2022年03月30日

春の日に横手から松川浦へ (喫茶店は場所がいいと価値がある)


春の日に横手から松川浦へ

(喫茶店は場所がいいと価値がある)

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まだ白鳥がいた、今年は寒いからなのか?(宇多川の河口)

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グランパ
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偶然こんなふうにとれたのも不思議
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これは大きな石の倉庫である、石の蔵は結構被害があった



(横手)

春なれも御堂廃れて木の根っこ

春の日や円墳いくつか横手かな

(松川浦)

春の山丘の上なる喫茶店

若妻と子とにぎわいぬ春の草

白鳥なお残りいて春日さす

松川浦水面光りて初燕

松川浦春の鴎や喫茶店

春の夕母の子を抱き眠るかな


犬ふぐり御堂の前に咲き満つも参る人なく廃れけるかな

春なれも横手の御堂廃れたり地蔵倒れて直す人なし


横手から松川浦の方に行った、横手は円墳が五つくらいある、これは電車からも見える
そして南相馬市の鹿島区は古墳の町として知られている、それだけ古墳が多いからだ
ただ桜井古墳のような大きなものはない、
今回はその円墳の後ろに御堂がありそこは廃れていて誰もお参りしない
地蔵とかも倒れていたし直す人もいない、その隣の家は空家になっていた
何か空家が目立つのである
この御堂は誰も参る人がないから廃れた、でも江戸時代からありここに人がお参りしていたときは活きていた、その暮らしが消失したのである
これは別に原発事故とは関係していない、その前から廃れていたのである
こうして暮らしがなくなると御堂でも神様で死んでしまうのである

そういうことは原発事故の避難区域が空家だらけとなって多い
そうでなくても空家が増えて限界集落がふえて昔あった暮らしが失われ神社でも御堂でも廃れるのである、何があそこに祀られているかもわからない、やはり時代によって失われものがありそれはもう回復しないのである、なぜならそうした暮らしがなくなったからである、村があるとしてもそういうものもここではなくなっている
ただ古墳があるのだから古代から長くここに人が住んでいたのである

次に相馬市の道の駅から近い小高い丘にあるカフェDOMANI【ドマーニ】でランチを食べたここは二回しか行っていない、ここは場所がいいのである
前は畑であり春の山が見えた、畑には春の草が見えた
メルヘンチックに作った喫茶店である、あれは結構金がかかった感じがする
子供と若い人に向きに作っているとしても結構年配の人も入っている

今春休みだから母と子どもと一緒に来た人がいた
そこでちょっと話した、ソロバン習って何の役にもたたないと言ったらその母親もソロバン習ったという、でも二十代でソロバン習っていたのか?
もうソロバンを習う塾はなくなっているのではないか、ともかくせっかく子供の時習ったものでも何の役にもたたないのには本当に損だと思った
どうしても時代が変わるとそうなることがある、先を見据えて勉強しないと何の役にもたたず大損だったとなる

それから松川浦に行き新しいレストラン兼喫茶店に入った
そこは前が松川浦に接して景色がいい、でもそこは喫茶店ではない、レストランであり食事する場所である、だから中はうるさくみんなで食事していた
喫茶店はやはり食事するだけではない、くつろぐ空間の演出が必要である
でも今はもう喫茶店だけではやれないから相当に減ったのである
私は喫茶店が好きである、休み物思いにふけったりしていたからだ
喫茶店は場所が影響する、あそこは薔薇の花を飾って有名である
でも前が畑で山脈が見える、場所としてはいい、磯部にも新しい喫茶店ができたが海も見えないし入る気がしないのである
初燕を見た、二羽くらい見た、これはどこで見るかで印象が変わる、初燕はまさに本格的な春の到来を告げるものである

やはり眺めがいいというときそれで価値が生まれる、気分よくなるからだ
この辺で喫茶店でいいのは中村珈琲店では藤の花が咲き見物である
後は鹿島区の海老村の隠れた所にある納屋を改造した喫茶店もいい
でもここは二回くらい行ってあとは行っていない、まだやっているのかどうかもわからない、ここは予約制であったから簡単には入れなかったのである
あとは鹿狼(がろう)山のふもとの喫茶店は海を望むから気持ちいい場所である
ただそこは自転車で行くのには遠いから簡単には行けない

それから松川浦の新しくできたグランンパは眺めがいい、じき前が松川浦である
春の光りに水面が反射していた、鴎が飛んできた、鴨も泳いでいた
ここは眺めとしては一倍いい、でもここは喫茶店ではない、食事する場所なのである
だからいろいろな料理を出している、喫茶店としてくつろぐには向いていないとはなる

それから浜の駅松川浦によった、これは震災以後できたのものである
ただあまり買うものがなかった、魚とかでも種類とか少ないし買い物で得するというものも見えない、ここは観光客用なのだろう、観光客用は意外と高くてもいいものがないことがある
そもそも漁業というのは衰退産業であり跡継ぎいないとかなっていた
だから実際原発事故でわかったように東電からの補償金で事故前もそっちのほうが収入が大きかったのである、漁協組合はそれだけ補償が大きかった、そのことは追求して来た
ただそうなったのも結局農業とか漁業が衰退産業になっていたからである
そこで東電の原発に頼っていたとなる
でもこれから食料危機が言われているから地元の農業でも漁業でも食料を供給する仕事は大事にされるようになるかもしれない、海外からも食糧か入って来なくなると騒いでいるからである、すると国内で食糧を供給することは大事な優先的な仕事になり収入をも増えるかもしれないのだ
時代が変わり価値ないものが今度は価値があるようになる、原発は確かに金の生る木だったがそのマイナス面が事故で露骨に現れたのである

ここより地元の人が買っている、JA旬の広場が安い、花でも半分くらいの値段である
花は高いからである、ここは地元の人が行く場所である
でもかえってこういう場所が安いのである、別に品物が悪いわけでないのである
こういう場所の方が日常的に地元の人が利用していてかえっていいのである
旅すると観光用の店に入ると高くて損するとなる、でもこういう場所は地元でしかわからないことがある

地震の被害は松川浦でも家全体壊れたのは一軒くらいでありそんなに目立つものはなかった、ただ屋根はそれなりに壊れていた、津波の被害からすれば比べようがないとなる
だからこうした記事でも出せる
相馬市内で大きな石の蔵を直していた、石の蔵は地震には弱かった、でも結構石の蔵があると見た、全体的に見ればあれだけの大地震でもそんなに被害があるとは見えない
津波の被害が一番恐ろしいのである

母親が子供抱くのを見て帰る、地震はあったが全体的には平和である
ただ家の内部はそれなりに壊れている、私の家の場合、階段が壊れたので危険になっている、なかなか被害全容はわかりにくい、それなりに被害はあった
でもあれだけの地震であっても全壊した家は見なかったのである
地震だけの被害だったらそれほどではないと見たのであく

2022年03月23日

地震から今日昨日は厳しい寒の戻り (激しい変化の春)


地震から今日昨日は厳しい寒の戻り

(激しい変化の春)

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これも不思議な現象だった、自分の家を象徴していた
父親の遺影は額縁も壊れて落ちた
死んでから50年以上過ぎている、姉の遺影は落ちず母の遺影は下に落ちたのである
ダルマは落ちなかったのは本当に不思議である
何か自然災害でも不思議なことが起きる、このことは自分の家を象徴していたのである




近寄りて紅梅匂ふ今日も来ぬ

山鳩の今日も来たりて梅匂ふ

満月や梅の盛りに匂うかな

大地震の朝明けて聞く初音かな

寒戻る大地厳しく凍てりつく

枯枝に雨滴凍るを朝に見ゆ


山鳩の今日も来たりて紛々と盛りと尽きず梅匂ふ

なお揺れむ地震(ない)恐ろしもこの土地を離れられざり梅の匂いぬ

姉と母我に尽くして死ににしを忘ることなし供養するかな


大地震から昨日は真冬になり凍てりついた、春だなと見ていたら昨日は真冬の一番の寒さの感じだった、朝は雪景色になった、その雪も凍てりついていた
この変化は激しかった
地震の被害もあったからこういうときは風流もなくなる
でも春は春である、地震の前は満月だったし梅が盛りと匂っている
ただとても自然を楽しむとかならない、恐怖にふるえてはそんな余裕がないとなる
また地震で壊れた所も直していない、でも屋根瓦が破壊されなかったのは良かった
新し家でも今日見たら結構壊れている
場所により地震の影響は違ってくる、それでも電気水道は元にもどったから良かった

人間はこんなに地震があったり津波があったりと災難がつづくと地震とか津浪のない所に住みたいとなる、でも簡単に離れることができないのである
今回の地震で姉と母の遺影を飾っていたが母の遺影が落ちて汚れていた
でも姉の遺影は落ちなかったしダルマも落ちなかった不思議がある
父の遺影は高い所にあったから落ちた
これも不思議だと思った、自分の家では姉が主役であり父親のようになっていた
母は脇役になっていたのである、だから母の遺影は落ちて汚れていたとなる
ただ私は60歳まで二人に尽くされたから忘れられないのである
それで供養しているのである

家族にはいろいろありみんな違っている、複雑なものがあり他者からわかりにくいのである、ただこうして自分が自由に生きられたのは姉と母がいたからである
そして今は一人になり家を継いで守っているとなる
それぞれの家には歴史がありやはり家とか土地と一体化するのである
ここでは一回は家が水没するくらいの被害にあった
それで二階が必要だと新しく建てた、でもまた堤防が決壊して床上浸水になった
ここが一番街で一番低い土地だからである
でも父親が苦労してこの土地を買い家を建てたという歴史がある
家には必ずそれぞれに歴史がある、その歴史を知ればここも貴重だとなる
でもここの土地は価値がない、低いから水が下水から家の中に入ってきたことが最近あったしこれからもあるからだ
意外とこの土地の歴史は分らないで家を建てたりすることがある注意である

いづれにしろ空間軸と時間軸でなんでもある、でも時間軸のことがわかりにくいのであるウクライナやロシアを理解するにしても空間軸だとなんとなくわかるが時間軸となるとれき死となると簡単にわからないから誤解するのである
そもそも地元にしても狭い範囲でも時間軸で理解することがむずかしいからである

まずロシアとか中国でも満州とかなると相当に寒い、凍てりつく大地である
だからそういう広い土地に住んでいる人の気持ちもわかりにくいのである
ロシア人は忍耐強いというとき寒い地域だと日本でも東北でもそうなる
でもロシアとかの寒さはこことは比べようがないのである
ただ黒海沿岸は比較的あたたかいというときクリミア半島はロシア人が別荘にしているというときそこはあたたかいからである
ロシア人の別荘は地中海沿岸でも暖かいから金持ちは持っているとなる
またシベリア地方に移住させられたのはクリミア人だというのもそうだったのかとなる
シベリアとかなると誰も住みたくないとなる
ロシアでも中国でもアメリカでもそれが広いから日本人感覚で理解できないのである



2022年03月14日

春の朝、万寿菊(春の虹の写真を今日の朝撮った)


春の朝、万寿菊(春の虹の写真を今日の朝撮った)

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山鳩の鳴きて目覚むや春の朝

春の日に国見山見ゆ鹿島より

山の方朝日のさして春の虹

春の虹切れ端残る街の上

石二つ庭に動かず万寿菊


葉牡丹の一冬耐えて桜草我がそえ置きて春の日さしぬ

三輪の万寿菊さく我が家になお姉母とここに生くべし

今日も見ゆ汚れなき花我が部屋に心に映り安らかなるべし




朝は自転車で外に必ず出る、天候を見るためである、これまでは白鳥を見ていたが白鳥は去った、今日は山の方に虹がかかっていた
これはめずらしい、この辺では夕方に海の方に虹がかかるのが多い
天候的にそうなる、山にかかるのはめずらしいのである
虹は最近ずっと見ていなかった、春の虹はあまり見れない、それで気持ち良かった
その虹は長くかかっていて街の上に切れ端として残っていた

やはり街というとき一つの共同体としてある、イオンとか大きなスーパーが街ではない
人工的なものでありそこに虹がかかっても映えない
ただ本当に街は寂れてしまったのである、街は本当は新しく作らないと再生しないと思う今までの街では店すらなくなっているから街になっていないのであく

万寿菊というとき名前がいいし合っている、何か長く咲いていてその色がいいのである
それで死んだが姉と母がなおほのぼのとしてここにいる感じになる
死者もやはり家には生き続けているのである

葉牡丹に桜草を買ってそえた、葉牡丹は氷りつく手水鉢の脇に一冬耐えた、そこに桜草を置いて華やいだ、春の日がさして心地よいとなる

2022年03月11日

震災原発事故で失われた時間軸の歴史 (震災から11年後で忘れられてゆく)


震災原発事故で失われた時間軸の歴史

(震災から11年後で忘れられてゆく)

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震災から11年も過ぎるとあれだけの惨事でも忘れられてゆく、地元でも避難区域ではない所は関心が相当に薄れてゆく、でも避難区域になった所は依然として元のように回復しないからその場に住んでいれば震災のことが忘れられない
ただ移住した人々はどうしても疎遠になり忘れられてゆく、人間は過去はどうしてもないがしろにされ今に何でも関心が向く、次々にコロナウィルスとか今度はウクライナにロシアの侵攻とか北方四島でロシアがミサイルを発射したとかなると今はそれが恐怖になる
ともかく私の個人的なことでも家族が認知症になったとか次々に恐怖を経験した
原発事故ではウクライナの原発が攻撃されたとかプーチンが核を使うとか恐怖になった
家族の認知症からはじまり恐怖の連続だったのである
だからこれは何なのだろうとなった、世界最終戦争も言われた
こんなに災難がつづくことが何なのだろうとなる、末世であり世界終末現象なのかと恐怖する

原発事故で失われたものは何なのか?

世界が空間軸と時間軸で形成されている時、時間軸で積み上げられて作られたものが失われた、人間は何か事が起きる時必ず空間軸と時間軸で起きる
それでtake place(起きる)であり場所が関係している
でも時間軸でも事が起きることを見なければならない
ウクライナでもあの辺は歴史をたどれば複雑であり国が消長を繰り返していた
今の国は領土でも同じ領土ではない、広がったり狭くなったりしている
歴史的興亡があり国土でも同じ国土ではない、それは日本とは違った歴史だからである
この時間軸で見るのがむずかしのだ
ウクライナでもロシアが攻め込んできたのはすでにシリアにありそこが発端となって連続していたのである、こうした事件でも突如過去と関係なく起きていないのである
ただ外部の人は常に時間軸で見ていないから理解できなくなるのである

ともかく何か原発事故で失われたのか?それは時間軸で積み上げてきたものである
時間軸というときわかりやすいのは親が残したものである
さらに祖父母が残したものでありさらに時間をさかのぼると先祖が残したものだとなる

例えば土地土地には必ず歴史がある、一つの区域でも歴史がある
それで最近近くに移り住んだ人に自分の家のことを語った

「私の家は街で一番低い場所にあるんです、それで伊勢湾台風とかで家が流されるくらいの水が押し寄せて大変な目にあったんです
二回も床上浸水にあったんです、ここは低いから土地の価値はないんです
この前も下水から水があふれて家の中に入って来たんです」

「それなら知っています、見てましたから」

それから私の父は葛尾村で生まれ双葉町の新山で酒屋の丁稚をしていた
そこから暖簾分けしてここに来た、酒屋でありそこでこの土地を買ったのである
ということはこの土地は街で一番低いにしても苦労して買った土地なのである
そういう歴史をがあり意識する、それは何でも個々人の家でも歴史があり
国でもそうである、歴史がありその歴史が語られる
ただこの歴史は忘れられやすい、百年前の津浪の大被害でも忘れられるからである
人間は実際にな生々しく感じられる過去は祖父までである
でも歴史は実際は延々とつづいている、日本だと先祖は山に入って神になるというときそうである、それは時間軸で見る世界観なのである
代々つづく家はこの辺だと野馬追いにでる家は古いとなる
南北朝時代からの歴史がこの辺にある、只野の姓はこの町に多い、それは霊山に南朝の城がありそれが炎上して滅ぼされて逃れてきた人達の末裔だったのであるつ
それで野馬追の旗には菊の紋がある、それは南朝の紋だったのである

その人は最近来たからこの土地のことがわからないのである、つまり空間を移動してきたが時間軸のことはわからないのである、人間は空間は簡単に移動できる
でも時間軸で起きていることは簡単に理解できないのである
確かに空間軸としてこの場所があり時間軸で災害の歴史がある
ただ時間軸となるとなかなかわかりにくいのである
それで外国に行っても時間軸で作られたこと起きたことは理解することは容易ではないのである、二千年前の歴史を理解することは本当にむずかしくなる

そもそも身近でも時間軸で理解することはむずかしいし近くでも気づかないのである
何か南三陸なのか百年前にあった津波のことを記した石碑があったが流された
でもその石碑のことを知らない人が多かったという、石碑にしていても百年前でも忘れ去られていたのである、それが津波で流されたので元にもどした
そのことは相馬藩内でも相馬藩政記に二行だけ津波のことが記されていた
生波(いくなみ)で700人溺死と記されていた、それは400年前のことである
戦国時代のことでもあった、それも忘れ去られていたのだ、学者すら津波が起って発見したのである、だからこの辺では津波が来ないとなっていたのである
百年前でも忘れられるのだから400年となればもう誰も注意するものもいなくなっていた
でも私は郷土史とか興味があるからもしそいいう碑があれば注目していたかもしれない
やはり碑のある場所があり時間軸としてもある、そういう記念碑なのである
それで碑として残すことに意義がある
つまり碑をいつも見ていれば忘れないとなるからだ

原発事故などで失われたものはこうした時間軸で形成された歴史である
もしこの土地を離れて別な土地に移住した人達は土地と時間軸で形成された歴史が失われる、それを語るにもそういう土地も家もない、みんな新しく始まるのだから語りようがないとなる、ただ津波や原発事故のことは語られる、ただ家とか町とか村の歴史は失われる代々築いた歴史は失われる、例え三代くらいでもやはり歴史となるからである
その損失は自覚されにくいが大きいものともなる
老人にとって一番大事なものは何かとなると、思い出なのである
思い出も空間軸と時間軸で作られる、この時間軸で作られたものは空間のように具体的に感じない、それは物として残るものではなく心に刻まれたものだからである

人間は愛情にしても何でも時間がないと生れにくい、全然知らない男女でも見合い結婚でも長く暮らしている内に家族となるというのもそうである
家族でも本当の家族になるには時間が必要になる、家族とは長い時間で育まれたものである、子供の時から一緒に暮らすことで家族になるのである
だからいくら血縁でも私は母親だと言っても一緒に暮らさないとそう思えないのである
他人でも一緒に長い間暮らしいると家族になるのである

いづれにしろ津波とかでは延々とつづいてきた歴史が断絶した、別に空間は土地がなくなった訳ではないが人間が継続した生活の歴史が断絶したとなる
移住した人たちは一から新しく歴史を作るとういことになる
人間はどうしても一代では何か成すことがてきない、豊かにもなれない、必ず代々の積み重ねがあって豊かになる、何か自分の場合は明治生まれの父親でも貧乏であり大正生れの母親も貧乏である、それはみんなその時代は貧乏だったのである
そうしして家族に不幸があり何か私の家族は私のためにすべてあったとも思うようになった
兄がいたとしても交通事故で死に不幸だった、それは自分の家の事情でもそうなった
そうして最後に残ったのが自分一人だったのである、自分一人が墓参りをして供養しているとなる

ただ親とかなるとそれは子供の血肉ともなる、自分自身を作りあげてきたのが親であり
先祖だと自覚する、自分の場合は特別恵まれたからそう意識する
長男長女はその家を受け継ぐものであり大事にされる、その代り責任も押し付けられる
そこで家族が認知症になり死ぬ思いして介護したとなる
長男長女は家のカルマをいい面も悪い面も受け継ぐのである
だから財産でも兄弟姉妹で等分するというのはかえって不公平にもなる
なぜなら家を継ぐのは長男であり長男は責任を課せられているからだ
それは人間の長い歴史でそうだったのである、兄弟で平等だというのはかえって不公平にもなっていたのである、財産だけはもらうが親の介護するのは世話するのは長男にまかせるともなったりするからである

とにかく震災から11年過ぎるとやはり忘れられてゆく、もう外部では関心がなくなる
では復興したのかとなると避難区域はしていない、空地だらけ空家だらけなのである
子どもたちはもう帰ってこない、生活が別になり帰ってこないのである
取り残されたのは老人だとなる、それも親とか祖父母とかのカルマでそうなったのかともみる、原発の危険性を無視して金を求めるだけだったからである
それがカルマとなって責任となってとらされたのである
すべてではていにしろ必ず人間はカルマが作りその責任をとらされるのである

2022年03月05日

葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ー牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)にした)


葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)

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小林天華

玄関に春の日してやわらぎぬ

村の道蝋梅二本なごむかな

春の星並びて三つきらめきぬ


我が家に手伝う女や紫の葉牡丹静か色を深かめぬ

紫の葉牡丹静か色深め我が元にそ一冬咲きぬ

我が家の広き間にしも赤き百合匂い放ちてその香の充ちぬ

今日も見る壺に挿す花その色の心に深く映しけるかな



森の奥人目に触れずこぶし咲く石は黙してその花宿す

森の奥誰かひそけく去りにしを人目にふれずこぶし咲き暮る



俳句と短歌を並行して出してきたがどうしても俳句は表現に限界を感じる
短すぎるのである、でも短歌はそれなりに深いものができる
それはやはりただ長いということにある、その長さで表現の幅ができている

俳句は写生で作って来たが蝋梅が二本咲いているとか星が三つとか何々が十輪だとか
数を表現する、だから鶏頭の十四五本のありぬべし・・という子規の俳句が問題になったのである、数によって感じ方が違ってくるからである
蝋梅が二本咲いているのと一本では違っている、二本咲いていたのはめずらしいとなる

葉牡丹は冬にふさわしい、家に来る女性は葉牡丹だともなる、何か見映えがしない
苦労して他の女性よりふけてしまったのである、ただ手伝いさんとかではない
実際はほとんどなにもしないからである、一人でいるのもまずいからつきあっているともなる

花でわかったのは花を心に映すには時間がかかる、フラワーアレンジメントでも一週間以上毎日見ていると心に映ってくる、色を深めるという感覚になる
葉牡丹の紫は何かほのぼのとしてにじみでるものがある
人間は空間軸と時間軸で常に構成される、何かを見るにも必ず時間が必要なのである
花でも家の中で長く見ていれば心に深く映じてくるのである

こぶしの花は丸森の森の奥の方に咲いていた、ここは人がほとんど通らない森の道である丸森は森が深いのである、飯館村もそうだが丸森は江戸時代から木材が豊富で相馬藩と伊達藩と米沢藩で争っていた、それだけ森が深いから木材があった
でも最近は山全体がソーラーパネルになったりしているので森が映えないということはある、とにかく科学技術はどうしても自然と相いれないものがあり景観を壊すのである



自分のペンネームを俳号を天華にした、花をテーマにすることが多いからこれがいいと思った、老鶯はやめた、私は天の国に行き花園にいる、花を見て過ごすのである

2022年02月27日

相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅


相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅

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相馬藩六万石や冬椿

城下町石橋わたる冬椿

城下町松は忠義や冬椿

冬の灯や職人の仕事城下町

薬師堂紅梅匂ふ町場橋


日立木の薬師堂に紅梅が咲いていた、今年は寒いから早いとも見た
第一相馬市まで自転車で行けなかった、昨日は春の陽気になり行った
城下町というときそこに歴史があり何かしら感じるものがある
相馬市は原町のように新市街が形成されないから城下町のままの町割りになっている
そこでいつも感じたことは冬椿が似合っているなと見ていた
石橋があるのは小泉川の塩地蔵のある所である

日立木の町場橋とか町場川がなぜ名付けられたのかわからない

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。

歴史的に日本の住宅は、伝統的木造軸組工法により大工や左官、とび工など地域に住む職人により建築されてきた。大工#町大工を参照

日立木を行く
http://musubu.sblo.jp/article/187242550.html

9世紀初頭の丸森町の「町場替」は、過去の水害に対応した空間編成によって
町場が形成され、現在の丸森町の「原型」をつく

丸森町に城下町が川の側にあった、そこに町人の町屋があった、
下級武士とか足軽町とかがあり居住地が分かれていた
その後新町場が生まれたのが今の斎理屋敷のある通りである

(19世紀初頭丸森町の「町場替」と歴史的空間の変遷
https://irides.tohoku.ac.jp/media/files/disaster/typhoon/marumori_machiba_19thcentury_ver1_5.pdf

では新地の町場橋はそこに居住していたのが大工とかの建築関係の人達いてそうなったのか?
それとも宿場と宿場の間の距離にあり町場となったのか?
相馬市の城下町からそれほど離れていない、だから城の延長地域として町場があったのかとなる、宿場町にしては近すぎるからである、ここで泊まる必要などないからである
鹿島町でも宿場町とはならなかった、原町になると宿場町になった
相馬市から20数キロあったからだ
日立木の町場とはやはり大工町とかあるようにそういう職人たちが住んでいたのかもしれない、ここに薬師堂がありそこの碑を見れば相当に古い、ただ町場橋は江戸時代に名付けられたものだろう

ともかく城下町の雰囲気があるとてしも外部から来る人には感じないともなる
城にしても石垣だけだし何かここに城があったのかともみるからだ
でも何か雰囲気として歴史がある所にはある

金沢の松曲がり古り十月桜

金沢の兼六園がそうである、金沢となると百万石だから歴史を感じるものがある
城があるところには一応城下町であり歴史を感じる

春や昔 十五万石の 城下かな 正岡子規

これは松山藩のことであり明治28年の作である、この時代はまだ江戸時代の雰囲気が残っていた、正岡子規が侍の出であったしまだ遠い時代のことでなかったからだ
ここで明らかに十五万というのが活きている、それなりの規模だからである
相馬六万石とは違うからである、何か城というとき何万石とかでその規模が計れる
だから会津藩三十万石・・・とかなりその下にそれにふさわしいものを入れるといい
これが自分にはできなかった、やはりそこに住んでいないとぴったりしたものが作れないともなる、六万石となる冬椿があっていたともなる
私は正岡子規の写生俳句を習って俳句を作りはじめた
この写生俳句はあまり才能を必要としないのである
見たままを写真のようにして作るからである

薬師堂紅梅匂ふ町場橋・・・これも全く写生なのである、そのままであり何かイメージして装飾するものもないからである、でもその場のことを如実に語っているのである
何か葉牡丹でも俳句にしたが十輪とか数字にこだわるのも写生だからである

今日はあたたかったが急にまた北風が唸りふき寒くなった、春は名のみの・・とかなる
やはり今年はまだ寒くなる、自転車は風とか寒さには弱い、昨日も風は吹いていた
でも行って良かったとなる

2022年02月24日

冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)


冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)

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山々のさえぎり隔て冬深む

みちのくの大地に根ざし冬深む

みちのくの人や寡黙に冬深む

沈黙に通じ合わなむ冬深む

沈黙し徒言聞かず冬深む

石一つ境に変わらず冬深む

昼の月何事もなく山眠る

冬の山聳え厳しく朝仰ぐ

大いなる山に忘却雪積もる

沈黙の行をつづけむ冬深む

家古りて囲炉裏を囲み冬深む

風唸り軒に干し柿冬深む

ノスリ一羽寒さ身にしむ止まる枝

山は雪ノスリ一羽や冬芒




昔の生活を偲ぶことはただイメージするだけならそれが理想化されるのである
昔は良かったなというときそれは過ぎ去ったからいいものに見える
でも実際の生活となると過酷だった、綿の布団が戦国時代辺りからできてきた
その前は麻のようなものをかぶって寝ていた、それは綿の布団ではないから痛くなっていたという、人間はいかに贅沢になったか、それを歴史を調べればわかる
ただ実感するのは相当にむずかしい、意外と綿の普及は遅かったのである

しらぬい 筑紫の綿は身に付けていまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
         巻3−336 沙彌満誓(さみ まんぜい)
         
奈良時代にも綿があった、でも日本で使われたのは室町時代からだったとある

敷島の やまとにあらぬ 唐人の 植ゑてし綿の 種は絶えにき 」
       衣笠内大臣家長(1193−1264)

綿の再栽培は文禄の役(1592〜1598)のおり朝鮮から綿種を
持ち帰ったのちで室町末期以降盛んになりました。
種は絶えにきというとき日本で栽培するのに失敗していたとなる
戦国時代になり普及したのである

例えば今普通に使っているものでも醤油とかが普及したのは江戸時代である
味噌はすげに戦国時代に普及している、でも相当に貴重なものだった
醤油は明治になってから普及したら簡単に使えるものでもなかった
それで何もオカズがないときは醤油御飯にしていたのである
醤油をかけると何でもうまいとなっていたのである
こういう歴史をふりかえると今はふんだんに使っているのも貴重だったことを知る

今年は今日も寒い、北風ヒューヒューと外で吹いている、この辺はそんなに寒くないのに今年は寒い、すると寒さの生活を昔の生活を偲ぶとなる
囲炉裏は戦後十年くらい街の中の家でもあった、自分の家にもあった
それをふりかえるとそんな時代があったのかと不思議になる
別に子供の時それで嫌だとか不満もなかった、子供の時は多少貧乏でも餓えるようなことがないなら親の愛情があれば不満もなかったのかもしれない
だから私は一人っ子で大事にされたから不満がなかった
ただ現実に私の母親は子供の時継母に育てられたから悲惨だったのである
また兄も連れ子であり自分の家にいたのは5年間くらいであり大事にされなかったのである、それで死んだけど今も墓を建てて墓参りしている
子供の時冷たくされるのは相当に辛いだろう、ただそのために親二人の介護で死ぬほどの苦しみを味わったのが自分だったのである
人間は何でもいいようにはならない、いいと思うことは必ず反転して悪くなるのである

冬深むというとき今頃はもう春になるが今日はまだ真冬である
だから冬なのである、後二日くらいで天気予報では春らしくなる
冬深むという季語がまだ今でもあっている、みちのくと言っても広いから果たしてそれで一体感を感じるのかとなる、青森辺りは雪に覆われているし全然違った環境である
会津でも雪に埋もれている、だからみちのくという大きい範囲で一くくりにはできない
ただみちのくという感覚は一応共有するものがある
沖縄に行った時あなたは東北人ですねと見ただけてそう言われた
やはり東北人には一目見てもわかるものがあるのかもしれない、それは本当に一目見ただけでそ言われたからである、しゃべりもしないのにそう言われたのである
そういう雰囲気があったからだとなる
何か東北人は寡黙な内気な性格が多いからかもしれない、自分はそもそも内気であり性格的なものが陰だからまた余計にそう見えたのかとなる
確かなことは東北人の気質と関西人の気質は陰と陽のように違っている
これは確かである、でも個々人をみればやはり陽の人と陰の人がいるから一般化はできない

宗教となると修行するということがある、欲をつつしみ口をつつしみ心身を浄めることがある、でもカルト教団とか他の宗教団体でもそういうことをしない、ただ集団で示威行動して欲をつつしめなど言わない、修行もしない、御利益を求めて欲をかえってもてとも
指導しているのだから異常である
何か多少とも欲をつつしめということがあってもいいがそういうことは一切ないのであるだからそれが宗教として認められるのかともなる、ただ宗教を利用して実際は御利益を求めるだけだからである、つまり宗教の初歩的なものもない、ただあくことなく欲望を求める世間と何ら変わりないのである、それで税金を免除されているのもおかしいのである

みちのくとはともかくそれなりその土地の歴史と性格がありアイディンティティが形成されたとはなる、でもみちのくは東北は一つにくくれない、東北でも広いし多様だからである、ただみちのく的なものはある、それは何なのか?その土地と歴史から生まれたとはなる、それは芭蕉の奥の細道でみちのくという感覚が一般化したとなる
でも芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだから狭いのである、その先が実際は広くありそれもみちのくとして延長して見られるようになったのである
ただ何らかみちのくのアイディンティティはあるとはなる
みちのくは繁華な都会とかではなく枯野があっている、その枯野で都会から離れて心をいやす場所だともなる、つまりみちのくは心を癒すホスピタルの場所にふさわしいとなる
喧噪の都会を離れて心を休める癒すにはいい場所だとなる

語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな  芭蕉

いろいろ苦労があったことでしょうがここで心も体も癒してくださいということである
ともかく東北に多いのが湯殿の碑なのである、それは農家の人が冬に湯治に行ったことでそうなっていた、那須辺りからも来ていた、やはり温泉は体にいいとなる
そして農家の人達がそこで仲間と一緒にくつろぐとなる、なぜなら昔の村だったら家族のようもなっいていたからである、そういうのは時代の雰囲気として芭蕉も感じていたのである、今はそんなことはない、みんな農民ではないし会社員だからである
でも一時会社員でも高度成長時代は団体旅行で温泉でにぎわったのである
でもその温泉街が廃墟化しているのは驚いた

枯草や温泉街の夢の跡

こんか感じになるのも時代である、ただこの湯殿信仰には何かみちのく的なものが感じられたのである

ノスリが一羽枯れ枝に止まっている、河の岸であり朝であり山脈は雪が残っている
まだ冷たい風が吹いている、冬芒というのが風景としてあっている












2022年02月22日

白鳥の詩、石の庭、寒椿 (真野川の白鳥の写真)


白鳥の詩、石の庭、寒椿

(真野川の白鳥の写真)

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石組みの庭の堅固に寒椿

石の庭堅固に組まれ朝に雪

石の庭組まれて堅固冬の暮


白鳥の群れて飛び立つ昨日の雪山脈に残り朝に映えにき




蔵王と白鳥

蔵王は雪に真白く閉ざされて
かなたにその威容や重しも
飄々と風唸り雪に埋もれぬ
その姿の厳しく汚れを拒絶する
白鳥の群れ喜々として朝に飛び立つ
その清しさよ心打つかな
その鳴き声は寒空にひびきわたり
二月になお寒しもなおしばしあり
やがてまもなくシベリアの地へ去る
白鳥は大空を翔け去りぬれ
寒さの中にこそ白鳥の純白は映えぬ
神の創りしものの純美こそ誉でよ
その技の巧みにして奇跡なりしも
去りにしあとにただその美麗な姿を見る
ただ神の成さむとせしイデアを見るなり




朝に毎日外に出て白鳥をみる、朝と夕べに白鳥は飛びやすい、今日は晴れて白鳥の群れが山脈の方に富んだ、山脈は雪が残り映える、背景が良くないと映えない
近くには火力発電所の煙突の煙が見えるのと今工事しているから写真たとまずい
でも白鳥でも飛ぶもの動くものは定点観測しないといいものがとれない

それで八沢浦からは蔵王が大きく見えるので写真をとるにはいい、でもなかなか白鳥を飛んでいるのを撮るのはむずかしい、写真は動くものを撮るのがむずかしい
今日は意外ときれいにとれていた、白鳥はやはり寒い時が一段と美しいのである
そして回りの環境が景色に映えるとさらに美しいとなる
ただ写真でもどうしても定点観測しなといいものがとれない
別に白鳥はどこでもみれる、だから北海道辺りだとさらに映える

蔵王は実際冬にも行ったしそこはいつも雪が降っている、雪に埋もれている感じになる
蔵王に映えて白鳥が映えて群れて飛ぶときさらに美しくなる
ここでは高い山がないから蔵王が見えることは貴重である
ただ蔵王は原町区からは見えないのである

そして神が示そうとしたのは何か?それは神が創造したイデアなのである
白鳥をイメージして作ったイデアなのである、だから白鳥が去ってもそのイデアは残る
イメージとしてイデアが浮かんでくるのである

近くの空家の石組の庭はいい、空家が多いが家自体には今はあまり価値がない
ただ家と言う時、そこに長年住んだ人は愛着がある、何か家族がみんな死んだけど
依然として家族がいる感じになる、いつも待っている感じになるから不思議なのである
私は石に興味がありだから庭に興味がある、庭だと余計に毎日身近だから一体化しやすいのである
それであそこの空家の庭は立派である、だからあの庭には価値がある
家には価値がないのである、あの庭だけを記念に残すといいとかなる
つまり空家が増えすぎたけど何か活かす方法があるともなる

2022年02月21日

安曇氏が大和の建国に深くかかわっていた (安曇氏と物部氏は一体ー綿津見神社が原町区に多いのはなぜ)


安曇氏が大和の建国に深くかかわっていた

(安曇氏と物部氏は一体ー綿津見神社が原町区に多いのはなぜ)

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松川浦の原釜にも龍神社がありこれも安曇系の海人の神社である
原町区だと山の奥の高倉に綿津見神社がある
ヤマトタケルの東征神話の竹湊とはたかみなとかもしれない
なぜなら多珂神社神社が高倉に綿津見神社がありここが上陸地点だった
それは安曇系の海人族が入ってきたことが下敷きとなって作られていたのだ
日本の神話は海人族が作ったものである
だから海の匂いに満ちている、それで倭人とは安曇系の海人族だった
また南相馬市の鹿島区の真野古墳群の寺内から発見された船の線刻画は十人くらい乗れる船だとしたら大きいのである、これは東北で初めて発見されたのである
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大原の綿津見神社がここにあった


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ある神社から分霊をして他の地に祀る事を「勧請(かんじょう)」といい、この勧請によって神社が増加していく。

明治初期、約200人に対して一社の神社
こうして全国に創建された神社の数は、明治時代初期で20万社とも云われる。
明治時代初期の日本の人口は約3500万人だったので、およそ200人に対して一社の神社があった事になる。

氏神(うじがみ)って何?
元々の氏神は、「氏」の神と書くように、その地域に住む豪族が祖神または守護神として祀っていた神のことを指します。




■「物部氏族」の出自は極めて難解で、その一族諸氏(阿刀連、津門首、物部依羅連など)の分布・性格、奉斎神(石上神宮を和邇氏族の物部首〔のちに布留宿禰姓〕と共に奉斎)や祖神の所伝(山代国造と共通の祖神を有する)から検討したが、遠祖の「天目一箇命」・「少彦名神」兄弟の母は、「海神族綿積豊玉彦命」の姉妹、「豊玉媛」(高比売)であり、

https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/d4761b6042228547370f9e65cfbe84ae

倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。その遠祖・椎根津彦は綿積豊玉彦命の曾孫とされ、一族は神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる海人族の一族。後裔に久比岐国造や青海氏、明石国造、吉備海部氏などがある

なお、和氏は百済の国王・武寧王の子孫なので、別系統である。

https://library.answerthepublic.net/japan/A/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E9%80%A0

・綿積豊玉彦
@父:伊弉諾尊 母:伊弉冉尊
A子供:豊玉毘売(彦火火出見尊妃)玉依毘売(鵜草葺不合尊妃)宇都志日金折命(別名:穂高見命:安曇氏祖)振魂命

安曇氏系統の氏神として綿津見神社が全国に建てられた、ここでは八木氏が氏神となっていた

安曇族は2〜3世紀の物部東征とともに大和へ進出。やがて物部の力が衰退して神功皇后の時代になると、安曇氏も新権力のもとで朝廷に服従する側にまわったと考えられます。綿津見三神が住吉三神という呼び名に変わったことがそれを象徴しているように思います。

紀元前から博多湾周辺を治めていた安曇族の王こそが、君が代に歌われた「君」であり、志賀島から出土した漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られた可能性が高いようです

安曇野市の穂高神社

紀元前から博多湾周辺を治めていた安曇族の王こそが、君が代に歌われた「君」であり、志賀島から出土した漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られた可能性が高いようです。

記事の中で、安曇族は古代中国においては「倭人」と呼ばれた人たちだったのではないかという仮説も書きました。また徐福を日本へ連れてきた海人族かもしれないことや、いくつかの系図から徐福の血筋と関わりがあるとみえ、姻族の可能性が高いとも書きました。つまり古来より北九州を根拠地とする海洋民族がいて、大陸との交易を自在に行い、そのうちに徐福渡来と関わることで親族となっていったという見方です。古代においては航海を掌握する者こそが権力を握るともいえ、徐福は古代日本の海人族である安曇族、宗像族(出雲系)を真っ先に手中に収めたと思われます。

そして安曇磯良とは何者なのかを調べれば調べるほど、出雲伝承の伝える徐福の息子、五十猛(のちの香語山)に繋がっていきました。実際、丹後の海部氏(籠神社宮司家)と博多志賀島の志賀海神社宮司家の安曇氏は親族ということです。一方物部氏とは非常に近い存在でした。武力の物部氏と航海を司る安曇族が協力して九州を支配していたようです。海部氏も物部氏もどちらも徐福の直系です。

出雲伝承では、徐福の連れてきた海童たち(少年少女)は漁業を営む者が多く、彼らは綿津見の神(海神)を信仰していたと伝えています。彼らはやがて出雲の竜神も拝むようになり、両方の神が合体して竜宮信仰が生まれたのだといわれます

https://somosora.hateblo.jp/

これらは総合すると安曇氏と物部氏は一体であるとなる、安曇氏が君が代の「君」だとするとき日本建国の基が海人族の安曇氏にあったとなる
漢委奴国王の金印は安曇族の王に送られたというのもそうである

ただこの辺でわからないのは物部氏に関する神社とかはない、すべて綿津見神社であり
後は対になった山津見神社である、明らかなことは松川浦に山津見という地名と和田(綿津見)が地名化している、それは松川浦の奥まった場所でありそこに船で上陸して山の方に向かったのである、それはわかりやすいのである
なぜなら今でもそこは船が上陸する適地だからである
ただ当時は海が深く陸地に入り込んでいたから船が入り安かった、それは鹿島区でも原町区でもそうである
そして桜井古墳は新田川の岸辺と海に近いのである

また最近大原に綿津見神社があったことを発見した
こんなところまであったのかと驚いた、そこから八木沢峠を上って飯館村に行ける
そしてそこに綿津見神社と山津見神社がある、八木沢は安曇氏系統の同族である
犬飼(犬養)もそうである、こうして点々と安曇氏の八木氏系統の同族が地名化している鹿島区に綿津見神社が見当たらないとしたが栃窪村には山津見神社がある
山の方に入ると山津見神社になる
ただ高倉にも綿津見神社がある、こうして安曇族系統のものが山の方に入っていったのである、でも綿津見神社がそれほど古いと地元の人たちは意識していないだろう
桜井古墳とか鹿島区の古墳なら古いと見るが綿津見神社とか山津見神社が古いとは見ていないだろう、そもそもそうした古代からある神社とあるのに何か謂れも伝承もないことが不思議なのである

ただなぜ桜井古墳が原町区にあるのか?

なぜ原町区に綿津見神社がこれほど多いのか?

物部系の神社とか地名とかがないのか?

綿津見神社が鹿島区に見当たらないのか?

この疑問はやはり鹿島区の真野郷より前に原町区に安曇族系統八木氏が入ってきたからだろう、そして物部氏と一体化したのだろう、物部氏の神社としては海老に近い御刀神社がある、これは海老がエヒであり蝦夷であった、だから刀を使い征服したみる
だから物部氏は原住民の縄文人の蝦夷と戦ったともみる

物部系の神社とか地名とかがないのか?

これは安曇系八木氏が入ってきてそれが主役となり物部氏は従属した立場になったからともなる、そして次に大和王権の国造(くにのみやっこ)が浮田に置かれて中央の奈良の大和王権がかかわり大伴氏がかかわり真野古墳群ができて寺内の前方後円墳から金銅双魚佩が発見された、その下賜されたのは大伴系の有力者だったと推測する
つまり大和王権の支配地域と鹿島区はなり真野郷はなった
浮田国造から中央の大和王権の支配がここに成立したのである
こうして海洋民族の安曇族が日本国家の建国の基となっていたのである







 
 
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2022年02月16日

冬深し、枯木、冬樹、老木、残る雪、春夕日(冬から春へ近辺回る)


冬深し、枯木、冬樹、老木、残る雪、春夕日(冬から春へ近辺回る)

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橲原村の立目石
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大原の柿の木の老木ーいかにも老木らしい
畑に雪も残っている

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この木は古いものではない、ただ10ねんくつらいは過ぎた


玄関に老骨のごと枯木の影

影の濃く冬樹数本一人行く

この道の親しく行くや冬深む

冬の水底まで澄みぬ巌かな

大原に老木一本冬深む

枯草や温泉街の夢の跡

春夕日山の端に没り一番星


春日さし橲原(じさばら)への道我が行きぬ立目石あり残る雪かな

静謐の宮居にあれや花咲きぬたずぬる人もひそけかるべし


今年は寒かった、二月でもまだ冬深むとしいう感覚である、東北だと立春が二月というより三月になるだろう、でも隣の空家のボケの花は咲いていた
二月に春の兆しはある

橲原(じさばら)から大原を回ってきた、今年はやはり雪が残っていた
この辺でぱ雪はほとんど残らない、実際二日ほど春めいたから雪はほとんど溶けたのである
橲原に立目石がありそれが目印となる、でも田畑は荒れてしまった
山村があり漁村がありという風景はそもそもそこに暮らしがあって作られて来た
それが原発事故で荒れ果てた、でも不思議なのはそういう場所でも山村でも生活していたのである、私の家は橲原の木材を利用して建てたと姉が自慢していた
戦後まもなくは木材とかは地元のものを利用していたのである
なぜなら戦後十年くらいは炭だったから燃料になる木材が必要だったからである

何か原発事故以降山村は荒れ果てた、それが淋しい、ここだけではい限界集落が全国各地にあり消滅する危機にある、喜多方の奥の方にもそういう集落がありyoutubeで見た
会津の方でもかなりそうした限界集落がある
そして東山温泉とか他でも温泉街が廃墟化しているのは驚いた
それは高度成長時代の夢の跡だともなる、その頃景気がいい会社とかで団体旅行が盛んだったからである、それが今は減少してコロナウィルス騒ぎでさらに打撃を受けた
ただ私は温泉宿に泊まったことがない、高いから泊まったことがない
何か北海道辺りでひなびた温泉に途中よって泊まったことがある
ただそれがどこかかは忘れたのであく

今は旅ししているのではない、保養でありそれで常に食事が問題になるのである
うまいものを食べて飲めや歌いやになっていた
それが廃墟化しているから一時の夢の跡になってしまったのである
私は温泉街などは好きではない、ひなびた宿とか何か温泉でも秘湯とかがいいとなる
実際に車だと本当に秘湯めぐりをしている人がいる
でも車がないとできない、温泉は交通の便が悪いからである

橲原から大原へ行った、そこに老木がある、柿の木である、いかにも老木らしい
大原でもそこも田畑が荒れ果てた、そこの前田とかに住んでいる人と南相馬市立病院に一か月入院していた、でもその人がいつも心配していたのは猫だったのである
息子はいても農業の跡を継がないからだ、そして今は空家になった
息子は市内に家を建てているから住まない、近くにまだ幽霊屋敷の廃屋が残っているのも不思議である、本当にあそこは幽霊屋敷である
幽霊が未だ住みついているのかとなる、そのために壊さないのかとなる

日本でも山村とか辺鄙な場所が限界集落となり消滅してゆくのは淋しい
というのは街とか都会ばかりだと何かものたりない、自然の中に人間も生きていてこそ自然も活きるとなる、そういう場所がなくなることは何か変化もなくつまらなくなる
いろいろな場所に生きていてこそ変化があるからだ
町とか都会ばかりだったら人間の暮らしに変化がなくつまらなくなる
ただそこに暮らす人にとっては厳しい、だから消滅してゆく

ただまだこの辺では街に近いから消滅するまではならない、でも原発避難区域になった場所は維持できないだろう、一万の町でも6000人の村でも限界集落化して消滅に向かっているとみる、日本はとにかく人口も減り経済力も減退して縮小ししてゆくからである
ただ村は古代からもずっと続いてきたのである、それがなくなることは歴史も失われるそれで飯館村の神社を見たら誰もお参りする人がなくなり神様も淋しいとなる
神様も捨てられたゆくのである

枯木の影が玄関の曇り硝子に映っている、それがまるで百才生きた母のようにも見える
木でも石でも家と一体化する、だから人が住まなくなった空家は一段と淋しくなるのである、つまり庭の石でも木でも人間化していたのである
そのために人が住まないと一段と淋しく感じるのである
田舎はやはり静謐であり冬深むという季語を感じる、これが都会だったら感じない
それで私は瞑想して何も聞こえないとき至福を感じるのである
そういう引きこもりの生活を30年くらいしていたから異常だったとなる
性格が陰でありそうなったとなる、ともかく誰もいない人がいない世界に安らぐのであるそして自然と同一化アイディンティティしてきたのが自分だったのである
それもは家族に恵まれたからできたので家族には感謝しているのである

6号線を川子から金沢の方に喫茶店というか農家の民宿のようなのがある、あそこは休むにいいのだがどうしても食事が限られている、原町には外食に行くのでただ珈琲だけを飲むためには寄りにくい
一人暮らしは食事に料理に苦労しているからである
新田川のユッサとかで食事できるにしても遠いのである、やはり原町の道の駅辺りが自転車で行くのには便利なのである

2022年02月14日

葉牡丹(写生俳句と写真)


葉牡丹(写生俳句と写真)

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葉牡丹の十輪ほどや冬の月

葉牡丹の十輪ほど庭に氷張る

石堅く組まれし庭や冬の月


俳句は写生が基本てある、短いからいちいち説明したら表現できないからである
そして写真と写生俳句が合うのである
なぜなら写真とは写生であり写実であるからだ
絵画とも違って写生でありありのままを映しているからである
つまらないようでそれが真実を現しているのである
それで(写俳)という新しい俳句と写真が結合した表現が生まれた
これはデジタルカメラとインタ−ネットができて誰でもできるようになったのである
雑誌だと捨身を出すことは簡単にできない、費用もかかる
でもインタ−ネットだとかからない、またスマホ時代いになって余計に気軽るにできるようになったのである

空家の庭を見て俳句を作っているのも変である
ただあそこの庭は本当に立派なのである、だからもったいなと見ている
誰か活用すればいいと思う、空家の活用はこれから問題になる
ただあそこは家の価値はない、でも庭の価値は相当にある
古い家は価値あるものもあるが住みにくいと隙間風が入るとかで問題である
それでも自分の家には家族と住んだ思い出があり愛着がある

昨日辺りまでは寒かったが今日はあたたかい、なんとなく春めいてきたのである
ただこれからまた寒くなる、今年はまだまだ冬である


大地にほのぼのとその色深く
紫や白に葉牡丹の咲く
冬なれどあたたかく
母の愛のごとく咲く
そこに目立つ美のなきしも
何かほのぼのとあたたかきかな

こんな感じになるのが葉牡丹は鉢にはふさわしくない、地植えで畑に大きいのがもともとの葉牡丹だからである、でもさの鉢植えの花は近くの森の花屋で買ったが良かったとなる

2022年02月13日

機械とAIが仕事を奪うとどうなるのか? (思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になる)


機械とAIが仕事を奪うとどうなるのか?

(思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になる)

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戦前とかなると大正生れの母は働き詰めの一生だった、原町紡績で糸取りをして10年間働いた後東京に出て女中をしていた
働いた金は親にやっていた、それはネパールとかベトナムでも親に仕送りするから似ている、子供は今と違って労働力だったのである、農業でも何でも労働力として大事にされたのである、だから農家だと女の子より男の子が労働力になるから大事にされたとなる
何か私は戦後小さな店を出していて配達とか卵買いとか働かされたのである
私の父親は酒屋の丁稚であり明治生まれだから子供はそうして働くことが普通だったのである、今だったら子供は勉強しろとなるだけである

また私の母親は家が事業に失敗して貧乏になり何か女性としてのたしなみもこせてもらえず働きづめの一生だった、それが貧乏な時代はみんなそうだったのである
その後東京に女中になり働いた、その頃東京で中産階級でも二人も女中を雇ったいたとかなる、それだけ電化されてないなのだから家事が大きな負担となっていたのである
子供の時竈とかまだ使っていたから何か原始的生活だったのである
そのため家事労働が大きな労働となっていたのである

そうして働くことしか知らない、そこで花にも興味をもたない、花嫁修業もない、ただ親のために働かされるだけだった、それが不幸なことだった
だから母親も異常化していたのである、花などいらないとして全く働き金になることしか興味がなかった、戦後は食べ物すらないのだからやはり働き詰めだった
そこで庭の花を植えるとより豆を植えていたのである、食料の方が大事だったのである
戦後は食料で苦労していたからである

そうして時代により人間の価値観でも変わる、女中はもう必要ないのである
電器製品で何でも米でも簡単に炊ける、そうすると結婚しなくても別に独身でも生活できる、もし電気製品がなかったら独身で生活するのは苦労だった
家事に追われて仕事もできなくなる、今でもやはり私は家事を全部しているから追われるのである
その当時は女中が不可欠な女性の仕事となっていた、それだけ家事が手間だからである

今自分の仕事をしているのはインタ−ネットでプログとか毎日書いていることである
でもこれだってもし紙に印刷して書店に置くとかなるとできない
なぜなら書店だって金にならないものは起きたくないからである
また出版となると金がかかる、なぜ新聞とか雑誌でも衰退してゆくのかというと金がかりすぎるからである、本でもめんどうになる、でも出版社とか通さなくても書店に置けなくても別にネットだと同じようなことができる
金にならないにしろいくらでも自分を表現できる、それを即座に放送できるとなる
だから本を作るのに活字を拾う仕事があったがそれもなくなった
みんなコンピュター化したからである、新聞だと紙代だけでも金がかかるし印刷するのにも金がかかる、そして一軒一軒回って配るのにも金がかかる

するとどうなるかとなると莫大な金がかかる、それをどうしてまかなうかとなる
それが宣伝費だとなる、すると宣伝費を出す会社に忖度するとなる
だからこの辺では原発が危険だということを報道もしない
なぜなら東電から電事連から800億円の宣伝費が出ていたからである
つまり旧来のメデアは金がかかりすぎて自立した報道はできないのである
テレビだってその装置からして莫大な金がかかっているから六局が独占していたのであるそれがyoutubeになると個人が放送局になる時代になったのである
つくづくプログなど簡単にできる、ただそのコンテンツは簡単に作れない
だから今まではメデアは放送する装置を持っていて莫大な金をかけてしていたがそんな金は必要ないから誰にでもできるからその放送する内容がコンテンツが勝負だとなった
テレビが面白くないのは今までは放送するだけで価値があったが今はない
ただ芸能人の馬鹿騒ぎでありそんなものはちょっとでも知的なものを追求している人は見なくなったのである
だからどれだけ個人レベルで大きなことをしているのかわかる

ただ問題は誰でも放送できるとなればその内容が問題になり簡単に見られないことである
機械化、コンピュター化、AI化で仕事がなくなるという時、時代が変われば仕事が変わる鉄道ができたとき旧来の馬を使って運んでいたものがなくなる、静岡の大井川の渡しの仕事をもくなる、そこで茶を作ることを仕事にしたとかある
そこに新しい仕事を生れそうしなければ食べていけないからだ
だから今仕事がなくなるという時,ベーシックインカムが言われるのはそのためである
仕事がなくてって別な仕事につける人はいいのである
ところがプログラマーとか機械化でもそれに従事できる人はわずかなのである
すると大勢が機械でもコンピュターに仕事が奪われる、代わりの仕事があってもないとするとどうするのかとなる、それでベーシックインカムが言われるようになった

例えばどういうことになるのかというと、手伝いの女性がいる、でもその女性のすることがないのである、みんな家でも家事は機械化されている、自動化されている
するとこの家に来てもなにもすることがないなとなる
でも主人は花が好きで生け花をしている、するとその女性は花に興味がある
だからその花を鑑賞する目がある、そしてその家に来てすることは花を鑑賞するだけだとなる、他はなにもしないのである、でもその需人は一人暮らしだから話し合い相手が必要である、その女性は話しがうまいのでそれで雇っているともなる
つまり価値観が変わってそうなったのである、これまでは働くことが価値があり働かざるものは価値がないとされてきた
でもその労働が機械がしてコンピュターがするとなると価値観が変わる

一体人間は何をしていればいいのか?

こうなるのである、そこで何が必要かとなると思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳が必要になるのである、それはコンピュターではできないものだからである
感性脳というとき自然の美を鑑賞できることである、食べ物を作るだけではない花でもその美を鑑賞できる感性である、でも意外と女性でも花に全く興味ない人がいる
その人は農家に嫁いでもサラリーマン家庭になっていたから農業のことが全くわからないのである、だから話しても農家のことなど何もわからない、ただ古い家であり紙漉きをしていたとういことで興味をもった
でも庭があるとしてそこに花を植えたとか話を聞かないのである
だから生け花を見ても関心をもたないのである
そうなると現代ではかえって大きく欠けたものがになる

要するに感性脳がないことになる、人間の本来の仕事は実際は感性脳とかが重要である
神の業を讃嘆することが地球とか宇宙を作った神の目的でもあったからだ
その目的に沿うことが本来の目的だとしたらそうなってきたともいえる
つまりベーシックインカムになったら依然として思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳は必要だからである、これは機械化できないしコンピュター化できないからである
そこにに人間に人間たる所以がありそれは悪いことではないとはなる
ただ何であれ理想はこの世では実現しないのである
この世は神の国にはならないからである


2022年02月11日

真野川の鉄道の下の方に白鳥の群れ (雪の中の白鳥(詩)


真野川の鉄道の下の方に白鳥の群れ

(雪の中の白鳥(詩)

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白鳥の群れが真野川の鉄道の橋の下の方に集まっている
結構な数である、真野川の岸で餌をやっている人がいるのか
餌をくれる人を待っているようだ
でも実際は川の近くの田んぼにいる

基本的には水草や草の実などの植物を食しているが、時に昆虫・貝類・甲殻類も食し、穀類も食す。

田んぼにも餌がある、白鳥の一番の不思議はあれだけ大きいものが重く見えるものが飛ぶことで悪、どうしてそれだけのエネルギーがでるのかとなる
それもシベリアまで渡るエネルギーが出ることで驚きである
白鳥は朝と夕方に飛ぶのを良くみかける、それが気持いいのである
ただこの辺でぱ火力発電所から煙がでてくるからそれが白鳥とは合わないのである

今日は雪で朝真っ白になっていたので写真を撮りに行った
白鳥は聖なる鳥のようにも見える、白鳥はヨ−ロッパでも良くみかけた
まさに貴公子なのである、古い教会とか城とかの側に湖がありそこに白鳥が似合っていたのである

白鳥とは神のイデアの傑作である、自然の美は花でもイデアなのである
そのイデアを見ることが美を見ることだ人間も浄化される
とにかく自然のものは生物でも自然とぴったりと調和している
でも人間は調和しないのである、だから人間は隠れているべきだともなる
顔を出すなともなる、そして沈黙の中に美は映えるのである
私は人間は見たくないのである、人間は必ず何かこの地を汚すものだからである

それは火力発電所から煙がもうもう出ているのもそうだった
原発もそうだったのである、風力発電でもソーラーパネルでもやはり自然エネルギーとか言っていたがそうではないのである
人間の作りだすものが自然と根本的に調和しないのである
ともかく自然の美を自然と調和するには沈黙が欠かせないのである
それが普通の社会ではできない、引きこもりだとできるのである
これもマイナス点が大きいのだがやはり神のイデアを見るには沈黙が欠かせないのである
自然と調和するというときなぜ白鳥が餌をとれているのか不思議になるからだ
確かに人間が餌をやるにしてももともと田んぼとかにも餌がある
そうして生きていけることが不思議なのである、なぜならあれだけの大きく重いものが飛ぶには相当なエネルギーが必要と思えるからだ
それがシベリアまで飛ぶとしたらそのエネルギーは相当なものである
そんなエネルギーがどこにあるのかとなるからだ



雪の中の白鳥

純白の衣の朝日に輝き
光りは水面に跳ねぬ
雪の朝白さ白さの映えて
優雅に水の上に浮かぶ
乱れなくその純潔の美
その高潔なる貴族のごとし
鴨の群れは下々と従う
神は我が意を得たりと
そのイデアは地上に成りぬ
太陽は喜々として輝き
また朝にここに喜び輝きぬ
その翼を広げし飛翔の躍動
白鳥は凍れる夜に星座と輝く
田舎にそ何か見るもののあれ
北風の吹きつけ白鳥の鳴く声がひびく
その凍てる空に弦の音のように響く
ふの触れがたき聖なる鳥よ
神は自然の天然の美を与えぬ
純白の雪に覆われて人は見えず
ただ白鳥のみそ映えるべきかな
黙して自然の美を見よ
黙して自然の声を聴け
地も聖なるものとなるべし


the beauty of swan

The pure white robe shines in the morning sun
The light splashes on the water
On a snowy morning, the whiteness reflects
gracefully floating on the water
The beauty of her innocence without disturbance
Like a nobleman in his integrity
The flock of ducks follows with the lower classes
God has found his will.
His idea has come to earth
The sun will shine with joy
And here in the morning it shines with joy
Its wings are spread and its flight is lively
The swan shines as a constellation in the frozen night
There's something to see in the countryside
The north wind is blowing and the swans are crying
It echoes like the sound of strings in that frozen sky
O sacred bird that cannot be touched
God has not given us the natural beauty of nature.
Covered in pure white snow, no one can see
only the swan should be reflected
Be silent and look at the beauty of nature.
Be silent and listen to the voice of nature.
The earth should also become holy.

2022年02月08日

南相馬市の道の駅からアップ 実験です

南相馬市の道の駅からアップ

実験です



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南相馬市の道の駅からアップ

実験です

夕暮れになりました、そろそろ帰ります

2022年02月05日

雪の朝、蝋梅、ボケの花(空家の庭の岩−囲炉裏と主)


雪の朝、蝋梅、ボケの花(空家の庭の岩−囲炉裏と主)

snowyrock111.jpg

これは写真で見た感じと違う
秀でた岩がそう見えない、だからやはり人間の眼と写真は違っている
実感と違ったものになる

roubaikomoru1.jpg

これは本が映っていたことが意外だったのである
でもそれが良かったのである、カメラはやはり意外ものを映すことがある、
人間の眼とは違う、でもまた実感と違ったものとして映ることがある
この下に石が二つあるからその全体を映っていないのである



秀いでて岩に雪かな朝の庭

庭の石組まれて堅く冬の朝

冬の日や人去り残る庭の石

ボケの花隣に咲くも空家かな

冬深む庭に動かず石二つ

冬籠もるその土地土地に生きるかな

蝋梅に雪や籠りぬ石二つ


ヒヨドリの蝋梅の花啄みぬ餌のともしやここに生きなむ

冬の日に干し物ありやこの家に住む人なしも石の残りぬ

雪の朝何の鳥なれさえずりのひびきて清し足跡残る

我が父と姉と母との残した家に住みつつ冬深まりぬ


今日の朝は雪景色だった、この辺ではそれなりに積もっている、薄くでも積もっている
それで朝は自転車で外にでる、朝は必ず出て外の景色を見る
そして寄ったのが庭が立派な空家である
この庭は相当に価値があるし一千万とかかかったような庭である
かなり高度に設計されて作られているからだ
目立ったの高い所の秀でる岩である、そこに雪が積もっていた

隣の家も空家でありそこに石が残っている、でもそこに洗濯物を干していたりするとき暮らしがあり石も活きていたのである、でも人がいなくなると全体が死んだようになる
そういう空家が近くにもまた一つ見つけた、玄関も閉ざされているか人がいない
すると庭の枯木も一段と淋しいものになっている
そこは確かに家族の人と知り合いの人の家だった

庭にヒヨドリが来て蝋梅の花を啄んでいた、こんなものが食べられて栄養があるのかとなる、でも何かしら食べ物がありそれで生きている不思議がある
二月でも今年は寒い、浜通りは別に雪とかも降らないし気候的には楽である
それで会津とか日本海の方の冬国のことが実感としてわからないのである
毎日が雪の世界がどういうものなのかわからない
でも今は冬ごもりの季節である

何か囲炉裏があり薪をくべてあたたまる、そして土地の人とあたたま、そこで親交が深まる、それが田舎だった、農民社会の田舎だったのである
今はそういうことがない、農家の存在は希薄なのである、田舎でも実際の農家は一割くらいなのである、だから農民社会ではないのである
だから意外と農家のことが農業のことが田舎でもわからないのである

そのために浪江で原発事故でゴーストタウンのようになり回りの田畑が草ぼうぼうになっていても街中に住んでいた電気関係の仕事をしていた人は補償金もらって良かったと何も感じないのである、人間はその職業で感じ方が全然違うのである
電気関係の仕事をしていれば農業は関係ないのである
そしてこの辺でぱそうして原発とかで電気関係で働いている人が多かったから農業に関心がなかったのである、だからまわりのたはたがくさぼうぼうになっていても何か感じていなかったのである
これは農民が6割とか戦前でもそうだったがそうなっていればそうは感じなかったのである

ともかくこの辺でぱ雪国ではないから雪の感覚がわからない、でも深く雪にうもれた生活がどういうものか知る、でも私は風流として見ているだけなのである
実際の生活を知らないのである、それで生活実感を重んじた人から批判されるのもわかる例えば曲家(曲がり家)がある、するとそこにどっしりと根付いた生活がある
馬と一緒に暮らした生活の重みがある、そこが深い雪に埋もれ閉ざされる
そこに自ずと生活の重みが生まれる、田舎にはもともとそうして生活の重みがあった
大地に根付いたような重みがあった、存在感があった
それが工業化社会になったことき希薄化したのである

そういう生活に憧れて実践したのが山尾三省だったのである
ただ正直パンも贅沢などという生活を田舎でも誰も望んでいないのである
田舎でも都会の生活であり車一人一台もっているとかありぜいたくなのである
原発補償金が入ったら高級な車を買ったりさらに贅沢したことでもわかる
もう田舎でも金第一であり金を求めているだけである
昔の様な人間のつながりなどないのである、だからこそ簡単に街でも村でも原発事故で崩壊したのかともみる、昔の田舎と今の田舎は全く違ったモノなのである
でも日本が貧困化してくるとそういう生活を維持できなくなる
電気水道ガス代でもまともに払えない人が二割くらいいるとしたは多い
そうして困窮してくる社会で生活自体を見直さざるをえないのである
ただ電気水道ガスもない世界に戻ることはできない
でも困窮して来たら日本はどうするのかとなる


囲炉裏と主

囲炉裏に主の座が動かずあり
どっしりとして威厳を保つ
赤々と火は燃えてその顔を照らす
茅葺の家で長い冬を過ごす
巌のように主の座がある
外は雪が積もり足跡を残す
前の畑の冬菜が雪の中に育つ
囲炉裏に燃える火は体を温める
主は黙して威厳を保つ
しんしんとなお雪は降り積もる
雪国の冬は長く春は遠い・・・



こんなふうになるのであるそこに都会にはない、現代にはない人間の重みとか威厳があったともなる、ただ現実は生活は厳しいからあくまでもイメージしたものである
自分の場合はただイメージしているだけなのである

2022年01月30日

冬の鴨、蝋梅、冬の暮、丸森大張村 (親密に人間関係は簡単に作れない―友達とは)


冬の鴨、蝋梅、冬の暮、丸森大張村

(親密に人間関係は簡単に作れない―友達とは)

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親密に今日も寄り合う冬の鴨

近くなる仮設の跡も枯野かな


我が庭に石二つすえ離れじとここにありなむ冬の日暮れぬ

我が庭に石二つすえ離れじとここにありなむ冬のくれかて

冬あわれ栄もなくてこの地にそ悲しく生く女(ひと)にこそあれ

我が庭に石の二つや蝋梅の咲きて長くもここにありなむ

我が庭に雀来たりぬ冬の朝その影写りここに生きなむ


丸森ゆ白石へ行く道のあり大張村の冬のくれかな

梁川と白石に行く道分る冬の日くれて我がより思ふ


「誰も話せる相手がいない」日本の既婚男性が次々と発症する見えない病の正体の記事について
https://www.youtube.com/watch?v=Dum-aZXdbWs&ab_channel=%E5%A4%B1%E6%95%97%E5%B0%8F%E5%83%A7

このyoutubeはやはり会社とか公務員とか人間関係の経験を語っている
つまりここが人気があるのは経験を語っているからである
結局50過ぎれば必ずこういう経験をしたということを語るからである
その経験はみんな違っている、それで参考になる

例えば経験というときニートとかは何も経験していないようでそれも一つの経験なのである、マイナスとなるにしてもやはり人間はどんな人でも経験をしている
人間は本で学ぶより経験で一番学んでいるのである
ただその経験が限られているから視野が狭くなる
そして他者を理解できないのは多様な人生があったとしても経験していなから理解できないとなる
だから送電線の鉄塔を上る人を見たときこれは危険であり命がけだとも見た
するとその仕事から人間を知りごくろうさんですとかなるのである

ここのyoutubeでは人間関係のことをいろいろ言っているから参考になる
会社の上役でも退職すると話しする人もいなくなり相手になるのは妻だけで淋しいとなるそれがどうしてそうなったかを説明しているからそういうことかとわかる
現代の人間は会社が人生になっていたからである
なぜなら人間は何に一番時間を費やしたかでその人生も決まるからである
だからその会社を退職したときその後は継続しないのである

例えは江戸時代とかその後の農業が家業のようになっていた時代の人間関係は村という共同体にありその人間関係は会社を退職するようなことにはならない
それはその土地とともに継続するのである
その継続は死んでも継続されているのである、先祖は山に入り神となったとかなる
そして田植えの時期に山から下りて来るとなる
まさにそれは定められた土地で時間が継続していることなのである
会社はそんなに長く継続しない、いくら長くても代々継続しないのである
会社は部分化したものであり全体ではないからである
農民主体の共同体は土地と一体となり継続しているしその絆は消えないともなる

それで友達とは何かというととその関係も切れやすい、一時的なものとなりやすい
それより友達というときいつも合っている人が友達だというのもそうである
いくら兄弟でも何か遠くへ離れると疎遠になる
去る者は日々に疎しとなってしまうのである
そこで毎日買い物に行き橋下の鴨をみている、いつも寄り合っている
それが冬の鴨となりしんみりとするのである
冬にかえってそうして人間は寒い中で寄り合い親密さを増してゆく
とにかく人間は一つの共有する場とか人間関係が必要なのである
そこで精神的にも安定するとなる、それが喪失したから人間関係も常に不安定になり会社を退職したら
自分のいる場所がなくなったとなる

現代は空間的に拡大したけどかえって身近な親密さが希薄化した社会になった
それはグロ−バル化とか交通の発達でそうなったのである
かえって遠くとの交流が物質的には多くなった、でも人間の親密さは薄れたのである
いくら地球の裏側から物が入ってきてもそこに住んでいる人間と親しくなることはできないからである
だからこのコロナウィルスとかはそううい社会を見直すようになった
何か遠くに出れないのである、なんとなく不安になるのである
そうして冬の鴨のように遠く行かず寄り合って親密になる
そういう社会に回帰するのかもしれない、ただ親密になるというとき数人しかなれないと思う、そもそも一人くらいしか親密になれないということもある
数が殖えたら親密になれないのである
石二つというとき二人だともなるからである

そもそも信頼できる人間関係は簡単に作れない、これも時間かかるのである
人間関係をリセットしてまた新しい人間関係を作ることもなかなかできない
だから会社から退職すると人間関係を作れないというのがわかる
それより人間関係は一代でも作れないとなる、農家は三代つづいて認められるとかなっていた、それはその土地に根ざして生活していたからそうなった
今はその時々の人間関係しか作れないのである
どうして武家社会では家臣との強い絆で結ばれたのか?
それはやはり代々長い時間で作られていたのである、会社とも違うその土地土地に根ざして長い時間でそれも一代ではない親子とかその孫とか何代にもわたって作られた人間関係だったとなるからだ

いづれにしろコロナウィルスはこれまでの生活を世界的に見直すようにもなった
グロ−バルに物が人が移動しても結局人は親密になれないし争いにもなった
人間が理解しえる範囲は実際は相当に狭いのである
だから老子の小国寡民が中国が一億人しかいないとき唱えられたのである

丸森の大張村から梁川へまた白石へと通じる道がある、これも車で行くと分かれ道があょても感じない、それで旅にならない、どっちに行くかとかこの道はどこに通じるとか感じるのはやはり歩かないとわからないのである
自転車だと分かれ道は印象に残るのである
それでアの辺をもう一度行って見たいとなるのである

2022年01月25日

冬の暮、冬深む、冬の鴨、冬の水 囲炉裏 (昔の生活の回顧ー囲炉裏の生活ー詩)


冬の暮、冬深む、冬の鴨、冬の水 囲炉裏

(昔の生活の回顧ー囲炉裏の生活ー詩)

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大原や街を離れて冬の暮

大倉と佐須の離れて冬深む

誰が座る石のテーブル冬深む

冬深む境の石や村と村

岩囲み底まで澄みぬ冬の水

石一つここを離れず冬深む

ともしきや昔の生活寒雀

ふるさとに昔を語り冬深む

蝋梅や鉄瓶に沸かす茶の味かな

燃ゆる火を囲み親密冬深む

人と人交わり深む囲炉裏かな

寡黙にも囲炉裏を囲み冬深む

鉄瓶に頑固親父や囲炉裏かな

冬の鴨夕日さし暮る橋の下


外は雪囲炉裏を囲み茶を沸かす静かなる時味わうべしかな

冬の鴨寄り合朝や橋の下朝の光の川面に反射す


囲炉裏の生活

囲炉裏に火゜静かに燃える
薪をくべ炭をくべ燃える
ぽかぽかと徐々にあたたまる
主の座はそこにあり寄り合う家族
主は寡黙であり威厳がある
古い家は代を重ね重厚である
今は何事騒がしく忙しい
何か常に追われている
金に追われて休むことがない
人はみんな疲弊している
そして本来の生物の力は損なわれる
自然のリズムを離れて人もない
冬は静かに籠もるが良し
山の眠るがごとくに休息する
そしてエネルギーを自ずと貯える
冬と増ゆなり増やすことなり
冬にこそ大地の力で作物は育つ
その深い大地の静けさに育まれて
囲炉裏に沸かす鉄瓶に飲む一杯の茶
その味わいは滋味は深い
そういう時間こそ貴重なり
心身を安らかにして命を保つ
積もる落葉を静かに踏み歩み
深々と積もる雪を踏み歩み
人は山と一体化してなごむ
山の沈黙に同化して安らぐ
自然と一体化して原始の力の充つ
現代人は日々力を消耗している
自然から離れて病んでいる
冬は休息の時にして活動の時にあらじ
本来のエネルギーを貯える時なり



今日は昨日よりは寒い、この辺は寒いとしても雪はほとんど降らない、だから気候だけはいいからおすすめなのである
老人は寒さは答える、雪国に住んだら雪下ろしとか毎日雪の生活がどなんものかわからない、買い物するだけでも自転車とかなると行けるのかとなる
雪に閉ざされてこもる生活になる
だから会津とか雪国の生活は具体的にわからないのである
その風土から作られるものがわからないのである、人間は地理とか風土を共有してアイディンティティが作られる、それで地域ごとに違った人間となり文化も違ったものになる
だから飯館村の大倉村と佐須村は隣り合っても3,4キロなのか離れている
それで民情が違うから明治以降合併に反対したのである
民情というのはわからないが何か隣村でも違ったものになり交わらないということがあったのだ
実際に大倉村から佐須村まで歩いたら遠い、自転車でも遠く感じたからだ
車がない時近くでも遠いしそんなに頻繁に行ける場所ではないのである

囲炉裏というとき街中に住んでいた私の家でも囲炉裏があったのである
炭を燃料とした囲炉裏だった、それをふりかえると信じられないとなる
戦後十年は本当に原始的な生活でもあった
第一裏の小川で洗濯していたというときそうだった
水道もないし電気は裸電球一つだった、道は舗装されていないから埃りがたっていた
トイレは外にあり不便だった、屋根はトタ屋根で隙間風が入って寒かったのである
そういう生活は江戸時代と変わりなかったのである
だからその生活をふりかえると不思議になる
そもそも日本人は戦前と貧乏でありそういう生活が基本にあった
日本の歴史でも日本人の生活は基本的に変わりない、貧乏だったのである
つくづく高度成長時代は日本の歴史で例外的に豊かさを経験した時代だったのである
庶民まで豊さを経験した時代だったのである

ただそういう生活でも何か精神的に充実していたことはあった
ただそういうことが忘れられてきたしわからなくなったのである
人間は一時代が過ぎるとその時代がわからなくなる
だから不思議なのは北海道で酪農とかキリスト教を教えたクラークの時代はアメリカでも人間は違っていたとしている
ホイットマンのようにあるゆる人が讃美される素朴な人が多い時代だった
その後に十年が二十年過ぎてアメリカ人は別な人間となっていたとしている
人間はこうして時代が変わり環境が変わると人間まで変わるのである
そしてその時代のことが不明になりただ想像しているだけなのである
そのために過去を歴史を見る時必ず誤解しているのである
まず団塊の世代は戦後の焼け野原からのことを経験している
でも十年過ぎて生れた人はその時代かわからなくなっていたのである
高度成長時代に入ったからすでに豊かな暮らしになっていたからである

囲炉裏がある生活とか昔の生活を回想するときそれは充実した自然と融合した人間的生活だったともみる
つまりそうして確かに貧乏だったのだがそこにあった培われた人間的なものが失われる
わからなくなる、人間は一時代を過ぎるとそこに生きていた人の感覚がわからなくなる
戦前と戦後ではまるで違った社会になった、明治と江戸時代と同じである
そういうふうに時代が変わると前の時代のことがわからなくなるのである
囲炉裏と鉄瓶は合っている、でも南部鉄瓶を買ったがこれが使いにくい、思いし湯がもれやすいとかある、自分の家にはもっと重い鉄瓶があった
それは持つだけで相当な重さなのである、何かこれが融通がきかない、それで頑固親父とも見た、昔の親父はそうだった、威厳があり家の中心に座っていたのである

冬の暮の季語は12月でもある、冬になったら冬の暮となる、でも冬の期間の後半も冬の暮ともなる、それがまぎらわしい、冬深むとなると一月になってからである大寒の今頃がそうなる、季語の使い方もむずかしい
日本語にも何か自然を観察して作られていた、冬とは増ゆなのである、冬にかえって作物は育つとしている、増えるとしている、それは実地に畑で作物を育てた人が言っていたのである
その人は農家の出であり農業のことを知っている、体で知っているとなる
そもそも農業でもただ知識としては学べない、実地に体で覚えないとできない
学問だって机上の学問となったとき実体から離れてしまうのである
ただ両方をすることはむずかしい、私は家事をしてあらゆることを一人でしている
そうするとなかなか他のことができないのである

人間のやれることは限られているのである
自分のしていることは他の人でも技術が進歩して一人でもすることになる
第一前は何かを書いたものを発表するにしても簡単にできない
それを出版するとなると本にする段階から手間なのである
金もかかるのである、今なら本の製作から編集か販売まで全部一人でしているのである
それが一か月後のように雑誌を出すのではなく毎日出しているのが違っている
またカラーの写真でもいくらでも出せるのが違っている
こうして家事をしてさらにこれだけのことを一人でしている時代だとなる
こうして手間がかかっても出すのは無料だし読む人も無料で読めるのが現代だとなる

だから本当に一人で雑誌を作っていると同じなのである
それだけのことをインタ−ネットでITの発達でパソコンでできるのである
これも大きく変わったことである、写真と写生俳句は相性がいい
なぜなら見たままを俳句にするのだからいくらでもデジタルカメラでれスマホでできる
ただスマホは買ったばかりで使いこなせないないがいづれはまた使いこなせたら表現がさらに拡大されるのである

冬が深まってきたが冬も好きである、日本は四季があることがいいのである
だから暑い国は楽だとしても住みたくない、変化がともしくなる
ただ寒いことは老人には悪いとはなるが家に籠って暮らすのもいいのである
何か暮らしフルネスというプログは読みごたえがある
これは昔の生活を見直して日本の伝統的生活の回帰を説いている
そこは神道もあり仏教もありとなる、それにしも日本的伝統的文化をわかりやく自らの生活実践で説いているのである、これはめずらしいと読んでいいる

そもそも生活そのものが文化であり文化とは絵画とか俳句とか何か特定のものではない
俳句はそもそも農民から生まれたのであり誰か一人の芸術家から生まれたものではない体
それで農家に育った人はやはり農業に詳しい、それは全く学校で習ったとか本を読んだ事とかではないのである、体で知っているということなのである
アメリカでもホイットマンは学者とかを疎んじていた、実地に働く職人とか農民とか大工とか様々な職業の人を讃美していたのである
そういう時代がむしろアメリカの黄金時代だったかもしれない、今はそういう人は軽んじれてアメリカ人は金だけを追求する堕落した人間になったと見る
それは日本でも言えたことなのである
何か人間の基本的なモラルが作れない時代なのである
それは環境の相違からきている、鉄瓶でも実際今使うと重いし持ち運びに不便である
お湯をそそいだらこぼれたりするし使えないと思った
電気湯沸かしボットの方がいいとなる、一人でいろいろなことをするのがめんどうになるからだ

要するにこうして時代が違うと物や道具でも使い方が違ってくる
だから茶の湯とか相当に時間がゆっくりと過ぎていたときに合っていたのである
茶の湯となるとゆっくり腰を据えて茶を飲む時間が必要になる
それが現代人にはない、時間の余裕がない、常に時間に追われているからである
すると何かコーヒーの方があっているとなる
何か独自の文化とか伝統が守れないのはどうしても環境が変わり時代が変わり適合できなくなるからである
そうして失われたものがある、旅が消失したのもそうである、車で遠くの目的に最速で行き途中は省かれる、そしてホテルで旅館をで料理を食べることが目的になったりする
歩く旅ならそうはならない、体で土地を感じるのである
するとかえって旅の体験は移動することだけで記憶にも残らないのである
そういうふうに必ず技術の進歩によっても失われるものがある
それを暮らしフルネス(かんながらの道)で取り戻そうとしていることでもわかる

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

2022年01月19日

金はカルマとなり責任となるから注意すべき (不正な金はカルマとなり責任となり後で苦しむ、子孫でも苦しむ)


金はカルマとなり責任となるから注意すべき

(不正な金はカルマとなり責任となり後で苦しむ、子孫でも苦しむ)

金は通貨でも謎である、いろいろ考えてみても様々な解釈があるからわからないのであるただ明確なのは入る金があり出てゆく金がある、金をもうけたいとして働き金を得て増やす、でも金が入る時でもなぜその人が金が他より入ってもうけたのかと気にかかる
金を稼ぐのは一様ではない、例えば汗水たらして建築現場で危険なことをして金を得る人もいるし株を操作して巨万の富を得る人もいる
その差も大きいのである、だから危険な体を酷使して金を得るとしてらそれは正当な金だとなる、実際建築現場でもトビ職は危険だから他より三倍高いとかなる
またIT関係とか技術者は給料が高い、それはみんな簡単にできないものだから高くなる
それも正当だとなる

ただ入る金には何かいろいろあり必ずしも正当なものとはなっていない
弁護士などは推理ドラマで悪役になっているのは何か弁護士はもめごとを解決するものだからそこで仲裁するとか大きな金が入ってきたりその分け前にあずかるとかある
実際に仙台市の弁護士に相談しただけで百万とられた
それはその弁護士を知っているとなり頼んだ
身内の交通事故になり死んで雇った会社ともめたからである
でもその人も死んだ、何か自分はわからなかったが相談だけで百万払うなどありえないのである、この人は悪徳弁護士だったともなる
その後交渉したの保険会社の人だったのである、その弁護士は何もしなかったのである
弁護士にはこうして保険金とか交通事故とかで大きな金が動くのでそれを不法にもらうということもある
そういう事件とかにかかわりやすいからである

ただこの金が入るというとき得る時に何かそれが得られるとして正当ではないものがあるし金が怖いのは金は具体的なカルマとなっていることなのである
金など別にどんな金でも金だという人もいる、みんな金などどうして得たのか入ったのかそれを使っている時それをいちいち調べるとか見る人などいないからである
ただなぜあの人は金があるのだろうと思う人は普通にいる
人間は他人の金でも一番気になる、金のことが関心の中心になるからだ

弁護士でもそうだが大きな金が動くからそこに弁護士自体が法外な根拠もない金を得たりする、そして金の怖いのは金を得ればいいとしか考えないことである
その金がどんな金でも気にしないのである
でも金はわかりやすい具体的なカルマとなっているのだ
だから意識せずにその金には色がついていないから恐怖していないのである
でも殺人をして得た金とかもしそういう金なら使うにしても怖いとなる
確かにそれがどんな金だかわからないが後で怖いことになるかもしれない
血のついた紙幣とか使えないだろう、でも実際は金に見えないにしろ血がついた金があることは確かである、それが呪いとなってゆく、カルマとなってゆくことが怖いのである

それが原発事故で起きた、この辺では原発で金になるということでとにかく金をもらえばいいとなっていたのである
原発はともかく事故前でも莫大な金のなる木だったのである、だからみんなが群がったのである、でも事故になって金をもらったということでその責任を問われた
漁業組合とかは漁業権があり事故前からも多額の補償金をもらっていた
それが事故になって問われた、漁業組合でも事故前に原発に反対していれば問われなかった、ただ金をもらうということはこの辺では原発を認めたのである

「私たちはあなたがたに金を払います、だから原発建てるのを認めてください」
「いいですよ、金を払えば・」
「でもあなた方が認めたのでありあなた方にも責任があるのです」
「何が責任なの、それより金をよこせ、責任のことなどわからないよ・・・」

その入ってくる得る金のことなど考えなかったのである
金を得ればいいだけである、でも事故後に漁業組合だけではない地元の人達全部があなた達は原発で金になり恩恵を受けました、金も得て生活も良くなりました
だから事故が起きてもあなたたちにも責任があるのです

つまり金をもらうことはそれだけの仕事をしたからもらうということもある
当然の権利としてもらうことが普通である、建築現場で危険な肉体労働してもらうのは当然だとなる、誰もそのことで責めないのである
ただ不当に得る金もこの世に相当多いのである、それが問題なのである
6兆円も除染費用でもそうである、そんな金を使う必要があったのか?
またそんな金を得た人は会社でも不当な金ではなかったかともなる
それで相双リテックでは何十億の除染費用の金を幹部で山分けしたとなる
その金は政経東北にも流れていた、雑誌の宣伝にのせたからである
すると生計東北ていろいろ記事を書いているけど原発事故関連で追求できるのかとなる

そういうことは常にある、マスコミでも今までは新聞でもテレビ局でも金がかかりすぎるそれでその資金となる野か会社の宣伝費になる、となると相双リテックのように悪徳業者からでも金をもらうとなる、つまり金で汚れるのである
ただこうして金の出どころとかを追求してゆくと必ず正当でなく得た金が誰でもあるとなる、公務員が攻撃されるのは楽な仕事なのに高給だとして民間から責められる
それもそうである、事務など簡単でありそれで高額になるのは納得がいかないとなる
ただ蒸すかしい高等な誰にもできないような高等な仕事で金を得る人にはと言わないのである

ただ本当に金の出どころを追求してゆくと誰しも完全にその金がいいものかどうかわからないのだ、私自身ここうして他人の金を追求してきたが私の家族が公務員だったのであるそこで自分自身が遺産として得た金が実はいい金だったと言えないことを知っているからである、つまり公務員は得するようにできているのである
だから果たして自分が他人の金をとやかく言えるのかともなる
何らか入る金得る金にも問題がある

それが怖いのはその金がカルマとなって責任を課せられていることなのだ
なぜそのために大金を盗まれたりまた親の介護とかに苦労したのか?
それは金がカルマとなって責任となってそうなったのかもしれない
金に色がないにしな金は具体的な責任でありカルマになっている
だから安易に金なら色がついていなから何でもいいとはならないのである
後だそれがカルマとなって責任をとらされるとなる
金は具体的責任としてわかりやすいからそうなる

ヤクザでも金をもらったから頼まれて人を殺したとかなる、金をもらうことはそういう責任を負うカルマとなっているのだ
だから不正に得た金は後でカルマとなり責任を取らされるとなる
その時金を得ていいとしても後で怖いことになるしまた子孫までその金で苦しむということになりかねない、でも金を得ればいいとしかないのである
金になるとなれば人間は人を殺したりどんなことでもしているからである

ただこういういことを言っていたら金などたまらないだろう
株でももうけたとかなるのも何か胡散臭い正当な金ではないともなる
だから何らか金にはすべて正当なものとして得られとはなっていない
汗水垂らして四苦八苦して働いても金にならないということが普通にあり株とか遺産でも何にも苦労もしないのに大きな金が入ることがある
それで財産はfortuneであり運だともなっているのである

でも金には何か必ず正当なものではない、だから常に陰謀論になる,金融資本主義で濡れ手で粟の巨万の富を得ているとかアメリカの一部の富裕層に言われる
アメリカにそういう人がいるのはアメリカが世界の覇権国でありドルが基軸通貨だから
莫大な金が世界から入ってくるためにそうなる
そうなるとやはりそうした極一部の人に金が集まるという時そこにカルマが責任が課せられているとなる、もしその責任が果たせないと世界のために使わないと怖いことになる
まるで巨万の金が呪いとなりふりかかり遂に殺人事件とか何か悪いことが起きる
金があることもカルマとなっているのだ、金がないことで苦しむが金がありあまるとかでも何か悪いことが起きるのだ
また金の使いようでも悪いことが起きて来る
巨万の金を戦争で使う武器を買うとかなるとそうである
そして今やアメリカは民主主義でも機能しなくなり分裂の危機にありやがて衰退してゆくとも見るのである

この辺で猪苗代湖で起きたプレジャーボートで子供と母親の足を切断させた大事故を起こした人は何かこの辺の原発事故で建築関係でもうけたらしい
足場関係はかなりの金が入ってきたからである
その金を使って遊んでいたらそんな怖い事故になったというのもカルマかもしれないのである
そうした金が呪いとなったのかしれない、そういうことは本当にあると思う
自分自身に遺産が入ってきたとき何かそうした盗みとかが起きてきたのもそうかもしれない、金は何でも入ればいいとならないのである
ただこういうことを言っていたら金はたまらないと思う
でも明らかに金には色がないとしてもカルマとなり責任になっているのだ
金にはこうした怖さがあることを自覚すべきだとなる
でも金には色がないから自覚しにくい、でもいつかそれがカルマとなり苦しみとなって現れる、カルマの法則がある、金はカルマとして具体的責任としてわかりやすいのである

金はたまりすぎても災いをうむ!

金をたまればいいとなるが金がたまりすぎることは相当に危険になる
そこから災いが生れてくる、だからアメリカの極一部の人が世界の富の50パーセントもっいるなど実際は危険である、その金は世界の人達の苦しい労働から生まれているからである、そうして世界の富を一人占めするようなことをしているとアメリカ自体に災いが生まれる、すでに生まれていると思う、アメリカは天文学的金を集めてそれが呪いとなり自滅するとなる

宗教団体とかでも莫大な金を集めている、その金も危険なのである
なぜなら今度はその金をめぐって争いが起きる、遺産相続のようなことが起きる
実際に神社の相続で殺人事件があった、そういうことは他の巨大宗教団体でも起きる
その金が莫大だからである、もともと金を得るための宗教団体だから当然金で争い
分裂するとなる、そういう欲しかないからである
だから最後は遺産相続のように骨肉の争そいになる、金の奪い合いになるのだ

ただそうした余りに大きな金はもう見ることを知ることもできない、だからさらに危険となりいきつしか大きな災いとなって苦しみとなって現れるのである
福島市の郊外での農家で蔵に米俵を一杯積んでいたがその米俵がある日飛んでいってなくなったという伝説がある、つまり米俵を金でもためこみすぎるとある日消失してしまうということである、そういうことが金持ちにも金持ち国にも一部の大金持ちにも起きる
金がありすぎることは責任でありカルマとなるからだ
金を世界のためにでもみんなのためにく有効に使わないと金かはカルマとな災いをもたらすのてある




2022年01月17日

枯野の海老村(津波の跡に冬の満月光る)


枯野の海老村(津波の跡に冬の満月光る)

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大きな満月が出ている

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まだ津波で残った死んだ木がある
この墓地は高いので残った

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貨物船が三艘見えた

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三本松が残った、この辺で古墳が発見された

はっきり見るにはクリック拡大

グーグルクロムでは見えない





人去りて玄関照らす冬の月

冬の月玄関閉ざしこもるのかな

屋根に雪月の照らして田舎町

庭広く石の配置や冬満月

石重く口を閉ざして冬の月

(海老村の跡)

海老村の跡は枯野や海に月

月光る枯野に海や海老の浜

月光る海老とは蝦夷や冬の海

月光る海老村の跡冬芒

枯木一本墓地に残りて海老の村

三本の松の残るや冬の月

(冬の海)

貨物船三艘行くや冬の月

浩々と満月昇る冬の海

浜通り枯野に月や沖に船


玄関の曇り硝子に映りたるや枯木にとまる一羽の雀

陽は没りて影の伸びにし枯野かな満月いでて歳は明けにき





夕方から海老浜の方に行った、そしたら夕陽は山際に没り満月がでてきた
新年の満月である、何か満月は縁起がいいというか平和を感じる
今年は波乱の年になりそうたが満月見たらそうでもないのかともみる
何か自然とか地球にもリズムがある、月もそうであり月に影響されて人間もあり地球もある

おそらく海老はエヒであり蝦夷(えぞ)なのである、海老というのはエビのことではない山の中にも海老という地名があるからだ、蝦夷が住んでいた場所だろう
海老村の断崖のある所から古墳が発見された
他にもいくちつか古墳が発見されているしそもそも海老村は相当に古い、その跡が発見されている、縄文時代から住んでいて集落があったのだ
その時右田村などは何もなかったのである、江戸時代から住んだ場所であり海老村は古墳が発見されたのだから古い場所なのである
それで慶長津浪とか貞観津波の言い伝えとか残っていなかったのかと調べようとしたがわからない、海老千軒とか言う人もいたから鎌倉時代なのか集落の跡とか発見されている
それだけ海老村はこの辺では古い場所なのである

津浪でその海老村は消失した、三四軒家は残ったが集落は消失した
その消失した跡は枯野になった、でもどういうわけか高台にあった墓地は残っている
この墓地の不思議は新地とかでも烏崎でも高台にあり津浪で流されなかったのである
それで意外と墓地は元のまま残っている
でも現実に村に生きていた人達は住んでいないのである、墓地が流されて家が流されなければ良かったとなるが墓地が残されて何になるのだろうと見た
そこに一本の死んだ枯木が残っていた、まるで津波の形見のように残っていた

もう十一年も過ぎるとだんだん記憶も薄れてゆく、でもあれだけの被害となるととても忘れるには相当時間がかかる
みちのくの海というとき客船は大平洋フェリーが行くが他は見えない、後は貨物が何艘か行くだけである、それで兵庫から来た人がここは船を行くのはまれですというとそれもいいと言っていた、瀬戸内海辺りの海とは全く違った海である
明石辺りだと頻繁に船が行き来しているからだ

浜通りは海から月が昇る、でも会津とか中通りでも山から月が昇る、太陽でも昇る
その感覚がわからないのである、つまりこれは住んでみないとわからないのである
毎日海から昇る太陽や月を見ているのとは相当に違った感覚になる







2022年01月16日

 冬の暮、枯木の影、冬椿 冬たんぽぽ(原町へー桜井古墳と方墳ー家族の肖像)


 冬の暮、枯木の影、冬椿 冬たんぽぽ(原町へー桜井古墳と方墳ー家族の肖像)

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小林カツートミ子
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桜井古墳の前の方墳



原町の郊外に咲く冬たんぽぽ

 一回り桜井古墳や冬椿

 木の根っこ方墳大や冬の暮 
  
 木の影の交わり濃きや冬深む

 点々と灯ともり耐えて雪埋る

  
 葉牡丹の目ただすあれど我が家に咲て一つなるかな

 大輪の黄菊に姉の遺影映ゆ我が家にありてなおもほほえむ


今日はあたたかったから原町へ行った、寒いと外に出れない、依然として今までの創作品の整理に追われている、スマホが意外とめんどうである
写真をパソコンに送るにも送れないのが問題である
枯木の写真を撮ったが送れない、これはスマホの写真をデジタルカメラでとって出している

冬たんぽぽが咲くのはこの辺では海が近いからである、桜井古墳でも海が見えるし近い
ここと比べると会津の方になると雪に埋もれているからその風土の相違は大きい
会津とか雪国に住んだら自転車にも乗れず雪に埋もれて籠もっているほかない
だから雪国の生活というのはそこに住んでみない限り実感できないのである
何か毎日雪だったら暗くなってしまうだろう

桜井古墳の前の方墳も大きいものだった、そこに木の根っこがありふさわしいとなる
古墳というのはやはり歴史として残されたからここにあればやはり昔を歴史を偲ぶとなる何もなかったら偲べないのである、文書だけでは何か歴史を偲べない
外国だと石の建造物だからピラミッドでも何千年と残るし他でも残っている
どうしても日本人は歴史を身近に感じないのは過去が残されないからである
木だとせいぜい百年とか江戸時代のものが残っているのもめずらしいとなるからだ
だから昔を偲ぶというとき墓でも残れば物として残っているからは墓参りしても故人を偲び昔を偲ぶとなるのである
文書だけから人は情を通わせることができない、つまり物に対しては墓でも情を通わすことができるとなる

姉は大らかな性格であり社交的だった、母は地味だった、だから母だけだと自分にとっていいものではなかった、なぜなら細かいことにこだわるから嫌なのである
人間は必ずしも生まれた性質とか遺伝子とかがすべてはない、その後家族環境とか回りの影響でその人を作ることになる
姉はいつも笑っていたからそれで自分も何か大らかで安らぐとなっていたのである
何かけち臭いとそれも家風になる、母はけち臭いし他の人でも貧乏がひどったのでけち臭い女性となった、それもしかたがないとなるがそれが家風となってしまうことが問題なのである、家風は遺伝子だけではないその後の生活で作られる
あまりにもけち臭いと事業などしても失敗したのかとなる
一円でも無駄にしないと与えるのが嫌だとかなっている家もあったからである
ただ人間の性格もプラスマイナスがある姉は何か他人には冷たいと有為ことがあったからた、とにかく人間の性格とでもかたよりそれが異常になるのである

フラワーアレンジメントは家の中に長く飾っていると心にしみてくる、やはり何かを鑑賞するには時間が必要なのである
時間と場が必要である、このフラワーアレンジメントでも家族の遺影の前に飾ったら活きていた
つまり遺影と一体となって花が映えたのである、これがただ他の場所で花だけ鑑賞するのとは違っていたのである
だから何か死んだ人でも遺影となって生き続ける感じになっていたのである
姉は若い時戦前に花嫁修業として生け花を習っていた
でも嫁がずに家に一緒にいた、だから失敗したのは認知症になったとき花を一杯買って生け花をさせれば良かったとなる
認知症でも何もわからないわけではないからである
ただ混乱してなにがなんだかわからなくなりできなかったのである
それで自分がフラワーアレンジメントして見てくれとなったのである

自分にとっては家族はいいものだった、争っていてもいいものだった
自分には尽くしてくれたからである、今は誰も心配する者もいないし非情の世にいるだけとなった、他人は何かを与えてくれるものとしてしか来ない、まず金をくれとなり何か
その他はなにもないのである、これもカルマだったとなる
その結果として介護になり助けもなく病気にもなり一人過酷な苦しみになった
ただ自分は二人のことは忘れられないのである
母は葉牡丹で地味でありめだたない、姉はおおらかであり陽気であり目立つとなる
でもそれで一つの家族として調和していたともなる
だから人間とは家族でもそれぞれ複雑なのである、他人に理解しえないものがあるのだ

とにかく家族でも忘れられる、親でも他人にもなる、記憶が薄れてゆくからである
十年とかすぎればそうである、いつまでも偲んでいる人はやはりそこに愛が通っていて忘れられないとかある
ただ家族かすべてではない、最近思うことは一人人間がいるとしてその背後にはその土地とか様々な人々がかかわって一人の人間がいる
だから家族の愛といっても人間は家族だけで成立っているのではない
それで江戸時代の村落社会が一つの家族のようになっていたことがわかるのである
ある家が繁栄したとしてもそれは何かしら他人の力が加わってそうなっていたからであるその富はその家族だけで作れないからである、家族だけで個人だけで富は独占できないのである
金は天下の回りものというときそういうことなのである


2022年01月11日

新春大江戸俳句30句―浮世絵を見て


新春大江戸俳句30句―浮世絵を見て

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https://onl.la/SA8EGsR

魚河岸

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まぐろがとれても余していた、まぐろは食べるところがなかったというのも
不思議である

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渡しがあった

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燕がとんでいるから春なのか

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凧あげは正月である



(東京の春)

大江戸線地下を出でて桜かな

春日さし百羽の鴎隅田川

春の日や両国橋を渡るかな

東京の店見て歩く春の暮


(大江戸の春)

大江戸の春の賑わい日本橋

江戸城の天主に遠く春の富士

百藩の大名集う江戸の春

連ねたる大名屋敷や春の月

塀長く大名屋敷や春日影

新たにそ大名行列江戸の春

大江戸や商家並びて春の来ぬ

春の江戸行き交う人や国いづこ

蔵百に舟百艘や江戸の春

侍も庶民も交じり花見かな

船宿や三味線の音柳かな

水路行く舟のまた来て春の水

貧乏や長屋住まいも江戸の春

合い別れ江戸の賑わい春の夢

三百年江戸の栄や春錦

(魚河岸)

江戸っ子の魚売り行く春の朝

競りの声ひびく魚河岸春の市

鯛担ぎ売る男や春の市

まぐろ一匹余す江戸の春



絵草子屋土産に買うや春の江戸

江戸の春大道芸の踊りかな

隅田川湿地広がり春の草

江戸の春乗合す人や渡しかな

つばめ来る蔵百並び隅田川

凧高く登れや正月城の見ゆ

霞が関歩いて春や船を見る



春の日や昔を想い涙かな

春の日や老いの涙を知りぬべし


悲しさや束の間の出合い春なれど人は去りゆく帰らざるかな





東京というというとき何か絵と詩になりにくくなっている、でも江戸になるとそれは絵なのである、江戸は今の東京とはまるで違っていた、全然別世界なのである
高層ビルでも車の洪水もない、だから江戸三百年の栄がありそれが不思議なのである
その江戸の中に想像で入ってゆくと不思議になる

そこに生きていた人たちがいた、その人たちの中に入ったら本当に不思議である
それができないからイメージで入ってゆくほかない、それで浮世絵が役にたつ
でも浮世絵は華やかだけど日本橋を撮った写真を見たけど明治になったら寂れていてとても江戸時代の橋とは違っていた、そこに当時の活気を全然感じなかったのである
浮世絵は画家が当時の活気ある江戸にふれた実感から描いた
だからその雰囲気はもうなくなっていたのである

その雰囲気を経験することはもうできないのである、一時代が去るとその時代の雰囲気がわからなくなる、それは戦前がわからなくなったのと同じである
でも私の団塊の世代は日本が焼野原になった時生まれた、その時は燃料は炭であり竈でご飯を炊いたりしていたのである、それはまるで江戸時代のつづきなのである
水道もなく水は近くの家からもらっていたのである
そういうことが今の人はイメージすらできなくなっている

ただ隅田川辺りは一応河が江戸時代と同じようにあるから偲ぶことができても余りにも変わりすぎたのである
隅田川とは中島がありそこに田があって隅田川となっていた、つまりそこに田がありその田で米がとれたことで隅田川になったのである、何か生活の匂いある地名だったのである
両国橋は、

左岸の本所(ほんじょ)がかつて下総(しもうさ)国に含まれたため、武蔵(むさし)・下総両国を結んだことが橋名となり、地名はこの橋に由来する

何かこういうことでも江戸でも別な国があり境ともなっていたのである

ともかく隅田川はにぎわった場所である、仙台掘りとかもあり仙台の石巻からは米が運ばれていた各地から米が江戸に運ばれていた、そこで蔵が立ち並んでいたのである
阿武隈川からも船で太平洋に出て伊達の米が運ばれていたとなる
旅したいとなる時今の東京には行きたくない、何かあまりにも変わりすぎたのである
何か見るべきものもないのだ、ただ高層ビルを仰いで騒音の中をさまよい帰るだけだとなる

それにしても江戸でもそうだが自分自身が東京の大学にいた、ただ自分の大学は東京から離れた川崎の田舎の方だったのである、でも東京には出ていた
でも東京のことは知らないのである、その後も東京に行ったが何か心に残ることがないのである、でも東京では今でもいろんな人が交わる日本の中心ではある
だからとにかくこの年になるとそういう場所に生きていたこと時代不思議になる
江戸時代でも江戸では地方の人々が参勤交代でも集まってにぎわっていた
一方で貧乏長屋で暮らしていた庶民がいた
何か時代劇を見ていると悪人ばかりのように錯覚する、それはみんなに見せるためにそうしている、実際は普通の人は悪人ではないし普通は善人として生活していた
かえって情に篤い人達が暮らしていた、ただドラマを見ていると何かみんな悪人ばかり住んでいたように見えるのである、未だって犯罪があるがそれは一部である
でも犯罪者ばかりのように錯覚するのてある、それが現代の情報社会なのである


ともかく老人になると本当に東京にも一応住んでいたことが不思議になる
それは一つの経験でありいい思い出があったとは言えない、でもそこに住んでいたことが不思議だとなる、江戸時代の江戸でもそうである
そこに参勤交代とか地方の人々が集まって住んでいた、でももうそのことは遠い昔でありそこに住んでいたことをもし江戸に生きて年老いたとしたらまた地方に帰って思い出す時なつかしくなる
結局人間は一場の一時の夢を見ているだけである、誰であれ生きていることが謎になってしまう、そんな所に自分がいたというのも不思議になる
それは江戸時代でもそうだし今でもそうである、ただ江戸時代の方が何か人間的であり人間が生きていたという感覚になる、だから江戸時代とかが好きなのである
人間が生きて活況があった、そして裸で市場で魚売っている男がいたのも驚きである
何か威勢がいい江戸っ子がいたとなる
ただそれはあくまでも昔だからそうイメージするのである
実際そこで生活していたら地獄だともなってしまうのである、ただそういう時代があったということは人間を豊かにする、そこに都会の都のにぎわいがありそれか貴重なものとなったのである

春の日や昔を想い涙かな

こうなってしまうのが人間だった、人間はただ一時一場の夢である、この世はそういう場所である、人間はだから年老いると何でもなつかしくなるのである
苦労とか嫌なことがあってもなつかしくなる、なぜなら間もなくこの世から消えでゆくからである
老いることはなかなか老人になってみないとわからない、でも老いるとわかる
人間は悲しいものだということがわかる、それは老人は人生をふりかえりみんなそう思うからである、それがなかなか若い人とかにはわからないのである
誰でも老いる、それでビートルズの歌を聴いて涙流していた人の気持ちがわかる
青春がありそれもあっというまに過ぎ去って二度と還ってこないのである
そして何か人生を悔いる人は多いだろう、罪を悔いる人もいるだろう
老人になれば誰しも人生とか人間はこういうものだったのかと悟るのである

2022年01月10日

冬の暮、冬薔薇、冬の鳥 (空家が増える日本衰退の恐怖)


冬の暮、冬薔薇、冬の鳥

(空家が増える日本衰退の恐怖)

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隣の空家の庭に咲いたボケの花



今日も来て老女やあわれ冬薔薇

ボケの花隣の空家に開くかな

空家の庭啄むものあり冬の鳥

空家の庭石のテーブル冬の暮

また一軒空家のありや冬の暮


自転車で回ると空家が気になる、ここも空家なのかなと気になる
それでその庭に入ってみたりする、それより隣が空家になって広い庭がある
隣だといつも見ているし庭に入っても誰もとがめない
それは街の無人駅でもそうだった、駅員がなくて何か変なのだけど自分が駅員になっていたのだ、聞かれることがありそれに答えていたら駅員になっていた
でも駅長とかにとがめられて禁止されてやめさせられた
その後に高校生の見守り役の人が常駐するようになったからだ
ただ無人駅になると日立木では駅がいたずらされていたのである

結局誰もいないとそうなる、でも今は誰もいないと思っても駅でに監視カメラがついていて見ていたのである、それで構内に入ってゴミ箱がどうなっているから見たら監視カメラで構内に入ったことで入ることが禁止された
だから駅は無人駅ではない、監視カメラがあり監視している
他でもそうである、誰もいないと思っても監視カメラが見ている、それで推理ドラマでは必ず監視カメラを点検して犯人を捜す、つまり誰も見ていないようで見ているのだ
それで不思議なのは田舎では誰も見ていないようで必ず見ているから注意しろとなる

無人駅でもJRの管轄であり勝手には何もできない、許可がないとできない
ということは無人駅は何か空家とは違う、空家は全く誰も見ないないし管理していないのである、となると勝手に入っても誰も無人駅のようにそれでとがめる人はいないのであるだからそこで寝たりしても誰もとがめいなということがある
ただ回りで知られたら怪しいとなるかもしれない、変な話だがそういう場所にホームレスとか泊まってとがめるものがいないとなる
ただ原発避難区域は空家だらけだけど見回り役が車で回っている
何か犯罪者が入るのでそうなっている、でも今になると金目のものはもうない
ただ空家だけになっているのだ、だから何か金目のものもないのだから盗みに入る人はもういないのである

ともかく空家問題はこれから相当に深刻になる、日本自体が空家化する恐怖である
2000万軒が空家になるというのだから空家だらけである、この辺ではそうしてゴーストタウンになったからだ
空家をどう活かすかが意外と重要な課題となっているのである
だから空家を自由に使ってくださいともなる、でも住む人はなかなかいないだろう
この辺では新しく移住した人達が新しい家を建てて新しい街を作ったとなるからだ
古い家を活かして住むとはなかなかならない、一部では住んでいる人もいる

北海道でも室蘭市で18万の人口が8万切ったとういのは驚いた
鉄鋼工場が廃止されてそうなったからこの辺の原発事故とも似ている
そこが雇用の場だったからである、でもその減り方が大きすぎるのである
また炭鉱だったところも夕張のようにゴーストタウンにもなる
温泉街も空家化してゴーストタウンになっている、日本がいかに衰退しているからそこでまざまざと可視化されているのだ,シャッター通りでもそうである

とにかく隣の空家でボケの蕾が開いていた、寒いのによく開いたなと感心した
やはりすでに春は来ているのだ、ただ空家の庭で春を感じるのは奇妙である
そして空家でもヒヨドリなどが来て餌を啄んでいる、何か食べ物があるらしい、空家でも鳥にとっては空家でも食べ物があれば活きているともなる
ただ隣の空家は新しく家を建てて移ったから事情が違っている、同じ町内に住んでいるからだ

家に来たの老女が一人である、別にこの女性が手伝いさんでもない、そもそも普通の人より老いたから来る度に腰いたいとか体の不調で何もできないのである
ただ一人でいるのもまずいと思ってその人から身近な情報を入手しているだけである
そのために金を払っているとなる

とにかく今年はどういう年になるのか?波乱の年なのか?寅年でやはり激変になるのか?その公算が大きい、もしかしたら最悪の年になるかもしれない
ただこの最悪の期間をしのぎぬけると何かいいことが起きて来る
戦後の焼け野原から立ち直ったようにである、その苦難の時が戦後70年で来ているともなる、だから何か様々な苦難が襲ってくるのである

悲観論が多いが自分の調子はいいのである、介護十年してその後も何か回復しなかったが回復してきたからである

では良いお年を・・


2022年01月06日

2022ー新年の短歌10首―白鳥と蔵王

2022ー新年の短歌10首―白鳥と蔵王

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大きくすると後ろの白鳥は確かに若鳥である、灰色の羽根だからである

八沢浦では一番蔵王が大きく見えるのが不思議である

蔵王がこれだけ大きく見えるのは福島県ではここだけになるから貴重である

また鹿島区の右田区からも見えるようになったのは防波堤が高くなって見えるようになった

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この葉牡丹の鉢は鹿島区の「森の花屋」さんで作り売っていたものです


グーグルクロムだとクリックしても大きく見えないので注意




雪厚く閉ざす蔵王の崇高に白鳥の飛行朝に映えにき

白鳥の若鳥も飛ぶ連なりて新年や蔵王の映えし八沢浦かな

新年に轟く波音打ちよする白波にそまた我が走るかな

新年や色様々に花活けて調和をかなづ我が家栄えぬ

土地土地に栄のあれや新年に命の限り尽くすべきかな

葉牡丹の紫深く氷張り我が家につとむ女(ヒト)にあるかな

あらたまの年の緒長くなほ生きむまだ知らずして見るべきものあり

虎年や我が老いにしも内にこそ力の満ちて大地を行かむ

ふるさとはなほ荒れにしも新しき芽のいでくるや育つべしかな

新しき道に小花や枯芒老若男女往き来するかな

2022年01月03日

東海道の新春俳句20句 (東から西への春の旅)


東海道の新春俳句20句 (東から西への春の旅)
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西伊豆や菜の花映えて富士の峰

東海道小田原城や花盛り

茶畑や新幹線に春の富士

駿河湾魚打ち上げ春の富士

春日さす岸辺の広し大井川

東海や紅梅映えて電車行く

街並みの道真っすぐに燕来る

にぎやかに東海道や花の宿

海の風橋をわたるや春の城

春の日や天主望みぬ名古屋城

関ケ原越えて近江や春の山

朧月大津に一夜我が泊まる

京の日や枝垂桜の水映る

京の辻鐘鳴りあわれ春の暮

大阪城夕日に映えて花の散る

明石城春の夕日に染まるかな

波静か春の細月洲本城

西の城いくつたずねて花の宴

宴の後西の栄や城いく

花散りし栄華の跡や今日も暮る

潮流の瀬戸の島々花咲きぬ

春の日の海に反射し瀬戸田かな

島々の重なり暮れぬ瀬戸の春

春日さす福岡城跡街の中

海近み福岡城跡春に来る

桜咲く平戸の入江外国へ

城二百日本の栄花盛り



釜山なる松によりにつ春の暮

みちのくゆ慶州までや花咲きぬ

春の日や洛東江を沿い下る



東海道-吉田(豊川橋)俳句短歌の紀行文
http://musubu.sblo.jp/article/29701995.html

東海道というときやはりここが日本の幹線道路だった、それは今でも同じである
東海道から瀬戸内海から九州に行き韓国の慶州まで電車で行った
青春18切符で行った、その時韓国の慶州まで桜が咲いていたのである
つまり韓国まで一連のつながりがあるものとして旅したのである
洛東江を電車で沿い下ったのは醍醐味だった
大陸になると川は大きいのである

洛東江
https://www.travel.co.jp/guide/article/40562/

旅をこれほどしたが今は思い出す旅である、この思い出す旅で大事なのはいかに記憶しているかである、人間はとにかく忘れやい、それでいかに思い出として残すかが問題になる今ならやはりデジタルカメラで記録するから楽である
写真はやはり記録としては一番効果的になる
その写真が今ではインタ−ネットで豊富であり見れる、するとその写真を見て思い出すのである、人間は旅してもその人によって見るものが違う、景色でも違ったものとしてそれぞれ記録されている、ここは電車と川を写しているから秀作である
外国ではなかなかいい写真を撮るのがむずかしいだろう、場所とかが問題になるからだ

韓国の桜
https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=01597024028&GroupCD=0&no=&rtm=likeimage


淡路島ゆききの舟の友がほにかよひなれたる浦千鳥かな(藤原定家)

明石を詠んだ歌としては. 天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば. 明石の門(と)より 大和島見ゆ.

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ 柿本人麻呂

明石という場所がもともとこういう場所だった、船の行き来がすでに多くあった場所である、でも万葉時代の船がどんなものだったか、それを思う時、今の船の感覚とは違う
だからこそ梶でこいではるばる来て明石の戸に来たときに感懐はより深いものとなる
フェリーにのんびり乗ってくるのとはあまりにも違っていたのである

生き死にを船にたくして天離る鄙の長道を大和島につく(自作)

当時の舟だったら本当に怖い、常に死の危険を感じていた
それでも万葉集の歌は雄大である、古今集になると定家のように何か近くを親しく行き来している歌である、天離るという感覚はなくなっている

明石城が印象に残ったのはその城は夕日に映える城だったからである
そして瀬戸内海を船を行き来している、絶えず行き来している
そこが東北とは全然違っている、東北では広い海でも一日行き来するのは本当に二三艘しか見えないのである
瀬戸内海でも狭い海峡に大きな船が汽笛を鳴らして入ってきたときは驚いた
大きな船がそういう場所にまで入ってくるのに驚いた
つまり瀬戸内海は船の道になっているのだ、水道というときそうである
水の道が瀬戸内海にある、そこは船が古代から常に行き来して村上水軍とかも生れた
瀬戸内海は交通路であり潮流は早いのだが天然の港が自ずとできた所である

旅で何か印象に残る場所がある、そこは常に思い出す場所なのである
明石城はそうげある、そこは夕日が輝いて沈む、海が側だから船が絶えず行き来しているそれから淡路島も見える、そういう光景は東北には見ない、東北の海は荒寥として船は一日二三艘しか通わないのである
船の旅は中国までも船で行ったし韓国にも二回とか行った
船は相当に乗っている、電車の旅もしたが船の旅もした
とにかくそれだけ旅をしたのが自分だった、自分はだから旅人になっていたのである
旅人となると常に旅している人であり遂には旅が人生ともなった人だとなる
そういう人は日本では西行とか芭蕉とか山頭火とかである

ただ現代は交通がこれだけ発達したのだから昔の旅とは違う、何度も行けるし旅する範囲も外国まで広がるのである、そして江戸時代までは歩く旅だったが今は船でも電車でも自転車でも車でも旅をする、ただ車で旅したことはないからここはわからない
旅と言っても何か現代は移動しているだけだともなる
昔は普通の人でも歩いて移動するから旅になっていたのである

東海道をテーマにしたがやはりここは日本の幹線道路である
街の中でも街道がまっすぐに長くつづく道があった
あのような繁華な街並が残っているのは東北にはない
東海道はやはり栄えた道である、瀬戸内海の山陽道でもそうである
瀬戸内海は交通の海でありこれも全く東北の海とは違っている
だから海と通じた城があり港にもなる、船が実際に城に入る水路があり入ってきているのもある、明石城なども相当に海に近いのである

俳句は何か今や一句としては芸術として成り立たない、こうして連作にすると一つの作品として連続したものとして鑑賞できる
奥の細道でも連続したものとして鑑賞するからそれでそれが古典にもなった
だから前にも単発的に出したのはそれをまとめてまた連作にする
それで一連のものとして鑑賞できる、今回は韓国の古都の慶州に行ったからそこでも桜が咲いていたから連続していた、韓国だと日本の歴史と連続しているから地理だけではない日本で桜が咲けば韓国でも咲くとなる、韓国も栄えるとなる
現実に韓国が技術的にも日本の模倣であり中国でも日本の技術の模倣があり発展したのである、韓国の古代の伽耶などはむしろ日本だったらしい
なぜなら縄文時代から日本人が行き来して縄文人のDNAと似ているとか研究者が発表したからである、北方系があるとして南方系は照葉樹林帯の文化圏でありその文化が似ているからだ、肉食ではなく精進料理のようだというときもそうである
肉食はモンゴルの征服でもたらされた、今でも韓国で海苔を作っているのも日本をまねたのである、まねたにしても海に面しているから同じことができたのである

いづれにしろ日本で一番いい季節は桜が咲く時である
私の場合はこれだけ旅したからコロナウィルスで旅できなくても満足である
こうして旅できたのも平和の繁栄の時代に生まれたからである
そして長生きの時代にも生まれたからこうして旅を回想したして作品にする
そういう点でいい時代に生まれたしまたそういう境遇に生まれたから幸運だったとなる
これからコロナウィルスで旅できないとか何か暗雲になり経済的にもいい未来が見えないのである、まず交通がとめられて電車さえ人が乗らないというのには驚いた
こうなると閉じこもる、地域ごとに閉鎖された江戸時代に戻るようにも思えたのである





2022年01月01日

祝ー真野川にサイクリングロード完成


祝ー真野川にサイクリングロード完成

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サイクリングの花文字


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これは美観的には良くない


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新しき道に小花や枯芒老若男女行き来するかな

ここは近くでありサイクリングロードと花文字を作った
ここを通っているのは近くの人であり歩いている人である
遠くの人は来ない、土手の道は遠くからサイクリングの人がたまに来る
でもここはわからないから通らないだろう
だから近くの人が利用するために作ったのかとなる

ただサイクリングロードとなると私は自転車が好きでいつも乗っているから
これはいいと思った、真野川の岸辺は広いから道にできた
他では宇多川とか新田川ではこうして道は作れない

最近サイクリングロードがかなり作っているのかもしれない
車社会になっていて自転車も六号線のはじを走るのは危険である
田舎では歩道を行けるからいいのである

もう一つの土手の道には花を植えた箱を並べたが何かかえって美観を壊したとうい感じにもなる
地植えにしなかったので不自然なのである、ただ箱が並んでいるという感じになる
何か宣伝なのかその箱に団体の名前とか個人名が書いてある
すると団体と個人の寄付としたのでそうなったのか?
でもこんなに箱が並んでいるのは美観的にはいいと思えないのである

北海道には長い専用のサイクリングロロードがあった
そこは本当に自転車が通らないからもったいないとみた
震災以後東京の方から移り住んだ若い女性が飯館村の方にサイクリングで行くと楽しそうだった
田舎はサイクリングには向いている、車がそんなに通らない所がまだまだあるからだ
ただバイクで吹っ飛ばす若者がいる、その音が嫌なのだがバイク乗りの人はその音に快感を覚えていたのだ、だからバイクも電動化することを嫌っていたのである

サイクリングするなら福島中央道になって車も通らなくなった前の道がいい
相馬市から霊山町まで行くと結構長いから達成感があった
そして車が通らないから走り安かったのだ
要するにあそこは今やサイクリング道路になったともみる
ただバイクも行く、車はほとんど通らなくなったのである

2022新年の詩(フラワーアレンジメント)


2022新年の詩(フラワーアレンジメント)

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新年の詩

思わずに海底の山の噴火して
新しき島の現る
陸地も海となり
山は噴火してさらに高くなり
自然も激しく流動する
世もまた常に変化する
新しき技術の生れ
新しき未来を展望する
変化に適応せぬものは滅ぶ
新しき道を拓け
そして未だ見ぬ展望を得よ
先人の苦労を思い担いつつ
老いて成すべきことあり
老いて盛んなることあり
人生百年時代、変化を生きよ
日本も再び蘇えることあらむ
大洋を望み山を仰ぎ登り
大地を踏み川の流れを伝い
激流となりて海にい出なむ
また川にそい上る滝を上る
鯉のように天にも登らんかな
太陽はさらに輝きを増して
日本なれ旭日旗をかかげよ
大洋の波はうちひびき高鳴り
日本の真の栄の来たるべしかな



恵みはめぐる

水はめぐりめぐる
田から田へと水はめぐり
大地を潤しめぐる
分けへだてなく
水はめぐり潤す
太陽は田毎に輝き映り
一つの家に恵みあれば
その恵みは回りにめぐる
富は一か所にとどまらず
世界の富もはめぐる
めぐりめぐって豊かさを増す
めぐる水をとどめることはできない
恵みはめぐりほどさされる
あなたの恵みは回りの恵み
その土地の恵みはとどまらず
他の土地にもめぐってゆく
神はめぐみをめぐらせ
一か所にとどめない
一人占めする者は呪われる
太陽はかくして微笑み
神は満遍なく恵みのめぐるを見て
太陽はさらに増して輝き喜ぶ
今年も富はめぐる
富を留めむとするなかれ
その水は豊富であり
水は尽きることがない
神は水を恵みとしてめぐらす
かくてなみ豊かになるを知るべし




今年は自分としては何かバイオリズムがいい、介護十年とかで疲弊したが回復してきた
だから力が湧いてきた、そして最後に有終の美を飾る
人生百年は成果を出すのが遅くなる、なぜなら70代でも百才となればまだ序の口だとさえなるのである
ただ病気になったり体が弱るといくら金があってもだめである
いかに病気にならないか、健康であるかが勝負だともなる
もうすでに脱落している人も結構いるからだ
人間は老人になって突然変わったりしないのである
人間の体でもこれまでの積み重ね体験が現れるのである
それは心だけではない、体に現れるのである

だから青春時代でも放蕩とか欲望のままに生きたとかなるとそれも老人になると後悔となり回復できないものとして真善美も見えなくなるのである
カルト教団で運動していたものなどもそうである、それはただ奴隷として生きただけであり何か蓄積するものもないからである、そして自分自身の人生を失うことは怖いことである
人間は最後は偽ることはできない、人格でも人生の中で作られてきて顔に刻印される
心に刻印されるのである、人生の結果として老人がありもう人生をやり直すことができなくなっているのだ人間突如何ものかになることはないのである
ただ青春時代とかは激動であり行動の時代だから人生の方向を決めるものとなる

とにかく自分のバイオリズムは最高に上昇している、最後の集大成に向かっている
そして恵みはめぐるである、一人の人間に一つの家にとどまらない、国単位でもそうである、富はめぐらないとととこおると腐ってゆく、富を一人じめするようしなことはできない、富でも活かさないものは奪われる、だからアメリカは極一部の人が富を一人占めしている、そこに莫大なし富が集められている
そのためにアメリカはかえって衰退するのである、富はめぐらないと腐るのである

何か福島市郊外に米俵を蔵に積んでいたのだがその米俵が蔵から飛んでゆく空っぽにらなったという伝説があった
これも何か貯えていても使わないとそうなる、水がめぐるようにと富もめぐってゆくからである
富は有効に使えるものでないと持っていても腐るしそれがかえって害になることもある
そしてその富も消えてしまうのである、そき富は持つものにとっても呪いとなってしまうのである

今年は自分のバイオリズムはいい、でも日本自体は貧困化がさらにひどくなる
個人と国とかとなるとまた違っている、でも国自体が衰退すると全体に影響して個々人に影響してくる、全体的に運気が下がってくる
だから全体の運気を上げないと個々人でも良くならないのである

とにかく変化の年にはなる、自然でも常に変動している、それはこの辺の津浪で経験したまた新しい新島ができたことでもわかる、自然も変動しているのである
変動していることは新しいものが生まれるということである
自然は固定されたものではないのである
いづれにしろ激動がそこに生まれるとなる、そして新しい時代が来る
新しい時代を創るのである

今年も創作は続きます、佳境にもなっています、よろしくお願いします

2021年12月31日

寒雀、葉牡丹、氷る(年の終わりに今年の感想)


寒雀、葉牡丹、氷る(年の終わりに今年の感想)

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俳句は写生である、だから写真と相性がいいのだ
写真を見ただけで別に説明しなくてもわかるからだ
写生俳句とはせつめいしないことことだからである


大晦日とか気分がなくなった、ただ単に年が終わるというだけである
年はあらたまるというだけである一つの区切りとなるだけである
でもこの区切りだけが残る、今年は終わり来年に期すということになる

今年の一年は何か家事に追われプログを書くのに追われフェスブックも試しにしたが何もできなかった、コメントもしなかった
とにかくプログに記事をのせるだけで時間がとられる
そして家事に追われる

今日もスーパーとダイユーに行った、灯油を買った、買い物も結構手間なのである
自分の仕事は今これまで書いたものの整理とか記憶の旅をつづけていることである
今年の旅で印象に残ったのは相馬市から福島中央道ができて寂れた昔の道を霊山町の方まで自転車で行ったことである
この道はあまり行っていない、相馬市の方から行っていなかった
飯館村の方から行っていたからである
でも宇多川は相馬市を流れているのを見ると小さいのである
この辺の川は小さい、新田川でも流れが浅い、真野川と高瀬川は大きい、ただ不思議なのは宇多川はさかのぼると上流は渓谷のようになっているから大きく見えるのである
真野川は大きいが長いがあんな渓谷のようになっていないのである

旅という時、いつも言っているが相馬市から霊山町まで自転車で行くだけでも旅になっていた、それは自転車だからそうなっていたのである
その道は一つの旅の行程となっていた、ここを車で行ったりバイクで飛ばしたりしても
心に残らない、ただ通り過ぎるだけになる
だから短くてももし歩いたり自転車などで行けば旅になっていた
そして霊山を越えて霊山町の方に行ったがその辺を行ったことを忘れていたのである
それげ霊山神社に行けなかったのである
とにかく人間は忘れやすい、自分の書いたものすら忘れていて読み直して感心しているのも不思議だとなる
それでその整理が大変な作業になっているのだ

ある意味で今年はそうした整理の年だった、これは来年もつづく、そして詩集とかにまとめたいのである、今年は確かにコロナウィルス騒動だったが自分には何にも関係なかったもともと介護が十年つづき巣籠りになっていた
家から遠くへは出れなくなっていたからである,ワクチンも打たなかった
一人しか濃厚接触者がいないからうつらないと思ったからである
コロナウィルス騒動は何か騒ぎすぎという感じにもなる
実際の危険は一割くらいでも十倍の危険に水増しされているか感じである

オミクロンとかでも何かもういい加減あきたともなる、これも油断なのかもしれないが
人間はあきる、いい加減もう終わりにしろとかなる
これも油断になるのかもしれない、ただこれはいい加減もう終わりにしたいとなる
あまり反応しなくなもなる、それが危険にしても人間の心理でそうなる
本当に日本だとどれだけの被害があったのか明確ではない
何か誇張されているともみる、結局情報社会になると何でも過剰に反応しやすいのである小さな火花でも全世界が爆発するようにも感じるのである
マクルハーンが世界が村になるというのが情報化社会である
世界の果てに起きたことも隣の村で起きたように感じるのである
世界で起きる犯罪でも隣で起きる犯罪者がいるとも感じるのである
だからもう誰も信じられないともなる、子供に近寄れない時代になったのである
子どもに話しかけたらいたずらする悪い人だとなるからだ
それは常に報道されるからそうなるのである

スマホを買ったけどこれも使いこなすのがめんどうなのである
何か買うということは受け身ではない、使いこなすのがめんどうでありそれで老人は使いこなせないから買わないともなる
ただ自分はパソコンをしていたからのみこみが早い、でもスマホの一番の問題は画面が小さいことなのである、これが意外と相当に脳に影響している
広い画面で見るのと狭い画面で見るのではまさに視野狭窄にもなる
でも軽くメモするとかにはいい、写真でもなんでもメモして記録してそれを見ると記憶しやすいのである、他にもスマホでできる効果的なことはある
でもどうしてても画面が小さいから何かすんなりと操作できないし使いにくいとはなる
ただスマホはスマホとして使用が違っているから必需品になる

今年をふりかえると調子は良かった、バイオリズムとしても良かった
やはり介護というのは心身ともに疲弊するのである
介護が終わってもしばらくは疲れが残るのである
だから正常化することが時間がかかるのである

推理ドラマで財産持っている親が子供に財産を残さないで他人の若い女性に遺言書で相続させるとした、それで実の子供たちが怒った
実の子供たちは誰も親のことを心配することなくただ金だけを遺産だけを欲しいとなっていたのである、事業に失敗したとかあり親のことより財産の方を心配していたのである
これも良く推理ドラマででてくる
その親がガンになっていたとしても子供たちは金の方を心配していたのである
何かこれも淋しいと思う、親子でもこんなものなのかと悲しいとなる

だから財産を猫に残したということが外国辺りで本当にあったのである
また和歌山県のドンファンとか言われた人も殺されたのか何かわからないけど愛犬がいてめんどうを見るように財産を残すとなったのである
子供を育てても親から金が欲しいだけだとなれば淋しとなる
自分の場合は特別親から良くされたから毎日姉と母のことを思っている
今になるとこの父親のように自分のことを心配したり思ってくれる人がいなから余計にそうなったのである

金に追われ余裕なき女(ひと)寒雀

家に来る人はまさに寒雀である、全く金に余裕がない、食べるものすら節約するとなる
でも一人暮らしは贅沢だという人もいる、江戸時代なら長屋であり個室などないからである、戦前でも農家ではないとその住まいは個室がない、そういうのが多かった
個室は贅沢だったのだ、戦後の焼け野原からでも子供に個室などなかった
子供部屋はなかった、だからコトオジなどもいなかったのである
ここが何か今貧乏になっても贅沢だと見るのである
物でも計り売りであり酒屋に買いに行かされた記憶がある
相当に戦前でも本当に貧乏だったのである、食べ物でも味噌汁とたくわんがオカズでありそれは江戸時代と変わりなかった、私の母がそうだった
梅干し弁当でありそんなもので良く生きていたと思う
今は貧乏でも結構贅沢な面があるのだ
そして仙台市に目の手術に行った、二回も行ったのである
それで直ったみたいだ、これも江戸時代からすると贅沢である
なぜなら眼は直せなかった、それが約一割近く盲人がいたのである
盲人が多かったのである、栄養が悪いこともあった
そうはいっても日本の問題が貧困化にあることは確かである、これからもそうである
だから座頭市とかの時代劇がある、盲人がいたるところにいたのである

来年もまた来たらむや寒雀

こんなふうにもなる、相当に貧乏な人が増えていることは確かである
ただそういう人と接触しなければわからないのである

木の葉散り氷に閉ざし籠もるかな

来年も書き続けますのでよろしく

2021年12月27日

白鳥、冬椿、冬の暮、葉牡丹、雪の朝 (岩と家の主ー雪の庭)


白鳥、冬椿、冬の暮、葉牡丹、雪の朝

(岩と家の主ー雪の庭)



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空家の庭


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白鳥の翼大きく朝飛びぬ

降る雪に白鳥飛びて消えにけり

雪踏みて白鳥飛びぬ朝かな

石すえて隠るる庭に冬椿

雪ふりて椿の垣根朝の道

庭に雪組まれし石の重さかな

音もなく木の葉一二枚庭に散る

葉牡丹に雪や年経し庭の石

年を経て家の主や冬の暮

岩のごと家の主や冬の暮

冬の灯や我が家に落ち着く石二つ

キーボードに白髪数本年老いぬ


庭の石雨ぬれ今日は雪おおい晩年静か家にすごしぬ

玄関に岩やこの家の主なれ病なれども年の暮かな

冬の薔薇なお一輪の咲きにつつ雪の残れる庭に映えにき


雪がふり風が朝つめたかった、その時白鳥が群れて飛んでゆく、白鳥は朝と夕方飛ぶのが多い、だから朝は自転車でまわる、寒くてもまわる
白鳥はすぐ近くに飛ぶとき迫力がある、大きく見える、良くあんなに大きな鳥が飛べることが不思議である、何を食べているのかもよくわからない、かなり重いから飛ぶには相当なエネルギーが必要になるからだ
山の方から雪雲がでて白鳥は雪の中に消えてゆくともなる

例の空家の庭にまわり見る、そこは椿の垣根となっている、あそこの家は古くなり住めないだろう、ただ本当にもったいないと見る

家というのはそれぞれに歴史がある、江戸時代からつづいているような家となると重みがある、そういうのは農家に多かった、農家は江戸時代などでも何代も続いていた
なぜなら社会があまり変化しないからである
それで職人の家すら十代とかつづいていたのには驚いた
今はそういうことはありえない、変わり安いのである、技術も日進月歩だからである
また農業中心の社会ではないからまた定着しない移動する社会だから変わり安いのである
ただ年取ると落ち着く場所が必要になる、そこで家が大事になる
私が家の主となったのは実際は姉と母が死んでからなのである
それまでは自分は家の主ではなかったのである
家というのは何か建物だけではないそこにそれぞれの歴史があり背負うものがある
それは外からなかなかわかりにくいのである

庭は下にいた方が身近になる、二階だと自分の家では庭は狭いから見えないのである
下だといつも庭の石を見ているのである

玄関の前に大きな岩を置き石で組まれた重厚な庭がある家を知っている
その人は病気になり半年くらいまで入院していたことがあった
それでかえって病気が悪くなった、そこで家に帰ったらかえって良くなった
糖尿病だけど食べないでいたから弱ったのである
病院はこうして返って老人の場合は病気でも悪くすることがある

それは精神的にも病院は良くないのである、だから家で死にたいとか家で病気でも良くなることがある
病は気からとなるからである、家だったら主として重みがある
その人の家と庭は若い時人の倍も働いて建てたものだから余計にそうなる
自分の場合は親から譲り受けただけだから違っている
ただ親が苦労してこの家を建てたことは知っているのである
父親は酒屋の丁稚であり暖簾分けしてここにきて苦労して土地を手に入れ家を建てたのである、ただここの土地は街で一番低い場所であり土地としては良くないのである

郷土史というときそれぞれの家の物語にもなる、ただこれはなかなかわかりにくいのである、今になるとインタ−ネットとかでいろいろ書いている人はいる
でもなかなかわかりにくい、ただ郷土史というとき旧家になっている所からその土地土地の歴史がわかる、それはたいがい農家になっている、でも旧家の重みも社会が変わってなくなりつつある
ただこの辺では野馬追いにでるのはもともと農家だった家が多いのである
そこに歴史を感じるとはなる





2021年12月24日

年の暮、冬の灯、寒鳥、寒雲 (年の暮の俳句十句ー整理に追われる年の暮)


年の暮、冬の灯、寒鳥、寒雲

(年の暮の俳句十句ー整理に追われる年の暮)

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ここの梢に二羽ヒヨドリがとまっていた


冬の灯の庭の石に漏れ人住みぬ

寒鳥の梢鋭く二羽とまる

寒鳥の高き梢より飛び去りぬ

寒雲の川面に映し日も暮れぬ

ムクドリの幼稚園に群れ集まりぬ

黒き猫我が家によりて冬の暮

母なきや厨(くりや)に一人年暮れぬ

我が家を一人守りて年の暮

十年以上空家に住まず年の暮

自転車屋街に一軒年暮れぬ

助けつつ助けられつつ年の暮

我が一人遺影に向かい年暮れぬ

近所の人一人死にたり年の暮

本に埋もれ整理しきれず年の暮


冬の灯が庭の石にもれる、そこには人が住んでいる、石もそこで活きている、人間化するのである、でも空家には石も死んでいるとなる、ただ空家に入って勝手に庭を見ているのも不思議である、石に興味があるからそうしている
ともかく空家が多すぎるのだ、その空家は立派であるが十年以上それよりずっと空家だったが人は住んでいない、でも荒れていないのが不思議なのである
なにかしら手入れに来ているのだろう

でも空家になっている時間が長すぎる、誰も住まない家とは何なのだろうとなる
全国でこの空家が膨大になる、すでに800万軒という空恐ろしいものとなり遂には
2000万軒にもなる、これが現代の日本を象徴している
もう自治体でも市町村でも維持できない所がでてくる、日本自体が縮小してゆく
その衝撃が大きいのであく
かつてにぎわった温泉街が廃墟化しているのも驚く、何か原発事故周辺はゴーストタウンになったもしかしたらここは未来を先取りした地域なのかともみる
市町村自体が消滅してゆくのである

子供が遊んでいるのも見かけない、ただ幼稚園の運動場にむくげが飛んできていた
団塊の世代の子供のころは本当にわんさと子供がいて遊んでいたのである
今は幼稚園で子供が遊んでいるだけである、何かこれも淋しいのである

自転車屋は一軒なんとか経営している、でもいづれなくなるだろう
するとどうなるのか、さられにさびれたものになる
見えるのは老人であり話を聞くのは腰が痛いとかなんとか病院に通っている老人の話なのである、子供の話など聞かないのである

今年も自分人一人が家を守って暮れる、墓地の公園の銀杏の木の梢に鳥が二羽とまっていた、いかにも寒鳥だとなる、見たのはヒヨドリである
これはいつもみかける、黒い猫に餌をやっているから毎日来る、これも手間である、家にはあげないしこの猫は慣れないのである

ともかく今日も忙しかった、買い物に三回行った、結構この買い物が手間なのである
あとはいろいろ整理することがある、本の整理が一番問題である
本はなかなか整理できない、その内容を整理できない、引用するものがある、でも本の整理はどうしていいかわからない、パソコンでテキスト化すればいいがめんどうである
ただ読み返すると本にはいいことが書いてある、ネットにない高度なものが蓄積されけいるのである、ただその整理がむずかしいのである

人生の最期は整理が仕事にもなる、年の暮だと今年の整理だとなるからだ
一人なんとか家を切り盛りして維持している、その合間にプログを書いたりしている
今年も近くで一人死んだ、また隣に前住んでいた人も二人すでに死んでいたのである
これも驚いた、近くでも今や葬式も身内でやったりするからわからなくなっているのだ

今年も終わりである、今年はやはりコロナウィルスにはじまりコロナに終わったとなる
これはインフレインザと対して変わらないという人もいる
たいしたことがないのに大騒ぎしているという人もいる、騒ぎだけが大きくなったとも言う人がいる、それもそうなのかもしれない、本当に実被害は10とするその千倍くらいの騒ぎになっていたしもしれない、それだけ未知なものに人は恐れる
それはこの辺の原発事故の放射線被害でもそうだった
何か未知なものは恐ろしく感じるのである、どこまで恐れていいのかもわからないのだ
ただ本当に恐ろしかったのは津波の方だったと思う
また地震でもそうである、そっちの方がずっと怖いと感じた
コロナウィルスにはあまり自分の場あい恐怖を感じなかったのである
だからワクチンも打たなかったのである
そもそも一人としか濃厚接触していないからうつらない思ったからである
仕事している人は強制的にもなった、ただ騒ぎだけが大きくなったということは言えるかもしれない、実際は日本だとインフレインザくらいの被害でありそうしたら何ら騒ぐ必要もなかったとなる、ただ未知なものを人は恐れるのである

幽霊の正体見たり枯れ尾花

コロナウィルスであれオミクロンであれこれになるのかもしれない、本当に正体がわからないと人間は過剰に恐れる、それに拍車をかけたのがマスコミの報道だったのかもしれない、報道は恐怖を倍増させたということはある
ただなかなかそのことに対して恐怖をあおっていても言えないということがある
結局は未知なものだからどうういふうになるかわからないからである
まず今回もウィルス専門家があてにならないことがわかった
原発事故でもそうだった、御用学者となり科学的真実を報道しなかったのである
わかったことはこの世にはまだまだ未知なものがあり科学者もわからないことが多々あるということである、だから専門家もその未知なものにたいして何か確信をもって言えた人はいないということだったのである

スマホを買った、写真をとったがパソコンに転送できなかった
スマホはどうしても必要になっている、ただパソコンが本体でありスマホは補助になる
遠くから通信できることが強みでありパソコンは創作に使うとなる、スマホでは創作は無理だとなる、絵を描く写真を加工することは無理だとなるからだ


人間は一緒に育たなければ家族に兄弟にもならない (一番大事なのはともにする時間だった)


人間は一緒に育たなければ家族に兄弟にもならない

(一番大事なのはともにする時間だった)

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時間は限られている、何に時間を配分するのかそれが人生にもなる
なぜなら配分する時間が限られている、その貴重な時艱を何に費やすかで人生は決まるからだ
くだらないことに時間を費やしたら何の実りもないとなる
でもそういう人が実に多いのである、それは時間の貴重さがわからないからである



推理ドラマが面白いのは地域性、家族関係、金の問題、借金問題とかが必ずテーマになっている、何かこの問題が人間社会に多いからである
今回は函館とか青森が舞台となっていた、函館は何回も行ったから知っている
市電が走る街であり明治時代を偲ぶ場所としてある
そして連絡船で青森までわたり捜査する

もう一つのテーマは必ず青春時代とか若い時お起こしたことが後年に問題となって尾をひいている、女性関係などで尾を引いている、愛していたがかなわなかったとか恨んでいたりする、何かそういうことが尾をひいている
そしてもう輝いていた青春時代はもどらないとかいうのはこれは後にならないとわからない、このことが実際は一番痛切なことかもしれない。

青春とか若い時は実は一時の輝きでありあっという間にすぎる
でもなんか青春時代に経験したことは老人まで影響している、だから認知症になっても若い時に経験したことは忘れないとなる、姉は従軍看護婦でマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめたからそのことを忘れないで千回も語りつづけたとなる
なにか印象に残ること出合いが青春時代に起きる
その後にも起きるとしても一番青春時代に起きやすいとなる

そしてその経験したことが何だったのか老人になってようやくわかるのである
これは人間の歴史と同じである、明治維新でも太平洋戦争のことでもふりかえりそれが何だったのかわかる、ただこうした歴史的事件は評価するのがむずかしい
ただ個々の人生をふりかえりありあのことはこういうことだったのかとわかり納得する

人間の家族関係も謎であり複雑である、複雑怪奇でもある、それで昨日の推理ドラマでは双子の兄弟間で起きた、でも両方とも顔は似ていても全く戸籍の上だけで兄弟であり一緒に育ったことも無いから他人だった、それで金のために双子の兄弟でも一方を殺したのである、そこになんら兄弟という感情がなかったのである
人間は動物ですら一緒に育たないかぎり肉親とか兄弟姉妹の感情がもていなのである
犬に育てられたとか子供の時親しくしていると犬が親代わりになったりする
動物の子どもは身近な生き物に警戒なくついてゆく、身近にいるものを親と思うのもそうである

私の場合は兄がいた、父親は違っていた、でも家で一緒に五才頃まで育ったのである
だから「あんにゃ」として一緒にいたのである
それで兄と認識できることになった、もし一緒に5年間でも一緒に育たなかったら兄とはならなかった、何かこういうことは頼朝と義経の関係にもあったみたいだ
血のつながった兄弟でも兄弟として育っていないから兄は無情に殺したのかとなる
ただ政争になると兄弟間でも争い殺し合いになっているから別である
でも別なドラマでは兄弟で争い弟を殺そうとしたが兄が子供の時一緒に暮らした弟を思い出して殺すことはしなかったのである
兄弟の情が残り殺せなかったともなる
普通に一緒に育っても遺産争いで骨肉の争いとなるから兄弟でも子供の時一緒に育ってもそうなるから人間はそういうものだとなる
子供の時一緒に遊び暮らしていてもそうなるから人間に共通して大人になると欲に左右され醜いものとなる

その女性は生まれて五年間は実の親に育てられた、でもその子供を老人になり頼った
その時認知症になっていた、でも子どものことを自分の子供と思って頼った
でも子供は親とも思っていなかった、ただ親が金をもっているから施設にあづけてその金をもらうだけの人となっている、その女性は全く情がなくなっていたのである
三人母親が変わったが最後の母親とは長く一緒にいた、でもその親が病気になったとき捨てた、何かあるにしろ一番長く一緒に暮らした親を捨てた
それで自分に「ひどい娘だわ」と一言電話で伝えてあっけなく死んだから良かった
要するに深い恨みを残して死んだのである、ただ母の実家は不和分裂の家でありそれが継続されていたとなる、そして完全にいまになると切れた

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兄が母の実家にいたのは五年間だった、でも全く忘れたというのもわからないその後交際がなくそうなったのか?
兄は母はその後も連絡してかかわりあっていた、交通事故で死ぬ前に自分の家に寄ったのも不思議だった
人間は死ぬとき親しい人に別れを告げに合いに来るというのは本当であったとなる

孫でも一生に育たないと人間は愛情がわかない、外孫が何か愛情をもてないというときそうである、人間はやはり一緒にいることで愛が育まれる、それがなかったちら血縁というまえに他人でしかないのである
自分の兄の場合は5歳まで一緒に育ったから兄と認識していたのである
また自分の家では良くしなかったかからいつも悪いという感情があり交通事故で死んだので墓を自分の家の墓の隣に墓を建てたのである
でも一緒に育った実家の女性は兄のことを覚えていないという、5歳まで自分の家にいてあと15歳まで実家でともにいたはずなのである
でも全然記憶がないという、こういうのもその女性は異常化した人間になっていたからである、その理由は良くわからない、長い間付き合いがないのでわからないのである

いづれにしろ人間は兄弟でも姉妹でも一緒に育たなければ血縁でも愛もないし育たないし他人に過ぎないということである、だから双子の兄弟でも殺すことができた
もちろん遺産争いで殺人もあるから一緒に育ってもそうなることはある
でも確かに親子と兄弟姉妹でも一緒に育たないと家族の感情が持てないのである
結局自分自身は60年間一緒に母と姉といたから深い関係になっていた
愛情をもつ関係になっていた、母と姉は争っていても不思議に実際は憎しみがあっても愛していたのである憎しみも愛の表現だったということもある
そういうドラマもかつてあった、憎しみつつ愛していたとなる
それは60年も一緒にいれば自ずとそうなるのである、やはりその間に喜怒哀楽を共にしたからである、だからわからないのが熟年離婚なのである
長い間一緒に生活していてそうなることがわからない、
なぜならもう老人になってから共に過ごす時間が短い、生きる時間がないからである

人間にとって時間をほど大事なものはない!

いろいろあっても一番老人になって後悔するのは時間を無駄にしたことであった
なぜなら時間はもどらない、時間は限られている、時間は消失する
でも時間は金がなくしたときのように千円でも損したとか無くしたとかなると必死に探すようにならないのである、何か無意識的に過ぎてゆくだけなのである
時間は意識できないのである、そこに人生の落とし穴があった
もっとも貴重なものが意識できないことだったのである
愛をはぐくむにも家族になるにも時間が必要なのである、その時間を失ってみて時間の貴重さをしる、そして時間は公平なのである、みんな平等に時間をは与えられている
特別何倍もの時間を与えられている人はないない、だから金持ちでも必ずしも時間に関しては平等なのである、その時間によって経験することが違ってくる
限られた時間しか経験できないことである、もし人生が100年とか200年になると経験することが多くなるから誰でも学者にもなれるとなる
ただ経験するにしてもその年代でか経験できないことがある、子供の時の経験は最も貴重であり青春時代でもそうである、その後の経験は何か希薄化する

確かなことは最も失いやすいのは時間である

これだけは確かである、それは金のように意識できないからである
だから金持ちでも金があっても時間を失っている、金で穴埋めできないのが時間なのである、金があってもでは何かしようにも時間がかかったり体力がないとできないとかただ金があっても家にいるだけだとなる、また病気になったりしたら何もできない
金があっても歩くことすらできないとなると金はなんにも役にたたないとなってしまうのである、だから時間を有効に活用した人が実際は人生で本当に生きたとなる
価値を残したとなる、そして老人になると過去の経験したこと学んだことが宝となる
そういうことで今自分は過去をふりかえり旅したことなどで詩を作ったりとかしているのである、旅した時間も貴重なものだったのである
でも旅でも車でしたとしても記憶に残りにくいのである、記憶に浮かんでこない、だから歩く旅していた人はかえって旅を記憶している、江戸時代とか戦前でも旅した人は記憶している、それは歩いていたからである、一歩一歩歩いていればそれは体で覚えているともなるからだ、でも車で行った人は通り過ぎるだけであり記憶に残らないのである



2021年12月21日

冬の暮、年の暮、冬椿、冬薔薇、冬菜、残り柿 (相馬市城下町まで冬の俳句十句)


冬の暮、年の暮、冬椿、冬薔薇、冬菜、残り柿

(相馬市城下町まで冬の俳句十句)


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牛二頭ものいわずして残り柿

牛二頭ここに動かず冬の雲

また見つく廃屋二軒年の暮

代重ね一家の墓や冬の暮

墓守る冬菜やここは横手かな

冬の日や抹茶一服城下町

冬椿忠義の松や城下町

冬の灯や6万石の城下町

冬柳長々とたれ飲み屋の灯

我が庭や側にいとしむ冬薔薇

誰が触るや月影さして冬薔薇

冬の星一つや帰る道知りぬ

二時ころ相馬市まで行った、途中横手に墓地があり冬菜の畑があった
次にまた刈田の中に四五基の墓があった、一家の墓である
一応木に囲まれている、こういう一家の墓も田舎にはある
村の墓地もあるが一家の墓もある、何か墓は田舎では土地と結びついている
田舎でも農家とか田畑の中にある墓地は違っている
それは土地と結びついているのだ、そして代々守ってきたとなる
墓地が自然の風景と一体となりあるのが田舎である
田舎と墓が切り離せないという時、農業中心の社会だとそうなる

なぜなら土地に根付いて生産して暮らしていたからである
だから墓も代々あり土地に根付いているという感覚になる
でも実際は江戸時代には庶民の墓はなかったのである
一家の墓とかもない、家族墓ができたのは明治以降だからである
墓を作るには金もかかるから作れなかったこともある
また墓を維持することは簡単ではないから村の共同墓地に埋めた
それがホトッケポとか地図には仏方となっている
そういう共同墓地は村の誰かがお参りするからつづいたとはなる

この辺で牛は相当減ったのかもしれない、牛が見かけない、ただここは残っている
放射線被害でやめた人が多いともなる、牛がいるのも一つの田舎の風景であり牛がいるということでやはりそれは心にも影響しているのである
今は冬だから冬の雲のように牛はもともと動かないのである
ここには牛二頭がいた、写真にははっきり映っていない

相馬市の不思議は一応城下町であり城下町の雰囲気がある、それで何度もそのことを言っている、6万石の城下町である、ただ城跡に石垣が残っているくらいで何か城があったというのを感じないのである、でも相馬野馬追はとても六万石でできる祭りなのかとなる
あんなに行列ができるのか、馬の行列ができるのか不思議である
ただ相馬では馬と切り離されず歴史があった、相馬氏が騎馬軍団でこの地を支配したとなるからだ、武田の騎馬軍団ともにている、そのために農家に郷士が多く兵が多くあれだけの500騎もの行列ができたとなる

忠義の松というとき城下町だとそうなる、その松に冬椿が咲く、それは侍の夫に仕える妻だとみるのである
大町の柳は一つのシンボルである、大きな柳だからである
あそこに飲み屋があるのも合っている

庭の冬薔薇は月影に照らされて浮かび上がる、冬薔薇もいい、身近に咲いてめでるとなる今日は寒く無かったら行けた、昨日5度くらいであり寒かった、明日はまた寒くなると言うので出かけた、寒いとまた外に出れずに運動不足になるから困るのである
今年の年末は寒くなる
それにしても横手の方でまた二軒空家を見つけた、何か空家が本当に多い、目立つのである、年の暮で誰が住んでいたのかと思う、空家800万軒とか将来二千万軒とか空恐ろしい数字になる、空家だらけになる、それは小高とか浪江とか原発避難区域で現実化しているのである、ゴーストタウンになる、どうしても町が継続されると見えないのである
若い人は流出したからであり老人だけでは継続できないとも見るからである





2021年12月19日

冬紅葉、冬薔薇、寒雀、師走(本とかプログとかの整理に追われる)


冬紅葉、冬薔薇、寒雀、師走(本とかプログとかの整理に追われる)


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黒い猫が餌を食べている

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籠もるかな曇りガラスに冬紅葉

冬薔薇一片残りはや暮れぬ

忘れけり母の命日師走かな

今日も来ぬ黒き猫かな冬薔薇

冬の日や書庫に籠もるや黒い猫

風花や籠りし部屋に見ゆるかな

葉牡丹の大と小とが一鉢に

風花やハ鉢に葉牡丹籠もるかな

今月も金の工面や寒雀

書庫に入り本の整理や年の暮

故郷や老いをともにし冬景色

玄関に訪う人なきや冬の月


たまゆらにジョウビタキ来て去りにけり朝の静かに石は黙しぬ

冬の薔薇一輪なおも我が庭に咲しをいとしみはや暮れぬかも


冬紅葉というとき母の命日にしていた、何かそれがふさわしいからだ
冬紅葉忌となる、玄関の曇りガラスに冬紅葉が映る、でも散っている
昨日は本当に真冬だった、でもこの辺は雪はふらない、山の方から雪がふきかけて風花となる,ジョウビタキが来て去った、それも空家化した隣の庭なのである
隣の庭には樹木があるからそこに止まって去って行った
そして大きな石がある、何か自分の庭のように見ているのも不思議である
中にも入っているからだ、誰もとがめるものもいないのである

母の命日を忘れていた、15日だった、何か師走は忙しい、家事に追われるのである
その間にプログの記事を書く、すると他に何もできないのである、だからコメントもしていない,フェスブックは一回も書き込んでいない
対話になると疲れるからただ自分一人で書いているだけである
母は内向的な女性であり忍耐強いとかあり自分の性格と似ていた
目立たない女性だったのである
ただいつも忙しくしていたから師走で自分も命日を忘れていたのである

寒雀というとき毎月電気水道ガスを支払いない女性が来る、そういう人が増えてくる
ただ今貧乏かどうかは着たものではわからない、戦前とか明治時代の写真をみるとボロのようなものを着ていた、着た切り雀とかなっていた
それで貧乏だとわかるが今は着るものを見ただけではわからないからである
確かなことは今の貧乏は電気ガス水道が払うことができなくなる人である
また家賃でもそうである、そこに貧乏だと外に現れてくるのである

訪ねる人はない、人間はまともな人がいない、かえって冬の月の光りがさしているだけの方が清々しいともなる、人間にそんな清々しい人などいないからである
老いは冬にふさわしい、冬は家に籠り瞑想して本を読むとか内省するのがいい

自分にとって不思議なのは本を相当に買いためたが理解していなかった
それが理解できるようになったことである
自分の文脈の中で引用できたりする、それまではびっしりと線を引いたりしていたがそれも理解できなかった、まず本を読むことは自分なり読めて理解したとなる
自分の文脈の中で引用したりしてこそ初めて理解して読んだとなる
ただ読んだだけでは理解したとはならなかったのである

何か黒い猫に餌をやっているが家にはあげない、汚れるし世話できないからである
黒い猫はなれない、でも何か書庫に入って本を整理しているとこの黒い猫があっている
猫は何か書斎とかにいるのがにあっているのだ
それで「吾輩は猫である」が漱石から生まれたのである

とにかく自分の書いたものが膨大でありホームページでもプログでも整理しようとしている、この整理が大変な作業になっている、そして不思議なのは読み返してみると自分の書いたことを忘れている、詩でも忘れているのだ、人間とは本当に忘れ安いのである
家族でもあんなに親しく一緒に暮らしていたのに忘れてゆく
これほど人間は忘れやすいのである、だから記録することが大事である
記録したものから文でも写真でも思いだすことがあるからだ
今は記録るのでは発表することもネットでできる

ただこのネットの問題は記録したものが一瞬にして消えることなのである
これが一番怖いのである、それでログをとることが必要になる
クラウドだと便利だがなにかパスワードとか忘れてアクセスできなるとかでも不安なのである、ただ印刷してもそれが膨大になるから簡単にできない、それで困っているのである
ともかく今年も終わる、年の暮は整理に追われている、今また昼の食事の用意なのであるだから暇なし何かをしているのが自分である、これを書く前は掃除していたのである
そして母の命日も気にしていたが忘れてしまった
母は忙しい人だったからこれもふさわしいとはなる


2021年12月14日

冬桜、冬薔薇、冬菜、冬の日(蔵ある家ーフラワーアレンジメント)


冬桜、冬薔薇、冬菜、冬の日(蔵ある家ーフラワーアレンジメント)

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姉は生け花をしていた、でも認知症になった時花を買ってやれなかった
金はあってもそれに気づかなかったのである
人間はやはり家族でもわからないことがある
だから家族でもその人を良く知ることが必要だった
何に興味があり何を好きなのかとか知れば良かったとなる
母はもともと花にも興味がなかったのである

ともかく良くしてくれた人はなんであれ思い出に残る
だから一番かわいがられた人が介護しろとなるのもわかる
兄弟でもみんなが良くされないからである
だから親さえ実の子でも忘れる、墓参りすらしない人もいる

生け花でもフラワーアレンジメントでも実感するにはじかに見ないとわからない
何でも写真にしても本当の感動は実際に見ないとわからないとなる



蔵古りて広き庭かな冬桜

蔵古りけ枯木一本農家かな

庭広く蔵ある家や冬椿

石黙し家にこもるや冬薔薇

三本の樅の木根付き冬の暮

街中に冬菜畑や蔵の家

葉牡丹の寄り合い咲きて日の暮れぬ

前畑に葉牡丹あまた蔵の家

冬薔薇一輪暮れぬ余韻かな

冬の雨石を濡らして明かりかな

花一つ貴品のあれや今日も見ゆ

葉牡丹の寄り合い咲くやホームセンター

短日や家事に追われて暮れにけり

なにかにと追われるものや師走かな

本重く重ねて積むや年の暮

冬の灯や一軒一軒田舎かな



冬の薔薇一輪散りてひそけきまた一輪の咲くを見ゆかな

我が家に手伝う人や五年すぐなじみてあれや冬の日暮れぬ

この地にそ生きて刻める年月や樅の木三本根付き動かじ

あづき色の花の真中に様々の花の映えにき今日も見ゆかな

花一つ長くも見れば心にそしみにけるかな我が家に飾りて

冬の薔薇我が庭に咲きなかなかに散らず今日も暮れにき

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原町の道の駅の仮設があった場所に樅の木があった
三本あるのがいい、これは幹が細いにしても樅の木だろう
三本あるということで連帯を感じるのである



原町のダイユーへ行く六号線の道の脇に農家があった、最近こじんまりした新築の家を建てた、その家の庭は広く蔵もあった、だからうらやましく見ていた
ただ中は塀があり見えなかった、でも塀が取り払われて中が見えた
そしたら冬桜が咲いていたのである、これは珍しいと見た
庭が広いから桜でも映える、田舎だと蔵ある家がありそれは古い家だとなる
会津の方の喜多方では競って蔵を建てた、蔵の街になった
それは財を築いた、豊かな家になったということで蔵を作った
蔵があるということはやはり豊かさの象徴である

でも今は蔵は使っていないのである、蔵に何もなく孫の写真を飾っているのが原町の街中にあってみせてもらった、昔だったら蔵には農作業の道具とかいろいろ使うものがあったしお宝が埋もれていた、それで時々旧家に貴重な古い資料が残っていたとか調べに来る学者がいたりする、蔵はその家の歴史を伝えるものなのである
蔵と葉牡丹は似合っている
鉢に植えた葉牡丹は葉牡丹として活きていない、大地にどっしりと咲いているのが似合っている、何か葉牡丹は太っている百姓女をイメージするからである

フラワーアレンジメントとか生け花の良さは花を身近に見れる、それも長く見れる
すると人間はその花が心にしみるようになる、毎日見ているからそうなる
庭の花でもそうである、でも家の中に飾ると余計に身近であり花と一体化する

このフラワーアレンジメントでは真ん中のあづき色の菊が何か中心に見えた
他の花は散っても残っていた、白菊とかが中心とも見えたがこのあづき色がなんともいいのである
近くの森の花屋は貴重である、なぜならもう一軒の花屋はなくなったからである
一万の町で花屋を維持するのはむずかしい、私の場合車がないから隣街まで行けないからである
あの花屋はもともと小高で開いていたが震災以後移ってきたのである

私の姉は生け花を習っていた、それは若い時である、それで失敗したのが認知症になったとき花を買って生け花をさせれば良かったと思う
認知症でも別に何もわからないことはない、何か感じることはできるのである
ただ私には認知症の病気が理解できなくてとまどっているうちに死んでしまったのであるそれで遺影の前に花を活けて供養しているのである

何か人間はこうして家族でも死んでみるとこうしてやれば良かったとか後悔している
それは死んだ人は二度と帰ってこないからである、いるときはうざいとかなっても死ぬといなくなるとかえって何かしてやれなかったとか後悔するのである
これが誰でも経験することなのである、家族でもいつか別れて二度と逢えなくなる
それがどうしてもリアルに感じられないのである、いつまでもいると思ってしまうのである

要するに人間は時間の作用が欠かせないのである、時間の中で育まれ親しくなり共同性が生まれる、そして人間は簡単に信頼関係はできない、これも相当な時間がないとできないだからお手伝いさんでも十年も働いていれば信用できるとなる
そこに長い時間が必要なのである、何でも人間には時間が必要なのである

とにかく年の瀬であり買い物に追われた、家事に追われる、家事が結構な負担になっている
だからフェスブックをできない、コメントもしていない
プログに書くことで精一杯だとなる、そして今これまで書いたもののまとめをしている
記録が消えないように保存しようとてしている
これもまた手間なのである、書いたものが膨大なものになったからである
本の整理も大変である、読んだものでも忘れているからである
でも何か自分の文の中で引用するから読み直さねばならないのである
整理するのが大変なのである、だからこうして毎日いろいろと追われているのである



2021年12月09日

南相馬市立病院の脳卒中センターにドクターヘリ着陸


南相馬市立病院の脳卒中センターにドクターヘリ着陸

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福島市へ飛んでゆく



相双医療圏における脳卒中の死亡率は、がん、心疾患に次いで高い水準で推移しており、全国平均と比較してもはるかに上回っていますが、脳卒中及び脳疾患に係る緊急対応については、相双医療圏では実質的に対応できる病院が本院に限定されています。


南相馬市立病院には一か月入院していた
そのあとに脳卒中センターができた、同級生がそこで一命をとりとめた
早く救急車で運ばれてカーテルとか入れて助かった
つまりこうして急がないと命を失うし症状も悪化して重体にもなる
だから一刻を争うということでドクターヘリは有効である

また治療できない患者がいて福島医大に運ぶのである
どういうわけか相双地区で脳卒中が多いというのはなぜなのかとなる
近くで実際三人脳卒中になった60歳以上の人を知っている
回りでも多いのかもしれない、これは前からそうであり放射線の影響ではないだろう
ここの担当の医師は優秀なので若い医者が見習に来ているという

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これは明らかに2011年から急激に脳卒中が増えている
やはり原発事故のために増えたのか?
それより移動させられたとかストレスが大きかったためもある
心労が重なった震災原発事故関連死に入っているだろう
それは明確にされていないのである
私の姉も震災前に認知症になり次に脳卒中になったのである
でも明らかに震災以後に急激に増えたのだから震災原発事故の二重の災害で増えたことは確かである


相馬市から医大に通っていた人がいた
遠くて困ったと言っていた、でも福島中央道ができて早くなったから福島医大にも行きやすくなったのである
浜通りから福島市の方はもともと不便だったのである
飯館村にトンネルができてこれも便利になった
震災以後こういう面では便利になったのである

ドクターヘリを前は桜田山の施設のある所でも見た、これが格好いいのである
今回は新しくできた脳卒中センターで見たのは初めてである
とにかく福島市とは結ばれて便利になったとはなる
震災以後この辺はいろいろと被害があったが良くなった面もあった
ただ避難区域は回復はしていないのである

2021年12月06日

寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)


寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)

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石黙し赤き誠や寒椿

二子山ここを離れず冬日没る

みちのくや枯野の向こう船一艘

墓残り海老浜に見ゆ冬の海


冠雪の蔵王の見えて白鳥の群れ飛べるかな朝日まぶしも

石垣のめぐらしここに家建てて落ち着きぬかも冬の日さしぬ

荒々し冬の波音ひびくかな津波の跡の無常なるかな

今はまだ寒椿ではない。冬椿なのである。ただ寒椿の方がよりいいと思った
赤き心とは天皇への忠誠心でもあった、でも誠とは新選組でも旗印となったから天皇だけはない
誠とは嘘つかないとかであり日本人の心としてある
人間に共通する普遍的なモラルである

石黙しというとき禅宗で座禅を組んで沈黙の修行をする
自然と一体化する沈黙が必要なのである、それが修行なのである
俳句の様なものでも修行が必要であり精進しないと上達しない
俳句は写生と写実である、だから比較的他の芸術より修練すればいいものができるとはなる、その方法が明確だからである、それを明治になって提唱したのが正岡子規であり
それが俳句の世界に革新をもたらしたのである

俳句そのものは必ずしもいいものになっていない、究めていない、でもその方法を編み出したことに功績があった
意外と芸術という時、ARTとは技術とかの意味もあり広範囲な意味がある
医療までartだったのである、だからARTとは技術的要素がありそれで革新できる
それで私が試みている抽象画がそうである、写真でも絵でもデホルメして作りだしているからだ、これも芸術だとなる
これこそ全く絵の才能がゼロなのにやはり創作だとも見たからである
二次三次製作でもやはり創作的なことがあると思ったからだ

二子山とは大原の二つの山であり二子山に見えるのだ
海老浜の方は村自体が津波で消失した、残っているのは墓地だけである
そして墓が冬の海を見ている
みちのくというとき枯野がにあう、海には船一掃しか見えない
兵庫県の方から来た人が瀬戸内海とは随分違うでしょう、あそこはひっきりなしに船が
通っている。ここはただ海が広がっているだけであるからだ


キボードが使いない、親指シフト使えないと苦しい、パソコンは文を楽に書けないと苦しい、親指シフトで始めたので自分の場合なじんだのである





2021年12月03日

栄える家と栄ない家の謎 (家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

栄える家と栄ない家の謎

(家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

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御家の旗がある



我が家の歴史


我が家を創りし者
我が父と姉と母
父はこの町に移り
苦労の末に一辺の土地を買う
その土地は悪しき土地なり
二階水害にあいぬ
その後姉と母が新しき家を建てる
その家は大きく心地良し
この家に父と母と姉との力の宿る
我はこの家を受け継ぎ住みぬ
この町の一角に住みつきぬ
後妻の母の子は我が家に受け入れられず
不幸なりしは我が家の暗黒となる
兄は遠く集団就職で静岡に去る
そして交通事故で40才で死ぬ
その不幸ゆえに一基の墓を建つ
この家に父と母と姉との力の宿る
この家に住み我は力を得る
一代にて栄はならじも
故郷の大地に根を張りし木のように
代々受け継がれて栄はありぬべし
故郷の冬の日にそのことを深く感じぬ
栄は一人にて一代にてならじも
代々の人の力ありて成りにしを・・・・

人間が一番関心があるのが自分の生れた家であり故郷でもある
聖書が大きな国の歴史ではない、そもそも家族の歴史なのである
神に選ばれた人の家族の歴史なのである
家という時、天皇家というのも家族の歴史でありそれが日本が歴史になっている
平家源氏も家のことである、家が王家を作り歴史となる、この辺だと相馬氏が支配者となり歴史を作ったとなる、それで「御家」という旗印がある
外国でもハウスブル家がヨ−ロッパの王となり支配者ともなったことでもわかる
徳川家が三百年江戸時代支配者となったのもそうである
歴史とは家の物語(ヒストリー)でもある
ただ私が家を意識するようになったのは家族が全部死んでからである、それで遅いが自分自身が家を継いだ者になったことを意識したからである
なぜなら自分一人しか家を継ぐ者が残らなかったからである

父親は葛尾村の出であり双葉町の昔は新山の酒屋で丁稚として働いていた
それで暖簾分けしてこの土地に住むようになったのである
だから相当に苦労した、貧乏でもあった、ただその時代はみんな貧乏だったのである
それで刺身を食べれるようになったが病気で食べたくないと言って死んだのである
戦後十年くらいで豊かになったときである
おそらくまともな教育も受けられず学校にも行かなかったから上の学校にあげろと言ったのも苦労したからだとなる
たいがい苦労した親は子供にそういうからである
そう言われても私は大学に行ったとしても勉強はしていなかった
何か無念に死ぬ人が多い、自分がかわいがられたのは50以上になって生まれた子供だったからだろう、でも兄は母は後妻であり5年間は一緒に育ったが後は実家で育てられた
そして集団就職して交通事故で40才で死んだのである
その責任が我が家にすべてあるとはならない、結婚した妻が不倫したとか何か兄自体にも問題がありそうなった、別にその時、集団就職した人も多いし全部が不幸にもなっていないからである

ともかく家にはいろいろな事情があり複雑になっている、だから他者の家がわかりにくいのである、自分の家にしてもわかりにくいのである
ただ確かなことはどうしてもその家が栄えるのは一代では無理である
何か栄えるという時、その前に積み重ねがあってそれを受け継ぎ栄えるとなる
ただ受け継ぐといっても受け継ぐ人が息子でも駄目な人だと栄ないのである
その人の親は両親とも正直なまれにみるいい人だったのである
でも息子がそんな親から生まれてとにかく駄目な男だったのである
そしてその孫の息子は自殺して死んだのである
今はその息子も死んで家は更地になる

いい両親から生まれてもその家が栄えるともならない、だから家を公式のように見れないのである、そもそもよほど深い関係でないと他者の家のことがわからないのである
ただ歴史が家から始まり家の物語(ストリーヒストリー)だったことは世界的に共通しているのである
相馬藩だと相馬氏という一族の歴史であり今も野馬追い祭りがあり相馬氏の殿様が出るから歴史が続いているのである

そして家の歴史というときまた田舎だと地方だと家と土地が密接に結びついている
なぜなら農業中心の社会では土地から実りを得るからそうなる
家と土地は切り離されずあった、ただ農業から工業社会に変化したとき家の重みも減少したとはなる
都会だと家とか土地とかでも何か一定の場所に根付くというのではなく一時的に住んでまた移り住むという感覚になっている、土地に定住するという感覚が希薄だからである

いづれしろ郷土史というとき特に個々の家の歴史が基本になる、でもこの家の歴史が事情がそれぞれ複雑でありわかりにくいのである
自分の家の歴史でも親戚の歴史でも複雑すぎるのである
それを語ると切りなくなる、母親の実家はやはり後妻が入ってきて複雑化したのである
そしてばらばらになった、一家の墓も二つに分かれたりした
そして不和分裂の家でありそれが影響して親戚関係は全部切れたとなる
どうししてそうなったのか?やはり後妻が入ってきて家が乱れたからだろう
それも仕方がないという事情もありそれが全部の原因なのか?それも良くわからないが
母親の実家は何か不和分裂の家でありそれでみんな死んでも遺された者も分裂して終わったとなる
家が乱れるということはそれは国が乱れることにもなる、なぜなら国は家の歴史でもあったからだ、だから天皇家が乱れると国家まで乱れるとなるのである
それで真子様の結婚問題が国家の問題にまでなっているのである

死者達の霊をかく敬い
その価値のわれらのうちに増しゆけば
誰か幽鬼と化す者あらむ
われらが精進と験し看破し
それを便りにあらゆる領域で
われらが君の同族と認めてくれ給え!

(ある古風な墓碑銘に寄せる歌詞ーハンス、カロッサ)

人間は死んでもそれで終わりではない、そのつづきがある、死者は確かに肉体は消失するでも何かそこに残すものがある、歴史的人物とか作品は歴史の中で語られつづける
だから死んでから百年後でも語られることは依然として死者は歴史の中で生きているのである、「その価値のわれらのうちに増しゆけば」ともなる
死んでから返ってその人の価値が増してゆくことがある
生前は価値を認められない人もいるからだ、そして逆に死者が幽鬼と化すことがある
これはまさにこの辺で起きた原発事故が証明した
空家だらけのゴーストタウンや村になった、そこにはもう人は住まず死者は活かされず
幽鬼が棲むようになったからである

死者は二回死んだとなる、一回は死んでもまだ町や村があったから受け継ぐ者があったが二回目の死は受け継ぐものがなくなり幽鬼の棲む町や村と化したのである
歴史は個々の家の歴史でも回りがあって全体があって故郷があり国があって成立っていたからである、ある土地の家が裕福だというときそれは回りの力でそうなったともなるからだ、それが原発事故でだいなしにされたのである
でも原発ができてこの辺で豊かになり財を築いた人もいるのである
でもそれは本当の栄ではなかったのである、だからそうして富を得たものは呪われた者ともなったのである、つまり子孫の繁栄をもたらさなかったのである
だからその子は親のことをいいとしないし語らないし忘れるとなる
歴史の中で受け継がれず価値を増さないのである
故郷を捨てて移り住んだ人は一から別な土地で歴史を刻むことになったからである
ただ金になればいいということで本当の豊かさはありえなかったともなる
そこに大きな落とし穴があったとなる

2021年11月30日

宇多川の上流の岩と石の謎 (川はみんな違った表情を持っている)


宇多川の上流の岩と石の謎

(川はみんな違った表情を持っている)

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岩盤のくぼみや裂け目などに、岩石表面そのものが徐々に風化して得られたり、風雨によって運ばれた砂礫が堆積し、土壌を形成する。この土壌の形成の有無が一次遷移と二次遷移の最大の違いである。土壌のないところは保水力がないため、植物は生育できない。よって、この土壌の形成が最初の大きな変化である。

次に、コケ類や地衣類の胞子が風雨によって運ばれると考えられる。コケ類は岩のくぼみのようなところを中心にはえてくる。やがて、風や雨によって岩の表面は風化して砂礫が生じ、また、苔や地衣類の生育による有機物の蓄積により少しずつ土壌が成熟される。土壌には土壌動物や土壌微生物も当然出現する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB_
(%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6)

松の根は岩をくだいて生きて行く

こんな歌もあった

岩と石の相違が何か?動かせるものが石で地盤にくっついているもの動かせないものが岩だという、石は比較的小さいのである、でも動かせないような大きな石でも河原にある
とても動かせないようになっている
ただ石というものは確かに苔が生えた石があってもそこに木のようなものが根付かない
石は鉱物とにている、硬いからである

岩はというと何か雨に打たれて割れ目ができたり石のように割れ目ができたりしない
だから石には木は根付かないのである、また石から栄養分をとることはできない
それは鉱物と似ているからである
だから石に根付いている木はありえないとなる、たいがい岩に根付いている木である
その木は確かに地盤と結びついている、露出している岩だとなる
岩から土ができたという時、岩に土になり植物を育てる栄養分をもつからである
もともと地球は岩盤でありその岩盤が風化作用で土となっていったからである

すると宇多川のこの岩でも何か栄養分がありそれを吸収して木が根付き成長している
でもこの岩は岩盤と一体となっていない、孤立しているのである
だからこの岩からだけ栄養を吸収して成長したのかとなる
ただその表面にはなんらか栄養分があって吸収しているのかとなる
それにしても木の数が一つの岩に根づくには多いのである
すると相当に一つの岩でも栄養分があって木が根付いたのかとなる
石だったらこういうふうに木は根付かないのである
苔などが生えることはあるが木は根付かない、ともかく科学となると弱いから私には解説できない、ただ理系文系でも共通していることは常に疑問をもち何故かを解明することは共通しているのである

自然を見てなぜなんだろう?

学問とは学び(まねる)問うことなのである、この問うことがなぜかと問うことが学校には欠けているのである

いづれにしろこの二つの石は面白い、宇多川の上流は石が多い、荒れた川のようになっている、ここも石がごろごろしているのだ、さらに玉野村の方に行くと滝もある
だから宇多川はそれなりに小さいようで大きい川にも見える
ただこの辺で大きな川は真野川である、新田川になると川が深く流れている所がないのである、浅い瀬音のする川である、だから川としては大きくないのである
とにかく川にもいろいろあり表情が違うのである
川を知る場合は下流から上流まで知る必要がある、川の一部分をみてもわからないのである

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中に台になった所がありそこに花を置く、神秘の花をこの石で守るのである
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抽象化するとこの形になる
この形が安定化する、正三角形ではない、長方形の組み合わせになる
ビラミッドでもその形は正立方体とかではない
その形が不思議であり神秘的なのである



岩でも石でもいろいろな形のものがあり表情がある、この石はどうしてできたのか?
これも不思議である、この形はピラミッド石と名付けられる
本当に不思議な形の石である、この石の価値はもし売ったりしたら何億ともるなかもしれない、ただこれは勝手に売れるものではない、自然の一部だからである
ただ公共空間に飾ったら面白いと思う、庭園に飾ったら面白いとなる
何か身近な自然でも注目されていないことがある、これは最近注目したのである

2021年11月29日

冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)


冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)

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空家の庭 前の大きな石がいい、大きいので重量感を感じる

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冬薔薇




冬薔薇老女籠もりて田舎に住む


冠雪の蔵王の見ゆや朝晴れて引き締まるかな三県思ふ

冬の朝汽笛の音の遠くよりひびきて霜のおおいけるかな

冬の薔薇数輪咲きて静かにも心ゆくまで我が見ゆるかな

石のみそ残りて空家の庭たずね垣根に椿冬の朝かな

山茶花の石により咲き冬なれや朝の静かに空家の庭見ゆ

駅に待つ一人のあわれ秋の薔薇咲き我が見ゆるかな


蔵王は南相馬市の鹿島区からまで見える、でも海岸の高い所から見えたが別に平地からでも今日ははっきりと見えた、何かこの蔵王は不思議である
蔵王が見えるのがわからない人もいるだろう、今日は冠雪の蔵王がはっきりと朝に見えたでも原町区になると見えないのである
蔵王の見える範囲は確かに山形県と宮城県と福島県から見える
でも福島県でも浜通りでも南相馬市でも鹿島区までであり宮城県でも一部からしか見えない、でも確かに三県から見えるのである
この辺でものたりないのは高い山がない、見えないことなのである
でも蔵王は確かに見えるである

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのく全体のことではない、二つに分けるとしたら宮城県と福島県である
でも二つに分けるというものでもない、そんなに大きな山ではない
ただ福島県の一部から宮城県の一部からも見えることである
第一福島県でも吾妻山連峰は見えないからである
だからここから蔵王が見えることは貴重なのである

何か隣の庭も空家でありその庭に入って石の庭を見るのも奇妙である
何かいい庭も人が住んでいないから活きていない、だからもったいないと思う
何か地域の集会所のようにしたらいいかもしれない、とにかく空家が多すぎるのである
ただ所有者がいるから勝手にはできないのも困る

ただその空家でも近くの人が出入りすると活きてくるともなる
ただそれも不法侵入ともなり奇妙なのである、ただ人が住まないとこうして誰かが勝手に入ってくるし利用する人だってでてくる
飯館村などでも空家だらけであり放置しているとそれが誰のものもかわからなくなる
空地でも空家でもそこに放っておくと勝手に利用されても仕方ないとまでなる
なぜならそこが所有者が活かしていないからである
そうなると所有者に権利があるのかとまでなる
ただ将来利用するためにあるのか?そういう空家もあり時々来ては見ている人もいる
でも空家は本当に増えるからその利用をどうするかは所有者だけの問題ではない
実際はみんなの問題にもなるのである

駅に女性が一人電車を待っている、前は話しかけたりしたが今はしない
何か煩いのである、監視カメラで見ていないようで駅の人が見ているからだ
ただこの待つということで駅が人間的空間をかもしだしているのである
高速道路のSAでは何か待つということがない、待つ時間がないのである
だから待つということは人間的な時間を作りだこしていたのである








2021年11月22日

紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)


紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)

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石に散る木の葉や今朝の小雨ぬる

紅葉散る石や朝の小雨ぬる


我が隣空家の庭の淋しかも誰かありなむ冬の薔薇咲く

冬の薔薇しとと雨ぬれ我が庭や一匹の猫住みつきぬ

冬の雨しととふりにき石ぬれて家にすみつく黒き猫かな


今日は冬の雨である、しとしとふっている、木の葉が一枚庭の石に散っていて雨が濡らす何か不思議なのは隣の庭を自分の庭のように見ていることである
それは空家になったから余計にそうなのである
毎日その庭の中に入って見ている、空家なのだから持ち主を知っているけどとがめられることはない、何か庭でも誰かがいて欲しいとみる
これも不思議な感じになる
家でも庭でも主がいなくなったときそこは空洞化する
だから誰かがいて欲しいとなる、隣だから自分の庭の延長のようにも見てしまうのである

今回も会津の城前団地が廃墟化したのをyoutubeで見た、これは城前とあるごとく街の
中心部なのである、前は東山温泉が廃墟化したのを見た、また飯坂温泉でも見た
温泉が廃墟化している、温泉は数回しか泊まっていない、高いから泊まっていない
そもそも温泉は旅の宿としてふさわしくないのだ
自転車とかで疲れたからといって泊まりにくいのである
何か今の宿は保養であり温泉にひたりうまいものを食べるとなる
それで温泉で退屈してしまうのである、温泉街というのは高度成長時代の遺物になってしまったのである、その時社員旅行や団体旅行が盛んであり温泉街がにぎわっていたのである、そういう時代が終わったということである
ただ外国人旅行者が温泉に来ていたときは良かった、これもコロナウィルスで来なくなりもたなくなった
とにかく旅はその行程にありその行程を車で飛ばして行くだけとなるとかえってつまらなくなる、現代には旅がなくなったのである

黒い猫が庭に来る、前飼っていた猫は出て行って帰らなくなった
それでこの黒い猫に餌をやっている、ただこの猫は本当に慣れない、餌をやりつづけても触らせたりさせないし逃げる、だからかわいげがないとなる
でもこうして餌くれと窓に顔出すのがかわいいのである
家の中に入れると汚れるので入れないがこうして毎日この黒い猫は来ているのである


2021年11月21日

短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く) (歩いて見る風景が新鮮)


短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く)

(歩いて見る風景が新鮮)

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ここはいつも見ていたけど歩いて見た感じは違っていたのである
歩くということはやはり地についているとかなり見え方も違ってくるのである



木の根っこここに残りて冬に入る

冬の蝶一羽見つけ今日も暮る

短日や二里ほど歩み帰りけり

短日や二里ほど歩む原町に

晩菊や二里ほど歩む里の道

庭広く竹伸び映ゆる紅葉かな

墓地あわれ歩み来たりて残る菊

前畑に野菜の実り冬の菊

紫と白の葉牡丹前畑に

蔵ありて葉牡丹大きく農家かな

葉牡丹や大柄な女農家の出

長き道一人歩いて冬薊

冬の日や一坂越えて次の町

前畑に野菜実るや冬の菊

冬日さし体に熱気馬走る

蟻一匹冬の日に出て我も歩む

夕陽さし赤さを増しぬ紅葉かな


誰が眠る桜井古墳冬の日やここに鎮まり始祖ともなりぬ

公園に樹々の静かやヘンチあり冬の日さして我が座るかな


自転車が故障した、自分で直せなかった、チェーンがはずれたのである
普通なら直せるがこの自転車が直せなかった
自転車は故障すると歩くほかなくなるから大変である、幸い原町は二里ほど8キロくらいだから歩いて戻ることができた

ただそのことで歩いたら見る風景が違っていた、それで俳句ができた
人間は歩いてみる風景と自転車で見る風景は違う、自転車で見えないものが見えた
ましてやバイクと車になるとほとんど回りを見ないで突っ走るだけになる
通り過ぎるごたけになる、現代に旅がなくなったというとき歩くことがなくなったからである
旅とは歩きながら物に感じることである、風景と一体化することである
車でもバイクでも何か風景を切り裂く感じになる
自然と風景と一体化するものではないのだ

私は旅を日本なら隈なくしたとしても歩いた旅をしていないから本当に旅したとはならないのである、ただ歩く旅となると現代は相当に苦労になる、どうしても国道を行くことになりすると車の洪水の中を行くからいくら歩くとしても車のない時代とは違う

車がない所を歩くと人間回復になる

それを感じたのは相馬市から玉野村から霊山へ行く道である、中央高速道ができたので
車が全く通らないのである、それでその道が不思議だった、サイクリングロードのようになったからである、まさに江戸時代の街道になった、中村街道というものがあったからそこに戻ったとなる

現代に失われたものがいろいろあるが旅もその一つである、現代ほど移動している時代もなけいから旅をしていると思っているがしていないのである
旅とは本来は歩く旅だったからである、第一歩くこと自体が失われているのだ
歩くことが新鮮な経験になっているのが現代である
現代では歩く旅となると得難い経験になる、でも自分自身でも歩いた旅はしていなのである
だから近くでもは歩いてみると見えないものが見えて来る、ただ歩くことは容易ではない国道は歩いても車の洪水にのみこまれてしまうからだ

ともかく文明が発達して機械文明になると必ず何か失われたものが生まれてそれをなつかしむとかとりもどそうとする、その反動が生まれる、当然東京とから地方へ住みたいという人も増えてくる、人間の五感をとりもどそうとする、旅がなくなったというとき本当の旅をしたいとなり歩く旅をする人もまれにいる
今は旅はない、温泉に泊まって休養するとかはある、でも旅は近くでも歩くと旅になるのである、田舎だったらそうなる、ただ温泉で休養するのはつまらないとなる
ある短い区間でも歩くということを経験することでも旅になる
ただ車でもバイクでも通り過ぎるだけでは経験として残らない、ただ走るという快感だけである、それは後に記憶として残らないのである

秋の暮歩いて去りし人思ふ

上り来て峠の茶屋や秋の暮

2021年11月19日

短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)


短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)

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枯菊に日さしあたたか朽ちてゆく

短日に昔を語る老二人

短日や人の出会いも一時や

冬の蝶舞い別れて今日暮れぬ

冬の蝶一つ見つけて近間かな

巣籠や近間を回り冬に入る

一枚の広葉の散りぬ家の前

我が庭にいとしむ静か冬薔薇

我が庭の闇のつつみぬ冬薔薇


枯菊とは何を意味しているのか?老人とか病人なのである、枯れてゆくからである
でも日がさしてあたたかいというとき死ぬときも何かあたたかく見守られて楽に死にたいとなる

冬という時、老人に逢っているのた、春は夏は青春であり秋は壮年とか老いに入る時期だとなる、50代はまだ秋なのである、60過ぎると老いに入るとなる
ただ現代では本当の老いは80代くらいになるかもしれない、十年くらいは年齢を引いてみないと現代に合わないのである

冬の蝶を見た、何かはかないとなる、人の出会いでも何か本当に老人になると不思議である、何であっていたのだろうとか人間は簡単に別れて二度と合わないのだとつくづく思うさよならだけが人生だというのが実感としてわかる
人間は生まれたら逢うとなるが最後は人間はただ別れるだけだったとなる
これが一番意外なことだったのである、人間はなんのために逢っているのかもわからないとなる

俳句とか短歌でも短くても常に時代をその社会を反映したものとなる
コロナウィルスの巣籠りというのもそうである
その影響は今もつづいているからだ、そしてこの社会状況がわからなくなる
降る雪や明治は遠くなりにけり・・草田男とかなる、一時代が過ぎるとその時代のことがわからなくなるのだ
その時代がわからないと歴史でも文学でも理解できなくなるのだ
戦争の時代があってもその時代を雰囲気を知ることは不可能になる
それが外国だとさらに歴史でもわからなくなる、時代の雰囲気というのはその時代に生きていないとわからないのである

飯館になお鳴きひびく残る虫

この俳句でも今の飯館村を反映している、原発事故で荒れ果ててしまったけど人も住まなくなったけどそこに残り住んでいる老人もいる、それがまさに残る虫なのである

冬薔薇が闇に隠れる、でもその薔薇を私は見ている、その冬薔薇は自分自身だともなる
家の前の道路に大きな葉が散った、家の前だからその大きな葉が心にしみる
それは近くで人が死んだということに通じている
78歳くらいで近くの人が最近死んだからである
ともかく冬に入り冬もいい、老人には冬があっているのかもしれない
ただ老人でも何かある程度の金銭的にも余裕がないと老後は悲惨である
毎月電気ガス水道が払えないとなると何か常に金に追われることになる
その人は死ぬまで金に追われている

そして今度は知っている人が60代で死んだ、そしたらその人の借金の払い人になっていた、でも一万ばかりだからたいしたことはないからくれた
何かこうして借金はカルマであり誰かにカルマが回ってくるのだ
悪いカルマが回ってくる、恵みもめぐってくるが悪いカルマも必ず回ってくる
それが怖いのである、つまり数万でも殺されたりするのは相当に悪いカルマが回ってきてそうなったとしか思えないからである







2021年11月17日

冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)


冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)

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ここは沼ではなかった、たまたま雨水がたまって沼になった
後ろは林である



田舎町三人集まり秋の雷

老ゆるともなお閃くや秋の雷

空家の庭烏とまりて秋の暮

日のさして山茶花赤し蔵に映ゆ


冬の日に茶一杯飲み安らぎぬ一人なりしも我が家なるかな

我が一人姉と母とに茶を献げ家を守るや冬の日暮れぬ

我が家に心静かに茶一杯飲むべかりけり老いにけるかな

家の跡土地の狭しもここに住む人し思わむ冬の日暮れぬ

近くにも忘れられしもこの家に住む人思ふ冬の日暮れぬ

新たにめ沼になりぬる細枝を映してあわれ冬の日暮れぬ


原町の方に今日行ったけど冬になっていた、秋の雷は数日前に一回だけ鳴ったからめずらしかった、空家の庭に烏がとまっているのも何か現代の風景である

家に帰ったら茶を飲む、いかにも冬らしいとなる、やはり家族はみんないなくなっても
まだ家があるとなり落ち着くともなる、姉と母とには熱いお茶を献げる
そこにまた死んでも継続して家族があるともなる
ただ正直何の反応もないのだから物足りないとなる

とにかく空家が増えている、私の回りは特に空家が増えた、最近一人死んだ家は農家であり庭が広いからここも空き地になる、家は壊されるみたいだ
狭い土地に家が建っていたところも人がみんな死んで空き地になった
そこは土地が狭い、庭もなかった、そして今になると住んでいる人を偲ぶのだがそれもその人がどういう人だったかわかちなくなった

そのおじいさんは建具屋であり仏壇を作った人である、でもその人はずいぶん前に死んでいるから記憶も定かではない、その後はタクシー運転手した人が住んでいたがその人も妻も死んだ、すると何が記憶されているのかとなるとないのである
人間はそれぞれ長く住んでいても意外と死ぬと記憶されることがないのである
その人の生きた記念とは何なのか?それも何かほとんどないのである
人間は生きている時なにかやと話題になるが死んだら話題にもならない
全く忘れられてしまうのが普通なのである
要するに長く記憶されている人は本当にまれである、ほとんどの人は忘却される
家族でも死んで十年以上過ぎると記憶も定かでなくなる
でも私の場合は姉と母とは60年も子供の時から一緒にいたので忘れられないのである

ともかく今度は本当に冬になった、季節が変わった、冬はやはり冬でいい、冬は田舎の方がいい、冬枯れの景色でも心にしみる、季節を感じるのは田舎なのである
我が家で茶をゆっくり飲むのも落ち着くとなる

2021年11月14日

秋薔薇(写真三枚)


秋薔薇(写真三枚)

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紫式部と薔薇

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空家の薔薇

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秋薔薇一輪あわれ空家かな

晩菊や近くに墓地や今日も行く

我が庭に秋薔薇二輪いとしみぬ


秋の薔薇一輪咲きぬ我が庭に紫式部添えて隠さる
    
秋の薔薇一輪咲きぬ隠されて紅葉も映えて庭石重し

朝顔の藍の深めて橙の薔薇は映え咲く板塀の中

一人のみ駅に電車を待つ女(ひと)や秋の薔薇咲く田舎町かな


秋薔薇はかえって色は美しくなる、濃くなる、何か私は秋薔薇にひかれる
薔薇というと夏だけど秋薔薇が何とも言えず色もにじみでて心にしみる

隣の家は空家となり秋薔薇が咲いていた、その庭を隣だから入ってみてもとがめられないのも奇妙であり自分の庭のように見ている
空家が近くにもありそこは医院であり金があり庭が広く金をかけた家である
でもそこに住んだというのは短かった、そして長く住んでいいないからいたんでいる
庭も剪定していないから荒れている

でも何かこうして空家が増えていい庭があっても家があっても利用する人がいないのはもったいないと思った、何か空家の利用が地方の活性化に必要だと自ずとみる
でも空家は持ち主がいるから勝手にできないのも困る
それでも放置されて利用されなければ価値がないのである
そこは一時歯医者として利用しようとしたがその持ち主は東京にいるので利用していないのである
そしてその遺産を相続した息子も最近78歳で死んだのである
この空家の問題はかなり深刻である

近くの人と語ったら墓の跡継ぎがいないとかなんとかとも言っていたからこれも問題である、とにかく後継者があるゆることで少子高齢化で消失してゆくからだ
その家は金持ちの医者でありかなり金をかけた家である、だからそたに住む人がいないのはもったいないと見た

私の庭の薔薇は二つばかり結構咲く、秋になっても咲く、咲かない薔薇もあったが二つはかなり咲くから不思議である、どうしてし咲くのか不思議である
咲かないのも半分くらいあるから不思議だとなる

写真は欠かせない、写真をとると見えないものが見えることがある
朝顔の写真は肉眼では写真のように見えなかったのである
だから写真は欠かせないしまたそれなりのカメラが必要になる
でも私のカメラは高いものではなかった、8万くらいだった
でもそれが一眼レフで意外ときれいにとれるものだったのである
このカメラを買ったのは運が良かったとなる
高くても使えないものがあるからだ
それで自転車では失敗しているからだ

駅には昼間は一人くらいしか待っていない、前は話しかけたりしたが今はしていない
何かとうるさいから案内はやめた、ただ駅前の薔薇を見に来ているだけである


2021年11月11日

秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る

(バス停をたどる旅)


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物倉のバス停
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大滝
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草埋もれ十体の仏秋深む

これがなぜここにあるのかわからない、古いものではないみたい

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バス停残り薊に石一つ

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空家が多い、これは廃屋である


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玉野村にあった神社

若木神社は疫病を防ぐ神である
八坂神社もそうらしい
八坂神社はとにかく多い
玉野村は伊達の相馬の境界だから疫病を恐れて神社を祭った

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真野川を下りー栃窪へ

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この一軒あった家も空家になっていた
紅葉は散っていた、水は湧き水か清水を吸い上げて流している
水道とか下水道は使っていない、水は無料である
放射性物質に肝心の水が汚染されて飲めないとなれば住めないともなる
つまりこんなところにも住んでいいたのに住めなくさせたのが原発事故だった

はっきり見るにはクリック拡大



山上の奥のあわれや刈田かな

蔵古りてなおあまたなる残る柿

干し柿や昔のままの家一軒

秋の雲流れて遅く休むかな

草うもれ十体の仏秋深む

物倉のバス停あわれ秋の暮

打ちひびく巌に大滝秋の朝

バス停の残りて石に秋あざみ

玉野村若木神社や秋の暮

秋の暮伊達と相馬の境かな

バス停に空家に一輪秋薔薇

バス停の残りてあわれ秋の暮

十体の仏の像や秋深む

旧道や松に紅葉の映えにけり


でで虫の殻の一つやバス停は間の次郎や秋のくれかな

二本の松の幾年月やここにしも離れずありて秋のくれかな

霊山のそそりて険し修行する僧のありしも秋深まりぬ

誰が棲むや湧き水いでつ紅葉映え山の間あわれ月のいずるも

たずねける人のなしかも空家一軒水の湧き出で紅葉に暮れぬ


真野川を上り栃窪に行く道が通行止めになっていた
それで今回は宇多川の方を上って行った、山上の方である
ただここは結構坂がつづいて疲れた、電動自転車でバッテリー二つを伸せるになったのは自分にとって安心を得た、一つだと必ず切れて苦しくなるからだ
二つだと余裕なのである、まずバッテリーは切れることはないからである

物倉というバス停があり何かそのバス停の地名がここに残る、まるで駅名のようにも見える、何かバス停は文化財のようにも見える
でもここの路線は玉野の学校に通う人がいてバスも通っている、だからバス停はまだ活きているのである、ただ小学生とかが利用しているだけなみたいだ

この辺は福島市までの高速道路ができた結果旧道になってしまった
ほとんど車が通らないのである、何か空家も多いのである
車は高い所を走っているのである、なにか相馬市から30分くらいで福島市につくとか行っていた、それは早いい思った、高い所を車が突っ走って行く、途中道の駅もない、直通で福島市に行くのである
ただソフト屋だけはひっきりなしに人が来る、繁盛している、あれだけの種類のソフトを作っていれば売れるとなる

霊山とは霊山寺がもともとあり修行の場だった、天台宗の山岳仏教の場だった

阿武隈高原の北端に霊山寺がある、貞観元年(859)円仁の開基と伝え霊山の中腹の寺屋敷、山頂、副霊山、東寺屋敷などに礎石を残す寺院跡、鎮守山王社など数十基の大伽藍遺構が山林藪の中に存在する、土師器、須恵器、硯、青磁、白磁、経塚遺品が出土して
9世紀後半から中世にかけてのものである
霊山寺は天台宗の山岳寺院で鎌倉時代末期に南朝の拠点となり国司北畠顕家はこの寺を頼って陸奥国府を移したが十年にわたる北朝方の攻撃によって一山ことごとく灰塵に帰した

天台宗というとき山形県の山寺もそうである、山岳仏教というのは山に籠もり修行する
ただ不思議なのは霊山でも相当に高い、それで食料はどうして調達したのかとなる
そんな高い所でどうして生活していたのかとなる
ただ山岳宗教となると山と一体化して修行するということだから都会の宗教とはまるで違ったモノなのである、本来宗教とはそうして山を修行の場として生まれたとかありとても今の様な大都会の宗教とは別物である、実際はそれが本来の宗教なのである
ただそういう寺院も城の役割があって砦のようになっていてそこに武士が入ってきたのである、また僧侶が武士にもなっていたのである

霊山から佐須に出てずっと下りまた高台にある紅葉が美しかった家をたずねたが紅葉は半場散っていた、朝日に照らされた紅葉は美しかった
そしてあのような所に家があるのも不思議だった、今は人は住んでいない空家である
ともかく本当に空家がやはり目立つ、高速道路ができて車が通らなくなり空家化したともみる、高い所ではひっきりなしに車が通っていたからである

2021年11月02日

晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)


晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)

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川の土手の下の通りに咲いていた

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空家の庭

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晩菊や色様々に街の中

晩菊や今日も通りぬ墓の前

秋日さし石のテーブル空家かな

秋の蝶舞いて去りにき石の庭

家一軒次世代に残す石と柿


残されし石の淋しも隣なる空家の庭や秋の暮れかな

庭の石残れるそばにつわぶきの花の咲きをり我が見て帰る

一輪の秋の薔薇咲く我が庭や静かに時の過ぎゆくべしかな


そこは不思議だった、人が住んでいるかどうかわからなかった、いつも通る道でもそこに何軒か空家になっていた、その一軒へ入ってみた、そこは空家だと見えなかった
どうも空家だと思って今日は入ってみた、やはり空家だった
家の障子とか破けていて荒れていた、でもその庭が立派だったのである
本当に写真のように良く作られた庭である、その石が見事なのである
この庭はかなり金をかけた庭である、第一これだけの石を組み上げるのは金がかかる
だからこんな庭が隠されてあったことに驚いた

その前に立派な大きな石のテーブルがあった、ここに座ったりしていたのかと自分も座った、ただ家は荒れていたから家自体には価値がない、庭に相当に価値あると思った
知っている人の庭も20代で大きな石を組み作り上げた、500万円とかかかったとか言っていた、それはトラック運転して若い時人の二倍働いて作ったのである
その庭も立派なのである
私は石に興味があるから石をしみじみと見るのである

ともかく空家が本当に多い、それが今の日本を象徴しているのだ
空家や800万軒になるというときそれも空恐ろしいとまでなる
空家というとき原発避難区域になった所は空家だらけでありゴーストタウンに今もなっている
それは特殊だとしてと空家がどこでも多いしそれは全国的でありそれは大都会でも東京でもそうなのである、少子高齢化で空家化してくる時代である
その空家は誰も住まず放置されている、ただ空家でも時々で庭の手入れとかしたりする家もある、だから全部が全く放置されとはならない
それにしても空家の時代である、それで日本が経済でも空洞化して貧乏化する象徴ともなる

知っている人の家もいづれは病気なので死ぬと空家化すると思ったがすでに甥子にゆずるとしているから空家にはならない、こうして家が受け継がれのは少ないだろう
放置されて受け継がない空家が多いとみる
古い家は価値ないとなるからだ、でも家は庭がありそれが価値あるともみる
石の値段は高いとみるからだ

ともかくその空家は近くにあり不思議だった、近くでもわからないことがある
別にそこに入ってもとがめる人はいない、空家の問題はそうして勝手に入って寝泊まりした人もいたことである
それにしてもこれだけ空家が多いと街とかが空洞化してゆくことを感じる
原発避難区域では突然空家だらけになり空洞化したから驚いたのである

晩菊となると今頃の季節だろう、今日はあたたかい日だった
様々な色に咲くというときそれぞれの人生を送った老人にふさわしいとなる
庭の薔薇は不思議である、秋でも一輪咲いていた
今は秋薔薇の季節でもある

2021年10月27日

秋の暮、柿、(古磯部ー磯部ー相馬の城跡を回る)


秋の暮、柿、(古磯部ー磯部ー相馬の城跡を回る)

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磯部の高台

暁に黄金の実り海明けぬ

鳩の飛び朝露光り実りかな

柿なりて海を望むや古磯部

柿なりて古碑の並ぶや古磯部

城跡をたずぬる人や秋の暮

松に菊主君に仕ゆ城下町

城跡の御堀に鵜のいて秋の暮

街道の松並木行く実りかな


磯部と古磯部とがある、すると古磯部が古いのである、古町とあればそれも古いのであるつまり新しい町が生まれて元あった町が古町となるのである
それは狭い範囲でなっている、磯部でも古磯部が古くなったのは新しい磯部が海岸の方にできたからだとなる
ただ古磯部とは
どの辺のなのか坂を上って越えた入江のようになっているところなのか?
磯部小学校がある高台なのかわからない、高台は新しく住宅地にもなっているからであるつまり古くて新しい場合かあるからまぎらわしいのである
土地でも歴史でも見る場合、その場所が古いのか新しいのかが問題になる
だから墓地を見て江戸時代の墓を見れば古いとなる、また古い碑があれば古いとなる
写真にとったのは高台でありこの碑は時代がわからないが江戸時代のものだろう
あそこには寺がありその寺は古い、となれば高台でも古いのかとなる

ともかく海岸沿いの磯部村は津波で消失した、でも古磯部は残ったのかとなる
坂を越えた入江のようになっている場所が古磯部なのか、あそこは入江のようになっていたとしたそこで魚などもとれたから生活ができたとかなる
その辺が良くわからない、ただ高台からはいつも海が望めるから眺めがいい、そこは津波の被害はなかったのである

相馬市の城跡をたずねる人がいた、相馬市は城下町である、城下町というときどういうことなのか、必ず殿様がいて主君がいたのである、そして侍でも町民でも主君に仕える感覚になっていたのである、それが江戸時代てある
江戸時代とは今の社会とは大きく違っているから理解できないのである
おそらく人と人の結びつきが強い社会である
主君がいて侍は仕える、人と人が強く結ばれていた社会である、そういう社会を理解できなくなったのである、現代ほど人と人が結びつかない時代はないからだ
ただ商品を売り買いして人はただ商品を売買するだけの存在とかなるからだ

城跡の御堀には鵜がいた、鵜がいることは海が近いということである
時々鴎も飛んでくるから海が近いのである
今日は帰りに東風が吹いた、最近はすでに北風が吹いた、だから季節の変わり目になる
冬になれば北風しか吹かないからだ
まだ東風が吹くということは今日は比較的あたたかったからだ
風によって季節を感じる、それは自転車だから感じるのである、車だと風を感じないから風流もないのである

海から太陽が昇り暁になり黄金の実りがあり露が光る、これが海に面したこの辺の景色である、でも山国になれば山から太陽が昇り山に沈むから相当に感覚的には違ってくるのである

2021年10月23日

大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)


大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)

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一村や農家の古く柿に蔵

石一つ十輪ほどの秋薔薇

新しき家も幾年秋薔薇

大輪の白菊映えし広間かな


大輪の白菊御前に我が家かな今日も勤めぬ心正しく

大輪の白菊にそえ色違ふ小菊いろいろ映えにけるかも

大輪の白菊活けて塵つかず今日も御前に勤めけるかも


今年は秋がなくて冬になった、今日も寒い、こうなると季語も合わなくなる
北海道で鮭かとれなくてブリが大量にとれたというのも日本の気候が変わり季節が狂うとなる

秋薔薇というとき田舎町であり十輪くらい咲いているのが心にしみる
つまりこの十輪とは人間をイメージするのである
人間の付き合いも親しくなれるのが10人くらいかとも見る
だから何百万とか会員のいる宗教団体などはもうただの数になってしまう
庭に石一つがありそして十輪ほどの秋薔薇が咲いている、それで落ち着くとなる

この辺では震災以後新しく移り住んだ人が多い
十年過ぎてもやはり新しい感じになる、でも徐々に土地になじんでくる
でも土地になじむには時間がかかるのである
だから都会から田舎に移っても老人になると60以後になるとなかなか土地に親しむというかなじむのがむずかしいとなる

大輪の白菊を活けて飾る、その大輪の白菊が家に映える、広間に映える
この生け花は目前で花を見ることで心と一体化するのがいいのである
そしてこの花は何を意味しているかというとやはり中心に大輪の花がありその花はあたかも祭壇なのである
花を礼拝するのではないが花を中心にして人もあるとなる

それは社会でも会社ならそうして穢れの無い花を飾る、それが中心となり人もつとめ働くのがいいのである
でも実際は会社でもそうはなっていない、おそらく花ではなく金の神を祭壇にしているともなる、マモンの神だともなる
ただ神社であれ寺であれ結局汚れた場所になっている
金儲けの場所でもある、だから汚れない場所はないとなる
人間がいることで必ずすでに汚れたものになる

本当の祭壇は自然そのものにある、そこには人間はいない、そうなれば汚れない神域だとなる
とにかく生け花でも中心がありそこに大きな花を挿すことになる
大輪の菊がふさわしいとなる
ただここでは花屋が一軒したなくなり花をそろえられない、スーパーでは生け花するには花がたりないのである






2021年10月15日

秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)


秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)

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松川浦

街道の松並木行く実りかな

白波にイソヒヨドリや秋の海

島見えて沖行く船や秋の海

船帰る漁はいかにや秋鴎

松二本津波に残り秋の暮

新地なる高台に望む秋の海

秋の灯や一軒知りぬ農家かな

松一本残りてあわれ月光る

虫の鳴く夜道を行くや知りし道


松川浦秋の夕日の水面にそ光りつまぶし月のいずかな

杉林径の暗しも黒々と森に家々秋の日に行く

秋日さし土蔵の蔵の古りにけりここに住みに歳月思ふ

夕べなお餌を漁るや鷺のいて松川浦の秋の日暮れぬ

ここになお残れる松の二本かな津波の被害語る女あり


新地まで自転車で行った、最初イソヒヨドリを見つけた、それを写真にとった
でもこれは一眼レフで撮ったものではない、記録のカードを入れていなかったので
失敗した
20倍のデジタルカメラで撮ったせのは残っていた
これはかなり遠くまで撮れるものだった

金華山とか牡鹿半島がぼんやり見えたがはっきりは見えなかった
写真では漁船がまじかに見えるように映っていた

新地は森は結構多い、杉林の中に道があったり森の中に家々がある
また高台の住宅地から海が見える
新地だったらまた行けばいい、新地まではなんとか行ける
相馬藩内だと自転車で日帰りできる範囲である、後は丸森までは行ける
葛尾村も相馬藩なのだがここだと遠くなり日帰りがむずかしくなる
ここは三春の方が近くなるのである

帰りは松川浦の方にまわった、夕方になりすぐ暗くなり月がでていた
鷺がみかけたけど鷺は夏の季語である、ただ松川浦には浅瀬がありいつも餌を漁っている鷺を見かけるのである

原釜の津浪伝承館の前に二本の松がありこれは津波でも残ったものである
この松は古い、曲がっていていい松である
そこで磯部の津浪の被害にあった人と話した、その女は家族は亡くしていなかった
でも磯部は一番悲惨だった、村ごと消失したからである
その松が残っていたのは松川浦が入江になっていて地形が複雑だからである
磯部は海岸に接してあり前に何もない、津波は地形に影響されたのである

今回はそれほど疲れなかった、秋は涼しいからいいのである、暑いともう自転車では遠くに行けない、またあまり寒くなっても行けない
今頃が一番いいとなる、だからまだ気候が良ければまだ行けるなとも見ているのである

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原釜の二本の松が写っている津浪伝承館の写真
https://rubese.net/gurucomi001/?id=1750664

2021年10月05日

隼(はやぶさ)が鷺を襲う写真


隼(はやぶさ)が鷺を襲う写真

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隼は大きい鳥なのか、ここでは大きく見える

食性は動物食の猛禽類で、主にスズメやハト、ムクドリ、ヒヨドリなどの体重1.8キログラム以下の鳥類を食べる[3]。獲物は飛翔しながら後肢で捕えたり、水面に叩きつけて捕える

これはノスリだと思ったが違う、ノスリは常に見かける
ノスリはネズミを食べている、この辺の田畑が荒地になったときネズミが増えたからノスリも増えたのである
これは胸の模様などが特徴があり違っている
隼はなかなか見れないだろう
たまたま深野の方に行ったら近くで見たのである
なかなかこんな光景には合わないだろう

だから常時カメラが必要になる
これがすぐ近くであり隼は逃げなかった、餌としてとらえたので逃げなかったのか?
鳥はすぐ逃げるから写真がとりにくいのである
自然にもドラマがありそれがこんな近くでも見れたのは意外だった

こういうときは自転車がいいのである、車だとわからないからだ
ただこの年になっても隼を見たことがないからこれは貴重な写真である