2019年11月12日

天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる (戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)


天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる

(戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)

ドイツが戦後東西に分断された、それはソビエト連邦とアメリカによって分断された
それかベルリンの壁がとりはらわれて統一しても西と東はやはり依然として差別があり
統一されていないという、そして東の不満分子が移民の待遇より悪いとして政治的に働きかける、西ドイツのエスタブリッシュメントは依然として西側にあり変わらないからである
この東西の分裂、国が分裂することがいかに深刻なものになるかを証明している
それで日本もソビエト連邦とアメリカによって分断統治される計画があった
東は北海道をまずとりソビエト連邦が統治する計画である
西はアメリカが統治してドイツのように分断統治する計画があった

そうなるとドイツのような悲劇になった、ベトナムでもそうだし国が分断されることのく影響は甚大である、それは韓国と北朝鮮でも見ればわかる
一旦分断されとなかなか統一することが困難になる
ドイツのように統一してもその国民の間に亀裂が入ったままであり修復できないようになる

それで日本でも南北朝の争いで天皇が二人になったときその国を分断したことがいかに
国を乱れさせたか、それは本当に地方でもどんな田舎でも南北朝で争っていた歴史の傷跡が残されている、それだけ国が分裂することは影響が大きいのである
明治維新の時もその危機があった、国が二分して争う、そしてそこに外国勢力が入ってくるとさらにその分断は深まり収拾がつかなくなる
会津でもプロイセンと今のドイツ同盟して薩摩長州と戦おうとしていたことでもわかる
そこに外国勢力が入ると分断はさらに深刻化して修復できなくなる

日本には政治的に武力で制圧し統一するというより禅譲ということをする
それは国譲りの神話でもそうである、出雲国は強大だったが大和に国譲りした
それは日本では武力で統一するよりそうして平和的に治めるというのが文化だったのである、それで敵味方塚がある、明治維新の戦いで薩摩長州軍と戦っても福岡県の人の墓があったりする、東北では負けて悲惨でも敵方の侍を葬って墓まで作っているのである
そういう文化は大陸にはない、敵は墓からも暴き出して罰しているのが中国である
そこに融和するということはないのである
徹底して敵を打ちのめして二度と反抗できないようにするのが大陸国家である
それだけ異民族同士が争う時容赦のない争いになる
日本はもともと和をもっけ尊しとすべきというようにそういう徹底した争いはしない国なのである

天皇を考える時にどうしても日本をまとめて統治しえるものは誰なのか?
それは天皇がその役を担ってきた
江戸時代は鎖国300年で対外的に交渉しない時代だから天皇の力も弱いものだった
でもいざ外国が日本に襲ってくると天皇が持ちげられて国のシンボルとなる
民主主義だったら選挙に選ばれたものが大統領が国の王になる
でもあくまでも国民に選ばれたものであり天皇とか違う
なぜなら選挙に敗ればただの人になってしまうからである
天皇は絶対にただの人にはならない存在だったのである

民主主義にすればアメリカでもヨ−ロッパでも天皇のような存在はない、国王がいても国権を施行したりできない存在になった
日本でも同じなのだが何か日本の天皇はまた別である
以前として国権にかかわっているという学者もいるしそう思っている人もいる
ただの飾りとも違う、だから何か危急の時があると明治や戦争のときのように担ぎだされる
天皇に国権を行使する権限はないとして法律で定めていてもそこが明確ではない
戦前は明確に統帥権があったから問題だったのである

ただ天皇がこれからこれだけグロ−バル化した世界で通用するのか?
ヨ−ロッパのような飾りとしての王室ならいいが以前として国権にかかわるものとてしありつづけるのか?
それを国民が支持するのか?また国民が支持するから天皇はあるべきなのか?
なぜなら天皇は民主主義で多数決で決められるものではないからである
大統領は選挙で国民が決めることができるが天皇はできないのである

要するに人間社会には権力と権威がありそれは別物である
天皇は権威であり権力ではない、その権威の由来は何なのか?
それは長い日本の歴史の中で作られて来たものであり簡単には説明できない
ただ宗教となると天皇は現人神(あらひとかみ)となり神格化された経緯がある
天皇が神だとすることは天皇の絶対化なのである、誰も神には逆らうことはできない
だから天皇の命令は絶対でありそれに逆らうものは死刑にもなる、不敬罪として罰せられるのである
また天皇即位に対して大赦があるのも法を越えたものとして絶対的なものとして天皇がある
それは祭政一致でありまた政教分離ではないから問題だともなる
ただ天皇は権威であっ権力ではない、では権力をもっているもの権力を行使できるものは何なのか
軍隊に警察に命令して現実に動かせるものは何なのか?
三権の長も天皇の下にその許可を得てその地位につく、戦前は統帥権があり軍隊に命令することができた

日蓮の王仏冥合論では王とは権力を命令することができる実験をもつものであり裁判もできる
それでオスマン帝国の王は部下を死刑にもできたのである、それは王の一存でできたのである
だから創価は権力をにぎるとどうなるのか?
政教一致となり政治権力を行使できる、それに宗教が一体化するから誰も逆らえなくなる
つまり宗教は絶対なのだから権力をもつ王と宗教が一体化したら絶大なものとなる
もう反対はできない、宗教的権威は絶対なのだからそれに逆らうことはできなくなる
でも政治にもいろいろありそれにいちいち宗教で解決はできない
その矛盾がイスラム教で証明されている

神に逆らうのか
アラーに逆らうのか
仏に逆らうのか

宗教となると反対できなくなる、それで宗教団体の人たちが一団となって罰当たるとか攻撃してくる
それは何か共産主義と同じである、そこでは批判は許されないからである
全体主義であり自由な議論も討論も許されないのである、イデオロギーが絶対にもなるからである
政教分離できないから政治と宗教が一体化しているからそれでヨ−ロッパのように近代化ができなかったのである
つまり民主主義でも法治国家でも資本主義でもそうした体制は政教一致に反するシステムなのである
経済活動でも経営が失敗すれば宗教的にみると罰当たったとかなり成功すれば仏の功徳であり神や仏のおかげだとなる
だから戦争でも天皇が現人神(あらひとかみ)となれば別に戦争は戦争する前から勝つものとして行われたことになる
日本は負けないと決まったものとして戦争を行うから日本民族が絶滅するまで一億玉砕まで戦わなければならなくなる

つまり宗教であり信仰なのだから殉教と同じだとなる
今靖国に祀られている英霊は日本の国に殉じた殉教者だとなる
それはイスラム教の国とにているとなる
戦争では人を殺すことが肯定される、それも国によって推進される、戦争でぱ人を多く殺した人が英雄になるからである
だからそれ自体が矛盾なのである、「人を殺すな」というのが宗教では鉄則なのである
でもイスラム教でもキリスト教でも仏教ですら国と国が戦争になると人を殺すことが積極的に容認される矛盾がある

ではなぜ政教分離に創価だけではなく他の宗教団体でも反対するのか?
それは税金をかけられることで利害が一致しているから反対しているのである、それは神道派でも神社でも仏教でも寺でもそうであるそこで利害が共通しているから争っていてもここでは利害が一致するから税金をかけられないように共同しているのである
つまり人間は利害をはなれて利権を離れて存在し得ないのである
例えば今香港で自由の権利が奪われるとして中国政府に反対して若者が死んでもいる
でも中国と仲良くして金もうけている人たちも多い、すると何を求めてあれだけ過激な行動をしているのか?
それは民主主義の下で育った若者が自由を守りたくて命がけで戦っているとなるのか?
もし利権とか利害を考えればそんな馬鹿なことはしない、中国側に着いた方が無難だとなるからだ
そこでも国は分断されている

常に国家でも自治体でも家族でもなにかあると分断の危機に直面する、そこで苦慮する
小津安二郎の映画『小早川家の秋』で、中村鴈治郎の演じた道楽者のお父さんの葬儀の席で、娘が「たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや」と呟く印象的な場面があります。

天皇制はあったほうがいいのでしょうか?──内田樹

これも一つの面白い見方だとなる、つまり家族でも何の力もないような人でも

たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや

天皇もそういう役割があった、天皇は家族でも国家でもその要となり中をとりもつものとしてあった
ただ国家となると一体国家とは何か国家とはどうあるべきなのか?
それを考えるようになると非常にむずかしいものとなる
ただ人間は必ずなんらか国家に属しないではありえない、無国籍がいいとかいう人がいても外国に出るとなるとそんな人はいないのである、そして誰も無国籍となると守ってくれない、殺されても無国籍だから放置される
外国に出れば国に責任が生まれているからだ、国家に属していない人は誰も守る人がいなくなる
国家とは大きな共同体であり運命共同体であり生死をかけたものとして守らないと生存できなくさえなる
それでまた在日韓国人とか移民でもそういう人たちはただ経済的利益を得るために来ているのであり戦争とかなれば命がかかわると故国に帰るし在日だと日本に内部にいて敵対行為をして日本を不利にするとなるからそれを盛んに言う人がいる

ただ民主主義国家では国民が天皇がいらないとなれば廃止されるのか?
そねれを選挙で決められるのか?
その議論も深刻なものとなり国を二分するから危険なものとなってゆく、ただ天皇はいらないという国民がやはり多数になっていけば自ずと廃止されるようになる、それは天皇が決めるのではなく国民が決めるとなる
ただその国民の危険性はポピュリズムとなり大衆化したナチスのようなファシズムになる、カルト教団がそうである
カルト教団は政教一致だからである、宗教的狂信主義者となってゆく、そういう危険性が創価などにあった
オウムは極端でもやはり同じだった、宗教と一体化して権力を操作しようとしていたからである
だから政教一致は危険なのである、天皇もそういうものとてし権力側に利用された歴史があるからそこが問題なのである
でも大統領制になってもやはり日本でも分断される、その分断されることがやはり国家にとって最大の問題なのである





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2019年11月10日

天皇は維持できるのか? (日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)


天皇は維持できるのか?

(日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)

国民国家というものは、「歴史の法則」などによって、必然的に生まれてきたものではないんですね。
 北アメリカと西ヨーロッパに続けざまに起こった二つの革命によって、偶然に生まれた政治形態です。それが、世界中に広まったのは、国民国家の方が戦争に強い、という理由があって、国民国家にならなければ、生き残れなかっただけのことです。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=27808
 
 江戸時代には誰も日本国民と意識しない、領民でありその藩の藩主に殿様が君主だった
不思議なのは地方では天皇をどう意識していたのか?
天皇がどういう存在だったのか?ほとんど意識していなかったのではないか?
ただ無数の社が神社があるからそこでは祈り祭りが行われていた
でもそこから天皇を意識することはなかったろう

天皇を意識するようになったのは明治以降なのである
地方の神社でも国家神道化して天皇を意識させられたのである
江戸時代は寺の方が幕府の御用商人とか御用学者とか優遇されていた
寺は人別長とかあり戸籍係であり役所と同じだったのである
公務員的性格があった
その寺が明治維新で廃仏毀釈となり神社が優遇されるようになった
つまり神社側が江戸時代は不遇だからうらみをもっていてそうなったとかある
つまり宗教というのも利害で動いているのである
カルト宗教団体でもほとんど御利益宗教である
何か利益があるからとそうして団体に入り利益や利権を得ようとする
それは仏教側でも神社側でも同じだったのであ

明治以降は天皇が異常なほどに権威となり権力ももつようになったからである
天皇の神道が国家神道になったのである
これは民主主義とか人権主義とか近代国家となるものとは違ったものとして日本国家が成立したのである
それはヨ−ロッパなどの外国と対抗するために日本独自のものがあり天皇がそこで国をまとめてヨ−ロッパの列強に対抗しようとしたのである
つまり明治維新から太平洋戦争は日本の歴史として連続したものだった
だから太平洋戦争は明治維新を知らないとわからない、太平洋戦争の原因は明治維新にあったからである
欧米列強の植民地化の抵抗として明治維新もあったからである

だから国民国家というのは日本でも天皇を君主としても同じだった
なぜなら国民国家にならなければ対外的に対抗できないからである
日本には侍がいたのだから別に幕府だけでも外国と欧米列強と対抗できたのではないか?それだけではできないから国民国家になることが強いられたのである
それで西南戦争で侍の存在を継続を主張して戦ったのが明治政府が編成した国民軍だったのである
その時薩摩長州と戦って負けて辛酸をなめた会津の侍も国民軍として参加していたのである、そしてその国民軍として編成された侍でない人たちが侍集団に勝ったのが西南戦争だったのである 

侍だけではとてももう対外的にも対抗できないし日本国内でも平民が集結した国民軍が侍集団に勝った、その時日本は軍隊でも国民国家になったのであ
国家とか国民とかはそうして対外的に一致団結して戦うために生まれたのである
それはヨ−ロッパとかでも同じだったのである
東南アジアがヨ−ロッパの列強によって植民地化されたのは日本のように一致団結して国民国家として対抗できなかったからである
それは中国でも同じである、中国は共産党が指導して国民国家にして中華人民共和国が生まれたのである

明治以降の天皇は対外的にヨ−ロッパ列強と対抗するために日本独自のものとして復活したのである
天皇は日本国民を統合する力として強力に働きそれは太平洋戦争まで継続してアメリカに負けてその日本国民の天皇の霊力というか神聖性は崩壊したのである
現人神(あらひとかみ)信仰は戦争に負けて神通力を失ったのである
そして政治は政教分離になったが依然として日本では天皇は残ったのである

戦後は天皇の神聖性は失われた、天皇と平民とは同等だという感覚にもなっている
平成天皇が膝間ついて国民をねぎらっている姿がそうである
もう誰かが特別神聖で偉いとか世界的にもなくなったのである
どこでも王室でも皇室でも特別な存在と見ていない、国の飾りのようなものになっている今回天皇になった令和の天皇でもそうである
どうしてあの人が天皇なの?そう感じる、何か特別なものをそこに尊敬すべき敬うべきものを本当に感じているのだろうか?
ただ天皇家に生まれただけでどこが偉いのだろうかとなる?

明治維新からは権力で天皇の権威は押し付けられていたのである
日本の歴史が中心となる皇国史観になるのも世界でぱ特殊なのである
だからグロ−バル化したとは何か違和感を感じるのである
その統治形態は日本独自のものだから維持すべきだということもわかる
その危険性はやはり宗教がかかわっているからかもしれない、宗教という権威がかかわると政教一致となりそれが危険になる

創価だと教義自体が王仏冥合であり仏教と政治が一体化する、完全に政教一致であり
それで何かというと政治でも経済でも罰あたるとか地獄に落ちるとか言うのである
それは脅しにもなる、それが権力をもつとどうなるのか?
それが戦前のように天皇を現人神(あらひとかみ)御真影として拝礼してそれに逆らうものは特高がきて刑務所に送られるのである
宗教と権力が一体化するとそうなるから政教分離が生まれたのである

でも日本では国家を統合するものとして天皇が存在し続けた
そこには意味があった、対外的にヨ−ロッパ列強と戦うためには国が一つとならねばできない、内戦していたらそこにかならずつけ入れられて国力がそがれて植民地化される
分断されて支配されることになる、そのことが最大の恐怖なのである

つまり例えばアメリカ軍が撤退すると強大な中国が侵入してくる
ロシアも侵入してくる、そして日本が分断されることが一番怖いのである
その分断されたのが韓国でありシリアとかの惨状なのである
そうして弱体化した国は世界の草刈場になり国自体がシリアのようにめちゃくちゃになりそうなると国民自体がもう悲惨なことになる
そういう恐怖がまた実際に迫っている
それがこれからの最大の恐怖である、それを若い世代は真剣に考えねばならない
日本はだから統合して外国に対抗できる力を持つべきだとなる
そうしないと日本が韓国化してシリア化することが恐怖なのである

天皇は日本の歴史ではそういう政治的中心として役割があった
だから天皇が二人になった南北朝では本当に地方の田舎のすみずみまでその傷痕を残して語られている、それだけ内戦化することは国自体を疲弊させるのである
そもそも私の住んでいる地区ももともと南朝であり国府だった霊山城が燃えて落ち延びて来た子孫が住んで作られた町だったのである
だから天皇が日本にいなくなったらそうした内戦状態になり終始がつかなくなり国自体が滅びて外国の支配下に入る
ただその外国と対抗することで極端化したのが天皇制があったためだと反面なっていたのである

要するに天皇という問題だけではない、日本がこれからアメリカ軍が撤退して日本だけで独立維持して中国とかロシアとに対抗できるのか?
そのことがこれからの最大の問題になる、それは明治の時から富国強兵になったのはヨ−ロッパ列強と対抗するためだったからである
もし国内で分断したら日本は植民地化されて外国に支配されていたのである
そういう歴史がカルマとして再び日本はそういう立場にたたされる
日本の国は中国やアメリカのような大国でもない、また韓国とか他の東南アジアのように小国でもないのである、そこに日本が中国に対抗できる、ロシアにも対抗できる
戦争の時はアメリカにも対抗できるとなったのである
それは身の程知らずになった原因でもある

でもどうしたらアメリカ軍が撤退したらどうするのか?
それは今や遠いことではない、何年後かもしれないのである
そういう変化の時代に来ている、ただ日本国の実情はそういう対外的な厳しさに対抗できない、何か国全体が衰退しているというか経済力だけではない、軍事力だけではない
何かモラル的にもその強固さを失っている
明治維新の成功は何だったのか?
それも世界の不思議だとなる、それはその中核に日本の侍がいたからだともなる
明治維新を成したのは庶民ではない、侍だったからである
侍というのが志士となりまた明治政府でも敗れた側も侍でありその人たちが新しい日本国家を作ったのである
ただ国民国家となったとき日本はすでに侍はいなくなっていた
明治だと内村鑑三とか侍出身であり武士道とキリスト教の一致があった
何かそうして日本的なものとしてキリスト教も受け入れられてきたのである

いづれにしろ天皇制は維持できるのか?
それはむずかしくなっている、でもそれでは大統領制で日本は治められるのか?
それもかなり混乱してくる、
結局キケルゴールの言うように近代とはあらゆるものが水平化するから同列化するから
これまでの王様でも天皇でもそうしたものによる統治はむずかしくなる
要するになぜあの人が天皇で偉いのとなる
あの人はただの人間にすぎないとなるからである、つまり人間の平等化の力は凄まじいものがあるからだ、そしてそれが悪い方になるとポピュリズムとなりファシズムともなったのが近代国家だったのである
そういう矛盾が現れてナチスでも現れたのが20世紀だったのである
国民国家がかえって熾烈な戦争となり何千万とか死んだのである   
国民国家もまた悪い面としても働いたのである

ただアメリカ軍が撤退するというのは極めて厳しい現実であり日本はそれにをと対処するかは強いられる、決断を迫られる、そういう大きな変化の時代に直面している
それと天皇が維持できるのかできないのかもリンクしているのである
これからの日本は相当厳しい選択とかが迫られる、大きな時代の変革か迫られる
そのために津波とか洪水とか天変地異が起きているのである




posted by 老鶯 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月08日

テレビは映像で錯覚させる (丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)


テレビは映像で錯覚させる

(丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)
breakingpoint1.jpg
この映像を見たとき被害が大きいなと見た

確かにここが堤防が決壊した場所だからこれは本当だった

でもそれほどの高さに水は来ていない

この映像からそう見えるの  である

阿武隈川の橋を渡った向かい側の舘矢間とかは被害が少なかった

ただ映像でその辺も被害があるように見えたのである

阿武隈川は決壊しなければそこもそんなに被害にはならなかった


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この支流が決壊したのでこのへん一帯か一番被害が大きかった

でも阿武隈川の堤防は決壊していない

支流の水があふれて被害になった


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阿武隈川の河川敷は広い

こうしてここから広くなっているからここをあふれることがなかった

堤防が決壊しなかったから被害が少なかった


wideriver3.jpg

この高さは怖い、その水の量を見たら恐怖だったろう


金山地区の被害
kanayamariver11.jpg

kanayama2.jpg
雉尾川の金山地区のここが一番長く堤防が壊れていた

kanayama3.jpg
ここは老人ホーム



テレビで見たとき全体が広範囲に水浸しになっていた
でも今日行って実際に見たら第一川に近い斎離屋敷の通りは浸水してもわずかだった
だから観光案内所は開いていて普通に観光できる
何かテレピで見て被害が大きく見えたからただ見に行くことに気がひけた
でもそういうことはなかった平常に近い
ただそれは一か月くらいすぎたから片付けもほぼ終わったからかもしれない
ボランティアの人はまだ来ていた
トラックが多く通るから気をつけろというがそれも少なかった
この辺ではトラックが増えて危険だったがそういうこともなかった
おそらく意外と早く片付いてのである

今回の被害は丸森の支流は結構大きいからそれがいくつか氾濫して水をかぶった
でもそれもそれほどのものとは見えなかった
まず床上浸水した家屋は少ないように見えた、死んだ人は土砂崩れである
それはなぜかというと阿武隈川は決壊しなかったからである
でもその水の量は多いから水が堤防に押し寄せたから怖かったことは確かである
上流の川幅が狭い所ではかなりあふれた被害があったようだ

それでも川幅が広くなるところで堤防が決壊していないのでその水は町の方にあふれなかったのである
私は堤防が決壊してあふれたのだと見た、テレビではそういうふうに見えたのである
つくづくテレビは錯覚させる
丸森町の役所が水浸しになったのは阿武隈川は決壊してなったのではない
支流の堤防が決壊して水があふれて水浸しになったのである
それは支流が合流する地点で堤防が決壊したからである
丸森町の支流は大きいからそれがあふれた結果あのように水浸しになったのである

ともかくテレビは現実ではないというとき本当にそうだと思った
これは大災害だなと見た、だからただ写真をとるだけに行くのが気がひけたのである
前は津波のことでしかられたことがあったから気がひけた
でも丸森町の被害は津波からすれば千分の一万分の一とかになる
津浪の被害には比べようがない、家も壊れていないし床上浸水でもそれほど多くはないみたいだ
ただ片づけはほぼ終了しているから一か月過ぎているからわからない
ただ一か月くらいでほぼ片付け終わり終息しているということでもその被害はさほどではなかったと思う

ただこうして大したことかないとなるとボランティアも集まらないと寄付金も集まらないとかなるかもしれない、私も寄付しようとしたがたいしたことないなと思ってそれほどそういう気分になれなくなった
何か打ちのめされたようになっているのかと思ったからである
まず津波と原発の被害と比べると比べることもできない
その差が大きかった
とにかくテレビは錯覚させる、また何か被害があるとそこの場の事情がわからなくなる
それでテレビとか報道に頼らざるを得ない
でもそこに報道の危険があった、非常に誤解しやすいのである

小さいことが大きく見えたり本当は重大な大きいことが無視されたり小さく報道されたりする、それはテレビ局で報道側がそうさせるのである
するとそうして見せられたもので判断するから錯覚して誤解するのである
でも現実のそうした場に実際に踏み入れることはできないからテレビ局の報道が力をもつのである

だから何か災害でも事件があったらその場に行くことが大事になる
何かが起きることは場所と密接に結びついている
だからtake place(起きる)とは場所が問題になるのである
でもその場所をテレビだけからは知ることができないから誤解が必ず生まれる
世界で起きる外国で起きる事件はさらに理解できない
そこに誤解が生まれる、これは大問題なのである
そうしてテレビに写されたもので判断するほかないからである
それでイラクの海鳥が油まみれになった映像で世界中がイラクに対して怒ったということでアメリカが有利になった
でもそれは海鳥一羽だけでありそれは油をぬられていたのである
でもその一羽の海鳥をテレビに写されただけで世界中がその映像でイラクに怒ったのである

ともかく丸森は近いからまだ現実を確かめることができた
遠くなるともう確かめることもできない、だからテレビとかの映像で写真で判断する他ないのである
だからテレビでも写真でも本物とは違う、それはあくまでも一部分だからである
でも必ずそれで錯覚して誤解して見るのである
でもその現場に行くことができないのだから確かめようがないからどうにもならないのである

今回の私の失敗はてっきり阿武隈川の堤防が決壊したと思ったこと

このことがすでにテレビの映像を見たとき思いこんでいたのである
阿武隈川の他では堤防が決壊した所があったから丸森も堤防が決壊したのだと思い込んでいたのである
そういうふうに思い込みと何かあり誤解生まれる
だから真実を知るということは容易ではないのである

水ひきて阿武隈川のその岸辺鴨の憩いて我が見て帰る

それほどの被害でなくて何かほっとしたとなる

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2019年11月07日

首里城炎上消失 (変転極まりないこの世―末世の詩)


首里城炎上消失

(変転極まりないこの世―末世の詩)

一瞬にして首里城は炎上して消失した
その宝物もなすすべくもなく消える
そのようなことがかつてある
城が燃える、そして主君は切腹して果てる
大阪城が燃える、無念に淀君は死ぬ
紅蓮の炎の中に死ぬ
津浪にのまれて一瞬にして街が村が消失する
その恐怖も生々しい
それは未だに悪夢である
ある時赤紙が来て戦地に若き女性が送られる
それは地獄に送られたのだ
従軍看護婦として地獄を生きる
戦後紙幣は紙切れになった
事故で死んだ夫の残した金が紙切れになった
でもわずかに買った土地が財産になった
このように急激に運命が襲ってくる
変転極まりない人生を経験する
津浪や台風が容赦なく襲い飲み込む
常に突然に襲い無と化してしまう
この世の財宝はかくして火に燃えて消失し
水にのまれて消える
アトランティス文明も大海に沈む
この世に永遠の都はない
つかのまの繁栄であり火に燃えて消え水にのまれる
それがこの世の変わらぬ習い
あなたの命は明日はないかもしれぬ
すでに青春は遠の昔となり白髪の老人となる
残る命を数えているだけになる
そのように激しい変遷にさらされている無情の世
台風で古木も倒れその後に荒れた河原の土手の道
風が吹き荒れ木の葉が吹き散る
もうまもなく冬だ
脳梗塞で一命をとりとめた同級生が脇にいる 
津浪で家も村もなくなった人がいる
私の家族もみんな死んだ
ただ悄然として一人故郷に残る
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
そのように人に安住はない
死がすぐにあなたをこの世から引き離す
あなた自身が火葬にされて骨となり灰となる
常に世は無常の世界
人もまた無情である、昨日の友は今日の敵
信頼に値する友はない
野獣のように金のために襲ってくる
他者は金を得るためのものでしかない
財産があれば肉親でも財産を狙う
金のために原発でもいい
そして故郷に住めなくなった
ただそこは荒地となり草ぼうぼう
人は復興もなにもない、老人だけが残されて悄然としている
親を残して子の世代は去った
戦争の業火、300百万人が死ぬ
原爆の生き地獄、その苛烈な現実にうちのめされる
この世は火宅の世、変わらぬ地獄なのだ
この世のどこにも安住の地はない
安住の地は天にしかない
この世は滅びの世であり永遠はない
束の間の夢であり悪夢でありすべて無常のなかにある
首里城を作る職人の労苦も一瞬にして消える
未だ津波の恐怖が覚めやらないのに次々に変化する世
墓場の中にしか安住はないのか?
人の縁も簡単に切れる
人は頼りにならない、ただ己のことしかない
結局ただ風に散る木の葉のように人は翻弄されるだけ
後は死があるのみ

なぜこんなに津波から原発事故以後災難の時代になったのだろうか?
それは歴史をふりえれば世の中は常にそういう無常の世だたのである
常に時代は変化している、そうして翻弄されてきたのが人間だったのである
それは家族でもそうである、それぞれが運命に翻弄されていた
姉は赤紙がきてすぐに従軍看護婦としてシンガポールに送られて4年地獄を経験した
つまりそれは突然なのである

そういうことが自然災害でもあり津浪でも原発事故でも起きた
母は東京に女中に出て夫が工場で事故死した
そこで運命が180度変わってしまったのである
人間は運命を決めるのではない、運命は自然であれ大きな制御できないものによって決められ翻弄されているだけなのである
津浪でも台風の洪水でもそうだった、いくら堤防を作っても自然の力を制御できないのである

首里城が炎上して一日で消えるというのもそうである
そういうことは別に戦国時代でなくても戦争で焼野原になったときそうなのである
この世にあるもので永遠のものはない、だから人間は火と水で滅びるというときまさにそうだった
津浪ほどそれを知らしめたものはない、それは人知を越えた余りにも空恐ろしいものだったからである
この世にはそうした予想もつかない恐ろしいことが起きることを知った
黙示録の世界が来る、まず津波とか原発事故ではそういうことを感じた
原発事故でも原爆と同じように住めなくなるのだからもう住んでいられなくなるのだから同じなのである、それは自然ではない人間によって作り出されたもので滅びるとういことである
その前で人は悄然として茫然としているだけだとなる
そしてこの辺では復興などない、ただ補償金を求めて騒ぐだけであり後は何もない
若い世代は脱出していない老人だけが取り残されたのである

何か世の終わりであり末世であり災難が連続して起きる
今度は経済が壊滅的な状態になるかも知れない、紙幣が終戦と同時に紙切れなったようにそうなるかもしれない、アメリカは裕福に見えてもその日の食べ物も得られない人は相当数いるという、そして大金持ちは助けないという
そういう社会が安定するわけがない、何か不満が爆発して社会が乱れる
自然災害だけではない、そうした社会の乱れ人間のモラルの崩壊が起きてきて
そこに大きな自然災害が連続して襲ってくくる
そういう末世なのである、だから東京オリンピックなどもうできない
停止すべきである、そんなものに浮かれているときではない
東京が壊滅するような災害が起きるかもしれないからだ
そういう危機に備えるべきだとなる、台風の被害に予算を回すべきだとなる


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2019年11月02日

天変地異がなぜつづけて起きるのか? (悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


天変地異がなぜつづけて起きるのか?

(悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


日本の「異常な長雨」は人類存亡に関わる「氷河期の予兆」か
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/171108/lif17110811140005-n3.html

 人心は荒廃し、天変地異激しく、政状は混乱の極に達している世相に対して、提言した。
 世皆、正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還らず。是を以って魔来り、鬼来って災起り難来る( 立正安国論)


 
温暖化にしろ寒冷化にしろ地球自体が気候変動期に入っていることは間違えない
科学の時代だから科学的にこうしたことを説明できるとなるが科学者自体が明確に説明できないことに人間の限界がある
温暖化を言う科学者もいれば氷河期に入る前の予兆だという科学者もいる
科学者も万能ではないから気候がどうなるか解明できないのである

でもこれほど天変地異が起きるのはなぜなのか?

そこに宗教だと人心の荒廃のためだとなる、今回の津波でも原発事故でも追及して来たけど津波が人間の悪を明らかにした、洗い出したということがある
「安全神話」を作ったのは今の支配層だったからである
政治家、官僚、科学者、マスコミ、・・・・全部がそうだった、地元の人たちも金を得るとして積極的に誘致したのだからやはり共犯者だった
しかしそういうものは見えなかったのである
つまり人悉く悪に帰す状態になっていたのである

例えば船主とかが多額の補償金をもらっていたことも地元でも知らなかったのである
そういうことも暴き出されたのである
悪というものは見えない隠されているだから闇の支配者がいて世界を支配しているというのもわかるのである
金融なども複雑なグロ−バル経済になって見えない、悪は見えないのである
だからこそその見えないことをいいことに数パーセントの人達に世界の富が収奪されているとか言われるのもそのためである

科学というのも公正なものではない、御用学者がいて都合のいいように原発を擁護していたからである、もし科学者は科学に忠実であればいいがそうはならない
科学者でも科学は普通はわからないから原子力のことなどわからないからいくらでも庶民をだますことができるからである、その危険を隠すことができるからである

人間にも天使にも偽善を見破ることはできない、
つまりこの偽善こそ神のみを除く誰にも見えず、神の黙認によって天と地を横行闊歩する唯一の悪だからだーミルトン(失楽園)

この世の偽善はわからない、見えない、それは金融関係で株とかで他の証券とかでもそうなる、それは複雑すぎて見えなくなっているのだ
そこに巨大な悪が隠されている、銀行自体がそういう悪の手先だと言う人もいる
資本主義社会では銀行が金をにぎり支配するからそうなる
もちろん社会主義では独裁政権となり中国のように金を握るのである
中国のような共産主義はかえって悪が露骨に見える、だから庶民も反発していづれ革命が起きて支配層は殺されるとまでなる
資本主義はそうして富を不正に独占する者が見えないのである

だから天変地異とは何か人間の悪を暴き出すものがあった、それは原発事故のことで延々と書いてきた、今度はまた飯館村が原発で無惨な姿になり次にそのとなりの丸森町が洪水で大被害になった、それはなぜなのだろうとなる
別にこの辺は原発とも関係していなかったからである

確かなことは天変地異は人間の力を越えたものとして現れる、いくらこれだけ科学技術が進んでもそれに抗しきれないのである、そこに政治の不備があったり備えきれないからまた犠牲者が出る、それが最近は連続して起きているから何なのだろうとなる
もうこの辺では嫌になる勘弁してくれとまでなる
災害に疲れたのである、丸森はいいところだなと春に行ってそのことを書いた
それがあんな大被害になったことにショックだった

もうボランティアも集まらないというとき東日本大震災を経験してその時ボランティアは来たが、またなのとなれば疲れてしまう
自分自身でも何かもいいがけんにしてくれ、疲れたとなる
こうして災害が起きる平和の営みができなくなる
こんなとき俳句とか短歌を作っていられるのか?
ボランティアになり泥をかぎだせとかなるからだ、それは津波の時もそうだった、ただその時は自分自身が自分の病気と介護で苦しんでいたから自分の苦しみげ精一杯でありそうした余裕がなかったのである

いづれにしろ天変地異は人間の見えない悪を暴き出すことは確かである
それは小川に砂が見えなかったがその小川から砂がでてきて田んぼを砂地にしたこととにている、日ごろ見えないものが天変地異で現れてくるのである
防災の不備も現れるし政治の不満も起きて来る

なぜオリンピックなど金を使っているのだ

もっと防災の方に力を入れろとかなる、マラソンを北海道にするとかどうかなどもうオリンピックは返上しろとなる
こういうときはどうしてもスポーツでも芸能でも芸術関係に力を入れるより今苦しい人たちを助けるべきだとなるからだ
それは必ずしもいいことではない面はある
なぜならこんなとき俳句とか短歌とかのんびり作っていられなとかなるのは異常なのである、それは正常な人間の営みができなくなっていることなのである
飢饉と同じでありもう文化的な生活ができない、ただ食べるために生きて入るだけだとなってしまうのである

ともかく正直これだけ連続して大被害になると疲れる、だから丸森でも行って楽しもうとか自然を鑑賞しようとか思っていたができない、その被害が大きすぎた、津波とにていたからだ、これも連続して起きたからこそそうなった
第一あれだけの津波や原発事故の被害がありまたそれと劣らぬ大被害があることは何なのだろうとなる、それもすぐ近くで連続して起きているのである
だからこの辺は呪われている地なのかとまで思うようになる

世が乱れたとき天変地異が起きる、江戸時代が比較的平穏だったのは戦争とかもない
かえって開国して明治以降に日露戦争があり太平洋戦争があり莫大な死者を出した
つまりグロ−バル化は経済的にいいようでその反面世界戦争にも向かう危険なものなのである、かえって軋轢が強くなり国同士が争うようになる
それが世界的になり世界戦争となる

いづれにしろこの辺は災害で疲弊した、東日本震災から津波と原発事故から8年以上すぎてやや平穏をとりもどどしてきたなと思っていたらまた大きな災害となったからだ
ただ相馬市でもそれほどではないように見える、丸森の被害が大きかったのである
それは飯館村の隣でありそれが何故なのだろうとなる
そこは私が詩にもしたように秘境の場だったからである
それが無惨なものになったことがショックになったのである

平らけき道失へる世の中を揺り改めむ天地(あめつち)の業(わざ)  望東尼

まさに揺り改めむというとき天変地異はそういう働きをする、とすると大きく改める時代を変える時だとなる
とても人間だけの力でぱ変えられない、原発だって津波がなかったらそのままでありそして壊滅的になって日本が亡んでいたかもしれない、その警告として原発事故があった、神からの戒めとしてあったともみれる
東京だってもう遷都などできないとなっているが大きな天変地異とか地震とか来れば決断できる
そうしなければもう生きていけないとまでなるからだ
人間そこまで追い詰められなければ思い切ったことはできないからである






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2019年11月01日

砂とつく地名の考察 (相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


砂とつく地名の考察

(相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


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小山田の上ー小川が氾濫して砂畑になっていた



谷川氏に具体的に危険な地名と、その理由を明かしてもらおう。
「例えば、江東区には北砂、南砂という町がありますが、白砂青松(海岸の美しい景観の形容)というくらいで、地名に『砂』とつくのは海辺に近い軟弱な低地であることを示します。

 また、江東区の『大島』や『越中島』などの“島地名”も低い地域を指します。

 岩石から削られた砂は、純粋に鉱物から構成されています。そこにバクテリア、地衣類、コケ類などが定住します。次に死んだ生物の分解によって、有機物と腐植物がたまってきます。その後、水や空気などの働きによって、鉱物質と有機物の複雑な混合物ができます。これが土壌、つまり土なのです
 https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0298/
 
地球はもともと岩石から作られていた、その岩石は噴火などによって地中から溶岩となって噴出されてきた、その岩が砕けて砂になりその砂にいろいろな有機物が交じり土となった

今回の洪水では小河川がほとんど氾濫した、普通はそうした小河川には砂が見えないのである、だからその小河川があふれて砂がでてきた
どうしてここに砂があったのかとなる、砂はどこにでもある
土と見えても砂がある、なぜなら岩石が砕かれて砂になり次に生物の基になるものが交じり有機物となり土となったからである、土の基は砂であり岩だったのである

地名になるとまず砂とつく地名はいたるところにある、砂田とかなればもともと砂があった所である、河岸地帯だったらそこに必ず砂地になっている
地球には膨大な砂がある、砂畑もあり砂がいかに多いかはもともと土の基は砂であり砂がどこでもでてくる、海岸地帯だけではないのである

相馬市と小高に砂子田はゆなこだと呼んでいる

ゆな →いのー。砂。砂利。岩手県下閉伊那。[考]南島八重山で、砂をイノー、石垣島で州をユーニという。千葉県武郡で、浜の砂をイナゴ、島根県松江で、砂浜をイナハマという。それらとの関係。熊本で火山灰をヨナというのとも関係あるか。 →よな。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2016/03/post-0235.html

ゆなーよなーよねーえなーは何か一つのものから派生した同類の言葉である

与那国島とか恵那とか米子(よなご)とか共通の地名としてある、これも何か不思議である、砂(すな)の別名なのだろうか?古い日本語では砂をゆなとかよねとかよなとか呼んでいたのか?それだけ第一砂はどこにでもあり当然それにまつわる地名は多いとなるからである、与那国(よなくに)島が砂の島だというのはわかる
でも恵那(えな)となると山国なのである、でも山国にも砂はある、川があれば砂があるしどこにでも砂はあるから砂に由来して地名もあるとなる

そして今回の相馬市の宇多川の堤防決壊で一番被害が大きかったのは北飯淵である
そこはもともと淵とあり宇多川の淵である、そこは宇多川でも細い流れから急に広々とした河川敷になっている
あの辺一帯はもともと広い川の扇状地のようになっていた
川の一部だったのである、そういう地帯が日本には多い
だから地名が原初の状態から名付けられていて飯淵となるともともと川の淵であり危険だったとなる、そういう地名は日本はいくらでもある

地理を見る時土地の高低がわかりにくい、地図を見ても土地の高低はわからない
鹿島区だと海老は高いから津浪には安全だと思っていたが被害が大きく村は消失した
右田はさらに低い場所であり烏崎から大内と小島田は低い土地である
それでソーラーパネルのあり烏崎から大内の所は水がたまり使えくなった
そんなに水が流れてたまったのかというのが不思議だったけどそこは低い土地だから水がたまったのである、広い沼のようにもなったからだ

烏崎から大内から小島田から塩崎はもともと海であり低い土地だった、それは津波で証明された、塩崎の船着はもともと本当に入江となって船着場だったからである
小島田はそうした入江に島となっていたような土地だったのである

とにかく日本は土地がないから平坦な土地が少ないから海の方へと土地を埋め立てて田んぼにしたりして住むようになった、だから危険地帯が多い
江戸とは江の入口という意味だという、もともと入江だった所に住むようになった
当然そこは入江だったのだから低い土地であり土浦とか浦和でももともと浦だった
そういう場所は津波とか洪水になると危険な場所だったのである
日本には他にも山崩れとか危険な地帯が多すぎるから常に自然災害になり苦しんできた国だったのである
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2019年10月30日

なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか? (福島県は呪われているのか?)


 なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか?

 (福島県は呪われているのか?)

自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
 
 如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
 母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
 今はないリスボンの悪徳は、
 享楽に耽っているロンドンより、
 パリよりも大きいというのか。
 リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
リスボンの大地震ではもう海外に進出する気概すらなくなりポルトガルは衰退したのである、それほどの打撃だったのである
だからなぜリスボンだけにそんな大災害が起きたのか?
そういう疑問が起きるのはわかる

なぜ福島県にこんなに災害がつづけて起きるのか?

まず巨大津波が襲い原発事故になった、そしたら原発事故で住めなくなった双葉、大熊、などの人たちが大量にいわき市に移住していわき市にもともと住んだ人たちともめた
なぜなら原発避難者は多額の補償金をもらったから家を建てることができた
でももともと住んだ人たちはかえって土地の値段が上がったりして家が欲しくても建てることができない、それで不満になりもめた

そししてまたなぜなのだうか?いわき市も今度は台風被害で苦しんでいる
それからノロウィルスがでてまた恐怖になる
いわき市には双葉や大熊や浪江でも原発避難者が相当数移住している
そこにまた台風の被害があった、津波の被害者もいた
これは何なのだろうとなる

相馬市とか南相馬市とかさらに石巻とかまで太平洋岸では津波の被害で2万人近く死んだというのは8年前くらいである、そして今度は台風の水害でこの辺は苦しんでいる
相馬市となると松川浦とか海岸が大被害になった記憶はまだ生々しい
次に今度は相馬市内とか宇多川と小泉川が決壊して床上浸水になったところが結構ある
これも何なのだろうとなる

そして山を越えた丸森の被害が津波の被害とにていたのである
角田までの河岸が浸水した、また山崩れで死んだ人もいる
そして丸森町の隣が原発事故で被害が大きかった村だった
そこは田んぼの表面の土が削られて放射性物質のフレコンバッグが積まれた無惨な村になっている
私は飯館村とか丸森町は特別風光明媚な土地として見ていた
それがあんなに無惨な姿になるのは何なのだろうとなる

何か相馬総合病院の病室に一緒だったのは松川浦で津波の被害にあった人と新地で家まで失った津波の被害者とそれから丸森町の金山に住んでいる人だったのである
その人たちがみんな津波や今回の台風の被害者になった

なぜこんなに災害がつづくのか?

原発事故の原因は津波とか地震と関係していても人災ともみる
10数メートルの津波が来ると東電の頼んだ学者が警告していたのに無視してその備えもしないので電源が喪失して爆発してメルトダウンになった
原発に関しては技術的な側面もあるがモラル的な側面もあったし何か人間側に原因が求められる、だからこそその不備が訴えられる

そもそも原発は神に敵対するものでありそれが呪いとなった

それはゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたプロメテウスだった
それとにてやはり人間に与えられた神の罰なのか?
何かそういうものを感じてしまう、そのためにこの辺一帯は呪われた場所になったのか?丸森町は飯館村の隣でありなぜそこがまたあんなにひどい被害を受けたのかも不可解だとなる
飯館村と丸森町は原発とは関係ないのである、だからそれも不可解だとなる
福島県の中通りは阿武隈川に沿った市町村の被害が大きかった
それは原発事故のときも放射性物質が意外と風にのって飛散して汚染された場所だったのである

ただ不思議なのは福島県は広いから会津地方は今回はそれほど影響はなかった
それも不思議だともなってしまう
だからなぜリスボンが壊滅的被害なのにパリは踊っていると恨むようになったのである
ただ日本はこうして定期的に自然災害に見舞われる国である
だから歴史的にもそうでありカルマだとなる、でもなぜ飯館村とか丸森町とかまで悲惨なことになったのか?
そこで何か悪いことをしたのか?そういうことは別にないのである

そしてなぜ自分の一身上の禍を書いてきたけどそれもなぜだったのか?
それは自分自身のカルマの清算として過酷なことを強いられたとはなる
でもまた回りでもこうして次々に災難に見舞われるのか?

この辺はソドム、ゴムラになったのか?

つまり災いの地であり神に滅ぼされるから神の民は逃げるほかなかった
現実に一瞬にして滅ぼされたからである
何かそうしてこの辺には深刻なものを感じてしまうのである
リスボン大地震では国家自体がその後衰退した、海外に進出する気概さえ失われた
それだけリスボン地震は人々の心をくじいてしまったのである

今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
 まさに飯館村とか丸森はそういうことはない、享楽にふけるような金持ちはいない
都会とは違うからである、ではそういう場所になぜこうして自然災害がふりかかってきたのか?それは津波でも問うてきた
ただ津波の場合は原発と関係して複雑なものとなる
原発をもたらしたのは政府とか東電だけではない地元の人たち積極的にかかわった共犯者のようにもなっていたからである
原発から大きな利得を得ていたからである、それはモラル的には責められるべきものだったと今ではなる

その後もモラル的にこの辺は荒廃してしまったのである
補償金を得ることしか頭になくなった、そして補償金で争い飯館村でも分裂したし南相馬市でもそうである、そこには暗黒が生まれた
暴力団が東電から何億という金を補償金として不正にもらっていたとか腐敗があった
それは高浜町でもあり原発はモラルの腐敗を生むのである
その原因は巨額な金がそこに動くからである、飯館村などで何億円もらったとかなると完全に日常感覚から離れて狂ってしまったのである
までいな村などとはまるで違った世界になってしまったのである

例えば南相馬市では小高と鹿島区は補償金のことでもめて分裂した
でも小高の人は原発避難者が何をしていたか?
その補償金で毎日ギャンブルでありフィリンピン女性に仙台をで店を出させて補償金をなくしたとか嘆いているという人がいた
何か多額の補償金で身を持ち崩した人がそれなりにいたのである
それで小高の人を非難するとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる
なぜ鹿島の人は苦しい時同情もしないのかとなったのである

でもこの辺は津波原発事故以後にかわいそうな人たちとなり同情されるべき補償されるべきだとなったのである
それは被害者意識でこりかたまり韓国とか沖縄と同じくなっていたのである
何かあれば原発のせいだとなって終わりなのである
凍み天が倒産したとしてもそれも原発のせいだとしているがあれは誰でも作れるものだと女の人が言っていた、何か特別なものではなかったのである

結局水俣病でもそうだったように補償金だけをもらうために病気を偽装していたりとありそれで補償金でだめなにったとその当人が言っているからここも同じだったのである
そうしたことは必ず子孫にも影響する、何かあったら東電が悪いとかなる
そして補償金をもっともらう、被害者としてありつづけることだとなる
そういんう心性がこの辺のエトス(共有する心情)となってしまったのである

ただそれがあるにしても丸森町があんなに悲惨な状態になることは何なのだろうとなる
それも不可解なのである、

飯館村とか丸森町が何か悪いことをしたのか?

享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
 
これと同じなのである、むしろ東京に災いが来るのが理にあっている
東京の問題が地方にもちこまれたからである
原発は東京に作るべきなのは安全を計り福島にもってきて犠牲にしたからである
だから次の大災害は東京に来る、ただ台風の被害は最小限にとどまった
でも次はもう逃れられない大災害が来る
その前兆として福島とか宮城県の大災害だったのである

享楽に耽っている東京より、
福島県(宮城県)が大きいというのか。

どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである


災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf


posted by 老鶯 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)


阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)

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信達平野の歴史をなぞると際限ないが、伏黒、二の袋、木幡の三村を、西根郷から東根郷に移すほどの大氾濫のあった天文9(1540)の大洪水、信夫山の南側を流れていた
松川の流路を変えた寛永14年(1637)の洪水
福島城の三の丸まで冠水した享保8年(1723)の洪水・・・・
明治になっても数年の一度は洪水があった

洪水になると洪水は河道からあふれて氾濫原を作る
水は河原の外に出ると流速は急速に弱まり水の運搬力も衰え運んでいた土砂をそこに沈積させる
すると川沿いに海鼠餅のような棒状の微高地ができる
古くはこの上に集落が発生した

福島市鳥谷野、腰浜(腰浜廃寺や郡衙があった)
伊達市の前川原、原島、箱崎(石田時成の築いた箱崎大舘は自然堤防の上にあり川跡湖の舘堀として利用していた)
阿武隈川沿いに延々とつづく集落はこの自然堤防の上に生まれたのである
その周りは湿地帯でありそこが耕地として利用された

阿武隈川の風景 高橋貞夫


阿武隈川は大きな川だからこそその流域も広くなる、堤防がないときは自然堤防ができてその上に大館のような館ができた、その周りの川の湿地帯が田圃とかになった、それは海岸が前は湿地帯でありそこを埋め立てて田んぼにしたのとにている
そして阿武隈川に古川とあるときそれは阿武隈川の一部であり流路が変わりそこに昔の古川が残った
それで川原とつく地名がその周辺に残っている、でもそれが広いので驚くのである
それは阿武隈川は大きいからそうなる

つまり地理を見る時必ず原初の状態から見なければならないのである
その地の利によって歴史が形成されてゆくからである、だから土砂が積まれてその上に舘が作られたということもなかなかこの辺ではイメージできない、なぜなら浜通りには大きな川がないからである
川を知るという時、上流から下流から全部知ることは容易ではない、阿武隈川となると大きいから余計にそうなる

なぜ今回こんなに阿武隈川で被害があったのか?
それは今だけではないここは川のカルマがあった場所だったからだとなる
カルマとはその地形が造りだしてそれがカルマとなり繰り返して現れることである
人間だと必ず苦しみとなって現れるのがカルマである
だから阿武隈川は何回も氾濫してきたのだからそれは特別なこと一回限りのこどではなかったのである

阿武隈川のように大きいとその影響が大きい、その流域も広いのである、それで阿武隈川に古川が残っているがそれは阿武隈川の一部だった、それがいまにも残っていてその流域に川原とつく地名が残っている
歴史はその川から作れていた、そこに土砂が流れて積まれて微高地になり館が作られて人が住んだとなる
そしてその周りが湿地帯であり埋め立てて田んぼにしたりしたのである
川で洪水があってもそこは生活にいい場所となっていたのである



阿武隈川水系の流域及び河川の概要(国土交通省ー河川局)
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/
shouiinkai/kihonhoushin/031128/pdf/e4-1.pdf

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  舘矢間とは丸森町である、ここの流量が多いのは下流域になり阿武隈川の水が集まるからである
  丸森町に阿武隈川の水量が集まり角田まで広く浸水した
  他にも土砂が裏山から流れて来たとかあった

  この地図で注目すべきは福島市と伊達市と丸森町と角田市の流域の土地が低くなっていることである
  でも福島市に被害がないのはなぜか?岩沼市と同じように河川改修して堤防を強化したためか?
  何か理由はある



阿武隈川は、上流域の白河盆地を過ぎた付近から北向きに流れを変え台風の進路と同じ方向となるため、台風の北上と流出量の増加が重なり、狭窄部による影響と相まって洪水の発生しやすい地形となっていることから過去たびたび甚大な洪水被害を受けてきた。阿武隈川の洪水に関する最古の記録は「カンジュウシの洪水」と言い伝えられてきた平安時代(寛治かんじ4年)の洪水がある。狭窄部においては、古くは天和てんな二年(1682年)から水害の記録が残っている。


各平野部内では変流・乱流を極め、洪水のたびに流路が変わるような状態で、河道の屈曲が甚だしい。特に郡山地区や福島地区の氾濫原は、再々度にわたる大氾濫で形成されている。福島北部から梁川にかけての氾濫原は、広いところで 6km に達する幅を持ち、その中には無数の旧川跡をたどることができる。

この論文は読み応えがある、詳しく阿武隈川を分析している、ただ今回は岩沼では被害がない、岩沼でぱ過去に二回くらい堤防が決壊して浸水している、今回はなぜ被害がなかったのか?おそらく河川改修と堤防の強化が行われた結果なのかとなる
岩沼の堤防は大きいし高いからそうなのかと思った、そこを歩いたことがあるからだ
堤防が貧弱だと決壊しやすいのである、相馬市の宇多川の堤防が決壊したのは明治に改修されたとあってもその後なかったのかもしれない、道を作ったとかあるが堤防そのものは改修していないのかもしれない、それで決壊したとなる

とにかく阿武隈川は長く広いのである、だから流域も広い、6キロもあるとすると広い、だから一旦洪水になったら今回のように広い範囲が被害になる、川を流れる水の量も膨大だからである
学問の基本が地理だという時、その地理を風土をどう理解するのかむずかしいものとなる
阿武隈川が中通りで台風の通り道になりやすいというとき今回二つの台風がそうだったのである
中通りの阿武隈川にそって上ってきて被害になったのである、そういうふうに台風の進路も規則的になる場合がある
それで被害が大きくなったのである

この論文で注目したのが地図を見たら土地の高低がマークしていて福島市ー伊達市ー角田と土地が低くなっていた
そして丸森町でも角田市と同じく低い土地になっている
するとこの辺が水がたまりやすい、水があふれると低地に集まり安いのである
それで湖のうよになってしまうのである、だから福島盆地が湖だったというとき阿武隈川が氾濫して湖のようになったからだとなる
縄文人は川の周辺に住んでいない、山の方の高い場所に住んでいた
これだけ阿武隈川が氾濫するとなると住めなかったとなる、津波でも縄文人が住んだ場所は津波の来ない場所だった
ただ大きな川になるとその辺が良くわからなくなる

いづれにしろこれだけ大きな川となると河川改修でも堤防を作るのに国家百年の計とかなる
日本はこうして自然災害の戦いを強いられた国だったのである、それは津波でその怖さを知らしめられた
また今回の台風でもそうだったのである、私の家は街で一番低い土地にあり堀からあふれて玄関から中が水浸しになった
水がここに集まるのである、川で行く川の水は絶えずして本の水にあらずである
川の流れも変わり古川とあるのはその名残りである、川も日本の国土が変化しやすい象徴としてあった
日本の風土のカルマとしてあったことを今回の台風は知らしめたのである

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posted by 老鶯 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月28日

相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2) (小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2)

(小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の道の駅から日立木の入口の川から相馬市街へ行く道の川の氾濫

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これは台風21号の被害である

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これも台風21号の被害

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小泉川の氾濫

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これも台風21号の被害

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宇多川堤防の決壊(台風19号の被害)

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かなり大きく決壊した

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水につかった所

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明治時代に河川改修した宇多川の記念碑

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これは昭和45年に道を直したとある

堤防を改修したのとは違うのだろう

でも明治に土手を作ったとか改修したとかなると古いもである

その頃から堤防は作り改修していたのである


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宇多川が決壊して小泉川があふれて両方から水が来たから被害が大きくなった
津浪の時その水の流れ方が一方的ではない、水は複雑な流れ方をするのである
だから小河川が意外と危険だと今回は知ったのである
堤防も低いからどうしてもあふれやすいのである

台風21号でも水があふれたらしい、でも両方から水があふれたというのは台風21号の時である

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下流の和田地区で小泉川が氾濫した

それは台風21号であり台風号の方が被害が大きくなった
水位高くなったところがある
台風19号と21号の二重に被害があった人もいた
そして小泉川の氾濫では21号の方の被害が大きかった
宇多川は21号では氾濫していない

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相馬市の道の駅によったがその隣のセブンエレブンからさらに六号線の道路へと水があふれた
その水が日下石川の水だった、ええ、あんな小さな水がこんなにあふれたのと驚いた
次に日立木に家並みに入る所にも小さな川がある、そこもあふれた

次に相馬市の鉄道を横ぎる手前の小川でもあふれた、床上まで浸水した所もあった
あんなところで床上浸水になったという驚きである

そして小泉川はこの三つより大きいのである、でもたいした川でなかったと思ったが
この川は前の三つより大きいからかなり被害があった
今回の洪水の特徴は小河川の氾濫にあった
宇多川が決壊して小泉川があふれたから両方から水が来たのである
結果的に広範囲に浸水した

一番被害の大きかった北飯淵も両方から水があふれて被害になった
相馬東高校があるがそこも床上浸水になったのである
宇多川は一部決壊したことでその水が北飯淵に流れたからそこが床上浸水になった所が多い、駅の方に水が流れたという時、どういうことになったのか?

とにかく決壊した部分から大量の水が流れたのである
小泉川の岸辺で増子議員とあった、国土交通省の人と話していた、その人たちは姫路から来ていたのである
なんでも激甚災害にするとか言っていた、金は出すとか言っていた
議員にはあったことがないから意外だった、そこに菓子屋の船橋屋がいた
後援会長しているとかで案内していた

そして堤防のことで国土交通省の人と話したが宇多川の決壊した堤防は明治に河川改修したとかの碑があったと古いから決壊したのかと聞いたらそうではないという
明治でも粘土とか使いかえって頑丈にしていたという
そういうものかとも思った、現代の方が格段に技術が進んでいると思ったが明治でも頑丈な堤防を作っていたことに驚く
信玄堤は今でも通用しているからそういうこともあっても不思議ではない

つまり昔作ったものがすべて現代より劣っているともならない
第一エジプトのピラミッドは非常に優れた建築物であり現代では作れないことでもわかるどうして計算して作ったのか解明できないのである
だから技術が後退するということもあるのかもしれない
日本建築でも法隆寺とかは優れたものだからである

今日は宇多川の北飯淵とかは行ったことがなかった
その辺をはじめて見てその土地を知ることになる
ただ相馬東高校があそこに建てたの河岸であり広い土地があったからである
あれは長野市の新幹線車両基地も市街から離れた元は湿地帯のような所に作ったのと同じである
広い土地がないからあそこに作ったのである、相馬東高校は相馬女子高校が基になっている
その校舎は市街にある

何かこうして津波の時もそうだが洪水とかあるとその土地の知らないことを知ることになる、郷土史として理解を深めることになる
ただ被害にあっているのだから物見遊山では嫌がられる
ただ津波の被害とは違ってそれほどにも見えないから今回は気楽にともならないが書けるもう丸森町は津浪と同じでありそこには当分行けない
ただどういう状態かどうしてそうなったのか知りたいとはなるが当分は無理である
とにかく今回の洪水は小河川が意外と怖い曲者だと知った
そうした小河川は土手がないからあふれやすいのである
それが盲点となって被害になったのである

posted by 老鶯 at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月26日

新田川の越水、また一部決壊の場所 (支流が交わる場所の危険)


新田川の越水、また一部決壊の場所

(支流が交わる場所の危険)

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台風19号で西殿に水があふれる

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小川橋より水無川を見る



小島田から六号線の塩崎方面

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小さな川でも水があふれる 鹿島区で低い場だから水集まり安い


西殿で新田川と水無川が交わる場所の所の堤防が連続して三か所くらい越水して土手が削られていた
あそこが今回一番危険だった、この写真は台風19号のものであり台風21号とは違っている
でもこの水無川の上流が高の倉ダムでありそれが昨日は放流したのである
それで避難指示がでた、高の倉ダムは小さなダムでありあふれやすい

相馬市の宇多川の上流の松が房ダムも小さいから満水になりやすい
そういうダムは大雨になると放流するからそれで被害にあったところがある
ダムは必ずしも治水にいいともならないのである

今回わかったことは西殿の水無川と新田川の交わるところが危険でありその土手を頑丈にする必要が迫られた、ここの土手は相当に頑丈にしないと危険である
何か今回は小さな細い川でも支流でも危険なことがわかった
小川町とあり小川橋とある水無川でも土手すれすれに水が流れた
あれもあふれたら家が密集している街内になるから危険だった

ただ真野川は今回はそれほど増水していないのに避難指示になったのは過剰防衛になった避難を警告するにしても広い範囲だと対処できない
今回は新田川と水無川が危険だった
だから高の倉ダムを放流するというとき周辺では避難すべきだとなったが真野川は避難指示を出すような状態ではなかったのである

いづれにしろダムだけで洪水は防げない、かえって大雨ですぐ満水になり放流するとなるとかえって危険にもなる
日本はつくづく水害の国だった、津波でもそうだし洪水もそうだし海に囲まれているし
水が山から急流となって土砂を運んだり山崩れが必ずある風土であり地形だったのである

posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月25日

南相馬市真野川流域に避難指示! (自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)




南相馬市真野川流域に避難指示!

(自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)

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南相馬市でも広い、川もいくつもある、せめて新田川とか真野川とか大きな川の状態を知らせるべき
地点で地点で避難するかどかは違ってくる
夜は避難しにくいから大きな範囲で避難指示を出されると困る
新田川は決壊箇所があるから真野川より危険なことは確かである

南相馬市の高の倉ダムが放流開始 流域の周辺自治体からの情報に注意

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新田川に高の倉ダムから水無川へ流れる

その水が西殿の越水した新田川の堤防の所に流れる
これは危険かもしれない
まだ修復されていないからだ
決壊した堤防もあったからだ

福島 南相馬の新田川が氾濫危険水位に

福島県と福島地方気象台によりますと、南相馬市を流れる新田川は、午後8時ごろ、洪水のおそれがある「氾濫危険水位」に達しました。

県と気象台は南相馬市の流域では、堤防が決壊して氾濫したり、浸水するおそれがあるとして、午後8時20分に「氾濫危険情報」を出して適切な防災行動をとるよう呼びかけています。





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消防車が真野川流域に避難指示がでたと回っている
自分の家の玄関から水が入り込んできて床下浸水になった
ここは街で一番低いから水が集まる

ただ真野川が水嵩がましたとは思えない
消防車もその危険は言っていない
ただ暗いから水は見にくいと思った

水につかって歩いた、水が堀からかあふれて自分の家に流れ込んでいる
ただ雨は小降りになっている
だから真野川は決壊とか越水しない限り床上浸水にはならない

でもなぜここで避難指示を出したのか?

避難勧告ならわかるが指示となれば強制的に避難しなければなくなる
ただ消防車では二階に避難して安全を計ってくださいとは言っている
前は近くの土手が越水して床上浸水になった、だか真野川が越水したりしなければ
床上浸水にはならない、だから台風19号で決壊した所は危険になっている

雨は小降りになっているから床下浸水で終わるだろう
真野川は越水していないしこの辺では崩れてもいないから安心はしている
ただ夜は様子がわからないから危険だと思った
避難する途中で危険な目にあう、だから夜は簡単に避難できないのである

玄関から入った水はひいた

一時的なものだった、台風19でも水は入ってきた
でも今回と同じだった

ここは被害はないだろう

22時51分アップ


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自然は人間の力で制御できない (行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)


自然は人間の力で制御できない

(行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり
(方丈記ー鴎長明)

日本の風土はこれだったのである、本の水にあらずというとき水ほど千変万化なものがないのである
だから水は制御できないものだったのである

戦後の河川事業は、自然としての河川の自由を奪い過ぎた、河川は本来ときには手足を伸ばしして氾濫したいという強い意志を持っている、放水路は洪水を無理やりに一つの河道におしこめず、洪水のエネルギーを分散させることによって川の自由を保証しているのである
遊水地も同じく河道に閉じ込める不自由から洪水の一部ただ一時的にゆっくり遊べる自由を河川に与えているのである(川と国土の危機ー高橋治)

人間が作る文明というのは常に自然に逆らうものだった、自然を利用するにしろ人工化する、津波でもそうだったけどもともと人間が住むべきでない所に家が密集しすぎたのである、伊勢湾台風で5000人死んだのも名古屋が都市化が拡大化して被害になった
今回の千曲川の氾濫でもそうだった、長野市でも千曲川沿いに家が密集したのである
そこは湿地帯とかになっていた所である
そこがリンゴの果樹園になったとき本来は千曲川の流域でありそういうものはなかった
リンゴを作ることで人が住むようになった

自然に対処する時、人間は自然を制御しようとする、川なら川の道を作りあふれないように土手を作る、そして土手を頑丈にすればいいとかまた水の流れをせき止めるダムを作ればいいとなる
ところがそれで水は制御できない、水は本当に津波をみればわかるように空恐ろしいものだったのである、そのエネルギーは想像を越えたものとして襲ってきたのである
人間は文明が発達すると自然を征服できる、制御できるという思想になる
それが結局これほど文明が発達してもできなかった
こんかいの洪水でもろくも崩れさったのである

そして治水というとき堤防とかダムに注目するが水の勢いは制御できない、とめられないという視点から水を治めるということに力を注がないのである
信玄堤そういうことではない、水の力を弱める自然に逆らわない手段をとって今でも効果がありつづけていることでもわかる
水は堤防とかダムだけでは治めきれない、自然の力がありそれを治めようとしてできない水は本当に自由なのである、どんな隙間にも入ってゆくし変幻自在なのである
だからそれを人工的に制御する思想が間違っているとなる

川でも海でもそうだったようにそれは自然であるからとても人間の力でぱ制御できないものとして対策するのがいいとなる
いくら水に対抗してもどこかに穴がありそこから自由な水は流れ込み制御できない
自然の力と大きさに負けしまうのである
何か常に人為的な人工的なものを嘲笑うかのように必ず破られて被害にあうのである

まず水を川を制御するにはとても堤防とかダムだけに頼ってはできない、ダムでも制限を越えると放流せねばならずかえってそうして被害になった
ダムだけに頼るのは危険である、ダムは万能ではないのである
そもそも脱ダムの思想が悪いわけではなかった
川をせき止めることは自然なことではない、自然に逆らうことだからである
そこになんらか自然に影響して人間に影響してくるのである

文明はもともと自然に逆らうことである、そこからして様々な問題が生まれて来た
その延長として核があり原発があった
人為的に核を操作することも自然に逆らうことであり科学者自体そんなことすべきでなかったと反省している、それはだいそれたことだったのである
それでとりかえしのつかないことになったのである
だから遺伝子操作などもどうなるかわからない危険が潜んでいるのだ
もし人間は神のように万能ならできるがそうでないから危険なのである
人間は万能でないから必ず必ず人工的なものでも事故が起きる、もし万能なら核を操作してもいいがそうでないから破滅的な事故になったのである

今回の洪水でも川だけみていてもわからない、山を見たり様々な視点が必要になるが人間は全体を見れないから常に過ちを犯すのである
専門家がいたして一部しか見れない、かえって専門家が危険なのは一部だけにこだわるからである、俯瞰して全体を見れる人はいないのである
長野市の新幹線の車両基地で車両が使えなくなって大損害を出したのもそうである
なぜ事前に地元の人とかもっと科学者とかに意見を聞かなかったのか?
それは原発の立地問題でも同じだったのである
ただ科学者が無能かというとそうではない、優秀だった、十数メートルの津波が来るから危険だと警告していたからである

車両基地はハザードマップで危険地帯であり洪水の危険がある地帯だったことでもそうである、しかしそれをJRの幹部は考慮しなかっただけなのである
ただそこがそうでも事前に避難させることは簡単だったのである
相馬市の松川浦ではあれだけの被害があったのに船にはほとんど被害がなかった
なぜなら津波が来たら沖に船を出せと言われていたからである
それはどこでも港では衆知していたのである

ただ本当に自然は人間の盲点をついてくると思った、自然に人間は完全に対処などできないのである、自然は全体であり人間を越えたものだからである
そこに人間側のいろいろな問題があり対処できないのである
そこには科学的技術だけではない、理系だけではない、人間側の経済問題とかコストとか金がかかわり歪められるのである、だから社会問題として災害があるというのもわかる
理系と文系とか越えたものとして自然災害があり対処しなければならなくなっていたのである

自然は常に変化して本の水ではない、本の川でもない、本の海でもない、本の山でもない変化しないよう見えても常に生き物だから活動して変化しているのである
百年単位でもそうだし千年単位万年単位で億年単位で人間は変わるのである
人間はいくら百年生きていてもじかに経験することは短いのである
そして何か30年くらいすぎる忘れるのである
30年前くらいにに私の家で床上浸水があった、その30年前以上でもその時は私の家は街で一番低い所にあり家が流されるほどの被害があった
でもそういうことが忘れてしまう、だから災害は忘れたころにやってくるというのが名言になっているのである

とにかく日本人の思想というか感覚はこうして絶えまなく自然災害があり被害があることから起きてきたのだなとつくづく思った、これほど自然災害にいためつけられる国はポかにないと思った、家が常に流されたり土砂崩れで壊されたり地震で壊されたり津波で流されてなくなる国だったのである
それで一番恐怖だったのは津波だったのである、一軒の家ではない、村自体が消失してしまったからである、だから空恐ろしいものだった
その後も洪水でこんなに被害があった、福島県は呪われているのかとも思う
ただ不思議なのは会津の方に被害がないのである
中通りと浜通りは津波と原発と洪水の三重苦になっている、これもどうしてなのだろうとなる、何かカルマがなるのか?ただの自然現象なのか?
何かそれだけではないものを感じてしまう、それはあまりに自然災害でも人間側に責任があるのかとも見るからである

水の流れは絶えずしていというとき水は流動してとまらないものである、一時的ダムに貯めたとしてもそこにいつまでも収まっていいない、必ず水は自由をもとめてあふれ出してくるのである、溜池でもあふれて被害があったからである
水をためることはこれも自然ではない、自然に逆らう行為だからである
つまり水は自由に流れさせて治めるのがいいというのもそのためである
実際に溜池を巨大化したのかダムだからである
ただ被害となれば溜池の方が少ないのである、水の量が少ないからである
ダムは大きいからいいようでも限界を越えて放流する時、被害があったように危険になるだから水の流れをそもそもとめることができないのである
そして水は本の水ではないのである、川も本の川ではない、自然は長い年月で見れば常に変化しているのである、自然自体が変化の故に今の姿がありまた変わるものとしてある
結局この世に固定しているものはない、動かない山でも岩でも変化する
地震があり津浪があり岩でも流されるし山でも噴火して形を変えるし変わらないものがないとなる、それが日本では極端なものとして現れる風土だったのである

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ここがわかりやすい、反論があるにしても実際に知事をしていたから語られるのである
何かこの人は小説家だから科学技術とか土木事業とかにかかわる
知事とかまた市長とか町長でも全体を見る人なのである
だから専門家とも違う、全体を見て指揮する人なのである、だからそういう地位につくことは責任もあるし
何かビジョンをもつとかにもなる、だから知事とか市町村長でも具体的に地域に実行力がある
だからここでも全体を見る作業のである、それが知事の仕事だったのである
それでこれだけ説明できるのである、ここに反論があってもやはりこうして独自で十分に言いたいことが言えるのがインタ−ネットだからいいのである、理解がマスコミに出るときより深まるのである

posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月23日

新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊 (支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊

(支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


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太原

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工事中だった、橋が流されたのか?

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太原の橋の近く


西殿付近が被害が大きかった

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越水して土手が削られたのは他で見た
ここから土手自体が決壊してゆくと大量の水が流れ洪水になるから危険になる
半分は削られたから危険だった


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竹藪を越えて土手が崩壊している不思議

竹藪は河岸に飢えるのは水の流れをとめるためである
一応流れはある程度とめられているのか?
竹も根こそぎ流されたものもある


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近くに変電所がありこれも水につかったら危険だった
停電になる、他でも電気系統が水につかって停電になった

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鉄道の脇のここが崩れて水があふれれた
ここは越水というのではなく決壊に近かったのだろう
それで川岸の家が床上浸水になった


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支流の水無川が本流に流れて水の勢いをました

結果的に向かい側の土手が越水したり一部決壊した

ここの土手は頑丈に見えなかった、幅も狭い感じだった


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支流は水無川である

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ここの土手は頑丈なのか崩れないし越水もしていない
どちらかというと今回崩れたのは右側だった
その理由も何なのか?
水の流れの圧力の関係なのか?


新田川の被害が意外と大きかった、堤防の越水が多いが1か所は鉄道の通る場所は決壊してそこで床上浸水まであった
ただそこだけが決壊したので被害はあまりなかった
他で大きく決壊したら被害が大きくなった
越水の場所が多かった、越水と決壊では相当な差がある
千曲川のような大きな河が決壊したから長野市で大きな被害になった
ただ越水しても土手が削られるからそこから決壊になもなる

それから西殿橋の近くが堤防が3か所くらい越水と決壊があったのは支流の水無川が合流してそれで水の水量と流水の圧力が増して3か所くらい堤防の越水と決壊があった
西殿の土手の家は床上浸水にまでなった
あそこが一番の被害になった、ただ相馬市よりずっと被害が少ない
相馬市は広範に市街が水につかったからだ

今回の水害は意外と水が出たということである、そしてなぜ越水と決壊が起きたのか?
それは水の流れとか支流合流するところで被害になったようである
その支流が鹿島区の水無川と同じように原町でも水無川だったのである
鹿島の水無川でもあふれたように被害があったように水無川となっていても雨が大量にふると水があふれる、ただここの水無川はいつも流れているように見えた
原町区でも支流がいくつかある、この支流が曲者だったのである

ただ感じたことは意外と土手の強度が弱い、新田川はコンクリ―トの土手が少ない
日本の川はまだ土手の強度が弱いのだろう、川は長いからそのすべての土手の強度を強くすることは相当な手間と金がかかるからまだまだ土手は弱いと思った

川でもやはり部分を見てもわからない、川も全体を見たり流水をみる
曲がっていると流水に影響する、それで土手に圧力がかかる場所が崩れたりする
そして支流も関係していたのである、これが盲点だったのである
                                                              
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる  よみ人知らず

この飛鳥川は細い川なのである、支流なのである、小川の感じだった、軽くまたげる川である
水無川より細い小川の感じなのである、だから石橋わたるという万葉集の歌でもそうである
石を踏んでわたれるほどの細い川だったのである
でも意外とこうした細い支流でも日本では水があふれて怖いという面があった
何かこうしした支流とかまた水が必ずしも本流の川だけではない影響があって大被害になった
ただ新田川の流れも変わったからこういうことは言える

とにかく日本の国土はある時激変するのである、それが津波だったのである
村ごと消失する恐怖である、水の恐怖である、今回もそれが示されたのである


posted by 老鶯 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の弱点は全体を見れないこと (今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)


人間の弱点は全体を見れないこと

(今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)

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阿武隈川が氾濫して本宮町が被害になった、逃げないで被害にあった人もいる
その人たちが言うのには雨はたいして降っていなかったから逃げなかったという
でも実際は本宮町では雨が小降りになっていたが阿武隈川は増水していたのである

それはなぜかというと阿武隈川は長い川である、すると雨が阿武隈川の流域として山からも支流からも雨がふって集まる、ここではたいして雨がふらないなと見ていても実際は
全体を見れば降っていたのである
自分の住んでいる所でもそうだった、たいした雨に感じられなかったが実際は水が川に
相当に出ていてあふればかりだったのである
それは山に降ったからそうなった

人間はこうして自分の住んでいる一部分しか認識できないのである
人間はあらゆることで部分しか認識できない、人間社会自体が無数のパーツとしてあり
誰も社会全体しか見ていないのである
体でも全体を見れる医者がいないのである
様々な科に分かれていて全体を診れない、でも病気は一部分の臓器だけが悪いというのではない、全体が関係して病気になる、全体的の体が関係してなることがある
だから部分だけをみてもわからないことがある

何でもそうだけどまず全体を見れる人はいないなのである
原発にしてもこれも複雑だから第一吉田所長自体が復水器とかさえ大事なものを知らなかったのである

私はそっちの方の専門家ではない

たいがいみんなそうなっているのである、つまり原発のような複雑なものをそこに勤めている人でも上の人でも知ることはできない
でも本当はその原発の全体を知る人こそが必要だったのである
そうしなければ危険に対処できないからである

土盛りしてわざわざ高くした所に原発を作ろうとしたのに削ってしまった
それは電源装置の関係で削った方がいいとかコストの関係でそう決めた
そういうことをどうして決定したのかわかならい
それは何か全体を見る人が見れる人がいないからである

今回の北陸新幹線の車両が千曲川の氾濫で水にひたり使えなくなって大損失になったのもそうである
それもまず車両基地は広い場所が必要だから市街から離れた湿地帯のような所に作った
それはそれだけの土地を買いしめることができなかったからである
そこがもともと湿地帯のような所だということは危ない場所だったのかもしれない
そして千曲川から二キロ離れているから洪水のことを頭にも浮かばなかったとなる
これも全体を俯瞰的に見れないから安心していたとなる

人間は全体を俯瞰的に見るのが苦手なのである、常に一部分しか見ていない、仕事でも一部分をしているだけである、あらゆる仕事が専門家するというときも一部分の専門家であり全体を知る人はいないのである
すると全体をみる統率する人がいないから大事故につながる
結局そんな全体を統率できるのは全能の神しかないともなる

そして郷土史というときこれは狭い範囲の世界とか学問とか思っている
とこやが郷土を知るというときこれも地形から何から全体を知る学問だった
だから地質学と地形とか理系的なことでも必要になる
だから一人では手に負えないものとなっている
郷土という全体をみることはできないとなる、ましてやさらに地域が広がるとみれなくなる
第一地球は一つであり部分ではない、一つの統一体としてある
それを統率できるのは知り得るのは神しかないということである
人間の仕事は一部分の仕事にしかならないのである
それはどんな優秀な人でも一部分の専門家にしかなれないのである

そして人間は全体を見れないということでこうして常に災害にあったり社会でも原発のような事故になったりする
そもそも原発を作った時その地域の全体を見て作っていない
原発が事故になったらこうしてその地域全体が放射性物質によって汚染されることを見ないのである
私の住んでいる場所は30キロ離れているから関係なとか見ていた
でも福島市とかまで40キロとか50キロとかさらに離れていても放射能に汚染されたのである、全体にそれだけ影響することを見ている人はいなかったのである

だから人間の学問とかでも必ず限界がある、技術でも限界がある
必ず想定外で自然災害が起こる、それも自然全体のことがわからないからである
想定外のことが起きることはいくら備えてもそうなっている
人間は全体を知り得ないからそうなっている
ある部分を直しても全体が関係しているからやはりまた同じように災害を防げないとなるそこに人間は万能ではないし力の限界を感じる

ではどうすべきなのか?
原発など人間は操作できない代物だから危険だからやめるほかないとなる
もし操作できるものならいいが人間にはできないということであった
別に原発がなくても暮らしていけるから安全な範囲で人間は生きるべきだとなる
そこに多少の不便があってもがまんして生きる、だってそうして何千年も生きてきたのが人間だからである

土木工事でも完璧にはいくら努力してもならない、必ずどこかに穴がありそれで失敗している、それは全体的にどうなるか見れないからである
今回の洪水でも支流が氾濫して影響して被害が拡大したことも想定外だとかなる
つまり本流ばかり見ていて支流を見ていない、また水がどういうふうに全体に作用するから見ていないのである、津浪でもそうだった、地形が深く関係していたのである
前に台地のようなものがあると小高い山があると津波はさえぎられて勢いは弱くなり
海の近くでも助かっている人がいたのである
だから防波堤より台地を作ることが効果的となってそうするようになった

日本は何か地形が複雑である、山あり川あり海ありと複雑な地形である
その全体を俯瞰して見れる人はいないとなる
そこで自然災害を防げないのである、それはこれだけ科学技術が発達しても防げないのである、それが日本の宿命でありカルマだともなっている
その恩恵もあるのだが自然災害を防げないというのもカルマなのである

いづれにしろ人間は地球でも宇宙でも全体を見ることはできない、そこから人間の様々な問題が起きて来る、全体を見れるのは統率できるのは神しかいないからである
そこに人間の限界があり災害を防げないのである

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2019年10月22日

天皇即位の礼(天皇とは何なのか)


天皇即位の礼(天皇とは何なのか)



天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  


今回の洪水の災害について書いた、これが何か天皇が何かについても語っていた
地震が起こしたのは天皇にあったと自ら言明している
ということは天皇が地震を起こすことができるのか?
そんなだいそれた存在なのかということに逆になる
確かに今でも災害があると天皇が必ず見舞いにくる、でもその災害の責任が天皇にあるとはならない、誰もそう思わない、でもこの時代は天皇は神のような存在だから天災でも
天皇の責任だとまでなっていたのである

天皇の歴史をふりかえると最初は神格化されていた

大君は神にしませば雲隠る雷山(いかづちやま)に宮敷(みやし)きいます」

大君は神にしませば天雲の宙の上に慮りせるかも 

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟山すかも (柿本人麻呂)

自然すら天皇に仕えていたとなる、それだけ天皇の権威は強力なものとしてあった
その時自然の方が脅威なのだがそれが天皇と一体化されたということもある

その後は天皇はそうした神格化されたものではなく権力者が人民を支配するために使われるようになった、神輿のようにされたのが天皇である
国を治めるにはなんらか武力だけではない、神聖なものが権威が必要だからである

ただ不思議なのは天皇自体には古代では自然まで支配する神格化があったがその後は何か直接権力をもって支配することはなかった
外国だと王は神格化されたりまた絶大な権力をもって支配した
でも日本の天皇は権力を直接操作することがなかった、天皇の命令で国家を動かせるものはなかった
ただ神輿として持ち上げられるものだったのである
壬申の乱でも天皇の兄弟が二つに分かれて戦ったし南北朝の戦いでもそうである
ただ日本では天皇が二人になって分裂するとき国も分裂する
南北朝の争いをみればわかる、それを調べれば日本の隅々までその傷痕が残されている
私の町自体の成り立ちが南朝の落武者の子孫だったのである

それ以後戦国時代になると天皇をめぐる争いにはなっていない、江戸時代になると天皇は文化的存在に過ぎなくなった、日本の文化的伝統を守るものとして京都の御所に幽閉されたみたくなっていたのである、そして貧乏で短歌をよんで売って生活していたという
それがなぜ明治になって逆に古代のように神格化されるようになったのか?
それは西欧列強に対抗するものとして何らか精神的権威が必要とした
尊王攘夷運動が起きた、尊王とは天皇を神として王として崇めることである
そして神道は国家神道になった、それが太平洋戦争まで継続されたのである
明治以降の天皇はその前の天皇とはまるで違ったものとなったのである

そして奇妙なのは天皇がそれだけもちあげられると廃仏毀釈運動が起きて仏像が壊されたのである、その壊された仏像は今でも残っているのである
その原因が徳川時代は寺が仏教が優遇されていた、寺は幕府の役所の一部になっていたのである、そのとき神社はないがしろにされていたという不満が廃仏毀釈になったとされるそれは宗教の権力争いでもあったのだ、宗教も実際は権力と結びつく
時の権力に優遇されれば暮らしも良くなる、江戸時代には宗教は死んでいたのである
それが今でもつづいているのが葬式仏教とかである、檀家宗教とかである
それは江戸時代のつづきとしての宗教なのである

日本の近代化は天皇を神格化した成されたから何か歪つなのである
そこに無理があった、その結果として太平洋戦争まで天皇が現人神(あらひとかみ)とされて崇められて敗戦になったのである
つまり天皇は神では日本は神の国であり神国だから負けないという戦争になったのである

「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」

こう天皇が反省すると昭和天皇は戦争の責任があるのだから退位するべきだったのである南北朝の戦いの時光厳天皇は反省して退位して隠居して暮らして死んだことを死んだ都築詠一氏はほめていた、そしてなぜあれほど昭和天皇を右なのに批判していたのか?
それは戦争の責任をとらなかったからである
また三島由紀夫が天皇が人間宣言したとき天皇は神であるべきとしたのも不満であった
日本の歴史は天皇をめぐる歴史だったとことがここに現れている
それは古代からの祭政一致が復古の形で現れたからである

そして西欧化するとき政教分離の思想が法律として定められていたのに憲法ではそうはならなかった、天皇の統帥権とかが認められていた
明治維新は西欧化は様々な矛盾があった、それが日本の特殊性だったのである
自然災害でも天皇の責任とされたように神格化された王はそうなる
政教一致だと創価でも選挙は仏法最大の戦いであり仏が味方するのだが必ず常勝するとなる、一票とるために祈り戦うのが創価である
それは権力をとるための戦争と同じなのである、日蓮の思想に王仏冥合という思想がありその実践が選挙なのである
完全な政教一致であり政教分離の憲法に違反しているのである

だから何かあれば罰当たるとか地獄に落ちるとか世俗生活にあてはめるのである
それは経済生活でも病気でも不幸でも政治でもあらゆるものがそうなる
そこに合理的に解釈しないのである
戦争でも天皇が神格化されるともう合理的に戦争を見れない、負けていてもどれだけ人が死んでも日本は神国だから勝つとなり戦争をやめることができない
本当に一億総玉砕まですすむところだったのである、それが原爆でとめられたとまでなる日本の戦争の原因は日本側だけにあったのではない、アメリカ側にもあったから合理的に正当化されても天皇をもちだすと天皇は神だからとなりそんな合理的説明は不用だとなってしまうのである
政教一致になると批判許されない、それは宗教と権力がむすびつくから今の政権でも批判すれば神仏を批判するのかとなり逮捕される、警察権力とも検察も宗教の権威に逆らえないからそうなる

天皇とは何なのか?それより近代化してさらに太平洋戦争に大敗北して3百万人も犠牲が出たのになぜ天皇が継続されているのか?
それは国民が天皇を必要としているからだとなる、天皇を維持したいからだとなる
戦争でも天皇の責任とはしていないからだ、天皇は直接権力ふるうことはない、天皇は常に神輿であり権力者にもちあげられる存在である
すると戦争が負けたとしてもまた何か不備があったとしても天皇自体の責任ではないとなる、責任はその部下にあるとなり天皇自体にはないとなる
だからこそ天皇が近代になりまた現代でも継続されているとなる
天皇には何ら責任はないとなってしまう、それが不満で昭和天皇を攻め続けたのが都築詠一氏だったのである、それが最右翼なので理解しかねるところがあった

日本で天皇が継続されたのは島国だったからである、大陸のような国家だったらどうしても外国から攻められたりして必ず影響を受けて国自体が変化してしまう
日本では外国から攻められたことはモンゴルの時しかない、それが明治維新になって西欧化したのである、でも天皇は継続された、それも前よりも強固な天皇の権威で近代化した矛盾があった
ただ日本の歴史では天皇で国家が統一されてまとまるが分裂するとき南北朝時代のように国が乱れに乱れるのである、そこに天皇の効用があるとなる
ただ戦争中は天皇の権威と権力が結びついて戦争になった
つまり権威と権力は別物であるべきなのである、だから戦後は象徴天皇制になった
ただなぜ政教分離が日本で実行されないかというと神社側とか仏教側でも税金の問題があるから協同して反対しているのである
営利活動ではない宗教活動には税金がかからないからである
要するに金がからんでいるから宗教というのも経済が優先されるとなる
日々の暮らしにひびくから反対しているのである

もう天皇は祭司としての役目はない、なぜなら皇居内で田植えとか養蚕をしているがそれは農業中心の社会だと何か意味があった、これだけ工業化するとそういうことは意味を見出されなくなる、すると大嘗祭とか豊作を祈るとかの行事も意味なくなる
なぜなら世界と伍してゆくには工業化であり今なら情報社会でありIT化だとかなる
現実に原発でも農業でやっていけないから地元で積極的に誘致したとなるからだ
その東電の株を天皇ももっていたというからこれも矛盾しているのである
東電の株の方が大事となっていたのである

とにかく国家の統合形態として権威と権力を分離することは優れていたというのは確かである、権力は必ず絶対的に腐敗するというより権力を持つと人間は腐敗する
それは中国をみればわかる、人間は権力をもつと悪魔にも変身する
権力と宗教が一体化したカトリックでもそうである
権力の魅力があまりにも大きいからである、それは金に支配されている現実をみればわかる、今は金が最大の権力になっている、それで常にロスチャイルドがどうのこうのとか陰謀論になるのである

ラグビーで外国人と一緒に君が代を歌う時何か感動する者があった
君が代の歌はともかくこの音楽がなんともいいのである、何か極めて日本的なのである
他の国家は何かそうした国を感じないのである、そもそも今回出場した国は大英帝国に支配された国でありそれが独立した国と思えないのである、南アフリカでもニュージランドでもそうである、オールブラックは原住民が入ったいたとしてもイギリスに支配された国である、ただスコットランドとかあると薊(あざみ)の伝説があるように国の歴史をもっている
イギリス自体は古い歴史をもっている、でも他の国はそういう歴史をもっていないのである
日本は二千年とかの歴史がある、ずっと独立国としてあった国なのである、そしてヨ−ロッパの列強の植民地にもならなかった国であるからそこには誇りをもっていいとなる

とにかく自分は石とか岩とか詩のテーマにしてきた、だから君が代はその岩を音楽化したものをう感じる
なんとも深く内面にひびく深い思想性を感じる、「静けさや岩にしみいる蝉の声- 芭蕉」にも通じるものがある
何か心の中に深くしみいってくる、日本の大地から静かに湧きあがってくる力を感じる
土着的な力を感じる、音楽には疎いが何か音楽は一つの光景を浮かべる時がある、リズムもあるのだがクラシックだと山と海とか大地とか森とかをイメージするのである、君が代には国歌として土着的なものを感じるから優れていると思う
そういう音楽はやはりその土地から歴史的伝統から生まれる、それが文化だとなる
天皇はそうした日本の歴史的文化的伝統の存在である、それは権力と違ったものとして日本に継続されつづけてきたともなる

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次の代即位の礼や金木犀

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宮殿正殿の松の間に高御座に鳳凰があり金色に輝いていた、
黄金の高御座である、ちょうど今咲いている金木犀のイメージになっていた
つまり新しい時代を担うことになるが経済の時代から文化の時代になる
金木犀のように文化が華咲く時代になる
令和とはそういう時代になる 

何か日本の儀式でも命日とかが花でもって記念される
きにち【忌日】というのがありその人を記念する
ただ名前がきにち【忌日】とされるのは俳句界ではある、母は苦労したから冬紅葉忌としたとのである、冬紅葉になると母を思い出すからである
何かその人にふさわしい花とか何かあり忌日としている

今回は金木犀が今咲いているからふさわしいと見た

それから虹がたったということも縁起がいい、この時に立つことが不思議だとなる
やはり天皇の即位の礼は日本の美とか伝統を示している

次の代即位の礼や秋の虹

虹がこの時かかったというのも縁起がいいとなる、雨が降っていてそれが即位の礼の時
雨がやんだ、何か吉兆だともなる、秋の虹ということにあわしいともなる
秋の虹だと何か落ちついた感覚になるからだ

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2019年10月21日

自然災害がつづくのは天罰なのか? (なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)


自然災害がつづくのは天罰なのか?

(なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)

天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  

全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『 金枝篇』 J.G.フレイザー

なぜこうしてこの辺では甚大な災害に見舞われているのか?
これをいろいろ追求してきた、他の人も追求している
科学がいくら発達しても不可解になるからだ
それで天罰論が生まれてくる、自分自身もその説をとって発言してきた面があった
ただ今は科学時代だから科学的考察が不可欠なのである

でも何かその原因を科学的なことではなく政治とか社会とか人心の乱れとかがあり大きな自然災害が起きてくるとすることが昔から言われて来たし今でも言われるのはなぜなのか?
それは現実にそういうことがあるではないか?

なぜ公明党の国土交通大臣が西日本豪雨で苦しんているときカジノ法案のために時間をかけていた、その方に熱心だったというときもそうである
そうした政治の不備があり自然災害に見舞われる
その原因は政府にあり国土交通省にあるともされる、それは天皇に責任があるとか王に責任があるとされ殺されたり世界でも災難がつづくと神に犠牲を生贄を献げていた
またノアの洪水は人の心が悪くなって神が起こしたとされるから宗教的見地からみて起きたとなる
だから中国でも治水が最重要課題でありそれがうまくいかないと王朝は交代する
自然災害でも時の政府の責任にされるのである

現実そういう面は確かにある、なぜ公明党の国土交通大臣がカジノ法案を通すために力をいれているのか?それは創価の会員も特に婦人部は反対している
ギャンブルの夫がいて苦しんでいる人がそこには多いからである
だから創価では盛んに仏罰を言うけど自ら仏罰を招いているのではないかとまでなる
そもそもそうした団体が仏罰など言えるのか?
そこにいる人たちがどういう人達か見ればわかるだろう、普通の俗人のそれも何か社会的に人の世話になるような人たちが多いからである
日蓮が仏罰を言うなら予言者が言うならわかるがそういう俗世にまみれた人たちが仏罰など言えるだろうか?
むしろそこにはかえって仏罰が起きてくるのではないか?

ただそんなことを言うのは公明党が政教一致だからそういうのである
別に政教分離だったらそういうことは言わない、やはりただ政治の不備だとして責めるだけである、そこに神仏はかかわらないのである
なぜ天皇が災害の責任を負ったのか?
それは天皇は祭司であり日本の国を守るものであり宗教的なものがあったからである
祭政一致だからそうなった
政治とは政(まつりごと)どありもともと政教一致であり祭政一致だからそうなったのである

本当になぜ福島県でこの辺でこんなに災害が連続して起きているのか不可解になる
その原因は原発などを作ったからでありそれも天罰だったとなる
神がそんな危険なものを作るなということで罰を与えたのかとなる
それは神話をさかのぼればギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたことまでさかのぼる
それは神から盗むことからはじまっていたからである
何らかで人間の技術は神から盗むことに由来しているのである
太陽光発電も風力発電でも一見自然のエネルギーのようでもそうではないと武田邦彦氏が科学者が言っているのだからそうなのかと思った

だから必ず人間の技術は自然破壊に通じているのである
水力発電でもそうだと言っているからこういうことはもう人間が生きはじめてから起きていることだと思った
石器にしても必ず殺戮のために使われたしいい面と悪い面に働くことがあった
原発にしても原理は同じである、石器と同じなのである
人間の技はいい面と悪い面に働くことでぱ同じである
だから技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである、日本ですらそういう意識があって言葉が生まれていたのである

なぜ自然災害がこんなに起きるのか?それもどうしてこの辺に連続的に起きるのか?
原発事故では飯館村が被害が大きかった、津波の被害があり次に丸森町があんなに洪水で被害になるとは思いもよらなかった
相馬総合病院に入院ししてた時、新地の人と松川浦の人がいて丸森の人がいた
新地の人と松川浦の人は津波の被害にあっていた、新地の人は一番被害が大きかった
そして今度は丸森の人は金山だったがそこも被害にあったのかとなる
福島県でも郡山市の方まで被害があった
それは何なのだろうとなる、飯館村は原発で大被害になり隣の丸森町が大被害になる
相馬市でも津波の被害が甚大だった、今回の宇多川でも洪水になった
六号線の東側の飯淵とかが被害が大きかった、ただその他は床下浸水でさほどの被害があるとは見えなかった

何か日本全体でもこういうときは天罰論が言われるのもわかる
何か仏教でも末世だとか言われるのはそのためである、日蓮はその末世に生まれて仏法を説いたからである、その時モンゴルも攻めてきたからである
内憂外患の時代の動乱の時代だったからである
今も日本はそれににている、内憂というとき経済が落ち込んでもう日本は貧困国家であり後進国になったというときもそうである
何か大きな改革をしないかぎりもう日本はどん底に陥ってゆく
そのためにこんなに大災害が連続して起きているのか?
それは日本の改革をうながすためなのか?

例えばオリンピックとかカジノなどに勢力を費やすな、金を使うな

原発は日本では危険だからやめろ

経済もグロ−バル経済とかは日本の文化を破壊するからほどほどにしろ

・・・・・・・・・・・・・

何かそういうことを警告として自然災害が起きているのかともなる
そして東京一極集中をやめろ、遷都をもう一度考えろとかなる
日本は古代には頻繁に遷都していたのはその場所が穢れてくるから別な土地に都を移したのである
ただ東京は余りにも巨大になりすぎてできなくなった
だから東京に大きな災害が起きない限り真剣に遷都を考えないのである

次に東京に大災害が来る!

これは天罰論ではなく科学的にもう確実なのである、ただその時はじめて日本改造が起きる、改革が起きる、そうならないかぎり遷都はできないからである
それより東京が一千万人とか集中している弊害が大きいのである
だからこそ東電では電気がたりないと福島に原発を作ったりするからである
東京から災いがもたらされることが多いからである

とにかく天罰論というとき人間は自然の事象でも科学的に合理的に解き明かせないからである、それだけ複雑すぎるからである
確かに人心の乱れからこうした自然災害も起きていることもありうる
それは個人的に自分に起きてきたことでもそうである
そのことを延々とプログで書いてきた、日本の人心は上から下から乱れきっている
ただ金を求めるだけであり後はなにもない、人が苦しんでいてもこの時チャンスだとして金を求めてくるだけである
絆のことを言われたがその絆は外との絆であり内部では絆がなくなっていたのである
原発は電気は必要でもそれが深く人間の欲と結びついてできたものだった
その後も補償金でもめてこの辺は分裂したのである

そしてなぜ福島が連続して災害にあうのか?

これも不可解なのである、なぜ郡山市まで被害があったのか?
あそこには銀行の本店がある、そこの人が投資信託をすすめられた、それは詐欺まがいものだった、それも今回の災害と関係しているのかとまでなる
何か本当に自分の一身上に起きたことはただ人は金儲けの対象でしかないことだった
事業に失敗した人は借金に苦しんでいるから弱った時借金を要求してくる
自分の困ったことなど何の関係もない、ただ金を欲しいというだけである
それはみんなそうである、人間の情すら今や社会から喪失しているのである
だからそうした人間の心が冷たくなったときノアの洪水が起きたとしている
自然災害が仏教でも神道でも神からの仏からの罰だとしている

おりしもなぜこの時期に新しき天皇即位があるのか?

洪水被害で延期された、何か天皇即位を祝う気持ちになれるのか?
つまり天皇が自然災害で日本ではその責任をとってやめたということが過去にあったからである、だからこれも時期が悪かったなとつぐづく思うし国民がとてもみんなで祝うという気分になれないのである




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2019年10月20日

鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった (真野川もあふれる水位になっていた)


鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった

(真野川もあふれる水位になっていた)


真野川

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水が来た所の草は色が変わっている
ぎりぎりまで水がきていた

ここは西町であり街の上である、ここがあふれたら危険だった


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ぎりぎりまで水が来ていた

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流れが変わり砂利が運ばれて様子が変わった
ここは草ぼうぼうだったが草がなくなっていた


水無河原

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ここの流れも変わった

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ここが被害だった、このコンクリートが壊れることは
相当な水量であり水の勢いがあった
下の方の一軒の家は水が来たみたいだ
でもそれほどの被害ではなかった
この水無川があふれるとは思いもよらなかったろう

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こんなに水が流れている水無川は見たことがない
台風のときはあふれるように流れた
だからここでも土手を水が越える危険があった
砂地になったのはそのためである



南相馬市鹿島区の水無河原は普通は流れていない、地下にしみこむ、でも橲原(じさばら)の方の流れはいつも流れているしそれなりの川なのである
ただこの川で今回水が下流であふれた、一部コンクリートの土手が壊された
そこに家が一軒があり多少が水が来たみたいだ

この辺では真野川の上流でも一部被害があったとか新田川の上流の大原の大谷(おおがい)では明らかに被害が報告されている、水があふれたのである

今回の台風19号は意外と雨がふったことがこれでもわかる
支流に雨が相当にふった、だから丸森町では支流があふれて被害になったのである
丸森町には支流がそれなりに大きく被害になった
洪水は支流が関係して他でも多摩川辺りでもあふれて被害があった
だから支流が怖いのだと今回の台風で認識した

まずこの水無河原がこんなに水が出たということ自体驚きだった
いつも水は流れないし川の感じがしていなかったからである
でも水は日ごろはたいして流れていなくてもこのように水が流れるのである

そして真野川自体が危険水位になっていた
上の土手はすれすれであふれる状態になっていた
これも危険だった、避難した人はいた
真野川は二回洪水の被害がある、それで一番被害になっていたのが自分の家だったのである、なぜなら街で一番低い所にあったからである
その後河川改修して水害にはならなくった
でも今回は相当に危険だったのである、だから被害がこれだけあったことを納得した

家にいてそれほどの雨とも思わなかった、でも山には相当雨が雨がふることがある
その雨が集まり支流に流れ込んであふれたのである
またバックウオーターになり支流からあふれたのである

水道を今日水が出ている、水道が出ないのも苦しいと思った
なんでも水を使うからである、今日は風呂に入れるから楽である
この辺はさほど被害がなかったから良かった
でも丸森町の被害は大きかった、あんなになるとは想像もしなかった
とにかく日本は災害の国だとこれほど思い知らされたことはなない
治水が政治の基本にある、それは津波とかでもそうだし高潮でも同じなのである
つまり日本は水害の国だったのである
海に囲まれているし山に囲まれているから雨がふったら水が急流とかして襲ってくる国だったのである

posted by 老鶯 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月19日

自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか? (公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)


自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか?

(公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)



 西日本豪雨災害の死者が200名を超えても、カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)の「売国的対応」が際立っている。

 米国益第一の下僕のような安倍総理(政権)と足並みを揃え、トランプ大統領の大口献金者でカジノ王こと「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長らが儲かる法案成立(海外カジノ業者への賭博解禁)を最優先、日本国民の生命財産を守る本来の職務遂行を二の次にしているからだ

  職務怠慢にしか見えない石井大臣が真っ先に視察、歴代自民党政権下で国交省が進めてきた河川政策の誤りを認め、方針変更を決断すべき現場がある。堤防が決壊、一帯が水没して死者50人(14日段階)を出した岡山県倉敷市真備地区のことだ
  


 堤防を補強する方がダム建設よりもお金がかからない!国交省の緊急点検で強化が必要とされた約2200キロのうち工事が終了したのは半分にも満たない!?



中国でも易姓革命があり治水が国を治める要としてあった、それに失敗すると政府は転覆される
それが今回適応されるのか?津波の時はなんでこんな被害になったのか天まで恨んだ人がいたのがわかる、自然は無情なのかと思った
現実にこれだけの被害があってもその後に満月が出て輝いていた
全く地上のことなど知らないように満月が輝いていた
だから自然は人間のことに無関心なのかともみる、自然は非情だと見る

相馬市に真備の役所の人なのか応援にいち早くきていた、それは相馬市で水害の時応援に行っていたからいち早く恩返しに来たのである
西日本豪雨では200人も死んだ、今回は約百人である
西日本というと遠いのでそれほど関心がなかったご今度はまた身近で災害の被害が起きた丸森町は隣という感覚であり洪水の被害が大きかった
秋になったらまた行こうと思ったか行けなくなった
あのようになるともう観光という訳にはいかなくなるからだ

テレビで放送していたが東京の被害が少なかったのは東京は江戸時代から荒川など治水の工事をしつづけてきて今までもしてきた、その成果だという人がいた
そして東京中心にした政策がとられていた、治水に関して東京には手厚く地方には予算を回さないとなる
ただ阿武隈川がの護岸工事に800億円もすでに使っているのである
だから全然しないというのではない、それなりにしていたのである
でも今回もそれ以上の雨がふり想定を越えたとなり被害が拡大した

こういうとき何か被害を受けた人は恨む、それで政府も恨む、天を恨むことができないから政府を恨むことになる、確かに政府が悪いとなる面もあったからだ
原発事故の時はなぜ福島に作り事故になったのかを問うてきた
東京に作るのが一番合理的であり安全だったのである

それは一重に東京の安全を守るためだった                  

今回も東京の治水には万全を尽くして地方はなおざりにされた

東京中心の政治に歪みをもたらしている、例えば東京に住んでいる人たちは地方の重要性を感じなくなった、グロ−バル経済で食料は米すら輸入できる、それもうまい米作りが外国でもできるようになったからだ、するとグロ−バル経済では必ず外国との計りにかけるから別に米でも食料でも外国の方が安くていいとなる
また丸森などは木材の供給地として栄えたがそれも外材になりいらないとなる
東京では困らないとなる、戦後まもなくは地方は資源の供給地だった
木材でも石材でも食料でも地方が供給していた
それで森林鉄道が網の目のように張り巡らされて東京に運んでいたのである
それがグロ−バル経済になったとき消失したのである

それで東京では安全を計り地方に原発を作る、それが福島であり事故になり住めなくなった、地方は核の廃棄場にするとかもなる、地方に何か効用があるのか?
そう考えるのは東京中心のグロ−バル経済なのである
そして治水にしても東京中心であり地方には金をかけないとなる
もし地方が前のようにグロ−バル経済でなければ尊重された、地方の経済的効用がなくなったから地方は原発を誘致するとか核の廃棄場しか効用がないと東京中心の経済だと見てしまうのである

地方の工場と会社は東京の人が社長になっていて地元には住んでいない
そうして地元に住んでいない人はその土地に関心がなくなる
ただ利益をもたらすものとしてしか考えない
それは東電でもそうだった、幹部は東京に住んでいるから地元のことは関心がない
ただ東京の安全を計るために原発を福島に建てたのである
もし東京に住んでいれば原発の危険に敏感になるのである
東北電力ではそれで女川原発を津波が来ると15メートルの高台に建てて辛うじて助かったのである

日本の国土は今歪つになっている、国土交通省でも東京中心の政策が進められる
常に東京を守ることが最大の課題なのである、なぜなら重要人物というか政府でも役人でも東京に住んでいるからそこに住む場所が危険にできないのである
地方だったら別にいいとなる、それが人間の習性である
外国でも離れていればそこがどうなろうとあまり関心がないのである

そして原発事故の時は東京に住んでいる幹部と福島原発の吉田所長との意思疎通ができず何もできずに大被害になったのである
離れているからいくら通信技術が発達してもうまくいかなかったのである

だから

東電の幹部は社員でも原発周辺に住むべきだった

そうなれば無責任になれない、安全に万全を尽くすとなるからだ、自分たちが被害を直接受けるとなるからそうなる、その姿勢が全く違ったものとなることがありえたのである
離れているから別に事故になっても東京にいれば安全だとなると安全意識も薄れるのである

自然災害でもそれが政治と関係している、それでここで国土交通省の公明党の大臣を批判するのもわかる、公明党もその創価でも利権団体であり利権中心にしか何でも考えない
そして創価というのは戦後精神的支柱を失った人たちが団地とかに集まり宗教によるコミとニュティを作ってきたのである
地方から出てきて精神的拠り所をなくした人たちが集まったのである
それは宗教でもない、互助団体のようなものだったのだろう
そこでは一切むずかしいことは言わない、一切は許される、宗教の罪だとなんだとかその人がどんな人だろうが一切問わない、どんな性格が悪くても関係ない
ただ一票になればいいだけである、御利益と権力追求しかないのである

だからこれも東京から生まれた宗教でありそれが地方に拡散したのである
つまり悪いものは東京から拡散されてくるのである
東京の歪みが全国に地方に歪みをもたらしているのだ
カジノ問題でもそうである、そういうものも東京とか大都会からやがて地方に拡散されるもちろん金のために積極的地方で誘致しようとするときも原発とにているのだ
その後どうなるのかなど地元の人も考えない、金になればいいというだけである

カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)

こんなことしているから日本に災害が起きて来る、創価の会員がこれに賛成しているのも解せないのである
これもここがいかに暗黒をかかえているかわかる

自然災害には何かその国の政治の歪みがあってもたらされるともなる
日本の国土は今や原発で汚染されたり洪水になるのも何か歪んでいるからである
それを正すものがない、本当は東京中心の政治をやめるべきである
東京が国土を歪めているのだ、それは宗教なら田舎とか岩窟から生まれたりしている
それは清浄な自然を修行の場として生まれているが都会の宗教はカルトになる
政治でも経済でもなんでも東京中心に成されることが日本の国土を歪めているのである

第一オリンピックなど必要ないのにその意味もないのに国民の大半がオリンピックなどに関心がない、東京オリンピックには関心がありその時は意味もあったのである
今はオリンピックをなぜ東京でしなければならないのか?
それは東京のためなのか?地方では関係ないことなのである
何んでも東京中心になる、復興にしても除染にしても7兆円とかの金が東京のゼネコンに流れたのである、そのゼネコンから今度は今の自民党に還流した、自民党の寄付金として流れたのである、それは高浜町と同じ構図だったのである

なぜこれほど災害がつづくのだろうか?
それは国政にも関係している、もちろん日本の国全体にも関係している
何か日本自体が歪んでいる、日本人の心自体も何か汚染されて歪んでいる
それが自然災害を呼び込んでいるのかもしれない、日本の国土の正しい在り方が問われている
だから国土交通省の大臣が公明党になっていることも原因だとまでなる
それは自民党が利権の配分としてその地位につかせたからである
そして大成建設と創価は密接なつながりがある、創価関係の工事を請け負ってきたからである、つまり利権で御利益で常に結びつく、宗教信仰など一切関係ないのである
巨大な利権団体でありその利権団体と利益で結びつくのが社会なのである
除染にしても莫大な金がゼネコンにこの辺ではもっていかれたのである

日本は今やあらゆるもので再構築が迫られている、そのために天変地異が容赦なく襲いかかってくるのである
日本自体の国土でも大改造が必要になっているのである
中央と東京と地方の歪みとかもそうである、そういうことが原因して今回の洪水もあったすべてではないにしろ第一こんなに連続して自然災害が起きるのか?
日本がそういう国だとしても異常になる
日本国土の歪みが日本人自体の心にも起きていてそれが災害を起こしているのかもしれない、何か現象として現れているのかもしれない
その一因が公明党の大臣が国土交通省の大臣になっていることにもありえるのである
ただ自民党に変わる野党がないということも日本の危機なのである 

何かずるずると安倍政権のみに頼るしかない、そして遂に日本はあるゆることでどん底に陥ってゆく、経済も破綻して日本が犯罪者社会になる
そういうことが自分も経験したからもう日本人がとても昔のような義理人情すらない
非情化している、ただ相手から奪えばいいしかないのである
だから弱者化したとき本当に怖いものとなる、自分自身がそういう目にあってきたからである、相手のことなど全く考えない、今相手が弱っているから金をとるチャンスだとしかならなかった、現実にそして大金を失ったり責められた殺され恐怖にもなったからである今は確かに末世なのである、こういう時はあらゆるものが乱れる
天地も乱れるから天変地異も連続して起こる
その末世をもたらしているのが宗教政党なのかとなる、日本に罰あてるのは宗教政党の公明党なのかまでなる
災害の恨みがそういう発言までさせたともなる
だから易姓革命が必要になってくる、そういう時代の大変化期に来ているのである
そこで起きることは自然災害だけではない、経済の混乱が確実に起きて来る
地獄的社会になる、その後にようやくまた新たな日本が再生されるとなる
そういう痛みをともなってはじめて明治維新のように日本の再生がありうるのである

東京から害悪が拡散される!

グローバル経済が日本の国土を破壊した

そして心も破壊された

私は右でも左でもない、日本の国土を愛すものであり日本の本来の姿をとりもどすことを願う者である、日本のアイディンティティが根本から破壊されている
なぜ東北がこれほど被害になっているのか?
何かそこにもこれほどの災害がつづく原因がある
東北は歴史的に日本の後進国としてありそれが継続しているからである
日本の再生は東北から始まるのかもしれない、もう東京や西ではない
東北から日本の再生が始まることが津浪とか洪水にしても天変地異が起きている原因なのかとなる

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2019年10月18日

阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ? (ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)


阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ?

(ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)

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宮城 丸森町 浸水原因は阿武隈川へ流れ込む支流の氾濫か


阿武隈川の流域の概要


今回の丸森町の台風19号の被害は大きかった、そしてまたここでもなぜこんな大きな被害になったのだろうかとなる
津浪でもなぜ津波が来てあのような甚大な被害があった
それで地形のこととかを考察した

津浪になった所はもともと海だった

千曲川でも洪水になった所は川だった、流域であり扇状地だった

阿武隈川の扇状地にできたのが丸森町だった

地図をみて今回の被害の写真をみると丁度阿武隈川が山間から平地に出る所だから扇状地になる場所だったのである
だからこれもそもそもなぜそういう危険な場所に住むようになったのか?

もともとこうした平地は川の扇状地だから住めない、海岸地帯がもともと海になっていたり湿地帯になっていたのと同じである
原初の状態を見ることから歴史がはじまる、災害があるとき必ずその土地の原初の状態を知らねばならない

なぜこれほど広範囲に被害になったのか?
それは阿武隈川が大きい川でありそれが扇状地となるのも広いからそうなった
金山城がある麓の金山にも水が来ているように見える
それは今回は支流が氾濫してそれが広い範囲の被害になったというのもわかる
阿武隈川の本流が水かさをまして支流の水が流れなくなり逆流してブックウオーターになりあふれて被害が拡大した
それは盛んに倉敷の真備町とかでも言われたし今回もそのバックウオーターで被害が拡大した

そして丸森町の斎理屋敷のある中心部から近くに支流が三つくらいあった、金山の方面にも支流があった、その支流があふれた結果が被害が拡大した
とにかく扇状地というのは平坦な地であり丸森のように山が多いとそこが貴重な場所になる、そこで開拓して米を作るようになる
それは海岸地帯を干拓して米を作るために田にしたのと共通している
津浪ではそうした開拓した地域が津波で元の海になったからだ
今回の洪水でも阿武隈川の扇状地帯がもとの川の流域になったのかとなる

ともかく阿武隈川は大きな長い川だから洪水の被害は常にあった
ただ何か被害がないと見ているのは日本人は災害が多すぎて忘れているのである
災害でも10年とか過ぎると忘れることがあるからだ

とにかくその土地をみるとき必ず原初の状態を見ることから始めねばならない
そこから郷土史でも歴史でもありうる
なぜ初めにあったのはその土地でありその地形とか地勢でありそれは今も変わらないからである、ところがそこに住んでいる人たちはそれを意識しなくなるのである
そこがもともと海だったとか川だったとか意識しなくなる
そこで災害に備えられないのである

バックウオーター現象はわかっていた、でもその支流地帯にも人は家を建てている
街を形成している、支流は小さいから安全のようにも見ている
それが今回のうように大きな被害になる

丸森という名前が丸山城がきている、その丸と森が合体して丸森町になった
その丸山城も小高い山の上にあり金山城も小高い山の上にある
その麓に家臣が住んだ跡がある
そこは相馬藩が一時城主ともなっていたのである、後は伊達藩になった
舘矢間(たてやま)という地名でもやはり舘とは館であり小高い山の上に舘があった地域なのかとなる、舘山なのである
だから丸森町は相馬藩と地形的にもつづいているから関心があった
阿武隈川と蔵王を見えるし森が深いから地形的に魅力を感じていた
それで秋になったからまた自転車で行こうとしていたのにこんなことになることに愕然とした

丸森町は宮城県だけど半分相馬藩のつづきであり宮城県の伊達藩でもそうなる
新地は実際は伊達藩でありその後に福島県に廃藩置県で組み入れられた
でも相馬郡になっていて福島県に入ったのである
そういう境界の地域であり丸森町も似ていたのである
ただ地形的に山にさえぎられているから飯館村のように別世界に感じる
日本の地形が山が多いから「山のかなたに幸いがある」となる国なのである

いづれにしろ丸森町は関心があり身近であるから何か応援したいとなる
全国になると何か身近でないからそういう気分になれないが丸森町は身近なのである
ただ何かするにしても寄付するくらいしかないだろう
今回もこんな大きな被害になるとは思いもよらなかった
平成は全く平成ではなかった、令和になってもやはり災害が続いている
これだけ文明が発達しても災害を防げないのはなぜだろうとなる
かえって人は無造作に危険な場所に大勢住むようになった
堤防を作れば安全だとか人工物で防ぐようにしたがそれを上回る自然の力で災害がつづいているのである
人間はいくら文明化して自然の大きな力を制御できないである


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2019年10月17日

文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす (原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)


文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす

(原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)



昔は輪中という知恵があったからね。
街の中に小さい堤防が点在していて、被害範囲を限定する。
今は堤防で全ての被害を防ごうと強大化してるけど、いざそれが決壊すると大被害になる。

現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります

大雨が予想されるのに今回もダムの事前放水は行われていない。
もし、行われていればこれほどの被害はなかっただろう


現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります。

水害に有効なのは『山』の手入れでしょう。杉や檜が無造作に植林放置されている『山』を生かし、雨水をタップリ貯蔵できる自然環境を回復させる事が急務と考えます。

信玄堤防を作るのが良いと思います。
水流を「いなす」「すかす」思想です。

河川の堤防が土を盛ってるだけなんて、小さい時からいつ崩壊してもおかしくないと思っていました。
子供でも無理とわかるのに、このような工事しか出来ないのでしょうか?
コンクリートだったら、どれだけの人命と財産を守れた事か!

「ダムがあっても下流に浸水被害が生じた」これってダムが有っても無駄って白状してるよね。税金むだー。土建屋おいしー。

針葉樹を植樹したのは金のため。
広葉樹を植え、山自体の保水力を確保するなど、自然と共存する方法を考えていただきたい。。

今回台風19号の河川氾濫の被害は津波の被害にもにていた

人間は自然に逆らって文明化して自然から復讐される!

このことを書いてきた、津波でもこの辺では八沢浦とかはもともと海であり入江だった、それを明治以降城勤めの侍が職を失って開拓して米作りした田んぼにしたところだったのである
そこがもともと海だったから海になっただけなのである
自然には悪意がなくまさに自然の作用なのである
それで塩崎の船着のすぐ近くまで津波が鉄道の下のトンネルを越えておしよせた
そこも奈良時代辺りは海だったのである
本当にもともと海だった所に正確に津波がおしよせて元の状態に戻ったというのも驚きだった
自然には自然の回復作用があるのだと見た

今回の台風でもそうである、ソーラーパネルがある烏崎周辺の土地は特別低い場所であり津波でも証明された
あそこに水があふれたの不思議だったが特別低い土地だから水があふれた、ただ水はけも悪くなっていたのかもしれない
津浪の後に海岸の護岸工事をしたからである
でもそこに大内村の人たちが袋村を作った、開拓して作った、そこは真野川の河口の岸でもあり一番土地が低く場所が悪い所だったのである、それで村が成り立たず廃村になった
そこを開拓したのは人間側のやむにやまれぬ事情がありそうなった
つまり人間は人口が増えるとどうしてもそうしたもともと稲作に適していない場所でも利用しようとする
それは右田などもそうだった、そこは海であり海を干拓した土地である
江戸時代でもそうだった、海老は高い地域だから弥生時代から住んでいた、最近その突端に海に面した所に古墳が発見されたことでもわかる
そして意外だったのは右田の松原は松が太いしいい松原だった、これも江戸時代にできたらしいとなると古いから成長してそうなったそこに夏に松影で海風が吹いてくるので涼しい、夏は天然のクーラーとなり私はいつも休んでいたのである
釣りをする人たちもいつもいた

それはのどかな風景だった、その松が根こそぎ津波で流されたときはショックだった
そして松は津波に弱かったのである、「根がまっすぐで深く、その土地にあった常緑広葉樹林がいい、高木と低木のまじった多層群落の林が強い」言う時そうなる
自然林はもともとそういうものだったからである
つまり松原は江戸時代以降稲作のために海側を干拓した、それで塩害をふせぐために松原にしたのである
それは人工林だったのであり自然林ではなかった
つまり人間は自然を改造して住む領域を拡大して人口を増やしてきた
縄文時代だったらそういう自然を改造する技術も力もないから結果的には安全な場所に住んでいたのである
今回の千曲川の氾濫でもそうである、川は広い流域が川であり今流れている堤防に囲んだ川であり人工化した川なのである、それでその堤防が破壊されれば元の広い流域の扇状地の川にもどったのである 

農業はそもそも自然と深くかかわり自然を利用するにしてもやはり文明化である
焼畑からして農業の文明化なのである、森の木々を焼いてその灰を肥料とする
そこで森が失われるからである
そして森にしても杉林は自然の木ではない、多様な樹々があるのが森である
杉林の森になったのはそれを資材として木材として家を建てるためにとか利用するためにそうなった人工林化したのである
だから森には保水作用があるというとき杉とかにはあまりない
ブナの木などがいいのである、でもブナの森はもともとどこにでもあったがなくなった
この辺の森で小山田の奥にブナという地名がありここでももともとブナがあった

中国語で「山毛欅」とは本種ではなく、中国ブナの一種を指す。ブナは近年作られた和製漢字で、一般に(日本)ブナの意味に使われている。

buna111.JPG

なぜぶなの木が無となっているのか?それは最近できた和製語というときブナの木が杉や檜や他の木と比べて無用化されたからであるでも杉の木の森は人工林でありぶなの木の森は自然林である、だからブナは保水力がある
それで洪水から守る役割もある、そのブナがなくなったことで森の保水力がなくなり洪水が起きやすいとなる
森だ今では木材が外材になり守る人がいなくなり荒廃して洪水が起きやすくなったというのもそのためである

何か必ず文明化することは自然破壊になる、自然を改良するということが文明化なのだがまた自然破壊にもなりそれが必ず災害になっている
今回の河川氾濫もそうである
もともと川だった所に人が密集して住んで被害にあっているからである
それで縄文時代はもしかしたら一番災害に強い時代だったという皮肉が成り立つかもしれない、危険な場所には住めないからである、住む力がなかったともなる
自然に適合して住むほかなかったからである

それで津波の起きるような場所に住まないし川岸に住んでも扇状地とかなっていて住めないとなる、だから川から離れて住んだのかとなる
でも川の水は利用していたとなる
これほど日本で災害が多いのかとなると日本はそういう風土だということもある
そういう地形だということもある、土地がないから危険な山の下に住んで崖崩れで土砂災害が必ずあるのもそうである、そういう危険な場所に住まざるを得ないからそうなる
それが日本人のカルマとなっている

それでなんか教訓として面白いというか日本人はわかっていたのである

娘をもっていても、海辺通りのへの縁組は無用
高潮に襲われる海岸地へは娘は絶対に嫁がせないという意味
(天災から日本史を読みなおす-磯田道史)

これも海岸地帯は実際に南相馬市鹿島区海老村の隣の八沢浦の湊村で東日本震災の津波の前に高潮に襲われて水浸しになっていたのである
それが海岸のすぐ側だったからである、そして湊村は消滅したのである
40軒くらいあったが村自体津波で消失した、他にも津波でぱ村自体が消滅する
海老村とか烏崎村も消滅したのである
そして歴史的にも磯部村では佐藤氏が治めていたがやはり高潮の被害があり今の日立木の道の駅ある鬼越館に移住したのである
そのあとに400年前にも慶長津波が来ていたのである
相馬藩では700人溺死という記録があるからだ

だから今になると湊村で高潮の被害にあったときここは危険だとして移れば良かったと思った、でもなかなか移住することはできないのである、そこでの暮らしがあったりすると余計にそうである、それで三陸では明治でも一万人とか死んだ津波被害があってもやはり同じように港がある場所にもどって漁業で暮らしていたのである
それは便利だからどうしてもそうなる、生活第一になり津浪でそれだけ被害があってもそうなったのである

とにかくこの辺では相馬市の市街が洪水の被害になった、でもたいしことはなかった
その隣ともなる丸森町が今度が洪水で大被害になった
あそこには山の上に大ソーラーパネルがありあれがどうなったのか心配になる
ソーラーパネルも森の保水力を低下させるし水が麓に急速に流れさせる
だから森の斜面をソーラーパネルにするのは危険である、でもあそこはもともとゴルフ場だったというとき木はなかったから
それも危険だったのかともなる、ゴルフ場もまた森の木を切ったからである
また今回の丸森町の被害は阿武隈川の氾濫ではなく支流の氾濫でありまた後ろの山から水が流れ出して被害になったとか言っている
だから洪水の起こる原因も複雑である
今回はやはり宇多川は氾濫したのは松が房ダムの放流が関係していたのか?
また大潮で水はけが悪くてそうなったのか、複合的原因があり災害が必ず起きる
人間の事件でも一つ原因ではない、複合的原因として起きているからである
丸森町は景観がいいのである、それで詩にしたもした
森が深いしまた山があり蔵王が見えるし阿武隈川が流れている
だから景観的には魅力ある場所であるが高齢化が進んだ村でもある
それて今回の被害でかたづけるにしても苦しいと言っていることもわかる
今回の台風19号の被害もいろいろ考えさせられることが多かったとつくつぐ思った





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2019年10月16日

相馬市宇多川氾濫の被害 (広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない)


相馬市宇多川氾濫の被害

(広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない) 

台風19号 JR相馬駅周辺が冠水(提供)

南相馬市鹿島区に来た給水車

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病院に給水

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滋賀県湖南市より


宇多川上流山上地区




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道路を越えて越水

相馬市街の宇多川

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ここが一番被害が大きい、ここが決壊すると危険だった

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水が越えて市街に流れた

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相馬駅前まで水が来た
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鉄道の東側が駅の東側の方が被害が大きかった
でも泥があるくらいでそんな大きな被害に見えなかった

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広範囲に水につかったことが今回の被害


相馬市の日立木の道の駅は閉鎖

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これは緊急用として前からあったのか?
土台がすでに作られていたからだ
こういうものが気づかない




相馬市は堤防が決壊したというのではない、堤防を越えてきた

市の上の流れの堤防は水に激しく削られて決壊寸前だった
電柱もなぎたおされていた
あそこが決壊するとさらに市街大量に水が流れたから危険だったのかもしれない

最初youtubeで見た相馬市の洪水の動画が駅まで水につかっていたというとき
相馬市がそんなになるのかと驚いた
かなり高い水位にも見えた
今回はyoutubeで写された動画が貴重だった
こういうとき映像は訴える、どういう状態なのか一目でわかるからだ

それを見て確かめに今日行ったのである
山上の方はかなり水があふれたがあそこには家なく家の被害は見えなかった
ただかなりの勢いで水が道路にあふれた、橋は二つ破壊された
合計三つの橋が壊されたのを見た、それは頑丈な橋ではなかった

道で話していた人は俺の家は床上になるところだった、でも畳まで上がらなかったので助かったと言っていた、おそらく床上まで水に浸ったのはまれかもしれない
床下がほとんどだったかもしれない、今日街の中を見ても何か大きな被害には見えなかった、家が壊れているのは一軒もないということもある
ただ泥がありそれをかたづけている人がいた
それにしても被害は何かほとんど感じない街の様子だった
ただそれでも被害を感じている人はいるだろう

一番困ったのが断水である、これは相馬市と鹿島区は同じ水源であり断水している
原町は一部地下水を利用している、だから全部が断水にはならない
鹿島は全部断水になっている
だから相馬市ではどこでもトイレは使えない
道の駅は閉鎖されたが臨時のトイレなのか置いてあった
トイレに困る人がいた、女性もいたからである

でもイオンスーパーは普通に開いている、その中の食堂も平常通りである
そこで水を飲めたのが良かった
だからトイレと断水をのぞいてそれほど深刻な被害は感じられなかった

城跡で岡山県の倉敷市の真備から来た援助の人と出会った
真備のことは洪水の被害で何回も放送したから覚えていた
なぜ来たかというとその洪水の被害のとき相馬市から来てもらったからだと言っていた

不思議なのは和歌山県の海南市と今日はどういうわけか滋賀県の湖南市から給水車が来ていた
湖南となるとどの辺なのか?湖西はなじみがある、方角がわからなくなる
湖東は関ケ原の方であり太陽が昇る方向なのである

とにかく実際に見てそれほどの被害は感じられなかった
それでも被害があった人はそうとは思っていないとうことはある
結局人間は見た目で判断する
津浪のような被害だったら一目見ただけでショックになる
言葉が出ないとまでなる、今回はそんな感じはしなかった
床上にならないからいろいろな物も出していない
家の前に出されて積まれていない、何か平穏な感じがした
街自体が汚れてもいない、多少泥があるなという感じだった
それで何か自分も平常通りだったとなる

ただ相馬市街が広範囲に水につかった、これが被害だったとなる
相馬駅の鉄道の東側から水が逆流してきたから線路の東側が被害が大きかったというので行ってみた、確かに泥が多少多いなとは感じた、でもそれほどの被害でもないとも感じたあとは普通だからである、おそらく床上にならないから物を外に出していないからだともなる

ただ気になったのは宇多川上流の松が房ダムが放流した結果が洪水になったとも言う人がいた、その辺のことが気になった
今回の洪水でもダムの放流を問題にしていたからここでもそういうことがあったのかと思った、洪水とかなるとダムがどういう働きをするのか問題になる
松が房ダムは小さいダムである、真野川のダムは大きいダムである
だからすぐに水が満杯になって放流したのかもしれない、そして相馬市街を流れる時そこは狭いのである、その狭いことで水があふれたのかもしれない
でも鉄道や六号線を横切ると川は広くなっているから水はけが悪いとはならない
ただ海が大潮で水はけが悪かったと駅前のタクシー運転手は言っていた
そのことは今回の台風19号では他でも言われていた

●大潮で水はけが悪かった

●ダムの放流で急に水嵩が増した

●川幅が狭くそこで水があふれた

これくらいが原因になる、ダムの放流で警告があったという、だからダムの放流が今回は問題になった、とにかく思った以上の水が出たのである  


▽水沼ダム(同県北茨城市)▽城山ダム(神奈川県相模原市)▽塩原ダム(栃木県那須塩原市)−の5カ所。緊急放流との関係は不明だが、水沼ダムの下流域にある茨城県北茨城市の大北川で越水が確認された。

緊急放流は大雨でダムの貯水量が急激に上がり、事前に行っている洪水調節が間に合わない場合、決壊してあふれ出すのを防ぐために流入量と同量を放流する緊急措置で「例外中の例外」とされる。昨年7月の西日本豪雨では6府県の8カ所で実施された。

damuhouryuu14.JPG

damufff13.JPG

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今回の河川氾濫洪水も津波と同じか? (自然の大きな力を忘れている)


今回の河川氾濫洪水も津波と同じか?

(自然の大きな力を忘れている)

大津波が来る前に仙台の若林区では
海へ向かって新興住宅地が拡大していた
そこは津波が来るから危ないと警告した
すると不動産業者が土地の値段が下がるから言うな
と怒り抗議して来た
そして大被害になった
人々の命があまた失われた
人間は日々10円百円のコストに厳しい
金のために日々追われている
その時大きなものを見失う
ある時自然は己を容赦なく主張する
人間の日々のコストなど無頓着
「ここは海だった」
だから海にしただけだとなる
「ここは川だった」
だから川にした
もともと川は広い流域が川だったから
そこに人間は家を密集させて洪水になった
自然はある時千年単位でも
元々った己が姿を取り戻す
その時人間の日々のコストのことを考慮しない
そういうことが眼中にない
そこに人間の危険がある
大いなる自然の計らいを見ることも知ることもできない
人間は日々目前の利益にあくせくしているだけ
毎日十円百円の勘定をしているだけ
わずかの金で一喜一憂しているだけ
原発事故もそうして起きた
ただみんな目の前に利益のみを追っていた
上から下から地元からみんなそうだった
大いなる自然の神の計らいを知る術もない
それで科学者が十数メートルの津波が来ると警告した
その時東電の幹部は防波堤を作るのに金がかかると無視した
金がかかるから金を惜しんで無視した・・・
人間は大いなる自然の前に無力だということを
自然災害で常に感じる
でもまた忘れて日々の利益に追われるだけ・・・


人間は今回の様な河川の氾濫でもそうだった、津波の時もやはりスケールが違っていたが同じようなことが起きていた
仙台の若林区には郊外となり家が密集して建ったところである、海が近いということで景色もいいからである、だから住宅地として不動産会社が売り出すには良かった
それで科学者がそこは津波が来るから危険だと警告した時、不動産会社の人が怒り抗議した、商売の邪魔するのかとか怒って抗議したのである

何かこういうことが自然災害でも津波でも洪水でも共通している
自然は凶暴な面をもっている、でも津波でも洪水でもそれは自然の作用だということがある
なぜなら津波でももともと海だった所を海にしたということがあるからだ
この辺の八沢浦はもともと海だった所を開拓して田んぼにした所だからである
だから八沢浦が元の入江にもどったというとき本当に驚きだった

そして今回の洪水でもそうである、千曲川も長野市辺りも広い扇状地でありもともと川の流域だった、そこが氾濫原と呼ばれていたことでもわかる、氾濫が常に起きていたのである、堤防を作ったとしてもそれでおさえきれず元の川にもどされたとなる
だから自然災害を無くすためには本当はもともと海だった所とか川だった所に住まないことなのである
でも人口が増えて宅地開発をしてきたのが戦後である、だから危険な場所に人が密集して住むようになったのである
それで新幹線の車両基地から千曲川が見えなくなっていた
川は遠いとなり安全だとなって被害になったのである

人間はとにかく自然の大きな作用とか計らいを見たり知ることができない
自然を空間軸でも時間軸でも俯瞰的に長期的に見れないのである
それが弱点となって常に自然災害にあうのである
何か不思議なのは私は大きな金をもったことがない
でも例えば一億円とか持つと人間はどうなるのか?
日々百円を計算して買い物している人はそれが習慣になる
だからその一億円という金を計算できない、10万くらいまではなんとか計算できる
でも一億円となると計算できない、それで数百万損しても感じないとまでなる

つまり人間の生活でも国の予算など天文学的になるから計算できない
そこに大きな無駄が生じているのである
そこでグロ−バル経済のことなども株のことなど計算できない、わからないのである
第一地銀の人なども株のことも投資信託のことも全くの素人だったし知らなかったからである、そんな人に任せること自体が間違っていた
そもそも株とか投資信託でも知っている人がいるのか?
グロ−バル経済の証券市場が実はギャンブルになっているのもそのためである
誰もその巨大な天文学的な金のやりとりを知りうる人はいなとなるからだ
百円とか千円とか十万くらいまではなんとか計算できる、私の場合はもともとそんな金を使ったことがないから百万くらいになると勘定できなくなる

人間とは自然から比べるとこうして失敗する時自然は人間にとって計りえないものだからである、むしろ自然から神から計られているのが人間である
神の目から見たときなぜあんなに危険な場所に家を集中させるのだとみる
でもそんなことを考慮しない、自然はそこはもともと海だったとなれば海にする
もともと川だったとすれば川にするのである
それは人間を越えた大きな力でそうする、人間にはそれに備えても備えきれないのであるだから危険な場所には住まないということが自然災害から逃れる最大の安全策だとなってしまう、でも現実は人間はそういう危険を無視して住んでいて災害にあうのである
それは結局人間の責任であり自然の責任、神の責任ではないともなる
人間は自然の大きな力はわからないにしても危険な場所はわかっているからである
それはハザードマップで指定されているからだ、それがすべてわかっていないにしろほぼ低地は洪水の被害になるのである

ともかく相馬市になると津波の大被害があり次は川の氾濫がありとなんでこんなに被害があるのか?痛めつけられるのかわからないともなる
宇多川の岸辺で話していたのは数日前だったのである
そこは放射線でも鹿島と変わりないのに補償金もらえなっかたとか話した
宇多川はあまり水が流れない、狭い川である
そこが川岸が削られて市街にまで水があふれたのも驚きである
駅の方まで水があふれたというと相当広い範囲で水があふれた
これも数日前は川を見ても水もちょろちょろ流れているだけでありこんなことになるとは思いもよらなかったとなる 

自然は日本は特に急変する、水が山にふり急変する、増水して滝のように水が流れて来る外国の大陸の川でも洪水はある、でも洪水があっても急激ではなく、水浸しになるのも徐々になるという、でも水がなかなか退かないので困るという
大陸の川と日本の川は違ってる、日本は急激な変化に何でも見舞われる
地震、津波や台風でもそうである、そして四季があるのもそうである
だからそこに常に変化があり緊張感が生まれる風土だとなっている
そして次々に災害に襲われるからまた忘れるのも早いのである

posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月15日

これほど河川氾濫で被害がおきたのか? (現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)


これほど河川氾濫で被害がおきたのか?

(現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)    

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真野川でもその流域は広い
特に河口になると広くなる
今回ソーラーパネルが水浸しになったところは川だったとなる



長野盆地を南北に流れるこの川の流域には扇状地が多く、それらは古代・中世から開発されていて、流水量の多い河川の扇状地ほど水田率が高く、生産力も高いそうです

盛んにテレビで川は今川が流れている所が川ではないと言っていた
川は土手にさえぎられたその中川が川ではない
川は土手からさらに広い場所が川だったところなのである
だから驚いたのは新幹線の車両基地が千曲川から二キロも離れていたのに水につかった
そんなに広く水につかったのかという驚きである
だからJRで二キロも川から離れているから安全だと思っていた
車両を避難させなかったのである

川はもう見えない、遠いから考慮すらしなかったともなる
そこに人間の視野の狭さが常に生まれる
それは前に書いたけど何でも空間軸と時間軸で物事は起きる
人間のその空間軸でも狭い所しか見えないのである、見ていないのである
第一川自体が長い、すると川の全容を知る人はいないとなる
地図でたどれば長いとなるが高低とかはわからない
今回は平野部の平地で堤防が決壊したのである

川という時、今川が流れている所が川ではない、その幅が広いのである
その広い領域が川なのである、だから流域というときもその範囲は広いのである
要するに人間の弱点は特に現代でもトータルに広範囲に見ないのである
それはなんでもそうである、広い視野で見ないし見れないのである
ある一部分だけを見ている、長い川全体をその流域まで広くみる人はいないのである
それは何でもそうである、ある一部分だけを見て全体が見えないのである
その部分的思考から大きな間違いを犯しているのである

そして全体を人間は見ることはできない、地球全体など見れる人がいないのである
でも地球全体が相互に関係しているのである
それで郷土史というとき実は広い範囲を総合的に見る学問である
一見郷土というと狭い範囲に見える、しかしその郷土でも相馬藩でも広い地域なのであるなぜならそこを地質学から地理から様々な分野から見るととても知り得ないものになるからだ

おそらく日本人の弱点は日本の地理から風土からも来ているのかもしれない
山が多いから遠くを見る視野がさえぎられる、山の向こう側はみえなくなってしまう
すると川があって山々がありそこに相当な雨がふった
でも山の向こう側になると見えないから意識しにくくなるのである
この辺だと阿武隈高原があり中通りがあるから浜通りだとその阿武隈高原にさえぎられて中通りとか意識しにくいのである
空間的に認識しにくいのである、むしろ仙台方面は平地だから意識しやすいとなる
日本人が俯瞰的に全体を見れないのは常に山にさえぎられているからである

そして山々に急激に今回のように雨がふりそそぎ川が急に増水してそれが早いから対応できないのである
そして千曲川とは千も曲がる川となっている
そこで川幅が急に狭くなる部分がありそこも水があふれたのである
川は川幅が広く真っすぐだと流れやすいから洪水になりにくいのである
私の近くの真野川は河川改修して川幅を広くしてまっすぐにしたから洪水になっていない30年以上なっていない、でも今回はかなり危険水域まで水が増えたのである
それで夜に避難した人がいた

最近ハザードマップは良くできている、川岸の低い土地は洪水になりやすいとして指定されていた、つまり低い場所に水が流れてたまる
私の家も二度水害で苦しんだのは街で一番低い場所に家があったからである
今回烏崎のソーラーパネルが水浸しになったのもそこが鹿島区では一番低い場所だったのである
だから大内村の人たちが開拓して袋村を作ったが廃村になった
そこにソーラーパネルが作られて水浸しになったのである
だからそこがもともとどういう土地なのか知るべきなのである
ただソーラーパネルとなるとなかなか日本では土地がないから
そうして悪い土地に作るとなる、津波被害放置された土地であり広いからソーラーパネルにした事情がある
でもそこは危険な場所でもあったとなる

とにかく日本では自然災害が起きるたびに必ずどこかに穴がありそれを災害の後に言うことになる、それだけ日本の自然は複雑でありそれに備えることが容易でない土地柄なのである
だから空間軸でも時間軸でも全体的にも把握できないのが日本なのである
そして最近は千年に一度の自然災害が起きているというときもそうである
自然災害が起きやすくなっている、でもそれに備えるのがむずかしい
ただ最ハザードマップは良くできている、低い土地がありそこは洪水の起きやすい場所なのである、丸森町でもそうだった
そういう低い場所に安易に家を立てすぎたのが日本だったのである

自分の家が街で一番低い場所にあるのはもともとの農家でもない、土地もない、商売のために土地を買ったがそれが悪い土地でも買わざるを得なかったからである
だから土地のあ悪い場所に住んでいる人はもともとから長く代々住んでいる人ではないとなる
それはどこでもそうである、戦後戦争の引揚者が開墾した土地もそうである
相馬藩では天明の飢饉の時、越中などの人が入ってきた土地もいい土地ではなかったのである
もともと住んでいる人の土地はいい土地である、前田とかつく地名はいい土地である
そこが村の中心になりやすいいい場所なのである

いづれにしろまず自分の住んでいる場所を知らないとこうしていつも災害にあって難儀する、死んだりもするから怖い、そういう危機感を日本では他の国より持たないと命の危険になる、でも戦後とかみだりに無防備に土地が使われた
家が建ちすぎたのである、それで仙台の若林区で津浪の被害が大きかったが
そこに津波が来ると学者が言った時、不動産会社が土地の値段が下がるとそんなことを言うなと言っていたのである
日本ではそれだけ土地がない、安全な土地に欠けていることは確かである   




犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化

市川 健夫. 信州学ライブラリー@ 犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化  Kindle 版. 

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新幹線の車両基地まで2キロありその前に家が密集して千曲川は全く見えない
するとそこまで千曲川があふれて水が来るとはおもいもよらなかったとなる
でも川というものがとをいものか、歴史を調べればそうではなかった
もともと千曲川は「氾濫原」があるように度々氾濫する川でありその範囲も広くなっていたのである
だから今密集して住んでいる所には人は住んでいなかったのである


千曲川は千曲市に入ると緩流となり、 長野盆地 に入っ た 千曲川は大きく蛇行し両岸に幅の広い自然堤防を つくるようになる。 
この自然堤防と山麓線、 もしくは扇状地・崖錐との間に後背低湿地( 氾濫原)が存在し、 肥沃な水田地帯になって いる。  

 千曲市を流れる千曲川の河川敷は五〇〇メートル内外であるが、 犀川が合流してからは 河川敷が拡大 し、小布 施 橋( 九 六 〇 メートル)あたりでは 一 キロメートルにも達する。 信濃川の河口付近でもかつて一キロメートルほどあった 河川敷は、大河津分水 ができてから 縮小 し、 現在 万代橋の長さは三〇九メートルなっている。

この自然堤防と山地と扇状地との間に、 屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった。 

千曲川は広い扇状地帯である、河川敷ももともと広かった    

屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった

このように三キロとか二キロとかあった、それで長野市の穂保の堤防が決壊して水があふれて新幹線の車両基地まで水が流れて水につかった
そこまでは2キロあった、だからそこからは川が見えない、その車両を避難させなかったのはまさかそこまで水が来ると思っていなかった
思いもよらなかったのである

新幹線車両基地から前が家が密集していて千曲川はまず見えないのである
こういうふうに視界がさえぎられると危険を感じくなるのである
津浪でも家が密集していると海が見えない、もし海を見ていると津波がおしよせてくるのが見える場合があり見えたら逃げるということもある
現実に津波が来たのを見て逃げて助かった人がいたのである、もともと家がないところに家が密集しているということで川が遠く感じたのである

そこに氾濫原というように度々千曲川は氾濫していたのである、川は今流れているのが川ではない、広い領域が川なのである
それが家がたてこんだりして錯覚するようになる、そこはもともと川だと思えくなるのである
津浪でも前に家が密集していると海が見えなくなる、すると海が遠いのかともなるのだ
ただ海を家の前で見ていても逃げない人もいたからそれはわからない

人間は文明が発達して人工化したとき自然を狭く見ている、川でもそうである、川はもともと扇状地だったから広いのである
だから最近他でも洪水の被害があったけど必ずしも温暖化とか台風が大きくなったからではない

人間は住むべきではない土地に密集して住むようになった !

これが被害を拡大している原因である、他にもあるにしてもこれが大きな原因ともなっていることは確かである

地理はわかりにくい、特に山はわかりにくい、すると川から見るとわかりやすくなる、特に長い川だと千曲川でも江戸時代とか菜の花畑が広がり菜種油とかを千曲川で江戸まで運んだとかあり交通路になっていた、それは最上川では特にそうなっていた
川から地理を見ると地理もわかりやすくなる
川を一つのものとしてたどるとわかりやすくなる、山は無数にあるからわかりにくいのである









posted by 老鶯 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害 (みんな使い物にならない、交換するほかない)


南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害

(みんな使い物にならない、交換するほかない)

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南相馬市鹿島区烏崎方面で水があふれる

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水はソーラーパネルの本体までかぶったのがある

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ここの水路は流れない堀だった
途中で流れくなくなっていた
反対側の堀は流れていた
でもここは流れないから水がたまりあふれてソーラーパネルに流れた
ただこの辺一帯は低いから水浸しになっていた
それがかなり高い所まで水浸しになっていた
だからソーラーパネル本体まで水に浸ったのもある

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youtubeで南相馬市鹿島区の烏崎方面が水浸しになっていたのを放送していた
こんなになったのかと動画を見て驚いた
真野川が河口で氾濫したのかと見た
相当な水の量に見えたからである

それで今日の朝に行ってみたら見回りの会社の人が来ていた
そしたらもう使い物にならない、全部交換するほかないという
電気は水には弱い、全部水にかぶったのかどうかわからないが明らかにソーラーパネル
の本体にも水をかぶった
それは動画をみればわかる
保険をかけているからいいとかも言っていた
それにしても大損害である
ソーラーパネルも意外と安全ではない、自然災害に弱いのである
風の影響は受けていなかったが水に弱かった
丸森の被害が大きかったがあの山の上の大ソーラーパネルはどうなったのか?

そして風力発電もとまった、風車が回っていない
電源調節の施設も水につかって機能しなくなったという
つまりソーラーパネルとか風力発電は緊急時に弱い、発電できなくなる
そもそも発電するのは電力会社でしていてそれが動いていてその補助としてソーラーパネルも風力発電もある
だから緊急時の発電に役に立たないのである
ソーラーパネルでも風力発電もいろいろ問題があることを指摘されている
まずコストがかかる、税金で上積みして電力の費用を国民が払っているからだ
だからコスト的にはかえって自然エネルギーでは損しているのである
そして緊急時には役立たないのである

ただここでなぜ真野川が決壊していないのにこんなに水があふれたのか?
それはここがこの地域では特に低い場所だったのである
それで一時大内村の人たちが開拓して袋村を作ったがその袋村はなくなった
土地が悪い場所だったのである
ここは低い土地だから津波の時にも塩崎まで津波が押し寄せたのである
右田も低い場所だったがここはもっと低い場所だったのである
今回右田の方こんなに水浸しにはなっていないだろう
第一こんなにここに水があふれることは意外だった

その堀をみるとそこは水が流れない堀だった
これも意外だった、想定外だった
なぜなら向かい側の堀はあふれていない、水が流れていたのである
水が流れない堀に集まりあふれたのである

とにかく必ず災害でぱ想定外のことが起きる、今回の台風でも各地で起きたのである

群馬で突風被害相次ぐ 太陽光パネル600枚が・・・(15/06/16)

風で吹き飛ばされるソーラーパネル被害も結構あった
今回もどこかであったのか?
ここは水の被害だった


posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

                  
南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

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南相馬市の鹿島区の海側でも大内辺りでも田んぼが水浸しになっていた
それが動画で見れた、真野川の河口からあふれたのか、工事中でもあったからか

相馬市は駅前まで水が流れていた、水浸しになっていた映像がでていた
市街まで宇多川から水があふれて流れていた
今回は相馬市街の被害が大きい 

今週末まで復旧にかかる

とにかく断水は今週末までつづく、ということは約一週間は結構長いかもしれない
ただ電気はとまらないし店も開いているししのげる

でも水がないことは困る、トイレとかが困るが自分の家は風呂の水を流していなかった
だからその水をトイレに利用する

水は食器を洗ったりとかいろいろ使うから困る
そもそも水を入れる容器がない、ボリタンクとか店ではなくなっているからだ
それでも津波原発の被害よりは楽である
だからそれほどあわてる必要はないと思った

市街にこんなに水が流れたことは驚き

これは後片付けとか大変になる、鹿島区は街中は被害がない
でも夜に真野川の水嵩が増して避難した人がいた
結構危険水域になっていたのである
ただ真野川は河川改修してから洪水はなくなっていたので安心していた

今回は夜に雨が降り増水したのでわからないことがあった、それで被害になった
夜は昼より危険になる、見えないから危険なのである 


posted by 老鶯 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月14日

断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る (和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)


断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る

(和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)

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南相馬市鹿島区生涯学習センター
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南相馬市は一台来た 和歌山県海南市が来たのには驚く
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会津からも来た

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老人ホーム

東京都稲城市

いや早い、和歌山県海南市の水道事業部から今日給水車が来ていたのには驚いた
こんなに遠くから早く来るのに驚いた
こういう点では今の時代は交通が発達しているから早い

それから会津からも来ていたし東京からも来ていた
東京は老人施設のタンクに水を供給していた

ただ給水車のタンクは小さいから一時間しかもたない!

それでまた運んでくる、次々に並べばすぐになくなる!

でも一時間でなくなってまた運ぶからなくなることはない

これはいつまでつづくのか心配だ

スーパーには物がなくなっている、水はない、でも前のように空になることはない
パンなどはなくなっている、問題はどれくらいの期間で復旧するかである
こういうとき井戸の水があれば助かる、だから緊急の時はそうしたものも絶やさないことが必要になる
posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要 (千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)


自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要

(千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)

「千曲川の源流がある山間部に大量の雨が降った。過去にも水害が起きたが、200年に一度ぐらいの規模だ」

 海に面していない長野県は年間の降水量は全国的に見て少なく、内陸の盆地は特に雨が少ないことで知られる。静岡大防災総合センターの牛山素行教授は「普段は雨が少ない地域で豪雨が降ると、絶対量は少なくても、災害発生のリスクは高まる」と指摘する。

自然災害はまず地形とか長い間の機関で見ないとわからない、ここに洪水がなかった
ここでは雨が少ない、だから洪水はない

それは津波でも起きたことだったのである、今回の大津波は石巻から福島県の海岸地域では400年の間津波が来なかったのである
そうするとここは津波が来ないと確信までになり老人でも逃げないで多数死んだ
つまり老人はいくら100年生きていても200年単位になるともう記憶もなにもなくなるからだ
そういう長期的視野で見るのが人間は苦手である
時間軸になると歴史となるとわかりにくいのはそのためなのである
せいぜい祖父母の代まではリアルに意識する

まず明治があり大正があり昭和がある、でもさらに平成があり令和になる
もうこうなってくるとわからなくなる場合がある
平成と昭和の相違は何なのとかなる、その順序までわからなくなる
江戸時代では年号を見てもそうして順序を逆にして見る
そこでどういう時代なのかわからなくなるからだ
でも祖父母の代まではこの順序を間違えることはないのである

津浪でも地形が本当に影響した、すぐ前は海なのに前に丘があったところは津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいる、それは丘で津波がさえぎられたからである
津浪に効果的なのは津波の勢いをそぐ台地があることだったのである
何もないところは奥まで津波の勢いがとまらず被害が大きくなったのである

人間の弱点は長期的視野で見れない!

住んでいる地理的空間認識ができない!

これが人間の弱点だったのである、時間軸と空間軸に人間が生きるとしても意外と自分の住んでいる場所の地理的空間的認識ができないのである
千曲川でも上流地点の山で降ったというときもそうである
長野県となると山が多い、するとまたそういう広い空間認識に欠ける
それから長年の経験で雨が少ないというとき洪水はないという確信までになる
それは津波が来ないということと同じなのである
自然は長期的に見ると変化する、今来ている台風も昔の台風とは違っている
そして200年単位で変化することに人間は対応できないのである

だから地理的空間認識と時間軸の認識を高めることが常時必要になる
まず日本の地理は地形は複雑なのである、この地理を地図を見てもわからない
土地の高低とか高さとか広範囲な地理の認識はできない
そこがまた弱点なのである、人間は鳥の目を鳥瞰図を持ちえないのである
生活している範囲も狭い、だから今回でも千曲川の上流地点の山々を意識することはむずかしい、それが弱点となって常に災害に弱いのである

そもそもその土地の地形とか地理は長い間の変化で作られている
地質学となると千万年とかも単位となる
それを知ることは容易でなくなる、でもそこまでさかのぼらないと地理とか地形とかはわからないのである、そこに何が起きるかはそうした地理とか地形とか地勢を見なければならないからである

私は日本中を旅したからそういう地理とか地形とか地勢に興味をもった、ただ科学的にはわからない、でも人間の認識の基本は空間軸の地理と時間軸の歴史である
それがこの世界を自然でも認識する軸になる
それは政治とか様々な事象でも基本になるのである、学問でもそうである
地理を知らなければ基本的に世界を知ることは不可能なのである
政治的なことでも朝鮮半島が朝鮮半島として古代からあり統一しにくいのは大陸からの影響でそうなる、そして日本からの影響でもそうなる、挟まれてそうなっている
つまり地理とか地形とか地勢は人間の宿命でありカルマなのである
だからそのカルマを知るべきなのである

人間個々人の運命すらカルマがかかわっていることを考察してきた
そこに何かしらの因果あり苦しみとなって現れるのである
そのカルマから人は逃れることができない、必ず苦しみとなって現象化するのともにているのである
ただカルマというのは何か悪いことしたからと言ってすぐにその結果は現れないのである若い時の若気の至りは老人になっていから悔いることになり苦しみとなって必ず現れる
カルマとは何か因果を作ることだからである
それが苦しみとなって現象化するのがカルマなのである

原発などもすでに40年前とかに戦後まもなくとか正力松太郎によってアメリカから導入されたとき因果を作っていたのである
その時すでに原発事故の因果を作って現象化して苦しみとなったのである
何かそうした因果は自然の場合は長期的視野でみないとわからない
百年でもたりないしかし二百年になるともう祖父母の代でもないからリアルにイメージできなくなる、そして大災害が津波のように起こるのである
でも人間は千年単位となるともう時間軸で見れなくなる
それが弱点となりまた災害に合うカルマから逃れられないのである

いづれにしろ科学とか学問は空間軸と時間軸での考察を深めて警告することだともなる
それは津波でもできた、一応相馬藩政記は相馬藩ではありそれは記録として重宝されている、殿様が代替わりしていないからである、そこで一貫した記録として残った
そして「生波(いくなみ)=津浪で700人溺死と記されていた
でもそれは津波になってから発見された、もしその前にこのことを指摘する人がいたら
学者として社会にいかに貢献したかとなる
それから東電でも10数メートルの津波が来ると警告していた
これは信用されるものだったのである、この二つのことがこの辺で広く知らされて注意を喚起していたら逃げて助かった人がかなりいたとなる
それが知らされなかったことが大きな問題だったからである


posted by 老鶯 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本がラグビ−でスコットランドに勝利 (ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)


日本がラグビ−でスコットランドに勝利

(ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)



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スコットランドの花はあざみ


8世紀、スコットランドはバイキングからの侵略を受けました。
スコットランド軍を攻撃しようと、闇に紛れて上陸した兵士たち。
けれど、足音を消す為に裸足になっていたため、棘のあるアザミを踏んだ兵士が、
あまりの痛さに大声をあげてしまいました。
スコットランド軍は敵に気づき、それをきっかけに大勝利しました。
この伝説にちなんで、アザミは国を救った花として、
スコットランドの国花となり国民に愛されています。

あざみが国を守ったという伝説からそれがスコットランドの国家になった
イングランドはバラの花である、薔薇というヨ−ロッパの聖堂に薔薇窓があり薔薇に対して思い入れが強い、薔薇は匂いがあることでもヨ−ロッパ人には好かれる

「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」
また、「いばら(茨)」は「うばら」「うまら」「むばら」とも読んだようで「うばらき」説もある。

これともにている、それでこの辺で薔薇坂とかありそれは飯館村へ上る八木沢峠の下にある
そこで不思議だったのはそこの農家が牛を飼っていた、でも原発事故で廃屋となった
田んぼだったところに入ると茨でありそれにひっかかって痛かった
それは野薔薇のツルの棘だったのである
茨城とはそういう意味があり名前になった
これはスコットランドを守った薊(あざみ)とは正反対である
ただその経験からそういうことがあったということを実感した
そこにカモシカが出てきたことにも驚いた
そういうふうに人が住まなくなるとイノシシとか猿とかカモシカであれ原初の自然の状態にもどる、だからその光景もこの辺では海の方でも津浪で湿地帯に帰り不思議だった
一時北海道の湿地帯になったのである

今回スコットランドと日本がラグビーで戦い日本が勝った、その戦いはぎりぎりだった
白熱した戦いだった
ラクビーは肉弾戦である、だからフイゼカルで勝ったとか肉体で勝ったとか常に言うのである、本当に強靭な肉体のぶつかりあいなのである

ただスポーツというとき日本でも武道がそうであるように歴史があり文化なのである
私はそういう文化的なものに外国でも興味をもっている
ただロンドンには行ったがスコットランドには行かなかったのが残念だった
そしてラグビーが圧倒的にイギリスが強い、それも必ずスコットランドでもアイルランドでもウェールズでもイングランドでも四つの州から出ている
それでイギリスはunited kingdomなのである
スコットランドとイングランドは熾烈に戦ってきた、だからイングランドと戦うときはラグビーでも熱くなる、それはアイルランドでもイングランドと争ってきたから熱くなる

イギリスという国に興味をもつのは七つの海を支配した歴史があり英語をみんな習っているし英語が一番世界で通用するからである
英語を習えばやはりイギリスに興味をもつからイギリスは過去の栄光を英語に残しているともなる
英詩なんかもわからないなりに詩を作っているから私は読んでいる
                                                               
我は彼らが父祖の国
我が内に力ぞ宿る
我が子らを連れて帰らむ
月日充ちなば

彼らが頭上、新たに買いし
古き立木の枝の間に
我は秘呪を織りなして
彼らが膝に惹きよせむ

(キップリング)

キップリングの詩の訳の解説) 

この詩はなかなか深い詩である、まず祖国イギリスにアイディンティティがありその土地に根ざした詩である
でも父祖の国というときそれがイギリスでありアジアに来て主に東南アジアに侵略してそのうよに思うのはおかしいと思った
なぜなら父祖の国というときビルマ(ミュンマー)であれマレーシアであれネパールでも父祖の国はイギリスではないからだ
ただネパールでも登山してトレッキングしてそのガイドが英語をしゃべっていたのである
だから英語は一番アジアでも通じる、中国人でも英語で話すからである

ラグビー世界戦になるとこうして世界と文化的にもかかわる、ただラグビーはイギリスを中心とした競技である
そこが根本的に違っているのだ、だからこそイギリスから四つもの州から必ず出る
オリンピックだったらそんなことないからである、みんな国の代表だからである
ただオリンピックもギリシャから始まり世界に普及した、するとギリシャが関係してくるのかというと何かそれもあまり感じなくなっている、ただオリンピアという場所がありそこが発祥の地なのである
そこに訪ねたことがある、そこに競技場があったとしてもそれは本当に小さいなのである
野原の競技場なのである、野の花が咲いて小さな競技場があった

だからこそヒヤシンスの神話が生まれたりしたことがその場に立てば理解する、それこそ自然の中の祭典だったとなる
そして肉体を鍛錬した体育館の跡がある、それも石の柱の跡があり大きなものだった
そんな昔に体育館があったということが不思議に思う、石の柱が残っていてそれは大きいからである
ギリシャとなると今のオリンピックとは違っている、何かそれは詩的なものにもなっている
だから神話になり伝説になり残っている、その観客席の石の座席に座った時何ともいえぬ感懐を味わった
石の座席がとにかく本当に古いが良く残っていると思ったからである
二千年前以上の石の座席なのである、そこで二千年前に帰るのである

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オリンピアの狭い競技場

いづれにしろスポーツというときそれがただ肉体をフィジカルだけの戦いならつまらないと思う
そこに歴史と文化があり詩的なもの美的なもの文化があるというときそれは別なのである
でもオリンピックにはもうない、商業主義でありただ一秒でも早く走るとかの作られたショーなのである
だからテレビ局で主催して視聴率をあげるものでありまたは必ず企業の宣伝として選手は使われるのである
要するにスポーツも現代文明を反映したものとしてある、つまり何でも現実社会の反映だからそうなる
マヤ文明でも走る競争が行われていた
それは神に献げるものであり若い人が強い人が勝者となり神に犠牲として献げられたのである
つまり犠牲として生贄として神に献げられたのである
これも神に献じるのは年取ったものではない、若い力にあふれたものが神によみされた献げられるべきものだという思想と信仰があったからである
みんな老人が信仰にふさわしいように思っているが違う、神を知ることは聖書でも青春時代に最も力にあふれたとき知らないと知ることができないのである、だからこれは世界で共通していたとなる

スポーツでも何かこうして歴史と文化を背負っていればそれは単なるフィゼカルだけではない、肉体だけではないものになる
それでこそ人間に値するものだとなる
なぜかスコットランドは寒い国だから東北とにていると思ってそのことを前に書いた
東北も一つの国となるとスコットランドににているからだ、ただそうならなかった、でもイギリスという国がなぜ島国なのに四つに分かれて別々の歴史と文化を持ち続けているのか理解しにくいのである
とにかく日本がスコットランドにラグビーで勝ったことは歴史的なことであり記念すべきことである
ただ半分は外人部隊である、でもそれも日本の未来を暗示しているのかもしれない
多国籍軍になって世界と戦えるということになるからだ、それはアメリカの頭脳は多国籍軍だからITで世界をリードしたからである
優秀な移民だったら歓迎なのである、でも単純労働者になると別だとなる
ラグビーでは優秀な人を選別して日本軍にしたから強くなったからである 

とにかくラグビーだけはかつて七つの海を支配した大英帝国の栄光を物語るものなのである
ラグビーに強い国はかつて大英帝国の領土となったところだからである
だから四つの州がイギリスからでてそれが常に上位に来ていることでわかる、でもその一角をスコットランドを負かした、崩したのが日本だった、でもそれは半分が外国籍のものが入ってできたことだったのである  

七八輪今日もこの道秋薊

これは写生俳句である、七八輪がいつも一体となり道の辺に咲いている、ただそれだけだがそこにスコットランドのように一体感がある、写生俳句には何か物自体を示してそれで何かを語らせるからである 


blued flowers of scotland (abstract painting) 


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2019年10月13日

南相馬市水道断水のパニック (水がどこにもなかった―ボリタンクなどもなくなっていた)


南相馬市断水のパニック

(水がどこにもなかった―ボリタンクなどもなくなっていた)

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真野川の岸辺の土手の桜の木が倒れていた、何かこれも古くなっていたんでいた木だった


相馬地方広域水道企業団によると、台風19号により真野ダムからの導水管の破損・流失と水源地の水没が生じ、鹿島区内全域が断水となっています。
復旧の見込みは未定とのことです。

今後、給水車による給水を予定しているそうですので、詳細が分かり次第お知らせします
台風19号による新田川の氾濫の影響で、原町区の水道の水源地が水没したことから、一部区域で断水が生じています。

水道が断水になるというので水を買いにいったがどこにもなかった
水をためるタンクもなかった
水は今水道の水が出ているからそれをためればいいがそのためるものがない
これは備えていないから弱点だった
給水車とかきて水を配る時それをためるタンクなどがないと困る
それが売れ切れでないからだ

津浪のときは自分の地区には電気もきていたし水道もとまらなかった
でも一週間以上すぎて米がなくなったので古米が配給されたとき助かった
そして二週間目で隣の相馬市で買い物できた
ただそのときガソリンがなくなり車は利用するのは大変だった
自転車では行けたのである、つまりこういうとき自転車とか役立つ
ただ電動自転車だと電気がとまるとこまるし荷台がないのだとも困る

電動自転車も電気に頼っているからそうなる
人力の自転車が緊急時には役にたつのである
なにもなくなっても水道がとめられても裏山の清水があればまた木があってそれを燃料にして米をたいてしのいだ三陸地方の人もいた
道路は完全に寸断されたからだ

今回はこの辺では道路は寸断されていないから物は入ってくる
ただ水はなくなっていた、でも注文はしたという、でもこれもみんな買うからなくなるのである
コンビニは閉店していた、こういうときいくら金があっても役に立たない
水がない、水をくださいと言ってもないからだ
近くの知っている人は井戸水をもらえるとか言っていた
こういうとき井戸水でも役にたつ、だから都会でも今は井戸水を使わないから緊急の時困る、江戸でも井戸水を利用していれば水がなくなることはないからだ

とにかくこういうときパニックになる、買いだめする、それが問題なのである
一斉に買いだめすれば物がなくなる、それでパニックになる
ジュース類が売っていてもそれが水の代わりにはならないのである
だから水が大事だと思った、電気はとまらないから使える
でも水がなかったら米を洗ったり料理するにも困るのである
水は生活の基本なのである、だからこの辺で水と空気が放射性物質で汚染されたとき住めなくなったのである                                           

人間は普通は水のありがたさを感じないのである、それは日本だとふんだんにある、ありすぎて台風とかで洪水になるとか水の貴重さを感じないのである
今回は水道の施設の一部が破壊されたとかありそれで水道が断水になる
ただ今は出でいるからこれをためることができる、でもためるタンクはも売っていない
みんな一斉に買うからなくなってしまったのである
だから緊急用水をためるボリタンクでもなんでも用意しておく必要がある
これも今回の教訓だった 

この断水がどのくらいつづくのか?

それが問題である、それがわからない、原町の方は復旧が早いとある
でも何日かかるのかわからない、これも困ったことである
どれだけ備えていいかわからないからである
ただ道路は遮断されていないから物は入ってくる、でもパンがなくなったりしている
水が入ってきてもすぐに売れ切れる

ただ助かったのはツルハが二つあるが一つは無料で水を提供している
一軒は断水していた、一軒はしていない
それからシシドスーパーでは50円で二リットルくらいの水が買っていたがこれも止まっていなかった、ただ断水したらどうなるのか?それが不安なのである
あまり買いだめしても失敗する
二三日ならいいが一週間とか伸びたら困る、給水車がきてもタンクがなくてためることができないのである

何か災害でぱ必ず思わぬことが起こりパニックになるのである
備えていても備えきれないのである
ただ今回は道路が遮断されていないから車ある人は遠くに行って買い物もできる
それが前とは違っている、でも電車は今日は全休だった
そうなると車がないと遠くには行けなくなる、水とかは重いから遠くに行って買っても買えないのも困る
ガソリンは供給できるから車がある人はそんなに心配ないかもしれない
でもずいぶん買い占めたのである



・トイレの水が流せない
・お風呂に入れない
・顔を洗えない、化粧を落とせない
・歯を磨くことができない
・トイレや片づけ後に手を洗えない
・洗濯ができない
・料理ができない

飲み水は、家族がストックしていたペットボトルの水をもらって大事に大事にちびちびと。

コンビニやスーパーのほとんどは閉まったままだし、開いているお店も、水はもちろん、弁当・パン類、ジュース、お菓子類まで棚はすっからかん。自動販売機もどこも売り切れマークです。

近くの小学校に給水車が来ているよ!と聞いて行ってみても、大行列ができていて途中で給水ストップとなってしまいました。

途方に暮れていたら、知人らより「湧水をくみにいくけれど、いる?」「うちは井戸水の出よるけん、届けるばい」との連絡が。

熊本地震でこうなったのもわかる、これと同じようなことが起きている
水道の断水の影響は大きい、熊本地震よりここはいいとしても早く復旧しないと
苦しくなる、これもまたはじめての経験だった
津浪のときは電気はとまらないし水道もとまらなかったからだ
水道がとまることを経験していなかったからだ


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台風19号の南相馬市の真野川の増水写真 (コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)


台風19号の南相馬市の真野川の増水写真

(コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)

真野川の増水
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夜は危険な水位になっていた
やはりこういうときは夜も警戒する必要があった
二階で寝ていたら下が雨漏りで水浸しになり風がふきこんで物が散乱していた
これも失敗だった、下に寝ていたらかたづけたからである
河川改修前だったら洪水になっていたかもしれない
だから意外と水が急速に増水していたのである


丸森町の阿武隈川は氾濫した

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結構水出ていた、最高位は危険な状態にもなった
朝は退いていたからだ
山の方が相当に降った

ただ最近なぜ増水するのか、洪水になりやすいのか?
これはわからないにしても支流がコンクリートの堀になっているから急速に本流に水が集まるのかもしれない
これは河川を研究している人が言っているかもしれない
コンクリートの堀は急速に水が集まり流れやすいそれが本流に集まる
何かこの辺も洪水になり安くなっているかもしれない
あらゆるところがコンクリートの堀になっている
もし前のように土の小川のようになっていれば田んぼの方に水があふれたりしてして
そこが貯水池になったりする、すると本流にはそんなに水が集まらないとなる
ただこれは素人の見方であるから本当のことはわからない
これを研究している学者はいるだろう 

側溝や排水路は、上流で発生した大雨で一瞬にして牙をむきます。上流の水が水路に集中していっきに流れ下ってきます。それがコンクリートで覆われている人工の水路の怖さです。

これは子供などがこういう急激な増水で流されやすい、死んだりする
良くニュースでも大人でも老人でも流されて死んだりしている

田んぼダム

周辺の土地が森林から宅地に開発されたりして、地面に雨がしみ込みにくくなると、降った雨のほとんどが短時間に川に集中することになり、洪水が起こりやすくなることがわかっています。


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新潟県は湿地帯であり潟にできた県、新潟はその名の通りだった

豪雨水害ー水はこうしてあふれる(NHK)


これは新潟県の土地の高低の図である、新潟県は潟(かた)の県だったのである
低い土地が多いことでわかる、つまり潟を開拓して田んぼにした県だとなる
その土地の由来が今も同じなのである、土地自体は変わらないからである
ただ森に水の貯水機能がありとか田んぼにありとか何かそうした機能が失われると増水しやすくなる
河川改修で洪水が起こりにくくなってもそうしてまた別なことでかえって便利にした結果自然を改造するとまたそれが自然災害になる

真野川は二回目の水害の被害があってから河川改修した、それから30年以上はたっている
それで自分の家は街で一番低い場所にあるから二回も床上浸水にあった
今回は原町の方で新田川があふれて浸水したという
あそこも街と川岸の高低差が大きいのである
川の側でいいように見えても悪い場所だった
川岸は相当に低い場所になっているからだ
だからあそこに家を建てることは危険だった
そうなるとあのような土地は土地の値段が安くなっていもいいとなる

川というのは川幅とか曲がりが関係して洪水になる
川幅が広くまっすぐだと水が流れやすくなるからだ
また曲がると水が勢いよくぶつかり圧力で決壊しやすくなるかもしれない

本流から支流へ逆流して洪水になる

ともかく日本は災害の国である、だから災害がどこで起きるかわからない
それで日頃から災害について備えしたり知らねばならなかったのである
この辺は津浪の被害で思い知らされたのである
でも今回は8000人死ぬとかニュースでインタ−ネットで報道していたようにはならなかった、確かに数十人(30名内)くらいは死者がでるかもしれない
でも8000人はありえなかったのである

そういう報道するのも無責任だった、何か報道するメデアはマスコミでも無責任なのである
なぜならその報道したことについて賠償請求とか責任が追及されないからである
他だと建物たてる人などは実際に賠償請求されるから簡単にそんなこと言えないのである責任がないと真剣にもならないかち適当にフェクニュースでもマスコミは流すし今はインタ−ネットでも個人でも流すのである
第一8000人死ぬとか簡単に言えないのである
被害があるとしてもそういうことはフェクニュースになるのである
ただ現実に思った以上に雨がふったことは確かである

この辺では阿武隈川が丸森町であふれた、原町の新田川でもあふれて浸水したらしい
だから意外に身近なの所で被害があったことは確かである

南相馬市でも死者

福島県南相馬市によると、13日午前0時40分頃、同市小高区の県道交差点で、台風への対応を終えて車で帰宅していた市職員の男性(25)から「車が道路の冠水地帯に水没した。車からは脱出した」と職場に電話があった。しかし、男性は帰宅せず、県警南相馬署や消防などで捜索したところ、同日午前5時35分頃、付近で男性とみられる遺体が見つかった。同署で身元確認を進めている。

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2019年10月12日

人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない (文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)


人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない

(文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)

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家がなんでこんなに密集しているのか?
何か不自然だ、こんなに家が密集していいのか?

そういうふうにここを通った時感じた、それは人間の直感力だった
それは人間だったら誰でももっているものだったのだろう
そこの津波の被害が一番大きかった、死んだ人も石巻では一番多かった
ただそこに住んでいる人自体がそうした危険とかの直感力がなくなっていたのだと思う
三陸では津波が明治にあって一万人死んだとかあるが
ここではやはりなかったからである


千葉県がなぜ台風に連続して襲われ被害があるのか?
それは地形をみると太平洋に半島のように突き出していて風が強く当たる感じになる
だから館山に来たとき風が強かった
それは一回だけ行っても記憶に残っている
館山だとさらに半島の突端だからである

そして意外と東京は湾が深く入っていて津波でも弱められるから大きな津浪の被害が過去にもなかったようである
津浪が危険がなのは湾とかがなく直接海に面した所なのである
そこは前にさえぎるものがないから危険だったのである

地の利というのはどこでもある、だから私は旅をして地理に興味をもったのである
災害でも歴史でも地理から離れて人間は考えられないからである
ただ地理とか風土は本当にわかりにくい、地図を見ただけでもわからない
土地の高低とかいろいろ複雑に構成されているからわからないのである

原発でもなぜ福島原発でも最初にすでに地震で配管などが壊れて原子炉も傷ついたとか言われる、つまり地震ですでに破壊されて次に津波で致命的結果となったのである
そういう日本の風土に合わないものをなぜ作ったのか?
それが一番の問題だったのである
ただ東京湾は津波に強いから原発は東京に作るべきだったのは本当である
これだったら東京の人は反対しても国民は納得した
つまり東京に作るくらいだから安全だとなるからだ
安全対策は万全だと見るからだ、福島は離れているから東京の人は事故になっても影響がないとなるからだ

人間は日本の歴史が長いとしても依然としてどこが危険なのかその地元に住んでいる人がわからないのである
南相馬市の鹿島区の海老村の崖の上の高台は直接海に面しているのにそこが避難所に指定されていて30人くらい死んだ
これも全く津波のことがわからないからそうなっていたのである
なぜなら海老だったら別にちょっと50メートルでも歩けば助かる地域だったからであるそれも車の渋滞などもない、村なのだからない、それなのにわざわざ一番危険地帯が避難所とされてそこに逃げて死んだのである
津浪に関してはこの辺では何も知らないからそうなったのである
400年前に津波で被害があってもそんなこと学者すら知らなかったのである
だからこの辺は津波が来ないと確信して老人でも多数死んだのである

今回の台風では高潮のことが言われる、海老村でも八沢浦の方で津波の前に高潮の被害があった、海岸では高潮の被害が常に起きている、それで磯部では400年以上前にその土地の支配者が館を移していたのである
それは慶長津波の前だった、人間はこのように危険な場所には住まないのがいい
でも日本は狭い土地だから危険な場所に海で山でも住んでいる
海側の場合は魚をとるから港が海岸にあった方がいいとなり明治の三陸の津波で一万人死んでも海の近くに住んでいたのである
そういう危険な所に住み続けていてまた津波で大きな被害になったのである

とにかく日本は災害の国である、災害から逃れられないのである
地震、津波、台風、・・・から逃れられない、最近では家は地震で壊れないように作られている、でもかえって今度は台風に弱いとかなっていた
でも河川改修しているから洪水は起こりにくくなっている
私の家は二回水害に見舞われたからである
河川改修してから起きていないのである

日本人が自分の住んでいる場所のことがわからない、地理のことがわからない
一番今になって感じたことは石巻の海岸の所で日和山の下の所に家が密集していたのである
そこが津波で根こそぎ破壊されたことはショックだった
そこを通った時なぜこんなに家が密集しているのかと見た
何か直観的に危険なものを感じた
でも津波のことなどそこでも考えることもイメージすることもなかったのである
その土地からイメージする力が弱まっているのかもしれない
肝心の自分の住んでいる土地のことがわからなくなっているからだ
それはメデアの影響もある、なんでも危険でもメデアが知らされてくれると思うようになったからである
自分の住んでいる場所すら何か無頓着になっている 

その点縄文人の方が自然に対して直観的に敏感であり備えていたかもしれない
つまり科学が発達しなくても自然と密着して暮らしていたから敏感になる
現代文明人はあらゆることを科学とか技術とかメデアの情報に頼る
すると自分自身の住んでいる場所もそういうものに頼る
そして直感力が働かなくなったのである
大阪の方で東日本震災で地震があったとき震度いくらとかメデアでマスコミで報道した
でも実際はそれ以上に大きく感じたからその人間の直感力の方が正しかったのである

直感力が欠けた現代文明人に危険がある

海老村でも崖の上の危険な場所に行ったのは自治体で指定されたからである
それも危険だったのである、むしろ瞬間的に直感力が働けば助かったとなる
海に面している所を危険だという直感力が欠如していたのである
だから第六感とかいうのも大事になる
瞬時に判断しなければならないから直感力に頼ることが安全に通じる
それは動物の本能と同じである、動物は危険を本能的に察して逃げるからである
人間にもそういうものが備わっているのだけどそれがあまりにも科学技術とかが発達して機械に頼り道具に頼りまた今度は政治的には自治体とかに頼りすぎた結果だともなる

自治体の判断に頼り専門家に頼り機械に頼りメデアにマスコミに頼り・・・

結局すべて他人まかせであり自分自身で何でも判断できなくなってしまっている
そこに自分の住んでいる場所でも知らないから判断できないとなった
とにかく日本は自然災害が多い国である、だからその備えをするべきなのだが文明化するとかえってできなくなる、そして停電でわかるように電気に頼っていると電気が止まるとなにもできなくなる、米もたけなくなるのである
それで三陸とかで津波被害にあった所では裏山の清水を飲み米を木を切って燃やしてしのいで助かったのである、交通路が遮断されたからそうして生き残ったとなる
それがもう東京とか大都会ではできないから大惨事になる
文明というのはかえって自然災害に脆弱化していたのである

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2019年10月11日

台風19号の予想は大げさになっている? (過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)


台風19号の予想は大げさになっている?

(過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)

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過去最強クラスの台風19号は、12日、非常に強い勢力を維持したまま、関東や東海に上陸する恐れが高まっている。気象庁は、11日午前、緊急会見し、1200人以上の死者・行方不明者を出した台風に匹敵する被害が出る恐れがあるとして、極めて強い危機感を示した

1958年(狩野川)9月に、狩野川台風(22号)が来襲した。
1959年(宮古島|伊勢湾)9月に、宮古島台風(14号)、伊勢湾台風(15号)が相次いで来襲した。

1986年(昭和61年)8月5日から6日にかけて、台風10号から変わった温帯低気圧が房総半島を通過した。低気圧の動きがゆっくりだったことから、湿った空気が長時間にわたって流れ込み続け、茨城県、栃木県、福島県、宮城県を中心に2日間の降水量が所によって400mmを超える記録的な大雨となり、各地で河川の氾濫が相次いだ。

台風で自分の家はにかい床上まで浸水した、伊勢湾台風の時は家が平屋でトタン屋根であり流されるところだった
角に電柱がありそこに流れた木材がぶつかりとまりかろうじて家が残ったのである
私の家は街中で一番低い場所にあり水がたまる場所だったのである

1986年の台風なのか?その時は裏の堤防が決壊して床上になった
伊勢湾台風の時はもう家が流される寸前だったがその時は床上浸水でも川下の堤防が切れた水があふれたのであり上流から流れることはなかった
伊勢湾台風の時は上流の堤防が切れたので道路を滝のように水が流れてきたからひどかった
ただ同級生が言うには伊勢湾台風ではなくその一年前の狩野川台風だったともいう
何か過去はこうしてそんなに前でなくても順序もわからなくなる

古老として武田邦彦氏が台風のことを語っていた
その当時はとにかく家はヤハであり掘っ建て小屋のようなもので頑丈でなかったことは言える、だから風にも弱かった
私の家はトタン屋根であり常に雨漏りしていた家で雨が降ると洗面器だらけになっていたその経験から二階建ての頑丈な家を建てたのである
そしてその時自転車が水害で壊れてあったのを見たとき泣いた
その時から自分は自転車に思い入れがあり好きだったともなる
ただその時の自転車はいいものではなかった、大人用であり子供用の自転車はなかった

日本は地震とか台風被害があり今回のような津波もある、災害の国なのである
そういうカルマを持っている国なのである
ただ今回の台風情報では武田邦彦氏は大げさだとも言っている
つまり家はそういう時代からすると格段に改良されて頑丈になっているからである

そして河川改修も大規模に全国的にしている、この前広島だったか川が氾濫したのは河川改修をしていなかったからだった
二回川が氾濫しただその後大規模な河川改修をした結果その後大きな水害はなくなったのである、だから台風には備えることができているとはなる

それでなぜこんな大げさな警告を気象庁で出しているのか?
それは気象庁を危険を警告するから大事なものだということを知らせるためだとしているそこに税金を使わせるためだとしている
それも一理あるのか?何かなんでも今は金で動くからである
ただどうなるかはきてみなければわからないがそれなりの備えが家でも今できているから大きな被害になるとは思えないのである
それは実際はわからないにしても何か大げさになっているような気がする

しかし一方で津波に関しては無警戒だったとなる
それは400年に一回とかなるともう忘れているからだ
日本人がなぜ忘れやすいのか?
それは次々に台風でも地震でもくるし季節の変化も激しい
それをいちいち気にしてもいられない、それで忘れてしまうのである
台風一過台風一禍)の青空になる
もう400年前の津波となると記録すらなく全く忘れてしまったのである
そこでこの辺では津波は来ないという確信にまでなっていたのである
それで老人は逃げずに多数死んだのである

ただ台風に関してはしょっちゅう来ているから備えることもできる
過去の台風でもまだ記憶にある、経験した人が多いのである
ただ狩野川台風とか伊勢湾台風は相当前だからわからなくなる
5000人くらい死んだとなるとその規模が違っていた
ただその後はそうした大きな死者の出る台風被害はないのである
そこが台風に備えができたということになる
ただ東京のような所に来たとき予測し得ないことが起きる
台風に弱いところがでてきて被害になるかもしれない、でもいくら風が強くてもトタン屋根の家とかはないのだから掘っ建て子屋のようなものは今はない
すると風で飛ばされる飛ばされることはないだろう
一部はあるにしても全体的にはない、それで千葉では屋根の瓦があれだけ飛ばされたからそういう被害があるのかもしれない。

ただ気象庁の警告は大げさに感じたというのはわかる
ただもしそういうふうに警告しないと被害が大きくなると責められるから大き目に警告しているのかもしれない、それは津波で経験しているからである
最初に3メートルの津波だと言っていたのに次にすぐに10メートルの津波だというときもうその大きな津波が街を襲っていたのである
最初から10メートルと言っていれば驚いた早く逃げた人がいたかもしれないからだ

とにかく千人も死ぬとかの台風は狩野川台風とか伊勢湾台風以来起きていない
そのときは日本が相当に貧乏な時であり家自体が掘っ建て小屋のようなものが多かったからである、そして江戸時代のように火事が多い時は長屋住まいであり物を家にはない
だかち身一つで逃げることが備えだったのである
だからこれもその当時の災害に対する備えだったのである
津波などでももう何ももっていいけない、身一つで逃げるほかなかったのである
そして身一つ逃げて助かったと避難所に来た人がいた
命が助かって良かったとしている、これもショックだが津波も防ぎようがないものだったのである
家に今はいろんなものがあるとそれに執着するから早く逃げられないすると死んでしまうとなる

まず日本は災害の国だったことを本当に津波で自覚させられた
ただ津波は400年に一回に巨大なものが来るとして備えることができなかったのである台風はしょちゅうきているから備えることができるししてきた
その予測でもそれほどはずれないのである
でも狩野川台風並が来て死者が千人以上出るようなことはない
でも警戒することにはこしたことがないとはなる
でもあまりにも警戒過ぎるのも問題という指摘はやはり当たっていると思う 

台風被害があっても狩野川台風並みであり死者が千人出るのかとなると恐怖になるからだそういう報道の仕方に科学者の立場から批判するのはわかる
武田邦彦氏の強みは科学者であることなのだ
テレビ放送局は科学の専門家がいないのである
ただyoutubeとなるとすぐに緊急の時放送てきないことがある
個人的には放送するにも動画だとしにくい、それで早いのはテレビだとなる
でもテキストだったらプログでもこのように放送できるのである
ただこういうときテキストとかはあまり読まない、そこにyoutubeの動画がテレビ放送になっている強みがある、だから視聴率をとるにはyoutubeだとなる

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死者8000人

こんなに危険なのか? これを見たら恐怖になる…結果は・・・・
こういう記事を警報をだしていいのか?

はずれたらどうするのか? やはり大きく見積もった方がいいからなのか?





posted by 老鶯 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月07日

明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した (江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した

(江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治というのはかえって天皇復古の時代になった、それはまず徳川幕府に変わる思想として尊王攘夷からはじまったからである
天皇中心の政(まつりごと)の復活を旗印として明治維新があり新時代があったからである
西欧化というときそういうことはありえない、でも日本の特殊な歴史でそうなった
江戸時代は天皇は飾りであり京都にいて貧乏だったのである
歌を作ってそれを売っていたとか貧乏だったのである
つまりそれほど天皇は重んじられてないなかった、でも依然として天皇は活きていた
勅使とか天皇は幕府でも一応重んじていた、だから年号もあった、年号は天皇が決めるものだからである
でも現実生活では江戸時代は地域が中心の社会であり地方では歴では村々の祭たがあり祭日が重要だった

つまり明治になると西欧列強に対して立ち向かうために強力な中央主権国家が必要になった、富国強兵が国民総意になった、その国民をまとめるために天皇が大きな役割を果たしたのである
だから何か革命としても復古であり時代が逆戻りしたともなる
そこに日本の近代化の大きな矛盾があったのである
でもそうだからこそ日本はまとまることができたとなる、日本では天皇が依然として大きな役割を果たす力をもっていたのである
それは南北朝時代に二人の天皇になり別れたとき全国隅々が二つに分裂して熾烈な争いになった、そのことでも天皇が二人になることは日本では深刻な分裂になった
天皇が国をまとめていたからそうなった、そこにまた日本の力となるものがあった
それはまた悪い面として働くものにもなった、戦争ではそういう面があった

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このように天皇中心の歴になったのが明治である、紀元節とか何か古代に返りなじみがないとなる
ただ明治というのは大きな時代を作った、だから明治となると日本の歴史でも特異な位置をしめることになった
でもその後の大正とか昭和となると明治のような評価がない、大正デカダンスとかなり退廃的なものを感じる
ただ大正は15年だとする短い、そこに何かしらの時代を見れるのかとなる

でも私の父親は明治生まれであり母は大正生まれであり姉も大正生まれである
だから大正時代に親しみをもっている
つまり人間は祖父母の時代までは具体的にその時代を知る、でも江戸時代となると年号があり時代があってもわからなくなる
それで郷土史を調べていて墓とか古い碑をみる、そこに年号を見るのだが時代を逆に見たりする、いろいろな年号があってもそれを時系列で見れないのである
そんなことは明治以降だったらありえないのである
大正が明治の先に来たりまた昭和が明治の前に見ることはありえない
でも江戸時代だと時代を時系列で見れなくなっているのだ

とにかく明治は日本の歴史では大きな重要な時代である、それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」というのが国民に知られるようになったのはそのためである
明治は日本にとって特別な時代だったのである
その後の大正とか昭和になると何かそういう感覚がなくなる
複雑なのは昭和となると戦争の時代の戦前と戦後に分かれて全然違った時代になったことである

昭和生まれでも戦後生まれと戦前生まれは全然違ったものとなっている
教育からして全然違っていた、それで戦前生まれでも小学生だったと人でも戦前の教育を受けている人は違っている
その世代の差が大きいのである、軍国主義教育でもそれを評価している人もいるからである、戦後は常に戦争は否定されてきた、でもその時代を生きた人は違っていたのである
何かその時代をいいものとして回顧もしているのである
だから戦前と戦後生まれの世代の差は大きいのである
つまり戦前生まれと戦後生まれは人間がそもそも大きく変化したのである

そして団塊の世代は貧乏時代を脱して高度成長時代を経験したのである
何度も言っているように燃料は炭であり何もない所から出発して三種の神器のテレビ、洗濯機、冷蔵庫とかをもつようになったのである
その熱狂は凄まじいものだったのである、テレビにかじりついて毎日見ていた
最初はテレビのある所に人が群れ集まったのである
まさにテレビ時代だったのである、テレビに映るというだけで驚異となっていたのである番組がなんであれそこに映像として映ることで人は魅了されたのである
だからテレビに映るだけで有名人になり選挙に当選した
芸能人がテレビに映って知られているからその人がどうであれ当選できたのである
青島東京都知事になったのもそうである、何の選挙運動しなくても知事になれたのであるそれはテレビで有名になったからである
でも一方で有名なラジオ時代のアナウンサーは姿を消したのである
なぜならテレビ時代は顔とか姿を見るから声だけの人は受けないからである
だからテレビ時代はアナウンサーが脚光をあびたとなる、スターになったとなる

いづれにしろ年号がこれだけグロ−バル化しても日本では採用されているのもそれが通用するのかとなる、また年号自体生き残れるのかともなる
年号というとき昭和からすでに平成になり30年過ぎた、そして令和になった
では昭和はどういう時代だったのか?
それは高度成長時代でありジャパンアズナンバーワンの時代で高揚した時代だったとなる平成はどうかというとその高度成長から失われた30年という経済的には停滞した時代である
そこに氷河期世代とか何か不遇な世代が生まれたのである
その人たちは40歳くらいになり不満を募らせている
人間は世代の差が大きい、5年ちがっても10年ちがってもなかなか理解できなくなる場合がある
高度成長時代を知らない者は絶えず日本が低迷している時代を生きて来たから日本自体がとてもジャパンアズナンバーワンとかの感覚はない
貧困にあえぐだけの国であり日本を脱出したいとまでなっているからだ

とにかく平成から令和というとき令和はさらに日本経済が低迷する
そして少子高齢化で貧困化して最悪の状態になり格差社会となり不満をつのらせたアンダークラスなどが暴動を起こすというときそれもありうると思った
日本の経済見通しで明るい見通しをしているものはほとんどいないからである
アベノミックスなどは官製の政策であり官製のものでしかない
むしろ非常な危険な暴動まで起きる時代に令和はなる
何か令和というのは冷たいという感覚になりまさに冷たい和であり明るいものをイメージしないのである、万葉集から引用したというがそういう春の感覚はまるでないのである
平成というのも実際は平であり伸びないということである
低成ともなっていたのである、そういう失われた30年が平成だったのである
そして令和はもっと悪い冷たい時代なのである、日本がさらに冷えてゆく時代なのである
なぜ自分自身でも60以上になって介護とかその他いろいろ苦しんだのか?
大金は盗まれるとか、介護で助けられると思った人は事業に失敗して借金で追い詰められていてそれで借金を要求されるとか地銀では投資信託で損するとかいいことがなかった
銀行自体もう投資先がないもうける先がないから確実に手数料がとれる投資信託をすすめる、それは客はもうからないものだったのである
ただ金をあづけていれば利子が7パーセントついた高度成長時代とはあまりにも違っていたのである、銀行に金をあづけるともう利子をとられる、投資信託などをすすめられて金を奪われる時代になったのである、その相違も大きい
日本はすでに後進国でありますます貧困化してゆく、そしてその先に見えるのが不満をおさえられなくなり暴動化してゆく、そういう危険な時代が令和だとなる

ただそうはいってもなんらか一筋の光明をみつけてゆくのが人間である
いつの時代も常にすべてがいい時代などなかったからである、戦争時代から比べれば良かったともなるからである、そこで有能な青年が死んでいったからである
だからどういう時代に生まれるでその人の運命も左右されることは確かである
でも時代を親を選ぶことはできない、それが運命なのである
明治維新でもやはり時代を切り開くということがありその時代を作るのはこれからの人だとなる、でもヨ−ロッパが衰退したのはポルトガルで地震があり壊滅的被害がありそれ以後、冒険的精神が失われたという、そういう何か進取の精神とかも時代を作るのに影響している、今の若者にそういう精神がないというときこれもまた日本が衰退してゆくものとなる              

ただ令和というのは内面性を深める哲学とか宗教とか芸術とか何かそうした文化的なもの国風文化が興隆する時代となるかもしれない、成熟した文化の時代になる
経済は衰退しても文化的にはそれだけ蓄積したものがあり華開くとなる
それが自分自身が旅をしつづけてまた蓄積したものが華開いているということがそうである、そして少子高齢化は負の部分が多いのだが長寿というのはそれだけ長く生きるから
文化的なこと知識の分野とか芸術の分野とかでは有利である
ともかく人間は学問するにも芸術を究めるにも時間がかかるからだ
だから自分の場合ようやくこの年になっていいものが詩でも俳句短歌でもできているなと実感する、そして何かいろいろなものを深く鑑賞てきる、批評家に向いてくると思った
ますなかなかそもそも文学でも理解することがむずかしいからである
本を読んでいても理解していなかったからである
そういう面では成熟した文化の時代になるのが令和だとなりこの年号が何かふさわしい感じもするのである   



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2019年09月16日

千葉県の館山とかは風が強い場所だった (日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)


千葉県の館山とかは風が強い場所だった

(日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)

海にぐるっと囲まれた館山・南房総は「風」が生活と深く結びついています。
例えば洗濯。
私の家は海まで徒歩10分ほどの場所にあるのですが
天気予報は太陽が出るか出ないかの他に、風予報もチェックしなくてはいけません。
晴れていても風が強くて外に干せない日が頻繁にあり、
夏は海風だと乾きが良くないため風向きも気にしたり。
冬は西風が強く、夏の台風時期じゃなくても風がうるさくて眠れない日があります。

テレビの天気予報の特集で見たのですが、強風のトップ3は
羽田・千葉・銚子でした。順番はちょっとわすれました。
羽田と千葉は赤城おろしで銚子は筑波おろしだそうです。
かなり離れているのに影響があるんですね。ビックリしました。
私は千葉在住ですが、本当に風が強いです。

浜金谷はもともと倉波という村名をもっいたが、この大鏡鉄の発見により金谷村になったそこには大鏡鉄がこの地域に与えた衝撃の大きさをみることができる
大鏡鉄が「地獄の釜」を封じ込める「釜の蓋」だという根強い信仰においても
真里谷氏や金谷集団といった過去の人々に対する鎮魂の意味がこめられている

金谷神社大鏡鉄の由来について(井上孝夫)

館山に行ったとき強風だった、そこの岬の国民宿舎に泊まった
風がぼうぼう吹いていたがそこにやっと泊まれた
それで今回台風の被害にあったということでその時のことを思い出した
ここはそもそも風が強く吹く場所だったのである

何かニュースで災害のことなど報告されるとその土地をイメージする
でもそこに一回も行ったことがないと土地勘がないからイメージできない
例えば日高線とかあるがそこも高波で線路が破壊されて復旧していない
そこは様似(さまに)という所が終点であり何かもう廃線になるような線だった
そこに行ったのは様似は低い山がありそこが高山植物の宝庫になっていたからである
でもその終点の駅では酔っ払いが寝ていたというのがあってもう廃線になるような線だった、そういうのが北海道には多い、だからあそこはもう復旧できないともみた
もともと廃線になるような人が乗らない線だったからである
そういうニュースがあったとき一回行っていればイメージしやすいのである

今回の館山とか富津市でも一回行ったことがある、ただそれが余りにも遠い日になったから記憶もあいまいとなりほぼ消失したともなる
ただ風の強い日に館山の国民宿舎に泊まったということは覚えているのである
それはあまりにも風が強いからだったのである
そうして今回台風で風の被害を受けた
それが私の旅の記憶と通じるのである

何か災害でも場所と深く関係している、歴史でも場所と関係している
だからこそtake placeが起きるとなる、placeと災害でもなんでも深く関係しているのである、だからその場所を踏んでいないとテレビの画面だけではわかりにくいのである
例えば津波だと地形が深く関係していた、八沢浦とかはすぐ前が海なのに前に丘が連なってあったから津浪の波が来たのを見て裏山に逃げて命が助かった人がいた
それは裏山が家の後ろにあったからそうなったし前に丘があったから助かったのである
津浪対策で有効なのはそうして津波がおしよせるのを防ぐ高台とか丘とかがあることだったのである、それがないともの凄い圧力で押し寄せる
それで何も障害がないと遠くまで津波が押し寄せて萱浜の老人施設では相当数死んだのである

浜金谷や金谷町があるときそこは三浦半島から渡ってこれる場所であり交通の要所であった、それで大鏡が海中から発見された、それが伝説となって村の名前まで変わった
その金谷村にも泊まったことがあった、そこには鋸山があり日本寺の大仏がある
その辺の鐘とかこの伝説に関係していたという
その大鏡でも暴風のなかに嵐の中で発見されたというとき何か今回の台風と通じているものがある、そこは風が強く吹く場所だったのである
そういう場所に台風が来たのだから余計に強い風が吹き付けたとなる

とにかく何かを知るためには場所を知ることが大事である
人を知るのにもそうである、その人の住んでいる場所がどういう場所かを知る
そこからその人と語るとなる、すると通じるものが生まれる
日本は狭い国だけど海とか山が複雑に織りなす風土である
するとそこで多様なものが生まれる、また災害もその地形が多様であり複雑だからその土地特有のカルマをもっていて災害が起きる
それで地名には災害が起きることを示唆していると言われる
ただ地名となると複雑だからそれを読みとくことはむずかしい

ただ日本は本当に自然災害が多い国だった、津波でもなぜそういう国なのにこの辺では津波は来ないという確信までになっていたのか?
それは400年前に津波の被害があったとしても全く忘れていたのである
津浪となればその時間のスケールが違う、千年くらいの間隔で巨大な津波が来る
そうなると警戒しないのである、400年くらいでも確実に巨大な地震が津波が来る

南相馬市の八沢浦の湊に40軒くらい家があった、そこは津波の前に高波で被害があったその時危機感を感じて引っ越していれば今回のような津波の被害にあわなかった、そこは全滅になり村が消滅したからだ
高波と津波は違うがやはり海岸は危険な場所だったのである
それで相馬市の磯部で佐藤氏は高波の被害があり今の六号線の鬼越館に移った
それは慶長津波の前だったがそれほど前というほどでもないから謎である
そして今回の津波で磯部は全滅したから悲惨だった、それはあまりにも空恐ろしいものだったのである
何かそうした危険を察知しないと日本はどこでも災害が起きる国だったのである
それで防災相を造るべきだというのもわかる
日本はどこでもそうした災害が起きるカルマをもっていたのである
だから原発など絶対作るべきものではなかった、日本の風土には全く合わないものだったのである、これだけ地震があり災害が多い国に造るべきではなかったのである

そしてアメリカでは竜巻があるから地下に電源を作った   
それをまねてアメリカの指示なのか日本でも地下に電源を作ったのである
これは全く日本の風土を考慮しないで作ったものだったのである
アメリカと日本の地理と風土はまるで違っている
その風土を場所を考慮しないということがどれだけ危険か知るべきである
それは社会全般にあてはまる、日本の風土と地理とか歴史の特質を知ってこそ科学技術でもありうる、それを無視してはありえないのである
だから政治的に独立していないとアメリカに押し付けられて原発でも大事故になり日本に住めなくなるというまでになる恐怖だったのである
独立していないということは他国によって風土も歴史も無視して強制されるから危険なのである、外国ではそこまで考慮しないからである
そこでグロ−バル化経済は危険がある、やはり国というのは風土地理があり長い歴史で形成されているからそれを無視すると国土そのものを守れなくなるから怖いものとなったのである
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2019年09月11日

千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

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2019年09月07日

U18 日本の敗戦の原因 (そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)


U18 日本の敗戦の原因

(そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)



U18の日本の敗戦の原因は何だったのか?

●人選(守備のいい選手を選ばなかった)

●相手のチームのことがわからず対処できなかった

●金属バットから木製のバットの切り替えができなかった

●合成チームであり団結できなかった

●アウィで韓国料理とかが合わず元気が出なかった

●監督の采配はまずかった、64歳で年齢的に合わなかった

●佐々木投手のアクシデントがひびいた

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は何か高校野球かずっと見ていたからサッカーよりわかるから今回も見た
野球は見ていて面白い、それは野球というのも自分はしたことがなくても理解できるからである、プロ野球はずっと見なくなったが高校野球は面白いとして見ている
それで今回も国際試合ということで見ていた
それなりに面白かった
ただ国際試合の特有の問題が生じたり日本の敗戦は複合的原因で負けた
何かこうしたゲームでも複合的原因であり一つの原因ではない

相手のチームのことがわからず対処できなかった

これも韓国戦で失敗した、投手が誰かわからずに勝手に日本の方で決めてはずれて失敗した、対策できなかった、つまり敵を知り己を知れば百戦危うからずであった
これは日本軍でもそうだった、太平洋戦争ではアメリカがどういう国かわからずに戦争に突入したからである、アメリカのこと良く調べもしないで真珠湾で戦争に突入した
結果的に大敗北になった、情報戦で負けていたのである、暗号でもアメリカに見抜かれていた

人選では守備の乱れが大きかった、その守備の乱れで韓国戦では敗れたし台湾戦でも守備の乱れがあった、そもそももともと守る場所が違っていた選手が多かったからエラーになった、それから寄せ集め選手だから連携がうまくとれてかったのである
これももともと一つのチームでやるのとは違っていたのである
何か守備がチグハグだったのである

また金属バッドから木製のバッドの切り替えがうまくできていなかった
これも大きな敗因だった、他のチームはみんな木製バッド慣れていたからである
つまりバッドは道具であり武器だった
その武器が違っていて武器がうまく使えなくて敗れたとなる
それは日本でも飛行機とか戦艦とかをうまく使えないで敗れたのとにている
武器を道具をどするかでという問題があって敗れた
ただこれは前からわかっていたことなのである
ただそうした準備不足があることがわかっていても解決しなかった

それから監督も下手だった、采配がまずかった、人選自体がまずかったという人もいる
韓国戦ではハイブレークで采配が下手で失敗して負けた
投手を選ぶのでも失敗した
それから肝心の佐々木投手が宝の持ち腐れとして終わった
それは太平洋戦争で戦艦大和とかが何の役にもたたず海の藻屑と消えたのとにている
戦いには必ず思わぬアクシデントがつきものなのである
そこには運不運もあった、審判の判定にも疑問があった
そして韓国の料理が口に合わず選手が不満でありやせたというのも影響した
アウィでそうなったのである、それも準備不足だとして批判する人がいる
アウィの戦いは厳しくなるということである

こういうことは何か戦争とかでも戦いでは必ずある、だからゲームでも予測つかないことがありそれが勝敗を決める、第一天候も相当に影響したからである
どしゃぶりの雨にも何度もあった、台湾戦は途中で試合が中断して負けたからだ
天候で負けたともなるからだ

何かこうしてスポーツでも勝敗を決めるのは複合的様々な要素がからんでいる
野球はこうして理解できるから面白い、それはずっと野球を見て来たからである
サッカーはもう理解できないのである
ただゴールしたときだけわかる競技だからつまらない
野球には何か人間臭いかけひきがいろいろありその勝敗は複合的なのである
特に高校野球とかなるとそうである、エラーがあるのもそうである
戦争だって何か原発事故だってエラーなのである
そのエラーが致命的になったのである
今回の勝敗もエラーで決まったとなる
つまり攻撃は目立つが守りも防御も大事なのだけど自衛隊とかはあまり重要に見られない守りは目立たないのである、ミサイルでも打つとなると目立つが守りは目立たないのである、だから守っているだけの自衛隊は目立たないのである

ともかく日本は野球は強いと見ていた、第一韓国で70校くらいしか野球のチームをもっていないのに日本だと3000校だとかその差が大きいのに韓国に敗れ台湾に敗れたのはなぜなのか?
そこに批判が集中している、日本はもともと弱いとなっている
それは数の問題ではなく、精鋭が育てば別に強くなるという証明でもある
いくら数がいても優秀な人が育たない限り強くならないのである
だから少子化でも精鋭主義で優秀な人を育てれば世界のグロ−バル競争にでも勝つということがありうる、それは数の勝負ではない質の勝負になるからである
中国でも数が日本より十倍以上でも日本でも少数精鋭主義で対抗できるかもしれない
知能とかの争いになると対抗できるかもしれないのである
今回のU18から見えるものはこのようにあったから面白いと見た
ただ日本はもう決勝に出れないからもう見たくないともなったのである

結局運不運も勝負の内、運不運も人生

こんなふうになる、審判の問題もあったがこれもまた勝負のうちであったともなる
この世に公正な審判がない、人間が判定するからである
人間の判定自体必ず過ちがある、むしろ機械にしてもらった方が正確だとなるが最後に決めるのは人間なのである
動画の映像で判断してもそうだった、つまり野球というゲームでもそこに人間社会を見ているのである
実際にオーストラリアにも日本が負けたのだから日本自体の実力がなかったと見られるようになった
これだけ野球が盛んなのに情けないとなる
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2019年08月21日

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1{テレビ朝日)

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1{テレビ朝日)

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●車の中がじぶんにとってリラックス空間

これはクルマの中が外から遮断された密室となり自分の自由な空間となる
そこには相手がいない、他者がいない、いたとしても親密な人でありそれは気を使う他者ではない
その空間は他者を排除して受け入れない空間なのである
プラベイトな空間である、プライベイトとは奪うという意味であり空間を奪う私的なものとして奪うことなのである

そこにパブリックが欠けるのである
共有する空間という意識がなくなる
専横的的にふるまう空間なのである

電車ならそこは他者がいて気を使うから共有空間である、そこに他者でも情を通うということがある
老人席とかが用意されているのもそのためである
つまり車はこうして極めて私的なものとして相手を無視して暴走する性格を有している
それでハンドルを握ったとき人格が変わることを意識しろとなる
日ごろ穏やかな人でも人格が変わることが怖いのである
そうしてそういう人格は形成されているから車に乗らない場でもそういう性格をひきづるのである

とにかくクルマは他者に対する共感性を喪失する乗り物である
歩いて旅すれば旅は道連れとなる
そこに情が自ずと育まれる、そして別れるときもその後姿をずっと見ている
車は例えばそういう情を育むものが一切ない
瞬間的に別れを惜しむ時間もなく暴走して差ってゆくのである
つまり必ずキレル乗り物なのである

駅だったら待つ時間がありその時間が人間的時間を造りだしている
何かそこで十分でも待つから話したりする
それだけでも何か駅を人間的なものにしている
クルマにはそういう人間的時間とか共有する時間がないのである
プライベイとに暴力的になるものもわかる
自分だけの空間で他者への配慮がなくなる
それであれは極端にしてもなぐりつける

オレの邪魔するな)となる

そこには忍耐心も情もはぐくまれない、それは牛馬とか動物と一緒に生活したとき相手は生き物だからそこに情が育まれた
馬でも牛でも名前を呼び人間のようにも扱ったから情が育まれていたのである
クルマ社会の人間は何か他者への配慮がなくなる、クルマは他者を排除してキレテ暴走するのである
だから現代の人間はこういうクルマ人間になっていることが怖いのである

ハンドルを握ったら人格が変わる

これは林秀彦がテレビが人間どれだけ変えたか自らテレビとかかわってそのことを指摘した
ラジオがナチスを生んだというようにテレビで人間の人格まで変えられていたのである
道具はなんらか人間そのものもを変質させるから怖いのである
それはパソコンでもスマホでもそういうことがある
人間はやはり対面的でないと本当のコミ二ケーションが作りにくいのである

タイムアウトしろというときやはりクルマで走り続けるのではなく中断するということである
一息ついて車から離れることである
ただそれはかなりむずかしい、それで車から解放されるわけではない

いづれにしろこのあおり運転した人は40くらいで普通ではないことはわかる
そしてこの40代が問題を起こしやすいことがわかる
最近の事件でもそうだからある
この人は金に困っていない、マンション経営とかで親の遺産で暮らしているからだ
こういう人は都会にいる、それで外国で会った人が自由に早い時期に外国旅行していたのである
そういう人は本当に恵まれた人だったのである

ただそういう人は自由をもてあます、それで必ず「小人閑居して不善を成す」となる
そういう人が非常に多くなっている
このあおり運転した人も一流会社にキーエンスというAIの会社に就職していたからである
でもすぐにやめて社会性が喪失して遊ぶようになり問題を起こしたのである
そうなりやすいのである、それは自分自身も経験しているからわかる
40頃に何か問題を起こしやすいのである
何かおかしな方向に暴走しやすいのである

あの人は異常でも車に乗るとあれほど暴力的になるのかということをまざまざと感じた
あそこまで普通はしない、それはクルマが人格を変えるということでそうなる
クルマでは忍耐心が養われない
常に渋滞でもいらいらしている、とにかく切れやすい乗り物なのである
それがクルマから乗らなくても人格が変わっているのである
切れやすい性格になり情がない人格になる
だから現代人は人格そのものが変わっている
何か他者を人間とも見ない、物にしか見えない、それはまた資本主義社会で金だけが唯一の力となったこととも関係して
さらに人間は人格が変わったのである

そういう人間に取り囲まれていることは恐怖だとなる
他者に対する同情心も喪失している、第一車だったら道路で怪我していようが死んでいようが見ないで去ってゆくだけである
それで知っている人が道端に人が倒れていても助けないというときクルマ社会で形成された情なき人間になっているからそうなるとも言える、クルマに乗っていれば他者への配慮とかいたわりなど消失するからである
むしろ攻撃的になりあれほどなぐりつけるのも驚く
他者はもう攻撃してクルマで踏みつぶすものだとなってしまうから怖い
自転車でも絶えず邪魔者として怒鳴られる、そこに人間としての交流もなにもないのである
文明人は様々な便利な機械を利用するがそこで人格が変わっているのである
その機械の負の部分を知るべきである、原発でもそうだが機械には必ず負の部分がありそれが大きく影響して社会自体を変えている、人間も変えて非情化しているのである

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2019年08月20日

津波原発事故で学問の大事さを知った (学問は未来を知るための過去の知識の整理と分析)


津波原発事故で学問の大事さを知った

(学問は未来を知るための過去の知識の整理と分析)

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【武田邦彦】2019年はこうなる! などとドヤる学者の話を真に受けてはいけない

学問とは何なのか?
私自身別に学問を志した訳でもない、そもそも自分自身が学問を志すほどの能力がなかった、まずおかしなことは学校は学問する場なのである
でもそれを感じている人はまれだろう
いつも試験試験であり点数で優劣を決めるとかしている
だから人間がこうあるべきだとか学問をなぜするのか?
それが現代にはない、ただいい大学に入りいい会社に入るということしかない
現代はただ知識と技術の追求であり何ために学問するのかわからなん
功利的なものであり学問はまた知識欲であり好奇心である

学問は現代では実利的なものと結びつきすぎたのである
学問が実利的であれば社会でも容認するし金もだす
でももし実利的なかったら社会に何の役にたくのかとなり文系はいらないとなる
文系は実利と結びつかいのが多いからである

私が一番学問とは何なのかを感じたのは津波と原発事故だった
これほど学問を必要としたものはなかったのである
この大問題に直面して学問の大事さを知ったのである
それまでは郷土史でも地名とかなんとか好奇心であり学問とは思えないものである
俳句とか短歌を作っても学問とはならない
つまり津波と原発事故は最も学問が必要なものだったのである
それは生死にかかわるものだったからである

学問は生死にかかわる、未来の予知は生死にかかわる

普通の人にとって学問は自分と結びつかないだろう
庶民はただ功利的に生活している、今日の金を稼ぐために毎日仕事している
だから原発が金になるとなれば危険をかえりみず積極的に誘致したのである
でも学問は実利的なもの功利的なものだけではないものを追求している
学問の範囲は広いのである、宇宙の中の星がどうだとか研究してもそれが現実生活にどう反映されるのかそんなこと知って何か利益があるのかともなる
それはただの好奇心であり宇宙のことなど結局人間の知識の範囲外であり絶対にわからないと思うからだ

学問とは何かというときそれは未来を予知することにあることは確かである
未来がどうなるのかとなると実際は予知は不可能だとしている
地震でも予測できないのに予測していることを批判するのもわかる
ただ過去の記録を整理して分析することが学問であり予測はできない
その整理と分析から未来を予測するだけである

それを怠っていたために津波や原発事故で大被害になった
津波では二万人近くが死んだとかなる、それを予測できなかった
でも過去を整理して分析すればある程度予測できたことは言える
でもそれはかなりむずかしくなる

相馬藩政史に津波のことは二行でも記されていた
「生波(いくなみ)で700人溺死」と記されていた、生波とは津波のことである
まだこの時津波という言葉はない、慶長津波以来津波という言葉が定着したのである
この二行だけで凄い記録だった、でも今回の津波で明らかになったのでありそれまで相馬藩内で注目していた人はいなかったのである
郷土史というと何か好事的的なものであり実際の役にはたたないとされていた
でも郷土史という範囲は本当に広いのである
そこに地質学なども全般をトータルに郷土という地域を知ることでありそこには必ず科学的知識も必要なのである
だからとても一人では郷土史でも解明できないのである

学者の使命は未来を予知することである、なぜなら今回のように大被害となり二万人近くも死んだとういことでその被害はあまりにも大きいものだっからである
聖書が予言の書だというとき昔から何か常に大きな被害があり未来を知ることが生死にかかわっていたからそうなった
危険の前に逃げ出さないと死ぬということである
ソドム、ゴモラの滅亡が予知されて逃げた結果助かった、ソドム,ゴモラは神によって壊滅したからである
それは津波のように一瞬のできごとであり少しでも遅れて逃げていれば津波のように死んだのである
ただ未来は予測できない、人間の力では予測できない、未来は神の手の中にある
そこに人間の限界がある
なぜなら何億年の単位とかなるともう人間の知識でも力でも及ばないからである

何か微分積分でもその瞬間的なものでも変化がありそれが未来を予測している
株価の変化を瞬時的な変化から上がるとか下がるとか変化がないことでチャートをみるし予測する、人間の社会は自然でも人事でもは刻々変化しているからである
でも何百年とか何千年とか何億年という変化になるとできなくなるのである

ともかく確かに整理と分析が学問の要諦である、これは地道でもそうだったのである
現実に岡田清氏が過去の事実を整理して分析したことでもそうである

津波の前と後では石高が三分の一に減ったということは事実を整理して分析した結果だったのである
ここに学問の力を感じたのである、それは数字となり具体的になったから訴える力があった、それは過去のことだからできたのである
未来となるとできない、ただ過去のことはこのように学問でわかる
そこから未来はこうであろうということは予測できる、でもそこにはいろんな変数が生じるからあくまでも未来は確かではない、ただ過去の事実とか整理、分析から未来が予測されるのである

だから原発事故でも10数メートルの津波が来ると東電関係の学者が予測していたのである、だから津波対策をするべきだと提言していたのである
そのことにやはり科学者の学問する者の力を感じた
もしそれを大々的に宣伝してみんな知れば津波にだって警戒したのである
そういうことを広く知らされていない、それでこの辺では津波はこない地域として確信になっていたのである
でも学者が予見していたのである、それは占いとかではない、科学者がそうして過去を整理分析して予見していた

ただ津波対策をしなかったとなる、ただ津波の前にすでに配管とか原子炉でも危険な状態になっていたということは今になると説明する人もいる
そのことでも東電はなぜ事故になったかを正確に公表していない
結果的に次の事故でもそうなると起きる、なぜ事故になったかという正確な資料が残されないからである
それは戦争でもそうである、なぜ戦争を起こしたのか?それも日本自体が総括していないだからまた戦争が起きるともなる
いづれにしろ津波とか原発事故をほど学問を必要としていたことを感じことはない
それは結局生死にかかわるものだったからである

いづれにしろ文系は役立たないと言われるが郷土史でもこうして生死にかかわるものがあるということを実際に知った
時事問題の深層に7年前に相馬市の奥まで津波が来ているということがボーリング調査でわかっていたことを書いた
それはスマトラ津波があったときだった
でもそれは貞観津波のことであり400年前の慶長津波のことではなかった
貞観津波となると千年以上前のことだから危機感がない、でも400年前となると相当に危機感をもったはずである
それを科学者が原発に津波が来るということを調査して対策するように提言していたのである
それで裁判で東電は津波が来ることを知っていて対策していなとしてその過失の罪が確定されたのである
それは東電の経営者の責任だったのである、科学者は学者は理論的に危険を提示した

でも実際の対策すべき経営者はコストの関係とかで対策しなかったのである
それは政治家の役割でもあり政治家も何もしなかったのである
それは国との共同責任だったのである、つまり権力のある経営者はそれだけ責任が重かったとなる
それは政治家にも言えたのである、その責任の重さを自覚していなかったのである
そしてこうして経営者でも政治家でも責任はとならないが必ず戦争でも3百万人死んだとか津波とか原発事故でも甚大な被害が出
たように誰かが責任をとらされるのである、その責任から逃れられないのが人間社会なのである

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2019年08月18日

高校野球に求めるのは勝敗だけではない (でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)


高校野球に求めるのは勝敗だけではない

(でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)

内地から教えを請うのではなく、自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと。それこそが、真のウチナーンチュのあるべき姿なんだと。

甲子園で活躍する強豪チームは他府県の出身者だらけ! 是か非か?

沖縄でも野球留学が盛んになり優秀な選手が流出している
そして沖縄というとざされた島では腕をみがけない、試合も沖縄内に限られる
すると多様なチームと戦いないから相手から学ぶことができない
それで沖縄の優秀な選手は本土に野球留学するという
でもそうなると沖縄の高校が弱体化するので問題になっている

これも高校野球が地元だけでは勝てないとかその出身地で見ることができなくなっているテレビで明石から千葉県に嫁いだ女性が明石商業が活躍しているので応援している
故郷の思いがあるからそうなっている
でも何か今は地元志向がない、野球だったら野球という技を競うのでありその土地とは関係なくなっている
だからこそ

自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと
これはスポーツには適応できない、スポーツはある土地と関係しているとはならないからだ、ただ世界的にグロ−バル化するとオリンピックでも国技としての柔道が普及したようにその国の文化と関係してくる
でもグロ−バル化すると勝敗だけが問題になり本来の柔道は道を究めるという日本独特の精神が消失する、ただわずかの差で勝敗が決められるから本来の趣旨とは違ったものになる、そこにスポーツでも文化が反映しているからそうなる

ただ正直スポーツではこういうことはありえない、その土地と関係して野球が上達することはないのである
ただ文化的な面なら必ずある、その土地土地でもともと風土とか地理とかが違うからそこで育まれる精神も違ってアイディンティティ化されるからである

ただ未だに不思議なのは高校野球をその土地土地の代表だと見ている
それが変わったのにそう見ている、そこに問題がある
もう地域代表ではない、野球という技を競うのに地域は関係なくなっている
だから高校野球自体が社会んの変化とともに変わらざるを得ないのである

それでもなぜ地域にこだわるのか?
それは人間は地域地域で生きていることには変わりない、それで全国から地域代表として甲子園に集まるとき盛り上がるのである
全国の地域が一堂に会すということで盛り上がる
例えば野馬追いでも浪江地区(標葉ーしめは)と原町(中ノ郷)と鹿島区(北郷)と相馬市(宇多郷)が雲雀が原に集結して一体化するとき最高潮に盛り上がるのとにている
そして戦争の時でも日本軍が外国で戦う時、日本全国の兵士が集結して一体化する
その時日本軍が外国軍と戦うということで命をかけて戦うから盛り上がる
戦争は否定されるにしても戦争の時人は命をかけるのだから一番高揚するとなる
つまり外国で日本の兵士として戦う時一番日本を意識して愛国心に燃え上がるのである
オリンピックは世界中の人がその国を背負って戦うから盛り上がるとなる


でもスポーツが地域とか国とか文化とみんなかかわるとかなるとそうはならない
いくら国を代表しているとしてもそこからその土地をイメージして文化的なものを感じないからである、むしろ技と体力の競争なのである
とするとやはり高校野球のようにもう地域性とか国は関係ないともなる
だから高校野球で地域の代表と見ることはもうできないのである
ただ百年もの歴史があるから今もそのように見ているがもう違ったものになっているのだ
多様な地域があって多様な地域が文化を育む、料理にしてもそうでありその土地土地に培うものがある、そういうものがなくなるどこに行ってもハンバーグだとチェーン店の料理だとかなるとそこに豊かさはないのである
要するに高校野球には何かそういう地域性とかを求めている
プロ野球だったら地域性はない、ただ広島だと広島の地域性はある
てもプロ野球は技そのものを競うものであり地域は関係ないのである

でもなぜ高校野球には地域性を求めるのか?
それはみんな地域地域で別れて暮らしているからである
それでも東京だとか大阪になるともともと地域性は希薄である
そういうことで池田高校とかが優勝したときは地域性が特別発揮されたから盛り上がったのである、つまり東京とか大阪の代表に地方の少人数の部員の野球部が勝ったということで盛り上がったのである
今はもうそういうことはない、全国の優秀な選手が地方に散らばり甲子園に来るからである

とにかく校歌でも必ずその土地のことが歌われる、土地に根ざして育まれるものをとりこむ詩になる
でもでは江戸時代の藩校のようなものだったらその土地は深く関係して精神でも育てられたとなる、会津などは山国でそうなっていた
それが明治維新後そうした地域性とか土着的なものが失われるようになった
標準語でもそうである、方言は禁止されて土着性が失われた
それで八戸光星では大阪の選手が野球留学で多い、一人だけ青森県出身者が活躍した
それでその人は大阪弁がしゃべれないので通じるのかと心配した、津軽弁ではないからである、方言は国の訛りであり文化でもあるからそうなる、つまりすでにそこは大阪軍団になっていたのである
地域性はそうして国の訛りがありその国を偲ぶとなるからだ

いづれにしろ現代はグロ−バル化してさらに世界でも地域性が喪失して一様化されやすいのである、日本だって英語にしろとかなるのもそうである
英語にすると世界で言葉でも通じやすいからそうなる
でもその時日本で縄文時代から育まれた言葉は失われて文化が喪失する
すると日本という国すらただ世界の経済の政治の一単位のようになる
グロ−バル経済は何か経済を金で結びつける、あらゆるものが金で計る
でも文化的なものは金で計れないし人間の価値として金で計れないものが多いのである

日本人が高校野球に求めるのがありそれが変わったのだがやはり何か地域と愛郷心とかを求めている、それが現実は変わっているのに郷愁のようにして高校野球を見ているのである、高校野球はそれだけ100年もの歴史がある時一つの文化的なもの精神的なものとなっているからそういうふうに見る、でも現実社会は変わり適合できなくなっている
ただ高校野球に求めるものは普通のスポーツとは違うから日本人は熱狂するのである
プロ野球のようになっていたら熱狂しない、ただ勝敗を覚めてみるだけだとなってしまうのである


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2019年08月16日

百年の高校野球の歴史 (地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)


百年の高校野球の歴史

(地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)

戦前の大阪にはたくさんの丁稚や.奉公人が.関西以西の土地から集まってきていた。彼らは七月のお盆休みはもらえなかった。商いのかきいれどきの時期だからである。それが,八月のお盆になってようやく休暇をもらえた。今と違って,交通が発達していなかったから,彼らは遠い故郷へ帰ることができなかった。せいぜいできることは.甲子園へ野球を見に行って,故郷の代表チームの活躍を応援することであった, 彼らはライスカレーとかち割りをとりながら.故郷もしくは,その周辺の代表チームの勝ちを祈った。しかも.彼らの目の前のグランドで野球をしているのは,彼らと.ほぽおなじ年ごろの少年たちである。彼らは故郷を応援しながら.一方は野球選手として華やかなスタートをきり.自分はしがいない.辛く.苦しみだけ多い丁稚,奉公人におかれていることに,ひとしおの感慨があったのであろう。(虫明 1996)

このように戦前の丁稚や奉公人の立場にある若者や.戦後の高度成長期を担った集団就職で関西地方にやってきた中学卒の若者たちは,自分とは全く違う忠まれた境遇にある選手たちを「個人」として羨むことよりも 故郷を代表する集団と捉えて一体化し.敗れて球場を去るときにかけられる「また来いよ」という甲子園特有の掛け声までも自分へのものへと同化していたのではないだろうか

儀礼論による高校野球の考察
一一宗教的儀礼から相互作用儀礼へ一一

何でも歴史がある、こういうことがあったというのも発見である
丁稚奉公の社会がかつてあった、その時お盆には帰れなかった
故郷に親元に帰りたくても帰れなかった、それで甲子園で野球を見に行って故郷の代表チームを応援することだった、年頃が同じくらいの少年が野球をしていたからである
これもなんとも不思議というか歴史である
つまり高校野球の歴史が百年ということはそれだけのストーリーがすでにあった
ただそこまでふりかえり見ている人はいない

とにかく高校野球は戦後でもずっと熱中して全国民がお祭りのように見ていたのである
最初は地元の生徒だけのチームでありそれで全国を舞台に活躍するとき愛郷心が沸き上がったのである
それを象徴していたのが部員10数人しかいなかった、田舎の池田高校が優勝したときだったのである、そんな田舎で部員もチームを組むのにりぎりぎりなのに優勝できたことが高校野球を盛り上げたのである

それから高校野球は東京とか横浜とか大阪とか大都会の高校が優勝するようになった
なにしろそれだけ数が多いのだから優秀な人が集まる、部員の数も百人以上とか普通である、その中のえりすぐれた人が選手として出れる
そこでPL学園とか宗教団体の代表も数を集められるから有利である
それで桑田とか桑原とかがスターになったのである、何回か優勝したのである
つまり高校野球は地元出身者からなるチームでは勝てなくなった
それで最後に池田高校だけは違っていたから歴史を残したとなる
福島県の磐城高校は福島県では進学校でありそれでも決勝戦に進出したとことが記憶にある

その時は地方の郷土の答えに応じるべき選手は戦った、だからその時は全部郷土出身者が選手だったのである
何かそういう時代から変わっても依然としてそう見ているのが高校野球である
今回でも海星とかあると何か九州なのか長崎なのかとか地域を見る
明石商でも明石城に行ったことがありあの城のあるところだと見る
でも現実にはそうした郷土を背負ったいることはもうないのである

東北勢が強いという時、八戸光星はなんなのだとなるとき八戸がついているから青森だとなる、そもそも青森県というとき八戸とかより弘前とか青森市の方が青森県だとイメージする、だから八戸が青森県の代表に見えないのである
現実に八戸光星は一人しか青森県出身者はいない、でも今回活躍した
選手も地域の代表だとも思っていない、大阪の人が多いから大阪弁であり青森県出身者が津軽弁で通じるのかと不安だったというのもそうである
出身者を見れば大阪であり大阪が数が多いから優秀な選手いて地方に留学しているのである、その人たちは別に郷土愛なども全くないのである
ただ甲子園に出たいために留学しているだけである

東北だと仙台育英でも外人部隊が多い、あのダルビッシュも大阪出身だったのである
だから高校野球も何なのだろうとなる
高校野球は今でも甲子園が聖地なのである、野球の聖地なのである
だからそれは宗教だとか儀式だとかしている
勝敗は別に全力をだしきる、また激しいスチールとかまるで犠牲が奨励される
それは特攻隊にもにているから日本的な集団を美化するものとして教育として奨励される高校野球は商業主義であってはならないのはそのためである
それは日本的宗教となり儀式化したのである

それで負けた時聖地の砂を地元にもってゆくのはそのためなのである
それは一度きりの青春の熱い思いとして砂をもってゆくのである
何かそこに青春の美化がある、青春とういのは実は長くない
たちまち過ぎてゆくのが青春である
でもその青春を賭けて戦う、負けても悔いなく戦うのが高校野球なのである
だからただ勝敗を争うというだけではないのが高校野球でありそこに見る人も魅力を感じるとなる

本当に青春はたちまち過ぎて消える、その青春の一時の輝きが甲子園にあるから選手も出たいとか観る人もそれを感じるから高校野球にはただ普通のスポーツとは違ってみているのである、大げさに言えば人生を見ている、一時の青春の夢のステージを見ている
それは青春がありまにも過ぎ去るのが早いし消えやすいものだからである
その一時が過ぎれば夏が終わり後は永遠にその舞台に立つことはできないのである
青春とはそういうものなのである、だから青春に命を燃焼できた人は幸福だったとなる
そういうスポーツ選手はうらやましいとなる、なぜなら自分でもそうだがみんなそうしたスポーツ選手になれないからである

ともかく何か高校野球は変わったのだけど長い歴史がありその歴史をひきづっているのである、今は地元出身者が極わずかなのだから地元とは関係ない、郷土愛でもない
するとなんげ全国大会となって選抜しているのか?
別に各県ごとに大会を開き選抜しなくてもいいとなる
みんな外人部隊なのだから地元とは関係ないからである
ただ技を競うものであり地元とは郷土とは関係ないのである
東北に優勝旗を持ち帰るのが悲願なのはわかる、金足農業のような高校野球だったからわかる、八戸光星にはそういうものが全くないのである
だから高校野球自体が社会の変化とともに変えざるを得なくなる
ただ高校野球だけは高野連があり特別なのである  
長い歴史がありそのために変えることができないのである

それでする方にしても観る方にしても現実と乖離して見ている
甲子園に出たいというのは外人部隊にとっては地元と関係ないのである
甲子園という場で個人の力を発揮したいからやるともなる
ただ地方だと甲子園に出やすいから留学するとなる
こうなるといくら東北が優勝していないからと東北に是非優勝旗をもってきてもらいたいといっても現実は外人部隊でありその選手たちも別に地元の人とは関係ないのである
こういう地域主義はもう時代的に終わっている

ただ地域主義というとき文化的には残っている
東北には東北の風土があり依然として文化があるからだ
ただスポーツとなるとそうした地域的なものとは関係ないのである
ある地域によって特別優秀な選手が育まれということでもないからだ
それより大都会で東京とか大阪の方が選手を育て安いのである
ただ甲子園に出るために地方の高校に留学しているだけなのである

とにかく高校野球が武士道と関係して明治に取り入れられたとか何か日本的スポーツ化したのである、犠牲心とか団結心とか・・・何か日本人精神の養成の場になっていたのである、だから宗教とか精神主義が育まれた
勝敗だけではない、全力を死力尽くして戦いとなる戦争のようなものにもなる
特攻隊精神を育むものともなる、それは勝敗ではないからそうなるのである

百年過ぎて高校野球もどうなるのか?
やはりこれも変わらざるを得ない、それはする方でも見る方でもそうである
地元中心主義では見れないからである、そうしたら見る方でも応援する方でも見方を変えざるを得ないのである
もはや東北出身の高校が勝手も特別喜ぶことはできないのである
ただ金足農業とかなるとそうなっていた、でもそういう高校ももう絶滅危惧種になってしまった、それで例え八戸光星が優勝したとしてもそれほどの感慨はないのである
別に東北人でもないし地域とも関係なくなっているからである

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戦前とか戦後十年くらいはこういう社会が残っていた
現代の特徴はこうした長い間アイディンティティ化していたものが消失した
それで墓でも高校野球でもその社会の変化の中で変わらざるをえなくなったのである
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2019年08月15日

なぜ戦争が忘れられるのか? (自分自身が苦しまない限り関心をもたない)


なぜ戦争が忘れられるのか?

(自分自身が苦しまない限り関心をもたない)

戦争は戦後70年とかで忘れられてゆく、遺族会でも維持できない、会津では今年は慰霊祭でもテントを張ったりめんどうなことをしない、できない、みんな年とっているからだそれでそれぞれが勝手に戦死者に祈りをささげることにした、そこには戦死者のお骨が収めている忠霊堂がありそこで祈る
団体として維持できなくなったのである

でもまだ団塊の世代でも親が戦争にかかわった人が多い、私の姉がそうだった、従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で働いたからである
「マンゴーの樹の下で」というNHKの戦争番組で日本軍が敗戦に至る過程でジャングルに逃げて悲惨な結果になった
そこには食べ物がなかったのである、それで現地の農民から食べ物を奪っていた
その話を良く姉から聞いた、女性だから特に苦しかった
それで死ぬ直前まで認知症になっていたのだが戦争のことは忘れず語り死んだのである
何かあまりに過酷になると人間は忘れられなくなる
トラウマとなりフラッシュバックして思い出すとなる
特に青春時代だったから余計に感受性が強いからそうなったのである

戦争というのは経験しない人にはわからないのである
人が目の前で死んだり殺されたりした光景は普通は経験できない
だからこそいくら語ってもそれが通じないということがある
戦争は悲惨だということを言っても通じなくなる

人間は別に戦争だけではない、何かについて関心を持たせることが本当にむずかしい
原発などでも本当はもっと関心を持つべきものだった

でもなぜ関心をもたなったのか?

関心をもたせる人がいなかった、メデアでもテレビでも新聞でもその危険を報道することはなかった、そして安全神話が作れて誰も何も言えない状態にされていた
それは地元の住民でもそうである、金になればいいから反対したらこの土地に住めなくなることもあった
金になればみんな目の色を変える、そんな人に原発は危険だと言ったらにらまれて肩身の狭い思いをして村八分にされていたろう

だから関心をもたせないようにする

それは新聞でもテレビでも雑誌でもマスコミに危険を言わせない、そして関心をもたせないようにすることなのである
そういうことにしていると関心をもたないと原発は容易に作られる
それを一番証明していたのが小高に東北電力の原発の工事がはじまときだったのである
そんなに近くにあるのに私は知らなかったし知らない人が多かったのである

つまり知らされないままに重大なことが行われる

これだけ戦後民主主義とか常に言っていても肝心な重大なことが知らされなかったのである、今でも重大なニュースが知らされない、報道されないのである
報道されないことは関心をもたないとなるのである

そしてなぜ人間は忘れるのだろうか?
その忘れることだ重大な結果として今回のような津波とか原発事故にもなった
津波は400年前に相馬地方でも生波(津波)で700人溺死として記録されていたが知る人はなかった、津波になってその記録を知ったのである
全く記録もされないから忘れられていたのである
すると津波に関心をもたない、そしてこの辺では津波が来ない場所だと確信するようにもなっていたのである
そして津波の大被害にあいその当時のことをふりかえようとしても記録されたものがないからわからなくなっていた
人間はどんな被害にあってもだんだん歳月が過ぎると忘れてゆく
死者も死んだ時点で影も形もなくなり骨と灰だけになって忘れられてゆく
だんだん歳月が過ぎるとリアリティを失いイメージの世界にもなってしまうのである
人間の大きな弱点は忘れることにあった

戦争でもあれだけ悲惨なことでも3百万人が死んだとしてもだんだん非現実化して忘れられてゆく、その悲惨なことを経験した人もいなくなると余計にそうなる
津波でも戦争でも忘れることが危険なのはまた同じことを繰り返すカルマとなり繰り返すことが怖いのである
ただ人間はカルマをくりかえす、人間の業は尽きることがないからだ
カルマというとき親が子と同じようなことで苦しむ、カルマになることを書いてきた
これは戦争だって同じなのである
やはりまた戦争を繰り返すことがある、悲惨な戦争を経験しても忘れるからである

そして再び戦争になりその過酷な経験をするときはじめて戦争の悲惨さを身をもって知るこれが戦争だったのか?その時親が祖先が戦争で苦しんだことを理解するのである
自ら苦しまない限り人間は理解しないのである
人間は自らの身にふりかからないかぎり無関心である
何かに関心をもたせようとしても「俺には関心がないよ、うるさい」となるだけである
病気にならなければ誰も体に関心をもたない、でも一部でも病気になれば異常なほど関心をもつのである
だから津波や原発にこれほほどみんな関心をもつようになったのである
でもすでに時遅しとなっていたのである
駅でも無人駅になっても誰も関心を持たない、別に車がある人は困らないからである、ただ盲人の団体が抗議しているのは電車を利用して無人駅だと困ることがあるためである、他の人は駅には関心がないのである
でも何か本当に困ることがあれば関心をもつのである

どうしたら人間は忘れないようにできるのか?

これが人間の大きな課題である、重大なことでも人間は時間がたてば忘れる
その忘れることによって今回のような津波でも原発でもまた戦争でも恐ろしい苦しみを受ける、だから忘れることは危険なのである  人間はとにくか他人の苦しみでも自分自身が苦しまないと理解でないのである
貧乏人のことを知らない人は貧乏のことを理解できない、病人でも病気の経験のない人は理解できない、それで同情もしないのである自ら苦しまない限り関心がないし同情もしないし理解できないのである
そのためにカルマは苦しむ時自覚するのである
これだけこの辺では苦しんだからそのカルマを理解したとなるのである
だから神は忘れていてもまた同じカルマを起こして人間を苦しめて理解させるとまでなっているかとも思う
苦しまない限り理解しないからである
戦争のことだって理解できないからまた戦争を起こして戦争で苦しむ時戦争がどういうものか理解するからだ
カルマというのはそういうものだということが個々人でも歴史でもそうだったのである



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2019年08月07日

韓国の「ホワイト国」除外…戦後初めて「国家の意志」を示した日本  (日本国民にも覚悟が強いられる国家の意志の表明)


韓国の「ホワイト国」除外…戦後初めて「国家の意志」を示した日本 

(日本国民にも覚悟が強いられる国家の意志の表明)

肉を切らせて骨を断つ」という覚悟を、日本国民なら当然持つべきである。党利党略に走って「制裁反対」を唱える左派野党や国民を惑わす左派メディア、目先の利益で韓国にへつらう財界人は、今や「国賊」以外の何ものでもない

駅で飛行機で仙台空港から神戸に帰る人とちょっと話した
その人はなぜ韓国人をひどく嫌っていたのか?
その人は別に普通の労働者であり知識人ではない、韓国人をひどく嫌っていた
ベトナム人でも中国人でも他は言いか韓国人は嫌だと盛んに言っていた
その人は何も今の日韓の対立から言っているわけではないだろう
何か韓国人と直接に接することが多いからそう言ったのかもしれない
何しろ関西になると韓国人が多いからである
あういうふうに嫌っているのはそういう人をじかに接しているからだとなる
そうした庶民レベルでも韓国人は嫌われている 
これはいろいろ言うが韓国自身が嫌われる理由を作っている
それを否定することはできないのである 

韓国人も今回の政府の強い意志には驚いている、これまでと違っているので予想がはずれた、日本は韓国の要求の言いなりになると見ていた
今までも誤っていたし妥協していた
だから今回の政府の表明は意外だったとなる

そういえば日本は国家の意志を示したということが戦後70年アメリカに支配されたようになかったのである

国家の意志

これを国民自体もはじめて感じたのではないか?
国家の意志というとき日本では古代から朝鮮半島を通じて発していたのである
朝鮮半島を契機として国家の意志が発動されてそれで兵を派遣されていたのである

6世紀から7世紀の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していたが、新羅は二国に圧迫される存在であった。

倭国は半島南部に領有する任那を通じて影響力を持っていたことが『日本書紀』の記録から知られている。大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」の記述が初出である。『宋書』では「弁辰」が消えて438年条に「任那」が見られ、451年条には「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲されて『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことを示している。任那、加羅は、倭国から百済への割譲や新羅の侵略によって蚕食され、562年以前に新羅に滅ぼされた。

475年には百済は高句麗の攻撃を受けて、首都が陥落した。その後、熊津への遷都によって復興し、538年には泗詫へ遷都した。当時の百済は倭国と関係が深く(倭国朝廷から派遣された重臣が駐在していた)、また高句麗との戦いに於いて度々倭国から援軍を送られている

なぜ国家の意志というのに新鮮味というか驚きを感じたのはなぜなのか?
それは日本はアメリカに戦争で負けてから国家の意志が消失した
国家の意志はなくなっていたのである、結局アメリカの意志が国家の意志となっていたのである
そして対外的にも韓国に対しても国家の意志を明確に示したことはないのである
だから韓国はそれに乗じて日本は組やすしとして攻める一方だったのである
それが国家の意志を示したことで韓国は混乱したともなる

日本自体が国家の意志というのを戦後否定してきたからこれは政治的外交的に転換したのか?
国家の意志は戦争に通じるとして示さなかったのである
ただ国家の意志というとき国家が独立していないとできない、それでしきりに日本は国家が独立していないと言われてきた、それは国家の意志がないことだったのである
国家が意志をもつことは自らの軍隊を持ち自ら国家を守ることにも通じている
それは憲法改正へと向う布石とするのか?
それで日本がでも国論が分かれる、韓国でも分かれる、アメリカは突き放す
アメリカ軍は日本から軍隊を引き揚げると言う人がいる
ではその時日本は今度は強大化した中国と向き合うことになる
日本の独立が試される厳しい情勢になる

日本は国家の意志を示した

それは日本は再び独立するのだがそれは韓国を契機にまた国家が全面に出てくる
そういう歴史が日本には古代からあるからだ
それは国民にとって覚悟が要求されるとか厳しいものになる

日本国民も覚悟せよ!

それは戦争した時同じように平和ボケの日本を覚醒させるのか、それとも危険なものに向かうことになるのか?

そもそも国家の意志とは何なのか?
原発は国家の意志で作られたのか?廃止できないのは国家の意志だからなのか?
だから国家の意志はどうして形成されるのだろうか?
それは確かに世論が影響する、その世論とは必ずしも知識人だけではない、駅であった庶民感情も影響する、感情的になっているのが庶民でありそれが世論にもなる
でもその世論は誤っているとは言えない、庶民レベルで韓国人への傍若無人とも言える態度に耐えられないとなっていたからである 

「肉を切らせて骨を断つ」という覚悟を、日本国民なら当然持つべきである。党利党略に走って「制裁反対」を唱える左派野党や国民を惑わす左派メディア(在日韓国人)、目先の利益で韓国にへつらう財界人は、今や「国賊」以外の何ものでもない。

今や「国賊」以外の何ものでもない

これはかなり危険なことなのかもしれない、戦争に負けるまで(国賊)とかが言われたからである、これは右の勢力が左を国賊として糾弾する
国家の意志に反するものは国賊として糾弾する
日本が国家の意志を示すことはどっちつかずではいられない
戦後70年はどっちつかずでも良かった、アメリカの庇護のもとにあり日本は国家の意志を示す必要がなかったからである

いづれにしろ戦後70年で日本自体が国家の意志を示してこれまでの外交方針も変える
清算して変える、在日の勢力も日本を動かしているいるのでその辺にメスを入れるようになるかもしれない、日本はいづれアメリカが撤退したとき国家の意志を示す前に示さざるを得なくなるのだ、そういうことが今回の韓国との対立でありこれは韓国が日本に対抗できるのか、韓国人はその非力を知れと見ているが実際は日本自身の独立であり国家の意志を示すことは危機であり覚悟が必要だとなる
こういうことは戦後70年で経験していない
外交でもアメリカに追従していれば良かったし日本国家の意志を示す必要がなかったのである

でも日本自体がいろんな面で弱体化している、軟弱化している、ニートが百万人いるとかなんとか老人ばかりの国でこの辺では震災でも原発事故でも復興できない
これは韓国だけではない日本自体が厳しく問われる結果となる
日本人自体が相当な覚悟が必要だともなる
戦争ではないにしろ貿易戦争で日本自体も苦しむ、すると戦争のように日本国民として意志を示す、戦地に行くのではなくても痛みをともなう覚悟必要だとなる
日本はこれまでは経済成長一辺倒であり国家をもちだすことは否定されてきたのである
それは戦争の経験でそうなっていたのである
だから今回国家の意志をもちだしてきたことは国民にも厳しく問われることである
戦後70年であらゆるものが変革の時期に来たのである
これだけは確かでありそれが今回の韓国と日本のどちらも下がることができない対立となったのである


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危険だった熱中症の経験 (熱帯化する日本?)


危険だった熱中症の経験 (熱帯化する日本?)

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二年前だったか、春であってもこの症状がでた
その時4月でも暑かったのである、それで自転車で遠くへ行ってこの症状が出た

吐いた

痙攣した

これは明らかに熱中症としては重い、ぶるぶるふるえたからである
だから本当は救急車を呼ぶ状態だったのである
ただ一人暮らしはこういうときなかなか反応できないから不利である
家族がいないと体を気にしてくれないからである
だから一人暮らしの場合そのまま死にいたることもありえた
熱中症で最近死んでいるのが多いと見ているからである

何か毎日一応外に出る、そのあとぐったりする、それで毎日昼間寝ている
体がだるくなってそうなる、それで暑い所ではシスタとか昼寝の習慣があることもわかるまた暑い所はアジアでも昼間は活動できないので夕方から活動するというのもわかる

この辺は海が近いのでそれほど暑くならない、海から風が吹いてくるからである
でも中通りや会津となると盆地になり暑い、福島市だと35度とか蒸し風呂のようになる冬は会津だと雪になる、ここは気候だけはいい場所なのである 

暑いのは温暖化だけではない、コンクリートが舗装道路が暑い、それが熱となって暑くなる、土だと夏でも冬でも温度を調節機能がある
夏は涼しく冬はあたたかくする、それで農家の土間がそういう役割を果たしていたという何かそういう知恵があり建築もあった
その時クーラーがなくても自然のクーラーがあったとなる
おそらく自然のクーラーはいろいろな所に機能していた
温暖化は何なのか結局過度に人工化した環境で起きているともなる

子供の頃から高度成長時期とかずっとこんなに暑くなかった
その原因は何なのか?地球的規模の天候の変化なのか?
ただ地質学でみれば古生代にこの辺は海でありサンゴの化石があったとかフタバスズキリュウが海を泳いでいた、だから熱帯地域の時があったからそうなることもある
南相馬市海老村のマルハシャリンバイは南限の地として有名だった  

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仙台南西部に分布する東北日本太平洋側標準層序としての中-上部中新統及び鮮新統

heatsoma1.JPG

ジュラ系ー下部白亜系相馬中村層群の化石


こういうことでこの辺は熱帯地域でありそれで今でもこの辺は暖かいのである
それで「みちのくの真野の草原」の歌が奈良時代に入江になっていて歴史的境界と同時に地質的にも天候的にも境界線だったとなる
天候と歴史を深く関係している、ただこの温暖化は自然の作用なのか?人工の作用なのか?
別に自然の作用で熱帯化したからその時代にもどるのか?としたら温暖化はとめようがないとなる
氷河期もありそれは人間の力でとめることはできないとなる

いづれにしろ体がぐったりする、それは冷房のせいもある、これでクーラーがなかった熱中症になって死ぬというのもわかる
生活保護者でもこの辺でクーラーを備えてくれるようになったのもわかる
それは全国的に暑いからである、なぜ東北で岩手県とかがここより暑くなったり北海道でも暑くなる、それは内陸だと盆地だとどしても暑くなるからだ思う、気候的には老人は暑いのも寒いのもこたえる、だから老人が住みやすいのは今気候的には浜通りがいいとなるただ残念なのはフタバスズキリュウで双葉(フタバ)が有名になったのはいいが原発事故で有名になったのは最悪だったとなる

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2019年07月22日

日本の選挙は民主主義は崩壊している (自民一党独裁であり政権交代ができない)


日本の選挙は民主主義は崩壊している

(自民一党独裁であり政権交代ができない)


日本の選挙はもう機能していていない、結局何も変わらないとして選挙に行かない
選挙に行く前から決まっているからだ
何か変えたいとしても変わらないとして行かないのである
自民党一党独裁が変わらないのである

消費税はみんな反対

でもなぜ自民党に入れるのか?それはもう国民の意志が政治に反映されない仕組みになっている、その受け皿がないのである、だから投票しても無駄だとなり投票しないのである若者も投票しない、数が少ないから若者が望む政策が作れない、老人は投票に行くから数が多いから変えることができないとして選挙に行かない
つまり選挙に積極的に行く動機がなくなったのである
つまりすでに選挙に行く前から大勢は決まっているのである
浮動票があってもその行く先がないのである
それからすでにどこでも利権で固められていてそうした組織的バックをもてないものは当選できない、もう選挙などしても無駄だとなる
選挙する前に決まっているからである
そして投票率が低いからち組織をもっている公明とかが有利になる、組織をもたないものは不利になり勝てないのである

だから日本の民主主義はもう機能していない、民主主義の基本として政権交代がある
それもない、自民党永久政権のようになっている、批判勢力を吸収する野党がない
日本の野党の問題はあまりにも中国よりになったりして偏りすぎるのである
それは民主党政権でそうなって終始がつかなくなったことでもわかる
つまり日本はアメリカに逆らうことができない、それが大枠としてあるとき野党は共産党のように極端になるからついていけないのである
だからアメリカのように定期的に政権交代する仕組みを作るべきだとなる
それでトランプがでてきたときあんな人が大統領になるのかと誰も思わなかったけどアメリカのことを知っている人は政権交代がアメリカではあるから民主党の次は共和党になると言って当選すると予想した
やはりアメリカで暮らしていたからそういうことがわかっていたのである

それにしてもさくらチャンネルで生放送していたげど1万くらいしか見ていなかった
選挙放送にしても少ないと見た、生放送だからそうなっているのか?
youtubeは生放送はまだなじんでいないのか?
テレビのライブ配信もしているがインタ−ネットではそれほど見ていないのである
選挙ではもう視聴率がとれないからまた芸能人のスキャンダルを放送している
それは結局選挙でも政権が変わるわけではないから興味がないのである
消費税は大問題にしても結局それも阻止したくてもできない
結果的にあきらめムードになり選挙に行かないのである

だから選挙自体もう機能しないとき民主主義も機能しない、それですでに自民党一党独裁化しているのだ、ただ補完政党の公明が半分くらいになればまた自民党で別な党との連携を考える、それもまだなかった
ただ野党でも公明でもそうだが共産党でも65歳の老人が多いというときもう団塊の世代が75以上になるとそういう党はもう維持できないとしている
あらゆるところで高齢化しているのである
そして新陳代謝がなくなり日本自体が疲弊化しているのである
つまり日本は衰退して後進国になり滅びるとか言うのはそのためである
改革できなければ世界から取り残されて衰退して後進国になりやがて滅びてゆく
もう外国人が3割くらいになると日本という国が維持できないとしている
選挙権をもちその外国人が国をのっとることにもなるという
それも本当にリアルなのである、そのことでもう外国人労働者が都会には多くて仲間になっているから日本人は入り込めないとか言っている人がいることでもわかる

そして日本語が通じなくなる!

これも恐怖である、それだけ日本という国が衰退して危機的状態にある
それはあらゆる分野ではそうである、日本という国体が維持できなくなりつつある
そして自民党一党独裁になり日本の民主主義は機能麻痺化している
だからテレビでは芸能スキャンダルを選挙より優先している
ただ戦前のように国の縛りがなくなることはいいことだという人もいる
政治はそれほど社会で重いものとならない、その方がいいという人もいる
でも国が衰退すると全体的に衰退して個々人でも衰退してしまう
それでもう外国人が3割とかなり日本語が通じくなる時日本という国はなくなる
それも恐怖である

いづれにしろ二大政党が政権交代として機能させるために小選挙区制にしても機能しなくなった、一党独裁国家が日本なのである
だから政治改革もできない、選挙にも行かない、そして高齢化して日本は衰退して滅びるとかるのも怖い、常に時代が変わり改革できないと世界から遅れて三流国家に転落する
ただ政治は停滞しても経済の分野では容赦なく改革が迫られる
銀行が大リストラされるのもそううだし会社自体が維持できないからそうなる
そこでは個々人がその責任をとらされるのである
政治家は責任をとらなくても今度は国民が責任をとらされる
貧乏国家となり日々の生活もままならなぬとなってしまうのである
戦後70年でそういう大改革の時でもてきない、それで日本国家自体が崩壊してゆく恐怖である、だから選挙という手段では改革できない、そこで何が起きてくるのか?
何か外圧とか内部でもどうにもならなくなったとき暴力とかが大きなデモでも起きてくるかもしれない、つまり選挙には絶望しているからである
そういう危機的な状態になってくるのが2020年以後である
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2019年07月21日

平和な時代から動乱の時代へ (緊迫する韓国情勢をまとめる)

平和な時代から動乱の時代へ

(緊迫する韓国情勢をまとめる)

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2019年7月19日の深夜3時頃に、韓国ソウルの鍾路区にある日本大使館が入居するビルに 
78歳男性が車ごとつっこみ大爆発事故を起こした。 

男性が突っ込んだ車からは、ガソリン入っていた容器が2個、液化石油ガス20個、ライターなどが見つかり焼身自殺をはかったと見られる。 
男性は一命を取り留めたが、重傷を負い病院に搬送された


文大統領も娘家族をタイ王国に送り出したのです。タイは暫定軍事政権ですが、韓国よりもはるかに暮らしやすく、国民性は優しく温和。世界各国から多くの観光客が訪れる安心安全な国です。文大統領の権力は永遠に続くものではありませんから、大事な娘家族は韓国にいては危険だと感じ取っている表れです』と指摘する


韓国情勢は緊迫している、でも日本では日本大使館につっこんだ車のことは放送されない何かかなり緊迫してきている
文大統領が危険を感じて家族をタイに避難させたことでもわかる
何か米中の貿易戦争でもイランとアメリカの対立でも危険になる
2020年とか動乱が起きるとか地震とか津波が南海トラフで起きるとか不穏なことを言う人がいた

そもそも日本でも世界で動乱の時代に入ってきた
それは東日本震災の津波の被害から発火点だったのである
そして今度は外交問題で米中対立で貿易戦争になる

日本と韓国の半導体の争いもアメリカが背後にあり中国に半導体を輸出させないとして日本がアメリカの許可のもとにしかけたとなる
なぜなら中国でも韓国経由で半導体を仕入れていたされるからである
それで中国と対立するアメリカが日本を通じて中国に圧力をかける

【北京=時事】中国国営新華社通信によると、韓国サムスン電子が中国陝西省西安市で建設を進めている半導体工場の2期工事の総投資額が、140億ドル(約1兆5400億円)を超える見通しであることが分かった。2期工事は昨年3月に着工し、今年7月に完成、来年1−3月期の量産開始を予定している。

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中国とアメリカの貿易戦争でこれもアメリカに警戒されて日本がフッ化水素の輸出をとめる、すると中国でもスマホとか通信関係に影響する
つまり徴用工だけの問題ではない、中国もからんだアメリカの圧力があってこうなった
日本だけでしたことではない、だから事が重大なのである
日本だけだったら韓国でも対抗できるが裏にアメリカがかかわっていたらできない
現実にアメリカは仲裁もしないて応援していないからだ

アメリカが北朝鮮主導で統一を図ることを望んでいるというのも意外である
韓国は政治が不安定だから北朝鮮の方がいいとされるのも見方としてある
それで韓国は消滅するとかなる、北朝鮮が消滅するのかと思ったから韓国が先に消滅して北朝鮮によって統一される、それは高句麗の再現だと言う

百済が高句麗と戦い負けた、百済には武寧王陵がありそこを訪ねたことがあった
中国の南朝と結び煉瓦作りの王陵を遺した、そこには銀の匙まであり中国の影響で華麗な生活をしていたのである、そこには男性の王は金の棺に王妃は銀の棺に入れられていた
そしてその棺にコウヤマキが使われていた
それは日本製であり日本がでしかとれないものだったのである
そこに興味をもったのは金銅双魚佩が私の住んでいる近くで古墳から発見されたからである、これは東北ではめずらしいものだったのである
それが武寧王ともつながりがありそこを今調べて書こうとしている

韓半島とは古代からこうして政治的文化的につながりが深いのである
渡来人も大量に来ている、百済と日本は一体だったともなる
そういう歴史があり半導体というとわかりにくいにしても技術的にも深いつながりがあるそこでその技術を廻って争いが起きたことも歴史の継続だとなる
ただここに強大なアメリカが加わったことが古代とは根本的に違う
それがさらに複雑なものとしている

ニュースは日々変化していろいろあるが意外とテレビではすべて放送されない
するとこうしてニュースを自分なり編集することがわかりやすくなる
でも暇がないとできない、それでテレビで編集されたものを見る
そして肝心なことが報道されないから偏った見方になるのである
何かニュースでも自分なりに編集するなりして消化する、それが情報社会で求められている、ただそうなると時間がかかるから普通はできないのである
そこにいくら情報が大量に出ていても消化しきれないという問題が生まれている
ただこうして自分なり編集して消化したしときやはり見えてくるものがある

いづれにしろ平和な時代が終わったのかと思う、何かもっと大きな動乱が起こり内外が乱れる、もう経済でも銀行はなくなるとかリストラとか平均収入が300百万以下になるのが普通だとか終身雇用がなくなること自体が大動乱なのである
結局戦後70年とか特別恵まれた平和な時代だったとなる
日本では特にそうであった、高度成長が終わり30年くらい停滞したが平和であった
そうした安定した平和の時代は終わり動乱の時代となる
そのきっかけが東日本大震災の津波と原発事故だったのである
そうして自分自身も大動乱を経験して四苦八苦したのである



posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月20日

なぜ選挙に関心を持てないのか? (直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


なぜ選挙に関心を持てないのか?

(直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


選挙でもそうだけで現代社会は広域社会でありグロ−バル社会である
そうすると人間の関心は村社会で生きていたような時代とはまるで違ったものになっている、あまりに広いから関心をもつのにもできない
ただ悲惨な事件でも我が身に及ばないならニュースはショーであり娯楽なのである
もしそういうことに関心をもつとしたら何かしなければならないとかなる
だから災害でも少しの金でも寄付すればかかわることができるとはなる
その寄付するにしてもその金がどうなったのかなど皆目わからない
それでその寄付金は寄付金を集める人に流れたとか肝心の被災者に届かなかったとかなっている
金の流れどうなっているのかわからないのである

この図は自分にかかわった人で自分が金をだした人への金の流れである

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困窮者は低年金でとても生活できない、40才くらいの息子がいる
その人は建築土木関係の会社に入っている
非正規とは違うからそれなりに収入はある
でも今南相馬市から青森の施設にあづけた、南相馬市では介護士不足で空き室があっても介護できないからだ、それはここだけの問題ではない、介護士不足は全国で深刻なのである、青森は仕事がない場所だからそういう人を引き受けている
そして40代の息子は独身であり保証人になっているからそこは安いとしてもその他金が請求されている
そして65歳以上の親が息子に金をせずる、前は近くにいたから弁当とか用意していたから食費とかもらっていたから良かった、青森の方に行った結果それがもらえないのであるそれでまたお盆で9日間休みになるとか困ったと言っている
これは非正規とか派遣でもその休みの間に金がもらえないと困るという人達がいた

そして自分がなにもしてもらえいのにその人は何回も食べることすらできないとか電気水道やガスがとめられるとか来る
そしてガス屋なのか張り紙されたとか言う、常に困窮している
それは年金はわずかでありとても生活できないからである
なにか4,5万くらいしか年金をもらっていない人がいる
生活保護がいいというがこれは簡単にもらえないのである
生活保護でも住む場所によって福祉サービスは違っているからもらえるとは限らないのである

このことが選挙と何か関係あるのかとなると関係はある
このことがまさに今の政治の問題としてあるからだ
年金問題、ロスジェネ問題、介護問題とかが深刻だからである
でも私が払った金の流れは見える、どういうふうに金が流れてそれが利用されて活きているか見えるのである
では選挙となると自分の一票がどうなるのかそれがわからない
それは金の流れと同じである

選挙でも争点がいろいろある、どれ優先課題にすべきなのか?
どっちにしろ同じではないか、政治は遠いから選挙に行かないというのもわかる
選挙日々の日常活動から離れていると感じる時、それは広域社会でありグロ−バル社会になるのとにている
あまにりも広い範囲で人を選ぶ、そして日々の関心事と結びつかないし無力感だけがある選挙に行っても何も変わらないとなっている
つまり現代の民主主義は範囲が広すぎるし日々の生活から離れている
議員にしても国政となると日々の生活から離れている、めったに直接会うこともできないだからギリシャのポリスだったら選挙があったとしても一万二万のレベルだったのであり直接民主主義で選んでいたのである
だから国単位になると広く大きくなると関心が薄れてしまうのである
日々の生活で困ることがあるがその生活から離れているから政治は遠いとなる

消費税は上げることは反対

これはわかりやすいからみんなそうである、でもそれだけで選ぶのか?
他にも国際政治問題とかありむずかしくなる
私は無党派だから選挙に行っても何か選ぶのが適当でありわからない
本当は私も選挙に行きたくないのである、どの人を選んでいいのかわからないのである
比例とか全国になると人気投票みたくなるのもわかる
広すぎでその人がどういう人かなどわからないからである

もう選挙を中心として選ぶことが機能しなくなって民主主義の危機だともなっている
ただどこでも日々生活して要望することはある
でもそれは個々で違っている
そして大事なことは関心をもたないことで原発事故のようなもう住んでいた場所に住めなくなるということが生じたから無関心は本当は怖いものなのである
でもあらゆることに関心をもてないのだ、それは関心をもつ範囲が広くなると関心がもてなくなる、それは金の流れでも広域化してグロ−バル化するとわからないのと同じなのである

ある人が関心をもたせることもむずかしい、それで大学生が選挙に行かせるためにボランティアして電話したが苦しいとなる、聞いてくれないとなる
それは自分も駅でボランティアしていたから痛いほどわかる
鉄道にはそもそも関心をみんな持たない、駅はどうでもいいと思っているからだ
別に困らないと思っているからだ
だから関心をもたせることは不可能だとなっている、だから何でも関心をもたせようとすることそれを無視することは危険である

一応話だけでも聞いてやる姿勢が必要である
関心をもたせようと努力する人はやはり何かが社会を良くしようとする善意があってしているからである
ただ何でもすすめるのがいいとはならない、カルト宗教団体などはかえって害になる
でも何でも無関心であることは本当は怖いことになる
それを原発事故でこの辺では痛いほど知った
自分自身全く無関心だったからである

国政選挙の問題はその関心が広すぎることなのである
日常生活から離れている、日々の生活は狭い範囲でしている、だから細部が大事になる
でも国政となるとそうした細部とは関係なくなる
それで一票投じるしもなにもかわらないとなるからだ
現実に駅でも行く先の表示がないとかささいなことでもJRに言ったら表示してくれたとか何か改善されたことがあった
だから何か困ったら言わないと改善できないのである
そしてささいなことでも改善されたら何か主張して言ったことが通ったとなり成果があったともなる
そういうことが政治にはほとんどない、国政選挙になると特にそうである
すでに大勢は決まっているのとかなり無力感だけが残る
若い人が投票しないというとシルバー民主主義となり老人が数で圧倒しているから老人に有利になり無駄だとなるのもそうである
数だけですべてが決められるから不満なのである
だから選挙とか民主主義は行き詰まっている、それで支持政党なしとい政党が生まれたのも時代である、何かここに入れるほかないと自分自身も思ったからである







posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

京アニ放火事件 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


 京アニ放火事件

 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


・NHKの取材で主要メンバーが集結 
・通常はカード認識式で一般人は入れない 
・今日は打ち合わせのため警備システムを解除 



これ話題になっているけど偶然の一致にしてはできすぎているとなる
用意している者がおおがかりなのである
だからその日に確実に犯行ができることを事前に知っていて用意した
わざわざ関東から来て犯行できることを確信していてその日に来た

まさかNHKがお膳立てしたとはありえないだろう

ということは情報がどこからかもれたとなる

ではどこからもれたのか?誰からもれたのか?

そこを追求することが大事になる


セキュリティの費用を減らしているというのはわかる
コストがかかるしそこに金をかけても利益をうまない
それは原発事故でも津波のことは13メートル級のものが来ると東電では予測していた
その備えができなかったのは金がかかる、コストの問題だったからである
百年に一度とかのことに備えられないというのもわかる
ただ建物も専門家からみて非常に危険なものだった

とにかくこの事件はなになのか?

41歳の独身で前科があり自暴自棄になったのか?

この年になるとそうなりやすいのである、人生をあきらめる人がでてくる

何かアニメにこだわっていたということも40才にしてはおかしいとなる

それは自分自身も社会からはずれておかしな方向に行ったからこの人はすでに犯罪者であり社会からはずれていたのである
犯罪者であれニートであれ社会から一旦はずれると暴走することもありうる

とにかく今回はNHKが取り上げられるのも何なのだろうとなる
NHKを批判して参議員に立候補した人もいた
NHKとは何かと話題になり批判がある
NHKの言うことはそのまま信じやすいのである
とくにテレビ世代の団塊とかになるとそうである
ネットを知らないそうなりやすい

ただ今はあらゆる雑誌でも新聞でもマスコミでも批判の対象になる
今まではうのみにしていたが批判の対象になる
マスコミとかは必ず偏っているのである
その原因が収入を会社の宣伝に頼っているから偏るのである
宣伝費を出す会社の悪口は書けないからである
そしてこれまではテレビでも新聞でも雑誌だって出すに金がかかっていた
今ならyoutubeでテレビ放送でもできるしインタ−ネットでyoutubeでライブ配信もしている、するとテレビの電波放送も必要なくなると見た

NHKがこの事件にかかわっていることはテレビや新聞やマスコミではわからない
また即時性でもインタ−ネットは早い
そんなことがあったのかと驚くことがある
これはインタ−ネットから拡散する

NHKでなんらか説明が強いられるかもしれない

偶然の一致にしてはできすぎている

現代はインタ−ネットで一億総記者になっている、自分もその一人である
だからこれは隠すことができない、NHKの偏向報道を盛んに言う人がいる
これはNHKにとっては苦しいことになると見た



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2019年07月14日

山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判 (創価は分裂するのか?)


山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判

(創価は分裂するのか?)


「創価学会員の票を切り崩すしかありませんね。学会員の中には、今の公明党や創価学会に不満を持っている方が多くいると思います。そういう方たちを説得したい。学会員には原点に戻って欲しいですね」

 と語る野原氏



山口代表と創価学会員の野原氏が同じ選挙区で戦う

これも前代未聞だとなる、創価はこうして分裂して力を失ってゆく
ではなぜそうなるのか?池田大作会長が病気になって生きているのか死んでいるのかわからない状態で分裂してゆくのか?

政教一致だから政治での対立が宗教での対立にまでなり分裂

創価は完全に政教一致なのである

一票入れたら成仏する

入れない人は福運がなくなる→地獄行き

現実に選挙は信仰を示す最大の戦いである、選挙のためにあるのが創価である
そして選挙の時は拠点に集まり池田大作先生のためにと御本尊にく祈りフレンド票をとりにゆくのである
それは常時そうなのである、すべて選挙のためにある
選挙に勝つことが日々の活動なのである

選挙の勝利は仏法の勝利

だから政治で分裂することはありえないのである、政治の政策でも分かれれば組織全体が分裂する宿命にある
なぜなら政治と宗教が完全に一体化しているからである
政治が俗世のことが聖なる宗教と一致しているからそうなる
分離ししていれば政治で分裂しても関係ないとなる

宗教と政治が一致すると日本の戦争でも祭政一致になればどうなるのか?
それは戦争でも証明された、宗教は神は絶対だから日本に味方するから勝つとなる
その他のいろいろな条件が不利でも神が味方しているから負けることはないとなる
そのことで300百万人が死んだのである
これはまた違ったものとしても基本的に国家も実際は俗世的なものだが国家の神聖化は歴史で起きてきたのである、神聖ローマ帝国などと呼ぶのもそうである
政教一致の歴史が普通だったのである
それがフランス革命でカトリックの呪縛から離脱した、カトリックも強力な政教一致体制たからである、そういう歴史が長いから宗教に対して反発も強いものとなった

政治で対立→宗教で対立→分裂

こうなりやすいのである

ヨ−ロッパでは

宗教で対立→カトリックとプロテスタントに分裂

ヨ−ロッパでもカトリックとプロテスタンとは宗教で対立するから政治的にも対立して
アイルランドはカトリックでありイングランドはプロテスタントで差別されたのでテロになったのである

宗教対立→政治対立

政治対立→宗教対立

こうなる歴史がある

ただもともと創価は政治色が強い、日々の活動が選挙のためだというときそうである
政治権力を得るための闘争なのである、なぜなら御利益を福運を得るというとき政権をとりそこで御利益を配分することができるからである
創価も時代の産物だったのだろう、東京とか大阪で増えたというときそれは都会型宗教だった、戦後戦争に負けた精神の空白状態をうめるとか団地の宗教というように何かそこで新たな共同体を求めたのである

いづれにしろ完全な政教一致となると日本の戦争のように政治でも批判できなくなる
必ずあれだけの集団でそうして政治でも宗教でも批判すれば罰あたると祈りもするからである、宗教はそもそも批判を許さないものだからである
ただ政治になるとどうしても批判がありこうして政策が違うこともある
ただそれが完全な政教一致だから政治で分裂することは宗教でも分裂してゆく
政治で敵になることは宗教でも敵になってしまうのである

この政教分離問題は人間の歴史では実際はエジプトでもイスラムでもどこでも政教一致だった
政教分離の方が歴史としては浅いし新しい思想だったのである
ただ宗教も必ず俗化する、創価は前から数を集める一票を集めることを最大の目的としているから今回のように政治で分裂するとその本体の宗教団体も分裂しやすいのである
こうしたことが分裂のきっかけになり勢力は衰えてゆく
だから今度は自民が公明と一体なのだからその影響が国政にかかわってくるのである
自民が公明と組んだことで今度は自民が大きな影響を受ける
安定した票田を失うからである
自民党は弱体化して政権がゆらぎ国政も変わる、だからもともと宗教団体と一体化するべきではなかった
一時的には楽に票が得られるとしても政教一致の火種をかかえていたのだから慎重であるべきだったのである

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2019年07月11日

かんぽ生命の不正契約問題 (被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)


かんぽ生命の不正契約問題 

(被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)

「私の姑も信頼していた郵便局員に騙され、一時は月に30万円以上もの保険料を、かんぽ生命に支払っていたことがありました。きっとほかにも被害者が大勢いるに違いないとは思っていたのですが、これほどの数とは……、ニュースを知って驚いています」と語るのは、東京都在住の40代主婦・A子さん。

その返戻金で、また新しい契約を結ばせることを繰り返していました。姑は保険の内容について十分な説明を受けていませんでしたが、『郵便局のXさんが“いい保険ですよ”と、おっしゃっているから』と信じ切っていました


これも地銀の投資信託とにていた

まず地銀を銀行を信用していた

高齢者がねらわれた

仕組みがわかりにくいから契約した


私の場合もこれとにた経験をした、まず利子がつかないからと投資信託を進められた
その人は証券会社で働いていた経験があるということで現場を知っているのかと思った
勧誘の手口は

銀行ではもう利子がつかない

では銀行は何でもうけるのか→投資信託がいい

なぜなら投資信託は絶対に銀行が損しない商品だからである
そして地銀などは株とか投資信託でも全くの素人と同じだったのである
まず売れば手数料が確実に入る、投資信託で客が損しようが全然関係ない
銀行は絶対に損しない商品でありリスクをとる必要がないのである
だから売ってはまた買わせたりする、転売するとその時点で手数料が入る

そして最初カナダが石油がとれるからとか国債を買った、後はアメリカの投資信託を買った、それから今度は為替差益で失敗したから日本のリートを買った
こうして売ったり買ったりしているとその都度手数料が入る
あとで定期的に手数料が入るのが投資信託なのである

つまり今は銀行にあづけたらこうして利子がとられる!

かんぽの保険でもそうである、なぜ高齢者がねらわれるのか?
それはこれまでの郵便局とか地銀でも信頼関係を結んできたからである
必ず今でもそうだが一軒一軒回って対面的に信頼を築いてきた
そういう時代は必ず利子がついていた時代だったのである

だから高齢者そうした時代の感覚をひきづっている
郵便局と銀行は信頼できるという感覚である
それは高度成長時代に築かれた感覚なのである
その高度成長時代が終わると郵便局でも地銀でも経営が苦しくなった
もうけることができなくなった

そして高齢者にはまだ金をもっている人が多い

金融資産は60代以上の人に集中している

ではこの人たちをターゲットにして金をとろう

こういうふうに時代が変わってしまったのである
銀行とかに金があっても投資先がないのである、もう資本主義自体がそこでゆぎづまっているのである
資本主義というのは常に投資先がありそこで投資してもうけて株主に分配する仕組みである、その構造自体が機能しなくなったのである
ではどうして収益を上げるのかとなるともう詐欺的商法しかないとなる
つまりオレオレ詐欺のような商売になってしまったのである
これはもう資本主義とかの根幹が崩壊してきているのだ

それはグロ−バル資本主義でもそうである、世界でもそういうことが起きている
経済は成長の限界にきたのである、もう投資して利益だすことができないのである
そういう社会になった時人々そういうことが理解されていないのである
私自身もそうである、まだもうけが得られると思っていたのである
確かに一部の優秀な人は専門家は株とか投資信託でももうけている
それはもう例外的な存在であり大方の人は関係ない世界だったのである
それで金融商品をもっている高齢者はカモにされるだけだとなる

ここ十年で自分が経験したこともそうだった、金に窮した人たちが襲って大きな被害を受けたからである

それで

ブルータスお前もか

地銀もお前もか

郵便局もお前もか

郵便局もそこに加えられたのである、誰も信用できない社会となっている、それだけ会社でも安定してもうけることができない社会になっている

社会は世間は時々刻々変わっている、その変わり方のスピードが速いのである
「無常迅速」なのである、すると老人はそうした変化についていけないのである
つまり郵便局とか地銀はこれまで地域で信頼を築いてきていた
だからまず郵便局とか地銀となると地域の人たちは特に年寄りになると親しみがあり信用してきた、そういう身近なところで信頼関係が崩壊してきている
そういう身近なところで大きな変化があるということは社会自体がこれから大きく変わってくる、大企業の終身雇用すらもなくなりこうした地域の一番信頼ところでも信用がなくなり地銀などは消えてゆくとされる

ただ高齢者は時代の恩恵を受けてきた、銀行にあづけて利子が7パーセントある時代があったからだ、それで資産を築いた人が多いのである
だからこそ地銀であれ郵便局であれ信用されてきたのである
それだけ恵まれた時代だった、今の時代の人は恵まれない
低成長と日本の貧困化社会の中で生きるほかなくなっている
そういうなかで淘汰されるものが増えてくる
それで若い世代は厳しい時代になる、その影響を老人も受けるようになったのである


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2019年07月06日

半導体で韓国との対立激化の深層 (韓国にリーズンがあるのか?)


半導体で韓国との対立激化の深層

(韓国にリーズンがあるのか?)

韓国となぜ日本をこれほどせめてくるのか?国際法的には戦争のことは解決したとされるそういうこととは関係なく執拗に謝罪を要求して日本から賠償金を得ようとしている
何を目的でそうしているのか?金なのかとなる
日本は攻めやすいから攻めてくる、日本に謝罪させることで頭を下げさせて優越感にひたるためなのか?
戦争という力の争いの前にリーズンの言葉の争いがあると林秀彦を外国経験から言う
日本にはリーズンがない、リーズンを理屈を言う人が嫌われる

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)

これが日本人である、何か対立をさける、狭い村とかの中で何千年とたきいして争いもなく暮らしてきた、世界史では民族と民族が争い根絶やしにされるか、奴隷にされる熾烈な歴史である、そこで言葉も武器でありリーズンにこだわる
物を買うのでもリーゾナブルだとして納得する、ただなぜ安いのか高いのかと問いつめないのである、外国人旅行者は白人は無駄な金を払わない、リーゾナブルでないと払わないのである

そして日本人はなぜなのか、リーズンを追求しない民族だ林秀彦は言う
question→quest→requestになる、questは追求するという意味である
欧米人はquestionからquest(追及する)ということが非常に強い民族である
だからこそ科学が進歩した、そこでは常になぜなのか?という問いがあり科学が進歩するからだ
日本人にはこのなぜなのかという問いがない、考えない民族だとしている
それは原発事故でもこれだけの大被害があったのになぜこんな大事故になったのか?
なぜなのかということを追求しない、私は追求してきた
ただ科学的なことがわからないから追求しにくかった

なぜ戦争になったのか?

なぜ敗北に至ったのか?

誰に責任があるのか?

なぜ原発事故は起きたのか?

誰に責任があるのか?

そういうことが原発でも明確にされていないのである、そして誰も戦争と同じように責任をとらないのである、なぜならなぜそうなったのかそれを追及しないからである
事の成り行きだともなる、自然に起こった、自然の災害だったとかなり誰も責任をとらないのである、それは人間の責任ではなく自然の責任だとしたら人間に責任はないとなるからだ、ただ原発事故は確実に人間の責任があった、でもそれも追求されないのである
結局戦争と同じくみんなに責任がありみんなに責任がないとなってしまっている
それはリーズンを追及しない民族だからと林秀彦は言っている

だから韓国がなぜ日本にそれほど請求するのか、謝罪を要求しつづけるのか
そこにリーゾナブルなものがあるのか?
ただ自分自身もそうしたリーゾナブルを追求できない、勉強していなからだ
でも韓国でも日本でもリーゾナブルを無視するようになり力の衝突になるとき危険になるまだリーズンでの争いなら死者は出ないからである
リーズンで解決しないとなると戦争になる、力のみが正義となってしまうからである

たいがいいくら戦争でも時効になっているともなる、戦争のことを言うときりがなくなるそれは日本自体も戦争の被害者にもなっているからだ、原爆がそうである
戦争はみんな被害者になる、日本が加害者というだけではない朝鮮戦争ではアメリカが加害者だとなる、でも韓国は中国とかアメリカには何も言わない、怖くて言えないのである日本だと弱体化したから言えるのである

韓国との関係で複雑なの在日である、この人たちは日本に属しているのか、日本人なのか韓国人なのか?それが明確でない、ただ日本の支配層に食い込んでいるからやっかいである、NHKでもマスコミでも在日の勢力があり支配されていると言われる
在日とは韓国の代弁者であり韓国なのか?でも韓国に還るのが筋だとしても韓国では在日を受け入れていないのである
だから在日とは何なのか戦後70年で明確化して清算が迫られているともなる

そして日本の危機はやはりまた朝鮮半島から起きてくるともなる
そこはアジアの火薬庫になっているからだ
中国がアメリカと対等となりその力もアメリカを上回るとどうなるのか?
中国は韓国と一体化して日本に迫ってくる
その時どうなるのか?モンゴルが攻めてきたとき同じような状態になる
その時アメリカもう弱体化して撤退している
その時日本はどうするのか?そういう危機が迫っている
日本は地政学的に孤立しやすいからである、海に囲まれて守られていた同時にそれが逆に孤立しやすい文明と文化を作ってきたからである
アメリカは離れすぎているから頼りにならない、また離れすぎていて相互の交流がなく戦争になった

中国と韓国はつかず離れずの距離でありむずかしい関係にあった
とにかくアメリカが日本から撤退する時どうなるのか?
北朝鮮と韓国はその時統一する、なぜなら中国がかかわりそうなる
アメリカが日本から撤退すれば必然的にそうなる
そして日本は孤立して共同する国もないのである
今度は中国の属国ともなる、つまり朝鮮半島の関係は必ず中国が背後にあって中国との関係ともなる
それは古代からそうだったのである、百済の興亡がそうだった
韓国は古代から統一されていない、分離した国だった、それは大陸につづいているからそれで統一が保てないのである、大陸から異民族が押し寄せて蹂躙されるからである

いづれにしろ韓国がやっかいなのは中国であれロシアであれアメリカでもかかわってきた大国の対立の場になっていたことである
朝鮮半島はそうした大国の圧力の中で引き裂かれた国になった
それが日本でも小国化すると大国によって中国とかロシアによって分断されることもありうる、戦争に負けたとき日本国土が分断される危機があったからである

だから国際政治で日本の危機がまた迫っているのかもしれない、日本には戦後平和を享受してそういう危機感は喪失した、日本人の一体感すらなくなった
ただあくことなく利を求める民族になった、猛烈な企業戦士となったのもそのためであるそれが戦争に負けたものとしてアメリカに対抗するものとしてそうなった
日本の国威高揚するものは経済でありそれしかなくなったのである
そうなった民族が戦前のように全国民一体となれるのか?
天皇でも戦後の天皇は平和の象徴でもあった

そして何か話題なる時、平成天皇なら美智子妃との恋愛とか結婚だったのである
テニスの天皇だったのである、天皇から日本の威厳など何も感じなくなったのである
それは戦争に負けた結果としてそうなったのである
でも天皇は日本の国の歴史と威厳をもつものでありそういう私的な身分ではない、公のものである、ただそもそも戦後は日本の公(おおやけ)は喪失した
ただ利を得ることしかない、官僚でも政治団体でも会社でもカルト宗教団体でもすべて利を求めて画策しているだけなのである

はたしてそういう国が独立して日本の威厳を示せるのか?
国民も金と享楽しか求めていない、惰弱の民となったのである
そんな国民がとても戦争に耐えられないだろう、戦う意志もなくなっている
だから「日本は奴隷になった」と林秀彦が痛烈に日本をこきおろしたのである

ただ今回は日本も具体的に抵抗の意志を韓国に示した、これは結構大きな決断だった
実際会社の経営にも影響するし国民にも影響するかもしれない
日本の尊厳を保つために韓国に日本の意志を示したから今までにないとを決断したとなる日本は戦後70年過ぎてようやく独立国家として再び立つときが来たとなる
でもそういう覚悟が惰弱化して日本国民にあるかとなるとない
今回の決断はそういう惰弱な日本から独立国家としての威厳を保つ方向に舵をとったともなる、でも国民にはそういう意志は覚悟はまだないのである 
だから一気に日本が他国に蹂躙されてしまうかもしれない、その発端になるのが朝鮮半島なのである


posted by 老鶯 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層