2023年08月17日

井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、暑し、涼し)


井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、暑し、涼し)


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ここには家があったがなくなり空地になり百合の花が咲いている。この百合の花は咲いているのが多い
種が飛んでどこにでも咲いている。


井戸の水日陰に汲みて白百合のここに咲くかな暑き日続く

馬酔木(あしび)なす、栄えし君が、掘りし井(ゐ)の、石井(いしゐ)の水は、飲めど飽かぬかも

地下水の水を飲むことは水道の水とかペットボトルの水を飲むのとは違う
大地と地下と繋がり何か原始的なものにもなる。それは直接大地とつながり水をくむからだとなる。

沢庵和尚はここに上山に流罪になり春雨庵に三年住んだ。その詳細はわからないが井戸に注目した。昔は水はもらうことが多かったのだ。これは前にも書いた。町では「水をください」ともらう人が多かった。また水は場所によっていい水と悪い水がありいい水の出るところにもらいに行った。今でもいい清水が出るところには車で水を運んでくるのと同じである。水は生活の基本でありかかせないから井戸は生活の中心としてあった。だから井戸をめぐる話は無数にある
海に近い五島町一帯などは 塩水で特に水質が悪く、山手の井戸からもらい水をしていたので「五島町の水乞食」とまで いわれた。

三年を過ごしてここに井戸の水もらいし娘心に残りぬ

井戸の話(沢庵和尚の春雨庵から・・・)

埼 玉縣入聞郡堀兼村堀兼 に残 つてお り,そ れに関 して千載和歌集 に,``

武 藏野 の堀 かね の井 のあるものを うれ し くも水の近ず きにけ り

と い う歌が あつて,水 のえに くい ところで えた水 を恋い慕 う様子が 示 され
てい る

日 本 の 井 戸 と そ の 歴 史  藏 田 延 男

隣の井戸から水を汲む。 5時ごろになり日陰になっているから涼しい。井戸は戦前までもまた戦後の焼け野原になった十年間くらいは井戸水を使っていた水道はなかった。
だから何かその子供の時を思い出すと不思議になる。それは何か原始的な生活でありそういう生活は奈良時代からも続いていた。
人間は水なしでは生活できない。飲み水にも水が必要であり井戸があった。ただその井戸でも地下にありそれを汲みだすことは容易ではなかった。だからこそ堀兼という地名が生まれた。
地下水を掘り出して組み上げることが容易でないからそういう地名が生まれた。要するに地名はそれだけ生活と密着して生まれてきたのである。

ともかく今でも水は貴重である。ただその水の貴重さが自覚されない時代になった。水道の蛇口をひねればいくらでも水は出てくるとなるからだ。
でもこの辺では原発事故で放射性物質に汚染されて井戸の水とか飲めなくなった。でも隣の井戸水は検査して飲めると言われて利用させてもらった。ただ地下水から汲みだすために機械を使っている。地下水を汲みだすために釣瓶を落として汲んだりポンプでくみ出すのは苦労だった。
井戸にまつわる話は相当にある。春雨庵とは沢庵和尚が住んだところである。それは山形県にある。その近くの宿に泊まった。それは今振り返ると価値あることだった。つまりその宿が価値あるものになるのは何かそうした故事がありその近くに宿があれば価値が生まれる。そこで泊まれば自ずとそうした物語を具体的にイメジするようなるからえある。
ただ現代ではホテルでもビルが多く何か本当にビジネスホテルであり風流を感じるホテルは稀になった。
ただ泊まるというだけで何かそこに春雨庵の近くで感じた旅館とは違うのである。何かホテルになると大きくて風流あまり感じないのである。

くたびれて宿かる頃や藤の花 芭蕉

そういう感覚は現代の旅にはもうない。極端になるとホテルは巨大なレジャーランドのようになりそこはとても旅の宿というようなものではない。第一今は旅する人はいないのである。
ホテルでうまいものを食べて休養するというだけである。それが高度成長時代の会社ぐるみの慰安旅行になったときはそれで繁盛したのである。でも今になるとそういう温泉街は廃墟化してしまったのである。それは一時の夢の跡ともなった。

宿とはやどるから来ており一時的にその場に宿る。そしてその場に一時的にでも一体化するのである。でもビルになるとそういう感覚が持てない。やはり旅館のようなものが良いとなる。でも旅館になると高くなる。
それでも白河街道の福良の民宿の蔵の宿は昔を感じられて記憶するのものとなたった。ホテルとかなると記憶されにくいし風流はなくなる。それは風景と一体化しないからかもしれない。
いずれにしろ現代から旅は消失した、ということは旅の宿も消失したとなるのである。それでふりかえると記憶に残る旅にならない。ただ移動するだけの旅だとなってしまう。人間はいろいろ体験する。その体験したことがその人の人生になる。旅も体験でありそれが旅のタビトモならなかった時何か価値あるものとして記憶されないからただ時間を無駄に費やしたとまでなる。

今日も暑かった。高校野球を野球を見ていたが高校野球のいい点は一回勝負でありその一回に全エルギーを費やす次がないのである。相手に一回で勝たない限りそれで終わりになる。
だからこそ全力で力を出すのである。それがプロのように半年も試合を続けることは一回くらい力を抜いてもどうどういうこともない。次がまたあるしその一回ですべてが終わるわけでないからである。でも高校野球の場合は一回しかチャンスがないのである。だからこそそこに魅力が生まれている。

人生でもいくらでも先があり時間があると考えているが青春時代などあっという間に終わる。そして人生すら老人になってみればこんなに短いのかと驚くのでは人間が勝負するのは実際は一回くらいかもしれない。そんなに何度も何度も試合などないのであるそして高校野球となるとそうした大舞台で試合できることはその一時期を除いてあとはないのである。だからその体験は最高に貴重なものとなっているのである。

旅をするにしてもそうである。やはり旅もそんなにできるものではない。これだけ旅をした自分が言っているのだから間違いない。介護になってからすでに15年も旅していないからである。旅する時間すら実際は短いのである。旅だけではない何でも体験する時間というのは短いのである。そして今やただ旅したことを回想しているのが自分なのである。

2023年08月16日

老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩) (人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)


老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対になった古い椅子(詩)


(人間は忘れやすいので写真でもこれ文章でも記録することが大事)


●電車や車の旅は記憶に残りにくい


そもそも情報とは何か情報は無限にある。常磐線を例にすれば上野からいわきまで普通列車が通じている。でもその間に様々な駅がある。でも記憶されるのは水戸駅とか日立などは記憶される。でもその間のさまざまな駅が記憶されないしそこの情報が実は通り過ぎてゆくだけで知らないのである

それで電車の旅という旅はただ駅名だけを記憶していた。それで私は地名に興味を持つようになったのである。要するに記憶に残っているのは駅名だからである。そのほかは景色とかでも記憶に残らないのであるだから電車の旅というのは早すぎて記憶に残らないのである。それは来るまでもそうだしバイクでもそうである。現在は交通が発達し乗り物も便利である。でもそのために帰ってその土地のことや景色でも何でも記憶に残らないのである


何か今になると私は回想する旅をしている。それが仕事のようにもなっている。あそこを旅したあそこに行ったことがあるとか思い出すのである。ただ電車の旅も相当したとしても後で振り返ると何が記憶されたかとなると駅の名前だけだったともなる。景色でも電車から見ていると次々に移っていくからもし歩くように見ているのは相当な違いなのである。景色でも一瞬のうちに電車でも過ぎ去るし来るまでもそうだしバイクでもそうである。


だから現代は江戸時代のように旅は道づれとかはない。旅と一緒にして街道を歩いてそこで何か親しくなりそして分かれ道があり分かれさりとなる。そこが地名化して残っているのである。それはそこで人が分かれて本当には一回限りの出会いであとは合わないということがあった。


今のように交通が発達していないのだから簡単には会いに行けなくなったからであるなっていたからである。そこで会うということはだから相当に今と違って貴重なことだったのである。

今なら旅で別れても飛行機でゆけば大阪までも一時間くらいで行ける。それが私が気づいていなかった。それは必ず電車とか船を利用していたからである。

でも実際は大阪から仙台から大阪まで飛行機で行けば一時間くらいなのででもそれは旅にはならない長い途中が省かれているからただ距離を縮めてしまってその途中が省かれて旅というものを体験しないのである。


だから常磐線でも上野から途中の駅があるのだがそこが記憶されない。大きな駅である日立とか水戸は記憶している。東京から近いところでは土浦がある。そのくらいしか記憶していないのである

人間の体験というのはだからいくら交通が発達しても本当にその地理とかを理解することはできない。例えば航空でもシベリア周りでヨーロッパの方に行ったがシベリアの上を飛んでも下は何も見えなかった。真っ暗闇でなっていただけである。そんな旅はつまらないと思った退屈なだけだと思った。

でもウラジオストックからシベリア鉄道に乗ればその体験は全然違ったものとなる。川は電車から見たら大きかった。それも運河のようにではなく何か激しく流れているように見えた。

その幅が広く大きなものだった。そういう川は日本にはない。でもその川でも一部を見ただけなので大陸の川はそれだけ長いからである。流氷というのがアムール川の河口あたりにできてそれがオホーツク海まで流れて来るということがある。それもスケールの大きなものとなる。


鉄道でも川でも道でもそれは長いものである。だからその一部しか実際はわからない。長い川でもやはり船で行けばその川の長さを実感する。でもただ電車はその鉄橋を渡っただけであるが確かに大きさ感じたが瞬間的に通り過ぎたのでその一部しかわからないのである。本当に川のと長さを知るとしたらやはりその川を全部ではないにしろ上流からであれ下流からであれ船で行ってみることである。

そこに大きな川の流域があり人々は暮らしている。でもアムール川だと写真を見れば壮大な森がありシベリアのそのスケールがまた違っている。ロシアとかでは広大な森がありウクライナもそうであるその森が阻み閉ざされているともなる。

それはヨーロッパの中世でも広大な森がありそれでそれぞれの国は簡単に往来はできず閉ざされていたのである。そのためにドイツの神話で民話で森の中の城で眠れる美女の伝説が生まれたというのも分かる

ドイツは樅の木が育ちおおっていた。その広大な森が樅の木の森があって黒い森といわれていた。その森をイメージして作られたのがゴシック大聖堂なのである。


●交通が発達して便利なっても人間の五感で記憶されない


ともかく何故地理を知ることが難しいのか。シベリアを飛行機で行ってもなんにも見えなかった。真っ暗闇のしか見えない。それで地理がわかるということはない。地理がわかるということは人間の実感で知るということは容易ではない。地理はいくら地図を見てもわからない、地形でもわからない。日本には山が多く峠が多い。その高低が実感できないのである。

だから峠でも歩いて超えた時はその地形を実感する。でも車で一気に登ったらその高さとか高低が実感しにくいのである。だから外部から見るときそうま地域でも飯館になると標高400mくらいあり海側とは違った気候になる。冬でも五度くらい温度が違うその代わり夏になると高原となり涼しいのである


結局人間というのは確かに機械に頼れば鉄道であれ車であれ飛行機であれその目的地に早く着く。それはそれで便利であり交流を深めることはある。でもその土地のその地理を理解したことにはならない。つまりどんなに人間が機械を使い便利になったとしても何か実感として心に記憶されることは機械に頼ってもできないのである。

ただ外国になると見慣れないものが多いから余計に忘れてしまう。それで失敗したのはもっと写真として起動記録しておけばよかったとなる。


ただその時デジタルカメラが出ていないので写真にとることが難しかった。その頃いちいち現像したりするのが金もかかるし面倒だったのである。でも老人になると必ず何であれ過去を回想する。その時不思議な事は頭に記憶されていなかったのだが写真を見てこういうところだったなと再認識することがある。頭の中にはもう何も記録されていなかったのである。

こういうことは本でもある。大量の本を買って印をびっしりとつけていたのだがその本を読んだ記憶さえなくなっていたのである。それでまた読み返してみてこういうことを書いてあったのかと感心しているのである。だから記憶を蘇らさせるためにはやはり記録しておくことが大事であり文章にしてもいい今ならデジタルカメラでとにかく記録しておくのである。そして後でその写真を見て記憶をよみがえらせるのである。


●親しくなるにも時間がかかる


人間は確かにいろいろなことを経験して記憶する。でもそれも時間が経つと60以上になれば遠い過去になり忘れてしまうのである。現実に同じ家で子供の時一緒に暮らしていた人が五年間であるがその人が記憶にないと言ったのに驚いた。何かしら五年間も一緒に同じ屋根の下に暮らして飲み食いもしていたのだからその人がいなかったということはありえないのでただその人は女性は普通の人ではない異常な人となってからそうなったのかもしれない。やはり人間は家族のことは忘れない。私の場合は特殊な事情で結婚もしないで親と一緒に60年も過ごしていたから忘れることはないのである。そして特別よくされて愛されたから今でも家に居ると家族がいるような感覚になるのである


とにかく人間は老人になれば記憶に生きる。それで認知症の人は異常になっているのだが一番印象的なことを人生で経験したことを延々と語り続ける。今のことは全く忘れても若い時の経験したことは忘れない。私の姉はシンガポールの向いのマレーシアのジョホールの赤十字病院に従軍看護婦として四年間働いた。そのことが忘れないから1000回くらいその話を聞いたのでそれで嫌になったわ延々と話す相手もないから私に話したのである。


そして驚くべきは死ぬ間際になってもその話を戦争で働いた話をして死んでしまったのである。だから一番印象に残ったのは若い時その戦地で従軍看護婦として働いたことなのである。だから戦争の経験した人は戦争のことは老人になっても忘れられない。それだけの大きな経験をしたからそうなったのである。これは特殊にしてもやはり人間というのは老人になるとその人生を語るのだから同じなのである。

そして人間というのは人間が生きるに際して盲点となっているのは時間を軽んじることである。時間の貴重さが認識できないから時間を常に無駄にするのである。金だったら常に100円でも200円でも1000円でも意識している。それで得したとか損したとか常に頭に記録されてこだわる。でも時間だけはいくらとか換算できない。それが盲点となって時間を一番人間は無駄にしているのでいるのである。


そのことは人間が親しくなれるのはやはり長く一緒に生活を共にしなければ親しくなれない。人間の親しさは時間に比例している。長く一緒に暮らしていればやはりその人が他人だとしても親しい者となる。親子でも兄弟でも遠く離れてしまうと疎遠になり。そして貴重なことは孫と接するにしても娘でも遠くに嫁げばなかなか会えない。


そこで何か祖父母でも孫は親しくなれないのである。子供の時接することは親しくすることは貴重である。なぜなら祖父母だったら死んでしまうからである。そうして孫と接する時間も短いからである。するとあまり直に接していないままでも記憶に残らないということがある。

それで結婚でも60過ぎてから離婚するということは大きな損失だとも見る。なぜなら結婚でも互いに信頼し合って親しくなれるのには時間がかかる。 60までも一緒に暮らしていて離婚するとなると他にまた親しい女性はできたとしてもなかなか親密にはなりにくい。そこには既に親密になる時間が残されていないのである

だから人間とはいくらでも時間があり離婚したらまた別の人と結婚すればいいともならない。。なぜならそんな時間が人間には与えられていないからである。でも実際は離婚している人が1/3とか多いでわまた別の人と結婚すればいいではないかとは簡単になれないのであるそれだけの時間がないからである。





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骨董店のショーウィンドウに古い二つの椅子が飾られていた。でもその写真をなくした。写真でも物だから無くすことがある。
それで失敗した。この絵はイメージクリエーターで作った。ショウウィンドウではないがイメージはできるから便利である。
ドイツでもヨーロッパでも歴史が古いから骨董品は似合っている、アンテークコインが現実に高値で今でも取引されているからである。

古い椅子が二つ

(old twined chairs)


二人は座っている

いつまでも座っている

何かを語り続けている

その人は死んでも

やはりそこに居る

そして愛し合い

思い出を語り続ける

今はその人は居ない

でも二人はいつまでもそこに居る

その土地に深く根づいた木のように

愛し合う人は 離れない

二本の木のように

その土地に根ずき思いを深める

ドイツの秋は深まる

中世の街は古く

石造りにものさびて寂びている


(秋深む古き椅子二つ ドイツかな)



old twined chairs.


They are sitting

They're sitting there forever

They're talking about something

And when they die...

They're still there.

Like a tree deeply rooted in its land

And they love each other.

And they're still talking about it.

He's gone now.

But they will always be there.

People who love each other will never leave each other.

Like two trees

Rooted in the land and deep in love

Autumn in Germany is deepening

The medieval town is old

built of stone, rusted and desolate


Two old chairs in the depths of autumn, Germany perhaps






二本の樹

柿の木に柿の実のなり

無花果に無花果の実のなり

ここに久しく変わらざるもの

風の日も雨の日も雪の日も

ただ黙しつ耐えし強き命よ

冬の日さして今休らいぬ

そは大地に根を張り変わらざるべし

昔を偲び末永き命なるべし

柿の木に柿の実のなり

無花果に無花果の実のなり

何事のなけれど争うことなく

互いに傷つけることもなく

大地に根を張り変わらずに

静かなる強き命にあるべし

そは天にてもつづきあるべし

神の園に植えられし樹よ

その実はさらに甘美なるべし

忍耐は平和の基、来世の実り

神の国はそこに作られるべし



Two Trees


persimmon tree bears persimmon fruit


The fig tree bears figs


Here is something that has remained unchanged for a long time


In windy days, rainy days, snowy days


The strong life that endures in silence


The days of winter are now at rest


Rooted in the earth, it shall remain unchanged


It must be a long life in memory of the past


persimmon tree bears persimmon fruit


fig after fig after fig.


No matter what happens, there will be no conflict


Without hurting each other


Rooted in the earth, unchanging


Quiet and strong in life


And it shall continue in the heavens


O tree planted in the garden of God


Its fruit must be even sweeter


Patience is the foundation of peace, the fruit of the world to come


The Kingdom of God shall be made there


Translated with DeepL



2023年08月14日

夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)


夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、木陰)

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これが本当の実在の写真


夏の日の田舎の小径


家々は離れてまばら静かなり

小経が分かれ家々に通じている

そちこちに木陰があり休む

涼しい風がそよぐ

夏の雲が高く高く峰となる

ひまわりは我に向かって咲く

揚羽蝶が夏菊にとまりしきりはばたく

嬉々として花から花へと渡り飛ぶ

なお暑い太陽が山の端に入る

人ごみの都会の中で人は疲れる

一本の大木は大地に深く根付く

古い農家はその大木になる。

人はもっとも身近な場をよしとしない

大輪の芙蓉の花がゆったりと咲き

そこに安らぎと平和があることを知るべし 


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A summer day in the countryside


Houses are far apart and sparse and quiet

A small path leads from one house to another Here

and there a shade tree rests

A cool breeze is blowing

Summer clouds form high peaks

Sunflowers bloom toward me

Butterflies perch on summer chrysanthemums and flap their wings

Butterflies happily fly from flower to flower

The still hot sun enters the edge of the mountain

people get tired In the crowded city,

One big tree takes deep root in the earth

An old farmhouse becomes a big tree.

People do not appreciate the most familiar places

A large hibiscus flower blooms slowly

And know that there is peace and tranquility there


Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)






人間はいつも見ている風景に感動しない、それがいいものだとも見ない、あまりにも見慣れた風景だからである。
でも混雑した都会と比べるとどれは得難いものになる。なんか年取ったらよけに混雑した所に行きたくなくなった。どうでしても老人は田舎志向になる。京都が良くても外人とかであれだけ混んでいたら行きたくなくなる


キアゲハと花
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ここの花は桃色だけど私が見たのは橙の色の夏菊である

ビデオに撮ったが撮れていなかった
実際に夏の雲が湧き田舎の農家にひまわりが咲いていた
イメージクリエーターとは感覚的相当違っている
ヒマワリはやはり大きくないと映えないのである。
現代は映像化の時代だからやはり写真でも動画でも欠かせないのである
言葉だと相当にイメージ力がないと鑑賞もできないからである

スーパーヒタチ南相馬市を通過−youtube始める


スーパーヒタチ 鹿島駅通過−youtubeにアップ



動画を撮るのは外だとぶれるのが問題、三脚などでぶれないようにして撮るといいが手間がかかる
動画は室内だったら楽にもなる、でも編集となるとまためんどうである
ただ表現の幅は広がる。ようするにパソコンはソフトでもつかいこなすのに手間であり時間がかかる
それはずっとそうだった、簡単に操作できるようになってもやはり手間がかかり時間がかかる
でもアップすることは簡単だった

2023年08月04日

空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)


空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃)

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海老への道

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このカメがいいのである

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すべてクリック拡大―鮮明に見える


夏菊や海広々と見える道
夏菊や海に向かいて走りゆく
鬼百合や今日も雷なり野を走る

芙蓉と空家の庭の石

大石はその地に根ずいたように
どっしりとそこにある
芙蓉が咲きのんびりとそこにいた
芙蓉は笑っている姉のように
おおらかに芙蓉は咲いている
海から涼しい風が吹き
夏の雲が山に湧き上がり
ここに石は動かない
でも津波に家は流され人はいない
その庭だけが残されている
雉の親子が入り込み
この庭だけが往時を語っている
またここを訪ねて暮れぬ

右田の野球場の近くに津波で流された家の庭が残っている。その庭には大きな石がいくつもありずいぶん立派な庭であること知った。その庭は津波の前でも知っていたが中に入ることができないのだから庭のことは外から見ていたからこんなに大きな石の庭がいくつのあったことでその石をじっくり見る。でも不思議なのは家にはあまり価値を感じられない。空き家でも古民家とかには価値がある。でも普通の空き家は価値がない。あるのは庭なのである。庭が立派な庭であればその方が価値がある。

津波で家が流されても石の庭は残っていた。そこにはいろいろ花も咲いていた。小さい畑もあってそこに花が咲いていた。いろいろな種類の花が咲いていた。そこに人は住んでなくても今でも咲いて小屋のようなのようなものがあるからその庭を誰も見てないというわけではない。空き家を見る場合。家にはそれほど価値あると見えないのである。でも立派な庭だと価値あると見る。

大きな平板な石がありそこに芙蓉が咲いている。それがなんともなくいいのである。芙蓉は花が大きく何かゆったりとした気分になる。それで私の姉のことを思い出すのである。姉は大らかな人でありいつも笑っていたからである。認知症になってからは悲惨だった。その笑いも消えたたからである。ただ姉にしても他者に親切だったとは言えな。だから意外と認知症になってからは誰も来ないし。死んでからも姉を偲びに来る人もいないのもそいうことがあったからなのかとなる。

私の母は性格的に何か苦労しすぎて余裕がなかった。働き詰めの一生であり子どもの時も遊んだことなどなかった。なぜならいつでも店で配達させられていたからである。それはみんなそういう時代だったのである。学校すら農休みがあり農家が忙しい時は学校も休みになったからであある。農家の子供もみんな働いていたのである。そもそも戦前なら子供はみんな働き手として育てたのである。そして親のために働かせるために育てた。それはまだ遅れた国だと日本に出稼ぎに来て親に仕送りしているのでそういう時代的に同じだとなる

ともかくそれぞれの家族の影響は大きい。家族もみんな違って私の家族は特殊だった。でも私が母だけにだけに育てられたらいいことはなかった。母は私と似て神経質であり、陰の性格だったからである。だから意外と親子でも性格的が合わないことがある。うまくいかないということもある。母の神経質的なことが細かいことにこだわることが嫌であり合わなかったからである。だから不思議なことは姉は大らかであり自分をにとってはいいものだったのである。ただ、そのマイナス点もあった。何かあまりにも自由放任にされたのでそれで問題がおきたのである。


いずれにしろ人間が形成されるには親と子とか兄弟とか姉妹とかまたは周りの人とかの影響がある。親と子だけですべてを賄うというか事足りるということはないのである。そもそも家族だけではいずれ介護とかなり。持できなくなる。家族でも昔のように大家族なら誰かが手が余っているから介護もできたかもしれない。今は家族でも核家族とかなり極めて狭い単位のものとなっている。ファミリーとは家族のことではない。大きな集団のことであり一族というか血縁でなくても小規模の会社のようなものでもあった。そういう大きな集団のコミュニティだとかえって何かあればその大きな集団の中で賄えるということはあった。 

とにかく芙蓉の花は大きく咲いてゆったりとさいているからいい、
夾竹桃も咲いていた

和名のキョウチクトウは、漢名の「夾竹桃」を音読みにしたのが語源で、漢名は葉がタケのように細く似ていること、花がモモに似ていると中国人が思ったことに由来する

確かに葉っぱ竹の葉のようにとがっている。花の名前は葉の特徴からつけられたものが結構ある。桃がついているのは花の色からそう名付けられた。でも夾竹桃には白い花があり。それも自生していた。沖縄西の西表島だったかその白い夾竹桃をジャングルで見たことがあるからである。 その庭に植えてあったのは白い夾竹桃だった。

他にもその庭には何か知らない花が咲いていたのである。
何か空き家は眼について気になる。でも家そのものには?価値が見いだせない。庭には価値を見出している。だから、その庭に花が咲いている時依然としてその庭は生きているともなる。だから空き家が多い時空き家自体の利用より庭を何か生かすという方法があってもいいとも思う。ただ、庭にも色々ありやはりいい庭は少ない。立派な庭にするには石であれ木であれ金がかかるからである。
だから立派な庭を残した家はやはり金持ちの家だったともみる。本当に私の庭は狭いから立派な庭にしようにもできない。それでも庭があればそこに自然があり安らぐのである。


2023年08月01日

昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった (電気が通じないことの怖さ)


昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電になった


(電気が通じないことの怖さ)



いなづまやきのふは東けふは西

其角「曠野」


幾たびも遠稲妻や雲に月


朝の雷打ち轟きて目覚めかな


夕べは遠くに稲妻が何度も光っていた夜も光っていた。でも全然雷の音は聞こえなかった。それは遠いところで鳴っていたからだろう。そして月が光っていた。何か異様な光景だった。

そして今日は朝から雷が激しく鳴った。そして多少雨は降った。ところが南相馬市の一地区で私の住んでいる場所で停電になったのであるやはり雷が影響したのだろう。この停電の怖いことはパソコンが壊れる場合があるからだ。するとせっかく記録したものさえ聞いてしまうのが怖いのである


今回の停電は狭い地区であった。200戸だけだった。東北電力の人が電柱を見て歩いた。でも意外と早く回復した。長引くと思ったからである。それで電気が止まると冷蔵庫も止まるし食事の用意をするとき電気でするのでできないと困る。この暑い時冷蔵庫が止まることは困る。中の物は腐ってしまうからである。電気というのは今の社会で重大なものになっているか分かる。それは停電してみると分かるのである。


あらゆるものは電気を使っているからである。だから停電してみると電気のありがたみが分かるのである。ええ、東京電力の人は原発事故のとき電気なくなったらどうするのだと脅すようなことを言ったからである。それだけ電気というのはライフラインになっているのである。何かあらゆるものが電気が止まると機能しなくなるのである。だから本当は停電の対策をしておく必要がある。病院などでは自家発電の備えがあるのは当然である。命にかかわるからそうなっているのである。 


それでDellのノートパソコンは停電しても切れていなかった。だから普通に使えていた。なぜなら充電式になっていて電気が切れても電池から使えただから一瞬停電と思わなかったのである。ただ、食事の用意をしようとしたとき、電気が使えないので停電だと分かったのである。それも狭い200戸くらいが停電になった

外に出て確かめても電気をついていたからどうなったのかと心配だった。回復するとは思えなかった。停電でも長い停電というのは経験していない。それだけ日本の電気会社はやはり優れているともなる。


いずれにしろ昨日は俳句の季語だ遠稲妻となる。でもそれは秋の季語なのである。雷は?夏の季語でこれも何か?理解しにくい。まだ真夏だからである。それで秋の季語となるのは理解できない。ただ昨日は夜も稲妻が光っていた。だから朝になって。移動してきたことは理解できる。でも雨は大して降らなかった。それが何か心配なので。雨があまり降らないから。どうなってしまうのだろうという心配がある。


とにかく早く回復して助かったとなる。ガスはないので食事もできなくなる場合があった。やはりなんか天気が止まってもガスとかでも他の事でも必要なのかもしれない。だから。充電器というのは? 蓄電池が必要ともなる。何故ならこのように電気が切れるとお手上げになってしまうからである。もしクーラーなどでも電気が切れるとこれだけ暑いと熱中症で死ぬ人さえ出てくる。電気というのはライフラインであり、生命線になっている。でも原発事故のようなものはありそれもまた危険だしソーラーパネルでも自然景観を壊してまた危険でもある。だから何か電気というものが必要でも問題がある。そのことで技術的に何かできないかとなるが。それも出来ていないのである。


ただ、電気に頼り過ぎると電気がこないと何もできなくなり、お手上げになってしまう。それで津波のときどうなったか?裏山の清水を使いそこらにある木材を燃やして米を炊きそれで何とか凌いでいた。もう電気も水道も何も使えなくなったからである。そういう時帰って原始的生活をしている人は生き延びるともなるので。実際に私の戦後の子供時代の時は電気は裸電球一つであり燃料は炭であり水道もないから近くの家の井戸の水をもらっていたのである。そのときガスも使っていない。そういう生活は電気がなくても持続可能な社会となり。まさに持続するのである。電気は実際はなかなか高価なものでありそのエネルギー源となるものは石油とか石炭であり。それが日本にはない。ガスもない?それでエネルギーは脆弱なのである。


ともかくこの停電というのは一番影響が大きい問題かもしれない。もちろん食糧不足もそうだがその食料を料理する為には電気が必要だからである。そしてあらゆるところに電気を勉強を使っているから電気が通じないとお手上げになってしまうのである。ソーラーパネルなどは自宅に備えていれば自家発電できるということはある。だからソーラーパネルでも全部を否定するということはできない。個人の場合は、もしかしたらい良いものなのかもしれない。ただ、それにしても警官を壊すから嫌なのである。



2023年07月28日

田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた


田んぼの畦道でシロチドリを発見!

何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた

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クチバシは短く、大きな目で餌を探していて、干潟にしばらく留まっては、さっと走り出して餌をつまんで捕らえます。

目のまりが黄色なのも特徴か、南相馬市で発見

真昼にそ海風涼しシロチドリ

真夏の夜稲妻強烈月光る


シロチドリに間違えない、目の回りが黄色の写真もあった
これも絶滅危惧種ともなっている。赤モズもそうだった
田んぼの石ころの乾いた道に発見した
ここは津波以後田の拡大化の工事をしていて石を敷いた
海岸は津波以後砂浜が減少してわずかになった。前からも砂浜は減少していた。
この鳥は砂浜の小石を何個か集めて巣をつくるとある。ということはここが田んぼの中の道でも何かこの鳥が好む場だとはなる


ツバメが1年に2回繁殖し、雛を巣立たせるのを見たことはありませんか? このように、1回目の繁殖を順調に終えた親鳥が、2回目や3回目の繁殖を試みることが、小型の陸鳥を中心に多くの種で知られています。スズメは1年に3回繁殖することがありますが、仮に1回あたり6羽の雛を巣立たせるとすると、一夏で18羽も子孫を残せることになります。

一方、海鳥の繁殖は1年に1回限りです。オオミズナギドリやウトウは、どんなにうまくいっても、1年に1羽ずつしか子孫を残せません。海鳥は、親鳥が卵を産んでから雛が巣立つまでに長い時間を要するのです。
しまぐに日本の海鳥(7)海鳥に絶滅危惧種が多いわけ−海鳥の独特な繁殖生態−

この辺の海は津波以後松原もなくなり防波堤になり風力発電の風車になり木陰がなく休む場所がなくなった。海が近いから風は涼し、でも今年の暑さはきつい、体がぐったりと疲れる。だから外に出にくい、熱中症にもなる、何か異常な暑さである。

夜に急に雷鳴が鳴った、そして稲妻が光った。雨が降ると思ったら降らない、雲ににじんで月が光っている。これも暑いので見慣れない風景にもなる
やはり異常気象なのだろう、赤モズも見つけたがこれも絶滅危惧種とかになっている。やはり生態系に異常がきたしているからだろう。
田舎だとこうして野鳥などを観察するのにいい、今日はうまく写真が撮れた。

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2023年07月26日

芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)


芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など


(空家の庭の不思議)



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これは赤モズだった


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空家の庭




大石に鬼百合芙蓉映える庭


家数軒大石一つ芙蓉かな


夏菊のカンナに映える六号線


隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな


空家にそ老鶯鳴くや残る庭


立話海風涼し夕べかな





芙蓉と大石


どっしりと大石は黙し動かない

その前に広々とした野が開けている

すずしい風か海から吹いて来る

一本の木陰があり

ゆったりと芙蓉が咲いている

こういう風景の中で人は安らぐ

そこに人影も見えず

一本の木は静かに深く根ずき

その木は静かに大地に根ずく

白鷺は夏の日にまぶしく映えている

今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り

この地を乱すことはない

こうしてのどかな田舎に平和がある

車もたまにしか通らない

夏の雲が白く湧きあがり

鬼百合も熱く咲く

真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む






Fuyo and one big stone


The big stone is silent and stillnes

A spacious field opens up in front of it.

A cool breeze is blowing from the sea.

There is the shade of a tree

and a big hibiscus rose is blooming.

In this kind of scenery, people feel at ease.

No manl to be seen there

one tree is quiet and deeply rooted.

Here, one tree and one big stone have taken

your own place and are at ease

The egrets are dazzling in the summer sun

Today, still neatly scavenging for food with its slender legs

And never disturb this land

There is peace in this tranquil countryside

Cars pass by only once in a while

Summer clouds rise  up white

The  wild tiger lilies bloom  with strong passion

The scorching sun of midsummer burns and finally sets




Translated with DeepL


今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?

何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。


鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。


ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。 


ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。

そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。



ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。

だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。

なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。


私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。


精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。

7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)


このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである

ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない

だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである

現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった

心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった

だから政教一致は危険なのである。


2023年07月22日

合歓の花と待宵草


合歓の花と待宵草

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単線の線路に雨や月見草
雨しとと窓に紫陽花厨かな
夕蝉や今日も忙し買い物に

合歓の木のさゆれて川岸の道に朝涼し海よりの風
川岸に合歓の花咲き草深く待宵草も咲きにけるかな
我が庭にジャコウアゲハや朝静か大き羽根広げ休みぬ

真野川の土手どサイクリングロードは気持ちがいい合歓の花が咲いている。 そこにまた待宵草が咲く、今の時期は次々に花が咲く、合歓の花と。待宵草はあっている。ただ朝は咲かず宵にさくのはめずらしい、朝はこの辺は海から風が吹くので涼しい、今日は朝は晴れていたが午後から曇った、まだ梅雨は明けてはいない、でももはや明ける、ジャコウアゲハが今年も庭に飛んできて来て羽根を休める、その羽根は大きい

待宵草と月見草は違ったものだった。同じだと思っていた、どっちでも詩的なのである。常磐線はここは単線でありそれも原発事故があった原町からいわき市までは便数もすくないし乗る人も前から少なかった
この辺は仙台市の方が繋がりが深い、知っている人は東北福祉大学を出た。同級生で東北学院を出ている人もいる。東北福祉大学は山寺へ行く仙山線でも東北福祉大という駅がある。また仙台駅前にも東北福祉大にビルがあるから便利である、地方に大学が増えたのは地方の活性化のためでもあった。

蝉も結構鳴きだした、夕方に買い物に行くと蝉が鳴いている。とにかく家事を全部していると忙しいの、その合間にプログを書く
写真を撮ったりしている。写真を撮るということは、結構手間になると思った。ただ不思議なのはイメージクリエーターである。これで写真でも絵でもが作れるから本当に驚きである。
というのはインターネット上にいくらでも写真や絵があっても糧に使いないからである。素材でも許可がないと使いない、金もとられる。だから有料のイラストとか素材を商売にしている人は困るだろう。なにかもともとインターネットは無料から始まっている。だからなんでも有料になって歪められることもある

要するにインターネットでも金をとることだけに注目されるとやはり歪められる。現実にyoutubeでも低俗となり商売にもなったからである。何でも大衆化するとこうなてしまうのである。



2023年07月15日

蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中 (合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中

(合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


鷺眠る地を汚さずに合歓の花

身に着きぬ蜻蛉手に我が老いぬ

はかなさや蜉蝣いとしむ一時を

ノウゼンに夕日の射して散り落ちぬ我が家の前街の中かな

藪甘草十輪ほどや集まりて咲くや草深き里我が住みしかも

蜉蝣(かげろう)この弱々しい虫は、成虫になって1日で死んでしまうことから、「はかなく短い命」の象徴として、「かげろうの命」という言葉が作られた。
日本以外でもこのイメージは同じだったようだ。
カゲロウの仲間を意味する学名「Ephemeroptera」は、「1日」という意味と「翅(はね)」という意味のラテン語から作られた造語である。

蜉蝣は初秋の季語となている。でも6月でも出始めて九月ころまででる。私がいつも見た記憶があるのは6月とか7月である。だからどうして初秋の季語になているのか解せない、ただそれなりの理由はあるのだろう。季語にしても一人では決められないだろう。

その蜉蝣が外に出て身に着いたので手にとった。それはなんでもないことだけど何か人間は老人になるとこんなことでも感じ方が違ってくる。何故そうなるのか?それは死がまじかでありこの世とも人とも別れるからである。実際自分の家族は全部死んだ。60年も一緒にくらしても死ぬと呆気ないとつくづく思う。
だから人間でもかげろうのようなものだともなる。でもこいうことは若い人は感じないのである。

しかし人間んはたちまち老いる。だから人の出会いでも本当にはかない、50年前でも会った人をふりかえるとそんな人いたのかとまでなる、現実に5年間子供の時一つ屋根の下で暮らした女性はその人はいなかった言っている。その人は普通の人でないからともなるがでもそんなふうになてしまう。人と出会ってもどれだけの人が記憶しているだろうか?

ほとんど記憶から消えてゆくのである。でも若い時はそう思わない、いつまでも青春がつづくと思ているし老人になるとも思っていないないのである、これが人間の一番の盲点だったともなる
そして30過ぎて40頃になるとすでに白髪が生えてたりする
40過ぎるともう老人に向かっている、これほど時間が過ぎるのが早いのである。無常迅速なのである。

そして時代もめまぐるしく変わる。この辺での変わりように驚いた。津波原発事故で村ごと消失したり町や村が廃墟のようになった。それも信じられない変化だった。これを予想はできなかった。このように世の中の変化は激しいのである
ともかく老人になると深い見方ができる。それは別に優れた人だけではない、老人が何か悟ったような賢い人に見えるのはやはり人生の現実を死がまじかだということを否応なしに突き付けられからである。あと何年生きるのかとなればそうなる。末期の目でみることになるからである。

合歓の花は終った、これも咲く期間が意外と短い、いつも田舎で鷺を見ている、鷺は自然と融合して自然を乱さない、そして眠りにつく、合歓の花のように眠りにつく、安らかであり地を乱さないのである。
なんかこのところ暑く夏バテになった。不思議なのは蛙がなかない、これは原発事故の影響かと思ったが田んぼが復興したとき蛙が鳴いていた。蛙がいないのはなぜだろうとなる。まだ蝉も一羽くらいは鳴き始めた、蝶もあまり飛ばない
この辺は雨がすくなくそれが蛙が鳴かないのか?他でも蛙がなかないと報告がある。その理由がわからないのである

2023年07月03日

記憶する方法は本でも理解すること (人生で最後に残るのは記憶である)

記憶する方法は本でも理解すること

(人生で最後に残るのは記憶である)

●理解しないと記憶されない

脳にしっかりと記憶し、それを活用できるようにするには、「理解」がベースにないといけません。「理解なき暗記」は非常に脳に負担をかけます。

「こういう理由でこうなるのか」と、公式が意味していることを理解し、さらに「なぜそうなるのか」を人に説明できるようになると、その情報が脳の深部にまで届き、習得できます。

「覚えるのが苦手な人」が記憶力を高める方法2選
「頭が悪い」は生まれつきのものではなかった

なぜ記憶が大事なのか?それは老人になると分かるのである。人は色々と経験する。色々な人と出会い知識も集める。でもなぜ人は忘れるのか?それがわかるのは老人になってからである。たしかにその女性は私の兄に当たる人と一つ屋根の下で子供の時五年間一緒に暮らしていたのである。でもその女性はその人のことを何も憶えていない。その人はいなかったと言っているのである。その人は確かに実の兄ではない。でも一緒に子供の時、五年間も居たのだから忘れるということはありえないと思った。実は私も私の家で兄と一緒に五年間いたのである。それは私が一歳から五歳くらいまでであ。だから記憶はあまりない。

でも確かに一緒にいたということは覚えているのである。その時あんにゃと言ってたからである。その兄も40歳で交通事故で死んだのである。記憶にないということはその人が存在しないということでもある。それは認知症になると自分の子供すらわからわからなくなり。記憶から消えるのである。となると自分の子供すら存在しないとなるのである。こういうことは老人になると起きやすい。50年前のことをどれだけ人は覚えているだろうか?確かに大学時代にその人はあっていた。でも今になると、その人が本当に存在したのかとまでなる。 
去る者は日々に疎しであり。その人自体が非現実化してくるのである。だから死ぬとたちまち存在が曖昧のものとなる。それは60年も一緒に過ごした家族ですらそうだった。ましてその他の人はもっと50年も過ぎれば記憶から消えてしまうのである。

でも何か知的作業をするとき必ず記憶されたものは大事になる。なぜなら記憶されたものから過去をたどりいろいろと創作するからである旅をしたとしてもそれも過ぎてしまえばその記録も朧となり。思い出せなくなる? 特に車とかバイクは速すぎて振り返ればその途中を記憶されていないのである。 ただ一番生々しく感じているのはその時、その場のことである。
でもそれも時間が過ぎれば記憶も曖昧となり何を感じたかということも定かでなくなる。それで不思議なのは過去に書いた文章でも俳句でも短歌でもこんなものを作っていたのかと自分で作ったものに感心しているのである。プログだと時間軸でたどれるから過去を思い出すにはいいツールだとなる。

それは読書にも言えた。膨大な本を買って読んで印まで付けていても思い出せないのである。思い出せないというより本を理解していなかったのである。つまり力不足で本を理解できていないから。いくらしるしをつけていても、忘れてしまっていたのである。
千冊本を買って読んだとしても実質はせいぜい十冊ぐらいは深く読んだとしても、あとは読んだともならなかったのである。だから、これまで買った本を整理してもう一回読んでみるとまったく初めて読むように新鮮だったともなる。 ほとんど記憶すらされていなかったのである。その理由は、そもそもが理解されていなかったことにあったのである。 

いくら本を読んでも理解しなければ記憶されないということである。 そうして今なぜこうして買い集めた本を読み直してみると。理解しているのか不思議である。とにかく私は何か理解すること会得することが遅すぎたのである。すでに60過ぎとか70過ぎになって。ようやく理解するようになっていたからである。 

本を一冊読んで理解することは相当に難しい。これはやはりそれだけの内容があるということである。 だから若い時は理解できないし、中年になっても理解できていなかった。つまり記憶するには理解することが大事なのである。勉強でも暗記だけは身につかない理解力がないと身につかないのである。その理解力をつけることは難しいのである。例えば本を引用するにしても本人にただ習うまねるだけでなくその人自身のものが思想が80%ぐらいがあってあと20%をほかの人の引用などを利用する。理解力はない人はただ他人の物を引用しているだけだともなる。だから意外と引用すること自体が難しいのである。その人自身の独創的なものが80%ぐらいあって、あとの20%ぐらいを他の物を利用する。 その80%が本体を形成していて引用はそれに付け足すものとしてある。でも若い時はその本体がないからただ引用しているだけであり理解されていないから読書しても身に付いていなかったのである。

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●記憶される場が大事

記憶が失いやすいのは外国旅行どうして見れば分かる?そこはあまりにも変わっているから 戸惑ってしまう。それで記憶から消えてしまいやすいのである、だから記憶に定着させるにわ本当は一回だけでなく、2回、3回と行くことが必要なのである。でも外国旅行になれば、そんなことはできない。一回限りで終わるのが多いのである。だから記憶から消えやすいのである。それでせっかく外国旅行してももったいないとなる。金と時間をかけても。記憶されないされるものが。やっぱり消えてしまうのがもったいないのである。

また人間が記憶するというときどういう場所が記憶されやすいかとなると都会のような混雑した入り組んだところは記憶に残らない。路地裏の道を歩いたとしてもその場所は記憶されにくい。都会のことは記憶されにくいのである。もう混雑していてそこに居るの人は記憶されない。ただ、群衆として消えてゆくのである。今はこうして人でも記憶されにくいのである。もし一対一で合っていれば、そういうことはないかもしれない。でも旅とかであっても忘れてしまうのである。それは瞬間的な出合いでもあり忘れるのではある。

記憶するというときその場がとか全体が関係している場合がある。なぜか?最近死んだ自転車屋のことを思い出す。その自転車は屋は駅前でずっと仕事をしてきたのである。だから駅とも一体化していたし街とも一体化していたのである。だから死んでも。その人が街の中にいて駅前にいる感じになったのである。その人の記憶は街の中にあり駅の前にあったのである。 だから駅から降りるとその自転車屋の人がいる感じになるのである。でも今はそうして全体から切り離されて一体化していない。自転車屋は街の中で役割があり一体化していた。 でも会社員とかなると今は街と関係していない。またスーパーであれ、コンビニであれそこで働く人を人は記憶するだろうか?それがわかるのはそこに働いてしたい働いていた人がいなくなってもその人が誰からも記憶されない。ただ一つの部品が消えたという感覚になる。現代ではそういう事が多いのである。

とにかく人間を忘れやすいそれで墓があるがそれは忘れないようにするために記念として作ったのかもしれない。なぜなら死んだら本当に何か形あるものもなくなり故人を忍ぶものもなくなるからである。それで故人を個人を死者を忘れないために墓として物体として残しそれで義務的にでも墓参りして死者を記憶し続ける。人は死んだら形もなくなり忘れられるからである。

老人が記憶が大事だという時それは記憶自体が生きることになっているからである。何を人生で経験して記憶したのがそれが人生になってしまう。でもその記憶自体が曖昧となり。自分の記憶したものも伝えられないということもある。記憶したものを文章にしたり、写真にしたりにしたりするしてそれが残り記憶がよみがえるのである。今はスマホとかで簡単に写真に残せるから便利である。そしてその写真を見て思い出すのである。でも写真にしても。それはどの場所だったのか?またいつだったのか?それが不明になることがある。だから場所と日付が。時間が大事なのである。 

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

本当にこれだけ旅した自分でもつくづくそう思う、もう二度と行けなくなたともなるからである


●忘れられた医者のこととその空家

記憶という時不思議なのは近くの医者のことである。その医者のことは常に語られていたのである。口が悪い医者だが腕はよかったのである。私の家にも父が病気になった時、往診にきたし母の時も往診に来た。だから近くでは身近な存在だったのである。でも母は口が悪いので。嫌っていて別な親切な医者のところに行っていたのである。
でもなぜ?その医者は死んでその息子も医者だったのだが最近死んだ。その人は、一人息子だから今は誰も住んでいない。もともと息子は東京に住んでいたのでその妻も子供もこの土地に親しみがない。そしてその家を見ると去年の大地震で屋根が一部壊れている。それから戸なども戸などもいたんでいる。

でもその家を直すこともない。ただ放置されているのである。そしてその医者について何かこの辺で語る人もいないのである。それはその医者と関わった人は多く死んでしまったからである。でもあれだけその医者のことを騒いでいたのにぱったりと何も語られないということは不思議なので、それもなんなのだろうと思う。その家はいずれは朽ちてゆく。なぜならその家に住む人が家族がいないからである。だからそこももったいないと見ているのである。
ただ、空き家が残っていると依然として、その空き家は住んでいた人のことを思うのである。空き家もなくなれば次に語るものがなくなる。原町の大原にある空き家は幽霊屋敷のようになって壊されないで残っている。その家の中に入ったら本当に幽霊が出てくると思った。この家に住んだ人の。霊が取り憑いているような感覚になったのである。 だから物には霊はつくとなる。住んだの人の霊が例が取り憑いているともなるのである。一度この世に生を受けた者は簡単に消えたくないのである。

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2023年07月02日

夏の夕暮れから夜へ(夏雲雀、合歓の花、夏の月、涼しさ)


夏の夕暮れから夜へ(夏雲雀、合歓の花、夏の月、涼しさ)

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円盤雲

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夏雲雀空地の広くなお暮れじ
しなり揺れ夕風そよぎ合歓の花
バス停に相馬清水と夏の夕
湯上りに風の涼しく夜一人
湯上りや葉叢にのぞく夏の月

何鳥や澄みにし声に鳴きにけり夏の日一人我が部屋にいぬ
夕日さし我が力にそ坂をり風そよぎ涼しなお生きゆかむ

今日も暑かった、でもクーラーすると夏の気分がなくなる。ここは海風が吹き35度とかならない、でも今日は30度くらいで暑かった、それで夕暮れに外に出た、それで気持ち良かった、相馬市の道の駅の方に行った。
日中に陽射しを受けると熱中症になるのが怖いから出ない
人間は自然を感じるのにはやはり車だと坂を上るのにも楽だから登った感じがしない、今日は電動自転車の電池が切れた、でも優れものだから電池が切れても自力で結構走れる。それで坂を上った。夕日がさし風が涼しくそよぐ、夕暮れは涼しくなったから気持ちいい。

バス停に相馬清水とある、バスは通るにしても一日二回なのか三回なのか人はほとんど乗っていないのである
それよりバスが来ないのにバス停だけがまるでその地点を示すよあうに残っているものがある。地名を知るのにはいいとなる
相馬清水とあるからには清水があった、暑い時その清水を飲んだら涼しくなったとなる。近くの井戸水も冷たかったからである

風流は寒きものなりと言った人がいるが風流は暑きものなりともなる。でも昨今の篤さは異常であり風流ともならない、ただクーラーに頼ると不自然なものになりそれで電気の使い過ぎで金がかかる、ただこの頃は暑すぎるのである。

夜になると八つ手の葉叢の夏の満月が輝ているのが部屋から見える、八つ手も南国系である、芭蕉もそうである。沖縄では街中に芭蕉があり飲み屋がありいかにも南国的だった
暑さでも季節の変化がありその変化を楽しむのが日本なのである。でもあまりにも暑すぎると風流もなくなる

合歓の花も咲き始めた、夕風にそよぎゆれる、それがなにかたおやかな女性を感じる、しなやかだからである
これから本格的な夏になる。自分の問題は汗があまりかかず熱中症になることが怖いのである。でも夏は夏らしいのがいいとなる

静かに部屋に籠っていると何か澄んだ声で鳴く鳥がいる。それは毎日聞こえる、何の鳥かわからない、ヒヨドリらしい
でもこの鳥があんな声で鳴くのを聞いたことがない、ただ静かにしていると田舎だと鳥の声が家にいても聞こえるのである。
しかが都会とは違うのである。




2023年06月29日

夏の朝に海へ行く(立葵、ノウゼン、夏燕)


夏の朝に海へ行く(立葵、ノウゼン、夏燕)


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船ゆれて朝の光りに輝ける海面に浮かび漁師見るかな

夏の朝海面輝き一艘の漁船操る人の見えにき

広々と朝の平野に立葵朝の光りのまぶしくさしぬ

ノウゼンの咲き始めるや電線に燕とまりぬ朝の街かな


今日は朝から晴れていて暑かった、今日も一日暑い、まだクーラーをしていない
熱中症になりやすいのでこまる
漁船が一艘まじかに見えた、それで写真を撮った、今の時代写真が欠かせない、だから写俳という分野が生まれた、もともと正岡子規が唱えた写生俳句と写真が相性が良かったのである。みたままを俳句にすることだからでる、写真はまさにありのままの見たままを写すからである

立葵は夏にふさわしい花である。でも梅雨の時期に咲くから日本には合っていない
今日は晴れていたので写真の写りがいい、ノウゼンカズラも咲きはじめた

燕が何羽か電線にとまっていた、すでにノウゼンは二三道に散っていたのである
夏本番が来る、問題は熱中症になりやすいから自転車で遠くに出れなくなる
まともに陽射しを受けるか老化してそうなったのである
ただ自分は体は動くのである。脳梗塞になって歩くのがやっとという女性を見たらいかに健康が老人にとって大事かわかる、金のないのも問題もあるが老人になると健康な人と病気で弱る人のさが大きいのである。その女性は自転車にも乗れなくなったから買い物もある歩くほかない、だから自転車にも乗れなくなったら困る、買い物でも毎日ある
ともかく今日も暑い、暑さを乗り切るにも健康でないとできない、クーラーも必要だがこれは体に悪い場あいがある、この辺は海が近いから35度とかにはならない
それで助かるのである

これはフェスブックにも出す、フェスブックは最近始めたのでありまだ理解していない
わかったことはリアルタイムに実況中継するのにいい、スマホで写真でも動画でも簡単にアップできるからである

2023年06月26日

梅雨の晴れ間の俳句ー夏燕、夏雲雀、涼しさ、紫陽花


梅雨の晴れ間の俳句ー夏燕、夏雲雀、涼しさ、紫陽花

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道の駅寄りてすぐ去る夏燕
沖に船太平洋や夏燕
朝日昇り波打ちひびき夏雲雀
六号線盛んに飛ぶや夏雲雀
何使う空地の広く夏雲雀
走り去る電車の早し夏雲雀
部屋にいて夏雲雀鳴く外に出む
白波や遠くに船見る夏の海
涼しさや自転車走り風を切る
井戸の水汲みて涼しや街の中

部屋にいて紫陽花の青心しむこの家いとしみ静かにあらむ
我が部屋にそよぎ入る風涼し心静かに隠れてありぬ

昨日も暑かった、今日も暑い、梅雨はじめじめして外に出れなかった、昨日は久しぶりに晴れたので原町の方に行った。でも陽射しを浴びると熱中症になる。それで夏は外に出れなくなったのである

ただ夏はなつらしいのがいい、夏は夏で謳歌したいとなるがやはり健康でないとできないともなった。
自転車はまともに日差しを浴びるので熱中症になりやすい、ただクーラーはまだしない、やはり自然の風がいいのである。風が部屋にそよぎ入り涼しいとなる。30度越えるとクーラーがどうしても必要である。部屋でも熱中症になるからである。

広い元は田だった所に雲雀が鳴いている。何も用もなくても自然はそこに雲雀を活かしめ用あるものともなる。都会には空地がないからである。それで窮屈になる。空地があることはやはりむだだとはならないが田舎だともったないとなる









2023年06月18日

夏の俳句十句ー(牡丹 桑の実、馬肥し、夏燕、ヨシキリ。夏アザミ。夏雲雀、涼しさ)


夏の俳句十句ー(牡丹 桑の実、馬肥し、夏燕、ヨシキリ。夏アザミ。夏雲雀、涼しさ)

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明るしや光眩しく立葵
幸せや桑の実を食う行きずりに
我が庭の日陰に石や黒揚羽
何使う空地広しも馬肥し
高所にそ大工仕事や夏燕
ヨシキリや仕事忙し朝の道
原町や夏菊一面街中に
真日さして十本ほどの夏アザミ

陽の昇り海面光り夏雲雀
涼しさや釣人にかかる波しぶき
涼しさや鴎飛び去り空と海

誇らかに牡丹咲き継ぐ我が家の栄や齢ここに重ねぬ

昨日も暑かったら今日も朝から暑い。これまで作っていた俳句をまとめた。
桑の実は結構なっているのを見つける、それを食べるとき最高に甘美である。なぜならその実は神からこれな直接与えられたものだからである。人から与えられればそこには人の手が加えられ必ず無償で与えられるわけではない。
この世で無償で与えられるものは食べ物などでもほとんどない。
第一水であっても今や金を出しているほかはない。
だからこうしてこの世で無料で無償で与えられるものは最高の価値がある。それは砂漠で得たマナと同じである

不思議なのはこの世に生きる動物は特に鳥はこうして好みを食べて生きているそれは神から直接与えられたものでありいちいち気がねして食べてはいない、当然のものとして与えられ食べている。だから楽園に住んでいる。人間の場合何でも無償で与えられるものがない衣食住全部である。日々労苦して得なければならないし何か与えられるにしても無償なものはない金を払い礼を言い
与えられる。いくら金を払ってもそれだけではすまない、何かを与えられることはそれだけ気を遣うのである。

医者にかかるにしても家でも直してもらうにしてもいろいろ気を使い精神的に疲れる。それは人間のしてくれることが無償ではないからである。
俺はお前にどれだけ苦労して尽くしているかと恩をきせたりする
金だけではかたずかない、それは親でもそうである。子供に対して子育てしても無償ではない、いろいろと子供にも要求する
要するにこの世が生きずらいのはこうして何か人間から与えれるものが無償なものがないからである。それでこの人間社会に生きること自体苦しいものとなる。本当に水飲むことさい無償ではな、下手すると空気を吸うことでも金を払うとかなりかねない、そういう重圧を感じるから生きくるしくなる。
神の国ではすべてのものは神から直接与えられ無償だから天国になる。それがないからこの世は永遠に地獄にもなる。
この世でただより高いものはないというときまさに無償で与えられるものがこの世にはないということなのである。無料となるものが実際は一番高くなることがそれを証明している。

原町は夏菊があっていた。大原で新田川ゆっさの大原の道に夏アザミが咲いていた。その場にふさわし花がある、今は梅雨の時期でありアジサイでありこのころ草深く蛍袋がさく、季節の変化で花も変わる。ただ立葵は梅雨の時期にあわない、明るい陽射しをうけて咲くのがあっている。
意外だったのクローバーは夜ヨーロッパからもたらされたものだった。オランダかららしい。これは牧場に似合うからである。
日本だと馬肥し(うまごやし)となったのは馬を放牧して餌になったからだとなる。確かに広い牧場に向いている。
この辺では津波とか原発事故で空地が増えた。耕作放棄地が増えた。特に避難区域になった所では田んぼだところが空地化してそうなった。
だから何も利用されないからもったないともみる。この辺では野馬追があるから馬飼っているから牧場にすればいいともみる。
とにかく空家とか耕作放棄地は増えてくる。

海の方は海風が涼しい、釣りする人がいて夕暮れに鴎が一羽海のかなたに飛び去った。それを見て気持ちいい、そこで鴎のようになりたいとなる

牡丹は今年も二輪咲いた。それも20年なのか30年なのか庭に咲き続いているのも不思議である。場所がよかったらしい。風通しとかよかったからなのか謎である。



2023年06月01日

栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家 (牡鹿半島が見えたー青葉風、夏つばめ、夏鶯、、、)


栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家

(牡鹿半島が見えたー青葉風、夏つばめ、夏鶯、、、)

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牡鹿半島と松川浦が見える、大きく見えたのは驚き

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AIで作った画像

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八木沢峠の麓の家ーここから山に登る道がある

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五六羽の夏鶯の競う声
大原や黒揚羽三羽夏あざみ
青葉風軽快に走るサイクル車
駐車場車あまたや夏つばめ
喫茶店夏の空にや昼の月
つつじ赤く車の絶えじ六号線

登り来て青葉の山の間海見えて牡鹿半島連なり見ゆる
山囲み家の見えじも誰が住むやここに暮らして何思ふらむ

栃窪から塩の道を登ってゆくと道は崩壊していた。でもそこから男鹿牡鹿半島がはっきり見えた。こんなところから見えるのかと発見だった、意外と浜通りは海を通じて地理的に一体感がある
まず見えなとしたら地理的一体感が感じないからである。
浜通りは阿武隈山脈にさえぎられて吾妻山でも見えないからである、ましてや会津の山は全く見えないからそこは同じ福島県でも別世界なのである。
ただ蔵王は南相馬市でも鹿島区からでもはっきり見えるから山形県と一体感が感じるともなる

塩の道を上って行って助の観音からさらに登ると崖崩れがあり飯館村には行けなかった。それで引き返して上萱(うえがや)を通り八木沢峠の下の道に出た。そこで一軒の家がありそこには人は住んでいない、でも車があったから全く放置はされていない、そこは小高い山に囲まれていて不思議な空間だった。家が見えない、ただ山に閉ざされた空間だった。
その前は湿地帯になり黄菖蒲があまた咲いていた。もともと日本はこうして湿地帯だったところが多い。だから菖蒲田とかの地名がある。
そもそもこうした辺鄙な所に人が住んだのか、そこでも暮らしがなりったったからだろう。その一軒の家から山の中への道があり結構長い道を上ると行きずまりになっていた。

その道にも人の手で作られた石垣があり人がこの道を利用していた。何か木材とかを利用していて道を作っていた。
炭焼きなどでもしていたとなる。なにかしら生業がないと暮らせないからである。
ともかく人間は住む場所によって気持ちでも変わる、家も見えない山に囲まれたところで住んでいたらどんな気持ちになるのだろうかと思う。街が全く見えないからである,隠棲の場所としてはいいとなる。でも不便になるから車がないと生活できない、その家には車があるから人が住んでいるようにみえる。全くの空家とは違う、ただ空家化した所も多い、とにかくあんな不便な場所でも人は住んでいtえ暮らしていけたのである
そういう場所は日本でもいたるところにある、やはり炭焼きとかがあり暮らしがなり立っていたことが大きい、その時山は活きていたのである。

そこから下って来て大原にでてイオンに出て休んだ
昨日は陽射しも強くなく快適だった。五月の気候は気持ちいい時であったが最近暑くなりすぎたのである。陽射しが強いと熱中症になるので出れなくなった

2023年05月29日

桐の花、老鶯、黄菖蒲(梅雨になるのか-桐の花の詩)


桐の花、老鶯、黄菖蒲(梅雨になるのか)

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霧雨や残り咲きひそか桐の花
霧雨や裏道ひそか桐の花
水溜まり映りてひそか桐の花
家近く老鶯鳴くや雨しとと
草深く老鶯鳴くや籠るかな


裏の道
残り咲く
一輪ひそか
桐の花
この道行くを
誰か知る
雨しとと
水溜まりに
その花映りぬ
幽かに
その花の映りて消えぬ
あるともなしに
穢れし手で触れるなかれ
そは水に映り
神の見ていつしか消えぬ
そは神の鏡に映りて消えぬ
そを神に記憶されしも・・・・

The Road Behind
Remaining blooms
A single flower blooms in secret
Paulownia flower
Who knows where this road goes
Who knows
Rain drizzling
in a puddle
Reflected in the flowers
its flowers are reflected in the puddle of water and disappear
without being there
Do not touch it with unclean hands.
It is reflected in the water
God sees it and it will disappear someday
You are reflected in God's mirror and you will disappear
God remembers you: ・・・・


今年は梅雨になるのが早いのか、裏の道をいつも通る。今日もしとしとと雨であり霧雨でもある。強くは降らないから干ばつににもなっていた。でもこれから梅雨になれば長く降るから解消するだろう。また台風も来ているから大雨になるかもしれない。

桐の花は何かひっそりと咲いている。その花は何か自分の性分と合っている。どうしても人付き合いが苦手だからである。
もう一つは人というのは何か必ず汚れたもの醜いものがあり接したくないのである。そのために私は30年間も引きこもっていたのである。それで社会性がなくなり問題が起きた。
小人閑居して不善をなすとなったのである。隠者となるのはよほど優れた人でないとなれない。そこで長野県のようなところで田舎で凶悪な殺人事件がお引きこもりだった人が起こした

ともかく花にもいろいろありその人に合った花があることは確かである。桐の花は私の性分に合っている。
また草深く藪の中に老鶯が鳴いている。いかにも田舎らしい。でも隣の原町だと5万くらいの人口になるからこことはまた違っている。それで夏菊が原町に合っていると見た。
黄色が田植えしたあと水に映っていた。そこに暮らしがあり花も生きてくるのである。だから原発事故で草ぼうぼうとなったとき荒涼となってしまったのである

やはり自然でも人間が住んだ時人間の営みがありそれが自然の中で調和して生きてくる。暮らしがなければそこは生きてこないのである。だから日本からそう今人口が減り縮小して行く時限界集落とかが維持できなくなる。
そこから暮らしがなくなり何か荒れ果てた感じになるのである
また空き家も増えたことで荒れ果てたものとなる
隣の家も空き家となり広い庭何もなくただ積まれた石が残っている。でも冬の日その庭に洗濯物を干していたときその石も人間と一体となり生きていたのである。

冬の日に洗濯物干し大き石

つまり石がありその石も人間の生活と一体化して生きていたのである。それが空き家となった時全体の死んだようになってしまったのである。
田植えをが終わりそこに黄色の菖蒲が写っている。そこに暮らしがあり菖蒲も生きているのである。

写真はAIで作られたものと写真の合成である。

2023年05月25日

赤モズを発見!! (絶滅危惧鳥類アカモズはどこに何個体いるのか?)


赤モズを発見!!

(絶滅危惧鳥類アカモズはどこに何個体いるのか?)


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初夏や赤モズの姿とらえけり

枝渡り飛び去りゆくや夏の鳥軽やかにして涼しかりけり



国内における2019年現在の亜種アカモズの繁殖つがい数は149つがい,成鳥の総個体数は332個体と推定されました。国内における本亜種の繁殖分布域は北海道と本州の一部地域に限られ,過去100年間で90.9%縮小したと推定されました

夏季に中華人民共和国や日本、ロシア東部、朝鮮半島で繁殖し、冬季になるとインドやインドネシア、東南アジアへ南下し越冬する。日本では亜種シマアカモズが九州南部や南西諸島、亜種アカモズが北海道、本州東部に繁殖のため飛来(夏鳥)し、本州西部、四国、九州では渡りの途中に飛来(旅鳥)、沖縄では越冬のため飛来(冬鳥)する。
鵙はスズメ目モズ科の鳥の総称。夏鳥のアカモズ、チゴモズ、冬鳥のオオモズ、オオカラモズなど日本各地に広く繁殖分布し、寒いところで繁殖するものは暖かい平地に移って越冬する。翼長十センチくらい。羽色は全体に地味で、頭は栗色、背は灰色、翼は黒褐色で中央に白斑が一つある。食性は肉食で、昆虫類、節足動物、甲殻類などをを食べる


のうちの1亜種の亜種アカモズ Lanius cristatus superciliosus 以降アカモズ)は,日本とその周辺地域(サハリン南部・千島列島南部)でしか繁殖しません。国内では主に本州や北海道で繁殖するとされ,私の生まれ育った新潟県内でもいくつかの繁殖地が知られていました。図2は新潟市で2005年に見かけた看板ですが,カワラヒワやムクドリに並びアカモズ(図2左上)が紹介されています。かつては,ムクドリやカワラヒワのように,たくさんのアカモズが生息していたのでしょうか。私はアカモズの観察を夢見てこの場所に2005年から2011年にかけて7年間通いましたが,残念ながらアカモズを観察することは叶いませんでした。



モズは秋とか冬に見るけど夏にはみないと思っていた
これは繁殖するために渡って来てその途中にここに寄ったのか
この赤モズは非常に少なくなっている。

私はアカモズの観察を夢見てこの場所に2005年から2011年にかけて7年間通いましたが,残念ながらアカモズを観察することは叶いませんでした。

これほど野鳥を観察している人でも見れないのである。そしたら写真でも撮ったとすると相当に貴重だとなる。
これは街中を流れる真野川の岸辺で撮った、鳥はすぐに飛び去るので撮りにくいのである。一瞬で去ってしまうこともあるからだ。
だからこの写真は相当に貴重になるかもしれな、そんなに見かけないしまして写真にとらえたとしたろそうなる。幸運といえば幸運だった。そのときカメラをもっていたこともそうだった、やはりカメラは常時持っていないとチャンスを逃す、どこでシャッターチャンスがあるかわからないからである。



2023年05月22日

菖蒲の俳句(HIKE about iris) (beingのimage creatorで作る絵の不思議-Image Creator of Being and Haiku)


菖蒲の俳句(HIKE about  iris)

(beingのimage creatorで作る絵の不思議-Image Creator of Being and Haiku)

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草深く菖蒲に大岩村一つ
村一つ色合い濃くも菖蒲かな
岩一つ離れずここに菖蒲かな
貞淑な妻に菖蒲や岩一つ
池映る菖蒲や茶室に心澄む

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これは良くできている


チャットgptチャットでも不思議なものだけどaiで生成する画像も絵画もも本当に不思議である。
文章を入れてそれにふさわしい絵画が創造される。それはなんなのだろうと思う。私は他人の絵から写真から抽象画を大量に作ってきた。そんなことができたのはコンピューターはできて作られたのである。私には全く絵の才能がないからである。でもソフトで写真でも他人の絵画でも変化させると別なものになる。ただそこで著作権違反になっているのもあった。
でもそれもオリジナルの変化でありやはり創作となっているのかもしれない
ともかくコンピューターの特徴は人間の頭脳の代わりになる。それも今まで人間にしかできない芸術の創造の分野まで深く入り込んできていることである。
ただ詩を作ることはまだできないしできない分野も相当にある。
ただ絵画を文章から想像できることには驚くのである

菖蒲と岩と村をテーマにしてbeingのimage creatorで絵画化した。ただ茶室と入れても御堂がでてきたり情報が十分でない
日本の情報が十分に取りいれていないからそんな風になった
でももっと進化すればあらゆる世界の映像が表現できるようになる。だからartとは技術の意味があり技術によって変化するのである。

でも俳句一つでも創作できるのか?また理解して観賞できるのかは疑問である。新しい絵の具のようなものともなる。新しい絵の具が生まれて表現の幅が広がったからである。

With the theme of irises, rocks, and villages, he painted it with Image Creator of Being. However, even if you put it in the tea room, the mido will come out and there is not enough information.
It became like that because I didn't get enough information about the Japan
But if we evolve further, we will be able to express images from all over the world. Therefore, art has the meaning of technology and changes depending on the technology.

But can you create even one haiku? It is doubtful that we can understand and watch it again. It's like a new paint. This is because new paints have been born and the range of expression has expanded.

mido

In Buddhism, a hall where Buddha is enshrined. It also refers to a small sized  temple.


2023年05月21日

空き家の庭に咲く菖蒲と残された岩 (日本の風景になった空家)


空き家の庭に咲く菖蒲と残された岩

(日本の風景になった空家)

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草深く菖蒲に残さる岩一つ
夏の夕鹿狼山見え相馬暮る
菖蒲咲く白紫に黄に暮れぬ

我が庭に薄紫の薔薇一輪隠れて咲きぬ誰か知るらむ
ひそけくも桐の花散るこの道に物音もなく我一人行く
雨しとと桐の花散るひそけしや今日もこの道我は行くかな
何語る空家の庭に残される岩や草むし菖蒲咲き暮る

身近でも空家が増える、隣も空家になった。地震で壊れてそのために家を壊して空地化したのもある。すでに身近で十軒くらい見ている。
これもすぐ近くで空家化した。草が生えてそのなかに菖蒲が咲いていた、そして大きな岩が一つ残っている
草深く菖蒲が咲くというとき別に今は田舎だと咲くのはめずらしくないのである。でも空家の庭に咲いているから違っている。
この岩でも人間化してまだこの家にいるとかになる。こういう景色は原発事故で避難区域になった町や村では空家だらけであり庭でも人が住まずここと同じようになっている。
ただ地震で屋根が壊れても直している家もあり全く放置されたものとも違う、でも全く持ち主もかかわらない、放置された空家もある、それで誰も利用しないからもったないとみる
何か利用されれてもいいと思っても持ち主がいるから簡単にできないのである。
とにかく空家はこれからも増えてゆく、この辺は避難区域から移住した新しい家が増えたからいいにしても空家は確実に増えてゆくのである

鹿狼山はこの辺では原町からでも見える。400メートルくらいでありそれでも遠くから見える。この辺では高い山はないからものたりないのである。

庭にどういうわけか一輪この薄紫の薔薇が隠れて咲く、なぜか一輪ひっそりと咲き散る、桐の花もひっそりと咲き散る、桐の花は不思議な花である雨にしとしと濡れているのがあっているのである



2023年05月12日

夏の日に八木沢峠を上り飯館へ

夏の日に八木沢峠を上り飯館へ

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八木沢峠の入り口 御堂が裏にある

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緑陰に御堂隠され滝響く
新緑や二段の滝のひびきけり
藤高く風にそよぎゆれ触れえじも
汗かきて峠を越ゆや別世界
までい館飛び交い巣作り夏燕
復興や飯館村の張田かな

銀蘭を見つけしと語る飯館の老いにし人や案内するかな

八木沢峠の上り口の滝は二段になっていた。そこには隠されるように小さな御堂がある。新緑に映える、ただ滝は隠れているのではっきりは見えない
そこから飯館へ自転車で上るのは苦しい、かなりの坂が続くからである。標高が400メートル以上あることは鹿狼山の標高くらいあるから高いとなる。そのくらい登ることになるからである。
だから飯館は高原になり夏でも涼しのである、森も寒冷地帯の植生にもなる。

までい館には燕が盛んに飛んでいた。巣作りするためらしい、新しい建物であり復興のシンボルにもなったからふさわしいとなる。
草ぼうぼうだった田んぼも水が張られて蛙も鳴いていた。ここでもそうだったがカエルが鳴いて復興を感じた、でもまだ鷺は飛んでこない、鷺が飛んでくればさらにいい、水田には餌となるものがあるから鷺も来るのである。
ただ溜池でも干上がっていたから今年は干ばつになるのか?
雨が強く降らないからである、少雨になっているから気になっていた、それで心配だとなる

あいの沢で花に詳しい管理人に話を聞いたのは良かった
やはりそこに長く住んでいないとその土地のことはわからない、というのは飯館村だと森が深いし山菜も常食としていた、それで自ずと森に入るからである、私は森深くは入っていないからである。森の中のことがわからないんである。
でも丸森で森に入り抜け出れなかった恐怖を経験している。
だからなかなか森に入ることを躊躇するのである。
次は森に入り花を探して見よう



2023年05月10日

夏の夕暮れに相馬市に行く (張田、植田、藤の花、桐の花)


夏の夕暮れに相馬市に行く

(張田、植田、藤の花、桐の花)

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新築の家の玄関燕来る
満月を張田に映し灯のともし

夕方に相馬市へ行く

鹿狼山張田に映り夕暮れぬ
植田にそ夕日輝き農家暮る
田植え終え映して静か桐の花
松に藤街道静か夕暮れぬ
奥の庭藤の垂れ咲き古き宿
夕藤やおみなしとやか奥に待つ
月幽か藤長く垂れ籠る人
夕月や相馬の城下藤の花
白藤の闇の包むも知りし道

橙の三輪の薔薇咲き朝日さしあまた蕾や夏は来にけり

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5時ころまで片付けがあり本の整理に苦しんだ。それから相馬市に行った。張り田に満月が映っていたのは昨夜だった、今日は月は出ていなかった。
鹿狼山が張田に映る、この山は400メートルくらいでもこの辺では一番高いから結構遠くからも見える。原町の雲雀が原からも見えたからである。

この辺で物足りないのは高い山がないことなのである。
今は張田の季節である。その張田に昨夜かその前に満月が映っていた。田舎だから灯はともしくも満月だけは輝き映っていた
田舎だと月の方が明るくなる、大都会だと月も電気の明かりで美しく輝かない、思うに現代は電気を使いすぎる
夜までそれより眠らない都市とかなる、夜までこんなに活動して電気を使いすぎる、そのために原発が必要となり大事故になったのである。

田植えを終えた田の面に桐の花が映っていた、そして夕日が輝き映り山に沈んでいった。
そこは松並木が残る浜街道である。桐の花が植田に映している風景は常に見る。桐の花不思議な花である。静寂印とか賢治が童話で表現した花と似ている。なにか自分の性格と通じるものがある
自分は引きこもりであり長い間30年とか家に引き籠っていたからである。

藤の花が似合っているのは相馬市である、一応城下町だからである。残念なのは中村喫茶店がなくなったことである。
藤棚があり藤の花のトンネルの庭があったからある、それは城る町に相馬市に似合っていたのである。
夕方から夜になり六号線を帰る、そこに白藤が咲いているのを知っている、それは常にその道を行き来しているからである。

庭には橙の薔薇が今年もあまた咲く薔薇の花なぜかこんなに咲くのか不思議である。三輪開いたが蕾があまたありこれだs家また裂くのである。
このように人間でも子供でも増えればいいとなる。次の代を継ぐ人が少なすぎる、老人ばかり増えるからである。
とにかく夏になればいろいろな花が咲く、燕も新築の家の玄関に飛んで来た、この辺は原発事故で避難区域から移住してくる人が家を建てているからいいのである。
家の片づけと修理は終わていない、また傷んでいたところがあり修理が必要なのである。





2023年05月04日

藤の花、菖蒲、桐の花(夏になり近辺を回る)

藤の花、菖蒲、桐の花(夏になり近辺を回る)

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ジャーマンアイリスだから日本の菖蒲ではない、写真にすると違っているとなるが
言葉だけだったらそれぞれイメージするからいいのである。ただ写生が基本になるから問題にはなる
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これは相馬市のイオンの近くの農家で撮った、桜なのか。4月のはじめか三月に撮ったから

夕月や相馬の城下藤の花

荒らし風痛くな吹きそ藤咲きぬ日陰の道行く心静かに
木の下に菖蒲の咲きぬ変わらずにその色染みて日影の道行く
藤の花そよゆれ静かこの道に鳥鳴く声や行く人もまれ
変わらずにここに石あり菖蒲咲き心静まる家への道見ゆ
藤棚をしつらい咲かす落ち着きて老いの身労りここに住みなむ
留守にせし我が家の庭の花探し黒揚羽の舞い去りにけり
桐の花今年もここに咲きにつつひそか散りにき音もなくして

夏になった、藤の花が咲き菖蒲が咲き桐の花が咲いた。すでに桐の花は散ったのもある。
近くに森があり木陰が深い、田舎だと今は田植えになり季節を感じる。

何か家に整理とかたずけで相当に疲れた。重い本を持ったので疲れたのと階段が急なので何回も上り下りして疲れた
老人になると後になて疲れが出やすいのである。
それでつくづく藤棚がありその藤棚を作るのは大工さんであり老人はそこに藤の花を観賞するのが向いているとなる。
老人は住み心地がいい家とか場所が大事になる。家にいる時間が長くなるからである。
何か老人は変化しないことがいい安心する。ここに前から石があり菖蒲でも咲いていたとかなり安心する
認知症になるとそうして見慣れたものや見知った人としか通じあうことができなくなる。
遠くに住んでる実の子供でも忘れたりするからである。つまり認知症でなくても老人はそういう傾向になるのである。

藤の花は相馬の城跡に藤棚に咲いている、藤の花が似合っている。一応城下町でもあり似合っている。それで中村喫茶店に藤の花の庭があったが閉店したのが残念だったとなる。
喫茶店はどこでも維持できなくなって減少した。残ったのはドライブインの喫茶店というとき車社会だからそうなったのである。
街中の店でも車の駐車場がないと利用しにくいからである。

近くに森があり木陰が深く鳥が鳴いている。今日は風もなくいい天気であり気持ちがいい、遠くに行くにもいいと思ったが疲れたので行けなかった。







2023年04月29日

鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅 (仙台市の青葉茂る通りの詩)


鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅

(仙台市の青葉茂る通りの詩)

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車窓から見た蔵王



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これは小さいが前は大きな八重桜だたのである。

駅の前の八重桜

八重桜一本なおも駅の前
ほのぼのと咲き心温まる
人の出会いと別れや
見送る人に見送られる人
人の暮しの駅に続きぬ
駅前に勤めし自転車屋の人
今は亡きしも我お待ちてあれ
我が姉と母も今は亡きしも
待つことあれ心にその面影の浮かびぬ
ああ 忠犬ハチ公のように
主を待ちて駅にあることのあわれ
かく待つことの駅にはあれ
いずれは人は皆死にて消えゆく
そしてここに働きし日々を思い出すなれ
我はなお生きて駅に一人帰り来て淋しかな



青葉茂れる仙台の通り

青葉にまぶしく夏の光
木陰なし通りを歩む
ここに若き人等行き交う
メインストリートにチューリップ咲き
青葉茂れる夏の夕暮れ
ここに若き等の熱気を帯びる
田舎を歩むは杖ついた老人
ここを歩むは颯爽と胸を張る若者
彼は彼女等は何を語っているのか
未来に胸をふくらませているのか
我が青春の日は遠く老いぬ
青葉は茂り夏の光がまぶしくさした
そして若者の熱気が息遣いを感じた
かくて夏の日は暮れぬ


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何か鉄道の駅は不思議である。高速道路の道の駅のとはあまりにも違っている。
それはなぜなのか?鉄道の歴史が長いということもある。明治時代から始まっているからである。
その中で人間は鉄道利用してきたからである。そこに人間のドラマがあり人間的なものは鉄道に付与されたのである。
そして駅も人間的な場所として長い間百年とかあいつづけたのである。なぜ鉄道は人間的なのかとなると車と比べるとわかる。道の駅だと何かそこに人間的なものは生まれない。
人が出会い人が別れそこに人間的なものの情が駅でも鉄道でも付与されたのである
道の駅と違うのはとにかく駅というのは短い時間であれ必ず電車がくるの駅でまず待つ。その待つことが人間的なものを生み出していたのである。それで忠犬ハチ公の物語が生まれたことでもわかる
それは鉄道の駅だからこそ生まれたのである。

なぜなら高速道路の道の駅なら待つということはないからである。そこで人の出会いとか別れもないのである。
ただ機能的なものとしてあれ一時トイレを利用したり食事をしたり買い物したりしてすぐに去ってゆくだけである。そこに待つ時間も別れを惜しむ時間もないのである。
この待つ時間は効率的に見れば無駄だとなる。でもその待つ時間が人間的なものを演出してきたのである。
人間は一見無駄に思えるものが実は無駄ではない。それが人間の特徴なのである。だから老子でも無用の用を説いたのである。

大都会でも空間でもビルに埋め尽くされたら窮屈になり圧迫されるのはそこに無用の空間がないからである。
全ての用あるものとして埋め尽くされたら人間は窮屈になり圧迫される苦しくなってしまう。
時間にしても効率を追求すれば人間は機械かロボットのようにされる。それは流れ作業の仕事などがそうである効率を追求を追求して行けば1分でも休ませてはいけないとなってしまうからである。
そうして人間は機械のようになりロボットのようにさせられることになったのである。
ともかく八重桜は前は三本くらい咲いていた。でもJRで切ってしまったのである。また近くの人が虫が来るということで切ってほしいということもあった。でも一本だけは残ったのである。

この八重桜は桜と違って何かほのぼのとして母の愛のような感じになる。だからこれまで私は家族がいるときは家族が待っていたから良かったのである。
今になると家族もみんな死んで誰も待ってる人もいない。駅前の自転車屋の人も死んだ。それもごく最近のことである。
自転車屋の人は駅前にあるから駅のことを何かと気にしていたのである。駅前の店とかは駅と一体になっていたのである
駅前の通りあり駅の中心になっていたからである。それが車社会になった時その役割を失ったのである。だから鉄道の使いかた乗り方すら知らない人がいたのである。それだけ鉄道は利用されなくなったということでもある。

ただ遠くに行くとき仙台となるとやはり鉄道を利用する。
仙台だと仙台の駅から青葉が茂るメインストリートがありその真ん中にチューリップが咲いていた。
そして若い人たちが盛んに歩いている。そこは若い人たちの熱気に溢れていた。今田舎になると原町などでわ5万とかの人口があっても通りを歩いている人を見かけない。
時々杖をついて歩いている老人を見かけるくらいなのである

町の通りを歩く人が稀である。みんな郊外のイオンとかのスーパーに車で来るからである。ただそのために相馬市でわイオンが閉鎖されて町全体が寂れたようになってしまったのである。
それも問題だと思った。イオンは大資本であり大きなビルを建てスーパーを作っても採算が取れないければ撤退してしまうからである。そのあとは空洞化して町全体が寂れたようになってしまうのである。
でも小さな商店はとてもスーパーにはかなわないし成り立たなくなったのである。
やはり仙台市とかには人が集まりさらに拡大してゆく。震災後原発事故でも帰って仙台市に人が集まるようになったのである。
そしてその周辺地帯は人口が減少してゆくという変化があったのである。

春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)

春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)

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今日も見ゆ鉢に菖蒲や貧の家



白波の寄せてひびくや朝雲雀
六号線喫茶店あり八重桜
朝歩む人に鶯鳴きにけり
今日も見ゆ鉢に菖蒲や貧の家

たちまちにタンポポの綿毛飛び散りて雲雀鳴く声朝に響きぬ

朝に海の方に言ったら白波が寄せて響いていた。
4月も終わりになりすでに夏になったようである。
たんぽぽの綿毛が満ちて散ってゆく。一斉にたんぽぽが咲いたがそれもちった。季節が移ってゆく。今度は連休であり夏になる。
すでに藤の花は咲き始めている。
川の土手を歩く人がいる。そこにウグイスがなくそれは何も変わった風景ではないが歩いているということで鶯のが歩く人で響くのである。

何か現在は歩くということが珍しいのである。みんな車であり車社会だから歩くということが珍しくなったのである。
でも歩くということは自然と一体化するのである。それが車となった時自然と一体化しないものとなったのである。
だから江戸時代の浮世絵などで歩いて旅している人を見るとそれは風景の中に溶け込んでいるのである。人間が歩いているとそれは絵になり不死にもなるのである

それだけ人間は今機械に左右されて本来の人間の姿を失ってしまったのである。ただ人間はどうしても便利なことを追求してきた。車なら風だろうが雨だろうは自然に左右されない。
それだけ便利なものだから手放せないようになるのである。
私は毎日朝に川の土手の道を自転車で走っている。でも私自身が歩いていないのである。それで山形市に行って歩いて足を悪く悪くした。

このように人間は今歩くことをしていないし歩く姿も見ない。街でも歩く人も見かけない。それで通りはシャッターとうりになったのである。何かそれが街を寂れさせたのである。
車だと駐車場もないし不便でありどうしても郊外のイオンとか行くようになるからである。それも車社会がそうさせたのである。

毎日市営住宅に入っている人の部屋を見ている。その人のことを知っているからである。そこにわずかな庭があり鉢に菖蒲がさいている。
それを毎日見ている。そこに住む女性は老人は私の家に常に来ているからである。
もしそうでなければその市営住宅に住んでいる人の女性のことなど関心がなかったろう。でも親しくしているからその住んでいる住宅でも見る目が違ったものになる。
でも知らなければ誰が住んでいるかも知らないし関心もないのであう。田舎でもそうなってしまうのである。
ともかく桜も散って夏になる、その季節の変化も早い。昨日は仙台市に行ってきた。そのことは次に書くことになる。


2023年04月19日

桜も散り季節が変わり装いを新たにする (タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


桜も散り季節が変わり装いを新たにする

(タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


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忘れな草




タンポポを踏みて犬散歩

ますぐなる道にタンポポ絶えず咲き朝の海に出て沖に船見ゆ
タンポポの空地に広く咲き充ちぬ朝に雲雀の鳴く声ひびく
八重桜タンポポ眩し土手の道芽吹きし木々の風にそよぎぬ
様々の花を植えたり我が庭に余生ここに楽しむべしかな
我が庭に咲き続けたる牡丹かななお栄えむと咲き続けなむ
咲きつづく牡丹や朝日に眩ゆしや心置きなく咲きて散るらむ
あらたにそ牡丹植えてそ咲くを待つ咲くとかぎらじも我が待ちにけり
地味なれや忘れな草の庭に植えとなり明るくさくら草咲く
庭の奥白椿咲きひそか散る我のみ見つつ部屋にこもりぬ

桜がみんな散った、次に咲くのが八重桜である、これは落ち着いて咲く花である。ほのぼのとして咲く花である。桜は咲いても常に散ること予感させる、だから静心なく咲く花なのである。
その花が咲く道を今日も行く、土手にタンポポが眩しい、犬がそのタンポポを踏んで散歩する、それは平和な光景である

牡丹も庭に咲き続ける、20年なのか30年なのかわからない、そんなに長く咲き続けるものなのか、その不思議がある、場所がマッチしたのだろう。牡丹はやはり栄の象徴の花である。
花の王者である。

そしてこの花のように心置きなく咲いて散る、その生を全うする、そうなるにはやはり長生きしなければならない、早世する天才もいるが普通の人でも長寿の」時代は才能が開花するともなる
心置きなく咲き散っていく、西行の辞世の歌が

願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃

「望月の頃」なので「陰暦2月15日」。今の暦では3月の後半にあたります。まさに桜が満開の時期ですね。

満願かなってこの日に死んだ、心おきなく死んだのである
こんな風に死ねたことは桜を歌い続けて実生活でもそのとうりななったというなはやはり人間の詩も実はその一生の反映としてあるかそうなる。生きざまが死にざまにもなるからそうなる。
ここに死にたいする恐れもなくただ和やかなかな春の満月が照らしているだけである、安らかな死があるのみである。
死は実際は断末魔の形相ともなりそんな安らかに死ねないからである。だからこれは例外的となる死である。

ともかく家と庭でも新しくしたことは良かった、ただまだリホームする場所がありそれでまた仕事が終わらないのである。
家のことを整理するのが大変なのである。捨てるべきもの捨て身軽にする必要がある。ただ本などでも簡単にすてられないから困るのである。良書は不思議に何回読んでもあきない、何か新しい発見がある、結局読書はその人の読む方で相当に理解力がないと
ただ一方的になるだけである。
つまり自分の文脈のなかで引用するようになるとただ一方的読む読まされるとはならないのである。
とにかき知的作業には自分の書斎なり城を持つことが不可欠である。そして庭があるとそこから自然にじかにふれられるからいいのである。
もし大きな庭があり散策できるなら最高である、それは相当な金持ちでないとできない、田舎だと散策は外ですればいいとなる。
今の季節は最高だからである。





2023年04月13日

津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く


津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く

津波より十二年すぎ海向い桜咲く朝なごみけるかな
車窓より山桜見つ走りゆく咲きつづけて音の高鳴る
我が町に働きつづけて死ににけりその人なしも駅に帰るも

津波から十二年過ぎたということは12歳の人はもう津波のことは知らないとなる。それは親とかからの話を聞くだけになる。
20年もすぎたら20歳になった人は津波のことは知らないとなってしまう。ただいろいろと記録は映像でも残されているから簡単には忘れることはないだろう。
ただ人間の弱点は忘れることなのである。全国を旅したとしてもその行った場所を思い出せなくなる。だから思い出すには行った場所にもう一回行くといい、記憶が蘇るのである。
江戸時代だったら遠くには一回くらいしかいけない。今なら交通発達しているから何度でも行ける。だから近くになると何回もいけるから記憶が蘇る。そして必ず新しい発見がある。

人間はともかく意外と近くでもよく観ていないのである。今回でも山形には必ず寄っていたがよく見ていなかったのである。
月山は山形県から山形市から見えると思わなかったのである。
こうして人間は何でもよく観ていないのである。

津波のことでも原発事故のことでも経験した人は12年過ぎてもまだ生々しいものとなっている。特に津波で家族が死んだ人や他でも死んだ人がいるとその商魂は傷跡はなかなか消えないとなる
とにかく今回は山形まで行ってその後で体調不良になった。
前も歩いて足が腫れたのであろ。そして体全体の不調に見舞われた。ただの電車の旅でもそうなったのである。だから体力の限界を感じたのである。 75歳になると介護状態になる人が居ることが理解した。何らかで体が前のように働かないのである。これもショックだった。

どうしても体が前のように動かなくなる。そして肉体労働となるとできなくなる。旅でもなかなか遠くになると行けなくなる。そういうことでやはり若いうちにやりたいことはやっておくべきである。いくら金と暇ができても体力がなくなると旅するできなくなるからである。
そういうことで今回はショックを受けたのである。

わが町に帰ってきても駅に帰ってきても自転車屋の星淳氏が死んだので店はしまっている。
それもさみしいとなる。家族にしろみんな死んだので誰も待ってくれる人はいない。何か駅前の自転車屋は駅と結びついていたのである。なぜならいつも駅を見ていたからである。それで駅のことを駅のことをよく言っていたからである。だから駅には何か思い入れがあったとなる。
それで帰ってきてもその人がえるような感覚になるのである。
それだけの存在感を持ったのはやはり小さな町であり一軒しか自転車屋なくなっていたからである。それで貴重なものとなり死んだ後でも思うようになったのである

2023年04月09日

残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)


残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)

花吹雪一人この道我は行く田舎なりしも装われにけり
朝からに風の荒らしも桜花あらかた散りて残る花かな
風荒く夕べなお吹き唸るかな今日もこの道残る花見ゆ
夜の更けて残れる花のあわれかな田舎の闇の深くもあるかな
近くとも心離るれば遠きかな春の荒らしや花は散りにき

私の短歌のテーマは桜でもあった、だからかなり桜については短歌を作った、西行も桜の歌を作り続けて死んだ
桜は日本を象徴する花である。桜に日本人の心にもなっている。
桜に日本人は人生をも投影してきたのである。

今日は朝からも風が強かった、ビュービューと唸って吹き付けていた。夕方も風がやまず吹き付けた。
今年の桜は早く咲き早く散った、遠くの桜を見ないうちに近くの桜は散った。リホームで忙しくして見にいけなかったともなる
大河原の千本桜を自転車で見に行ったとき全部すでに散っていたのである。その時なんともいえぬ感慨があった
あれだけの桜をわざわざ遠くから苦労して見に来たのに無情にも全部散っていたからである。
それだけ桜は散るのが早いということである。
ただこれからでも山形とか岩手の方に行けば見れるかもしれないが今年は散るのが早い、だから意外と桜はどこでも咲いていても見れないのである。

ともかく近くても嫌だとなりその女性は男性のもとに行かなくなった、老人であり別に若い時とは違う、それも金の問題だったともなる、人間は心が離れると近くでも遠くなるのである。それもわびしいとはなる。人間の関係も切れやすいのである。
田舎だと闇が深い、だから田舎では静かな生活とかに適合できな人もいる
にぎやかな所を好む人もいるからである

プログだと毎日報告できる、それで俳句とか短歌を出すには向いている、季節が日本だと変わりやすいし天候でも刻々変わっているからである。
別にプログだとこうして一行ですら書いて出せるのが強みでる
そこに臨場感がでてくるのだが読む人はどうしても何日か遅れて読むとなる。ただプログだと日にちが記録されるからあとでふりかえるのにはいいのである。

とにかく桜の短歌を集めて歌集を出したい、それはアマゾンでできる、一冊でも本を作ることができるようになったからである
それでこれまで書いたものが増えすぎたのでまとめる必要があり
そのために時間がかかるのである。

2023年04月08日

故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山と万葉会館の丘の桜)


故郷の丘の桜の詩ー桜散る

(桜平山と万葉会館の丘の桜)

二本の朝の小径に花の影
タンポポのたちまち充ちぬ空地かな
六号線タンポポ充ちてどこまでも

花は散り残れる花や雨しとと朝の静かに今日も行く道
ふるさとに散りし桜を惜しむかな遠くへ行かず雨のふるあと
夕べ吹く風の強しも花の散りさらに花散り残す花かな
移り住む人の庭咲く枝垂桜月日の経るや色濃くなりぬ
早く咲き早く散りにし桜かな夕べの風の荒く吹くかな
庭に石枝垂桜や色濃くも月日を経てそ落ち着きにけり
夜の更けて花は見えじも風荒く吹く音ひびき花は散るらむ

故郷の桜

桜平山に太平洋を望み
沖に船行く朝清し
若草のういういしかも
蕗の薹もあまたいでて
植えにし桜も満開
かなた鹿狼山も望み
ここに新たな視界開けぬ
椿も赤く装う道や
畑は耕され実りあるべし
祖の労苦は時を経て叶えられむ
故郷を受け継ぐ者よ
未来は自然と共につちかれるべし
力尽くせ若きも老いも男も女も
災い深く傷ついた故郷
しかし再び蘇るべしかな

今年は桜が咲くのも早かったが散るのも早かった。
今朝桜の咲く土手を歩いていたら桜が夕べの昨夜の雨で濡れた道に散っていた。
そして夕べになる風は強かった。それでまた花が散ってゆく。今年の桜はこのように何か最低さいてもたちまちに散ってしまった感じである。
桜というのはやはり日本を象徴した花である。そこに何か人の命をその儚さを見るのである。
とにかく桜は咲いたらすぐに散ってゆく。そこに返って桜の美がありそれは人間の命も象徴しているのである。
でも枝垂桜となるとそういう感じはない。この辺では他から移ってきた人たちが二つ三つくらい住宅街を作りそこに住んで5年くらいすぎるだろう。その家の庭に枝垂桜は咲いている。そこに石があり月日おいて定着したともなる

桜平山と新しくできた万葉会館に丘からは街がまた海が山脈が鹿狼山が望まれるから気持ちいい、見晴らす場所としていい。
景観でも人間が作りそれで新たな視界を得ることにもなる。
南相馬市でも津波や原発事故で被害があったが改善されたところもあった。ただその傷は未だに残っている。
避難区域になった所がは回復するのが相当に困難である
南相馬市だと小高とかは回復がむずかしい、若人もまれだし子供もいないとなると老人だけで復興することはむずかしい
原町区とか鹿島区などはかえって移り住む人が増えて人口を減ることをまねがれたのである。
だから日本全国でもこうしたことが起きてくるかもしれない、少子高齢化社会で町や村が維持できなくなるからである
相馬地域だと相馬市と原町区を中心にしえ集約化するのである。
現実に小高の人々が原町に移り住んだからである

自然だと少子高齢化はない、今空家や耕作放棄地が膨大になっているが自然だとその空地でもタンポポが咲いてたちまち埋めつくすのである。そこに美があるから空地でも輝いているとはなる。でも空家にはそいうものがない、ただ荒れ果てて荒廃してゆくだけなのである。
だから人間のいなくなった世界がどうなるのか、そこにはやはり美があり美は消えないともなる。
もともと人間がいないとき荘厳な美が自然にはあった。それを破壊したのも人間だったのである。

鹿島区桜田山から海を見る (万葉会館の丘も桜満開)



2023年04月03日

鹿島区桜田山から桜と海を見る (万葉会館の丘も桜満開)


鹿島区桜田山から桜と海を見る

(万葉会館の丘も桜満開)

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山桜万葉園の芽吹きかな
街中の墓地に参りて落椿

太平洋沖に船行き満開の桜の映える丘に上りぬ
満開の桜に赤し椿かな遠くに望む鹿狼山かな
若草の丘に桜や椿咲き遠く望みぬ鹿狼山かな
我が墓の赤錆落とし春の日や供養と勤む人と語りぬ

桜田山の万葉園は荒れていた、震災以後荒れてしまったのである。もともとここを見に来る人もわずかで寂れていたのである。
何か庭でもそうだがリニューアルしないと魅力がなくなる。
ただ山桜が咲き芽吹きがあり美しかった

今は万葉園の方が整備されて散歩する道がありその斜面に桜が咲き満開だった、でもここの桜の木はまだそれほど成長していないのである
ここは新しいから若草が生い茂り蕗の薹もでていた
遠くに鹿狼山がみえた、この山は400メートルくらいでもこの辺では高い山であり遠くからでも見えるのである
自分の家の墓に御影石に赤錆で汚れたので大工兼庭師兼墓作り掃除する人は重宝する、でも庭でも狭いからそんなに変えることはできない、金もかかる、昔の戦前の金持ちは大工でも庭師でも専属として雇っていたのである。だから技をそこで磨けたのである
そういう家とか庭が今は観光として金をとって見せているのである。




2023年04月02日

相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

相馬六万石の桜

(みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

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街中に数羽鳴きかい燕来る

満開の桜に夕日映えて暮る六万石の城の跡かな
城跡のお堀にあわれ夕暮れや桜を写して女高生行く
桜色女高生行く城下町辻を曲がりて春の日暮れぬ

城跡に枝垂桜の優艶に小高の暮れぬ我が訪ねて去りぬ
牛越城五年ありしと桜咲き風吹き暮れぬ短き日かな

赤々と椿の映えて安達太良や夕風吹きて花も散りなむ
二本松の城に夕暮れ赤々と椿の咲きて風騒ぐかな
山城に井戸の深きも散る椿赤きや守る侍死にぬ


石垣の反りて高く広瀬川ひびき流れて燕飛び来る
みちのくの仙台の街の夕暮れや遅くも咲きし桜匂いぬ


その場所と歴史とが一体となっている。そういうところが魅力がある。城はそういうことで魅力がある。ただ相馬の城跡があるにしてもそこにどういう歴史があったのかイメージしにくい、
でも六万石というときその規模からイメージするものがある。
それで

城下町六万石や冬椿

私が作ったものであるが何かこれが相馬六万石の城下町をイメージされる

春や昔十五万石の城下かな 子規

ここに6万石と十五万石の差がある。六万石となると規模が小さいからである。だから貧しいともなる。それで冬椿がにあっているとなる。
小高の城は相馬氏が支配した一番古い城である。次に原町の牛越城に移り五年あった、短いにしても小規模でも城があったとなる、城というより館のようなものである。
相馬の女学校ではなぎなたを教えていたのはやはり城があり江戸時代から伝えられたものがあったためおなる
何故なら原町高校とかなると商業高校から始まっているからである。

城というとき二本松の城は魅力がある。山城であり背景に安達太良山が映える、桜がその山城を覆う、椿も赤く咲いていた。
深い井戸もあり城は水を自給するから籠城できたとなる。

城内に120カ所以上も掘られたという井戸で、17カ所が現存しています。深いものは約40mもあるとされ、加藤清正の頃から熊本が豊かな地下水に恵まれていたことを今に伝えています。

これだけの井戸があり政府軍が籠り西郷隆盛の軍が攻略できなかったのである。
つまり籠城しても水がないとできないのである。これは今の戦争でもそうである。食料でも自給できなければ国でも守れないのである。それはウクライナの戦争でロシアが食料を自給できるから戦争できる、ベトナム戦争でも芋を食料としてしのいだ。熱帯だから芋の成長が早かったのである。長期戦でもできるとなったことでもわかる。
日本の危険は外国に食料を頼りすぎて国防からみれば危険なことだったのである。

とにかく城には桜が映える、でも城があるときは桜がさいていなかったのである。
城内に桜が咲き誇るようになったのは明治時代以降のことで、江戸時代までの城には今のように桜の木は生えていなかった。城下町や街道を見張るために城内の木々は基本的には伐採されており、植栽されていたのは食糧にもなる梅や、合戦時に利用できる松・竹などに限られていた。

実用的なものとして井戸があり桜はなかったのである。
城は捨てられてかえりみらなかったのである。
時代劇で浪人が城を嫌っていた、城の侍を妬み恨んでいたからである。私の家を建てた時も家が大きいから妬まれたのである
それは50年前となるとまだみんな裕福になっていなかったからである。その後はみんな豊かになっていたのである。
城でもみんな庶民がいいものとして見ていたとは限らない、庶民は米を侍に収めるのだから支配されるのだからいいものとも見ていなかったのである。元の侍が城が荒廃するの見て桜を植えたからである

ともかく桜は日本を象徴する花である。桜前線は北上して稚内まで咲いていた。すでにその時6月になっていたのである。
このように桜が咲く時期が日本全国で違っているのも魅力なのである。みちのくは西の京都大阪からすれば遅く咲く
西の栄がありその桜が散ってもみちのくでは咲き始めるのである
そのことが地理的にも歴史的にも桜が象徴となっているのである






2023年03月31日

桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)


桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)

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新地の砂浜は広い

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風そよぎ遠くへ行くかむ朝桜
六号線桜咲き継ぎ走るかな
タンポポや六号線を行き交いぬ
風光る六号線を走るかな
地を離れ天にも咲かむ白木蓮
紫木蓮高貴の色や風光る
(八幡神社)
池映る桜満開錦鯉
金の鯉優雅に泳ぎ桜満開
暇あり休む人あれ花の影
逃がすまじ写真を撮るや花盛り
金運にあやかる者や花に鯉

若草や海の開けて新地町
間を置きて鶯鳴くや夕暮れぬ

(六万石の城下町)
夕日没り六万石の桜かな
桜色に染まりて暮れぬ城下町
堀映る桜や暮れぬ城下町
松並木街道帰る夕桜

今日は天気が良いので六号線を新地まで桜を見に行った。
桜は六号線沿いに咲き続いていた、白木蓮も紫木蓮が美しく咲いていた。
何かその白木蓮も天にも昇って咲いている感じだった。
私の俳号を天華としたのは似合っていたとなる。主に花の美を追求してきたからである。天こそ本当に花は咲く。神の創造したイデアは天にこそけがれなく咲くにふさわしいのである
紫木蓮も高貴で美しい。風光る中にそれが咲くのにふさわしい
紫は高貴な色であり皇族の式典にふさわしかったからである。

八幡神社は桜でこの辺では知られている。そこでいつも写真をとるひとがいる。ここは錦鯉が泳いでいるのがいいのである。
特に金色の錦鯉が映えるのである。この鯉は金運を金持ちをイメージする。金運というのは確かにあるのかもしれない、遺産を相続したとき金運があったと自分が感じたからである。
ただ金運でも危険を伴う、金は何しろ危険なものがあり手放しでは喜べないものを持っているからである、金があっても呪われることもあるから怖いのである。

相馬市から新地に向かった。新地は駅前でもきれいに整備されてまるで都会の駅のようになった。そこに温泉も出たから入浴できる。何か設備は整っている、でも近くの喫茶店に入っておばちゃんと話したら客は来ないという、確かに人の出入りh少ないのである、建物は立派でも人の出入りは少ないのである。
新築の家は多く建ってもそれもローンであり苦しでいるというのもわかる。原発事故の補償金は出ないからである
新地の砂浜は広い、前から広かったのである、もともとここの地形は入り江のように湾のように海が入り込んでいた。だから砂浜が広い、でも鹿島でも原町でも砂浜はもともと小さくなっていた。右田浜で砂浜はわずかしか残っていない。
津波で砂浜が消えたとはならない、四倉は広い砂浜がありそれが緩衝地帯となり津波を防ぎ街の方は被害が少なかった。
海と接した街があっても被害は少なかったのである。
これも地形と関係してそうなったのである。

相馬市に帰ると夕方になり薄暗くなっていた。相馬六万石というとき規模としては小さい、不思議なのはなぜ小藩でも野馬追とか500騎の馬が行列にでるのかとなる。他の大藩でもこうした馬の祭りは残っていないからである。
ともかく一応相馬藩があり相馬市は城下町なのである。
城跡に桜が咲き夕暮れとなっていた。
相馬藩が六万石というときその石高で藩の力を見る

春や昔十五万石の城下哉 子規

この十五万石の石高が正に松山藩の規模を象徴していた、それはかなりの大きさの藩だったのである。六万石の倍以上だからである。
今日は暑いくらいだった。桜の花盛りである。桜は意外と見れない、近くは見れるとしても遠くは見れない、なぜなら二週間くらいしか咲いていないからである。
私は旅して相当桜を見たとしても一部なのである。日本だと桜の名所はいくらでもあるからである。
















2023年03月29日

リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、


リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、

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原町の道の駅の隣の集会所



花冷えや病み上がりの老女来る
花曇り高齢化社会未来なし
病院や誰か入院す花曇り
花の咲く技を見せたる大工かな
花満開熟練の技大工かな
明るくも枝垂れ桜や乙女かな
孫連れてパンジー映えぬ川の道

原町の郊外に出て田畑かな雲雀さえずり海に向き行く

今日は山の方は曇っていたが原町の方に行った。
何か桜も満開になったが花曇でありまだ寒くぱっとしない。
その花曇りが時代を象徴している。高齢化社会が花曇りなのである。何かぱっとしない。未来が見えない。鼻が鼻が花が割かないのである。
また老人が病気になる人が多い。脳梗塞になりやっと歩いてきた老女がそうである。ただ老女にしてもまだ72歳なのである。
でも老人は年の通りではない。同じ歳でも十歳くらい差がある。その人は病気になってさらに老けてしまったのである。もともと苦労していて老けていたのに老けてしまったのである。

原町の道の駅の公園にある集会場にしだれ桜が咲いていた。それは明るく何か憂いがない。若い女性のようである。
でも枝垂れ桜でも濃い愁いに満ちたようなものもある。同じ枝垂れ桜でもいろいろある。
それから海の方に向かって行った。雲雀が鳴いていて太平洋が広がり波が打ち寄せる。それがこの辺の風景である
家に帰ったら大工さんが仕事していた。今日で仕事が終わる。大工さんはその技を見せて仕事に精を出す時生き生きしている。
やはり週に二回ほど流れ作業のようなことをしたがそれをやめたことがわかる

大工の仕事をしているときはやはりそれが天職でありやる気が違う。人間は何でも金でやれるものではない。いくら金をもらってもやりたくない仕事をやらせられるのは苦痛になる
その人は長年大工をして技を磨いてきたのである。だからその技を見せることに価値があるのである。その他の仕事は必ずしも金にはなっても価値にはならないのである。
でも金にならない仕事は誰しもやりたくないのである。その辺が必ず矛盾してくる。また人は金のためにだけ働きたくないということがある。例えば何か金があったとしてもその人があくどいことで金儲けしたりしていたらその人のために働くということが気が進まないということもある。

ただ現代の資本主義社会は金が価値でありその人がどんな人であれ金をもっていれば金を支払えばその人のために働くとなる。
でももし金に余裕があればそういう人のためにも働かないし何か自分の技を示すにもしたくないとなる。つまり金出はなくその人を見て働くともなる。
そうなるといちいち面倒になるから金で全てが価値づけられて働く働かされるともなる。
ともかく働くということは金のためだけではないそれは確かである。他人の庭の草むしりをするだけでもやはりその人に家に尽くすとなりただ金をもらえばいいともならないのである。
家を作る家を修理する家をリフォームする庭を作る庭を掃除する草をむしるそういう仕事でもその家と人とに係るのである
だから働くということは単に金を得るというだけではないのである。でも現実はすべてが金のためというふうになってしまったのである。だから人とか何のためとか考えない。それをいちいち考えたら仕事にもならないからである。

ともかく仕事もしない無職でもあった自分が言うのはなんだが働くということが人間には必要である。
それはただ金をもらうために金のためだけではないからである。
だから人間はベーシックインカムとか働かなくても良いといってもそれで済むことはない。そうなった時生きがいもなく何のために生きているかもわからなくなるし価値のない人間になってしまうのである。
そして何かしら働かない人は社会も分からないし何が価値あるのかも実感できないのである。

ただ現代はあまりにも多様な職業と仕事が分化して分裂してそこで人間のアトム化して騒音の総合の総合的連関を感じなくなったのである。
とにかく一応リフォームは終わった。自分も大工さんと補助とかして働いたのである。お茶とかお菓子とか買ってきて出すことも
働くことでありただ金を出すというだけではない自らもサービスしたのである。ただ金を出すというのではなく自らが大工さんにサービスしたのである。
それは金だけではないそこに自分の家を直してくれたということで感謝の気持ちでそうしたのである。
でも今は大工さんにしろそんなことをしないこともある。大工さんでも別に食事でもして店で食べたいものを買いばいいとなるからである。
ともかくこうして大工さんの補助役としてまたお茶を出すサービスをしたのである。それも一つの経験となったのである。
ただ正直口は悪い大工さんなので疲れたのである。

2023年03月26日

蠟梅と桜のこと(百歳の間)


蠟梅と桜のこと(百歳の間)


百歳の間蠟梅の咲きようやくに風吹き散り心残りなし

雨しとと石を濡らして蠟梅のなお残り咲く庭を見るかな

我が家に蠟梅を見てゆくりかに災いのなく余生過ごさむ

私の母は百歳まで生きた。そこで母がいた部屋に私は百才の間と名付けた。
その部屋から庭の蠟梅を見ていた。この蠟梅は長く咲いている。一か月くらい咲いている。だからこの花は花でも一番長く咲いている。それで長寿の花としてふさわしいとなる。
それもついに風が吹いて散った。その風はそれほど強い風でもなかった。
またその花は散ることで何か惜しい感じるものも無かった。
つまりようやくに散ったという感じだった。。
散るのが遅い感じにもなった。
今日は雨がしとしと降っている、そして庭の石を濡らしている。

花でもいろいろあり桜となると咲いてたちまち散る
そのち散ることに桜の特徴である。美しく咲いてたちまちに散ってしまう。何かいさぎよく散ることで日本の日本人の心に象徴ともなった。
でも人間はやはり長く生きてこそその命が全うされる。
桜は確かに美しく散るのも早く散りぎわがいいとなる。だから戦争でも若くして死んだ人はの花にたとえられたのである。それは美化さやすられたのであり本来は人間は長く生きたいのである

高齢化社会では長く生きすぎることで問題になる。徒然草でも40歳くらいで惜しまれて死ぬのがいいと書いていた
当時は別にそのくらいでも死んでいた人がそれなりにいたのである。
それで現代は高齢化でうとまれて嫌われて生きている。そして死んでも惜しまれことがない、やっかいなものがかたづいたとされるから高齢化社会の負の面が増大したのである。

とにかくこの辺でも桜は咲き始めた。今年は早い。
でも今日は寒い、春寒しとなる。季節は変わりやすい、今年の桜は早く咲き散るようである。

老後は安らぐ場として家が大事になる、その家でも介護になり安らぐ場でなくなった。地獄化したのである。
そして家族もみんな死んだ、でも家は安らぐ場なのである。家で死にたいとなるのは家は何か建物というだけではなく
精神的に安らぐ場である。
この辺は余りにも災いが多すぎたのである。去年の大地震で未だに屋根など直していない家がある。
そういうことでももう災いはないこと切に願うようになったのである。


2023年03月22日

春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川を下る


春の日に飯館村から霊山から梁川へ阿武隈川を下る

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確かに六本の木である
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佐須村や去年(こぞ)の落ち葉踏み碑の一つ

これは馬頭観音だろう

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佐須の峠を越えて伊達市へ
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阿武隈川を下る
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家は兜駅である


春光や六本木見て通り過ぐ
春の水細枝写しやわらぎぬ
佐須村や去年(こぞ)の落ち葉ふみ碑の一つ
訪ね来て消残る雪や佐須の村
春の日や行合道に出会うかな
春の雲境の峠越えてゆく
春光や知らざる道を進みゆく
春光や梁川への道ひた走る
春の灯や金山町を通りすぐ
春の星なお我が家あり帰り来ぬ

広々と阿武隈の流れ彼方にそ吾妻嶺望む春の夕ぐれ
残雪の吾妻嶺望峠越え鳥もさえずり春は来たりぬ
長々と阿武隈川を沿い下り鶯鳴きて夕暮れにけり



阿武隈川滾つ流れや広々と
集めし水や響き高鳴り
淵となり静まり
大岩の厳かに横たえ
春の日暮れぬ
丸森の街やともる灯あわれ
ここに栄いし家もありしも
我は相馬の方へ去り行きぬ



大倉から佐須の方へよく道はまだ工事中である。でも自転車でそこを通った。まもなく新しい道ができる。橋のような道ができる。
途中に確かに六本の木が並んで立っていた。
六本木というと東京の方は有名だが六本木が並んでいるからそうそういう名前がついた。松だと五本松とかなる
佐須村を去り峠を越えると伊達市に入る
その峠から残雪の吾妻峰が望まれる。それから石戸で昼ご飯を食べた。その食堂はこんでいた
福島中央道が出来てここを車が通らなくなり客が来ないと嘆いていたが春になり休みでもあるからここに寄る人があった
そこから梁川の方に向かった。その道は行ったことがなかった。残雪の吾妻峰が見え気持ちよかった

簗川では酒屋だったところが休息所のようになっていた。
そこでコーヒーを飲みちょっと買い物をして休んだ。
梁川には川が二つあり洪水で工事しているとか水害で苦しんだことを言っていた。最近でも丸森の水害被害が大きかった。
日本はとにかく水害も多い。地震も多い。
私の家も二回も水害で床上浸水した
でも河川改修してから水害はなかった。それでも津波が河を遡ってきたときは恐ろしかった。すぐ下の方でわ土手を越えて津波の水が溢れ出していた。
海がないところでわ津波のような恐ろしいものは来ない。だから海側よりは山の方の海のないところが安全だとはなる。
梁川から阿武隈川沿いを下ってきた。

途中工事していた。トンネル工事でありトラックが狭い道をくるので危険だった。このトンネル工事は2年間も続くという。
2年間もこういう状態ではここをゆくのは避けるとなる。
でも阿武隈川沿いを行くのは気持ちが良い
この辺で阿武隈川は大河であり珍しいからである。
岸には鶯が泣いていた。そして夕暮れになりイオン丸森の街に着いた。そのときは暗くなっていた。そこで道に迷い
別な方向に行ってしまった。夜は道に迷いやすい。でもなんとか土地勘があり戻ってきて金山町を通り相馬市まで来た
金山町は結構一つの街となっている。商店も多いのである。

80キロぐらい言ったかもしれない。ただ石戸からは簗川まではそれほどの距離ではなかった。阿武隈川を下る道は結構長かった。
でも思った以上体も疲れなかった。最近腰が痛くなったりして体が弱ったと思った。でも今回は気候のせいもあるのかそれほど疲れなかった。まだまだ自転車で遠くに行けると思った。
ただ疲れは後ででるのでそうともならない楽天。ただ今の時期は一番サイクリングに動いている
春の星が輝き家に戻ってきた。家族はみんな死んで家すらなくなると思った。やはり家族がいなくても家は安らぐ場所なのである。


写真はスマホで撮ったものだからきれいにとれなかった

2023年03月19日

春彼岸−墓の役割(白菊の花ー寒さ戻る―雪残る山)


春彼岸−墓の役割(白菊の花ー寒さ戻る―雪残る山)

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フラワーアレンジメントとでも写真で見ても花は何か違う
花でも本当に生け花であり生きた花を実際にこの目で見ない限りわからない
だから写真で見ても花に感動しないのである
自分の目で直接見ない限り分からない感じないことがある
そこにバ―チャルな世界の限界がある





今朝みれば山に残れる雪見えて寒さ戻りのみちのくの春
我が一人残りて彼岸や近くなる墓に花挿す春の日さして

 白菊

静心白菊の今日も見るかな
塵もつかずに清楚に白し
その花を日々我が部屋に見て
我が心鏡となりて映しぬ
遺影は花の陰にし微笑みぬ

ここ何日か寒い。それまでかなり温かくなっていたから戸惑った。今朝山の方見たら雪が残っていた。今頃雪が山に残っていたのか。山は雪が降ったらしい。この辺は山の方は飯館村なのである。そこは標高が高く冬は寒く夏はは涼しいのである。

今日は日曜日であり春彼岸で墓参りに来る人いて花が挿されていた。
私も花を買ってきて家に飾りまた墓地に挿した。墓と家の中に挿す飾る花の相違は何か。
それは家の中にさすときは長い間その花を見ている。墓に挿した花はそんなに見ないのである。花というのは長い間見てるとその花が心に映り花のことが分かるのである。
墓地に挿した花は近くにあってもただ通り過ぎてゆくだけなのである。そして近くでも春彼岸とか秋彼岸とかにしか挿さない。だから墓というのは近くでも身近にならない。家の中に仏壇が無いにしろ家を飾り花を挿しているとそれは常に身近なものとしてある。
ただ墓地の墓の役割は何なのか

ある人が私の家の墓に花を挿してくれていた。でもそれは長くは続かなかった。今はさしていない。墓の役割としてそれは死んでからも長く続くものとしてある。
人間は死後も関係が切れるわけではない。死後もその人を思ってる人は本当にその人を思っているのであり愛しているともなる
なぜなら人間は忘れやすいからである。だから死んだ時点で人は忘れられてゆく。だから墓の役割としては死んだ人をすぐに忘れない。年に春彼岸とか秋彼岸でも死んだ人を思い出して供養する

それは家の中でもできるのだが墓になると家がなくなっても存在しずし続けることがある。人間最後に残るのは墓だけだともなる。なぜなら家でも空き家化したり消失してゆくからである
でも今の時代墓すら維持できなくなっている
子供たちでも故郷に住まず離れてしまった人が多いからである。
それで墓じまいをするようになったのである。
私の墓でも墓参りしているのは自分だけだからである
ただ奇妙なのは世話になった女性の粗末な墓を作った、それは石を置いただけだともなる。その息子は不詳の息子であり最近死んだ,金もなく墓はあっても母親が死んでも墓に名前も刻まなかった。その母親は情の篤いいい母親であり父親も真面目な人だったのである。
おそらくその人の墓参りする人もいないかもしれない、息子は若くして自殺したからである。
ということは自分だけがその女性を偲んで墓参りしているともなる。だから血縁だけが必ずしも持続する関係とならない、他人でもでもかえって深い関係にもなる。

いずれにしろ人間の関係もたとえ親子でも死んでしまえば続かない。そこに人間の無常がある。この世の人間の関係は一時的なものに過ぎない。それは親子でもそうなのである。
人間の出会いは振り返れば本当に一瞬だったと思うなる。
そして一瞬出会って永遠に会わないというのも不思議である。
対外人間が会うしても金の切れ目が縁の切れ目なのである。
この世の出会いとはそれだけ儚いものだったのである
先祖代々とか村でも継続していた関係でも現代では広域化具グローバル化で空間の拡大で失われてきたのである
原発事故で一挙に江戸時代からでもその前からで続いてきた村でも町でも廃墟化したことに驚いたからである。

とにかく霊前には墓には白菊があっている。その花は清楚であり心清める花である。それを家の中にさして見ているとおのずと心が鏡となり映るのである。
ただ心が濁り曇るとその花も映らないのである。

白菊の目に立て見る塵もなし  芭蕉

白菊というのはやはり一番家に死者に捧げる花としてふさわしい
それにしても春寒しとかなり寒さは戻った。
これまでは春霞になり梅も咲いて匂っていた、だから春らしい気分になった。

春霞里山
共老昔語
梅処々匂
長寿和楽

こんな感じだった。
日本の気候は変わりやすい。それで四季の変化はあれ俳句も生まれたのである。天候が絶えず変わっているからである句点その変化の中で時間軸の中で日本の文化が作られてきたといえる。
日本は島国であり狭い空間に閉ざされていたが時間軸で見れば季節の変化があり式が明確にありその変化で狭い空間でも単調にならないということはあった。
日本人は時間軸で生きているというとき先祖お大事にするという時もそうである。それは狭い村という中でおのずと生まれたはぐくまれた世界観なのである。
それは大陸のようにどこまでも広い空間塾で生きている人たちとは違った世界観をもったのである。

2023年03月12日

春の日に太田神社-岩屋寺- 馬場-高倉-大谷-大原を行く (梅匂う道と家の跡の不思議)


春の日に太田神社-岩屋寺- 馬場-高倉-大谷-大原を行く
(梅匂う道と家の跡の不思議)

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太田神社の前の倉

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岩屋寺
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馬場の樅ノ木
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高倉から大谷へ

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横峯の堤

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寺内の牧の馬

この馬は必ず人が来ると寄ってくる、人に慣れている

街中に初音を聞くや田舎町
初蝶や自転車に走り郊外に
道々に蝶の舞いでて走り行く
紅梅や馬走り来ぬ牧広し
春の日や石の倉古り何の紋
禅寺や梅の匂いて黙す石
菩提寺に梅の匂うや参る人
春日さし墓地も穏やか里めぐる

誰か棲む家の跡かな組む石の残りて匂う梅の花見る
屋敷跡石の残りて春日さす主はなしも石は去らじも
忠実なる下僕(しもべ)のごとく主さる家の跡にし石は残りぬ
誰か棲む家の跡あり隠されて梅の匂うや人は去りにき
家の跡庭に蝶来て鳥も来ぬ人は住まじも春となりしも
二本の樅の木ここに根付きけり古き碑ありて春の日さしぬ
山中に梅林隠され匂いぬ雉のいでしも人影も見じ
紛々と梅の匂いぬ山中に隠され人も来たらず匂いぬ
横峯の堤の広く春の日の映り輝き里の暮行くゆく

太田神社から岩屋寺へゆく、太田神社の前に石の倉があった。
石の倉は多い、それが地震で壊れたのも多い、この石の倉は壊れていない、でもかなり古い感じになる。
ここには紋がはっきりしないがたいがい紋がある。
ただ石の倉は明治以降できたものらしい、なぜならその頃大谷石とかが出回ったためだとしている。江戸時代からの倉は土壁だからであるただ地震に弱かったのである。

岩屋寺は禅宗の寺である、山門があり山で修行したからこれがある。それは中国から入って来たものである。
禅宗は中国と関係しているから茶とかその他中国由来のものが入って来ている。禅宗は簡素であり座禅を組み悟りを開くとなり
それが自分に合っていたのである。なぜなら私は引きこもり沈黙業をしてきたからである、そこで社会性がなくなったマイナスがあった。宗教でもいろいろな派に分かれるのは人の性格性質がありその合ったものがいいからそうなる。
ただ寺というのは官営の寺に江戸時代になった。寺は役所の一つだったので幕府から優遇されたのである
そのために明治維新で廃仏希釈が起きた、神道派が幕府から優遇されなかったのでそうなった、寺には武家の菩提寺になったからでもある
ただ今や未来の年表でも寺自体が消滅してゆくと警告している。
その役割が消失しているからである。武家の菩提を弔うのが寺だとしたら江戸時代ではないのだから継続しないとなる

そこから一軒の家の跡がある場所に寄った、そこは前に竹林があり隠されるようにあった、だからなんか不思議だった。
組まれた石がありそこは農家だったのか?
それほど広いとも言えない、この辺だと街でないから農家だったのかもしれない、何かこの辺では空家が多い、これは全国的なものだが原発事故があり人が避難したからである、でもここは避難区域になった小高区ではない、羽ら原町区である。
ただ農家でも空家化しているのを見かける、津波の跡の家でも石だけは残されて残っていた、何か石が人間化して忠実な僕(しもべ)のようにして残っている感じになる。
一旦人間が棲むと自然のものでも人間化するのである。
主がいなくなっても石はそこに忠実に残っているともなる

そこの家の跡のすぐ近くに黄金神社があった、これは何なのか?
鉄とか関係していたのか、ちょっとわからない
それから馬場の方へ出たら樅の木が二本力強く根付き立っていた
この碑は元久と読むのだろうか?
元久だったら鎌倉時代になるからあり得ない、元処は元の所であり元住んでいた場所のことかもしれない、これも分からない謎である。
次に高倉から大谷から大原の方に向かった、その途中に梅林があり紛々と匂っていた、雉も出てきて匂っていた、何とも至福なものを感じた、その道は細く梅の咲く道だった。
こうして自転車でぶらぶら行くのが気持ちいい季節になった
ただ歳になり腰が痛くなったりする。でも近くならそれほどの影響はない、近くでも依然として何か発見がある












2023年03月09日

里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)


里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)

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芬々と梅の香るや里めぐる
春霞長生きの世や里に老ゆ
春満月輝きまして移るかな
同じ年老人と話す春の里

人ならじ満月のぞく我が部屋や書き物しつつ春となるかな
紅梅の匂やかにして満月の今日も輝き災いなかれ
病より回復せしや春となり歩く喜び買い物に行く

昨日は春霞だった。その前は満月が輝き紅梅が匂っていたんとも春らしい。
長生きの時代も問題は多い。でもこの長寿というのは人類の願いだったのである。なぜならこれまでは早死にだったからである。
とにかくみんな長生きする。苦労して死にたいという言っていた人が脳梗塞になりそこから回復した。その人もやはりいきたいのである。いくら死にたいと云ってもやはり人間はいきたいのである。特に病気から回復したときはそうなるのである解除

一昨日も昨日も満月が輝いていた。その満月が私の部屋を覗いていた。それはいいことである。でも人間が覗くとそこに嫌なものが出てくる。田舎の人間が素朴だとかいいものではない。
ただ四六時中監視してるということがある。そして必ずしも助け合うということは今はない。。かえって人の不幸が楽しみになるのである。ただ田舎の場合自然がありそこで和むのである。

この辺で節水を南相馬市で呼びかけた。確かに雨が今年になっても降らない。雪も一二回降ったがそれはそれでも足りない
乾燥している。だから朧月というのを観ていない。
これから田植えとかあるので水不足になると困る
でも水不足というのはほとんど経験していない
しかし水不足というのも起きうる。山に行くといくら水不足でも水が流れていることに感心した。それはかなりの山の奥だった。
山には水が蓄えられている。だからソーラーパネルなど山に作ると何か影響する。水が蓄えられないとか水は流れだすとか何か自然に悪い影響がある。景観も悪くなるしそれが問題なのである

ともかく里に生きるということそれは幸福なことである
都会にはそういうものは無い。ただ田舎がいいものにはならない。ただ自然がありその美になごむのである。
そして同じ年の老人と話す、その人は農家の人であり農業の話を聞く、それがいいのである。
やはり家で納豆を作っていた。買った納豆は食えなかったとか言っていた
そうなのかと思ったが自家製でもうまっかったということである。
そういう話がおもしろいのである。

原発事故はその里を奪ったのである。ただそれも電気の時代となり農業の時代でないからそうなったともなる
でも里に生きるということそれが幸せだった。でも近くに移住すればやはり里はある。都会に移住すれば里はなくなる。里を失うということは何なのかそれが自覚できなかった。でも時代がそうしたともなる。すでに里というのは失われていたともなるからだ。

2023年03月04日

紅梅の香り気持ちがいい (無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

紅梅の香り気持ちがいい

(無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)

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月光り紅梅匂い夜の更けぬ

紅梅の匂うや何か若返る

平安や紅梅匂い月光る

広き家紅梅の匂い充ちにけり

新築の家や紅梅匂けり

紅梅の匂い今宵も我が来る月も光りて美しきかな

近くに紅梅と白梅が咲いて匂っている、そこを毎日通ると気持ちがいい、特に紅梅の匂いは特に気持ちがいい。新築の家がまた建った、その人はこの辺の人ではない、原発事故の避難区域から移り住んだ人だろう。
この辺はまだこうして人が増えている。でも避難区域は空き家だらけなのである。その差が大きいのである。そこには春がこないともなる。活気が戻らないとなる。

夜になると紅梅匂いが充ちて夜が更けてくるそこに月が輝いている
いかにも春らしいその紅梅の枝を折って広い家の間に挿す
その匂いがいっぱいに満ちてゆく。それが何とも言えず気持ちがいい
何が梅は近くでその香りを楽しむ。でも桜となると何か遠くで見るのがいいともなる。
そのために桜前線がある。その桜前線は実は韓国まで咲いていた。韓国の古都の慶州にも咲いていた
その桜を東北から韓国まで旅したことがあった。日本の場合日本は電車で行き韓国までは船で行った。こういう旅も面白い。連続して日本列島と韓国まで見たからである。
そういう旅ができたのも私は特別恵まれていたからである。その介護で10年とか震災でもありもう十何年も旅はしていないただ旅の回想をしているのである

また春になって近くの公園に行ったら幼児が笑っていた。
それで心が和んだ。なぜ人はペットとかに惹かれるのか
それは無垢だからである。
そしてなぜかその無垢な表情は飽きないのである。それが不思議である。なぜ大人は生活に疲れるのか。それはみんな無垢というものを失っているからである。日々利益を求めてガツガツして心が休まることもない。

そういう中で無垢な幼児の笑顔でも動物の無垢な表情でも見ていると和むのであるそれが飽きないのである
今ネコに私が餌をやっているのはそのためである。
別に飼っているわけではないが何か心が和むのである。それは花を見てもそうだし自然に触れるとそこに向くがあるために自然は飽きないしなおものである和むのである
そこにこの世のこの世が汚れていても人間が汚れていても無垢なるものに接するとき和むのである。
ただそうした無垢も何か接する機会が少なくなっている。近くで子供が遊んでいるのを見ない,一人いても一人遊んでいるだけだとなるから淋しいとなる。

人間には常に争いがある、そもそもなぜ離婚している人が多いのか、何かそういう人と接する、それだけではない、自分の家族も常に争っていた。でも最後まで家族として維持できたのは私が要として家が守れたとなる。子はカスガイとなったのである。
そうでなければとても維持できなかったのである。
徳川家も維持できたのは長男を後継ぎとして継承して維持できたのである。侍の家が御家大事で維持したのも同じである。
長男ができが悪くても家臣が支えて維持できたのである。
人間はとにかく争いが多すぎるのである。そのために苦しむ人が膨大なのである。この世が地獄になってるのはそのためである。

ともかく春が来た。でも今日は寒かった。でも今年の春は桜の咲く時期が早い。
やはり暖冬気味なのかもしれない。白鳥は見かけないからシベリアに帰ったのかもしれない。そういう時期になったのである

桜前線を旅する短歌

2023年02月18日

春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


春の横峯堤-二宮尊徳の社−梅香る里


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横峯の堤の広く春の山尊徳讃ゆ社かな

春横峯堤

処々梅香里
横峯堤広大
春山映水豊
尊徳讃社哉

今日は暖かったので近くを回った。鹿島区の横峯堤は広い
これは二宮尊徳がかかわった堤であるそれでそばに二宮尊徳の社がある相馬藩は二宮尊徳のことは常に語られる
それは江戸時代のことであり農業社会の時二尊徳の教えが伝わった尊徳自身は相馬藩には来ていない
その弟子が習って伝いたのである。
でも今になると農村社会ではなくなったからその功績のことがよくわからないのである。つまり江戸時代の農村社会であって尊徳の教えは通じていたのである。

確かにこの辺に堤は多い、それは農村社会だったら必要なものであり二宮尊徳はありがたいと思うのである。
これだけ社会が複雑化すると二宮尊徳のこともそれほど偉いのかどういうことが分からなくなっている。
今は農村社会ではない。田舎でも農民は一割にも満たないのである。だから二宮尊徳がどういう功績があったのか理解しにくくなっている。

今日はとにかく暖かく春だった。でも雲が広がり雨模様になった。これもやはり春になってきたからである。
ただ二宮尊徳の思想は自然と一体であり一体化することでありそれは農業は自然と一体にならないとできないものだったからである。そのことは理解できる。
原発は自然から遊離したものでありそれで空気や土に森の木まで放射性物質で汚染したのである。
科学技術の工業社会になったとき自然と一体化する農業は主なものでわなくなりそのために二宮尊徳の思想も実感できなくなったのである。だからその点では二の宮尊徳学ぶことが必要なのである。

2023年02月17日

枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー (蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)


枯野の海老の浜 津浪で消失した村ー

(蠟梅が咲き歩いて病気になった老人が来た)

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みちのくや枯野の果てに船一艘

蠟梅に静かに日さし我が一人百歳の間に仕事するかな

我を頼り来れる老女や蠟梅に日さし静かに迎えけるかな


枯野海老浜

寥々と津波の後の海老の浜
枯野となりてはや日は没す
沖に船一艘北風吹き海暮る
家々消えて植えし松伸びる
ここに在りし日も遠くなり
我も老ゆるもすぐる時早し
残るは何そ墓のみなりしも



  海老村は消失した、30軒くらいあったのか、それなりの人口は  あった、ここには古墳時代から人が住んでいた、なぜなら最近くでも海に接した崖の所で古墳が発見されたからである
  ここは場所が良かったのである。右田となるともともと海になっていた
  そこを干拓したのである、だから右田村は江戸時代から始まってとしても新しいとなる郷土史でも新旧を見るのが第一である。
 でもここが高台にあるということが今回の津浪で裏目に出たのである。
 なぜなら避難場所になっていたからである。高いから津波は来ないと思っていたのである。でも崖があっても海に接していたのだから危険だったのである
 そのためにそこで三十人とか死んだという悲劇になったのである
 右田村の人は三人とか津浪でこの避難場所に逃げてきたが津波に流されるところを何かにつかまって助かったと言っていた

 ここは高いから津浪が来ないとして逃げて来た、しかし百メートルもない50メートルでも海から遠ざかれば助かったのである。なぜこういうことが起きるのかというとこの辺では全く津波の話など聞いたことがないのである
だから相馬藩政記があってもそんな津波の記録がなかったのである
津波の後に生波(いくなみ)で700人溺死と記録を発見したのである
それもたった二行だったのである。これは郷土史の学者でも知らなかったのである
こういうことがあり何か郷土史でも実際はまだ知らないことがありそれを知る必要があったとなる
郷土史は余り重んじられていない、でもこのように生死にかかわることもあったと驚いたのである

いづれにしろ海老村は枯野となり村は消失した、ハウス栽培はしているが津波に残った二軒くらいしか残っていない、後は墓地だけが高台にあり残ったのである
どういうわけか墓地だけは残っていたりする
烏崎村も消失したが裏山に墓だけは残っているのである
沖に一層船が行くのが見える、せいぜい二艘くらいしか見えないのである

脳梗塞になった女性が歩いて自分の家まできた、それには驚いた、車に乗せられて来ていたがそれだけ歩いたということは回復したとなる。
歩くと私自身も歩かない、自転車だから歩くとなると近くでも遠く感じるのである
まず歩いて買い物はできない、品物でも重くなるからである
買物もできないということは苦しい、相当に老けていたが病気でさらに老けた、その人は苦労ばかりの人生でそうなった
でも軽くすんだので助かったとなる、何か老人になると意外と近くが大事になる
でももう昔のように隣近所に店すらない時代だからこういう時困る
介護とかなると近くに住んでいる人がいいのである、歩いても行けるような近くだといいとなる、8キロでも離れていると車で来てもめんどうになるのである
だから本当は隣近所で助け合えばいいのだが今の社会は仕事でも遠くへ行くので近くが疎遠になっている、近くでも距離が近くても精神的には遠くなっているとなる

みちのくは枯野に果てて海となる景色が多い、そして船は一二艘しか通らないのである
湊があっても少ないから瀬戸内海などとは違った風景なのである
瀬戸内海だと船の航行する数が多いし島も多いからこの辺の海とは違っている
ただ潮の流れは早いのであるみちのくは海でも荒寥としているのである 

百才母が生きて介護した部屋で仕事している、今は蠟梅の季節である、これは長く咲く梅も咲いていた、でも朝は寒かった、昼間からちょっとあたたかくなった、もう少しであたたかくなる、そうすると楽になる


2023年02月13日

橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯 (村が生活の基本だった時代)


橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯

(村が生活の基本だった時代)

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この馬は人が寄ると近ずいてくる、人に慣れている

黄金虫指にとまりて縁起良し
雪埋もれ村に数軒灯のともる
ホウジロの十数羽来て賑わいぬ
紅梅に馬より来るや牧のあり
雪覆う牧に紅梅咲かんとす

立目石ここに久しく動かずに村の要とありつづけるかな
我が街に生きにし人の何語るなお共にありて街を見守る

ここ二日は雪であり次はあたたかい春になっていた。だから自転車で原町の方に行ったら黄金虫が眼鏡について指にとまった
黄金虫は縁起がいいとなる。
昨日は雪の後橲原に行った、そこで目立つのは立目石である。
それは小池村との境の石らしい、江戸時代だと村が基本になりたっていた。だから境が重要だったのである。
村と村でも争いがあり水争いなどがあり入会権でもありそれが戦国時代にい発展したとされる。
不思議なのは原町はもともと野馬追いの馬を訓練する場所であり
また宿場町であり原っぱが広がっていた。

それが鉄道ができて駅通りになった。そこは原町村であり野馬追に一騎しか参加していないのである。
つまり鉄道の開通とともに発展した街なのである
今そういう村が失われつつある。実際農業で生活している人は一割にも満たないのである。確かに田畑があってもそうなのである
そこが都会の人でも誤解しているのである。
私の家は橲原村のキコリが木材を提供した。だから姉はそのこと常に自慢していたのである。
まだその頃は外材を利用していなかったのである

ともかく雪にうもれしみんりとして数軒の灯がともる光景はそれをただ見ているとしたらいいのだが生活するるのは不便だとなる。
でも今や村は農業で成り立っていない、たいがい会社に勤めている。車があれば通うことができるからである。だから田舎では一人一台車を持っているのである。
だから外国から働きに来ている人が見ると豊かな暮らしをしているとみられる。ベトナムでもみんなバイクはもっている。
それで都会はバイクの洪水となっていたのである。
それもホンダとか日本製だったのである。

近くに牧があり馬がいるのは野馬追があるためである。人に慣れているのか近寄ってきた。でもふれなかった。そこに紅梅が咲いていた。何か動物でも牛とか馬がいるのは心が和むのである
村でもそうである。大都会になると今や見るだけでもいるだけでも疲れる。だから老人はどうしても田舎に住みたいとなる

田舎移住が話題になっているけど一万の町で一軒あった自転車屋がなくなった。それで困っている。だからもし自転車屋ができる人だったら歓迎されるとなる。何もできない人は移住したいとしても簡単にできない、でも若い人は比較的歓迎される。
なぜなら若いから未来がありそこでなじみ暮らせる。老人になると田舎に住みたいとしてもむずかしくなる、かえって介護になったら地元の人に世話になるだけだとなるからである。
若いというだけでそれだけ価値がある、老人となるとその人が何をしてきて成果を出したのかが問われる。
田舎では何もできない何をしてきたのかわからない人は歓迎されない、ただのんびり余生を過ごしたいとなると迷惑にもなる
ただ今の田舎は昔と違っている、この辺だと近くに5万とか4万の都市があるから閉ざされた村とかとは違っている
いずれれにしろ東京などは住みたくない、老後は田舎の方に住みたいというのはわかるのである。






2023年02月11日

橲原で見たホオジロの群れの写真 (野鳥観察に向いている冬)


橲原で見たホオジロの群れの写真

(野鳥観察に向いている冬)

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前に出した写真はホオジロだた

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橲原で見たのは明らかにホオジロだった、近くで見たのもホオジロだった、十数羽は群れて電線に止まっていた
だから近くで見た鳥もホオジロだった、冬は野鳥観察に適している。野鳥でも枯木に止まったりしても目立つからである。
でも今年は知らな鳥を見た、というよりは注意して見てなかったからだとなる。
この年でも知らないことがこうしてある。要するに興味を持たないものはみないのである。ただ鳥はすぐ飛び立つからににくいのである。写真にもとりにくいのである。
でも今年は知らな鳥を見た、ウソという鳥もみたがあれはシメかもしれない、似たのいるからである。
ともかく写真撮ることを目的にして野鳥を観察するのはいい、でも撮りにくいのである。

ホオジロの十数羽群れて雪野かな
橲原や雪野に暮れて家数軒
風にゆれ小枝に止まるホオジロのしばし見れるはめずらしきかな

2023年02月07日

春めきて橲原と大原をめぐる (大原の歴史と前田の斎藤氏のこと)


春めきて橲原と大原をめぐる

(大原の歴史と前田の斎藤氏のこと)

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この老木に幼子と老人がいた、ただ村の子供というものでもない、なぜならここに新しく移り住んだ人の子供かもしれないからだ、今は村という感覚がないともなる
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ここの梅が開いた、墓も後継ぎがいないとかなる、橲原でも大原でもまだ田せも回復していないのが残念





一村や春光眩し石一つ
東風(こち)吹きぬ坂越え来る隣村
墓の二基跡継ぐ人あれ梅開く
老木や村の幼子と春来る


橲原に目印とあり立目石ここに動かず春の日さしぬ
大原の前田に住みし斎藤氏空き家淋しき春となりしも
病院に共にありし日遠きかな大原に眠る人そ偲びぬ
大原の柿の古木や望む山ここに根ずきて春の日さしぬ
大原の前田に古き家なりき遠田は遠く春となりしも
二本の木のますぐに墓守る街を離れし大原の冬



橲原から大原を回った、橲原は立目石が目印となる
そこから大原に向かう、その森の中の道は新しい道である
大原は深野より新しい、相馬氏が入り大原村ができた
何故なら深野には館とつく地名が二つあるからだ
これは中世の地名であり一地域の中心であった
もしかしたら大原をめぐって争いがあったのかもしれない、相馬氏が支配してゆく過程で在地の勢力と衝突した
その謎が

その後善次病死して棺を出す。時に大原村の森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。
棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。
海老村の大工の善次が経験した怪異はやはり津波のことだったのか?

(津浪で死体を処理したー日下石のばあちゃんもショックで後で死んだ)

海老の宝蔵寺は古い、紅葉で有名になった、この伝説はなんであったのか、なぜ大工の善次が死んだのか?
この謎が解明されれば津波のこともわかるとなる
確かに中村に城が築かれるときのことであり津波がその時あった、慶長津波があったからである

これは相馬氏が中村に城を作るとき海老の大工がかかわり何かもめごとがあった
その時海老に津波があり大工が中村に今の相馬市に働かせられることを拒否したからかもしれない
ただその謎は解明できない、ただなぜ海老村と大原が関係していたのか、それは大原が深野より新しい地でありそこに相馬氏が支配することでもめたのかとなる。
大原村とか橲原村は江戸時代に開かれた村であり中世にはなかった、大原村の草分けとして前田に住んだ斎藤氏がいたのである。遠田とは前田からさらに離れた森の中の田である。日本ではこうして田を作ることで暮らすことができた。
ここにも越中などからの移民が入ってきた、それは墓をみればわかる、南無阿弥陀仏と刻まれている、そこに戒名はない、死者を供養することもない宗派なのである

ともかく今日は春だった、春光であり山が霞んでもいた
それで自転車で走り気持ち良かった
東風邪が山にも
吹くときこの辺ではどうしても原発事故を思い出すのである東風(こち)が今頃海からふくからである、その風によって放射性物質が運ばれて汚染されたからである
恨めしい風となってしまたのである

2023年02月06日

白鳥の写真ー朝日が昇り満月が山に没す

白鳥の写真ー朝日が昇り満月が山に没す

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きれいに見るにはクリック拡大


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これはうそだろう、ウソという鳥など見たことがない、頭が黒いからそうだろう
確かに冬は野鳥観察にむいている
真野川の河口の方には白鳥がいつもいる


東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

今日は今まで見たことない景色を見た
山の端に満月が出てたのである、それは6時半頃だったまだ暗いから満月が明るかった確かに朝に月を見るがこんな満月を見たことはない、マイ柿本人麿の歌はこの光景に似合っていた
朝日が雲を赤く染めて昇ってくる、雲が赤く染まる、それは陽炎(かぐろひ)ともなる、振り返ると満月が明るく山に映えて沈む
でも月傾く感覚とは違っている。
この意味は新しい太陽が昇り古いものは月のように傾き衰え消えてゆくそういう意味であるでも満月が明るいのでそういう感じはしなかった何か傾くというとき満月ではなく半月とか三日月が合っている、何か衰えて沈んでいくという感じになるからだ
でも今回はそういう感覚にはならなかった満月でも明るく輝いて沈んでいったのである
東に陽炎の見えて山に入る満月輝き冬の朝かな
これは冬の景色だが柿本人麻呂の歌は夏かもしれないでも今回の景色はそれとはそれと似ていたでも感覚的には相当に違っていた結局短歌でもしでもいろいろに鑑賞できるふそれで大阪上で見た
花の盛りに桜が散ってゆくその時夕日が赤々と輝き沈んでいったその夕日の赤さが何とも言えぬ赤さだったそれは歴史を反映したものであり自然そのものとも違っていたのであるそのことはエジプトを旅してナイル川の西に日が沈むのを見た時もそれを感じたのである
繁栄の時がありそしてその繁栄も一時であり落日となって輝き沈んでゆくそういう人間の興亡が反映したものなのである
それは太陽でもそうなのである、その色合いは説明できないものである。
写真は動くものは撮りずらい、でも必ず飛ぶ時がありシャッターチャンスを待つ、今回はそれで撮れた。

遅れじと白鳥飛ぶや陽の昇る


2023年02月04日

冬深む俳句十句 (人間には共有する場が必要である)


冬深む俳句十句

(人間には共有する場が必要である)

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蝋梅や貧者を世話し家の主
街中の神社の古木に寒烏
冬の鴨身を寄せ合うや橋の下
庭の石場所を変えずに冬深む
家になお死者の生きむや冬深む
老人が老人世話す冬深む
我が一人墓を守るや冬深む
冬深む齢を重ね里に老ゆ
土地土地の生きにし場所や冬深む
大原の老木あわれ冬深む
松一本社を守り冬深む
土地土地の土とならんや冬深む
土地土地に年輪刻み冬深む
共に生く場を持ち死なむ冬深む
土地土地の古き家尋ね冬深む
老夫婦結ばれ離れず冬深む

共有す一つの場に生く冬深む

one common life
identified place
deepend winter
in my homeland

冬深むという時これは1月から2月だろう
今は2月4日でも春になったがまだまだ冬である
確かに春の兆しは出てきている蝋梅でも咲いたからである
季語としては西と東では季節感が違っている
西は早く暖かくなるみちのくはまだ冬が長い

北海道だとさらに冬は長いだから季語も違ってくる
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる、人間はやはり一つの場所があってそこでい一体化してゆくアイデンティティ化してゆく、それが自然なのである木がに根付くように人間もそうなる。

ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる
人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きる木は長い時間をかけてその土地に根付く
何か冬深むというときそこに長年住んでいて一定の場所でその土地に根ずき共感して連帯を深めてゆく
それは老人にふさわしいとなる人間はやはり一つの場所があってそこで一体化してゆくアイデンティティ化してゆくそれが自然なのである木が根ずくようになる
ここで問題なのは時間軸と空間軸に人間は生きる

人間は一定の場所に生きざるを得ない
そして一定の場所で世代を受け継いで生きる時間軸で生きるきそして長い時間をかけてその土地に根付く
そういう場所が人間には必要なのである
そういう場所を奪ったのが原発だったのである
老人がそうしてなじんだ場所に住めないことは金銭的なものより精神的な衝撃が大きかったのであるでもそれもカルマであり責任は住んでいる人たちにもあったとなる

そもそもそうした精神的なものは自覚しにくいのである
それは失ってみて初めて分かるのである家族でも親子でも夫婦でも死んでみるとその貴重さが価値が分かるのである生きているときはわかりにくい感じにくいのである
だから故郷を失い家族がばらばらになった時痛切にそのことを感じたのである
いつも通る橋の下に鴨が数羽群れている身を寄せ合って群れている
それはありふれた景色であるでも俳句は写生である、ありのままを写すのである
橋というのは人間的なものなのであるそしてそこに鴨がいる
ということは鴨も人間的なものとしていることになる橋があることによってそうなったのであるつまり何でも人間化するのである動物もこうして人間化したものとして表現するのである

老夫婦となると冬深むにふさわしいとなる、でも熟年離婚が多いことにも驚くのであるもうそれも大きな損失である68とかにって離婚する人もいる
でもそもそも人間の時間は限られているそんな年になって人間関係を親密さでも信頼でも作ることは難しくなる
ただいかに男女関係でも人間が平和的にありえないということなのである常に不和が生じるのは人間の世界なのである

蝋梅が咲き始めたそれを母がいた部屋から見ているここで母は寝ていた私は介護したそれでこの部屋を百才の間とした
蝋梅という時これはやはり長寿の花かもしれない百歳まで生きれば充分であるでもその前に病気になるから人間は長生きするのも問題となるのである病気にならなければ別に長生きしてもいいのであるこの部屋から今日もウグイスを見た、その鶯が蝋梅にとまっていたのである
その取り合わせが良かった縁起が良いとなる
写真を撮れなかったがインターネットにでている、蠟梅ででてくる








2023年02月01日

ダイユーエイトの敷地にある田母神の社 (冬に見えた珍しい鳥ーマミチャジナ?)

ダイユーエイトの敷地にある田母神の社

(冬に見えた珍しい鳥ーマミチャジナ?)

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めずらしやマミチャジナイ群れ飛びて枝にゆられつしばしとまりぬ

うぐいすの二羽庭に来て飛び去れりめずらしきかな冬にこもるも

松一本御田母神の守りけり何を語るや冬のくれかな


今日は朝に鶯が二羽庭に来た、冬になると餌がともしいから鳥が餌を探してくるのかもしれない、庭の木の実などを探しにくる、外に出たら頭に白い筋が入っていて腹がモズのような色をした鳥が群れて飛んできた、これはつぐみかと見たが違っている
腹の色が違っている、でも何かと調べたらマミチャジナイとかあった
これならそうらしい、でも聞いたこともない名なのでそうなのかと見た
名前自体がなじみがないからだ、でもツグミでないとするとそうなる
鳥はなかなか見分けにくい、ゆっくり見ていられないからである
写真をとるのもむずかしい、すぐ飛び去るからである
ただ偶然カメラに写っていた、だから間違いないのかとも見た
冬の鳥は葉陰とかに隠れないので見やすいということがある、写真にとるにはいいとしてもすぐ飛び去るからむずかしいのである

ダイユーエイトの入り口に「御田母神」がある、

田母神俊夫という自衛隊の幹部の人が一時有名になったけどこの人は郡山市田村町の出身だった、ここに田母神の地名がある

田母神村: 江戸時代から明治時代中頃まで陸奥国安積郡(田村郡)にみられた村名。当初は白河藩領、寛保元年幕府領、寛延2年常陸笠間藩領、安永6年幕府領、同7年磐城平藩領、寛政3年からは常陸笠間藩領と推移


ここが笠間藩に一時なっていた、笠間焼がありそこで絵付けとかして遊んだことがある、茨城県にはあまり藩はないし城もなかった、だから観光する場がなかった
ただ焼き物から見ると笠間焼とかあるのは江戸時代からあったとなる
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田母神{田母神}の発祥地はここであり田村というとき田村の姓が近くにもありそこから移住してきた人があったためだともなる
この田村は坂之上田村麻呂にも由来している古代からのものである
南相馬市の鹿島区の大内村に坂上田村麻呂に由来する御堂がある
つまり古代から田村とは関係していたのである
それは800年代だから古いのである

いづれにしろあそこはもともと田があり田母神が祭られた、でもその由来はここではない田村町の田母神の神も人ともに移動してきたのである
そういうふうに神も移動するのである、移動するとき人がいて移動する
御神体も人とも移動するのである

いづれにしろここに田があったとき田母神様が活きていた、でもダイユーエイトができたとき田がなくなりただ社だけが残ったとなる
こういうことはいくらでもある、そもそも神田とあれば神の田でありそれが東京のど真ん中にあってももう田をイメージなどできないからである
ただ小さな社でもビルの谷間に残っている、ということはその社でも残っていれば何かを昔を語りつづけけいるのである
でもそれが何かなのかは不明にもなる、何か伝えるために残っている
今この社を守っているのは松一本だとなる
前は六号線であり車が毎日往き来してもこの社に目を留める人はいない
私はダイユーエイトができる前からこれを知っていたらその変わりようを書いた
つまり郷土史として書いたとなる






2023年01月29日

真野川の鉄橋の下の白鳥の写真


真野川の鉄橋の下の白鳥の写真

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氷を割って泳いでいる
薄氷である


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氷割り泳ぐ白鳥朝に見ゆ山は雪なり冷えにけるかも

朝の日の光り反射す川面かな白鳥群れて白に白映ゆ

目覚めれば地表は雪や白鳥の五六羽飛びぬ空澄みにけり

今日は真野川の鉄橋の下に白鳥が30羽くらい群れていた
白鳥のいる場所は変わる、田んぼにいるときもある
ここでこんなに数がいたのはめずらしい、ただここで餌をやっていないのである
白鳥はやはり特別寒い時美しく映える、この辺ではあまり寒くならない寒さの中の美は
感じない、でも白鳥はヨ−ロッパでもいる、ということは白鳥はロシアからシベリアから冬に渡ってくるとなる、でもロシアから来たのは攻めてきたのは残酷な軍隊だった
自然ならそこに美があるが人間は美を破壊するのである

写真はやはり場面とカメラの性能に左右される、私のカメラは高いものではない
またレンズにも左右される、レンズが何十万とカメラより高いのである
野馬追いの写真を撮りに来た人は50万とかのカメラをもっていたのである
カメラが趣味の人は多い、ただ写真もその場面に出合い、その一瞬をとらえることがむずかしい、近くだから撮れたが遠くになるとむずかしくなる

とにかく現代は映像の時代である、だから写俳というのが生まれた、そもそも正岡子規は写生の俳句で俳句の革新を計った、だから写真と相性がいいのである
でも俳句は短すぎるから限界を感じる、短歌だとまだ長いから表現の幅がある
俳句と短歌を作っていてもやはり俳句は限界を感じる
ただ芭蕉のような俳句を作れたのか不思議だとなる、芭蕉より優れた俳人は出ていない
またこれからも出ない、なぜなら時代が違っているからである
現代のような風景と時間感覚とかではとても芭蕉の時代とは余りにも違っている
でも不思議のなのは蕪村は絵画的であり現代にも通じている
だから正岡子規は蕪村を良しとして写生俳句を唱えて革新したのである

ともかく今日は寒い、今キーボードを打っていても手が冷たくなる
ただ白鳥は寒さに映える、冬の美の象徴である



雪の中の白鳥

純白の衣の朝日に輝き
光りは水面に跳ねぬ
雪の朝白さ白さの映えて
優雅に水の上に浮かぶ
乱れなくその純潔の美
その高潔なる貴族のごとし
鴨の群れは下々と従う
神は我が意を得たりと
そのイデアは地上に成りぬ
太陽は喜々として輝き
また朝にここに喜び輝きぬ
その翼を広げし飛翔の躍動
白鳥は凍れる夜に星座と輝く
田舎にそ何か見るもののあれ
北風の吹きつけ白鳥の鳴く声がひびく
その凍てる空に弦の音のように響く
ふの触れがたき聖なる鳥よ
神は自然の天然の美を与えぬ
純白の雪に覆われて人は見えず
白と白は互いに映えて美しさを増しぬ
ただ白鳥のみそ映えるべきかな
黙して自然の美を見よ
黙して自然の声を聴け
地も聖なるものとなるべし

2023年01月28日

みちのくに枯野が似合う(枯野の俳句十句)


みちのくに枯野が似合う(枯野の俳句十句)

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みちのくや休みに入るや枯野かな
人死にて争い終わる枯野かな
みちのくや枯野に残る金色堂
みちのくの金色堂や雪覆う
凍てりつく池や映えにき金色堂
みちのくや線路遠くに枯野かな
青森は遠き果てなり枯野かな
みちのくや枯野の駅や二三人
みちのくや都の遠く老いにけり
争いし境も消えて枯野かな
みちのくに栄華もなしや枯野かな
みちのくや風の唸りて黙す石
みちのくや抹茶を飲みて冬深む
みちのくや木を深く張る木冬深む
みちのくや心にしみぬ冬景色
みちのくへ上野を離れ枯野かな

目覚めれば地表は雪や白鳥の五六羽飛びぬ空澄みにけり

その場所場所で役割というか特徴がありそれに見合った場所としてあるのが本来はいい
アイディンティティもそうして作られる、それぞれ違った地理と風土がありそこに文化が生まれる、みちのくというときもそうである、ただはちのくといっても広いのである
芭蕉がみちのくを旅したのは平泉までである、そこからみちのくは岩手県があり青森県がありと広いのである、ただみちのくというとき地理的に風土的に北であっても北海道とは風土とか地理でも相当に違っている
みちのくは古代史からすでに日本の歴史と深く関係していたからである
それで縄文時代となると東北地方が先進地域だった、礼文島に縄文人の骨が発見されて
アイヌとは縄文人の後裔だとDNAの研究で発表した学者がいる
アイヌが縄文人だったのかとなるがそれに疑問を持つ人もいる
アイヌとは比較的新しい民族だという人もいる、もしアイヌが縄文人の後裔だとしたらアイヌ語が原日本語の祖語となるから大きなも問題になる
それで日本全体の地名をアイヌ語にあてはめた時代があった、でもそれは無理だった

いづれにしろみちのくとなると地理的風土的歴史的にアイディンティティが作られた場所である、だから北海道とは違った世界である
そしてなぜかみちのくに合うのが枯野なのである、わび、さびの世界なのである
みちのくは経済一辺倒の世界とかは合わない、大坂だったら商人の街でありあいさつがもうかりまっかとかなる、仙台市だともともと商人の街であり普通は東北弁だとんだんだになるが語尾にだっちゃだっちゃとなりこれが異質なのである
んだんだというのは何か口籠る言葉であり北国的である
でもだっちゃだっちゃというのは感覚的に全然違っている、押しが強い言葉なのである
伊達藩から伊達政宗のような人が出たという時何か異質なのである
東北人であのような芝居めいたことができる人はいないだろう、くそ真面目という感覚になるからである、ただ相馬藩とかでも実際は千葉県とかから移住してきた相馬氏一族が支配した藩だから別に土着的な人達ではないものが入ってきている
でも方言からするとんだんだとだっちゃだっちゃは余りににも違っているのである

上野去り平野開けてみちのくに我が帰るかな秋の陽没りぬ

上野駅を離れると浦和辺りなのか平野が広がり枯野にもなる、その時地平線に秋の夕陽がかがやき沈みみちのくに帰ってゆく、電車からその赤々と燃える秋の陽を見る
そして常磐線でもいわきまでは昔の平駅までは東京からの通勤列車が出ている
いわき市まで通っているのであり東京は意外と近いとなる
福島県は東京と近いのである、だから東電の原発でも建てられたとなる
郡山市だったら東京から一時間くらいなのである、通勤していた人もいるのである
でも会津とかなると不便であり遠くなる、会津は福島県でも浜通りから遠い、東京よりも遠いという感じにもなっている

ともかくみちのくでも広い、芭蕉が旅したみちのくは平泉までである
そこから岩手県になり青森へともつづく、そこはまさに辺境の地なのである

常夜塔雪に埋もれて野辺地かな

野の辺というときそうなる、津軽鉄道の津軽中里から十三湖に行った時寥々とか湖に風が吹いていた、そこも本州の果てなるか所である、ただ昔栄えた港があった、何かそれも津波で流されたとか言われる、砂に埋もれてしまったとなる
青森はみちのくの果てである、でも函館に行くとそういう感覚はなくなる、函館は明治に反映した近代的なしゃれた街なのである、感覚的に全然違っている
北海道はアイヌの歴史であり日本の歴史の中に入っていない時期が長かったからである

それにしてもなぜ芭蕉は旅に病んで夢は枯野を駆け巡るとなったのか。。。。
みちのくを旅したのは夏だったからである、秋だったら枯野にもなるがみちのくの枯野をイメージしたのか
その辺がわかりにくいのである

江戸だと枯野見があった、わざわざ郊外に枯野を見に行った、それは江戸は人でやはり込み合って枯野がなくなっていたからである
それで風流を演出したのである、今の東京なら電車でも車でも相当遠くに行かないと枯野はないのである

2023年01月20日

冬薔薇、冬の灯、冬の空、枯木、冬の暮 (農家育ちの老女が昔を語る田舎の冬)


冬薔薇、冬の灯、冬の空、枯木、冬の暮

(農家育ちの老女が昔を語る田舎の冬)


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依然として死者は家に取りついている、離れたくない
家はだから物だけとはならないのである

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木一本真すぐに伸びて冬の空

門古りけ農家一軒冬菜かな

古井戸や昔を残し冬の暮

冬の灯や近くに親し家一軒

晩年に才の開くや冬薔薇

石静かようやく咲きぬ冬薔薇


玄関の曇り硝子に映りたる枯木の影や母をし想ふ

この家になお離れじと玄関の硝子に映る枯木一本

冬の薔薇一輪開き間をおきてまた一輪開くを待ちぬ

我が庭に冬の薔薇咲く一輪や静かに見つつ今日も暮れにき

冬あわれ農家生れの老女なれ昔を語り時は過ぎゆく


農家に育った女性は何か街で育った人とは違う、土着的なものを感じる
土地と一体となり生きたとうい感覚になる
農民的体質を感じる、なぜなら茅葺の家にも住んでいた、意外とあたたかいという
土間があたたかいというとき土だからあたたかいとなる
茅葺の家でもやはりそこに人間が培った技があり知恵があるとかなる
だから必ずしも古いものがすべて遅れたとか悪いものだともならない
ただ今になるとなかなかわかりにくくなった
ただ一軒の農家でも自給自足的な暮らしをしていた
まず農家だと買うということがあまりなかったろう
街だとやはり買うことがある、食糧自体買うからである、水さえ隣の井戸からもらっていたとかなるからだ、とにかく現代は買うことが多すぎる
そのために金がかかり結果的にすべて金で計られる時代になったのである
その女性は老女十ならない、72歳だから今ではならない、でも苦労して病気にもなり10歳老けてみえる

何か介護とかなると近くに親しい人がいると助かる
なぜなら隣であれすぐ近くだと毎日のように気軽に行ける、様子もたずねることができるでも隣の市でも8キロ離れたとしても遠くなる、車があっても手間なのである
だから相馬市まで15キロになると結構手間なのである
その人は一人で家にいる、糖尿病でもある、今までは100メートルくらいしかないから歩いて行って話し合い相手になったりしていた、でも脳梗塞で入院した結果そこまで歩いて行けなくなった
また何か不和になり行かなくなった、娘は一人娘でかわいがって育ても冷たいと言っている、金に厳しいとも言っている
その女性が来ても財産ねらいなのかと気にしていて病気になって入院してもお見舞いもないとか言って切れたともなる
ここでもういくら血縁であれ親族であれ近くでも疎遠になることがある
かえって他人が親しくなり助けることもある
それで家族遺棄社会が言われるようになったのである
ともかく介護になるとどうしてももう家族だけではやっていけないのである
負担が大きいからやっていけないのである

冬は昔を語るのにいい、昔を回顧するのにいい、そして人間は待つ時間が悠長に待つ時間も必要である、薔薇でも一輪咲くのも遅かった、それから蕾となりまたそれが開くのに時間がかかる、早く咲かせることはできない、そこに時間の作用が必要である
現代で失われたのはこの待つ時間である、待っている時間の余裕がないのである
駅でいいのはこの待つ時間があったということである
たとえ10分でも待っている時間が人間的だったのである
高速のSAで待つということがないからである
そして本当に待つ時間がないというとき人間が成長させるにも子供をみるにも時間の余裕がない、絶えず膨大な知識に追われじっくり何かを追及する時間がないのである
ただ正直自分の場合は才能にしても華開くのが遅すぎたとはなる
何か理解するのに何でも遅すぎたのである、勉強の方法も悪かったのである
何かやっと冬になって薔薇が咲いたとかなるのと似ている