2019年04月08日

南相馬市の桜の短歌十首(その見所の場所と写真十枚)


南相馬市の桜の短歌十首(その見所の場所と写真十枚)


原町市街の桜(雲雀が原)
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雲雀が原

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旧街道ーヨーク紅丸の入口
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牛越城の桜

高倉の桜

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山雀を見つけた

橲原の桜

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立目石

小池の桜

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常盤木の松に桜や御本陣勇む騎馬者駆け上る所

旧街道枝垂桜の優艶に松も古りにき傾き立ちぬ

牛越城一時の城山桜咲きて装いけるかな

高倉の春の日あわれ古き家田の手入れやしばし語りぬ

高倉の花に染まるも墓地ありて訪ねる人もまれに淋しも        

高倉に山雀一羽見つけしも辺り人無く春の日暮れぬ

大谷に四本の枝垂桜のあわれかなこの家の古りしや夕日さし暮る

大谷の細道暗く椿咲き孟宗竹に赤く映えにき
            
大原に桜の咲けど空家かな我知る人は墓に入りにき

橲原の夕べあわれも立目石桜の映えてこの道暮れぬ

円墳に木の根付きて芽吹きけり小池の家や桜咲き暮る

川岸の樹々の芽吹きて盛りなる花より花へ鳥なき飛びぬ 

まず雲雀が原に行き御本陣山から桜を見た、それから旧街道に出てヨークベニマルの所で枝垂桜を見た、次に高倉の方に行きそこにもバンガローがあり墓地があり桜が満開だったでもそこのバンガローとかには人はいなかった
老人が一人田んぼにいた、あそこは田んぼ畑も回復していない
放射線量が高いのと若い人が外に出て帰ってこないといっていたからだ
それでカモシカが出て来たとかイノシシに荒らされるとか言っていた 

人の手が入られないと荒らされるし草ぼうぼうになり荒地化するのである
農協に頼んで何かしていることは言っていた
でもあそこにも桜が満開だった、あれだけあそこに桜が咲いているのが意外だった
山雀を一羽見つけた、山雀はなかなか見つけられないがやはり山が近くなると山に入ると見かける

それから大谷(おおがい)に出た、あそこには四本の枝垂桜の咲く家がありその裏は小暗い道になり孟宗竹の生える小径になっているその脇は新田川なのである 
それから橋を渡り大原にでる、そこに病院で知り合った前田という所に住んでいた人を知っている、その人は古い農家でありでも今は息子が跡を継がないので空家になっているつ、息子は市街の方に住んでいる
その墓をたずて墓参りしたことがあった、その墓は杉の木立に隠れてあった

大原から新しくできた森の道を行き橲原に出る、小池との境目の石として立目石がある、その前に桜と椿が咲いていた
それは写真をとるにはいい所だった、その頃薄暗くなり日が暮れようとしていた 
小池では古墳に木が根付き芽吹き桜が咲いていた、その前の畑で仕事する夫婦がいた
街に帰ると真野川の岸辺の桜を通り家に帰ってきた

桜は別に遠くに行かなくてもどこでも咲いている、ただ船岡の千本桜のような所はここにないのは残念である
でも高倉のようにほとんど誰もたずねないけど満開の桜が咲き桜色に染まっている
都会だと人が混みすぎて嫌なのである、外国人の観光客も今やそういう人が混む上野とか避けるのも理解できる
日本がだったらとにかく桜どこでも咲いているしまだ発見しない桜が無数にある
それは二週間くらいしか咲いていないかさ桜を見ることはむずかしいからである
今日は南相馬市の桜の紹介である




2019年04月06日

春の陽昇る(桜咲きはじめるか北風が吹いている)


春の陽昇る(桜咲きはじめるか北風が吹いている)

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春草や朝はや鳥翔け陽の昇る

6号線風にゆすられ朝桜


三人の子をもつ家族移り住む土筆も生えて時は移れり

自転車に走れる道にたんぽぽの咲き増えるかな遠く海見ゆ

昨日今日咲きそむ桜に風荒しみちのくにしも我は住むなり

雲雀啼く声のひびきて陽の昇る草も萌えにつ望む海かも

みちのくに桜も咲くも北風の朝なお吹きてゆすりけるかな


今日はめずらしく朝4時ころ目を覚めた、これまで寒くて7時ころまで普通は寝ていた
昨日は23度くらいと暑いくらいだった
今日は北風が朝から吹いて寒く感じる

朝早く目覚めたので海の方に行った、朝はどうしても浜通りだと海の方に向かうのである春の陽が昇ってきていた、カメラは一眼レフの大きなカメラをもって撮った
写真を撮るのはむずかしい、刻々景色が変わる、太陽でもかわる
その瞬間をとらえるのはむずかしいのである
自転車だと写真はとりにくいのである

ただプログなどしているとどうしてもきれいな写真が必要なのである
これは朝一報のリアルタイムの報道だとなるからだ
つまりインタ−ネットの醍醐味はリアルタイムにある
今の時間に起きたことを報道すればそれはテレビとかと同じになる、それがもっとリアルにするとナマ放送になるのである

この放送することはしている方が興奮することがわかった
放送されるのを見ているより自分で放送した方が興奮するのである
ただこれだけの膨大なプログがあるとするともう読まれたり見らるのは至難である
でもyoutubeでもそうだけどテレビとか新聞とかの競合になっいるのだ
やがて同じレベルになるのか?インタ−ネットのことをテレビでニュースにすることが多くなったことでもわかる

ともかくみちのくもここも桜が咲いたけど今日は北風が吹いている、昨日とは違っているそれで出かけられないとなる

2019年04月03日

老人は過去を昔を語ることに役割がある (でもそれを受け止める場や共同体がないと活きない)


老人は過去を昔を語ることに役割がある

でもそれを受け止める場や共同体がないと活きない

本来なら老人は、>人生経験を積み様々な知識と知恵も持っています。それを次の世代に伝えていくことは、老人の役割として大事なことであるはず。

市場社会が進行し共同体が破壊されると、根無し草の労働者は定年になると同時に社会的役割から除外され、年金頼みの生活しかなく、家庭の中ではお払い箱・厄介もの扱い。さらには福祉施設に押し込まれ、あらゆる生産的活動からも遮断されてしまう。


老人には老人の役割がある、役割があったとなる、それが喪失したのも現代である
老人の役割は昔をこれまで生きたことを語ることにあった
それが昔話になりそれも歴史であった

その語ることが極端になると認知症になると若い時のことは忘れられないから遂に千回も同じことを語る、それで嫌になったがその語ることが生きたことだったからそうなったのである
姉の場合は従軍看護婦として今のマレーシアのシンガポールから橋を渡ったジョホールバルで四年間地獄の苦しみを受けた、だからそのことがどうしても忘れられなかったのである
それでそのことを死ぬ直前まで語っていたのである

でも語るという時、それを聞く人、受ける人が必要になる
それが現代では欠けているのである、世代間でも断絶しているのである
そせそも現代社会はあらゆるものが分離してパーツ化している
子供は年代ごとに分類される老人もまた分離されて隔離されて収容される
昔の村だったらそこでは長老とかいたり子供も若い世代も一つの村の中に生活していたのである                                            

だから老人でもその村の中で生き続けやがて死んでゆくがその後も村の中で生き続ける
世代間の連続性があった、そこで語ることも受け止める人があり伝えられる
囲炉裏を囲んで老人は孫たちに語ったりしていた
語るにもそういう場が必要なのである
そういう場がないと語ることも活きてはこないのである

会社で60年とか働いて退職するともうその人のいる場が消える
なぜなら会社を退職して地域で生きろといってもその連続性がないから語る場がなくなるもし死ぬまで会社にいるならそうはならない、会社は一過性で消えるものも多くなっている、銀行すら消失するとなるとそこで連続性は断たれる

老人はその人生を語ることなのだがそれを受け止めるコミニュティとか場とかないと活きてこないのである
語ることは何か文章にするのとか違っている、語ることはまた女性が得意なのである
だから語り部とかに向いている、話がうまいのである
そういう人を知っている、とにかく話だけはうまいのである
それで欠点としては口だけの人だともなる、何か口からでまかせだともなる

でもその人がこういうことで働いて苦労したとかいろいろ語る時、その人は故郷で生きてきたから故郷という場がありそれを聞いているのも受け止めるのも故郷に住んでいるからこそできるとなる
もしそういう場がなかったらいくら話しても活きてこないだろう
例えば今南相馬市から青森の老人ホームに送られ人が多い
でもそういうふうに離れるともう故郷とは別な世界になり何か語るにしても活きてこないということがある

ただ語るにしても人間はいろいろであり語るべき人生であったのかともなる
やはり老人が語り重みがあるというときそれだけの人生を生きたということで重みがでる例えば私はFXでデイトレダ―で億万長者になったとか聞かされてもつまらないとなる
老人の価値も今では金で計られるとしても過去を語る時もし何か波乱万丈の人生を送ったりするとそれに耳を傾ける若い人がはいる

それで面白いのはヤップ島の石の貨幣があるがそれが海に沈んで取り出した時、その苦労を語りその石の貨幣の価値がその語りによって価値があがってくるというのである
つまりそういうふうに語れるものがありそれが価値となっていたのである
老人の価値もそうである、どれだけ語れるものがあるかでその老人の価値を計るということもある

何か語るということは語る時人は全身で感情をこめて語るから文章にするのとは違う
そこに深い思いがあり語るのである、なんかyoutubeではその個々人の語りが活きている
そして語りだとわかりやすいからつまらないものでも見る人が多いのである
文章を読むことはかなり疲れるからである
だからテキストの時代からyoutubeの語りの時代に入ったという人もいる
本当に武田邦彦氏などは語るのがうまいと思う
だから個人で10万とか見られるのはやはり語りがうまいからだとなる

私も老人にしてもこんなに毎日書いているのは語りたいということがある
語り表現したいことがありそうなる、それが簡単にできるのでこんなに延々と書いているのである、ただ自分の場合は話すのが下手だからyoutubeには向いていない
テキストで流すのならいいが向いていない
文章には語るよりもっと深いものを表現できる

ただテレビが依然として人気があるのは表現がわかりやすくしているからである
語りであり文章ではないからである、そうなるとみんな知識人でもないから見る
ある特定の知識人相手ではない、大衆が相手だからである
万葉集が令和の新元号で話題になったとき人気になったというときもそうである
それを大衆向きに面白おかしく説明する
そこにどうししても浅薄なものとなるがそれも関係ない、大衆向きの娯楽のように放送しないとみんな見ないからである
要するにテレビはパンとサーカスなのである、もともと馬鹿を相手にしているという感覚なのである、それで肝心なものが放送されなかったり議論されないのである

ともかく膨大に老人ばかり増えてくると老人の価値は減退する
寿命が60年とかの時代はそうして生き残った老人は価値が自ずとあった
今はない、むしろ早く死んでくれとかなっているだけである
ただ昔から老人にも役割があり価値があり村という共同体の中では活かされていたことは確かである、その時でもやはり貧乏だから食わされないとかの問題はあった
でもたいがい長生きするのはまれだから老人の役割はあり活かされていたともみる

2019年04月02日

春に寒い北風〈桜前線)

                                                    
春に寒い北風〈桜前線)


北風のなお吹きつけて厳しかも我が生ここに刻みけるかな

春に吹く春北風とはハルキタであり何かあたたかい明るい感じである
ここ何日かは冷たい冬の北風である
だから季語にあっていない
芯からその北風を受けて寒い、一日一回はどうしても買い物で外に出る
それで自転車だからまともに北風を受ける

一旦あたたかい春が来たと思ったけど今の時期でもこんなに寒いのかとなる
そういうことはこれまでもあった、最後の寒さであることは確かである
元号も変わったけどこの令和の令が冷をどうしてもイメージするのである 

人間は何か長く生きればその生をその土地土地に刻む
つまりなぜ老人が原発事故でも故郷に帰ったかというとそこに自分の人生があったからだとなる
やはりそれぞれに苦労して人生を刻んできたからである
それは親でもそうだし先祖でもそうだったのである
もしその場を離れると人生の刻まれた歴史が失われるともなる

何かたいして苦労ではないにしろ今頃の北風にはそれを感じた
今頃は東風が吹くのに今日は本格的な北風だったからだ
だからみちのくではまだ花は一分も咲いていない
でもいわきでは咲いた、そこでその距離を感じる
いわきはここよりあたたかいし仙台はここより寒い
80キロくらいの距離がそうさせているのである

西の方は東京でも桜が満開になっている、でもここは何か冬にもどり北風が吹きつける
それで日本列島は桜前線でその土地の気候の風土の差が現れるのである
旅していたとき西の方が大阪京都は花の盛りでもみちのくはまだまだでありまた逆にみちのくに桜前線で咲くときは西の方は散っているのである
この桜が華やかに咲いて散るのと桜前線が距離で咲く時期が散る時期がある

この距離感覚が今はなくなることがまたもののあわれを感じなくさせた
芭蕉の奥の細道でも新幹線で二時間ちょっとで来るとなると何の感懐もなくなる
つまり距離感がその時は日本の最果てに行くという感覚が「奥の細道」を生んだ
「五月雨のふりのこしてや光堂」とかもそうである
はるかにみちのくの平泉にたどりついたら金色堂だけが栄華を残していたとなる

現代に旅は消失したのである、豪華なホテルに泊まってもそれは旅ではない、保養であるそして今のホテルでも旅館も旅人を迎えるものではない、そこで金を払って保養するとかうまいものを食べるとか役割が違ってきたのである
そういうところで旅人は歓迎しないし旅人自体がいなくなったのである
江戸時代だったら歩く旅だからみんな旅になっていたし宿でも旅人を迎えるものだったのである、お伊勢参りだって一か月となればそれも歩くとなるとみんな旅をしたとなるからだ

桜は満開もいいがその後に散るということが桜の魅力であり日本人の心に影響した

はるけくも千本桜たずねればみな散りにしを我が帰るかな(あわれ深まる)とでもなる

船岡の千本桜は見応えあるがそこまでは自転車で本当に遠かった
それもその時今の楽な自転車ではなかったから余計にそうなる
そうして苦労して来てみたらみな桜は散っていたのである
この時深いもののあわれをかえって感じたとなる
それは芭蕉がはるばる苦労して来た平泉で感じたことと同じなのである
距離感覚の喪失が旅を消失させたしもののあわれも消失させたともなるのだ
つまり何かを得れば必ず人間は何かを失っているのである

とにかく今北風を感じるという時、車だったら感じない
「風流は寒きものなり」ともなる、ただ今の時期に寒いの厳しさを感じる
そこでそういう厳しさの中に人間の生が刻まれたと感じるのである
60まで旅したがその後十年は介護などでしていない
それだけ旅したからいいともなる、今は外人が多いし日本人が旅しずらくなった
それも日本が観光で金を稼ぐとなり貧乏になったからである
そういうふうに常に時代は変化するのである

時移る令和となるや春寒し

この令和の令が冷をどうしてもイメージする、万葉集のように梅の花の宴をイメージしないのである
そこに漢字の特殊な差用がある、それでどうしても地名でも音に漢字をあてたときその漢字を意味としてとらえる
そこで地名でも実際は音なのに違ったものとして意味から地名をみるのである

ともかくここ数日は春寒しというより寒戻るとなっている




2019年03月31日

春の雷ー燕来る (原町ー川子ー大内を回る―川子の溜池で釣り、大内の隠された墓地)


春の雷ー燕来る
(原町ー川子ー大内を回る―川子の溜池で釣り、大内の隠された墓地)


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原町の街中の畑

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家の跡の池と墓地への道

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元禄までたどる先祖

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春の雷蘇えるかななお生きむ

十羽ほど交差し群れてつばめ来る

三色の花活け外に燕来る

隠されし墓地を見つぬけ落椿

さえづりや姿を隠し林中


街中の畑やピンクのチューリップあまたふくらむ原町に来る


今日は晴れ間が見えたので原町まで行った、道の駅の食堂は200人は昼間来ていた
十人が働いていたからそれでも人件費にかかる  
日曜日は稼ぎ時である、結局人件費が一番かかるから経営する方にしては機械化したりAI化したりするのである、とにかく人間を働かせるほど難儀なことないのである
雇う方が雇われるより凄いエネルギーが必要なことは確かである
雇うとなるとその家族のことや必ず人間は病気とかにもなるしさまざまなことを考慮すると人間を雇うコストは高くつくのである
だから一見外国人労働者を入れるのはいいがそのコストがかえって高くつく場合がある

今日は鹿島にも燕が川の上を10羽飛んだ、燕が来たから本格的に春になる
雲って寒いが燕を見たら何か本当に春が来たなと感じた
それで新しい自転車で遠くに行きたくなった
今度の自転車は快速である、平坦な地でも坂でも楽なのである
だからこれは本当に半分バイクに乗っている感じなのだ
それで今日もいろんな方面に行った
                                        
川子の溜池で釣りをする人がいた、あそこではいつも釣りする人がいた釣れるのは何かと言ったらブラックバスだという、それから鯉とかだという、

ブラックバスは、北米原産の淡水魚で、全長50センチ(最大70センチ)にも達し、、魚はもちろん、エビ、カニ、カエル、イモリ、ネズミ、鳥など、動くものなら何でも食べる肉食魚だ。バス釣りのマニュアル本には、「大きなバケツのような口は、小魚を追い、食いまくるフィッシュ・イーター」と書かれている。さらに、外敵からオスが卵を守るなど、極めて繁殖力も強い。

5月の連休ともなれば、県外のバスファンで連日満員御礼の盛況ぶり。右は、夫婦、子供、家族そろってバス釣りを楽しむバス釣り風景。今やバス釣り人口は300万人に膨れ上がった。八郎湖には、ボートが飛び交い、バシャ、バシャとヨシの中で騒いでいるのは全てバスばかり。この変わり果てた八郎湖に、かつての生態系は確実に破壊されている現実があった。                        

ブラックバスブームにのって大繁殖

ブラックバスは日本で繁殖した、それが釣りする人には人気になった
釣り道具やではわざと放したとかも言っている
これも釣り道具屋にすると今や遊びとしての釣りでありブラックバスでも釣れるとなると釣り道具やも繁盛するとなる
何かこうした歪みが現代文明には多いのである
いらない薬でも飲まされるしいらないものでも買わされる、でも商売だからと金儲けのためにそうなる、それが釣り商売の人にも起きていたのである
私は釣りをしないが釣りに興味があるのはそれが自然と深く関係しているからである
だからパチンコとかギャンブルやるよりいいと見ている

原町の蔵をる家の畑は広い、そこにチャーリップが飢えてった、ピンクのチャーリップだった、街中の家でありまだ農家だった所である
そこから大内の方へ回った
大内の坂を上るとそこは家の跡でありそこに池があった
これは自然の池ではない、この家の池だったのである
その家がなくなったことで墓地への道が見えた
その墓地は隠されていたのでわからなかった
意外と墓地はこうして隠された場所にあるからわからないのである
そこに大内という姓の墓誌には元禄までたどれる祖先を記されていた
元禄までたどるとなると相当に古いのである

大内村は後ろの高い所に住んだ人たちが古い、下の平地に住んだ人は後から住んだ人たちであり津波の被害にあった
だからもともと高い所に住んだ人たちは古い家であり津波の被害にあわなかったのである湿地帯を田にしても高台に住んでいたのである
そこは急な高台ではなく人が住める場所だったのである
そこから海が見えて沖に船が行くのが見えた
おそらく松原が津波で流されて遠くからもこの辺では海が見えるようになった
それは新しい景観であり悪いともいえない
松原にさえぎられて海が見えないから浜通りでも海が鉄道に乗っても見えなかったのである

とにかくに三日前には春の雷が鳴った、春の雷は二回くらいしか鳴らない
そして今日は燕が群れをなして飛んできた
今年もこれで春が本格して何か新しく始動する感じになる
ただ今日も寒いのである、すでに磐城では桜が咲いている
この辺はまだまだなのか?後一週間くらい後に開花になるのか?
いよいよまた桜の季節になる

2019年03月27日

初燕(近辺の春)


初燕(近辺の春)

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巣箱が二つあった



初つばめ原町に見て電車行く

耕しの婦人二人や春の暮 

若草や新しき家の増えにけり

我が町や古墳の上に草萌ゆる

何を置く巣箱二つや春の暮


昨日に原町で見たのは初燕だった、この初燕はどこで見るかが大事である
その場所が印象的なものになる、原町はふさわしかった
原町はこの辺では相馬市は城下町で古いが新興都市でもあるからだ
明治以降に原ノ町駅が機関区となりそれで発展したのである

旅路来て赤絵町かな初燕

赤絵とか柿右衛門の赤絵は有名であり海外に売り出された、それは伊万里から外国に輸出されたか伊万里焼になった、それが海外でもヨ−ロッパでも珍重されたのである
それが古いヨ−ロッパの城に残されたのを最近発見されたというのもそれだけ輸出された品だったのである

その時九州を旅していたが遠かった、九州は東北からだと一番遠く感じる
北海道より遠い、そこに初燕が飛んだのを見たのは新鮮で印象に残っている
ただあまりにも時間がたちすぎたのである
旅は実際60歳までつづいた、そして介護になり十年はしていない
30年間くらい旅に費やしたのである 

私の住んでいる所は本当に家が増えた、それも新しい家が多いし一つの新しい街ができた感じになる、それは津波と原発事故が重なり移ってきて家を建てた人が多いからである
新しい家が本当に多い、古い農家の家はもう少ないのである

女性が年配の婦人が二人耕している、そこは荒地が多いのである、人間はやはり営みがなくなると荒廃してゆく
でも知っている人の畑の前と隣はやめた、一人は這ってきて車にのせられてきて畑で仕事していたが遂に続かなくなりやめた
もう一人は病気になり死んだ、それでまた荒地になってくる、荒地がこうしてどうしても原発事故以後増えるのである
ただ新しい家は増えたのである

南相馬市の鹿島区で見るとなると古墳なのである、小池に多い、それも隠された場所ちるありわかりにくい、これが古墳なのかと見分けがつかないものもある
なぜ小池にこれだけ多いのか?それはやはりここが古代に人が多く住んだ場所だからとなる
ただ古墳となると原町区の桜井古墳は大きいから目立つしそこが中心だったと外から来た人たちも見る、つまり外から来る人たちに目立つものがないと観光として受けないのである
古墳に草萌えるというのも何かここらしいとはなる
古墳は墓であるがその祖先の墓の上に草萌えて春がやってくるというのも人間の営みである、人間は祖先がいてその祖先の上にまた生活を重ねてゆく
死者を養分として代を重ねて栄えてゆくのがどこでも人間の営みだからである
それが人間の歴史でもある、必ず過去が歴史はそうして代々つづいてきたからである

ゆっさの湯の食堂は奥の方に新しく変えた、そこの方が前よりいい感じになった
食事するにもどうしても環境が影響する、その味も価値なのだが価値にはいろいろな価値がある、景色のいい場所で食事するとやはりうまく感じるからだ
狭いごちゃごちゃしたところで食べたくないのである
だからゆっさの湯は場所としてはいいのである、ただ庭が貧弱なのである
あそこは近いから時々行ける距離にある
気分転換にいろいろな場所で食事したりコーヒー飲んだりするのがいい
場所を変えると気分も変わるからである



2019年03月25日

春の日に原町まで自転車で(俳句十句)


春の日に原町まで自転車で(俳句十句)

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新しい高台に墓地ができる
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黄色のはマンサクてはなく蠟梅だったろう

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これは紅梅ではなく桜だろう
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坂越えて隣の市へ春の雲

公園に子供遊ぶや草萌える

東風(こち)吹きて浜街道を旅行かむ

さえづりや春街道の細き道

春の丘新しき視界開きけり

春の日や黄金神社を見つけけり

風そよぎ伸びゆく竹や蕗の薹

広き野や鳴きあいやまぬ夕雲雀

若草や電車の音のひびくかな

近くにそ夕べに濃くも梅にほふ  

風そよぎ流るる水に春の日の反射し光り芽吹きけるかな


原町まで天気がいいので行った、石神の方をぐるっとまわってきた
東風が吹くと春らしい、それは浜街道にふさわしいのである
さえづりもひびき何かまた旅したくなった
相当に10年とか旅していないからだ
今度の電動自転車だと何かスイスイ行けるから気持ちいいのである
前だとこうはならない、やはり機械の影響もつくづく大きい
それで車に乗った人はもう手放すことができなくなる気持ちがわかる

途中に黄金神社が山の中にあった、これは金華山神社だろう
この神社を他にも見たからである
これは比較的新しい、明治以降のもあるからだ

それから石神の方に出たが石神は広いと思う、もともと原町は広い地域である
新しく高台が造成されたのは雲雀が原の近くでそこは墓地だった
相当に広い墓地であり区画して市で売りに出している
おそらく津波の被害で墓を失った人が新しい墓を建てているとも言う
でも津波の被害地でも萱浜でもそうだし海老村でもそうだし烏崎村でもそうだし新地とかでも不思議に墓地だけ残っている不思議があるのだ
それでそこに今も墓参りしているのであるただ流された墓地もあるからどうなのかわからない
墓地は江戸時代の墓があると興味があるが新しい墓には私は興味がない

それから石神のどこなのか?イオンの近くである
これは桜であり梅ではない、それから万作である、なんとも春らしい
梅はこんなふうには咲かないだろう

それから新田川の高松の方に行く所で電車の写真をとった
若草が生えて春らしいとなる、電車はまず待ち構えてとらないといい写真はとれない
大きなカメラだと即座にとるのはむずかしい
だからここが写真をとるにいい場所だとして狙ってとらないといい写真はとれない
でもそうなると自転車ではむずかしいのである
なぜ撮り鉄がいるのかとなるとそれは電車は景色にとけこむのである
車は景色に溶け込まないのである
電車は絵になるのである、それで電車が走らない地域は何か淋しくなるのである

鉄道の効用は歴史が長いのとそこでただ人を乗せるだけではない、人間の生活と景色と一体化している
それで四季の中に鉄道は電車は映える、それで採算がとれないローカル線でも残してほしいというのは何か乗り物としてだけ見ていない、一つのあるべき日常の景色とっなっているからそうなる
だから鉄道がなくなると一段とさびれた地域に見えてしまうのである

とにかく今日は春らしい一日だった、どうしても春になるとぶらぶらしたくなる
そのポタリングでもサイクリングでもこの電動自転車は快適なのである
だからもっと遠くへ行きたいとなったのである
旅もまたできるのかと動いているうちに思った
山元町までは相当に遠かったがそれでも何かまだ行けるなと感じたからである
それだけ乗りやすいのである、だからこの自転車だけは今まで買った自転車で最もいいものだった、やはり楽に走れるからいいのである
今までのどうしても疲れる、そういう走りしかできなかったのである
それで自ずと行動範囲が広がったのである






2019年03月22日

春の日に山元町までの旅の俳句と短歌

  
 春の日に山元町までの旅の俳句と短歌

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亘理まで5里中村へ三里とある

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この石はみ応えがある
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八重垣神社の松は残っていた、ここは海に相当近い
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津波の後に長い高架橋のレールになった

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ここは五本松だったが三本になった





朝雲雀六号線を遠くへと

我が家を遠く離れて春の山 

東風(こち)吹くや境を越えて遠くへと

草萌えて電車の来るや海望む

大石に一日におうや庭の梅

正宗の休みし石や落椿

春の闇三本松の浮かぶかな
                                    

新地なる道標(みちしるべ)古り春日さしその道のりや昔思いぬ

正宗の休みし石と吾も休む津波の後の春の磯山 

海霞み島の見えじも船影の二艘進みぬ春の昼かな  

椿咲き松によりにつ正宗の休みし石や沖行く船見ゆ

春の山霞て見えじ島の影二艘の船の沖に行く見ゆ 

(八重垣神社)

津浪にも神社の松の残りしを春の日さして我はやすらふ

山に没る春の夕日や海よりそ満月上る浜街道行く  

春の灯や電車の音に浜街道旅人の行く影のありしも

我がよりぬ坂本宿の古きかな春の満月夕べ昇りぬ 

鹿狼山見えて高きを我が還る6号線の春の夕ぐれ  

松川浦月影さして鷺一羽なお餌漁る春の夜かな  


五本松三本残り支え合う人のごとしも月影さしぬ

五本松三本松のなお残り我が還り来ぬ春の夜かな

三本松変わらずここにあるべしや我が待つ人のなしとて待たむ


相馬市を越えて新地に行くと道標がある、それで坂本まで何里とか記してある
それを見ると何か旅に来たなのという感じになる

大石の庭は前にも見た、あの石がいいのである、そこに梅が匂っていた
それから新地を越えて山元町に入った、ここは行ったことがなかったのである
何百回と仙台に通っていたがこの海岸沿いは行ったことがなかった
実は新地の海岸までは来ていた、でもそこから先は遠いなとなり行かなかった
つまり自転車だとなかなか遠くに行きにくいのである
ここから5キロで温泉かと遠くへ行ってあったが引き返すと10キロになるから遠くなるすると先を急ぐから行けないとなる
ただ電車の中から山下駅からいつか海の方に行ってみようとは思っていたのである
それがこの年までついに行かなかった
人間は近くでも行かない場がある、その間に月日が流れて津波の後に行くことになったのである
人間は意外と灯台下暗しで終わることがあるのだ

磯ア山でも津波が襲ったが辛うじて被害をまねがれた
そこに正宗が座ったという石があった
そこからの見晴らしはいいが港もあり船もあったが漁には出ていないという
その道はサイクリングにはいい、堤防の上を走ったら気持ちがいいとなる

八重垣神社とは何なのか?海に迫って神社がある、そのことはまた歴史の探求として書いてみよう、ここでは旅として山元町まで行ったことを書く

山元町の街の方に行くと夕暮れになっていた、郷土資料館によった
そこに坂元のことが記された木簡が発見された、坂元願とかの木簡であり古代のものである、坂元宿はそれだけ古いことに驚いた
山元町は古代の歴史として相馬の延長にあることがわかった
これも鉄道だけだと線だけの旅になりわからないと思った
鉄道の旅は日本全国を隈なく乗ったけどそれだけではわからないのである
第一そもそもすぐ近くの山元町のことを知らなかったからである
人間は交通が発達して便利になってもかえっていろいろなものを見逃しているのである
感じなくなっているのである

夕日は山に没しその時満月が出た、坂元駅辺りでかなり暗くなった
でも六号線をひたはしり鹿狼山が見えた、あれはこの辺では一番高いから目印になる
それから相馬市の方に行く道ではなくて松川浦に行く道路を進んだ
そして松川浦に出た、満月であり月の光りが入江に反射していた
写真をとったが夜でうまくとれなかった
鷺が一羽月明りのなかで餌漁っていた

そうして相馬市により食事して例の五本松の所にくる、今は三本松しかない
それも枯れるかもしれない、何か松は枯れやすいのである
春の夜の闇の中に三本松が影となり浮かぶ
その松は人間に見えるのである、松は一番人間に親しいものであり人間に見えるのであるだからこの松が還ってきた自分を待っているというふうに見えるのである
家には誰も待つ人がいなくても松が待っているとなる  

今回は介護とかで旅は10年くらいしていなかった
それで新しい電動自転車で旅した気分になった、やはり旅で見る時の自然でもなんでも違って見えるのである、旅人して見る景色は違って見えるのである
新鮮に見えるのである、だから旅人になる必要があるがそれが今ではしにくい
車でもバイクでも早すぎて旅人とはならない、通り過ぎるモノになっているからだ
電車でさえ旅人としての経験はできない、現実に何百回も仙台に通い山元町を通ったのにそこを知らなかったからだ

旅の問題は自転車だとしても六号線だけを通っていただけではその土地のことはほからないということである
海から山へと横の方面も旅しないとわからない、ただ六号線は遠くに行くにはどうしてしも便利だからそこだけを頼りに通りすぎてゆくのである
寄り道できないことが問題なのである、その時何か大事なものを知らずにただ通り過ぎてゆくだけだとなる
そういうことが現代では多すぎるのである

とにかく旅したな旅人のようにまたなったなとつくづく思った
でも山元町から越えると仙台の方に行くともう日帰りはできないと思った
やはり80キロ行くとして帰りもそうなるから行けない
泊まるとなると結構楽ではない、ただこうして動いていれば体力も筋肉もついてくるかもしれない、ただ一日とか休めば楽なのである、連続して自転車をこぎつづけることは苦しくなる、ただまたさらに遠くへ行ってみよう
そう思うのはどうも去年でも4月5月でも光線が紫外線の影響か日射病に熱中症になってひどいめにあったからまず光線には弱くなっているからだ
夏は全く旅は自転車ではできないと知ったからだ
すると3月から4月がいいとなるから今の内に行った方がいいとなる
ただこの自転車の弱点は荷物がのせられないことなのである
そしてスタンドがないからとめるのに苦労するのである
長距離になると荷物がのせらられないことは苦しい、そこが一番の問題だった












2019年03月21日

春彼岸(満月に梅匂う)


春彼岸(満月に梅匂う)

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今出ている月(19時14分)


家一軒ここに隠され匂う梅

朧月ひそかに棲みて匂う梅

花々や墓地賑いぬ春彼岸

落椿あまたや続々墓参り


誰が知らぬ人花挿して我が墓や死ににし人を一人偲びぬ

せわしなに時は過ぎゆく死す人の忘るは早し彼岸はめぐる

次々に人の変われるこの世かな今日ある人も明日なしかも

梅の花匂い放ちて夕べ散る満月照らし心おきなし

紅梅の匂いに満月美しき盛りの時や幸にめぐまる

月影に浮かびしもあれ死にしもその面影や彼岸となるかな 


彼岸だけは墓地はにぎわう、それにしても人の世は変わりやすい、人自体が次々に変わる
死ぬと忘れられるのも早い、そして時間が過ぎ去るのも早い
家族が二人死んだけど一人は8年過ぎたしこれも早い、一人は三年である
そして残された人もまた生活とかいろいろ追われる
それでこの辺は津波とか原発事故などがありめぐまぐるしく変わった
なにやかにやで自分も一人で暮らすのが3年すぎたのである 

年をとれば今日ある人は明日なしかもとかなる
同世代の人が次々に死んでゆく、有名人でも死んでゆく
するとその死者をいちいち偲ぶことすらできないのだ
なぜなら次々に死ぬ人が知っていても増えてくるからである

昨日は満月でありその後朧月になった
梅の花も十分ににおいを放ちそして満月に照らされる 
私の場合はめぐまれていたが不幸に死んだ人も多い
実家の墓では肺病で25歳で死んだとか記されていると墓参りすると何か苦しくなる、圧迫されるのだ
でも実家の墓には私はもう行かない、300万もらって墓を頼むと親戚が墓参りする
その人は地元に住んでいない、もう会うこともない
何か自分の親戚はもめていたし特に母方はそうである
でも親戚はもともとなかったしすべてその縁も切れたとなる、これも無常である

彼岸には死者を偲ぶことはいいことである、一年に二度でも人間は現実に存在しないと忘れるのである
日々の生活に追われ忘れるのである、死者でも生者でも「去る者は日々に疎し」になる
実際現実に逢わなければ死んでいるとも同じだともなる
この世とは無常の世である、それは老人になると否応なくただ事実として示されるのである
若い内はまだ親か元気だったりするからまた同世代で死ぬ人もいないから感じないのである

ともかく十分に梅のように匂いを放ちそして死ねば恨みは残さないだろう
でも人間はつくづくいくつになっても生に執着するのだ
それは生物の本能だからどうにもならないとなる
生きれるかぎりは生きるとなるからだ

昨日は月影の中をずっと自転車で走ってきた、そして今日は墓参りである
家族が待っているいるわけでもない、一人暮らしにもなれてくることは確かである
要するに人間は何でもなれるということなのは確かである
どんなことでも受け入れざるを得ない、それが現実を生きることなのである




2019年03月18日

春時雨(人間の五感が機械化で失われる―旅もなくなる)

                     
春時雨(人間の五感が機械化で失われる―旅もなくなる)

柔らかに白髪をぬらす春時雨


春時雨というのがある、それは二三日前だった、これもまた帽子をかぶっていると感じないことがある、でも顔をぬらす春時雨だったから感じた
まず車だとこういう自然の変化を感じない、季節感もなくなる
第一風を感じない、車は閉鎖された空間だからである
風を肌で感じられない、今どういう風が吹いているのか感じないのだ
俳句とかだとどうしても季節を感じなかったら作れない
だから今の車社会ではそうして俳句とか季節感をテーマにしたものは作りにくいとなる

最も自然を感じるのは歩くことである、でも私自身ほとんど歩かない、すると歩く感覚が消失しているのだ、歩くことは今や車社会になると最も新鮮な原初的な経験になったのである、だから文明が発達したから人間は進歩するわけでもない
かえって人間の五感は消失してゆく、そうして自然でも感じなくなることは貧しいともなる、物はあふれて機械で便利になっても五感で感じることが消失していることは貧しいとなる

それから便利になると距離感がなくなる、芭蕉が旅したみちのくでも平泉でも新幹線で二時間だとなると何の感懐もなくなるだろう
ただ旅は通り過ぎてゆくだけだとなる、そしたらもう俳句などでも作れない
作ったとしても別なものとなる、距離感を感じること遠いなと感じるかことも一つの人間的感覚である、それが新幹線や飛行機によって奪われるのである
それで千本桜を見に船岡とかに自転車で行ったことがあった
その時その桜はみな散っていたのである
あれだけの桜がもう散っていて残念だったとなるがそれも一つの感懐を生んだのである

はるけくも千本桜を訪ねればみな散りしあと我が帰るかな

あれだけの桜がみんな散ってしまったなと深い感懐が生まれた
それははるばる苦労して自転車で来たからだったのである
その距離の感覚が深い感懐を生んだのである、それは芭蕉でも同じである
はるばる平泉に来たら五月雨の中に光堂が朽ちずに残っていたとなる
それははるばると歩いてようやく訪ねた距離感にあったのだ
その距離感がなくなるとき人間の感懐もなくなる
二時間でみちのくに来たとかなればそこは隣の村に来たと同じである
説きおさの感覚がなくなったのである

だから現代では旅というのは消失している、旅人もいないのである
ただ旅館とかホテルは旅の宿というより何を食べるとかグルメとかなり保養の場なのである、今のホテルは江戸時代のようにまず旅人を受け入れる所ではない
そこで高い金をもらって保養させる場所なのである
江戸時代なら木賃宿であり旅人の宿だったからである、泊まることを優先した場だったのである、だから豪華な保養のホテルがあっても現代では旅人の宿はないのである
旅人は歓迎されない、まして自転車で旅するような人は汚いし受け入れにくいし歓迎されないのである、まず旅人を歓迎しないのがホテルであり観光旅館である
それで私は旅したとしてもそうしたホテルとか観光旅館が多いからそういうものが嫌いだったのである、そういう場所は金持ちしか歓迎しないからである
それはどこでもそうだが江戸時代ならそういうことはないのである
おんな貧乏だから安く旅人を泊めていたのである

結局時代によって失われるものがある、それは絶対に返ってこない、再現できない
時代は再現できない、芭蕉の時代を再現できないから芭蕉のような俳句はもう作れないのである、つまり人間社会は得るものがあっても必ず失うものがある
だから人間の幸不幸など計れないのである、縄文人が不幸だったともいえない
そこで自然に驚嘆して日々生きていたのかもしれない、もちろん苦しんでもいた
ただその時代時代に感じるものが違っていたのである

ともかく現代とは人間の五感が消失してゆく時代である
膨大な映像時代になっているのもそうである、でもその映像を見て本当に人間の五感で感じるものを得られるかとなると得られないのである
その壮大な空間をテレビの画面では4Kでも8Kでも再現できないからである
人間は原始的な感覚をかえって機械化で喪失している
何か写真をとればそれで自然を感じたように錯覚しているのである
それは参考になるにしても五感で感じるものとは違っているのである

そこで現代では俳句とか短歌とかそうした五感で感じるものが衰退している
膨大な映像時代でありそれに圧倒されているからである
映像によって自然でもなんでも感じたとなるからである
でも実際は感じていないのである、感じることができないのである

ただそうはいっても機械をすべて否定はできない、今度買ったE-BIKEは走り自体が違っていた、だから軽快にどこでもすいすい走れる、自転車だと風でも感じるし五感で感じるから世界が広がった感じになったのである
自転車でもやはり遅いとすいすい走らないと行動しにくいのである
でもバイクだとはやすぎるのである、ただ車と違ってバイクは風は感じる

それで霊山から相馬市の方に下ってくると海から吹いてくる東風を感じる
その時山から海に近づくのを肌で感じるのである

東風(こち)吹くや相馬市に向かい山下りぬ

霊山から下りくると東風(こち)を体で感じる、その時相馬市に帰ってきたとなる
海の方に向かっていると感じる、それはいつも海側に住んでいるから余計に感じるのである、海の見えない地域では東風(こち)でもまた違ったものになる

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ

 右大臣菅原道真の歌でも東風(こち)は山から吹いてくるのである、京都は山に囲まれているからである、東山があるごとくその感覚は海側とはまるで違った感覚になるのである、それで会津は広いし方角がわからなくなった
 それは周りが山に囲まれているからそうなったのである
 ただ日本海になれば海に面していても風は違ってくる、だから風は場所によって違って感じる、だから風土だとなるのである、その土地の風土は土だけでなく風によって感じるのである


2019年03月16日

春の日に多珂神社近辺をたずねる


春の日に多珂神社近辺をたずねる


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多珂神社

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紅梅の朝に匂いて鳥の来ぬ近くに椿赤く映えにき

日々ここを通りて匂う梅の花さらに匂いのましにけるかな

参道の苔むし静か春日さし狛犬久しく守りいぬかも

綿津見の神社のありて海望む春の日さしぬ丘の上を行く

羊歯生えてここに根ずきぬ古木かな南方の木なり春の日さしぬ

隠されて古き墓あり林中今日我たずね春の日暮れぬ

木の切られその根の残るこの家の古きにあれや椿の散りぬ


多珂神社の近くに綿津見神社がある、とにかくこの辺では綿津見神社がなぜこれほど多いのかというのが謎なのである
多珂神社は近江にある多賀神社由来だというのはわかる
綿津見神社は安曇氏の神だとしても安曇氏という名前も聞かないから不可解なのである

綿津見神社となれば海に望む場がふさわしい、でも飯館村にも綿津見神社はある
海から山へと移動している、神社とは移動するのである
例えば山の神社が海の方にも移動する、山津見という地名が松川浦にあるからだ

いづれにしろスダシイの森があったがそれも南限の地として南方系の木がここに繁茂していた、それは車輪梅が南限の地として海老村に自生していたことでもこの辺が気候的に南方系の植物が自生する限界の地だったのである
それで真野の草原(かやはら)はそうした境界線として奈良の都の人たちに意識された場所だったのである
                 
何かこの辺では放射能汚染の関係で木が切られている、それも大きな木が切られている
家の周りの木が切られている、何かそれも残念に思う
屋敷林ある家は古いからである 

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この説明の碑は何なのだろうか?こうなると記念碑である
看護婦になった動機がここに記されている
墓とは記念碑なのか?そもそも墓が何なのかわからないことがあるのだ
記念碑となればこうして記しておく、でも記念碑として残されるのは何か特別にその土地でもどこでも功績のあった人であり普通の人はこうして記念碑を建てない
そもそも墓が記念碑なのかとなるとこれもわからないからだ
記念碑となれば記念碑だらけになってしまうからだ
そもそも墓参りするのはその家のものとかその家系に連なるものである
一般の人は他人の墓参りなどしない、私が墓を見るのはそれは土地の歴史を知るためである、ここが江戸時代からあったのかと知るためなのである






2019年03月09日

春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道

  
春の日に大倉―佐須ー霊山―玉野の道 

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大倉

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枝が折れた木
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これはアカタテハなのだろう

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樅の木の若木

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蛇のようにからまる蔦と樅

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佐須の峠より吾妻連峰―クリック拡大



霊山から見える残雪の吾妻連峰


初蝶や樅の若木の育つらむ

初蝶の崖に動かぬ一羽かな

初蝶を山の奥所に二羽見たり

猫柳山の家一軒残りけり   

東風吹くや相馬市に向かい山下りぬ

滝一つ山にひびくや芽吹きかな

山下る春田に流れひびくかな   

三本の松の残りて春の暮


さえづりの山にひびきて渓流にそいて上るや残る雪かな

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の二本春日さすかな 

山の奥去年の落葉を踏みにつつ樅の若木のここに育つらむ

瑞々し若木生い立ちさえづりの高鳴りひびき山を登りぬ

痛々し枝おれし木や山の奥春の日のさしてやわらぎにけむ 

蕗の薹はやいでにけり飯館の山の奥所や沢のひびきぬ

春日さす道そ遠くも来たりけりなお住む人の家しありなむ  

ここにありし家はなきしも春日さし何をしのばむ飯館村に

残雪の吾妻嶺望む我が越えし佐須の峠や伊達に入るかな

残雪の吾妻嶺光る霊山を我が登りてさえづりひびく

霊山の高きにさえづりひびくかな吾妻嶺望み残雪光る 

(山津見神社)

岩にふれよじりのぼりぬ隠されし社の一つ春日さすかな

隠されし社一つやよじのぼる岩場の道去年の落葉踏みて下りぬ

玉野村昔の道に古き家去年の落葉踏み春の日通りぬ 

サイクル者走り来たりぬ春の日や若き等の命燃えにけるかな 

月光りなお我家のありにしや夜梅におい帰り来たりぬ  


大倉から佐須へ霊山と最近買った自転車で行った
失敗は8万で買った一眼レフのカメラを落としてだめにした、直すと3万以上かかるので買えなくなった
新しいのを買った方がいいからだ、今度の自転車の弱点は荷物をのせられないことだったのである
もう一つの一万のカメラもこわれた、これはいいとして8万だとかなり損だった
そのカメラはほとんど使っていなかったからだ、何か高く買ってもロードでも使えなかった
カメラは落とすと使えなくなる
自転車が動くから落としやすいのである

大倉には家が残っているからそこで猫柳が映えている、家がなくなると何か映えないのである
そこは自然に帰るというものでもない、荒地化するのである
大倉とか佐須には家は何軒か残っているのである                      

前に詩にした日本の樅の木はここだったと思ったがはっきりしない、こんなふうに見えなかった
その時秋だった、何かそうして実景でも心の中で見ることがあるから実際は違っていることもある
樅の木が新しく水々しい葉で育っていた、何かそれが新鮮だった
つまりこれもここに新しく育つ命であり人間に見えるからである
人間が住んでいればどこでも人間化するのである
そこが原生の自然とは違っているのだ
だから人間が住まなくなるとそこが一段と淋しくなるのである

佐須の峠を越えると残雪の吾妻嶺が見える、ビューポイントである
でも写真はとれなかった、紹介したプログの写真を参考にしてください

それから霊山を下ると小さな社が二あった、玉野にあったのは若木神社と愛宕神社と八坂神社である
八坂神社は多い、これも渡来系だというが浜通りなるわかるが山の方まで古代に来たのかともなる
玉野の伊達と相馬の境にある集落は古い、宿場町だと土地の人が言っていた
確かに古い家がありそれから昔の道に古い碑がある、元禄の碑とかあり古いのである
ただに西玉野とかあり昔は笹町と言っていた
西玉野の方なのか?そこは戦後開墾に入った集落があるという
そこで酪農で牛を飼っていた人はそうして戦後開墾に入った人だった
その人の妻はフィリンピン人だったのである
それから浪江の津島で妻が都会に出たいと夫を襲ったのは中国人の嫁だったのである
要するに日本人の嫁が来ないからそうなったのである
別に街にも外国人の嫁は来ているのである、それだけ嫁がいないからそうなっているのだ

そこから下り途中に鳥居があったから上った、そしたら岩場をよじのぼりそこに小さな社があった
隠されるように合った、それは山津見神社だった、おそらく佐須の山津見神社の分社なのだろう
今回の短歌のテーマは去年(こぞ)の落葉である
何かその去年の落葉を踏むということはこの土地に住んでいるからこそである

そして相馬市に出ると帰りは五本松を通る
そこにはもう三本しか松が枯れてないのである
でも何かそれが人間に見えるのである、松は人間に一番親しい木なのである
杉とか樅の木は人間には見えないからである
何か三人人が待っているという感じになる

家に帰ると誰も待つ人がいない、何か一人になってから家もなくなるんじゃないかと不安になる
そもそも誰も待っていない家というのも不思議なのである
ただ家が待っているというわけにはならないからである
まあ、警備してくれと親しい人には頼んでいる
ただそれも頼りないことはある、でもいないよりはいい

新しい電動自転車は楽である、ただ荷物がのせられないこととスタンドがないこととそういうものが長距離になると不便になる
カメラを落としたのもそのためだった、だから使いこなすにはそれなりになれる必要があるのだ








2019年03月08日

梅匂う日々(災いないことが幸せ)


梅匂う日々(災いないことが幸せ)


日を重ね濃厚に梅の匂うかな今日も通りて夕ぐるるかも

馥郁と梅の匂いて山鳩の今日も来たりて事のなきかも

山里に老梅匂い家古りぬ昔の暮らしここにありなむ

春日さす姉母死しても我が家かな災いなくもここに暮らさむ

事もなく石にありなむ春日さし老いにし日々をここに過ごさむ
                                            

結局人間は災いがないことが平和だったのである
とにかく一身上でも津波原発事故でもこれほどの災いはなかった
もう本当に消耗したとなる、気力もなくなる
まず人間の一生で災いがないなどありえないのだ
だから火宅の世なのである
だから何も事がないことが平和なのであり何か退屈だなというときその時は平和な時なのである
現実は何か必ず災いがありそれにみんな苦しんでいるのである

だからいろいろあっても江戸時代が戦争がなくなったことで300年平和だったことは奇跡的なことだった、絶えず戦争が世界では起きていたからである
20世紀は戦争の時代だったのである

ともかくこれだけいろいろなことがあればもう何も事件が災いが起きてくれるなとなる
でもこの世から災いがなくなることはない、だから災いがないことこそ平和だとなる
津浪や原発事故が大災害だが常に災いは起きてくる
それはニュースを見ればわかる、災いは絶えることがないのだ

老後は意外と家が大事になる、そこがくつろげる場所として終の住処として重要になる
そうして家族はみんな死んだけど家に住んでいられるから幸いだとなる
だからそうして住み慣れた家を失うことは相当にショックだったのである
タグ: 梅匂う

2019年03月03日

フラワーアレンジメント(孟宗竹と花)


フラワーアレンジメント(孟宗竹と花)


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二本の柱のごとし孟宗竹その間に飾る春の花かな


これも苦労して自作した、フラワーアレンジメントは花だけの要素ではない
壺とかバックとか関係している
例えば茶室だと花を生けたとしてもそれは一部である
それは全体の中でまた活きる

フラワーアレンジメントは最近していなかった、一年くらいしていない
結局これも手間なのである、そして金もかかる
家事からなにからとても人間いろいろなことに手が回らない
ただ孟宗竹は好きであり今は一人だから好に家自体をアレンジできるのである

つまり芸術はアレンジなのである、私が抽象画を他者の写真なり絵を加工してアレンジしているのもそうである
芸術とはアレンジなのである、花を飾る舞台を作ったからまたフラワーアレンジメントをしてみた
ただ写真ではうまくとれなかった、暗い場所だからうまくいかてかった
写真を結構むずかしいのである

2019年03月01日

春の山鳩


春の山鳩

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春の鳥盛んに飛び交い呼び合いぬ

山鳩の十羽遊びぬ春野かな

街の上いづこに飛ぶや春の鴨

餌ねだる猫来る家や春の昼


今日もまた梅のにおいて山鳩の来たりて去りぬ事のなきかも

春日さし桜井古墳の大きなる主の二人やここに眠りぬ


山鳩は平和の象徴である、それが春野に十羽くらいきていた
その野というのが津波の跡でまだ田んぼになっていない所だった
何かまだこの辺はそういう所がある
ただ田んぼがないというときそこは本当に原野になってんるのである
ただまだ春草が生えたり花は咲いていない、そこは放っておくと花野になる
何かそういう光景をこの辺では津浪の後に見てきた
それもいいなとかなるとしかられるが野というとき田畑でもない
原野のことだがそういうのは日本では平地にはあまりないのである

ただ震災から8年もすぎとるとやはりいつまでも津波のことや原発事故のことを忘れられないにしても元の平和がもどってほしいとなる
いつまでもそれをひぎつっているのも問題だともなる
そういわれなくても人間は何でも忘れやすいのである
人が死んだとたんその人はあいまいな存在になり忘れられてゆく
ただそうはいってもあれだけの津波とかの被害はひきずる
実際に被害にあった人はそういう光景が頭に焼き付いて離れられないとないとなる
こうした巨大なさいがいは何百年一回なのだからやむをえないとなる

梅が匂う、山鳩が来る、それはなんでもないことだけど平和を感じる
一身上でももう人間とは思えない狂気のような人が来て自分の家はずたずたにされてきたからである、人間恐怖症にもなった
その人間のあまりのひどさにただ唖然としているだけだったのである

桜井古墳の不思議は二人の木棺があり二人が葬られているという
それは何を意味しているのか?
何か二つの勢力があってそれが和解してここを治めた人が二人が眠っているのか?
そういうことはありえる、それは自分の家でもそうだったからである
二人がいてこの家を支えて栄えさせたからである
ただ二つの勢力が争ってそれが和解して一つの古墳に収まったのかともなる
とにかくあの桜井古墳は大きいから頼もしいとなる
やはり何かそうした標しになるものがないと古代でも歴史を感じられないのである
鹿島区の古墳は多いのだが小さいから見応えがないとなってしまう

猫は隣の家に5匹くらい集まっていた、それを見ていると面白いとなるが猫の問題は増えすぎるのである、餌をやると増える、それで地域猫として地域の人が協力して飼うことをしている所がある、猫の数も去勢して調整している
ただそうなると誰が金を出すのかとめんどうになる
野良猫は何かいたずらされて傷つく、私の家の猫も尻尾を焼かれたのである
それからビッコの猫がいる、片方の足が使えないのだか結構早く動くのも不思議である
その猫をねらって黒い大きな猫が襲うのを見た
猫には相手が身体障害でもそんなことかまわない、同情がないから獣だとなる
猫は何か観察していると面白い、猫は無邪気である、動物でも人間のように邪心がないから欲がないから癒されるとなる
餌をやれば後は何も要求しないからである、人間はあまりにもいろいろなことを要求しすぎるのである、子供すらただ財産を欲しいというだけになっているから猫に財産を残したとか犬に残したというのも理解できるのである

ともかく今日はあたたかく外出するのにはいい天気だった


2019年02月26日

松川浦の春の俳句と短歌(写真)

松川浦の春の俳句と短歌(写真)


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残雪の蔵王が見える

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百間橋

川添の森の塩釜神社

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和田の浦
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船越観音の錨堂の錆びた錨

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新しい喫茶店
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ホシカレイ

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磯部の高台から夕べ見えた蔵王

すべてクリック拡大できれいに見える



蝋梅や蔵ある家に映えにけり

春の日や百間橋を渡りけり

広々と海の開けて東風吹く

巌に松根を張り望む春の山 

椿咲き船越観音にもうでけり

錨堂いわれを語り落椿

新しき喫茶店より望む春の山

のどけきや魚を待ちぬ釣りの人

春の日や星カレイを釣りあげぬ

船無事に帰るや山に春陽没る


釣人に平和もどりぬ松川浦沖行く船に鴎飛ぶかな

津波にも残れる松に春日さす沖行く船の二三艘見ゆ

大平洋東風(こち)吹きわたり残雪の蔵王望みぬ山形思ふ

川添の森の社を守れるは狛犬二頭春は来たれど

長々と春の夕映え松川浦平和もどりぬ我が帰るかな

夕影に蔵王の姿磯部より大きく見えて春の日暮れぬ


宇多川の河口から残雪の蔵王が見えた、そこから百間橋を渡り川添の森に入る
そこに塩釜神社の社があった、なぜこんな森の中にあるのか海岸沿いにもある
宇多川にそってあるから川沿いの森となった
これを見たらこの短歌がぴったりだった

松の風夜晝ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に 石川啄木


夕風の光も清き川添のもりて涼しき秋の初風

もりて・・とは森のという字なのか?光がもれるからなのか?
ここに森がなかったら変である 

松川浦は和田の方から見ると違って見える、あそこは奥になっているから意外と津波で松は枯れていない、第一そっくり松が残っている
津波はともかく地形の影響が大きいのである、前に山があるのも影響したのだろう
ここまで来て津波の勢いが弱まったのだろう
ただ塩水を被るとたいがい松は枯れているが枯れていないのである

船越観音とか錨堂は松川浦で海らしいもので見ていた方がいいとなる
貝殻地蔵などもそうである

この新しい喫茶店と軽い着るもの売る店はできて二年くらいらしい
最初貨物車両とか利用した簡単なものだと見ていたが中に入ると鉄で作った立派なものである、だからこれは結構金がかかっている
ただ問題はコーヒー飲むにしても座る場が5つつくらいしかない
ゆっくり休めない、でも立地はいいのである
春の山も見えたし前が浦になっている、ただ今は潮が引いている時期で水が少なく干上がっていた
380円のコーヒーだけど立地がいいし休む場がないのでそこで休んだ
今は喫茶店だけではコーヒーとか飲み物だけではやっていけない
だから喫茶店専門の店は旅をしてもなくなっているのである
それで軽い着るものを置く方が広いのである
でもちょっと休憩するにはいい場所だと思った

それから埠頭では魚を釣る人をみかけた、ホシカレイを釣ったところだった
これは高級魚でありなかなかとれないものだった
鰈の種類も多いのである、そこで魚の話を聞いて面白かった
親潮の魚はうまい、黒潮の魚はそれほどでもないとなる、カツオなどは黒潮だということはわかる、サンマは親潮であり一時水温の関係でサンマの群れがよってこないとか騒いでいた
とにかく海の世界は広いということである、黒潮は与那国島から流れ出して日本に流れるあの辺ではトビウオが飛んでいた、海の世界はやはり沖縄とか南である
私は日本全国をほとんど行っているし特に最初は船旅をした
東京から一週間かけて貨物船のようなもので行ったことがあった
今は出ていないだろう、そういうふうに旅は時間がかかる、だから金があるだけでもできないのである、まず船旅は時間がかかるからである
ただ船旅は体力的には楽だから世界一周でも高齢の人でもしているのである

ともかくのどかな光景がもどったとはなる、ただ潮干狩りができていないのは観光的には打撃である、また海岸の松がすべて消失したことも景観的には殺伐としたものを感じる
それでも春の夕映えを浦に写ししていて写真を撮る人が何人かいた

それから磯部の高台を回ると蔵王が大きく見えた、宇多川の河口からも見えた
磯部からやはり一番大きく見えるのである
雲一つないからはっきり見えたのである、蔵王は雲がかかると見えないからだ

写真を連続的に見れば臨場感がでてくる、今の時代は写真が欠かせないのである










2019年02月23日

紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)

  
紅梅(萱浜ー泉ー金沢を回る)



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萱浜の新しい墓地

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春北風(はるきた)に向かいて走る新自転車

海近く桜井古墳に東風(こち)吹きぬ

山鳩の飛ぶや回りぬ故郷を

萱浜に墓地のみ残り雲雀鳴く

春日さしのっそり見つむ牛の顔

紅梅や泉の跡に観音像   
             
春の日や砂に遊ばむ沖に船


昨日一昨日は春北風(はるきた)だった、春の光があかるいが春北風(はるきた)がふきつけた、でもやはり春である、それで自転車で走るのも軽快である
今度の自転車は軽快に走るから気持ちがいい

桜井古墳は海に近いから一時東風(こち)が吹いた、今頃になると東風が吹くようになるそのために原発事故で爆発したとき放射性物質をふくんだ雲のブルームが飯館から福島市に流れて大被害になったのである、どうしても東風が吹くとそれを思い出すのである

萱浜には墓地しか残っていない、それもみんな新しい墓であり
前のように江戸時代の墓が残っていない、墓誌にも江戸時代のものがない
だから昔を偲ぶものがなくなったのも淋しい
やはり墓も歴史の記念のようになるから古いものが残っていれば価値がある
墓でもそうだが神社でも古いと価値があるとなるからだ

泉の酒が湧いたという泉長者の井戸の跡から11面観音像のある辺りはこの辺では古い文化の歴史地帯だともなる、そこに紅梅が咲いていたのはあっていた
あそこも高台にあるということは古い場所は津波からまねがれた
何か古い場所には意味がある、萱浜はもともとここも湿地帯だったからである

金沢からは沖に船が見えた、砂浜があり子供でも遊べば活きてくる、あそこは前にさえぎるものがないため津波がもろに襲い被害が大きくなった
火力発電所は壊れないにしろ被害が大きかったのである
前に全くさえぎるものがなかったためである

とにかく春である、遠出するにはいい季節となった

2019年02月20日

春寒し(風流は寒きものなり)


春寒し(風流は寒きものなり)


我が一人大き家に住み春寒し

ふるさとに貧しき女春寒し

春寒したずねて帰る女あわれ

食器洗う男やもめや春寒し 

我が家の長き争いやみにしもなどか淋しき春寒しかな 


(風流は寒きものなり)ー斎藤緑雨  

これも逆説である、今日は曇っていて雨はふらないがふりそうであり春寒しにぴったりの天候である
何か最近天候不順で温暖化とか騒ぎ天気が変則的になっている
今日は季節的には雨水だとか春寒しにあっている
この寒さはまた冬の凍るような寒さとは違ったものである
何か日本人はそうして微妙な季節の変化に対して敏感でありセンスがある
おそらく百姓だってまだ春だけど寒いなということが季語になったのである

それで(風流寒きものなり)ー斎藤緑雨 という言葉が生まれた、ただこの寒さは秋でも寒いし冬の寒さでもある、まず江戸時代でも明治以降でも戦前でも戦後でも十年くらいは炭だったから寒いとなる、私の家は最初はトタン屋根で雨漏りする家だった
風も隙間風びゅうびゅう入ってくる、今の家の弱点は古い家だから隙間風が入るのが弱点である

ただ寒いということにも風流を感じるのは人間だからである、日本人は季節の移り変わりで共感する、それが文化となる、あいさつも天候のことだからである
この文学と俳句でも短歌でもなにか効用があるとしたら春寒いとか自分の場合一人でありそれが何かかえって風流になる、一人だと感じることが多くなるからだ
大家族でにぎやかだと淋しいとかも寒いとすらなくなるかもしれない
人のぬくもりであたたかく感じるからである

ともかく家族が死んでからんとした大きな家に一人いるのも寒々とすることがある
一人暮らしの老人が増えているけどこれも問題である
ただなぜ一人暮らしになるのか?人間は夫婦でも親子でもみんなうまくいかない
何かもめるのである、それで家に来る見守りの女性は息子と別々に暮らすようになった
だからこそこんなに一人暮らしが増えている、一人暮らしは経済的ではない
電気水道でも一人だと何人かで暮らすと同じようにかかるからである
でも現代はそういうところが贅沢なのである

私の家族は特殊で長い間60年も一緒にいて争っていた、最後死ぬときも一人が認知症になり悲劇的結末になった、60年も一緒にいれば争わなくてもいいと思うがこれも女性の業なのである、人間は一人の男をめぐり争うのが業なのである
「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム」これを毎日見ている
このように延々と女の争いが戦いが繰り広げられる
そこに権力もからんでいるが女性は王の寵愛を受ければ権力も同時に手に入るからそうなる、これも何か寒々とする
あれば作り話である、でもそれが全く創作したものかというとそうではない、現実にそういうこととにたことがあり作られたのである

貧しい人がいたとしてそれに同情するのもまた自ら困ることになる
なぜならその女性は今度は病気で入院したとかなりそうなるとこちらが世話役なのかとなってしまう、現実に今はただ金を無心に来るだけであり何もしない
全部家事は自分一人でするほかない

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される

船の棹は、川底を棒で突いて、舟を進めていきます。棹を強く突けば突くだけ、
早く進む事が出来る。
元々、(情という)流れがある所に、更に情でもって棹を突けば、どうしようもなく
流れてしまって、舟がコントロールできない状態になってしまう、

こういう意味だった、貧乏な人がいる、それに同情するのはいいがそうなるとそれもきりがなくなるのである
そうしていくらでも金でも要求される、もう本当にコントロールできなくなる
どこかで非情にならざるをえなくなるのだ、この世には貧乏な人でも山ほどいるし病気の人も山ほどいるし障害者もそうである
とするとそういう人に同情するのはいい、かわらなければいい、直接かかわるとまた違ってくる
金でもなんでも与えることになり自らの生活も脅かされるようになるからだ
それで情に流されることも危険なのである、誰でも同情することは悪いことではないしそうあるべきだがそれも切りなくなるから困るのである
手伝いとして働くのではない自分自身が手伝いにもなってしまっているからだ

ともかく文学とかの効用は貧乏でもあるというときかえって貧乏とか寒いとかの方が風流があるというときそれは何か人間には足りないものが必ずありそれを補うものとしてある宗教にもそういう面がある
人間はどんなに裕福でもまた便利でもそれで満たされるとはならない
かえってあばら家にも月が出て美しいとなる、自然の美は貧富とは必ずしも関係ないのである、自然の美は無償であり無料なのである
金持ちの家に太陽が照り月が輝くとかならない、あばら家にも同じように太陽の光はさすし月も星も輝くからである
そういう点で人間は平等だともなる、自然によって人間は飾られている
それは再三言っているけど東京のような一番繁栄した場所に美がない、それは自然がないからであうる、江戸時代ならあったが今の東京にはそれがないからである

いづれにしろ季節の変化を書くのは俳句とか短歌が向いている
日々変化しているからである、だからこのプログはそうして表現するには向いているのだ俳句とか短歌でも普通は雑誌でも月間だからその日その日の感想を書くことはできないからだ
ただ逆に読む方になるとなかなかいろいろあって調べるのもめんどうだとかなる
ただyoutubeでも個人のメデアになったことが大きな変化だったのである
だから限りなく表現できるのである、制限されないからである
即座に書いてすぐに読むことができるからだ
それで私は膨大なものを書いてきたのである






新幹線春の俳句


新幹線春の俳句

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みちのくへ春風切って新幹線

春光にたちまち過ぎる新幹線

みちのくの芽吹きや早し新幹線

タンポポや一挙に遠くへ新幹線
                           
I go away by Shinkasen
at a stretch in the distance
dandelions bloom

北上の春の流れや新幹線

春の灯や街はいづこやはや過ぎぬ

みちのくの春の山々新幹線   

新幹線おりてローカル残る雪


新幹線に乗るとか景色を見るとかは新しい体験である
技術の進歩は新しい体験をもたらす
今回買った電動自転車でもそうだった
これだけは自分にとって本当にいいものだった
まず走りが全然違うのである、だからこれなら体力がなくても遠くに行けると思った
それで原町までも楽に行けるようになった
自転車にいろいろのったけどこれは別格だったのだ

新幹線で青森から弘前まで行った、それは二三年前のことである
だから記憶としては鮮明であるだいたい30年前とかまでに普通なっているからだ
そうなると思い出すとしても鮮明にはならないからだ

ともかく新幹線は早い、景色もゆっくり見ていられない
でも新幹線の体験はやはり異次元の体験なのである
一挙に遠くへ行ってしまう、そこでタンポポが咲いていたなとかわずかに見えた

それから新青森から弘前の方にローカル線に乗り換えた、その時は暑いくらいの気候だった、それでも青森の山に入ると雪が残っていたのである
そこから山を分け入り弘前についたのである

新幹線は飛行機よりはいい、まだ外の景色も見れる、これがリニアになったら外の景色すら見えずただ飛行機のように移動するだけだとなる
飛行機というのはつまらない、景色が見れないからである

ただ最近気づいた、仙台空港から大阪に行くのは飛行機の方がいい
電車で直通で今は行けるからだ、ただ大阪京都は外人が多いから行きたくない
泊まるホテルを確保するにも大変だからである
正直今は旅をしたくない、それでも今度買った自転車では春になったので遠くへ行ってみたいとなる

タグ:新幹線俳句

2019年02月18日

春満月(夕べ原町へ)


春満月(夕べ原町へ)


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二日前だったかこの池は凍り付いていた
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川子の急な坂道

春の月耕す畑を照らしなむ

春の月しげく通いぬ原町へ   

春満月桜井古墳に二人の主

川子なる池の凍りてすぐに立つ樅の数本に墓地のありしも

ホームにて遠くの人と話しつつ春の日穏やか今日も駅に来ぬ

萱浜の(かいはま)のなお津波の傷あれや春満月にいやされむかな

古(いにしえ)に船の来たりて船着きや春満月の照らしけるかな

市庭と古の人や商いぬ春満月の海よりいでぬ


今日も忙しかった、それはサイフなくしたとか騒いだのと今度はゆうちょの通帳がなくなっていた
これもめいどうになったがサイフが出て来たのでなんとかなった
とにかく通帳でもいろいろあるとわからなくなるのである
今日は銀行とゆうちょにより次に駅による、駅には毎日行っている
ただその時間は20分くらいなのである、だからこそ寄れる、そうでないと他のことができなくなる
毎日プログを書くことが課せられているからだ

川子の坂の道はかなりの急坂だけど今度の電動自転車はすいすい上るから楽である
この自転車だけには感心する、走りが自転車よりバイクという感じになるからだ
とにかく昨日一昨日とかまでは冬だった、一昨日はまだ厳しい冬だった
それで川子の池は凍り付いていた
そこには樅の木があり合っていた、そして坂を上る脇に墓地がある
短歌も写生なのである、ここでは別に何も飾るものがない、見たままを短歌にしただけだからである
だからこそその厳しい姿がかえって映し出されているのである
芸術の基本は何であれ写生であり写実なのである

萱浜(かいはま)に春の満月が出ていた、津波の後に海が近くに望まれるようになった
それまでは松原とかにさえぎられて見えなかったのである
津波の後に景観が変わったのである
でも何かまだ津波の傷跡は残る、8年過ぎても依然として津波の傷跡は残る
いかにその被害が深く大きかったかを物語っているのだ
だからいつになったらこうした傷跡も過去のもものになるのか?
まず数十年とかかかる、十年でもたりない20年とか30年とか過ぎてようやく過去となるのかもしれない
それほどに津波の被害は大きすぎたのである

ビジネスホテルの高見で焼魚を食べた、あそこはホテルに泊まる人の食事を出していた
ホテルの外の人は二人だった、でもあそこは広いしゆったりしているから私は好きである
味噌汁でもアサリ貝の味噌汁で気にいった、カニの味噌汁も出す、大きな鍋で作るからおいしいのである
なぜあそこにあまりホテル以外の人が入らないのかわからないのである

桜井古墳には二人の主が木棺に収められていた、これも不思議なのだがこの辺の有力者であり王がいて二人を祭る古墳だったとなる、それは前からいた先住民と後から来た征服者が一緒に祭られてともなる
そこで手を結び平和がもたらされた地域だったのかともなる
そうなると春満月がふさわしいとなるのだ

満月は塩アの平安時代なのかその前なのか船着とか一庭とある地名がありそこまで海だった、船が来ていたというがなかなかそれが資料が残っていないのでリアルに感じられない、ただ津波は船着きの前まで来ていたからそこでリアルに感じるようになったのである
その考察を次にしてみる

2019年02月13日

蝋梅 (家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)


蝋梅

(家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)

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まだ雪がふっているね

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これは結構厚かった


蝋梅や古本手にとり籠るかな

蝋梅に雪やこもりぬ年古りて我が楽しみは本を読むこと

蝋梅に春はまだしも寒々と風の唸りてこもりけるかな

本あまた故人残しぬめくりつつ省察深めて冬籠るかな

今日も風唸りつつも大き家に一人籠りて本を読むかな

ずっしりと重たき古本また増えるストーブにより読める幸せ

葉牡丹に万寿菊活け白菊も映えて長くも我が家にあらむ


消寒絶句  清 呉錫麒

礬頭山在屋頭堆
磬口花于水口開   
不遇故人誰共賞   
打氷声裏一舟来

[書き下し]

消寒絶句(しょうかんぜっく)  清 呉錫麒(ごしゃくき)

礬頭(ばんとう)の山は 屋頭(おくとう)に在(あ)りて堆(うずたか)く
磬口(けいこう)の花は 水口(すいこう)に于(おい)て開(ひら)く
故人(こじん)に遇(あ)わずんば 誰と共に賞(しょう)せん
打氷(だひょう)声裏(せいり) 一舟(いっしゅう)来(きた)る

礬頭(ばんとう)の山 家のそばにそびえ
磬口梅(けいこうばい)の花 川のほとりで咲いている
親しい友人と会えないなら いったい誰とこの名画を楽しもうか
(と思って戸外を見やると)氷を打ち割る音が鳴り響き 一艘の舟がやって来た


蝋梅の花は春にしても冬から咲く、だから必ず雪がふったり積もったりする
去年だったかもそうだった、だから冬の花であり春の花だとなる
この漢詩はその感じをうまく表現している
冬だと冬ごもりであり人も来ない、でも春になり凍った川の氷を破って舟が来て遠くから友が来るとなる、これも中国らしい漢詩である
なぜなら川を中心にして中国はあるからだ
川を通じて人は会い別れて行く、大河別離情でありまた出会い遭うことなのである
この感覚は日本にはないのである
この漢詩は蝋梅が咲き春をまちわびているのである
つまり蝋梅が咲いてもなかなか春が来ないということにもなる
最近は今日でも寒い、やはりまだ春は来ていない、ただ後三日くらいで春は来るみたいだ最後の寒さである

そしてこうして寒い時はストーブで一人あたたまり本を読むの適している
外国だったら暖炉である、今の時代のいいのはまた古本を注文した
著者の別な本である、そしてインタ−ネットも今だと関連した文が見つかるから何か知的作業が格段とはかどる時代である
キーワードで調べられるからである、つまり今や誰しも安価に巨大な蔵書でも所有している感覚になるのだ、いちいち図書館に行って調べるのが手間になった
だから介護になってからは家族がみんな死んでから図書館には一二度くらいしか行っていないのである
あとは家事に追われるからゆっくり図書館で調べられないのである
それも隣の街に行かないとできないからめんどうなのである
知的作業をするにはまず家が研究所、基地にならないとできない
ある程度の蔵書もないとできない、それで司馬遼太郎は図書館のような蔵書をもっていたことでもわかる、あれだけのものを書くにそうなったのである

だから地方では知的探求はつくづく不利だった、第一古本は仙台に行かないと買えないしそれでも少ないからである、アマゾンならどんな本でも手に入るとなるから便利である
この恩恵は大きいのである、文系だとまず本を読むことでありそれで事足りるともなるからだ
インタ−ネットだと学者の論文がpdfで読めるのもいい、引用できるからだ
そういうことで地方でも田舎でも知的ハンディを負わなくなったのである
そして気軽にインタ−ネットでプログで日々発信できることも知的作業では効果がある
なぜなら文章を書くことは書きながら考える、創作する
文章を書くことで自らの書きたいことが書けるということがあるからだ
それで様々なことを感想でも評論でも書きやすいのである

今まではこうして気楽に自ら書いたもの発表できない、本となると選ばれた人とか売れるものとか置けない、めんどうなのである
毎日短文でも書くことは楽なのである、本にするとなると長文で編集しなければならないからめんどうになる
こういう点でインタ−ネットの効用は大きかったと思う

葉牡丹と万寿菊は合う、万寿菊は好きな花である、それ字のように長く咲いている
菊も比較的長く咲く、葉牡丹もそうである
生け花の問題は花がすぐにしおれてしまう枯れてしまうことなのである
そうなると取り替えるだけで金がかかる、それで最近はフラワーアレンジメントはしていな、他に金がかかってできないのである、また手間にもなるからだ

とにかく今は田舎の方がこうしてハンディがなくなったことで暮らし安いとなる
そして知的作業にはかえって静かな田舎の方がいいのである
集中できる、混雑した都会だと人混みであり嫌になる
年取ってからさらに介護十年でエネルギーが消耗してそういう混雑した人ごみに行くのが嫌になった、ただ疲れるだけだとなる
そして何か旅する気力もなくなったともなる
だから一日中こもって本を読んだりドラマを見たり文章を書いたりしているのが向いていると思った、そういう環境があることでも余計にそう感じるようになったのである




2019年02月05日

春望国見山 (深野から大谷(おおがい)から国見山を上る)


春望国見山 (深野から大谷(おおがい)から国見山を上る)

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鹿島の寺内からも見えた二つ山

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親子石という感じ
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春の日に二つ山見ゆ鹿島より

春日さし石五つここに落ち着く

春の日に海を望みて国見山

春日の国見山に映え我が登る  

春日さし根づきし石や国見山

見上げれば春星満ちて希望かな


大谷村戸数少なく春来しも空家となりし家一間り

国見山去年(こぞ)の落葉を踏みにつつ一歩一歩と我が登るかな

国見山今登る人無く我一人去年の落葉を踏みて下りぬ


国見山春望

洋々大海開
国見山頂上
早梅山居咲
南相馬市住
春光温和日
和平合一願

新しい電動自転車で原町の深野のユッサによりそれから隣の大谷(おおがい)村によった新田川を渡った隣だった
深野(ふこうの)とか大原は常に意識しているけど大谷村はあまり意識しない所だった
もともと戸数が少ない20数軒だという、大原とか深野は戸数が50軒以上と多いのである、だから大谷村は深野村か大原村かと思っていた
ただ大谷(おおがい)というのはこの姓は栃窪村にその姓の人がいる
大谷氏は一族であり栃窪村に多い、小さな村だと一つの姓に属することが多い
だから大谷という姓が栃窪に多いということは大谷村から移住した人の子孫なのかとなるそういうことは確かに日本では多いからである
姓の元をたどれば村の名前になるからである

その大谷村から細い道を分け入り高倉村に出て国見山に上った、自転車で上り後は歩いて上った、標高は520メートルとかあった
鹿狼山(かろうさん)は429メートルだからこれより高かったのだ
遠くから見えやすいのは鹿狼山であり目立つ山である
だから国見山がそれより高いということが意外だったのである
この辺の風景でものたりないのが高い山がないことである
ただ国見山という名は全国的に多い

大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は

国を見渡しながら「大和の国はすばらしい国である」と詠うことによって言霊の力で大自然の神々に語り掛け、実際にそのような国になるように祈っているわけです

国見は、春、山や岡など高いところに登って四方を見渡し、その年の穀
物が豊かであるように予祝する儀礼。そこでは、国を賞める歌をうたい、その実現を期待した。本来は民間の行事であったが、天皇の政治的行事としても行われるようになったらしい。

これは天皇の歌であり天皇は国を統べるものでありだからこそ国見の行事があり国の平和と繁栄を祈るのが天皇役目であり天皇は司祭でもあった、短歌はそうした呪術的なものがあった、単なる風流とは違っていたのである
本当にこの辺では津波原発事故で大被害を受けた、それで補償金で分断されたとかいろいろあったからこの願いも切実なのである

漢詩もどきでも書いたがこれが願いなのである、和平合一することが願いなのである
いづれしろ国見は春にふさわしい行事だった、ここの国見山は原町を中心にして小高と鹿島まで見える
でも相馬市とか浪江町は圏外になっているから南相馬市の国見山になっているのである

ともかく新しい電動自転車だと行動範囲が広がった、国見山に上るのは結構大変だった
でもそこまで行くのが楽だから登れた、倍速で軽く走れるから楽なのである
やはり春になると遠くに行きたくなるのである



国見山は通行止めになってる、でも鉄の棒で封鎖していたが入り口は倒されていた
一台車が入ってきていた、あそこ7マイクロとか放射線量が高かった、今はどうないるかわからない







2019年02月03日

意味と価値を追求していない投資 (除染に使った何兆円もの無駄?)


意味と価値を追求していない投資

(除染に使った何兆円もの無駄?)

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明るしや畑に人無くカンナかな
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投資とは何なのか?そもそせこれもわからなものだった、私が投資したのはその投資の意味とか関係ない、ただ金を増やしたいからした
銀行でも利子がつないとかですすめられたからである
私は投資のことは経験もないし何も知らなかったのである
そして銀行も知らなかったから私と同じだったのである
銀行で考えたことは投資信託をすすめて確実に手数料をとることしかない
顧客のために利益をあげることなどあまり関心がなかった
だから株が上がっていたのに投資信託にその株を売って手数料をとったのである
結果的にそのリートも損していたのである 

投資についてその事業がどうのこうのとかわからない
ただそこで利益をあげてもらい金を増やすことだった
でも本来の投資は違っている、確かに利益をあげることが絶対であり利益があがらないとしたらそんなものに投資して金を使っても無駄だとな
そんなことしたら銀行でも成り立たないからそんな人には貸さないのである
その事業は社会にとって有益でも利益ならなければ銀行は絶対に貸さないし
また担保がないと貸さないのである

ところが何かこの辺で起きたことは金の使い方で無駄があったなと思う
除染に何兆円も使った、本当にこれが有益だったのか?
それが科学者でないからわからないけど除染は本当に効果あるものだったのだろうか?
その額があまりにも桁外れだったからそんなに湯水のように金を使っていいのかとも思った、だからその金を補償金に回せばいいと言った人の気持ちもわかる
それもまた問題があり有効な使い方かどうかはわからない
でもその金は本当に地元にとって有効に働いたのだろうか?
結局ゼネコンとか大手の大企業に金が流れただけではないか?
国民の金が無駄に使われたのではないかという疑問が残った

それで私自身が投資しているのは小さな畑で野菜を作る人である
そのために肥料とか種代とか一年に十万も払った
こんなに肥料代にかかるのかと驚いた、鶏糞だ貝殻をつぶしたものをまくとか他に化学肥料とかもまく、それでもらったのは大根一本とかでありほとんど何ももらっていない
まずとれないのである
ただそこにカンナが咲いたのであれは大きな花なので荒地にしているよりはいいなと見たこの辺では原発事故以後荒地になっているのが多いからだ
畑をやめた人が多いのである
それは見た感じが嫌なのである、荒れた感じになるからだ
だから花でもそうして映えていれば気持ちいいなとなる

だから私が投資した金はただ損したのかとなるとそうでもない、それは花が映えたことで荒地になっいるよりは環境的にいいとなる
でもそれでは金には全くならないし腹のたしにもならない、それなりに野菜はとれてその人は助かっている、でもまともにとれるということはない
ただそこへの投資は利益をあげないが無駄だとは言えない
でも除染に何兆もかけたものが本当にすべて有効なのかとなれば疑問なのでる
10万と何兆円の差も天文学的になる、だからそれだけの金をかけるとしたら本当に除染が効果的でありもう放射能を心配することがないなければ効果があったとは言えない
でも実際は除染はそれだけの金をかけてもそれが精神的な慰めなのかとも思った
放射性物質をとりのぞくことは本当に容易でないし不可能に近いものともみたからである
それで小高でも浪江でも避難区域になったところは田んぼは荒れて草茫々の荒地になっている、それを見たらそこに住むことも嫌になるだろう
そこに住んでいる人もほとんど老人というのも何か淋しいとなる
だから金を投資するにしても莫大な金でもそれが無駄になることもある
金の使い方がやはり大事だとなる
だから投資というのは本来その意味を知り投資するものの価値を知る人がすべきだとなるただグロ−バル社会では投資は全く投資するものが何なのか理解できないのである
それで銀行にあずけた金が環境を破壊する会社にも投資されたり武器を作る会社とかにも投資される、それは利益を生むから見返りがあるからそうしている

ともかく金をどう使うのか、投資するのか?それもこの辺で問われた
私の見解ではもう田んぼでもつづけるのは回復するのは無理だからお花畑にすればいいともなる、荒地にしているよりはいいとなる
これはあくまでも私のまさにお花畑な思考にもなる
ただ荒地にしておくよりは花を植えて育ててきれいにしていれば地元で暮らす人でも外から来る人でも荒地になっているよりはいいとなる
だからそのために金を使っても無駄ではない
第一何兆円もの金を使って除染してもその金は大手のゼネコンに流れただけだとなるからだ、それは東京に住む者の懐に入っただけだともなる

この辺で問われたのは何兆円とか何か莫大な金が補償金でも入ったがそれが有効に使われたとも思えないのである、補償金のために一体感は失われたとかもあり深刻なものになった
投資するという時そもそものその投資するもの金を使う意味とか価値を追求していないからである
ただ利益が上がることを第一にしてその他は一切考えないことが問題になるからだ
それで利益があがったとしても世界的な環境破壊する多国籍企業がもうけたりしているからだ、武器会社がもうけたりしているからだ
それでグロ−バル経済を批判することもわかるのである

現代の資本主義は利益は追求ているがその投資するものの意味とか価値は追及していない利益をあげないものは無価値であり無駄であるとなっている
でも利益があげなくても荒地がお花畑になったりしたらそこに住む人にとっても外から来る人にとってもいいことなのである
この町は花一杯で気持ちいいなまた来てみようとかなるのである
それは明らかに価値を生んでいるし利益だってうむ、なぜなら外からでも訪ねる人があれば何かしら買い物したり効果が生まれるからである
だから資本主義の社会でグロ−バル経済で銀行は批判される
銀行はその投資するものへの意味とか価値を追求していないからである
ただ無条件に利益をあげるものが価値あるものとして投資するだけだとなる
そもそも地銀とかでも震災の被害があり復興のために何か考えているのか?
そういうことも見えないのである

これは政府でもそうである、除染だけに何兆円もの金を使いゼネコンに流したのである
それは復興になったかとなると疑問であるし補償金だってそうである
だから投資とは何なのか?今のグロ−バル経済ではそれはもう不可解である
投資した意味と価値など関係ないのである
ただ利益があがれば価値があったとなるだけである、それが環境破壊になっても武器会社に投資してもその他そういうことはグロ−バル化するとわかりにくいからである
そのわかりにくいことも問題なのである
何兆円使ってもなんち効果がないということもあるのかとも思った
一千億円でも使ってお花畑とか庭園でも造った方がいいかのかとも思った
なぜならもう田んぼを回復できないし米はいくらでも外から入ってくる
ブランド米が入ってくる時代である
そうしたら米に田んぼにこだわるよりお花畑にした方がいいとなるからだ
ただこれはあくまで一つの例であり否定されるのもわかる
でも何か金の使い方が間違っていて復興にならなかったことは言えるしみんな感じているのである

それは私の見解だけどオリンピックも今の時代に意味とか価値はないと思っている
景気刺激になるとかいうけど日本にとって東京オリンピックは戦後復興で意味があったし国民もそういう気分で開いたから意味と価値を認識していたのである
私はオリンピック自体が無意味に思う、商業主義であり必要ないものとなっている、時代が変わったからである
百メートル競走で一秒にもならない速さを競ってなんの意味があるのだろうか?
ただ勝つことだけをメダルをとることだけを追求して何の意味があり価値があることなのか?
それで世界の平和に貢献することもない、結局大国はやはり争いその間でシリア難民とか生まれているし平和になるわけでもないのである
要するに意味と価値を追求することこそ大事でありただ金儲けだけの社会は荒廃してゆく
それは政府でもそうだし大企業でもそうだし銀行でもそうである
そうなると暗黒を作りだしているだけだとなる
世界の国々でもやはり意味と価値を追求することが平和でももたらすことになる
グロ−バル経済にはそういうことがない、無政府状態の市場原理でありただ利益があがればいいというだけなのである
それが世界を精神的にも荒廃させている、モラルもなにもないただ金をだけを追求する無政府状態なのである

2019年01月25日

白菊(神の示したかったのはイデアである)


白菊(神の示したかったのはイデアである)

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冬の雲パークゴルフや高齢化

風唸り故郷に老ゆ冬芒

大輪の白菊映えて汚点なく朽ちしも天に昇りけるかな


なぜこの世界が作られたのか?
これはただ偶然にできたのか?
そういうことはありえないのである、神の明確な意志があって作られた
ではその神の意志とは何なのか?
それは簡単に解き明かせない、謎がある

この世には美があるとする、また様々な創造物がある、その意味するものは何なのか?
その一つにイデア論がある、神の意志は創造はイデアにあり
それこそが目的だとしている例えば様々な花があるとする、それは神のイデアである
それは形となり物質となって現れる、でも神が示したかったのはイデアである
そのイデアが不滅だとする時、花ならいろいろあって菊なら菊のイデアを示したかった
それは枯れて朽ちても実は永遠に存在している
菊が仏壇とかに霊前にあった花になったのは人間が作り出した文化である
それは神のイデアを人間側がとりいれて活用したのである

いづれにしろこの世を地球でも宇宙でも万物でも創造したのは偶然ではない
神の意図があり作り出されたものである
これほどの多様な世界を作り出した神というのに驚嘆して賛美するのが人間である
花にしても動物だったら食べることしか興味がない
人間だけがはなを美しい見る能力がある、つまり神の創造したイデアを見る能力がある
神はそのイデアを示すために人間を必要としたから神に似せて人間を作ったのである

ショーペンハウエルのように一方で生殖とかの意志の世界がある、
それと相反して認識の世界がある、その認識の世界こそ神の望むことだったともなる
でもそこに矛盾がある、生きんとする意志の世界と認識は対立する
子供は全身が認識に奪われているから幸福だとしている
大人になると意志が前面に出てくる、生殖に奪われて認識の世界はなくなる
(意志と表象の世界)の矛盾が生まれるのである

神が創造した菊という花のイデアは不滅である、それは枯れて朽ちたとしても不滅である
なぜならまたそれは再現されるからである、ただ具体的に形となるには種とか肥料とかそれを育てるものが必要になる
ただ神の意図していることはあくまでもイデアでありそれを示したいことである
だからたとえ菊が花は朽ちてもそのイデアは消えることなく再現される
創造すると宇宙の中にそのイデアだけが再現されうる
その時土は必要なくなる、そこに様々な花のイデアが現れるのである
あくまでも土が必要となったのは手段であり本当の神の意志はイデアを示すことだったからである

ともかく本当に高齢化社会である、南相馬市のパークゴルフ場は広い、だからあそこは気持ちがいいから自転車でいつもよる、私は喫茶店があるとしてレストランでも食堂でもあるとして見晴らしのいい景色のいいところがいい、やはり人間はただ食べるだけの存在ではないからだ、それで相馬市の道の駅は街中にない、田園地帯にあるから見晴らしがいいからいいのである、ただそこで出している食事は落ちる
でも見晴らしがいいとかでレストランとかでも価値が生まれているのである
価値とは一つではない、複合的なものとしてある

芒というとき意外とこれは強く根を張るのである、まさに今は冬芒であり地方では老人が多い、
この辺は原発事故後老人が増えている
だから冬の雲がパークゴルフ場に垂れて動かないのも何か高齢化社会である
ただパークゴルフはかなりの運動になる、あそこは広いから回ると運動にはなっているからいいのである
とにかく会うのは老人が多いのである、そして病気の人も多いのである
その人はもう腰が悪いとか目が悪いとか病院通いであり他の人もそうである
金もないのに東京の病院に行ったり病院通いが仕事なのである
そんな人ばかり増えているとするととても国の財政はもたなくなる
それを自分に要求されても困るとなる、これも大問題なのである
貧困老人の問題は病気になる人が多いことなのである


2019年01月21日

2019新年の漢詩もどき (今年の祈りの詩ー霊前菊花)


 2019新年の漢詩もどき

 (今年の祈りの詩ー霊前菊花)
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霊前菊花

白菊黄菊
清雅典雅
正月千両
霊前奉献
積善家生
長子継富
身心正者
弥栄和楽
満月皓皓
災厄無祈

これは別に漢詩ではない、日本的漢詩になる、漢字文化だから漢字の言葉の意味するものを日本人は会得している
でも難しくて作れないのでただ漢字を並べるのである
でも何か意味は通じているかもしれない、その意味を汲み取ってもらうほかない
漢詩ではないからだ

まだ正月だということでこの漢詩もどきを今年の祈り願いとして書いた
家族というのは死んでもやはり家に継続しているのである
積善の家というとき自分の家がすべてそうとはならないがそういう面はあったが負の面もあった、家はすべていいものとしてはありえないのである
影の部分を必ずもっているのである

つくづく家族がみんな死んでから家と死んだ家族を意識するようになった
ただ家を継ぐの遅かったのである、なぜなら自分すら死が近い年だからである
現代は百歳人生になるとすると親が90とか生きるのが普通となると家を継ぐのが本当に遅くなる、そのマイナスは新陳代謝できないことである
次の代の人がしたいことができないことになる
それは少子高齢化でどこでも起きているのである

ともかく今年はこの漢詩もどきのようにあってほしいとなる
災難がつづきすぎたからである
それは自分の場合は人間関係でもそうでありいろいろそのことで書いてきたけど辛いことばかりだったからである

今日はは満月だった、何か幸先がいいかもしれない、厄落としというのは必要なのだろう
これからは平和がつづいて欲しいというのが切実な願いなのである

2019年01月20日

冬日没る(石の構図ーstone composition)


冬日没る(石の構図ーstone composition)

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景に石重なりて冬日没る

冬日没る重なる石の重さかな

石を組む庭に冬芽を我が見つく

故郷の名もなき墓や冬の暮

誰が眠る枯野に墓地やまた来たる

また一つ江戸時代の碑冬の暮

冬深む我が家にすみぬ蜘蛛一匹

ストーブに猫と我かな籠りけり

金沢や松の古きや冬桜

compositionの意味

 The combining of distinct parts or elements to form a whole.
The manner in which such parts are combined or related.
 General makeup: the changing composition of the electorate.
The result or product of composing; a mixture or compound.
 Arrangement of artistic parts so as to form a unified whole.

この写真は庭作りしている会社かもしれない、ここは人家ではないからだ
そしてこの庭の石組には決まりがある
石木配置の仕方があるがそれに習っている
だからこの石の組み方は日本の伝統を現している
平らな石が心を落ち着かせる、平坦でありそれが安定させる
二つの石は重なり一体化している
これは無造作に置いたのではなく計算して置いた石なのである
これは相馬市の山上の方にあった

今日は風がないので原町の方を回ってきた
そこで冬桜が深野に咲いていたようだ、冬桜はそんに見ない、それは桃色の花だった
でもこれは冬桜ではなかったようだ
冬桜10月桜ともいうから一月には咲かない、金沢の兼六園の冬桜は見た
有名である、金沢は情緒ある場所である
だから冬でも兼六園などはひっそりとしていい、ただ今は外人が多いからまず泊まること自体難儀するだろう、それで日本人がゆっくり観光しにくくなったのである
仙台からバスで行ったことがある、電車で行くと遠回りになるし金がかかるからだ
なんか旅行は飽きるほどしたけど意外と今になると行けないものだと思った
旅するにもエネルギーが必要だったのである
それが介護とか家族がみんな死んでなくなったともなる
こうして旅を思い出してまた俳句で短歌でも詩にでもしたりしているのが仕事である

必ず墓地にはよる、それくらしか見るものがないからだ
ただ石ころが置いてあるような墓もある
全部に名がない、そういうものも多い
それを犬猫の墓なのかとも見た
でも人の墓だろう、しかし名もないと犬猫にもなってしまう
まず人間は死んだら忘れられるのが早いのである
名もなく埋もれる墓は無数にある

ストーブで猫とあたたまっている、広い家に猫と自分だけである
小さな蜘蛛をみかけた、何か足なのか手なのかにょろにょろ動かす蜘蛛である
これはきれいな蜘蛛の巣は作らない、虫のように見える
でもなんかこの蜘蛛が自分の家に生きていることも不思議である
生き物はなんでも不思議なのである




2019年01月14日

葉牡丹(相馬市の山上から塩手(茄子小田)から市街へ


葉牡丹(相馬市の山上から塩手(茄子小田)から市街へ

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ここから海が見えて見晴らしがいい

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茄子小田であり塩手とある

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すぐ前にこの山がある
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白い所に雪が残っていた、この辺は雪が降ったから寒い

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茄子小田という地名がある



冬耕の畑や高台に我が来る

葉牡丹や蔵ある家に古木かな

茄子小田と隠さる家や冬の暮

家の前冬あたたかく里の山

山上の奥にしあれや昨日(きぞ)ふりし雪の山蔭に残り白しも

どの辺を行ったのか?
相馬市の道の駅から山の方へ上っていった
そこに隠されるように人家があった
今田とかを通り山上の奥である、宇多川にそって上ったからだ
途中の高台から見晴らしのいい場所があった
近くでも行ったことがないところがあり見晴らしのいい場所がある

それから塩手というところは変わった場所がある、すぐ前に小高い山があり何か人間的である

今度の自転車はypj-xcはマウンテンバイクでありそれがぐいぐい走るというかぶーんと走るというか坂でも悪路でも平坦な道でもすいすい行くから楽である
地形的に変わっている、私が求めているのは景観とか地形とかでありそれを縦横に行けることだった、それには車ではだめであり今までの自転車でも行きにくかった
今度の自転車はオールマイティなのである
タイヤが大きいし厚いというのもいいのである
一番いいのは走りが楽なのである 

蔵のある家の所の地名は茄子小田となっているのも何か隠れた里である
それから塩手から常磐高速に出た、その脇の坂道を上り相馬市の方ででた、そこは高く松林になっていた、相馬市の市街と海の方が見えた
そこは細い道であり車はめったに通れないが家が数軒あった
結局坂があると敬遠してきたがこの自転車だとどこでもすいすい行ける感じになる

ともかく昨日は風もなく寒くもなく穏やかだった、今頃はこの辺は風が吹く
だから風が吹かないから自転車で行くのは向いていた
この自転車だと今まで行けない場所に行ける
そこに近くでも新しい発見がある




2019年01月12日

2019謹賀新年(霊前に献ぐ花)


2019謹賀新年(霊前に献ぐ花)

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姉が死んでから8年、母が死んでから3年すぎた、月日が過ぎるのは早い
ただ不思議なのは死んでからも家族は家族であり60年間一緒にいた記憶は消えない
むしろ人間の不思議は何か?

人間は死んでから本当の力を発揮する

これを何か家族が死んで感じているのである
人間は死んだら終わりだとか思っていた、動物なら死んで終わりである
人間は逆である、人間は死んでから本当の力を発揮する
むしろいきている内は人間の価値はわからないのだ
評価もできない、今有名でもそれもうたかたのように消えるからである
死んでからいつまでもなんであれ話題にされる人は本当に価値ある人なのである
それは別に有名人とか偉人でなくてもそうである

人間は死んでからその本当の価値を知るのである
そもそもなぜキリストが死んでも2000年過ぎても忘れられないのか?
そのことだけでもわかる、キリストが死んだときこそその後に最も力を発揮したのである
でも死んですぐに忘れ去られるのはその人に何かしら残すものがなかったからだともなるそれは巨万の財産を残したとしても必ずしもそれで後世に影響を与えるとはならない
私的なことを延々と語るのもなんだがやはり自分の家を築いたのは姉と母であり
そこに功績があり今の自分があるとなるから語るのである
それは金銭的な面だけではない、自分を支えてくれた人だったとなるからだ

それで紅白の餅を献げ花を挿したのである

葉牡丹に白菊黄菊千両や新年祝う霊前なるかな

最近フラワーアレンジメントはしていない、その余裕がないのである、家事に追われるのである、だから今になると自分のように恵まれた人はいなかったなとつくづく思う
その恵まれすぎた結果として塗炭の苦しみを受けたのである
全部家のことでもしなければならなくったからである
花の不思議は花は争うことがないどんな花でも一つの壺に争わず映えるのである
かえってその個性を互いに際立たせるのである
花は調和している、自然も調和している、コスモスを形成する
ただ人間だけが不調和な存在なのである
いろいろ努力しても常に不調和になるのである、科学技術でも調和ある世界は乱されるのである、だから人間の努力とは何なのかとなる 

キリストが言うように

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

これは人間の労働を否定しているのである、人間は労働を賛美しすぎるのである
労働はケースバイケースで必要である、でもそれを全面的に肯定はできないのである
結局膨大なの労働の結果として生まれたの何なのか?
東京の怪物都市だったともなるからだ、そこに全く美がないからである

人間の力は決して個人からだけでは発揮できない
そこには様々な力が加えられて付加されて力を発揮する

●神の力
●土地の力
●家の力

この三つは明確である、他にもあるとしてもこれはわかりやすいのである
この三つの力があって個人でも力を発揮できるのである

人間はつくづく経験してみないとわからないのである
人間が家族が死ぬということはどういうことなのか?
それが家族がみんな死んで自覚できたのである
かえって死んでから家族の意味とか先祖の意味とかを理解できるようになる
生きている内はそういうものが頭で考えているだけであり実感しないからである

今年はどういう年になるのか?
何か自分自身も回復してきたとかなるし回りはどうなのか?
震災以後8年だから回復してもいいが実際はしていない、結局回復は復興は長い目で見ないとできない、それだけ被害は大きすぎたからである


冬日没る(大原の二つ峰)


冬日没る(大原の二つ峰)

                      
イノシシの猛進するや年明けぬ

冬日没る大原に見ゆ二つ峰

一本のすぐなる松の隠されて今日我がよりて冬の日暮れぬ

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実際に見たのとは違う、もっと明確に二つの峰が高く見えるのである
やはり写真と現物は違うのである

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林の中にあった一本の松
これもこんなふうではなかった、もっと太い松だった

人間と自然の関係は何なのか?それは自然があるとしてそれを人間化することなのであるだから名前をつけること自体人間化したものなのである
名前がないとそれは自然のままだとなる

human identified mountain

human identified tree

human identified stone

とかなる、それで真野川上流の隠された石を老子石と名付けたのである
名付けることはまた意味をもたせることなのである

ただまだどこでも名前が付けられない山がいくらでもある、それはそこで生活している人でも認識していないのである
だから時代が変わりそこに生きる人がいてまた新しく自然が identifiedされるのである
そういう作業をしてきたのが自分だったとなる

要するにこの二つ峰に人間を見ているのである、人間を投影しているのである
それは夫婦に見えたり兄弟姉妹に見えたり祖父母に見えたりしてそういう名前がつく
人間化した山になるのである

これはtwined mountains でありtwined peaceともなる
それは常に人間には争いがある、だからこうして二つの峰が一体化している
夫婦でも離婚とか家族でも争いがある二つの峰が一体化して平和がある
それが自分自身の家族にも言えたからここに自分自身の感情が投影されてアイディンティティ化されているのである

大津皇子の遺体が二上山に移し葬られる時、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が哀しみ悼んで詠んだ歌が2首ある。

うつそみの 人にある我れや明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)と我が見む

@「現世の人である私は、明日から二上山をわが弟の君であると見て偲ぶだろう」

この山は見れば大きい山はいかにも姉であり小さい山は弟に見えるのである

はるけくも飛鳥に来たり二上山我が望みて秋の陽没りぬ

これは確かに飛鳥から見えたのである、結構奈良では目立つ山だったのである
あの時は名古屋から奈良まで自転車で行ったから遠かった
ただあの山は飛鳥からも見えたのである

寺内から深野の方向に行く所の山道をマウンテンバイクで上った
そしたらイノシシがものすごい勢いで走った、二頭いた
小型ではあった、丸森は大きなイノシシを見た、あれは怖かった
丸森辺りだと森が深いからあのような大きなイノシシがいるのかとなる

とにかくイノシシ年であり年男になっているのが自分である
だから最後の猛進の年になるのか?正直旅行とかはしたくなくなった
疲れるのである、近間ならいいが遠くとか人ごみに入るから嫌になる
やはり老後は旅より家でゆっくりしたいとなる、だから老後は家が大事になると思った
家が過ごしやすいとか田舎いいとなる

ただこの辺の山は土とるためにいたるところ山が削られているのである
それが景観を悪くしているのである、それだけの工事がこの辺であったためである
それからソーラーパネルも増えすぎたのである
ただマウンテンバイクで行けるところが近間であると面白いとはなる
飯館にはそうした道がありバイクで行けるとかあったから行ってもいいが疲れるとなる
ただ今度の電動のマウンテンバイクでは行動範囲が広がったことは確かである


2019年01月09日

2019謹賀新年(千両と山鳩と松の内)


2019謹賀新年(千両と山鳩と松の内)

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北泉の延命地蔵に江戸時代の碑があり正月と記されている
ただここは津波の被害で村自体が消滅するような状態になった
だから祭りも途絶えることがある




新年を北風受けて走るかな

風受けて赤さを増しぬ寒椿

舞い上がる木の葉や街の辻走る

峰二つ大原に望み冬深む

千両に山鳩来たる松の内

我が家や千両百両栄えけり


新しい自転車でypj-xcで小高い山道を行った、風も吹いていたが今度の風を受けても走れる、何か半分がバイクになっているからだ
それで北風でも向かって走れる、悪路も行ける優れものである
今までは風が吹くと外に行きたく無いし行けなかった
これだと行けるなと思い行った

北風はここでは毎日吹くのだから外に出れないと困るのである
冬でもやはり外の風を受けることが自然と一体になることである
だから椿に北風が吹きつけてさらに赤く感じたのである
それは実際に北風を自分が受けて走っていたからである

大原には二つ並ぶ峰が見える、あれは二つ峰となる、対なす峰であり夫婦峰とかにもなる人間でもやはり夫婦でも家族でも二つが一体になると強さを発揮する
私の家は特殊だったけど最後は一つになったという感じである
それは死んでからだともなる、twined peaceという感じになる

正月気分というとき一月は松の内となり小正月とかあり正月なのである
それは農業で生活していたときのものであり農業が縮小するとそうした伝統が失われたのである、農業は自然と密接に関係しているからそうなった
正月でなくてても松が立っている間は農民は休んだ、それで松が立っている内は休むから松の内となった、一斉に農民は作業して休むからそうなった

今日聞いた話ではクボタでは農機具を販売するが収穫の時期の秋は忙しい、何かと修理とかも頼まれたり忙しいが冬は農民も休むから暇になるから長くも休みを取れるとか言っていた、それは農民の生活のリズムに合わせているからそうなるのである
農業社会だったらみんなそうなるのである

千両とか万両とか十両でもにているから区別しにくい、ただ縁起物であり新年にふさわしいものなのである
正月は農民の文化であり農民の生活が衰退すると正月の祭りも喪失してゆくのである
ただ季節感は変わらずあるが生活そのものが農民社会でなくなるとどうしても正月というのがすたれたものになる
正月とは特別なものであり神社にも正月と印した江戸時代の古碑がある、それは正月に記念するものとして奉納したとなる

千両と山鳩と松は正月にふさわしい、山鳩は平和であり千両は金運だとなる、松と末永くとか長寿を示してもいる
今年はどうなるのか?去年も自分にとっては平和だった、平和がもどったという感じになった、今年もそうあってほしいとなる
日本も暗いことが多いがいい年であることを願う
我が家は自分の代で終わりにしても栄えた家だったのである
そうなったのは父と姉と母がいてその栄えを作ったのである
自分はただ受け継いだだけだからである

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花幸園芸店の作品(南相馬市鹿島区)
はなこうえんげいてん

これは傑作なのだけど近くの花屋の人は思っていない
著作権のことも知らない、でも忙しくて最近はフラワーアレンジメントはしていない
人間は家事から何から色々なことはできないのである
フラワーアレンジメントも結構暇でないとできないと思った
また金もかかるしいろいろなことで使うから最近はしていないのである




2019年01月07日

2019年01月01日

明星(2019新年の挨拶) (青年よ師を偶像を殺し龍となれ!)


明星(2019新年の挨拶)

(青年よ師を偶像を殺し龍となれ!) 

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雲破り初日輝く年男


新年や月と明星輝きて遠くに一つ星きらめきぬ

新年や明けゆく空の清しかな月光り明星輝く幸のあれかし

新年や龍とならむや若者の未来をつぶす大人なるかな

雲さえぎ初日の出待つあせらずに光に欲す時を待つべし


三日月が月の脇に光っていた、それは金星なのか木星なのか?
さらにかなたに一直線の中に小さい星もきらめいていた
今年はめずらしく早く起きた
今年も幸先良いのか?明星は幸運の星なのか?
何かが新しく開ける年なのか?また新しき人が出る年なのか?

私が俳句とか短歌をはじめたのは20代でありそれも25頃からはじめたのである
その時はただ575とか言葉を並べるだけだった
だから結社に入ったが俳句関係は全く認められなかった
ただアララギの結社に入って選ばれて何首かのった
だからここでは認められたが他では認められない
その後どこの結社も入っていない独自で精進してきたのである
だから今でも評価はされていないのである

ただ結社というのはそこに師匠がいてそれがかえってつっかえ棒になる
才能をそぐことになる、そもそも師というのは危険な存在のである
自分より優れたものを出ることを拒むからである
若い人は確かに未熟だけでそれはただ芽であるだけにすぎないからである
その芽があとで大きく花開くことがあるのだ

それはどこの分野でもそうである、日本人は師を異常に崇拝する、人間と一体化するというとき日本的な特徴なのである
だから師と同じくなるなという人は自らを否定する師はいないのである
結局人間は一番自分がかわいいからである
自分がどこまでも崇められたいとしているからである
それでカルト教団では師が神の如くなりそれと一体化して崇拝する
それが偶像崇拝になるのだ、この偶像崇拝ほど怖いものはない
なぜなら一番神が嫌うことだからである
神は妬む神なのである、これは本当なのである
聖書でも信仰とは偶像崇拝の戦いだったからである
それは命がけだったのである、師の呪縛から離れられないからである
子弟不二などという思想はそれはもう師のコピーであり人間として生きることはなくなる
ロボットなのである、人間はなんらかで生まれとか環境とか時代も違うから個性的なるのが神が定めたことなのである

まず俳句とか短歌の師が多すぎるのである、それらは小粒なのだけど師として崇められたいだけなのである
だから師とは否定すべきものである、どうしても人は時代の子でありまたその生い立ちとか性格とかいろいろ違っているから十年も違うと世代の差が生まれてその下の人が理解できなくなるのである
だからその若者がどういう未来があり未来を築くのかはわからないのである
それで必ず師は若者を卑くくみる、つまららないものとみるのである
それは未来というものがわからないしその時代が離れるからそうなる

とにかく私自身の場合は何か才能が開花したのは60過ぎてさらにもう死に近くなってからだった
なぜか不思議なのだけどいろいろなことが理解できる、深く理解できる
今まで理解できないことが深く理解できる、自分なりに理解できる
これが本当に不思議に思う、若い時でもその後なかなか本を読んでも理解できないが今は即座に理解できるのである、そこから自分なりの見解をもつことができる
大器晩成というけども別に自分は大器の片鱗もない、平凡な人間だった
むしろ普通より劣っていたし才能だってなかったのである
啄木とかみればわかる、なぜあんなに若くして才能があったということに驚くからである天才というはそうういものなのである
とにかく師は危険である、師に追従するだけになり自分の個性も才能も殺されるのである

臨済録の「仏や祖師に出逢ったら直ちに殺せ 、父母や親族に出逢っても殺せ」

これは確かに過激なのだけど祖師とか親でもその才能を伸ばさせたりしないのである
むしろ親のいいなりになることを望むし師にしてももしその弟子が大きなものになることを望む人はないないのである、まずは俳句とか短歌の師を崇めていたりしたらもうその未来は小さくされる、そんな人たちは小粒だからである
結社で威張りたいだけなのである
そして自分の不思議は特殊な環境にあり学校とか会社とか集団生活になじめない性格だった、でも会社に入らなくてもその後自由に生活できたし自由に旅もできたし自由が与えられていたのである、それで咎められない環境にあったのである
そのことも自分の形成に大きく影響したのくである
こういうことはなかなかありえないのである、それでマイナスの面もあったが何かそれが自分を大きくしたということは確かである 

私は禅宗にひかれる、真宗とか日蓮宗は庶民的でも盲目的である、奴隷的になりやすいのである、なぜそういう宗教がこれほど普及したのかというとそもそも鎌倉時代とか字を読めない人が多かったからである
そうなればただ題目をあげていれば救われるというのが一番わかりやすいから普及したのである
それはキリスト教でもそもそも字が読めないから絵で説いていたとかなっていた
聖書を読めた人は司祭だげだったとなればそうなるからだ、禅宗は何か個の自立をうながすものであり大衆化しなかったのである
禅宗はだから今の時代にも適合する、自然に習う時禅宗が参考にされるし禅的なものが自然と一体化することなのである
雲水とかでも旅する人でもそうなったことでもわかる、だから日本の宗教では禅宗が普遍的なものとなる
世界的にもそうだったように禅宗は世界的にも普遍的な要素をもっていたからである
それは師を否定する、偶像崇拝を否定するということで普遍性をもったのである

俳句とか短歌は日本の伝統であるがどうしても自分でもそこに限界を感じるから詩の分野にも広げている、とても表現しきれないからである
ともかくいかなる師も危険な存在であり偶像になる危険性がある
もちろん師に一時的に学ぶことは必要である、ただそれが神のようになり永続化することはありえないのである
常に時代は変わりそれとともに人間も形成される
インタ−ネットが生まれればそれによって新しいものが生まれる、技術改革で今までにないものが生まれるからである、インタ−ネットを駆使できる時代とできない時代には才能と関係なく大きな影響を受けるからである

つまりこうしてプログでも自由に表現できることは今までありえないことだったからである、必ず表現するにしても本だった勝手に出せないし雑誌にものせられないしテレビなどでも必ず許可がなければ出れないし意見も言えないのである
それはメデアが力をもっていたからである、インタ−ネットは本当にただメデアであり媒介するものにすぎないのである、そこに誰かの会社の許可がなければできないとはならないからだ
だから表現の幅が広がったのである、インタ−ネットにも問題があるにしろ自分にとってはいいものだったとなる 

青年よあせることなく最後に龍となり天に飛翔せよ!

ということでまた今年も書きつづけますのでよろしくお願いします







2019 新年おめでとう HAPPY NEW YEAR


2019 新年おめでとう

HAPPY NEW YEAR

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私はイノシシ年です

今年は新しい自転車で最後の猛ダッシュになるかもしれません

自転車人生のしめっくりかもしれません

それから故郷の自然とアイディンティティ化した詩の集成です

その他今までしたことの総まとめとなる
                          


今年もよろしくお願いします

みなさまも明るい年であることを祈ります

2018年12月30日

冬深む(年終わる)


冬深む(年終わる

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近江高島市の家形石棺



我が家を継ぎて一人や冬深む

姉語る柱に寄りて冬深む

集めたる蔵書を読むや冬深む

冬深む村に一つの石重し

この石の位置の変わらず冬深む

ふるさとに死者を思うや冬深む

根は深く大地に張りて冬深む

ものみなの静まる時に雪のふる

事もなく今年終わりぬ山眠る

寂けさややがて雪ふり年暮れぬ 
                                          

石造り家型古墳の重々し北風唸りここに生く人



家型石棺重々しかも
ここに生きにし家族なれ
ここにいつまでもあれと
その石棺の重しかな
家族は離れがたくも
ここにあらむと石棺に収まる
落葉を踏みて我がたずね
ここに冬は深まりぬ




今年も終わりになった、家族がみんな死んで一人家に残されたのが自分である
やはりまだ継続して家族でも家でも行きてく、生きるというとき活きることなのである
何かしら活かされることなのである、家でもやがて跡継ぐものがいなくなれば活きることがなくなる、廃墟となるのである

姉は良く柱のことを言っていた、それは近くの橲原(じさばら)の木を同級生の人が木こりをしていて提供してもらって家を建てたといつも自慢していたのである
だからその柱によると何かそれが姉のようにもなる
実際に家族はその家という建物に住んでも柱となって支えたとなる
だから家とはやはり人がいて人がいなくなっても以前として人を思っている
そこに家の重みがある、だから家がそういう思いでとかがつまったものだから老人は愛着があり離れられないとなるのだ
それず避難区域に帰ったのは老人が多いのである

それで近江の琵琶湖畔の高島町の家型古墳はその人間の家を象徴していたのである
どっしりと重みがありここに家族が生きていたという証になる
人間はやはり家族があって人間として生きていたともなる
家族の紐帯が一番強いからである
その他は現代では特に金の関係でしかなくなったからである

ずっと言っていることだが変わらないということに深さを意味を追求する
それがやはり人間として自然だともなる、確かに旅ばかりしていた自分はそういうことはなかったが今になると変わらないものが貴重に見える
変わらないものがある時それで心も安定する
それだけこの辺は変わりすぎたからである
もう老人は変化に弱い、認知症になったらもう今まであるものしか理解できない
それで認知症は謎なのだけどこれは老人一般の心性でありそれが極端化した病気だともなる

老人の心性は過去に生きる、どうしても新しい人とか新しいことになじめないのである
今まであったものを深めることに向いているのである
だから新しい知識でも技術でも新しく起こることに適応できないのである
今まで付き合っている人ならいいが新しく付き合うことがむずかしくなる
だから離婚とかするのは時間の相当な損失ではないか?
他人が親しくなるのは相当に時間がかかる、だから長く一緒にいてまた別れてまた親しくなるというのは時間のロスが大きいとなる、時間が貴重なことが老人になるとわかるからである
時間はもうとりもどせないからである


とにかく今年も終わった、今年をふりかえると何も苦しみがない事もない一年だった
そういう年は介護してからなくなっていた、絶えず何かで煩わされて苦しんでいたからである
ただ家族がいたときは30年間は平穏な日々だったことも不思議である
こういう恵まれた生を送れた人もまれかもしれない、それは特殊な家庭環境でそうなったのである、普通はありえないことである
ただその楽したこと恵まれたことがカルマとなり塗炭の苦しみとなったのである

楽することも実はカルマになっていたのである、人間は楽では終わらない
様々な災難が起きたのもそのためである、なぜなら人間は何かしらみんな苦しんでいるからそうなる、楽することを許されないのである
だからどんな人でもどこかで苦しみが与えられるのである
そして楽している人は苦しみを知らない世間のことを知らないから余計に苦しむのであるそれでお嬢さんで育った姉妹が土地持ちだったのに餓死したのもそのためである
世間のことを知らずに苦しむこともなかったからそうなったのである

俳句でも短歌でもなぜ私が十句と十首で出しているのか?
それはこれは短いから一句一首となるとそれだけでは鑑賞しにくいからである
だから十句とか一連のものとして読めばそれが詩のようになっているし現実にそこから詩にもしているのである
インタ−ネットだと自由に表現できるからいい、他では雑誌でも何でも何かの会に入ってもできないのである
ただ反応はないから淋しいとはなる、やはり同好のものが切磋琢磨するということも必要だからである

でも何か私がしていることは一人で雑誌を作っている、編集者になって雑誌を作っているだから多様なことを書いている、雑誌も多様なことを書いている
それとにている、ただ一人でしているということが違っているのである
書くことはいくらでもある、評論でも創作でもいくらでもある
それができるのがインタ−ネットだったのである
インタ−ネットはどうしても情報の発信者になりやすいのである
それは簡単にできるからである、今思っていることを経験したことを即座に発表できることが強みなのである





2018年12月25日

生協はやめたースーパーでほとんど売っているものだった (鹿島区には弁当屋がないので困る)


 生協はやめたースーパーでほとんど売っているものだった

 (鹿島区には弁当屋がないので困る)

生協は配達される度に200円プラスになる、そしてたいかいスーパーで売っていた
ニラの餃子のようなものを売っていたしナンもカレー付きで売っていた
スーパーを良く見ていないからわからなかった、そういうことが本当に多いのだ
どこに何があるから種類が多すぎてわからないのである
いがい生協で配達されるものはスーパーで売っていたのである
ただ時々郷土料理とか売っていないものは出していた
菓子類はスーパーとかに売ってないものが多かった
それは贅沢品だったのである、自分は菓子は食べない、その代わり果物を食べているからだ、糖分をとりすぎるから菓子は買わない
すると買うものを選ぶのが苦労になる、何も買わないと悪いような気もするからだ
でも配達料は200円は来るたびにとられている

それよりオカズになるように写真に出していたのは料理したものでありその素材だけ売っている、すると料理が手間になるのである
そこがパンフレットの写真を見て違っていたのである
試しにやってみてはということでやってみた
とにかく料理には一番困っている、簡単なことでも自分には簡単ではない
いろいろ料理はそろえるものが多くてめんどうなのである
料理に凝ったら他のことはできなくなる

結局生協では弁当を一週間に一回配達するがそれが良かったのかと思う
それはそのまま料理しないで食べることができるからだ
それは一週間ごとに違っているからだ
400円くらいだから安いご飯の量が少ないから足す必要がある
でも一応オカズは変わるからスーパーで売っていないものだからいいとふりかえり思ったでも一週間に一回ではたりないしそれだけにつづけるのも金がかかる

ただそれで弁当の配達をしているのをインタ−ネットで見たことがあり聞いてみたがそれをしているのは相馬市までだった、南相馬市には弁当の配達を定期的にしている所はなかったのである
それから今になって気づいた、鹿島区には弁当屋がないのである
前はあつみ屋があった、そこでは震災以後仮設で食堂を出していて何か野菜とかけんちん汁のようなものを出していた、だからいいいと思っていたがそれも三年前とかにやめた
ラーメンが主なはる食堂もやめて小高に移った、そこではご飯ものを出していた
カレーがうまかった

テレビで外食産業がつぶれているという、それでカレーでも毎日変わったものを出している所がはやっているというのもわかる
外食は飽きるのである、同じものだから飽きるのである
それでぜいたくになっているからつづかないとなる
でも毎日変わったものを出すということは作る方が苦労になる
それも大変だなと思う
スーパーの弁当は本当に同じものがほとんどでありこれも飽きるのである

原町辺りだと新しい海鮮どんぶり屋が500円で売っているのができたり何かいろいろ外食するのには便利である
鹿島区は弁当屋すらなくなっていたのである
それは需要がないからどうにもならないのである
相馬市まで宮城県の弁当屋が配達しているのはそこまで需要があるということでしいてる需要がないことには商売も成りたたないのである

ただ一軒残った自転車屋はそれなりに需要がまだあり成り立っている
それも需要がなくなればやめる、商売にならないからやめるとなり不便になる
そうなると町では不便になるがみんな車をもっているから原町で修理してもらうとはなるここは都市部の原町が近いからそっちは便利になるが隣の鹿島区は便利にならない
それは需要がないからである、そして別に車をもっている人は原町まで行けばいいとなるから今は人口の集中する都市の周辺は不便になってくるのである

弁当屋でもあってほしいと思ってもそもそも需要がなければ誰もやらない、損してまではやらないのである、でも何か必要なものがありそれがないと困る人はいる
それは自由競争の時代では考慮されない、需要のあるところに便利なものはできてその周辺部は不便になる、それは車社会であり広域社会だからそうなっているのである
地域でも人が集まる場所と集まらない場所があり差が生まれる
便利な所はより便利になり不便な所はより不便になる広域社会の矛盾があるのだ


タグ:生協 弁当屋

冬深む(マウンテンバイクで近くを走る)


冬深む(マウンテンバイクで近くを走る)

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これは木守柿とは言えない、冬に木守柿とは二三個残っている柿である
この社は橲原の子安神社である

誰が守る社一つに木守柿

でこぼこの悪路を進み冬の草

悪しき道北風唸り押し進む

立目石ここに標しと冬深む

変わらざれ地に契りや冬深む

一羽見ゆ枯木林に四十雀

深野なるユッサに休む冬の暮

餌ねらう隙なき姿ノスリかな


玄関に風の唸りて舞い上がり木の葉の散るや向かいの人死ぬ


今日はマウンテンバイクで橲原(じさばら)から大原から深野(フコウノ)を回り帰ってきた
今度買ったヤマハのYPJ=XRで行動範囲が広がった、悪路でも行けるし舗装道路でもすいすい行ける、マウンテンバイクだから悪路に強い、悪路を走るとまた見えないものが見えたりする、橲原の田んぼの真ん中に立ったらあそこは森だったということがはっきりわかるただ今田んぼは荒地になっている

立目石は目印の石となる、何かこうして変わらないものに惹かれるようになった
動かいなということ変わらないということが価値がある
それはあまりにも一身上でも周りでも変わりすぎたからである
この石は変わらずにここにあるなというだけで何か安心するとなる

認知症の人は変わることに弱い、どこがどうだかも地理的にもわからなくなる
人でも今まで長くいた人は認識できる、わかるがずっと会っていないと自分の子供ですらわからなくなるのである
それは人間は去る者は日々に疎しになってしまうからである

向かいの知っている人も突然死んだ、それも驚きだった
玄関に風がうなり木の葉が舞い上がり散る、まさにそんな感じてまた一つの命が消えたのである

契る(ちぎる)というとき人と人ではなくその土地と契るということがある
人間は土地があって自然があって人間だということもある
人間の存在は自然とかその土地とかから離れてあたえないのである
そうでなければ人間の存在のアイディンティティは喪失してしまうのである


2018年12月20日

冬の森の鳥(詩) (自然と調和する時美しい―自転車も調和する)


冬の森の鳥(詩)

(自然と調和する時美しい―自転車も調和する)

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a bird is peaching out keenly in the cold air

the running byecicle against north winds


鳴きひびく森鎮まりて冬の鳥

寒鳥の鳴くや走りて風唸る

寒き駅帰省の人や分かれけり


ヤマハのypj-xcは優れものである、それがなぜなのか?
バイクに近いということである、前のアシストはバイクにはならない
なにかやはり自転車であり自転車の領域をぬけだしていない
それでなにか30万とか新しいものを出してもづとろこしいという感じになる
今度のドライブユニットがエンジン部分が前のとはかなり違って新しものである
新しい技術になり快適にすすむ、なにか自転車をこぐというより自走している感じになるのだ

それで今日も原町に北風が強く吹いて唸っていたがそれでも馬力がありすいすい進むから行けた、今までだとなかなかこうはすいすい進まない
だからこれはバイクに近い、車体も大きいから何かバイクに乗った感じになる
ただ自分はバイクはにはのれない、ここで俳句とか作るとなるとやはり自然を感じないとできないからである
風を感じたり景色を感じるにはバイクだと早すぎるのである
とても景色を見て走れないのである

車だとまた季節感がなくなる、車の中はいつも心地よい空間であり寒いともは感じなくなる、風を感じないから季節感もなくなる
車を乗っていないから私はわからないにしても何か風をさえぎり季節を感じなくさせるのである

今度の自転車は今までのとは違う、倍速になり軽いし安定感が大きいからある
これなら遠くへも行けると思った、北風を受けても走れる
すると行動範囲が広がる、道が悪い所でも行けるから自分にとってはいい
それで道の悪い所に入り森があった
そこで一羽の鳥が鳴いていて感じるものがあり詩にした



鳴きひびく森鎮まりて冬の鳥


冬の森の鳥

誰もいない
何も聞こえない
・・・・と思ったら
静まる森に
一羽冬の鳥が鳴く
その声が森にしみいるように
ひびきてまた森は静まる
その声は森の奥深くまでひびく
そして森はまた静まってゆく
沈黙の中に音がひびく
そしてまた沈黙する
それは騒音ではない
森と調和した神の奏でる音楽である
ここに雑音を出すな
その災いの口を閉じよ!
その声は森にしみいる
自然と調和したときなべて美しい
それは絵であり音楽となる
神はそこに妙なる楽を奏でる


これは近くの土をとって道が悪い所を上ったら森があり鳥が鳴いていたので作った
俳句や短歌から自分の場合は詩に発展する
自然と調和するときそれは絵であり音楽なのである
人間社会は自然と調和しないからいくら都会でも繁栄したとしても醜い限りになるのだ
東京などがどうして人間の成果となるのだろうか?
いくらそこで経済だけを指標としているだけである
ただそこで技術開発する人がいて今回のように優れた自転車を作ればそれは田舎でも反映される、技術の恩恵に自分でも欲することができたとはなる



2018年12月19日

冬椿(津波の後の家の跡の祠) (年末で整理に追われるが整理できない)


冬椿(津波の後の家の跡の祠)

(年末で整理に追われるが整理できない)

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冬椿木立囲みて祠かな

冬の森静まり亡き冬の鳥

大石に冬日さし家の落ち着きぬ

年の暮様々な整理に追わるかな


朝静か庭に一二枚木の葉散る石の黙して下の部屋かな

津波跡祠残りて家の跡木立囲みて冬のめぐりぬ

津波跡住む人なしも椿咲く枯野の中の家の跡かな


枯野に木立が残り祠があり椿が咲いていた
ここに家があったということをなお示している
津波も8年になろうとすると何か残っているものも少なくなる
ここだげは依然として残っている
それもなんとかここに家があったということを示している

大石に冬の日がさすとき家も落ち着くとはなる
庭がいい大きな石がある家はやはり落ち着く
石もいつも見ている石とたまにみる石とは違う
石と人間は一体化してくる

家事でもやることが多い、家事に凝ったらそれだけで時間がとられる、特に料理にこったらそれだけで時間がとられる、それも無駄ではないが料理は時間がかかりすぎる
人間はそんなにいろいろなことに頭がまわらない
料理するとなるとその料理の材料をそろえるだけで大変になる
そうすると他のことができなくなるのだ
今は家事は全部自分一人でしている、すると家事だけで時間がかなりとられる
ただ外食はこの辺ではあきる、決まりきっているからあきる
それでテレビで毎日献立の違うカレーをだしているとか料理が毎日違うものを出す
それなら飽きないので繁盛している、でも出す方になるとさらに手間と苦労になる

本の整理にも苦労している、本は読む気力がないとなっていたが何か参考にするためにかえって前より買っている、そしてまた本がたまって困るとなる
本が古本でも安いから買う、高いのほとんど買わない、でも本というのは読んだのだが読んでいない、本を読みこなせていないのである
本を読むということは対話でありあくまでも自分自身のものをもっていてそれで思想なり創作を深めてゆくものだった
ただ一方的に読んでいても何も身についていなかったのである
だから本を読むということは相当な実力がないと読めない
今は本を評価できる、だから評論に向いていると思った
つまり本が何を語るのか作家が何を語りたいのか要旨をつかめるからである

とにかく物をもちすぎるとこれも困る、整理するものが多すぎる
着るものでもそうだし本でもそうだし道具類でもそうだしいろいろありすぎるとどこに何があるかもわからなくなる
そしてインタ−ネットのホームページも整理できない、プログも整理したいのだができない
意外とここがめんどうだと思った、膨大な量になっているから整理自体が大きな仕事になってしまったのである
でも何かインタ−ネットだと何かでウィルスとか何か突然の故障で消えるということで不安になる
だから本にして整理したいのだがこれもまたさらちにむずかしくなっている
本当に死ぬまで整理が仕事にもなる

いろいなことをしていることでそうなる、そもそも家事を一人でするにもそこから整理なのである
まず買うものが多すぎるからだ、生協に入ったらさらに買うものがふえて整理ができなくなる
それであったものを忘れ腐れせることが良くあるのだ
わかったことは冷蔵庫でも食料でも種類が多いから常に見ている必要があるのだ
それができないから忘れて腐らせたり利用しないままになっていたりする
それは他のことでもいつも目をとめて使っているものは忘れない
でも人間一人でやることには限度があるなと思った

2018年12月15日

母の命日〈冬紅葉忌ー三周忌)


母の命日〈冬紅葉忌ー三周忌)

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冬紅葉小菊をさしぬ命日に

ふさわしき母の命日師走かな

掃除して母の命日冬紅葉

忙しく母の命日過ぎにけり


干し柿を母の命日にささげけり貧しき昔の暮らし思いぬ

朝静か庭に一二枚木の葉散る石の黙して下の部屋かな


母の命日が15日だと思っていたが12日であり過ぎていた
それをプログで調べてわかった、人間は本当に忘れやすい
だからプログは記録しておくので後で役に立つ
こんなこと書いていたのかと自分の書いていたことも忘れているからだ

母は大正生まれでその一生は苦労の連続だったし不運だった
たいだい戦前生まれとかなると苦労している、貧乏である
だから何か趣味などがない人も多い、ただ働く働かせられたとなる
それで趣味もなかった、何か利益になることしか金になることしか価値がないとしていただから一円の金にこだわって金を使っていない
その金も盗まれたが認知症になり笑っていたのも不思議だとなる

百歳まで生きたのが不思議である、体は細いし体力もないのによく生きられたと思う
なぜ百歳まで生きたのですかと聞かれると「無理をしなかったからです」と答えた
そもそも母は無理ができない体力がないからできないのだ
それは自分とにている、体力がないから無理ができないのである
体力がある人は無理ができるのである
ただ長生きとなると体力がある人が長生きとはならない、無理がたたって早死にの場合がある、だから体力と長生きは必ずしも関係していないのである

ともかく家事を93歳ころまでしていた、一時90度に体が曲がったがそれでも手押し車をおして買い物したり普通に生活できたし料理もしていたのである
その体が曲がった時相当に悲観して自殺しようとしたりした
それでもその後は体が曲がっても普通に生活できたのである
それも介護されるのではなく家事を普通にしていたのである

人間死ぬとその後いろいろ死んだ人のことを回想する、回想する時その人だけではないその時代とかも回想する、一つの身近な活きた歴史を回想する
だから郷土史は祖父母から聞くことから親から聞くことからはじまると書いたのである
それが一番身近で在りそれがそもそも歴史となったのである
その後に残された人が死んだ人のストリーをヒストリーをたどるからである

何かいろいろ語ることがあるが姉のことでも一緒に供養のために本でも冊子でも作ろうとしているがなかなか手間でできないのである
このインタ−ネットとかプログはその時々書いているから書けるのである
これを本にまとめようとするとき手間になるのである
家事を全部しているとなかなか他のこともしにくいのである

母の好物は干し柿であったがこれくらいしか戦前だと果物でも食べていないからそうなった、でも戦後は食べ物では贅沢したのである
戦後十年くらいで死んだ人は贅沢はできなかった
父は最後にサシミを食いたいといって死んだ、でも病気で食べれなかったのである
今は貧乏人でも食べる物は贅沢しているのである

母にふさわしいのは冬紅葉である、それで冬紅葉忌にしたのである

相馬藩内の花の短歌 (狭い地域でもそれぞれ個性がある


相馬藩内の花の短歌  

(狭い地域でもそれぞれ個性がある

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相馬市の城跡あわれ藤の花夕闇の中に灯のともるかも

真野川の岸を歩めば草深く月見草咲き夕暮れにけり

原町の線路にそいてひまわりや電車の音の昼にひびきぬ

飯館にソバナの花のあまたかな草深くして家々静まる

飯館に芙蓉の花のおおらかに咲きて隠さる家々なるかな

小高の城跡に立ち海望む紅梅しだれ古りにけるかな

なみなみと青々とのぞむ海村上城跡かもめ飛びゆく

海望み船の行くかな山により桜の咲きて風に散るかな

相馬焼ここに伝えて柿なりぬ大堀の里ありしときかな

高瀬川激ち流れて春の日やさらに上へとのぼりゆくかな

高瀬川そそりし岩や紅葉して色の一際赤くなりしも


その場所にあった花がある、ただこれは外から来ただけではわからない、ある場所に長く住んでいないとわからないものがある
相馬市と原町の区別がつきにくいが相馬市は城下町であり何かしんみりとしているのである
入母屋作りに公共の建物が統一しているのも城下町作りとしては良かった
ただそれに反対する人もいた

相馬市が藤の花だというときあそこに古い藤の木がありそこにたたずむとやがて街が暮れて静かに灯がともる、それがなんともいいのである
それは相馬市がそれほど繁華でない街だからそうなっているのだ
相馬市の街は駅前通りがあっても駅前から発展したのではない
城のある所から街作りしたからそのままなのである
原町は街道が街としてあっても駅前通りが発展した
それは原町が機関区になっていて物資を運んだからである
原町は新しい街として明治以降作られたのである
だからひまわりが似合っているとなる
原町の線路の脇に高い大きなひまわりが咲いていた、今は咲いていたが今は咲いていないともかく相馬市と原町の感覚は相当に違っているのだ

次に小高だと相馬氏が最初に城を築いたところであり枝垂れ桜が咲いていた
そこから海が見えたのである、意外と海が近いのである
この辺では海が近くても海が見えない、でもちょっと高台に立つと海が見えるのである
小高は海が近かった、津波が駅のすぐそばまで来たことには驚いた
その下の水道官から駅を越えて津波によって泥が運ばれたのである

そのことでもともとは駅前は海でありそこには中世に鎌倉時代辺りに港があり蔵院とかがあって相当な船が出入りしていたのだ
そこは港だったのである、それほど海が近い所だったのである
だからそこが海になった時驚いた、それは八沢浦でもそうでありそこも港があった
中世から船運があったのはそうした入り江があったからである
それが失われてわからなかったが津波でその入り江が再現されたのである

相馬藩内でもそれぞれに土地の特徴がある、そこに変化があってあきないとなる
浪江になると前は高瀬川の上流に大堀があり相馬焼の陶工の村があった
そこは高瀬川渓谷に入る所であり場所が良かった
それは原発事故で失われた、それも大きな痛手だった
浪江はほとんど人が住んでいないから悲惨である
ただ別に高瀬川がなくなったということではない
以前としてそこは風光明媚な所なのである

飯館村は森に包まれた静かな隠された村だった
それが原発事故で人が住まない土地になった
田んぼの表土がけずられて無惨である、あとは放射性物質の廃棄場がいたるところにある草野はソーラーパネルが敷き詰められて変わり果てた
素朴な村という感じもなくなった、それより人が住んでいないのである
飯館村の特徴は一軒一軒が離れてあり森につつまれてあった
そこは広いから牛を飼うには良かった、放牧できるからである
今何軒かはじめている、牛の餌は買えばいいとなるから意外と農業よりはいいのかもしれない、農業となると土に頼るから土が汚染されたらどうにもならないからである

人間は場所が変わると心も変わる、飯館村に行ったときは特に変わる
何か花まで草深く咲き純なものが自然のままに隠されて人知れず咲いているとなる
ただ残念なのは原発事故前に大倉から入り峠を越えた所に人の手が入らない森がありそこに清流が流れていた、そこは神秘な場所であり秘境だった
それが道ができて喪失した、秘境というのは今でもある
それはなかなか外から来てはわからていのである、丸森にもあった、そこに行くには道が悪いから簡単には行けない、そこを行ったら道に迷い深い森から出れなくなった恐怖を味わった、それだけ丸森は森が深いのである、飯館も70パーセントが森なのである

それが放射性物質で汚染されたからどうにもならない
ただ森は森として依然としてある、ただこの森に放射性物質が循環して消えないから困るのである
もし森とかでも色が変わったりしたり枯れたりしたらそのショックが大きくもう住めないとなっていたことは確かである、水でも汚れたりしたら住めない
以前として水は澄んでいる、でも魚は放射能で汚染されているのである
それが放射能被害の不思議なのところだった

いづれにしろこの辺は元の状態にもどらない、それは三陸とか他でも津波の被害にあった所は復興していない、それだけ甚大な被害だったのである
8年になろうとしていても復興はしていないのである

2018年12月14日

冬の暮(故郷俳句十句) (景観は歴史的に長い時間で作られたものだから貴重だか意識されなかった)


冬の暮(故郷俳句十句)

(景観は歴史的に長い時間で作られたものだから貴重だか意識されなかった)


隣り合い住みて長しも冬紅葉

点々と農家の古りぬ冬き暮

質実な暮らしつづきぬ冬の暮

松ありぬ一軒一軒や冬の暮

なお立ちぬ家の跡に松冬の暮

老木のここに朽ちなむ冬の菊

陽の没るや冬田に農家五本松

一本の木のここに動かず冬の暮

天明の碑近くにあれや冬の暮

なお空家大原にあり冬の暮

大原に凍み大根や農家古る

干し柿に紙漉きの里水清し

小山田に忘らる道標冬の暮

街道の祠に松や冬の暮

代々や相馬六万石冬の暮 

景観を見る時それが当たり前の風景に見ている、田んぼに点々と農家があることなど田舎では当たり前の風景だから気にも留めない
でもその景観というのは人間のくらしとともに作られてきたものだった
そもそも田んぼの景観は米を作る暮らしがあり作られてきた
農家があるということはそこに暮らしていける実り生業があったからである

そして人間とは長くそこに住んでいないとその土地のことがわからない
長く住むというとき田舎だったら農家だったら何代もつづいて生活している
そこに農家の重みが生まれている、それで農家の人が三代つづかないと仲間に入れないというのもそれは人間の関係でも長い時間の中で作られるからである
つまり歴史的に重みが生まれのは長い時間そこにありつづけたからである

そういう景観が失われたことは大損失だったが第一そういう風景は当たり前のものとして見ていたから貴重だとも思わなかったのである
むしろ農家などはもう農業だけで暮らしている人はまれになった
だから親が農業をやりたくないのだから子供でもやらないとなったのである

ただ景観というのは当たり前にあったものではない、それは長い時間の中で作られてきたのである、そこに人間の営みが暮らしがあり生業があった
景観は簡単に作れないものだった、でも人は景観を大事にしない
景観は努力しないでもそこにあるものとみているからである

結局価値というのが何かというとき人間は全体の価値を見ない、木を見て森を見ないのである
それが津波とかで右田の松原が根こそぎなくなるとか原発避難区域で町ごと人が消えて
空家と化して田んぼが草ぼうぼうとなりその跡にソーラーパネルとかになりまるで変り景観が失われた
それはイメージできないものだった、景観はやはり田舎だったら田んぼがあり畑があり森がありとか変わらないものだと思っていたからである
ただ右田の松原などは人工的な松原であったから根こそぎ消失した

原発訴訟で生業を返せというときこうした代々つづいたものが消失したことの損失であるそれは取り返せないものとなった時その貴重さに気づいた
やはり人間の営みは代々つづいていると歴史があると重みが生まれる
それは一代では築かれないものである
そして何か農家を見ると質実だなと感じる、そういう風景がまた人間の心に知らず影響しているのである

都会ではビルの谷間に生活していればそれも心に影響してくる
都会の人がみんな疲れた顔になるのは当然なのである
田舎だと大地に根を張った木のように強化される、ただそうはいっても今は田舎でも実際は勤めているのは会社であり専業農家はまれである
農業だけで生活している人はまれなのである
田んぼの中に家があるから農業で暮らしているとはならない
ただ風景がそういうふうに見えるだけなのである

でももし戦前とか江戸時代にその風景を見たら感動するだろう
石神とかでは紙漉きをしていた、そういう暮らしがあったことが心にしみるものとなる
紙漉きは冬にするから厳しいのである、でもそういう暮らしがあることがその景観が心にしみるものとなる
今でも大根を干していたり干し柿を見ると冬の暮らしを感じる
都会ではもうそういう風景はないしどこも都会的になっている
田舎でも一見農家のように見えてもそうでもない、ただ蔵があると古い家であり農家だったのかとか見る、でもその蔵は農家として仕事するためのものでもないし飾りのように今はあるだけなのである

ともかく家とかその土地に重みが生まれのはやはり何代とかつづいて暮らしているとそうなる
それで自分の家は二代だから重みが生まれない、それでも自分は二代目だということで一応重みが生まれる、それじ死んだ親のことを書いたのである
明日は母の命日である、母は大正生まれであり干し柿が好きだったということはそれくらいしか食べるものがなかったから好物になったのである
今は干し柿など子供でも食べないだろう、いろいろ果物がありすぎるからである

でも江戸時代に憧れる惹かれるのは素朴で質実なものがあったからだとなる
ただそれはイメージの世界になっているからであり現実はまるで違った貧乏の苦しみを生きていたとなるのである
田舎の冬はとにかくいい、都会は季節感がないのである、だから俳句なども季語も活きてこないのである

故郷の大地に根付き
静かに長くもあれな
樹々は隣り合い黙して
そこに落ち着き根を張る
そこに自ずと連帯が生まれる
ともにここにある
ともに長くここにある故の
深い絆が自ずと生まれる

こういうことになる、そういう田舎の生活を奪ったのが原発だったのである
ただ地元の人でも金を第一にしていた、強欲になっていた
家でも車でもなんでも欲しい欲しいとなっていた
借金しても豪華な家を建てて車でもいい車を買い、とにかく現代では欲が限りなく増大するのである、もう切がなくなる
そして故郷にすら住めなくなったのである
そもそもその土地に故郷でも住むということが最低条件である
住めないということは最悪なのである

ただ人間は当たり前にあることを意識しないのである
それを失ってみてはじめて意識するのである
それで生業を返せと東電とか政府に訴訟を起こしているがそもそもその生業を大事にしていたかというとそうではない、ただ金が欲しいということで原発を誘致して
その後も補償金をもっとよこせと金しかなくなった
そして補償金を一億円でももらったら故郷を出て外に家を建てて帰ってこなくなったのである、それも勝手だなとも思う
それだから確かにその損失を理解できるのだがそこに暮らしている人はそういう田舎の暮らしを別に大事にしていなかったのである
むしろ都会的な贅沢な暮らしを求めていたのである
それはどこでも同じだとなるが何かこの辺ではそういうことが実際にあり意識させられたのである


2018年12月12日

小山田にある道標と道引地蔵 高速道路と忘れられた道標(詩)


小山田にある道標と道引地蔵

高速道路と忘れられた道標(詩

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上真野へー小山田ー岡和田

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馬坂神道ができて古道がある、馬坂新道は高速道路と似ていたのである


道の辻にひっそりと
枯草に隠され道標があった
その字をなんとか読む
東 岡和田
西 上真野
これはすぐ近くだ
昔は近くを示す道標がある
それは今はどこでも忘れられている
それはなぜなのか?
車がひっきりなしに行く道に忘れられている
そういう道の辺には必ず馬頭観世音の碑がある
昔は馬で荷を運んでいたからである
昔は歩いていたからである
それでこんな身近な所にも道標がある
もう今はこの道標を見る人はいない
なぜならその前を高速道路も走っている
新道が古道になる
時代は急速に変わった
遠くから車がひっきりなしに来る
近くは忘れられている
その視線は遠く遠くへと高速のように伸びている
その上に道引地蔵が祭られている
何か不明の石をおく祠がある
そこにまだ生きていた赤とんぼが一羽飛んでくる
今冬の日がここにさしてしばし休む
近くに隠町(かくれまち)という地名がある
何か私はここで休みたくなった、眠りたくなった
山眠る時期だが高速でも車はひっきりなしに行き交う
休むことなく行き交う
世の中は常に変化である
そしてここに地蔵と道標が忘れられている
枯草におおわれ忘れられている  


最近よく常磐線のSAに行く、それほど遠い場所でないから行ける、遠いとなかなか行けない、そこはいつでも自転車で行ける場所である
でも昼食をとるには行けない
そこまで行くのに遠いと疲れるからである、だから近くでないと昼食は行きにくい
昼食も手ごろな値段のがこの辺にはない、1000円だと高いとかなる
だからたまにしか行かない

なぜか最近SAに行くようになったら小山田を通る、すると小山田を意識するようになるのも不思議である
やはり頻繁に行く所を人は意識するようになる
だから新しい人が集まる場所ができることは過去もそこの歴史なども意識することになるのだ
人間とはそういうものだと気づいた、昔の遺跡でもそれは今の生活からかけ離れた所にあると意識しないのである
日々に行く所を意識するのである

だから桜井古墳は街中にあり意識する、そこは公園にもなっていて日常的に意志する
小山田で今回なぜここに道標があるのか、草に埋もれてあったのか?
すぐに上真野であり岡和田であるからこんなところに道標が今なら必要はない
ただ道標はどこにでもある、例えは横手にも栃窪へと印した小さな道標がある
それはあまりにも小さいので気づかない、線路がある道で横手古墳があるところである
それに注意する人は今はなくなる

道標はたいがい明治以降である、江戸時代のがあればこの辺では貴重である
なぜこういう場所に道標があるのか?
それは昔は馬で行くか徒歩で行くしか移動の手段がない
ただ岡和田から上真野に行くとしたらみんな地元だったら知っている
道を知っているからあえて道標が必要だったのかとなる
遠くから知らない人が来るなら道標を見るがここに住んでいる人なら道標がなくてもわかる、ただそう見るのは今の時代から見ているからである
やはり必要だったからここに置かれたとなる
ただどこでも道標は多いのである、やはり目印として欠かせないものだったのである

ともかくあそこは常磐高速が通りその下に隠町とあるのも奇妙である
頻繁に車の通る下にあるからだ、そこに生きていた人がこれを見たら驚くだろう
道標とかは確かに遠くを示すのならわかる、旅では必ず分かれ道があり必要だからである右と左に道が分かれていたら間違えたらとんでもないことになる
歩いてゆくのだから簡単に引き返せなくなるからだ
ただ今は歩く旅がどういうものなのかわからなくなっている
分去(わかれさり)という地名が多い、それはそこで分かれてもう会うことがないということにもなった、今なら会う気があれば距離に関係なく会えるからである

分去(わかれさり)永遠に別れし人もがなここに木の葉の舞い散りにけり

車社会になるとどうしても人間的なものが失われる、そこに人と人の出会いがない
車は閉ざされた空間なのである、だから誰がいるのかもわからないのだ
旅したとしても車の人が泊まっていて誰がいるのかわからない、話もしないからだ
そこは閉ざされた空間なのである、道連れの旅などもないのである

街道を旅している人を見たら歩いているから出会いと別れがある
後姿をいつまでも見ている、やがてその姿が消えてゆく、そこに時間があり人間的なものが生まれる、車だったら一瞬にして消える、だからキレル時代なのである
バイクでもそうである、早すぎるのである

いづれちしろあそこで坂があり高台に上ったら道引地蔵というのがあった
あとなにかわからないが石が小さな祠に飾ってあった、何かそれはわからない
そこで休んでいたらまだ赤とんぼが一羽とんでいた
赤とんぼが地蔵にとまるとかなると何か江戸時代の雰囲気になる
地蔵だって昔はなんらかそこに生活する人に欠かせないものであり活きていたのである
人々がお祈りしていたからである

ともかくなにかあそこでは不思議な気分になった
近くでも発見されないものがいくらでもある、昔は忘れられているからである
人間そのものが死ぬと急速に忘れられる
それで昔も忘れられてしまうのである、そこだってひっきりなしに車が通る、その道標など誰も見る人もいないのである
高速道路を行く人となるとそれこそこの土地のことは関係なくなる
ただ道路を走る機械が行くというだけになる
SAに休んだとしてもそれはその町のことを何か知るということもないのである

2018年12月08日

師走の仙台を歩く(短歌十首)


師走の仙台を歩く(短歌十首)

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みちのくの駅々に散る紅葉かな

木の葉舞う人入り乱れ仙台へ  

仙台の路地のいくつも師走かな


仙台に人入り乱れ木の葉舞う人せわしき行き来師走となりぬ

仙台の銀杏の古りぬ通りかななお散り残る黄金(きん)の葉見ゆ 

二本の(ふたもと)の銀杏の木立にけりホテルの前や冬となりにき

仙台の通りを行けばはなやげる銀杏散りてハイヒールに行く

仙台の喫茶店に入り今買いし本読む銀杏散りにき

民芸店路地にありしも灯のともり冬の夜ここに入り見るかな

仙台の並木道行き師走かな人それぞれや思い交差しぬ

仙台の路地を曲がりてまた曲がり短き日のはや暮れにけり

冬の夜の仙台の街のともしびを電車より見つつ帰りけるかな

みちのくの駅々とまるともしびのあわれや冬の夜帰りけるかな


仙台には東北では街の情緒がある、それはせこの辺では原町市とか相馬市とは違う大きな都会の情緒である、ただ東京とかなると大きすぎるから情緒もなくなる
街歩きで楽しいとなると仙台くらいの規模がないとない
この辺では仙台とか盛岡になる

そして最近家事をして料理などして気づいたことは人間は豊かになると器にこる
ただ食べるだけではない、器にこる、いろいろな器を茶碗でも装飾でもこる
それで茶の湯が生まれた、人間はただ腹が減ったからとがつがつ腹を満たすというのではない、人間は豊かになれば文化を生きることになるのである

現代はいろいろなもの物やインフラは整備された、ハードが整備されたからソフトの時代文化の時代になったのである
そして別にこうした茶碗とかでも高いものは買う必要がない、種類をそろえると楽しめることがわかった

フラワーアレンジメントをして壺などでガラスのも通販で買ったが別に高いものではなかったからだ、ただ種類をそろえると楽しめるのである
だからこうした趣味でも必ずしも金がかかるというわけではないのである

仙台だといろいろな店を見て回り楽しむことができる、店とは見せるからきているからである、本も買ったが今はほとんど通販である
でも今買ったばかりの本を喫茶店で読むのは記憶に残ったりする
書店でも古本屋でも実際に見るとこんな本があったのかと気づいて買ったりする
ただ本は高すぎるから今はほとんど古本とか通販でしか買わない
高いものは買わないでもそれだけで十分になっているからだ

前は一週間に一回仙台で本を買ったいた、今になると本がこんなに多いのかと驚く
前もそうだったがアマゾンとかで買えるようになってその多さに驚く
それだけ知識の量が膨大なのである
それで田舎では知識を吸収する面では不利だった、そもそも本が読めないと新しい知見も得られないからである
今は膨大な本を読んで何か編集するように読んでいる
インタ−ネットでもそうだが編集することで新しい創作になっているのだ

介護十年で仙台でさえゆっくりと行けず楽しむ余裕さえなくなったいた
それをふりかえると介護の負担は人間的生活すら奪ってしまうと思った
余裕がなくなってしまうのである、その負担が大きすぎるのである
今回はようやくゆっくりと仙台を楽しめたなとなる
何か十年前の状態に戻ったという感じになる
そしてまだ仙台に行けるなと喜びを感じてもいる
下手すると死んでいたかもしれないからである









2018年12月05日

冬の鳩に紅葉、木守柿(平和を感じるこの冬)


冬の鳩に紅葉、木守柿(平和を感じるこの冬)



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我に街に平和もどるや冬の鳩

苦労せし地元の女(ひと)や冬紅葉

老人と駅に語るや冬紅葉

金屏風紅葉の映えて古き壺


赤と黄の紅葉交じりつ映えにしも今日が見ればはや庭に散る

駅前の仕事いそしむ自転車屋今日も見につつ冬に入るかな



鳩というとき平和の象徴である、何か平和がもどった感じになる
それは自分自身も介護とか病気とか惨憺たるものだった
ただ毎日四苦八苦していた、だから余裕がなかった

でもすでに十年が過ぎて何か元の平和がもどったのか?
もう確かに家族は帰ってこない、でもまた自分自身にもここでは我が街でも平和が戻ったのかとなる、ここは避難地区ではなかったからかえって他からの人が増えた
それで駅で良く会うのは外部から来た人たちなのである
それは話しているとすぐわかるからである

それだけ外部からの人が実際は相当増えたということなのだ
原町でも同じである、新地辺りでも増えているのだ
それだけの人が移動して家を建てたりして住んでいるとなる
そして避難区域になった所には帰らないともなっているのである
だからそこには未だに平和ないのである

冬の鳩が駅の上を群れ飛んだ、何かそれが平和を象徴していた
ここでは平和な日がもどったとなる
何か自分自身でも周りでもまるで戦争のような状態だったともなるからだ
家族を失ったことはショックだしいろいろショックがつづいたが何か平和がもどったという幸福な感じをもった
それは戦争のように焼野原から復興したとき人々も感じた
平和がやってくるんだなとそういう中で感じていたのかもしれない
平和もまたそうして苦しんできたあと一層感じるということがある

ただこの辺は本当に平和が来るのは相当に先の長いものとなる
避難区域はほとんど復興していないからである




タグ:紅葉 木守柿

2018年12月02日

冬の日の俳句と短歌 (深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)


冬の日の俳句と短歌

(深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)

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舞い去りぬ今日も一羽の冬の蝶

道の辺に南無阿弥陀仏木の葉散る

(深野ー大原)

深野に地元の温泉冬紅葉

集いける地元の温泉木の葉散る

大原やや大根干しぬ家古りぬ

冬紅葉水面に写し川の奥

(飯館村)

離れじや落葉に埋もれ四人石

冬日没る遠山の影刻むかな

満天に漏らさず輝く冬銀河

心澄みきらめき増ゆる冬銀河

冬銀河千、万の星秘めにけり

(真野川)

大岩のここに隠され冬の星

闇深く隠さる岩や冬の星


大原に住みにし人の家なほもありしも住まず冬の日暮れぬ

大原に眠れる人の墓あわれここに生きしと冬のくれかな

橲原の奥にし家や隠されて我が知らじかな冬の日暮れぬ


ぬばたまの世のけゆくや大倉に冬の灯二三誰が住めるかも

(大原)

病院に大原語るその人の思いはここに短き日暮る

大原や子は街に出て家継がず残れる家や冬の日暮れぬ

(飯館)

村人の豊作願ふ井戸のあれ帰らぬ人やまた年暮れぬ

庭荒れて空家となりて久しかな帰らぬ人や冬の日暮れぬ

(我が家)

姉と母待ちにしあれや亡きにしをありしと思ふ冬の夜かな

我が家に帰り来たるも一人かななぐさむ人なく冬の夜ふけぬ

我が家に家族のなしも我が家やよすがとすべし冬の夜ふけぬ

(相馬市)

五本松二本欠けしもなおありや冬田の暮れて道の駅かな




天気がいいので深野(ふこうの)から橲原渓谷を行き飯館村までトンネルを通って大倉を通り帰ってきた、橲原渓谷は通行止めが解除されていた

深野のユッサはこの辺では唯一の温泉となるけどそれが本物なのかどうかわからない
一応温泉にはなっている、でも八〇〇円は高いが温泉ならこの辺ではないのだから価値があり高いともならない
ただあそこの問題は庭は貧弱すぎるのである、それはただ石を並べただけでありがっかりする、あまりにも貧弱なのである

普通のありふれた庭より貧弱なのである、個人の庭より人が集まる場所の庭が貧弱なのはがっかりする、まず個人の庭でも目を見張るものがいくらでもある
最近は船主の人が豪華な庭を作っている、それは軽く一千万以上の庭かもしれない
石だけで相当な値段である、なぜなら見ただけでほれぼれするような巨石だからである
私は石が好きだからしげしげと他人の庭の石を見ている
それで何か写真をとってとがめられたことがある
それに比べたらユッサの庭はあまりにも貧弱である

私は今旅行すらならいい庭がある旅館とかホテルに泊まりたい、そういう宿には泊まったことがないからだ、日本の文化は庭にある、だから京都は庭を見て歩くことになるからだなぜいい庭を作らないのか?予算の関係なのか?
今の時代はハードは整備された、それでこれからの経済は感性の時代だといういう人がいる、それはハードは建物であるがそれにほどこす装飾などがソフトになる
それから実は人もソフトなのである、もてなしとかソフトだからである
そういう時代の変化がある、だから人が集まる場所であの庭はあまりにも貧弱である
私がしたいことは庭作りだった、でも私の家の庭は狭すぎてできなかった

温泉という時長野県のアルプスに近い所の岩風呂の露天風呂は貫禄があった
大きな岩でありその岩から何か本当に英気となるものがにじみでていた感じになる
残念ながら浜通りにはあのような貫禄のある温泉はない
何か岩に癒されるとかなる、そういうことは本当にあると思う

深野から大原に行き大原では私立病院で一緒だったS家の家を見た
そこには息子は住まない、街の方に家をもって住んでいるからである
一か月いて大原の話をその人はした、暇だだからその話を聞いて興味をもったのである
でもそのあとすぐ死んでしまったのである
それで今でも大原を通るとその人のことを思い出すのである

橲原渓谷の奥の方に冬紅葉が美しかった、それが水面に映っていた
そこから飯館に向かった、トンネルを歩いた、あそこは幅が狭く歩く他ない
二キロくらいあるらしいがもっと長く感じた
飯館は坂がきつくて簡単に行けない、今回もひさしぶりである

トンネルを出たら日が暮れかかっていた、かなたの山に安達太良なのか冬の日が輝き没するところだった、までい館で働いていた人は地元の人ではなかった
年配の女性の人だったが地元の人ではない、それも変だと思った
飯館村はまず一五パーセントと帰ったとか言っているけど通りは誰も住んでいない
草野ですらそうなのだからもう村が崩壊したという感じになる

途中で石が四つくらい落葉に埋もれていたので四人石と名付けたがそもそも人が住んでいなければそういう石すら活きてこない、人が住んでいて自然も活きるということがある
人が住んでいなければただの石であり名前もないとなるからだ
小高と比べると飯館村は帰った人が本当に少ない、浪江でもそうである
小高は街でも帰っている人が増え店も増えているとかある
飯館村はもともと広いからもう崩壊したという感じになる
作見の井戸でももう人が住まないと生業が消失すると死んだものとなる
なぜなら人がいないければ農業もしていなければ誰も豊作を祈るということもなくなるからだ、その井戸を見て豊作を占なったということもなくなるからだ

大倉も真っ暗だった、二三灯が見えたから誰かが住んでいるが真っ暗である
それで万葉集のぬばたまという表現がふさわしいとなった
万葉集時代にどんな明かりがあったのかとなるからだ、行燈すらない時代だからである
それでぬばたまという表現が生まれたのである、漆黒の闇である

それから我が家を目指して帰った、満天の星がきれいだった、冬の空は澄んでいるから気持ちいいとなる、夜に行くのも景色が変わるから昼に見えないものが見えるのでいい
飯館は日帰りできる、ただ坂がきついのでなかなか行けない、風が吹くと自転車では行けない、今日は風も吹かないし晴天だったから行って見た
トンネルはできても自転車では何の役にもたたなかった
横の道が狭すぎるのである

いづれにしろ家に帰っても誰もいない、それでも何か家族が待っているような気がするのは不思議である、結局それだけ一緒に長くいたせいなのである
六〇年とか子供の時から一緒にいれば人間はその存在が簡単に消えるものではなかったのである

相馬市の道の駅の五本松の二本は枯れて消えたがやはり五本松として地名が残りまだそこには二本の松があるように見えるのと同じである
そこに長くあったものは簡単には消えないのである
ただまだ三本がまだあるから五本松をイメージできる
しかし津波のように根こそぎなくなるともう何もなくなってしまうという恐怖なのであるもう誰も右田の松原を思い出せなくなる、そこには何の面影も残っていないからだ
一本松もないし何も残らないからだ、土盛った高台とか風力発電の風車とかソーラーパネルになったとき思い出しようがなくなっているからだ
そこに津波の恐ろしさがあった、根こそぎあったものが消失させられたからだ



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ユッサのこの庭が貧弱すぎる、枯山水だとしたらもっときれいな砂があったり白い小粒の石でもしきつめるとかあるからだ
狭いこともあるが狭くてももっといい庭が普通の家であるからだ

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2018年12月01日

みちのくの北風と荒野(詩) (みちのくの場の働きは何なのか?)


みちのくの北風と荒野(詩)

(みちのくの場の働きは何なのか?)


ごうごうと北風がまた唸り吹く
木の葉が舞い散る
それは荒野の声だ
みちのくに北風がまた唸り吹く
ごうごうと唸り吹く
その時森の樹々は強く結び合う
巌はさらに威厳まして主となり
みちのくは遠く閉ざされる
みちのくにはなお荒野がある
ごうごう北風がまた唸る
乱雑と騒擾の世に疲れし者よ
都塵を離れて荒野の声を聞け!
聖なる者がここに住む
荒野にこそ神が棲むものなれば・・・・

急にごうごうと朝から北風が唸り吹いた、それはいつも聞いているものだが年年に違って聞こえるのも不思議である
何か見るにしても同じものを見ていても違って見える
年齢によって心境が変わるからだともなる
私の場合は家族がみんな死んで無常をひしひしと感じたこともあり北風は一段とすさまじいものに聞こえた

風土という時、風と土なのである
風の感じ方はその土地土地によって違う、これはなかなか旅してもわからないのだ
まず現代の旅だと車とか電車でも風は感じないからである
風がどういうふうに吹いてくるのか感じることがむずかしいのだ
ここでは海から吹いてくる東風と山から吹いてくる西風と北風に分かれる、でも会津のような山に囲まれたところではどういう風が吹くのかわからないのである

例えばみちのくというとき一つの大きな地域であり今でもそうである、ここには荒野がまだある、みちのくとは日本では辺境であったから荒野がある
ただ仙台辺りになると繁華になるから荒野を感じなくなる
荒野とか自然がないところに宗教もなかった
だから東京とには宗教はありえない、カルト宗教とかなるとそれは宗教ではない、労働組合と経済活動団体である、宗教の神秘性とか聖なるものとか皆無である
どろどろとした人間の欲望がそこに噴き出している

宗教がどうして生まれたのか?
釈迦は洞窟にこもり一神教は砂漠で生まれたことを見ればかる
荒野から生まれたのである、モーゼはシナイ山に上り神の啓示を聞いた、山伏とかの山岳宗教だってそうである
何かいかがわしいように見えても自然の中で六根清浄を求めたのである
今の宗教には全くそういうものがない、ただ組合活動であり経済活動であり世俗の欲を増大させている場だから変なのである

みちのくはまだ荒野があり何か日本でも異質な場になっていた
つまり権力闘争とあまり関係しなかった
だからみちのくは常に敗者が逃れて敗者の場所にもなっていた
強力な権力を持ちえなかったのである
だがみちのくという場は荒野がありそこで西では確かに繁栄したが堕落した
宗教の場も金儲けの場になった、観光の場とか堕落した場なのである

日本をみるとやはりみちのくと北海道は異質だと思う
沖縄も外国になるがみちのくと北海道は感覚的に何か自然でも違っている
北海道は空気まで違うと感じる、原自然がある場なのである
だからみちのくと北海道は原生の心を養成する場なのである
ただ経済的には苦しいということがありそこが問題であり原発事故が起きた

それは間違っていた、みちのくという場はそうした場ではない
原発などは誘致すべきではなかった、本来の場は自然の中で荒野の中で野生の声を神の声を聞く場所だったのである
もちろんあまりにも戦前のように貧乏だと精神も醸成されない
ほどほどのところで質素に荒野の声を聞く場所としてあるべきだったのである

結局なぜこれほど人は働かねばならないのか?
それは余分なもの余計なものを作りすぎているのである
そのために人手不足となる、別に食堂とかで働く人がいないとしたら食堂でもあればいいがそんなになくても間に合うということもある
余計なものがありすぎるとそれだけ労働力が必要になる
オリンピックなどでも本来はするべきではない
なぜならそのためにまた人手が必要であり人手不足になるからだ
なんでも経済成長が果たしていいのかどうか?
それも見直される時が来たのである
それは多数の声とはならないからどうにもならないとはなる

2018年11月28日

冬の菊と老木と樅の木


冬の菊と老木と樅の木

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百歳に母は死ににき冬の菊

老木のここに朽ちなむ冬の菊

樅の木に孟宗竹や冬に入る


一本の樅の木ここに立ちにけり知らざりしかも冬に入るかな 

ふるさとの道に一枚散る木の葉しばしたたずみしみじみと見ゆ

よみとれぬ墓の文字かな誰が眠る短き日のはやも暮れなむ


母は冬の菊だった、目立たない女性だった、それでも最後までりんとしたところがあったただ処世術がない女性だった、何か世の中のことをわからない人がいるのだ
それは自分もそうだった、世の中にうとい人がいるのである

この老木は何か天然記念物のよにうも見える、この木は生きているのか?
まさに百歳の人間と同じである、これから百歳の人も増えてくる
今回発見した樅の木はいい木だった、樅の木は結構ある
でも意外と発見しにくい、ここにこんな木があったのかというのも発見しにくい
でもそういんう木があって故郷を支えていたとかなる

冬の菊でもここに朽ちるというときついの住処としてここで死ぬということにもなる
人間も生物だから最後はそういう気持ちになる
だから避難区域に帰ったのは老人なのである、つまりそういう気持ちになるのが生物として自然だからである


2018年11月24日

大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)


大根干し、冬籠り(小山田村の冬景色)

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大根干し蔵ある家や冬ごもり

小山田の墓地をたずねて冬紅葉

貧しきや土地に働く冬あざみ

溜池に落葉沈むや一部落

鴨数羽しばし安らぎ去りにけり

残菊や人影見えず細き径(みち)

日短き墓地をたずねて名も知れず

小山田の細道今日も我は行く残れる菊にワレモコウかな

この写真は絵になっていた、今なかなか農家でも農家らしくなくなっている、田舎でも田舎らしくなくなっている、この風景はいかにも日本の農村の風景である
それで矛盾しているのがこの道をまっすぐゆきと常磐高速の鹿島のSAになる
そこで昼食をとったが混んでいる、あれほど混む所はこの辺ではない
働いている人も今日は十人以上いた、ひっきりなしに人がきて並んでいる
数えてみれば何人来ているのか?百人とかは軽く越えているだろう
500人とかわからないが相当な数である
これだけ駅と高速道路の相違があることに愕然とするのである
客にしても百倍どころではない千倍の差があることになるからだ 

だから何かこうして鄙びた感じの小山田村を紹介するとき奇妙になるのだ
常磐高速道路にこうした鄙びた村を通りそうした場所に行くからだ
常磐高速から町の方へ来る人は少ない、あそこだけが鹿島では人が集まる場なのである

今では田舎的風景がどこにでもあるという訳ではない、この大根干している風景はいかにも田舎的である、そして冬籠りの季節になる
今になると冬籠りというのもなくなる、冬は土も眠り栄養を貯える時期である
そのことは畑で野菜を作る人がしきりに言っていた
冬には土が眠り栄養が蓄えられるという、冬は増える(ふゆ)なのである
そういう感覚は農業していた人から伝えられたのである
春は張るであり張り田というのもそうである、夏はなじむとかであり秋は商(あきなう)となると商業の感覚が入ってくる、収穫したもの売るということで秋となっるからだ
いづれにしろ季語はこうして実際の農民の生活感覚から生まれたのである
ただ風流とか詩人とかが作り出したのではないのである
つまり実際の生活感覚から離れて芸術もないのである

冬籠りまたよりそはん此の柱芭蕉 

子を負うて大根干し居る女かな 正岡子規

これなどはいい句である、またよりそはむというとき何か変わらぬものがありそうなる
今だと変わりやすいからそういう感覚もなくなる、この柱とは人間と見ればそこに頼りになる親しい同じ人間がいるともなる、そういう人がいつもいるわけではなく現代は人でも変わりすぎるのである

冬田の畔の道を自転車で行く人は知っている人に見えた
最近なにか遠いけど仕事が見つかったとか言っていたからだ
その家に行ったのかもしれない、何か田舎だとあの人はどこの人どこに行くのかとか見ているのである、わかるのである
それで嫌だとなる、写真とっていたら写真とっていたなとか言われたからである

あそこの溜池ははじめて見た、溜池は多い、広い溜池もある、それは人口の沼のようになっている、その回りは林でありなごむ場所だった
鴨も数羽いたがすぐに去って見えなくなった

今年の紅葉は遅いし何か季節的に合わない、一応冬になったたら冬紅葉となるが何かそういう感じではない
まだ秋の感じでもある、なんか季節的に合わない、ただ冬らしくはなってきている
大根干すと冬ごもりで二つの季語になるのはまずい、季語は俳句では一つだからである
都会だと季節感がない、冬ごもりというものもない、一年中活動している、活動も必要だが過剰なのである
冬はやはり休む時であり栄養を貯える時なのである、そういう季節感もない所では住みたくないとなる
暑い寒いの感覚はあってもまわりで季節を感じないからである

日は短くなった、人間は本当にはかない、死んでみればすぐに忘れられる、そして墓に埋められるが
その人をどれだけの人が記憶しているだろうか?
ほとんど忘れられてゆく、そして名前を読みとろうとしてもできないとかなる
あの墓地は慶応とかあったから江戸時代からあった、たいがい田舎の墓地は江戸時代からあった所にありその継続として墓地がある、古い墓があるのは原町であり新地にも古い碑があるのは伊達藩内は相馬藩内より古い碑が多い
それだけ相馬藩より歴史があり古いとなるからだ

2018年11月22日

山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


晩菊や落ち着き死ぬ場のほしも

数日や部屋に散る入る木の葉かな

無人駅二三枚落つ木の葉かな

平和なれみちのく遠く山眠る

みちのくの山々眠る争わず

石一つここに動かず冬の星


俳句は何か短すぎるから鑑賞しにくい、写生だと本当は説明はしない
詩は説明しにくいのである、説明すると散文になる
でもこの俳句が何を意味しているのか?
その背景を読み込まないと鑑賞できない、でもそれがむずかしい場合がある
それで私の場合は説明している

短いからその後の説明が生まれる、木の葉が二三枚家の中に入っていた
風で入ってきたのだろう、それか数日ずっと家の中にあった
その時向かいの家で死んだ女性のことを思った
その女性のことは知っていたからである
でも一週間前顔出していたら死んだのである
何か知っている人に会いに歩いて行った
だから直ってまた会いに行ったのかと思った

死ぬ人は最後に別れを告げるために知っている人に親しい人に会いに来るというのは本当である
兄も交通事故になる前に私の家に来て笑って去って行った
その後は死んだのである

ともかく人間ははかない、この木の葉のように数日部屋に入っていまのとにている
はかなく散ってしばらく自分の家の中にあった、その木の葉を私は見ていたとなる
無人駅のことはシリーズとしてずっと書いている
二三枚木の葉がホームに散ったりしている
何か無人駅だから数人とか待っていて話したりする
それはこのように人はまれだからである
だからこそ話したりできるのである、数が多かったらとてもできないのである
そこに人が少ないから人間的な場が生まれていたのである
ただ商売にはならないとなる

みちのく的なものは何かとなるとそれは東京とか西のように混雑していないことである
みちのくと的なものとはそこは癒しと休息の場としていいのである
ただ正直この辺は津波や原発事故でそういうこともなくなった
それでいろいろありすぎて疲れたとなり山眠る、静かに冬は眠りたいとなる
津波原発事故でみちのくも平和がなくなったのである

人間はとにかく一つの問題が解決してもまた問題が生まれる、延々と問題が生まれる
もう解決は永遠にないのだ、なぜなら一つの問題が解決したらまた新たに問題が生まれるからである、そして絶望的になるのである
だから山眠る、もうそういうことに関係しないで冬は眠りたいとなるのである
そういう場としてこれまではみちのくはふさわしい場所だったのである

老人になると石のように動きたくなくなる、この俳句は前も作っていた
認知症の問題など今の世の中は変わりすぎることで対応できない
認知症だと何か物を置いても変わらない場所にあるといいのである
いつも同じ場所にありその物を動かさないことがいいのである
なぜならそれを動かすと忘れるからである、それで今ここにあったのがないということでパニックになるのである、いつも同じ場所に同じものがあると安心するのである
だから狭い部屋でそうしておけば財布をなくしてもすぐにその場所が特定できるからいいのである
それで認知症というのは現代では治療しにくい、あらゆるものが変わりすぎるのである
また機械の操作も多い、なぜならテレビをつけるリモコンすら操作できなかったからである  

認知症になったら今の世の中は本当に困る、江戸時代のように単純な社会だったら良かったのである、その時代には時代の悪さもあるが良さもあったからである
江戸時代なら物もあまり持っていない、いつも見知っている人と暮らしているとか
それで症状も安定するのである
認知症にとって現代の環境は最悪なのである
例えば今みんなスマホを操作している、でもは認知症になったらテレビのリモコンも操作できなくなるからどうにもならなくなる
今はいいにしても認知症の人がこれだけ増えるのだからそういうとき困るのである

江戸時代のように情でもって人と人が対面的に情的に通じ合っている社会なら認知症の人にとっても楽なのである
それは認知症だけではない、現代が生む様々な問題も江戸時代のような環境の喪失がそうさせているのである
介護とかは機械で代替できない、それは対面的情的に接しないとできないからである
だからこれから情的なものが大きな役割を果たす時代になるかもしれない
なぜならそれは機械ではAIでも代替できないからである



2018年11月21日

冬の蝶(家の価値は思い出が残っていること―母の介護の思い出)


冬の蝶(家の価値は思い出が残っていること―母の介護の思い出)


厨なる曇り硝子に冬の蝶


晩菊のとりどり咲きて一所あたたかき冬の日のさし安らぐ

60年母の厨(くりや)にありにしを我も立ちつつ冬に入るかな

冬の月部屋をのぞきぬこの部屋に母を介護しぬ思い出なるかな   


家族がみんな死んでから何か不思議である、何か姉が認知症になってから不思議なことがつづく、家族がみんな死んでから不思議がつづく
人間はやはり他人が経験するのと自分自身が経験することは違うのである
家族だったみんな違っているからである

母はおとなしい女性であり裏方だった、母の一生は不幸だった、実家でも父親が事業に失敗して母親が病気になり継母が家に入ってきて苦労した
継母にいじめられたのである、子供の時でも不幸だったのである
結局やはり両親でもこのように子供を幸福にするとはならないのである
つまり両親に家族に恵まれないと本当に損だと思った

その後も東京で結婚したが夫が事故で死んだ、そして後妻に来たのが自分の家だがここでも幸福とはならなかった
女中のように使われただけだとなっていた、それを見ているからわかる
ただ母のことをあまり思ったことはない
死んでから不思議だけど母のことを思うようになった
人間は死んでからこうして思うことがある

今は厨に台所にいつも自分が立っている、すると何か母はそうして60年とかこの家にいて厨にいた、食事を出していたのである
そのことが何か自分が介護して食事を出したりまた死んでからも家事を料理をしている
厨に死んでからもずっと立っている
それで母を思うようになった、母は目立たない女性だったけど60年の歳月は長い
そうして日々食事を出していてくれたのである
生きている時は何も感謝の気持ちもなかったのである
自分自身が厨に立ち家事をして料理するようになって感じたのである

女性の仕事は家事でも目立たない、だから父親のように評価されない
でも縁の下の力持ちとして女性はある
ただ苦労が多かったからそうなるとどうしても歪んだ性格になる
母はそういう面があった、一切何か楽しむことがない、ただ働くことであり庭を作った時そんなものいらないとか強情に言っていたのである
そして庭に豆をまいたりしていた、食料にするためである
何かそうして苦労しすぎていこじになっていたのである
人間はあまりに苦労が多いと心も歪んでくる
でもそれほど母は歪んだものとはならなかった
忍耐強い女性だった、でも母は社会性がないから一人ではとても家を維持できなかった
自分の家の場合は特殊だが姉と母がいて家が保てたのである

だから特殊な家族だったとなる
ともかく家というのはやはりこうして死んでも死んだ人が存在しつづけることがある
なぜなら60年とか家に長くいたからである
家と人間が一体化しているのである、それで嫁とは女であり家であり一体化したものなのである、女性の場合は家事だけをする女性も前は多かったから余計にそうなっていた
それで死んでも家にありつづける、他ではその人が死んだらありつづける場は少ないだろう
男だったら会社にいるのが長いとしても死んでもそこにありつづけるということはないだろう、どこでも退職したりしたら時間がたつとともに忘れられる
でも長く働いた場なのだから退職したりして一切会社との関係が切れるのは淋しいとなる退職しても一緒に働いた人がそこにいたということを記憶されればなお会社で生きているともなるがそういうのはまれだろう

厨は曇り硝子であり外が見えない、でも朝に蝶が飛ぶのを見た
まさに母は冬の蝶だった、夏の蝶ではない、ひっそりと生きてひっそりと死んだ
ただ眠るように死にたいとはいつも言っていた
その願いだけはかなえらたようだ、ただ病院に入院して一か月で死んだ
死ぬ瞬間はわからなかった、病院に来たとき死んでいたのである

でも母は病院で死ぬ前の一週間前くらいまでポータブルトイレを利用していた
オムツをすることもなく死んだのである、オムツをしたのは病院での一か月だけだったのである、だから介護するにも死ぬにも楽だったとなる
苦労の人生だったが最後は楽だったなと思う
まず介護するにしてもオムツとかなると過酷になる
そうなると自分はルーズでありさらに苦しい状態に追い込まれた

それでも今になるとそうして介護して良かったとか思い出になるのも不思議である
早く死んでくれとも思っていたが人間は死ぬとみんな後悔している
もっと良くしてやれば後悔する
それは死んだらもう二度と会えないからである
ただ死者は思い出のなかで生きているだけになる
その思い出も介護で冷たくされたとかなるとなかなか思い出すのも後悔するから嫌になるそこに介護のむずかしい問題がある、介護と死は連続しているからである

いづれにしろ人は死ぬとその一生をたどることになる
家族だったら身近だからその一生をたどる、すると死んだ人がよみがえってくるのだ
死者はどこにあるのかととういと実際は墓とかにはいない、人間は死ぬと灰となりなにもなくなる
でもこうして残された人が思い出したり語ったりすると生きてくる
こうして死んだ人の一生をたどったり家でここにいたなとか思う時なお死者は生きているのである

母はなほ面影として我が家にたたずむものや北風唸る

面影として残るとしてもその場がないと面影として浮かばないのである
それが女性の場合は母の場合は家にあったとなる
恋とは乞う(こう)から来ているという、つまり恋とは必ずしも男女間の恋愛ではない
死者をこうことが一番深刻なのである
なぜなら人は死んだら永遠に会えないからである
そしたらもう一度会いたいと思うようになる、それが恋(こいーこう)だったのである
このことが一番切実だからそうなったのである