2021年12月14日

冬桜、冬薔薇、冬菜、冬の日(蔵ある家ーフラワーアレンジメント)


冬桜、冬薔薇、冬菜、冬の日(蔵ある家ーフラワーアレンジメント)

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姉は生け花をしていた、でも認知症になった時花を買ってやれなかった
金はあってもそれに気づかなかったのである
人間はやはり家族でもわからないことがある
だから家族でもその人を良く知ることが必要だった
何に興味があり何を好きなのかとか知れば良かったとなる
母はもともと花にも興味がなかったのである

ともかく良くしてくれた人はなんであれ思い出に残る
だから一番かわいがられた人が介護しろとなるのもわかる
兄弟でもみんなが良くされないからである
だから親さえ実の子でも忘れる、墓参りすらしない人もいる

生け花でもフラワーアレンジメントでも実感するにはじかに見ないとわからない
何でも写真にしても本当の感動は実際に見ないとわからないとなる



蔵古りて広き庭かな冬桜

蔵古りけ枯木一本農家かな

庭広く蔵ある家や冬椿

石黙し家にこもるや冬薔薇

三本の樅の木根付き冬の暮

街中に冬菜畑や蔵の家

葉牡丹の寄り合い咲きて日の暮れぬ

前畑に葉牡丹あまた蔵の家

冬薔薇一輪暮れぬ余韻かな

冬の雨石を濡らして明かりかな

花一つ貴品のあれや今日も見ゆ

葉牡丹の寄り合い咲くやホームセンター

短日や家事に追われて暮れにけり

なにかにと追われるものや師走かな

本重く重ねて積むや年の暮

冬の灯や一軒一軒田舎かな



冬の薔薇一輪散りてひそけきまた一輪の咲くを見ゆかな

我が家に手伝う人や五年すぐなじみてあれや冬の日暮れぬ

この地にそ生きて刻める年月や樅の木三本根付き動かじ

あづき色の花の真中に様々の花の映えにき今日も見ゆかな

花一つ長くも見れば心にそしみにけるかな我が家に飾りて

冬の薔薇我が庭に咲きなかなかに散らず今日も暮れにき

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原町の道の駅の仮設があった場所に樅の木があった
三本あるのがいい、これは幹が細いにしても樅の木だろう
三本あるということで連帯を感じるのである



原町のダイユーへ行く六号線の道の脇に農家があった、最近こじんまりした新築の家を建てた、その家の庭は広く蔵もあった、だからうらやましく見ていた
ただ中は塀があり見えなかった、でも塀が取り払われて中が見えた
そしたら冬桜が咲いていたのである、これは珍しいと見た
庭が広いから桜でも映える、田舎だと蔵ある家がありそれは古い家だとなる
会津の方の喜多方では競って蔵を建てた、蔵の街になった
それは財を築いた、豊かな家になったということで蔵を作った
蔵があるということはやはり豊かさの象徴である

でも今は蔵は使っていないのである、蔵に何もなく孫の写真を飾っているのが原町の街中にあってみせてもらった、昔だったら蔵には農作業の道具とかいろいろ使うものがあったしお宝が埋もれていた、それで時々旧家に貴重な古い資料が残っていたとか調べに来る学者がいたりする、蔵はその家の歴史を伝えるものなのである
蔵と葉牡丹は似合っている
鉢に植えた葉牡丹は葉牡丹として活きていない、大地にどっしりと咲いているのが似合っている、何か葉牡丹は太っている百姓女をイメージするからである

フラワーアレンジメントとか生け花の良さは花を身近に見れる、それも長く見れる
すると人間はその花が心にしみるようになる、毎日見ているからそうなる
庭の花でもそうである、でも家の中に飾ると余計に身近であり花と一体化する

このフラワーアレンジメントでは真ん中のあづき色の菊が何か中心に見えた
他の花は散っても残っていた、白菊とかが中心とも見えたがこのあづき色がなんともいいのである
近くの森の花屋は貴重である、なぜならもう一軒の花屋はなくなったからである
一万の町で花屋を維持するのはむずかしい、私の場合車がないから隣街まで行けないからである
あの花屋はもともと小高で開いていたが震災以後移ってきたのである

私の姉は生け花を習っていた、それは若い時である、それで失敗したのが認知症になったとき花を買って生け花をさせれば良かったと思う
認知症でも別に何もわからないことはない、何か感じることはできるのである
ただ私には認知症の病気が理解できなくてとまどっているうちに死んでしまったのであるそれで遺影の前に花を活けて供養しているのである

何か人間はこうして家族でも死んでみるとこうしてやれば良かったとか後悔している
それは死んだ人は二度と帰ってこないからである、いるときはうざいとかなっても死ぬといなくなるとかえって何かしてやれなかったとか後悔するのである
これが誰でも経験することなのである、家族でもいつか別れて二度と逢えなくなる
それがどうしてもリアルに感じられないのである、いつまでもいると思ってしまうのである

要するに人間は時間の作用が欠かせないのである、時間の中で育まれ親しくなり共同性が生まれる、そして人間は簡単に信頼関係はできない、これも相当な時間がないとできないだからお手伝いさんでも十年も働いていれば信用できるとなる
そこに長い時間が必要なのである、何でも人間には時間が必要なのである

とにかく年の瀬であり買い物に追われた、家事に追われる、家事が結構な負担になっている
だからフェスブックをできない、コメントもしていない
プログに書くことで精一杯だとなる、そして今これまで書いたもののまとめをしている
記録が消えないように保存しようとてしている
これもまた手間なのである、書いたものが膨大なものになったからである
本の整理も大変である、読んだものでも忘れているからである
でも何か自分の文の中で引用するから読み直さねばならないのである
整理するのが大変なのである、だからこうして毎日いろいろと追われているのである



2021年12月09日

南相馬市立病院の脳卒中センターにドクターヘリ着陸


南相馬市立病院の脳卒中センターにドクターヘリ着陸

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福島市へ飛んでゆく



相双医療圏における脳卒中の死亡率は、がん、心疾患に次いで高い水準で推移しており、全国平均と比較してもはるかに上回っていますが、脳卒中及び脳疾患に係る緊急対応については、相双医療圏では実質的に対応できる病院が本院に限定されています。


南相馬市立病院には一か月入院していた
そのあとに脳卒中センターができた、同級生がそこで一命をとりとめた
早く救急車で運ばれてカーテルとか入れて助かった
つまりこうして急がないと命を失うし症状も悪化して重体にもなる
だから一刻を争うということでドクターヘリは有効である

また治療できない患者がいて福島医大に運ぶのである
どういうわけか相双地区で脳卒中が多いというのはなぜなのかとなる
近くで実際三人脳卒中になった60歳以上の人を知っている
回りでも多いのかもしれない、これは前からそうであり放射線の影響ではないだろう
ここの担当の医師は優秀なので若い医者が見習に来ているという

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これは明らかに2011年から急激に脳卒中が増えている
やはり原発事故のために増えたのか?
それより移動させられたとかストレスが大きかったためもある
心労が重なった震災原発事故関連死に入っているだろう
それは明確にされていないのである
私の姉も震災前に認知症になり次に脳卒中になったのである
でも明らかに震災以後に急激に増えたのだから震災原発事故の二重の災害で増えたことは確かである


相馬市から医大に通っていた人がいた
遠くて困ったと言っていた、でも福島中央道ができて早くなったから福島医大にも行きやすくなったのである
浜通りから福島市の方はもともと不便だったのである
飯館村にトンネルができてこれも便利になった
震災以後こういう面では便利になったのである

ドクターヘリを前は桜田山の施設のある所でも見た、これが格好いいのである
今回は新しくできた脳卒中センターで見たのは初めてである
とにかく福島市とは結ばれて便利になったとはなる
震災以後この辺はいろいろと被害があったが良くなった面もあった
ただ避難区域は回復はしていないのである

2021年12月06日

寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)


寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)

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石黙し赤き誠や寒椿

二子山ここを離れず冬日没る

みちのくや枯野の向こう船一艘

墓残り海老浜に見ゆ冬の海


冠雪の蔵王の見えて白鳥の群れ飛べるかな朝日まぶしも

石垣のめぐらしここに家建てて落ち着きぬかも冬の日さしぬ

荒々し冬の波音ひびくかな津波の跡の無常なるかな

今はまだ寒椿ではない。冬椿なのである。ただ寒椿の方がよりいいと思った
赤き心とは天皇への忠誠心でもあった、でも誠とは新選組でも旗印となったから天皇だけはない
誠とは嘘つかないとかであり日本人の心としてある
人間に共通する普遍的なモラルである

石黙しというとき禅宗で座禅を組んで沈黙の修行をする
自然と一体化する沈黙が必要なのである、それが修行なのである
俳句の様なものでも修行が必要であり精進しないと上達しない
俳句は写生と写実である、だから比較的他の芸術より修練すればいいものができるとはなる、その方法が明確だからである、それを明治になって提唱したのが正岡子規であり
それが俳句の世界に革新をもたらしたのである

俳句そのものは必ずしもいいものになっていない、究めていない、でもその方法を編み出したことに功績があった
意外と芸術という時、ARTとは技術とかの意味もあり広範囲な意味がある
医療までartだったのである、だからARTとは技術的要素がありそれで革新できる
それで私が試みている抽象画がそうである、写真でも絵でもデホルメして作りだしているからだ、これも芸術だとなる
これこそ全く絵の才能がゼロなのにやはり創作だとも見たからである
二次三次製作でもやはり創作的なことがあると思ったからだ

二子山とは大原の二つの山であり二子山に見えるのだ
海老浜の方は村自体が津波で消失した、残っているのは墓地だけである
そして墓が冬の海を見ている
みちのくというとき枯野がにあう、海には船一掃しか見えない
兵庫県の方から来た人が瀬戸内海とは随分違うでしょう、あそこはひっきりなしに船が
通っている。ここはただ海が広がっているだけであるからだ


キボードが使いない、親指シフト使えないと苦しい、パソコンは文を楽に書けないと苦しい、親指シフトで始めたので自分の場合なじんだのである





2021年12月03日

栄える家と栄ない家の謎 (家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

栄える家と栄ない家の謎

(家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

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御家の旗がある



我が家の歴史


我が家を創りし者
我が父と姉と母
父はこの町に移り
苦労の末に一辺の土地を買う
その土地は悪しき土地なり
二階水害にあいぬ
その後姉と母が新しき家を建てる
その家は大きく心地良し
この家に父と母と姉との力の宿る
我はこの家を受け継ぎ住みぬ
この町の一角に住みつきぬ
後妻の母の子は我が家に受け入れられず
不幸なりしは我が家の暗黒となる
兄は遠く集団就職で静岡に去る
そして交通事故で40才で死ぬ
その不幸ゆえに一基の墓を建つ
この家に父と母と姉との力の宿る
この家に住み我は力を得る
一代にて栄はならじも
故郷の大地に根を張りし木のように
代々受け継がれて栄はありぬべし
故郷の冬の日にそのことを深く感じぬ
栄は一人にて一代にてならじも
代々の人の力ありて成りにしを・・・・

人間が一番関心があるのが自分の生れた家であり故郷でもある
聖書が大きな国の歴史ではない、そもそも家族の歴史なのである
神に選ばれた人の家族の歴史なのである
家という時、天皇家というのも家族の歴史でありそれが日本が歴史になっている
平家源氏も家のことである、家が王家を作り歴史となる、この辺だと相馬氏が支配者となり歴史を作ったとなる、それで「御家」という旗印がある
外国でもハウスブル家がヨ−ロッパの王となり支配者ともなったことでもわかる
徳川家が三百年江戸時代支配者となったのもそうである
歴史とは家の物語(ヒストリー)でもある
ただ私が家を意識するようになったのは家族が全部死んでからである、それで遅いが自分自身が家を継いだ者になったことを意識したからである
なぜなら自分一人しか家を継ぐ者が残らなかったからである

父親は葛尾村の出であり双葉町の昔は新山の酒屋で丁稚として働いていた
それで暖簾分けしてこの土地に住むようになったのである
だから相当に苦労した、貧乏でもあった、ただその時代はみんな貧乏だったのである
それで刺身を食べれるようになったが病気で食べたくないと言って死んだのである
戦後十年くらいで豊かになったときである
おそらくまともな教育も受けられず学校にも行かなかったから上の学校にあげろと言ったのも苦労したからだとなる
たいがい苦労した親は子供にそういうからである
そう言われても私は大学に行ったとしても勉強はしていなかった
何か無念に死ぬ人が多い、自分がかわいがられたのは50以上になって生まれた子供だったからだろう、でも兄は母は後妻であり5年間は一緒に育ったが後は実家で育てられた
そして集団就職して交通事故で40才で死んだのである
その責任が我が家にすべてあるとはならない、結婚した妻が不倫したとか何か兄自体にも問題がありそうなった、別にその時、集団就職した人も多いし全部が不幸にもなっていないからである

ともかく家にはいろいろな事情があり複雑になっている、だから他者の家がわかりにくいのである、自分の家にしてもわかりにくいのである
ただ確かなことはどうしてもその家が栄えるのは一代では無理である
何か栄えるという時、その前に積み重ねがあってそれを受け継ぎ栄えるとなる
ただ受け継ぐといっても受け継ぐ人が息子でも駄目な人だと栄ないのである
その人の親は両親とも正直なまれにみるいい人だったのである
でも息子がそんな親から生まれてとにかく駄目な男だったのである
そしてその孫の息子は自殺して死んだのである
今はその息子も死んで家は更地になる

いい両親から生まれてもその家が栄えるともならない、だから家を公式のように見れないのである、そもそもよほど深い関係でないと他者の家のことがわからないのである
ただ歴史が家から始まり家の物語(ストリーヒストリー)だったことは世界的に共通しているのである
相馬藩だと相馬氏という一族の歴史であり今も野馬追い祭りがあり相馬氏の殿様が出るから歴史が続いているのである

そして家の歴史というときまた田舎だと地方だと家と土地が密接に結びついている
なぜなら農業中心の社会では土地から実りを得るからそうなる
家と土地は切り離されずあった、ただ農業から工業社会に変化したとき家の重みも減少したとはなる
都会だと家とか土地とかでも何か一定の場所に根付くというのではなく一時的に住んでまた移り住むという感覚になっている、土地に定住するという感覚が希薄だからである

いづれしろ郷土史というとき特に個々の家の歴史が基本になる、でもこの家の歴史が事情がそれぞれ複雑でありわかりにくいのである
自分の家の歴史でも親戚の歴史でも複雑すぎるのである
それを語ると切りなくなる、母親の実家はやはり後妻が入ってきて複雑化したのである
そしてばらばらになった、一家の墓も二つに分かれたりした
そして不和分裂の家でありそれが影響して親戚関係は全部切れたとなる
どうししてそうなったのか?やはり後妻が入ってきて家が乱れたからだろう
それも仕方がないという事情もありそれが全部の原因なのか?それも良くわからないが
母親の実家は何か不和分裂の家でありそれでみんな死んでも遺された者も分裂して終わったとなる
家が乱れるということはそれは国が乱れることにもなる、なぜなら国は家の歴史でもあったからだ、だから天皇家が乱れると国家まで乱れるとなるのである
それで真子様の結婚問題が国家の問題にまでなっているのである

死者達の霊をかく敬い
その価値のわれらのうちに増しゆけば
誰か幽鬼と化す者あらむ
われらが精進と験し看破し
それを便りにあらゆる領域で
われらが君の同族と認めてくれ給え!

(ある古風な墓碑銘に寄せる歌詞ーハンス、カロッサ)

人間は死んでもそれで終わりではない、そのつづきがある、死者は確かに肉体は消失するでも何かそこに残すものがある、歴史的人物とか作品は歴史の中で語られつづける
だから死んでから百年後でも語られることは依然として死者は歴史の中で生きているのである、「その価値のわれらのうちに増しゆけば」ともなる
死んでから返ってその人の価値が増してゆくことがある
生前は価値を認められない人もいるからだ、そして逆に死者が幽鬼と化すことがある
これはまさにこの辺で起きた原発事故が証明した
空家だらけのゴーストタウンや村になった、そこにはもう人は住まず死者は活かされず
幽鬼が棲むようになったからである

死者は二回死んだとなる、一回は死んでもまだ町や村があったから受け継ぐ者があったが二回目の死は受け継ぐものがなくなり幽鬼の棲む町や村と化したのである
歴史は個々の家の歴史でも回りがあって全体があって故郷があり国があって成立っていたからである、ある土地の家が裕福だというときそれは回りの力でそうなったともなるからだ、それが原発事故でだいなしにされたのである
でも原発ができてこの辺で豊かになり財を築いた人もいるのである
でもそれは本当の栄ではなかったのである、だからそうして富を得たものは呪われた者ともなったのである、つまり子孫の繁栄をもたらさなかったのである
だからその子は親のことをいいとしないし語らないし忘れるとなる
歴史の中で受け継がれず価値を増さないのである
故郷を捨てて移り住んだ人は一から別な土地で歴史を刻むことになったからである
ただ金になればいいということで本当の豊かさはありえなかったともなる
そこに大きな落とし穴があったとなる

2021年11月30日

宇多川の上流の岩と石の謎 (川はみんな違った表情を持っている)


宇多川の上流の岩と石の謎

(川はみんな違った表情を持っている)

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岩盤のくぼみや裂け目などに、岩石表面そのものが徐々に風化して得られたり、風雨によって運ばれた砂礫が堆積し、土壌を形成する。この土壌の形成の有無が一次遷移と二次遷移の最大の違いである。土壌のないところは保水力がないため、植物は生育できない。よって、この土壌の形成が最初の大きな変化である。

次に、コケ類や地衣類の胞子が風雨によって運ばれると考えられる。コケ類は岩のくぼみのようなところを中心にはえてくる。やがて、風や雨によって岩の表面は風化して砂礫が生じ、また、苔や地衣類の生育による有機物の蓄積により少しずつ土壌が成熟される。土壌には土壌動物や土壌微生物も当然出現する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB_
(%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6)

松の根は岩をくだいて生きて行く

こんな歌もあった

岩と石の相違が何か?動かせるものが石で地盤にくっついているもの動かせないものが岩だという、石は比較的小さいのである、でも動かせないような大きな石でも河原にある
とても動かせないようになっている
ただ石というものは確かに苔が生えた石があってもそこに木のようなものが根付かない
石は鉱物とにている、硬いからである

岩はというと何か雨に打たれて割れ目ができたり石のように割れ目ができたりしない
だから石には木は根付かないのである、また石から栄養分をとることはできない
それは鉱物と似ているからである
だから石に根付いている木はありえないとなる、たいがい岩に根付いている木である
その木は確かに地盤と結びついている、露出している岩だとなる
岩から土ができたという時、岩に土になり植物を育てる栄養分をもつからである
もともと地球は岩盤でありその岩盤が風化作用で土となっていったからである

すると宇多川のこの岩でも何か栄養分がありそれを吸収して木が根付き成長している
でもこの岩は岩盤と一体となっていない、孤立しているのである
だからこの岩からだけ栄養を吸収して成長したのかとなる
ただその表面にはなんらか栄養分があって吸収しているのかとなる
それにしても木の数が一つの岩に根づくには多いのである
すると相当に一つの岩でも栄養分があって木が根付いたのかとなる
石だったらこういうふうに木は根付かないのである
苔などが生えることはあるが木は根付かない、ともかく科学となると弱いから私には解説できない、ただ理系文系でも共通していることは常に疑問をもち何故かを解明することは共通しているのである

自然を見てなぜなんだろう?

学問とは学び(まねる)問うことなのである、この問うことがなぜかと問うことが学校には欠けているのである

いづれにしろこの二つの石は面白い、宇多川の上流は石が多い、荒れた川のようになっている、ここも石がごろごろしているのだ、さらに玉野村の方に行くと滝もある
だから宇多川はそれなりに小さいようで大きい川にも見える
ただこの辺で大きな川は真野川である、新田川になると川が深く流れている所がないのである、浅い瀬音のする川である、だから川としては大きくないのである
とにかく川にもいろいろあり表情が違うのである
川を知る場合は下流から上流まで知る必要がある、川の一部分をみてもわからないのである

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中に台になった所がありそこに花を置く、神秘の花をこの石で守るのである
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抽象化するとこの形になる
この形が安定化する、正三角形ではない、長方形の組み合わせになる
ビラミッドでもその形は正立方体とかではない
その形が不思議であり神秘的なのである



岩でも石でもいろいろな形のものがあり表情がある、この石はどうしてできたのか?
これも不思議である、この形はピラミッド石と名付けられる
本当に不思議な形の石である、この石の価値はもし売ったりしたら何億ともるなかもしれない、ただこれは勝手に売れるものではない、自然の一部だからである
ただ公共空間に飾ったら面白いと思う、庭園に飾ったら面白いとなる
何か身近な自然でも注目されていないことがある、これは最近注目したのである

2021年11月29日

冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)


冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)

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空家の庭 前の大きな石がいい、大きいので重量感を感じる

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冬薔薇




冬薔薇老女籠もりて田舎に住む


冠雪の蔵王の見ゆや朝晴れて引き締まるかな三県思ふ

冬の朝汽笛の音の遠くよりひびきて霜のおおいけるかな

冬の薔薇数輪咲きて静かにも心ゆくまで我が見ゆるかな

石のみそ残りて空家の庭たずね垣根に椿冬の朝かな

山茶花の石により咲き冬なれや朝の静かに空家の庭見ゆ

駅に待つ一人のあわれ秋の薔薇咲き我が見ゆるかな


蔵王は南相馬市の鹿島区からまで見える、でも海岸の高い所から見えたが別に平地からでも今日ははっきりと見えた、何かこの蔵王は不思議である
蔵王が見えるのがわからない人もいるだろう、今日は冠雪の蔵王がはっきりと朝に見えたでも原町区になると見えないのである
蔵王の見える範囲は確かに山形県と宮城県と福島県から見える
でも福島県でも浜通りでも南相馬市でも鹿島区までであり宮城県でも一部からしか見えない、でも確かに三県から見えるのである
この辺でものたりないのは高い山がない、見えないことなのである
でも蔵王は確かに見えるである

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのく全体のことではない、二つに分けるとしたら宮城県と福島県である
でも二つに分けるというものでもない、そんなに大きな山ではない
ただ福島県の一部から宮城県の一部からも見えることである
第一福島県でも吾妻山連峰は見えないからである
だからここから蔵王が見えることは貴重なのである

何か隣の庭も空家でありその庭に入って石の庭を見るのも奇妙である
何かいい庭も人が住んでいないから活きていない、だからもったいないと思う
何か地域の集会所のようにしたらいいかもしれない、とにかく空家が多すぎるのである
ただ所有者がいるから勝手にはできないのも困る

ただその空家でも近くの人が出入りすると活きてくるともなる
ただそれも不法侵入ともなり奇妙なのである、ただ人が住まないとこうして誰かが勝手に入ってくるし利用する人だってでてくる
飯館村などでも空家だらけであり放置しているとそれが誰のものもかわからなくなる
空地でも空家でもそこに放っておくと勝手に利用されても仕方ないとまでなる
なぜならそこが所有者が活かしていないからである
そうなると所有者に権利があるのかとまでなる
ただ将来利用するためにあるのか?そういう空家もあり時々来ては見ている人もいる
でも空家は本当に増えるからその利用をどうするかは所有者だけの問題ではない
実際はみんなの問題にもなるのである

駅に女性が一人電車を待っている、前は話しかけたりしたが今はしない
何か煩いのである、監視カメラで見ていないようで駅の人が見ているからだ
ただこの待つということで駅が人間的空間をかもしだしているのである
高速道路のSAでは何か待つということがない、待つ時間がないのである
だから待つということは人間的な時間を作りだこしていたのである








2021年11月22日

紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)


紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)

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石に散る木の葉や今朝の小雨ぬる

紅葉散る石や朝の小雨ぬる


我が隣空家の庭の淋しかも誰かありなむ冬の薔薇咲く

冬の薔薇しとと雨ぬれ我が庭や一匹の猫住みつきぬ

冬の雨しととふりにき石ぬれて家にすみつく黒き猫かな


今日は冬の雨である、しとしとふっている、木の葉が一枚庭の石に散っていて雨が濡らす何か不思議なのは隣の庭を自分の庭のように見ていることである
それは空家になったから余計にそうなのである
毎日その庭の中に入って見ている、空家なのだから持ち主を知っているけどとがめられることはない、何か庭でも誰かがいて欲しいとみる
これも不思議な感じになる
家でも庭でも主がいなくなったときそこは空洞化する
だから誰かがいて欲しいとなる、隣だから自分の庭の延長のようにも見てしまうのである

今回も会津の城前団地が廃墟化したのをyoutubeで見た、これは城前とあるごとく街の
中心部なのである、前は東山温泉が廃墟化したのを見た、また飯坂温泉でも見た
温泉が廃墟化している、温泉は数回しか泊まっていない、高いから泊まっていない
そもそも温泉は旅の宿としてふさわしくないのだ
自転車とかで疲れたからといって泊まりにくいのである
何か今の宿は保養であり温泉にひたりうまいものを食べるとなる
それで温泉で退屈してしまうのである、温泉街というのは高度成長時代の遺物になってしまったのである、その時社員旅行や団体旅行が盛んであり温泉街がにぎわっていたのである、そういう時代が終わったということである
ただ外国人旅行者が温泉に来ていたときは良かった、これもコロナウィルスで来なくなりもたなくなった
とにかく旅はその行程にありその行程を車で飛ばして行くだけとなるとかえってつまらなくなる、現代には旅がなくなったのである

黒い猫が庭に来る、前飼っていた猫は出て行って帰らなくなった
それでこの黒い猫に餌をやっている、ただこの猫は本当に慣れない、餌をやりつづけても触らせたりさせないし逃げる、だからかわいげがないとなる
でもこうして餌くれと窓に顔出すのがかわいいのである
家の中に入れると汚れるので入れないがこうして毎日この黒い猫は来ているのである


2021年11月21日

短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く) (歩いて見る風景が新鮮)


短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く)

(歩いて見る風景が新鮮)

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ここはいつも見ていたけど歩いて見た感じは違っていたのである
歩くということはやはり地についているとかなり見え方も違ってくるのである



木の根っこここに残りて冬に入る

冬の蝶一羽見つけ今日も暮る

短日や二里ほど歩み帰りけり

短日や二里ほど歩む原町に

晩菊や二里ほど歩む里の道

庭広く竹伸び映ゆる紅葉かな

墓地あわれ歩み来たりて残る菊

前畑に野菜の実り冬の菊

紫と白の葉牡丹前畑に

蔵ありて葉牡丹大きく農家かな

葉牡丹や大柄な女農家の出

長き道一人歩いて冬薊

冬の日や一坂越えて次の町

前畑に野菜実るや冬の菊

冬日さし体に熱気馬走る

蟻一匹冬の日に出て我も歩む

夕陽さし赤さを増しぬ紅葉かな


誰が眠る桜井古墳冬の日やここに鎮まり始祖ともなりぬ

公園に樹々の静かやヘンチあり冬の日さして我が座るかな


自転車が故障した、自分で直せなかった、チェーンがはずれたのである
普通なら直せるがこの自転車が直せなかった
自転車は故障すると歩くほかなくなるから大変である、幸い原町は二里ほど8キロくらいだから歩いて戻ることができた

ただそのことで歩いたら見る風景が違っていた、それで俳句ができた
人間は歩いてみる風景と自転車で見る風景は違う、自転車で見えないものが見えた
ましてやバイクと車になるとほとんど回りを見ないで突っ走るだけになる
通り過ぎるごたけになる、現代に旅がなくなったというとき歩くことがなくなったからである
旅とは歩きながら物に感じることである、風景と一体化することである
車でもバイクでも何か風景を切り裂く感じになる
自然と風景と一体化するものではないのだ

私は旅を日本なら隈なくしたとしても歩いた旅をしていないから本当に旅したとはならないのである、ただ歩く旅となると現代は相当に苦労になる、どうしても国道を行くことになりすると車の洪水の中を行くからいくら歩くとしても車のない時代とは違う

車がない所を歩くと人間回復になる

それを感じたのは相馬市から玉野村から霊山へ行く道である、中央高速道ができたので
車が全く通らないのである、それでその道が不思議だった、サイクリングロードのようになったからである、まさに江戸時代の街道になった、中村街道というものがあったからそこに戻ったとなる

現代に失われたものがいろいろあるが旅もその一つである、現代ほど移動している時代もなけいから旅をしていると思っているがしていないのである
旅とは本来は歩く旅だったからである、第一歩くこと自体が失われているのだ
歩くことが新鮮な経験になっているのが現代である
現代では歩く旅となると得難い経験になる、でも自分自身でも歩いた旅はしていなのである
だから近くでもは歩いてみると見えないものが見えて来る、ただ歩くことは容易ではない国道は歩いても車の洪水にのみこまれてしまうからだ

ともかく文明が発達して機械文明になると必ず何か失われたものが生まれてそれをなつかしむとかとりもどそうとする、その反動が生まれる、当然東京とから地方へ住みたいという人も増えてくる、人間の五感をとりもどそうとする、旅がなくなったというとき本当の旅をしたいとなり歩く旅をする人もまれにいる
今は旅はない、温泉に泊まって休養するとかはある、でも旅は近くでも歩くと旅になるのである、田舎だったらそうなる、ただ温泉で休養するのはつまらないとなる
ある短い区間でも歩くということを経験することでも旅になる
ただ車でもバイクでも通り過ぎるだけでは経験として残らない、ただ走るという快感だけである、それは後に記憶として残らないのである

秋の暮歩いて去りし人思ふ

上り来て峠の茶屋や秋の暮

2021年11月19日

短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)


短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)

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枯菊に日さしあたたか朽ちてゆく

短日に昔を語る老二人

短日や人の出会いも一時や

冬の蝶舞い別れて今日暮れぬ

冬の蝶一つ見つけて近間かな

巣籠や近間を回り冬に入る

一枚の広葉の散りぬ家の前

我が庭にいとしむ静か冬薔薇

我が庭の闇のつつみぬ冬薔薇


枯菊とは何を意味しているのか?老人とか病人なのである、枯れてゆくからである
でも日がさしてあたたかいというとき死ぬときも何かあたたかく見守られて楽に死にたいとなる

冬という時、老人に逢っているのた、春は夏は青春であり秋は壮年とか老いに入る時期だとなる、50代はまだ秋なのである、60過ぎると老いに入るとなる
ただ現代では本当の老いは80代くらいになるかもしれない、十年くらいは年齢を引いてみないと現代に合わないのである

冬の蝶を見た、何かはかないとなる、人の出会いでも何か本当に老人になると不思議である、何であっていたのだろうとか人間は簡単に別れて二度と合わないのだとつくづく思うさよならだけが人生だというのが実感としてわかる
人間は生まれたら逢うとなるが最後は人間はただ別れるだけだったとなる
これが一番意外なことだったのである、人間はなんのために逢っているのかもわからないとなる

俳句とか短歌でも短くても常に時代をその社会を反映したものとなる
コロナウィルスの巣籠りというのもそうである
その影響は今もつづいているからだ、そしてこの社会状況がわからなくなる
降る雪や明治は遠くなりにけり・・草田男とかなる、一時代が過ぎるとその時代のことがわからなくなるのだ
その時代がわからないと歴史でも文学でも理解できなくなるのだ
戦争の時代があってもその時代を雰囲気を知ることは不可能になる
それが外国だとさらに歴史でもわからなくなる、時代の雰囲気というのはその時代に生きていないとわからないのである

飯館になお鳴きひびく残る虫

この俳句でも今の飯館村を反映している、原発事故で荒れ果ててしまったけど人も住まなくなったけどそこに残り住んでいる老人もいる、それがまさに残る虫なのである

冬薔薇が闇に隠れる、でもその薔薇を私は見ている、その冬薔薇は自分自身だともなる
家の前の道路に大きな葉が散った、家の前だからその大きな葉が心にしみる
それは近くで人が死んだということに通じている
78歳くらいで近くの人が最近死んだからである
ともかく冬に入り冬もいい、老人には冬があっているのかもしれない
ただ老人でも何かある程度の金銭的にも余裕がないと老後は悲惨である
毎月電気ガス水道が払えないとなると何か常に金に追われることになる
その人は死ぬまで金に追われている

そして今度は知っている人が60代で死んだ、そしたらその人の借金の払い人になっていた、でも一万ばかりだからたいしたことはないからくれた
何かこうして借金はカルマであり誰かにカルマが回ってくるのだ
悪いカルマが回ってくる、恵みもめぐってくるが悪いカルマも必ず回ってくる
それが怖いのである、つまり数万でも殺されたりするのは相当に悪いカルマが回ってきてそうなったとしか思えないからである







2021年11月17日

冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)


冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)

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ここは沼ではなかった、たまたま雨水がたまって沼になった
後ろは林である



田舎町三人集まり秋の雷

老ゆるともなお閃くや秋の雷

空家の庭烏とまりて秋の暮

日のさして山茶花赤し蔵に映ゆ


冬の日に茶一杯飲み安らぎぬ一人なりしも我が家なるかな

我が一人姉と母とに茶を献げ家を守るや冬の日暮れぬ

我が家に心静かに茶一杯飲むべかりけり老いにけるかな

家の跡土地の狭しもここに住む人し思わむ冬の日暮れぬ

近くにも忘れられしもこの家に住む人思ふ冬の日暮れぬ

新たにめ沼になりぬる細枝を映してあわれ冬の日暮れぬ


原町の方に今日行ったけど冬になっていた、秋の雷は数日前に一回だけ鳴ったからめずらしかった、空家の庭に烏がとまっているのも何か現代の風景である

家に帰ったら茶を飲む、いかにも冬らしいとなる、やはり家族はみんないなくなっても
まだ家があるとなり落ち着くともなる、姉と母とには熱いお茶を献げる
そこにまた死んでも継続して家族があるともなる
ただ正直何の反応もないのだから物足りないとなる

とにかく空家が増えている、私の回りは特に空家が増えた、最近一人死んだ家は農家であり庭が広いからここも空き地になる、家は壊されるみたいだ
狭い土地に家が建っていたところも人がみんな死んで空き地になった
そこは土地が狭い、庭もなかった、そして今になると住んでいる人を偲ぶのだがそれもその人がどういう人だったかわかちなくなった

そのおじいさんは建具屋であり仏壇を作った人である、でもその人はずいぶん前に死んでいるから記憶も定かではない、その後はタクシー運転手した人が住んでいたがその人も妻も死んだ、すると何が記憶されているのかとなるとないのである
人間はそれぞれ長く住んでいても意外と死ぬと記憶されることがないのである
その人の生きた記念とは何なのか?それも何かほとんどないのである
人間は生きている時なにかやと話題になるが死んだら話題にもならない
全く忘れられてしまうのが普通なのである
要するに長く記憶されている人は本当にまれである、ほとんどの人は忘却される
家族でも死んで十年以上過ぎると記憶も定かでなくなる
でも私の場合は姉と母とは60年も子供の時から一緒にいたので忘れられないのである

ともかく今度は本当に冬になった、季節が変わった、冬はやはり冬でいい、冬は田舎の方がいい、冬枯れの景色でも心にしみる、季節を感じるのは田舎なのである
我が家で茶をゆっくり飲むのも落ち着くとなる

2021年11月14日

秋薔薇(写真三枚)


秋薔薇(写真三枚)

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紫式部と薔薇

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空家の薔薇

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秋薔薇一輪あわれ空家かな

晩菊や近くに墓地や今日も行く

我が庭に秋薔薇二輪いとしみぬ


秋の薔薇一輪咲きぬ我が庭に紫式部添えて隠さる
    
秋の薔薇一輪咲きぬ隠されて紅葉も映えて庭石重し

朝顔の藍の深めて橙の薔薇は映え咲く板塀の中

一人のみ駅に電車を待つ女(ひと)や秋の薔薇咲く田舎町かな


秋薔薇はかえって色は美しくなる、濃くなる、何か私は秋薔薇にひかれる
薔薇というと夏だけど秋薔薇が何とも言えず色もにじみでて心にしみる

隣の家は空家となり秋薔薇が咲いていた、その庭を隣だから入ってみてもとがめられないのも奇妙であり自分の庭のように見ている
空家が近くにもありそこは医院であり金があり庭が広く金をかけた家である
でもそこに住んだというのは短かった、そして長く住んでいいないからいたんでいる
庭も剪定していないから荒れている

でも何かこうして空家が増えていい庭があっても家があっても利用する人がいないのはもったいないと思った、何か空家の利用が地方の活性化に必要だと自ずとみる
でも空家は持ち主がいるから勝手にできないのも困る
それでも放置されて利用されなければ価値がないのである
そこは一時歯医者として利用しようとしたがその持ち主は東京にいるので利用していないのである
そしてその遺産を相続した息子も最近78歳で死んだのである
この空家の問題はかなり深刻である

近くの人と語ったら墓の跡継ぎがいないとかなんとかとも言っていたからこれも問題である、とにかく後継者があるゆることで少子高齢化で消失してゆくからだ
その家は金持ちの医者でありかなり金をかけた家である、だからそたに住む人がいないのはもったいないと見た

私の庭の薔薇は二つばかり結構咲く、秋になっても咲く、咲かない薔薇もあったが二つはかなり咲くから不思議である、どうしてし咲くのか不思議である
咲かないのも半分くらいあるから不思議だとなる

写真は欠かせない、写真をとると見えないものが見えることがある
朝顔の写真は肉眼では写真のように見えなかったのである
だから写真は欠かせないしまたそれなりのカメラが必要になる
でも私のカメラは高いものではなかった、8万くらいだった
でもそれが一眼レフで意外ときれいにとれるものだったのである
このカメラを買ったのは運が良かったとなる
高くても使えないものがあるからだ
それで自転車では失敗しているからだ

駅には昼間は一人くらいしか待っていない、前は話しかけたりしたが今はしていない
何かとうるさいから案内はやめた、ただ駅前の薔薇を見に来ているだけである


2021年11月11日

秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る

(バス停をたどる旅)


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物倉のバス停
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大滝
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草埋もれ十体の仏秋深む

これがなぜここにあるのかわからない、古いものではないみたい

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バス停残り薊に石一つ

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空家が多い、これは廃屋である


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玉野村にあった神社

若木神社は疫病を防ぐ神である
八坂神社もそうらしい
八坂神社はとにかく多い
玉野村は伊達の相馬の境界だから疫病を恐れて神社を祭った

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真野川を下りー栃窪へ

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この一軒あった家も空家になっていた
紅葉は散っていた、水は湧き水か清水を吸い上げて流している
水道とか下水道は使っていない、水は無料である
放射性物質に肝心の水が汚染されて飲めないとなれば住めないともなる
つまりこんなところにも住んでいいたのに住めなくさせたのが原発事故だった

はっきり見るにはクリック拡大



山上の奥のあわれや刈田かな

蔵古りてなおあまたなる残る柿

干し柿や昔のままの家一軒

秋の雲流れて遅く休むかな

草うもれ十体の仏秋深む

物倉のバス停あわれ秋の暮

打ちひびく巌に大滝秋の朝

バス停の残りて石に秋あざみ

玉野村若木神社や秋の暮

秋の暮伊達と相馬の境かな

バス停に空家に一輪秋薔薇

バス停の残りてあわれ秋の暮

十体の仏の像や秋深む

旧道や松に紅葉の映えにけり


でで虫の殻の一つやバス停は間の次郎や秋のくれかな

二本の松の幾年月やここにしも離れずありて秋のくれかな

霊山のそそりて険し修行する僧のありしも秋深まりぬ

誰が棲むや湧き水いでつ紅葉映え山の間あわれ月のいずるも

たずねける人のなしかも空家一軒水の湧き出で紅葉に暮れぬ


真野川を上り栃窪に行く道が通行止めになっていた
それで今回は宇多川の方を上って行った、山上の方である
ただここは結構坂がつづいて疲れた、電動自転車でバッテリー二つを伸せるになったのは自分にとって安心を得た、一つだと必ず切れて苦しくなるからだ
二つだと余裕なのである、まずバッテリーは切れることはないからである

物倉というバス停があり何かそのバス停の地名がここに残る、まるで駅名のようにも見える、何かバス停は文化財のようにも見える
でもここの路線は玉野の学校に通う人がいてバスも通っている、だからバス停はまだ活きているのである、ただ小学生とかが利用しているだけなみたいだ

この辺は福島市までの高速道路ができた結果旧道になってしまった
ほとんど車が通らないのである、何か空家も多いのである
車は高い所を走っているのである、なにか相馬市から30分くらいで福島市につくとか行っていた、それは早いい思った、高い所を車が突っ走って行く、途中道の駅もない、直通で福島市に行くのである
ただソフト屋だけはひっきりなしに人が来る、繁盛している、あれだけの種類のソフトを作っていれば売れるとなる

霊山とは霊山寺がもともとあり修行の場だった、天台宗の山岳仏教の場だった

阿武隈高原の北端に霊山寺がある、貞観元年(859)円仁の開基と伝え霊山の中腹の寺屋敷、山頂、副霊山、東寺屋敷などに礎石を残す寺院跡、鎮守山王社など数十基の大伽藍遺構が山林藪の中に存在する、土師器、須恵器、硯、青磁、白磁、経塚遺品が出土して
9世紀後半から中世にかけてのものである
霊山寺は天台宗の山岳寺院で鎌倉時代末期に南朝の拠点となり国司北畠顕家はこの寺を頼って陸奥国府を移したが十年にわたる北朝方の攻撃によって一山ことごとく灰塵に帰した

天台宗というとき山形県の山寺もそうである、山岳仏教というのは山に籠もり修行する
ただ不思議なのは霊山でも相当に高い、それで食料はどうして調達したのかとなる
そんな高い所でどうして生活していたのかとなる
ただ山岳宗教となると山と一体化して修行するということだから都会の宗教とはまるで違ったモノなのである、本来宗教とはそうして山を修行の場として生まれたとかありとても今の様な大都会の宗教とは別物である、実際はそれが本来の宗教なのである
ただそういう寺院も城の役割があって砦のようになっていてそこに武士が入ってきたのである、また僧侶が武士にもなっていたのである

霊山から佐須に出てずっと下りまた高台にある紅葉が美しかった家をたずねたが紅葉は半場散っていた、朝日に照らされた紅葉は美しかった
そしてあのような所に家があるのも不思議だった、今は人は住んでいない空家である
ともかく本当に空家がやはり目立つ、高速道路ができて車が通らなくなり空家化したともみる、高い所ではひっきりなしに車が通っていたからである

2021年11月02日

晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)


晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)

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川の土手の下の通りに咲いていた

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空家の庭

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晩菊や色様々に街の中

晩菊や今日も通りぬ墓の前

秋日さし石のテーブル空家かな

秋の蝶舞いて去りにき石の庭

家一軒次世代に残す石と柿


残されし石の淋しも隣なる空家の庭や秋の暮れかな

庭の石残れるそばにつわぶきの花の咲きをり我が見て帰る

一輪の秋の薔薇咲く我が庭や静かに時の過ぎゆくべしかな


そこは不思議だった、人が住んでいるかどうかわからなかった、いつも通る道でもそこに何軒か空家になっていた、その一軒へ入ってみた、そこは空家だと見えなかった
どうも空家だと思って今日は入ってみた、やはり空家だった
家の障子とか破けていて荒れていた、でもその庭が立派だったのである
本当に写真のように良く作られた庭である、その石が見事なのである
この庭はかなり金をかけた庭である、第一これだけの石を組み上げるのは金がかかる
だからこんな庭が隠されてあったことに驚いた

その前に立派な大きな石のテーブルがあった、ここに座ったりしていたのかと自分も座った、ただ家は荒れていたから家自体には価値がない、庭に相当に価値あると思った
知っている人の庭も20代で大きな石を組み作り上げた、500万円とかかかったとか言っていた、それはトラック運転して若い時人の二倍働いて作ったのである
その庭も立派なのである
私は石に興味があるから石をしみじみと見るのである

ともかく空家が本当に多い、それが今の日本を象徴しているのだ
空家や800万軒になるというときそれも空恐ろしいとまでなる
空家というとき原発避難区域になった所は空家だらけでありゴーストタウンに今もなっている
それは特殊だとしてと空家がどこでも多いしそれは全国的でありそれは大都会でも東京でもそうなのである、少子高齢化で空家化してくる時代である
その空家は誰も住まず放置されている、ただ空家でも時々で庭の手入れとかしたりする家もある、だから全部が全く放置されとはならない
それにしても空家の時代である、それで日本が経済でも空洞化して貧乏化する象徴ともなる

知っている人の家もいづれは病気なので死ぬと空家化すると思ったがすでに甥子にゆずるとしているから空家にはならない、こうして家が受け継がれのは少ないだろう
放置されて受け継がない空家が多いとみる
古い家は価値ないとなるからだ、でも家は庭がありそれが価値あるともみる
石の値段は高いとみるからだ

ともかくその空家は近くにあり不思議だった、近くでもわからないことがある
別にそこに入ってもとがめる人はいない、空家の問題はそうして勝手に入って寝泊まりした人もいたことである
それにしてもこれだけ空家が多いと街とかが空洞化してゆくことを感じる
原発避難区域では突然空家だらけになり空洞化したから驚いたのである

晩菊となると今頃の季節だろう、今日はあたたかい日だった
様々な色に咲くというときそれぞれの人生を送った老人にふさわしいとなる
庭の薔薇は不思議である、秋でも一輪咲いていた
今は秋薔薇の季節でもある

2021年10月27日

秋の暮、柿、(古磯部ー磯部ー相馬の城跡を回る)


秋の暮、柿、(古磯部ー磯部ー相馬の城跡を回る)

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磯部の高台

暁に黄金の実り海明けぬ

鳩の飛び朝露光り実りかな

柿なりて海を望むや古磯部

柿なりて古碑の並ぶや古磯部

城跡をたずぬる人や秋の暮

松に菊主君に仕ゆ城下町

城跡の御堀に鵜のいて秋の暮

街道の松並木行く実りかな


磯部と古磯部とがある、すると古磯部が古いのである、古町とあればそれも古いのであるつまり新しい町が生まれて元あった町が古町となるのである
それは狭い範囲でなっている、磯部でも古磯部が古くなったのは新しい磯部が海岸の方にできたからだとなる
ただ古磯部とは
どの辺のなのか坂を上って越えた入江のようになっているところなのか?
磯部小学校がある高台なのかわからない、高台は新しく住宅地にもなっているからであるつまり古くて新しい場合かあるからまぎらわしいのである
土地でも歴史でも見る場合、その場所が古いのか新しいのかが問題になる
だから墓地を見て江戸時代の墓を見れば古いとなる、また古い碑があれば古いとなる
写真にとったのは高台でありこの碑は時代がわからないが江戸時代のものだろう
あそこには寺がありその寺は古い、となれば高台でも古いのかとなる

ともかく海岸沿いの磯部村は津波で消失した、でも古磯部は残ったのかとなる
坂を越えた入江のようになっている場所が古磯部なのか、あそこは入江のようになっていたとしたそこで魚などもとれたから生活ができたとかなる
その辺が良くわからない、ただ高台からはいつも海が望めるから眺めがいい、そこは津波の被害はなかったのである

相馬市の城跡をたずねる人がいた、相馬市は城下町である、城下町というときどういうことなのか、必ず殿様がいて主君がいたのである、そして侍でも町民でも主君に仕える感覚になっていたのである、それが江戸時代てある
江戸時代とは今の社会とは大きく違っているから理解できないのである
おそらく人と人の結びつきが強い社会である
主君がいて侍は仕える、人と人が強く結ばれていた社会である、そういう社会を理解できなくなったのである、現代ほど人と人が結びつかない時代はないからだ
ただ商品を売り買いして人はただ商品を売買するだけの存在とかなるからだ

城跡の御堀には鵜がいた、鵜がいることは海が近いということである
時々鴎も飛んでくるから海が近いのである
今日は帰りに東風が吹いた、最近はすでに北風が吹いた、だから季節の変わり目になる
冬になれば北風しか吹かないからだ
まだ東風が吹くということは今日は比較的あたたかったからだ
風によって季節を感じる、それは自転車だから感じるのである、車だと風を感じないから風流もないのである

海から太陽が昇り暁になり黄金の実りがあり露が光る、これが海に面したこの辺の景色である、でも山国になれば山から太陽が昇り山に沈むから相当に感覚的には違ってくるのである

2021年10月23日

大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)


大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)

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一村や農家の古く柿に蔵

石一つ十輪ほどの秋薔薇

新しき家も幾年秋薔薇

大輪の白菊映えし広間かな


大輪の白菊御前に我が家かな今日も勤めぬ心正しく

大輪の白菊にそえ色違ふ小菊いろいろ映えにけるかも

大輪の白菊活けて塵つかず今日も御前に勤めけるかも


今年は秋がなくて冬になった、今日も寒い、こうなると季語も合わなくなる
北海道で鮭かとれなくてブリが大量にとれたというのも日本の気候が変わり季節が狂うとなる

秋薔薇というとき田舎町であり十輪くらい咲いているのが心にしみる
つまりこの十輪とは人間をイメージするのである
人間の付き合いも親しくなれるのが10人くらいかとも見る
だから何百万とか会員のいる宗教団体などはもうただの数になってしまう
庭に石一つがありそして十輪ほどの秋薔薇が咲いている、それで落ち着くとなる

この辺では震災以後新しく移り住んだ人が多い
十年過ぎてもやはり新しい感じになる、でも徐々に土地になじんでくる
でも土地になじむには時間がかかるのである
だから都会から田舎に移っても老人になると60以後になるとなかなか土地に親しむというかなじむのがむずかしいとなる

大輪の白菊を活けて飾る、その大輪の白菊が家に映える、広間に映える
この生け花は目前で花を見ることで心と一体化するのがいいのである
そしてこの花は何を意味しているかというとやはり中心に大輪の花がありその花はあたかも祭壇なのである
花を礼拝するのではないが花を中心にして人もあるとなる

それは社会でも会社ならそうして穢れの無い花を飾る、それが中心となり人もつとめ働くのがいいのである
でも実際は会社でもそうはなっていない、おそらく花ではなく金の神を祭壇にしているともなる、マモンの神だともなる
ただ神社であれ寺であれ結局汚れた場所になっている
金儲けの場所でもある、だから汚れない場所はないとなる
人間がいることで必ずすでに汚れたものになる

本当の祭壇は自然そのものにある、そこには人間はいない、そうなれば汚れない神域だとなる
とにかく生け花でも中心がありそこに大きな花を挿すことになる
大輪の菊がふさわしいとなる
ただここでは花屋が一軒したなくなり花をそろえられない、スーパーでは生け花するには花がたりないのである






2021年10月15日

秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)


秋の日新地から松川浦に行く(俳句と短歌)

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松川浦

街道の松並木行く実りかな

白波にイソヒヨドリや秋の海

島見えて沖行く船や秋の海

船帰る漁はいかにや秋鴎

松二本津波に残り秋の暮

新地なる高台に望む秋の海

秋の灯や一軒知りぬ農家かな

松一本残りてあわれ月光る

虫の鳴く夜道を行くや知りし道


松川浦秋の夕日の水面にそ光りつまぶし月のいずかな

杉林径の暗しも黒々と森に家々秋の日に行く

秋日さし土蔵の蔵の古りにけりここに住みに歳月思ふ

夕べなお餌を漁るや鷺のいて松川浦の秋の日暮れぬ

ここになお残れる松の二本かな津波の被害語る女あり


新地まで自転車で行った、最初イソヒヨドリを見つけた、それを写真にとった
でもこれは一眼レフで撮ったものではない、記録のカードを入れていなかったので
失敗した
20倍のデジタルカメラで撮ったせのは残っていた
これはかなり遠くまで撮れるものだった

金華山とか牡鹿半島がぼんやり見えたがはっきりは見えなかった
写真では漁船がまじかに見えるように映っていた

新地は森は結構多い、杉林の中に道があったり森の中に家々がある
また高台の住宅地から海が見える
新地だったらまた行けばいい、新地まではなんとか行ける
相馬藩内だと自転車で日帰りできる範囲である、後は丸森までは行ける
葛尾村も相馬藩なのだがここだと遠くなり日帰りがむずかしくなる
ここは三春の方が近くなるのである

帰りは松川浦の方にまわった、夕方になりすぐ暗くなり月がでていた
鷺がみかけたけど鷺は夏の季語である、ただ松川浦には浅瀬がありいつも餌を漁っている鷺を見かけるのである

原釜の津浪伝承館の前に二本の松がありこれは津波でも残ったものである
この松は古い、曲がっていていい松である
そこで磯部の津浪の被害にあった人と話した、その女は家族は亡くしていなかった
でも磯部は一番悲惨だった、村ごと消失したからである
その松が残っていたのは松川浦が入江になっていて地形が複雑だからである
磯部は海岸に接してあり前に何もない、津波は地形に影響されたのである

今回はそれほど疲れなかった、秋は涼しいからいいのである、暑いともう自転車では遠くに行けない、またあまり寒くなっても行けない
今頃が一番いいとなる、だからまだ気候が良ければまだ行けるなとも見ているのである

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原釜の二本の松が写っている津浪伝承館の写真
https://rubese.net/gurucomi001/?id=1750664

2021年10月05日

隼(はやぶさ)が鷺を襲う写真


隼(はやぶさ)が鷺を襲う写真

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隼は大きい鳥なのか、ここでは大きく見える

食性は動物食の猛禽類で、主にスズメやハト、ムクドリ、ヒヨドリなどの体重1.8キログラム以下の鳥類を食べる[3]。獲物は飛翔しながら後肢で捕えたり、水面に叩きつけて捕える

これはノスリだと思ったが違う、ノスリは常に見かける
ノスリはネズミを食べている、この辺の田畑が荒地になったときネズミが増えたからノスリも増えたのである
これは胸の模様などが特徴があり違っている
隼はなかなか見れないだろう
たまたま深野の方に行ったら近くで見たのである
なかなかこんな光景には合わないだろう

だから常時カメラが必要になる
これがすぐ近くであり隼は逃げなかった、餌としてとらえたので逃げなかったのか?
鳥はすぐ逃げるから写真がとりにくいのである
自然にもドラマがありそれがこんな近くでも見れたのは意外だった

こういうときは自転車がいいのである、車だとわからないからだ
ただこの年になっても隼を見たことがないからこれは貴重な写真である

2021年09月19日

秋夕焼け、実り、満月(十五夜)(金色堂)(津波の跡の庭の石)


秋夕焼け、実り、満月(十五夜)(金色堂)(津波の跡の庭の石)


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ここの庭はその松にして記念のように残ししている
小屋が一つ建っている、他は消えてしまった
津波の記念として残しているのかもしれない
ここの近くには新しい家が建っている



みちのくや秋夕焼けに星一

みちのくの秋夕焼や金色堂


満月に星一つ添えきらめきぬ夕べ静かに波のひびきぬ

津波後残せし庭に石のあり月影さしてここを離れじ

美しく満月光る夕べかな実りもどりて癒されるらむ

満月に実りとなれる仕事あれ満月輝き曇りなきかも

紅く染む夕べの雲に満月の光りて黄金の実りもどりぬ


今日は満月だった、2021年の十五夜は、9月21日(火)です
まだ満月ではないにしろほぼ満月だった
今日は快晴だから月も雲に翳ることなく輝いていた

海の方に行ったら満月が輝き昇っていた
波も台風が去り静かになっていた
そして山の方は夕焼けの雲になっていた、秋夕焼である
満月に星がひとつ輝き山の方の秋夕焼けに星が一つきらめいた
やはり秋らしい

右田浜で海から離れた所の家でも流された、でもそこには庭だけが残っている
石がいろいろありいい庭だったそこに平板な石がありこの平板な石が何か大地に密着した感じでいいのである、そしてその石はその家があった所から離れないようにありつづける人間化した石なのである、庭にある石は人間化しているのである
だから人が住まないと余計に淋しくなるのである
それが避難区域となって捨てられた家と庭に感じたからである

ともかく実り季節であり黄金色に稲が輝く、浪江の人が全く草ぼうぼうになっている
田んぼのことに無関心なのは変であった
ただそうなったのは田舎でも農家は一割にも満たないとか少なくなったからである
ただ面積からすると田畑は依然として広いのである
それだけの面積を占めても農業で暮らしている人は一割とかなのである
他の人は会社員であり別な仕事をしている

ただ最近は金融関係はいい仕事ではない、ブラック化している
それはゆうちょでも人をだますような保険を売りつけていたとか地銀でも投資信託とか
理解できないものを売り手数料を稼ぐ商売になった
それは証券会社のすることであり本来の仕事ではない
だから満月が光り曇り鳴きとはならない、曇ってしまうのである
そこに後ろめたいものがありもともとその地域地域に貢献するものであったがそうはならない

ただでは銀行をどうするのかとなるとむずかしくなる
職業とはそもそも何らか業を持っているのである
江戸時代まではそういうことは少なかった、それぞれの分の仕事に励めば良かったのである、だから外国人は日本に来たときみんな幸福そうな顔をしていると見たのである
人間は仕事でもしていることが顔に出る
その仕事がいいものなら顔もいい顔になる、その仕事が悪いものなら顔にでて暗い顔になる
金が入ったとしてもそうなる、顔は偽れないことがあるからだ
ともかく現代は人をだますような仕事が多すぎるのである
農民が大半の時代はそういうことはなかったとも見るからである

秋夕焼けというとき金色堂を見て電車から見た空が秋夕焼けだった
それもみちのくにふさわしいともなる
最近旅もしないで思い出す旅をつづけている
いかに記憶することが人間に大事なのかわかった
記憶がよみがえり旅に行った場所を思い出す、そして詩にしたりする
その時深い詩が作れる、つまり記憶を深化できるのである
だから旅というのは記憶することが大事だったのである
記憶するにはやはり一人旅でないとだめである、二人だと気が散って自然を記憶できないからである

ともかく旅したことを記憶としてよみがえりそれを今まとめている
それも膨大なので整理するのが大変なのである
詩集とするためにまとめている、これは結構骨がおれる
プログでも毎日書くと疲れる、失敗したのはプログを同じものをのせるのに二つ出していることである、予備にしたのだが二つにのせると手間なのである
プログとか意外と手間なのである、写真とかをのせると手間になる
でもこれが自分の仕事であり旅したことが人生でありその実りが詩歌として現しているのである

2021年09月17日

虫の声、実り、秋薔薇、朝顔(初秋の故郷の径ー俳句は写生)


虫の声、実り、秋薔薇、朝顔(初秋の故郷の径ー俳句は写生)

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虫いくつ桜井古墳によりて鳴く

金無きと今日も嘆くや昼の虫

故郷の実りや草に蝶眠る

夕月の雲に隠れて虫の声

掃除して墓を守るや虫の声

故郷の前田に実り蔵と松

大石を残して空家秋薔薇

新築の家もなじむや秋薔薇

五六本金木犀や街の中

秋燕数羽や去らむ早きかな

彼岸花田舎のともしび径暮れぬ

秋の星二階の部屋に読書かな


耳すまし一人の部屋に夜の更けてこおろぎの鳴き虫の鳴くかな

虫の音をまた一つ聴く故郷あわれ夕暮れにけり

虫の声一つ一つを聞きにつつ今日も暮れなむ故郷の径


俳句は写生であるというときこれらの私の句も写生である
特に「五六本金木犀や街の中」これはまさに写生そのものである
だからこんなのが俳句なのかとなる、これは本当に公園に五六本咲いていた
それでこんなに咲いていたのか思い作った
ここは気付いていなかったからである
金木犀が結構咲いている、でもこの花は散りやすいのである、それで気づかなかったとなる、近くでも気づかないのが結構ある

秋薔薇というとき近くの家は空家になった、そこに大石がありそれをいつも見ていた
石が好きだから見ていたのである、何か平たい石でありどっしりとしていたからである
それをいつも見ていたら自分の庭のように思えたのである

虫の声というときいつも金がないと嘆く女がいる、そもそも一ケ月分の金が足りないのだから必ず電気水道ガスの金が払えない、米代も払えない、息子がいてもやはり何かあって絶縁状態である、近くにいて足場を仕事にしているからいい車を買ったとか金はもっていても頼れないのである
桜井古墳に虫が鳴くというとき何か先祖が眠っているから頼るともなる

稲穂が色づき実りの季節である、草叢に黄色蝶がとまり眠る
この時蝶という美があり実りがあり調和する、実りが無かったら蝶も実は眠れない
食べるものの心配とか生活の心配していると安らかに眠れない
そういう人が現実にいる、ただ別に地元で米をとれなくても金さえあれば今は食料に困ることはないのである
でも本当は土地の実りがあって安心だとはなるのだ、なぜなら外から入ってこなくなることもありうるからである
それでこの土地でとれた「天の粒」という米を買った、別に味は悪くない
五〇〇円くらい安いから得だともなる

前田という地名がある、大原にある、そこは草分けであり村の中心であった
なぜなら大原には遠田とかの地名もありそれは相当に離れた山の中に田んぼがあったからである、ただそこの家の人は死んで空家になっていた
息子は農業を継がず市内に住んでいるからである

この辺では外から来た人が新しい住宅地に住んでいる
家をみんな新築して住んでいる、だから新しい町が三つくらいできた感じになる
でもその土地になじむのには時間がかかる、家でも人でもそうである
一つの風景としてなじむには一世代とかかかるのかもしれない
ただ不思議なのは何して働いているのか金を得ているのかわからないのである
地元で働いているとは限らない、車で原町とか小高でも浪江でも通っているのかもしれない、そこにはまだ原発関係で仕事があるのかもしれないがわからない

ともかく秋らしくなってきた、涼しいから助かる、涼しいと頭も働くとなる
今日は高速のSAに行ってきた、あそこは近いからいい、気晴らしにいいとなる
駅の方は今は行っていない、ただ高速では人と話すことはない、駅だと何か話しやすかったのである、一人二人くらいしかいないからである
ただ案内はしない、コロナウィルスがあり何か話しにくい、それで今年も遠くに行くことがなかった、巣籠り生活である、もう秋燕であり燕もまもなく去るとなる

2021年09月07日

秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)


秋の蝉、虫の音、桔梗、秋柳( 秋の相馬市に行く)

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街中に二つほど聞こゆ秋の蝉

女一人一本松に桔梗咲く

我が家に一人聞き入る虫の声

城下町六万石や秋柳

誰が家や城下町に咲く桔梗かな

秋の蝉いくつか聞こえ城下町

秋の雲影を落とすや城下町

紫の木槿に暮れぬ旧街道

旧街道虫の音聴きて帰りけり

一本松残りて暮れぬ実りかな


女一人寄るべく人もなかりしに松一本に桔梗咲くかな

宇多川の流れに秋の日の光りつつ暮るるもあわれ久々に来ぬ

親しくも松に寄りつつもの思ふ秋は来にけり虫も鳴くかな



女一人で住んでいる人がまた近くに何人かいる、これも不思議なのである
女性でも一人暮らしが多くなっている、老人でも多くなっている
子供と一緒には住まない人が多くなっている、老人の一人暮らしが相当に多くなったのである、庭に松一本がありそこに桔梗が咲いている

6月の始めに相馬市に行った、それから二カ月以上行っていないだろう
というのは梅雨になり暑くなったら行けなかった、7月には暑いとか8月の後半は秋雨になるとか季節が変則的になる二カ月以上相馬市に行かないというときめずらしいともなる暑いと自転車だと熱中症になりやすいから行けなかった
それから何か雨がふりつづいてことで行けなかった
原町も行けない日が続いたのである、まさに巣籠り生活である

相馬市に行く途中の五本松は三本松があったが一本しか残っていなかった
それも淋しいが一本でもあればいいなと見る
五本松から三本松となり一本松となってしまった
これは何か家族を象徴している、家族がみんな死んでいなくなったとか見るからだ
松は人間のように見えるのである、だから古来松は短歌でも俳句にもなり安いのである
田た松並木はかなり少なくなっている、相馬市への旧街道は松並木が残っている
やはり旧街道を行くと道が狭いからそこで自然でも感じる、今回は木槿が咲いていたとか虫の鳴き声とかを感じる、だからこそ「奥の細道」だったのである
細道だから車も通っていないから自然を感じていたのである

ともかく相馬市の不思議は原町では感じないものを感じる、一応六万石の城下町ということで違ってるともなる、ただ外部から来ても城もないし感じにくい
碁盤の目のように細い路地がありやはり城下町なのである
高いビルがないもの影響しているのだろう
公共の建物も入母屋作りに統一しているのも風情を作っている
でもどこが城下町とかになるのか外部から来ても感じにくいだろう
一応石垣などは残っているが他はなにもないからだ
もしビルとか高いものを建てたら違って城下町ということを感じなくなっていたかもしれない、ただそうした雰囲気をかもしだすのはやはり歴史があるからだとなる

秋になったから気持良く相馬市に行けたので良かった
暑いと今は出かけられない、日射病になるからだ、またコロナウィルスの影響で遠くに行きにくい、すると運動不足になるのだ
日本は狭い国であるが四季がありそれが変化をもたらし旬の食べ物がありそれが日本の文化なのである、それがなくなると日本の良さまでなくなってしまう
だから温暖化の影響は大きい、でせ実際は温暖化はないとしている
人工的に温暖化になったのでありコンクリート化した都市とか地方でも道路のコンクリートの反射とかで暑くなった、クーラーの使用でも暑くなった
二酸化炭素が出し過ぎるというよりコンクリート化の影響も大きいのである

秋はやはり芸術の秋になる、プログだと今経験したものをすぐ書いて出せる
こういうことは今までできなかった、雑誌に投稿しても一か月後だったからである
ただこうして自分はプログに書きつづけている、結構これも疲れる
それでコメントに答えられない、プログに書くことを優先するから答えることができていない、後は家事に追われているのである、今は一切の家事を一人でしているからである







2021年08月31日

雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)


雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)

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津浪から十年過ぎて残っていた木の根っこ
他は当時の面影となるものはなくなった
高い防波堤になり松も全部なくなったからだ

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右田浜から離れた家の庭
ここはそれなりに海から離れていたけど新しい家も近くに建ったが
ここは庭だけを記念のように残している
石は流されなかったのである


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小山田への小径


川子の坂を上る脇の溜池


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燕あまた飛びかい増えぬ晩夏かな

波の音海面光り朝の蝉

雲の峰頭上に高し見上げけり

雲の峰巨人の顔や真上かな


木の根っこ右田の浜になお残る十年過ぎしも津波の跡かな

この家の石に亀置く津波にて庭のみ残り今日も暮れゆく

燕飛び流れの早し鮎跳ねて朝一回り走り来るかも

この小径行く人もなし影なして夕べ涼しく蝶の舞いさる

溜池に羊草咲き影映し波紋ひそかにソバナあまた咲く

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

石を積む庭を作りし誇りかな病にあれど家にあるかな


時期的には晩夏である、今日は涼しいから助かる、夏の雲というのも出ていない
雲の峰というのはいい季語である
頭上に高く雲の峰がもくもくと見えたときそこに人間を見たともなる
神話の巨人が見上げる感じになった、それが真上にあったからだ

海の方では海老浜に蝉が鳴いていた、朝にひびく、そこは津波で村が流された
でも後ろに森があるから蝉が鳴いている、海面が朝の光りでまぶしい

右田の浜の海より離れた場所の家では庭だけが記念のように残っていた
いい石の庭だった、そこに亀が置いてあった
津浪から十年過ぎると何か津波を思い出すものもなくなるからここは記念なのだろうかとなる、津波で石すらかなり流された、ここでは石はそのままに残っていた

京は涼しいので川子の坂を上った、そこの小さな溜池によった
ソバナの花が咲いているから秋ではある、羊草がここには咲く
近くでもいい場所がある、小山田の方に出る小径はいい所である
ほとんど人が通らない、一日一人くらいとかなっている
そういう道が近くにあるといい、みんなコンクリートの道になったからである
とにかく暑くて原町に行くかと思ったら行けなかった

近くの知人の庭は大きな石が積まれたいい庭である、私は石に興味があるから石をながめるのである、その庭は石をまるで石垣のように積まれている
それは自慢になる、そして糖尿病で半年くらい入院していた
それが嫌で今は在宅で治療している、病院より在宅の方がいいし家で死にたいとなるのはやはり家には長く住んでいたしそこが城のようにもなっている
病院だと何か自慢するものがない、そこにいれば自分自身の存在感がある
この庭は私が苦労して作ったのだと言わなくても実感するからである

私の姉も常に家のことを自慢していたからである、家はやはり単なる箱ものではない
何か存在感を示すものであり精神的なものも付与されている
記憶の家ともなっているのである、家から離れた病院とかなるとそういう精神的なものが喪失する、ただあわれな病人となるだけである

ともかく夏も終わりに向かっている、やはり暑いと体に答える
涼しくなると頭も働くが暑いとぐったりして働かないのである


2021年08月19日

夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)


夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)

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キツネノカミソリの名の由来
https://kurashi-no.jp/I0017882

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街の中朝よりひびく蝉の声

夕日さし競いて険し雲の峰

古墳にそ赤き花咲く夏の夕

烏群れ夏野に夕月安らぎぬ

一村や小山田村の実りかな


ひそかなる小径に一羽黒き蝶舞いさリ消えて行く人もなし

影なして庭石涼し籠もりつつ今日も暮れにき逢う人もなし


昨日も晴れて夏だった、それで雲の峰が夕べ見えた、しかし今日も晴れたが雲の峰が見えない、やはり季節が変わり見えないのか?
お盆が過ぎたのだから秋にはなっている、ただ夏は残暑がありまだまだであるのが普通である
今日は暑かった、暑いとぐったりして昼間に眠る、暑いというき下の部屋の前が広くコンクリートになっている、これが道のコンクリートからと重なって部屋が暑くなる
クーラーがあるからその部屋にいる

でも天気予報を見ると朝は曇りとかまた雨になっている、温度も下がる
夏はもしかしたら今日で終わりなのか?
何か天候が今年は変である、夏なのか秋なのかわからなくなる
晩夏という季語もあるがこれもなにかしっくりしない、夏と秋が混在したようになっているからだ

暑いから今日は6時過ぎて自転車で一回りした、小山田の方に行く小径は一日一人も通らない、そこを一羽の小さい黒い蝶が飛んでゆき消えた
小山田村は意外と遅く開拓された地域でもある
あの辺をまわるのは気持ちがいい、何か昔だったら一村一村が一つにまとまっていて
暮らしがあった、というのはみんな農家だったからまとまるのである

今はそういうことはない、また米をとるにしても米でもどこからでも入ってくるとなると貴重に見えない、現実自分自身がスーパーで外から入ってくるブランド米を食べているからだ、ここでとれた米を食べていないのである
すると何かつながりが感じられなくなる、それが現代のグロ−バルな広域社会なのであるでも津浪とか原発事故で外から食料が入らなくなったとき古米を配った
これは助かった、やはり外から米でも入らなくなると困るのである
それは日本自体がそうである、外国から食料でもいつも入ると限らないからである
中国と対立したりすると食料でも安いものでも入ってこなくなるからだ

私は巣籠り生活だと人に会わない、ここ一週間逢っていない、ただスーパーには行っている、遠くには行かない、仙台市にも行かない、こういう生活はコロナウィルスには強いかもしれない、相馬地域でも一人二人とか感染者が出ている、一人でも田舎では警戒する
ただ仕事している人は人と接触するから強制的にに職域としてワクチンをする

烏が群れて夏野に夕月がでている、ここで夏野としてたのはこの辺では田んぼが荒地になり夏野化している所が結構あるから田んぼではなく夏野となる
昔だったら荒地にしたりはしない、農業中心の社会だったらわずかの土地でも活かしていかないと暮らしていけなかったからである
今はそういうことがない、とにかく夕べは涼しいから気持ち良かったとなる




2021年08月17日

月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


雨ぬれて買物に行く夏燕

霧雨にぬれて草深く月見草

雨の日や外に出られじ秋の蝉

雨しとと石を濡らして秋の蝉

八畳の間に姉の寝るかな我も寝る悠々として心地良しかな

この天気は変である、秋雨にしては早いけどそんな感じにもなる
ここは十年以上変な天候がつづいている、北海道が本州より暑かったりとか気候の異変がある、ただ都会だとアスファルトとかクーラーの熱で暑くなっている
田舎でも街中だとやはり暑いのである
それでこれまで農家の土間があったが土は冷房装置でもあった
熱をさましたりまた冬はあたたかくしたりする自然の冷房装置としてあった
それが自然な生活だった、だから意外と茅葺屋根でもそうした自然の作用が住みやすいということもあったかもしれない、現代は何でも機械化して人工化するからそれが作用して都会だと異常に暑くなることはある
ただ北海道がなぜあんなに暑くなるのだろうとなる
それは梅雨の時いつも北海道に行っていたからありえないと思ったからである

草深くというとき月見草があっている、それが霧雨に濡れている
庭の石が雨に濡れている、今は下の部屋にいる、蝉が一匹鳴く声がひびいてくる
何かこの蝉の声も季節的におかしい、夏の季語なのに夏はあまり蝉の声が聞こえなかった今年は蝉の声があまり聞こえないとも見る
確かにお盆過ぎれば秋なのだがまだまだ夏のはずである
だからこれもおかしい、季節感がおかしくなると俳句などを作るのに困る
ただ短歌ならそれほどではないだろう、別に季語を入れる決まりなどないからである

八畳の間は姉が寝ていた、広い部屋である、そこに今自分が寝ている
何かこれも不思議である、そこにをとしても姉がいるという感覚になる
姉は子供の時から一つ屋根の下にいて最も親しい人になっていたのも不思議である
母はそういうふうにならなかった
だからそこに姉がいてあたたかく死んでも感じるのである
だから家というのは家族が死んでもやはりそこに依然としている感覚になる
その部屋に60年とか寝ていたからである、そこにまた温かみが残されているともなる
ただ姉が死んでもう十年も過ぎたのである、でも依然として家には死者がいる感じなのである、ただその感じ方は人によって違うのである
親でも全然感じない人もいるからだ

何か巣籠り生活というとまさに雨にもなりこの頃ずっと遠くに行かない、庭の石が雨にしとしと濡れてまるで梅雨である、そして秋の蝉の声がひびいてくる

外は雨茶室に籠もり秋の蝉

こんな風流の感覚になる、ただ巣籠り生活だと広い家が必要になる
家の影響が精神に与えるものは意外と大きい、だから老後は広い家が必要だと思った
ただ二階となると上り下りでめんどうになるし体が弱ると平屋がいいが平屋でも広い部屋が必要だと思った
とにかく家は単なる箱ものではない、そこに長く住んでいたということで何か死んだ人でもそこに依然としている感覚になるとつくづく感じたのである
ただ母の場合は自分の部屋もなく何か女中のようになっていたのである
それはまた問題であったがそうなったことを今や変えることはできない、だから死後も
この家での居場所はどこだったのだろうかともなる
でもそういう事実をもう変えることはできない、そういう変わった家族でも変えることはもうできないのである、それが自分にとって悪いとはなっていなかった
家には何か語り尽くせないものがある、それは単なる箱ものではなく家族の思い出とか
何か精神的な目に見えないものが家には残っているためだと思う





2021年08月07日

雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)


雲の峰の俳句十句ー夏の雲の写真(虹がかかっていた)

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夕蝉や原町までや一走り

あらぬ方夏の雲湧き四方望む

夕日さし虹たち映えて雲の峰

六号線夕日に虹たち雲の峰

雲の峰たちまち消えてまた湧きぬ

今日いくつ競いて湧きぬ夏の雲

精一杯今に生きむや夏の雲

大空に雄峰いくつ夏の雲

涼しさや夜風を受けて走るかな

鮎上る流れや遠く雲の峰

雲の峰崩れてさらに大きかな



今日は夕方ひさしぶりで原町に行った、暑くて行けなかったが夜は涼しいから行った
最近は夏の雲を観察して写真をとっている、いい写真を撮るには常にカメラをもっていないとシャッターチャンスを逃す、一瞬一瞬風景は変わっているからだ
特に夏の雲は変わり安いのである

原町に行く六号線の坂を下る所で大きなキノコ雲がでてそこに虹がかかっていた
何かこれはめずらしい、雨が降ってこの虹がかかったとも思えない
なんでここに虹がかかったのか?
虹を研究して地震と関係づけた市井の学者が虹から地震を予知した
これは何なのか?地震と関係あるのかとなるとわからない
ただいい虹である、大きくはならない虹である

ともかく今日はなんとか原町に行けてよかった、やはり買い物があり原町に一週間に一回くらきは行く必要があるからだ、ただこの電動自転車は荷物をのせるには苦労している



2021年08月02日

アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ


アメリカ芙蓉、鬼百合、ニイニイゼミ

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にいにいの街中に鳴きめずらしやその声聞きて朝を迎えぬ

大輪の芙蓉は花の王者かなとりどりの花囲みて咲きぬ

鬼百合の花十輪大輪の芙蓉を囲み燃えて咲くかな

庭広くアメリカ芙蓉の隠れ咲くとりどりの花も映えにけるかな

駅に咲く芙蓉の花にとりどりの花や乗り降りの人


芙蓉は南国産である、やはりこれだけ大きいと南国産になる、でも北方系では北海道などにシラネアオイとか咲くから大きな花はある
これはしかし色も鮮やかで南国産である、写真のはアメリカ芙蓉である
これが駅前と他の家の庭にも咲いていた
これだけ大きいと目立つ、花の王者にも見える
蓮の類だとするから確かに大きいことで似ている、大きな花は牡丹でもそうである
これも花の王者なのである,カンナなども大きな花でありこれは外の畑などに咲いているのが似合っていた

芙蓉が俳句では秋になっている、でも夏でも映える、夏にふさわしい、この花を中心に様々な小さな花も咲く、中心になる花になる
ただ俳句にするとどうしても芙蓉だと秋になっているからこまる
今日も暑くて外に出れない、朝のうちに写真をとった

駅にもアメリカ芙蓉が咲いていた、でも駅には本当に人がいない、今は何もしていない、できないのである、やはりもっと人が多くないと淋しいとはなる
ただ高校生の見守り役がいて一応駅員にはなっている
高速のSAと比べると人の乗り降りが少なすぎるのである、高校生の通学のためにあるとなっているのがローカル線である
なんか推理ドラマでどこの駅で切符を買ったとか無人駅でおりたとか映していた
それは30年前くらいの映像なのである、なぜなら万博のことを話題にしていたからである

何かテレビのドラマを見ると30年前とかになっていて昔を偲ぶとなる
今は切符でもあまり使わない自動化しているからだ
いちいち切符をはさみで切ったりしない、あれば乗ったという印しだった
今は自動化しているから切符を切る駅員はいなくなったのである
ただ注意すべきは監視カメラで見ている、それで駅長から自分は駅内に入った時とがめられた、無人駅でゴミなどを見ていたからである
意外と無人駅でも監視カメラがあり出入りを見ているのである
ただ30年前となると駅員が人の出入りを記憶していてそれで犯人を探すが今はそういうことはない、自動化しているからである、そしてみんな監視カメラで犯人を捜しているのである

玄関にいたらニイニイゼミが鳴いていた、めずらしいと聞いた、蝉は鳴き始めたがまだ少ない、ニイニイゼミはあまり聞かない、とにかくこれからも暑くなる
コロナウィルスで外に出れないし暑くて外に出れない、夕方やっと出るだけである



2021年08月01日

芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


芙蓉、雷、鬼百合(海老浜の漁船と釣り人の写真)


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海に向き芙蓉の咲くや船の行く

揺れる船近くに見ゆや雷鳴りぬ

鬼百合や波打ちしぶき船のゆる

鬼百合や浪打しぶき釣りの人

しぶきあび釣り人あれや夏の海

波ひびき浜通りなれ雷鳴りぬ

雷鳴りて濡れて帰るや自転車に


暑くてぐったりした、それで曇ってきたので海の方に行った
海老の浜に行くと芙蓉が咲いていた、芙蓉というと秋にもなるが芙蓉は広い海にもふさわしい、芙蓉は好きな花である、何か大きくゆったり咲くからである
女性でも性格がいろいろありゆったりとした女性がいるし神経質な女性もいる
それは男性でも同じである、私は神経質なのでおおらかな女性がいいのである
細かいことを言う人にあっていない、それで私の姉はそういう女性だったから良かったのである、でも母は自分と似て神経質で繊弱だからかえってあっていなかったのである
人間はやはりこうして家族に影響を受けやすいのである
夫婦になってもそうである、性格が同じだとかえってうまくいかないとういこともある

漁船がまじかに見えた、かなりゆれていた、それでカメラが20倍とかなっているので乗っている人が見えた、二人である、この船は烏崎港から来たものである
こうして船でも魚をとっているとき人も活きているのである
ただ相当に海で魚をとることは危険である
とにかくこの辺は変わりすぎた、前は松原がありその松影で私は休んでいたのである
その松は全くなくなって風車の風景になってしまった

海老浜の部落は消失した、そこは原になってしまった
鬼百合が咲いていた、そして崖の下で釣りする人がいた、そこはかなり危険な場所である波しぶきをあびる場所である、釣り場としてはいいが危険である
時々釣りして死ぬ人がいる、ただ釣りは生業ではなく遊びだとみられる
でも海はやはり危険ともなう、川でも時々釣りして死んだ人がいるからそれなりに危険だとなる

とにかく突然雷が鳴ったがすぐやんだ、多少濡れたが涼しくなって良かった
今は山の方が晴れている、たいしたものではなかった
雷はパソコンが危険になる、雷で突然停電になったりするとまずいから困る
浜通りは福島県の海側であり海の景色になる
それが普通なのだけど中通りから会津になると山側なのである
この山側の感覚がわからないのである、また山しかみないとなると海のことがわからないただ海側だと海から涼しい風が吹いているからそれほど暑くないから気候的には助かるのである

2021年07月23日

のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)


のうぜん、夏の海、黒揚羽ー右田浜に釣りの人(エイとコチを釣った)

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こちをつりあげる

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津波にも残った右田の木ー後は何も残らなかった



のうぜんや我が家栄い幸分けつ

夏の雲海に湧くかなひびく波

夏の海エイの子どもを釣りにけり


ノウゼンの我が家を飾りあまたかなまた一輪の今し散るかな

夏蝋梅高くも伸びてその葉陰ノウゼンの花からまり咲きぬ

朝静か黒揚羽一羽舞い入りぬ石の黙して引きこもるかな

我が庭に一羽とまりて黒揚羽休むもよしや石は黙しぬ

津波後三本の木の残りけり十年過ぎても離れざるかな


ノウゼンが今盛りと咲いている、我が家は栄えた、二代でも栄えた
残されたのは自分一人でも栄えた家である、そこには犠牲があった
不幸もあった、でもなぜかこの家と家族で育てられて自分はたいして才能もなかったが
才能を個性を出すことができた
おそらく一人の人間の才能を開花させるには親は犠牲にされるとなる
また次代のものを育てるために親は犠牲になる、だから一代で栄えるのはむずかしい
あまににも貧乏では才能を開花させることはできない
辛い仕事で余裕もなければできない、それで才能を開花せずに終わった人も多いのである才能といっても生まれつきなにかあったとしてもそれを開花させる環境なかったらできないのである
何か自分は特別恵まれていたのである

そこであまたノウゼンが我が家を飾り咲きその幸を分かつとなる
これが咲くときは野馬追いになるが今年も中止になった
夏蝋梅は茎が高く伸びて広い葉が覆う、そこにノウゼンの花が蔓が伸びてからまり咲く
いかにも夏らしい風景だとなる、狭い庭でも庭を楽しめる

ただ黒揚羽が舞い入り石は黙している、そのように自分も石のように黙して引きこもる
それが長年の自分の生活だったのである、そこで引きこもり時代のようになったがそれは自分にはふさわしいのである、でも家族に恵まれたからそんな生活をできたとつくづく家族を全部失って感じたのである
今は全部自分でしなければならなくなったからである、家事を全部やることは手間だからである



エイの生息分布は北は北海道南部から南は東南アジアまで、広い分布域を持ち、日本を含む東アジア地域位生息しています。 浅い海の泥や砂地を好み、特に幼魚では海水浴場の浅瀬や川の汽水域にも生息していることがあり、海水浴場に遊びに来た人や潮干狩りに来ている人は遭遇するかもしれません。

エイの釣り情報 釣り場 5月から10月にかけて広い時期に釣れる。

エイは群が集まる河口の周辺で釣るのがおすすめで、エサとなる底生動物が溜まる淀みの部分や消波ブロックの周辺などを狙うのが狙い目です。 釣り方は仕掛けをポイントに投げ、置き竿であとは狙いがエサを食べるのを待つだけです
https://kurashi-no.jp/I0012414

まず「カスベ」はエイに良く使われる名前で、魚のカスっぺというところが由来です。なんとも悲しい名前ですね…。

また「スベスベ」というのはそのままで、鱗が少なくて触った感じがスベスベというところが由来です。
https://aquariumpicks.com/deep-sea-ray

「大言海」には、『昔の公家などが正装した時に手に持つ細長い「手板」を「笏(こつ)」といい、今も神官が儀式の時に用いている。魚形が「笏」に似ているところから訛ってついた。』とある。

ガラゴチ(瀬戸内)・・・・「ガラ」は「瘡(かさ)」の方言で、体皮の粗雑なことを言う。この魚の鱗が堅くカサカサしているこ
              とからの呼名。
ゼニゴチ(長崎)・・・・・・銭瘡ゴチの略称で上記と同様。
ヨゴチ(富山)・・・・・・・・「ヨ」は「エ」の転で「善」や「吉」の意。ヨゴチとは上等のコチを呼ぶ。
ムギメ(四国)・・・・・・・・麦の穂の出る晩春初夏に旨い魚の意で呼ぶのであろう。

11月頃になると瀬戸内海の水温も20℃を切るようになる。春に20℃を越すのが6月なので、陸上での季節感とはややずれたものがあるが、魚たちにとってこの20℃前後が暮らし振りに変化をもたらす温度帯である。

コチの頭は嫁に食わせ・・・・・・棘だらけで食べるところがないコチの頭を食べさせて、にくい嫁をいびるという意味。
コチの頭には姑が知らぬ身がある
                ・・・・姑はコチの頭だけ与えて嫁をいびったつもりでも、実はコチは頭部にある頬肉がカサ
                   ゴなどと同じで一番旨い。どんなにつまらなく見えるものでも、よく探せば捨てがたい、 価値があるというたとえ。


                   
                   
今日夕暮れに右田浜に行ったら10人以上の人が河口で釣りしていた
波が寄せる場所でも三人とかいたし多かった
最初にマスクしろとか言う人がいた、ここでマスクをしろというのも何なのかとも思ったマスクをしていたが鼻までしていなかったので隠せとなった
他の人別にマスクをしていないのである
ここに来ているのは福島ナンバーだから遠くからは来ていないのである

最初に出会った人はエイを釣っていた、それも小さいから子供である
ここでエイがとれるのかとめずらしかった、エイで調べたらこれは実際は北海道まで結構とれている、北海道の方が水揚げ量が多いのである
ただこれは水温が上がるとやってくる、あたたかくなるとやってくる
魚は回遊していて水温かあたたかくなるとやってくる魚がある、釣りの時期として5月頃から夏がいいというのもそのためである

次に寄ったのが郡山の人でありハゼを釣っていた、私がいるときも一匹釣った
これはどこでも釣れる、この人はエイを下流で釣ったと言っていた、大きいものだった
エイは結構いるのである
またウナギの小さいものを釣ったとも言っていた、ウナギがまだいるのかと思った
天然のウナギなどいなくなったと思っていたからである

私は前は浅瀬でしじみをとっていた、津波の後に浅瀬がなく上流の方でしじみをとる人がいた、ただ前とは相当に川が変わったのでしじみをとる人はあまりみかけない
しじみはスーパーで買った、地元でとれればいいがそれもできないのは淋しいとなる
この人は郡山市から来た人だった、釣りを始めて十年だという、小名浜とかにも行っているという、ここに来ているのは地元の人でない、福島ナンバーで中通りの人がほとんどである、中通りには海がないから釣りのために海に来るのである
そして浜風が涼しいから魚はつれなくても気分いいとなる
ただ右田浜の松原がなくなり高い堤防になり家もなく風車になった
あまりにも変わりすぎたのである、昔の面影は何もなくなったのである
その人はそういう光景を知らない、ということはここには釣りに来たことがなかったとなる

次に波を寄せ九方見たら一匹の魚を釣り上げて車の方へ向かう人がいた
その人の所に行き魚を見たらこれはコチだという、、その魚をはじめて知った
意外と海側に住んでいても魚ことや海のことを知らないのである
そして魚の種類が多すぎてわかりにくいのである
魚の生態もわからない、地域によって呼び名が変わるというのもわかる
同じ魚でも地域によって変わる

今日はオリッピックの開会式だけば見ない、NHKでも最近ほとんど見ていない
何かオリッピックには興ざめしたからである、そんなもの見る価値もないともなった
それは世界中で起きている、もうオリッピックは今までのように見ないと思う
一部の利権であり利益のためのオリッピックだったことが可視化されたからである
それが極端だったのである、オリッピックがこんなに汚れたものだとは思っていなかったからだ
今や関心あることは分散する、今日は海岸に行って釣りの話を聞いてそっちの方が面白かったとなる

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2021年07月22日

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City of Indus  Civilization

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2021年07月21日

野馬追の旗、鮎、雲の峰、黒揚羽(隣の空家)


野馬追の旗、鮎、雲の峰、黒揚羽(隣の空家)

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野馬追の旗印は何を意味しているのか未だにわからない

これは何なのか、旗を調べている人もいない


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野馬追の旗のなびくや雲の峰

旗印鮎の上りてはねにけり

競い合い左右に高く雲の峰

六号線夕陽に赤く夏の雲

大広間我が眠るかな夏の星


我が庭を今日も舞いゆく黒揚羽石は黙して家にこもりぬ

我が庭の夏蝋梅の葉陰にそ黒揚羽の休みけるかな

のうぜんの我が家を飾りこの街に栄えし時そここにありしも

隣なる家は空家やあわれかな薔薇一輪の残り咲くかな

隣なる家に残りぬ庭の石二十年住む人は去りしも

故郷の木陰の道の親しかな暑き日なれど今日も行きけり


毎日夏の雲が湧いている、野馬追いは今年はするにしても一部であり雲雀が原での神旗争奪戦はしない、一応行事として小高の野馬掛けなどをするだけである
ただ橋に野馬追の旗がたてられているから野馬追いを感じただけである
真野川にはやはり鮎が上っていた上流でも鮎の群れをみた
やはり下流で鮎が跳ねて水が出たので上ってきた、これは放流した鮎ではなく去年放流した鮎が育った自然の鮎なのだろう、小さい鮎だからである

隣の家は空家になった、広い庭があり石があった、その庭に入り石を見る
薔薇も一輪咲いていた、何か隣となるといつも見ていたから自分の家の延長のようにも見ている、そこには樹々があり風にそよぎ緑があるから気持ちいいのである
隣でもやはりこうして樹々があるとかすると気持いいのである
20年も住んでいたとなると何か借りていたとも思えないだろう
その人はただ近くに新しい家を建てて移った
他の空家はそうではない、人がいなくなり誰のものなのかもわからないのだ
ただその庭は広いしもったいないと思う、でも所有者がいるから勝手にはできない

黒揚羽が庭に休む、石は黙している、そして私は引きこもりじっとしている
何かこういう生活か今までの自分だった、人とほとんど接することなく家に引きこもりまるで沈黙の行をしていたからである
それも異常だった、それができたのは家族が二人いて自分を60まで世話してくれたからである
そのために私は二人の親への思い入れが今でも強いのである
他の女性は息子に縁を切られた、それはおそらくその親に金をねだられたり世話するのが嫌でそうなった、全く関知しないからである、家族遺棄社会というのもわかる
何か今や家族でも介護でも頼りにならなくなっている
それは介護となると負担が大きくなるからそうなる、仕事でもやめざるをえなくなったりするからだ

ともかく暑いので夕方6時になってやっと買い物に行く、暑さでばてる、特に汗が出ないから老人は熱中症になりやすいのである、家にいても死ぬということがある
やはり汗が出るということは体温調節することであり汗がでないと熱が体内にこもり熱中症になるのだ
近くの木陰の道がありそこは気持ちいい、後は家に籠もっているだけであり運動不足になる、また暑くて原町にも行けないのである
何か老後は家が大事になる、家が住み心地が良いと楽である、それはやはりあまり遠出とかしないからである、家に籠もることが多いからそうなる
その家も広いといいのである、家の中でも歩ける廊下とかあると気分転換になる
その広い家から夏の星がきらめくのが見えた

2021年07月15日

田園の小径(詩) (自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)


田園の小径(詩)

(自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)

あちらこちらと気ままに蝶の飛ぶ
白鷺が忍び足に歩み狙いを定め
辺りを乱さず餌を的確に獲る
草叢深く藪甘草の点々と咲く
情厚き田舎の人のように
田舎のともしびのように
梅雨はまだ明けぬ夏の夕暮れ
でで虫は急がす歩み
森の中に鳥が鳴き塒に眠る
道の辺に所を得て石は黙し
自然は自ずと調和する
神知らしめる世界にあれ
老いて残り少なき日を楽しめ
我が家は豊かに恵まれぬ
神に祝福されし者よ
その富は分け与えむ
しかし老いと病と貧に苦しむ者
その嘆きは尽きることなし
ただ田園にたりぬを言わじ
神のその日の糧をそれぞれに与えしを
平和なる田園にあれ
田園の荒れれば悲し
山鳩の葉陰にとまり平和なれ
少なきもまた良しとすべしかな
人の欲の限りなければなり
その土地土地に与えるものあり
そこに実りのありて幸いのあり
外にのみ幸いを求めて得られず
その足元に幸いのあるを知るべし


ブラウニング「春の朝」

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


神しろしめすというときそれは自然の中にあり自然の営みのなかにある
ただ自然という時意外とそれを知ることがない、自然がどういうものかわからない、とにかく自然を知るには時間がかかるのである、木が成長するのに50年かかるように人間も自然を知るには同じようにかかるのである
自然で一番不思議なのはなぜいろいろな生物が動物がいて餌を得ているのか?
それが一番不思議なのである、なぜなら人間ほど毎日の糧を得るために汲汲している者はない、そのために食糧でもなんでも貯蔵している、ため込んでいる
自然にはそういうことはない、でも日々の糧は与えられているのである

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか

これは自然を観れば実感する、日々なぜその食料が与えられている
貯えることはしないでも日々与えられている、人間はもういくら食料があっても金があっても明日食べ物が得られないと不安なのである
そういう不安が消えることがないのである
だから自然を観察しているとそういうことがないことが一番不思議だとなる
今なら米にしてもありあまっている、そしたら食べ物がなくなるということは考えられない、でもなくなるという不安がなくならないのである

確かに石油とか電気がなくなることはありえる、それは魔法のようにして産みだされたものではない、電気も実際は石油が基で作り出されている、何か燃料となるものが必要なのである、原発も魔法となるのがそれは余りにも危険なものだったのである
でも人類は戦後でも炭を燃料としていたのである
電気など裸電球一つであり使っていないのである
ここ1世紀くらいが電気を使っているでありそれまでは使っていないのである
つまり人間は電気無しでもこれまで生きていたとなる
電気がなく死ぬことはないのである、でももう今や電気がないと生活できないとなったし車がないと生活できないとかなったのである
でもそれで死ぬことも人類が滅亡することもないのである
むしろ原発で滅亡することがありうる

今や人間は自然から学んでいない、田舎に暮らしていても農民でも1割にもならないし
自然を学んでいない、そして不満ばかりを言うのである
自然を学ぶというときこれは田舎に住み相当な時間が必要になる
なぜなら山であり木であれ長い時間のなかに成長するものでありそれと同じように長い時間をかけないとその意味するものが何か知りえないからだ

自然を観察しているとそれは単純なことでも知りえないのである
キリストは自然を観察してそのことを語ったのである、なぜ人間だけが毎日不安と心配が消えることがないのか?それはいくら貯えてもいてもそうなのである
でも日本でも今や米なら余っている、貯えられている、なくなることはないのである

とにかく自然を観察しているとそこに平和がある、調和がある、でもこの辺は津波と原発事故で乱れた、田園は荒らされた、田畑は原野化したのである
その原野化したとしてもそこに自然に美があり原始的な湿原が生まれたのである
それも不思議なの光景だった、津波では無惨なものしかなかったと見ているが奥深く入江が生まれて波が朝日に光りきらきらと寄せた、それは八沢浦とかでそうでありまた他でもそういうことがあった、それで驚嘆したのである
他にも釧路湿原のような原初の自然が甦ったのである
確かにそこでは赤子が死んで津波の中から発見されたということなど悲惨があった
ただ自然が甦ったということに驚いたのである

もう工業化した現代文明は自然に学ぶということがなくなった、自然より科学技術一辺倒なのである、だからこそ原発に頼り科学技術者を神のようにも崇めたとなる
それで確かに豊かになったのである、ただその豊かさは原発事故でだいなしにされたのである、第一故郷に住めなくなったらもともこうもない、住めないということが最大の被害だったのである、貧乏でも住めるならいいとなり蝋燭でも家族とともに故郷に住みたいというようになったのもそのためである
そもそもそうして人は電気無しでも住んできたのであり死ぬことはないからである

神しろしめす世界とは自然のことである、それは田園にある、都会にはないのである
ましてや東京のような一千万の都会にはもう自然はないのである
ただて田舎に住んでいる人が自然を知っているかというと知らない
むしろ金にならないとか不満の方が多いのである、だから原発が金になるということで積極的に誘致したのである
なぜなら農業でも漁業でも林業でも衰退産業であり1割にも満たない、それはもう常に金にならないとなり拒否されてきたのである
親も跡を継ぐなと子供を殴ったりした、その子供は原発で働くようになったのである
そうして故郷に住めなくなったのである

お前の言うことは現実を知らない、甘いというのもわかる
どれだけ農民が苦しんできたか知らないというのもわかる
だから農業とか漁業でも林業でもすべていいものとはならない、自分の場合は自然から糧を得るということはしていないからである
それがどれだけの苦労かわからないとなる、私の場合はただ自然を観察しているだけだとなる、だから楽だなと見られる、農民の苦労を知ったらそんなことにはならないというのもわかる
だから別に農業とかが全部いいとはならない、農業でも工業的なもの道具が不可欠であり稲荷神社とは鋳成りであり鉄で作られる道具を祭っていたとなるからだ
農業文明にしても工業文明があり溜池を作る土木事業もあったからだ
農業とはそうしてやはり総合的なものなのである

問題は田舎でも自然のことを知らない、学ばないということである
キリストがナザレの田舎から生まれたのであり都会ではない
だから自然を観察していてそういう言葉が生まれたのである
そしてどうしても反都会であり反文明になる
なぜなら大都会から東京でもそこから災いがもたらされた
東電は東京だからである、コロナウィルスでもそうである、この辺では東京のライブハウスに行った人が陽性になったからである

奇妙なのは例えばエジプト文明の方が自然を学んでいた、だからこそあらゆるものが生物でも人間と同格の神になったのである,アニミズムとなるにしろやはり自然を深く観察して生まれた文明だとなる
現代文明は自然と遊離した文明であり自然を遮断するのである
卑近な例では車は便利でも風とか光りでも遮断する、鋼鉄で遮断する
だから自転車で行くように自然と一体化しないのである
この自分の詩でもまさに自転車で回っているから感じたことなのである
自然と自転車が一体化している、小径を行くには自転車がいいのである
また燕のように風を切り飛ばすこともある、こうして鳥ともなり蝶ともなり自然と一体化するのである
人間の五感が脳がおかしくなっているというとき自然を感じなくなっているというとき
車ばかりに乗っていたらそうなるのである
だから車がいらないというのではなく人間の五感を車では遮断されるということである

いづれにしろ自然を観察して自然を知らなければ神も知りえようがない
東京とか大都会にいたら自然はわからないからである、そこで人間はうつ病とかなる
宗教などもそうである、都会から生まれたカルト団体の宗教はもう病的なものであり
ナチスのようになる、そこでは自然とかけ離れた世界だからである
当然そこでは本来の生物の平和などないのである、全体が病的異常な社会なのである
その文明から異様なものがカルト宗教団体とか病んだものが生まれてくるのである
ただ田舎では自然を学んだり知っているかとなるとそれもないのである
結局田舎の人間が今や素朴などどない、やはり金しかなくなっている

ただ人間の生活を隠したということで人間が自然の中で隠されたとき良かったのである
だから私自身は田舎にいても人間とは付き合わなかったのである、その時平和だったのである
もともと人間嫌いであったからもある、田舎の人間も醜悪なのである
そうできたのは家族がいたからだとなる
これも異常だったとなるが文明人も異常だったのである
異常性は比較すると見えるのである、自分自身が異常な人間だとしるのは比較するときなのである、その本人もわからないのである
私の所にきたのは介護になったときそういう異常な人たちだった
人のことなど省みない異常化した人間たちであり地獄だった
ただそういう人達は自分が異常だということを自覚していないのである
これと同じように自然界から観察して見た時人間社会が都会でも異常なのかわかるのである

2021年07月14日

夏の小径の花 (フラワーアレンジメントの写真にとる工夫)


夏の小径の花

(フラワーアレンジメントの写真にとる工夫)

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点々と田舎のともしび藪甘草


この道のなお明るしや我が一人花を手折りて帰る夕暮れ

野の花を手折りて帰るこの道やとがめる人なし桑の実もなる

百合の花瓶に挿して匂いけり広き室にし我が飾りけり


雲っているけど外を自転車で一周して来た
街に一軒の花屋で花を買った、ここでは一軒しかなくなった
ただ畑が荒地化したところで花が咲いていたので手折り挿した
そこはとがめられることはない、なぜなら畑は荒地化しているからだ
そういう土地が多くなった、相当に田んぼでも荒地化した
この辺は特に放射線の被害でそうなったがそうなりやすくなっていたのだ
たいがい老人は体が弱り田畑を維持できなくなっているからだ
とにかく田畑を維持することは手間であり苦労が多いのである

藪甘草はいかにも草深い田舎に咲くのにふさわしい、これは何か花瓶にさすのには向いていない、草深い所に咲くのが向いているしいかにも素朴な田舎の女性のような花なのである、昔の農家の嫁のような花である
ただ今は農家でもサラーリマンしていて農業で生活している人は限られているのだ
農家育ちの女性はそういう感じである、ただ見映えが良くないから底辺として苦労して生きたとなる

フラワーアレンジメントでも写真をとるとき他の写真を見たら背景とか照明で工夫している、フラワーアレンジメントのいい写真をとるには写真室が必要だと思った
ただそうなるとめんどうになる、バックの背景を変えて写真を撮った
田舎だと野の花を無料でとったりできる
次は海辺で拾った石を花台にした写真をとってみる
近くにあるものを利用することが田舎ではできる
芸術は別に高価なものを買ってできるともならない、ただ工夫が必要だとなる

2021年07月10日

薔薇、擬宝珠(ぎぼうし)、フラワーアレンジメント


薔薇、擬宝珠(ぎぼうし)、フラワーアレンジメント

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はなやぎて薔薇の花咲く十数輪尽きじと咲きぬ栄なるかな

我が庭のしとと雨ぬる石のそばギボウシ(擬宝珠)の花咲き開くかな


一本の木に二色の薔薇が咲いた、この薔薇は次々に咲いた
他でも薔薇は咲いているからここの土地は薔薇は咲く
だから薔薇を植えればいいと見た、土地に合わないと咲かないからだ

今の季節は梅雨でありしとしと雨が降って外に出れない
そこで庭の石を見ている、擬宝珠(ぎぼうし)の花が咲いている
しっとりと濡れて咲いている、梅雨にふさわしいとなる

フラワーアレンジメントは壺とか背景とかでも違って見える
写真を撮るのにはそこを工夫しないときれいにとれない

今年はこの辺は雨はさほどふらない、何日かして晴れる
去年は雨が降って被害があった
もう少し雨が降った方いいようにも思う
田んぼで水抜きするというのは水があまりたまっても稲の生育には良くないからだ
田んぼは水の管理がむずかしいのである

2021年07月05日

梅雨の詩(老鶯鳴く田舎)


梅雨の詩(老鶯鳴く田舎)

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故郷に老鶯鳴く

土手の道老鶯鳴きて草深し
我なお故郷に生を養ふ
歳月はたちまち過ぎて老いしも
70過ぎし齢(よわい)に驚く
かく人生の過ぎる早しも
今死地に入る幽冥の時期そ
雨しとと石は濡れ
黒揚羽一羽庭に舞い去る
常に行く道草深く老鶯は鳴きぬ
我が元に一人の老女来たりぬ
貧しくも我に頼りぬ
我が家族はみな死にたり
人の世の移ろい激しも
津波に原発事故に翻弄されし歳月
今しかし樹々の根のごとく
大地に深く根を張り安定すべし
心乱れず木のごとくあれ
汝を養うもののここにあれ
そが余生のここに安らかなるべし
もはや争いなきを祈りぬ


老鶯というのと夏鶯とは同じ季語でもかなり違っている、感じがまるで違っている
老鶯というと老いたという感覚になる、夏鶯というと明るい感じになる
なぜ老鶯とか言うのか不思議だとなる
老いる鶯というのが良くわからないのである
ただ私の俳号としたのは老鶯は長く鳴いている、春の鶯だと短い期間である
老鶯というのはかなり長い期間鳴いているのである
それで私自身が短歌と俳句でも詩でもいいのが作れたのはずいぶん年とってからなのである
それで長く鳴いているというときそれは歌っている、俳句とか短歌でも詩でも作っているということである

とにかく自分が70も過ぎているということに自分自身が驚いている
そんな年になったのかと驚く、70過ぎるとなると相当な年だからである
だから今はただあとは死ぬだけだということしかなくなっているからだ
人間は年とるのでもこういんう年になっても突然年とったという感覚になるのだ
だから自らその年に驚くとなる

ともかく家のことでも介護でも周りのことでもいろいろ翻弄されているうち十年過ぎたとかなり老いたのである
ただ今落ち着いてこういう詩を書いたのである
梅雨の時期であり何かふさわしいとなる
そして余生は安らかなるべし・・・・とつくづく思ったのである

別に長生きするこは悪いことではない、生を養いなお余生をつつがなく生きたとなる
ただ病気になったらなるべく世話にならず死にたいということである

草深し里でありそこが自分にはふさわしい、私はとても東京のような場所に住めない
やはり生を養う場所は田舎なのである

2021年06月29日

夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真


夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真

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真日さして道幅広く立葵

朝よりし夏の雲湧く走るかな

夏の雲湧きあがるかな海広し

朝ひびく波の音かな夏雲雀


一本の木の木陰に我が休む故郷のその木を今日知りしかな

家の跡一本の松ありにしを遂に切らるも根っこ残りぬ

花台の硬き石にそ一輪の清楚なる花我が挿しにけり


梅雨の晴れ間に夏の雲が湧いた、でも山の方は梅雨の雲でふさがっている
これで感じたことは浜通りというとき海が見える地域である
でも中通りと会津では海は見えない、阿武隈山脈にさえぎられて浜通りから中通りの高い山とかも見えない、猪苗代湖も見えない、その相違は大きいのである
地理的一体感を持てないというときハマ、ナカ、アイヅと福島県が分れて地形も違っているからである、むしろ太平洋沿いの宮城県の方と地理的一体感を感じる
現実の世界でも常磐線で仙台市まで通勤圏になっている所もあり仙台市の方に一体感を感じる
会津となると別世界なのである
それで山から太陽が昇る感覚がわからないのである、また日本海だと海に太陽が沈むというときそれは太平洋から昇る太陽とは逆になるからこれも感覚的にそういう場所に住んでいたら相当に違ったものになる

夏の雲湧きあがるかな海広し

広々と太平洋が広がり山の方は梅雨の雲で塞がっているが朝に夏の雲が湧いている
この句は単純でも浜通りを象徴している

一本の木があった、そこに木陰がありそこを通る、その時その木を始めて意識した
なぜなら暑くてその木陰が気持よかったからである
だから自然にあるものでも何かみんな意識しないのである
なにかのきっかけで意識する、木があるところはいくらでもあるからなかなか意識しにくいのである

近くの家の跡に長く一本の松が立っていた、でも遂にその松が切られた
そして松が残った、家の跡に人も住まなくなって長い、ただ一本の松がそこに人間のように立っていたのである、松はそれほど高くないから人間のように見えるのである
何か長くあるものはそれがなくなってもすぐには忘却されない
長くあったからいつも見ていたからそこにまたあるような気になる
それは人間でも同じだったのである
長く一緒にいれば死んでも家族でも消えないのである

花台の石は浜に行って拾ってきた、でも暗くて映っていない、花台にはいい石だった
ここに昼間また花をさしてみよう
花台は男なのかもしれない、そこに一本の花を挿す、まさにこれは幽玄の美である
生け花とかフラワーアレンジメントも芸術である
それは花瓶とかその花台とか背景とか全体が関係しているのである
一つの美的な場を作ることだからである
だから花台の石も関係していたのである









2021年06月25日

雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる


雷が鳴り虹がかかり鮎が跳ねる

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鯉が泳いでいる

睡蓮やゆうたりと浮かび鯉泳ぐ

次々に鮎の跳ねたり雷鳴りて虹のかかるや夕べの川かな


雷が鳴った、でもすぐに止んだ、雨はぱらぱらしか降らなかった
なんか雨がこんな感じで長く降らない、だから川に水が流れていない
でも下の方に行ったらそこは水がかなりある
堰で水の流れが止められているためである
そこで鮎が次々にはねていた
上流では鮎が上るのを見ていない、だから今年も鮎が上ってこないのかと見ていた
去年は鮎を放流したのが群れて上っていた、それは大きい方だった
でも放流しても次の年は上ってこない
鮎は一年で死ぬとするとその親が子を産み下流から海から上ってくる

秋に河の河口近くで孵化したアユの仔魚は河口から遠くない範囲の海にでてプランクトンや小さなエビなど動物性のものを食べて育ち、春になると5〜10cm程の稚魚となり河を遡上しはじめ、食性も主に岩に付いている藻を食べる

 秋になると産卵期を迎え、体色も婚姻色へと変わり、1匹のメスの産卵に対し、複数のオスが射精することが知られています。通常アユは1年でその一生を終えます
 
 一年で死ぬから年魚ともいう、私が見た鮎は去年放流した鮎が産んだ子なのだろうか?今年また放流したのだろうか?その辺がわからない、漁業組合に聞けばわかるかもしれない、確かに鮎が跳ねていた
もし去年放流した鮎だとするとそれは自然の中で鮎が育ったから自然が回復したともなる
川を観察するのは10年くらい鮎を見なかった、見たのは放流した鮎でありその鮎が子を産んで川に上ってきたというのは見ていないのである
もしそうなら自然が回復したと見るからだ
この辺では自然が回復することはやはり人間の営みだけではない、それはやはり復興になる
それで田んぼが回復して蛙の鳴き声がひびいたとき復興したと感じたからである
するとその蛙を食べる鷺がもどってきたのである
つまり田舎では生態系を身近に観察できる
ただ何か川で子どもの頃、カジカとかいてとっていたが川に魚など見ないのである
ただドジョウがいたのは見たことがある
やはり生態系を見るのは人間と関係しているからである

光学30倍のカメラでその鮎の跳ねている姿を撮ろうとしたができなかった
動画でとれば良かったとなる,光学30倍でも小さいものを撮るのはむずかしいとなる
真野川には鯉がいる、これは目立つ、それは放流されていついたのである

とにかく虹がかかった、でも虹も半分くらいの虹だった
でも今日は暑くなった、夏らしかったとなる

 



夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮


夏の朝の海、薔薇の花、車輪海、睡蓮

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右田浜

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海老浜

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一つの木に二つの色の薔薇が咲いている


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光学30倍だと大きくとれる、でも汚点(しみ)が見えた



夏の朝波打ち際に釣りの人

夏の海朝日光りて釣りの人

夏の朝波のひびきて雲雀鳴く

木にとまり朝の河岸鷺休む

睡蓮の近くに寄れば汚点見ゆ


車輪梅海老浜に咲く村は消えしもここにまた咲く

津波跡松の育ちて車輪梅海老浜に咲く村は消えしも

ほのあかく薔薇の花咲く我が庭に雨しととふりぬれし梅雨の日

薔薇の花一つの木にそ二色や朝日のさして映えにけるかな


梅雨になりこもるだけである、だからなかなか俳句短歌はできにくい
今日は朝晴れたので海の方に行った
そしたら雲雀が鳴き波打ち際で釣りする人が何人かいた
あれはなかなか豪快だと見た、釣りは自然と一体になったものとして見る
だから釣りする人は絵にもなる

ただこの辺の海は津波で余りにも変わりすぎたのである、もう前の面影すらなくなった
わずかにこの砂浜だけが残ったのである
ただ前も砂浜はなくなっていた
今は松原もないしキャンプ場もない、防波堤が高く作られて囲み風景が失われた

でも海老浜では車輪梅(シャリンバイ)が咲いていた、この花は南限の地として海老浜が有名だったのである、奄美大島辺りから種が流れついて咲くようになった
ただこの辺は気候の変わり目でありそうなった
真野の草原の万葉の歌はそうした気候の変わり目として境として歌われたのである
海老村は津波で消えてしまった,50軒くらい家があったのか残ったのは数軒になってしまった

薔薇は根付きやすい、そしてこんなに咲くのが意外だった、私の庭は土が悪いので根付かないのである、でもこんなに多く薔薇が咲くのは不思議だとなる
ただ多少肥料をやったせいかもしれない、花も野菜と同じで肥料をやらないと咲かない
でものうぜんかずらは玄関のコンクリートに囲まれた中のわずかの土でもその下に深く根付いて咲くのである、花でも木の花だと土深く根付くと花も栄養をとるので咲きやすい
でも根を張らない花は咲きにくいともなる

パナソニックのLUMIXは光学30倍であり鳥などをとるにはいい、いいカメラである
倍率が高いカメラを欲しかったので買った、それで今回鳥を撮ったのである

2021年06月12日

夏の日、立葵、(幅広き街の道)


夏の日、立葵、(幅広き街の道)

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立葵は明るい陽射しにあう、梅雨の時期に合わない花である

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声高に鳥のさえづり幅広き道に映えにき立葵かな

我が歩む常なる道に山鳩の葉群れの陰にとまり見ゆかな

雨ともし溜池ありて流れ来る水の音聴く田の畔歩む

赤々と夏の夕陽の没りゆくに声の限りに雲雀鳴くかも

我が庭に二色の花藍色に紫の花色深め咲く


この頃暑い、それで熱中症気味になる、老人は汗がでない、自分は特に出ない、すると熱中症になりやすくなった、この熱中症は甘くみれない、一二回痙攣起こしたからである
それで死ぬということもありうる
それでアマゾンで熱中症を警告する機械を注文した
知っている人は汗かいて嫌だと言うけど汗をかくのは体温調節するから健康なのである
ただその女性は腰が悪いと常に言っている

いつもの土手の道を歩くそこの木に山鳩がとまっていた
それを写真にとった、カメラは軽いのと重いのとでは相当違った感覚になると思った
重いととっさの場面をとりにくいのである
だからこの一万の中国製のカメラは優れている、でも大きいし持ち運びにいいとはならない,ズームも弱いからだ
ただこれだけ大きくても軽いということはカメラとして優れていると知った
何か一眼レフは重いからだ

六号線に出る幅広い道はめずらしい、どうしても日本の道路は狭くなる、アメリカとか中国だととちが広いから広い空間を活かせる、それで啄木の歌があるのは札幌だとなる

幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ

北海道は日本では平原のような所があり大陸的だからである、それで梅雨の時期はいつも行っていたからぜいたくだった、梅雨も嫌だし暑さも嫌である
ただここでは海からの風は吹いて涼しい、ただ右田浜の松原がなくなったことは残念である、あそこでいつも休んでいたからである

何の鳥か一羽しきりさえづっていた、街の中に鳥が来て鳴くということは回りに自然があるということである、でも店とかはほとんどないのである
あそこはツルハのための道路だともなる

今年は雨が何かこの辺でともしい、ぱらぱらとしか降らない、それで田も一部乾いているとも見る、でも溜池がありそこから水が流れて来る、その音を聞いて安心はする
いくら雨が降らなくても水は山の奥で流れている、水をためる機能がある
だから丸森のようにソーラーパネルで山全体をおおったのは危険ともみる
木がないから水をためられないし大雨で土砂崩れもおきやすいとみるからだ

夕陽が赤々と映えて沈んでゆく、何かそれはもう人生の終わりに輝く太陽ともみる
その時雲雀がしきりになく、つまり人生の最期に声の限りに歌うのである
それで今私はそうして旅したとかを回想して作品をまとめているのである

庭にまた一つ花を植えた、この花はなかなかいい、色合いがいいのである
庭作りはやはり老後の楽しみにはいい、生け花などもいい、巣ごもり生活にもいい
ただ花が高いのと庭が広くないとそれなりに楽しめないとはなる

2021年06月03日

夏の日の俳句十首(田舎の小径)


夏の日の俳句十首(田舎の小径)



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夏あざみ十輪ほどや草深し

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復興や声高に鳴く蛙かな

十種類花の買いにき夏の雲

門に松庭の奥にそ白菖蒲

黄菖蒲や新築の朝の御堂かな

トオスミの沼にひそむや隠さる径

ホトトギス街中に鳴き夕べかな

野の道に黄菖蒲映えて夕日影

そちこちに老鶯鳴きて田舎かな

人知らぬ木陰の径や田舎かな

畑にそポピーの赤く夕燕

夕燕交差し飛ぶやポピー赤し



田んぼに声高に蛙が鳴くというとき復興を感じた、でも田んぼでも原野化しているのもまだ多い、それは前から農業が後継ぎがいないとか原発事故だけではない
いづれは耕作放棄地になるともなっていたのである
この際あきらめたとなる、あとは耕地整理で広い田んぼにする工事をしている

田舎の魅力が小径にあるというとき田舎にはそうした小径が多い
そこを散歩するなり自転車で行くと涼しいし気持いいとなる

昨日は花丸に花を買いに行った、荷物をつけられる自転車だと原町までも結構楽ではなくなる、それで困っている、あそこは花の種類が多い
シラネアオイとかも売っていた、あれは北海道に咲く大きな花である
でも高山植物は庭に植えても根付かないだろう
花を見るには北海道がいいとなる
それで梅雨の季節にはいつでも北海道に行っていたのである

そのようにいかに自分が恵まれていたかをふりかえる
それも家族に恵まれたからだとなる
だから家族の影響は人間にとって本当に大きい
家族によってその人間形成が左右されるともなるからだ

ホトトギスが街中にも鳴いていた、ということは街があってもやはり自然の影響がある
まわりは田畑であり街中にもホトトギスが来るとなる、それは原町でもあったからそこはそれなりの大きな街でも周りは田畑だからそうなる

大内村のあの家は古風な作りでいい、蔵があり松があり門がありその奥に白菖蒲が咲いていた、その隣に古い御堂が新しくなっていた
この御堂は800年代のものであり坂上田村麻呂に由来しているからこの辺では相当に古い薬師堂だった、ということは大内村はそれだけ古い由来がある
それを証明しているのがこの御堂なのである

2021年05月28日

竹の子、菖蒲、夏の山、薔薇(夏の日に近辺を回る)


竹の子、菖蒲、夏の山、薔薇(夏の日に近辺を回る)

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紋見るや夏の日影に蝶一つ

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竹の子のここに伸びなむ力かな

校庭に若き等の声若葉かな

ゴミとして捨てらる蟻のあわれかな

草深し墓地にあやめや文久と

押し車畑を行くや菖蒲咲く

野の道に桑の実食べて甘きかな

一時の牛越城や夏の山


我が庭に牡丹の継ぎ咲き絶えじかも栄もここにつづくべしかな

薄紫の薔薇の二輪を我が植えてまもなく散りぬはかなかりけり

薄紫二輪の薔薇の散りにしも心にとめぬ我が庭なれば

田の道に夏の日影やなおさして我が走り行く悪路なれども



庭に薄紫の薔薇を植えたが一時咲いてすぐに散った、これは根付かなかった
何かそれで源氏物語のことを思い出した

「紫」の名は古今集の雑歌

「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞみる」

女性は関係ないにしろ紫とは上品な色なのである、この感覚である

牡丹だけは二十年なのかそれ以上なのか咲き続けている不思議がある
種が落ちてまた今年も二輪くらいは咲いたからである
こうして同じ場所に咲き続ける、そうしてこの家の栄もつづけばいいとなる
でも空家化してくる、それが問題なのである

今は菖蒲(あやめ)の季節であるが散り始めた、桑の実はどこにでも鳴ってきる、これが甘いのである、だからこうして無料で食べられるものはマナだとなる
理想的にはこうしてマナを食べて自由にどこにでも鳥のように行けたらいいとなる

今日は晴れたから朝と晩に自転車で近くを回った
昼間は日射病になるから行けない、晩方はすずしくて気持ち良かった
そこに竹の子が生えていた
何か自分自身が生きている土地に竹の子がでてくることは力強いと感じた
竹の子は食料にもなるからだ
でも今は食料でも地元でとれたものをほとんど食べないのである
スーパーで外から来たものを食べるだけだとなる

そうなると本当に田舎に地元に生きても何か力が湧いてこないともなる
そういうことが本当はグローバル社会の問題でもある
本来はなるべく地元のものを地産地消がいいのである
グロ−バル経済が一見いいようで何かそれが本来の自然に生態系に基づいて生活していないからすべていいものではなかった
それでコロナウィルスが生まれたと言う科学者もいるから共感した

ここに地元に竹の子が伸びる、それを食べる、何かそれは遠くから来てスーパーで食べるのと同じようで相当に違っている、その竹の子を食べたらその土地の力を感じるだろう
そういうことに農業の意義があったとなる
でも現実はもはや不可能になっている、自分自身すら米は会津の米がうまいと他でもブランド米を買って地元の買わないのである
どうしてもうまいのを食べたいからそうなってしまったのである
グロ−バル化というとき外国まで食料を輸入する依存することは相当に問題なのである
竹の子は夏の季語であった

原町の牛越城は5年間しかもたなかった、その後は相馬市の城に移った、中村城である
でも5年間でも城ともなっていたのである
だから歴史ともなる、その歴史があるから普通のただの山ではないとなる
だから必ず歴史を知らないと深い見方ができないのである










2021年05月26日

株は人間の心理と深く関係している? (人間は一回損するとまた損すると思う)


株は人間の心理と深く関係している?

(人間は一回損するとまた損すると思う)

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何か株を知っている経験のある富裕な人が株が心理の問題というとき自分もそう思った
景気とは気のことだというのもそうである
みんな景気いいと思えば景気良くなり景気悪いとみんなが思えば景気が悪くなる
そういうことは確かにある

またなぜ人間の心理と深く関係しているかというと

一度損した失敗した経験は脳に深く刷り込まれる

株で一度損するとその損したことが頭にいつまでも残る、また損するのではないかと不安になる、実際はそうではなかったのだ
最近の株高を見てもわかる、こんなに上がるのだったら前にすすめられたとき買えば良かったとなる、買うチャンスが二回あったからだ
今はやりのAI関係とかGAFAとかの株を奨められたとき買えば良かったとなる
また一年前だったかすすめられたとき株を買えば良かったとなる
こんなに上がると思わなかったからである

なぜその後自分は株を買わなかったのか?

それは例えばリーマンショックの時半分になった株が元にもどり上昇した
その時チャートでも上昇傾向になっていたのだから普通は売らない
その時地銀の営業の人はその株を売ってJーreitに回した
そしてJ-reitが暴落したのからまねがれたのはそもそもそういうふうに地銀の営業マン
が信じられなくなったからである、そこで値下がりする前に売って助かったのである
チャートのグラフが上昇傾向の時はそもそも売らないからである

ではなぜ売ったのか?

J-reitを売って手数料をとるためだとなる
常に銀行でも証券会社でも頭にあるのは手数料をとることである
それで客のことは二の次三の次になる
客の利益のことより銀行や証券会社の利益が優先するからそうなる
その判断を地銀の営業にまかせたた自分自身の責任もある
そもそも責任をとるのは客であり地銀でも証券会社でもとらない

こういう経験した結果として何かその経験が頭にすりこまれて買う気がなくなったのである、この人は顧客より自分の銀行の利益であり証券会社の利益でありそれが優先される
何かだから常に買ったり売ったりさせる、その度に手数料が入るからだ

今回のもそうである、チャートで上昇傾向にあるから短期間で百万とかでも勝って売ればもうかるとすすめる
ところがそれも手数料をとるためのものだとみてしまう
なぜなら短期間で売ったり買ったりしていればその度に手数料が入るからである
確かにそれはいい方法にしても地銀とかにしてみれば手数料とるための方便だともみてしまう

だからこういうことを経験すると何か地銀の営業の人は信用できないとなる
この経験があとあとまで尾を引く

地銀の営業の人の一回の失敗があとあとまで尾をひく

つまりそれが頭にすりこまれる、次もまた損するのではないかということで手を出せなくなる
これは本当にその人が悪いというより人間の心理と深く関係していることがわかった
だから株は人間の心理の問題というのもわかった
例えば道を行きどこかでつまづいたりする、その経験が深く脳に刻まれる
するとまたその道を行くことを警戒するとなる
またつまづくという恐怖心が脳にすりこまれるのである

別に株は上がったり下がったりするのだから全部銀行とか証券会社が悪いというものではない現実に一年前でありその前にでも買えばこんなに株が上がったのだから大儲けにもなったなるからだ
ただその時、前の失敗のことが頭にすりこまれてまたそれを簡単に変化させることができないのである
それは人間の心理の問題である

そして株は老人に向いていないという時こうして目まぐるしく変わることに老人はついていけないということである、株の変化が最近特に激しいからである
そうなると一日中株の投資の上がり下がりを追って売ったり買ったりしていなければならない、そういう人がいて大儲けしている人はいる
でもそれもまた疲れる、他のことが何もできなくなるとなる
それも時間の無駄とみる、だから自分は地銀の営業の人にまかせたのである
でもそれが間違いであったと知ったからやめたのである

ともかく老人は変化に弱い、、だから株には向いていないと思った、投資でも向いていないと思った、貯金が一番向いているのだ
でも利子もつかない時代になると貯金も安心できない、そうなると老人は困るとなる
最近はめまぐるしく変わりすぎるからだ
正直津波原発事故コロナウィルスでも変わりすぎた
そして株とかやるとまた変化が激しい、それで老人には株は向いていないと思った
株は短期と長期があるにしろ短期でもめまぐるしく売ったり買ったりするからめんどうだとなるし長期だと先がないから向いていない

要するに人間は何をするにも時期がある

なぜそもそも自分が大金を投資につぎこんだのか?

それをふりかえると思わぬ遺産が入り何の考えもなしに大金を投資したのである

私は全然株のことも投資のこともその時わからなかったのである
その後インタ−ネットで勉強しただけである
そして投資信託の分配金で一か月数十万になるとか読んで決めたとなる
他の記事を詳しく読んでいないで決めたのである

これは何故だったのか?

結局これは別に知識なくても投資をする時期だったからだとなる
投資の知識ゼロでも投資する時期だった、そして遺産が入ったことでそうなったのであるだから何をするにも時期がある
投資するにも時期がある、投資は若い時からしているべきである
例えばなぜ醜男(ぶおとこ)と美女が結婚しているのかとみる
それはその時たまたま同じ職場にいたとかの偶然の出会いでそうなったともみる
何かいろいろ考えることもなくその時二人が出会ったとういことが大事なのである
その時期に出会ったということが大事でありそれでそうなったともみる

そして人間は時期を逸したら何もできなくなる

つまり自分の大金の投資も別に得する損する知識があるないとか関係なかったのである
ただたまたま遺産が入ってそういう時期にあっただけだったのである
その後は失敗したからもうからないという頭のすりこみが強く株をする気もなくなったのである、それでまた逆に失敗したともなるのだ
なぜ老人が株に向いていないのか、それは長期に見れない、株は長期にみればもうかるものなのである、それはリーマンショックで経験しているからである
そして老人は短期の株の売買より長期の方が向いている
一見短期が向いているようで向いていない
老人の心理を理解できないということも問題なのである
老人は先が短い、長期の投資はできないし短期でも向いていない

要するに株とか投資に向いていないのである
一番向いているのは貯金なのである、ただ今は利子がつかないから投資しろとなる
でも老人の心理を知れば株は向いていない、だから営業の人でも売りにくいとなる
そもそも短期で売ったり買ったりするのに老人はついていけない
老人は先がない、とういより老人は死がもっとも身近なものとなるときそうして生き馬の目をぬくような株取引には向いていないのである
ただこれだけ株が上がったという時、株でみんな損することはない、だから株なんかするなと言えない、若い人は株は投資はするべきだと思う
少額でも訓練していれば後で役に立つからだ
そもそも株をしなければ資本主義のことがわからないだろう
だから株をすることは勉強にもなるからである


2021年05月21日

桐の花、夏蝋梅、薔薇(最近の短歌十首ー桐の花の詩)


桐の花、夏蝋梅、薔薇(最近の短歌十首ー桐の花の詩)

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夏蝋梅

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ゴミとして掃かれる蟻やあわれかな


我が家につばめ飛び入り去りにけり新しき事起きるべしかな

庭作り働く人のその姿たくましきかな夏の日さしぬ

はなやかに庭を充たして赤き薔薇今盛りと咲きて映えにき

風そよぎ夏蝋梅の我が庭に心地良く咲き影なし休む

黒揚羽飛びてさりにき我が一人家にこもりぬ裏の路地かな

音もなく桐の花散るひそけくも我が命も散るべきものかな

雨しとと桐の花散るこの道を今日も行きしもひそけかりけり

雨しとと水たまりにそ桐の花映して静か我が一人行く

雨しとと水たまりにそ波紋かな桐の花散り道のひそけし

ヨシキリのしきり鳴きにき河原かな小さき町を我が行き来する



真昼の桐の花


屋敷林の影が濃く

長い木陰の道

蔵があり前畑が広い

農家が点々とあり

家はひっそりとして

誰も顔を出さない

農夫が黙って畑を耕している

桐の木が一本

真昼に花が咲く

年老いて今は思う

こういう所に安らぎがある

人は隠れているがよし

こうしてただよそ者として

通りすぎるとき平和がある

藪をつつけば蛇がでる

土を掘ればまた虫が出る

人の世は欲の世

人と交われば欲が出る

血縁とて交わればもめる

人と人とに平和なし

この世に災いは尽きることなし

この道を行く人まれに

桐の花はただ天上を向き

わずかにそよ吹く風にゆれ

静謐さ保ち咲いている

この道をさらに行けば

墓所ありて眠る人は幸い

人に世話にならず

人知れず眠るは幸い

そこに永久の安らぎがある

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桐の花の季節である、この花は雨しととふる季節に梅雨にあっているのか?
今年は梅雨が早い、いつも行く裏の道に桐の花が散っていた
桐の花も神秘的である、私の性にあっいるのは桐の花かともなる
何か気づかれないようにひっそりと咲いているからだ

いつもの裏の道を今日行ったら水たまりができて桐の花が散っていた、何かそれでしんみりとする
ただ桐というと会津の木なのである、桐箪笥とか桐の木が用いられるからだ
だから会津に行った時、やはり雨しととふり桐の花が咲いていた

雨しとと会津の墓地や桐の花

こんなふうになる、何かその土地に似合った花がある
でもちょっと旅しただけではわからない、真夏にも会津に行ったが奥会津では鬼百合が咲いていた、それも墓地の中だったのである
だから相反した花でも会津という土地柄に合った花だともなる

今自分の庭に咲いているのは夏蝋梅である、これは葉が大きく高く伸びる、そこに小さな花をつける、これも変わった花だと見る
赤い薔薇が咲いてまた夏蝋梅が咲いて夏である

自分の性格は母親ゆずりである、何か人をいとい内向きであり静かにしていることを好むからである、そういう点で桐の花があっているとなる
まさに詩のうな状態にあるのがいいとなる
とにかく人と人の間には必ず問題が起きて災いが起きる
自然は融和しても人は融和しないのである

それでなぜか自分に来た人が離婚した人が多い、最近小高の人も離婚した
その事情と経過はわからないが60過ぎて離婚した
その人と関係していた女性の人も離婚した、あの人も離婚したとかあの人も離婚したのかと本当に離婚が多い、男女でもこうして離婚が多い
熟年離婚も相当に多いだろう、それだけ男女ですら人間はうまくいかないのである

結婚はおそらく私にはわからないにしろ男女の恋愛とかで結婚しても好きで結婚しても
いろいろあっても結婚というのはうまくいかない理由はなにか?
それは男女二人だけの関係にしてしまうからでないか?
それで昔なら家と家の結婚だった、家というの中心にあって結婚があった
江戸時代でも侍の家なら御家大事なのである
だから江戸時代は藩という言葉はない、・・・御家中である、それが公(おおやけ)であり大きな家が一つになって尽くすということになっていた
つまり男女の好きだとかだけでは結婚は成り立たないとなる、結びつかないともなる
私の家は異常な争う家だったけど家が家を維持するいうことで最後まで成り立っていたから維持できたともなる、その家の中心が自分だったのである

ともかく人間関係はむずかしい、どこでももめている、別に家族でもみんなもめている
兄弟でももめている、だかち血縁でもうまくいかないのである
それで自分は人間関係が嫌で引きこもりになったともなる
人間を嫌い山や木や石とか自然と一体化することをしてきた、そこに人間がいなかったのである、人間からは必ず災いが起きて来る、だから人間と接することでどれだけ問題が起きているのか?それが人間社会だとなる
人間と接しない方が幸福だともなる、だから人間と接触しない、コロナウィルスは悪いことばかりではないとも見ているのである
人間は今や接触過剰になっていたからである






2021年05月15日

田の面に映る故郷の山を見て復興を感じる (故郷の夏の景色)


田の面に映る故郷の山を見て復興を感じる

(故郷の夏の景色)

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蛙鳴く声のひびきて里に生く

雲流れ影なしすずし走るかな

タンポポに朝日にきらめく田の面かな

夏菊に田の面に写し朝の空


べチュニアとジキタリスかな花二つ我が庭に植えきわだちにけり

鉄道の敷地に咲きぬつつじかな菓子店より赤く映え見ゆ

ふるさとの山影映す広き田や復興なりぬ十年過ぎて

ふるさとの田に水充ちて山の影映して朝や雲雀鳴くかな


海の方に行くと朝に広い田に山の影が映っていた、その田が震災以後広くした田である
それは今でも田を広くしている、だから山影もその広々とした他に映っている
もう小さい田は荒地化して放置された、そしてそこは荒地化した
もう小さい田をやるメリットがない、手をかけてやってもただ労力の無駄だとなる
なぜなら金にならないからである

でも田を広くすると機械でもやりやすいから機械に合わせて広くしたともなる
その田を広くする工事はまだ他でもしているからである
そもそも日本の田は細分化されていた、零細なものだったのである
ただこの辺では米は飼料米として売られている、いくらでもうまい米が入ってくるから競争できないのである

ともかくこうして十年過ぎてやっとこの辺は復興したなとみる
それは長かったとなる、田に一杯水を張り田植えして故郷の山の影が映る
畦にはタンポポとか夏菊が咲いている、ここに何か生業があり人と自然の調和した世界が回復したとなる
ただその田の面には風力発電の風車が映っていた
かつての松原はなくなったのが残念だとなる

なんとか家の方を修復した、実際は家の中は震災以後こわれた所があり直していない
でも塀とか庭を作ってもらった大工兼庭師兼・・・の人に直してもらった
それで掃除もしたのでかたづいたとはなる
なかなか整理できないので困っていた、自分はだらしないので掃除とか整理をしていなかった、何か億劫になりしていなかった、というのはやることが多すぎてできないのである家事全般を一人でやること自体手間でありできなかった
どうしても一人だと人手が足りなくなるのである

何か駅前の菓子店から鉄道の方を見たら赤いツツジが映えていた
店の中から見る風景がまた違っていた、その赤さが一段と映えていた
つまり花でも自然でも家があり店がありその内部から見たとき別に見える
自然でも人間の営みと一体化した時一段と映えるということがある
だから街に通りに咲く花は違っているのである
ただ駅前には自転車屋と菓子店しかないのが淋しいとなる

いづれにしろ蛙が鳴く声がひびき白鷺がまばゆく映えて夏菊も咲く、そうして自然も蘇り生業がもどった
ただ墓地のある所は荒地でありそれで震災の荒廃が残っている
避難区域となった小高であれ浪江であれどうしても田畑が荒地化していることが嫌なのである
例え米が今は重要でないとしても田畑は自然なのである、だから蛙がなき白鷺が来て花が咲き故郷の山を映す
田畑は自然と一体化しているから自然の復活にもなっていたのである
それで田畑がこのように復活しないと復興したように見えないのである

花というのはべチュニアとジキタリスを並べて植えてみたらその個性がきわだっつものとなる、この花は何か独特である、ジキタリスは薬にもなっている、花は意外と薬になるものも多い、この花に不気味な伝説があるのはイメージできる

2021年05月12日

藤の花と相馬の城下町 (中村喫茶店の藤の花)


藤の花と相馬の城下町

(中村喫茶店の藤の花)

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城跡にシャガの花

中村喫茶店

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松並木影なし行きて藤の花

城下町路地の細道藤と松

城跡に何を語るやシャガの花

藤垂れて黒門下り夕暮れぬ


白藤の風にそよゆれ城跡の掘りに映れるあやめの花かな

紫と黄色のあやめ堀映り静かに歩む城下町かな

藤の花午後散り静か喫茶店猫一匹の歩みけるかな

長々と藤の花垂れそよゆれぬ優雅な時を過ごすべしかな


相馬市の城跡の藤の花をみて中村喫茶店の藤棚の花を見た
中村喫茶店の藤は半分は散っていたので残念だった
藤の季節である、どうも万葉集時代は藤の花はまだ日本的美として見出されていなかったそれがわかるのは平安時代になり藤の花が良く愛でられるようになったからである
それは宮廷の御殿の庭に植えられて愛でられるようになったからである

つまり庭で見ている藤と外で見る藤は違っていたのである
万葉時代は外で見た藤であり庭で見るということはまだなかったともなる
藤棚で藤を見るのは平安時代からであろう
他の花でも庭で見る花と自然の中で見る花は違って見えるのである
庭で見る花はより人間的な花となる、それは庭の石すら人間のように見えるようになるからだ、それで原発事故の避難区域で空家となった家の庭が淋しいのは主がいなくなり
何か石すら人間に見えるからである、人間化した石だから余計ち淋しいと感じるのである
藤は日本の歴史のなかでよく鑑賞されてきた花である、松も同じなのである
松はその高さでもあまり高くないし人間に見えるのである
だから次の歌はそれを象徴しているのだ

「常磐なる松の名たてにあやなくも、かかれる藤の咲きて散るかな。

(歌意、松の緑の美しさを引き立てるために咲いて散っていくことだ)」は
内親王の髪上げのときの屏風絵に題した紀貫之の歌だそうで、貫之集、和漢朗詠集に
採られています。

名たてとかあやなくとかわかりにくい、名たてとは松をひきたてることなのか?
あやなくもというのもわかりにくい古語である、あやとは文ともあてる
何か理由もなくとかの意味で藤の花と松を歌っている
常盤の松によるかよほい女性を暗示しているともなる、あやなくとは頼りないとかよめる松と藤はこのようにあっているのである

そしてなぜか相馬市の城下町に藤の花があっているのだ、だから城跡の藤の花もいいし
中村喫茶店の藤の花もいい、ただ庭はまだ改造していない、なんか金がかかるからである今日は午後でも人が来ていたのはあの藤の花をみるためなのである
ただ半分は散っていた、その下をひっそりと猫が歩むのが合っていたのである
相馬市の城下町は何かひっそりとしているから猫にあっているともなる

城跡の掘りには紫と黄色の菖蒲が映っているのもいい、城下町に菖蒲も似合うからだ
相馬市の不思議はなぜかしんみりとしてこうした花が似合うのである
原町とかとはまるで違った雰囲気があるのが不思議なのである
だから城跡に何もなくてもやはりそういう歴史があり雰囲気が残るものなのかとなる
でもそこに街が発展して高いビルなどが建つと東京のように煩雑になり江戸の雰囲気は感じなくなるなのである



2021年05月07日

夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ (新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)


夏雲雀、夏燕、白鷺、菖蒲、チューリップ

(新しい鹿島の真野川の土手の下の通りに店はないから淋しい)

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菜の花になべかんむり山町暮れぬ

そちこちに鳴く声ひびく夏雲雀

朝日さし白鷺十羽まぶしかな

庭に石風の涼しく午后下がり

菖蒲咲き横断歩道待ち渡る

チューリップ黒きや通り人行かじ

逃さじやシャッターチャンス夏燕


いつも行く木陰の道の長しかな街になじみて我が暮らしけり

鍋冠山(なべかんむりやま)というのがこの町の象徴である、この由来がわからない
誰が名付けたのかわからない、でも意外と古いのかもしれない
なぜなら近江の方でなべかんむり山祭りとあるからだ
だからこれがいつ頃名付けられたのか?それが問題なのである
近江との関係だとすると製鉄関係で技術者が古代に行き来していた
実際に近江に行っていたのである、するとそういう人達が名付けたのかとなる
それは古代だからずいぶん古いとなる
意外と地名は古いのである、古代に名付けられたのが結構多いのである
故郷でものたりないのが高い山がないことである
それで角田とか丸森に行くと蔵王が見えるからそれが心に反映して人格にも反映する
ここは海があっても高い山がないからそれが景観としてものたりないのである

夏になった、水張る田に白鷺が十羽朝日がさしてまぶしかった
純白の衣にまぶしかった、鷺は夏の季語である、夏になったのである
夏に白鷺は一番映える、真っ白なのが映える
写真を撮ろうとしたがカメラがなかった
いつシャッターチャンスがあるかもしれない、だからカメラは常に持ち歩く必要がある
写真をとることは結構な労働だと思った
ただ見映えする写真をとることは容易ではない

横断歩道を渡る所に菖蒲が咲いている、それでその菖蒲を見て渡る
その時何か落ち着いて渡るとなるが実際はその前を自転車で横切ったりする
田舎だからあまり車が通らないからだ
でも駐在所があり見ている時がある、こんな見方は俳句らしいとなる

庭では午后下がり涼しい風がそよぎ気持ちいい、外は暑くなった
年になり暑さに弱くなった、汗がでないから体温調節ができないのだ
それで家にいても熱中症になるというのがわかる
また紫外線にも弱くなる、それで春でも外を自転車で行ったとき痙攣をこしたことがあるだからこの熱中症は結構危険なのである

だからどうしても夏になると遠出できなくなったのが残念である
なんか丸森の方に行ってひどく疲れたからである
筋肉の痛みがとれないのである、やはり筋肉が弱ると老化のしるしだともなる
それで年取ると身近なものが大事になる
なじんだ場所とか街とか人とかが大事になる
そこで暮らしやすいと楽になる、それで原発事故で老人が残ったのがわかる
なじんだ場所や人と暮らしたいとなるからである

真野川の土手の下は新しい通りにしたけど店が一軒つぶれ新しい理髪店ができたけど
高齢のために閉店したと張り紙があった
つまりあそこには通りでも店がないから活きていないのである
場所としては真野川が土手がありいい場所なのである
散歩しているからである
でも今通りは店はだめなになっている、みんなスーパーに集まり小さい店は成り立たないからである
ただあそこに喫茶店があればいいなと思う、私は喫茶店が好きだからである
場所としていいとしてもまず客が来ないからやっていけない
前は喫茶店があったがやめたからである、どうしても客が来ないから通りの店はなくなったのである
でもあそこの通りは花が咲いていいのである、それがもったいないのである







2021年04月26日

八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)


八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)

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母と子と八重桜見るその道を今日も我行く心あたたむ

桜散るあとにほのぼの八重桜母と子の連れ立ち見るかな

今朝見れば牡丹は散りぬ早きかな栄一時風のうなりぬ

散る牡丹残る花びら今朝見えてまもなく散らむ風の唸れる

我が庭に輝き映えしは一時や牡丹は散りぬ夢のごとくに

五六輪赤き百合咲く我が居間に匂いは満ちて家を継ぐかも

飛び交いぬ燕にあれや小さなる街の行き来や我は忙し

庭に咲くタンポポやはや綿毛飛びまた他にそ種を運びぬ


母の思い出の赤い百合
https://ameblo.jp/teddypapa/entry-12441751163.html

ここではこの赤い百合から母を偲んでいる
こうして死んだ人でも偲ばれる時、何かその人はなお生きている
ところが肉親だろうがなんだろうが全く偲ばれない人がいるのだ
それは肉親でもそうなのである、迷惑ばかりかけたとか親を恨んでいる人がいるからだ
そういう人は肉親でも死んだ偲ばれないのである
そうなると死者も浮かばれないとなるがそれは自己責任だったとなる
何か後世に後のものに何も残さなかった、というより不快なものとしてあり思い出したくないとなっている

百合というと白だと見ていた、こんな赤い百合があるとは思わなかった
これは匂わないと言うが結構匂っている
こういう大きな花にはやはり大きな家が広間があると映える

庭の牡丹は今朝見たら散った、花びらが残っていたが散った
そして今日も風が朝から唸り吹いている
この家を作ったのは父であり次に継いだのが姉ともなっていた
姉は気丈夫でこの家をもりたてたとなる、だからその時輝いていたのだ
それも80年とか戦前から家にいても死んだら呆気なかった
でもこの家に姉は輝いていたのだ
つまり人間は栄えるのも一時である、女性でも輝いているのは一時なのである

タンポポでも庭に咲いたが綿毛となり飛び他に移って咲く、常にこのように自然でもとどまらない、移ってゆく、ある所が栄えてもそれも一時であり他に移るのである

ともかく今日はまた朝から風が強い、そして結構寒くなっている
季節は移っている、桜が散り八重桜が咲きそこに母と子がいた
八重桜を母が示して幼子がいた、何がそこに平和を感じた
こういう光景が原発避難区域にない、子供がいないからだ、いるのは老人だけだとなる



2021年04月23日

山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり


山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり

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この鳥が何の鳥かわからない、山雀なのだろうか?
黒く見えるのは光りの関係なのか?鳴き方はそうかもしれない
前から写真をとればわかった、後ろからだったのでわからなくなった
ただ街の中で山雀を見たことはない


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ペチュニア


峠二つ越えてかむや春の風


巌打つ流れのひびき高きにそ朝日にほふ山桜かな

風吹くに遠くまで行く山桜映えて美しもはや散りなむ

つぼみなれ開くを待ちつ我が庭にそを見守りつ時をすごしぬ

ゆくりなく朝鳥の来てさえずりぬ芽吹き新たな庭に見るかな

ゆくりなく鳥のさえずり去りにけりいづこにまたやさえずりしかな

いくつもの薔薇の蕾や我が庭に咲くは楽しみ朝の一時

ペチュニアの藍色深き一輪を我が庭に置き部屋にこもりぬ


山桜はまだ咲いている、ただもう散るだろう、にほふというのが映えるという意味もあるただ今の感覚ではもうにほうは匂いということが頭の中で週間化しているから合わないとなる

鳥がさえづっていた、電線に止まりさえづっていた、何鳥なのか?
写真をとったがわからない、ただその鳴き声は良く聞く、でも鳥はすぐに飛び立つので
写真にとりにくい、芽吹きがあり薔薇もいくつも蕾が出て来た
薔薇だけは何か咲く、それでもう一つ黄色の薔薇を買ったきて植えた

狭い庭だからいろいろな花を植えられない、そして必ずしも咲くとは限らない
それが問題である、でも庭を手入れするとなるとまた時間がかかるのである
料理から何から時間がかかってできないのである
その合間を見てプログを書いている

ペチュニアの花は百円だった、でも藍色が深く気にいった
花は結構高い場合がある、百円だったら今回限り楽しんでも損にはならない

今日は気候的には快晴であり外に出るのに最適だった
月末になると熱中症の警告を出すとか自転車で外にでにくい、何か自分は熱中症になりやすくなったからだ
でも福島市の方の桃の花を見たいということがある
それで出かけた方がいいとはなる、でも遠いので困る

飯館村の方へ高い峠を越えてもう一つ低い峠を越えて福島市の方へ二本松の方へ行こうとしたがその時バッテリがきれたので引き返した、坂を上ると電気をくうから困る
ただ今出かけないと、暑くなると出かけられなくなる
夏になると自転車は危険になるからだ





2021年04月19日

花は散る―その後に八重桜咲く


花は散る―その後に八重桜咲く

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あやめ咲き顔見せぬ女(ひと)庭に石


花はみな散りにけらしも風うなり時の移りのはやかりしかも

しばしの間残れる花見ゆたちまちに風吹き散らし消えてなしかも

夢なれや一夜の嵐に花の散るなほうなり吹く風の音聴く

ほのぼのと桜散る後八重桜心温かき女(ひと)のあれかし

同じ場に牡丹の種落ちて咲く我が庭に見て栄受け継ぐ

白椿奥にひそけく隠れ咲く心静かに我のみ見ゆかな


二日三日風が強く吹く、嵐もあった、そしてたちまちに桜は散った
桜は散るのが早い、だからどうしても死を連想する
それで特攻隊は桜散るごとく死んだということで死を美化されたと批判がある
本当に夢のように桜は咲いて散る、人間でも60年一緒に暮らして死んでしまいば
一場の夢になってしまう、そんな人いたのかともまでなる
それは家族ですらそうなのである
今年は桜は早く咲きそして風がうなり吹き散った

その後に八重桜がほのぼのと咲く、その赤さが映える
庭には牡丹が咲き朝の光りを受けてまばゆい、この牡丹の不思議は何十年も咲き続けていることである、何か自分の家の庭では花が咲かなくなる、栄養分がたりないのか咲かなくなる、牡丹は大きい花だからこうして咲き続けているのが不思議である
一旦は去年は5輪くらい咲いたがそれが途絶えて種が同じ場所に落ちて別に新しいのが咲いたようである、だから二輪しか咲かないのである

あとは白椿が咲いている、それは奥の方で見えない、何か女性でも目立たない人がいる
性格的に家にこもり顔も見せない、隣とかにもいる、性格的にそういう人は男女でもいるそういう内向きの人は損である、自分もそうだから何か好まれない
でもそういう性格を変えることはできない、見方によれば奥ゆかしいとなる

自分はとにかく人間が苦手である、人と会うのが苦手である、だから引きこもりになったそういう性格の人はいる、それを無理やり外交的にするのはかえって悪い方向に向かわせる、内向的でもその性格にあったことをしていればいいとなる
厥か社会ではしにくいのである、だから自分は学校とか会社とか集団生活するところがあわないのである
一人することがあっている、芸術とか何か一人でできること、創作することがあっているとなる、ただそういう生活を許す与えてくれる場がない、そういう人は引きこもりになるのである
でももしそういう人でも内向的でも才能を開発することはできる
それが自分にはできた、そういうことが許された家庭環境だったからである
普通はこういうことはありえないのである

自分は人間は交際は苦手というより人間嫌いなのである、だから常にイメージしているのは自然であり木とか石とか花とか山と自然の事物とアイディンティティ化することであるそういう詩を書き続けているのである
そこには自然があっても人間がいないのである、人間は自分にとって嫌なものとして何か常に歪んだものとして見える、それで人間と接したくないとなった
ただこれも問題であった、でも性格的にどうしてもそうなるのである、これだ極端化すると異常化することが問題なのである




2021年04月15日

朝桜、春の草、里の春、牛と春草 (春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)


朝桜、春の草、里の春、牛と春草

(春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)

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雨しとと残る花散る常の道

朝桜車行き交い六号線

朝桜映えて海見ゆ鳥の飛ぶ

蝶一つ紋あざやかに目の前に

チューリップ原町の通り店多し

山桜そちこち映えて風の鳴る

(牛)

牛のいて春の草食(は)う木の根っこ

タンポポや牛草を食(は)うゆっくりと

菜の花や外に放ちぬ牛二頭

草を食む牛の二頭や春深む


春耕や街の郊外広しかな

春草や家新しく畑かな

牛のいてニワトリも鳴く里の春

昨日はちょっと雨だった、すでに近くの桜はほぼ散った、それで余花になる
川子の坂で山鳩が猫に襲われていた、その時自分が来たので猫は逃げた
山鳩は血を流していた、猫は結構鳥を襲う、鳥もねらわれているのがわからない
これも残酷だともなる、ただ鳩をなぜかエジプトで食べている
日本人が好物だというのも不思議だった
外国通の人が増えたからそうなる
鳥は飛べなくなったらもう死ぬほかない、敵から逃げることもできないし餌をとることもできない
人間も実際は人間としての機能を発揮できなくなったら死ぬほかないともなる
ただ人間の場合は簡単に動物のように見れないから問題なのである

原町というと何か何度言っているけど相馬市とは違う感じなのである
モダンな近代的都市となる、ただ今日チューリップの写真をとった通りは昔の浜街道なのである、現代の通りは六号線の方に移っている
でもそれなりに店はある、でもやはり六号線に道の駅がありそこに行くとなる
原町にはどうしても買い物に行く

前に写真にとった、牛二頭がいた、郊外であり前は寝そべっていた
今回は草を食んでいた、何か牛を見るとどっしりとして安定した感じになる
何か自分の牛の詩がずいぶん読まれていることが不思議である
光太郎の牛の詩として読んでいたのである

牛二頭寝そべり静か秋深む

こんな句を作ったと思う

何か動物でも身近にいるとそれが精神に影響する、牛を見ていると人間自体もどっしりとしたものになる、だから動物と身近に接していた時代は人間は動物化した
動物の面をかぶんたり動作をまねたり踊ったりして動物と一体化するのである
だからニワトリでも籠に飼われて卵を産むロボットにされるときそれはまた人間もロボット化されるのである
そこに自然な生はなく動物はそれぞれの天性をもったものを活かせないとなる

とにかく原町の郊外は広い、だから街も広いが田畑も広いとなる
それで前は5万くらいの人口があった、土地にそれだけ余裕があるからだ
原町くらいだと一人暮らしでも楽である、便利なものが一通りそろっているからだ
ここでは弁当屋もなくなったから食事を作るのがめんどうなのである
ただ原町まで自転車で近いからいいのである
今はみんな車で行くけど自分は車がないから困るのである
ただ自転車者は自然ととけこむのである
まず車だと風を感じない、春風でも感じない、すると自然を感じないのである
その差も大きい、ただ目的地に行くのには車がいいとなる

丸森まで行ってなにか今回異常に疲れた、4,5日過ぎても筋肉が痛く疲れていた
だから年齢的にかなり自転車で行くのが苦しくなったともなる
運動した後に二三日過ぎてからでも筋肉が痛くなったり疲れるのである

2021年04月13日

桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)


桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)



今朝見れば風の荒しも花は散り残れる花をなおゆすりけり

桜花一時映えて散り惜しきうなれる風や無常なるかな

星いくつ夜の桜にきらめきて清しも一時散りにけらしも

美しくきらめき星のいつくかな花のにおうや若き日にあれ

世の中のうつろい早し風あらく散りにし花や命かえらじ  

朝明けて沖に船見ゆ桜花新地の山に映えて美し


散る花のなおも尽きじも大阪城夕陽の赤く栄短し

霊山城一時夢や落ち延びし武者や夕べに花の吹き散る

丸森の桜やあわれ夕暮れて峠を越えむ相馬に去りぬ

阿武隈川流れ渦巻きそのたもと満開の桜吾妻峰も見ゆ

青葉城石垣反りて燕飛び川のひびきて桜咲くかな

筆甫なる奥深きかな謂れある桜の古りてたずぬ人かな


(千本桜)

千本の桜の散りぬそのあとに訪ねてあわれ虚しく帰りぬ

この世とは夢にしあれや千本の桜も散りぬ何を残さむ

優艶に枝垂れ桜や池映し御所も近きに今日の日暮れぬ

瀬戸内や桜の中を電車行き海そ映えにき船も行くかな

海に向き椿の赤し瀬戸内の島々めぐり沖に船行く

春の日や海峡狭く大船の汽笛を鳴らし迫りて去りぬ

韓国へ渡りてなおも慶州に桜咲くかなともに栄えむ


瀬戸内や常夜灯に落椿

瀬戸内に海田とあれや桜咲く 



桜前線の短歌(北から南へ)

桜前線の短歌―鑑賞



今日桜を見たら散っていた、風が荒く吹き付け散っていた、残れる花があり風がしきりにゆすっていた、桜もこの辺では終わりとなるのがまだまだ北の方では桜が咲いている
稚内では6月でも咲いていたからだ
ただ桜という時、やはりこれは山桜だと自然の桜であり万葉集で歌われたのは山桜である桜が本当に愛でられたのは江戸時代からでありそれはソメイヨシノとかであり山桜とは違っていた、山桜とソメイヨシノとかではかなり違ったものになる
ただ色合い的にはソメイヨシノとかが色が濃くきれいである
山桜は白いので色は単純だからである

大阪城の桜が一番印象に残ったが次に京都の桜も印象に残った
枝垂れ桜が優艶に池に映していた、そこが御所の近くだったのである
まさに京都らしいとなる
次に青春18切符で瀬戸内海を行き韓国まで行った、そのとき延々と桜が咲いていた
それは韓国までつづいていたのである
古都の慶州にも桜が咲いていたからである

東北の桜というとき霊山から相馬市の方へ下る、その桜が印象的だった
霊山が炎上して南朝の落武者が逃れた道である、だからこれも何か桜という時歴史と関係している、その時逃れた落武者がこの辺の先祖となっている


ここで桜前線の短歌を出していた、桜の短歌は相当に作ってきた、それらをまとめれば一つの歌集になる、でもそれをまとめること整理することが大変な作業になっている
そういうことで整理することが今は仕事になっている

桜という時、旅して思い出すのである、一番印象に残ったのは大阪城跡の桜である
あれだけは忘れることができない、あの大きな大阪城跡に桜が尽きず散っていた
その時夕陽が赤々とかがやき沈もうとしていた、それが何とも言えぬものだった
それは単に自然の中で見た夕陽とも桜とも違っている
大阪城に西の栄が集中していて歴史がありそれで自然の中の夕陽とは違っていたのであるそこには秀吉の栄華があり人間的なものが反映しているから違って見えたのである
あのように見えることは他ではない、東北とかなるとそれだけ栄えたということがないからである、そういう歴史が東北にはないからである
城にしても小規模でありあれだけの大規模な城はないからである

それから桜で見ごたえのあるのは白石の千本桜である、ここの桜は見ごたえがある
桜の木も相当に古いものだからである、東北と言えばここの桜である
それでそこまで自転車で行ったことがある
ところがその時千本桜にたどりついたときみんな散っていたのである
せっかく遠くに来たのに散ってしまったことが残念だった
でも何かそのことがかえって印象に残っていたのである
あれだけの桜を見にはるばる来たが散ってしまったなとなり印象に残ったのである

今回は丸森の筆甫の桜が印象に残った、奥深い所に南朝ゆかりのウバヒガン桜が咲いていたからだ、それは南朝ゆかりのもので親王桜という名がつけられていたからだ
それから金山城の桜を見て帰ったのである

もう一つ絶景ポイントとして阿武隈川をさかのぼり梁川の方面に行く所に満開の桜が咲いていた、そこで川が曲がり流れがたぎる場所である、そしてそこから残雪の吾妻峰が見える、そういう絶景ポイントがある
そこは桃の花も咲くからいい場所なのである
この絶景ポイントを知っておくべきである
車をもっていたらそこに楽に行けるからである、自転車だとなかなかむずかしい
今回は何か体力が衰えて体中が痛くなったからである

桜という時どうしても散り安いから特攻隊のようにいさぎよく散る象徴になったのであるそれは戦争のためにそうなった、それを批判する人がいる、桜が戦争のために利用されたとなるからである、そんなふうにして桜のようにいさぎよく若くして散るのが美しいと死が奨励されたからである
でも若いならそういうことはない、生きたいと思うのが普通である
ただ桜はそういうふうになりやすいのである、咲いた時からもう散ることを予感する
だから静心なしというのが桜なのである

とにかく日本は桜の国である、桜はどこでも咲き日本の美となる
それでもこれだけ旅しても桜が見れないのは見る時期が限られているからだ
二週間くらいで散ってしまうとなると全国に咲いても桜は見れないからだ
私はいくら旅したとしても桜を見るのは限られている
でも西の桜を見て西の桜が散ったら東北に帰って咲く桜を見たのである
桜前線をたどれば一か月くらい桜は咲いているのである
桜はやはり車があると全国の桜を見やすい、そういう人にあったからである
退職して夫婦で桜を見て回る人が井田からである








2021年04月06日

山桜咲く大原から高倉を回る (生業もなく活気がなく空家が増える山村)


山桜咲く大原から高倉を回る

(生業もなく活気がなく空家が増える山村)

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双子山とかなる

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山桜が結構咲いている

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春来るも前田に空家ここに住む人は死ににき墓はあれども

病院に空家となりし家のことしきりに言いし人は死ににき

山桜錦となすも大原や前田に後継ぐ人なし淋し

清らかに山より水の流れ来て二輪草ここに咲きしも奥の道行く


大原の前田に私立病院で同室だった人がいた、それはS氏である、その病室からは大原の方が見えた、一か月暇でありその大原のことをその人は語った
ただその人は一人で住んでいたのである、息子夫婦はいても住んでいなかったのである
市内に移り住んだからである、それで死んだ後のことはなにかやと話ししていたみたいである
そして心配していたのは飼っていた猫のことだったのである

前田という地名はそこに草分けの人が住みそこから大原村の中心になった
なぜなら現実に大原からさらに橲原の方に上る道の脇に田が隠されるようにありそこが遠田となっているからだ、だからS氏の住んでいた前田は村の中心だったともなる

病院で知り合った人は大原の墓地に眠っている、その通りに空家がまたある
それが煉瓦の風呂があり何かそこは不気味である、幽霊屋敷のようになって残っているからだ、ただ煉瓦の風呂を作っているということはそれは自慢できるものだった
その風呂は家の中にはない、外風呂である、便所も外である
水道もなく水洗トイレがないときはみんな外風呂だったり外の便所であった

そして自分の家でも風呂は父親が手造りしたものだったのである
外風呂であり桶の様な風呂だった、鉄砲風呂であり上から材木屋でのいらなくなった木材の切れ端をもらって新聞紙で燃やしていた
それが自分の仕事だったのである
現実に自分自身がそういう暮らしをしていたのである、ただ子供の時だから記憶が薄れてしまった、炭を使い囲炉裏もあった、それは街中で暮らしていてもそうだった
だからそういう暮らしがあったということが不思議になる
山村でも農村の生活でもそれと同じだったのである
そういう生活は貧しくても金はかからない、金をかけることもできないからそれで生活が一応なりたち飯館村だって一万人も住んでいたときがあった
だからそういうことが信じられないとなる
人間はそういう場所でも実際に今より多くの人が生活していたのである

何か空家が目立つ、ここだけではない、街からちょっとはずれた所でも空家が目立つ
おそらく農業していたのだけどやめた家かもしれない、というのは家の隣に御堂があたりするからだ、御堂は実は縁側があり中でもみんな集まる場所であり公会堂のようになっていた、それは農村社会ではそこが中心となり共同するものとしてあった
ただ農村社会でもそれが壊れて過疎化すると捨てられて廃墟化してゆく
それが大規模になったのが原発事故の避難区域である、空家だらけだからである
ただ農村とか山村の過疎化がありそれが日本では進行してゆく
ここでも原発事故以降山の小規模の農家は田畑を放棄して草ぼうぼうになっている
そこにソーラーパネルを置かれる

大原村の隣の大谷村でも八坂神社があり薬師堂があるがそこでちょっと話した人の家は壊されていた、その人はすでに市内に移り住んでいたのである
何か八坂神社もまた多い、これは疫病を防ぐものとして建てられたとかともいう
その隣に薬師堂があったからだ、ただ薬師堂が村の中心になっているのは病気を治すめたに祈る場所としてあったからである、病気になったらこうして祈るほかなかったからである

それから山間の道を行き高倉のハートランドはらまちに行った、そこは閉鎖状態であり一部バンガローが壊れていた、あそこはあまり利用されずじまいだったのか
震災以後は放置されてしまったのか、一人何かそこに外部から来た人がいた
その人と駅であった、そしたら詳しく南相馬市の神社のことを研究していたのである
その人が今住んでいるかどうかもわからない、第一ハートランド原町は長らく休園しているからだ
こうして何か山村には活気がなく生業(なりわい)も廃れている
そもそも農業だけをしている人は少なくなっていた
でも今の状態より田んぼで田植えしたり稲刈りしたり生業があって一応農村の形があったそれが震災以後は荒地化してしまったのである

南相馬市農業農村活性化施設に係る対応方針
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/34/7644-3.pdf

高倉に関してはあそこはあまり場所がいいとはいえない、高倉ダムがあり行きどまりになっている、広い土地もない、飯館村だと広い土地がありそこだと山村の空気に今でもふれることができる、ただそこも震災以降は荒地となり人は住んでいない、時々そこに住んでいた人がなつかしんで新しく建てたこじんまりとして家を別荘として利用しているだけなのである、そこにはもう生業(なりわい)がない、何か生業が形だけでもあればやはり活きた村となる、でも人も住んでいない生業もないというときそこは死んだ村になってしまったのである、ただ家があり住んでいる人は大原とかにもいるから原発避難区域とは違っている

とにかくあのように山桜が身近に咲いている、それが山に暮らす人の錦だけども人が住んでいないとなると生業もないとすると村自体が何か活気がないとなる
それから鹿島区の川子の原町火力発電所石炭灰埋立場への道を下るところで知っている人がゼンマイをとっていたのである、そんなところでゼンマイをとれるのかと意外だった、かなりの量をとっていた、ゼンマイは山の方にあると思っていた
そこはゼンマイが集中してあったのである、その人はもともと仕事しないニートである
自転車にのっているから合っていたのである、何か自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
奇妙なのはその仕事もしないニートが山菜とりをしている、それがまさに生業だとなる
他にもコゴミとか山に入ってとっている、これも料理するのがめんどうだけどその人はしている、田舎ではセリとか野草でもとる人が女性ではいた、ただ放射性物質で汚染されてからとらなくなったのである、それが飯館村では一番打撃だった
つまり山菜料理が定番になっていたからである、その暮らしが奪われたことも大きな損失だったのである