2018年05月04日

歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで) (都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで)

(都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


小島田から坂を上るところの脇の道は細い,そこを旅人二人歩いた,話ながら歩いた
そこで八重桜を見て今藤の花をみていると歩きながら語った
別にその人は風流とか俳句とか作る人ではないだろう
でも何かそのことだけでも花を見ていたのだと感じた

旅人の行くや道の辺に夏の蝶

旅人と歩きつつ話し夏燕


その道は細いから道の辺の草むらに夏の蝶,揚羽がとまっていた
歩く旅人がその時絵になるのだ,歩く旅人は浮世絵にも描かれたようにそれだけで絵になっているのだ,そんな当たり前のことが現代から消えたのである。
こういう風に感じたのももし六号線の坂を上っていたら感じないのである。
そこは細道ではないからだ,奥の細道というように江戸時代はみんな細道だから人が歩き自然を感じ道連れにになり人情を感じる旅になっていたのだ

旅人が消えたというときみんな車が主役になったからである。
車が国道を流れてゆくだけでありそこに人は主役になっていないのてある。
車に人がいるとも思えないのである。車という機械だけが流れてゆくようにしか見えないのである。車という物体が流れてゆく,通りすぎてゆくだけなのである。
こういう風景が日常風景になったとき人間はそれが当たり前となり何も感じないのである
旅というのは歩きながら自然と共感して一体になることでもある
雲水とかいて修行者もそうして歩いたのである。

人間は今やその基本である歩くとういことをしない,奪われたのである。
だから旅人もいない,ただ車という機械だけが流れすぎてゆくだけの無味乾燥なものとなっている
ただそんなことをとりたてて取り上げる人もいないのである。
そんなことを言うのはもう異常なこの世から離れた世捨て人でもあるとかなる
それだけ人間は人間の基本である,歩くということ,それがなくなったのである。
原始時代から人間は歩くことが基本としてあった,そもそも人間は二本足立った,歩くことで人間になったとされる

木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、(心の青雲ー都築詠一氏)

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

心の青雲の著者の都築詠一氏が死んだがそのことを哲学的に追及した,この掲示板にそのことがでている,哲学的になってむずかしいが人間の認識の基礎は歩くことによって培われたとなる
それで歩くことがなくなったとき人間はどうなるのか?人間の認識は浅薄なものとなる
大地から離れたものとなる,しっかりと大地を歩むことにより人間は大地と一体となるのだ,その基本が失われた時人間は自然を認識できないともなるのだ
この辺はもっと考察する必要がある

ここでは人間が歩いて旅するということで人間を見直す人間の認識の根源に還るとなるとおおげさだがそういうことが実際にあると思う
人間の思考が認識が現代人は深まらないのは歩かないからである。
都築詠一氏は重い荷物をもって歩くことを基礎にして空手に精進したのである。
今や歩くことはこのように自らに課さないとできないのである。
彼自身もこのように歩いて精進していた,それで日本兵が長い距離を歩けた体力と精神力に感心していたのである。
またその時は車のない時代だから歩く力があったとなる
心の青雲の都築詠一氏については最近書いていなかった,ただ歩くことによって日々鍛練していたのである。

ともかく自分自身が今回の経験が不思議だった,共に歩く経験をしていないからである
自転車と歩くのとはまた違うからである。歩く方が認識が深まることはまちがいない
歩いたからこそ道の辺の夏の蝶を見たりして心にとどめるのである。
自転車だと通りすぎてしまうということもある
歩くことただ歩くことが今や人間回復の道である。
歩いて自然でもまわりを認識することが人間回復なのである。
これも都会だとあまりにも雑音が多すぎるから深い認識ができないのである。
歩く禅というのもあるから無心になり歩くということが修行でもある
それで山頭火が歩いて旅して俳句を作った

原町に今日泊まれる旅人や明日またたたむ夏の星かな

夏になると旅人が増える,自転車の旅人もふえる,ただ鉄道はまだこの辺はいわきまではつながっていない,だから六号線をずっといわきまでは歩くことができないのである。
途中は放射線量が高いので六号線は歩いては通れない,あと二年後には開通する
その時浪江とか小高でも人が前よりは帰っているし道がつながるし鉄道もつながるとなる日本後となると震災から9年とかなるから長かかったなとなる

なんか自分は旅していないが歩く旅人が来て自分も旅している感覚になった
つまり歩く旅人とは共感するのである。


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


今日六号線を歩いていた人は亘理から歩いてきた,その人は大船渡の吉浜から歩いてきたのである。約500キロ歩いたという
その人は67歳である。この年でこれだけ歩くのは相当な体力がある
自分はこれだけ旅しても歩いた旅を経験していないのである。
だから歩く旅がどういうものかわからない,自転車ではしても歩くのはまた違っているからだ
ただ歩く旅は国道沿いを歩くからそこは歩く人が主役ではない,車が主役なのである。
それはどこでもそうだが特に国道はそうなる
どうしても遠くから来るとわかりやすい道を行くことになるから国道になる
そして国道沿いにはコンビニとかあり休める所があるからいい,それは昔の茶店になるからだ
まずほんとうき旅は未知の世界へ旅することだがそれは今ありえないのである。
自分は阿武隈高原を自転車で気ままに旅するときそうだった
どっちの未知を行こうかなと分かれ道を自由に選んで走っていたのである。

今日はこの旅人小島田から坂になっている所の脇道を案内して一緒にずっと歩いた
その人とは話ができた,何かそうしてかかわることを嫌がる人が多い
でもなんとかその人とは話ができて1キロくらい一緒に歩み話したのである。
その人は神戸の人であった
みちのくの旅は大船渡の吉浜からはじまっている,一日平均50キロは歩いている
500キロとすると10日間歩いたのかとなる
江戸時代でも約40、50キロ歩いたとなるからスピードとしてはそのくらい歩いたのかとなる,ただ今は道がいいからそのくらいは歩める
でもつくづく体力の差がある,その人の足を見たら太いのである。
その人はマラソンもやっていて日頃歩く旅をしているからできたという
継続していたからできたという,日頃していれば歩く旅もできるとういことかもしれないでも自分は50キロ自転車で走っただけでも相当に疲れる

自転車の旅だと途中で休むことができるし栄養もとることができるからつづけられる
登山はそれができないから苦しくなる
自分は旅してきたから旅する人に興味がある
でも車とかバイクはだめである。早すぎるからである。そういう人とは話もできなかった自転車の旅の人だと話ができるのである。

とにかくその人は自分は旅しているのではないが一キロを同伴した,そして藤の花がそちこに咲いている
その人はみちのくには桜が散って八重桜の時来て今は藤の花になった
それで芭蕉の句を思い出した

 草臥れて宿かるころや藤の花

まさにこれだった,歩いているからこそこの句ができたのであり奥の細道でも歩いたからこそできたのである。だから本当は歩いて旅しないと芭蕉の奥の細道は鑑賞できないのである。
ただもう奥の細道を偲ぶ道はない,一つだけ白河の関所跡は当時の面影を残している
小暗い森を出ると白河の関所跡に出るからである
あとは国道になるからそうした面影を偲ぶものがなくなる

みちのくの旅路やあわれ桜散り八重桜のあと藤の花咲く

桜は散っていたが八重桜になり今は藤が盛りである。その季節の変化があったが10日間ではそれほど感じない,季節の変化を感じるには相当に長い旅をしないと無理である。
でも八重桜が咲き藤の花が咲くという変化があった

50キロ歩く旅人夏の鳥

歩ききて原町宿や藤の花

原町に草鞋をぬぐや藤の花


原町宿はあった,原町は宿場町でもあった,その絵も残っている
あるいた旅ならこうなるのである。車とかバイクとではこうはならないのである。
歩いてきて疲れて草鞋をぬぎ宿をとるところに人間的なものが生まれるのである。
人間が旅しているのであり車や電車でも何か機械が旅しているとはならないのである。
現代は便利になりすぎて旅も失われたのである。
草履をのぐというときいかにも歩いて旅したときの言葉なのである。
そこにはその当時だけにありえたものでありその言葉の意味をくみとれないのである。
一日歩いてやっと休める宿だなとなるからだ
迎える方もそうしうて歩いてきた人をもてなすのにはそれなりのもてなし方があるとなる車で来る人にはそうした苦労がないからもてなすにしても違うものになるのである。
だから現代には旅人はいないのである。それも淋しいことなのである。

その人は原町に泊まり神戸に帰る,いろいろな所をその人は歩いて旅している
それができるのもやはり体力があるからである。
自分は何か体力がなくなった,だから旅はしていない,遠くにも行かない,仙台にも一年行っていないのである。
介護十年していたときからそうなのである。
でもこれだけ旅したから旅人に興味があり旅をふりかえるのである。


2018年04月29日

満月や蛙の鳴いてや田水張る (蛙も同じ命であり復興の象徴になった)


満月や蛙の鳴いてや田水張る

(蛙も同じ命であり復興の象徴になった)


復興団地にタンポポあまり映えにけり

街中の空地にタンポポ咲きまぶし

芸人のボールの高く春の空

自転車に燕飛ぶ影よぎるかな

我が庭のボタン見ぬまに散りにけり

受け継ぎぬ栄華の牡丹我が家かな

満月や蛙の鳴いてや田水張る


受け継ぎぬ栄華の牡丹我が家かな


この辺はまだ復興の途中だということがある,でも蛙の鳴き声もひびくから前のうよな状態にもどっている,今日満月でありすでに夏の月である。
今日も暑かったからである。
それで田水張る田に満月が写り光る,これも人間の営みと自然が調和した姿なのである。その時人間の世界と自然が融和するから美が生まれるのである。

俳句は季語などはこうした稲作とか深く関係して生まれている
だから本当は農業しないと実感が生まれないともなる
なにか田水張る田に満月がふさわしい
復興したなと感じる,そういう光景がなくなっていたからだ
だからこの辺はまだ復興ということを感じないことがあった

やはりこれだけの災害だと復興といっても十年はかかる,もうその時一昔前になる
神戸でも10年たっても以前として復興がすべてにわたってできたわけではなかった
それだけここも甚大な被害だったのである。

ともかく避難区域になった小高とか浪江とかはこうした田んぼがないから復興を感じない自分が復興を感じたのは田が前のように作られて蛙がもどって鳴いた時だったのである。田んぼはやはり復興の象徴だったのである。
田舎では田んぼがないとしたら田舎なのかとなるからだ

ソーラーパネルとか風車とかできてもそれが復興とは感じないのである。
なぜなら蛙は同じ命であり人間と通じ合うからである
人間は機械を利用してもロボットでも同じ命だとは感じないのである。
そこが根本的に違うのである。
蛙は同じ命をもつ仲間だという感じになる
それは理屈ではない,本能的なものである

だから仏教では法華経では草木成仏とか動物も人間と同類としてあわれみをかけたりしていた
それはインドでは今もそうである。動物には人間の情が通じるからである。
それでペットブームになっているのもわかる
ペットは人間の仲間となりうるからである。

機械となるとこれは別なものであり命ではない,そこで人間とは断絶したものであり機械に頼りすぎると非人間的になる,現代はあまりにも機械化して機械に頼りすぎているから人間も非情になっていることはある
牛馬とともに生活していたときは牛馬も人間と情が通じ合うから機械とは違うのである。それで女性でも馬と結婚したとかの伝説が生まれたののである。

避難区域になったところでもやはり田んぼがまた作られて蛙が鳴いたら復興したという感じをもつ,それが田舎の復興なのである
そこにドローンとかロボットの工場ができてもそれが果して復興なのかということもある逆に田畑など金にならないから復興にならないとか言う人もいる
ただ田畑はやはり金になる金にならないの問題ではない
自然の中にあるものであり自然と共生するものとしてある
だからそれを金になるとか金にならないとか経済的効率ばかりから見れないのである。

そうすると今回のように東電によってすべてを支配され,一旦事故になったらすべてを失うのである。町も村も廃墟化して人は住めなくなり老人だけがそこに住んでうば捨て山のようになってしまうのである。
ただ以前として金が大事でありそればかりになるのが現実でもある
でも何が大事なものだったのか原発事故以後見直すべきなのである。

牡丹は庭に今年も咲いた見ぬ間に散っていた,これだけ身近に咲いていてもその花を見ないこともある
この時期はそれだけ変化が激しい,花もいろいろ咲きはじめる
でも何か見逃したなとなる,自分の家も一つの栄華だった,その栄華にふさわしいのが牡丹なのである。
この家にもあとどのくらい住んでいられるのか,この栄華を味わって住んだ人は死んだ
その後に自分がこの栄華の家に住んで終わりだとなる


「農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・
(原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

棚田に移る満月の写真



2018年04月20日

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)


春の日に霊山に行く南朝を偲ぶ

(短歌十首と俳句十句)

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木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり
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かなたに見えるのは何の山だろう
会津の方にも見える山である。


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登山道で見つけた蝶
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霊山の苔清水
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桜は散っていた
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ここは桜が咲いて見どころがある場だった

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谷野原村

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ほとばしる滝のひびきや芽吹きかな

大岩に苔むしあわれスミレ咲く

山鳩や山間の道花の影

苔清水滴り春の鳥の声

岩黒く登山道に山の蝶

山頂の大展望や春の山

霊山の岩黒々と樹々芽吹く

朝桜顕家の像に映えて散る

真近にそ滝のとどろき山桜

山桜ここに散れるや滝ひびく

いづこへと道の分かれて春の暮

夜桜や老舗の味の菓子屋かな

道に出る狸二匹や春の月



川の面に波紋広がりあまたなる魚影を見るや春の奥山

木の根元石一つあり春日さしこの奥処にそ住める人あり

佐須の峠越えてそ望む残雪の吾妻嶺光り春は来にけり

残雪の吾妻嶺光り連なれりかなたになおも高き峰望む

(霊山城)

大岩の苔むし霊山に南朝の昔を語るや春の日さしぬ

春の日に霊山上りあわれかな束の間に消えし南朝の夢

花と散る南朝の夢今になほその傷痕の残り哀しき

南朝の落武者二手に分かれけり春の日あわれ城下にいでぬ

(金谷原村)

玉野村境の桜盛りなり相馬の城下へ我は急ぎぬ

金谷原寺の跡とて集めらる碑のあまたや春の日暮れぬ

碑の古りて椿の散るや誰がたずぬ我は二度ほどここをたずねぬ



五本松なお三本は残りけり帰りよりて春の星見ゆ

春の灯の街灯あわれ城下町古本屋によりまた一冊買いぬ

我を待つ人とてなしも我が家へ帰りゆくなれ春の夜かな




 山上にはかつて慈覚大師が開山したという霊山寺があった。「霊山寺縁起」によれば、三千六百坊を擁していたともいうから、大伽藍であった。南奥州の天台密教の中心であったと考えられる。今は山上の処々に大きな礎石が多数残り、当時の名残りを留めている。後醍醐天皇の皇子義良親王(陸奥国大守、後の後村上天皇)、北畠顕家(鎮守府将軍)らは建武4年(1337)1月8日国府多賀城を棄て霊山寺(霊山城)に移った。霊山城は南朝奥州政府の重要な基地(国府)となった。しかし霊山城は貞和3年(1347)8月ころに落城、霊山寺の建物群も全焼したといわれる

今日真野川をさかのぼり霊山まで自転車で行った
途中滑(なめ)の滝のほとばしるを見てさらに奥に進む
川の流れがとまり水面に樹々の枝の影を写している
その川を見たら百匹以上の魚影が見えた,この魚は何の魚なのか?
ヤマメだろう,なぜこんなにいるのだろうと思った
この辺は飯館村で一軒の家があり住んでいるみたいだ
でもしんとして人気もない,そして春の川面に水の輪が広がる
それがここでは活きているという感じになる
まるで人のいない所で神が遊んでいる感じにもなるのどかさである。

佐須までの道は前もほとんど人は住んでいなかったのである。
原発事故で一軒二軒くらい住んでる家は見かけた
でもなんとも不思議な感覚になった
人が住まなくなるとどうなるのか?そこには魚は住んでいるのである。
これだけ魚がいると食べたくなる,でも放射能汚染で川の魚は食べられないのだ
おそらく誰も魚をとらないから増えたのだろうか不思議である。
ともかく石一つあり春日がさしてここに居つくというとき人もここに居つくとなればいいのである。人が住まないとそういう感覚にならないのである

佐須を通り峠を越えると残雪の光る吾妻嶺が見える,その時春が来たと感じる
ただあそこの峠も道を直したから前とは違っている
なんか原発事故以降新しい道ができる
相馬市から福島市までの高速道路もできた,それで前の道は車が本当に通らなくなった
それで高速はバイクも通れないからバイクと自転車が通るだけである。
だからかえってのんびり見てまわることができた

霊山というと南朝である。霊山はもともと修験者の修行の場として古くからあった
そこに南朝の国府が置かれた,それも十年にも満たない短い時だったのである。
そして夢のように消えたのである。
ただそうであっても歴史的にこの辺では大きな変化だった
なぜなら南朝の落武者が山上の方と前にあった卒塔婆峠を越えて鹿島区の真野へ逃れたのである。そのことは史実であり先祖として明確なのである。
その祭りもある,それで同級生の只野一族が鹿島区に本当に多いのである。
その只野の先祖をたどると郡山近くの多田野村だったのである。
その一族が鹿島区の真野に逃れてきたのである。
それで只野氏はお浜下りの祭りで馬を先導する役目をになっていたのである。
そのように明確に先祖がたどれるのである。

お浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ
(お浜下りの祭りのおつづら馬の話)

こういう人が身近にいたという驚きである,だから南北朝の時代はわかりにくいけど確実に系譜として具体的にわかるストリー,歴史なのである。
霊山神社には顕家の像が祭ってある,この青年は二一歳で死んだのである。
特攻隊で死んだ若者と同じである。
朝に咲いた桜が一時映えた見ていたら散ってしまったのである。
そういう人もいたということである。

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朝桜顕家の像に映えて散る

前にこういう句を作ったのを思い出したのである。南朝は本当に束の間の夢のように
消えたのである。ただその傷痕は日本全国に今も残している
どれだけ日本全国を争乱の場にしたかわかる

そして新井白石が相馬の城下を縁戚を頼り訪ねていた,その途中に霊山に寄って詩を残していたのである。


  
    霊山鎮  白石   (「新井白石全集」所収)
  
  霊山開巨鎮、郷月照雄藩、
  鐘鼓千峯動、貔貅萬竈屯、
  出師資上略、刻日復中原、       ※上略は上洛の誤記か
  一夕長星堕、年年哭嶺猿、
  
   (読み下し)
   
    霊山鎮  白石
  霊山、巨鎮を開き、郷月、雄藩を照らす
  鐘鼓、千峯を動かし、貔貅、萬竈に屯す        ※貔貅(ヒキュウ)=猛獣
  出師、上洛を資り、刻日、中原を復す
  一夕、長星、堕ち、年年、哭す、嶺の猿 



学問岩とかありここで学んだ修行した僧とか確かにいたのである。
ただほとんどそれがどういうものだったかわからない,炎上して何も残らなかったのである。ともかく南朝の国府としても短すぎたのである。はかない夢と消えたのである。
ただこの辺では明確に残る大きな歴史の跡なのである。

帰りは玉野村から谷野原村によった,前にもここによった,それでいつも気になっていたのが古い碑のある所だった,神社だと思っていたが寺の跡だった
だから墓があり古い碑が集められていたのである。
ただここの碑は相当に古い感じだ,五輪塔の墓もあったが何か記してあるが読めなかった
相馬市では夜になった,六号線を帰ると夜桜が映えていた,そこはお菓子屋だった
船橋屋とかの店がある
老舗の味というとき最近良くテレビの推理ドラマを見る,そこで京都を舞台にして老舗の菓子屋のことをテーマにしていた
そこの老舗の菓子屋は茶の湯で出す菓子を昔から作っていたのである。
その味にこだわっていたのである。それが頑固なまでにこだわっていた
その味を変えてはならないとこだわっていたのである。

つまり京都ととかなると茶の湯が盛んであり歴史も古い,その茶席には生け花とか菓子とかを出す,そういうふうに一体化しているのが文化なのである。
そこに千年の都の文化がはぐくまれ受け継がれてきたのである。
ただそういう伝統はなかなか京都に住んでみないとわからないのである
ただ夜桜と菓子屋があっていたのである
相馬市の桜はみんな散っていたがここだけが残っていたのである

相馬市の六号線沿いの古本屋ではいつも変わったいい本が置いてある
それでまた一冊買った,あそこでは誰かが選んでいるのかもしれない
本も今はアマゾンで注文して買っているが本は無数にあるからどういう本があるかもわからない,偶然に見つけた「農本主義が未来を耕す」宇根豊著は共感した本だった
こんな本があったというのも不思議だとなる
アマゾンでこうして本との出会いがない,立ち読みもできないことが弱点なのである。

とにかくなんとか自転車で霊山まで行って登山もできた
体が弱ったので行けないと思った
でも今度のクロスバイクは意外といいものだった,バッテリーも長持ちするし早いし
何より安全なのである。まずロードは高くなるので危険である。
このクロスバイクは足がつくし小回りがきくしブレーキもかけやすいとかタイヤも太いとか長距離にかえっていいものだった
まずロードは危険である。近くで人がいないところでスピードを楽しむのはいいが長距離だと危険になる,なぜなら道を知らない所を走るからである。
スピードを出しすぎると危険なのである。
これだとまた遠くに行けるかもしれない,それで今度はもっと遠くへ行ってみたいともなる,ただそうなると一泊とするとかなる,ずいぶん長い間介護で自由に旅できなかった
またそれができるのか?それはしてみないとわからないとなる

今この文をプログにアップしようとしたとき春雷が鳴った,何かこれも自分の心と呼応する
天候により心は変化して呼応するのである。
天候は何か予兆なのである。夜ふけて鳴るというのも何かの予兆だとなる
やはり春になりまた新たな活動へ向かうのかとなる
プログの醍醐味はこうして変化する今をリアルタイムに報告できることなのである。
一日でも朝と夜では全く違ったものとして変化することがある
その天候の変化が俳句とか短歌の創作に影響するのである。






2018年04月18日

小さな畑の効用 (荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑の効用

(荒地にしておくことよりはいい,金にならなくても)


小さな畑には自分は投資した,一〇万以上払った,肥料代とか種代とかこの前は道具を盗まれたとかいろいろあるのだ,鳥に野菜を食われたとかもありまず小さな畑をするだけで金がかかる,収穫してもらったものはほとんどないのである。

ではそんなものに投資してなになるのか?普通だったら銀行でも利益にならないものに投資しない,ではそれが全く無駄なものかとなるとそうではない
この辺では一時田畑が荒地化したのである。
今でも荒地化した所が多いのである。この小さな畑の回りも荒地化している
その荒地化していることが荒廃したものとなる

つまり農業は景観を作っているというときそうだった,その景観は田畑があって作られていたのである。その田畑がなくなるときそこは草茫々の荒地となる
ただ一時津浪でこの辺が原始の状態になった,湿地帯になったことには驚いた
八沢浦が元の入江にもどったのを見たときほど驚いたことはない
だからその入江を埋め立てて田んぼを作ったというとき実は自然の景観を破壊していたのである。
稲作も文明であり文明は自然を改造したりするから必ず景観も破壊するのである。

文明とはなんらかで自然に逆らうことなのである。
田んぼにしても湿地帯がある,森がある,自然のままだったらそのままだが開拓開墾して田んぼや畑にすればもともとあった自然は改造されてなくなるのである。
ただ農業は自然と深くかかわって成されるから第二の自然のように感じるのである。

小さな畑を維持することはそれは経済的効果としては利益を上げないのだから無駄だからするなともなる,そもそもその金を誰が出すのかとなる
利益にならないものをしているのは趣味だからである。
趣味でも自分が余裕があってしているのはいい,でも余裕がないのにできるのかとなる
でも経済的効果利益を上げなくてもこの世には有効なものがいくらでもある
第一景観でもそうだろう,景観自体が利益を産むということはないのである。
森だったら木材としてみればそこに利益があるが森自体が経済的効果を利益を上げることはできないのである。

でも森には癒しと景観をもたらす,そういう効果がある,でも利益にならないのである。でも最近資本主義がゆきづまり終わるということが盛んに言われる
それは投資先がない,投資してもうける先がなくなっているからだ
それで銀行で地銀でも利益う上げられないので追い詰められて詐欺まがいの投資信託をすすめている,それで自分も大損したとなる

投資先がないということやAIで人間の仕事がなくなるとか最近良く言われるのはやはりそうした資本主義が継続しても社会に大きな変化をもたらすのである。
スルガ銀行ではもうける先がなく何か不正して問題を引き起こした,借金させてアパート経営とかになる,もうもうける先,投資してもうけることができないのである。
だから今銀行は窮地にたたされているから危険なのである。
窮地にたたされれば人間でも会社でもなんでもするようになる,つまり余裕がない人間でも会社でも国でも危険状態になる

だから投資先がないというとき実は別にある,この辺では荒地化した土地を利用して畑にする,それは利益を産まないとしても一応収穫はあり役にたっているのである。
野菜が高いときはそれなりに役にたっていた
だから全く利益を産まないということではない
ともかく資本主義では利益を産まないものは金にならないものは全く無駄なものとされる芸術などでもそれが金にならないなら無駄なものとされる
その人間は無用なものとされ社会的に価値を認められないのである。

でも何かこれからは価値観が変わる,資本主義でもAI化で仕事がなくなりベーシックインカムのことが盛んに真面目に言われているのも不思議なのである。
ベーシックインカムになると一見無用と思われるものでも価値あるものを追及できる
金にならないものでも人間として価値あるものはいくらでもあるからだ
そういうものにむしろ価値が生まれる,ただ必ずしも金にはならない,利益にはならないただそれを認めるものがあれば価値があるとなる世界になる
そういう社会はイメージしにくい,でもそもそも人間の価値は多様であり金になるだけのものが価値とはならなかったのである。

オランダのチューリップバブルでもそうである。そんなものになぜ大金がつぎこまれたのか?これも投資先がなくなった結果なのである。
ただ一方でそんなのんきな社会が生まれるのかという疑問がある
貧困化している社会でそんな余裕があるのか?利益を上げなければ会社など成り立たないとかある
でもAIでもそうだが資本主義が終わりだというときもそうだが今価値観が変わる時代でそうなっているのだ

例えばこれも問題だが八沢浦を考えるとき自分はそこが田んぼであるより入江であった方が景観的に良かったともともとイメージしていたのである。
この辺はともかく荒い波が打ち寄せるだけの荒寥として海なのである。
でも津浪になって入江になったとききらきらと波が光り寄せていたのには驚いた
それはきれいな入江になっていた,古歌にここの入江を歌ったものが残っていたから本当にそうなったのである。
その時確かに死んだ人がいたのだからそんなことを言うのは余りにもひどいとはなった

これまでは米が生活の中心であり米なくしてはありえない世界だったのである。
でも米が減反政策でこれ以上いらないとなる世界は考えられなかったのである。
技術の発達とかで価値も変わってくるのである。
だから小さな畑でもそれが利益をあげなくても土地を活かすとういことでは無駄ではない,効用があるのだ

ともかくこういうことはなんかあまりにも現実離れしているとなるから実現しないともなる,でもベーシックインカムになれば今まで価値がないと思っていたものを追及できる社会になるかもしれない,すべて金にならないものは価値がないとされる社会だったからである。
つまり何か実用性ばかりを追及してきたのが文明だったのである。
むしろ今度は逆に非実用的なものに価値がでてくる,無用の用の時代にもなるのかとも思う
宗教だど禅宗になると瞑想と沈黙が修行である。それも人間的価値の追及なのである。
そういう社会もかつてはあったからである。
そういうものにただ沈黙して何もしないということはなまけものとして拒否される社会だった,資本主義は宗教からプロテスタントからはじまったというとき瞑想などはしない
積極的に働いて他者に奉仕するという思想からはじまった
その価値観が全世界に普及したのである。
どんなことでも勤労は善とされたのである。それがゆきすぎると資本主義は金儲けだけのものとなり害にもなるのである。

とにかく田畑というのは自然の一部でありそれは社会的効用を利益をあげなくても必要なものとして認識することはある,価値があるものとする
景観を維持するものとしてもある,だから利益を上げなくても必要だともなる
ただそうして維持するにも田畑でも労働が必要なのである。
だからその小さな畑すら維持できなくなる,その女性も年であり毎日腰がいたいといっているからいづれ維持できなくなる,この辺で田畑を原発事故以後やめたのは老人が田畑をしていてできなくなったからである。後継者もいないてからである。
前からそれは言われていた,漁業でもそうである。
だから原発事故だけの原因ではない,前から田畑を維持できなくなっていたのである。
それが事故後一挙に荒地化したのである。
現実に隣の畑は老人が這ってまでしていたのである。
家族が車にのせられてきて農作業していたのである,でも遂にやめて荒地化しているのである。こうして誰かが労働しないかぎり田畑は維持できないのである。
するとそこは荒地化してくるのである。景観も荒れたものとなるのである。

人間が平和に感じるのは自然と調和しているときである。

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この写真のように孫とばあちゃんが一緒に畑仕事をしている,これが本当に平和に感じるこの孫もこの畑を受け継ぐということで故郷の風景でも維持できるとなる
世代の継続が感じられるのである。
そういう風景がなくしたのが原発事故だったとなる

農本主義が未来を耕す」宇根豊著を読んで・・・・ (原発事故で問われた農の大切さ、でも農民も金が第一だった)

これと同じことをここでも書いていたので共感したのである。




タグ:田畑の効用

2018年04月16日

残る花(風荒く散る花)


残る花(風荒く散る花)

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この家の枝垂桜や庭に石建ちて四五年過ぎにけらしも

今しばし残れる花を惜しめども今日も風荒く散らしけるかな

朝よりし風の荒らしも残る花吹き散りにけり燕飛ぶかも

たちまちに花は散りにき風荒し残れる花も明日は散るらむ

残る花枝にゆれにつ風荒らし明日は散りなむあわれなるかな

一時の命惜しめど桜花夢と散りにき風の荒らしも

風に舞い散る花あわれ時はすぐ常なき世なり時はすぎゆく

あまたなる若き命の花と散る散りがたきを散りにけるかな

八重桜手折り仏壇にささげしとその女誰や土手の道かな

闇深くきらめき一つ春の星我が一人なれひそかに見ゆも


桜というときなぜか散る時は本当に美しいのである。だから散るときが最も印象的になるその華やかに散るということで戦争のとき若い人が死ぬとき桜にその命が託された
桜のように散り死ぬことは美しいことだとされたのである。
それは国家によってそうさせられたともなる
ただ桜というのは何かそうしてそう思わせるのである。
それは盛りと咲いてもたちまち散ってしまうからである。
その散るのが美しいからである。そこに桜の特徴があるからである。
ただ万葉集時代では山桜であり散るということがそれほど美しいものとは見ていない


吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな    源義家

桜が散るということで早い時期からその美は見いだされていた

何か今年は風が毎日のように吹いている,それが結構強いのである。
桜の咲くときの天候は毎年違っている,雨が多いときもあった
今年はなぜか風が強い,毎日吹いている
それが今年の桜の咲く天候だったのである。

それで今年は遠くに行っていない,近くの桜だけを見て終わったとなる
土手の道の桜は終わると八重桜が咲いている
仏壇にささげるには八重桜がにあっているとなる
ここの桜は川の土手の桜が美しい,でも河岸にはどこでも桜は今も咲いている
浪江でも小高でも河岸には桜は咲いている,桜並木がある
ただ相馬市にはない,やはり桜は桜並木となっていないと散るときでも華やかにならないここでは真野川の土手にしても十本くらいが成長した桜の木なのである。
だからそれほど見応えがある桜とはならない
ただ桜の季節も早くも終わったとなる

新しく建った家が多いがすでに枝垂桜が咲いている家は五年くらいすぎているのか?
いい石がありそこに枝垂れている桜がいい,やはり時間がすぎると何かそこに根を下ろすようになる,すると同じ桜でも違って見える
千年の都,京都の桜となるとこの辺とはまたその色合いが深く歴史を感じるのである。
桜には何かまた歴史を感じさせるのである。だから歴史のある場だとさらに映えるのである。

ただ桜は早く散るからいたるところに咲いていたとしても時期が短いから一部しか見れないのである。そこが残念なのである
今年は本当にすぐ近くの桜しか見ていないからである。
タグ:残る花

2018年04月12日

大坂城の桜(夕日と桜(続)


大坂城の桜(夕日と桜(続)


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大坂城散る花尽きじ赤々と夕日耀(かがよ)ふその一時かな

大坂城尽きず散る花一時の栄えのあれや夢と消えにき

大坂城栄は一時散る花の尽きじやあわれ夕日耀(かがよ)ふ

秀吉の栄華の日々の短しも夕日耀(かがよ)ひ散る桜花かな

秀吉の栄華も一時夢の跡花散る後に石垣のみうかも

散りやまぬ花にしあれや大阪城なお赤々と夕日耀(かがよ)ふ

盛りとて夕日に映えし桜花明日は散るらむ名残惜しみぬ

この身とて夢幻や盛りなる花も一時この世なるかな

栄なれ夕日に映えて桜花この一時を惜しみけるかな

いづこにも栄はあらむここに見ゆ夕日に染まる桜花かな

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大坂城夕陽に映えて門入れば静心なく花の散るかな

大坂城なほも花散りあましたる花に酔うかな夕陽落ちゆく

大坂城出入り尽きぬ花あまたなお散りにつつ日も暮れぬかも

大阪城難波の夢の蘇るその跡の大いなるかも花散りやまじ

大坂城栄いは遠くみちのくの雪に埋もれて春を待つかな





桜で一番印象に残っているのは大坂城の桜だった,夕日が輝き桜は尽きず散っていた
その光景は忘れずに今も浮かんでくる,それだけ印象的だった
なぜ西の方が桜が映えるのかといえばそこに歴史があるからだ
日本では最初に西が栄えたからそうなる
ただの桜ではなく歴史が織りなす桜でありそれが西にある
桜と共に西では歴史を偲ぶから感慨深いものになる

ただこの短歌はそのつづきだけどイメージしたのは相馬市に街道沿いにある一本の桜が夕日に染まるのを見て作った
あそこの桜は見事である。でも別に大阪城の桜とは関係ない
夕日に染まった桜を見て感じるものがあった
桜はいろんな場所に咲いていてそこに感じるものがある

桜の咲く期間は短いから桜は意外と見れないのである。遠くに行くにしても桜はその時散っていたりする、桜を咲くときに見るのは時間がないとできないのである。
自分は桜を西から東とみてまわった,ある時は西に行きみちのくに帰ると桜が遅く咲きはじめる,逆にみちのくの桜を見て西に行ったら散っていたとかなる
その桜前線が日にちがずれていることがまた日本では見物なのである。
実際に北海道の稚内では六月に桜が咲いていたからである。

桜前線の短歌

これだけ自分は暇だったとなる,しかし介護になり十年は旅はしていない
そのうち忘れるのだが大坂城の桜はわすれがたいのである。
あの夕日がなんともわすれがたいのである。それは普通の夕日ではない
やはり歴史を感じたからだともなるのか特別印象に残る夕日だったのである。




2018年04月11日

夕桜(相馬市に夕べ行く)


夕桜(相馬市に夕べ行く)

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朝桜太平洋や沖に船

夕桜散りてあわれや城下町

城の跡お掘りの暮れて花の屑

橲原や名も知れぬ墓落椿


立谷川夕べ桜の写しつつ町場橋にそしばしたたずむ


相馬市まで街道を行く,日立木の薬師堂は情緒あるポイントである
夕べ桜が立谷川に写っていた,町場橋という名もいい
それから城跡に行った,夜桜にはならない,夕桜だった
相馬市は何か墨絵のようなのである。
派手なものがないしんみりとしている街なのである
ただ外から来た人には城下町といっても城もないからものたりないとはなる

朝桜が咲いて太平洋が開けて見え船が行く,この時船がないて景色も活きてこない
人間の営みと自然がマッチしたとき最も美しくなるのである。
それで橲原(じさばら)でも田んぼが荒れている,人間の営みがない
すると何かそこには大きなものが欠けることになる

それを極端にしたのが原発事故の後の避難区域である。自然があっても人間の営みが喪失したから荒寥としたものになっているのだ

今年は東風でも冷たい,寒い,だからなかなか出かけられなかった,今度買った自転車は風にも強い,クロスバイクは小回りがきくし安全である。
この自転車は買って良かった

タグ:相馬市 夕桜

2018年04月10日

橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化 (桜の俳句)


 橲原(じさばら)の春(桜)の写真の絵画化

(桜の俳句)

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小池の墓地
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ここの墓は明治時代のものである。
江戸時代から橲原(じさばら)はあったがその後のものである

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朝静か死者や安らかや花の影

朝映える桜に椿立目石

橲原に古木の影や蝶の舞ふ

朝の滝奥にひびきて山桜


二本の枝垂桜や橲原に我が来たりてまたよりぬかな

今日は風がそれほど吹かないので橲原(じさばら)の方に行った,途中小池の桜も見た
橲原(じさばら)は絵になる風景である。
ただ田んぼは荒れているのが淋しい,やはりそこに人間の営みがないと自然でも活きてこないのである。

橲原は鹿島の奥座敷である,水無し川をたどってゆき橲原渓谷から大古の奥まで流れをたどると神秘的なのである。
真野川にはそうしたものは感じない,ダムができたこともある
あそこは隠された景勝の地なのである。

人間は意外と身近なものはあまりに見慣れているからそこが特別なものと思えないのである。灯台下暗しでもある
でもよくよく見るとそこが絵になる風景であり趣あるものであることを発見する

フォトスケッチで写真を絵画化した,絵が描けないがこれで絵の感じがでる
画家だったらもっと良く描けるだろう
ともかく花はどこも盛りに咲いている
ただ風が強いし冷たいからなかなか出れなかったのである。

2018年04月09日

今年の桜の短歌など十首 (寒さの中で咲いた桜)


今年の桜の短歌など十首

(寒さの中で咲いた桜)

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イワヒバにエゾムラキツツジ散る
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若き人住みて春の灯ともるかな

薄物(羅)のカーテン越しに春の月

我が歩む廊下の広く春の月


北風に盛りの花やなお咲きぬ寒さもどりぬ遠くに行かじ

風強く盛りの花をゆすりけりなおし散らじもふるさとに見ゆ

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

ふるさとに咲きにし花の盛りなり遠く行かじも花は咲くなり

残る人老人ばかりふるさとに盛りの花を見つ死なむとす

ふるさとに桜の木の根を我が見つつ盛りとなるや二代住みにき

いづこにも花は咲くべしすみつきて花となるべし時を待つべし

大坂城桜を見しはいつの日や季(とき)の移りははやかりしかも

イワヒバにムラサキツツジの花散りぬ季(とき)の移りに思わぬことあり

冬の日に石にイワヒバ我が庭に長くも見しもムラサキツツジ映ゆ

石の陰冬の貴婦人四五輪の咲きてひそけし今日も見ゆかな

我が庭に苔むす石やこの庭を作り年へぬ六年ほどかな

畑作る人のいいけり寒ければ土あたたまらず仕事遅れぬと

注-ムラサキツツジはエゾムラサキツツジです


今年はまた寒くなった,東風と北風が交互に吹くが昨日も今日も北風が吹きつけて寒い
だから自転車で出かけられない,冷たいし風に自転車は弱いからである。
だから今年は外に桜を見に行かない,ただ家にいるだけである。
介護はじめてから故郷から家から遠くへ出ない日がつづいた,そのつづきでもある

桜は別にどこでも咲いている,いつでもテレビなどでは同じ所を花見山とか写しているが桜は別にどこでも咲いているが紹介しないだけなのである。
このプログのインターネットの強みは紹介するのがテレビだけではなくなったことである実際は誰でも放送できるのである。
テレビで放送しないものは小さな地域でもどこでも無数にある
鹿島駅をテーマにして放送しているのもそうである。

他でも実はこうして定点観測して報告できるのがインターネットなのである。
ただ多くの人には見られないというだけなのである。
鹿島では真野川沿いの桜がいい,ただ成長した桜が見れるのは十本くらいである
あとはまだまだ成長していないからものたりないのである。
あれが成長したら真野川沿いの桜は見物である。
それを見るのはもう老人は見れないかもしれない,ただあと二〇年も生きれば見れるかもしれないとはなる
それだけ木の成長は遅いのである。

桜というとき花というときふるさとだと根を見て花を見るというのも違う,外では根まで見ていない,ただ桜の花だけを見ているのである。
自分はいつもそこを通るから根も見ているのである。
遠くに行かなくても本当は地元の花を見いだして見るべきだともなる
花を咲かせるべきだともなる,地元に花の盛りを見るべきだともなる
その花の盛りとはやはり住んでいる場所が栄えることだともなる
それが避難区域でも桜が咲いているがそれを見ているのは老人ばかりだとなる
春の灯がともるというときそこに若い人が住み着くと華やかにもなる
それがない原発の避難区域は淋しいとなる
世代が連続していないと社会が成り立たないのである。

冬の間は地味なイワヒバとか石ばかり見ていた
そこにエゾムラサキが咲いて散ったのもめずらしい
一時華やかな花で飾られた,この花は良く根付いて咲いたと思う
何かここは土地が悪いから根付かないし花が咲かないのである。
七年以上すぎるとやはり石も苔むしていた
それが時の移りである,何か石も時間とともに根付いて行く感じになる
それも人が住んでいなければどうにもならない
空家の庭は死んでいるのである。

ともかくまだ桜は盛りであり咲いているがまもなく散るだろう。

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

この歌は戦死した若者を思うのにはいい,惜しむ暇もなく散ってしまったからである。
東風は海から吹くから特攻隊となり海に散ったともなる
今年の桜は寒さの中で咲いた桜だったとなる
この寒さは畑にも影響している,土の温度というのが大事なのである。畑とか田んぼでも土の温度とか水の温度も影響するのである。



2018年04月03日

鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)


鹿島区真野川の岸辺の桜満開(俳句十句)

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名もしれぬ霞める里も花盛り

花の影車椅子の女休むかな

春の日や今日も霞むや隠れ里

春の日や里の霞みて隠る石

我が家に貧者来たりて花雲り

燕来て旅人来たらむ我が街に

山中の小径を知りてスミレかな

足元にスミレや愛でぬ小さきもの

この道の行く人まれに花の影

この時を写真に撮るや花盛り



見わたせば、春日(かすが)の野辺(のへ)に、霞立ち、咲きにほへるは、桜花かも

今年は何か山でも霞んで見える,春は湿っぽくなるから霞がたつようになる
冬とはこの辺が景色でも変わる

春なれや名もなき山の朝霞 芭蕉

こういう感じである。この辺の山は高くない,隠れ里とかあり霞に隠れるのもいい
ただ人と交わると必ず問題が生まれる
貧者が来て常に金を要求される,田舎では資産がないと落ち着いた生活ができない
公務員とか銀行員とかは前は安定した職業であった
そういう職業がないと田舎では安定して暮らせないのである。
今や公務員でも原発事故後住民がいなくなったりしてもう成り立たなくなる
激務ともなりやめたいというのもわかる
何かそうして田舎では金銭的にも困る人が回りに影響する
都会だと目立たないが田舎では目立つのである
だから日本では狭い村で生活していたらとてもぜいたくな暮らしをできない
回りと合わせなければならないからである
そういう国がもともと日本だったのである。

写真をとるのもむずかしい,構図ができてとるがちょっとした違いでまるで違ったものになる,やはり遠景とアップで両方とればいいものがとれる
その辺がむずかしい,カメラもいいものではないとうまくとれない
写真は現代の芸術にもなった,写真の時代である。
これは別に絵を描けなくてもできるからいい
ただ人に見せるものとなると簡単には撮れないのである。

真野川の岸辺は散歩するにはいい,休む場ももうけられている
ただ桜の木は若い木であり桜はそれほどは見応えがない
一部が成長して古い桜である。そこは見物である
実際桜は日本全国いたるところに咲く,だから上野の桜は景色が良くない
あのような桜が日本の桜として紹介するのもどうかと思う
皇居辺りの桜だったら背景がいいから映える
やっぱりか背景が良くなければ桜も映えないのである。

桜はどこでも見れる,近くでも見ていない桜はいくらでもある
なかなか桜がどこに咲いているかわからないのである。
桜の名所というけど日本ではどこでも桜が咲くのだから名所に行かないでも桜は見れるのである。ただ吉野の桜とかなると別である
日本はこの季節が一番いいことは確かである。
ただ今は旅行しにくくなった,外国人が多すぎてホテルもとれないとかなると旅行しにくい,ずいぶん旅行したから近くの桜を見てるだけでもいいともなる
何か自転車で行くのも疲れるようになった

ともかくなんとかいい写真をとろうとしたがうまくいかない,霞む山がうまくとれない。ただこれからをは写真をとるにはいいシーズンである。

2018年04月02日

春の月(自分の一句の鑑賞)


春の月(自分の一句の鑑賞)

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春の月命ながらふ我が家かな

春の月我が家を照らしつくづくにながらふ命いとしむべしかな

二階から春の月が見える,満月である。
なんかそれが不思議である。
みんな家族が死んだのだから我が家ともいえない
家族というとき家というとき家という建物,ハウスではない
ホームという意味がある,ホームとは家のこと建物ではない
家族がいてなごむ愛し合う場である。
そこに安心がある

ただ家族にもいろいろ問題があり争いがある
ただそれでも家族は他人とは違い助け合うのである。
他者になると非情である,その非情を介護で体験した
自分の病気でも体験した
もう他人とは金しか関係ないのである。
だから弱者化したときこれ幸いと金を要求してきた
ある者は盗みある者は借金を要求しと責められただけである。

自分が二〇代では苦しんでいたけどその後は楽だった
したし楽はつづかない,人間には必ず苦がある
楽のままに終わる人がいないのである。
大金持ちに生まれたとしてもそうである
必ず苦しむようになっている
むしろ苦があり楽がある
苦がないとしたら楽もないとなる

自分が楽していられたのはこの我が家があり家族があったからである。
こんな生活を普通はできない,複雑な家庭でも自分は姉とかいて楽できたのである。
でも介護で苦しんだのもその楽があり苦があったからだとなる
人間は夫婦でも楽ばかり与えないのである。
必ずどっちか病気になったり何か困窮したりとある
それで人間そのものがリスクであり苦になる
それは生きている限り避けられないことなのである。

俳句というとき短いが鑑賞力が必要になる,芸術は鑑賞すること自体むずかしいのであるいろいすな解釈ができる,その解釈によっても見方が変わる
この句でも別に自分のことではない,病気になり入院して帰ってきてつくづく我が家にあり命ながらえたなとか解釈する
そういう解釈がわかりやすいだろう。
自分の複雑な家庭をしりえようがないからである。

ともかく命ながらえたなとつくづく思う,なぜなら自分は体が弱いからもう会社勤めでもできない,精神的にもそうだが体力的にもそうである。
だから三〇年間も家に隠者のように暮らしていたということが不思議になる
今はそういう人がニートとかいくらでもいるからめずらしくない
でも団塊の世代ではそういう人はまれだったからである。特殊な環境で自分はそうなったのである。

その人の一生を象徴して感じさせるものが俳句でもある
ただそれを読み込む鑑賞することがむずかしいのである。
俳句は短いから余計にそうであり鑑賞する力がないとありきたりのつまらないものとしてかたづけられる
つまり俳句は短くても奥深いものがある
ただあまりにも月並みも多く俳句は誰でも作れるから何か読み取ることもむずかしい
ただ俳句でも短歌でも何か他の文学と違って短いから鑑賞力が必要となる芸術である。
そのバックとなるものをよみとる力が必要なのである。
そうはいっても自分も他者の俳句をそんなに深く読んでいないのである。
自分のことだからこうして一句でも自ら書いているのである。

2018年04月01日

春の俳句十句(近辺を回る(続)


春の俳句十句(近辺を回る(続)

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紅梅に鳥の飛びきてなお紅し

十羽ほどはや交差して燕来る

春草や馬駆け少女顔なでる

山に海春望一〇里里めぐる

里山に望む遠くや春景色

木の切られ根っこの残りスミレかな

芽吹きしも空家の庭や淋しかな

川の土手乳母車ゆくや春の雲

誰か住む柳に月や里古りぬ

我が家やなお我生きぬ春満月


紅梅に白木蓮の映えにつつ朝の日さして明るさの満つ

紅梅に鳥が飛んできてとまる,その時紅梅がさらに赤く映える,隣には白木蓮が咲いている,梅は散るも春の盛りである。
近くに牧場がある,その牧場は広い,この辺は野馬追いのために馬を飼っている
でも狭いのが多い,ここの牧場は広いから馬も気持ちいいと思う
その馬を少女がなでていたのである。馬と人間の交流がここにはある

近くの小高い山に登るとここでは山と海が見える,故郷とかどのくらいの広さなのか?
一〇里とすると四〇キロくらいの範囲なのか?
春の日に自転車でめぐってゆく,木が切られた小高い丘がありそこに上ると見晴らしがいい

近くに空家がありそれでも庭に芽吹く木がある,でも人が住んでいなと淋しいとなる
全国的に空家が多すぎるのである。
原発事故で避難区域になったところはまさに空家だらけなのだからあまりにも淋しいとなる
人が住んでいないといくら春となり芽吹いても活きてこないのである。

家族はいなくなったがなお我が家に自分は一人でいる,でもまたこれもいづれはいなくなる,まだ一人でも住んでいるからいいとなる
人間はつくづくいつまでもこの世にいないということを家族の死で本当に実感した
家族すらみんないなくなる,家もなくなる,そういう無常の世なのである。
いくらいようとしてもいられないのである。
結局仮りの住まいになる宿命である。








タグ: 紅梅

2018年03月28日

春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pass vienta8)


春の俳句十句(新しい自転車で近辺を回る-pas vienta8)

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新しき自転車に乗り初燕

春風を切って走るやクロスバイク

紅梅に木蓮のつぼみふくらみぬ

沈丁花匂い静かに石のあり

春の日や駅に長くも待てる人

草むしる道具の良しと春の畑

蕗の薹水無し川の流るかな

春の鳥声高に啼く森のあり

牛にさす春日やここにいつくかな

春日さす小池の古墳や祖の眠る

近くなれ安政の墓や落椿


ヤマハの2018年度のVIENTAを買った,これはロードとマウテンバイクの特徴を備えたものだった,ロードは軽くて早い,マウテンバイクは悪路に強いし安定しているから安全である。ロードは早すぎて危険なのである。
それでロードは早く軽く走るが危険だと感じた
大怪我した人もいたからである。
この二つの特徴を備えたこの自転車は使える
多少の悪路もタイヤが太めなので走れるしまたスピードも20キロはでる

ただそれ以上になると出ないがこれだたけ出れば早い
ロードだと20キロ簡単に越える速さになる,だからこの自転車は20キロでありそれだけの速さはでない,やはり電動だから重い感じになる
でも20キロということでこれにした,電動自転車は重いのが多いからだ
自転車はまず軽いか重いかで相当に差があることがわかったからである。

今日この自転車にのって近辺を回った,初燕を河原で見た,今年は早いと思う
普通は4月になってから来るからである。
これも何か原因があるのか,渡り鳥だから渡ってくる場所が南の方だとするとそっちが暑く感じたから渡って来たのかとなる

知っている女性が畑で草むしりしていた,とにかく春になるとまた草がはえてくる
それでその草むしるのにいい道具を使っていた
盗まれたという道具でも自分が払わされるのである。
なにやかにやと金を要求される,別に自分の家では今は三日に一度くらいきて皿洗うとしてもそれも数分で終わるのである。その仕事はしなくてもいいのである。

水無し川は今日は流れていた,蕗の薹がでていた,水無し川はどこにでもある
最近雨があったから水が流れていた
小池は古墳が多い,古墳の町として鹿島区がある,だから古墳を見に来たという人もいる古墳でも小さい古墳が多いのが特徴である。
原町には大きな桜井古墳があるがここは小さな古墳である。

小学校の前のところに竹藪がありそこに不動明王が祭ってあった
そこでもそのために自分が金を払っている,その近くに住んでいる女性が金がないと言われ払っているのである。
何かと金を払っているのが自分なのである。
そこに安政と記した墓があり僧侶の墓である。

安政(1854年)は明治に近い,天保でも明治で活躍した人が生まれている年代である。
それだけ明治時代とつながる時代である。
だからこの年代の墓でも碑が多いのである。飢饉のあった天明は相当に古いのである。
あそこは鹿島村内に入る,近くでも知らないものがある

ともかくこの自転車は近くでも利用できる,買い物でも利用できる,遠出もできるものだから便利だ,ただ本当の自転車の醍醐味はロードにある
風のように走る感覚になるからだ,ただ危険になる
この自転車は何かやはり重い感覚がある,自然な走りではないのである。
ただ十分に遠出できるものなのでもう一つバッテリーを買って行ってみよう。














2018年03月27日

春霞(故郷の春の俳句十句)


春霞(故郷の春の俳句十句)

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老木に紅梅映えて農家かな

春うらら孫と畑や里の山

春の日や畑を前に語りあう

春光の川面にきらめき朝の里

春の川流れのはやし子供の声

鳥飛びて流れのはやし草萌ゆる

鳥とまり川面光りて芽吹きかな

川の岸子供あそぶや猫柳

山脈のつづきて遠く春霞

春霞家々離れ隠されぬ


今日は春霞だった,湿り気がでてきて霞になる,のどかな日だった,あそこの老木は記念物に指定されるような木である。紅梅が映えているのもいい
老木は何か田舎的なのである。

孫と畑を耕やしている,それはのどかな風景である。でもその近くの知っている人の畑には延々と問題が起きている,それでその負担を自分がさせられている
今度は小屋に置いた道具が盗まれたとまた負担させられる,今月だけで額も大きい
金だけが費やされるのが現実なのである。
畑を趣味でしていたらかえって相当な金がかかってしまうのである。

流れが早い,そこに鳥が飛び,子供の遊ぶ声がする,それが何かめずらしいともなる
第一今は子供も川で遊んでいないし見かけないからだ
見かけるのは老人だけなのである。
避難区域にった小高とかでも30パーセントが帰っても老人がほとんどなのである。
そういう街になると異常だともなる
老木があって紅梅があって犬ふぐりとかたんぽぽとか花が咲く
それは人間でも子供から老人と世代でも平均して住んでいるのが調和しているのである。老木ばかりだったらそういう世界は自然にもないのである。

故郷とはこうしてやはりこういう景色がある所である。四季があるところである。
季節の変化がありそれで感じるものがある
真野川の岸辺は散歩するのには一番いい場所である。
そういう場所は田舎ではどこでもある,原町だって大きくても新田川がある
ただ相馬市の宇多川は細い,川でも何かもうひとつものたりないのである。
新田川はそれなりに浅瀬でも瀬音がして気持ちいい川なのである。
浪江では川が二つあるからもっといいのである。
あそこの岸にも桜が咲く,それで人がそこに住んでいないのは悲しいとなる

つまり人が住んでいないとなるとそこはどうなるのか?
自然も死んでしまうともなる,人が住んでいて自然も映える,人が住んで生活する中に自然も息づくということがある
それが人が住んでいないとなると何か自然でも空洞のようになる
孫と畑を耕しているのをみればわかる,その時自然と人間は調和しているのである。





タグ:春霞 春の川

2018年03月23日

彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


彼岸(家族は悲劇で終わる-家族の詩)


かよわきも遂に生き抜く百歳を母は死にしもここにありなむ

姉と母我が家を支え久しきを争い憎むも墓に眠りぬ

草うもるこの墓あわれ誰と知る彼岸にあれば花を挿しにき

墓参りつとめとあれや故郷に彼岸にあれば花を挿しにき

この家に長くもあれなその思いここに残るや我が跡つぎぬ


一家族の終わり

悲しみも苦しみも喜びも
ともに過ごしてこそ家族なり
それぞれの家に思い残りぬ
憎しみ争いもつづきしを
最後は悲劇となりて終わりぬ
長い歳月に記憶はここに刻まれ
荒れにし家も静まりぬ
蠟梅の庭に咲きつ雪のふり
寒の戻りや我が家の古りぬ

彼岸だけど昨日は寒かった,前には雪もふった
今年は寒い日がまだつづいた
ストーブから離れられない,でもそもそもあたたかくなる
暑さ寒さも彼岸までというからそれにあっている

自分の家族はみんな死んだ,最後は悲劇として終わった
シェークスピアが悲劇を題材にしたのはやはり人間は悲劇的存在だからである。
悲劇になるようにできている,家族でもそうなのである。
家族でもそれぞれ違っている,同じ家族はない
家族というとき必ずしも血縁とは限らない
家族とは悲しみも苦しみも喜びもともにした一つの仲間なのである。

喜びだけをともにした家族は家族とはいえないだろう。
必ず悲しみがあり苦しみがある
それをともにしてこそ家族なのである。
なにがそれは故郷にも通じるものがある
故郷とは本当は仲間であるとしたら悲しみも苦しみも喜びもともにした人達の集まりともなる
戦後開墾に入った人達は結束力が強いというときそういうことを経験しているからであるだから故郷から離れたくないとかもどりたいとなっているのが老人なのである。
若い人はまだそうした苦しみとか悲しみ喜びを経験していないからである。

人間は悲劇的存在である。それで「悲しむのは幸い」なりとキリストは諭した
なぜ悲しむ者が幸いなのか?みんな悲しむようになることは嫌なのである。
それがなぜ幸いなのか?これは本当にわからないことである。
つまり人間は悲劇的存在なのである。悲しみに終わる存在なのである。
そういうふうにあらかじめ定められている,それは死があるから誰でも最後は悲惨だとなる
そして人間は家族でもなんらか必ず争いが起きて一つにはなれない
たからこそ離婚が三人に一人とか多いのである

人間は最後は悲劇的に終わる,自分の家族も悲劇だった,でも何かそれでもその悲劇の中に人生の深い意味があったことを実体験からしる
悲しみの故に人間はあり悲しみの涙を神はぬぐいさってくれるというとき
この世はそういう場所だということである。
正直家族というのは血縁というのをキリストでも仏陀でも否定したのはそこに真の人間としての愛が通わないからである。
家族にはそんなことがあるかというとそれは肉の愛だからである。
そういう悲劇が自分の家にあった,それはどこの家にでもある問題である。
この世の肉の家族には平和はない,そこに争いが必ずある
それで嫁に来た女性が嫁いだ先の墓に入りたくないという人が三分の一でもいるのがわかる,そこに平和がないからこそ血縁を否定したのである。
だからこそ人間の最後はみんな悲劇なのである。
悲しみの中で死ぬのである。それは定められたことである。
この世自体も最後は悲劇で終わる

一個人も悲劇で終わる
家族も悲劇で終わる
人類も悲劇で終わる
それがこの世の定めである
そのあとに神の国が来る

いづれにしろ死ぬとたちまち忘れられる,こんなに早く忘れられることに驚く
誰かその人を思い出すだろうかともなる,それだけ死んだとたんに人間は忘れられるのである。草に埋もれてその墓は誰かもわからなくなる
60年一緒にいてもそれが本当に一緒にいたのかふら定かでなくなる
それだけ人間は家族でも忘れやすいのである。
60年も一緒にいたのにまた現実の生活に追われ忘れるのである。
彼岸だから死者のことを思い出すということで墓参りがあるのはいいことである。
それでこの一文を書いたのである。




タグ:家族 悲劇

2018年03月16日

雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)


雲雀(ロードで走る-自転車選びに苦労する)

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新田川瀬音に岸の樹々芽吹く

走り去るあとにひびきぬ雲雀の声

坂を越えて大きく迫る春の山


ふんぷんと梅の香りの放たれる一日田舎をめぐり走りぬ


ヤマハのYPJ-Rは優れものだった,なぜだったのか?
車体が軽いことである。
16キロとかなると相当に軽い,それで電動自転車なのだけどバッテリー500グラムで軽い
他は3キロとか重すぎるのである。

それで悩んでいた人がいた,その自転車を改造してバッテリーを別な大容量のものにしていた,それは自転車屋でしていたのである。
とても坂は上れない,すぐにバッテリーが切れてしまうからである。
そこが最大の弱点であったからだ
それから自転車を軽くするために部品を改造することもしていた
自転車はいかに軽くするかが問題である。軽いと軽快に走る,でも電動自転車だと重くなるからだ

自転車は技術的にもやはり他の機械と車とかとも同じ問題をかかえている

●軽くすること→スピードがでる
●構造的にしっかり作られていること
●バッテリーをを長持ちさせること

自転車が軽いと軽快に走る,それを追及したのがロードである。ヤマハのYPJ-Rは軽いことと構造的にもしっかり作られている
ただバッテリーがあまりにも少なすぎるのである。だから長距離になるとかえって坂があるから疲れるとなる,ただ平地がつづけばこれは楽なのである。
日本では山が多く坂がありすぎるので自転車が使いにくい
オランダなどは坂が全くない,フランスでもドイツでも坂がない広い平坦な地がつづくのである。

長距離になるとこの年でできるのかとなる?
なぜなら筋肉が痛くなるし疲れる,でもしている人はいる
ただ坂が鬼門なのである。
それで今度はクロスバイクを買おうとした,ただミヤタのいいとして田舎では買えないものだった,販売店がなかったのである。
最近はミヤタは販売していない店が多くなったらしい
何か金融商品でも田舎では老人向きのがなく投資信託など銀行がもうかるのもすすめられた,そういう点で田舎は技術的な面でも遅れるのである。
なんでも通販で買えるというが通販では買えないものがあると思った

ともかく相当に自転車に乗ったが自転車のメカについてはわからなかった,自分はメカとかに弱い,それでロードも知らなかったしクロスバイクも知らなかった
ただ自転車は走ればいいと思っていたのである。
ただ坂がいやなので電動自転車を使うようになった
シニア向きに電動自転車が普及した面もある
30万とかで売り出しているのもそうである。
それだけの金をかけるとなるとなかなかできないだろう。
ただ車をもっいればいい車が欲しくなるのと同じで自転車もそうなのである。

自転車の醍醐味はロードにある,走りが全然違うからである。
でも荷物も乗せられないしドロップハンドルだと急にブレーキをかけられないスピードが出るから危険なのである。
坂で一回とめられず転んだのもそうである。そのまま転倒しないと坂をとめれずに下るから死ぬことにもなる,そういう危険なものである。

それで今度はクロスバイクを買おうとしたがいいものが見つからなかった
ヤマハのは30万以上で6月にはでる,でも重さは変わりないみたいだ
どうしてもバッテリーが重くなるからである
ただ30万クラスだとかなり使えるものになる

自転車のいいの自然と一体化することである。
この俳句も自転車で乗ってイメージして作っているし自転車に乗って俳句でも短歌でも作りやすいのである。
それは自然と一体化するからである。
ただこの年になると体がきついなと思う,でもそもそも長寿化社会,人生百年とかなると何か年齢についてこだわることは間違っているのだろう
確かにもう死んでもいい年でも今はそうでもないのだろう
年の感覚は人によって違うが今までの年の感覚ではなくなっている
だからまだ自転車でもロードでも乗り遠く行けるのかとも思う
40キロくらいなら普通に今でも行けるだろう,それこを越えると相当に厳しいなとも思う

ともかくも春なので運動しやすくなった,体を筋肉を鍛えればまた回復するかもしれない,新田川は浅瀬の川であり瀬音が常にしている川なのである。
これは真野川とかと違う川なのである。広瀬川も瀬音ゆかしきとあり瀬音がする街中の川である。川にも特徴がある
こうして音を聞いたり風に吹かれたりするのが自転車であり車ではできないのである
そのために自分はこれまで遂に死ぬまで自転車に乗っていたとなる
自転車人生だったともなってしまったのである。

2018年03月14日

春の日にロードで走る(自転車談義)


春の日にロードで走る(自転車談義)

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これはいい庭である。,これだけの庭を造るには相当金もかかった
大きな石はなく同じような大きさの石を丁寧に組んで作ったという感じだ


ところえて組まれし石の数十個作りし庭や春の日暮れぬ

一本のすぐたつ銀杏枯れにつつ長くもここに立ちにけるかな

雲雀鳴く声のひびきつ軽やかにロードの走るふるさとの道

春風にロードに走る早きかないづこへ気ままにわがめぐるかな

山鳩の今日も来たりて梅におふつつがなき日のもどるにしあらむ


今日は本当に春だった,あたたかい風が吹いてきた,それでロードで走る
ロードは早いから気持ちがいい,ただこれは早いので危険になる
慣れた道なら飛ばしてもいいが慣れない道だと危険になる
ロードがありクロスバイクがありマウンテンバイクがある
ロードはなにか短距離に向いていた
長距離だと坂を上るのがやはりきつい,それでクロスバイクの電動自転車を買おうかと思った,クロスバイクは何かわからなかった
自転車には長く乗っているけどメカのことはわからなかった

自転車はやはり技術的課題としては同じなのかもしれない,材質によって性能が違ってくる
鉄よりアルミニウムがいいしアルミニウムよりカーボンがさらにいい
軽くなるからだ,この材質の問題は車でも飛行機でも何でも同じである。
それから車の構造とか作り方とかも乗り心地に関係している
安い製品はそれなりのものであり高い製品は部品でも材質でも構造でもしっかり作られている,自転車は値段相応なのである。

電動自転車でE=bikeとかがブームなのだろう,最初に出したヤマハのJPYはロードで電動自転車にしたが16キロとか軽いのである。その軽さが軽快に走るようにできている
これは別に電動自転車ではなくてもロードとして走れるのである。
そういうふうに作られている優れたものだった
ただロードはドロップハンドルでありブレーキを急にできないということがある
何かそれで怖いというものを感じた
慣れた道ならいいが知らない道だと危険になる、曲がって突然に車に出くわしたりするからである。その時急ブレーキをかけられないのである。

その点クロスバイクはブレーキをかけやすい,ただこれは乗ってみないからわからない
一応遅かったが自転車はいろいろ乗った,今になると体力がなくなったから長距離は無理でもクロスバイクに乗ってみたい,それなりの遠出はできるだろう。
ロードは近間でスピードを出すと気持ちがいい,でも坂はすぐバッテリーが切れるので無理である。
ミヤタのクルーズは30万とかするが6月に出るヤマハのはさらに3万以上高いから比べると高いとは言えない
最後の仕上げがこのクロスバイクかもしれない,いづれ後は乗れなくなる

とにかく春になると遠くに行きたくなる,体も動きやすくなった
冬は自転車は風とか寒くて動けなかった
ロードは早くて気持ちいいが遠くになると坂あるので体力がないので行けない
金の問題もあるが年になると体力との相談になるのだ
激しい運動は若いときしないとあとはできない
そして自転車の旅でも旅は長距離をすることである。
そうするとそれが印象に残る,電車の旅だと地点地点の旅であり連続しないからだ
長い距離をとにかく走破することが旅を達成することなのである。
それはあとあとまで達成感として残るのである。

今年は平和な日常がもどってきたのかもしれない,30年間ほどは平和がつづいた
それがここ十年は介護で心身ともに疲れた
自分の家に来たのは金を求めて漁るハイエナの群れだった
それで金は大分使った,ともかく春の穏やかな一日だった

2018年03月12日

春の川(春らしい一日)


春の川(春らしい一日)


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誰か来る駅に待つかな春の雲

我が一人黙深くして梅におふ

夕空に一番星や春来る

一番星希望の星や春来る

春満月二度ほど我が家のぞくかな

水豊か流れてここに猫柳ありしを知るやまた来なんかな

春光の流るる川面にきらめき反射して
白鷺のゆくりかに舞いおりぬ
その優雅さやまた舞い去りぬ
桜はふふみ我が歩む土手の道
故郷のこの道にまた花は咲きなむ

自分はふいっと旅に出ていた,そういうときは恵まれていた
その旅ができたのも家に待っている家族がいたからである。
それがいなくなると何か家を空けると不安になるのだ
別に旅はできるのだが家を空けることが不安になる
火事でも起きないとかも不安になる
盗まれるのではないかとも不安になる
だから何か一人暮らしというのは自由があるようでなかった
何か旅に出にくいということがある
だから今は逆に駅で誰が来るのか待っているだけだとなるのも不思議である。
待つ人がいて旅にもでるとなる

今日は春めいていた,河原を歩くのは気持ちがいい,流れる川の面が春の光りにかがやいている,桜もふふみネコヤナギもあった,徐々にふくらんでくる
この辺では川の土手の道が散歩には一番いい
あそこには鷺の巣があり群れて眠る,なんか飛んで行きたくなる季節である。
ただなんか自転車でも腰いたいと筋肉が痛くなる
遠くに行きづらい,なんか近くを散歩するだけくらいになると行動範囲が狭くなる
でも近くに自然があるから気持ちいいとなる

雨がふったので水は豊かに流れている,今日は春になってきた
なんかだんだん遠くには行かず近くが生活範囲になるのかもしれない
それは介護十年ですでにそうなっていたのである。

一番星がきらめいたから何かこれも春らしかった,何か希望の星という感じになる
希望の星が新たな星が現れともなる
春満月がのぞいていたが月が変化するのは早い,ともかく春らしい日だった


タグ:春の川

2018年03月07日

春の日(常磐高速SAのセディティ短歌十首) (猪苗代より来た人とあう)


春の日(常磐高速SAのセディティ短歌十首)

(猪苗代より来た人とあう)

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鹿狼山(がろうさん)が見える
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春の日に来る人あれ遠くよりセディティに我も来たりて迎えぬ

春の日に常磐高速行き交いぬしばし寄りなむ鹿島なるかな

高速に近くに見える鹿狼山春の日に来てセディティ休む

葉牡丹に小さき花の鉢植えをセディティに置き春の日休む

猪苗代まだ雪厚しセディティに春は来るも嘆き帰りぬ

猪苗代真白き雪に染められぬ波打ちひびき磐梯山見ゆ

猪苗代松に雪かな打ち寄せる波のひびきて夕暮れにけり

会津なれなお雪埋もれ遠きかな久しく行かじ旅の日思ふ

社一つ雪にうもれてあわれかな会津の冬の長くありしも

セディティに我がより駅により人の行き交ふ春となるかな

梅開き柚子もなりにき小山田の細き道をし帰りくるかな

一本松切られてなしも右田浜津浪の後に何か残らむ


sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

セディティというのがなにかなじめない言葉である。意味はいいのだが発音しにくいしてわかりにくいのである。
だから意味はいいとして名付けたのはいいかどうかわからない

ばあちゃんが休んでいたので話しかけた,その人は猪苗代から来ていた

「春になりいいですね、どこから来ました」
「猪苗代だよ,雪で困ったよ,雪は嫌だよ」
「猪苗代はそんなに雪降ったかな」
「猪苗代は雪降るよ,今年は特に降って積もったよ,溶けないよ」
「そうだったかな,ここは雪は降らないけど今年は寒かったよ」
「猪苗代は若松市より降るんだよ」
「若松市より降る,あっちの方が降ると思ったけど・・・」
「猪苗代は会津よりふるんだよ」
「ここは春になると東風(こち)が海から吹いてくる
それで放射性が福島市の方まで流れたんだよ」
「そいうことか,こっちは雪がふらないからいいよ」

今日は東風が吹いていた,それは山側にも吹いていた,これは二月から吹き始め3月になるとさらに吹く,それで原発が爆発したのは3月11日でありその風に乗って福島市まで放射性物質を運んだのである。
だからつくづく不運だったのである。北風だと海の方に風が吹いて海に流されたからである。現実に海側は放射能の汚染度が低いのである。浪江の請戸では原発の煙突が見えても0.5とか低かったのである。山側はどこでも高く飯館村は一番高くなったのである。
それは風向きでそうなったのであり不運だったのである。

駅でいろいろ案内がてら話したが常磐高速のセディティでは話にくい,でも今日あったのは原町の人と相馬市と楢葉の人と猪苗代と仙台と茨城の人とかであった
駅でもそうだがどこから来ているから興味があるからだ
楢葉の人は学生であり仙台にいるという。いろいろな人が交わるのが駅でありSA(サービスエリア)である

猪苗代のように福島県でも地域差がある,ハマ,ナカ,アイヅとあり気候も相当に違うのである。たから福島県は大きすぎて一つとなりにくいのである。
浜通りと阿武隈高原を越えた中通りでも気候は違う,会津はもっと違うのである。
だから猪苗代がそんなに雪が積のかということが意外だったのである。
つまり福島県はそれだけ広いから地理とか気候でもわかりにくいのである。
ただこうして地域差があることが面白いのである。
ちょっとでも話すると何かこうして地域差があり気候が違うんだなとわかる
だから駅でも常磐高速のSAでもそういう地域差がある人と交わると面白いのである。
ただあそこは駅のように話せない,話にくい場である。
でもあそこに行くといろいろの地域の人が交わる場なのである。
ただあそこから鹿島の方に来るかとなるとあまり来ないだろう。
鹿島の一本松は切られた,あれを見に来る人は結構いたのである。
何かあと見るべきものがない,ただ鹿島には道の駅がないからあそこにSAができたことはいいことだった
レストランとかあり食事ができるのもいい,だからあそこに気晴らしに寄るのもいいとなる

とにかくこの辺は本当に変わりすぎた、海側でもそうだしまるで変わってしまったのである。こんなに変わるものかど驚くばかりである。
常磐高速は車社会だから鉄道よりこれで変化した,人の流れが鉄道とくらべものにならないからである。それだけ車社会になったことをここにくれば自分は車はないが実感するのである。

2018年03月05日

JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した (JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)


JRが駅に置いた自分が作った時刻表やパンフレットを撤去した

(JRの許可なしで置いてはいけないルールだから)
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自分が作った時刻表を置いたトイレとか観光パンフレットを全部撤去した
JRの許可なしで置いてはいけないという

なんでなのか?

いろいろ苦情が来るからだという,パンフレットについても何か聞かれると困るという
これも何なのだろうと思う
時刻表でも自分は10円でコピーして置いておいた,それをみんなもっていった
なぜなら必ず時刻を見に来る人がいるからだ

それをこんなものJRの許可なしでなぜ置いたのか?
みんな撤去しろとなった

ただJRにも言い分がある,何か駅に置くには申請しないとだめだという
それがルールとなっているから守らないとJRでは困るし許可できないのである。
なぜならJRの責任にもなるからだ
それはそうなのかと理解した
申請は個人でも簡単にできるという

JRはまず自分が結構いろいろ無人駅なのでかかわって知っているのに礼一つない
結局お前はここで何しているんだ,何もする必要ない,ここは無人化して自動化しているからだ,こういうことなのである。
そして警察からはお前はここで何しているんだと誰かが通報して職務質問されたのであるそれもみんなの前でである
俺たちがすべて管理する,自動化したら人はいらない,ここで何かするな!
勝手に何もするなとしている,俺たちがすべて鉄道や駅のことはする
他の人はかかわるなということなのか?
ただ勝手なボランティアだから認められないことはある

でもこれは何なのか?

JRはJRだけですべてする,他の人はかかわるな!

こういう管理のしかたなのだろうか?俺たちの仕事の領域に他の人は立ち入るな
無人化して自動化したのだから人はかかわるな!
だから構内に勝手に入ったときJRの人が入るなと言ったのである。
それもやはり鉄道のことはJRでするから他人はかかわるなということである。
でも無人駅だからこそかかわっているのである。
無人駅だとやはり困ることがあるからかかわっているのである。

こういうことなのだろうか?
この経営態度は何なのだろうか?全く地元とか人間を無視した態度なのである
だから無人化自動化をすすめいる,人間とはかかわるな,
パンフレットを置いたのは自分では自転車屋の人である。
そのパンフレットは観光案内なのだから別に許可なくても置ける
何かの宣伝でもないからである。

ともかく市の地域振興課に聞いてみたらJRにはルールがありそれを守らねばならない
勝手に置いてはいけない,そのことはわかった
でもルールでも何か人間味がない,ルールが全能ではないからだ
何か現代の社会はこうしておかしなものになっている

鉄道はみんなJRのものであり他の人は立ち入れるな,鉄道はみんな自分たちでやる
これがJRの上から目線の態度なのである。
人間に関してのサービス精神が全くないのである。
JRではのせてやっている,ありがたく思いという意識しかないのである。
人間がサービスする人間がかかわることを拒否しているのだ
ただもう電車でも駅も無人化自動化して自動運転のようにしたいのである。


何かこれは無人化自動化する社会への警告ではないか?
そういう社会はもう人間味もなにもなくなる,ただロボットがいてすべてまかなえる
人間は必要ないということにする社会である。
そこにAI化とかいいように見えるが人間そのものが排斥されていらないとなる
冷酷な社会になることも暗示している
つまりAI化とか自動化とかはすべてバラ色ではない,人間の暗黒を作り出すものにもなる仕事の場でも人間は効率的でないから邪魔だからいらないとなるからだ
そういう社会はも情もにもなくなってくる
現実になっている,そういう社会にはいくら便利でも生きたくないとなる
結局原発でもそうだが便利だということはすべていい方には働かないのが人間社会だったのである。

時刻表は商工会なり自治体なりで配布すべきなのである。
それもJRの許可が必要でもそうすればこの問題は起きなかった
原町駅の時刻表は作られているし相馬市でも作られている
前は一軒一軒配れていた記憶がある
そうすればこの問題は解決しているのである。
要望として時刻表が欲しいという人が多いからだ
その要望に答えるのが自治体でもあり商工会でもJRでもある
それをするものがいないから問題になったのである。
別に自分は時刻表を置かなくてもいい,置くと金がかかるからだ
だから別に乗客が不便でもいいともなる
何か感謝するわけでもないからだ,ただそこで不便になるのは乗客だとなる
それもやはり乗客がそういう要望を出さないからである。
もし十人でも百人でも要望がありまとまれば圧力になり対策されるからである。
ただそれほどの要望でもないから個々人で不便でも時刻表を見にくるほかないともなる

自分としては申請してまでまた金をはらってまで時刻表を置く気はない
それをするべきなのは乗客なのである。
乗客がそれを要求しない限り不便でもそのままになる
民主主義社会はまとまって何か要求しないかぎりそのままになる
改善されない,ただみんなが困っているのだからそれをまとめる人も必要になる
それが代表となるということである。
つまり政治の問題となる,そういうことで民主主義が発達するということはある

鹿島駅の問題は無人駅になったということにある,普通だったらまず勝手に構内には入れないし
確かに勝手に駅内に何でも置けないからである。駅員がいるから許可が必要になる
その駅員がいないから問題なのである。
無人化して自動化してもそこに人間がないことで生じる問題が必ずあることがわかる
だからAI化で無人化自動化してもそこに問題が生まれるのである。

普通の社会人だったら絶対にあり得ない!!JR駅員の高慢な接客態度

やはり自分だけが感じたことではない,自分は別に乗客としてかかわったのではない
そもそもJRとかには普通の社会人としての常識が通用しないのである。
そうしなくてもいいという感覚であり乗せてやっているという気持ちだからそうなる
いろいすめんどうなことは言うなよ,乗せてやっているのだからありがたく思へ
そういう感覚だから普通の人の感覚がない
人に道を教えただけでありがとうと言うとするとそういうこともないのがJRなのである。
人のことは言えないが国鉄からの殿様商売だとなる
ただ職人として時間どおりに安全に電車を走らせることには勤めているのである。
人へのサービスはぬけているのである。

タグ:JRのルール

2018年03月03日

最近の故郷の風景(春は来たが) (風車もなじむ景色となる?-磯部のパン屋)


最近の故郷の風景(春は来たが)

(風車もなじむ景色となる?-磯部のパン屋)

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風車が回っていない
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磯部のパン屋
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相馬市の道の駅のすぐ近くで二人の若い女性が事故死する

ここで雪の日に二人の若い女性が死んだ
歩道が雪で凍って歩けない,それで車道を通ったのだが白線の内側も凍っていた
すると車の通る車道を歩いていた
そしてトラックにはねられたのである。
これは思わぬ雪と真夜中の三時という時間が影響して事故になった
まず夜は自転車でも危険になる,いくら慣れていても危険になる
第一あそこをなぜ真夜中の三時に歩いていたのかとなる
自転車でも歩道が凍って通れないと車道になるがそこは白線の外に出れば自転車も危険になる
悪い条件が重なって事故死したのである。


風やみて風車回らず冬芒

石十個常連客あれ冬の暮

蠟梅や猫一匹いつき我待つ


この道に若き女性の二人死ぬいたましきかなうらめしきかな

梅咲くもかなたの山は雪なりや厚くも雲の覆いけるかも

春なれば峠を越えて飯館へ我が行かむや雪雲閉ざしぬ

面影のなおも浮かぶや我が家に待つ人なしや春となりしも


磯部のパン屋は場所が自転車でも行ける,相馬市までだとなかなか行けない
ただパンはそんなに種類がないし素人の家族で焼いているという小規模のものだった
機一昨日,強風のとき行って失敗した,風がやみ雨もやんだと思い行った
それから急に風がふいた,そして吹き飛ばされて転んだ
その時自転車の予備の電池をなくした,あれは高いし損した
ロードは軽いけど自転車としては危険だなと乗ってみてわかった
だからへたすると大怪我する危険を感じる
早いから急ブレーキにしてもぶつかる度合いが大きくなるからだ

あそこにあんな民家があったとは思わなかった,東京の方からあそこに移ってきた
その人がパン屋をはじめた,パンはたいしたものではなかったがあそこの場所はいい
自分は何か場所にこだわる,そこがどういう場所なのか,景色がどうかとかまずみる
この辺でも場所が違うと雰囲気でも何でも違っている
狭い場所だからどこでも同じではないかというとそうではない
あそこは海が遠くに広く見えた,それが違っていた
あそこには広い高台があった,あそこには行ったことがなかった
そういう場所に休む場所があるといいのである。

だから限界集落とかなりそうした地域地域が失われることは住んでていて面白くないというか変化がなくなる,場所の雰囲気を変化を楽しむことができなくなる
田舎は多様な場所に住んでいるからである
ともかくあのように今は意外と他から移り住んでいた人達がいた
でも放射能騒ぎとか津浪もあり帰った人も多い
その人も実際はパン屋をするわけではなかったこの辺の特殊な事情ですることになった
商売は常連客があるとリピーターがないと成り立たないだろう
この辺は工事とかで今も外からの人が来ている,それで成り立っている食堂とかある
でも前のようには来ないので地元の人に来てもらわないと成り立たないということがある自分は朝はパンだからうまいバンを食べたいのである。

鹿島区は海岸が風車の風景になった,今日はめずらしく風が吹かないので風車が回っていない,そして冬芒の風景になっている
これもこの辺の風景としてなじんでくるのかとなる
家で待っている人はいない,待っていたのは猫だった
この猫も何か不思議なのである。猫は家にいつくというが本当である。
家の住人のようになるから不思議なのである。

死んだ人もだんだん忘れさられてゆく,去る人は日々に疎しになるがなおやはり面影が浮かんでくる
春といってもまだ春とは感じられない,今年は寒かったからだ
ただ梅は咲き始めたから春にはなっている,鶯の初音も聞いた,雲雀も鳴いたのである。ただ本格的に鳴きはじめるのはまだである。
飯館の方は雪であり雲におおわれて雪がこっちにも吹きかけてくるのがこの浜通りの気候である。







タグ:風車 磯部 冬芒

2018年02月26日

東風(こち)が吹き春北風(きた)が吹く


東風(こち)が吹き春北風(きた)が吹く

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浜通り東風(こち)に春北風(はるきた)風変わる

山鳩の三羽来たりて梅開く

何励むパークゴルフや冬芒

目覚めれば知らずにふりぬ夜半の雪


時にして春の嵐や時代かな若き命を散らしけるかな


出典新古今集 雑上
「めぐり逢(あ)ひて見しやそれとも分かぬ間(ま)に雲隠れにしよはの月影」

夜半(よは)の月の歌である。ここでは夜半の雪である。
夜半に目覚めたら隣の屋根に雪が薄くふっていたのである。
この辺ではあまり雪は積もらないけど今年は一時積もった
これもいろいろに鑑賞できる,何かこの句が死をイメージする
ひっそりと死んでそのあとに白い雪がおおっているとかなる
この辺では雪はなかなか降らないから雪にたいしてイメージがわかないのである。

今年は寒いから冬が長い,パークゴルフは今日もにぎわっている
とにかく老人が多いからいつもにぎわっている,それは無用な冬芒なのかとなる
何かこの辺では人手不足だけど老人は強いられない限り働かない
今日も駅に杖ついてきた老人が5人くらい見かけたのである。
本当に老人が多すぎるのである

今日は東風(こち)が吹き春北風(きた)も吹いた
今頃浜通りでは海からの東風と山からの春北風が吹く
その東風が原発事故で災いしたのである。
東風が福島市の方まで吹いて放射性物質を運んだからである。
これは本当に不運だった,一月頃だったら良かった
まだ東風が吹かないからである。
そして飯館村があんなふうになったのはショックだった
飯館村は森の国であり森に隠された村だったからだ

近くの梅は開いた,まだわずかである。徐々に増えてはきているがまだまだである。
今年は春が遅い,東風でも冷たいのである。
風というのはその土地特有の風が吹く,だから風土となっている
この風を感じるには車ではできない,風を自然を遮断するからである。
ただ自転車は最近疲れる,節々が痛くなる
だから遠くに行くのが億劫になった
後で筋肉が痛くなのである。
知っている人は腰が痛い痛いと実際はなにもしていない
ただ畑をやる気はある,そこに生きがいを見いだしている
腰が痛くてもやりたいことはやろうとする
自分にとって自転車を乗っているのと同じなのである。


タグ:東風

2018年02月15日

白鳥の短歌十首(白鳥は神々しく魅せられる)


白鳥の短歌十首(白鳥は神々しく魅せられる)

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今日見た白鳥

白鳥の暁に映え凍る湖(うみ)

白鳥の凍れる湖に目覚め鳴くその声ひびきしみとおるかな

白鳥の凍れる湖にその翼広げ飛びたたむあかつきの空

この一日吹雪きけるかな白鳥の鳴く声ひびく北海道の夜

白鳥の北海道に映えるかな神々しくもけがれざるかな

山上の湖美し白鳥やスイスの古都を落葉踏み歩む

スイスなる古城のあわれ山険し湖の清しく白鳥浮かぶ

教会も古りて鐘鳴る白鳥の浮かび静けし湖も古りにき

白鳥の真澄の空に列をなし白さの映えてその飛行かな

白鳥の列を乱さず美しく真澄の空に翔りゆくかな

白鳥の白さの映えて神々し神の使いとふさわしきかな


絶景広がる”砂の岬”尾岱沼はオオハクチョウが見ごろ


北海道の尾岱沼(おだいぬま)の白鳥を見た,冬にも北海道に行っていたのである。
北海道は電車でも自転車でもほとんど回った,十回くらい行っていた
それだけ暇だったのと家族がいて安心して旅できたとなる

白鳥には本当に魅せられてしまうのである。神々しい感じになる,まず人間の社会のことをどうのこうのと語ってみてもそこがどんなことをしても穢れの世界でありブラックなのである。結局資本主義社会であれ社会主義共産主義社会であれ人間そのものが汚れたものだから社会もまた汚れたものになる
人間の社会に理想社会などありえないのである。

一方自然を見るとそこに神の技をみる,神の成したイデアを見る,白鳥などは神々しいものであり魅せられてしまうのである。
その神の作り出した技に美に魅せられてしまうのである。
人間でもいくら美人でも人間である限り醜いものがある
何か白鳥とか見ると自然の花でもそこに穢れない,だから神々しく感じるのである。

そして白鳥でもそのいる場所が問題である。この辺ではその場所としてふさわしくない
きれいな湖とか背景が良ければ一段と映えるのである。
ヨーロッパでは何か白鳥が映える静謐な場がある,それが古い歴史とマッチして映える
スイスで晩秋に見た白鳥がそうだった

スイスのルツエレンで見た白鳥がそうだった,山上の湖から清涼な冷たい水が川に流れそこに白鳥がいた,落葉を踏んで川沿いを静かに歩む,そこには古城もあり険しい山が迫ってくる,あそこはいい場所だと思った

神の目的は何か?神が創造したものその中に神を見る,美に神を見る,その美は神の技でありイデアなのである。神のイデアは不滅でありそこに神の創造の技を見て驚嘆する
なぜ人間はいくら社会が進歩したなどと言ってもその大都会を見ればわかる
そこにいかなる美があるのか?高層ビルを見上げて何かあるのか?
毎日蟻のように仕事に追われている,その仕事がいかにも重要なことのように言うが
それならそこになぜ美がないのか?そこにいかにその労働を強いても賛美しても絶望してしまうのである。

神の世界はそういうものではない,神が作り出した技こそ自然にこそ感嘆する賛嘆するものがありそれに魅せられてしまうのである。汚れた人間社会で死ぬより荒寥としてもそこに美があればそこで死ねば満足だともなる
都会のビルの間で死ぬのは無惨である。富豪でもうらやましくもない,自然の美の中にあって暮らし死ぬなら貧乏でも満足だということはある
ただ正直あまり過酷になると詩人が呪い死んだようになるから嫌だとなる
自分は別にそんな過酷な農業をするわけでもない,ただ旅しただけだから良かったとなる
白鳥は猪苗代湖とかでも見られるしその背景が良くないと映えないのである。
それは何でもそうである。自然の美は背景が良くないと映えないのである。


白鳥の詩

ルツエレン写真
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タグ:白鳥

2018年02月14日

無常の世の短歌十首 (空家が増えたり団塊の世代が大量に死ぬ時代)


無常の世の短歌十首

(空家が増えたり団塊の世代が大量に死ぬ時代)


死ぬ前にもだえ騒ぎて声やみぬひぐらしの声耳に残りぬ

その土地に根付き朽ちにし老木のこの土地にこそ思いは残る

大原の知りにし人の眠る墓ここに生きにし思い出深しも

大原に住みにし人の病院に語りつつ死に心に残りぬ

大原に空家のありや誰か住むなお残りつつ冬の日暮れぬ

今日もまた死ぬ人ありぬ 誰なれや何か語らむ一言なりも

近くにそ空家となるもこの女のいづこにあらむ冬の日暮れぬ

家の跡一本残る松静か冬の日さして今日も暮れにき

たちまちに灰となりにし人の生その声やみて訪ふ人もなし

津浪にて消えにし村や形見とて残る碑一つ冬の日暮れぬ

捨てられし墓もありなむ何語る何か思いをここに残しぬ

亡き人の時に顕れ住みし家生きにし土地をなつかむかも

人間の世は無常である。自分はそのことを家族の死で経験したし回りでも津浪原発事故で大きな無常を経験した,人間のはかなさを経験した
死ぬ前に人はもだえ騒ぐ,でも一旦死ぬと何も語らない,あれほど騒ぎ語ったのにもう何も語らない,遺影に向かって話しても返事は全くない
その変化が大きく人間は耐えられないのである。
そうなると喧嘩していたときもなつかしいなとかなる
それはこの世に生きているときが一時だとなるからである
長いようでもいづれは死に永遠に別れてしまうのが人間である。

南相馬市立病院で一カ月入院したとき最期に語ったのが大原の人だった
その人は話することができなくなっていた,ただ最期に話ができるようになった
だから大原のことで生活したことなどの話を聞けたのである。
それもふりかえれば貴重なことだったとなる
その人の墓は大原にあるが家は空家となって跡を継ぐ人は市内に住んで住まない
それも淋しいとなる,何か今はこうなりやすい,空家が膨大に増えてくる
近くでも空家が多いし一人ず住んでいる人が多いのである。
一人暮らしの人が組で四人とか多いし空家が多い
これはここだけではない,一人暮らしと空家が多い時代になったのである。

近くに家だった跡がありそこに一本松が立っている,そこでここに家があったのだと知るが自分はすぐ近くなのに記憶がないのである。
ここに家があったという記憶がないのである。これも奇妙である,宅地整備で変わったためでもある
ただそこに一本の松が立っている,それが形見のように立っている
ここに庭があり立っている,それでここに家があったということを知る
そうでなければ荒地となりここに家があったこともわからなくなる

ともかくその土地に生きたとしたらその土地に思いは残る
何かそうした思いが残る土地が故郷でもある
だから津浪や原発事故とかで故郷を離れた人達は特に老人は悲劇だったのである。
そのことはあまり語られないがやはりその土地に生きてきたのだから思いは残る
人の生が短いとするときやはり長く一緒に暮らした人とかその土地のことは忘れがたいとなるからだ

人は次々に死んでいる,めずらしくもない,これから死ぬ人が増えてくるから駅前の農協の葬儀部門が繁盛するし都会では火葬場がないとか問題になる
田舎の仕事が介護とか医療関係とか葬儀屋が繁盛する,それで地方が活気が出るのかとなると疑問である。駅前だって葬儀屋があるのが場違いに見えるからだ

姉が火葬場で焼かれるときひぐらしが鳴いていた,姉は社交的な外交的な陽気な女性だった,だから認知症になっても同じことを千回もしゃべりつづけた
それを聞いているのが嫌になったがしゃべりつづけた
暴れたり騒いだりもした,でも死んだから何の声もない,返事もない
人生も終わってみれば一時であったとなる,そうして膨大な人が灰となり忘れ去られるだけだとなる

墓地に行けば捨てられた墓も必ずありそれらは誰なのか,何者なのかもわからなくなる
墓は最期の形見でもそれすら忘れられてしまう。
結局この世が無常ということは変わりなかった,ただ多少長く生きて死ぬかの差はあったでも長く生きても遂に死ぬ,それは変わりないことである。
人間は無常の中に生きる,無常から人間を見るべきだともなる
この世のことはすべて無常のことなのである。
だから人生でいろいろあってもこれも無常でありこの世を生きることに生に執着しないことであるとなる
それは一時のこの世のことでありそれは無常となり終わる
そういう無常の観点からこの世を人を見るべきだとなる

家の跡に残された松

ここに家があった
その跡に一本の松が残り立っている
その松は何を語るのか
その松はこの地に根を張り
枯芒の中に家なき跡も立っている
冬の日がさして静かに立っている
松には誠実を感じる
家なき跡も誠実を示しているのか
何かそう人間はありたい
人が死んだ後にあの人はどうだったとなる
死んだ後の評価は大事である
巨万の富を残しても評価されない人もいる
人間の価値は死後に正しく評価される
この松のように人は残るものがあってほしい
誠実な松がここにいつまでもまだ立っている
地に根付いてここを離れず立っている

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原発事故で避難した人々の家はまるでもぬけの殻のよう地なり残っている
それも不思議なの光景である。
あんなふうに街自体が廃墟のようになるとはイメージもできなかった
それこそ無常だとなる,津浪でも村が全部消えたというのもそうである。
そんなことがありうるのかということがこの辺ではつづいたのである。
そうでなくても人間の世は無常である。この辺ではその無常なことに津浪や原発事故で拍車をかけて無常になったのである。
街自体が廃墟化することば一軒の家が空家となり空き地となるのとはまるで違っていた
まだ人が継続して住んでいるから町全体が無常化することはないからだ
それが何を意味しているのかもわからないともなる
ただそこにも継続して人が住んでいたのでありだから愛着が残る
そういうものが失われることはさらに無常であり他とは違っている

2018年02月13日

冷える夜(猫の不思議-なぜペットブームなのか?)


冷える夜(猫の不思議-なぜペットブームなのか?)

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尻尾が焼かれた猫


猫と我ストーブにあたたまり冷える夜

猫鳴きて甘いよりくる冷える夜

声かけて猫と二人や冷える夜

我一人遺影に話かけ答えなし猫にゃおと鳴き冬の夜ふけぬ


この猫が特別自分が飼うということではなかった,いつのまにか居ついたという感覚になる,でも結構すでに五六年とか長くいたなと思う
でも自分はものぐさであり猫を飼い世話することができない性分である。
だからほとんどかまわない,家の中で糞とかするので近くによせつけずいたから
触ったりもしない,しようとすると逃げる
でもなんか猫は不思議な動物がなと思うようになった

猫との縁というものがあるのかもしれない,野良猫は多くてもやはりここに居ついた猫とは特別な縁があったのかとなる
猫の不思議はがらんとした家に一人でいる,そして遺影の母とか姉と語る
しかし答えがない,その時ニャオーと鳴いたのが猫だった,猫が答えたのである。
なんかこれも奇妙だった,猫でも犬でも家族の一員になるというのは本当である。
猫は家の中に入りいつくのでそうなりやすい

猫はこうしていると愛情が覚えるのも不思議である。
そういうことは自分はめんどうだから感じなかった,放っておいたのである。
だから一カ月くらいいなくなってこいつは帰ってこないなと思っていた
そしたら帰って来たのである。その時尻尾を焼かれていたのである。
誰かが子供なのか悪戯したのだろう。
それ以後相当おびえていた,でも今でも二日くらいいなくなるのがこの猫なのである。

猫の不思議はがらんとした家にいるとやはりそれが家族のように思えることである。
何か通じなくても話しかける,するとニャオーと鳴いて答えたりする
猫には何か心でも通じるものがあるようにも見える
ただ良く鳴くのはエサが欲しいというときである
時々魚の余ったのを分けてやっているからグルメ猫になったのである。
やはりそういうものを与えていると猫は要求するようになる
贅沢の味を覚えるのである。

ともかく今日も冷えた,夜も冷えている,しんしんと冷えている
猫と二人というのではないがそうなる
何か一人よりはいいのである。家族がいるという感覚になるのだ
それで猫に財産を残した富豪の人がいる,その気持ちもわかる
子供でも財産が欲しいというだけになり寄ってくるから嫌になったというのもわかる
実の子供ですらそうなのだから他人は金しかない,金の切れ目が縁の切れ目とみんななってしまったからである。
金持ちでもそういうことで孤独なのである。金持ちだ余計にその金をねらってくる寄ってくる人が多いのである。自分は金持ちではない,でも寄ってきたのは金目当ての人しかなかった

そういう人間を見ていると猫に財産を残した人の気持ちがわかる
猫は何を要求するわけでもない,エサをやれば満足する,その他は要求しないからだ
なぜこれほど現代がペットブームなのか?
人間よりペットを可愛がってどうするんだというのもわかる
でもそれには原因があった,人間社会が金だけを求める殺伐とした社会になっているからだ

遍路の乞食がペットを可愛がりすぎる,人間に愛情をもってほしいとか言っていたがあの人も僧侶でもないのにホームレス遍路になりにわか僧侶になってお経を唱えていた
それは信心となんの関係もない,金をやったからお礼にお経をあげるというがそうなれば乞食ではない,あなたにお経をあげてやる僧でありありがたいと思いとなるからだ
何か僧侶などでも江戸時代でもその前でもそういう僧が坊主でも多かったのである。
そうして糊口をしのぐためにただ仮に僧になっているだけなのである。
何か人間にはそうして偽善的な人が多すぎるのだ
宗教でもそういうふうに偽善として使われているのが多すぎるのである。

だからなぜこんなに異常なまでにペっトブームになるのはそうした人間に嫌気をさしてそうなっているのである。
でも自分は触れもしないし異常なほどの可愛がりはしない,女性だといつも赤んぼうのように抱いていたりする,それが本当に赤ん坊のように思えて可愛がっているのだ
女性の本能を満足させるからである。
ともかく猫は不思議な動物だなということは自分が家で飼ってつくづく感じた

私が欲しいのはあなたの財産です
あなたのことより財産です,金が欲しいのです

これが今の人間であり利益から金から離れてありえなくなった,だからその人のことを心配しているより金を心配しているのが普通だからである。それは親子ですらそうなっているから索漠とした社会になっているのだ

2018年02月05日

冬の暮(松川浦ー日立木を回る)


冬の暮(松川浦ー日立木を回る)

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海老村
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百間橋渡りて長し冬の暮

村一つ社一つや冬の暮

蔵ありて郊外の農家冬菜かな

百才の間蠟梅咲きて残る雪


碑の一つ金砂神社や津浪にそ流され残り冬の日暮れぬ

松川浦穏やかにして白鳥の河口に浮かび安らぎにけり

立谷川打ち凍りけり祠町場橋一つに薬師堂かな

日立木の家並みの間の道細し昔のままに冬の日暮れぬ

苦しむもここに生きなむ人のあれともにここに歳月刻む

近くにそ四十雀来てしきり鳴く声のひびけり春めく日かな


海老村から松川浦へより日立木を回る,海老村には金砂神社の津浪に流された碑が集められてあった,あそこには良く寄っていた
文政とあるし湯殿とかあるからこの辺では良く見かける碑である。

百間橋とは一間が一メートル以上あるとして百メートルにもなるのか?
これはただ長いということで百間橋と名付けられた,いつかけられたのかわからない,
やはり長い橋だったのでそういう名がつけられた

日立木はいつ行ってもなにか感じるものがある。
それはなぜなのか?そこがやはり村として街道としての歴史を刻んでいるからだろう。
そして村の要として必ず日本では薬師堂があった
薬師堂とは医者とか病院がないから病気になれば薬師堂で祈る他なかったから要としてあった,要するに病院と同じだったのである。

そしてなぜあそこの橋が町場橋になっているのか?これもやはりあそこが町の中心的場所でそうなっていた
薬師堂の中に古い碑が並んでいる,そこは相当に古い場所なのである。
日本は村中心に生活があり行政もあった,村ごとに人はともに住み苦楽をともにしたという歴史がある。だから何かあそこにはそうして生活してきたものがにじみでているのだ
そういう場所が日本にいたるところにあるにしても外から旅しただけではわかりにくいのである。
そこはありふれた何でもない風景と見るからである。

日本の村は相馬藩内でもその場所によってかもしだすもの雰囲気が違うのである。
それは土地土地によって地理によってそうなる,深野というときあそこもありふれた場所でも何かそこだけに感じるものがある
あそこは地名が影響していることもある,だからあそこに新田川ユッサ温泉があるのがふさわしいのである。あれは本当に温泉なのか?それがわからないにしても場所がふさわしいのである。

いづれにしろ冬はまたしんみりとして田舎ではいいのである。
ただ今年は寒かった,ここ二三日は春めいて近くで四十雀が鳴いた
また寒くなり雪がふるのか?
百才の間は母を介護した部屋である,そこに蠟梅が咲くのはふさわしい
田舎で暮らすことはやはりその土地と一体化して生活することなのである。

2018年01月29日

冬籠もる短歌十首


冬籠もる短歌十首


浪江まで電車二両や冬の山


我が庭に石のひそけく黙しつつ母の面影留めてあらむ

我が家の柱に寄りて姉思ふ常に自慢すその柱かな

ストーブにあたたまりつつ自転車屋に駅や街のこと語りけるかな

冬の日に寒しも今日も駅に来て見送る人あり我も見送る

芒枯れ根雪残りて風寒し常に見る川鴨群れよりぬ

移り住む家にしあれや冬の灯のともり庭にし置きし石かな

冬の夜に月のかそけく雲隠れまた現るも消えにけるかな

手水鉢厚く凍りて溶けざりき薔薇一輪のなお咲きにけり

遠くへと我はいでじも冬ごもりストーブにあたたまり記憶をたどる

一本の薪またくべてあたたまり冬の長き日回想にふける


八畳のストーブをあたためるには丸形のストーブにした,これだと二倍の石油が必要である。でも部屋はあたたまる,椅ゆり椅子に腰掛けてなにることもなくいる
暖炉とか囲炉裏とかは寒いときその火を見ると体も心もあたたまる
そうして記憶をたどる,昔を思い出すのにはいい,だから囲炉裏というのは暖炉でも何か想像力を刺激する,そうして一日家にいることが多いからである。
その時何をするかとなると老人だったら回想に耽るのが向いている
そういう生活に憧れて田舎暮らしをしてみたいとなる人がいることがわかる

近くの薪を積んで暖をとっている人は土地の人ではない,どういう人かわからないがそういう人もいたのかとなる
囲炉裏は炭の時代は街内でもあったし自分の家にもあった
今になるとそんな時があったのかということが不思議になる
その記憶も朧になり思い出せなくなる
その時父親が生きていて怖い存在だった,明治の男性だから怖かった
でも今はそうして過ごした家族もみんな死んだ
結局最後は思い出だけになるのが人生である

駅前の自転車屋に同じ丸形の高いストーブが置いてあった,あそこには駅のことなど話すのに時々行く,あそこは駅前でありいつも駅を見ているから駅の案内所とかに向いているのだ,いつも駅を見ているから自分より案内所としてふさわしいのである。
だからあそこで時々の駅のことを話しているのである。
駅は家族がなくなり他人の家族が見送りするのを自分も見送りしたり迎えているのも奇妙である。駅は何かそうして再開とか別離の場として演出するのである
バスとか車では何かそうした感覚にならない、ただ会って分かれるというだけの感覚になる
駅には何かそうして人生の織りなす舞台を作り出している,また広場の役割もあることを知った

今日老人が来て知った,小高の医者がはじめた絆診療所では車で患者を迎えに来るという専用の運転手もいるとか,そんなことしてくれるのとか疑問だった
往診はしても車で迎えに来るというのは知らなかった
ただあそこは外科であり整形外科とかなるから内科と違っている
あれもできたことはこの辺ではいいことである。
小高で営業できなくなり鹿島に移った医院だったのである。
何かそうした情報が入るのも駅だったのである。

ともかく今年は遠くに行かない,原町までは用事があって自転車で行くが仙台だって去年も一回しか行かない,閉じこもる傾向は介護で強いられてその後も家を留守にすることが何か不安になり遠くに行かない,やはり家を空にすることが不安になる
だからつくづく遠くへ自由に旅できたのは留守する家族がいたからだなとも思う
そして何か旅する気にもなれない,じっとしているのがいいとなってしまった


冬の古き家に

古き家に
また一本
また一本
薪を燃やしぬ
ほのぼのと
あたたまる火よ
家の柱の太く
故郷の森より切りぬ
姉の自慢す柱かな
我は今この家の主
巌のごとく動かざれ
姉死すも
母死すも
六十有余年ともにしあれば
なお石のごとくここにあれ
ああ なお幾年ここに生きむ
我は墓守にもあれ
木の根はこの地に根を張り
冬の日はここに深まりぬ

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自分の家にも鉄瓶があった,重いものだった
ここでは薪を燃やしているからあたたかい
炭だと体全体はあたたまりにくい
薪だったら相当に寒くてもあたたまる

囲炉裏の精(民話)

こういうふうに何か囲炉裏には物語が生まれるのはそこにじっとしてあたたまっていると想像力が刺激されるためである

こんなふうになる,家というのは単なる建物ではない,箱ではないそこには家族の思い出とかありふれで付加価値が生まれる,精神的価値が生まれる
そこで人間が家族が過ごしたという思い出があるから違っている
それで病院で死にたくないとかなる,病院にはそうした思い出もないからである。
原発避難区域でもそうした思い出がある家だから老人は帰りたいとなっている
ただ老人ばかりの町とか村になるともう維持できないともなる

とにかく自分は墓守なのか?そういう役割が残れているということもある
供養が残されている,なぜなら自分の家族は本当に全部死んだからである。
残っているのは墓と思い出だけとなってしまったからである。

2018年01月20日

年明けぬ(短歌十首)


年明けぬ(短歌十首)


新年の真澄の空に鳥一羽羽ばたきゆかむ命なるかな

未来にそなお強くしも羽ばたける鳥にしあれや年の明けにき

大海の寄せにし波の轟きて飛び立つ鴎年は明けにき

広々と海そ開けぬ大望を抱くべしかな年の明けにき

年明けぬ昇竜の年や我が命なお盛りなれや神励まさむ

雪閉ざす蔵王望むや新年に太平洋に陽は昇るかも

船一艘太平洋を進むかな名古屋につき奈良に行きしを

津浪後傷痕の癒えぬ死者の霊なお漂うや年は明けにき

年明けぬ心の広く我があらむ糧は豊かに与えられるべし

新地駅新し遠く金華山望みて仙台年は明けにき

年明けぬ国の境を我が越えて広き世界にまたいで行かむ


今年は自分は昇竜の年かもしれむ,本当にいろいろありすぎて苦しんだ
その苦しみからも解放されて一段落した感じにはなる
旅ばかりしていたがここ十年はほとんどしていない,近辺を回るだけだった
だから視野が狭くなったとは言える

この辺の地理だと蔵王が八沢浦とか磯部からははっきり見える
山形県は雪に閉ざされているが太平洋は開けている
海は何か解放されて大望を抱く,ただ海は津浪で大被害になりその傷痕は癒えていない
ただ太平洋フェリーで名古屋に行き奈良まで行ったことなど思い出した
太平洋フェリーには何度も乗ったからである。

今年はなんとか自分にとっては回復の年でありたい,気持ちも広く大きくもちたい
まだ早いかもしれんが有終の美を飾りたいともなる
創作した詩も山ほどある,それをまとめるのが手間なのである。
芸術となるとなかなか完成しにくい、それだけ世界は自然は奥深いのである。

とにかく波乱激動の年は十年はつづいた,だから一方で安定したいというのがある
だから株とかあまりに変動するのは向いていなかったのである。
老人は内面に熟達するのが向いている,外に向かうことや変化が苦手になるのだ
ただ心は狭められるのも良くない,広い自然を宇宙に目を向けるべきである




タグ:年明けぬ

2018年01月15日

深野の俳句やユッサの湯の正月


深野の俳句やユッサの湯の正月

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深野の隣は大原冬深む

大原に知る人眠る冬深む

深野に大原村や冬日没る

冬の日や長野に古りぬ墓あわれ


石五つつ庭に変わらず正月に活けにし花は葉牡丹なるかな


深野とは名前も関係していて気にいっている,ふこうのであり深野ではないのだ
その雰囲気も何かいいとういうか独特のものを感じる
外から見たらたいした変わらなくなるしその土地のことはわかりにくいのだ
日本では村が生活の基本の単位だった
だから村には歴史がありそこに本当は日本人の心性がある
むずかしくいえばそうなるがやはり日本人は村で生きていた時間が長いからである。
それは悪い面としても反映される,外からの人を受け入れないということである。

ただ現代だともう隣村とか隣の市だろう町だろうが村だろうが関係ないともなる
それだけ広域的にグローバルにも生活しているからそうなった
ただ歴史的には深野と大原は違っている
ここで錯覚しているのは深野が古いということである。
大原は相馬氏が進出してきたとき大原は開墾されたのである。
深野はその前からあった,だから中世の館の地名が二つもある
館とつく地名があるのは古いのである。
飯館村でも館というつく地名があったから中世からあった村なのである。

つまり郷土史は村でもその新旧を知ることが基本にある,だから戦後開墾に入った村が奥地にある,それが何か古い家だとまちがいやすいのである。
そして豪倉という地名は昭和十年だったのであり新しかったのである。
飢饉のために備える倉のことである,米を貯えていた
そして江戸時代のものは墓でも価値があるがこうして新しいものは歴史がないとなり価値がないのである。

ユッサの湯に行った,あそこは時々休息に行くのにはいい,見るべきものもないが庭に石があり森がある,だから安らぐ場である
でもあそこの湯に入ったことはないのである。自転車だと湯冷めするからである。
そして入浴料が750円とかは高いと思う
それが本物の温泉ならいいがどうもそこが良くわからないのである。
確かに温泉は出たとしてもそれがどんな温泉か確かでないらしい
要するに温泉が出てもどれだけ出ているのかもわからない
ただ温泉とすれば価値が上がるから一応そうしているのかもしれない
この辺では温泉は出ないからである。

ユッサの湯に飾ってあった生け花は正月らしくて良かった
生け花は結構センスがないとできないし暇もないとできない
自分もしているが何かうまくいかない
やはりこれも伝統的なものがあるから身につかないし
生け花は金も暇もかかるのものである
それで忙しいからできないということもあった
家事に時間をとられるからである。

田舎の冬はしんとしていいものである。都会だと騒々しいからだ
しんみりと田舎の冬を味わうのがいい,田舎はやはり老人に向いているのである。
ただ何か田舎は恒産がないと住みにくい,家があったり土地があったり田んぼや畑があったりそれなりの財産がないと住みにくいのである。
ただ今はみんな財産は金であり田舎でもほとんどの人が会社員なのである。
それが都会から見ると錯覚しているのである。

深野の豪倉

ユッサの湯

住所

南相馬市原町区深野字荒戸沢15

時間

10:00〜22:00

入浴料

750円

源泉

PH 9.02 源温 28.2℃

泉質

アルカリ性単純泉

効能

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進



間違いなく温泉であるがどれだけの温泉なのかわからない,温泉にも評価がいろいろあるからだ

2018年01月07日

新年の松川浦短歌


新年の松川浦短歌

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八沢浦の新しい橋

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雪の蔵王
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松川浦
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クリック拡大(宇多川河口) 白鳥がいた

向こうに百間橋が見える,結構長いから昔この橋をかけることは容易ではなかった

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新しき庭に石七つ冬の暮

街道の祠一つや冬の暮

冬の暮百間橋を渡るかな


雄々しく蔵王を望みみちのくの野の広がりて年の明けにき

我が来たり鴨の千羽の群れさわぎ松川浦の年の明けにき

松川浦鴎あまた群れ宇多川を一羽飛びゆく年の明けにき

立谷川凍りけるかな町場橋夕ぐれあわれ我が去りにけり


蔵王が八沢浦から磯部からも大きく見える,松川浦になると小さくしか見えない
意外と蔵王が大きく見えることに気づいていない
蔵王は福島県と宮城県と山形県の三県に見える,だからこれだけ広範囲に見えるからこそ
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのくといっても福島県と宮城県と山形県までである,だから二わけするとなる,岩手県になると岩手山であり青森県になると岩木山が象徴的山になるし秋田県になると鳥海山である。

松川浦ではレストランに入った,そこは全国からの魚をもともと仕入れていたのである。松川浦だけではない,津浪や原発事故の前から全国から仕入れて出していた
それで沖縄で松川浦から来た人とあった,沖縄からも仕入れていたのである。
石垣水産とか張り紙があり宣伝していた,あそこはだから魚料理が美味いとなる

次に来たのが相馬市をまわり日立木の立谷川でありそこは凍っていた
そこに町場橋があり薬師堂がある
この町場橋はなぜ町場となったのか?この辺の町場だったとなる
人が集まる場所だったのかもしれない,ただ相馬市街までは城のあるところまではそれなりに遠く感じたかもしれない,歩いてゆくと近くても遠く感じるからである。

祠が一つあり街道も冬は淋しかったろう
結局薬師堂があるとするとそれは医者代わりだったのである。
医者に行けいないから薬師堂で祈るほかなかったのである。
だからどこでも薬師堂があり地蔵があり病気になってもいるの他なかったのである。

昨日は風がめずらしくなかったから自転車で行けた,自転車は風に弱い,毎日のように風が吹いていたから相馬市に行ったのは半年ぶりとかなっていた
これが自転車の問題だった,相馬市までは自転車だと遠いのである。






タグ:松川浦

2018年01月04日

正月短歌十首(2)(万葉集の新年の歌) (今年は穏やかな年になるのか?)


正月短歌十首(2)(万葉集の新年の歌)

(今年は穏やかな年になるのか?)

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一輪の石に刻みぬ冬薔薇


新年や姉の遺影のほほえぬその自慢せし柱によりぬ

姉と母今な亡きしも我をなお家に見守年は明けにき

姉と母なおこの家にありにしや我を見守り離れざるかな

新しく兄の墓をし我建てぬここに安けく眠るべしかな

新玉の年や苦しき時過ぎて我が家にさらに幸を賜わむ

新玉の年の緒長く苦しき日過ぎて憩いぬ我が家なるかな

新年に満月光り穏やかに今年は明けぬつつがなきしも

あらたまの年は明けにき穏やかに神見守りて実りもあらむ

駅に立つ今年もここに成すべきの我にありなむゴミを拾いぬ

新玉の年に言ほぐすめらぎの日本の栄より増すべきを


笠女郎(かさのいらつめ)の大伴宿禰家持に贈れる歌二十四首

わが形見(かたみ)見つつ思(しの)はせあらたまの年(とし)の緒(を)長くわれも思(おも)はむ

新玉の年替えるまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも(巻17ー3979)

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)(巻20ー4516)大伴家持



笠女郎の歌はいい歌である。これが恋の歌だというときそれだけではないものがある
折口信夫が言っていたように恋とは乞うであり実は死者を思うことだったというのは深い見方である。
形見という時,万葉集時代など写真はなかったから物として残したものから死者を思っていた,今は遺影があり遺影から死者を偲ぶ
この意味を良くわからなかったが家族がみんな死んでただ偲ぶだけになったとき理解した
日本には正月の文化があった,それが希薄になったのはやはり農業から工業社会とか別な社会になった結果である。正月は晴れの日でありご馳走が食べられたとかあった
それも日頃美味いもの食べているからない,ただ年が変わるだけだとなった

なぜなら天皇でも大嘗祭とかあったように稲作文化と密接に結びついてあったからであるだから年の初めに豊作を祈るのが天皇であった,天皇は日本国の司祭でもあったからだ
神主でもあったからである。そういう役目があったのだか何か現代になるとその役割も喪失してきたのである。

ただ日本の文化の伝統ば言葉の中に残されていた,新玉でもそうでありそれは年を新たにして一年をはじめるということである。
ただ人間というのは人間の力だけではどうにもならない,今回の津浪や原発事故をそれをしらしめたのである。人間は神から離れてありえないのである。
いくら科学が発達しても人間には限界がありそこで神に祈るのである。
今年の新年は確かに雪がふった,ここではすぐに消えたが降ったことは降った
それが吉事(よごと)いいこなのか吉兆なのか?それは稲作と関係していたのである。
冬がかえって寒いと雪がふると豊作になるということが伝えられていたからである。

ともかく自分は介護から看取りからと一人で苦しかった,それは十年もつづいた
それで消耗した,でも何か今年は楽である。
死んだ人も今は笑っている,姉は陽気な人だったから今も笑っているという感じになる
それは遺影を見てそう思ったのである。
だから気が楽になったという感じになる,そして以前としてこの家を自分を見守っている感じになる

だから家というのは家族が死んでもいつづける場にもなる,墓はまた別でありそこに死者がいる感じにはならないのである。家には確かにいるという感覚になる
それでいつも姉が自慢していた柱のことを思い出すのである。
その柱が姉のようにも思えてくるのである。
だから家には重みがありそれは家が寝起きする箱ではない,そこに精神的なものが付与されているから違っている,物でも物が憑くとか物心とか物は単なる物ではない,精神的ものが付与される,それで親の使っていたものにもものが憑(つ)いているから簡単に投げられないとなる,一方でそういう物がついたものを投げることによって捨てることによって新しい生活がはじめられるという意見もあるのもわかる

いづつれにしろ自分はこの家を継ぎになうものとして生まれた,複雑ではあったが兄の墓も新しく建てて何か心安らかになった,死者と生者の関係はつづいている
だからそこに安らかな関係にならないと祟りになったりする
靖国神社の問題はまさに死者が靖(やす)らかに眠ってほしいとなっているがそれがなかなかそういうふうにならないことが問題なのである。
その死者の霊が靖らかでないことは危険にもなる,その霊が死者が戦争をまたはじめるマルスの霊,軍神とかになるからである。
国単位になるとそうした死者をどうするかはむずかしい問題になる

自分のように家単位だと死者も今は安らかになっているな,自分も安らかになったなという心境になる,そうならない家もありその家には暗雲がなおあり不気味な物の怪が出ているからもしれない,それが怖いのである。
成仏しない霊が荒御霊になってさまようとなるから怖いのである。
それは災いをもたらすからである。

天皇はすめらぎは日本の国の安寧とか豊作とか祈る司祭だった,でも明治維新からは軍神ともなったのである。だから批判もされる,ただ日本の伝統としてありそれも日本の文化だったとなる,だからいちがいに否定はできないのである。

あらたまの年の緒長くというのは誰でも思うことである。まず万葉集時代となると平均寿命は何才なのか?もう長く生きる人がまれなのだから年の緒を長くと祈るのはわかる
でも現代のような高齢化社会になるとあまりにも長生きになるとそれも成り立たなくなる早く逝かせてくださいと祈ることにもなるのである。

ともかく今年はスーパームーンで地震が起こるとか警告していた人があった,確かに東京で震度3の地震があったからないことはなかった
でも弱い地震だからたいしたことがなかったとなる
それより気候も穏やかであり今年は何かいい年になる,平安な年になるのではないか?
それは自分の気分とも関係してそうなる

皆様も良いお歳を・・・・・









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2018年01月02日

正月短歌十首


正月短歌十首

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真直なる樹々の立ちにつ清しきや北風吹きてひきしまるかも

故郷の大地に深く根を張りつ未来はぐくむ人となれかし

元旦に満月光り新たなる年を迎えて心安けし

よする波荒々しかも津浪より六年過ぐも海を恐れぬ

年明けて姉母思ふ我なりき家を繕ふ仕事つづきぬ

とりどりの花活けにぎわふ年明けて忙しきなか花をいとしむ

誰なれや我が家の墓にみかん一つ置きにし人や年の明けにき

年明けてなお一輪の薔薇の咲き散らず残りて我は籠もりぬ

我が家に猫一匹のいつきけり餌やる仕事今年もつづく

近くにそ介護する人目につきぬ長々と垂る冬の雲見ゆ

我が側に仕える人のあれにかし石のごとくに信を置きしを


真直なるというとき日本語にあった古語にあった万葉集にあった言葉である。
この言葉が自分は好きである。まっすぐなとかなる,それは樹にやさわしいともなる
真直なる心が神道に通じているのである。
神社にお参りしてただ御利益だけを願い賽銭を入れるのでは心は清められないのである。神道は日本の武道の中にも活きている,剣道でも空手でも合気道でも柔道でも活きているでも空手とか合気道は明治以降に生まれたのである。
新しいのだが神道の精神が受け継がれている
大和言葉自体に神道がある,真直なるというのがそうなのである
ただこれも死語になったのである。

故郷の大地に根を張りといってもこの辺はその大地が失われた,放射能に汚染されてしまった,だからこの辺が風車とかドローンとかソーラーパネル工場のようになる
それは大地に根付くという感覚はない,何か再生エネルギーの工場地帯のようになっている,それがこの辺の未来なのかとなるとまた疑問なのである。
それは原発の時もみんな原発に未来を求めたのである。
それで双葉町では原子力とともにある未来という横断幕が街の入り口にかかげられていたその未来は故郷に住めなくなる無惨な結果になったのである。

今年の元旦も二日目も何か天気は穏やかである。元旦はスーパームーンだった,何か地震が起きるとか警告する人がいたがそうはならないと自分は思っていた
かえってスーパームーンは正月にふさわしいと思っていたのである。
自分はただその時の気分で言っているから科学的なものはない,でもこの世の中すべて科学だけでは理解できない,地震とかに関してと科学者もほとんどわからなからである。

今年も家の修繕とか整理とかがつづいている,家というのはいろいろ住みやすいようにするとなると自分流にすると手間になる,内装も変えると確かに気分は良くなる
でも次々に直すことができてくるので困る,家自体が築50年で古くなっているのだから本当はリホームが必要なのだが金がかかるのでしたくないのである。
リホームするとまた切りがなくなるからだ

家事で忙しいから花を活けるということも花を見ることもゆっくりできない
そういう生活もゆとりがないとなるが一人だと家事に追われるのである。
前は介護だから家のことを良くみていなかったし直せなかった
今は家全体を見て住みやすいようにしようとしている
家の中にいる時間が長くなった,だから家が住みやすくないと困る

家には猫一匹いついているが猫は忠実な下僕となるのか?
猫は下僕というより餌をやったり糞の始末をしたりとかえって猫に使われているのであるそもそも本当に信用できる人間がいない,そういう人間が側にいれば安心である
でも家族ならいいが他人では信用できない,それで痛い目にあったいるからだ

介護の番は今はみんな回ってくる,今知っている人が二三人介護している
10年介護して終わった人も知っている,自分も介護は終わった
そして介護は必ず次に回ってくる人が多いのである。
つまり高齢化社会は介護社会なのである。介護の重荷が冬の雲のように日本全国に垂れているのである。
今介護していない人でも親がいて介護の番が回ってくる
その確率が非常に高いのである。だからこれはよそ事にはならないのである。
自分は介護しなくていいなと思ってもその番が回ってくるからである。

津浪から七年にもなるがまだ津浪の傷跡は癒えない,そして今日も海に行ったが波が荒々しくよせる,それが怖いとなる,海への恐れは消えないのである。
津浪の前は海は怖いということがあったが津浪が来てからは海の見方は変わったのであるそれはあと何十年も変わらない,なぜなら津浪を経験した人はあと50年くらい生きているからである。
10才で経験したら80までいきたらあと70年になるが津浪は記憶されているのである。
要するに津浪のことを誰も経験しないで知らないとなったときようやく忘れられてゆくのかとなる,それほどの甚大な被害だったのである。

ともかく今年は穏やかな正月であり三が日である。

今年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

良いお歳を・・・・



タグ:正月短歌

メジロが庭に来た


メジロが庭に来た

めでたしや庭に二羽ほどメジロ来る


東京の都市部ではメジロは秋冬の鳥だった

鶯とまちがいやすいらしいけど目の周りが白いのでメジロだろう。鶯は来ないように思うでもメジロを自分が見たのははじめてである,四十雀は来るがメジロとか鶯は見たことがない,だからはじめて庭に来たのを見たのである。
それはめずらしいからめでたいとなる
ただメジロを現実この目で今まで見ていないことも不思議である。
鳥は興味があってもすぐに飛んでゆくのでとらえることがむずかしい
写真にとるにもすぐに飛んでいなくなるから撮ること自体がむずかしい
だから鳥を見たらその鳥の姿を記憶してあとで調べる他ない

目の周りがハッキリと白いし緑色でもあったからメジロだと思った
鶯は庭の方に来るとは思えないからだ
それでも鶯の目の周りも白いとしたら間違いやすい
直感的にはメジロだと思った
秋冬の鳥というとき冬でも見かけるとなるからだ
寒いところからあたたかい地域に移るとか山から平地におりてくるというのは餌の関係である。四十雀は良くみかけるのは山に餌がなくなるからである。

今年ははじめてメジロを見たとすると縁起がいいのかもしれない,悪いことがつづきすぎたから落ち着くのかもしれない,人間はまずあまりの変化した変動した激動した世界に適合できなくなる,平和で平凡な生活が普通であり異常な事態ばかりになっていたら
感覚的におかしくなってしまう
まず人間は狂人の中にいたら自分自身も狂人になる,この世の中が狂人の世界である。
なぜこんな人がいるのかと驚くし恐怖になる

田からこそ自分は秘境を求めそこで隠された石のように安らぐことを望んだのである。
こういう報告をすぐできるのがインターネットである。
記録としても後で役に立つ,写真はすぐに去ったからとれなかったのが残念である。
鳥は写真をとればあとで調べられるからである。
ともかく今年の元旦正月は穏やかである。元旦になってもそれほど寒くない
ただ今日は風は吹いている,外に遠くに行くのは風が吹いたのでやめた

タグ:メジロ 目白

2018年01月01日

穏やかな元旦


穏やかな元旦


初空の広く深きや息を吸う

初空を鳥一羽飛ぶ雲もなく

コンビニの雑煮を食べて一人かな

元旦や猫にあいさつ一人かな

初日さす穏やかなれや鴨よりぬ

元旦やつきたての餅を食いにけり


今日は寒くもなく雲もなく晴れわたり穏やかである。雑煮はセブンで注文して食べた,コンビニの雑煮を食べる人は家族で暮らしていないような人である。
わびしいことは確かだが前は食べることもできなかった
お汁粉は簡単だから食べるのである

あいさつするの猫だった,この猫は自分で飼ったというものでもない,いつのまにかいついたとなる,でも一カ月くらいいなくなったことがあった
もう帰ってこないかと思ったら尻尾が焼かれて帰ってきた
誰か悪戯して尻尾を焼いた,それは結構悲惨なものだった
野良猫は外飼いになると危険だというのは本当である。
他にもいろいろ危険があるからだ

ただ自分は猫を飼うのもめんどうなのである。部屋の中で便とか今でもされているから嫌になるのだ,汚れが落ちなくなる時もあるからだ
自分にはそもそも猫を飼うということもできない性分だとなる
ただ誰もいないよりいた方がいいとなる
声かけるの猫だとなる,もう一人も来ているが相手が人間になるとまたいろいろ不満が出てくるのであてる。

今日は原町の道の駅の方に行った,レストランはほとんど開いていた
道の駅も開いていてつきたての餅を売っていたので買った
前は家で餅をついてそれを切っていたことを思い出した
そういうことも何もなくなった,そのつきたてのもちを霊前にささげた

何か今年はもしかしたら今日の天気のように穏やかなのか?
風は吹いているが寒くもなく穏やかである。今年を占うとなると元旦の天候は大事かもしれない。
スーパームーンに今日なるとしてもかえって縁起がいいともとれる
第一地震の予想は当てにならないからである。

今年も書き続けますのでよろしくお願いします

良いお年でありますように・・・・
タグ:元旦

2017年12月31日

年終わる


年終わる

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大晦日一人用意や担う家

何語る鵜鴨鴎や年終わる



今日はイオンの方に行った,イオンだと安いものがあった,品物も豊富である。
同じものでも安いのがあるから得である。
ここだとキクチとシシドがあっても同じ値段で高いし品物が少ない
だから何かとかえって買い物でも不便で損するのである。
ただ車がないから一週間に一回とかしか行けない
最近風が吹いて寒くてずっと行っていなかった

石鰈の切り身で売っていたのを買った,他にも品数が多い安いものがある
原町レベルだと買い物とか外食はいろいろあっていい
何か一万と四万くらいの人口の差が大きい,一万の町と格段と買い物など差がでる
医者でもここでは十倍くらいの差がでる
だから便利な時代は不便な所に住みたくないとなる
それで原発事故の避難区域には帰らなくなったのである。
人間は便利な生活贅沢な生活を覚えたらそのレベルを落すことがむずかしくなる

ともかく介護が終わっても何か生活に追われている,やはり家事が結構大変なのである。大晦日とか正月の用意するわけでもないがそれなりに用意があり忙しいとなる
意外と家のことにこるとやることが多くなる,何かいろいろ配置とか自分好みにしようとするとそれだけで時間がかかる
最近毎日ダイユーエイトに行って家に使うものを買っている
だからこんなに次々買うものがあるものだと思う
今の社会は金がかかるようにできているのである。

これからまた買い物がある,花を買って活けようとしている,でも生け花でも何か時間がかかる,するとそっちの方に時間が回らなくなる
一人で何でもやることに限界がある
今思い出した,セブンエレブンに雑煮を頼んでいた
雑煮は作れないからそれでまにあわせる

あとは正月の用意でもない,今年もこれで終わりだ
川には鵜とか鴨とか鴎がいた,それぞれに何を語るのか年は終わる

今年の自分のプログをふりかえるとずいぶん書いた,やはり余裕ができて書けた
でも家事は結構忙しいからこれだたけ書けたというのは意外だったともなる
来年はどうなるのか?それほど変わりない年になるのかもしれない

ただ一月一日がスーパームーンになり地震が来るとかyoutube に出ていたが不安になる
なぜなら3・11の地震と津浪は天体も関係していた,それから地熱が関係していたとかいろいろあるからだ,天体と熱は関係して地殻変動が起きる
特に本当は熱が相当に関係している感じになる
なぜなら津浪の前の年の夏が異常に暑かったからだ
異様な暑さでありそれで熱であたためられて地殻変動が起きやすくなっていたのではないか?何か素人的にもそれが納得がいくというか気になるのである。
月はどうかとなるとそういう記録があり地震が起きやすいと証明されてもいまいち危機感はない,ただ熱だけは関係していると思う

ともかく今年も終わりです,来年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

タグ:年終わる

2017年12月29日

枯葉(介護は家でされるのが理想)


枯葉(介護は家でされるのが理想)

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日のさして枯葉愛しむあわれかな


この室(へや)に母を介護す窓の外に枯葉残りてなお散らじかも

窓の外に残る枯葉やあわれかなそを見つつも年の暮れなむ

残りたる枯葉に午後の日のさして一人部屋にこもりけるかな



母を介護した部屋から外を見ていると大きな葉が枯れて見える,まだ散っていない
ここで介護したときこの枯葉のように見て介護したとふりかえる
母は百才で枯れるように死んだからである。
人間も生物だからこうして体が衰えやがては枯れて死んでゆく
ただ違うのは葉は枯れて土に散るとき土の養分となるのである。
だから森ではそういう命のリサイクルがつづけられてきたのである。

人間も生き物だから老化する、衰えることがさけられないのである。
だからいくら女性でも若作りしても無理である
結局老いは老いとして受け入れざるをえなくなるのだ
死もそうである。いくらそれに抵抗しても無理だからである。

そして枯れてゆく葉に午後の日がさして短き日は暮れてゆく
それもあわれだとなる,これもただ枯葉を見ているだけの写生なのである。
俳句短歌はだから写生が基本なのである。

介護が家でされたほうがいいというとき家というのは何度も書いたがそこは単なる寝起きする箱ではなかった,長い時間を人生の記憶を刻んだ場所だからである。
人間は意外と家で生活する時間が長いのである。だからこそ女と家が嫁になった
嫁は家と一体化してしまうのである。

そして死んでも何か家にいる感じがする,何か物の怪を感じる
結局はそれはそれだけ長く同じ家にいたからそうなったのである。
60年間一緒にいるとやはり以前として一緒にその人がいるという感覚になる
だからこの辺では原発事故で家が浪江で三千軒,飯館で一千軒とか壊された
その時何か家とともにあったものが喪失したのである。
その精神的損害が大きいものだがそこはあまり注目されないのである。

家というのは単なる寝起きする箱ではない,家は60年一緒にいればそこに記憶として刻んだものが死んでも残っているという感覚になる
もし家が新しくなったり別な所に新しい家を建てると何か昔の記憶も喪失するかもしれない,なぜならこの部屋で母を介護したなとふりかえるときその部屋とか庭が残っていないとふりかえることができなくなるからだ

病院だと死んだ時すぐ死体をかたづけてくださいとかなる,それは物のように人がされるのである,番号で呼ばれて起こった人もいた
次がひかえていますから邪魔ですからかたづけてくださいとなるのも淋しい
家族だと何か死んだ後も偲んでいるからである。

そこには継続する時間がある,死んだからと物として片づけられるものではない
継続してやはり家に生きつづけるということがある
ただ墓にはそこに死んだ人が骨が埋まっていてもいるという感覚はない
家には以前としているという感覚をもつのである。
それは家で共に生活した時間の長さのためだったのである。

ともかく今年も終わりである。介護から死からその後の死者を偲ぶことは継続したものとしてあった,だから介護でも苦しいけど家でされて死んだ人は幸せだとなるだろう。
ただそれだけの余裕が今はなくなっている
でも百才生きた介護した母の部屋を今使っているけどこれもここに母がいる感じにもな
複雑だけど姉もまたいる感じになる
だから家とはそうして死んだ人でも以前としている感じになるから家のもっている重みはただの物ではない,寝起きする箱ではない,精神的なものがありそれで愛着が生まれ家から離れたくない,家で介護されたい家で死にたいとなるのである。

2017年12月28日

年の暮(短歌十首) (家とともに生きる人間の一生)


年の暮(短歌十首)

(家とともに生きる人間の一生)

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変わりやすかった今年の天候



大輪の白菊の映ゆ八畳の間姉の誇りし柱によりぬ

北風の唸り石垣反りにけり政宗ここに冬の月かな

北風の家にうなりぬ我今に主となりて守り住むかな

我が齢この家とあらむ北風の唸り吹きつも継ぎて生きなむ

我が母の面影石にしも宿りて見えむ冷える夜かな

我が街の駅の寒しも見送りぬ無人駅しも年の暮れなむ

誰を待つ我今日も駅に見送りつ年も暮れなむ

けたたまし鳥の飛びにつ風に舞い木の葉吹き飛ぶ今年も終わる

今年また荒々しくも時はすぐ夜のふけても北風唸る

志高くもあれな都築氏の齢の尽きて冬の星見ゆ

故郷に苦労したる女(ひと)もがな皺を帯びつつ北風唸る


今年は天候の変化が激しかった,それで体の調子を悪くした,熱射病になり体が震えたり吐いたり吐いたりもした,夏は紫外線が強くて昼間は外にも出れなかった
そして秋が短くまた急に冬が来て冷えたのである。
この天候も異常なのだろう。秋は長く感じたが短く急に冬になった

一年をふりかえると母が死んで三周忌とか姉が死んで8年とかなるけど残された家とともに死者を偲ぶ年でもあった
広い家でありそこに大輪の白菊が咲いているのにふさわしい
今や家に生きているのが自分である。
今年も仙台には一回しか行かないし半年以上相馬市にも行かなかった
家ですごすことが多かったのである。

プログの方は安定してきたので一カ月60とか記事を書いた,自分の場合一記事が長いから60となると相当な量になるのである。
それだけ余裕ができたともなる

何か政宗の青葉城は石垣の反りが急である。城も家であり今になって家の主となったのが自分だったのである。
この家に本当に住んだと感じたのも不思議である。この家の全体に住んだという感じはなかったのである。今は全体に自分一人で住んでいるから家と一体化しているのである。
姉が自慢した柱によるときもそうである。母の面影を庭の石にみるときもそうである。
だから死者は長年暮らした家にとどまっているというのを感じる
だからその家がなくなると死者も感じられるなくなるかもしれない

それから駅でボランティアしたことも成果だった,一時通報されて警官に職務質問されたり嫌なことがあった,その時駅に長くいたときだった
長くといっても買い物帰りにちょっと寄る程度だったのである。
その後はさらに短い時間しかいないからボランティアとも言えない
でも駅のことについてプログで書いたようにいろいろあったなと思う

何か別に誰かを待つというのではないが見知らぬ人が来て見送っていることが不思議なのである。そこが自分の一つの働く場になっていたというのも不思議である。
働くというのでもないが何かそこがworkingする場になっていた
無人駅には確かに別にそれでもまにあうのだが足りないものがあった
それを自分は何か多少でも補ったという感覚がある
この町に生きるものとして何か働くことがあったのかとも思う
それは誰も認めないものでもあったが自分は感じたのである。

都築詠一氏の部も作り書いただしばらく書いていなかった
なかなかふりかえることがしにくくなった
ただ10年間くらい毎日読んでいたからそれで死んだのに驚いた
同世代でもあり共感することが多かった
文学に造詣が深いのでめずらしいなとも思った
なかなか文学となると芸術となると語り合える人は少ないからである。
別に語ったわけではないがあれだけのものを書ける人はそうはいない
それが死んで心の青雲のプログも閉鎖されてログが消えたことは残念だった
そこにインターネットの問題があった
本を出していたらその本は残るからである。
一部は残っていたが消えたのもあり残念だった

いづれにしろ何か今年は天気のせいなのか?荒々しくすぎたという感じである。
荒々しいということは実際は自分が介護になってから津浪とか原発事故になってから荒々しいものとなっていたのである。それが今年も天気で継続されたとなる
木の葉が吹き飛ぶように今年も死んだ人がいる
無情迅速である。ただ自分も後何年生きるのかと数える年になった
それでも人生百年時代はとなると先が長いのか?
それとも80くらいで終わるのかわからない,あと十年生きればいいと自分では思っているそのくらいまでなら金もなんとか尽きることはないし健康でいられるのかとも思っているからである。

いづれにしろ介護になってから家とともに奮闘し生きたとなる
家というのは実際は人間にとって寝起きする箱ではない,精神的なものが付与されているだから家という建物と家にまつわる家族とか精神的な場でもあった
だから家と共に死んだ家族を偲んでいるのである。
そして家は大きい家でないと心も広くならない,狭くなってしまうのである。
人間にとって家の影響は大きいなとつくづく思った
だから浪江でも3000軒の家が壊されているとか飯館でもそうである。
それは家という建物だけではなくそこにある精神的なもの思い出とかも消失することがある,家のもっている重みは大きいのである。
日本では家はイエというとき単なる建物だけのも意味ではないからである。

あをによし 奈良の山なる 黒木もち造れる室(むろ)は 座(ま)せど飽かぬかも
  〜聖武天皇 『万葉集』 巻8-1638
  
 「 はだすすき 尾花 逆葺(さかふ)き 黒木もち 造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに 」 巻8−1637 元正太政天皇

まさにこれを自分の家で感じた

奈良の山というとき故郷でありその木で作った室でありそこに住むと飽きないというのを感じる,そして万代までも住むとなる
  
常に姉誇れる柱我が家に寄りて頼もし北風唸る

この柱は橲原(じさばら)の木を使っているから万葉集の歌とにているのである。
そしてこの家の主となったのは家族がみな死んでからだったことに気づいた
家の主となるのとただ借りて住んでいるような感じとは違っていた
家全部をかたづけたり掃除したりしていると家の全部に眼を配らねばならないからである

その女性は苦労した,だから普通より老けて見える,その苦労を語る,でも問題は病院に金がかかったり仕事でも皿二三枚洗うのでも疲れたとかなり人を使うのはつくづく雇う方が大変だなと実感した
だから会社で人を雇いたくない機械化したいというのがわかる
雇う方の負担が人間の場合大きすぎるのである。福祉事業ではないからである。
ただ今の時代金がない人が多すぎる,それより金を何か自分からみると法事だとか病院でも無駄なものに使っているように見えるのである。
医者に通う金がかかりすぎるのである。
また本当に明日食べるものがないという貧乏ではなく贅沢のために貧乏している人も多いのである。そして借金している人も多いのである。

ともかく今年も終わった,比較的いい年だった,気力も体力も回復してきた年でもあった来年はどうなるのか?それほど変わりないのか?
創作の方に励むことができることは確かである。



2017年12月23日

相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた


相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた

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初野窯ではなく自遊窯となっていた

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木を植えて花も咲くとかイワヒバも根付いている
これは相当に手がこんでいた,手入れもして時間かかって育てた
だから7000円では安いと思った
これを東京などにもっていったら相当高く売れるだろう。
なかなかこれまでのものは作るのが手間だからである。


相馬市の道の駅で相馬市の初野で窯をもっている人が作品を並べて売っていた
変わった器であり芸術品として売っていた,ただそれほど高いものではない

「ここでは高く売れないんだよな,東京では高く売れたな,東京では金持ちがいて
平気で高く買う,ここではみんなそんなに高いものは買わない」
「芸術品は値段があって値段がないようなもんだからな」
「仙台の卸町などでも売ったが高く売れたな,ここではだめだ」
「こういうものは芸術品となるとやはり大きな市場にもっていかないと売れないな」
「私は眼が悪くして車にものれなくなっているんだ,それで行けなくなっているんだ」
「車は年になると危ないよ」
「ここでまた正月に売る,それから高速道路などのセディティでも売る」
「あそは遠くから来るからいいんだよ」
「近くの人だと何回も買ってもらえるところがいいんだよ」

その人は芸術品として展覧会にも出品したが認められなかったという
何か師匠とか弟子がいて序列があり入りこめなかったとか言っていた
芸術にもそういうことがある
俳句とか短歌でも結社があって師匠がいるというのも窮屈なのである。
正直そういうところから大物は生まれないだろう。
師匠がいるのがいいのだが師匠がいるとかえってそれにつくと小さくされるのである。
師匠のことをほめることが要求されて付属品のようにされるからだ
俳句の師匠なんか特にそうである。そういうところで師匠面していてもとても俳句くらいでは芸術家とは今はなりえない,グローバル化しているし俳句ではとても表現しきれない時代だからである。

隣では野草とか置いてあった,全部の鉢に苔をはやしている,苔にもいろいろあるんだと言っていた,ある人がイワヒバが茶色に丸まっていたので死んだのかと聞いた
冬にはそうなるんだ,死んでいるわけではないと言った
自分も茨城県の太子町にイワヒバを買ってもらったことがある,一つ一万とか高い
でもブームだったが下火になったという
福寿草が咲いて岩があって苔がはえている鉢を1500円で買った人がいた
それは安いと見た,ただこの辺の価格だとどうしてもそうなってしまう。
この辺では高いとまず買わないからだ

最初から目立ったのが自分が買ったものである。枯木に苔をはやしてイワヒバを植えたり花を植えたりしたものである。木には花が咲くというからこれは生きているのである。
死んだ木ではない,木を栄養分として生きている,ただ肥料をやる方法がある
カプセルの薬のようなものを入れるらしい,ここからだけで栄養がとれかと思ったからだイワヒバはほとんど栄養をとらなくても水をとらなくても生きているからその生命力には驚くのである。

この盆栽というか相当にこっている,手間もかかっているし時間もかかっている
これを作った人はやはりこの道で趣味ではなく商売にしているから技術をもっているのである。何か高く売りたいのだけどここでは売れないとどっちもなげていたのである。
こういうものはインターネットでセリに出すと高く売れるかもしれない,ただ送るとかそれを運営するのがむずかしくなる
インターネットでは実際は花でも盆栽でも売っているのである。
結局地元だけでは芸術というのはなかなか認められないだろう。

ここで面白かったのは野草と焼き物とかが一緒にコロボしたことである。
これは関係ないようで関係ある,園芸とか花屋は深い関係にあり畑をしている人とも関係ある,花は自然のものであり野菜栽培ともにているからである。
土が関係しているからそうなる,焼き物も素材となる土が関係している
だからこの取り合わせは全然別個のものではなくつながりがあるものである。
それが並べたことで興味深いものとなったのである。
他にも何か別なものでも店を出せば市となり人が集まることはありうる
人を集めるにはこういうのは面白いかもしれない
一つだけではやはり人は集まらないのである。
仙台辺りだと品物でも人も集まるから売れるしにぎわうとなるのである。


自分のパソコンで作っている抽象画でもアメリカの人の一定数が見ている,なんらかそこでは注目されている,でもそれがどれほどの芸術性があるのか,その辺は見る人の眼が必要になる
初野窯の人の作ったものはいろいろめずらしい手のこんだものを作っているけどそれがどれほど芸術性があるのかとなるとわからない,変わったものなので苦労したんだよとは言っていたからそういうことはあるのだろう。
ただ「初野窯」とか聞いたこともなかったのである。
初野という場所は知っているがそこに窯があることは知らなかった
今は個人的に何か窯をもってい焼き物をしている人が結構多いのである。
ただ相馬焼のように知られていないのである。

田代焼の相馬藩の窯と指定された人は死んだ,跡継ぐ息子も死んだという,孫がいるがどうなのかと言っていた
相馬焼の大堀焼きの窯元がなくなったことは大きな損失だった,相馬の伝統としてあったからである。窯元があるとそこが集落化していると商売しやすいことは確かである。
一軒だけだと人を集めにくいと言っていたのはわかる
窯元の町になっているところなどは観光客を呼べるからである。

今日は天気がいいので道の駅まで行った,相馬市の街までは行けなかった

初めて見た相馬市の小野の里(初野)

ここに初野があり小野があった,城から離れて丸森に近い方だった
街中には窯は作りにくいから枯野の風景があっているとなる

2017年12月19日

安らかなことが家では一番大事 (恨みが残された家には災いが起きる)


安らかなことが家では一番大事

(恨みが残された家には災いが起きる)

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冬の雲四五片垂れこめ田舎町

我が家に安らかにあれ七十年嫁ぎて死にぬ母の見守る

我が姉の自慢したる柱かなそを受け継ぎ家を守りぬ

我が家に幸のあれかし恨まれず終わりに和して安らぎにけり

田舎を象徴しているのが,この四五片の冬の雲だった,なんか陰鬱であり街にたれこめているのである。
そのあとはいろいろイメージするのが写生俳句である。

ここ十年は介護とか自分の病気とか犯罪にあうとか災難つづきだった
他のサイトでも書いてあったがカルマの清算時が来てそうなった
カルマは本当に厳しいものがあるし逃れられないものがある
人は誰しもカルマを積んでいるが自覚できないのである。
知らずにカルマを積んでいるのである。それが周り回ってくるのである。
ただ苦しみとして現れたとき自覚するのである。

何か自分はずっとこうして家のたとに追われていた,三十年間は家にいても楽だった,何もすることがなかったのである。それが介護になり追われるようになったのである。
家族がみんな死んだがやはり以前として家と格闘している感じになる
毎日家のためにすることがある,新しい石油ストーブを買った,大きなもので作業している人などが使う丸形のものである。

どうしてもあたたまらないので部屋全体をあたためるために買った
でもこれは石油を前より倍くらい使う,そして石油を缶で入れるのではないのでかなり]あふれてこぼしてしまったのである。このれも後始末も大変だった
次に絨毯を敷いたがそこにも鍋物をして油をこぼしてしまったのである。
何かこういうことが家事では結構ある,道具でも慣れればそういうことはないのである

今日はあと自転車屋に三千円でクリーンセンターにもってゆくものを頼んだ
大きなテーブルとブリキ制の衣服入れだった,車がないのでこうしたものをもっていけない,処理する車が来るが高くとられるので頼めないのである。

いづれにしろ家族が死んで感じたことは説明しようがないものである。
何かほっとするとか安らかに感じるのである。
認知症になった姉のときは家は大混乱した,でも意外と早く死んだ,そのあとすぐまた母の介護だったのだから二人が同時に介護になっていたらもうもたない,共倒れになっていた,自分も病気になりそうなっていた,そこをきりぬけて楽になった

そして不思議なのは家にいても安らかに感じる,死者も安らかに感じる,死者も別に恨んでいないからである。
それで呪われた家とか本当にあるのだと思う,自殺したとか殺人事件とか何か嫌なことが起きた家に住んでみたら悪いことが起きるというのはあながち迷信でもない
何か成仏しない恨みを残した人の霊がさまよっているのかもしれない
そんなこと自分は今まであまり考えなかった

でも家族死んでみて安らかに死んでいない人はそういう家では何か悪いことが起きる
それは理屈ではない,そういう物の怪を感じるのだ,一方で安らかに感じるときはその家は一時的に悪いことが起きたのだがそのカルマが清算されて浄化さされてそうなったのかともなる,遺産相続とかにはそうしたカルマの清算が起きると他のサイトで書いてあったが本当だと思う,カルマを清算させるために苦しみが災いが起きてくるのである。
最悪になると富岡八幡神社のように凄惨な結末になる。
金があまりにありすぎるのもその家にその団体とかにはカルマとなっているから吐き出さないと凄惨な事件も起きてくるのだ

親戚の女性の親は恨みを残して死んでいった,自分の家ともつきあいがなかったが母の実家は不和分裂の家だったのである。そしてあんなに凶暴な女性と変化したことに驚愕したし憤りを越えて恐怖だった,何かとりつかれたような形相になっていたからである。
人間は恨みとかで悪霊とかに取り殺されるということもありうる

怨霊信仰があるのもうなづける,なぜ怨霊を恐れるのか?それは良心が傷むから恐れるのである。何かやましいことがあるから恐れのである。
それは家族の間でもある,家族でも恨んで死んだ人は結構いるのだ
親戚の人はそうだった,事情は複雑でも一番世話した母親は恨んで死んだからである。
ただ一緒に住んだ家は空家であり誰も住んでいないし一緒に暮らしたこの街にも住んでいない,一年に何回が墓参りにくるだけである
でもその墓参りでも苦しいくなるかもしれない,あんな凶暴化した女性だからすでに何かにとりつかれたような恐怖を感じたからである。

その家が安らかな状態にあるかどうかは本当に大事である

なぜそうなのか?そうでないと災いを受けるからである。そういう家にかかわると災いを受けるから見逃すことができないのである。
もしそういう家に家政婦でも金をもらえるからと雇われると危険になるからだ
その家から発する物の怪が怖いのである。

これは別に人を脅かしているのではない,自分は家族を看取って感じたことだから言っている,自分が安らかに感じたから死んだ後でも何か家には影響するものがある
物の怪として家にいる感じになるからだ
こういうことは精神的なものだから説明しにくいのだ,安らかな気持ちになっている
それはどういうふうに安らかなのとなるとそれは死者を見送り死者が安らかにいるという感じなのである。そこに恨みをもって死んだりしたらそうはならないのである。
そうした家には圧迫されるようなもの平安はないのである。
だから家とは人間にいろいろに影響する場だなとつくづく思った
家はただの人がいて寝起きする箱ではない,いろいろな人間的に精神が作用してくる場なのである。

2017年12月18日

冬の暮俳句十句 (家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮俳句十句

(家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮六万石の城下かな

五本松残る三本冬の暮

乱れじや物音もせず冬日没る

石一つ村の境や冬の暮

故郷の古りにし家や冬の暮

冬の暮我が眠るは奥座敷

我が家を一人守りて冬の暮

古き家に昔を思い冬の暮

古き家や昔を想うスト-ブの火

もの言わぬ岩の重みや冬深む

奥深く岩の動かず冬の暮

冬深む奥処に岩の鎮まりぬ


半年くらい相馬市には自転車で行っていない,道の駅のところの五本松の二本の松は枯れた,松は何か一番人間に親しい,人間に見えるのである。
だから松にまつわる伝説とかいろいろ残されているのである。

冬の暮となると冬が暮れるということで12月でもいいが冬深むとなると一月からだろう。い,冬には冬の良さがあり冬は物思いにふけるのにはいい,
冬は岩と石にふさわしい季節でもある,冬に石とか岩の重みをより感じる
田舎だとそうした石と岩は近くでもある
だから自然とアイディンティティ化しやすいのである。そういう作業をしてきたのが自分だった

そして石とか岩を想う場合でも家が関係していた,家の不思議は一つの安定した場を与えることである。家があると精神的に安定するのである。
それも持ち家である程度の広さが必要である。
もしこれが借りているものだと狭い住宅だと何か精神の安定が得られないのだ
ただ一時的に借りて住んでいるというだけになる,それもまたこの世は借りの場だからという感覚になるので日本人はもともとそうして大きな家に住んでいなかった
また貧乏で住めなかった,ただ農家では家と仕事が一体化しているから家の重みがあった

昔の旧家だと奥座敷とかある,座敷は普通にあった,小高の人が50畳の家に住んでいたというのも驚きである。そういう屋敷のようなものがあった,そこは一つの城のようにもなっていた,なぜそんな家が必要だったのか?昔はみんな家に集まって法事とか行事をしていたからである。
ただ家というのは維持するのに大変だと家族がみんな死んでつくづく思った
直したりするのに金がかかる,するとある程度の資産がないと大きな家は維持できなくなる,また広い家だと掃除するにも大変になる
そして古い家は今回の地震とかで傷んだ,ひび割れしたり戸があかなくなったりした
それを直すとなるとまた金がかかり大変なのである。
だから家をもつのはいいにしても負担になるのである。

家を考えるとき奥座敷とあれば田舎だと奥座敷という場がある,この辺だと橲原(じさばら)とかはそんな感じになる,さらに奥に入ると人も住んでいない場があり岩がある
家としてイメージされることが田舎ではある,大きな家となるとそこがただ寝食するだけのものではない,精神的な場であり精神に影響するなと思った
大物は大きな家から育つと言う人がいたがそういうことはありうる
広い家に住んでいれば広い気持ちもなるが狭い家に住んでいると心も狭くなる

広い廊下は心を広くする
それは広い道路もイメージする
冬の光りが一杯さしこむ
そこでおもむろに古書をひもとき
長椅子に座り読む
八畳の奥座敷があり
そこは隠されて眠りにつく場
家は閉じた空間の中に
密なる場を与え精神を醸成する
・・・・・・

家というのは良く有名な旧家の家を紹介しているけど実際にそこに住んでみないとわからないのである。
それはどこでもそうである。住んでみないと深いことはわからない,住んでみてその土地のことがわかるのである。
家は細い廊下とか曲がりくねっているとそれは迷路のようになりそれは森の小径を歩いている感じになる,大きな庭があれば都会でもそういう感覚が生まれる
ただ都会では自然と結びつかない,田舎では生の自然と結びつくのである。
自分の家の特徴は二階の広い廊下にあった,それが外の景色と結びついていたのである。ただ自分は家に住んでいても自分の家のことがわからなかった
家族が死んで家を自分一人で住んで管理するようになってわかってきたことがある
なぜなら家族が死んでから残された家を管理するようになり家が傷んだり直すことで否応なく家に前より関心をもたざるをえなくなったのである。

細い廊下がある,廊下を曲がる
広い庭があり石がある
そこに冬の日がさしている
木の葉が散りつもり
池がありそれは森の中の沼に見える
それはより親しい空間である

家は広ければそうして一つの自然的空間を模したものとなっているのだ

住もうことのなかでのみ人間はその本質を実現することができる
住もうことは一つの確固たる位置を空間のなかにもつこと,つまりそこに属して根付いていることなのである。
しかし人間がこの位置にとどまりここを快適と感じるためには住もう「場所」はさきに我々が「体験されている空間」の自然な中心点,--]そこにこの空間のすべての道が関連づけられている
「人間と空間」オットー・フリードッヒ・ボルノウ

この本では家のことを哲学的に考察している,これは一読の価値がある
自分は実際はこの家に住んでいたとはならなかった,なぜなら家族が住んでいると自分の住んでいる場は割り当てられた部屋には住むが全体に住むということはない
自分の家で特徴なのは広い廊下と奥座敷だったからである。

家とはまた新しい家と旧家とは違っている,古い家には50年としても歴史がある
代々住むとなると家には歴史がある,一代だけでない何代かの記憶が家に詰まっているから違っているのである。そこに家の重みが生まれてくるのである。
だから原発事故など避難されて家を失った人達,大きな家に住んでいた人達がいたしその精神的損害が実際は大きなものだったのである。
それは家というものだけではない,それに付随する精神的なものを失ったからである。
故郷を失うということもそうだったのである。

2017年12月17日

新地駅俳句十句 (新地から海が見えて景観が良くなった)


新地駅俳句十句

(新地から海が見えて景観が良くなった)

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桜咲き海を望みて新地かな

船の行く山より望み朝桜

草萌ゆる電車の行きて望む海

耕やしや海を望みて新地かな

山鳩や海を望みて春の畑

海の青染まりて新地春の暮

新地より高架になりて夏の海

鴎飛び電車の行くや夏の海

文禄の碑伊達領なれや秋深む

時代毎碑の古り並ぶ秋の暮

新地駅雪の蔵王の迫るかな

新地駅おりたち二本の冬木かな

金華山牡鹿半島望めるや津浪の後の新地駅かな

相馬地方の景観は変化がある,外から見た人は電車などで通りすぎてもわからない,複雑な地形には実際はなっている,その土地のことはやはり長く住んでいないとわからない
新地と相馬市と原町とかで何が変わっているか一回くらい来てもわからない
新地は地勢が浜通りでは同じようで違っている

海と山が近く迫っているのである。海が近くすぐ岡になり山が迫っている
それで手長明神の伝説が生まれた,鹿狼山(がろう)から巨人が手を伸ばして貝を食べていたという伝説である。これは裏付けのある伝説である。
貝塚も丘にあり海に近いからである。地形を見れば納得するのである。
この地形は簡単にはわからないのである。

まず春になると鹿狼山の麓まで上ると太平洋が一望できて牡鹿半島とか金華山が見える
そこに桜が咲いていてあそこは本当に見晴らし良く春は一番眺めがいい
新地駅も高くなり同じように見えるようなったので新地駅におりて一見する価値がある。
ただ快晴にならないと見えないから注意である。

そして新地が津浪で海岸部の村が消失したけど景観的に良くなったという不思議がある。高架橋になり電車が走っている風景はなんともいえぬ海にマッチした風景となったのである。
今まで海は浜通りなのに常磐線では見える場がほとんどなかったのである。
新地から坂元から山下と海が見えるのである。
だから景観的には前より良くなったという不思議がある
松原はいいものだったが海をさえぎり見えなくしていたことがあった

この辺の景観でいいのは新地でもそうだが新地から丸森に入ると丸森も森であり秘境のような所が川を上っていったらあった,その深い森林に迷い入り出れなくなったことがある丸森は森が深くおおっていたのである。だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で森林資源の木材をめぐって争っていたのである。
丸森も阿武隈川があり森が深く景観的にいい場所である。
この辺にはまだ人があまり踏みいらない土地が残されている
飯館村にもそういう場所があったが道路ができて消されたりはした
でも森が深くつづいて森につつまれている地域という感覚はある

ただ山下から亘理までは景観的に見るべきものがない,山は低くなり変化がないのである亘理に来て阿武隈川をわたるとき蔵王が見えて変化をみることができる
だから山下とか浜吉田とかあるが景観的には魅力を感じないのである。

この辺の景観の弱点は高い山がないことである。鹿狼山でも400メートルくらいなのである。あとは高い山がないのである。それがものたりないのである。
日本はここだけではない,狭いのだが地勢が変化に富んでいるからあきないということがある。
まず大陸だ満州でもどこまでもトウモロコシ畑でたまに大きな泥川が流れているくらいで変化ないからあきるのである。
だから日本は旅行するには地形に変化があるから面白いと思う
海あり山あり川あり森ありであきないのである。季節の変化もあるからそれであきないということがある。日本は地形でも季節でも変化が激しいのである。
今年は特に暑かったり寒かったりと変化が激しい年だった

歴史的には新地には文禄の碑がある神社があった,伊達領だったのが新地だから検地のための記念の碑らしい,その神社には時代毎に碑が残されていて興味深いものがあった
新地は伊達領だったということがわかりにくい,なぜなら明治以降は相馬郡に編入されたことでわかりにくくなったのである。
蔵王も新地駅からまじかに見えた,蔵王は相馬地方だと鹿島の八沢浦からも見えていたのである。

俳句も連作でないと一句だけでは文学となりにくい,それで自分は連作を試みてきたのである。四季がありそれを連作にすると一連の作品として鑑賞できるのである。


タグ:新地駅

2017年12月16日

冬薔薇五句 (芸術も修行者として真善美を追及する)


冬薔薇五句

(芸術も修行者として真善美を追及する)
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塵つかず一輪静か冬薔薇

冬薔薇ことに美し籠もるかな

冬薔薇今日も散らずや石に映ゆ

冬薔薇黄色にほのか赤み帯ぶ

冬薔薇待つ人あれや田舎駅


冬の日や墓を並べてここに終ゆ故郷あわれ我も眠らむ

薔薇は夏の季語であっても春にも咲くし秋にも咲いているし冬にも咲いている
意外と秋の薔薇もおもむきがありいい,冬薔薇はさらに季節で花が凍るような美しさがある,空気が澄んで塵もつかないとなる
芸術は俳句でも似たような類似俳句がある

白菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉

これとにているのが塵つかずになる,知らずと覚えていて参考にして俳句は作られる
これまで作った薔薇の句だけをまとめると一つの薔薇の連作の作品となる
ただプログではどこに書いたのかもわからなくなる
だからそれをまとめようとしているのだかめんどうになる

自分はここ何年かも家のあとかたづけに追われている,片づけても片づけても片づかないのである。本を整理して片づけるのも容易ではない,本もなかなか捨てられないのはまた参考にして利用すると思うと捨てられないのである。

いづれにしろ俳句とか芸術でも一つの修行にもなる,芸術にもいろいろあるが本来は身を清めるための修行の要素がある,純な自然を見るには心も純なものを保たなければならないからである。
それは宗教にもなる,でも今の宗教はそういう場ではない,この世ではかえって汚れた場所になっているのだ。

金でも大きな金を賽銭に投げるのは欲深いやつだ

1000円賽銭入れるから神様お願い
2000円,3000円,一万にして福を与えてくれ

宝くじをねらうようにして願いをかける,神様は銀行でもない,利子つけて金を返してくれるわけではない,実はその金は放蕩する宮司とかくだらない人に入っていたのである。

要するにカルト教団でも神社でも人間の欲にまみれたところなのである。
そんなところで宗教を追及しているのは暴力団に入って宗教を追及しているのと変わりないのである。人間の様々な欲望が肥大化して集まる場所が宗教の場になってしまったのである。またそういう人を受け入れるからこそ選挙の票にもつながるのである。
まず人間の欲を否定したら人は集まらないからである。
それで面白いのはやはり大都会の神社が賽銭が多くなるのはまさにねそうである。
人が多いからそれだけ欲望もふくれあがり賽銭が集まるのである。
だから都会の宗教は経済と政治しかないのである。

本来なら山に籠もり節制して身を清め修行するのが宗教だったからである。
今の宗教にはそういうものがほとんど一切ない,ただ欲望の無限の追及しかないのであるそれは神社でも仏教でも同じである。
だからそんなところに行くのは世俗の欲深いやつでありそういう所に交わる人もまた汚れるし汚れているからそういう場に行くのである。
そんなところにもし心を清めるとしたら行かないからである。
賽銭にはこの世の欲がこびりついているのである。
その賽銭もただ今回の富岡八幡神社の事件のように放蕩して消尽されたとなる
そんなところに賽銭を投げる人も同類だともなってしまうのである。

墓を並べて眠る場はやはり因縁深い場だったのか?ふるさとはやはりそうなるのか?
自分もあの墓地に墓に眠るのかともなる
冬の日はやはりしんみりとして墓も鎮まる
毎日自分は自分の家の墓地の前を通っているから供養していることになるのだ
故郷から離れたいと思っていたが故郷は因縁深いから離れられない宿命にもある
ただこの辺では原発事故で避難して故郷さえ失った人が多いのである。
タグ:冬薔薇

2017年12月12日

遺骨は何なのか死者とは何なのか? (死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


遺骨は何なのか死者とは何なのか?

(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)


死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える

死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった

はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる

現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける

いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。

だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。

要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。

ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる

寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。

日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。

俳句で死者を考えると

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埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉

埋火やありとは見えて母の側(そば)

歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・

この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ

江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。

芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。


埋火と死者

死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ

埋火

死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。

ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。

これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。

NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』

この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。

2017年12月11日

田舎の冬の一日(写生俳句)


田舎の冬の一日(写生俳句)

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石の庭志操を守る冬薔薇

冬紅葉母の命日偲ぶかな

冬日さし蔵の農家や古りにけり

冬日さし干し物に大き庭の石

冬椿福祉施設を囲むかな


今日でやっと歯医者が終わった,今年は二回歯医者に行った,相馬市の方は遠いのでやめた,ここは原町が近いことで助かっている,なんとか電動自転車で行けることである。
受け付けの女性はそれなりに年配であり感じがいい,治療が終わったら「お疲れさまです」と言われたとき本当に歯の治療もいたいし嫌だから慰められた,そこに癒しがあった,実際は福祉とか医療でも癒しの仕事である。
癒しを与えるような女性だと何か病気すら直る感じになる

正直病院はそういう癒しの場ではない,何か癒しがない無機質の殺伐とした感じなのである。
ただ受け付けでも何か印象がいいとその歯医者はやはり患者が集まるともなる
原町のYという歯医者だった,大学はいい大学ではないがそれもわからない,医者とかは生来のものがある
器用さとは生来のものでありそういうものも大事になってくる
開業医でも病院でもその場を良くするのは看護師が大きな役割をになっている
だから医者だけでは好感もてる医院や病院を作れないのである。

歯医者くらいならいいが他の重篤な病気になると診る人も余裕がなくなるのである。パンを買うのがイオンでもあり何か原町には用事がある
相馬市の距離は倍以上であり最近半年以上自転車で行っていない
相馬市にもまプリントする用事があるのだが行けない

何か家事だけでも忙しい,自分の家は寒いのは古い作りの家だからである。すきま風が入る,すきま風は床下からも入ってくる,前が広くあいて部屋になっていないのもそうである。
店をしていたから広いから風が吹き抜けのように入ってくる
だから下の茶の間は広いし石油ストーブでも部屋中が温まらないのである。
でもこういう寒い家を直さないで良く住んでいたなと今では思う
他はいろいろ直したのに肝心なことが直さなかったなとも思う
ある人は部屋をあたためるようにリホームしたというのもわかる
やはり老後はこれでは辛いとなる

何か家事をしていろいろ気づくことがあった,家事することはいろいろあるからわからないのである。やはりこれも経験していないからわからないのである。
人間は基本的に何でも経験していないとわからない,社会のこともわからないのである。本を読んでもわからない,株だって実際にしてみなければわからないのである。
世の中生きるのに経験することは限られているし知らないことが多すぎるのである

youtube が便利なのはそうした日常の知恵が紹介していることである。
畳の下に何か敷くと風が入らなくなるとかも紹介してあった,リンゴを毎日食べているが良く洗わないで皮ごと食べていた,皮に栄養があるというから食べてたいたのである。
それと早く仕事しないと時間の余裕がなくなるからである。
家事だけ丁寧にしていたら時間がとられ他のことはできなくなる
前は介護もしていたから余裕がなかったのだ

冬の日はやはり田舎がいい,より落ち着くのである。
冬薔薇というとき志操守るというときふさわしいとなる,志操を守るということは大事である。志操を守ることには命もかけることもある,志操が守れなければ死ぬというまでに大事ともなる,それは金より大事にもなるが現実は志操などより金だとなっているのである。何かを守るべきものがある。それを譲れないものがある。
ただその時相当に苦しむことは確かである。

明日は母の命日だけで何もしない,何かやはり師走であり追われている,自分は介護始めてから何か生活が追われている,結局家事とかみんな自分でしなければならないからである。

仕立屋にはじめて行くや冬の日やぬいあわせしてジャンパーを着る

ボケットが切れていてぬいあわせしてもらったのである。300円だった,こんなこと頼んだこともないのである。そんなことしてくれる所がまだあったこともからなかった,いつも通る所に仕立屋がまだあったのである。今はみんな新しいものを買うからそんなことしないと思っていた

明日は母の命日だけで何もしない,何か生活に追われてできない,何でも一人ですることは身にあまることになる,母は一生忙しく過ごした人だから師走に死ぬのは安ていたのである。
そして冬紅葉もあっていたから冬紅葉忌ともなる,一生が何か不遇だったともなるからだ
写生俳句というとき現実の生活そのままを写し取ることでもある,だから洗濯物が干してあってそこに大きな石があるというのも写生であり何かを語っているのである。
大きな石がありどっしりとありそこに生活があるとなる
写生によって何かを語らせるのが写生俳句なのである。

鹿島の福祉施設が集中している所に冬椿が囲み咲いている,それもにあっている,福祉となると冬椿とかがにあう。
でも実際の中味は福祉にはいろいろ人でもなんでも問題がありすぎるのが実情なのである。
ただ冬椿に囲まれている景色は外から見ればいい感じになる

2017年12月07日

冬の日の故郷(写真俳句)


冬の日の故郷(写真俳句)

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前畑を手入れす老人冬の菊

新築の家の隣に冬柳

冬日さし寄り合い並ぶ石残る

山茶花や石の残りて医院かな


この写真家から読み取れるのは何か?
この老人は前の畑だけど手押し車を押してきたのか?手押し車が脇に置いてあるからだ
前畑だからなんとか畑にして仕事しているのだろう。
前畑とか前田というのは家の前だから仕事しやすいのである。
それは姓にもなったのが日本である。後畑という地名も浪江にある

肉眼で見たときはこの車椅子は良く見えなかったしシャベルも良くみえなかった,写真にとると見えないものも写っているのだ
写生俳句が写俳が一つのジャンルを形成したのは時代である。

新築の家に冬柳がしだれているがそこはもともと古い農家であり新しい家はこの辺ではまだ建ち続けいるからこの辺の変化を示している

次にいつも通る路地裏の医院である。これはこの辺では知られていた,母も通っていた
このお医者さんは老人に親切だとかやさしいと言っていた
もう一人の医者はこの辺では有名だった,その話の出ないことはなかったのである。
でも口が悪く母は嫌っていたのである。
ただ医者としては優秀な人だったのである。
不思議なのは死んでから全く話をする人もいないのである。
一時息子が跡を継いでいたが原発事故で東京にもどり母親は施設に入りいなくなった
そういう家の変わりようが普通にある

この医院はいかにも作りからして古いし地域に親しまれた医院だということがわかる
その頃大きな病院は少なく開業医が多かったからである。
この空家となった医院を見ているとだから不思議である。

冬の日がさして庭には石が並んでいる,それがまるで年寄りが肩寄せ合って並んでいる感じに見える,開業医は人間的な所があ地域に土着して根ざしているのが違うのである。
大きな病院は無機質であり人間味がないのである。
そして勤務医と開業医ではかなり違う,開業医は地域の人と親しくならねばならない,そこでコミニケーションもしなければならないから違っている
この医院にはそうしたものが今でも感じるのである。

ともかくその後には人がいなくなっても何かが残る,近くの空き地には一本だけ松が残っている,それが近くでも誰が住んでいたかもわからないのが不思議なのである。
住む人もこの辺では変わった,だから外から来た人がかなり移り住んでいる

ただ人間は常に変わる,人でも何でも変わる,だからこうした変化は世の常だったのである。ただこの辺はその変化が激しすぎたのである。

2017年12月03日

冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る) (常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)


冬の俳句十句(冬の南相馬市を回る)

(常磐高速のセディティとは何の意味なのか?)

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貨物船一二艘行く冬の海

貨物船進むも遅し冬の雲

海近し冬タンポポや浜通り

朝日さし梢鋭く冬の樹々

落葉踏み深野の墓地牛のいる

木の葉散り深野の墓地またたずぬ

深野の墓地に枯木の影静か

冬日さし一村の墓地またたずぬ

高速のセディティに休む冬の空

晩菊の土地に根付きし暮らしかな

冬薔薇二輪のみかな闇つつむ


松の苗津浪の跡の海老浜に植えて育つや冬の日なりしも

忘れらる墓また一つ我が墓地に見いだしあわれ冬の日暮れぬ


昨日は右田とか海老浜に行った,海老浜からは太平洋を望み貨物船二艘ほど見えた,ゆっくりと進んでゆく,
今日は山の方に行き常磐高速のセディティ鹿島に寄った,意外と近い所にあった,
自転車でも行きやすい場所だった,車をもっていないと車のことがわからなくなる,
それは社会のことがわからなくなることなのである。

場所がわからないので深野(ふこうの)から鹿島の方の小山田に遠回りした
深野(ふこうの)は何か不思議な場所の魅力がある
深野(ふかの)ではないふこうのということが地名としていいのである。

そして台地の上の墓地は古い,落葉していて踏むと牛がいた,この辺は牛を放射能で飼わなくなったが最近また牛を飼っている家がある,もともとあそこは牛を飼っていたのである。
何かそれが墓地とマッチしているのも不思議である。
牛がいると何か精神に影響する,どっしりとした気持ちになるから不思議なのである。
牛がいるといないでは田舎でも違ったものとなる
飯館村は牛の村だった,牛がなければ飯館村ではなかったのである。
だから飯館村は田んぼも土が削り取られたりもうかつて村の様子ではない
無惨な村となった悲劇である,それは自分にとっても大きな損失だったとなる
精神の安らぐ場所としてあったからである

浜通りはあたたかい,昨日は寒かったけどタンポポが咲いていた
海が近く海の影響を受けやすい,だから津浪もあった
一方山も近いのである。山は低いが飯館村となると高原であり標高が高いのである。
だから飯館村に行くと空気も変わる,何かが違うのである。
そして一軒一軒の家が森につつまれている広い土地なのである。
常磐高速ができたら飯館村にも回る人が多かったに違いない
今は行っても放射能汚染のフレコンバッグとか田んぼもない風致も損なわれた
それが残念だったのである。

sedate(セディティ)

sed- 座ること・腰掛けることを表す印欧語根(sit)。語幹sessを持つ語(assess, possessなど)、reside, sessionなどの由来として、座ること、据えること。

この言葉が何なのかわかりにくかった,鎮座するという日本語を機械翻訳したらこの言葉がでてきた

鎮座するというときsed- 座ることだから通じている,鎮静するという意味でもある

 北風(キタ)唸る−残る雪(真野ダムへ)

真野川に鎮座する石がこれだった,これは見えにくいから気づきにくいのである。
地元にいてもわからなかったのである。隠されるようにあったからである。
何か電動自転車をセディティに置いて真野川を上る観光計画があるという
電動自転車だと坂を上りやすいからである。
その時この隠された石を見るべきだともなる

セディティとはこの石のことなのである。cool sedate stoneなのである。

ともかくこの辺は本当に変わった,津浪や原発や常磐高速などもできて変わった
何かかえって都会化したのである。
常磐高速の影響は鉄道より大きい,人の出入りがここの方が断然今は多いからである。
自分は車をもっていないから車のことがわからないから今の社会から取り残されているのである。逆に自転車だと風景と一体化するから俳句でも短歌でも作れるとなる
車は遠くに行くのにはいいが景色をゆっくり見ていられないのである。
運転に気をとられるから景色が見れない,ただ常磐高速で一回くらい東京に行ってみたい高速道路から見える景色はまた違っていたからである。
ただそのバスが出ていても普通のバスであり四時間も乗っていたら疲れる
そういう気力がなくなってしまったから長い旅行をしていないのである。




2017年11月28日

冬の日(円墳-変わらぬものに価値がある)


冬の日(円墳-変わらぬものに価値がある)

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枯菊や同じ道めぐりまた暮れぬ

冬の日や円墳ここに五つほど

五六個の円墳変わらず冬の暮

老人の住処(すみか)変わらず冬の暮

故郷の古墳変わらず冬の暮

また一つ墓を建てるや冬の雲

文を練る窓にのぞきぬ冬の月

冬薔薇駅に待つ人一人かな


同じよう道を毎日行く,ここ十年がそうだった,家族二人死んで一人になってからも
遠くには行っていない,何かまだ用があるからだ
今日は兄の墓を作ることで相談に行った,十万もしないで作れるので助かった
この墓作ればまた一仕事終わったともなる
何か実家とかなるとそうした仕事がある,だから長男は実家を守るものとして大事にされたことには意味があった,ただもはやそうした昔の家は消失した
結果として墓を守るものも跡継ぎもいなくなったのである。

そしてもうつくづく思うことは何度も書いたが人間は世の中が変わりすぎることである。現代は広域社会だから変わりやすいのである。
そして何か変わらないことはに価値があると思った
横手の円墳でも千五百年なのか変わらないとなれば驚異的だとなる

この辺は津浪とか原発事故でめまぐるしく変わったからである。
海の方に風車が二つできた,これも松原の景色からすると全く変化してしまった
もう昔を偲ぶものはない,右田の松原もないのである。
こんなに人間が変わるものか?

こうなると人間関係でも何でも変わらないものに価値がある
ここに変わらず木があり石があり家があり古墳があり人がいるとなるとそれが価値があり安心をもたらす,もうそれほど変化したのである。

実際もう変わりたくない,変わることに耐えられなくなっている,特に老人はそうなる
変わらずにあるということが何でもないようで価値がある
変わらずに住むことが価値がある
変わらないことで心も安定するのである。
もう新しい人間関係を作るのを老人に苦手である。
前からあるものが親しく変わらないことで精神の安定が得られるのである。
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タグ:円墳 冬の暮

2017年11月21日

遺された母の手紙に感動 (ただ謎が残る手紙の草稿である)


遺された母の手紙に感動

(ただ謎が残る手紙の草稿である)

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 がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

 おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで


この手紙が母の引出しから出てきた,ただこれは手紙の草稿であり誰に出そうとしたのかもわからない,姉とはいつも連絡していたがその頃死んでいたはずである。
姉が死んでからのことだからもう九十四才くらいになっているとき書いた
がんばりのきく年はすぎたれど・・・とあるからである。

姉のお骨が家にあると書いてあるからだ

この手紙の不思議は

●誰に出そうとしたのかわからない?

●母の手紙であることは間違いない

●母にして書いていることがまともである

まずこの手紙が母が書いたものかどうか?それは間違いないだろう,まずこうした悪筆であり前からも良く読めない字を書いていた,そして辞書をもっていてひいていた
そこでその辞書でひいた字を文面に書いていた
だからどうしてもこれが母の手紙であることは間違いない

でも謎としては誰にあてたのか?それが不可解なのである。こういうことを言う相手は相当に親しい人でないとありえない,でもみんなその時姉も死んでいるとするとありえないのである。姉とは死ぬまで交流があり手紙のやりとりをしていた
だから手紙を書こうとすれば姉しかいないのである。
友だちもいないしあとはそういう人はいないからだ
その時は認知症になるまえであり正気だからこれだけのことを書けた

ただわからないの法身などという言葉を使っているのか?これは結構むずかしい仏教用語である。母はそういう学はなかった,尋常小学校出であり字は書けても信仰もないしこんなむずかしい言葉を使うはずがないのである。

そして短歌を知っていたということの不思議である。そもそも短歌などと全く縁がない人だった,だから短歌というのを知っていたことが不思議なのである。
確かにこの短歌は短歌とも言えない,でも明かに短歌を知っていてこう書いていたのである。

前にも書いたように母はまず働きづめの一生だった,だから花に関心がない,庭を作ったらそんなもの金かかるから作るな血相変えて怒っていたのである。
だからここに書いていることが本当に謎になる
そういうことだか短歌ということを知っているとは思わなかった

この短歌はあまりにもつたないものだが母の心がにじみでている,だから文学とは別に文章がうまいへたでもない,その人の真心を伝えるものだということがわかる
ここには母の真心がにじみでているのだ

母は実家が事業をはじめて倒産してから苦労した,原町紡績で十年間糸取りした,それから女中になるために東京に出た,そこで結婚したが夫が事故で死んだ
そして自分の家に嫁いできた,自分の家では母を歓迎したとはいえない,連れ子もあり冷たくした,自分の家には何か負の暗黒面もあったのである。
そういうことはどこの家でもある,なにもかもいい家族はないだろう。

この手紙で一番感動したのは姉とは六十年間も長く一緒にいた,でも争いがあり自分には憎しみあうものとして見ていた,現実に姉が認知症になったとき暴力になりひど目にあい一緒にいられなくなったのである。その時母は姉を憎んでいた
でもこの手紙を読んだら姉を死んで悲しんでいるしいたんでいるのである。
このところが自分にとってうれしくて泣いた
最後は悲劇的に終わったが六十年間一緒にいてやはり愛しあっていたのだと思った

母は自分のことはあまり関心がなかった,愛もあまりなかった,でも自分は二人の愛を受けていたからそれでも良かった,だから自分が一番悲しかったのは最後に離ればなれになり一緒に住めなかったことなのである。
それは認知症がもたらした悲劇だった,でも最後は姉も正気にもどり母も姉が死んでからその死をいたみ悲しんでいたのである。

これは本当に感動したし泣いた,そして自分は救われた,自分の家族は複雑だけど愛し合う家族だったとうれしかった,自分は家族の過分な愛を受けていたのである。
だが最後は悲劇に終わった,でもその悲劇が実は家族の本当の愛を知らしめるものだったのである。
だからこの遺された草稿の手紙は誰にあてたものか?それはまさに死んで自分にあてたものだったのである。それによって自分は救われた気分になったのである。

この手紙はだから遺された財産より貴重である。ただ自分の家族は理想の家族ではない,金にもこだわる家族だった,それで大喧嘩したこともあった,そして何かケチであり困っている近所の正直な人に金を一二万貸していたがそんな金をくれればいいと思った
なぜなら金は相当にあったからだ,だからそれが自分の家の負の部分としてカルマともなったとなる

ともかくこの手紙の草稿には本当に泣いた,そして自分はしみじみこの家に家族に生まれて良かったと感謝した,つまり家族愛にはぐくまれていたことを感じた
複雑だしこのことは他の人にはわかりえようがないのである。

でも人間の深い意味は悲劇によって示されるというのも逆説である。
それでシェークスピアは悲劇を書いた,キリストは「悲しむ者は幸いである」と言った
悲劇の中に人間が悲しむことのなかに深い意味があるからそうなった
これを理解することは本当にむずかしい,自分もこれだけの苦しみをへて家族がみんな死んでようやく理解したからだ

母は腰が九十度に曲がった時,苦しみ自殺しようとした,それも苦しみでありそこからも生きたから良かった,自殺したら本当に後味が悪いものとなり良い評価にはならなかった

がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば

おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで

ここにその気持ちが現れている,命の日が消えるまで・・・・なのだろう。
九十四才の頃に書いたからこうなっていたのである。

人間のことは死んでみないとわからないことがある,生きている時はわからないのである死んでみてそうだったのかとわかることがある,しかしその時この世にその人はいないのである。だから一層その人のことがわかったときその人のことを偲ぶことになる
家族でも身近でも人間の心はわからない,そんな人だったのと意外なのである。
何か文章でも書かない無口な人は余計にその人の心がわからないのである。
母は寡黙であり目立たない人でおとなしい人だからそうなっていたのである。

人間は死んだ人でも今生きている人を励ますものである。
がんばらねば・・・というとき母は頑張り屋だったからだ,母は懸命に腰が曲がっても生きた,百才生きぬいた,そのことが今になって自分も感動した
その意味は大きいことをこの遺した手紙の草稿でわかったことは大きな収穫である

ここで言えることは人間はどんなに苦しくてもがんばって生きねばならないのである。
それが死者からの母からの最後のメッセージだったのである。

2017年11月20日

あちらこちらいたんでいる築五十年の家 (手紙は残るがメールはどうなるのか?)


あちらこちらいたんでいる築五十年の家

(手紙は残るがメールはどうなるのか?)


今日もお客さんが来るというので家の掃除と直し方した,障子張りとか壁紙はりかえとかした,でもうまくいかなかった,ぴったりと張れない,しわができている
それから布団も古くなっていた,衣服でも古くなると汚れが落ちなくなっていた
もう切れないから捨てるほかない,なんとか無駄なものは捨てたいのである
本も読まないのは捨てて身軽になりたい,でもまた利用するかもしれないと捨てられないことがある

築五十年になると壁も何か汚れている,土壁だから何か汚れている,土が落ちたきたりする,ゴミがしらゆるところにたまっている,樋が壊れて水漏れしている,これも直そうとすると屋根が高いから足場を組まないとできない,するとまた金かかかる
何か家というのは維持するのに金がかかるのである。

でも放っておくわけにもいかいな,雨漏りすると家がいたむからである。
ただ自分の家は昔風の家だから二階に座敷があり広い,八畳間だから広いからゆったりする,狭いと圧迫されるので嫌なのである。
その部屋は一番贅沢な部屋だったのである。
眠りやすい部屋は広い部屋なことは間違いない,廊下も広いから余計に広く感じられるのである。

何か物を書くとするとこの家はいい,私設図書館のようにもなっているからだ
狭い窮屈な所だと人間の思想も狭いものになるかもしれない
やはり人間は住んでいる場所とかいつもいる場所に影響されるからだ
家にいる時間は長い,特に老後はくつろげる家がないと苦しいとなる

老人の贅沢は何か?それは例えば冬なら暖炉があってあたたまり昔を回想することなのである。自分の経験したことを回想することなのである。
自分の場合は日本でも外国も旅したから回想して詩にしたりしているのである。
回想することは楽しいのである。旅では苦しいことがありその時は夢中で何を見たかもわからないことがある,でも後でふりかえるとその場所のことが別な意味あるものとして蘇ることがある,一方で忘れることも多い,人間はとにかく忘れやすいのである。

人間はやはり家がないと安定が得られないだろう,旅をするのもいいが老後は家がないと安定しない,冬は特に家であたたまり回想するのに一番向いている
老後というのはその人がたどった人生をふりえかえり自ら味わうことである。
だから別に苦しいことがあってもあの時は苦しかったなとか思い出にもなるのである。
人間はなんでも過ぎ去ると別な風に見るのである。

自分はとにかく十年間は介護やら自分の病気やら周りからは責められるでは苦しかった
そこに津浪と原発事故が重なり四苦八苦していたのである。
今はなんとか落ち着いている,それで母の唯一の孫が来る
姪子になるがほとんど話したこともないから自分にとっては疎遠なのだが
母が死ぬとき孫に金払いと金額まで大声で言ったので驚いた
なぜなら金のことが認知症のになりわからなくなっていたからである。

認知症の不可解なのは時々正気にもどる,特に死ぬ間際に正気にもどることが多いことは確かだろ,すると認知症の人を馬鹿だとしても扱いないのである。
死ぬ一カ月前くらいに遺言のように大きな声で言ったからそれを守らないと怖いと思った人間は死ぬ間際に言うことの言葉の重みが大きい
別にそれが正式な文書にして遺言でなくてもそれを守らないことは恐怖になる
そのことで母は死んでもまだ生きている,その言葉は活きているとなる

母と孫はずっと手紙で連絡はとりあっていたのである。だからただ血のつながりがあるという関係ではない,子供生む時からも手紙で連絡はしあっていたのである。
ただ直接合うことはほとんどしなかった,だから自分も直接合うことはずっとなかったのである。

母遺す(のこす)手紙を見れば孫の書く手紙の文面何を伝えむ

母あわれ引出し見れば残したる手紙の類や何か伝えむ

人間死んだら何を遺すのか?これも財産もあるが手紙なども残る,写真も残る,手紙は何かを語っている,すでにその手紙でも二十年前くらいのことだからである。
でも電子時代になると手紙のように残るのか?プログなどは死んでもログとして残っていた,でもメールなんか遺(のこ)るのかとなる
電子空間は確かに記録されているのだが手紙のようなものとは違う。
手紙も一つの記録であるが手紙は二十年三十年でも残る,メールとかは残らないだろう
瞬間瞬間に消えゆく感じになる

いづれにしろ築五十年とか自分の家族でもみんな死んだしその後のことをどうしたらいいのかとなる,自分としては身軽にしておきたいということはありいらないものは捨てたいので整理しているのである。