2021年04月04日

故郷の桜


故郷の桜



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ふるさとも花に染まりぬ朝(あした)かな

遠くより近くも桜の錦かな

我が家より真野の中館の桜かな

朝桜風のうなりてちりそめぬ

花の影行く人わずか今日も暮る

霊山の岩黒々と夕桜


残雪の吾妻嶺光り阿武隈川たぎち流れて花盛りかな


桜は日本がだったらどこにでも咲いている、意外と注目していないが南相馬市の鹿島区が桜が映える場所がある、全体的にも大きな通りもないし街もない農村風景だからそこに桜が咲き映えている
でも何か原町とか相馬市では桜がそれほど映える場がない、確かに相馬市だと城跡に桜並木があり桜が咲いている、ても市全体となると何か桜が映えるとも見えないのである
ただそれぞれの場所に桜は咲いているからそうして近くでも発見されていないのである
あまりにも日々見慣れた景色は感動しないのである
だから人は旅にでるのである、遠くに向かうのである

ひごろ憎き烏も雪の朝哉 (松尾芭蕉)

何かこれがわかる、田舎だと醜いものが目立つのである、でも朝が明けたら一面に雪におおわれていたとなる、それが桜にも言える、一面が桜におおわれ花の雲となっている
それは日本だったらどこでも見られる景色なのである
それが日本がの良さだとなる、だから桜の名所は無数にあるとなる
名所と言われるところだけが名所とはならないのである
鹿島区だと万葉ふれあいセンターも桜の名所となっている
ただ桜田山の方は桜が枯れてしまっているの名所が変わったともなる

それから自分の家から真野の中館の桜が見える、ここは南朝の武士が霊山から落ち延びた一族が住んだ只野氏はその時落ち延びた侍だったのである
それがこの土地の先祖ともなった、なぜなら只野という姓が50人とか南相馬市に多いからである

桜で圧巻だったのは残雪の吾妻嶺が見えて梁川から阿武隈川を下った時である
桜と桃の花が一緒に咲いて美しい光景になる、阿武隈川が蛇行してたぎつ流れる
それが雄大な景色となっていた
そして丸森を去るときに峠を越える

峠越え丸森去るや夕桜

こんなふうにして自転車で回っていたのが自分だったのである
何か丸森は夕桜として印象に残る場所だったのである
こういうことはまず車だと印象に残らないのである、過ぎるのが早いからである
峠を上ったな越えたなとかの感覚がもてないのである

峠越ゆ人の姿や春の暮

何かそこに人の姿が見える、でも今は車しか見えないのである
それで広重のような絵にならないのである
車が峠を越えて行くとかそれが絵にも詩にもならないのである
私はそうして自転車で坂をあるときは歩いて上っていたからそれが体に残る
車ではそうして記憶に残らない、ある地点から次の地点まで早く到達するかだけになってしまうのである
つまりどこでも今や人の姿がないのである

今日は花曇りになった、桜の時期でも天候は変化する、明日は雨となりもう桜は散るという、花の時期はそれだけ短いのである
この辺の問題はやはり小高とか浪江とか双葉でも人が流出したことである
家はあるのだが人は住んでいないのである
そういう町とか村でも桜は咲いても映えないとなる

さまざまのこと思ひ出す桜かな

命二つの中にいきたる桜かな 芭蕉

奇妙なのは小高でも浪江でも双葉でも桜並木がある、そこを去った人が多い
でも帰ってその桜を見る人がいる、浪江の桜は手入れしていた、でも帰る人は一割もないのである
だから人が住まないと桜も活きてこないのである
命二つとはまさにそこに住んでいた人たちのことである、一つの命ではない、みんなの命がそこの市町村で生きていたからである
そしてその故郷の桜をみると様々なことを思い出すともなる

何かこの辺は本当に不思議である、浪江の復興住宅に住んでいる人と話をする
その人も一か所ではない転々として住んだ、そして今ここに住んで自分と話ししていることも不思議だとなる、そんな運命がありうるのかとなる
第一故郷に住めなくなるとはいうことなど予想もしなかったことである

我が町の浪江の人や帰らざる故郷思ふ桜咲けども

何か流転の人生ともなった、普通はこんなことはありえないことだったのである













2021年04月01日

桜満開ー相馬市へ行く(八幡神社ー相馬の城跡ー松川浦−写真で見る)


桜満開ー相馬市へ行く(八幡神社ー相馬の城跡ー松川浦−写真で見る)


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熊野神社


相馬の城跡

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田町通り

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相馬の街道


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パノラマ写真

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宮の池桜満開金の鯉

着物来て桜に映える少女かな

三々五々は花見の人や城の跡

初燕相馬の城下にぎわいぬ

新しき田町通りの柳かな

紫木蓮相馬へ行くや夕べかな

街道に残れる松に夕桜

走りつつ星の光るや桜かな


いづこへと我は行きなむ分れ道心気ままに春の浮雲

(八幡神社)

朝日さし桜は池に映り映え三匹ほどの錦鯉見ゆ

(熊野神社)

杉高くここに根付きて残りしも社はすたる春になれども

(相馬の城跡の桜)

城跡に咲きし桜や重なりて相馬の栄ここに築かる

城跡に花盛りかな相馬藩新たな栄ともに築かむ

相馬藩いたく傷つくさにあれど春はめぐりて新たな息吹

木蓮の真白く映えて桜咲き連なる山や陽は昇りけり

(松川浦)

松川浦春の光の水面にそはねてまぶしも霞む山かな

天地に海の展けて春日照り日本の国土うるわしきかな

大いなる旅路にあれや我が国土四海に臨み春の陽没りぬ

海広く視界開けて沖に船春日かがよひ海に没るかな

広々と暮れゆく海や春の陽の燃えつつかがよひゆらめき没りぬ

海鳴りの四方にひびきつ春の陽の山にかがよひ没りにけるかも

日本列島四海に望み輝かむ生きてこそあれ天地とともに

山に月没りけあかつき海明けて春陽かがよひ鴎飛びゆく

一二羽の鴎飛び来ぬ松川浦ここに休まむ春の夕ぐれ




相馬市へ桜を見に行った、風は吹いていたが快晴で気持ちよかった
何か今年はすでに木蓮も盛りとなり咲いている、梅が散って匂いが濃く充満していて
桜が満開となった、つまり一時に春の錦となったのである
木蓮は遅く咲いているからである
春が早めに来てすでに春爛漫になったのである

相馬市の入り口辺りで熊野神社があったがすたれていた、参る人もいないようだ
そういう神社も増えてくる、なぜなら農村の共同体の中心として神社があったからだ
それがなくなると神社もすたれる、共同体が喪失してゆくからである
あの熊野神社は杉が高いし相当古いともみる、その杉が古さを語っている

松川浦は見晴しが良くなった、前は松原があってこんなふうに見えなかった
ただ松原があったときはそれが景観を作っていた
松川浦は景観としては津波で消えてはいない、海辺の磯部村は消失した

ともかく春の松川浦は絵になり写真になる、この辺では浦とか入江がないからだ
それで八沢浦が本当に津波で入江になったときは驚嘆した
その入江に波がよせてきらきらと光っていたのである
松川浦ではあのように波はよせない、穏やかでありあのような波は寄せない
浅いこともある、あの時相当に海が入り深くなっていたから波が寄せたのかもしれない
もしあのような風景がもどっていたらここは名勝の地になっていた
今はそうした景観は変わり殺風景にもはなった

松川浦に夕日が没り一二羽鴎が海から飛んできた、松川浦に休むのだろう
休むにはいい場所だと見た
ともかく今は写真をとるにはいい季節である、絵になる風景が多いからである
桜の問題はすぐ散ることである、だから桜の名所が日本だといくらでもあるが実際は見るのは限られているのである
二週間くらいで散ってしまうからである、それで私は日本全国をこれだけ旅してもやはり桜を見たのは限られているのである

相馬市では初燕を見た、この初燕はどこで見るか年によって違っている
今回は相馬市で城下で見た




2021年03月31日

霞と海と桜花 (世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


霞と海と桜花

(世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶)


亡き女(ひと)の霞の中に面影やなお消えずして愛は通いぬ

愛らしくむつむ山鳩や里は霞みぬなごみけるかな

梅散りてなおにおいこく桜咲き装いあらた錦なす里

苦しみを耐えてこそあれ春は来ぬ霞に映える桜花かな

苦しくも生きてあれこそ春めぐるその喜びに神の国見ゆ

日本にそ生きてあれこそいづこにも桜の咲きて装いにけり

船通ふ海の展けて桜咲く朝の光りに山より望む
                                               
敷島の大和に生きて海開け朝の光に桜咲き満つ

川の面の朝日に光り鶯の鳴きて桜咲き山は霞みぬ

ふるさとも春の錦やよみがえる悲しみこえてここに生きなむ


今年の春のテーマは霞である、その年により感じるものが違うのである
日本の詩歌とかみるともう俳句で表現するのは無理に思える、短かすぎるからである
ただ不思議なのは短歌はまだ活きる、それは長いから表現できるとなる
俳句だともう感情的なことは表現できない、だから写生になる
短歌も実は私はアララギ派であり写生を基本にしている
でもどうしても短歌は感情的なものが入ってくるし表現できるのである

春の霞のなかに何かほのぼのとして亡き女が浮かんでくるともなる
というのは自分はなにか特別家族に恵まれたからである
複雑でも二人の母親がいたともなるからだ
何か争っていても自分にとっては二人の母親に恵まれたともなる
それもなかなか他者には理解できないがそのことで私は特別な想いを親にもつようになった

ただそれが介護になり死んで地獄と化したのである
この世の非情と冷酷さを一身に浴びることになった
来たのは地獄人間だったのである、悪鬼のごとき人間だった、だから人間はつくづく恐ろしいと思った、人間は弱者化するとそれをいいことに責めてくる
そして他者の苦しみは蜜の味となる、田舎だと特にそうなるのである
ただ現代は金だけの世界となり全般的にそうである

地獄という時、それが人間が地獄を作りだしているのである
自然は地獄を作りだすというわではない、確かに自然災害があり津浪でも空恐ろしい地獄が現出した、だから自然も地獄を作りだすとなる
でも何か自然には悪意があってそうしているのではない
つまり科学的に見れば別に自然に悪意はない、自然の法則がありそうしているだけだとなる、人間を苦しめてやろうとなどしていないのである

でも人間は悪意があり欲があり人を苦しめる、地獄人間となる
そして人間の作りだした地獄の方が自然災害より怖い、戦争で三百万人死んだとか原爆だとか原発事故でもそうである
ただ自然災害でもウィルスとかなるペストがあり病気があり最悪になった
人間の地獄はまた病気にもあったのだ、どれだけ病気に苦しめられてきたかそれは今も継続している、老後はいくら金をもっていても病気になって寝たきりになったら何にもならないとなるからだ

いづれにしろ人間が地獄を作り出す、借金している人は地獄人間と化す、もう相手のことを人間とも見ない、借金が理由で犯罪者になるのは普通だからである
そんな人が来たのも最悪だった、こうして自分は最悪の苦しみを受けたのである
人間の欲とは本当は実に恐ろしいものなのである
人間は金によって欲によって変質するからである
そして平気で人を殺すともなるからだ

人間の恐ろしさはエゴにある、他人はもう人間でもない、ただ利用するだけのものにもなる、今なら金のために人間があるのであり金にならないならもう人として扱えないとなる非情の世の中である、そういう地獄がこの世の現実だとなる
人間は非情化して外道化して獣化している
それこそ地獄化している、そういう人の中に生きているこそ地獄なのである

ただ救われているのはそういう世界でも春が来れば自然が装い美がありそこが今度は逆に神の国を想わるのである
そういう美がなかったらただ獣が徘徊する地獄に住むことになる
そんな世界に耐えられなくなる

ともかく本当にここ十年くらいは地獄を見た、その前にも見たが人間の恐ろしさは人の皮をかぶった獣だということである
その中身はただ欲でありエゴなのである、だからこの世が滅ぼされても不思議ではない
それで霞の中に隠された村があるということが平和なのである
人間の暮らしは隠されるべきだったということである
それは人間自体が醜いし人間が作るものも醜いからである、それは大都会とか東京を見ればわかる、そこに自然がないから美がないのである 

世の中は 地獄の上の 花見かな. 小林一茶 

この世はまさにこうである、地獄の中にも桜が咲いているということである
地獄に美があるから救われているのだ、だから生きることもてきるのである
その美があふれているのが春だとなる
日本は今桜によそわれてどこも美しいのである、それを見れば日本に生れて良かったなとなる


2021年03月30日

霞む山に桜は満開 (今年の桜は早く咲き散るー真野川の岸の桜)


霞む山に桜は満開

(今年の桜は早く咲き散る―真野川の岸の桜)

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万葉ふれあいセンター

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みちのくや桜満開霞むかな

みちのくの山の霞みて籠もるかな

春霞山のかなたに隠さる村

我が町やたずぬ人あれ霞むかな

我が町のなべかんむり山霞むかな

東風吹いて山は霞みぬ浜通り

蕗の薹あまたや街見ゆ丘の上

タンポポの隙間いで咲く力かな

家の主春ゆうたりと一人かな

人は逢い人は別れぬ霞かな


我が町の丘を染めにし桜かな山の霞て遠く連なる

今年はや満開の桜映えにしも散るも早しも霞けるかな

月満ちて桜満開早きかな散れる花びらここに見ゆかな

人の世の時の過ぎゆく早しかな花の咲きしも霞てはや散る

面影の霞て消ゆや時すぎぬ人ははかなく逝きて帰らじ


今年は桜が咲くのが早かった、すでに満開であり夜見たら花びらが散っていた
桜が満開になったらもう散るを予感する
それが桜なのである、だから今年は桜が散るのが早い、だいたい普通はみちのくだと10日頃に咲いていた、10日も早いと相当早く感じる
その速さがまた時間が早くすぎて老人だと何かさらに時間が過ぎてゆくのが早いと感じてしまうのである

桜の咲く季節でも毎年違った天候になる、今年は霞む、まさに春の季節で水蒸気が多くなり霞む、桜の時期はこれまで私はほとんど旅していたのである
だから桜前線を稚内まで旅していた、そこでは6月でも桜が咲いていたのである
それは北限の地だった、また桜の季節は青春18切符で瀬戸内海まで行き韓国の慶州にも渡って桜を見たのである、韓国の古都の慶州には桜が咲いていたのである
そういう旅をしてきたのが自分だった、でも遂に介護になり十年間は旅していない
旅ができなくなった、今でもしていない、旅もいつか終わるということである

でもこれだけ旅したら満足だとなる、それでもヒマラヤとかをもっと見たいと思ったができなくなった、だから見るべきものを見てないなと損である
ヒマラヤに十回も昇った人を知っているからだ、それだけ魅力がある場所だったのである
今年の桜は霞のなかでみる桜である、家族もみんな死んで何か家族すら遠い存在となってゆく、霞んでゆくとなる、それだけ人が逢うとか一緒に60年暮らしても死んでしまえばその面影も思い出も定かでなくなる
つまり霞んでゆくのである、それだけ人間も年以上一緒にいても忘れやすいとうことである、人間ほど忘れやすいものはいない、時間が忘れるためにあるとも思う
津波の被害が生々しくてもそれすら時間の経過の中で夢の様な出来事として忘れられてゆくのである、ただ原発事故だと放射線の被害がありそれが残っているから忘れられないとなる

ただ人間は霞むとき何か醜いものが隠される、飯館村などは山脈のかなたにあるとか隠されていたとき美しい村だったとなる
何か人間は必ず醜いものがある、でも霞の中に隠されるとそれが見えないからいいのである、要するに人間は醜いから隠されるべきだとなる
第一大都会など東京など見るのも嫌だとなる、隠されて見えない方がいいとなる

浜通りは海から春になると東風(こち)が吹く、そして阿武隈山脈は霞んでいる
この東風が飯館村から福島市に吹いて放射線の被害を大きくしたのである
もし時期がはせずれていたら北風が吹いて海に放射性物質は流れてそれほどの被害にならなかったかもしれない、これも不運だったのである

この町のなべかんむりやまは本当に鍋の形をしている
この名前にしても不思議なのである、これは古代からつけられた名前なのか?
なぜなら近江の方になべかんむり祭りとかあるからだ、これも不思議なのである
鉄生産とかかわって近江から実際に工人がきて往き来していたことがあるからそこから名付けられたのとなる、そんな古い由来があるのかというもの謎である
あの山はこの辺を象徴する山である
ただ山としてはこの辺は高い山がないのでものたりないのである

いづれにしろ今年の桜は早い、そして早く散る、たちまち桜の時期は終わることになる

若菜つむ 野邊の霞ぞ あはれなる 昔を遠く 隔つと思へば 西行

若菜つむとは春が来て新しく出てきた若菜をつむ、しかし野辺は霞んでいる
それは時が移り若菜とは何かすでに新しい生活が始まっている
死んだ人も遠くなり新しい人との生活が始まっている
すると死んだ人は遠くなり忘れられてゆく、それが人生である、人の世である

これに通じているのが

草の戸も住みかはる代ぞ雛 (ひな) の家 芭蕉

となる、何か老人になると若い人とか少年とかみると不思議になる
そんな若い人がいるのかとなる、孫でもそうなる、人の世とは常にこうして変転してゆく常なきものなのである、無常の世なのである
変わらないものはないのだ、日々変わっているし年々変わっている
それが世の中である、とにかくこの辺は津波と原発事故で本当にがらりと変わってしまった、風景まで喪失して変わってしまったのである
だから逆に石とか木とか山とか変わらないものを求めるということがある
変わらないことで心の安定を得るのである
桜もまたすぐに散るから不安定だからである、静心なく花の散るらむ・・となるからだ

桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)


桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)

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朝桜六号線を走り来ぬ

次々に芽吹く樹々かな六号線

走り来る蕗の薹あまた六号線

公園に婦人と話す花の影

窓によりそ朧月見ゆ思案かな

雲いでて満月光る桜かな

原町に昔をかたる花の影樹々も古りにし公園なるかな

昨日は原町に行った、そこで原町の道の駅の公園で休んだ
あそこは道の駅があり人も来るから休む場所としていい
婦人がいて昔を語った、無線塔があるところが花時計になっている
でもあそこにあったというのがもうイメージできない
それほど変わってしまったのである
ただその女性はここで子供の頃遠足に来たとか無線塔があったことを知っている
そもそも無線塔自体知っている人は相当な年になっているのだ
航行に通っていたとき確かにあった、でも40年以上前に壊された
何かあの無線塔はその時大正時代に最新式の技術で建てられたものである
それは関東大震災をアメリカに伝えたとういことで有名になった
私の母は関東大震災を揺れを感じて知っていた

信じられないのは高校に通った時、原町だったがまだ蒸気機関車だった
それが信じられないのである、そんなものが走っていて乗っていたということが信じられないのである、私は学校が苦手であり思い出したくない、今は自由に電車に乗って楽しみだからいいが学校に通うのが嫌だったのである
とにかく何かこうしてもう遠い昔になることが不思議なのである
本当にそんなことがあったのかということになる
そうして世の中はあまりにも変わってしまうことである

最初は原町は旧街道の宿場町だった、そこで原町村があった、でも今の様な街はなく
雲雀が原があり原っぱであり原町になった
それで一騎だけ野馬追に出ていたのである、宿場町がありあとは田畑だったとなる
それから原ノ町駅ができて駅前通りになり今の街ができた
駅前通りは街になった、でも今度は車社会になると道の駅が中心になり駅前通りから六号線の方が新しい街になった
こうして常に町の新旧が生まれる、だから狭い地域でも常に古町と新町が生まれる
今は道の駅から新しい街が生まれる、それで復興でも飯館村だと道の駅から復興した
浪江町だと新しく先日できた道の駅から復興してゆく
鉄道の駅ではないのである、鉄道は今や交通の要ではないからである

昨日は窓を見たら朧月であり満月だった、何かこの時期雲がでて霞みやすいから朧月になる、今日も本当に春霞だった

ともかく六号線が主要な交通になるとき道の駅が中心に新しい街が形成される
私は一週間に一回は原町に必ず買い物とかで行っている
原町は8キロくらいだかさら近いから行きやすい、相馬市はその倍あるのでなかなか行けない、そしてあそこの公園がいいのである
つまり公園でも街なかにある公園は行きやすいから活きているとなる
夜の森公園になると場所がいいにしても離れていて孤立している感じになる
だから人の往来がないと公園でも利用しないとなるのだ

今日は真野川沿いを桜の写真をとった、何か早い桜の開花だった、すでに満開であり花もわずかだが散ったから今年の桜は早く咲き散る
次はその写真と俳句短歌を出すことになる

2021年03月24日

沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径)


沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径

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姉と母の真ん中に自分がいる、その真ん中の花が自分なのである

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八沢浦の耕作放棄地ー屋形の裏





初蝶や沈丁花匂う庭に来る


春なれや一輪大なりガーベラを真中にさして他も映えにき

我が庭にスノーフレークかそか咲く誰が目にとむ我の眼にとむ

我が庭にエゾムラサキの今年また咲きにけるかな虫の飛び来る

裏山の森にさえづる春の鳥一羽ひびきてしずまりけるかな

ふるさとの隠されし道や我が来れば梅のにおうや生業の跡

白椿庭の裏にそ隠されて人に知られず咲き増えしかな


今日庭に初蝶を見た、この蝶の紋様がいい、これを庭で見るのはめずらしい
沈丁花が匂いそこにとまっていた、それでうまく写真がとれた
蝶とか鳥は写真にとりにくいすぐ飛んで消えるからである
鳥は一番写真をとるのがむずかしい
だから庭でこの写真をとれたのは貴重だとなる

それからエゾムラサキも咲いた、この花は毎年咲く、花は肥料でもやらないと咲かなくなるのがこの花が毎年咲いている,エゾとつくように北海道の花である

八沢浦の高台の山を歩いた、そしたらそこにも田んぼがあった、でも耕作されない田んぼとなっている、何か震災以後はこうして不便な場所にある田んぼとか畑とかは放置されるようになった、小さな田んぼでもそうである
もともとたいした収入にもならないからやめる人が多かった
特に高齢化で田畑を続けることだ出来なくなっている、それで全国的に耕作放棄地が増えたのである、日本の不思議は本当に田んぼが高台でも狭い土地でも田んぼにしていた
それだけ食料として欠かせないからそうなった

八沢浦となれば干拓して広い土地が田圃になったのだがもともとこうした狭い高台などでも田んぼにしていたのである
八沢浦とは八つの沢の浦であり今広く田んぼになっている所は海だったのである
入江となっていた、それが津波で入江になったときほど驚いことはなかった

ともかくふるさとでもまだ通らない道がある、これだけ隈なく行っていてもそうである
そこははじめて行った場所だったからである、細い道がいくらでもありそれがわからないからそうなる
やはり春になるとこうして自転車で回るのがいい、その自転車でもヤマハのYPJ=XCはタイヤも太いして悪路でも行けるマウンテンバイクだからいいのである
これだけは本当に役立っている

今日は飯館村の方に塩の道を通って行った、次は飯館村の春である


2021年03月20日

春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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ここで充電できるのは便利


真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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葵の紋の蔵―立派な蔵である

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな    

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹  

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ
  

      

昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ




昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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2021年03月18日

梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅香る(梅の漢詩と田舎のことなど)


梅の香の広間に満ちて遺影あり

梅林に入りて匂うや一人かな

里めぐり梅のあまたや匂い充つ

虚しくも梅の匂うも空家かな

春日さし我が家に居つく猫一匹 


田舎というのは悪い面も相当にある、今はどこでも人間が素朴などとないのである
それは社会が金中心になったためである
何か共同性とかもない、津波とか原発事故で絆を盛んに言われたがそれもなくなっていた絆がかえって外部とあった、内部にはなかった 

ただこうしてマイナスの面も大きいのだけど梅の季節になると何とも梅の香りがそちこち流れて来る、すぐ近くに梅林もある、だから梅の季節は気持ちいいとなる
こういうことは都会にはないからだ
こういうのが田舎のいい点だとはなる


梅林鶯聲を聽く<宮崎東明> 

春天風暖かにして 塵寰を出ず
最も喜ぶ吟行 一日の閑
歩歩蜿蜿 平野の路
登登曲曲 鬱林の間
忽ち梅樹を看る 東西の谷
時に鶯聲を聽く 前後の山
杖を松根に停めて 酒を斟む處
詩篇未だ作らず 已に酔う顔

ばいりんおうせいをきく<みやざきとうめい>

しゅんてんかぜあたたかにして じんかんをいず
もっともよろこぶぎんこう いちじつのかん
ほほえんえん へいやのみち
とうとうきょくきょく うつりんのあいだ
たちまちばいじゅをみる とうざいのたに
ときにおうせいをきく ぜんごのやま
つえをしょうこんにとどめて さけをくむところ

塵 寰塵の世 俗世間
蜿 蜿うねりくねるさま
鬱 林こんもり茂る林
忽ふと
聽聞こうとして聞く
早顔酒に酔った顔

意解
 春日和で風も暖かくなって俗世間から出ることにした。詩を作りながら一日のどかに出歩くのはこの上もない喜びである。
 平野の道を一歩一歩うねりくねりしながら進み、こんもり茂った林の中を折れ曲がりながらぼつぼつ登りつづけていった。
 ふと、東西の谷間に梅林が目に入り、折しも前後の山々から鶯の声がして耳を傾けた。
 私は杖を松の根もとに置いて休み、酒を酌んでいると、思う詩がまだできていないうちにもう酔ってしまった。


この漢詩は日本人のものだった、でも何か自分が感じたものと一致していた
梅の香りに酔うということで一致していた

梅堯臣(1002-1060)

適興野情

千山高復低
好峰随處改
幽経独行迷
霜落熊升樹
林空鹿飲渓
人家在何許
雲外一声鶏 

適(まさ)しく 野情にかない
千山高く また低し
好峰 随處に改たまり
幽経 独り行きて迷う
霜落ちて熊は樹に升(のぼ)り
林空しく鹿は渓(たに)に飲む
人家 何許(いずこ)にか在る
雲外 一声の鶏

これもまさに常に自分が田舎を自転車でめぐっている状態と同じである
ただここに熊がでてきて鹿が水を飲むというのは違っている
1000年前の人だから当然そういう場所が中国でも多い
中国に三回行っても結局深い所がわからなかった、まず中国を知ることは不可能である
広すぎるからである

田舎だと細い道がありそこが幽経なのである、そういう道は一日でも一人くらいしか通らない、一人も通らない時もある、ただ田舎でもそういう道はまれになる
たいがい舗装されたりしていて車が通るからだ、そこは確かに車が通っても乗用車は通らない、だからそこは隠された道なのである

ともかく梅の季節であり梅の香りは野に流れて香りが満ちている、その時確かに平和である、つまり田舎でも人と必ずしも接しないでその香りに接していればいいとなる
その時田園に暮らす喜びが自ずと充たされるのである

雲外一声鶏

今はこれが感じない、鶏は卵を産む機械として機械のようにされている
それが不自然なのである、でも田舎では今でも話し飼いの鶏がいてそれを見た時ほっとしたのである、田舎でも機械化人工化しているから何か殺伐としてくるのである
本来の田舎はなくなっている、そしてこの辺はその工業文明により原発事故で荒廃してしまったのである
ただ別に避難区域にならなかったところは変わりなくなったのである
飯館村とか小高区とか浪江とか双葉とか大熊が元の状態にもどらない
だから梅が咲いてその匂いも流れても何か空家の梅のように虚しいとなる

人間はやはり自然に平和を見出すべきなのである、自分はその平和を樹と石とか山に見出してきた、それを詩にしてきた
平和とは平和と叫ぶことではない、平和運動ではない、平和な状態なのである
そういうとき東京という場所にはそもそも平和はないのである
あれだけ建物と人が密集して自然がなければ平和はない、平和を感じることは不可能である
平和とは戦争のないこととかでもあっても実際は日々の日常に平和を感じる場所なのである、それが都会にはないのである
ただ正直田舎は理想的な場所ではない、それを原発事故のことでもずっと指摘してきた
田舎の人間も醜いのである、ただその暮らしが隠されていたとき飯館村のような平和があったとなる、それが原発事故でずたずたに破壊されてしまったのである
それが最大の原発事故の罪深さだったのである
ただ東京の人はそういうことに痛みを感じない、そういう場所に住んでいないし遠い場所で関係ないとなっていたからである

野の梅を手折り遺影の飾る広間にさす、すると香りが部屋一杯に満ちる
家はやはり広い方がいいのである、日本は狭すぎるのである
テレワークになったとき狭いアパートとかで誰ともしゃべらずパソコンに向かって仕事しているのも確かに味気ないとなる
でも広い家で庭があり田舎だったら散歩しりして英気を養うことができる
都会で一日狭い部屋にいたらうつ病になる

この家は親が建てたものである、ただ一人では広すぎるとなる
でも近くでも本当に広い家に一人で住んでいる女性でも多い、子供は別になっていないのである、だから家に関しては田舎は贅沢である
それで住宅に住む人は見劣りすることになる、そこに格差が現れる
でもその人でも二階もあり三部屋とかあり一人で住んでいるのである
これからは空家がますます増えてただ提供される時代が来るとなる
家にあまり金をかけない時代が来る、そこで悠々と暮らすのが本当の豊かさだとはなる
茶室があるとしてもそれは広い家があり部屋があって利用する特別の間である
普通に暮らすには広い家の方がいいのである
とにかくこの広間に梅の香りに充たされる、それは親が残したものであり私は恩恵を受けているだけなのである、だから人間は親に恵まれないと損だということは確かである





2021年03月17日

梅の香りの季節

梅の香る季節                                   


紅梅に白梅香る朝の道

前畑に梅と菜の花仕事あれ

東風(こち)吹きて海の望むや椿咲く


春風の吹きてしなれる細し木や家を支えし手弱女(たおやめ)の母

春日さし旧街道に松一本ここに変わらず頼もしきかな   

芬々と梅の香れる夕べかなゆくりなく過ぎ我が身にしみぬ  

梅の香のそちこち満ちて回りける夕べになおも香りのこしも

梅の香に充たして帰る我が庭に沈丁花の香りも充ちぬ

隠されて我のみ見てや白椿庭の奥にそ咲きて静まる


家の前に畑があることは仕事と直結している、畑の手入れは結構大変だからである
それをいつも目の前で見ているから畑と家と人間が一体化する
だから前畑という姓があり後畑(うしろはた)とかの姓もある
前田は家の前にある田であり特別な意味があった、そこは前田があり草分けの農家だった前田はその村の中心となった所であり重要だとなる

植松にある松は太い、それで頼もしいとなる、あそこは旧街道であり街道には松がふさわしいのである、松は何か人間に見えるのである
ただ陸前浜街道はまだ双葉とか原発のある地域は通行できない、車だと行けるが自転車だと行けないのである、途中が途切れてしまったから街道も活きていないとなる

今回は写真を出していない、次に写真を出してみよう
とにかく今は梅の季節である、田舎だとどこでも梅があり匂うとなる

2021年03月09日

いぬふぐり、梅、椿 (原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)


いぬふぐり、梅、椿

(原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)

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(原町の道の駅の公園)


春日さすベンチあたたかいぬふぐり

公園に雀群れ来ていぬふぐり

春の日や母と子遊び木の根あり

(上高平)

山鳩の来たりてにおう庭の梅

また一つ綿津見神社や椿咲く

古碑並び大木の下に落椿

元文の碑我が目にとめて落椿


原町の道の駅の公園に休み上高平の方を回った
道の駅には良く行く、あそこで買い物したり食事したりする、また高見ホテルの食堂にも行く、原町というとき駅前通りとかには行かない、道の駅周辺で買い物をして駅前の方には行かない、イオンには時々行くけど遠い、イオンは離れすぎている
今の時代でわかることは街中には行かない、そこか古町のようになっている
原町だと街道があった所が最初に栄えて次に駅前通りが栄えて次に六号線の道の駅周辺が栄える、このように常に街は変わる、それは昔からそうだった
つまりこれは浜街道があり次に駅前通りがあり次に車社会になったとき六号線の道の駅周辺が新しい街になったのである
交通によって街が変化したのである、だから交通の影響が本当に大きいのが人間社会なのである

あそこの公園には良く行く、それも地の利があり便利だからである
あの辺で買い物して道の駅で食事して休むのに便利になっているからである
街というときいろいろなものが一か所に集まると人も集まり安いのである
そういう所に公園があると利用される、夜の森の公園となるとそういう場所ではない
公園として孤立しているのである

あの公園で目に留まるのが木の根っこなのである
それで木の根公園とかなる、公園にも特徴があるのかもしれない、何でも特徴はある
ベンチに座ると下に犬ふぐりが咲いていた
雀が群れてくる、母と子が遊び平和な光景である   

それから桜井古墳の方に行きそこは運動場であるが公園でもあり新田川沿いを必ず散歩している人がいる
そこで木の写真を撮った、あの木はなんでもない木のように見ていたが写真を撮ってみて一列に並んでいる、それが神殿の柱のように見えた、列柱のように見えた
何でもないものでも発見がある、それでカメラは欠かせないのである  


春の樹々

大地に根づきし樹々の
ここを離れずさらに
強く根を張り動かじ
春の光の柔らかくさし
樹々はここにあることの
冬を耐えて喜びに満ちる
十羽ほどの山鳩の群れ飛びきて
平和の日はもどりぬ
鳥は自由にそちこちの樹に
飛びて止まり飛びまわる
梅の香は馥郁と流れ
樹々はここに深き契りを交わす
その誠は変わらず
この地に根を降ろして動かじ
ここは安らぎの地なり
ここに人は離れず
ともにありしを喜ぶ

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それから上高平の方を回ると綿津見神社がある、相馬地域ではとにかく綿津見神社が多いのである、神社の半分くらいが綿津見神社に思える
後は八坂神社が多い、この綿津見神社は海人族の安曇氏などが移住してきたことに由来している、縄文時代があり弥生時代がありその弥生時代のものだと思う
だから相当に古いしここの先住民が残した神社ともなる
ただそのことについてまだ深く考察した人はないようである
ただ西殿とかは殿とあるごとく古い場所である、すぐ近くに南北朝時代の五輪塔があるからだ

そしてこの綿津見神社の古い碑があるが元文というのは相当に古い


元禄げんろく    1688.9.30    〜    1704.3.12     
宝永ほうえい    1704.3.13    〜    1711.4.24     
正徳しょうとく    1711.4.25    〜    1716.6.21     
享保きょうほう    1716.6.22    〜    1736.4.27     享保の改革
元文げんぶん    1736.4.28    〜    1741.2.26     
寛保かんぽう    1741.2.27    〜    1744.2.20     
延享えんきょう    1744.2.21    〜    1748.7.11     
寛延かんえん    1748.7.12    〜    1751.10.26     
宝暦ほうれき    1751.10.27    〜    1764.6.1     宝暦事件
明和めいわ    1764.6.2    〜    1772.11.15     
安永あんえい    1772.11.16    〜    1781.4.1     
天明てんめい    1781.4.2    〜    1789.1.24     天明の大飢饉


元禄まだはいかないにしても相当に古い、つまりこの神社は古い
ただ古い碑にしても江戸時代のものである、弥生時代とかではない
ただ神社自体は弥生時代にさかのぼる由来がある
とにかくこの辺は歴史が古く考察する必要がある






2021年03月07日

春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)


春の日、梅の香、紅梅、春の鴨(近くを回る)
                            
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金沢の一番星


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東風(こち)吹いて桜井古墳や海近し

春の雲ふらりとよりぬ喫茶店

蔵ありてここに休むや松と梅

春の空高速より見ゆ鹿狼山

平穏に日がな匂いぬ梅満開

紅梅や山鳩来たる庭広し

紅梅や牧に馬かな草もゆる

ふるさとの墓地に眠るや春の山

                        
春の日や若き女(ひと)あれ我老いて昔を語る人となるかな

隠されて溜池ありぬ春の鴨あまた群れいてここになごみぬ
      

先日は桜井古墳をまわり金沢の一番星の喫茶店に行った、あそこは松と蔵なのである
今回のその松の隣に梅が咲いていた
そこで火力発電所がある前に私は砂浜がつづいていて歩いていたとか話しした
でも右田の松原は流された、金沢にも松原がありそのマツは太かったのだ
それは津波でなくなったのではなく火力発電所ができたりしてずっと前になくなっていたのだ
あそたでキャンプする人もいたのである
松が太いということはそれだけ古いということである
金沢は元禄時代に開拓された場所だから実際に古いのである
松と蔵があるから松倉珈琲店なのである

今日は寒いけど晴れていたから鹿島の高速のSAに行く食事した
あそこは鹿島では一番にぎわう場所である、街中とか鉄道の駅は閑散としている
でも車時代だからあそこは一番にぎわっている
そこから鹿狼山が見える、あそこもすでに三年以上すぎるとなじんでくる

紅梅も咲いた、山鳩が飛んでくる、牧場に馬がいる、野馬追いに出すために飼っている
この辺の風景である

それから小池の奥の方に溜池があった、そこは行ったことがない
一回くらい行ったのか忘れていた
こんな所に溜池があったのかと新しく発見した感じだった
意外とこの溜池は多く知らないのがまだある、それだけ溜池が日本では多いのである

そこに鴨が群れていた、隠されて群れていた、鴨は秋の季語であり冬の鴨があり春の鴨がある、こんなところで鴨が群れていたというのは意外だった
何か隠されていることが神秘的だとなる
飯館村はそうした隠された村だった、それが原発事故以後は様々なことで醜い場所になったのである、これまでは問題があるにしろひっそりと隠されていたから良かったのであるそもそも人間は醜い、でも自然の中に隠されているとその醜さが現れないからいいのである

ただ今回は鴨がこんなにここに群れていたことは発見だった
ただ水が相当に少なくなっている、雨がふらないからだ
今日は春と言っても寒い、春寒しだとはなっていたが天気がいいから出かけたのである







2021年02月22日

の日に鹿島区の古墳、新田川ユッサから大原による


春の日に鹿島区の古墳、新田川ユッサから大原による

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ふるさとの古墳に根付く木冬深む

家の脇古墳いくつか春の山


春日さし石あたたかや五つほど

春日さし寄り合う人や石五つ

石五つ変わらずここに春の暮

春日さし老いゆくものや石五つ

春の雲ぽっかり浮きて昼の月

ふるさとの小径を行きて梅にほふ


広き庭いぬふぐり咲くも廃屋や遊ぶ子もなくさみしかりけり

大原に春田やあわれ知る人のここに眠るも残る廃屋

大原の暮らしを語る人のあれ廃屋淋し春の日暮れぬ


鹿島区は古墳の町とされる、古墳がやたらと多いのである
原町区は大きな桜井古墳だからそこがこの辺の中心だった
そこに二人が葬られた棺があるというときそれは同時代に葬られたのではない
二人の天皇が葬られた古墳があり時代的にずれている、時間差があって葬られたのである桜井古墳は大古墳だが鹿島区は小古墳がやたら多いから古墳の町とされる
その古墳に木がねづいているのも古墳の町らしいとはなる
歴史が継続しているという感覚になる、祖先がそこにいて継続しているという感覚にもなる
歴史は継続である、それが原発事故でふるさとの歴史は断たれる危機になった
他に移れば歴史の継続はなるなる、他ではまた一から歴史を作ることになるからだ
つまり移り住んだ人たちはこことは別な歴史を作ってゆくことになりここではその歴史の継続はなくなるのである、墓すらやがて子どもたちが移動した場所に移るからである

新田川ユッサによった、あそこの庭は貧弱でも一応庭である、庭に関心がある
石が好きであある、だから日本庭園のいいものを見たい感じたいとなるがこの辺にはない博物館でも庭がうまく作れていないのである
日本庭園がある旅館に泊まりたいともなるがそこは相当に高くなる
ただ泊まらないにしろいい庭を見たいとなるが見れないのである

ただあそこで風呂に入り休む場所としてはいい、石が五つというときそれは人間でもあるそしてそこに変わらず同じ場所にあるというとき落ち着くのである
というのは余りにもこの辺は変わりすぎたからである
それから年取ると変わることが苦手になる、変化に弱くなる
それで変わらない方がいいとなる、いつも親しい人が同じ人がいた方がいいともなる
それで心の安定がある、石五つつくらいありそれが仲間だともなる
ぽっかり春の雲が浮き昼の月もでていた

何か廃屋がある、その庭は広い、いぬふぐりも咲いたが人がいないので淋しい
そこで遊ぶ子でもいれば活きてくるがいないからそこが死んだ空間になる
何かそういう廃屋が増えてくる、日本で800万軒が廃屋化するというからそれは全国的なものである、第一原発避難区域になったところは廃屋だらけだからである
そこに残されたのは老人だけである、つまり極端な現象として限界集落になったのであるだからそういう老人を誰が世話するのだろうとなる、なぜなら子供の世代の人たちは補償金をもらって仙台市とか隣の市とかに移住して帰らないからである

大原の前田とうところに住んでいた人と南相馬市立病院に入院していてあった
その人は猫を飼っていてその猫を心配していたのである
子どもの世代は原町市街に移って住んでいて家だけがあった
そして死んで家は残ったが誰も住んでいないのである
墓も大原にありそこに眠っている、何か農村でも山村でも空洞化した
それは原発事故で余計にそうなったのである
春になれば春田になるのがでもそこで農業を受け継いで暮らす人は減った
だから子供は農業を受け継がないのである





2021年02月20日

春の風、春北風(はるきた)春の雲ー震災から十年過ぎる


春の風、春北風(はるきた)春の雲ー震災から十年過ぎる


冬芒根ずき離れず故郷に

寒もどるともに耐えなむふるさとに

春寒しなぐさめあわむ老二人

津波跡十年過ぎて春の雲

春北風(はるきた)に向かいて走る苦ならじも

春風に揺すらる樹々や走るかな


津波と原発から十年過ぎる、やはり十年一昔になる、それで感覚的に自然の見方も変わってくる、最近まででも津波の恐ろしさは消えなかった
海は本当に怖いものだった、それも想像を越えて怖いものとして印象付けられた
今でもそうである、でも十年すぎてやっと何か春の雲が浮かんで平和だとみる

それで十年ということでテレビでもいろいろ企画して被害を言うかそれに関心がもてなくなった、地元でもそうだとすると外部からでも余計にそうである
今やコロナウィルス一色になり津浪や原発の被害が忘れらさてゆく
私のプログのアクセスも半分くらい減った、そのアクセスは津波と原発関係だったことがわかった、つまり外部の関心も減ってしまったからである
ただ原発の被害は避難区域ではつづいている、人は帰らないし回りが草ぼうぼうだからである、それで復興したということはない、ただそれ以外は地元でも復興しているのである
今日は風がいているけどあたたく春になっている
それで原町とか回ってきた、ただ風が強いのですぐに帰ってきた
その風でも春北風(はるきた)であり北風とは違うから楽である
ようやく春になってきたと思う

寒戻るでありストーブから離れられなかった、男女一組でロードで走る人がいた
原町の人だった、原町ではロードに乗る人に良く出会う、原町はそういう仲間がいる
この前は70近くの人がロードに乗って飯館村まで行っていた
ロードとなると老人には向いていない、その人はずっと乗っていたからできるのである

ただ自転車は老人にも向いている、まず登山はきつい、途中て休むにしても自転車のようには休めない、自転車だと途中で休んで飲み食いもできる、店でできる
それで北海道に行った時は一日休んでは進んだ、時間をかければ老人でも行けるのであるだから趣味としてはいい、老人になってもできるからである  

天災は忘れた頃にやってくる、、、先日の地震が大地震を思い出させた
それも十年目だった、忘れつつあるとき思い出させたのである
だから怖かった、それだけまだ記憶から消えるとはなっていないからである

2021年02月14日

春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)


春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)

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遠くに霞む山と海が見える


曙に明星輝き目覚めかな

二階より春の曙我が家かな

広き廊春日のさすや家を継ぐ

春の山一村の墓地ともに眠る

船の行き遠山霞み波ひびく

春光や南へ向かうバイクかな

百輪の椿や往来六号線

城跡のお堀に写る春の雲

松川浦鴎飛びつつ船あまた

昔なれ百間橋や春日没る

急がじや春の夕暮れ我が帰る


春の鴨波紋広がる静けさや細き月しも池に映しぬ




家というのは人間に相当影響する、精神にも影響する、狭い家に住んでいると心まで狭くなる、そもそも日本人の家は狭すぎるからだ、それで茶室が文化になったのである
それは日本人の家がもともと狭いからそれを活かしたものとして文化となった
でも実際は広い家の方がいいのである
その家の広さが人間の精神まで影響するからそうなる
広い家でゆったりしていれば心にも余裕ができる
私の家は土地は最悪である、街で一番低い土地にあり水害にも二回あっているしこの前も水があふれて家に入ってきたからである
家自体は大きいのでゆったりする、二階には広い廊下がある
そこを歩むと気持ちがいいのである
そこから毎日春の曙を見ていると気持いいとなる
家というのは家そのものも価値もあるが景観がいい場所にあると価値が増す
私はそれで喫茶店とかでも景観のいい場所にあるといいとなる
外の景色を見てコーヒー飲むのは価値がある、せせこましいところだと嫌なのである

相馬市は地震で道の駅でも店も休んでいた、商品とか地震で落ちた、相馬市では数軒屋根の瓦に被害があった
どういうわけか南相馬市は震度6強にはなっていない、相馬市と新地はなっていた
それで相馬市に多少被害がでた
ただ今回の被害はわずかだった、死んだ人もいない、だからこうして俳句とか短歌も出せる、これが東日本大震災のようになったらそんなところではない
ただ八沢浦が美しい入江に戻ったというときはひんしゅくをかった
その時実際にそこで死んだ人が結構いたからである
ただ自分としては入江になったことが先になりその風景に驚嘆したのである
それはここが入江だったらなとイメージしていたからである
それが実際そうなったときほど驚いたことがない、奇跡だと見た

浜通りの風景は太平洋が見えて山が見えることである
春となり山が霞む、一方で大平洋が広がり船が見える
岡山から転勤してきた人が瀬戸内海は船が常に行き来しているからいいとか言ったら
こちらの海も広いからいいと言った
つまり瀬戸内海の海をいつも見ているとそうなる
こんなに広い海もいいなとなるのである
人間は同じ場所にいるとその景色にも飽きるのである
人間はその住んでいる場所から見える景色がある、それそれぞれ違った原風景となる

相馬市の城跡のお堀には春の雲が映っていた
それから松川浦に行き小泉川の百間橋を渡り帰ったきた、橋は新しい橋を作り工事中だった、百間橋とは当時は長い橋だったから名付けられた
それだけ長い橋を昔は作ることが難儀だったからである、それで百間橋と名付けられた

夕暮れに溜池に波紋が生じて春の鴨が池にいた
森には細い月が光っていた、自然はこうして調和する、乱れることはないし静けさのうちに暮れてゆく、
ただ地震も自然の作用だとなるがこれだけはあってほしくないものである
天国には海はないというとき海は何か怖いものであり落ち着かないものだからである
ただ浜通りは海が原風景になっている

とにかく今回の地震は怖かった、その余震も大きいのが来た、だからまだ大きなものが来るかもしれない、ただ被害は少なかったからやはり春を楽しむとなる
これが被害が大きかったら楽しむとはならない、それで短歌でも俳句でも出せるとなる

2021年02月10日

寒木、蝋梅ー写生俳句のこと(死んだ母を想う不思議―万葉集の歌)


寒木、蝋梅ー写生俳句のこと(死んだ母を想う不思議―万葉集の歌)

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ふるさとに根付きて老いぬ冬芒

我が母の百才生きし冬芒

風うなり墓地を囲みて寒椿

蝋梅や我が家に余生くつろぎぬ  

石垣を離れず松や冬の暮  

玄関に枯木の影や籠るかな

十本の樹に寒さのしみいりぬ
                                                

百才を生きにし母や蝋梅の咲きてその後我の住むかな
                                

母のことを語るのは不思議である、母は脇役であり目立たなかったからだ
私自身も母を注目していなかった、嫌いの所があり母を良く思っていなかった
ただ人間は何か死ぬと生きているときき別な見方をするようになる
それが不思議だとなる、死んでからその人を深く想うということがある
だから万葉集の歌が恋愛ばかりだと見るのは間違っている
そうしたら何か浅薄になるからだ
恋は乞うであり死者を想っているのだというときそうなるとその想いは深くなる
もはや肉体として存在しないからこそその想いは深くなるからだ
ただ自分の場合生きている時母を想うこともなかった、むしろ嫌なものにも思っていたのであく、それが不思議なのである


獻舎人皇子歌二首

たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼め過ぎむや

現(うつつ)には言は絶えたり夢にだに続(つ)ぎて見えこそ
直(ただ)に逢ふまで 二九五九


母に許されれば結婚できましょうという意味である、でもこれも別な解釈があるかもしれない
母が言い残した言葉なればその言葉は重要でありその言葉に頼む、年の緒長くその言葉を伝える重んじるという意味ともとれる
状況からは違うにしろそういう解釈もありうる
それで母が死ぬ間際に一か月前に認知症だったけど正気にもどり言った言葉が忘れられない、それは孫に言い残した言葉だけど孫にはその言葉は伝わらなかった
それも一緒に生活したこともないから疎遠になり伝わらなかった
ただ自分自身は正気になって大声で言い残したことに驚いたのである
最後の言葉はやはり人間にとって誰であれ重みがある
その母の言葉を年の緒長く頼む、守るということにもなる

次の歌も言は絶えたりというとき死んだともとれる、でも夢に見えるとなる
これも必ずしも恋愛の歌ではなく死んだ人を想っていることともとれる
そもそも万葉集の歌が何を意味しているのかわからないのがあり研究が続けられている
それは古代の人の心が今と違っていて理解できなくなったからである
つまり自然の中での原初的心性というべきものが近代人からは喪失したからである

芒というときこれは意外と深く根を張るものなのである、だから簡単に引きぬけないのである、一見芒は木と違うから根を深く張ると見えないのである
実際は深く根を張っている、そうみると違って見える
百才生きた母にはふさわしいものともなる、ただ百才も生きると幽霊のようにもなって生きるともなる、まず百才まで生きるとどんな感じになるかイメージできないのである

蝋梅も咲いたし、梅も咲きはじめた、実は今日はあたたかい、昨日は真冬だった
ようやく春になるらしい、このくらいだと楽である
俳句はやはり写生である、十本の樹に寒さのしみいりぬ・・・というときまさに写生である、十本というところに意味がある、「鶏頭の十四五本もありぬべし」子規・・・これに写生が集約して表現されている、つまらないとなればつまらないがそれが写生俳句の本質を表現したものだから論争にもなったのである
だから十本の樹というのがまさにこれと同じなのである
これは街中の公園にある、ちょうど十本くらいある、十本の樹があり寒さがしみいりここに耐えて建っているとかみる、その解釈はしないのが写生俳句である


寒木

風うなり木に寒さしみいる
椿の赤く真の心に安らぐ
人はめいめいの場に
分かち合いともに生きる
人と人は場に結ばれぬ
信頼で深く結ばれ一つになる
かくて離れざるかな
寒さしみいるともあたたかき
人の心のかくあれば・・・・

(十本の樹に寒さのしみいりぬ)


説明すればこうなる、説明をはぶけば写生俳句になる

とにかく蝋梅というとき母を想い出す、何か百才を生きた母にふさわしいとなるからだ
ともかく死んでから母を想っているというのは不思議である
死んでから存在感を示しているのが不思議なのである
どうしても依然として母が家にいるという感覚になるのだ
これはおそらく夫婦でもどちらかが死んでも依然とてしう家にいるという感覚になっている人がいる、それは家で暮らした歳月が長かったからそうなっているのだ
だからもし息子でも娘でも一緒に暮らさないとそういう想いが起きないかもしれない
70年も一緒に暮らしたことでそうなったからである
ただ正直母のことは私は嫌うところがあり死んでからこうして思うことが不思議なのである

2021年02月06日

チューリップのフラワーアレンジメント (クラウンオブダイナスティなど)


チューリップのフラワーアレンジメント

(クラウンオブダイナスティなど)

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仙台で買いしチューリップめずらしき王冠の名や我が家に飾る



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仙台の駅構内でクラウンオブダイナスティを買った、花は種類がないとあきる
この辺ではそもそも相馬市の花屋だと仙台の市場まで行って買っていた
でもそこは仙台まで行っていてもあとはここまで売りに来たのを買っているとかなる
だから種類が少ない、田舎では花屋で生計をたてるのはむずかしいだろう
簡単な仏壇の花などはスーパーとかでも売っているからだ

ではフラワーアレンジメントする人は限られている
そしたら売れないとなる
そしてこれも金がかかる、花は枯れやすいから買っていると金がかかるのである
また暇も必要になる、だから金銭的にも時間的に余裕がないとできない
そういう人は田舎には少ない仙台辺りだと都会だからいるとなり商売が成り立つ

とにかくフラワーアレンジメントでは写真をとり記念とする
それが2現代的な鑑賞の仕方だとなる
写真のとるこつは花だと接近してとると映える
今は写真がかかせいない、そうして花だけではない、いろいろなものと結びつける
花だと花瓶が必ず必要であったりどうしたしら見映え良くするかとなりその背景も考えるただそうなるとプロ的になり時間も手間もカメラもと金もかかる
正直金はかかったとしても人間やれる時間が限られている
とても何でもできないのである


2021年02月04日

仙台市に行ったら雪だった

仙台市に行ったら雪だった


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一時的に結構雪が降った、でもやんだ


立枯れの木なお残り冬の暮

寒雀二三人乗り無人駅

数人の乗り折あわれ冬芒

阿武隈川越えて岩沼残る雪

仙台や街灯に雪人急ぐ


原町に早梅さきてまた開く新しき店我がよりにけり

我が家に母と姉とのなきにしもなおもありなむ冬深むかな

長々と貨物列車のとまりけり残れる雪にまた雪のふるかな


仙台に行ってきたけど亘理辺りまで晴れていた、でも岩沼辺りから曇り仙台近くになると雪だった、それもかなり降ったがまたやんだ
そして夜になるとまたふりだしたのである、でも相馬の方に帰ると晴れて星が輝いていた仙台はやはり多少寒いから雪になる、この辺は雪になっていない
それで雪が残っていたのである
ただこの辺でも夜雪がふったので積もっていた
でも外には雪は残っていなかった、残る雪が亘理から向こう側で目立ったのである
昨日はすでに原町で梅が咲いていた、やはり気候の差が仙台市とではある
80キロ離れているから仙台市は寒く雪がふっていたとなる

パソコンとカメラのことがわからなくなってドスパラとヨドバシカメラで聞いた
実物を見て聞いたからわかりやすいとなる
どうしても大きさとか重さとかは触ってみないとわからない
それで通販は失敗することがある、今はみんなwin10を使っている
私は8.1なのである、だからもう一台必要なのである
ただ中古品でも今もっているパソコンよりずっといいものになっている
だから中古でも十分なのである,パソコンの種類が増えすぎた
だからわからなくなった、種類が多いと買うのに迷う
ただ最近は商品の説明をyoutubeでしてしいるからそれで助かるのである
でもやはり直接見て聞いて買うのも必要なのである

それでヨドバシカメラの隣のキタムラでしみのようなものが見えたのはレンズのせいではなかった、レンズをとりかえるときゴミが入ったのである
頻繁にレンズをとりかえたからである、それがあそこではわかり掃除もしてくれた
だからどうしても店が必要なのである
そういうわけでキタムラからレンズを買ったのである、中古で買った

仙台にはやはり時々行ってみる必要がある、ここではないものたりないものがあるからだでも食べ物にしてもいろいろあるから仙台市に住んだら便利だけど金がかかる
ぜいたくしたらきりがないからだ
そうはいってもみんな東北でも仙台に住みたいのである
相馬ではカメラの専門店もないしいろいろないものがある、それで困るのである
電器製品でも実物を見て買うことも必要だからである

なんか一人だと家を留守にすると心配になる
でも姉と母がやはり家に待っているような気がする、結局なぜいつまでもこうして思っているのかというと60年と長く一緒にいたためである
子供の時からそれだけ一緒にいるとやはり簡単には忘れないしいつまでも家にいるという感覚になる

2021年01月25日

母姉亡き後に家で偲ぶ短歌十首 (死者を愛することの意味ーキケルゴールから)


母姉亡き後に家で偲ぶ短歌十首

(死者を愛することの意味ーキケルゴールから)

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母座るところに我も座りつつしのびて冬の夜ふけにけるかも

我が家を姉の守りて鬼瓦強き女かな支えけるかも

玄関に写る枯木や母座るところに座りしのびけるかな

我が余生姉と母しもしのびつつこの家に暮らし生を終えなむ

もの言わぬ死者にありしも母いぬ目に見えぬも我に映りぬ

70年我が家にあり勤めけるその長さかな死してなおあれ

我が家にともにありにしその日々のかえらざるかな一人しありぬ

人は逢い人は別れぬさにあらず死ぬ人とも行きゆくものなれ

人は死に形は消えぬさにあれど死者を想いて愛は通いぬ

死者はなほ家にありたしそれ故に家を離れず目に見えぬとも

百才を生きて死ににし我が母の想いは家にそありにけるかな 



死者を愛することは可能なのか?

それはキケルゴールが死者を愛せというとき死者を愛することは全く無私が要求される
それで本当に愛することを知れと説いている
本当に死者を愛することはまず全く反応がないから意気消沈することである
なんの報いもないのである、本当に死者は反応ない
そして依然として生者は死者に親だったら何かしてくれることを望んでいるのである
死者にお願い事をしている、自分もしている
でもそんなことを死者は関係しない、死者は冷厳であり反応しない、そんな願いなど聞き入れない,聴きもしない、ただ沈黙しているだけである
それだけから死者を愛せといっても無力感を感じる
徒労のように思う、それで長続きせず親でも忘れてゆく、もはや何もしてくれない死者に疎遠になるのである

愛と言っても人間が必ず報いを期待している、全く無私で愛したりできないのである
ボランティアにしても全く無私ではできない、何か報いを期待しているのである
それで何か自分でも強制的に相手に対して報いを要求するのである
それが経験でわかったのである
だから無私の愛というのは現実社会ではありえないともなる
親の子供の愛でも将来的に報いを期待しているのである
子供が成長したら親のために役立つことをしてくれるということで全く無私ではない
それが成長して重荷になる、それは常に人間の愛は対価を要求しているからである
無私の愛などほとんどないのである、親子の間でもないとしたらありえないとなる
他人ならさらに報いを要求するからである

それより私でも苦しんでいる時、金をまずくれたら助けてやるとかなった
何かしてもらいたいなら金を出せとなる、相手が苦しいことをいいことに脅迫するようなことをする、それが人間の実体なのである
金をもらわないなら小さな荷物一つもたないともなる、それが現実社会である
そういう人が事業して社長になるというとき社長という地位を得たいためでありその本人は他人のために小さな荷物一つも無料では運んでもくれない人だった
そういう人が社長になれるのか、それが疑問だった

ともかく確実なことは無私の愛は人間はもてない、自分自身でももてなかった
何かを報いを期待する愛である、何かをくれないなら金をくれないなら何一つしないというのが現実社会である   
宗教だって賽銭を神様に与えてお願いする、常に人間は報いを期待している
百円賽銭を与えたら千円くれとかなっている
宗教団体でも対価があってしている、会員一人増えれば一票となり権力を得るとかなる
宗教自体が無私のものはないのである、絶えず宗教家自体でも報いを期待しているのである

ただ奇妙なのは障害者とかを世話している親は無私の愛なのかもしれない
なぜなら障害者は親に報いてくれないからである
でも50になっても世話しているのである、でも他の子どもは子供の時苦労して育てた
それでも医者になったとかなり報いちれているのである
障害者を世話する人は全く報いられていないのであ
またペットなどでもそうである、でも犬とかなれば飼い主に愛嬌をふりまくとか何か愛することで反応がある、ただ私の飼っている猫は反応がない
人に慣れない猫なのである、だからその猫を世話しても何か報いがないということで死者と似ている

私の家族が姉は死んで十年もすぎたし母も死んで四年とかすぎた、でもなぜ私は家族を思っているのか?それは生前特別良くしてもらったし60年とか70年とか一緒にいたことによっている、その長さが影響して思っている
それで私の母親が依然としてそこに座っている、それが本当にその存在を感じるのである嫁とは女に家なのである、嫁の座がありその座に依然としている
でも家のない人は何かそういう存在感を持てないのである
死者は長い間いた家に依然としている、墓にはいると思えないのである
墓は生前にいた場所ではないからである

ただ母のことは生前はほとんど思わなかった、姉の方を思っていたのである
だから死んでから母のことを想っていることが自分にとって意外であり不思議なのであるそれはやはり嫁としての座がありその影響が死後に現れたともなる
それは生前は意識されなかったのである、人間にとってやはり一つの座とか役割をもつことが大事だとなる、仕事でもそういう役割をもたされて存在感を持つのである
それでその座をもつことで死後もそこにありつづけたということがある
死んでから存在感を増すということもあるのだということに気づいたのである

わたしたちが愛において死者を想うことは最も無私な愛の行為である
もし人が愛が全く無私であるということを確信しようとするなら報いについてのあらゆる可能性を遠ざけなければならない、しかしこの可能性は死者とのかかわりにおいては完全に脱落する、にもかかわらず愛が持続するならば、その愛は真実に無私なのである
(わたしたちは愛においていかに死者を想うかーキケルゴール)

キケルゴールはむずかいけどここは理解する、ただ無私の愛は現実社会ではほとんどない何か報いを対価を要求する愛である、それは神にしかないともなる
そもそも人間の交わり自体がそういうものである、日々の経済活動でも何かを与えたから何かをしてやったらしてくれとかなって成り立っているのである
死者はもうそういうことが全く成り立たない存在なのである

ただ正直自分が死者を母をこんなに死後に想うことは意外だったのである
母のことは生前でも嫌に思うことがあった、生前には誰でも親だって嫌なことがあるからだ、だから死んでから母を想うことが自分にとって意外だったのである
それは死者を想うということもあるが70年も家にいたということが影響している
そこに母の座がありそれが死んでもそこの座にいるとなったのである

                                                                     
                                                                     




2021年01月21日

(寒烏、冬柳、冬の月)冬の相馬の城下町

(寒烏、冬柳、冬の月)冬の相馬の城下町

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五本松だったのが三本松になりその一本も枯れていた
松は枯れやすい、ここはもう二本松になる

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これは墨絵である

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居酒屋は常連が集う場所だろう
何か冬柳にあている

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道端に一羽死にけり寒烏 

寒烏看取られるずして一羽死ぬ


五本松三本松になり冬日没る

城跡の黒橋上り冬の月

堀凍り木の影写り月光る

居酒屋や田町通りの冬柳 

冬の暮相馬の城下墨絵かな 


寒烏というとき寒々としている、それが一羽道端に死んでいた
何か孤独死のような感じにもなる、それを何か自分を暗示しているようにも見えたからだただ俳句は写生である、烏が一羽死んでいる、それも寒烏である
それを説明すると長くなる、俳句は短いから説明できない、写生でありのままを示して
あとは想像させるのである

相馬市に午後から行った、寒いと自転車で行けなかった、だから久しぶりである
相馬市となると原町の倍の距離があるから風吹いたり寒いと行けない
最近特に寒かった、今日はあたたくなったので行った

相馬市内についたときは暗くなって月が出ていた
あの黒橋を上ると月が光っていた、氷は解けず木の影が黒々と映っていた
黒い橋と冬の月があっていた

そして田町通りの柳に月が光っていた、そこに居酒屋があった
東京の方で居酒屋がなくなるとか訴えていた、日本の文化がなくなると店の人が訴えていた、そして居酒屋は日本の文化だという、外人も観光で来て居酒屋に来ていたという
居酒屋は日本独特のものとなる

ただ日本の問題は狭いことなのである、どうしても狭いからデスタンスがとれないのである、日本に茶室の文化が生まれたのはそもそも部屋が狭いからである
江戸時代だって長屋でも狭い部屋に住んでいたからである
狭いと何か圧迫される、窮屈になる

アメリカの生活保護者が車二台持ち広い家に住んでいるといのも不思議である
アメリカは生活保護者でもそんなに裕福なのかとなる
とにかく日本の住環境が貧弱なことは確かである  

とにかく相馬市は墨絵のようになっていた、冬だから余計にそう見えた
前からも何かそういう感じだったのである
だから白黒の写真があっているとなる

今度のレンズは遠くを撮ろうとしたがそれができない、かえって近くはきれいに映る
レンズによって写りも違う、その辺がまたカメラのわからないところである









2021年01月17日

みちのくに冬深む(家に死者を偲ぶ短歌十首)


みちのくに冬深む(家に死者を偲ぶ短歌十首)

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地の底に眠り入るかな冬深む

地の底に地上の音絶え冬深む

地の底に記せしものや冬深む

地の底に隠さるものや冬深む

みちのくの王の眠るや冬深む


冬長く母はありなむ我が家になほともにしも籠もりけるかな

六〇年我が家に嫁ぎこの場所に母はありにき冬深むかな

我が一人家を守るや冬深む母なほここにありしと見ゆる

我が家に今日もいつつも冬深む亡き人なほもここに偲びぬ

しんしんと冷える夜かな我が一人家にしありて亡き人しのぶ

もの言わぬ死者にありしもなほ家を離れずここに堅くあるかな

我が一人家に籠もりて冬深む姉と母なほここにありなむ

死者なほも家にありなむ冬深むストーブの火のあたたかきかな

みちのくや芒の枯れて蕭条と老いあわれ過ぎゆくときの遅かるべしかな

ふるさとに根付きし樹々の争そわず今日も通りて冬深むかな 
                          

何か家のことを書いてきた、家族のことを書いてきた、家族がみんな死んで一人家にいるするとかえって家族のことや家のことを思うようになったのである
母は私の家に嫁いできたけどあまりいいものではなかった
いい待遇はされなかった、そしてもともと目立たないからいるかいなのかわからないような存在だった

なぜ自分が今こうして死者を偲ぶようになったのか?
それは六〇年とか長い間一緒に暮らしたからである、その長さのためだったのである
結婚して外に出た娘とか息子でも一緒に暮らさないと疎遠になる
私は特殊な事情で一緒に暮らしていた、ただ姉から比べると内向的で目立たなかった
だからその存在を意識しなかったのである

でもつくづく嫁は女と家なのである、つまり死んでも依然として家にいる、家と一体化するのである、そのことは生きている時は感じなかった
死んでから感じたというのも不思議である、死んでから存在感が増すということがある
生きている時は空気の様なものとしてあるから意識しないことがある
いなくなって意識するということが人間にはある
見慣れたものでもそれを意識しない、でもそれが無くなるとあったものがないなとかえって強く意識することがある、それと似ている

別に母でも死者でも理想的な人でない、欠陥があり生きている時はいくら母でも肉親でも嫌な所がある、だから理想化はできない、でも死ぬと死者は何も語らない
何か死者は堅くなっている、石のようにも感じる
それは死者が口をつぐんで語らないからである、語るのは生きている人なのである

冬深むというとき今頃が一番季節的に合っている、ものみな静まり家に籠る
本当に私は旅にも行かないし外に出ない、冬になると自転車だと寒いと出にくい
だから家に毎日籠もっているだけだとなる
ただ雪国ではないから寒さがゆるみ風がないと出かけるのである

冬深むというときみちのくが合っている、枯野の風景がみちのくにあう、西になると東京から西なると家も多くなり人も多くなり騒がしくなるからだ
みちのくは未だ荒野の風景がある、それで心を休めるのがいいのである
みちのくは癒しの空間でもある、東京にいるだけですでに心も消耗して疲れるからである
ただみちのくと言っても広いから一つのものとしては語れない
それぞれの県でも地域でも特徴があるからだ、ただみちのくということで一つのアイディンティティの場にはなる

みちのくの王の眠るや冬深む

これは平泉の藤原氏の長(おさ)だともなる、冬深むみちのくに深く眠っているとなる
そこは京都のような都ではない、荒野の中に埋もれた小さなみちのくの都なのである
その相違が大きいとなる

ともかく冬は休みのときである、活動を停止するときである、自然もそうである
ただ冬(ふゆ)は増ゆであり増えるなのである、野菜でも冬の方が育つと言っている
それは実際に農業している人から生まれた言葉なのである
季語はたいがい実地に生活する感覚から生まれたからそうなる
風流ということではない、日々の生活の中から生まれたからである

現代は活動が過剰になっていた、それでコロナウィルスでそれを止めた、つまり冬は休む時であり英気を貯える時期でもある、それが都会にはない、活動が止まることがない
それで疲れるのである、人間も自然の産物だから自然に合わせて生きるべきなのである
ただ農業は本当に骨がおれるからしたくないとなる
でも実際は農業を知らないと実感しないと田舎というのがわからないのである








2021年01月15日

原町の夜の森公園を回る (その近くに母の実家があったーそして昔をふりかえる)


原町の夜の森公園を回る

(その近くに母の実家があったーそして昔をふりかえる)

夜の森の公園の松古りにしを冬あたたかく昔を語る

夜の森の公園で老人と語った、その人は腰が痛いとか杖ついて歩く
あそこは山も見えいい場所である
何か電柱に上る仕事をしていた、その時安全を計ることなく上らせていた
今は必ず安全を計ることが定められている
何か昔はそうして安全を計ることなく仕事をさせられていたのが多いみたいだ
そういう安全が無視されていたとなる

高い場所での仕事は危険である、でも大工さんとかは普通にしているし電器屋でもアンテナを取り付ける人は屋根に上ってしている
でも怖くないという、機敏であり高い所を怖がっては仕事はできない
老人というときその人がどういう仕事をしたか興味がある、そういう体験を老人は話したいのである、なぜならそれが人生だったとなるからだ
ただ話を合わせるに話を聞く方でもある程度そうした同じような体験をしていないと通じないのである、そこがむずかしいのである

私自身がアルバイトでビルの建築現場の四階で足場をもちあげる組む仕事をした
そんなことをアルバイトでさせるべきものではなかった
現実にアンテナだったか屋根に取り付けるアルバイト落てで死んだ人がいる
その時は本当に死ぬところだったのである 
そうなると労災にも入っていないから保証もないとなる
だからそとういう場所で簡単に働くの問題となる
働く方も悪いとなる、ブラックな会社では働くなとなる
ただ若い人は無謀だからあまりそんなことを考えないのである

今日はあたたかかった、だから自転車でも行けた、自転車は風に弱いし寒さにも弱い
それでぐるっと原町の方をまわってきた
夜の森公園の近くに母親の実家があった、でも子供の時一回くらい行ったが記憶から消えた
母親の実家は何か家族が常にもめていた、それでおばさんにあたる人は横浜の方に出て行ってしまった、その女性は母の姉だった、後妻が入ってきて嫌になり出て行った
その後に母も東京に女中に出たのである
そのことをか語ればまた長くなる、その母も百才生きて死んだ
いづれそういう人が生きていたことも誰もわからなくなる

残されたのは私一人にもなる、母の実家の話をできるのは自分だけだというもなる
一人は確かにいるとしてもその実家の話を聞いていない、その女性は母の実家を継ぐものだったが何か異常化していた
あんなに人間が変わるものかと恐怖した、だから実家の墓参りにも行かないのである

ただ育ての親が「ひどい娘だわ」と私に電話で言って死んだのである
幸い介護されることもなく急に死んだから良かったのである
まずその娘は介護などできないからである,非情な人になっていたからである
私の家とは仲良くないし付き合っていなかった、だからその母と娘のことはわからなかった
でも私の家にきて母が介護状態に寝ていたとき「金でめんどうみろ」と言って血相変えて去って行った、それからすでに十年は過ぎた

今振り返るとなぜそんなことになったのか?

おそらくそのことで私自身もその娘のことが忘れらず思い出すと怒りを覚える
つまりその育ての親が私自身に最後に恨みを残して死んでいったのである
誰も言う人もいないので私に悔しいから訴えて死んだとなる
人間はこうして死ぬことは怖いことにもなる
恨み残して死ぬ、その恨みが自分に託されたともなる
それがわかったのはその娘が私の家にきて信じられない暴言を吐いて去って行ったことである    

それは私がその娘を恨めということでその育ての親が私に最後に電話してきたのである
自分もそうしてその娘がいかにひどい娘かを知らしめられたのである
誰かの恨みとか憎しみが伝播される、それで直接関係ない人でも誰かを恨み憎み殺したいとまでなるとそれが全然関係ない人にもその怨念がうつることがあるとインドの哲学者が言っていた、そういうことが自分にも起きたとなる
そして人間は最後の言葉が最後は大事である
私は家族を二人介護してそれがわかってくれた、それで感謝してくれた
それで心安らかなのである、供養もできる、それは特別自分は良くされたからそうなったのである

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原町の夜の森公園を回る (その近くに母の実家があったーそして昔をふりかえる)


原町の夜の森公園を回る

(その近くに母の実家があったーそして昔をふりかえる)

夜の森の公園の松古りにしを冬あたたかく昔を語る

夜の森の公園で老人と語った、その人は腰が痛いとか杖ついて歩く
あそこは山も見えいい場所である
何か電柱に上る仕事をしていた、その時安全を計ることなく上らせていた
今は必ず安全を計ることが定められている
何か昔はそうして安全を計ることなく仕事をさせられていたのが多いみたいだ
そういう安全が無視されていたとなる

高い場所での仕事は危険である、でも大工さんとかは普通にしているし電器屋でもアンテナを取り付ける人は屋根に上ってしている
でも怖くないという、機敏であり高い所を怖がっては仕事はできない
老人というときその人がどういう仕事をしたか興味がある、そういう体験を老人は話したいのである、なぜならそれが人生だったとなるからだ
ただ話を合わせるに話を聞く方でもある程度そうした同じような体験をしていないと通じないのである、そこがむずかしいのである

私自身がアルバイトでビルの建築現場の四階で足場をもちあげる組む仕事をした
そんなことをアルバイトでさせるべきものではなかった
現実にアンテナだったか屋根に取り付けるアルバイト落てで死んだ人がいる
その時は本当に死ぬところだったのである 
そうなると労災にも入っていないから保証もないとなる
だからそとういう場所で簡単に働くの問題となる
働く方も悪いとなる、ブラックな会社では働くなとなる
ただ若い人は無謀だからあまりそんなことを考えないのである

今日はあたたかかった、だから自転車でも行けた、自転車は風に弱いし寒さにも弱い
それでぐるっと原町の方をまわってきた
夜の森公園の近くに母親の実家があった、でも子供の時一回くらい行ったが記憶から消えた
母親の実家は何か家族が常にもめていた、それでおばさんにあたる人は横浜の方に出て行ってしまった、その女性は母の姉だった、後妻が入ってきて嫌になり出て行った
その後に母も東京に女中に出たのである
そのことをか語ればまた長くなる、その母も百才生きて死んだ
いづれそういう人が生きていたことも誰もわからなくなる

残されたのは私一人にもなる、母の実家の話をできるのは自分だけだというもなる
一人は確かにいるとしてもその実家の話を聞いていない、その女性は母の実家を継ぐものだったが何か異常化していた
あんなに人間が変わるものかと恐怖した、だから実家の墓参りにも行かないのである

ただ育ての親が「ひどい娘だわ」と私に電話で言って死んだのである
幸い介護されることもなく急に死んだから良かったのである
まずその娘は介護などできないからである,非情な人になっていたからである
私の家とは仲良くないし付き合っていなかった、だからその母と娘のことはわからなかった
でも私の家にきて母が介護状態に寝ていたとき「金でめんどうみろ」と言って血相変えて去って行った、それからすでに十年は過ぎた

今振り返るとなぜそんなことになったのか?

おそらくそのことで私自身もその娘のことが忘れらず思い出すと怒りを覚える
つまりその育ての親が私自身に最後に恨みを残して死んでいったのである
誰も言う人もいないので私に悔しいから訴えて死んだとなる
人間はこうして死ぬことは怖いことにもなる
恨み残して死ぬ、その恨みが自分に託されたともなる
それがわかったのはその娘が私の家にきて信じられない暴言を吐いて去って行ったことである    

それは私がその娘を恨めということでその育ての親が私に最後に電話してきたのである
自分もそうしてその娘がいかにひどい娘かを知らしめられたのである
誰かの恨みとか憎しみが伝播される、それで直接関係ない人でも誰かを恨み憎み殺したいとまでなるとそれが全然関係ない人にもその怨念がうつることがあるとインドの哲学者が言っていた、そういうことが自分にも起きたとなる
そして人間は最後の言葉が最後は大事である
私は家族を二人介護してそれがわかってくれた、それで感謝してくれた
それで心安らかなのである、供養もできる、それは特別自分は良くされたからそうなったのである


2021年01月08日

冬の鴨(写生俳句のことなどー新年短歌)


冬の鴨(写生俳句のことなどー新年短歌)


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今は仲良く姉と母が映っている


                                                  
新年や雲間に光る星を見る

冬の鴨数羽寄り合う今日も見ゆ

一時に散る木の葉二枚や風荒れぬ


玄関に出でて立ちにき新年を迎えて一人家を背負いて

去年咲きし薔薇の花かな年明けて散りしもその花我は思ふも

我が家や黄と紫の菊映えてその間に咲きぬ白百合の花

ふるさとに老いてあわれも枯芒鴨の寄り合い陽は落ちにけり

河原の芒は枯れて陽は落ちぬ今日も数羽の鴨の寄り合ふ

陽は落ちて夕映え残る河原かな芒は枯れて鴨の寄り合う

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今年を象徴していたのが雲間に光る星だった、その星は雲に隠れて消えやすいのである
つまり何か今の世相と呼応している、つまり何か文芸とかでも時代を反映する
その時代を読むことが最高にむずかしいのである
その時代をどういう感覚で生きていたかは一時代が過ぎると理解ができなくなる
例えば戦争から70年過ぎた、その時生きた人でないとその時代の雰囲気がわからない
そしてなぜ戦争になったのかということも未だにわからないし不可解なのである
それだけのことがあったのだから70年もすぎたら明確にわかっていいはずだがなぜ戦争したのかも明確ではないしわからないというのも解せないのである
確かにいろいろなこという人がいるが何か明確ではないのが解せないのである

それで私は原発事故のことを地元だから否応なく追及して来た、それは複雑でもその原因が明らかになってきた、それは地元でその事故を経験したからである
これも複雑にしてもやはり地元であり見えるものがあった
でも戦争となるとわからないのである
だから私が原発事故でプログで書いてきたことは地元から見た証人の役割りを果たしていたのである、ただ地元でもマスコミでも真実を語らない、取材もしない
それで地元について悪いことも書いた、するとそれは受け入れられないともなった

ともかく新しい年がはじまった、玄関に一人立つときもう私には家族はいない、でもは一人家を背負うようになったのである、家というとき建物だけではなく死んだ家族も背後にいるのである
去年あったことは今年もある、継続している
500円で買った花は良かった、フラワーアレンジメントでも金と時間がかかる
何か一人ではいろいろなことができない、家事に追われてできない

俳句でも短歌でも自分は写生を基にしている、これは別に才能がなくても作れる
見たままに本当に真実があるからだ、ただ写生俳句は平凡になりやすい、だかか鑑賞するのがむずかしい、その背後の意味をくみ取らねばならないからである
「一時に散る木の葉二枚や風荒れぬ」というときどういうことかとなると死んだ人をイメージする、この年になると同じ年代でも死ぬ人がいる、一時に二人死んだということもある、するとそのことをイメージするのである
写生俳句はこうしてその背後を読み取ることで深く鑑賞できる
俳句は短いから鑑賞する方がむずかしいのである、ただ見たままだとそれで何か特別なものがあるかとなるからだ

だからこの写生俳句と相性がいいのが写真なのである、写真はとにかく見たままを映すからである、そこに嘘偽りがないのである、でも写真でもまた本当に目で見たものをそのまま映すとはならない、なぜならその辺りの雰囲気をすべて感じくことは不可能だからである、だから写真をみて俳句でも短歌でも作れないのである
そこに機械の限界がある、その場に立たない限り人間は感じられないのである
なぜならその場の雰囲気は一部を切り取った写真でもビデオでも感じられないからである
鴨というと秋の季語である、冬となると冬の鴨になる、その鴨を毎日見ている
買物に行くとき河原にいるから毎日見ている、ただそれだけのことだが心にしみる
それはふるさとに老いてゆく姿にも見えるのである
つまり写生からそういうものがイメージされるのである
なんか老人がよりあっている、あまり語ることもなく静かに寄り合っている
そういう風景がイメージされるのである









2021年01月02日

新年の短歌ー寒雀の時代?(ヒマラヤの花ーラリグラス)


新年の短歌ー寒雀の時代?(ヒマラヤの花ーラリグラス)

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これは500円で安かった

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寒雀あまた集まり年暮れぬ

我が一人家守りて寒さかな 


霊前にともに映えにき花の色この家栄えむ年の始まる

新年や白菊清楚松の葉にそえて映えにき大和心かな

新しき芽の出でるとめでたきや未来に伸びむ命にあらむ

健やかに今年もあれや松の葉に菊の添えさし我が願うかな

年明くも変わらぬ貧やいかにせむ今年はことに冷えにけるかな

妻亡くし老いも悲しきまた一人なおも生きなむ何を支えに




今年は本当に年の暮も寒かった、寒雀が群れていた、大きな家を守っているのは自分一人である、だからも寒いとなる、家が栄えるとしたら一人では栄えないともなる
この花は束でスーパーで売っていた、500円である、それにしてはいいものだった
なかなか花は買えない、だから一軒花屋が倒産してなくなった
一軒しか花屋がない、フラワーアレンジメントするにも手間なのである
家事をしてまたその他にいろいろすることがむずかしい
ただ今はカメラにこっている、カメラで撮ると何か見えないものが見えてくる
だから今年も写真を撮る訓練する、写真は撮り方によって相当違ったものになる
またこりすぎるとレンズを買うようになると金ががかかるから問題である

日本の心となると何なのか?文化的にはいろいろある、生け花とか庭とかいろいろある
俳句とたか短歌もそうである、これは日本語があって日本がの風土があって作られてきたものだからである
だからおめでとうとは芽が出ることだったのである
新しい芽がでる、それでおめでとうとなる、この感覚は農耕民族だから生まれたのである植物が育ち稲でも米が主食となるからそうなる
遊牧民ではそうならないし麦を主食としていると文化が相当に違ったものになる
大和心と大和魂は違う、本居信長が言っていたのは大和心であり大和魂は吉田松陰が残した辞世の歌で有名になった
でも吉田松陰はアジア征服を目指していた、だからこれは何か戦闘的なのである
もともとは大和心でありそういうものではなかったのである

それでネパールの奥地の村を訪ねた番組は興味深かった、まさにもヒマラヤの奥地に取り残された秘境の村だった、私もトレッキングで3000メートル級のところを歩いて8000メートルの山を見たときは驚嘆した、ただその時曇っていたので良く見えなかったのが残念だった、とにかくもう一度行くしたらヒマラヤを見たいとなる 
この辺でもネパールの女性が働いている、福相で働いている
その女性はどこから来たのだろうとなる

そのヒマラヤの奥地の村では何を食べていたのか?それが自分も行って謎だった
何か食べるものがあるのかと見たからである、そしたら栽培していたのは麦だったのである、米は作っていなかった、寒冷だから作れないとなっていたのだろう
ジャガイモなどは作っていた、それにしてもそういう場所で良く生きれると思った
日本だと江戸時代であり福島県だと桧枝岐のような隔絶した村である
そこでも主食はソバであり米は食べていなかったのである
そもそも米というのはみんなが食べていたわけではない、山では日枝と粟とかを食べていたのである、ただそれが必ずしも貧しい食とはなっていなかった
かえって白米だけを食べていた人が脚気になったのである 

ラリグラス雪おおう高きに咲きて散る雪を踏みつつネパールを知る

ラリグラスとはシャクナゲのことである、ネパールのは赤いシャクナゲであり300メートル級の場所に一面に咲いていた、そこは雪に覆われていた
その雪を踏みしめたときネパールを知るとなる
つまり真っ赤なラリグラスと真っ白な雪のコントラストが美しいとなる
だから外国でもその土地を踏まないと実感できないのである

日本の風土もまたそうである、大和心とはなにか?日本の風土を知らないと理解できない俳句がまさにそうである、季語を理解するには地本の風土を知らなければならないからだだから一年くらい住んでみないとわからないのである
それで外国は一回くらい旅行してもわからないとなる

とにかくこれだけ旅したから思い出すのである、冬は特に冬ごもりであり過去の経験を思い出すことに向いている、ただその時どれだけ記憶しているかが問題になるのだ
時間がたつと全く忘れてしまうからである 

今年はどうなるのか、いいこと言う人はいない、それで去年も寒雀を見た、あまた群れて年も終わった、何か日本はみんいな貧乏になって寒雀になるのか?
コロナウィルスでもそうだが何かもう日本が経済成長することはありえない
それは世界全体でもそうである、資本主義自体が限界にきて行き詰まっているからだ
日本が豊かだったのは過去のことになる、貧乏人が増えている
ぎりぎりで生活している人が増えている、そういう人は必ず電気、ガス、水道代が払えないのである、それでもめているのである
東京辺りだと家賃が払えないとなる

ただそういうなかでも希望はある、コロナウィルスでも全部悪く働くとはならない
いい方面に働くことある、貧乏になっても今度は助け合いが必要になる時代になるというのもそうである、そうしないと暮らしていけなくなるからである
何かわずかのものでもオカズでも互いに隣近所でたしあって助け合うような時代になるともなる
ただ未来はわからない、結局意外なことが起きるから予測できないのである
この辺で起きた津波とか原発事故を見ればわかる、予想した人は一人もいなかったからである、ただ悪いことばかり起きるとも限らない、あれ時代が変わって自分にとっては良かったなともなるかもしれない、それは全部ではない、ある人にとってはいい時代になったともなるからである

団塊の世代はいい時代を生きたのである、別に苦労しなくても才能がなくても時代が高度成長だから成功する人が多かったからである、今はまず成功する人はよほどの才能がないとできないからだ、ただやはりこういうときは才能ある人は有能な人はやはり成功しやすい、高度成長の時代に才能がなくても成功することはないが実力の時代になり有能な人はかえって成功しやすいとなる

何か今私は今までの経験とか創作したことがありそれが膨大なものとなっている
それをまとめる発表することがある、その作業に追われているのである
だから家事があり暇なく何かをしている
自分のしてきたことはライフワークであり継続しているからそうなる
会社員だとライフワークになっていないから退職するとやることがなくなっている
だから若い時カラライフワークをもつべきだとなる、なぜなら人生百年としたら会社をやめても30年から四十年人生があるからだ
これが長寿社会で大きく変わったことなのである  

新年生け花ーこれは見ごたえがある






                        

2021年01月01日

2021新年−丑の年(俳句連作) (水牛の歩みー詩)


2021新年−丑の年(俳句連作)

(水牛の歩みー詩)

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中国で買ったハンコ

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あきらめず一すじ貫く丑の年

何事も成果急がず丑の年

丑の年動かぬ石の悟りかな

丑の年年を重ねて実りかな

内よりの力に充ちむ丑の年

丑の年大器晩成事成りぬ

70半ば生きる力や丑の年 

大木の根付き動かず丑の年

老いてなおともに生き丑の年

母の愛なおも深きや丑の年

子を思うなほ母あわれ丑の年

丑の年一歩一歩の歩みかな

何事も短気は損や丑の年

交わりは長くもあらむ丑の年

あせらずに時を待たなむ丑の年

災いも耐えれば過ぎむ丑の年  



水牛の歩み

水牛は重荷追うても
そのことは言わぬ
ただ黙々と歩む
その蹄は大地に食い入り
一歩一歩歩む
暑い日ざしの中を
白砂の眩しい珊瑚の石垣の道
沖縄の屋根低い家
水牛はただ黙々と歩む
そのずっしりとした体に
重荷を受けとめ黙々と歩む
人は騒ぎすぎる
人は解決を急ぎすぎる
人は不満が多すぎる
人はすぐに争いすぎる
人は性急に判断しすぎる
人は待つことを好まぬ
人は早い成功を求めすぎる
人は結果を求めすぎる
人は小さいことにこだわる
人は・・・・・・・
人は・・・・・・・・
水牛の重い体躯は無言の内にたしなめる
一歩一歩水牛は己の道を歩む
そこに惑いはない
地球という悠久の時のなかに
水牛はあせることなく一歩一歩歩む
その力はその角にみなぎり
その瞳は優しく童がその背にのる
水牛は悠々たる大いなるガンジスの流れに
その重い体躯を洗い川にとけこむ
水牛は地球の歳月の長きがごとく
ただ黙々と一歩一歩歩みつづける



丑の年でアクセスがあった、牛の詩では高村光太郎の牛の詩が秀逸でありみんな読んでいる、牛と大地と一体化している、牛の性質に学ぶのは忍耐である
牛の歩みはのろいけど着実に進み成果をもたらす
何か牛年はそういう年になるのかもしれない、牛の年ということは牛はまた反芻する動物である、咀嚼して反芻する、それは良書を何回も読んで深く鑑賞することなどに通じているそこに必ず新たに発見するものがある、古典になればそうである 
この自作の詩を高村光太郎が作ったと誤解していた人がいた
インタ−ネットだと何かそういうことがある

今年は牛にふさわしい年になるかもしれない、これまでは馬の年とかであった、またネズミの年のようでもあった、とにかく外へ外へグロ−バルに移動する
それがコロナウィルスで止められたからである
つまり牛の年は外へ外へグロ−バルに広がるのではなく内面化する世界になる
時代的にもそうなる、コロナウィルスで外に出れないから巣ごもりだとか家で快適に過ごすとかでもライフスタイルが変わるのでもそうである

とにかく戦後70年で時代も大きく変わる、牛の特徴は寡黙であり着実に進むということである、また牛は老年にふさわしいともなる、なぜなら若い時は馬だからである
遠くへ遠くへと疾走する、でも牛はそうではない、その住んでいる場所に定着して深耕する、木のように深く大地に根を張る、牛はまた動かない石でもある
定着して深く掘り下げる、そして反芻するのである
それは老人に向いているのだ、世界はグロ−バル化して交わったがコロナウィルスでそれが止められた、それも時代の変化である
中世のように内面化する時代になったのである

そして経済でもグロ−バル化というのは行き詰まっているし金融資本主義とかで国際資本家に富が吸い上げられているとかなる、グロ−バル化の負の面が暗黒の面が増大してもう正当な活動ができなくなっている    
それは物質の世界と精神の世界の乖離である、これは大都会でも起きている
精神の物質の融合というとき物質に精神性を付与するのが人間である
木でも石でも山でもそこに人間の心と精神と一体化するのである
そういう作業を自分は引きこもりなり故郷でしてきたのである
その詩をまとめて発表したいとなる

それから本当に小川未明の童話の牛女というのも不思議である
そういう女性が本当にいたのである、その女性は50歳の障害者をかかえていても心配しているのである、体つきもまさに牛なのである
体が太っているし頑丈に見えるからである
だから牛女という童話は小川未明が実際にそういう女性がいて作られたのである

今年はコロナウィルス騒ぎがつづくのか、落ち着くのか?

やはり時代が大きく変わり丑年がその契機になるのかもしれない、外へ外へ向かう力が内へ向かうものとして内面化する時代である、それは中世時代への回帰だともなる
日本なら国風文化の再生ともなる、日本は西洋文明でも技術的な面で取り入れても精神的に内面化していないからである
つまり科学技術と物質の世界を取り入れても精神的に内面的には取り入れて成熟させていないからである
だから牛の年はそういう内面化する精神の世界を熟成させるはじまりの時代だともなる
熟成させるというときそれは老人に向いているのである
今まで蓄積したものを深く理解して表現するということである

  深耕易耨     
.
  雨讀頻枕書,天霽出門口。流汗努深耕,易耨。
  
  雨讀 頻りに書を枕にし,
  天霽れれば門口を出づ。
  汗流し努めん深く耕やし,
  易耨(草を刈る)に。  

  
この漢詩は何か本を読む、本を深く理解することに通じている
本の内容を深く理解しなかった、深く耕さなかったともなる、深く耕さないと理解も深まらないのである

今年もプログでさらに励みますのでよろしくお願いします

課題としてこれまで創作したもの、詩などをまとめること、本にしたいと思っています 


高村光太郎の牛の詩について

牛女―小川未明

2020年12月29日

2020年も終わりふりかえる(満月で終わる今年)


2020年も終わりふりかえる(満月で終わる今年)

満月に終わる今年やわざわいのなきしを祈り来年に期す

今年一年振り返ると自分自身では自転車で二回転んだ、一回は相当危険だった
堀に落ちたので膝を打った、打ちどころが悪いと死ぬということもあった
実際に堀に落ちて死ぬ人がそれなりにいる、自転車の危険は意外と堀なのである
それと暗い時は自転車は危険である、それで夜に二回転んだ

ただ一番危険だったのは頭を打って前の三本の歯が折れたことである
それはずいぶん前のことだがそれは危険な場所ではない、ありふれた場所で起きた
その自転車が車輪27インチで大きいものだったのが悪かったのである
ロードでも転んだ時は危険だった、自転車は結構危険なのである
車に衝突することもありうる、こうふりかえる現代の危険の度合いの一番大きいのは交通事故なのである、まず鉄道を利用して事故になることはないからだ

それから病気にもならずにすんだ、必ず胃腸が弱いので悪くする、夏になりやすい、でも今年はならなかった、体の調子はそれてりに良かった
ただどうしてか11月頃双葉の方に行き久ノ浜で歩いた時、両方の足がはれた
そして二週間くらい痛くて苦しかった、それが苦しいのは一人であり食事と家事の用意をしなければならないからだった
足が悪くなると結構きついと思った

これからは健康が一番大事になる、老後はいかに健康でいられるかが勝負になる
病気になったら老後は地獄になってしまう、いくら金があっても寝たきりになったりしたら何もできない、その差が大きいのである
健康であればなんとか一人でも生き抜くことができるが病気になったらもうどうにもならない

ともかく一年の内でも災いがある、どこで災いがあるかもわからない
いくら気をつけても災いが起きる、別にコロナウィルスは大きな災いでも自分には何もなかった、これはみんな災いにはなっていない、株が上がってもうけた人たちもいるからだただ観光飲食関係、交通関係は打撃だった、立ち直れないほどの打撃になった

とにかく満月を見て今年も災いがあったが切り抜けたと感じる
満月だということが縁起がいいとなる
年末は何か一人だから家事にまた追われる、最近は灯油を3日に一回自転車で買いに行くから手間になる、掃除するのも大変である
だから暇なく何かをしているのである、その合間にプログを毎日書いている
これも手軽に送信できるから表現できるから一人でもできる

これは何かを発表する方には便利なものである、でも情報が増えすぎた、すると情報を選別することになる、そんなに読めないからである
情報を消化するには限度がある、現代はもう莫大なの情報でありもう選別すらできない
情報にふりまわされる、コロナウィルスでも様々な情報にふりまわされ真実がわからなくなる、それは原発事故でもそうだった
情報過多になるのもつくづく問題だと思った、コロナウィルスでも過度に恐れるのはマスコミとかテレビの影響なのである、恐れ過ぎているのだ

毎日何人感染者が出たとか放送されるとまるでその数字が心に影響する
それでテレビに釘づけになりテレビ局では視聴率をあげる、すると宣伝費でもうけられるとなる
毎日放送される感染者数というのはどういう感染者かわからない、例えば熱が75度以上の人が感染者としているのかどうかもわからない
武田邦彦氏によるとコロナウィルスが5つつ見出されても感染者だとしている
症状が出ないのにそれを感染者としているという

また国会議員が突如コロナウィルスで急死したというのも恐怖を与える
でもこの人には基礎疾患があり感染しやすかったのである
基礎疾患がある人はコロナで重症化しやすい、これは明確にわかってきた
必ずしも高齢者でとなくても基礎疾患がある人は危険である
重症化しやすい、議員の人は糖尿病であり高血圧だったのである
芸能人でも基礎疾患あった人が死んだのである
だからこの因果関係は明確である、その他はわからないし重症化しないのである
だから恐れ過ぎるのも問題だと思った

ただ津波と原発事故は最悪に備えないことで大惨事になった
そもそも最悪でないにしろ日本では感染症に対して備えすらなかったのである
だからこれも相当な手落ちだった、原発でも危険に備えることは一切なかった
「安全神話」になり口に出すこともできなかった
感染症でも国レベルで備えをしていなかったのである
最悪に備えよというのではなくそもそも備えをしていなかったのである
だから医療崩壊になっているのであり備えは十分にできたのにしていなかったのである
それで津波や原発事故と似ているところがあったなとみたのである

モズの写真?


モズの写真?

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これはモズだろう、ノビタキに似ているとしてもノビタキは夏鳥であり渡り鳥であり秋までいなくなるというとなるとそうなる
モズは結構見かける、でもこれはわかりにくかった
望遠レンズが倍率が低いものだったのである、7倍とかあったがはっきりしない
これはすぐ近くの空き地に来ていた
首の回りが白いとなるとそれが何になるのか? 

どう考えてもモズになるだろう、そもそもノビタキなど見たことがないからである
ジョウビタキは羽根に白い斑点がある、それで見分けやすい
これは見分けにくい、ただモズと似た写真がありそう推測した

鳥を撮るのはむずかしい、なぜなら鳥はすぐ飛び去るからである、写真を撮ろうとするときいなくなっている、そしてどこに来るかもわからない、狙いを定めることができないからである
これは成鳥ではなく幼鳥なのかもしれない、だから特徴が良くまだ出ていないのかもしれない、ともかく写真をとることはかなり熟練がいる
ただ倍率の高い望遠レンズがないと撮れない、むしろ小型のデジタルカメラの方がいい
倍率の高いのがあるからだ、それでも鳥は長く一か所にいないから鳥を撮るのはむずかしい



2020年12月28日

年の瀬(仙台まで行く)


年の瀬(仙台まで行く)


枯芒二人ほどのる田舎駅  

なお待つや電車の来ぬや冬の雲

年の瀬や買い物あれや仙台に

年の瀬や月の満ちつつ電車行く

年の瀬やいのしし電車に当たるかな

仙台を離れ冬の灯ともしかな

相馬駅枯木一本とまりけり

冬の夜の闇の深しも日立木駅  

二人ほどおりしや見届け冬の夜


レンズを中古のレンズをキタムラで買い仙台市の駅前の店に行った
そこはちいさなビルの一室である、でもレンズがCAMERAに合わないで失敗したからアマゾンでなくてキタムラから買っている、そこに店があるしカメラのことを聞けるからいい
ソニーのアルファ6000はシリーズの最初のものだけどそれが基準になっていると言った
つまりそれが基準だということはいいものだったのである
それできれいに映るなと感心していたのである、その時は8万くらいだった
その後介護とかあり忙しくて使っていなかったのである 

今回はこの用事で行っただけでありすぐに帰ってきた
そしたらイノシシが新地と坂本の間で電車に当たり遅れた、ただ十分くらいなので助かった
電車の窓から月が見えた、それが月が満ちて満月になってゆくものである
大晦日辺りに満月になるのも不思議である
そういうこともなかなかないかもしれない

仙台を離れると冬の灯がともしくなり淋しくなる、仙台は大都会でも枯野の風景にすぐなる、だから東京とは違う、ここから仙台までは一時間十五分である
近くも遠くもないという距離である

日立木駅当りにくると相当に淋しくなる、闇が深くなる、日立木駅で二人ほどおりた
あそこは本当に無人駅である
ともかくやはり年の瀬は追われる感じになる、家事を一人でしていると追われる

電車が好きだという時やはり必ず駅で待つ時間があり車窓からのながめがいいのである
バスとかだと何かそういうことがないから好きでない
電車からの眺めがいいし駅で待つことが人間的な時間を作っている
だから北海道辺りでも鉄道が本当になくなるというとき観光的な魅力は相当になくなる
ただ観光路線として維持するのはむずかしい、常磐線でも震災以後は原町からいわき市間は相当に乗客も少なくなった、でも双葉駅にスーパーヒタチがとまるのはうらやましいとなる











2020年12月27日

寒椿、年暮れぬ、冬の暮、冬深む(年末俳句十句) (今年も終わりに・・・・)


寒椿、年暮れぬ、冬の暮、冬深む(年末俳句十句)

(今年も終わりに・・・・)


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街中の墓地の回りや寒椿

新築の家の庭石寒椿

老いてなほ真に生きむ寒椿

貧にあれ偽らざれや寒椿

赤心を示して映えぬ寒椿

壁映る枯木の影や陽も落ちむ

この道の一人行くのみ年暮れぬ

石一つ村の重しや冬の暮

我が一人家を守るや年暮れぬ

コロナにも籠もればかからじ冬の暮

一人飲む抹茶の味や冬深む

本を読む意味くみ取りて冬深む


冬の薔薇一輪静か庭に見ゆ災いなくもここに咲くべし

我が齢(よわい)この家に生きて尽きなむや母姉なおもここにあるべし




寒椿というときかなり寒い時である、その前だと冬椿になる、つまり寒椿と冬椿ではかなり感覚的に違うのである、冬椿というときむしろあたたかいとも感じる 

邪心の無い清らかな心。大伴家持は「皇祖の 天の日嗣と 継ぎて来る 君の御代御代 隠さはぬ 赤き心を 皇辺に 極め尽くして」(20-4465

赤心とは中国由来だけど日本化したとき天皇への赤き心、偽りなき心と変化した
漢字の意味でも日本化すると違ってくる
隠さはぬ・・・というのがふさわしい、この赤さはより寒い時映えるのである

枯木の影が壁に映っている、そして陽もはや落ちようとしてその影は薄れてゆく
まさにそれは老人にも見えるのである

冬はコロナウィルスに関係なく冬籠もるとかの季節である、この季節は何か書き物するとか本読むとか本来は家に籠るのが普通だった、ただ現代は交通の便がいいとか車とかもっているのでそうならなかったのである
第一車とかなければ家に籠り遠くに行けないのである
ということはコロナウィルスで人間本来の生活を見直すということにもなった 

もともと冬は内面化するのに向いている季節である、内に籠もり内面化する
それで抹茶を飲むとか本を読み直すとか何かに対して理解を深める鑑賞を深めるのに向いているのである
だから家に私設図書館が必要になる、古典とかでも本を読み直すのに向いている
ただ読書にしても自分なりに読まなければ身につかないのである

いづれにしろ今年も終わる、家の修理とか家の中を整理するのが手間である
でも何か家というのは老人になると大事になる、なぜなら家にいる時間が長くなる
すると家で快適に過ごすことが大事になる、ただ昔風の家は寒いのである
隙間風とかも入る、風流は寒きものというのも実際は辛くなる
部屋を18度に保つと五年長生きすると書かれたものがあった
やはり温度は体に影響する、最近だから寒いと風呂に入る回数が多くなった
ユニットバスを作ったのが良かった、百万は本当に安かった

ともかく人間の心は相当に汚れるようになった、貧乏になるとどうしても心も曲がる
ただ裕福でも曲がっている人がいる、日本人の心は何か穢れて曲がってしまった
それは金しか見えなくなったからである、あらゆることに金が優先されるからである
それも今食べるものがないとかなるととうにもならない、これから貧乏になるからさらに日本人の心は悪化する

江戸時代でも忠義とかありその時代時代に何かモラルが形成されて社会があった
今は金しかないのである、「金になるか」これしかないのである
相手が苦しんでいても金を第一にする、むしろ相手が弱る時金を要求して責めてくるのである、もうかつての日本人はいない、ただ日々、金、金、金なのである
それで社会が荒廃してしまったし原発事故でもそういう背景があって起きたのである
金のために何か大事なことを売りわたして故郷に住めなくなったのである
ただそんなことでも依然として反省している人はいない

今度はいくら補償金をもらうことまた金を追及している、金まみれになっている
そしてコロナウィルスでもそうである、医師会とかで医療崩壊を言うが金を得るためであり利権のためであり金なしでは動かないというのもそうである
そうしている内に原発事故が起き日本自体が危機的状態に陥るともなる
つまり金だけでは解決しないことが起きて来る、実際に看護師でも一か月50万払うとしてもやる人がいないからである、看護師がやめているからである
だからこの問題は金では解決しないのである、金は必ずしも万能ではない
誰も命がけとなるとしたくないからである、でもそうしなければ日本が滅びるということにまでなる恐怖がある、そういう時金では解決しないのである
もちろん天皇の忠誠とかも過去のものである、天皇が維持できるのかともなっている


2020年12月26日

枯木、冬の月、年の暮 (死んだ母のなお家にいる不思議ー詩)


枯木、冬の月、年の暮

(死んだ母のなお家にいる不思議ー詩)

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清浄の庭に月光寒夜かな

玄関に冬紅葉散り月の光

石に散る木の葉や安らぐ我が庭に

誰が訪うや玄関に散る冬紅葉

我が家に一人母想い年の暮


冬の薔薇なお一輪の咲くを見ゆ風のうなるや我が家にあり し

百才の生きにし母のここにいし玄関の戸に映る枯木見ゆかな    


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母の座っていた場所

母はそこにいつも座っていた
目立たない母だった
母はいつも寡黙にそこに座っていた
店をしていたときもその後もそこに座っていた
私はその隣にいつもいた
そうして長い歳月がすぎた
母のいることを私は心にとめなかった
いつもただ母は隣に座っていたのである
そうして死んでいなくなって
そこに私が座っていると
不思議に私が母になっていたのだ
玄関の曇りガラスに冬紅葉が写っている
そして散って枯木が写っている
私は母の座った場所に座り
その玄関を見ている
とにかく不思議は私が母の座っている場所に座り
私自身が母になっていたこと
人間の存在は死んでも消えない
誰かに受け継がれ活きてゆく
家の重みがそこにある
もしここに新しい人が住んでも
その存在は受け継がれない
70年以上も一緒にいたから一体化していた
それが家族というものである



何か家のこととか家族のことを書いてきたけどそれは家というのがただの建物ではなく
何か人間の根源的存在となっているからだともなる
そこで70年も一緒にいたことがただの建物だとなっていない
ただ親子でも家族でも離れ離れに暮らしていればそうはならない
やはり長く一緒に暮らしていたことが特別な想いになっている
それでも母の場合、生きている時は意識もしなかったのである
空気のようなものになっていた、でも一旦消えると不思議にその人を思うのである

庭という時、家庭というように庭と家は一体である、それで石がありそこに木の葉が散るそれを見守る、それはまるで家で看取るとかにも通じている
つまり家で死ぬのが幸せだとなる、ただその家でも親身になって介護する人がいればだとなる

ともかく家とはそこに住んでいた人がなおいる、長く一緒にいればそうなる
簡単に人は死んでも消えないということである、百年も生きた母であった
でも70年は自分の家で暮らしていたのである
その長さが影響している、なぜなら妻をもったり子供をもったらそうはならない
心は妻とか子供に向けられるからである
自分の場合は姉と母と長く一緒にいたことで違っていたのである
ただ母のことは生きているときは意識しなかったのである
性格的に内気であり目立たない人だったからである

いづれにしろ今年も終わる、家の修理するのも今年になるか、来年になるか、
この家の修理もこれまでも金がかかっていた、だから家を維持することは結構金がかかるでも何か家というのは物だけではない、そこで家族が暮らした歳月がありそれは簡単に消えない、そこに価値があるとなる、それは金銭的価値に換えられない
思い出とかはもう簡単に作れない、なぜなら思い出となるには時間がかかる
そしてその思い出となる時間がもう老人になると作れない
それで老人は記憶に生きるようになるからだ



2020年12月22日

原町の道の駅の冬の公園(写真と俳句10句) (写生俳句と写真と俳句(写俳)は新しい芸術)

         
原町の道の駅の冬の公園(写真と俳句10句)

(写生俳句と写真と俳句(写俳)は新しい芸術)

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ここになお十年すぎても津波の痕跡を残している
後ろに家が残っている山の陰になっていて海がすぐ近くでも
この山に直接津波が来ないために残ったと見る
津浪に直撃された所は全滅したからである
この家は津波の前からあったのか?
もしあったとしたらこの山に遮られて助かったとなる

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この木がなんともいのである
写真にとっていい木だと見るようになったのである


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原町の道の駅の公園-クリック拡大

偶然子供連れの親子が写っていた
何かこれも写生でありそこに意味が生れている
根っこがあり親子がある、この根っこは祖父母とかにもなる
写生俳句は写真と相性がいいのだ
それでよりリアルに感じるのである

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新田川

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クリック拡大-真野川


寒雲の長く棚引き田舎町                      

枯芒津波に残る木の二本

原町の郊外広く冬野かな

五六本根付き支え合う冬樹かな

冬の樹々ゴシック聖堂の柱に見ゆ

冬日さし二つの根っこ親子行く

冬日さし石いくつかや動かざる

soma stons
stillness
sunny light
in winter

枯草に石いくつかやもの言わじ

鴨一羽寒雲映す川面かな  

枯菊を見ずして去りぬ車かな  

冬日さし濯物干し庭に石    



今日はそれほど寒くないから原町の方に行った、道の駅をまわり隣の公園を回った
原町の道の駅は相馬市の道の駅とは相当に違う、街の中にあるからだ
相馬市は回りがみんな田んぼになっている、そこは大きな相違である

原町の道の駅だと回りが街だから買い物もできるとかいろいろ用事もたせる
便利な場所にある、そして公園が隣にありあそこも憩いの場所となっている
それから近くに大きな公園がありそこにテニスコートなどがあり新田川がある
そして桜井古墳がある、何か道の駅中心にして歴史的なものもありまた現代の街もある
あそこは鹿島からも近いのでいいのである

道の駅には見るものもないが石がいくつかある
そこに冬の日がさしていた、何もないのだけどそれが禅寺の庭なのである
石は冬日さしてあたためられている感じになる
そして動かない、それは老人にも似ている、老人はじっとしていることが多くなるからだただ庭としてものたりないのである
何かいい庭を見ることはこの辺ではできない
ともかく自分は石に惹かれるのである

俳句を外国人が理解するのは相当にむずかしい、あまりにも短いからである
英訳したとしてそれが詩なのかとなってしまうからである
英語とか外国語にすると長くして説明したようにしないと理解されないだろう
だから外国人で俳句を作っても違ったものになっている
そして季語というのがわかりにくいから余計に作ることがむずかしくなる

とにかく俳句は写生である

冬日さし濯物干し庭に石  

これも見たままである、隣の家の庭の写真である、良く見えないが平たい大きな石があるこれはただ日常の風景である、でも何かその風景でも写生となり何かを現している
それを原発事故の避難区域の街の空家の庭を見た時、そこに人が住んでいないから庭の石まで死んだよう感じたからである、そこに生活があって庭の石も活きているとなるからだ
写真はやはり芸術なのである、あまり写真はとっても記録として撮っていた

今は写真を絵のように芸術的に見ようとしている
写真に芸術を追及している、公園の木が五六本ありカメラに撮ったらそれが違ったように見えた、ゴシック聖堂の柱のようにも見えた、そして互いに支え合うようにも見えた
それは写真を見て感じたのである、実際の木を肉眼で見た時は感じなかったのである
だから写真は芸術である、ただ記録写真のようなものもありそれは芸術とはならないだろう、でも記録写真でも貴重なものがある、ただ記録と芸術の相違が何かなのかともなる









冬の鴨、年の暮(今年も終わりとなる)


冬の鴨、年の暮(今年も終わりとなる)

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冬の鴨寄り合い三羽橋の下

塵つかず石により咲く冬薔薇

寒鳥の今日も叫びて餌求む

何かあれ根っこ一つや冬の暮

親残す家あり幸い冬籠もる

我が家や遺影に向かい年の暮


俳句は本当に写生だと思う、冬の鴨がいつも通る橋の下にいた、それも三羽である
それがなんとも心にしみた、買い物に行くだけで風が吹いたし寒いからである
この句は何も飾るものがない、見たままである
だから普通だとこんなものが俳句になるのかと見る
でもそこに写生の奥深さがある、奇をてらうことではない、平凡でもありのままに心打つものがある、事実は小説より奇なりともある
歴史は事実であり事実の重みがある、それは偽ることができない
ただドラマになると脚色されるから事実が見えなくなる
それでドラマと歴史の真実は分けるべきだとなる

寒鳥とは金のない人でもある、金をせびりにくる、また三羽の冬の鴨とはまた人間なのである、何かそこに寄り合う鴨がいる、それが心にしみる
今は何か豊かであり貧乏がわからなくなった、でも日本は貧困化している
だから水道,ガス、電気がとめられる、それも毎月なのである
ただ今の貧困は豊かさを経験した豊かさの中の貧困である
物はありあまるほどある、貧しい時は物もないのである
そうなるとこれだけ物があふれていても買えないという苦しさがかえってあるとなる
また今は貧困は見えないのである
現実に老人でもゲートボールを毎日している人は貧乏ではない、余裕があるからしている貧乏な人が今は見えにくいのである、だからわからないともなる

ともかく今年も終わりである、今年はコロナウィルスで明け暮れた、ヤクルトの女性が二週間くらい配達できないときがあるかもしれないと連絡した
それは福島市に工場があるからだ、福島市は医療崩壊になるとか放送しているからだ
福島市でクラスターがあり増えたからである
これも困ったことである、とにかく外出がしにくい、ただ私は本当に遠くに行かない
ここ十年介護になってから旅もしない、近間を回るだけである
それで写真にこるようになった、近間でも絵になる写真になる場所があると思った
要するに人間は近間でも良く見ていないのである
近間でも発見していないのである、だからいい写真を撮ろうとするとき近間でも見直すことになる,カメラは人間の眼で見えないものを映すからである

2020年12月19日

冬薔薇(写真で蕾から開くを撮る)


冬薔薇(写真で蕾から開くを撮る)

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よく見ると雪降っているのが写っている

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これせ薔薇なのである



石により薔薇一輪や霰ふる

雪の朝一輪映えぬ薔薇の色

風花に薔薇一輪や籠るかな
                                                 

蕾より徐々に開きぬ薔薇の花我が庭に見て冬の日暮れぬ

朝に雪降りにつ映えぬ我が庭の薔薇美しく一人見ゆかな

霊前に二人並びて花活けぬ我が家に映え心休まる 


この冬薔薇の色がいい、鮮やかである、白も咲いているが映えない、最初は蕾の時霰がふった、それから次の日は雪になった、そして雪が積もった
ここでは雪はほとんど降らない、三回四回積もるくらいである
だから風花になることが多い、雪景色になるのはめずらしいとなる

この一輪の薔薇は本当になかなか開かなかった、時間がかかったがようやく開いたとなるその変化を一人見ていたのである
それを写真にとった、このうよに撮れているのはレンズの効果である
レンズによって違ったようにとれるのである
このレンズは安いのに花をとるには効果的だった、だから意外だった

霊前にも花を活けた、一つはやはり薔薇の花だった、生前は争っていたが今は争わない
でも死んで日にちが過ぎるとどうしても忘れられてゆく
記憶が薄れてゆくからそうなる、これはどうにもならない
時間の作用は大きいのである、人間は時間に対抗できない、そしてただ今の時間にあるものに心は移り奪われるのである
死者を愛せといっても返事もないからなかなかむずかしいと思った





2020年12月13日

冬紅葉忌(母の命日) (人間は死んでも以前として何かが残りつづける)


冬紅葉忌(母の命日)

(人間は死んでも以前として何かが残りつづける)

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冬紅葉の一枚一枚が違っている




我が家や曇りガラスに冬紅葉

師走かな母の命日また忘る


冬紅葉散りてあわれや雨にぬれ墓地の道行く母の命日

我が母の座れる所我が座りその長き歳月偲びけるかも 


母の命日をまた忘れていた、十二日だった、何か母が座っていた場所に今座っている
炬燵がありそこに座っている、その母もここに40年くらい座っていた
その前は古い家であり20年とか座っていた
考えて見れば長い、それで今日曇りガラスに冬紅葉が写っていた
その冬紅葉が母を象徴していた、それで死んだ日を冬紅葉忌としたのである
まさに冬紅葉のようにな一生だったからである

そして師走に死ぬのにふさわしかった、なぜなら一生働き詰めだったからである
大正生まれであり貧乏であり働かざるを得なかった
そして我が家に嫁いでも働き詰めだった、店をしていたからどうしても食事中でも立たざるを得なかった、それが嫌だった
ところが今度は母のしていたことが自分もせざるを得なくなった
食事中に必ず立っている、それが何かたりないものがあったりかたずけたりするものがあり立たざるを得ないのである
意外とだから一人というのはゆっくり食事ができない、これまでは食事は何もしなくても与えられていたからである

何か母は不運だった、実家が事業で失敗して一家離散のようになったとかありその後後妻がきて継母にいじめられたとか不運であり不遇だったのである
自分の家にきても女中のように使われるだけだったのである
ただ母は何か世間にうとく一人で生きられる人間ではなかった
その母の性質を自分は受け継いでいる
だから曇りガラスに冬紅葉が写っているのがなんとも似合わっている

それぞれの家のことはわかりにくい、でも家はやはり物ではない、箱でもない
何かが物としてではなく人間が生きたという何かが残っている
そこに家の重みがある、単なる物ではないのである
60年とかいればそうなる、そこを離れずに何かが残っている
そして自分にそれが受け継がれたのである
自分の性質は母に似ているからそうなったのである
これは墓には感じないのである、ただ家もいつかなくなる、墓は残るという相違はある
ただ依然として母が座って所に母がいるという感覚になる
そこに自分が座っていて感じたのである

俳句は写生である、写生には深い意味がある、ただその意味をくみとることがむずかしいたからこうしてその意味を説明しているのである
俳句は鑑賞する方が相当にその意味をくみ取らないと鑑賞できない芸術なのである
なんか平凡なものに感じてしまうからである

それにしても人間は死んでもすぐ全く何にも残らなくなるとはならない
何かが残っている、特に家には長くいるから何かが残る
ともかくまた母の命日を忘れたのは自分自身が家事に追われているからである
今日も命日だからと花を買ってきたり墓参りしたりした
そして食事の用意をすることが手間なのである、その合間にプログを書く、これは結構忙しいのである、そのために命日を忘れていたのである

ただ師走に母が死んだのはふさわしいとなる、暇なく働いていたからである
それは94才くらいまで働いていたのである
それで花にも興味がなく趣味もなく人間としては無味乾燥にもなったのである
それも時代でありそういう一生を強いられたととなる
ただその母がなお依然としてここにあると感じるのはその歳月が長かったからなのである








2020年12月09日

冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)


冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)

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このレンズは前と後ろがぼける
だからこのレンズはボケさすにはいいとなる



みちのくや心にしみぬ冬景色

みちのくへ上野を離れ枯野かな

ふるさとに我が老い家主冬ごもる

寒鳥の鋭く一羽朝に来る

我が親の残せし家に冬ごもる  



(桜井古墳)

冬日さし公園歩む老夫婦

誰が眠る墓地を尋ねて冬紅葉

冬椿桜井古墳を囲み暮る




国に住む時の長しも我が命ここにありなむ冬深むかな

みちのくへ秋の夕日や我が帰る電車急ぎてひびきけるかな 


日のさして冬の紅葉の映えにけり桜井古墳のここに鎮まる

主二人桜井古墳に眠るかな棚引く冬の雲に閉ざさる  

落葉踏み桜井古墳主(ぬし)二人長くも眠る新田川の岸




みちのくというとき上野を電車が離れるとやがて夕日が車窓から地平線に沈んでゆく
その時の印象が忘れられない、だんだん家も少なくなってみちのくへ帰る
そういうことをくりかえしてきた、みちのくというときやはり一つの原風景となる
ただみちのくと言っても広い、どうしても秋田とか青森はみちのくともならない
岩手県辺りまでだとなる、実際芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだったからである
ただみちのくは一つのアイディンティティの場所になっていることは確かである
風土としても歴史としてもそうである、その冬景色が心にしみるとなる

桜井古墳の方を回った、冬紅葉がきれいだった、写真もうまくとれた
なかなか紅葉がきれいな所がこの辺にないと思ったがあった
相馬市の城跡の冬紅葉もきれいだった、ここはさらにきれいに映えていた
写真もうまくとれた、これはやはりレンズが影響している
このレンズが安い二万もしないものだった、でもこのレンズは前と後ろがボケてとれる
それが特徴みたいだ、レンズと写真が深く関係していることを知った

なぜここに原町市にこの大きな桜井古墳があるのは謎である
この古墳をみれば原町がこの辺の中心だともみる、でも実際は隣の鹿島が古代の中心地でもあった、真野郷があり「みちのくの真野の草原(かやはら)」笠女郎の万葉集の歌は鹿島区の真野地域とされるからである

いづれにしろ桜井古墳には二人の遺体が棺にあった、つまりこの辺で勢力があった支配者が二人いたとなる、それで共に葬られたのかとなる
それはわからないにしても二つの勢力がありその融和のために一つの古墳地葬られたともみる、それは謎である    

埋葬された人物は、古墳の立地や築造年代からも新田川流域を治めていた浮田国造の初祖・鹿我別命だったと考えられる[5]。しかし、2箇所の棺の痕跡は何を意味するのかなど今後究明すべき点も多い。

浮田とは鹿島区でありここが国造(くにのみやっこ)が置かれたのだから一番古いとなるではなぜ原町市にここにその初めの祖が葬られたのかとなる
そこに密接な関係がありそうなったのである

この二人の主というとき自分の家にも二人の女性がいて家を支えて来た
だから一人というのではなく夫婦でも二人であり二人がともに協力して支えるということはある、何か歴史という時、人は死んでもその後にその死者のことを生者がかたり昔でも一つの織りなす物語となるのである
人間の歴史は今だけで作られていない、過去から延々として人は生きて死ぬことを繰り返しているのだから死者もそうして物語の中に生きつづけるのである






2020年12月08日

コロナウィルスで戦争状態に突入しているのか? (老人と病人や弱者が淘汰される?)


コロナウィルスで戦争状態に突入しているのか?

(老人と病人や弱者が淘汰される?)  

医療最前線を追い詰めるコロナの現状 進む入院患者の高齢化、負担増える現場

コロナウィルスの謎は特徴は老人がかかると死にやすい、それも確実に60代70代80代とかで罹患率が高くなる、それで入院の優先順位を点数化した
一方でコロナウィルスの感染者を受け入れることで医療崩壊が起きる
コロナウィルスではない病気の人が手術を受けられないとなっている
それで自衛隊の救急看護師を派遣してくれるよう要請した
その人たちは派遣の命令が出たら断れないという
それは赤紙一枚で戦地に送られた従軍看護婦と同じだった
ただ戦争とは違うから事前に契約してそうなったのである
自衛隊でも事前に契約して了承してなる、でも戦争の時はすべて強制だった
国家の命令であり逆らうことはできなかった

今何が起きているのか?これを把握することもむずかしい、マスコミだと危険をあおり不安にして視聴率を稼ぐとしている、一方でネットでは経済的困窮で自殺者が増えているから経済活動を止めるべきではないとしている
それも最もだとなる、感染を防ぐようなルールを作りそれを守ればいいのであり全面的に経済活動を止めることは必要ないとしている
つまり経済活動を止められることで死ぬ人が増えてくるからだとなる

ただこの判断はむずかしい、だから政府では経済活動を止めないでGO TO トラベルを止めないのである、感染病にとって人の移動は一番危険であるがそれを続行する
ただこのコロナウィルスの特徴は老人に伝染すると年齢が上がれば上がるほど死に安いのである、また基礎疾患がある人に伝染すると死に安い、別に70以上でも8パーセントはかかるがあとはかからないのである、死ぬ割合でもそうである
つまり弱者が淘汰される、そこで若い人はかかっても死ぬことはほとんどゼロである
今までの感染病は結核でも若い人が死ぬ、それで国民病とされたから深刻だった

なぜ若い世代がコロナウィルスを無視しているのか?

それは自分たちは別にかかっても死なないとかなっているからである
だから別に感染してもいいやとかなって外出したり飲み食いしして騒いだりすることを止められないのである
そして若い世代が高齢化社会で負担になる老人を嫌っている

多くなりすぎた老人は死ね!

そう心で思っているとき当然コロナウィルスで老人が得に80以上になるともう寿命だから死んでもいい、そんな人のために労力をそそぐのは馬鹿らしいともなる
それは高齢化社会で今までそういう気持になっていたのある
だからどちらかというとそんなどうせ寿命の老人に労力をそそぐより今生きている若い世代の人たちを優先すべきだとなる、すると経済活動優先になる
どうせ若い世代は死ぬことはないのだから危機感もないのである

人間は自然でも次の世代に労力をそそぐ、命の継続のために自然の摂理がある
次の世代をのために犠牲にもなるのが生命の原理である、だから親は子供のために犠牲にもなる、特に母親はそうなっていて命が継続される
国家にしても社会にしても若い世代がこれからの社会を作るのだから尊重されるのが生命の原理である
それがわかるのは原発避難区域では若い世代がいなくなり子供もいなくなり老人ばかりになった、シルバータウンになった、それでも町や村が継続できないからやがて廃村とかにもなってしまう、それこそ危機なのである

今だから命の選別が迫られるとき、どうなるのか?

命の優先順位は80以上とかの老人は寿命だから死んでもいいとなるかもしれない
そこに労力をそそぐことは無駄だともなる
それは介護とかでも言えるのかもしれない、若い人がそこで労力をそそぎ疲弊するのは無駄だとなる、それで自分自身が30頃親戚の人に輸血を頼まれたがしなかった
その時登山して死ぬほど疲れていたからである
それで恨まれたがその時登山しなかったら後でできないということもあったのだ
つまりやりたいことをやれないことは後で後悔するのである

私は60まで親にやりたいことをやらせてくれた、だからその後は介護になっても当然であり必死になって介護した、それは自分にやりたいことをやらせてくれたからである
そこに恨みはないのであり当然だったのである、でも親のために老人のために犠牲にされるのは嫌だ、若者には若い世代にはやりたいことをやるべきだとなる
そういうふうに考えるとコロナウィルスは死ぬのは老人でありそれも寿命だとなる
そのために若い人とかでも国家でも労力をそそぐのは無駄だともなる
ただ自分にしても個々人なら生きたいとなる
でも全体的に国家の危機になったとき命の選別となると80以上で死ぬのは寿命ともみる
こういうふうに考えればどういう対策をすればいいのか見えてたいか? 

80以上は死んでもしかたがない、見捨てる

なんかこんな選択になるかもしれない、さらに追い詰められればそうなる
それは延命治療ともにている、このコロナウィルスは高齢化社会の問題としてもあったのだ、自然の摂理として弱者が淘汰されているのかともみるのである
ただ個々人ではそうはならない、何歳でも生きたいとなる
ただ全体の生命の法則ではもともと自然界では弱者は淘汰されるのである

おそらく弱者とかの問題は量の問題にもなる、老人が増えすぎることは社会にとっても
自然界にとっても生命の法則に反している
老人のために若い人が犠牲になるのも生命の法則に反している
ただ老人でも実際はコロナウィルスでも70以上でも8パーセントとくらいしかかかっていないのし死ぬこともないのである
だからコロナウィルスの不思議は自然界の法則で淘汰が起きて多くなりすぎた老人を減らしているのかともなる
だから若い世代の活動をとめられない、それで老人が死んでも若い世代には影響しない
むしろいつも増えすぎた老人は死ねと日ごろ思っているのだから歓迎しているともなるのだ
お前もコロナウィルスにかかったら死ねと言われれば嫌だとはなる
それは全体の生命の法則とか維持の観点から言えばそうなるということである

要するにコロナウィルスはその特徴があり性質がありそれに合った対策をとれともなる
今までのウィルスはむしろ若い人が死んでいたからである
だから深刻だったのである、それより経済活動を止められて若い世代が自殺したりする方が深刻だともなる、すると経済活動を止めるなと声高に言う人もいるのがわかる
感染しないようにして経済活動をつづけるべきだというのもわかる
一方でこれ以上感染しないように経済活動を止めるべきだというのもわかる
でもそれを選択するのは何なのか?

それを決めるのは何なのか?

政府なのか国民なのか、はたまたマスコミなのか、専門家なのか、それが混乱しているのである、それはどういう考え方で対処するか決められないからかもしれない
こっちを立てればあっちが立たないとかなり混迷するのである
でもどこかで選択しなければならない、するとどうして選択して決めるのか?
それが問題になる、でも確実に全員が納得する決定はできないのである
高齢者社会だと高齢者をないがしろにするのかという声が大きくなるからだ
そうこうして混迷している内に傷口は大きくなる
戦争だったらもう若い人が率先して死んだ、戦争状態を考えればある程度の犠牲はやむをかないとなる
でも誰でも犠牲になりたくないのである、老人でもそうである、個々人ではそうなる
でも全体を国家的レベルになると全体を考慮して決定せざるを得なくなることは確かである

2020年12月02日

冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)


冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)

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この時風が吹いて薔薇がゆれていた
それが表現されていない、ただこの写真はうまくとれた
遠くをとるレンズではないらだ

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冬桜

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冬桜が咲いていた場所


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浜街道の冬紅葉

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小高神社


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冬景色心に染みて古り住みぬ

家一軒色合い深く冬の菊 

十数輪風に吹かれて冬薔薇

奥の家知られずここに冬桜

蔵残し空家となりぬ冬の暮

社一つ落葉に埋もれ捨てられぬ

閑散と小高神社に冬紅葉

みちのくの街道暮れぬ冬紅葉  

みちのくに冬夕焼けやともに老ゆ

冬日没る余韻の深く黙す山   


今日は小高の方まで自転車で行った、冬景色がいい、それほど寒くもなく風もないので良かった、冬景色でありそれが心に染みるというとき人間はある場所に冬も住まないとその土地のことがわからないだろう、会津とかなると雪に埋もれた冬を知らなければ会津をまた雪国を知ることができない、冬景色が心に染みる、それはそこに住んでみてわかることなのである、それは厳しい冬でありそこで耐える日々であり籠る日々になるからだ
                                                        
堤谷の奥に桜が咲いていた、冬桜だろう、めずらしいと見て写真をとった

日本書紀の巻第十二「履中記(りちゅうき)」で、402年に履中天皇が磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)で11月に船遊びをしていたとき、季節外れの桜を見つけたことにちなんで、宮を磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)と名付けた、というエピソードが記載されています。

今は磐余池(磐余市磯池)は残っていませんが、跡地とされるところが橿原市東池尻町に残っています。
宮である磐余稚桜宮の跡地と伝わるところは、現在桜井市谷の若桜神社(わかさじんじゃ)です。
若桜神社の境内にある「桜の井」が桜井の地名の由来でもあります

百(もも)伝ふ、磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲(くも)隠( かく)りなむ. 大津皇子(おおつのみこ).

この磐余の池なのである

とにかくこうして桜でもその磐余(いわれ)が古い、それだけの歴史が奈良にはある
その頃から季節外れの桜に注目していたのである
桜井の地名の由来だというのも驚きである、第一402年となればその古さに驚く
やはりみちのくとなればそんな古い記録が残らないからである 

堤谷の方で草が枯れた道をたどると家があった、その時ここには住んでいないと見た
やはり住んでいなかった、新しい蔵が残っていた、人はいなくなった
雰囲気で人がいないということを感じるのも不思議である
小高地区には歯がぬけたように空家になっているのが多い
堤谷の地区はソーラーパネルがびっしりと敷き詰められていた
あの光景も嫌だなと見たが結局土地を放置していても一銭にもならない、だから小高地区は土地があっても農業もやるのも大変だから簡単に金にソーラーパネルになりやすい
原発事故で荒地化した土地はソーラーパネルとか風力発電になりやすいのである

社一つがあった、石段を上ったがここにはお参りする人もないみたいだ、雷神社とかあった、何か捨てられる神社がある、人が住まないとそうなる
特に飯館村では人が住まないからそうなっている

なんか小高神社でも閑散としてわびしい、老人夫婦の店があった、何か陶芸を趣味でしていた、その子供世代は小高を出て帰ってこないという
他にも若い世代が小高を出て帰ってこないで老人だけが取り残されている
小高の街は車が通らない、人を街を通らないが車は通っているからだ
このことは次に書いてみよう

小高までそれほど遠くはない、今まで行かない山の道を行った、自転車でもそれほど遠くとは感じない、浪江となると遠くなる
帰りはすでに4時ころで薄暗くなっていた、つまり暮れつつあった
日が相当に短くなっている、冬至になるまで相当に日が短くなるから早めに帰らないとまずいと思った

冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)


冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)

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この薔薇は実際はこういう色していない、だから写真の方がきれいに見える場合がある
カメラで調節できるのである、だからカメラの技術をみがけばいいものがとれる
ただレンズとかがいろいろありめんどうになる
このレンズは安くても意外と花をとるにいいものだった
背景がぼけるようになるからだ


寂けさや庭に二色の冬薔薇

庭の石黙して静か冬薔薇

寂けさや塵もつかずや冬薔薇

開かじや蕾一輪冬薔薇

冬の鳥一羽来たりて去りにけり

狭き庭木の葉二枚の散りにけり

猫一匹我が家にともに冬ごもり

明るしや家居ともしく冬の月

冬の灯や障害者ここに住むを知る

猫一匹我が家にともに冬ごもり

家事追わる男やもめや師走かな

自分の性格は何かじっと見ていることに向いていた、まず人と付き合うことが苦手であり学校とか会社とか集団生活に向いていない、ただ若い時それではだめだと思い必死になり集団にとけこもうと努力していた、それで大学では一時体育会とか入ったりカルト教団に入ったりしていた
20代の時はむしろ集団生活に溶けこもうと努力していた
でも30代からは旅ばかりしていた、それも一人旅でありそこには人付き合いはなかった
そして引きこもりになった、家族が二人いてその二人とは親しくしていた
その二人は自分のために食事の用意から何でもしてくれたのである
それが60までつづいたのだから異常だった

引きこもりという時、繊細な性格で傷つきやすいとかある、そういう人は一定数いる
だからそういう人の向いているのは芸術とか宗教とか内面を追及するものである
ただ宗教となるとこれも実際は宗派によって相当に違うのである
キリスト教でもそうである、アメリカ流とかなるともうビジネスであり集団行動である
それは日本でもカルト教団があり同じである、そこは人付き合いができない人は入れないのである、第一毎日勧誘を奨励される、会員を増やすためにそうなる
そして日蓮宗きか念仏宗は一心に題目を唱えるから集団的でありうるさいのである
それで自分にあっていたのは禅宗なのである
デスタンスをとり座禅して話しもしないからである
だからコロナウィルスではデスタンスをとれというとき禅宗の時代だと書いた

三つ子の魂百までというとき何か自分は子供の時、じっとしてなにか催し物があってもじっと見ていたという、おとなしい性格だったのだろう、それは母親に似ていた
何かじっと見ている、それが性格的にあっていた
だから写生俳句というのが自分の性格にあっていたのである
芸術家とか向いていた、引きこもりはやはり性格的には芸術家が向いている
無理やり向かいなことをしてもかえって苦しくなるだけである
ただ芸術家では生活できないから回りがうるさくなるのである
自分にはそういうことはなかったので自分の性格にあったことを追及できたのである
ただ社会性が欠落して介護でさんざんな目にあったのである

冬ごもりの季節である、ここでは雪はふらない、それほど寒くもないから気候的にはいいのである、ただ家事に追われる、まず料理だけは手間がかかってできないのだ
それが一人暮らしの一番の問題である
ともかく冬ごもりは引きこもりである、今は猫一匹とあとは一人の老人の女性としか付き合わない、そういう生活が自分にあっているのである
何か犬と猫がいるとき自分は猫の性格なのである、今飼っている猫は触らせない、じゃれつかないとかかまわるが嫌なのである、そっけないのである
猫はそもそもなれなれしくない、とくにこの猫はそうである、だから自分もこの猫とあっている
あとはつきあっていてもしょがなくてしているだけなのである





2020年12月01日

冬の鳥(ジョウビタキの写真)


冬の鳥(ジョウビタキの写真)
   
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冬の鳥来たりてうれし朝の庭
                                                                      

冬の鳥としてはこれは良くみかける、今日の朝に来たので写真をとった
これはメスだった、でもオスの方が色がきれいである
わかりやすいのは羽根に白い斑点があることだった

今度のレンズは接写して背景をぼかすのにはいい、花をとるにはいいがちょっと離れるとうまくとれない、鳥はどうしても遠くからとるから望遠になっていないととれない
何か写真はレンズの方が大事なのかもしれない、多様なレンズが本当に多いからだ
この鳥をとれたのは庭に来たからであり外てとるのはむずかしい
なぜなら鳥はすぐ飛んで消えるからである
だから鳥をとるのはむずかしいのである

鳥とか来るのはいいが人間が来るといろいろと嫌なことがある、だから自分は人嫌いで引きこもりになったのである、ただ自然とは接していたのである
不思議なのは意外と身近でも写真になるものがあることだった
最近は遠くに行っていない、どうも何か足が悪くなったり体が痛んでくる
自転車でも遠くに行くと足とか何か痛んでくる、そうなるとますます近間しか行けないともなる      

車がないから余計にそうなる、とにかくカメラを趣味とする人は多い
その理由もわかった、いい写真をとるということで自然を見る目が違ってくるからだ
そして写真は本当にとる場所とか構図になるポイントを見つけることも大事である
だから常に行ける身近な場所だとそれを発見する
遠くに行くと旅行するといい写真をとれるかと思うと簡単にできない
どういう構図でとるかを常に見ていないと試さないととれないからである
すると旅すると通り過ぎることがそういうポイントを探すのに時間がかかったりする
そこに住んでいればだんだんわかるのだが旅しているとわからないということがある

ともかく庭でもこうして鳥が来て変化をもたらす、それを写真にとるとそれが記憶となる写真の魅力が大きいとなる

2020年11月26日

南朝亡ぶー霊山城を逃れる落武者―短歌十首


南朝亡ぶー霊山城を逃れる落武者―短歌十首

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野馬追いにでる南朝の天皇の菊の紋



一時の雄姿にあれや顕家の南朝亡ぶ朝散る桜かな    

霊山の巌黒々と夕暮れや桜のここに散るもあわれかな

霊山の滅びてその裔野馬追に出でて翻る旗印かな

南朝の裔の只野家かたわらに歴史を語り秋の蝉鳴く

古霊山の巌黒々と我が入りて落葉の深く踏みて帰りぬ 

霊山に人の入らぬ所あれ落葉の深く午後の陽さしぬ

南朝の滅びし跡を尋ぬれば何か残らむ草の花かな

風に舞う木の葉のあわれ霊山城逃れ落ちのぶ道をたどりぬ

一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

雪厚く我が踏み上る山頂や学問岩のここに埋もれぬ  


今回は霊山まで行けなかった、大倉から通行止めになっていたからである
でも霊山には何度も行ったので回想して短歌を作った
古霊山というのが奥にある、そこはあまり人が入らない場所である
だから何か神秘的なのである、霊山城は十年で炎上して終わった
でもその前に天台宗の僧侶が多くこもっていたとかその歴史が良くわからない
南朝の城の前に寺があったとなる、それで学問岩とあるのはそこで僧侶が学問していたからだとなる
でもそれだけの人数を養える場所なのかとなるとありえないとなる  

霊山は阿武隈高地北部に位置する玄武岩の溶岩台地。伝えによれば、山寺は貞観年間に慈覚大師円仁が開山したという。天竺の霊鷲山に擬して霊山と名付け、山王の社を勧請した。
霊山は自然の要害をなし、山道と海道を扼する要衝の地。しかも顕家が入った頃、霊山寺には大規模な僧坊が組織されていた。延暦寺の末寺として僧兵も抱えており、顕家はその軍事力を頼みにたのじゃろう。

何か寺というと今の感覚では武力とは関係ないと見ているが僧兵もいてそこは一つの城として自立した自治をしていたのである、だから僧侶が武士になったという説がありそれもここでもあったのかとなる、とにかく要害の地だから城にするには適していたのである
そしてその前に寺があり城とするのにはさらに適していた
何もないところから城を作るのは容易ではないからだ

霊山城が滅びる時逃れてきたのが鹿島区の只野氏だったのである、その人は同級生であった、そして鹿島区には只野姓が五十人くらいいるのである
只野一族の町だともなる、その基は郡山の多田野村から発していたのである
ただ相馬市の方にも落ち延びた、そして野馬追に菊の旗が出るのは南朝の旗なのである
菊は天皇の旗印だからである

この霊山城が炎上して滅びたとき落ち延びたときに敵にわからないように扮装したのが
宝財踊りの起源なのである、それはこの辺では広く伝えられている
北海道に移住した人でも宝財踊りをその土地で伝えていたのである




2020年11月24日

冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)


冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)

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朝でも背景暗くしないと花びらの赤がでない
でも朝の感じではないのが困る
ただ朝まで残っていた、今日は北風吹いて寒いから散るのかとなる



目覚めればなお一片の冬の薔薇残りける北風吹きし今日の朝かな

時間軸の変化でみるとこうして一輪の薔薇でもすぐに散る訳ではない、それは人間でも似ている、なんでも徐々に変化してゆくからである
時間軸で言えばなぜ芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」とか「夏草や兵どもが夢のあと」とか時間軸で見れたのかとなる

1126 堂塔完成
1694 元禄7年 芭蕉死す

芭蕉が訪ねた時500年も過ぎていたのである、するとそういう感懐をいだくこともむずかしくなる、ただまだ時間軸で見るものがあったとなる
空間軸で見るのは空間は残っているから見ることができる、空間を移動すれば依然としてその空間は同じように残っているからだ
ただ時間軸で見ることは時間がたつにつれてむずかしくなる 

この薔薇にしても毎日見ていればこうして変化があり時間軸で鑑賞できる
空間軸だと旅人が来て旅人が去るという空間の移動なのである
だから空間軸と時間軸で見ることは相当に違う、なぜ歴史はわかりにくいかというと空間軸は今なら世界中移動できる、でもそこで時間軸であるものを見ることができないのである、芭蕉が時間軸でこの句を残すことができたのはやはり日本という空間で時間軸にも生きていたからだとなる
ただ日本人でも城があったしてもそれがすでに150年とかすぎるとこれも時間軸で見るのがむずかしくなる
ただ一応相馬市は六万石の城下町だから時間軸で残された雰囲気が残っている
それで「落葉して相馬の人と語るかな」という句でも生まれる
またお堀に冬の鴨がいるときそれが人間にも見える、忠実に仕える人間にも見えたのである、それは何か時間軸で残されたものがありそれが歴史なのである

ももづたふ 磐余の 池に 鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ
(大津皇子)

ももづたふ(百伝ふ)とはももは百年のことだとする、それが磐余の池の枕詞となっている、まさにここに時間軸としての池であり単なる池とも違っていたのである
その時間軸の中にいる鴨である、何か百年でも伝えられるべきものとして磐余の池でありそこに鴨がいるということである、時間軸の中に歌われたものなのである

何か作品を鑑賞する時空間軸と時間軸があり時間軸になると重みが生れて来る
例えばみちのくにしてもそこにみちのくという空間があるのだがまた時間軸でも形成された歴史がある、つまりどこでも空間軸と時間軸で風土は形成されているのである

みちのくの遠山望む冬霞

何かこれでも確かに空間軸で作られている、でもみちのくというときそこに時間軸で形成された風土があり歴史がある、そのみちのくの歴史と風土からこの句を鑑賞する
つまりみちのく・・・というときすでに枕詞であり独特の風土と歴史を示している
だからこれがわからないと鑑賞できない、それで外国の人が金色堂をたずねてもみちのくを理解できない、それが日本人が外国に行ってもその歴史を時間軸で形成されたものを理解できないと同じなのである
                
赤々と夕日は没りぬ大阪城花の盛りの終えて散りなむ

それは大阪城の花盛りに夕日が赤々と沈んでゆくのを見た時、そこに時間軸で見た歴史を感じたのである、その時盛りの花が散っていた、その光景がなんともいえぬ歴史を感じたのである、そこに沈む夕日は歴史を偲ばせたとなる
大坂は秀吉に栄えた、でもそれは一時の夢だったともなる
ただ大阪が栄えのは秀吉だけではない、それだけの時間があって栄えたとなる

いづれにしろ時間軸で感じるものがあればそれは深く鑑賞できる、それがなかなかできない、それが問題なのである

2020年11月23日

冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)


冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)

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今日一日の変化



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冬薔薇花びら二片残るを見る

冬薔薇花びら一片夜に見る

冬薔薇花びら一片月光る



身近だと人間は時間軸で見ている、この冬薔薇は花びらが二片残り散ってゆく
回りでも葉っぱが徐々に枯れてゆく、色が変わってゆく、昨日はあたたかったが今日は
北風が吹いて寒くなった  
そして夜見たら残った二片の花びらが一片になっていた
それを写真にとった
おりしも丁度三日月がでていた、こういうふうにリアルタイムで報告できるのがインタ−ネットなのである、また写生にもなる、刻々の変化を写生して報告しているのである
だからそれに合わせて見るには日々プログを見るのがいいとなる
でもそこまで見ている人はいない、見るにしても時間がとられるからである

人間は時間軸と空間軸で見る、でもA地点からB地点へ移動しても時間軸で見れないのである
それは短い時間でもそうである、この庭を見ても刻々変化しているからだ
時間軸で見れないことは浅薄になる
時間軸で形成されたものが見えない、理解できないのである
ヨ−ロッパとかは2000年の歴史があってもその遺跡が残っていても理解するのがむずかしいのである

時間軸で形成された街があってもそれを理解しにくいのである
相馬市は六万石の相馬藩の城跡があってもそこが外から来た人が城下町として意識しにくい、城自体も残っていないからだ
ただ地元になると何か相馬市は違うなといつも思うのである
そこがやはり城下町だったということを意識するものがあるということである
何か時間軸で形成されたものが雰囲気としても残されている
でもそれを外から来た人が感じるのはむずかい
それは海外旅行してわかる、ヨ−ロッパは古い歴史があるとしても時間軸で形成されたものを理解するのがむずかしいからである
そもそもどうして2000年もの時間軸で形成されたものを理解てきるのかとなる

京都も千年の歴史があるから日本人だとその時間軸で形成されたものを感じる
それもは人によるがやはり雰囲気として残っているからだ
でも東京には江戸百万都市を感じられないのはなぜだろうとなる
皇居がしったとしてもあそこに江戸時代を感じないのである
それは結局高層ビルとかビルに埋め尽くされた結果、昔を偲ぶものが消失したからだとなる、ただ現代だけがそこにあるのである

いづれにしろ時間軸と空間軸で形成されるの世界観である
だから原発事故で避難して故郷を失った人たちがいる、そこで失ったのは空間もあるが
時間軸で形成されたものである、そこは江戸時代から人が住んでいたからである
そこでも代々時間軸で形成されたものがありそれが失われたのである
ただ時間軸で形成されたものは理解しにくいのである
ただ失ったものが何であったかそれを考えるとそれが金では買えない貴重なものだったともなる、それは意識されにくいからである

ともかく庭の冬薔薇は二片残して散る、でも散ったあとでもここに咲いていたな意識する余韻を残すのである、それが時間軸で見ていることなのである

旅人の平泉去る秋の蝉

これは自作だけどここでは空間軸と時間軸を現した句なのである
空間的に平泉を去る、その時時間軸としては夏から秋になっていた
つまり旅は空間軸で行われるがまたここでは季節の移り変わりも感じていたのである
何か自分の句を自分で鑑賞したとなる、この鑑賞とか評論することも相当に理解力がないとできない、そういうことがインタ−ネットでは欠けている
深く読んだりしない、表面的なもので終わっているのである 

まず創作しなくても評論できる人は芸術家と同じだともなる
なぜなら芸術そのものが鑑賞することがむずかしいからである
また小説などにしてもそれを理解することがむずかしいからそうなる
ただ年になると鑑賞力がついてくるから評論家に向いてくるのである
自分自身の俳句を評論しているのも奇妙だけどそうなる
第一こういうふうに鑑賞している人はいないともみるからだ

そもそも芸術となると鑑賞すること自体むずかしいのである、でも本当の芸術は芭蕉の
奥の細道のようにそれが400年とかの時間を過ぎてもそれが古くならない
深みをましているというのが真の芸術だとなる

2020年11月22日

冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る


冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る

(写真十枚ー俳句、短歌連作)

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クリック拡大-八沢浦
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かすかに山頂に雪が見える

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これは磯部の墓地にあった墓

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ボラが跳ねる

相馬の城下町

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クリック拡大-高い空に白鳥が飛んでいた

白鳥は夕暮れになると群れて飛ぶ



浜通り冬タンポポや望む海

松川浦小春日和や釣りの人

残菊や誰が眠るや墓一つ

とある村墓も根付く冬薊

金華山遠くに望み冬の暮

かなたかな泉が岳も見ゆ冬霞

みちのくの遠くの山や冬霞

城下町忠義に仕ゆ冬の松

城下町六万石や柿に松

城下町お堀に数羽冬の鴨

落葉して相馬の人我が語る

冬の夜の三本松や雲に月

繊細に枯木の枝伸び月光る


三県にまたがり蔵王大なりき相馬しよりも冬の日望む

安政の墓や磯部の古りにしを村は津波に流され消えぬ

ボラ跳ねて松川浦に船あまた小春日和や人多く来る

冬の樹の堀に映して枝々の交差し伸びて城下町暮る

白鳥の夕空高く飛びにけり月光り星いくつか煌めく
                                              

今日は朝が寒かったが昼になりあたたかくなった、それで磯部を回り松川浦を回り相馬市の城下町を巡った
あたたかいから冬タンポポが咲いて海を望む、これが浜通りであり会津とかとはかなり違った風土なのである、あたたかいということである

蔵王は八沢浦から結構大きく見える、今日も見えた、磯部からも見える
実際は冠雪しているのだがそれが今年はまだはっきりしない

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌は山形県と宮城県と福島県からは見える、あとは見えないのだからあっていない
また松川浦の高いところから金華山が見えた、遠くが霞んでいたが金華山は形が三角になっているから判別しやすいのである
さらに遠くに泉が岳も見える、1100メートルになると遠くから見えるのである
400メートルの鹿狼山でもいつも遠くから見えるからだ
ただ山でも常に注意して見ていないと見えないのである
今回は冬霞になっていて見えにくいが私は心の眼で見たとなる
薄い雲がかかって冬霞になっていた、でも冬霞は春まじかにふさわしい季語らしい
でも今日はまさに小春日和だから冬霞になったのである
霞というともともと春であり冬にはふさわしくないがあたたかい冬でも霞になる
季語はいろいろあって解釈がむずかしいのである
                                                        
磯部では高台の墓地によって、ここには安政時代の僧侶の墓があったからここも古いのである、寺島という姓は石巻から移住してきた人の姓である
あとは佐藤氏が多いのは佐藤氏が磯部氏を支配していたからである
相馬氏が支配する前は相馬市辺りを支配していたのである
何か高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移ったのである
そのあとに慶長津波が来たのである、だから予兆を感じて移ったとかとなる
いづれにしろ磯部は古いのである、でも津波で村は根こそぎ流されたとなる
ただ高台の家だけが残ったのである

松川浦ではバイクが百台くらい終結していた、何かバイク仲間の会合があったらしい
それでどこもレストランとかは満員だった、並んでいた
新しくできた市場も行列して並んでいた、いろいろ復興はしてきた
ボラが群れなして泳いでいた、そして跳ねた、前は広い海で魚が跳ねるのを見た
その時、生命の躍動感を感じた、広い海原でトビウオが跳ねるのは躍動している

松川浦から相馬市街に入る、相馬の城跡の紅葉が美しかった、ちょうど冬紅葉になっていた、写真を撮った所は一番いい場所だった
城跡の石垣も見えるからである、相馬の城跡は石垣があまり残っていないから貴重だとなる

相馬市の謎は何かいつ来てもしんみりするのである、原町も市街があるのだがまるで違った雰囲気なのである、それがいつ来ても不思議だとなる
城下町の雰囲気を残しているともなる、高いビルなどが建つと雰囲気がなくなることは確かである
ただ城下町といっても城もないし石垣にしてもわずかだし何か歴史を偲べるともならないでもやはり城下町でありその雰囲気が残っている
お堀に鴨が数羽いる、するとそれがまるで忠臣のようにも見えるから不思議である
それが歴史というものなのだろう
何か相馬の人と語る、落葉している城跡で語る、するとそれが歴史を語ることにもなるのである、そういう雰囲気があるからそうなる
何か語る時そうした雰囲気がある場所で語るとはずむ、それはその雰囲気がそうさせるのである

それから冬の樹が堀に夕べ映っていた、それを見て中村草田男の「冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男 」を思い出した、ただこの堀の水は濁っているからそうともならない
ただ水に移る冬の樹はそういう感じになる

日は短い、5時で真っ暗になった、月が雲に光っていた、木の枝に月が光る
写真に撮ろうとしたが失敗した、だいたい夜の写真は相当にむずかしい
これはプロ級でないとうまくいかない、いつも失敗している、カメラでもレンズでも夜の写真用でないとうまくとれないのである

ともかく相馬市の道の駅の近くの五本松があった所を帰る、でもその松は三本しか残っていない、だから三本松になったのである、でも三本松でも何かその松に親しみを感じるのである







寒雲、冬薔薇(御田母神の社)


寒雲、冬薔薇(御田母神の社)

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寒雲の流れずとどまる街の上

寒雲や老婆一人街を行く

寒雲や耕作放棄地に小屋一つ  

家に籠る女性一人や冬薔薇

落葉してゲートボールや山の村 


北風に松一本や紅葉映え御田母の社残りけるかな

冬の薔薇一輪あわれ今しばし我が庭に咲き見取り散りなむ


昨日はそれほどでもなかったが今日は朝から寒いし北風も吹いている
冬らしいとなる、ダイユーエイトの前に御田母神の碑がある
そこに松一本がある、隣の店の紅葉に映える
御田母神とは三春に由来するらしい、そこから移住した人が祭ったともなる

「田母神」姓は福島県に縁のある姓である。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区がある。同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれている。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかある。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれている。

郡山市立田母神小学校

田母神俊雄 - 航空自衛隊第29代航空幕僚長

田母神は間違いなく三春から発して郡山に移る、だからそこから移住してきた人があそこに祀ったのである
今は田はなくなったけど社は残っているのである
姓にしても自衛隊の幕僚長は有名だったけどそれはまさに郡山の田母神(たもがみ)村から由来しているとなる、姓の基は村だからである

都会にも社があるけどその周りは市街化して元の状態が失われた、田畑もなくなってビルなどが建つともともとあったものがイメージできなくなる、東京とかになるとそうである
寒雲が街の上にとどまる、耕作放棄地に寒雲がとどまる、何か現代社会の風景である
街はさびれているし耕作放棄地も現代を象徴しているからだ

冬薔薇が一輪咲いて散らむとしている、この薔薇の色はいい色である、赤でもないが明るい色である
また60以上で一人暮らしの女性も多いのである、それが現代を象徴している
俳句とか短歌でも現代の社会を反映する、それが逃れることができない
江戸時代だったら江戸時代の社会を反映する、時代を反映する
その時代のことか時間がすぎるとわかりくくなるのである
現実に高度成長時代が過去の物語になったことでもわかる  
その雰囲気は今とは相当に違っていて活気があったとなるがその時代の雰囲気も何か不確かなものになる、私の場合は会社員でないからその時の景気の良さとかはわからない
でも東京で土地が馬鹿高くなったのは覚えている、土地バブルになったのである
金余りになり土地に余った金が投資されてそうなったのである
でもそれは田舎では関係ないことだったのである

2020年11月19日

大倉から真野川渓谷の紅葉


大倉から真野川渓谷の紅葉  

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大倉の碑
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これに気づかなかった、葉山祭りと有名だったら葉山という地名があった


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冬の日にここに動かず鎮まる石

冬日さし大倉に並ぶ古き碑 

大倉に古き碑並び落葉かな


一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

山に入り冬の蝶あわれ一つ飛ぶまもなく消えむさらに分け入る山

大倉に三匹ほどの虫の音を耳をすまして聞きて帰りぬ


大倉への坂を上る所にこの大きな石が隠れるようにしてある
この石は貫禄がある、だからいつも注目して見ている
でも他から来た人だと隠されるようにしてあるからわかりにくいのである
その隠されているところがいいとなる

大倉から霊山の方に行こうとしたが去年の水害で交通止めになり行けなかった
普通は自転車だと行けるが奥の方がさらに崩壊が激しく行けなかった
でも紅葉はきれいだった、写真を撮った所は車では入れない所がある
この工事は長くつづくから当分は通れないのが残念である

大倉の消防署とかあるとこにこの碑が並んでいた、寛政とか慶応とあり江戸時代のものである、大倉の歴史は古い、葉山祭りなどがあり古い、葉山橋とかあった
でも今はどれくらいの人が住んでいるのか、ただ新しい牛舎が作られていたからまた牛を飼うことを始めている、だから人は住んでいる
でも減ったことは確かだろう

とにかく霊山まで行けなかったことは残念である、紅葉の盛りであり歴史の道となっているのがこの辺だからである

2020年11月16日

冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない
この風景も普通は見逃している
たまたま写真とって発見したのである

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冬薔薇

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紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである

2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである

2020年11月13日

冬の日に大原を回る (暮らしと生業がないと村も活きない)


冬の日に大原を回る

(暮らしと生業がないと村も活きない)

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新田川ユッサの庭

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冬の蝶
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ユッサから大原の道


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空家の斎藤家が見える
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大原の幽霊屋敷

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この柿の木は古い

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寒雲や老婆一人の通り行く

冬日さし石の二つやお茶を飲む

木の葉散る大原の道墓地を見ゆ

残菊や大原の里の小径暮る

大原や老木の柿今もなる

大原に数羽飛びけり冬の蝶 

大原や薊に蝶のとまりけり

竜胆の隠され咲きて山の村           

大原と大谷村や冬の暮  

太原に空家残りて冬の草

冬の日にのろのろ歩む亀ととも

大群の烏終結冬日没る


前田から遠田とありぬ冬の日や大原のくらし空家残りぬ

冬の日や杉の木立に隠されて大原の人ここに眠りぬ

大原に生きて死すかなその人のなおここにあらむ冬の日暮れぬ 


橲原から山の中の新しい道を行き大原を回った、新田川のユッサで休んで回ってきた
この辺では橲原村とか大原村は街から離れていて山の村となる
ただ原発事故以後田畑はまた回復していない、荒地のままである
ただ最近放射性物質の貯蔵した土が運ばれて元にもどりつつはある

でも何か山の村という感覚にともしなくなっいる、それは原発事故があったからだけではない、そもそも山村とかはグロ−バル経済とかも影響して木材は利用されないとか農業は金にならないとか様々な時代の影響で衰退して過疎化した

ただではもともと山の村とかさびれたところだったかとなるとそうではない
山には木材があり炭焼きなどをしていたときはにぎわっていたのだ
その証拠が今の人口の倍くらいどこでも生活していたのである
特に戦後は引揚者が職がなく辺鄙な場所に開墾に入ってきた
鹿島区だと寺内にその開墾者が入った人の碑がある
街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
自分は子供の時そこに知っている人がいて店をしていたとき卵を買いに行ったからそこに引揚者が開墾に入ったことを知っている、それは相当に貧しかったのである

大原村の中心は前田というある場所である、前田とある場所は早くから開かれた場所である、それと対比しして遠田となると遠い田であり前田から遠い場所なのである
地名として残っているから明確である
つまり日本人は田を作り米を食べることでどんな所でも田にしたのである 
大原遠田という地名がありかなり奥である

とにかく大原では南相馬市の病院に入院していたとき斎藤氏と同室でありそれでその窓からいつも大原の方をながめていたのである
その人もまもなく死んだ、そして杉木立の中に隠されるように墓地がありそこに眠っている

そしてその住んだ家は空家になっている、入院していたとき猫のことを心配していた
すでにその時から一人で住んでいたのである、息子は街の方に住んでいるからである
それで何か後継ぐことで息子に言い残すことがあったらしい
一軒の家はなぜか壊されないで幽霊屋敷のようになって残っている
その風呂は煉瓦の風呂でありそういう風呂を作ったということはそれなりに金があったともなる
なぜなら戦後の風呂は私の家では鉄砲風呂であり父親が手作りでその風呂屋を作ったのである、だから煉瓦の風呂となれば贅沢だとなる
いづれにしろあそこの幽霊屋敷は壊さないのはなぜかとなる、本当にあそこからは幽霊が出てくる感じなのである

なぜ原発事故と関係なく山村は衰退して過疎化したのか?
何か大原であれ橲原であれ栃窪村であれそれは飯館村とは違って街が近い、だから今になると街が山の方へ拡散して山の村として自立してはいないのである
街の延長のようになっている、特に石神村などは市街化した村なのである


ともかく日本の山村が過疎化しているというとき時代の変化でそうなった
村でも昔はそれなりに繁栄して自立した面もあったのである
暮らしといっても農業は主とならずみんな会社員となる
木材も外材になり利用されないとかなにかと活気がないのである
何か山村が空洞化する、原発事故以後は特にそうなった

でも不思議なのはどこの山村でも今の人口の倍以上ありその人口を養うものがあった
それが時代の変化のなかで村が空洞化してしまったのである
ただ街の延長として存在するようになっている、だから村の魅力が消失する
村の残影だけがそこにあるような感覚になるのある
昔は村は生活の場所であり生業の場所であり人間がそこで生き死ぬ場所だったのである
もちろん外との交流があったにしろ基本的に村は自立していたとなる

ただ今でも地形的には橲原村と大原村は奥座敷なのである
それで深野のユッサはいい場所にある
今日はその庭の石二つを見て休んだ、そこで飲むお茶は落ち着くとなる
ただ正直あそこは景観的にも庭も貧弱だとはなる
もっと大きな庭とか森を感じるものがあるといいとなる
ただ何か小鳥が飛んできたからそれなりに自然がある場所なのである

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イオンに行く所の家で飼っているリクガメは大きい、ゆっくりと歩いている
60才とかいうのも驚く、もっと長生きするらしい、すると飼っている方が早く死ぬということがある、亀は万年というのは本当だった

烏の大群が電線にとまっていた、何羽いるのか百羽はいる、なぜこんなに集まったのか?原町は広いから烏も多いとなる

ともかく今日は風もなくあたたかくて良かった、自転車は風に弱いし寒さも弱いからである
だから冬とい感じもなかった

2020年11月11日

晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)


晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)

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晩菊やふるさとの小径飾り暮る

晩菊のここに落ち着き咲きて暮る

残菊のあまたや暮れむ田舎かな

十数輪ここに暮れむや冬薊

夕日さし芒なびくや電車行く



写真とるようになってから何でもないものをカメラを通してみる、すると見えないものが見える、またカメラで肉眼では見えないものを見ようとしたりする
だから意外とカメラの効用は大きい、今まではただ撮り記録するだけだった
今は一シーンでもより効果的に美的に画家のように残そうとする

その一つの例が冬薊の写真である、最初薊だけを撮っていた、でもそれだと季節がいつかわからない、それで枯れた葉を映し背景に枯野があり冬の没する陽がさして明るくなっていた、これで季節がわかるともなる

もともと自分は正岡子規の写生俳句から俳句をはじめたし短歌もアララギ派とか写生を基本にしてはじめた
だから写俳という分野が生まれたことは新しい芸術の分野が生まれたのである
それはデジタル化されたカメラが生まれた時生まれた
なぜならいちいち現像していたらとても表現できないからである

デジタル化するとインタ−ネットとつながり即座に発表もできるからだ
インスタグラムなどでもそうであるし他のSNSでもそうである、ただ自分はしていないいちいち答えるのがめんどうになるからだ
毎日こうしてプログに出すだけで時間が撮られるからできない
家事を全部していると何かかにか仕事がありできない

何か晩菊とか残菊というとき淋しい感じになるが実際は多く咲いているとそういう感じでもない、ただ晩菊とあれば淋しいという感じになる
やはり年取ると晩菊であり残菊をイメージする、何かここに落ち着きたいとなる
でも経済的に毎月電気水道ガスを払えない貧乏になると落ち着けないともなる
それが田舎の問題でもある、ある程度の資産があり貯金でもあり余裕がないと田舎でも落ち着いて暮らせないのである

どうしていい写真を撮るかというとき今回芒の写真をとった、これは鉄道のレールの近くでありこれを電車と一緒にとるといいと見た
だから次はそれを試してみよう、写真はある場所を選び構図を選らびとる
だから旅して移動していると写真はとりにくいと思った
地元なら構図を何度も同じ場所に行くから設定できるからいいのである
写真をとることは結構な労働なのを知った