2020年11月24日

冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)


冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)

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朝でも背景暗くしないと花びらの赤がでない
でも朝の感じではないのが困る
ただ朝まで残っていた、今日は北風吹いて寒いから散るのかとなる



目覚めればなお一片の冬の薔薇残りける北風吹きし今日の朝かな

時間軸の変化でみるとこうして一輪の薔薇でもすぐに散る訳ではない、それは人間でも似ている、なんでも徐々に変化してゆくからである
時間軸で言えばなぜ芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」とか「夏草や兵どもが夢のあと」とか時間軸で見れたのかとなる

1126 堂塔完成
1694 元禄7年 芭蕉死す

芭蕉が訪ねた時500年も過ぎていたのである、するとそういう感懐をいだくこともむずかしくなる、ただまだ時間軸で見るものがあったとなる
空間軸で見るのは空間は残っているから見ることができる、空間を移動すれば依然としてその空間は同じように残っているからだ
ただ時間軸で見ることは時間がたつにつれてむずかしくなる 

この薔薇にしても毎日見ていればこうして変化があり時間軸で鑑賞できる
空間軸だと旅人が来て旅人が去るという空間の移動なのである
だから空間軸と時間軸で見ることは相当に違う、なぜ歴史はわかりにくいかというと空間軸は今なら世界中移動できる、でもそこで時間軸であるものを見ることができないのである、芭蕉が時間軸でこの句を残すことができたのはやはり日本という空間で時間軸にも生きていたからだとなる
ただ日本人でも城があったしてもそれがすでに150年とかすぎるとこれも時間軸で見るのがむずかしくなる
ただ一応相馬市は六万石の城下町だから時間軸で残された雰囲気が残っている
それで「落葉して相馬の人と語るかな」という句でも生まれる
またお堀に冬の鴨がいるときそれが人間にも見える、忠実に仕える人間にも見えたのである、それは何か時間軸で残されたものがありそれが歴史なのである

ももづたふ 磐余の 池に 鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ
(大津皇子)

ももづたふ(百伝ふ)とはももは百年のことだとする、それが磐余の池の枕詞となっている、まさにここに時間軸としての池であり単なる池とも違っていたのである
その時間軸の中にいる鴨である、何か百年でも伝えられるべきものとして磐余の池でありそこに鴨がいるということである、時間軸の中に歌われたものなのである

何か作品を鑑賞する時空間軸と時間軸があり時間軸になると重みが生れて来る
例えばみちのくにしてもそこにみちのくという空間があるのだがまた時間軸でも形成された歴史がある、つまりどこでも空間軸と時間軸で風土は形成されているのである

みちのくの遠山望む冬霞

何かこれでも確かに空間軸で作られている、でもみちのくというときそこに時間軸で形成された風土があり歴史がある、そのみちのくの歴史と風土からこの句を鑑賞する
つまりみちのく・・・というときすでに枕詞であり独特の風土と歴史を示している
だからこれがわからないと鑑賞できない、それで外国の人が金色堂をたずねてもみちのくを理解できない、それが日本人が外国に行ってもその歴史を時間軸で形成されたものを理解できないと同じなのである
                
赤々と夕日は没りぬ大阪城花の盛りの終えて散りなむ

それは大阪城の花盛りに夕日が赤々と沈んでゆくのを見た時、そこに時間軸で見た歴史を感じたのである、その時盛りの花が散っていた、その光景がなんともいえぬ歴史を感じたのである、そこに沈む夕日は歴史を偲ばせたとなる
大坂は秀吉に栄えた、でもそれは一時の夢だったともなる
ただ大阪が栄えのは秀吉だけではない、それだけの時間があって栄えたとなる

いづれにしろ時間軸で感じるものがあればそれは深く鑑賞できる、それがなかなかできない、それが問題なのである

2020年11月23日

冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)


冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)

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今日一日の変化



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冬薔薇花びら二片残るを見る

冬薔薇花びら一片夜に見る

冬薔薇花びら一片月光る



身近だと人間は時間軸で見ている、この冬薔薇は花びらが二片残り散ってゆく
回りでも葉っぱが徐々に枯れてゆく、色が変わってゆく、昨日はあたたかったが今日は
北風が吹いて寒くなった  
そして夜見たら残った二片の花びらが一片になっていた
それを写真にとった
おりしも丁度三日月がでていた、こういうふうにリアルタイムで報告できるのがインタ−ネットなのである、また写生にもなる、刻々の変化を写生して報告しているのである
だからそれに合わせて見るには日々プログを見るのがいいとなる
でもそこまで見ている人はいない、見るにしても時間がとられるからである

人間は時間軸と空間軸で見る、でもA地点からB地点へ移動しても時間軸で見れないのである
それは短い時間でもそうである、この庭を見ても刻々変化しているからだ
時間軸で見れないことは浅薄になる
時間軸で形成されたものが見えない、理解できないのである
ヨ−ロッパとかは2000年の歴史があってもその遺跡が残っていても理解するのがむずかしいのである

時間軸で形成された街があってもそれを理解しにくいのである
相馬市は六万石の相馬藩の城跡があってもそこが外から来た人が城下町として意識しにくい、城自体も残っていないからだ
ただ地元になると何か相馬市は違うなといつも思うのである
そこがやはり城下町だったということを意識するものがあるということである
何か時間軸で形成されたものが雰囲気としても残されている
でもそれを外から来た人が感じるのはむずかい
それは海外旅行してわかる、ヨ−ロッパは古い歴史があるとしても時間軸で形成されたものを理解するのがむずかしいからである
そもそもどうして2000年もの時間軸で形成されたものを理解てきるのかとなる

京都も千年の歴史があるから日本人だとその時間軸で形成されたものを感じる
それもは人によるがやはり雰囲気として残っているからだ
でも東京には江戸百万都市を感じられないのはなぜだろうとなる
皇居がしったとしてもあそこに江戸時代を感じないのである
それは結局高層ビルとかビルに埋め尽くされた結果、昔を偲ぶものが消失したからだとなる、ただ現代だけがそこにあるのである

いづれにしろ時間軸と空間軸で形成されるの世界観である
だから原発事故で避難して故郷を失った人たちがいる、そこで失ったのは空間もあるが
時間軸で形成されたものである、そこは江戸時代から人が住んでいたからである
そこでも代々時間軸で形成されたものがありそれが失われたのである
ただ時間軸で形成されたものは理解しにくいのである
ただ失ったものが何であったかそれを考えるとそれが金では買えない貴重なものだったともなる、それは意識されにくいからである

ともかく庭の冬薔薇は二片残して散る、でも散ったあとでもここに咲いていたな意識する余韻を残すのである、それが時間軸で見ていることなのである

旅人の平泉去る秋の蝉

これは自作だけどここでは空間軸と時間軸を現した句なのである
空間的に平泉を去る、その時時間軸としては夏から秋になっていた
つまり旅は空間軸で行われるがまたここでは季節の移り変わりも感じていたのである
何か自分の句を自分で鑑賞したとなる、この鑑賞とか評論することも相当に理解力がないとできない、そういうことがインタ−ネットでは欠けている
深く読んだりしない、表面的なもので終わっているのである 

まず創作しなくても評論できる人は芸術家と同じだともなる
なぜなら芸術そのものが鑑賞することがむずかしいからである
また小説などにしてもそれを理解することがむずかしいからそうなる
ただ年になると鑑賞力がついてくるから評論家に向いてくるのである
自分自身の俳句を評論しているのも奇妙だけどそうなる
第一こういうふうに鑑賞している人はいないともみるからだ

そもそも芸術となると鑑賞すること自体むずかしいのである、でも本当の芸術は芭蕉の
奥の細道のようにそれが400年とかの時間を過ぎてもそれが古くならない
深みをましているというのが真の芸術だとなる

2020年11月22日

冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る


冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る

(写真十枚ー俳句、短歌連作)

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クリック拡大-八沢浦
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かすかに山頂に雪が見える

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これは磯部の墓地にあった墓

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ボラが跳ねる

相馬の城下町

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クリック拡大-高い空に白鳥が飛んでいた

白鳥は夕暮れになると群れて飛ぶ



浜通り冬タンポポや望む海

松川浦小春日和や釣りの人

残菊や誰が眠るや墓一つ

とある村墓も根付く冬薊

金華山遠くに望み冬の暮

かなたかな泉が岳も見ゆ冬霞

みちのくの遠くの山や冬霞

城下町忠義に仕ゆ冬の松

城下町六万石や柿に松

城下町お堀に数羽冬の鴨

落葉して相馬の人我が語る

冬の夜の三本松や雲に月

繊細に枯木の枝伸び月光る


三県にまたがり蔵王大なりき相馬しよりも冬の日望む

安政の墓や磯部の古りにしを村は津波に流され消えぬ

ボラ跳ねて松川浦に船あまた小春日和や人多く来る

冬の樹の堀に映して枝々の交差し伸びて城下町暮る

白鳥の夕空高く飛びにけり月光り星いくつか煌めく
                                              

今日は朝が寒かったが昼になりあたたかくなった、それで磯部を回り松川浦を回り相馬市の城下町を巡った
あたたかいから冬タンポポが咲いて海を望む、これが浜通りであり会津とかとはかなり違った風土なのである、あたたかいということである

蔵王は八沢浦から結構大きく見える、今日も見えた、磯部からも見える
実際は冠雪しているのだがそれが今年はまだはっきりしない

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌は山形県と宮城県と福島県からは見える、あとは見えないのだからあっていない
また松川浦の高いところから金華山が見えた、遠くが霞んでいたが金華山は形が三角になっているから判別しやすいのである
さらに遠くに泉が岳も見える、1100メートルになると遠くから見えるのである
400メートルの鹿狼山でもいつも遠くから見えるからだ
ただ山でも常に注意して見ていないと見えないのである
今回は冬霞になっていて見えにくいが私は心の眼で見たとなる
薄い雲がかかって冬霞になっていた、でも冬霞は春まじかにふさわしい季語らしい
でも今日はまさに小春日和だから冬霞になったのである
霞というともともと春であり冬にはふさわしくないがあたたかい冬でも霞になる
季語はいろいろあって解釈がむずかしいのである
                                                        
磯部では高台の墓地によって、ここには安政時代の僧侶の墓があったからここも古いのである、寺島という姓は石巻から移住してきた人の姓である
あとは佐藤氏が多いのは佐藤氏が磯部氏を支配していたからである
相馬氏が支配する前は相馬市辺りを支配していたのである
何か高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移ったのである
そのあとに慶長津波が来たのである、だから予兆を感じて移ったとかとなる
いづれにしろ磯部は古いのである、でも津波で村は根こそぎ流されたとなる
ただ高台の家だけが残ったのである

松川浦ではバイクが百台くらい終結していた、何かバイク仲間の会合があったらしい
それでどこもレストランとかは満員だった、並んでいた
新しくできた市場も行列して並んでいた、いろいろ復興はしてきた
ボラが群れなして泳いでいた、そして跳ねた、前は広い海で魚が跳ねるのを見た
その時、生命の躍動感を感じた、広い海原でトビウオが跳ねるのは躍動している

松川浦から相馬市街に入る、相馬の城跡の紅葉が美しかった、ちょうど冬紅葉になっていた、写真を撮った所は一番いい場所だった
城跡の石垣も見えるからである、相馬の城跡は石垣があまり残っていないから貴重だとなる

相馬市の謎は何かいつ来てもしんみりするのである、原町も市街があるのだがまるで違った雰囲気なのである、それがいつ来ても不思議だとなる
城下町の雰囲気を残しているともなる、高いビルなどが建つと雰囲気がなくなることは確かである
ただ城下町といっても城もないし石垣にしてもわずかだし何か歴史を偲べるともならないでもやはり城下町でありその雰囲気が残っている
お堀に鴨が数羽いる、するとそれがまるで忠臣のようにも見えるから不思議である
それが歴史というものなのだろう
何か相馬の人と語る、落葉している城跡で語る、するとそれが歴史を語ることにもなるのである、そういう雰囲気があるからそうなる
何か語る時そうした雰囲気がある場所で語るとはずむ、それはその雰囲気がそうさせるのである

それから冬の樹が堀に夕べ映っていた、それを見て中村草田男の「冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男 」を思い出した、ただこの堀の水は濁っているからそうともならない
ただ水に移る冬の樹はそういう感じになる

日は短い、5時で真っ暗になった、月が雲に光っていた、木の枝に月が光る
写真に撮ろうとしたが失敗した、だいたい夜の写真は相当にむずかしい
これはプロ級でないとうまくいかない、いつも失敗している、カメラでもレンズでも夜の写真用でないとうまくとれないのである

ともかく相馬市の道の駅の近くの五本松があった所を帰る、でもその松は三本しか残っていない、だから三本松になったのである、でも三本松でも何かその松に親しみを感じるのである







寒雲、冬薔薇(御田母神の社)


寒雲、冬薔薇(御田母神の社)

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寒雲の流れずとどまる街の上

寒雲や老婆一人街を行く

寒雲や耕作放棄地に小屋一つ  

家に籠る女性一人や冬薔薇

落葉してゲートボールや山の村 


北風に松一本や紅葉映え御田母の社残りけるかな

冬の薔薇一輪あわれ今しばし我が庭に咲き見取り散りなむ


昨日はそれほどでもなかったが今日は朝から寒いし北風も吹いている
冬らしいとなる、ダイユーエイトの前に御田母神の碑がある
そこに松一本がある、隣の店の紅葉に映える
御田母神とは三春に由来するらしい、そこから移住した人が祭ったともなる

「田母神」姓は福島県に縁のある姓である。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区がある。同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれている。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかある。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれている。

郡山市立田母神小学校

田母神俊雄 - 航空自衛隊第29代航空幕僚長

田母神は間違いなく三春から発して郡山に移る、だからそこから移住してきた人があそこに祀ったのである
今は田はなくなったけど社は残っているのである
姓にしても自衛隊の幕僚長は有名だったけどそれはまさに郡山の田母神(たもがみ)村から由来しているとなる、姓の基は村だからである

都会にも社があるけどその周りは市街化して元の状態が失われた、田畑もなくなってビルなどが建つともともとあったものがイメージできなくなる、東京とかになるとそうである
寒雲が街の上にとどまる、耕作放棄地に寒雲がとどまる、何か現代社会の風景である
街はさびれているし耕作放棄地も現代を象徴しているからだ

冬薔薇が一輪咲いて散らむとしている、この薔薇の色はいい色である、赤でもないが明るい色である
また60以上で一人暮らしの女性も多いのである、それが現代を象徴している
俳句とか短歌でも現代の社会を反映する、それが逃れることができない
江戸時代だったら江戸時代の社会を反映する、時代を反映する
その時代のことか時間がすぎるとわかりくくなるのである
現実に高度成長時代が過去の物語になったことでもわかる  
その雰囲気は今とは相当に違っていて活気があったとなるがその時代の雰囲気も何か不確かなものになる、私の場合は会社員でないからその時の景気の良さとかはわからない
でも東京で土地が馬鹿高くなったのは覚えている、土地バブルになったのである
金余りになり土地に余った金が投資されてそうなったのである
でもそれは田舎では関係ないことだったのである

2020年11月19日

大倉から真野川渓谷の紅葉


大倉から真野川渓谷の紅葉  

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大倉の碑
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これに気づかなかった、葉山祭りと有名だったら葉山という地名があった


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冬の日にここに動かず鎮まる石

冬日さし大倉に並ぶ古き碑 

大倉に古き碑並び落葉かな


一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

山に入り冬の蝶あわれ一つ飛ぶまもなく消えむさらに分け入る山

大倉に三匹ほどの虫の音を耳をすまして聞きて帰りぬ


大倉への坂を上る所にこの大きな石が隠れるようにしてある
この石は貫禄がある、だからいつも注目して見ている
でも他から来た人だと隠されるようにしてあるからわかりにくいのである
その隠されているところがいいとなる

大倉から霊山の方に行こうとしたが去年の水害で交通止めになり行けなかった
普通は自転車だと行けるが奥の方がさらに崩壊が激しく行けなかった
でも紅葉はきれいだった、写真を撮った所は車では入れない所がある
この工事は長くつづくから当分は通れないのが残念である

大倉の消防署とかあるとこにこの碑が並んでいた、寛政とか慶応とあり江戸時代のものである、大倉の歴史は古い、葉山祭りなどがあり古い、葉山橋とかあった
でも今はどれくらいの人が住んでいるのか、ただ新しい牛舎が作られていたからまた牛を飼うことを始めている、だから人は住んでいる
でも減ったことは確かだろう

とにかく霊山まで行けなかったことは残念である、紅葉の盛りであり歴史の道となっているのがこの辺だからである

2020年11月16日

冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない
この風景も普通は見逃している
たまたま写真とって発見したのである

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冬薔薇

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紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである

2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである

2020年11月13日

冬の日に大原を回る (暮らしと生業がないと村も活きない)


冬の日に大原を回る

(暮らしと生業がないと村も活きない)

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新田川ユッサの庭

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冬の蝶
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ユッサから大原の道


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空家の斎藤家が見える
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大原の幽霊屋敷

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この柿の木は古い

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寒雲や老婆一人の通り行く

冬日さし石の二つやお茶を飲む

木の葉散る大原の道墓地を見ゆ

残菊や大原の里の小径暮る

大原や老木の柿今もなる

大原に数羽飛びけり冬の蝶 

大原や薊に蝶のとまりけり

竜胆の隠され咲きて山の村           

大原と大谷村や冬の暮  

太原に空家残りて冬の草

冬の日にのろのろ歩む亀ととも

大群の烏終結冬日没る


前田から遠田とありぬ冬の日や大原のくらし空家残りぬ

冬の日や杉の木立に隠されて大原の人ここに眠りぬ

大原に生きて死すかなその人のなおここにあらむ冬の日暮れぬ 


橲原から山の中の新しい道を行き大原を回った、新田川のユッサで休んで回ってきた
この辺では橲原村とか大原村は街から離れていて山の村となる
ただ原発事故以後田畑はまた回復していない、荒地のままである
ただ最近放射性物質の貯蔵した土が運ばれて元にもどりつつはある

でも何か山の村という感覚にともしなくなっいる、それは原発事故があったからだけではない、そもそも山村とかはグロ−バル経済とかも影響して木材は利用されないとか農業は金にならないとか様々な時代の影響で衰退して過疎化した

ただではもともと山の村とかさびれたところだったかとなるとそうではない
山には木材があり炭焼きなどをしていたときはにぎわっていたのだ
その証拠が今の人口の倍くらいどこでも生活していたのである
特に戦後は引揚者が職がなく辺鄙な場所に開墾に入ってきた
鹿島区だと寺内にその開墾者が入った人の碑がある
街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
自分は子供の時そこに知っている人がいて店をしていたとき卵を買いに行ったからそこに引揚者が開墾に入ったことを知っている、それは相当に貧しかったのである

大原村の中心は前田というある場所である、前田とある場所は早くから開かれた場所である、それと対比しして遠田となると遠い田であり前田から遠い場所なのである
地名として残っているから明確である
つまり日本人は田を作り米を食べることでどんな所でも田にしたのである 
大原遠田という地名がありかなり奥である

とにかく大原では南相馬市の病院に入院していたとき斎藤氏と同室でありそれでその窓からいつも大原の方をながめていたのである
その人もまもなく死んだ、そして杉木立の中に隠されるように墓地がありそこに眠っている

そしてその住んだ家は空家になっている、入院していたとき猫のことを心配していた
すでにその時から一人で住んでいたのである、息子は街の方に住んでいるからである
それで何か後継ぐことで息子に言い残すことがあったらしい
一軒の家はなぜか壊されないで幽霊屋敷のようになって残っている
その風呂は煉瓦の風呂でありそういう風呂を作ったということはそれなりに金があったともなる
なぜなら戦後の風呂は私の家では鉄砲風呂であり父親が手作りでその風呂屋を作ったのである、だから煉瓦の風呂となれば贅沢だとなる
いづれにしろあそこの幽霊屋敷は壊さないのはなぜかとなる、本当にあそこからは幽霊が出てくる感じなのである

なぜ原発事故と関係なく山村は衰退して過疎化したのか?
何か大原であれ橲原であれ栃窪村であれそれは飯館村とは違って街が近い、だから今になると街が山の方へ拡散して山の村として自立してはいないのである
街の延長のようになっている、特に石神村などは市街化した村なのである


ともかく日本の山村が過疎化しているというとき時代の変化でそうなった
村でも昔はそれなりに繁栄して自立した面もあったのである
暮らしといっても農業は主とならずみんな会社員となる
木材も外材になり利用されないとかなにかと活気がないのである
何か山村が空洞化する、原発事故以後は特にそうなった

でも不思議なのはどこの山村でも今の人口の倍以上ありその人口を養うものがあった
それが時代の変化のなかで村が空洞化してしまったのである
ただ街の延長として存在するようになっている、だから村の魅力が消失する
村の残影だけがそこにあるような感覚になるのある
昔は村は生活の場所であり生業の場所であり人間がそこで生き死ぬ場所だったのである
もちろん外との交流があったにしろ基本的に村は自立していたとなる

ただ今でも地形的には橲原村と大原村は奥座敷なのである
それで深野のユッサはいい場所にある
今日はその庭の石二つを見て休んだ、そこで飲むお茶は落ち着くとなる
ただ正直あそこは景観的にも庭も貧弱だとはなる
もっと大きな庭とか森を感じるものがあるといいとなる
ただ何か小鳥が飛んできたからそれなりに自然がある場所なのである

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イオンに行く所の家で飼っているリクガメは大きい、ゆっくりと歩いている
60才とかいうのも驚く、もっと長生きするらしい、すると飼っている方が早く死ぬということがある、亀は万年というのは本当だった

烏の大群が電線にとまっていた、何羽いるのか百羽はいる、なぜこんなに集まったのか?原町は広いから烏も多いとなる

ともかく今日は風もなくあたたかくて良かった、自転車は風に弱いし寒さも弱いからである
だから冬とい感じもなかった

2020年11月11日

晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)


晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)

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晩菊やふるさとの小径飾り暮る

晩菊のここに落ち着き咲きて暮る

残菊のあまたや暮れむ田舎かな

十数輪ここに暮れむや冬薊

夕日さし芒なびくや電車行く



写真とるようになってから何でもないものをカメラを通してみる、すると見えないものが見える、またカメラで肉眼では見えないものを見ようとしたりする
だから意外とカメラの効用は大きい、今まではただ撮り記録するだけだった
今は一シーンでもより効果的に美的に画家のように残そうとする

その一つの例が冬薊の写真である、最初薊だけを撮っていた、でもそれだと季節がいつかわからない、それで枯れた葉を映し背景に枯野があり冬の没する陽がさして明るくなっていた、これで季節がわかるともなる

もともと自分は正岡子規の写生俳句から俳句をはじめたし短歌もアララギ派とか写生を基本にしてはじめた
だから写俳という分野が生まれたことは新しい芸術の分野が生まれたのである
それはデジタル化されたカメラが生まれた時生まれた
なぜならいちいち現像していたらとても表現できないからである

デジタル化するとインタ−ネットとつながり即座に発表もできるからだ
インスタグラムなどでもそうであるし他のSNSでもそうである、ただ自分はしていないいちいち答えるのがめんどうになるからだ
毎日こうしてプログに出すだけで時間が撮られるからできない
家事を全部していると何かかにか仕事がありできない

何か晩菊とか残菊というとき淋しい感じになるが実際は多く咲いているとそういう感じでもない、ただ晩菊とあれば淋しいという感じになる
やはり年取ると晩菊であり残菊をイメージする、何かここに落ち着きたいとなる
でも経済的に毎月電気水道ガスを払えない貧乏になると落ち着けないともなる
それが田舎の問題でもある、ある程度の資産があり貯金でもあり余裕がないと田舎でも落ち着いて暮らせないのである

どうしていい写真を撮るかというとき今回芒の写真をとった、これは鉄道のレールの近くでありこれを電車と一緒にとるといいと見た
だから次はそれを試してみよう、写真はある場所を選び構図を選らびとる
だから旅して移動していると写真はとりにくいと思った
地元なら構図を何度も同じ場所に行くから設定できるからいいのである
写真をとることは結構な労働なのを知った


2020年11月08日

小菊の群生写真 (新しいレンズを買ってとった)


小菊の群生写真

(新しいレンズを買ってとった)

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下は一部をきりとった、それでま違った見方ができる


新しい中古のレンズを買った、それで試し撮りした、一万六千くらいだけどこれは前よりいいレンズかもしれない、レンズは多すぎてわからない、レンズごとに撮った感じが違っくるとなるとカメラ本体もそうだがレンズが大事になる
ただ自分は本当に簡単なカメラしか使っていなかったからわからなかったのである

これは陽が雲に隠れ落ちてゆくころを撮った写真である、太陽はすぐに雲に隠れた
田た撮った時は陽がさしていた、写真はこうして陽の挿し具合とかで微妙に変わるのである、だから変化するから刻々変わるからそのチャンスを逃さないようにすることだとなる

本体はソニーのα6000でありそんなにいいものではない、でもきれいにとれるのはレンズも関係している
背景がぼけているのがいいのである、私が撮るのは花が多いから背景がぼけるのがいいのである
今回は5、6枚とって一枚が成功したとようである

ただ季節的には晩菊である、でもそんな感じはしない、にぎやかである
だから晩秋とは感じない、菊はにぎやかに咲いているというだけである

でも不思議なのは身近な所でも写真になるところがある
身近だと何かありふれて新鮮さがないからである
でも写真にとるものがある、写真を撮ることによって美を見出してゆく作用があると思った、だから写真の趣味が一番多いことが理解できた

ここは街の通りなのだけど店もない、畑がありそこにこれたけ小菊が咲いていた
菊だけ咲いてにぎわっているとなる、ここでは人がたりないある
ただここだをとれば美があるなる
タグ:小菊の写真

2020年11月07日

晩秋に仙台から常磐線で帰る(詩) (仙台市に人が集中しすぎる)

   
晩秋に仙台から常磐線で帰る(詩)

(仙台市に人が集中しすぎる)

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仙台駅の東側き通り

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初冠雪ではないけど冠雪の蔵王が見えた

車窓に初冠雪の蔵王見ゆ

バス停に待つ人の列落葉かな

人に散る木の葉や街の通りかな

秋の夜や一人おりゆく日立木駅


宇多川に秋の鴎の数羽かな城下町なれ電車過ぎ行く



仙台駅の東側
新しき大通りは開けぬ
若き等の自由に行きかう
大都市は膨張して拡大する
人はここに集中する
我は常磐線に帰りぬ
都会のまぶしい夜の灯
やがて暗闇は深く
点々と灯の淋しく灯り
日立木駅で一人おりる秋の夜
我が町に帰り着く
なおかすかに残る虫の音を聴く
家族と今はなしも
猫一匹の待っている
我が家族の在りし日を想い
我が家に安らぐ
都会に人は集中しすぎる
田舎の街を歩む人はまれ
商店街はさびれている
田舎では木の葉は山に散る
木の葉は山深く散り土に還る
山の静寂につつまれ命を終えぬ
大都会の不自然な人工物
ここに本然的安らぎのなし
命は何か不自然に消耗される
我はここに老い老木のように
大地に根付いて朽ちてゆく
華やかな大都会は夢なりて消える
木の葉は山に散り土に還り
静けさにつつまれて眠る
月の光がさして明るい
ここでは電気でなくて月が主役である
天然の光で癒され深い眠りにつく  



キタムラでレンズを取りに仙台まで行った、このレンズが大問題だった
カメラと合わないレンズを買って大失敗した
キタムラだと店で受け取れば合わないと返すこともできるから便利である
レンズは中古品が多い、新品となると高くなる、だから中古品の市場が盛況なのである

仙台駅の東側が発展している、仙台市は相当に膨張し拡大している
若い人が歩いている、若い人の熱気がある
それは相馬市とか原町市とか4,5万の都市で今通りを歩いている人はほとんどいないからだ、その差が大きいと思った
仙台市には若者が集まっているのだ、東北福祉大学が東側の駅前にあった
そうなると便利である、街の中にあるのだから利便性がいい

とにかく震災以後仙台市に東北から人がさらに集まるようになった、津浪の被害地でもそうだし原発の避難民も仙台市に移り住んだ、仙台市に住みたいという人が多い
どうしても若い世代は都市に集中する
そして田舎は取り残されているようになっている
ただ常磐線沿線は電源地帯であり原発以後も相馬市と新地に火力発電所とかあり原町にある、それが経済を支えているともなる

最近は仙台市にもほとんど行かない、今年だって一年に数回しか行かない
前は一週間に一回くらい行っていた、その時は本を買うためだった
今は本は通販でいくらでも買えるから仙台に行く必要がなくなったのである

そして年取ると大都会はなじめない、人ごみも嫌である、疲れるのである
足が悪くせいもある、何か歩くと調子悪くなる、今回も歩いて足が悪くなった
歩きなれてないせいもある

仙台市は大都会でもまだ名取から岩沼辺りになると田んぼがあり阿武隈川を越えると田舎になる、だから東京辺りとは違う、自然がまだ身近にある
そして家に帰ると残る虫の音を聞いた、とても仙台では虫の音は聞けない
田舎だとまだ残る虫の音が聞こえるのだ

そして木の葉が散るという時、山に散る木の葉は都会の通に散る木の葉とは違う
木の葉は山に還り土に還るのである、それが自然なのである

大都会だけに人が集中するのはアンバランスである、もっと分散すべきである
4,5万の都市でも通りを人が歩いていないからだ
そして通りがあってもそこに店とか何か通りに花を添えるものがない
この辺の新しい通りは畑があり店は作られていないからだ

いづれにしろ大都会に人が集中しすぎる、小都市は何かさびれている
そのアンバランスは世界的なものであり大都会に人が集中している
いづれにしろ年取ると都会は嫌になる、ただ疲れるだけになる
ただ若い世代ばとうしても大都会に集まるのである
仙台市でも大学も多いし学園都市ともなっているからだ
若者があんなに歩いている光景など地方の小都市などでは見ないからだ
それだけアンバランスになっているのが現実なのである
ただ心が癒され安らぐ場所は田舎である、特に飯館村とか森に囲まれた場所は安らぐのである、都会が必要なのだが田舎も心の安定を得るために必要なのである
それがアンバランスになっていることが問題なのである




2020年11月03日

文化の日―晩菊(秋草のフラワーアレンジメント)


文化の日―晩菊(秋草のフラワーアレンジメント)
 
   
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原町の街中

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街中に七八輪あわれ秋薔薇

通りには畑のありて菊の花

我が墓に造花を挿すや文化の日

我が里の草の花摘み飾りけり

晩菊に覆われ墓地の一つかな  


今日は文化の日だった、でも原町まで自転車で行ったら北風が吹いた
やはり冬に入ってゆく、原町の道の駅で造花を買った、なかなかいい造花である
それを我が家の墓地に挿した、何か文化の日ともなる
墓も近くにあると身近になる、花がないから淋しいなとかなり造花を挿したのである

それから草の花、野菊を詰んでそれを壺にさした、フラワーアレンジメントも手間になるなにしろ家事からプログに書く記事からいろいろなことを一人でやるから暇なく何かをしているのである、介護は終わったからその分は余裕がある、でもいぜんとして全部一人でやると余裕がなくなる      

文化とはまず時間でも金でも余裕がないと生まれないのである
私の母親は働きづめで終わって花もいらないとなっていた
ただ40代くらいの農家に嫁いだ女性も花に興味ないのである
おそらく今は花嫁修業などしていない、だから華道など習わないのである
そこがものたりないのである

墓地が晩菊に覆われていた、何かこの菊は華やかである、普通晩菊となると淋しい感じになるからだ、ただ墓地でも眠る場所はこうした田舎がいい、都会の団地のような狭い墓には入りたくないとなる

通りのなかに畑があり菊が咲いている、でもその通りには店がないのである
一軒理髪店があるが他にない、それが通りとは言えない、ただ新しくできた通りなのである、だからこの通りも店ができてもう少しにぎわうといいとなるがそれも無理だとなる
それだけの人口もないしみんなスーパーで買い物をすませるからである

とにかく晩秋なのだが秋が早く終わる、冬がふぐに来る、だから晩秋と言ってもゆっくりと感じない、あわただしいのである
秋がたちまち過ぎて冬になる、こうして時間の季節の感覚が狂うのも困る
そうなると文化の日でも文化を楽しめないとなる、文化とは何か時間でも何でも余裕があって生まれるからである
ただこうして季節感が変わるのは人間のせいではない、自然が天候が変わってしまったからである

2020年10月31日

秋の日、柿(寝そべる牛)


 秋の日、柿(寝そべる牛)  

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秋日さし牛の寝そべり木の根っこ

秋日さし牛の寝そべり山を見る

牛数頭寝そべり陽さし柿なりぬ

墓地ありて昼の静かに残る虫


牛と木の根っこの写真がとれた、ただ夜の状態のままにしていたので失敗した
カメラはいろいろとめんどうである、自動にしていればきれいにとれた
ただこれは写真になる絵になる景色だった
これも一回見逃すとあとはとれなくなる、つまりここに牛がいつもいるとは限らないからだ

木の根っこは自分の家の庭にも置いた、飾りとして置いた、木の根っこと牛はあっている木の根っこは何か残ろうとしているものである
根っことして残るものを象徴している
それは何か死者をイメージしたり歴史でも古いものを残ろうとする

木の根っこは大地に深く根を張っていた、だから根っこだけでも残ろうとする
残る意志を感じる、それは老人にも見える
ともか臥牛山とかあるのもわかる、牛と山は相性がいい、どっしりとして動かないからだ
ここは原町の郊外であり原町は広い、野馬追の馬もこの辺では飼われている
牛も飼われている、ただ原発事故以後は減った、やはり放射性物質の汚染が影響したからだ

今日は秋晴れであり気持ち良かった、丸森に行こうとしたが遠い、原町くらいだと疲れないのである、飯館村まで行ったら疲れて一週間くらい疲れがとれなかったからだ
それだけ体力が弱ったのである

まだ残る虫は鳴いていた、もうすぐ冬である、今日はあたたかい、明日もあたたかいから出かけるにはいい時期である

2020年10月29日

白鳥来る


白鳥来る(十三夜の月) 

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白鳥の隊列乱れじ月光る                    

白鳥の一隊二隊三隊飛ぶ

隊列に追いつき飛ばむ二羽急ぐ

普通電車芒に暮れる川渡る

十三夜の月やみちのくへ電車かな

みちのくに落ちのぶ武者や十三夜

十三夜の月やみちのくの都跡

十三夜の月に添えたる星一つ


先頭を導き飛べる白鳥や一番星の光りけるかな


白鳥はすでに二三日前に来ている、今日も多くの白鳥を電車の写真をとっているとき見た今回は隊列を組み三組くらいが飛んだのを見た、これは多いと見た
夕暮れに白鳥は移動して飛ぶ、これを写真にとったがうまくとれていない
動くものを撮るのはむずかしい、すぐ視界から消えてしまくうからである
電車は構えていたから撮れたが鳥となるとできないのでいつも撮り逃がしてしまうのである

明らかに先頭の白鳥が導いている、その先頭を中心にして隊列を組んで飛んでいる
その時月のわきに一番星が輝きだした
今日の付きは十三夜の月でる、十五夜のあとに十三夜になる、これはなじみがないけどやはり季節の変化である
満月が欠けてゆくからそういう趣なる

十三夜は大体満月の8割ほどの丸さの月を愛でるイベントです。

しかし、「十三夜に曇りなし」とも呼ばれ、空気が澄み、天気も崩れにくい季節なので、とてもきれいな月を観賞できます。

今日は寒くないけど確実に冬が来ている、白鳥を被写体としてはいい
何か写真を撮ることは一つの仕事にもなる、ただ今のカメラとかでは限界がある
写真はやはりカメラとレンズとかに左右される
それと構図をとったりしないといいものがとれない

とにかく冬になる、白鳥が冬を告げたとなる

月と電車の写真


月と電車の写真

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今日の月は満月ではない、でもほぼ満月である
それでスーパーヒタチを撮ろうとして構えていた、近くだから撮り安い
つまり写真はまず場所を選び構図をとっていないとうまくとれない

今回は月を撮ろうとした、月と電車を撮ろうとした
でも月が小さくしか映らない、この月を大きくとるには相当な技量とカメラがいいものでないと撮れない、今のカメラでは無理である

写真は結構な手間である、場所選びとかそこで必ず電車だと待っていることが必要になるそこで時間がかかる、そして場所の選定はなかなか近くでないとできない
旅した時などはむずかしくなる
ここまで写真にこればプロにもなる、それは自分には遠い先である

カメラ自体でもそうだしレンズでもそうである、これらをそろえてもまたこうして手はずをしないといい写真はとれない、何気なく見ているいい写真はそうして撮っている
ただその苦労がわからないのである

ここで映らなかたのが芒だった、芒が写れば秋とわかる、月だけだと写真から季節がわからないのである
暗くなったからそこで撮るのはむずかい

普通電車芒に暮れる川渡る

この写真をとっているとき白鳥が隊列を組んで飛んできた
白鳥は二三日前に来ていた
そこで写真をとったがはっきりしない、でも先頭になる白鳥がいてそれで三角形の隊列を組んで飛んでいることが見えた

何か写真はその場にいるとこうしてねらったものではなく他のものも映ってくる
発見がある、だからカメラを趣味にする人は本当に多いのである

2020年10月27日

柿なりぬ、古き碑、残る虫、秋の暮(日立木まで自転車でまわる)

柿なりぬ、古き碑、残る虫、秋の暮(日立木まで自転車でまわる)

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秋薔薇一輪鮮やか庭に映ゆ

ふるさとや古き碑集め柿なりぬ

柿なりて我を見つむや牛の顔

退職し車の旅や秋の暮

夕暮れて曇りし月や三本松

残る虫鳴く声幽か細き道

残る虫すがりて鳴くや老いあわれ
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秋薔薇

秋薔薇というとき何かものさびしい感じにもなるが今の40代くらいは若い、20代だとも見た、子供はもう大学生である、だいたい今の40代は30代である、若く見えるのである
ただ秋薔薇というと中年くらいをイメージする
この秋薔薇は何か華やかに見える

田舎でぱ古い碑を集めている場がある、まさにここがその一つだった、そして端の方に柿が実っている、何かつくづく自分はこの古い碑を見て来たからまさに自分自身を象徴していた、それに柿があっていたのである

牛がじっと自分を見つめている、柿がなっている、何か田舎の風景である
そこに梨もなるが今年は梨は高すぎて食べれなかったのが残念である

相馬市の道の駅で車で旅している人がいた、その中は狭いのである、寝る場所もないくらいである、だから窮屈で疲れると見た、ただ車の旅はホテルとか旅館に泊まらないから安上りである、食費だけで旅できる、なんでも五カ月も旅しているとか行っていた
そういう人が今は増えている、なにしろ老人社会であり暇な老人が多いからである
その人たちはこううして安上りな旅をしているのである
退職して鹿児島から青森まで歩いて旅してきた人には驚いた
その人も自由に旅したいとなり退職して旅に出たのである
それだけ自由と旅に憧れていたとなる 

相馬の道の駅からの街道の五本松は三本松になった、そこに曇っていたが月がでた
三本松でもあの松はいい松である

残る虫が幽かにまだ鳴いている、それに耳をすます、でも残る虫というときこれも老人をイメージする、その女性は金もない、病気もあるとかなりすがってくる
これも困るのだけどぎりぎりでもう食事もまともにとらないで寝て過ごしている人がいるという、金をかけないために医者に行かないとぎりぎりになっている
国民年金4、5万の人もいる、そうしたらもうそういう生活になる

老後は年金がいかに大事か思い知らされる、定期的にやはり死ぬまで金が入ることは安心なのである、貯金は減るだけど定期的に死ぬまで収入があるということは安心である
するとそこに余裕が生まれるのである
老後は金銭的にも体でも健康で余裕がなかったら地獄になる
また一人暮らしでも病気になったりしたら悲惨である、誰も助ける者がいないからだ

今日は日立木まで行って帰ってきた、知っている人も自転車で回っていた
その人も退職して自転車に乗るようになったのである
ともかくどれだけ退職したりした人が暇になり車で旅したりしているか、それはいたる所にいるらしい、それも長いと言っていた、まるで車でジプシーのように旅しているのである、本当にそうした生活が日常にもなっているみたいである
車だとそれができるのである、食費だけでまにあうからである
私も車があればそういう旅をしたかったができない、まあ、自分は十分に旅したからもうそれほど旅したいとも思わない,してない人はそうなることもわかる

2020年10月26日

月、残る虫、秋の海(今日の日の出)


月、残る虫、秋の海(今日の日の出)

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残る虫鳴く声聞きぬ山の方

隠されし里の細道月の出る

月影に幽かに鳴きぬ残る虫

秋の海熟す果実や日の出かな


東雲(しののめ)に飛び立つ鳥の一羽かな秋の海原雲染め明けぬ

昨日の夕べは月が出た、山の方に月がでる、これまでは海の方から上って月が出ていた
月は場所も変わる、浜通りは海と山がありそれが中通りとか会津とかとは違っている
山国だったら山から太陽が昇り山に沈む、それがこの辺にはないのである

春の日や暮れても見ゆる東山 一茶

東山というとき太陽の昇る方向である、ようよう明けそめたる・・京都で明けるのは東山からる、西山とか北山となるだけで感覚的相当違っている、東西南北がありその方角地名が一番多いしそれでイメージする
南会津とか西会津とかでかなりイメージが違う、西会津となると新潟の方でありかなり会津でも奥地の感覚になる、ただ会津は方角地名があっても広くてイメージできないのである

方角で印象的なのは琵琶湖の湖西でありそこから東の方が関ケ原から名古屋となり実際はそこが境目として東(あづま)の領域になっているのだ
当然東だから太陽が昇る方向なのである、東西というとき西は太陽の沈む方向なのであるそれは世界的にも東西があり東が太陽の昇る方向でありオリエントになりアジアになる
ヨ−ロッパは西であり西欧文明となる

「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。7世紀、倭国(わこく、日本)の国書を携え、中国大陸に向かった遣隋使。

これは有名だけどいろいろあっても方角をただ言ったことてのかもしれない、つまり方角がそれだけ地理として重要だからである
旅行していいのはこの方角がわからなくなる、山から陽が昇るのは浜通りでは見られないから新鮮になる、また日本海だ海に陽が沈むからそれも感覚的に正反対になる
旅ではだから方角がわからなくなる、でも陽が昇る方向が東であり陽が沈む方向が西なのである                                     
それで飯館村に行った時、道に迷った、陽が沈む山の方に行っていた
自分の感覚では東の方向だと思っていた、それは感覚的に東の方に行って帰る方向だと見ていたのである、でも陽が沈む方向は西なのだから方向が全く反対方向になっていたのだこのように方向がわからなくなる、それは近くでもそうなのである
山を越えると海が見えなくなるとわからなくなるのである

夕べの月は山の方に出て光った、そして近くに舗装もされていない、小山の間の細道がある、そこは神秘的な道である、まず車は一日通らない、狭い道である
今やなかなか舗装されていない道はまれである、そこは車が通れるような道ではない
そういう場所が田舎にはある、でも意外とそこに住んでいる人も知らないのである
自分自身がこの年になって知ったからである

今日はカメラがあったと思ったらなかったがま探してあったので撮った
果実が熟したように赤い日の出だったとなるが写実ではない、やはり写生が短歌でも基本なのである

2020年10月19日

フラワーアレンジメント写真一枚


フラワーアレンジメント写真一枚  

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フラワーアレンジメントには壺がかなり関係している
あと背景とかも関係してくる
写真撮影の場所作りが必要になる
だから写真撮影は結構な手間なのである
だからこそ商売ともなっているのである
高級な写真は売れるからだ

このカーネーションとスーパーで買った安いものである
ただめずらしい花だから買った、同じようなものだと飽きるのである
ただこれだけで絵になる花だった

ただ失敗したのはカメラのレンズを一つなくした
何かこのレンズも二つもって使うだけでも手間なのである
だからなくしたともなる、前には落としたこともある

今回の写真でも壺が良く映っていない、この壺はただの青ではない、何かいい感じの壺だった、海の色なのだから他のとは違っていたので買ったのである

ここでは照明も関係している、蛍光灯で暗い感じになっている、写真では光りがかなり影響する


2020年10月18日

秋の朝の絹雲(巻雲)の写真一枚


秋の朝の絹雲(巻雲)の写真一枚

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陽のさして絹雲美し秋の朝


「絹雲」を「巻雲」に

気象庁4月1日から 40年以来23年ぶり変更

気象庁雨は九日、四月一日から、上層雲の中の「絹雲」の「絹」の字を「巻」の字に変更することを決めた。近く告示する。

絹雲が巻雲となった、何か絹雲の方が詩的であった、でも科学的になると詩的なだけでは誤解が生じたりする、それは地名でも起きていたのである
地名はそもそも地形とかに由来する無味乾燥なものであり詩的にすることは合わないのであ、だからやたら合併して美里などと町名とかにしたのは合わないのである
そこには歴史も感じられない、ただ美しい里ではその土地の特徴を何も現していないからだ

雲は日々変わっている、今日の絹雲は特に美しかったので写真をにとった
これは広角レンズがないととれない、雲や空は広角レンズないととれない

この雲が出ると天気が悪くなる、すでに午後から悪くなり曇って来た、明日は雨なのかともなる、これは間違えないのである

2020年10月16日

陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句


陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句

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原町の道の駅
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公園

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原町宿の街道


秋に来る庭に鶯籠るかな  

小蝶遊ぶ紫式部に猫のいる

(原町の道の駅)

秋日さす芝生に石の三つかな

公園のベンチ一つや秋の暮

(原町宿)

街道の松に朝顔原町宿

原町宿二本の松や秋の暮


秋日さす街道行くや次の宿

街道の実りに松や宿場かな

街道に夕暮れせまる虫の声

街道に馬頭観世音秋の暮  


今日は家にいたら庭に鶯がきた、これもめずらしい、冬鶯という季語がある、笹鳴きする鶯である、これはちょっと難しい季語である
ただ春だと鳴くことで鶯を知る、その姿より鳴き声で春を感じる
秋とか冬は鳴かない、するとその姿を見て鶯としる
「冬鶯むかし王維が垣根かな 蕪村」この句は王様の権力の残した物は大きな城とかであるが詩人の残したものはわずかな垣根だたという意味かもしれない、それを蕪村が偲んだとなる
蕪村の俳句は鑑賞がむずかしい面がある

紫式部の俳句は全く写生だった、そこに何一つ付け加えるものがない、見たものそのものである、ここに何か付け加える余計なものとなり悪い俳句となってしまう
小蝶がいる、紫式部に猫がいるというだけで一つの絵になっているのだ

原町の道の駅の前は芝生にして休む場所も作ったから前より良くなった
あそこに良くよる、隣の公園の木はいい木である、そこに一つのベンチがある
そこに座り小高の人だったか話ししたことがある
何かベンチ一つでも老人とかなると愛着がでてくるのである
ここで良く座ったなとなりそのベンチがただの物ではない、人間的なものになっている
だからベンチの絵を良くみかけるのもそのためである

このベンチ誰かかが座り我が座る木のかたわらや秋深むかも

こんなふうになる、人間はここにいたんだなとなるだけで意味を帯びて来る
それはもういついなくなってもいいようになるからである
つまりいつまでもこの世にこの場にいられるわけではないからだ
本当にこの心境は老人にならないとわからない、いつまでも生きているように思えるが
実際はつかの間にこの世にいるだけだったとなるのだ

原町宿は大きな宿場町だった、それは絵に残されている、こんな大きな宿場町だったのかと驚く、だからこそ原町市に発展したともなる      
ただ今その名残を知ることはむずかしい、ただ松がありそれがふさわしい、でもそれは江戸時代からあったものではない、それでも街道にはふさわしい、朝顔が咲いていたのでまた松と合っていた 

浜街道でも原町宿があり次に浪江の高野宿があった、それから双葉町の長塚宿があり新山宿があった、小高には宿はなかった
何か旅する時はどこでも街道を行くと違ったものになる
でも他になると街道自体が車洪水でわからなくなる、浜街道は地元だからたどることができる、残念のは依然として自転車では双葉町から交通止めになっていけない、もう十年にもなるのに解除されていないのである

まず旅したか感じになるには車ではだめである、早すぎるからだ、本当は歩けば昔の街道を旅した疑似体験をできる、自転車でも通り過ぎることがある、でも歩く旅を私はしたことがないのである
でも夕暮れがせまり虫の声を聴くと心細くなってきた、早く宿に泊まりたいとなる
そういう感覚が旅なのである、「くたびれて宿借るころや藤の花 芭蕉」である
疲れたなもう宿に着くころだな、虫の鳴く声が夕暮れに聞こえる、早く宿で休みたいとなる、まずこうした感覚は現代ではなくなっているのだ、車で通りすぎたり飛ばしてゆくだけだからである

いづれにしろ秋の浜街道は行くのはいい、やはり歴史のある道は違うのである
だからこそ歴史の道である、六号線と全然違ったものなのである
でもその道が依然として原発事故以後途切れてしまっているのが残念なのである

足の方がなんとか直ったから今回も遠出した、秋はやはり運動するにはいい、夏から秋でも残暑とかなると今は陽ざしが強い、それで紫外線が危険なのである
今なら運動するにはいい、あまり疲れないからである
ただ歩いて足を悪くした原因はよくわからない、自転車で行ってたらならなかったと思う私は歩くことはほとんどししていないかったからだ、それで答えたのである








2020年10月15日

藍深き朝顔一輪 (俳句は限界ー短歌は表現の幅がまだある)


 藍深き朝顔一輪 (俳句は限界ー短歌は表現の幅がまだある)
                        
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今日は曇って来た

                      
石三つ秋の陽さして道の駅


藍深き朝顔一輪心しむこの道の辺に行く人もなく

藍深き朝顔一輪この道に見る人もなく我が見て帰る

藍深き朝顔一輪ここに咲き虫の音幽か我が聴き帰る
                       
花知るやこの道来たる我をしもまた来たらむと咲きて待つかな




朝顔の一輪深き淵の色 蕪村

これが有名な句なのだけどこれだけでは物足りない、そもそも俳句は短すぎるから何か一つのジャンルとして成り立たなくてっている
それで短歌の方に可能性がある、それだけ依然として表現の幅があるからだ
とても俳句では表現できなくなっている

露もありつ かへすがへすも 思しりて ひとりぞみ(見)つる あさがほのはな
     (西行(1118-1190)『山家集』)   
     
この短歌と比べてみればわかる、何か自分の短歌と共通したものがある 

かへすがへすも 思しりて ひとりぞみ(見)つる あさがほのはな  

つまりつくづくあさがおの花を一人みたということである
ただこの朝顔が藍色のものかどうかわからない、でもこの短歌の方が短歌だけで一つの完結した世界を表現している、俳句はそれがうまくいかない、だから限界なのかともみる
写生俳句は確かに一つの規範を示したものであり今でも通用している
でも短すぎるということで限界になった

すると日本文学では詩の分野では短歌は残るが俳句はは消滅してゆくかもしれない
ただそうはいっても誰か天才的な人が新しい俳句を作れば別である
正直子規は確かに写生俳句という革新をしたが明治時代にしろその後に芭蕉、蕪村、一茶とかの俳句の三傑を生んでいないのである
俳句も大衆化して月並みになったということである  

ともかくいつも行く近くの道である、そこにも季節の変化がある
これが車だと何か道の辺の花にも感じないなのである
やはり車は非人間的になる、道の辺の花に目をとめるということがないからだ
見慣れて何もないようでも朝顔の一輪深き淵の色のように深い色を見る、それが心に残るそもそも色は不思議である、色は神秘的なのである
青があったとしてもそのバリエーションはいろいろあるからだ、同じ青はない

この朝顔というとき自分の母親の色だった、地味だし寡黙だからこの青にあっていた
私の母親はもし短歌を書く訓練をする余裕があったら短歌を作っていたかもしれない
ただ貧乏で働き詰めでそれができなかったのである
何かこうした文化的なものは余裕がないとできない
私は別に才能はないけど自然を見てきたから自ずと身についたものがあったとはなる
自然を知るには時間がかかるのである
他の物にいろいろいまどわされるとまた自然の奥深さを知ることはむずかしい
何か修行や訓練が必要になる、その点問題はあったが引きこもりは観想的生活には向いていた、自分自身はもともとそういう性格であり向いていたのである

今回は原町の道の駅で二週間ぶりに行った、足が悪くなり動けなくなったのは辛かった
完全ではないにしろ直った、やはり一人だと病気になったりしたら補佐するものがいないから辛いとなる



2020年10月09日

落合橋は出会い橋 (ふるさと物語-女子中学生と語る)


落合橋は出会い橋

(ふるさと物語-女子中学生と語る)

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橋に逢い橋に別れてまた逢わむ秋の日あわれ落合橋かな

橋下の流れの清し学生の学び励げまむ秋となるかな


双葉に行った時、廃墟の街となっていたが小川が流れてそこに出会い橋と名付けられたのがあった、なるほどなと見た、そこは私の父親が酒屋の丁稚をしていたとき歩いた道かと思ったら何か親しいものを感じた、なぜならすぐ近くに丁稚奉公していた酒屋があったからである

その出会い橋とは誰かがただ名付けたものでありもともとそういう名ではない、橋の名にそんな名をつけないからである、たいがいその土地の地名が名になる
ただ落合橋とは地名に由来していても人が落ち合う場所としていいのである
というのは今の時代、車の時代だと何か人と人が逢わないからだ
橋でもあまりにも多くの車を通るとうるさくなる、すると人が出会って逢って話するというのも落ち着いて出来ないのである
何か人と人が話するのにはそうした落ち着いた場所が必要なのである
土手の方に人が休む座る場所がもうけられている、そこもいい場所である
でも橋だと何かそこで気軽に話せるという場になる

そこでいい点は川の水がきれいに流れれている、下になるときれいでなくなる
それもいいのである、意外と何かこうした人が出会い話せる場が少ない
車社会になるとただ車が行き来するだけになる、それが人間的なものを奪っているのである

今橋の下には放流された鮎が群れをなして泳いでいる、それは自然の鮎ではない、放流されたものである、自然の鮎ならここで卵を産んでそれが海に下りもどってくるとき自然の鮎である、鮎の寿命は一年である
その鮎は清い流れで跳ねる、それが気持ちいいのである

その時中学二年生の女の子にあった、学年が何人いると言ったら27名だと言っていた
私の団塊の世代は人が多く50名もいた、その点は恵まれている
全体で300名いるのは結構人数でもいるとみた
10クラスくらいはある、でも私たちの時は一学年で8クラスとかありそれも50人もいたのである、その数は比べようがない、だからその時は子供がわんさといたのである
遊ぶのでも群れを成して騒いでいたのである
今は本当に子供をみるとめずらしいとなる、今私の組では子供は一人もいないのである
9割が老人である、60歳以上である、そして跡継ぎがいなくなっているのである

その時カワセミが飛んできた
ここには前にもカワセミを見たとその中学生に教えた、それは鮎がいるので来ているのだと思う、

水中の小魚や虫などをエサとしていて、 ザリガニ や カエル なども食べてしまいます。
木の枝などから水中をしっかり観察し、一気に水中に飛び込んでエサを捕まえますが、時には「ホバリング」と言って空中で停止する飛行法を使いながらエサを狙います。

餌になるものは魚だけではない、でも鮎がいるということでここに来ている
枝のようなものがないので鮎をどうしてとらえるのか、ホバリングしてとらえるのか?
それはわからない、ただ鮎を狙っているのだと見る

それからこの辺は原発事故で一時川の魚を食べるなと言われた、それは科学的根拠があったのだ、なぜなら最近海の魚はセシウムは排出する機能があるが川の魚にはない、川の魚は放射性物質を蓄積するとなるから食べるなとなった、特に川の魚とか河口に放射性物質が流れて来て高くなっていたのである
成せなら泥についたセシウムが流れて河口にたまったからである
この辺は原発事故と深くかかわる場所となった
だからこれはもう百年でもつづく、それが大きなテーマとなってしまった土地なのであるでもその中学生は原発事故があった時二歳とかだからわからないのである
結局つくづくもう十年たつということはそれだけの時間が流れたのである
時間が過ぎるのは本当に早い、10年一昔になるからだ

とにかく近くのことを知らないから近くのことに興味をもって知るべきだと言った
水無川があるが水が流れていない時でも下を流れている、だから堰のコンクリートの下の隅から水が湧いて流れている
そういう身近なことが意外とわからない、というのはすぐ近くに学校がある
でもそこに注意している人が意外と少ないのである

ともかく落合橋は人が出会う出会い橋である、この川にはナマズがいたとかそのナマズを売っていたとかも聞いた、今川にはカジカなども見ない、ちいさい水生の生物はいる
でも小魚でも見えない、ましてナマズがいたということは本当に遠い昔だとなる
何か生き物がいないと川も活きない
おそらく鮎が放流されてカワセミも餌になるから来ているのかもしれない、鵜も来ていたつまり生態系はつながっている
鮎がいればそれを餌としてカワセミも来るとなる
原発事故のあとに蛙もいなくなった、蛙の鳴き声も聞こえなくなった
でもその後に田んぼが再開されたら蛙がもどり星がかがやき蛙の鳴く声が夜空にひびいたとき復興を感じたのである
それから蛙がもどると鷺ももどってきたのである、蛙を餌ともするからである
田んぼは生態系の一部として全体につながっている
つまりこのように自然は関連しているのである

原発事故の大罪はこうして生態系を破壊したことなのである
ただ鮎にしてせ小型になっていた、だから食べる鮎というのではなくなっていた
子供の時は大きな鮎がとれて父親がとってきたのでいいオカズになっていたのである
ウナギもとれたのである、田んぼの畦にミミズを棒にさしてそこに鰻がいたということも不思議だった、そういう時代は牧歌的だったともなる
ウナギなど全くいなかくなったからである

コスモスや学生行き来す落合橋

去年の水害の後に土手の花壇は全滅した、でも夏菊とコスモスが一面に咲くようになったそれが落合橋に映える、何か木の橋だともっと情緒がある
盛岡の橋はいくつもあり情緒がある、まるで浮世絵のようにである
昔の橋は何か今とは違って人間的だったのである、それはなんでもそうである
車社会とか機械化、コンピュター化、自動化すると人間的なものが喪失する
人間的なものが排除されるのである、人間は邪魔だいらないともなるのである
機械とロボットとコンピュターがあればいいとなる   

駅員など無駄となってしまう、そんなものに金がかけられないという時代になる
車社会というのが人間的なものを排除することはあった
だから橋の上でこのように出会い話すとか人間的な場を演出できないのである
ただまた女子中学生と話ししたりすると怪しい奴だとかなるのも昨今である
何か人間を窮屈にさせたのが現代なのである  
そもそも自分自身が学校は嫌いである、窮屈すぎたから合わなかったからである
でも何か学ぶことは地域でもいたるところにあったのである
ただ発見していなかっただけである

人間でもその生活でも回りの自然の風景と溶け込んだとき美しいものとなる
自然は鳥でも魚でも生物でもみんな自然にとけこみ調和しているからである
人間だけが調和しないのである、原発はその調和を破壊するのもだったのである
別に火力発電所でもガス発電もここまで破壊されることはなかった
それも空気を汚すとしても許容するほかないとなっていた

原発だけは一旦事故になったらそのベースとなる空気や水や土が汚染されるのだから住めなくなる、何か木も汚染された、私が飯館村で計った時は3マイクロシーベルトあった
何か木の小さな穴とかに放射性物質が入り込み汚染された
それでその木を燃やすとまた放射性物質は拡散される
それで一時浪江の森で火事になったときその放射性物質が拡散されるから騒いだのである

この女子中学生が大人になると10年過ぎたらまた20年過ぎたらふるさとはどうなっているのだろうか?
原発事故の教訓は忘れてはいけない、これがこの土地のカルマとなってしまったからだ
実はそれはここだけではない、日本全国でも同じである
原発がいかに恐ろしいものかを身をもって体験された土地になったからである
それは広島原爆とも似ているのである、それはプルトニウムの毒が二万年消えないように簡単に消えることはないのである

2020年10月06日

虫の音-久ノ浜の俳句

虫の音-久ノ浜の俳句

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おそらくこの松である、なぜこの松がここに残っているのか?
ただ津波の被害は相馬地域とはまた違っていた


無人駅虫の音しげく二人かな

秋の灯や二人待つなり無人駅

久ノ浜秋の夕暮れ松に鳥




この俳句は海が背後にある、ただこの松の不思議は津波にも残っていたのか・
これは前からあった松である、そこは海岸と接している
何かここは津波が多少弱められたのかもしれない、波立薬師でも残っている
そこは引っ込んでいて津波の波が弱くなったとか言っていた
津浪は地形と深く関係している、海底の地形も関係している
なぜなら南相馬市の鹿島区の海老村は高台にあった、でも津波の被害が大きかった
それでその高台は避難場所になっていて30人も死んだのである
津浪は海から離れて逃げることが大事である
海岸でも高くても危険なのである
ただ津波のメカニズムは解明されていない

この俳句は久ノ浜といいう地域性がありできた
結局津波にも流されず残った松に鳥がとまっているとなる
そこに平和が戻ったともなる

結局俳句は写生である、一見つまらないようでも写生にすると真実を感じる

無人駅虫の音しげく二人かな

秋の灯や二人待つなり無人駅

無人駅に二人だけが電車を待っている、ただそこには虫の音だけがしげく鳴いているとなる
二人はその虫の声を聴いている、あとは誰もいない、人がいないというとき自然を感じる
人がいないというとき、自然が活きる、ただ人がいないということはまた経営的には問題である
それなりの人がいないと成り立たないからだ
でも東京のようなぎゅうぎゅうづめの混雑は嫌である
もともと人と接することが嫌で引きこもり化したのが自分だからである
ただ乗り降りもない駅がありそこで虫の声だけが聞こえて来る、それも変である

とにかく久ノ浜はいい場所である、それは海と接して街があるということである
そして砂浜があることがいいのである、この砂浜が今やなくなっているからだ
四倉にも大きな砂浜がある、だから相馬地域は砂浜がないので魅力ないと見た

ただ今回何か足が腫れあがった、歩いていてそうなったのか?
前にもあった、それは座っておしつけた結果であった、今回と歩いてそうなった
結構な距離を歩いたからである、それで押し付けられて腫れたのかもしれない
まず自転車だとこうはならない、歩いたため地こうなった
歩きなれていないからだともなる、足を何かで圧迫したのである
これは直るのに一週間くらいかかる、歩けなくなるので苦しいとなる
体力が落ちたことは確かである



2020年10月05日

秋鴎、虫の音、秋の海(久ノ浜の秋の短歌十首と写真)

                    
秋鴎、虫の音、秋の海(久ノ浜の秋の短歌十首と写真)

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一段と低くくなっているのが前の道である

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遠くに見えるのが原発の煙突

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つわぶきが自生している、これは秋に花が咲く

この辺は照葉樹林帯でありあたたかいから自生している

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海から昇る月が街なのかにでる、それが赤い月なのである
だからここは海と一体化した街なのである





久ノ浜旅人一人秋かもめ

秋の海連隊飛行鴎かな

無人駅虫の音しげく夜になる 


久ノ浜砂浜歩み流木の形を作り秋の日暮れぬ 

久ノ浜波音ひびき砂浜を我が歩みつつ秋思に暮れぬ

波立の巌に波の飛沫けり沖に船行く秋の海かな 

波立の巌に秋の日さしにつつ波打ちしぶきさらに固しも

久ノ浜巌につわぶき密なりき照葉樹林や秋の日さしぬ

秋の陽は山に没りにしあわれかな砂浜歩む久ノ浜かな

波立に波打ちひびき秋の海鴎三羽連なり飛び去る

久ノ浜老女のあわれ虫鳴きてこの松の育つ歳月思ふ

ひさびさに久ノ浜に来て秋の海波音聴きて我が帰るかな

無人駅一人のみ待つ人のあれ電車を待ちぬ秋の夜かな

海よりし十五夜の月や久ノ浜路地裏の路にい出にけるかな

乗る人もなき駅なりしただ虫の声しばし聞こえて去りにけるかな

十五夜の満月車窓に望みつつ全線開通常磐線かな  
       

久ノ浜は砂浜があり街が隣接している、この砂浜が貴重だと見た
なぜならここからは相馬藩内になっても砂浜がないからだ
一部わずかにあるにしろほとんど砂浜がなくなった、四倉の浜も砂浜が広い
それでその広い砂浜が津波の干渉地帯となり意外と街が被害がなかったのである
だから津波に有効なのは土手であり砂浜であれ緩衝地帯が必要なのである

だからなぜこんなに津波の被害があったのか?

もしかしたら自然の地形が変わり緩衝地帯の砂浜などが消失したかもしれない
直接海に接していたら危険である、自然の状態だったら広い緩衝地帯がありそこには家は建っていないということがあった
仙台の若林とかでもともと海だったところに住宅地にしたから被害が大きくなった
つまり人間は文明が発達すればするほど自然を侵害してしまい、それが災害に弱くなったのかともみる
四倉は別に高い土手はない、でも広い砂浜があり津浪の緩衝地帯になって被害が少なかった

久ノ浜は観光ではいい場所である、砂浜があるからだ、それと波立の巌がありあれがいい
ただ前は岩礁地帯がありそこに海の生物を見ることができた、何か今回は荒く波が打ち寄せて見えない、津波で変わったのかもしれない
この辺は磯とか岩礁地帯がほとんどないのでここが貴重だったのである
そこで熱帯魚などを見たことがあるからだ
海があっても岩礁地帯とか浦とか入江がないと自然景観としては良くない

それで津波で一時八沢浦が本当に入江になったことほど驚いたことはない
もともとそこは海であり入江だったのである、明治になって干拓されて田んぼになったのである、日本でぱ土地がないからどうしても海側でも土地を求めて干拓しているのである
この時十五夜の満月が久ノ浜の街の路地の道に出ていたのもふさわしい、この街は海と一体化しているのである、だから津波の被害にもなった
ただここが砂浜があるのでこの辺の海とは違っている
次はは四倉の方に回ってみたい、浜街道を行くのである





2020年10月04日

秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)


秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)

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白富士は富沢酒店の酒なのである

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倉だったのを店にした、いつの時代からなのか?

薬剤店にしても字が古いのである、だから古いのかとなる

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初発神社とある、他に妙見神社があるのは相馬らしい

ここに記された奉納者の姓なども歴史を語るとなる

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ゆっくりと電車を待つや秋の蝶

朝顔や数人待ちし駅舎かな

みちのくや車窓に望む秋の山

・・・・・

(双葉町)

石の倉街中人無く秋柳

石の倉街に人なく秋柳

双葉なる古き店かな秋柳 

秋日さし石の倉の店古きかな

人も無く飲み屋もあわれ秋の暮  


久々に電車を待ちて遠く行く秋となりしも旅心湧く

双葉町人の営み絶えにけりかすかに鳴きぬ虫の音聴きぬ

この道を行く人なしやあわれかな石橋わたり秋の日暮れぬ

街中に石の倉あり店屋かな秋の日さして人気なく暮る

辻曲がり妙見の社奉納者の名前刻まれ秋の日暮れぬ

この街に暮らしはつづく今はなし秋の日影に裏の道歩む

草むせし家の跡かな人住まぬ虫の音幽か聴きつ帰りぬ

駅前の通りに銀杏色づくも人は住まじもロケ地に似るかな

その道をなつかしみ行く人影の見えてあわれや秋の日翳る

出会い橋なつかしみ行く人影や柳しだれて秋のくれかな

津浪にも残れる松や根付きけりここを離れじ秋そ深まる


双葉町は私の父親が酒造りの店で働いていた、葛尾村からでて丁稚奉公したのである
そのことを聞かされているからそれで親しいものを感じていた
でもそれほど行ったということではない、何か見るべきものもなかった
ただ姉が銀行があったとしてそことで遊んだとか良く言っていた
銀行があるということはかなりめずらしいことだったのである
それは戦前であり大正時代にもなる

今の富沢酒造店の脇にあった、ただそれは戦前に倒産した、その後暖簾分けここに来た
そして同じ店で酒造りしていた人がいて戦後引揚者として鹿島に来て小池に開墾して入った人を知っている、その生活は極貧だったろう
ただ私の家で店をはじめたから玉子買いに良く行かされたのである
そこには確かに今は開拓の記念碑がある
ただなぜ小池というと街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
この戦後引揚者は本当に多い、津島とかは集団で入って開墾したから仲間意識が強いというのもわかる、相当な苦労だったからである、飯館村の木戸木もそうである
あんな不便な所でも開墾に入ったのである

いづれにしろそうしたことをじかに知っているので双葉町に親しみを感じていた
ただその割にはそんなに行っていない、それが立ち入りが禁止されたか解除されたので行ってみた、そこは本当に廃墟の街、ゴーストタウンだった
小高とかも一時ゴーストタウンになった、浪江町でもそうである
でも何か双葉町はまた違っていた、それはずっと街の規模が小さいということもある
だから街全体が歩ける範囲にある、そして街中に川が流れて石の橋がありそこが出会い橋とか名付けられたりしたところが新山橋のあるところが印象に残った
そこから富沢酒造り店に通じている
何か相当にさびれた感じになる、それもそのはず十年ももう人が住んでいない街なのである

そこはまた映画のロケ地のような感覚になった、でもそこは作られたものではない現実の街だったのが違う、こういうふうになった街はそんなにないだろう
そもそも古代から人が住んでいたし江戸時代も相馬藩内になっていた
だから野馬追に出る侍もいたとなる
小高に行ったときは人が住んでいる時でありこんなふうに感じなかった
浪江でも住んでいる人がいたのである
ここは人が住んでいないのである、まだ住めないのである、そこが違っていたのかもしれない、だから人が住まなくなった不思議を一層感じたとなる 

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橋にはいろいろある

幽霊橋 思案橋源助橋乞食橋 相引橋、・・・・

江戸の橋は時代劇に映る小さな橋である、無数の小さな橋があった、幽霊が橋に出るという時、何か柳がしだれていて真っ暗になれば幽霊が出る感じになる
その時電気の明かりがないのだから不気味だったとなる
相引橋というとき本当に橋を目印として男女があっていた、思案橋なども橋で良く思案していたとなる,当時の橋は人間的だったのである  
乞食橋はそこに乞食がいたから名付けられたのだろう、乞食は本当に多かったからだ

今は橋は車が渡るものであり人間が渡るというより物を運ぶ橋なのである
要するになんでも機械化すると人間的なものがなくなるのである
ただ物と機械だけの世界になり人間がいなくなる、人間を感じなくなるのである
鉄道の無人駅でもそうである、改札でも機械でしているからである

ただ橋には何か情緒がある、それで近くの落合橋のことを語ったのである
つまり人が落ち合う橋としてあったからだ、ただ下になると橋は大きくなりそこで何か出会うとかならない、橋が大きくなると人間的でなくなるのだ
だからここの出会い橋というのは小さい橋だから人間的なものを感じたのである
別にこういう橋はどこにでもある、ただ人がいなくてったので不思議な感じになったのである   


2020年10月02日

無人駅の久ノ浜駅で私が経験したことと同じだった (無人駅の案内でたりないものが改善されていない)

無人駅の久ノ浜駅で私が経験したことと同じだった

(無人駅の案内でたりないものが改善されていない)

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原町駅

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双葉駅ほここから海が見える

今日は双葉を見て回り久ノ浜に行った、久ノ浜は無人駅である、そこで30分くらい待っていた
それで私が無人駅ボランティアしたことと同じことを経験したのである
私は良く乗客に聞かれたのである、上り下りの線があっても仙台行きがどこなのか
またいわき行きがどこなのかわからなくなるのである
それは表示がないからである
それで私は階段と駅舎のある反対側の待合室にどちらに行くか表示した方がいいと言ったそれが外からの人がわからないからである
また無人駅だからここで乗ったという証明になる切符をとりだすのがわからないのである
はじめての人にはわからない!

すると聞く人もいないので困るのである、それも最初は地元の人に聞かれたのである
だから教えていたのである、それでも地元の人はそういうことがわかってくる
でも外から来る人はわからないのである
ここに無人駅の問題があった、地元だったら無人駅でもさほど困らない、だんだん慣れてわかってくるからである、でも外から来た人はわからない
外から遠くから来た人はちょっとしたことがわからないのである
地理でもすぐ近くでもわからないということを誰でも経験している
だから地元の人に聞くのである、ただ人間だと親切に教えないのである
だからスマホを見ているのである
もし親切に教える人がいたら直接聞いた案内してもらった方がいいとなるのだ

私はそこにいた人が一人いたので仙台行きがどっちの側なのか聞いたのである
でも聞く人がいないと不安になる、なぜなら単線の場合があり必ず線がどっちになるか決まっていないときがあるからだ
だから外から来る人はちょっとしたことがわからないで戸惑うのである
その時聞く人がいなと不安になる
もし番線が間違ったら困るからである、何か昼間だと12時ころなのか4時間くらい電車が来ないとなっていた、今ローカル線はそういうのがあり困るのである

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これは私が言ってJRの人が設置したのである
だから言えばJRでは要望に答えてくれる
でも何も言わないと久ノ浜などの駅のように改善しないのである
だからJRが客の要望を聞かないということはないのである
お前みたいな門外漢は言うなとはなっていない
とにかく嫌でも設置したからである
他ではそんな無視することがある、原発はもう絶対に何も聞かない
何も知らないお前は口出しするなで終わりだからである


とにかく私は駅長とか水戸管理局の人が回ってくるので言ったのである
仙台行きといわき行、東京行きの表示をしてくれとそうしたらしてくれたのである
ただこれは要望しないとしてくれない、でもそれは最初は地元の人でも遠くの人でも困っていたことだから私だけの問題ではない、みんなの問題であった
だから要望すればJRではしてくれたのである
今日も駅のホームの反対側の待合室の板がはがれていたので直すようである
水戸管理局の人が常に点検している、でも何が困っているかそうして点検する人もわからないのである、私はいつも駅にいたから良く聞かれたから言ったのである
駅の改札する入り口の向かい側の待合室に仙台行きといわき行の表示をすればいいと言ったらそのようにしたのである

これはどういうことなのか?

私は駅長など煙たがられた、嫌がられた、何でお前が一人そんなことを言うのかという感じだった、でもそれは自分一人だけのことではない、みんなが困っているからそう言ったのである、そしたら改善したのである

まず普通何か要望しても一人だったら答えない、そんなのは無視される
でもそれはみんなが困っていることだからそれは一人のことではなかったのである
ただ何も言わなければ何もしてくれない、すると地元の人でも外から来る人でも困るのである、外から来る人はちょっとしたことがわからないからだ

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ここで乗ったという証明書がでる、あとは降りた駅で清算する

私は無人駅で乗った証明書が出る機械のことを知っていたからそれはできた
でもはじめての人は気づかないのである
地元の人は慣れてくるばわかるが外から来る人は慣れていないからわからないのだ
第一今や車社会で鉄道の乗り方すふらわからなくなっている人がいるからだ
だから頻繁に利用していればわかる、利用しないとなんでもわからなくなるのである

こういうことは原発にも言えたのである、原発がすぐ近くあったのだから中を見せて説明してくれとかなんとか言いたくでも言えなかったのである
これが大問題であり大事故になってとりかえしつかなくなった

それが爆発したりしたらどうなるのですか?

そんなことは絶対ない、だから何も言うな!

これで終わりである、だから駅のことに鉄道のことに口出しするなというと同じなのである、そういうことは今の社会に多すぎるのである
それぞれの専門分野がありそこには立ち入ることも何か聞くことすらできないのである
結果的に大事故になったり利用者が不便になったり困ることがあってけも放置されるのである
ただ久ノ浜駅の問題は誰も要望しないから案内板が設置されないのである
誰かが言えば個人でもJRでは設置する、それは私自身の経験でわかる 
久ノ浜駅では誰も言わないから設置されないのである

2020年10月01日

一五夜の満月(川子の溜池)


一五夜の満月(川子の溜池) 

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カシオの月の満ち欠けを示す時計では完全な満月になっていなかった
明日が完全な満月なのである


十五夜や電車の行き来平常に

十五夜や一人守りぬ広き家

一五夜の満月光り実りかな

秋の雲溜池に映し鯉沈む   


溜池の水面にいくつか波紋かな川子の村の秋の夕ぐれ 

秋の蝉声の聞こえずあわれかな季節のすすむははやかりしかな


「十五夜の日は満月」という認識の方も多いかもしれませんが、実は満月は1日ずれることも多いんです。実際、2020年の十五夜は10月1日ですが、満月は10月2日になります。何故なのでしょうか?

それは、月は必ずしも15日ピッタリで新月から満月になるとは限らないから。時期によって13.9日015.6日と大幅に変わります 

時計で月の満ち欠けがでるのがある、確かにわずかに満月ではない、明日が完全な満月である
目測では満月に見える、でも機械の方が今は正確である、目測は誤る、とうしてしも満月にしか見えないからである

川子の溜池を写真にとった、それをどう撮ろうかと工夫する、その前にいろんな角度が撮ってみる、するとその中にこれはいいなとして選ぶのがいい、写真にとってみないとわからないからである
ここはいつも通る道だけど良く見ていなかった、人間はとにかく近くでも良く見ていないのである

ここに鯉がいたこともわからなかった、蛙はいる、何か波紋が静かにいくつか広がる
それが神秘的である、日本には溜池が多い、それはやはり自然ではないが沼のようになっているのだ、この写真だと溜池が村の中心のようにも見える
溜池があって村があるとなる

一五夜の供え物はしなかった、彼岸があり墓参りして花をさす、そういうことを一人でやるのが結構手間なのである
ときもかく季節は常に変わりもう今年は秋が早くすぎて冬になるかもしれない
もう秋の蝉の声は聞こえなかったからだ




2020年09月30日

コスモス、秋の雲(真野川の土手の道の写真) (真野川の鮎は放流されたものだった)

                                  
コスモス、秋の雲(真野川の土手の道の写真)

(真野川の鮎は放流されたものだった)

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落合橋

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クリック拡大- パノラマ

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クリック拡大-彼岸花

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小池から小山田へ抜ける道

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小山田へぬける道
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ここは二カ所から水が湧いて流れている不思議



落合橋昔を語り秋の雲

落合橋老人と語り秋の雲

我が感ず一粒二粒秋時雨

里の道親しく通う秋あざみ

秋薊この地に生きて老いる女(ヒト)

秋燕もはや去りなむ里暮れぬ

隠されし小径や暮れ虫の声

この道や立ち枯れ木に秋の雲


夏菊にコスモス咲き満ち日は暮れむ土手の道にし語る人かな

溜池に静かに映る秋の雲一人のみ行く細道暮れぬ 

何か落合橋というのが名前が良かったとなる、場所もいい、でも今日会った人は真野川の漁業組合に入っていた、それで鮎は放流したことがわかった
それは県から頼まれて金がでて放流した、その人も真野川の漁業組合に入っていたがみんな年とって死んだとかやめたといっていた
組合員だと5000円とかとられると言っていた、でも鮎を放流すると百万くらい県からもらえるとかその金も組合員で分けるとか言っていた
何かこうして川でも組合を作ると利権になる、百万は使わないからである
むしろ使わないようにすると言っていた
その人の言っていることは間違えない、前の人は新しく移り住んだ人であり前の人も知らないで言っていた、だから何か情報というのは何人かに聞かないとわからない
一か月前頃に鮎が群れて上ることはありえないからだ
それは県から頼まれて放流した鮎だった

その人は80以上になっている、それで川でナマズをとって売っていたとか言うのも今になるとそんなことしていたのかと不思議になる
まずナマズはいない、川にはカジカも見ない、震災前は一応鮎釣りをする人がいた
小さい鮎でただ釣りをして楽しむというだけである、それは釣っても放したりしていた
でもナマズを売っていたというのは前に鰻を天秤でかついで川俣まで売りに行ったということを90才の人から聞いた、川俣まで歩いて天秤棒かついで行けるのか?
あの八木沢峠を越えられたのかという不思議である、ただ鰻は金になったことは確かである
その頃川俣は絹織物で有名だから金持ちがいて高く買ったとなる
江戸時代は天秤棒を担いで物を運んでいた、それも歩いてだから大変な苦労になる
そういうこがイメージできなくなっている
ただ子供の頃、鮎は大きかったし鰻もとれた、ナマズもいたのである
今になる信じられないとなる、日本の川から何か魚が消えている

ただニュースで海の魚は放射性物質のセシウムを排出する、でも川魚はそれができない
それでセシウムなど蓄積されると研究発表があった
それもなるほどと思った、川魚は食べるなと警告したのはそのためだった
ただ上流には山女がいた、それはまだ見られるだろう

この辺で近くでも神秘的な場所がある、それは小池から小山田にぬける細い道である
そこは細い道であり神秘的である、そこで放射性物質の除染をしていたが終わっていた
来年の三月までかかるということが書いてあったがそれはこの溜池ではなく南相馬市の全体の溜池の除染が来年の三月までかかるということだった

この道で不思議だったのは道に水が流れている、でもこの水は雨が降ったからではない
二カ所で水が下から湧いていたのである
湧き水が流れていたのである、するとこの下に地下水の水脈があるとなる
でもこんなところに湧き水が生じたというのも不思議である
自然の不思議がある

何か急に秋めいて寒い感じになった、それで昨日だったか秋時雨があった
早いとなるが確かに一粒二粒手の方に感じたのである
それは自転車に乗っているから感じた、車だとこうした自然を感じない、風も雨も感じないのである

とにかく真野川の土手の道は散歩にいいし自転車で行くのにもいい、そこで写真をとった写真はいろんな角度から数をとることである、その中にいいものがとれているとなる
彼岸花も咲いていた、やはり広角でとれるといい、全体の景色がとれるからだ
急に秋になり冬にでもなる感じになった、季節感がおかしくなった、それはすでに十年くらいつづいている


2020年09月28日

秋の夜、虫の音(亡き家族を偲ぶ短歌20首) (愛は消えず死者も生き続ける)


秋の夜、虫の音(亡き家族を偲ぶ短歌20首)

(愛は消えず死者も生き続ける)


(母を偲ぶ)

夜の更けて厨(くりや)に一人かたずけや幽かに虫の鳴く声聞きぬ

我が母の厨に長く働きぬその日を思い虫の音を聴く

窓の外に月は傾きうつりゆく虫の鳴く声幽かに聴きぬ

我が家に嫁ぎてあわれ母なりき虫の音幽か厨に聞きぬ

我が母の悲しもあわれ今にして偲ぶや窓に月の見ゆかな   

我が母のしもやけ哀れ厨にそ苦しくもあれ長くありしも  

(姉をしのぶ)

姉と母もの言わざるもなほ我を見守りあらむしのびけるかな

姉と母消ゆるにあらじ悲しかな我を見守りここにしあらむ

我が姉の誇りにせしや柱かな死して我がよりしのびけるかな 

争そうも憎しみは消え三人が深く結ばれ離れざるかも

ほがらかに笑う姉なりこの家に力を与えて我は育ちぬ

(父を偲ぶ)

我が父のこの土地買いぬ苦労かなあしき土地しも尊きものかも

我が父の酒屋の丁稚に勤めけりその苦労に建てし家を思いぬ

遠つ祖(おや)苦労のありて今の富ありしを知れやおろそかにすな

(兄をいたむ)

我が兄の悲しかりけりその痛み思ふがゆえに墓の建てしも

(家族みな逝く)

我が家族みな逝きにけり我一人供養し守る秋の夜ふけぬ

我が家族死してもなほも何をかを語れるものや秋の夜ふけぬ

もの言わぬ死者にありしも残される者の語りて生きるものかも

雨しとと彼岸のあとに我が一人花をさしつつ墓に偲びぬ

人死して偲ぶやあわれうつる時面影浮かび秋の夜ふけぬ

我が家族悲しむものは我が一人世は冷たくも偲び悲しも

冷たき世家族のなきを悲しかな我には深き愛の思い出

人の世の別れし悲し逢わざりき愛に結ばる人は離れじ

悲しみて熱き涙を流せしを愛はたやすく消ゆるにあらじ

人死してもの言わざりしもなほ愛の通いて深く結ばるものかも

この家に我ははぐくまれその日々やかえらざりしも愛は通いぬ



人間は死んでみてまたわかることがある、姉が死んで10年も過ぎたのも早い
次に母が死んで3年以上過ぎた、たちまち時は過ぎる
でも不思議なのはこうしてやはり死んだ人でも思うことである
死者は死んで確かに形姿は消える、でも何かがやはり残っていると感じる
それは何なのか、そうでなければ人は何も思わないだろう
それはやはり家族は愛で結ばれているからその愛が残っているとなる
愛は依然としてそこに残り通じているとなる
ただそれは見えないのである、でも見えなくても何かが通じている
それが愛である、愛は人を結びつける、だから死んでも消えないのである

私の家の場合は特殊であり60年間一緒にいた、それも普通の家族ではなかった
憎しみ合う家族でもあった、でもそうであっても60年も一緒にいれば憎しみも愛に変わっていたのである
私は特に良くされた、こうして家族への思いが深いのはそのためである
そうでなければこうはならない、結婚したりしたらまた別になっていた
60年間私の世話をしてくれたのである、だから楽だったのである
そういう特殊な家族故に忘れられないとなる

ただ不思議なのは母のことはあまり思っていなかった
第一母はこの家に嫁ぎたくなかったのである、でも前の夫が事故で死んで仕方なく嫁いできた、子供の時は継母に育てられ不幸だった
そのあとも不幸があった、だから嫁いできても必ずしもここがいいとは思っていなかったのである、それは仕方なく嫁いできたからである
そしてずっと90過ぎても厨(くりや)に台所仕事していたのである

それで奇妙なのは今度は一人になり自分自身が食事の用意のために厨に立って料理をする家事をする、その時母のことを偲んだのである
つくづくこれもカルマだった、そこで母の気持ちを理解する
店をしているとき常に食事中でもお客さんが来て立っていた
それが嫌だった、でも今になる自分が必ず食事中に何かたりなくて台所にゆく
だから必ず食事中でも立たざるを得なくなった、だから人間は特に親のカルマを受け継ぐ親と同じ苦労を強いられるのである、そうして親の苦労を知るのである

とにかく何か家族にはそれぞれ違った物語があり複雑である
だから他人の家族は理解するのがむずかしいのである
自分の家族を理解することはできないだろう
母親が二人いたともなるからだ、家族とは何か必ずしも夫婦がいて成り立つとも限らないまた家族でも親子で愛し合うともならない、兄弟でもそうである
遺産争いで絶縁したなど良くある話である
それが人間の残酷さである、たいだいは「金の切れ目が縁の切れ目」である
そうしてみんな去った、金になるかならないいかしか見ないからだ
そうなると人間は本当にはかない、死んだら何の関係もないとなる 
ただこんなに人間関係が冷たくはかないということは実感しなかった
だからこそ余計に愛ある家族を思うようになったとなる

ともかく愛で住ばれたものは簡単には消えない、ただ家族の愛でもやがては消える
消えない愛は神への愛なのである、それは永遠なのである
ただこの世では家族の愛が一番の愛なのである

とにかく人間は親を偲ぶというとき代々つながりを自覚する、今あるものは先祖によって作られたものでありそれを自覚して感謝する、だから原発事故とかで故郷が消失したときそこに失われたものはこうした親とか先祖とのつながりになる
それは普通は自覚しないからだ、人間は何か失ってみて深く自覚する、生前はあまり感じないのである
死んでみると惜しいとか深く思うようになる、何が価値あるものか生きている時わからない

生きている時ただ金だけだとなる、死んでもそうなる人もいる
遺産だけが目当てだともなる、それは人により家族により違っている、それだけ人間関係は家族でもそれぞれであり複雑だからそうなっているのだ、ただ死んでから死者を偲ぶということは深い愛があってできることだとなる
なぜなら生きている時なにか装うことができる、金のためでも親に孝行したりする
でも死んでから何も感じない人もいる、金にならないからとなり関係もなくなり関心がなくなるからだ
一般的にはそうなるのが多い、でも私の場合は特殊な家族で家族への思いが深くなったのである


2020年09月20日

虫の音(夜に相馬市まで行く)


虫の音(夜に相馬市まで行く)

山鳩の二羽来たりぬ実りかな

秋夕焼け六万石の城下町

秋柳田町通りの飲み屋かな

秋の灯や職人の家や城下町

虫の音の松にひびきて夜のふけぬ   


夜の道長きや虫の音聴ききにつつ我が帰り来ぬ相馬藩かな


今日は何か月かぶりで5時ころ相馬市に行った、何か暑いとかまた曇っているとか雨とかで行けなかった、やっと涼しくなったので夜に行った
月もでていないから情緒はなかった
でも夕方に秋夕焼けになり夜になり虫が鳴いている
街道の松並木の松は見えないが虫はその松に鳴いている
松は見えず沈黙しているが虫の音を聴いているのである

相馬市だと原町の倍の距離があるから長い、夜の道を虫の音を聴きつつ帰って来た
これが車だと虫の音も聞こえない、全く無視される
ただゴーンと飛ばして去ってゆくだけである
つまり車は自然にやさしくないしまた自然に溶け込まないのである
人間は自然と一体化するとき人間もまた自然の中で映える
たいがい鳥でも何でも自然の中に溶け込み映えているからだ
人間だけ自然と調和しないのである
相馬藩というとき一つの歴史的地理的国だとなる、その中を行き虫の音を聴くとなる
一匹一匹の虫の音を聴く、それはまた人間でもある
狭い範囲だったら虫の音も聞けるとなるからだ

山鳩が二羽くる、そこに今実りの穂がたれる、その時平和がある
鳩は平和の象徴だからである、だから原発の避難区域では田んぼが荒地になって実りがない、それが荒寥としたものを感じる

いづれにしろ相馬市は六万石の城下町である、だから何か目立ったものもない、城さえないが違っている
原町とは感覚的に全く違っているのである、ただそういうことは外から感じないと思う
どこが違うのかとなるからだ、何かそういうことがある
そこに住んでいないとそうしした相違がわからない  
田町通りの柳は大きいからいい、すると何か老人が飲み屋に集まり話しているとかイメージする、でもあそこは新しくなったから路地裏の飲み屋ととは違う雰囲気である
ただ秋柳というとそういうイメージになる

何気ないところにいいものを発見する、見慣れた風景が実は他にないものを感じる
それで真野川の落合橋のことを写真にしたりしてそこで語る人がいたことを昨日はプログに書いた
でもここに住んでいてあそこに何か特別なものがある、何か詩的なものでも美的なものでも感じるものがあるとは見ないだろう 

ただどこにでもある橋としか見ないだろう
とういのは自分自身が最近までこの橋に注目していなかったからだ
すでに老人になりその橋はいつも見ていて通っていたのにそうなのである
ただあそこで鮎が上ってきて見るようになったりしてあの橋は何かいい橋だなと見るようになったのである
だから人げは近くでも何か感じない、ありふれたものでありそんなものが特別だと見ないのである 
それで常に遠くに憧れて遠くに行く、でも近くは見逃しているのである
それは自分自身もそうだったからである

2020年09月19日

真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人 (釣りする人が本当に多い)


真野川の落合橋であった釣り好きで料理人だった人

(釣りする人が本当に多い)

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真野川-落合橋

真野川の落合橋で何をしているのか川をみている人がいた、鮎の群れを見ていた
その人は相馬市から来た人であり新しい住宅に住んでいる
この辺では前は磯部の人とか知っていた、津波の被害者であり家なくなったのでこっちに建てた、とにかくだから知らない人が増えたのである

その人は近くの前ら住んでいる人を釣り仲間である、その人もかと知って驚いた
本当に釣りする人は多い、そんなにいるのかというくらいである
この前はシシドスーパーの復興団地に住んでいる人も何もすることがないので釣りをしている、遠くまで車で行っている、それで大きな平目カレーをもらったことがあった
これは大きいものだった、こんな大きなものが釣れるのか、これを引き上げるのは大変だと見た

私自身は釣りをしない、でも釣りをしている人は何か自然の中にひたっている感じになり時々サイクリングして話かける、釣りのことで話すると自然のことを知ることになる
私の父親は年取ってから仕事もせずに魚釣りしていた、鮎もとっていたし鰻もとっていたその頃の鮎は大きくうまかった、オカズになっていたのだ
戦後の何もない時代だからオカズになっていたのだ
鰻はミミズを棒に入れて田んぼの畦でとっていた、でもあまりついていって釣りに子供のころ興味がなかった、でも今ふりかえるとそうして鰻を釣るということは不思議である
今は鰻はとれないし鮎も見ないのである

ただ今回落合橋の下の流れに鮎の群れが大量に見えたし跳ねるから気持ちがいい
鮎がいると石の苔を食うから石がきれいになると言っていた
この鮎はここに産卵に来たとか言っていた、ここの流れはきれいである
去年の台風で流れが変わりそれで水がきれいになったともみる、鯉もここにいた
ただ新田川で鮎の稚魚を放したとかも言っていた、そうした鮎が今年はこんなに上ってきたのか?その理由がわからない、その人は川を観察して鮎は何匹かみかけていたという
ただこんなに多くの鮎が今年だけでありそれは一か月前くらいからなのだ
だからなぜこんなに鮎が上ってきたのか理由がわからない
放射性物質の汚染で川の魚は食べるなと言われていたしそれから専門の人が常時ここの水質とか生物とかを検査していた、だか最近は見ないのはどうなったのか?
10年もすぎればやはりもうそんなに気にしなくてもいいのかもしれない
ただ川の放射性物質の汚染がどうなったのかわからない

本当に釣りは奥深い、それは自然が奥深いからである、海とかを知るには魚釣りがいい
何でも魚を釣れないことも釣りだとしているのもわかる
何か釣りすることは自然に溶け込むことだからである
だから海で釣りする人と時々話したりする
一瞬魚が海ではねたのを見た時感動した、トビウオがはねたのは与那国島に行った時見たあの跳ね方は醍醐味がある、まさに飛ぶ魚である、でもここの海で魚をはねたのを見たのははじめてである、めったに魚がはねるのは見れない

人間は意外と田舎に住んでいても自然のことがわからない、第一田畑でも実際にそこにかかわらないとわからない、私が畑で野菜作りする女性を援助したのはもともと農業を知りたいということがあった、それで実際に聞いてそういうものかと知った
私が自然とかかわるというとき実際の農業とか漁業とか林業を労働でかかわっていない
それをしないのは疲れるからである、まず頭脳労働になると家事でもそうだけど他のことができなくなる、それで疲れて考えることすらできなくなるからだ
人間は何でもできるわけではない、こうして文章を書くだけ疲れると他のことができなくなる

ともかくいろいろな人の話を直接聞くことは知識を広げることである
ただみんながそういうふうに話をできない、小高の人のことを書いたがあの人は話しがうまかったのである、今日あった人も話ができる人である
とにかく魚屋でありプロの料理人だから魚の料理の仕方も知っている
その他の釣りしている人とは違う、料理人から直接話を聞いたことははじめてである
料理は自分てしてみると何か用意するだけで疲れる、それだけ何か様々なものを使うから化学の実験みたいになり何か疲れるのである、そのあとかだつげでも手間なのである

釣り道具屋がかならずありそれが商売になるのはそれだけ釣りを趣味にする人が本当に多い、海がある場所では特にそうなる
なんでも沖に船をだして釣りするのはいやだとその人は言った
なぜかというとここで釣れと決められるからだという、自由がなくなるからだという
つまり釣りする場所も自分で発見してゆくことがありそれが面白いとなる
そこで穴場を発見するということもある

いづれにしろ釣りは自然が相手だからただ釣りするだけではない、釣りしない時間でも釣りなのである、何も釣れなくても釣り自体が自然に溶け込むことなのである
私が釣りをしないのはそれが手間だし時間がかかるからである
私は自転車で移動するのが好きだからじっとしていられないのである
人間は何でもできない、写真でも最近いい写真を撮ろうとしてレンズも買った
でもこれもまたレンズが高いとかこったらきりがなくなると思った
人間そんなにいろいろなことはできない、ただ釣りは自然を知るにはいいのである
畑はめんどうてありかなりの労働になる、釣りは自然を楽しむという感覚になる
それほどの労働とは見えないからである

釣りをして哲学者になった人もいるということはそれだけ釣りは自然とコミットするものだからそうなった、結局暇な老人が増えた時、釣りする人はもともと多かったからさらに多くなったとみる、あの人もしているのかあの人も釣りしているのかと驚きである
パチンコしているよりはいいとなる
私自身は釣りはしないが釣りのことを魚のことをもっと知りたいとなると釣りのことを知ることはそうしした知識を深めることになる

鮎のことで忘れられないのは新潟県の小出で魚野川が前を流れていて大きな鮎が群れて泳いでいた、そこの食堂に入ったら大きな鮎の塩焼きを食べた、それも高くはなかった
その味がよかった、あとは鮎は子供の時に父親がとってきたのを食べたのを覚えている
でもその後は鮎は食べたこともない、それで久慈川に行った人に鮎を買ってきてもらったがうまくなかった、どうも養殖の鮎だったらしい
今はこの養殖の鮎が意外と多いのである、養殖だと大きくなるからだろう
でも鮎は養殖だと味がない、何か熊野で上流で鮎をやいたのを売っていた
それを食べたが本来の鮎の味はなかった、それも養殖だったからだ
なぜなら観光客だと相当な数を出すからそんなに天然の鮎だったら数がとれないから養殖なのである

次々に鮎の跳ねたり落合橋話のはずむ釣りのことかな

落合橋は落ち合うというようにあそこで話するのに向いている、前あそこで話したことがあった、その下の橋になると大きくなり水がきれいに流れていないのである
あそこは話しするのに向いていいなのである
あと土手の道の木陰の道も散歩する人がいて話しするのに向いている
自然の中で話しすると何か話しがはずむのである
その人はプロの料理人だからその方面の話を聞けば料理についても理解が深まる
あの人も結局暇な老人である、こうして暇な老人が増えたのである
そういう人が何しているかというと釣りしている人が本当に多いのである
また勤め人でも釣りを趣味にする人は本当に多いのである



2020年09月18日

松と倉のカフェー金沢の一番星の秋



松と倉のカフェー金沢の一番星の秋




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奥に蔵が見える

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揚羽が飛んでいる

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揚羽来て我が休めるや松と倉

松に倉季節変わりてうろこ雲


秋の蝉ここに鳴きにき我が命残れる時を惜しみて聞きぬ  


何か観光課の人が一番星の庭を撮影していた、観光課だから宣伝するためなのだろう
あそこは野馬追いにも出ているとすると古い農家である
だからあれだけの広い庭がある

あそこは入り口に松がありそれがいいのである
そして蔵がある、それで松倉となる、そういう苗字もある
一番星というのは似合わない、ここの特徴を現していないからである
命名にもセンスが必要だとなる
何かこれからの時代、センスが必要になる、観光だってそうである
何かを発見するセンスが必要である、花屋のことでもセンスが必要だと書いた

これからの時代は何か芸術的センスとかが必要になる、つまり確かに食べる料理も大事であり基本である、でも何かハードの時代からソフトの時代に移行している
建物でも頑丈に作るハードの技術が基礎になる
でも豊かな時代になると装飾にこるとか家具を選ぶとかなる

だから喫茶店とかでも景色のいい場所にあるといいのだ
ここは景色がいいというわけではないが広い庭と松があるから目印となる
ただ原町には海が見える場所に喫茶店があればいいなと思っていたが何か津波の危険があり建てられないとか言っていた
でも海が見える場所にあってもいいとなる

前はカレーでも1000円近くしていたが500円では安い、丼物も500円である
あういう所は普通は高くなる、場所代で高くなる
安くしたのはなぜか?やはり人が入らないからかもしれない
テイクアウトもしている、ただ三種類くらいしかない
あそこは近いから気軽によれる、息抜きにはいいとなる
相馬市はずっと行っていない、暑くて行けない、今日もむし暑かった
まだ残暑である
でも空にはうろこ雲が出たから秋でもある

写真でわかったことはとにかくいろんな角度から多角的にとってみることである
松と蔵が偶然に一緒に映っていた、まさに松倉だとなる



      


2020年09月16日

虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)


虫の声、夏菊、コスモス、実り(ようやく秋となる)

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陽の昇り朝や実りに露光る
                                             
障害者ここに住むかな虫の鳴く

秋の蝉近くの墓地にひびくかな  

墓地ありて先祖見守る実りかな
 

行き来する落合橋や夏菊にコスモス咲きて季節移りぬ                                                  

のうぜんのあまた咲きしも遂に散り一輪残り秋となりしも

近くにそ鳴きにし虫の数匹やその声の今日も我にひびきぬ   

夜通しに虫一匹の鳴くその声を我は聞きつつ眠りけるかな

夜の更けて一匹鳴きぬ虫の声心にひびき残りけるかな   


虫の声が真夜中まで夜通し一匹鳴くのを聞いていた、何かそれは一人の人間の嘆きとか苦しみとか訴えを聞いているともなる
つまり多数ではない、一人の人間としてその虫の声を聴く、それが人間的だとなる
そもそも人間は多数になるともうその声はただ騒音になってゆく
威圧的なものとなり虫の声というものではない、だからカルト教団などは一人一人の声を聴くなどない、ただ一票になる数を集めることだけである
ただ一匹とか数匹とかだとなんとか虫の声でも聴けるとなる
集団になるともう聞けない、疲れるとなる

障害者が住んでいる住宅がある、ここに障害者が住んでいるということを知る
それだけでも何かいいのかもしれない、みんな実際はそういう人を知らない、無関心だともなるからだ
今年の夏は蝉しぐれとかひぐらしとか鳴くのを聞いていない、何か夏から秋なのか
そういう季節の変化がわからなくなっている
ただ今鳴く蝉は秋となる

落合橋という名前がいい、どこにでもあるものだがここで落ち合うというのがいい
だから地名は心にも影響するのである、何か詩的なものがないようで見慣れた風景は絵にならないようでも
実際はそうではない、ただ身近だありふれて美が発見されないのである
盛岡だと橋の街であり有名だけど名所でなくても見るべき感じるものがある、ただ発見されていないだけなのである

実りの季節であり稲田の中に墓地がある、すると先祖が見ているという感覚にもなる
だも街中の墓地にはそういうことはない、でもすぐ近くだから墓地の前を通る
そこに自分の家の墓がある、墓も身近なのである
それでときどき花をさしていないと淋しいなとな花をさしたりする
でももし墓地すら墓すら遠くにあるとそうは感じないのである
だから何でも遠く離れててしまうと死者すら遠いものとなり忘れられるのである
関心をもつのは今そこにあるものなのである

墓参りの効用はとにかくそこで死んだ人を思い出す、死んだ人が存在したことを確認するということである、それだけでも効用がある、そうしないと人間は次々に目前のことに追われて死んだ人を忘れるからである
人間ほど忘れやすいものはいない、だから人間は過去に起きたことでも記録していなと忘れる、その時何があったのかも忘れる、ましてや次代の人は過去に何が起きたのかわからなくなる、それでこの辺で400年前に津波があり溺死した人が700人と記録されていた
それで津波があったということを知ったのである   

今日はむし暑いからまだ夏でもある、ただ秋でもある、そういう季節の変わり目だけど
最近はその境目がはっきりしないのである




2020年09月10日

夏の終わ-夏菊、コスモス、雲の峰 (写真をとるのは労働である)

夏の終わ-夏菊、コスモス、雲の峰

(写真をとるのは労働である)

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雲の峰うろこ雲見ぬ朝の空

夏菊を見つつ走りぬ自転車で

雲湧いて夏菊一面流れかな

夏菊に揚羽喜々とし舞いにけり

夏菊にコスモスまじり土手の道


雲の峰うろこ雲かな夏よりし秋にうつれる流る川かな


自然は刻々変わっている、買い物帰りに真野川の土手の道で雲の峰を見た
でもその脇にうろこ雲が出ていた、そこを写真にカメラがなくとれなかった
それが失敗だった、家に帰ってカメラをとりにいってまた撮った
その時うろこ雲と消えていた

今日は日中に急ににわか雨のようなものが降った、何か雷雨だったのか雷もならないようだった、それもすぐやんだ
このように日本の天候は本当に変わり安い、すると写真を撮るにしても刻々変わっているからシャッターチャンスを逃すのである
だから常時カメラはもっている必要がある
それでスマホで今は写真をとれるから便利だとなる

土手の道には夏菊が一面に咲いていた、それからもうコスモスも交じり咲いていた
いかにも初秋らしいとなる、真野川の岸辺は花壇にしたが去年の洪水で流された
でも夏菊はその花壇のあったところに増えて咲いていた
自然はこうして回復する、花だったら回復しやすいとなる、でも原発事故では田畑は回復できなくなった所がある

もう夏は終わりだろう、明日からは雨になり秋雨に涼しくなるだろう
やっと体も楽になる、何か毎日ぐったりしていたからだ
何か写真とるのは結構な手間である、だからいい写真をとるとなると相当な時間をかけて構えていいカメラでいなと撮れないことがわかった
前も写真をとったとしても安いもので記録するということが多かった
今はなんとか見映えするものを撮ろうとしている、それで広角レンズを中古で買った

近くで写真をとる絵になる風景がある、見慣れているから写真にはならないと思っていたが意外と絵になるものがあった
写真をとるときやはり一定の場所でとる、変化を見て撮るのがいい
でも車がないからそれができない
真野川の土手の道は散歩するにはいい道である
人間は意外と近くの住んでいる場所がいいと見ないのである
それはあまりにもありふれてなれてしまった見えなくなるということがある
何か特別変わった風景を求めるが近くで写真になる風景があったとなる
人間は近くを発見していないのである

写真を撮ることは遊びでも労働だと思った、だから写真家が多いしセミプロとか写真をする人が多い、それほど写真は魅力あるものだと今頃気づいたのが失敗だった
つまり人間はこうして何か気づかないのである、そしていつのまにか時間を無駄にして
人生も終わりになっているのである
趣味だって簡単に身につかない、試行錯誤が必要になる
また機械を使いこなすことも必要になる、だから何でも日頃からの積み重ねなのである




2020年09月07日

晩夏(今日一日の変化を写真にとる) (草原化して池溏が生まれた写真)


晩夏(今日一日の変化を写真にとる)

(草原化して池溏が生まれた写真)  

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トンボとあとから5、6匹に増えた

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陽が没す前に虹の切れ端が雲に出た

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夕焼けが広がった

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月とノウゼンカズラの花



飛びかいぬ池溏にトンボ喜々として

蝶眠る池溏に映る夏の雲

夏草や池溏に波紋夕暮れぬ

陽は没りぬ虹の切れ端晩夏かな

夕焼けや鉄路の向こう広がりぬ

鹿狼山見えて夕焼け空を染める


今日一日でも景色が変化した、塩崎から六号線の所が津波以降草原化した
一部は田になったが写真のように草原化して池溏(ちとう)が生まれた
これは尾瀬とか釧路湿原にある、もともと海側は広い湿地帯であり津浪の後に湿地帯化ししていくつもの沼ができたことに驚いた
それを写真で相当撮ったから貴重だった、こういう光景はやはり何百年に一回とかしか見られない光景なのである、それで顰蹙をかったが余りにもその変化に驚嘆して心を奪われてしまったのである、正直そこで死んだ人よりその激変した自然に驚嘆してしまったのである

こういう池溏には必ず野生の生物がすみつく、まずトンボが集まり繁殖する、水辺が繁殖に適しているからだ、また蛙が卵をうみおたまじゃくしが泳ぐのを見た
その数も多い、何か波紋があるのはあめんぼうとか生き物がいるからだろう
ここは写真とるにはいい場所である

風景は常に刻々変わっている、だからシャッターチャンスがその刻々にある
それである程度時間をかけないといい写真はとれない
待っていないととれない、すると時間と手間がかかる、これも地元だから構えてできるが旅行になるとむずかしくなる、急ぐからである
でもこんなに刻々と変わる自然には驚く、だから自然を見ているとあきないとなる
夏は特に変化するから写真をとる場面が増える
晩夏であり初秋だがやはり今年はまだ最後の夏が燃え上がっている

今の時代はやはり映像の時代であり映像で記録することが必要になる
それがプログだと日々発信できるからいいのである
それが後で役にたつし記録したものが貴重になる
とういのは何か読み返したり写真を見ても本当に人間は忘れる、自分が書いた文でも撮った写真でも忘れるのである
こんな文を書いていたのかとなり不思議なのである
だから人間は何でもメモしたり写真をとったりと記録することも大事になる
それが一年でも二年でもすぐに忘れる、ましてや10年もすぎたら全く忘れてしまいそこにいたのかもわからなくなるからだ
特に外国などは変わっているし二度と行けないから写真でも記録が大事だったと思う

とにかく今年の夏もそろそろ終わりだが今日も曇っていたとしても暑かった
びっしょり汗をかいたから体にはいい、体温調節ができる
これからは何とか自転車で遠出ができるようになる
これまでは強い日ざしを受けると日射病になるから怖くて出れなかったのである

残念なのは夕焼けが空を染めたがその二分後とかに電車が来た、その時写真をとればいいものがとれた、でも電車とかがとりにくいのは今景色がいいとしても電車が来なかったりしていい写真がとれないのである
いくら待っていてもその時は夕焼けはたちまたち消えてしまったからだ
自然の背景が天候は刻々変わっているからそうなるのである
それで鉄道写真でもいいのは相当に苦労して時間かけて撮ったことは間違えない
ただ見ている人はその苦労がわからないのである
それは何でもそうである、食料でもいくら苦労して作って売っても買って食べる人はその苦労がわからないのである 

私のプログにしても一日二回アップすると相当に手間である
それで何かコメントても答えられない状態になっている
何か相手に答えるということは手間であり対話することは実際は相当な労力が必要であるだから対話するとなるとこれは時間をかけてその場限りでないものとなる
それは別にそうした場をもうけないとできないと思った
それでフェスブックもしてみたがやり方がわからないとかなった
何かどうも使い方がうまくできなくなったのである

それにしてもこのうよなプログとかのメデアでも個人的でもこれだけ表現できる時代である、本とか雑誌とかに出すのは普通の人はできない、でもプログとか誰でもできる
このうよなものでも一つの個人の表現の場になりうるのである
ただこれだけで物足りないのでワードプレスとホームページを作り直そうとしたが
とにかく手間がかかりすぎてできないのである
毎日二回アップしていたら他のことができないのである
家事もしているから毎日追われているのである

2020年09月06日

秋の蝉、芙蓉(近間の道)


秋の蝉、芙蓉(近間の道)

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今日の真夜中のノウゼンカズラと月


このベンチまた休むや木陰かな

揚羽舞い芙蓉に実り鳩の来る

この道や慣れにし通う秋の蝉 

昔よりありにし家や秋の蝉   


蝶を追い花を見につつ雲立ちぬもう一夏を我は生きなむ  

注-鳩は山鳩である


ここ十年以上近間を行き来しているだけである、人間は最後は近間が大事になる
ついのすみかとなるからだ、近間は若い時から常に平凡でものたりないものを感じて来た自然でもそうである、この辺では高い山がないからものたりないのである
でも人間は平凡な中に感じるものがあり日常は平凡なのである
ただ70年もいきれば必ず大きな事件でも災害でも起きるものだと思った
津浪や原発事故やコロナウィルスでもそうである
70年ごとに人間社会では大きなことが起きる、そして社会ががらりと変わることがありうる、それが今なのである

ただ私の生活は毎日慣れた道を行くだけである、でもそうして慣れた道を行くと秋の蝉が鳴いていると心にひびく、そしてこの家は昔からあった家だなと何でもないことでも感じるものがある
原町では道の駅の脇の公園で木陰のベンチで休んだ、そこで小高の人と話したことがあった、あそこはいい木がありいい場所である
そうして何かあるなんでもない場所でも愛着を感じる
それはもう死も身近にみえてくると人間はどんなささいなことでもそこがかけがえのないものに思いてくる、場にしても人にしてもここにもういなくなるとか人にしてももう会わないとかなるからだ
その時誰しも何気ないものでもいとおしく思うのである

こういうことをまず若い時は感じない、田舎なんか平凡でつまらない、飽きたとかなっていた、それで私のように旅ばかりして遠くに憧れるだけだったのである   
そして顔を知っていた俳優が二人死んだ、70才だった、こうしてともかくテレビで親しんだ俳優も死んでゆく、あの人も死んだのかとなる
いくら長生きでも70ともなれば死ぬ人が多い、でも高齢化だと70以上でも首相になったり大統領になっている、アメリカも高齢化である、80近くで大統領が勤まるのかともみる

芙蓉が咲く道がある、そこに揚羽が盛んに舞っていた、この芙蓉はあまり大きい花でないのでものたりないとはなる
そこに秋となり実りそめた稲穂が色づき垂れる、自転車で行くと涼しさを感じる
ただまだ夏であり夏も感じる、帰ったらぐったり疲れた、それは陽がさして午後からかえって暑くなったからだ 
それでまたぐったり疲れて寝込んだ、まだまだ暑いのである

やはりカメラは常に携帯する必要がある、シャッターチャンスが近くにもある
ただ正直人に見せるような写真はいいカメラでないとだめだなと思った
でもそうなると写真とることで手間になる、いい写真をとることはやはりセミプロになってしまう、雑誌にのるようなものだともう写真とることに集中しないとできない
ただ今では素人でもいい写真はいくらでもでている
でも残念なことは写真はすばらいしのだが俳句とかそえてもそれがほとんど駄作なのである
写真はかえって若い人がうまい、でも俳句とかなると駄作が多いとなる
両方がうまくなるのは結局人間にはむずかしいのである


2020年09月05日

蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)


蝶と熱帯夜の花と月ーノウゼンの写真(季節感が狂ってしまった)

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これはノウゼンだけど夜撮ったのでこんなになった
実際は紫色だったが色をソフトで変えた
こんな花が熱帯でも咲いているだろう


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この蝶の名前がわからない、白い筋がある

鶏頭が咲いているから秋なのだが一昨日も暑かった




夏の蝶写真にとらえる瞬時かな

朝の蝉今日も買い物自転車で

熱帯夜外にでて花を見る

真夜中にノウゼン見るや月光る 


写真で見るのと肉眼で見るのは違う、カメラによって機械によって見えないものが見えるだからカメラは常時携帯する必要がある
近くでもシャッターチャンスになるものが結構あると思った
それだけ自然は多様なのである

今年はまだ真夏である、そして夜は熱帯夜である、もう沖縄にいると同じである
夜も暑苦しい、それで真夜中に外にでて涼む、すると満月がでている
ただ黒い雲が流れて隠された
写真にとったがノウゼンはこんな色ではない、でも花は熱帯でこんな色のが咲いているかもしれない、花というのは南国系統が多いからである
椿でも南国系統だからである、椿の種類は多いからである

わかったことは南国系統の花はまさに熱帯夜のような暑い場所で映えるものである
だから熱帯夜にふさわしい、日本だと沖縄は南国であり南国系統の花が咲く
それも暑いからその花にふさわしいものとして咲く
だから風土によって様々な花があり風土にあって花は咲くのである
つまり花が咲くのがふさわしいのはその風土を知らないと本当はわからない
南国系統の花が多いというとき暑い所で見ないとわからない

沖縄だとなぜ家の作りでも開放的であり月光がさしこんで明るくするのが似合っている
熱帯の月はまた違っているのである、熱帯地域に住んでみないとそうした感覚はわからないのである
日本では一応沖縄のような熱帯地域もあり北海道のような寒帯の地域もあるからその風土を経験できる、ただ暑いのは苦手なのである、なにかぐったりした

今年は蝉が鳴いていても最初8月になってひぐらしが鳴いたと聞いた
でもその後ヒグラシが聞こえないのである、蝉しぐれというときヒグラシである
それもない、だから季節的におかしくなっている
それはここ十年くらい異常に暑くなっているのもそうである
四季が狂ってしまって俳句でも季語が通用しなくなる
9月でも熱帯夜なのである





2020年08月31日

雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂浜)


雲の峰、夏の海(一羽の鴎の詩-落合橋、金沢の砂浜)

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真野川の落合橋

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原町金沢の砂浜

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雷鳴りて鮎の跳ねる流れかな

あめんぼう流れつつ輪を描くかな 

夕陽さし落合橋に雲の峰

(電線にとまる鳥)

里の秋烏鶺鴒雀かな


一羽の鴎

砂浜に鴎一羽
遠くより飛び来て
遠くへ去りぬ
砂浜の足跡は
よす波に消されぬ
あとには夏の海が広がり
波は崖に打ち寄せひびく
鴎は空に大海に
かなた飛び去り消えぬ 
鴎は今いづこにありや
ただ波のひびきと
青い空にその一点
白い鴎は消え去りてなし
鴎は天地を宿として
はるかな旅をつづけている  


真野川に鮎が跳ねて上る、その時雷が鳴る、雲の峰が落合橋にいくつか見えた
いかにも夏らしい、昨日はまた暑かった  
鮎が跳ねて上ってゆくのは気持ちがいい、あめんぼうが流れにいくつもの輪を描いてい

でも曇っていたので自転車で金沢の浜に行った
人は結構日曜日なのでいた、それでもっと海に近い場所があり行ったら砂浜が広がり崖になっていた
ここは元の自然のようになっていた、砂浜があったからだ、一応金沢には砂浜がある
右田浜にはなくなっている、松原もなくなったから淋しい
金沢でも前は松原があったのだ
その時まだあの火力発電所はできていなかった、それで烏浜から原町に出る所に自然の砂浜があった、そこを歩いていた
それが全く変わってしまった、自然もこのように大きく変化する

一羽の鴎が飛んできた、砂浜にとまり歩いた、またすぐに遠くへ飛び去った
そして広い海と波のひびきがあるだけだった
何か鴎とかは気持ちがいい、大きな海と一体化したのが鴎である
常に大きな海がある、その海を自由に飛んでいる感じになる

その点人間は自然と一体にならない、何か隣に異常な老女かいて悩まされている
普通ではない、何か不満があり騒いでいるという
今そうした異様な老人が増えている、キレる老人でもそうである
退職すると老人の役割りもなくなる、また子育ても終わると女性の役割りもなくなる
それで何もしないでただ不満をぶつけるだけになる
その老女は本当に異常である、隣だから逃げるわけにもいかない
近所つきあいもしないで何かわけのわからことを口走り変な恰好して迷惑な飾り物をしたりしている、そんな人が警察を呼んだりして苦しめているというのも変である
そんな人のために警察が来ているのも変である
第一何も迷惑かけなくても通報されれば警察は来るというときそうである
結局警察はそうした事情を呑み込めない、土地の事情も知らないからそうなる
それで自分自身も駅でボランティアして怪しいとして通報されたからだ

田舎だとまずその土地の事情を知ることが必要になる
そうしてあまり近所付き合いとか他でも介入することは問題になる
都会のようにはいかないと思う、それで土地の有力者は田舎では有利になる
警察でも一目置くからである、またそうしないと警察でも仕事がうまくできないということはある
ただこの迷惑老人は田舎だからではない、どこでも高齢化で起きているのだ
ますますそうした人が増えてくるのだ

とにかくこうした人間と鴎を比べるとあまりにも差がありすぎる
そんな人間は消えてほしいとなる、でもそういう人間はいくらでもいるのだ
だからなぜ人間はこんなに醜いのだろうとなる
それは常々思っていることだった、動物より人間は醜悪になるのはなぜだろうとなる
蛇のように隠れていればいいが人間は隠れることはない、醜悪でも隠れないのから困るのである

結局なぜ私は旅ばかりしていたのか?それはこうした田舎の人間の醜悪さを嫌悪していたからである、旅をしていれば鴎のようになり接することがないからである
田舎にいるにしても一時的なことでありあとは去るだけだから良かったのである
ただ今は旅はできない、何か疲れてしまったからである
でもつくづく近くでも知らない所が未だにあることの不思議である
あそこの砂浜は注意して見ていなかったからである
今は何かこうした砂浜がない、鹿島にも松川浦にもない、ここはまた砂浜がある
ただ東北電力があるので自然の景観とはならない、でも砂浜が広がっていたので気持ちいいと見たのである

今日は涼しいから助かった、暑くてぐったりして昼間でも寝ていた
これからは自転車で遠くに行けるかもしれない、やはり運動できないことは体に悪いからだ

2020年08月28日

夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


夏の真野川の俳句(鮎がもどり流れが変わる)


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ここから水無川の水が湧いてい流れる
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水は川を流れていない



夏の朝川きらめきて流れけり

草深し川面きらめき鷺一羽

カワセミの隠れて消えぬ草深し

清流を朝百匹や上る鮎

鮎百匹川にもどるや泳ぐかな

鮎跳ねて川生き返る流れかな

行き交いぬ落合橋に雲の峰 

涼しさや流れの変わる岸に立つ

涼しさや水無川に水の湧く
                                              
のうぜんの夜咲き星の輝きぬ


沖縄や真澄の空にディゴ咲き海青々と赤さのにじむ


7月までは夏と思えなかった、それから暑くなった、朝から暑いけど夏らしい光景になった、鮎が真野川に大群となって上ってきた、それで毎日真野川に行っている
真野川は去年の台風で流れが変わった、砂利と砂場が増えたのである

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

この飛鳥川は小川なのである、ただ真野川でもこんなに変わってしまっこというのは同じである

それで川の中に入りやすくなった、そこで見ていたら鳥がきていた、海の鳥であり千鳥かもしれない、そのさえづりが川にひびいた
それからカワセミも見た、この鳥は結構ここでなくても見かける
でも一瞬にして消える、岸の草深い場所に消えてでてこなかった
これを写真にとるのはむずかしい、つまり鳥が常に来る場所でねらっていないととれないからだ

真野川で思ったことは鮎でも大群が上る、鮎が跳ねて川を上る
その時川が活きていると見た、つまり川に魚がいて川も活きる
魚でも何か川に見かけないのである
新田川でも魚を見たことがないのである

川に魚がいて川も活きる

町や村でも人がいて活きる

自然もそうだが町や村に人が住んでいなければ活きない、それは同じだったのである
川に魚がいないとなればただ水が流れているだけだとなるからだ
それは落合橋に雲の峰が見えて人が行き来している、中学校があるから生徒も通っているそれで橋も活きている、あそこの橋は川が下に見えやすい、ところが下の大きな橋は川がにごっている、ここの川は浅く清い流れになっているからここの橋から鮎を見れるのである

それから水無し川はからからだけど堰の下にの隅から水が湧いて流れていた
水無川は流れていなくても下を流れてここから出て来ていたのである
それはなんとも涼しいものだった
近くでも意外と知らないことが多いのである、ここははじめて発見したからである
それで写真とる絵になる場所があると思った
今遠くには行けない、日射病になったことで怖くなったからである
でも近くならいい、近くにも自然があり見るべきものがある
そういう点写真の趣味はいいのである、釣りの趣味もいいがこれはじっとしているので合っていない

とにかく暑い、これは沖縄だと思った、熱帯であり熱帯夜である
それで沖縄にいる熱帯地域にいる感覚になった、夜でも暑い、するとのうぜんがまだ咲いている、星が月が輝いている、熱帯地域にいる感覚になる
星でも熱帯の星である、この辺では熱帯の感覚はない、沖縄を知るにはやはり熱帯の感覚である、だから沖縄は日本では東南アジアであり熱帯であり本州とは別な世界であり魅力あるとなる、北海道もまた別な国の感覚になる
それで日本は熱帯から寒帯まである自然の多様性に富んでいる
大陸などからすると相当に自然自体も独自なのである
ヨ−ロッパだったら熱帯となるとアフリカに行くほかない、エジプトとかもそうである
外国に行くほかないからである

熱帯というとき沖縄だと赤い花が多い、それが似合っている,ブーゲンビリアとかディゴの花とかである、その赤さが空の青と海の青に映えているのだ
ただ沖縄には二回くらいしか行っていないのである
ディゴの赤は赤でも明るい赤ではない、沈んだような赤である
これはインド産だったのである、それでなるほどと思った
インドらしい花である、ブーゲンビリアは明るい花であるがこれは赤でも違った赤である法体地域には熱帯らしい花が咲くしまた花は熱帯原産が多い
この花一つとってもつくづく地域性がありそれが文化を育んでいたのである

この赤い花とヒンズー教とかも一致するし蓮の花がお釈迦さまの花だというときもそうである、そして北海道は高山に咲く花が平地に咲く、寒帯地域だからである
文化はその風土と密接に関係している
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの大地を踏まねばならないと言うのもわかるのである、文化とはcultureはcultivateでありその土地土地の自然を耕すことで生まれたものだからである
日本でも俳句とか短歌を理解するには日本に一年最低住んでいないと四季の変化がわからないし肝心の季語がわからないとしたら理解しようがないからだ 

今日もとにかく朝から暑い、それでまた河原に行って写真をとりたい
落合橋の雲の峰は映っていなかった、こういうことがある
だから写真を撮ることはシャッターチャンスが大事になる
写俳はまさに写真と俳句を組み合わせた写生だからである
写生というとき写真と絵は違う、現実の写実が写真なのであり絵はイメージされたものだからである、だから写真を絵にしたがこれは写生ではないのである
なぜなら雲の峰は夕暮れに遠くに見えたからである
雲の峰は夕暮れに今たつ、今日も朝から晴れているから写真とるにはいい
でも遠くには行けない、近くでも夏は変化するから絵になる

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2020年08月26日

蝶の写真一枚

蝶の写真一枚

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夏の蝶花園に入り蜜を吸う

写真は何か偶然である、だから何枚も量をとることがうまくなるコツだというのもわかる
適当にとっていて数が多ければいいものに当たるともなる
これも偶然だったのである、動いているものは連写になる
偶然に背景がぼけていたのもいい

写真も相当に訓練である、カメラの良し悪しもあるが数多くとることである
それなら誰でもできるとなる、いろいろ考えないで量をとることだとなるからだ
これは実際に見てとったり良かったのである、わからないところも映っていたのである
何か写真の眼が人間よりすぐれた所があるので発見があるのだ

結局私が継続している抽象画もそうである、コンピュターで生まれた新しい芸術なのである
AI時代になるとますます人間の能力がコンピュターによって開発される
すると能力がなくてもそれなりのものはできるとなる

この蝶はあまり見映えがしない、揚羽だったち夏らしかったとなる
とにかく今日も暑かった、川に行ったがそれは明日のせる


2020年08月24日

雲の峰(電車の写真はとりにくい)

  
雲の峰(電車の写真はとりにくい)


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スーパーヒタチが去った5分後くらいにいつのまにかこんな大きな雲の峰が出ていた
意外と早く雲が大きくなる、だから夏の雲は変化するから飽きない

鉄道がここを通っているがこの場面でスーパーヒタチを撮れば絵になっていた
電車が動いているし背景も刻々変わっているから写真をとるのがむずかしい


刻々と形を変える雲の峰

場所変わり消えてはたちぬ雲の峰 

ぐんぐんと大きくなりぬ雲の峰  

雲の峰たちまち大きく聳え立つ

向こうにたちこちらに立ちぬ雲の峰

雲の峰燕飛び交い電車行く

草原に風のわたりて雲の峰 

鷺の二羽向かい合いつつ川に暮る
      

にいにいの鳴きてみんみん鳴きひびく近くに昔遊びけるかな    


雲の峰が見える場所がある、それは年によって違う、今年は夕暮れになると山の方に見える
雲の峰は震災の前の年のとき大きく見えた、その時も異常に暑かったのだ
それでいろんな形に雲が変容するのを見た
その翌年の3月に津波が来て右田の松原は根こそぎ消失してしまったのである
何か異常に暑くなることは大地にも影響して海にも地下にも影響して地盤がゆることがあるかもしれない、それで大地震の前に暑くなることはありえる
天候の影響は地球全体を変えるからである

昨日は雲の峰の写真をとるために待っていた、でもスーパーヒタチが去った後に5分くらいあとに大きな雲の峰がいつのまにか出ていた
もしそれをとれた絵になっていた
写真はやはりシャッターチャンスを逃すとあとはとれない、いくらいいカメラでもとれない、そして動いているものをとるのはむずかしいのである
特に電車とかはむずかしい、相当に構えてねらってとらないととれない
それでけ写真をとるということは労働にもなる、疲れるのである

ただ写真撮ることの効用は写真を撮ることにもあるがその場にいて自然の雰囲気を味わうことにもあることを知った、一時間くらいいると辺りの雰囲気にとけこむからだ
だから実際は写真一枚を見ただけではその場にいる経験とはならないのである
その写真をとった人はそういう場にいたことを記憶して写真からその場の雰囲気を思い出すから価値がある、その場にいない人はなかなかいい写真でも切り取った一部しか見ないからものたりないものとなっている 

とにかく映像の時代だから写俳とかうまれた、正岡子規の写生俳句とカメラは合うからである、見たままを俳句にするということはまさに写真なのである
そこに技巧をこらさないことだからである、余計なイメージをしないことだからである

今年は遅れて夏が来た感じである、でも30度くらいだったら夏らしいとなる
でも自転車で遠くに行くことはむずかしい、日射病になるからだ
それにしても自然は刻々変化している、だから近くでも良く観察していると飽きないのである

雲の峰いくつ崩れて月の山 芭蕉

これは雲の峰の名句である、雲の峰は崩れやすいのである、でも崩れてはまたたちまち大きく雲の峰がそびえ立っている
だから一か所にいて観察していると変化するから飽きないのである


 ここで雲の峰と電車を映している










2020年08月21日

雲の峰の写真(自分で撮った一枚の写真はいろいろ記憶されている)


雲の峰の写真(自分で撮った一枚の写真はいろいろ記憶されている

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はや目覚め仕事をするや蝉の声

のうぜんに揚羽の二羽や舞いて去る

のびやかに草原広し夏の蝶  

夏の雲峠に湧きて越ゆるかな

雲の峰峠を越える若さかな

新築の家また建ちて雲の峰

遠くまで電車の音や夏野かな

遠くへと線路の伸びて雲の峰

夏の雲カメラかまえて電車待つ

ひぐらしや近くを一回り帰るかな
                                                    
夏の雲六号線の夕べかな


夏蝋梅葉陰の広く影をなしトオスミとまり消えにけるかな


今日も暑かった、朝四時頃起きてその時未明なのに蝉が鳴いていた
それから昼間ぐったりして寝た、夕暮れにまた自転車で近くをまわった
写真をとろうとしたが電車を撮るのはむずかしい、ここは一時間置きにしか来ないからである
スーパーヒタチは三回くらいくる
写真は待ってとるのだがその時天候が変わる
雲の峰が夕べ出ていたがその時電車は通らず雲の峰がくずれてゆく
だから写真はテクニックと機械の良しあしもあるがタイミングなのである
いい場面に出会いばいい写真になる
人生もタイミングだった、自然は刻々変わっているからその一瞬をとらえるのがむずかしいのである

雲の峰の写真でも一つの山のように高くなれば雲の峰らしくなる
線路の脇の雲の峰はそうなっていたがまもなく崩れた
雲の峰はくずれやすいのである、「雲の峰いくつ崩れて・・」となってしまう
夏の雲の写真でネットでみたら峠に湧いてるのがあった
夏の雲が湧いているとき峠を越えたら気持いいとなる
ただ暑くても行けない、三回くらい熱射病になって痙攣まで起こして死ぬ恐怖を味わった何か熱中症でも熱射病でも突然倒れるらしい、近くに人がいないと危険だとしていた

若い人ならロードで峠を越える、女性でもそれが醍醐味だと言っていたからだ
ただそういう若い日もたちまち過ぎるのだ
今や近間を回っているだけである
とにかくカメラをとることは場所の設定があり構図をとるとか一瞬のチャンスをとらえるとかむずかしいのである
それで車がないとできないというのもわかる、なぜなら選んだ場所で構えていなければならないからである

カメラのいい点はそこでどういう状態で撮ったか覚えている、記憶していることである
それでいくら他人のいい写真を見ても感動しないことがある
それはその場に立って撮った記憶が他人にはない
その一枚の写真だけではない、どういう時と場所で撮ったかを全身で覚えているから
自分自身がとった写真と他人がとった写真にはかなり相違がある
一枚の写真から自分自身がとった場合それ以上のものが記憶しているからである

2020年08月20日

abstract garden


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islamic world

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united venice -KINGDOM OF VENICE-KINGDOM OF THE SEA

2020年08月15日

虹の写真をとれなかった(写真の効用)


虹の写真をとれなかった(写真の効用)

ここに雲と虹の写真が今日見たのと似ている
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ここに鉄道がありここを電車が通ればシャッターチャンスだった
でも一時間置きだから通らなかった
でもすぐ電車が来た、でもそのとき雲は暗くなってこんなに赤くなっていない
ただこの赤さはパソコンのソフトで調整したのである
実際に見た感じはこんなふうだったからだ

新築の家十軒ほど夏の雲

自転車に一雨ぬれて虹を見る

三方に夏の雲湧く盛夏かな

消え残る虹を惜しむや時はすぐ

夕陽さし赤々と映えぬ夏の雲 


虹が一雨ふって東の空にかかった、自転車で買い物に行ったら虹がでた
一部晴れていたのでぬれても行った
そしたら虹が出たのだがカメラをもっていなかった、何か肝心な時カメラがないのであるいい写真をとるとき

●カメラの良しあし

●シャッターチャンス

●構図を作る

とかあるがこれらの条件があってもシャッターチャンスがありこれは意外と大事である
カメラがいいものでなくても今回のようにシャッターチャンスを逃すと二度ととれない写真というのがある、それが結構多いのである
特に動いているものをとるのが至難なのである
絶えず動くものとは変化しているからうまくとれないのである
動いているものは自分で構図を作ってとらないとまたいいものがとれない
動いているからこそ定点でとることが大事になる

それで一日定点観測してカメラを構えて置く人がいる
富士山で半年もそうしていい写真を撮るためにいる人がいたとかそれほど富士山でも刻々変化するからそうなるのである
つまり自然は常に刻々変化している、そこでシャッターチャンスが大事になる
その一刻を逃すと二度とその場面をとれないからである
それは前にも経験していた、だからカメラは常時持っていることが必要になる
今はスマホとかもっているから便利である

写真をとるということは記録としても効用がある、なぜなら自分自身とった写真はさらに自分にとって価値がある、どういう場所でどういう季節に時期に撮ったかを記憶しているからである、すると自分が撮った写真から辺りのことを思い出すのである
それで外国旅行は写真で撮ったことが貴重になる
でも私が海外旅行したときはデジタルカメラの時代ではなかったから写真でもとる量が少なすぎたのである、でも写真を見て思い出すのである
今になるともう海外旅行ができないなと思った時貴重になる

いづれにしろシャッターチャンスもそうだがチャンスは人生に本当に一回二回くらいしかないものがある、例えはなぜ人はその女性と結婚したのか?
あの人がなぜあんな不細工な人と結婚したのかとみる
するとそれはその出会いの時がありそのチャンスをものにしたからだとなる
双方がまさにそのチャンスがあってそうなった
別に相性がいいとかなんとか様々な条件よりその時に出会った、チャンスをとらえたからだとなる
そして時間が過ぎるのが早いから二度とそのチャンスがなく消えてしまいまたたくまに老いてしまうのである
だから人生ではチャンスがタイミングが一番大事なのである
なぜならそのチャンスとかタイミングは二度と帰ってこないからである
チャンスとタイミングとは虹のようにたちまち消えてしまうのである

ただ虹でもこの辺は海に面していて必ず山に夕日が沈むとき海の方に虹が出る
それは住んでいればわかる、だから夕立がきて雨がふれば虹がかかりやすいのである
するとそこを狙って虹もとれるとなる、でもそれが結構手間だとはなる

自然を感じるというときやはりもし車だったら雨にぬれない、それはいいものとみる
でも自然を感じないのである、車の問題は風も感じないし雨ももちろん感じない
それは快適なのだけど自然を感じないのである
春雨や濡れて帰ろう・・・とかならないのである
つまり風流がなくなるのである、風流とは風の流れでありその流れを感じさせないのが車なのである
だから私は車が好きではない、車は絵にも詩にもなりにくい、でも電車とかなぜか風景ととけこみ絵になりやすいのである、それで撮り鉄がいる
でも電車は動いているから定点で撮る必要がありこれは結構手間である
旅したとしてもどこを選べばいいのかとか場所の設定とかがなかなかできないし時間がかかる、住んでいる場所ならわかるが旅しているとそれがわからないからだ

ともかく写真は文でもメモするより記憶を呼びだすから貴重である
そしてインタ−ネット時代になるとリアルタイムで放送できる
ただ今回のように場所が違うと虹は見れないから全国的には共有できない
でも月とかは世界で共有できる、同じ月を世界で見れるのである
それでリアルタイムで放送する、それは生放送になる
そうなると手間であり旅しながらまた放送するとなると苦しいとなる
前に文章だけでそうしたことがあった
でもかなり手間になる、でも写真を出すのはそれほどめんをとではないともなる
ただこれは一回もしていない、それだけする気力もなくなった
ほとんど家にいるようになったのが自分だからである












2020年08月13日

abstract japanese houses

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post abstracts on Thursday

木曜日に投稿します

abstract japanese houses


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This is a warehouse in Japan, and if you make a gallery there, the picture will be more lively
The architecture and the painting are integrated, the painting was originally displayed in the church and integrated with the architecture
There was art as a unit of architecture, music, and painting, not just a painting alone.

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Japanese Aquarium-enlarge

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 a way in winter

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laboratory



私の抽象画は本当に絵の才能が全くないのでそれでソフトを利用して創作しているだけである
でも何かこれも創作なのである
いろいろ絵の素材があり組み合わせたり張り付けたりして作っている
それで才能がなくても絵を楽しめる
つまりAI時代とはそういうことができるとなる
コンピュターは人間の能力を拡張するのである
それがインタ−ネットで常に写真でも絵になる素材がふんだんにあるからやりやすいのである


My abstract paintings have absolutely no talent for painting, so I only use software to create them.
But something is also a creation
There are various drawing materials and they are made by combining and pasting
That’s why you can enjoy painting even if you have no talent
In other words, that will be possible in the AI era.
Computers expand human capabilities
It is easy to do because it is the Internet and there are plenty of materials that are always pictures and pictures.

夏の星、流星


夏の星、流星  


夏の星百個ほど我にきらめきぬ 

夏の夜や流星三個我が見たり

若き日や旅路の遠く夏の星

夜汽車行く音のひびきて夏の星


一瞬の光芒に消ゆ流星や夏の夜になお星は満ちにき

ペルセウス流星群とか見た、三個だけだったが見た、この流星はかなり明るく輝く
一瞬目の前に流れてきたときは驚いた
間違いなく三個は見た

この流星は3時前頃からたくさん見れるらしい、でもそれまで起きているのがめんどうである、今回もなんとか三個は見た、結構大きなものだった
この流星群は大きく見えるらしい、この辺では薄い雲がかかった

電車の音がかなり離れていたけど結構大きくひびく、電車の音は意外と遠くまで大きく響くものである
それで旅の日を思い出した、電車では相当に旅している、全国の路線の80パーセントくらいは乗っている、主なものでも私鉄をのぞいて乗っている
だから私は鉄道に興味がある、それで無人駅でたまたま駅員のようなボランティアした
経験は貴重だった、でもコロナウィルスとかになりできなくなったし駅長とか利用する人は遠くから来る人は案内した時ありがとうと言われたが地元では認められなかった

津波の後は海側は真っ暗になっている、人家がないからだ
ただ風力発電が電気の光りを放っている、ただ星は良く見えるのである 

12時過ぎて三日月が光っていたが黒い雲に隠れた、また流星を見ようとしたがあきらめた
流星はなかなか見にくい、ずっと空を見ているので疲れる、それでもいつもわずかの流星しか見ないのである



2020年08月07日

夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)


夏の月、ひぐらしー(夏から秋への俳句)

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石黙し庭の日影や黒揚羽   

黒揚羽今日も四五羽やこもる家

渓流に和してひびきぬ蝉の声

村一つひぐらしの声ひびき暮る

ひぐらしや人なお奥に住みにけり

ひぐらしや向かい岸よりひびくかな

夏燕一人暮らしやレストラン

川の水豊かに流れ夏の月

夏の月街中に棲み草深し

涼しきや路地裏の道猫に月


ここに生きここに死になむ命かなひぐらしの声ひびきて暮れぬ


黒揚羽毎日四五羽来ている、庭でも狭いから人一人しか通れない
でも二階だと庭が見えないが下だと庭が見える、すると鳥とか蝶が来るからいい
そこに石は黙している
何か慇懃な黒揚羽がここに似合うのである、そして石は黙しているとは自分のことなのである

自分はとにかく人と会うことが苦手であり会うだけで疲れるのである
それで引きこもりで30年間がいたからだ、その時家族は三人であり二人以外付き合いがなかった、それは人と付き合うのが疲れるからである
ただ自然に接するにはやはり石が黙しているように木が黙しているように山が深く沈黙するように沈黙して自然と一体化する
だから人と会って騒いだりすると自然に接するには自然の声なき声を聴くにはだめなのである
それで「静けさや岩にしみいる蝉の声」となる、ただこれは旅で芭蕉が俳句にした
だから旅でも自然に集中しないかぎりこういう俳句はできない
曾良が道中に一人いただけだからこの句ができた
もし団体旅行で騒いでいたらこの句はできないのである

ひぐらしというとき秋なのである、お盆は秋である
でもまだ夏である、これから夏である、だから暑い、ぐったりして最近昼間は寝ている
でもヒグラシは秋の季語なのである
温暖化とかではないと思うが季節感がおかしくなった
ことしは梅雨が長いのでそうなった、一時は寒いくらいだった
だから今から本格的な夏とみる
ひぐらしが鳴いても秋となると季節感がなくなる
ひぐらしは何か晩年にふさわしい、もう死が近づいている
ここで死んでゆくのだなと自覚する、老人の不思議はもう死があるだけになる
この世とはもう本当に一時的にわずかなの時間いるだけなのである

川の向かい岸からひぐらしの声がひびく、それがなんとも心にひびく
向かい岸にも人が住んでいるとかなんでもないことが心に感じる
老人は感傷的になる、涙もろくなる、なんでもないことでも感じる

二三日前に夏の満月がでていた、それが河原に光っていた
夏草が茂る河原に光っていた、雨が降ったので水は豊かに流れていた
あまり川に水は流れない、でもこの辺では真野川は大きな川なのである
水量が豊かだというとき大陸の川である
また日本でも大きな川がありそういう川に夏の満月が光るのがふさわしいとなる
新田川は浅瀬であり満月を映すとはならない川である
浪江町の高瀬川はいい川である、二つ川が街中を流れている

今日は原町の高見ホテルのレストランに行った
燕が飛んでいた、そこは広いのである、だから距離をとれるからコロナウィルスを防ぐにはいい、他では狭い所があり一回だけ行ったが同じ名の高見食堂がありそこは人が密着する他ない狭さである
日本は食堂でも飲み屋でもレストランでさえ広く場所をとれないことが問題なのである
狭い所で人が密着すればどうしても感染するからだ
だからあそこはコロナウィルスを防ぐ場としては最適である
ただ料理は同じでありあきる

でも一人暮らしはどうしても外食の方がいいのである、簡単でいいのである
料理はとにかく手間なのである、料理に凝ったら後何もできなくなる
プログに書くだけで手間なのである、手間だけは便利になっても省くことはできない
一人暮らしは料理が問題なのである、原町だと一人暮らしにはいい
いろいろ一人暮らし向きのものがあるからだ、まず鹿島には弁当屋もなくなったから困るのである
一人暮らしは気軽である、これから一人暮らしが増えるし増えている
夫婦でもどっちか死ぬと一人になるのである
だからソロ社会になるというのもわかる、一人は気軽である、でもまた一人はいろいろと困ることがある
孤独死などもそうであり一人だと何か家でも誰もいなくなると不安になるのである
それで外出もしにくくなるのである

今は猫一匹と一人の老女とつきあっているだけである
それでも何か人と接することが自分には疲れるから異常だとなる
この猫は餌食べるにしてもなつかない、手がかからないからいい
自分自身がこの猫と似ていたのである
人にかまわれるとか嫌なのである、月の性質がある、猫と月はにあっているのだ

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高見ホテルのレストラン

ここは広い、距離がとれる、悠々として座り食事できる
だからコロナウィルスには場所としては最適なのである







2020年08月02日

鬼百合とダリヤの写真


鬼百合とダリヤの写真

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庭に咲く鬼百合見れば思い出す強気の姉の家を守りぬ


鬼百合というとき姉の花である、姉は太っていて強い女性だった
だから男でも恐れていたのである、男でも全然怖がらないのである
男の方が怖がってしまうのである
人を見る時真正面からにらむ、話するのにも堂々と話す
それで父親死んだ後、家が守れたし自分も楽したとなる

ただやさしさには欠けていたのである、人間は結局あらゆるものを備えた人はいない
優しい人は気弱になるし何か性格的に欠けるのである
人格的にあらゆるものを備えた人などいないのである
第一人の性格は人間は悪いと見えるものがいい方に働く

でも姉は最後は認知症になり悲惨に死んだ、最大の弱者となったという悲劇である
それには驚くばかりだった、強い人間も最後は弱者になる
ただもし急激に倒れた死んだからそんなことには見えなかったかもしれない
なせなら突然死んだのだからそこに弱さを見せることもないからである
まず病気になったりしたらどうしても弱者になるからである

いづれにしろ花とともに人も思い出すのである、特に花となると女性をイメージする
花にもいろいろありそれが様々な女性をイメージするのである

とにかく家は一人では作れない、男女があり総合的なものとして作られている
そこに家の意味がある、それは会社でも同じである、様々な人が力を発揮して作られる
家は最小限の共同体なのである、これは自治体とか村とか町とか市でも同じなのである
ただそれが現代では大きくなりすぎて一つの共同体として感じられないのである

厚生病院の裏の畑にダリヤが咲いている、その隣の庭も花が咲いている
そこの家は留守だったので写真を自由にとれたのである
写真は結構むずかしい、花は近づいて大きくとるのがコツのようだ
そしてカメラもいいものでないと本当はきれいにとれないことがある

揚羽がとれたので良かった、揚羽と鳥が動いてすぐに消えるからとるのがむずかしいのである

今日はここは晴れた、梅雨はようやく明けた、写真をとるにはいい、ただ暑くなると日射病になるのが怖いのである
老人はこれに気をつけないとまずい、ただ晴れてからっとしているからいいみたいだ


2020年08月01日

去年の水害の爪痕 (上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)

 去年の水害の爪痕

(上真野川―水無川の被害が大きかったー復旧は長くかかる)




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これは小池の付近である

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風穴の湯への橋が壊れた

これも不便だったと見た、渡ることができないからだ


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ここはなんとか自転車で通れた


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ここで完全に通行止め

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橲原(じさばら)は草ぼうぼうで田畑は荒れている

ここは回復しないのか ?




上真野川というより水無川である、ここは下の方では普通は水が流れていない、水は下をくぐって流れている、でも上になると水は流れている
小さいようで上になると結構大きな川にも見える
この川のさらに奥は神秘的な場所になる、そこに行く道はなくなっていた

とにかくこの川沿いに道が寸断されていた、それも大きくえぐられて危険になっていた
こういう場所は車は通れない、自転車だとたいがい通れるのである
でも急に前が崩れていると怖いことがある、それは高倉の方でそういう場所がやはりあり危険だった、前は陥没していたからである

去年の水害は思った以上深刻だった、いたるところに水があふれて砂利が流れだして道をさえぎった、木も流された、相当な水量だったのである
それで丸森町で被害を大きかった、何か雨の量が相当なものだったのである

この復旧は長くかかる、新田川でも被害があり壊れた土手は復旧していない
何か災害がつづく、災難の時代なのである

浜通りは海側は午から晴れた、山側はまだ梅雨の雲がある、でもそろそろ梅雨は明ける
長い梅雨だった

2020年07月31日

紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌) 紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌- 亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)


紫陽花、合歓の花、鬼百合・・・(夏の花の短歌-  亡き人を偲ぶ歌-猫の写真)

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この猫は人になれない、さわらせない、近くにはよる
猫を飼う人はその猫に似るというのも本当かもしれない
自分の性格がこの猫ともにているからだ
なれなれしくなく何か人となじまないからだ
この猫は一か月くらいいなくなって尻尾を焼かれて悲惨だった
そこから血が流れていたのである、それもとまったので助かった
そのために余計に人になれなくなったのかもしれない
ただもともと人になれない猫だったのである

いつでもつんとしている、これがいつもの表情なのである
だからまさにこの写真がこの猫にふさわしいとなる

写真の不思議は絵に近くになる、絵の才能が全くなくともパソコンで絵にできる
ここで気づいたのは葉っぱに雫が見えた
するとここを目立たすようにもできる
ここに雨粒を大きく見せたりして加工するのである
また絵だと銀色にして雨粒を描く
つまり猫そのものがシルバーなのである、何か明るい感じがしない
猫は梅雨の日にあっているともなるからだ



雨しととこの道今日も合歓の花

鬼百合の競い咲きにし十数輪 

(京都―八坂神社)

古木なる枝垂桜や京の夕

京の日や枝垂桜によりそいぬ


山鳩の野に飛びにつつ働ける人のありしも実りのあらむ

我が庭の石のぬれにしその上に猫の座りて家にいつきぬ

めずらしき蝶のとまりし街の辻我のみ見るや心にとめぬ

交われ近くの女(ヒト)や草深く藪甘草咲き我が家のあり

紫陽花のことしもやさしく庭に咲き亡きにし女を我が偲ぶかな

我が身とて消えゆくものを今しばし花のそばにしよりそいあらむ

花とてもよりそう見れるその人のありしを思ふその場なるかな


梅雨がつづいた、そろそろあけるかもしれない、今日午後三時空を見たら晴れて来た
何か山鳩は鳩は平和の象徴である、田舎では山鳩は常に見かける鳥である
その鳥にしてももし原発事故のように荒地になって野に働く人もいなかったら
その鳩も活きていないとなる、もし全く人の住んでいない原始の自然だったら別にそこに活きていた

でも人が住むようになったとき違ったものとなった
人が野に働き平和な時、鳩もその人里に来て調和する、人の生活と調和する
そこに暮らしがなくなったらそうは感じないのである
それを象徴しているのが飯館村とか原発避難区域になった所である
人が住んでいない、暮らしもない、それげ生業を返せと裁判も起こした
今あるのはソーラーパネルと今度風力発電とかの工場ともなる

それは確かに利益を出すものだから仕方がないともなる
でもそこに山鳩とかが飛んできて調和するだろうか?
ただ別に田んぼで働いていた人は草刈機で草を刈っていた
するとやはり機械の騒音とかがそこにある
意外とこの草刈の騒音が嫌だいう人がいたのもわかる
毎日どこかで草刈しているからその音がするからだ
だから機械から離れて人はもはやありえないのである

庭の石に猫が座っている、雨に濡れた石に座っている
それを見ていると石と猫は一体化して調和する
猫が石になり感じである、自然は動物でも自然と調和する
なぜ人間だけが調和しないのかとなる

庭に紫陽花がやっと咲いた、今回は切ったので遅く咲いた
その時ここに姉が立っている感じになる
ただやさしいというとき自分にはやさしかったが優しいという女性ではなかったのである人間は死ぬと理想化するのである、悪い面が見えなくなるからである
となるとやさしいと偲ぶのは何か理想化してやさしい観音様のような女性がそこにあるように見たともなるのだ
人が死ぬとどうしても理想化されやすいのである

花の不思議は花を見ている人がいる、やがてその花を見ている人も消える
その時花もまたその人を偲んでいるとなる
これは別に恋とかの歌ではない、万葉集の歌は死んだ人を偲ぶ歌だとされている
恋とは乞うだったとしている、もう一度死んだ人と会いたいという歌だったとされているからだ

ともかく花とともに季節は変わる、今は合歓の花が咲き山百合が咲き鬼百合が咲いた
花ともに季節は変わってゆく、お盆になればもう秋だとなる




京都の八坂神社について書いた、あそこは30年前とかに行った記憶がある
何か本当に遠い日のことになった、でも京都は春夏秋と四回くらい行っている
それで八坂神社の枝垂桜は大きく見物である
京都に咲く桜でも何か違ってい見えるのが不思議である
それは千年の都だから自ずと何か歴史がそうさせているのである
でも正直インパウンドで外国人であふれたときは行きたくなくなった
情緒もなにもなくなるからだ、修学旅行生でもうるさかったのだから古の京都の情緒はなくなったのである
今なら本当に京都に行くのにはいい、閑散とした京都はありえなかったからである
でもコロナウィルスでまた行けないとなっているのだ
とにかくこれだけ旅行したがそれも今は記憶としてたどるだけだとなる