2020年01月20日

場が人間のアイディンティティの基礎 (調和の庭(詩)−田舎と家と土地)



場が人間のアイディンティティの基礎

(調和の庭(詩)−田舎と家と土地)

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この四つが場所がいい、最近磯部に絆という喫茶店ができたが場所が良くない
海も見えない、庭から道路が見えるだけだとなるからだ
パン屋は海が見える、でもそこは休む家がない、パンだけ売っているだけである
場所として海が見える所が良かったと思う

鹿狼山の下の花木山ガーデンからの見晴しは最高である
あそこにも喫茶店のような休む場所があるがかなり狭い、でも場所としてはいい
ただ私はこれらの喫茶店とか行ったのは二回ほどしかないのである


日本の庭はやはり一つの文化である、家庭というとき家と庭だからである
ただなぜ人間は調和しないのか?
自然は荘厳な調和の世界であり宇宙である
人間社会は別に戦争がなくても絶えず争っている
他人に対してなにやかにやでもめているし衝突している
つまり人間社会には本当の平和は永遠にないのである

田舎でも別に人間が調和しているわけではない
ただ田舎の相違は何度も言うが「場所の現象学」で深く場が考察されたようにその土地と深いアイディンティティをもっているからだとなる
ふるさとというとき故郷でもありこの故は祖父から親から子へと継がれるものがあったからだともなる、里は場なのである

それは農業社会だからそうなっていた、それで農家では三代つづいてはじめて仲間と認定されて部落に受け入れられたというのもそうである
それは土地と深く結びついているからそうなったのである
場という時、私が言う観念的なものとは違う、具体的に生産の場をもたなければ生きていけないからである、農家と土地はそうして一体化しているからだ
土地は血肉ともなっているからだ

やはり何代もつづく家はそこに何か表現できないが重みを増してくる
それは蔵がある農家とかがそうである
都会だといくら豪邸に住んでいてもそうした重みが備わらない
それは土地と一体化した場をもたないからである
田舎の家は農家だと大地に深く根付いた木のように見えるからである

現代人の生が何か希薄化する、浅薄になる、重みがないのは場を失ったためである
日本の神社が社でも深く場とかかわり生まれた、神社と小社でも場と切り離されずあったからである、その地域地域の場と深く関係しているからである
それは外国でも神殿が建つ所はその場と関係していた
不思議なのはイスラム教でも偶像崇拝を拒否してもメッカという場が信仰の場となっている、方角と場に祈っているともなるのだ
つまたそれだけ人間は場から離れてありえない存在なのである
その場とのアイディンティティを失ったとき生の意味ももていなのである

だから何でも経済的に金で今は考える、そんな田舎に住んで金にならない生活できないとなるだけである、では都会で大金持ちになってそれで生の意味が価値が意味がアイディンティティが作れるのか?
普通は今ならそんなことは考えない、でも最近い若者でも田舎に移住する人が増えてきた空家がありそこに住めば広い庭があり場を確保できるからだ
そこで生活するとなると贅沢はできないかもしれないが場をもつことができる

ただ正直田舎の問題はかえってそうして場をもたない、家をもたない、ある程度の資産がないと暮らしにくい、市営住宅に住んでいるような人は何か場をもたないということで余計にみすぼらしく見えてしまうのである
そして田舎だとその土地の有力者は住みやすいのである
何か狭い世界で序列ができて威張ることができるからである
でもそうでないと田舎はそういう序列が見えやすいから住みにくいとなるのである

だから相馬市の煉瓦の喫茶店のことを入ってそれも城下町で場を得て調和したと見た
特に広い庭があったから余計にそれを感じたのである
喫茶店でもレストランでも何か場所がいいと価値がある
海の見える喫茶店とか山陰の隠れ家のような喫茶店とか丘の喫茶店とかである
津波の後に海老村には山陰の隠れ家のような喫茶店が農家の納屋を改造して作られた
磯部の柏崎の丘には薔薇を咲かせた西洋風の喫茶店がある
その場所で価値がまずある、家でもその場所の価値がある
景色のいい所にある家は価値がある、だから都会だとそういういい景色の場所がないから豪邸でも価値あるものと見ないのである

人間は意外と常に場の影響を受けているのだ、それを感じたのは家の中でもそうなのである、二階と下では何か住んだ感覚が違うのである
二階だと空が広く見えているし冬だと廊下に日がさしてひなたぼこして本読んだりしている、すると何かイメージが湧いて詩でも創作する、アイデアが生まれるのである

それは一つの家でも場所が変わると気持ちが変わる

だから何か書き物したり創作したりする人は家が大事になる、家は画家ならアトリエだからである、そこが創作の場所になるからである
そして不思議なのはそこにただ座る、胡坐をくみ座るのとソファーにもたれるという姿勢で脳の働きが違ってくる、これも不思議だと思った
姿勢を変えただけでも脳の働きが変わるのである、だからソファーでも背を伸ばせるソファーが椅子がいいとなる
そこでくつろぐといいアイデア生まれるとなるからだ
その点自分の家は恵まれているとなる、ただ一人で広いから困っているのである

老後を考える時意外とこうして場が大事になる、なかなかもう旅もできない、じっとしていることが多くなるからだ、すると家が広くて余裕があり思索する空間があることが大事になる、だから老後は家が根城となり大事なのである
そこで書き物などもするし仕事の場ともなるからである
だから景色がいい場所にある家だと最高だとなる
ただ私の家は街中にあるから景色がいいとはならない、でも田舎だから回りに高いビルなどないからいいのである

相馬市がいいのは平屋が多い、高いビルがない、ただ田町通りは広く新しくしたから何か違和感が生まれた、公共の建築物のように入母屋式のようにすれば昔の感覚が生まれたかもしれない、ただこれは両論がある
とにかく価値はいろいろある、一つの価値だけてはない、価値を生むものはいろいろある場所も立地も大きな価値なのである、これが価値の基本にある
それが人間の基本的アイディンティティとなるからである 



調和の庭

一つの庭に
石と石は
調和してある
石と石は対等である
石はそこに
一つの調和の世界を作る
それぞれの場を得て
石はそこに落ち着く
場に根ざして石はある
そこに高ぶるものなく
低きものもなく
石は調和して
一つの世界を形成する
大きな石も小さい石も
高い石も一つになる
人に例えれば
兄弟の石があり
親子の石がある
夫婦の石とみるごとくに
祖父の石のごとくに・・・        






2020年01月19日

煉瓦作りの新しい中村珈琲店の不思議 (隣の広い庭が活かされて城下町にふさわしいものとなった)


煉瓦作りの新しい中村珈琲店の不思議

(隣の広い庭が活かされて城下町にふさわしいものとなった)

 相馬「ビートルズ珈琲店」台風豪雨の苦闘奮闘感涙記
2019/11/2(土) 6:00配信新潮社 フォーサイト

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これは八沢浦から見た蔵王

磯部から見た蔵王が近くに見える

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中村神社の池

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松のある玄関と隣の喫茶店の庭が広い

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長い藤棚がある、これは見ものである

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古い藤の木
この庭に池があった

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喫茶店の中から広い庭が見える

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これはアトリ科のシメである


一処(ひとところ)今年も暮れぬ冬木立

六万石城跡たずね冬深む

親子杉ここに根付きて冬深む

目白来て街中の家冬椿

錦鯉赤と黄映えて冬の池

城下町路地の細道冬の松 

松に映ゆ相馬の城下冬紅葉

路地細く相馬の城下冬の暮 


冬の鳥相馬の城下喫茶店

城下町枯木の庭や喫茶店 

いつよりや庭の古木や喫茶店

古池の跡や残りて冬の暮 

城下町庭の古木や冬深む


松並木街道帰る冬の暮


みちのくの蔵王は雪に閉ざされぬ磯部よりしも見えにけるかも

新年に新しき店と喫茶店我が入るかも趣き深めぬ


八沢浦を回り磯部から道の駅により街道を行き相馬市街に行った
蔵王は磯部から大きく見えていた、あれに気づかなかったのが意外だった
ここから蔵王は確かにはっきりと見える、蔵王の見える領域にある

相馬の城跡には日曜日なので何人かたずねる人がいた
中村神社の池に錦鯉が泳いでいた

それから煉瓦作りの喫茶店ができたというので見に行き入った
それがなんとも不思議だたのである
最初路地裏の細道を行くと塀があり松が立つ玄関の家があった
それでいかにも相馬市は城下町らしいと感じた
それは前から碁盤の目のようになっていて城下町の雰囲気があった

その喫茶店は煉瓦作りでありそれも手間をかけた感じである
中に入ると隣の庭が見えた、古木がありそれがこの喫茶店の家の庭だったのである
それが広いのである、なぜこんなに広い庭があったのか?
家は小さい、でもその家に住んでいた人がこの煉瓦の喫茶店を改造して作ったのである

こういうふうにして喫茶店を作ったのが鹿島の海老村の納屋を改造した喫茶店である
ただあそこでは予約注文しなと昼食は食べられない
今回の喫茶店は第一相馬市内のど真ん中にあるから便利であり入ることができる
そしてなぜここにこんな広い庭があったのだろうかとなる
もちろん相馬市内だと農家ではない、ただ原町でも六号線側になると農家があった
でもここは市のど真ん中なのである

そこに藤棚があり長いからこれは咲いたら見ものである
私は相馬市の花は藤の花としてプログに書いてきた
それは相馬市の城跡に藤の花が咲くからである
そして城下町には藤の花があっている、相馬市の特徴は細い路地があり碁盤の目のようになっていて一応城下町なのである
ただ城跡には城も何もない、最初は天主もあった城だったが落雷で消失した
何か城が落雷になりやすいのはもともと江戸時代とかなると高い建物というと城しかないからだとなる、一番目立つ建物が城だったからである
城から天主閣から一望に街を見晴らせるからである

その喫茶店は花屋も併設している、三人四人くらい働いているから一人でしてしいる喫茶店とも違う、何か記事では野馬追のとき外国から研究する大学生が一か月くらい滞在したとか、それは駅でフランスの小学校の先生と出会ったからそういう人がいても不思議ではない、日本の歴史を具体的に感じることがあるだろう

ともかくあそこの喫茶店の価値は煉瓦作りということもあるがあの広い庭である
第一市街にあれだけの庭があったということが貴重なのである
なぜなら喫茶店とかの価値はレストランでもそうだが見晴しがいい、景色がいいと
価値が高まる、だちゃごちゃした狭いとか暗いとか何かそういう所は嫌なのである
ただ場末の飲み屋がいいという人もいるからそれをとがめることはできない

そしてそこの女主人が城でも何もなくても感じるものがあるというときそうである
何か城は新しくしてもそれが本当に博物館に見えるし博物館になっているのである
だから何かそこから歴史をかえって感じなくなるのである
ただ城跡だけでも石垣だけでも残っているとかえって歴史を感じることがあるからだ
そして田町通りはもともと古い場所であった
それがあのように新しくされたとき何かそれも古い情緒が失われたともみる

そしてかえって塀があり一本の松の玄関がありその隣が古い庭でそれが広いのである
古い池の跡もあり井戸もありなんとも不思議だった
なんでもその池を直すのには5百万かかると言っていた
確かにそれくらいはかかる、でもあの庭を整備すれば価値が増す、あれだけの庭が街中にあることが価値がある
それでかえって田町よりこちらの方に城下町の趣(おもむき)感じたのは不思議である

確かに街起こしとして田町通りをあれだけ立派にしたのだからいいと普通は思う
でもそれがあまりにも過去の田町の風情はなくなり新しい別な街になった感じになる
だから必ずしも歴史の保存というとき新しくすることがすべていいものとはならない
ただそうはいっても田町通りが悪いとはならない
それはそれなりの価値を生んでいる
ただ歴史の保存というとき継承というとき何か違ったものになっている

相馬市で感心するのは主な公共的な建物をみんな入母屋作りにしていかにも城下町らしい街作りをしたことである、あそこに高いビルが建ったりするとそうした風情は失われるからだ、それは成功している
平屋だけの方がいかにも城下町らしいからである

ともかく冬の日の相馬市も城下町として風情がある、趣(おもむき)を深めたのがその煉瓦作りの喫茶店である
城下町にあったものとなっていたのである
ここが街作り地域創成で大事なのである、何でもいいとはならないしその場にあったものを作ることである、だから磯部にある薔薇の喫茶店もいいし鹿島の海老の納屋を改造した喫茶店もその場を活かしていたのである
ただ私自身は行っていない

もう一つ価値を高めるのが人間のサービスなのである
その喫茶店の女性は年配であり対応がいいからだ、何かいろいろな人と話すときは人生経験豊かな女性の方がいいのだ、若い子がいいとは限らないのである
やはり年が近いと話が合うのである、それは同じ時代を生きて経験しているからである
そこでビートルズの曲を流していたということはまさに同年代だともなる
学生時代とか青春時代はビートルズ一色だったからである
それで東京の武道館でビートルズが来たときそのライブ演奏を聴くことが自分にもできた切符が手に入ることチャンスがあった、でもできなかった
つまりそのチャンスは非常に貴重なチャンスだったとふりかえるのである
そういうことは本当に人生には多い、貴重なチャンスを逃して永遠にもうそのチャンスはめぐってこない、人生はもう終わりとなっているからだ
この喫茶店ではバンド演奏するというとき何かそういう世代なのかもしれない
ビートルズにうっとりするのは団塊の世代とかその下の世代だからである
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この時興奮して熱狂していた女性でも75以上にもなっている
もうおばあちゃんでありおじいちゃんなのである
だから時間が過ぎるのは早い、あっというまであり二度とそうした興奮した経験はできないのである
いづれにしろその頃はいつもビートルズの曲が流れていたのである
だからその曲とともに青春が甦ることがあるのだ
ある人はそうして泣いていたというのもわかる、なぜなら二度とそういう経験できないし返ってこないからである

また不思議だったのがその庭にアトリ科のシメが餌を啄みに来ていた

その鳥を見たのはここで初めてだった

これも本当に不思議だった、ヒヨドリとか常に見ているが目白を四十雀も見ている
でもシメとか見たことがこの年でもないのである
なぜあそこで見ることができたのか、市街にそんな鳥が来たのかも不思議だとなる
こういう鳥が来るということは自然がまだあるからである
これはなかなか街内には来ない鳥だと思うからである

アトリ科のシメ

まずこれに間違えないと思う、あそこの喫茶店の価値はその建物にもあるがあの広い庭なのである、あそこを整備するればもっと価値が増すのである
でも池を作り直すと500万となると厳しいともなる
人間はやはり常に新しい価値を作りださないと何でもダメになることはたしかである
でも何でも新しいものがいいわけではない
そこも古い広い庭を活かしたことが新しい価値を作りだしたのである
必ずしも何でも新しくしたからそれで価値が生まれるわけでもないのである
それがやはり何か新しいものを作る時問題になる
地域創成がむずかしいのはそのためなのである

2020年01月16日

冬芒(写真と写生俳句ー写生が芸術の基本)


冬芒(写真と写生俳句ー写生が芸術の基本)

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冬芒老いて離れぬふるさとに

ふるさとの倉庫の脇の冬芒

冬芒遠くに行かじ垂れる雲

冬芒故郷に住み根付くかな

ふるさとにその場を得てや冬深む

それぞれの生を深めよ冬の暮

逢わずともその場を得てや冬深む

故郷に死者を思いて冬深む  

ふるさとに深く根を張れ冬深む

田母神のなお残りしや冬深む

ひなたぼこ蔵書を読みぬ広き家


毎日通っている道に冬芒を見る、これを当たり前の風景だと見ていた
誰も気に留めない風景である
だから写生俳句というときありのままを俳句にする
倉庫の脇に冬芒が伸びている、それが何なのだとなる
でもこれを写真にとったら冬の情景が絵のようになって心にしみる
それが一つの絵であり何か冬の心にしみる情景となっていた

人間は何か特別な景色を見ようとばかりしている、いつも見慣れたものをありがたいとも何か風情あるとか見ない、でも人間は老いると何か当たり前のものでも深いものを現しているのだと気づく
倉庫の脇に冬芒がなんなのだとなるからだ
ただこれは枯芒だとまた違った感じになる、
それは冬椿と寒椿では違っているのと同じである、
寒椿は相当に寒い時感じるものである
今年は寒くないから冬椿になる
冬芒はやはり今になるとあっている

芒は意外と強く根を張るのである、だから根を切ることはむずかしいということがある
それで芒を刈ってもまたその後に生えてくる、草は切っても切っても生えてくるのとにている

ともかくもう一月となると大寒にもなり本当はかなり寒くなるが今年はそうではない
だからストーブを今年は使わない、今もエアコンもしないで厚着しているとしのげるほどである
このくらいだと冬も楽だとなる、去年は一日ストーブを燃やしていた
だから今年は暖冬なことは確かである

とにかく冬は冬らしいのがいい、冬には何か思想で深める、ひなたぼっこして蔵書を読むのが幸福な時である、だから本というのは読まなくてもある量を集める必要があるのだ
私設の図書館のようにする、それが今はできる
安い古本をアマゾンで買って集めるとできるのである

介護になってから今も自分はほとんど遠くに出なくなった
去年でも仙台に行ったのは一回くらいしかなかったのである
こんなことは今までなかった、もう冬でなくても外にでない、冬ごもりになったのであるそしてただ石のように地中にひそみ黙しているだけだとなる

でも人間はそうして人と会わないにしても田舎だと実はそこで通じ合うものがある
それはアイディンティティ化する場所があることなのである
田舎だとそういう共通の場の中にある、それが孤独ということにもならないのである
だから都会は場がないから孤独なのである、群衆がいても孤独なのである
田舎の冬は何もないとしても味わい深いものとなるのだ

ただ田舎の問題は何か土地をもっていてまた家がないと落ち着かない、アパートとか住宅のような所だと合わないのである、住宅とは田舎では家のない人が住んでいる
貧しい人が住んでいる、そこに貧富の差が一番でている
私は親に恵まれて大きな家に住んでいる、だから悠々しているのである



2020年01月12日

lower arregement 2020(生け花の心)


flower arregement 2020(生け花の心)

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定位置に石の動かず冬深む


一壺におさまりきれぬ様々の花のともにし映えにけるかな

我が手にそ挿しにし花やいとしみぬ花を活かして心いやさる

幸あれと千両万両我が家に飾りけるかな新年迎えぬ

我が家に大輪の菊十分に見てかえる悔いのなきかも
        

生け花とかも日本の文化である、茶道でもそうであり庭でもそうである
それは京都中心に生まれた文化である
奈良時代の平城宮にはまだそうした文化は生まれていない、万葉集は自然と直結した
素朴な時代であり京都になると文化の時代になったのである
そこで平安時代にかなが生まれたのもそのたとめである

生け花というと花嫁修業とかにしていた、生け花でわかったことは生けであり生きた花を活かすことなのである
だから花を自らの手でさして花をいとしむということが必要になる
ただ生け花というと女性がするものになっている、花はやはり女性にあっているからだろう

私のテーマは一つは花であり石である、花はだからずいぶん旅行しても山でも見たのである、生け花はまた家で飾って見るから違っている
それはいつも花をまじかに見るからである
それで毎日じきまえで大輪の菊を見ていた、それで十分に見たからまた変える
つまり花は十分に見られることでその美を認められた、だからまた次の花をさして見るとなる
生け花はこうしてまじかで日々見られることで花と一体化するのである

ただ花を知るには本当はその心が大事なのである
花でも心が汚れると見えなくなる、他でも美が見えなくなる
そうなるとこの世に生きることは何なのだろうとなる
美をみないとするとこの世は本当に地獄にならないか?
栄誉栄華があっても美が見えないとしたら暗黒しかなくなる
この世が救われているのはこの世に自然の中に美があるからなのだ
だから東京とかにはそうした美がないから索漠としている
そういう場所に住みたくないとなる
ただ科学技術とかビジネスの世界では東京がいいとなる

石も私のテーマである、人間はやはり定点が定位置が必要である
人間はみんなその定位置から場所から世界観を形成するからだ
定位置があってその場からアイディンティティかされる自然や世界がある
「場所の現象学」という本でではそのことを明確に述べられている
そのことを書いてきた、人間は場をもたなくなったから自然からも世界からも疎外される
アイディンティティ化されてないのである
グロ−バル化してもその場のことが実際にその場に立たないとわかならいからである
だから例え世界のニュースをみても表面的なことしかわからていのである
ゴーンが逃亡したレバノンとは何なのだろうとなるとこれも場について歴史的にも地理的にもわからない
なぜレバノンという国があるのだろうからしてわからないから理解できないとなる

いづれにしろ俳句短歌は日本の文化であるが俳句は短すぎてもう表現しきれない
短歌はまだ長いからそれなりに命脈を保つともなる

2020年01月06日

新年-冬椿(冬の俳句十句)

                        
新年-冬椿(冬の俳句十句)

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万両や新年に幸分かち合う

新年に珍しく来る目白かな

白鳥にまばゆき光年明ける

寒雲に二両の電車待ちて来る

社消え落葉にうもれ碑の二つ

冬椿奥に籠れる女(ヒト)静か

路地裏の垣根静かに冬椿

城下町通りを歩み冬椿

冬椿心にしみぬ赤き色

外に出て北風吹かれ帰る家

目白が珍しく庭に来た、これは目が白い縁になっているからわかる
ただ隠れてわかりにくかった
庭だと近くだからなんとか鳥を見分けられる
庭に来るのでは後は四十雀とかでありこれもめったに来ない

万両は新年にふさわしい、豊作だともなる
その幸を分かち合うとなる、白鳥がいたのは手の沢の池である
六号線の道の駅の近くである、あそこは餌やる人がいるから来る
白鳥は餌をやらないと来ないのである
その近くに社が鳥居もなくなって碑だけが落葉に埋もれたのがあった
一応慶応とあり江戸時代のものだった

駅に行くと寒雲がたなびき二両の電車が来る
最近案内していない、何かめんどうになった
ただこの待つということが駅に価値を与えているのである
人を待つということが駅に人間味を与えているのは不思議である
二両の電車は一日二回くらい来る、昼間である
常磐線は一時間おきにしか来ない
不思議なのは人間は何かこうして無駄なこと待つ時間があることで人間的なものが生まれる、まず車だと待つということがないし今は待つことを嫌がる
それだけ時間に追われているからである

冬椿がいいと見た、というのは冬椿と寒椿があるが冬椿だとそれほど寒くない感じがする今年はまだストーブを使っていないし寒い感じでもない
ただ風は冷たいから外に出にくい、ただ冬椿というのが今年はあっている
相馬市は城下町であり冬椿がにあっている
それは病院に通ったりしてしいたとき相馬市内を歩いていたからである
歩くということもなくなっている

冬はやはり冬ごもりである、静かにこもっているのがなんともいいのだ
それはやはり田舎だと冬ごもりがいいのである
これが薪とか積んでストーブを燃やしたりしているとさらにいい
街内にどうも外から来た、都会の人なのか、そうして暮らしていた人がいた

ともかく冬椿が今年が心にしみる、今日だって外は風が吹いて冷たいけど家の中はそれほど寒くないのである、だからストーブをしていない、去年はストーブを一日燃やしていたそれで石油代がかかったご今年はかかっていないのである

何か介護の前のように平穏な日々に戻ったとなる
まず十年間くらいは落ち着かなかった、もう振りまわされて落ち着かなかった
自分の人生をふりかえると不思議なのは家族がいたときは30年間くらい引きこもりでありそうして静かに事もなく暮らしていたことである
そんな暮らしができたこと自体不思議だった
そういう平穏な平和な日がつづくこと自体相当に恵まれたことだったのである
今になりようやくそうした前の平穏な日々が返ってきたのかと思う

いづれにしろ今は遠出も旅もしたくない、めんどうになったのである
何か冬籠りがいい、じっとして家にいるのがいい、人とも会いたくないし人ごみ嫌なのである、そういう性格であったが余計に年取ってそうなってしまった
だから自分はもともと田舎にしか暮らせない人間だったのである
そして仕事をしなくてもそういうふうに暮らせたことが不思議だったとなる
今も別に金銭的に困ることもないのである

ただ今年はどうなるのか?
何か経済的に波乱含みである、アメリカのイラン攻撃もあったりなんだかきな臭い
今年はこれからどうなるのかわからない、大きな波乱がまた来るかもしれない
でも自分の状態は平穏なのである

2020年01月02日

2020年ー日本列島花の俳句


2020年ー日本列島花の俳句   

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(北海道)

夏菊や函館による船を見る

ルピナスや船におりたたつ苫小牧

北の湖シラネアオイの映えにけり

開拓の村にポプラやこぶし咲く 

熊の湯にエゾリンドウや羅臼かな

湯上りや廊下を渡り月見草


(中山道)

山吹や山に分け入る中山道

山吹や中山道に滝ひびく

五月雨の驟雨に森や中山道

山吹に中山道に幟りかな

中山道宿の裏庭藤の花

金沢や松のくねりて十月桜

(京都)

水写る花や京の日夢となる

京の水花に染まりて暮れにけり

花の色濃くも暮れにき京の辻

雨にぬる花もあわれや京に暮る 

(大阪城)

夕日さし桜満開大阪城

夢なるや花散りやまぬ大阪城


三重塔蓮華畑や奈良に暮る 

和歌山城白壁映えて朝の菊

電車行くレンゲ畑に近江富士

島の古り瀬戸田に椿三重塔

(瀬戸内海ー四国)

瀬戸内や潮の流れて夏の蝶  

菜の花や四国遍路や海望む

瀬戸の海暮るるや椿に島の家

開く海平戸に来たり朝桜

(沖縄)

沖縄やサンゴの岩に鉄砲百合

紅の心にしみぬデイゴかな


全国を旅行して花を記憶をたどるとこんなふうになる、シラネアオイは苫小牧の支笏湖の回りに咲いていた、あの辺に咲くということは苫小牧からは北海道なのである
ルピナスは船で苫小牧におりたとき咲いている
何かそこから北海道であり空気まで違っている
北海道は花が映える、広いしまだ原野の感覚が残っているからである
羅臼の熊が入ったという熊の湯は露天風呂である
エゾリンドウは大きく太いから北海道らしいのである

中山道は山吹だったのか?
山間の道でありふさわしいとなる
森の中に入る道があり本当はその山道を行けば良かったが鉄道で行った
五月で驟雨になりそこに深い森があった
このときやはり歩く旅をしないと記憶に残らないし過去を偲べないのである    

北陸は金沢であり兼六園には十月桜が咲いていた、これはめずらしいとなる
これは金沢らしいとなる、何か花が象徴する場所がある
花とその場所が市町村でもあうといいのである
市町村の花があっても必ずしも合っていないからだ

だから相馬地域だと原町は明治以降機関区になって駅前通りから栄えたからひまわりがあっていると書いた、鹿島区は何か草深い感じになり月見草があうとか相馬市は城下町で
城跡に咲く藤の花があうとか柳がにあう市だとか書いたのである

ただこれが全国となると何が象徴的花となるかはむずかしい

近江は滋賀県は関ケ原を出て近江富士が見えてその前が蓮華畑がにあっていた
近江富士は形がいいから目立つのである

京都はどうしても桜であり大阪の満開の桜が散る風景は忘れがたいものだった
夕日の中に栄華の桜がそこはかとなく散った
それがなぜ特別なものに見えたかと言うとそこには歴史があったからなのだ
大阪城にまつわる栄華と滅亡の歴史がありそれでその桜が満開になり散ることがそうした人間の歴史と一体化して特別なものにしていたのである
そういう栄華の歴史は東北になるとなかなかないからである
こういうことは江戸があれほど栄えたのになぜか偲ぶものがないということが淋しいのである、東京ではまず江戸を感じるものがないのである
江戸城があったとしてもそれももう一つ大阪城のように感じないのである

海で印象的だったのは平戸だった、桜が咲くとき平戸の海を見たときそれは東北の海とは違っていた、明らかにその海は外国に具体的に通じる海だったのである
太平洋は外国と通じる海に感じないからだ
伊達政宗がメキシコ経由でヨ−ロッパに船で使節を送り出したのは例外的なことだった
九州とかなるとすでに外国の交流の厚味が違っている、歴史が違っているからだ

沖縄には沖縄の花がある、サンゴ礁の岩に鉄砲百合が咲きラグーンに波が寄せる
紅の何とも言えぬ赤が心に染みる、それは沖縄と一体化した花なのである
まだまだ旅して記憶に残った花があるとして記憶から消えてもいるのだ
とにかく自分は本当に旅をした、だから延々と今で旅路をたどっているとなる
それも経験として貯金だったと思う
貯金というとき金とばかり思っているけど他にいろいろあるのである
人間は何か必ず貯金している、それがわからないき場合がある
でも必ず老人になったとき何を貯金していたかわかるのである
それは人生経験の中でいろいろあるからである
老人はその貯金で生きているともなる
なぜなら新しい経験とかできなくなるからだ、すると記憶に生きるとなってしまう
それで認知症になると若い時のことは覚えていて千回も同じことをしゃべりつづけるのである、何か一番記憶に残ったことをしゃべりつづけるのである
なぜならそれが人生だったからである

ただどうしても記憶が薄れてゆくのである、それが問題なのである
だからいかに記憶に残る旅をするかが問題だと書いてきた
それは歩くとか自転車とかがいいとなる、でもそうなると時間がかかるのである
だから会社員とかはしにくい、旅するには金より時間なのである
今は交通が便利すぎることがかえって旅を経験できなくなったのである



2020年ー新春の短歌


2020年ー新春の短歌

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海老浜ほここは津波で家がなくなった


精悍にノスリ一羽や冬の浪


新春に光あまねく新しき力の湧くや国そ栄えむ

餅食うて力の湧かむ正月や日本に生きる幸を知るべし

紅白の餅を捧げて霊前に新しき年我は迎えぬ

新春の光さしにき我が家の広くもあれな憩い休みぬ

我が家に万両飾り正月に一人来たれる故郷の女

国々に栄のあらむその基見直すべきかな新しき年 


昨日は海老浜の方に行った、そこは津波で家がなくなって枯野になっている
浪がとどろきひびいている、そこにノスリが一羽いた
それから沼津の方から家族連れで海老の津波の死者を供養する観音像を見ていたので案内した
あそこだけは大失敗だった、30人くらい死んだ
避難所として指定していたことが大失敗だった
別に500メートルも歩けば避難する所があったからである
海に接していたからもろに津浪の被害を受けたのである

やはり正月は餅である、近くのやめた菓子屋でついた餅を食べた
これは他のよりうまい、なんか力がついた感じになる、パンより米がいいとか今言う人がいる、やはり日本人は日本食がいいのである
その歴史が長いから腸が長いいうときそういうふうにして体もその風土にあって作られてきたからである
外国人は肉を消化する酵素がでるというときもそうである
遊牧民は羊を常食としているからそうなる

姉と母の霊前に紅白の餅をささげた、これはコンビニに売っていた、ちょうどこれがあっている、この家を作ったのは二人だからである
そして大きな家に悠々と住んでいられるのも二人がいたからである
やはりいい先祖をもつと力となるのである

いづれにしろ世界がグロ−バル化したときその反動が世界各地で起きている
それもグロ−バル化というのは何かその国の風土とか歴史を無視するからである
私はワインなど必要ないと思うし本当は牛肉でも日本人に合っているのか疑問なのである肉食が日本人の体にあっていないような気がするからだ
日本人はもともと肉食ではなく魚を食べていたからである

今年はグロ−バル経済が国際金融資本家が世界の富を奪うことが終わるのかもしれない
そのショックが来る、それは一時的に大混乱になってもその後にいい世界がやってくる
貿易は必要でもまずその国の栄の元がどこにあるかを知るべきである
だから国風文化の時代となる、それが世界で起きているのは神の理だとなる

その国の力の根源がどこにあるのか見直すべき時代なのである

御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば
(万葉集 6-996 ).

その国土の天地が実りと豊かさを与えてくれるのが基本なのだ
それを無視すると本当の豊かさはなくなる、それが原発事故で証明されたのである
それで日本が経済が衰退して農業に活路を見出そうとしているのは良い兆候である
耕作放棄地でも利用しなければ生きていけない時代が来るかもしれないからだ
製造業でも日本はもうかつてのように興隆しないからだ
第一輸入すらできなくなる、そうしたら日本国土にあるものを利用する他ないのである
ここ70年くらいがグロ−バル経済になり異常だったのである
もちろん農業とか言っても同じようにはならない
何か新しいものとして日本の風土にあって国土を利用するとなる
そういう大きな変わり目が2020年なのである

皆様も良いお年を・・・                                      



2020年01月01日

2020-謹賀新年(Japanese New Year)


2020-謹賀新年(Japanese New Year)

新年おめでとうございます

我が国を支える柱直ぐにして新たな年を迎え立つべし 

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Nanten, pine, plum, and leaf peony are the lucky
charms of Japanese New Year
Used as a New Year's decoration

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Japanese inn



日本の正月は文化である、韓国とかにはないし中国にもない文化である
それがなくなっているのは感じないのは餅にしてもいつでも食べているし
正月で特別なことがないからである
晴れの日というのがなくなったからである

こういう文化が失われることの深刻さは日本の心が失われることである
文化とか伝統とかは心と一体化しているからである
だから正月は農業とともにあって日本の文化になっていた
そこに代々受け継がれた心があった
それが失われることは日本人の心が失われたことにもなるのだ

確かにいつでも餅が食べられるし何でもいつも食べられるにしろ物質的には満たされても心が満たされないのが現代なのである
歳神の説明のようにそれが何を意味していたのか?
そこには何かやはり深い意味があった
でもその意味は受け継がれなくなったのである

家に歳神を呼ぶことは大事なことである、家に他人を入れることは実際に相当に怖いことだ経験で知ったからである
だから営業の人でも家に入ってくるとするとそこに危険が生れる
災いが生まれる、だから家政婦とかなんでも家の中に入る人は簡単に入れてはいけないのである
そういう経験があって歳神を入れるとかの信仰になったのかもしれない
いい人でも福をさづける人が入ってくれということである
福は内であり鬼は外でもそうである

自分の家に入って来た人たちは悪鬼だったともなっていた
そのショックから今もぬけられない、でもそれも自分の家のカルマだったのである
自分自身のカルマだったのである、それは自分が楽しすぎことから来ていたのである

ともかく家とかかわる人は注意しなければならない、福をもたらすものもあるが災いをもたらす人も多いからである
ただそれもカルマであり逃れられないのである

原町の道の駅でお盆の飾りははなまるガーデンの人が作った、社長が作ったという
うまくできているが他にインタ−ネットで見たらこういう形になっている
だからオリジナルとまではなっていない、正月の決まった形として作られている
でも葉牡丹が質実な感じになり苔がむして梅がこれから開く
その調和が日本的でいいと見た
日本的ミニチュアの小世界を具現化している

今年はどういう年になるのか?

今年はを良く言う人はいない、波乱の年になるとみんな言っている
ただそれを妄りに恐れても良くない、そうあっても常に新たな進化のためにそうなる
そういう変革がないと新しい世は生まれないからである

自分自身は調子がいい、創作は佳境に入っている、だから作品をまとめることが仕事である、これも手間なのだけどそれに励むのが今年もつづく

皆様の幸いとさらなる前進をお祈りします




2019年12月31日

大晦日(風が一日荒く吹いて唸った)


大晦日(風が一日荒く吹いて唸った)


大晦日風荒れ吹きて来年の予兆なるかな外に出られじ

風荒く家に吹きつけ唸りける何か不気味や大晦日かな

大晦日なお風荒れて吹きつけぬ街灯部屋にゆれて光りぬ


何か風は荒れて家にうなり吹きつける、その時いつも思い出すのが姉が認知症になったときである、その時も風が激しく吹いて唸っていて
それ以来プログに書いたように災難つづきになったのである
自分も病気になったし家に来た人はみんなろくでもない金目当ての人だけで被害にもあった   

まず家が乱れると外からもおかしな人たちが入ってくる
いい人は来ないのである、そして家がかえって荒されるのである
それも自分のカルマだった、30年間くらい実に自分は楽だったからである
だから楽は長くはつづかない、必ずいつか苦しい時が誰でも来る
それは母が死ぬまで今度はつづいたのである

今年は台風の被害が現実に自分の家でもあった、床上浸水ではないにしろ浸水したのである、でもその他は今年は大きなことがなっかた
ただ自転車で夜転んだのは危険だった
というのはまだ転んで打ったところがあざになって消えないからだ

とにかく経済でも何でも来年いいこと言っている人はいない
実際に経済でも何かいい兆候がないからである
株でも官製の見せかけの株高でありそのメッキも来年ははがれる


日本における大晦日という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」(としがみさま)、または「歳徳様」(としとくさま)への信仰に基づく儀礼から生じており、これらは歳徳神などとも呼ばれるその年一年間を司る神様である。年の初めから来られるため、「正月様」(しょうがつさま)とも呼ばれ、各年によって来られる方向が異なり、その方角は「恵方」と呼ばれる。この神様は神社のような宗教施設ではなく各家々に訪れると昔から信じられていたため、神様をお迎えし食事を共にしたりするために大晦日から「年籠り」(としごもり)をして(元旦に恵方にある近所の神社へ参拝する恵方詣りをすることもあるが)元旦も家で過ごすことが一般的であった

こういう民俗は何かやはり意味があったのである
信仰とも違う一つの何か神様がいてそれが人間に影響する
というのはつくづく家に来る人間は何か影響が大きいのである
親の介護とかなり自らも病気になったとき自分の家に来た人たちは異常な人たちだった
だから余計苦しんだのである、実際に泥棒も来たしガタガタに家がなった
それは家に来た人が悪かったためだともなる

家に来る人、家に入る人は気をつけねばならない
例えばセールスマンとか何かそういう人も悪い影響をもたらす、今は銀行などの営業の人も危険になった、ゆうちょ銀行でも不正があったりと何か経済が衰退して金融でも悪化しているからそうなる

歳神とかなると何なのかと今ならなるが福をもたらすものを家に迎えることである
この家に迎えることが大事なのである
それは家に入る人の影響が大きいからである、つまり変なのを引き入れるとその家が汚される、その家族すら破壊される恐怖がある
だからそういうことを家々で感じていたからこういうことが信じられたとなる
家の中に悪しきものが入ることを畏れたのである

必ず村の神社などの古い石碑を見ていると必ず正月と刻まれている
正月に奉納したから正月が刻まれている、何かそういう慣習が祭りがあったともなる
そういうものが消えたのは農業ではなく工業化したからだともなる
農業はどうしても自然と結びつき人間の技ではない、神を意識するものとなるからである豊作になるかどうかとも天候に左右されるからそうなる

第一冬というのがふえるーふゆなのである
農作物はかえって冬に育ちやすい、増えるのである
これは意外かもしれないが実地に畑で野菜を作る女性がそのことを言った、そういうものかと知識では知っていてもそれが本当にそうだったとういことを知ったのである
農業でも漁業でも林業でも自然と直接的に結びつく仕事は神を意識しやすいのである
人間を越えたものを畏れるのである
でもこれが野菜工場のようになるともうそこも工場になり自然に存在する神というものから離れるのである、ハウスは一つの工場と化しているからである

今年は台風が一番の被害であり最後にまた風が荒れてうなり吹いた
それも今年の天候を示していたとはなる

では今年もこれで終わりです

何かいちいち対話はしていない、一方的に書いている
対話するにしても何かその人となりを知らないと対話できない
突然コメントされてもその人なりを知らないから対話できない
ただyoutubeのようにその人となりわかるとき対話できる
その人が何を求めているのかも良くわからないから対話できないのである

過去の人でも対話することが相手を理解することである
自分なりに相手の書いたものを対話して消化するのである
ただそのまま引用ばかりしていては読んだことにはならない
だから過去の偉人の言を応用して理解することはむずかしいのである
その力量に差があると余計に応用できないのである
ただ今になって理解力がついた、だから自分の文脈の中で活かすことが可能になる
だから今まで買った本を読み直して理解を深めているのである

では良いお年を・・・・

2019年12月29日

年の暮の俳句(家事に追われる自分に変わりがない)


年の暮の俳句(家事に追われる自分に変わりがない)

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まじかにて花見て遺影年暮れぬ


ひよどりのけたたまく飛ぶ寒椿

荒浪の轟きよすや寒椿    

山鳩に烏に雀年暮れぬ

山茶花のここに咲きしや目をとめぬ

まじかにて花見て遺影年暮れぬ

買物や一人忙し年の暮

野良猫に食われしオカズ年の暮

金なしと嘆く老女や年の暮

死ぬまでの金勘定や年の暮

原町へ今日も行き来や年の暮


今日は原町の道の駅まで行った、そこで正月の飾りなどを見た
花も買った、正月の飾りつけはできた
でも花は活けた花はいつもそばで見ている
そこに遺影がある、食事する場所のすぐ近くなのである
何かそれだけでも花をいつも見て遺影を見ているとなる
離れた所には別に花を飾る場所を作った
生け花はいつも身近に見る所にあるのがいい、家の中でも離れるといつも見るとならないからである
でも床の間だと今はいつもいるとはならない、やはりいつも食事する間がいいとなる
仏壇でもそれは別な部屋にあったりする、花はいつもまじかに見る所に飾るのがいい
ただ生け花はフラワーレンジメントは別にして写真をとるのである

金がないということは苦しい、それでどうにもならなくなり借金する人もいる
そもそも金が基本的にたりないのだから必ず月末に金がなくなり電気水道がとめられたりするのである、そのことが変えられないのである

買物に行っている間に野良猫が入ってきてオカズを食べられたというより口つけられたかもしれないとなりバイキンがついたのかと恐れた
野良猫にすれば食べるものがないのだからなんとか食料を確保しようとする
その親子二代でこの辺にいるのである
もう7年前とかだったかその子猫を生んだ親を知っている
その兄弟がいて子供を産んだから孫になるのである
それだけの歳月がすぎた、隣で餌をやっているから集まる
でも自分の家にも隙を見て餌をねらってくる
これが困ったことなのである
時々留守の時荒らされるからである

猫が危険なのはバイキンである、また人間が危険なのは盗まれることである
これはみんな困っている、人を見たら泥棒と思へどこでもそうである
そうして自ら盗んだり盗まれたりしない人はいないのである
まさに現実に人間の泥棒猫が入ってきて荒らされた
それも近くの人だったのである
野良猫にしてみれば生きねばならない、だから隙をみて飼いネコの餌を狙って家に入ってくる、でも留守の時荒らされてそこにバイキンがつくことを恐れる

ともかく今年も終わりである、相馬市までは今年中には行けない、原町は8キロくらいであり行ける、どうしても買い物があり行くことになる

山鳩に烏に雀もそれぞれに年が暮れた、人もそれぞれである
ただこの一年は台風被害をのぞいてそれほどのことはなかった
ただ何か自分の場合忙しすぎる、全部家事を一人でしてさらにプログに書いているから
ほとんど食事してもすぐインタ−ネットを読んだり見たりしてプログを書く
だからそこに暇がなくなっているのだ
本当は家事を少しでも手伝う人が必要なのだけどそれがうまくいかない
家の中に人をいれることやどういう人が来るかわからない
何か相性もある、今は一人だけ以前として同じ人が来ているがその人はただ話するだけであり何もしない、だから結局介護になってから全部家事はしていることには変わりなかったのである

ただこの年になると時間が貴重になる、生きる時間がなくなってきたからである
本当にいつ死んでもいい年になっている
だから時間を無駄にしたくない、作品を完成するべく整理している
それも手間なのである、写真の撮り方もいい写真をとる方法があってもそれを簡単には会得できないのである
とにかく今年も終わりである










2019年12月27日

年の暮(家の整理に追われる)


年の暮(家の整理に追われる)


年の暮家の整理の月かな

年の暮金の計算に追われけり

冬紅葉雨にぬれけり家の前

我が一人時雨ぼつりと年終えぬ

夕空に鳩十羽ほど年暮れぬ

寒雲や風車はとまり年終えぬ

十数本寒木動かじ風唸る

星増えて星座となるや冬木立


我が庭に今日も数枚の木の葉散る心にとどめ日は暮れにけり

死者なおも家のまわりにいるものや一人守りて今年も暮れぬ  

家の整理と掃除とか金の計算とか料理とか生け花とかして疲れた
なにかずっと介護になってから家族が死んでも家との格闘がつづいている
家は何か物というのではない、そこに生きたものがまだ生き続けているという感じになるだから家を生きるとまでなる、自力で家を花を飾るように作った
何か一つの仕事場にした

今日は夕暮れが迫りぼつりと頬(ほほ)を時雨がぬらした
時雨でも雨と間違えやすい、ぽつりとか濡らす時は時雨である
でも雨が少しでも全体にふれば時雨ではない
せいぜいぽつりと頭でも頬(ほほ)でも濡らすくらいのが時雨である
時雨は何か死をにおわすということがある

夕空に鳩が十羽ほど飛んで旋回した、これはただ写生である
写生が俳句の基本である、いちいち説明するのではない
だからこれは今年も十羽ほど鳩が飛んだということで平和に終わったとみたりする
その解釈はいろいろになる

風力発電の風車は四つあるが海岸でとまったままである
これも長いと思った、もし電気でもこうして発電できなかったら大変なことになる
だからあまり風力発電とかソーラーパネルは頼りになるものではないのだ

銀行員が昨日も来たし今日も近くの地銀に行った
何かこの銀行は何なのかわかりにくいのだ
どういう社会的役目があるのかわかりにくい
でもそこには十数人くらい働いている、するとそれなりの人が社会のために働いているとなるのか、でも今の仕事は投資信託とか今度は保険とかすすめる
つまり地銀は今や証券会社の支店のようになっているのだ
だから何か本来の仕事から離れてもう地域に必要なのかとまでなる

そして地銀でも銀行でも半分がつぶれるとかなると不安になる
地域に尽くすものとして地銀の仕事ではなくなっているのだ
でも利益を出さないといけないからわかりにくい外貨だけの保険とかをすすめる
でも投資信託では損しなかったから助かった
本当は株をもっていればもうかっていた
やはり資本主義を批判してもそのシステムでもうけるには資本が元金がものいうのである

どうも銀行を調べるともともと地元に住んでいた人ではない
銀行は転勤が多いのである、その転勤が多いことには事情がある
銀行特有の事情がある、一地域に長くいられない事情がある
つまり寒木が近くの公園に十数本あり根付いている
そういうふうに地域に根ざすものとも違っている
一応福島県だから大銀行とは違っていても転勤が多いか地域に根付かないのである
土建業などは地域に根付いている、でも土建業も遠くに仕事があると移動するのである
移動社会になっているからそうなる、土建業でもいつも地元に仕事があるとは限らないからである

今日は銀行で記帳してもらい、次に布団を丸洗いした、それで失敗した
丸洗いできない羽布団だった、たいがい布団は今は洗えると思った
それは通販で買ったもので軽いからいいものだった
汚くなって洗えないとなると失敗だったのでまた別なものを注文した
その後に食器を拭く付近を近くの100均で買った、蓋の無い醤油瓶を使っていたらそこに
蠅が入っていてその醤油を使ったのは失敗だった
何か台所仕事は必ず何かある、第一冷蔵庫に何が入っているのか忘れるのである
こうして毎日自分は家事に追われるしプログも書いているから追われるのである
ただ介護が終わったのでその点は楽である
ただこんなに家事に追われると思わなかった
家事には何か細かいことに気を使うのである、料理自体いろいろなものを使いすぎるのである

とにかく今年も終わる、やはり今年は自転車が危険だった、車も危険だが自転車も危険なのである  




2019年12月25日

冬の俳句十句(家に生きる-家の重み)


冬の俳句十句(家に生きる-家の重み)

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ここのバス停があってもほとんどバスに乗る人がいない
一日二回か三回カラのバスが通るだけであり生活から離れている
冬菜があれば生活の匂いがするがバスに乗る人がいないのである

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ひなたぼこ家猫平和争わず

隠れ咲く枯菊ひそか隣かな

大石に冬日のさして隣かな  

玄関の曇りガラスに冬紅葉

我が家や長くも棲みて冬紅葉

我が家に母もなきしも冬紅葉

我が家や冬紅葉も散りにけり

枯蔦や我が一人残り家守る

我が庭に数枚散りぬ枯葉かな

大石に山の枯蔦太しかな

我が家を守りて一人冬の暮

広き家南天飾り幸のあれ  

なまこ壁蔵ある家や冬の暮


我が家に刻みし時の長きかな今年も暮れむ家をめぐりぬ


家というのも何か人間と一体化する、アイディンティティ化する
ただ家を深く意識するようになったのは家族がみんな死んでからである
死んでから親のことなど深く思うようになり家もまた思うようになる
家というのはただの人が寝起きしたり食べるだけのものではない
そこに人間一人の一生が刻まれて一代だけではない、何代も続く場合があり
そこで重みをもつ、だから蔵のある家は重みがある
私の家だってすでに築50年過ぎた、古くなっている
何か私の家は大きい、だから二階の八畳間に寝ていると気分がいい
家の広さは人間の心に相当に影響する、狭い家にいると圧迫されるのである
これまでは狭い部屋に寝起きしていたから圧迫されていたのである

まず田舎だと家とか土地とか恒産がないと住みにくい、市営住宅のような狭い所に住んでいると心まで圧迫されて狭くなる、いつもとなりの人のことが嫌だと言う人がいるからだ何か変な人がいてもがまんするほかない、でも離れていればそれは関係ないのである
そして家というのは長く住むとまた重みがもつようになる
農家がなぜ重みをもつのかとなると土地と一体化して何代も住んでいるからそうなる
農家は三代住まないと仲間になれないというのもそうである

でも私の家は外から来たから二代目とか三代目なのである
街に住んでいる人は比較的新しいのである
隣の家をのぞいたら枯菊が咲いていた、それを今日見つけたのである
なにかひっそりとしている、最近は隣の女性と話もしない
その女性もおとなしいのである
そしてまた左の隣のおくさんも顔すら見たことがない、同級生がおとなしい女性だったというからそうである
その庭には大石がある、ところがその家は貸家である、でも庭が広いのである
そういう家を田舎でぱ安く借りられるのである
もうすでに30年くらい住んでいるとそれは貸家ではない感じになる

何か老人になると家が大事になる、なぜならあまり遠くに行くのも億劫になるからであるすると家にいる時間が長くなる、それで家が広かったり住み心地良くないと嫌になる
また家は周りの環境も影響する、何か田舎でも車社会だから車の騒音に悩まされる
だから立地が悪いと騒音が都会のようにある
ここでも前は道路が近くで車の音がうるさかった
でもそこに家が建ったので音がさえぎられたのと下にいるようになったから車の音は聞こえないのである、だからこの家に満足している
ただ広い家だと掃除するだけで手間なのである
家事に時間をとられるのである

なんか猫が家の前でひなたぼっこている
それが平和だった、ところが野良猫がいつもいる、隣で餌をやっている
その野良猫が自分の家の中に入ってくる、それも問題なのである
地域猫として飼うとういのでもない、ただなんらか餌やる人がいてこの地域にいるのかとなる
地域猫でもネズミ駆除にはいいのかもしれない、というのは田んぼの近くの市営住宅の人は小さなカヤネズミが入ってきて米を汚されたとか言っているからだ
ここでは住宅整備地域にして改造したから堀もなくなった
一時震災後にどぶねずみなどが入ってきたが今はネズミは見ない

飼い猫は餌が与えられるので平和である、でも野良猫は平和ではない
餌が与えられないからである、平和という時これは人間でも同じである
やはり餌が与えられないと治安が悪くなる
貧乏化すると安定しないから治安が悪くなる
日本は今貧困化して犯罪が増えてくる
それは自分自身が被害者だったからである
銀行まで窮地に追い込まれて貯金してもそれが奪われるとまでなっているからである

とにかく田舎は家があり土地がありある程度の金の余裕がないと住みにくい
恒産があれば田舎の方が住みやすいのである、そしてそこで文化的なものをつちかわれるのである
だから公務員とか農協とか銀行は生活的に安定していたのである
それは田舎でぱエリートだったのである
今は貧困化するとそういう安定した職業がなくなる、そこで田舎でも犯罪が増えたり住みにくくなるのである

いづれにしろなぜ老人ホームに入った老人が家に帰りたいというとき家が一生を過ごした場所でありそこに深い思いがあり家は単なる箱ではないからである
だから原発避難者でも故郷に帰りたいというのは老人なのである
それを奪ったのだからそれが罪深いものだったとなる
人生の最後は家で死にたいとか故郷で死にたいとか田舎で死にたいとなるのはそれだけ
そこに深い思いがあるからそうなるのである
家というのはだから嫁にもなる、女と家は一体なのである

そして意外と大工さんというのが家にかかわるから大事だとなる、でも建売とかなるとあまりかかわらない
庭作りでも家でも大工さんの手作りだと家とかかわるだけではない
その家の人とも家族でも深くかかわることがある、ただ今はそういうことは少なくなった
また茅葺の家のときは地区の人がみんなかかわったのである
だから家はその村とかと一体化していのである
それが建売だと地域とは関係ない、ただ金で家を買うという感じなり重みがなくなった
ただこの辺で一つの新しい街ができるほど家が建ったがみんな建売であり一週間くらいで組み立てて建てたものである
昔の家は普請は大仕事であり地域の人がみんなかかわってできた
だから何か昔の家には重みがあるが今の家には重みを感じられないのである
また家の重みは長く住むことによって重みが生れて来る
それはその家族がその家と一体してただ物質ではないものになるからである






2019年12月16日

冬の俳句十句(近辺を回る)

冬の俳句十句(近辺を回る)

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葉牡丹の畑に蔵や陽の没りぬ

誰が眠る桜井古墳や冬深む

冬の日に老人植える桜かな

古社一つ参る人無く木守神

奥の方冬田わずかに籠るかな

冬たんぽぽ我は恵まれ生きるかな

故郷に墓守り我や年暮れむ

墓地近く母の命日冬椿    

街の墓地日々通りて冬椿

冬の菊母の命日墓に挿す

我が一人家を守るや冬紅葉  


新田川に白鳥が二十羽くらい来ていた、そこで土手は広く桜の木を植えていた
市の方で植えた、でもそれが成長する日は死んでいるとなる
この辺では白鳥は今年は見かけない、前は真野川で餌やたしていたから来ていた
今はしていないから来ない、やはり餌やるのがめんどうになる
猫一匹でも餌やるのが手間になる

近くの墓地はいつ、もの通り道である、
そこの脇に公園があり椿が咲いている、冬椿というとき寒椿とは違う
でも今日は寒かった、寒椿は最も寒い時の椿となる
近くにあるということは何かそこに死者もいつもいるという感じになる、墓ですら離れると日々に疎しとなってしまうのである  

母の命日は12日だった、師走に死んだのがふさわしいとなる
なぜなら暇なく働いた人だったからである、93歳頃まで家事もしていたからである
それで認知症にならなかったともなる

人間はだからつくづく皮肉である、そんなに働かせられるのは嫌だと普通はなるが
全然働かない人がぼけやすいのである
それは笑いごとではなく怖いことなのである
奇妙だけど主人がいて召使がいて主人がもし何もしないで召使になんでもさはていると
主人がぼけて召使はボケないとなる
このように人間は召使が不幸だと思っても必ずしもそうともならないのが不思議である

昨日は冬タンポポが二三輪咲いていた、だからあたたかいと思った
浜通りでぱ冬でもあたたかいときがある、今年は暖冬気味だから咲いていたと見ていた
でも今日は寒いのである
家族で自分だけが一人残ったが自分は恵まれていたとなる、それで最後に残ったのが自分だったとはなる


2019年12月15日

秋の蝉の私の句について


 秋の蝉の私の句について

  
町一つ秋の蝉鳴く余韻かな

one town
one sympathy
all in one herat
Cicada voice in autumn
still sounding over


まず秋の蝉だが何か今年は川の土手の道が散歩道と買い物に行く道になっている
そこに座る場所があり秋になっても蝉の声を聴いていた
最後に一匹の声を聴いて後は聞こえなくなった
その余韻が残っていた
英語にしたがそれはグーグルの英語翻訳である、AIでも翻訳はかなり精度が高くなっている
ただ詩の翻訳となると限界がある、一部はでも機械翻訳を使い英語にして見る
すると何か英語の感覚が身につくかもしれない
ただこの英語は正しくはない、あくまで参考であり試しにしている

何か人間の心が一つになるone heratになる場が必要なのである
それがちょうど一万くらいの町だとなれる、原町とか相馬市になるとやはり広いからなりにくいのだ、ただ相馬市の街は原町よりは一体感一つになりやすいのである

人間が共感する一つとなれる場というときそれは狭い範囲になる
そういうところで一つの共感をがあり一体感をもてる
だから江戸時代の村だったらもう500人とかのレベルだからそれ以上に人間でも自然と一体化していたことは確かである
人間があえて絆だとか団結だとか言う時すでに絆も団結もなくなっていたからそういうのである、本当に連帯していればそんなこと叫ぶ必要もないからである
そして原発事故であったのは外から来た人たちの絆であり内部ではなかった
内部では補償金で分断されたのである

人間は家族であれなにかそうした小さな共感する範囲の共同体がないと安定しない
現代の問題はグロ−バル化社会とか広域社会とかで本当にそうした共感する場がない所に無限に広がったのである
そこで人々は経済的一単位とかなり金で何でも売買される世界にひび生きている
そこにはもう絶対に心で一体感をもてる社会ではない
やはり人間はアイディンティティをもてる一つの小宇宙とういか世界が必要なのである
それを求めることはもう都会ではできない、ばらばらのアトム化した社会しかないのである
だから豊かになっても現代の人間はみんな故郷喪失者とか漂流者のようになっている
だからこそ原発事故で簡単に町でも村でも人は補償金をもらってさっさっと出て行ったのである、そういうふうにばらばらになりアトム化した世界なのである
コミニュティとか共同体より金の方が大事になっている社会である   

秋の蝉余韻やここに我が座る
ふるさとや旧友と会い秋の蝉
ふるさとや同じ場所に秋の蝉
ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

何かこうして故郷とは共感する場所である、人間にはそういう場所が必要なのである
それが今は喪失した、経済活動でもいくら田舎でもグロ−バル経済に組み込まれているからである
そこで心がココロがココから発しているようにそのココロが失われてしまったのである
だから心は場所と深く関係してありえたのである
それは都会にはない、共鳴したり共感したりする場はないのである

とにかく秋の蝉の俳句はずいぶん作っている、でもそれを調べるのがまた大変になった
膨大なログがありそれをまとめることが大きな仕事となる、それで今冊子のようなものにしよとしているがこれも手間なのである


2019年12月13日

また忘れた母の命日 (死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)


また忘れた母の命日

(死者は生者に何を望むのか―報いは何なのか?)

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母の命日(三周忌)
http://musubu2.sblo.jp/article/185201304.html                                    

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白い清楚な花は隠れるように
つつましく咲いていた
今は亡き女となり 
なお家にいて静に
やはりこちらを見ている?



報いあれ我が家に生きて冬紅葉

冬の菊母は支えぬ我が家かな  


忘れけり母の命日昨日かな満月光り4周忌かな 

明るくも冬の満月照らしけり母は彼岸に我を見るかな 

しみじみとこの家にあれな冬の日や母は長くもここにありせば


昨日が母の四周忌だった、15日だと思っていた、それがどうしてか先入観年になっていた、前の年も忘れていた、こういう勘違いがある

母は目立たぬ女性だった、性格がそういう目立たない女性だった
ただ家事にせわしく子供の時店でご飯を食べる間もなく忙しかった
そして実家の父親が事業に失敗した時、後妻が入ってきて継母でありいじめられたのである
こういう生い立ちは悲惨である、何か愛情をかけられなかったのである
その継母だった人も最後は悪かったなとと言って何かおかしくなり母に頼って最後は死んだ、そして実家の墓にその継母の骨は入った
ただ一人めい子が残ったがその人が異常人格者になったので今は墓参りしていない
何か不和分裂の家系でありそういうことは生前あると死後もつづく
一緒に墓参りできないのである

それにしても我が家にいたのは長かった、百歳まで生きて70年くらいいたとなる
これも長いと思った、だから人間は死んだらどこにいるのかとなるとやはり依然として家にいかるのかもしれない、女性と家は切り離せない、だから嫁なのである

なんか不思議なのは今は私は二階家であっても下にいつもいる、すると母親もその部屋にいて介護したから母もいる感じになる
何か自分を庭からでも見ている感じになる
時々幽霊のように現れる感じにもなる

母は生い立ちとか不幸だったけど経済的には戦後の一時期は苦労してもしなかった
経済的に苦労したという時戦前はみんなそうであり戦後の一時期はみんなそうだったからである、だからそれは苦労したとは言えない、でも自分の家で良い待遇だったとは言えなかった
ただ忍耐の女性でありじっと耐えて暮らしていたとなる
それは自分の性分ともにている
いい家に生まれたらやはり何か文学の才能があったみたいだから短歌など書いたかもしれない、ただそういう余裕が全くなく働きづめで終わったのである
短歌とか俳句でも何か暇があったり余裕がないとできない
そういう余裕が与えられなかったのである

今は遺影に向かい母と姉に語っている、返事はない、なんか認知症になった女性が壁に向かって一人で語っているという時、それは死んだ人と語っていたのである
つまり老人にとって死んだ人の方が生きて入る人より親しいのである
老人になると親しい関係を作ることはむずかしいからである
そして老人にとって家が安住する場なのである、だから家で死ぬのが理想だとなる
ただ母は一か月前に入院して病院で死んだ
でもそれまで家にいたのだから家で死んだ感じになっていたのだ
ちょっと目を離した時に死んでいたのである
おそらく苦痛はほとんどなかった、眠るように死にたいと言っていたがそのことだけはかなえられたのである
やはり苦痛なく死にたいというのがやはり死の理想でもある
百歳まで生きればたいがい老衰ではあり苦しむことはないだろう
だからやはり老衰で死ぬのが理想だともなる 

とにかく死者の報いとは何なのだろうか?
何かそれだけ苦労して尽くしたり働いたのだから報いがあってもいいとなる
でも死んだらその報いは何になるのか?
供養してそれを喜び報いとなるのか?
何か報いが欲しいとなる、でも死んだのだから何かを死者に与えられるのか?
死者に与えるものは何になるのか?

それは物でもないし金でもないし死者が欲するものは何になるのだろうか?

ただ少なくとも墓参りしり遺影に手を合わせたり語りかけたりして死者と交通する
何かそういうことは必要である
でも死者が得る報いとは何なのか?死者には与えるものがない
生きていれば体にふれたり声をかけたりして愛することはある
でも死者にはできないのである
キケルゴールは死者を愛せという論文を書いているけどそれもわかりにくい
死者をどうしたら愛することができるのか?
どうしても歳月が過ぎてその存在が希薄化してあいまいなものになってしまうからであるつくづく人間はここでも忘れやすいのである
60年も一緒にいてもそのことすら記憶が希薄化してゆく
まだ一緒に暮らした家が残っているからそれで記憶するということがある
家がなくなったら施設に入ったりしたらもう記憶がさらに消えてゆく
それだけ何でも家族すら記憶するのがむずかしく消えてゆく無常があった





失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)


失われる旅の記憶(七ヶ宿から上の山へ秋の旅の再考)

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明治元年12月7日(1869年1月19日) - 刈田郡は磐城国の所属となる。
明治4年11月2日(1871年12月13日) - 平県の所属となる。
1876年(明治9年)8月21日 - 宮城県に移管される。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が合併して七ヶ宿村となる。
1957年(昭和32年)4月1日 - 町制施行して七ヶ宿町となる。
1991年(平成3年)10月22日 - 七ヶ宿ダム竣工。

ここでも不思議なのは磐城国であり平県の所属になっていたのである
こんなところまで磐城国になっていたのである

旅の記憶もきれぎれになる、この街道を自転車で行った、福島県の桑折町から上る小坂峠は険しい峠であり苦労した、でも昔の街道は山に埋もれていた
こんな急な坂を行くのは容易ではない、そして点々と忘れられたように昔の宿場があったその時晩秋だった、木の葉が街道に散った、ただあそこは取り残されたようにして昔が残っていたともなる            

木の葉舞ふ街道行くや人気なし

点々と街道の宿場木の葉散る

虫の音のかすかや聞き入る七ヶ宿

きれぎれの記憶をたどる冬籠り

ここの街道は本当に人気がなかったのである、まるで木枯し紋次郎の風景だった
仙台からの陸前浜街道も大きな街道ではないにしろあんなに淋しくはない、相馬市とか原町市とか街がある
途中にしてもあんなに淋しくはない、海からの風が吹いてくるのも違っている
海が見えるのは心を解放するという効果がある

東海道とかなるともう昔の面影が残ってるのを見るのはむずかしい
ただどこだったか街並みがあり道が真っすぐにつづいていた
普通はどうしても道が曲がるのが日本の道である

街道の街並真っすぐ燕来る

こういう道は東北にはほとんどない、そこは街並が長くつづいていたからである

何か人間は本当に記憶が失われやすい、だからこそ生きていられるのだろう
嫌な記憶か人間には多いからである、そういう記憶は消したいのだけで消せないからだ
だから忘れられないものとして苦しめられる
特に若気の至りとかあるけどその時はたいしたことがないと思っても必ず老人になると
後悔して苦しめられる、そういう記憶が消えないのである
罪の意識に苦しめられるのである

七ヶ宿で不思議だったのは疲れて休み虫の音を耳を澄まして聞いていた、そこは街道の宿場町といっても家もまばらである、それも真昼であり虫の声だけが聞こえていた
それはまるで静けさや岩にしみいる蝉の声ー芭蕉の俳句とにていた
つまりそういう俳句ができたのは江戸時代だったからである、今のような騒音の時代ではなかったからだ
ただ旅の記憶でもとぎれとぎれになり一続きとして記憶できない
何か最も印象的になった場所が記憶として残っている
まず都会では記憶しにくい、混雑しているし騒音にかきけされて記憶に残らない
そこで虫の音だけが聞こえていた、後は何もないという感じだったのである
だから記憶に残っていた、だから記憶というのも不思議である
記憶に残るか残らないかは重要である、なぜなら記憶に残らないものはないと同じになってしまうからである、そこに行ったという記憶もなくなるからその場にいたということもなくなる

それで私の母は旅などしたことがなっかたが団体旅行で旅した場所を全く記憶していなかった、そこに行ったとういことも記憶していなかったのである
団体旅行だとおしゃべりなどをしてわやわや行っていると記憶に残らなくなる
その場の雰囲気も忘れる、だから団体旅行は旅というのではない、物見遊山の気晴らしとかになる
芭蕉は自然と合一していた、だから「五月雨の降り残してや光堂」とか「静けさや岩にしみいる蝉の声」という名句を作ることができた
江戸時代だと自然と合一しやすかったことは確かである
車の音も何も聞こえないからである
現代人はそもそも記憶に残らない生活をしているともなる
車を日常的に使用しているが便利であっても旅でも記憶に残らない、街道を行っても
早いとういことでその土地のことを感じにくいのである
車は風を感じない、車内は快適でも自然を感じないのである
だから距離を行くにしても記憶に残らないのである


九代政宗は天授6年(1380)に父宗遠と置賜の長井氏を攻め高畠城に移ります。
二井宿峠で詠んだ二首の和歌が残されていますので紹介しましょう。

なかなかにつゞらおりなる道絶えて雪にとなりの近き山ざと 

山あひのきりはさながら海に似て なみかときけば松かぜのをと

雪にとなりのというとき何か山形は春になっても雪が残っている
仙台から仙山線で行くと面白山が境界になりそこをぬけると山寺になる
でも必ず春でも雪が残っている、それで山形を感じる
山形は雪深いのである、山形弁というときこれもかなり濁音であり聞きずらい
それは仙台弁の語尾のだっちゃとはまるで違ったものなのである
なぜ仙台だけが語尾に語勢の強いだっちゃという訛りになったのか?
宮城県が東北でないというとき宮城県だけは東北では異質な存在だったのである
福島県の浜通りも海に面しているから似ているようでもそうではなかった
やはり東北弁でありズーズー弁なのである

「山形の納豆汁や冬深む」

この納豆汁が有名である、その方言の訛りもなにかねばねばしているのだ

ともかく宮城県から伊達政宗が出たというのも何か地理の必然性があったのか?
ある人物が出るということはいくらその人が優秀でもその土地の影響がある
伊達政宗は短歌とか漢詩も作り文芸にも優秀だった
つまり文武両道の武将だったとなる

この短歌でも上手である、道絶えて雪にとなりのというとき山形はそういう土地である
道が絶えて山里があり雪がある、春でも雪が残っているのである
松風の音を聴いた時、それが波と思ったのは海側に住んでいたからそうなった

京都の伏見城では仙台中納言と最上守が並んで配置されていた
そのとき相馬藩の屋敷はない、石田三成は相馬藩に来ていて好みがあり三成の旗印が野馬追いに残った、

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烏帽子親であった石田三成の一字を賜って初名を三胤といったが、これは義胤が豊臣秀吉の小田原陣に参陣した際に、石田三成の取り成しで本領を安堵され、それ以来三成と昵懇であったためであった

野馬追いに出ていた石田三成の旗印

秀吉の栄華は一時だった、徳川幕府の300年からすると夢のように消えたとなる

黄金の茶室も夢や秀吉の栄華も一代伏見城跡

何か地理的にも福島県と山形県と宮城県は隣接して地理的一体感がある
それで南相馬市の鹿島区の右田浜から蔵王が見えたし片倉のフラワーランドから牡鹿半島と金華山が見えた
つまり山形県と宮城県と福島県がここで地理的につながるということである
ただ福島市からは蔵王は見えないのである
だから会津とかなるとどうしても阿賀野川があり新潟県と地理的一体感がある
新潟県側から会津の山も見えたからである

いづれにしろ冬は冬ごもりであり回想するにはいい季節である
でも問題は記憶が消えてゆくことなのである

我が家に記憶をたどる冬籠り

みちのくに老いるもよしや冬籠り

こんなふうになる、家そのものが今や家族がみんな死んで記憶の家となってしまったからだ、家というのはただの建物ではない、その家の家族の記憶のつまった記憶の家だったのである、でも母の四回忌なのか、月日のたつのが早い、そして家族の記憶もまた薄れてゆくのである、ただ60年も一緒にいたからなかなか自分の場合は忘れるとういことがないのである

インタ−ネットは何か記録するのには便利である
これも前に書いたものの加筆したものでありそういうことがしやすいのである
本だったらこういうことができない、完成して加筆できないからである
インタ−ネットではいくらでも再編集したり加筆したりできる
そこで終わっていないのである、それは死ぬまで終らないのである




2019年12月10日

墓の平成9年は平成29年の間違いだった (年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)


墓の平成9年は平成29年の間違いだった

(年号でも元号でも西暦でも何がその時代に起きたかで見ている)

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これは平9年ではなく平成29年に建てられた


昨日の今日の一句一首で短歌の刻まれていた墓は平成29年であった
平成9年ではない、間違えでした
訂正しておきます

平成から令和になったけど年号は以前として続いている
でもこれだけグロ−バル化したりすると何か違和感を覚える
平成がどういう時代なのかなど私にはわかなかった
それはあまり時代が変わらなかったからだろう

時代が変化する時、時代を感じる
だから明治は記憶すべきとなっている
大正も私の母と姉は大正生まれだから記憶する
昭和は戦後生まれでありそれなりに意識する
でも実際は昭和でも戦前と戦後は全然違っていたのである
だから年号は何かそぐわなくなったのだ

時代はその時何が起こったか何が大きく変わったなど事件とかでも意識する
だから天明は飢饉の時代であり特に相馬藩では三分の一に人口が減ったから意識する
でもその後はあまり意識しない、ただ幕末の年号が一番多いから墓でも碑でも見る時
意識する
この辺では宝暦とか元禄とかほとんど見かけない
ただ私の住んでいるすぐ近くに天明の碑があったことに驚いた
とするとその頃この辺でも飢饉の影響があったかもしれない
天明の碑はここでしか見かけていないからだ
それはどうしてなのだろうともなる

いづれにしろ年号は必ず墓でも見ている、江戸時代の年号があれば古いとなるからだ
ただ年号が時代にそぐわなくなったのはグロ−バル化したからである
日本は江戸時代のような日本だけの社会として成立しない
必ず外国との関係で成立する、外国と必ず何でもリンクしているからである
だから日本独自の元号は時代にあわなくなったのである

そうなると天皇が必要なのかどうなのかという大きな問題につきあたる
元号は天皇と不可分に結びくついているからである
だからそれが今問われている
令和という年にすでに二人死んで墓に刻まれていた
でも令和というのがこれから何か時代を現すものとして社会に活きるものなのか?
平成とかは日本衰退の象徴のようになっている
失われた30年としての平成となる、この漢字は平らであり上昇しないというものにもなる、名は体を現すとなったともなる

令和はどういう時代なのか?令というのは何かクールだとなる、ただやはり何か時代にそぐわなくなった
平成29年にこの短歌の刻まれたのを平成9年と間違えて書いた
この間違えは大きかった、だから年代とは西暦でも元号でも大事である
全く違って意味をとられるからである

だから元号でも江戸時代になるとどっちが先なのか後なのか本当にわからないのだ
元禄とかなると目立つ年号だからわかる
その他は常に後先がわからない、その時代の何が変わったかもわからないのである
ただ天明だけは飢饉の年だと自覚している
そして天明の前のか後なのかで時代を見ているのである
だから年号でも元号でも西暦でもその時代に何があったのか何が変わったのかが大事なのである
それを知らなければただ元号でも名前だけであり西暦だと数字だけになってしまうからである

2019年12月09日

冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)


冬の暮(新地の墓地をたずねて・・・)    

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尚英中学校の脇の墓地

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百六歳は大正二年生まれなのか、私の母は百歳で死んだ
今生きて入れば百四歳になにる
これから百歳以上の年齢で死ぬ人が多くなる
それが令和の時代の特徴ごとなる
でも百六歳は長いと思う
これが110歳とかなってゆくのか・?


かそけくも現れ消えぬ冬の蝶

顔見せぬ隣の女(ひと)や冬の蝶

朝望む蔵王に雪や初冬かな

蔵王見ゆ険しき嶺に雪覆う

新地にそ葱の匂いや家まばら  

冬の海新地の墓地や静まりぬ

名もしれぬ墓のあわれも冬の草

木の根っこ墓に残りて冬の暮


水戸の姓墓地に多しや伊達藩に謂れのあれや冬の日くれぬ

宝暦と記せし墓や我がたずね落葉を踏みて帰りけるかな

人死ねば騒がぬものや昼の月落葉をふみて我が帰るかな

墓あまた落葉にうもれ宝暦の年号見ゆや新地の墓地かな

たずぬれば倒れし墓や冬のくれ遺すものなく何を語らむ  

106歳と令和に死ぬや冬の暮その生思えば長くもあるかな

墓とても後継ぎなくば捨てられる参る人なく冬のくれかな 


今日は風もないので新地まで行った、冬の蝶を一羽八沢浦で見つけた
これはめずらしいかった、隣の女性は本当におとなしい人である
同級生の人がそういう人だったと言っている
ほとんど顔も見たこともないのである
すでに30年以上か40年いてもまともに顔を見たことがないのである
これも何か不思議である

蔵王が磯部から大きく見えた、結構険しい嶺が見えた
あんなふうに全容が見えたのは記憶しない、というより自然は山でもその時々で違ったように見えるのである、その印象が違ったものとなるのだ
蔵王は本当は厳しい山なのである

新地の駅前に行ったら葱が強く匂った、葱畑があった、どうしても新地だと田畑が目立つからそうなる、葱があんなに匂うとは思わなかった
私は鼻が蓄膿症で悪い匂いを感じないのである、でも今回は葱の匂いを感じたのである
葱(ねぎ)がこんなに匂うとは思わなかった

葱白く洗ひたてたる寒さ哉芭蕉 「韻塞」
葱買うて枯木の中を帰りけり蕪村 「蕪村句集」
うら町に葱うる声や宵の月蕪村 「蕪村句集」

葱は冬の季語なのである

それから尚英中学校の裏の墓地をたずねた
そこからは海が見えた、前にも来たことがあったが詳しく見なかった
今回注目したのはこの墓地は結構古い、なぜなら宝暦の墓があったからだ
一か所に墓が集められていた、それは塚というか粗末な石である
そこに宝暦とあった、隣はわからない、ただ宝暦だと古い

   1763年宝歴13年癸未  
  1771年明和8年辛卯  
  1780年安永9年庚子  
  1781年天明1年辛   
  
天明の20年前になっている、天明は飢饉の年である
宝暦は日立木の薬師堂にもあった

それから感心したのは短歌が真新しい墓に刻まれていた   

吾子逝きてななとせ過ぎし朧月時めぐりきて君を偲ばむ 七回忌

これは秀作である、このような秀作だと墓に刻んでも価値がある
朧月というのが良かった、何か死んでから七年くらいすぎると記憶が朧になるからだ
この吾子とはどのくらいの年だったのか若くて死んだのだろう
短歌を墓に刻むのも一つの記念になる
墓は何か無味乾燥だからである
この墓は平成29年とかに作られた、だからこれだけ新しいし立派である

ただ問題はこういうのは許可がないと出しにくい、姓は佐藤とあった
場所はわかっているし誰なのか地元の人だとわかる
貶めるわけではない、ほめているのだから許可されるかもしれない
後で文句言われるときはやはりその人が不満だったり名誉を傷つけられたときである
でもネットだとわからない場合がある、それも問題なのである
例えばこれを新聞に出したら目立つから勝手には出せないとなる
インターネットは本当に気軽に書いたり発表できるのである
そして自由にいくらでも書けるし写真でも出せる、まずマスコミだったらそんなこと絶対にできないからである

普通の町とか村でも見る物がない時、墓地をたずねるのがいい、今回は詳しく見た
水戸という姓がその墓には多かった
それで伊達藩と水戸家との関係からなのかとも見た
つまり墓地から郷土史が探れるのである
墓誌にその家の由来を記してあったりもする、それは古い家である

墓という時、それが何代も残っていればその家はやはり継続したものがあり家系としていいものを持っているとも言える
すべてではないにしろ必ずなんでも例外があるから数学の公式のようにはいかない
でもわかることは別に先祖でなくても両親のことをその息子でも娘でも語らない時
その両親のことを良く思っていない、だから語らないのである
そこにその家の問題があることは確かである
必ず両親のことを語るからである、そういう家は家系は残らないと思う

私の母の実家はめい子が墓を継ぐと頼まれて金をもらったが継がれないと思う
やがて無縁墓になるかもしれない、なぜなら何か不和分裂の家系だったのである
私は今はめい子と会うのも嫌だし墓参りもしなくなった
あの人は本当に異常である、あんなになることが信じられないとなる
人間はそれほど変わってしまうのかということである
ただ自分は子供の時しかあっていないからその後のことはわからないからなんともいえない
でもその変わり方は本当に異常である
とにかく何かそういう家系がありそういう墓は残らないともなる
ただ今は墓を受け継ぐ人がいないから一般的に墓を残していけなくなっている
だからこれからは墓が残る家はまれになってくるだろう

新地までは何回も行ける範囲である、何回も言うが今度乗っている電動自転車は楽だから行けるのである
でも暗くなるのが早いから冬は遠出ができないと思った
それでこの前ライトがなかったので側溝に転んだ
これは思った以上危険だった、側溝に落ちて死んだ人もいるからだ
側溝は意外と自転車にとって危険なのである
狭い道になるから暗いと見えないからである

この墓地については何かもっと詳しく知りたいともなる、そこで新地の歴史がわかると
新地について興味が深まるのである





2019年12月03日

冬菜(冬の田舎の風景)

                        
冬菜(冬の田舎の風景)

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貧思うここに生きなむ冬菜かな

寒烏誰か見ている田舎かな

残菊の通りにあわれ店閉める

カーネーション無垢の白さにそえる花

冬薔薇一匹虫や無人駅

冬の海沖に漁船や港かな  
                                              

烏崎枯野となりて人住まず防波堤のみ高くなるかな


田舎でも現代は別に土地のものを食べていないのである
みんな外から入ってくるもの食べている
知っている女性の畑では結局何もとれない
ただその畑で仕事することを聞いているだけだった
でもそれだけでも直接聞いたので多少農業に詳しくなったとなる

ただ本当に昔のように生活している場でしか食料が得られなかったらどうなるのか?
それはもう生き死にかかわってくる、だから真剣になる
なぜならその生活している場で食料が得られなかったら江戸時代では餓死して死んでいたからである、他藩でも助けないからである
だから自給自足社会と広域社会では農業自体が相当に違ったものになっている
第一貧思うなど客観的に見ていられないからである

そうなるとここに冬菜がとれてここで生きていけるんだとと切実に思うからである
そこで農業していなくてもそこに住んでいればそうなる
それで農民が多いときは何か天候のことでも切実になる
何か農民にそういうことで天候が悪くて不作になるということでしかられたことがある
今は別にここでとれなくても他から外国からでも食料が入ればいいじゃないかとなる
だからこそ都会では日本の地方のことを重要と思わないのである
食料だったら外国から安いのが入る、日本は高いとかなってしまうのである
そして日本の地方は軽んじられるのがグロ−バル化社会なのである
このことマイナス面は結局人間どこに住んでもいいとなり金が異常に大事になる
金さえあればいい、ここで食料が得られなければ他に移ればいいという気持ちになっていた
だから原発事故になり多額の補償金をもらったとき他に移り住む人が多かったのである
それもまた問題だったのである

寒烏が一羽とまっている、これがただとまっているのではなく誰かを見ている監視していると見るのが田舎である
見ていないようで田舎では本当に見ているのである、誰もいないようで見ているのであるまず一万くらいの町となると誰かが見ている,監視しているのである
近くの人はまわりの人が家に入るの監視している、だから女性など入ると問題になる

新しい通りのクリーニング店が閉店になっていた
ただ新しい通りでもそこは店はなかった、理髪店とか薬屋とか二三軒あるのみだった
でもそこに残菊が咲いていた
どうしても小さな店はなくなりやすい、ただ理髪店とか美容店はどこでも多い
過剰だとされている、コンビニより相当に多いから全国的に過剰なのである

カーネーションの白いのがある、何か白もすきである、純白であり穢れないとなる
それでそこにまた花を添える、その純白な花にはやはり穢れない花をそえる
フラワーアレンジメントはそうした無垢な花とふれるとういことが楽しみになる
ただ最近あまりフラワーアレンジメントをしていない
何か私は家事がいろいろあって忙しくてできないのである
まず食べることが優先されるからである、こういうのもつくづく暇がないとできないと思った

冬薔薇は無人駅に咲いている、そこに虫一匹がとんでくる
それだけしかない、人は一人とか二人くらいしか駅にはいない
そういう田舎がかえって自分にはあっている、、淋しいともなるが遂に今年は仙台に一回しか行ってないような気がする
こんなこときありえなかった、少なくとも一か月一回は行っていた
なぜそうなったのか?それは本を買う必要がなくなったことである
アマゾンでいくらでも本を買える、古本が安いから買って本屋にまでなれると思う
だから仙台に行く用事がなくなったためである
何か余計に人ごみが嫌になったということもある
結局老人になると人ごみとかが嫌になる、自分にはそういう性格があった
人がいないような場所を好んでいた、せいぜい人と接しても一人か二人くらいとかになる現実に家族がいたときはほとんど他人と接していなかったのである
なぜなら家族がいたからそうなっていたのである 

烏崎はもう家はない、ただ港が残り漁にででいるらしい
でも枯野であり家は全くなくなった、無惨である
そしてコンクリートの防波堤のみが高くなって完成していた
あんなに変わりはてるとは思いもよらなかった
まずあそこに家があったという記憶すらなくなってしまう
ただ防波堤のみが高くなったて見上げるようになっている



2019年11月29日

南相馬市右田浜から今日の朝に見えた雪の蔵王の写真


南相馬市右田浜から今日の朝に見えた雪の蔵王の写真

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これはヒヨドリなのか、海鳥ではないみたいだ
イソヒヨドリは見たけど色が鮮やかだから違っている
ただ海にいると海鳥に見える



日のさして塵もつかざれ冬の菊

誰が家や冬薔薇二輪行く人なし

冬薔薇田舎に籠りい出じかも


朝望む蔵王に雪や白鳥も鳴きつつ飛びて北風の吹く

蔵王見ゆ右田浜かな変わりたる景色や冬の朝の明けにき

冬の海朝日のさして沖に見ゆ漁の船かな鴎飛びゆく  


右田浜の端の方から蔵王が見えるようになった、今日は雪になっていた
ただ端の方に行かないと見えない、もともと蔵王はあそから見えていた
八沢浦からは見えていたが右田浜から見えなかったのは松原にさえぎられ見えなかった
そしてまるで景色が変わってしまった

風力発電の風車はまだとまっている、台風来てから一か月以上過ぎている
だからこれもあてにならないと思った
そんなに長く止まるとしたら日常生活ができなくなるからだ
ソーラーパネルも緊急の場合は役にたたないと思う

沖には小さく漁師の船が見える、何か海でも生業として船が見えないと海も活きてこないのである、ただ漁業の問題は生業だけでは成り立たないから原発に頼っていたことである漁業権も東電に売り渡していた
漁業でも農業でも林業でも自然と直結するのがグロ−バル経済などでだめにしたためである、ただ烏浜などは二回補償金をもらったのである
火力発電所が作られたときももらったし漁業関係者は原発で手厚い補償金が事故前もらっていたのである、だから相当に裕福だったとなる
だから漁業でも農業でも生業を返せというとき矛盾しているのである
その生業が成り立たなくなったから原発を誘致したからである

とにかく昨日は寒かった、今日も朝は寒い、ストーブが必要になる

  



2019年11月26日

冬の日の石(詩)−田舎に住む存在感


冬の日の石(詩)−田舎に住む存在感

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その場に
石と石
その場を得て
乱されず動かじ
冬の日に
人は老いて
その場に安らぐ
時に一つの石の
そこより取りさられると
その不在を感じる
そのなくなりし石を意識する
またその石のもどると
石と石は
その場に
一つとなるを知る


On the place
the stone and the stone
Get the place
Undisturbed and stillness
One winter day
People are old
On the place
Deeply rest
Sometimes one stone
If taken off from there
Feel the absence
Be aware of the lost stone
When the stone returns
The and the stone
On the place
Know that you will be one  
In silence



何か知人が5カ月くらい入院して家が空家になっていた
その人は妻が10年前くらいに死んだ、だから大きな家に一人で住んでいた
庭も立派な家である
それが5か月もいないからその家を気にしていた
でも昨日をスーパーで見た、やっと帰って来たのである
そのことを昨日書いた

その続きとしてこの石の詩を書いた
自分の詩のテーマは主に石がある、昨日は何か冬らしくなかった、今日は結構寒いから冬らしい、それでこの詩ができた
前から「場の現象学」という本から場のことを語ってきた

田舎には一万くらいだと人間はその場を共有して生きているとなる
だから別にたいして親密でないにしろその人が5カ月も入院して不在にしていたということで空白ができた、それを感じたのは田舎だからだろう
都会だったら人が多すぎるから人はいなくなってもそんなことを感じない
まったく意識すらしないだろう

でも田舎だとそういう存在感がある、別にそれはどんな人でも変わりない
人がいるだけで存在感がある
一方でその存在感が悪い方に働くと嫌な人間の存在感も大きなものとなって消えないのである、それが目立つのである、都会だったら人が多いからそんな人も気にしないのであるただ群衆のようにマスとして流れてゆくだけである
記憶にも残らないのである

ただ場をもつというときもし農家だったらもっと存在感をもてたかもしれない
田舎だと農家の存在感が大きいからである、大地に根付いたようになるからである
ただそれは昔の農家であり今は違っている
農家のように見えても今は農家ではない、農家だ果樹とか花栽培とかはそれなりに金になるからやっていけるのかもしれない、他は本当の農家はまれになっている

都会と田舎の相違は収入とかばかりを見ている、他でも都会の華やかな面だけを見ているが実存的というか何か存在感というとき砂粒のようになっているのが都会である
ただそういうことを考慮する人はまれである
人間はただ今は金の価値観しかないからだ

田舎に住みたいというとき金とかだけから見たら誰も住みたくない
しかし何か存在感を持ちたかったら田舎がいいとなる
ただそういうことを考慮する人はほとんどいない

田舎に住んでいてもそういうことがわかるのは老人になってからなのである
老人になると一つの場をもってそこに石のように落ち着きたいとなるからである
だから原発避難者は故郷に帰りたいとなるのである
若い世代は田舎で暮らしていてもあまりそういうことを思わないのである



冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


冬の灯(独り身は独り身を想う冬)


遠山に日のあたりたる時雨かな

5か月を入院したるその人の故郷に帰り冬の灯ともす

遠山に日のあたりたる枯野かな 虚子

何か類似俳句というのが作り安い、短歌でもあるだろう
昨日は本当に時雨だった、ぼつぼつりと雨滴にぬれた、ただそれは気づかれないほどだった、時雨でも雨の場合もあり間違いやすい、時雨はぽつりぽつりと頬を濡らすものであるそして雲が出ていて山を覆っているがその中から日がさして一部が明るくなっていたからそういう季節である

スーパーで5か月入院していた80歳くらいの人が退院してきてあった
帰るとときいていたがようやく帰ったとなる、でもやつれた感じである
糖尿病の人だった、その人は10年前くらいに妻をなくして大きな家に一人で暮らしているのが淋しと常に言っていた、でも娘はとなりの街に住んでいる
親戚も多い、でもやはり妻がいないということは相当に淋しいことになる
だからそのことをいつも言っていた
それは自分自身も家族をみんななくして大きな家に一人住んでいるからわかる

そして不思議なことは独り身の人は独り身を想うということである
別に妻がいれば夫婦の人は思わないのである
夫婦は互いに身近に相手を思っているからである
そして夫婦の人は独り身の人に関心がない、淋しいとかも思わない
何か人間は他人に無関心である
でも同じ境遇の人は共感しやすいことがわかった
同病相あわれむということもある、それと似た感じである

なぜその人のことを思ったのか?
それは親しいといのでもないてけれど一回くらいその人の家に入ったこと
庭とか見たことか、それとそこが近いからである
その近いことが相当に影響していたかもしれない、それでそこが空家になっていることを気にしていたのである

そしてようやく帰って来たのかと思った
その人は80歳越えているからこれからどれくらい生きるのか?
糖尿病がどのくらい悪いのかわからない
でもやつれた感じにはなる、そこに知り合いの女性は親しく行っている
前からの旧知であり連絡し合い行っている
ただ糖尿病だから食べ物に注意している、料理は自分でしていた
でも今度自分で料理をするのは大変になるかもしれない
何しろ病院の楽なのは料理をしなくてもいいことなのである
この料理だけは手間なのである、だからほとんど私は買っているだけなのである

いづれにしろ近くに親しい人がいることは安らぐ
そう思うようになったのは家族がみんな死んでからそうなった
それまで自分は妻がいたように他者のことを思わなかったからである
その人と特別親しいわけでもない、ほんの知り合いというだけでもやはり近いから思うとういことがあった
人間は近くないと日々顔を合わせていないと「去る者は日々に疎し」となってしまう

なんか変なだけど母の実家の墓参り一年に二回くらいしていた
今はしていない、その家の親戚にひどい目にあったから行きたくなくなったのだ
仲良くない親戚は一緒に墓参りすらできなくなる
プログに書いたように自分の親戚は分裂不和のカルマをかかえていたからそうなった
でもその墓でも実際は近いのだから墓参りに来てくれと死者が思っているかもしれない
それも奇妙だけど近くにあるからそうなる

「遠くの親戚より近くの他人」人間は思うだけにしてもそうなのである
遠くなれば思うことさえなくなる、実はこの思うということは意外大きな力がある
思っただけで殺したいと思っただけで誰かがそのために死んだとかインドの哲学者が言っていた、それだけ思いとか念の力を見えないにしろ思った以上大きく強いものなのであるどうしても思うことは現実化しやすいのである

近くにいても思わない人は思わない、無関心である、ただ自分自身でもその人を想っている想っていたことが不思議なのである
ああ、あの人がやっと帰ってきたなと思ったからである
そして5か月ぶりに灯がともった、またなお故郷に生きるのだなと思ったのである
それだけ近くにいるということは思いが働くのである
ただ独り身の人は独り身の人を想うとういことがありそうなったともなる



2019年11月19日

冬野に風の余韻が・・・ (冬に入る故郷を自転車で回る)


冬野に風の余韻が・・・

(冬に入る故郷を自転車で回る)

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仕事場に大工の家や冬の菊

唸りける風の余韻や冬野かな

山眠る風車のとまり田舎かな

大内や門に松古り冬の暮

蔵に松紅葉の映えて門古りぬ


今日は北風が一日吹いた、でも寒いとも感じないから気候が変なのだ
だから秋なのか冬なのかわからなくなる、まだ秋とも感じるし冬にもなったのかとも
明確に季節を感じないのである
こうなると俳句だと季語でも活きてこないとなる

何度も言っているけどヤマハの電動アシストMTB YPJ-XCだと風の中でも走れる、馬力があるし風でも走れるのである、だから今日も原町辺りを回って走って来た
人間はやはり北風でも風を体で感じることが自然に通じることである
車が風をシャットアウトする、すると自然を感じなくなる
中は居心地がいいのだか自然は感じないのである
風土を感じるという時風を感じることが風土を感じることだからそれがなくなる

そして冬は冬らしいものを感じるのがいいのだ
田舎だったら刈田から冬田となり冬野になる、それが都会にはない、ただ仙台辺りだとまだ郊外が自然状態があり冬野とはなる

人間には荒野も必要である、何もない所は聖なる場所になる
だから砂漠に神は住んだのである、砂漠が神が住むにふさわしい場所だったのである
そして冬に入り山眠るとかなり自然は休みに入る
そういう自然のリズムに生きることが人間にとって精神的にも健やかにするのである
だから「風流は寒きものなり」というときあまりにも車のように風もシャットアウトしてあたたかいとかなると自然を感じない、だから感受性まで退化してしまうのである
機械化した現代は自然への感受性が弱くなっているからだ
つまり五感が衰えているのである

例えば危機感でも感じなくなる、津波でも第六感のようなものが働いた方が助かったともなる、あまりにも機械に報道とかにも頼り過ぎて逃げ遅れたということもある
人間の動物的感が衰えたためだともなる

田舎の生活でいいのは本当は冬かもしれない、冬ごもりとかあり冬は籠っていて思索するのに向いている、本当の冬は雪国にあるのかもしれない、雪国の冬は雪にうもれてしまうその期間も長いからである
雪国のことはやはり雪国に住んでみないとわからないのである
ただそこに住んで見れば嫌になる、雪下ろしとかでも嫌になる、移住すらならそんな所にすべきではないとなる
浜通りは気候的には暑くもなく寒くもない土地だからいいとなる
ただこれから風は毎日のように吹くようになる、それで電車が遅れるのである

大内の家はいかにも古いのか?蔵はそういうふうには見えない、大内は津波の被害があったのは山の方に上った所ではない、低地だったのである
その低地に住んだ人は比較的新しく移り住んだ人と言われる
なぜならそこは湿地帯のようにもなっていたからである
古くから住んだ人は山の方高台に住んで津波の被害がなかった
だからこの家は古い家だとなる、蔵がある家は田舎では古い家なのである
街中でも蔵があったら古い家であり目印になる

ただあの家は山の陰になっていて暗い感じがする、人間は住む場所の影響がある
でも写真で見たらそうでもなかった明るい陽射しがさしている
この家は何か旧家のようにも見える、いい門構えである
ここは平地から結構高い場所である
一つの町でも村でもみんな住んでいる場所が違ってそれが心に影響していることは確かである、だから家は家自体をみることもあるがどういう場所に建っているかが問題なのである、その場所が心に影響してくるのである
あそこは何か暗い感じがしていいとも思えなかったのである
家の庭とか写真をとるのも問題がある、勝手に写真をとって出していいのかとということもある、嫌がる人もいるからである
それで庭の写真とか家をとっていたので文句言われたことがあるからだ

とにかく冬に入る、そういう季節の変化でまた人間の心も日本だと特に変化するのであるだから日本人の心は季節の変化が激しいから心も変化しやすいとはなる


2019年11月16日

原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた (蔵王も鹿島区からまで見える地理)


原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた

(蔵王も鹿島区からまで見える地理)

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南相馬市鹿島区右田から見える蔵王


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朝日さし紅葉の映えて水清し

冬晴れに太平洋を我が望み牡鹿半島に金華山見ゆ

隠されて滝一すじのひびくかな冬に入りにき奥の山かな

高倉の公会堂に松一本冬に入るかな流れ清しも


南相馬市の原町区のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えた
新地からは見えていた、冬晴れだから見えた
あそこは絶景ポイントだった

それから蔵王は八沢浦から見えていた、でも今度鹿島の右田浜からも見える
それは松原がなくなっため見晴しが良くなったためである

こうして実際に住んでいて見える場所が一つの地理の世界圏内を作る
福島市は阿武隈高原にさえぎられて見えないのである
吾妻山は霊山の方に行かないと見えないのである

だから福島県の問題は地理的一体感がもていなことなのである
むしろ仙台の方が交通的に便利だし地理的一体感がある
なぜなら海を視界にすると原町からも牡鹿半島と金華山が見えたからである

例えば船で航海する時必ず牡鹿半島が見えて金華山が見える時まず船で迷うことはない
必ず目印となるものが見えるからである
だから古い時代から船で行っても迷わないのである

蔵王が見える所も一つの地理的一体感がある、いつも見えるとそれが親しくなるからだ
山形県は遠い感じがするが蔵王が見えるということで一体感が生まれる
地理からすると会津は別世界になっている、だから福島県はハマ,ナカ、アイヅとあると地理でも違っている、浜通りからすると阿武隈高原でさえぎられて浜通りは閉ざされている
目の向く方向は仙台方面なのである、人間的にも仙台に移り住むとか結婚するとか人間の交流が多いのである

浜通りが阿武隈高原によってさえぎられる、視界がさえぎられる、でも仙台とか牡鹿半島とか金華山は視界に入ってくる、そこで地理的一体感をもつことになる
だから地理的一体感というとき県で区切るのは無理だとなる
ただ日本の地形は山に囲まれた盆地が多いからそこが一つの地理的一体感をもち国の感覚をもつ、小国というのがそうなのである、これは山に囲まれたまさに小さな国なのであるその小国というのが全国に多いからそういう地理と風土の国だとなる

高倉の公会堂の前に松一本があったのもあっていた
あそこも前は放射能被害があり荒地化して若い世代は流出したとかあった
今度は洪水で被害があった、ただそういう村は昔からつながりが強い
でもあとから入ってきて住んでいる人もいるだだろう
第一そこで山里の生業自体がなくなっているからである
高倉は橲原とかともにている
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高倉の公会堂

2019年11月14日

冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)


冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)

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枯枝に山鳩とまる里に老ゆ

晩菊に陽さしなごむや里に老ゆ

この里に耕す女や朝の菊

しっとりと菊の濡れにき常の道

鮮やかに渡りの鴨や今朝の川

秋の蝉余韻やここに我が座る



●兎追いし故郷

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき

雨に風につけても
思ひ出づる故郷

故郷というときこの歌が有名である、故郷は古里なのである、この里というのが日本独自の世界なのである、それは外国語に訳しようがないことでもわかる
田舎だとcountryであり村だとvilligeで一応訳せる、でも里は訳しようがない日本独自の生活空間なのである
それで里山資本主義とかの本が出たりする、里山というのも里の延長としてある
里とは生活共有の暮らしの空間である
兎追いしというときそこに野生の動物も生活できる空間が里の延長にある

実際私が住んでいる場所は里ではないけど回りには田畑がある
つまり田畑がないとそこは里にならない、だから都会にはもう田畑がないから里がない
まがりなりにも田畑があり自然でも動物でもたまに出て来たり小鮒釣りしとかメダカとかも生息できる小川とかがある場所なのである土手の道は毎日通っている、買い物で通っている、そこに休む場所がある
そしてそこで秋の蝉の声を聴いていた、その蝉の声がやんだときその余韻はそこに残っていた、そしてそこには兎もでてきたのである
街に近いからここまで出てくるとは思わなかった、ただ回りの山には兎は来ていた
だから兎は結構みかけるものだったのである
ここまで兎が来たのはおそらく原発事故以後荒地が増えたためである
荒地だと動物にとって隠れられるからいい場所なのである
前は自然の小川が流れていてそこにどじょうとかメダカとかもいたのである
今はコンクリートの水路になり失われた
なぜか鮎が川から消えたのも不思議である、これはここだけではない、鮎が消えている川が多くなっている、これもどうしてなのかわからない。

今年は季節の変化が激しかった、秋でも暑い日がつづいた
今日は最初は東風か南風だった、それから北風になって寒くなってきた
北風が吹けば本格的な冬も近いとなる
風を感じることも季節を感じることである、車だと風を感じないから季節感がなくなるのである、あまりにも居心地いい空間がそこにあるからそうなる
「風流は寒きものなり」というときやはり寒さでも肌で感じて季節を感じなければ風流もないのである、風流とは風の流れとあるらだ

●農業社会から工業社会へ大きく変容した世界

日本人の故郷意識が変容したというときやはり農業社会から工業社会になり生活形態が大きく変わったためである、原発事故はそうした大きな時代の変化の中で起きたのである
なぜなら農業では生活できないとして原発を誘致した
原発で働く人はこの辺では本当に多かったのである
飯館村は遠いから関係ないと見ていたが実際は原発で働く人がいたのである
それは金になるからである、普通より倍とか金になるからである
だからたいがい原発でこの辺では働いていた経験がある人が多いのである

正直里とといっても牧歌的なものとしてイメージしているが実際に生活するとなると過酷になる、動物も共生するのがいいとしても畑ではネズミだ鳥だキジだとか動物に野菜を食われることで常に損害がある、だから自然の動物と共生するとしてもむずかしくなる
せっかく苦労して作ったものを食われてしまうからである
それから田舎の仕事は草刈なのである
知っている女性は草刈を頼んでいる、すると草刈りをしたいと申し出る人が次々にでてくる、草刈してもらうと金を払うことになる

それが馬鹿にできないのである、他でも草刈りしている部落の人がいるがそれは補助金が出たりしてしている、田舎の主な仕事が草刈なのである
どこかで毎日草刈しているからである
その畑は何も収穫がない、てもそのまつにしていると耕作放棄地になって草ぼうぼうになる、今その土手の道の畑の半分は荒地になっているからだ
それが全国で増えているのは畑で何か野菜でも作ることが手間でありかえって肥料だとか種だとか金がかかるからやめてしまうのである

自分のようにただ畑をみている、そこで花が咲いているのを見ているならいい、でも実際そこで畑で仕事するとなると苦労ばかりになる
だからなぜ日本から昔の故郷のイメージもなくなってきたのかというと農業社会から工業社会とか他の仕事に変わったからである
農業とかに従事している人は一割にもみたないからである

でも日本人が村とか里とかが故郷となりそこがアイディンティティの場所だったことは間違えない、ただ村となると実際は相当に広い範囲だったという指摘があり里とはそれより小さな日常の生活空間である、だからこそ外国語に訳せない日本独特のアイディンティティの場だったとなる

●津波原発事故以後の変化が激しかった

とにかくこの辺は変化が激しすぎた、風景も津波原発事故後も大きく変わった
今でも突然新しい街がいくつか生まれという感じになる
なぜなら大熊で選挙がありその選挙のために投票をしてもらうために来ていた
だからこの辺には原発事故で避難した人がすでに相当数住んでいる
もう二割くらいはそうかもしれない、それで駅で話してみると本当に外から来た人が多かったのである、少しでも話してみるとすぐに外から来た人はわかるからである
でも実際はどういう人達が住んでいるのかわからないのである

そして土手の道の畑の後ろにはまた障害者の学校ができる、それも大きいと思った
とにかくまた障害者というのも日本全国で一千万人近くいる、それはどこの市町村でもいる、これも相当な負担なのである、それから今度は高齢者が増えて医療費とか福祉とかで負担が増える、そういうふうに福祉の負担は増すばかりなのである
そこは社があり田の中にあった、それは豊作を祈る神が祭っていたとなる、その社も障害者の学校で残っていてももともとは田んぼの神だった、それから他でもダイユーエイトのある場所にも田があり田の神が祭られていたがその田自体が今はなくなった
こういうふうになるのは都会だったら無数にある、東京の神田とかそうである、もともと田がついていれば田があった所なのである
東京にも里があった所だともなる、それが全くわからないが神社だけが歴史の記念として残されているだけなのである
その田の神様も次は都会化すれば商売繁盛の神に変化するのである

いづれにしろ「枯枝にとまっていた山鳩」はその畑で見たのではない
でも山鳩は鳩は平和の象徴である、そして枯枝となると枯木となると老人をイメージするつまり里に老いるというとき何か鳩のように平和に暮らして里に死んでゆくのがいいとなる、ただこの里は必ずしもここだけではない、故郷だけではない、故郷は父母をイメージするが里は日本のどこにでもあった風景だったのである
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮―芭蕉」これと通じるものがある、枯枝とか枯木は老人をイメージするのである
ともかく人間はそうした里であれ場所とのつながりを失ってきたのである
そうさせたのは何だったのか?
それを原発事故とかで延々と自分は考察してきたのである
この辺は特に鳩の平和がなくなっていたのだ、激変してしまったのである

●里と田園の復活再生

里の復活、田園の復活があっ故郷がありうる、だから浪江の街中に住んでいた人はまわりに田畑があっても関心がなかった、別に東電の原発で働いていれば良かったとなる
それで金になるから生活もできるから良かったとしているもの理解できなかった
そして浪江が二万人も人口があったのは原発があったからだとしている
田畑などその人の眼中になかったというのも異常である
そういう人は東京に住んでも都会に住んでも違和感を感じないと思う
回りの自然とか田畑に関心がないからである、だから工業地帯に住んでもそこで生活していても違和感を感じないとなる
それが何か異常なことでも異常でなくなる、おそらくこの人だけではない、田舎に住んでいても農業とかに従事する人が一割にもみたないとなると人間の感覚はそうなってしまっても不思議ではないとなる

日本人から日本の国土から里が消失したときその時日本人の心も喪失してしまったのである、そういうことが原発事故にもつながっていたのである
原発は高浜町のように金に目をくらませるものだった、だから金に踊りそれが事故につながったともなる、そして故郷に古里に里に住めなくなったとなる

ともかく町の近くにいつも行く所に里があったということを発見した
そこは平凡な世界だけど奥深いものがあった、そこに人間の生がありそこが死に場所としてふさわしいとまでなる
そういう狭い世界に日本人のアイディンティティがあった、ただそれが手放しですべていいとはならない、様々な問題の場所でもありこの世に桃源郷とかはない
それはあくまでもイメージされた場所であり現実にはないのである

●里は悟(さと)る世界から来ていた

もともと「いも」は、いわゆる「山芋(やまいも)」のことであった。それと区別するために、「里で栽培される芋」の意味で「里芋」と呼ばれるようになった。
奈良時代には「芋」を「うも」といい、家の芋という意で「いへつうも(家つ芋)」、平安時代以降は「いへついも」「いへのいも」と呼ばれた。里芋と呼ばれるようになったのは室町時代末期とされる。

里とは山と区別して里が生まれた、山芋は山で採れたし今でもとれているしイノシシとかの食料になっている
それが里で栽培されるうよになって里芋になった、家芋もあり家で栽培されたからそうなった
最初は山芋でもあ家で栽培されて家の芋になり次に里の芋になった
とすると里が生まれた経過は家の延長として里が生まれたともなる
だから里と村とは違ったものなのである、村は一つの大きな共同体だが里となるとまず家から始まったとなればそうである
家の周りが里だとなるからだ

また言葉の不思議がある、里(さと)があり悟る(さとる)がある、これが悟るとか関係しているのか?
里とは狭い範囲でありそこで悟るということがありうる、悟るとはわかるということである
狭い範囲だからわかるということに通じている
人間は家とか家の延長の里とか村とかだと自分の血肉のようになり悟るとなった
こうして私自身が狭い範囲で悟ったものを書いていることでもわかる
範囲が広くなると理解できなくなる、まずグロ−バル化するともう理解できないのである
いくら物が世界から入ってきても悟ることはない世界なのである
そこに様々な問題が生まれてきてどうにもならなくなるのである
なぜなら互いに理解し合う悟ることができない社会だからである



2019年11月13日

紫式部(平安時代の短歌)


紫式部(平安時代の短歌)

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朝日さし紫式部に黄蝶かな

落ち着くや岩に寄りにつ秋薔薇

the one rock
by the rose
in autumn
I calm down

たまゆらに朝舞いさリぬ冬の蝶


平安の殿にしあれや御柱の太しくありて秋日さしいる

紫の衣や奥に女御かな廊を渡りて秋の夕暮れ

姉と母我が家をともに支えにつ60有余年その重みかな


紫式部という名がもともと小紫とか植物の名前としてあった、それが宮中に仕える女性の名になった
日本は一つの言葉にしても名にしても歴史がある
奈良時代だと万葉集があり平安時代になると宮中文化になった
平安時代は京都中心の文化が華開いた
そこに千年の都が生まれたのである

家というのはやはり人間にとって大事である、大きな家はやはりそれだけ住んでいると重み生まれる、自分の家は昔風の大きな家なのである
姉がいつもこの柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったのだよと自慢していた
何か歴史でもそうだがそうして建物でも残っていないと昔が偲べなくなるのである
日本は木だから長持ちしない、石だと3000年前でも残っている
そこに日本が歴史を忘れやすいのである
継続した歴史があるきだがそれが忘れやすいのが問題なのである

天皇家だけは日本ではその歴史を保存したという役割があった
天皇制がどうあるべきかは別にして文化と歴史の保存の役割をになってきたことは確かである
現代に欠けているのはそうした文化なのである
東京に来て日本の文化を感じるものがないのである
ただ即位の礼では不思議に秋柳とか秋の虹とかで日本の文化を感じたのである
それは落ち着いた日本の美が反映していたのである

今年は秋なのか冬なのか季節の感覚がわかりにくい、寒くなったから冬であるが何かまだ秋という感じにもなる、季節感覚がずれてしまった

絵の才能が全くなくても切り取りして合成してゆくと絵になるのも不思議である
本当にartとは技術だったのであく、才能がなくても技術でアートにできるとなる
一羽飛んで消えたのは冬の蝶だったとなる、でも赤とんぼが飛んでいたりまだ秋にも感じる

いづれにしろ日本文化、国風文化の時代になってゆく、明治維新は外国文化を取り入れた奈良時代であり次に高度成長時代は経済の時代だった
でも次は文化の時代になる、平安時代の国風文化になる
だから新たに日本の歴史を見直す作業が必要になる
新しい価値はもう物ではなく文化的なものになる、中国でも爆買いではなく日本に求めるのは文化的なものになっている
ただ日本には歴史でも文化があっても物として建物でも残っていないので外国人でもわかりにくいとなる、城にしても再建されたものであり当時のままに残っているのはほとんどない、それで歴史の重みが伝えられないということがある
何かきれいなのだけど博物館のように見えてしまう
ヨ−ロッパなどでは石の建築物だから当時のままに残っているから歴史の重みを伝えられるのである

2019年11月10日

相馬市へ秋から冬の俳句短歌 (相馬市の城下町には柳が似合う)


相馬市へ秋から冬の俳句短歌

(相馬市の城下町には柳が似合う)

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( 山上)

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秋日さし山上に一服碑も古りぬ

山岸の社の石段秋の蝶

社一つ古き碑並び秋薊

柿なりて山岸に見ゆ塩手山

社一つ山岸に古り柿なりぬ

山里に変わらぬものや松に柿

とおすみのここに死になむ社かな

山上に紙漉き沢や冬に入る  

(黒木)

北風や館跡ここと地に記す                         

柿なりて新地の道や昼の月

風荒し初野に朝散る木の葉かな

(相馬城下町)

秋薊相馬六万石の城の址

相馬市の鉄路の脇に秋柳

田町にそ夕月光り冬柳 

田町にそ長々しだれ冬柳 

(初野ー山上) 

風荒く初野の奥や家のありまれに来たりて木の葉吹き散る

山上の稲は刈られぬ我が休み塩手山見ゆ親しき山かな
   
山上の巌を打ちて出水の流れひびきぬて橋は壊れぬ

今里の社に草むし埋もる碑や秋の日さして我がたずねけり

朝日さし街道の松の影さしてあざみ点々城跡に来ぬ

銀杏の木古りて根付きぬ冬の日や杉の木もここに齢を重ぬ

北風のうなり吹きつけ黒木城その跡ここに恨み残しぬ

出水の後に満月こうこうと知らず輝くうらめしきかな  

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諏訪神社

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グーグルマップのストリートビュ-でこの柳が見えた

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山上では山岸という所に日吉神社があった、日吉神社は相馬藩に多い
それは南北朝にさかのぼり霊山城が燃え落ちたとき落ち延びた落武者の末裔がもたらした神である
その基は南相馬市の鹿島区の日吉神社にある
山上には紙漉き沢があるからここでは紙漉きが行われていた
紙漉きは水がきれいな所で行われていた
それも冬なのである、だから仕事としては厳しかったのである
石神地域でも紙漉きが行われていた、それは越中などからの移民が伝えた紙漉きだった
なぜなら越前には越前和紙という有名な和紙の産地があるからだ

初野というとき相馬の城跡の後ろの山から広い地域になる、さらに山の方に広がっている地域である
初野とは初めて開けた土地という意味である
だから後から開墾されて人が住んだとなる
ここで地名が合っている、地名と地勢とかが合っているとそこがなじみやすいのである
初野から山を越えて丸森まで行く道があるけどそこは七曲の坂が続く道なのである
とにかく初野という地名が自ら行って回ったことでその地理を会得したとなる
まずこの地理を知ることは近くでもむずかしいのである

相馬市の諏訪神社の銀杏の木と杉の木は貫禄がある、樹齢も百年以上とかなっているだろう
この神社は松川浦から500年前頃遷宮したとありそれだけ古いとなる

 (黒木城跡)

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 この地域は伊達領と近い。当然のことながら、戦国最盛期になると、相馬氏と伊達氏との勢力争いが激化することとなる。お互いに周辺の小勢力を併合していけば、最後は激突せざるをえない。伊達氏領に近い位置にある黒木城は、対伊達の要塞として順次整備されていったことだろう。現在見られる、堅固な二重堀といった構造は、そうした時代を背景に組み上げられていったものだと思う。 

黒木城は伊達との境目辺りにある、新地との境目辺りである
新地は相馬なのか伊達なのかまぎらわしいのである、実際は伊達氏の領域だったのである黒木氏はそういう狭間にあった城だった
この城はなかなか良く作られた城であるとここで説明している 

(相馬城下町)

いつも不思議に思うのは相馬市である、それは原町と比べるとわかる
相馬市は小さいにしろ城下町だったからそうした雰囲気があるのかしんみりとする街なのである
原町の歴史は浜街道の宿場町であったのは鉄道の駅から相当離れている
でも原町機関区になり明治以降発展した街である
だから街の作りがそもそも違うのである
相馬市は城下町のままであり城跡を中心に作られたままである
駅前通りがあっても駅前通りが新しく作られたのとは違っている

それでなぜか、柳が合っている街に感じる、長々と柳がしだれている、それで洪水にはなったが鉄道の脇に柳があった
そこを鉄道を通っているのをきづきにくい場所だった
でもこの鉄道と柳がまたあうのである、鉄道には何か不思議に街と一体化するものがある
風景と一体化するのが鉄道なのである、車にはそういうことがないから嫌いなのである
鉄道の歴史そのものが古くそれも影響している、だから柳が相馬市の城下町にあい鉄道にも調和してある
相馬市は城下町らしく何か近代的ではない、古びたものを感じる
おそらく高いビルなどがないものも影響している、公共の建物を入母屋式の古いものにしているのも城下町の風情を造りだしている
だから何か柳が合う街なのである、田町の柳は大きいから見ものである
ただ新しい街並みは何かそぐわないともなる、古くて何か道も車の通らないような昔風だと情緒的には良かった
新しくしたのはいいが昔の田町を偲ぶとはならない、ただあの大きな柳だけは昔風なのである
つまり相馬市は柳がにあう街であり藤の花が似合う街だとなる 

ともかく洪水とか台風も二回来て俳句とか短歌をプログに書けなかった、こういうときみんな困っているから俳句短歌などは出しにくい、それで津波の時はしかられたということがある
ただ一つは記録として残すということがある、それは後世のためにその時どういう状況だったかを記録するのである
それが郷土史となる、今回は津浪とは違っていてそれで台風の被害でプログに出していないのをアップした
丸森に行った時は北風が吹いて楽ではなかった、でもヤマハの電動自転車は馬力があり走り安いから風の中でも行けたとなる
この自転車は機動力がある、道が悪い所でも行けるので何か取材するのにはいいと思った










2019年11月07日

白鳥来て冬に入る(台風で風車がとまった風景)


白鳥来て冬に入る(台風で風車がとまった風景)

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蔵王が見える



スーパーに人集まるやカンナかな

晩菊に日さしてここに古木かな

冬薊ここに残りて風吹かる

久しくも風車とまりて刈田かな

夕べ鳴き白鳥来るや光る月


夕べ見ゆ蔵王やともにみちのくに暮らしつつも冬に入るかな

台風の後に荒れたる河原かな風に木の葉の吹きちらされぬ


風力発電の風車が台風以来止まっている、電源装置が水にひたり作動しなくなったためである、これも想定外の結果だった
もっと高い場所に設置しないからそうなった
それは原発の電源が地下に設置して水にぬれて使い物にならなくなったとにている

こうして必ず想定外のことが起きて失敗する
風力発電でもソーラーパネルでもこうして電源が使いなくなると電気も止まる
つまり緊急時には使いないのである
もともとその元となる電力会社の電気が使いないとソーラーパネルでも風力発電も使えないのである、だからこれも本当はあてにできないことがある

なんか今は刈り入れも終わり刈田になって風車が止まっているのも奇妙だけど合っていたただ風景が変わりすぎたのである、風車もこの辺では景色となった

スーパーの近くにいつもカンナが咲いているからあそこはいつも人が一番集まるから似合っている、これは夏の花である

晩菊と古木はあっている、ただ晩秋なのだけどそういう感じがしない、何か季節感が狂ってきたのである                        

右田浜の高くなった堤防から蔵王が見える
津浪の以後に松原とかなくなり新しい堤防は相当に高いから見える
今までは松原があり高い堤防もなかったから見えなかったのである

蔵王は山形県と福島県と宮城県で見える、だからこの三県で何か共有する心が生まれる
ただ福島県でも相馬地域と海岸線伝いに見える
蔵王が見える範囲が一つの共有するものが生まれる
この辺では高い山が見えないからものたりないのである

とにかく今日白鳥が来たということはようやく冬に入ったとなる
朝は相当に寒かった、今年ももう終わりに近づく、今年も災害の年だった

2019年11月04日

馬を飼う、鮭上る、千鳥(水無川の朝)


馬を飼う、鮭上る、千鳥(水無川の朝)

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本流がまだ濁っているから水無川の方に鮭が上ってきた

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これは千鳥である

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こんな木がどこから流れてきたのだろう、これを流す力には驚く




馬を飼う昔郷士や柿なりぬ

我が里を耕す女(ひと)や朝の菊

出水に変わる流れを鮭上る

清流に卵を産みて鮭の死す

出水や流木一本跡残す


秋の朝千鳥来たりてすみやかにとびさり消えぬ跡もなしかも


野馬追いがあるからこの辺では馬を飼っている家がそちこちにある、それがこの辺の特徴でもある、郷士というとき農業して侍だった家である
野馬追にはそういう人たちが出る、もともと農家だった家から出る
相馬市内とか原町市内とか街内からはほとんど出ないのである
城勤めではなく郷士に受け継がれてきたのが野馬追いなのである

なぜ鮭が水無川に上ってきたのか?
それはまだ台風でふった雨が流れて濁っていたからである
卵を産むとき鮭は清い川で水を求めてそこで子を産む
それで水無川は清い川だから上ってきたのである

それにしてもあのような大木がどうして流れて来たのか?
とてもあの川からこんなものが流れて来るとは思いもよらなかった
自然の力には驚く、そこは水無川でありいつも水がほとんど流れていないからである

出水(いでみず)は秋の季語であり台風のために出る水である
でも温暖化で10月末頃これほどの台風が来る
それで季節的になにかおかしいとなる
そして今年は虫の声が聞こえないのである
これも異変である、川原の草むらには虫が鳴いていた
でも川原の草叢が台風の出水で流出した、それで虫の声が聞こえないから
季節感がなくなるのが淋しいとなる

我が里に・・・というときこの里(さと)というのは日本独特の言葉だと思う
村(むら)は群れるからきているからだ
それは比との集団である、でも里の不思議はそういう村とも違うのである
国は英語でもcountryでありこの意味は田舎という意味もある
村はvilligeであり一応対応する言葉がある、でも里にはないのである、里山というのもそうである、だから里とは日本独特の生活空間の意味になる
自然と融合した空間なのである、ふるさととは里のことなのである

そこに田畑があり耕す人がいて菊が映える、そこに暮らしがあり花でも映えるのである
だから暮らしがなかったら里とはならない
それが原発事故で一時失われたし今でも避難区域では里が回復していないのである
田畑は草ぼうぼうになっているからだ、ただこの辺では荒地が多い
それは日本全体でもそうである、つまり日本の故郷(ふるさと)が里が消失しているのである、日本の原郷のようなものが失われてしまっているのである

カメラに映っていたのはチドリである、チドリの好む場所は草地ではない
砂地とか砂利とか石だらけの所である、すると今回の台風の出水で流れが変わって砂地と砂利と石ごろごろの河原になったからこういう場所を好み来たともなる
チドリはなかなか見れない鳥である、というのは海でも砂浜自体消えているからである
でもこれは河原にも来るとあるがなかなかみれない、ただ時々田んぼとかに飛んできているかもしれない、でも鳥はとらえにくい、すぐ飛び去ってしまうからである

小型チドリ類が繁殖できる場所は、ただの空き地だったり河原の中州だったり砂浜だったり、人間にとっては何の利用価値もない空き地で、他の動植物もあまり多くはない環境です。川が氾濫を繰りかえす中で中州や広い河原ができ、そして河口部には砂州ができます。そういう場所に、まず最初に移り住んでくるのがチドリの仲間たちです。
https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0609_2.htm

こういう習性がある、写真にとらえられたことはラッキーだったとなる

2019年11月02日

相馬市の音楽祭は災害で中止 (とちおとめが南相馬市の道の駅で演奏)


相馬市の音楽祭は災害で中止

(とちおとめが南相馬市道の駅で演奏)

秋風にバイオリンの音のもの悲しとちおとめ歌う声の流れぬ
秋風にもの悲しかなクラシックその余韻の心に残りぬ

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バンド名「とちおとめ」
栃木県を中心に北関東一円で活動。
震災以降は原発被災地の浪江町、南相馬の仮設住宅を
まわりながらミニコンサートで活動中。
最近ではデイケアサービス、道の駅、公園イベント等で演奏。
フォークソングや昭和の歌、演歌を原点とする男女のデュオ
https://www.youtube.com/watch?v=RD6GJE0mzUM

写真とれなかったけどとちおとめはyoutubeで聞ける、youtube見ていた人は知っているとなる
インタ−ネットのサイトでぱ男性だけど女性と男性で歌っていた
前でCDを売っていた、演歌系統である。



秋風が吹いている、今日も何かまだ秋の日ざしではなかった
音楽でも野外だと自然の中にひびくことになる、室内だと秋風は吹いてこないからだ
だから野外の演奏は何か楽しいとなる、また生演奏は違っている
それで音楽は生演奏を聴けというのもわかる、そこに本当の音楽の醍醐味がある
ただ地方だと生演奏は聞きにくいのが問題である
今日はバイオリンの音色が何か物悲しくひびき良かった

やはり何でも自然の中で音楽を調和するとなる、それは小鳥でも自然の中で歌っているからである
私は音楽はなかなか鑑賞できないが音楽から森とか山とか川とかなにかせせらぎの音とかそうした自然をイメージする
そうなるとまさに自然の中で野外で演奏すると音楽でも一段と心にひびくものとなる
宮沢賢治の童話に自然と調和した音楽をテーマにしたものがあった
そういうものは都会で生まれにくいのである
とちおとめの音楽は何か物悲しいひびきがあった、秋にふさわしい歌だったともなる

ともかく相馬市で音楽祭が中止になったというとき災害で自粛することになる
こんなとき音楽祭かボランティアしてくれとなる、ボランティアが不足しているからだ
でもこの辺はもうこんなに連続して災害が起きると疲れたとなってしまう
他の人でも東日本大震災でボランティアをしてまたかとなり嫌になり来ないとなる
丸森に行くにしてももうそれを見ただけで疲れる
ただどうしてこんな被害になったのかを知ることは後のために必要だし報告することに意味はある
でもそこではくつろぐということはできない、ただ寄付くらいはできるが後は何もできないからだ

そして東日本大震災では未だに原発避難区域になったところは被害者でありお前たちはただ面白半分に来たのかとなる
でもその内部の人間がどうなっているかというとフィリンピンの女性に貢ぎ補償金を使ってなくなったとか毎日パチンコでありギャンブルしていたのである
だからこれも暗黒なのである
そういう人間がどこがかわいそうなのか?未だにそういう心情なのである
今度は相馬市でもいいから丸森でも小高の人でもボランティアに行けばいいと思う
いつまでも助けられるべきだとはならない、もちろん自治体では前から倉敷の吉備だとか他にも応援に行っていたから今回真っ先に吉備の人が相馬市に応援に来たのである

俳句や短歌や詩を作っていたが何か発表するのがためらわれた
相馬市はまあまあだけど丸森は被害が大きく暗澹としてしまう、ただ相馬市でも全体が被害があり北飯淵では床上なのだからそれなりに被害があった
ただ家自体が壊れた家は一軒もないから丸森と比べるとそれほどでもないと感じる

とにかくなぜこれほど災害がつづくのかそのためにうちのめされるとなる
どうしても暗くなってしまう、リスボンの地震では地震そのものの影響もあるがそれが精神的に打撃になり冒険する気風もなくなりポルトガルが衰退したのである
それだけ自然災害は人々の心まで変えてしまったのである
災害でも私の家が洪水で家が流されるようになってから30年ほど過ぎて第二の水害になった、それも床上浸水である、でもそれから30年以上災害はなかったのである
つまり30年くらい間隔があけばこんな気持ちにはならないだろう
こうして連続して大きな災害になると打ちのめされてしまうとなる
そしてリスボン地震のように人々の心を変えてしまうことの影響が大きいのである

2019年10月24日

天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)


天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)

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天皇の二重橋行く秋柳

秋粛と天皇行きぬ二重橋

令和の世我が年重ね秋柳

秋柳即位の礼の儀式かな

次の代即位の礼や金木犀

次の代即位の礼や秋の虹

松の間に豊の灯りや実りかな

初冠雪富士の嶺仰ぎ即位の礼


松の間に豊の灯りの節会かな大和心のここにはぐくむ

豊の秋天皇迎ふ外国の人そまねきて令和はじまる



古い柳の木が二重橋に映えている写真
https://00m.in/p6UO1


柳の時を越えて 皇居二重橋の柳の風景
https://tegami.club/16982


皇極紀元年十一月の条に「天皇新嘗御(きこしめ)す」、応神記に「天皇豊明(とよあかり)聞し看しし日に」、大嘗祭祝詞に「皇御孫命の大嘗聞食(きこしめさ)む為故に」、続日本紀巻三十の称徳天皇の宣命に「今日は新嘗の猶良比(なほらひ)の豊の明(あかり)聞こしめす日に在り」など多くの用例があります
天皇の御所とかでもこうして古い謂れがあって名付けられていた

応神天皇というと


応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日

時代
古墳時代
摂政
神功皇后
先代
仲哀天皇
神功皇后(摂政であり、女帝説もある)
次代
仁徳天皇

『日本書紀』によれば母后摂政(神功皇后)が崩御した翌年に即位。即位2年3月、仲姫命を立后。子に大鷦鷯尊(仁徳天皇)らがいる。また皇后の姉の高城入姫命との間には大山守皇子らを得た。『日本書紀』によると即位3年10月に「蝦夷をもって厩坂道作らしむ」即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87

ともかく応神天皇の代までさかのぼる歴史が豊の灯りでもある
皇室はこうして日本の歴史を保存してきたとも言える
何か応神天皇とか神郷皇后とか仁徳天皇になるとあの巨大な古墳がある
そういう時代にさかのぼる、皇室の意義がそうした歴史と文化の継続を保つことにあったそういう歴史を偲ぶことにある、ただそうした日本の歴史とか文化が継続しにくくなっている

例えば御所があるとして二重橋があるとしてそこは徳川幕府の江戸城があったところである、その城の後に天皇が住むようになった、もともと大きな堀があってそこを渡る橋が
明治以降二重橋となった
そしてテレビで即位の礼を見ていてそれが日本文化のきらびやかな絵巻物に見えたのである
おりしも雨がやんで秋の虹がかかったというのも吉兆だったし日本的だった
そして二重橋の前に柳があった、そこを天皇(すめらぎ)が通る
皇后様も通る、何か日本的な美がそこはかとなく醸し出された儀式だった

東京にはあまりにも煩雑になり高層ビルとかで情緒とか美が消失してしまった
だから行きたくないのである、ただ煉瓦の東京駅から皇居までは何か歴史を感じるのである、でも何か江戸時代が三百年あったとしてその歴史が偲べないのが残念なのである
なんといってもやはり天皇の歴史は京都とともにあったからである
何かやはり歴史というとき百年二百年でも短いとなるのだろうか?
まだあそこに皇居があり天皇が日本の国の象徴としてあることがなじまない
でも江戸城を復活しにくいのは天皇の皇居になってしまったからである

なぜ百万都市の江戸が偲べないのか?それは明治になったときあまりにも変わりすぎた結果である、大名屋敷でもなんでも江戸にあったものが破壊されたからである
それが残念だったのである、ただ江戸城跡の皇居にだけその跡が残ったのだか天皇の住まいとなったとき何かそぐわないとも感じるのである
天皇はもともと京都に住んでいた方がにあっている
なぜなら権力の象徴ではなく日本の文化を体現するものとしてありつづけたからである

だから言葉というのはその背景となるものが失う時活きてこない、皇居には具体的に日本の文化を受け継ぐものが残されていて豊の灯りという言葉応神天皇からあったということに驚くのである
令和とは国風文化の時代になる、だから大和魂は明治以降西欧列強に対抗するために富国強兵になったのである、そして太平洋戦争でそれも尽きた
その後は大和魂ではなく本居宣長のいうように大和心の涵養の時代になるのである
ただテレビだけではその雰囲気は感じられない、ただそれでもあの二重橋とか皇居内の
要人を接待する間は日本文化の伝統を受け継いだものだったのである
つまり日本人はそうした日本の文化を大事にすべきである、それが皇居に受け継がれていたのである

ただ昭和天皇は和歌がうまかったが後の人はそうでもないしそこが残念なのである
やはり短歌とか俳句は日本の伝統であることもこうして俳句にしたとき感じた
その季節にふさわしいものとして日本の風土の変化があり養われてきたものだからである本当に秋柳があり秋の虹がありそして富士山が初冠雪になっていたのである
そういう季節と密接にかかわり演出されたので天皇は日本の文化の象徴だと見たのである

即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という

海人とは綿津見神社系統の安曇族とかのことである、それと対比して山守というとき、山彦である
この時すでに日本は国際的だったのである、なぜか任那人というのもいた、それは伽耶の国に任那が日本府があったとされるからだ、それから剣の池があった
その剣の池に行ったことがある、そこがそれだけ古いし日本書紀にも記されている

剣の池我がはるけくも訪ねきて奈良の都の秋深まりぬ

あの時は名古屋から伊勢から自転車で奈良まで行った、それも遠い日になった
西でも奈良とか京都には三回くらい行った
ただ不思議なのは南相馬市の鹿島区の真野に万葉集の歌が残っている
真野の草原の歌である、これについては延々と書いてきた
そして現実に鉄作りで有名でありその工人が現実に近江の粟田郡に行き来して鉄作りを習得していた、その時代にそんな遠くまで行ったのかとなる

今なら飛行機で大阪まで行き一時間くらいで仙台空港から行ける
新幹線でも遠いから今は仕事の人はみんな仙台空港を利用している
でもそれはつまらないともなる、私は船で名古屋まで行きそれから奈良まで自転車で行ったのである、そういう旅は思い出に残るのである
何度も言うが後で思い出に記憶に残らない旅は時間の無駄だったともなる
旅したことにもならなかったとなるからもったいなかった後で後悔するのである

2019年10月02日

故郷の実りの秋


故郷の実りの秋 
                               

柿なりて代々の畑耕しぬ

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道  

秋の蝉今日は聞こえぬ同じ場所

朝露の稲穂に光り野良仕事

夕日さしふるさとに老ゆ実りかな

橲原(じさばら)に山重なりて秋日没る

秋日さし橲原暮れぬ山の墓地


街道の松の変わらず道しるべ秋風吹きて坂越え来たりぬ

大海の波にゆれにつ鴎浮きまた飛びたたむ秋になりしも

丘の上に久しく立ちし樅の木の直しも実りに夕日さし暮る

ねんごろに故郷の女(ひと)と話しけり我が家ありて秋となりしも

礎(いしずえ)の祖(おや)あり成りぬふるさとの実りなるべし陽は山に没る


最近土手の道の同じ場所に座る、すると必ず蝉の声が聞こえた
しかし昨日も一昨日も聞こえなかった
つまり秋の蝉の声は聞こえなくなった、これは季節が変わったことである
蝉の声が聞こえないことで何か深い余韻がそこに残る
それはいつも同じ場所にいたからそうなった
ここ十年は介護して旅もしていないから同じ場所回っているからそうなった

ふるさとの実りはいい、この実りがないと秋という感覚がなくなる
橲原(じさばら)に行ったが実りが一区画くらいしかないのが淋しい
草ぼうぼうなのである、何か人間の営みは自然と融合しているとき一番美しいのである
だから形だけでも実りがあり畑でもしている人がいると自然も活きているのである
一区画しかなくては淋しい、山の墓地も何か秋の日がさしていい感じになる
そういう場所に眠りたいとなる

何かその場所場所には個性がありそこに暮らしがあるときいいのである
だから限界集落が消失するというとき淋しくはなる
ただ農業だけではもう暮らしていけない、第一どこでも農業だけで暮らしている人は本当に田舎でも少ない、勤めている人が多いからである
でもなにかしらそこに生業(なりわい)がないと自然も活きてこないのである 
橲原とかは奥座敷という感覚になる、場所としていいのである
山に囲まれた狭い地域だからそういう感覚になる

だから観光とかなるとその場所の特性を活かすことなのである
私は何か場所にこだわる、地形にこだわる
観光なら陸前浜街道とこうした山の地域を活かすことである
一日でも浜街道を車を通らないようにしたら昔が甦る、ただ日立木から相馬市の城跡までである、あそこは昔の街道が残っているからだ

実りという時、それは稲穂だけが実るのではない、それが心に反映される
だから田畑でもそれを食料とだけみるが文化的実りもある
実りは祖(おや)がいて実りがあるとなる

話するのは故郷の老いた女性である、その女性は話だけはうまい、でも腰がいたいとか何もできない、ただ話するだけである
でも年取ると実は話することが仕事にもなる、昔を語ることが仕事となる
昔話とかは老人が孫などに語り聞かせることからはじまったことでもわかる
何かを経験でも伝えるために話する、何か人と話する時、活きてくるものが自分自身思った
ちょっとでも相手と話すことでわかることがある、おそらく今の時代は語りの時代になっているのかもしれない
youtubeなども個々人の経験の語りなのである、それはマスコミとは違ったものである
語りとなると必ずしも大勢に語ることではない、知らせることでもない
対面的になるからだ、そこで多様性が生まれてくる、そういう時代の変化としてインタ−ネットとか生まれたとなる
インタ−ネットでも個々人の語りだからである

ねんごろとは

1 親密になること。

「おまへは貧乏神と―してござるかして」〈浮・禁短気・一〉

2 男女が情を通じること。

「此のお夏は手代と―して」〈浄・歌祭文〉

日本語も不思議である、ねんごろとはねむころから生まれた、寝るとなるから男女が情を交わすことである
日本語の語源を探ると何か日本の文化が見えてくる




わたしは待っている

I am waiting for you

わたしは待っている
あなたの帰るのを待っている
木の根のように
わたしはその土地に根付き
あなたを辛抱強く待っている
帰って来いよ
あなたのふるさとに
あなたを待つ人がいる
死者もあなたを待っている
ふるさとは荒れ果てていいの
あなたのふるさとはどこなの
わたしはふるさとに根付いて
一本の樹のように
あなたを待っている
帰ってこいよ
あなたはここに育った
あなたはここにはぐくまれた
愛する人がここにいた
深い愛がここにはあった
わたしはここに根付いている一本の樹
その根元に藪甘草が五六輪咲く
わたしはここに待っている
あなたが帰ってくる日を
辛抱強く待っている
わたしはここの土地を離れない
わたしはここでこの土地に朽ちてゆく
それでもわたしはあなたを待っている
辛抱強く待っている
わたしはここに生きてきた
ここを離れてわたしの生きる場はない
人はある場所に深く根付く
そこを終の住処と根付く
人も石や樹と同じだから
そこに人は安心立命する
あなたの思い出はここにあり
ここにまた生は受け継がれ
また新たに織りなされてゆく
わたしは待っているいつまでも・・・


これは前に書いた詩だけど読み返していい詩だった、これも忘れていたのである
何か自分の書いたものでも忘れていてもう一度読み返して感心しているのも不思議である
いいものは何度読んでもいいということがある
そういうものが古典として残る
時流的なものは一時的なものとして消える、それが百万人読んでも消える
なぜか芭蕉の俳句などはこれだけ時間がたったのに味わいをましている不思議である
そこに何か深い芸術性がありそれがかえってこれだけ時間を過ぎてもかえってそれが価値をましているのである


2019年09月30日

実り(旧街道は歩くか自転車がいい)


実り(旧街道は歩くか自転車がいい)

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柿なりて代々の畑耕しぬ

朝露の稲穂に光り野良仕事

秋の蝉朝に聞き入りいつもの道

遠くへと来たり舞いけり揚羽かな

相馬藩街道に実り今日の宿

松による旧街道や秋の風   

街道の昔やあわれ秋柳 
       

ここでは陸前浜街道がある、六号線は旅の道とはなりにくい、街道は何か人間的なのである
「奥の細道」のように道が細いと人間的になる、道の辺の花にも目をそぞくことがある
六号線は車の行く道である、荷物を運ぶ道である
街道はだからなるべく車が通らないのがいいのである
それは人間回復の道でもある、だから仙台から来た人たちが昔の街道を歩いたのはいいことである

陸前浜街道で一番いい所は城跡まで行く松並木である、そこではすでに城を意識するからである
現代はまず旧街道を知るにしてもとぎれとぎれにしか知ることはできない
すべてが車の道となっているからだ
旧街道は人間的な道なのである、観光という時、そういう旧街道とか見逃されている
一続きのものとしてではなく、ただ遠くに行く、旅の目的地までゆく途中が省かれているから旅にならないのである
道とは連続したものでありそれで風景でも連続したものである

とにかく不思議なのは歩くとなるそれが新鮮な体験となるのだ
自転車でもそうだが歩くことは本当に確かに大地を道をふみしめて過去に帰ることである江戸時代の感覚すら体で体験できることなのである
人間は必ず過去が失われてゆく、すると過去を懐古するようになる

要するに現代はもの凄く変化のスピードが早すぎたのである
それで何かもう精神的にも消耗したのである
正直自分はバイクさえ嫌いである、それは突然ぶっ飛ばしてきて乱すのである
車とかバイクでもそれは何か非人間的なのである

最近老人と会うと自転車に乗る人と話する、85歳の人も自転車に乗るようになってかえって医者から調子良くなっていると言われたという、それは自転車に乗っているからだとその人は言った、自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
バイクに乗る人が仲間になりやすいのとにているのである

いづれにしろ私は旅ばかりしていたから感覚的に家にいてもいつも旅している感覚になってしまった、常時旅している感覚になってしまったのである
それで相馬藩内でも街道を自転車で行けばそれも旅なのである
そして家すら一時的に滞在する宿のような感覚になってしまっている
ふりかえればそれだけ旅したためだとなる

現代は旅人はいないし旅人になれない時代である、それは皮肉にも交通が発達しすぎたからである
新幹線で二時間くらいで平泉に来たらもう旅はないのである
便利になりすぎて失われるものも相当にあったとふりかえる
だからそうしたものが見直されてゆく時代になる
経済学と民俗学が関係あるのかとなるとやはりそこにも現代のグロ−バル経済がどれだけ人間的なものを喪失させたかを比較するとわかるからである

相馬藩内の実りがありまた相馬藩を出れば他藩の実りがある
この実りというとき米の実りではあるがまた様々な実りがある、文化の実りもある
そういう季節である、だから実りがない小高とか浪江は荒涼としているのである
八沢浦は一部でも実りが回復したから違っていた
そこに蔵王を望んだとき豊かさを感じたのである

今年は10月になるに暑い、だから秋にしては気候的におかしい、秋涼という感覚がない一時はあったが最近今日でも暑いのである
「秋暑し」という季語があってもそれとも違う、何か夏なのである
それで揚羽が飛んでいて夏だとも感じたのである
揚羽は夏の季語だからである

2019年09月25日

桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)


桜井古墳(秋)―街道の松 秋の蝉(俳句十句)

 
ふるさとや旧友と会い秋の蝉

ふるさとや同じ場所に秋の蝉

ふるさとにともに老いゆく秋の蝉

塵つかず石の黙して秋薔薇

蠅も来ず宝石ともなる秋薔薇 



過ぎ行きぬコスモスゆらし朝の風

街道や秋風に松坂越えぬ

街道の松や古りにき秋の風

街道に秋風吹くや碑の古りぬ


秋日さし桜井古墳に我が寄りぬ

山鳩や桜井古墳に実りかな

みちのくの実りここや大古墳

新田川鮭の上るや大古墳

千歳経ぬ桜井古墳や秋の雲

秋の蝶紋鮮やかに大古墳

秋の海桜井古墳や千歳経る

秋の蝉一つひびきて隣の市



いつもの土手で休む場がありそこに休む、そこで会ったのは同級生だった、その人も脳出血で死ぬところだった
その人と時々自転車であって話する、郷土史のことで話ができる
他では直接そうした話はできないししていない
だからただ一人プログに書いているだけだとなる
つくづく今や同じ場所に行き同じ場所で休む、そういう繰り返しである
老人になると同じ場所にいてあまり新しい場を求めないともなる
だから家とか周りの環境が大事になる
そこに秋の蝉が鳴いてひびくのが似合っている

今日は原町に行ってきた、街道はやはりいい、人間的になる、高松辺りの松は太くいい松である
松は街道にふさわしい、だから今でも陸前浜街道を行くと昔を偲び旅人になれる、六号線は旅人になりにくい
原町ででも旅人の気分が味わえるのである
とにかく松は一番人間に近い木なのである

次に桜井古墳によった、この古墳は本当に大きい、なぜあそこにあるのか?
その場所がやはり新田川の側であり海に近いということで原町では最適の場所だったのである
古墳はどこにあるのか、場所が大事である
仁徳天皇の大古墳は海に近かった、そこに意味がある、ただ奈良の盆地の古墳も大きい
それが山の辺の道の山側に沿ってあるからその場所に意味がある

新田川にも鮭が上ることで有名だったし鮭料理をだす食堂があった
でも今年は真野川でも鮭が数匹しか上ったのを見ていない
去年は相当数上っていた、もしかしたら震災から8年過ぎて何か影響したのか
鮎は一匹もいなくなった、鮎は全国的にいなくなっている
その理由が何なのか?これも何か影響している
鮎が見かけないのは淋しいとなる、それは食べないにしろ川に鮎がいて川もは活きるからである

街道を行くといんう旅は今はしにくい、この辺だと街道を旅することは浪江まではできる
でも六号線は双葉には自転車ではいまだに入れないのである
そこで通行止めになるから行けないのである、山の方を行くと遠回りになる

ただ自転車でゆっくりと街道を行くのはいい、秋は季節的にもいい、それでまた行きたくなったとなる

2019年09月21日

浜通りの秋(詩) (阿武隈高地は古い)


浜通りの秋(詩)

(阿武隈高地は古い)

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中村城跡から見る


浜通りの秋

黄金の稲穂の実り
鶏頭の真紅の映え
常盤木の松の翠や
阿武隈の山脈にそ
棚引きぬ白銀の雲
紺碧の海に浜通り

白銀(しろがね)



福島県は、地震や台風による水害などの災害が少ないことで知られており、企業のリスクマネジメント上において国内屈指の環境と高い評価を受けています。

今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率は極めて低いとされ、特に阿武隈高地の地盤は堅固で活断層も少なく、地震に対する安全性が極めて高いと言われています。

阿武隈山脈は大陸から分離した、もともと大陸が元になっているから大陸は古いから古いとなる、不思議なのは朝鮮半島には地震がまれである、ニュースでも地震のことが報道されない、台風の通り道にはなっているから台風はある
でも地震の報道がない、それでけ地震がないから地盤が安定しているとなる

阿武隈山脈が浸食されてなだらなかだというのもそれだけ長い年月の間に形成された結果だとなる
とすると逆に吾妻山と磐梯山とか中通りとか会津になると高い山がある
それも2000メートル級の高い山がある
それは新しい造山運動のためだったとなる
つまり新しい山は高く険しくなるということなのか?

ともかく阿武隈高地が地盤的に安定していることは間違いない
それが今回私が作った漢詩もどき詩となになか関係あるのか?
詩も科学と関係している、阿武隈高地は山脈は安定しているというとき
詩にも反映される、浜通りの特徴が反映される

浜通りは海と山の景観があるからだ、それてアンモナイトとかの化石も発見された
海側だから津浪の被害も大きかった、私の家から海は近いから身近である
海をいつも見ているからだ

それで青が海であり鶏頭は赤であり黄色は実りであり緑は松なのである
右田の松原は古いしいい松だったが津波で消失したのがショックだった
浜通りでは相馬市の城跡に行く街道の松並木が有名だからである
歴史は六号線を行くとわからないのである
昔の道の街道が歴史の道なのである
だから日立木から相馬市の城跡までは歩いた方がいいのである

ともかく意外と地元のことがわからない、でも阿武隈山脈が古いというときそこに白銀(しらがね)の雲が棚引く、それがあっているとなる
宮沢賢治のように地質学から化学からあれだけ万能だったと人はめずらしい
現実にそういう天才は今の時代にも出ていないことでもわかる
これだけ科学的にも情報的に進歩してもあれだけ博学な人は出てこないのである

福島県は広いからその土地土地のことを知ることは容易ではない
全体として知ることはなかなかできない
浜通りというとき今回津浪に襲われた地域を一つのつながりとして地域を見るということにもなった
会津とかは山国であり別な地域となる、それで文化の形成でも違ったものとなる

2019年09月20日

秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)


秋風、実り、秋の蝉(相馬の城まで俳句十句)

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八沢浦はほとんど荒地のままである

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五本松の二本は枯れたが三本は枯れていない
一時枯れたのがあったが枯れていない




白壁の蔵に芙蓉や庭の畑

虫の音に耳傾けむ謙虚かな

蝉の声昔遊びし神社かな

(八沢浦)

朝の風八沢浦にも実りかな

八沢浦蔵王望み実りかな

山鳩や八沢浦に実りかな

朝日さし鶏頭に実り松による

(五本松)

五本松三本松残り秋の風

なお残る三本松や実りかな

新築の家に落ち着く秋の雲


(相馬市)

ひさびさや街道の松秋の蝉

街道をゆく人あれや秋薊

大手門入りて松かな秋の風

黒橋を上り城跡秋の蝉

城跡や松にひびける秋の蝉 

相馬藩歴代の殿実りかな

有田焼の茶碗を買うや秋なりき

石にさす秋日やここに店構ゆ      


近くの神社では子供の時遊んだ、その時は子供が多いからにぎやかだった
今は一人も遊んでいない、何か神社自体が廃墟のように見える
子供が遊んでいたとき神社は生きていたのである

今日は涼しいので相馬に行った、一か月より以上相馬に行かなかった
暑いのと日ざしに弱くなっているからだ、現実に家にいても熱中症のような症状がでる
最近も暑くぐったりとしていたからだ

今日は八沢浦の方を回ったら蔵王が見えて実りがあった、でもそれは極一部だった
全体的には草ぼうぼうである、ただ実りがあることで生活があり活きる
右田浜でも松原があり実りがあった、あの光景はいいものだったが二度帰ってこないし見ることはできないのである
松原は自然のように感じていた、でも人工林だったから消失したのである

昔の街道は細いしまがりくねっている、そこに情緒がある、でもそこを人が歩いていないから人間的にならない
車だともう人間は邪魔になるし道端の花など見ていないからである
道路でも本当は街道だったら人間が歩いていて活きていたのである
六号線だと車になるのもしかたがない、街道なら歩いている人がいる、歩く道路だったらかえって人間的なものが生き返る
秋となるとやはり旅にはいいとなる、ただ旅でも車では旅にはならないのである
現代の道はただの通り道になる、運搬道路になっている
何か秋になりまた旅したくなった

松並木の街道を行き相馬六万石の城跡につく、大手門があるけど小さいのである
門を入ると松がある、何か城には松があっている、松は人間に見える
一番人間に親しい木なのである、松は忠臣のように城の中に立っている
黒橋を上る、あそこは急である
相馬藩が国替えがなくつづいた、それで歴史に一貫性があるとかなる
それが明治以降も今でも殿様が活きている唯一の藩かもしれない
それは野馬追いがつづいているからそうなる
野馬追いは歴史の継承であり侍が現実に活きる場になるからである
だから相馬地方では侍に出る人は依然として侍であり格が上になるということがある
それは京都辺りでも僧侶が依然として力をもっているのとにている 

イオンでは有田焼の焼き物を売っていた、何か秋らしい、でも安いのを買っただけである陶芸とか骨董とかにこるときりがないのである
何か趣味でも金がかかりきりがなくなる、だからやめたのである
ただ安物は安物の価値しかないのである
私は窯元をずいぶん訪ねた、浪江の大堀焼の窯元がなくなったことは痛手ある
なぜならあそこは高瀬川があり水墨画のような風景があったからである
そういう観光の場所を失ったことは痛手である
窯元はやはりある程度まとまっていないと価値がないのである

秋風や模様のちがふ皿二つ    原 石鼎

秋はそういう感じになる、芸術の秋である

相馬市ではパン屋が六号線沿いにあり焼きたてのパンを買った
パン屋は原町にもあるし普通はある、第一新地にもあったからだ
だから鹿島にはないというのがわからないのである
原町までたと近い相馬市になるとちょっと遠くなる
とにかく暑いということで行けなかった
日ざひは夕方になっても暑くなっていた
何か夏が一か月くらい伸びている
店の前に石がありやはり店を持つという店を持つことはステータスになる

今日帰りは暗い道で転んだ、今度のライトは電池が切れやすいのである
自転車も危険である、慣れた道でも暗くなると危険なのである
それほどの怪我でないから助かった





2019年09月19日

里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本)


里に隠る月(秋風吹き貧困化する日本) 

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今日は来ぬ女や雲に隠る月

里の月今日は隠れて人逢わず

盗るなかれ月は見ている畑かな

里の秋病に留守や三か月

昔なれ里の実りや松による

書のあまた灯火親しむ家古りぬ

蛙鳴く家や秋なれ家親し

月隠る家を離れじや母の霊

姉死して8年過ぎぬ秋彼岸

今年また遠くに行かじ秋燕

秋風や街の淋しく蝶一つ

明日食べる米なき女(ひと)や虫の声

秋風や貧になりゆく日本かな




月は最近雲に入ったり出たりして輝いている、昨日は満月だった
その女性は毎日来ていた、だいいち年金が4万とかであり最低なのである
10パーセントが5万以下であり10万以下が半分以上なのである
まず貯金がない人多いのに本当に驚く、老後に2000万用意しろというけど
それでもたりない、金の価値が下がったからである
高度成長時代はみんな貯金していた、それは利子が高かったからだ
今は銀行にあづけると利子をとられる、投資信託などをすすめられて大損だった

それだけ日本経済は低迷していてぬけだせない
というよりもうポルトガルとかスペインのように400年日本は衰退の道を歩んでいるという学者もいる
日本はもともとみんな貧乏だった、高度成長時代というのは短い期間でありそこは特別な時代だったことをふりかえる
日本は資源もない土地も狭いしとても豊かになれる国ではなかった

つまり高度成長時代というのは特別幸運がそうしたのである
日本の技術が優れているとかなかったのである、なぜなら今は韓国でも中国でも日本と同じ技術レベルになり中国だと日本より進んでいる時代となったからである
日本の高度成長時代は幸運だっただけなのである

老後は近くが大事になる、雲に隠れて見えなくなってもまた月が現れる
何か三か月も入院して留守にしている人がいると気がかりになる
親しいというわげてもないが近くだからそうなる
なぜそう思ったのか?
その人は妻を亡くしてもう10年くらい大きな家で一人暮らししていたからである
妻がいればその人を思わない、一人だから家に誰もいないから思ったというのも不思議である

何か独り身とか独り身を思うようになる、夫婦でいれば別である
老後は近くが大事になる、病気になっても近くにもし親しいかかりつけの医者がいれば安心だとか何でも近くが大事になる
遠くの親戚はあてにならないのである

とにかく一身上でもここ十年は変化しすぎた
家族みんな死んで姉が死んでから8年も過ぎた、それもあわただしいからあっというまだったのである
右田の松原も津波でなくなりそこに実りがあった、松と実りがあっていた
それもなくなった、凄まじい変化があった
まず人生では必ずこうした大きな変化にみまわれる
70年くらいで大きな変化が来る

今日は西風なのか秋風が吹いた、ようやく秋らしいとなる
youtubeで老後で失敗した人のことを言っていた
その人が住んだのは辺鄙な田舎だった、そこで新参者を受け付けない所だったのである
それで妻が鬱病になったとか病院に通うにも遠いとか畑で野菜を作ってもハクビシンとかなんかに食べられたかと言っていた
田舎は人間関係が本当にめんどうなのである
特に小さな村ではそうなる、でも田舎が住みにくいかと言えばそうして仲間がいれば何か安心するのである、住みやすいのである
それがないと住みにくくなり問題が起きる

なぜ老後に誤算が多いのか、失敗するのか?
それは時代が変わるからである、貯金して利子はつかない、何か事業してもうまくいかない、田舎に住んでもうまくいかない、要するに老人は適応力がないからそうなる 海外旅行でも若いうちにしていないと苦しむ
それも適応力がないからだったのである


2019年09月15日

故郷の秋に思う短歌十首 (ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)

  
故郷の秋に思う短歌十首

(ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)
                                                    
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ここは公民館である



コスモスに夏菊映えて人集ふ  
                                                          

蝶いくつ舞い入りあそぶ夏菊にコスモスとりどりは朝に映えにき

我が家にうから亡くしてその女(ひと)のなじむもあわれ秋となりにき

ふるさとの我が家になじむその女の近くに住みて満月照らしぬ

その女の何故かかわるふるさとに家族もなしも秋となるかな

病院にありて帰らぬ人のあり家は空家に秋となりしも

近ければ墓にもよりぬ姉死して命日近く秋となるかな

あわただし時はすぎゆくふるさとや家の柱によりし秋かな

ふるさとに家なお残り我一人月の照らして昔偲びぬ

母と姉今はあの世にやすらかに争わざれや秋の夜ふけぬ

人の世に嘆きはやまじいつ果てむ月日はすぎ秋のめぐりぬ

人の世の無情にもまれ傷つきし痛みは消えず秋となるかな

ふるさとに交わる人も争い去りもはやあわじも秋となるかな

人はみな金を求めてあくなきを悲しかりけり秋となるかな


家族が死んでなぜかその女性が自分の家とかかわった
それはただ偶然だった、誰もいないよりいいと思いかかわった
もう四五年くらいになる、この月日が過ぎるのも早い
姉が死んでからは八年とかすぎた
なぜ早く感じたかというといろいろなことがありすぎたからである
何かそうして追われた結果、早く過ぎたのである
その八年間は津波だ原発事故だ、プログで書いてきたようにいろいろなことが災難でもありすぎたのである、
結果的に追われる日々でありそうすると月日が過ぎるのが早いのである
だからここ十年間は倍速で月日が過ぎたのである
そして自分自身もかなり老いたとなってしまったのである

ふるさとが別にいい場所でもない、そこにいい人が住んでいるともならない
ただ家族がいるうちは自分の場合は故郷の人と交わっていなかったのである
そういう特殊な状態で生きていた、なぜなら家族がいてすべて家のことはしてくれたからである、
今は全部自分でやらざるをえない、家事でもそうである
だからまた家事で追われている、家事はきりなくあるからだ

ただようやく秋となってきた、涼しくなってきた、でも今日も外は晴れたが日ざしが強いから夏になっている、
一か月は夏が長引いている感じである

不思議なのは私の友というのではないがその女性の親しい人が男性が病気で三か月入院している、糖尿病である、
それでその人のことを思った
三か月も家が空家になっていることでその人のことを思ったのも不思議である
その人は娘がいても隣の市に住んで一緒に住んでいない、一人で住んでいたからである
だから三か月も空家になっている
その人がいない、空家になっていることでその人を思うというのも不思議である
何か深い関係ではないにしろそう感じるのはやはりわずかでも交流があれば人間はそうなる、その一番の理由が近くに故郷に住んでいるからだともなる

東京とかに住んでいる人はいくら親族でも忘れやすい、心が通わなくなるのである
近いということがやはり心が通うということなのである
故郷とは狭い場所であり本来は心が通う場所になる
原町でも遠いとなり近くがやはり人間が心を通う場所としてある
もちろん実際は心も通わないということも普通にある、必ず嫌な人がいるからである

正直その女性とかは問題がありいろいろ相談されるてこちらも苦しくなる
ただどうしても一人でいると誰かいて欲しいとなるのである
その女性はその男性に頼っている、だから帰ってこないと苦しい、
でも八〇歳とかなり病気なのだから頼りにもできないとなる
そこが老人の問題である、老人は老人に頼れないのである

何か理解できないのは夫婦でも嫁いだ先の墓には入りたくないという女性がほとんどだというのもそれだけ嫁と姑問題があり嫌だからそうなっている
でも長年一つ屋根の下に暮らしてそうなっているのは悲しいとなる
自分の家でもそういうことがあったがやはり最後は争っていても情が通っていたのだなと救われた、
それは六〇年も一緒にいたからそうなったのである
だから人間の交わりは長くないと情が通わないのである
長いといくらもめていてもいつしか憎しみでも愛に変わることがある
なぜなら憎しみの反面は愛だからである、普通は人間は他人は無関心だからである
無関心なことは憎しみより悪いともなってしまうのである
変なのだけど憎むということは愛にも通じてしいる、これも人間の不思議である

とにかく秋となると人間は感傷的になる、だからこんな短歌になったのである

2019年09月12日

夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)


夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)

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クリック拡大(沖に船が見える)

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クリック拡大ー白い花が何なのか、

浜木綿(はまゆう)とにている
でも違っているみたいだ
こういう花をここでは見たことがなかった
津浪の後の変化なのかもしれない、津波で生物でも植物で死んだり再生したりしているからだ

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津浪にも残った松ーその下に松が茂っている


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めずらしい虫、葉は何か、海老浜はマルハシャリンバイの南限の地として有名
つまり南国性の植物が生える場所だとなる



朝の蝉六号線を急ぐかな

夏の日に釣りする人や波しぶき

雷鳴りて後にすずやか月光る


大平洋波打ちしぶき沖に船揚羽のここに舞い去りにけり

珍しき虫の一つや海老の浜八年過ぎし津波の後かな

津波にもなおも残れる松ありて新しく育つ松も頼もし 

津浪より8年過ぎて育つ松繁げるや海老に秋の海見ゆ

鴎群れ大海原の波にゆれ沖に船行く秋の海老浜

ふるさとの小径にここに分かれけりいづくに行かむ秋の日暮れる

水無しの河原に露草あまた咲き今日清らかに水の流れぬ

(南朝語る)

只野氏の南朝語りしきり鳴く蝉の声かな故郷の暮る

南朝を語りし友や秋の蝉ひびきてあわれともに老いゆく

ひぐらしの森の奥よりひびきけり影なす道の行く人もなし

(月)

今日もまた月の窓のぞき我を母の見つつありなむいともは静かに

母もいて姉もありなむ争わず我が家にむつみあうなれ月の光りぬ

別れてもまた会う人や故郷の木陰の道や今日も行きにき

月満ちて明るさ増しておとろえぬ我が老ゆとも智は冴えにけり

山の端に月の傾き光るかな故郷に住み老いゆく我かな 




この三日くらいは天候が次々に変わった、日本の天候は本当に変わりやすい
最初は雨がふって夕べ虹がでた、それから台風がきて昨日は雷が鳴った
その雷もやんだと思ったからまた鳴った、秋の雷となるが昨日は暑かった

この天候の変化の中で海老の浜に行ったりした
そこで古墳が発見されたとか松が意外と高く茂っていたとか変化があった
あそこは風力発電の風車がないからいい、家もなくなったので見晴らしが良くなった
右田の松原はなくなったので鹿島区では海を見る場所としてはあそこが一番いいとなる
つまりビューポイントなのである

雄大な大海原(おおうなばら)に鴎の群れが波にゆれている、何かきもちいい
しかしふりかえると海は怖いものだったなとつくづく思う
その海が見える後ろでは避難して30人が死んだ
そこは高台だから津波の避難所として指定されていたからだ
これも悲劇だった、でもあそこは海を見るにはいい場所として残った

ふるさとで出会うのは同級生の人でありその人は本当に霊山を落ち延びた南朝の末裔の只野氏だったのである、とにかくこの辺は只野氏がやたら多いのである
只野氏一族の町だともなる
ただ南北朝の争いは日本全国にその傷痕を残した、どこでもその争いが伝えられているからだ、それは小さな村でもそうである
それだけこの南北朝の争いは日本の歴史にどれだけ影響したかわかる
天皇が二人になったときどれだけその影響が日本では大きいことを示した歴史だったのである

月は秋の季語である、月がだんだん満ちて明るく輝く、でも今は夏から秋になる時期である、そして夏と秋がある、最近は暑いから余計にそうなっている
何か何度も言っているが不思議なのは今になって知性が冴えている
本でも一か月に10冊とかアマゾンの古本で買っている
だから書評を私はできる、この本が何を言おうとしているから一読してわかるからだ
ただ残念だったのはこんなに本があっても知らなかったし読めなかったのである
本というのは自分の知的関心から買うものだからインタ−ネットのキーワードで関心あることを調べそこで深く知りたいとき本を調べ買う
また誰かの文を読んで紹介されて買うとういことが多くなった
そういう買い方が良かったのである、それが今まではできなかった

そこで田舎ではまず本を買うことができなかったのである
仙台まで行って買うにしてもそこでも本が少なかったのである
すると肝心の本が買えないから知の分野では本当に不利だった
今はインタ−ネットで学者の論文でも読めるから素人でも学者ともなれるとなる
なぜなら文献とか論文とか本を読まない限りプロにはなれないからである

老人は体力は衰えても知性はかえって冴えてくる、人間は死をまじかにすると精神でも相当に鋭敏になってゆく、末期の目で見るようになるからだ
だから老人は知的な世界では充実してくる、私がこれだけてプログで書いていることでもわかる,書くことがいくらでもある、その内容も深く濃いのである

月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか  万葉集4492

こういう感覚は万葉時代にもあった、明確に月を数えてもよんでも辺りの景色は冬と思っても春となっているし秋と思っても夏となっているとかある
今は季節が一か月くらいずれている
今日は秋なのかでもまだ日ざしは強い、ただ今日あたりからは秋らしくなってゆくようだ



2019年09月08日

涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風や故郷に語る畑かな  

老年や山に傾き月光る

猫歩む路地裏の道月光る

月光る嵐の前の静けさに


いつも来ぬ木陰の道に故郷の畑を語りまた逢わんかな   


今日も私と同じ自転車でいつも走っている同級生にあった
その人が意外だったのはその土手の木陰のつづく道のすぐ近くで畑で野菜を作っていたことである
前から書いているように知っている女性が一人で小さな畑で野菜作りしている
そのすぐ裏側の土地だった
それは意外と広いのである、そこは5人で組んでやっているという
三人は原町の人だった、やはり同級生で専業農家の人がいてその人がトラクターとか道具をもっているので草刈機もあり草を刈ってくれる

今の農業はまず必ず機械がないとできないようになっている
すると道具がないと農業はできない、それで畑をうなってもらったりすると金がかかるのである、その知っている女性はそうして一人でしているから金がかかる
その負担を自分が払うようになるので困るのである
その広い畑で野菜を作っている同級生は五人で組になってやっている
一人3000円とか払って共同でしている
それでその同級生は一か月に一回しか畑で仕事はしないという

でも家の近くに畑がありそこでブルーベリーとか他に何か作っている
ブルーベリーはジュースにしているという、そこは家の裏側だからそこは良く行っているでも広い畑の方は一か月一回しか行かないというのも楽だと思った
なぜなら小さい畑をししている知人の女性はもう草むしりやキジに食われたとか道具が盗まれたとかなにかかにか問題があり騒いでいるからである
その割にはほとんど収穫がない、キュウリはとれた、それは売っているのは固いが柔らかくてうまかった
ともかく何のためにその人に金を出しているのか?
それはただ農業というものをどういうものか知るためだけだとなる
その苦労を聞いていると農業がいかに大変なものか実感としてわかるからである
田舎に住んでいても実際は農業のことはわからない

ただ不思議なのは原発事故以後田畑が荒地になり草ぼうぼうになって蛙が消えたということを三人くらいに語ったが反応しない、蛙の鳴き声を聞いて復興を感じたと私はそこで復興を感じた、なぜなら蛙が田んぼに住むようになると鷺も餌があり来る
鷺も一時消えたからである、そして鷺も戻ってきたのである
50羽くらい竹藪とかに巣を作ったからである
つまり田畑でもそれは自然の一部でありだからこそ蛙がいなくなることは自然が消失したと同じだったのである、鷺がいなくなることもそうである

いづれにしろ田舎に住んで農業のことをわからないことは基本的なところ、ベースとなるものを知らないということなのである
でも農業している人でも不思議なのは蛙がいなくなったということに注目していない
もともとあまり関心がなかったからかもしれない
何か赤とんぼが減ったり今は鮎も一匹もいなくなったり自然が消失していた
鮎は原発事故以後全く川に見ないのが淋しい、今までは小粒でも鮎がいたのである
ただこの鮎がいないということはここだけではない、全国的に鮎がいなくなっている
ただ鮎が川をきれいにして鮎が泳ぐようになったとか多摩川とかで写していた
でもなぜ鮎が全国的に減少したり全くいなくなっているのだろうか?
これも自然のなんらかの変化なのである、そういうことが人間に影響する場合がある
なぜなら人間も自然の一部だからそうなるのである

いづれにしろその同級生は話して面白いと思った、農業している知人の女性も畑のことを話するので興味をもった
その人はまた花も栽培している、ノボタンが好きなんですと言って語った
ノボタンは大きな花である、だからボタンとついた、それを確かにカンボジアの道で見た南国性の花である、ある人はクリスマスローズのことをしきり語った
原種も育てているとか言った、その人はクリスマスローズに詳しい人なのである
クリスマスローズ博士なのである、まず花でも育てるのがめんどうなのである
その知識も経験しないとわからないからである
ただその人はなぜそういうことができたかというと前に経験があったと言っていたからできたとなる

老人の趣味となると園芸とか畑での野菜作りとかが向いている
ただ畑となると結構労働がきつくなるから老人にとって辛くなる
知人の女性は腰が痛いとかいつも言っているからである
ともかくこの辺でも全国でも耕作放棄地が増えすぎたのである
後継いでやる人がいないのである
原発事故以後この辺は余計に荒地が増えた、無料で土地は借りられてもやる人がいないのである
それはわずかの畑でも草むしりでも労力がかかるからそうなる
でも荒地になっていると草ぼうぼうであり嫌になる、心まで荒れたようになる
それは原発避難区域の小高であれ浪江であれ飯館村であれ草ぼうぼうで荒れ果てているからである

そこを復興しないと復興できたと思えないのである
たとえ他で工場が店が復興しても復興したと私は思えないのである
だから田舎は田畑でも自然の一部であり田畑が死ぬと自然も死ぬとなる
もともと原始の自然だったらそのままでもいいが一旦人間が手を入れた土地は原野化すると荒れ果てた感じになるのである
だからこの荒地をなんとかしてもらいたいとなる、でも市とかでもそうした荒地を援助するということをしているのか?
NPOでも荒地を無くしてほしいとなる、ただその人が言うには五人は仲間としてうまくやっているからできると言っていた
つまり何か共同ですることが人間は本当に難しいからそうなる
でも農業は一人ではできないと思った、もともと村の共同作業があり農業が成り立っていたからである  

故郷という時一番愛着あるのは農業している人かもしれない、だから生業を返せと裁判を起こした
商業とか工業となるとその土地と密接に結びつかない、商業でも昔の店なら地元密着である
でも今の時代になるともう地元密着の店はなくなりシャ―ター通りになったからである
つまり今はその土地に根ざした生業とかがなくなり農業でも漁業でも林業でも衰退したから故郷に愛着がなくなり原発避難区域では
若い世代は帰らず出て行ったと書いたのである

晩方は涼しくなるから秋である、今日は台風の風が吹いて涼しかった
昼間は日ざしも暑かった、晩方に散歩したり自転車で走るのは気持ちいいのである  
今日は半月が傾き山の方に光っている、それで今その畑を見に行った
明日はこの辺は台風になる、本当に嵐の前の静けさである 
日本は天候がこうして静かに月が光っていても変わるのである
めまぐるしち変わるのである、そして災害も天災も多い国だったのである

とにかく自分が何か人と話すようになったのは家族がみんな死んでからである
話す相手もなくなったためである、それで一日誰かと話する
駅でもそのために行っていた、家だとがらんとして誰もいないからである
それが一人暮らしの問題だった、話し相手とか心配する人もいなくなることだった
外で話すると何か気持ちいいのである、話がはずむのである
それはそこに自然があり木陰とか涼しい風とか受けて気持ちいいからである
田舎はそういうところがいいのである、人ごみで話したりしたくないのである
車の騒音とかビルの谷間で話したりしても何か嫌なのである

幸せな老人よ、この土地はこれから君のものだ
それも広さも君に十分だ、たとえむきだしの石と
泥だらけの藺草の生えた沼が、牧場を一面に覆っていても
幸せな老人よ、君はこの慣れ親しんだ川や
聖なる泉の間に、涼しい木陰を求めるだろう
............ 
(農耕詩、牧歌ーウェルギリウス)

老人の幸せはここにある、でも農業は老人になると辛いのである
ただ自分のように花だけを見ていると楽なのである
だから自分は実地に耕作などしていない、草むしりもしていない
それをしていたらもう思索したり詩を書いたり観想することができなくなる
第一家事だけで相当な労力になっているからできないのである


2019年09月07日

蝉の声に月 (故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


蝉の声に月

(故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


夏の星若人遠く行きにけり

朝蝉の鳴くやカンナの畑に映ゆ

故郷をそちこち回り蝉の鳴く

蝉の声昔神社に子供かな

夕べなお蝉鳴き昔の神社かな

夜に鳴く蝉の音聴くや謙虚かな



我が部屋を覗(のぞ)く月なれここにとどまり暮らしけるかな

我が家に久しく住みぬ思い出や月ののぞきて住みつづけるかも

我が家族時に面影浮かぶかな月ののぞきて跡継ぎ住みぬ


蝉という時夏の季語だけど今は9月でも夏である、一か月くらい季節がずれた
今日も暑かった、日ざしが強いと外に出れない、でもは今は夕方になると涼しくはなっている、でも秋なんだけど夏という感じになるのがこの頃である
ただ今宵は窓に今半月がでているから秋の月になる

何か昨日は中学校の校庭で野球していたので聞いた、その人は先生だった
それから駅であった人は岩手県立の大学生だったらしい
災害防災科となるとそこしかないからだ、それて自説を電車の待ち時間に語った
一時間待ち時間があったからだ、この待ち時間が何か話すのに有効なのである
それで意外といろんな人がいることを報告した
つまりあちこち近くを回っている、知人の畑もいつも回って通っているのである

近くにある神社では子供の時遊んだ、今は誰も遊んでいない、これも淋しいと思った
蝉が鳴いているがあの頃はどこでもわんさと子供が人だかりになっていた
それは全国的にそうだったのである、団塊の世代はとにかく子供が多い、人口爆発の時代だったのである
今は子供が遊んでいるのもぱらぱらとしてたまに見るだけである

とにかくちょっとでも話してみると何か通じ合うことがある
先生など話しないが一クラスが30人だというとき少なくなったと思う
それでも多いから減らしたいとしている
20人に位になるともうマンツ―マンの教育でもできるとなる

何か高校野球のU18で韓国に日本が負けた、野球部がある高校が日本だと3000以上あり韓国は70しかないというのは驚きである
それでも韓国に負けたし韓国は何度も優秀している、それだけの人材が出ている
とすると数とは関係なく優秀な人を育てている排出しているということができる
つまりこれから数ではない、少数精鋭主義になる、スポーツの分野でもそういうことが
可能だとなると知能分野では学術とか芸術とか知識分野では少数精鋭主義が適している
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いのかというとそういう天才を醸成するものが10万以下の小都市が多くそこで育まれたとしている

いづれにしろ相馬藩内だけもこうして報道することは結構大変である
それはわからないことが多いからである、それで駅で聞いてみたりちょっと戸外であった人に聞いたりして見聞を広めているのである
まさに見聞である、実際に見て直接人から聞くことである
柳田国男はそうして人から聞き出すというか実地に現場に行って何か実感したものから民俗学を起こしたのである、それで口碑を重んじた
書類ではない文字ではない言い伝えられたものを重んじたのである
それはいくら本を読んでもわからないことがこの世に多いからである  

いづれにしろ本当に仙台にも今年は一回行ったのか行っていない
近間を回るだけであり自分の部屋にいる、でも老後は家が大事になる
安住するものとしての家が大事になる、貸家とかになると落ち着かないということがあるかもしれない、この家は家族と40年以上とかいっしょにいた
だから思い出がありただの家とは違っている、記憶の家なのである

それで不思議なのは時々死んだ人が自分をのぞいているように思う時がある
幽霊のようにその面影が窓に浮かんだりする、やはり死者は家から離れられずまだいるのかとなる
それだけ長く住んでいれば死者も家から簡単には消えないとなる
だから老人にとって家は重みがある場所なのである、思い出と記憶の場所なのである
後に残されたものもそうして思い出があり受け継いでいるのである
自分の場合は特別家族への思いが深くなったのはその歳月が長かったからなのである


2019年09月01日

時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値 (時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)


時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値

(時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)

時代によって変わる価値という時常に人間は長い歴史で経験してきた
明治以降は特に価値が変わった、江戸時代の価値観がまるで変ってしまった
侍がなくなったということが一番変わったことでもあったし藩がなくなったことでもそうである、殿様もいなくなった
その変化はあまりにも大きいものだった、だからそういうときその時代についていけない人たちがでてくる、変化が激しいのでついていけない
今までの価値観の中で生きようとする
そういうことは歴史の中で常に起きてくる
特に現代は科学技術社会でありその進歩が急だったからめまぐるしく変わりついていけなくなる

交通でも明治以降は鉄道中心であり車社会になるのは高度成長時代からである
その時国鉄時代であり社会党が大きな力をもっていたのは国鉄をバックにしていたからである、そういう時代も国鉄が民営化して車社会になった時変わった
国鉄は消えて輸送は車中心になったからである
その時代は鉄道中心に街作りでも行われていた
鉄道の価値が高いものだったのである、それで原町のように駅前通りが全国で作られ街作りの中心として駅があった
今は鉄道が衰退して高速となりその高速のSAは新しい街作りとはならない
街とは結びつかないのである、一時期に車をとめて休むだけだからである

通信でもまだ電話でも普及していない、手紙とかハガキであったりした
その通信の分野でも急速に変わった、インタ−ネット時代になるとこれは個々人が発信できるので新聞とかテレビが報道をメデアを独占する時代は終わった
携帯電話からスマホ時代になっても変わった
こういう技術の変化が激しかったのが20世紀だった
そういう技術の変化でも価値観が変わる

価値観というのは例えば文学でも万葉集というのが日本の古代という時代から生まれたものである、そこに日本の原始性が残っていて今になるとそれが理解しにくいのはそのためである、平安時代になると古今集となると万葉集とは別ものになっていたからである
つまり時代の産物として文学もありその時代を知らなければ社会でも知らなければ文学も理解できない、それが時代が変わると非常にむずかしくなるのである
なぜ芭蕉の奥の細道ができたか?これも江戸時代初期の元禄時代と関係していた
その時代の産物として生まれた価値を作りだしたのである
だからこれは今では作れないものであり価値が減退することもないのである
一流の古典となると価値が減退しないのである、代々読み継がれるのである
そういうものが古典となる、今の時代でも無数のものが残されても時代に代々受け継がれるものはまれなのである
万葉集の価値が減退しないのは日本という風土がありその原始性を歌っているからだとなる

ともかく人間はその時代時代の価値観に生きている
明治から太平洋戦争までは日本は貧乏だったけど農民が80パーセントだったとか農民中心の社会だった、そういう中で価値が作られていたのである
農業社会の価値観に生きて入たからこれは江戸時代の継続でもあった
なぜなら燃料は山の木材を燃やして作る炭だったからである
街中の家にもみんな囲炉裏があったからである
そういう生活で価値は作られてきた、その時何が大事なものかとなると江戸時代のようにその土地でとれるものが特に米が大事なものになっていた
第一パンは戦前はほとんど贅沢な菓子であり食べていないからだ
子供の時ようやくコッペパンなどが出てきて食べ始めたのである
それは子供の給食にもでてその味を覚えている

囲炉裏があるときその囲炉裏中心に生活があった、特に農家ではあった
そこで薪をくべて煮炊きしていた、そのことに価値を見出していたのが山尾三省である
この人は何げない田舎の生活に価値を見出して極貧の中に60くらいで死んだのである
その田舎の価値とは戦前とか戦後10年くらいまでみんの普通の生活だったのである
今になると自分の家のすぐ裏の堀で洗濯していた、これも今になると信じられない
洗濯機などなかったからである
でもそういう不便な生活でもその時代に作られた価値観がありそれを山尾三省は求めたのである
回顧的価値観とはなってしまうがその時代はそういう生活であり別に特別なものではないからそこに価値あると認めていたとはならない
一時代が終わった時その時代を回顧してその時代の価値を見るとなるのが人間だからである

その後高度成長時代になりこうした江戸時代から継続した生活は失われた
故郷でも田舎でも急速に変わったのである
それで小高に住んでいた人が父親に農業だけはやるな継ぐなとして殴られたというとき
それも極端にしろみんなそういう時代になった
農業とか漁業でも林業でも金にならないという時代になり捨てられた
原発事故になる前から第一次産業は金にならないとして捨てられていたのである
だから漁師は漁業権を東電に売り渡したし農業に従事する者は一割にも満たないものとなった、その時明らかに漁業とか農業とか林業でもか江戸時代から継続してもっていた価値が喪失したのである

なぜなら炭焼きは山村からなくなり石油とか電気にエネルギーが変わったからである
その前に常磐炭田とかあったがこれも終わり炭や石炭の時代は終わった
その時第一次産業は価値ないものとして原発事故の前でも捨てられていたのである
そして原発事故になった、その時この一回捨てられた漁業とか農業とか林業が一番打撃が大きかった
海でも水でも土でも木材でも森でも空気まで放射性物質で汚染されたからである
それか致命的であり住めなくなったのである
人間はその土地に住むということは生態系に依存している
水でも土でも空気まで汚染されたら住めなくなるのである

でもすでに第一次産業はすでに捨てられていた、跡継ぎもいないとか捨てられていたのである、そこに原発事故になり二度捨てられたことになる
それから原発事故の補償金でも故郷の田舎の価値は捨てられた
一億円補償金もらったら故郷のことや田舎のことより自分のこと家族のことが大事だとなりその多額の補償金をもらって故郷を捨てたたのである
その時故郷に残されたのは老人だったのである
老人は故郷に愛着があり残ったが若い世代は金の方が大事であり今の時代の価値観に生きるから広域化社会で金があればどこにでも住みたい所に住めるとなり故郷を捨てたのである

でも故郷には先祖の墓があったり故郷に受け継ぐべき価値あるものがあった
でもそれは目に見えない実利として見えないものがある
景観とか先祖とのつながりとかは目に見えない、だからそれは実は切れやすいものだったのである、金の力が大きくなるとそういうものは目に見えないし実利にならないから無視されるのである、何か故郷には目に見えない実利とならない価値があった
でもそういうものは無視されて捨てられたのである
おそらく老人が故郷に残ったのは思い出がありそこで暮らし歳月があり簡単に捨てられないから残った、それは実利にはならない、金にならないのである
でもその価値が実は大きなものだった、金に変えられない金で作りだせない価値でもあった、第一思い出はもう老人には作れないからである
その思い出はその土地と故郷と一体化してあった、だから故郷に残ったとなる

いづれにしろ故郷は二度捨てられたのである、原発事故前にも故郷の価値は捨てられていたのである、そして多額の補償金が入った時も故郷は捨てられた、そこにあった価値は無視されて捨てられたのである
複雑な事情にしろ親戚でもあった人は親の墓を自分が作ったが墓参り来ないで縁は切れたそれだけの縁だったとういこともあるが何か簡単に親の縁もキレると思った
その人は金がないから十万欲しいと電車賃を送ったが親の墓参りに来なかった
親に苦しめられたにしろ子供の時かわいがられたのだから親を思う心があると思った
実際は全然なかったのである、ただ電車賃十万が欲しいから墓参りに来ると言ったのである、そして墓参りには来ずに縁は切れた

このように十万でも死んだにしろ親の縁でも先祖の縁でもキレルものだと思った
先祖を供養するとか墓参りしても金にはならないから来なかったのである
その人は金が欲しいからであり親を思う心がなかったのである  
親とか先祖を思うとしても金の方が大事になる、それもたった十万で死んだにしても縁は切れたとなる、それはかないこの世の縁だだといえばそれまでだが何かここでも同じようなことが起きたのである
ただキレル縁は不思議にあっけなくキレル、親子の縁だって切れにくくてもキレる
何かこの世の縁はみんな切れるのかとなる
それとは違っても同じようなことがここで起きたのである
金の切れ目が縁の切れ目になりやすいことが変わりなかった

故郷でも田舎でもそうして目に見えないものとして価値あるものがあったがそれは捨てられたのである、多額の補償金の方が一億円の方が価値あるものとなっていたのである
もちろん放射能汚染とかあり帰れないといえばそれまでだが何かそれだけではないものがあった、それと強力な理由とはなったがやはり金の方が価値あるとなった時代だったのである、またグロ−バル化広域化社会の中で価値観が変わったからそうなったともなる
いくらグロ−バル化と広域化社会を批判したとしてもそういう中で生きざるを得ない
その時代の価値観で生きざるを得ないから金の価値が大きくなり故郷は捨てられたとなるただ逆に山尾三省のように東京暮らしの都会人は強烈に田舎生活の価値観を求めて移住して農業して死んだのである、でも田舎の人はそういう価値観をとっくに捨てていたのである
むしろ田舎の人は都会人の価値観に生きていた
いい車が欲しい、いい家が欲しい、うまいものを食べて贅沢したいときりがなかったのである、そのためなら何でもする、東電に漁業権でも売り渡す、農業などしても金にならない価値がないとした
そういう時代の価値の変化の中で原発事故が起きたのである

ただこの価値観は変わる、かえって今度は別な形で田舎が地方が見直される時が来ているのかもしれない、若い人は田舎志向になっている、都会に出ても働いても非正規であり金にならないとか田舎に帰っているという、田舎に星を見にきたという若い人もそうである都会にないもの自然でも田舎に求める時代になっている
そのように田舎は地方は見捨てられたのだがまた価値観が変わってくる
別な形で田舎が地方が見直される時代になる、その兆候が若い人に現れている
すると今後その若い人は60年とか生きる、するとまた時代が変わり価値観が変わるのである
だから貧乏であれ一時代に作られた価値観は貴重なものであり実際は廃れることがない価値がある、それで万葉集は時代が変わっても不滅であり古典になるものも不滅なのであるたから金になる者だけを求めるがどういう価値を求めて生きるかが人間は大事になる
どういう価値を追求するのかが問題になる
でも金になることが必ずしも求める価値とは一致しない葛藤がある
でも今の若い人は金にならなくても自ら求める価値を追求しているという時、時代が変わっているのである、その若い人達の価値観が次の時代を作るからである   

価値が変わってもその時代時代の価値は不変である

価値が変わるとしてもその時代時代に作られた価値は残るし不変である、だから必ずまた時代が変わっても見直されるのである
万葉集の価値が時代が変わっても変わらないように不変の価値をもちつづけいるように変わらないのである
活字でも電子文字になっても別にその内容までも変わらない、内容がなければ価値がないのである
俳句でも短歌でも紙に書いたから価値があるとか電子文字では価値がないとかならないのである
問題は内容にあるからだ、その辺が錯覚しているのである

2019年08月29日

今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)


今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)

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約束の地に実りや虹かかる

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

約束ではなく契約の虹だった、契約というのが日本だとなじめない、約束と訳すとなじめる
そこに言葉の問題がある


今日午後から虹が出た、大きな虹ではない、半分くらいの虹だった
でもはっきりとした虹だった、この頃あまり虹は出ていなかったからめずらしかった
それを見たのはいつも行っている畑の道だった 
虹は夏の季語だけど今日は暑いから夏だともなる、秋の虹だったら秋の虹としなければならないからだ、まだ残暑であり夏だとなる

そこにはいろいろな問題がありそれを語れどきりがない、実りがあるとしても余りにも
様々な問題がありすぎたのである
ただキュウリだけは太いのがとれた、それは柔らかく売っているのよりうまいのである
でもそのキュウリは売れない、もらう人さえいないのである

ただ自分はそこで畑で野菜を作る人の話を聞くことで金を払っているとなる
農業をじかにしるために金を払っている
何かそれが情報社会なのかもしれない、農業を知ることはなかなか田舎でも直接かかわらないものはわからないからである
田舎だと確かに農業は田畑があり身近だけど実際に農業している人としない人の差はこれも大きいのである
そして今では農家でも農業しているわけではない、たいがい農地を貸しているだけだとなる、だから農家の人でも会社員であり農業をしていないのである

虹は聖書では約束を示している、契約の虹なのである
その天国には本当の実りがある、ただこの世ではその実りは本当の実りとならない
ともかくそこで野菜を作る人の苦労を考えると嫌になるからだ
田舎の嫌な面が延々と出てくるのである

つまり畑でもそれは孤立してはできない、隣がありその隣もまたうるさいのである
だからいつも隣の畑の人が嫌だと言って最近死んだが喜んでいたのである
そして近くに団地がありその四階からいつも見て何やかやいう人がいると嫌がるのである田舎では見ていないようでも誰かが見ていて監視しているのである

田舎の問題はこうして人なのである、この人にうんざりしているのである
それは自分だけではない、みんなそうなのである
そうはいっても田舎で人と関わらないでぱ生きていけないのである
私は家族がいたとき田舎に住んでも人と関わらずに生きていたのである
それも不思議だったとなる、家族がみんな死んだ結果田舎の人とかかわって生きざるを得なくなったのである
そこで田舎の人のまた今の人間の金しか求めない醜悪さに直接触れるようになったのである

ともかく自分の生活は普通ではありえない生活だった、そこで変な方向にも行って失敗したのである、こんなふうになったのもいいにしろ悪いにしろ家族がそうさせたともなる
ともかくどんなにしてもこの世に本当の実りは実現しない
この辺が津波や原発事故でがたがたになって混乱したようにもう原発事故で放射能汚染で住めなくなったように本当に地獄化したのである
結局この世は災いの地だったのである、この世が天国になることは絶対にない
この世は滅ぶべき場所であることは間違いない
ただ約束の虹があるよう本当の実りはこの世にはなく天国にある
神の備えし天国にある、それが希望なのであ

2019年08月25日

蝉に虫の音 (夏から秋へ)


蝉に虫の音 (夏から秋へ)

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蝉鳴くや6号線を朝走る

集まりぬでで虫あまた田舎かな

庭に咲く芙蓉の余裕客迎ゆ

夜に鳴く虫の音聴きぬ隅の石


朝目覚めあまた昼顔咲くを見ゆすずめ来たりて一日はじまる

畑にそカンナの映えて朝の蝉盛んに今し鳴きにけるかな


今は夏と秋が混交している、蝉の声は夏である、季節的には秋になるのがまだ暑い
でも秋と感じることもある、虫の音や芙蓉は秋である

カンナは夏である、畑にカンナが咲いているのはあっている
でもその畑でわずかのものを作っている女性がいてその話を聞くともう嫌になる
キジに食われたとかブヨにさされたとか蛇がでてくるとかちょっと手を入れないと草ぼうぼうになっていた
その草を勝手に草刈機で刈った人がいて金を要求されたとかまた金を払わされる
金に窮しているから頼まれないのにも草をかって金を要求する

そもそもその畑をもっている人は金がないのだから要求しても無理なのである
そして自分がいつも払わされている
その畑どれるものはほとんどないのである、キュウリは固くなくてうまいけど他は何もとれないのである
だからキュウリ一本が一万もしているのである、これは嘘ではない、それだけ畑は趣味でも金がかかるし手間もかかるだけなのである
ただ荒地にしておくよりはいいとして援助しているが困っている

芙蓉が庭に咲いている、芙蓉はなにか大らかである、それで客を迎える
客を迎えるには余裕が必要だった、自分は介護十年してそれからも何か余裕がなかったのである、家の中もかたづかなかった
それでかたづけたりして余裕がでた、何か余裕がないのでお茶も出せないということがあった、それよりも自分は今までそんなふうにして客を迎えたことがなかったのである
今になり一人になったからそうなったのである

田舎の一日はこんなふうに始まる、でも田舎だって車がしきりに通るし前の田舎とは違うのである、木陰に休んでいたらそこはクルマが来ないところと見ていたがやはり車が結構きて休めなかった
この辺で損失は右田の松原が津波でなくなったことである
それで木陰なにるところがない、そこではいつも海からの風が吹いて松影の下で休んでいたからである、そうして憩う場所がなくなったことの損失が大きい
かといって津波に文句を言うことはできない、ソーラーパネルはあるだけで暑く感じるのである
ただ山の方には涼しい場所がある、でも自転車で遠いと暑いと最近疲れる
熱中症になることも怖いのである、だから原町辺りまでしか行かないのである

隅の石については「石の涙」の詩で書いた 

隅の石について(石の涙の詩)




2019年08月19日

お盆、墓参り、蝉の声(短歌十首)


お盆、墓参り、蝉の声(短歌十首)

母と姉死したるのちも離れざれ我が身にそいてふるさとに住む

残りにし写真一枚に姉思ふおおらかなりしも笑いありしも

月見草草むら深く咲きそめぬ田舎に我はこもり暮らしぬ

常にして飯館村へ峠越え休みし時に秋の蝉鳴く

紫と白槿咲き雨しととふるさとにふり墓参りかな

雨しとと蝉の声聞くあわれかな田舎静かに時はすぎゆく

今ここにひびき聞き入る蝉の声幾時生きむ雨しととふる

我が兄の墓標を建てぬ故郷に娘は捨てしも我は供養す

歳月はたちまちすぎてみな死にぬ年ふりあわれ墓参りかな

我が家にありしも不幸兄なりし今供養するは我のみなりき

また一つ切れにし縁や無常なりカルマはつづくこの世なりしも 

暗雲の流るも光る満月の光り明るしお盆なるかな  

床の間に白菊活けて奥座敷月影さして虫の音を聴く


今日は台風がきて雨風がある、でもそれほどでもない、昨日は暗雲が流れたが満月が皓皓と光っていた、お盆も終わりである
雨しととふる中に蝉の声がひびく、人間はやはり蝉の声を聴くにしても常に今ひびいている蝉の声なのである
今ここにひびいている蝉の声でありその状況とか場所によって違って聞こえる
今日は雨しととふっているから雨の情緒の中で蝉の声を聴く
こころとはここであり常にここが心が働く場所なのである
なぜならまず遠い所だったらもう蝉の声は聞こえないからである
蝉の声を人間の声にしても遠くなると聞こえなくなる
噂すら聞こえない、それでまた一つ親戚の縁がキレた、それもありまにも呆気なかった
こんなに簡単に血縁でも縁が切れるのかと思った

もともと薄い縁だったということもあった、兄が静岡に移り住んだとき遠くなり縁がうすくなっていた、もし近くに住んでいれば行き来があったからこうはならなかったろう、もう付き合うのも限界だったのである
つまり人間は遠くに住むと去る者は日々に疎しになるのである
いくら交通が発達しても通信が発達しても同じである
ただに会わなければ直接会わなければ情も深まらないし助け合うこともできないのである近くだと憎しみにもなるが遠いと憎しみにもならないのである


何か最後はこの世の事の終活があり清算がある
それでいろいろあり縁もキレたがそれでほっとしたともなる
結局この世の縁は重荷にもなるからだ
それで30年間は何もそうした重荷もなくわずらわしさもなく過ごしていたことが奇跡のようにも思えた、何かごたごたに必ず巻き込まれるからである
それは姉と母とがいた結果そうした安住があったのである
だから姉と母との思いは私の場合は消えないのである

ただ兄に関しては私の家の負の部分であり最後は交通事故で40才で死んだ
その時娘が一人残されたがその娘とも縁が切れた
それも十万電車賃を払って墓参りすると待っていたが来なかった
その娘は親にひどい目にあったから親のことをなんとも思っていなかったのが驚きである十万の金が価値があり親の墓参りなどなんの価値もないし親のことなど思っていなかったのである
何か思いがあり墓参りはするからである、それが全然なかった驚きである

蝉の声というとき私はいつも自転車で飯館村へ大倉村から延々と坂を上って行っていた
自転車だからきついしその坂が長いのである
そしてその峠の手前でいつも休んでいた、その時どういうわけか秋の蝉の声がひびいていたのである、それが印象的なものとして心に残っている
これはなんとも不思議なことであり私はいつもその長い坂の峠の手前で休み秋の蝉の声を聴いている感じになる

そもそも蝉の声というとき

静けさや岩にしみいる蝉の声

この芭蕉の句がどうしてできたのか?これは暑い盛りであり今になると秋だからその時相当に蝉が鳴いていた、何か今は8月になってから蝉がなく、

するともう秋なのである
ヒグラシでもそうである、秋の季語である
だからその時は夏でも多くの蝉がいて一斉に鳴いていたとなる
でも不思議なのはこうして蝉の声を岩にしみいるとして聞いているのも旅人なら不思議である、地元に住んでいるならこうなってもわかるが旅人がそ

んなふうにして蝉の声聞くだろうか?じっと岩のようにしているのは地元に住んでいればそうなる
そこに定着していればそうなる
それは結局江戸時代という静寂の環境がそうしたともなる
芭蕉の残した俳句は今でもどうしても作れないものだからである
それは江戸時代という環境があり作れたとなるからである 

人間は最後に人間でも断捨離があり清算が起きてくる、そして最後に残るものは何なのか?
それはこの土地に住んでいるということかもしれない、心はここだからである
遠く離れていれば心が通わない、ここにいなからである
だからそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
ただまた逆にここにいることでかえって憎しみとかが深くなるのも人間なのである
遠くだったらかえって日々接することもないから良くみていることがある
それはその人が何をしているかも分からないからである
それは勝手な思いこみでありそこに誤解が生じるし意思疎通ができなくなる
だからこそ「遠くの親戚より近くの他人」になってしまうのである
二年に一回くらい頼りがあってももうその間に何が起きているかわからないからだ
人間は日々変化の中に生きている、人間関係でも変わるからである
ただここはその土地は変わるにしても変わらないから心がここにあるとなる






2019年08月07日

6号線を67歳の自転車旅行者行く


6号線を67歳の自転車旅行者行く

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蝉鳴いて一時出会い別れ行く

街空を増えて飛び交う夏つばめ

のうぜんの命燃やして一つ散る

ダイユーに自転車旅行の人がよったので聞いた
その人は頭もはげていて老人だった
67歳だった、でもバッグを両側に下げてテントも積んでいる

その人は北海道を回り八戸に来てそこからこっちに来た
茨城県の出身である
一か月すでに旅行している、でも茨城県ではまもなくつく

暑い日ざしを受けるとときついと見た
それは最近自分が体が弱って熱中症になるのが恐怖になったからだ
67歳で自転車旅行するのはこの暑さの中にするのがきつい
でもこの前は64歳の人が歩いて旅していた
だから結構そのくらいの年できつい旅行する人がいる

自分も北海道を一か月旅行したけど頭くらくらしてきた
何か浮遊している感じにもなった
北海道は自転車旅行には一番向いている、ただ距離があるから疲れる

前は良く6号線を若い人でも自転車で行く人がいた
今もいるが数は少ない、やはり原発事故で途中とぎれて行けないからである
あそこの道はいつ行けるようになるのか?
電車は来年の春に行けるようになることは決まっている
でも六号線を自転車で行けるのはいつになるのか?

会社を退職すると旅したいということがある
それは願望があるが実現しない、すると退職するとできる
そこで体力が問題だがやれる人はやる
それで九州から青森まで歩いて旅した人もいた
私は旅してきたから旅する人に興味がある
ただ八戸にフェリーで寄ったことはない、八戸と仙台は船だとそれほど距離がない

とにかく暑い、一時会って別れた

蝉鳴いて一時出会い別れ行く

何か最近別にここだけではない、人間はこの年になると本当に「さよならだけが人生だ」となる、一時会ったとしてもあとは永遠に会わないとなる
だから老人になると見方が違ってくる

現代はそもそも出会いがない、出会う時間がないのだ、車と電車でも自転車でも人と出会ってゆっくり話することができないのである
それでどういうわけか駅だと待っている時間が長ければ十分でも二十分でも話する
先日は神戸から来た人と話した

仙台空港から帰る、今はみんな仙台空港を利用して関西方面に行く
だから早いのである、7000円だとか言っていた、安い航空券だからか?
新幹線が早くても金はかかるし時間もかかるからここからは仙台空港を利用する
電車も名取から仙台空港行きがあるだ
つまり仙台空港へのアクセスとして電車を利用するということがある
そういうふうにつながると電車に乗る人も増える、今はいわき方面と電車がつながらないから利用者が増えないのである


2019年08月05日

草深い田舎の夏の花々(白いの家の花々)


草深い田舎の夏の花々(白いの家の花々)   

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老鶯や昼顔咲きて草深し

鬼百合や外人歩む田舎道 

鶏(かけ)鳴きて農家の庭や夏の夕  


草深く月見草咲き黒き蝶二羽の舞いつつ今日も暮れにき

昼顔に藪甘草の草深く咲きて一本木の根ずくかな

十数輪ここに群れ咲く鬼百合に黒揚羽とまる夏の夕ぐれ

百輪のノウゼン散りて千輪のノウゼンなお咲きにけるかな

紫の芙蓉数輪色深めここに咲くかな今日も通りぬ


なんか暑くて昼間ぐったりして一回は寝る、ぼーっとして寝る、だから近くしか行けない疲れて行けない、花が次々に咲いている
白い家は白に花が映える、だから白い家はいい感じである
すでに芙蓉が咲いているから秋は近い、お盆の用意である
この芙蓉は濃い紫色で深みがある 、赤い紫色にも見えた
ここは狭い家でもうまく花を咲かせている、向かい側は畑になっていてダリヤも咲いていた、ここはいい場所である

土手の草が刈られないから伸び放題になっている、そこに昼顔と藪甘草が咲いている
そして木があるのもいいし絵になっている
絵は描けなくても写真を加工すると絵のようになる

農家の庭に鶏(にわとり)が鳴くときほっとする、放し飼いだからである
プレハブがあり道を外国人の労働者が歩いている、これも現代である
鬼百合が咲いているが今や日本人は草食動物だとか言われる
だから外国人でも若い人でいきのいいのがいいともなる
第一建築現場とかなると肉体労働となると荒っぽい人でないとできない
そういう人が外国人にいるというのがわかる
もしかしたら犯罪者なども混じっているのかもしれない

ジャノメ蝶が草むら深く咲いている、そのまわりも晩方になると二羽が待っている
何かそれが月見草にあっている
ただ毎日ぐったりする、だから遠くに行けない、近くをぐるぐる回っているだけである


2019年07月26日

夕風涼し(松川浦で釣りする人)

                
夕風涼し(松川浦で釣りする人)


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キャンピングカーで4人くらいの家族がいた、そんなに寝る所があるのか?
寝るのはホテルにするのか?そうかもしれない、でもキャンピングカーの旅もいいかもしれない
ある場所に家が移動する感じになるからだ、家のようにどこでもくつろげるとなるからだ
ただ自分とは関係ないものである
釣りするにはいいものだということはわかった


老鶯の朝に鳴く声広間に聞く

鴎飛び夕風涼し釣りの人

遠くから夕風涼し釣りの人



暑いから松川浦の方に行ってきた
釣りをしている人がいた、でも魚とれないとみんな言っていた
キリンピングカーで家族連れで袖が浦から来ている人がいた
あれは釣りするには便利である、釣りは時間がかかる、でもキャンピングカーが家のようになんていて休めばいいからである
魚がつれればそこでオカズにもなる、でも釣れていない、海流の関係なのかどうかわからない、春にはホシカレイを釣った人がいた、あれはめずらしいものだった
時期にもよるのか今は魚はとれない、魚を知ることは相当にむずかしい

もう一人伊達市から来た人だった、伊達市は暑いからここはいいと言っていた

伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市になった

この辺はみんな行っている、月舘町だとわかりにくいがここも自転車で行っている
領域としては地図で見ると飯館村くらいである
とすると飯館村がいかに広いかわかる

なんでも霊山にさえぎられて伊達市は放射能は高くならなかったとか言っていた
あの山は山脈ではないしそういうことがあったのか?
その前は高かったことは確かである
第一飯館村の佐須を越えると霊山になるから高いことがわかる
なぜなら飯館村の佐須にホットスポットがあり20マイクロシーベルトあった
これには驚いた、あと草むらは5マイクロシーベルとかあった
だからあの辺は高いのである、すぐ近くの霊山だと高いことがわかる
伊達市では補償金10数万もらった、相馬市では6万くらいだったから不満である

私は自然と接することで釣りしている人とは良く話する
海流がどうだとか魚のことを話すことは自然に通じることだからである
だから釣りは自然と関係するから他の趣味とは違っているのである
それで釣りを趣味する人が自然を語り哲学者にもなっているというのもわかる
釣りすることは自然に通じることなのである

今日は朝目覚めたら老鶯が鳴いていた、二階から聞こえた、二階の寝る場所は広いから気持ちいいのである、でも夏になるとクーラーがないし隣の家の屋根が熱くなり二三度暑くなる、もうっとした空気が充満していた
下の部屋にクーラーがある、そこで仕事している

とにかく暑いと外に出たくなる、前は近くの右田浜の松原の日影で休んでいた
それもその松原が全部なくなったことはショックである
そこに風力発電の大きな風車が4基作られた
その前の高台に松などを植えたがこれは前の松原の回復にはならない
風車の風は自然の風ではないから木に影響すると武田邦彦氏が言っている
科学者の言っていることは違うなと思った
風力発電でも自然のようで必ず自然からエネルギーを奪うものだから自然に影響するのだという
だからあそこに松など植えたのは無駄だった、離れた海老辺りは風車がないからいいとなる

今日は風が吹いていてそれほど日ざしも強くなかった、これから日ざしが強くなると紫外線とか危険になる、それで熱中症になりやすくなったから怖くなったのである
ただどうしても私は外に出たくなる、暑いとクーラーも好きでないからだ
かえって動いた方が涼しくなるからだ
相馬市では一軒も野馬追いの旗が立っている家を見つけられなかった
どうしてなのか、相馬市もまた広いからわからないのか?
とにかく日曜日は野馬追いなのである

2019年07月15日

ダリヤと揚羽の写真一枚


 ダリヤと揚羽の写真一枚  

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また一羽喜々と舞い入る揚羽かなダリヤ花の赤く映えにき

喜々として舞いて去りにき揚羽かなまた明日も花に遊ばむ


 写真はシャッターチャンスを逃すととれない、動いているのはむずかしい
 撮り方もある、どういう角度からとるかとかむずかしい
 毎日見ている所は撮り方を工夫して何度もとれるからいいものをとれることがある
 またいい場所を発見することでもむずかしい

 今日は偶然揚羽が飛んできたときとれたのである
 ただ小さいカメラでとった写真がとりこめなくなった
 何か機械が調子が悪くなると困る
 パソコンは別に悪くはない、カメラに問題がある

 ともかく梅雨で憂鬱になった、嫌になったともなる、でも今日は近くまで出かけた
 気分転換に出かけたが梅雨で気分が晴れない、重苦しいのである



2019年07月04日