2018年01月15日

深野の俳句やユッサの湯の正月


深野の俳句やユッサの湯の正月

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深野の隣は大原冬深む

大原に知る人眠る冬深む

深野に大原村や冬日没る

冬の日や長野に古りぬ墓あわれ


石五つつ庭に変わらず正月に活けにし花は葉牡丹なるかな


深野とは名前も関係していて気にいっている,ふこうのであり深野ではないのだ
その雰囲気も何かいいとういうか独特のものを感じる
外から見たらたいした変わらなくなるしその土地のことはわかりにくいのだ
日本では村が生活の基本の単位だった
だから村には歴史がありそこに本当は日本人の心性がある
むずかしくいえばそうなるがやはり日本人は村で生きていた時間が長いからである。
それは悪い面としても反映される,外からの人を受け入れないということである。

ただ現代だともう隣村とか隣の市だろう町だろうが村だろうが関係ないともなる
それだけ広域的にグローバルにも生活しているからそうなった
ただ歴史的には深野と大原は違っている
ここで錯覚しているのは深野が古いということである。
大原は相馬氏が進出してきたとき大原は開墾されたのである。
深野はその前からあった,だから中世の館の地名が二つもある
館とつく地名があるのは古いのである。
飯館村でも館というつく地名があったから中世からあった村なのである。

つまり郷土史は村でもその新旧を知ることが基本にある,だから戦後開墾に入った村が奥地にある,それが何か古い家だとまちがいやすいのである。
そして豪倉という地名は昭和十年だったのであり新しかったのである。
飢饉のために備える倉のことである,米を貯えていた
そして江戸時代のものは墓でも価値があるがこうして新しいものは歴史がないとなり価値がないのである。

ユッサの湯に行った,あそこは時々休息に行くのにはいい,見るべきものもないが庭に石があり森がある,だから安らぐ場である
でもあそこの湯に入ったことはないのである。自転車だと湯冷めするからである。
そして入浴料が750円とかは高いと思う
それが本物の温泉ならいいがどうもそこが良くわからないのである。
確かに温泉は出たとしてもそれがどんな温泉か確かでないらしい
要するに温泉が出てもどれだけ出ているのかもわからない
ただ温泉とすれば価値が上がるから一応そうしているのかもしれない
この辺では温泉は出ないからである。

ユッサの湯に飾ってあった生け花は正月らしくて良かった
生け花は結構センスがないとできないし暇もないとできない
自分もしているが何かうまくいかない
やはりこれも伝統的なものがあるから身につかないし
生け花は金も暇もかかるのものである
それで忙しいからできないということもあった
家事に時間をとられるからである。

田舎の冬はしんとしていいものである。都会だと騒々しいからだ
しんみりと田舎の冬を味わうのがいい,田舎はやはり老人に向いているのである。
ただ何か田舎は恒産がないと住みにくい,家があったり土地があったり田んぼや畑があったりそれなりの財産がないと住みにくいのである。
ただ今はみんな財産は金であり田舎でもほとんどの人が会社員なのである。
それが都会から見ると錯覚しているのである。

深野の豪倉

ユッサの湯

住所

南相馬市原町区深野字荒戸沢15

時間

10:00〜22:00

入浴料

750円

源泉

PH 9.02 源温 28.2℃

泉質

アルカリ性単純泉

効能

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進



間違いなく温泉であるがどれだけの温泉なのかわからない,温泉にも評価がいろいろあるからだ

2018年01月07日

新年の松川浦短歌


新年の松川浦短歌

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八沢浦の新しい橋

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雪の蔵王
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松川浦
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クリック拡大(宇多川河口) 白鳥がいた

向こうに百間橋が見える,結構長いから昔この橋をかけることは容易ではなかった

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新しき庭に石七つ冬の暮

街道の祠一つや冬の暮

冬の暮百間橋を渡るかな


雄々しく蔵王を望みみちのくの野の広がりて年の明けにき

我が来たり鴨の千羽の群れさわぎ松川浦の年の明けにき

松川浦鴎あまた群れ宇多川を一羽飛びゆく年の明けにき

立谷川凍りけるかな町場橋夕ぐれあわれ我が去りにけり


蔵王が八沢浦から磯部からも大きく見える,松川浦になると小さくしか見えない
意外と蔵王が大きく見えることに気づいていない
蔵王は福島県と宮城県と山形県の三県に見える,だからこれだけ広範囲に見えるからこそ
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのくといっても福島県と宮城県と山形県までである,だから二わけするとなる,岩手県になると岩手山であり青森県になると岩木山が象徴的山になるし秋田県になると鳥海山である。

松川浦ではレストランに入った,そこは全国からの魚をもともと仕入れていたのである。松川浦だけではない,津浪や原発事故の前から全国から仕入れて出していた
それで沖縄で松川浦から来た人とあった,沖縄からも仕入れていたのである。
石垣水産とか張り紙があり宣伝していた,あそこはだから魚料理が美味いとなる

次に来たのが相馬市をまわり日立木の立谷川でありそこは凍っていた
そこに町場橋があり薬師堂がある
この町場橋はなぜ町場となったのか?この辺の町場だったとなる
人が集まる場所だったのかもしれない,ただ相馬市街までは城のあるところまではそれなりに遠く感じたかもしれない,歩いてゆくと近くても遠く感じるからである。

祠が一つあり街道も冬は淋しかったろう
結局薬師堂があるとするとそれは医者代わりだったのである。
医者に行けいないから薬師堂で祈るほかなかったのである。
だからどこでも薬師堂があり地蔵があり病気になってもいるの他なかったのである。

昨日は風がめずらしくなかったから自転車で行けた,自転車は風に弱い,毎日のように風が吹いていたから相馬市に行ったのは半年ぶりとかなっていた
これが自転車の問題だった,相馬市までは自転車だと遠いのである。






タグ:松川浦

2018年01月04日

正月短歌十首(2)(万葉集の新年の歌) (今年は穏やかな年になるのか?)


正月短歌十首(2)(万葉集の新年の歌)

(今年は穏やかな年になるのか?)

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一輪の石に刻みぬ冬薔薇


新年や姉の遺影のほほえぬその自慢せし柱によりぬ

姉と母今な亡きしも我をなお家に見守年は明けにき

姉と母なおこの家にありにしや我を見守り離れざるかな

新しく兄の墓をし我建てぬここに安けく眠るべしかな

新玉の年や苦しき時過ぎて我が家にさらに幸を賜わむ

新玉の年の緒長く苦しき日過ぎて憩いぬ我が家なるかな

新年に満月光り穏やかに今年は明けぬつつがなきしも

あらたまの年は明けにき穏やかに神見守りて実りもあらむ

駅に立つ今年もここに成すべきの我にありなむゴミを拾いぬ

新玉の年に言ほぐすめらぎの日本の栄より増すべきを


笠女郎(かさのいらつめ)の大伴宿禰家持に贈れる歌二十四首

わが形見(かたみ)見つつ思(しの)はせあらたまの年(とし)の緒(を)長くわれも思(おも)はむ

新玉の年替えるまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも(巻17ー3979)

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)(巻20ー4516)大伴家持



笠女郎の歌はいい歌である。これが恋の歌だというときそれだけではないものがある
折口信夫が言っていたように恋とは乞うであり実は死者を思うことだったというのは深い見方である。
形見という時,万葉集時代など写真はなかったから物として残したものから死者を思っていた,今は遺影があり遺影から死者を偲ぶ
この意味を良くわからなかったが家族がみんな死んでただ偲ぶだけになったとき理解した
日本には正月の文化があった,それが希薄になったのはやはり農業から工業社会とか別な社会になった結果である。正月は晴れの日でありご馳走が食べられたとかあった
それも日頃美味いもの食べているからない,ただ年が変わるだけだとなった

なぜなら天皇でも大嘗祭とかあったように稲作文化と密接に結びついてあったからであるだから年の初めに豊作を祈るのが天皇であった,天皇は日本国の司祭でもあったからだ
神主でもあったからである。そういう役目があったのだか何か現代になるとその役割も喪失してきたのである。

ただ日本の文化の伝統ば言葉の中に残されていた,新玉でもそうでありそれは年を新たにして一年をはじめるということである。
ただ人間というのは人間の力だけではどうにもならない,今回の津浪や原発事故をそれをしらしめたのである。人間は神から離れてありえないのである。
いくら科学が発達しても人間には限界がありそこで神に祈るのである。
今年の新年は確かに雪がふった,ここではすぐに消えたが降ったことは降った
それが吉事(よごと)いいこなのか吉兆なのか?それは稲作と関係していたのである。
冬がかえって寒いと雪がふると豊作になるということが伝えられていたからである。

ともかく自分は介護から看取りからと一人で苦しかった,それは十年もつづいた
それで消耗した,でも何か今年は楽である。
死んだ人も今は笑っている,姉は陽気な人だったから今も笑っているという感じになる
それは遺影を見てそう思ったのである。
だから気が楽になったという感じになる,そして以前としてこの家を自分を見守っている感じになる

だから家というのは家族が死んでもいつづける場にもなる,墓はまた別でありそこに死者がいる感じにはならないのである。家には確かにいるという感覚になる
それでいつも姉が自慢していた柱のことを思い出すのである。
その柱が姉のようにも思えてくるのである。
だから家には重みがありそれは家が寝起きする箱ではない,そこに精神的なものが付与されているから違っている,物でも物が憑くとか物心とか物は単なる物ではない,精神的ものが付与される,それで親の使っていたものにもものが憑(つ)いているから簡単に投げられないとなる,一方でそういう物がついたものを投げることによって捨てることによって新しい生活がはじめられるという意見もあるのもわかる

いづつれにしろ自分はこの家を継ぎになうものとして生まれた,複雑ではあったが兄の墓も新しく建てて何か心安らかになった,死者と生者の関係はつづいている
だからそこに安らかな関係にならないと祟りになったりする
靖国神社の問題はまさに死者が靖(やす)らかに眠ってほしいとなっているがそれがなかなかそういうふうにならないことが問題なのである。
その死者の霊が靖らかでないことは危険にもなる,その霊が死者が戦争をまたはじめるマルスの霊,軍神とかになるからである。
国単位になるとそうした死者をどうするかはむずかしい問題になる

自分のように家単位だと死者も今は安らかになっているな,自分も安らかになったなという心境になる,そうならない家もありその家には暗雲がなおあり不気味な物の怪が出ているからもしれない,それが怖いのである。
成仏しない霊が荒御霊になってさまようとなるから怖いのである。
それは災いをもたらすからである。

天皇はすめらぎは日本の国の安寧とか豊作とか祈る司祭だった,でも明治維新からは軍神ともなったのである。だから批判もされる,ただ日本の伝統としてありそれも日本の文化だったとなる,だからいちがいに否定はできないのである。

あらたまの年の緒長くというのは誰でも思うことである。まず万葉集時代となると平均寿命は何才なのか?もう長く生きる人がまれなのだから年の緒を長くと祈るのはわかる
でも現代のような高齢化社会になるとあまりにも長生きになるとそれも成り立たなくなる早く逝かせてくださいと祈ることにもなるのである。

ともかく今年はスーパームーンで地震が起こるとか警告していた人があった,確かに東京で震度3の地震があったからないことはなかった
でも弱い地震だからたいしたことがなかったとなる
それより気候も穏やかであり今年は何かいい年になる,平安な年になるのではないか?
それは自分の気分とも関係してそうなる

皆様も良いお歳を・・・・・









タグ:新年の短歌

2018年01月02日

正月短歌十首


正月短歌十首

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真直なる樹々の立ちにつ清しきや北風吹きてひきしまるかも

故郷の大地に深く根を張りつ未来はぐくむ人となれかし

元旦に満月光り新たなる年を迎えて心安けし

よする波荒々しかも津浪より六年過ぐも海を恐れぬ

年明けて姉母思ふ我なりき家を繕ふ仕事つづきぬ

とりどりの花活けにぎわふ年明けて忙しきなか花をいとしむ

誰なれや我が家の墓にみかん一つ置きにし人や年の明けにき

年明けてなお一輪の薔薇の咲き散らず残りて我は籠もりぬ

我が家に猫一匹のいつきけり餌やる仕事今年もつづく

近くにそ介護する人目につきぬ長々と垂る冬の雲見ゆ

我が側に仕える人のあれにかし石のごとくに信を置きしを


真直なるというとき日本語にあった古語にあった万葉集にあった言葉である。
この言葉が自分は好きである。まっすぐなとかなる,それは樹にやさわしいともなる
真直なる心が神道に通じているのである。
神社にお参りしてただ御利益だけを願い賽銭を入れるのでは心は清められないのである。神道は日本の武道の中にも活きている,剣道でも空手でも合気道でも柔道でも活きているでも空手とか合気道は明治以降に生まれたのである。
新しいのだが神道の精神が受け継がれている
大和言葉自体に神道がある,真直なるというのがそうなのである
ただこれも死語になったのである。

故郷の大地に根を張りといってもこの辺はその大地が失われた,放射能に汚染されてしまった,だからこの辺が風車とかドローンとかソーラーパネル工場のようになる
それは大地に根付くという感覚はない,何か再生エネルギーの工場地帯のようになっている,それがこの辺の未来なのかとなるとまた疑問なのである。
それは原発の時もみんな原発に未来を求めたのである。
それで双葉町では原子力とともにある未来という横断幕が街の入り口にかかげられていたその未来は故郷に住めなくなる無惨な結果になったのである。

今年の元旦も二日目も何か天気は穏やかである。元旦はスーパームーンだった,何か地震が起きるとか警告する人がいたがそうはならないと自分は思っていた
かえってスーパームーンは正月にふさわしいと思っていたのである。
自分はただその時の気分で言っているから科学的なものはない,でもこの世の中すべて科学だけでは理解できない,地震とかに関してと科学者もほとんどわからなからである。

今年も家の修繕とか整理とかがつづいている,家というのはいろいろ住みやすいようにするとなると自分流にすると手間になる,内装も変えると確かに気分は良くなる
でも次々に直すことができてくるので困る,家自体が築50年で古くなっているのだから本当はリホームが必要なのだが金がかかるのでしたくないのである。
リホームするとまた切りがなくなるからだ

家事で忙しいから花を活けるということも花を見ることもゆっくりできない
そういう生活もゆとりがないとなるが一人だと家事に追われるのである。
前は介護だから家のことを良くみていなかったし直せなかった
今は家全体を見て住みやすいようにしようとしている
家の中にいる時間が長くなった,だから家が住みやすくないと困る

家には猫一匹いついているが猫は忠実な下僕となるのか?
猫は下僕というより餌をやったり糞の始末をしたりとかえって猫に使われているのであるそもそも本当に信用できる人間がいない,そういう人間が側にいれば安心である
でも家族ならいいが他人では信用できない,それで痛い目にあったいるからだ

介護の番は今はみんな回ってくる,今知っている人が二三人介護している
10年介護して終わった人も知っている,自分も介護は終わった
そして介護は必ず次に回ってくる人が多いのである。
つまり高齢化社会は介護社会なのである。介護の重荷が冬の雲のように日本全国に垂れているのである。
今介護していない人でも親がいて介護の番が回ってくる
その確率が非常に高いのである。だからこれはよそ事にはならないのである。
自分は介護しなくていいなと思ってもその番が回ってくるからである。

津浪から七年にもなるがまだ津浪の傷跡は癒えない,そして今日も海に行ったが波が荒々しくよせる,それが怖いとなる,海への恐れは消えないのである。
津浪の前は海は怖いということがあったが津浪が来てからは海の見方は変わったのであるそれはあと何十年も変わらない,なぜなら津浪を経験した人はあと50年くらい生きているからである。
10才で経験したら80までいきたらあと70年になるが津浪は記憶されているのである。
要するに津浪のことを誰も経験しないで知らないとなったときようやく忘れられてゆくのかとなる,それほどの甚大な被害だったのである。

ともかく今年は穏やかな正月であり三が日である。

今年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

良いお歳を・・・・



タグ:正月短歌

メジロが庭に来た


メジロが庭に来た

めでたしや庭に二羽ほどメジロ来る


東京の都市部ではメジロは秋冬の鳥だった

鶯とまちがいやすいらしいけど目の周りが白いのでメジロだろう。鶯は来ないように思うでもメジロを自分が見たのははじめてである,四十雀は来るがメジロとか鶯は見たことがない,だからはじめて庭に来たのを見たのである。
それはめずらしいからめでたいとなる
ただメジロを現実この目で今まで見ていないことも不思議である。
鳥は興味があってもすぐに飛んでゆくのでとらえることがむずかしい
写真にとるにもすぐに飛んでいなくなるから撮ること自体がむずかしい
だから鳥を見たらその鳥の姿を記憶してあとで調べる他ない

目の周りがハッキリと白いし緑色でもあったからメジロだと思った
鶯は庭の方に来るとは思えないからだ
それでも鶯の目の周りも白いとしたら間違いやすい
直感的にはメジロだと思った
秋冬の鳥というとき冬でも見かけるとなるからだ
寒いところからあたたかい地域に移るとか山から平地におりてくるというのは餌の関係である。四十雀は良くみかけるのは山に餌がなくなるからである。

今年ははじめてメジロを見たとすると縁起がいいのかもしれない,悪いことがつづきすぎたから落ち着くのかもしれない,人間はまずあまりの変化した変動した激動した世界に適合できなくなる,平和で平凡な生活が普通であり異常な事態ばかりになっていたら
感覚的におかしくなってしまう
まず人間は狂人の中にいたら自分自身も狂人になる,この世の中が狂人の世界である。
なぜこんな人がいるのかと驚くし恐怖になる

田からこそ自分は秘境を求めそこで隠された石のように安らぐことを望んだのである。
こういう報告をすぐできるのがインターネットである。
記録としても後で役に立つ,写真はすぐに去ったからとれなかったのが残念である。
鳥は写真をとればあとで調べられるからである。
ともかく今年の元旦正月は穏やかである。元旦になってもそれほど寒くない
ただ今日は風は吹いている,外に遠くに行くのは風が吹いたのでやめた

タグ:メジロ 目白

2018年01月01日

穏やかな元旦


穏やかな元旦


初空の広く深きや息を吸う

初空を鳥一羽飛ぶ雲もなく

コンビニの雑煮を食べて一人かな

元旦や猫にあいさつ一人かな

初日さす穏やかなれや鴨よりぬ

元旦やつきたての餅を食いにけり


今日は寒くもなく雲もなく晴れわたり穏やかである。雑煮はセブンで注文して食べた,コンビニの雑煮を食べる人は家族で暮らしていないような人である。
わびしいことは確かだが前は食べることもできなかった
お汁粉は簡単だから食べるのである

あいさつするの猫だった,この猫は自分で飼ったというものでもない,いつのまにかいついたとなる,でも一カ月くらいいなくなったことがあった
もう帰ってこないかと思ったら尻尾が焼かれて帰ってきた
誰か悪戯して尻尾を焼いた,それは結構悲惨なものだった
野良猫は外飼いになると危険だというのは本当である。
他にもいろいろ危険があるからだ

ただ自分は猫を飼うのもめんどうなのである。部屋の中で便とか今でもされているから嫌になるのだ,汚れが落ちなくなる時もあるからだ
自分にはそもそも猫を飼うということもできない性分だとなる
ただ誰もいないよりいた方がいいとなる
声かけるの猫だとなる,もう一人も来ているが相手が人間になるとまたいろいろ不満が出てくるのであてる。

今日は原町の道の駅の方に行った,レストランはほとんど開いていた
道の駅も開いていてつきたての餅を売っていたので買った
前は家で餅をついてそれを切っていたことを思い出した
そういうことも何もなくなった,そのつきたてのもちを霊前にささげた

何か今年はもしかしたら今日の天気のように穏やかなのか?
風は吹いているが寒くもなく穏やかである。今年を占うとなると元旦の天候は大事かもしれない。
スーパームーンに今日なるとしてもかえって縁起がいいともとれる
第一地震の予想は当てにならないからである。

今年も書き続けますのでよろしくお願いします

良いお年でありますように・・・・
タグ:元旦

2017年12月31日

年終わる


年終わる

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大晦日一人用意や担う家

何語る鵜鴨鴎や年終わる



今日はイオンの方に行った,イオンだと安いものがあった,品物も豊富である。
同じものでも安いのがあるから得である。
ここだとキクチとシシドがあっても同じ値段で高いし品物が少ない
だから何かとかえって買い物でも不便で損するのである。
ただ車がないから一週間に一回とかしか行けない
最近風が吹いて寒くてずっと行っていなかった

石鰈の切り身で売っていたのを買った,他にも品数が多い安いものがある
原町レベルだと買い物とか外食はいろいろあっていい
何か一万と四万くらいの人口の差が大きい,一万の町と格段と買い物など差がでる
医者でもここでは十倍くらいの差がでる
だから便利な時代は不便な所に住みたくないとなる
それで原発事故の避難区域には帰らなくなったのである。
人間は便利な生活贅沢な生活を覚えたらそのレベルを落すことがむずかしくなる

ともかく介護が終わっても何か生活に追われている,やはり家事が結構大変なのである。大晦日とか正月の用意するわけでもないがそれなりに用意があり忙しいとなる
意外と家のことにこるとやることが多くなる,何かいろいろ配置とか自分好みにしようとするとそれだけで時間がかかる
最近毎日ダイユーエイトに行って家に使うものを買っている
だからこんなに次々買うものがあるものだと思う
今の社会は金がかかるようにできているのである。

これからまた買い物がある,花を買って活けようとしている,でも生け花でも何か時間がかかる,するとそっちの方に時間が回らなくなる
一人で何でもやることに限界がある
今思い出した,セブンエレブンに雑煮を頼んでいた
雑煮は作れないからそれでまにあわせる

あとは正月の用意でもない,今年もこれで終わりだ
川には鵜とか鴨とか鴎がいた,それぞれに何を語るのか年は終わる

今年の自分のプログをふりかえるとずいぶん書いた,やはり余裕ができて書けた
でも家事は結構忙しいからこれだたけ書けたというのは意外だったともなる
来年はどうなるのか?それほど変わりない年になるのかもしれない

ただ一月一日がスーパームーンになり地震が来るとかyoutube に出ていたが不安になる
なぜなら3・11の地震と津浪は天体も関係していた,それから地熱が関係していたとかいろいろあるからだ,天体と熱は関係して地殻変動が起きる
特に本当は熱が相当に関係している感じになる
なぜなら津浪の前の年の夏が異常に暑かったからだ
異様な暑さでありそれで熱であたためられて地殻変動が起きやすくなっていたのではないか?何か素人的にもそれが納得がいくというか気になるのである。
月はどうかとなるとそういう記録があり地震が起きやすいと証明されてもいまいち危機感はない,ただ熱だけは関係していると思う

ともかく今年も終わりです,来年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

タグ:年終わる

2017年12月29日

枯葉(介護は家でされるのが理想)


枯葉(介護は家でされるのが理想)

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日のさして枯葉愛しむあわれかな


この室(へや)に母を介護す窓の外に枯葉残りてなお散らじかも

窓の外に残る枯葉やあわれかなそを見つつも年の暮れなむ

残りたる枯葉に午後の日のさして一人部屋にこもりけるかな



母を介護した部屋から外を見ていると大きな葉が枯れて見える,まだ散っていない
ここで介護したときこの枯葉のように見て介護したとふりかえる
母は百才で枯れるように死んだからである。
人間も生物だからこうして体が衰えやがては枯れて死んでゆく
ただ違うのは葉は枯れて土に散るとき土の養分となるのである。
だから森ではそういう命のリサイクルがつづけられてきたのである。

人間も生き物だから老化する、衰えることがさけられないのである。
だからいくら女性でも若作りしても無理である
結局老いは老いとして受け入れざるをえなくなるのだ
死もそうである。いくらそれに抵抗しても無理だからである。

そして枯れてゆく葉に午後の日がさして短き日は暮れてゆく
それもあわれだとなる,これもただ枯葉を見ているだけの写生なのである。
俳句短歌はだから写生が基本なのである。

介護が家でされたほうがいいというとき家というのは何度も書いたがそこは単なる寝起きする箱ではなかった,長い時間を人生の記憶を刻んだ場所だからである。
人間は意外と家で生活する時間が長いのである。だからこそ女と家が嫁になった
嫁は家と一体化してしまうのである。

そして死んでも何か家にいる感じがする,何か物の怪を感じる
結局はそれはそれだけ長く同じ家にいたからそうなったのである。
60年間一緒にいるとやはり以前として一緒にその人がいるという感覚になる
だからこの辺では原発事故で家が浪江で三千軒,飯館で一千軒とか壊された
その時何か家とともにあったものが喪失したのである。
その精神的損害が大きいものだがそこはあまり注目されないのである。

家というのは単なる寝起きする箱ではない,家は60年一緒にいればそこに記憶として刻んだものが死んでも残っているという感覚になる
もし家が新しくなったり別な所に新しい家を建てると何か昔の記憶も喪失するかもしれない,なぜならこの部屋で母を介護したなとふりかえるときその部屋とか庭が残っていないとふりかえることができなくなるからだ

病院だと死んだ時すぐ死体をかたづけてくださいとかなる,それは物のように人がされるのである,番号で呼ばれて起こった人もいた
次がひかえていますから邪魔ですからかたづけてくださいとなるのも淋しい
家族だと何か死んだ後も偲んでいるからである。

そこには継続する時間がある,死んだからと物として片づけられるものではない
継続してやはり家に生きつづけるということがある
ただ墓にはそこに死んだ人が骨が埋まっていてもいるという感覚はない
家には以前としているという感覚をもつのである。
それは家で共に生活した時間の長さのためだったのである。

ともかく今年も終わりである。介護から死からその後の死者を偲ぶことは継続したものとしてあった,だから介護でも苦しいけど家でされて死んだ人は幸せだとなるだろう。
ただそれだけの余裕が今はなくなっている
でも百才生きた介護した母の部屋を今使っているけどこれもここに母がいる感じにもな
複雑だけど姉もまたいる感じになる
だから家とはそうして死んだ人でも以前としている感じになるから家のもっている重みはただの物ではない,寝起きする箱ではない,精神的なものがありそれで愛着が生まれ家から離れたくない,家で介護されたい家で死にたいとなるのである。

2017年12月28日

年の暮(短歌十首) (家とともに生きる人間の一生)


年の暮(短歌十首)

(家とともに生きる人間の一生)

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変わりやすかった今年の天候



大輪の白菊の映ゆ八畳の間姉の誇りし柱によりぬ

北風の唸り石垣反りにけり政宗ここに冬の月かな

北風の家にうなりぬ我今に主となりて守り住むかな

我が齢この家とあらむ北風の唸り吹きつも継ぎて生きなむ

我が母の面影石にしも宿りて見えむ冷える夜かな

我が街の駅の寒しも見送りぬ無人駅しも年の暮れなむ

誰を待つ我今日も駅に見送りつ年も暮れなむ

けたたまし鳥の飛びにつ風に舞い木の葉吹き飛ぶ今年も終わる

今年また荒々しくも時はすぐ夜のふけても北風唸る

志高くもあれな都築氏の齢の尽きて冬の星見ゆ

故郷に苦労したる女(ひと)もがな皺を帯びつつ北風唸る


今年は天候の変化が激しかった,それで体の調子を悪くした,熱射病になり体が震えたり吐いたり吐いたりもした,夏は紫外線が強くて昼間は外にも出れなかった
そして秋が短くまた急に冬が来て冷えたのである。
この天候も異常なのだろう。秋は長く感じたが短く急に冬になった

一年をふりかえると母が死んで三周忌とか姉が死んで8年とかなるけど残された家とともに死者を偲ぶ年でもあった
広い家でありそこに大輪の白菊が咲いているのにふさわしい
今や家に生きているのが自分である。
今年も仙台には一回しか行かないし半年以上相馬市にも行かなかった
家ですごすことが多かったのである。

プログの方は安定してきたので一カ月60とか記事を書いた,自分の場合一記事が長いから60となると相当な量になるのである。
それだけ余裕ができたともなる

何か政宗の青葉城は石垣の反りが急である。城も家であり今になって家の主となったのが自分だったのである。
この家に本当に住んだと感じたのも不思議である。この家の全体に住んだという感じはなかったのである。今は全体に自分一人で住んでいるから家と一体化しているのである。
姉が自慢した柱によるときもそうである。母の面影を庭の石にみるときもそうである。
だから死者は長年暮らした家にとどまっているというのを感じる
だからその家がなくなると死者も感じられるなくなるかもしれない

それから駅でボランティアしたことも成果だった,一時通報されて警官に職務質問されたり嫌なことがあった,その時駅に長くいたときだった
長くといっても買い物帰りにちょっと寄る程度だったのである。
その後はさらに短い時間しかいないからボランティアとも言えない
でも駅のことについてプログで書いたようにいろいろあったなと思う

何か別に誰かを待つというのではないが見知らぬ人が来て見送っていることが不思議なのである。そこが自分の一つの働く場になっていたというのも不思議である。
働くというのでもないが何かそこがworkingする場になっていた
無人駅には確かに別にそれでもまにあうのだが足りないものがあった
それを自分は何か多少でも補ったという感覚がある
この町に生きるものとして何か働くことがあったのかとも思う
それは誰も認めないものでもあったが自分は感じたのである。

都築詠一氏の部も作り書いただしばらく書いていなかった
なかなかふりかえることがしにくくなった
ただ10年間くらい毎日読んでいたからそれで死んだのに驚いた
同世代でもあり共感することが多かった
文学に造詣が深いのでめずらしいなとも思った
なかなか文学となると芸術となると語り合える人は少ないからである。
別に語ったわけではないがあれだけのものを書ける人はそうはいない
それが死んで心の青雲のプログも閉鎖されてログが消えたことは残念だった
そこにインターネットの問題があった
本を出していたらその本は残るからである。
一部は残っていたが消えたのもあり残念だった

いづれにしろ何か今年は天気のせいなのか?荒々しくすぎたという感じである。
荒々しいということは実際は自分が介護になってから津浪とか原発事故になってから荒々しいものとなっていたのである。それが今年も天気で継続されたとなる
木の葉が吹き飛ぶように今年も死んだ人がいる
無情迅速である。ただ自分も後何年生きるのかと数える年になった
それでも人生百年時代はとなると先が長いのか?
それとも80くらいで終わるのかわからない,あと十年生きればいいと自分では思っているそのくらいまでなら金もなんとか尽きることはないし健康でいられるのかとも思っているからである。

いづれにしろ介護になってから家とともに奮闘し生きたとなる
家というのは実際は人間にとって寝起きする箱ではない,精神的なものが付与されているだから家という建物と家にまつわる家族とか精神的な場でもあった
だから家と共に死んだ家族を偲んでいるのである。
そして家は大きい家でないと心も広くならない,狭くなってしまうのである。
人間にとって家の影響は大きいなとつくづく思った
だから浪江でも3000軒の家が壊されているとか飯館でもそうである。
それは家という建物だけではなくそこにある精神的なもの思い出とかも消失することがある,家のもっている重みは大きいのである。
日本では家はイエというとき単なる建物だけのも意味ではないからである。

あをによし 奈良の山なる 黒木もち造れる室(むろ)は 座(ま)せど飽かぬかも
  〜聖武天皇 『万葉集』 巻8-1638
  
 「 はだすすき 尾花 逆葺(さかふ)き 黒木もち 造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに 」 巻8−1637 元正太政天皇

まさにこれを自分の家で感じた

奈良の山というとき故郷でありその木で作った室でありそこに住むと飽きないというのを感じる,そして万代までも住むとなる
  
常に姉誇れる柱我が家に寄りて頼もし北風唸る

この柱は橲原(じさばら)の木を使っているから万葉集の歌とにているのである。
そしてこの家の主となったのは家族がみな死んでからだったことに気づいた
家の主となるのとただ借りて住んでいるような感じとは違っていた
家全部をかたづけたり掃除したりしていると家の全部に眼を配らねばならないからである

その女性は苦労した,だから普通より老けて見える,その苦労を語る,でも問題は病院に金がかかったり仕事でも皿二三枚洗うのでも疲れたとかなり人を使うのはつくづく雇う方が大変だなと実感した
だから会社で人を雇いたくない機械化したいというのがわかる
雇う方の負担が人間の場合大きすぎるのである。福祉事業ではないからである。
ただ今の時代金がない人が多すぎる,それより金を何か自分からみると法事だとか病院でも無駄なものに使っているように見えるのである。
医者に通う金がかかりすぎるのである。
また本当に明日食べるものがないという貧乏ではなく贅沢のために貧乏している人も多いのである。そして借金している人も多いのである。

ともかく今年も終わった,比較的いい年だった,気力も体力も回復してきた年でもあった来年はどうなるのか?それほど変わりないのか?
創作の方に励むことができることは確かである。



2017年12月23日

相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた


相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた

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初野窯ではなく自遊窯となっていた

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木を植えて花も咲くとかイワヒバも根付いている
これは相当に手がこんでいた,手入れもして時間かかって育てた
だから7000円では安いと思った
これを東京などにもっていったら相当高く売れるだろう。
なかなかこれまでのものは作るのが手間だからである。


相馬市の道の駅で相馬市の初野で窯をもっている人が作品を並べて売っていた
変わった器であり芸術品として売っていた,ただそれほど高いものではない

「ここでは高く売れないんだよな,東京では高く売れたな,東京では金持ちがいて
平気で高く買う,ここではみんなそんなに高いものは買わない」
「芸術品は値段があって値段がないようなもんだからな」
「仙台の卸町などでも売ったが高く売れたな,ここではだめだ」
「こういうものは芸術品となるとやはり大きな市場にもっていかないと売れないな」
「私は眼が悪くして車にものれなくなっているんだ,それで行けなくなっているんだ」
「車は年になると危ないよ」
「ここでまた正月に売る,それから高速道路などのセディティでも売る」
「あそは遠くから来るからいいんだよ」
「近くの人だと何回も買ってもらえるところがいいんだよ」

その人は芸術品として展覧会にも出品したが認められなかったという
何か師匠とか弟子がいて序列があり入りこめなかったとか言っていた
芸術にもそういうことがある
俳句とか短歌でも結社があって師匠がいるというのも窮屈なのである。
正直そういうところから大物は生まれないだろう。
師匠がいるのがいいのだが師匠がいるとかえってそれにつくと小さくされるのである。
師匠のことをほめることが要求されて付属品のようにされるからだ
俳句の師匠なんか特にそうである。そういうところで師匠面していてもとても俳句くらいでは芸術家とは今はなりえない,グローバル化しているし俳句ではとても表現しきれない時代だからである。

隣では野草とか置いてあった,全部の鉢に苔をはやしている,苔にもいろいろあるんだと言っていた,ある人がイワヒバが茶色に丸まっていたので死んだのかと聞いた
冬にはそうなるんだ,死んでいるわけではないと言った
自分も茨城県の太子町にイワヒバを買ってもらったことがある,一つ一万とか高い
でもブームだったが下火になったという
福寿草が咲いて岩があって苔がはえている鉢を1500円で買った人がいた
それは安いと見た,ただこの辺の価格だとどうしてもそうなってしまう。
この辺では高いとまず買わないからだ

最初から目立ったのが自分が買ったものである。枯木に苔をはやしてイワヒバを植えたり花を植えたりしたものである。木には花が咲くというからこれは生きているのである。
死んだ木ではない,木を栄養分として生きている,ただ肥料をやる方法がある
カプセルの薬のようなものを入れるらしい,ここからだけで栄養がとれかと思ったからだイワヒバはほとんど栄養をとらなくても水をとらなくても生きているからその生命力には驚くのである。

この盆栽というか相当にこっている,手間もかかっているし時間もかかっている
これを作った人はやはりこの道で趣味ではなく商売にしているから技術をもっているのである。何か高く売りたいのだけどここでは売れないとどっちもなげていたのである。
こういうものはインターネットでセリに出すと高く売れるかもしれない,ただ送るとかそれを運営するのがむずかしくなる
インターネットでは実際は花でも盆栽でも売っているのである。
結局地元だけでは芸術というのはなかなか認められないだろう。

ここで面白かったのは野草と焼き物とかが一緒にコロボしたことである。
これは関係ないようで関係ある,園芸とか花屋は深い関係にあり畑をしている人とも関係ある,花は自然のものであり野菜栽培ともにているからである。
土が関係しているからそうなる,焼き物も素材となる土が関係している
だからこの取り合わせは全然別個のものではなくつながりがあるものである。
それが並べたことで興味深いものとなったのである。
他にも何か別なものでも店を出せば市となり人が集まることはありうる
人を集めるにはこういうのは面白いかもしれない
一つだけではやはり人は集まらないのである。
仙台辺りだと品物でも人も集まるから売れるしにぎわうとなるのである。


自分のパソコンで作っている抽象画でもアメリカの人の一定数が見ている,なんらかそこでは注目されている,でもそれがどれほどの芸術性があるのか,その辺は見る人の眼が必要になる
初野窯の人の作ったものはいろいろめずらしい手のこんだものを作っているけどそれがどれほど芸術性があるのかとなるとわからない,変わったものなので苦労したんだよとは言っていたからそういうことはあるのだろう。
ただ「初野窯」とか聞いたこともなかったのである。
初野という場所は知っているがそこに窯があることは知らなかった
今は個人的に何か窯をもってい焼き物をしている人が結構多いのである。
ただ相馬焼のように知られていないのである。

田代焼の相馬藩の窯と指定された人は死んだ,跡継ぐ息子も死んだという,孫がいるがどうなのかと言っていた
相馬焼の大堀焼きの窯元がなくなったことは大きな損失だった,相馬の伝統としてあったからである。窯元があるとそこが集落化していると商売しやすいことは確かである。
一軒だけだと人を集めにくいと言っていたのはわかる
窯元の町になっているところなどは観光客を呼べるからである。

今日は天気がいいので道の駅まで行った,相馬市の街までは行けなかった

初めて見た相馬市の小野の里(初野)

ここに初野があり小野があった,城から離れて丸森に近い方だった
街中には窯は作りにくいから枯野の風景があっているとなる

2017年12月19日

安らかなことが家では一番大事 (恨みが残された家には災いが起きる)


安らかなことが家では一番大事

(恨みが残された家には災いが起きる)

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冬の雲四五片垂れこめ田舎町

我が家に安らかにあれ七十年嫁ぎて死にぬ母の見守る

我が姉の自慢したる柱かなそを受け継ぎ家を守りぬ

我が家に幸のあれかし恨まれず終わりに和して安らぎにけり

田舎を象徴しているのが,この四五片の冬の雲だった,なんか陰鬱であり街にたれこめているのである。
そのあとはいろいろイメージするのが写生俳句である。

ここ十年は介護とか自分の病気とか犯罪にあうとか災難つづきだった
他のサイトでも書いてあったがカルマの清算時が来てそうなった
カルマは本当に厳しいものがあるし逃れられないものがある
人は誰しもカルマを積んでいるが自覚できないのである。
知らずにカルマを積んでいるのである。それが周り回ってくるのである。
ただ苦しみとして現れたとき自覚するのである。

何か自分はずっとこうして家のたとに追われていた,三十年間は家にいても楽だった,何もすることがなかったのである。それが介護になり追われるようになったのである。
家族がみんな死んだがやはり以前として家と格闘している感じになる
毎日家のためにすることがある,新しい石油ストーブを買った,大きなもので作業している人などが使う丸形のものである。

どうしてもあたたまらないので部屋全体をあたためるために買った
でもこれは石油を前より倍くらい使う,そして石油を缶で入れるのではないのでかなり]あふれてこぼしてしまったのである。このれも後始末も大変だった
次に絨毯を敷いたがそこにも鍋物をして油をこぼしてしまったのである。
何かこういうことが家事では結構ある,道具でも慣れればそういうことはないのである

今日はあと自転車屋に三千円でクリーンセンターにもってゆくものを頼んだ
大きなテーブルとブリキ制の衣服入れだった,車がないのでこうしたものをもっていけない,処理する車が来るが高くとられるので頼めないのである。

いづれにしろ家族が死んで感じたことは説明しようがないものである。
何かほっとするとか安らかに感じるのである。
認知症になった姉のときは家は大混乱した,でも意外と早く死んだ,そのあとすぐまた母の介護だったのだから二人が同時に介護になっていたらもうもたない,共倒れになっていた,自分も病気になりそうなっていた,そこをきりぬけて楽になった

そして不思議なのは家にいても安らかに感じる,死者も安らかに感じる,死者も別に恨んでいないからである。
それで呪われた家とか本当にあるのだと思う,自殺したとか殺人事件とか何か嫌なことが起きた家に住んでみたら悪いことが起きるというのはあながち迷信でもない
何か成仏しない恨みを残した人の霊がさまよっているのかもしれない
そんなこと自分は今まであまり考えなかった

でも家族死んでみて安らかに死んでいない人はそういう家では何か悪いことが起きる
それは理屈ではない,そういう物の怪を感じるのだ,一方で安らかに感じるときはその家は一時的に悪いことが起きたのだがそのカルマが清算されて浄化さされてそうなったのかともなる,遺産相続とかにはそうしたカルマの清算が起きると他のサイトで書いてあったが本当だと思う,カルマを清算させるために苦しみが災いが起きてくるのである。
最悪になると富岡八幡神社のように凄惨な結末になる。
金があまりにありすぎるのもその家にその団体とかにはカルマとなっているから吐き出さないと凄惨な事件も起きてくるのだ

親戚の女性の親は恨みを残して死んでいった,自分の家ともつきあいがなかったが母の実家は不和分裂の家だったのである。そしてあんなに凶暴な女性と変化したことに驚愕したし憤りを越えて恐怖だった,何かとりつかれたような形相になっていたからである。
人間は恨みとかで悪霊とかに取り殺されるということもありうる

怨霊信仰があるのもうなづける,なぜ怨霊を恐れるのか?それは良心が傷むから恐れるのである。何かやましいことがあるから恐れのである。
それは家族の間でもある,家族でも恨んで死んだ人は結構いるのだ
親戚の人はそうだった,事情は複雑でも一番世話した母親は恨んで死んだからである。
ただ一緒に住んだ家は空家であり誰も住んでいないし一緒に暮らしたこの街にも住んでいない,一年に何回が墓参りにくるだけである
でもその墓参りでも苦しいくなるかもしれない,あんな凶暴化した女性だからすでに何かにとりつかれたような恐怖を感じたからである。

その家が安らかな状態にあるかどうかは本当に大事である

なぜそうなのか?そうでないと災いを受けるからである。そういう家にかかわると災いを受けるから見逃すことができないのである。
もしそういう家に家政婦でも金をもらえるからと雇われると危険になるからだ
その家から発する物の怪が怖いのである。

これは別に人を脅かしているのではない,自分は家族を看取って感じたことだから言っている,自分が安らかに感じたから死んだ後でも何か家には影響するものがある
物の怪として家にいる感じになるからだ
こういうことは精神的なものだから説明しにくいのだ,安らかな気持ちになっている
それはどういうふうに安らかなのとなるとそれは死者を見送り死者が安らかにいるという感じなのである。そこに恨みをもって死んだりしたらそうはならないのである。
そうした家には圧迫されるようなもの平安はないのである。
だから家とは人間にいろいろに影響する場だなとつくづく思った
家はただの人がいて寝起きする箱ではない,いろいろな人間的に精神が作用してくる場なのである。

2017年12月18日

冬の暮俳句十句 (家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮俳句十句

(家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮六万石の城下かな

五本松残る三本冬の暮

乱れじや物音もせず冬日没る

石一つ村の境や冬の暮

故郷の古りにし家や冬の暮

冬の暮我が眠るは奥座敷

我が家を一人守りて冬の暮

古き家に昔を思い冬の暮

古き家や昔を想うスト-ブの火

もの言わぬ岩の重みや冬深む

奥深く岩の動かず冬の暮

冬深む奥処に岩の鎮まりぬ


半年くらい相馬市には自転車で行っていない,道の駅のところの五本松の二本の松は枯れた,松は何か一番人間に親しい,人間に見えるのである。
だから松にまつわる伝説とかいろいろ残されているのである。

冬の暮となると冬が暮れるということで12月でもいいが冬深むとなると一月からだろう。い,冬には冬の良さがあり冬は物思いにふけるのにはいい,
冬は岩と石にふさわしい季節でもある,冬に石とか岩の重みをより感じる
田舎だとそうした石と岩は近くでもある
だから自然とアイディンティティ化しやすいのである。そういう作業をしてきたのが自分だった

そして石とか岩を想う場合でも家が関係していた,家の不思議は一つの安定した場を与えることである。家があると精神的に安定するのである。
それも持ち家である程度の広さが必要である。
もしこれが借りているものだと狭い住宅だと何か精神の安定が得られないのだ
ただ一時的に借りて住んでいるというだけになる,それもまたこの世は借りの場だからという感覚になるので日本人はもともとそうして大きな家に住んでいなかった
また貧乏で住めなかった,ただ農家では家と仕事が一体化しているから家の重みがあった

昔の旧家だと奥座敷とかある,座敷は普通にあった,小高の人が50畳の家に住んでいたというのも驚きである。そういう屋敷のようなものがあった,そこは一つの城のようにもなっていた,なぜそんな家が必要だったのか?昔はみんな家に集まって法事とか行事をしていたからである。
ただ家というのは維持するのに大変だと家族がみんな死んでつくづく思った
直したりするのに金がかかる,するとある程度の資産がないと大きな家は維持できなくなる,また広い家だと掃除するにも大変になる
そして古い家は今回の地震とかで傷んだ,ひび割れしたり戸があかなくなったりした
それを直すとなるとまた金がかかり大変なのである。
だから家をもつのはいいにしても負担になるのである。

家を考えるとき奥座敷とあれば田舎だと奥座敷という場がある,この辺だと橲原(じさばら)とかはそんな感じになる,さらに奥に入ると人も住んでいない場があり岩がある
家としてイメージされることが田舎ではある,大きな家となるとそこがただ寝食するだけのものではない,精神的な場であり精神に影響するなと思った
大物は大きな家から育つと言う人がいたがそういうことはありうる
広い家に住んでいれば広い気持ちもなるが狭い家に住んでいると心も狭くなる

広い廊下は心を広くする
それは広い道路もイメージする
冬の光りが一杯さしこむ
そこでおもむろに古書をひもとき
長椅子に座り読む
八畳の奥座敷があり
そこは隠されて眠りにつく場
家は閉じた空間の中に
密なる場を与え精神を醸成する
・・・・・・

家というのは良く有名な旧家の家を紹介しているけど実際にそこに住んでみないとわからないのである。
それはどこでもそうである。住んでみないと深いことはわからない,住んでみてその土地のことがわかるのである。
家は細い廊下とか曲がりくねっているとそれは迷路のようになりそれは森の小径を歩いている感じになる,大きな庭があれば都会でもそういう感覚が生まれる
ただ都会では自然と結びつかない,田舎では生の自然と結びつくのである。
自分の家の特徴は二階の広い廊下にあった,それが外の景色と結びついていたのである。ただ自分は家に住んでいても自分の家のことがわからなかった
家族が死んで家を自分一人で住んで管理するようになってわかってきたことがある
なぜなら家族が死んでから残された家を管理するようになり家が傷んだり直すことで否応なく家に前より関心をもたざるをえなくなったのである。

細い廊下がある,廊下を曲がる
広い庭があり石がある
そこに冬の日がさしている
木の葉が散りつもり
池がありそれは森の中の沼に見える
それはより親しい空間である

家は広ければそうして一つの自然的空間を模したものとなっているのだ

住もうことのなかでのみ人間はその本質を実現することができる
住もうことは一つの確固たる位置を空間のなかにもつこと,つまりそこに属して根付いていることなのである。
しかし人間がこの位置にとどまりここを快適と感じるためには住もう「場所」はさきに我々が「体験されている空間」の自然な中心点,--]そこにこの空間のすべての道が関連づけられている
「人間と空間」オットー・フリードッヒ・ボルノウ

この本では家のことを哲学的に考察している,これは一読の価値がある
自分は実際はこの家に住んでいたとはならなかった,なぜなら家族が住んでいると自分の住んでいる場は割り当てられた部屋には住むが全体に住むということはない
自分の家で特徴なのは広い廊下と奥座敷だったからである。

家とはまた新しい家と旧家とは違っている,古い家には50年としても歴史がある
代々住むとなると家には歴史がある,一代だけでない何代かの記憶が家に詰まっているから違っているのである。そこに家の重みが生まれてくるのである。
だから原発事故など避難されて家を失った人達,大きな家に住んでいた人達がいたしその精神的損害が実際は大きなものだったのである。
それは家というものだけではない,それに付随する精神的なものを失ったからである。
故郷を失うということもそうだったのである。

2017年12月17日

新地駅俳句十句 (新地から海が見えて景観が良くなった)


新地駅俳句十句

(新地から海が見えて景観が良くなった)

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桜咲き海を望みて新地かな

船の行く山より望み朝桜

草萌ゆる電車の行きて望む海

耕やしや海を望みて新地かな

山鳩や海を望みて春の畑

海の青染まりて新地春の暮

新地より高架になりて夏の海

鴎飛び電車の行くや夏の海

文禄の碑伊達領なれや秋深む

時代毎碑の古り並ぶ秋の暮

新地駅雪の蔵王の迫るかな

新地駅おりたち二本の冬木かな

金華山牡鹿半島望めるや津浪の後の新地駅かな

相馬地方の景観は変化がある,外から見た人は電車などで通りすぎてもわからない,複雑な地形には実際はなっている,その土地のことはやはり長く住んでいないとわからない
新地と相馬市と原町とかで何が変わっているか一回くらい来てもわからない
新地は地勢が浜通りでは同じようで違っている

海と山が近く迫っているのである。海が近くすぐ岡になり山が迫っている
それで手長明神の伝説が生まれた,鹿狼山(がろう)から巨人が手を伸ばして貝を食べていたという伝説である。これは裏付けのある伝説である。
貝塚も丘にあり海に近いからである。地形を見れば納得するのである。
この地形は簡単にはわからないのである。

まず春になると鹿狼山の麓まで上ると太平洋が一望できて牡鹿半島とか金華山が見える
そこに桜が咲いていてあそこは本当に見晴らし良く春は一番眺めがいい
新地駅も高くなり同じように見えるようなったので新地駅におりて一見する価値がある。
ただ快晴にならないと見えないから注意である。

そして新地が津浪で海岸部の村が消失したけど景観的に良くなったという不思議がある。高架橋になり電車が走っている風景はなんともいえぬ海にマッチした風景となったのである。
今まで海は浜通りなのに常磐線では見える場がほとんどなかったのである。
新地から坂元から山下と海が見えるのである。
だから景観的には前より良くなったという不思議がある
松原はいいものだったが海をさえぎり見えなくしていたことがあった

この辺の景観でいいのは新地でもそうだが新地から丸森に入ると丸森も森であり秘境のような所が川を上っていったらあった,その深い森林に迷い入り出れなくなったことがある丸森は森が深くおおっていたのである。だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で森林資源の木材をめぐって争っていたのである。
丸森も阿武隈川があり森が深く景観的にいい場所である。
この辺にはまだ人があまり踏みいらない土地が残されている
飯館村にもそういう場所があったが道路ができて消されたりはした
でも森が深くつづいて森につつまれている地域という感覚はある

ただ山下から亘理までは景観的に見るべきものがない,山は低くなり変化がないのである亘理に来て阿武隈川をわたるとき蔵王が見えて変化をみることができる
だから山下とか浜吉田とかあるが景観的には魅力を感じないのである。

この辺の景観の弱点は高い山がないことである。鹿狼山でも400メートルくらいなのである。あとは高い山がないのである。それがものたりないのである。
日本はここだけではない,狭いのだが地勢が変化に富んでいるからあきないということがある。
まず大陸だ満州でもどこまでもトウモロコシ畑でたまに大きな泥川が流れているくらいで変化ないからあきるのである。
だから日本は旅行するには地形に変化があるから面白いと思う
海あり山あり川あり森ありであきないのである。季節の変化もあるからそれであきないということがある。日本は地形でも季節でも変化が激しいのである。
今年は特に暑かったり寒かったりと変化が激しい年だった

歴史的には新地には文禄の碑がある神社があった,伊達領だったのが新地だから検地のための記念の碑らしい,その神社には時代毎に碑が残されていて興味深いものがあった
新地は伊達領だったということがわかりにくい,なぜなら明治以降は相馬郡に編入されたことでわかりにくくなったのである。
蔵王も新地駅からまじかに見えた,蔵王は相馬地方だと鹿島の八沢浦からも見えていたのである。

俳句も連作でないと一句だけでは文学となりにくい,それで自分は連作を試みてきたのである。四季がありそれを連作にすると一連の作品として鑑賞できるのである。


タグ:新地駅

2017年12月16日

冬薔薇五句 (芸術も修行者として真善美を追及する)


冬薔薇五句

(芸術も修行者として真善美を追及する)
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塵つかず一輪静か冬薔薇

冬薔薇ことに美し籠もるかな

冬薔薇今日も散らずや石に映ゆ

冬薔薇黄色にほのか赤み帯ぶ

冬薔薇待つ人あれや田舎駅


冬の日や墓を並べてここに終ゆ故郷あわれ我も眠らむ

薔薇は夏の季語であっても春にも咲くし秋にも咲いているし冬にも咲いている
意外と秋の薔薇もおもむきがありいい,冬薔薇はさらに季節で花が凍るような美しさがある,空気が澄んで塵もつかないとなる
芸術は俳句でも似たような類似俳句がある

白菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉

これとにているのが塵つかずになる,知らずと覚えていて参考にして俳句は作られる
これまで作った薔薇の句だけをまとめると一つの薔薇の連作の作品となる
ただプログではどこに書いたのかもわからなくなる
だからそれをまとめようとしているのだかめんどうになる

自分はここ何年かも家のあとかたづけに追われている,片づけても片づけても片づかないのである。本を整理して片づけるのも容易ではない,本もなかなか捨てられないのはまた参考にして利用すると思うと捨てられないのである。

いづれにしろ俳句とか芸術でも一つの修行にもなる,芸術にもいろいろあるが本来は身を清めるための修行の要素がある,純な自然を見るには心も純なものを保たなければならないからである。
それは宗教にもなる,でも今の宗教はそういう場ではない,この世ではかえって汚れた場所になっているのだ。

金でも大きな金を賽銭に投げるのは欲深いやつだ

1000円賽銭入れるから神様お願い
2000円,3000円,一万にして福を与えてくれ

宝くじをねらうようにして願いをかける,神様は銀行でもない,利子つけて金を返してくれるわけではない,実はその金は放蕩する宮司とかくだらない人に入っていたのである。

要するにカルト教団でも神社でも人間の欲にまみれたところなのである。
そんなところで宗教を追及しているのは暴力団に入って宗教を追及しているのと変わりないのである。人間の様々な欲望が肥大化して集まる場所が宗教の場になってしまったのである。またそういう人を受け入れるからこそ選挙の票にもつながるのである。
まず人間の欲を否定したら人は集まらないからである。
それで面白いのはやはり大都会の神社が賽銭が多くなるのはまさにねそうである。
人が多いからそれだけ欲望もふくれあがり賽銭が集まるのである。
だから都会の宗教は経済と政治しかないのである。

本来なら山に籠もり節制して身を清め修行するのが宗教だったからである。
今の宗教にはそういうものがほとんど一切ない,ただ欲望の無限の追及しかないのであるそれは神社でも仏教でも同じである。
だからそんなところに行くのは世俗の欲深いやつでありそういう所に交わる人もまた汚れるし汚れているからそういう場に行くのである。
そんなところにもし心を清めるとしたら行かないからである。
賽銭にはこの世の欲がこびりついているのである。
その賽銭もただ今回の富岡八幡神社の事件のように放蕩して消尽されたとなる
そんなところに賽銭を投げる人も同類だともなってしまうのである。

墓を並べて眠る場はやはり因縁深い場だったのか?ふるさとはやはりそうなるのか?
自分もあの墓地に墓に眠るのかともなる
冬の日はやはりしんみりとして墓も鎮まる
毎日自分は自分の家の墓地の前を通っているから供養していることになるのだ
故郷から離れたいと思っていたが故郷は因縁深いから離れられない宿命にもある
ただこの辺では原発事故で避難して故郷さえ失った人が多いのである。
タグ:冬薔薇

2017年12月12日

遺骨は何なのか死者とは何なのか? (死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


遺骨は何なのか死者とは何なのか?

(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える

死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった

はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる

現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける

いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。

だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。

要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。

ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる

寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。

日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。

俳句で死者を考えると

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埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火

死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。

これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。

NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』

この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。

2017年12月11日

田舎の冬の一日(写生俳句)


田舎の冬の一日(写生俳句)

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石の庭志操を守る冬薔薇

冬紅葉母の命日偲ぶかな

冬日さし蔵の農家や古りにけり

冬日さし干し物に大き庭の石

冬椿福祉施設を囲むかな


今日でやっと歯医者が終わった,今年は二回歯医者に行った,相馬市の方は遠いのでやめた,ここは原町が近いことで助かっている,なんとか電動自転車で行けることである。
受け付けの女性はそれなりに年配であり感じがいい,治療が終わったら「お疲れさまです」と言われたとき本当に歯の治療もいたいし嫌だから慰められた,そこに癒しがあった,実際は福祉とか医療でも癒しの仕事である。
癒しを与えるような女性だと何か病気すら直る感じになる

正直病院はそういう癒しの場ではない,何か癒しがない無機質の殺伐とした感じなのである。
ただ受け付けでも何か印象がいいとその歯医者はやはり患者が集まるともなる
原町のYという歯医者だった,大学はいい大学ではないがそれもわからない,医者とかは生来のものがある
器用さとは生来のものでありそういうものも大事になってくる
開業医でも病院でもその場を良くするのは看護師が大きな役割をになっている
だから医者だけでは好感もてる医院や病院を作れないのである。

歯医者くらいならいいが他の重篤な病気になると診る人も余裕がなくなるのである。パンを買うのがイオンでもあり何か原町には用事がある
相馬市の距離は倍以上であり最近半年以上自転車で行っていない
相馬市にもまプリントする用事があるのだが行けない

何か家事だけでも忙しい,自分の家は寒いのは古い作りの家だからである。すきま風が入る,すきま風は床下からも入ってくる,前が広くあいて部屋になっていないのもそうである。
店をしていたから広いから風が吹き抜けのように入ってくる
だから下の茶の間は広いし石油ストーブでも部屋中が温まらないのである。
でもこういう寒い家を直さないで良く住んでいたなと今では思う
他はいろいろ直したのに肝心なことが直さなかったなとも思う
ある人は部屋をあたためるようにリホームしたというのもわかる
やはり老後はこれでは辛いとなる

何か家事をしていろいろ気づくことがあった,家事することはいろいろあるからわからないのである。やはりこれも経験していないからわからないのである。
人間は基本的に何でも経験していないとわからない,社会のこともわからないのである。本を読んでもわからない,株だって実際にしてみなければわからないのである。
世の中生きるのに経験することは限られているし知らないことが多すぎるのである

youtube が便利なのはそうした日常の知恵が紹介していることである。
畳の下に何か敷くと風が入らなくなるとかも紹介してあった,リンゴを毎日食べているが良く洗わないで皮ごと食べていた,皮に栄養があるというから食べてたいたのである。
それと早く仕事しないと時間の余裕がなくなるからである。
家事だけ丁寧にしていたら時間がとられ他のことはできなくなる
前は介護もしていたから余裕がなかったのだ

冬の日はやはり田舎がいい,より落ち着くのである。
冬薔薇というとき志操守るというときふさわしいとなる,志操を守るということは大事である。志操を守ることには命もかけることもある,志操が守れなければ死ぬというまでに大事ともなる,それは金より大事にもなるが現実は志操などより金だとなっているのである。何かを守るべきものがある。それを譲れないものがある。
ただその時相当に苦しむことは確かである。

明日は母の命日だけで何もしない,何かやはり師走であり追われている,自分は介護始めてから何か生活が追われている,結局家事とかみんな自分でしなければならないからである。

仕立屋にはじめて行くや冬の日やぬいあわせしてジャンパーを着る

ボケットが切れていてぬいあわせしてもらったのである。300円だった,こんなこと頼んだこともないのである。そんなことしてくれる所がまだあったこともからなかった,いつも通る所に仕立屋がまだあったのである。今はみんな新しいものを買うからそんなことしないと思っていた

明日は母の命日だけで何もしない,何か生活に追われてできない,何でも一人ですることは身にあまることになる,母は一生忙しく過ごした人だから師走に死ぬのは安ていたのである。
そして冬紅葉もあっていたから冬紅葉忌ともなる,一生が何か不遇だったともなるからだ
写生俳句というとき現実の生活そのままを写し取ることでもある,だから洗濯物が干してあってそこに大きな石があるというのも写生であり何かを語っているのである。
大きな石がありどっしりとありそこに生活があるとなる
写生によって何かを語らせるのが写生俳句なのである。

鹿島の福祉施設が集中している所に冬椿が囲み咲いている,それもにあっている,福祉となると冬椿とかがにあう。
でも実際の中味は福祉にはいろいろ人でもなんでも問題がありすぎるのが実情なのである。
ただ冬椿に囲まれている景色は外から見ればいい感じになる

2017年12月07日

冬の日の故郷(写真俳句)


冬の日の故郷(写真俳句)

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前畑を手入れす老人冬の菊

新築の家の隣に冬柳

冬日さし寄り合い並ぶ石残る

山茶花や石の残りて医院かな


この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある

肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。

新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している

次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある

この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。

冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。

ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる

ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。

2017年12月03日

冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る) (常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)


冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る)

(常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)

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貨物船一二艘行く冬の海

貨物船進むも遅し冬の雲

海近し冬タンポポや浜通り

朝日さし梢鋭く冬の樹々

落葉踏み深野の墓地牛のいる

木の葉散り深野の墓地またたずぬ

深野の墓地に枯木の影静か

冬日さし一村の墓地またたずぬ

高速のセディティに休む冬の空

晩菊の土地に根付きし暮らしかな

冬薔薇二輪のみかな闇つつむ


松の苗津浪の跡の海老浜に植えて育つや冬の日なりしも

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ


昨日は右田とか海老浜に行った,海老浜からは太平洋を望み貨物船二艘ほど見えた,ゆっくりと進んでゆく,
今日は山の方に行き常磐高速のセディティ鹿島に寄った,意外と近い所にあった,
自転車でも行きやすい場所だった,車をもっていないと車のことがわからなくなる,
それは社会のことがわからなくなることなのである。

場所がわからないので深野(ふこうの)から鹿島の方の小山田に遠回りした
深野(ふこうの)は何か不思議な場所の魅力がある
深野(ふかの)ではないふこうのということが地名としていいのである。

そして台地の上の墓地は古い,落葉していて踏むと牛がいた,この辺は牛を放射能で飼わなくなったが最近また牛を飼っている家がある,もともとあそこは牛を飼っていたのである。
何かそれが墓地とマッチしているのも不思議である。
牛がいると何か精神に影響する,どっしりとした気持ちになるから不思議なのである。
牛がいるといないでは田舎でも違ったものとなる
飯館村は牛の村だった,牛がなければ飯館村ではなかったのである。
だから飯館村は田んぼも土が削り取られたりもうかつて村の様子ではない
無惨な村となった悲劇である,それは自分にとっても大きな損失だったとなる
精神の安らぐ場所としてあったからである

浜通りはあたたかい,昨日は寒かったけどタンポポが咲いていた
海が近く海の影響を受けやすい,だから津浪もあった
一方山も近いのである。山は低いが飯館村となると高原であり標高が高いのである。
だから飯館村に行くと空気も変わる,何かが違うのである。
そして一軒一軒の家が森につつまれている広い土地なのである。
常磐高速ができたら飯館村にも回る人が多かったに違いない
今は行っても放射能汚染のフレコンバッグとか田んぼもない風致も損なわれた
それが残念だったのである。

sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

 北風(キタ)唸る−残る雪(真野ダムへ)

真野川に鎮座する石がこれだった,これは見えにくいから気づきにくいのである。
地元にいてもわからなかったのである。隠されるようにあったからである。
何か電動自転車をセディティに置いて真野川を上る観光計画があるという
電動自転車だと坂を上りやすいからである。
その時この隠された石を見るべきだともなる

セディティとはこの石のことなのである。cool sedate stoneなのである。

ともかくこの辺は本当に変わった,津浪や原発や常磐高速などもできて変わった
何かかえって都会化したのである。
常磐高速の影響は鉄道より大きい,人の出入りがここの方が断然今は多いからである。
自分は車をもっていないから車のことがわからないから今の社会から取り残されているのである。逆に自転車だと風景と一体化するから俳句でも短歌でも作れるとなる
車は遠くに行くのにはいいが景色をゆっくり見ていられないのである。
運転に気をとられるから景色が見れない,ただ常磐高速で一回くらい東京に行ってみたい高速道路から見える景色はまた違っていたからである。
ただそのバスが出ていても普通のバスであり四時間も乗っていたら疲れる
そういう気力がなくなってしまったから長い旅行をしていないのである。




2017年11月21日

遺された母の手紙に感動 (ただ謎が残る手紙の草稿である)


遺された母の手紙に感動

(ただ謎が残る手紙の草稿である)

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 がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

 おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで


この手紙が母の引出しから出てきた,ただこれは手紙の草稿であり誰に出そうとしたのかもわからない,姉とはいつも連絡していたがその頃死んでいたはずである。
姉が死んでからのことだからもう九十四才くらいになっているとき書いた
がんばりのきく年はすぎたれど・・・とあるからである。

姉のお骨が家にあると書いてあるからだ

この手紙の不思議は

●誰に出そうとしたのかわからない?

●母の手紙であることは間違いない

●母にして書いていることがまともである

まずこの手紙が母が書いたものかどうか?それは間違いないだろう,まずこうした悪筆であり前からも良く読めない字を書いていた,そして辞書をもっていてひいていた
そこでその辞書でひいた字を文面に書いていた
だからどうしてもこれが母の手紙であることは間違いない

でも謎としては誰にあてたのか?それが不可解なのである。こういうことを言う相手は相当に親しい人でないとありえない,でもみんなその時姉も死んでいるとするとありえないのである。姉とは死ぬまで交流があり手紙のやりとりをしていた
だから手紙を書こうとすれば姉しかいないのである。
友だちもいないしあとはそういう人はいないからだ
その時は認知症になるまえであり正気だからこれだけのことを書けた

ただわからないの法身などという言葉を使っているのか?これは結構むずかしい仏教用語である。母はそういう学はなかった,尋常小学校出であり字は書けても信仰もないしこんなむずかしい言葉を使うはずがないのである。

そして短歌を知っていたということの不思議である。そもそも短歌などと全く縁がない人だった,だから短歌というのを知っていたことが不思議なのである。
確かにこの短歌は短歌とも言えない,でも明かに短歌を知っていてこう書いていたのである。

前にも書いたように母はまず働きづめの一生だった,だから花に関心がない,庭を作ったらそんなもの金かかるから作るな血相変えて怒っていたのである。
だからここに書いていることが本当に謎になる
そういうことだか短歌ということを知っているとは思わなかった

この短歌はあまりにもつたないものだが母の心がにじみでている,だから文学とは別に文章がうまいへたでもない,その人の真心を伝えるものだということがわかる
ここには母の真心がにじみでているのだ

母は実家が事業をはじめて倒産してから苦労した,原町紡績で十年間糸取りした,それから女中になるために東京に出た,そこで結婚したが夫が事故で死んだ
そして自分の家に嫁いできた,自分の家では母を歓迎したとはいえない,連れ子もあり冷たくした,自分の家には何か負の暗黒面もあったのである。
そういうことはどこの家でもある,なにもかもいい家族はないだろう。

この手紙で一番感動したのは姉とは六十年間も長く一緒にいた,でも争いがあり自分には憎しみあうものとして見ていた,現実に姉が認知症になったとき暴力になりひど目にあい一緒にいられなくなったのである。その時母は姉を憎んでいた
でもこの手紙を読んだら姉を死んで悲しんでいるしいたんでいるのである。
このところが自分にとってうれしくて泣いた
最後は悲劇的に終わったが六十年間一緒にいてやはり愛しあっていたのだと思った

母は自分のことはあまり関心がなかった,愛もあまりなかった,でも自分は二人の愛を受けていたからそれでも良かった,だから自分が一番悲しかったのは最後に離ればなれになり一緒に住めなかったことなのである。
それは認知症がもたらした悲劇だった,でも最後は姉も正気にもどり母も姉が死んでからその死をいたみ悲しんでいたのである。

これは本当に感動したし泣いた,そして自分は救われた,自分の家族は複雑だけど愛し合う家族だったとうれしかった,自分は家族の過分な愛を受けていたのである。
だが最後は悲劇に終わった,でもその悲劇が実は家族の本当の愛を知らしめるものだったのである。
だからこの遺された草稿の手紙は誰にあてたものか?それはまさに死んで自分にあてたものだったのである。それによって自分は救われた気分になったのである。

この手紙はだから遺された財産より貴重である。ただ自分の家族は理想の家族ではない,金にもこだわる家族だった,それで大喧嘩したこともあった,そして何かケチであり困っている近所の正直な人に金を一二万貸していたがそんな金をくれればいいと思った
なぜなら金は相当にあったからだ,だからそれが自分の家の負の部分としてカルマともなったとなる

ともかくこの手紙の草稿には本当に泣いた,そして自分はしみじみこの家に家族に生まれて良かったと感謝した,つまり家族愛にはぐくまれていたことを感じた
複雑だしこのことは他の人にはわかりえようがないのである。

でも人間の深い意味は悲劇によって示されるというのも逆説である。
それでシェークスピアは悲劇を書いた,キリストは「悲しむ者は幸いである」と言った
悲劇の中に人間が悲しむことのなかに深い意味があるからそうなった
これを理解することは本当にむずかしい,自分もこれだけの苦しみをへて家族がみんな死んでようやく理解したからだ

母は腰が九十度に曲がった時,苦しみ自殺しようとした,それも苦しみでありそこからも生きたから良かった,自殺したら本当に後味が悪いものとなり良い評価にはならなかった

がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで

ここにその気持ちが現れている,命の日が消えるまで・・・・なのだろう。
九十四才の頃に書いたからこうなっていたのである。

人間のことは死んでみないとわからないことがある,生きている時はわからないのである死んでみてそうだったのかとわかることがある,しかしその時この世にその人はいないのである。だから一層その人のことがわかったときその人のことを偲ぶことになる
家族でも身近でも人間の心はわからない,そんな人だったのと意外なのである。
何か文章でも書かない無口な人は余計にその人の心がわからないのである。
母は寡黙であり目立たない人でおとなしい人だからそうなっていたのである。

人間は死んだ人でも今生きている人を励ますものである。
がんばらねば・・・というとき母は頑張り屋だったからだ,母は懸命に腰が曲がっても生きた,百才生きぬいた,そのことが今になって自分も感動した
その意味は大きいことをこの遺した手紙の草稿でわかったことは大きな収穫である

ここで言えることは人間はどんなに苦しくてもがんばって生きねばならないのである。
それが死者からの母からの最後のメッセージだったのである。

2017年11月20日

あちらこちらいたんでいる築五十年の家 (手紙は残るがメールはどうなるのか?)


あちらこちらいたんでいる築五十年の家

(手紙は残るがメールはどうなるのか?)


今日もお客さんが来るというので家の掃除と直し方した,障子張りとか壁紙はりかえとかした,でもうまくいかなかった,ぴったりと張れない,しわができている
それから布団も古くなっていた,衣服でも古くなると汚れが落ちなくなっていた
もう切れないから捨てるほかない,なんとか無駄なものは捨てたいのである
本も読まないのは捨てて身軽になりたい,でもまた利用するかもしれないと捨てられないことがある

築五十年になると壁も何か汚れている,土壁だから何か汚れている,土が落ちたきたりする,ゴミがしらゆるところにたまっている,樋が壊れて水漏れしている,これも直そうとすると屋根が高いから足場を組まないとできない,するとまた金かかかる
何か家というのは維持するのに金がかかるのである。

でも放っておくわけにもいかいな,雨漏りすると家がいたむからである。
ただ自分の家は昔風の家だから二階に座敷があり広い,八畳間だから広いからゆったりする,狭いと圧迫されるので嫌なのである。
その部屋は一番贅沢な部屋だったのである。
眠りやすい部屋は広い部屋なことは間違いない,廊下も広いから余計に広く感じられるのである。

何か物を書くとするとこの家はいい,私設図書館のようにもなっているからだ
狭い窮屈な所だと人間の思想も狭いものになるかもしれない
やはり人間は住んでいる場所とかいつもいる場所に影響されるからだ
家にいる時間は長い,特に老後はくつろげる家がないと苦しいとなる

老人の贅沢は何か?それは例えば冬なら暖炉があってあたたまり昔を回想することなのである。自分の経験したことを回想することなのである。
自分の場合は日本でも外国も旅したから回想して詩にしたりしているのである。
回想することは楽しいのである。旅では苦しいことがありその時は夢中で何を見たかもわからないことがある,でも後でふりかえるとその場所のことが別な意味あるものとして蘇ることがある,一方で忘れることも多い,人間はとにかく忘れやすいのである。

人間はやはり家がないと安定が得られないだろう,旅をするのもいいが老後は家がないと安定しない,冬は特に家であたたまり回想するのに一番向いている
老後というのはその人がたどった人生をふりえかえり自ら味わうことである。
だから別に苦しいことがあってもあの時は苦しかったなとか思い出にもなるのである。
人間はなんでも過ぎ去ると別な風に見るのである。

自分はとにかく十年間は介護やら自分の病気やら周りからは責められるでは苦しかった
そこに津浪と原発事故が重なり四苦八苦していたのである。
今はなんとか落ち着いている,それで母の唯一の孫が来る
姪子になるがほとんど話したこともないから自分にとっては疎遠なのだが
母が死ぬとき孫に金払いと金額まで大声で言ったので驚いた
なぜなら金のことが認知症のになりわからなくなっていたからである。

認知症の不可解なのは時々正気にもどる,特に死ぬ間際に正気にもどることが多いことは確かだろ,すると認知症の人を馬鹿だとしても扱いないのである。
死ぬ一カ月前くらいに遺言のように大きな声で言ったからそれを守らないと怖いと思った人間は死ぬ間際に言うことの言葉の重みが大きい
別にそれが正式な文書にして遺言でなくてもそれを守らないことは恐怖になる
そのことで母は死んでもまだ生きている,その言葉は活きているとなる

母と孫はずっと手紙で連絡はとりあっていたのである。だからただ血のつながりがあるという関係ではない,子供生む時からも手紙で連絡はしあっていたのである。
ただ直接合うことはほとんどしなかった,だから自分も直接合うことはずっとなかったのである。

母遺す(のこす)手紙を見れば孫の書く手紙の文面何を伝えむ

母あわれ引出し見れば残したる手紙の類や何か伝えむ

人間死んだら何を遺すのか?これも財産もあるが手紙なども残る,写真も残る,手紙は何かを語っている,すでにその手紙でも二十年前くらいのことだからである。
でも電子時代になると手紙のように残るのか?プログなどは死んでもログとして残っていた,でもメールなんか遺(のこ)るのかとなる
電子空間は確かに記録されているのだが手紙のようなものとは違う。
手紙も一つの記録であるが手紙は二十年三十年でも残る,メールとかは残らないだろう
瞬間瞬間に消えゆく感じになる

いづれにしろ築五十年とか自分の家族でもみんな死んだしその後のことをどうしたらいいのかとなる,自分としては身軽にしておきたいということはありいらないものは捨てたいので整理しているのである。

2017年11月14日

木の葉散る (俳句はまず写生でありそこから各自イメージする)

木の葉散る

(俳句はまず写生でありそこから各自イメージする)

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木の葉散るまた一枚や石の上

枯蔦の這いて庭にはねじれ石

イワヒバに石の静かに冬薔薇 


一枚また木の葉が庭の石に散る,その石はその木の葉を記憶する,その木の葉とは一人一人の人間をイメージする,写生とはあくまで写生でありそこから各自がイメージするのである。
この辺だとどうしても原発事故で避難区域になり人の住んでいない村や町をイメージするつまりそこには家があっても庭があっても人が住んでいない,でも庭には石があり同じように庭の木の木の葉が散っているのである。
でもそれを見ている人は誰もいないのである。
そこでは庭は死んでいる,石でも死んでいるというのも不思議だが人間化した石だからそうるのである。

枯蔦が這いねじれたような石がある,これも実は人間をイメージする,そんな人が自分の家に入り込んだとなる,他にもイメージすることはある,あくまでも写生はそうした説明をしない,詩だと長いから説明する

例えば

木の葉が散る
今日も一枚散る
庭の石に散る
石は記憶する
その一枚一枚の
木の葉を
ここに静かな
時は流れ
我が一人いる

こんなふうに詩とは説明になる,俳句はこうした説明がないからかえって鑑賞するのがむずかしい
俳句はだから最も鑑賞力が試されている芸術である。もちろん芸術は絵でも音楽でもそうだけど鑑賞力がないとわからないのである。
だから自分がしている抽象画でも自分で絵を作れればいいのである。
やはり俳句でも絵でも音楽すらそうなる,音楽でも演奏できる人とできない人ではその鑑賞力が違ってくる,芸術はそれだけ奥深いものだから鑑賞すること自体がむずかしいのである。

ともかく急に今年は冬になった,昨日は寒かった,季節の変化が今年は本当に激しいのだ何か天候であり津浪でもそうだが異常気象というかそういうものを感じる
これまではそんなに季節でも変化を感じていなかった
今や老年になると家族が死んだり病気になったりとかいろいろなものが変化しやすいのである。その変化に耐えられなくなるのだ

東京とか都会に出た息子や娘の所に介護のために引き取られる親がいる,逆に田舎に移り住む人もいる,そういう変化が意外と老人になるとあるのが現代なのである。

いづれにしろ狭い世界だと庭のようなものでもそこは一つの世界である。するとそこでは記憶しやすいということがある,田舎でもいくら狭くてもすべてを記憶することはできない,一部しかできない,全部を知ることもできなからだ
人間は記憶することが大事である。記憶されたものが最後は人生になるからだ
記憶は消えやすいのである。一方で人間は忘れるから生きていける
苦しいことも忘れてなつかしくさえなるのが人間なのである。
苦しいときはそんなことはありえない,ただただその苦しみを負い逃れられないのであるでもそれが終わるとそうした苦しみも忘れるのである。

今年は秋はたちまちすぎたから秋深しなど感じなかった,秋があっても短く冬になったのである。これまでは秋というのは長く感じていた,それは平和なときだった
その時は三食つきであり家事もなにもしなかったから長く感じたのかもしれない
今になると家事でもやることが多いから時間が早く過ぎるのである。
一般的に老人になると時間は早くすぎてゆく,何か追われるように過ぎてゆく
無常迅速になる,なぜなら知っている人でも死ぬ人も増えてくるからである。

えっあの人も死んだのと驚くことが多くなるのである。
そしてしばしその人のことを考える,あの人なんなのだったのか?
最後は会社も倒産してその土地は売られ家もなくなった
そして夫も死んで次にその妻も苦労の末に心筋梗塞で死んだという
ただ介護もしないから外から見ると楽だったなとみる
心筋梗塞で死ぬ人も結構多い,これは急に死ぬから驚くのである。
その人は20万で葬儀をしたという,前はおじいさんは町会議員とか地元の有力者だったが
今はおちぶれてしまった,そして金借りにきたのである。

ともかく金のない人が多すぎる,みんな金に困っている,というのは老後が長すぎるからそうなるのである。90とか100まで生きる金を用意できるのはごく一部だからである。
自分だって今は金はあってもそこまで用意できないのである。
人生百年を生きることは金銭的に容易ではないのである。
そこでもうどうにもなちなくなる人が増えてくる,それが高齢化社会だとなる

2017年11月11日

木枯らしに時雨(川子の御堂)


木枯らしに時雨(川子の御堂)

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ジャンパーにぽつぽつ音して時雨かな

柿なりて御堂一つや旧き家

冬の蝶隠れて見えず飛び去りぬ

明和の碑川子の御堂や銀杏散る


風樹々をゆすり吹き鳴り時雨ふる木の葉も舞いて飛び散りにけり

風鳴りて木の葉吹きちり時雨ふる山頭火の影遠く消えさる


最初ぽつぽつとジャンパーに時雨の音がした,それから木枯らしが吹いて木の葉が吹き上がり舞い散った,川子に御堂があった,何の御堂かわからない,でもその脇の碑には明和とあった,戒名だから死んだ僧侶なのだろう
あそこが意外と古かったのである。なぜなら天明より前だからである。

その前に家があり柿がなっていて落ち着いた風景になる
ただあの辺は家が少ない,だから一部落があったのかとなる

とにかく今年の天気は本当に変わりやすい,急激に冬が来たのである。
時雨というとぽつぽつと降るのが時雨と思っていたが一雨降った
でも明らかに時雨の雨だったのである。

時雨というとき山頭火が時雨を俳句にしていた

後ろ姿のしぐれてゆくか

音はしぐれか

大樟も私も犬もしぐれつゝ 山頭火

犬もしぐれつというとき山頭火らしいとなる,野良犬のように旅したからそうなった
ただ時雨というとき静寂の中にぽつりと音がして時雨をイメージする
ところが今日のように時雨のときは雲がかたまり流れて嵐のようになるときもある
木枯らしと時を同じくして時雨になる,だから今日の時雨は一所雨になったのである。
雨が風とともにふり樹々をゆすり風が唸り木の葉が舞い上がったのである。
だから急激に冬が来たのを肌で感じた,家では二階にいたら下から木の葉が吹き上げられた

今日一日の変化は激しかった,電車も一時遅れたらしい,それで二両の電車の写真を撮ろうとしたがとれなかった,代わりに時雨と木枯らしの写真をとったのである。
これは動画ではないから良くわからないが時雨の雨が筋になって写っている
ともかく冬が急激に襲うように来たのである。

山頭火の時雨の句の意味 (旅人になれない現代)

冬来る(今年は急激に季節が変化する)


冬来る(今年は急激に季節が変化する)


木の葉散る眠るは誰や墓地のぞく

故郷に見送る人や柿なりぬ

晩菊や孫連れ歩く小径かな

晩菊に午後の日ざしや裏の路次

舞い上がる下より木の葉風鳴りぬ

冬日さし全集のページめくるかな

我が椅子のここに動かじ冬の雲

昼時に二両の電車や冬の山


今年は季節の変化が激しい,ここ何日かは晩菊とかを見ていた
しかし今日は二階にいたら木枯らしであり風が朝から唸っていた
そして下から木の葉が風で吹き上げられた

自分はただそこで座る椅子があり休んでいる
外を見ると冬の雲であり何かこうして動かないことが安らぐようになった
だから老後は住む家と住む場所とか誰と住むとかが大事になる

全集のページを読み直しめくるとそこに冬の日がさしてくる,こういうことは電子本ではできない,そうして読んだものはなぜか記憶されやすいのである。
電子本とインターネットは検索するのには便利なのだがなかなか記憶しにくいのである。なんでもいい面と悪い面が人間には生まれる,だから自分は電子本にはなじめない,本のが読むのにいいのである。

ゆったりと定席の椅子にすわり本を読む,それが幸せな時である。
外を見ると冬の雲が動かない,何か動かないことが落ち着くとなる
結局年取ると何か動き回ることは苦手になる,じっとしていることがいいのである。
だから家でゆったりする場がないと落ち着かないとなる
家事を一人でしているからその家事が手間になるときがある
でも機械化しているからコツを覚えればなんとかできる

one cloud in winter
the still one
on my sitting chiar
in stability

とかなる

自分のプログの検索は

検索窓でキーワード→タイトル(題名)を押す→全文表示

これだった,なかなかプログでもインターネットは操作がわかりにくいのだ
だから検索するのがむずかしい,ここで季語を入れれば関連したものが出てくる
そしてタイトルを押すと全文表示できるから便利である。
季語をキーワードとして入れると検索できるのである。
これは自分にとっても便利だった,何を書いていたのかもわからなくなったからである。

「二両の電車」と入れると一連のものとして読める





タグ:晩菊 冬来る

2017年11月02日

秋も終わる?(俳句十句) (俳句は単純でも深い読みで鑑賞するもの)


秋も終わる?(俳句十句)

(俳句は単純でも深い読みで鑑賞するもの)

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加工はしたけどやはり写真が基本である。
どういうふうに撮るかが問題である。
ここで木を写真の中に入れたことで活きた
乳母車の母と子はねらってとった
こういうふうに変化するのを写真にとるのはむずかしい
隠れてなんとか気づかれないようにとった

川上の巌の硬く水澄みぬ

晩菊や牛数頭のここにいる

卵生み鮭の命の尽きにけり

一区画畑の手入れや秋の暮

誰が座る公園のベンチ落葉かな

労務者や仮設のプレハブ秋あざみ

灯のともり空き地にかすか残る虫

晩年に秋夕焼けの色の濃し

帰るとて待つ人なしや冬の来る

田舎駅遠くの人や曇る月


俳句は短いからむしろ鑑賞する方が深い読みをしないと鑑賞できない
「川上の巌の硬く水澄みぬ」この句などなんなのだろうとなる
自分の場合,石と巌とかテーマにしてきた
石でも巌でも山でもそこで人間化する,巌が硬いというとき穢れをよせつけない
真実の巌となりそこに水が澄むのである。
一見単純でもそこに深さがある,ただそれを読み取るのがむずかしいのである。

「晩菊や牛数頭のここにいる」この句でも本当にあまりにも単純なものでありこれが俳句なのかともなる,ただ晩菊屋か咲いていた,そこに牛がいたというだけだからである。
でもこの単純さの中に俳句が活きている,単純だから活きている

今日は原町の歯医者に行ってきた,原町には買い物があり行く,必ずパンを買う,それは鹿島では売っていないからだ,それで困っている,相馬市にもパン専門店がある,焼きたてのパンを売っている,自分はパンは好きな方であり朝はパンを食べている,簡単であり楽だからパンにしていることもある
原町だとまだ近いから自転車で行けるが相馬市となるとなかなか行けなくなった

道の駅に公園がありベンチがある,何かそのベンチには人が座る,でも原町だとまだ都会であり人が往来するから結構人が座るかもしれない,鹿島とかになると公園があってもほとんど利用されていないのである。
あそこの公園は子供でも外からの人も利用しているのである。結構にぎやかな場なのである。だから公園らしいともなる

今日は秋夕焼けが美しかった,秋夕焼けの色はまた独特である。晩年は秋夕焼けがふさこわしい,ただもう冬が来る,今年の天気は変則的だった,秋が来たと思ったら冬のようになりまた秋になりとか季節感がまともではない,だから俳句の季語もうまく使いないのである。

月がでているけど雲にかかり光っている,一応月は出ている,微かに虫の音も聞いた
でも秋も終わりなのか?まだそうでもない,これからが紅葉なのだろう。

立冬は11月8日頃(2017年は11月7日)とあるからやはり冬なのである。
ただ何か秋が普通は長く感じられて晩菊とかの季語があったのである。
それが短く感じられるから季節感が狂ってしまった

今日は月も出て光っているが雲がかかったりしている,駅に遠くから来た人は一時出会う知らない人である。だからこそ気楽にちょっと話して去る,でも何か駅にはそうして外部の人が何かを残してゆくというのは確かである。
駅は何か本当は人間臭い場所なのである。人間が出会い別れる場所でもあるからだ
ただ今はスマホを見てそればかりに集中している人が多くなった

あれはその場の雰囲気を味わうことがない,人との出会いもなく,ただスマホばかり見ているのは何か感覚的にも残るものがなくなる,便利なのことは確かだがスマホだけでは
本当の情報には接しられない,なぜなら情報とは情に報いることだからである。
情報は情を通じ合わせることなのである。それは一時の出会いでもそうであり道を教えたりしてもそうなのである。そこで見知らぬ人でも情を通わすのである。
ただ自分も旅のときそういうことをしていない,何か旅だと次がどこに行くとなりその次の旅先に心が向いて落ち着かないからだったかもしれない,迎える方になると落ち着いているし余裕があるから話しかけたり自分がしているのだと思う

いづれにしろ家には誰も待つ人がいないのも淋しい,それが何なのかまだ良くわからないつまりそういう一人の経験をしていないからである。
家に家族がいないことはそれが家なのかという疑問が常にあった
家とは何なのか?ハウスとなると建物のことでありホームとなるとそうではない
そこには何かあたたかく迎える人がいる,それがなくなったときハウスがあってホーム
がなくなってしまったのかもしれない,ホームは人間の帰るべき場所だがハウスはただの建物なのである。だからそこはホームではない,つまり自分にはホームがなくなってしまったのである。

でも本当にホームがあったのかとなるとそれも疑問だった,今家族も冷たいという人も多くなった,この世に本当にホームがあるのか?キリスト教では天国にしかホームはないのである。この世は異邦人としてありこの世がホームになりえないのだ
家族だって愛がない家族だってあるからだ,そこがホームとはなりえないのである。
ただ自分には理想的ではないにしろホームがあった,待つ人がいたのである。
それがいなくなったとき家はただのハウスであり建物である
それでも家があるというだけでもいいとかなる

2017年10月31日

常磐線俳句十句 (新地-相馬-鹿島-原町-小高-浪江-いわき)


常磐線俳句十句

(新地-相馬-鹿島-原町-小高-浪江-いわき)
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原町                                               相馬市

(新地駅)

暑き日や新地に海見え道しるべ

新地町海風そよぎ沙羅の花

金華山駅より見えてて夏の海

駅に見ゆ雪の蔵王や境かな

(相馬市)

城下町夕暮れあわれ藤の花

(鹿島)

田舎町草むら深く月見草

田舎駅待つ時あれや合歓の花

(原町)

ひまわりや原町機関区電車来る

(小高)

街道の道の辺の碑や草萌ゆる

(浪江)

大堀の左馬茶碗と柿なりぬ

(末続駅)

畑に人末続駅や菖蒲かな

(いわき)

なでしこやいわきの海の朝明けぬ



静心相馬の城下長々と藤の花垂れ暮れてゆくかな




何かその村であれ町であれ市であれその雰囲気にふさわしいものがある,花でもそうである。
相馬市というと中村神社の藤の花が印象的になる,相馬市の不思議は何かしんみりとする街なのである。そのことは何回も書いた,城下町の雰囲気が一応あるとなる

原町(原ノ町駅)はもともといわき市は平機関区があり原ノ町機関区があり大きな駅だったのである。だからこそ原ノ町は近代化して発展した,無線塔も建ったり相馬市の城下町より発展したのである。駅前通りがにぎわったのもそのためである。
相馬市は街が駅前通りではなくもともと城下町のままだったのである。
だから今でも細い路次が碁盤の目のようになって残っている

城下町だったところは近代化したとき発展しにくくかった,それは外国でも歴史区がありそこはもともと古い場所である。その周りが近代化したビルの立ち並ぶ都市として発展した,会津でも会津の北にある喜多(北)方が商業が発展してあれだけの蔵が建ったのである会津の城のあるところは侍の街だから商業に向いていなかったのである。

駅には市町村でも何か他と違った特徴がある,それはやはりその土地土地によって違ったものが歴史的に作られているからである。
特に地形が変わるとそうなりやすい,これは歴史がわからなくても峠を越えたり海が見えたりするとその土地の変化が肌で感じる

関が原では必ず春でも雪が残っている,その関が原を出ると近江となり何か景色がなごむとういかおだやかに感じて春の山々が見えた
仙台と山形の境の面白山トンネルをぬけると春でも山には雪が残っているから山国を感じる,そういう地形的境が節目となる
新地は宮城県の伊達藩に属していたが外から来た人は常磐線に乗った来た人はそんなに変化を感じない,でも地形的には一番海に近い,だから駅が津浪で流されて新しく高くなったので牡鹿半島とか金華山が駅から見えるのである。
新地の特徴は海が近く山が迫っていることである。

陸前浜街道があるが小高辺りで碑がありその時は草もえる時期だった,相馬から小高まで来るとそれなりに遠いなとなる,浪江は相馬焼を庶民化した大堀があったが原発事故で消失した,でも水戸黄門で左馬茶碗のことをドラマ化したのは面白かった
庶民化した茶碗であり走り駒というのを描いてはならないものだったのである。
相馬藩御用の窯が相馬市の城下にあり田代家が受け継いでいたからである。

こうして何か市町村には駅々でも特徴がある,ただ外から来るとこういうのはわかりにくいのである。
いわきは古殿から峠を下り海に出てテントを張りとまった,その朝になでしこが咲いていたのである。だからなでしこが何かいわきにふさわしいとなった
その場にふさわしい花がある,それは人によっても感じ方が違ってくる
また旅の仕方でもそうである。古殿から御斎所街道を下って遠野を通りいわきの海に出たからこそ一段と海を感じる,山から海へと何か解放感を味わうのである。

何か自分は今は介護十年して旅はしていない,でもこれだけ旅すると旅しなくても旅しているのである。これも不思議だとなる,旅は意外と後から思い出す旅が大事になる
いかに記憶をたどってゆくかが大事になる
人間は最後は旅でもそうだが記憶だけになる,記憶をたどるのが老人だとなってしまうのである。だからこそ原発事故で避難した人は故郷を失った人達はその記憶の場を失ったから悲劇だったのである。
タグ:常磐線

2017年10月26日

秋薔薇-鮭上る(鵜の大群来る-原町へ行く)


秋薔薇-鮭上る(鵜の大群来る-原町へ行く)

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この樹は変わらずにある
他では樹が切られた家も多いからだ
ここでも近くの家の杉は切られたのである。
何かこの辺ではこうして変わらないものが貴重だともなる

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これはイオン近くの牛越の農家である



イワヒバに木の葉一枚秋薔薇

優雅かな紫式部に秋薔薇

散りゆかむなお光あれ秋薔薇

鮭上り鵜の大群や朝の川

蔵ありて農家二軒や柿たわわ


我が家の朝の静けし秋の蜂一羽飛びきて花にささやく

我が庭に静かに開く一輪の秋の薔薇隠れて咲くやあわれ深まる

我ありて一室静か夕べにそ月ののぞくも移りけるかな

俳句は写生である。イワヒバに木の葉一枚がついていることで秋を見る
写真からだけでは秋薔薇とわからない,紫式部も見えるからこの写真の中に語るものがすでに写っているのだ。だから写真と俳句は相性がいいのである。

朝に鮭が上流まで上ってきた,台風で水が出て上ってきたのである。浅瀬がありそこに卵を生んで親は死ぬ,その卵などを死体などをねらっているのが鷺であり鵜の大群だった
鮭は大きいからごちそうになる,鵜は鯉だって丸飲みする
これだけの鵜が来ることは鮭がそれだけ上ってくるということである。

今日は原町の歯医者に行きイオンの方によったら牛越であり農家が二軒あった
その辺は変わった,仮設がまだあり復興団地が7棟くらい建った
原町は大きいからその数も多いのである。
もともと牛越にあったのは写真でとった農家である。
でもこれもわからなくなる,原町では農家があっても市街化してわからなくなる
ただ農家があると蔵があり庭があるから落ち着くのである。
タグ: 秋薔薇

2017年10月19日

秋薔薇(ありふれた日常にも意味と価値がある)


秋薔薇(ありふれた日常にも意味と価値がある)


石ありて今日もこの家に秋薔薇

秋薔薇ここに散りしを我は知る

駅に待つ年配の女(ひと)秋薔薇

秋薔薇時の移ろふ雨しとと

柿なりて地元の人や駅に待つ


人は生き人は死ににき今ここに誰を待つなれ冷たき雨ふる

駅に前一度会いにし年配の女(ひと)と語りぬ秋となるかな

しとしとと石をぬらせる雨にあれ茶の花庭に散りて静けし



常なる道

人は生く
その場その場に
石のごとく
住みて変わらじ
秋薔薇
今日もこの家に咲き
同じ道行き
日は暮れぬ
営みのかくもあれかし
ありふれて目立たず
騒ぎもなしも
実りは刈りとられぬ
その生活すら
奪われることあり
ふるさとを失い
慣れにし家に住めず
ふるさとは荒野と化しぬ
その道を行く人もなく
花は散りにき

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秋薔薇というとき自分のテーマでもある,俳句はあまりにも短いから読む人が相当にイメージできないと鑑賞もできない芸術である。
写生俳句にしてもただつまらないともなるからだ,だから俳句から詩にした方がわかりやすいとなる,今回は詩にした

駅で年配の女性が電車を待っている,何か落ち着いている,子供も大きくなり外国で働いている,このくらいの女性だと落ち着いているなと見る,隣に20代の若い女性がいるが何か待つにしても落ち着いた感じがない
秋薔薇というときこうした年配の女性にあっている

毎日同じ道を行く,変わり映えしない道である。自分は旅ばかりしたが介護とかでここ十年はほぼ同じ道を行ったり来たりしているだけである。
でも人間はこうしたいつも同じような生活していることに価値があり意味がある
それに気づかされたのが原発事故で避難して人が住まなくなった町とか村なのである。
そこでこうした日常が奪われたからである。
それで「生業を返せ」と政府や東電に裁判をした人達がいた

人間は当たり前にあることの意味や価値を感じないのである。
そういう価値とか意味に気づきにくいのである。
こんなして毎日同じ道を行くことでもそこに意味と価値が実際に見いだされるのである。だんだんと年取ると余計にそうなるのである。
遠くに行くのが億劫になるからである。

2017年10月05日

十五夜の月(秋薔薇) (平凡な日常に深さを感じるのが写生俳句)


十五夜の月(秋薔薇)


(平凡な日常に深さを感じるのが写生俳句)

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月の輪は空が湿っているからでる,だから雨になる




静けさや石に日のさし秋薔薇

誰が見るやひそかに散りし秋薔薇

秋薔薇一輪のみや咲くを見る

老人に古き駅舎や秋薔薇

十五夜や里の実りを照らすかな



一枚の広葉散りにし玄関に秋をし思ふ誰かまた死ぬ

雲隠れ月に昨夜は憂いけり今日十五夜の月の明るし

雲隠る月やまたいで光るかな人の心の移り安しも

夜のふけて今日も聞き入る虫の音一匹のみそ我が一人かな

母はなき我が一人住み虫一匹その音を聞きつ夜もふけにけり

我が家に十五夜の月明るしも事なくあれと祈りけるかも


今も十五夜の月が明るい,昨夜は雲に隠れたりしていた,つくづくそしてこの月が雲に隠れたりまた出て光る,それが人間の変わりやすい心を象徴していたのである。
なんかまだ自分はそうして人間関係でもめている
何か金をせびられるている,それが憂いとなる
自分は確かに三十年間は金は決められた額しかもらえなかった

だから金持ちとはいえない,金には余裕がなかった,でも別に金に苦しむということもなかった,ただ余裕はなかったから金持ちとは違っていた
実際は金持ちの気分を味わったことがない,金持ちとは何かともかく余裕があることなのである。別に金をある程度使っても気にしないのが金持ちである。
その金持ちといってももともと金がない生活をしていたら百万あれば大金にもなる
一億円あっても金持ちの気分になれない人もいる,だから金に対する感覚はみんな同じではないのだ
ただ金というのは相手もあり人間関係のなかで金から離れられないのである。
でも人間が金だけの関係となると本当に悲しい,兄弟る金でもめる
また金ある人と金のない人は調和しないのである。平和がないのである。

十五夜の月は誰でも無料で見れるし世界中どこにでも輝いている
みんなその月を見てなごむのである。自然には金は関係ない,金がある人が特別きれいな月を見るということもないだろう。
みんな同じように美しい十五夜の月を見れるのである。
あばら家からもきれいな月はみれるし月は差別なく照らすのである。
金持ちの家だからと特別美しくみえるけでもないのである。
ただ都会だときれいに見れないからかえってそこに自然の格差がある。
あばら家からもきれいな月を見ることができる都会は金をもっている人が多くてもかえって自然はないしきれいな月と星とか見れないのである。

金によって憂いるというのが多いだろう。金から人間は生きている限り解放されないのだ別に金なくても美は鑑賞できる,今日の十五夜は美しい,それは金がなくても見れる
自然の美は別にフラワーアレンジメントなどしなくても花を買わなくても野の花を見るのは無料なのである。

今虫が一匹鳴いている,母も百才で死んだ,そしてなお今も鳴いているのか?
その一匹の虫の音に感じる

俳句などは鑑賞する方が優れていなと鑑賞できない
写生俳句は特にそうである。

静けさや石に日のさし秋薔薇

これはあまりにも平凡なのだけど深さがある
石に秋の日がさしている,そこに秋薔薇が咲いている
それがなんとも合っているのである。
つまり日常の中に深さがある,なんでもないことに深さがある
写生はまさにそのなんでもないことことなのなかに深さを感じることなのである。

2017年10月03日

震災6年後にもどった故郷の景色 (ふるさとの秋(詩)


震災6年後にもどった故郷の景色

(ふるさとの秋(詩)

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ふるさとの小径を行きて
我が足元に野菊の花咲く
野に黄金の実り
今一しきり蝉の鳴きにつ
夕べ鷺の群れ大空を
悠々と大気を吸いて
翔りつつ巣に帰りぬ
川の面に写る秋の雲
流るるもなくとどまり
鴨数羽むつみ離れじ
我一人旧き家に帰りぬ
ここに住む日も長しも
我がはらからのみな死にぬ
悲しかな世の無常身にしむ
ただ思い出のここにあるかな
歳月の過ぎるは早しも
同じ歳逝く人の帰らじ
夜こめて虫の音聞きつ
訪う人もなく月ののぞき
広き間に一人眠りにつきぬ
み空に星影清くきらめきて
地は遠く離りて安らぎぬ
穏やかにその放つ光よ
まことに神のそこにあれかし
死者は今は霊となり
天にそ輝き憂いなからむ


復興というとき田舎の場合,自然が関係していた,都会だったら自然は関係していない,最初に田んぼが増えたとき蛙が盛んに鳴いた,それは去年だった
その時もその鳴き声に復興を感じた

今年は鷺が増えたことである,大空を群れなして飛ぶ鷺の姿に感動した
前は一羽くらい飛んでいたが今は群れなして飛んでゆく
それがなんとも気持ちいいのである。
そういう姿を6年は見ていなかったからだ

そして川岸の竹藪に50羽くらいが帰って眠る,それもこの辺の自然が復興したことなのである。つまり田んぼが増えたそれだけの餌が蛙でも増えたからである。
田舎はそもそもだから田んぼとか畑がない田舎が考えられなかった

そういう景色は見慣れたものであり単なる景色というより原風景である
だから一旦荒野化したときこれは何のだろうと見た
今でも津浪の跡とか田んぼでも荒野化している所はある
でも50羽も鷺がいるということはここに餌があり自然が回復したとなる

田んぼとか畑とかはそれは人間が自然に手を加えたものでもやはり自然の延長としてあるだからそこに蛙がすみ水生動物がすみそれを餌とするものが棲むようになる
ただ鹿島だと新築の家が何百軒と建ち増えたから何か都会化したなと思う
でもやはり田んぼが広がり畑があるのは田舎なのである。

小高とか浪江とか他の原発避難区域とか津浪の後に回復しない土地は蛙でも鷺でも帰ってこない,ただ一時湿原化して沼とかがあちらこちらにできた
それで日本にはともかく沼という地名が多いのはそうした原初の状態があったからだ
そこにトンボとか一時水生動物が住みついたのである。
トンボは水辺で繁殖するからである。
何か赤とんぼある場所で増えた,それは湿原化して沼地が生まれたらだろう。

ともかく田舎の風景は長い間に千年とかで作られた風景なのである。
それが原野化して湿原化した,それも逆に原初の状態にもどったのだから
自然の回復だったのである。だからそこには美も生まれたのである。
これを言うとまたここで被害にあい死んだ人がいるんだとしかる人がいる

それでも自然は都会とは違って美を作り出すのだと思った
湿原は原初の状態であり釧路湿原のようになる
防波堤かできたがもしそれがなければ自然の回復だったのである。

一方で稲の実りがあるのも元の景色の回復である。それは景色だけではない,
生活の基盤としてある米をとれるさとの回復である。
この辺の米は原料米とかで家畜の飼料になっているのは残念だろう。
でも一応田んぼとか畑が回復することは自然の回復でもあった

この詩はまさに田んぼとか畑とかが回復して鷺が帰り元の故郷の秋になったからできたとなる
タグ:故郷の秋

2017年09月30日

ようやく秋になる (俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)


ようやく秋になる

(俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)

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ここから海老の海が見える
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津浪から6年すぎて成長した海老浜の松

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八沢浦から見える蔵王連峰



コスモスや海に通じて陽の昇る

牛のいて秋の日ざしや田舎かな

柿なりて電車を待つや田舎駅

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

衰えぬ枯蟷螂やみな老いぬ

老人のパークゴルフや秋の雲


津浪より6年すぎて生い立ちぬ松の緑や秋の海かな

秋晴れに蔵王望みぬ八沢浦昔の面影なお残りけり

水無川今日流れひびきて秋風に竹そよぎゆれ走る道かな

東京へ出かける人や今しばし故郷の駅に柿はなりにき

はや風に散る木の葉二三枚今70才に死ぬは早しも

よく見れば我が足元に野菊咲く実りもあれや里の暮れにき

この辺り蝉のへりにつ鳴く声を聞きつつあわれ今日も来るかな

ひたすらに虫の鳴く声ひびきけり命短く夜も鳴きにき



俳句は短歌より短いからどうしても鑑賞する方が実はむずかしい,鑑賞する方が優れていれば写生俳句は生きる,でも鑑賞する方が劣っているといくら優れた俳句でもその良さががわからないのである。

例えば今日の俳句では

季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇

これをどう読むか?駅は自分のテーマになった,だから一応今も毎日行っている:ただ長くはいない,今は柿がなっているし秋薔薇の季節である。
するとそこから鑑賞する,季が変わるということは女性だったら春の薔薇の季節があり夏の薔薇の季節がありそして秋の薔薇となり冬の薔薇となる
若いときは春の薔薇であり夏の薔薇であるがやがて結婚して母となり成熟してくると秋の薔薇とかなる,中年になり中高年になってゆく

そして今までは駅では見送られた方なのである。
かならず東京辺りに行く人をみかける,一方で娘や孫を駅に出迎える人もいる
そのように立場が変わってくるのである
そして不思議なのは見送られていたときと今度は逆に見送る立場になるが両方を経験するとき人間として成長することがある。
見送られるだけではその時見送ってくれた人の気持ちがわからないのである。
親になってはじめて親の気持ちがわかると同じである

今日は八沢浦から蔵王が見えた,あれが蔵王なのかといつも不思議である。
あんなに大きく見えるのかというのが何回も見ているが不思議なのである。
八沢浦は別に津浪が被害があったからといって地形までは変わっていない
津浪で地形まで変わることはない,海岸線は変わったが地形全体は変わらないのである。もともと八沢浦は入江であり蔵王をその入江の水面に写していたのである。
それが津浪で再現されたとき驚いたことはなかった。

いづれにしろ「心に青雲」の都築詠一氏が69才で死んだのは驚いた
それはやはり十年間くらいプログと読みつづけていたからだろう。
そうなるとやはり何かしら相当な影響を受けていたのである。
それにしても本当にひたすらに最後を鳴いていた虫の声だった
そして命が尽きたのである。
団塊の世代はこれから死ぬ人が増える,では何を語って死んでゆくのか,戦争経験者と違ってたいして語ることもなく死ぬのが団塊だとか評判が悪い
だから尊敬も若い人はしない,それに不満があってもどうにもならない

川子にパークゴルフ場は今日も老人でにぎわっていた,あそこは広いし見晴らしがいいから気持ちいいい場所なのである。
パチンコなんか一日狭い所でとじこもり健康的ではない,パークゴルフはその点健康的なのである。遊びでも自然の中の遊びなら気持ちいいのである。見ている方も気持ちいいのである。

ともかく秋らしくなった,日ざしもそうである。だから外出するにはいい,自転車でまた遠くへ走りたいとなるが何か疲れるから原町辺りまでしか最近は行かない
相馬市まで原町の倍あるから長い間行っていない,やはり疲れるようになったのである。,

2017年09月08日

ソバナの花-月(小池の墓地)


ソバナの花-月(小池の墓地)

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秋の雲ホールにねらい定かな

にぎわいぬパ-クゴルフ場秋の蝉

夕月や数羽の鷺の巣に帰る

虫の音や大き家に我が一人かな


月澄みて今日ものぞくや我が部屋をものしずかにして文を書くかな

小池なる墓地にあわれや草むしてソバナの花あまたうなだる


今年はなんか天候が変だった,梅雨が長引いた8月末までつづいたようになり最近晴れた感じは秋なのだが夏のような気もする,今日は残暑のような気もした
パークゴルフ場はにぎわっている:そこで鳴いているのは秋の蝉なのか夏なのかわからない,蝉といえば夏だからである。

ソバナの花といえば墓地にあっていた,死者は何も言わない,ソバナの花がそこにうなだれ咲いている,小池に行ったのはコモドインの食堂に行ったのである。
小池ではあの墓地が目立つ,あとは古墳くらいである。
自転車だと結構遠い感覚にもなる
土地土地に感じるものが違う,だからそうした部落がなくなったりした田舎の魅力は半減するだろう。

月がものを書く自分の部屋をのぞいている,やはり月は秋である。
虫の音が大きな家に一人いる自分に向かって鳴く
その声に耳を澄ます,何か一人くらいならなんとか世話できる
家に来ているのは一人だけだからである。
それもいろいろ問題がある
今日も今も窓には月がでている,満月である。 

2017年08月31日

鷺が元の巣に帰り平和な里にもどる


鷺が元の巣に帰り平和な里にもどる



深野(ふこうの)に夕べひびきぬ蝉の声

善徳橋今日もわたりて木槿かな

鷺脚を流れる水に浸すかな


合歓の花風にそよぎて田舎駅でで虫の殻や電車とまりぬ

水無川今日清らかに流れつつ翡翠数羽飛びて来れり

山鳩の夕べ飛ぶかな我が里や実りそめにし稲穂見るかな

山鳩の夕べ飛びにつ今日一日平和に暮れむ心なごみぬ

我が里に牛のいにつつ動かざれ秋めく風の吹きにけるかな

鷺あまた前の巣にそもどりけり夕風涼しともに眠りぬ

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この辺は元の状態にもどりつつある,鷺の群れが竹藪にもどり眠る
あそこには震災前も鷺が群れていたからだ
それで前のような状態にもどったと感じた。それだけ田んぼが増えて餌も増えたからである。田んぼがなければ鷺も増えない,なんかこの辺は動乱がつづいたのである。
それは自分の一身上でもそうである。精神的にもへとへとになってしまった。

だから何か今は平和だなとつくづく感じる,そういう光景は30年くらいつづいていたのである。
人間は一生の内平穏無事には終わらない,時代的にも大きな変化に必ず見舞われる
これから生きる人もそうである。それはどういう変化なのかもはや想像もつかない,
想像もつかない変化が起きる

蛙が盛んに鳴いたときも復興を感じた,そして鷺が増えたことで復興を感じた
常磐線が開通したことで復興を感じた,そこで駅のボランティアしているのも不思議だとなる
ただ小高とか浪江となるとその差が大きすぎるのである。
自然も田んぼがないから蛙も鷺もいないのである。
前も田んぼがない田舎が考えられないと書いた,田んぼは単に米をとるというだけではない,日本人の原風景になっていたからである。
だから都会の人と田舎の人の感じ方は違うのである。
神戸の地震のような復興と田舎の復興は違うのである。

田舎というとき深野(ふこうの)とあるがそこの感覚はやはり独特なものがある
それは簡単に言い表せない,歴史的には深野は大原よりかなり古い,
中世の館という地名が二つあるからだ,大原は相馬氏進出して開いた
相馬氏から来る前から深野はあった
郷土史は村の新旧を知れというときその土地についてわかり俳句や短歌や詩にするときでも深いものができる,また鑑賞もできる

ただ深野に夕べ蝉が鳴いている,ただそれだけでは何がいいのかとなる
深野とは短歌ならその前に枕詞がつく,暮れなづむとかなる

暮れなづむ深野の里に我が来る蝉の音ひびきあわれ深まる

小池から坂をおりて「ユッサ」にゆく道である。あそこは実際に草茫々にまだなっているところがある,そこは牧草地にするという,小池でも震災前から牧草地になっていたところがある,牛舎がありやめたのかと思ったらやめていないという
また牛を飼うことをはじめると言っていた
結構広い土地が牧草地になる,ただ田んぼかなり増えた

田舎は村ごとに違った印象を与える,その土地土地の地貌が違うのである。
それが自分にとっては詩とかの題材になる,何か今はその土地土地の特徴が失われているが以前として地貌というものがある。
栃窪も橲原でもそうだし大原もそうだし特徴がある
今よりそこで自給自足していた時代はもっとその土地は特徴があった
生活そのものすら他の村と違うということがあった
だから日本は無数の村があるとしてその村は地形的にも違っていて地貌があり狭い国でも変化がある。大陸だとどこまで行っても平坦で嫌になるだろう。
日本は海あり山あり変化があるから旅をしてもあきないのである。

小池の善徳橋は前は木の橋で趣があった,土橋のようなものだった,真野川だってそういう土橋であり子供のときわたったがゆれるから何か怖かったのである。
そういう橋は洪水になると流されやすい,日本では橋は頑丈でないから流されやすいのである。野馬追いの行列も新田川をわたるとき橋が流された絵が残っているのもそのためである。
善徳とは人の名前である。橋でも田んぼでも人の名前がつくということはそれだけその人が生きていたとき何か貢献してそうなったともなる
人の名前を簡単にはつけられないからである。

水無川は最近雨で水が流れている,カワセミを三羽ほど見た,これはめずらしいとなる

今合歓の花が咲いている,駅の向かい側にも咲いている,そして夕べに電車が来てとまるでで虫の殻が残っていた,何かそれは田舎の平和な風景である。
しかし駅にあやしい人がいるということで警察に通報されたことはショックである。
その時田舎の駅の平和は乱されたのである。
だからそれには自分は怒りになっているのだ。

山鳩は平和の象徴である。そして稲穂が実りそめる,なんとなくもう今年は秋めいた。
ただ今日も曇っているから天気がぱっとしない日が本当に長くつづいたなと思う。
タグ: 山鳩

2017年08月25日

生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな (フラワーアレンジメント)


生け花はやはり剣山を使わないとうまくいかな

(フラワーアレンジメント)

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蛍光灯の下でこんな色合いになった
写真にとってまたあとで活け直す,いい写真をとるにはそれが必要
それは生け花を完成させるためにも必要
写真の時代だというときこれもあらゆるところに影響している
写真ぬきでは何もできない時代でもある

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我が家に数日活けし花々のその色つくし咲きて散りにき


赤は赤
黄色は黄色は黄色
白は白
それぞれの色に花は咲く
争うことなく
我が家に咲きて散る
かくあれば幸いなるかな
神はそをよしとして
その家を祝福する 


花はやはり自ら剣山に植えないと花を活かせない,壺にさしているだけでは活かせない
ただいろいろなことを一人でやるのに限界を感じた
家事からなにから一人でやるのが大変なのである。
花を活けるにしてもやはり時間と金がないとできないのである。
今になるとやることが多くなったのである

ともかく人間はそれぞれの花が調和して咲くような場がない,そして人間は花のように調和しないのである。
赤い花があり黄色い花があり白い花がありそれぞれが活きるのが花である。
そこに無駄なものはない,それぞれの花はその個性を出して活かしあうのである。
生け花は女性として身につけるものだろう。

花を愛さない女性は何か欠けている,美人でもそうである。
その人は全然花に興味をもっていないのである。
その女性は感じのいい女性でも何かそのことが一番欠けているのである。
それは家にそういう花を愛するということがない家だったのかもしれない,その人の性格が良くてもそういう家だったのかともなる。

何か男が生け花すると奇異にみられる,花を買いにいってもそうである。女性が多いからそうなる,今はだから自分では買っていない,でもやはり自分で花を選び買うのも楽しみである。花はすぐ枯れやすいのも問題なのである。
花屋のは冷凍室にあるから枯れやすいというのは本当である。
そして夏は特に枯れやすいのである。だから生け花は金がかかる
ただ女性の、たしなみとして生け花は不可欠と思える
花も飾っていないような家は何か淋しいし大きなものが欠けている
そういう無風流な人を見るとき人自体に疑問を感じる
その人間自体が殺風景なものとして見てしまうのである,ただ男性で花に興味をもっているのは少ない,でも男女に関係なく花を美しいと見る,女性とか男性とか関係ないのである。

この花は近くの花屋で買った,一年以上買わなかった,買う人がいたので買わなかった
でも自分で選んで買わないと自分好みのものもアレンジできない
花も自分のテーマである,ただ生け花と自然の花は違っている
生け花だと自然にもない花がある,大きなダリヤは見応えがある
ただすぐに写真を撮らないと夏は枯れる,冷凍室に置いたのは枯れやいのである。
畑で育てたものを市場で買えば長持ちする
ただ今の時期は枯れやすいから注意である。
明日はこの花を剣山でさしてみよう。

2017年08月19日

蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の鳴き電車の待ぬぬ駅舎かな

雨しとと蝉の声ひびき城下町

城下町出会える女や秋の雨

城下町かぼちゃの花に雨のふる

蝉の声柳しだれて城下町

城下町屋根の低くも秋の雨


六万石城跡に秋の雨しとと今日たずぬる人もなしかな


今年の気候は本当におかしい,この雨は秋雨なのか,それとも梅雨のつづきのなか,夏ななのか?季節がわからなくなっている
だから秋の雨とするのも何かあわないのである。
蝉の声にしても秋の蝉になっているがその前に夏の蝉の声があって秋の蝉になる
それがぬけているからおかしくなる,蝉の季語は夏でありその夏が早めにあって梅雨がつづているという感覚になる
ということは俳句の季節感が狂ってしまって俳句にならないともなる
俳句は季語を基にしているからそうなる
これから残暑になったらまた季節感が狂ってしまのうである。

相馬市まで用事があって二カ月ぶりくらいに行った,最初一カ月は暑いから行けなかった次に雨で行けなかった,自転車でも行けない,原町まではなんとか行った
相当に今年は体が弱った,夏ばてにもなった

相馬市は城下町の風情があるというとき実際は何もないのだか街の形が変わっていないからだろう。城下町のままの町割りになっている,だから駅前から発展した原町とは全然違っているのだ。
そして平凡なことだが屋根が一般的に低く感じられる,高いビルがない
すると何か江戸時代のような町に見えるのである。

公共施設が入母屋作りにしているのも効果的である。だから相馬市は歩いているだけで情緒がある街である。ただ何かもないということはある
その何もないということがいいということがある。
現代派はなんでもありすぎて情緒を壊しているからである

傘をさして一人の女性と出会う,なにかそうした当たり前のことに人間的なことを感じる日本には雨が多いから雨の情緒があった,それは歩いていると自ずと生れる
車ではその情緒を味わうことはできない,車は常に情緒を壊すものとしてある
自転車でも歩いて感じるものとは相当に違う。
歩いていると一軒一軒の店でも家でも見るのである。
だからこそ歩く生活なら街の通りを見るから街が活きていたのである。

城下町といっても相馬六万石となると回りは田畑であり淋しい風景だったのである。
今その名残はある,まず観光客が野馬追い意外でたずねてもここに発見するものがあるだろうか?城跡にしてもここに城があったのかとも思う
何か城下町というものも感じない,だからここが観光の目的地にはならないだろう。
でも何か街の雰囲気はそれぞれ違ったものがある。
相馬市と原町を比べると明確である。そのことはいつも言っているがやはり相馬市は城下町だからそうなっている,でも外から来た人にはわからないのである。

2017年08月14日

木槿とお盆


木槿とお盆

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写真は花を活けたらすぐにとらないとだめになる
とりかたも結構むずかしい




なにかあれここに住みつき木槿かな

雨しとと石に木槿や田舎かな

夏燕水面に触れ飛び涼しかな

電車来て黒揚羽舞う田舎駅


姉と母なお我が家にともにあれ今争わず供養するかな

畑よりとりにしダリヤ霊前に備えてでで虫つきてありにし

のうぜんのなお残り咲き雨にぬれ散りけるかな夏はすぎなむ


今年の天気はおかしい,最初に早めに暑い夏が来て次に梅雨が長引いていま感じだ
だから季節の感覚がおかしくなる,こういうことがこの頃多い
蝉にしても夏に盛んに鳴くが実際はもう秋であり秋の蝉になるけどそういう感じがない
逆に秋が早く来すぎたともなる,季節感がこの十年間くらいおかしいのである。

お盆にふさわしいの木槿の花である。何か田舎的であり素朴な感じになる
花にはいろいろあるが何かを象徴している,俳句は短いなかに深さを現す
要するに俳句は作る方より鑑賞する方が試されているのである。
短いからそこに深いものをくみ取ることが鑑賞することが必要になる
そもそも木槿の花がどういうものか深く見ることが必要になる

そして人間はある場所に定着しないと深くなんでも見れない,旅では通りすぎるだけだからである。定着する場が必要なのである。それは故郷なくてもいいのである。
ただ田舎でないと定着しても何か自然の深さを知ることはできない

知っている人が畑からダリヤをもってきた,そのダリヤを見たらでで虫がついていた
こういうのが田舎ならではではでる,ただその畑では金がかかり収穫がほんどない
ただ草むしりしているだけなのかとなる

電車が来てく黒揚羽が舞う,黒揚羽がつくづく田舎の駅にふさわしかった
駅もお盆でにぎわっている

ともかく今年は季節感が狂った,そうなると俳句でも何かうまく作れないとなる
俳句は季節感を基にしているからである。ここ十年は季節感が狂う,すると俳句の文化すら影響を受けているのである。
5,6月辺りが真夏のような時がありその後梅雨が今もつづき秋になるとなると季節感が狂ってしまうからである。

タグ:お盆 木槿

2017年08月07日

原町の道の駅で野草展(レンゲショウマは見たことがない)


原町の道の駅で野草展(レンゲショウマは見たことがない)

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時々道の駅で野草展が開いている,さほど見るものがない,今回はイワヒバが多かった
イワヒバはいろいろ種類があるという,茨城県の太子ではイワヒバを売っているので買ってもらった,高いが品種的にはそれほどいいというものではなかった
イワヒバは岩にあうからイワヒバである
これをとるのは容易ではないから高いのである。

レンゲショシウマという花は本当に見れるのか?
こんな花が近くの山に咲いているのか?高山の花だと思った
シャンデリアのように開いている
これを自生してる山の中で見たら神秘的である。

野生の花はやはり野山に咲いているのを見たとき一番美しいし神秘的になる
この花を見たいといってもかなり山奥に入らないと見れないだろう。
花は高山植物を見てきたがそこまで行くのが苦しい

尾瀬にはいろいろ花が咲いていたけどそそこまで行くのが大変である。
至仏山に咲いていた花は神秘的だった
尾瀬にはもう一回行って見たい,でもこの年になるとなかなか行けないなとも思う
人間はこれほど旅をしても見るものがつくづく限られていると思う
だから時間が貴重なのである。

人間はくだらないことに時間を費やしすぎるのである。花を見る時間もやはり人生の中で貴重なのである。花のことを知らない人が多い,すると何か欠けていることになる
女性でも四〇代の人が生け花もしていない,農家に嫁いでも花のことを知らないのである美人でも何か大きなものを欠けていることに気づいた

一般的に男性は花に興味がない,だから花屋で男性が花を買いにゆくと変に見られてしまうのである。
ただ別に野草展では男性の人も花を育てている,そういう趣味の人はいる
やはり高山植物は神秘的である。今になると見れないものとなってしまった
人間は何か何をするべきだったとか必ず老人になると悔いる

それは時間が無駄なことに費やしているからそうなるのである。
時間を有効に使っていないのである。
そしてその貴重な時間がいつかはなくなってしまうのである。
今になると自転車旅行もできないとかなる
時間があっても今度は体力がないとなりできないとなる
つまり時間でも体力でもいつまでもあるものではない,限られたものとしてしか人間には与えられていないのである。




2017年08月03日

月見草(霧雨にぬれて咲く)


月見草(霧雨にぬれて咲く)


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霧雨や夕暮れの道月見草

霧雨やしとやかに咲く月見草

藪甘草咲きにしあとに月見草

数人の行き来す道や月見草


お伝えしたように月見草は、夕方から徐々に花が開き始めて夜になる頃には全開で咲き誇ります。
このように夜に開花することが由来となり、「月見草」と名付けられました。

月見草は夜開くから月見草になった,夜に月を見ている花となる
普通に見るのは待宵草である。宵を待つようにして咲くとあるからやはりにている
でもこの花は開いているのを見るより群生しているのを見る
田舎だと群生している,特にこの辺は荒地が増えた結果待宵草が一面に咲く

いつも行く道には最初藪甘草が咲いていた,次にしっとりと月見草が咲いた
この順序がいい,最初に赤い藪甘草が咲く,人生では青春は赤である
だんだん年取るとしっとりした月見草がふさわしいとなる

月見草には霧雨があっていた,今日は霧雨だった,日本では雨の種類も多い,
小雨となれば霧雨とは違う,霧雨はしっとりとぬれる
ふっているのかふっていないのかもわからない,音はしない,何かそれが待宵草,月見草にふさわしい

人間の性質にはいろいろある,激情的な人もいるしおとなしいおだやかな人もいる
激情的な熱情的な外交的な人は鬼百合とかにふさわしい,月見草の性格はおとなしく穏やかである。自分の母親はそうだった,だから自分も性格的にはそうである。

日本語のしとやかにというのがぴったりなのである。人間の性格はやはり親から受け継がれるのだろう。月見草の花言葉が無言の恋とかなっているのもそうである。
母も無口でありおとなしい性格である。自分も何かにている
じっとしていてあまり人とは接したくない,これは猫ににている,猫の性分があるとなる
田舎の道は数人しか歩まない道がいくらでもある,ほとんどそうかもしれない,今は車だから余計に歩く人を見ないのである。車には情緒がないのである。
そうしてただ歩いていることに情緒が生れているのも不思議なのである。
人間はそもそも歩くことで自然と一体となることがあったからだろう
それで浮世絵は歩くことで情緒をかもしだしているのである。

この辺は震災以後混乱状態になったけどそれまではどこにでもある静かな田舎だったのである。それは一身上でも介護や自らの病気などで乱されてしまった
後は静かに穏やかに過ごして死んでゆきたいというのが願いとなる


タグ:霧雨 月見草

2017年08月02日

蝉の声(はらまちユッサに行く) (話しかけることは心にかけること)


蝉の声(はらまちユッサに行く)

(話しかけることは心にかけること)

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一の旗使いの走る朝の蝉

原町になお巣を作る夏燕

合歓の花月のほのかに夕べかな


五六つ庭に石かな蝉の声ここにひびきつ夕暮れぬかも

のうぜんの熱くもも散りてそのうあとに鬼百合咲きて燃えにけるかな

藪甘草咲きにしあとに月見草さきてあわれも月のいずかな



話かけることは心をかけること」

ユッサの玄関にあったこの言葉は面白い,なぜこの言葉がいいと感じたのか?
それは駅で常に自分は話しかけるようになったからである。
駅だけではない,自分は何か一人になってから人に話しかけるようになった
家族がいるときは人に話しかけたりしない,家族がいたから淋しいということはなかったでも家族がいなくなると家でも一人でがらんとしている
それで家にいたくなくなり外に出る,そして話しかける
そればこでもいいということはない,話しかける場所がある
駅とかユッサとかくつろいでいるから話しかけやすいことがあった
でも誰でも話しかけることはできない,嫌がる人がいるし話たくない人もいるし
怒る人もいるからだ:その辺のタイミングとかがむずかしい

今日は山形の人であり山形では雪かきなどが大変だと言っていた,山形は相当雪が降るところだった,それは春になっても山形に入る面白山トンネルをぬけるといつも山に雪が残っているからやはり雪がふる場だった
それから盆地のようになっているから夏は暑いと言っていた。
ただこのユッサは七五〇円とか湯でとるのは高いと言ったら山形では温泉がどこにでもあり三〇〇円くらいで入れると言っていた
この辺は温泉はないからここは一応温泉だから高いのかもと答えた
この辺では温泉は貴重なのである。

山形でも前から常に言っているように地理がわからないと話が合わせられないのである。全国を隈なく自分は行っているから外部の人とと話を合わせられる,外部の人と話すときはまず地理を知らないとできないのである。

今日はユッサは野馬追いも終わり休みでもないのですいていた,あそこに食堂があり日替わりで出しているしオカズも出しているからいい,オカズの手作りがあるから自分にとってはいい,まずオカスが一人で作るのがめんどうだしまずいのである。
外の料理の方がうまいのである。ただ最近暑くて行けなかった
車がないから暑いと行けない,今日は秋のように涼しいから行けた

ともかく「話かけることは心をかけること」それは自分のことを思うときぴったりだった
人間が話かけるときは心をかけるのである,ただ単に話かける,機械とは違う,相手のことを察して心にかけて話するのである。
つまり人間が話かけることは相手のことを気にかけて思って話するのである。
話しかけることは単に話すのではない,人間の場合は心を通いあわすことなのである。
それは二言三言でもそうかもしれない,そで触れ合うも他生の縁となるの話しかけることなのである。
ただ話しかけられることを嫌う人がいる,それは自分もそうだったが駅でも話かけるのは何か役に立ちたいと思ってしているだけなのである。
別にプライバシーがあるから答えなくてもいい,第一あまり普通駅など話しかけない
大きな駅だったらそうなる,田舎の小さな駅だからこんなことができている
だから小さいことは人間的になるのである。

ただ日立木駅とか本当に一人くらいしかのりおりがない,まず外部から来る人かない
そうなると話しかける人もいないとなる
そういう駅も淋しいとなる,あそこは自転車でそう遠くはないから食事するにはいい
オカズが日替わりで変わっているからである。
水曜日はテンプラのあげたてを安く一五〇円でサービスしている
あれは本当にサービスとしてしているのである。
だから今日は得したとなる

野馬追いは終わった,原町で燕がなお巣を作っていたのも原町にふさわしいと思った
原町は街としてもともと大きいからなお燕が巣作りしている,それは人が多いから
何か大きな街だとふさわしい,まだ燕は巣を作っている,燕はまだ増えるとなる

藪甘草のあとは月見草がしっとりと咲き月がでていたのもふさわしい
なんか今日はすでに秋めいていた

2017年07月26日

夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)



夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)


快晴の朝の空飛ぶ夏つばめ

駅前にふえて飛び交う夏つばめ

ひるがえる野馬追いの旗夏つばめ


しとしとと雨ふり
草むら深く
月見草群れさき
日陰蝶飛び
でで虫の歩む
いつもの道を
今日も行くかな


今日は快晴である。昨日は雨がふった,朝は快晴で気持ちいい,それほどの日ざしでもないかもしれない,紫外線を計る機械をなくしてしまった,体感的に日差しもそれほどではない,ただ熱中症は要注意である。そのために遠出ができなくなって困る
天気予報では注意となっているらやはりそれほどではない,体感的なものと一致していた警戒があり厳重警戒があるからだ

季語的には夏つばめがひったりである,今の季節らしい,こういうときでも外を自転車で走ればきもちいいだろう,本当に最近ずっと遠くに行っていない
仙台にも行っていない,自然とともかく気持ちいい,自然に生きるものはまさに自然だから気持ちいいのである。人間は不自然に生きているから気持ちいいとはならないのだ
人間は何か常に不健康なのである。タバコなど吸っているのもとがめはしないが何か不自然である。健康的に感じないのである。今は女性はタバコを吸う人が多い
ストレス社会になりタバコを吸う人が増えたのだろう。

ともかく家の中にとじこもりなのは良くない:これも不自然であり不健康だとなる。
ただ暑さで外に出れない,北海道に行きたいとかなる
でも外出しにくくなった

昨日は雨であり草むらに月見草が咲き黒い日陰蝶が飛ぶ,そしてでんでん虫がゆっくりと歩む,昨日は梅雨の感覚であり今日は梅雨が晴れたとような感覚である。
野馬追いの旗がひるがえっているからあと二三日で野馬追いである。
結構駅はにぎわうだろう。
天気予報ではまた曇りがつづくから梅雨は明けていないのだろう。
それでもこれまでのような暑さはなく一段落なのかもしれない
体調を壊したから暑さは嫌である。
自分は暑いところは苦手である。胃が必ず悪くなるからだ
また寒いところも苦手なのである。だから気候的にはここがいい場所なのである。

タグ:夏つばめ

2017年07月14日

立葵 (俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

立葵

(俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

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燕が飛んでいたがうまくとらえられなかった

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この木はあまりいい木ではないがこれも写生である。
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夕方の夏の雲


全部クリック拡大しないと見栄えがしない


のうぜんの玄関に散り蟻歩む

また一つのうぜん散りぬ玄関に

五六輪藪甘草や木の根元

立葵その明るさや燕飛ぶ

立葵高くも伸び咲きつばめ飛ぶ

明るくも笑い微笑む立葵 


立葵風にそよ揺れあまた咲く夏の雲湧く朝に映えにき

野馬追いの頃にのうぜん咲きぬあまたかな一輪散りてまた散りにけり


夏らしい雲が湧いていた、今日は紫外線計測器で昼間が8とるなと厳重警戒になる
日ざしが強い、熱中症になったから無理はできない
でも毎日二回くらい買物で出なければならない
それと運動と気晴らしのために外にでる
食事はほとんど買ってすませている、家事からなにもかも一人でやる時間がない


俳句はつくづく写生である、単純な写生でも深い意味をもつ、短いから写生に徹しないと芸術になりにくい、いろんな説明もできないからだ
のうぜんの花が散ったところに蟻が歩んでいる、それがまさに写生なのである。

五六輪藪甘草が木の根元に咲いている、それも写生である
それは詩を作るようにイメージで作っていないありのままだからである。
ありのままだけどそこに深い意味が見いだされているのである。鑑賞する人はその意味を見いだすことが必要である。
俳句はともかくシンプルがベストである。短歌となると表現の幅が広がるからまた違っている

野馬追いの頃になるとのうぜんが咲き始めるからにあっている、藪甘草も咲く、だからこの辺では野馬追いが迫ってくる時に咲く花だと意識する、それは土地柄だとなる
そういう土地柄があるのが文化だともなる

いづれにしろ現代はなんであれ写真の時代である、写真なくして情報もありえない
デジタルカメラの威力が大きい、写真にとると見えないものが見えてくる
それが発見なのである。ただ肉眼でしか見えないものもある。
写真でしか見えないものもある、立葵とのうぜんの花がそうだった
微細なものはデジタルカメラが映し出す、人間の目には見えないのである。

俳句はだからデジタルカメラなしではありえない
写生もデジタルカメラと融合してありえる時代である。
その写真もインターネットだと出しやすい、他のメデアは出しにくいのである。
雑誌でもこんなに写真をのせられないからである。
夏は近くでも被写体となるものが増える、だからカメラを絶えず持ち歩いている必要がある。

ともかく今日も暑かった、クーラーの部屋に一日いるほかない、今前のホームページとかプログの記録の整理があり仕事がある。これも骨がおれる
プログは記録しにくい、なんとかまとめて整理する、それが膨大だから結構な仕事になるホームページを二〇〇〇年にはじめたからすでにプログも十年であり一七年間も書き続けている、だからふりかえりまとめる必要がある




2017年07月10日

涼しさ(ロードが気持ちいい)


涼しさ(ロードが気持ちいい)

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涼しさやロードに走る早朝に

涼しさや夕べロードに走るかな

六号線夕日の赤く夏雲雀

五六輪薔薇に映えにき夏の月

黙(もだ)深く花に月影死者眠る



暑くて昼間ぐったりして眠くなる、早朝が涼しい、ロードに走ると気持ちいい
やはり自転車はロードに乗らないと醍醐味がわからない
それが自分の失敗だった、自転車のことがわからなかったのである。
ただロードは遠距離ようだと思ったがそうではなかった
ヤマハの電動のロード(YPJ-R)は坂を上る馬力がない、だから遠距離になるとかえって苦しい、ただ近くでスピード感を楽しむのには良かった

今は遠くに行かないから買って損はしなかった、遠くに行くと坂が多いから前の馬力がある方が役に立つ
ともかく早朝と夕方走ると涼しさを感じる、あとは暑くてぐったりして寝ていたりする
何か体に答える、この辺は涼しいにしても暑いと感じる、梅雨はどうなったのか?

墓地の前をいつも通るから花をさしていないと淋しいとなる
造花は何か嫌なのである。造花は死んだ花なのだからなんとなく嫌になる
でもそんなに花はさせないから造花にしておくのである。
それは墓とは彼岸にかかわるだけで日頃はかかわっていないのである。
それも手間になるからだ、ただ常日頃墓地が近くにある人は時々花を挿すのである。
だから墓も近くにないと活きていないということはある
ともかく死者は眠るだけである。一旦死ねばもう騒がない、語ることもない
語るのは生者だけになるのだ。

真野川の夕日の写真はいかにも暑い感じである。コンクリートだから情緒はないが木の橋だったら絵になる、浮世絵に橋の絵が多いのはそのためである。


2017年07月08日

今朝の写真二枚(朝日と馬)


今朝の写真二枚(朝日と馬)

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朝早み馬の歩むや陽の昇る

朝早み青田の中を馬の行く


朝日の昇る写真をとった、今日も暑くなる太陽である。
馬が散歩しているのは野馬追いに馴らすためである。
こういう風景はこの辺らしい

何か馬というときなじみがない、馬が生活の中に生きていない
だから実際は馬というのが実感できなくなっている
ただ競馬の中で馬を見るだけだからである。

馬と暮らした生活があったのは戦前まではあった、農耕馬とか荷馬車とか利用していたからである。そういうことがなくなったとき馬は生活から消えた
すると馬というものがわからなくなる、ただ野馬追いの時あれだけの馬が出ると圧巻になる、馬が生きていた時代を彷彿とさせるのである。

世の中なんでも日常として活きないものは死んでゆく、牛はまだ牛肉として乳牛として利用されるから活きている、馬は何か利用価値がなくなりせいぜい野馬追いとか競馬でしか見ないのである。
ただこの辺は野馬追いがあるから馬に関心をもつときがある。


8時9分 地震を感じた、昨日は突き上げるような地震で震度4

その余震らしい、これは気づかない人もいるだろう

やはり突き上げるにきた、震度1にもなっていないだろう。

タグ:馬の写真

2017年07月07日

夏の月(木蔭の道と家の畑)



夏の月(木蔭の道と家の畑)


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どっちもクリック拡大

夏菊や少女等走る土手の道

畑仕事休みてくつろぎ風涼し

街中の家の畑や夏の月

畑仕事終えて眠るや夏の月


田舎の夜静かにふけて夏の月窓にのぞきて安らかなるかな

紫陽花咲き木蔭の深き道の奥石造りの蔵のあるかな


毎日土手の道を中学生が走っている、暑いのに走れるから若いとなる
畑仕事している所で休む、風が涼しい、昨日は雨降って土がしめっていたから涼しいということがあった

今日は暑かった、それで紫外線を計る計測器を買った
いろいろ試してみたが危険領域を越えるのは昼間である。
角度によっても違う、今日はそんなに危険ではなかった
何か計測すると安心になる、それは放射線量でも同じである。
でもこの機械は目安であり役に立たないかもしれない

小池に行く木蔭の道は気持ちがいい、紫陽花が咲いて奥に石造りの蔵の家がある。
石造りの蔵は古い、何かこうした田舎の風景になごむ、それは何でもものだが心が安らぐしかしここではそこはダンプが通るから落ち着く道ではない
ただ木蔭になる道だから気持ちいい道である
田舎は特徴がないようでもそうした自然と織りなした絵のような風景がどこにでもある
ただ発見されていないのである。新地辺りはそういう風景がある
木蔭を感じるのにはやはり車ではできない、自転車ならできる

夕方になり満月が出た、新しい家の庭が畑になっていた
これもなんとも心がなごむ、畑があるということでなごむ
それも家の前にあるからいいのである。手入れする人がいるからできる
何か庭でも何でも手入れするのが手間なのである。
自分は何でも一人だからできないのである。
この辺は街からはずれている、でも街からそれほど離れていない所である

田舎では夜は静かにふける、窓から覗いているのは月だけである。
田舎ではただ人間ものぞいている、それは監視して見張っている目である。
そこに田舎の矛盾がある、その目は相手を思う目ではない
相手のあら探しをする目なのである。
畑でもいつも言っている、じろっとあの人はこっちを見る、あの人は腎臓が悪くて
人工透析している、黒くなると死ぬんだよという。
たしかにじろっとこっちを見ていた
畑でも隣同士でもそうした目があるのが田舎である。
だから人間に関して田舎がいいということはないのである。むしろ田舎の人間は根性が悪いというのも本当である。

ただそういう人間関係を無視すればただ夏の月がかがやき窓からのぞいている平安がある何か月は平安の象徴である、この辺は平安が失われていたのである。
ともかく暑い一日だった、今や熱中症を恐れるようになった
昼間の10時から2時ころは紫外線は強くなるから出ない方がいい
でもその後は計測器では低くなっていた、だからそれほどでもいなのかもしれない
まあ、機械からだけではわからないことがある。
身体が疲れていたりしたらやりやすいからである。

2017年06月22日

変わらぬ石(詩)-橲原(じさばら)への道 (写真からよみとれるもの)


変わらぬ石(詩)-橲原(じさばら)への道

(写真からよみとれるもの)

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今日はここに小さな石があった、これは孫石となづけた

そして一方の道は家に通じているのがいい

ここに人が住んでいるのがなんともいえぬ人間的なものを生みだしている

道が曲がっているのもいいのである。

人間が住んでこの石も生きているのである

それは写真を見て発見したのである。

だから写真には奥深いものがある

デジタル時代は写真の時代であり写真の芸術の時代である。

人間はなんでもない普通の場所に何か深いものがある

それがなかなか住んでいて発見できないのである。

これは英語にするとこうなるかもしれない

The stone on the way at home

在宅して、在宅日で、自国で、本国で、気楽に、くつろいで、(…に)慣れて、精通して、熟達して、ホームグラウンドで

この家に通じる道はそういう感じなのである。なんでもないがこれは人が住んでいるからなのだ
前に八木沢峠の下の大葦とかに住んでいた家の道も空家になったが
人が住んでいたということで at homeに感じたのである。
人のぬくもりを感じた道になっていたのである。
それはなんともいえぬ不思議な感覚である。


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立目石から菖蒲が咲いているのが見える

写真で見ると大きな石に見えるから不思議である。

違った表情の石に見える

そこに写真の不思議がある

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浪江の高瀬川近くの石-皺のように表面がなっている
それで皺石と名付けた
これは一回しか見てないけどいい石である。
これも人が住んでいないと活きないのである。

変わらぬ石

木陰の道が通じている
山の奥の村に
そこに一つの石がある
その石は変わらずある
確かに変わらずある
そこに安らぎがある
奥の村に変わらず
その石はある
どっしりと動かずある
そこに留まり安らぐ
菖蒲が木隠れに咲いている
昔のままにある村
そこに老いれば安らぐ
そこに石のように眠りたい
変わることに疲れる
変わらぬものに安心がある
深い安らぎがある


橲原の方に行った、木陰の道がつづいていて気持ちいい、ただあそこも変わった、高速ができたことが一番変わった、その影響も大きい、前の感覚は高速ができて相当に変わった隠された村のようにあったがそういう感じではない
一つの道路ができたりソーラーパネルとかできると相当に感覚的に変わる

最近この辺では変わることに疲れていないだろうか?
特に避難解除になった小高とか浪江とか変わりすぎたのである。
今まであったものがなくなる、街すらなくなる、村もなくなるということが信じられない想像すらできないことだった
津浪と原発事故はあまりもにも大きな変化であり対処できないのである。
特に老人は変化に弱いから対処できない

要するに変わらない石のように安らぎたいとなる
そこに変わらない石があることが救いなのである。
自分がテーマとしたの石が多い、だから石の詩は百くらいすでに書いているのである。

道でも木陰が反映される道は安らぐ、道が広いとまた違ってくる、木陰が反映しにくいのである。だから小池の道は脇道の方が木陰があり涼しい
でもあそこはダンプが通るから危険なのである。
道一杯にダンプが通る、この辺はいつになったら元の平穏な世界にもどるのかと思う

ただそれで小池のコモドインのホテルで今日もランチのカレーライスを食べたのである。橲原の立目石は鹿島区では象徴的な石である。
浪江では一回だけ見た石は「皺石」となづけたけどあれもいい石だった
でも浪江には人は住んでいないからその石も活きないのである。
自然でも人が住むと人間化した石になるのである。
それは庭の石がそうである。今避難解除された区域でも空家が多い
すると庭の石を見ると淋しい感じになる、なんともいえぬ寂寥感がある
それは近くの空家の庭の石でもそうなのである。
一端人が住む石まで人間化していたからそう感じたのである。

浪江の皺石(詩) (一つの石の存在感についての考察)

2017年06月20日

夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)


夏の海(見晴らしが良くなった津浪の後の萱浜)




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奇しけくも十一面観音の残りけり囲む木立の神寂びにけり

三本の樹高台に残りまばゆくも夏の花咲き海を望みぬ

広々と海の開けてハマヒルガオ都草咲き沖に船行く

萱浜に矢車草の一面に津浪の後や海の暮れにき

夏の海望みて墓地の萱浜の高台よりや沖行く船見ゆ

萱浜や海を望みて残る墓地沖に船行き夏の日暮れぬ



日々晴れて泰山木の大輪の花の真白に空に向き咲く

夏菊のエントランスに咲きにけりこの家新しく朝日のさしぬ


萱浜は津浪の後六年すぎて見晴らしが良くなった、海が広々と見える、この海が広々と見えるのは松原とかにさえぎられて見えないことがあった
萱浜の松原はいい松原ではなかった、何か陰気だったのである。
松がなにかぼそぼそと生えていて暗かったのである。
右田の松原は調ったいい松原だったのである。
あそこで女子高校生を殺して自殺した若い人がいたのである。
何かあそこは陰気な場所だったのである。
自分はだからあそこは好きではなかった
何かそういう場所だからこそそんな事件が起きたのかと思う
自然でも何か場所的にも悪い所があるのかもしれない
そういう場所で自殺が起こり安いかもしれない

ただ六年すぎて萱浜に行ったら見晴らしが良くなり気持ちよかった
広々と夏の海が広がり沖に船の行くのが見えた
雫(しどけ)の方は萱浜よりずっと高く高台に樹が残っていたりまた十一面観音堂は木立に囲まれ残っていた、あそこも津浪が来たが高台なので残った
墓地も高台なので残った。
十一面観音堂は泉が先でここに移されたのだろう。
雫(しどけ)という地名は謎である。ただ雫(しどけ)は高い所にあり家も残っていた
つまりそこは古くから人が住んでいたのである。
萱浜は江戸時代には住んでいてもその前には住んでいたのか?
雫の謎は雫(しどけ)とは山菜のことなのである。
とすると山菜が地名化したとしたら海ではなく山側に山菜とれて名になったのか?
そこは高い場所であり山の暮らしもあったのかとなる
ただ山といっても山とも言えないしここは謎なのである。

津浪で変わったのは景観を変えてしまったことなのである。萱浜は相当に変わった
見晴らしが良くなって気持ちいい、夏の海が広々と開けて沖に船が行く
ここで良かったのはソーラーパネルがなかったのである。
磯部や右田はメガソーラー場になったからここもなるのかと思っていた
これかるなるのかわからない、海側はソーラーパネルになってもどうにもならない
これから風力発電の風車が作られるからまた景観が変わる
それも景観を乱すものになるがこれもどうにもならないだろう。
海側は家がなくなったし開発しやすいからだ
ただ飯館村の森は保存してもらいたい、でも誰も住まなくなるとどうしてもソーラーパネルとかになりやすいのである。後は放射性廃棄物の捨てる場になりやすいのである。

これだけ景観が変わるということは思わなかった、自然はそもそも変わらないものとしてあると見ていたからである。
常磐線沿線は海が開けて高架橋になり見えることは観光的にはいいだろう。
矢車草の畑があったのも変わったことである。
菜の花の春に咲かせたが夏は矢車草である、これは海にあっているかもしれない
青い色が海をイメージするからである。
何か景観が変わると雰囲気まで変わる、萱浜というときこんな感じではなかったろう。

景観というとき泰山木の花が今さいているけどこれはアメリカ大陸に咲くのにふさわしい、ひまわりとか泰山木の花はアメリカ大陸が原産地だとなる
そこの気候は空は広く毎日晴れているのである。
今年の梅雨は空梅雨なのか毎日晴れているから泰山木の花がふさわしいことを感じたのである。
花は原産地がどこかということを知るといい、つまり花でも咲くにふさわしい風土が場がある、日本の花は南国系統が多いのである。
ただ北方系は北海道に咲いているのである。
今年の梅雨はどうなってしまうのか?紫陽花は梅雨にあう花であり日本原産なことでもわかる、紫陽花は日本の風土に咲くのふさわしいのである。


2017年06月16日

冬の貴婦人(詩) (死者はどこにいるのか?)


冬の貴婦人(詩)

死者はどこにいるのか?


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夏蝋梅の広い葉陰に
ひっそりと冬の貴婦人
石によりそいもの言わず
あるとしもなく
患いもなく咲いている
それは母のようでもある
おとなしい静かな女
死んだけどまだいるような
その花のように
自分を見ているような
死んだ人はどこにいるのか
その長く親しんだ所に
まだ愛着を覚えているのかも
ならばここに安らかに眠るがよし
我もここにありしも
姉もまたここにあるがよし
争わずにこの家にあるがよし
今望むことは患いなきこと
ひっそりとして誰にも迷惑かけず
患わせずあること
それが幸いなりしを知る
夏蝋梅の花に
蜂が一匹ささやき去りぬ


人間は外部の環境でも日々変わっている、この辺は特に変わりすぎた、信じられない変わり方だった、津浪原発事故で田んぼが草原になったり環境自体がありえないように変わってしまった。
そういうとりまく環境も変わるが人間の心の内部も心境は実際は日々変わっている
介護をしているとき、十年だから長かった、でも死んでみるとまた違ってくるし死者への思いは時間がたつごとにまた変わってきているのだ。

なかなか最初は死者を死んだ人として受け入れられない、それは人によって家族環境によって違う、いつまでも死者のことを忘れずに思っている人はいるし忘れる人もいるからだ死者は骨となり灰となり消える、では一体どこにいったのだろうとなる
墓にいるのかとなるとそれもわからない、ただ一応墓にいるとしてお参りしているのである。

死者はだから花の咲く庭にいるとかにもなる、母はおとなしい内向きの性格だった
だから冬の貴婦人にふさわしいとなる、何かこの花は目立たない、でもいつまでも咲いていることに気づいたのだ、それで百歳まで生きた母にふさわしいと思ったのである。

自分の家族は複雑だった、だから母というとき何か普通の母とは自分にはならない
でも何か不思議なのはその方が自分には良かったのである。
母を嫌う子供がいるとき母のエゴがむきだしになるからである。
自分の母が一人だったらそうなった、でももう一人姉がいたのでそうはならなかったのである。だから母といっても普通の母ではないのである。

ただどうしても女性はその嫁ぎ先が家になるのではないか?嫁という字がそれを物語っている、実家を出たら他人の家が家になる、それでも「女は三界に家なし」とは

「三界」は、過去・現在・未来の三世のことをいい、女はそのどこにも安住の場はない、という意味です。

三界で三千世界とも云うこと、それは広い世界を意味し、この世の別名だと云うこと…。また、女にとって生まれ育った家は自分の家ではなく、嫁いだ処が家になる

これは時系列ではなく場所のことだろう。この広い世界に安住となる家がないということである。

だからまた嫁ぎ先の墓に入りたくないという人も多く夫が死んだら婚姻を解消して親戚とも縁を切り嫁ぎ先の墓には入らない、それが果して女性として幸福だったのだろうか?
今さら実家の墓に入るというのも時間がたったし別になっているのだから納得できない
そもそもまた実家で受け入れてくれるだろうか?
女三界に家なしとは嫁ぎ先にもなければもう実家にもないのではないか?

よくスピリチャアル関係では人が死んだらどうなっているかを言う、それはあくまでもイメージの世界でカルタシスのように作り出した世界なのである。
だからこれを信仰ととりちがえるのは良くない、それは勝手に死者をイメージしてなぐさめているのである。
死んで天国に行くとしても天国はそういう場所ではないからだ。

ただ人間は何か死者が何なのかいうとき死者とか語るというときそうなりやすい、自然の事物にも死者が投影されるのである。
だから葉山信仰では死んだ祖先は山に眠り春には田植えの時は里におりてくるというのもそうである。
死者が自然の中に生きているということで死者は死なずその土地に継続して生きる
つまりこの信仰は稲作かあって成り立つことでありそれは土地と密接に結びついて成り立っていたのである。土地から離れてはありえない信仰だったのである。
大和魂などというときも日本国という土着した魂のことである。
それは国土から離れてありえないのである。
一神教は砂漠から生まれたというときそうしたことはない、土地と離れてある信仰だからである。天に本当のホームがある信仰だからである。
地上では遊牧民のように家をもたないのである。

それはそれで死者を想うことでも人は年月がたつにうちに心境が変わってくるのだ。
だからプログというのはそうした環境の変化とか心境の変化を日々伝えることに向いている、一冊の本ではそういうことはない、あとからまとめて書くということになるからだ。日々変わることを伝えることに向いている、なぜなら環境でも心境でも日々変わっているからである。

死者でも二年目三年目とか5年目とか十年目とかで死者に対する思いは変わる
それで仏教では何回忌として供養したのである。
それで供養して金をとるというシステムを作ったのである。
ただそれも人間は死者を忘れられないということがあったからである。
先祖崇拝はそれで世界的に起きた最も古い信仰にもなる
でもその信仰とは本当の信仰は別なのである。

死者はどこにいるのか?それはやはり愛する人のもとにいるのではないか?
死者を想う人がいればその人の元にまだいる、そうなるのが自然だともなる
だから死者でも無縁仏とかなると誰も想う人がいないとなる
でも結局はみんな最後は無縁仏なのである。
子供でもやがては親が死んでも日常の生活に負われて忘れるからである。
ただそれでもなかなか忘れない人はいるから個々人によって違う
自分は特別な事情があって親を思っているのである。

ともかく死者も美化されやすい、生きていれば嫌な面があり一緒にもいたくないということが夫婦でも家族でもあった、死ぬとそうした嫌なことをなくなるから美化されやすいのである。
ただ死者がどこにいるかとなると墓にいるというよりは長く暮らした家の方にまだいるともなる、なぜなら家での暮らしが長いからである。
だから死んでも愛着をもっていることは確かなのである。

私は死んだ母親の遺影を飾っていますが、毎日話しかけている。
そうすると、そこに母親がいるのがわかる。

「その人がいる」と想い続ける限り、
 その人は「存在」し続けます。

これは単純だけど死者に対してどう対処するか簡潔に示している
死んでもその人を思っていればいるが想わなくなればいないのである。
それは死者に限らない、生きていてもその人を想わなければその人はすでに死んでいる、いないと同じなのである。
今生きていてもそうである。もしその人を憎むとしてもその人はいる
憎むということはその人にこだわっている、愛の反面なのである。
人は無関心になればその人は死んでいるいないのである。
生きていても死んでいるのである。

その人の逝きしもなおも面影の浮かびて見ゆる我が家にありて

どこに死者の面影が浮かんでくるかというとどうしても女性の場合は家になる
家が長く住んだ場所だからである。だから家がなくなることは死者も思いなくなるということがある。それが原発事故で故郷や家が消失したことの大きな精神的損害だったともなる

2017年06月15日

冬の貴婦人と薔薇の花 (フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)


冬の貴婦人と薔薇の花

(フラワーアレジメントには壺の役割が大きい)

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「姉妹」

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「清楚」

壺と一体化しているのかフラワーアレンジメントである。
壺によって見え方が違うからだ

上のは壺があっていないのだ、ただ壺もそろえるとなると金がかかる
これらの花はスーパーですでにアレンジメントされたものだったのである。

単純なものでも映える、多くの花をさすとかえってだめにもなる

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冬の貴婦人

これはクリスマスローズとういうから薔薇の一種だけど薔薇に見えない



老鶯や長き土手道歩むかな

路地裏の曲がりし道や黒揚羽


駅にまた新たに花の植えにけり日々我ここに寄りにけるかな

華やかにはや薔薇は散りぬ石の蔭冬の貴婦人なお咲きにけり

蜂のきて夏蠟梅にささやきぬ庭の静かに継ぐ我が家かな

大輪の薔薇に向かいて今日も咲く百合の花かな朝日のさしぬ

移り来て住む人若し夏の日に薔薇明るく咲きにけりるかな

清楚なる紫の花壺にさし我が家落ち着く家族のなしも


何か最近いろいろ駅のボランティアなどして追われていた。だから仙台にも半年で一回しか行っていない、近くをぐるぐる毎日まわっているだけである。
原町や相馬市にも行っていない、なんかだんだん出無精になった
人ごみの中に出たくないとかなった、これも年なんだろう。
老人はあまり遠くに出歩くことに向いてない、家でじっとしているのがあっている。
行動範囲が狭くなるが深くものを観るということに向いている。

だから花というのは外で観るだけでなく身近で観ることが深く見れることになるからどうしても小さい庭でも必要になる
大きな庭だと管理するだけで水やるだけで手間になる、一人で家事全部しているし買い物もしているしできないのである。
自分のテーマは花でもあった、花は高山植物でも北海道でも見てきた。
北海道では花が見れるからだ。檜扇菖蒲なども見たしハクサンチドリも低地に咲いていたのである。北海道ともずいぶんご無沙汰している、20年くらい行ってない
10回くらいそれも一カ月くらいぶらぶら旅していた時がなつかしいとなる
北海道と沖縄は日本では外国なのである。風土がそうだからである。

冬の貴婦人は長く咲いている、目だたない花である。これが花なのかと思う
葉のようにしか見えないのである。ただバラが散ってもまだ咲いている
今年もずいぶん花は咲いたがその初夏の華やかな季節は過ぎた
すでに梅雨の時期に入ってきた。

フラワーアレンジメントは意外と壺が大事である。壺と一体化して花が映えることに気づいた、すると壺をいろいろ用意する必要がある、でも壺は高いからそんなにそろえられないだろう。自分が買ったのは安物だけど別に関係なくいい壺があった。
通販で買った、今はこういう点では便利である。何か買い物も自転車だとなかなか原町でも相馬市でも行けない、何か疲れるようになったからだ。
通販だとボタン一つ押せば配達してくれるから助かる、でもこういうのは買い物の楽しみがないというもいえる、ただ車がないと通販は便利だなとつくづく思う
重いものになると自転車では運べないということもある。
買い物のに関しては田舎でも不便はない、確かに実物をみるのが一番いいがそれができないにしても通販で買えることは田舎と都会の差をなくしたのである。

自分は都会には住めない、人ごみもいやだし騒々しいし嫌なのだ、前からそうだったけど老人になると誰でも都会は嫌になるだろう。
イギリスの貴族が田舎に土地をもつことだというときその意味がわかる
gentleman とはgentle とは静かな穏やかなという意味だからである。
都会ではgentle man にはなれないからだ。
冬の貴婦人ではないが本当の貴族は田舎に住むべきなのである。
田舎でイングリッシュガーデンのようなものを作り住める人が豊かな生活だったのである




八輪の牡丹

八輪の牡丹が我が庭に咲く
朝の光を吸い爛漫と咲き誇る
その栄えを誰が受けるのか
この家を築いた父と姉と母
しかしみな死んでいない
時にその牡丹の前にいる
明るく輝く咲く牡丹の前にいる
八輪の豊穣な牡丹
その前で満面の笑み
その家を栄えさせるもの
家々にその謂れがある
そを受け継ぐものは幸いなれ
ある町に一つの家が栄える
それには謂れがある
しかし富には何か呪いが隠されている
故にこの世の栄はつづかない
その豊穣の富を受け継げない
その後に石の陰にひっそりと
冬の貴婦人が咲いている
薔薇の花も華やかにいろいろ咲いたが散った
ただこの花はいつまでも咲いている
これは薔薇の花とは思えない
それから夏蝋梅の広い葉陰に咲いている
ただ一人自分だけがこの家を継ぐ
その日はまだ長いかもしれない
ここにじっくりと腰をすえて
その余生を実りあるものにしたい
花は尽きず咲いている
その花にあきることはない
それだけ花は豊富である






2017年05月31日

白藤(鹿島区小池の道)


白藤(鹿島区小池の道)

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石すえて菖蒲を奥に庭成りぬ

これは最近できた庭である。いい庭である。

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山高く迫りし朝や夏雲雀

故郷の昔を語る緑陰に

石すえて菖蒲の奥に庭成りぬ


白藤の散りてひそけきこの道に倒れし墓や名をとどめけり

白藤のさわに咲きける小池なるこの道今日も行きにけるかな

一本の木陰に菖蒲ここに咲き白き山藤咲きつづくかな

我が庭にまだ色づかぬ薔薇の花咲きしを見ゆかな朝の一時



白藤の花

白藤の花の散るかも
ありとしもなくあわれ
この道や小池の墓地へ
倒れし墓一つ名をとどむ
いづれは誰も墓の中かな
ただここに生きしと
墓に名をとどむもかな


この辺の山には高い山がない、でもなんか朝に高く見えた、それは気持ちで高く見えた
山は実際に気持ちで高く見えることがある、自然も人の気持ちが影響して見え方が違っている
健康であれば自然も力強く見える、病気になると気弱になると自然も萎縮するのである。

小池の脇の道は静かでいい道である。でもここを今はダンプが通るからまた田舎の良さがそこなわれてしまった。ただコモドインとかのホテルができたのは何もないところだから良かったとなる、まずいつになったら工事が終わるのかわからない
ダンプが裏の道でも突然来るから危険である。

だから詩にしたような感じは今はない、ただあそこの道があれだけ白い山藤が咲いているのはめずらしいと思った、この山藤は結構咲いている
ダンプが通らなければここは何か木陰になっていていい道だとなる
詩にしたのは家の庭の藤棚に咲いていた白藤である
その白藤と山藤は違っている

この道を行くと墓地がありそこに倒れた墓があったのもあわれだとなる
小池というとき古墳が多い、だから古墳を今も発掘していたし古墳を見に外から来た人もいたのである。
何かどこにでも町でも田舎で面白いのはさらに村ごとに地形的にも特徴がある

橲原(じさばら)村になればもっと奥になる、そのじさばらはジサの木に由来していたのである。
なぜここにこんなに山藤が咲いているのか?
もともとこうした森があり咲いていたのだろうか?人工的に植えたとも思えない
数が多いからである。

万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。

 木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。

エゴの木というのは多い、エゴの花は良くみかける、

橲原(じさばら)の名前はここに由来していた。やまぢさのぢさである。


なぜぢさとなったのか?万葉集を知った人がなづけたのか?めずらしい名前だから不思議だとなる、地名には何か古い由来がある。寺内などもなぜなのか?
寺があったからなのか、あそこにホトケッポという村の埋葬地があった
それも関係しているのか、寺内は古い場所でありそれから小池の方に広がった
小池はどうしてその名がついたのかこれもよくわからない、池とか関係しているのか?
小さな池があったからなのか?堤のことなのだろうか?

わかっているのは橲原(じさばら)はもともとエゴの木の森であり開けていなかった
ただ江戸時代には木材の供給地として村としてあったのである。

いづれにしろどこでも田舎の面白さは地形が違っていて村ごとに特徴がある
海側と山側では根本的に違っていることもある
この村ごとになると相馬市でも原町でもわかりにくくなる
大原とか深野はわかりやすいが他はわかりにくくなる
浪江とかなると村ごとにはさらにわかりにくくなる、細部がわからなくなるのだ。





タグ:白藤 山藤

2017年05月23日

菖蒲(原町の庭二つを見る)


菖蒲(原町の庭二つを見る)

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老鶯や畑耕して夕暮れぬ

新築の家次々にツツジ咲く

石の庭垣根に覗き菖蒲かな

石の蔵木一本に菖蒲かな

夏菊や六号線を原町へ

浪江まで電車の行くや夏の山

喪にあれや濃紫の菖蒲咲く


静かにも藤の花散るそのあとやひそけく我が通りゆくかな

一本の樹の影なして菖蒲咲くこの家変わらずここにありしも

新緑の森にあわどもその中に枯れし樹ゝも交じり立つかな


老鶯が鳴く、その鳴き声に合わせて畑を耕す女性がいる、その時間は自然の中にある。
原町にひさしぶりに行った、駅の方に行っていたし暑くて行けなかった
今日くらいの暑さはそれほど答えないみたいだ

原町も新築の家が次々に建っている、スーパーキクチの隣は新しい住宅街になった
鹿島も新しい住宅街ができた、原町は復興団地も10くらいできたのか?
広いからわかりにくい、今日は川子の森の道を通りパークゴルフ場を回り六号線を下り道の駅に出た
別にな何か見るべきものもないがダイユーエイトの隣の家の庭は良くできている
何か落ち着く庭の作りである。庭というのは一見しただけでは鑑賞できない
時間が必要なのである。それはなぜか?石というのは時間の中で見ないと見れないからだ
樹でもそうである。時間の中で心の中に定着できるのである。
石灯籠も塔になっていてあれも合っている
そして水が流れていないが流れるようにしていたみたいだ、堀のようになっている
この庭を垣根から覗くと菖蒲が咲いているのもうまく作られている
隠されるように咲いているからだ。

庭は家々で違っているのがいい、家はそんなに違うように見えない、ただ家は庭と違って住んでみないとわからないから評価しようがないのである。
庭は見ればわかるということがある。
原町の今回写真に撮った庭は古い家のもともと農家の庭である。
だから石の蔵がある家は古い、そこの庭は広い、藤棚があったがすでにみんな散ったのが残念だった
今年は藤の花を見ないうちに散ってしまった。駅の方にかかわったのと暑い日がつづいたこともある

あの広い庭の蔵のある家でもなんかこの辺では変動が激しいからなくなってしまうのかとさえ思う、あれだけの家に人が住まなくなったりするとそう感じてしまうのである。
普通だったらこの辺でそんなことは考えない、農家は何代もつづきそこにあるからだ。
なくなることなど想像もできないのである。

川子の森は日影になり気持ちいい場所である。近くにあういう場所があるのはいい
遠くになるとそういう場所があっても楽しめないのである。
ただなんかこの辺はそうした自然の場所も変わりやすいのである。
ソーラーパネルとか何か切られて宅地になることが多いのである。
それだけ変化が激しい場所なのである。
だからどこでもダンプが来るから自転車でも怖いとなる、まだ落ち着かない場所なのである。ただそれで人が外から入ってきてきているから活気がでているともなる
それでも相当に減ってきているし仮設のプレバブの宿泊所も壊されているのである。

ともかく今日の夏の日は暑くないから出かけることができた
何か気候が変わっているから困る、5月というといつも自転車で遠くに出かける季節だった、それがなかなか行けなくなった、疲れやすくなっているからだ
今日みたいだったらまだ行けるが遠くに行くの億劫になるのだ
今日は夏らしい夏だった、五月の夏だった、山脈も夏の山であり一応浪江までは通じた
浪江まで電車で行けるということはできる。

近くの知っている人が死んだ、同じ病気だったけど何かで重症になった
でも実際は十年介護していたのである。そうなると自分もそうだが疲れたとなる
その妻も老けてしまったとなる、介護は長いから苦しいのである。
十年となったら一昔になるくらい長いのである。その負担にまいってしまうのである。

菖蒲といったら普通は紫である。黄色の菖蒲は黄菖蒲となるのだろう。
庭は別に自分の庭でなくても鑑賞できるのである。日本の庭は垣根になっているから外から見える、格子のようにさえぎられていてもそこから見えるというのも風情がある。
ただ塀で囲っている所もありそうなると全く見えないからつまらないとなる
吉田兼好風に言えばそうして塀で囲った庭に風流はなくすさまじきものとなる
垣根はやはり日本独特のものである、外から満ちれてもいいという安心感があってできたことだからである。ヨーロッパの庭は塀で囲まれているから全く外から見えないからである。






タグ:菖蒲 夏の庭

2017年05月20日

(都忘れ)街中の空家の不思議 (空家でもまだ人が住んでいることを偲べる)


(都忘れ)街中の空家の不思議


空家でもまだ人が住んでいることを偲べる

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木漏れ日に蟻の歩める暑さかな

一畝をうない終わるや暑さかな

車輪梅の垣根や路次の家暮れぬ



鉄線の空家に咲くや路次裏の今日もこの道行きにけるかな

玄関に一本の松残りつつ都忘れの名残に咲きぬ

玄関に一本の松ここにしも暮らしのありし路地裏の暮る

車輪梅の垣根を作りここに住む人のなしかも花は咲けども

雨戸しめそのままなれや空家かな昔住みにし人をしのびぬ

路地裏の道に明るし夏の花咲きしもここを行く人のまれ

夕暮れや空家の庭に紫と白の菖蒲の咲くやいつまた来なむ

いくつかの石の並びつ淋しかな空家の庭や今日も通りぬ

庭の石位置は変わらずここに住む主を待ちぬ久しかりけり



この空家の不思議は何か?古い小さい家だけど狭い庭だけど良く作られている、ジャングルのように木とか葉でおおわれている、そこに花が咲いている、鉄線の花だった
垣根は車輪梅で作っている、車輪梅はこの辺では南限の地に咲くとして海老浜で有名だった、この辺では車輪梅は良くみかけるのである。

玄関に一本の松がありそこを出入りしていたのである。客も迎えたのである。
この空家の不思議は庭が良く作られている、狭いけど庭が丹念に作られている
花もうまくあしらい咲いている,樹々の葉がまるでジャングルのようにおおっている
これは狭い庭だからかえってできたことである。

この家には誰が住んだのか?ここにも生活があったのである。
ただ近くの人はこの同じ町内に新しく家を建てて移ったのだという。
でもこの空家は本当に空家らしい空家なのである。

もう一つの空家は家は古くなっていない空家には全然見えない、実際にその家は時々持ち主が帰ってきてみているのである。
そこに紫と白の菖蒲が咲いている、それをみているのは自分である。

毎日こうして街内を行ったり来たりしている、すると空家でもここには誰が住んだのだろうかと思うようになる、やはり人間は住んでいればどんな場所でも一体化するのである。空家でもやはり人が住まなくても以前としてそこに人が住んだとしてその家と庭からまた人を思ったりするのである。

つまり空家になっても更地にならない限りなにかしら人の住んだとものとして跡をとどめている。だから取り壊されない限り幽霊屋敷のようになっても家があれば以前としてそこに住んだ人を思うのである。

そしてもう一軒の空家は一〇年とか二〇年とか空家になっていたかもしれない、でもやはり時々帰ってきている、それもなぜだろうとなる。
そこには淋しく石が昔のままに置かれて家族が帰るのを待っているのである。
石も人間化しているのである。だからその石は自然にある石とは違うのである。

空家というとき避難区域になったところは空家だらけである。
そして空家が全国で八〇〇万軒になっているとか異常な事態でもある
だからどこでも空家が目立つ、避難区域はそもそも空家の街となってしまったからである。
空家でもいろいろあるがこの空家は庭がいいしここに住んだ人が風流人とかでもなくても何か庭を自然を愛した人かもしれない、花を愛した人かもしれないとなる
この家も壊されればここに住んだという記憶が失われるのである。

避難区域で空家だらけだけどその空家は前に住んでいた人を待っているのである
家もそうだが庭もそうである。時々帰ってくる人があれば完全な空家ではないのである。ただ人が帰るのを待っている一時的に空にした家だとなる

ともかく狭いところでも日常的に行き来していると一体化してゆく
だから年取ってからはあちらこちら旅するというよりこうして一定の場所にいて観察した方がいい、遠くでも一週間とか住んでいるのがいい、するとその土地のこともわかってくるのである。

女性が畑を耕していた、夕方でも今日は暑い、そういう姿をみていると食べ物でも貴重だと思うのである。苦労して作っているんだなと見るからである。
でも機械で自動的に野菜でも何でもとれたらありがたみがなくなってくるのである。
誰も機械には感謝しないからである。
ともかく今日は暑くて外に出れなかった、何か暑さに弱くなっている
疲れやすくなっている、だから今日は一回しか外に出なかった