2023年11月21日
権力と権威の混同−池田大作死亡で起きること 【人は純粋な権威より権力を求め権力に従う】
2023年11月19日
池田大作氏死亡 共通しているカルト教団の構造 【宗教を語りこの世の権力を追求した】
2023年11月18日
ハマスに拘束されている外国籍保有の人質は120人、27ヵ国にのぼる 【出稼ぎ外国人が犠牲なった理不尽も考えるべき】
2023年11月13日
なぜ戦争がなくならないのか 【人間のカルマが解消されず繰り返されるから】
2023年11月07日
イスラエルの問題の根はアブラハムまで遡る 【ガザの問題は解決していないから再発した】
2023年11月05日
大陸と日本の地理の相違―塔は外敵が攻めてくるのを見張るため 【歴史的トラウマを持つロシアでもユダヤ人のことでも知るべし】
ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。
地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン
2023年10月25日
今回のイスラエル問題は聖書の理解が不可欠 【神は活ける神であり人間にかかわり続けている】
2023年10月24日
イスラエル民族主義が問題の根源にある 【石を投げて戦うガザの人たちはゴリアテと戦っているのか】
2023年10月21日
なぜ欧米はイスラエルよりになるのか。 キリスト教徒は聖書を基本にしているためイスラム教のコーランは読んでいない
2023年10月20日
イスラエルへのハマスのテロ 【宗教がからんで奇々怪々にインターネットで多角的に見る】
2023年10月19日
国家は国土は土地をめぐって争いが終わらない 【アダムの意味は土ーー地から離れて天の国に行く】
2023年10月18日
イスラエルのカナンの地の重要性 【ロシアはカスピ海を通じてイランに接していた―空間軸と時間軸で見る世界情勢】
2023年10月17日
なぜ今回のガザのハマスのテロは恐怖なのか 【第三次世界大戦を予兆されるからーロシアが背後で関わっていた】
2023年10月13日
イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言 【人間の業として土地争いが戦争の原因】
2023年10月04日
総務省は戦前は警察を動かす権限があった (県の政治のことは無関心なことの問題−内堀知事の問題)
2023年10月02日
空き家1000万軒にもなる (個々人では解決しない社会全体の問題になっている)
2023年09月27日
一軒の家がまだ壊される (増える空き家の問題)
2023年09月26日
内堀福島県知事は総務省の工作員だった! (ジャニーズのTOKIO課があり依然として応援している)
2023年09月23日
今地球に何が起きているのか―リビアの洪水被害 (自然災害も政治的なものが関係している)
2023年09月18日
悪は権力によって隠蔽される (ジャニーズ事件の深層ー背後に権力を持つ官僚の人がいた)
2023年09月14日
介護施設経営の人の犯罪は青森の人だった (青森の介護施設に南相馬市から送られたのはそのためだったー政経東北の記事より)
2023年09月05日
なぜ日本は貧困になり衰退したのか? 盛者必衰が歴史の法則ー新しい歌が起こると復興にもなる
2023年08月30日
なぜ日本人の悪いことばかり今言われるのか? (なぜこれほど評価が変わってしまったのかー戦後の歴史を振り返る)
2023年08月28日
井戸水は安全なのか? (沸騰すれば安全であるー忘れていて近くの井戸の水を飲む)
2023年08月19日
日大大麻問題「検事上りの日大副学長と警視庁の太いパイプ」 「既得権バームクーヘンの隠蔽体質」-原発事故と似ていたー加治将一氏の説明がわかりやすい
2023年07月25日
氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)
2023年07月19日
川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ (大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)
川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ
(大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)

●今も運輸の大動脈のライン川
ドイツでは物流の大動脈であるライン川の水位が記録的な水準にまで低下していて、水位の低下で石炭や石油製品などを運ぶ船の航行が困難になり、エネルギー価格の高騰に拍車をかける懸念が生じている。
2022.08.23
プーチンの「呪い」だ…! ドイツの「ライン川」でいま起きている「ヤバすぎる
https://gendai.media/articles/-/98726
内陸水運貨物の上位2〜4位であるコークスや石油製品、石炭・褐炭と原油や天然ガス、化学製品は、それぞれ全輸送量の20.8%、27.0%、10.8%が内陸水路経由での輸送だ(添付資料表参照)。また、ロシア産天然ガス供給量の減少により、石炭・褐炭を発電燃料の代替とする予定だが、船舶の航行困難で輸送に影響を受けている。なお、ライン川は欧州域内で最も重要かつ最も交通の多い内陸水路で、ドイツの内陸水運貨物の約80%がライン川上を通る
ジェトロ
民族大移動期にローマ帝国はフランク人のサリ族を傭兵として利用するためにフォエデラティの資格でネーデルラント南部のトクサンドリアに入植させたが、西ローマ帝国の衰退にともない、サリ族入植地から発展して成立したフランク王国に、ネーデルラント全体が取り込まれていった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%
日本で理解しにくいのは川のことである。 川のスケールが日本とまるで違っているからである。1200キロもライン川があるとすると想像を絶するものなのである。だから、その川は運河のようになっていて。荷物を運べるのである。それは大きな交通路に今もなっているのであ。ただ流れているだけではない。交通路として生きているのである。支流でも大きく 船でものを運べるのである。四大文明が川のそばに生まれたということはそれを?それを知るにはわ川を知らなければならない。
なぜriverをライバルというのか川を挟んで川が障壁となっていたからである。それはウクライナ戦争でもそうだった。ドニエプル川というのはウクライナの中央を横切り流れている。そのドニエプル川を挟んでウクライナとロシアが戦っているのである。その川が障壁となりなかなかその川を渡ることができない。川を挟んで勝敗が決まるとまでなる。ミサイルがが飛んでくる戦争でも依然として陸上戦になると川が障壁となり。そこで戦いが勝敗が決まるとまでなる。だから地理というのは変わらないからやはり人間もその地理に左右されているので。
そしてなぜオランダがライン川の先の海に出るところにあるのか?オランダはどうして作られたのか?それは今のフランスのフランクがありその一部であったドイツではなかった。でも言葉としてはオランダとドイツ語は似ている。ゲルマン系の言葉である。だから。方言の相違くらいのかもしれない。でもフランクに属していればフランス語が使われたから違ったものになっていた。このようにヨーロッパの歴史は複雑でありわかりにくいのである?
●川が運河となっている大陸やヨーロッパ
でも世界史でもわかりにくいが地理から見るとわかりやすいことがある。その一つが川を見ることである。川が交通路であり大陸の川は運河と同じである。水路のようになっているからである。日本の川は滝だというとき外国の川とあまりにも違っているからそうなった日本の川は山から激しく流れて陸地を長く流れるということが少ないからである。だから運河のようになっていないから。荷物を運ぶのにむいていないのである。最上川は米などを運んだりしたから大陸の川とと多少似ている?でもそういう川はまれなのである。
とにかくヨーロッパの歴史は分かりにくい。それだけではない世界の歴史を知ることは日本人にとっては海に囲まれた島国であり。そこで地理を具体的に感じることができないからそうなっている。一つの世界から孤立した島にもなっているからである。で大陸のような激しい民族や国の興亡を経験してないから大陸の歴史を理解しにくいのである。今のウクライナ戦争でもそうである。陸続きで国境があるというときいつ国境を越えて他国が攻めてくるかもしれない。そういう恐怖がいつもあるのでいつもある。逆に攻められると思う国でも隣り合っているのだから国境を越えて攻められると言う恐怖がある。互いにそうして恐怖の中にある。そういう歴史が継続していたのである。
それからプリゴジンという傭兵隊長がロシアの軍事顧問に大統領まで二不満を言いモスクワまで攻めていくとかいうのやはりその傭兵というのがヨーロッパでは戦争の時必ず出てきていたのである。なぜならオランダでも傭兵が一つの国を作ると言うことをしていた。そんなこと普通日本だったらあり得ないからである。そもそも日本には傭兵というのはなかったからである。そこにやはりヨーロッパでも歴史の継続があるということである。
●戦争に負けると奴隷にされる歴史のカルマ
そして信じられないことはヨーロッパの白人の男女でも奴隷としてイスラムにモロッコとかに売られていたのである。女性は奴隷市場で裸にされて売られていたのである。今になると信じられないことである。黒人が奴隷にされるということはわかる。でもヨーロッパの白人がイスラムの国の奴隷となっていたのである。つまり奴隷というのは、常にローマ帝国時代からありそれはアメリカでも黒人奴隷として働かせたように継続していたのである。
ヨーロッパでも大陸でも絶えず戦争があり戦争に負ければ奴隷にされその厳しい歴史があった。日本でも戦争に負ければそういうことがあったらしい。ただそれは戦国時代のことだけだった。大陸では絶えず戦争があり奴隷化されることが継続していたのである。だからスラブ民族というときスラブはスレーブであり奴隷のことだったのである。そこで今もヨーロッパとスラブ民族系のロシアが戦っているということにもなる。つまり、民族抗争は世界か絶えたことはないのである。ロシアはモンゴル系統が混血している、大陸では人種が混血するのである。
何か歴史というのは東西でも一つのカルマを繰り返すということで共通している。国が弱体化されればそのそこに住む住民も奴隷化され経済でも競争に敗れれば日本が貧乏になって外国人にアジアでも裕福になった中国人に買われるとなる。それは日本は裕福な時東南アジアとかでしてきたことだからである。つまり他国にしたことが、今度は自国にされる。それがカルマなのである。そんな日本人がカンボジアにたむろしていた。今になれば、日本などは東南アジアと同じようにそれ以下にもなっているのである。だからつくづく人間には必ず国でも個人でもカルマとなりそのために苦しむのである。
●ウクライナ戦争もドニエプル川を挟んだ戦い
ともかくウクライナ戦争もドニエプル川をを挟んで戦いがありそこで勝敗が決まる。それは歴史の継続であり。いくらミサイルが飛んでくるとしても陸上戦になるとそうなるのである。やはり陸上戦で住民を支配しないと自国の領土となりにくいからである。
ロシアでも、ドイツでもフランスでも大国である陸の大国である。ランドパワーである。でもスペインとかポルトガルとかは海洋進出した。シーパワーの国であるオランダもそうであり。イギリスは七つの海を支配したのである。シーパワーが世界を支配したのである。ただ、それまではランドパワーの戦いであった。 そこで川を挟んでライバルとなり社会が現代でも継続されていたのである。だから歴史というとき。必ずやはり地歴なのである。地理をを知らないと世界のこともわからないのである。ただあまりに広すぎて、日本では。実感として分かりにくいのである。
地理とか風土は宿命でありカルマとなる。それは変えられないのである。それを実感しているのは福島県では浜通りが阿武隈高原で遮られて。福島市とか中通りが見えない見ることができない。すると地理的一体感を感じない。ただ飯館の佐須から峠を越えると吾妻山が見える。でもそこまで行かないと見ることはできない。ところが蔵王というのは南相馬市の鹿島区からも見えるのである。結構明確に大きく見えるのである。すると山形県でも地理的一体感を感じるのである。
それから牡鹿鹿半島は思った以上大きく見えるのである。だから海をとうして地理的一体感を浜通りは感じるのである。会津となると別の世界であり山国であり福島県でも東北でも一つの別の世界なのである。雪国でもあり浜通りとはまるで違った風土なのである。だから福島県は地理的一体化を感じない。むしろ海を通じて宮城県の方に地理的一体感を感じる。山が邪魔だからと取り除くことはできない、山が多い日本ではトンネルの技術力が高いといううのも
地理に風土に影響されていたのである。
いずれにしろ。人間に起きてくることは空間軸と時間軸で起きてくる。そこに地理的宿命があり、カルマがある。今のウクライナ戦争でも起きているのでそれは地理からすでに予測していた人が結構いる。それは地理の宿命として戦争が起きていたのである。 平坦な土地だと森が川が障壁となっていた。依然と決せられる。陸上戦ではどうしてもその川を超えなければ戦いに勝つことはできないからである。地理的宿命から逃れることはできないのである。
また時間的宿命カルマとしてアフリカのモロッコとかイスラム国がヨーロッパの白人を女性まで奴隷にしていたということであろう。それが今度は逆にイスラム系とか黒人が。奴隷にされたという歴史がある。それもカルマの繰り返しなのである。人がこのカルマから国であれ個人でも逃れることができないのである。だから人間の社会はカルマの繰り返しであ。それは終わることなくある。個人でもそうだし。国単位でもそうなのである。
ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。
地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン
この本を読むとウクライナがロシアに侵略されたのは必然だとなる。地政学的に避けられない運命だったともなる。地理はそれだけ人間に影響してその歴史まで作っているのである。
2023年07月17日
戦後70年を振り返る (縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)
戦後70年を振り返る
(縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)
●戦後世代の主なもの
団塊の世代。
バブル世代が4年制大学を卒業して就職するのは1987年〜1992年頃で、1986年〜1991年のバブル景気の頃とほぼ重なります。幼少期も日本の高度経済成長期と重なっていて、日本の景気がいい時代の影響をうけて育った世代です。
氷河期世代。
就職氷河期世代とは、1993年〜2005年度に卒業した人たちということができます。
平成15年の就職率は55.1%であり、かなりの就職難であったことがわかります。
また高校卒業者に関しては、たったの16.0%しか就職できていないのです。
就職氷河期に入ってからは初任給は20万円を下回るようになりました。
また、どんなに頑張っても初任給から給料が上がらない、ということも珍しくなくなりました。
フリーターやニートが急増している今の時代、正社員として就職することが難しかったり、諦めざるを得ない現状があります。
現代の社会構成は主なものとして戦後の焼け野原から始まった。団塊の世代と高度成長を経験した続きとしてバブル世代の人たちがいる。そのあとにバブルが終わり氷河期世代が始まり失われた30年があった。バブル世代までは今の50代ぐらいまでは高度成長の恩恵を受けたのである。でも氷河期世代からは失われた30年となりそうした恩恵を受けていない。就職すらまともに出来ない時代になったのである。
だから氷河期世代は一番損しているとなる。 何かフリーターとかの自由な働き方を自ら選んだ人たちだというふうにも見られていた。。実際は違っていた。非正規の働き方はむしろ就職できないので正社員になれないのでそうなったのである。だからこの世代は結婚してない人が多い。何か田舎でも私が合うのはニートとかことおじとかである。氷河期世代の人たちでその人たちはどうも結婚してない?40代なのか?50代でもいる。そういう人が近くにいた。
とにかく40代50でも結婚して居ない人が多いことがわかる。団塊の世代はほとんど結婚している。結婚してない人は変わり者であり。例外的存在であった。それは自分自身に言えた。でも今は違うそういう人が相当数いって別に変わり者でもないのである。
でもその人たちを見ると長男の人もいたりいずれは家の跡も継がず家自体が空き家化してくれる?氷河期世代は団塊の世代の子供達であり数が多いからその影響もまた大きいのである。
これは田舎とか都会とかと関係ない。一定数の人が何割かが確実にどこにでもそういう人たちがいる。だから、これは田舎と都会の問題でもないし全国的な問題なのである。この問題はだから団塊の世代のの中で私のように変わり者はならない社会全体の問題となっているのである。それは数が多いからそうなっているのである。
●温泉ホテルの廃墟化
バブルの世代団塊の世代も数が多くその人たちは高度成長時代を築いた。その後の時代のことがよく理解できないことがある。ただ、バブルがはじけて会社の経営が苦しくなり団体旅行もなくなった。そのために団体旅行の慰安のの場となっていた温泉旅館がホテルが全国的に廃墟化したのである。そこで金を使った人たちがもう使わないからである。 それは一時期の繁栄の跡として廃墟化している。福島県だと東山温泉とか 飯坂温泉である。飯坂温泉は奥の細道の行程の中にある。そしてイ一本の電車が通っていることで魅力もある。
そこは歴史の道であり。医王寺は義経の家来の佐藤氏の墓所でもあり。芭蕉も寄ったところである。 そういう歴史的場所はやはり価値がある。古い白河街道は街道は猪苗代湖の湖南町の福良の方にある。鉄道の通っているところではないのである。そこを私はそこで私は蔵の宿に泊ったのである。だから昔を偲ぶならその街道をゆくべきなのである。
とにかく70年生きればその人生を振り返る。この戦後から70年は一時代だったと思う。それは明治から太平洋戦争までが70年だから一つの時代だったのである。ただその中でも団塊の世代。バブル世代。氷河期世代世代が大きな塊としての特徴ある世代だったのである。
●バブル時代の夢の跡と化した温泉街の廃墟化
その時代の中で温泉旅館やホテルが廃墟化したのである。ただ、私はそうした団体旅行用のホテルとかは苦手でありほとんど泊まっていない。第一温泉ホテルは高いからである。また自転車旅行だと泊まりにくいからである。また断られたこともあるからである。
私はその頃、時間はいくらでもあっても金はなかったからである。最低の旅行しかしてないのである。私はただ泊まればいいと言うだけだったのである。 だから私が思い出に残ってる宿というのはほとんどない。福島県だと福良の蔵の宿が思い出となっている。 現代はそもそも旅はなくなり旅の宿はなくなっている。江戸時代ならどうしても歩く旅たびだから必ず宿で休まない限り旅はできない。というのは相当に疲れるからである。だからこそ旅籠に着いたとき足を洗うのである。それがもてなしである。なぜなら歩くのだから足が汚れるからである。それも草履で歩いてくるから足が汚れるから足を洗うのである。旅籠は相宿であり一つの部屋で一緒に過ごしたのである。ただ殿様だけは陣屋に泊まり特別だったのである。
温泉旅館はホテルはそうして旅人をもてなす場所ではない。会社の団体旅行をもてなす場である。団体旅行の慰安の場所である。農民の湯治場として温泉があった。それが会社の慰安の場所となったのである。その会社がバブルがはじけて温泉のホテルの団体旅行は衰退した。そして廃墟化したのである。それもバブルの夢の跡だったとなる。
それにしても。温泉旅館ホテルだけではない。駅前通りさびれてシャッター通りになった。それは車社会の影響でそうなった。それは北海道でもそうであり。北海道はやはり温泉ホテルが廃墟化しているところはかなりある。ま駅前通りにも廃れたそれは全国的なことである。今賑わっているのは車が休むSaであり道の駅なのである。
相馬市のイオンも撤退した。その影響も大きかった。そこが。街の中心の様にもなっていたからである。そういう大きなビルが廃墟化すると街全体にの影響が大きい。だから街づくりというのは、そうした大資本とかその他チェーン店でも経営できなくなる?経営できなくなるとどうしても。撤退する。でも前のように小規模だったら、商店でも食堂でも地元に根付いて経営で来ていたかもしれない。 だから街作りも見直す時期に来ているのかもしれない。
ただそれは車社会とか他にも社会自体の変化にあり簡単には変えられないだろう。でも戦後70年過ぎて色々変化があったが。また変化が起きてくる。もう日本全体がそうなっているのである。なぜなら。ゆうちょう。農協とか地銀でも信用組合でも何かもともとあった、そういう金融機関でも役割がなくなってきているからである。
だからそこに就職すれば、田舎だったら安定したものとなったがそれもなくなるとなる。何かもう安定し就職する場というのもなくなってきている。
これからどうなるのかということが見えない。ただ戦後70年過ぎて、また大きな変化があり変革が要求されていることは確かである。その極端なものとして津波原発事故があり温泉旅館ホテルの廃墟化があり駅前通りシャッター通り化がある
クルマ社会というものは?相当に影響していてもし車社会が多少変われば街の通りでも歩く人が出てきたり街に。にぎわいを戻すかも知れない。つまり常に社会は変化する。その大きな変化が70年ごとにやってくるのである。それが今なのである。だから、こういうときは大きな天変地異も起きてくる。この辺で起きた津波原発事故はそうだったのである。その後遺症は大きく。いまだに回復していないのである。
●縮小化する日本の社会の衝撃
この20年で廃校になった公立小中学校は、実に8500校を超えています。
全国「3万の橋」がいつ崩壊してもおかしくない「日本の現状」がヤバすぎる…「都市部への引っ越し」を考えたほうが良い理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
廃校になった学校も本当に多い、テレビで廃校になった前の店で学校からただ何か鐘の音が音楽が聞こえてくる、それも淋しいと思った、それだけもう村には跡を継ぐ子供がいないのである
それで長野県の廃校が宿舎になているところに泊ったのが思い出となっている。
このように戦後70年でインフラすら維持できなくなっているのである。その金ももまたマンパワーも不足しているのである。そうなると放置されて危険になる事故にもなる。空き家にしても膨大なのである。それを放っておくと危険にもなる。でもそれを利用する人がいないのである。
少子高齢化であれ、縮小化してゆく社会の衝撃が大きいのである。だからこそ社会自体を見直し対処しなければならない。そこでこれまであったものが維持できなくなる。また切り捨てる事もしなければならない。そこに相当な痛みが生じる。でも何もしなければますます社会が衰退して温泉街でもそうだが廃墟化してくる。この辺では津波と原発事故で村自体がいくつもなくなり町自体も廃墟化。だからこの辺はこれから日本社会が直面することを先取りしたものとなっていたのである。
すでに原発事故の周辺は住むことが難しくなっているからだ。極端なものとして人口減少が起きてそれを維持することができなくなっている。
だからこそ人口が移動して南相馬市なら原町とか鹿島区にまた相馬市に移住した人が多い。都市部に移住しろというとき創もなっている。そのことは確かに日本の未来になるのかもしれない。小さい町とか村が維持できなくなる。そうあってほしくないとしてもそういう社会になっているから人はもう限界集落とかインフラのないところには住みたくないとなってしまったからである。それがいいものではないとしてもどうにもならないということがある。多様な場所に多様に生きるのがいいと思う。それが昔の自給自足的生活だったらできたのである。でも電気がないとか病院がないとかスーパーがないとかそんなところに暮らしたくないとなれば、そうなってしまうのである。
八坂村の廃校の宿
犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり
2023年07月12日
東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現
東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援
ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現
●日本でも外国が入り二分して争う
今回のウクライナ戦争は遠いところだから日本と関係無いと見ていた。でもすでに歴史的に見れば日本も明治維新で世界の政治に巻き込まれていたのである。世界の歴史を見ないと。明治維新もわからない。何か明治維新というのは日本独自の力で成し遂げたと右寄りの人がしきりに言う。でも日本を舞台にして、すでに世界列強が深く関わっていたのである。その。世界列強の関わり方で維新の勝敗も決まったとなる。そこで見逃されているのが?ロシアが関わっていたということである。それとプロイセンが今のドイツが関わっていたのである。
北海道の半分くらいを会津藩と庄内藩が管轄していた。幕府の命令で北方の防備にあたっていたのである。そのときロシアがヨーロッパに領地を拡大していたのである。その中にウクライナもあった。ウクライナの今の紛争はすでに江戸時代から始まっていたのである。それからも継続してヨーロッパとロシアは対立していた。その延長として今ウクライナ戦争がある。 だから今そのウクライナ戦争は日本から遠いとしも関係ないというものでもなかった。歴史は継続だから遠い国でも関係していたのである。
戊辰戦争は薩長と幕府軍との戦いというだけでなく。実は外国が関わり特にイギリスが関わっていたのである。そのとき、イギリスは世界の七つの海を支配するとか覇権国だったからである。 ロシアと日本が戦った戦争でも日本を支援して勝ったともなる。その後に日英同盟が結ばれたのである。 その時から日本は国際政治に巻き込まれていたのである。ただ、日本からだけ明治維新を見てもわからないのである。 武器からして鉄砲でも外国から大量に入ってきたのである。アメリカの南北戦争ので使われた鉄砲が大量に入ってきたのである。またイギリス海軍が榎本武揚率いる幕府軍と戦い負けた。それで榎本武揚はイギリスに負けたと言っていたのである。このことでもわかるようにその敵はイギリスであり外国がかかわり日本は二分されて戦っていたのである。
●ウクライナ戦争と会津戦争の似ている点
だから今のウクライナ戦争を見るとやはり同じようなことが起きているのである。ただ、アメリカが。大きな国となってイギリスの代わりをしている。でも依然として、イギリスはロシアに対して敵対してウクライナでも工作員がスパイが入っていたりしているのである。ウクライナ戦争というのはの欧米側とロシアの戦争であり。今はその背後に巨大化した中国がいるのである。
そして日本は欧米側に組み入れられてウクライナを支援しているのである。
つまり戊辰戦争は会津戦争でも世界情勢を反映してその中で会津軍が悲劇となったのである。それは今のウクライナと似ているのである。ウクライナで二つの覇権国勢力勢力が衝突してウクライナが犠牲になっている。ウクライナの独立を維持するのだというのもわかるが。その中でやはり大国が関わり。ウクライナは戦い自国の国民が多数死んで犠牲になっているのである。独立を守るということで戦っているというが日本の明治維新とも同じように実は外国勢力によって戦わされているということもある。
とてもウクライナだけではロシアに対抗できないからである。だから常に武器を提供してくれと頼んでいるのである。
会津の戦争では新潟港が貿易港になり。そこに外国の武器が入ってきた。それは会津戦争にも使われたとなる。会津は山国でも新潟は日本海に面して交通路なり古代からすでにこうして流通があった
ともかく戦争になると人間の残忍性があらわになる。それで明治維新でもヤクザが戦争に参加したとか残虐なプリゴジン隊とか犯罪者が受刑者はが最前線で戦うというのと似ている。また会津戦争で女性がレイプされ残忍なことが行われた。今もロシアでウクライナ人をそうしているということでもわかる。戦争というものはそういうものでありそれが繰り返されているのである。日本の戦国時代も乱取りがあり同じだった、だからカルマなのであるかつてしてきたことがまた繰り返される。戦争もやはり終わることなくあり残忍なことがくりされる継続される。まさに人間の業でありカルマなのである。つまり人間からこうして。カルマは消えることなく継続されるのである。そして最後にハルマゲドンなのか、人間は滅亡するのである。
●榎本武揚の蝦夷共和国とは

(3) 天皇率いる新政府軍に戦いを挑んだ旧幕府軍がつくった国【蝦夷共和国】 - YouTube
会津戦争はすでに百年以上過ぎているがそれでもなお長州藩の萩市と友好関係が結べないのである。それだけ恨みが残ったとなる
その傷痕は深く消えないのである。その悲劇が会津を象徴するものとなったのである。この武家の婦女子までが残忍にま殺されてしまったからである。
いずれにしろ明治維新から日本は国際政治に巻き込まれ否応なく戦わざるを得なくなったのである。だから300年の鎖国の時代は終わりついには第二次世界大戦に巻き込まれ3百万人も死んだとなる。必ずしもグローバル化とかはいいものでもなかったのである。貿易だけならいいのだが実際はそこで対立して戦争になり大きな犠牲を払ったのである。
江戸時代、300年はアジアでは戦争もなかったでもヨーロッパと大陸では絶えず戦争が行われてきたのである。ヨーロッパとロシアの戦いは江戸時代でも行われていた。それが今もうウクライナで継続されているのである。
奥羽道中 榎本武揚
鮮血留痕舊戦袍 壯圖一躓氣何豪
松陰凉動羽州道 白雪天懸鳥海高
鮮血(せんけつ)痕(あと)を留(とど)む旧(きゅう)戦袍(せんぽう)
壮図(そうと)一躓(いっち)して気(き)何(なん)ぞ豪(ごう)なる
松陰(しょういん)凉(りょう)は動(うご)く羽州(うしゅう)の道(みち)
白雪(はくせつ)天(てん)に懸(かか)って鳥海(ちょうかい)高(たか)し
囚われの身となった今、私のこの軍服は過去のものとなってしまった。
この軍服にはあの戦いのときの血の痕が生々しい。
私は蝦夷(北海道)共和国の独立を内外に宣言した。
しかしその建国の壮大な企図は躓(つまず)いてしまった。
しかし私の心は少しもくじけてはいず、ますます意気盛んである。
私は今囚われの身として奥羽の道を歩いている。
その道に松の木陰から涼しい風が吹きぬける。
ふと見ると鳥海山には白雪がかかっていて、山は高く聳えている。
榎本武揚の蝦夷共和国は夢と消えた。この蝦夷共和国とは。実際は、東北列藩同盟と一体化するものとしてあった。現実に会津戦では新撰組も戦ったいたのである。旧幕府軍が会津藩を中心に薩長軍に官軍に抵抗したのである。この連合が強固なものとならず敗退したのである。 ただ東北という地域はもともと蝦夷であり化外の地として古代からあった。だからその延長として蝦夷共和あった。北海道新天地として新しい国を作ろうとしたということは理解できるのである。何か北海道には何回も言ったから親しみがある。北海道は東北と違ってその地を踏んだときから何か空気まで違っているのである。
だから意外と外国でも北海道は相当に人気がある。これもやはり北海道は日本的でなくその風土も違っているからである。田んぼがないということがそうである。清新の気がある大陸的である。だからこそそこでクラークとかが指導して内村鑑三とかが生まれたのである。北海道には確かにアイヌはいたが恐らくアメリカのような手つかずの大地が広がっていたという感覚であった。そこにも確かにインディアンがいたが土地は広大であり、未開だったのである。東北は会津でも古代からの歴史があり北海道とは違っていた。でも明治維新の時。東北、北海道が一体化した蝦夷共和国という発想は理解できるのである。
またプロイセンとかドイツとなるとロシアでも北方の風土であり。でありそれは北海道に似ているのである。北方的な気候であり森林でもエゾ松トド松とか北方的なものがあり寒いから高山植物でも平地に咲いているのである。それで本州とは違っていて魅力がある。田んぼでなく牧場の風景だということもそうである。だからドイツ的なものロシア的なものマッチしてくるのである。日本は沖縄から北海道と南国から北国の植生がありそこに変化がある。だから旅してても飽きないのである。中国などは満州でも果てしなくとうもろこし畑であり変化がないからである。日本は狭い国だけども。その風土でも地形でも変化がある国である。
2023年07月10日
加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る (団塊の世代を語る―加治氏も同世代)
加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る
(団塊の世代を語る―加治氏も同世代)
●戦後の世代の特徴
最盛期には、不動産にも何十億と投資していました。
そんな時、バブルがはじけて不動産価格が急落。
資産が吹き飛んで、倒産しました。
今思うと、あの頃は何でも思い通りになるとどこか傲慢になって自分を過信してしまっていたのですね。
日本に帰国後、アメリカと比較して日本の不動産市場のおかしなところを纏めた書籍を出すことになりました。
これが、メディアにうけてテレビ番組に出るようになったのです。
これが、今の作家の活動に繋がっているのです。
一人の人間を見ることは難しい。その人がどういう人なのか知ることは簡単にできない。でもその人と何か共通点があるとわかりやすいのである。例えば世代が同じだとか産まれた地域が同じだとか同じ興味があるとか同じ専門だとか何か共通点があるとそこからその人間を推し量る。私の場合団塊の世代であり加治氏と同じ歳なのである。だから言ってることに理解できるし共感をもつのである。
【団塊の世代】1947〜49年生まれ
戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っただ中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。
【バブル世代】1965〜69年頃生まれ 50−60代
日本がバブル景気に沸いた企業の大量採用期に社会人となる。「24時間戦えますか?」と高らかに歌う栄養ドリンク剤のテレビコマーシャルが大ヒット。長時間労働に疑問を持たず、接待会食、接待ゴルフ、接待麻雀など、勤務時間外も仕事の付き合いで縛られるのが当たり前のこととして受け入れられて
【就職氷河期世代】1971〜82年頃生まれ 40−50才
バブル経済がはじけ、長期の景気後退局面へ突入。企業が求人を絞ったために正規社員として就職できず、契約や派遣などの非正規の仕事しか得られなかった人も多かった。運よく正社員として就職できた人も、入社早々から業績悪化、経費削減、リストラの波にもまれたために、危機意識が強い。
いた。
戦後では、この三つの世代が目立っている。その数も多いからである。団塊の世代だった私たちの世代は共通したものを持っている。それはあまりにも数が多くて教室すら確保できない状態だった。加治氏も一クラス70人だったというからそういう時代だったのである。
それで高校でも数が多くて入れないとかになり受験競争になったのである。その時私は勉強に興味もないのにしていたのでいやだった。また必ず試験が何度もありその成績が順位でもって学校に張り出されていたのである。その経験は全国的に同じだったのである。そういうことをすると同じクラス、学校でもクラスでも他者に対して何とか抜きん出ようとして競争しよう煽ることになる。でも数が多いから椅子取りゲームになっていたのである。 この競争は数が多いから氷河期世代まで続いていたのである。だから、これらの世代の人は何かと他者に対して競争心が強く自分が上だと言うことを示そうとする。
ただ、加治氏が意外だったのはアメリカに渡って不動産業で成功したもの人だと思っていた。でも実際は失敗していたのである。帰国してから作家となり、ある程度成功したとなる。
●団塊の世代の子供時代、数が多く熾烈な競争を強いられた
人間を見る場合。学歴から見る人が多いが実は人間は経験によって作られるのである。だからその人を見る時、どんな経験したかをみることが大事なのである。何々大学卒とかみてもその人をわからない。ただ外国に留学して外国で学んだ人は価値があると見る。で採用するときもその職歴を見るとわかるし何も職業を経験していない人は採用などされない。自分等は職歴が何もないから会社に勤められないのである。まず採用などされないからである。
学校にも適応できなかったしもちろん会社にも適応できない。だからただ自由に旅して学び終わったのである。そこに大きく欠けたものがあったのである。ただ自分ひとりで個性を伸ばし個性に合ったことをしてきたからよかったのである。それは家族に恵まれた結果だったのである。
とにかく加治氏の場合アメリカで実際に仕事をしてきたということはその経験が大きい。日本で仕事をすることは相当に差があるからである。ただその時代不動産業には適していたのである。高度成長時代に。アメリカの土地がニューヨークでも買い占められると当時アメリカが騒ぎ日本を敵視したからである。今になると日本が中国に土地が買われるということと似ている。 それが今の日本になると信じられないともなる。あまりにも日本が失われた30年があり落ちぶれてしまったからである。
そして目立つのは氷河期世代でこれも人数が多いから大きな問題となったのである。でも当時は自由な働き方であり非正規は時代の働き方として推奨されていたということもあった。ただ、私は社会から離れて暮らしていたからそのことはよくわからなかった。何か時代というのは人生というのはあとから振り返ると見えてくるのである。だから老人になると過去を振り返り明確に見えてくるものがある。それで老人は昔を語るのに向いているのである。
ただ加治氏の育った環境と私の育った環境は似ているが家庭環境は違っていた。これは8人兄弟なのか?末っ子であり粗末に扱われたのである。父親には何かというと殴られたという。そういう時代だったのである。それは学校でもそうだったのである。学校でも先生が平気で殴ったり廊下に立たせたのである。平気でそういうことをしていたのである。それができたのは実際は家庭でもそういうことをしている。子供は厳しくしつけたほうがいいということで容認されていたのである。それで殴られたとか近くの先生だった人を恨んでいた人がいたのである。
だから別に親は何も言わなかったのである。今でも同世代の母親は厳しくした方がいいと言っているの。何故ならその時女性は親に殴られたり、先生に殴られたりされないからそうなっていたのである。こうして同じ世代だと共感することがあり話が分かるのである。
●教育環境が悪かった時代
そして何度も言っているけどその人も勉強する個人の部屋などなかった。だから子供部屋おじさんなども団塊の世代にはなかったのである。何か家で勉強できるようなものは何もなかった。私の家は店屋であり子供の時から絶えず配達をさせられていたので。私の父親は明治生まれで酒屋の丁稚であり。だから私も丁稚のようにされていたのである。
でも戦前でも戦後まもなくは子供はそうして働いて親に尽くすものとしてあったのである。戦前になるとそれはもっと厳しいものとなっていた。今外国から働きに来る人は貧乏であり親に仕送りするために親のために働いているのである。そういう時代があったということである。
その様子が変わったのは、高度成長時代に入ってからである。それでもわからないのは高校まで東京オリンピックの時蒸気機関車に乗って原町の高校まで通っていたことである。これがどうしても信じられないとなるのでは?
とにかく時代というのはは急速に変わる。昔からも三日見ぬまの桜かなとなる。3日であっという間に桜が咲いたということである。3日も見ないうちに満開になってしまった。それが中国である。十数年前いやもう20年まえのか中国に行ったときは物価は、日本の1/10であり貧乏な国だったのである。それが新幹線のようなものまでが走り、日本より豊かな人が1億人でも増えればそれはもう全く違った国になってしまったのである。このように時代の変化は大きく忽ちまた過去がわかりにくくなるのである
私は加治氏の著作物には関心が無かった。一冊も読んでなかったのである。でもユーチューブで話すことを聞いて、興味を持ったのであるだから人間は本だけがその人を知ることでない。その人全体を語るのは本だけではないユーチューブとかブログでも語れるようになったことを知った。これらのメディアは個人が制限なくいくらでも語れるということである。テレビとかに出てもほんのちょっとコメントするだけだからである。その人の全体像というのは見えないのである。テレビでは主役は司会者なのである。そしてコメンテーターは司会者であり喋れるということもある。あくまでも主役は司会者なのである。でもユーチューブは主役はその本人なのでその差が大きいのである。
ただ加治氏についても分からないことはなぜアンティークコインが投資にいいのかとかは理解できない。そもそもアンティークコインことなどあることすら知らなかった。 加治氏は北海道の札幌出身である。だから、海道のことは詳しいはずだがあまり語られていない。その辺に不満はある。つまり、その人がどこに生まれてどのような家庭環境で育ちその後どういう経験をしてきたか?それはやはりその人物形成に大きく影響しているからである。、私は常に自分の出身地のことを東北地域と福島県と相馬地域のことを語り続けているからである。
とにかく人間はその人の経験したことがその人を作る語るにしてもその人が実際に経験したことが訴えるのであるそこに経験の重みがある
ただその経験はグローバルでありそれは本を読んでしたものではない。経験で知ったものだからである。経験が人間をつくるのでありいくら本を読んだとしても外国のことなどわからないからである。私も50歳からバックパッカーとして外国を回ったことが経験として生きてくるのである。それまでは全く外国に行ってないから恥ずかしいことを言っていたのである。それで加治氏の経歴はやはりほかの人は違ってそこに語るべきものを持っているということである。
しきりにいう思考脳とかっていうのも理解する。それで暗記教育の学校教育を批判していることも共感する。加治氏の場合は既に小学校からそういう態度であり思考を持っていたことに驚く。私はただ言うなりになっていたし、自分で考えることなどしたことなかったからである。でも何か疑問にもつことがありなぜ人間は死ぬのだろうとか追求し考えてその解答を求めて求道していたのである。
いずれにしろ一人物を知ることは難しい。ただ、同世代であり時代を振り返ると見えてくるものがある。でも戦前の戦争を経験した人を理解することは非常に難しくなっているのである。頭の中で戦争というのは考えてもわからない。だから私の母親は学もなかったが軍人は威張っていたというとき戦争の時代はそうなると言うことをその一言でもわかる。それは実際に経験した人が言ってからであり、本で読んだ人が言ったって実感わかないのである。だから実感というのは大事であり。実際にこの目で見たもの経験したものがその人を作るのである。
そういう事が今ユーチューブとかで語られているから今までの一方的なテレビとは違っている。青山繁晴のフランスの暴動がなぜ起きたか?アフリカの植民地だったアルジェリアとかその人たちがフランス語を喋るのでフランスに来ている。その経済格差が大きいからフランスに移民するのである。そこで差別があり暴動になったのである。その生々しい肌感覚でそこに行った人が語るときなるほどと思うのである。それがただ本などで実際に行ってもいない人が語るとき訴えないのである。だからいかに外国で生活した経験が有益かわかる
生活したとか仕事までしたということがその経験がその人を作るということである。
(2) 【ぼくらの国会・第554回】ニュースの尻尾「仏暴動 明日の日本」 - YouTube
●日本の歴史伝統を否定するのは問題
加治氏はにキリスト教徒でもない。でも愛を語る最も大事だとして語っている。 愛がなければ思考のも育たないとしている。実はこの愛というのは愛される愛ではないのである。キリストが教えたのは愛する愛であり、愛される愛ではないのである。それが誤解しているので大方の人はただ愛されたい。そしてなんでもいいからものでも何でももらいたい。そういうのが愛であり、宗教だと見ているのである。そこに大きな誤解があるのである。なぜなら人は何も与えたくない。ただ与えられたい、もらいたい、愛されたいしかないからである。そこに宗教に対する大きな誤解がある。もしそうだとしたらみんな宗教を避けることになる。何ももらえないとしたら与えるだけだとしたらいやだとなるからである。
また加治氏は日本の伝統のことを否定するのがすべてアメリカから入って来たものはいいものではなかった。キリスト教でもその国に入ったとき必ずその国の伝統とマッチして発展したのである。だから仏教でも中国に入ったとき中国的な仏教徒なり。韓国には入いった時、韓国的な仏教となり、日本に入った時、日本的な仏教となったのである。その国の歴史伝統がありそれにマッチしたものとして受け入れたのである。もしそれがなければその宗教も生きてこないのである。それを証明しているのはカトリックはフィリピンとか南米とかに入ったキリスト教はただ押し付けられたものとなり。その国自体の歴史、伝統ととマッチしたものとならなかったのでそこから日本のように仏教文化とか生まれなかったのである。そのときあった伝統的なものは根こそぎ破壊されたからである。
日本だったらキリスト教でも内村鑑三などは士サムライであり武士道に基づいてキリスト教を受け入れたのである。また神道を尊んだ手島郁郎でもそうである。 そこにもやはり見習うものがある。でもその国の歴史と伝統にに基づいてキリスト教も受け入れられたのである。
でも日本の戦後というのはそういう歴史と伝統を根こそぎ失われたということもある。その結果として、日本というのはもはや日本ではない。日本というのは、日本人はすでにアメリカ人になっている。加治氏は日本人ではなくアメリカ人なのでそれを今の日本人はみんなアメリカ人になってしまったのである。なぜなら日本の歴史伝統というものは否定されたり理解できないものとなっていたからである。
そこに良い物があってもアメリカのものはいいものとされたこともある。だからこそ日本というのは本当にアメリカと似ている似てくる。アメリカで起きてくることは日本でも起きてくる。なぜなら日本というのはアメリカのコピーだからそうなるとアメリカの悪い点もまた見習うことになりそれが現実化しているのである。ただ金だけを求める日本人になったからである。すべての価値は金に換算される。金にならないものは何の価値もないとなってしまったのである。それはアメリカ人に習ったからそうなったのである。アメリカに留学した内村鑑三はそう言っていたからである。でもそのときはまだ日本人的なものを伝統歴史が生きていたのからそうなったのである。だから日本の歴史伝統を否定することは問題なのである。
もちろんアメリカにならうことはありそれは否定できない。結局、アメリカの悪いとこも真似て日本も全てがアメリカ化して今日があるとなる。そもそも今?日本人が何なのかということすらわからない。なぜならみんなアメリカ人になってしまったからである。
この人はまさに日本人だなという人は見ないだろう。依然として明治時代の時は内村鑑三のよう侍の伝統は生きていたのであろう。だから明治は偉大な時代だったのである。それは日本的歴史的伝統が継続されて血肉となったものがありそこにキリスト教を受け入れたから日本的キリスト教となり活きたのである。南米ではそこには歴史伝統となるものはなく根こそぎ破壊されたりしてキリスト教は接ぎ木されなかったのである。そこに戦争に負けたということで歴史伝統も破壊されるということがいかに影響が大きかったかということである。
2023年07月09日
情報戦争時代で判断できない (情報は権力を持つ者によって操作される)
情報戦争時代で判断できない
(情報は権力を持つ者によって操作される)
●情報過多で判断できない
現代はグローバル化して情報も膨大になっている。するとその情報が何なのか知る事自体が難しくなる。そんな能力が人間にはないからである。 一個人では判断できなくなる。
そのことは原発事故でも起きたし。ウィルスでも起きた。また、今はウクライナ戦争でおきている。原発事故放射線のことなど素人には分からない。ウイルスもわからない。ウクライナ戦争でもこれも理解するのは難しい。なぜなら必ず原発事故でも安全だという御用学者がいてマスコミでも宣伝費をもらっているから、それに与する。だから専門家が正しい情報を与えるかというとそうでもない。ではどうして判断するのだろうか?
専門家すらわからないことを素人がどうして判断できるのか? ただ、正しい判断をしないと原発事故となり自分たちの住んでいる所にも住めなくなる。実際に住めめなくなった。だから判断できないからといって誰かに判断してもらい任せるということは危険になる。
貯金には利子もつかないし株をしなさいと言う物価も上がり貯金しただけでは目減りするから。でもこれもまた難易度が高いのである。奨める銀行員すら全くの素人だったからである。。証券会社の人が来ても同じである。
要するに銀行でもまず銀行の利益を考える証券会社でも同じである。まず手数料を取ることを考える、私が経験した事では別にインデックス株というのはわかりやすい?安い時買って高い時売ればいいだけである。それを長期的に見れば儲かる割合が大きくなる。だからリーマンショックの時、半分になった株でも元に戻りそれから倍以上になったのに驚いた。
でも銀行では勝手に元に戻った時売ったのである。それは銀行では転売して手数料を稼ぐことで儲けるからである。頭の中にはその手数料を稼ぐことしかないからそうなる。つまり人間はみんな自分の利益だけを考える。それは会社でも同じである。会社の利益になることが自分の利益になることだからである。 そこに必ず問題が起きてくる。
また。カルト教団でも教団の利益になることが自分の利益になるから奨めるのである。人を救うとか関係ない自分たちが儲けることである。
●人間はすべて利益を求めている―公平を求めていない
教団の利益になり会員が増えて権力化してそれでさらに利益を得ることしかない自分の利益となるから運動しているだけである。
人間はそもそもみんなそうして利益を上げることを日々の活動にしている。それをみんな咎めることはできない。それがまた全部悪いということでもないからである。誰も利益にならないことはしない。それでただより高いものはないというのはそのことである。これは本当に?そうである。人間は無料でただでやるとき何かをしてやるときでも高いものになる。 誰も見返りが無く、無料では何もしてくれない。それをするとなる時、暗黙のうち返って見返りを要求しているのである。 だから人間社会は何々してもらったらいくらいくらと金で明確に決めてそれであとは払わなくてもよいとしているのである。でも無料でするときいくらでもいいですよというときそれは最も高いものとなるから、そういうことわざが生まれたのである。
ともかく人間社会はこうして。毎日自分の利益を求めて働いている。そしてそれ相応の利益を得なければ働かない。それは別に悪いことでもない。働いた分の金を利益をもらえるのは当然だとなる。
だから個人でも会社でも自分たちの利益を優先するしそうしなければ何もしない情報も教えないのである。 でも本当に真実を見極めるとしたらその利害にかかわらないことかもしれない。2人が争っている時一人から金をもらったりしていたら利害関係があったら公平には見られなくなる。でも原発事故でも安全神話が作られたのはそこに政治家マスコミでも巨大な利権となり利益が得られるからそうなったのである。危険を言う人もいたがそれは無視されたのである。
情報というものも必ず操作されているのである。原発で安全神話が作られたのも政府であれマスコミであれ御用学者であれそれらが一体となって操作されたからである。つまり何らかで利益と結びつかないことは、この世にはないとなる。だからこそ無料になる時。それはかえって高くつくのである。誰も無料では何もしないからである。それは当然だとなる。でもなぜ判断が誤るのかとなると必ずこうして利益と結びつき利権となりそこで判断を誤る。 神が偏りみないと言う時公平になるのは利益とか利権にと関わらないからである。だからこそ公平になれるので、人間社会では利益にかかわるから公平になりいないのである。 だからこそ情報自体が真実でもなく科学的に正しいとか正しくないとかでもなく利益利権によって左右されるから学者でも原発は安全だと宣伝していたのである。
●ウクライナ戦争の情報も欧米側に偏っている
それはあらゆることに当てはまる。コロナウイルスにしても医療関係者や医者の利権となるとかで正しい情報が出ないということもあった。本当に何が危険なのかもよくわからなかった。そこで儲けたのはワクチンを売った外国の薬剤会社でありまたコロナウイルスで巨額の金が医療関係者に病院に医者に出たのである。コロナウイルスでも収まるより収まらない方が金になるとなり。コロナウイルスの危険を大きく言うともなる
ウクライナ戦争でも9割ぐらいは欧米の情報でありロシアが悪いとなりロシアが不利となりロシアは滅亡するとか言われ。でもごくわずかであるが1割ぐらいはむしろウクライナが悪いのでありウクライナはもう戦争続けられない。それは欧米からの情報だけに頼っているとそうなる。ウクライナが勝っている欧米側の情報に接することが多いからである。
要するに公平に判断するのはとにかく利益と利権と関わらないことである。となれば公平に見られる見れるということになる。アメリカは戦争国家でありアメリカはウクライナに入って戦争をするようにしかけた。そういう見方もある。これも全て否定できない。だからこそ。ロシアのプーチンは反発したのである。 アメリカが全て正しいとはならない。それは日本との戦争でも同じであり。アメリカは正しいから戦争に勝ったということではない。アメリカは戦争国家であり何か言い掛かりをつけて巨大な力で圧倒してし敵を潰してきたことは確かなのである。ただ、日本では負けたから。アメリカに逆らえないというだけである。
だからアメリカが欧米が全て正しいとはならないのである。戦争にしても別に正義のために戦うというわけではないからである。自分たちの権益を権力を拡大したいということがありそれが戦争の原因だったからである。だからそこに戦争に正義を持ち出すことは危険なのである。アメリカは何も正義の味方でもなんでもない。軍産共同体があり戦争はないと失業するとか何か利益と関係してるからそうなる。ただ、ロシアはまた正しいということにもならない。 情報とは必ず一方的になりやすい。客観的公平に判断できないものとして情報がある。
●情報は権力を持つものによって操作される
結局情報を操作できる者が判断をするのでありそれは権力と関わっているのである。NℍKでもその判断は幹部がしているのである。だから、重要なことでもその報道されないこともありその判断は幹部がしているのである。つまり情報自体に公平がないのである。権力が権力を持つものは情報を操作できるようになっている。第一テレビなどは一個人が出て報道させてくれたといってもできない。新聞でも。雑誌でも。本でもそういうことがある。
ただインターネットだとプログとかいろいろ簡単に個人でも発表できる。そこで公平にはなっているが。ただあまりにも数が多いからそこで目立つことは至難である。だから数の中に埋もれて。重要なこともまたわからなくなるのである。これまではマスコミに出ればその内容はともかく。それで有名になりことが出来たのである。
どうして公平に判断できるのか?これが情報社会の大きな問題である。情報が莫大に増えてもそれでさらに混乱して判断しにくくなる。
でもどうしても大きな権力を持つ者によって組織に団体によって情報は一方的になりその見方は偏ってしまう。だからアメリカは欧米がウクライナ戦争でもウクライナが有利であり勝っていたという情報が多く欧米側の見方になる。でもロシアの方が実際は勝っていてウクライナは窮地に立たされているという人もいる。それもまた判断しにくいのである。
グローバル化はさらに情報は膨大になり判断しにくくなる。それでフエクニュースにだまされる。アメリカとイラクの戦争でも一羽の海鳥が油まみれになっていたがそれは一羽だけであり周りは油にまみれになっていなかったのである。それはアメリカによって作られた映像でありそれが世界中に放送されて世界の人が起こりをおぼえたのである。それはアメリカによって操作された情報だったのである。だからアメリカも信用できないのである。
●人間は公平に見れない偏る
いずれにしろ、どうしたら公平に判断できるのか?
それが大問題である。 何故ならその情報によって人は行動に移す。それが戦争にもなり何千万人と死んだということもある?戦争も情報戦争になるからである。でもその正しい情報を。知り見抜けることは非常に難しいのである。ここに現代のグローバル化情報社会の問題がある。
人間はこれだけ広い世界を知り得ようがない。そこで必ず判断が誤る謝るのである。 そもそもグローバル経済の株式などは?上がる下がるとか景気がよくなってるとか悪くなってるとか常に両方の見方がある。それを判断できない。あまりにも巨大な世界になっているからである。そんなものを。知り得るものはないと思う。だから人間は今日膨大な情報に接して接することができてもどれが正しいかなど判断できない。つまり無力感に苛まれているのである。
人間が五感で感覚的でしり得る範囲は狭いので、この狭い範囲なら実感として判断できる。でもグローバル化となると、あまりにも広すぎて判断などできないのである。それ人間にはやはり知り得る範囲は狭いものでありその中アイデンティティ化して一つのミクロコスモスの中に生きる。そこではつながりが明確であり。判断もしやすいとなる。それで民主主義でもギリシャだったら1万くらいのポリスで直接投票で決めていたからである。それが百万も票を取らなければ当選できないとなれば
もうただ頭数を集めるにはどうするかとなる。創価でもカルト宗教団体でもただ頭数を会員を集めるのことが日々の活動になる。個々人がどんな人間なのかなどは関係無い。罪とかなんとかそんなものは全く関係ない。その人がどんなあくどい人でも別に構わないのである。一票になればいいだけである。そこに民主主義も限界生きているのである。限界にきているのである。一票など投票しても。社会は何の変化もない。
ただ、そこには。無力感だけがある。それで投票などしたくないのである。すでに組織団体表で決まっているからである。一票など何の価値もないのですべてが。頭数をそろえる。あらゆる場面で数で決まるのが今の政治である。田中首相が言ったように金と数字がすべてなのである。そして規模がグローバル化して誰もそれを見通すことができない。株でも突然暴落したり。天災のように突然破たんしたりする。
●独裁者に従いファシズムになりやすい現代
それはもうその前に経済など見通すことができないからである。 そして最悪はナチスのようにファシズムとなる。ヒットラーは選挙で選ばれたのであり合法的に選ばれたからである。それでもナチスとなり。ファシズムとなり、全体主義となったのである。それはもうとても判断できないということから起きてきたのである。その規模も巨大化して。判断できない。すると誰かが。ヒットラーでも独裁者が。生まれてその独裁者によって人々は導かれ地獄へ堕ちてゆく。
カルト教団の教祖が神のように祭り上げるその人は偉大だからではない。人々はそういう偶像作り上げているのである。その偶像があって何百万人の人間が?一人の。教祖にひざまずき集団として組織としてまとまるのである。カルト教団に共通していることは?軍隊組織なことでもわかる。いちいち個人には対応できない。だから権力を得るには数を集めることだから、一人一人のことなどどうでもいいのである。所詮一票にすぎないからである。
そして数を集めれば権力化して政治化して支配できるということになる。
そこでマスコミでもその巨大な権力にさかろうことはできなくなる。 裸の王様を指摘したのは子どもであった。子供はただありのままを言っただけである。でも王様は権力をもっているからそれにへつらいみんな何も言えなかったのでこのように何か権力を持てばそれが嘘でも人は従うのである。つまりこの世は権力によって情報でも必ずゆがめられるのである。すると正しい判断はできなくなる。これが原発事故で安全神話が作られたりいろいろと情報でも判断できずにそれが大きな災いとなるのである。
神が偏りみないと言う時いかなる利害と利益ともかだか関わらないからできるのである。公平に見ると言うことは?それが条件となる。でも人間は何らか?必ず利害関係があり。それで?情報でも。公正なものもなく一方的になるのである。そして判断を必ず誤るのである。
2023年07月07日
世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間 (見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)
世代間の差と職業の相違で互いに理解できなくなる人間
(見えない貧困と忘れられていた氷河期世代)
貧困大国ニッポンの闇|中退、パチンコ、ジャンクフードが希望になる理由(室伏謙一×鈴木傾城)
https://www.youtube.com/watch?v=ZxPid10E4J4
【エルダリーVS 若者】世代間問題は身分制度による分断統治の現代版だ。政府、メディアの「対立分断政策」に騙されるな!-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=YqISZU63Tvk
●見えない貧困
人間は年齢が十年違うと世代の差が出てくるだからなかなか下の世代のことは理解できないし上の人の世代の人のことも理解できなくなる。
なぜなら団塊の世代というとき私たちの世代は戦後の焼け野原から始まった。そのときはまさに焼け野原になり、何もなくなってゼロから開始することになったのである。みんな貧乏だったのある
貧富の差はなかったのである。家にあるのは飯台一つである。電気製品など一つもなかったのである。それはみんな変わりなかったのである。
むしろ農家は家で食料があり卵でも鶏を飼っていたから食べられた。また納豆とかも。油とかまで。自家生産だったのである。
みんなこうして貧乏だという時。かえって住みやすいということもあったかもしれない。何か引け目を感じるということもないからである。みんな貧乏であればそうな。
今の貧乏が隠されて見えないというとき貧乏というものは何かわからなくなったのである。でも実際にそういう貧乏な人は増えている。だからこのユーチューブで語られることを私はそういう貧乏な人と接して理解したのである。
その人はタバコを吸っていた。女性なのに吸っていただからやめられないのは絶えずストレスになっていたからである。金に追われてその日ぐらしになっていたからである。だからそのストレスを発散するためにタバコをやめれなかったのである。でも脳梗塞になりたばこをやめた。タバコは血管に悪いものであり、それが脳梗塞の原因になったともみられる。
とにかく日本が貧乏になったという時その貧乏が見えないものとなっている。だから貧乏人はどこに居るのか?貧乏人というのはどういうものなのか分からなくなっているのである。別にぼろを着ているわけでもないし見た目でわからない。ただ市営住宅などに住んでいれば貧困なのかと見る。 ただまともなものも食べられない。それでジャンクフードを食べそれが体に影響している。医者に行くと栄養を摂りなさいと言われるが今は食料品も高くて買えないのである
●職業の相違で互いに理解できない
世代的には戦前世代があり、戦後世代がある。戦後世代はすでに80から85以上の人であり少なくなっている。団塊の世代の親は?戦争を経験している。だからその語ることが。重みがあった。何か別に知識人でなくてもその経験した重みがあったのである。なぜなら、戦争というのはあまりにも特殊なことだから理解できないからである。人が殺しあうということなど理解できないからである。だから今ウクライナ戦争でプリゴジンという民間の傭兵隊が官僚に対して戦場に来て戦ってみろという言葉を吐いたが。そこに重みがある。命がけで戦っているからである。 そこでバタバタと仲間も死んでいるからである。でもそれがいいのかというとそうでもない。なぜなら自分の母親が戦争を経験したが一番威張っていたのは軍人だったと言っていたからである。
それで今でも墓に二等兵とか上等兵とかその軍隊の位を記した墓を見る でも今になればその墓に注目する人がいるだろうか?戦争とは異常な状態のことでありそこで人間の価値も変わる。プリゴジンは凶悪な犯罪者でありまた受刑者を戦場に出したその数も多いことに驚く。でも戦争に向いているのは、人を平気で殺せるような人なのである。そんな時代が良いのかとなれば、とてもそうは思えないからである。 でも戦争の時は軍人が一番活躍して偉いとなっていたのである。
ただ、平和な時でも。価値観の対立は必ずある。現場で働く人たちブルーカラーがいるがその人たちは何か事務員などは楽だと見る。もちろんまた学者なども尊敬しない。何故ならその人たちは、高いところに登ったり、危険な仕事をしているからである。それで私も大工さんにお前はただ椅子に座って本読んでいるだけだとと言われたのである。ある意味でそういう人たちを軽蔑しているとまでなる。
それも一理あるわけである。ただ金融関係に勤める人で金を右から左に移して巨額の暴利を貪る人がいる。それもまた同じであろう。なぜそのそういう人たちがそんなに金が入るのかと命がけで現場で働いている人は不満になるのは当然だとなる。
ただ、事務でも知的労働でも頭を使うから結構疲れることがあるでもそういう人たちにはそれを理解できないのある。その価値も理解できないのである。だからここに職業によって、互いに理解できないことがありそれが協力できないことにもなるのである。
●世代間の差や氷河期世代の問題
それは世代間の差でもあり、世代が十年年齢が違うと理解できなくなるので氷河期世代とは何かということが分からなかった。何か自由に非正規として働く事が良い事のように見られていたのである。だから今になって非正規の人が多いからそれが貧困化している。そのことがわかったのはこうして時間が過ぎて分かるのである。人生もまたふりかえれば老人になってわかることが多いのはそのためである。
40歳後半から50くらいまでは氷河期世代になる。そういう人田舎でも結婚してないたいがい結婚しているのが普通だからである。でも40後半から50くらいまで結婚していない人が多いことが最大の特徴でもある。団塊の世代だったらもう結婚しない人は例外的存在である。社会的不適応者となる。私自身がそうだからである。 だからこそ、少子高齢化社会になっているのである。独身世代が本当に多いのである。そしてその人たちは貧困でありその日暮らしのようになっている。正社員になれないからアルバイトのようなもので稼いで年をとったのである。スキルも身についていないとなる
ともかく世代間の差も大きいし職業の相違も互いを理解できなくさせる。現代はさまざまな職業があり、その種類も多く互いに意思疎通させることが難しくなっている。そこにまた世代間の差か男女の差とか地域の差とか色々あって人は理解しにくくなっているのである。
それで人をまとめるときは個々人に対応することはできない。ナチス的一方的な強制であり軍隊組織にしてまとめるのでる。カルト教団などはみんなそうである。なぜならそこは参謀とか隊長とか軍隊組織だからである。それはカルト教団だとみんな同じなのである。
だから一見平和団体のように見せているが。実は武装すれば、それはすぐに軍隊になるのである。だからこそオウムでも武装していたし他でも創価などでも実は軍隊である。会員に武器を持たせればそれは軍隊になるのである。参謀とか隊長とか組織なのどだからそうなりやすいわけである。だから、それは本来の宗教とは何の関係もないのである。それは宗教を掲げていても容易に簡単に人を殺せと命令されれば組織に人を殺す軍隊と化すのである。
いずれにしろ、今日本が貧困化しているということは大きな問題である。 貧困化しているからこそ氷河期世代が結婚もできなかったということもある。そして大学に上がるにも借金して奨学金をもらって大学に上がっている。でもその大学もFラン大学とか三流大学が多く果たして価値あるものかどうかわからない。まず文系などは独学でもできる。むしろ自分は大学を卒業してから勉強したからである。大学時代はほとんど勉強してなかったからである。それも失敗だった。理系なら価値があるが文系は価値はない。独学できるからである。今ならインターネットでいくらでも。独学できる時代になったからである。
でもなぜ氷河期世代が、大きな問題になるということを予知できなかったのか?それは会社とか政府の都合でそうされたともなる。それが今になって大きな問題となったのである。何か非正規は自由な働き方であり奨励されてもいたのである。実際は政府とか会社の都合で良い様に使われたとなる。それで政府とは会社は良かったが大きくさらに全社会の問題として考えれば。今になるとそれは大きな損失となったのである。
ただ不思議なのは戦争で日本が焼け野原になってもそれが必ずしも悪いものでもなかった。確かに犠牲も多かったからそのことは問題である。でもそこで既得権者が財閥とか解体され小作が土地を得て農業は発展した。だから一見悪いようなことでもそれがのちに良いものとして働くこともある。ただその時代時代にその中で生きているとその時代が見えないのである。今になって非正規のことか氷河期世代のことが話題になっていることでもわかる。その時は見えないのである。そこに人間の問題がある。人間は個々人でもそうだが、集団でも個々人でも先が見ることができできないのである。だからそこに大きな過ちが生まれるのである。それで求道にしてもそうである。
若きうち神をしれ
それは20代で神を知らなければ知ることができなくなるという恐怖である。でも20代はの飲めや歌いや恋愛だとかで、心も身も奪われて終わる。あっという間に青春は終る。でも20代でだいたいその人は決まる。そからこそ大卒、新卒は会社では重要になる。20代でその方向が決まるのである。女性でも同じである30過ぎるとおばあちゃんとか言われるようになる。そして35になるとなかなか出産もしにくいとなる。だから婚期のことをうるさく親は言うのである。それは男性にしても同じなのである。20代でだいたいその人は決まってしまう。それから先がいくらでもあるじゃないかと言うがそうでもない。あっという間に40代になり白髪も入ってきて50となり60となってしまうだからみんななんでこんなに早く時間が過ぎてしまったのかと老人になると思うのである。
現実自分自身にしても何かしようと思ったけれども、何もできずに終わったのである。自分の場合は文学を追求してきたのである。その他でも何かやろうとしたが、何もできなかったのである。ただちょっと試したというくらいで、なんにもできなかったのである。それだけ時間が過ぎるのは早いのである。そして一番無駄にしてるのが時間だったのである。それで非正規の人もう50ぐらいになるともうその時間が取り戻せないのである。何かしようとしても身につけようとしてもできないのである。そして。人生も終わりとなってしまうのである。
二等兵は内地等で教育中のことが多いので、戦地にある兵卒はそれまで上等兵と一等兵のみであるのが原則であった。ところが、1937年に始まった日中戦争の長期化に伴い、現役満期(通常の陸軍徴兵は当時2年)即日再召集される場合が増加し、古参一等兵や古参上等兵が増加し、人事運用上の不都合が生じるようになっていった。そこで、上等兵の上に兵長を設けた。
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トルコ大地震と原発事故の相似 (安全はコストがかかるので無視されやすい)
1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等[注釈 1])は、1999年8月17日3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け[2]、1万7000人あまりが死亡し[3]、およそ60万人が家を喪うなど震源のコジャエリ県イズミット市を中心に甚大な損害をもたらした。