グローバル経済は精神の自立も奪うから問題−アメリカのラストベルトの問題
【昔の山村は自給自足であり都会に頼らないから自立する誇りを持っていた】
富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹
都会の人が富んでいようが自分には関係ない、炭焼きで自立して暮らしている、これは炭焼きして自活していた時代であった。戦後十年も炭の生活だった。だからこそ田舎では自給自足で自立していたからこういう自負があった。
国に頼っていない、都会にも頼っていないから都会の人に税金の無駄使いなどともいわれなかったのである。今からすると貧しいのにそういう自負があったということを見直すことになる。おれ達は東京のお荷物ではない、国のお荷物ではない、自分達のことは自分達でまかなっているとうい自負があった。
グローバル化とこのことは何が関係があるのか?なぜトランプ大統領はアメリカファーストというときこの問題と似ている。
グローバル化でアメリカは得していると思ったらアメリカは損している世界に対して関税を高くするようにしたのである。
グローバル経済とは個々の国でも自立するのではなく、世界に依存するということがある。
まず、石油時代になれば日本には石油がないのだから外国から石油を輸入しなければならないのだからエネルギーの面で自立できないのである。すると、絶えず中東のことが問題になる。そこで何か問題が起きると石油が入らなくなると不安になるのである。
そしてあらゆることが石油が関わってくると石油が入ってこないということは国が維持できなくなるともなる。
その点ではアメリカ何でも自立できる供給できるから外国から輸入しなくてもやっていけるとなるからアメリカフアーストになる。ただ車にしても世界にサプライチェーンがあり車でももはやアメリカだけでは作れないシステムになっている
だからアメリカの関税をあげることは自分の国に跳ね返てくるとされる
ただグローバル経済の問題は昔のグローバル経済の問題は昔の自給自足の経済と何か似ている。
アメリカの製造業のラストベルトでは製造業が世界の競争に負けてその誇りを失ったとしているからである。
つまり、それは炭焼きをして、自立して都会に頼らず暮らしていた山村の問題とも似ている。
自律性が失って誇りも失ったということである。
すると今過疎化している山村は炭焼きの時代に戻ればいいとまでなる。またアメリカなら、そのラストベルトでも世界から車を輸入するのではなく国内だけに消費さればいいとなる。それは技術的に劣ったものでもその方が良いというまでになる。
要するに自立性がなくなってしまうことで問題になっている。
そしてそれは精神的にも影響してしてそれは人間の生きる誇りすらなくなってしまう。だから、グローバル経済というのは返って自律性をなくしてその国の地域の誇りすら奪ってしまう。ただ、グローバル化経済でアメリカがグローバル化経済でアメリカが一番得したのかと思っていたら違っていたのである。アメリカはグローバル経済の一番の被害者だと言っていることが奇妙に思えるのである。
グローバル経済でアメリカ人の誇りまで失われたというのはそのためである。
日本にしても、なぜ農民がコメ等作っても金ににならないとして誰もやりたくないそこに誇りを持てない。
その問題も同じ根から発している。今、米が高くなりすぎてそれならベトナムから米を輸入すればいいとかなる。
一部のレストランとかではそうなっている。また日本人は米が高いからパンであれパスタであれ別なものを食べるほか無いともなってしまう。すると、日本自体の文化も失われ、誇りも失われてしまうかもしれない。米というのは必ずしも腹を満たすだけではない。長年の日本で培われた文化だともなるからである。
でも、技術競争は世界で熾烈に行われておりそれに破れたものは。こうして自立性とか誇りまで奪われてしまうのである。
でも、アメリカがグローバル経済で一番損したということは理解できないことであった。
アメリカが世界からグローバル経済によって富を収奪したと思っていたのである。実際はアメリカの富が奪われたと言っているのも意外だったのである。
なぜ日本で米に高い関税をかけているかといえば外国から米が安く入ってくれば食料まで外国に依存するのだから何かあったとき米が入ってこなくなり日本人は飢え死ににしているとなる。それは、食糧を外国に握られているからである。
外国から日本には輸出しない。そうさせたくなければ従いと外国から言われる。実質、外国によって支配されることになる。
だからグローバル経済というのは、世界的経済戦争であり技術戦争でありそれに負けたものは他国に支配され、奴隷化されるということである。それがアメリカでもそうなっているということが意外だったのである。
やはり人間はそうして他国に従属して奴隷のようにされるより支配されるより自立して生きたいということがある。そこに精神の誇りを持ちたいということがある。それは、昔の山村で炭焼きをして、自立して生きているから都会の人にとやかく言われる必要がないというのとも似ている。
なぜ今の過疎地帯が山村は都会の人からいろいろ言われるのは電気であれ水道であれインフラの整備が東京とかでも都会の人がその税金を出している地方交付税で出している。そういうインフラを整えるのに都会の80倍もかかるとかなるからである。
人間というのは、やはり自尊心があり誇りがありそれが失われることに耐えられない。だからこそ国同士でも自立して存在した。独立して存在したい。そのために戦争でもする。そういうことをグローバル経済では、ただ経済中心になり精神的なものを無視しているから問題になる。グローバル経済は精神の自立も奪う武士は食わねど高楊枝とかの諺があるがこれもたとえ貧乏でも、武士には誇りがあるとなる。つまり人間は誇りを最も大事でありそのためには戦う命をかけても戦う性質がある
ただ食うために生きているのではないからである。食料を得るためにだけに物を得るためにあけ生きるのではないからである
そもそも精神的自立性という時日本はアメリカに負けて失ったのではないか、国が独立自立が失った時また個々人でも自立が失ったとなる。それがグローバル経済でアメリカに起きているというのも意外だったのである。
中国の貿易戦争に負けるときそれはアメリカの誇りを失うから耐えられないとなっている。それは中国でもメンツを重んじるとかで同じなのである。日本はアメリカに負けてそうした精神の自立を失ったのである
やはり自国は自国で守らなければアメリカに頼っていただけでは自立はできないとなる
アメリカは日本のために戦うとか世界をリードする時代は終わったとなる。ただそうなると中国、ロシアとアメリカと接して
日本は相当に苦しい立場になる。でも人間は誇りを失いたくない、それがアメリカに起きていたことが意外なのである
アメリカのテスラなどでは自動運転がすでに行われて実用化しているという、やがて日本もそうなる
つまり電気自動車は通用しなかったとか言われるのは日本車がまだ世界で通用するという偏向報道だと加治将一氏は言っている
すると日本車も将来売れなくなるのかとなる。そうなったら日本は売るものがなくなりどん底になる
そのことは日本では報道されないからみんなわからないという
それは常に高度成長時代にジャパンアズナンバーワンとしてアメリカを見下していた時と似ている
日本はすごいとか礼賛されだけだったがたちまち今や日本ついて悪いことばかり言われる
だから自国礼賛も危険になる、太平洋戦争でもアメリカなどたいしたことがないという傲慢から戦争になったからである
ただその時情報不足があった。それでも外国のことが正確に報道されず日本礼賛になるとき危険である
アメリカがいいというのではなく人間は奢る時危険になるからである。
だから本当の実情を報道を知るべきだとはなる、結局外国は住んでみないと実感できないから判断が誤るのである