は映えている、裏の道はさらに人は通らない、歩いていない、歩いているのはめずらしいのである、そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである
それで花だけが映えている不思議がある、人で混雑したら花も映えない
ただ矛盾は花だけが映えて人がいないというか店とかないのも淋しいのである、だからその兼ね合いが大事になる
そこに白菖蒲だけが咲いていた、花だけが静かに咲いて映えていたのである

花の写真は光りに影響される、日がささないといい写真がとれない、だから梅雨になると曇っているから写真をとるのには向かなくなる、ただこつは近づいて撮ることだけだった、だからこれは比較的に誰でも撮れるものかもしれない
問題は広い景色がとるのがむずかしいのである
それはレンズとカメラに影響されるから簡単には撮れないのである

2020年06月16日

立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)


立葵の咲く場所(花の写真の撮り方)

tachiaoii11.jpg

tachiaoiplace1.jpg

taciawoi222.jpg

taciowainew1.jpg



tachawoi11112.jpg

日のさして立葵咲く空高く伸びて影なく真昼に映えぬ

これは下からとったからうまくいった

クリック拡大するときれいに見える

takamatutachiawoi11.jpg

高松の青田酒店は岩と松の写真をとった場所であり
そこからますぐ行くと写真をとった場所がある
ここはわかりやすい場所である



立葵が今咲いている、これは夏にふさわしい、これは光の中に咲くと映える
それで昨日高松の方に行って撮った
その撮り方がわからなかった

花は遠くからとっても小さくなり見栄えしない
クローズアップしないと映えない、それでそれを今回は試してみた
立葵は高く咲くので下から撮ったのも良かった
角度を変えて撮る、接近して花をクローズアップする
そしたらやはり花は映えた、カメラはソニーのα6000でありそれほどいいものではないが高いものではないが映りがいい 

写真もちょっとした工夫で撮り方で見栄えが違ってくる
簡単なのはとにかく接近してクローズアップすることである
小さいと花は映えないのである

プログとかなると映像の時代だから写真が欠かせない、写真と一緒に出せば訴えるものが作れる
それでソニーの広角レンズを買った、今度はキタムラで買った、それを仙台の支店で受け取る、前もキタムラから買ったことがあった
キタムラの支店が相馬市にあったからだ、今はなくなった
やはりカメラ店があるとないでは違ったものになる

とにかくレンズが高いのには驚いた、ただ中古品がある、それにしても高い、カメラとレンズは中古市場があり中古車と同じく高く売れるのである
あとは中古品でもただ同然ともなる、カメラだけは違っていたのだ





2020年06月15日

蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)


蛍袋(原町ユッサの裏の大原の道)

yussa6666.jpg


ooharabochi.jpg


ooharanosato555.jpg

hotarufukura111.jpg

クリック拡大




hotarukusa444.jpg


rockshop1.jpg

高松の店はコンビニのようになったが品物が少ないから客も来ない
何かこうした店は古くからあったがやっていけない
ただここは旧街道であり車はひっきりなしに通っている
でも寄る人が少ない、それも淋しいとなる
車社会になるとどうしても小さい店がなくなってゆくのである




老鶯やユッサに休む草深し

赤らみぬ蛍袋やユッサの湯

大原の墓地や影なし涼しかな

草深く蛍袋や社かな

草深く夏薊かな黒揚羽


黒揚羽ここに出会いて舞いにけり草深きかな大原の里

草深く埋もれし墓やその名もなにもしりえぬ大原の里 

大原の日影の道にあまた咲く蛍袋や草深しかな 

この道を行けばあわれも大原の知る人眠る木陰深しも
                                              

新田川の原町ユッサは意外と場所がいい所にある、ユッサそのものはそんなに景色がいいとはならない、でも今日行ってわかったことはその裏の道がいいのである
新田川が流れていて大原の里があり木陰の道がつづいている

今日そこを行ったら木陰が涼しい、そこに墓地があって草に埋もれた墓がある
そこも影になり涼しい場所である、そこに小さな社があった
馬頭観音であり新しいものである、馬頭観音は昭和の戦前まで馬を使用していたからいたるところにある、だから新しいのである
古い神社や社は別である、何か新しいものには価値がなく古ければ古いほど価値が生まれる、神社でも古い神社は価値がある、ただ古さがわからないのが多いのである
神社がいつ建てられたのか祀られたのかわからないのが多いのである

テレビを中古店に引き取ってもらうとしたら型番かわかればそのテレビの製作した年代がわかる、だから型番を教えてくれと言われた
年代的にそれがいつ作られらたものかわかりそれで評価するのである
神社でもその由来が古ければ逆に文化的価値が高くなる
電器製品は新しいものが価値があるの逆なのである

大原は街から離れた草深い里だとなる、今の距離感だと街に近い感じになるが車がないときは遠かったのである、それより前田という地名がありそこが大原の中心だった
そこに住んでいた斎藤氏と病院に入院して知り合ったが死んだ
その人の墓がユッサの裏の道を行くと杉林の中に隠れるようにしてある
その人の家は空家になって住んでいないのである
息子は街中に住んでいるからだ、だから廃屋となっている
その近くに長く廃屋として放置された家がありそれは本当に幽霊屋敷のようになっているなぜか壊さないのも不思議である
本当に幽霊が出て来るくるような家なのである

ともかく原発事故以後意外と大原は放射線量が高く避難した
そこで一時荒廃した、今でも荒地が多い、それより放射性廃棄物の貯蔵している所が目立って嫌なのである
それはこの辺ではこうした山里でも塀で囲んで放射性廃棄物の土を貯蔵している
それがいつなくなるのかわからないのである
それが風致を乱しているから嫌なのである

つくづく原発事故は罪深いものだった、なぜならこうした村を破壊したからである
ただその前に村は荒廃していた、跡継ぐものがないとか全国の村が限界集落化している
原発事故はそういう村落を壊したのである
それで補償金をもらって喜んでいる人たちも現実にいる
別にそこに住んでいる人が自分のように異常に景観とかにこだわらないからである
でもこうして村の景観が壊されることは心も荒廃するようにもなる

本当は村とかあることはそこに生活があることは外から見たらいいものである
何かほっとするものを感じる、でもそこに住んでいる人はそうでもないのである
だから原発でも積極的に誘致したとなる
ただその時昔からあった村という全体が壊されたとういことがある
町でも全体が壊されて風致もなにもなくなった
いまでもやはり放射性物質の廃棄物場がそちこちにあり風致を乱しているのである

とにかく原町だと深野とか大原は奥まった所でいい場所であり鹿島だと橲原(じさばら)村なども奥まった山里でいい場所である
でもそこでの暮らしが破壊された、田畑が回復しなくなったからである
そこは今はクローバーの野原になっている、原野化したのである
クローバーが馬肥しというのもわかる、田んぼの前は一面の馬肥しであり馬の餌になっていたからである、放牧された馬の餌になっていたからその名がついたのである
北海道にはクローバーの原野があり馬や牛が放牧されている
そういう風景が原野の風景があった

今日は暑かった、真夏である、でもあの辺涼しいから気持ち良かった
散歩にはいい場所である、この辺は海の方にも行けるし山里もある
それが浜通りのいいところなのである
ただ高い山がないのでものたりないのである





2020年06月12日

つつじの季節(立葵の写真などー写真の撮り方を覚える)


つつじの季節(立葵の写真などー写真の撮り方を覚える

rosegarden22222.jpg
花は必ず背景をぼかさないと映えない

水滴が写っている、昨日の雨の水滴である

rosegarden333333.jpg

tachiaoicar444_FotoSketcher.jpg

花は近づいて大きくすることがコツかもしれない
ここでは大きさが前面にでて映える
同じような大きさにすると映えないのである
つまり何か一つでも焦点をしぼりそこを見させるようにする
これも訓練なのだろう

tutujistation11111.jpg

大木の木陰に昔語るかな

朝の海広くひびけり夏雲雀

街中の喫茶店に集うつつじ咲く 

なお暮れず外出歩くや夏雲雀

                                                    
行き交いぬ車の列や六号線夕暮れ映えぬ立葵かな

道の駅遠近(おちこち)の人寄りにけりつつじの赤く映えて暮れゆく



道の駅は車はないけど良く行く、原町も相島市も行く
原町の道の駅の公園は散歩するのにいい、そこで小高の人がベンチに座っていてた
あそこに無線塔がありその無線塔の中に入り上ったとか言っていた
あの無線塔は長く原町の象徴だったのである
原町高校に通ったのは蒸気機関車だったということが今になると信じられないのだ
その記憶もないのである、なぜそうなったのか?
高校とか自分が学校になじめなかったしそもそも学校に行くことが嫌だったからかもしれない、何かわくわくして学校に行くようだったらこうはならない
学校は常にいやいやながら行っていたからである

だから学校にはいい思い出がないのである
でもどうしても蒸気機関車に乗って通っていたということが記憶にない
ただ一つトンネルをくぐったときすすけたことを覚えている
それくらいしか覚えていないというのは不思議である
こんなに人間は忘れるということである
いろいろなことを経験しても本当に忘れる、そこにいたのかどうかもわからなくなる
半世紀以上も過ぎれば本当に遠い昔であり記憶から消えてゆくのである

一昨日は海老浜から磯部に寄り相馬市の街中に行った、そこで中村珈琲店に寄った
藤の花は終わりツツジが庭に咲いていた
あそこはカウンターは使わずほかは離れて広い座席だからコロナウィルスでも危険ではないかもしれない、でも何か面と向かって座ると危険になる
みんなで集まり話したりすることが不安になる
それで東京で昼のカラオケで老人が集まり感染した
どうしても三密になると感染するから不安になるのだ
ただこの辺はそんなに警戒する必要はないと思う、その点は楽である

つつじが盛りである、道の駅に一杯咲いていた、写真は意外とむずかしい、それでyoutubeでプロの写真家が教えるのを参考にした
花はクローズアップして大きくとる、何か目立つものに的をしぼり見せる
何か写真でも漠然として撮ってもいいのがとれない、花は二つはうまくいったみたいだ
やはり背景をぼかすと花は映える

とにかくカメラはかかせない、俳句でも写俳の時代である、写真と俳句を組み合わせるのである、写真の不思議はこれはやはり絵画の分野であるがまた絵とも違っている
確かにプロの写真は500万とかのカメラを使っているから違うということもある
ただレンズがいろいろあり最初は失敗した、レンズによっていい写真がとれるのだろう
でばせレンズは高いから困るのである


今日は雲り写真の写りははっきりしないが撮り方は良かった、花をいかにして映えさせるかが問題である
フラワーアレンジメントは活け方が悪くてうまくいっていない、このフラワーアレンジメントも手間なのである、家事から何から一人でやれない、だから私は毎日こうしてプログに書きとか追われているのである

2020年06月08日

海老村ー八沢浦ー磯部村を夏に回り俳句と短歌を詠む (津浪から9年半過ぎた変化)

                            
海老村ー八沢浦ー磯部村を夏に回り俳句と短歌を詠む

(津浪から9年半過ぎた変化)

irishouse11.jpg
ここは金沢へゆく六号線の脇

perolerose7.JPG

この薔薇はブルーバリューと名である

この写真は成功した、やはり一眼レフでないといい写真はとれない
後ろが偶然ぼけたから見栄えがいいとなったからだ
これはプロ級の写真となるかもしれない、自分でも意外だった

natukikuriver1.JPG
sekireikawa2.JPG

鶺鴒が映っているから拡大しないと見えない

クリック拡大

greenscen1.jpg

鹿島区の仮設がみんな壊された
その跡が広いのである、だからその空地をどう利用するのかとなる
家はまだ建っているがこれ以上はそんなに建てる人はいないだろう
でも鹿島区の人口は二割以上が外から来た人になった
だから都会化したのである



磯部村(寄木神社)

yorikiyashiro3.JPG

yoriki4.JPG

isobekamome6.JPG

shipoki5.JPG





家囲み紫菖蒲の色深む

街中の空地の広く夏雲

外へ出て今日も飛び交う夏燕

黄菖蒲や沖行く船を海老に見ゆ

(磯部村寄木神社)

老鶯や石段上り社古る              


我が庭に薄紫の薔薇一輪奥にそ咲きてつつみ隠さる

我が家の廊下の広く真夜中に夏満月を見て歩むかな

灯のともし月影さして夏の夜や町は眠りぬ音もなくして  
  
(八沢浦)  
         
新しき道まっすぐに八沢浦都草咲き我が行きにけり

湊村消えしもあわれ誰が語るその跡もなく消えてなしかも

(磯部村)

磯部村消えて悲しもその思いいづこに残る社訪ねき

磯部村社の樹々の森なして残るも人は消えて悲しも

ハマヒルガオあまた咲きにつ海広く鴎の群れの鳴きて飛び交ふ   



八沢浦から磯部村に行った、八沢浦の湊村は消えた、磯部村は余りにも悲惨だった

「相馬沖は遠浅だから津波は来ない」。地域の多くの人たちが、そう信じていた。1960年のチリ地震でも津波は防潮堤を越えなかった。経験則があだになった。

相馬市磯部地区では約2000人の住民のうち、251人が大津波の犠牲になった。 市全体の死者・行方不明者458人の半数を超える。

海老村も消失した、崖の高台が避難場所として指定されたのが大失敗だった
あそこで30人くらい死んだ、でもうしろの森に逃げた人は助かったのである
危機一髪で助かった、あそこを津波の避難地として指定したのは津波のことをこの辺では全く知らなかった、まず400年前にあったとしてもそんなことを知る人は学者でもいなかったのである
津波の後に相馬藩政史に二行だけ津波で700人溺死という記録を発見したからだ
だから津波は来ないという確信になってしいたから磯部では逃げなかった
津波の恐ろしさは村ごと消えてしまうことである
磯部村は消え八沢浦の湊村は消え、海老村も消え烏崎村も消えたのである
これほどの被害があったならあんな海岸線に家を建てない
だからなぜあんなに家が密集して建てていたのかという疑問になる
それは日本が全体でもそうである、津波の被害は常に日本であったけど忘れられていたのである

とにかく災害は忘れたころやってくるというのは本当である
コロナウィルスでもそうである、スペイン風とかコレラとかで被害があっても忘れていたそして今回でいろいろとウィルスの怖さを言うのである
つまり人間はこうした自然災害とか定期的にくる、カルマとして来ることなのである
カルマは必ず苦しみとなってくるときそのカルマを自覚するのである
そうしないと自覚できない、昔の人が津波であれ苦しんだとかウィルスでもそうなのである

磯部村ではただ寄木神社だけが残った、あそこは森になっていて何か古さを感じる
でも事実上磯部村は消滅した、丘の方は残ったとしても村として維持できるのかとなる
磯部地区全体としては2000人いたとなると人口としては多い
その大部分が海岸地帯に住んでいたから悲惨だった
ともかく磯部村にはあの寄木神社が残るだけである、ただ丘の上の小学校とかは残っている、もともと磯部村は古磯部がありそっちの方が古いとなる
だからあの海岸線に住んだのは新しいとなる、でも実際はそこでも慶長津波の前から人は住んでいたから古い場所なのでなのである
古磯部とあるのはそこに新しい町が生まれたからである、そっちの方が中心となったから
である、寺も高台にあったことでもやはり古く住んだ場所は高い場所だったとなる

とにかく何か磯部村ではそこはソーラーパネルが一面にしきつめられそこに多くの住んでいた跡がなくなった、だからもうここにあれだけの家があったことを後の人は知ることもできない、つまり偲ぶものがないからだ
神社が残ったとしてもそこに人が住んだ跡とはならない、それは別だからである

なぜか磯部の海に鴎が群れて飛んでいた、あんなに多く飛んでいるのはなぜなのか?
浜昼顔が防潮堤の隙間から咲いていた、砂浜に咲くといいがそれもない
松川浦の海には咲いている

夏は写真とか花を見るにはいい、それで原町へ行く六号線の脇の金沢の坂を上る所の堤の側に新しい家ができた、それは大工の家だった、庭に畑がありその家を囲んで紫の菖蒲が咲いていた、それを写真にとらないんのが失敗だった
人間は何気ない所に美があるが見逃しているのである
あまりに平凡だとそこに美があると感じないのである
ただあそこは前がソーラーパネルになったから景観としては良くない

夜は満月であった、広い家の二階の廊下から見る、まずテレワークとかなると家で仕事するとなると静かな広い空間と部屋が必要になる
子供もいたり何か煩いと仕事ができないからだ、私自身は知的作業するが誰もいないからかえって集中できる、でも家事とかやるのに追われる
これだけの文章でも写真でもプログに出すとなるとそれが一仕事になる
それでフェスブックとかはじめたが一回も見ていない、やり方がわからない
それよりいちいんち答える時間がないのである
まずプログに書くことが一仕事なのである
それでプログの人気者がyoutubeで5000万一年に稼いだという人がその苦労話を語っていた、最初プログの記事を書くために8時間かかったというのもわかる
プログとかインタ−ネットとかで表現する問題はやはり手間がかかり時間がかかるのである、この時間だけは手間だけはいくら便利になってもできない
それはどんな仕事でもそうである、いくら機械化しても人間の手間がかかるのである
その手間がなくなることはないのである

2020年06月05日

夏菊、青葉、夏の雲(夏の日の花の写真)


夏菊、青葉、夏の雲(夏の日の花の写真)

sakashima1.jpg

natugikuriver2.jpg

natugumokikuen3.jpg

roseroad111.jpg

gardennatykiku6.jpg
奥の日影に薔薇が咲いているのもいい

natugikuniwa7.jpg


ここまでクリック拡大

kanzouend5.jpg


老鶯に聞き入り根付く木によりぬ 

様々なの薔薇を咲かせて通りかな

SAに寄り夏の雲湧く行き来かな

二手にそ湧き広がりぬ夏の雲  

夏菊や川の流れに沿いて咲く

夏日没る一時燃える牛越城

  
夏菊や雷雲湧きて広がりぬ街の上かな燕飛び交ふ 

野萱草に薊の咲きて草深し高松の家居離れて開墾の碑あり

真すぐなる木の梢にそ風そよぎ青葉にまぶし夏日輝く

分け入りぬ森の中にそ真すぐなる樅の木立ちて力強きも

夕風に青葉のそよぎ六号線萱草咲くや走りさるかな   

満月の植田に写し蛙鳴き原発事故の復興成りぬ


昨日は夕べも原町の方の高松と回り自転車で走った、夕風が涼しく気持ちよかった
夜は満月でありそれか植田に写っていた、蛙が鳴いて南相馬市とか原町鹿島は復興したと見た、小高でも50パーセント帰った、でも小高は復興にはほど遠い隣の浪江町は10パーセントも帰っていないからその影響も大きい

そして今日は暑かった、午後から常磐高速のSAに行った、あそこは休憩できるからいい
それからまた帰ってくると夏の雲今度は海の方に湧いていた
黄色の夏菊が土手に一面に咲いている

それから夏菊が咲いている家の庭を写真にとった、ここは何かいい感じである
ただあまり家を許可なくとるとまずい、でもわからないことがある
畑の写真などはかまわないが家だと誰かの家とわかることがまずい
でも田舎の家自体が絵になるのが多いのである、農家は特にそうである

そして雷雲になり雷(かみなあ)が鳴りを降った、何か梅雨に入る前の夏なのか?
暑いのは暑いが夕方になると涼しいから自転車で運動するのにはいい

高松は越中などの人が開墾に入った土地である、もともと森だったし開墾された場所はどこでもそうである、あそこちは牧場もあったがやめていた、原発事故以後牛を飼うことをやめた人が多い、牛肉がコロナウィルスで売れずに安くなったというニュースもあった
飲食店に売れないとかコロナウィルスの影響は広範囲にある

今の季節はやはりまだ外に出れるからいい、これが30度近くになると熱中症になったりするから危険である、去年だったとか三回くらい熱中症になったので怖い
ただ今の自転車は走って楽だから乗りたくなるのである

写真は結構むずかしい、写真をうまくなるのにはカメラをプロ級にしないといい写真はとれないという説明があったがそうだと思う、もう一つめりはりがない写真になる
一応記録として撮っている、今回は花にいい場面があった、今頃は一番花が咲いているから写真とするにはいい
のである

原発事故では南相馬市の原町と鹿島地区はほぼ復興した、だから満月がにあっていた


2020年05月30日

夏菊 菖蒲(菖蒲と蔵ある家)


夏菊 菖蒲(菖蒲と蔵ある家)
   
superhitachisss1.jpg

natugikuwhite1111.jpg

下太田

natugikuroad111.jpg

kuraishi1111.jpg

kuraish2233_FotoSketcher.jpg

はっきり見るにはクリック拡大
                                          
 
                            
高速に遠くより来ぬ青葉かな

黄菖蒲やなお陽の明るし野良仕事                              


夏菊に矢車草の交じり咲きスーパーヒタチのここを行くかな

蛙鳴く植田の縁に萱草の咲きて白鷺の餌あさるかな

影なせる奥の家かな蔵ありて菖蒲の咲けり石の重しも

夏の日のなお輝くや一面に菊の白くも風にそよげり


鉄道でもスーパーヒタチが通るのと通らない差が大きいと思った
その車両に魅せられたとなる
普通の車両はかっこういいとならない、その差が大きい
夏の日に田園を走るのが気持ちいいし絵になっている
鉄道は何か自然と融合するからいいのである
ただ鉄道の問題はせっかくスーパーヒタチが通るようになったのに客がほとんど乗っていないのである、これはまだ当分つづく
まだ一回も乗っていないから乗ってみたいが出にくいのである

蛙が鳴き植田があり萱草が咲き鷺が餌をあさる、この光景は見慣れたものだけどこの辺ではずっとそういう光景が一時消えたのである
それから田が元にもどり蛙が鳴き鷺が来るようになった
田んぼは生態系に融合したものとして自然の一部となっているからそれがなくなると蛙でも鷺でもいなくなるのである
それで蛙が鳴き、鷺が戻って来た時復興したと思った
田舎だとこうして生態系とともに生きている
都会だったら街の復興というとき建物とか道路とかインフラの復興になる

でも浪江の人は回りが草ぼうぼうになっているのにそのことで何も感じていなかった
仕事は東電でしていたから田畑に関心がなくなっていたのである
つまり田舎でもそういう都会人になっている人が結構いる
第一田畑で仕事している人は一割くらいであり他の人は別な仕事をしているからである
だから自分もそうだったが意外と農業のことがわからないのである
自ら米作りしたり野菜作りしている人は少ないからである

ただ生態系とともに生きているということは田舎では普通は感じる
コロナウィルスでも生態系のことを言われた、何か不自然に人間が生態系に入り動物からウィルスを感染する、だから原発でも生態系を破壊されたからコロナウィルスでも共通していたのかとなる
地球規模で生態系の自然の破壊がもう限界に達していた、だからコロナウィルスが自然の逆襲として広がった、また自らの生態系を守るためにウィルスが出てきたのかともなる

柚木(ゆぬき)の家は隠れようにあり何か蔵がありその前に大きな岩がありどっしりとしている、この家を見たとき何かここで営まれた生活の重みを感じる
家構いからしてそうなのである、兜屋根でありたいがい養蚕した場所がある
だからどれだけ養蚕が盛んだったかわかる
今になると地元に根付いた生業というのが大きなものとなっていない
当時は外から何か物が入ることなくやはり自給自足的な生活を継続していたのである
ただ養蚕は絹織物は輸出するためのものだったのである

とにかく大都会には生活の重みを感じられない、家自体がなにか狭苦しくおしこまれたようになるからだ、この家はどっしりとしている、岩もいい岩である
ただ家を勝手に写真撮ったりすると見ている人がいる
実は庭に隠れて人がいたのである
それに気づかなかったのである、それでとがめられたことがある
田舎では人がいないようでいる、そして見ているのである
誰もいないと見てもいるし見ているとなる、やはりこういう場所に来ると目立つのであるあの辺は木陰が多いから自転車で行くと気持ちいい場所である

2020年05月25日

牡丹の写真

 牡丹の写真

botansmall1.jpg


botannbig2.jpg


朝の陽の光吸い込む牡丹かな


クリック拡大

これは大きくすると見栄えする、やはり牡丹は大きな花だからである

この写真は成功していた、私の庭の牡丹も毎年五六輪咲いていたが今年は一輪も咲かない
でも20年以上咲いていたのだから驚きである
やはり遂に土地の栄養分がなくなったのかもしれない
でも花を植えても三四年とかで消えたりするのが多い
ただ地下深く根を張る花は長く咲いている
やはり土地に栄養分がなくなると咲かなくなるようだ



タグ:牡丹の写真

2020年05月22日

桐の花、、白藤の花、菖蒲(俳句短歌と写真を抽象画に)


桐の花、、白藤の花、菖蒲(俳句短歌と写真を抽象画に)

ayamephoto111_FotoSketcher.jpg


shobuwhitepprain111end2.jpg

fujinoie111end.jpg

kirihana11111.jpg

kiriabflower1.jpg
kiritanbo1.jpg

ここは田んぼだった

そこに桐の花が咲くが田んぼがないから活きていない



石すえて白藤垂れぬ暮るる庭

この道を通りて猫や藤垂れぬ

藤垂れて猫じっとしてここにいる

雨しとと塵もつかずに桐の花


長々と白藤垂れてこの家に大きなる石すえて暮れにき

我が庭の木の実啄むヒヨドリの今日も来たりてつつがなきかも

ひそけくも桐の花散るこの道を今日も行きつつ災いなかれ

桐の花散りて静けき裏の道今日も行くかなひそかなるべし

なかなかに電車来たらじ黒揚羽線路をよぎり舞いさリ消えぬ

梅雨のようになった、桐の花がいつも行く道に咲いている
桐の花は会津の花である、桐のタンスとか有名だからである
桐の花でも田んぼに写すと映える、ところがこの辺で田んぼが荒地になっているのがまだ多い、ある程度は回復しても放置されて草ぼうぼうになっている
そこに桐の花が咲いていても何か活きていないのである
桐の花と田んぼが一体のものとしてあった
つまり景観とかは暮らしの中で作られてきたのである
だから原発事故以後そういう暮らしが失われて景観も失われたのである
自然は原始のままならいいが人が住んだとき人の暮らしと一体となり景観も作られてきたのである
それがこの草ぼうぼうの中に一本立っている桐の花が活きていないことに現れていた

写真の白藤の家は石を飾っている家として有名である
あそこは土手の道でいつも通っている
あの石は大きいし見ごたえがある、そこに白藤は垂れて咲いている
その土手の道に藤の花がたれる、そしていつもそこに猫がいる
猫と藤は似合っている、

写真をとりそれを絵にする、また抽象画にする、パソコンのソフトを使いこなせばそれができる、ただソフトを使いこなすことが容易ではないのだ
ただパソコンは人間の能力を頭脳を補うものとしてある
だから今までの機械とは違っている
AIが第二の脳となっていることが違っている
翻訳でも本当に人間より優れていることに驚く
現代はコロナウィルスでテレワークになったように家で個々人で仕事する時代になる、教育でも学校だけで習うものではなくなる
その時才能がかえって伸ばせて天才が相当数生まれるようなるかもしれない

そもそも才能はその人の資質もあるが環境の方が大事だからである
いくら才能あってもその才能を伸ばす環境がないと埋もれるのである
これから個々人が才能を伸ばす活かす社会になるのかもしれない
在宅が主になるということは集団ではなく個々人となり個々人の才能を育てるということに変わるのかもしれない
まず学校のような一様化した集団教育では才能は開発されないのである
自分は学校を卒業してから才能を開発してきた
それで何か絵の才能が全くなくても写真をとり抽象画にしたり加工して絵にしている
そのことが自分でも不思議なのである
だから人間の才能はこうして機械によっても開発されるものだと思った

ヒヨドリが毎日木の実を食べにくる、何であんな小さな実を食べて生きられるのか不思議である、飛ぶことには相当エネルギーが必要に思えるからだ
何か他にも食べているのか?
鳥は虫を食べている、虫はタンパク質があるからエネルギーになる
でも八つ手の木の実は小さいしそれがエネルギーとなるとは思えないのである
ともかく今は下の庭の見える部屋にいる
だから庭を見るからそこに自然があると安らぐとなる
自分の家は広いから知的作業をするには最適な環境である
大学生の時から書斎が自分にはあった、そういうふうに自分は恵まれていたのである

まず在宅で仕事するとなると広い家が必要である、そこで子供とか妻とかいれば仕事に集中できないからだ、それで問題が起きている
となると在宅のテレワークとなると大きな家が必要になる
ただ通勤とか車とかはあまり必要なくなる
その分大きな余裕がある家が必要になる、ただそうなると家は高いから問題である
何か邪魔されないように仕事をノートパソコンもって公園で仕事していたというがそれでは仕事に集中できないから問題である
そういうふうにコロナウィルス以後の仕事は変わりそれに備えることが必要になる
それは必ずしも悪いことばかりではないと思った
新しい時代の働き方でありまた学び方にもなるからだ

2020年05月14日

夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)


夏の日の川の土手の道(藤の花が咲く―写真)

summertre1.jpg


nabeyama11.jpg
なべの形したのがなべかんむり山である

これが鹿島町を象徴する山である

でもこの辺では高い山が見えないからものたりない、でも蔵王が見える場所があり紹介した


fujinohanalight.jpg


ayametwo111_FotoSketcher.jpg
写真⇒ソフトで絵画風に
ayametwo111_FotoSketcher22.jpg
クリック拡大

                                                        
深野や紫と白の菖蒲かな 

深野(ふこうの)の田の面に写す桐の花


すくすくと真すぐに木の伸びにつつ五月の風にさやぎゆれにき

夏の日に河岸に鳴く鶯や三人ほどの休み語らふ

藤の花さわに垂れにき午後の陽の光り川面に輝きまぶし

紫と黄色の菖蒲映えにつつ夏の日明るく行き来するかな


今日は暑いけど昨日ほどではなかった、昨日はぐったりした
今日は真野川の土手の道を歩いた、そこで復興住宅の浪江の人が休んでいた
それで話したら同じ自転車に乗った同級生の人に出会った
何か半年ぶりくらいであった、どうしたのかと思ったが元気だった

あそこの土手の道はいい道である、人間はつくづく自分の住んでいる場所の良さを気付かないのである
あまりにも当たり前になって気づかないのである
なぜあそこがいいのかというと河岸に木が生い茂り今回は藤の花が垂れ咲いていた
川面に午後の光りが銀色にまぶしく反射していた
それは一幅の絵だったのである、絵にできないから写真にした
あそこの木を切れという人いた、洪水で水が流れにくくなり土手からあふれることを怖がったためである
実際に去年は水が相当に出てそれで川自体変わってしまった
川岸の花壇もみんな流されたてしまったのが残念だった
でも他では河岸の木を切ってもあそこは一部切ってもきらなかった
だから何かそこに夏になり藤の花が咲き鳥がとまったりして気持いいのである

今はカメラが欠かせない、映像の時代である、それで原町の植松団地で撮った写真を多少変えた、藤の花の写真を写真に藤の花が映っていなかったのでアレンジしたのである
何か写真は作れる、絵のようにもパソコンでできる
ただソフトが使いこなせないのである、機能が多くなりすぎたのである
私は絵の才能は全くないけどカメラとパソコンのソフトで絵が楽しめるのである

とにかく夏の日がまぶしく本当に夏だった、何か外で自然の中で話すると話がはずむのである、屋内より周りの自然が心に影響するからである
ただ明日から曇りがつづく、それが残念である
遠くに行けなくなる、暑いと日射病になりやすくなったのでひかえるようになった
五月にしては暑い、何か気候がおかしくなった
いつも五月には自転車で遠くへ行っていた、どうもここ十年くらいが天気が変動した
温暖化したともなるが暑いのである
一〇年前なのか二〇年前の中、五月はさわやかな季節だった 

それで気持いいから自転車でどこまでも行っていたのである
その時は家族もいたから恵まれていたし何か平和だったのである
そういう日は過ぎて動乱の時代になった、そして歳も取り体力が低下した
でもヤマハのYPG=XCは本当に乗り安いから乗っていて気持ちいいのである
それでなんとか今も遠くに出かけることができる
つまり技術の恩恵を受けるのは時代である、時代が進まないと技術は進歩しないのであるだから時代によって技術が進歩してその恩恵にあづかる
でも逆行に原発は技術のために悲惨な結果にもなったのである

深野(ふこうの)というとき地名がいいのである、それで菖蒲もにあうとなる
人間は名前に左右される、深野は何か地名ににあった場所なのである


2020年05月08日

藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)


藤の花(相馬市は詩と絵になる街―写真)

deepgrasss1.jpg

zaonatu222.jpg

zaoviewpoint1.jpg

fujinohana22222.jpg
街道の藤の花
fujiyaesakura3.jpg

tutujikami4.jpg
相馬中村神社の神苑
fujisoma111.jpg


cafeefuji444.jpg

中村珈琲店の庭の藤

kyochikutou111.jpg
                        
すべてクリック拡大


白つつし夕べひそまり神苑に

夏柳風にそよぎて田町かな

奥に石木陰の深く藤の花                          

夏の夜や赤い満月昇るかな


新緑につつじの赤く映えにつつ蔵王大きく迫り見ゆかな

八重桜あまた散り赤し藤の花さわに垂れ咲き相馬市の暮る

紫と白の藤の花映えにつつ街道あわれ行く人のあれ

相馬市の通りにさしぬ夕日かな夾竹桃の街路を行きぬ
                

前に大きく見えた蔵王の写真をとるために同じ場所を探した、それがわからなくなっていた、場所は地図で示した、ここから意外と蔵王が大きく見えるのだ
他はこんなに大きく見えないのである、ここはだから蔵王のビューポイントである

相馬市は街として詩になり絵になる、何か特徴がないのだが街として活きている
それは原町と比べると違っている、原町は何か詩とか絵になりにくいと思う
街中に丸三製紙工場とかあり煙がでてたり何か街として整っていないのである
相馬市は城下町だから碁盤の目のように作られていて整っている感じになる

相馬神社の神苑にはいつも白いツツジが咲いて今日は藤の花が咲き八重桜が散った後だった、あの藤の花はいい
それから中村珈琲店に藤の花を見に行った、でも今日はコロナウィルスのために閉じていた、何かまだ正常にはならない、店も閉じているのがある
それか残念だったがあの藤の花は見ものである
相馬市の花は藤の花である、鹿島は草深く咲く月見草とかである
原町はひまわりがにあっている、何かにあう花がある、飯館村はゆったりと芙蓉がにあうただ人が住んでいないから花も活きてこないのである

相馬市の通りに夾竹桃の街路樹があり夕日がさして映えて絵になっていた
暗くなって赤い満月がでていた、赤い満月は見ることがある、自然現象であるが今回は大きく見えた、今日は夏らしい一日だった
風が涼しいから暑いというほどではない、去年は熱中症に二三回なった
今年はそんなに暑いというのではない、風は結構涼しい、それで自転車で走るのが気持ちいいのである


2020年05月02日

夏の日に小高まで(萱浜の雫の津神社の不思議-写真)


夏の日に小高まで(萱浜の雫の津神社の不思議-写真
cyclexc.jpg


nanohanakayahama1.jpg
クリック拡大 萱浜の菜の花

tujinjyaaa3.jpg
津神社と11面観音

roottuji6.jpg

tujimmjya5.jpg
ここは海がすぐ近くにあるのに津波にも残っていた

shipmist2.jpg

tutujijinjya111.jpg
小高神社
odakasougenn1.jpg
クリック拡大

小高の海の方は田んぼが草原になっている

ここは馬を放つ、牧場にするのもいいと見た

北海道のように広いからである



復興やスーパーヒタチに夏の山

農家の庭までタンポポ入り咲きぬ

社一つ氏子の名前落椿

根の残る津神社にそ落椿

根っこにそ休めば涼し海の風

夏雲雀草原に鳴き沖に船

夏の海船の霞みて沖を行く


タンポポの綿毛や飛ばむ草原をスーパーヒタチの朝に行くかな

桜散る後に咲きにし紫のつつじや小高神社を我がたずぬ


まず塩崎の津波の後の草原でスーパーヒタチが来るのを待って写真をとった
いい写真をとるには場所が大事である、その場所が地元だとわかるのだが遠くに行くとわからなくなる
今はカメラが欠かせない、なぜならこうして毎日プログを書いているからだ
これが意外と手間であり疲れる、自分の場合、同じなのだけど二つのプログにアップしているのが手間なのである、これは成り行きでこうなったのであり変えられない

萱浜に菜の花が一面に咲いていた、何か子供が遊ぶ迷路がある
あそこも津波が来て人も死んだ場所であるが9年も過ぎた
でも不思議なのは津神社と11面観音とある御堂はなぜ残ったのか?
もうそこは海に近いし津浪に襲われたらひとたまりもない、御堂が流されたはずである
でもあの御堂は残ったのか?新しいものではない、それが不思議である

津神社とはツノ神社でありもともと雫(しどけ)の高い奥深い所にあったのを移した
それは烏崎でももともと高い所にあったのを下の平地に移した
だからもともと高い所にあり津浪が来ても流されない場所にあったとなる
なにしろ雫の津神社は高くて奥深い場所にあるからだ
この津神社はツノ神社でありツノガノアラシトが由来の渡来人を祭っている
ツノガノアラシトとは伽耶王国の王子であり日本がからここに来たのは鉄をとるためだった、砂鉄を求めて鉄を作るためだった、そういう技術者であった
松川浦のツノミツ神社もツノガノアラシト系の神社である
浜通りにはそういう系統が実に多いのである
それが先であり11面観音は泉にもありそこから移したて一緒に祀られたとなる

何かその御堂には杉の木とか津波の後にも残っていて椿が落ちていた
そして氏子の名前が書いてある板があった
ただ萱浜というと越中からの移民などか多い場所だともされている
だから人をみさば新しい場所だともなる、でも古代からの歴史がここにもある
それがこの御堂であり社なのである
だから何ともその切られた木の根っこがなんともいえず重々しい、根が長く大地になお
張っていたのである

それから小高に行き神社に回った、桜は終わり紫のツツジが咲いていた
これが似合っていた、何か紫は高貴な感じがするからである
はなまるガーデンに咲いていたのはペトリウムとか言った 

小高は海から駅まで津波に襲われたままの状態で草原になっている、それはスーパーヒタチの写真をとったようにやはり塩崎は草原になったままである
ただ小高は原町や鹿島と違って全体的には復興しない、何か空家が多く淋しいのである
今日は店でもみんな閉まっていた、コロナウィルスの自粛で閉まっていた
だから余計に淋しさを感じたともなる

何か小高の海岸の草原化した場所には馬を放つ、牧場にしたらいいのかとも思った
あのままではもったいないからである、海岸には野馬橋とかありあそこは小高から野馬を引き連れて雲雀が原まで来た道なのである
小高城は最初に相馬氏が築いた城であり由緒ある場所である
そして野馬掛け行事がある古い野馬追い発祥の地なのである

今日はとにかく暑かったから夏である、でもこのマウテンバイクは軽快に走るから気持ちいいのである、だからまだ遠くに行きたくなった
ただ去年は春に暑くて熱中症になったから怖い、ただいろいろあって体力的にも気力も落ちた、また回復したら最後の自転車の旅をしたいともなる
ただ今のマウンテンバイクではできない、荷台がないからである
荷台のある同じタイプのがヤマハからでている、ただこれ30万以上するから高いから問題である
いづれにしろ自分はもう今度旅するとなると最後になると思う
でも今は自粛だからできないとなるのが残念である





2020年04月30日

八重桜(桜散る後にほのぼのと咲く)


八重桜(桜散る後にほのぼのと咲く)


赤々と内よりあたたか八重桜

八重桜母のごとしかほのぼのと

八重桜咲きつづく道走り行く

八重桜に菜の花映えて田舎かな
                                                    

山桜あらかた散りぬなお風の荒しも今日もやまざりしかも


桜は散った、その後に必ず八重桜が咲く、それが季節の変化になる
桜と八重桜は相当違っている、桜は咲いたらすでに散ることを予感する
でも八重桜は散るという花ではない、何か桜があわただしく散った後に落ち着いて咲く
八重桜はなにか内からあたたかさを感じる
また母と言うだけではなく女性的な母性的な何かを感じる
だから桜と八重桜はまるで違ったものである
田舎だと菜の花に似合う花だとなる
だから八重桜も好きなのである、とにかくこれからはいろいろな花の咲く季節である

花でも自然に融合するには自然を見るにはじかに人間に接することが必要になる
自転車だと例えば山を見るにしても徐々に山に近づき大きく見えて来るとか見え方が違うのである、車だとなにか景色でも見え方が違う、だから自然にふれるには歩くか自転車がいいとなる
八重桜をが咲きつづいているところを車で走るのと歩くのと自転車で行くのでは感じ方が違うのである
それで車とういのは人間から本来の感性を奪ったともなる
それは電車とかでも言えるのである、それに気づいたのは常磐線でどれだけ仙台に通ったか?でも山元町の海岸線を自転車で行って蔵王を見たとき全然違っていた
電車で見るのとは全然違っていた、徐々に大きく迫るように見えたからである
電車の中だらぼつんとしか見えなかったのである

人間は車が走っていることに感じない、ただ物体が過ぎ去るという感じになる
ところが不思議に一人の少年が走っていた、赤いつつじが咲いて少年が走っている
芽吹きの季節でもあり何か少年が未来に向かって走っているという感じになる
車だったら第一その人が見えないからそういうことを感じないのである
車社会はだから便利にしても人間的なものを奪ったのである

それで変なのだけど自転車を乗っている人とは誰でも気軽に話し合う、でも車に乗る人とはほとんど話しないのである、車に乗っている人は車の中に閉ざされている
自転車だと姿が見えるから話し合いやすいのである
ただ自分自身は車をもっていないのだから車がどういうものかわからないのである
でも正直私は車が嫌いなのである、だからコロナウィルスで車が道路から極端に減少した時、交通事故もなくなり空気もきれいになったということがあり何か車の無い社会を見直すことにもなった

結局なにかと自分は現代社会に適応できないかった、学校からして適応できなかった
もちろん会社とか社会にも適応できなかった
それを一番象徴していたのは車に乗らないということだったのである
まず自分は車を運転できない、常によそ見しているから自然を見ているから事故になるからだ
ただこういう生活ができたのも別に生活に追われることがなかったからだ
だから常に自分は親に感謝しているのである
今の社会に適応できなくても引きこもりでも自由に旅しても何もとがめられることがなかったからだ、それも60までそうだったのである
何か普通の家族ではなかったにしろ自分にとっていい家族であり楽できたのである
それで人間は育つ家族の影響が大きいと思った
人間は育つ家族の環境でその人生が左右されることが多いのである

山桜もあらかたは散った、でも風が今日も荒いのである、何か今になって風が毎日吹いている、東風が吹いている、普通の桜が咲いてから風が吹いてまだ風が吹いて山桜に吹きつけている
それで落ち着かないともなる、それはコロナウィルス騒ぎが収まらないということで余計にそれを感じてしまうのである

2020年04月27日

(春の日)蔵王が八沢浦の奥から大きく見えた


(春の日)蔵王が八沢浦の奥から大きく見えた

zaommm1111222.jpg


ここはもう一回行って写真をとる
ただ今日のように快晴でないときれいにとれない
大きなカメラをもってまた行ってみよう
ここは蔵王を見る穴場である


喫茶店隠さる山陰シャガの花

少年の走るやつつじ赤く映ゆ

春の山見えてなじみぬレストラン



田起こしのトラクターの音ひびきつつタンポポ畦に咲き満ちるかも
                                                
タンポポのいたるところに咲きだして燕飛び交い休みなしかな

大きくも蔵王の迫り山桜ここに咲くかな夕日さし暮る        

相馬の城跡たずね残る花一人二人や歩み去りにき 
                                                                  

八沢浦の行ったことのない道を行くと蔵王が大きく見えて鹿狼山も見えた
山が見える場所は不思議である、山は場所によって見え方が違う
山が大きく高く見える場所がある、ビューポイントがある
ヒマラヤでも3000メートルまで上らないと高く見えない、
また富士山でも同じである、何か小さく低くしか見えないことがある
だから山は見る場所によって相当違って見えるのである

北海老の山陰の喫茶店は本当に隠された場所にある、ただ二回ばかり行っただけだった
でもあそこはいつも通っている、今も開いているのかどうかわらなくなった
何か喫茶店が好きである、それも場所がいい所にあるのがいいのである
今度は宇多川の岸にある喫茶店を見つけた、そこも場所がいいと思った
そこにも今度入って見よう
どうしてか原町にいい喫茶店がないのである
いい場所はあるが喫茶店はないのである
喫茶店を回って楽しむのもいい、それにはやはり場所が良くないとだめである
何か食べるとなるとまた別である 

レストランといってもまるまつである、時々入る、相馬市と原町だといろいろある
あそけでカレーの弁当を400円で特別に出していた
この近くでは650円であり800円もして出している
これは高いと思った、ただまるまつのは特別である
期間限定である、ともかく料理がめんどうなので原町と相馬市は一人暮らしだと楽になる定食とかも手ごろなものがあるからだ、とにかく料理はいろいろそろえたり皿まで洗ったりとめんどうなのである
そこに時間がとられると他のことができなくなるのである

とにかく桜は散った、余花の季節で在りつつじとか山吹も咲きだした
田起こしとかあり暮らしがあると活気がでてくる、だからいつまでも放射性物質の廃棄場があるのかとなる、目障りなのである
小高とか浪江とかなるとこうして当たり前にあった田起こして田植えして畑で野菜を作るとかない、そこに暮らしがないと何か活気でない、飯館村では特にそうである
空家があり何か幽霊でも棲んでいる感じだった
別荘のようなこじんまりした家をみんな建てたがそこに人が住んでいないから村全体が活きていない、死んだようになっているのである

2020年04月24日

残る花の短歌


残る花の短歌


今しばし残れる花や病院に命いとしみ明日は散りなむ

今日もまた風吹きやまじ残る花夕べに見つつ帰りけるかな 

雨しとと余花のあわれもこの道を今日も行きつつ暮れにけるかな

みちのくの残れる花のあわれかな夕べ街の灯静にともしも

山の路去年(こぞ)の嵐に倒る木やそのままにして山桜咲く


ここの桜は散った、何か毎日のように風が吹いていた、桜前線はまだ北に進むと仙台とか盛岡では咲いているのかとなる
飯館村だと500メートルの標高の差があるから時期が遅れて桜も咲く
梅が下では散っても飯館村では盛りだったからだ
だから桜前線をたどるなら飯館村とかに行けばいいとなる
とにかく今年は遠くに出れない、だから仙台にも今年になって一回も行っていない
去年でも一回行ったのかとなる
それだけ私は旅もしないし遠くに行かなくなった
そして何か思い出す旅をしているのである

ただ桜前線だと6月のはじめまで日本では桜が咲いている、稚内市で6月でも桜が咲いていたからである、だからそれだけ日本列島は長く寒暖がある
それが日本の面白さだとなる
とにかく桜は咲いたら散るということを思う、その期間が余りにも短いのである
だから名所だけではない、いろいろな場所に桜は咲く、それが二週間しか咲かないから
限られられた桜しか見れないのである
どんなことしたって一生に見れる桜は限られている

私の場合、本当に贅沢な時間を過ごした、西の方に奈良とか京都とか何回も行っていたからだ、そしてそこは歴史の栄華の場所であり桜が散ってもみちのくに帰ると桜が咲いていたとなる

打ち暗み夕べ桜や高館(たかだち)に風吹き荒れて我がたずね暮る

高館義経堂 (たかだちぎけいどう)-義経終焉の地

何かこうしてある場所の記憶がよみがえる、それも不思議である
記憶の旅がある、平泉なら近いから何度でも行けるがここも十年くらい行っていないような気がする、介護とかあり行けなかった
ただまだ盛岡の桜は見ていない、青森の桜は弘前の桜は見た

近くの山の中に入ったら木が何カ所か倒れていた、まだ去年の嵐で川も荒れたままの所がある、あの台風の被害は思った以上大きかった
いたるところ水がでて小さな小川でも鉄砲水のようになり荒らしたのである
だからいたるところで木が未だに倒れたままなのである
その後遺症が残っているのに今度また台風が来たらどうなるのか?
これも心配だとなる、コロナウィルスも収束しないとしたら二重三重の被害となり
どうなるのだろうとなる

いづれにしろ私の場合は籠っていても別に退屈もしない、こうしていつも旅を回想したり書くことがある、それもインタ−ネットだから外に出る必要もないのである
ただ今コメンととかメールを見ていない、対話がない
それはこうして毎日プログに書くことがありそこに時間がとられるからである
家事も全部一人でしているしこれも大変なのである
だから料理は簡単にすまして食事の時間も短い、そこに時間をかけていない
そしてなんとかこれまでの書いたものを作品化しようとしている
でもこれも大変だと思う、手間がかかるのである

今回のように桜の短歌だけをまとめ桜の短歌集を作るにしてもプログとホームページからまた再編成しなければならない、それがめんどうになるのである  




2020年04月19日

桜散る(今年の天気は荒れ模様)


桜散る(今年の天気は荒れ模様)

sakurahomeland1.gif
クリック拡大

sakurakind1.jpg

クリック拡大

arakabekura111_FotoSketcher.jpg
この倉はいつも絵になる
nowaterriver.jpg
水無川が流れている


春の雷仕事に張り切る大工かな

隣の市燕来たれり次の町へ

大きなる桜井古墳に燕来る

看護師のやさしくあれや花の影

新田川流れひびきて花に風    

荒壁の蔵や古りにき落椿

鳥飛びて芽吹きや滝のひびきかな


水無川今日日のさして光りつつきらめ流れ竹に風そよぎぬ

山桜ここに咲くかなふるさとのまだ知らぬ道我は行くかな

あらかたは昨日(きぞ)の嵐に花は散る残れる花になお風の吹く


何か今年は荒れ模様である、また寒いのである
昨日の嵐で桜は大方は散った、そしてまだ風が吹いている
何かそこに桜の命が息づいている
桜は常に散るものとして見ている
それが桜の特徴なのである

咲いた時から静心なくとなっている、そして風が吹くともう散ってゆくのが桜である
つまり桜はこうして散ることが美しいのである
それで大阪城跡の桜が散ってゆくのが何ともいえないものとして記憶に残っている
その時夕日が輝き沈んでゆく、それが心に残るのは人間の栄華がそこにあり歴史の記憶と一体となり桜の散るのが美しく見えたのである

大阪城栄華の城や花は散る夕陽耀(かがよ)いその時惜しみぬ

何か西の方には歴史があるから違っている、歴史の栄華がありそれで感じ方が違ってくるそれが東になると城があっても感じ方が違ってくる
江戸城などでもその跡でも大阪城のようなものを感じないのである
江戸城なら栄華があったのだから何か感じるものがあってもいいのだが感じない
第一江戸城というのは何かイメージできないのも不思議なのである
いづれにしろ桜というとき西の方が美しく感じるものがある
何かそこには人間の栄華あり歴史があり違って見えるのである

南相馬市立病院に桜が咲いている、看護師だと看護婦だとやさしくしてくれとなるが実際は看護というのは厳しいのである
何かヤワな人で勤まらない、家族に看護婦がいたからわかる、従軍看護婦となってシンガポールで四年間勤めた
それはあまりにも過酷でありとてもやさしいだけでは勤まらない、強靭なものがないと勤まらない
だからやさしさでも強さがないとやさしさももてない、それがむずかしいのである
ただ看護師はいめーじり強面の体育系が多いのもそれでわかる

燕が来ると何か気持ちも新しくなる、それで相馬市から新地から山元町へと自転車で行った
ここは原町市もあり相馬市もありそれなりに都会があるともなる
ただ規模は小さい、仙台市となると規模が大きい、でも去年は一回行ったのか今年は行っていない、というよりコロナウィルスで行けないのである
スーパーヒタチでもがら空きで人が乗っていなかった
常磐高速のSAでも人が少ないという、こうして交通機関とかは客が急激に減った
第一人と接触することが危険だからどうにもならないのである
みんなマスクしているし近づくこともできないとなるからだ












2020年04月14日

春の夜に死んだ人を思ふ短歌十首 (忘れられるのは人の世の常)


春の夜に死んだ人を思ふ短歌十首

(忘れられるのは人の世の常)


隣なる女(ひと)の思ほえず死ににけり忘れ難くもただずみてあり

死ぬ人の心に残るそは何やなお見つめあれ我が庭の花

隣なる人も老いにき病なり妻も死にしを誰かいたわる

ただしばし逢いにし女のあわれかな嵐に花の散らさる夜かな

亡き人の面影浮かびあわれかな嵐に打たれ花は散らさる

年老いて死ぬ人多しかの人のなお生きにしや春の夜思ふ

友見えぬ何かと思ふ春の夜近くにありて心にかかる

人死してなほ残りしは家なりき思いの深く我は継ぎ住む

この家の五〇年はすぐ春の夜や嵐に打たれ痛み建ちにき

この土地に乳と姉住み母の住み我は受け継ぎ春の夜ふけぬ

去る人の日々に疎しと新たにそ来る人ここになじみけるかな

亡き人の遠くなりゆく十年は一昔かなたちまち過ぎぬ

それぞれの家にそ深き思いあれ人住まずして荒るるは悲し

人はみな忘れられしも悲しかも常なき世かな人は変わりぬ


昨日は嵐であり今日は風が強い、桜も散り始める、何か近くの死んだ老人が言っていたことを思い出す、次々に死んだ人が夢に現れて消えたという

これは何を語っているのか?

おそらくそれだけ近しい人が親しい人が死んだからそうなる、最近経験した一番不思議なことは隣の女性が突然死んでいなくなったことである
その女性とは別に親しくもない、ただ庭に来て花を見て話したことがあったというだけである、ただそれも何回かであり何の親しいということもなかった

でもなぜその女性が死んでしまったことで感じるものが生まれる
それは親しいとかではなく隣に住んでいて隣だから否応なく接することがあってそうなった、ただ隣に住んでいたというだけで死んだ時その人がやはり隣に立っている感じになった、そして自分を見つめている感じにもなったのである
人間はやはり今住んでいて人間的感情をもつのは近しい人である
遠くなったらだんだん去る人は日々に疎しとなる、これはさけられない
ただ隣にいるというだけでそれが最後に身近な人として死んでも思うようになる
遠い人はもう思い浮かべることもできないからだ
だから別に親しくなくても近くに住んで日々顔合わせていればその人の方が大事にもなる
特に晩年はそうなってゆく、なぜならそこが死ぬ場所になってしまうからである
最後に逢っているのは近しい人ともなるからだ

ただ本当にこの年になると死ぬ人が増えて来る、家族もみんな死んだ
それも姉の場合でも10年とかすぎてしまっている、これも早いなとつくづく思う
すると何かその記憶もあいまいなものになってゆく
去る者は日々に疎しとなるのが人間である
いくら親しくしてもそうなる、今現実にここにいる人間が親しいものとなる
そして死んだ人は忘れられてゆくのが人間である

死んだ人は忘れられるが家は残っている、家というのは何かその人の思いの残ったものしてかえって存在感があることになる
人間は死んだら骨となり灰となり塵となり消えるからだ
でも何か残した物は何千年も残ったりする
それでその物を通じて昔を偲ぶとなるのである
とにかく家にはそうして何か故人の思いが残った場所なのである
その土地でもそうである、何か思いが残った場所だとなる
その家にはそれぞれの歴史が必ずあるからである

それで原発事故の避難区域は廃屋となり幽霊屋敷のようになった
それがなんとも淋しいのである、それは人が住んでいたから余計にそうなったのである

春の嵐の夜にこんなことを感じて短歌を作った
今日も風が荒れて桜に吹いているから何か今年はコロナウィルスもあり荒れ模様である

2020年04月10日

桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)



桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)

sakurakashima222.jpg
クリック拡大-桜平公園

sakurakashima11.jpg
クリック拡大

さくらホールの丘の公園

sakurakashima111.jpg

海望む故郷の丘朝桜          

丘の上桜の映えて遠き山

街中を縦横に飛ぶつばめかな

新しく日をまた生きむ春の雷

始動する仕事仲間や春の雷

春の雷刺激与えぬ春の雷 

若き人仕事に挑む春の雷

老いてなお若返らむや春の雷

灯のともる枝垂桜や奥の家

田舎駅待つ人あれや春の月

人逢いて去りて遠しも朧月


みちのくに桜咲きしも風荒し夕日のさして幽か月いず 

風荒し桜をゆすり一日かな散るを思いぬ盛りみじかく

やさしくもきらめきあいぬ星いくつ満月光り花咲き満ちぬ

今しばし逢いにし人も去りゆけば定かならじも朧月かな




故郷の春の丘

ふるさとの丘にスミレ咲き満つ
桜も今し盛りと咲きよそおいぬ
遠く霞みて鹿狼山が見える
さえづりは森にひびきわたり
花の影にそ我は休らふ
ふるさとの畑に耕す人のあれ
実りと幸をここにもたらせ
遠つ世の古墳のそちこちに真野の里
眠れる黄金の魚はここに見出されて
春の雲は真綿のように浮かび
孫と祖母が畑にありて春の日はあたたか
いたく傷つくふるさとなりしも
新たなる装いはまたあるべし
川は光り流れて芽吹きの樹々
つばめ来たりて喜々と飛び交いり
ふるさとに悲しみ苦しみの日よ
涙はとどまらず我が家族はみな死す
人はそれぞれの悲しみを持つ
花はことしもはや散りぬ
残れる花に月影さして誰か見る
花びらの数片かそけく散りて
死者は遂に語らざなりぬ
歳月はまた流れ新たにふるさとの丘よ
生はここに継がれて回復すべしかな
死者はその日を見ずに死にしも
いつしか時を経て報われるべしかな
神にかく願うべしかも
それぞれの日々の務めを果たして
その祈りは通じ祝福の注がれるべし
人の技に限りあるを知り
神の技に限りなしを知るべし
平和の日は長くここに誠の実りあるべし

今年の桜は最初風が荒く吹き波乱含みだった、何か桜の時期は風が吹いたり荒れ模様になりやすい、桜の特徴は咲いた時すでに散ることを見る、だからこそ

紀友則(33番)『古今集』春下・84

ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ

花は咲いた時すでに散るのを見る、だからこそ本当に静心なくなのである
咲いた時から心が騒ぐのである、だから風が吹けばすでに散るのかともみる
ここに桜の特徴があり他の花とは違っている

南相馬市で桜の名所というととどこなのか?
意外と桜の名所がわからない、それは有名でなくてもいくらでも桜は咲いている
そして桜が意外と名所でも見れないのは咲いている時期が二週間くらいしかないからである、その間にみれなければその一年は見れないから意外と見れないのである
私は桜前線をたどって桜を見てきた、その時は贅沢な時間だった
みちのくから京都の方の桜を見に行きみちのくに帰る、すると桜は京都の方が西が散ってもみちのくでは咲いている、逆にみちのくはそこで空間が隔てられて季節も違うということになる、その時間差が風土の相違が趣をだしている
みちのくと言ったら昔はもう江戸時代でも芭蕉の時代でも遠い異国だったのである

宮こをば霞とともに立ちしかど秋風ぞふくしら川の関

春に京都を旅立って秋になっていたのだからその距離感覚はもう今ではイメージできないのである

南相馬市だと鹿島区の桜の見所は今は桜平公園であるがさくらホールの丘の散歩道がいいそこを散歩すると遠くの山が見えて見晴らしがいい、桜の下にスミレが咲いているのもいい、ただここからせ海が見えないのである、桜平山公園からは海が見える
ただここが残念なのは桜の木が枯れているのが多くなったことである
でも海が見えるので桜を見るにはいい場所である
あとは川の土手の道に桜が咲いている、これはどこでも咲いている


今年は庭の木を剪定してもらったり家を改装したりしているから忙しかった
それでその家の改装をしてもらっていきるとき突然春の雷が鳴りとどろき驚いた
仕事は二人来てしている、人間は仕事している時華である
これを意外と理解できない、なぜなら今仕事している大工さんでも66才だとするともう少ししか仕事ができなくなるからである 
若い人も一生懸命仕事している、庭作りの仕事をしている
それを見ていると気持ちがいい、人間はやはり自分の仕事をもたないとだめである
何か何もしないニートとかがどこにでもいるがそれでは人間として生きていると見えない異常化する人間になる、自分も仕事はしていないにしろ旅がある意味で仕事だったとなるなぜなら現代では旅人はいないのである、ただ発達した交通機関で移動して旅館で保養しているだけなのである
だからもし西行とか芭蕉とか山頭火のように本当の旅人がいたら貴重だとなる
でも現代は交通機関が発達して旅人になれないのである

昨日は朧月だった、人間は逢っても別れるとその人は朧ろなものとなる
何か定かなものでなくなる、これは別に恋の歌でも何でもない、人間自体が常に逢っては別れる存在なのである、そして最後はみんな「さよならだけ人生だ」となる
先日隣の77歳の女性が死んだことには驚いた、その人は数カ月前に庭とか歩いていたと見たからである、そして私の庭の花を見て話ししたりしたことがあったと記憶する 
別に深い付き合いがあったわけではないが隣だったので驚いたのである

復興という時南相馬市の鹿島区は復興している、昨日は障害者の学校が開校した
110名くらい生徒がいて小学校から高校までの一貫教育である
ちょうと鹿島区が原町市と相馬市の中間にあるから交通の便でできたという
鹿島区はそういう位置にある
今年は家の改装工事と庭の手入れで時間をとられた、遠くの桜は見に行っていない
ただ飯館村だと標高が500メートルくらい高くなるから平地では梅が散っていたが飯館村では盛りであり梅がふんぷんと匂っていたのである
でもあの新しいこじんまりした平屋の家には人が住んでいなかったのである
だからそれが淋しいと感じたのである、やはり人が住まないことには建物だけ立派でも
栄える市町村にはならないと見た

とにかくコロナウィルス騒ぎで今年は波乱含みの春である、でも春は春である
何かわからないがコロナウィルスでは田舎の地方の実家に帰る人が増えている
でも東京から來るなとも言われるから苦しい
でもコロナウィルスでこのように何か変わる、田舎への地方へ人が移動する、東京脱出が今だけではなくこれからも起きる予感がする
時代が世界までコロナウィルスが変えることの驚きなのである
すぐ近くの人が東京のライブハウスで感染したことにも驚いたからである

桜前線の短歌



2020年03月31日

みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


波ひびく太平洋や朝雲雀  

沈丁花匂い一人活かす家


太平洋一望にして春の朝雪の覆いし蔵王を見ゆかな

三分ほど花の咲きにきみちのくに風は冷たく身に吹きにけり

昨日ある人も還らぬ人となる世の移りのことに早しも  

ふるさとに苦しくも生き老いし女春となりしも幸のあたいぬ

世にたてば嵐の起きてうたるるや神の意の成り我は死になむ  

小さなる者にしあれど大いなるものに殉じて大となりなむ

天地鳴動
人心一新
世界動乱
壮士起立


桜は三分咲きになった、でも東風が冷たいのである、今になると何か寒いのである
桜前線もこれから北に向かって北上してゆく、
ここが三分咲きだとするといわき市では満開になったところもあるだろう
仙台は同時期になるだろう
この桜前線は日本独特のものである、日本は意外と狭いようでも北海道から沖縄と
北国から南国まである、距離的には長いのである
そしてここから蔵王が見える、ということは山形県が親しいとなる
なぜなら福島県でも阿武隈山脈また高原にさえぎられて福島市の方は全く見えない
吾妻山も見えないからである、霊山まで行かないと見えないのである
だから福島県は地理的一体感を感じないのである
蔵王が見えるからすると山形県を思うことになる、海岸線は海を通じてつながっていたことは津浪で実感した

何か確かにその女性は苦労したのだけどでは同情するのはいいがそれで幸を与えるということはなかなかできない、ただ損するだけだとなる
だから愛をもてというときそれがむずかしいからキリスト教でもやめた人がいた
とても実行できないからである、それぞれの暮らしがあり例えば家族がありそこには金は使っても他人に金を無償で与えられるのか、それはなかなかできないからだ

ただ宗教というとき我を消すことである、人間は結局我(が)に生きる、我欲を消すことができないのである
神とは我を消したところに現れる、人間はただ自分の意を成そうとしている、意を通そうとしている
それで神にとってはその我が邪魔になりかえって神の意が成せない、つまり人間は自分の我を通そうとするだけなのである
宗教団体とはまさに集団で我を通す団体にすぎないのである
巨大な我(が)の塊りとなっているのでありそこに無心の人など一人もいない
だからこそあれだけの人が集まったのである、我が集積して社会に我を通そうとしているだけなのである

仏の意も神の意もない、ただ人間の我欲が集まり巨大化しただけのものである
団体となると他でもみんな利権になっていることでもわかる
原発利権もあったし漁業利権もあったし医師会の利権もあるし労働組合利権もあるし宗教団体も宗教に名をかりた利権団体なのである、それは京都辺りの寺でもそうだしもともと寺自体が侍が支配する前は現実に城がありそこは集団で我欲を通す支配する場だったのである
ともかく今何か社会が変革すのるとき大きく変わる時なことは確かである
それはこの辺で津波や原発事故がありそこから大きな変化がはじまりコロナウィルスもその続きだったのかとなる、これは局所的ではない、世界的になっているからだ
世界自体が変わってしまう、だからこれは何なのだろうとなる
何かこういうとき社会が大きく変わるからそれに応じて人物も出てくるとなる
そういう人が若い世代から出るということがある
明治維新の志士がそうだった、規制のものを打ち破るのはやはり若い力が必要だからである

とにかく70年間隔で大きく時代が変わる、明治維新から70年で戦後の焼野原から70年になるからだ、動乱の時代になったのである
ただ何かを成そうとするとき若いと自分の我を通すことになりなかなかは無心になれない我が意を成そうとするのであり大きく神の意を成そうとならない
つまり自分が成すことではなく大事は神が成すとならねばならない
何か大事はとてもいくら天才的優秀な人でも成せないのである
そういう人も独立不羈の人でも天才でも巨大な我になっていた
三島由紀夫なども実際は自分のエゴであり我になっていた
国に殉じるなどではなく自分一個の我を通すためになっていた
つまり何か自分で英雄とかになるにしてもなれないのである
それは時代が成さしめるのでありいくらそうなろうとしても成れないのである
いづれにしろ津波でもそうだし何か天地鳴動して世の中も動乱の時代に入ってきていることは確かである

2020年03月26日

梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)


梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)

forestsa22.jpg

sumiyalikoya1.jpg
炭焼き小屋

foresttree1111.jpg

falltree1.jpg

今しばし梅の匂いや我がよりぬ明日はありとも知らぬ身なれば 

この森に若木育ちぬ真直かなさえづりの声ひびきわたりぬ

蔦からみ倒木さえぐ森の道一つの命ここに埋もれぬ   


常磐高速のSAの裏の森を行った、自転車で行ける道だった
若木が育ってていた、何の木なのか?
杉ではない、でも真っすぐに伸びていたので気持ちがいい

そして倒木が道をさえぎる、去年の台風の被害は意外と大きかった
だから森でも川でも今でも荒れているのだ
この倒木はいかにも森の中の大きな死を感じる
森の中の多くの木としてあったときは感じない
でもこうして森の中に倒れているとその存在を感じる
その木に蔦がからまり倒れていた
それは人間をイメージする、木にからまる蔦は人なのである

こうして木が倒れてもこの木は森に還る、森の栄養となり循環する
落葉もそうである、ただこの辺では放射性物質も循環して消えないから問題だったのである
小山田の森は結構深いのである、日本は田舎だったら近くに深い森がある
でもそれが利用されていない、炭焼き小屋があったから昔はここで炭焼きしていたのである、ここにはそれだけ豊富な木があったからである

梅は匂い散った、隣の女性が死んだのには驚いた、常に死に接すると人は簡単に死ぬものだと思う、そこにいたのだけどいなくなっている
そうして永遠にいなくなっているのだ、逢うことも永遠にないというのが不思議なのである
だんだん本当に60以上になると確実に死に向かっている
何か死刑台に向かっている感覚になるのだ
この気持ちは若い時は40くらいでも結構生きると思っているから感じないのである
50過ぎるともう人生も晩秋を迎えたと感じる
そして私の場合は50から世界旅行していたのである
今になると遠くに行きたくない、人ごみに行きたくない疲れるのである
だからじっとして閉じこもっているのがいいとなる
それはコロナウィルスで外に出るなというとき自分には苦痛にならないのである




2020年03月20日

蝶の舞う道(南相馬市の原町区に発見された森の小径) (駅近く新しい避難施設の公園から入る)





newparkmap1.jpg
原町駅から雲雀が原への近道

ここの道は雲雀が原の裏手に通じている、雲雀が原までの近道なのである

こういう道はわからなかった、雲雀が原へは遠い道を行っていた

ここは最短路であり眺めがいいから市街からも近いから穴場だったとなる


shelter222.jpg

shelter33.jpg
ここに座る場所があり机もある
休むにはいい

koubaihh44.jpg

haramachiway55.jpg

azumaya6.jpg
東屋がある丘



春日さし石もあたたまる道の駅


隠されて社一つやここにあり去年の落葉を踏み参りけるかな

柔かに枝の影交じり春日さす森の小径を我が歩むかな

原町の街の近くに隠されて森の小径や紅梅映えぬ

街近く丘に東屋一つかなイヌフグリ咲き国見山見ゆ

春日さし松の間静か我が歩む三種ほどの蝶の舞いしも


原町の駅の方から自転車で回ったら公園があった、これは見たことがないと入った
そこに施設があり中に入ったら一人の管理人がいた
その人と話した、ここで休めるのかと聞いたら休めるという
避難所施設なので料理する場所とか避難所用に作られている
備蓄する倉庫もある、公園では臨時にテントとして利用するものもある

ここは県営であり県で各地に作っている避難所である
諸井花店とかで公園を管理して花とかも植えると言っている
県営の公園はそんなにないと思うがこれは避難所ということで特別作られた
ただ椅子があり机があり何かここで休むにはいいと見た
ここが駅から近いということで休む場所としていいと見た

そこに稲荷神社が隠されるようにあった、そこを入るとまた溜池があり小径がつづいていた
そしたら紅梅が何本も咲いていたのが意外だった、水仙も咲いていた
その道は雲雀が原につづいていて東屋があり国見山とか見えた
ここが意外だったのは街につづいていてこうした森があると見えなかった
普通は街から森が離れているからである、ここは散歩するにはいい
駅からも近いのである

この辺は原発事故以後は施設はいろいろなものができた
ただ南相馬市まではいいが浪江となるとほとんど人が帰っていない
常磐線のスーパーヒタチが通るようになったが双葉、大熊辺りは人が住んでいない
そして原町でも鹿島でも相馬市でも新地でも移り住んだ人が本当に多い
だからスーパーでなんでこんなに人が来るのかとか知らない人と会うのかとなる
ちょっと話してみるとここに前から住んでいる人ではないのである
それだけ外部から移り住んだ人が多いのである

とにかくあそこの道は街とつながっていて身近である、だから意外であり散歩するには最適な道だとなる、だからあの辺に喫茶店とかあればいいとかなる
駅前にあっても眺めが悪いと価値がないとなもなるからだ
駅前に喫茶店があるのだがそこが暗くて何か嫌なのである
食事でも眺めのいいところで広い場所でとるのがいい
それでホテル兼用の高見食堂には良く行くのである
ただ正直外食は必ずあきるのである、それでどうしても自分で料理せざるえないのである

2020年03月13日

梅匂う(死者は家に生き続ける (忘れられない家族と死んでも生きる)


梅匂う(死者は家に生き続ける

(忘れられない家族と死んでも生きる)

flowerarrengesp111.jpg

deadface11.jpg

真日さして山鳩数羽梅匂う

雨雲に月の隠れて春の夜                            

梅の香の夕べ満ちにつ闇に入る 

初蝶の庭に飛び来ぬ人変わる
        

姉死して9年すぎしやなおあれや我への愛の家に残りぬ

目立たざる母にしあれど我が家を支えて長し死してねぎらふ 

相馬焼に猫柳さし梅におい遺影を見つつ我が家に安らぐ

死者はなお家にありしも我が一人なおともにしもあると生きにき

目立たざるクリスマスローズ一輪の我が庭に咲きそを知りふれぬ

餌をやる女(ひと)の死にしも猫は来る知らずとあわれ年はへぬるも

その女(ひと)とわずかの時のともにあり死して見ざりき春になりしも
                              

人間は本当に死ぬと不思議である
自分の場合どうしても姉と母のことが忘れられない、それは複雑でも60年以上一緒にいたのである、子供の時から一緒に一つの家にいたのである
そのことが影響して忘れられなくなった、両親でもそうして一緒にいないと情も薄れてゆく、でもこうしし死ぬまで一緒だったから死んでも依然としているような感じになる
そして自分は複雑な家族でも特別良くされていたのである
何かとがめられたことがほとんどないのである
仕事しなくてもそれをとがめられたことはなかったのである
旅に出てもいつも待っていたのである
その時家事は一切しなかった、30年くらいそうして恵まれた歳月が夢のように過ぎてしまたっのである

最後は悲劇にしろ二人のことは忘れられないのだ
そして何か不思議なのは依然として家にいて当時のようにそこにいる感じになる
何か死者は簡単に消えないのである
何か愛情をそそいだ場所に依然として愛が流れている、エネルギーを感じるのである
死者はそんな簡単に消えない、確かに体はなく何もなくなる
でも依然として霊となってとか何かが存在し続けている

そして花を挿す、供物をささげる、そういう行為で死者ともつながる
死者は消えてなにもないのだが花でも供物でもそれを通じて死者とつながるということがある、たから本当は死者には花でも供え物でも欠かせないのである
墓ではそうしなくても家に遺影があればそこにいつもいるという感じになる

隣の人が死んだ、その女性とはわずかに花がどうだとか話したりした
でもそれは四五年くらいだった、その前は自分は家族がいて誰ともききあっていないのである、家族がみんな死んでからしかたなく話すようになったのである
その女性はおとなしい女性だった、歳は60代から70くらいなのかそんな歳である

その女性が死ぬとは百パーセント思わなかった
数カ月前も庭を歩いたのを見た感じだった
ただその女性は野良猫に餌をいつもやっていた、そのことで自分も猫を飼っているから話した、何匹か野良猫が集まっていた、その野良猫が自分の家の猫の餌をねらって入ってくる
でも餌をやっていないようだ、どうしたのだろうと見ていた
それも最近のことだった、あっけなく死んでしまったことに驚く
仙台の方で入院はしていたようだ、何かそこで早く死んでしまった

とにかくこの年になると知っている人が次々に死んでゆく、隣近所でも死んでゆく
そこでいつも人間のあっけない死に驚く
こんな簡単に死ぬのかと驚くのである

人間は常に変化である、人も死んだり新しい人と入れ替わったりと人間関係も変化である今や昨日会って見ていたが死んだとかなる、それから二度と会えなくなる
人間は次々にあっけなく死んでゆくだけだとなる

初蝶を庭で見た、今日はあたたかい、梅はふんぷんと匂っている
三日前辺り月は雨雲に隠れた、まさにその女性は時死んでいたのである
隠れるとは死ぬことである、その女性の一生は何なのだったのだろうとまたふえかえる
でも次々に死んで忘れられるのも人間なのである
正直夫が一人残されると淋しいとなる、早く妻を死なれた人は悄然としている
息子家族と一緒にいるから一人ではないにしろ淋しくなる

人間は愛着ある場所に生き続ける、そこにいたいからだ、原発事故はそういう場所を奪ったともなる
なぜならそこには死んだ愛する人が生き続ける場所でもあったからだ
ただ自分が生きている間は偲ぶが後はしのぶ人がいなくなる
とにかく人は一時を一緒にいるだけである、実にはかない、後は死んで逢わなくなる
この年になると逢うとしてもほんの一時で後は死んで逢わないとういことが多くなるのだ
それは家族でもそういうことがありたださよならだけが人生だとなってしまうのである

2020年03月07日

梅匂う(海老浜と日立木駅辺りを行く)


梅匂う(海老浜と日立木駅辺りを行く)

ebihamaship222.jpg

海老浜
matuebihama11.jpg

fukinotou1111.jpg

townbrige1.jpg

日立木(町場橋)

yakushidou11111.jpg
薬師堂
facesister1.jpg


老の身に霰や厳し生き残る

相馬焼に梅挿しにほふ遺影かな

猫柳姉の遺影に挿しにけり

蕗の薹ここに芽生えてイヌフグリ

梅においしばしよりにき昼の月

春の日の日立木駅や昼の月      
                                      
里暮れて柔和なる月いずるかな

今日一日東風(こち)吹き遠きを思うかな


海老の浜津浪よりはや十年や春日さし松の育ちけるかな

日立木の町場橋かな紅梅の薬師堂に映え松並木行く


一時霰がふった、その後結構寒かったら春寒しとなる、老人になっても厳しいことはあるしかえって苦しいともなる
でも今日は一日東風(こち)が吹いた、一日吹くということは春になったということである
東風が吹いても北風がまた吹いたりするからである
この東風はただ原発事故の時悪く作用したのである
ちょうど爆発した時、東風吹いてそれが放射性物資の塊りとなってブルームとなって飯館村から福島市に流れた
だから不運だったのである、それでいまわしい記憶ともなっている

海老の浜に津波の後に松が育っている
やはり十年すぎると人間だと小学生くらいになったのかと見る
でも大人になるには後20年くらいかかるから先が長いとなる
新たに苗を植えた所もありそれも先が長い、大きくなるのはもう見れないとなる
育った松は震災の後に落ちた種が育ったのである

蕗の薹が出ていたから春である、日立木駅は本当に無人駅である
一人二人しか乗り降りがない、鹿島駅は今は高校生の見守りの人がいるから無人駅でもなくなった、日立木駅は本当の無人駅である

日立木の町場橋はやはり街道と関係があるのだろう 

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離

これが適当なのかもしれない、なぜなら松並木があり街道であるからだ
相馬市の城から歩いて来てここで休むとういことがあったのだろう
ただこれは歩いてみないと感覚的にわからない
だから歩くといいのだけど私は歩いた旅は近くでもしていない、疲れるからである
だから歩く人には感心するのである

東風は海から吹いている、だから広い海を思う、東風が吹くと遠くに行きたいとなる
ただここ十年は遠くに行っていない、去年だって仙台に一回しか行ってない
今年になっても一回も行っていないのである
コロナウィルスになってまた出かけにくくなったのである
結局人間はいつか旅すらできなくなる、何するにしろ体力もなくなるしできなくなる
何か登山しようと思ってリュックを買ったがこれも無駄になった
新しい機械も道具も買ったが使いこなせなかった  

つくづく今までしたことを続けようとしているのだができなくなる
それで車の免許でも返納して運転できなくなるとき本当に老いを感じるのである
老いとは今までしていたことをしようとしてもできなくなることである
それでがっくりとして老いるとなる
そういう日は誰にでもくる、だからやりたいことをやっていないと損だったとなる
海外旅行を50でしていたから良かった、そうでないとできなくなっていたからである

姉には猫柳がにあっていた、良く近くの河原でとってきたからである
認知症になったとき本当にあわれだった、最後は無惨だった
でも自分には良くしてくれたから忘れられないのである
複雑な家庭だったが自分にとっていいものだったのである
それを死んでからつくづく感じるのである
二人がいて自分がありえたとつくづく思うからである