2017年04月24日

原発事故と山尾三省 (春の日に鶏が庭を歩く(詩)


原発事故と山尾三省

(春の日に鶏が庭を歩く(詩)

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春の日に鶏は庭を歩く

鶏(にわとり)が庭を歩いている
最近そうした風景を見ていない
鶏は工場のような
ケージの中で卵を産む機械とされる
そして肉はブロイラーにされる
その肉は実は危険なものとなる
鶏は広い庭を歩いている
近くに牛がモウと鳴く
清水が湧く所に清水と地名がついている
のどかな春の日である
この辺には古墳が多い
家の庭にも古墳がある
これらの古墳に春の日がさしている
ここに眠れる先祖は幸いなるかな
犬が春草に鼻をおしつけ匂いをかぎ散歩する
見慣れた光景に実は貴重なものがあった
その貴重なものを貴重なものとしない
鶏が庭を歩いている
その姿が自然であり心がなごむ
春の雲がほっかりと流れて
気ままに自転車でホタリングする
しかしのどかな風景は原発事故で失われた

鶏は庭の鳥だった、あれを見てはっきりわかった。それを見たときなんともいえないものを感じた、そういう姿を見ていないからである。それが近くで見れたので余計にそうなった、こんな光景は当り前であり普通はなんとも思わない
しかし今や鶏でも庭を歩いているのを見ないからそう見えたのである。
その時鶏は庭鳥として生き生きして生きていた、本来の庭鳥になっていた
これは何か人間が江戸時代の浮世絵で歩いて旅している
その歩くということは人間の本来の姿としてある。それが車社会でなくなった
だから歩くこと自体が人間を回復することになっているのだ

鶏は今悲惨である。卵を産む機械であり肉を生産する機械である。そこに人間にとっていいものではない、やはりそこに害あるものが作られている、今の食糧にはそういうことがある。鶏が自然な姿ではないよう人間そのものも自然な姿ではないのが現代文明である。車に乗っている人間は人間の自然な姿ではない、機械の一部に化しているのだ
それはあらゆる面でそうなっている、鉄道でも車より人間的でも電車という機械の一部になってしまうのはまねがれないのである。
もし江戸時代のようだったら人間はみな歩いている、だから人と人がそこで交わり話したりする、車は通りすぎゆくだけである。そうした車の洪水のなかで暮らしているのは本当は異常なことではないか?ただその異常性を鶏が庭を歩いているのが自然なように気づかないのである。

自然の中で動物が生きることが自然なことでありそれを見たとき人間も感動する。動物園の動物を見ても感動はしない、野生の動物をみたときそれが本当の動物の姿である。
人間はそういうことすら気づかないし文明の中で麻痺してしまったのである。
異常なことが異常に見えないのである。第一東京のような所で生活できること自体が異常だからできるとしかいいようがない、そこには自然はないからである。
人間が生きているのではない、機械がロボットになった人間が生きているともなる

山尾三省はそういう都会人だったが屋久島に来て自然と一体となる生活をした。
それは実際は過酷だった、だから妻は早くしんだし本人も60代で死んだのである。
第一パンを食うのが贅沢だとした生活では栄養失調にもなるからだ
そこには無理があった、だから貧乏生活を売りにしている芸人のようにも見られたのである。一面そういことがあった無理な生活だったのである。

現実に農業というけどこれはあまりにも厳しいのである。知っている人が趣味のようなわずかの畑をしているがそこで聞くのはただ苦労だけなのである。
虫にやられた、鳥に食われた、肥料に金がかかる、種に金がかかる、隣の畑の人がじろっと見ていて嫌だとか、そこに聞く話は苦労だけである。
それでまともにとれた野菜もないのである。しかし金はかかっている、ネギ二三本もらって何ももらえないのである。ただ苦労だけを聞かされているだけである。
そんなら買った方がつくづくいいと思うのも矛盾なのである。

山尾三省は都会人であり都会から田舎に来て頭の中での理想を実践したのである。
だからもともと農民だった人とは違う、土着的な農民とは違うのである。
ただ不思議なのは核兵器に反対するのはわかるが原子力発電を拒否する反対することとしてアンチテーゼとして農業をしていたのである。
普通原子力発電まではあまり反対しない、核兵器は反対してもしないのである。
例えば広島でも核兵器には反対しても原子力発電には反対していないのである。

畑には大根が太っている
その大根をひきぬいて大根おろしを作る

つわぶきの新芽がのびている
その新芽をひきぬき集めて食べる
やっと春になった
にこにこしながら食べる
こんなおいしいものは
この世にはまたとない

これは地のものの文化であり文明であり
核兵器を作る人たちや原子力発電所を作る人たちへの、捧げものではない

このように原子力発電所に対して拒絶して抵抗して農民になったのである。
ところが農業の現実はそうんなものではない、前にも書いたけど親が農業していた人が
農業だけはするなと親に殴られたということを聞いた、その子供は原発で働くようになったのである。そして避難区域になった小高にもどっているがそこは帰ったのは老人がほとんどなのである。
その他大原の人は代々の農家だったけど子供は跡は継がない、今はそこは空家になっている、農業の現実は過酷なのである。
だから今になるとみんな高齢化社会になり跡を継ぐ人などまれなのである。
農業は何か代々跡を継いでやるものでありそれに適している
なぜなら土作りとかは簡単にはできない、代々に土を作りをして土が肥えてくるということもある。そういうノウハウは農家で生活していれば身につくこともあるからだ

いづれにしろ人間は矛盾を生きている、自分自身も田舎で暮らしていて投資信託などしてグローバル化した世界で金儲けしようとしているのもそうである。
お前も山尾三省のようになれとか言われることは確かである。
でも自分は山尾三省のようにはなりたくないしそういうことも望んでいないのである。
ある程度の現代の生活を享受したいとなる、パンも食べられない生活はもう現代では偏屈者としかならないし誰もまねもしないからである。
それをみんなに要求するのは無理だとなる
ただ原発事故以後そういう反省が一般の人にも生まれたのである。

この辺の人を見ると本当に貪欲になっていたのである。漁業者は原発の補償金で御殿のような家を建てていたとか他より田舎では贅沢していた、田舎では一人一台車をもっていてそれもいい車をもっているのである。
そして家を建てて借金をしている人も多い、借金して自分は事業して成功したとしている人もいてその人に自分が借金を要求されて苦しんだのである。
そのことをプログで書いてきた、こういう贅沢を望むものが原発を作らせたともいえる。
別にパンなどは原発がなくても食べられる生活はこの辺でできた、山尾三省のような生活は異常であり作られた演技のように見えるのもそのためである。
ただそこに原発事故があり見直されたのである。
自分の求めたものとも共通しているからだ。

ともかく一番自分で不思議だと思ったのは鳥が庭を歩いている姿だった
それが何とも言えないもの、自然でありそれが天国の庭を歩いている鶏に見えたのであるそれはおおげさかもしれなんが何かそれほど人間は自然なものから離れてしまったとういことかもしれない、自然なもののが何かわからなくなった
そして人工的なもの都会でもそこに暮らすことが普通になりその異常性に気づかなくなった、原発でもなんでもいい金にあればいいじゃないかしかない、そのために漁業権をも売り渡すしなんでもするとまでなっていたのである。
借金してまで贅沢しているのと同じである。借金しているのは昔とは贅沢するためにそうしているのが多いからである。
そういう異常性なものが普通となり異常と正常の区別すらつかなくなっているが現代文明に暮らしている人たちなのである。

だから人間は今自然な生とは何か知らねばならない、とりもどさなければならない、医療でもチューブ人間になって活かされたりするのは不自然なのである。
自然な死がそこで何かを知る必要がある、人間の本当の自然な姿とはどういうものなのか知る必要がある、その姿を見たら感動する、それは歩く姿を見てそれに感動しているのと同じなのである。歩くということは人間の自然な姿として太古からあったからである。
それすらない文明社会はなんなのだとなるからである。


山尾三省の詩を読む (原発事故で見直されたその生活)
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2017年03月14日

鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー ( 小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない)



鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー


小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない

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鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー



これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。

でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである

その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。

ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。

結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。

それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。

このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。


ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。
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2017年02月18日

幸福の科学騒動 清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


幸福の科学騒動

清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


今回の騒動はなになのか?最初に注目したのが清水富美加の親が借金していたことである。

今回の騒動を通して、
大川隆法および教団が何を得ようと期待したのか?
どういう筋書き・思惑で騒動を起そうとしたのか?

このサイトは幸福の科学に詳しい

カルト宗教団体は一体何か目的なのか?それは宗教ではない、宗教の悟りとか救いとは無縁である。会員を増やすことをひたらすら追求する、それは何のためなのか?
その数と金とで権力をもつためである。それは創価がまさにそうであり幸福の科学も同じことを追求してきたのである。だから選挙にも会員を出した。
政治化したのである。政治は公権力を得ることでありそれでもって会員を増やすことに通じるのは創価を見ればわかる。

清水富美加は何かそうしたものに利用される、親もまたその原因になっている。
なぜなら親が事業に失敗したとういことで借金していたとなるとそうである。
事業の失敗の借金は大きいからである。そういう人を知っているから怖いと思った。
自分が病気のときに家族が苦しんでいるときに借金を要求してきた、脅迫してきたのである。

借金する→モラルの崩壊→犯罪

必ずこれが起きてくる、これは推理ドラマの定番なのである。まず犯罪の動機をみる、恨みなどがあるが借金しているかどうかが一番重要なのである。
借金している人はもうモラルが崩壊しているから犯罪に一番結びつきやすいのである。
要するに借金している人は犯罪予備軍であり犯罪者に近いとなるのだ。

江戸時代なら美人だったら借金のカタに遊女に売られた、不細工だと紙漉きとかの重労働をさせられた。それもまた過酷な現実だったのである。
借金をしたらパチンコ屋に働いているとかそのことも同じである。
もう働く場所を選んでいられない、ただ金になればいいとかないからモラルは崩壊しているのである。そういう人が自分が苦しいとき来たから恐怖だった。
自分は殺されるのではないかとも思ったからである。

清水富美加は親が借金していることからおかしくなり迷路に入ってゆきカルトに入り闇の世界にひきこまれたともなる。カルトとは大きな闇の世界である。そのカルトを作り出しているのは人間の闇が深いからである。
事業に失敗して借金したというときそこに深い闇が生れる、借金を返すために闇のカルトにひきこまれる、何か不幸があると障害者などにはカルト教団が創価でも何でもかかわってくる、それらは餌食になりやすいのである。
自分がそういうことを経験したから怖いと思った。
「あなたの不幸は信仰しないと解消しませんよ、会員になれば解決します」とか言われると藁をもつかむような精神状態になっているからひきこまれるのである。
またカルトはそういう人が一番会員になりやすいことを知っていて近づいてくる
その窮状を救うなどという心はない、会員にして勢力拡大をもくやむだけである

宗教というとき比叡山がそこは一つの国家だったのである。近江の琵琶湖の交通で税金をとっていたし職人であれ何であれその配下にあり従わせていたのである。
そこは治外法権であり一つの国家だったのである。だからそこで裁判も成されていた、今のような国家が中世にはなかったのである。
たから信長が比叡山を焼き討ちにしたのはそこが治外法権の国家であり山僧がいて武装もしていたから権力を得るためには戦わざるをえなかったのである。
第一城を建てるにしても職人が必要だがそれを掌握していたのは寺だったからである。
寺は個人が改心して求道して出家するような場所でもなかった。
そこは一つの大きな国家だったとするときそこで経済活動でも金貸しでも何でも世俗的なことをしていた場所だったとなる
そしてそれが不思議に不可侵の神聖な犯さざる場となっていたから税金をかけられないのは今のカルト教団と同じである。神や仏の所有地となっていたのだからそれに税金はかけられないのは今も同じなのである。だからそれを悪用することにもなる
そういう歴史の継続があることが「寺社勢力の中世」伊藤正敏で読んで面白かった。これは相当に考察する価値がある。

いづれにしろカルトとは何か、今の宗教は団体化した宗教はカルトである。本来の宗教とは何の関係もない、そこに悟りとか救いを求めるのは暴力団に入って悟りを求めるのと同じである。
なぜ暴力団員になるのか?それは犯罪者がいてアウトローになるからそういう場所に入る
そういう機能が寺にもあったという、そこは治外法権であり寺には武装した僧兵がいたからである。
戦国時代に侍が城をもったりする前に寺が城郭の役割を果たしていたのである。
僧侶が武士になったという説も興味深いのである。僧侶は軟弱な人たちではない、僧兵のように騎士団のような強者がいたのである。
侍の前進が僧侶、僧兵だったという説も確かにあると思う。
要するに中世でも国家などは存在しない、比叡山のような所が身の安全とか最低の生きる術を与える食料でも与えられる場所だった。

そういう寺がありやはり現代のカルト宗教に通じるものがある。底辺層なら生活保護を与えるとか何かしら権力をもっていて斡旋してやる、それは宗教とは違う、でも現実には現世利益となるから会員として勢力拡大になるのである。
そういう底辺層は何か高度の悟りとか救いなど求めていない、日々の生活に困窮するからそういう場に入り生きようとするのである。
それは共産主義政党でも同じである。そういう底辺層は常に豊かな現代でもいる、その人たちは損な立場にあるからそうなる
ただ宗教が怖いのはそういうふうに困窮しても安易に入るとどうなるのか?
結局地獄に落ちるとか罰当たるとかそういうものも引き受けるのである
結果的にはかえって地獄だと罰しか与えられないのである。その恐怖におびえるだけだとなる、それはエホバなどでも何でもそうである。宗派に関係ない、現代の宗教はみんな
カルトだと思う、宗教とは地獄を与えられることでもないし罰を与えることでもない
神の祝福を与えられることである。それはカルトでは地獄とか罰を引き受けるだけだとなるからたたらぬ神にさわりなしとなるのである。

ただ人間は何かしらの不幸をまねがれない,でもその不幸がすべて悪いものなのか?
そういう不幸も人間には必要なのである。例えば事業に失敗したからといってすべてが悪いとういものでもない、かえって失敗した方がいいかもしれない
なぜなら俺は頭がいいとかいう人が成功したと世間に自慢していてそれも未だにそうしている、それも借金していそうしている、むしろ別に事業に失敗したからといって人間失格になるわけでもない、俺は借金までして成功しているとしてこと自体が異常なのである。何かそういう奢りが神によって砕かれるべきなのである。
原発事故だってそうだろう、頭のいい人たちが自然の驚異の前にその傲慢さが砕かれたのである。自分たちは頭がいい、それは神のようにすらなっていたから神によって砕かれたのである。

いづれにしろカルトは人間の闇が作り出すからこれからも消えない、人間の闇とは上から作り出すわけでもない、人間そのものが闇をいだいているから闇の団体が作り出されるのである。人間個々人の闇があるからそれが集団化して大きな闇となる
ヒットラーが芸術家になりたっかのになれずに劣等感をいだき政治家になった。
オウムの麻原も目が見えないので劣等感をもったし池田大作も大学も出ないので劣等感をもち世界から勲章を集め大学の学位を政治力と権力でとる
またそれに従っている大衆も闇があるからそういう闇なるサタンに従うのである。
結局こうしてこの世がサタンに支配されるのである。

清水富美加はそうして闇の迷路に入ってしまった犠牲者だともなる、現代は複雑だから闇の迷路に入り安いのである。芸能人などもほとんどカルトのプロパガンダとして利用されるし利用されている、芸能人は芸能をやればいいのであって政治とかにかかわるべきではないと思う、民主主義だったら誰でも政治にかかわるとしても芸能人はプロパガンダに利用されるから危険なのである。大衆洗脳のために芸能人がいるのである。

宗教を見る場合は自分は歴史的に比叡山のようにそこが一つの国家となっていたように信仰とは関係ない俗社会の場だとしても何か奈良時代だと鎮護仏教文化があり平安時代でも貴族の仏教でも文化をつくり鎌倉時代など中世でも武士の仏教文化を作っている
江戸時代からは寺は幕府の役所になっただけである、戸籍係のようになっただけである。だから負の部分があっても中世までは仏教はそれなりに活きていた面があったとみる。
禅寺では貧乏人に薪がないからは寺の一部を壊して貧民に与えたとかある、何かそういうのが宗教者だったのかもしれない、
自らそうした私腹を肥やすようなことをしていたらいくらそこが国家でも成り立たないということはあるからだ

仏教というとき文化的な面から見るとわかりやすい、江戸時代以降はふうた仏教文化は生れていないからである。
中世が僧侶の国家であり文化であったが江戸時代はその僧侶が武士となった武士の文化となったからである。
まずカルト宗教団体から文化は生れない、個人的にも芸術家も生れない、それを見てもわかるのである。そこは利権しかない、利益追求しかない場なのである。
あとは地獄に落ちるとか罰あたるとかしか受けられない場所なのである。
現実にあれだけ数が大けれは不幸な人が山ほどいる、なぜそんなに不幸なのかと現象をもっとも重んじるのが宗教だから不思議だとなる

とはいえ不幸は誰にでもある、不幸はまねがれないのである。そもそも病気にならない人がいないからである。自分も家族や自分の病気でさんざんな目にあったことを書いてきたそれは別にカルト教団でも同じである。かえって自分より過酷な不幸におちいっている人は山ほどいるのである。創価に入って子供が若くして死んだとか交通事故にあったとか親も死んで今は家に誰も住んでいないとか無数に不幸がある。
それは他でも普通にあることである。それは自分にもあった。親が認知症になったとかなるが認知症になるのはもうこれから膨大にふえてくる、ではカルト教団に入っていたらまねがれるのかとなったらむしろ不幸はカルト教団の方が多いのである。
統計とればまちがいないてのである。なぜならそういう人たちもともと入っているからそうなるのである。貧すれば鈍するとなっているからである。

要するカルト教団に入る清水富美加のように闇の迷路に入ってゆく、そしてぬけだせなくなる、それも親が悪いともなる、なぜなら親の因果が子に報いである。
親がカルト教団に入っていればそのカルマを受け継ぐことになるからだ。
この辺では原発事故で住めなくなったように親が先祖のためにそうさせられたのである。ただすでに自分などにも責任はあったとふりかえればなる
この世の中はカルマから逃れられない、カルト教団に入ったことは親でも子にその因果が報いとなる、カルマを作り出したのが親である、先祖であるともなる









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2017年01月31日

世界歴史からふりかえる (アメリカのトランプ大統領の移民排斥はなぜ?)


世界歴史からふりかえる


(アメリカのトランプ大統領の移民排斥はなぜ?)


移民問題は歴史的に世界で起きていた。大規模な民族移動がありゲルマン人の移動などが世界を変えた、歴史を変えた、ゲルマン人の移動でローマは滅びた
世界史は民族の興亡である。戦争では負けた民族が奴隷になる。
スラブ民族とはSlave(奴隷)のことである。奴隷化された民族のことである。
その辺は確かにヨーロッパでも遅れた地域でありそこからEUに労働者として移民となり移動してくる、より豊かな国に人は移動するのは今も昔も同じである。
世界史では強力な民族しか生き残れないのである。
異民族の戦いでは負ければ皆殺しになる、ただ奴隷にされたというときそれは人権的に進歩したのである。なぜなら皆殺しよりはいいということになるからだ。
世界史ではこうした民族間の弱肉強食が普通だったのである。
だから世界史を見るときは日本史を見るのとは違った視点が必要になる。


トランプの移民排斥がなぜ起きたのか、それも歴史の繰り返しだったのである。
メキシコに国境の壁を築くというとき万里長城を思い浮かべる、遊牧民が豊かな農耕民の中国に食料をもとめて侵入してくるからあの壁ができた。
メキシコ人も貧乏だから豊かなアメリカを目指して国境を越える、そこは陸続きだからとめることができないから壁を作る、万里長城を作るとなる
それは歴史の繰り返しでありトランプ大統領の過激な政策もそうである。
アメリカも建国して200年とか時間が過ぎれば何でも無制限に移民を受け入れる時代ではなくなっていた。
なぜトランプ大統領になったかというと移民の国でも元から長く住んでいた人に権利がありその人たちが中核となるべきだ、エスタブリッシュになるべきなのにその白人層が移民により仕事まで奪われて地位も脱落して行くことで不満が募りトランプ大統領がその不満な旧来の白人層に利益を還元するということで当選したからだ。
それだけではない、アメリカに先に移民して国籍を取得した移民もまたトランプ大統領の支持者だった、新たな移民が次々に入ってくれば低賃金競争にさらされるからである。

アメリカという国家は何なのか?アメリカの建国は旧来の白人層が作ったものでありその層を中心にして国があるべきだとなる、そういう国が何なのか、その混乱が起きている
日本だとそういう混乱があったのは奈良時代までである。
その時までいろんな民族が混交していたし国作りでは韓国系統が大きな役割を果たした。それで何か韓国系統の地名が日本に残されている、地名は一番古く住み着いたものが残している、日本では蝦夷であり蝦夷がもともとの原住民だった、そこに仏教が入り蘇我氏などが日本の古来の神道系の物部氏と対立したが仏教系が勝利して日本を統一したのであるそれはアメリカではインディアンがいたがそれは移民によって虐殺された
ただ地名がインディアンの地名になっているのは蝦夷とにていたのである。

アメリカとは何か、アメリカ人とは何なんだとということが今問われている
アメリカファーストでありそのアメリカ人は誰なのか?旧来からいた白人層だとなる
もはや無制限に移民を入れることはそうした旧来の白人層とかのアイディンティティも破壊される、ヒスパニックが10パーセントも入ってきて言葉も通じない、その人たちとは文化も共有できないとか軋轢が大きくなる
でもまたアメリカにそうした強固なアイディンティティがある国家なのかというのもある他の国はそれなりの歴史があるから同じ言語でありアイディンティティをもった国である韓国だって小さいとして言葉があり歴史があるからである。
アメリカはそういう歴史によって形成されていない、多くの民族の意味の寄せ集めの国だとなる。だから今までは自由、博愛、平等とか民主主義の理念に国家を統一してそれを世界にも適応しようとした。
でも世界でその自由、博愛、平等の理念がゆきづまりヨーロッパでも崩壊した
結果的にナショナリズムに回帰するようになってゆく

そもそも国とは何かという問題も問われている、日本だったら歴史が長いからその自然とのアイディンティティもその長い歴史で形成してきた、アメリカにはそういう自然とのアイディンティティも作れる歴史がないのである。
理念国家はマルキシズムのソビエト連邦も崩壊したようにアメリカの民主主義という理念国家もゆきづまり崩壊してゆく、それは強固な国としてのアイディンティティをもち得ないのである。
日本では島国ということで陸続きの世界とは違って独自のアイディンティティを長い時間の中で形成できたまれな例外的な国だったのである。
陸続きだとこうはならなかった。多民族に侵略されて全く違った歴史にもなった。
それはモンゴルが攻めてきたときにそういう危機があった。
でもそれも海が障壁となりできなかったのである。

今アメリカの移民排斥はアメリカの国自体が問われている、それは世界の歴史で起きてきたことだからである。
中国でも統一国家を作ってきた、その中核になったのは漢民族であり今もそうである。
でも中国でも多民族国家である。アメリカとにている所はある。
でも中国人には中国人のアイディンティティが歴史の中で形成されてきたからアメリカとは違っている、アメリカは若い国なのである。
だから何をもって国を統一するかがまだ不安定なのである。

経済のグローバル化世界市場主義とか民主主義などが今や崩壊しつつある。
世界はそういうものでまとめられない、アメリカ自身が世界市場化で一番得していると思っていたが損したとトランプがTPPでも拒否しているのは意外だったのである。
そういう経済だけの自由とか世界市場はゆきづまる
人間は経済だけでは生きていないからである。
ヒト、モノが自由に流通するというのは無理だったのである。
それぞれの国には歴史があり文化があるからである。
日本では中国から宦官制度とか受け入れない、取捨選択して外国文化を受け入れている
そして日本的な風土と文化として融合させたのである。
その一番いい例が漢字を日本的な文化に融合させたことなのである。

日本では奈良時代までは優秀な人とか技術者とかは韓国などから受け入れとしても後は人は受け入れていない、後は人は入れないで物だけは江戸時代でも出島とかから受け入れた文化でもそういう出島から受け入れた、全く鎖国してなにも入れないというわけではなかった。アメリカは無制限に受け入れているのは違っていたのである。
アメリカにも明治維新と同じ外国人排斥の攘夷運動が起きている、それは必ず歴史では起きていたのである。
200年の歴史でもそういう回帰が起きてくる、でもアメリカの場合は歴史が短いからその攘夷運動でも国の核になるものがアイディンティティが強固ではない、そこに混乱が生れる、様々な移民が内部で内乱状態にならないとも限らない、それはどこの国でも長い歴史の国では起きていたのである。



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2017年01月21日

トランプ大統領の就任式の演説の失望 (世界の盟主としてのアメリカがなかったため)


トランプ大統領の就任式の演説の失望

(世界の盟主としてのアメリカがなかったため)


中国には登録商標を勝手に登録されてトランプ企業の名前やロゴが使えないから恨みがある。 娘のイバンカも痛い目にあい、北京に出した自身のブランドの宝石店も景気低迷と偽物続出であえなく潰れた。 


トランプ大統領は経済ナショナリストというときビジネスの経験で国を運営しようとしている、この情報はビジネスで私的な恨みを中国に日本にもいだいている。
自分の会社をもうけさせてくれなかったとして私怨がある。
もうそんなことで国を運営されたらアメリカ自体もまた世界でも困ったことになるだろう
娘のイバンカも中国で会社運営がうまくいかずつぶれたとかなると家族ぐるみで中国に恨みがあるのかとなる、アメリカの富が外国に奪われているというとき自分の会社がもうけられないのは中国や日本のせいだとなりそれが国家に適用されたらどうなるのか?
トランプファミリーが国家になってしまったらどうなるのか?

トランプにはそもそも国家観とか何もない、国家はビジネスのためにあるというだけになる。ただもうければいいんだというビジネスのために国家があるんだとなったらどうなるのか?
国家はそもそも何のためにあるのか?ただもうけるためにあるのか?
阿部首相でも企業のセールスマンとして世界を渡り歩いているのかともなる。
企業社会になれば原発事故の東電でもわかったように政治家はそうした大企業に天下りして甘い汁を吸えばいいとなってしまう。
国家は私益のためにあり企業は国家を利用して私益を追求する、ただどっちにしろ国家でも企業でも私的利益を追求するものとして共同するというだけになる

アメリカでもそれだけでは世界に通用しないから民主主義を普及するためだとか人権を主張していた。それは表向きのもので裏ではアメリカが中国などに対して圧力をかけるものとしてそうしていた。
ただ世界に通用するために普遍的なものが理念が必要になる、それで共産主義がマルクス主義が共通の理念として労働者よ団結せよとなってソビエト連邦とか中国共産党国家が生れた。
フランスだと博愛、平等、自由がありそれもアメリカでも理念として採用された。
しかしソビエト連邦も崩壊したし中国共産党も一党独裁となり貧富の格差社会になった。フランス革命の理念もEUも移民で混乱してイギリスが離脱するとか失敗した。
グローバル経済も世界的試みとしてあったがそれも軋轢が増して貧富の差が世界的に拡大して反発がありナショナリズムに回帰してゆく流れが世界的に起きている。

そもそも自国が第一だというのは当然なのである。どんな国家でも自国を犠牲にして他国に尽くしたりしない、国家というとき経済的なものだけではなく国家を形成すること自体歴史があり犠牲があったのである。
アメリカでも南北戦争がありそこでアメリカが統一されて初代大統領がリンカーンになっているのだ。日本でも古代には邪馬台国があり百余国が争っていたとある。
国を統一することには内戦があり必ず犠牲がある。
その犠牲がある故に国家は形成されているということをその歴史があるということが国家なのである。

最近西部劇をまた見ているが興味深い、ある州が州になっていない、そこは治安が悪く保安官が数十名しかいないので悪人をつかえまて裁判することもできない、それで判事が苦労している、その判事はこの州は準州であり州に昇格させたいために必死になっていると保安官に訴える、つまりstateとなっていない、州が一つの国家とするとき国家がないのだから準州でありそこは法も通用しない無法地帯ともなっていた。
地図をみると明らかなのである。それは西部開拓の地域になっているからだ。
準州だと大統領の選挙権がもてなかったのである。そういう時代もアメリカにはあったのである。
そういう過程が歴史があってアメリカも一つになっていった、アメリカも広いから一つの国家としてまとめること自体苦労してきた歴史がある。
準州というのがこれだけあったということはそれだけ無法地帯が広がっていたのである。だから法の下に治めること自体がアメリカでは苦労していたのである。
そういう無法地帯に西部開拓時代に移民が入ってきていたのである。

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アメリカの準州だった所

大国になると国をまとめること自体が最大の難関となる,それは中国でもロシアでも前のソビエト連邦が失敗したように同じなのである。
中国が分断されるということはしきりに言われるがアメリカも分断される危機になっている
アメリカは西部開拓以来、西へ西へと驀進してきたのである。そして太平洋に出てアジアにでて日本と出会い戦争になった。アメリカは何かそうして外に出る力が強い国だった。フロンティア精神が旺盛でありそれが世界もその対象となったのである。
でもまた内向きになるというのもナショナリズムに回帰するのもわかる。
別にアメリカなどは一国で資源もあるし石油もシェールガスとかあるし困らないのである一国で成り立つ経済なのである。かえってTPPがアメリカに不利だと気づいたのである。
アメリカは世界から孤立しても鎖国しても困ることはないのである。
日本は資源がないから困るがアメリカは鎖国しても困らないのである。
何か売るにしても売るものは兵器だとかなるとそんなことで世界経済で利するとなると世界でも迷惑だとなってしまう。

ともかくグローバル経済は何か根本的に人間的に見て無理だったのである。
それは各国の文化すら破壊する、日本から車を買うのだからアメリカの農産物を牛肉でもオレンジでも買いとかなる、牛肉などそんなに日本人は食べる習慣もなかったし食べなくても良かったのである。食も文化であり日本の文化は縄文時代から海産物と米で作られてきたからその文化をグローバル経済で破壊されてきた。
つまりグローバル経済は制限されたものとしてそれぞれの国の歴史とか文化を破壊させない程度にすればいいのであり文化を破壊してまでする必要はないのである。
そういうことに世界で気づいたということがありナショナリズムに回帰するのである。

ただトランプにはそうした国の歴史とか文化とかを語るものはなにももっていない、思想がない、あるのはビジネスとして利用する利用される国家観しかない、ただ国家としての理想も語れない時代にもなっているのかもしれない、メキシコの移民に浸食されてアメリカの歴史とアイディンティティが壊されてゆく危機を白人の中産階級が危機感をもった。現実にトランプ大統領の就任式にはその白人しかいなかったのである。
そこはマスコミで報道していたから良く見ていたと思う。

いづれにしろアメリカは国内のことで精一杯になり外に世界のことにかかわれなくなっているのが本音だろう。
アメリカ自体の国家観とか国造りをどうするのか問われているからである。
内戦が起きるとかカリフォルニアが独立するとかもそうである。
自国が分断の危機にさらされていたら外国のことにかかわる余裕がなくなっているのだ。だから高邁な理想など語れない、ただアメリカが得するビジネスとしての国家観しかトランプにはないとなる

でもアメリカ大統領となるとローマ帝国の皇帝を選ぶような感覚になる。日本もその属州のようなものになっている。世界でもアメリカがローマ帝国としてありその州のようになっている感覚がある、だからそういう大帝国の皇帝となるともっと理想を語ってほしいともなるがその余裕もないからアメリカはもう世界の盟主でもなくなっているのかもしれない、まずアメリカ自体が極端な格差社会でありたからこそカリフォルニアが豊かだから独立するとまでなる。カリフォルニアも一国となっても資源的にも食料でも自給できるから困らないからそうなる。かえって準州並の州とは一緒になりたくないとまでなっている。その格差を解消しないことにはアメリカ自体が統一されず壊れてゆく
それは南北戦争時代と同じだとなる。
黒人奴隷が移民であり移民排斥は黒人奴隷解放を拒否する南部だとなり北部と戦争になったとのとにている。

ともかくアメリカにはローマ帝国のような世界の盟主としての期待があった。それも国内問題の方が優先されるとかローマ帝国が没落してゆくようなものと似た状態が起きているのかもしれない,だからトランプ大統領の就任式でも演説でも世界が失望したというのはわかる。ビジネスのことしかないというのが何か淋しいとなる。
ただオバマ大統領はただ理想を語っただけで何もできなかった、それも批判されているから何か実行力があることは期待されている、でも何かアメリカの大統領はアメリカだけの大統領ではないと見ていたから物足りないものを感じたのである。
評価できるのはマスコミからあれだけ無視されても大統領になったことが功績だったともなる。マスコミの没落させた大統領として自分も評価しているのである。
ヒラリーが大統領になることもまたアメリカ国民は嫌がっていたということである。
それは一部の金持ちのための政治になるから嫌がっていたのである。
ただトランプにしても大金持ちなのだからこれからはどうなるかわからない、結局また失望したとなるかもしれない、なぜならトランプが選んだ指導者はみんな大金持ちだからである。そうなると格差社会を批判していたのにそうした没落した中産階級の白人には嫌がられるだろう。それでトランプ大統領はこれから波瀾であり長持ちしないというのはそうなのだろう。

今年は酉年であり酉は夜明けを告げる酉である、だから変化が起きる、新しいことが起きる

酉年に夜明け告げる鶏の鳴く古きは壊れ未来を望む

それもあるが温故知新ということもある。やはり必ず歴史は元にもどりまた前進する。
維新とは復古でありもともとあったものが新しく復古する維新するのである。

また酉という字自体、象形文字で首の長い酒器を表している。ついでに言えば酒という文字は、「酉」の中に入っている液体だから酒である。この2つのことから、古代中国において、「酉」は収穫した実から酒を作り、利を得ることという解釈が生まれたのである。

何か酉年は商売と関係している、酉の市というのもそうである。
商売というときトランプ大統領はビジネスしかないからあっているのかとなる
これもあくまでもそれぞれの解釈なのである。
自分にとっては今年はいい年になる感覚がある、十年間介護とかで苦労したからである。自分の収穫は自分の作品をまとめることである。
それはインターネット上で本作りなど整理することである。
そういう時間が生れたことが自分にとってはいいことになる



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2016年12月30日

今年起きたことで反省すべきこと (マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)


今年起きたことで反省すべきこと

(マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)

イギリスのEU離脱でも意外だったとみんなが言う、そのみんなとは誰のことなのか?
それはマスコミでそう言っていたからみんなが言っているとなっていたのである。
第一なかなか一般の人が外国の事情に詳しくないからマスコミで報道すればイギリスの
EU離脱はないと見るのである。

トランプの勝利でもそうだった、最初は泡沫候補と言われていたから良く都知事などでもそういう人が発明王のなんとかとか出てきては消えてゆくだけである。
そんな人なのかなと一般の人はみる、特に外国のことだから余計にそうなるのである。

でもこういうことは別に日本でも常に起きていたことなのである。
それはここで追求してきた原発の安全神話がマスコミと一体化して作られていたとういことである。多額の宣伝費をみんなもらっていたから東電の批判も原発の批判はどこもしていない、結果的には事故などおこるわけがないとなっていた。
それはマスコミと権力が一体となり作られたものであった
それがもろくも崩れ去ったのである。

だからマスコミの報道で世論が形成されたように見える、でもマスコミはまずマスコミで自社で判断しているのである。つまりイギリスはEUを離脱しないと判断している
何か正確な情報でまたは正確な世論調査でもない、マスコミで判断して報道している
この辺のことで原発避難者のことを自分は批判したがそれはNHKでまず避難者側につくということで番組を編集していたのである。
補償金で地元でも不満な人たちがいても避難者側についてかえってそういう不満を言う人を放送の中で批判させていたのである。
ただなかなかわかりにくいものがあり気づかないとういこともあった。
自分は地元だから変だなとしてプログに書いたのである。

要するにその土地の実情というのは外から見るとわかりにくいのである。そのことから全国に放送するときなんだ原発避難者が仕事を求めたのに断ったり仲間に入れないとか冷たいとみんな見る、不満に思っている人には何も言わせないからである。
だからマスコミでも報道は中立というのはありえないのである。
なぜならマスコミ自体がまず方針を決めてどっちの味方になるか決めて取材をして放送しているのである。

イラク戦争でも石油まみれの海鳥を写して世界中に放映した結果、イラクはひどいと世界で思うようになった。それはやらせでありその報道は事実でもなかった
アメリカのプロパガンダでありそのために海鳥が使われたのである。
そういう放送が意外と多いのである。自分たちの有利なようにプロパガンダとして海鳥が使われたように人間すら使われる、現実にシリアの戦争でもどれだけフランスでも飛行機で爆撃して子供まで死なせているかなどは報道しないという批判があった。
戦争なんだからフランス自国でも殺されてもしかたないという意見の人もいたのである。つまり放送は中立はなく常に一方的になるのである。
世界だとアメリカ寄りになるしヨーロッパ寄りになる、ロシア寄りにはならないのである中立の報道などないのである。

本当になぜ泡沫候補のトランプが大統領になったのか信じられないとなる
そうさせたのはマスコミだったのである。アメリカ国民の実情は違っていた。
その実情をみていた人はわずかだがトランプが大統領になることを予言していた。
でもアメリカの実情はどうなんだというとき外国だとわかりにくいのである。

いづれにしろ為替でも急に年末に上がったりしたのも予想しえなかった。トランプが大統領になれば円高になるとか株が下がるとか言われていた。
クリントンならそうはならないとクリトンの価値を予想していた。
ところがそうすでにマスコミがクリントンに大統領になってほしいからクリントン有利と報道していたのである。
「トランプ」あれは何なのだとか外から見るとなっていた。
そう思わせたのはマスコミの報道だった。
ただ今回はSNSのインターネットが底辺層にも普及してその影響があったとも言われる
でも英語など普通は読めないからその実情を知ることは容易ではない
たから外国だと余計にマスコミのかたよった報道を信じることになる

原発の安全神話もそうである。まず原発は安全だということしか報道しないようになっていたのである。それは権力と一体化してなっていたから一般の人も安全だと思い込まされていたのである。日本の技術は優秀だからチェルノブエリのようにはならないとかそういう安全神話を信じさせられていたのである。
だから原発が危険だという情報は極力出てこなかったのである。それはタブー化していたともなる、まず報道できないのである。

ともかく報道でも何を信じて何をみるべきかわからないのである。
情報がマスコミでかたよっているからそのかたよった情報の量が多いから自ずと今回はトランプでもそんな人がなぜ大統領になったのかという驚きになる。
要するにアメリカ国民も多様でありその多様なものをは報道しえない、マスコミの意向でクリントンが大統領になってほしいからその側について報道していたのである。

この辺でも実際は津波の被害者もいるし原発の被害でも避難民と化した人とそうでない人の左が大きいのである。まず補償金にすると格段の差があるから不満になったのである。そういう複雑な事情は外からわかりにくいのである。
だからNHKではそうした複雑な事情を報道するよりまず避難者側についた報道することを決めて取材していたのである。

トランプの勝利でもマスコミの報道する側の意向でトランプなどとるにたらない人だとされていたのである。それは原発神話と同じである。
事故なんか起こりえよがない、そんなことを言う奴は許せないとまでなっていた。
原発で働いている人は上の人から常に安全だと言わせられていたし地元の人にもそう言っていた。だから原発で働く人が多いのだから地元でも安全ではないとは言えなくなっていたのである。そんなことを言うと地元で村八分にもなりいずらくなっていた。
原発で給料をもらっているのだからどうしても東電側につくからである。

だから報道にはマスコミの意向であり国民の意向が世論がどうかはわからなかった。
いかにもマスコミが世論のようになっていたからである。それは操作されたものであり国民は別な意向をもっていてそれが現実の選挙の結果となったのである。
それでマスコミの報道でも一旦疑問にもつということが必要になる。
様々な見方や知識が判断するには必要になる

でも情報量が多いと人間は今度は判断するできなくなる
インターネットのように無限に情報が噴出するともうとても読めないのである。
ジャムでも種類が何十種類とあるとどれを選んでいいかわからず買う人がへるという。
もしその中の5つつくらから選べとなるとき買う人が増えたという
種類が多すぎると買うことすらできなくなるのだ。
スーパーでは種類が多いと本当に買うのに一苦労するのである。
だから情報にどう対処するのかは本当にむずかしい。
それで結局一方的洗脳によるナチスとかカルト宗教団体などが世間を席巻する。
題目や念仏を唱えればいいというのが一番簡単だからである。
ハイルーットラーが一番わかりやすいからそれによって煽動されて国まで滅亡するとまでなる。

情報というのは噂話でもそれが大きな影響を及ぼす時があるから怖いのである。
流言蜚語も怖いのである。情報の取り扱いを誤るとそれが致命的にもなる。
それは国単位だけでなく個々人の単位でも起きている、様々な情報の嘘に惑わされる
でも国際情勢とかなると自分だけで判断するのは本当にむずかしい、専門家でもはずれている。そうなると何に頼り判断すればいいのかとなってしまうのである。
ただ全面的にマスコミとか人の言うことでも信じないということが防衛になるかもしれない、ネットでは常にマスコミで報道したことをそんなことはないと否定するのが多い、事実でもないということを言うのである。
するとそうなのかなと考える、それだけでも何か一方的にマスコミとかの他の判断に頼らないことにはなるのである。
でも今回のトランプの勝利というのは誰も予想しえなかったというときいかに専門家ですらわからないのだから一般の人が知ることはできなかった。
裁判でもそうだが双方の言い分を良く聞くということが大事になる。
そしてわからないことは簡単に判断しないことだともなる。
簡単に白黒をつけるとういことが危険だとなることは確かであったのだ。





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2016年12月24日

鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


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原町の雲雀が原の復興団地
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鹿島の復興住宅



シシドスーパーの隣の一軒家風の復興住宅に入る人がいたので聞いてみた。
二本松市から移る浪江の人だった。浪江の室原だとういう。
室原ではすぐ近くが閉鎖された地域だというから相当に放射線量が高い
その人も原発で働いていたのである。
浪江は三分の一は原発で働いていたしその関連で働く人も多かった。

「ここは一人では入れないと思った、何人か家族が入ると思っていましたが」
「自分の母親は死んだんです、今は自分一人です」
「すると母親が生きている時ここを申し込んだ」
「ここは抽選なんですよ、それでも空きが出るみたいです」
「空きが出るということはやはり家を建てた人がいるとか」
「そうです、県では計画を建てて復興住宅を建てたんですが事情がそれぞれ変わってんですよ」
「空きがでるということはもったいないな」
「こっちはあったかいからいい、二本松は寒い」
「ここは気候はいいですからみんな帰りたいですよ、浪江の人とは良く会うな」

その人は二本松で母親と一緒に暮らしていたが最近死んで一人になった。境遇が自分とにている。兄弟もいないらしい。あそこは一人で住めないと思ったがそういう事情があったその人も病気をもっているらしく医者のことを心配していた。
何でも避難のどさくさで死んだ人もいるらしい、病気になった人もいるらしい。関連死が結構あったことは確かである。
どうも六〇代なのかその辺りはみんな何か病気になる世代なのである。重い病気になる人もいる。だからあの人はもう浪江に帰らないと言っていた。
小高でもそうだがそういう人が多いのである。浪江にも復興住宅を建てたが帰る人は少ないのは小高と同じである。
ただ町の計画としては廃炉事業として長くつづくから宿泊所を街に作る、五〇〇〇人規模の街を作るというのを聞いた。
室原だったらもう住めない、イノシシに荒らされているというのはどこでも同じである。
浪江では二本松にはコンクリートの役所を建てたという。二本松市に浪江の町を作るという計画もあったがうまくいかないらしい。やはりそれは無理だったのだろう。
浪江も小高のように復興は容易ではない、町自体が崩壊の危機にさらされている
それで街の役人がもう勤務が忙しくて辛いやめたいという人もでてきている、外からの応援も減ったからである。
何かこうなると町を維持するための瀬戸際の戦いを強いられているとなる
でも若い人は新しく外に家を建てた人は帰らないとか小高と同じである。
だから復興することは本当にむずかしいと思う

ただ浪江と小高の事情はまた違っている、小高は復興するというとき南相馬市民であるから違っている、その点原町でも鹿島でも移り住むのは容易なのである。
そして小高に厳しく自分があたるのは南相馬市民として復興してもらわないと困るからそうなる。南相馬市の負担になってくるから市長も今は小高の人で復興してくれと言っている。
個々にかわいそうな人はいてもやはりいつまでもかわいそうだ被害者だとしたら復興などできない、それよりすでに小高から出て家を建てたり仕事を持ったりした人は小高とはもう関係ないのである。だからその人たちをかわいそうだから援助しなければならないと今も言っているのは納得いかないと自分はなったし市長もそう言っている。
そんならお前も南相馬市民だからお前が住めともなると言われるかもしれない。
それも一つの方法かも知れない、市営住宅に住んでいる人が小高に住めばいいかもしれない、空家があれだけあるから広い家に住めるからである。
ただ市営住宅に住む人は貧乏だからむずかしいことがある。固定資産税だって払えないとなるからだ。それなら税金を免除しても住んでもらうとかの手はあるかもしれない。

その人は来年一月までは移り住むという。あの人は浪江には帰れない、第一病気だから医者が近くにいないと困るからである。
六〇代以上になるとそういう人が増えてくる、だから小高でも浪江でも帰る人がそうした老人が多いとしたらなかなか復興はむずかしいとなる
ともかく原町では相当な数である。鹿島の復興住宅も五〇棟ある。
でもあれだけの復興団地ができても結構空きがでてくる、それは当初の予定では入る人がいたが帰らないとかで他に家を建てて別に暮らしがはじまっているからである。
そういう人が帰らない、そういう人たちは若い人が多いから若い人は帰ってこないから老人が取り残されてしまうのである。
でもあそこに移って来た人も年金をもらえるのか、補償金は再来年で打ち切られる、その後どうするんだろうとなる、そこも大きな問題となってくる
それは小高でも起きたことなのである。ギャンブルして金なくなったから貸してくれと福祉に相談に来た人もいたという。そういう人もいて自分は批判してきた。
ただ鹿島では小高の人を批判してきたが浪江の人はどうなるのか、やはりなにかしら摩擦が起きてくるかもしれない、これはまた別な事情があり変わってくる
こうして原発事故は福島県全体をまきこみそして全国をまで大きな影響を及ぼしたのである。
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2016年12月13日

明治以降エリート養成に失敗した日本 (なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)


明治以降エリート養成に失敗した日本


(なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)

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(週刊現代)

この事件を起こした学生は優秀である。頭だけではない、体力的にも優秀であり家柄も良かった。医学部となれば誰でも一目をおく、医学部は現代では最高のエリートなのである文系だったらどこの大学でも東大だってさほどでないとみれる
でも医学部は違っている。医学部は日本の最高の頭脳集団だと見られているのが現代である。

ではなぜそこでこんな事件が起きるのか?
根本的な問題としては別にこうしたエリートでなくても若いときは奔放なエネルギーが爆発するから若気の至りとして普通にある。だから特別なことでもないとなる
この人たちは体育系に所属していた,すでに頭脳も優秀であり体力もある若者だったのである。
だから自分などは頭脳もだめだ体力もないからうらやましいとなる。
そうなれば女性にもてるということがある。向こうからよってくる女性がいくらでもいるとなる
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こういうふうになり傲慢となってくる、三流大学だったりしたら女性もよってこないだろう。頭が良くて体力がありスポーツマンであり医学部であり将来医者となるとしたら最高だとなるのが現代である。
なぜこういう人がいるのか劣等生とか自分などは理解できないのである。
学力とか体力とかは生まれつきなものがあるとなる。そういう人はさほど努力しなくくても勉強できるのかもしれない、だから劣等生には理解できないのである。

でもなぜこういう若者がこんな事件を犯したのか?それは若気の至りであり特殊なことではなかったのか?
ただこうして優秀な人の問題は必ずうぬぼれる、傲慢になることなのである。
それを何度も指摘してきた。傲慢になることは一個人でもそうだが国家などでもそうである。「奢る平家久しからず」というふうにその傲慢が必ず滅びに通じいるのである。

だから若いときからそうして優秀だと非常に危険なものになってゆく、自分もふりかえると三流大学にしろ田舎ではまず一クラスから四五人しか大学には行けない、自分が行けたのは頭がいいからではなくただ経済的にめぐまれていたからにすぎない、それでも何か傲慢になる。その時代第一集団就職の時代であり金の卵としてクラスの三分の一くらいがそうなっていたのである。その差が大きかったのである。

ただ自分の場合は大学出ても就職もしない特殊なものになった。大学でてもエリートでもなんでもない、放浪したりして底辺労働者になっていたのである。
そうなるととても大学卒などというものではない、底辺労働者にすぎなかった。ホームレスのような時もあったのである。だからうぬぼれることはなくなった。
でももしその時大学出て恵まれた会社であれ公務員であれそういうものになっていたうぬぼれたものになったかもしれない。

だからこういう事件を犯す若者の危険はうぬぼれることにあったのである。
まず若いときに金がありあまっていたりうぬぼれたりする、高い地位についたりすることほど危険なことはない、若いときは望んでも苦労せよというのはそのためである。
ところがこうして優秀な若者はすでにうぬぼれたものとなっている。
人を見下すようになっている、そういう若者がやがて最も尊敬される医者になることは怖いことになる

なぜ医者とか看護師とかがすべてではいないにしろ嫌がられるのか?
今の時代は特別尊敬されるからだろう。
また病人になったとき弱者となったとき何か同情心に欠けてはいないか?
つまり傲慢だということはいくら頭が良くても謙虚さがなく同情心に欠けるからである。でも病人とか弱者を相手にするときは同情心は欠かせないのである。
そういうものがないとしたらいくら技術的知識的に優秀でも怖いとなる
だから自分は病院が怖いとなる、もう苦しいけど病院には行きたくないとかその前に死んだ方がいいとまで思うようになったのである。
それは病院だけではない社会全般に言えることである。
なぜこれほどブラック会社が多いのか?人を人としても見ていない、働くロボットとしか見ていないからかもしれない
そういう非情のシステムの中で働いているのが現代なのである。

つまり医者になる人は今や優秀でもそういう若者が多いとなるから困るのである。
若いとき何でも下積みで苦しみ下々のことをわかる人が上に立つの理想なのである。
結局日本はエリート養成に失敗したである。
それは江戸時代から明治になったとき起こったのでありそこに原因があった。
江戸時代はエリートは侍だったけどその人たちは高いモラルをもっていた人たちだった。
そして江戸時代は不思議なのは寺子屋の先生でもその人柄がいい人とかで決めていたのである。知識とかではなかったのである。医は仁術というのもそうであり医者はその腕よりモラル的なものを重視していたのである。
だから医者は人情に厚い人が多く例え技術がなくてもそれでいいとしていたのである。

今は全く逆なのである。民衆が望んでいることはそういうことではない、教育だったら先生だったら例えば英語がどれくらいできるのか、数学がどれくらいできるのか、専門知識がどれくらいあるのか、そういうことしか見ていない、人柄とかモラルは関係ないのである。
だから江戸時代というのは不思議だと思う、それはあらゆる分野でそうである。
江戸時代の方が入会権であれなんであれ私有という概念がない、共有しかないのである。明治になって私有権が異常なほどに主張するようになったのはそれが認められたからなのである。それが自然破壊とか原発問題にも起きていたことを指摘した。

江戸時代が遅れた時代とされるけど明治になって西欧文明が入ってきたとき日本にあったもの、いいものが失ったことを今考えねばならない、そして第二次世界大戦でも日本がアジアに進出したのは吉田松陰であれ西郷隆盛であり征韓論者でありアジア進出者、侵略を公言していたのである。
現代の問題の根はさかのぼれば明治維新にあったとなる
それで福沢諭吉は学問を出世の手段とした。東大出が法曹界だ支配するようになったり官僚支配の構図も明治にできたのである。その時江戸時代の侍はいなくなっていたのであるそのことが現代の腐敗の原因だったのである。侍はモラルを一番重視していた人たちである。
だから改革というとき江戸時代を見直す作業が必要になるのである。
内村鑑三は西欧文明はキリスト教文明だからキリスト教を導入しないと日本は滅びるということを予言していたのである。
江戸時代は儒教であれモラルを最優先した時代だったとしても社会がモラル的には安定していたとなる

日本は明らかに明治維新からエリート養成に失敗したのである。それが戦争の敗北とかに通じていた。それは現代もその構図は変わっていない、教育でも医学でも科学でもモラル喪失の時代を生きているのである。
もちろん支配階級がそうなのだから下々も当然モラルなどなくなっている、人情もない世界になったいる
だからこれからの問題としてエリート養成の問題がある。その改革をどうするのか?
それが大きな課題なのである。
タグ:レイプ事件
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2016年12月12日

鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい (南相馬市市役所に相談したが・・・)


鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい

(南相馬市市役所に相談したが・・・)

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錆び付いて重い 

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鉄塔が建ち八重桜は切られて残念



最近毎日鹿島駅に行って外からの人と話したりしていたので駅のことが気になった。
今日は十人くらいかJRの水戸管理局の人たちが来てみていた。
もったいないのは八重桜の木をみんな切ってしまったことである
鉄塔を建てたため切った。やはり駅はやはり街の象徴としてあった。

その入り口の戸は相当に古くなっている、さび付いていて重いのである。
冬だと寒いからいちいち開けたり閉めないといけない、改札口はあいていても入り口も開けていたら寒いからである。
それでそれが開けたり閉めたりするとき重いからやっかいになる
それは利用する人がみんな思っていることである。

今回仙台まで開通することでいろいろ新しく整備したからそのことで聞いてみた。
一応聞きはしたが別にそれで直すとか上の人に言いますとかは言わない
それで市の方に相談した。そこはJRの管理になるので市の方でもどうにもならないですとか言った。
それもおかしいと思った。なぜならみんな市民が困っていることだから市の方でもなんらか対策があってもいいと思ったからである。
これは自分一人が思っていることではないみんな不便を感じていることなのである。
それは市民の要望なのである。

ただJRの土地でありJRのものだから市ではなにもできない、市民も何もできないとなったらこの世の中どうなるのか?
JRでも公共機関であり民営でも公共のものである。そういうことは会社なら必ずある。
会社ならなんでも勝手にしていいとはならないのである。
反面そういうふうに公共的なものとなると利用する方も維持することに尽力する必要が出てくる、なぜなら民営となると利益が出ないならやれないからである。
「迷惑にはなるでしょうが予算がないんです」とかなればどうにもならなくなる
前は国鉄であり国で運営していたから違っていた今は利益を出ないことはしない。
だから北海道の鉄道は運営できないので廃止になってゆく、そういうふうに利用する方も考えることになる

明治以降はかえってこうしてみんな民営になり私有権が認められ主張するようになった。それは過剰なほどそうなった。それで補償金がもらいたくて自分の家の前の海は自分のものだ、私有権があるとまでなって主張したのである。
海は誰のものだとなればそれは本当に漁業する人たちのものだけなのか?
それで民間で勝手に魚釣りをできないと不満を言う人がいた
資源を守るためだと大義名分はそうでも原発事故でそうではなかったからである。
船主などが漁業権を東電に売り渡していたのである。
海を売ることができるのか?海は漁業権をもっているもの達のものなのか?

そういうことは原発事故ではいろいろあった。
極端な話が原発を建てた土地の所有者と県の許可で原発が建てられたことになる
その土地は俺のものだから何も言うなとまでなってししまいこんな大惨事になる
そして双葉町でも大熊町でも富岡町でもそんな狭い範囲で勝手に決められていいのかとなった。
現実に今やそういう人たちが避難して立派な家を建てることに回りの人が不満になったのである。原発はとてもそんな狭い範囲の人たちで決められるものではなかったのである。
土地とか山でも森でも大地でも海でも公共的なものでありなかなか一所有者のものとなりにくいのである。海だって大地だって山だって森だって自然は一つのものとしてつながっているからである。
飯館村で自分の土地を除染するより売りたいというときもし売ったらそこが放射性物質の処理場にされると今度は回りに影響する
現実に放射性物質を入れたフレコンバックが破れて流れだしたら南相馬市にも流れてくるのである。真野ダムでもそうである。

海にしてもあれだけ汚染されたのである。そして東電の前の海は誰も立ち入ることはできない、漁業権を組合で売ったからである。東電の私有地になったのである。
何か私有地というのは明治以降増えたのである。
猪苗代湖でも一部私有地になりバンガローなどが建っている、迷って入ったらしかられたそういうふうに自然を私有することができるものなのか?
それで山でも無数に分割して私有化された結果として土砂災害でもふせぎようがなくなる俺の山だから勝手に木は伐っていいとかなるとそこから土砂災害が起き安くなる。
森も山も全体だからである。

いづれにしろ鹿島駅でもJRの所有地だから全部勝手にしていいとはならないだろう。
街の景観としても維持する必要もあるし街全体の問題なのである。
それはあらゆるところで言えることである、私有権をあらゆることに認めると公共性が失われる、そして公共性のないものはこの世にない、一軒の家をもってもそこには自分のものだけとは言えない,それが空家化するとわかる、周辺に影響するのである。
何かそういう公共的志向がかえって明治になって民主主義化して失われたというのも逆説である。
原発でも何かそういうふうに漁業者でもただ利益しか追求しないで私有化して海を東電にうりわたした。巨大な会社に海が買われてしまったのである。
そういうことはグローバル化して世界で起きた、巨大な多国籍企業に森でも自然でも買われるのである。
第一そもそもが東電によって政府によって双葉町とか大熊町とか富岡町は町ごとが買われてしまっていたのである。それほど東電が大きな会社であり政府もかかわっていたからそうなった。

公共的なもの自分の住んでいる市町村に関心をもつのは日々の生活にかかわるからである毎日駅に行くとして戸を開閉するのに難儀するとなると嫌だとなるからだ
ただこういう身近なものは気づきやすいが大きなものにると原発とかなると立ち入ることも何もできない、その回りに住んでいても何もできない、ちょっとのぞくこともできないその回りに住んでいても一番危険地帯に住んでいても住んでる人は何もできなかったのである。



1898年(明治31年)4月3日 - 日本鉄道の駅として開業。

乗車人員推移
年度一日平均乗車人員
2000 596
2001 564
2002 530
2003 522
2004 524
2005 484
2006 461
2007 434
2008 430
2009 405
2010 378
2011
2012 293
2013 313
2014 299
2015 318

鹿島駅は開業当時からの古い駅舎らしい。だから相当に古くなっている
乗降客を見ると2000年に600人であり震災前の2010年にすでに378まで減っていた。
震災後は半分になっていた。
でも2015年には318になっているし仙台まで開通するとなると増えるかもしれない、
津波原発事故以後外から来ている人が結構いたからである。

岩手県の区界(くざかい)は一日の乗降客が一人しかいない、あそこは雪に埋もれていて岩手県の境だった

一日の乗降客が300人はまだ多い方である。でも鹿島駅でそんなに乗降客がいるようには見えない、なんか10人程度しか乗り降りしていないからだた。
ただここは300人以下にはならなんかもしれない、10人とか20人となると厳しいとなる。

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2016年12月07日

アメリカの国の成り立ち (トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


アメリカの国の成り立ち

(トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


牧場経営というのは 
治外法権の行使なんだよ 

移動保安官がいつ来るか分からないから 
俺たちが法律だ!みたいな意識が醸成される 

理性よりも恐怖が支配的なのが北部13州 


アメリカというとき国の成り立ちが他の国とはまるで違う、なぜ未だに銃にこだわり個々人が銃をもっているのか?
それがその国の成り立ちでそうなっている。
それは西部劇にあるようにアリリカは「荒野のガンマン」だったのである。
荒寥とした西部の広大な土地に牧場をもつとしてもそこには守る人がいない
それで良く西部劇で保安官がいてもそれだけでは守り得ないから住民が一体となって敵と戦うのである。そこには守る警察組織もなかったのである。
それで広大な牧場をもっていても自営するほかない
そしてそこに入ってくるのは見知らぬ人であり常に警戒していなければならない、常に銃を携帯して油断できない、これがアメリカ人のアイディンティティを作っている
日本だったら相当に古い時代から村があり何かそこで守られているものがあり治外法権の場がほとんどなかったろう。
侍は確かに刀をもっていたとしてもそれは一部であり全員ではなかった。
アメリカでは全員が銃をもっていないと暮らしていけない社会だった。
こういう社会に生きることは絶えず恐怖の中に生きていることになる
そして移民社会であり見知らぬ人が絶えず移民として流入してくればその人たちも信用できない敵と化しやすいのである。

そしてなぜメキシコ国境に移民が入らないようにするため壁を築くというトランプの主張がでてきたのか?
それはメキシコから流入する労働者が増大してアメリカの白人のアイディンティティとかが破壊される、オハイオの女性はメキシコ人と接してすスペイン語をしゃべるのに苦慮しているという。英語も通じない人たちが膨大に流入してきている
何か人間の共同の核として言葉がある。その言葉が通じないとなると意志疎通が困難になる。そこに誤解が生まれ争いになりやすい。
国はやはり日本でもどこでもそうだが建国した指導的階層が最初はいる。
それは別に階級制として支配したとかならない、そういうエリートがいないから国も作れないしありえないからだ。
だからアメリカの最初の建国者は英国系であり英語を話す人たちだったとなる。
そういうもともとの開拓者として入ってきた白人が今やメキシコから入ってくるヒスパニックの人たちに浸食されてゆく

だからトランプがメキシコに壁を作るというときそういう危機感が生まれたからである。中国でも古い時代から万里長城を築いたように絶えず異民族の侵入になやまされてきたからこそである。
それは地理的に陸続きだということが大きな影響をもたらした。
それがアメリカで今起きているのである。
最大の課題は陸続きのメキシコとか南米諸国との関係でありそこにアメリカのエネルギーはこれからそそがれてゆくからそういう時代だからトランプが生まれた必然性がある

メキシコ人の帰化率はすべての移民集団のなかで最も低い、ハンティトンは国家は「記憶された共同体」だと延べている、メキシコ系アメリカ人はアメリカの人口の12・5パーセントをしめその大部分が南西部のメキシコに隣接する地域に集中している
彼らはアメリカ史上はじめて国民の歴史的記憶を修正しつつある。
「地政学の逆襲ーロバート、D・カブラン)

個々人でも人間が最後は記憶になる。記憶されたことが人生なのである。それは国とか民族になっても同じである。過去の記憶を共有することが共同体でありそれが国家であり民族である。日本人だったら二千年の歴史があり記憶を共有している共同体だとなる。
それは最近近くで死んだ三人の大正生まれの女性のことをうを語った。
自分の母親もいて三人はいつも自分の店にきたりしていたのである。
それで最近同級の息子が残されて供養に行った。そこに記憶を共有するものとしての連帯を感じたのである。
つまり村というものも一代ではなりたたない、何代も積み重ねてきた歴史がある
そういう共同性が失われたとき、原発事故のようにその土地に住めなくなったときどうなるのか?それはアイディンティティの喪失になり精神的に意外と深刻なのである。

例えばシリアとかでも難民化して他国に移住するときそこでアイディンティティをもつことは時間がかかる、第一もうそういうアイディンティティをもつことを拒否してイスラム社会のアイディンティティにこだわりその国の歴史を無視する
それは今アメリカのメキシコ人がそうなっているからアメリカでは万里長城を築くとトランプが言っているのだ

地政学的な見方としてはアメリカは有利だった、陸続きではない、島国のようになっていて陸続きの中国とか他の国とは違い対立をまねがれていたのである。
現実にロシアがあるとしてヨーロッパは陸続きなるが故に古来から異民族の侵入になやまされてきたのである。その継続としてロシアがある。
そういう地政学的なものからは人間は逃れられない宿命になっているのだ。
人間はものを考えるときでも自分の住んでいる場所がそこが田舎であっても中心として考えるのである。
福島県でも会津と中通りと浜通りとあるとき会津は会津一国として昔からあっり考える
歴史を理解するのには地理の理解が欠かせないのである。
だからあらゆる学問の基礎に地理がある。それで地歴となったのである。

自分が日本はくまなく旅したが外国はしたのはしたがとても外国となると地球となると広すぎるからできなかった。地球を知るとなるとこれは時間がかかる、とても百年くらい生きてもわんかりえようがないのである。
川を知らないと外国は理解できないと書いたがまさにそれが地理だからである。
アメリカは地理的に有利な立場に今まではあった。
陸続きで他国からの侵入がないということである。それが今メキシコからの移民で苦しんでいる、それは陸続きの大国が歴史的に経験してきたことである。
それが万里長城を作ったからである。その歴史の再来がトランプの壁を作るということであり歴史はくりかえすということにもなる
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2016年11月16日

トランプが勝ちマスコミが負けた? 世の中先入観を破ることが一番むずかしい


トランプが勝ちマスコミが負けた?


世の中先入観を破ることが一番むずかしい


トランプというのは名前もはじめて聞くし日本ではほとんど知らなかった。アメリカでさえ泡沫候補だった。それがなぜ大統領までになったのか?
そのことが本当に不思議だとなる。
ヒラリーは知られていた、日本でもあれだけ知られていてトランプなどはじめて聞く名だから当選するとは思えなかったのである。
余程のアメリカ通でないかぎり予測は全くできない
そしてただ自分は傍観していただけだとなる
アメリカがイラクを攻撃したときは自分は「時事問題の深層」で人権的な立場から平和の立場から反対した。今になるとそれは正しかったとなる。
それはほとんど別に読まれていないし影響力などなかった。
ただ自分ながらあのときの判断は正しかったとなる
アメリカは確かに3・11のテロで大被害だったけどそれ以上にアメリカは世界に被害を与えていたからしょうがいないと見る人たちも結構いたのである。
世界でもそうである。たからまた力にまかせて他国を侵略するのかとなったのである。

しかし今回のトランプだけは事前の情報もないし皆目わからないことだったのである。
ただ暴言だけが取り上げられてマスコミで攻撃されて印象悪くされていた。
だからこんな人が大統領までになったということが驚きなのである。
それはなぜなのか?マスコミを大衆が信用しなくなっていたことである。
あれほどトランプが攻撃されても通じなかったことが驚きだった。
マスコミは完全にヒラリー側に規制勢力、既得権をもっている側についていたのである。知識階級はヒラリー側だったのである。

日本でも原発事故でわかったように情報でも権力をもつものに左右されるのである。
原発の「安全神話」を作られたのは政府も官僚も科学者もマスコミも全員で作られていたのである。そこに創価などカルト宗教団体もそうだった。
なぜなら聖教新聞の広告費用を二番目くらい東電からもらっていたからである。
こうなると政府であれ東電であれ原発に反対することはトランプのようになる。
だから左翼系にはなるが原発を東京に作れとか原発は危険だということを本まで出していたが隅の方に追いやられてほとんど注目されなかったのである。
自分も東京に原発を作るというときSFのように見えたのである。
それほど「安全神話」はあらゆる手段で権力で強固に作られていたのである。

これは地元でも利益になるから反対すると住めなくなるような状態にもなっていた。
地元の新聞でも雑誌でもみんな安全神話に加担していたのである。
「財界ふくしま」が一時原発の危険性を指摘したがあとでやめたというとき東電から金が入ったためだとか言われる、それもそうである。あういう地方の雑誌とか新聞でもそれてりに金がかかるのになぜ経営できるのかとなると東電の宣伝費は他の会社の百倍もの金が入るとなれば批判はできないのである。
だいたいどうして地方の新聞社が経営が成り立つかとなると福島民報は聖教新聞を刷っているし大手の毎日新聞もそうである。経済的にもこうして巨大なカルトでも権力をもつものにおさえられているからもう公平な報道はできないのである。
こういうふうに情報でも報道でも常に権力によって操作されているのである。
戦争のときも日本が大敗しているときでも勝っているとか大本営発表に終始したことでもわかる。大本営発表がいかに危険なものかわかる、その情報はもう日本がもう負けて戦いない状態でも勝っているとしていたのである。
原発事故のときもメルトダウンが明確になっていても御用学者がメルトダウンしていないとマスコミで主張していたのと同じである。

だからこうして既得権をもつ権力により情報が操作されるというときなぜトランプが勝ったのかというのは不思議だとなる、一つの勝因はアメリカでは民主党の次は共和党なるという暗黙のルールがあるからだということで予測していた日本のジャーナリストがいた。日本ではそうしてトランプが勝つと予測していたジャーナリストとか学者は数人しかいなかったのである。そうなると日本だって政府でも予測できないものとなっていて失敗したとなる
それがなぜなのかとなるとアメリカですらマスコミの信用が落ちたということである。
マスコミの報道を鵜呑みにしている人がアメリカですら減った、信用しなくなったことである。このことも大きな変化だったのである。
日本ならNHKとか絶大な力をもっていたが今ではNHKすら批判の対象になる。
それはネットが生まれて普及したことも原因している
NHKの一方的な報道に疑問をもつ人が増えたのである。
別に民主主義は報道の自由がある、だから報道してもいいが報道するというとき今まではマスコミしかないしNHKが一番影響力をもっていたのである。だからその報道に左右されてしまっていたのである。

だからトランプが泡沫候補として現れて大統領になったということは奇跡的だった。
マスコミの50社がヒラリーについていてトランプは3社しか報道しないとか攻撃されていて勝ったのはいかにマスコミの影響力が低下したかということである。
マスコミはネットがでてきてただの民営の一私的報道機関になるかもしれない
それよりもともと新聞社でも地方の新聞社でも何か錯覚しているのは公共的報道機関と錯覚していることであった。
だから新聞とかテレビにでるだけで知名度があり力をもつようになったのである
その中味はどうでもいいのである。それで石原慎太郎でも舛添でもみんなマスコミに持ち上げられた人が東京都知事になって今の問題を引き起こしたのである。

一見個人が大きくなるのは個人の力のようでもマスコミの力だったりするし有名になるのは背後に必ず団体の組織の後押しがある。
仏教系だったら戒名商売だなどということはマスコミでといえない、個人として仏教系の人が発言していてもそれは仏教界がなんらか圧力をかけているし個人もその仏教界を代表していっているから同じだとなる。創価は露骨だが方も同じなのである。
背後の権力団体組織の力なくして発言力はもてない仕組みになっているのである。在日団体が背後にあったりするのもそうである。
なんらか背後の権力が関係している、その背後のさらに大きな権力がアメリカだったり中国だったりする
原発を批判するのにも個人ではできなかった、左翼系の団体が背後にあってできた。
となると科学的真理とか公正とかも関係ないの手ある。反対する人は左翼のレッテルがはられ右翼からすると信用できないとなる
そういう科学の問題も政治的な問題にされたことに不公正が生まれたのである。
科学的なことは地動説と天動説のように曲げられないものでも結局カトリック教会が権力側にあったとき否定されたのである。
科学ですら政治とか権力によって曲げられるのである。そこから原発事故も起きたのである。
もともと政治的意図で作られたものでもあったからである。


そのマスコミにのせられたのが東京都民であり大衆なのである。
そういう洗脳するために権力側はマスコミを金で操作する、宣伝費を払い操作する。
創価などは池田大作が新聞は歴史だとかいって非常に重んじていた。
新聞で宣伝することは大きな力となったからである。
だからこそ新聞社で聖教新聞をすらせて批判をおさえるのである。
そうしたマスコミは原発でもそうだがトランプでも同じようにとにかく権力側につくから公正な報道などありえないのである。
つまりただ私的利益を追求する一会社なのだということを認識すべきである。
自分の会社の利益にならないことは報道しない、不利益になる人の意見をのせないのである。

そして人間はそうして先入観として大衆を洗脳する。先入観というのは固定観念化するのである。地動説から天動説になってガリレコが教会から迫害されるようになる。
科学とはこの固定観念を先入観を破ることから始まっている。そしていかに固定観念を破る事かむずかしいかである。それは深く人間に植えつけられているからである。
地理でもまず人間は固定観念に縛られる、海からしか陽が昇らないのを見ている人は山から陽が昇るのが驚きになるし日本海に陽が沈むのも驚きになる。地理的なことは世界になるとさらに驚きがあることも同じである。

自分がユニットバスを作るとき会社の人が実は色がいろいろあっても白を選んだ。
それはなぜか?ホテルなどに泊まると必ずバスは白なのである。
それでユニットバスは白が普通なのかと思ってしまった。でも別にいろいろな色があり白はかえって汚れるから他の色を選んだ方がいいと知っている人が言ってそうだったと失敗したのである。
バスは白だという固定観念、先入観があってそうなっんたのである。
別に色々な色があるのだから選べば良かったのだがその時は良く考えないで選んだ
その時時間の余裕がなかったこともある。
それで先入観で白のユニットバスを選んでしまったのである。

時間がなかった、先入観で選ぶ

これはあらゆる場面でそうなりやすい、選挙でもトランプって何なのだろうと考える暇もなく何かを言うこともできないのである。
あらゆることについて事件がいろいろ起きても考える時間がないから先入観で判断しやすいのである。もともと知っていることならその方面に詳しいなら判断しやすいがいろいろなものに通じることはできないからである。
すると先入観で物事は判断しやすいのである。
そして時代は常に変わっている、自分は水道でガスでも管は鉄だと思っていたがすでにゴムのような伸縮自在のものなっていたのである。
そういうことはみんな知っている、でも技術的なことでも知らない人は知らないのである。
特に老人はそうした技術的なことには遅れるし知らないのである。
スマホしていない人はそのことを知らない、自分はハソコンをしていてもスマホをしていないからその方面のことはわからないし車を運転しないからそこでわからなことがかなりある、ユニットバスにいても全く無知だから判断できないことがあった。

ともかくトランプが勝ったということは今でも不思議である。
それはいくらマスコミで洗脳してもアメリカ人がグローバル化で得していない、不満な層が思っていた以上多かったという現実がある。
移民を禁止しろというとき現実に移民のために職を奪われたとか低賃金化したとか実被害がありそれはいくらマスコミで洗脳しても現実がそうなのだからヒラリー側にグローバルで得している人たちには入れなかったともなる
トランプの暴言がただの暴言だったら勝てない、現実に苦しむ人たちに訴えたから勝てたのである。
ただマスコミの凋落は今回のことではっきりしたことは確かである。



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2016年11月13日

トランプ大統領になったのはなぜなのか?(2) アメリカと共に沈みゆく世界(カレル・ブァン・ウォル・フレン)を読む


トランプ大統領になったのはなぜなのか?(2)


アメリカと共に沈みゆく世界(カレル・ブァン・ウォル・フレン)を読む


トランプがなぜ大統領になりえたのか?それは世界でも日本でも予測外だったしアメリカ自体も予測していないものだった。
ただその背景に何があったのかとなるとそれを解くのはアメリカで何か起きていたのか?
アメリカ社会とは何なのかということを知る必要がある。
ではどうししてアメリカを知り得るのだろうか?
それは様々な人が言う意見がありテレビの意見がありネットの意見がある。
実際に行ってみて知るというのも一番有益だがそれが限られている人しかできない、一番知っている人はそこに住んだ人である。

メデアというときテレビは常にセンセーショナルメデアでありその影響が大衆にはあまりにも効果的だから危険なのである。
第一大衆は考える能力がない、テレビは考えなくても見ることだけだから楽なのである。ただその危険は一方的になり洗脳されることなのである。
この本はアメリカのことを指摘しているが日本のことでもあり世界のことでもある。
世界はグローバル社会になったときやはりなにやかにやあっても世界的共通認識と価値観が生まれた、経済的にはそうである。みんな豊かになりたい、文明の道具を使い電気でも車でも使い便利な生活をしたいということは反対するものがあったとしても極少数であるパンが贅沢などと山尾三省のような極貧の生活を誰も望まないのである。

宗教というとき他にも価値観の相違はあるがイスラムだってその文明を否定しているのかというとしていない、ただそうした豊かな生活をできないということで不満でありテロにもなっているのである。
この本で価値観が違うから共同できないというときその価値観は何なのかということを言っているので自分もそのことを書いたので考えさせられた。
つまりこうして本とか熟考して書いているから考えさせられるのでなしる。
テレビとかでは何かこういうことがない、絶えずセンセーショナルな断片的な意見の表出で終わる、テレビは考えさせないメデアである。
洗脳されやすいメデアである。映像時代はさらにそうである。イラク戦争で油まみれの海鳥を写したとき世界ではなんでイラクではひどいことするんだと感情的になったのである映像は人間を感情的にするのでてある。

今回のトランプが大統領になったというときもむずかしいことをいうより感情を刺激することで成功した。過激な発言に感情的に共鳴する人たちがいたのである。
アメリカではグローバル化してその恩恵をこうむったのは極一部でありIT関係とか金融関係とかが巨万の富を得たが他は中産階級は没落したのである。
移民を受け入れてもうかるのは多国籍企業であり元から住んでいた白人の職も奪われたとなる、移民を入れることで低賃金化してもうけは多国籍企業に入るのである。
そういう不満層が思った以上多かったということである。
だからトランプの過激な発言に感情的にも反応したのである。
ナチスがユダヤ人を敵視したときもユダヤ人が自国で金儲けしているということでそれをあおったのである。

政治のフロパガンダで有効なのはこうしして一部の人が巨利を得ているとかその的をしぼって攻撃することである。
それは世界でもイラクを敵としてアメリカが攻撃した手法ともにている
要するに大衆にとっては感情的にすること敵をしぼり攻撃対象わかりやすくすることである。
常にそういうことは大衆を味方にするときカルト宗教団体でも行われる、こういう団体は考えない集団だから余計にそうなるのである。
現代では世界共通としてメデアがその役をになっているのである。
アメリカでもそうなら日本でもそうである。メデアがどうししてそうなるのか?
それは企業から金をもらっているからそうなる。
アメリカでも日本でも同じ構図なのである。ただ自分たちの利益になるようにしか行動しない、政治家も官僚もメデアもそうである。それで原発事故でもそうだったことは書いてきた。

アメリカとか中国とかロシアでもそうだが巨大な国では矛盾したことが巨悪が露骨になるアメリカの富裕層は数はパーセントでもその富を独占する。中国でも共産党が平等ではなく幹部が巨利を得て富裕層になっている。それはかつての王様と同じなのである。
大国はそうなりやすいのが歴史的にでもそうである。日本ではそうした差は露骨なものとしては生まれにくいのである。
奇妙なのは

だかなににもまして悲惨なのはアメリカの刑務所の民営化だろう
国家の刑罰を儲け主義の民間企業にゆだねれば商業上の理由からさらに多くの人間を罰せねばならなくなる

刑務所にいるアメリカ人の数は50万人ほどでところが今は500万人ほどが獄中にいて700百万人が矯正施設にいる

これもアメリカならではで驚きである。銃をもっているから犯罪にもなりやすい。
前にも書いたがその刑務所で服役している人が安い賃金で労働させられている、
それによってまた企業が大きな利益を得ているのである。

だから犯罪者を多く作り出すことで大きな利益が出るとしたら

もっと犯罪者を作り出せ

こうなるから怖いとなる、それは軍需産業でも同じである。

もっと戦争を起こして武器を売れ

現実にそういうことがこの資本主義社会にはまかりとおっている。

薬剤関係なら

もっと病人を作り出して薬を買わせるようにしろ

会社がもうけるためならなんでもいいというのが今の社会にもなる、それは世界的なことである。政治ももうそうした多国籍企業の下僕になっているのが現状であると指摘している。

「彼らの最大関心事は自分が出世するためには、どうふるまうことが一番有利かという点であるからだ。彼らの行動をみればその背後の政治やビジネス、学界、あるいはメデア、そして軍部の中にアメリカの戦争によって利益を得る大勢の人間がひかえていることになる。かつての政治エリートに取ってかわり新たにその地位をしめるにいたった。
そして彼らの権力、威信、収入は戦争が今後も続行されることにかかわっている。」

まさにこのことは原発事故のことで自分が書いてきたことである。ただ利益になるということで政治家から官僚からマスメデアから科学者でもそうだった。
もちろん住民もそうだったからあらゆる人がただりを求めることだけになりこれだけの被害を受けたのである。
利が権力を生みただ利によってすべてが行われるときそれが危険になる。
利というのはこれだけは誰でもが求めるものだからである。その歯止めとなるものがもはやないというとき原発事故も起こるし戦争も起きる


人間は利から離れられない、そこから過ちを犯す,義とか何か科学的な真理でもいい、そういうもので動かないのである。
科学者すら利で動いていた。それが原発事故になった原因にもなった。
御用学者とか御用マスコミとか御用官僚とか政治とかなる。
卑近な例でも自分も失敗した。
それは自分もなんらか親戚のつきあいでかたよった見方をしていたためである。
母親と娘がいたが母親がひどいと思っていたが実際は娘が本当にひどい娘だったの
である。だから「ひどい娘だ」と言って死んでいったのである。
双方のことを良く聞けばわかったことだがそういう関係になかったからである。
こういうことは常に起きている、事件の当事者とか利害関係があると判断を誤る
でも実際の世の中ではなんらかみんな利害関係で結ばれているから公平な判断ができないのである。
本当に公平な裁きができるのは神しかないとなる
神はは偏り見ないからでてある。
なぜなら人間は公平に見れないからである。それは利から離れられないからである。
ジャーナリストでもそうだしマスメデアでもそうである。
巨額の宣伝費などをだしているのは企業だとなると企業の意向に従わざるを得ない
それは政治でも起きているから大統領にどれほどのことができる権力があるのかとこの本では問うているのである。

いづれにしろトランプがなぜ大統領になったのか、その背景にはアメリカ社会のひいては世界のグローバル化による格差社会化した歪みがあった。
ではトランプが大統領になってそうしたグローバル社会の歪みが是正できるのか?
それはもはや大統領だけでばできるものではない、トランプもまたオバマのようにそうしたグローバル社会を牛耳る極一部のものに操作される
第一大統領でも何でもできるわけではない、この書ではオバマがそうなったとこを指摘している。ただ飾り物のようになっていたのである。
実際の権力を動かすものはその背後にあってオドマばなにもできなかったと批判しているからである。だからトランプがあれだけ過激なことを言ってもやはりそれだけの権力が今はアメリカ大統領でもないとしたらオバマと同じようになってしまうということもありうる。今やアメリカ大統領てもそれほどの権限をもちえないということになったからである


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2016年11月10日

トランプの勝利はなぜ? (グローバル経済は誰のためなのか?)


トランプの勝利はなぜ?


(グローバル経済は誰のためなのか?)


世の中のことはむずかしく考えたら限りなくむずかしくなる、単純に考えるとそれはそれなりに理が通りわかりやすくなる、それでトランプが受けたのである。
みんな学者でもないしジャーナリストでもない、投票する人は日本でもそうだが普通の庶民であり労働者なのである。
第一新聞すら読まない人も多いのがアメリカだと言われる
だからグローバル経済や多国籍企業や株をしている者だけがもうけているのか、なんら自分たちには恩恵がなく格差社会にアメリカもなっていたのである
そういう不満が根強く底辺にあったのである、中産階級が没落したというのもそうである白人の労働者が職を奪われているのもそうである。
アメリカを作りアメリカに住んでいてアメリカの恩恵も受けられないのがグローバル経済だったというのも矛盾だったのである。
恩恵を受けたのは多国籍企業でありウオール街の株をしている人たちだけでありそこで巨利を得るものがありあとは何の恩恵もない、かえって貧乏になり没落したのがアメリカだったとなる。
グローバル経済自体がアメリカ国民全般のためでもなかったのである。
一部の多国籍企業とか株をしている人たちだけのものだったということでヒラリーが負けた、ヒラリーはそうした既得権の上に成り立っていたとみられて嫌われていたのである。

物事を単純に考えるとグローバル経済というのは誰のために働いているのかわからないのである。規模が巨大だからもう金の流れも何もわからない、世界市場では株ではただ数字だけを動かして巨利を得るものもいる、そういう世界はほんのわずかの人しか利益を得ないのである。それで世界の富が数パーセントの人に吸い上げられるだけだとなる
そういう不満がアメリカにもあったということである。
グローバル経済はアメリカ国民が均等に利したものではなかったのである。
アメリカの極一部のものが利しただけだとなっていたのである。
マスコミとか知識階級とかはそうしたグローバル経済に組みして利益をあげていたから30社がトランプを批判していた。3社しかトランプをとりあげなかったとかなる。
アメリカのマスコミもそうしてグローバル経済は多国籍企業から宣伝費をもらい成り立つからそうなる。それは原発でも東電から宣伝費として金をもらっていたので日本のマスコミが「安全神話」を作るのに加担していたのと同じ構図だったのである。
アメリカのマスコミも同じだったのかとネットで批判されている
つまり世の中金で動かされているというのも常に現実でありヒラリー派にはそうした多国籍企業であれウオール街であれ莫大な献金が流れていたと指摘され嫌う人たちが多かったということである。

トランプの言うことは過激でも何か一理あった、日本はアメリカが何かあったとき助けない、でもアメリカは日本が何かあった場合、戦争でもなったら一方的に助けなければならない、アメリカ人の血を日本のために流さねばならない、これも一方的でありアメリカ側からみれば不満になるのも確かなのである。同盟関係だったら対等だからである。
日本もこの際アメリカに頼るだけではなく独立して防衛するべきだという論議がでてきたのもまた今までもアメリカに頼るだけでは守れないということがあるからだ。
今までは敗戦国であり冷戦とかあり従属していたが今度は独立をかえってアメリカから求められるようになったということである。

ともかく物事はむずかしく考えたら限りなくむずかしくなるのである。
つくづく自分の経験では「「遠くの親戚より近くの他人」である。
隣の市まで8キロくらいにしても通うとなると車でも10分できたとしても往復20分になるから時間がかかる、すると助けるにしても手間になる。
もし隣だったらすぐに来れるから助けやすいのである。
アメリカでも日本に何かあった場合、かけつけるとなると遠いから簡単にできない
そういう距離的なものは常に一番影響しているのである。
今は広域社会になり全国に散らばる、すると親子でも助け合うこともできないとなる。
なぜなら東京だったら遠いしとても介護とかなるとできないとなるからだ。
それでは助けるのは誰かとなると地元の人たちなのである。
広域社会とグローバル経済もにているのである。
なんかユニットバスを注文したのが仙台の会社だったのが失敗したのかもしれない、
後何かあった場合、みてもらえないと言われたから地元の業者を知っている人がそう言ったからそうなのかと思った。
ただ地元の人に頼むと50万くらい高くなる、それだけ安くできるとなるとやはり何か問題が起きるのかとも思った。

グローバル経済の矛盾は単純に考えれば誰のために働いているのか見えない、金の流れも世界市場となると見えない、そしてその見えない金がどこに行っているかとなると極一部の者、株式を操作する者に流れているだけだとなる
金の流れが見えないことは闇になる、それで陰謀論が生れるのである。巨額の金が闇の中に操作されているのである。
それはアメリカに流れていると思っていたがアメリカでも大多数の労働者には関係ないことだったのである。
移民をアメリカではあんなに受け入れているということ、それは多国籍企業にとっては安い労働力となりいいが肝心の元からいる白人にとってはその職を奪われるとまでなっていた。移民で得するのはその国の国民ではない,多国籍企業とかでありアメリカの中産階級はそのために没落したのである。
その不満が大きかったがアメリカのマスコミはそうした既得権者が支配しているから表面化しにくかったのだが露骨にトランプがそれを言ったので共感したのである。
ただ共和党というと民主党とは違いどっちかというと富裕層側に立つと思っていた。
トランプ自体が大富豪だからである。ただ単純にそういうふうに分けることもできなくなっていたのである。

ただグローバル経済というとき今度はアメリカだけではだめだとなるとき日本はどうなるのかとなるとむずかしい問題である。
なぜなら日本は中国とはうまくやっていけないのである。
中国は共産主義国家でありアメリカとは全然違った国である。日本はまがりなりにもアメリカの民主主義とかを受け入れて同調して西側の一員になったからである。
同じ価値観を共有するものとして一応してきたのである。
でも中国とはそうした同じ価値観をもつことができないのである。
かえって江戸時代だったらできた。なぜなら江戸時代は儒学の時代だから共通の価値観を中国ともつことができたと思えるからである。
グローバル経済というとき経済だけではない、何か共通の価値観が必要になる。
それでEUはキリスト教共同体として歴史が長いから連合した
ただそこにイスラムとうまくいかないから問題を起こした。
そうした共通の価値観は経済だけではない、単にもうければいいだけでは人間の共同体は作れないのである。そこにそもそもグローバル経済の限界があったのである。
見えざる手に導かれとか世界にはそれは適用できなかったのである。

だから日本がこれからどうするかというとき、中国とは価値観とかで共同しにくいとかなるとアメリカにも頼れないとなるとまた第二次世界大戦のように孤立化する危険がある。中国というのはやはり今度アメリカの時代が終わったといっても中国に同調する国が価値観を共有できるのかというのが問題になる。
人間は経済的なものだけで成り立たない、文化の相違もありその価値観の共有がないと結局グローバル経済だけではうまくいかないのである。
そこがグローバル経済の失敗の要因だったのである。
アメリカ自体が多国籍企業でありグローバル経済の市場を最も推進した国だと思っていたが実際は極一部の多国籍企業の幹部とか株をしている人だけが巨利を得たとなる。
アメリカだと社長が何百億を得るとか考えられない巨利を得ているからである。
そういう矛盾がアメリカ自体にあってトランプがそのことをついたから当選したとなる


アメリカの格差は凄まじいーグラフで見る
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2016年11月06日

イギリスのEU離脱、トランプのアメリカ一国主義 (グローバル経済への変換の世界的兆候)


イギリスのEU離脱、トランプのアメリカ一国主義


(グローバル経済への変換の世界的兆候)


イギリスのEU離脱とトランプのアメリカ一国主義、移民などの排斥、自国優先主義はにている。20世紀はグローバル経済に世界が席巻された時代である。
それがいい悪いではない、世界の人がすべてグローバル経済にまきこまれた時代なのである。そのグローバル経済の中心にアメリカがありアメリカの多国籍企業があった。
アメリカというときアメリカを動かしているのは多国籍企業である。
その中心にゴールドマンサックスなどがありウオール街の金融を支配する
その多国籍企業を後押しするのがクリントンだいうときその対立構図がイギリスのEU離脱とにている。
EU経済圏に入ることはそれもヨーロッパの広域経済圏に入ることである。それは地域的グローバリズムなのである。
でもヨーロッパは宗教とか文化とか歴史的共通性があり世界的グローバリズムとは違うのである。それでも英国は独自の道を選んだのである。

ただトランプの過激な移民排斥の政策とは共通点がある。移民が大量に入りすぎたのである。イギリスの空港では黒人が空港の売店で物をチョコレートなどを盗んでいたのをみた貧乏な人が大量に移民として入ってくると治安も悪くなる。
移民との軋轢が増大したのである。なぜこれほどの移民が生まれ大量に流入したのか?
それは移民というのは多国籍企業の安い労働力として入れる、企業の事情にあった。
多国籍間の企業の競争に勝つには品物を安くする必要がある
でも人間は部品のように扱うことはできない、第一フランスがフランス革命で博愛、自由、平等をスローガンに革命を起こしたとき移民も自国民と同等に扱うのが理想だった。
それがゆきづまったのはいくら多国籍企業が安い労働力を求めても相手が人間であり一人の人間はその国の歴史と文化を背負った存在なのである。ロボットではないしロボットとして扱うことができない、まさにフランス革命の理想を実行してもできなかったのである
アメリカも移民の国だとしてもそのアメリカさえ移民に悲鳴をあげるようになった。
なぜなら移民の数が国をゆるがすほどになっているからだ。
第一英語が通じないヒスハニックが膨大な数になった。英語がしゃべれない人が多いとなると意志疎通もできなくなる。文化の基本は言葉だとするときその同じ国民でも通じないのである。そのことで苦慮していることを語っていた。
そしてアムトラックで真夜中に一人おりた駅名がなぜかプリンスだったのである。
アメリカの地名はインディアンに由来するものとあとは英語である。

そもそもアメリカのアイディンティティがどこにあるのか?
世界中から移民が流入して作った国である。歴史も浅い、アメリカ人といっても様々な人種の混合体でありそこでアイディンティティを作ることは歴史の浅い国ではむずかしい。さらにヒスパニック系が増大したとき余計にそうなったのである。
アメリカが移民を排斥するというときアメリカにも歴史がありアメリカの復古主義だともなる。アメリカを作った中核の白人でありエスタブリュシュを取り戻すことになる。
アメリカで中産階級が没落したというときまさにそうしたもともとアメリカの中核を成してきた人たちが没落したからアメリカの復古主義が起きてくる。
グローバリズムは多国籍企業が支配するというとき移民でも安い労働力として使えればいいからである。そこに人種とかで分けないことである。
単一の価値観がいいのである。宗教でも文化でも世界中に単一の価値観がいいのである。そしてその単一の価値観の中で物が売れればいいとなる。
ハンパーガーとかコカコーラとか世界中に普及すればいいとなる。そういう食生活でももともと世界では多様なものがあり適合しないものがある。

そういう障壁をとりはらうことがグローバリズムなのである。それかアメリカの多国籍企業が成したことである。
それでエジプトであれアフリカの果てであれ子供がワンドーラくれとなる。ドルが世界の金になっり金が支配するというときドルが支配することでありそれはアメリカの多国籍企業が世界を支配することである。別にアメリカという国が支配するとは限らない
なぜならトランプはそのグローバル社会に敵対してアメリカを優先させるとしているからだ。アメリカ復古主義でありイギリス復古主義であり共通したものが起きていたのである
世界が今そうした自国の復古主義に右傾化に傾斜している。アメリカすらそうなのだから当然世界もそうなってゆく、自国優先主義である。それで日本に対しても日本は日本で守れとなる。政治的にそうなると同時に文化的にも復古主義の時代となる。
いい点は日本人の復古主義は日本精神の復古につながる。それは日本文化の再生なのである。そうなるとまた世界が国々で対立するという第二次世界大戦のようになると警告する人もいるのもわかる。日本は中国とかロシアとどう向き合うか真剣に問われるのである。それは第二次世界大戦に歴史がまた違った形でもどるということにもなる。
ただその時と違うのは巨大化した中国が相手になるということである。

いづれにしろグローバル経済は転換期に来ているのである。その試みは20世紀の大きな実験だったがゆきづまったのである。
そこには無理がありその無理が限界に達したのである。グローバル経済というのはヒュ-マンな規模から桁外れになっている。そこでは物が流通しても物は日本では単なる物ではない、ものと心は一体なのである。日本語だけがものと心は一つの意味だというときそれは日本文化なのである。ヨーロッパ文明は物と心は分離して考えるからである。
つまりグローバル経済は極端に物と心を分離させるのである。そうしなければ世界的に物を売ることができないからである。多国籍企業になれば別に日本だって大企業は多国籍企業になっているからアメリカだけではないのである。
世界に物を売るということでは同じなのである。

やはり人間は経済をそうして国を越えたり文化や歴史を越えて優先させることができない存在だった。人間はそういうものであり世界を単一の価値観で支配するということは人間を不幸にする、人間の基本としてのアイディンティティを破壊してその存在の根も破壊するのである。それは相馬郷土史研究で書いてきたことである。
ただもう広域経済を否定することはできない、世界で貿易を否定することはできない、
ただ多国籍企業の強引なやり方に歯止めがかけられる、それが人間の存在の根本まで破壊することに世界できづきはじめたからである。
だからトランプがなぜあれほど人気がでてきたのか、あの人は一体なになのだというときそういうグローバル経済への露骨な反逆がありそれがアメリカでも受けたとういことである。
クリントンは生粋の多国籍企業とかウオール街をバッグにしているから嫌われているというときアメリカ人自体がグローバル経済に異議を唱えている。

それは移民によってアメリカ人の中産階級が職を奪われるとかアメリカ人でも白人でも格差社会になりその恩恵がない人が増えたからである。
そしてグローバル資本主義経済げは世界の数パーセントの人に金が集まりその不満が世界でおさえられなくなったのである。
グローバル経済は無理であり成り立たない、広域経済は否定できない、でもその国の中での広域経済ならいいとか東北とか北海道などのブロック経済とかまたさらに狭い範囲の地理的に交流できる人間と人間が交流できる範囲の経済がいいとなる。
そこでは物だけの価値ではない、人間的交流も生まれるとなるからだ。
そして価値観が一つではない、様々な価値観があり地域的にもそうでありそれが文化を育むのである。それはカール・ポランニーの人間の経済学になる。
人間の価値は多様なのである。とても金だけでは計れないものが無数にある。金で貨幣ですべての価値を計ることは土台無理なのである。それはかえってグローバル経済が非人間的にしたのである。

ただ現実問題となるとこの辺で市が開かれるがリンゴでもうまいものがあったがそれは高くても良かった。てもスーパーで買うと同じものでありそういうものでも三倍の値段で売っていた。他でもバスユニットを仙台のリホーム会社で請け負ったのと今は地元でも大工が暇になったとかで仕事が欲しいというとき、仙台から来た人よりもしかしたら50万くらい高くなるかもしれない、仲介する人がまた金取りになるからそうなる。
狭い範囲の経済流通だと今は高くなる、それも一つの問題として認識した。
ただグローバル経済というのは規模が桁違いであり仙台とかいわき辺りとの経済とはまるで違ったものなのである。
例えばアマゾンで古本などを注文するとき岩手県の店で出品していると近いなとなる
東北圏内とかのブロック経済なら歴史的文化的にも共通のものがありそのくらいの規模の経済だったらこれだけ交通が発達すると否定できないとなる。
グローバル経済はそういう傾向になってゆくのかもしれない、EUだって広すぎたのであるアメリカだったら別に自国内で何でもあるからグローバル経済にする必要もなかったのである。石油だって今や自国内でまかなえるようになっている。
日本は石油とか鉄とか資源がないからグローバル経済のすべてを否定できないことはある移民を安く入れて企業で働かせるということは世界的試みで失敗したのである。

タグ:トランプ
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2016年10月24日

宇都宮の焼死事件はなぜ? 60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮の焼死事件はなぜ?


60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮市本丸町の宇都宮城址公園付近で爆発があり、宇都宮中央署によると、同市針ケ谷町の元自衛官・栗原敏勝容疑者(72)が焼死体で見つかった。

5年ほど前から妻子らと別居、1人暮らしをするようになったという。別居前には、夜中に栗原容疑者の怒鳴り声が聞こえていたといい、


完全にカルトが爺さんから金引き出す為に妻側に弁護士付けてやって訴訟起こしたんだな。 
カルト犯罪が司法を欺いて、孤独な老人を爆弾魔に仕立て上げてしまったんだな 


この事件の背景は複雑である。別に老人の一人暮らしが原因とも思えない、離婚だとか裁判で金をとられたとか、嫁がカルトで金がとられたとかなんとかその背景が複雑でありいろいろなものが重なって事件になる。
何か事件とか犯罪は複数の原因があり単一では起こらない、要するに悪いことには悪いことが重なるのである。
そして60以降はこれまでのカルマが総決算のように起きてくる。そのことを自分も書いてきた。

ただここで問題にしたいのは高齢化の一人暮らしは問題が起きやすいことは言える。
その人は近所の人ととけあわない、変わった人だとか言っていた。
それは家族がいるときはそうでもなかったかもしさない、一人暮らしが5年くらいつづいていた。そしてテレビで言っていたが火事のことを気にしていた。
それが自ら火事を起こして死んだのも皮肉である。
火事というとき自分も家を留守にして火事になるところだった。
電気をつけたままで留守にしていた、その時仙台に行っていて後で気づいた。
それで電気鍋が熱くなり火事になところだった。
それから水道がもれて大量の水がでていた。隣の人が水道をとめてくれて助かった。
一人のために大金を盗られたこともあるし様々な困難を強いられた。
一人暮らしは様々な困難を強いられる、だからなんらか問題が起きやすい
一方でこの人は別に結婚しているから一人暮らしではなかった。
子供もいたのである。
ただその子供が問題児で苦労していた。嫁でもカルト宗教にはまっていたとありそのために離婚とかなったと議論されている。
家族があっても家族自体に問題が起きるからこれまた家族がいるから安心だともならない嫁と子供によって家族崩壊したからだ。

一人暮らしが問題になるというとき最近本当に一人暮らし独居の人が増えている、組で12所帯くらいしかいないのに4人は一人暮らしであり大きな家に一人住んでいる。
女性も多いのである。これは明らかに自分だけではない社会問題になる。
妻をなくした人はしきりに淋しさを言う、その人も広い庭と大きな家に住んでいる
だから何かその大きな家ががらんとして嫌なのである。
その人は二階には行かない、二階を嫌っているというのもわかる。
二階になると下が気にかかったり何か嫌になる、自分の場合はトイレが下にあるので嫌なのである。寝るときどうしても下に行かなければならないからだ。
今では平屋で物を少なく死んだら簡単に取り壊されるのがいいと思う
一人暮らしは淋しいから都会でも人の出入りのあるスーパーなどに集まるという、それもわかる。昼間でもがらんとして一人でいるのが嫌になる。
自分は自転車が好きだから走っていると気晴らしになる。一日がらんとしこた大きな家にいることが淋しさを感じるのである。

いづれにしろ一人暮らしは老人の独居が多くなるから問題がこれからも起きてくる。
そしてそうでなくても60以降はカルマの総決算が起きやすいのである。
経済的にもそうだし様々なことで問題が起きやすいのである。
伴侶が亡くなるとうことは相当な痛手である。また離婚したりするのも痛手である。
もともと一人の人でも両親とかがいなくなると痛手になる。
経済的問題もある。ただこの人は他の人より問題をかかえすぎていたのである。

どうしても一人なると一軒の大きな家を維持することそこに住むことが何か適しないとなりやすい、一人暮らしは何か野菜買っても古くなって食べられないとか家が大きいと修理することで金がかかったりかえって金がかかったりする。
まず家を維持すること自体が大変になるのである。家事するのだって家が大きいと手間になる。掃除するだけでも大変になる。
だからかえって共同生活がいいとなる面はある。でもこれもいろいろな人がいてうまくやることもむずかしい。必ず人間関係でもめるからである。
ただいたるところで一人暮らしの老人が増えてくる、するとゴミ屋敷とかも増えてくる。何かかたづけられなくなる。自分も様々なものをかたづけることができない
かたづけるのに何年もかかるのである。その間にまた物がたったりする。
なんか本半分してたとしてもまた買ったりしして投げにくいのが本でもある、それで捨てようとした本をもう一度読んだりしている。

現代は離婚も増えている、三分の一とかになり熟年離婚でも増えている、そうなると一人暮らしも増えている、近くの10匹も猫を飼っている、 猫ばあさんとか一人暮らしの女性もカルトにはまったりとか問題になる。カルト宗教団体に入っているのは何か問題があるから入っている
宗教とは別に関係ないのである。相談するところがないのでそんな場所にゆく、そこもまた危険な場所なのである。地獄に落ちるとかなんとかそういうことも背負うことになる
宗教は触るぬ神にたたりなしなのである。カルト宗教団体に入ることはすでに祟りを受けるだけなのである。
高齢化社会はいい面があっても実際はマイナス面が大きい、それでいろいろなことがこれからも問題になる事件も起きる。経済的にも医療費が莫大なものになっているのも問題である。老害になる方が多い社会である。
ただ今回の事件は何か個人的な事情があり高齢化社会の社会的原因ではない、個人的な事情のためだった。
でも一人暮らしで火事のことを気にしていたのは自分とも共通点があった。
大きな家になると配線などでも何か不安になるのである。
この人はまた話を聞いてくれる人もいなかった。だいだい困っても話を聞いてくれる人がいない、それで嫁も子供にこまり今度はさらにやっかいななカルト宗教にはまる。
結局妻の出来不出来が相当に夫に影響する、家族というのもなんらか問題をかかえてきるのである。

タグ:独居老人
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2016年10月15日

大学の劣化とエリートの劣化ー慶応大学レイプ事件 (それは明治維新から始まっていた)


大学の劣化とエリートの劣化ー慶応大学レイプ事件


(それは明治維新から始まっていた)


大学というとき大衆化したのは団塊の世代からである。でも自分の時代は地方だとクラスで4、5人しか大学に行っていない、中卒で集団就職の時代だったのである。クラスの三分の一くらいが中卒であり高校すら入れない時代だった。
団塊の世代はだから中卒が本当に多いのである。それが普通だとなる。
だから自分は相当に恵まれていたともなる、自分は高校に入るとき受験勉強してそれが何か後々に影響した。それは受験のための暗記だけの勉強だったからである。
本当に学問をしていないのである、そしてなぜそうなったのかというとしきりにその時人数が多いから高校にも入れないと大騒ぎだったのである。
そこからして出発点からして良くなかった。

受験戦争とか騒がれて仲間も蹴落としても上の学校にあがるということが強いられたのである。一方で集団就職と中卒の時代であり自分の入った大学は三流でありマンモス大学だった。それで講堂に3000人が入り授業したとかなると何か授業にも学問にも興味がなくなることがあった。大学は実際は遊びの場だったのである。文系では特にそうだった。
何か勉強をやる気にならなくなる場だった。

学生数10万人の日本一のマンモス大学となっており、いわゆるマスプロ教育を推し進めていた。これが日大闘争の発端となった。

学生運動の原因がこのマスフロ大学化したことにあった。戦前の大学生は真のエリートであり社会の指導的立場につくことか約束されていたのである。

旧制高校の卒業生数とほぼ同じだったので、卒業生は学科を選り好みしなければほとんど無試験で各地の帝大に進学できる特権がありました。従って受験勉強に青春時代を費やす必要が無く、有り余る時間とエネルギーを全て精神的・肉体的成長の為に注ぎ込む事ができました。旧制高校生は白線帽・高ゲタ・黒マント・手拭いの弊衣破帽スタイルに身を包んで街を闊歩し、「デカンショ」と略されたデカルト・カント・ショーペンハウヘルの必読哲学書を読んでは思索を深め議論を好み、酩酊し友と肩を組んでは各校に伝わる寮歌を高歌放吟し、

戦前の大学と戦後の大学、団塊の世代の大学生は全然違ったものになっていた。
ともかく受験勉強に追われる毎日でありそれで精神を消耗していたのである。
現代のエリートを作っているのはこうした東大生でも受験勉強した人たちであり何か人間的にモラル的に優れた人たちではない、そこにあるのは利の教育だけなのである。
出世して社会的な有力な地位を得て楽をするということしかない、それが社会を腐敗させてしまったのである。
それは福沢諭吉の学問をすれば立身出世するという思想が慶応大学が作られたのとにている。ただ戦前の大学は本当のエリートだからもう社会をリードする地位につくことが約束された人たちだから戦後の大学生とは全然違っていたのである。
要するに学問が出世き手段でしかなくなった。大企業でも官僚であれそうした得する地位につくことが目的となったのである。そうなればそもそもモラルなど何もないとなる

歴史をさかのぼれば実は明治維新になったとき日本人のモラルは喪失していたのである。江戸時代三百年で培われた日本人の文明文化が明治維新で喪失した。
その継続として現代がある。なぜなら江戸時代はモラルが高かった。侍はそのモラルの範を示すもきとしてあった。だから責任をとるというとき切腹までしていたのである。
それだけ上に立つものの責任を自覚していたのである。
それは江戸時代三百年で培われたものでありそれは地方の藩でも同じである。藩校がありそこで侍はただ学問だけではない、その土地で生活することでモラルが養成されたのである、地方地方にそれなりの教育があった。
それもまた明治維新で全く変更させられた。教育は中央集権の全国一律の教育になり標準語が採用されたことでもわかる、これも大きな変化であり日本を根本的に変えたのであるその時西欧文明はキリスト教だと内村鑑三が言ってキリスト教を採用しない日本文明は滅びるとか言った。つまり西欧文明を日本では技術を便利な機械とかを採用するものだとして受け入れたのである。
その最たるものが福沢諭吉であり功利的なものしかそこにはないのである。

そのことで最近明治維新が見直されというとき、江戸時代の侍のもっていたものが見直される、それは幕臣からなされている、内村鑑三も幕臣だったから薩摩長州の政府を批判していたのである。
侍とはなにかというとき高度なモラルを具現化した模範として社会は見ていたのである。それがエリートだったわけである。それが喪失したとき代わりとしてのモラルが日本にはなかった。それで今日の頽廃の原因となっていた。
戦前と戦後ではまたそのモラルにしても戦前はまだ日本的モラルが庶民でも義理人情とかがあった。今は全くモラルはない、もうければいい、金になればいい、得すればいいとかしかない、それはエリートであれ庶民であれ同じである。
カルト宗教もまったく肝心の要となるモラルはゼロである。経済原理に金をもうけて地位を得て得すればいいしかないのは同じなのである。

第一現代は民主主義でありエリート自体を否定している社会だからである。
真のエリートを養成するものがない社会なのである。たからエリートは現代ではない、庶民も江戸時代の侍のように尊敬したりしない、現代で偉いのは金をもっている人が一番偉いとしかなっていないのである。それは上から下まで同じなのである。
だから「金をくれ」と家にきて本当に家捜して大金を失った、そんな人が近くにいるしそれが普通の社会になったのである。
庶民でも貧乏でも事情があってもここまで庶民でも劣化しない、なにか義理人情とかまだあったが今はない索漠とした社会である。
だから大学生にしてもすでに団塊の世代から劣化していた、今は少子化で誰でも入れると余計にそうなる。団塊の世代から大学生は戦前の大学生とは間で違ったものになっていたのである。エリートといっても社会的有利な地位について自分は得する金持ちになる、それしか動機がなくなっているのである。
世界的にもグローバル経済になると経済原理が生きるプリシンパルになる。
そうなると金だけが唯一の価値になってしまうのである。グローバル経済にはモラルがないのである。多国籍企業でももうければいいということであり何か規制するモラルがないのである。それで後進国の貧乏な人たちをこき使うともなる。

最近起きている大学の異常なレイプ事件とかはやはりいくら東大であれ慶応であれエリートの自負もなにもなくった、モラルもないからである。それは歴史をさかのぼれば明治になったときから起きていたことなのである。
日本のモラルというとき戦争でも上官はだめで下士官は優秀だったというときそういう社会でもある。

19世紀英国の黄金時代当時は、よく言われる「ノブリス・オブリージュ」といった、英国紳士の社会全体に対する責任意識を説明する

これは江戸時代の侍に通じていたのである。それは300年の江戸時代で培われたものなのである。ヨーロッパでも貴族の歴史は長いからである。
結局人間は歴史的継続性が大事なのである、江戸時代300年で培われたものをすべて否定することが日本人を劣化させたのである。だから明治維新が今見直されるのである。
日本的ないいものをすべて否定するということが起きたからである。

いづれにしろ若いというとき自分でもそうだが何か必ず問題を起こす、そのありあまるエネルギーの捌け口を見いだすことで暴走が起きるのである。
それはくりかえされているのが人間である。
高校から大学へなると急に大人扱いになるけどそういう準備もない、何でも自分の自由にするというときその自由は危険なものとなる
自分でもそうだったが大学で起きているのは

小人閑居して不善をなす

まずこれは必ずあてはまる、大学を毎日マージャンで過ごして終わった人もいる、カルトにはまって終わる自分のようなものもいる、何かそうして無駄なエネルギーをぽ費やして青春が終わっているのである。
青春は誰でも何らかの狂気になってゆく時である。それはエネルギーが肉体的にも噴出するからとめられないとなるのだ。抑制がきかないからそうなるのである。
いつの時代でも青春は危険ととなりあわせである。
ただ人間は青春時代が大事だというとき何か青春時代で人生が決まるというときその方向が決まってしまうからである。青春時代に悪に染まったり利だけをもとめて真の求道をしないものはもう真理にも信仰もない、そういう人たちがエリートとなってモラルもないとしたら社会は今のように全体が上から下まで腐ってゆく

ただエリートエリートというけど社会がその養成ができないことが問題なのである。
大学は別にそうしたエリート養成の場でもない、やはり利を追求する場であり学閥などがあるのも利権集団としての大学がある、有名大学になるとそうなる
三流大学だとどうしても社会的に地位も得る人は少ないから学閥でも弱いのである。
慶応大学というとそういう学閥があり東大でもそうだが社会を支配するということがあるそれで警察も手を出せないとか議論されている、本当は権力をもつものには相当なモラルが必要になる。だから侍が責任をとり切腹までしたのはそのためである。
そういう責任感をもっている人は社会の指導者に官僚でも政治家でも企業でも大学でもどこでも今はないのである。カルト宗教団体とか何かそんなものしか今はないのである。
だから何かを誰かを模範にするということかない社会なのである。
ただ自助努力があるだけだから人格形成とかなると現代は一番むずかしいものとなる

尊敬するにしても先生だって今は尊敬しないし、政治家だって別に自分の力というより民衆に選挙で選ばれたものにすぎない、現代で尊敬されるのは科学者であり医者とかであるここだけはやはりみんな尊敬している、命にかかわこともあくから医者は一番尊敬されているのである。あとは尊敬する人など社会的にいない、金持ちだとしてもそんな人を尊敬しない、うらやむことがあっても尊敬などしないのである。
では医者がモラル的に優れているかというとそんなことはない、医者も金が優先されるからである。医は実際算術になっているからである。
エリートとといっても民主主義社会はみんな平等を目指しているのだから真のエリートなど養成できない社会なのである。地の塩というけどそういうものを否定したのが民主主義なのである。だから民主主義というのも何でもいいわけでもないのである。



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2016年10月10日

舛添、石原、トランプの失墜 (60以降は人生のツケがカルマを支払わされる)


舛添、石原、トランプの失墜

(60以降は人生のツケがカルマを支払わされる)

最近の一連の事件は何なのか?
舛添知事の失脚はあれだけ金にせこい,公金を使うということはそもそも金に困ってい
その理由が隠し子なのか、離婚した女性に金を払わねばならなかったことにあった。

舛添氏は現在の妻のほかに愛人が2名おり、愛人Aに1人の子供、愛人Bに2人の子供がいるというのだ。愛人がいること自体が物議をかもしそうだが、問題のメインはそこではなく「愛人に「妻とは離婚する」「もうほかの人と結婚しない」と言って騙して交際した」

結婚3回、離婚2回、子供2人に愛人の子3人、現在「隠し子、養育費裁判」係争中』
「週刊ポスト」2014年1月24日号

なぜあれほど金にこだわっていたのか?せこいといわれほどに公金を使っていたのか?
本当は知事の給料だけでも十分だし嫁の家が金持ちだとすると困らないはずである。
ただ離婚して養育費とか払うのでそれで金に追われていた。
これは借金している人でも同じである。
借金している人は金を返すことしか頭になくなりよからぬことでもすることになる
こういうことを知られていたのになぜ知事にしたのか?
この背景も謎である。なにか裏にいろいろあったのだろう。
こういうツケやカルマをもっている人は知事にふさわくなかった。それはみんなわかっていたのに知事に押されたのである。
その責任はそうして知事に押した自民党や公明党の責任もあった。
なぜなら今の舛添の嫁は創価の幹部だと噂されたからである。
何か裏にあり押されて知事にされたのである。反対する人もいたが押し切ったのである。つまりこういう過去ももつカルマをもつ人は知事になるべきではなかったし推薦するべきでもなかった。推薦した方にも責任があったともなる
なぜならそういう過去をみんな知っていたからである。

石原知事の場合はなぜあんなに横暴な人が12年間も知事でいられたのか?
ほとんど仕事はしていなかったとか今では言われる
ではなぜそういうことが許されていたのか?
東京銀行の失敗でもその額は何百億円でありその失敗の穴埋めのためになんらか豊洲のことでも不正があり金がゼネコンなどから回っていたという。
第一そのことでも責任が問われないということも不思議だとなる
石原知事をつけあがらせたのはマスコミである。
マスコミは石原を恐れていたというのもわからない、東電のような大きな会社でもないし宣伝費がとめられるでもないし何か組織があるわけでもないし権力のバックもない
石原軍団というのはあったがそれもそんなに権力をもっていたのかとなる
マスコミは舛添をもちあげていたし石原でもそうである。
マスコミにとってその人がどういう人か問わないというのは本当だろう
モラルでも問わない、何か大衆受けする派手な人が面白い人物がいいのである。
だから芸能人がその主役となるのである。
何か本当に真面目に追求している人間は必要ないのである。
そうなるとマスコミが持ち上げる人間は信用できないとなる。
マスコミ自体が今では信用できないものとなっている

次にトランプでも女性蔑視のことで録音されていてそれが暴かれて窮地にたたされた。
これも過去のことであるがツケが回ってきたとなる
トランプはもともといかかわしかったがなぜまた支持されたのかというのうも謎だった
女性蔑視になると女性票を失うから痛いのである。
舛添前知事も女性にだらしないということはわかっていた。
でもなぜ支持されたのかとなるというのは共通した面がある。大衆受けする派手な性格だということなど何か共通性がある。
人間は何か私的な面でも必ず公的なものに反映する
もし私的に女性にだらしないとか何かモラルに反する生活をしていればやはり公的でもそれが反映される、私的なものと公的なものは区別できない
私生活などどうでもいい、公務ができれば政治家はいいんだとはならない
現実に何らか私的なモラルに反することをしているから公的な面でもつまづき失墜しているからである。

これは政治家のことだが別にそうした人でなくても個々人でも60代になると必ずこれまでのツケが支払わされる、これはどんな人でもそうである。
第一何か罪がない人などいない、何らかの罪を犯している
だから推理小説では過去の罪が暴かれることがテーマになっているのだ。
人間が過去に犯した不品行は必ずツケとして罰が与えられる、そのまま隠匿されることがない、もしこの世で暴かれなくてもその罪は来世で暴かれるのである。
自分のこの十年間の介護や病気のことでもそうだった
いろいろツケがカルマを否応でも支払わされるのである。そのための苦しみだったのである。
それはいい面でも悪い面でも必ず人生のツケはカルマは支払わされる

若いときは奔放なエネルギーにまかせるがあとで後悔する、それがあとで苦しめられることも考慮しないのである。
つまりか若気の至りというけどそれは忘れられるものでもないのである。
必ずそのツケは60以降に回ってくる。
健康にしてもそうである。それまでの生活が影響して病気がでてくる。
ただ60以降はなんらかの病気になるがそれまでの生活が体にでてくるのである。
それは心にも関係してくる、心と体も一体というとき人間は日々の生活で作られるのであり生まれつき体力があったとしても不摂生な生活をすると早死にしたり病気になる
スポーツ選手が意外と早く死ぬのは不摂生のためである。

この三人に共通しているのはモラル的に問題があった。それはわかっていたことだが推薦された。そしてその私的生活が破綻の原因だったのである。
石原もスパルタ教育だなんだと言っても自分の子供には甘かった。
でも回りでマスコミでも何でも押していたのだからつけあがっていた。
批判する人がいてもそれは目立たなかったのである。それは原発でも同じである。
原発は危険だというとを本でだしてもほとんど注目されなかったのである。
だからどうしてある人物は大きくされ原発などでも反対意見は大きな声とならないしとりあげられなかったのである。
大きな声を形成させるのは何かとなる、それはマスコミとかその他いろいろな要素がありそうなる、舛添でも石原でも大きくされたのはマスコミの影響である。
大きな声になるのは大きな権力に操作されてそうなる、アメリカが最大の権力としたらアメリカの権力の操作で大きな声が形成される、それで原発も反対できないとなる
民主主義だといっても大きな声になるのは大きな権力に操作されるとしたらどうにもならない、そこに民主主義の限界がある

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2016年09月22日

石原慎太郎はなぜ批判されなかったのか? (巨大権力は必ず闇が生れる- 原発の闇、都議会の闇、ゼネコンの闇、銀行の闇、カルト宗教団の闇・・・・)


原慎太郎はなぜ批判されなかったのか?

(巨大権力は必ず闇が生れる-

原発の闇、都議会の闇、ゼネコンの闇、銀行の闇、カルト宗教団の闇・・・・)

慎太郎が秘書の栗原と組んで、秋葉原再開発、築地市場の移転、東京オリンピックの招致と、大型工事を必要とする政策が次々と生み出され、その工事の多くを受注した鹿島はおいしい思いをした。もちろん、栗原の仲介で慎太郎にもキックバックが回っているに違いない。 もうひとつ、鹿島との関係で深いのが、石原が副知事に招聘した右翼活動家の浜渦武生。彼は、石原とどちらが親分でどちらが子分か分からないくらいの関係で、石原の極右体質は浜渦の影響も大きい。浜渦は、弱者(障害者、高齢者、女性、外国人、貧しい人、失業者)といわれる者すべてが嫌い。週に2・3回しか登庁しない石原知事に代わって都庁を支配した。しかし、当時からマスコミは、このような石原・浜渦の強権的な体質に恐れをなして、批判的な記事を一切書こうとしなかったのです


石原慎太郎はなぜあれだけ力をもったのか?あれだけの横暴なことも許されたのか?
マスコミさえ恐れて何も言えない、そんな力を石原一家だけで財力でも何でももてるのだろうか?何か背後に組織ももっていないのになぜだろうとなる
ただいろいろな組織とは団体は関係していてその力を利用していた。
良くテレビで普通だったら視聴者からも顰蹙をかうことを堂々と言うのにマスコミからは批判されない、苦情も来ないというのも不思議だとなる。
何か石原慎太郎だけは特別扱いだったのである。そういうことを回りでも許していたのである。
石原慎太郎のしたことは前々からいろなことで批判されていた。別に批判されないわけではなかった。

東京銀行の無駄使い

尖閣での寄付はなんだったのか

いろいろあっても批判されないのはなぜだったのか?

公明党と一緒になって財布代わりに使った「新銀行東京」ともありここではう創価とも関係していた。
石原慎太郎は巨悪だったのである。でもその巨悪がなぜ許されていたのだろうか?
マスコミのほとんどは今も恐れていて同じである。
それほどの力をなぜ大きな組織に属してもいないのにもてるのだろうか?

ただ今回話題になった都議会のドンの内田とかはなぜまたそんな力を持てたのだろうか?
これもまた謎だから闇のドンとされる、これは闇であり石原慎太郎は常に表に出てその力を誇示していたのは違っている、特にネットウヨとかにとっては祭り上げられる存在だったのである。小気味よくはっきりと在日であれ何であれ左をこきおろしていたから人気だった。でも尖閣の金はどこにいったのだろうか?そういうことも今は問われている
東京銀行にしても巨額でありそれは創価とも公明ともかかわっているがあいまいであり何も問われない、これも検察が入っていいような問題でもあった。
でも検察も今は力がなくなんの働きもしない、無用化しているのである。
検察は何のためにあるのか?もう東電の事故でも誰も責任が問われないように検察や官僚はただ自分の利得を追求する天下り先を確保するためにだけの存在に成り果てたのだろうか?そこに巨悪はのさばりやがて原発事故のような甚大な被害を国民に与えることになる

結局戦後七〇年すぎて日本はあらゆることで曲がり角に来ている、これまでの組織も何か機能しない、それでそうした官僚機構であれマスコミであれこれまで権力をもっていたものが批判される、何らかのそうした規制の権力が弱体化してゆく
マスコミの信頼は地におちた、芸能人の馬鹿騒ぎを提供するだけだとかなっている
肝心なことはもう追求されない、マスコミを信用している人は減っているしインターネットの方に情報は移っている
「原発の闇」「東京都議会の闇」・・・・の闇がなぜ生じるのだろうか?
やはりそこが巨大な権力が欲が動く場だからである。
権力が何かといったら人間の欲望のことである。それが巨大な組織が関与するから闇になる
創価にしてもなぜあれほど権力追求なのだろうか?それは権力が人間の欲から生れるし欲をかなえるから宗教でも装い実際は欲を追求しているのである。
公明党がなぜ東京銀行にかかわったのか?そこには巨額な金が動くからである。
そこにかかわれば金が入る自由にできるという思惑があったとなる

つくづく権力とか金とかは怖い、一個人でも多少の金でも怖い、自分の経験でも遺産が多少入ってもそこにその金を目当てに事業に失敗した親戚が自分が病気にもかかわらず損なこと関係なく恐喝してきたから怖い。その時自分は弱者になっていたからどうにもならなかった。自分の弱点をついてきたのである。一人は金目あてに実際に盗みとなった。
「金をくれ」ときてそれを実際実行したのだから驚く、こんな人が近くにいるのか?
田舎にいるのかと驚いた、その人たちは金に追い詰められていたからそうなった
相手も金を得るために必死だからそうなった。
銀行もまたにていたのである。これも自分の失敗だった、投資信託などに手を出したが結局手数料が入り証券会社でも銀行でも損はしない、損をするのはそれ信託した人なのである。銀行も実際は金が動くから今はなかなか金を貸してもうけられないからそういうことでもうけることに必死なのである。だから何か勧誘するにしても一旦金をそういう場にあづけるとやめにくくなる。ヤクザまがいになりやめさせないというかそういうこともあるそれもやはりもうける場が銀行に少なくなっているからである。
投資信託の手数料が大きいのである。金をあづかっていても貯金されていても銀行は今はそれでもうけることがむずかしいからそういう方に力を入れているのだ。

原発だって東電は国並の権力を金をもっていた。三兆円の資産があるとか驚きだった。
するとそこに政治家であれ官僚であれ検察であれマスコミであれ地元の人たちであれ群がるのである。マスコミに流れた金も巨額なのである。
だから「安全神話」が作られたのである。何かここでも石原慎太郎のような力を得ていたのである。確かに原発批判している人は左翼系でいたがそれも何かSF小説のように架空のことのように危険性をされていた。
何か大きな声として国民には届かないのである。出版はされていてもそうである。
要するに情報は権力によって操作される、権力というとき政治家であれ官僚であれ検察であれマスコミであれもっている、記者クラブでもそういう権力をもつ人の許可がなければ得られない、だから一個人など何の力もないのである。
そうすると大きな声になるのは権力をもつものによって決められことになるのである。
原発が今でもなぜやめさせることができないのか?それもやはり今度はさらに大きな背後のアメリカの命令でそうなっているとかなる、アメリカ実質上の日本の政府を動かしているとなる。原発がアメリカの政策だからやめさせることができないのである。
日本は敗戦国だからアメリカに対抗できない、逆らえないのである。
それも日本が敗戦から七〇年過ぎて国家の変革期になったのである。
そして日本がこれから真に独立国になるとしたらこれは戦争になったときのように相当な覚悟が必要になる。アメリカに守られていたことから脱することは相当な危険にさらされるからである。そういう日本国家自体の曲がり角にきて津波や原発事故や都議会の闇なども暴かれたのかとなる、なんか時代の節目にきていることは確かなのである。

タグ:権力の闇
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2016年08月20日

秀岳館にも一人も熊本県出身はいなかった (高校野球の意義はスポーツは何のために?)


秀岳館にも一人も熊本県出身はいなかった


(高校野球の意義はスポーツは何のために?)


今の高校野球は地元代表ではない、秀岳館は熊本代表ではない、大阪から根こそぎひきぬいてチームを作った。地元とは全然関係ないチームなのである。

センバツ「秀岳館だけには優勝させるな」という雰囲気あった

東北の私立でも八戸光星とか青森山田とかは東北出身は一人もいないのである。
福島県の聖光学院は地元が二人くらいいるから違っているといってもそれが福島県の代表なのかとなる。
高校野球は地元の人が応援する、地元意識が強いことで成り立っていた。それで盛り上がっていた。
つまり福島県のチームが勝てば原発事故や震災の復興になるとか熊本だったら地震の被害からの復興になるとかなる

でも秀岳館は実際は地元出身ではない、第二の大阪代表だと言われる
地元の代表だったら地元の励ましになるが地元出身の生徒がいないということが変わってしまったのである。
福島県だったら聖光学院を応援するがでもあまり強く応援する気持ちにもなれない
なにかしらけた感じになるのである。
そもそも高校野球自体がこういうふうに地元出身の生徒が出て応援するとういものでもなくなっている、だから全国高校野球というのがどういう趣旨で行われているのか?
その趣旨に反したものである。野球好きな生徒がどこの県でも私立高校に入りそこで甲子園に出るために練習する、その地元とは別に関係ないのである。

今日秀岳館に勝った北海高校は二人くらい大阪出身だがほとんど北海道出身だった。
秀岳館はピッチャーが5人くらいいるのも強みである。北海高校はエース一人でがんばり勝った、秀岳館には勝ってもらいたくないという高校野球にかかわる人が言うのもわかる前に磐城高校が甲子園で決勝まで進出したときはほとんど磐城出身の高校生だった、もともとみんなそうだったが高校野球は甲子園に出たいという特別優れた生徒が全国から集まりチームを編成するのである。
別にスポーツはスボーツが好きな人がどこの県であれ世界であれば国であれ競うとなれば国にこだわることはない、現実に国がないからたまたたま近くにあった国とかから国籍をもらいオリンピックにでたとか国意識が希薄になっているのである。
スボーツはもともと身体能力だけを競うものでありあまり国籍とか県とか関係ないのである。

そして日本が400メートルリレーで銀メダルとったというとき100メートルの決勝に出た人がいないのに勝った、他は9秒台で決勝に出た人が多い、それでも日本が勝ったというとき世界で話題になった、それがなぜなのか?
それはバトンタッチのうまさである。そこを日本チームは相当に訓練していた。
そのバトンタッチが何か日本人的器用さが発揮されたのかもしれない
そのバトンタッチで差がついて勝敗にも影響するということが面白かった。
ただ速さだけではないバトンタッチが勝敗を分けるというときただ身体能力で競争していれば負けるがバトンタッチの技で勝つというのが面白かったのである。
ただ身体能力だけで勝負がつくとなると決まった人しか勝てないのである。
そこには一つの要素でしか勝てない、身体能力の強い人しか勝てないから勝つ人がたいがい黒人になっているのである。それはDNAでもともと優れているからいつも黒人が勝つとなる、それは国と関係なく陸上は黒人が強いのである。

何かすべて身体能力が強いものが勝つとなると面白くない、そうなら最初から競争しても勝敗がわかっているのだから無駄だとなる
柔道にしても小さい者が大きい者を投げたりすることができるものとして人気があった。また日本の武道は精神的要素が多い、精神の修行という要素が多い、だから日本ではスボーツでも道を究めるとなる、柔道、剣道とか道なのである。
ギリシャではじまったオリンピックの競技には何かそうしたものは精神的なものは欠けている、ただボリス同士が戦争ばかりしていたから休戦の意味でオリンピックが始まったというのに意義があった。それで平和の祭典になったのである。

柔道などにはそうした精神的なものがあり文化がある、ただ身体能力を競うものではないものがある。でも一般的にスポーツには文化的なものを感じない、スポーツという言葉が気晴らしだということでもそうである、ただスボーツで優れているということは身体能力で優れいてることは人間的に優れているということはある
特に昔だったらそういう身体能力で人間の優劣は決まる、機械がない時代だからそうなった。
ただ人間の身体能力の不思議は栄養豊かだからといって必ずしも備わるとは限らない
なぜ江戸時代の人とが粗食でも重労働にできたのか身体能力が高かったのか不思議である走るにしても人力車を引っ張るとか飛脚でもマラソンランナーのように走る能力がありそれは相当な重労働であり粗食でやれたのかとなる、でも実際は粗食である。
おにぎりとか沢庵とか味噌汁くらいがおかずで働いていたことの不思議である。

身体能力を考えると栄養をとらないから弱いともならない、今でもネパールなどでは素足で荷を背負い山を下り下りしている、その人たちは粗食なのである。あの高い山では栄養はとれないからである。
粗食というときローマ人も実際は普通の兵士は粗食だった、貴族化したとき贅沢になった日本兵は粗食であったがやはりそれでも戦争をする体力があった。
現代は栄養過多でありそれで身体能力が高まったというとそうはなっていない、とても昔のように歩いて旅するなどできない、今も車に乗っているとかデスクワークだから昔の人より体力がないのである。
つまり贅沢になれると人間は虚弱化して国自体も衰退してゆくという逆説がある。ローマがゲルマン人に滅ぼされたのもそのためである。
原発避難民なども贅沢であり文明人自体が贅沢になれているからあえてもう困難なこと、不便なことは嫌だとなり震災の災害地は復興できないともなっているのである。

なんか自分は今年の暑さでバテた、それで食欲もなく食べていないから相当にやせたと思ったら逆に太っていたのである。それがなぜかわからないがアイスを食べると太るとかジュースで太るとかなるとそういうものに相当な栄養があり太った
夏やせが普通なのだが夏に太る人が多いというときアイスでもジュース類でも相当に栄養があるためである。
そして糖尿病になる人が現代人に多いのは栄養の取りすぎの結果なのである。
なにか暑いと喉か乾き甘いものをとりすぎるのである。甘いものをとりすぎるとかえって疲れるというのもわかる、かえって水の方がいいとなる
自分はやせ型だから太るわけないのである。それが太ったということは甘いものをとりすぎたということなのか?それだけ今はいろいろなものを食べすぎるということなのだ
そしてかえって栄養をとりすぎて虚弱になっているというのも逆説である。
文明人はみんな共通して虚弱になっている、栄養とりすぎて虚弱になっているというのも逆説である。粗食で生活していたときがかえって身体能力があったというのも逆説なのである。

なぜ現代がスボーツの時代になっているかというとともかく文明人の生活が運動しないためである。だから運動することを求めてしないとできないからである。
別にスボーツジムに行かなくても日頃の生活が身体能力が必要ならそんなことをする必要ないのである。米俵でもかつぎあけるとか荷を運ぶにも日頃肉体労働していればそんなことをする必要はないからである。
オリンピックに出る人は超人的能力の持ち主であり普通の人とは関係ない世界である。
それは遊びと気晴らしの世界なのである。そんなものに金をかけるのは企業の宣伝とか国威高揚とかがありそれが世界で生活している人々とは直接的に何の関係もないのである。そういう気晴らしのスボーツに何兆円もかけること自体時代錯誤になっている
高校野球も勝つことだけが問題になり高校生野球のプロ集団同士の戦いとなり地元とか県の代表でもなくなっているのである。
だから福島県でも心から応援するという気になれない、ただ試合には勝たねばならないから勝つということに重点を置けば結果的には地元だけでは勝てないから全国から優秀な選手を抜擢して強いチームを作る他ない、でもそれは高校野球の趣旨には反しているから
秀岳館は負けてほしいとなったのである。



タグ:高校野球
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2016年08月15日

佐藤優なる似非知識人がなぜ持ち上げられるのか? (暗黒時代に突入する日本)


佐藤優なる似非知識人がなぜ持ち上げられるのか?


(暗黒時代に突入する日本)


この人のことは全然知らない、本も読んでいない、ただ良く出てくるからなんだろうとは思っていた。
この人は似非知識人で信じられないのは創価と池田大作を礼賛していることである。
これはなんなのだと信じられないとなる、東電側にもついていている
創価というときこの団体がどれほど危険な団体か自分は自ら活動して知っている
仏教ファシズム団体である。仏教など何の関係もない、ただ会員を増やして権力奪取を目指す団体である。平和だとかいろいろご託は並べるがそれは平和装う狼なのである。
いかに創価が権力を得ようと日夜画策して活動しているか自分は活動していたからわかる選挙が最大の仏教の戦いであり池田大作は先頭にたって選挙のときは指導していたのである。そして先生のためにと婦人部はフレンド票をとるために必死になっている
それが高じて選挙違反者を出したというのもわかる。もうなにながなんでも一票をとることが最優先される、そのためにすべてのエネルギーは注がれているのが創価である
それはなんのためなのか?権力を得るためである。
そこで活動する人にはそういう野心家がいる、創価に入り権力ある地位につきたいという人が入ってくる
あと無知な大衆を操作して会員を獲得して権力を得るために民音と芸能人を支配しているこの人は創価系の芸能人なのである。

マスコミにもちあげられる知識人は危険

なぜこの人がこんなにマスコミとかで持ち上げられるのか?それはマスコミ自体が時の権力側についているからである。都議会選挙でも内田とか黒幕がいるのを暴くことができない、報道しなかった、都議会の闇を暴くことをマスコミはしなかったのである。
マスコミは無知な大衆を操作するためにある。宗教もカルトとなるとそうである。
宗教はファシズムになりやすいのである。創価の会員にもいろいろいるけどどうしても弱者とかが多いからそういう人たちを一票として確保する
宗教で自縛させる、それが効果的であり以前としてそれなりの会員維持に成功している
では宗教を利用して権力奪取をするというけどその幹部自体も池田大作自体も宗教に自縛されているのである。異常に罰とか恐れている、息子の一人が早死にしたとき罰あたったとして表に出すことを拒否したり何か病気になっても知らせないとかある
現実に創価に入っても何か解決しているのだろうか?

近くでは息子が若くて病気になり死んだし次に母親も死んで家はなくなった
創価では仏教では現象を一番重んじるけどそんな不幸なことなど会員数が数百万もいたらいくらでも見ているはずである。自分の家でも認知症になったとか必ずどの家でも不幸はまねがれないのである。第一不幸のない家などない、必ず病気になるし何らかの不幸はあるもしなければみんな入っているだろう。
創価でもエホバでもカルト宗教など人を選ばないのであるどんな人でもいいのである。そこには全くモラルなどない悪質な人間がごろごろしているでもその人がどうなのか性格がどうとかは絶対に問わない、どんないいかげんな人間でも会員になればいいのである。実際回りで創価の人間がどういう人間か見ていてみんな知っているのだからこれはなんなのだろうと理屈と関係なくおかしいなと知る
田舎だとそういうことは目に見えるからあまり増えないということはあったかもしれないそれでも田舎でも増えたというのはそれだけそううい闇の世界に吸収されるのものがあった。まず公明党の張り紙してあるところは何か問題をかかえているのである。

人間の社会はつくづく変わらない、なぜこんな人間が有名になりマスコミに持ち上げられている、クリスチャンなどいくらでいるからそれでクリスチャンとはならない。
教会に行っている人がみんなクリスチャンとは限らないし仏教でも会員になっているから信者でもないのである。ただ会員というだけなのである。最近はエホバが勢力を延ばしている。必ず生活保護者が標的にされて入っている、創価、共産、エホバは生活保護者の数が多い、そこに入る人の意識は高等な宗教は必要がない、要するに政治的便宜を計ってくれるとか何か利益を与えればいいのである。だからもし十万であれ借金があれば肩代わりしてやればすぐにそっちのほうにつく、つまり金で下層階級は支配できる
また公明党の議員が投票させるためにビール券を配っていたとかそんな程度で会員を増やし一票を得るために日々活動しているのである。

いずれにしても、このままゆけば日本はかつて歩んだまたあの”いつか来た道…”を間違いなく《反復》することは疑いようもないではありませんか。そして、知識人、擬似知識人、似非知識人、あるいは、純粋な悪の先導者であるピエロ、道化、マジシャン…等に先導されつつ、かつて想像もしなかった地獄へと転落してゆくのではないでしょうか。


日本でもほかでも同じなのだが人間は以前としてサタンの支配下から逃れていない
同じように似非知識人であれ似非予言者が跋扈して大衆をまどわし地獄に連れ込まれる
これはサタンの手先なのである。マスコミもそうい手先をもちあげる。
マスコミがサタンの手先なのである。だからマスコミは時の権力側にしかつかないのである。
この人は東電をも批判すべきでないと言っている。これも信じられないことである。
こういう人が有名になりもちあげられること自体がいかに今の言論界でももう信じられない堕落しているかわかる。
本当にいつか来た道をまた日本は行くことになる。戦争にもなるし原発事故もまた起きるこれはもう確実である。防ぎようがないのである。
自民党というのも信用できない、創価公明党を一時批判していたが味方になればとりこむ、ただ権力を得るためにそうしているだけであり一貫性がないのである。人間は権力を得るためには悪魔とも結託する、金のために魂も売る、これも人間が変わらないことだった
つまり常に権力を得る維持することが最優先になっているのである。
だからいづれは自公政権は崩壊する、その兆候は東京都知事選挙で現れたのである。
民主主義といっても言論の自由は必ずしもない、組織がなければ出版もできない
要するに人間はひどい目にあわないと現実が何か認識できないのである。
カルマもそうである、何か苦しい目にあうとなぜだろうとカルマを意識する、そうでなければ意識しないのと同じである。
こういう似非知識人や似非予言者にだまされて地獄に連れていかれてひどいめにあったときはじめてカルマを理解するのである。

この世とは変わらない暗黒の世界だったのである。その証明がこういう似非知識人や予言者が大手をふってまかりとることにある。
要するにこういうことが延々と有史以来くりかえされてきたのが人間社会だったのである結局この世には絶望しかない、闇の主がサタンが支配しているのは変わりなかった。
人間の悪など一掃できない、次々に新たな悪が生れる、形を変えて人を変えて送り出されてくる、おそらく創価がなくなっても次にまた新たなカルト団体が生れるし生れている
だから大洪水がきてノアの方舟で生き残る、救うのが神だとなる。
津波はまさにそうしたノアの洪水と思えるほどの巨大災害だったのである。
そして政府と東電が一体となって悪が暴かれたのである。とても人間ではもうそんな巨悪を暴くことはできない、そして必ず歴史的審判が下される

歴史的に長い時間の中で見たときなぜこんな似非知識人が世を席巻したのかと不思議に思うのである。その時はもうその人の名前は何もでてこない、忘れられるだけである。
悪名を轟かせてもその名は消える、この世で大きな名を力をもつものがサタンの手下だということである。誰も歴史的審判からまねがれることはできない
かつて権力をもっていたものも悪も白日の下にさらされる、特に時の権力者は容赦なく断罪されるのである。だから歴史が裁くのであり時間が裁くのであり長い目で見ないと人間社会も見えないのである。百年後くらいから現代を見る必要がある。
今こんなにも有名になり力があり権力かあっても見る影もなくなることがある。
それは個人的にもそうである。家族で死ぬときまで優秀だと言って死んだが実際は認知症になり馬鹿になっていたのである。
いづれにしろ現代の知的水準はこれだけ情報が氾濫していても低下している
カルト宗教がこれほど増えているのもそうであり似非知識人が主役になっていることでもそうである。次の時代は相当に危険であり戦争の時代に突入して地獄になるかもしれないなぜなら歯止めとなるものがもうない、マスコミも戦争中と同じであり権力側につく大本営発表しているだけだからだ。

日本は今外交的にも経済でも岐路にたたされている、中国に責められアメリカは退いてゆく、そしてまた戦争中のように日本は孤立してゆく、そして追い詰められて戦争になってゆく危険が増大しているのである。右翼関係の議員が増えているとか右傾化している
創価やカルト宗教団体は右でありそれが一体となり戦争に向かってゆく
その危険性が現実的に増大しているのである。その象徴が似非知識人がもてはやされていることである。その似非知識人も実は背後のブラックなカルト団体とかに操作されているのである。マスコミはまさに背後に電通とかいて操作されている
電通は何かわからないにしろそれが今度在日勢力の支配下にあるとか外国人勢力に日本はのっとられると右翼が言うのもわかる。
日本は闇の勢力にのっとられる、創価もそうでありまた左翼も在日も日本を中国に売り渡すとか盛んに言われる、真に日本を思っている愛国者は誰なのか?
創価は日本をのっとることを目的にしているし左翼も中国側に日本をさしだすものだと言う。すると真に日本を思う愛国者は誰なのかとなる
ともかく今は日本は非常に危険な岐路にたたされている、これから右だカルトだ左だとか内戦状態になるかもしれない。格差社会も内戦になる。もちろん原発事故で故郷を失ったことも深刻である、それもこれから日本全体に起こる地獄への始まりである。
そういうものとして津波が原発事故が起きたのである。
その反面として詩にしたようにここから故郷の再生がはじまるということもある
つまり原発事故にあったこの辺が福島県が日本の未来の鍵を握っているともなるのだ。
そううい使命がここに託されたともなるのである。

擬似知識人、似非知識人、あるいは、純粋な悪の先導者であるピエロ、道化、マジシャン…等に先導されつつ、かつて想像もしなかった地獄へと転落してゆく

まさにこれが佐藤優がもてはやされることでも具体的にわかる。何かマジシャンのような風貌をしていないか?ピエロとか道化とかがテレビの画面を占拠して大衆は操作される
そしてそれが地獄の道を通じているのである。白痴化された大衆は操作しやすいからである。そしてその大衆自体が地獄へひきずりこまれるのである。
あとどのくらいでそうした地獄が生れるか?その前に自分はこの世を去ってゆきたいとなる、戦後70年は実際はつくづく恵まれた時代であった。しかしそれもいつまでもつづかない。次の時代は暗黒時代になる、ともかくうたかたに消えてゆくような人間が大手をふってこの世を席巻していることそういう人間をもちあげること自体日本国滅亡の亡国の徴(しるし)なのである。

タグ:佐藤優
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2016年08月14日

武田邦彦氏のオリンピック(スボーツ)に対する発言は納得できない スポーツ競技とはなにか


武田邦彦氏のオリンピック(スボーツ)に対する発言は納得できない


スポーツ競技とはなにか


武田邦彦氏がスポーツは意味がないけど意味があるとか言っているけどこれは納得できない、遊びであるから金をかけるのは経済効果を言うのは無意味なのもとしてやるのだからかえって逆効果だというのは同感である。
たかがスボーツというときそこに莫大な金がかかっていることが問題なのである。
たかがスポーツなら草野球のようなものでもいいわけである。
何兆円も金がかかるオリンピックがたかがスボーツですまされないのである。
なんらか意味があるものとして追求されねばならない

それだけの金がかけるなら東北復興に金を使えばほかにもいくらでも使う所があるからだ
他のことは科学者としてその言い分はわかるがこれは根本的に理にあわない
理系というとき文系がおとしめられるが何かあらゆることに通じるわけではない
意味のないものに莫大な金を費やすからこそ問題がある
金を使わないなら草野球みたいなものなら別に問題なのである。
高校野球だってセミプロであり地元とは関係ない選手が集まりしているから地域の代表でもないのである。金もかかっているのでありたがらこそ勝つことが第一になるのである。純粋のたかがスボーツならいいがそうでないから問題なのである。

ともかくインターネットではなかなか議論が直接的にされない
自分もそうだがプログは一方的発言になってしまう。
こうして発言しても相手が読むとも限らない
パソコン通信の時代は逆にあまりにも相手をおとしめるための直接相手を攻撃するためのものだった。
プログになるとなんかそうした攻撃もない、だから一方的な発言となりそれで議論が深められることはない、プログはそうなりやすいのである。
自分だってずっーと膨大なものを一方的に発言しているだけだからである。
「心に青雲」なども内容が濃いのだけど同じである。一方的発言を延々としているとなるそうなるとなかなか議論を深めることができないのである。
その人の発言はその人の発言として終わりになる。

ただこうした内容の濃い人のプログを批判するとなると相当な人でないとできない
科学に弱い自分はまず科学について批判できない
ただ文系になると心の青雲の「国家論」とかなにかそこから議論を深めるものがあるかもしれない、それだって相当な知識が必要であり簡単にできない
第一マルクスとかでもそれを批判するとなればそれを深く理解しなければできない
そうなると批判自体が不可能だとなるのである。

ただ今回武田邦彦氏の言っていることは浅薄だからできたことである。
ほかはなかなかできない、専門的になると余計にできない
現代は専門家の時代であり素人は批判などできない
人間と意味がないことに国家予算なみのものを使うことはまちがっている
なぜなら人間はなんであれ意味を追求しているのである。

スポーツは気晴らしの意味があるときそれも意味だがそうならそんなに国家として金を使うべきではない
ローマの「パンとサーカス」になってしまう。現実になっている。
日本雑技団とか言う人もいて面白い、まさにサーカスなのである。体操などがそうであるそういうものにオリンピックとなると国の誇りだとなるのも納得しえないのである。
それは日本だけでない中国雑技団にもなる。そんな程度のものとしたらなぜ莫大な金をかけるのか?プラジルでは貧困にあえでいる人があふれている
その人たちにとってオリンピックなど何の関係もないのである。
現実にメダルもとれないのだから面白くないとなってしまう。

ただもし意味があるとしたら逆に株価が上がるとしたら経済効果として意味があるとなる武田邦彦氏は経済的効果をスポーツには必要ではないというがむしろ必要だからこそ意味があるとなる、なぜならそうしたらそんなに金をかける意味があるのかとなるからだ。
なぜそんなに金を使うのかということが問題になっているからである。




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オリンピックをする意味がなくなっている (力石のような村社会での意味すらない)


オリンピックをする意味がなくなっている


(力石のような村社会での意味すらない)


“郡上八幡城の力石伝説”
4 / 52015/11/17に投稿しました
かつてこの城の改修時に、通称赤髭作兵衛という力自慢の農民が城下の河原から三百キロを超える重さの石を担ぎ上げたという伝説があり、八幡城庭園内でその石(岩という大きさですが)を見ることができます

高千穂神社の祭神である、 三毛入野命(みけぬのみこと)は弟の神武天皇とともに大和に向われますが、伝説では再び高千穂へお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この一帯を治めたといわれておりす。
鬼八の大石は、この時、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石といわれております。


真光寺にあった力石(郷石)も、賭博の一つとして使われ、村人は、事がある度に寺に集まり、金銭や田畑地を賭けて力比べに興じていました。村人は、そのためにすべてのものを失い、大貧乏になってしまう人が多数を占めました。この当時、村で賭博をやらない家は、2軒しかなかったといわれます。

「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村堺(今日の行政単位の村ではない)にあって、若者達が力試しに用いたと記録されています。

「力石(ちからいし)」とは、力試しに用いられる大きな石のことを言います。
力石の全国的な調査を行った高島愼助氏(四日市大学教授)は、「労働を人力に頼らざるを得なかった時代に労働者の間に発生し、力くらべや体力を養うのを目的にした石を指す。したがって力石による「力持ち」は、一人前の男としての通過儀礼、鍛練および娯楽としての要素が濃厚であった」と定義付けています

 力石は日本各地の神社や寺院の境内などにあり、力比(ちからくら)べや力試(ちからだめ)しに用いる石のことです。5斗石、8斗石などと重量が定められています。差し上げれば千人力になるとか近親の病気が治(なお)ると言われています。また、肩上げ、両差し、片手差しなどといって力を競います。

 住古女あり年20ばかり、木履を納め米一石を頭上に捧げこの坂を上りし故一石坂(いちごくさか)と名づく(南相馬市鹿島町誌)


力石とか比べ石とかは全国各地にあり多い、それは当時は人力に頼ることが多かったからである。持ち上げるのにも運ぶのにも人力頼りになると力がないものは仕事もできない
それで村では特定の石をもちあげれば一人前とされたというのもわかる。
つまり力があることが一人前の男として村に認められたのである。

現代だと力があることは必ずしも自慢にならない、機械が代わりにするからである。
でも以前として体力があることは何するにも必要だから価値がある
でも昔のように力より知能の方が重んじられるようになった。
するとそうした力石とかはただ祭りとして遊び化してスポーツ化する
もともと社会的に有用なことだったがそれがなくなると遊び化してゲーム化するのである
オリンピック自体がもともと戦争のために実際に行われたものである。
槍投げであれ円盤投げであれそれは武器として使われていた人を殺すためのものだった。それがスポーツ化して遊び化したのである。
社会的に意味がったものでも実用とてあったものでも遊び化する、その時実用性がなくなるから祭りともなる、相馬野馬追いなどももともと戦争のために行われていたが祭りとなったのと同じである。

オリンピックというときこれも何なのかというとそうしたもともとあった実用性から離れたものとして追求されている。今どき槍投げと円盤投げとか何の実用性もないのである。そして昔の力石というときそれは現実に仕事するにも力が必要だからこそ社会で意味あるものとして行われていたのである。
そもそもオリンピックになると世界的身体能力の超人を目指している
そういう世界は実用性からは全く離れた世界である。それは超人であり普通の社会の実用性からは離れた世界である。まず百メートルを極限の速さで走る必要性が普通はないからである。そんなことを追求しても意味あるのかとなる

では今のオリンピックはなんのためにしているのか?
それは企業とか国威高揚とかのためであり小さな村社会で行われていたものとは違う。
村社会で行われていたものでもそこには意味があったのである。
超人的スポーツ選手は企業の宣伝として使われている、商業主義のオリンピックなのである。
日本のメダルが多くなると日本の株価があがるというのもそうである。
それは企業にとって宣伝になり売り上げもはあがるとまでなるからである。
そしてテレビで視聴率をあげれば余計に宣伝効果が大きくなる
それでテレビを支配する電通が防いでも莫大な金を東京オリンピックの誘致のために金を使ったのであてる。
それは商業主義オリンピックだからそうなったのである。
オリンピックの選手にしても企業から宣伝費として金をもらうからそうしたプロなのである。だからメダルをとることが最優先される

オリンピックは最初は参加することに意義があるなど意味があった。何か世界平和のためとかもあったし国威高揚とかもあり東京オリンピックの時は意味があった。
今はそういう意味がない、第一すでに50パーセントがオリンピックに興味がないのであるオリンピックを開く民意がない、それでも行われるのは商業主義オリンピックであり企業が金を出すからだともなるしゼネコンが仕事になるからだともなるし電通によりテレビで視聴率を稼ぎ企業の宣伝になるからだともなる
だから意味を追求すれば村社会の力石、比べ石とかより意味としてはないのである。
世界平和というのも関係ないしオリンピック開いたからと世界平和が促進されることもないのである。
ただ身体能力の超人的追求になっている。それは普通の社会で生活する人から見たら関係ないことなのである。体力が必要でもそんなにしてまで体力を追求する必要もないからである。

人間はなにか常にあらゆることに意味を追求しているのである。人間は「考える葦」だというときがそうである。人間は哲学的存在なのである。ただ野獣的に超人的体力を追求するときすでにその時人間でなくなり野獣になっているのである。
今になればそうしたスーバーマン的な体力は機械に置き換えられているからである。
その機械化によっても力あるだけでは人間の価値はなくなったのである。
一体0.1秒とかの差を争うことにどれだけの意味があるのか?世界新記録にどれだけの意味があるのか、そんなものはいづれどんな種目でも限界が見えてくる
そんなことに意味はない、人間は超人にはなれない、スーパーマンになれないからであるだからオリンピックは世界的に日本でも興味を失っているだろう。
何かそういうものにあきたという人が多くなっている
それは社会的にも意味を見いだせなくなったともなる
それをあおっているのはマスコミとか企業でありそれを見る人たちは飽きたとなる
要するにオリンピックでなくても別なエンターテーナメントが娯楽でもいいわけである。何かオリンピックに前のような特別な意味が見いだせなくなっているのである。
だから東京オリンピックは無駄であり日本人の民意とはなっていない
でも別な力で公共事業のためとか企業の宣伝とか電通の利権とか利権としてオリンピックがある。それは村社会にあった力石とかのような意味もないのである。
あれだけ世界的巨大でも意味がなくなっていることがオリンピックの問題なのである。

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2016年08月08日

オリンピックは必要なのか? (巨大利権化したオリンピックは腐敗している)


オリンピックは必要なのか?


(巨大利権化したオリンピックは腐敗している)


リオオリンピックの柔道を見ていた。そこで不思議だったのはオリンピックにはどこかの国に所属していないと出れない、それで小さな国の国籍を借りてというか出ていた人がいたのである。世界にはそういう事情の人もいる。一時的にそうなっていたかである。
オリンピックは今なんのためにやるのか明確ではない、参加することに意義があるなど思って参加している国も人もいない、メダルとるためにしかありえないのが現実である。
そして国威高揚のためにある。その国威高揚に一番効果あるのが国家が金メダルと演奏されることである。水泳で金メダルとったから君が代が演奏された。その時は日本人の誇りというか日本国への愛国心が湧いてくる、なかなか今はグローバル化しても日本国を感じる場面がない、戦前は絶えず日本国が過剰に意識されていた。
それが敗戦になったらその逆になってしまった。日本の国を意識させないようにしているのである。だから愛国心をもたない国にもなっている。
オリンピックが平和の祭典というのも違う。オリンピックしても世界はやはり紛争があり戦争がありテロがあり解決しない、オリンピックは平和とはほとんど関係ない、ただのスポーツの祭典なのである。
そしてここでも利益を得るためのものとしてオリンピックが腐敗したので

この祖国での優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生んだ。祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出て、オリュンピア大祭は腐敗した。買収を行ったものと応じたものは以後の大祭から追放されるだけでなく、多額の罰金が科せられた。

東京オリンピックの誘致にすでに200億円かかったとか莫大な金にふくらむことで東京都知事選挙の争点にもなった。
そんなに金をかけてオリンピックをする意義があるのか?そういう疑問である。
前の東京オリンピックとはまた事情が違ってきたからである。
あの時は高度成長時代であり日本が世界の経済大国となってゆく時でありオリンピックはその国威高揚としてふさわしかったのである。
それからオリンピックは世界で継続されたが果たして本当にオリンピックは今や必要なのかという疑問がある。
オリンピックは公共事業としてテレビの電通の利権としてフランスで取り上げられたように巨額の金が流れるのである。企業の宣伝としても選手もでている。
純粋な心体技を競うスポーツの祭典ではない、国威をかけた巨大な利権の場と化しているのである。
勝つために何でもするようになる、ロシアの国ぐるみのドーピング問題でもそうである。それはギリシャのオリンピックでもそうなって腐敗していたらである。

●国威高揚

●心体技の競争

●スポーツを通じての世界の友好

オリンピックは国威高揚は欠かせない、でも本来スポーツは別に国とそんなに関係しなくてもありえる。世界選手権になるとそんなに国とは関係しない。
スポーツ分野ごとにその技を競っているのである。アーチェリーだったらアーチェリーの技を競う、メンタル的なものだというときそういう精神面でも競っている。
見る方にするとそれを見ればあまり見れないからそういうスポーツもあると啓蒙されることは確かである。
高校野球でも福島県の聖光学園は有名だけど全国から野球好きな高校生を集めて勝っている、地元の高校生は一人か二人なのか?ほとんどいないというし東北では関西とかから来た甲子園に出たいと入った私立高校が強いから地元とは関係ないのである。
地元の代表ではないということはオリンピックで国の代表でないと同じなのである。
ただ野球好きなうまい人を集めているだけなのである。

スポーツにはそれぞれスポーツが目的とするものがある。柔道などは日本から生れたら日本の文化であり柔道を通じて心体技を磨くもの鍛練するものである。
それは「心の青雲」で常に説いていることだからプログを読めばわかりやすい、精神の鍛練として空手をしているのでありただ勝負事としてしているわけではないと言っている。人間は何をするにも精神性がなければ動物に陥る、スポーツにも文化的要素が必ずある。日本から生れた相撲でも武道でも文化的要素がある。
ただプロレスとかには何か体を筋肉だけをぶつけるもので精神性を感じないのである。

「心体技の競争」の競争なら別にオリンピックのような過剰な国威高揚はいらない、世界選手権でいいのである。オリンピックで世界の平和をになうというのも今は消えている
オリンピックしたからといって世界が平和になるということもない、これだけ世界の人々がまじりあうグローバル化社会では世界の人を集めることも必要ない
日常的に世界の人が混じり合う世界だからである。
残るのは別に国に関係なく人間としての心体技の競争である。
ある国がメダル何個とったとか異常にこだわるのも変なのである。国と国が競争するのではなく個々人が心と技を鍛練して戦うとなればオリンピックは必要ないのである。
オリンピックはかえってグローバル化社会では巨大な利権化してその本来の目的とは違ったものとなっている。

柔道を見ていても選手には悲壮感が漂っていた。どうしても勝たねばならないというフレッシャーを受けているからである。日本国のために勝たねばならないとしたらそうなる
でも世界の人々が国に関係なく心体技の競争というならそうはならないのである。
何かオリンピックは国と国の戦争なのである。勝ち負けに異常にこだわるのもそのためである。国と国が争い勝てば戦争のときのように喜び負けるとがっかりする。
勝てば日本人は優秀だとかなる、柔道でも今や何か知らない小さな国の人が参戦しているそれは競技人口が増えたからであり柔道が普及したからであり柔道は柔道でその心体技を競いばいいとなる
今やオリンピックの理念自体が当初のとは違ったものとなっている、時代に合わないものとなっている。だから改めるべきであり必要ないとまで世論的になる
日本だってオリンピックに興味がない人が50パーセンと多い、オリンピックに興味をもつものは推進させるのはその利権にかかわるものである。政治家でありゼネコンでありテレビでありそれらに主導されてオリンピックが推進させられる
国民としたらもっとほかのものに東北復興の方に持続的回すとか他の国民が要望するものに使うということである。国民が本当にオリンピックを望んでいるのかわからないからである。それが前の東京オリンピックとの大きな相違である。
前の東京オリンピックは国民みんなが望んだものだったからである。

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2016年08月01日

小池百合子の勝利が物語るもの (週刊誌とネットが今回は大きな影響があったー石原家も崩壊?)


小池百合子の勝利が物語るもの


(週刊誌とネットが今回は大きな影響があったー石原家も崩壊?)


【石原家崩壊 東京都地方公務員汚職疑惑】 


都議会自民党が(警視庁と組んで?)石原の側近に濡れ衣を着せようとした以上 
 石原は地検特捜部に告発して福祉関係「癒着議員」の一掃に乗り出すべきだった。 
が、石原はそうはせず、都議会自民党の恫喝に屈して浜渦副知事を辞任させると決めた。 
 理由は息子だ。石原の三男・宏高はみずほ銀行を退職して 
  

 石原は現在、80歳。高齢にもかかわらず、政治家としての賞味期限を維持できたのはひとえに、首都東京の知事に長く君臨したからにほかならない。ほぼ1年ごとに首相が代わるという国政の混乱、特に民主党政権になって以降の外交・防衛政策の迷走が、アジアから右派と警戒される石原の存在感をいっそう際立たせたといっていいだろう。

 石原伸晃がずいぶんネットで批判されている。親の七光でボンクラだったとかこきおろされている。今回の都知事選挙でも小池百合子を親の慎太郎が厚化粧・・・とかで批判してかえって反感をかった。
それより政治は特に東京都は巨大な国並みの利権が得られる所である。
その影響が大きいからこれほどの騒ぎになった。
石原慎太郎は知事が長いから権力は腐敗するというように腐敗した。
マスコミも石原一家を批判しないのは権力をもっていたからだとなる

そして石原慎太郎は四男の絵でも都庁に飾るとか三男のでも銀行員でその利便を計るとか石原一族の利権を拡大することに勤めた。
石原氏が優秀な人でもそうして一族の私的利益を計ることは権力を拡大することはまた腐敗することである。
マスコミは権力をもっている者は団体は批判しない、ただ落ち目になるとみんなが批判すると批判する、東電だって広告費をもらっているのだから批判していない
でも事故のあとは批判している、今回も都知事選挙で石原伸晃がミスを犯して小池百合子に負けたから負け組を批判する
ただ権力に追従するだけであり民主主義の権力をチェックする機能を果たしていない
石原氏が知事で全盛のときはとても批判できない、その時もやはり責めるべきものがあったのだが責めないのである。ただ今回はその権力がそがれると追従して批判するのがマスコミである

ネットでは絶えず石原伸晃と都連の幹事長の内田を盛んに批判していた。
このことはなかなかのみこめなかったがそれで興味をもった人は相当にいる
そんなことだったのかとネットで知ったのである。
そして選挙結果はネットで盛んに言っていたと同じだった、そして今やネットがテレビより影響が大きくなったという、ネットで騒いだことは現実社会では余り影響ないということがあったのが今度は違っていたのそれだけネットが普及したのかとなる

いづれにしろ中国並みに石原家が巨額の利権を得るものとっないたことは民主主義に反する、また内田とか裏で政治を操るというのも民主主義にはそぐわない
だから当選した小池百合子がまずは都議会であれ透明化することですと言っていた。
オリッピックの利権も巨大であり予算が増大したのは利権を得るためにそうなった。
石原一族なのか内田なのか森なのか・・・・そこに巨額の金が利権として回る
それで都民の税金が私的に流用されることが追求された

民主主義はそうした巨額の利権が一族とか一部の議員とかによって私的に流用されこととは反する、だから今回は選挙が投票でそうした利権を明らかにするとなり権力者が逆に追求される
それがまるでドラマのよな展開になっているからついついネットを読んでいたのである。リアルタイムのドラマになっていたのである。
昔から権力は一族郎党によって握られていた。それに近代社会は会社でも政治でも排除することにあった。
そうなると必ず権力は腐敗するからである。

石原伸晃が会見しないで逃げる・・・そこでまたネットで批判が延々とつづく

石原伸晃、内田は森は責任とれ

その声がネットでひびく、これはテレビより面白いとなりその都度読んでいた。
ただこれもネット内のことかと思ったがそうでもなかった。
今回だけはネットの世論と社会の世論がほぼ一致していたのである。
それは週刊誌の攻撃も大きな一翼をになった。週刊誌がなければ国民全部に都民にその利権のことは知らされなかったろう。
ということは新聞とかテレビはそういう点で役割がなくなっていた。
新聞とかテレビのメデアが何かありきたりのことを言うだけで政局を左右する力がなかった。
週刊誌とネットが今回は政局を左右したのかとなる。
なぜなら小池百合子が勝ったことで政変が起きる、自民党が二つに割れるとか小池新党が生まれとかいろいろ言われるからである

それほど東京都知事は大きな力をもっている、安倍首相は直接増田の応援演説をしないでうまく逃げたとほめている。
何か今回はそうして人物が悪役とかがはっきりしてわかりやすかったし地味な政策のこともあったがドラマのような展開に興味をもった。
それは架空のものでなく現実に起きたドラマだったのである。
ドラマッチックでありその構図がわかりやすかったのである。
ただネットしない人はわかりにくかったろう。今回は2chでも相当に力を発揮したのだろうか?
現実の選挙の票に政局に作用したのかとなる、結果的にはそうなっているがそれがネットの影響なのかどうかはわからない。
ただ今回は新聞とかテレビがさほど影響せず週刊誌とネットが選挙に影響したのかとなる民主主義が機能するにはやはり報道の影響が大きい、知らされなければ知り得ようがないからである。
ともかく権力が交代するときやはり時代が変わる、政治も変わる、石原一族の時代は終わったというのは確かだろ。

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2016年07月29日

知的障害者大量殺人と高齢化社会の共通問題 (生きている時から社会からその存在が消失していた)


知的障害者大量殺人と高齢化社会の共通問題


(生きている時から社会からその存在が消失していた)


でも日本人の多くはどうも実感がわかないんだよな。 

被害者の顔も名前も報道されないから、どこか別の世界の出来事のように思える


今回の事件はこれだけの大量殺人であり残虐なのに反応がそれほどでもないのはなぜか?
やはり知的障害者としてすでに生きている時から社会から抹殺されていたような状態にあったためだろうか?
死んだ人の名前も出ないということは死んだ人がどういう人かもわからない
どういうふうに生きていたのかそもそも社会的に存在していたのかもあやふやである。
山の中に隔離された施設だということもそれを示している。
それは社会的にはあってはならないもの、隠されるべきものとして隔離されていた
親自体があまり語らないことでもわかる

第一親族がもし普通の人がこれだけ殺されたら大騒ぎになり泣きじゃくったりその理不尽を訴えたりする、それがほとんどないということがこれだけの大量虐殺でも何か社会的に関心がもてないないのか?
外国のテロの被害者でも名前があげられみんなで国民全部で追悼している
バングラデッシュのテロで犠牲になった日本人は政府の要人がその遺体を迎えて国民が戦争の死者のように迎えた、英霊ではないがやはり日本国民にとってその死は大きな意味をもっていたのである。

今回はこれだけの大量殺人なのに何か死んだ人でも家族でも反応が弱い、これも不思議な現象だとなる。
それはなぜなのか?子供が死んだらその将来を奪われたかとか、この人は若くて結婚するところだったとか、生きていればその将来を未来を奪ったと訴える
それがないということは知的障害者であるがゆえに生きているときもすでにその存在が消失していたためなのか?
誰も家族すら見放して山の中に隔離されて蓋をされてないもののようにされていたとなる誰もそういう存在を見たくない、家族すら見たくないのである。
それ故にこれだけの人が死んでいるのに死んでいる人の名前すらでとないし生きていれば何々できたのにその未来を奪ったと訴えることもない
そもそもこういう重度の障害者には未来そのものがあったのかとなる
要するにその死はやはり現実に生きている時からすでに社会的に死んでいたような状態にあったからではないか?

そのことを自分の身内で認知症になって感じた。生きているときはいろいろ社会的にも活躍していた活発な女性だった。
でも退職したときから家事すらもなにもすることがなくなった。50代で役所をやめたかその後の老後が長かった。役所で働いているときとかは社会的に忘れられるということはなかった。もともと活発な女性であり優秀な女性だったからである。
それが退職してから何もしないからいつしか社会からも忘れられてしまっていたのであるこのことは人間にとって知的障害者だけではない、大きな問題をはらんでいる。

なぜなら大量の老人が実際は今でも社会的に無用化していることなのだ。
社会的に無用化するとその人たちは社会から消える、存在しなくなる
社会的に意味のないものとなり今回殺された知的障害者と同じになるのである。
だからこれは別に知的障害者だけの問題ではない、今の高齢化社会自体の問題なのである無用化した特に延命治療するとか認知症になった人とか負担をかける人は抹殺しろということである。それは家族でも社会でも何の意味もないものでありただ負担をかけるだけの存在だとなる。だから今回のように抹殺しろとまでなりうるのである。
毎日老人は死ねとネット叫んでいる若者もそうである。
高齢化社会は確かにかつても老人は無用だ何の役にもたたない、家族の負担になるだけだと捨てられたとかあるがそれはまだまだ老人はその頃数は今と比べれば極端に少ない
それより子供の間引きの方がかなり行われていたことは確かである。

ともかく高齢化社会の問題は様々あるが社会的に無用化されて社会的に存在させられない、社会的に意味ないものとしてただ社会に特に若い世代に負担をかけるものとしてあるから知的障害者とは違っていても同じ問題をかかえているのである。
子供とか若者が死ねばその未来を奪ったとか訴えるが老人が死んでも負担が消えただけだとなる、それは今回の知的障害者と同じものがあるのだ。
別に老人が少ないならこういう問題があっても社会的問題までにならない
「無用の用」とか老人も何もしないことでも存在感があるんだよとか認められる
これだけ老人が多いとそうはいかない、社会的負担が大きすぎるからである。

いづれにしろ人間は生きながらもう死んでいるということは大きな問題である。
生きているとき死んでいるのだから死んでも誰も関心がないとなる
そんな人生きていたのとなり今回のように殺されてもその存在感がないのである。
社会的に無用でも意味なくても家族の中で意味あることがある。
それないとしたらなんなのだろうとなる。
自分は介護して家族は最後まで意味あり大切なものとしていた。
それが今回のようにないとしたらその人たちは生きながら死んでいたともなるのではないか?
だから死んでもそれほど騒ぐ人もいないとなりたちまち忘れられるとなる。
この事件は高齢化社会と老人問題と認知症問題などと共通しいるから関心をもったのである。


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精神病の妄想の謎ー植松聖は異常なのか病気なのか? (認知症の妄想とは違っている)


精神病の妄想の謎ー植松聖は異常なのか病気なのか?


(認知症の妄想とは違っている)


認知症は謎である、本当に不可解なのである。精神病の一種といえばそうなる。
同じ症状があるかだ。症状として最初に妄想があった
毎日夜になると「誰かがいる」と騒いでいた。
それが冗談ではなく真剣なのである。
「誰がいるのか言え」と毎日せまってきて困った
誰かがいると言っても答えようがないからだ
その妄想は本人は確実にいるという確信をもっている
だから他人にもいると言わせたいとなるのだろう。
「いない」と言っても無駄である。それを否定したらかえって危険になる
天井に虫がいるとかなんか認知症の人は妄想を見る
「いない」ということは相手を怒らせる、そして危険になる
だからその時は心静めるために水で飲ませるとかお茶でものませるかとなる
つまり心を静める作用が必要になる、その時興奮しているからそうなる
この妄想は精神病の特徴としてあるから認知症でもある
ただ普通の精神病と認知症はまた別なものだが何か共通性はある


これを知的障害者の大量殺人の植松聖にあてはめるとこの種の妄想なのだろうか?
ありえないことをあるとした妄想なのだろうか?
これも良くわからないがヒトラーが現れたとか殺人を指示したとかなると妄想だろう。
カルト宗教団体はたいだい誇大妄想の思想をもっているしそれが異常だとは見ない
オウムでもオウム王国を夢見てそのためにはそれに逆らうものは殺してもいいとなっていたからだ。この種の妄想はまた個人的な妄想とは違っている集団的な妄想となるとそれは社会で正常とみる、現実に創価などでも他の宗教団体でもそれをとがめられることはないからだ。むしろそうした集団によって批判すれば社会から排除されるのである。
マスコミでも何でもむしろ積極的に支持して金をもらっているからだ。
東電とか政府で原発の「安全神話」を作ったのも妄想であった。大東亜戦争も妄想の所産だったともなる。日本が神国だというの妄想だったとなる。
ヒットラーのナチス帝国も妄想である。
だから植松聖が何かカルトと同じような妄想に陥っているのは異常とも言えない
ただ個人的にそれを主張したから妄想だとされているだけである。
これが集団的に主張されれば妄想ではない、現実にヒットラーはナチス帝国となり実行したからである。
ニーチェが言っているように個人も狂っているが集団も狂っているとなる

正常なのか異常なのかの判別がしにくいのは普通の社会でもある。
ただ認知症の個人的妄想は明らかに病理現象としてわかりやすい
ではヒットラーがどうのこうのとか人類の平和のためになどと誇大妄想の思想が異常かというとそうでもない、カルト教団でも左翼でもそういうことは言っているからである。
だから植松聖が精神異常なのかどうかわかりにくいのである。
そして殺した相手は無差別ではない、特定の知的障害者である。
殺人の目的が明確なのである。

要するにこうした重度の知的障害者は安楽死させた方がいいとか老人でも延命治療などしないで安楽死させた方がいいとかの問題は常に言われてきたからである。
それゆえに医者で安楽死を実行した人もいたのである。
それは人間の命にかかわる重い問題だからアンタッチャブルになっている
知的障害者もそうである。
そもそも意思疎通ができないというとき人間ではないとなるのか?
実際に身内が死ぬ一カ月前に意識不明になったとき確かにその時は確実に死んでいた。
仮死状態になっていた、でもその前に正気に戻ったのである。
そのことで自分は救われた、わかってくれたんだなと介護した甲斐があったと思った。
だからやはり人間は意思疎通できることが大事なのかと思った
知的障害者とは意志疎通ができないということが致命的になるのか

何か植松聖の不思議は異常なのだけど正常だという面がある。全く支離滅裂ではない、
精神病ならそうなっているだろうか?そこが謎なのだけどまともな面がある。
でも5億円を要求するとか何か不可解な言動があり理解できない
自分はみんなのためにいいことをしたのだから報酬をくれとなるのか?
その辺が理解しにくい、「この人は人間なのか?」というとき何が人間なのかという問題提起でもある
認知症の介護でもそういう問題が起きている、一体どうなったのだろうと自分も悩んだ
ただ認知症は確かにそうした精神病的症状がでてもなんか不可解なのだけど時々正気にもどる、最後は特に正気にもどる、だから意思疎通できないとはならない
これは個人差があり家族の事情があり定型化できない。

つまり植松聖は意志疎通できないから人間ではないと言って殺した
何か意思疎通できれば人間だったのかとなる、でも他にも介護している人がいて意思疎通している人もいるだろう。すると植松だけが意志疎通できなかったのかとなる
認知症の介護でも意思疎通できない人とできる人がいるだろう。
ただ何か異常にしても正常として扱う面が大きいから単なる異常者の犯罪ともならないのだろう。
動機にしても突拍子がないものでもない、理解できないことはないしそう思っている人が常に言っている人がネットには多数いるからだ。それを代弁して実行しただけだともなるる、だから簡単に異常者の精神病としてかたづけられない複雑な問題となっている。
認知症にもこれと同じ問題があり老人問題についても延命治療でも無駄だとかあるから現代の課題であるからだ。

タグ:妄想
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2016年07月28日

社会が二極化して若者でも底辺化して犯罪が増加する (若者の閉塞感が強くなり爆発する危険な時代に)


社会が二極化して若者でも底辺化して犯罪が増加する


(若者の閉塞感が強くなり爆発する危険な時代に)



社会の底辺化する介護業界、最低限生存の待遇…人手不足で覚せい剤常習者や犯罪者も就労 


格差社会は二極化する、中間層が消失してスキルのある゛または資産とかコネとかある階級と資産もない、コネもない、スキルもないとか底辺層に二極化する。
機械化して単純労働とかとは減ってゆく、車だって自動運転となると人がいらないとなるそこで豊になるのは誰か?そうした機械とかアプリとかを開発できるスキルのある人間である。それが人類の未来である。

高度成長時代は三流大学でも文系でも必ず会社に正社員として就職できた。そして事業を起こしても中小企業でも成功する人が多かったし月給は必ず上がりマイホームをもてた時代である。
そういうとき非正規労働者とかはいない、みんな正社員である。ただ金の卵として集団就職した人たちの労働環境は劣悪だった。労働も単純労働であり流れ作業などが多かった。ただ時代としては中卒でも何か仕事があり人不足でありそれなりに勤めていれば豊になるという希望があった。

その頃非正規とか派遣とかはいなかった、臨時雇いなどはいただろう。
自分は正規の路線からはずれたから若いとき労働したのは流れ作業しかない
その時から自分は労働に非常に嫌悪をもつようになった。
これはロボットとと同じじゃないかと思ったからである。
人間は自分の仕事に何か積極性がもてないと生きがいがないと生きる気力すらなくなるだろう。
でも実際にそういう仕事をしている人はもともと少なかったろう。
でも月給は良かったからそういう不満もカバーできた。

今は大学など半数が行っているのだからそれで価値があるわけではない、大学でても就職先がなく底辺労働になる人もふえている、非正規とか派遣もふえている。
だから知的障害者を殺した人は大学出でも教員に就職できなかったから底辺化した。
日本では最初の就職でその先が決められやすい、でもそれすら大企業に就職しても今は先は補償されていない、花形産業だった電器会社でも落ち目になっている。
銀行の若い人は株とかをすすめているけど銀行は何なのだと思う
銀行には何か未来がないように思う、銀行の仕事自体が本来の業務からは離れているからである。銀行は安定していて地方ではエリートになっていたがそれもこれからはわからない。

現代は上と下が二極化するというときitとか相当に高度なスキルをもった人たちはますます良くなる、でも一方でそういうスキルもない人たちは底辺化してゆく、三流の文系大学でても底辺化する。大学など名ばかりで何の役にもたたないということである。
理系は役に立っても文系は何の役にもたたない。
だから若者でも早い時期から二極化している、最初の就職で失敗して教員になれなかったとか公務員になれなかったとかまともに会社に入れなかったとかなると底辺化する

自分も底辺化したがその頃団塊の世代ではそうした正規の道からはずれる人はまれだったみんな正規の会社員になったし学生運動した人も企業戦士にみんななった。
それは学生時代の遊びにすぎなかったのである。その頃は高度成長時代だから必ず正社員として就職できた。中間層となった。
今は上と下とに二極化して中間層はアメリカでも消失した。
そこに今回のような若者の知的障害者を殺すような事件が起きた。
この本人自体の問題もあるが社会の底辺化してゆく若者の問題もある。
つまりそういう底辺化している若者の数が多いということである。
田舎でも何か仕事をしないでぶらぶらしているニートが必ずいる
団塊の世代ではそういう人はいない、それはよほどの変わり者でありアウトサイダーになっいる。
今はそうして社会からはずれた若者が普通にいてめずらしくないのである。
それだけの豊かさがあり食べていけるからそうなっている。
でなければ地方だったら金の卵として中卒で集団就職になったろう。
地方ではもともと資産がないと土地とか家がないとかえって暮らしにくい
そしてコネがないと公務員になれないとか暮らしにくいから都会に出る

今回の知的障害者の大量殺人事件は若者の底辺化してゆくことからはじまっている
正規の就職ができない、教員になれなかった、そこで職を転々とする、行きついたのが
知的障害者の介護職だとなる
そういう人たちと接して心が病んだとなる。なぜなら自分も認知症を介護して鬱病になったからである。なんらか人間はつきあう人間と必ず相互浸透するのである。
毎日知的障害者とつきあっていたら何かおかしくなってゆくだろう。
底辺化してゆくとそうした底辺の人たちとしかつきあえないということもある
底辺化するとまたブラックな会社にしか仕事がないとかなる
飲食業などはたいがいブラックだとか社会の底辺でさまようことになる

そもそも介護職が給料が安いときそこもブラックだからである。そこでもうけているのはそこの経営者であり安く働かせられている
近くでも障害者の施設があり働いている人があるがその給料は極端に安い、もうけているのは経営者だとなる。そういうことが今の社会にも多いのである。
ブラックな会社が多く安く働かせられている、そこで若者はまた不満を募らせる。
相当に今の高齢化社会でも若者のストレスが大きくなっている。
だからこうした爆発的な大量殺人ともなる、次の標的は増えるばかりの老人である。
自分も恐怖でありなんか自力で自分のことができなくなったら自死した方がいいとさえ思うようになった。施設に入ったとしてもそういう不満な若者しかいないから怖いとなる。また若者がそんな介護などしてもその仕事に希望を見いだせない、そういう絶望感から殺してしまった。

この事件は高齢者の問題でもあり高齢者が恐怖を感じる問題である。老人はただの金食い虫で俺たちの生活を圧迫させるだけだとなり毎日死ねと言っているからだ。
これから老人をねらった大量殺人が起きることを暗示しているのである。
近くで老人施設を作っても介護士が集まらないから開業することができないのである
社会が二極化して若者が老人でも底辺化するものと分かれたりとブラック会社しかないとか不安定化するから大きな犯罪が起きてくる
やはり犯罪は時代を象徴しているのである。これだけの大量殺人は日本ではありえないと思っていたからである。

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2016年07月27日

神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎 (奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)



神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎


(奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)


今回の事件はなんなのだろうと思う。この若者がなぜある時期から入れ墨したり金髪にしたり変化したというのも謎である。人間が変わってしまったということある。
この個人的変化が犯行に結びついていた。
それまでは普通の青年でありむしろ評判が良かった。
教師になれないなどから精神的挫折があってなったのか?
そういうことは若いと良くあることである。
青春とか若いということはある意味でエネルギーに満ちあふれるている時である。
それがどうしてもおかしな方向に向き安いのである。

なぜ学生とか若者がカルト宗教などにはまりやすいのか?
なにか若者はまだ現実を知らない、学生はただ理論だけである。
理論だけだということは妄想に陥りやすいのである。
創価などで運動していたときもそうである。
「世界平和」とか人類がどうだとか自分もこの人と同じことを思想で共感していた。
オウムでもそうだが何かそうした実現し得ないことでも妄想として持つ
それが実行するから怖いのである。
左の学生運動などもやはりカルト的な妄想があった。
それはイスラムのテロもそうであり宗教が妄想化して実行してテロになる。
本来の宗教とはなんら関係ないものである。
人類平和のためにとか言っていることはカルトそっくりなのである。

そして人間は日頃思っていることが現実化する、意外と甘くみているのが思いのエネルギーなのである。
誰かを殺したいとか恨む念があるとそれが伝わり別に本人ではなく他者がその念によって殺人まで起きるという思想家がいた。
人間の思いのエネルギーは意外と大きいしこれが盲点となっている
何を思うが自由であり行動に移さなければ何の害もないからいいではすまされないのである。

この人は相当にインターネットに特に2chの影響を受けていた。
ここでは毎日老人は死ねとか知的障害者には特に憎悪して死んだりすると
一人害獣がしまつできた、親も大喜びだと毎日のように言っている。
そして絶えずイルミナリティとかユダヤ人が裏で操っているとか陰謀論が語られる
それもこの人は影響されていたしはっきりと文章まで書いている
だから現代の社会を反映した犯罪だったのかとも思う。

ただこうなる前にすでになぜか人間が変化していた。
入れ墨して教員に採用されなかったとかありなぜそんなことをしたのかとなると謎である真面目な青年がヤクザのようになっているというのも謎である。
カルトに陥る人間は意外と真面目でありそんな入れ墨したりしないのである。
彼にはそうした真面目さは失われていた。だからカルト的妄想とはまた違っている
それでも知的障害者は死んだ方がいい、それは社会のためにも親のためにもいいんだという信念をもっていた。
それは別にこの人だけではない、いつもネットで言っていることだから異常なことではない、ネットではそれが常識になっていた。そこにネットとの怖さもあった。
そういう思想に毎日ふれていれば知的障害者は殺してもいいとなるからだ。

創価もカルトなのだが大人がいてまず得なことはするが損なことはしないというのがある意味で安全弁になっている。
この若者はそうした損得関係がないことがイスラムのテロとにている。
若者のいい点と悪い点があるがあまり損得を勘定しない正義感をもつことはいい面であるだからカルト宗教団体に利用されやすい。
人類平和のためにとか愛のためにとか誇大妄想思想にはまりやすいのである。

いづれにしろ今回の事件はこの人を英雄視する人も若者にででくる。
一人殺せば犯罪者でしかないが千人殺したら英雄だというのも感じる
こんなに殺したのかという驚きが先になる。
気持ちよく邪魔者を始末してくれたなと思う人さえでてくる
それが怖いのは毎日ネットで老人は死ねと言っている若者である。
それが怖いのは今回のように大量殺人につながる、現実化するからである。
すでにそういうことがあったのだが今度は二十人とか百人とかテロ的な殺害が起きてくるかもしれない。
だからあまりにもネットでは言い放題でありそういうことを言いたい放題なことが危険だということもある。
何かこの人はネットに影響された世代の人だったからである。
2chからみれば待望していた英雄とまでなるからである。

認知症でもこんな人は人ではないから死んだ方がいいとかいつも言っている。
でも家族にとってはそうはいかないしそのことは書いた。
自分は介護することに意義を見いだしていたことも書いた。
重度の知的障害者となるとこの人たちの介護に意義を見いだせるかとなるとこれはそうはいかないから深刻な問題であり軽々しくは語れないとなる。
これは社会問題でもあり若者のの問題でもあった。
若者は一歩誤ると道をはずれると奈落の底に転落する
自分も社会人から離れたアウトサイダーになったから危険であった。
でも奇妙なのはその後30年間とか隠者として田舎にいたというのもふりかえると不思議である。こんなことがありえたのも家族環境の結果だったのである。
この人は両親がいなくなり家に一人でいたということも危険なものになっていたのである

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2016年07月22日

東京都知事選挙も日本の政治の縮図 (小池は極右、増田は東電の役員の官僚、鳥越は典型的な左翼)


東京都知事選挙も日本の政治の縮図


(小池は極右、増田は東電の役員の官僚、鳥越は典型的な左翼)


これを発表した企業というのは、東京電力ホールディングス。増田氏は14年6月から東電の社外取締役に就任しており、公示日を前にこっそり退任したのだ。

しかも、増田氏は東電株を1902株も取得している。13日に開かれた記者会見でも「安全性が確認された原発を動かす政策は認めていくべきだ」と明言するなど、原発の再稼働を後押しする姿勢を見せていたが、もし現在も東電株を保有しているとなると、増田氏は立派な東電の利害関係者である。当然、増田氏には有権者に対して説明する責任があるかと思うが、まだそうした言葉は本人から聞けていない。

じつは、増田氏は以前、原発事故の損害賠償にかかる費用などを国費から支出する"東電援助"のために設立された原子力損害賠償支援機構(現在は「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」に改組)の委員長を務めていたが、東電社外取締役にスライドする直前に同機構の委員長を退任している。ちなみに、社外取締役の報酬は計6人に対して年間6200万円が支払われており、増田氏の場合は他の委員会の委員長を務めていたことから


この人は官僚の典型のような人だった。官僚という立場を利用し私欲しかない人である。人間を見るにはいろいろあるにしろこれはわかりやすい、はっきりと利害関係がわかりあまりにも露骨だからである。
日本の限界集落問題でも少子高齢化問題でも本を出して意見を述べていた。
それは実際は統計的なものからの見方でありそこには肝心な現実に生活している人間が見逃されているのだ。統計的数字からだけでは人間は見えないし社会も見えない。
一方でこれを批判した「地方消滅の罠」山下祐介の見方はそこに生きる人間を見ているのであり統計的数字ではないのである。だからその目にはあたたかさがある。
害一これほど明確に利害関係を東電と結んでいること自体がこの人を現しているのであるこれだけはごまかせない事実だから判断しやすい。
そしてこの人の実績は岩手県知事をしたとしても借金だけを残しただけだとかないのである。
東京都民ではないにしてもこういう人に投票できるのか?
原発事故の被害者から見たらできない、賠償に専念しろともなる。なぜなら取締役だったのだから完全に東電の内部の人であり権力をもっていた人だからである。
原発事故の責任者として罰せられるべき人だったのである。
東電など原発事故の責任は誰も問われていないというのもなぜなのだろうとなる
この人も重要な責任者の一人だったのである。
この人が自公推薦の人なのである。

東京都は別に東京都民でなくても関心がある。東京都知事は国の首相に継ぐ地位もあり権限もあるという。一国の規模の予算を采配するから利権の巣窟となっている。
都議会議員には大企業がゼネコンでも仕事を受注したくておしよせる。そこでどうしても賄賂とか不正が生れる
舛添前知事がごまかした金より巨額の金が動いている、それを采配しているのは内田とか猪瀬前知事が暴露した。何か深い恨みがあったからだとなる。
要するに巨額の利権が金が動く場だから腐敗してくる。そういう場所に公明もかかわってくる。公明は創価も利権団体であり利権で動くのであり宗教とは関係ないのである。
なぜ舛添前知事でも猪瀬知事でも葬られたのか解せない面がある。
それは大きな利権がかかわりその利権をほしいままにするために邪魔だから追い落とされた。その裏のボスが内田だとか今盛んに言われる。

そういう巨大な利権を増田氏が当選すれば自由にできるということで自公は推薦したのだろうか。ここにも大きな闇がある。
ではなぜ自公がこのような利害関係がはっきりしている増田氏を押しているのか
これも自公の正体だということを示している
限界集落、地方は切り捨てというのがその政策なのである。
だから地方からの視点はなくただ中央からの視点しかなく不効率なのは切り捨てるべきだとなる
そういうことは現実にそこで長年生活していた人には簡単にできないのである。
それは原発の避難区域になったところでもそうである。
ともかく官僚とか会社の幹部とか権力をもつものは罰せられないということがある。
検察も同じ仲間だから罰することがない、検察自体が東電が有力な天下り先になっていたからである。警察もそうである。
そもそも民主主義といっても日本では様々な面で機能していない。
アメリカでは大統領が変わると権力者も変わる、交代する、官僚自体も人が入れ代わるのである。それだけ大統領選挙で変わる、政策も大きく変わるから影響が大きいのである。日本はシステム的にも選挙でも変われないのはそういう根本的な権力の交代がないから民主主義が機能していないとなるのだ。


では他の候補がどうなのかとうとこれまたそれぞれがそのバックを見ると象徴していたのである。鳥越氏は左翼の典型的な人でありマスコミをテレビ受けする人だったのは舛添氏とにている。テレビで有名になる人はなにかいかがわしいと最近証明されている。
そこでは名前を売ることでありテレビであれその人の中味より外見なのである。
要するにテレビのタレント、芸能人を求めているのであり真摯に何かを追求している人は必要ないのである。第一マスコミ自体が視聴率優先であり会社の広告塔になっているのだら追求できない、左翼もまた本当に信用できない、それはさんざんネットで言われる
人間そのものは高潔な人などいないのである。
だからこそ今になってセクハラで責められたりしている
舛添氏も鳥越氏も同じだったのである。他者を責めるには厳しく自分には甘えなのである左翼は結局貧困ビジネスなのである。創価も貧困ビジネスである。
こうなると指示する政党もなくなる。政治家そのものが信用できないとなるからだ。

小池氏はどうかというとそのバックは日本会議の極右団体の議員団副会長だとかありとこれも抵抗がある。そうしたらまた選ぶ人がいないとなる。
ネットでは小池氏がいいだろとなっている。この女性だってバックをみると危険な匂いがする。優生思想の持ち主だというのもそうである。
結局政治とは個人があっても個人だけでは当選できないからバックに必ず団体が後押しする。そうしなければ票が集められないからである。
組織と組織の対立になるのか?ただ浮動票が東京では多いのだからそれが組織に関係しないとどう動くのかとなる。浮動票にしたってこうなると選ぶのがむずかしいだろう。
小池はどっちにも組みしないようで極右なのである。鳥越は左でありこれも嫌だろう。
増田は東電と利害関係が露骨だから論外だともなるが東京にとって中央からみて少子高齢化対策とかで地方を切り捨てるというのは賛成が多いかもしれない、東京と地方の見方は違うからである。
東京都民ではないけど自分だったら増田には入れない、これだけは確かである。
では小池が何か増田と変わっているのかというとそうでもない、女性というだけが変わっているとなる、それで女性票を集めるから有利だとなる。
東京は国政選挙でないから都民でないものは黙っていろとなるが東京は国政をも左右するから無関心で入らないし現実に地方にも影響する
なぜなら東京電力は東京に電力を供給する会社でありそれがフクシマに原発を造ったのだから密接な関係があったのである。そのために大被害を受けたからである。
増田のような人がなったら原発事故の責任もなにもない、東電と一体であり東電の言うなりになる。

やはり東京は日本の政治の縮図の場である。単なる一地方ではない、実際に福島県まで影響しているし埼玉県であれ神奈川県であれ関東圏全体に影響する。もちろん東京は日本全国に影響する、だから他の県の選挙とは違って政治的に重要なものとなる。
ただ東京は他から入ってきている人が多いから地元意識がないから有名人を選ぶというとき東京と自分たちの体躯のようには考えないのである。
地方だと自然と一体化して体躯のように全体を考えるのである。
まさに像をもって考える、東京はそういうことはない、また考えようがないのである。
地方とはその土地と深く結びついている。歴史とも結びついている。
東京にはそういうものがない、経済の効率性とかのみを志向する、土着性がないから知事でも有名人がいいとなる。
もちろん政治はそういうものであり何か歴史とか文化的なものをないがしろにして成り立つからどこでも同じだとはなる。
不思議なのは極右というときそれは日本人の文化と深く関連する、土着的なものである。神道が関係していても思想的に極右の人には土着的でもないのである。
日本文化を守るものとして極右がある、でも実際は核武装とか戦時体制を作るとか軍事力を優先する、ハードな面だけが強調されるのが抵抗を感じるのである。
ともかく東京都知事を選ぶことは国政選挙並になるがそれも投票率が低いからこれも民主主義が機能しないとはなる。
いづれにしろ誰を選ぶかのとなると増田は排除しても鳥越もだめで小池になるかとなるとまた迷うとなるだろう。阿部首相と一体化して軍靴の音が聞こえるとなるからである。

東京都議たちがいかに利権にまみれているかを大前研一氏指摘


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参考にした本
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2016年07月17日

権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する (イスラムは政教一致だから問題が起きる)


権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する


(イスラムは政教一致だから問題が起きる)


イスラム系与党・公正発展党(AKP)の実権を握るエルドアン大統領が強権化を進める中、「世俗主義」の守護者を自任する軍の中で不満が高まったことが一因とみられる。
トルコでクーデターか=軍が展開、群衆に発砲も−「権力掌握」と宣言

 この勢力が何者なのかは不明だが、ロイター通信によれば、ボズダー司法相は、エルドアン氏と対立するイスラム団体「ギュレン運動」が関与していると主張

 今回のトルコはわかりにくい、今のエルドアンがイスラム原理主義政党でありそれに反対したのが世俗主義の宗教団体だというのもわかりにくい、普通はこの逆になっているし過激なイスラム原理主義者が問題を起こしている。

そもそもなぜイスラム教が関係しているところに政治問題が発生しやすいのか?
それは政治と宗教が一体化しているからである。
政教一致でありその宗教自体に問題がある
ヨーロッパでなぜ政教分離になったかというとカトリックが土地でもなんでも所有して強大な権力をもったからである。そのことの反省から政教分離になった。
イスラム教は完全な政教一致であり原理主義者は特にそうなる

原理主義者とは何か?それは宗教を個々人の内面にとどめるのではなく社会を改革してこの世を天国にするという思想である。一見これは別に正しいことであり人々にとっても悪いことはないと見える、キリストは天国は心の中にあるというときそれは心が無私なる愛とかに満たされた時すでにそれが天国だと言っている、仏教でも宗教は元来そういうものだった。ただイスラム教は政治と一体化しているから異質なものとなり理解できないのである
宗教が強制できないというときお前の心がキリストのようになれシャカのようになれと言っても簡単にはできないそれは個々人の自由にまかせるしかない、だから宗教は強制されるべきものではないのである。イスラム教は宗教を強制する、武力でももっても強制する原理主義者も強制する、原理主義者は個々人の改悛とかではない、社会そのものを政治を変えて体制を変えることによってこの世に天国を作ろうとしている、仏教だと仏国土を実現しようとしている、これがカルトであり社会にとって危険なものになる

マルキシズムだと教条主義になる。オウムなども原理主義であり逆らうものは殺せとなり現実にそうしたから恐怖だった。
カンボジアでも共産主義の原理主義だった,地上の楽園を目指したのがそこは大殺りくの地獄だった。原理主義者は反対するもの許さないから全く民主主義と反する、宗教が絶対的なものになるから反対は政治的な問題でも許されないのである。
独裁政権になるから民主主義とは反するものとなる
エルドアンはイスラム原理主義者の政党だというときそれに反発した世俗的なイスラムを目指すのは前はトルコはそうだったし軍がそうしていたのである。
ただ選挙で選ばれたのだからナチスも選挙で生まれたのだからイスラム原理主義政党でも正当性があるとなる、でも民主主義も万能ではない、民主主義も選挙しても独裁政権は生まれる、日本だってもはや自民党独裁になっていることでもわかる
自民党のやりたい放題になる、そうなると内部の腐敗も隠されるのである。

政治は俗社会のルールに基づくべきであるということで宗教とは切り離したのが政教分離である。政治は様々な利権とかかわる、その利権も公共事業となると兆とかもなり巨大なのである。それで大企業ともかかわり国ともかかわり賄賂が送られたり腐敗してゆく
それはどこの国でも同じなのである。
そういう利権とかかわったら宗教もなにもない、その巨大な利権に翻弄されるだけである宗教でも権力をもてば人々は心の中がどうだこうだ天国は心の中にあるとかより権力に注目する、人間の欲望が権力をめぐりむきだしになる。もちろん心の平安もなにもない、
餓鬼のようにみんななる、遺産相続で親族でも殺し合いにもなるのが人間であり日常的に起きている、だからこそキリストでもシャカでも何一つもたない、無一物で乞食のようにして終わった、寝る家もなかった。
でもそのあとに弟子たちは教会を作り権力化してしまったのである。

原理主義者はカルトなのである。イスラム国にとらえられた人が言うには人間が幼稚だという、何か深い思慮などもっていない幼稚な若造が多いからこそあんな残酷なことができる、それはオウムと同じなのである。明治維新も若い人が起こしたがそういう無謀なことがあったことはいなめないのである。本当のイスラム教はそうではないというのも別に原理主義者は世界でもキリスト教にもいるからである。
若いときは心の中に天国があるというより社会そのものを改革することこそ天国をもたらすのだとなりやすい、自分もそうだった。創価はこの世に仏国土を実現するのだという原理主義運動だからである。
日本でも共産党は原理主義者であり創価も仏教の原理主義者なのである。

だからどっちも政教一致なのである。日蓮自体が王仏冥合(おうぶつみょうごう)を唱えている、王は政治であり仏は仏の教えであり原理だとなる、その教理でもそうなのである。それは中世のことでも現代にあてはめている。これを廃止したとあるが現実にその原理に基づいて行動しているのである。
民主主義はまた愚民主義におちいる、大衆はめんどうなことを考えない、題目唱えればなんでもかなうというのが一番わかりやすいのである。あとのことはなんにも考えないのである。だから必ず一定数洗脳される人々がいて団体がいる
民主主義の危険はまたナチスとか一党独裁とかファシズムを生む温床でもあるのだ。
民主主義、民主主義と唱えてもこれまた万能ではないのである。
ともかくイスラム教の問題はその教理にもある、王仏冥合(おうぶつみょうごう)のように政教一致なのである。それが混乱をもたらしていることは確かなのである。


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2016年07月12日

選挙は民意を反映ししていない (50パーセントでは民意はわからない)


選挙は民意を反映ししていない


(50パーセントでは民意はわからない)


票を入れるとき個人名を書くのと政党名を書くのはかなり違う。
個人名を書くとき個人に対する思い入れが強くなる
人を選んでいるのでありその人にたくすということがある。
だからその人のことを良くしらないとできない
でも政党名だとか誰でもいいのかとなる、個人は人物は関係ないのかとなる

選挙は投票所にそれぞれが行くがそれが結構手間であり行かない人も多い
投票する側にすると一票は何か重く感じる
でも投票される側にすると百万分の一の重みしかないのもぞのギャップが大きすぎるのである。
投票する側は一票でも自分の思い入れが託すことがあっても立候補した人にとっては百万分の一にしかすぎないのである。

だからそもそも民主主義は成り立たない、限界に来ている。
ギリシャから発した民主主義、デモクラシーというけどその都市というのが一万くらいの規模であり直接投票だったのである。
だから一票の重みは今とはまるで違っていたのである。

民主主義とか選挙でも最善のものではない、これは時代的にもあわなくなっているのかもしれない、現実はみんな組織票で決まっているのだろう。
宗教団体の票であったり農協の票であったり労働組合とかそうした組織票が体制を決める第一50パーセントしか投票率がないということは民主主義がもう機能していないともなる民意は反映していないとなる

民意といっても何が民意なのかもわからないだろう。
創価とかの宗教団体が民意なのか?民意といっても何が民意なのかわからない
50パーセンが投票しないということはすでに民意は反映されていないで組織票によって体制は投票する前から決まってるとなる。
民主主義は民意を反映するのに機能しなくなっている、それが50パーセントしか投票しないということがそれを示しているのである。
だから棄権した方がいいという意見は何かもっと投票したいという制度でも工夫でも必要だとなる
要するに現代では様々な人の要求を満たすことはできない、それに政治家も答えることができない、政治家自体もただ自分の欲をみたせばいいとなる

第一百万の票をもらったからといってその百万人もの人を満足させることなどできない
だから政治家は選挙のときお願いしますと頭を下げてあとは知らないともなる
いくら投票する側が一票の重みを感じても投票される側は百万分の一なのだから感じないのである。
市町村の選挙だと少ないから直接選挙にもなる、400票くらいになると誰が市町村で自分に投票しているかもわかるだろう。その顔さえ浮かんでくるだろう。
そういう選挙と県知事選挙とか国政選挙は規模が大きすぎるから民主主義が成り立たない、機能しなくなっているのだ。自分が投票した人についても今回ほとんどわからなかったいつも政治に注目しているわけではないし何をしている人なのかもわからないからであるそのために創価のような宗教団体が幅をきかしている、その組織票に自民が頼っているというのももう民意は反映していない

創価が民意なのか?または労働組合が民意なのか、国民の中の何か大きな組織団体が民意なのか?その中に入らないものは民意として反映しない
数がこれだけ多くなればともかく個人が一票に書いたとしてもそんなものは百万分の一なのである。
とにかく数が集まらない限り民意としては反映されない
だから創価などのまとまった票に頼ることになる、それが民意だとなってしまうのである創価などは選挙の何年も前から選挙の準備をしている、創価は日々の選挙のための活動なのである。たから選挙には強いのである。選挙に勝つことが仏法の勝利なのだから信仰なのだから当然だとなる。

民主主義は数なのだからともかく票を集めない限りなんら国政には影響しないのである。だから投票する側でも無力を感じて棄権するようになる、要するに一票など入れても入れなくても同じだという感覚になる
大衆民主主義はともかく数を集めない限り何の力も発揮することができないのである。
民主主義で選挙でもナチスが生まれたというのもわかる
なぜなら数が力であり権力になるからである。それがどんな凶悪なものでも数を集めれば政権がとれるのである。
民主主義はそうして容易に独裁政権すら生み席巻されて甚大な被害をもたらしたのである
なんでも投票で決めていたら数で決めていたら数が正義となってしまう、赤信号みんなで渡れば怖くないとなりナチスのようなファシズムとなり大衆が暴走することになる
みんな数に恐れをなす、創価が750万か凄いな、怖いなとなる。
その数の前に恐れ逆らえないなとなる、それが独裁に向かい戦争にも向かう
安倍首相はすでにそれを実行しようとしている
現代の民主主義はかえって独裁になりやすいのである。愚民化してパンとサーカスになりやすい、テレビはサーカスを提供している、あとはパンだ、経済のことだとなる

すでに自民党一党独裁化していてもう政権交代はない、何でもやり放題となる
健全な野党もなくなりもうやり放題になる。
そして後で戦争のように泣きを見るのは国民なのである。
民主主義はもう機能しない、選挙をしても50パーセントが投票しないのだから機能していなのである。
本当はせめて60ハーセントととか投票率が越えないなら選挙は無効とかの法律があればいい、50パーセントは民意ではない、創価とか他の組織団体の主張が通るのであり民意ではないのである。一票入れれば成仏するまでとなっていれば投票する動機になる。
そんなことありうるのか?それがカルト宗教団体なのである。
幸福実現党も創価とにたようなことを言っている。
政教分離には反対しているのである。
一党独裁に向かっているとき戦前の体制に近づき戦争へ進む準備ができたとなる


様々な職業に組織に団体に地域に分化した現代で民意とは何なのか?
民意というとき国民全体なのだけどその国民というのはあまりにも多様なのである。
ただ数が多いから民意だとなるが50パーセントしか反映していなとしたら数で民意を計ることはできない、創価などが必ず投票するからそっちの方が組織団体の票が民意になる。投票する権利はあるのに投票しないやつが悪いんだともなる
あなたたちが民意を反映させたいなら投票しろ、しないから結果を受け入れろともなる
投票できる権利があるのにしない、それが自由な民主主義なのだともなる
タグ:選挙
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2016年07月10日

デモクラシーとは何であったのか? (デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)



デモクラシーとは何であったのか?


(デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)


参議院選挙で政党名を書くのと個人名を書くのはずいぶん違うと思った。
小選挙区制は政党名で決まる、比例区は特にそうである。
それで比例区で個人名を書いたのは政党名を書くのとは感覚的に相当に違うと思った
田中なおきというとき福島県の相馬市が親が出たところであり新潟県は田中真紀子が出たところであり田中首相の娘である。
そしてこの辺では原発事故で新潟の人に世話になったとみんな言っている。
新潟の人は親切だったとみんな言っている。
だから田中なおきと書いたとき、何か政党というよりそうした個人的なものその土地のつながりで入れたとなる。

民主主義のデモクラシーの語源は

 デモス(demos)というのは、長い歴史を持つ言葉です。それはもともと古代ギリシャのポリス(都市国家)に住む「部族」くらいの意味もっていました。紀元前六世紀末のクレイステネスの改革を通じて、血縁団体から地縁団体へと再編され、その結果「地域住民」を意味するように変化を遂げました。例えば、ギリシャ都市国家の中の代表的なポリスであるアテネでは、ポリスを十の地域にわけてそれぞれをデモスと称としたのですが、それがやがて「一般民衆」という意味を表すものへと変化したのです

 地域の利益に基づいていたのがデモクラシーの語源だった。
その地域に生活している人はやはりその地域で生きるのだから密着しているから当然そうなる
それは血縁よりも強い絆が生まれた。日本人の姓をたどると必ずその姓の村があり村の地域共同体が姓を作り出したのであり血縁ではなかったのである。
民主主義はデモスとデモスが地域と地域が争うのを投票で決着したとなる
そうでないと戦争になったし歴史では地域と地域と市同士が争って殺し合ってきたからである。

日本でもそうだが江戸時代は地域地域の封建制であり土地に根ざしてデモスに分かれていたのである。そのデモスを治めるために参勤交代が工夫された。
中央の幕府に帰属させたのである。
それでも地方の力はデモスは関が原の戦いの怨念などをひきづっていたのである。
薩摩藩も幕府に過酷な尾張の治水工事にたずわされた、毛利藩は長州は今の山口県の狭いところにおしこめられた。

長州は 減封で実収が10分の1になり 
あまりの財政難に当主・毛利輝元が藩の返上を訴えましたが 懲罰の意味もあるので却下され 藩財政と立て直すのに 相当の苦労をしてます

特に宝暦の治水工事(濃尾平野の河川工事・尾張藩だが御三家だったので天下普請として薩摩に命令した)では 
わざと何回も工事を やり直させたり、スパイにできた堤防を壊させ やり直させたりと ヒドイ妨害工作をしています
武士にあるまじき卑怯な手段に 幕府の役人が恥じて切腹(約二名)したほど 工事にあたった薩摩藩士を苛め抜きました

こういうことが幕府の恨みともなっていた。幕臣は薩摩長州のことを明治以降も今でもその子孫は恨んでいる。そういう生々しいものはいろいろなり理屈よりわかりやすいのである。だから最近明治維新を見直すことが堂々となされるようになったのである。
あんな若造らは志士とかいうけど狂気の沙汰だったとか堂々と言うようになったのであるそれもある程度は認められつつあるのも歴史である。あまりにも明治維新が美化されてきたからである。

要するにこれもデモス(地域)に生活していたものが恨みをもつということデモス(地域)同士が争うということは常にあったのである。
南相馬市でも補償金でもめたように利害で人は争うのである。
だから民主主義をたどればデモスの利害の調節からデモクラシーが生まれとなる。
ところがこのデモス(地域)が衰退したとき、コミニュティが衰退したとき会社中心になったとき人は会社に帰属するようになる
人は地域には所属していない、大手ゼネコンとか電気会社とかトヨタとか様々な会社に人は所属している、地域は農業とか漁業とか林業が主体だったけどそれも一割にも満たない生産力しかなくなった。
デモクラシーが発祥したのは地域のデモスとの利害調節をすることだった。
それが今は会社になりまた会社と対決しているようでも電事労連がやはり原発でも電気組合員を組織していて会社に所属しているから原発は賛成なのである。

デモスというときグローバルになればやはりデモスとデモスが国と国が争う、利害で衝突する。その利害調節ができないと戦争になるのである。
デモスが地域連合というものが衰退したとき、会社とか宗教団体とかが人々の所属するものとなり力をふるうようになったのである。
この世の中は何らかの団体に所属していないと生きにくい、それで必ず底辺層などは創価とか共産とかエホバだとか団体に所属している、会員となれば仲間だとなる、でも一方でそううい団体は会員でないものは何であれ排斥する傾向が強いのである。
会員にならないと罰あたるとか創価では呪うこともしていた。
他でも組織団体かすると会員にならないものは排斥する排他的なものとなる

明治以降はヨーロッパに追いつくために強力な中央集権体制を築いた。
そして太平洋戦争までそれは継続したものとしてあり敗戦で終わったのである。
デモクラシーというとき大衆主義であり何か根ざすアイディンティティがない、大衆とは何かと言えば群衆であり根のないものとして東京のようになる。
そして中央から地域はただ経済的効率が悪いから東京からは地方交付税を払わせられるだけだとか不満を言うのである。
地域とは狭隘なものでありそうした田舎者は相手にしにくい、それも言えることは確かである。田舎の人間は偏狭であり相手にできないともなる
それも言えるがそういうことではない、地方は故郷とかは会社とか何か分業で成り立つものではない、自然を含めた全体のことをトータルに生を追求している場なのである。

そういうアイディンティの場があってこそ人間の心はそこに養われ文化が華開くのである
それがドイツの文化にあった。ドイツは森の民でありゲルマンの強固な世界を作り出してきたのである。
中央集権化することは地域をデモスをかえりみなくなる、文化とはデモスから地域から起きてくる、一方で東京などはあれだけの人口があってもそこは文化の不毛地帯なのである情報でもマスメデア中心で中央中心になるのである。交通の発達によりますます一極集中になる。経済効率からみればその方がいいとなる。
でもそこでは文化は失われる、
デモスから会社になったときそこに社会を大きく歪めるものがあった。
会社は日本の大企業は多国籍企業となるし外国で安い労働力を求め後進国に進出するときもデモスは地域はないがしろにされるということもある。
多国籍企業は公害を作り出したりするしその土地の代々つづいたコミニュティ文化も破壊するのである。
現実この辺で起きたことは原発事故でそうした代々つづいた歴史と文化と自然が破壊されたことなのである。民主主義のデモスが地域に根ざしたものが破壊されたのである。
もう住めなくなったのだからデモスもなにもない、デモクラシーもななったということである。
posted by 老鶯 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

選挙はもともと地元の利益優先だった 小選挙区制は民意を反映しにくい面もある


選挙はもともと地元の利益優先だった


小選挙区制は民意を反映しにくい面もある


選挙はもともと地元の利益優先だった。。地元に貢献する人をなんであれ選ぶ
中央で批判される人でも田中首相でも新幹線をもってくる、公共事業をもってくる
それで地方に仕事を与える、それが中央からみて批判されても地方にすればいいのである
防衛とか国策の問題もあるけど生活を考えると地方を考えてくれる人がいいとなる
つまり地方に実利をもたらす政治家がいいとなる
ただそれが悪く働いたのが原発だった。原発は実利をもたらすから地元では歓迎していたのである。
ほとんどこの辺では反対する人はいない、原発で働く人が意外に多かった
人間はともかく何であれ利によって動くものであるからどうにもならない
漁業者もそれで東電に漁業権を売り渡していたのである。
それで原発事故の前も後も津波があって港が壊滅しても船主は補償金をもらいつづけることができる。
津波の被害が甚大だったけど原発事故と重なってまた東電や政府からの補償金で潤いつづけているという矛盾がある。
そうでなければ補償を受けられないとしたら相当に苦しい立場になったろう。

田中首相はいろいろ批判されるけど新潟県の出身だった。そこでその娘の田中真紀子の地盤となった。
今回の原発事故で南相馬市では新潟に避難した人が多かったのである。
そこで新潟の人は良くしてくれたとみんな言っている。
新潟の人は情が篤いということがあったようである。
すると新潟出身の田中真紀子の婿の田中なおきは南相馬市とつながりあるのかともなる
もともと親が磯部の人でその実家は今回の津波で流されたとか言う人もいた。
なんかこんな地元志向で票を入れた

ただ複雑なのは田中真紀子は田中首相の娘でその婿も自民党だとばかり思っていたのである。なんかこの辺が民主党だ民進党だとなりわかりにくくなった。
田中なおきはてっきり自民党だと思っていた。
今回の選挙はねじれていて自民党にも入れるし民進党にも入れた人にも入れた人が多い

自分は福島県は民主党が多く民主党の渡部 恒三が原発を推進した張本人だったということに失望した。
民主党は経済政策でも失敗したのである。
だから民主党から民進党になったということがさらにわかりにくくしている。
本当は棄権したかったが田中なおきはやはり地元志向で入れたのであり民進党には入れたくなかった。76才というのも抵抗があった。
何かそもそも小選挙区は政党本位になり民意を反映しないものになったとも言われる
今回のねじれ現象でもそうである。与党に入れて野党に入れるなどありえないがそうしている人が結構多いみたいなのだ。
選ぶ方でどうしていいかわからないからそうなったのである。

自民党は防衛とかアベノミックスでは自分には株と関係しているから良かった。
経済政策は円安と株を上がるのがいいからだ。
まあ、どっちにしろ一票はさほど左右しないしもう決まっているのだろう。
新党改革が原発に反対ということで入れようとしたがマイナーなので大勢に影響しないから地元志向で入れたのである。

いづれにしろ今回の選挙が関心が薄いし投票率も伸びていないみたいだ
政党の再編が必要であり選ぶ方でわかりやすくして欲しいのである。
タグ:参議院選挙
posted by 老鶯 at 18:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

どの党に誰に投票していいかわからない (アベノミックスは株をしている者にとってはいいものだった)


どの党に誰に投票していいかわからない


(アベノミックスは株をしている者にとってはいいものだった)


 ここのスレを見てると投資家の私としては安心だ。多くの有権者の皆さんが 
選挙で自民党を支持してくれるから私は株で儲かる。私自身は期日前投票で 
自民党は支持しなかったけど。今回の選挙は自民党が勝利しそうだから 
株価が上がると良いな。最も投資のできない庶民以下の有権者の皆さんで 
自民党を支持して負け組に転落しても自己責任で同情は一切しないけど

今回はどの党に誰に投票していいかわからないから棄権したかった
自民党も創価と組んでいるから嫌だし、野党も今度は盛んに右が批判しているからそれもそうだなと思う
民主党の失敗は大きかった、野党は野党の役割があるがそれを果たしていない
民主主義は野党も力がないと平衡が保てない、独裁になりやすい、今は自民公明の独裁である、その流をくいとめたいということはある

ただどうしてそれぞれの人が票を投じるのかは違っている
国政として防衛問題を安保などを主体に考える人がいる、それは中国とか在日韓国系であり国を売り渡すとか盛んに言うからそれせそうだと思う

経済を優先する層は一般的には底辺層は自民党に不満だから野党に確実に入れる
一方で経済的に見れば上の層は自民がいいのである。
民主党のときはあれだけ株が下がったからである。
何か自分も株というものを毎日その上げ下げを見ているから気になる
じかに懐具合にひびいてくるからだ。
なぜ日本だけが下げているのか、日本はなぜ経済が良くならないのか?
そしてなぜ円高なのかということがわからない
円高になり為替にも投資したから110円のとき買ったから相当に損している
これは試しに買ったものである。
自分の懐がいたむと人間は真剣に経済のこと株のことでも考える

アベノミックスがいいのか悪かったのか?
株とかに投資していると悪いとは言えない
素人的には円安になれば日本の製品が売れるし海外への投資も増える
為替差益が大きいのである。だから円安政策の方がいいのである。
一方で円高は外国から買うもの安くなり物価が下がる
すると金をもっていた方がいい、金の価値があがる
そしてまたデフレにもどる、投資は日本でも世界でもされない
円高は金が日本でも外国でも回らないのである。
経済政策でアベノミックスは批判されているが悪いと思えない
それは自分も株ではないにしろ外国とか日本でも為替とかに投資した結果なのである。
それにかかわらなければ円高が良かった。
なぜなら貯金していた方が金の価値が変わらないからである。
でもそれは金が回らないということで経済的には良くない

民主党はなぜ失敗したのか?
福祉に重点を置けば底辺層にはいいようでも全体の経済が悪化すれば福祉にも回らないのである。全体の経済のレベルを上げた方が経済的にはいいのである。
共産主義はみんなが貧乏になる社会なのである。
全体の経済のレベルが上がらなければ福祉にすら金は回らないのである。
経済的に見れば自民党の政策がアベノミックスは悪いとはならない
ただそれは自分が株ではないにしろ日本でも外国でも投資した結果考え方が変わったのである。株をしている人としない人は考え方が違うものになることがわかった

いづれにしろ自分は今回は棄権したかったがしかたないから小選挙区では自民にいれるのか?未だに迷っている、なぜ福島県で自民から二人もでているのか?
何か調べてもいないので事情もわからない、だから今回は親が相馬の出身の田中なおきがいいかのか?
でも田中なおきは田中真紀子の夫とするとき自民党だと思っていた。
民進党になっているのもわからなかった。
個人名でも比例区は票が入れられる、民進党も嫌だとなると入れる党も人もいない
田中なおきは76才というのも抵抗がある。そんな年で議員をやれるのか?
何か実行したことがあるのかも良くわからない

正直誰に入れていいのかわからないから本当は棄権したいとなる
今の政治は個人より党で政策が決められて個人は関係ないという人もいるからだ。
ただ政策的に自民党であり地元からすると田中なおきで民進党になってしまう。
でも地元としても新潟の方が深く関係しているみたいだ。
ともかく自民党に入れて民進党にも入れる人がいるしそうなると党派の選挙なのに変だとなる。そもそも今の政党は何か民主党が失敗してから健全な野党がないことが致命的なことなのだ。
だからこんなおかしなことになる、政党再編して真の二大政党がなければ民主主義もない選挙の当日でも自分は本当はわからないから棄権したいのである。
おそらく比例区で田中なおきと書けば民進党に入れたことにはなる
それもまた矛盾なのである。

原発事故の地元としては「新党改革」がとりあげている、地元出身者だからこれがいいのか?
ただマイナーな政党だから国政全体を左右はしない、でも比例は少数政党でも必要なのかどうしても自民党と民進党には抵抗を感じる
それで無難なのが新党改革になるのか?比例だとやはり前も二人とか当選はしている
全国で票を集めるからである。ただこれは死に票になるのか?
福島県の選挙区は自民が二人でているのは選ぶ人も困る、自民は不利である。
ともかく今日選挙なのに自分は決められないのである。

岩城 光英(いわき みつひで)

所属会派
自由民主党

財政金融委員会

 昭和24年福島県いわき市生まれ。県立磐城高校、上智大学法学部卒○いわき市議2期、県議2期、いわき市長2期○公務、自転車活用推進議連事務局長、日本サイクリング協会理事、福島県自転車競技連盟会長、

 自転車活用推進議連事務局長、日本サイクリング協会理事、福島県自転車競技連盟会長、

 これは好感がもてた。自転車が好きだし自転車道路をもっと整備して欲しいとかあるからだ。
 この人はでも今回は自民から二人出ているのだから一人しか当選しないとなると
 落選するのではないかと予想されている、自民党の票は分かれるからだ。
 ただ政策というか自転車に関係していた人だったというので好感はもてた。
 しかし以前として投票するかどうか迷っているしわからないのが今回である
タグ:参議院選挙
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2016年07月05日

なぜバングラデシュやイスラム圏にテロが起きるのか? (明治維新のように近代化できなかったため)


なぜバングラデシュやイスラム圏にテロが起きるのか?


(明治維新のように近代化できなかったため)


なぜイスラムの国々がヨーロッパからみると遅れてしまったのか?
このテーマが文明史的テーマだから簡単な解答はないだろう。

原因として

●気候

●宗教

●遊牧民と農耕民

●海と陸の対立

中世まではイスラム圏が文明的に進んでいた。学問でも化学でも数学でもイスラム圏が優れていた。代数がイスラム圏から入ってきたのは宗教が影響していた。
なぜなら偶像崇拝を徹底して幾何学紋様とかしか芸術として許されなかったからである。数学は高度な抽象化だからイスラムではあっていたのである。
そうしたイスラム文化が入ってきて総合的なものとしてイタリアでルネサンスが起きたのである。

十字軍はヨーロッパが遅れていたために起こった。富める国への略奪だったのである。
宗教の名を借りて略奪のための戦争だったのである。十字軍でイスラム圏からの富と文化がもたらされた。
日本でも秀吉が韓国を攻めて陶工などを戦利品として日本に移住させたように戦争では文化も流入してくる。アレキサンダーがギリシャの文化を戦争でもたらした。
仏像はまさにギリシャの文化、彫刻をインドにもたらしたのである。

歴史的にふりかえればイスラムが遅れていたとはならないのだから気候とか宗教とか遊牧民とか農耕民とかの差が影響していたとも思われない
いかに砂漠でも人間社会には不利な条件でも文明が起きる
それはエジプトでもマヤとかインカでも自然条件が恵まれているとは言えなくても起きている。だからこの三つが原因ともならないかもしれない。
中世はヨーロッパは暗黒時代であり閉ざされた時代だった。その時はイスラム文化の方が栄えていたとなる。シロクロードとか一時はイスラム圏が経済的に文化的に興隆していたのである。

その中世の閉鎖された時代を宗教革命とか技術革命とか産業革命とか国民国家とか近代化するのがヨーロッパだった。
大航海時代がありヨーロッパはアジアへ北米南米大陸へ進出したのである。
一方その大航海時代にイスラム圏は中世のままであり停滞して取り残された。
それがなぜなのか?そこにもむずかしい問題がある。
政教分離がないというのも大きな原因だった。ヨーロッパはカトリックの宗教的政治的支配から脱出して国家形成をした。
ただそもそもがヨーロッパ文明がキリスト教文明でありキリスト教とイスラム教の相違が後の歴史の流れを変えたという見方もある。

カトリックとプロテスタントが分かれたときプロテスタントが産業革命の基になった。
資本主義が修道院から生まれたというときプロテスタントにはそういう信仰、思想があってできた。勤勉の思想であり神に仕える信仰である。
それがドイツとイギリスに起きたというときそこが寒い地帯ということも影響していた。なぜなら熱帯地域だと勤勉の思想は起こらない、暑いととにかく働く気になれない
それでカトリック地帯は比較的地中海気候であたたかいから勤勉ではない、今でもシスタとか昼間は寝ているのは暑いから働けないのである。
それは砂漠のイスラム圏でもにている、一日中日影で水パイプを吸っているのもそのためである。人間にとって気候の影響は大きいのである。
ただ暑いからといって文明が興らないとはならない、エジプトでもマヤでも暑い所であり文明が起こっているからである。
だから必ずしも気候だけが文明が起きたり衰退したりする条件とも思えないのである。

ともかくエジプトでもイギリスのポンドが紙幣になっていたりイスラム圏もイギリスが支配してアジアも植民地としたのである。
だから太平洋戦争は日本とイギリスの戦争でありシンガボールを日本軍が最初に陥落したことは世界史的に大きな事件だったのである。
自分の姉が従軍看護婦としてイギリスの赤十字社の病院にいたからである。
それはシンガポールではなくマレーシアのジョホールバルだった。
イギリスが世界を制覇したという時代があり英語が世界の共通語のようになったのである世界史からみればではなぜイスラム圏は近代化できないのか?
近代化というとき政治でも経済でも技術でも総合的なものとしての近代化がある
イスラム圏はそれを成し得なかった。
そして工業化できなかった、台湾とか中国とか朝鮮では工業化している、台湾とかも暑い国だしなぜそんな小さな国でできたのにイスラム圏ではできないのかとなる
台湾ではパソコンとかの部品関係だけどそれにしてもそういう工業化の能力があったとなる

今回のバングラデッシュのテロ事件でもイスラム国の信じられない野蛮性がなぜ生まれているのか?
これもイスラム圏が近代化できない、中世の延長でしかなく停滞したままだでありそれがただ暴力となってその捌け口を見いだしている。
日本だと明治維新で若い人はヨーロッパに習い近代化した。ヨーロッパとかアメリカは当時は遠いのである。飛行機もない時代だからである。
エジプトであれシリアであれ中東はヨーロッパと接近している。
シリアの難民が陸伝いでドイツまで逃れるように接近しているのである。
だから西欧文明を学ぶとしたら地理的に有利だったのに近代化していないのである。
そしてヨーロッパの文明お基はイスラムの文化であり自分たちは教えたものだとと言ってなぐさめているのである。

そういう歴史的に見るときイスラム圏が遅れてしまった、近代化できなかったのはなぜかとなる。近代化がこうしたヨーロッパの歴史から起きたとするとき別にイスラム教を基にした西欧文明に対抗する新しい文明は起こりうる、それは尊皇攘夷とかともにているのだ攘夷とは外国人とかの文化でも排斥することから起きていたからでてある。
ただ日本の近代化もヨーロッパとは違っていた。
天皇が一番上に置いた立憲君主制でありヨーロッパの近代化とは違っていたのである。
日本でもイスラム圏と共通した問題がありそれが太平洋戦争までつづいていたのである。つまりイスラム圏ではまだ江戸時代から明治維新の時代にありそれで外国人や欧米文化を排斥するのものがあり、裕福な学生でも知識人でもテロが起きたともなる。
日本でも明治維新のとき攘夷が起きたようにそういうことが若者の間で起きた。
それは日本でも侍のエリートに起きたのだから彼らもテロでもそうした思想に基づいているということもありうる。

ともかくなぜイスラム圏は子供が多く貧民も多い人口過多なのだろうか?
なぜか繁殖力だけは強くその繁殖力でヨーロッパに移民を送りやがてイスラム圏の文明を作り支配するということまで言っていることでもわかる。
そんなことで人口圧力だけでヨーロッパ文明を支配したとしてもそれは歴史の逆戻りでありやはり停滞したものとなる。
もし欧米文明に挑戦を受けて新しいイスラム文明を作るのなら別である。
それは日本では明治維新でそうしたことをある程度は成しているからである。
それが成し得ないからこそただ暴力となりテロとなり不満の捌け口となっているだけにしか見えないのである。
暴力だけでは武力だけでは文明を興すこともまた世界に通じるということはないのであるモンゴル帝国のようにそこには文明も文化もないからただ何も跡には残らなかったとなるただ領土を拡大化しただけでだったとなる。

確かに欧米文明とイスラム文明の衝突が起きているがそれが何かマヤやインカ文明との衝突のようにも見える、進んだ国と遅れた取り残された国とのトインビーの言うように文明の衝突である、
その証拠にイスラム圏からは宗教と石油だけであり何も産み出していない、イスラム圏から学ぶものが何もないということがそれを証明しているのではないか?
日本でもアジアでも学んできたのはヨーロッパであり欧米文化だったとことでもわかる。中世時代にはあったとしても今はなにもない、ただ人口が多くそこから移民が大量に流れてくる、それも単純労働者が多いのである。
そういうふうに文明的に遅れていることがテロとなり暴力として捌け口となっている。
だからエリートである学生がまた今回の残虐なテロを起こしたともなる














タグ:イスラム
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2016年07月03日

バングラデシュのテロの起きた高級レストランの危険 (地元の人と隔離されたような場所は危険)


バングラデシュのテロの起きた高級レストランの危険


(地元の人と隔離されたような場所は危険)



ジャージとかで汚い店で食べてたら殺されなかったろう。 
この店と客が地元民から嫌われてたんじゃないの 


外国人がおおく集まる店は危険。 屋台で食べてればまず平気。 
たとえ外人と気づかれても無視される。 タクシー・バスは現地の人と 
一緒に乗る事。 

バングラディッシュって日本より狭いのに人口1億5000万もいるんだな
しかも1日2ドル以下で生活してる超貧困層が1億2000万人くらい
そりゃ暴れたくもなるわ 

でも確かに昔は日本人だといえば助かったかもしれん 
身代金払うイメージがあったし 

今は無理だな 
何かあったときに中国人あるねと言うことにするわw 

42パーセントの子供が栄養失調


海外旅行の経験からなぜ自分がなぜ犯罪にあわなかったのか?
自分は50才で始めて海外旅行に行ったので慣れていない、だから異常に警戒していた。
金は腹巻に入れていたとか警戒していた。
その時はこんなにテロは起きていない、アラブ人は日本人に好意的であったのだ。
それが安倍首相になってから変わった、isにあからさまに敵対すると発言したからだ。
その時から日本人はテロの標的になったのである。

今回のテロがどこで起きたかを見ると外国人が集まる高級レストランなのである。
ダッカで一時待ち合わせで下りた、そしたら裸足の子供などが群がっていた。
ずいぶん貧乏な国だなとその時思った。その待合室も何かソファーでもいいものを使っていない、普通はそういう場所はいいものを使っている
空港自体が先進国とは違っているのである。

そういう国では貧乏な国では高級レストランに集まるような人たちは特別な人でありうらやましく見ていたろう。格差がはっきりするからである。
格差がはっきりする所では危険になる。日本では田舎だと高級レストランはない、ただそういう場所があり特別の金持ちだけが入る所となるとうらやましくなる
貧乏な国ではそれが目だつからテロの標的になるということがある。

海外旅行でもなぜ自分が犯罪にあわなかったのか?
それは自分は貧乏旅行者だったからバックパッカーだったからである。
中国でも危険だというが危険ではなかった。
なぜか、中国人のように見られていたことである。そして金があるように見えなかったのである。何か汚い感じでもあり中国人にまぎれてしまって中国人のようになっていたからねらわれなかったということがある。

ただヨーロッパとか中東になると中国のようにはいかない
イギリスの空港で日本人ににている人がいたので日本人かと言ったら韓国人だった。
そこで黒人がチョコレートなどを盗んでいた。
中国人と韓国人と日本人は一緒になる。そして日本人は中国人に見られることが多いのである。
チーナとかイタリアで子供に言われたのもそうである。それは軽蔑をこめて言われていた
海外旅行で犯罪にあわないためにその国の人のようになりまぎれてしまうことである。
特別目だつと高級レストランで外人だけが集まるとなる危険になる。
ヨーロッパでもレストランは一人で入りにくいのでマグドナルドのような所にしか入っていない、そこは地元の人も利用している。

今回の事件は外人が集まる高級レストランでありそれが地元の人からすると目だっていたのだろう。そういう所は貧乏な国では反感がもたれる
まず地元の人たちが一杯いたらテロの標的にはなっていないだろう。
バングラデッシュなどは相当にまだ貧しいからだ。
いづれにしろ格差社会は国内だって治安が悪くなり自分も田舎で犯罪にあった。
格差社会は底辺層が増えてそれが富裕層への恨みが露骨になるから危険になる
イスラム国などが生まれるのはやはり貧乏が原因でもある。

海外ではこれまでは日本人であることは安全であった。
アラブ人は日本人に好意的であり日本人もアラブ人が好きだったのである。
今は違う、テロの標的にされる、
いづれにしろこの格差を埋めない限り国内でも海外でも平和はない
グローバル社会でなければ別に他の国がどうであれ干渉しないし安全である。
日本が鎖国して貧乏でも他の国では関心がないのと同じである。
これだけ人が世界的に自由に交わるからそこで様々な問題が起きてくるのである。

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2016年06月29日

創価公明の限界と共産党が伸びるのはなぜ? (世界的共通の問題は貧富の格差)


創価公明の限界と共産党が伸びるのはなぜ?


(世界的共通の問題は貧富の格差)


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公明の票が減るのはなぜか?それは宗教だからである。宗教だから縛りが強く票が固定ししていたがそれ以上は伸びないし減っている。
創価公明とは一体であり選挙も宗教活動の主要な活動して日々の信心がある。
ちょっと上の幹部になると毎日が票をとるための活動になる。
一軒一軒回ってあるくのは票をとるためである。創価内部でも実際に活動しているのは数十万単位だろう。
あとは座談会にもなにもしない、会員というだけで何もしない、膨大な幽霊会員なのである。そういう幽霊会員の存在価値は選挙のときに幽霊ではない、一票に結びつけるのが日々の幹部の活動となる。宗教などとは何ら関係ない、何かやましいことをしているとかそうした心の内面とは何の関係もない、そんなこと問うていたらまず人は集まらない、ただ一票になればいいだけである。
実際に選挙が最大の仏教の戦いなのである。それで選挙の時は池田先生のためにと集まり題目をあげて選挙戦を闘う、それが創価の最大の戦いであり目的である。
政治と宗教が完全に一体化しているのが創価であり公明である。
その池田会長が死んだのかわからないけどもう指導力を失ったから票も減ったとなる
創価公明がすでに30年前でも限界に達していた、会員数も票も頭打ちになっていたのである。800万票とったがそれが限界でありあとは減るだけなのである。

第一宗教が日蓮のように一人で時の権力者に諫言するならいい、創価は集団で権力をとるために活動している。「権力奪取」「権力掌握」福運がつくという言葉しか幹部の会合ではでてこない。だから普通だったらこの団体はなんなのだろうと疑問になる。
それが宗教なのかという疑問になる。普通だったら考えるが考えない
宗教というと何か高等な感じがするがそういうことは創価については全くないしカルト宗教団体ではみんなそうである。まず人を集める会員を増やすことが第一であり数は権力であるから数で権力をとることを目指す、それは別に民主主義なら許される。
選挙で権力が後退するのが民主主義だからである。
ただ民主主義でも怖いのはイギリスがEUから離脱する国民投票でわかったように愚民主義におちいるのである。多数がすべて正しい訳でもなく肝心の離脱派が得するというこでもないから後悔しているとなる。ナチスもヒットラーも民主主義の選挙で選ばれたのだから民主主義が選挙が国民を正しく導くとは限らないのである。
ただそうでないと戦争になるら投票で決めことにしただけなのである。

創価公明とかカルト宗教団体の問題は宗教自体が本来権力をもつものではなかった。
それはシャカとかキリストを見ればわかる、何の権力ももっていない、体一つしかない寝る場所もない乞食のような状態だった。
もし師に習えば今のようなあくことなく権力を求めることは異常なのである。
なぜなら宗教となると権力で押しつけることはあってならないことである。
人間はそもそも権力関係になると上下関係ができてそこに平等性は失われる
例えはなぜ創価が執拗に権力を求めるのかというと権力で宗教をおしつけ支配するためである。
人間は雇われる人と雇う人にも権力関係が上下関係が生れる、お前やめさせるぞと言えば従わざるをえない、宗教もそうして権力あるものにおしつけられるのである。
それは歴史的にもキリスト教でもカトリックなどはそういう歴史が露骨にあったから政教分離がヨーロッパから必然的に生れた、フランス革命は宗教を否定して人権主義になったのである。宗教の縛りから離脱しようとしたのである。

ただそうはいっても底辺層になる実と宗教ともイデオロギーなどむずかしいものとは何の関係もないのである。何か困ったら助けてくれる援助してくれる、相談にのってくれるということで勢力を伸ばしているのである。
そういう人たちは別に他に頼る所があれば人があればいいのであり簡単にのりかえるだろう。
金をいくらかでも困ったからとくれたり貸せばそっちにのりかえる、なぜなら宗教とかイデオロギーとは関係ないからである。
なぜ創価と共産が競合するのかというと底辺層を票田にしているからである。
生活保護とかの市営住宅には創価か共産党のどっちかに入っているのが多い
まずそういう底辺層が普通の人とつきあえないのである。
生活保護は生活保護者とつきあうし他の人とはつきあわないのである。
なんというか生活保護者には差別的感情があるからそうなる
最近はエホバがそういう底辺層に食い込んでいる、この前猫十匹飼っているのは創価だと書いたがエホバだった。今はエホバがしつこいのである。
あれも何が目的なのかわからない、宗教とあっても何か裏がある。
教会でもアメリカから援助されてはじまったから政治的に画策するものがある。
だから内村鑑三は無教会になったのである。

ともかく創価公明は宗教の縛りがあり一定の票を確保していたがそれが故に限界が40年前からでも出ていたのである。だからもうこれからは衰退する一方である。
池田会長が死んだのかわからないけどそのためにはすでに内部で権力争いはじまっているすでに創価というのは巨大な権力だから内部で権力争いが生まれる
そこは宗教など関係ない生臭い所である、宗教そのものが何か嫌われるのは全く本来の宗教が目指したものとはあまりにも違ったものになっているからである。
共産が伸びて自民の脅威となるときそれは時代を反映している。自民公明政権に反発しても野党が弱体化しているから票が入れる先がない、いろいろアベノミックスでも上流階級だけが豊になるだけだったとか、タックスヘイブン問題とか上流階級が得しただけで下流階級は底辺は何の得もないと不満が募っている
それはアメリカでもサンダースとか社会主義者が人気になったしトランプでもそうである貧富の差があまりにも拡大した結果としてそうなった。、それはグローバル資本主義の多国籍企業支配のためでありあとは時給いくらかで奴隷のように使われだけだとなっているからである。
共産党しか日本では不満の受け皿がなくなったから伸びているだけで共産党を支持しているわけではないだろう。

近代社会は政教分離であり政経分離でもあり合理的なものとして経済とか豊かさを追求しているのである。何かというと罰があたるとか地獄に落ちるとかもちだしていたら合理的経済の豊かさを追求できないからである。
だからそもそも自民党と創価が一体となった政権は異常なのである。それは前近代的なものでありあわないのである。
罰があたると地獄に落ちるとは何なのか?それすらわからないで敵対するものに宗教で呪詛するから異常なのである。
自民党でもいづれ公明党や創価と一体化することには限界がでてくるし創価自体が内部の権力争いで分裂して衰退してゆく、そういう兆候は池田会長が死に体となりすでに現れている。

いづれにしろ共産党が伸びるというときそれは自民公明に不満があってもその票の受け皿がないからである。共産党を支持しているわけでなくても不満があっても実際にそれではどこに票を入れるのかとなるからだ。自分などはどっちの味方でもないから棄権する他ないのかとなってしまう。
今世界自体も大きな変革の時代にきているし国内でもそうである。
そして対外的にも何か大きな事が起こり日本も変革を迫られるのである。
共産党が伸びたというときそういう変革期にあるからでありまた別な党派も生まれる
一方で極端な右よりになり安倍首相が戦争する危険性を危惧する。
それはEUのイギリスの離脱問題でも共通した課題をグローバル資本主義でかかえているのである。
米ソ冷戦のときのように右とか左に明確に分けられないのである。
ただ貧富の差の拡大が共通の課題としてあり共産党が伸びるというのもそのためである。
タグ:創価公明
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2016年06月24日

イギリスのEU離脱も格差や移民問題で世界共通だった (富を産み出すのは労働ではなく技術革新になった)


イギリスのEU離脱も格差や移民問題で世界共通だった


(富を産み出すのは労働ではなく技術革新になった)



●グローバル資本主義で起きている共通の格差問題

格差が日本以上に固定化しているイギリスのロンドンでは、同じような職業や収入の人たちが特定の地域に集まって、どのような家に生まれたかによって将来の職業まで決まってしまう。東京もロンドンのように金持ちと貧乏人が異なる場所に住み、まったく別の価値観を持って生きる社会に近づき始めているということでしょう」


現在、上位一パーセントが所有する富は、世界の総資産の半分に迫りつつあり、このままいけば二〇一六年には、一パーセントと残り九九パーセントの資産額が肩を並べるという

貧困層は世界に数十億人居ますが、その数十億人を合わせたよりも上位80人の富の方が多いというのは凄まじいですね。というか、70億人しか人間は居ないのに、その半分が貧困状態と言うのは異常だと思います。1%の超富裕層が世界の富を99%も抑えているわけで、この1%が今の世界を政治や文化、情報の面でもコントロールしていると言えるでしょう。

上位40人を平均すると、たった1人で10万世帯分の資産を保有している」「上位40人の資産は、全世帯の下から53%程度が保有する資産に相当する」と指摘。 

「アベノミクスが一握りの超富裕層への富の一極集中を生み出した」とただしました。 



格差社会というのは実はグローバル社会では世界的な共通の問題である。
イギリスのEU離脱も富裕層と上流階級と底辺層の対立があるという。
底辺層は移民が流入して治安が悪くなるなど嫌がっているしまた若い人の失業率はEUではみんな30パーセントとかさらに高い、底辺層の職か移民に奪われているとなるとその不満が大きくなる。

一方で富裕層とか上流階級にとっては別に働くのは移民を入れてもいいし安いならそれでいい、そこでグローバルに底辺層の賃金低下が起きてくる。
要するにグローバル資本主義とは多国籍企業にとって都合のいいものなのである。
働くものが別に自国民にこだわる必要がない、安く働いてもらえる人がいい、それが極端化すると機械の方がいいとなり機械化が頭脳分野でもコンピュターによってすすめられる働くものが別に自国民とかにこだわらないだけではない、人間にこだわる必要もないのである。つまりロボットの方が都合がいいとなる
現実に機械によって膨大な失業が起きていることは確かなのである。でも人間の労働が必要だから労働はなくなることがない、どうしても人間にしかできないことは残るのである
それとベーシックインカムが現実に実行される国まで出てきたのは機械が人間にとって代わり仕事がない収入がないと困るからである。
現代はこうして底辺層が二重に生れる要素が拡大したのである。
移民の問題はイギリスでもEUでも深刻である。イギリスノ空港で黒人がいたが売店で食べ物をチョコレートのようなものを盗んでいた。空港でそんなことするのと見ていたが黒人はアフリカ系なのかわからないがそういう人も多く入ってくる。
それはどこの国でも同じである、ただ外国人だけが盗むとは限らない、まず盗みは常にどこでもある。だから経営する人は従業員の盗みを経験しているから人を雇うのが嫌だといって一人で食堂をしている人がいる。

ともかくそうした底辺層が入ってくると治安が悪くなる、この辺では津波や原発事故などで外部から未だに除染があり南相馬市だげで8千人も入っている。
そこで入れ墨した人をみかける、郵便局にも露に腕に入れ墨した人を見た。他でもみんなみかけているしいわきでは殺人事件も起きた、昔なら飯場とかでありそこで何か金でもめて殺人事件になった。それだけ治安が悪くなり風紀が乱れる
それで嫌がある市民もいる。ただそのために経済的効果も生れている。
これもまた多少移民問題とにている。どうしても人を呼び込まざるを得ない状態が生れているからである。
日本でもいたるところで人手不足だからなんとか補うために移民を入れようとしている
人手不足は深刻であり会社さえつぶれているし介護関係などでも南相馬市で自分の近くに新しく施設をつくっても人が集まらないから開かれないのである。
建物は作っても人手不足で開くことができないのである。


●富を産み出すのは何なのか?

貧富の格差は別に先進国だけではない、世界的に起きている、というより数パーセントの富裕層が世界の富を独占している、その富を得ているのは多国籍企業でありその多国籍企業こそが国家より権力をもっている。東電は多国籍企業と違うが国家なみの権力をもっていた。そこに政治家から官僚からマスコミからと富を得ていたのである。
政治家とか官僚とかマスコミを考えればこういう人たちは別に富を産み出さないのであるブローカーとか斡旋業なのかもしれない、現実に富を産み出しているのは大企業であり多国籍企業なのである。それは世界的に同じなのである。
中国だって官僚が政治家が金持ちになれるのは企業に対して許認可権とかの権力をもちワイロをもらうからである。富を産み出しているのは企業でありそこに働く人たちである。官僚でもあとは税金をとるだけであり何か自身で富を産み出すことはしないだろう。
だから中国でも古来から人民は税金で収奪されるだけだと嘆いていた。
炭でも拾った栃の実まで税としてとられていたのである。それは結局現代でも変わりなかったのである。そういうことは日本の封建時代でも江戸時代でも侍を働かざるものとして安藤昌益 『自然真営道』で批判していた。
一時それが極端化して共産革命では中国の文化革命で官僚も地方の農民として働かされたカンボジアでも同じだった。知識人も否定されたから過酷な労働をさせられたのである。共産主義が貧富の格差を解消するわけでもなかった。それは中国をみればわかる。

ともかくなぜイギリスがEUから離脱したいのか決めたのか?
それが貧富の格差であり底辺層の移民に対する不満だとなるとそれはイギリスだけの問題でない、世界的な問題であり日本の問題でもある。
アメリカの問題でもある。なぜトランプが人気があるかというと貧富の格差がアメリカでも大きいからその不満がトランプ人気やサンダース人気になった。
アメリカの格差問題も深刻なのである。だからこれはグローバル資本主義の世界的問題として認識するようになったのである。
グローバル資本主義のもたらす欠陥が負の部分が増大したから顕著になりもう限界にきたから底辺層の反撃がはじまった、それは後進国だけではない、先進国でもどこでも同じなのである。グローバル資本主義はグローバルだからこそグローバルに共通の問題に直面している。

国を富ませるというとき国全体のレベルを上げてGDPをあげて国全体を富ませて株でもあげてトリブルダウンさせて下層にも金を回す富を回すという方法がある。
それがアベノミックスであるがこれがいいのかどうかはまた議論がある。
もう一方は金持ちの富に税金を高くしたり金持ちの金を貧民に回す方法があるがこれは社会主義的方法であり民主とか共産とかの方法である。
これは下層にはいいものである。富の分配を平等にするからである。これにもまた問題がある。共産主義が富む者がいなくなりみんな貧乏人になるとも言われる
それはソビエト連邦の崩壊とかで実験ずみである。共産主義経済は全体の富を産み出さないからみんな貧乏になるのである。
この二つの方法にはそれぞれいい面と欠陥がある。

そもそも何が富をう産み出すのか?今までは勤勉な労働が富を産み出すとしていた。
でも現代はそうなのか?現代の富はどこから生れているのか?
わかりやすいのは石油とかの資源をもっている国が富を産み出していることはわかる。
そこでカナダでも石油が世界で四位の石油産出国だからと自分も投資した。
それはわかりやすいからである。でもアメリカが有望だというときシェール石油とかがあってもハイテクなどグーグルなどIT産業が世界を支配するからそこで富を産み出している富を産み出すのは現代では資源もあるが労働もあるが何か頭脳的なものや機械などを作ることなど過去の富とは違う、知識や技術などでありその方面でのイノベーションだとなる

●富を産み出すのは現代は技術革新

自分の経験ではヤマハのJPY-Rはロードの機能もあり電動自転車でもあり坂を上るとき楽でありこれは前のと比べると速さも倍になり軽いから軽快に走る、体の負担も軽減された倍速になり軽く進むから遠くにゆくのに楽だと実感してまた遠くに自転車旅行したくなったのである。
今までの電動自転車はこぐ回数が多くなるがこれは半分ですんでさらに倍速になっているから乗っていて気持いいのである。
こういう技術革新したものが出てくることが消費を増やす、これは老人でもロードに親しめるとなる。老人が金を使わないというとき何かそうした使うものがでていないのである最近話題になっている自動運転できる車が将来現実になったら高くても死ぬ前に乗ってみたいとまでなる。つまり技術革新したものはそれだけ魅力があということである。
それはテレビが普及したときそうである。どれだけテレビに熱中したかわかる。
全国民がテレビの前にかじりついていたのである。テレビはそれだけの魅力があったのである。

次ぎに車がそういう魅力があって普及した。パソコンでもそうである。ただこれは庶民全部には普及しなかったがそれでも今はインターネットが普通になり普及した。
今はどちらかというとスマホが全盛である。
ともかくそうした技術革新がやはり現代の富を産み出しているのである。
今までのような勤勉な労働力ではない、何かの発明であり技術革新が富を産み出す、それがグローバル資本主義の競争に勝つものでありそれによって富が産み出される
つまり多国籍企業に莫大な富をもたらす、でもその技術革新は底辺層が産み出さない
一部の多国籍企業の優秀な頭脳が産み出すのである。
例えば3Dプリンターが話題になるがそこで旧来の技術者がいらなくなるという問題が生れるし農業でもドローンで農薬をまくなどするようになる。すると旧来の農業労働も軽減されるし人手不足も補えるのである。
スーパーの自動支払機でもそうである。お釣りがででくるしお釣りを残すと警告音でるとか人間よりミスがないと感心したのである。

だから格差が広がるというときその問題の核心は何かとなると底辺層は貧乏人は働かないから怠け者だからだという自己責任とも言えない、貧乏人にもいろいろある。
当然あの人は貧乏になってもしかたがないという人もいるしなぜあの人はあんなに働いているのに貧乏なのだという人もいる。
現代の格差はもともと金持ちで資産家なら金持ちになりやすいというのもある。
金持ちの子はまた金持ちになりやすいのはそれは昔からそうである。
第一富は一代では築きにくい、せんぞか土地をもちその土地を受け継ぎ次代のものが豊になる。そういう家代々で積み重ねて豊になるからその富をうらやむことは問題である。
そんなことしていたらこの世に金持ちなど生れない、みんな何でも平等にしろというとき結局共産主義のようにみんな貧乏でいいとなってしまうからである。
そうしたら誰も努力などしないからみんな貧乏になるのが共産主義なのである。

ヨーロッパでは貴族階級がありその子弟は家庭教師などをつけて教育されるからそこから天才が数多く生れた。それは学校教育とは違ってる個性を開発できる教育だったのである学校は何でも平等を目指すから共産主義的なのである。
日本には天才が生れにくいというときそういう環境も影響しているのである。
とにかく団結力があってもみんな同じでないとだめだとなり平等を第一にする社会だからである。大陸では中国でもヨーロッパでもアメリカでもぬきんでた天才が生れる
その天才が発明して技術革新が起きるからそこで富が産み出されるのである。
だから金持ちが全部悪いとはならない、ただ現代の富が集中するのはそれでたけではない金融という株式でもうけることはそれは何かを産み出しているのとは違う。
何か物を作り出してもいないし発明もしていない、金のやりとりだけで利益を産んでいるから批判されるのである。
その金を基にまた富を産み出せばいいのだがそれもできないとなると何で金持ちになっているのたとなる。
なぜ貧富の格差が生れのかというとそれは現代のグローバル資本主義であるがだからといって共産党に票を入れてもその格差は解消しないし富を産み出されずみんな貧乏になるということも知るべきである。

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イギリスのこと (EUからの離脱か残留かー株はギャンブル)


イギリスのこと


(EUからの離脱か残留かー株はギャンブル)


 1191年、第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる

 キプロスがなぜ英国領になっているのか?その歴史も古い、十字軍の時代に関係していた

 シェイクスピアの「オセロ」では、 
主人公であるヴェネチアの将軍オセロが、 
当時ヴェネチア領だったキプロスをトルコ艦隊から 
防衛するために現地に派遣される。 

恋物語と悲劇はさておき、実際の歴史においては16世紀後半に 
オスマントルコ帝国がヴェネチアからキプロスを奪い取り、 
イギリスに獲られるまでの間保持した。

キプロスになぜそんな古い時代からイギリスが関係していたのかとなる。
キプロスに一時自分はイスラエルから船に乗って6時間くらいよった。
その時イスラエルで働いていた青年とかオランダでレストランで働いている青年とかに出会った。自分にとってそんなところまで日本人がいるうというのも驚きだった。
世界中どこに行っても日本人にあわないことはない、そういう時代になったのである。

イギリスというと大英帝国の時代があり七つの海を支配した。それは太平洋戦争の時まで継続していた。シンガポールや香港とかが英国領であったこともそうである。
ミャンマーなどもそうであり英語をしゃべっている。
自分の姉は従軍看護婦としてマレーシアのジョホールバルの病院に四年間いた。
そこはシンガポールのすぐ近くだった。その病院はイギリスの赤十字の病院だった。
日本はいち早くシンガポールを攻略したのである。
つまり大英帝国のイギリスに勝ったということは世界でまれな驚くべきことだったのである。アジアはその時ほとんど植民地だったからである。

大英帝国の跡は世界中に残っている、エジプトもそうでありエジプトポンドが紙幣として通用するというとき英国領になっていたからである。つまりポンドが当時のドルだったのである。ドルが世界の果てまでアフリカの奥地まで通用しているのと同じだったのであるエジフトでロバに乗った少年がワンドーラーくれというのがそうである。
アメリカだってイギリスから派生したものだからイギリスが一時世界を支配していたのである。そのイギリスに日本が勝ったということは世界で驚きだったのである。
イギリスは産業革命の発祥の地であり鉄道も蒸気機関車もイギリスで最初に作られた。
でも今になると中国に原発を作ってもらうとか日本の企業が進出しているとか斜陽国家になった。
だからなぜこれほどEU残留か離脱かで騒いでいるのかわからない、それほど世界に影響するのかということである。
金で世界の国力を計ればドルであり円でありマルク(ドイツ)であり最近は中国の元になるポンドはもう世界的通貨ではないだろう。

そもそもヨーロッパはわかりにくい、なぜあれだけの国があり多様なのかとなる
多様なるが故に文化もルネサンスのようなものが生れた。ルネサンスはイスラムの文化も入りヨーロッパの歴史と文化の成果として華開いた。ヨーロッパの強みは常にそうした外国からの外部からの文化が流入して発展してきたのである。
だからそこで争いもあったが戦争があったがそれだけではない文化も混じり合って発展した。ヨーロッパの王室がたいがい親戚関係にあるというのもそうである。
それは日本の戦国時代とにていて縁戚関係を結び同盟関係を結んでいたのである。
EUはそういうヨーロッパの歴史があり必然的に生れた連合である。
ただヨーロッパ自体が今や斜陽化している、中国に鉄道とか原発を注文しているというのもそうである。アメリカが中国の鉄道を作らせるというのもそうである。
中国は前とは違う、めざましく発展しているからである。

ではなぜEUから残留か離脱かで世界市場にこれほど影響するのか?それが良くわからない
EU全体に影響するからでありイギリス一国で今そんなに影響するのかということである。資源として石油がそれほどとれているわけでもないし何がそんなに影響するのかとなる。とてもイギリス一国で世界に影響を与える時代は終わっているからである。
それよりEU全体が弱体化するから影響する、EUが分裂の連鎖反応があるからこそ世界に影響するとなる。EUが維持できるかできないとなるから問題になる。
つまり今やイギリスがあって世界があるのではなく、EUがあってイギリスがあるということではとないか?

いづれにしろ残留派の女性議員が銃で撃たれ死んだということが残留派に有利となったと言われる、このことでも株とう世界市場は予測できないギャンブルだと思った。
世界で常に何か予測できないことが起きる、残留か離脱かなどは何か最初から争っていても議員が死ぬということは誰も予測できないのである。
それによって世界市場に影響するということは予測できないから株も予測できない
それはどんな優秀なアナリストでもできない、つまり世界でも日本でもそうだが予測できないことが起きる、津波や原発事故もそうであり一身上でもそうである。
ここ十年自分が経験したこともそうだった。予測しえないことが次々に起きて苦しんだのである。それは自分だけではない避難した人とかもそうである。
人間には社会でも世界でも予測し得ないことが起きる、それは誰も予測しえないのである人間の寿命も自分もわからない、予測し得ないのである。
鳩山邦夫氏が67で死んだのかというのも驚きだけとただ60代で必ず死亡欄に地域別でも一人は死んでいるのである。それをいつも自分は見ているから恐怖なのである。
60代で一割死んでいるとなると死ぬ確率が増える、でも以前として何才まで生きるかは予測できないのである。これからもだから予測し得ないことが一身上でも外部でも起きる

今回なぜイギリスのことが注目したかというと為替で日本円を買っていたからである。
少ない額でもこれもはじめてやることであり110円の時買ったから円安になればいいと見ていたのである。株でも為替の投資でも自分が金を出すと世界のことでも真剣になって関心をもつことを知ったのである。それは何かあると自分の懐が痛むからであ。
貯金しているとそういうことはないのである。でも実際は貯金も市場の変動に影響しているのである。それがグローバル資本主義なのである。
人間はいくら堅実に生きるにしてもギャンブルのようなことがある
それは人生でも社会でも予測し得ないことが起きるからギャンブルになるのである。
ある時は一か八かの賭けになる。それは平凡な人生でも起きる
それか運命を決める、そういう場に誰でも立たされるからギャンブルになる。
だからいくらギャンブルを拒否しようとしてもできないのである。


キプロス危機を貨幣の歴史からふりかえる (文明の十字路-キプロス)
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2016年06月19日

人間は私利私欲から離れられない (舛添知事も政治家も美辞麗句を並べるだけだった)


人間は私利私欲から離れられない


(舛添知事も政治家も美辞麗句を並べるだけだった)


舛添知事はその生い立ちからして素質からして別にぼっちゃんでもないし力量がありのしあがってきたとなる、前の鳩山首相とは違ってる。
あの人なら東大でも出れるだろうとなる。専属の家庭教師でも何でも金でできるものはできるからである。
舛添知事は貧乏だったというときその当時はみんなそうだけど奨学金もらって東大を出た体力もあってその体力があることがまた女性遍歴になった。
自分などは体力もないし精神的にもだめだとなるとそういう人のことは理解できない
ただ天才がいてそういう人は別に努力しなくてもいろいろなことができる
そもそもなぜ次の総理候補とまで言われた人がここまで責められて墜落したのか?


女性問題がありそのことは知られていた。公私混同というけど私生活が公的なものに必ず反映する、私生活がふしだらなものは公でもふしだらになる
そもそもその区別はできない、東京都知事のような役職には品格が求められるとか責められた。
政治家に品格を求める?そんなことが国会議員でも問われるのか?
政治家に求めるものが庶民では何なのか?まさか宗教者ならそうなるが政治家にそんなことが求められるのか、庶民がそんなことを求めて要求して一票を投じるのか?
政治家に求められているのは利権である。道路を作ってくれとか新幹線を作って駅を作ってくれとか保育所を増やしてくれとか時給をあげてくれとか直接日々の生活にかかわることであり何か抽象的な品格など求めるだろか
政治家はたいがい利権にかかわり汚いといの通説である。

人間はどうしても欲があるから私生活でも公的なものでも欲がでてくる。
その欲に負けて問題を起こす、今回もそうだった。
それが舛添知事が「せこい」ということで責められているのはそんな人格と品格がないものは東京都知事にふさわしくないというのも解せないのである。
だからこそただマスコミで有名だからといって都民は投票したのである。
青島とかの前の知事もそうである。あの人にどんな品格があるのか、漫才師かコメデアンだろう。要するに庶民にとって東京都の知事でも政治家でも人格とか品格を求めているのか?そういう人格と品格とは普通の社会では表にでてこない
庶民は俗的なものでありその俗世ににあった人間は理解する、あいつも俺と変わりないなということで理解する、だからこそ芸能人がテレビを占有しているのである。
政治家もマスコミもそういう低俗なものにあわせる、視聴率をとるためにはそうなるからテレビでも低俗になり政治家も低俗になる。政治家もそうした低俗なものから選ばれるのだから人格と品格は関係ないのである。

ただ舛添知事の場合は女性関係で乱れていたことはわかっていたのである。
それがなぜ知事になるときに暴かれて責められなかったのが謎である。
例えば公明党とか創価は宗教団体だか婦人部はモラルに厳しいから反対したというがそれも定かではない、まずカルト宗教団体にモラルを求めることは無理である。
なぜあれほどの会員がいるのかとなると低俗な庶民の要求に合わせているから政治と同じなのである。エホバとかもみんなそうである。なぜ誰でも人を見ず会員にすることを目的にしているのか?それはこの世で数で権力をもつためだとなる
数は力であり民主主義では権力である。創価などはそれをあからさまにして実行している10分の一が活動していてもあとは幽霊会員であり選挙の一票としてカウントされだけの人でありその幽霊会員に一票入れさせるのか幹部の日々の活動だからである。

舛添知事は何をまちがったのか?なぜこれほど責められたのか?政治資金ならもっとおおがかりにごまかしても責められていない議員が多いからである。
人格が品格が東京都知事にはそぐわないというのもだからわからないのである。
結局何か金銭的にも精神的にも余裕がない人は上に立つべきではない、重要な仕事はまかせられないということはある。
舛添知事は女性関係の乱れで離婚して子供に養育費を一億になるくらい払いつづけねばならないとか一カ月40万以上払わなければならないとかなると金銭的に余裕がなく追い詰められる、するとなんとか節約したり公金に手を出すということでてくる。
ただそのやり方がせこかったというだけである。

まず借金しているとか金に追い詰められている人は怖い、事業に失敗して借金した人が自分の所にきてひどいめにあったことを書いてきた。
相手が病気だろうが何だろうが頭の中は借金を返すことしかないから怖いのである。
そこから殺人までになるのも普通にある。犯罪の動機が借金が多いのである。
だから借金があるかどうかを調べるのである。
借金をしている人と共同の事業したりするのも危険がある。そういう人が上に立ったらまして東京都知事のような大きな権力をもったらどうなるのか?
それが舛添知事の女性関係にあったのでありその金を支払うためにあれだけせこいをことをして公金を使っていたともなる

人間は権力をもつと変わる、大金が入ったりすると人格まで変わる、なんか自分が偉くなったと錯覚するのである。やはり金である程度は買えるものが多いからである。
金で従わすことができるものがふ多いし今の時代は金で動かせるからである。現実に社会は金で動いている、金でマスコミも買われているから真実は報道されないのである。
舛添はやはり金銭欲、名誉欲とか何かそういうことが人一倍強い人間だった。
またそれをかなえるだけの力量ももっていたのである。
もともと戦前などは政治家は金持ちの篤志家がしていたのでありそれもいい面はあった。そういう人は金をもっているから公金をだましとるなどしないからである。

今は市町村の議員でも金目あてになっているからかえって腐敗したとなる
金とか権力にまつわわるとどうしても人間は欲があるから腐敗しやすい
弁護士なども大きな遺産とか利権にかかわるからかえってその欲にまどわれされるようになる。それでモラルも失うことも多くなる
人間はつくづく欲から離れられないのである。利権から離れられない、そこに諸悪の原因がある。
舛添は自分の私欲のために東京都知事を利用した、自分が偉くなりアメリカで大金を使い凱旋パレードをしていた。自分が王様になったような気分になっていたのである。
権力はあくまでも何かを政策などを実行させるために都民や国民から委託されたものである。ただ自分が偉くなり都民が自分のためにあるように錯覚した。
自分の私利私欲が優先してしまったのである。それもやはり金銭的にでも余裕がないと人間はそうなる

そしてそもそも東京都知事となると全国からの寄せ集めであり東京に愛着をもつ人は少ない、すると余計に東京都民といってもその人たちと直接かかわるということもない
自分の名声とか金のためにとか利用すればいいとなりやすい、東京都民を愛せと言っても一千万人のよそ者でありできない、それより趣味の絵画でも何でも自分の私利私欲が優先する。政治家自体が一票とるために選挙では平身低頭するがあとは威張っているだけだとなる。
良く国民のために、都民のために、市民のために・・・選挙のとき絶叫していも選挙の時だけでありみんなもそれを知っている、私利私欲が優先するのが人間であり政治家は美辞麗句を言うだけだとなる、舛添は本に書いているが美辞麗句だであり政治家は私利私欲になっていはいけないと言っているし政治資金について厳しいことを言っていたが自分も同じだった。ただそれがせこいということで批判された、それもあんなに自分で政治資金を私利私欲に使ってはならない、厳しく責められるべきだと言っていたからである。


美辞麗句や理想を語る人間ほど悪人な可能性が高い理由とは


これも一理ある、カルト宗教団体になぜだまされるのか?美辞麗句をならべたてる
その実はブラックそのものであり権力を我が物にしたいだけだとなる
つまりこの世の中建て前と本音があり本音は隠され美辞麗句が並べ立てられているだけだとなる、それはあらゆる人に職業でもそうだろう。
何か買ってもらうたに誇大に宣伝したりいろいろといいことばかりを言うが実際の所は効果がわからないのが多いのである。人間はだからみんなジキルとハイドになっているのである。
タグ:舛添
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2016年06月15日

なぜ舛添知事がこれほどもちあげられたのか? (舛添東京都知事のカルマ)


なぜ舛添知事がこれほどもちあげられたのか?


(舛添東京都知事のカルマ)



一人の人物を知ることは容易ではない、不思議なのはなぜこんなに舛添知事がもちあげられたのだろうか?
これまで悪いことを言う人はいなかったし厚生大臣にもなっているのだ。
本当は彼自身の業績というのはなかったのかもしれない、東大卒だけでは業績にはならない、助教授になったということは論文を出しているからそれなりのものはあった。
東大卒では業績にならなくても学者を見るとき論文を見れば専門家から見ればすぐわかるただこの論文も自分の成果でない弟子の成果を出したりするのが普通だとかいろいろ裏があるみたいだ。
人間は人間を判断するとき分野が違うと判断しようがない、自分は文科系だから文科系のものは判断しやすい,それでも文科系でも分野が広いから法律とかなるとわかりにくくなる。相馬藩のことを調べていて学者が論文を出していたがやはり学者だなと感心した。
論文は学者の明らかな業績なのである。


舛添知事は同世代であり団塊の世代である。舛添は貧乏だったというけどその時みんな貧乏だったのである。第一物がない時代だった。電器製品は一切ない、裸電球一つであり家にあるものは飯台一つである。それはみんな同じだったのである。
その当時は物が第一ないのだから金があっても贅沢はできないのである。
だから貧乏だったからせこくなったというのは理由にはならない
ただ自分のような劣等生から見るとまず柔道二段で東大を出るということは天才のように見える、この辺で東大に受かる人は十年に一人いるかどうかそもそもいない、それだけで相当優秀なのにガリ勉とも違う、柔道二段ということは体力も優れているから普通の人ではないとみる、両方ともだめな自分から見ればそうである。
やはり人間的素質として優れているとみる

そもそも団塊の世代というのは大学に入るだけで特別なものであった。中学校のクラスで四五人しか入らない、半分は中卒で終わりで集団就職の時代だったのである。
つまり今とは違い、大学に入ること自体が特別なことだったのである。
自分などは恵まれていて勉強がだめでも私立の三流大学に入ったのである。
そういう自分などと比べると段違いに違っている人間に見える
ただそういう優秀な素質の人間でも社会で評価されるようになるのは別である。
学問と実社会は違っているからだ。

その後なぜ彼がこれほど有名になったのか?これほど持ち上げられたのか?
次の総理大臣候補とまで言われたのか?そこに謎がある。
それを彼が度々テレビに出るようになったからである。
マスコミでもてはやされるとたちまち有名人になる、実力は関係ないのである。
テレビ受けする人がたちまち内容がなくても持ち上げられるのであり有名になる
つまり有名になることとその人の実力は関係ないのである。
芸術ならどうしてもその作品から評価される、いくら有名になっても作品からみるからある完全ではないが公平になる、学者の評価も論文でありこれも完全ではないが評価の基準がある。
でもテレビで有名になったというだけではその人のことはわからないのである。
ただ有名になるというだけで何か政治家などは票がとれるので通じてしまうということが問題なのである。
だからマスコミとかテレビはいいかげんなのである。何か面白そうなタレント的なものをもちあげてその人自身がどういう人かなど関係ないのである。
テレビはタレントを大衆受けするテレビ受けする求めているのであり中味は関係ないのである。口八丁手八丁のものが選ばれるのはそのためである。


いづれにしろ自分もそうだったが六〇代以降はどんな人でもこれまでのカルマの清算を強いられる、ここ十年の介護などの苦しみを書いてきたがそれもカルマだった。
舛添知事もそうだった。これまでしてきたこと悪行というか何か過去のことがカルマとなり責められる、それが高い地位についたため過酷になったのである。
普通の人だったらやはり問われてもこれほど責められないだろう。
人間は必ずカルマを課せられている、だから推理小説のテーマが若いときの犯した過ちが尾を引いて事件が起きることをテーマにしている、どうしても若いときには過ちを犯すからでありそれが後々まで尾をひき六〇代以降清算を強いられるのである。
変な話だけど子供もたない結婚しないというのも一つのカルマである。
人間として生れたら結婚して子供をもつのが普通だからである。それをしないことは六〇代以降カルマとなる。誰も老人になって身寄りのないものとなり助けるものがいないということである。それもカルマとなってはじめて理解するのである。
カルマというのはそういうふうに自分がその業(カルマ)によって苦しみとして現れないと自覚できないのである。それが六〇代以降否応なく苦しみとして現れるから理解するのである。

ともかくどんな人もカルマをもつ、結婚して子供をもつ人もまたカルマをもつ、カルマをもたない人はいないのである。
舛添知事も女性関係で乱れていて今になるとカルマとして現れ責められている。
そもそも舛添知事がなぜ厚生大臣までなれたのか?
それが自分が介護してもいないのに介護したと本を出して自分も売り込んでいたからである。
ではなぜその時その嘘が暴かれなかったのか?
これも不思議だとなる、これまでなぜこれほどに持ち上げられていたのに一転してこれほど責められているのか?その落差が大きいから不可解だとなる
その責任は回りの人にもなかったのか? マスコミであれ舛添知事をもちあけだ政党でありこれほどもちあげたのか?ただ有名というだけで選挙に勝てるとして持ち上げたのか?
そしてわずかの金のことでこれほど責められているのか?
他にもこういうことをしている政治家はいるという、それも億の金の政治資金をごまかしている人もいるという。
要するにこれは百円とか千円とか盗むとかえってわかりつかまるようにわかりやすいからこれほど責められているのか?それでも罪は重いにしても多かれ少なかれ政治家はしていることだと言うときなぜこれほど責められているのか解せないのである。

まず自分もそうだが貧乏に育った人間はみんなせこいというより倹約家になる
浪費しないのでてある。それがせこいとはならない、庶民はみんなそうしているからである。舛添知事の場合は団塊の世代はみんな貧しく育ったからそうなる、戦前生まれだとさらにもったいないという世代である。
ただ高度成長を経験しているからその後は贅沢したのである。
人間がせこくなるというとき貧乏だとどうしてもそうなる、だから高い地位につくものは貧乏人はふさわしくないということもある。そういう地位のものは外国人を接待したり貴族的にふるまわなければならないからである。
そして貧乏に育ったものは大きな金を使えない、自分もそうだが百万とかの金を使ったことがないからなかなか使えないのである。大きな金を使うことが怖いということもある
だから自分にしてもせこいとなる、このせこいにもいい面と悪い面があるのだろう。
事業に失敗した人は多額な借金したこともあるがせこくなっていた。
自分が苦しんでいるとき何かしてやるとき金を要求してきた。
つまりも親戚とかではない、友達でもない、事業をはじめたから人間関係もビジネスであり相手が病気で苦しんでいることも相手が不利になったのだからそれでその時ビジネスになれば自分の要求が通りやすいとなる、借金するのにも好都合だとなる
相手に同情するとかそんなことは全くないのである。そんな人しか来なかったのが最悪だった。もう一人はまさに露骨に金を奪う犯罪人だった。これもふりかえれば自分のカルマだったのだろう。家族のカルマとも関係していたのだろう。
何かそうした悪いこと人間関係でもカルマがあってそうなる

人間がせこいというとき相手が病気で他でも苦しんでいるときぼーんと金があれば与えるいちいちそれで恩を売るとかはない、そんなときいちいちビジネスのようにしている時ではないからである。ただそれも余裕があったらできることなのだ。
せこいとは余裕がないからそうなる。でも舛添知事は金が余裕がない立場ではない、嫁も金持ちとしたら別荘まであるとしたらそうである。
なぜそんな小さな金をでは政治資金から使ったのかという問題になった。
そんな金を自腹で払ってもどうってことなかったろうと思う。
せこいというとき必ずしも金があるとかないとかでもなくせこいなと言われる人がいる。金持ちでもせこいと言われる人がいるからせこいというとき何か心か狭いとういことでありその人の人格的なものなのだろう。
ただ基本的にはどうしても金がないといことは今の時代は特にせこくなる、金があると大きな気持になるのである。それだけ金がものいう時代だからとをにもならないのである。

いづれにしろ舛添知事は一生のカルマの清算を強いられているのである。これはさけようがない、みんなが六〇代以降は逃れられないのである。
自分の十年間もそうだった、それによってカルマを意識させられるのである。そうでなければ何も意識しない、舛添知事も今になって自分のカルマを現実問題として過酷に意識させられたのである。
ともかく選んだ都民も馬鹿だというときそうである。ただ有名なだけで選べばそうなる
そして今度は知事選挙で四〇億、解散すると都議会選挙で五〇億とか都民が税金で支払う、それも選んだ都民にはねかえってくる。その金で他に有効に使うこともできたからである。だから選んだ都民も馬鹿だから結果的に損したとなるのが民主主義なのである。
そして政治家は信用するな、政治家は監視しろというのが民主主義である。
マスコミは監視の役目なのだがそれを全くしていないのだからマスコミは信用するなとなる、なぜならマスコミは馬鹿な大衆を洗脳するメデアだからである。
それを利用しているのが背後の様々な団体なのである。カルト宗教団体もその中に入っている。芸能関係者が創価とたいがい関係しているというのもそうである。
東電は多額の宣伝費を使って安全神話を作ったというときもそうである。その裏には電通がいて操作している、それも最近露にされた。 
マスコミとは権力の走狗なのである。だからそこで持ち上げられて有名になっただけでその人を信用したのは大衆が操作されていたということでもあるのだ。
それは民主主義が機能していないということである。インターネットがメデアとして影響を及ぼすようになれば多少変えられるのである。
ともかくこれからはテレビに出るような人間には疑問もつ、信用しない、そしてなるべくテレビを見ないようにすることである。
テレビを見るだけで洗脳されるからである。そこに出ただけで重要人物のように見えるからである。
ただ出ただけで千倍にも万倍にも拡大してみるのである。中味は関係なくテレビというメデアはするのである。
だからそのメデアの影響を受けないようにするためにはなるべくテレビを見ないことなのである。
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2016年05月21日

ニュースも地理がわからないと理解できない (車のナンバーから地域を見るー舛添氏は湘南ナンバーと品川ナンバーの車をもつ)


ニュースも地理がわからないと理解できない


(車のナンバーから地域を見るー舛添氏は湘南ナンバーと品川ナンバーの車をもつ)


1位に輝いたのは「品川」で、調査対象のうち12.4%の支持を集めた。港区や中央区、千代田区など東京でも特に地価の高い区域を擁するせいか、「都会のイメージでかっこいい」「外車が多い気がする」など、お金持ちなイメージの「品川ナンバー」に憧れを持つ人が多いということがわかる。

 2位は「湘南」(支持率8.6%)。平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市ほか神奈川県西南部を対象としたナンバーだ。神奈川というおしゃれなイメージに「ハマっ子のイメージがかっこいい」 という声のほか、「湘南ナンバーをつけたオープンカーで海沿いを走ってみたい」といった声が寄せられた。

 3位につけたのは「富士山」(支持率5.0%)。ご当地ナンバーの代表格に挙げられるが「日本一の感じがするから」「レアな感じだから」「2県にまたがる初のナンバーだし、日本を代表する山だから」といった声が寄せられ、これぞ日本というイメージか。


車もっていないから車のことがわからないけどこの辺で震災以後原発の除染などで全国から人が集まっている
それで気になったのが車のナンバーなのである。面白いから必ずどこから来ているから見ている
確かに湘南は何回か見かけている、自分は湘南のことはわからない、ただ湘南というときなにか東京の別荘地とかのイメージがある。実際に湘南は何かそうした高級な遊び場としてあるのだろう。
地理的には鎌倉から江ノ島から海岸沿いに湘南があり小田原があり湯河原がある
この辺は海があり富士山も見えるし東京の混雑した地帯と違っていい場所なのである。
鎌倉は歴史の街でもあるからこの辺は観光地にもなる、小田原も海が近くて箱根山があり桜の季節に行ったときは城がありいい所だった。
つまりこの辺のことをイメージできることが大事なのである。

舛添東京都知事の妻が湯河原だったというとき湯河原はどこだと思った、小田原のとなりとなると結構遠いと思った。小田急のロマンスカーで小田原まで行ける
それには乗ったことがない、学生時代にその沿線に住んでいたけど旅行にその時興味なかったのである。
湯河原に舛添知事の別荘があったということは納得がいく、東京とは違いあの辺は前が海であり江ノ島辺りからは北斎の浮世絵で有名なように富士山も見える
「湘南ナンバー」の車を舛添知事をもっていたし品川ナンバーの車ももっていたとなる最もステータスの高い地域の車のナンバーをもっていたとなる
それも何かクラスの高いものをもつことに執着していたからだともなる、ただたまたまそうなったとのだろう。

要するにニュースでも地理がわからないと何かあっても理解できない、湯河原はどこなのだと最初わからなかった。小田原の隣なのかとなるとイメージできる
東京からは結構離れているなとみるし海に面しているから景色がいいとなる
石原慎太郎でもそうだが湘南というとき大金持ちはヨットをもっていたりする。
東京には金持ちが多いから湘南というときそういう金持ちの遊び場になっているのだろう

「湘南ナンバーをつけたオープンカーで海沿いを走ってみたい」

そういう金持ちの家の若者が遊ぶ場として湘南がある。この辺だと仙台市に金持ちがいる海の方に家を別荘など建てた人がいたかもしれない、でも津波で流されてしまった。
自分の近くにも別荘をもっていたが売りに出されていた。それが津波で流されて何にもなくなってしまった。1200万で売り出していたが一文にもならなかった。

ともかく日本全国だとたいがい実際にその場に行っているから話を合わせられる、つまり話を合わせるのにはも地理を知らないと合わせられないのである。
三陸で働いていた人が空が狭いとか何か狭さを言っていたが三陸だと後ろが山であり前が海だからそうなる。それもその地理を知らないと話が合わせられない
そういうことはいくらでもある、ニュースでもそこで起きた場所の地理を知らないと理解できないのである

それは世界でも同じであり世界となると広いからどうしても地理的に理解が欠けることが余計にわかりずらくするのである。
シリアってどこなんだとかなり地図を見てわかったようでもわからない、なぜあそこであんな悲惨なことが起きたのかということが理解できないのである。
世界史でも基本的に地理がわからないと理解できない、なぜイギリスがて夏の海を支配したのか、小国のオランダが世界的に進出できたのか?
オランダはニシン漁で船が改造されてそれで船の建造の技術が発達して海に進出して貿易国となり栄えた。そもそも海に面していたことが地の利で有利になりそうなった。
そうでなければあれだけの小国なのだから栄えることはできないのである。
世界史は基本的に地理からみればその基礎的なものは理解できるのである。

原発事故でもなぜ福島県の大熊とか双葉に建てられたかとなると地理的なものが要因となった。あの辺はもともと余の森という相馬藩では開墾されていない森や野だったのである余の森とは相馬藩主の余の森ということで岩城氏と争っていた地帯である。
大野と広野とかあるのもそのためである。
それは前の原町市とかいわきの前の平市からも離れているから反対がないということで建てられたのである。東京からも離れていて放射線の影響がないということで建てられたのである。

鎌倉から江ノ島から茅ヶ崎、小田原、湯河原そして熱海となる、この辺は東京に接していい場所だとなる、金持ちも多いということである。

江ノ島や茅ヶ崎に見て秋の暮

イメージして作った句だが茅ヶ崎は江ノ島が見える、あの辺は江ノ島が中心的になり孤を描いている

それから意外なのは

湯河原で2・26事件の舞台となった「伊東屋旅館」です。

伊東屋旅館は国の夕景文化財にも指定されている、歴史のある旅館です。
事件当時、前内大臣の牧野伸顕が、家族や付き人と共に宿泊していました。
牧野伸顕氏の家族は、別館「光風荘」におり、そこで牧野伸顕は青年将校の襲撃に遭います。

伊東屋旅館は、文豪・島崎藤村ゆかりの地でもあり、遺稿やゆかりの品を見ることもできます。

ここは文人が集まる別荘地がもともと多い場所だったのである。だからこそ要人の別荘もあり事件が起きたという因縁がある
ただ舛添知事の場合は妻が湯河原でありその縁で別荘を建てたとなる

ともかくこの辺では除染とか工事関係で全国から来ているから車のナンバーが気になる
「富士山」のナンバーは目だっていた、その人に話しかけたら富士山を毎日見ていると言っていた。きれいに富士山が見える場所に家があると言っていた。田からうらやましいと思った。
今はなかなか車の人と話しにくい、車は閉鎖された空間なのである。
ただ車のナンバーからその地域がわかりそれが話するてがかりとなり安いのである。

それでも品川ナンバーを見た記憶がない、もしかしたら一回くらいあったかもしれない、東京都にもいろいろあるとするとそれも全部は見ていないから品川だけが特別見ないとはならない、東京は地域的にわかりにくい、ともかく富士山となるとわかりやすいし他でも湘南なら一地域でわかりやすいのである。

この辺では原発事故後いわきナンバーが嫌われた。それは大熊とか双葉であるがここはいわきナンバーだったのである。浪江もいわきナンバーなのである。ナンバーを見て傷つけられることもある。
地域がわかるからである。でも福島ナンバーとなる南相馬市から相馬市とか中通りとかずいぶん広い、福島県はいわきナンバーと福島ナンバーと郡山と会津ナンバーに分かれている
福島ナンバーの範囲は広い、これだと地域でもわかりにくい、いわきとか会津だと地域が特定しやすいしわかりやすいのである。
福島ナンバーに浜通りが入っていることがわかりにくいとなる

全国的に岩手県が平泉ナンバーになっているのは観光のためだろうか?富士山とかもそうである。一般的に地域的には県単位で三つとか四つとか少ない、その地域を車のナンバーからはわかりにくいのである。ただ目安はできる、東京だって七つの地域に分かれているだけである。
宮城県は一番みかけるが宮城と仙台のナンバーしかない、ということは仙台市以外は宮城のナンバーなのである。仙台というナンバーはこの辺では一番目につくのはわかる。

この辺でボランティの人が津波の被害のとき来たけど「京都ナンバー」は目だったの記録した。やはり車はまず地域に注目するのである。

日本のナンバープレート一覧

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2016年05月17日

東京都知事ー舛添要一のネット情報 妻は創価の幹部で知事も創価の応援でなった?)

     
東京都知事ー舛添要一のネット情報


(妻は創価の幹部で知事も創価の応援でなった?)


厚労相就任の日も真夜中に洗濯…妻が語る「舛添要一という男」(2007年9月9日06時02分 スポーツ報知)より抜粋

◆舛添雅美(ますぞえ・まさみ)

1964年1月6日、神奈川県湯河原町生まれ。43歳。聖心女子大学文学部卒業。
89年に美術館学芸員として働きながら、東大助教授だった舛添氏の私設秘書を務めた。その縁で96年に結婚。 

私が自民党は公明党を切れと度々書いているのは、創価学会に裏支えされる公明党が、国家の中枢にいるべき政党とは思えないからである。そして、国政とともに、創価学会の息がかかる都知事が誕生すれば、国と首都に学会の手が及ぶことになる。舛添が都知事になってはいけない理由もそこにある。


創価のシンボルそっくり
都知事の奥さんは創価の幹部
競技場を建てるのは大成建設(創価企業)
新エンブレム 創価学会のシンボルマークにそっくり
2016-04-26T12:12:18+09:00Posted by 龍二 1


自民党が除名した舛添を担ぐなんてどうかしてます。案の定、こんな守銭奴を都知事にしてしまった!

一方、本来、反自民反公明の共産や民進が舛添批判をしないのは「舛添が韓国擁護派」だからでしょう。まさに、共産と民進は売国奴ですよね。舛添がいくら批判されても平気なのは「韓国カード」をしっかり握っているから。 そういう点だけは舛添の「ずる賢さ」が活かされています

法令に違反してまでして宗教法人としての認可を与えた張本人である東京都の知事と役人が
その後も創価学会の宗教法人格を取り消さずに知らん顔して与え続けているようです。
知事と役人が創価学会と癒着または信者本人であることがミエミエです。




舛添東京都知事に興味をもったのはもともと東京都知事になりえたのは創価の応援があったためだと分析がある。
自民党から離脱したのになぜ自民が応援したのか?それは同じ政権党だからそうなった。公明の要望でそうなった。政治的取引だったとなる
公明創価色が強い人物だった。婦人部からは女性歴で問題があり反対があったが押し切った。
舛添知事は公明創価の傀儡だったのか?それはネットの情報を探れば確かにそうみたいだ創価は東京は本丸であり大阪もそうであり重視している。
日本を支配するためにそうなるから東京都知事が誰になるかは重大である。
   

宗教法人団体の認可を与えるのは東京都なのだから東京都知事を創価の傀儡にすれば万全だとなる、そして東京都を創価支配下に置き権力を操作できる
だから創価は選挙に血眼になる、創価は自分も学生時代運動していたけど「権力奪取」を目的とした団体であり利権を得るためのものでありそれ意外なにもないのである。
仏教がどうのこうのとかそんなものは何も関係ない、仏教はだ御利益を得るものでありその指導はただ何か困ったことがあれば題目をあげろそれしかない、そこに何かしら人生論を説くなど何もないのである。
そんなめんどうなことにはかかわらない、福運があることだとか何か御利益にあづかることしかない、そのためには団体一丸となって東京都だから日本だろうが私物化するのである。それを象徴していたのが舛添東京都知事だったともなる 

舛添東京都知事の妻が創価の幹部らしいというときそれは裏づけがあるのでまちがいない公明党の選挙応援をしていたからである。
それは外部のものとしてではなく内部のものとしての応援だったのである。
舛添知事はそれだけ創価と深いつながりがある人だったのである。
だから今になると舛添を応援したバックの創価などが批判されている
ところが東京都議会とか議員とかが批判しないのか?
それは東京都の土地の一部を韓国に与えたように韓国とのつながりが深いからである。
すると野党は舛添知事を批判しない、背後にあるものが大きいので批判しない
舛添知事が強きなのはそのためなのである。

創価も日本の癌なのだけどこれにかかわらない人はいないだろう、例え会員でなくても近所に必ずいるのだからかかわらざるをえない、そして底辺層は創価か共産党と必ず関係している。ほとんど生活保護になっているからそうなる
そういう利権を与えて票とりしているからである。
市営住宅ではどっちかに必ず入っているのである。それは都会だとそうだと思っているが田舎でも同じなのである。議員には必ず一人か二人いるのだからそれだけの票をもっているということであり会員がいるのである。

創価の人はともかくまともでない、常識もない人間が多いのである。そのことでも嫌われている。最近草むしりしてもらった人は創価であり猫十匹飼っていてそのために去勢手術したとかで20万の借金があという、これも生活保護なのになぜそんなことをしているのかとなる、知らないでかかわったがあとはかかわらない。
ただ自分も一人暮らしで猫を飼っているから猫は子供を生むと本当にやっかいだということがわかったからそんなふうになってしまうのかとなる
どんな宗教に入っているとか信仰しているかを見る前にその人がどんな人か見るべきだろう。

イスラム教であれキリスト教であれ人は判断できない、そこには常識もないとんでもない人間が無数にいるからである。
あの人はキリスト教を信仰しているのだから心も清い立派な人だろうとかならない
エホバとかもそうである。それはカルトでありただ会員を増やすことを目的としている
いちいち人を選んでいたら会員は増えないからである。
カルト宗教団体の目的は権力を得ることなのである。だから政治化している
会員数を増やして政治に影響して権力を左右することなのである。
おそらくエホバなどでもは背後に大きな権力、アメリカなどの意向が働いて活動しているのだろう。

創価などはどんな人間でもいい、屑人間だろうが非常識だろうが一票にさえなればいいのである、その人がどんな悪辣であってもそうである。
だからそこにどういう人間たちが集まっているから想像すべきである。
宗教的回心などいゼロである。ただ幹部すら仏罰を恐れているのである。
それは得をご利益をひたすらもとているのだがそれが得られなくなる恐怖なのである。
それが地獄なのである。地獄に落ちる、罰あたるとすぐに言うけどそういう本人が宗教的呪縛されているのである。
あんたたちが一番罰当たり地獄に落ちるんじゃないかと思うし実際そうだと思う

悪人が宗教にかかわるとますます悪人になるというのは聖なる宗教を自分の欲のために利用するようになるからである。
この世では要するに宗教すらサタンのものになる、サタンは宗教を使いこの世を支配するのである。カルト宗教団体がまさにそうなのである。
それでヨーロッパではカトリックの批判から政教分離が生れたのである。 
自分は時事問題の深層から政教分離のことは追及してきた。
日本では天皇教があり戦争で多大の犠牲かあったということもあり戦後雨後の竹の子のように宗教団体が増えたのである。
その弊害の最たるものが創価だったのである。  

ではなぜ創価という政教分離に反する危険な団体が弱体化しているにしろ存在し続けるのか?
それはやはり底辺層を吸収してゆく、カルト化しているからそこで誤った宗教で奴隷にする、こういうことは結局おそらく人類からなくならないというほど絶望的のようにも思えるほど根深いなのである

「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、私たちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」 (ローマ八の15)

奇妙だけど教会でも牧師がいるとすると奴隷の霊に支配される、牧師が霊をさずけるのではなく神しかいないからである。だから内村鑑三は無教会を唱えたのである
人間は根本的にここを解決しないとカルト宗教団体はなくせないのである。
幹部たちが実際は奴隷の霊を受けて奴隷なのである。だから罰あたるとか地獄に落ちるとか恐れている、実際にそうなることはまちがいない  「地獄だ、罰だと軽々しく言うな、お前らにその言葉がかえってゆきその通りになる」
宗教をそれほどまてに堕落させ世俗の道具にしたのは余りにも重い罪だからそれはもう逃れることはできない、カルト宗教団体の会員はそれだけ重いカルマをもって来世に行くことになるのである。それを自覚できないのはまさに致命的であり来世で後悔してもも遅いのである。
数が多いからすべてが許されるのか?この世でも通ってしまうのか?まさにナチスがまた現代に再現される、中国やカンボジアのように粛清され大量殺人が生れる

ただ庶民というのが馬鹿なのかというとそうでもない、そんなカルト宗教団体にだまされない人もいる、そういう人は社会の常識をもっているただろう。
なぜ創価がオウムのようにならなかったか?それは創価は庶民が底辺が多いからである。
そういう人たちは得か損に敏感であり損なことはしないのである。                
池田大作が庶民の王だというとき庶民的感覚を重視しているからそうなる
サリンをばらまくということにやはり疑問をもつということあったのだと思う。
ともかくなんであんなのが宗教なのか、その会員を身近でみているからそうなる、創価などでも非常識な人が実に多いからまわりから顰蹙をかっている
庶民でもそういう常識をもっている人は入らないのである。
一方で知識人でも頭がいいとしてもオウムのようにカルトに入り人生を無駄にする人がいる、そうならないのはそれはかえって庶民の常識をもっているからである

だからつくづく常識が大事だとなる、そもそも宗教が権力をもった時点で過ちになったことは歴史が証明している
権力をもつが故に宗教戦争になる、その創始者が乞食のうよな生活をしていたことを見ればわかる、今ならそんなことをまねることすらない、ただ権力をもち威張り贅沢をしたいしか宗教でもないし宗教がそういうことを欲望をかなえる道具に成り下がってしまった。その誤ったカルト宗教が社会にものすごい大きな災いをもたらすのである。
批判すると罰あたる地獄に落ちろとか百万人の人間でも叫ぶことはハイルヒットラーとして敵対者を大量殺戮したと同じなのである。 

いづれにしろ情報は権力があるものが操作する。権力があれば白を黒と言うことができるその権力とは何かというとき、実際に権力をもっているもの行使できるものである。
例えば必ず背後にいて権力を行使する、今度のオリンピック招致問題でフランスがワイロを贈ったことに「電通」が関与したと指摘されたのもそうである。
電通は表に出てこない、でもテレビ局を支配しているのは電通だと承知されている
それが外国によって暴かれたとなる、創価もバックで情報を操作する権力をもっている。だからバックにあって表面に出てこない、またアメリカでもバックにあるし中国でもそうである。
巨大な権力によって情報でも操作され真実は見えなくなる、つまり権力そのものが情報を操作できるのである。それが真実とかどうかは関係ない、権力者の都合のいいように操作できる、原発事故でも東電と政府の権力が絶大だから「安全神話」が作られたのである。
権力が神話を作り出していたのであり真実ではないのである

でもいくら権力で情報を操作しても原発では津波や地震の自然災害でその嘘が暴かれた。今回もやはり巨悪でも暴かれるのかとなる、舛添知事の場合は小悪だとしている
オリンピックが巨悪なのだろう。そこにも創価がかかわっていたのである。
オリンピックも巨大な利権だからそうなる、利権となると食いついてゆく
大成建設が競技場を建てるというときそうである。大成建設は創価の正本堂を建てた。その時大成建設の社員が創価の会員になっていた。
その大成建設の社員宅で座談会が行われた。大成建設と創価はもともと結びつきが深い、それで創価大学の就職先として一定の枠がもうけられている。

そもそも創価はそうして権力を操作したいから権力に執拗に執着して権力を我が物にしようとする団体だからそうなる
権力そのものを追及しているのであり真実、善、義など関係ないからである。
東京都民も公明の議員に都政が牛耳られ利権を行使されることに不満な人が多い、そういう人たちの不満がいつか爆発する
その時創価でもどうにもならない、創価で運動しているのは実際は十分の一にも満たない、あとはほとんど幽霊会員であり一票とるためとしてある。創価をやめた人はすでに何百万人なのである。もう衰退する団体であり最後のご利益を得るために運動しているのだろう。
そして組織が崩壊する日も近いからである。
仏教はご利益のためでにある、あとは何もない、巨大なご利益権力圧力団体にすぎないのである。そこには一かけらの仏教の真理とかも関係しない、ただご利益追及のために仏教があるだけである。

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2016年04月10日

タックスヘイブンとグローバル経済 (巨悪が見えたので怒りの対象となる)


タックスヘイブンとグローバル経済


(巨悪が見えたので怒りの対象となる)


そもそもグローバル経済を理解するのはむずかしい、学問的な理解と実際のグローバルー経済は違っている
自分自身も経済のことを言ってきたがわかっていない、グローバル経済は資本主義は資本もって株とかに投資しない限り具体的に理解できないのである。
だから貧乏人にはそもそも理解できない、自分ももともと貧乏人だから理解できていなかった
ただアメリカとかカナダに投資したことでグローバル経済の中に自分自身も入っていると実感したのである。
なぜそうなったかというと自分の金だからこそ関心をもつ、自分の金が増えれば喜ぶし減ればがっくりとくる、そしてどうして株が動くのか興味を持つ、最近は石油がこれほど世界の株価に影響することを知った。
石油は現代のエンジンだからそうなる、車であらゆるものが電気でも石油が必要であり石油が原動力となって現代の経済は動いている
アメリカもカナダも石油資源国だから石油が上がれば株も上がるのである。
石油から見るグローバル経済は分かりやすいのである。


グローバル経済とはなにかというと企業中心の世界経済のことであり今までの国が中心になった世界とは違う。それで良く多国籍企業にとっては国が邪魔だ、国境があり様々な文化の障壁があり自由な経済活動ができないとみる。
企業が物を世界的に売るとしたら国境がない方がいいし国がない方がいい、国がかかわると税金をとられるからである。そうしたら企業の収入が国にもっていかれるからである。アマゾンなどは国に税金を払っていないからもうけも大きい、それで無料で配達もできたのである。
それは利用する方にとっても便利であり自分はアマゾンでいろいろなものを買った。
だから多国籍企業でもいい面もある、一方で悪い面もある
すでにアマゾンでは国に税金を納めていないということは国にとっては損なのである。
国の税金は福祉などにも使われるから税金を納めないで経済活動することは国では困る


タックスヘイブンはグローバル経済の資本主義で必然的に生まれたのである。
国からは税金を取られる、税金をとられないようにするにはどうするか?
大企業はその税金を逃れるためにタックスヘイブンが生まれた、これは世界中がそうなっているとき共産主義でも中国でもロシアでもグローバル経済の中に組み入れられているから同じだった。
グローバル経済は国があれば国境があり自由に出入りできないとか、文化があると言葉もいろいろで興隆できないとか、イスラムは豚肉を食べないとか食文化もあり世界に売れないから困るとかある。
それでコカコーラ会社なら世界中に売りたいからそうした食文化もない方がいいとなる

タックスヘイブンは素人的にみれば多国籍企業が国に税金を納めたくないということから起きている、国が邪魔でありではどうしたら税金逃れるするかとなるとタックスヘイブンに逃すとなった。
税金をとる政府の首相すらそうしていた。自分たちは税金を下々のものから苛烈にとり税金は払わないで蓄財する
こういうことは国の支配者がしてきたことだけどグローバル経済では多国籍企業がそうしている
中国では庶民が薪までとった栃の実とかまで税金がとられると嘆いていた。
そういう仕組みがグローバル経済でも成り立っていた。ただ国も役人も首相などもそうしていたが大きなものは企業である。

現代の支配者は国の政治家ではない、多国籍企業でありその幹部だとなる
東電をみればわかるけどあそこも国のような巨大な会社だったのである。
結局国とは何か?それを考えるとこうした巨大な企業の手下になってたのである。
政治家から官僚から検察関係から警察関係からマスコミから東電の天下り先と利益を受けるものとしてあった。
そして「安全神話」が作られて事故になった。
現代は国というものだけを見ていただけではわからない、中国の政府の幹部も首相もロシアでも上層階級がタックスヘイブンに金をあづけていた。
世界が上層階級と下流階層に分化している、そしてそうした階級化はグローバルの中で資本主義の中でシステム化されていたのである。

正直株とかはグローバル経済では小金持ちではもうからないシステムになっている
結局銀行の手数料とか株の世界的下落とかなり自分も損したから馬鹿らしいとなる
株でもうけるのは大金持ちであり大企業とかでありそうしてもうけた金はタックスヘイブンに蓄財されていたのである。それには税金もかからないのである。
こうした巨悪は見えない暴かれないのである。
東電とかの原発事故も津波がこなかったら暴かれなかったのである。
カルト宗教団体なども巨悪なのだけどこれも暴かれない、何か巨悪は見えないし暴かれない、巨悪とは巨大な権力をもつゆえに暴きようがないのである。
グローバル経済のこうした巨悪は隠されていた、それが暴かれるのかとなるとわからない中国などはすでに報道を禁止しているからである。インターネットでも検索できなくしている。

セブンイレブンのこうした実態は、マスコミではいっさい報道されない。 
週刊誌や新聞にとって、いまやコンビニは最大の販売所となっており、とりわけ最大手のセブンイレブン 
においてもらえるかどうかは、死活問題になっているからである。 
セブン&アイ会長の鈴木敏文は書籍の大手取次会社トーハンの出身者であり、いまもトーハンの 
取締役である。 


ここでも大企業は権力をもつからこういうことができる、マスコミは大企業の宣伝費で経営するから批判できない、カルト宗教団体でも創価なども権力をもっているからマスコミは批判できない、要するに権力をもてばこの世の中は濡れ手で粟になる。
だからこそ権力を追及しているのである。
そして資本主義というのは別に地位とか土地があるとか何かではなく金が最大の力となる社会である。
別に地位がなくても学歴がなくても何がなくても金さえあればどこの国だろうが豊に世界できるという社会である。
戦前とか農業社会だったらまず土地が資本であり土地がないとしたら何の力ももていない、工業社会とか金融社会とかなると金がもの言う社会になったのである。
だから資本主義はユダヤ人が考えたものだというがそもそも農業社会では起こり得ない、工業社会になったときグローバル経済になったのである。
イギリス人がタックスヘイブンの先駆者であるということもそれを示している
イギリスは最初はアメリカが支配者になる前は世界を支配していたからである。
グローバル経済の基を作り出したのはイギリスだったからである。
そのイギリスに対抗したのが日本だったのである。
イギリスと衝突してアメリカと衝突したのは日本が明治以降力をつけたからである。

グローバル経済は具体的に目に見えてわかりにくい、でも今回のタックスヘイブン問題はその巨悪が目に見えてさらされた。
だから下級階層はその悪が具体的に見えたので攻撃しているのもわかる
中国人が薪とかにも税金がかけられて栃の実までとかあらゆるものに税金としてとられ搾取されてきた。その嘆きは今もつづいている
ただその搾取が見えないのが現代だったがタックスヘイブンは具体的に見えたから世界中で搾取されている人たちが怒りとなり暴動となるとか言われる
つまり中国などで酒池肉林とか王が権力を消尽する、それが目に見えてわかるから革命が起きたのである。
現代は具体的にその悪が見えないから革命が起きにくいのである。誰が敵なのか見えないからである。
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2016年04月05日

理解できないアメリカの銃社会 (資本主義は弱肉強食の世界、荒野のガンマン化するが否定できない)


理解できないアメリカの銃社会


(資本主義は弱肉強食の世界、荒野のガンマン化するが否定できない)


アメリカを日本人が理解するのはむずかしいだろう。その国の成り立ちから違っている
それは中国を理解するのがむずかしいのともにている
その国の歴史がみんな違っているからだ。
「荒野のガンマン」というけどアメリカは荒野を開いて移民が住むようになった。
テキサスでも西部はそうだろう。広大な土地を開いて住んだ
第一グランドキャニオンを見ればあそこが地球なのかと思う
スケールが日本の風土と国土と全然違うのである。それは中国にも言える
大陸的な風土は日本では肌で理解できない,この風土が理解できないと世界が理解できない
それは地形とか地理とかでもそうである。そして世界を知る基本はこの地勢とか地理なのである。学問の基本はここにあった。

この地形とか地理は本を読んでもテレビをいくら見てもわからない
その広さの感覚がわからないのだ。だからモンゴルとかを知るにはあの草原を車でもいい、どこまでも走ってみないとわからないだろう。
例えばそこに行っても意外とわからない、その距離感覚がわからないのだ。
日本にはそれだけの広い場所がないからだ。
自分はフフホトとかに行ったけどそこで感じたのずいぶん高地にあると思った。
車で行ったのでそれか感覚的にわかった。この土地の高低もわかりにくいのである。
相馬の海側からだと飯館村はかなり標高が高いのである。だから夏は涼しいのである。
それは車で八木沢峠を越えれば実感する


なぜ世界を外国が理解しにくいのか?それは地理が理解できないからである。
なぜシリアで紛争が起きているのか?それも地理がわからないから理解できない
例えばアジアだというときイスラエルまでアジアである。
アジアというときトルコは遊牧民だからアジアである。
西洋と東洋というけど宗教はアジアが発祥の地であるというときキリスト教もアジアなのである。なぜならイスラエルがアジアだからである。イスラム教ももともと一神教で同じ系統のものもである。
アジアとヨーロッパというのも区別がむずかしい、トルコがアジアだというときトルコかEUに参加したいというときアジアでは唯一ヨーロッパに属したい国だとなる

アメリカの国の成り立ちはそもそもよそ者の集まりであり移民の国であることはわかる。よそ者の集まりとなると互いに同じ国の人でも信用できないとなる
あらゆる国の人が混じり合う社会だからである。
だからそこで安全を守るためには法でありルールが厳しくなる
それで資本主義社会は競争が原理であり日本ではそれが徹底されていない
そのことがかえって日本は社会主義化して福祉社会になって衰退するということを言う人がいる。
それも一理あると思う。日本でも福祉の金が膨大になり医療費でも生活保護でもなんでも増えるばかりである。その金を誰が稼ぐのかとなると資本主義の競争社会で勝ち組にならない限りその金はででこない、社会主義的福祉社会は誰かが金を稼ぐことで成り立っている逆説があるのだ。
中国の共産主義社会でもグローバルな資本主義社会の中で発展したのである。
でも中国の官僚が経営するゾンビ企業を国で維持するとなると負担になるからつぶすと共産党幹部が言っている。資本主社会ではそうした福祉的なことをしていると全体に影響しして国自体が衰退してゆくのである。
それはいい悪いということではない、そういう仕組みとして資本主義がある

でもアメリカの銃社会では賛否両論がある。オープンキャリーとして銃を持ち歩くことを勧めている集団と銃をもてないようにすることを推奨する団体である。
そのオープンキャリーをすすめているのが牧師だというから日本では理解しがたくなる
剣をもつものは剣で滅びるというのがキリストの教えである。
その教えに全く反しているが理解できなくなる、牧師が率先して銃をもち説教壇でも銃をもちしている、それは境界でも銃の乱射事件があったからである。
これも日本では理解できない、日本では侍が刀をさしていたのは戦国時代の名残だけど
江戸時代になったら侍のシンボルとなり飾りとなっていてほとんど使われていない
刀で争い人を殺すということはまれになったのである。

この論争でどっちが正しいかとなるとその国の成り立ちもあり外国から見て判断するのもむずかしい、銃をもつことは権利だというのは国の成り立ちでそうなっていた権利だからである。
日本で銃を堂々と持ち歩いていたりすることはイメージすらできない、今ではアメリカくらいがそういうことをしている、するとアメリカが先進国なのかとも思う
でも国の成り立ちが暴力から武力をもったものによって成り立つのはにているだろう。
中国でも毛沢東が革命は銃口からはじまると言っていたから武力によって暴力によって権力を得たのが中国の共産党だからである。暴力なしでは武力なしでは国はまとめられない
資本主義は本当は相当に厳しい社会である。事業を起こして失敗した人は責任をとるべきだというときもそうである。
そして事業に失敗した人は本当に多い、20人一人しか成功しないの事業である。
資本主義社会では事業に成功すればその人は王侯にもなるが失敗すれば最低辺に没落するそれが資本主義社会の厳しさである。それは国にもあてはまるのだ。それが容赦がないのである。熾烈な競争に勝ち残らない限りそうなる
そして福祉とかも資本主義社会で競争に勝ち残ればできるのであり負ければ福祉すら崩壊する、日本は特に高度成長時代から衰退しているからもう福祉の負担すら政府ではできなくなる
何か日本では世界に売れるものを発明したりすれば別なのである。
資本主義は弱肉強食の世界なのである。それはいい面に働くこともあるし悪い面に働くこともある。
ただ格差社会のことを言うけどこれも格差をなくすにはどうするかとなる社会主義的平等の手法では簡単に解消できないだろう。
グローバル資本主義社会では競争に勝たない限り国全体が負けになり衰退するからだ。

いづれにしろ「荒野のガンマン」というときそれがアメリカ人のアイデンティティなのだろうか?日本だと村がアイデンティティであるのとは相当に違う。
ただ資本主義社会では日本でもアメリカとにてくる、金が唯一の価値となっているのもそうである。
「金くれ」と家に入ってきた人がいたがそれは強盗と同じだった。すぐ家捜しして大金を盗られた。田舎でそんなことがありうるのか?だからそういうアメリカのようになっているのも日本の現実である。
いくら金がないといってもそこまでするのかと驚きだった。そういう人は玄関で銃で殺さない限り安全は計れなかったのである。
そういうことも会津の夫婦がよそ者に無惨に殺されたことで起きた。
日本すらそういう危険な社会になっているのだ。格差社会になると金持ちはさらに危険になる。自分のみを守れなくなるのだ。そういう殺伐な社会が「荒野のガンマン」のアメリカ人の体質と同じになってゆく

事業に失敗した人もそうだった。自分が病気なことを弱者化したことをいいことに借金しているから脅迫してくる、これもまさに自分は弱肉強食の世界を身をもって体験したのである。もう相手は人間ではない、人間を金としかみていないのである。
そういうふうに事業に失敗したり借金に追い詰められた人はそうなる
世の中はそういうふうに厳しいものだということを知らなかったといえばそれまでであるでもすでに銃を持ち歩いていること自体その社会で相手を信用しないということである。誰も信用するものがいない「荒野のガンマン」なのである。
そんな社会が地獄だとアメリカ人の女性が言っているのはわかる。
現代の社会が日常社会でそうなっているとき世界的に戦争になってもおかしくない
弱肉強食の世界では最終的にはそうなる、殺すか殺される?食うか食われるか?の世界になるのが必然だからである。
アーリア人種、白人はそういう世界で侵略をしてきたという世界史観から資本主義が生まれたというのも一理ある。

かといって資本主義から共産主義になっても同じだった。なぜなら毛沢東が銃口から革命が生まれるというとき結局銃で権力を持ったものが王侯になったと同じだからである。
そして福祉に頼る人間は何も産み出さないという逆説もある。
平等だけを追及して格差社会を批判してもその人たちは何も産み出さないからみんな貧乏になるのである。
いづれにしろ人間は厳しい現実を認識してこそ世界を知る社会を知る
その厳しい現実にどう対処するかということで銃をもつ派と禁止する派に分かれたたのがアメリカである。
日本だってそういう社会になればそうなる、銃をもたないにしろ現実的には日本も資本主義だから負け組になれば最低辺に落ちる、そうなるとどうなるか?
銃で襲わないにしろ自分が経験したようなことがどこでも起きてくるし現実に起きているのである。アメリカでは銃をもって説教壇に牧師が立っているのだからその異常性ははっきりしている、そうしてキリストの教えを説いているのも矛盾なのである。
だから宗教家というのもどこでも宗教を実行している人などいないとなる
イスラムではテロになりカルト宗教団体は権力追及であり世俗と何も変わらないというより銃をもって殺さない限り安全が守れないとか食うか食われるかを実行しているのが現実だとなる



タグ:銃社会
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2016年01月02日

自分に起きた2015年までの恐怖の体験 (それはこれからの未来の問題)


自分に起きた2015年までの恐怖の体験

(それはこれからの未来の問題)


● 認知症の恐怖(人間崩壊の恐怖)

●介護が延々とつづく恐怖(重度になる恐怖)

● 病気の恐怖

●病院の恐怖

●身寄りのない人の恐怖

●凶悪犯罪の恐怖(老後貧乏の問題)

●借金の恐怖(モラルの崩壊)

●津波(天変地異の恐怖)

●原発事故(文明崩壊の恐怖)


この十年間で自分が体験したことは今ふりかえると恐怖の連続だった。最初に起きたことは家族が認知症になったことである。
それは突然起きたことであり何が起こったのかわからないので本当に恐怖だった。
最初から異様な妄想となり暴力になったから怖かった
60年も親しくしていた家族がそれも優秀だった人が痴呆化するというか狂気にもなったから怖かった
それは認知症とは何か全くわからないということであり狂気としか思えず対処しようがなく怖かった、激情的な人だから暴力になったとき怖かった
そして自分の家族は分離して家庭崩壊になった
ただ助かったのは二年半くらいで死んだことだった、だから意外と早く死んだなと今ではふりかえる
そして認知症は必ずしもすべてが崩壊するものではなくやはり人間的なことが残されていて人間崩壊というものでもないと最後は理解した


この認知症の恐怖は問題は高齢化の最大の問題になるしなっている
介護もまたこの問題と一緒にあった
一人は早く死んだがもう一人が介護になり約5年間つづいた
楽な方だったが最低でも5年間つづくことはやはり長いと思った。
そしてそれがなお延々とつづくのではないかという恐怖だった。
実際に十年とか二十年介護している人が現実にいるからだ。
自分の場合はすでに95才くらいになっていたから5年ですんだのである。
90才からでもいまなら相当に長くなる
そして脳出血とかなると三食食べさせなければならなくなるから手間である。
それも恐怖だったしオムツをするようになるのも恐怖だった。
母は最後まで水しか飲まなくなってもボータブルトイレに行っていたから助かった
それでも介護が長いということは心身が疲労してくる
介護にも様々な恐怖がある

●病気の恐怖、身寄りのない恐怖

これは誰にでもある、自分も癌の検査をしたときはショックだった。幸い癌でないし軽い病気だったので助かった。それでも自分は二年間くらい身体障害者であり苦しかった。
その時誰にも助けられることがなかった。
確かに親戚というものでもないが助けることを装う人は来た
その人は借金で追い詰められていたから自分からなんとか借金しようとすることしかなかった
これも本当に恐怖だった。病気のときだったから恐怖した。
人間は相手が弱者になったときそうした借金で簡単に断れない、弱者になったときの恐怖を体験した

その時同時に身寄りがないということがいかに怖いことが体験した。
病院にでも何でも手術するのにも保証人が必要になる、身寄りのない人は保証人がいないから老人ホームにすら入れないとかいろいろな問題が生じる
これが意外とやっかいな問題である。就職するのにも保証人が必要になる
でもこれも何かうまくきりぬける方法はあった
なぜなら保証人でも病院の場合はそんなに追及しないからである。
ただ身寄りがないということは何かこうした緊急の場合に困る
これも自ら体験したから結婚しないことはそうした助けが全くないともなる
だから今結婚しないフリーターとか派遣とかニートが自分と同じような恐怖を体験する
自分は金があったからまだいいがないならさらに困窮して苦しむことは目に見えている

●病院の恐怖

病院というのも恐怖の場所だった、身寄りがないとしたらさらに恐怖である。
研修生とかの実験台とか他にも何かされても抵抗できない
病人はまるで医者とか看護師の奴隷になる、一切抵抗できない
病院は牢獄のように思えた、現実に点滴は鎖につながれたようであり
身動きとれなければさらに人体実験のようにされてしまう
つまり医者とか看護師はそういう病人を冷静にみている
なんにも抵抗できないものとして自分の思いのままになるものとして見ている
だから医者が三百人殺したとか看護師でも世界でそういうことが起きている
病院は人を最も殺しやすい場所でもあるのだ


それが犯罪になりにくい、そして虐待も起きている
自分も虐待のようなことをされた、それは家族もいないような人はそうされやすい
家族がいても見ていないところでは何をするかわからない
手袋をかけられてベッドにつながれているのはまるで囚人なのである
今になると一時的ならせめて一二週間ならいいがそれ以上いると恐怖になる
直すというよりだんだん死につかせるという気分になるのだ
だから看取りとか最後の場所としてはあまりにも無機質であり情がなさすぎるとなる
死んだら物のようにあとがありますから早くかたづけてくださいと言われるだけなのである。
つまり死んだ人に対する情が全くない無機質な空間なのである。
だから病院では死にたくないが90パーセント以上はもうみんな病院で死ぬ時代である。
でも病院で最後の一二週間くらいで死ぬならこれもいいかもしれないが長くなることが問題なのである。延命治療などされたら詰問であり地獄になってしまうのだ。



●老人犯罪の恐怖

これもまた現代の世相が反映している、老人が犯罪を犯すのは今は老人が置かれている立場が厳しい、数も多いから老人を尊敬する社会ではない、金のない老人は何の価値もないとされる、そして下流老人が増えているから当然追い詰められて犯罪を犯す
それが自分の身にふりかかってきたのである。
別に犯罪を犯さなくてもそういう老人が増えているから社会不安になる
そういう人が多いこと自体社会不安をもたらしているのだ。
金持ちでもそういう格差社会になると不安が増大する
兵を鉄条網で囲って身を守らないと生活できなくなる
現実都会ではそうしているらしい、そういう社会も窮屈である。
高齢化社会の問題は深刻なのである。

●津波の恐怖

これも最大の恐怖だった。ノアの方舟のようにな恐怖を味わった。
天変地異の恐ろしさである。今でも津波の跡は生々しく荒寥としている
津波の恐ろしさは何もなくなる、村すら街すらなくなるという恐怖である。
一軒二軒くらいなくなるなら恐怖ではない、村全体が街全体が消滅する恐怖である。
これで自然の恐ろしさを知った。人間の計り知れないものが自然にはある
自分は津波の被害にはあっていないし家族も死んでいない、津波で家が流されて家族が死んだ人の恐怖も大きかった。
これほどの恐怖はそう簡単に忘れられるものではないと思う
十年たってもそうだろう、津波は一切を流して無にする恐怖であった

●原発事故の恐怖

これもまた恐怖だった、放射能というのがわからないし目に見えないから恐怖として認識できない、今でもそうである。
目に見えないということが恐怖させないということがあるがいろいろ言われると恐怖である。
放射性物質で体内被爆することが恐怖だった、食べ物からでも空気を吸っても体内被爆する
前立腺ガンの治療では放射性物質をカプセルとして埋め込んでその放射線でガンを徐々に消滅させる治療方法がある、すると放射性物質というのはそれだけの威力がある
放射線治療もあるが放射性物質のカプセルを埋め込んで癌細胞を消滅させてゆくというのもある、毒は薬にもなる、するとそんなに放射性物質が威力があるとすればまたこの辺で被爆した人たちはやはり癌になりやすいのかともなる
だから恐れる人は恐れて子供をもっている若い人は帰らない、それで看護師不足でこの辺では悩んでいるのである

原発事故は何だったのか、それは空気とか水とか土とか森とか海とか人間の基本的な生活になるものは汚染したことである。
第一次産業を破壊した。これも恐怖だった。それは大きく見れば文明崩壊である。
認知症の恐怖は人間崩壊の恐怖だったが原発事故は文明崩壊の恐怖でもあった
そのことをいろいろ書いてきた。
だからそもそも第一次産業を農業でも漁業でも林業でももう一割にもみたない生産しかない、後継ぎもいないとかすでに崩壊状態だった
でも現実に第一次産業が壊滅すれば人が住めなくなる、人が故郷に住めなくなるということが現実化して故郷は何かなと当たり前にあるものの尊さを考えるようになった
この辺では当たり前にあることが喪失してしまったからである。
水さえ飲めなくなるということはもうその土地では生活できなくなるということである。

この原発事故はやはり文明崩壊の現象として現れたとも言える、その土地に故郷に住めなくなるということはもう最大の被害でありそんなら貧乏でも故郷に住めるだけでもいいとかになる、価値観を変えてしまう問題だった。
これまでは別に江戸時代からそうした生活がつづいてきたのでありこれほど贅沢になったのはここ50年間くらいなのである。
だから原発事故周辺では文明そのものの疑問が起きた、それは現実的な問題としてこれからどうするのかという問題である。
それは人間があまりにも贅沢になり贅沢を追及しすぎたということにも原因があった
みんなが強欲になり金をあくことなく求めている、それは自分でもそういうことがある
そういうシステムの中で生きているからだ
でもそうした金だけを追及していることの矛盾がこの辺では具体的に起きた
補償金問題で南相馬市は三つに分断された。
補償金問題で遺産問題のようにもめることになった。
そこに絆を言われたがそんなものはなくなっていた。ただ金をだけを求める社会の問題も今までもあったがここでより具体的に現れたのである。
だから今の文明自体が問われることになったのである。


つまりこの辺で起きたこと自分に起きたことは何か現代の問題を集約したように起きた
それは現代文明自体の問題でありそれが自分の一身上でも起きたし回りでも起きた。
だからこの辺はそうしてこれからどうするのかという未来をどうするのかということを具体的に考える場所になったのである。
科学技術文明や資本主義社会であれグローバル社会であれ金融グローバル化でありそうした社会というのは本当にこのまま継続されるていいのか疑問が生れた
もちろん自分もそうしたシステムに入っているし否定した生活はしていない
そういうお前が何か言えるのかと言うことはありうる、実際に恩恵を受けているからである。
でもこの辺で起きたことはそういうシステム自体文明自体を全部肯定していいのかという未来への問題が具体的にこの辺で起きたのである。
自分の一身上であれ回りでも何か集約的にこの辺で起きた、それを追及して約十年がすぎたのである。
そして母が死んで介護からも解放された、今年はどうなるのか?


それは猿年が災いが去る(猿)となるといいとは確かである。
これだけ災いがあったらもう当然災いは去ってほしいとなるからだ







タグ:恐怖の体験
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2015年11月30日

トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分 (実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分

(実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ自動車グループでvZ自動変速機(AT)世界最大手の「アイシン・エィ・ダブリュ(AW)」(愛知県安城市)の男性幹部が、 
就職活動中の女子学生に不適切な関係を迫ったとして、処分を受けたことが同社への取材でわかった。 
この幹部はトヨタグループ創始者の故豊田佐吉氏の兄弟の孫にあたり、すでに退社した。 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1448778348/


企業の不祥事のニュース、例えば社員が飲酒運転で死亡事故を起こした場合、小さな企業ならそのまま報道されるところを、トヨタのような大企業の場合は、広告費をたくさん出しているので、報道を小さく扱ったり、自動車会社の社員が自動車事故を起こしたことが発覚したら企業イメージに打撃があることを、頼まれなくてもマスコミが自ら企業名を公表することに躊躇し、「会社員が飲酒運転で死亡事故」などの報道になります。


理彰氏と女子大生のやり取りはチャットツール「LINE」上でも「証拠」として残っており、「あなたの能力ではうちの会社には受からないから、私と特別な関係を持てば、親戚扱いにして入社させてやる」といった趣旨の発言をし、嫌がる女子大生に迫っている。そして、その女子大生が断ると、「採用は絶対にない」「友達を紹介してください」といった返事を送っている。強要とみられても仕方ない行為といえるだろう




現代の問題は会社が大きくなりすぎたことである。だからトヨタ王国ともなり東電王国ともなる。
社会の支配者の実質が実際は実業にたずさわるものであり富を産み出すものである。
政治家は仲介者でありかブローカーでありコーデネーターとかなる
政治家は実際は力を権力をもっていない、政治家は選挙で選ばれるからその地位も不安定なのである。それに比べて会社は政治家より長くつづく、東電となればもう電気社会なのだから電気がなければもう社会活動ができくなるから政治家などより力あるとなる
トヨタでも車がなければ社会活動もできないから車が必需品だからともなる
でも車は別に日本のものだけではなくて外国からも買える、それより日本車を売ることによって莫大な利益を得ているから国の経済を支えているのだから国の政策まで左右するし政治家以上の力をもっている


だから原発事故でわかったように東電は市町村を買収して市町村ごと買うほどの力ももっていたことに驚いた。つまり市町村が東電によって買いあげられていたのである。
原発事故以後も国や東電の補償金をあてにして生活が成り立つほかない状態になった。
東電にそれだけ依存した経済になっていたのである。
それは結局電気や車に依存する社会になっていることでありだからこそ東電とかトヨタが国並みの力をもつようになったのである。
そもそも自給自足のような生活のとき炭焼きして都会に頼らないで自力で生活することを誇りとしていた時代があった。
考えてみるとこのことも不思議である。科学技術の時代になると科学技術が権力を作るようになる、テクノクラートが支配者層を作る
「電気がなくなったらどうするんだ」「車がなくなったらどうするんだ」「その車でも火力発電所でも石油がなくなったらどうするんだ、、、」とか脅されることになる
要するに政治家なといなくなっても何にも困らないのである。
誰か代わりがいるしそれは選挙で選ぶものであり政治家が力をもっているわけではない
そして民主党でも電事連とか組合を通じて原発に賛成する立場にあったのである。
これからもわかるように今の社会は政治によって動かされている社会ではない
実質の権力は巨大会社にありそれはグローバル経済になるとアメリカですら国ではなくロックフェラーだとかロスチャイルトとか巨大会社が世界を動かしているとなる
その会社の利益のために国も動かされている、軍需産業ならば国が戦争して武器を売らせてくれとなり必要のない戦争までするように仕向けられるとなると怖いことである。
また金融となると何か株を操作して巨額の金もうけを金融会社でたくらむからそこで戦争までして金もうけしようとするとかそれがユダヤ人だとか言われる、それも一部あっても金融というのは今やそうして国の権力より上にあるからそうなる
そもそもだから今や国とは何かなどわからない、巨大会社の代表なのかとなる


そしてマスメデアは全くこうした巨大企業に支配されている、トヨタでも東電でも湯水のように巨額の金が流れる、そうすると何も批判できないとなる、現実にトヨタのこうした悪質の江戸時代の代官のようなことが現代の民主主義社会で行われていることが暴露されたことでもわかる
でもマスコミでは何にも報道していない、話題にもしないのは宣伝費をもらっているからだとネットでは盛んに言うようになった。
それは東電の原発事故のときもそうだった。ちょうと中国にマスコミの要人を招待していたとき事故が起きたのも因縁だった、何か事故というのは自分も一身上に起きたことを書いたが偶然とも思えないのである。
何か偶然にその時起こったのではなく日頃からそうしたことをしていてマスコミに金を流していたから起きたのである。
そして福島県自体がそうした東電とかに政治家であれ市町村自体がとりこまれていた。
それは東電が金のなる木だったからである。
もちろん福島県の地方紙などは何も批判などはしない、金をもらっているから批判できないのである。要するに現代は何でも金で買収できる、市町村すら買収されていたことに驚いたのである。それだけの権力を東電とかトヨタはもっている、だからトヨタでも名古屋ではトヨタの悪口は言えない、新聞でも言わない、もうトヨタ城下町でありトヨタ王国となっている
それで江戸時代のような代官のようなことができる


巨大権力化すると何か悪いことでも隠蔽できることが問題なのである。東電も前の佐藤知事がプルサーマルで指摘してもとりあわなっかたとかいろいろ隠蔽されていたのである。つまり権力でいくらでも隠蔽できる体質になっていたことが事故につながっていたのである。
庶民はどうにもならないといえばそうだけど庶民自体も金になるからと安易に金だけを求めているからそうなったともいえる。
景気よくなるなら何でもいいとかなっていた。
権力で隠蔽できるということは非常に常に危険になる。悪がとくに巨悪は隠蔽されるとそれがどうなるのか?
最後はそのが戦争になったり巨大事故になったりするから怖いのである。
建設関係でも不正が行われていても隠蔽される、それが名だたる大企業だったから問題になった。
権力が巨大化するとモラルも腐敗してゆく、権力でどうにでもなる、警察なんかも怖くない、権力に従うからだとなる、現実検察は時の権力者に従うからである。
まず社会で権力がないものは訴えることもできない、とりあげることもしない、隠蔽されるのである。
権力というとき実は大会社の幹部に問題なのかとなると組合も恩恵を受けているからそれは民主党支持でありやはり民主党も恩恵を受けている
それで福島県で原発に賛成していたのは民主党であり民主党主導で原発は推進されていたと矛盾があったのである。
自民党の政策を受け継いだの民主党だったのである。渡辺恒三が政治家のボスとして原発を推進させていたのである。


民主主義の最大の問題はこうして巨大な権力をもつものをどうして監視して操作できるのかということである。
創価などのカルト宗教団体でもそうである。それも巨大な権力意外の何もものでもない
だからそこでは悪は隠蔽される、司法とか政治に権力をもち隠蔽させるのである。
マスコミも聖教新聞をすらせて金を流して批判させないのである。
それはあらゆるものが権力をもつことを目指して活動しているからそうなる
それで民主主義社会では宗教の権力をおさえるために政教分離政策が生れた、政治が宗教に支配される、宗教でも権力をもつと宗教ではなくなる、権力を操作することなるからである。もちろんそもそも権力をもって支配しようとするのが目的なのだから当然だとなるそういうことを許していたらまたファシズムとなり庶民がその犠牲になる
でも人間はそうした巨大権力に金でも支配されてゆく、それをどうしたらいいのかとなると最もむずかしい問題になる
現代の権力機構からはじきだされたものはまたそうした権力に頼らざるをえないのであるそれは宗教とは何の関係もない、でも現実社会ではパンの方が大事なのである。
それがカラマーゾフのゾシマ長老が天からふってきたパンより地上でのバンが大事だということを言っていた、つまりそれを実行しているのが政治社会である。
それは自民党でも民主党でも創価でも共産党でも全部政治は現実のパンのことであり天上のことなど関係ないのである。庶民が日々求めているのはそれしかないからである。
まず詩にしてもそれを理解して読む人などほんのわずかなことでもわかる
庶民が求めているのはそういうものではない、文化でもない、日々のパンなのである。
動物でも餌をやればなつくのとにている、高等なものはいらないのである。


民主主義の課題がいかに政治であれ宗教であれ会社であれ組合であれマスコミであれ巨大な権力をもたないようにするか監視して制御できるようにするかである。
それが今もむずかしい、結局原発事故が起きたのはそうした国と東電が一体となり「安全神話」を作りあげたが津波によって悪が暴露された。
それは神の力でしかできないともなっていたのである。なぜならすべてが庶民すらも欲に動かされて原発推進になっていたからである。
それをとめることができるものはなかった。そして津波が起きてその悪が暴露されたのである。
だからそういうことがこれからも起きてくる、もう人間の力ではどうにもならない
神の力が天の力が悪を暴露して悪を滅ぼしてくれなければどうにもならないとなる
権力とは結局サタンなのである。サタンが支配されているこの世だから権力によって支配される
この世は権力によってゆがめられるようにできている
それは人間の欲がそうさせるのである。欲がない人間はいない、トヨタの御曹司でも権力があり欲があるからそういうことが実行するようになる
ただ何にも権力がなかったら人間はそういうことはできない、権力をもつと人間の悪が露骨になるのである。
そして人間は社会ではどうしても権力をもつものともたないものとに分かれる
ただいつまでも権力をもつことはできない、東電の権威は事故で失墜したしまたトヨタ王国でもいつか凋落する、それが権力の運命である。
劇的に権力が崩壊するのは別に大会社だけではない、個々人でも家族でも起きてくる
一家に君臨していた人が突然認知症になり銀行から金もおろせなくなったことには驚いたその時完全に一家を牛耳っていた権力は喪失してしまったのである。
痴呆になったのだからその極端な失墜は驚愕だった、これは老人には起こり安いのであるいくら社会的地位や権力があった人でも認知症になると一転して最悪の弱者になってしまう、だから認知症は恐ろしいのである。
病気になっても頭がわかっていれば権力は維持できるかもしれないが頭がやられるともうすべてを失ってしまうのである。





タグ:トヨタ
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2015年11月23日

貧乏になり落ちぶれる日本 (観光で稼ぐのもそのためか)


貧乏になり落ちぶれる日本


(観光で稼ぐのもそのためか)


豊になる条件として

●資源

●技術

●精神力(モラル)


日本をふりかえると明治維新がありそれは評価が定まらないにしろ日本がアジアで先進国に西欧化をいち早くできたことは評価できる、他はみんな植民地になったからである。
中国などはまず欧米に領土まで分割されて植民地化されていたのである。
それはイギリスの阿片戦争からそうなっていた。
でも今や中国がイギリスに原発を建てる、資金も中国から出るのである。
こういうふうに歴史は常に変化している
第一イギリスの鉄道の技術を取り入れたのに日本の鉄道を取り入れるのだからそれも変わったし中国も高速鉄道を売り込むのだからその変化も激しかった。
中国の鉄道が十年前辺りどうなっていたか見ればわかる
中国の鉄道は人間を家畜のように詰め込んで出稼ぎ労働死者を運んでいたのである。
聞いた話ではその乗客を笞で打っていたという、鉄道は流民化した膨大な地方からの労働者を運んでいた。そのエネルギーはすさまじいものだった。
中国はあれだけ人口が多いのだから何かあると流民化する、食いなくなると膨大な流民が発生するのである。
そんな時代は一五六年前だった。それもすでに変わったから時代の変化は早い、十年前とか行ったときは満州里でトヨタを買って乗っているとかあの辺で豊になる人は豊になっていたのである。
約二十年くらいでそれだけ変化したのである。
自分は海外旅行したこともないのに中国を一人旅した、それも50才以降だからひどいめにあったのである。
今になると良く旅できたと不思議に思う。海外旅行で最初に中国にゆくというのは危険だったのである。


そして今中国人が爆買いとかで日本に大量に来ている、日本が観光立国のために外国人を呼ぶ政策をとる、観光で稼ぐというときそれは国に力がなくなったからである。
高度成長時代なら家電が特にテレビなどは日本製が飛ぶように売れた、その時日本の国力は飛躍的に増大したのである。電気製品の基礎となる半導体とかも売れた。
しかし今やそれも中国や韓国が追い上げてきて家電は中国製でもまにあうとなってきた。まだ日本の技術の優位があっても高度成長時代のように日本が一人勝ちとはならない、
するとどうなるか、グローバル経済では何か外国に売れるものを作らないかぎり豊になれない、それが日本にはない、まず資源がない、豊になっている国は投資をしてみればわかる。石油がとれるとか資源のある国である。
中東とかカナダとかオーストラリアとか資源がある国が有力な投資国になっている
まだアメリカが強いのは資源国でありまた軍事力があるためである。
ただアメリカも軍事力とか他にも中国に追い上げられている。
グローバル経済では技術がないときは中国では安い労働力を売っていた。
後進国は今でもそうである。安上がりな労働力を売る他ないからである。
日本が今派遣とかパートとかが安上がりな労働に頼るのはそれだけ日本の経済が衰退しているからである。高度成長時代はみんな正社員であり終身雇用であったからだ。
それが成り立たなくなったのは日本の力が衰退しているからである。


グローバル経済では何か売るものがない限り貧乏になる、日本ではもの作りで家電などを売り込んで豊になっていたのである。
そうした技術力がなくなるときどうなるか、何を売るのかとなる、まだ確かに日本の技術で優れたものがあり売れているものはある、車はまだ売れている
それも高度成長時代のようにな勢いがない、すると衰退国家になってしまう。
グローバル経済を批判してきたが豊になるには現代では世界に売るものがない限り豊になれない、結局フクシマ原発でもみんな豊になるために誘致した。
大熊とかでは塩田があり塩を作って東京に売っていたというから貧しい時代だった。
前は日本は資源がないから東京に資源を売っていた。森林資源があり石炭資源があり常磐炭鉱があり日本全国で炭鉱が資源だったのでありそれで鉄道はまずは石炭を運ぶものとして作られた。北海道の鉄道もそうである。
そして資源を今度は外国から買うようになった。ではその金はどうしたかというと家電など電機製品とか技術力があり外国に売って金を稼ぎ外国の資源を買うようになったのである。


観光立国というとき貧乏な国である。ギリシャはまさに観光で食っていた国である。
ギリシャで買うものは何もない、その風光明媚な自然を見るとか遺跡を見るだけであり買うものがない、日本ではまだ中国人が買っているうということは日本の製品に魅力があるためである。ギリシャが経済危機に陥ったのは観光立国だからであり何も売るものがないからである。ギリシャはヨーロッパの保養地としてあり何か生産しているものがなかったそれで公務員が多くそこに金が使われていた経済危機に陥った
つまり観光だけ食う国は実際は貧乏な国になったということである。
日本も同じなのである。何か売りたくても電気製品でも売れない、何を売るかとなると観光になったのである。さらにアジアの後進国になると女性を売るとまで普通になっていたカンペジアで5ドルで女性を買うとかそういう所が未だある。
そういう所に日本人がたむろしていた。そして今やその逆になった。
日本人か今度は中国人に同じことされる、売るものがないとなればそうなる
それも日本人かさんざんしたことだから因果応報だとなる
そういう変化が現代は激しい時代である。


これからは英語ができないと金にならないというとき観光だと日本人が大勢くるブッダガヤなどでは日本語をぺらぺらにしゃべる人がいた。それは日本人を相手にして金になるからである。
それと同じように外国人を相手にするには英語をしゃべれないと金にならない、そういう人たちは必死になって日本語を学ぶ、なぜなら金になるからである。
何か動機が金になるというとき学校に行かないものでも必死に語学を学ぶとういことがある。語学の才能は学校の勉強しなくても上達する人は上達する。
中国の満州から来た人は三年くらい地方にいて日本語がうまくなった、それも驚いたことである。それだけ日本語がうまくなれば日本が豊なら商売にもなる
英語ができれば金になるから世界で英語を学んでいる、中国ができれば金になるとなれば中国語を勉強するのである。、実益がないと普通人間は熱心にならない、文化とかだけでは普通は一部だけであり熱心にならないのである。
でも英語については武田邦彦氏が言っているように別に英語ができなくても機械に詳しくなれる、英語に精力を費やすより機械を作る仕事の方に若い人は精出すべきだという
それも確かに言える、英語とか外国語が必要となるのは要するに日本の電気製品が売れていればそんなに外国語が英語が必須だなと言わないのである。
世界で技術力が優れていれば英語ができないと通用しないとはならない、技術力で世界に通じればいいことであり英語ができることと技術力は関係ないのである。
観光の分野であれビジネスでも英語が必須だというときそれだけ外国の力が強くなるから英語ができないと商売にならない、特に観光となると外人は日本では英語が通じないから観光で困るとなる、それは日本が観光で人を呼び売るものがないからそうなったのである


ともかく日本人自身が観光しにくくなったなとなる、ビジネスマンすらホテルをとれない、そしてホテル代も上がっている、そうなると日本人自身が旅行しにくい、どこでも中国人だらけだとなると旅情も壊される、だから自分は自由に旅行してきたけど旅行もしにくくなったとなとつくづく思う。
自分は貧乏旅行でいつも安い宿を探すのに四苦八苦していた。どうしても旅行代を節約するのには宿泊代と食費しかない、だから食費はまず千円以上のもの食べていない
自分はこれまで貧乏性でありそういう習慣はなかなかぬけない、外国旅行でもそうだった外国旅行はかえって安い宿が多いから助かったのである。中国などは馬鹿みたいに安い時代だったのである。
まず日本人が日本をゆっくり旅できないということ日本の旅情すら味わえないということは正に日本がギリシャのように落ちぶれたことなのである。
金を稼ぐにはそんな文句を言っていられないからである。
観光で商売するも温泉であれ客が中国人とかになれば日本人より中国人にサービスするようになる、それがグローバル経済社会なのである。

日本が衰退してきているということは

2000億円あっても窮乏するのは盛田英夫が教えてくれている

ソニーの創業者である盛田昭夫はその事業の成功で莫大な資産を残したが、この盛田昭夫の長男が盛田英夫である、この人は場当たり的にその莫大な金を使って事業を起こしてみんな失敗して財産を失った。
こんな人がいるのも驚くがやはり二代目は親の遺産を受け継ぎ発展させることはむずかしい、これだけの遺産があったら何か有効なことができたと思う
そんな人に金を与えても何もできない、消尽するだけだとなる
でも今は何か金があってもでは新しい事業を作り出すことができるのかとなるこれもむずかしい、金があっても必ずしもそれで事業を起こして成功するとは限らないのである。
それを証明したのがこの人だったのかもしれない、ただそこには何の目的もなくその時の思いつきとか場当たり的に金をつぎこんで金を失ったのである。
何か事業にも何かしら理念が必要なのだろう。ただ一山あてようとかでは成功しないだろう。だから事業を起こして成功している人は20人に一人しかいないのである。
この人の失敗の教訓はいくらこれだけの金があっても有効に使えなかったということである。
だから金だけあっても豊にはなれない、むしろ金を産み出すものが必要になる
ソニーの創業者である盛田昭夫氏はそれを産み出したがその息子はただ消尽しただけだとなる


もう一つ日本が衰退するものとして指摘されたのが日本はポルトガルとにている、ボルトガルが衰退したのは海外に出る冒険家的資質が喪失したためだという、それはリスボンの大地震が影響して若者が覇気を失い保守化した、海外に出て冒険しようなどという覇気もなくなっていたからだという、それも今の日本の状態とにている。
若者が第一少子高齢化で少ないこともある。今も若者は明治の若者とかその後の戦前から戦争、戦後の団塊の世代とも違う。その時若者に活力があり若い世代が多い時代だった。団塊の世代でもそうした若い人が多いから活力があった時代である。
子供がわんさとどこでもいて地方でも活気があった時代である。
それは後進国になるとイスラム諸国は若い人が多い、だからその不満も大きいからテロになる、それは逆にそれだけのエネルギーがあり不満が爆発しているとなる
まず日本でもあれだけの戦争をするには若い人が多くてエネルギーがないとできないだろう。その時もどうして戦争になったかというと若い人が働く場を広げるたに戦争になった満州国が建国が戦争の発端だからである。
満州国に開拓民を送りそこに若い人の働く場として提供することが必要だったのである。ということはそれだけ若い人が多いからそうなったのである。
今のような高齢化社会だったらそうはならない、満州のような寒い所には行きたくないとなるし労働力にもならないからである。
老人はもう死ぬだけとなり津波や原発事故で復興がきないのも少子高齢化が影響しているそれはポルトガルとにている、リスボン大地震は今回の東北の津波であり原発事故でありそれは日本の技術力の衰退でもあった。
そして若者が少ないから日本全体の活力がない、老人の医療とか介護に費やされている、国もそうであり金も使われていれば余計に衰退してゆく
では何か日本を活力あるものにするものがあるのか?
それは何かあることは言える、それを見いだし成長させることはありうる
つくづくこの辺でも悲惨な状態になっても希望だけは何か残るいうのは本当だった。
どんなに悲惨な状態でもそこに神は希望を与えているという不思議があるのだ。
だからこそその希望があるからこそ新しい時代は作られてきたのである。



参考にした本

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英語教育と日本の没落(武田邦彦)


これらを編集すると自分なりの文章になっている、今はアマゾンで本を簡単に手に入るから便利である。武田邦彦氏などは理系でありその見方がでているから参考になる
英語が必要かどうかと言ってもいろいろな分野で意見がある
ただなかなか理系の人の言うことはわかりにくいがここはわかりやすいのである。









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2015年11月17日

フランス革命の理想、「自由、平等、博愛」が挫折 (理想は厳しい現実を克服してこそ実現される)


フランス革命の理想、「自由、平等、博愛」が挫折


(理想は厳しい現実を克服してこそ実現される)

過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による同時テロに見舞われたフランス政府が、再発防止に向けた対策に乗り出す。テロの温床になりかねないとみる反政府的な国内モスク(イスラム教礼拝施設)の閉鎖を命じる検討に入ったほか、危険人物からの仏国籍の剥奪などの法改正案も浮上している。テロの芽を事前に摘み取る 

人間は本当に理想と現実で苦しむ、いくら高邁な理想をかかげても挫折する。フランス革命の理想でも共産主義の理想でも悪いものではないしマルキシズムでも悪いものではないそもそも理想と現実で人間は苦しむようにできているのだ。
理想はお花畑だよなとか世間を知らないからだよなとか言われる。
それはどこの社会でも若いときは理想主義者だが年取ればリアリストになる。
理想が厳しい現実の前に打ち砕かれてしまう。
そういうことは推理小説でも良くでてくる、弁護士が理想に燃えてその職についても金のために汚れてしまう、何か権力者の金持ちの用心棒のようになってしまう。
そうした相剋の中に人間はそもそも置かれているのである。
フランスのかかげる「自由、平等、博愛」という理想が悪いものてはない、でも自国民が無惨に殺されたらその理想も打ち砕かれる、激しい憎悪となり戦争になることも辞さなくなる。

別にそれは国という大きな単位でなくてもどこの社会でも個々人で理想と現実の相剋は矛盾は起きている,なぜ左翼系が批判されるかというと現実の厳しさを見ていないからである。もちろん右翼でもカルト宗教団体でもそうである。
理想と裏腹に権謀術数のみを働かせている、一体これは何なのだろうとなる。
そして常に陰謀が裏で働いているとかなる、誰かが裏で動かしいる、それはオウムの時もそうでありイスラム国でもなぜかアメリカが裏で武器を供給しているとか言う
誰かが武器を供給して金を供給しないと戦争はできないからである。
大陸ではどこからでもモノでもカネでもヒトでも入ってくるからなかなか殲滅できない
日本だと海に囲まれているから入りこめないから有利でも海を閉鎖されるとモノも入ってこないから日干しになり太平洋戦争は負けた。
大陸は戦争でも陸続きだから拡散しやすいのである。
だから領土が国がモンゴルのように世界的にたちまち拡大したり縮小したりしているのが世界史である。日本だと海に囲まれているからその辺がわかりにくい
異民族が侵入してローマ帝国が滅びたというのもそうである。
大陸は陸続きだから変動しやすいのである。


人間はとにかく理想と現実の狭間で常に苦しむ、理想をかかげても厳しい現実の前に打ち砕かれる、実際は別に理想をかかげることは悪いことではない、ただその理想を実現することは現実になると様々な障害がありそれを克服せねばならない、必ず障害がありそこで民族間でも離反があり苦しむ、そのように今フランスはなっている。
自由が不自由になり平等が不平等になり博愛が激しい憎しみになる。
こういうことは人間では個々人でも良くある、いくら愛しなさいと言っても結局自分が殺されるような目にあったり犯罪にあったら一変して復讐心に燃えるだけになる
愛しなさいなどというのは誰でも言うことできる、そんなこと説教することは誰でもできる、それを実行することがむずかしいのである。
キリストはそれを全部実行したからまねのできないのとなった。
愛というとき十字架上の愛である、愛といってもたちまち今回のようなことがあれば崩壊する。、目に目を、歯には歯になってしまう。
キリスト教とイスラム教の戦いは十字軍時代からだから古い、それをまだひきづっているでもそれを克服しようとしたがのフランス革命の理念だったのである。

人間は争いつづける
血を互いに流しつづける
その原因は何なのか
それはすでに千年もつづくのか
その争いの中から真の平和が生れる
憎しみは消え融和が生れる
その時こそ平和を本当に知る
それまで人は争い血を流し続ける
真の平和は訪れるまで


平和を知るために争い、愛を知るために憎しみ合い、合同するために離反して争う、、、それが人間だった。人間の理想というのはもし簡単に実現したらまた簡単に崩壊する。
その平和と理想が血でもって作られていないからである。
日本が戦争しないというときヒロシマで原爆の被害にあったり300万人が無惨に死んだりしたから戦争はこりごりだとなったのである。
そういう経験から戦争だけはしたなくない、戦争だけはするなと戦争した人が一様に言っている、でもまた戦争に憧れる若い人がでてくる。戦争の悲惨さを知らないからそうなる要するに人間は経験からしか学べないのである。
それは個々人の人生でもそうである、辛い経験をしない人はわからないのである。
ここ自分は十年間そうした経験をしてきたから現実を学んだことは苦しかったけど人間とはどういうものか、理想と現実がどういうものか身をもってわかった。
こういうことは言葉だけでは本を読んだだけでもわからない、自ら血を流してわかるものなのである。

タグ:理想と現実
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2015年11月15日

フランスのテロはなぜ? (なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)



フランスのテロはなぜ?


(なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)


●経済的問題

●宗教的問題

●政治歴史問題



フランスでテロがなぜ大規模に起きたかその原因はイスラム国にあり世界で協力すべきだと会合があった。
そもそもなぜイスラム国が生れたのか?それはイランへの理不尽なアメリカの一方的な侵略にあった、化学兵器があると難癖つけて一方的に攻撃した。
フセインの残党がイスラム国になったといわれるからだ。
シリアでもトルコであった日本人がシリアはいい、素朴な人たちだと感心していたのもそうである。別に社会主義国で平和に暮らしていたのである。
そういうものを壊したのは民主運動でありそれは欧米が介入していたのである。
リビアでもイラクでもシリアでも元の状態のままが良かったと今ではなる
それが悪い面があるにしても独裁でもこんな悲惨な混乱状態になるよりは良かったとなるつまり民主化がそれなりの土台がないとできないということである。
日本ができたのは江戸時代から民主主義が根付く基盤ができていたからだとなる
明治維新でもなぜ日本だけが欧米などにより植民地されない唯一の国だったかなると
そういう基盤が国としてあったからである。
もしなかったら今のようなイラクやリビアやシリアのようにずたずたにされていた。
大国が加勢して二分されてずたずたにされていた。


そしてこの混乱を産み出した原因はテロの原因は何かというと経済的問題がある。
イスラム系はアラブ国は経済的に中国のようにも発展できないのである。
工業化できないから先進国になりえない、貧乏な人が多いのである。
貧乏問題というとき日本にも今は深刻である。そこから様々な問題が生れる
貧富の差が大きくなれば国が二分して争うことにもなりかねないのである。
ではなぜ貧富の差が生れるのかというとこれもいろいろあるからいちがいには言えない
なぜ創価でも共産党でもそうしたカルト宗教団体であれ政党であれ力をもつのか?
そういう組織団体が根強く社会に存在するのか?
それは底辺層が経済的弱者でも権力の恩恵にあづからない人たちが必ず一定数いて不満をいだいているからである。


だからイスラム国の問題でもその底辺には貧乏問題があり欧米に搾取されている先進国に石油だけもっていかれて豊になれないという問題がある
創価とイスラム国は違っているようでにている面もある。
今は違うがもともと底辺層を見方にして拡大したからである。
それが宗教になっているのもにているのである。
底辺層というのはそういう人を知っているがその人たちは宗教をどうのこのうイデオロギーがどうのこのうと関係ないのである。何か得になる、困ったことがあれば助けてくれることだけを望む、仏教の悟りとか信仰とは関係ない、何かしら人がいて助けてくれるから頼れるから入る
一方社会で経済的に困らない人たちは宗教でも自主的であり経済問題から入らないのである。だからどこの国でも底辺層がいるかぎり不満がありそれがテロの温床ともなる
社会の不安要素となるから社会を安定するには経済問題の解決が必要となる


底辺層にはまず保証人などいない、就職するにも保証人が必要でありそのとき高い地位にある人はコネがありそれなりのいい所に就職できるとかいろいろ有利なのである。
そこから差別される、フランスでも移民はそうして常に不利な立場にあり不満を募らせるのである。それがテロの温床になる。
保証人問題はいたるところにつきまとっている。そういう立場に自分がなったときもう施設にも入れないとか嘆いている人たちに同感した。
奇妙なのはその人は多額の借金していて自分が困ったとき病院で手術するときとか保証人になってくれた。
でもそれを恩にきせて借金を要求してくる。それは絶えず何かしたら借金を要求するから怖い、弱者が弱者を食い物にする、責めてくるのもある。弱者が弱者と協力するとも限らない、弱者になると責めやすいからそうなる。弱者が弱者をねらうのはそのためである。
まさにこの世は食うか食われるかの地獄である。

自分と似たような境遇で比較的親しい人と、「どっちかが入院することになったら、入院の時には互いに保証人になりましょう」と、病気になる「前」に契約しておくことです。

こんなふうに弱い者同士助け合うほかないのである。ところが金銭的なものになると弱いもの同士では助けられない、金がないもの同士では助けられないのである。ここにも弱者の問題がある。

現実に連帯保証人で苦しんでいる人が一千万いるとか保証人問題は深刻なのである。
保証人のいない人は社会で弱い立場になる、保証人とはコネなのである。一方で社会で権力をもち地位のある人はそういう心配はない、常に有利な立場に生れたときから立つともなるのである。
そうするとどうなるかとなるとそういう弱い人たちは弱い人たちで集まり助け合うとういか団体を作り社会の有利な立場にある得する人たちと対抗することになる。
それが激しくなるとテロになるのである。
そういう格差が解消すればテロはなくなるのである。
つまり革命とは何か?それはそうして社会の中で得する人たちがいてそういう人たちの作った社会を壊して自分たちが得する権力を得る人たちになるということである。
それは中国でもロシアでも同じだったのである。結果的には今度は権力をもったものが下を虐げ権力を得られないものは不満がつのりまた革命が起きる
だからこうして経済的にも権力的にも公平にならないといつまでも社会には不満分子がいるかぎり不安定な状態はなくならない、テロもなくならない、グローバル化社会では世界的貧富の差で不満が募りテロが起きる。


一見宗教戦争のように見えてもそうではない、現実に確かに最初の殺人がカインにはじまったというとき宗教戦争のはじまりだった。自分が捧げたものが神に認められないということの不満がアベルを殺した。それは宗教的なものに由来していた。
それは確かに宗教的な問題でありそれが殺人の始まりだというのもわかる。
その殺人は別に貧富の差とかとは関係していない、純粋な宗教的問題であり宗派争いともにている。
でもヨーロッパではカトリックの宗教は権力をもち政治支配をしたことの反省から政教分離が生れたし人権主義に移行した。宗教がかかわると宗教戦争とか世俗のことが治めれられないからである。
イスラム国のように極端になると無宗教者や信仰しないもの、キリスト教でも人ではないとか殺されても当然だとなり実際に実行している。
そうしたらとても国も治められない、それでフランスでは人権主義になったし、人権主義が世界的になったのは例えばこいつはイスラム教徒ではない、キリスト教徒ではない、だから苦しくて助けてくれといっても助けなくてよい、死ぬのかいいとなってしまう恐ろしさかある。
そういうことが病院でも起きる、この人は信仰していないから医者でも看護師でも殺してもいいとかなることが怖いのである。
現実に宗教団体か経営している病院だとそうなりやすい、宗教に関係なく助けるということがない
人権主義ならその人の宗教も国籍も関係なく困っている人苦しんでいる人を助ける平等と博愛にならからいいのである。
それはフランス革命で起きたのである。結果としてイスラムからの移民も宗教と関係なく受け入れた。
でも実際はフランスでも移民は差別されるから不満が募りテロになったのである。

そもそも宗教とは何かというときそれは心の内面の問題である
自分が犯罪の被害者になったときそれがわかった。その人自体を許すとかとは関係ない
自分の心の中で許したとき平安になった。それは不思議な経験である。
自分に被害を与えた人とは直接関係しない、自分の心の中で許したとき愛が満ちて平安になったという不思議である。そういう改悛とかが宗教なのである。
そういうことはいくら説教されてもわからないのである。自分がそういう立場になるないとわからないのだ。
いづれにしろ宗教がかかわるとややこしくなるからかかわりたくないとなる。
オウムのようにな何がなんだかわからなくなる。最も複雑なものとなる。
宗教の恐ろしいのはこれも人殺しが全く恐れもなくできるようになることである。
神の信仰のために人を殺すことが平気でてきるようになるから怖いのである。
「アッラー、アクバル」で何でも通ってしまことになる。
それは題目を唱えて日蓮宗でも念仏宗でも戦争することに痛じている。
聖戦とか天皇が神だとして戦ったことにも通じているから怖いのである。


宗教はもともと一つである。特にユダヤ教からキリスト教からイスラム教はもともと一つである。アブラハムの信仰から発している。だからイスラエルにはその三つの聖なる場所となっている。
最大の戒めは偶像崇拝の禁止の一神教である。だから今の争いは宗派争いだともなる。
宗教で一番守らねばならないことは偶像崇拝なのである
人間はどうしても神がなにかというとき見えるものを拝む、それが自然でもそうであり人間が神となることもある。でも神が目にみえないものであり目に見えたとしたら必ず汚されるから目に見えないのである。
偶像だってそれは永遠のものではない、必ず壊されるしはかないものである。
だから宗教というとき偶像を倒さない限りありえないし否定することが最も大事なのこととなる、だからどうしても仏像などを作る宗教とは相反するのである。
つまり偶像を否定する戦いが宗教だと過激化すれはなる。それが神を知るための一番の戦いになる。それが集団化するとイスラム国のようになる
でもそのことは今も継続されている。個々人でも宗教は偶像崇拝を否定しないとわからないからだ。
人間は必ず偶像崇拝に陥るからである。
ただイスラム国の問題は経済問題、政治問題、宗教問題などからんで起きているから単純に宗教だけのも問題ではないのである。



posted by 老鶯 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層