2018年11月21日

晩菊ー北風唸る家(詩)


晩菊ー北風唸る家(詩)

  
  晩菊や色とりどりには映えにけり
  
  晩菊や落ち着きて死ぬ場の欲しも
  
  我が家に一人残りて日向ぼこ
  
  
  北風のうなり誰住むや家の跡に松一本のここに動かず
  
北風唸る家  

木の葉が一二枚
ぽったりと家の中に
また貧しき人が来る
再び北風が今日吹き
我が家にうなる
この家にも悲しみと苦しみが
憎しみといがみあいと争いも
そして笑いと楽しさが
一家団欒があった
しかしそれも昔となりぬ
今は誰もいない一人
この家は父と母と姉が残したもの
私には幸いを与えしもの
家族はみんな死んだ
私が一人この家に残る
二階の広い廊下で一人日向ぼっこ
私には幸いが与えられた
北風が唸っても
この家はなお残り住む
私は一人この家に安らぎ守る
家にはなお家族がいるかもしれぬ
私を見守りつつまた思い出の場所として
・・・・・・・・・・
  

人間は最後は思い出だけになってしまう、死んで何が残るかとなると思い出なのである
でも思い出といっても何か形になっていないと思い出せないとなる
だから老人は思い出に生きるというとき、その思い出の場所が家であったり故郷だったりする
だから原発事故で避難しても老人は故郷に帰り家に帰りたいとなる
また老人ホームに入った人でも家に帰りたいというとき実は家族があった所に帰りたいとなる、でもその家族が実はなくなっているのである

なんか家というのはただの建物ではない、そこは思い出がつまった場所なのである
それでなかなかそこにある喪のでも思い出があるから捨てられないということがある
終活とか言われるけど全部の物を捨てることはしにくい、何か思い出がしみついているものがあるからだ
ものはものがつくとかものは単なるものではない、物心とかあり物と心は日本では一体化している、分離しないのである

家は物ではあるが何か物だけではない、そこに人間が60年とか住んでいれば人間が住んだ生活した思い出がつまった場所なのである
そこに家の不思議がある

ただ家族でも家でも必ずしもそこがいいとは限らないのである
親にひどいめにあった人は墓参りする気すらない、いい思い出がない人もいるからだ
私の場合は過分に親から幸いを与えられたのである
だから死んでからも親が姉が私に与えて残してくれた家になお住むことでまた幸いを感じているのだ
今まではそういうことを思わなったが死ぬと人間は本当に見方が変わる
死んでその人の価値とかを見直す、残されたものでもそうである
だからこうして家族がみんな死んでも残された家にいることが幸せだとなる

ではもしこの家を賃貸して住んだとしてもこういうことは感じない
ただ家賃を払う家である、ただ家が広くて便利でいいなとかはなる
でもそこに自分のように思い出をかみしめるとかにはならない
ただ広い家でいいなとは感じる
だから家というのは家族にしかわからないものがある

それで不思議なのは近くにある誰が住んだ家なのかわからなくなった所である
そこには松一本が残っていて北風が唸る、冬の日がさして残っている
それはがなんとも不思議なのである
家がなくなってもなお松が残っている、その松はその家の標しのように残っている
そこに家族も家もなくなったがそこに家があったということ家族がいたということを受け継いでいるか感じになる
それは自然の中の木ではない、松ではないからである
何か松は人間に見えるのである、あまり高くもない人間より高いにしても人間のように見えるからである、だから松は人間のように短歌にも残されているのである

晩菊というとき何か今や落ち着いて死ぬ場があればとなる、最近そういうついの住処をどうするのかとかそうした老人を問題にした番組が多い
人生百年をどう生きるかとかどこで死ぬかなどが問題になる
それだけ老人が多いから老人について話題になる
やはり落ち着いて死ぬ場所となると故郷であったり家族であったりする
そういう場が奪われた原発避難区域は悲惨だったとなる
金もらったとしてもそうである、そういう精神的損害は償いようがないからだ
でも限りなく賠償を要求することは許されないのである
だから原発事故で失ったものは大きいのだけどそれを外部の人とかあまり感じないのである、賠償金もらったからいいじゃないかともなる

北風が唸ったときどうしても姉が認知症が発症したことを思い出す
その時から自分のこの家での苦しみがはじまったからである
その時はまさに厳しい北風が我が家に唸り吹いたのである
それからプログで書いたきたように地獄を経験したのである

でもそれが終わるとこの家で一人残り思い出の場としてありつづける
それは結局自分は過分に家族に良くされたからである
そうでなければそんなに家族でも親でも思わないからである

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2018年11月16日

新地の右近清水の溜池は広い (鴨の詩)


新地の右近清水の溜池は広い

(鴨の詩)


広き溜池に渡りの鴨や
色鮮やかにつつがなく
荒き波もたたず
ここに交わり安らぐ
そは争うことなく
ここに集い憩いぬ
人は常に争いやまず
故に人はみな疲れぬ
今安らぐ鴨を見て
我も安らぎにけり


鴨は冬の季語である、渡り鳥でありきれいな鴨もまじる、鴨の種類は多い
冬に鴨が渡ってくるから冬の季語になる
ここの溜池は広々としている、溜池でも気持ちいいとなる
溜池でも広い沼のような溜池もある、日本では溜池は多い

ともかく人間には争いが絶えない、どんなにしても争いが絶えない、終わることがない
家族だって争いがあり平和がない、男女間でも争いがあり平和がない
三分の一が離婚することでもわかる
この辺は原発事の補償金でもめた平和がなくなった
それで復興しにくいということもある

まず田舎の人間が素朴などということはない、畑している女性が前の畑の人を嫌がっていた、でも最近病気が悪くなり畑をできなくなったので喜んでいる
また住宅の隣にも嫌な人がいると常に言う
田舎の人間が素朴だとかは今はない、飯館村などはいい村だったけど原発事故以後はやはりいろいろなことでもめる、一番もめいてるのは補償金のことでありそれで村が二分した

要するに飯館村でも隠されるようにしてあったときが良かったのである
その時は自分は何もかかわっていないから良かったのである
新地に行ったとき良かったのもその土地の人とかかわらないからである
近くだから関係あるにしてもその土地に住んでいるわけではないからである

だから私自身が田舎を嫌って旅ばかりしていたというのもそういうことがあった
田舎からの脱出願望は誰でももっているのである
その人間関係が嫌になるのである
ただ遠くから外から来た人なら自然があっていいなとなるのである

ただ何か新地までは故郷の延長のようになる
山元町となると遠いと感じる、そこは宮城県と感じる
新地は特殊な事情で相馬郡になった、もともとは伊達藩だったのである

私の家の父親の前の妻は新地出身の人だった、その人とは会ったことがない
戸籍を見てわかった、戸籍から親類の系統をたどることができる
その新地の女性は自分の家の墓に埋まっている
それでお参りしているのも不思議だとなる
新地とかでも婚姻関係を結ぶ人が多いということである
しかし今はとんでもない遠くの人と結婚する
だから原発事故で避難した人たちは全国に散らばったのである
結婚した妻でも遠い地域に住んでいるからである

自然には平和を感じるが人間社会にはない、自然を見てなごむというときそこに人間社会にはないもの、争いがないから何でもない風景でも平和を感じるのである

2018年11月15日

冬の日の新地の詩 (芸術は平和でないとありえない−新地に平和がもどった)



新地の右近清水の溜池は広い

(鴨の詩)


広き溜池に渡りの鴨や
色鮮やかにつつがなく
荒き波もたたず
ここに交わり安らぐ
そは争うことなく
ここに集い憩いぬ
人は常に争いやまず
故に人はみな疲れぬ
今安らぐ鴨を見て
我も安らぎにけり


鴨は冬の季語である、渡り鳥でありきれいな鴨もまじる、鴨の種類は多い
冬に鴨が渡ってくるから冬の季語になる
ここの溜池は広々としている、溜池でも気持ちいいとなる
溜池でも広い沼のような溜池もある、日本では溜池は多い

ともかく人間には争いが絶えない、どんなにしても争いが絶えない、終わることがない
家族だって争いがあり平和がない、男女間でも争いがあり平和がない
三分の一が離婚することでもわかる
この辺は原発事の補償金でもめた平和がなくなった
それで復興しにくいということもある

まず田舎の人間が素朴などということはない、畑している女性が前の畑の人を嫌がっていた、でも最近病気が悪くなり畑をできなくなったので喜んでいる
また住宅の隣にも嫌な人がいると常に言う
田舎の人間が素朴だとかは今はない、飯館村などはいい村だったけど原発事故以後はやはりいろいろなことでもめる、一番もめいてるのは補償金のことでありそれで村が二分した

要するに飯館村でも隠されるようにしてあったときが良かったのである
その時は自分は何もかかわっていないから良かったのである
新地に行ったとき良かったのもその土地の人とかかわらないからである
近くだから関係あるにしてもその土地に住んでいるわけではないからである

だから私自身が田舎を嫌って旅ばかりしていたというのもそういうことがあった
田舎からの脱出願望は誰でももっているのである
その人間関係が嫌になるのである
ただ遠くから外から来た人なら自然があっていいなとなるのである

ただ何か新地までは故郷の延長のようになる
山元町となると遠いと感じる、そこは宮城県と感じる
新地は特殊な事情で相馬郡になった、もともとは伊達藩だったのである

私の家の父親の前の妻は新地出身の人だった、その人とは会ったことがない
戸籍を見てわかった、戸籍から親類の系統をたどることができる
その新地の女性は自分の家の墓に埋まっている
それでお参りしているのも不思議だとなる
新地とかでも婚姻関係を結ぶ人が多いということである
しかし今はとんでもない遠くの人と結婚する
だから原発事故で避難した人たちは全国に散らばったのである
結婚した妻でも遠い地域に住んでいるからである

自然には平和を感じるが人間社会にはない、自然を見てなごむというときそこに人間社会にはないもの、争いがないから何でもない風景でも平和を感じるのである

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冬の日の新地(俳句10句と写真)


冬の日の新地(俳句10句と写真)

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宝暦は古い−新地には文禄の碑もあったから伊達藩に属していて古い碑がある

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右近清水の広い溜池



冬の日や社を守る古木かな

農家古り古木にさしぬ冬日かな

駅も古り相馬にとまる冬柳

海の青映えて冬田やゆ新地かな

落葉踏み古き碑たずね沼に鴨

枯菊や喫茶店一つ昼の月

枯菊に二両の電車昼の月

蔵一つ扇の紋や木守柿

冬の蝶二羽や新地の小径かな

冬の日や人影まれに新地駅


新地の地形の特徴は海が迫って見えることである、それで手長明神の伝説が生まれた
手の長い巨人が海から貝をとって食べていた
それは貝塚が高台に発見されたことによっている
つまり海から高台になっていて海が迫って見えるのである
だから新地の地形はより海を感じるのである
平地だと海が遠くに感じるし平地からは見えないのである
それで冬田から青い冬の海が見えたのはいかにも新地らしいとなる

それから新地には林が多くその間を自転車で行くのに向いている
ただ新地までは遠いので今度は折り畳み自転車で回ることにした鹿狼山(がろう)山までは坂があるので行けない、でもタクシーで2000円とか言っていた
だから行はタクシーで帰りは自転車で坂を下ればいいとなる
鹿狼山に上れば丸森の方も行きやすくなるなと思った

駅前にアジュールという喫茶店一つあった、そこから眺めた景色も不思議だった
葱畑(ねぎ)畑があり二両の電車が行く、そこで気づかなかったのが昼の月が出ていたのである、そして向こうに墓地が見えた
新地で漁村は全部消失した、そしてあそこの高台の墓地だけが残った
この辺では海老村とかそうであり高台の墓地だけが残ったのである
こ不思議な風景である、そもそもこんなに風景まで変わることが夢のようだとなる
こんな風景を見ていることが信じられないとなる

ただその喫茶店の人は年配の人だった、若い人がしている感じだったが違っていた
それでその墓地のことを言ったら笑っていた
この昼の月をぼんやり見ていてそして墓地のことを言ったら笑っていたことで
津波も昔となりつつあるのかと思った
平和が再びやってきたのかと思った
数年前でも墓地を見て笑っていられないだろう

今でも原発避難区域は小高から浪江と悲惨である、こんなふうにはありえない
俺たちは苦しんでいるんだ、被害者なんだと、お前ら人が苦しんでいるのに物見遊山に来たのかとか何も言われなくてもとがめられる
実際に自分もプログに書いてお前は人の苦しみを見て楽しいかとか言われたからである
そういうつもりでなくてもそこには観光気分では行けないのである
今でもそうなのである、どうししても心苦しくなる

でも新地は津波の被害が確かに大きかったが原発事故の被害はなかった
その差が大きかったのである、新地駅は前より良くなった、それも小さいのに贅沢だなとつ,くづく思った駅前も開発されるから駅前に人が集まる、温泉も出たということも幸運だったのか?何か原発避難区域との差がありすぎた
鹿島でも前より人が増えたし施設とか食堂とかも増えたし新しいホテルまでできた
だから前より良くなった面があるのだ

ただこう感じたのは実は自分自身の心境もある、家族がみんな死んだのだが介護で約十年苦しみ続けた、それから解放されたということもある
もともと私は30年くらい平穏にのんびりくらしていたのである
まさに昼の月だったのである、そういう恵まれた環境にあった
それは一転して家族の介護とか津波や原発事故になったのである
自分自身も病気になり介護しなければならなかった、それでどうしても余裕がなくなったのである

そのことから解放されて前のようにのんびりと昼の月を見るような心境になったともいえる
その喫茶店に一時間くらいじっとしていて何か十年前の気分になった
そして一時間がいた結果、あそこに墓地があるなとか昼の月が出ているときづいたのである、やはり何かその土地のことはやはり過ぎ去るだけではわからない
一か所に定点観測するとその土地のことが記憶される
遠くになると早く早く過ぎ去るから記憶に残らないし見るべきものを見ないのである
新地は散歩するのに自転車で回るのにいい場所である、地形そうさせているのである

今回は俳句にしたがこれを連続すると詩になっていた
俳句とか短歌から詩にすることができる、次はそれを出して見よう

タグ:新地 冬の日

2018年11月10日

木の葉散る (原町の道の駅でもみんなスマホ見ていた)


木の葉散る

(原町の道の駅でもみんなスマホ見ていた)


我一人墓を守るや菊に雨

晩菊をさして一人や墓守る

我が町の隠町にそ落葉かな

原町に行く間に散れる木の葉かな

道の駅原町に来て落葉かな

一軒の空家や松に紅葉映ゆ

何か墓守る人も必要なのか?墓の前を私は毎日買い物で通っている、だから自然と墓に毎日手を合わせるともなる、その墓がすぐ近くなので墓と一緒に暮らしているともなるのも不思議である
何か最後の仕事が墓守りとなることがあるのかと思った

何か今年の季節は変である、今日は原町まで自転車で行く、その間に木の葉が散る、
これも自転車で行くから季節を感じるのである
車だったら風とか何か季節を感じにくいのである
ただ逆に車なしの生活ができるということは車社会ではぜいたくなのである
なぜなら車がなかったら仕事もできない、免許がなかったら就職もできない時代だからである、私の場合は車がなくても仕事もないから自転車でまにわあせてきたとなる
風流は寒きものなりというときもそうである
自然を感じるにはあまりにも便利だと感じないのである  

俳句は写生である、原町の道の駅に落葉している、それはただ写生である
でも同じような俳句があるとして原町だということで同じものはないとなる
原町の道の駅には今日も行った、そしたらみんな9割の人もスマホを手にとって見ていたそれも老人でもそうである、60以上でもスマホを結構している
車で来ているから外部の人だと地理とかホテルとかわからないからそうしている
何か簡単に聞くわけにもいかないからそうなっている
でも変な光景だと見た、まずスマホを見ている人には話しかけられない
たまたま一人だけ案内の本をもっいてる人の所で座り話しかけた
その人もスマホを持っているというから10中9人はスマホを見ていた
歩いてスマホをしている、立ってスマホしている、これも異様な風景ではないか?

旅だとスマホばかり見ていると外の景色も目に入らないかもしれない、するとスマホばかりみて記憶に残らないともなる、旅だと必ずしもすぐに移動するから余計に記憶に残りにくいのである、スマホに集中する分、辺りのことが記憶に残りにくくなる
車にスマホとなるともうそこで木の葉が散っているなとか季節すら感じないかもしれないスマホは字が小さいし狭いから疲れる、パソコンの画面を私自身がいつもみているが画面が広いからそれほど目が疲れないのである
スマホばかりみている人には語りかけられない、駅でもいつもスマホを見ている

ただ私自身も旅して人と語ることはほとんどなかったから批判はできない
機械に頼るというときなぜそうなるのか?
旅してきて何か聞くにしてもそんな都合良く聞ける人がいないからである
道を聞くにしても正確に地元の人だった教えないのである
だからかえってスマホの方がいいとなってしまうのである
ただその便利さが旅をしても人との交流をなくすことがある
旅は道連れとしてスマホばかり見ていたらそういうこともなくなる
何が機械でも便利なものは人間的なものを奪うのである
第一車自体がすでに外部を閉ざす空間になっているからだ
だから車はただ移動するだけで風流は感じない、なぜなら風を感じないからである



本当にスマホのみすぎである、それが異様に感じないものもまた何か異様なのである
現代にはそういうことが結構ある、異様なんだけど異様と思わないのである
それが文明化された人間だとなっているのである


2018年11月03日

変わり果てた南相馬市萱浜の風景 (津波から7年半でも癒えない傷跡)

                                                  
変わり果てた南相馬市萱浜の風景

(津波から7年半でも癒えない傷跡)

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萱浜には墓地だけが残って向こうにロボット工場の建っているのが見える
大規模な工場なのである

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一葉松はやがて枯れる

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この墓地は前からかあったのか?
新しい墓が多い、津波で流されたのを再建したのか?





秋の海沖に船行く二艘かな  
                                                    
                                                      
駅前に木の葉一枚散りにけり今日も我があり暮れにけるかな
                                                          
秋日さす桜井古墳に今日も寄り遠き祖(おや)なれここに眠りぬ

新田川の河口にあわれ立ち枯れの木幽鬼のごとく秋の日没りぬ

一葉松枯れゆくならむ津波来てなお傷痕の癒えざりしかな

新田川芒の白くあわれかな白髪のごとし人も世も変わる

鴨あまたわたり来たりぬ新田川冬に入るかな墓は残りぬ

津波にも残れる木にそ烏かな萱浜の墓地秋にたずねぬ


萱浜に行ったけど工場地帯のようになった、ソーラーパネルにロボットの工場は意外と大きい、ビルも建った、あそこで雇用がかなりうまれるのか?
見た感じでは大きいからそう思う、一大ロボット工場になるのだろうか?

萱浜には墓地だけが残っていた、でもそこから見る風景はまるで違ったものになった
萱浜の面影は全くなくなった、ただ萱浜は前にも行っていたけど何か特徴ある場ではなかった、松原だって右田の松原のようなものはなかった
だから何か印象としていいものではなかった
そこで女高生が死んだのも印象を悪くしたのである、それは殺されたからである
それは津波起きたすぐ前だったのである
その死体は津波に流されて不明になったのである

なぜ萱浜があまり津波の前でもいい印象をもたなかったのか、それは真野漁港のような港もない、何か生業(なりわい)がない、するとただ家があるだけだとなる
松原もない、見栄えしなかったのである、そうはいっても農家があり営みはあったのである
人間の生活はやはり土地に根付いた生業があるとき活きてくる、それがないと活きてこないのである、それで原発事故で生業を返せということで訴訟を起こした
でもそもそもが海側では港がない、漁業がない所は生業もなかったのである
つまり港でも船が出入りしたりまがりなりにも魚をとったりしていると活きているのである、だからそういう場所はなくなると惜しいとなる
ただそういうことが今はできないから船主などは多額の補償金をもらって生活には困らなかったのである、萱浜は田んぼであり越中なのどの移民が多い場所だった
漁業はしていない場所だからあまり印象がない場所だったのである

生業(なりわい)を返せというときその生業とはなになのか?
それが良くわからない、農民とか漁業していればある、でも工場で働いていたりすると生業(なりわい)という感覚がなくなる
ただ山でも炭焼きなどしているのは生業でありその時山も活きていたのである

新田川の河口には今も幽鬼のことく立ち枯れの木が立っている
あれはまさに津波で死んだ人の幽鬼だと思った
まだ倒れないのが不思議だとなる、怨念のようにここに立っている
津波で死んだ人の霊がここにとどまっているという感じである

ともかく津波の被害の傷跡はまだ消えない、それだけ大きな被害だったのである
ただあそこにソーラーパネルとかロボット工場ができるとそうした過去もやがては忘れられてゆく、ただ7年半過ぎてもまだ傷跡は消えない
それが一葉松でもある、一部枯れたしやがて枯れてしまう
あの松はいい松だったから枯れると南相馬市では相当な損失である
でも右田の一本松も枯れたように枯れる

あそこに墓地が残っているのはなぜか?
津波で流されたの再建したのだろうか?
津波にも流されなかった枯木に烏がとまっていた、墓守りのようしてとまっていた
あそこは確実に津波が来ていたし家が結構あったが流されたのである
その写真をとったことがあり流された家の人が指摘したことがあった
それも今は全くわからない変わり果ててしまったのである


ロボットのまち、南相馬を目指して−

2018年10月31日

(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による

  
(秋から冬へ−初時雨)桜井古墳による
                                                  

森の中常行く道や残る虫

我が齢一年老いぬ初時雨

新築の庭の石濡らし初時雨

墓守りや烏とまりて木守神


新築の家建ち並び幾年や秋の日のさしてここになじみぬ

無人駅待つ人あれや秋の薔薇我が見につつくれにけるかな

ゆるやかに雲の流れて我がよりぬ桜井古墳に秋の蝶とぶ  

みちのくの桜井古墳大なりきここを登りて秋となるかな

みちのくの大なる古墳いくつかな海を望みて秋となるかも

耳澄まし桜井古墳に残る虫その音を聞きつ我が帰るかな


季節の変化がおかしい、秋となったがすぐに冬になった、なぜなら今日ははっきりと時雨になった、時雨らしい時雨だったからだ、初時雨になる、時雨は冬の季語である
明日は11月なのだから冬に入ったのである
ただこれまで結構あたたかいから秋という感じになっていた

家でも新しい家が多いけどなじむには時間がかるとなる、農家などはそうして江戸時代から定着しているとかあるから土地になじんでいる
この辺で他の土地から浪江とか小高とか他から移り住んでいる人が増えた
ただ誰が住んでいるかはわからない、もともとここに住んでいた人もいても何か他から来た人たちである、立派な家を建てたのは船主だとういことは原町でもそうだしここでもそうだというのはわかった
その他はわからない、ただこの土地の者でないものかなり住むようになったことは確かである
それで双葉か大熊なのかコンビニ強盗に入ったとか聞いたがそれが本当だとするとやはりそうして原発避難区域から入ってきている人がかなりいる
その人のニュースがあっても後はわからない

無人駅では駅では人が待っている、鉄道だと待つという時間が何か人間的なのである
高速だと待つという感覚がないからである、だから鉄道は車とは相当に違ったものとしてありつづけたのである、そこで出会い別れを演出した歴史ともなっているのだ
だから利便性だけで廃線にしたくないという地元の気持ちはわかる
でもどうにもならない、そんなことでとても残せないからだ

桜井古墳は大きい、こんな大きいものをこの辺で原町で作ったということはこの辺の経済力というか力を示している、桜井古墳は海側にあり海を望んで川も望んでいたとなる
海を望む古墳はあってもみちのくではない、ただ亘理の雷神塚古墳とかでも実際は古墳が作られたときかなり海が入り込んでいたから海側にあった古墳となる
でも今でも海が近く感じられるのはみちのくでは桜井古墳くらいかもしれない、
あそこは散歩の場所としてもいいからたちよる

ともかく初時雨だったけど最近腰をういためた、神経がぴりぴりして痛みがとれなかった一層白髪にもなった、それで体が弱ることが恐怖なのである
自転車に乗れなくなったらもう死んだようになる、それで車の免許を返納した80歳の人が失敗したというときまさに足がなくなることは極端に生活に支障をきたすからである
まず原町まで買い物に自転車で行けなくなったら不便になる
原町は8キロもない所にあるからそれで助かっているのだ

秋から冬なのだけどどうしてまだ秋であり冬という感覚にならなかった
でも明らかに時雨であり冬に入っているのである
ただ秋時雨とはかもあるから季節的には変だなと思うが今日は北風も吹いたし寒かった
やはり冬になっているのである
今家に帰ったら北風が吹いて唸っている、やはり冬になっている

2018年10月22日

柿のエッセイ(柿は日本で一番親しい果物−死んだ家族を思う)

                      
 柿のエッセイ(柿は日本で一番親しい果物−死んだ家族を思う)

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天高く馬肥ゆる秋草競馬

地に根付く変わらぬものや柿と松

ふるさとに墓を守るや柿なりぬ 

誰か住む小松に菊や小家かな

秋の蝶紋見せとまりSAによる


姉と母面影浮かび悲しかな故郷に住み秋となるかな

我が父は丁稚を勤め暖簾分けここに住みしも跡継ぎ住みぬ

我が母は大正生まれ柿好む貧しくを生き百歳に死す


原町の雲雀が原で草競馬があった、でも終わっていた
表彰式をしていた、この辺では野馬追いがあるからそうした催し物がある
馬というととき競馬だけどあれは馬が活きていない
馬は本当は草原のようなところで羊を追ったり走ったりしているとき活きている
だから草競馬などはギャンブルでもないしいいと思った
今は馬に親しむということがない、競馬だけになったから馬をみんな知らないのである

里ふりて柿の木もたぬ家もなし     芭蕉
                     
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規  


柿というのは何か質実なもの堅実なもを示していないか、ちょっと他の果物とは変わっている。昔の道を歩む、そこに柿がなっている、この柿と昔の道は良くあうのだ。果物というと外国産の果物はバナナでも食うだけであり日本にはなっていない、これは変なことなのだ。日本の土地に根付いたとき日本でとれるようになったときそれは食うだけでない文化となる。柿は寒冷地向きなのだろうか、橘というと南国をイメ-ジして万葉集にも盛んに歌われた。柿はなかった。柿の栽培はあとであった。日本では外来種の方が珍重された。梅も中国からきたものだしその梅が盛んに歌われた。日本人は植物からして外来種を外国のものを唐ものを尊ぶ文化があった。柿はその中でも食うものとして干し柿にもなったから食料として貴重なものだった。ミカンなどは食えるようになったのは江戸時代であり柿は最も早くから日本にあった。柿はどこの家にもあった。おそらく垣根とはこの垣は柿だったのだ。柿が植えてあるから垣根であったのかもしれない、それで大垣というのが漢字から石垣でもある城に由来しているのかと思ったらこれは「大柿」だったのだ

江戸後期から明治の初期にかけて生き(1805-1877)、備中松山藩に仕えた儒者・山田方谷(やまだ ほうこく)の手になる七言絶句の紹介です。
それも、「柿」を詠った漢詩のご紹介です。

○山村四時雑詠(冬)   山田 方谷
秋獲功終久息鎌  秋獲(しゅうかく)の功(こう)終(お)わりて久(ひさ)しく鎌(かま)を息(やす)む
更収園柿上茅檐  更(さら)に園(その)の柿(かき)を収(おさ)めて茅檐(ぼうえん)に上(のぼ)す
山邨冨貴初冬節  山邨(さんそん)の冨貴(ふうき) 初冬(しょとう)の節(せつ)
戸々斉垂赤玉簾  戸々(ここ) 斉(ひと)しく垂(た)るる 赤玉(せきぎょく)の簾(れん) 

柿というのはこういう風景として江戸時代からあった、柿はどこでもみかける、果物だとなかなか見かけない、この辺ではリンゴもないしミカンもない、ただ梨だけは豊富だからある、梨は安いのである
柿の不思議は柿というのに何か精神性を感じるのである
バナナとかミカンとか何かいろいろ果物があっても精神性を感じることはない、でも柿は別であり精神性を感じる
栗とかは果物には見えない、柿は明らかに果物であり実になっている
それから干し柿にもしているから冬の見慣れた景色になっている
柿はこれだけなっているのだから柿は日本の風景にとけこんでいた、そして柿はみんな食べていた
果物は贅沢でありなかなか食べられていが柿は食べていたのである

だから何か柿というとき見慣れたものであり確かに前の家の自分の庭にも柿の木があった
その庭は今の庭より広かった、そこに柿の木があった、渋柿だった、つまり街の中でも柿の木はあり柿の木は多かったのである
だから柿は日本の原産のようにも思える、でも中国が原産である、それでもKAKIとして外国津に伝わっているのはそれだけ日本には柿が多いということである 

私の家族はみんて死んだ、何かそれで父は早い時期に中学の時死んだので父のことは思うことがあまりなかった
それが家族がみんな死んだとき父を思うようになったのも不思議である
父は葛尾村から双葉の新山の酒屋に丁稚奉公した、そこで勤めて暖簾分けしてここに住んだのである
それは戦前の話である、戦後はまた違っていた、小さな子供相手の駄菓子屋みたいものを初めて店になり高度成長時代となり繁盛したその時は物がないから物を置けば売れたのである、それは中小の工場でもそうであり東京では人手不足になり集団就職で中卒が補ったのである

人間は親の影響が大きいのかもしれない、親が丁稚奉公したとか母が尋常小学校で原町紡績で糸取りしていたとか、あとは東京に女中になったとか、姉は従軍看護婦になり戦争で苦しんだとか兄は不幸にも集団就職してあとに交通事故で死んだとかそれぞれが戦前の歴史であり戦後の歴史になったのである
自分がここにあるのは親がいてその親の跡を継いでいるのである
だから歴史というと国の歴史とか大きなものがあるのだが実際身近かに感じるのは家の歴史なのである、それが二代でも歴史になるからだ
父親も母親も姉も兄も苦労したなとかなりそれを感じて生きることが歴史なのである
人間の生は一代で終わらない、必ず後の代にも影響する
それでカルマも受け継がれるとなるのである、カルマにもいいカルマと悪いカルマがある
この辺では放射性物質、プルトニウムの毒が二万年消えないとかのカルマを積んだのである

先人がどのように生きたかはその子孫に相当に影響するのである
もしそれを思ったら子孫のためにもいいかげんには生きられないともなる
そしてそういうふうに親のことでもかえって死んでから意識するようになる、父はこういう人だったなとか母は姉は兄はとかなる
だから死者というのは死んでからかえって意識されてふりかえることになる
つまり人間はそうして代々親から子へと何かを伝えて生きてきたのである
だから歴史の継承は大事になるのである、親がまともに生きていればその子もまともになるということは家系のことで言われることは納得する、ただ常に例外は人間社会にはある、親がいい人でまともな人でも子がだめな人もいるし親がだめでも子が立派になる人もいる、ただ一般的には親がまともに生きていれば子もまともになるというのが普通である

なんか家族がみんな死んでから、家族のことを思う、死者はどこにいるのか?
やはり故郷にいるのかもしれない、故郷をなつかしく思い死者はいるのかもしれない、ふるさとに面影として浮かぶのかもしれない
それは何か理屈ではなく感じるものがある 
いづれにしろ柿と松はあっている、それは変わらないものの象徴なのである
堅実であり質素な感じになる、精神性をもつ、そしてこの辺はあまりにも変わりすぎたのである
そのショックが未だに続いている、結局今や自分は墓守りなのか?
それには柿があっているのである                 
                           

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2018年10月18日

秋の夜(仙台まで電車で行く)


秋の夜(仙台まで電車で行く)


ふるさとの墓を守るや柿なりぬ

秋晴れや金華山見え電車行く

東口通りの広く秋の風

新書のページをめくり秋となる

待ち合わせ電車のとまり秋の夜

単線や秋の夜長の待ち合わせ

虫の音や新地にとまる昔かな

月光る切符を入れて無人駅

我が家に帰るもあわれ残る虫


墓を守のが勤めだということもある、誰か知らない人が花をいけたりなぜか大きな梨が置いてありそれが烏に食われていた、誰かが梨をあげたのか?
まず死んでからでもそうして何か上げる人は死んだ人を思っているということである
人間は死ぬともう何の義理もなくなるから関係しないからである
だから何か死んでから墓でも花をさしたり何か供え物をする人は死んだ人を思っているいる人でありありがたいとなる

今日は約半年ぶりで仙台に行った、新地駅から金華山が見えた、秋晴れで見えた
ただ金華山があそこに見えると意識していなと小さいから見えない
新地駅からは晴れたら金華山が見えると意識しているから実際に見えたのである

仙台の東口とかを歩いた、通りはあそこは広い、秋の風がそよぐ
今日は本当は登米の方に行こうとしたが何かめんどうなので行けなかった
電車で行けないのところはめんどうになる、だから電車で行けない所は行っていないところがある、それで自転車でその行けない所に行ったがやはり自転車でも行けない所がある本当は北上川を見たかったのだができなかった
あそこは車でないと行きにくい場所だったのである
だから仙台で駅前をぶらついて買い物して終わりだった

仙台というと新しい本にふれて読むのが新鮮に感じた、しかし今は本は書店で買わない
本というのはその数が膨大なのである、大きな書店でも置いてない本が膨大なのである
古本でも膨大である、だからこんなに本があったということに今になると驚いている
それで本を前より買っている、古本だと安いからである
自分の関心があるのを集めるのにもいい、そういう点では恵まれている時代である
だから書店でも本は売れないことがわかる、あるところは本の売り場極端に縮小していた
丸善が前のように多いが必ずしも書店で必要なものは探せない
郷土史などはインタ−ネットの方が詳しいのである
だから本だけに頼る時代は終わった,書店には一部しか置いてないことがわかたからだ
そして必ずしも目立つものがいいものではない、前はそうして宣伝して売れたが今は必ずしも本は売れない
ネットでの情報もあり本とか雑誌に頼る時代は終わったのである

帰りは4回くらい待ち合わせがあった、前はそんなになかった、どうも6時から7時ころで通勤の人が帰るからなのか4階は多いと思った、単線だからそうなる
鹿島駅についたら月が光っていた
切符は買って切符入れに入れた、やはりごまかすということは良心にはじる
ただ真面目な人が多いと思った、無人駅でもごまかす人はほとんどいない
日本人はそういう点では真面目である

家に帰っても待つ人はいない、なにか家がなくなっているのではないかと不安になる
それは津波以後村ごとなくなったりしたからである
家族もみんな死んだから何か人でも家でもなくなるのではないかという不安がある
旅はずっとしていないけどなにかその気力もなくなったのだけど
また旅したいなとは思う、登米などは行っていないし北上川を見たいということもあるからだ、本当は北上川は自転車で川に沿って走ればいい、そうすれば旅になる
ただそれだけの気力がなくなった、だからいつまでも旅もできるものではなかったのである

それにしても新地駅でいつも遅い時間に帰り3分待ちあわせでとまった
その時ホームに出て歩いた、すると虫が鳴いていた
それが記憶していたが今はそれが7年半も過ぎると昔になったなと思う
あの時は海の方に家並みがあった、海側に近かった
今は海側は真っ暗になっている、もう十年も過ぎたら昔になる
ただ記憶だけになるのである


2018年10月14日

秋に思う昔(庭と昔の道と蔵の家−原町の道の駅より)


秋に思う昔(庭と昔の道と蔵の家−原町の道の駅より

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柿なりて昔の道や蔵の家

街中の畑に野菜作りつつ蔵ある家や秋となるかな


道の駅でなぜ庭を無料で提供しているのか?
これは結構高いものになる、百万以上はするだろう
坪庭というものか、これだけでも庭であり憩いとなる
石でも高いしそれなりの値段となる
宣伝のために無料提供しているのか?
ただ工事費とかがかかるからそれで人頼むと金がかかる
もしかしたら工事費用はもらいますよということなのか?
何かわからない

ここから見えた蔵は前に紹介されて入ったことがある
この道は昔の道なのである
写真では見えないが柿の木がありなっている
街中なのに畑がある家がある、この辺は昔は家がない、畑であり田んぼであり農家しかなかった、ただそれを知る者は相当に年とっている80以上かもしれない
でも六号線ができたのは20代くらいのときだったことを覚えている
それからこの辺は変わったのである
こういうふうに変わり歳月がたつと前の状態がわからなくなるのである
それは鹿島でもそうなった、住宅地が広がったが前は畑であり田んぼだったのである

秋となるとやはりしんみりとして昔を思うのである
ここの畑には馬頭観世音がありそれは火事があって家が燃えて馬も死んだから供養したと伝えられているという、それも家の歴史である
あそこはいつも通るから気になっていたのである
いつも通る場所は自ずと気になる、南相馬市でも広いからあまり行かない場所は気にしないのである

ともかく家の前に畑があるというのは恵まれているなと思う
いつも前に食料が供給されるというのが何か心強いと見えるのである
食料不足なってもまにあわせるとか見るのである
そして前に畑があると働き安いのである、だから前畑というのが地名化して姓にもなる
それは農家の暮らしからそうなった
ただ原町は都会である、でも回りは田んぼだから田舎なのである

2018年10月13日

秋となり死者を偲ぶ短歌十首


秋となり死者を偲ぶ短歌十首

(死者はどこにいるのか?−故郷の変化など)


秋鴎飛び去り一羽旅の人

はや散りぬ木の葉の増えぬこの道を今日も行くかな町も変わるに

仮設住む人も去りにき秋なれや代わりて住みぬ浪江の人かな 

鹿島に住み小高に帰りて合併す南相馬市年を重ねぬ

飯館に久しく行かじ悲しかな虫の音あわれ帰り住む人



常に思ふ人にしあれや面影の浮かびあわれや秋となるかな

ふるさとを歩みて時に死者の霊浮かびいずるや秋となるかな

我一人家をになえるその重み死者はなほ我とここに生きなむ

我が家族替えかたきかな今にしてはぐくまれしを心より思ふ

我が家をにない苦しむよそ人は責めにしものや知らざりしかな

死ぬ人のいづこにあれや面影の時に浮かびてまた消えにけり

我が家に生きて流しぬ涙かな今はみな死にとむらうのみかも

二階なる広間にいぬるこの家に我がはぐくまれし幸いを得ぬ

何にあれこの家に生きるは我がカルマ苦楽とともに担い受け継ぐ


急に寒くなった、土手の道は結構木の葉も散った、人間は常に変化である、無常の世界である
この辺の変化はめまぐるしかった、すでに仮設もこわされて残っている人はわずかである、小高の人に代わって浪江の人が住んでいたりする、そして死者の不思議を感じる
もう自分の家族でも一人は死んで8年とかなる、これも早いなと思う、死者もやがて忘れられてゆく

でも家族のことは普通は簡単に忘れることはできない、時々面影が浮かんでくる、60年とか一緒にいたことか影響したのである
妻が死んでも毎日仏壇に供え物している、ご飯などをあげるのはやはりそれだけ死者への思へが強いとなる
ただ死者となる時、死者とは何なのか?
骨となり灰となり消えてしまう、すると死者とは何なのか?
死者は消えたとしてもやはり何か面影として見えるものかもしれない、墓にも実際は死者はいない、では一体どこにいるのか
それは思う人の心にいるともなる
その想う人に死者が浮かんでくるということは依然として死者がその人に生きていることともなる

万葉集の歌は恋愛の歌ではなく死者を思う歌だったという解釈がある、恋とは今の恋愛ではなく乞う(こう)だった
死者と会うことを乞うだったとなれば全然違ったものとして解釈する、

玉相者          たまあはば
君来益八跡       きみきますやと
吾嗟            わがなげく
八尺之嗟         やさかのなげき
玉桙乃          たまほこの
道来人乃         みちくるひとの
立留            たちとまり
何常問者         いかにととはば
答遣            こたへやる

八尺(八坂)の嘆きを、古事記でのこの世とあの世との境を示す伊賦夜坂(いふやさか)の「八坂」と解釈しています。つまり、死出の送りの嘆きを示す言葉と取っています

これは自分の短歌と通じている、魂(たま)が合うということは恋人が会うことだというがこれは死者が現れて魂が合うことかもしれない、この万葉集の歌にはなにか深いものがある
たまほこの道とは故郷の道とかなる
みちくるひとのたちとまり・・・・ふと死者の霊が浮かぶ面影に浮かぶ、そこでたちとまる、そこでいかにと心に問うのである
死者はどこに現れるのか?家に現れたりすることは確かである
そこが一番親しんだ所だからである、また故郷に現れるということがあるかもしれない,そこも親しんだ場所だからである

ともかくこれは単なる恋の歌のようには思えない深いものがある
つまり万葉集の歌には謎が多いのである
それはその当時の人が感じたものがありそれが現代では感じられないからそうなるのである
ただ家族が死んで死者のことを思ったときこういう感じになるなと実感して私も短歌を作ったのである
そこにやはり時代を経ても人間には経験として共通するものがあるからわかるとなる、それは愛する人が死ぬことはみんな経験するからである、その時理屈なしでわかるということがある
死者はどこにいるのかは謎である、ただ残された人の心に死んだ人の面影が浮かぶ時まだ生きているとも解釈できる

ともかく人間の場合は家というのがただの寝起きする箱ではない
それには長い時間を過ごした思い出が記憶が刻まれている
だから家というのは自分の父親は明治生まれであり酒屋の丁稚であった、そこから始まっているのである
家族がみんな死んでそうして父親のこととか今ふりかえる
家を歴史としてふりかえるようになる、人間は死んで終わらない
一庶民でも一つの歴史を残すのである
歴史の中に生きるのである、ただ家族でも親でもいろいろあるからもう親のことを思い出したくないという人もいる
そういう人は墓参りするしないのである
だから家でも家族でも故郷だってみんな思いが違っているのである

私の場合は介護したことで最後に苦楽を共にしたとなる、それまでは楽だけさせられていたからである
でも介護になった時一人で苦しみ介護した、助けるものはいなかった、それで苦楽を共にしたともなる
人間は苦楽をともにしなければ連帯は生まれない、楽ばかりでも生まれない、苦しみもしそこで助け合ったりしたら連帯が生まれる
家族でも金持ちの家の人は親を施設にあづけるのは親を苦労して育てたみていないからである
子は親の背中を見て育つというときそうなのだろう
苦労して子供を育てればそれを子供はみているから年取った時
例え貧乏でも介護するということはある
それは心の問題だからである、金持ちにそういう心が育たないから金で解決するだけだとなるのである

秋になると思いが深まる、しんみりとする、ただ飯館村にはもう半年以上行っていない、何か体力がなくなり行きずらくなった
でも住んでいる人はいるのである、秋になりそれで思うことがある
やはりそこにも人が住まないということは人間は活きてこないのである、飯館村と浪江はもう村でも町でも維持できるのか?
そういう苦境にある、荒れ果てている、小高はなんとか3割は帰った、飯館村は広いからあういうところで住むのは今になるとより不便になる、だから草野辺りに集まって住むようになる
住宅地も作っているからだ、前は牛を飼っていて広い所が必要だったのである、今になると何かそういうふうに住めなくなくなったのである

2018年10月09日

秋の蝶(待つ時間が人間らしさを演出)


秋の蝶(待つ時間が人間らしさを演出)


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柿は古いものでありコスモスは新しいものである

夕日さし柿にコスモス映えにけり

ともなる

クリック拡大しないとはっきりしない

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復興や実りに朝飛ぶ鳩の群れ

前畑に鶏頭や朝の仕事かな

玄関に待てば飛びきぬ秋の蝶

秋の蝶今日もここに遊ぶかな
                                                    

今日もまた駅に待つ人ありにしも秋となりにし鹿島駅かな


復興とは実りがあって復興を感じる、その米を食べるとかではない、実りというのが稲穂が黄金色にそまる、そのことで感じる、米など今どこからでも入ってくる
でももし地元に実りがなければ実りを感じないのではないか?
矛盾しているのはでは地元の米を買っているかというと買っていないということがある
この辺の米は原発事故以後売れないから飼料米になっているのである 

玄関で待っている、人が来るわけでもないが一人待っていると秋の蝶が飛んできた
この何か待つ時間が人間らしい時間なのである
駅ではいつも誰かが待っている、その待つ時間が人間らしさを演出する
何か高速とかのSAにはそういう感覚がない、ただ一時たちよるだけだとなる
駅には何かそうして人間的なものが演出される場所なのである
鉄道は120年とかの歴史がここであるとするとそれだけの歴史を刻んでいるのが駅であり鉄道だから違っている
そこには人間の情がのりうつっているからだ

津波の来た所が草原化した、時々草刈ってもまた茂ってくる、そこに蝶が集まっていた
そこに毎日行っている、蝶が遊んでいるだけだとなる
草原化すると蝶などは増える、遊び場にいいとなる
それでは困るのだが蝶にとってはいいとなるのかもしれない

何か最近AIのことをしきりに言う、人間の仕事がなくなる、人間はみんな芸術家になるとか遊びようになるとか言うのも不思議である
実際趣味で野菜作りしている人は別にそれで生活するためではない
第一売ることもできない、まともに野菜が収穫もできない、とれるのはわずかである
でも自分は肥料代とか道具代とかいろいろ払っている
そしてもらったのはキュウリ数本だけだった
でも何か自分は野菜作りとか農業にもともと興味があり話聞くのが面白いとなり応援している、それから荒地がこの辺では多くなったのでまずいと思い応援している
ただ正直そこに投資しても何の見返りもない、でも荒地にするよりはいいし
その女性にとっては草取りとか嫌でも生きがいともなっている
その人から畑をとると何が残るのか?金の問題は別にしてその人のできることは畑で野菜作りすることだとなる 

前畑に鶏頭が映えてそこで朝仕事する人がいる、田舎では見慣れた光景である
それは自然とマッチしている、わざわざ遠くに通勤しているのは自然ではないのだ
すぐじき前が仕事の場だということは自然なのである
そこから食料をとれることは何か生活の充実感があるなと見る
いづれにしろここ十年は遠くに行かない、仙台にも一回行ったきりである
年取るとやはりなかなか遠くに行くのが億劫になるのだ
そうなると回りが大事になる、近間が大事になる
生活の場が近間になってしまうからである

2018年10月04日

故郷の家への思い−7年半過ぎた津波の跡(短歌30首)


故郷の家への思い−7年半過ぎた津波の跡(短歌30首)




我が家に波乱のありぬその時にこの家を支ゆは定めなりしも

この家に風のうなりて夜のふけぬともにありにし歳月思ふ

我はなほこの家とともに生きゆくやその命も長くはあらじ

たとえ人御殿に住むもその命家より短し一時の栄い

我が家に嫁ぎ母の耐えにつつここに生きにし思い出深しも

ふるさとに生まれ貧しく苦しみつ悲しみ生きて女の老いしも

ふるさとも非情の場なりさにあれど家族に恵まれ我はしあわせ

時にして姉は笑いつ母は寄りにつまたここにしも我は生きたし

病にて姉の暴れしその時にこの家に北風唸り一人苦しむ

台風の去りしもなほも我が家に風のうなるを夜に聞きにき

この家に住みて久しも我が家族みな死ににしも我一人住む

家族みな死して残れる家なりき我がよりにつつなほ住みにけり

我が姉の自慢したる柱かなこの家を支ゆ我がよりにけり

我が家に思いはこもる家族みな死すともここに家は残りぬ

人は死に何を残さむ残る家我が住みにつつ秋となりしも

我が家族裂かれけるかな何故に悲しみ深く泣きつすごしぬ

非情なる世にありしもただ金を求めて人見ず情けもなしも

人の縁みなはかなくも消えにけりただ求むるは金のみなりき

何故に人は争いにくみあう悲しみ深く慈父にあるべし

たちきれぬこの世の欲の深きかな終わりの日までつづく欲かも

ここに生き老いにし人の語りける昔や我も老いてあわれも

故郷の墓にしうもるあわれかな何し語らむ花を挿すかな

ふるさとに生きる思いの深まりぬなどかたやすく捨てられしかな

苦しむも悲しむも生くその所思い出深く忘れがたしも

我が家に争いにくしむ時長しも一つ家にあり家族なりしを




(7年半過ぎた津波の跡)

津波にて家は流さる家族死に何も思ふや7年半すぐ

松と松久しくここにありにしを無情の津波根こそぎ流しぬ

海老村は野となりにけり秋となる何をたずねむ家の跡もなし

烏崎人家もなしも寥寥と草にうもれて社残りぬ

津波にも残りし家の跡あわれ庭の石にそ昔思いぬ

津波より7年半すぐ家なしも庭の石残り秋風の吹く

右田浜松風鳴りて我よりぬその松なしも悲しかりけり

津波跡残れる庭のその石にここに生きたしと亀の置物

ここに住む人こそあわれ何もなしただ無情の風の吹くかな

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右田の津波の跡の庭



私の家族はみんな死んだ、その思いは深い、そして人間が死んで残すものは何か?
それは家なのである、家というのはただの建物ではない、人の思いがこもったものとして残っているのだ
姉がこの柱は橲原の木を使ったものだと自慢していた
その柱によるとき依然として姉が生きているとか思う
家には依然としてここに生きた家族の思いでが残っている
だからこの家に自分は死ぬまで住んでいたと思う
もし新しい家に住んだらそこには家族と住んだ思い出は消える
人間最後に残るのは思い出である、記憶である
その記憶をたどることが新しい家ではできないのである

何か人生も終わりに近づくとどんな人でも家族であれ家であれ故郷であれここに生きたなとあふれる思いが自ずと生まれる
だからこそ老人は故郷から家から離れたくないのである
それで子供が他の場所に家を建てたから部屋まで作ったから移ってくれとしても原発事故の避難区域になった所に住む人がいる
それは小高の人だった、要するにその思いが深いからはなれがたくなる

何も他に住んだらいいのではないかと外から見るが老人の場合はそうは簡単に移れないのである
だから家というのはただの箱ではない、思い出がつまっている箱なのである、自分にしても家族がみんな死んでそのことを思った
この家とともに長く家族として暮らしたからである
特殊な家族にしろ憎しみ合う家族にしろ家族だったのである

そして姉が認知症になり本当に悲しく苦しかった
自分は毎日泣いて暮らしていた、誰にも頼ることもできなかった
来た人はみんな金を求めるだけだったのである
でもそれが自分のカルマであり定めだったから耐えたのである
家族でも家には楽しい時もあるが苦しい時もある
それはどこに住んでも同じである、楽ばかりはないのである
でもそうして悲しみ苦しみ生きたときその場への思いは深いものとなる、もし楽ばかりだったら思い出も深いものにはならない
家でも家族でもそうして苦難がどこの家でもある
なぜなら必ず家族が病気になるからである、そして死ぬからである
そして家族でも必ず死別がある、そして残るのは家であり思い出だけになってしまうのである

ともかく私は介護十年して家族を看取り本当に苦しんだ悲しんだ
それも定めだった、誰も助けるものはない、その時求めてきたのは金だけだったのである、みんて金に苦しんでいたからそうなった
金という時金で補償金でこの辺は争い分断された
金は恐ろしい、なぜならその時平気で殺人にもなる
現実自分も殺されないにしろ殺されると同じような目にあったからである、それで人間観が変わったということもある
ただ自分の場合は結局楽しすぎた結果としてそうなったと思う
楽しすぎることも危険なのである
困難な時は人間に必ず来る、一生楽では人は終わらない
その時耐えられなくなるからだ、そのことにあまりにも楽観的だったのである、それで辛酸をなめたのである

この辺では特に津波と原発事故があり様々な体験をそれぞれにした
だから家というもの家族というものを個々に思うだけではない
全体でも思うようになったのである
津波と原発事故から7年半過ぎてもこの傷痕は消えない
それはあまりにも被害が大きすぎた、深刻だったのである
いくつもの村がこの辺でも消失した、村ごとなにもなくなった
この衝撃はあまりにも大きかったのである
海老村は家の跡すらなく野になってしまった
ここに家があったということすらわからなくなったのである
これこそ本当に無常であり無情だったのである

2018年09月29日

故郷やの俳句鑑賞 (故郷は原風景としてあり津波で右田の松原は消失した)

     
    故郷やの俳句鑑賞
    
    (故郷は原風景としてあり津波で右田の松原は消失した) 
    
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故郷や晩菊そえし古き松

故郷や松に実りに漁の船

故郷や木の根元に虫の声



旧里や臍の緒に泣く年の暮    松尾芭蕉

(ふるさとや へそのおになく としのくれ)

故郷やどちらをみても山笑ふ:正岡子規。

古郷やよるも障るも茨の花  一茶

故郷や酒はあしくも蕎麦の花 蕪村



これは芭蕉が、ふるさと・伊賀上野に戻った時の句。
紀行文「笈の小文」に登場する。
年の瀬の帰省である。
ふるさとに残って家を継いでいる長兄から、母が大事にしまっておいた、芭蕉の「臍の緒」を見せられた。
  
故郷とは何か?それが津波や原発事故で避難したりして問われた
故郷を離れ他郷に住むことを余儀なくされた
故郷自体が無人化して消失する危機にもなったし今でも帰らない故郷となっている人が多い、故郷とは何かということで哲学的にとかいろいろ探求してきて書いた

芭蕉の句は母を思う親を思う場が故郷だという句である
子供の時故郷で両親の元で育つ場が故郷なのである
一方で一茶は継母に育てられたり村人うとまれたりいじめられたりといいものはなかったそれも故郷なのである

正岡子規となると故郷はいいものだった、肯定になる
蕪村は食べ物で故郷を思う、蕎麦の花というとき蕪村は農村出身であり農家の出らしいからそこで蕎麦というのが原風景にのようになっていたことがわかる
故郷の酒はまずくても蕎麦はうまいということかもしれない

私が故郷という時も故郷はそれぞれの原風景なのである
両親の愛のもとで育てられたものとしてあるのも故郷である
ただ一茶のようにそうして継母に育てられたら両親の愛がないから故郷を嫌悪するようになった、そういう人は確かにいる
故郷は全部肯定できるいいものとしてはない、なぜならそこに人間の醜さが露骨に現れやすいからである、田舎の人が素朴な時代はとっく終わっているからだ
やはり欲が深く金を追求しているのは全世界でもう同じなのである

今はホームページの方の俳句日記を整理した
2001年頃から書いていた、もう20年前となるから時間が過ぎるのが早い
そんなに過ぎてしまんたのかとなる
その時は津波もないし原発事故もなかったからもともとあった風景は400年とか変わらなかったのである、右田の松原は江戸時代からあったらしい
だから松が太くいい松だった、松川浦の松と細いから年数がたっていない
いつも右田の松原に行っていた、それは故郷の原風景となっていた

秋には実りがあり黄金色に染まり松原がある
写真には松原と晩菊が映っている、その菊は野路菊とかあつぼったいものであり普通の山城菊とかとは違う種類である
この松がなくなったことは信じられない、松原がなくなったことは信じられない
それは故郷の原風景が全く消失したことだからである
海老村も右田村も烏崎村も津波で消失した、何もない、右田では当時を偲ぶものはなにもない,高い土盛りした防波堤と風力発電の風車が回ってソーラーパネルの風景となってしまった、何か工業地帯のようになってしまった
火力発電所ができたときも原風景は壊された
でも右田の松原がまだ残っていたから松は活きていたのである
それが根こそぎ津波で流されて残っていて一本松も枯れてなくなった
本当に右田の松原を知らない人が生まれて7年とかなる
もうそれを知ることはできない、つまり津波以後の世代は全くここにあった松原をイメージすることもできなくなったのである

ともかく故郷は原風景だというとき風景と生業が一体となったものが故郷である
その原風景が消失したのである、この変化はあまりにも大きいのでとまどう
ありえないことでありどう心の中で消化していいのかわからないのである

  俳句日記(2001−2005)

2018年09月28日

彼岸に虫の音に秋の野 (7年は過ぎた海老の浜など)

彼岸に虫の音に秋の野

(7年は過ぎた海老の浜など)

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海老村のあった所に松が生えて育つ

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昨夜の分

雨しとと死者を思いぬ白木槿

故郷の木の根元にそ虫の声


今日の分

大海に秋の陽昇り鵜の飛びぬ

陽の昇り残月あわれ秋野かな

雨しとと死者を思いぬ白木槿

故郷の木の根元にそ虫の声


雲隠る月に亡き人思ふかなまた光りいで死すともあらじ

この里にともにしあれとあわれかなひびきあいにし虫の声かも

虫の音を今日もここにし聞き入りて近くに住める人思ふかな

耳澄まし虫の音聞きぬ我一人眠りにつきぬ町にしあるかな

耳澄まし今夜も聞きぬ虫の声草深し里ともしびあわれ
(昨夜の分)


今日の朝

津波より7年半過ぎ生い立ちぬ松も育ちて秋の陽さしぬ

津波にも御刀神社残りけり杉木立にそ秋の陽さしぬ

玄関に大岩構え妻亡くす人の住みける秋となるかな

昨夜も虫の声を聞いていた、夜でも歩いている、運動のためである
彼岸だとやはり墓参りであり死者には白木槿がにあっている
お盆ではない彼岸でもそうである

この町は一万くらいだけど河原は草深い、灯でも何かまだ里の感じがある、ただ震災以後は新築の家が何百件も建ったから都会化したのである、ただ灯あわれというときやはり田舎だとなる
これが隣の原町だとまた違っている、原町はやはり都会になるからだ

順序が逆になったが昨夜から今日の朝にかけての感想である
プログは日付順であり本当はその日その日に読むのがふさわしいとなる、俳句短歌とかはプログに向いていたのである
季語があり日本の季節は刻々変わっているからである
俳句はもともとそうした天候の報告として生まれたともなる
日本人の挨拶は天候になっているからだ

今日の朝は晴れたので海の方に行った、海老村は津波で消失した
そこは枯野になってしまった
そして残月が見え海からは陽が昇ってきた
そこには新しく松が根付いて育っていた、津波から7年半過ぎたのである、もうこれだけ育った、枯れた松もあるが新しく生い立つ松もあった、これは津波で塩水をかぶった松とは違うから枯れない
塩分があっても育つ松である
他に松の苗を植えたがそれは苗である、その苗が育つのは30年とか先になるから見れない
ただ自然に育った松がある程度大きくなったのは見れるもしれない
そのうち寿命になる方が早いとなる

いづれにしろ海老村の跡は秋野になった
そこに残月が出て海からは太陽が昇る
右田浜は風力発電の風車である、こんなに変わることが未だに信じられないのである
右田の御刀(みと)神社は残った、あそこまで津波が来たしあそこの家はかなり津波の泥をかぶった、それで京都辺りから大阪からボランティアが来て泥をかきだす作業をしてくれた
その車のナンバーからわかったのである
まず津波の傷痕はまだ消えていないのである
それだけの災害だった、おそらく十年過ぎてもそうである
原発事故も重なってこの辺では傷跡は消えないのである

北海道の方で地震で被害があったがスーパーとかツルハで募金しているが千円札が結構入っていたのには驚いた
この辺ではやはり助けてもらったしそれなりに金が入っている人があるからお返しとして金を入れているのかもしれない
ボランティアも相当に来たからである

知っている人の家は留守である、白内障の手術で二か月仙台に入院している、今日見たら玄関に大きな岩があった
何か岩のような感じのがっちりした人である
でも妻亡くして淋しいと一人で住んでいるのである
そういう人もまた多くなっている

今日は晴れたが昨日は寒かった
本当に秋らしくなった、今日は晴れたからでかけたいとなる
でも遠くには行かない、仙台にすら今年は一回しか行っていない
何か出かけたくないというのもこれだけ旅したの不思議である
ただ思い出す旅はしている、思い出す旅も実際は旅の継続だったのである、とにかく人間は忘れやすい、だから旅を記憶することが意外と大事である、そのことを書いてきた







2018年09月26日

姉と母の死してなお生きる(短歌十首) (家族は死んでも愛で継続される)


 姉と母の死してなお生きる(短歌十首)

(家族は死んでも愛で継続される)
  

 姉と母我に添いつつなほありぬ死すともここに離れざるかも

 姉と母生まれ時ゆ我が家にありてすごしぬ我は離れじ

 姉と母最後は悲し我が泣きつ苦しみ耐えて我が家を継ぎぬ

 姉と母死すともなほもこの家に生きむとするや思い出深しも

 その生の終わりてみれば何思ふただなつかしく面影浮かぶ

 六〇年定めに結ばる我が家族死して絆の強められしも

我が家族みな死ににけるも月日たちなお我家には愛を感じぬ

姉と母今もなお我が家にありて争わずここに安かれ 

父もなお我が家にありて見ゆるかな我一人しも家を守らむ

今年また彼岸の入りと我が墓に花挿す人ありうれしきものかな

悲しきは我が兄なれど子はあれど思う人なく墓参りかな

家族は継続である、だから死んでも継続している、愛は継続しているて消えないのである
父が死んで半世紀以上になるけど忘れていたけど父の存在は家にあり続けた
今は家族で残っているのは自分一人だけになった
でも特殊な事情で自分は家で一番良くされたのである
だからこんな生活がてつづけられらてきたとなる
父親は苦労したから上の学校にあげろといって子供のうち死んだ
なにかそこには自分に託す思いがあった
つまり自分は特別愛されたのでありこの家では良くされたから介護でも必死にしたのである

ただ暗黒面として兄は不幸だった、集団就職で結婚したが離婚して交通事故で死んだ
それも不思議なのは今になると娘がいたとして両親にはひどいめにあったとしかないから恨んでいるから墓参りすらしない
何も関心もないのである、恨んでいるだけだとなる
そこで墓を作って墓参りしているのは自分だけだとなった
その自分の墓に花を一杯挿す人がいた
兄の墓に挿していた、これはありがたいなと思った
それは知られない行為だから尊いと思った

いづれにしろ家族は死んだとして継続がある
死んでも愛を自分の場合感じるのである
それだけ特別良くされたためでもある
だから愛というのは消えないものでもある
死んだらなにもなくなり消えて残らないように見えても
愛というのは継続しているし一種の見えないテレパシーとして感じるものがある
実際父はもう先祖のような存在にしてもやはり自分への愛があったし何か期待があった
何か自分はこの家で特別良くされて期待されていたし担うものがあったとなる

特殊な家族だったが今でも家にいると家族の愛を感じる不思議さがある、だから家というのはただの建物ではない、何かそうして
愛を感じたり受け継ぐものがある
だから故郷でも家でも簡単に捨てた原発避難者のことが理解できないともなる
事情があるにしろ家というのはただの建物ではない
建物ならまた別に他に建てればいいとなるが家にはそれだけではないものがある、建物に付随した付加価値がありそれ故に家には価値がある、ただ他の人にはそれがないから家はただの建物だとなってしまう

とにかく人間は死んで終わりではないことは確かである
歴史でも必ず継続されるものがある
それは家という建物とか物質だけではない、何か精神的なものも継続される、愛は継続して活きているともなる
死んでも愛があれば結ばれているともなる
自分の場合特別家族を思うのはやはり独身だったとか関係している、60年とか長い間一緒に生活していたからである
そういう特殊な事情で家族の思いが深くなっていたのである
歳月の長さというのも関係している
家族が死んで一人はもう8年とか過ぎたが早い
もう一人は三年であり父は半世紀もすぎてしまったのである
でも依然として家族としてある、家族の結びつきはそれだけ強いとなる、ただすべてがそうではない、自分の場合は特殊な事情でそうなったなったのである。

家族でも血縁だけではない、一つの共同体である、そして共同体というとき必ず犠牲が強いられる
私の家族でも犠牲があった、母は家で苦労したし姉も家のために苦労したから今度は自分が苦労する番になっただけである
つまり家族でも共同体でも必ず犠牲が強いられる、それが共同体である
国家でも犠牲が強いられる、国を守るために犠牲になる、300百万人が死んだというときも犠牲だったのである
だから移民として働く人はただかねもうけにくるのでありでは戦争とか放射能汚染でもいち早く逃げたことでもわかる
そういう人はただいいときだけきて後は来ない、そういう人は共同体の一員ではないのである
ただ日本人だってそういう人はいる、金持ちはそういう算段をしているということもある
だから中国の金持ちは外国に逃げる用意をしているというとき何か共同体の一員ではないともなる
ともかく家族にはそうして犠牲が強いられるのである
その番が介護とかで回ってきたとなる、それはやむをえないことだったのである
なぜならそれだけ良くされてきたのだからまた犠牲になるのも順番だったとなるからだ



2018年09月23日

月明りの里(月影の道を歩く)


月明りの里(月影の道を歩く)

晩年や月満ち明るし心澄む
月ひそか我が部屋のぞき消えにけり
誰知るや人は知らじも月は知る
紗(うすぎぬ)の雲のかかりて秋の星

月影の明るし里や虫の音の澄みてひびきつ夜のふけゆきぬ
いつしかに忘らる人や常なき世彼岸の入りと夜虫の鳴く

月読みの光に来ませ あしひきの山きへなりて遠からなくに(湯原王・万葉集673

夕闇はみちたづたづし 月待ちて行ませ吾が背子その間にも見む
(大宅女・万葉集712) 

月影に明るい道だった、でも自転車のライトをつけると月明りは消えた、電動自転車でそのライトが明るいからだ
だから自然というのは人工的なもの電気の光でも自然状態を消すのである、月光で町全体で明るいから見通しが良かった
つまり月明りでも十分に歩ける、電気がない時、月明りの中を歩くのは幻想的である、この辺はまだいいが都会だとあまりにも電気で明るすぎるのである
自然が消失すると詩も消失するのである
だから夕闇は道たづたづしというのはどういうことなのか?
夕闇の方が暗く月が照らしたとき明るいとなる
これも自然の中で生活していればわかるが今はわからない
夕闇の方が普通はまだ明るいと見ているからだ
いづれにしろ月の光のなかでも十分に通うことはできたのである
それは記憶に残る思い出となる
あまりに今のように電気の光に満ちていると何かそれによってかえって心の印象が散らされるともなるからだ
電気を否定はできないが月明りというのも消失すると何か失うことなのである


吉野に遊ぶ(32) 藤原不比等

    夏身 夏色古り
    秋津 秋気新たなり
    昔 汾后に同じく
    今 吉賓を見る
    霊仙 鶴に駕して去り
    星客 査に乗りて逡る
    清性 流水をくみ
    素心 静仁を開く

  夏身(※)の地は夏景色も深まり
  秋津の辺りは秋の気配が立っている
  昔、堯皇帝が汾の地に籠もられたように
  今、そのような地によき人を迎えている
  鶴に乗ってこの地から去った人や
  筏に乗って星に行った人も帰ってくるだろう
  清を好む性格は清らかな水を汲み
  まじり気のない心性は山の情趣に浸っている
     
※現在の菜摘の地
 ・『懐風藻』講談社学術文庫
  現代語訳は、同書にある江口孝夫のもの

菜摘は山蔭にあり清流が流れる場所にある、そこに行ったことがあった
菜摘は夏身としているからこの字とは関係ないのか?
もともとは夏身だったとなる

 山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも

  式部大倭(しきぶのやまと)が菜摘(なつみ)の川の流れを詠んだ歌です。

この漢詩のような気分になった、むしろ晩年になると心が澄むということがある、若い時はやはり欲がむきだしになるからなかなかこうした心境にはなれない、いろいろなものに惑わされすぎるのである、自然に没入できないのである
おそらく今日は満月になるだろう、わずかに時計を見たら月の満ち欠けを示すものだが完全な満月ではない、明日は完全な満月になる
でも今日は雲がでてきた
そっと月が我が部屋をのぞきそっと消えてゆく、月は自分を知っているともなる
でも今日は暑かった、気候の変動が何かずっと大きい、だから秋なのかともなっていた、夕べは秋らしい、それは月見にふさわしいものだった






タグ:月影 月明り

2018年09月18日

月曇る(秋の夜の相馬市)


月曇る(秋の夜の相馬市)


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この写真は相馬市のだてやのものではない



家の跡松一本残り落ちし柿

街道の松一本一本秋没陽 

月曇る相馬の城下路地の道

月曇る着物店かな城下町

月曇る着物の柄や衣替え

月曇るスナック一つ路地裏に


残る蝉奥に聞こえて家のあり夕暮れあわれ柚木村かな

ここにある三本の松我知りぬ秋の夜静か月曇るかな   


家の跡が空き地になりそこに一本の松がある、それは家がなくなってもずっとある
何年もある、近くなのだけど誰か住んでいたのだけどそれがわからないのだ
これも不思議である、近くに柿が落ちていた

今日はロードで夕方に相馬市に行った、途中坂になり歩いた、浜街道の日立木の松並木のところである
歩くと確かに景色は違って見えるのだ、つまり一本一本の松を見て歩くのである
自転車でも一本一本の松は見ない、車だと過ぎ去るだけである
街中を歩くときも一軒一軒の店を必ず見るのである、車だと通りすぎるだけなのである

夜の街と昼の街は見え方が違う、夜にしか見えないものがあるのだ
かえって夜だと店でも電気で明るくなり目立つのである
それで相馬市の夜の街を歩いたのである。
そこに着物店があり「だてや」とあった、いかにもこの辺らしいとなる
だてやは伊達氏であり伊達政宗である、仙台屋というのもあるがだてやというのはわからなかった
つまり昼間ではこの着物店はわからなかった、見えなかったともなる
今回デジカメをもっていかなかったので写真はインタ−ネットから拝借した 

衣替えというとき今は夏から秋である、衣替えとかなると女子高校生などは衣替えがある
しかし着物は日常的に着ていない、ハレの日のものとなってしまった
でも江戸時代から明治でも着物は日常的に着ていた
すると衣替えというのはそういう時代のものであり季語になった
現代は着物が日常的なものでないから衣替えという言葉も死語になってしまうこともある

当初は、貴族社会だけの習慣で、年に2回、夏装束と冬装束に替えるだけでしたが、江戸時代の武家社会では年に4回になり、期間も着るものもそれぞれ定められていました。

・4月1日から5月4日までが袷(あわせ)という裏地付きの着物
・5月5日から8月末までは帷子(かたびら)という裏地なしの単衣仕立ての着物を着用
・9月1日から9月8日までの1週間程、また袷を着用
・9月9日から3月末までは綿入れ(表布と裏布の間に綿を入れた着物)を着用

このように細かく定められていたそうです。   

今日は月が曇って光っていた、それがなんとも相馬市の城下町にあっていたのだ
相馬市の不思議は何度もプログで書いているがしんみりしていることである
それはやはり城下町としての歴史がありそれが残ってる
原町市には相馬市に感じる情緒を感じない、だから何でもないようだが店でも城下町にふさわしいなと見る
陶器店でもそこで飾っているものが見るのが楽しいとなる
店とは見せるだったのである、店で見る楽しみがあった

そして相馬市は城下町であり雰囲気的に古風な店があっている、陶器店とか着物店とかお茶屋とかである
原町にもあるのだけど何か相馬市の城下町とは違う、着物店が呉服店があるのだけど相馬市の着物店は街全体の中に調和してあるとなる、ただそれは外部の人には気づきにくい、相馬市は雰囲気が違うのである
それでなんとも月が雲の中に光っているのがにあっていたのである
陰々とした感じなのである

帰りは五本松の脇道を通る、その五本松も日本は枯れてなくなり三本しかなくなった
でも秋の夜にその松は夜でもあることを知っている、闇の中でも知っているから見えるのである。
認知症になると常にもともと知っている人と場所ならなんとかわかるが地理的感覚がわからなくなる
それで知っている人がそばにいないと不安になる、でも闇の中でもこの松のように知っていれば見えるのである
ここに松があることを何度も見ているから知っているから見えるのである

2018年09月15日

初秋(常磐高速のセディティ鹿島に行く)


初秋(常磐高速のセディティ鹿島に行く)

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鹿狼山(がろうさん)が見える



故郷や先祖の墓地に実りかな

開業し三年ほどや秋の蝉

高速に鹿狼山見え初秋かな

東風(こち)なおも吹いて飛び交う秋燕

酔芙蓉ほの赤く咲き町眠る

虫の音や社一つの何語る

月細く虫の音聞きぬ草深し


常磐高速のセディティとの開業は平成27年(2015)でありそれは東日本大震災の後だった、だから約3年ほどすぎたとなる
あそこの特徴は高速を車で来る人がとまるだけで街の方にはほとんど来ない
あそこで休養してすぐに去ってゆく
だからあそこは街とは離れて孤立した場所にも見えるのである
それが駅とは違う、鉄道の駅はもともと駅ができて街並みができるというほど影響していたのである   

原町は旧街道が中心の通りで宿場町だったのである
それが鉄道ができたとき駅前通りができたのである
街が鉄道によって変わったのである、それだけの影響があった
相馬市は駅前通りにはならず城下町のままだったのである
駅前通りは明治になって鉄道ができたとき生まれたのである
では高速となるとそういうことは全くない

ただ町の中心部から離れたところにあり町自体とは関係しないのである
だから高速は市町村を活性化するというのとも違う
道の駅でも相馬市だったら街の中心部から離れた田んぼの中にある
原町は街の中にあるから活性化することはある
高速道路は道の駅なのだが何か違っていた
つまり車社会が街の商店街をシャッター通りにしたということがある
それは前のように街の通りとは関係しないからである
だから車と鉄道はそもそも街に影響するにしても違ったものになったのである

高速のセデッティから鹿狼山が近くに見えた、この辺では高い山がない
鹿狼山(がろうさん)は400メートルくらいでこの辺では一番高いのである
高速からの眺めはまた違っている、ただ一回も高速を通る経験をしていない
東京までバスで行こうとしたが行かない、何か介護になってから気力がなくなったのである、旅するにも気力が必要だなと今は思った

まだ風は東風である、でも確かに秋なのである、今日は午前中は雨で寒かった
午後は晴れたのである、日ざしは強い、あれだけ暑かったのは日ざしが強いことがわかる日ざしが強いということは太陽の影響で暑かったのだろうか?
氷河期となるなら太陽が影響しているから温暖化とは太陽の影響なのだろうか?

酔芙蓉が街中に咲いている、そして小さな町は静かな眠りにつく、田舎の夜は静かなのがいいのである、何かうるさい所は住みたくない、老人になると余計にそうである
何か疲れやすくなっているからだ
ともかく故郷とは何かということを私は震災後追求してきた
それはやはり先祖というのも関係している、親に育まれたところだとなる
その親が先祖がいて実りがあった
ただその先祖が悪いことでまた原発事故で住めなくなったこともある
だから避難区域になったところではもう住めなくなった
そしてたら先祖もそこにはないとなる、避難区域では今住んでいいる人たちだけではない先祖も住んでいたのである、その先祖の住む場所も奪われたとなる

それは限界集落で廃墟になった村でもそうである
誰もお参りもしない社がある、それも何か淋しいなとなる
そこは山の中にあり家は朽ちてゆく、そういう廃墟趣味の人がyoutubeで放送している
何かそこには幽霊が住んでいるような雰囲気になるのである

2018年09月14日

ニチニチソウ(俳句は写生であり説明しない)


ニチニチソウ(俳句は写生であり説明しない)


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この回りも荒地

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隣は荒地

三色のニチニチソウやレストラン

カタバミにニチニチソウに蜆蝶

赤黄白バラ一列に映えて咲く

同じ道通りて聞こゆ秋の蝉


高見食堂で食事した、ニチニチソウが三色咲いていた
これはいいなと見た、街中はあまり花は見ないからだ
あそこは結構いいものを出す、広いからゆったりする
レストランとはレストであり休む場所だから狭いと嫌になるからだ
食事はくつろいでしたいからである
そこの花壇にはカタバミの花も咲いていた、良くみないと見えないものだった

原町の郊外に畑が薔薇を一面に植えた所があった、これはいいなと写真にとった
ところがこの辺では必ず荒地になっている所がある
その隣は荒地なのである、たたはもともと何か野菜を植えていたけど震災以後荒地化してバラを植えるようになったのかもしれない、薔薇は売ることもできるからだ

この辺の問題は荒地になっていることなのだ、近くでも半分くらい荒地になっているから草がぼうぼうと回りから生えてきて困っているのである
でもそれが荒地のままなのは畑で野菜作るにしろ花を作るにしろ手間だから金にもならないからやらないのである
塩崎の津波をかぶった所は広いが部落の人が草を刈っていた、定期的に刈っている
それは金をもらっているからしているという、そうなのかと納得した
他では金をもらえないから草も刈らずに荒地化しているのである

これはここだけではない、全国的に耕作放棄地が問題になっているのだ
近くの知っている人の畑の隣は家族の人に車に乗せされて這って畑仕事していたが
遂にやめた結果草ぼうぼうになったのである

ともかくこの辺の問題は畑では荒地化しているのをどうするのか?
それが大きな問題である、それは他でもそうである
少子高齢化とかもあり跡継ぎがいない、金にならないし手間だからやらない
すると荒地として放置されたままになってしまうのである

ニチニチソウには季語はない、ここでも俳句が写生であることを示している
何も作り出したものがない、ただありのままを俳句にしただけである
カタバミが咲いている、ニチニチソウ咲いている、そこに蜆蝶が飛んでいたと見たままだからである
ところがみんな何かとそこに理屈みたいなものをそえる、それで俳句をだめにしている
説明をしているから良くないのだ、つまり写生ではカタバミとニチニチソウと蜆蝶とあればそのものが説明している、説明させるのである
だからそれがなにかにと修飾しないことなのである
だから写生俳句はつまらないようで奥深いものとなるのである

2018年09月07日

実り(近間を回る)


実り(近間を回る)

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朝風に風車の回り実りかな

墓もうで深野に休み実りかな

めぐれるや長野深野の実りかな

珍しき蝶のとまるや森の道

前畑に落ち着く菊や古りし蔵

一本の松の変わらず秋の蝉

森に鳴く蝉の余韻や夕暮れぬ


右田の風景は変わった、前は「故郷は実りに松に漁の船」となっていた
松と実りと海に漁師の船がでているという風景だった
それが今や風力発電の風車が回っている
これもこの辺の風景としてなじむのか?
風で回るから自然の影響があって電気が起きていることは意識する
すると何か自然と融和しているのかとも感じる

風車はここだけではない、どこでも設置された、そして台風で倒れたのもあった
だから意外と日本では災害が多いからソーラーパネルでも壊されるということがある
日本は災害の国である、原発でも地震とかで北海道で電源が予備の電源になったり怖いのである、東日本震災以来本当に日本は災害の国だということをみんな意識したのである
だから原発など日本に向いていなかったのである

今日は深野(ふこうの)の方をまわり橲原に出て帰ってきた
大原から橲原の道は森の道である、あそこは車がまれにしか通らない
考えてみるとあそこになぜ道を作ったのかともなる
飯館村でも前にも書いたが大倉から坂を越えた共栄橋があるところの道は森に隠された秘境の道だった、それも原発事故前に道にして消えた
何か公共事業として必要でなくても道を作ることがある

なぜそうなのか?田舎では土木建築関係の会社が多いからである
それで今回の津波原発事故では特需のようになり仕事が生まれて土木建築関係は豊かになった、一時は仕事がないと倒産するとか減っていたが持ち直したのである
相当に金が入った土木建築関係者がいる
補償金をもらってさらに仕事で収入があった人もいたからである 

田舎だと蔵ある家は普通にある、蔵があると何か違っている
それは古い家だと見るからである。そして蔵があると落ち着くということがある
ただ今は蔵はそんなに利用していない、原町で見せてくれた蔵には孫の写真が飾ってあるだけだった、ただ蔵には古い農家だと郷土史の資料になるようなものが埋もれている場合がある

一本の松というとき小島田から金沢へ坂を上る所の池の岸にある
でもそこも池あるとしても変わってしまった
ソーラーパネルになったり廃棄物の処理場とか家も建ったので変わってしまった
あそこはいつも通るので気になる場所だったのである
ともかくこの辺は変わりすぎたのである
だから変わらないものが貴重になったのである

深野(ふこうの)はこれも実際はありふれた名だけど地名の名の影響もある
長野と深野はつづいているからどこが境かわからない
ただ大原にはソーラーパネルになったり田んぼも荒地になっているのがほとんどである
長野深野は実りがあった、この辺は放射性廃棄物の置き場になったところがまだある
それはいつかたづけられるのか?景観として良くないのである
荒地になっているのが良くないのである、田んぼにしなくても何か荒地を利用する方法があってもいいと思う
ただソーラーパネルになるのは土地を貸しているだけで金がもらえるとなるからもう田んぼでもめんどうで金にもならないとなると土地利用のためにそうなる
それは土地をもっていれば所有権があり何に使ってもいいとなるからだ
だからこの辺では荒地化したところはソーラーパネルになりやすいのである

まだ夏のかもしれない、今日だって蒸し暑い、だから秋になっているのだが秋の蝉という感じでもない、やはり気候がおかしくなっているから俳句が季語の芸術だという時それが狂ってしまうのである



タグ:風車 実り

2018年08月30日

木槿、鶏頭(俳句は写生)


木槿、鶏頭(俳句は写生)

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朝庭に鶏鳴き牛いて木槿かな

鶏頭の朝百本ほどや赤さ増す

風そよぎ高き梢や夏燕


 故郷の所を変えて蝉のなくその声聞きつ秋となるらむ

俳句は写生というときこれもそうだった、庭に写真のような鶏(かけ)が歩いて鳴いていた、そして牛がいて木槿が咲いている
それはただ写生であり事実でありそれに付け加えるものがないのだ
ただ広い庭があり鶏が歩み朝にその鳴き声がひびくとき気持ちいいのである
それがケージで鶏が卵を産む機械とされるのを見たら嫌だとなる
それは鶏も人間と同じ生物だからである
鳥だって籠に入れられていて飼われるのは見ていても心が痛むとなる
何かそういうことは人間社会でも人間がロボットや機械に扱われることに通じているのだ工場で流れ作業している人はロボットとと変わりないからである

(鶏頭の十四本のありぬべし)の子規の句は写生そのものだった
だから百本ほどあるというとき写生なのである
ただ写生俳句だと同じような俳句があるかもしれないということがある
それは誰でも作りやすいからである。
そこで月並みなものが大量生産されるのである。

今日は蒸し暑いからまだ夏である、ただ蝉の声は秋になっている
稲穂も色づいて実っているからだ、ここ十年は近間を回っているだけである
家事というのはいろいろあって時間がとられる
原町だと外食するものや弁当でも変わったものを売っているらから困らない
鹿島だとスーパーでも弁当が同じなのが多いのである。
それで簡単にすませたいが種類が少ないからできない
それで生協でオカズを用意しようとしたがこれもそれほどのものはなかった
一人暮らしで困るのは料理なのである
外食だけでは野菜とか不足するものが必ずあるからだ

2018年08月24日

赤いカボチャは熟年の田舎の女性


赤いカボチャは熟年の田舎の女性

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熟年や赤きカボチャのなる田舎

露地もののキュウリをもらう夏の暮

今日も映ゆ畑にカンナ人なしも

若葉して山に轟く滝二つ


蝉一つ我に向かいてひたすらにまた鳴く声や真昼静けし

カボチャは秋の季語であり漢字にすると南瓜になる
良く花は題材にするが野菜とかはあまりしない
でもこの赤いカボチャはいいなと思った

それは熟年の女性をイメージした、老人でもあるけど田舎の熟年の女性である
その女性は太っているからあたたかみを感じる
何かこの南瓜とにていたのである。
自然でも人間をイメージしている、赤いから温かいなと感じる
その人間をイメージするからそうなる

人間は女性でも男性でもそうだがその年によって魅力がある
女性でも別に年とったからといって魅力が出るとは限らないのである。
もちろん若い女性はいいとなるのはやむをえない
でも年を取ることで女性でも魅力が生まれる
その女性は若い時なら近づくもの嫌になったろう
見栄えが良くないからである

でも老人になると見栄えや外見もあるとしても何かその内面的なものが出るのがいいとなる、その女性は農家の出だから生まれつき農民的体質をもっていた
根っからの農民というのが女性でもいるものだと思った
その人を見るとき根っからの職人とか商人とかいる
農民でもそういう人はいる,それは農家に生まれて育ちそうなったともなる

田舎の良さは本当は農業を知らないとわからない、そもそも田舎は農業から成り立っていたからである。あとは漁業であり林業とかで成り立っていたからである
だからこそ田舎なのである。田んぼや畑がない田舎はイメージできないからだ
でもこの辺では原発事故で放射能で汚染されて田畑が荒地化したり住めなくなった
今でも荒地が多い、それはもともと農業をやる人が減っていて後継ぐ人もいなくなっていたからである
田舎でも8割はサラリーマンになっていたからである。

ともかく田舎の魅力は工場があることではない、東電のような発電所と原発があることではない、ソーラーパネルだってふさわしくない、風力発電でもそうである
田畑があり森があり山がありとかそこで営まれる生業(なりわい)があるとき田舎なのである。
その生業の中に実りがあり赤いかぼちゃがありそれが人間をイメージする
その赤さなんとも田舎の熟年の女性を象徴していたのである。
女性は田舎では方言では女子(オナゴ)というから方言だとその感じが出る

ただ女性にしても田舎的な女性は少ない、都会化した女性になっている、サラリーマン化した女性になっている、いかにも田舎で育まれたという女性は本当に少なくなったのである。つまり全国でも一様化して都会化したの現代である。
そもそも田舎的なもの農民的なものを嫌って拒否してきたからである
だから田舎の人間も都会人と変わらないのである。
いかにも田舎で素朴だなという人はまれだとなる
みんな金にあくどいしそういう社会だからどうにもならないのである

現実その熟年の女性でも田舎で暮らしていけない、収入がない、年金も雀の涙だとなっているからだ、そこに田舎の矛盾がある
病院に通っているしそこで金かかったりしているからどうにもてらないのである。
ただ田舎的なものが何かとなるとこの赤いかぼちゃに象徴されていると見たのである。




2018年08月17日

秋めいた一日 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)


 秋めいた一日

 (鷺内の社も障害者の学校が建ち変わる)

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この風景も変わる


 駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも

 鷺内の社に杉の木立かな秋めく陽の山の端に没る

 田植えする女のありしも鷺内の神社に垂れ咲く藤の花かな 



今日は涼しかった、秋めいた風が吹いた、それで駅長がホームで草刈していたことを書いた

夕暮れには菊池の近くの鷺内の社を見て山の端に陽が没る光景が印象に残る
あそこの周りは田んぼだったが障害者の学校が建つ
これも大きく風景が変わることなのだ
前は御田母神のところはダイユーが建ち田んぼはなくなり社だけが残った
ここはまだ近くに田んぼが残るようだが学校だから敷地が広い
良くあそこの鷺内の社は見ていた
女の人が田植えしていた、そこに藤の花が咲いて垂れていた

故郷の光景は長い時間で作られたものである。人の営みがあって作られたものなのであるそれは津波で流された右田の松原でもそうだった
そういうものがなくなることはやはり景観というのはそこに住む人の血肉のよになっている
景観と一体化するのが人間なのである。だから景観が変わるということは実際は相当な影響をする、精神的な影響が大きいのである。

その鷺内の社にしろ長い時間のなかでそこに木のように根付いたものだからである。
そういうことは原発の避難区域で起きた、そこにも神社や社があり人々がそこで営まれ歴史がある、そういうものが失われたのである
神社とか社とか何か信仰とは必ずしも関係ないように思う
ただ豊作を祈るものとしてあるのが多いからだ
それは土地に根付いたものであり土地から離れてありえないものである

何か秋めいたというとき秋になったのか?お盆は終わったから秋だとなる
ただまた暑くなるらしい、残暑がつづくのか?
それでも季節の変わりは早い、前のような暑さはなくなるだろう
日本は季節の変化に敏感でありそれが文化になり俳句短歌が生まれた

ともかく景観が失われることは何か心まで失う感じになる
右田の松原はなくなりここもまた学校が建ち景観が変わる、景観は何百軒もの家が建って変わった、さらに変わるものがまだある,何かこの辺は都会化したのである。その影響のカ?何の影響なのか?あまり揚羽などが見えない、少ない、やはり何か影響で減ったのかもっと飛んでもいいような気がする
タグ:鷺内の社

2018年08月14日

雲の峰(今日は雷が鳴った)


雲の峰(今日は雷が鳴った)

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玄関に配達の人雲の峰

新築の家の多しや雲の峰

雲の峰高空に飛ぶ夕燕

雲の峰に光放ちて陽は没りぬ

見回せばまた新たに雲の峰

雲の峰崩れてはたつ見回せば

雲の峰50羽ほどの鷺帰る

雷鳴りて四方にひびき夕燕 

隆盛夏雲
生々流動
変幻自在
飛廻燕哉

夏の雲次々に変化する、今日は夕立ちがあり雷が鳴った、一雨ふって終わった
毎日近間をぐるぐる自転車で走っている
同じ場所だが自然には変化がある

鷺の巣が川岸の竹藪にあり50羽ほどが集まる、夕方になると次々に帰ってくる
この辺では一時鷺はいなくなったり減ったがまた増えた
田ん゛が増えたためである、それでも田んぼは前より少ない
ただ50羽ほど鷺がいることはなんらか餌がありここに生きられるためだろう。

写真をとるにしても意外と自然の変化が速いので対応できない
いい景色は瞬間的であり瞬間を逃すと二度ととれない
夏の雲それだけ変化が激しい、今日は今年初めて夏に雷が鳴ったのも不思議である
まだまだ夏はつづくのだろう、暑いしぐったりして疲れる
でも夏らしい夏となり夏を十分に味わおう、それでこそ実りの秋になる
もうすでにお盆なのだから秋にもなっている、でもまだまだ夏なのだろう








タグ:雲の峰

故郷の失われた風景(実りと松と漁の船)


故郷の失われた風景(実りと松と漁の船)

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故郷は実りと松と漁の船

釣り人や松原の影涼しかな


故郷の原風景がこれだった、松原があり実りがあり海を見れば漁に出る漁船が見えた
これも実際は今になると失われていた
漁の船といっても東電の原発ができてからは漁師は多額の補償金で暮らしていたことがわかったからである
漁業も農業と同じだった、金にならないとか後継者がいないとかなり東電に漁業権を売り渡して生活していたのである

ただこの故郷の原風景は津波と原発事故前は変わりなかった
それが松原は根こそぎ流されて一本も残っていない
風力発電の風車がまわり津波のために土盛りして高くされた
この風景は何なのだろうとなる、それは火力発電者ができたときもそうだった
でもまだこの原風景は残っていた、今はない

右田の松原は江戸時代からの物であり松が古く太いのが多かったからいい松原だったのである、松川浦の松原は新しく細いからいいものではなかった
だからあの松原がなくなったことはショックだった
ともかくあまりにもこの辺は変化が激しかった
これほどの変化があるとはイメージもできなかった

ただ今やその風景は記憶にのみあるだけである
でも津波の後に原発事故の後に生まれた人はもうそこに松原があったこともわからない
つまり原風景として記憶に残っているのはその松原と親しく接していた人なのである。
夏だといつも自分は松原の影で休んでいた、海からの風が涼しかった
釣りの人もいた、釣りの人は今でも来ている
でも松原はなくなった

秋になると実りがあり松を見ていた、松は何か日本人に最も親しい木であり人のように見えるのである
松は質実なものとして人間の友のようにある木なのである
ただ日本の原風景は戦後の高度成長とかから白砂松原の風景は失われていた
コンクリートの防波堤になり失われていた
でも一応松原の風景はあった、それも喪失したのである、そして二度ともどってこないのである。

時代劇をいつも見ているのはそこになごみがある、その風景になにか落ち着き心もとけいるとかなる,それは江戸時代辺りは日本の原風景の中にまだ生活していたからである。
ビルもないし車もないし人々は貧しくても自然と調和して生きていたからである
ただつくづく時代は変わる、そしてその時代をもう生きることは経験することはできないその時代に生きたということはもう再現はできない、同じ経験はできない
だから過去をイメージするとき何か必ず間違ったものになる
それは過去はイメージの想像の世界になってしまっているからである
もう現実にありえない世界となっているからである。

2018年08月10日

蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)


蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)

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雨しとと勤めの人や蝉の鳴く

蝉の鳴く定時に来る電車かな

農家の庭の広しも芙蓉かな

街中の古木聞き入る蝉の声

真昼間や高鳴りひびく蝉の声

入り混じり遠く近くや蝉の声

明るしや畑に人なしカンナかな

客よれや6号線にカンナかな

鷺一羽水辺の深く影写す


避難区の街に残りぬ古き木の根を張り聞きぬ蝉の声かな

誰をかに向かいて蝉のひたすらに鳴きにし声聞くべかりけり

人なしに空家にひびく蝉の声聞く人なしも帰らざるかな   

蜘蛛の糸一本なれど揚羽蝶とらえ離さじ巧みなるかな


小高で不思議だったのは街の通りに人はなく蝉の声だけがひびいていたことである
小高の街の通りは歩道もあり駅前から長いから鹿島よりずっと良かった
鹿島の通りは歩道がないしほとんど人が歩いていない
人が減ったのではない、前からそうだったのである
駅前通りも死んでいる感じになる

蝉の声というときこれも誰も住んでいない街に鳴いていたらその声は誰が聞くのだろうとなる
小高の街で目についたのは古い木だったのである
そして帰ったのも老人が多いのである、老人は古木とにている
その古い木が蝉の声を聞いていたのである
ともかく依然として帰った人は増えたが空き家の街である 

知っている人がしている畑があるけどそこに今日は人はなくカンナだけが明るく咲いていた
何か畑でも肥料だ、種だ、農薬だと金がかかりそれで金を要求される
そしてキジに食われた、盗まれた、モグラに食われた、ネズミがでる・・・
こういうことを常に聞かされるので嫌になる
これまでは自分はそういうことにかかわらなかった、でも何か現実の生活にかかわらざるをえなくなったのだ
現実の生活は花ばかりきれいだと見ていられないのである
そこには嫌なことがあり人間関係でも嫌になるのが田舎なのである。
ある人は知っている人と会いたくないからこの道を通っているというとき田舎では常時監視状態にあるからそうなる
四六時中監視されているのである
だからカンナだけ明るく咲いているのが気持ちいいとなる

飯館村などは時々行ったとしてもそこの人間とはかかわらなかった、だからよかったともなる
人間と実際にかかわれば嫌なことが必ずあるからだ
ただ花だけを見て帰るなら嫌なことはないのである。

今日は蒸し暑かった、でも夕方は涼しかった、この辺の暑さは峠を越えたように思う
それでも夏バテになりぐったりしたのである
西のように暑かったら地獄である、住むのも嫌になるだろう
避暑に行きたくなるだろう、35度が連日つづくとしたらもう住む環境でとなくなる
なぜこんなに暑いのか?偶然なのか?地球温暖化でないとしたら何なのだろうとなる
40度近くになるともう住む環境でなくなるからだ
ここは気候だけは暑からず寒からずだから過ごしやすいから助かったとなる

蜘蛛の巣に揚羽が一羽とらえられてばたばたしていた、農家の広い庭である
その蜘蛛の巣は大きいものだった、でも巣の真ん中にひっかかったのではない
はずれた端の方の一本の糸にひっかかっていた
蜘蛛の巣でも何本もの蜘蛛の巣にひっかかるならわかる
一本くらいで動けなくなるのか?
芥川龍之介の蜘蛛の糸という小説があったがそれは一本の蜘蛛の糸をたらしてそこに人間がはいのぼってくる光景だった
つまり蜘蛛の糸は一本でそれだけ強いものがあるということになる
一本の蜘蛛の糸にとらちえられた揚羽はそうだったのかもしれない、それで蜘蛛の巣をとりはらい揚羽を逃がしてやった
これは自然の一つのドラマだったとなる

鷺が水辺に映っていた、増水したから水辺が深くなっていたのである。
自然というのは同じところにいてもつくづく変化する、その変化することで飽きないとなる
同じ所に住んでいると見るものも同じだから飽きる、でも変化するから飽きないとなる    


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震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首)
(故郷は古里で古きを守る場なのか?)




2018年08月06日

蝉の声(晩年は時間に追われる)

蝉の声(晩年は時間に追われる)

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晩年やせわしなに蝉鳴き暮れぬ

方角を違えて夕べ雲の峰

今日もまた同じ木陰に休みけり

夏の夕馬草を食い眠る蝶

親子して草食う馬や夏の牧


同じ年の人と自転車でよくあう、その人は一回脳梗塞をしたからそれ以後体を気にしている、体が弱っている,でも別に自転車でも散歩しているし普通の生活をしている
その人は郷土のことも調べているので時々話する
その人も晩年である、何か晩年になるとせわしい、楽隠居というが何か追われる
それは生きる時間が短くなって追い詰められるという感じになるからである
まだまだ生きる時間が長ければ追われるという感じになはならい
まず50代すぎるともう人生も終盤が見えてくる
すると何か追われるようになるのだ

人間が死ぬまじかになると延々と自分の生きたことを語る、認知症になっても過去を忘れないからそうなる、そして死んでゆく、それはちょうど蝉が短い間でも懸命に鳴いて死ぬのとにているのだ
最後は人間は日暮らしのように鳴いて死んでゆくとなる
終わってみれば蝉のように人間ははかないのである

昨日も暑かった、方角が違って雲の峰が夕べ見えた
今年は雲の峰が見えても雨がふらないのも不思議である
今日は雨がふってすずしい、ここも34度くらいになったが今日は相当にすずしい
ただ体が夏バテになりぐったりしている
40度近くになるともう耐えられない、体が弱い人は死ぬと思う
自分も体が弱いから危険になる、だからここは気候がいいからなんとかしのげるとなっている、老人は意外とこの気候が影響するから住む場所を選ぶべきだとなるが
簡単に人間はどこでも住む訳にはいかないのである
でも山を越えた福島市だったらもう住めない、夏は蒸し風呂になり冬は酷寒になる
だから気候的にここはいいからしのいで生きられるともなる

毎日川の土手の道の木陰で休む、ほとんど同じ道を行ったり来たりしているだけである、それは十年つづいている
それもいいのかなと思う、やはり人間はあまりに変わりすぎると落ち着かない
人は最後は落ち着く場所を求めるからだ、だから同じ木陰でアイスコーヒ−を毎日飲むのが楽しみだとなっていた
今年の体の状態は胃が悪くならなかったのが良かった、冷たい水を飲んでもならなかった
必ず夏には胃を悪くしていたから不思議である
やはり健康であれば冷たいものを飲んでもいいから夏を楽しめる
人間はやはり健康が第一なのだ、健康でなければいくら金があってもうまいものさえ味わえないからだ

夏の夕暮れこの辺には牧場がある、野馬追いのために馬を飼っている、それがこの辺の特徴である、ただ北海道のような広い牧場はない、写真は北海道なのである
それを写真を加工したからまずいと思うが著作権とかで注意されたことがない
インタ−ネットでは広いからわからないのだろう
現代は写真の時代でありその写真を活かすことが必要になる
でも他人の写真を見て俳句を作ったことはない
今回は親子の馬がいたので俳句にした
写真は写生になるのだが写真を見てだけでどうして俳句などでも作れないのか?
それは写真はあくまでも一部だからである
その辺の気候とか全体がわからない、それでいい写真でもそこにいる臨場感をもていなのである、写真はあくまでもきりとった一部だからそうなる

この辺は野馬追いがあるから馬の風景が一応があるが北海道のように雄大にはならない
そこに不満があるが馬と親しむ場所であることは確かである
それで小高復興のために牧場にして馬を放し飼いするのもありかなと思ったのである

タグ:晩年 蝉の声

2018年07月31日

雲の峰(俳句十句)


雲の峰(俳句十句)

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大いなる空の広きや雲の峰

みるみるに高くなりにき雲の峰

燕飛び見ぬ間に高く雲の峰

真昼間や日射しの強く雲の峰

形変えみるみる高き雲の峰

畑仕事太りし婦(おんな)にカンナかな

新たなる宅地またふえ雲の峰

今日もまた同じ木陰に休むかな

カンナ咲き夏の雲湧く白さかな

暑き日を吸い込み一日雲の峰

雲の峰二つ割れて山を成す                            


この道の行く人知りぬここに立つ木の影濃くも後に人なし


今日は暑いけどからっとしている、ここは32度くらいかもしれない、そのくらいだと耐えられる、晴れ渡り雲の峯がぐんぐんと高くなる
それが気持ちがいい、夏らしいなとつくづく思う
名都を楽しむには34度とか35度になったらもう無理である
熱中症になる、日本は季節の変化がありそれで俳句ができた
夏は夏らしいとなる

太った女性はどこにあっているのか?それは畑にいるときあっている
根っからの農民なのである、生まれも育ちもそうだからである
人間は何かそこにふさわしいとなる場がある
自然の中で人間も映えるから農民や漁師や林業でもそういうところで働く人は自然とかかわり自然と一体となる、ただハウスとかなるとそれは別なものになる
働いている人が見えないからである

でももうハウスでなければ農業は成り立たない、それは不自然に見えても今はそうしないと成り立たない、でもトマトでも露地ものがうまかったということはある
それはたっぷりと自然の光を吸ったからだともなる
現実としてはもう畑といってもそれを維持することの苦労を聞けばもうやりたくないともなる、いろいろと金がかかる、それをこっちで支払うのも苦しいとなる
趣味の畑は金にならない、かえって金がかかる

それでもその女性は畑にいる時カンナのように映えている,そこにふさわしいとなる
それは生まれつきであり育ちもそうであり体つきでも農民だという感じなのである
人間はやはりその人にふさわしいものがありその時その人は生きる価値があるともなる
ただ正直それは外から見ている時そうなるのである。
現実に農業するものは違う、だからなぜ原発事故のあと耕作放棄地が増えたのか?
誰も耕さないのか?それは手間であり金にもならないとなり高齢化して放棄したのである
雲の峯は変化する、雲の峰を見ていると気持ちがいい、そこに自由な力も感じる
自然の雄大さを感じる、この辺には高い山がないから本当に山のように見る
駅前通りにも映えたが降りる人が一人とか少なかった
野馬追いが終わり閑散としている、駅前通りはにぎわっていたが今はどこもにぎわいがないのがさみしい、ただ駅からおりてこの雲の峰を見ればきもちいいとなる

小高の不思議は人が通るのがまれである、車も他よりずっと少ない、すると江戸時代のような雰囲気になっていた、車がないと江戸時代に還る
人が一人道を歩く、その人を道は記憶している、そして木の影が濃く道をおおいその後を一日行く人もないともなる
車がなければ江戸時代は戦前でもそういう風景だったのである
江戸時代にもどりたかったら小高とか浪江でそれをある程度経験できるともなる
夜だって暗くなり江戸時代にもどったようになるからだ
江戸時代を体験するとかの観光さえありうる、そんなことを言うとまたしかられる不謹慎だとなるが「江戸時代にもどった町」とかで人が来るかもしれない
ただそうはいってもやはり駅前通りが活気がないように自然でも街でも活気があるとき自然が映えるとういことがある、都会では自然がないから逆に人の活気だけになるからつまらないともなるのだ
タグ:雲の峰

2018年07月30日

震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首) (故郷は古里で古きを守る場なのか?)


震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首)

(故郷は古里で古きを守る場なのか?)

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帰る人あり→帰る人ふゆ


街道の道幅狭く黒々と杉木立見え曲がりゆくかな

街道をまた旅人の行くなれや夏の日さえぎる森の暗しも

大きなる岩やこの家に人のなくいつ帰りなむ声もなきしも

街道に蝉の声ひびき行く人のありて活きなむ道にしあるかな

街道をまた旅せむや夏の日に浜風涼し進み行くかな

街中に根付き古りにき蝉の声ひびき小高に帰る人ふゆ

街中に根付き古りにし木のあれや蝉の声聞き人も聞くかな

帰り来て小高の人の安らぐや我が土地家と芙蓉の咲きぬ

夏草に田畑の埋もれ烏二羽黒々として離れざるかな

道の辻馬頭観世音の碑の残り夏の日さしてめぐり帰りぬ

農家一軒帰りてこの道行く人のまれにしあわれ芙蓉咲くかな


なんか小高に三年ぶりに浜街道を行き不思議だった、なぜそう思ったのか?
それはまずまだ小高には車でも行く人が増えたにしろ少ない、すると浜街道でも江戸時代にもどったような気分になるのだ
車がもし走らないと前も感じたが江戸時代に戻るのである
それであれこんなにこの道は細かったのか、黒い杉木立が道を隠していたのかと改めて見た、前はこんなふうに見ていない、浜街道沿いに人が住んでいないことも影響していた

双葉とか大熊辺りはもともと夜の森(よのもり)とあるが相馬藩主が余の森とした
自分の森だとした、そこは森が鬱蒼と覆っていたのである。
大野とか広野とかも野が広がっていたのである。
何か原発事故以後人が住まなくなった結果、元の原始状態にもどったようになった
それは津波の後でもそれを感じた、一時海岸地帯は湿地帯になり沼がいくつもできたからだ、八沢浦は本当に海になった時ほど驚いたことはない

小高は確かに住む人が増えたけどやはり街中は森閑としている
それで古い木が街中に根付いている、それから寺に古い五輪塔があったりる
すると故郷とは何なのか?古里でもあり実は古いものがあり古いものが継続して守る場所なのかとなる、故郷はまた故ある場所である
古いものがあるというとき墓地でも墓でもそうである
故郷とは新しい場所ではない、前々から人が代々住んだ古い場所なのである

だから街中に古い木があるなとつくづく見た、そしてそこに蝉の声がひびいていたのである,故郷とは古いものが意識される場所なのか?人が帰ったときまずその古いものを見るもちろん次々に新しいものも生まれるが古いものがある所が故郷なのかとなる

まずこうした感じは本当は小高の人とか浪江の人とかまた仮設などに移り住んだ人が一番実感していることである、その経験は普通は経験しがたいことだったからである
だから仮設に5年とか今や7年も住んだらどんな気持ちになるのだろうとなる
それはそうした経験をしないものしかわからないのである
故郷の家に土地に帰って安心しているのか不便と感じているのかわからない

いづれにしろ浜街道をまた旅したくなった、あんなところだったのかというのも忘れていた、人間は忘れやすいのである、まず車の通らない道というのは本当に不思議である
それは江戸時代にもどることなのである。
だから車の影響がどれだけ大きいかそれでわかる、なぜならいろいろあるが車がなかったら江戸時代にもどった気分になることでもわかる
その時自然は元の原始状態のように見えるのである
浜街道でも旅人となると普通ではないがやはり旅人でも通るとき活きてくる
道すら原発事故以後この辺は死んでいたのである
ただそのことで原始の状態に戻ったということはある、それが何とも不思議なのである

烏二羽が茫々とした夏草の原の牧の柵のような所にとまっていた
それもこの烏はもともと故郷を離れずいた、その黒々とした烏が故郷の住人のようにすら思えた、黒いということが何かあっていたのである。黒装束の通夜に出るような人に見えた、何か烏でも避難区域では違って見えたのである

道の辻の馬頭観世音でもそうである、この碑でも人が通らないと死んだものになる
人が住まなければ古いものも本当に死んだものとなる、人が通うことで活きているのである、そもそもがそういう道は常に人が通っていたからだ
それが人が通わないとどうなるのか、道すら死んでゆくとなる
鳩原では二三軒人が住んでいた、だから違っていたが夏草に埋もれていたのである。

次は今度は浜街道を浪江の方まで行ってみよう、浪江は小高より人が住んでいない
だから小高より廃墟のような感じる、小高は住む人が増えたから浪江とは違っていた
でも何か依然として普通の街ではない不思議を感じたのである。

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小高には前より人が帰っていた
(馬頭観世音の碑)


2018年07月28日

蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)


蝉の声(小高まで行く-前より人は結構帰っている)



小高へ
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鳩原へ

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煙が立っている
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日新館は必ず野馬追いに来る

フォルダのスライドショーで見ると大きく見えます


浜街道木立の繁く蝉の声

鬼百合や小高よりも野馬追に

この道や車もまれに芙蓉かな

峠越えかなたに望む夏の山   

夏草や罵頭観世音に羽倉へと

ひまわりや畑広々と耕やしぬ


大岩の据えて家あり人住まぬ帰るを待ちてここを動かず
                                                  
街中に根づきて古りぬ樹のありぬ帰りて住める人も少なし

街中に五輪塔古り守る寺蝉鳴く声の真昼ひびきぬ

帰り来ぬわずかの家に蝉の声真昼ひびきぬ小高の街かな

人住むもわずかや小高の街通り真昼静かに蝉の声ひびく

煙たち住む人あれや夏草に田畑のうもれ久しくなりぬ

この家に人帰らざり夏草の高く伸びにつ久しくなりぬ

羽倉へと碑に記されて分かれ道夏の日遠くめぐりゆくかな
          

涼しいから小高まで行ってきた、小高では確かに住む人が増えた
街中でも医者でも二軒開業するとか店もいくつか開いている
でもそれで商売になるのかとなる
通りに高齢の女性がいたのでたずねると私は鹿島に住んでいるんですがここに立っていても知っている人と会わないですよ、郵便局に来るのはここに住んでいる人ではないです
郵便局に用事があり外から来ているんですよと言っていた
車の往来も前よりは増えているけど外部から入ってきている、ここに住んでいる人たちではない、それでも三年ぶりくらいに来たから増えていると実感した

それでも何かこういう街は不思議である、人がいないから一段と淋しく感じる
ただ蝉の声がしんとした街にひびいていたのである
街中だと騒々しいところがあるからそんなに蝉の声がひびかない
でも蝉の声がひびいている、前もそうだったがこういう世界は江戸時代なのである
江戸時代を知りたかったら車がないとそういうことだけで江戸時代はこんなふうだったのだと実感する、だから車の影響がいかに多いかわかるのである

浄園寺の中に古い五輪塔がある、これはいつの時代のものなのか?
あの墓を守っているのか?あそこは寺という感じがない
普通の家の庭にただ墓があるだけに見えた
それから古い樹があり街中にも古いものがあり今やそれを帰った人たちが守るのかとなる
鳩原の方に行ったら牧場があり煙が立っていた、人が住んでいるのだとほっとした
前は草ぼうぼうだが蝶々が十羽くらい盛んに舞っていた、その前の家は草にうもれて帰らない、もうあの家には住まないとみた
でも広い庭の農家でも帰っている人がいる
だから前とは違って人の営みがあるのだと見た、ただ道路にしても車はたまに通るだけである、車が通らないということは江戸時代に帰ることなのである
芙蓉がそこに咲いていて花が映えるのである
ただ放射性廃棄物になっているところが広いからあれをかたづけないと元にもどらない
この辺でもまだそういう場所がある

それから碑があり羽倉へとか記してあった、そこから原町の方へ馬事公苑の方へ行くと
広々とした畑をトラクターで耕す人がいた、その相違も大きいと思った 

とにかく今日はかなり走ったけど涼しいから疲れなかった
こんなに疲れないのも不思議である、筋肉も疲れていない、これなら結構長距離行けるなとも思った、このロードではないきで疲れないのかもしれなしい、ロードは早くても疲れる、前かがみになるから疲れる、やはり年になれば楽な自転車がいいと思った

2018年07月22日

雲の峰(灼熱の中の俳句)


雲の峰(灼熱の中の俳句)

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フォルダのスライドショーで見ると大きく見えます
クリックしないと見栄えしないのがあります


真日さして夏野の広し蝶の舞ふ

蝉一つ落ちて死にしや呆気なし

鬼百合や野馬追い近し旗かかぐ

夕日さし湧きあがる夏の雲見上ぐ

雲の峰崩れてさしぬ夕日かな

裏の森山鳩隠れ合歓眠る


今日も暑かった、外の熱気が異常である、こういうときはクーラーである
でもクーラーの部屋に長くいることは体に悪い
やはり暑くても外に出て汗をかくのいい、体温調節になる
この辺でも外で40度くらいになっている場合がある
ただ家の中だと30度くらいである
暑い場所が家に帰るとクーラーの部屋に入るので気持ちいいとなる

暑くてもやはり活動しないと暑さに負ける
昨日は雲の峰が夕べ湧きあがり夕日がさしていた
雲は絶えず変化する、それで写真をとった
夏野というときこの辺は田んぼが草原化している所が結構まだある
日本では夏野というけど田んぼが多かったり広々とした夏野の景色があまりない
だから草原化して自然にもどった景色も不思議であり今もつづいているのである
ただ一面に草原化しているのはいいが畑の回りが草ぼうぼうになっているのが困るのである。
田んぼが草原化したところは地区の人が草刈していたから草原になっている

野馬追いが近く玄関など旗がたつのは野馬追いに出る家である
そこから野馬追いを見るといい、どこの村から出たかわかるからである
野馬追いは旗が家にたつときから始まっているのである。
この時、鬼百合などが咲くのがあっている

蝉が一つ道に落ちていた、人間は死ぬと本当に呆気ない、認知症になった姉はおしゃべりだから死ぬまでしゃべりつづけたが死んだら呆気ないなとつくづく思った
他でも人間は生きている時は何かその存在が大きく気になる
でも一旦死ぬと呆気ない、死ぬまでワーワー騒いでも蝉のように鳴いても死ぬとパッタリと鳴きやむ、こんな呆気ないのかと信じられないとなる

裏の森に山鳩が隠れた、そして合歓が咲いて眠りにつく、今は平和である
自分も介護や看取りや家族との死別で消耗した
この消耗は体力だけでなはい、精神的に相当に消耗する
でも最近なんとか回復してきたのかもしれない、熱中症にもなったがなんとか運動もできているからだ、やはり汗をかかないと体温調節できない、運動は夏でもした方がいいのである、一日三会は回は外に買い物でも散歩でも行く

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原町−鹿島−相馬市
の特徴を花から見る

 


 


タグ:雲の峰

2018年07月18日

原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る


原町−鹿島−相馬市の特徴を花から見る

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誰か訪ふ城跡に咲く藤の花夕べとなるや相馬市を去る

草深し霧のかかりて藪甘草群れ咲きにつつ鹿島の暮れぬ

ひまわりの鉄路に沿いて咲きにけり原町駅にぎわう時かな

外から来たら相馬市とか鹿島と原町の区別はわからない,ほかでもそうである
何に違いがあるのかわからない、ただ仙台とか盛岡とか比べるとわかる
でもその途中の市とか町の区別はわからない,平泉町とかは金色堂とかでわかりやすい
特徴がはっきりしているからわかりふすい,ではほかの都市でも町に何か違っているのかというとわかりにくい,その土地のことは長く住まないとわからないのである

相馬市は城跡の神社に藤の花がいつも咲いている、だから相馬市の花としてふさわしいとなる、県の花とか市の花とかあるけどこれもまたなかなかふさわしいのかどうかわからない、鹿島は車輪梅が南限の地として有名だった
この辺ではいたるところに車輪梅が咲いている

でも鹿島となるといつも真野側の岸辺を歩いているが草深いのである
草を刈らないから木も茂っている、本当はあのように草木が茂ると洪水になりやすいとある、でも自然景観から見ると自然があっていいなと自分は見る
自分はいつも景観から土地を見ている、でも実生活かけ離れることがある
八沢浦が津波で元に戻ったというときもそうだった、そこで人が死んでいても江戸時代の浦にもどったことに驚嘆した、景観がもどったことに驚嘆したのである

相馬市は

いささかに 思ひて来しを多古の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし(万葉集/久米広縄(くめのひろなわ)

この歌がふさわしいのかなとなる、いささかに藤の花が咲くと見に来たが実際に見たらもっと美しく一夜その花を見て忘れられないものとなったとか解釈できる
こういうことがある、いくら外国でもイメージしてもできない、実際に行ってみて本当にわかることがある、ただ一方で幻滅することもある
ただ実際に見た方の驚きが多いのである、とてもいちら想像力を働かせても神の創造になるものは人間の力を越える、だからこそ津波で八沢浦が元の入り江にもどったことに驚嘆したのである

原町市は同じ相馬藩内でも違っている、原ノ町機関区として物資の輸送の基点となったからである、それで城のある相馬市より明治以降は発展したのである。
だから駅前通りがあり発展した、相馬市には駅前通りはなかった
城を中心にして作られた街だからである

深草というとき京都に深草という地名があり深草少将とかの姓の人もいる
深草はまさに草深い土地だから名付けられた、ただ今になればそうした地も繁華となり昔の面影がなくなる
江戸などはもう全くない、時代劇が面白いのはストリーもあるがその景観なのである

舟がし水路をゆっくりと行く、その岸辺に菖蒲が咲いている、そこに江戸時代のゆったりとした時間感覚を感じる

舟の行く岸に菖蒲や江戸の町

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江戸は水路がありベネチアのようになっていたのである。
この辺でも小高でも浪江でも風景も違う、新地などは山が迫っているし海も近いから地勢が違っていると感じる、でも浪江は二つの川があり高瀬川の急流があるから景観的には特徴があった、山水画のような岩もあったからだ
大堀焼の窯元のあるところから高瀬川に通じていたのである。
あそこはだからいい場所だった、それも避難区域となり失われた
ただ別にその景観がなくなったわけではない、川は依然として同じようにあるが人が住まなくなったのである。

相馬藩内にはその他飯館村は特別だった、高原の村であり森に囲まれていた秘境ともなっていたのである。そこにも人が住まなくなった、あそこで田んぼの土が削られたりして
いるから無惨だったのである。

相馬市は藤の花であり鹿島は藪甘草があっているかもしれない、原町はひまわりである。現実に線路沿いに大きなひまわりが咲いていたのを見たことがあるからだ
原町には買い物で一週間に一回は行っているし相馬市は遠いがそれでも一か月に一回くらいは行っているだろう、だから自分は鹿島を基点にして相馬藩内を見ている
人間は住んでいる場所がなんであれ中心となり基点となり世界を見るのである
だから世界でも自然でもみんな住む場所によって違って見えるのである。
それは相馬藩内という狭い場所でも実際は多様であり見方が違ってくるのである。
地形的には山下から亘理までは変化を感じないのである。

蝉(相馬市に行く)


蝉(相馬市に行く)

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相馬市の道の駅

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相馬市の空き家
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クリック拡大−電車が見える
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相馬市の道の駅に来て青田風

松に蝉街道行くや一里かな

ミンミンの森にひびくや古き里
                      
(相馬市)

街中の川に鷺の餌あさる

幽霊も空き家に出るや暑しかな

石一つ葉影に休み障りなし

石一つ夏蝋梅の葉陰にあり

故郷に夕日の没るや合歓の花  

夕日没り里の平和に合歓に月

蛙鳴く声のひびきて夏の闇


相馬市の店に新しき茶碗買うその色よきや我が手にとりぬ


久しぶりに自転車で相馬市に行った、暑かったけどここはなんとかまだ外出できる
三時ころだから暑かったこと暑かった
相馬市の道の駅は青田の中にある、それが特徴である
原町とかは街中にある,それが対象的である
青田の中にあれば自然の中にある、でも店もないから不便だとなる、レストランもないから不便だとなる、その両方をかな備えるのはどこでもむずかしいのだ

松に蝉というとき松蝉のことではない、松蝉という種類がある、これは春とか初夏に鳴ぎだす種類だという、蝉はなきはじめている
松に蝉というとき何か落ち着いて松にとまって鳴いているという感じになる
蝉の声でも街道を歩いて聞いた時ならしみいるものがある
ミンミンも甲高くひびいている、ミンミンの声には子供の時を思い出す
無邪気に大声出して遊んでいたときを思い出す、そこには家族がいて安らぐ場所があった家族は子供の時からはじまり子供の時一緒に生活していないと家族とはなりにくいと思う故郷とは子供時代を過ごした場所ともなるからだ

日立木を過ぎて相馬市に入ると川の中で鷺が餌をあさっている、街中を流れている川が宇多川である、ただこの川は大きな川でないからあまり水量がない
でも何か相馬市にはふさわしい、相馬市は何か城下町で静かで落ち着いているからだ
そこの畠山茶店とかでコーヒーカップを買った
この色が気に入ったからだ、紫でありそこに土色がある、この淡い紫が気に入ったのである、これは女性向きだろう、何か地味な女性向きである
母は地味な女性だったからそれに重ねて思い出したりする
何か死んでから母を思うのも不思議である、生きている時は思っていなかった
今になると自分のためにしてくれる人は一人もいなくなったことで余計にそうなった

相馬市の街中に空家があった、庭も広い、平家の一軒屋だが庭は広い、誰が住んだのだろうと思う、空家が多くなっている、ノウゼンカズラが咲いていたがそこも空家だった
人間が住まないとそこに花が咲いても活きてこないのである。
花まで死んでしまうのである、それが避難区域になった小高とか浪江に行くとわかる
空き家だらけであり死の街と化しているからだ、空き家となるとその周りにも影響する
そこが幽霊の住処のようになる

帰ると夕日が山に没してゆく、合歓の花が咲いている、電車がすぎてゆく
そこで写真をとった
田舎の夜は静かであり夏の闇がおおう、蛙の声だけがひびく,都会だと人人人であり嫌なのである

ただ正直田舎の人間関係はめんどうである、地元の人すらうんざりしている
どこでも知っている人に会うから買い物をしない人もいる、頼んでいるのである。
ス−パ−でも人に会うからである
いづれにしろ人間関係がうまくいかないのは結婚して三人に一人が離婚していることでもわかる、石一つ庭の夏蝋梅の葉陰にあり涼しいとなる、そこに障りがない
でも人間関係には必ず障り(さわり)がある

穏やかな雲間に雷雨が潜むように

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

ほとんど重量とてないとるにたらぬ原子から

世界は最後の審判を受ける
(ハンス、カロッサ)

今日私に媚びるものが明日には私を傷つける

人間はこうして必ず傷つくし傷つけあう、今は穏やかな雲間でもそこに雷雨が雷がひそんでいるともなる、長年一緒に暮らした夫婦でも穏やかな日々が続いても破綻する、要するに人間に永続した平和が人間関係でもないのである。この詩はこの辺の状態にあっていたのである

このプログとかはつれづれままに書くのが向いている、気軽に書ける
それが即座にアップされることが強みである
一日くらい遅れになっても今の気分が反映して読まれることが理想なのである。
全国でも今月が出ていたとしたら他でも出ているからである。
ただ天候は暑さなどでも違ってくるから地域差がある、でも今の時間をリアルタイムに共有することがインタ−ネットの強みでありそれでSNSとかラインとか対話型のコミ二ケーションが普及したのである、それは今の時間を共有することができたからである。
だから本当はすぐに返答するのがいいのでありしないと今を共有できないのである
ただ自分はプログでは返答していない、プログが書くことが先決であり自分の場合長いからそこに集中して対話できないのである
一日長文でもこの頃二回アップしているからである
これだけ書くと書くことに集中するから返答の方はおろそかになってしまうのである。
タグ:街道

2018年07月17日

雲の峰とカンナ(原町へ行く)


雲の峰とカンナ(原町へ行く)

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坂越えて原町に湧く雲の峰  

二手にそ湧きあがりけり雲の峰

雲の峰競い二つやはや崩る

朝の畠陽ざしの強くカンナかな

赤と黄のカンナの映えぬ畑かな  

畑にそ汗だくだくやカンナかな

のうぜんの今日も赤々と道に散る


昨日は坂を越えて原町に行く、本当に暑いからぐったりする
でも俳句とか詩とか自然にふれるとき家にこもっていたばかりでは書けないし描けない
つまり俳句も写生であり絵でも写生が基本だからである

そして不思議なのはここ十年は旅していないけど近くでも自然はあり変化があるなと思った、だから写真にとる風景は季節ごとに変わっている
昨日は坂を越えて原町に行ったら夏の雲が湧き雲の峰となっていた
それで写真を撮り俳句を作った


「若鮎(わかあゆ)の二手になりて上りけり」正岡子規

ここで二手ということが頭にあった、それで二手にした、今年はこうして夏の雲が湧いても雷が鳴ったり雨が降らない、この辺は乾燥している
雲の峰は崩れやすい

雲の峰いくつ崩れて月の山(芭蕉)

山頂や富士より高く雲の峯

富士山の山頂で雲の峰を見た、富士山でも一回しか上っていないのは残念だった
富士山は良く見ていない、また見たいと思っているがなかなか行けない
家が留守にするのが今度は不安になり行けない、何か自分は自由に旅も介護十年してから行けなくなった、これもカルマなのだろう、それだけ旅したから旅ができなくなったということにもなる

畑にカンナが咲いている、これは明るい大らかな花である
畑はするには暑い日ざしでも草取りをすなければならない、だから汗だくだくであり趣味の畠でも苦しいとなる、その畑で野菜を作る女性は太っていて体力はある
ただ畑のマイナス面がありそれを延々き聞かされると嫌になる
意外と田舎だと畑でも回りの人のことが異常に気になる
そこでなにやかにやと悪口を言ったりうまくいかいな、うまくいく人があるがうまくいかない人も多いのである、田舎は人間関係がめんどうなのである
だから都会から田舎に来る人はそれが嫌でうまくいかない人がかなりいると思う

その女性は根っからの農民気質をもっている、それはもともと純粋な農家の出だからである、納豆まで作っていた農家の出だからその血を受け継いでいるとなる
体も頑丈なのである、ただ病気もしていてしょっちゅう医者にもかかっているのである
いづれにしろ毎日草取りが仕事なのである

ここはまだ32度くらいだからいい35度とかなると限界である
福島県の浜通りのいい点はそんなに暑くなったり寒くなったりしない
でも阿武隈高原を越えると福島市に入ると暑いし冬は寒いのである
だからあんなところに住みたくない,体力がないから気候的にはここがいいのである
阿武隈高原の坂を自転車で帰ってくるとき海の方が涼しい風が吹いてきたときはほっとした、自転車はこうして風を感じるから自然を感じるからいいのである
ただ風に自転車は弱い、でも電動自転車は坂と風とかに強いからいい
電動自転車でまた遠くへ行きたいとなるが体力的に苦しいから行けない
でも近間でも季節の変化があるからこうして写真をとり俳句や短歌を作ったりしている

2018年07月09日

藪甘草(土着的な花)


藪甘草(土着的な花)

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夏菊のあふれ咲く家よそおいぬ

紫陽花や笑みのこぼれる七色に

夕ぐれや雨ぬれ赤し藪甘草

草深く雨ぬれ赤し藪甘草

田舎なれ田畑をもちて藪甘草

根を張る木藪甘草や田舎かな


のうぜんのあまた咲きしも嵐来て朝風吹きあれ飛び散りにけり

昨日ある人も骨となりにけり隣なる女にしあれば心残りぬ

向かい住む旧知の女(ひと)の死ににけり何か言わむと言わず死ににき

言い残す言しありなむ死ぬ時にその重みの後に残りぬ


この辺は雨は少雨であり今日も少し降ってもすぐやんだ、それで散歩に出た
藪甘草は田舎的な土着的な花だとつくづく見る、それが夕べに雨にぬれて特にそう見えた
この花はもともと田舎の農家で土着的に生活していればよりそう感じた
今は農家といってもみんな会社員だからである。
村といっても別にみんて農家ではないのである。その辺の感覚は昔とは相当違う
田畑を別に持っていない人もいるしみんな農業しているわけではないからだ

ただこの花はそうして暮らしていた農村にふさわしい花と見る
何かどっしりとして土着して生活する,母親のようて感じに見える
この花に泥臭いが何かあったかいものを感じる
俳句はこうして鑑賞することが自体がむずかしい、だから俳句は鑑賞する方が試される
写生俳句が基本でもその意をくみとることがむずかしいからである。
写生俳句の場合,それを深くよみとらないと何がいいのか皆目わからないとなるからだ

向かい子供から知っている女性が死んだ、そのことがなぜ気にかかったかというと一週間前に外にでていた
その時話しかけようと自分はしていた、ただ元気になったから外に出てきて歩いているのかと思った
そのことで心残りになった、何かこの年になると死ぬ人が多くなる
あの人も死んだのかあの人もかとなる、そしてどんな人でも最後に何かを言い残したいものがある
それが重いものとして残る、それは普通の平凡な人でもそうである

認知症の人でも最後に正気にもどる、何もわからなくなったと思っていたらわかっていたとなると怖いものとなる
あなたが私に冷たくしたのを知っている、わかっているとなると怖いのである。
最後に「ひどい娘だわ」と言って死んだ女性を知っている、本当にひどい娘だったのである
あんな人になるとは想像もできなっかた、いろいろそこにはあってもその無念の声を自分に残して帰らぬ人となったのである。
もちろんその人とはうまくいかない仲だったけどそれにしても娘にしても血がつながらないにしても長い間その女性とは一緒に暮らして家族だったのだからひどいと思う

だから最後に言い残す言葉は重いものとなる、なぜならもう死んだら語ることもないからである
最後に交わす言葉となるけど何かそういうことがこの年になると多くなるなと思った
最後に話して死んでゆくようになる、家族でもそうである。そして永遠にもう話すことも聞くこともなくなるのである。
つつり「ひどい娘だわ」ということは最後に自分に言い残されたのだがそれが娘にも呪いのようにふりかかるかもしれない、
だから最後の言葉は重いものとなるから怖いとなるのだ
認知症の人でもそういうことがあるから馬鹿になったから何もわからないとして対処はできないむずかしさがあったのである。




タグ:藪甘草

2018年07月07日

夕霧と合歓の花とラベンダ−(幻想的な霧の風景)


夕霧と合歓の花とラベンダ−(幻想的な霧の風景)

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霧つつみ夕べや眠る合歓の花

夕霧に浮かべる母や合歓の花

霧深くつつめる墓地や合歓の花

霧の夕やほのかに匂ふラベンダー

ラベンダーに眠れる蝶や霧深し


草埋もれ霧の深しも鶯の夕べ鳴く声聞こえけるかな

藪萱草一〇輪ほど咲く草深し夕べたちこむ霧のつつむも

たちこめる夕べの霧に我が母の面影浮かび合歓の花咲く


霧は別に四季を通じて起きる自然現象である、だから霧を秋の季語とすることはできないただ秋霧としているから秋の霧は秋になる、夏の霧は夏霧としているし冬の霧もある
ただ霧となれば秋とは限らないのである
ただ霧を秋の霧としているのである。ここで霧の夕としたが夕霧と最初していた
それを霧の夕にした、別に夕霧にしてもいいがそれだと秋を感じさせるから霧の夕とした実際は夕霧でも良かった、季語の解釈はいろいろであり定型は必ずしもないのかもしれない

昨日もそうだったが今日もこの辺は霧が夕べになると深くたちこめた
広島の方は水害で被害が大きかった、つくづく日本は災害の国である
津波という大災害があったらまた西日本では水害の被害になりあんなに人が死ぬのも意外である

ここは雨はほとんど降らず幻想的な霧であり霧の情緒にひたっている
水害とかの被害にあった人はこんなのんきなことをにはならない

霧はこの辺では海から朝にたつことが多い、今回は山からたちこめる、それで雨は少雨である、それで霧の中を自転車で走った、なんとも幻想的な風景になっている
何か霧で自分の母親の面影が浮かびそこに合歓の花が咲いている
母のことは生きている時は家では脇役であり思っていなかった
でも不思議なのは死んでから目立たない母のことを思うようになった
性格的には自分と似ている、外交的ではない内向的だからである

内向的な人を外交的な人は嫌う,一般に好まれるのは外交的性格で陽気な人である。
でも内向的な人の性格もいい面はある、ただそれが認めにくいのである。
だからこたそ死んでからその美点に気づいたのである。
母は霧の中にそれも夕霧の中に浮かぶのがふさわしい、やせていたし細身であり内向的だからである。何か幽霊のように霧の中にそれも夕べに浮かんでくる
それがふさわしいのである。

このような感覚はなんというか死んでから感じたことであり自分でも不思議なのである。死者というのは完全に消え去るのではなくやはり生き続ける、面影として浮かぶというときそうである、万葉者の恋の歌が死者を思うものだというときそうかもしれない、
そうなると恋愛歌でなく深いものになる、恋愛歌だったらうわついたものとしかならないからだ、万葉集は何か深く読まないと鑑賞できないのである。
そもそも俳句でも短歌でも深く読むことがないと鑑賞できないのである
ラベンダーの夕べの霧の中に匂うのも何ともいえない情緒があった
霧は幻想的にする魅力あるものだということを今日は一層感じた

月光のしみる家郷の冬の霧 蛇笏

霧と検索したらこの句がでてきた、これは秀作である、家郷と月光と霧を一体化して表現している、これは家郷に長く土着して住んだから作れた句である
家郷の重さがありこれは名句である、こういう俳句でもやはり鑑賞することがむずかしいのである。これは重厚な俳句である。俳句でもこれだけ表現することができる
霧の中に月光というのも幻想的なのである。

2018年06月27日

老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)


老鶯(昔を語る)⊶(梅雨の晴れ間の満月)

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ふるさとの昔語るや木陰かな

老鶯や昔語りて老い二人

老鶯や草深くして霧深し

根を張る木老鶯ここに長く鳴く


病にし倒れ直りぬふるさとになお生きるかな梅雨晴れの日

紫陽花や梅雨の晴れ間の満月の夕べ明るしはや消えにけり


今19時に雲の晴れ間から満月が出ていた、めすらしいと思って写真をとった
うまく写真はとれた、その時近くの家に紫陽花が咲いていた
梅雨の間の一時の満月だった
こうしてリアルタイムでプログにのせるのが本当は醍醐味である
事件でも速報性で新聞よりテレビが勝ったのと同じである。
ただインタ−ネットのプログはまず時間差があってみている
第一そんなに多くの人は見ていないからだ

同級生と川の土手の長い木陰の道で語る、あそこは場所がいい、座る場所もある
何か木陰で昔を語るのが今や向いているとなる
そこに老鶯が鳴く、老鶯は自分の俳号にしている
これは長く鳴くからである。自分も晩年になってやっと短歌でも俳句でもいんいものができたと思う
俳句より短歌の方が表現しやすい、その理由はただ長いからである。
俳句はもう短すぎて限界になったのである。

真野側は草深い、そこに昨日は霧がかかった、その霧も深かったのである。そこから老鶯の鳴き声が聞こえた
それも趣があった、遠くには行かないがこうして日々に日本の天候は変化するのである。

2018年06月16日

スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


スミレと岩(母が死んで母を思うようになった不思議)


顔見せぬこの家の人やシャガの花

夏草やイタチめずらし顔見せ

忍耐の岩にスミレや母思ふ

我家に70年ありし母なりき死して思いぬその重みかな


家が何かと考えるとき前にも書いた、ホームとハウスは違う、ハウスはただの建物であり箱でもある、ただ日本では家というときまた別な感じになる
嫁の字を見ればわかる、女に家になっているからだ
家はホームという感覚である。家というときだから家に帰りたいというときそこは単なる建物だけではない、あたたかい家族がいる場所がホームなのである。
だから家族がみんな死んでいなくなった自分の家はホームがなくなったともなる

でも不思議なのは人間はやはり死んでなにもなくなるということはない、家には何か死者がまだいるという感じになる、母が死んで3年とかなるが生きているときその存在をあまり感じなかった、それは特殊な家の事情でそうなった
でも70年間家に尽くして働いてきた、それを感じたのは全部家事をするようになってからである。まず誰も自分のためにしてくれない、それで皿洗うを頼むと金をとられる要するにもう今は他者との関係は金しかないのである。
それで金の切れ目が縁の切れ目となる
そういう人は生きているときでも死んでからも何の関係があるのだとまでなる
そういう殺伐としているのが現実社会である。

では家はホームはそうした関係ではない、なぜなら金だけの関係ならその人が死んでも何にも思わないからだ、死んだとき心配するのは財産のことくらいである。
でも家族となると死んでもその家に家族に生き続けている
供養もしているし何か死んで重みが出てくるということもある
生きているときより死者のことを思うようになる
自分は生きているときは家事をして毎日食事用意してくれたことをなんとも思わなかったそれが死んでから65年間とかそうしてくれたことがありがたいことだと思うようになった

人間は家でもそうだし国とかでもそうだし必ずなんらかの犠牲の上に成り立っている
母も家のために犠牲になったという面はあった
国でも戦死者とかあり歴史をみれば犠牲になる人がいる
それで城を作るのに人柱伝説があるのはそのためである。
それは家でも人柱になる人がいる、犠牲が生まれる
母はやはりそうして犠牲になった女性だったともなるかもしれない
ただ自分の家に来てすべてが悪いことばかりではなかった
何かかよわいし世間を渡っていけるような女性でなかったからだ

ただ母の性格は忍耐強いということだった、派手なことはないが大人しいが忍耐強い性格だった、人はその性格もいい面と悪い面が必ずある
外交的な人間がすべていいとはならないのである、でも社会では外交的な陽気な人がどうしても好かれるし評価される
内向きな人は好かれない、そこにも大きな問題がある
営業とかでも必ずしも外交的な人だけが成功するとは限らない、内向きでも誠実な人が成功するということもある、外交的性格の人は人の話をしまり聞かないとこすがあるからだ
人間は死んですべてが消えるわけではない、必ず何かを残してゆく、残りつづける
母のことをあまり生きているときは思わなかったがやはり70年家にありつづけた重みを感じた、歳月が重みを生む、家というのはだから今生きている人だけ成り立つものではない、死者も家に生きているとなる
それは大きな国家でもやはり死者が生きていて支えるともなる
それが歴史の重みとなる、ただ人間は死んだからといってみんなそうして死者を思うことはない、ふしだらなでたらめな人生を送った人は死んでせいせいしたともされる
だから人生を軽んじていい加減に生きると死んでも何も残らないとなる

人間はやはり母から受け継ぐものが大きいのかもしれない、もちろん生きているときは母とか父でも嫌う人はいくらでもいる、自分もそういう面はあった
人間はどうしてもいい面と悪い面があるからだ
でも死んでから母を意識するというのも不思議である。
だから人間は死んですべてが終わるということはないのである。
後世まで影響してゆく,生きている時そこまで考える人はいないのである
だから自殺するとかするとそれが自分だけのことではなく周りの人にも特に家族に影響してくる、やはり人間の生というのは人生は自分だけのものではないからそうなっている
自分だけで終わればいいのだがそうはならないのが人間なのである。

忍耐の岩にスミレや母思ふ

この句にふさわしいのが母だったなとつくづく思う
岩にスミレが咲いているのを見かけるからだ
自分も性格的ににているから石とか岩と一体なるように詩でも書いてきたことでもわかる地味な性格なのである。そういう気質も受け継いだのである。
ただ人間は生まれつきですべてが決まらない、社会という場で人間は人生は作られるのである。天才というのは例外なのだろう、資質的に特別恵まれているからそうなる
でも普通は人生は生まれつきでは決まらない、人生をどう生きたかで決まる
ただ母というのはやはり子供の犠牲になるということもある
一方で逆に子供を犠牲にすることもある、母性はエゴだという人もいる
そう感じて肉親を嫌う人もいる,でもやはり70年家に生きて死んだという重みは死んでも残るものだなと思った

俳句というとき過去の思い出と結びつく、イタチは子供の時自分の家で飼っていたのだ
でも母が毎日餌をやっていたのだが慣れることはなく逃げたのである。
なぜイタチを飼っていたかというと皮をとって売っていたらしい
戦後まもなく何も仕事がなくそんなことをしていたみたいだ
そういうことでも思い出がありイタチが偶然草むらから出てきたので俳句にした
だから俳句はこうして鑑賞するにもその説明がないと鑑賞できない文学だと思う
それはあまりにも短いからそうなっている







2018年06月08日

夏の桜井古墳(俳句短歌)


夏の桜井古墳(俳句短歌)

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古墳の上しきり飛び交ふ夏燕

夏の日や川海近く古墳かな

夏燕モスバーガーに休みけり

高平(タカヒラ)や桜井古墳に夏の月


我が立ちぬ桜井古墳大なりき燕飛び交いつつじ赤しも

草深く蛍袋の咲きにけり桜井古墳の夕暮れにけり

一軒の農家の古く広しかな庭に畑や夏の日暮れぬ


桜井古墳は東北で4番目に大きい,

東北最大の前方後円墳は宮城県名取市の「雷神山古墳」全長168m。次いで会津坂下町の「亀ヶ森古墳」全長127m。3番目がいわき市の玉山古墳」全長114m。同じく若松市の「会津大塚山古墳」全長114mが続く。

名取の古墳でも海側だしいわき市でも海側である。海側に桜井古墳もある
遠見塚古墳も海側である。
一方で会津はもともと国(くに)として知られていた
万葉集時代にすでに国という認識があった,だからあれだけ大きな古墳もある
その歴史は明治維新の城の落城までつづいていた

不思議なのはなぜ中通りには大きな古墳がないのか?

中通りの方が開けた地方だと見えるからだ,ただ古代に浜通りと会津が開けていた
それに何か訳があるのだろう,ヤマトタケルが海沿いに船で制服したという伝説があるからそれもかかわっているのだろう

桜井古墳の上に立つとそこからは海も見えたろうしまた新田川あり川の側だから立地的に納得する
高平(タカヒラ)というのもヒラが傾斜地という意味だと金沢の山側が傾斜地になっているからそこからなづけられた開けた平坦な土地として最初にこの辺で田んぼとかになったのかもれない
泉かんが跡もあるしそこは原町の歴史地区だったとなる

ともかくあの一軒の農家は広い,風も海側から吹いてくるから涼しいとなる
自分の場合はいつも高平は通って原町市街に入るから関心をもったのである。
あの五輪塔もあって関心をもったのである。

今は螢袋が咲いていた,これは梅雨の時期に咲く花である。

あそこは散歩するにはいい場所である,やはり人間は一番適地を選んで発展したとなる
だからその場を踏むとその土地の歴史が実感としてわかる
それは資料とか本だけ読んではわからないのである。





















2018年06月05日

大原と橲原(じさばら)を結ぶ道 (森の中の道で車が通らないのでいい-無意識に成長する木(詩)


大原と橲原(じさばら)を結ぶ道

(森の中の道で車が通らないのでいい-無意識に成長する木(詩)

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この道はほとんど車が通らない,田舎ではこういう道はどこでもある
でもあそこは特別通らない,なぜあそこに道を作ったのか?
別に橲原(じさばら)でも小池は近いし道はある
ここを通るのは車ではまれである。

木蔭にずっと休んでいたけどほとんど車が通らないから気持ちが良かった
車が通らないことは癒しになる,今はどこだって車が通る
あそこは車は本当に通らない
そこに森がおおっていて静まり癒しになる
車が通らない道というのは今になると不思議である。
車が通る道で暮らしているからそれが当たり前となってしまっているからだ

だから車が通らない道がもともと当たり前だったのだがそのことがわからなくなっているそれは道が歩いていたのが歩かなくなったのと同じなのである。
あそこは贅沢な道である,何か仕事とかで車もほとんど通らない
ただ残念なのは一部森の中の木がかなり切られていた
そこは土がむきだしになって嫌だった
何かこの辺は原発事故以後そうした土がとられてむき出しになっているところが多いのである。
自分は異常にそうした景観を気にする,音もうるさいのが嫌なのである。
だから自分は現代的環境に向いていないのだ
自分は介護とかで消耗したし年になって余計にそうなり人ごみの中に行きたくなくなったそれで仙台にすら去年は一回しか行っていない

この辺は高い山とかはないからものたりないが森は結構ある,飯館は70パーセント森だからここからも森がつづいている,その森が癒しになる
そして例えば橲原(じさばら)の入り口に立目石がある
それは変わらずある,その変わらないことが今や貴重なのである。
なぜなら右田の松原ですらなくなった,あまりにも変わりすぎたのである。
それは一身上でも家族がみんな死んだとかともり変化が激しすぎて消耗したのである。
だから変わらないでくれ,そこに変わらないものがいつまでもあってくれとなる
それは老人になるとそうなりやすい,変わりることが嫌だし対応できないのである。
若いときは常に変わっていた方が良かったのである。
老人になると変わることに耐えられなくなるのだ

もともと自然は変わらないの普通である。でも自然でも津浪で松原が喪失したとか変わるあとは工事で変わる,飯館村の大倉の坂を越えた所の小川はなくなった
とぎれどきれになた森が切られて道になったからである。
こうして自然も実は喪失したり変化するのである。
ただ自然でももしこの道が森のままだったらこの森を意識しないということがあった
ここに道ができてここに森があったということを意識するようになったからだ
だからこの道は自分にとってはいい道だったと思う,贅沢な道である。
ただ経済的効果からするとただ公共事業としての効果だったのかとなる
田舎では実際に道を作りすぎていたからである。
それは必要というより業者にとって仕事のために必要だったのである。


無意識に成長する木

車の通らない道
車の通らない道
深く影なして
涼しい風が通ってゆく
深い森に木がゆっくりと成長する
大地に根を張り成長する
栄養は尽きることがない
そんな心配をする必要がない
木は確実に時間の中に成長する
一分刻みの時間ではない
一年十年単位の時間である
木はそこにあっても意識しない
でも木は自ら成長する
深い森の中に音もなくゆっくりと
あらゆるものにせかされる
尽きない不満がおおっている
森に成長する木は何の不満もない
大いなる沈黙の中に
無意識に音もなく成長してゆく

自然は常に沈黙している,だから自然に同化するには沈黙が必要である。
自分は特殊な立場で禅僧のように沈黙する一面つづけてきた
そんなことができたのはつくづく環境に恵まれたのである。
自分は学校もそうだが会社勤めでもできない性質だった
体質的にもそうだった,何か規則通りにできない体なのである。
だから一番嫌だったのは学校だった
大学は授業に出なくてもいいから自分にとってはいものだった
その後自分は仕事もせず遂に老人になったのである。
これは恵まれた家庭環境があり自然とそうなっていたのである。

自然は人間のように意識をもたない,無意識なのである
これも不思議だと思う,人間は意識の塊りである。
常に意識して生きている,その意識することに疲れるのである。
自然は木でも岩でも森全体でも地球全体でも自ら意識することはない
それで苦しむということがないともなる
植物が苦しむということはないからである。
動物になると苦しむが植物や木や石でも何か意識しない
その無意識なるが故に無苦痛であり何か不安もない
人間は常に不安にさいなまさているのだ
それは常に何かを意識するからである。

ただ人間は意識するから生きている
意識がなくなることが実は死だったのである。
家族でも意識しているときは相手が誰かを知っている時は意識しているときは生きているその意識がなくなると死になるのである。
ただ人間は意識することで苦しむのである。
自然は無意識の世界だから癒される
あそこの道はそういう点で心を休めるのにはいい道である。
それが山の奥の方でなく近くにあるからいいのである。
結構あそこは森が深い場所だったのである。


木々の道、リスル=アダンの森
画家 : テオドール・ルソー

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この絵も大陸的である。大きな川が流れていて牛が水を飲んでいる
こういう光景は日本にはない,川が大きく広い
日本にはこうした大きな川がないのである。

ここのサイトは絵を紹介している,インターネットとはこうしてリンクして読むのが効果的なのである。
自分の関心からリンクして読む,「森の道」として画像検索してここのサイトを発見したからである。




2018年06月03日

夏の俳句十句(深野から大原から橲原(じさばら)へ)


夏の俳句十句(深野から大原から橲原(じさばら)へ)

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この尖る(とがる)岩が真ん中にあるのは庭作りの基本としてある
その横に石を置くのもそうである。
この庭も良く作られている,でも金がかかったろうなと思う

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夏雲雀鳴きあいロードに朝走る

朝走るロードにとばす夏燕

墓写す植田やここは長野かな

牧に馬真近に迫る夏の山

牧に草夏の小花や馬のいる

岩尖り夏日のさして庭の成る

草深くユッサの湯や夏あざみ

大原に知る人眠る夏木立

山の道車もまれに木蔭かな

清流に滝のひびきてホトトギス

若竹のたちまち伸びぬホトトギス

夏菊の明るさ広がり走り去る


もの静かアイリスを囲み夏菊の白さの映えて今日も暮れにき


原町の新田川の橋を渡り深野の方へ向かった,途中きれいな花畑があった,そこで写真にとった,あそこではいつも花が咲く
今回はロードで走った,やはり自転車はロードが最高なのである。
自転車が本当に好きな人は風をきって風にのって走るロードなのである。
ただロードは疲れることもある,でも何か今回買った自転車は買い物用であり手軽で小回りは聞くのだが自転車の醍醐味はロードにある
走り心地が全然違うからである。
でも別にどんな自転車であれ自分の場合は景色を楽しむということを優先しているからいいとはなる

長野と深野の境はわかりにくい,小学校は石神小学校なのである。
墓が田の中にあったり稲穂の中にあるのが田舎の典型的な風景なのだ
それは先祖が田の中に稲穂の中にいるという感じになる
先祖と結びついて代々の墓がある
ただ原発事故でそれが一時なくなったのである。
つまりそうして綿々とつづいてきた生業が原発事故によって断たれたのである。
今もまだそうして原野化しているところが結構あるからだ

ただそれはもともと後継ぐものがいなくてなっていて原発事故を契機にやめた人が多いのである
近くの小さな畑で野菜を作っている人を知っているがその隣の畑は今や草茫々である
やっと老人が車にのせられて這いながらやっていたのである。
しかし遂に力尽きたのである。
その結果草が生えて広がってくるから困るのである。
また回りが荒地化しているのも困るのである。
畑でもこうして跡継ぎがいないやる人がいなくなっているのだ
それが原発事故を契機に余計に増えたのである。

深野(ふこうの)のユッサは休むのにいい,食事もできるからだ
あそこの問題は庭が貧弱なのである。
個人の庭を紹介したがいい庭が結構多いのである。
自分は庭を見て歩いている,庭は個性があるから面白いのである。
ユッサの湯ならもっといい庭を作ってもらいたい
最近自分は旅館でもいい庭があるところに泊まりたいなと思うことがある
でもそういう旅館は相当に宿泊費が高くなる老舗の旅館だとなる
庭は京都では庭を見ることになるがやはり日本の文化なのである。

それから大原に回った,そこには南相馬市立病院で同じ部屋にいた農家の人と知りあったあの時病院の窓から大原の方が見えていつも大原のことをその人は話していたのである。そして死んでしまったのである。
今は長男は役所に勤め家は空家になっているのである。
その家は古い家である,なぜなら前田という地名の所に住んでいるからだ
前田とは草分けの農家が住んだ所なのである。

この辺は牧場がある,野馬追いのために馬を飼っているから馬を見れるのである。
これはこの辺の独特の風景である。
写真で失敗したのは背景として夏の山をとれば良かったなと思う
写真は意外にむずかしい、簡単なようでとういうふうに一枚の写真に納めるから構図をとるかむずかしい,ただ忙しいから写真をどうとるか考えられないのである。
ただ旅ではないから次は違った角度からとってみようとはなる

大原から橲原(じさばら)へ行く道は車がほとんど通らない,なぜあそこに道を作ったのかわからない,田舎では前から道が必要だから作っているより公共事業として業者に仕事を与えるということが多かったのである。
それで飯館村の大倉を超えた所は小川が流れ森に覆われた神秘的な場所だったが
道にしてその神秘的な自然は壊されたのである。
ただあそこは七曲がりの道で車では不便だから舗装の道にしたのである。

橲原(じさばら)では児童滝のところでホトトギスは身近に鋭く鳴いた
夏らしい,何か家にいて熱中症のようになった
外に出ないのになった,でも外で昨日も今日も自転車で走り汗をかいた
汗をかくと体温調節ができる,だから暑いからと家に籠もっているのも良くないと思った自分はとにかく家にそんなにじっとしていられない性格なのである。
ただ真夏は無理である,今はなんとか行ける

ともかく花も夏らしい花で一杯だし気持ちよく走り汗をかいた
今は写真の時代だから俳句にしても写真がないと映えないのである。
世界中で写真が無数にとられている時代でありインターネットで見れる時代なのである。

2018年05月31日

海底トンネル地底トンネル (Submarine tunnel underground tunnel)


海底トンネル地底トンネル

(Submarine tunnel underground tunnel)

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電車が海底を行く,それを絵画的に表現する,前に自分は鉄道模型で遊んでいた
その時電車にライトが光ったとき一番感動した
暗闇で走らせたとき一番感動した
それが影が映ったときが一番魅了されたのである。
それで海底トンネルのようなものを作って走らせたのである。

私は鉄道が好きだったから日本の鉄道はすべて乗った
ヨーロッパも乗ったしアメリカのアムトラックも乗った
遂に想像で海底トンネルを森の中を地底とンネル行くようになったともなる

たまたまインターネットの膨大な写真や絵を変形して創造したらそこに海底トンネルとか地底トンネルができたのである。
絵は全く描けないが絵のようにできたことで作り続けることになったのである。

Submarine tunnel underground tunnel


The train goes the ocean floor, expressing it pictorially, before I was playing with a railroad model
It was the most impressed when the light shone on the train then.
It was the most impressed when I ran in the dark
It was most fascinating when it was shadowed.
So I made something like a submarine tunnel and ran.

Because I liked railroads, I got all the railroads in Japan
I also rode in Europe and also got Amtrak in America
I finally came to go to the bottom with the underwater tunnel in the forest with my imagination

By deforming and creating a huge number of pictures and pictures of the Internet by chance, there were undersea tunnels and underground tunnels there.
Although I can not draw a picture at all, I decided to keep making it because I could do it like a picture.

2018年05月27日

夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)


夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)

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原町の道の駅の公園

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夏菊にホースに水やしぶきはぬ

夏菊や風にゆれにつ走るかな

夏菊やスーパーヒタチ走り去る

夏菊に風のそよぎて流る川

夏菊や幼児の声のひびきけり

老鶯や松原の影釣りの人

老鶯や木蔭に休み声を聞く

老鶯や住み着く人のなじむかな

無口なる畑に人や菖蒲咲く

素足にてクローバー踏む少女かな

花時計道の駅かな原町に

公園の大木の日影また休む

大岩に山芍薬や広き庭


籬より庭の見えるや青き花中に赤き花目立つ夏かな

急がずに風車の回る夏の日や津浪の後の景色変わりぬ

津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ





原町の道の駅の公園は子供も遊ぶし親も一緒に来るから活きている
でも公園は子供が二三人いるとか少ないし活気がない
公園は何か規制が多くて誰も利用しないとかの意見もある
あそこの公園は利用されているから活きている
道の駅でもあり外部の人もよるしいい場所なのである。
人間はやはりその場が活きるというとき人がいなと死んでいるとなる
道の駅とかは活気がある
素足で少女がクローバーの上を踏んでいるのも見ていて気持ちがいい

右田の松原はなくなったがその時のことを思い出す,松原の影に自分は休み釣りの人が必ずいたのである。今でも釣りしているがあの松原がなくなったから残念だとなる
ただもう思い出の中にしかそれがなくなった
それも不思議だとなる,変わって風車が回っているがあれは風で回るから自然の作用だから悪い感じはしない,ソーラーパネルは景観を乱す
風車も実際はあそこに森を作っても合わない,風車が大きいからである。
とにかくこれだけ風景が変わることが信じられないとなる
スーパーヒタチが走っていたときもあった,もう走らないというのも残念である。

河岸の復興住宅に住む人もなじんでゆくのか?老鶯が鳴いている
河岸の道はいい道である。桜が咲き葉桜になり今は日影となり涼しい、老鶯が鳴いている山シャクヤクが咲いていた庭があった,あそこの家の庭の岩は見物である。
自分は庭を見て回っている,青い花が咲いている庭を籬からとった
それに加工して絵のようにする,今は絵の才能無くても絵のようにできる
まず写真の時代は写真と絵を出さないと芸術にならないのである。
その面ではパソンコとかインターネットで即座に出せるから便利である。
日々の変化を写真に出せることがプログの強みなのである。











2018年05月24日

the sea and seabells (抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)


the sea and seabells

(抽象画を70人くらいのアメリカ人が見ている)

Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans

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ipを数えたら確かに80人くらいの外国籍の人がアメリカ人がアクセスしている
一部は自分の日本語の文を読んでいる
でもほとんどは抽象画を見ているのだろう
絵画の写真の有利な点は見ればわかるからグローバル化しやすい
言葉はわかりにくいからできないのである。

つまり世界中の膨大な写真がビッグデーターとしてインターネットで見れるから
その変化も無限になる
私は全く絵の才能はないけどそれでも写真は誰でもとれる時代であり膨大なものが見れる時代である,だからそれらを利用して加工してまたあらたなものを作る
そういうことがパソコンでしやすいのである。


Counting the ip certainly there are around 80 foreign nationals accessed by Americans
Some are reading their own Japanese sentences
But most of them are watching abstract paintings
It is easy to globalize because you can see the advantageous points of the picture of the painting
Because words are difficult to understand, they can not.

This means that enormous photographs from around the world can be seen on the Internet as big data
The change also becomes infinite
Although I have no talent for drawing at all, yet it is an era where anyone can take pictures and it is an era when enormous things are seen, so we will use them to process new things again
That is easy to do with a personal computer.

タグ:浜昼顔 seabell

2018年05月20日

南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)


南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)

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萱浜(カイハマ)の方へ

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枯れた林の木がまだ津浪の被害を残していた

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萱浜には特に移民の墓が多い
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公園の大木の影涼しかな

道の駅の公園の木

イオンの側の川の公園

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雉子が鳴いていた

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ほとんど全部クリック拡大しないと鮮明に見えないです



6号線夏野を通り海近し

夏野朝風車の回り沖に船

原町の郊外に赤しケシの花

萱浜に移民の墓や夏あざみ

黄菖蒲や朝の清流に写すかな

清流の岸に黄菖蒲雉子な鳴く

黄菖蒲に朝の流れやツバメ飛ぶ

小学校の運動会や桜草

原町の十字路に咲く薔薇の花

夏の山借景にして広き庭







今日は暑くない,さわやかな5月がもどった,一時急に暑くなり熱中症になったから外に出るのが怖かった,日差しもそれほどでもなくさわやかだった
それで原町まで萱浜の方を回った,夏の花がいたるところに咲いていた
朝から回り気持ち良かった

原町は鹿島などと比べると都会なのだが郊外が広いのである。
それが原町の特徴である。便利な街があり田園地帯も広い
どっちかというと原町が住みやすいだろう
だからもう浪江とか小高とか避難してきた人は帰らないというのもわかる
相当数補償金で家を建てたからである。
だからいくら帰れといってもすぐ近くがこんなに便利で被害もないのだから
こっちに移るとなる,こういうことも復興できないようにしている

昔だったら回りがどこも貧乏なのだから貧乏でがまんするが回りが便利で豊かな暮らしをしていたらそれができないのである。
だから浪江町長が二本松に家を建て飯館村の村長が福島市にマンションを買って暮らしているのである。
その孫は外から通っているのである。そのことが現代を象徴していたのである。
誰も廃墟化して荒廃した街には住みたくなくなったのである。
それがなにかにといっても現実だとなる

原町はイオンの近くの川がいい,あそこにはいつも夏菊が一面に咲く,夏菊が原町の花だと思う,相馬市は神社のある所に咲く藤の花である,飯館村は蛍袋とツリガネニンジンとかがあっていた
鹿島は菖蒲になるのか,何かその市町村にあった花がある
何か不思議なのは原町と相馬市は感覚的に相当違うのである。
原町は明治以降いち早く近代化して平と原町が機関区になり発展した
その歴史の差もある,それが影響して花も映えるとなる
外から来て相馬市と原町の差はわからないだろう

それはどこでもそうである。長くそこに住んでいないと土地のことがわからないのである
ともかく5月は一番さわやかな季節だった,だから最近異常に暑くなるのは気候的に変だった,それで調子を崩した,今日は本当に気持ちいい日だった
これだったら遠くに行けるなと思った,日差しの度合いが違うのである。
日差しが強いと後で熱中症になるようになった
だからそうなると恐怖で自転車でも出れなくなるから辛いとなる

2018年05月15日

葉桜、新緑(写真(映像)の時代)


葉桜、新緑(写真(映像)の時代)

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葉桜や常なる道をまた歩む

新緑の葉群の密にその中に山鳩休み風のそよぎぬ

公園の木蔭に休み新緑に風のそよぎて山鳩を見ゆ


桜の花が咲いているときは華やかなときである。その花も散ってしまいば人との夢のようになり元の葉桜にもぎとったともなる
その葉桜の影なす道を歩むのは地元に住んでいる人である
葉桜を見に来る人はいないからだ
その季節の変化があり遠くに行かなくても何か堅実な生活がつづくともなる
旅をしている時は空間の旅であり時間軸ではない,次々に変わる地点の変化なのである。だから意外と旅だけでは深い精神性は得られないともなる
花の咲くときは一時であり今はなにもない,夢のようであったとなる
でも葉桜の季節は長いのである。それが日常なのである。

今日公園に休んでいたらこの写真がとれた,これもいい写真だった,いい場面がシーンがあったからとれた
この山鳩は長くとまっていた,あそこなら邪魔にはならないしいい場所である
つくづく今は写真の時代である。写真抜きでは報道でもなんでも語れないのである。
それからアニメがこれほどもてはやされるのもそうである。
映像の時代なのである。それはテレビからはじまったがデジカメになりスマホになりインターネットにすぐにその写真が出せる,すると膨大な写真がインターネットに出る
それで写俳という分野も生まれたのである。
俳句でも短歌でも写真があればより訴えるものが生まれるからだ
ただ写真だけでは内面とか精神を深めるものとはならない
そこにどうしても言葉が必要になる

葉桜の俳句でも何の変哲もないがやはり精神的なものとして読む,葉桜という季語自体が華やかに桜が咲く季(とき)があっというまに終わり葉桜になったということで季語となるではこれだけ写真の時代なのだから写真から俳句でも短歌でも
詩でも作れるのではないか?
そう思う写真を見ただけではできない,それはなぜなのか?
やはりその場の雰囲気を写真だけでは表現できないのである。

この写真をとったのは公園であり藤の花の木蔭に自分は休んでいた,そこからこの写真をとった,その場面は立体的であり空間がある,そして風は写真では表現できないのである写真は停止しているからである。ビデオだと確かに風を表現できてもこれも全部は無理である。
ビデオを見てもそれで詩とか俳句短歌でも作れないのである。
やはりその場の雰囲気は写真では表現できないし伝えられないのである。
ただ自分がしている抽象画もインターネット上に無数の写真と映像があるからできたものなのである。これもパソコンやインターネットなどの映像時代になったときできた芸術だともなる

映像の時代というときこれからは教育の分野ですすんでくる,今までは教科書ばかりで習っていたがその習う範囲が広くなる
これからの人達は今までの人より何か創造性を発揮するかもしれない
アニメの南北朝の解説を見てわかりやすかった,あういうのはNHKの教育番組で作っていた,今はこうして民間でも放送する
つまり学ぶ手段が飛躍的に増えたのである。するとこういう時代は暗記一辺倒ではない創造的教育になり天才も生まれやすいとなるかもしれない

言葉というのはやはり映像からするととりつきにくいからだ,ただ映像ですべてが現されるかというとそうはいかない,かえって映像がありすぎて人間の想像力が衰退することもありうる,つまり人間が旅するに歩かなくなったら五感が衰退したのと同じである。
ただ写真にしても近間でも絵になるものがあると思った
ただ今までもあったのだが発見されなかったのである。

タグ:新緑 葉桜 山鳩

2018年05月14日

春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)


春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)

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ここはひびくよう滝ではなかった

もっと下の方だとひびく滝があった,あそこに桜が咲いていた

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これは山上の谷野原の寺の跡なのである。
これがいつの時代のものかわかりにくかった



この山路誰かすみなめ石一つ春の日さして家の隠りぬ

佐須の村住む人なきやあわれかな墓をたずねて春の日暮れぬ

春なれど住む人なきを悲しみぬ佐須の村に来て花は咲けども

ここにある墓もなしかもいづこへと人は去りにき春となりしも

春となり乳神の碑ある家にきて誰か住みなむ佐須村に来ぬ

南朝の栄一時霊山を落ち延ぶ武士や花の吹き散る

山桜はや散りにしをそのあとに滝の轟き夕暮れにけり

野馬追いの旗にし残る南朝の落ち延ぶ武士やその裔を知るかな

寺の跡古き碑ありぬ春の日や心残りて夕べ去りにき

南朝の裔も交じりつ相馬氏の治めし城や時は経にしも


歴史は時代がありその時代の後先が混同するのが一番の問題である。
郷土史研究でもまず村の新旧を知れというときそうである。
この村はこの家は古いのか新しいのかが最初の問題なのである。
なぜなら日本全国で戦後引揚者が山の奥地まで開墾に入ったからである。
そういう村は新しいのである。
そしてそういう村でも江戸時代からつづいている村なのである。

飯館村の佐須というのは佐須(サス)焼き畑のことである。
だからこの焼き畑地名は本当に多い,街の中でも反(ソリ)とつく焼畑地名だったりするからいたるところ焼畑にした,なぜなら今でも農業で一番苦労しているのが肥料だからである。森でも焼き払って灰を肥料にするのが楽だからそうなった
佐須村も江戸時代からあり古いのである。

あそこに乳神の碑が畑にあった,それは明治のものだった,ということは明治時代でも生活は厳しかった,その時牛など飼っていないから牛乳がとれないからである。
戦後自分が生まれ時戦争が終わった時であり牛乳が欲しかったから父親が並んで買ってきたという,その時極端な物不足になっていたのだ
そういう苦労があって自分も育ったというときそれも歴史を知ることなのである。
だから両親とか祖父母から聞く話がまず歴史なのである。

佐須村では人は住んでいるのもみかけるがほとんど住んでいない,一割にも満たない感じかもしれない,ただ全く人が住んでいないのではない,住んでいる
佐須村の中心部で家が多いところには人は住んでいないみたいだ
もともと人が少ないのだから家が多いところに人が住んでいないようでは淋しいとなる
廃村の風景なのである。

あの辺に墓があったりしたがその墓すらなくなった,つまり人が移住すると墓も移住するからである。
佐須村は別である。墓がなくなったのは佐須村へ来る途中の一軒二軒家があったところである。菅野とかあり飯館村の町長もこの村の出なのである。
何か飯館村も原発事故では有名になったとは言える
自分は必ず墓を訪ねているのである。その墓を見て郷土史に興味をもったとなる
墓は資料とは違う,ここに現実に生きた人が眠っているという感覚になるからだ

霊山への道はこの辺では大きな歴史の道である。南朝の城が霊山にあり十年ほどで炎上してその落武者が逃れた道でありその人たちが相馬市と南相馬市の鹿島区の真野に逃れた
この伝説は明確な歴史であり祭りとして残された
鹿島区の只野氏について書いたが只野という姓は本当に鹿島区で多いのである。

何かを自然でも歴史があると違って見える,霊山は歴史の山でもある
だから相馬市の方へ下るとき滝がありとどろく,そこは桜が散ったあとだったのである。何かそれを山桜が散るというとき南朝の滅びを感じる
それは歴史の道になっているからだ
だからやはり最低限をどこでも歴史があるから歴史を知る必要があるのだ
それを知らないとただ自然の中で山桜が散ったとしかならないのである。

ともかく飯館村でも人が住まなくなるとそうした歴史を偲ぶこともできなくなる
佐須村でも人が住まなければそこはどうなるのか?
歴史の道というのではなく廃墟の道,廃村の道となってしまう。
歴史の道というとき何かそこはただの自然ではない,人間の悲哀とかが自然に折り込まれたものとして見るのである。
そういうものは奈良とか京都では歴史があるから常に歴史的に自然でも見ているのである大坂城の桜でもそうである。そこに散る桜はそこで繰り広げられた人間の戦いの跡であり栄華の跡だからこそなんともいえぬものとなる,それが歴史なのである。
東北では桜でも何かそれだけの歴史がないから感じるものがないともなる

歴史を見るときやはり時代が大事である,新旧が大事である。
相馬の城というけどそれは南朝時代の後なのである。
霊山の南朝が滅びたときは今の相馬市には城がなかったのである。
でも南朝が落ち延びてその一族がやがて相馬氏に吸収されて野馬追いに出るようになった只野氏の杉の旗がそうである。他にも南朝が滅びて霊山を落ち延びたとき桑折氏とかもその一族だったのである。それは鹿島区の真野の中館に屋敷を構えたのである

谷野原の寺の跡だったというところには古い碑が集められている
あそこは何か不思議である。江戸時代からあったのだろう
ただ谷野原村というのはない,山上村の一部なのだろう
山上村には山王神社がある,山王の旗が野馬追いに出るがそれが南朝方である。
だから野馬追いの旗では南朝に由来するものは分類できるとなる
一番多いの只野氏の旗なので

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)









2018年05月12日

南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)


南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)

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原町区のダイユーエイトの近く

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上真野川をさかのぼる

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新しくできたつつじの道

地図はクリック拡大


今は藤の花の時期である。南相馬市で藤の花のきれいな場所というと原町区のダイユーエイトの近くの農家であるここでは白藤も多く咲いているから見物である。

それから今日発見したのが上真野側(水無川)をさかのほった所の善徳橋がある所である。ここは桜も咲き柳もありいい場所である。
古い蔵があり落椿がきれいな場所でもあった

最近作ったのか?つつじの道が作られていた,公園ではないが田んぼの回りに作っていた
あそこは自転車でも通れる

それから前に写真に出した老木のある場所は岡和田の辺りだろう
あれもめずらしいし今は都忘れが咲いているのもあっている

南相馬市でも広いから桜でも藤の花でもその他花を見れる場がある
ただ意外とその場所がわかりにくいのである。
桜でも自分の知らない場所に咲いているとしてわからないのである。

車だと通りすぎるから場所を特定しないとわかりにくくなる
地図で指摘したからそこに行けばわかるだろう

観光というときいろいろあるがやはり春から夏は花がいろいろ咲く,それがどこに咲いているか意外と近くでもわからないのである。

藤の花だとあとは相馬市の城跡の神社は咲いているからわかりやすいがその他はわかりにくいのである。
今回でも近くにいい藤の花を発見したのである。

観光は名所だけをめぐるのではない,その土地土地に見るべきものがある,ただそれは目立たないし案内がないのである。
株でも投資信託でももうけているのは知らないものだというとき世の中はそういうことがある
宣伝されるものが売り込まれるものがいいものとは限らないのである。
かえって知らない隠されたところに見るべきものがある
そういうものは自分の目で発見するほかないのである。

宣伝されるものは一般向きのものであり旅の番組でもテレビ局で大衆受けするもの視聴率をとるものにする
でも実際見るべきものはほかにいろいろとあるのだ
だから最近鉄道番組でもありふれて面白くないと思った
もっと細部に注意して編集すれば面白くなる
でもそうなると視聴率は稼げないのである。
そういう番組はyoutubeとかで作ればいいとなるが手間になる
つまり自分なりのものを作ればそれは自分にとってもあとは少数者でも興味ある人には面白いとなる

2018年05月11日

藤の花,菖蒲,つつじの季節


藤の花,菖蒲,つつじの季節

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セディティになお人多し夕燕

蛙鳴く前田や農家もどりなむ

舞入りて二色のつつじ揚羽かな

つつじ咲き駅に出入りや通りかな


朝の海夏の光りのきらめきつ漁船一掃すぎてゆくかな

水張りし田に映れる藤の花農家の古く夕暮るるかな

雨しとと菖蒲のぬれてこの道や今日も通いて買い物に行く


この季節は夏までは自然も天候も変化しやすい,桜が散ってすぐに夏になり藤の花となり菖蒲となりつつじの季節である。
一度にいろいろ咲くから追いついていけない

原町の金沢の坂を上る所にある農家は悠々としていい,あそこにたくさんの藤の花が咲いて倉があり落ち着く,田舎の風景の中心は以前として農家ということがある
風景から見ればそうであるが仕事からみればそうではない
それで前田という地名のあるところは古い草分けの農家が最初に入ってきたところである前田から開墾されて一つの村が形成されたということがある
この辺では原発事故で避難区域になったところでは前田に田植えが行われて蛙が鳴いたとき復興したとなる,そのことは書いてきた
蛙も実は村の一員のようになっていたのである。

今日朝に街中を行ってみたのは二色のつつじである。白と赤である。
そこに揚羽蝶が舞い入っていた
揚羽にその二色のつつじが映えていた
自然はこのように調和するのである。
ただ人間だとつつじを女性のように見るが争いが常にあるからだめなのである。

ともかく常磐高速のSAのセディティは一日人が絶えない,おそらく楢葉の方にはPAがあるがあそこが一番大きいからそうなっているのだろう
食事もできるとか大きいのである。
花でもやはり人が行き来しないと映えないことがある,赤いつつじだとやはり駅に今咲いているがもっと人の出入りがあれば映えるとなる

自分は今や遠くに行かない,近間を回っているだけである
仙台にすら一年行っていない,それでも近くでも結構見るものがあるなと思った
街の通りに菖蒲が咲いている,すると昨日は雨にぬれて咲いていた
そして自分は毎日買い物である。ただありふれた日常であるがその中に紫の菖蒲が咲いていることはあっている
何かその街にいつくというかなじむという感じになる
つまり何か特別なことではなくても日常の中に詩があるともなる,美があるともなる
それは自分が毎日買い物しているから紫の菖蒲が映えるともなる