2015年07月29日

鬼百合(気丈夫な姉を思い出した)


 
鬼百合(気丈夫な姉を思い出した)

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ノウゼンの玄関に散り人入る
ノウゼンや出陣前の馬の列
涼しさや海鳥隠る草原に
大き家の屋根に猫いて夏の月
鬼百合や我が家守りし姉はなし

夏草に道標埋もれ久しくも栃窪にも飯館にも行かじ
知らぬ間に我が庭に入り揚羽蝶休みてありぬ夏の午後かな

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右田の方は工事であり残った一本松は枯れるだろう。枯れそうにみえたからである。
今考えると一本松が残ったというけど松は松原になっていて意味があった。
もともと防潮林だから松原でないと意味がない
一本松でも海側でないなら意味のある伝説もある松が残されている
とにかく津波の跡には休む日影かないから暑く感じる
ただ草原化してそこに海の鳥が隠れ海の風が吹いてくるから涼しい

今日も異常に暑かった。二階には隣がトタン屋根だかその影響で熱がこもっていた。
それでクーラーを一時的に使ったが一日はしていない、夜はしない
それでも今日は暑かった、蒸し暑いと耐えられなくなる
自分の家を建てたのは自分ではない、姉と母が建てたものであり気丈夫な姉が家を守ってきた。
姉は男性でも相手にてもひるまない、男性が恐れるような強気の女性だった。
だから怖いなと男性が姉について言っていたのである。
だから本当に鬼百合がふさわしい女性だった。
強気の女性は鬼百合がふさわしい、女性にもいろいろいるし花にもいろいろある
鬼瓦とあるけどまさに家守るものだった。

家を守るにはやはり自分がその跡を継いでわかったが鬼瓦のように強気でないと守れないということがあった。
それがこの七年間の苦しみで経験したことである。
これほど家に入ってくるものに家が荒らされると思わなかったからである。
そういうことをプログで書いてきた。
姉は最後は認知症になり無惨な姿で死んだ。
いくら強くても老いには病気には勝てなかったのである。

今頃の暑さはやはり鬼百合であり暑さの最盛期にいつもなっている。
この暑さは今年はいつまでつづくのかやはりお盆あたりまでなのか?
それとも長くつづくのか?暑さも体力を消耗する

横手には道標があり栃窪へ記してあるのが飯館村にもすでに一年以上行っていない
そろそろまた行かないとと思っているが暑いのに自転車は弱い
栃窪でも昔だったら歩いてとかなると遠いから道標があったりする
この道標はあくまでも歩いていた時代だから作られたのである。
飯館村はそのものが葦に夏草に埋もれてしまったというのも不思議である。


タグ:鬼百合

2015年07月28日

異常な暑さはなぜ? (人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


異常な暑さはなぜ?

(人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


最近なぜ35度とかの暑さがつづくのだろうか?
地球的規模になるとそんなに暑くはなっていないという
では日本の暑さは何なのだろうとなる
地形的には内陸部,盆地は暑くなる
京都も暑いし福島市も盆地で暑い
もう一つは東京とか大都市近辺がクーラーの熱風などで暑くなる
それからアスファルトで暑くなる
それは自転車で感じる
車ではクーラーがあるから感じにくいのである。

暑いというとき海に面している地域は比較的暑くないだろう
海から涼しい風が吹いてくるからである。
福島県では福島市と会津は暑いし盛岡市でも35度になったのかとびっくりした
北海道でも海に面していない地域は暑くなっているのかもしれない
ただ西の方は全般的に暑くなっている
気候は福島県でも広いから地域差があり狭い地域でも天候には差がある
天候というのはだから広い範囲で見るから誤解しやい

大都会が暑くなっているのはヒ-トアイランドの影響が確かにある
あれだけビルや家が建てこんでいれば涼しい風も吹いてこないし
は水まいたくらいでは効果ない

涼風(すずかぜ)の曲がりくねつて来たりけり
一文が水も馬に呑せけり 一茶

というように、水に値がついているものは、一茶の住んでいた本所付近では、水を買って使っていたので、水が貴重品だったのだろう。
江戸だったらやはり都会だから何でも金になる。水も売られていたのである。
涼風がくるのも曲がりくねってくるというときそれだけ家がたて込んでいたからである。でも涼風は来ていたのである。
都会ではこれだけの温度になると熱風になってしまうだろ。
江戸時代にはアスファルトとかでていから土だから水をまけばそれなりに効果があった
ただその水も簡単には使えない、金もかかっていたから問題である。
土間が夏が涼しく冬はあたたかいというとき土がエアコンの役割を果たしていた
暑いというとき、寒いときでも人間は知恵を働かせて自然に適合していた
江戸時代になると今の大都会と同じような面が現れていた
でも一応涼しい風は吹いていたし今のようなエアコンの熱風とかにはならない

異常な暑さの原因は明らかに都会化とエアコンやアスファルトととか文明の発達が原因している
それが全部ではないにしろその要素を否定できない

家の作りやうは、夏をむねとすべし*。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し*。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる*、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし*。

 徒然草(上)
第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。(徒然草)


京都は盆地で暑いからこういうことになった。北海道なら冬をむねとすべしとなる。
日本では夏はもともと暑いものだったが31度とか32度くらいで耐えられる暑さだった。
これは自然現象というよりやはり大都会化したことが確実に影響している
この表現で面白いのは川のことで浅く流れているのが涼しい・・・というのである。
さらさらと流れている浅い川が瀬音のする川がいいというのは日本的である。
まず外国の大陸の川では運河のようであり日本のような川がないのである。
それでこの辺で新田川が意外と浅い川であり瀬音がするからかえって情緒があり夏なら涼しいとなる、深い川は何か淀んだような感じになるから夏にはいいとは思えない
真野川は長い川であり瀬音があまりしないのである。
京都辺りでも川があるが瀬音のする川である。盛岡の中津川もそうである。仙台の広瀬川も歌にもなったから有名である。
ただ仙台は都会化しすぎたからあそこにそれほど涼しさは感じないだろう。


天井の高きは、冬寒く、燈暗し・・・これも今とは違う、今は天井が高い方がいい、空間的にまさにspacious(贅沢)に感じる、狭苦しい所に日本人は住みすぎるので兎小屋と言われる。それが人間に余裕ないものをもたらしている。
狭いところに常時住んでいれば狭苦しい思考に自ずとなってしまうのである。
その当時は電気もない暗い時代だからそうなったのであり現代にはあてはまらない
大き家の屋根に猫いて夏の月(自作)
こんなふうに大きい家の方が猫まで余裕がでてくる
日本の文化は京都が中心だというとき京都の気候が影響している。
それが暑いことでありそれで涼を求める文化が生まれた。
料理でも暑さ向きのが日本の料理であり淡白なのもそうである。
暑いと何かこってりとした肉料理とか食欲がなく食べたくないのである。
それで寿司とか刺身などはすっきりしていいし酢のものが夏には向いているし
漬け物を梅干しでも食欲をそそるようにできていた。
懐石料理などもそれに通じている。
それから冷しソーメンとか夏の料理が結構多いのも日本である
それらはこってりとはしていない、さっぱりして淡白なのである。
日本人は分厚い豚肉と牛肉など食べなかったのである。

結局日本はその風土にあって日本らしくあるべきなのである。
夏は暑いにしても涼しいということを味わう楽しさがある
木陰も気持ちいいし夏に気持良くなるのがある。
夏は夏らしく夏を味わうのが自然なのである。
こんなに暑いとどうしてもクーラーを使う、今でも自分の部屋は暑いので29度とかなっている
でも扇風機だけでクーラーはとめた。なんとか過ごせるようだ
クーラーを使うことはエネルギーの効果的な利用方法ではない
エネルギーは貴重だということは原発事故でわかった。
蝋燭でもその溶けた蝋まで集める仕事があったりと江戸時代は何でも無駄にするものがない、エネルギーがそれだけ貴重だったからである。

ろうそくは、1か月もかけてじっくりと作られた貴重品で、現在ではほとんど省みられることもなくそのまま捨てられてしまうような溶け残りであっても、蝋涙(ろうるい)と呼ばれ、これを回収し、商う行商などがいたようです。


人間は文明化して自然に対してかえって無駄なエネルギーを浪費するようになった。
暑ければクーラーだとなりその消費量は膨大である。
それは大都会化とかアスファルトなどで暑さが文明によって作り出されたものである。
そのために無駄なエネルギーを消費して原発も石油も欠かせないとなりこの辺は取り返しつかないものになったのである。
もう35度になったら暑さを楽しむことはできない、熱中症となり病気になり死ぬこともある。
それも自然に逆らった生活の結果だということは言えるのである。
ただそれでもクーラーのあるとないでは今では寿命にも命にもかかわるだろう。
クーラーの効果はあまりにと大きいのである。
クーラーがあるからこそ今や文明人はこの極暑で生き延びているとさえいえる

でもついには石油が入らないとか電気がもう供給できないとかなるかもしれない
その時原発も再稼働しろとなり今回のようなとりかえしのつかない事故になり
住めなくなりマヤ文明のように神殿も放置されて人がいなくなるということにもなる
とにかくクーラーの風は効果があっても自然の風ではないのである。
人工の風でありそれが熱風ともなり暑さを増したりしているから問題なのである。
土間が涼しいというときまさに土は自然であり冷房とか暖房の自然の装置だったとなる。
この辺は31度とか32度であり海風も吹くしなんとか暑さでも涼しさがあり楽しめる場所である。
それでこの気候だけは浜通りではいい、老人には向いているともなる。
35度になったらもう夏は楽しめない、生命の危険状態になるからである。




タグ:暑さ

2015年07月27日

夏の鳥(山鳩など写真三枚)


 
夏の鳥(山鳩など写真三枚)

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山鳩や故郷の祭り里帰り
山鳩や青葉のつつみ影深し
山鳩の枝移る樹の青葉かな
三色のハイビスカスや店に映ゆ

ヒヨドリのとまり尾長もとまりさる風にそよぎて青竹清し
青竹の風にそよぎて清流のここにひびきて鳥とびにけり


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昨日の雲雀が原の観客席には入らずに入り口の木陰で休んでいた。
その木陰が意外にも涼しくいい場所だった。
桜の樹が大きく日影も広く気持いい場所だったのである。
今年は暑いから木陰が気持ちいい
からっとした暑さだと木陰は余計に気持いい
砂漠の国は暑くてもからっとしているから蒸し暑くないから
木陰とか日影にいると意外と涼しいのである。


その木陰で見上げてたら山鳩がとまっていた。
鳩は平和の象徴である。
山鳩だと普通の土鳩ととは違う、本当の鳩である。
山鳩には何か温和でありやさしさが現されたものである。
羊は柔和さが現れたものである。
山鳩は何か母とか優しいものをイメージする


祭りは夏の季語であり野馬追いには里帰りする女性がいる
でも男性には里帰りとは違っているが故郷に帰ることがある
故郷というときやはり父とか母とともに過ごした場所でもある
もしそこに愛された場所なら山鳩のように平和な感じる場所になる
ただ故郷を嫌う人もいる、一茶は不幸だったから茨の花が故郷だった
故郷とといってもみんないいものではない
故郷はやはり祭りがあり自然がありそこに憩うとなる
それが山鳩で象徴されていたのである。

今年の夏は夏らしい夏である。今日も暑いがからっとしている。
コメリに三色のハイビスカスが咲いていた。
これせ買うと高いが花というのは買わなくても見るだけでもいい
食べ物は食べなければ何にも感じない
花は別に他人の庭でも見るのは無料なのである。
花は別に金がないから鑑賞できないということはないのである。




タグ:夏の鳥

2015年07月23日

白百合の花と介護している家(詩) (人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)

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白百合の花と介護している家(詩)

 
(人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)



蝶とまり夕風ゆれる合歓の花

限られし時に鳴きけり蝉の声今しひびきて夕暮れむとす



白百合の花と介護の家

庭の白百合の花、臥す母に向きて咲きにき
その大輪の真白き花や母に向きて咲き今日も暮る
我が家に嫁ぎありし長きその日よ
そが憩うべしはいづこや今は家に安らぐ
それぞれの家に歴史、物語のあれ
悲しみ、喜び、いがみあい、苦しみ、笑い・・・
それぞれの家族に物語のあれ
その長き日よ、その時は帰らじ
ただ思い出として物語として残されぬ
死ぬときよ、真白き百合の花を見む
その花の偽りなき誠の花よ
汝はその花を見て安らかに死ぬべしかな



今日の推理小説のドラマはそれなりに深いものがあった。人間は何か事件があるときそこに人間の問題が具体的に現れるから事件から人間を考える
なぜ夫を妻が殺したのかとなるそれが複雑である。
動機は義理の母を介護していたのに夫は不倫して妻の願いをことごとく無視した。
誰が見てもひどいと思う。
それが介護ということで自分も興味をもった。
介護は介護している人でないとその気持もわからない。
妻は七年も介護していたとか介護は長いからまた負担が大きいのである。
その妻は20数年の平和な家庭生活を壊したくなかったというのが動機だった。
夫から別れるという言葉を聞きたくないがために殺人になった。
その家族の思い出を壊したくないとして殺人になってしまった。
そのことは結婚でも長く一緒にいればそうなるのが普通である。
だから熟年離婚というのが理解できない

ともかく長い期間いて培われたものが何かしらある。
その間に憎んだとしてもそれも愛の反面になる。
長くいるということは何かしら意味があると思うからだ。
なぜそう思うかというとそういう時間がもうなくなるからだ
ではまた新しくはじめればいいというが20数年を御破算にしてまた一から始めるとなると人生にはそんな時間がないのである。
自分が前々から何度も言っているけど人生とは結局何に時間を費やしたかで決まる
そういうとき人間には時間が限られているのだから数十年一緒に過ごしてまた別な人と一緒に過ごすという時間が与えられていないのである。
だからその妻はそうして費やした家庭生活の思い出とかを壊したくないというのがわかるのである。

つまり人間にとって一番貴重なのは時間なのである。
誰と一緒に過ごすか、それも時間を共有するということである。
その共有する時間は一人くらいしか与えられていないのである。
離婚してまた別な人とやればいいとか次も離婚して最初からはじめればいいというわけにはいかない、なぜなら時間が鳴くなてしまうからである。
だから老人になってからなにか深い付き合いと結婚してもうまくいかないように思う。
老人はすでに費やした時間をふりかえるだけだからである。
新しい思い出を作る時間がすでにないからである。

人間の一生は本当にそれぞれの物語である。
だからこの家を苦労して建てたんだというときそこに物語がありその家に重みがでてくる家とは単なる箱もの、物とも違っているのだ。
たいがいこの家は働いて苦労して建てたんだよというときその物語を聞けば家に重みがでてくる。
それは商品にも通じている。この野菜は苦労して作ったんだよと直接聞けばその野菜が貴重に思えるのである。物々交換の時代はそういうことがあった。
今はそうした物語が省かれるから商品でも値段だけがとりあげられる。

介護を考えると自宅で死ぬのが看取られて死ぬのが理想である。
病院とかは施設とかは家ではない、それぞれの家の物語はない
一種のやっかいなものの収容所となってしまう。
介護というときその人がどういうふうに生きてきたのかということが問題になる。
それを一番知っているのは家族だからである。
でも家では延命治療るような余りに負担なことはできない
そんな負担を背負ってまで家でやるというのは余程の人でないとできない
そうされていた介護度5くらいの人を病院で見た。
その人はそれだけのことを家族にしていたからそれだけの介護をされていたのである。
最後はあまりにも悲惨な状態になっていた。
浪江の人だったが今はとどうしているかわからない。

病院で死ぬことも看護師や介護士に世話になることもこれも一時的ならいいが最後の看取りとか世話になることはいいことではない
医者でも看護師でも介護士でも体はめんどうみても心はみない
死んでもそんなこと毎日死んでるから物ののように扱うだけである。
看護師は白衣の天使でもなんでもない、介護士でもそうである。
またこそれを要求するのも無理がある。
見ず知らずの人にそんな愛を要求するのは無理だとなる。
病院はもともとそこで死ぬというより一時的にいる場所だったのである。
延命治療などは人間というより機械に囲まれて最悪だと思う。
人間は直る見込みがないなら延命治療はすべきではない
病院は無機質な冷たい場所なのである。
医者でも看護師でも介護士でも天使でもなんでもない、むしろ冷酷に見ているともなる
それをみんな批判できないだろう。
そういう仕事として割り切ってやっていて家族のようなことはできない
自分にとってだから病院とか恐怖になったし看護師にも怖い目にあったら今では恐怖している。
一時的にいるのはやむをえないがそこで介護のような延命治療のような状態にしておかれることが恐怖なのである。

タグ:介護の家

2015年07月21日

真夏の写真(雷雲が福島市から広がってきた驚き)


真夏の写真(雷雲が福島市から広がってきた驚き)

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パノラマ写真

この雲は福島市から湧いてきた雷雲

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夏空に若竹伸びる数十本
ひまりわとダリアの庭や陽の盛り
のうぜんにヒマワリ映えて街の庭
山百合の匂い流れて農家一軒
雷雲の福島市より沸き上がる
道の駅交差し去るや夏燕

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梅雨が明けたというけど今日は浜通りはからっとしてさほど暑くなかった。
クーラーも必要ない暑さだった。でも福島市になるとやはり35度くらいになっていた。
それで夕方に黒い大きな雲が湧いてきた。
それはどんどん大きくなったが雷は鳴らなかった。
福島市ではテレビで停電にもなる雷だった
写真の雲は福島市から湧いてきた雷雲だった。
福島市は浜通りとは地形的につながらないようでつながっている
阿武隈高原の向こう側に福島市がありそこから雷雲が湧いてきたのである。
するとそれは福島市から南相馬市まで広がった雷雲だから相当に大きいとなる。
そこまで普通ここではイメージしない

でもちょうどテレビでこの雲を見たとき福島市で大きな停電がありかなり雷があった。
その影響でこの巨大な雷雲が南相馬市までひろができたのである。
福島県はハマ、ナカ、アイヅで天候も相当違っている
浜通りは福島市とある時天候でも関係してくる
今日の雷雲がそうだった。
でも浜通りの暑さは31、2度であり湿気も少なく今日は暑く感じなかったのである。
浜通りは気候だけは恵まれている

福島市まで双葉や大熊か飯館村を通って放射性物質が流れた
これも意外だったがやはり地形的につながっていたからそうなった。
福島県はまず浜通りだったら会津のことは天候的にも地形的にも影響がない
福島市はやはり天候的に影響がある、暑さは浜風が吹いて違っているが今回のように福島市で雷がありその雷雲が浜通りまで広がってきたのである。
雲はこんなに広範囲に広がるものとは思っていなかった。
雲は宇宙から見ないとわからない、風もわかりにくい、それは広範囲に活動しているかだとなる。

夏だとやはりいい写真がとれる、夏には一番花が映えるからである。
ともかくこのくらいの暑さだと過ごしやすいし自転車に乗っていてもそれほど疲れないと思った。
俳句は季語が中心なように極めて日本的なのもである。
日本の季節は変化が激しい、だから気候が挨拶代わりになりそれが俳句文学になったのである。
天候は毎日変わるからブログのようなもの毎日アップするのには向いていた。
今日はまさに天候の報告だったのである。
タグ:雷雲

2015年07月20日

涼しさー六号線で感じる東風 (津波で海が見えるようになった浜街道)


涼しさー六号線で感じる東風

(津波で海が見えるようになった浜街道)

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海見えて浜風涼し6号線
涼しさや夕風吹いて6号線
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evening winds
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涼しさや夕風に走るサイクル車
草原に海風涼し6号線
鬼百合やこの道幾度越えて行く
この辺り蝶の眠るや合歓の花

六号線は浜街道がありその脇を走る。浜街道というとき海が身近に感じられるから浜街道になる。東海道もそうである。
でも実際は海が見える場所はまれだった。だから海を意識しないのである。
松原があったときは海が見えなかったのである。
でも津波で松原とか家すらなくなり海が見えるようになった。
もともとは海が迫っていたのである。
海から吹いてくる風は東風(こち)である。でもなかなか風というのはわかりにくい。
風はその場所に長く住んでいないと意識できない

それで菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」の歌がどうしてできたのか?
この歌は京都であり山に囲まれている、東風は山から吹いてくる。その感覚がわかりにくい。ここでは東風は海から吹いてくるからである。
その広大な太平洋から吹いてくる風なのである。
ただ東風吹かば・・とあるとき常に京都でも東風が吹くときを意識していたのである。
ここでは丁度原発事故のあったとき東風(こち)が吹いて飯館の山の方に放射性物質が流れて悲劇になった。
だから東風吹かば・・・・となるときここでは原発事故を思い出すのである。
風は旅していても意識しにくい、まず旅していると方角がわからなくなる。それで余計に風のことは意識できない、どっちから吹いてきた風なのかなど旅してもわかりにくい

特に電車でも来るまでも今は風を感じないからである。
それでバイクで風を感じたいという人が中高年でも乗っているということがある。
自然を感じない旅は旅ではない、ただの移動になってしまうのである。
昔の船乗りとか帆船の時代だったら風を感じるだろう。風を知らないでは船も操作できないからである。今ではヨットが一番風を感じるものになる。
自然を感じる旅はどうしても便利すぎると機械に頼るとできない
余りに現代のような便利の社会では自然を感じるにはわざわざは不便にしないと本当の旅はできない。
だからかえって時間がかかるし手間になるし難儀になるのである。

ともかく自分が旅していても風を感じたことはほとんどない、最近春に津軽平野の十三湖に行ったとき西風が吹いていたのでここは西風が太平洋から吹いてくるのだと意識した。それで余計に荒寥としたものを感じたのである。
あの西風を感じたときはじめて津軽平野の荒寥たるものを感じるのである。
もう一つは祖谷の谷間から吹いてきた春風である。
祖谷の葛橋の辺りだと相当に山深い、四国は実際は山国である。
それがなぜ谷間を吹き抜けてくる風があった。それは海からも吹いてくる風だという
風が吹く範囲とそのように広範囲なのである。
それでフクシマの原発事故で海から阿武隈高原の飯館村から福島市まで東風が吹いて放射能汚染されたのである。
谷間が風の通り道となり風がはるか福島市まで吹いたという驚きであった。

ともかく六号線は車の騒音などで嫌なのだが一番活きている道だし毎日のように通る
今日は白い髭をはやした年配の外人が重い荷物をのせて六号線を走っていた。
あれも珍しいと思ったがついていけなかった。
相当な体力がある人だなと見ていた。小島田からの坂はきつい。
自分は前は上っていたが今は上らない、脇道を走っている。
電動自転車だと上れるが脇道の方がいいのであそこは上らない
自転車は坂で疲れるのである。だから体力がない人は自転車はきついのである。
その点バイクは楽なのである。自転車は若い人でもまれである。
でも自転車の旅は今ふりかえると記憶に残っている。
それで思い出して詩を書いているのである。





2015年07月19日

涼しさ(今年は秋が早いかもしれん)


涼しさ(今年は秋が早いかもしれん)

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涼しさや水無し川の今日流る
涼しさや青竹伸びて流る音
川の瀬の音を聞きつつ橋に合歓
ノウゼンに夕日のさして虫一つ
ノウゼンに夕焼け映えて今日の暮る
山の影夕べ涼しき月と星

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今日もかなり暑かった。32度くらいにはなった。クーラが前の部屋にあったので試してみたが壊れていない、これも20年前とかかもしれない、古いものだが意外と壊れない、
このクーラーは20万とかしたから高いのである。
それで古いから電気を食うと思った。でも長い間使っていて壊れないしまだ使えるということは今では貴重に思った。
その部屋には液晶テレビになる前の重いテレビがあった。
液晶タイプにする前でありそれがもう動かせないほど重いものである。
それも最新式だったがそれから軽量化したからあまりにも違いすぎて使いものにならない技術が進歩して使いものならないものとさほど変わらず使えるものがある。

洗濯機でも冷蔵庫でもクーラーなどはまだ使える、クーラーは古いと電気料が高くなるから問題である。
今なら10年も使えるとしたらもうけものだとなる。
その他のカメラとか電子機器は変わり方が激しいからである。
こっち日新月歩なのである。


水無し川はどこにでもある。今日は水が流れていて涼しい
青竹が伸びて水の流れる音が聞こえる
日本の川は瀬音が気持ちいいし涼しいとなる
浅い流れだから仙台の広瀬川でもそしうだし原町の新田川もそうである。
真野川は瀬音があまりしない、ただ長いという川である。
川で良かったのはやはり浪江である。二つの川がありこの辺では一番いい川だった。
それで詩も残されたのである。


ノウゼンに夕焼けが映えて暑い一日が終わった。
そして夕月と星が出て涼しい
どうもこの涼しい感じも今年はこの辺で終わり早めに秋がくるかもしれない
これからまた梅雨の曇りになるからだ
暑さのピークは過ぎたかもしれない
何か体がぐったりして弱った、食欲もない、でも明日からは曇り気温も低くなる
だから意外と夏は早めに終わり今年は秋が早いのかもしれない
今年は暑さが早めであったがそれも終わり秋が来るのかもしれない

とにかく今年の気候は変則的でわからないことはいえる。
やはり確率としては7月までは暑いとしても8月からは低い割合が多くなる。
琴氏は残暑もそれほどでなく早い秋が来るのかもしれない
するとクーラーもいらないとなると楽である
すでに夏ばて気味になっているからである。


タグ:涼しさ

2015年07月13日

夏の花四種(詩とエッセイ)


夏の花四種(詩とエッセイ)

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合歓の花が向こうに咲いている

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写真でこのように見えたが肉眼では見えなかった
写真でないと見えないものがかなりある
花は特に近づいてとると見えないものが見えるのである。


夏の花四種

合歓の花は高みに咲きて風そよぐ
立葵は健やかに伸び咲きて
藪甘草は故郷の山む向き咲く
その赤心の花は土着の花
夕暮れ匂うは貴婦人のラベンダー
高雅なる紫色の衣ににて

花にもいろいろ個性がある。不思議なのはこの四種類の花でも合歓の花は外来種である。合歓の花はベトナムのフエの王宮では街路樹になっていた。

ベトナムの王宮たずねあわれかな合歓の花みな散りし後かな

ベトナム辺りでは美人を連想するときは合歓の花になるのだろう。他に南国だからいろいろ鮮やかな花が咲いていた。

伝統的にハーブとして古代エジプト、ギリシャ、ローマ、アラビア、ヨーロッパなどで薬や調理に利用され、芳香植物としてその香りが活用されてきた
ラベンダーも外来種であり香りが珍重されたことは今に通じている。それは何か貴婦人の高雅な香りなのである。
花にもいろいろあるがこのうよに外来種が多くなったのが現代である。

このなかで藪甘草は土着的な花である。だから野馬追いとかにもあっている。

青田中行列行くや藪甘草

今年は青田が増えたからそこに藪甘草が咲いて野馬追いの行列が行く
野馬追いでもそうだがそもそせ祭りは土着的なものから生まれた
土着的なものがないなら祭りではない、祭りはそれだけみんな古いからである。
それで仙台になると何か東京のように土着性がなくなる、都会化し郷土史に興味がもてないし土着的な文化が生まれないというのもわかる。
賢治とか啄木には土着性があったというのもわかる。
啄木の場合は土着的になれずに終わったが土着的なものをあの若さでもっていたから故郷を偲ぶを歌を残したのである。
二人とも天才であり本当の土着性となると三野混沌とかの本当に土とともに生きて死んだ人になる。
この辺は海があっても高い山がないから故郷の山というとイメージできない
山でもいつも高い山を見ていると心に影響する。
この辺はそれがないからものたりないのである。

ともかく昨日は暑かった、ぐったりした。暑さにも弱いから暑いところは寒い所に住みたくないのである。
浜通りは暑さと寒さが極端でとないから気候だけはいいから老人には気候では適している最近異常に暑くなっているから南とか暑い地域には住みたくない
沖縄の方が涼しいというのも異常である。沖縄では海に囲まれているから32度くらいまでしかならないのである。
それでも暑いが35度になるともう住みたくないとなる

タグ:立葵

2015年07月05日

沙羅の花(梅雨の時期に咲く花は映えない)


沙羅の花(梅雨の時期に咲く花は映えない)

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沙羅の花祇園精舎に今日も散る
曇る日や野に働く夏薊
家広く五輪匂いぬ百合の花

しっとりと朝の霧にし月見草ぬれて咲きにつ朝の明けにき
芋の葉に水玉大きくこの畑カボチャの花の咲きて暮れにき
沙羅の花風にそよぎて今日一日咲きてまた散る道に面して



沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

沙羅の花の由来である。これも暑い所に咲く、蓮でも暑い所にあっている。
だから梅雨の時期に日本で咲くのにあっいない、泰山木の花も梅雨の時期だとあっていない、もともとアメリカが原産だとすると毎日晴れている大陸的な場所にふさわしい。
花はその原産地に一番あって咲いている。
インドの暑さを知らないと蓮の花にしても鑑賞できない、蓮の花も梅雨の時期に咲くから映えないのである。
花にしてもすでにそれは歴史があり文化化した花なのである。
蓮といえばお釈迦様であり日本では桜が国の花になったように歴史と文化としての花となっている。
蓮はエジプトでロータスとなっているからエジプトも暑いからあっていたのである。
オベリスクとかにロータスの花が刻まれている
ナイル川の河畔に蓮の花が咲いていた。大きな川だから花もその川に映えていたのである

花からイメージされるのはその背景の歴史と文化を知る必要がある。
沙羅の花を注目したのは自分の庭に植えたりしたから注目した。
でもこれまで沙羅の花も知らなかった。
沙羅の花は夏椿だと思っていた。もともとは沙羅の花だったのである。
椿よりこぶりの花である。ただ小さいというだけの花だともなる。
ただそれに歴史とか文化が背景にあり違っていた。
沙羅の花は数が多く咲く、一日咲いて一日で散ってゆく
沙羅の花から釈迦をイメージすることはなかった。
祇園精舎に咲いて散るのにふさわしいとなるのか?

ともかく梅雨の時期は花は映えない、菖蒲とか紫陽花は映える、その他はあまり映えない、だから梅雨の時期はいいとは言えない、この時期はいつも北海道に行っていた。
それはあまりにも恵まれていたのである。
どうしても出かけるときといつ帰ることもなく自由に旅ができないと旅にならない
二日とか三日で帰らねばならないとしたら旅する気もしないのである

朝にこの辺は深い霧だった。それで月見草がしっとりとぬれていたからこれは梅雨の時期にあっていた。
芋の葉に大きな水玉がたまっていてカボチャの花が咲いていた、短歌も基本は写生であるありのままを写生にすることが基本である。
あまり感情的なものを入れない、要するに芋の葉がありそこに水玉がありカボチャの花が咲いている
それだけを写生していればその写生自体が写真でも俳句でも短歌でも訴えるものとなる
そこに説明的なものや感情的なものを入れると写生でなくなる
写生だとすると意外と俳句で短歌でも誰でもできるともなる
これも何か創作的なものはない、ありのつまを写真のように文字にすることが基本になるからだ。
ところが下手な俳句や短歌は写生に徹していないのである。
余計なことを飾って言いすぎるのである。
現代ではデシカメなくしては写生の俳句も短歌も成り立たない
写生を基本するとまず写真があって写生の俳句や短歌があるともなるからだ。
タグ:沙羅の花

2015年07月02日

紫陽花(朝と夕べ)

紫陽花(朝と夕べ)

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photoショプで加工

これで何かartになった

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紫陽花に朝日さしそめ蝶一羽舞いつつ去るや田舎の明けぬ
しっとりと雨にぬれたる紫陽花に夏菊映えて朝日さしそむ
紫陽花のあまた咲きにし夏菊の映えて田舎の夕暮静けし
紫陽花の咲いて落ち着く人にあれ雨しととふる田舎の道に

紫陽花の季節だけど昨日は夕べみたらこの写真の感じと違っていた。
写真でも朝と夕べは違っている。
光の具合で違っている。
昨日は曇って雨がふっていたから紫陽花にあっていた。
紫陽花は梅雨の花であるからそうなる

今日の朝見たら光がさしてきてまた違って見える、写真も違っている
多少明るい感じになる、ただこの辺は微妙でありわかりにくい
写真というのは光の影響が大きいと思った。
だからこの光の微妙な感覚を出すにはいいデジカメでないと写せない
六万のソニーのカメラはその光の感じをとらえている。
6万でも相当にこれはいいものだと感心した。

この紫陽花の咲いている道の向かい側では復興住宅が建ったし団地もまた建てている
だからまだまだこの辺は前のような落ち着きを取り戻していない
仮設に住んでいる人も大勢でありその人たちはそこにずっと住めるわけではない
それでも老人は何か慣れてかえって隣近所で友達もできていいとなった。
でもやはりここにずっと住むわけではないし来年は避難解除にもなるから落ち着くとはならない

ともかく写真は角度を変えてとると違ったものになる
それは技巧というのではなくただ角度を変えるだけなのである。
現代は膨大な写真が素人でもとっている。
写真芸術の時代でもある
写真は俳句の写生であり写真は偽らないものを写しだす
写真がありそこに俳句でも短歌でもそえる
写真とともに鑑賞する時代であり写真がないと鑑賞もできないとなる
それでも写真だけではものたりない、それは俳句は写生だが短歌は人間の心を反映するからである。心の反映したものを写真だけでは現せないのである。
だから言語は人間の心をの内面を伝えるものでありそれは写真だけでは伝えられないのである。
写真は朝とか夕暮なのかいつの時なのかわからないときがある。
季節だってわからない時がある。
特に雲とか太陽とかは夕日でも春なのか秋なのかわかりにくいのである。
写真だけでは何でも現すことができないことも確かである。
タグ:紫陽花

2015年06月28日

泰山木(陸前浜街道はまさに海沿いの街道)


泰山木(陸前浜街道はまさに海沿いの街道)


老い二人木陰に深く休むかな

日立木の細道咲きぬあやめかな薬師堂あり昔しのびぬ
浜街道松影なして菖蒲咲き田に鷺歩み立谷の村かな
城跡のお掘りに写る菖蒲かな昔を偲び街を歩みぬ
十輪の泰山木の花開く海よりの風に朝そよぐかな(新地)


陸前浜街道は仙台までつづいている。
でも新地になるとわかりにくい、もちろん昔の街道はとぎれとぎれになりわかりにくい
日立木から相馬市の城跡まではわかりやすいが他はわかりにく
旅の道になると六号線になっているからだ
ただ新地までは何か一つづきのものとして感じるし
地理的には新地はやはり相馬の領域に入る
新地に泰山木の花が十輪ほど咲いて海からの風が吹いていたのはふさわしい


陸前浜街道は仙台までつづいている。
でも新地になるとわかりにくい、もちろん昔の街道はとぎれとぎれになりわかりにくい
日立木から相馬市の城跡まではわかりやすいが他はわかりにく
旅の道になると六号線になっているからだ
ただ新地までは何か一つづきのものとして感じるし
地理的には新地はやはり相馬の領域に入る
新地に泰山木の花が十輪ほど咲いて海からの風が吹いていたのはふさわしい
新地は海がより近いからである。
泰山木は梅雨の時期に咲くから映えないのである。
海が一番近かったのは新地だったから駅も被害が大きかった
それで路線が変わって作られていた
ただ見通しが良くなり海が望めると書いたがそうではなかった
その前に津波を防ぐ高台が築かれていたからである。
だから海は見えないのである。
今回の津波で海岸沿いは高台が築かれてかえって海が近くから見えなくなったのが多いのである。
それも何か淋しいとなる、海が見えると心も何か開けたような感じになるからである。
これほど風景まで変わるというのはイメージできなかった

ただあと二年で開通するのは意外と早いと思った。
常磐高速道路も開通しているから交通的には便利なのである。
小高の人が新地に家を建てたというから小高はどうしても半分くらいの人口になり
そして老人だけになり廃れてしまうのだろうか?
子供のある若い人は帰ってこないからだ
小高まで鉄道が開通すればまた違ってくる
陸前浜街道というけど本当に浜街道だった
ただ海が見えるわけではないから海を意識しなかったのである。
それでもこの辺は海からの風が春から夏と吹いているのである。
海から離れては存在し得ない場所だったのである。

泰山木は梅雨の時期に咲くから日本では映えないのである。
新地は海がより近いからである。
海が一番近かったのは新地だったから駅も被害が大きかった
それで路線が変わって作られていた
ただ見通しが良くなり海が望めると書いたがそうではなかった
その前に津波を防ぐ高台が築かれていたからである。
だから海は見えないのである。
今回の津波で海岸沿いは高台が築かれてかえって海が近くから見えなくなったのが多いのである。
それも何か淋しいとなる、海が見えると心も何か開けたような感じになるからである。
これほど風景まで変わるというのはイメージできなかった

ただあと二年で開通するのは意外と早いと思った。
常磐高速道路も開通しているから交通的には便利なのである。
小高の人が新地に家を建てたというから小高はどうしても半分くらいの人口になり
そして老人だけになり廃れてしまうのだろうか?
子供のある若い人は帰ってこないからだ
小高まで鉄道が開通すればまた違ってくる
陸前浜街道というけど本当に浜街道だった
ただ海が見えるわけではないから海を意識しなかったのである。
それでもこの辺は海からの風が春から夏と吹いているのである。
海から離れては存在し得ない場所だったのである。

タグ:泰山木

2015年06月26日

新地の里の夏(詩) (新地は山と森と海が一体となる)


 
新地の里の夏(詩)

 
(新地は山と森と海が一体となる)

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ホトトギス六号線を朝走る
冷蕎麦カボチャの花や新地かな
杉林影なし店や清水飲む



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新地の里の夏

杉の林に影なす道や
右近清水に喉を潤し
森につつまれひそか
家点々と森に隠りぬ
畑に人小鳥の鳴きて
沙羅の花風にそよぎ
揚羽の舞い飛ぶごと
ゆくりかに気ままに
新地の里を巡るかな
六号線道標一つ古り
夏の日ざし照りつけ
旅心ここに湧きしも
海望み山を仰ぎつつ
今は我が里へ帰りぬ

many shadowy pathes
turn and turn in freedom
blooming flowers in the breeze
the  houses covered apart
in the forest of the cedar
Strong sunlight of the summer day
at an old heated guidepost
a free wayfaring man want to go
in the distance



新地は伊達藩であり江戸時代までは相馬藩ではなかった。
でも明治以降相馬郡になったからすでにその歳月も長いから新地はむしろ相馬市とかの交流が長い
江戸時代までは伊達藩でも明治以降は相馬市とか原町市とかが近いのだから経済的には相馬に頼ることになる。
だから相馬市と合併しなくても相馬郡になっていたのである。
相馬市にある相馬総合病院は新地との合弁した病院であった。
相馬郡は消えて新地町は残った。
でも実質的には相馬市に頼る面が多いから相馬市になっても良かったと外からは見える
合併のときの事情はなかなか外からわかりにくいのである。
新地の地形的魅力は海と山が近接して杉の森の中に点々と家がありサイクリングして気持いい場所である。
ここは自転車だと遠いからあまり来ていなかった。
新地は飯館村とかと違うのは六号線があり最近は常磐高速道路も開通した。
鉄道も後に二年で開通するから意外と早いと思った。
常磐線が開通すればかなり復興したことになる。

今回は鹿狼山のレストランと宿泊所で冷蕎麦を食べた。地元の人が蕎麦を作っているという蕎麦である。
蕎麦通の人がいればその味がわかるかもしれない、自分は食通ではない、旅行してもただ腹をみたせばいいとしかならなかった。それは金がないからそうなっていたのである。
若いときは何も食べてもうまいからあまり味にはこだわらない
ただ最近旅もしないので食に多少こだわるようになった。
自分で料理しているせいもある。
料理しているとどうしても素材にこだわるようになる
料理できなくても素材がいいものを買いたいとなるのか自然になる。
料理の基本は礎材か良くなければいくら料理人でもどうにもならないのである。

蕎麦とカボチャの花が何かあっていた。
うどんと蕎麦はかなり違っている。蕎麦は山の味なのだろう。
新地だったら山海の味を作り出せば観光にはいいとなる
ただ今は地方でも独自のものを作り出すことがむずかしい時代である。
この辺はまた放射能汚染で海のものが食べられないというのも痛い
その土地の味を出せないのは致命的だとなる
でも右近清水の入り口にパン屋があるというのも何か街中にあるパン屋と違っていいなと思った。
もう一つ森の中に喫茶店があるともっといい、何かあそこは安らぐ場所だった。
杉林が多く杉目とあるのは元から杉が多く杉の目とは杉の間が目となってなづけられた。山から清水を取り入れて飲んでいたという家もあったからもともと山が近いから清水も出ていたのである。

六号線に出ると大正時代の道標の石碑があった。写真はとっていなかったのが失敗
大正時代というとまだ新しいという感覚があるがすでに百年たっているのである。
大正生まれの人は自分の母親のようにまだ生きている。
でもやはり百年は一世紀だから大正でも古くなっていたのである。
ただ明治と大正の碑は多いからあまり希少性を感じないのである。
でも大正と昭和があるがその差が際立っている
大正は何かより古い感じになる。昭和は最近まで昭和だし自分も昭和生まれだから実際は古くてもそう感じないのである。


その土地土地を知るにはまさに地歴である。地形とかその土地の特徴がありそして歴史がある
新地は歴史的には伊達藩の歴史であり地形的に海と山と森の国だとなる
そして何か田舎はどこでもそうなのだが新地とか森が広がっていてそこは安らぐ場所になる
するとやはりそういう場所は癒しの場所になるし渡辺病院などができたように何か保養所とか老人ホームとか向いているのかとなる。
相馬市と原町は火力発電所があるから工業地帯でありまた違っている。
新地はそうした工場のようなものがあっても目立たず森におおわれているのである。
地方再生というとき何かその土地の特色を出そうとするとき今の時代は介護とか医療とか福祉になってしまう。
東京の老人を地方でひきとれというのも問題だが田舎は癒しの場なのである。
それで

老い二人木陰の深く休むかな

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こうして老人が木陰に休んでいることが何かあっているのだ。蕎麦を作っているのもあっている。蕎麦の味はうどんとは違い、何か地味なのである。
飯館村も森につつまれて点々と家があったが新地もそうだった。
でもその相違は海が見えることと六号線や常磐高速道路やあと二年で常磐線が開通するから交通的に便利なのである。
そして高架橋になるし松原も消えたから電車から海を見えるようになるから景観的には前より良くなるのである。
まあ、あと二年は自分も生きているだろう。
ただ近くの人が同じ年の人が癌で死んだ、もう一人も近くの人が癌になったという。
それは自分にとってショックだった。
この年になるといつ何になるかわからないという恐怖なのである。
69才で突然心筋梗塞で死んだ人もいた。
それもいつも見ている人だったしそういことが珍しいことではないからだ。
ただ百歳になってもまだ生き続ける人もいるので寿命はわからない
今はいろいろ旅したことなど思い出して作品化している
その量は相当なものになる

今思うと旅というのは実地の学問を経験することだった。
地歴が学問の基礎でありこれを知らないと文系では何もわからない
文系の学部は本当は地歴と法学部くらいでありあと文学部があるがこれも地歴と関係しているのである。
その土地のことを知らないと文学も鑑賞できないからである。
だから日本全国を世界でも表面的でも実地に旅するとあらゆるものの理解が深まるのである。
そうなるとまず勤め人ではできない、結婚したりしてもできない、結婚というのはあまりにも重圧なのである。
それで芸術家の八割は結婚していないということもうなづけるのである。
人間の時間は限られているからそんなにいろんなことに時間がさけないのである。
恋愛したり結婚したり子供を育てたり勤めていたら他に何か関心をもつことすらできなくなる。
人間の時間がいかに限られているからそれはすぐ老いるから誰でもその時痛切にわかるのである。
老人になって何か知らないことは恥になる。新地が江戸時代まで伊達藩だったということを自分が郷土史研究などとプログで出していたのだから恥だとなる
そういう基本的な知識を身につけるのにも時間がかかる。
学問の領域は膨大であり時間は限られているから結局何か他者にぬきんでたことを書くことでもなかなかできないのである。


タグ:新地の詩

2015年06月22日

六号線と相馬市の道の駅の写真 (角度を変えると違って見える)

六号線と相馬市の道の駅の写真


(角度を変えると違って見える)


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立葵6号線に遠嶺かな

6号線往き来の車立葵

立葵一日明るく外にあり

青田風曲屋風の道の駅

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六号線から相馬市の道の駅は近いから毎日のように行っている。
六号線は歩道もあり一応自転車も往き来しているからまだ人間的な道だとなる
ただ歩いている人はいない、歩くというのは何か過去のものになっているのである。
だから人が歩くだけで絵になるということが今やある。
歩いて感じるものと自転車で感じるものはまた違っている。

車というのは自分は嫌なのだけど結局人間は何であれ今生きているところが活気あるところにひかれるのである。
六号線は自転車で毎日のように通っているから親しい道となり人が行き交い活きている道となる。一方で死んだ衰退した道がある。
シャッター通りとなると人も歩いていない、車が通りすぎてゆくだけでゴーストタウンのように見えるし鉄道の駅は今やこの辺は相馬市と原町間で二両の電車が通っているだけである。
駅は閑散として淋しい、駅に一人とか二人とか待っていることはいる
昔は鉄道の駅は街の中心でありにぎわっていた。
それでも前はスーバーヒタチが走っていたから違っていた。それなりに常磐線は活きていたのである。

やはり何であれ人が集まらないと活気が生まれない
相馬氏道の駅には全国から来る、工事関係者も多いが他の人も来ている
車のナンバーを見てまわる、今日は奈良の番号があった
少しでもそういう人と話すことで見聞が広まるということはあるがなかなかできない
今の季節と立葵である。この花は明るい夏らしい花である。
この花は六号線にあっている。遠くに山が見えて遠くに行きたくなる
でも今は本当に遠くても相馬市くらいしか行けないのである。
この辺に欠けているのは高い山なのである。
だから高い山を見たいということか自分には常にある

ただ何回来ても角度を変えるとまた風景が違って見えるのも不思議である。
普通だったら外部の人だったら六号線だと本当に通過するくらいになる
これだけいろんな角度から見ると違って見えるのである。
写真をとるということが一つの目的として毎日行っているよさらに発見がある
いい写真をとろうとして見るからそうなる
ともかく今はこうして風景でも見過ごしていることが多い
ただ通りすぎて行ってしまって心に残らないのである。
あそこに注目したのは立葵があれだけ咲いていたからである。
写真の魅力か大きいのはやはり写真にするとまた見えないものが見えてくるからである。俳句でも写真俳句、写俳という分野が生まれたし写真の日記も生まれた。
写真で日々記録するのが現代である。
でも写真からどれだけのものがよみとれるのか?
写真は無数にありそこから異文化とか知らない自然にふれるということもある

高速道路は自転車では走れないから自分にとっては関係ない
そこは完全に車だけの世界になってしまう
六号線はまだ車と自転車とかが併存しているのである。
この辺はまだ日影の道が多い、ただ放射能汚染で南相馬市は木が切られた。
これもどうかと思った。
相馬市は除染していないから前のままであり同じ風景になっている。
そもそも除染がそんなに効果あるのかとなる疑問なのである。
仮設の商店街に「原子力委員会」という車が水戸から来ていた。
そんな人たちも来るのがこの辺なのである。


2015年06月21日

夏の日々(相馬市の道の駅までーシリーズ2)


夏の日々(相馬市の道の駅までー2)


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これは岩袋ではない、名前がわからなくなった

ここまでクリック拡大

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老鶯や離れつ藪に鳴きて暮る
老鶯やいつもの道に雨しとと
青葦の伸びて長きや風そよぐ
紫陽花や朝に水滴色づきぬ
遠くへと6号線に立葵
旭川のナンバーのあり夏燕
クローバーの匂いや夕べ走り去る
道の駅燕の雛の育つかな
一等星我に煌めく夏銀河
夏銀連なる星の一つかな
蠍座の赤く光るや夏銀河
全天に頭めぐらし夏銀河

雨の後塀よりあふれ山帽子風にそよぎて朝の日まぶし
この道の木陰のつづき五本松道の駅にし我も休みぬ
鹿狼山見えて青田にそよぐ風涼しや道の駅に行くかな
葦茂る青々として瑞々し悠々として風にそよぎぬ
街道に残れる松や夕日さし岩袋咲くこの道帰りぬ

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クリック拡大しないときれいに見えない

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このところ一週間は雨や曇りから前は晴れもあった。気候の変化が今年は激しい
この辺はまだ梅雨ではない。梅雨らしいという日もあった。
それで昨日は曇りであり雨もちょっとふるとかあった。
この辺ではまだ自然があるから老鶯がそれぞれ離れて縄張りをもち藪に鳴いている。

今日は晴れて朝まぶしく日がさして紫陽花の葉に水滴が光っていた。
それから相馬市の道の駅の方にまた行った。
青田に気持ちよく伸びた苗がそよいでいる。
遠くには鹿狼山が見える、新地まで相馬郡だったから鹿狼山見えるということで新地も相馬なのである。
ただあそこは伊達藩との境目である。

この青田の脇の道は長い日影の道となっているから気持いい
そして五本松があるから何かあそこが落ち着いて安らぐ場所なのである。
道の駅では遠くからの人が集まる。
この前は釧路であり今回は旭川のナンバーがあった。
工事とか除染関係ではないらしい、太平洋フェリー苫小牧からくる
燕の雛が盛んに鳴いて口をあけている
夕べは昔の街道の松がありそこに夕日がさし岩袋が咲いていた。
この辺では田んぼが増えたが原野化している所がまだ多い
だから田んぼの代わりに一面にクローバーで埋めつくされている。
それは北海道の光景である。
だかちクローバーというと北海道を思い出す。

今頃の葦は青葦である。
瑞々しく青々として悠々と風にそよいでいる。
梅雨の時期は必ず行っていたそれも長いのである。
今になるとつくづく恵まれていたなと思う。
旅に出たら一月くらいは帰ってこなかったからである。
だから北海道には思い出深い場所となる。

夜も自転車で走り走りながら銀河を見る、夏銀河というとなにか秋の銀河とも違って宇宙が輝いている。無数の知らない星が輝いている
プラネタリウムではとても現実の星のようには見ることはできない
自然は常に新鮮なのである。やはり夏は瑞々しいとか青々としたという感覚になる。
命が輝いている、それに感応するのが人間である。
自然に本当に感応するならゴッホのようになる。
それだけ人間の感受性が弱いから今一つ自然の強烈な命を表現できないのである。



タグ:夏の景色

2015年06月10日

初夏の花々(薔薇などの写真)


初夏の花々(薔薇などの写真)

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roselight1234_FotoSketcher.jpg
クリック拡大ーニコニコ堂(北海老)

小さなるトルコ桔梗の桃色に壺にさし見ゆ可憐なるかな
年ふりて花に花のつつむかな夏蠟梅を庭に咲かせぬ
花の中小さき花をつつみつつ夏蠟梅の我が庭に咲く
三色の百日草を部屋におくその色映えて明るくなりぬ
触らずに薔薇に光や我がよりて掃き浄めける朝の庭かな
窓により若き男女や大輪の赤き薔薇映ゆニコニコ堂かな



写真はデジタルカメラだとまずこれが良くとれているんじゃないかなと思ってもとれていない、角度を変えたり接近したりランダムにとったものをあとで見るとこれがいいなと選んでいる。
こういうことは写真だけとるならできなかったろう。
現像する前にどんなふうにとれていたのかわかるだろう。
だから写真というのはより身近になった。つまり素人でもいいのが結構とれる
ただ6万くらいのカメラは必要である。
光の具合などでかなり差がでる、実際見たものとは違ってくる。
この薔薇の写真はやはり光の具合が見た感じとは多少違っていた。
さらにいいカメラだったら見た目と同じくとれるらしい
それはソニーのカメラで二十万とかなるがそれだけの価値はある
夏蠟梅とかめずらしい花である。そういう写真はインターネットに今はいくらでもでている。

自分は庭を掃除したり花を挿したり手入れしたり家事をしたり介護したり金銭の管理からなにから毎日追われている
プログだってインターネットでもパソコンの操作は結構手間だし疲れる
今日は厚寿苑に三日ショートスティした。
だから余裕あるといえばあるが前とはまるで違う。
前はなんかいつまでもなにしもしない時間が延々とあった
だから暇で嫌な面もあった。でもそういうことも今はない
だから家事でも何でも何もしない時間が長くつづいたらなと思う
そういう時間をもてたのは幸せだった
結局人間で一番貴重なのは時間だった
その時間が無駄なことに費やされることが一番浪費だったのである。
そのことが若いときにはいくら言ってもわからないのである。
人間は何でもそれが現実化しないと自分の身にならないとわからないのである。

誰だか一万時間費やせば誰でも他よりぬきんでる、プロになるというのは本当である。
なぜなら一つの楽器を覚えるにはそれに時間をいくら費やすかで決まるからである。
一万時間費やせばプロになれるはいうことである。
そして楽器にしたっていろいろな楽器など時間がないから覚えられないのである。
北海老のニコニコ堂には日曜日は人が入っていた、若い男女は窓に見えた
自分は入らなかったがあそこの庭はいろいろ花が咲いている
今は大きな薔薇が咲いていた。あそこは絵になる場所なのである。
ただ昼間でも予約制の食事だから行きにくい
仮設のあつみ食堂には一週間に二回くらいは行っている
あそこまた昼間だけだから困る、晩方もやればゆきやすくなる
結局これも時間の節約のためなのである。
外食すれば時間が節約できるからそういうふうに思う
ただ野菜類とか自分でとらないと体に悪いから自炊が必要である。
今日はまた暑くなった。
暑いと外にでると自転車は疲れる
また明日から介護がはじまるからゆっくりしていられないのだ。

"天才"に生まれ変わる「10000時間の法則」

これが参考になるかもしれない,旅でも旅人になるにはそれだけの時間を費やす必要がある
それはみんな時間がないのでできないのである。

知識にしても膨大だからそれに費やす時間がなくて中途半端で終わるのである。
タグ:薔薇

2015年06月07日

相馬市の道の駅は自転車の散歩コース (車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)


相馬市の道の駅は自転車の散歩コース

 
(車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)

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相馬市の道の駅の燕の巣




道の駅人々行き交い燕の子
道の駅燕の巣二つにぎわいぬ
ツツジ咲き人々集まる道の駅

新緑に風のそよぎて山帽子咲きて影なす道の涼しき
新緑の風にそよぎて時鳥声清らかに近くに鳴きぬ



今日も相馬市の道の駅に行った。あそこまでが自転車でも散歩コースになる。
北海老のニコニコ堂の庭をみて八沢浦を回り道の駅につく
あそこに燕の巣が二つあり雛が育っていた。
あそこは人の出入りがありかえって烏などにねらわれないいい場所だった
埼玉から来た人だった、南相馬市と相馬市があることでわかりにくいと言っていた。
やはり外から見ると区別しにくいだろう。
地名でも名前でもなにか区別する、分けるということもある
同じような名前だと区別できなくなる
南相馬市も相馬市も同じじゃないかと外からは見えるのである。
名前をつけるとき外からの視点も必要だった。
やっぱり雲雀市というのありかと思った。

いつも道の駅とかではナンバーをみている。
釧路から着ている子供連れがいた。
それが釧路だったのである。遠いと思ったが苫小牧からフェリーで来たと推測した。
なぜなら苫小牧から仙台の太平洋フェリーで自分は十回くらい北海道に行っているからだもう一人も北海道であり除染でんの仕事で何でも岡山からこっちに移ってきたばかりだという。
スマホとタブレットをもっていてコンビニで休んでいた。

それからまた道の駅でぶらぶらしていると三輪車の大きなハーレーダビッドソンが二台置いてあった。
するとそれをしげしげみている人がいた。
「これは三輪車だからヘルメットかぶらなくてもいいんだよ、転ばないから」
「そうなの、これは転ばない、がっしりしている、まるで車だ」
「これは名取で売っているよ」
「これは高いだろうな」
「年配の人だよ、これに乗っているのは」
「みんな、いいバイクでも乗っているのは年配だな、この前もハーレーダビッドソンに乗っていたのは大熊の74才で頭がまるっきり禿げた人だったから驚いた」
「これはスピード出すというより車体を見せて自慢するもんだよ」
「ええ、そんなもんですか、ぴかぴかに磨いているな」


自分は何気なく触ったが触るなとその人に言われた。
三輪車が一台とサイドカーのついたものが黒いのと白いのが一台とめてあった。

「こんな大きなのはアメリカ向きだよ、アメリカで鉄道を利用したけど車内は広いんだよ、でも広くないと困るよ、太ったでかい人がどっしりと腰をおろすからあれくらい広くないと乗れない、日本では狭くてこまっているだろう」
「まあ、これは広い道路向きだよ、アメリカで作られたからな」

自分はアムトラックに乗ってアメリカを一度旅したことがあった。
車内は広いからゆったり座れたのである。まるで応接間のソファーにに座る感じだったのである。
そういう感覚がアメリカ的だと思った。日本では何でも一回り小さくなってしまう。
大陸的だというときそうした日常生活から何かするのにも影響している。
一見そんなことが関係ないようでも戦争のような大きなことをするにしてもアメリカのような大きな国は日本とは違ってものの見方まで変わっているのである。
日本は狭い国だから考え方もせせこましくなってしまうのである。
北海道はその点日本にてはアメリカ的なのである。
そのハーレダビッドソンに乗っていたのは意外にも南相馬市の地元の人だった
東京で買ったという、それなりに金がある人なのか、この辺でもそういう人がいたとかなる
もしかしたら補償金もらった避難民かもしれない、南相馬市にもいるからだ。
ともかくハーレダビッドソン見ていたやはり年配の人は相当にほしいという感じだった
やっぱりあれ一度のるのが夢なのだろう。
車を運転しない人にはわからないのである。
まあ、自転車だと百万円くらいのロードの軽い自転車に乗ってみたいとかと同じなのだろう。


道の駅に来る所の道に山帽子が咲いていた。外に咲く山帽子はまた気持良く咲いている。風がそよぎ木陰がなして気持いい、今日は晴天だけどそれほど暑くなかった。
そろそろ梅雨に入る時期だけど遠くには行けなかった。
ともかく介護とかなると遠くには行きづらいのである。
明日またショートスティだけどこれまた嫌だというし具合悪いとも言っていたしいつまで介護がつづくのだろうと思う。

ともかく相馬市の道の駅は自転車の散歩コースとして最適である。
原町は街中にあるから散歩コースにはならない、用事で行くことになる
今は鉄道の駅より本当に道の駅が駅らしいとなる。
そこには人々が行き交い集まるからそうなる。
前は鉄道の駅がそうして人々が集まる場所だったのである。
人間の生活は常に変わっている

アマゾンなどで何か本を中心になるが毎日のように配達してもらっている。
するとその人が田舎だから車をとめて家の玄関まで距離がある農家に配達していた。
そこまで走っていたのである。
走らないと時間を短縮できないからだろう。
今は通販時代になると配達することが社会にとって大事な仕事に見えた
自分でも配達されないと相当に困る。
だからますます配達する仕事が社会にとって重要な仕事に見えたのである。
そこには人手も必要であり人手もそういう所に移ってゆく
そういう仕事はこれから給料も高くなってゆくのかもしれない
社会で必要としている仕事は常に変わっているということである
道の駅とか配達している人が何か現代を象徴していて活気があるとなる
鉄道の駅は何かさびれているとなってしまったのである。

タグ:道の駅

2015年06月05日

夏の日々(街から北屋形の方まわる)


夏の日々(街 の墓地から北屋形北海老の方まわる)

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デジタル写真も方角を変えたり近接するとどれかいいのがとれる

これもこういうふうにとれたとは思わなかったのである。


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ニコニコ堂喫茶店

ここは絵になる場所である

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我が前に大きく映えて白菖蒲
青嵐今日も樹々ゆさぶりぬ
三日ほどつづけて森に青嵐

我が墓の前を日々行き暇あらじ花ささじも今日さしにけり
それぞれに人はみな生くこの町に墓もともにし活きるものなれ
死したれどここに生きにし人にあれ見守れるかな墓の前行く
黄菖蒲の水面に写る橋わたり今日もここ行き変わりなしかな
広き庭大輪の薔薇夏日あび山陰にある喫茶店かな
北屋形山陰の道影なして海芋咲けるや行く人まれに
北屋形田の面に静か雲写り行く人もなし家もひそけき
北屋形ものさみしかな夏の日や木陰の道を通り来れり
北屋形や八沢浦にそ面しつつ津波の跡や夕日さし暮る
細道の行く人まれに北屋形影なす道や夏の日暮れぬ




それでいつも街中のすぐ近くにある墓地が自分の墓であり通りに面しているから
毎日通っている
それで花を挿さないでいたのでなんか花を挿さないと父と姉とに悪いなと思った。
父と姉は自分を愛してくれたし家族として暮らしたから今でも遠い人ではまだないのだ。これでわかったことは毎日でも墓の前を通るということは墓を意識するということである死んだ人が墓とともに以前としてこの町で故郷にともに生きているという感じになる。
死んだ人でも墓があればその後と生きている人となお生きているという感じになる。
特に毎日その墓の前を通っている意識せざるをえないのである。
でも今は墓は造花とかさされ花が枯れたままとか手入れされていない
それは意外と地元だけではない、遠くに墓参りする人がいて彼岸とかたまにしか来ないからである。


だから枯れた花とか造花がいやなのである。
造花とはまさに死んだ花なのである。
生け花とは生きた花のことである。花は日々でも変えてさすものなのである。
造花がいつまでもさしているとそれでは墓も活きていない
だからたまに遠くの墓に墓参りする人とは毎日墓の前通っている人とか感覚が違ってくるたいがい市町村でも墓は街の中にあるから身近なのである。
墓などいらないというのも墓の跡継ぎがいないからである。
確かにもう個々の家族の墓は維持できないのかもしれない、しかしやはり墓は以前として人間にとって意味あるものなのである。
墓参りすることは死者を思うことであり死者となお生をともにするということもある
人間の生は今だけではない、過去とのつながりで生きているし活かされているのである。


原発事故で失ったものは何なのか?
確かに補償金はもらったとしてもそうした長い年月でつられてきた村であれ町であれ
過去とのつながりも消失するということもあった
新しい街に移ったらはじめからやりなおしになるからである。
故郷であれ村だって規模は小さくても全体なのである。
自然と人間と過去とから形成された全体としてあり郷土なのである。
その全体が消失することはどういうことなのか問われたのである。
これまでそういう経験をしたということはそんなになかったろう。
だからそこで失ったものが個々に実際は気付かないということがある
でもだんだんと気付くようになるだろう。
それは避難して帰れないとかなった人でしかわからない心境である。
ただ意外と墓というものもその郷土と街と一体化してあったことを認識した。


自分はこの七年間この小さな町を行ったり来たりしただけだった。
介護になると遠くに出れないからである。
毎日買い物に家事に追われる生活だった。
一時は二つの家を往き来していたこともあった。
その間に入院が二回あり母もアパートに二年、交通事故で病院に一カ月
施設に二週間とか変遷したのである。
それも90過ぎてからだった。
90以上になってもこんなに変遷して翻弄される
人間は年取ったから落ち着くと安心があるとは限らないのである。
この辺では高齢化で年寄りが多くてもやはりこれだけの変化に見舞われたのである。
人間は死なない限り安心がないのかとつくづく思った。
墓に花をさす暇がないとかそういうことを今でもつづいている
次々にここを掃除しなければならないとかゴミもだしたあとからでてくる
それをしないとゴミ屋敷にもなってしまう。
三食出すのにも相当な手間であり時間がとられる
その中でなんとか時間をみてプログを書いている
パソコンは何か操作するところがまだめんどうなところがありこれも手間である。
ただこんなに忙しくてもプログを書けるのは出すのが簡単だからできているのだ。
まず4時間とか時間がないとプログだって書けないし
書く材料にさらに何時間とか費やす必要がある
それはただ毎日近くを自転車で暇みては走り回って書いている


北屋形のニコニコ堂には半年ぶりにくらい通った。
中には入っていない、大輪の薔薇の花が庭に咲いていた
あそこで休み薔薇を見るのはいいだろう
ただ食事になると予約制になるから食事はしていない
ニコニコ堂は北海老なのである。北屋形は街の方が見えるのが南屋形になる
だから小さな地域でも色合いが違う、北というと何か淋しい感じになるのも不思議であるだから地名の基本は方角地名なのである。
北屋形は八沢浦に面していたし江戸時代は海がはいりこんでいて港もあったのである。
だから海が見えるから入江があったから風光明媚な場所だった。
そこには細い道があり木陰があり涼しい感じになる
今年は乾燥しているからともかく風が吹き、強い、昨日も森を吹き荒れる青嵐だった。
北屋形の細い影なす道に咲いていたのは「海芋」だった

別名をカラー(Calla)ともいう。 これは以前の分類の名残である。 また、単に「海芋」としても流通している。 「海芋」は「海外の芋」といった意味合いである。 国交のあったオランダから伝わったのが和名の由来である。 俳句では「海芋」が夏の季語であった


あんなところに咲いているのもふさわしいとなる
あそこはほとんど人が通らない、六号線からはずれると細道は土地の人くらいしか通らない、でも田舎はそうした道を行くのが楽しいのである。
そういう道は車より自転車で風を感じ木陰を感じてゆくのが自然をじかに感じるからいいのである。

タグ:北屋形

2015年06月02日

田んぼが増えて蛙も増えた



田んぼが増えて蛙も増えて復興を感じた


ヨシキリや田に人ありや暮らしかな
ヨシキリや今日も働く人のあり
久々に夏の星写る夜の田に
復興や蛙鳴きあふ夜の田に
復興や田ごとに映る月円し

田んぼは五分の一に増えた、やはり田んぼが増えると蛙が確実に増えた
田んぼに蛙が鳴き合うのを聞いたのは四年ぶりだった。
これも明らかに復興だった。
田んぼは山間の狭い場所の田んぼは原野になり放置している
もうあういうふうに狭い所はめんどうだからやらないかもしれない
昔だったらそういう狭い場所も田んぼを作っていたのである。
それが狭い国土の日本だった。
原発事故以後は田畑をやる人はへる、手間かけても金にならないしめんどうになるからだすると田んぼも集約的にできるかもしれない
小さく分けられた田んぼは放置されて原野か他のものに変わるかもしれない
米は安いし小さな田んぼをもっていてもめんどうだからやらない

自分の生活はこの七年間に起こったことを延々と書いてきた。
絶えず介護から家事からプログを書くことでも追われてきたのである。
前は三食用意されていたし確かに買い物と風呂くらいはしていた。
他は何もしていないから常に時間が余っていたのである。
今は時間に追われている

ともかく田んぼがなくなるということはイメージすらできなかった。
もちろん津波でもなくなることがイメージすらできなかった。
故郷を離れて仮設で暮らすなどイメージできなかったとか
この辺で起きたことは本当に全くイメージすらできないことが連続して起きたのである。だから田んぼとは何なのだとか故郷は何なのだとか考えるようになったのも
そんなこと誰も考えない、あって当たり前だったからである。
田んぼは田舎の風景であり田んぼがない田舎が考えられなかった。
それは千年とかの単位で田んぼとともに暮らしてきたからである。
蛙が鳴くというのもそうである。
田んぼは自然の生態系の中に組み入れられていて田んぼの水には蛙でも水すましでも何か自然の命が生息できて鷺などもやってくる
原野だとネズミが増えてノスリが増えたのである。
原野化すると雉なども増えていつでも人を恐れずでてきていた。
雉などにも住みいいのだろう。

ヨシキリが鳴いていたというとき田んぼの脇にヨシキリが鳴くのはまだ原野が多いからそうなる
普通ヨシキリは川で鳴いていたのである。
そして今日は満月が光っていた。
これも何か復興を感じた
この辺は4年過ぎて復興しているのだろう。
ただ除染はまだまだつづく
それで外部から来ている人が5000人いるとかも言われる
これは当分つづくのである。
それでにぎわっているように外部から来た人は感じるけど
その人たちが帰ったら火の消えたように淋しくなっているかもしれない
仮設でもいろいろ文句言っていたが鹿島などは小高の人が帰ると相当に淋しくなってしまうだろう。
だから何かこの際小高に帰らせるより老人なんか集めて暮らせるような政策が必要かもしれない
高齢化社会にどう対処するかということで仮設が意外と隣り合って老人が暮らすのには向いていたのである。
小高でも広いからまたばらばらに暮らすというのがかなり困難になっているからである。
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ケロケロケロロ
田んぼがふえた
田んぼがふえた
みんな帰ろよ
帰って来いや
ケロケロケロロ
仲間がもどってきて
みんなで鳴いてうれしいな
田んぼが増えた
みんな帰ってこいよ
ケロケロケロロ

やっぱり蛙の声というのもなじんできたものだから聞けないとういことは異常だった
鷺も見掛けなかった、それが4年もつづいたのである。
自然は意外と復興するものなのか?
田んぼが増えて水があるとたちまち蛙も増えてくる
ただ警戒区域で帰れないところは野生の自然にもどっている
何でも青大将とかのヘビが捨てられた猫を食っているというから不気味である。
チェルノブエリでも狼が増えたきたのだからそういうのとにている
人が住まないと自然にもどるといっても何かそこは不気味なものにもなる
ネズミなどもチェルノブエリでは増えたし放射能の影響もなかったのである。
避難区域ではどうなってしまうのかわからない
時間がたつにつれて元の状態に戻すことはますますむずかしくなるからだ。



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2015年05月27日

藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)


藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)

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日立木の五本松


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鹿島の蔵

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しのぶれどとは薔薇の名前

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相馬市や夕日のさして藤の花
朝静か図書館の前藤の花 
夕月や藤棚しつらえ町屋かな
相馬市の道の駅かな藤の花
道の駅曲屋風や藤の花
街道の松影なして藤の花
五本松変わらずここに藤の花
釣人や夕べ水面に藤写る
街中の倉に紋かな藤の花(鹿島)
公園に今日も我が寄り藤の花
白藤にしのぶれどかも室の中
六号線日影の歩道藤垂れぬ

ハイクは短いから連作にしないと作品にならない
一句一句鑑賞するのが無理なのである。
一句一句ではあまりにも短すぎるからだ。
十句とかなるとそさなりに読めるものになる
「藤の花」だったらその季語をテーマに一つの作品化する
自分はこれまで相当な量の俳句と短歌など作ってきたが
一句一句とかでは読みごたえがないし作品にならない
だから一連のものをまとめるとそれなりに読めるものになる
芭蕉の奥の細道でも一句一句ではない
全体の流れのなかで一句一句を読むのである
丁度川が上流から下流へと流れているがそれは一つの川なのである。
川を断片化して見せるのではなく一つの長い流れとしてみる

「藤の花」というのでこれまでも俳句などを作ってきた。
これは藤の花をテーマにして相馬市から日立木の五本松から鹿島までの道筋を行き俳句にした。
相馬市は城下町であり何かしんみりする場所である。
最初は中村神社の境内の藤の花は知られている
それから相馬市では公共の建物は曲屋風に統一している。
道の駅もそうである。それで藤の花がにあうのである。
藤の花も日本的な花であり外国人に人気なったことでもわかる
藤と松とかも何か日本的でにあっている。

道の駅から溜池がありそこではいつも釣りする人がいた。
そこにも藤の花が水面に写っていた。
それから鹿島に来ると街中に倉があり藤が塀の内に咲いていた。
六号線の小島田の歩道にも藤が咲いていた。
そこを自転車で通りとまっていたから俳句になった。
車では俳句とか短歌は作りにくいだろう。
そういう余裕が生まれないのが車なのである。

ともかく自分は今までプログでも前に創作したものでもまとめるのが大変な作業となっている
それも時間がかかるし手間になる。
俳句でも一連のものとしてまとめないとやはり作品としてはものたりないものとなる。
俳句の一句一句は断片化したものでありそれで作品とはならなくなっている
俳句はあまりにも短いからそうなる。
プログの便利なのは日々記録することでありそれをまたあとから検索で調べられることである。
何か奇妙なのは前に自分が書いたものすら忘れている
ええ、こんなこと書いていたのと発見するのも不思議なのである。
人間はつくづく次から次と忘れてゆくものだと思った。
膨大な人間が忘却されてゆく、次から次とこれからは同世代の人も死んでゆくからであるそれらの人にいちいち関心をもてないのである。
有名な人も芸能人ももう関心がもてない、次々に忘れ去られてゆくだけだとなる
最後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのが人生も残り少なくなるとそうであるそしてこの世から自分も去ってゆくだけだとなる。




タグ:藤の花

青嵐(今年は風が強い)


青嵐(今年は風が強い)

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来たれかし大木をゆする青嵐
ゆさぶるも動ぜぬ大木青嵐
この町に一本の大木青嵐
青春は過ぎしやしばし青嵐
青嵐大木目指し揺さぶりぬ

今年は毎日のように風か吹いていた。
今日は全国で暑いけどここは最初は暑かったけど今日は涼しい
阿武隈を越えた福島市は暑い、あそこはいつでも暑い
でも福島市が暑くなるとここも暑くなることがあった
ここは今は暑くないから助かっている
暑いと自分の家は風通しが悪いし隣がトタン屋根で照り返しで暑くなる
クーラーもないので夏は嫌なのである。

浜通りでいいのはこの気候なのである。
暑くなく涼しい感じである。
半袖では寒い感じもする
だから気候は全国一様じゃない
ここも暑いときは暑かった
最近は異常な暑さをこの辺でも経験した
ともかく気候がいいということは意外と老後の生活にひびく
会津とか福島市とかは住みたくない
だからイワキに住みたいと避難者が家を建てたのはわかるのである。
北海道なんか老後は向いていない
気候は一番体に答える
自分は体が弱いからまず寒いところとか暑い所に住みたくないのだ
その点浜通りは気候だけはいいのである。
寒からず暑からずなのである。

街中に立っている一本の欅の大木をゆすり青嵐の風が吹いた
青嵐という季語は使ったことがない
青嵐というのを経験したことがない
今年は風が強いからはじめて青嵐というのを経験した
日本の季語が多すぎて日本に住んでいてもすべて経験できない
それほど日本の天気は変わりやすいのである。
地震も常にあるから天候で日本は緊張するのである。
でも台風とか青嵐が過ぎくると何もなかったように暮らす
つまり日本人は忘れやいてのである。
一時は台風でも騒ぎ青嵐でもさらにこれは短いから過ぎ去ってあとは忘れるのである。
町に一本立っている大木に青嵐がゆさぶるのは迫力があった。
一本しかないから青嵐を感じたのである。
今年はやはり風が毎日吹いて強いから特に感じたのである。



2015年05月25日

雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山 (角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山


(角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


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ここは牛越を流れている小川である


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夕方に鹿狼山(がろう)がはっきりと見えた



高くあれ夏山望む遠きかな

be a higher mountain
in summer
in the distance

タンポポの一面に映え雲雀が原

夏菊の白と橙(だいだい)映えし道

時鳥朝に鳴きけり自転車に隣の市に買い物に行く
夏の日や本陣山よりかなたにそ鹿狼山見ゆ朝のすがしも
本陣山松影涼し国見山はるかかなたに鹿狼山見ゆ
松が枝の伸びて夏の日の山脈映えぬ雲雀が原に
夏の日や本陣山に松立ちてここに上れる武者を待つかな
旗とりて馬駆け上る本陣へ勇まし武者や夏の来たらむ
夏の日の六号線にまぶしかなかなたに望む鹿狼山かも

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加工すると感じが違う、絵画風になると力強い感じになる


国見山563メートルで鹿狼山が430メートルだった。
国見山の近くの大足山が656メートルで一番高かった
この辺では500メートルでも高い山になる。
鹿狼山一番高い山だと思っていた。
500メートルでも結構高く見える
山というのは何か場所によっても季節によっても見え方が違う
山は見る場所によって見え方がまるで違うのだ。
ヒマラヤでもエベレストでも3000メートルまで上らないと8000メートルの山は高く見えないのである。

これは富士山でも同じである。見る場所によって見え方がまるで違うからなかなか山の姿はとらえられない
ネパールでヒマラヤを見たのは一回だけだったから残念だった
今になるともう行けない、山はやはりもっと見たかった
この辺では山の魅力はわからない
ただ今回本陣山に上ったら鹿狼山見えた、やはり高いから見えたのだと思った。
それでも鹿狼山が国見山より低くかったのは意外である。
そして国見山より高い山が近くにあった。
この辺で山は低いといっても阿武隈山脈は新地から山元町に入ると山が低山になり
地勢が平凡になるからつまらないと見ていた。
国見山辺りは阿武隈山脈では高いから変化がある方なのである。

本陣山の一番上には上ったことがなかった。あそこに上ると視界が開けていた。
野馬追いの時は下の方で見ていたからわからなかった。
本陣山に上ると神旗争奪戦が見えるしあそこに立つと全軍を指揮している感じになるから不思議である。
ちょうどそこにいい松が立っていたのも良かった。
本陣山の一番上で視界が開けて見えたのである。
江戸時代とか最初は野馬追いは神旗争奪戦とかではない
本物の戦闘の体制を作り訓練していたのである。
それは絵巻物に残っている
それは陣形とかもいろいろあり実践として訓練していた
戦国時代の映画がいろいろ見ているけどやはりその場所に行ってみると実感するだろう。関が原なんかもそうだろう。
その場所の広さとか映画でもテレビでも実感できないから歴史の理解は常に浅薄なものとなってしまうのである。

 御神旗をとった騎馬武者は高々と誇らしげに旗をかかげながら、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上る。この時のどよめきと喝采は、旗を得た者の最高の栄誉だ。
 
あの坂は意外き短かった、でも急だし道が悪いから馬も上るのもかなりの力がいる、危険でもある。
野馬追いの見方は雲雀が原のあの本陣に立つと何か殿様になったような気分になる。
結局祭りはその時だけではないその前から始まっている、地元だと野馬追いの前に雲雀が原でそのはじまりをすでに感じるのである。
タグ:本陣山

2015年05月22日

夏の6号線


夏の6号線

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夏の山バイクの走る六号線
6号線夏のひざしやバイク行く
6号線日影の歩道藤垂れぬ
6号線かなたに夏の鹿狼山
十数本朝の黄菖蒲6号線



道は現代では最も大事なものなのだろう。
車社会を批判してもとをにもなちらない、現実の社会は車社会なのである。
車に乗らなくても車の恩恵を受けている
変な話だけど自転車にのるということは贅沢なのである。
ええ、馬鹿なと思うかもしれないけど自転車に乗ったり歩くことはさらに
贅沢になっているのだ。
自転車や歩くことでしか体験できないことがある
車は日常的な生活に欠かせないものとしてあるか
歩くこと自転車などでたびするとしたら現代では最高の贅沢なのである。

もはや歩いたり自転車では普通は旅できないし労力と時間と金も必要になってくるからである。
農業も家一軒建つような畑を作るのにどれだけ労力がかかっているか
そこからとれるものは実際ほんのわずかなものである。
それでもそれだけの労力がかかってもやるのは農業が好きで趣味でやっていると同じなのである。
ただその女性は働いていると思っている

6号線は高速道路とは違う、生活に密着している道路である。
高速道路は生活から土地から離れてまさに鉄道のようになっている
現実に高速はやがて自動運転になるのだろう。
線路をしいた上を走っているとそう変わらないのである。
高速道路を走っているのは地上からは全く見えない
だから車がないとなんの関係もないように見える

6号線はすでに磐城とも東京とも通じている。
ただ前のように東京の方から自転車では来ない
バイクも来ない、車は東京と通じていないときも多かった
いづれにしろ人間の生活がないと何でも死んでしまうだろう。
花だって映えなくなる
人間の生活があると花も映えるということがある
黄菖蒲などは何か明るいから6号線にあっている。
夏菊もあっている

ともかく今日の日ざしは強く夏だった。
今年は夏が早い、自転車は夏と冬は弱い
舗装道路の照り返しで余計暑いからだ
その点車は楽だなと思う。
田舎では車なしでは結婚もできないだろう。
車を運転できない男性など相手にされないとなる
仕事もできないとかなる
ただ自転車にのっている人など実際は現代では贅沢なのである。
別に車に乗らなくても車の恩恵で生活しているのが現実だからである。

浪江とか双葉でも避難区域でも六号線は通じたから道は生きている。
ただ街は死んでいるから花も映えない
この辺では田んぼも5分の一は再開された
まだまだ原野が多くても何か前に戻ったような気分にはなる
とにかく六号線は通じたことはやはり大きな復興だったのである

写真の時代だけど写真だけでは現せないものがある
絵を描けないけと合成の絵がパソコンでできる。

タグ:6号線

2015年05月21日

初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)


初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)

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赤い花は薔薇なのか?大きい花である


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駅舎あり薔薇増え咲きて光吸う
とりどりの薔薇を植えにつ新居かな
草原の風にそよぎて夏雲雀
原町の広々として夏雲雀
夏菊の白さに映えて赤き花
夏菊や新築の家に映えにけり
朝空に雲雀のひびき夏燕
街中を今日もめぐりて夏燕
夏の朝燕飛びかい外に出る
相馬市の道の駅かな松と藤
石一つここに動かじ文目かな
夏菊や全国の車走るかな
夏の山バイクの走る六号線
六号線夏のひざしやバイク行く
六号線かなたに夏の鹿狼山
よみがえる田の面に夕日暮らしかな

十数輪街中の畑に文目咲き静まりけるかな裏の道行く
この道に藤の垂れしも散りにけりプレハブの宿舎並びけるかな



今日も疲れた。10時から厚寿苑の人とケアマネとベッドなど借りている家具店の人が来た二カ月に一回予定などを決めるために来る。
なぜ家具店なのか、これも介護保険と関係しているから来る。
ベッドは買うと買いから借りているからだ。
家具店などは今商売にならないから介護関係の仕事なになっている。
その女性は何か愛想がいいとかいうかあういう仕事に向いている
まず女性にもいろいろ性格があるから必ずしもその職業とマッチしているとは限らない
社交性がない女性だっているからである。
そして結婚するとき外見だけ見てすると失敗するかもしれない
商売をしているときそれにあった人でないと夫婦でできないということがあるからだ。

だから農家では美人で華奢な人だったら嫁にもらわないとか機織りがうまいという人がその外見より重んじられていたのである。
それは生活がかかっていてそういうことができないと生活自体成り立たないからそういう価値観になった。
今は何か外見で決めてしまうからやせた時スタイルのいい女性がいいとかなり無理をしてまで女性はダイエットしている
中国でもふっくらとして女性の方が好まれていた。
なぜなら痩せているということは栄養不足であり満足に食べられないからだったかもしれない
ふっくらとしているということは豊かな生活をしていたからだとなる
つまり貧乏な時代はやせた人間が多いのである。
北朝鮮辺りはいまでもそうだろう。ほとんどやせている。兵士するやせて戦えるのかと報道していた。

結局結婚を60以上にならないとそれが良かったかどうかわからないかもしれない、
それは金持ちでもそうであり必ず結婚にもいい面と悪い面がでてくるからである。
双方とも満足するような結婚はないためだろう。
貧しくても夫婦で苦労して生活を築いたら夫婦の絆が強まることがある
それはわからないにしろ死んでからも毎日妻に手を合わせているのはやはり絆が強かったとなる。
とにかく人間には必ずいい面と悪い面がでてくる。
悪いと思ってもそれがいい面になる場合がある
外見は良くなくても性格がいいとか頼りになる女性だったとかともなる
外見が良くても頼りにならず苦しいときは助けにならなかったとかともなる
「人はみかけによらぬもの」というものつくづくそうだった。

鉄道は二両であり東京にも仙台に通じていないから淋しい、その駅の前に薔薇が咲いた。十輪くらい咲いた。花はいくら咲いてもいい、そして光を吸う、猫は子供が生むと増えるから良くない、捨てるようにもなりそれが嫌である。
猫は子供を産みすぎるのである。花だったらいくら咲いても養うことができるからいい。動物になるとどうしも人間でもそうだが人口の制限が必要になってくるのだ。
それで間引きとかあったから動物と同じである。
ある種の動物が増えないように天敵も用意されたのは自然の理であった。

以前として田は今年は増えたが草原化しているのがこの辺は多い。
雲雀は草原にあっていた。モンゴルのような草原にあっていた。
田んぼにはあわないものだった。
北海道のような広い草原で鳴くのがあっていた。
原町は何か郊外が広いし雲雀が鳴くとあっている
相馬市にはそういう感じがしない、広さがたりないからだろう。
原町は原っぱだった、野馬追いの神旗争奪戦が行われる雲雀が原はまさに雲雀が鳴くようにな原でありあっていた。
それで南相馬市が合併するとき「雲雀市」とかの案があった。
今になると合併しなかった方が良かったという意見も多くなった。
原町は原町でよかったとか鹿島は鹿島で良かったとう言う人も多くなった。
合併は様々な問題を産んだのである。


六号線は東京と通じたから前の活気をとりもどした。
ただダンプが多いから何か危険なのである。
今は外部からの人が多いから活気がある
それもなくなったら地方は活気がなくなるだろう。
介護もいろいろ言われるが地方の仕事も介護とか医療関係が多いのである。
だからこういう仕事も何十年後に減ると地方の仕事がなくなるということもある

六号線をバイクが走るのは格好いい、それはやはり若者があっている
白髪の老人がバイクにのってもあわない、ただ意外とバイクを写真をとろうとしたがバイクの走る数は少ない、バイクは双葉とかからは走れないことも影響している
バイクはやはり風とか光を受けるから自然とマッチする面があるとはなる
ただ自分が年配の人が自転車にのりバイクにのっていたのが若者だったというのは違和感があった。
バイクと自転車では全く違うのである。自転車はバイクよりずっと苦しい
バイクは楽であり自転車は苦行である。だから自転車が若い人ならわかるがバイクに乗って楽だなつくづく見ていたのである。
六号線のかなたには鹿狼山が見える、でもあの山に注目しているのは地元の人だけだろう高い山ではないし目立たない、でも遠くから見えることは確かである。

藤の花は散ったけどプレハブの仮設が並んでこれが増えているのがこの辺である。
3000人くらいふえたら3000の部屋を用意するとなると足りないことがわかる
これも長期間だからこの辺で必要なのは宿泊する場なのである。
藤の花はそのプレハブの宿泊所の道そいに建っていたのである。
これもこの辺の一つの景色となっている。
あまりいいものではないにしろ現実にそうなっているのである。

タグ:初夏

2015年05月20日

抽象画(複雑な地形)


抽象画(複雑な地形)


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なんかわからないけど何かこれは抽象画的である

何に見えるから言ったらどうにでも見えるとなる

これを変化させたのが下の「複雑な地形」になる


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複雑な地形

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地形が作られる



自分のテーマは一つは地形だった、なぜなら旅したとき一番地形に興味をもったからである。
まず日本の地形ほど複雑で変化に富んでいる所はない
中国とか大陸になるとどこまでも平野がつづくようだと飽きてしまうだろう。
日本は狭くても地形が変化に富んでいることが特徴なのである。
地形をテーマにすると抽象画ではいろいろ表現しやすいものかもしれない
抽象画は何かどこまでも平野がつづくような大陸の景色とは違う
常に変化しているから抽象画に日本はあっているのかもしれない
四季でも抽象画に現せば日本的抽象画になる
ただ果たして抽象画が芸術なのかどうかはわからない
自分は画家でもないからわからない
実際自分の場合はインターネットにある原画を変化させているだけだからである。

2015年05月15日

失われた「真直」という大和言葉 (純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)


失われた「真直」という大和言葉

( 純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)



子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。
<小川未明「愛に就ての問題」青空文庫>

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

今日の万葉集の一首 (美しい自然と真直なる心があれば嘆くことはなかった)
http://musubu2.sblo.jp/article/56762498.html



大正時代まで「真直」ということばは使われていた。明治までは日本の古来の言葉が江戸時代から継続されて使われていた。
何か明治大正すら本当は遠い時代になってしまったのだろうか?
大正4年生まれの母は百歳で生きている。一世紀たったのだから遠いといえば遠い。
大正時代で一番意外だったのは人口が6千万であり大都会すら東京でも百万とか少なかったことである。
今からすると6千万というのは少ない、ということはそれだけ日本の自然が今とはまるで違う、砂浜でも広く残っていた。
鹿島と原町の間にも砂浜があった。それが火力発電所がたって消えた。
それから防潮堤が作られて波に浸食されて日本の砂浜は消失した。
その時まだランプを使っていたのだからその違いはあまりにも大きかったのである。
でも現代に生きるというとき何かまだ大正生まれの人が生きているということで遠いという感じがしなかった。
明治とるなるとすでに遠い過去になる
太平洋戦争も70年が過ぎる。それで戦争のことがしきりに語られる。
それは当時小学生だった人たちである。80代だとまだ戦争を経験していた。
団塊の世代は経験していない、それで今日NHKで見た九州の宮崎県が爆撃されて
小学生の時腕を半分銃撃されて失った女性がいたことには驚いた。
まだそういう人がいたということで生々しかった。
あれだけの傷を負ってまだ戦争のことをひきづっている人がいたことの驚きである。

「真直」とはまなおということはなくなり真っ直ぐとなって残った。
でもまなおとまっすぐは感覚的に相当違っている。
「真直」という言葉はもともと万葉集にあったし日本語の原型は日本の精神の原型は万葉集時代に作られたのである。
つまり日本人には日本人の言葉があり言葉は日本の自然とともに作られたのである。
だからネティブとなる。だから日本語がこうして消失するとき日本人の精神も失われていたのである。
だから日本人の精神を知るには万葉集を知ることになる。ただそれが恋の歌が相聞歌が多いというとき何かうわついたものになり軽薄なものとなり現代的なものとして解釈されやすい。ただその中にもやはり今とは違った日本人のまさに素直なる真直なる心があって歌われている。
日本人の文明に汚されない心に青雲で言えば「純なる日本」である。
この点で同じものを自分も追及していることは確かである。

日本は経済成長を遂げたけど失ったものも多いのである。
日本の純なる美しい自然が相当に失われたことは確かである。
日本の自然は特別美しいものだったことは確かである。
その美しい自然によってはぐくまれたのが日本の心でありそれが万葉集に結晶化して残された。
日本語で言われることはなぜ形容詞が少ないかということである。
これも逆説的だけど日本の自然があまりに美しいからかえって形容詞が発達しなかった。あまりに美しいと何か言葉を発することができない、息をのむとかなりそれで形容詞が発達しなかったのかもしれない、一方で何もない所では着飾る言葉をかえって発達する、形容詞が発達するということがあるかもしれない。

真直という言葉はもともとは直しに「なおし」という大和言葉に由来している。
ただ不思議なのは直しと真直とは何かかなり違ってる
真直という言葉には日本人古来の精神が宿った言葉ではないか?
真直とは不純なものが交わらない、純なるものの追及なのである。
それは日本の自然と融合して「真直」となるのである。
この真直というとき日本の武道と通じている。
日本の武道は型とか姿勢を重んじる。それは勝負にこだわるものとは違う。
礼にはじまり礼に終わるとか

そもそも武道とは、「武」を通して「人道」を学ぶものだからです。

日本の武道は単なる格闘技ではなく人道とかなると精神を重んじるものとなる。
外国は格闘技でありゲームでありそこで勝敗が第一になる。
そこでルールが大事になる。それは文化と歴史の相違である。
外国では絶えざる侵略戦争の歴史であった。だから勝敗にこだわる。
負ければ奴隷にされるのだから勝敗が第一になる。
日本でも格闘技としても勝敗より精神性を重んじる
「武士道」でもそうである。
だから「真直」というときその姿勢が真直だというとき精神も真直だとなる。
型があり心があるとなる。
つまり日本の武道は真直な心を養うことにある。外国ではルールでありルールを敗ることは許されない、公平なルールで勝敗にこだわるのである。
西洋と東洋というときそこに根本的な文化歴史の相違がある。
宗教は東洋アジアから発したというとき深い精神性はアジアにある。
誤解しているのはキリスト教が西欧だと思っているけどそれは西欧化されたキリスト教なのである。
イスラエルはもともとアジアなのである。だから西欧型のキリスト教は西欧化されたキリスト教となってしまう。
日本はあらのそることを欧米化一辺倒になってしまったのが明治維新以来そうだった。
ただ大正時代まで真直という言葉まだ使われていた。

直しとは

ゆがみや誤りなどを正しくすること。また、こわれたものを、もとどおりにすること。

まさに現代日本に必要なのは日本古来の真直な心をとりもどすることなのである。
ただ万葉集時代にも奈良時代にもすでに何か嘆くものがあったということがある。
それが何なのか、自然の消失だとは思えない、やはりいつの時代でも必ず時代によって失われてゆくものがある。そういう嘆きが常にあるからそうなったのか?
現代だったらまさにいろいろなものが科学が発達しても便利になっても何か失われたものも大きい。そういう嘆きは自分も延々と書いてきたし巷にも満ちているのである。
美しい日本の自然が失われたとき日本の心も失われたのである。
心のに青雲で「純なる日本」は東京などから復古できない、像で外界をとらえるろというのは確かである。
その像になるべきものが東京にはないのである。毎日高層ビルをなげめていればそれが心の像となってしまうのである。
崇高な山を毎日眺めていればその像が心に定着するのである。
ここでもその山がないから岩手山とか岩木山とか富士山が見える場所に住んでいる人はうらやましいとなる。
つまりその独立峰という像によって日々心が作られるということがあるからだ。
山には精神性があるが海にはまたないのである。
どうしてもだから浜通りには精神性が欠如するのである。


真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな

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2015年05月13日

台風の風で藤の花散る (台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


台風の風で藤の花散る

(台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


 
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風荒く藤の花散るここにあれ穏やかなるはしばしの間かな

白藤のかそけく散りぬ我が家やかたえに咲くはしのぶれどかな



台風の風で藤の花は散った。今朝は地震だった。それもかなり大きかった。
体感的にはこの辺は震度4に感じた。
それが不気味だったのは3・11と同じゆれ方だったから怖かった。
他の人もそのことを言っていたから体感的には怖いものだった
震度はあくまでも目安であり隣合う市町村でも違っている。
震度より体感の方が正しかったということが3・11では言われた。
田から震度という数字だけでは地震は計れないのである。

今日は夏である。今年は夏が早いのである。
台風もすでに6個とか発生している。
やはり温暖化の影響なのか?
とにかく公園の藤の花の下に休んでいたのは二日くらいだった。
これもたちまち散ってしまった。
花は散るのが早い、一時咲いて散ってゆく
藤の花だとまだ長く咲くように思っていた。
だからこんなに早く散るのかと思った。
穏やかに藤が垂れていたのは短かった。
たちまち嵐が来て散ってしまった。

何かこの七年間はそういうことが一身上でもつづいた。
変わりやすいのである。
穏やかに藤の花が垂れて咲いているなと思ったらたちまち散ってしまった。
昨日は近くの同じ年の人が死んで驚いた。
晩年になれば同世代の人が次々に死んでゆくからその人について考えることもできなくなる
あの人はテレビに出ていたなと思ってもすぐ死んで忘れる
今有名な人もほとんど忘れられると思う。
だから50年後とかにまだ何でも作家でも名前でも作品でも忘れられないのはそれだけの価値があったとなる
死んでから50年後に今有名でもほとんど名前が残っていないからである。
マスコミで名前を売ったような人はほとんど残らないと思う。
テレビとか新聞とかすでに文化はなく大衆用の娯楽でしかないのである。
だから質も相当に落ちている。

ともかくプログはその時その時のリアルタイムの報告である。
だから俳句とか短歌は向いている。
ただ俳句は短すぎて文学として成り立たなくなっているかもしれない
その点短歌はまだ長いから表現として文学として継続される
どうしても短歌の方が出すのが多くなることでもわかる。
短歌にはそれだけ表現する余地が残されているからである。

「しのぶれど」という薔薇の花の命名は良かった。
百人一首からとった、こんな名前にするのも薔薇だからだろう。
薔薇は交配して新種の薔薇が作られ種類も多いからである。
でもこの名前つけた人はセンスがあった。
しのぶれどというとき別に恋だけには限らない
忍ぶ花ということにもなる。
花の見方はいろいろある。一つに固定はできないのである。


2015年05月12日

文目の似合う町 日常の景色にも見いだすものがある


文目の似合う町

日常の景色にも見いだすものがある

 
新緑や少年未来へ走るかな

隣家の庭に牡丹や真昼間の光をあびて誇らかに咲く
公園の隅に見つけぬ花一つ都忘れやここに咲くかな
今日もまた公園の藤垂れにけりその下に一人我が休むかな
街中の畑に菖蒲咲きにつつ今日も裏道通りけるかな
白菖蒲ここに咲きにつ誰か住むもの言ふことなく通りすぎにき
街角に文目の咲くやこの町のものさみしかな人行くまれに
こぞにあれ話せし人の今日死ぬと驚きにけり春は終えなむ
一本の欅の高く新緑の風にそよぎて燕飛び交ふ
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐりぬ
厚寿園に母はとまりぬ近くなれ文目の咲くやここに住むかな

田舎というとき東京からすれば十万の都市でも20万でも仙台でも田舎になってしまう。一万の町に住んでいれば4万くらいでもそれは大きいとなる。
今はここにスーパーが一軒しかないしここですべてまかなえない
医者は二軒しかないしこれも何か使えない、めんどうな病気になると使えない
ともかくこのて7年間は自分は本当にこの小さな町を行ったり来たりしているだけである介護していると三食出すことでも時間がとられる。
朝食の容易だ昼食だ夜だとなるだけで相当な時間がとられる、負担になるのだ。
例え介護度が低くてもその手間がかかる。
だから在宅と誰かかかりきりになるからその手間が負担になる
施設だったら十人を一人でみるとかなるがそれだけ手間をはぶくことができる
介護は何かいろいろと手間のかかるものなのである。
近くに施設ができたからこれは良かった。
これは遠いと何か安心かないとなる

意外と老後は近くのものが何でも大事になる。
それで原町の人が来るにも車で来ると手間だからしょっちゅうは来れないのである
「遠くの親戚より近くの他人」が今でも現実だった。
その遠くとは車社会でも隣の市でもそうなのである。
車で来ても手間になる。だからコンパクトシティというとき介護になると施設にまとめてめんどうみるとか街に集めてめんどうみるというのがいいのである。
それで仮設暮らしでわかったことはあのように長屋形式で暮らしていた方が老人にはいいという面があった。
毎日親しく顔合わせて暮らしているから老人にはいいとなる
プライバシーの問題があるにしろもうなれてかえっていいと言っていたのでわかった。
街内に住んでいても車で一軒一軒を回るのは手間になる。
ところが仮設だと歩いて回れるのである。

インフラの整備でも水道でも電気でも他でもまとまって住むと手間がはぶかれるのである田舎では田畑を作る関係で広く散在していたからやむをえないことがあった
ところが老後はみんな集まって住むと世話する方では楽だとなる
仮設に住んでいる人は互いに交流しやすいということもあった。
ただ仮設はあくまでも仮設であり生活がそこにはない
老後の生活をどうするかということのヒントが生まれたことは確かである。
相馬市では長屋風の建物で一人暮らしの老人が住んでいるのも一つの老後の暮らし方である。
老後の一人暮らしは負担になる。
自分も風呂が地震で壊れたので今は街中の福祉の湯に入っている。
一人だけだと何か金もかかるからめんどうになるのである。

中学生が走っている、新緑の季節である。少年は未来に向かって走っている
反面昨日は同じ年の人が死んだ。その人とは二年前だったか一回話しただけだった。
自分の病気のことを言っていたがその後その人が癌になったとは思えなかった。
おそらくその時は何でもなかったのだろう。
ただそうして一回話しただけでも同じ年の人が死ぬということは驚きである。
死は突然にくる、老化も突然に来る、髪でも真っ白になってしまっている。
それは突然になったように思うのである。
人間はあっというまに老いて死んでしまう。
田舎ではそうして人が死ぬことが最大関心事になる。
だから沖縄の新聞が成り立っているのは死亡記事欄があるからだという
死亡を知るのが新聞でありそれで新聞社が成り立っている
今でも香典の費用がかかって困っているというのが田舎である。

どんな田舎でも町でも市でも長年住めば都となり親しむことになる。
一万の町でも一応そこで別に町内だったら車がなくても暮らせるのである。
隣の家の庭には塀がないから牡丹が丸見えである。
その牡丹に真昼間の光さしてまぶしい
花を見るのは別に金はかからない、隣の家の花でも無料なのである。
高い塀で防御すると庭も見えない
何かそれは安心が得られない街なのである
格差が大きくなるとそうなる。
太宰の生家の斜陽館がそうだった、高い煉瓦の塀は小作からの訴訟があり
襲われるという恐怖があって作られていたのである。
公園の花でもそうである。そちこちに咲いている花もそうである
一万の町だと文目とか咲き何か落ち着く、静まりかえっているとなる

文目(あやめ)と菖蒲は違っている。
どちらもあやめだが文目は花が小さい、菖蒲は大きいのである。
自分が見たのは文目の方である。


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2015年05月10日

藤の花の章(白藤の詩)


藤の花の章(白藤の詩)

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白藤の花

白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
触るるもこばむ
風にかそかにゆれ
あるとしもなく
そこにありぬ
猫の性にも似にしや
わずらわしきことに
かかわることをこばむ
夕日のさして
幽かに冷たく月や光りぬ
白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
誰か待ちしや
騒がざるべし
我が家に置きて
都忘れの花をそわせぬ

幽玄の美というと白藤なのか?柳などもなにか似ている。
人間には性格がある。自分は母親と似ている。
自分の母親は今は毎日寝ているけどカーテンをしめきって外を見ることもない、
庭には花が咲いているしそんな暗い所にいるのは普通嫌である。
でもそういうところに一日誰とも話さずいる
話すこともできないのだけど普通のとき前からそうだったのである。百歳になったからというのではなく前からそういう性格だったのである。
人づきあいが苦手な性格である。
自分も何か人と会ったり話するだけでひどく疲れるのである。
一日一人切りでいた方が心が落ち着くのである。
自分も修道院のような所が向いていた。
ただそこも集団生活だから実際は向いていないとなる

花にはいろいろある。花はずいぶん見てきた。たまたま白藤の鉢を家に飾り都忘れの花を置いたらふさわしいと思った。
生け花でもフラワーアレンジメントでも花を適当に合わせるとできる。
要するにたいがい花と花はそれぞれの個性がありただ一緒に活けただけで調和するのである。
だから意外とフラワーアレンジメントは簡単だとなと思った。
生け花は作法とか型があるがフラワーアレンジメントにはないからである。
桜の次には藤とか菖蒲とか季節とともに移りゆく花がある。
それは日本の文化となった花であり野生の花とも違っている。
藤の花は別に山にいくらでも咲いている。
でも文化としてその花は山に咲くのとは違う
すでに藤原京とかにもないるし藤壺とか源氏物語にもでている。
藤にはすでに万葉集時代から人間化した文化となった花である。

藤というのも不思議な花だと思う。
「藤と猫」があっていると思って検索したらその絵がでてきたのでインターネットはそうして関連あるものを引き出すのに向いている。
猫は何か藤とあっている。猫も何か神秘的なのである。
犬とはまるっきり違った性格である。
自分は明らかに猫の性格である。何か人嫌いなのである。
石の詩を百編書いたというのもそうである。
石とか猫とか藤の花は何かにかよっているのだ。
日本的な花はやはり桜とか藤とか菖蒲とか萩とか桔梗とかある。
それらは日本の歴史と風土として文化となったものである。
最近桜だけではない外国人の観光客が藤に注目していることでもわかる
日本のような藤の花は確かにあっても外国のとは違う。
菖蒲でもジャーマンアイリスとかあるがまるで違っているのだ。

京都の迎賓館に藤の間とかあるのもいい、花を部屋の名前にしているのも外国ではないかせしれない。藤の間というだけで何か落ち着くだろう。
そこで茶を飲むというのもいい、それが日本の文化である。

藤の間に茶の味しみぬ京都かな

ただ別に京都だからといってすべていいとはならない、京都はやはり大都会なのである。だから情緒もかなり失われている。外国人でも観光客がふえると何か静かな古都という感じもなくなるのである。
そういう文化的なものは地方都市が向いている。
弘前が喫茶店の街だというとそうだった。あのくらいの規模の都市が今は文化をはぐくむ4,5万では文化は育たないだろう。10万以上ないと今は文化都市にはなれない。
啄木とか賢治が育ったのは盛岡があったからである。
この辺だと仙台になるのだがあそこは自然景観としてはぱっとしないのである。
どうしても独立峰がある岩手山がある盛岡とか岩木山がある弘前が文化都市にふさわしい


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2015年05月09日

藤の花と五本松 (相馬市の道の駅から日立木の街道)


藤の花と五本松

 
(相馬市の道の駅から日立木の街道)


 
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神社の墓地の公園の藤もいい
あそこには復興団地ができたから何か都市の公園の感じになった
でもいつも人はあまりいないが増えたことは確かである。




道の駅曲がり屋風や藤の花
藤の花今日も暮れゆく五本松
五本松変わらぬものや藤に松
街道の松影なして藤の花
釣人の今日もありしや藤写る

街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
公園に昼間人なく藤の花白つつじにそ映えて垂れしも
影なしてこの細道に藤の花風にそよゆれ夕ぐるるかも



今年は夏が早い、ここのところ一週間は夏だった。夏になると家にいたくない。
だから毎日相馬市の道の駅まで自転車で行っていた。
あそこまでは自転車でも行きやすい散歩コースになる。
そこから相馬市になると遠くなる。相馬市までは15キロはある。
自転車だと5キロが遠くなる。
ここから5キロで温泉があると表示がでていても往復10キロになるから遠いと思い行かなかった。
結局自転車は疲れるからそうなるのである。

草臥れて宿かる頃や藤の花 (芭蕉)

これが江戸時代の歩くときの感覚である。自転車だと違っているがやはりそうした人間の体感としての感覚が残る。車ではそうした体で感じる実感が消失する。
特にこの辺はとにかく除染とかトラックが多くなった。
沖縄のナンバーは見ていないが最近大分とか宮崎を見ている。
富士山というナンバーはめずらしいと思った。静岡県だった。
毎日高い所で富士山を見ているというからうらやましいと思った。
まずこの辺で欠けているのは高い山だからである。
トラックが多いと事故も起こりやすい、危険である。
絶えずトラックがどこでも通るから危険である。
だからなんか情緒にこだわるといいものではない
ただ外部からの人が多いから経済的には今はこの辺はいいのである。


花にもいろいろあり自分は高山植物も見てきたし北海道では寒いから高山植物が平地で咲いている。ハクサンチドリとかも咲いていたのには驚いた。宗谷岬であった。
檜扇菖蒲なども咲いていた。花を見るには北海道がいい。
北海道には十回も梅雨の時期に行っていたから恵まれていたなと思う。
勤め人は連休しかそういう長い休暇はとれないからである。
旅は一日二日でできるものではない、本当は道は未知であり道が別れていたら気ままに道を選びどこまでも行くのが旅だったのである。
今は道は決められているしどこに行くかも決まっているから旅はなくなった。
そういう旅をするとなると大変な労力と時間と金すらかかるのである。
ただ思い出に残るたびはそういう旅なのであり江戸時代は不便でもそういう旅をしていたのである。

花にもいろいろあってチューリップとかバラは街の花である。
毎日買い物でありこれが意外と時間をくうし一仕事なのである。
それだけ今は買うことで生活しているからである。
何で毎日こんなに買うものがあるんだとなる
だから金もかかるから今は金にも追われている
三食用意するだけでも介護もしているから時間に追われるのである。

相馬市の道の駅への道の五本松はいい、五本が残っていることがめずらしい。
なぜあそこがいいのかとなるとやはり単に人も住んでいないところにあるのとは違う、日立木とかの街道沿いの村があり松並木があり田んぼが広がり城に通じている。
そうした実際は自然のままではない日本人の営みとして作られた光景だからである。
鹿島から川子の五本松もあったがあそこはそうした風景がないし松も残っていないのである。
この辺で特に感じたのは津波とか原発事故で変わり過ぎたのである。
だから変わらないものがいいとつくづく思うようになった。
若いときは変化を求めるが老人になると変化しない方がいいのである。
だから亜五本松を見ると心落ち着くのである。
あそこに行く途中に溜池で今は釣りしている人がいるのもいい
水辺に藤は写っている。
日本の景色は田んぼとか街道の松とかで自然そのものではない作られた風景であり
それが日本人の原風景となっていた。
だからソーラーパネルとか多くなったが風車などでも景観を乱すから嫌なのである。
東京などは学生時代に住んで嫌になった。
その後も自分は性格的に都会向きではない、人間関係は都会的なものを意外と求めているが環境は田舎の方がいいのである。
ただ都会も必要でありそのバランスがかたよると住みにくくなるのだ。





2015年05月04日

夏になり様々な花が咲き買った


夏になり様々な花が咲き買った

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八重桜影なす下に小花かな
釣人や夕べ水面に写る藤
蛙鳴き夕日さし暮る五本松
夏燕ハーレーダビドソンに去りにけり

しのぶれど薄紫のその薔薇の我がたもとに咲きて夕ぐる
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
我が庭の七輪の牡丹風に散り残る一輪見つつ暮れにき


昨日の夕方に溜池で釣りしている人がいた。藤の花が水面に写っていた。
釣りしている人はなにか自然と調和している感じになる
でもあの人は違っていた
パチンコならもうかるけど釣りはもうからないとか下品なことを次々に言っていた。
あういう下品なのが田舎でも多い
そもそも自然に親しむといってもそれは農家だったら生業としているのであり
自然に親しむという感覚はないだろう
農家だったら自ずと自然と生きなければ生きられないから違っている
釣りといってもそれは遊びであるから釣った魚を離している
あの人は別にそれほど釣りが好きではない、暇だからしている
パチンコなどの方が好きなのだろう。

桜は散り八重桜の季節になった。それから藤の花も咲いた。
今年は夏が早い、老人のライダーは一時休み去った。
あれも気持いいとなる
ところどころ植田がふえた。でも一割くらいしかまだない
それでも田が増えると元にもどるような気がする
田んぼに水か張られると蛙も鳴いていた

庭の牡丹は昨日の風で散った。一輪だけ残っていた
この季節何かめまぐるしく変わる
花もいろいろ咲いて買った
「しのぶれど」という薄紫の薔薇は名前のつけ方かいい
百人一首からとったのだが名前でさらに活きる
センスのある人が名前をつけた
もちろん百人一首を知らないとつけられない
ただ薔薇の名前にしてもそれが公認されて一般化するとなると
それにふさわしくないと定着しないと思う
「イヌフグリ」という名前は嫌なのである。
でもそれを変えられないし定着しているのはなぜだろうともなる
その名前がついたのはなぜだろうとなる

イヌノフグリの花はとても小さいので、たぶん実のほうがずっと印象が強かったのでしょう。その形から名前が付いたとしても理解できます。
http://homepage2.nifty.com/tnt-lab/s/nat/inufuguri/inufuguri.htm

これもインターネットに解答があった。
実の方が目立つのでそこからとった名前である。
確かに花は小さいから実の方が目立った
でもみんな花に注目しているからこの名前はいいものではなかった
でも一旦定着すると変えられないのである
薔薇の名前は「しのぶれど」とか文学的にでもつけやすいのだろう。
でもこれは文学的な粉飾には感じない、薄紫といえこの花にあっているのである。
街中にあっているのはチューリップである。
チューリップは何か都会的だともなる
野に咲く花とは違っている感じになる、薔薇もそうである。
何か都会的なのである。野生の薔薇の花とかチューリップなどは見ないからである。

ハーレーダビッドソンに乗った大熊の人は去った、夏燕の季節になる
自分は以前として介護から家事から買い物から時間に追われる生活なのである。
家のことをきりもりすることは一仕事だった
金の管理から掃除から次から次と仕事がある
ご飯をたくのとおかゆを作るのは機械だから楽である。
でも一日三食を用意するのが手間なのである。
だから生活にずっと余裕がないのである
プログに書くのも四時間くらいの時間はかかる
書く前に想をねることから時間がかかっている
前は時間がありすぎたけど今は時間に追われる
要するにどんなに暇なものでもいつか本当に時間がなくなるのが人間である。
そしてやれることは極わずかだったとなる
ニートとか何か今は暇な人が働かない人が多くなった
それも必ず後悔する、まず後悔しない人は人生ではいない

なぜなら時間はどんなに暇であっても死ぬほど暇と思ってもそれは一瞬のことである。
たちまち青春は過ぎて時間はなくなる
なにしてもなにしなくても時間は切れるということである。
だから暇で暇でしょうがなかったのがこれほど時間に追われるとは思わなかった
暇であると思う時間はいかに貴重だったとかなる
その時間を無駄にしているのが人間なのである。
ニートとかあとですごく後悔するようになるしひどい目にあうことになる
社会的に訓練していないと最後に困るのも人生だった
この七年間の苦しみはそのためにそうなったのである。

ただいづれにしろ最後には人生の総決算がくる
これはもうさけることができない、その人の一生否応なく現れる
もう隠すことはできない、内面的にも現れる
その顔にも現れ体にも現れる
不摂生していたらどんな丈夫な人でも病気になる
だから老年というのは怖いことなのである。
どんな人生を送ったか何でもあれ結果として現れるて隠すことができなくなるからだ。
地位ある人でも金があってもそれでその人生でしたことを隠すことはできない
その不徳な人生も顔にでも結果として現れて隠すことができなくなる
真善美でも何か見えなくなっている
つまり時間の浪費とそうした不徳な人生を悔いることが最大の恐怖である
なぜならもはやとりかえすことができないからである。
自分もそんなことを考えなかった。
今になってもはや死が近いとき感じたのである。
タグ:夏の花

2015年04月30日

初夏になっている (今年は夏が早い)


初夏になっている

(今年は夏が早い)
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これも原画があり変化させたものである。
原画がわからなくなるから出してもいいとなる


一時に七輪咲きぬ牡丹かな

道の駅燕交差し増えるかな

日立木の街道そいに蛙鳴く


山桜風に飛び散り海よりし東風(こち)吹きそよぐ新緑にあれ
山桜昨日残ると見にけるもたちまち散りて東風の強しも
知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな


今年は夏が早い、弘前の桜は連休に咲く、でも今はすでに散っている
このように桜の咲く時期に見ることがむずかしいのである。
今年は何か風が強かった、それでたちまち散ったということもある。
弘前の桜を見たい人は連休になってみれないとなると残念だろう
ギャンセルが増えるとうか土地の人は言ったいた
桜が咲いていないのに遠くからわざわざ新幹線でも金をかけてはこないとなる
だから弘前では商売的には今年の季節はいいとはならなかった

山桜が風に吹かれて飛びちる、それも山桜らしい、街の近くに山桜が咲いていたが今まで気付かなかった。
何か故郷でももう死ぬかもしれないというとき知らないことがある。
近くに咲いている桜さへ知らないのである。

知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな

あそこの道は通ったことがなかった。それも近くだったのである。

今年はすでに夏である。新緑にもなっている。
道の駅に盛んに燕が飛び交い今の時期は一番活気がある
自転車は風を感じるから気持ちいい
車は風を感じないから季節感もなくなる
やはり自然とともに人間も生きるとき生きていることはすばらしいとなる
牡丹も今年は七輪も咲いた。
一時に命がみちあふれ花も開花して躍動的になるのが4、5月である。
この時期は一番いい時期である。
個人の人生であれ社会的歴史的にも花開く時がある
それがルネッサンスなのである
東北はまだルネサンスはなかったけどこれだけ富でも蓄積されて東北でも起きてくる
自分の庭のて輪の牡丹が一時に咲いたように経済を基盤にして栄える時がくる。

ともかく自転車に自分が乗れなくなったら最悪だった。
実際一時二年間くらいは自転車にのれても苦しかったからそうなっていたのである。


五月の風

五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
山桜の花が飛び散り
太平洋から東風が吹きそよぎ
新緑の季節に変わる
清冽な泉が大地より湧き出し
熱せられた銅の山の肌
体にも熱い血潮が巡り夏が来る
白い浪しぶきが遠くに見えて
燕は飛び交い蛙は鳴く
自然の躍動とともに汝はあれ
生命は今水々しく青々と輝いている
花々は今一時に祝福するように咲く
健やかな体に全身で自然の躍動とともに生きる
五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
水は轟き流れ風は唸り吹く
世界は広く究めることはできない
未知の領域は近くにもあり
汝の旅に終わりなし

自然と一体化して生きることが幸せである。そのためには体が健康でとないとだめであるどうしても病気になると表現するのも病的になるのである。
ただ自転車も疲れるようになった。筋肉痛になるから遠くは苦しい
結局体力がないと無理はできない、それができるのは若い内だけなのである。
今日は4月の最後だけど五月の風だった。





タグ:五月

2015年04月23日

風と桜(風に散りやすい桜ーこの何日かの桜を歌う)


 
風と桜(風に散りやすい桜ーこの何日かの桜を歌う)


今しばし残れる花を見むとすも風の荒くも散らしけらしも
今日もまた風吹き荒れて花散れるあとにしなおも唸りけるかな
華やかに咲きしと思えば散りにける夢にあれしや花にしあるかな
この道の桜のはやも散りぬらむ曇れる夕べ時はすぎゆく
この道に残れる花やあわれかなくもれる夕べ老いゆくものに
我が郷(さと)に知らぬ桜やはや散りぬ知られぬ道を今日我が行きぬ
ここにしも桜咲きぬ知らざりき夕べひそけく見て通りけり
山桜夕べの風にしきりゆれ暗雲や屋形の謂われなおも消えじも
今日一日残れる花や風もなくおだやかにして陽のさし暮れぬ
あわただし今年も花の終わらむやなお遠く弘前へ我花を見むかな



風が唸りふき桜は昨日は結構残っていたが今日はほとんど散った。
余花として見ようとしたがそれも風が強く散って見れなかった。
今年の桜の時期は荒れ模様だった。
それで花吹雪を見たのはめずらしかった。
荒れ模様でないにしろ桜は何か散りやすいのである。
咲いたらたちまち散るのが桜である。
そこに他の花とは違った風情がある。
散るときは美しいのである。
だからどうしても死にたとえられるのである。

限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風 蒲生氏郷

風が吹かなくてもすぐに花は散るのに風が吹いて散らしてしまうのが桜なのである。
桜の命はあまりにも短いのである。

華やかに咲きしと思えば散りにける夢にあれしや花にしあるかな

桜は一時夢のように咲いている、でもたちまち散ってない、そこが桜の一番の特徴なのである。風に散るとき桜は美しいのである。
だから今年は風が吹き荒れたから桜らしいのを見たとなる。

春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり 西行

桜はたちまち風に散るから風とともに歌われるのが多いことがわかる。
一面をおおうように咲いてもたちまち花は散って夢の跡になってしまうのである。

大坂城よそおふ桜夕べ散る名残りを惜しみみちのくに帰る

大坂城の桜は見応えがある、あれだけの大きい城に桜が咲くの見物である。
でも秀吉は京都の伏見城の方で謁見などをしていた。
これも間違いやすいのである。醍醐の桜と言ったら京都なのである。
秀吉は京都とと縁が深いのである。
淀君の子の秀頼の城が大坂城だった。
だから淀君と秀頼は最後大坂城で死んだのである。
ともかく大阪城の桜は夕日に映えて美しかった。
ただそれもあまりにも遠い日のことになってしまった。
京都大阪は遠くなってしまった。確かに新幹線でも距離的には短いにしろ時間がないから遠くなったのである。
時間があれば今は便利だから遠いということはないのである。

ここにのせた桜の短歌は天候の変化に応じて詠んだものである。
とにかく今年は天候の変化か激しかったのである。
昨日は暗雲であり屋形で山桜を見たがあそこでは岩松氏の悲劇の場であった。
500年前にしても一族子供まで惨殺されたので未だにこの土地ではその祟りとかを恐れることになる。
なぜなら惨殺した家来の一人は姓を変えたしその人はこの土地に住んでいるからだ。
だからこれは物語とかドラマに土地のものはできない
惨殺した方の子孫がまだ住んでいる、それも姓を変えたということでわかるのである。
このことは歴史にも明確に残っているから消しようがないのである。
郷土史が面白くないというとき郷土の人はみんないい人であり悪いことは言えない
それが5百年前の話でもそうなのである。
郷土史には悪人がいないから面白くないというとき悪人であっても子孫が残っているのだからそのことをあからさまに語れないのである。
郷土では500年前のことでも悪いことは語りにくいいうことである。

ともかく故郷のこの辺の桜は終わった。
明日は今まで見ていなかった、弘前城の桜を見に行きたい
なんとか留守を頼むことができた
介護になってから一番のショックは外出することが一番むずかしいことになった。
介護のために離れなくなるからだ。
家族に代わるものがいないと介護はちょっと遠くに出るのもむずかしくなる。
だから新幹線で一日行って泊まりなんとかとんぼ帰りとなるから
ゆっくりはできないし旅とはならない
新幹線で青森まで行っていないから新幹線に乗るというだけになる
つくづく自由な時間は人間に与えられるのは限られている
勤めていたら連休くらいしか自由な時間はないのである。
だから旅などはできない、やらりと途中下車が旅だとしたらできない

今年の春はこれまでの介護や病気や一身上の災いから脱して楽になった春だった。
だから一段と春を感じた、でも天候は変わりやすかった。
今になって何かおだやかになった。
弘前の桜は城が改修工事に入る前に見ておくのがいい
弘前には冬に行ったが桜見ていない、あそこの桜を見れば全国をほぼ見たことになる
ただ九州とか富士山に映える桜など見ていないしとても桜は近くでも見切れないのであるそれだけ桜はいたるところに咲いているからである。
名所だけでとない、まだ発見されていない桜はいくらでもあるし見れないのである。
ただ桜前線をたどる余裕があるなら一カ月は見れる
稚内では6月までも咲いていたからである。
今年の春はあわただしい、だから桜に集中して書いたがその他は書けなくなっている
いづれにしろ時間がないとゆっくり見ないと旅にもならないし記憶にも残らないのである今回は旅ではない、新幹線に乗ることと弘前の桜を見るという目的を果すだけである。

タグ:風と桜

2015年04月22日

桜は日本人の心 (ともに栄えるのが格差がないのが日本の文化)


桜は日本人の心

(ともに栄えるのが格差がないのが日本の文化)

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峰々を望みて高く桜咲き日本の栄いやましにけむ
日本なれ桜の国そ美しく共に栄えて心に染まむ
日本なれ富士の嶺の高く東海に朝日昇りて桜映ゆるも
東海に朝日昇りてきらめきぬ桜の映えて沖に船行く
桜咲き高嶺を仰ぎ大空に鳥の翔けゆく境を越えて
日本にそ生きる喜び桜咲く我も生きにつ栄え加えむ
ともに生きともに栄えむ桜かな燕飛び交いよその人も見ゆ
日本なれ見ぬ桜なおあまたかな隠されし栄また現れむ
人の世の常なかりけり風荒く一時に散る桜花かな
城守り敗れしもののその心城に託すや昔偲びぬ
残る花なお散りにけりこの道に雨しととふり夕暮れにけり
ここに生きここに死すなれ桜かなまた咲くべしや年はめぐりぬ
戦争に散りし命のあまたかな魂(たま)の帰りて桜と咲かむ
里の人見ずして散りぬ桜かな帰り来るを待ちて咲きしも


(栄の意味)

[音]エイ(漢) ヨウ(ヤウ)(呉) [訓]さかえる はえ はえる
[学習漢字]4年
1 草木が盛んに茂る。「栄枯」
2 物事がさかえる。「栄華/共栄・清栄・盛栄・繁栄」
3 ほまれ。名誉。「栄光・栄誉/虚栄・光栄」
4 体の活力を盛んにする。「栄養」

日本では栄えるというとき栄の字をあてた。栄えるはおそらくさかるからきている、盛りである。
これに栄をあてたのは中国文化と共通したものがあるからだろう。
木に栄えるとは植物が栄えること植物が繁茂することでありそれは日本の風土にあっている。
もともと桜は中国が原産だという、中国には二十種類もの桜があるからである。
木が栄えるというのもそういう中国文化と日本の文化が融合したためだろう。
日本の国は山の幸と海の幸の文化であり山の幸は植物であり海の幸は魚であった。
桜は山桜となると山に咲く桜なのだが桜は海にも映える、海にもにあわっている。
それは明治以降に染井吉野が咲くようになってからだろう。
西行が歌ったのは吉野であり山深い山桜である。
何かそこが桜に関して誤解しやすいのである。
明治以降は桜に関しての日本人の感覚は相当に変わってきたのである。
つまりあらゆるものはものの見方は変わるのである。
もともと城に桜が咲いていなかったのに今は城を桜がおおっているから桜が咲いていたように錯覚している。

敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜かな 本居宣長

大和魂とは、ひ弱な人工栽培植物ではない。
自然に生じた、という意味では野生のものである。
それは日本の風土に固有のものである。

これは山桜のことであり染井吉野ではない、自分が見たかぎりでは山桜ではこういうふうにきれいに大きく見えたものはない、隠されて咲いているのを見ている。

山の上に朝日さしそめ隠れ咲く山桜かな巌そそりて (自作)

山桜は一つの樹に華やかに広がり咲いているのを見ないのである。
そういう桜は今はたいがい平地に咲いている桜の古木なのである。
江戸時代までは山桜が称揚されていた。ただ日本人の心として桜があることをこの歌で定着した。
日本人の心にともかく桜があるということになった。
ただ江戸時代までは日本の世界感覚は日本国内でも閉鎖された封建社会だった。
だから視野も狭いのである。日本全国を見たら桜は無数にある。
知られない桜は未だにいくらでもある。桜は別に有名な所だけではない、吉野だけではない、日本ではいたるところに咲いている。福島県内でもいわれのある桜があっても桜の時期は短いから見れないのである。
会津などは奥深いから桜でも見れない、どうしても桜の時期には見やすい場所に行くから見れないのである。
桜の古木がある所は身近な所でも知らないのである。それだけ日本では桜が多いのである

折口信夫は言う。

昔の人が考えているたまは、威力のある魂が物の中に内在してゐて、それを發揮して人の體に入れる、さうするとはじめて靈力を發揮するといふ考え方、魂が動物の體を通してくることも、また物質の中に這入つて、人間に發揮させることもある。(『古代人の信仰』昭和十七年二−五月『惟神道』第二巻第二−四號)
たまの方は、これが分化して、かみとものになったらしい。(『原始信仰』昭和六年九月『郷土科學講座1』)

▼体内から拔けだして動く(遊離)霊 ◇「にぎたま(和魂)」「ことだま(言霊)」「ひとだま(人魂)」 ◇『万葉集』三〇〇〇「魂合はば相寢むものを小山田の鹿田(ししだ)禁(も)るごと母し守(も)るごと」 ◇『万葉集』三二七六「天地に思ひ足らはし玉相者(たまあはば)君来ますやと」 ◇『古今集』四四八「空蝉のからは木ごとにとどむれどたまのゆくへをみぬぞかなしき」

「空蝉のからは木ごとにとどむれどたまのゆくへをみぬぞかなしき」

この歌も不思議である。うつせみとか言うけど死んだら魂はどうなるのか?
何かに転生するとかどこに行ってしまうのかとなる。
だから死んだ人の魂が美しい桜の花となって再び生き返るとかイメージしても不思議ではない、また外国でも死んだ人が花になったという伝説もある。
戦争で死んだ日本人の無数の魂はどうなるのか?
戦争で日本人は実際は残酷非道なことをしたことは確かなのである。
ただ外国で無惨に死んだことも確かでありそういう人たちの魂はどうなるのか?
その人たちはとにかく日本に帰りたいということは確かだったのである。
日本の桜をもう一度見たいと思って死んだとなる
その魂の返るべきなのが日本の桜であることがにあわしいのである。

桜に関する言い伝えとか話は無数にある。それらを全部知ることはできないし桜を見ることはできない、ただ現代はどうしても全国的視野で見るのが桜である。
桜は桜前線となるから桜前線をたどって見ることがふさわしいのである。
すると全国を旅して始めて桜を知ることになる

日本なれ稚内までにも咲く桜我は見ゆかな栄あれかし

桜については語り尽くせないものがある

わきて見む老木は花もあわれなり今いくたびか春にあふべき 西行

桜は年によって見え方が違うのである。天候も違うので見え方が違う。
今年は荒れ模様の中での桜だった。花ふぶきを見たのはめずらしかった。
あれも美しかった。花ふぶきのように散るというのはこの辺では津波で死んだ人たちがいたからそれと重なるのである。
そういう人たちの魂もまたどこにゆくのか?故郷の桜と咲けばなぐさめられるとなる

ここに生きここに死すなれ桜かなまた咲くべしや年はめぐりぬ

これは土着的な桜である。ただ桜は何か土着的なもの一カ所に動かないものとしてあるだけではない、桜は全国に咲くから全国に今は心が向いてくる。
自分は富士山が見える場所での桜が見たい、富士山はあまり見ていないからだ。
富士と桜もまたあうし海と桜もあうのである。
この辺では桜はまた故郷に咲いているのだけど原発事故で避難して人が住んでいないのに桜が咲いている。
そして桜が散ってゆくのも淋しいとなる。
それは津波の跡に特に庭に残された樹の不思議だった。
何かそれがいまでもその土地から離れがたくあり人間に見えたのである。
それは松原の松とは違っていた。人間化された樹だったのである。
これは実際にそこに住んで見ていないとその感覚がわからない
それは津波の結果として樹だけが残されたことで感じることだったからである。
避難した町でも村でもそこに咲く桜があり樹があるがそれは人間を帰ることを待っている、人間化した樹だからそうなっているのである。
原生林の樹だったらそうはならないのである。

木のもとに住みける跡を見つるかな那智の高嶺の花をたずねて 西行

花山院の庵をたずねて歌ったものである。
桜に関しての歌はこれだけではない,無数にある。これからも日本では桜に関しては見方が広く深く拡大してゆく
ただ日本人の心は今や桜のようになっていない、守銭奴であり心は江戸時代の時より汚れている。
繁栄というとき経済的にしか語られないのである。
今や課題は経済的なことではない、日本人の心を建て直すことなのである。
桜というときどうしても美的な側面だけが強調される、モラル的なものは見逃されるのである。日本人が今いかに心の面で荒廃しているか?
一人一人が考えていることは金のことしかないし欲がますます深くなっているだけである原発事故の原因もそうした限りない欲の追及の結果でもあった。
日本人の心は共栄の心でもあった。日本では貴族がいなかった。
それはもともと共栄の社会でありそれだけの富もなかったからだとなる。

桜花ともに栄えてともに見ゆ日本の心桜にあるべし

だから日本では格差社会になると社会は乱れる、大陸的な中国やアメリカの手法が日本には向いていないのである。






タグ:桜の心

2015年04月19日

花吹雪(新地に散る桜)


 
花吹雪(新地に散る桜)

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六号線それて街道蛙鳴く
街道に薬師堂あり花の影
六万石城跡に鳴く夕蛙
古き碑をたずねてあわれ花の散る
風荒く鳥けたたまし花吹雪
花に雲沖に船行く新地かな
風狂に一代に終わる花吹雪


山桜朝風ゆれて六号線走りゆくかな北に向かいて
満開の桜咲きにつ飛び交える燕の増えて海を望みぬ
二色の花の映えにつ相馬市に我は来たりて城をたずねぬ
街道の松に交じりて桜咲く朝に風の唸り吹くかな
山近く海の望める新地かな朝に桜の風に散るかな
風荒く一時に散る桜花夢にしあれや世は変わりゆく
新地なれ伊達と境の攻防の城跡古りて春の日暮れぬ
伊達の裔墓に謂われや新地かな海を望みて春となるかな
新地には伊達と相馬と交わりぬ文禄の碑の古く春の日さしぬ
城跡の桜ははやも散りにけりいくたりかたずね帰りゆくかな


昨日は新地まで行った。風が荒く桜がほぼ散った。花吹雪だった。
花吹雪というのはなかなか見れない、静かに散るのとは違っていた。
一斉に散る花である。昨日は一日風が荒いから桜がいたるところで散っていた。
新地は海と山が接近している。だから高台があり海が見えやすいのである。
「鹿狼山に住む手の長い神が海に手を延ばして貝を取って食べ、その殻を捨てた場所が貝塚になった」と伝説を紹介している。
貝塚のある場所も高台でありそこに縄文人が住んでいた。
そこはかなた高い場所なのである。新地はそういう場所が多い。
山と海が接近しているからそうなる。
そういう地形だから海の幸と山の幸に恵まれていたから最初にこの辺で大勢の人が住んだと思える。
つまりこうした地勢がわからないと歴史もわからない
伝説でもそれは架空のことではない、歴史的根拠があって生れている。

新地は相馬地方では特殊な地勢である。たいがい海と山は離れているからである。
手を伸ばして貝をとっていたというのはそれだけ海から高い場所に貝塚があったからである。
日本は地勢に変化が多いから狭い土地でもあきない、新地まで地勢に変化がある。
新地から山元町に宮城県に入ると地勢が平凡になる。丸森町は変化に富んでいるから魅力がある。この地形というか地勢は地図見てもほとんどわからない
実感しないかぎりわからないのだ。これは電車でも車でもわかりにくいのである。
つまり坂を峠を苦労して上ってみるとわかる。
ここを越えるのには苦労だなと思うときそこが国境になっている。
川俣から水境峠を越えて飯館村に入る所がそうである。
鹿島とか原町から飯館村に行くには八木沢峠がありこれは車でも越えるのが大変だから実感できる。土地の高低というのも実感するのがむずかしい。
特に遠くなると地勢はわかりにくくなる。

地勢を知るには何度もその地を踏む必要があるがそれができないから余計にわかりにくいのである。
新地はもともと伊達藩が支配していた。それで墓をたずねたら黒田氏の墓があり謂われが書いてあった。確かに伊達藩の子孫なのである。
文禄の碑があり古いがそれは伊達藩で行った検地の記念の碑だった。
相馬藩では明暦から検地を行っているからである。そのことは新地の歴史の本に書いてあったのでわかった。だから新地の役場でその本を買うことにした。
郷土史研究はは資料を集めないとできないのである。

地勢を実感すると同時に風を感じるのにも車では電車でもできない、風を感じることはまさに風土を感じることなのである。
風を感じるのには徒歩か自転車でないとできない、雨も感じるのも旅である。
それも車ではできないのである。車は快適でも自然を感じることができないのである。
ただ自転車となると今は疲れる、介護とかになって遠くに行くことができない
前は余裕をもって行けたができない、帰った食事の用意であり二重に疲れるのである。
年もあり自転車も相当に疲れる。
でも自分は風狂でありそれで人生も終わることが見えてきた。
風狂とはまさに風に狂うだから風のように旅することである。
自分の人生はドンキホーテでもあった。
そういうことができたのも結局家族に恵まれたことであった。
普通だったら働けとか言われてできない、そういうことが強いられなかったからできたのである。
今ではニートとか普通だから珍しくない
団塊の世代は企業戦士に普通なっていた時代だからめずらしいのである。

いづれにしろ風を感じるとき

吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな(千載103)源義家

これを今回の風で感じたのである。これは車では感じられないのである。


タグ:新地

2015年04月16日

福島県(一部宮城県)桜の短歌二十首 (桜は城を中心にして見るようになる)


福島県(一部宮城県)桜の短歌二十首

 
(桜は城を中心にして見るようになる)

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(仙台)
広瀬川瀬音のひびき青葉城今し桜の盛りなるかな
青葉城石垣の反り燕飛び流れひびきて桜咲き満つ
東京より陸奥の街道染めにける花にしあるかな仙台に着く
たずぬれば千本桜みな散りぬ我が帰りゆく道のり遠しも
(福島県)
白河の城に春の夕日さし電車は行きぬ西のかなたに
船引に桜咲き満ちここにしも電車の音のひびきけるかな
三春なる城跡に立ちほのぼのと桜の色に染まる夕暮
合戦場の枝垂桜の優艷に謂われも古く夕暮るるかな
雨にぬれ白河街道福良かな御前桜や我が泊まるかな
(古殿)
越代の桜今盛り山風そよぎ磐により見ゆ
古殿の越代の桜その下に岩のいくつか動かざるかな

(会津)
花染める会津の城やかなたにそ残雪の飯豊神々しかも
城を染む会津の桜相馬より遠しもかしこ栄えありなむ
会津なれ知られぬ花のなほ奥に殿のたずねし歌の残りぬ

(二本松)
二本松城の桜のはや散りぬ相馬よりたずね帰りゆくかな
二本松天守の跡に見晴らしぬ春の山々十万石かな
相馬よりたずねてあわれ二本松残れる花を惜しみけるかな

(阿武隈川の桜)
梁川の城跡古りぬ我が来る桜の盛り要の城かな
阿武隈の流れ蛇行し渦巻きぬ岸に桜の映えにけるかな
阿武隈川流れゆたけく淀みつつ渦巻く淵や桜咲き満つ
(霊山)
残雪の吾妻嶺光り霊山に花咲き映えて小鳥しき鳴く
霊山の岩黒々と夕べ咲く桜のあわれ南朝滅ぶ
(相馬)
夕日さしみちのく寒し花映ゆる我が里に住み年ふるりけり
夕べ咲く相馬の城跡桜見ゆともる灯静か誰かたずねむ
田町にそ柳しだれて城下町夕べ桜や暮れなづむかな
桜咲きスーパーヒタチ走るときいわきを通り東京へ進む
若くして死す人あわれ国の花見ずに悲しも七〇年過ぐ



桜は咲いている期間が短いから近くても見れない、福島県の桜前線は西から東京の方から咲いてくるのと東から浜通りから山国の会津の方に咲いてゆく
会津は寒いから遅れる、そこに時間差がある
桜でもやはり歴史的場所が印象に残る。
会津の桜はほとんど見ていない、ただ白河街道の御前桜は自転車で行ったし雨にぬれたときだったし福良の蔵の宿にとまったので覚えている。
かえって何か雨にふられたり風に吹かれたりして難儀したとき旅は記憶に残ったりする。だから車でも何でもあまりにも便利すぎると旅にはならない、そういう旅が今はしにくいのである。わざわざ不便な旅をしないとできないのである。
白河街道は鉄道もないし車も通るのが少ないから昔を感じるならあそこの方が良かった。
阿武隈川を梁川から丸森に下った時の桜はきれいだった。
遠くに残雪の吾妻峰が光り桃の花も咲いて阿武隈川は大きく蛇行するときその淵に満開の桜が咲いていた。
梁川にも城があったところであり何かやはり城が中心にしてみている。

桜は満開のときだけではない、咲き始めでも散ってゆくときも散ったあともそれぞれに感じるものがある。船岡の一目千本桜を見に自転車で行ったときは遠かった。
そうして苦労して行ったのにあの千本桜がみんな散っていたのでがっかりした。
でもそのこともまた感慨深いものがあった。
ただ電車で行ったらそんなに感じなかった。
わざわざ苦労して自転車で行ったということでああ、来るのが遅れてみんな散ってしまったなと感慨深いものが生れた。
それは江戸から芭蕉がみちのくに旅して「奥の細道」が生れたと同じである。
江戸から歩いた距離によって生れたのである。今とは距離の感覚があまりにも違い過ぎたからである。
ただ元禄時代にも桜が咲いていたと思うがその時期は終わっていた。
五月に入っていたからである。ただその手前で今の茨城県で八重桜のことを俳句にしている。芭蕉には桜の俳句は少ない、その頃あまり桜は咲いていなかったのかもしれない
そもそも城には桜は咲いていなかった。
桜と城が一体として見るようになったのは明治以降なのである。
ただ西行は桜を歌ったから平泉で桜の歌を残した。

ききもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかかるべしとは

だから西行のこの歌はめずらしい、これは東北の奥深い地をたずねた感懐がある。
その時代なら芭蕉の時代よりさらに遠いからである。

源義家の「吹く風をなこその関とおもへども道もせに散る山桜かな」はこれとはまたは違っている。
山桜であるのはその頃は山桜であり染井吉野ではない、山桜らしい歌である。
源義家の伝説は本当に多い、山桜と染井吉野の桜は違う。

しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花 本居宣長

これも山桜であり今の桜はほとんど染井吉野なのである。それがまた混同しているのだ。

日に風に清流ひびき山桜高きに咲きて散りにけるかな (自作)

山桜は一般に山の高い所に咲いているけど城に咲いているのはたいがい染井吉野なのである。それは城が公園化して植えられたらである。

あくがるる心はさてもやま桜ちりなむのちや身にかへるべき(67)[新後撰91]

これも山桜なのである。山桜と染井吉野が相当に違っているのだが混同しているのが現代である。城を染む桜・・・などと歌っても城に桜咲いていなかった。
西行が歌ったのは山桜もあるが吉野の桜は山桜ではないだろう。
西行の時代はまだ染井吉野はなかったからである。
吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。
やはり吉野の桜は西行時代にさかのぼるから山桜なのである。

城といえば桜という印象が少なくないが、現在のように城に桜が本直えられるようになったのは明治に入ってからのことである。それ以前は、燃料や食料に適した「松」が多く植えられていた。松が食料というのはぴんと来ないかもしれないが、松の皮から取り出した繊維で、餅や団子が作られていたのだ。
http://www.kyosei-tairyu.jp/nihonn-shiro/column/shiro-sakura.html

これも意外である。いかに燃料となるもの食料となるものの方が大事だったかわかる。
美的なものより燃料と食料が切実だったのである。花より団子だったのである。
現代は生活によ余裕が生れた結果、美的に鑑賞するようになったのである。

春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いづこ

明治になった時やはり桜が植えられて桜の宴があった。花見が城で行われた。
松は城にはもともとあったが桜は咲いていなかったのである。

霊山にも南朝の城がありはかなく滅びた。一年もたたないうちに炎上したのである。
そこにも桜が咲いている。あの黒々とした玄武岩によりそい咲いていた。
あそこから残雪の吾妻峰も遠望できて見晴らしがいい。
その霊山城が炎上したとき一族がおちのびて南相馬市の鹿島の真野の館に住んだ。
そういう歴史を知らないとやはり桜でも鑑賞できない

いづれにしろなぜこれほど桜と城が一体化されたのか?
それは後世にそうなったとしても城と桜はにあうのであり絵にもなるのである。
ともかく桜は日本全国に咲いていて名所の桜だけではない、いたるところに咲いていて発見されない桜がいくらでもある。ただ咲いている期間が短いから見れないのである。

吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ(新古86)

つまり吉野山だけではない全国に今は桜は咲いている。だから見ぬ方の桜はいくらでもある。

今年とて桜は咲けど人住まぬ故郷淋し誰かたずねむ

この辺では津浪や原発事故で故郷を離れて住む人がいる。でもそこにも桜は咲いている。小高辺りにもいい桜が咲いているの紹介されている。
でも人が住まないとなると桜も咲いても淋しいとなる。
やはり人が住まないと自然も活きてこない、そういう世界が想像すらできなかった。

桜前線は仙台で終わるわけではない、岩手県にもつづき盛岡に城がありさらに青森につづき弘前城で一応東北が終わるがさらに函館から稚内まで桜は咲き続けるのである。
どうしても青葉城で終わる感じになるが東北はさらに奥深いのである。
会津となると陸奥街道からそれがそこにも桜咲き続けるのである。中通りから会津とかは高い山があるから神々しいとなる。
会津のかなたには飯豊山が見える、浜通りは海があっても山がないから何か欠けているのである
山には神々しいものがあるからだ。

昨日は荒れ模様であり春の雷が鳴った。

雷鳴りて桜前線北上す

まだ北に向かって桜は咲くのである。


タグ:福島県の桜

2015年04月11日

花に雨 (桜の時期は短いから見る桜は限られる)


花に雨

 
(桜の時期は短いから見る桜は限られる)


用ありぬ飛び交う燕雨にぬれ
貧しきや住宅の側に梨の花
介護して晩年あわれ花に雨
石により水仙咲きぬ雨しとと
ぽかぽかと春の日に猫いつくかな

今年の桜は何か天候が悪くて見る時間が少ない、花に雨である。
年によって桜は見る感覚はその心境や天候によって違ってくる。
それをプログに七年くらい書いてきたからあとをたどりふりかえる
人間は何度も言うが自分の書いたものすら忘れている。
それで自分の書いたものプログでも読んでこんなことを書いていたのかと自分が書いたものでも感心している。
だから人間の生というのはあとは記憶だけになる。
その記憶もあいまいとなり思い出せなくなる。

それで生真面目な自分の母親は九二歳のときノートに書いていたことは貴重だと思った。でもないことでありただ誰が来たととかだけである。
それをカタカナで書いていたのである。
今になるとそのカタカナで書いたことでも貴重である。
なぜなら今は全く何も書けないし耳も聞こえないから対話ができない
やっと書いた字を読んでわずかに理解するだけだからである。
九〇歳になると半分は認知症になる、もう百歳になったら90パーセントは認知症になっている。
そしてもう誰なのかもわからなくなる。
だからつくづくその前に正気の時に重要なことと遺産のことでも何でも書いておくべきである。
それは筆跡がわかる手書きがいいのである。
今は手書きはしないが何か重要なものは手書きがいい
長い文は印刷して重要なものを残す作業が必要である。
ただこうなると相当に手間がかかりめんどうになる。

今日も一日家事で忙しかった。何か震災以降家の中が未だにかたづいていないのだ。
かたづけてもかたづけてもかたづかないのである。
つくづく一人暮らしとかがゴミ屋敷になるのがわかった
いろいろなものがたまりなかなか捨てることもできない
家族のものでも死んでもそれをすぐ捨てていいのかわからない
その写真には古いものだと白黒写真で貴重なものがあった。

ともかく捨てない限り整理がつかない、本でも本文捨てたけどまだ捨てないとかたづかないのである。
何か老後はいろいろなものに囲まれるよりシンプルな生活があうようになる。
いろいろなものを新しいことでもやりにくいのである。
ただこれまでしたことを整理するだけで大変なのである。
詩でも軽く石について百編書いているがこれも一つにまとめることとかこれまた手間なのである。

だから今日も雨の中二回外出して買い物した。市営住宅は貧乏人が住んでいる。
その側に梨の花が咲いていたが何かあっていた。
介護というとき何か花に雨である。
介護の問題は十年とかつづくことがある。今は手当てするから長くなるのだ。
その十年を世話するとなると容易ではない,それだけの時間を奪われるとういことにもなる。
だから介護してからゆっくり旅したことがないしできない
三食食事出すとか手間なのである。
でも明日一目千本桜をまた見にいこう、岩沼から近いから行ける
なんとか日帰りで行けるだろう。

介護の一番の問題は家族に代わる人がないと近くすら自由に行けない
なぜなら認知症だったりしたら一人でいると危険にもなるからだ
誰か側にいないと不安になる人もいるし出かけても心配になるからだ。
留守は頼む人がいたから一日くらいは行けるだろう。
桜がいくらでも近くで見るのがあっても見れない
なぜなら二週間の間には散ってしまうからである。
つまり見る期間が短いから見れないのである。
だから会津の桜はほんの一部しか見ていないのである
桜の名所は日本では無数にあるが桜の時期に見ることがむずかしい。
それだけの暇があった時は過ぎてしまったのである。


タグ:花に雨

2015年04月10日

南相馬市の春の絵になる景色 (橲原や大原や大谷まわりてー写真を絵画風に)



南相馬市の春の絵になる景色


 
(橲原や大原や大谷まわりてー写真を絵画風に)


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真野川の岸辺

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小池

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小池の墓地
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遠くへと咲きつづくかな朝桜
故郷の墓地に眠るや花の影
梅匂ふ一つの村や山に墓地
墓を継ぐ人あれ側に土筆生ゆ
磐を打つ流れのひびき芽吹きかな
四五本の枝垂桜の大原に

朝日さし桜の映えて風そよぎ紫木蓮あまた今開かわとす
朝日さし立目石かな橲原に桜の咲きて動かざるかも

(大原)

春の日の石にさしにき大原に知る人死して我がしのぶかな
大原に草の萌えるもここに死す農家の人の家のみ残りぬ
大原に老木一本春日さし我がたずぬかな田の畦の道
大原に朝風吹きて散りそめぬ山桜かな流れひびきけり
大原の山の小径にひそけくもキクザキイチゲとスミレ咲くかな
大谷に水芭蕉咲き赤々と散りし椿や朝に映えにき
山吹も咲きいずるかな大岩のずしりとここに大原の朝
竹藪椿の赤く二三輪隠さるごとに大原に咲く
大原の竹藪の小径椿散り我がひそけくも通り去りにき
大原に一軒の家のひそけきや小径に朝散る椿かな
大木戸に天保の墓や我がよりて菜の花匂ふ道を行くかな
石神の奥に社やここにしも暮らしのありて草萌ゆるかも
春の日や木の橋を渡り社あり村の暮らしここにありしも
一時は城にありしや牛越城山桜咲き映えにけるかな
一ケ月病院にありて大原を想いし人の今はなしかも
新田川流れの浅く朝ひびき芽吹きや東風の海より吹きぬ
この土手に小蝶一つやとまりけり春の草ふみ街の中かな

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新井田川の向かい側の景色



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大谷の八坂神社に水芭蕉が咲いていた


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高倉ー明治以降武士が開拓に入ったのか?
この紋は妙見神社であり八沢浦の社にもあった


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天保とある
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牛越城


昨日は天気よかったので小池から橲原(じさばら)から大原から高倉から大木戸辺りを回って写真をとった。
写真が良くとれたので絵になるなと思ってパソコンで加工した、そしたら一枚一枚絵ハガキのようになっていた。
これは今なら絵ハガキにもできるフォトブックにもできる。
ただ手間がかかるのである。
この一連の作品はフォトブックにしやすいのでまた試しに相馬市のイオンでもできるし
パソコンでも今でもは簡単にできる
つまり自宅が放送局であり出版社にもなっているのが現代である。
大原は新田川の奥に入ると発電所がありいい石があった。
発電所があるので自然そのものではない、真野川にしてもダムがあるそうである
自然そのものなど今はないだろう。
どこかしら人工化している。
ソーラパネルだって景観を乱すので嫌なのである。
なんか山里にそぐわないのである。
この辺はあとは放射性物質の廃棄場が多いのも自然でなくなっている

大原は南相馬市立病院で一カ月入院していてちょうど何か大原の中心の位置にある斉藤さんの家が今は空家になっている。斉藤さんは死んだからである。
でも一カ月毎日大原の方を病院から見ていたことは自分も一体となり忘れられない
だから何か大原が親しくなったのである。
大原は相当に広い、新田川を渡った向かい側もそうだろう。
竹藪があり椿が咲いていたのも絵のようである。
大谷という所には八坂神社があり水芭蕉が咲き椿が散っていた。
これも絵のようだった。
大原に老木があるのはふさわしい、人間は自然でもそこに人間を見ているのである
大原の老人は長老のような人は死んだのである。
長老というときその土地に根ざした人である。
だから会社というのではない、その土地と密接に暮らした人である。
それは農家の人なのである。
でも今は跡継ぐものもなく空家になっているのが淋しい

高倉の方に行くと社があり木の橋をわたるのも何か素朴な感じになる。
妙見の紋が屋根にあったから明治以降武士が開拓に入った地かもしれない
山側に真宗系統の移民の人たちが集まった墓地があった。
あの辺はまだわかりにくい所である。
それから大木戸辺りに出たら天保の墓があったから古い
石神に出ると何か石上第二小学校もあり原町市街の延長になる。
大原高倉押釜大木戸は市街から離れ山側になる。
原町区はもともと人口も多いから市街だけではない、山の方も広いと思った。

ともかく人間はある土地に故郷でなくても住んでいればその土地と一体化してくる。
それには相当に長い時間がかかる。
こうして未だに故郷でも知らない土地があり今日はじめてたずねたのである。
人間はこうして故郷といっても原町でもさらに小高でも浪江でも拡大してゆくと
知らない土地がまだまだある。発見されていない場所があるのだ。
人間は自然でも人でも土地になじむには相当な時間がかかる
回りにこんな美しい場所があったのかと今ころ気付いているのである。
すでにこの世から去ろうとするときに知ることがある
そうなると一段と長く住んだ土地に親しみと愛情を感じるのである。
つまりますます住んでいる土地と一体化アイディンティティ化してゆくのである。

だからこそ原発事故の最大の悲劇はそうして長く親しんだ土地から離れなければならない、住めなくなったということなのである。
そのことは老人が一番影響を受けたのである。
いくら億の金をもらっても癒されない傷を負ったのである。
なぜなら老人は慣れ親しんだ所の記憶に生きるようになるからである。
自分は旅したことの記憶してまた旅しているというのも不思議な感覚である。
老人になると新しいことができない、記憶された過去を生きているのである。
その記憶が一体化した場所と切り離されることは老人にとっては過酷なのである。
そのことが認知症になったりすることもある。
認知症の特徴は新しいことが記憶できずにただ過去の記憶に生きることになるからだ。

ともかく今の季節か日本では一番いい、また晴れたら出かけたい、今日も寒い
明日は晴れるとかなんか変わりやすいのも困る。




タグ:春の景色

2015年04月07日

桜は咲けど・・・(仮設暮らしが四年過ぎても先が見えない)



桜は咲けど・・・

 
(仮設暮らしが四年過ぎても先が見えない)


仮設住み鹿島になじむ夕桜

満開に桜は咲けど雨しとと仮設に住みつ四年過ぎぬ


桜も咲いたけどなんか雨の桜になっていてしめっぽい。桜のことを短歌にしたりしたけど毎年違って見える。
自分の一身上で回りでも波瀾つづきでありだから桜の見方も違っていた。
俳句は写生だけど短歌はその時々の感情的なものが入る。
悲しい、淋しい、うれしいとか感情的なものが表現される。

この辺は仮設でもすでに4年は過ぎてしまった。それも長いと思った。
だからそれぞれの土地になじむようになった人もいるかもしれない。
ただ仮設だとあくまでも仮りの暮らしだからその土地に土着するのとは違うから
なじむといっても以前として一時的なものである。

現代は土着的といっても農業とか漁業で暮らしている人は全体の一割にもみたない。
だから今回のような津浪原発事故でどうなったかというと会社中心に生活していたことが明確になる。
象徴的なのは小高の人で名取に息子が家を建てその家に親の部屋まで作った、そして会社が原町にあり常磐高速道路で通っている。
このことが原発事故や津浪で起きたことを象徴していた。
家族が分離してしまい職場も分離してしまった。
鹿島から二本松に会社が移り通っていた人もいた。
その人は二本松の方に移ったのかもしれない。
会社と共にあり会社中心社会だからそうなっている。

補償金にしても個々人で個々の家族でなるべく多くもらってそれをどうするのかとなると
もう自分の故郷には帰らない、このさい、その補償金を元にして他に移り新生活をした方がいいと働く
若い人は特にそなっている。
つまり多額の補償金は皮肉なことに復興にはならない方に働いているのである。

十津川部落などでは部落ごと北海道に移住したがそれはみんなその時農業で生計をたてていたからである。
だから北海道で開墾してみんなで農業をはじめたのである。
会社中心社会ならそういうことができないのである。
現代は土着的社会ではない、会社はどこにあってもいいという場合がある
確かに以前としてその土地でなければ利便性が欠けるとか立地性はある。
この辺はまだ東京に近いから部品を運ぶのでも立地性はある

いづれにしろ本当に満開に咲く花の日はこの辺はずっと先にになってしまっただろう。
もしかしたら市町村自体消滅しているとか少子高齢化でも言われるからなんか
満開の桜でも雨がしとしとで陰気に降っている感覚が反映される
やはり今の状態の気分が反映され自然に投影されるのである。

そうはいっても何とかしなければならないということはある。
その先が見えないのは会社中心社会であり農業が主体の土着的一体感が喪失していた社会からかもしれない、今は何か一人一人とそれぞれの家族がどうしようとしてもできない
みんなで何かをやろう一致してやろうという共同性が望まれる
その共同性は会社にはあっても他にはあるのかということもある
でも小高でもそうだが何か共同して一致してやろうとしないと町自体がなくなってしまうだろう。
ただどうして共同して一致してやるのかとなるとそれがあまりにもむずかしいのである。だからだらだらしていると分離分散してしまうことは確かである。

タグ:仮設暮らし

2015年04月05日

花に雨(貧乏な人が増大して表面化して犯罪が増える時代)


花に雨(貧乏な人が増大して表面化して犯罪が増える時代)

咲きそめし花の雨ぬる貧乏になりゆく人の多くなりぬれ

そもそも人間は貧乏人とつきあわないと貧乏人のことを知らないのである。
近くに困った人がいても何が起こっているかもしらない、つくづくすぐ近くに
十年くらい空家があったのだがそのことを誰も知らないという不思議である。
自分はその前毎日通っているからずっと気になっていた。
そのことを近くの人と話ししたら知らないというのも不思議だった。
今はこういうことが田舎でも多い
人のことは田舎では見なくてもどこかで見ているのである。
あの人なにしているのだろうかと田舎では別に詮索するのでもないが見えてしまうのである。
それがなぜすぐ近くの空家を知らないのか本当に不思議だった。
郷土史関係ですぐ近くの神社に天明の碑があったのを発見したのは最近だった

それは過去だけではない、人間はすぐ近くのこと古いことでも今のことでも知らないことが多くなった。
それはやはり生活を共にしているということがないからだろう。
勤めが遠くになっていると何をしているのかもわからないからである。
そういうふうに近隣のことを知らないと何か今回のような津浪だ原発事故など災難に見舞われると困ったことになる。
人間は日頃からコミニケーションをとっていないといざというときも助けたりできない
相手のことがわからないからである。
人間はつくづく直接話してみないとわからない

最近生活保護の人と知り合っていろいろ話あうことになった。
ところが生活保護の人に直接接していない人は生活保護のことがわからない
生活保護など食べるだけがやっと生活でいいものではない
その人は最近市営住宅に息子と同居して生活保護が打ち切られたのである。
ええ、そんな簡単にやめさせられるのかと驚いた。
なぜならその人は収入もわずかな年金しかなかったからである。
だからそんな簡単にやめさせられたら飢え死にするようなことにもなるだろう。
ただその人はならない、なぜならコミニケーション能力が優れているからである。
いろいす人と交渉することがうまいのである
ただ様々な問題をかかえていてこの人も犯罪一歩手前にあった
前の人はまさに犯罪者になった。
生活保護が何のためにあるかというと常にネットで言われているのは犯罪者にしないためだというのも理解した。
本当に犯罪者になるほか生きる道がないのである。
そのことは社会全般に影響して治安が悪くなるから金持ちの人でも一般の人でも影響する危険な時代になる。

つまりアベノミックスなどは何の効果もない、金持ちにはいいだけであり増大している貧困層には物価は上がるだけであり負担が様々に増えていいことはないのである
貧困者が増えて犯罪者に追い込まれる人が増えてくる危険な状態になっているのが現代である。
実際にそういう被害を受けたし今もそういう人とつきあった結果、なぜもうぎりぎりで生活している人がいるということを自分の問題のように深刻に思うようになったのである。まずそういう人と直接接しない人は感じないのである。
何も貧乏人だけではない、事業していた人も借金で首が回らなくなっていた。
それは贅沢していた結果というのもある。金がないのに金のある生活をしていたのだからそうなる。今の社会は別に金持ちは金持ちで金がかかり金がないとなっている社会であるそういう人はいい高い車をもっているのでわかるのである。
例えば八人に一人が裏の金融から金を借りているということでもいかに生活を無理しているかわかる。
なぜこんなに借金しているのかというのもそれだけ無理していい生活をしているからそうなる。
分相応の生活していればいいじゃないかとはならない、もっといい家が欲しい車が欲しい・・・欲しいとなって無理をするから借金してまでそうなるのがおかしいのである。

いづれにしろ日本は景気良くなったりもうならない、衰退国家である。高齢化社会がそれに拍車をかける。あらゆる方面で貧乏が今まで隠されていたがそれが様々なことで表面化してくる。犯罪も増えてくる、老人も年金だけ暮らせない、かかりがかかるからである。国民年金だけではない、会社の年金でも苦しくなる。
もうぎりぎりで生活する人が多くなる。犯罪一歩手前の人が社会にあふれてくるから危険な社会になる。それは富裕層でも中間層でも普通の人にも影響してくる。
犯罪にあう確率が増大してくるのである。

ともかく今日は花が桜が咲いたが雨がふってきた。何かそこで暗い日本の未来を感じてしまう。
もちろん世の中は暗いことがあれば明るいこともあるからすべて暗く考えるのは間違いである。これから物価高になり金の価値より物の価値が高くなると物を大切にするという時代に逆戻りするのは悪いことではない、だから悪いと思うことも良い面が必ずある。
ただはっきりしていることはアベノミックスなどで日本は豊かにはならない、貧乏の問題が表面化しているしそれがだんだん深刻化する時代である。
だから今までのような無理して豊かな生活をする借金してまで豊かな生活を求めるようなことはできない、分相応の生活をしないと犯罪者になってしまう時代である。


これが現実だ

生活保護が最多更新 161万8817世帯
http://www.sankei.com/life/news/150401/lif1504010025-n1.html
老人が40パーセント以上と増大している、貧困老人がこれからますます増大してくるのである


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何か貧乏な話の方が今は多くなっている
このグラフの推移を見てもわかる
親が仕送りできない、経済的余裕がなくなっているからである。
それでも今は大学に行かせるから無理がでてくる



タグ:貧乏

2015年04月03日

小高の城跡と鳩原((懸(かけ)の森の方を回った (津浪の後に海が見えるようになった)


小高の城跡と鳩原((懸(かけ)の森の方を回った

(津浪の後に海が見えるようになった)


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ここから海が見えた

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津浪後開けし海や春の朝

(鳩原)
鳩原や百輪の椿に夕日さす
鳩原に天保の碑あり落椿
夕日さし牛舎残りて梅匂ふ
春日さし山鳩飛びぬ鳩原に
(懸(かけ)の森山 (536.1m))
春の日や二段の滝のひびきけり
山の奥巌に樹々の芽吹きかな
夕雲に匂うがごとく春の月

春の朝沖に船行き6号線我が自転車に見つつ走りぬ
(小高の城跡)
枝垂桜はや咲きにけり城跡の小高より見ゆ朝の海かな
石段に椿赤々と散りにつつ枝垂桜の城跡に咲く
(鳩原)
鳩原に椿のあまた散りにしを人の帰らぬ農家の暮れぬ
鳩原に小学校あり春の日や生徒もなしに今日も暮れゆく
鳩原に天保の碑あり古りにしを農家に椿散りて暮れゆく

(懸(かけ)の森山 (536.1m))
この山路踏み入る人もまれなりし苔むす石に春日さすかな
この山路踏み入る人もなきにしにシロスミレの花に苔むす石かな
この山路岩根を踏みて分け入りぬゼンマイいでて流れひびきぬ
山雀の枝にとまりて動かざる人去るあとの春の森かな
この山路キクザキイチゲの開かむやひそけかるかな我が見て去りぬ

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天保とあるから古い

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(懸(かけ)の森

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キクザキイチゲが開こうとしている

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これは牧場のある所で見た山雀





今日も天気がいいので小高の方に行った。津浪のあとに太平洋が見えるようになった。
前は家とか樹があってさえぎられみえなかったのである。
やはり海が見えるということは気持かいい、常磐線からも海が見えるところはわずかだった。
小高はやはり人が住んでいないから庭に花が咲いていたが淋しい、人が住まない街というのも不思議である。数人の人がみかけたがそれにしても淋しい街である。
区役所で「ほっと悠」という休憩所がありコーヒーを飲んだ。
まさにあそこだけがほっとするという空間になっている。
人が住まないということは死んだ街になってしまうことである。


街の方から今回は山の方に向かったら鳩原という所にでてきた。
そこに小学校あった。こんなところに小学校がまだあるのかと思った
それも今は誰もいないから廃墟と化した村の小学校のように見えた。
ここにも子供が通っていたのかと何か不思議になった。
廃墟趣味の人がいるがそんな人がこの辺に来ているかもしれない。
廃墟とは違うがにているのだ。


ここも丘の上に墓地があったからあれは新しいのかと思ったら天保の碑があったからこの村も江戸時代からあった。あとから開拓に入ったものもあった。
おそらく懸(かけ)の森で牛舎があって牛を飼っていた人は開拓に入ったのかもしれない
なぜならかえって奥地の不便なところはあとから開拓に入る場合が多いのである。
そこは不便な所であるからだ。そこで牛を飼っていたという女性にあった。
あそこが自分の家だと言っていた。
その女性は鹿島区の仮設に住んでいたのである。
仮設は狭くて嫌蜷だろうとか言ったら今じゃ慣れた、友達もできたからそうでもない
そんなものか、やはり4年も仮設にいればそんな諷にもなのかと思った。
田舎では大きな家で広い庭に住んでいる人が多いから狭い所は嫌だと思っていたのであるしかし人間とは何でも慣れるものだと思った。
あの辺は除染しても牛は飼えないだろう、だから除染していも無駄に思えるのだ。
そもそも帰らないのに住む人がないとしたら除染しても無駄なのである。
だから何のために除染しているのかとなる。

そこから懸(かけ)の森に入った、あそこは始めて登った、流れが奥へ奥へと通じている。今回は上りきることはできなかった。
まだまだ行っていないところがあるから山はわかりにくいのである。
小高はどういうわけかあまり行っていない、浪江の高瀬川には行っていたが小高は見る所がないと思っていた。
小高ではやはり浮舟城と言われたのは海が城の前まで瀬迫っていたのである。
津浪でわかったように小高は意外と海が近かった。駅まで津浪が来ていたのである。
中世には港があり蔵まであった。
だから小高の城は港と隣接してあったのてある。
津浪で小高の城跡から海が見えたからである。
東北では城から海が見えるのはここしかないだろう。
だから海が見えたということで景観が代わり浮舟城というのが何か海と港と関係して名付けられた。
また紅梅山とか言われたのも今回春に訪れてぴったりだった。
梅でないにしろ枝垂桜が咲いていたからである。

いつれにしろ小高は相馬氏の最初の城が作られたところであり相馬藩の歴史としては重要である。
そして小高の城跡であり鳩原の村であれ江戸時代からある。
もし人が住まなくなったらそういう歴史も失われる。
それは何を意味しているのか?
それは江戸時代からつづいた歴史の喪失である。
そういうことを今まで考えたこともないのでどう考えていいのか戸惑うのである。
江戸時代からつづいた街であれ村がこうして消えてしまっていいのかとなる。
そのこともまたこの辺では考えさせられる問題なのである


(懸(かけ)の森山 (536.1m))
http://yamayama.jp/kakenomori/kakenomori.htm
タグ:小高

2015年03月31日

春霞(相馬市の城跡から鹿島原町をめぐりて俳句十句)


春霞

(相馬市の城跡から鹿島原町をめぐりて俳句十句)


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中村神社


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(相馬市)
城跡に黄色の蝶や舞いそめぬ
街道の道の狭さや梅におふ
夕鶯街道歩む二人かな
街道の細道変わらず梅と松
芽吹く樹を見上げて高く鳥の飛ぶ
(原町へ)
春霞原町広し国見山
阿武隈の山脈なだらか春霞
碑の一つ草に埋もれて落椿
江戸時代捨てらる墓や落椿
泉村たずねてあわれ落椿
紛々と夕陽に映えて梅ににおふ
晩年や梅の香満ちて里巡る
たちまちに燕の増えて鳴き騒ぐ

捨てられし夫婦の墓やなおともにあらむとここに春の日暮れぬ
日々暮らし我が墓ありぬその側の公園に散る椿見るかな


泉村十一面観音の捨てられた江戸時代の墓

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ここには文久と記されていた

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江戸時代の夫婦の墓

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北泉で津波から残った家

万作が咲いていた

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国見山が霞んで見える

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クリック拡大するとはっきり見えます



昨日今日と天気がいいので相馬市の城跡と昨日は原町の方へ行った。
相馬の城跡では相馬市の青年が何か城を取材して話した。
それはyoutubeに出すとか言っていた。
そきことはあとで書いてみる。


いつものように城跡から街道をゆくと梅林がありにおっている。
昔の街道は細いから人が歩くとより自然を感じる
そもそも今は人間が歩くことが絵になっている不思議である。
車しか通らないから歩くということが昔にもどることなのである。
旅であれ歩くことがない、だから歩く旅というものもなくなった。
歩く視点で見れないのである。自分は自転車だからまた歩くのとも違うのである。


原町に金沢を回って行った。泉村の十一面観音という所に行った。あそこも今回はじめて行った。あそこは看板があるから普通なら行っているはずだが行っていなかった。
そのことを若い人にも言ったけど本当に近くを知らないのか人間なのである。
最近すぐ近くの神社で天明の碑を見つけた。
こんなところにあったのかと驚いた。
なぜなら天明ということは天明の飢饉の時だから自分の住んでいる場所が関係しているのかと思ったからである。
60過ぎてから地元のことを知るのは遅い、でも最近知ったことも多いのである。
それだけ人間は近くのことでも知らないのである。
知ろうとしないということもある。関心をもたなかったら知ろうともしないだろう。
そして外国のことを情報社会だから気にして外国の方が詳しくなっている人がいるのが現代なのである。

原町に鹿島から出ると広く感じる。原町は確かに野馬土手あり馬を放牧していたから広いのである。広大な原っぱが原町だったのである。
春霞であり国見山が見える、あれは結構高い山だろう。あそこに国見山と名付けたのはやはり国見する山ということで名付けたのだろう。
小高と原町が中心に見えて鹿島が見えるが相馬市までは見えないというのもそきためなのか?つまり南相馬市を一望できるところが国見山なのである。
阿武隈山脈は山というよりなだらかな高原という感じである。
そこに昨日も今日も霞がかかっているから何かのどかである。
何か同じ場所でも季節で年によって見え方が違うのが不思議である。
たいがい同じ景色を見ているとあきるのである。
そして何ら自分の住んでる場所に故郷にも魅力を感じないのである。
富士山でもあればちがっているが山に関してこの辺は魅力ないのである。

それでも同じ場所でも今日は原町が広く見えたのである。
自分はここ七年間介護とか自分の病気とかで遠くに出ていない、だからいつも近辺を回るだけである。
でも今は一番いい季節である。梅はいたるところにありにおっている。
人間は晩年でも長く住み慣れた所がいいと思うとき幸せな気分になる。
だから前も書いたけど今回の津浪や原発事後では故郷に住めなくなったことが一番の悲劇だった。老人にとっては過酷だった。
若い人にはそうでもない、若いときは何かかえって都会でもいいし刺激のあるところがいいとなる。
ただ年取ると落ち着く場所がいいのである。
故郷が別にいい場所ではない、でも自然がありなごみがそこに生れる。
もう人間はもしかしたら田舎でもどこでも素朴だとかなくなった。
そういう社会になってしまったからである。
だから補償金とか金でももめて故郷でもばらばらになっていたしもともと一体感もなくなっていたということがあるのだ。
家族までばらばらになるというときそもそも家族すら一体感がなくなっていたということもあったのである。

自分の墓の側に公園がありそこに椿か散っていた。日々の暮らしの中でそうした自然の変化があり心にしみる。
だから毎日自分の家の墓の前を通っているから先祖をまだ死んだばかりの親でも意識するのである。
ところが墓が遠くになると意識しなくなる。彼岸とかに墓参りしても墓はその暮らしている場所と分離している。
そこに墓の意味が見いだせないのである。
墓地でも暮らしの中にあれば先祖でも意識するのである。
いづれにしろ避難区域ではそうして暮らしが破壊されたから墓もどうしていいかわからないとかなる。
若い人がも住まないとなるとそうなる
まずソーラーパネルで野菜栽培しているという風景も不思議である
普通俳句だと耕しといえば春の季語である。
そういうものもない、野菜工場である。何かそれも変わっている未来の姿である。
農業は実際は肥料だとか農薬だとか手間もかかるし採算があわないのである。
工場にしたらかえって楽なのかとも思うが実際はわからない。
ただ風景としては耕しという人間が大地を耕している風景が春らしいとなるのだ
ともかくこの辺の混乱状態はまだまだつづく
燕も一気に増えてなき騒いでいた、まさに春本番になる。

タグ:春霞

2015年03月23日

春彼岸で墓参りして思ったこと (人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


春彼岸で墓参りして思ったこと

(人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


町の空高く飛びけり初燕
めれにしも明るし昼間春時雨
我が墓に誰か花さす春彼岸
百輪ほど木蓮の蕾風にゆる

誰なれや我が家の墓に花をさす人のありしも春の彼岸に

初燕を見たのは昨日だった。今日は春時雨だった。春時雨などというのも実際にある。
今日は一時的に曇りぱらぱらと雨がふった。やはり時雨なのだろう。
春時雨となると全然冬の時雨とは違う。こういうのを季語にしているのも日本である。
春彼岸であり花を誰か自分の墓にさしていた。それははっきりと自分がさしたあとにさしているからわかった。
こうしてくれのは誰かわかる、どうしても姉が保健婦の時世話した人だろう。
それは近くに住んでいるし同じ墓だからだろう。
同じ墓地だとついでに花をさすということがある。

墓に花をさすということはやはり死んでからも忘れないといことでありそれはなかなかできない、たいがい人間は肉親すら忘れやすいのである。
墓参りするのは無償の行為であり本当にその人を思っていないとできない
一見花さすことなど簡単でも金がかからなくても人はしないのである。
だから墓地というのはやはりそうした人々の思いがある場所だから違っているとういことはある。
ただ墓も意外と今は遠くから墓参りしている人が多いから墓参りにくるのも大変だとなる墓参りとか掃除するにも近くでないとできないのである。
そういうことで土地の縁が薄れてしまったのが現代なのである。

人はいろいろである。恩を忘れない人もいれば忘れてしまう人もいる。
たいがい恩でも意識しない人も多いし忘れるのである。
人間はなんでも忘れやすいのである。死んだとたんにたちまち忘れられる
そんな人生きていたのかともなる
だから死んでも五年くらいたっても忘れないのはやはりありがたいとなる
正直金だけの関係で切れるのは悲しいけどほとんど今は特にそうなっている。
金がもらえないなら何の関係もないとなってきれている。
人間はそんな関係しか結べなくなったのかということが悲しい
それは肉親の間でも兄弟でも起きている

自分の一身上のことでも金、金、金・・・ばかりだった。回りも原発事故の補償金で金でもめて地域は分断された。それも金が原因であった。
なんでも人間関係も金だけだになると悲しい、何か金意外のつながりができたとき人間っていいなとなる。
それを作るのが今の時代はむずかしいのである。
かえって貧乏な時代の方がそういう人情にあつかったというのもあり人間は必ずしも豊かなことが幸せに通じるとはなっていない。
あるものは本当に金を盗むために来てあるものは金、金、金と自分の病気のとき要求してきた。
もう借金とかに追い詰められると相手のことなど見えない、金をしぼりとってやれとしかないのである。
だからすでに借金している人は人間でなくなっている。
借金のためにはなんでもする犯罪者になっているのである。
その餌食にされようとししたのが自分であり実際そうであった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰ば金しだい」とか本当に諺は人間の変わらぬ真理だった。つまり人間は昔も今も変わらないからこそ諺も生きている
ともかく墓参りするということはやはり人間として欠かせないものである。
つまり墓参りは何か見返りぁう期待しないからいいのである。
それは花をさすだけでもいいのであり問題は心が問われている。
死者を思わないものは花一本もささない、それは親子でもそういうことあるから人間は肉親に対しても非情化する、そしてとにかく忘れやすいということである。
死んだ人を何十年も思いつづける人は肉親だろうが兄弟だろうが夫婦でもいないだろう。つくづくだからこの世は無常なのである。
肉親の関係すら死んでしまえばはかないとなる。それはやがて老人になればいやおうなく現実になる。
そもそも人間にそうした金意外とか利益意外の関係を求めること自体ありえない
ただその時々の利害関係しかないとなる
だから結局人間の関係も一時のものでありこの世の縁もそんなものでありたちまち人はみんな死んで二度と合わないとなっているのである。

人間はある点でつくづく犬や猫以下になっている面がある
なぜこれほど犬や猫に思い入れが深くなるのか?
それは人間の貪欲さや非情さから人間より犬猫の方が無欲でかわいいとなっているからである。
犬の方が恩を忘れないとなもなる。
人間は嘘をついたりと動物以下なのである。
だからどうしても人間嫌いになり犬猫の方がいいとなるのもわかった。
人間の醜悪さは悪魔的なものになってしまう。
他人などはもう人間とも見ていない、こいつからいくら金がとれるんだしかなくなっている
そういう世の中になったから極端化したから津波でも原発事故でも来て故郷も消失したのかもしれない
ずっとそのことは自分の一身上のことから思いつづけていたのである。
動物以下と化している人間は滅びるほかないとなるからである。
そんな人間の世の中は滅びてもいい、惜しくもないとなってしまうからである。


タグ:春彼岸

2015年03月21日

春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)


春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)

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真野ダム展望台

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一軒一軒復興住宅に春日さす
飛び来る鳥に匂える朝の梅
初蝶や栃窪に見てうれしかな
椿散り今し流れて消え去りぬ

イヌフグリ畦に満ち咲き田起こしの土黒々と田植えはじめむ
紛々と里には梅の香りかな草も萌えにつ我が踏み歩む
大岩の春日をあびて蕗の薹あまたいでにき流れひびきぬ
それぞれの形に石の並べられ春日をあびて所得るかな
石二つまた石二つ並びつつ夫婦のごとく春の日さしぬ
春日さし石に腰をおろしつつ我は休みつ人また来る
真日さして紅梅映えゆ赤々と椿もここにあまた散るかな


復興住宅も一軒一軒の方が景色にあうし春の日がさしてのどかな感じになっている。
団地だとやっぱり何か一軒一軒の家とは違っている。
今日は真野ダムの方まで行ってきた。春らしい春だった。
蕗の薹が一杯でていたし梅がいたるところでにおっていた。

真野ダムの展望台で倉敷の人と出会った。
その人は鹿島に実家があると言っていたが鹿島で育ったわけではない、自衛隊の関係でいたのだが今は倉敷に住んでいるという。子供連れだった。
倉敷はずいぶん遠いですねというと1200キロあるというから本当に遠い
常磐高速を来たという、それにしても遠い。
「倉敷は瀬戸内海は海が穏やかでいい、こっちは海が荒いから」
「このダム湖のように静かですよ」
「でも瀬戸内海は潮が勢い良く流れているだよな」
「ええ、潮の流れの強い所では魚が大きくなるんですよ」
「ええ、そうですか、やっぱり潮の流れにさからうとかで筋肉がつくのか」
「まあ、そういうことかも」
「鮎でも流れの強いところでは育ちますから、天然の鮎は肉がしまらないからうまくない」
その人は城に興味があるという。そういえば西の方は城がそれも大きな城が多い。
そして瀬戸内海に海と通じている城が結構多いのである。
それで相馬藩の初代の殿様が瀬戸内海の城をみて海に通じていることを見て一時小高の村上に城を築こうとしたのである。あそこはその時港があった。蔵まである港があった。
それは瀬戸内海の城を見聞してまねたのである。
瀬戸内海の城では明石城などが淡路島などが見えて気持よかった。
東北では海に面した城はないからである。

自分の場合たいがいその人が住んでいる場所に実際行っているから話を合わせられるのである。倉敷にも行っているし瀬戸内海も行っている。
日本全国ほとんど行っているからその人がどういう場所に住んでいるかたいがいイメージできるから話を合わせられるのである。
ただ海に通じている城が多いとしてもなかなかそこまで見るのは一回らいではむずかしいのである。海が近くでも見えない場合があるからである。
明石城ははっきり見えるからわかりやすかったのである。

田起こしされた田んぼが今年は多い、でも栃窪のほうになるとない、山側になるとまだ放射線量が高いからである。
南相馬市でも今年は6倍くらい作付き面積が拡大するというから相当に増える。
これも復興になる。常磐高速で来たというのも復興になる。
ただ飯館村などは復興しないだろう。草茫々に埋もれているだけである。
城に興味あるんだけどどこがいいですかと聞かれたから二本松の城は天守閣が高いところにあるから見物だと言った。
だから二本松の城に行くと言っていた。あそこの城は本当に高い所にある。
東北では城が少ないし小さいから見るべきものが少ないとは言える。

とにかく外からの人と話すと何か得るものがある。
いろいろな面で比較できるからである。
そもそも日本のことは外国と比べないとわからない
日本のことを日本人自身がわからないのである。
自分の土地のことも他の土地と比べてわかるのである。
ただそれにはその土地のことを知らないと話できないのである。
自分の場合たいがいその地を実際に踏んでいるから話ができるのである。
いづれにしろ倉敷は本当に遠いなと思った。

真野ダムの展望台にはいろいろな石が並べてあった。あの石も面白いと思った。
石に興味があるからそれぞれの石にも個性がありみんな形が違ってる。
形が違っていても調和するのである。
あそこは石の庭として面白い場所である。

ともかく飯館村でもアイノサワでもあそこに石がありあそこも人が来れば以前として活きることになる。人が来ないとそこは死んでしまう。
石すらそこに春日がさして人が座るとき活きたものとなる。
だから飯館村でも人がいなくなっても人が入る必要があるのだ。
そうすれば全く無人の死んだ村にはならないのである。
今日は何人かあそこに来ていたから活きている場所になっていた。


タグ:真野ダム

2015年03月17日

春霞(今日は海は霧で山は霞)



春霞(今日は海は霧で山は霞)

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パノラマ写真


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朝霧に雲雀の鳴くや数羽かな
真日さして野梅匂うや里の山
春霞家点々と里の山
紅梅に里の雀の映えにけり
この家の土蔵の古りて落椿

春来たり雲雀は鳴けど淋しかも里の田畑は荒れにけるかな

今日は海の方が朝は濃霧が流れた。海側は良く霧になる。午後からも霧が海には流れていたが山の方は霞がかかっていた。
今日は春らしい春であたたかい、野の梅がそちこちにありにおっていた。
ただ田んぼは荒れていた。この辺は除染で普通ではない
その田んぼの土をとるだけで大変な作業でありその土の置き場があちこちにあって普通ではない
だから何かのんびりしとした田園風景ともなっていない。
車も多いから余計にそうなる。

春霞に点々と家があるのどかな風景が普通なのだかそれが除染作業でそうはなっていないともかくこの除染は土をとるのだから容易じゃない、その量も莫大なものとなる。
田舎ののどかな風景はそれで壊されている面がある。
ただ梅は咲いてにおっている。

春なれや名もなき山の薄霞   松尾芭蕉

写真に撮ったのは薄霞である。

今朝行きて明日には来ねと言ひし子が朝妻山に霞たなびく柿本人麻呂

冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく

春霞は万葉集ですでに使っている。霞はやはり春になるとかかり春らしいとなる。

夕陽映え遠くに霞む春の冨士


写真で俳句にするのはたいがいいいものはない、俳句は写生でも写真から作れるようでも作れない、現実に見えるのは立体だしその雰囲気は写真では全部わからない。
でも写真はいいのが今ではいくらでもある。
富士山が見えたら気持いいだろう。富士山は良く見ていないからだ


霞とはもやとか霧なのか?海側は霧が流れていてしめっていた。
だから山側も霞になったのか?何か粒子にさえぎられるか霞む
それが科学的解説になる。
タグ:春霞

2015年03月14日

暁に鳴く雲雀 (俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)


暁に鳴く雲雀

(俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)

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暁に雲雀鳴きそむ一羽二羽
暁に月光冴えて春寒し

暁に残月光り津浪後残る社や春寒しかも



 「暁(あかつき)」というのは夜なのか朝なのか。これを
「明け方の頃」と理解して「朝」と思っている人がかなりいる
が、正しくは「夜」の範疇に入るものである。


暁と曙はまぎらわしい、暁のあとに曙がくる。
暁はまだ夜である。
今日は暁のときだった。今日は結構寒く春という感じがしなかった。
「春は曙・・」があるがそんな感じではなかった。
実際にまだ暗かった。それでもすでに雲雀が鳴いていたのである。
ずいぶん早く鳴くものだと思った。
二三羽鳴いていた。

俳句は写生が基本である。なぜ俳句がつまらないものが多いのか。
やはり写生に徹しないからだろ。
何か意味ありそうな深いものを現しているようでも俳句では俳句にならない
そういう意味ありそうな俳句がまた多いのである
だからそれがなにかいいように思えるのである。

要するに俳句は単純に写生に徹した方が深い趣が出る日本的芸術なのである。
暁に雲雀が鳴いている、一羽、二羽、三羽と鳴いているとなる
それは明らかに写生なのである。
ここで例にだした俳句も写生ではないから鑑賞にたえないのである。
俳句の評価はむずかしいが写生を基本にすれば評価しやすいとなる
つまり俳句は作るより評価する方がむずかしい芸術なのである。
誰でも作れるから評価する方が深く読む力のある人が優れているとまでなる芸術なのである。

暁(あかつき)の 紺朝顔や 星一つ
                 高浜虚子
                 
これは写生だからいいのかも、朝顔が咲いていて星が暁に一つ輝いていた。
説明もないし写生だから評価できる。
虚子も写生でないのが多いのである。
でもが暁に紺朝顔が開いていたのか、まだ開かない朝顔だったのか?
普通は開いた朝顔をイメージする、でも写生になれば開いていないかはもしれない
そこまで読む必要がでてくるのが俳句なのである。
朝顔は光がささないとやはり開かない・・・とすると厳密には写生ではないことになる
でも開かなくてもそれが紺朝顔として認識されていたことは確かである
これから開く紺朝顔として・・・
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2015年03月13日

今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)


今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)

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今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)
ネギ畑があり海が見える
この辺から海が見えたことはない
松原だったから海は見えなかった


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これはツグミだった、ツグミは地上で虫をあさっているが
朝は木にとまっている
でもこんなに群れているのは見たことがない
一羽づつ見ているからである。
ここからは海が見えるから気持ちいいとなる



海老の浜


昨夜の雪
椿に映えて
海老の浜
広々と見ゆ
梢に高く
鳥のとまりて
見晴らしぬ
阿武隈山脈
その奥の嶺
雪のふるかな
飯館村に久しくも
我は行かじも
沖行く船よ
朝広々として
津波の後に
視界開けぬ

昨夜の雪が一面に白く残っていた。
海老の浜に今日も行った。
あそこが津波が来て家がほとんど流された結果視界が良くなった。
今まではあそこに椿が咲いていることを知らなかった。
海外よりは奥でありまた家にさえぎられ見えなかった
海老の浜はもともと高いから視界が良かった。
でも今ではそんなに感じなかったのである。
360度展望すると阿武隈山脈が見えてかなたは飯館村となる。

どうしても人間は広い所と明るいところを指向する傾向がある。
山の方は暗い感じになるので朝には行きたくない
海はやはり心を広くする
こういう景観は心に影響してくる
山に囲まれていると閉塞感が強まるだろう
会津などでも山に囲まれているし中通りだってそうである。
日本は山国だから山に囲まれて生活している人が多い
会津の方に避難した人たちがイワキとかに移りたいというのは
海が見えるのとあたたかい所がいいとなる
海を見ていて生活しているのと山に囲まれて生活しているのとは
相当に心が違ってくる
海は開放的であり山国は閉鎖的なにる

明治維新もいろいろ見方があるが風土的地理的な影響もある
山口県とかでも海に面している
瀬戸内海は交通の要所であり薩摩藩でも海に面して貿易していたのである。
そして外国も関係していたからこの影響が大きかったのである。
東北の海は瀬戸内海の海とはあまりにも違っている。
村上水軍なども育たない海である。
ただ広く人間の営みの海ではないのである。

いづれにしろ海を見ていると心が広く解放された感じになる
だから朝は海の方に向かうのである。
そして毎日気候の変化があり感じるものが違う
介護になってから7年間くらい仕事に追われ遠くに行っていない
一人で家事でも何でもやっていると時間に追われるのである。

タグ:椿

2015年03月12日

春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)


春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)

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海広く朝鳴きあいぬ雲雀かな
春の朝山鳩二羽や平和かな
イヌフグリ津波の跡の海老の浜

海向かい観音様や朝日さし供養の碑かな鶯の鳴く
椿咲き海広ろかに見渡して津波の跡の海老の浜かな
海老の浜津波の跡に春の霜我が踏みにつつ残る松かな
三十人ここに死ぬとて春の霜津波のよする跡凄まじき
広々と海広がりて阿武隈の奥に雪の嶺春の朝かな

今日は昨日よりあたたかい、それでも春の霜でありまだ寒さはあった。
海老の浜は津波で家がなくなり見晴らしが良くなった。
今までにない景観になった。
松原もないから海か広く見えるようになった。
海老はもともと高い所にあったから見晴らしがいい。
でもこんなふうに広々と見えなかったのである。
家がないとこんなに景観が変わるものかと思った。

椿が咲いていてそこに海が広々として見える、あれは自生の藪椿である
景観的にはいいからあそこを海浜公園にすればそれなりに観光地になる
いづれはあのままにしておくことはできないから公園化するほかないだろう。
見晴らしがいいから気持ちいい
そういうとここで死んだ人を思わないのか死んだ人からするとまだ受け入れがたいだろうでもいつまでもそのままにしておくわけにはいかないだろう。
海老浜は烏崎より公園化しやすい、烏崎は火力発電所で景観が悪くなったからあそこは魅力がない、海老浜は前より景観的に良くなっているのだ。

防潮堤を高くして海が見えなくなるということで問題になった。
確かに海が見えないと海側に住んでいる魅力がなくなる
観光に来てもつまらないとなる
松原はなくなったのだが景観的にはまた違ったものとして魅力がでてきた
海が広く見えて阿武隈山脈が見える。
蔵王連峰も右田の方から見えたのである。

津波で景観が変わったのでそのことをずっと報告してきた。
椿は家並みに隠されて見えなかったのである。
意外は家が見晴らしを悪くしていることに気づいた。
何か家がなくなるとこんなに見晴らしが良くなると思わなかった。
家といってもあそこはビルなともないからである。
都会で景観を悪くしているのは家が密集してビルが建て込んでいるからである。
ビルがなくなり家も少なくなると見晴らしが良くなる
江戸時代は東京でもビルもないから富士山が見えて見晴らしが良かったのである。


タグ:海老浜

2015年03月11日

春から冬にもどる朝の景色 (今とって来た写真)


春から冬にもどる朝の景色

(今とって来た写真)

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海から昇る大洋

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山は雪が降っている

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凍った荒地に日がさしてくる



雪舞いて朝日昇りつ雲雀鳴く津浪の跡の凍る荒野に

春の朝陽の昇り来る誰かしるかすかに月の残るを見ゆる

プログというかインターネットでは本当は実況中継ができるメデアである。
ただプログだと時間差がかなりあって読んでいる
まだテレビで実況中継を見ている。
プログはまずまだ読む人が限られている。
だから実況中継しても見られないから力を入れないということがある
一日の中でも朝、昼,夜と景色は変わっている。
その日の内に見るとしてもそこに時間差が生れる
テレビを見たら北海道が寒く雪がふっている
他も今日は寒い、ここは山が雪で風花が舞っていた。


ただ春だから雲雀が鳴いていたのである。
津浪の跡は凍っていた。
写真に写っている所には津浪はきていないがすぐ前に来ているし光景的には同じである。そしてこの景色が今のこの辺の状況を語らずしして示している
凍った荒地に朝の陽が昇る、何か荒涼としているが春だから雲雀が鳴いている。
その雲雀の声が春の訪れを告げているがまだ寒く津浪の跡の荒地は凍っている。
今日の風景なにか不思議であった。
写真からだけではその場の風景を状況を知るのはむずかしい。
立体的に369度の感覚で見れないからだ。
寒さとかも感じないから写真だけでは感じない
人間は肌で感じない限り本当に感じたとはならない

結局写生が短歌でも基本である。
今日の景色はそのまま変わっているから写生になる
この辺は津浪の被害で写生そのものが驚くべきものとなってしまった。
未だに津浪の跡は荒涼としているからだ。

月もかすかに見えた、朝日が上り月は沈んで消えてゆく
それは世代交代ということも感じる
自然も人間を象徴しているのである。
タグ:春の朝

2015年03月06日

椿は海に映えて咲くもの (津浪の跡の海老浜に椿が映える)


椿は海に映えて咲くもの

(津浪の跡の海老浜に椿が映える)

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朝の海光り百輪の椿映ゆ
百歳を生きて幸あれや梅開く

石一つ津浪の跡に残りつつ船行く遅し春の海かな



川の上うえのつらつら椿つらつらに見れども飽あかず巨勢の春野は (56)
吾妹子(わぎもこ)を早見浜風大和なる吾待つつばき吹かざるなゆめ
   巻一 七三 長皇子
   
あしひきの 山海石榴咲く 八つ峰(お)越え 鹿(しし)待つ君が 齋ひ妻(いわひづま)かも
巻六 一二六二 詠人不知
   
   
ツバキは典型的な照葉樹であり、わが国では東北南部までの照葉樹林帯には普通に分布し、海岸地方だけでなくかなり内陸部にも自生し、所々に大群生が見られる。ツバキの材は堅く丈夫なので古くから利用されてきたが、考古学資料としてもっとも古いのは福井県三方五湖の縄文遺跡鳥浜貝塚で発見された漆塗りの櫛(くし)で約5000年前のものと推定されている。鳥浜貝塚からツバキ製の石斧の柄も出土しているという。前述したように、ツバキの実は良質の油脂に富み、古代では中国への主要な朝貢品の一つであった
http://www2.odn.ne.jp/had26900/topics_&_items2/on-tsubaki.htm

『隋帝国』第二代皇帝で詩人・文人でもあった煬帝(在位604年〜618年)が遣隋使の小野妹子が献上した椿を見て『海石榴』と名付けた。それは、基本的に内陸に文化の中心を持つ漢民族にとって海は辺境であり、椿が異国の更にその海を越えたところから持ち込まれた赤い花を見て感嘆し、同じ赤い色の花をつけ、当時の中国人がこよなく愛したとされる石榴(ざくろ)の名をとって、詩の中に『海石榴』と漢名として初めて使われたという
これは、景行天皇が熊蘇征伐後、豊後(大分県中南部)に凱旋したとき土蜘蛛(つちぐも)を討つ話しで、ツバキの木を武器として槌を作った処を海石榴市(つばきち=大分県大野郡)と名付け
http://mitsusima.jugem.jp/?eid=460

ツバキは北海道を除く日本列島に、本州から四国・九州をへて琉球諸島まで自生する。ツバキ自生の北限は、本州の最北端、青森県は陸奥湾に突き出した夏泊半島の椿山である。この北限の椿山については伝説があり、「柳田邦夫全集・第12巻『豆の葉と太陽』」(筑摩書房)は次のように紹介する。


昔この湊に往復して、木材を西に運んで居た船の船頭がこの土地の婦人と馴染みになって居りました。
或年の出舟の別れの日にその女が申すには、貴方の御国では椿の実の油を用いる故に、女の髪がいつ迄も黒く艶々つやつやとして居るということを聞いて羨ましいと思います。どうか来年はその椿の実を持って来て私に下さいと謂ったそうであります。船頭は快く承諾して約束をしましたが、何か故障があって次の年も、又その次の年も津軽には来ませんでした。
三年目の同じ頃に、約束の椿の実を船に積んで、男は小湊へやって来たのでありますが、もうその時には待兼ねて疑い且つ恨んで、海に身を投げて女は死んでしまって居たと申します。そこでこの岬の山にあった女の墓に参って来て、その椿の実を墓のまわりに播き散らして往いったのが、後に是だけの椿の森になった のだと伝えて居ります。




古代、人が約束の言葉を交わすとき、ツ(唾)の神が出現すると信じられた。「日本書紀」にも、こう記す。
時に、イザナギまた慙はぢたまふ。よりて、出で返かえりなんとす。時に、直ただに黙もだし帰りたまはずして、盟ちかひて曰のたまはく「族うがら離れなむ」とのたまふ。また曰はく、「族うがら負けじ」とのたまふ。すなはち唾つはく神を、号なづけて速玉はやたま之男のおと曰まうす。  [ 神代紀・上・第5段 ]
http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/s/tubaki.html

津浪で村が消滅した海老浜には今は椿が咲いていた。その椿は今までは家があって隠されていたので気づかなかった。かなりの数が咲いている。
海老浜は前はシャリンバイの自生する南限の地として有名だった。
椿というのも南の植物である。だから海に映えるのである。
海にふさわしい花なのである。

ただ万葉集は奈良が中心だから山に咲いていて歌われていた。山海柘榴という表現があるのはまず海柘榴があり山を加えたのである。

基本的に内陸に文化の中心を持つ漢民族にとって海は辺境であり、椿が異国の更にその海を越えたところから持ち込まれた赤い花を見て感嘆し、同じ赤い色の花をつけ、当時の中国人がこよなく愛したとされる石榴(ざくろ)の名をとって、詩の中に『海石榴』と漢名として初めて使われたという

中国にとって海はなじみがない、それで椿に海をつけて名前にした。石榴はシルクロードを通じて入ってきた植物である。ここでシルクロードとの交わりが見られるから興味深い。ただ椿にこれだけの交流の歴史があるとは思わなかった。

照葉樹林文化に共通する物質文化は以下のようなものがあります。水晒しあく抜き技法、発酵茶、絹糸虫の繭からの製糸、漆器、柑橘シソ類の栽培、麹発酵酒、納豆などの大豆の発酵食品、ナレズシ、コンニャク、雑穀稲のモチ種、オコワ、チマキ、モチなどのモチ性の儀礼食品、高床の吊り壁、雑穀イモ類の混作焼畑、山の神信仰、歌垣や鵜飼の慣行、天の羽衣説話、死体化生神話などです。

照葉樹林文化というときイワキの波立薬師のある海岸にはツワブキと椿が咲いてそれらしかった。ツワブキは海岸地帯に自生する。
キク科の多年草。海岸近くに自生。長い柄のある葉が束生し、葉は腎臓形で厚く、上面は光沢がある。10月ごろ、花茎が約60センチ伸び、黄色の頭状花が多数咲く
これは秋に咲くのである。
いづれにしろ椿は日本では親しみのある花であり海岸地帯を起源としている。
ただ奈良時代に万葉集が作られたから山に咲いているのが多く歌われたのである。

津浪では海岸の景観が変わってしまった。見晴らしが良くなった。
津浪の跡はいつまでもあのつまにしていいのかともなる。ただ四年すぎても悲しみは変わらない
だから何か手を入れるにもまだ土地の所有者がいるのだからむずかしい。
ただいづれ整地して公園のようなものにするほかないだろう。
他ではそういう計画がある。

インターネットはこのように編集しつつ書くのである。つまりインターネットには情報の集積がありそれをいながらにして検索できるから情報社会なのである。
図書館ではなかなか検索などできない、本でもできないことが編集するのがむずかしい。「椿」というキーワードで知識が広かり編集できるのがいいのである。



タグ:椿

2015年03月04日

春の月(原町市へ)


春の月(原町市へ)

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高台の墓地に春日や平和かな
春日さす鳩の数羽や平和かな
余裕あれ喫茶店の窓に春の月
春満月海より昇り4年すぐ
春の灯や新築の家増えにけり

川子の高台の墓地はいい場所にあると思う。あそこの下まで津浪が来たから驚く、
あそこはずっと高いから津浪とは何の関係ないにしても何かこの辺では津浪が来なくて良かったなとかなる。
自分の住んでいる所も津浪が来た場所から500メートルくらい離れていても何か津浪の影響が大きいのである。
500メートルの地点で津浪が来た家があった。あの辺は遠いからたいしたことがないと思っていた。でも床上まで来ていたのである
あそこは海から3キロは離れている。それでもそれだけの被害があった。
だから今でも住んでいて怖いとなる。実際のその感覚は自分でもわかる。
だから常にこの家の庭の石が流されなくて良かったなとか見るのである。

イオンでは本などを買った、あそこでさつまいもを焼いているのがいい、サツマイモが大きいのが一本120円だった。鹿島ではそれより細いのが170円だったのである。
鹿島ではスーパーが一軒であり値段が高くなっているから損なのである。
つくづく川内村から郡山市に移り住んだ人が帰りたくなるというのもわかる。
物価だってかえって今は田舎でもさらに辺鄙なところがありそこはかえって物価が高いのである。
そして歯医者も何もないとなると住みたくないとなる、飯館村なども住居としては森に囲まれていていいのだが規模の小さいスーパーが一軒とか他は診療所があっても何もない
第一車がないと住めないのである。なにするにも遠くに出ないと生活できないからである自転車では生活できないのである。

今暮らしいいのは最低で4,5万の都市である。そこなら田園都市にもなっているからいいのである。そこなら車がなくても便利な暮らしができる。
田舎は車がないと生活できないとしきりに都会の人が言うけど4,5万の都市なら病院でも医者でも一応そろっているからできるのである。
まず一万だったら今は不便である。車がないと医者にも行けなくなる。
そして年取って病気とか介護になると余計に今は不便になるのである。

今日は春満月が出ていた。ガストの窓にその満月がでていた。
今日は老人施設にショートスティだから食事の用意をしなくてもいいからゆっくりしていた。
食事の用意で結構時間がとられるのである。
金があればもう外食にすれば時間の余裕が生まれる。
ただ野菜が不足するから野菜を食べるためには家で料理するほかないのである。

この辺は震災から四年すぎる。春満月が出たとしても津浪の跡は以前として寥々としている。ただ徐々にその傷跡も癒えて春満月がふさわしいとなる。
ただその日はまだまだ遠い、あと十年なのか二十年なのか?
その傷跡はあまりにも深かったのである。
新築の家は今でも増えている、でも家を建てられる余裕のある人はもう少なくなっているという、あとは復興団地のような所に入る人なのかもしれない。
今日はともかくあたたかかった。でもまた北風が吹いてきたのである。
電動自転車は風でも馬力があるから走れるのかいい、これがないと今日は原町には行けなかった。

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