2021年09月25日

感染症の歴史をふりかえる (人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会)


感染症の歴史をふりかえる

(人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会

6世紀〜 天然痘の日本定着。もともと日本には無かった病気だが、中国・朝鮮半島との交流が盛んになり日本に上陸した。以後治療法が確立され、全国に普及する19世紀半ばまで猛威をふるう。

平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

そして江戸時代の末期にはコレラが蔓延。
これも外国船から人や物と一緒に上陸し、大阪や京都、江戸にも広がって行き、多くの犠牲者を出すことになります。
1853〜1860年にはペリーらが来航し、江戸幕府に開国を要求。
黒船騒動が起こります。
コレラ(罹ると短時間で亡くなる為、コロリとも言われた)のような恐ろしい病気も振りまいていく。日本はシベリア出兵を行うなどし、第一次世界大戦に関わりを持ちます。
それはスペイン風邪を受け入れることも意味していました。
ヨーロッパを中心に広がったこの疫病は、同盟国、敵国を問わずに感染者を増やしていきました。
どの国も戦線を維持することさえ難しいほどになり、戦争終結の契機へとなったと言われています。
日本では大正7年5月から9年の5月までの間、合計3回の流行(第三波)がありました。

東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[17]。天然痘や麻疹は西から東に運ばれ、ペストは東から西へともたらされた[17]。こうした感染症に対し、人びとは免疫をもたなかったので、東西でパンデミックが生じ、多くの人命が失われた

シルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは、大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが、2世紀以降、時を同じうして感染症の大流行が発生し、人口が激減し、帝国の分裂と混乱を招いた[17]。11世紀以降繰り返された十字軍遠征、また、それによって活発化した交易もまた、ヨーロッパ大陸にペスト菌による感染症拡大をもたらしたと考えられる]。13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国では、シルクロードの大部分が支配下に置かれることとなり、ユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが、感染症もまた東西に拡散されることとなったのである。

コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス、黄熱などが、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされた

免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した

1331年の元の時代に大流行が発生し、1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模(推定)の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリア、パレスティナに拡大し、エジプト、さらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]。特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ、人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる

ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡したといわれる。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったという試算もある[

梅毒は、元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったため「ナポリ病」と称することも多い。

アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。



感染症は人と交わることによって感染する、するともし人と人が交わらなければ感染しない、人が病原体を運ぶのであり人が移動しなければ感染しない
古代に天然痘でも朝鮮半島からもたらされたというきそうである
朝鮮半島とは一番日本は交流があったからである

江戸時代の末期にコレラが流行したのも長崎に外国人が入ってきて流行した
江戸時代でも鎖国していても長崎の出島から外国人が入り貿易していたからである
このコレラは北前船で新潟まで来て阿賀野川を通じて城のある会津若松まで広がった
江戸時代でも結局外国からウィルスが侵入して日本に広がったのである

スペイン風邪でもそうである、世界第一次戦争があり広く人々が国を越えて交わる結果として広がった
何か隣の人は戦争で東南アジアとかに行き梅毒にかかったらしい
それで変になった、土地の女性と性交したとかあったのかもしれない、戦争は感染症を拡散されるのである
日本軍は東南アジアの熱帯で感染症にかかり相当死んだ
従軍看護婦だった姉もマレーシアのジョホールバルで腸チフスになり苦しんだ
熱帯は感染症にかかりやすいのである

世界史的にも巨大帝国がローマでも中国でも東西が交わると感染症が世界的に拡散する
モンゴル帝国は西側の国を攻めるとき感染した死者の死体を城壁に投げ入れて感染を広げた、つまり感染者を武器としてまで使っていたのである
戦争でも国境を越えて人と人が交わるから感染症が広がる

大航海時代でも南米にウィルスがもたらされて原住民であれ免疫がないので感染して多数が死んだ
これらを見れば人間がそれぞれの国だけで生活していれば感染症は拡散しない
でも人間の歴史は必ず領土拡大してゆくからそこで他国と交わり人とも交わるから必然的に感染症も拡散される運命にあった

グロ−バル化することは必然的に感染症を拡散させることだった
つまり必ず何でもプラスの面があってもマイナスの面が生まれて来る
それが感染症だったのである、おそらく生態系の維持というときある一定の地域で範囲内で機能している、だからそこで感染症は風土病と言われた
ある地域の生態系から生まれるからである、その風土病でも人から人にうつるのだからある一定の地域内で暮らしていれば拡散されないのである

現代のグロ−バル化は頂点に達した、世界中の人達がこれほど交流して交わる世界はなかったからだ、それは一部の人でない、あらゆる人が世界で交わる社会になった
だから最初にイタリアで被害が大きかったのは中国人の労働者がイタリアに多かったからである、そして日本の感染は観光で中国人を入れるのを早い時期に止めなかったためだとしている
ただこれだけグロ−バル化しているともう感染は世界的にたちまち拡散されて止められないということになった
つまりグロ−バル化の負の面が感染症で露骨になったのである
それでも人間の交流を止めることはできなかった、世界史でも世界との交流は感染症があっても止められなかったからである
ただグロ−バル化の負の面が最近は目立つようになった
世界経済でもグロ−バル化すると必ずまた反面に対立が激化してくる、それが米中対立でありまた世界戦争の恐怖になる

感染症は人の交流を止めることになる、それもまた大きな視野でみれば人間にとって必要だから感染症かあるのかともみる
外国と交わることがすべていいようでも必ずしもそれが平和的な交わりではなく必ず対立激化して戦争になっていたからである
異質の文明が出会うことは必ず苛烈な覇権争いになり戦争になっていたからである
その犠牲も莫大だったのである
それで老子の「小国寡民」の思想が生まれた、いわば小さな村で外と交わらないで平和に暮らすということである、それはグロ−バル化は人と広く交わることはまた対立激化して戦争になって犠牲が多かったからである
グロ−バル化はすべていいものとして作用しないからである

現代ではもうフロンティアもない、アメリカ大陸とか南米とかフロンティアはなくなったそして地球の人口でもアフリカでさえふえない、少子高齢化するのは世界的なものなのである、つまり世界の人口はこれからは増えない、もう地球で人口が増えても養えなくなっている、限界現象が起きているからである
持続可能な世界を作るにはもうグロ−バル化して貿易を盛んにするとか資源を多国籍企業が食いつくしてゆくとかしたら森林ても喪失して持続可能な社会はなくなってゆく
江戸時代の様な自給自足のリサイクルな循環型持続可能型の社会がこれからの人間の在り方なのである
コロナウィルスもグロ−バル化を抑制するものとなったから今までの世界と社会を見直すものとなった、世界が無限に拡大するとかはない、縮小化するダウンサイジングした社会となる

つまり日本の江戸時代のリサイクル社会とか茶室とかのシンプルなわび、さびとかの日本文化を見習う社会にもなる、大陸の無限に拡張拡散拡大する世界は限界に来たからであるそれをつづければ世界第三次戦争で人類は滅びることになる
何か拡散拡大ではない、抑制して制約する限界をもうける社会である
内なる世界に向かう、内なる精神性の世界を追求するようになる
それは宗教とか哲学とか芸術の世界の探求にもなる、ただカルト宗教は内なる世界より外なる世界を求めて会員を増やことが目的だから違っている
禅宗のように座禅して内なる世界を究めるともなる

また物量とか量で計る世界ではなく、意味を求める社会になる、哲学的な社会になる
それはオリッピックが一部の金儲けのためのものであったし意味がなくなったことでもわかる、いくら金をかけても何か意味ないことはもうつづけられないのである
だから宗教や哲学の時代になる、そういう変化は今回のコロナウィルスでも起きたということである、巣籠り生活とかでもそうだったしテレワークでもそうだったからである
コンピュター時代になるけどこれは今までの重厚長大な技術とは違う、人間の知能と深く関係している、人間の知能開発の道具でありまたそれは精神とも結びつくのである
AIとかもそうでありそれは今までの機械と道具と違って人間の知能と精神に結びつく
それは時代を象徴するものでありそこに変化がありそれに適合することで時代が変わってゆく
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2021年09月17日

猪苗代湖のボートの事故を起こした会社はいわき市の人 (震災原発事故でもうけた足場会社の人だった)


猪苗代湖のボートの事故を起こした会社はいわき市の人

(震災原発事故でもうけた足場会社の人だった)


株式会社 佐藤剛建
代表 佐藤 剛
所在地 本社 福島県いわき市泉ヶ丘2-43-10
東京支店 東京都墨田区八広1-26-16-1301
業務:建設現場における足場の工事業(足場資材の販売と買取)

福島県いわき市と言えば、東日本大震災でも被害の大きかった地域の一つです。佐藤剛の会社は土木関係で、被災後の建築ラッシュで相当な需要があったと予想されます。佐藤剛が震災当時に既に会社の代表を勤めていたかは現在調査中ですが

東京の人だと思ったけど福島県いわき市の人だった、ここで気になったのがこの会社が津波とか震災で原発事故関係の仕事でももうけたのかである
まずこの辺では土木建築関係では相当にもうかったからである
近くのクレーンの貸し出し会社は新しく土地を買い機械も買い大規模になった
他でも建築土木関係には相当に事業の規模を拡大した
実際いわき市から瓦屋根を直してもらった、その時軒並み屋根が破壊されたからわざわざいわき市から来ても仕事が山ほどあったのである
だからこれも相当にもうけたとなる
この辺で原発が建つときその工事で財を成した人もいる、原発は金の成る木だったのである
だからみんな群がったのである

それから原発事故関係でも仕事が増えた、この人は足場組み立ての仕事であるがこれは
相当にもうかる仕事だいう、何しろ本当にこの辺は十年くらい土木工事や建築の仕事が膨大に増えた、だからこれで事業規模を拡大した会社が多い
また原発事故の除染とかでも仕事があり6兆円なのか莫大な金が使われた
そしてその補償金も多額でありそれでみんな金に狂ったともなる
噂にしても何億円補償金もらったとか聴く、実際に浪江の仮設に入っていた人が家族も多いから一か月に百万以上入っていると言っていた

その人は請戸の港で漁師であり働いていた、船主とかなるその額は大きくなる
なぜなら原発事故前でも原発御殿が建つほどに補償金をもらっていたからである
だからたいがい新しく立派な家は船主の家だとわかる
庭でも立派な石があり一千万単位とかの庭だからである
つまり家でも庭でも今では車を見ればその人の生活がどのくらいのレベルかわかるのである、貯金とかはわからないにしてもそれらを見ればわかる
相馬市の病院で一緒だったと人は請戸の人だった、その人は豪語していた
新しい家を建てると言っていた、それもやはり豪邸になる
津浪とか原発事故の被害でも補償金が多額だからできるのである

またいわき市には原発事故の避難区域になった住民が大量に移住した
二万人くらい移ったとされその人達が補償金で次々に新築の家を建てたから地元の人たちに反感を買い車を壊されたりいたずらされたりと嫌がらせさせられた
それだけいわき市はパニックのようになった、二万人も移ればそうなる
それは難民とかではない、ぜいたくな金のある難民なのである
今の世の中すべて金である、元から住んでいても金がなければ何の力もないのである
俺は金あるぜとなれば金のないもともと住んでいた住民より力あり偉いとなるからだ
現実に毎月電気ガス水道費が払えない人がいてそういう人は生きた心地もしないとなるからだ

ともかくこの事件に関心を持ったのは身近でありいろいろ自分の追求してきたことと関係していた、この辺は多額の補償金が入り金銭感覚が狂った人が多いからである
ただレクサスとか高級な車を買う人が増えたが高価なボートを買う人はいない
ボートにもいろいろあり大型だと何千万になる、金持つとまず豪邸を建て高級の車を買い高価なボートを買う、あとはこの人は食道楽になっていた
何か趣味がなければそうなる、例えばカメラが趣味だったら最高級品のプロのカメラを買うだろう、でもそういう趣味は高級だから芸術ともなり人に見せるものともなるからいいとなる、私自身はそうした金が入れば庭作りしたいとなる
私は石が好きだからである、一大庭園を造りたいとなる
ただこういう人は趣味がないからその外食い道楽とかボートとか車とかに費やして終る
高級品の車を何台も買っていたからである

そもそも静かな透明な猪苗代湖とか他でも水上バイクなど騒音が激しく嫌だとなる
でもただそういう所でもぶっ飛ばして快感を得る、それは車だってそうである
スピードを出して快感を得る、そういう社会でもある
だから車の騒音もうるさいと思わない、人間の感覚が鈍化したのである
その延長として水上バイクで今度は湖をぶっ飛ばして快感を得るとなる
本来は透明な湖面を乱さずに自然の美に浸るのがいいとなるがそれがない
そういう人たちは自然の美とは関係ないのである
それで自然の美には無感覚であり騒音を撒き散らしても何にも感じないのである
またそれを受け入れる人も金になるから仕方がないとなる
それは何でも金を第一する社会だからそうなった、要するに金があれば何でも通るとなる社会だからである

資本主義社会はどうしても金が最大の価値になる、金を持つ人が一番価値あるものとなるその金をもったら何に使うと勝手だとなる社会である
だから原発が金になるとなれば危険など見ない、原発を作る方でも地元でも有力者でも金をばらまけば手なづけられるとみる、実際にそうなっていたからである
故郷があるとしても毎月電気ガス水道代も払えないとした金をもらって故郷を出て暮らしたいとなる、これは故郷が愛郷心を持てと言っても無理である

ただこの人がこんな残酷な事故を起こしたのはやはり直接原発事故とかとは関係ないようで周り回って関係していたのかもしれない、思わぬ金が入りそれでその金を使ってボートを買い事故になった、金の使い方でそんな事故を起こしたとなる
他の人でも多額の補償金が何億円も入ってその金が変な方向に流れてしまったとういことがある、結局故郷の復興とかには使われずにその金で他で贅沢した方がいいとなった
だからみんな他に移り地元に残ったのは老人であり復興はしなくなった
それも結局そういう社会にありもともと土地に根づいて暮らす農民との社会ではなくなったからである

だから浪江の電気工事していた人は回りは草ぼうぼうで田畑がなくなっても補償金もらって良かったとか言っていた、つまり農業でも別に米でもなんでも外部から入ってくるからそれを金で買えばいいのだからそうなる、地元の米を食べる必要は無いからである
もし米でも外部から入らずに買えないとなれば今度は外に移住すればいいとなるだけである、だから今は地元に固執しないのである
この足場会社の人もミャンマーに会社を作り逃げようとしていた、グロ−バル化もしていたのである

こうして何か原発事故から波及したものがあり福島県は荒廃したとなる
金になった人がいてその人は金にあかせて贅沢する、相双リテックなども除染で幹部に何億円も入り分け合った、その金で銀座で豪遊して野球のタニマチになった
この人は若い時大谷翔平と関係していた、野球好きだったのである
要するにスポーツ好きだったとなる、
いづれにしろこの事故にしても何か震災と原発事故とも回り回って関係していたということで
考えさせられたのである
posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年09月16日

真子様の結婚相手選びの失敗 (皇室は京都に住み伝統を守るべきだった)


真子様の結婚相手選びの失敗

(皇室は京都に住み伝統を守るべきだった)


明治以降に天皇が極端に持ち上げられて政教一致になったことが後に太平洋戦争で300万人も死ぬ要因になった、神道も国家神道になりこれまでの天皇の扱いと違うようになった、そして昭和天皇の人間宣言で平民と結婚したことで皇室の堕落が始まった
そのなったのはもともと京都に住むのがふさわしいのに東京に住んだことである

江戸時代までは大坂は商都となり京都は天皇が住む場所であり江戸は政治を司り権力の場であった、その住み分けができていて日本という国は調和していたとなる
大坂は商都でありか商売であり京都は長い日本の歴史の伝統を受け継ぐものだった
京都はまた工芸と芸術とか受け継ぐ役割がありだからこそ天皇が住む場所としてふさわしかったのである
人間はとにかくその場の影響を受けやすいのである、大阪に住むと何か商人気質になる
その言葉からして違っている、「もうかりまっか」とか大阪では挨拶自体が商売のことになる、京都は「おいでやすとか貴族の言葉使いになる
そういうことで気質すら住む場所によって違ってくる
何か変なのは仙台弁で必ず語尾にだっちゃだっちゃがつくのである
このだっちゃが何かあけすけというか押しが強いという感じになる
仙台は東北でも伊達政宗が出て異質な場所であり商人の住む場所にもなっていた

東北という時たいがい朴訥な農民気質だからである
東北人は一般的に商人に向いていない、農民気質であり職人気質でもる
真面目であり融通が利かないということがある
その言葉からしてそうなのである、語尾に普通はだべいとかんだとかずうずうう弁になるからだ
それで奇妙なのは宮城県になる丸森は相馬市の隣になるがその人がんだちゃと言っていたことであるんだとは東北弁で語尾につける、んだーだっちゃが合成語になりんだちゃになった、一時丸森の金山城は相馬藩の城でもあった、その麓に住んでいる人が相馬市の病院で一緒だったので私はその言葉を聞いて感じたのである
だっちゃんだでは相当感じが違う、だっちゃは何か押しが強い感じになる、ずーずー弁は内にこもる感覚だからである

とにかく人間はその住んでいる場所の影響を一番受ける、おそらく鄙の人も京都に住んだら雅(みやび)を知るし身につくともなる
京都には独特の場であり千年の都だからそこから自ずとしみだしてくるものがある
それがやはり歴史なのだろう、度々言うが相馬市は相馬藩六万石の城下町である
でも城もないし何が城下町なのかわからない、でも何かそこから城下町の雰囲気がある
高いビルもないこともあり城下町になる、ただ外部から来てもわかりにくいのである
その場の雰囲気はなかなかわかりにくい、住んでいる人でないとわかりにくいのである

天皇は今の江戸城のある場所に住むのにふさわしくなかったのである
もともと千年の都の京都に住むことによってその価値をもちえたのである
江戸はもともと政治の場、権力の場所であったからだ
結果的には天皇が祭り上げられて現人神(あらひとかみ)になり日本の神になり300万人が死んで犠牲になったのである
天皇は確かに権力を持たない、軍隊を持たない、でも権力と一体化するから政教一致になるから危険なものでもあった、国家神道ともともとの神道は違っていた
神道には日本人の精神があり文化であるが国家神道は違っていたのである
それでキリスト教徒の手島郁郎が神道を持ち上げていた、宗教でも権力とかかわらずに
あれば仏教でも学ぶことがある、それが権力と一体となるとき危険なものになる

今天皇が問題になる時明治になって神聖化されて国家神道の主催者になったことである権力に軍事に直接かかわるようになったことである
それで山の奥の村であれ小社でも戦争の勝利のために祈っていた、祈らされたのである
それはあらゆる神社が国家神道に組み込まれたからである
もともと天皇とは関係ない、その土地の守り神のようなものでも国家神道になり天皇とかかわり戦争への勝利を祈るものとされたのである
それが世界でも通用させようとしたことが失敗だった、政教一致になったことが失敗だった

大倉村の山津見神社

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国威宣揚
皇軍武運長久

百人にも満たない小村でもこうして戦争に狩りだされたのである
その証拠としてこうして全国の神社に残されている
ただこれを歴史的評価する人もいるだろう、反発する人もいる
ただこうして刻まれた文字は消えない、また別に消してしまいならない
それは歴史の証しでもある、国家神道と本来の神道は違っている
日本の純粋な神道は日本の自然との合一から生まれた、それが日本語にも残されているからである、日本語が神道を示すものだともなる、それは国家神道とか権力と一体化したものとも違う民族の文化だともなるからだ

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実
(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)
http://musubu.sblo.jp/article/186477520.html

天皇は日本の歴史伝統文化の象徴であり権力を自らもって支配するものではなかったからである
だからこそ平安京以来日本の歴史文化の中心の京都に住むべきだったのである
そして明治になり東京に移りそバックグランドから切り離されたことが問題なのである
第一江戸城があったところに御所があるということが何かそぐわないからである
これが京都なら御所がもともとあり日本の歴史文化伝統と一体化するのである

そういう根本的なことが背景にありそれを無視したから諸々の問題が起きて来る
江戸には東京にはふさわしくないのである
そして平民と結婚して平民化したことが天皇の尊厳を失うことにもなった
自由恋愛とか自由が欲しいとなり今の真子様の結婚問題になった
何かそうなると皇室の尊厳が損なわれて失い国民も愛想がつきるともなる
そもそも皇室の尊敬が国民でもなくなっているのではないか?
昭和天皇までは国民にあれだけ戦争で犠牲になってもあったともみる

でも今は何か天皇に何か特別のものを感じにくいのである
変なのだけど近くに今の天皇と顔が似た人がいる、その人は庶民であり天皇になっても
同じではないかとも見てしまうのである
とにかく人間は聖人であれなんであれキリストであれなんだ同じ人間じゃないかとみる
だからいづれはどんな人も卑しめられる、神が肉体を身に着けて現れてもそうだった
なんだ俺らと同じ人間じゃないかとなる、だから特別尊敬などしないのである
そうなるともう皇室も維持できなくなるかもしれない、まず国民自体が尊敬もしないからである、皇室も自由恋愛だ、何か自由が欲しいとなれば平民と同じ権利があるとかなればそうなる

確かに天皇は軍隊をもたないし財力もない、権力がない、でも権威でありその権威にひれ伏すことで日本の政治は運営されてきた、それは他の国とは違う日本の知恵だったとはなる、でも天皇がこれから維持できかどうかわからなくなっている
まず国民が天皇を尊敬するとかが希薄化している、明治生まれとか戦前生まれの人は戦争があってやはり天皇への敬愛かあった、それは権力に強制されたというのでもなく尊敬があった、そもそも日本の歴史が皇国史観になっているということでもそうである
天皇なくして日本の歴史がなくなるからである、それだけの重みを持ち続けたのである
ただ明治から戦前から戦争がありさらに昭和天皇から今上天皇から今の天皇になりその存続も危ういものとなる、そこに今の男系から女系天皇でもいいとかの議論になる

いづれにしろ天皇は京都に住んでこそ天皇の意味がありその価値を継続できていた
それが東京に移り住み失われた、そのバックグランドは徳川家康が支配した江戸にさらに東京にはなかったからである、その歴史的文化的価値をもつのは京都だっからである
だから歴史もその場から離れてありえないのである、千年の都から東京に移っんた時その価値を失ったともなるのである
昭和天皇が軍神ともなったが短歌がうまかったことである、やはり伝統を受け継いでいた
その後は短歌がうまい人が皇室に出ていないのである、俳句と皇室は結びにくいが短歌は古代から日本の文化となっているから
歌会始めがあるように天皇と結びつくのである

貴人(あてびと)に枝垂桜や雅(みやび)かな

貴人住む京をめぐりて春深む

春の日や鄙も雅に染まるかな

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2021年09月15日

猪苗代湖8歳死亡ボート巻き込み事故 会社役員の男逮捕 両足切断の母親 (水上バイクのうるさかった場所ー観光公害にもなっていた)


猪苗代湖8歳死亡ボート巻き込み事故 会社役員の男逮捕 両足切断の母親

(水上バイクのうるさかった場所ー観光公害にもなっていた)

https://bit.ly/3tJkAs8

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猪苗代の名のおこりは磐椅明神が昔、野猪に苗代を耕作させたのでそう呼ぶようになったという説や、イナワシロはアイヌ語だという説などがありますが、定説はありません。
しかし、稲作農業と深い関わりがあったことだけは確かです。

この由来かすると農業が関係していた、野口秀男が生まれた貧しい地域である
猪苗代湖は魚がとれない、だから回りで農業をする稲作をしていた
一時は船で米を運んだとかある、でも猪苗代湖が琵琶湖のように交通が盛んで鮎までとれたのとは違っている、ただ猪苗代湖という地名には何か生活感覚があって名付けられた

ただ猪苗代湖は今は観光の地であり何か生活を感じるものはない、でも周りは田んぼだからやはりそこに生活がある
私は船津浜だろう、そこから真正面に磐梯山が見えて松林があり眺めのいい場所である
その辺から水上ボートが出て水上バイクで遊んでいた両親と8歳の子供が事故にあい死んだ、母親も両足切断したとかその映像を見たとき残酷だと見た
なんでこんな目に合わねばならないのかと思う端から見ていてもその映像だけではっきりわかる、アフガニスタンでは両足を地雷で切断した映像を見たときもショックだった
なぜならこれからもその足は戻らない、障害者として生活してゆくことを想像したら
あまりにも残酷だとなる、幼い命も返ってこないのである

私がなぜこの事故に注目したかというと私がここを自転車で通った時、そこは風光明媚で静かな場所だった、でも水上バイクの音だけがうなりひびいていたのである
それで今も頭の中にその音が残っている、なぜなら静かな場所で人家もまれでありただそこには水上バイクの音だけが騒音となってひびいていたからである
何か水上バイクは音が激しいのである、それは騒音公害ともなるが人家がほとんど見えなかったから騒ぐ人もいなかったのだろう
それより観光で成立つのだから金にならないと困る、それで水上ボートとか水上バイクとかで事故になった
十人乗りの大型のボートでありそれでボートがまきこまれ悲惨な事故になった
その十人乗りのボートの所有者は東京の人であり会社の役員でタワーマンションに住んでいて家賃は30万くらいするという

何か私は旅が仕事のようになっていたから観光というのに関心がある
今の観光は何かこれも金だけが目的となり金になる人は歓迎する
そのためにはそうした金を落とす仕組みを作らねばならない、それでそのために水上ボートとか大型の船でも航行させる
そこにはもう猪苗代湖という名の素朴な感じもないのである
もちろん野口秀男の生家とかあってもその面影は喪失している
そこは観光の場であり観光無くしてありえなくなったからである

ただ船津とか湖南の福良とかはいい場所である、福良に行った時は町の通りに茅葺の家があった、福良は白河街道の宿場町でありそこは昔の面影をとどめている
そこの蔵の宿に泊まったことが思い出となっている、そこは昔も偲べるし風景もいい場所なのである、観光化もしていない、猪苗代湖の他は鉄道が通っている沿線とか観光化している、ただ福良の方にはあまり行かずに会津の方に鉄道でも行けるからこっちは取り残された感覚になる、でもそういう場所がかえって風情がありいいとなる

我が泊まる福良に菖蒲蔵の宿


なぜ観光でも今はそうした風情とかが壊されるのか?

それは過度な観光化のためだった、そこで優先されるのは大勢の人が来ることであり
金を落とす人である、金のあるかなしかで待遇はまるで違ったものになる
自転車旅行者など宿でも歓迎されない、何かはぐれものであり危険だともなる
犯罪者のようにも見られる、そしてすべては金が優先されるのはどこでも同じである
観光も過度になると京都すら風情がなくなる、外国人でうめつくされ風情もなくなる
ホテルでもビルとか建ち過ぎると古都の風情が壊される
何か京都でも観光公害を言っていたが金になるから黙認される
でもコロナウィルスで観光客激減したことには驚いた、でも閑散として元の古都の風情がもどったともなるのも皮肉である
要するに観光は過度になり観光公害にもなっていたのである

そしてホテルでも旅館でも金持ちは優遇される、一泊3万とかの宿がありそこで金持ちは保養する、旅人をもてなすのではない、そこでかまいものを食べて保養するのである
だから旅人はもういないとなるし旅している人は胡散臭いともなる
背広を着ていかにも会社の重役のような金持ちは歓迎されるのである
江戸時代ならみんな宿でも平等だった、平等のもてなしをしていた
それはみんな金持ちではない、相宿になったりしていたからである
江戸時代は歩く旅だから宿についたらみんな相当に疲れている、それで足を洗うというのはわかる、汚れてもいるからだ
今は汚い恰好していたら泊まることもできないとなる
自転車旅行者はテント必須でありそこで泊まるほかないとなるからだ
要するに現代では旅人はいない、保養があっても旅人はいないのである
車だと旅というよりどれだけ早く目的地に着くがであり途中は省かれるからだ
むしろ旅は途中にあるとなるからだ

何かコロナウィルスでも観光がだめになった、インバウンドも駄目になった
これも急激に起きたのである、観光公害を言われていたが本当にぱったりと外国人でも来なくなったのである、その負の面も大きいがやはり観光公害となるほど問題が起きていたすると観光業も見直すものとなった
猪苗代湖でも水上バイクの騒音とか十人乗りの大型ボートとかそれが適していたものなのか、東京の金持ちの都会での生活の圧迫からの解放であり娯楽として提供する
それで風情は壊されるとなる、それはどこでもそうなっていたのである

なぜなら観光のためにそもそも市町村があるのではない、そこに暮らしがありその付けたしとして観光があり観光は主役ではないのである
観光のために市町村があるとなれば本末転倒にもなる、もともとその地域での暮らしがあって観光はそれにつけ加えるものとしてあったからである
観光のために市町村があるとしたら観光公害にもなるのである
京都ではそうなった、でも相馬市は城下町であり何かどこが城下町かもわからない
訪れる人も少ない、でも何か常に風情があり感じるものがあり俳句とか短歌になった
それは高いビルとかなく公共の建物でも入母屋作りに統一されているからだとなる
ただ外部から来た人かそこが城下町なのだということは気付かないともなる

ともかくあの辺を回って船津であれ水上バイクの音が今でも耳に残っている
それは観光公害だったのである、それは日本全国でもそうだし世界でも観光社会になったときそうなっている、何か風情が失われているのだ
それよりさうした悲惨な事故まで起きている、第一大型の水上ボートなどが必要なのかという問題もある、猪苗代湖はあまり大きくないからである、そういうものが走ること自体似合わないともなる

でも資本主義社会というか常に金が優先されるからそのために風情より金だとなり金持ちの娯楽を提供するためにそうなるのである
その金持ちも何か茶を楽しむとか文化をたしなまない、作りださない人達であり成金趣味とかなる、そこで問題なのは旅した印象として水上バイクの爆音のみが心に残っているともなりかねないのである、ただそういうことは地元の人でも考えない
やはり金だとなり原発でも金になるから積極的に誘致されたしみんなそうである
金によってみんな肝心なものが無視され汚されてゆく、アフガニスタンも200兆円もつぎ込んで無駄になったのもそうである、それは賄賂となり一部の都会民を豊かにしただけだったとかなるからだ

語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな 芭蕉

晩菊やここにもあれや湯殿の碑

湯殿山の近くのホテルで自転車で泊まった、そしたらそこで一部屋を用意して泊めてくれたのである,ホテルではありえないことである、そこは団体が泊まる、湯殿参りの団体が泊まるホテルだからである、そこのお上が泊めてくれたのである
つまりお上にはそれだけの裁量がありお上によってそのホテルの評判もあがるとなる

東北に湯殿の碑が本当に多い、いたるところに江戸時代の湯殿の碑があり湯殿に冬など農作業が終わったとき講がありみんなで疲れをいやしたのである
その時は金持ちを特別待遇するとかない、みんな平等だったのである
何かこの湯殿の俳句は東北的なのである、素朴な東北かあった時代に似合った俳句なのである

みちのくの湯殿でゆっくり疲れをいやしてください

そうなるからである、ただ今はそういう場所よりみんな観光の場所になったのである
それがまた観光公害にもなったのである

猪苗代湖一周サイクリング
https://bicycle-eyes.com/course/cycling438.html

こういう観光だったらいい、猪苗代湖は湖面を乱さない方がいい、透明度も高い湖であるからだ
何かやたら金をかけた豪華なホテルなどより湖南の蔵の宿とかに泊まれば風情があるとなる
だから湖南か福良から会津に行く白河街道は歴史の道であり推奨できるのである
ただ車だと早すぎて風情もなくなる、あの辺はまだ昔の面影が残っている
旧街道は歴史の道であり昔の面影が残っているのである

水上バイク事故で男女3人死亡 「すごい速さで走っていた」 兵庫・淡路島の海上

水上バイクは危険だし騒音が激しいから規制すべきだ
posted by 老鶯 at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

上級国民は国会議員はワクチンを打っていない (医者も打っていない????????)


上級国民は国会議員はワクチンを打っていない

(医者も打っていない????????)

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https://www.youtube.com/watch?v=AS7H_RBGGhk

このyoutubeも不思議である

●国会議員はワクチンを打たなくてもいいという法律を作った

●医療従事者は倍にも水増ししてワクチンを打ったと報告している

 でも肝心の医者は打っていない
 
このyoutubeは何なのだろうと見た、国会議員でワクチンを打たなくてもいいという法律まで作った

なぜそんな法律を作ったのか?

ワクチンが危険なためなのか、それしか考えられない、国会ではクラスターが起きていない、ワクチンを打たないのにクラスターが起きていない

ワクチンを打っていないからクラスターが起きていない!

これも奇妙である、医者も打っていないとなると特権階級は危険だから打たないのか?
その真意は謎だけどこのニュースはどこでも報道していない
だから相当に価値がある

とういうのは自分自身がワクチンを打っていないから不安になっているらだ
どうしてもワクチンを打たないでいた人が死んだという報告も外国でも日本でも多くなっているからだ
そういう情報にのみ接していればやはりワクチンは打たなければならないかとなってしまうからである
でもそこにも情報操作があるのかもしれない

ワクチンを強制的に打たせる

でも上級国民や医者は打たない

ただそれはわからないようにしている

何か原発事故でも真実は隠されていた、政府とか官僚とか御用学者とか専門家とかマスコミで原子力村を作り危険はないき「安全神話」が作られたのである
だから政府でも官僚でも学者でも専門家でも信じられないとなってしまった
政府でも嘘をつくし国民をだますのである
このワクチンでもそういうことがるのだろうか?これは謎である
ただこういう報道は見かけないから貴重だとなる
どうしてもマスコミでもネットでも全体的にはワクチンを接種しろという報道が大半だからである,ワクチンを打たない人はかなりの少数派になっているからだ

ただ知っている人は全身が痛くなり二回も入院した、立つのがやっとになっていた
だから三回目はしないという、ワクチンを七回すると確実に死ぬという発言もあり
やはりワクチンはそれだけ危険性がある
たでからみんな不安もなく平気で打っているのも何なのだろうともみる
ただ大勢はワクチンを打てとなり打たない者は非国民までなる勢いだから怖い
私は人と一人しか接していないし今は県外にも出ない、旅行もしない
近間を回りスーパーで買い物するくらいである
田舎だと都会のように混雑しない、デスタンスがとれる、だから感染しないとみている
ただそれも自分がそう思っているだけだともなりわからないのである

もしてこうして国会議員とか医者でもワクチンを打ってないとすると相当に危険でないかむしろ安全ならそういう特権階級の人が率先して打っていると見るからである
この報道は何か嘘とも思えない、なぜなら本当にそういう法律が作られたことは事実だからである、だからワクチンに対する判断はわからない
間違いなく確率的にかなりの人が副作用がありそれが重くなることはありうる
またワクチンを打ったからと感染しないわけでもない
だからここで言っていることは他では言っていないので何なのだろうと注目した
ワクチン陰謀論もあるがもしこうなっていたらそれもありうるのかともなる
上級国民と医者が打っていないとしたらそれもありうるのかとなるからだ

確かなことはワクチンが完全に安全を保証するものではないし効果もわからないのである
それなのになぜこれほど強制までされるのか?
それも世界的にである、それで利益を得るのは薬剤会社である、ただこれは専門家でも明確に判断できていないのである
だから強制していいものなのか、そして国家議員や医者が打たないとしたら何なのだろうとなる
下々の者は実験材料でもいいやとなっているのだろうか?
とにかくこのコロナウィルスというのは何なのか本当に不可解なのである
posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年09月14日

原発事故とアフガニスタンの類似 (いくら金をつぎ込んでも無駄だった)


原発事故とアフガニスタンの類似

(いくら金をつぎ込んでも無駄だった)

アフガニスタンでカブールで政府の要人の大邸宅が作られていた、それはまるで宮殿のようにもなっていたかもしれない、貧しい国でそんな大邸宅を作れるのかとなる
それを聞いた時、これは原発事故と似ていたなと見た
漁業組合とか船主に原発事故前も漁業関係者に特に船主に金が流れて原発御殿が建っていたという、漁業権を売ることはそれだけの金が入ったということである
他にも相当な金が流れた、それで大熊町長の五億円入った金庫が津波で流されて見つけ欲しいとかなった、それは嘘ではないだろう
つまり地元の要人にはそれだけの金が流れたということである
原発はそういうふうに湯水のように金が有力者に流れたのである

関西電力の八木誠会長(69)や岩根茂樹社長(66)、豊松秀己元副社長(65)を含む役員ら6人が2017年までの7年間に、関電高浜原発が立地する福井県高浜町の元助役(今年3月に90歳で死亡)から、計約1億8千万円の資金を受け取っていたことが、金沢国税局の税務調査で分かった
元助役は、受け取った約3億円を所得として申告していなかったため、金沢国税局は申告漏れを指摘し、追徴課税した。

この人も豪壮な邸宅を建てていたのである、他にも原発関係で金が流れた所があったろう実際その後の除染でも何兆円にもなりそれで地元の相双リテックの幹部に何億円とか分け前があったことが詩り摘発された
その金は野球好きでりタニマチになって銀座とかで豪遊していたとかなる
またオリッピックではIOC会長のバッハは国賓並みの待遇であり一泊300万とかの部屋に泊まったとか批判された、ぼったくり会長と呼ばれ批判された
なぜこんな金が出てくのか?庶民には理解しかねる
それでオリッピックが何か世界で有意義なものかとなるとそれも問われた
だから今回のオリッピックで誰が国民が反対なのにしたいのかがわかりさめた
裏で巨大な利権となりその金を得るために国でもやらざるをえなかったのである

それも無駄金だったのかともなく、残された競技場の利用者もなく金がかかり維持できないともなる
つくづく何か公共事業というのは莫大な無駄があると思った
そんいな巨額の金をつぎこんでオリッピックなどに意義があったのかとなる
ただ観光客が外国から来れば観光業とかホテルとかではもうかったとはなる
それもなかったのだからただ一部の利権者、電通とか工事を請け負ったゼネコンに金が流れたただけだともなった、そのカラクリが可視化されてわかりやすかったのである

ただ原発はオリッピックとはまた違っている、原発の電気は現代生活で不可欠のものだからである、だから電気自体を否定はできない、オリッピックなら別にやらなくても困らないとなるからだ
ただ原発も莫大な金が使われた、国の税金も使われた、それは共通しているのである
それだけの金をつぎこんで何か効果が意義があったのかとなるとそうとはならなかった
一部のものに補償金でも流れ消費されてまず復興のためには何にもなっていないのであるそれより補償金をもらった人たちはその金で故郷から流出して帰らなくなったのである
いくら金をつぎ込んでも復興にはならなかったのである
むしろ金を湯水のようにつぎ込んだ結果としてもう地元を復興させるより補償金をもらって外で暮らした方がいいとなった

それで近くでは南相馬市なら小高の人は原町にとか浪江でも復興団地に移り住んだ
つまり浪江でも小高でもそこに取り残されたのは老人だったとなる
飯館村でも何十億もの金をつぎ込んで立派な学校を作ったが生徒は6人だったとかそれも他の町から通っていて親は住んでいないとなる
いくら金をつぎこんでも復興とはなっていない、かえってそれだけの金をつぎこんだ結果として復興できなくなったということもある
なぜなら補償金もらったら別な市町村に移り住んだからである、そこでもいち早く立派な家を建てたとなるからだ、そして事故前からも補償金は特別もらえるから生活に困らないのである

これとアフガニスタンが何か似ているのとかなる
原発御殿が建ちカブールにはアメリカから二十年間で200兆円とかの金を湯水のようにつぎ込まれた、でもそれも水泡に帰したともなる
カーブルとか都市部ではそうしてつぎ込まれた金が賄賂となり私腹を肥やすものとなっていたのである、何かこれも原発の補償金と似ていたのである
アフガニスタンでもそんな巨額の金をつぎ込んでもアフガニスタンが良くなったことはなかった、都市部はそれなりに自由な生活ができたが農村部は貧しい生活のままだった
つまり都市部の利権者が賄賂を得て大邸宅を建てていたのである

つまりそうして200兆円とかの金をつぎこんでもアフガニスタンは豊かになったわけではない、一部のものに利権者に流れただけだとなる
国民は貧困であり満足に食べ物すら得られない状態も改善しなかったのである
だからいくら金をつぎ込んだとしてもそれが何か実りをもたらとはならないのだとわかるかえっその金が仇になりその金をもらって楽しようとなったり自分だけが豊かになればいいとなる、厥て国全体は良くなったりしないのである
だから金は諸刃の剣である、使い方によって良くもなり最悪にもなる
金ですべて解決できない、アフガニスタンでもやはりそこに住んでいる人達の意識とか心も関係してくる、ただ金を与えても良くなるとは限らない、悪くなることもある
補償金がもらえばいい、後は遊んで暮らせばいいとかなる
現実に避難者はそうなっている、働く意欲ない、補償金で暮らせばいいとかなる
特に老人だとそうなりやすいのである

アフガニスタンでは50万人の難民が出るとなるとそもそも自国に住めない住みたくないとなれば国造りなどできないともなる、それだけ荒廃しているとなる
不思議なのは日本でも焼野原になって都市が壊滅状態になっても復興した
その復興を示したのが前の東京オリッピックであった、その時はオリッピックに意義があったのである
ドイツでも復興した、それはやはりもともと国力があり復興する力があったからできたとなる、工業力も双方にあったからである、技術力もあったからである
その辺がアフガニスタンとかとは違っていた
でもその時別に金をつぎ込んだわけでもない、金もないからである
みんな懸命に働き自国で復興したとなる、アメリカの援助があってもそれだけではない
日本人自身で復興する力が精神的にもあり幸運もあって復興したのである
今は中国が貧困国家だが世界第二の国になった、これも復興したのである

その原因はやはり工業力、技術力が日本でもドイツにあったからだともなる
農業だけでは復興できないからである、中国も復興できたのは工業力であり技術力だったアジアではもはや日本を抜いて工業先進国でありIT先進国になったからである
イスラム世界には工業力がない技術力がないことで停滞しているともみる
これはいくら金をつぎ込んでも工業力とか技術力がつくとは思えない
イスラム世界ではそういう人が育たないとかある、そのために後れをとったとも見る
他にも原因があるとして可視化できるのは工業力と技術力だとなる
つまりいくら石油がとれてもそれを精製する力もないし工業製品を製造する力がないので後進国になってしまったとなる

イスラム世界では石油がとれるのだから金がある、でもその金をいくらつぎ込んでも工業国とか技術を取り入れることもできないのである
だから石油マネーで金を湯水のようにつぎ込んでも自国で車も作りだせないのである
結局他国から買うだけになるから本当は豊かになれないということがある
金だけでなんでもできるとはならない、確かに技術力とかも左右するが精神的なもの
自らの国を良くするという自発的なものがないと豊かにできない
それがイスラム世界にはないから遅れをとった

アフガニスタンなどでもそうである、阿片の栽培でそれを資金源にするほかないとなると豊かにはなれない、そして外国人が来て援助していくら金をつぎ込んでも豊かになれなかった、それは一部の特権者に流れてその人たちが大邸宅を建てた
それも賄賂の金だったとなる、そしていくらアメリカでも金とか武器とか労力を費やしても賄賂をもらい大邸宅を建てて私的なものとして使う、国民のために使うこともなかったのである、だからタリバンが攻めてきても戦うこともない
愛国心もなかったとのかとなる、ベトナムなどとはずいぶん違っている
総力でアメリカと戦い勝ったともなるからである

いくら外部から外国の援助があってもアフガニスタンでは豊かになれなかった
日本だって7000億円も援助していたというから驚きである
でもその金を無駄だになった、すると一体何のためにそんな金を使っていたのかとなる
それも無駄金であり無駄な労力だったのかともなる
別にアフガニスタン国民に感謝されるわけでもないとなるからだ
結局外からいくら援助してもその国の人達がやる気がないのなら何をやってもできない
ここは私たちの国でありなんとか私たちの力で豊かにするという心意気がないとできない金を湯水のようにそそぎこんでも成果が得られないのである

事情は違うが津浪でも原発事故でもそうういことがあり人間は金で何でもできるとはならないと思った、でも現実は金を得ればいいとなる、そしてもっと金をくれとなりただその金で今度は地元を離れて他の便利な場所に移り住み生活するとなったのである
金のために復興できなくなるということもあった
だからすべてが金では解決しない、そればどこでも同じなのだけど金の魅力に負けて金に心もなにもかも奪われてしまうのが現実なのである


posted by 老鶯 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した (隠蔽されニュースにならないものがある)


宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した

(隠蔽されニュースにならないものがある)



免疫学の第一人者とされコロナワクチン絶対安全派・絶対推奨派
に転向した宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した
事実をテレビ・新聞が報道しないことだ。

グーグル検索では削除されていて情報は出てきませんが、アメブロでも取り上げておられる方がいらっしゃるようです。

厚生労働省が公表したデータによれば、接種を開始した2月17日から6月4日までに、196人(女性104人、男性92人)が接種後に亡くなっていた。6月16日現在、ワクチンを1回以上接種した人の累計数は2003万1055人だから、およそ10万人に1人の割合だ。私たちはこの数字をどう受け止めるべきなのだろうか。



ワクチンがもうアメリカとかでも強制的になっている、職域で強制的になっている
ワクチンパスポートも必要になる、それで抗議している人もいる
ワクチンの効果もまだ良くからない、三回して感染したとかもある
情報が混乱しているから判断に迷う
何か私がしないのは家庭の事情である、前は看護婦をした人が家族にいたらすすめられいたろう、また一人だと自分の体に無頓着になりルーズになる
普通家族がいると過剰に心配するからである、家族がいないと誰も心配もしない
それで家族を介護中に誰も体を失敗してくれないから死ぬところだった
腎不全になり医者に行ったときすぐ入院して一命をとりとめた
家族がいないということは早めに死ぬということがあるのはそのためである
体ででも心配する人がいないからだ

ただこの人は家族がいてそれも有名な専門家の感染症の学者がいてすすめられて死んだ
これも何なのだろうと思う、息子が高血圧とか知っていただろう、ということはワクチンを打つことに抵抗があった、最初はワクチン拒否だったが変わった
つまりこうして有名な専門家でも実はコロナウィルスのことがわからないからこうなる
それが今の状態を示している
でも確率的にワクチンをした方が重症化しなとかでている、死んだ人もいるが10万人に1人となるとどう判断すべきなのか?接種後になくなった人の数が5カ月間で196人は多いのか、高齢者も多いが50代でも40代でも死んでいる
これもどう判断していいのかわからないのである

ともかくこの人は家族が専門家だからすすめられた、それがかえって徒になったのであるもともとワクチン拒否派だったのだからそれを貫けば息子は死なずにすすんだともなる
こうして専門家自体が判断が変わったりワクチンを打たせてしなせたとかなる
そうなると素人で判断するのは至難である、ただ統計的には確率的には奨めてもいいというものなのか?それもわからないのである
ただ大勢はもうワクチンを全員打てとなり強制化している、それで抗議のデモが外国で起きている

ただ注意すべきはこの専門家の学者の息子がワクチンを打って死んだということが報道されないことなのである、これは明らかにニュースになるものでもしない
ということは何か隠蔽させる力が働いているのかとかんぐる
これは今なら重大ニュースだからである、こうして何か隠蔽されマスコミでは報道しないことがあるから困るのである
とにかく原発事故でも政府は権力によって重大なことでも隠蔽する
それで被害を受けるのが国民なのである、また地元の住民だったのである

ただ職域で人と接する仕事はワクチンをうたざるをえないだろう、でもたいがい人と接する仕事が多い、テレワークで家にこもって仕事できる人は選ばれた人だろう
私自身がテレワークであり自宅から出ずにプログを毎日書いている
だから人と接しないから安全だと自分自身で見ている、県外にも出ない、もともと人と接しない引きこもりだからそれが幸いしているというのも皮肉である
この世の中つくづく何が幸いするかもわからないのである

とにかく一人接する人はワクチン接種後、体全体が筋肉でも痛み立てなくなり二回入院した、だから副作用がある人を身近に見たのでやはり相当に副作用があるのかともみる
その人は70過ぎている、身近にそういう人がいると警戒する
ただ南相馬市では一人二人とか感染者が出ているが十人とか単位ではでていない
いわき市は増えた、ただいわき市とは電車が通っていても行き来が少ない、ここでは仙台市との交流が多いからである、だからいわき市からうつるというのも考えにくい
工事関係者もかなり少なくなったからである

このコロナウィルスは人から人に感染する、だから人と接しないようにするのが感染防止することになる、でも今の時代これだけ交通が発達して人流があるとき止められないのである、とめると生活できなくなり自殺者がふえるし増えている
そのジレンマに陥っているのだ、だからどこまで制限すべきなのか迷うのである
これがせいぜい二年くらいで終わるのならいいがさらに続くとなるともうできないとなるただと都会と田舎では感覚的に違う、田舎だと一人でも警戒するからである
そしてそうなるとすぐに話題になり隠せない、そして住めなくなった人もいるからだ
だからワクチンを打たないで感染したら相当に責められる
ただ自分は人と接しないし県外にも出ない、それで安全なのかともみる
ただこういうことが長くつづくと息苦しくなる

ただこのコロナウィルスは世界を変えるというときグロ−バル化が度を過ぎたものとなったことである、それを制限するようになったことである
何か世界の人口でもアフリカですらこれから減ってゆくという、中国でも少子高齢化になり世界の人口は歯止がかかった、これはもうこれ以上人間が増えたら環境も破壊されて
地球に住めなくなるという状態になったからである
人間が増えることは一人でもエネルギーを消費するからである
だから何か地球自体がグロ−バル化はもうできないともなる、限界になった
経済成長はもう望めない時代になった、もうそれだけ養う地球の資源もないし環境破壊になるからできないとなった、それで持続化可能社会を目指すことになった

グロ−バルな交流も歯止がかかる、そういう自体になっているときコロナウィルスが世界に蔓延したのである、だからコロナウィルスもこうして時代を変えるものとして作用した何か中世のような内向き社会になる、遠くとの交流より近間であるもので近くを活かして生活する時代になる、もちろん外国との貿易はあるとしても江戸時代のように出島で制限するとかなる、何か制限制約縮小化の時代になる、それは内面化の哲学宗教の時代だともなる、カルト教団はむしろ外面的に数を増やすことが最大の目的だから本来の宗教とは全く違ったものであり大衆扇動宗教である、内省化などはない、高度成長がGDPの生産増加と消費の増加を目指す、欲望の限りない拡大を目指す、資本主義の中で起きた宗教であり宗教とは言えないものだった

でもそういうものではなく本来の宗教に回帰する時代だともなる
世界が大きな時代の変わり目に来たのである、ミニマリストとかが若者に出たりするのもそうである、原発事故でもそうだった、故郷に住めなくなるということが最悪だったからである、これもこれまでの欲望の無限の拡大が原因ともなっていたのである
だから生活そのものを見直す時代になったのである
posted by 老鶯 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年09月13日

情報に過敏になり錯覚して過誤になる (世界が村になるーマクルハーン)


情報に過敏になり錯覚して過誤になる

(世界が村になるーマクルハーン)

今日の朝玄関に出たら風がかなり強かった、木もゆれたし何でこんな風が強いかのかと思った、その時九州近くに大型台風が来ていることをテレビで放送した
だから一瞬その台風の影響が来たのかと思った
でも遠いのだからまだまだのはずだとも思った
でもどうしても一瞬台風の影響で強い風が吹いたと思った
これは台風の影響では全くなかった、なぜなら昼にぱったり風がやんだからだ

このことでいかに人間は今情報に左右されるかである
いくら遠いとわかっていてもテレビとかの情報に左右されるのである
台風は実際はかなり遠いとしてすぐ近くに感じるのである
だから(世界が村になるーマクルハーン)このことが情報社会で常に起きているのである遠い世界の果てに起ったことが隣の村で起ったことのように実際に反応するのである
過剰に反応して怯えるとなる

そういうことはこうした天候だけではない、何か事件があると隣の村で起きたように思うのである、犯罪でも毎日のように放送される、するとそれはすべて隣の村で起きたように感じるのである
子供の性的犯罪が報道されると大人が近くの人でも犯罪者に見られる
だから駅で自分がボランティアしていたというそのように見られて誰かが警察に通報してみんなの前で職務質問されて犯罪者扱いになり駅にも出入りもできないようになった
つまり自分だけのことでは情報社会になるとみんな遠くに起きた犯罪でもみんながそういう犯罪を起こす人と見られるのである

ただ実際に自分が近くの人に大金盗まれたとか泥棒が入って金庫をあけられたとかあり
これは事実である、だから人を見たら泥棒と思えというのは本当なのである
たいがい雇う人でもそうして盗むことなど日常茶判事だからである
そういうことがあたっているけどみんな性犯罪とはならない、大人がみんな悪い人でもない、犯罪を犯す人でもない、そうしたらもう子供とも接触できない
現実に今はそうなっている、だから子供と大人を接触させないようにさせている
何かそれで現代は窮屈な世界になっている、絶えず疑いの目で人は見られているからである

情報社会の怖さはいろいろある、ラジオがナチスを作ったということを指摘した思想がいた、ラジオですら抜群の宣伝効果があったからそうなった
朝日新聞が戦争をあおったというのもそうである、今は一番テレビの影響が大きいものとなった、だからこそテレビが第三の権力になったのである
ただテレビに出るだけで何の能力もない芸能人が青島とかが東京都知事になったからである、そして選挙運動もしないと威張っていたのはマスコミとテレビが作り上げた虚像だったのである
マスコミとかテレビはこれまで多くの虚像を作り上げてきたのである
そういう人は当り障りのないどうでもいい芸能人がなりやすかった
専門家でもないのに何かを言わせるのである、そう仕向けているのはマスコミだったのである、どうでもいい奴に発言させるだけだとなる
実際はマスコミが主張したいことを言わせているだけなのである

ただインタ−ネットが出てきて変わった、youtubeが個人のテレビ局になっている
だから個々人が放送する時代になったからである
それでテレビはあまり見ないし新聞も今は地元のでもとっていない、それで困ることもないのである、だからマスコミの時代は終わったとなる
ただ情報が多すぎて困る、どれを選んでみていいかわからなくなる
ただあらゆることに様々な見方があるのが現実社会なのである
それを一面だけを取り上げて放送していたのがマスコミだったのである

世界のことはさらにわからないからイラク戦争で油まみれの一羽の海鳥の映像がどれだけ影響したか、世界中の人が感情的になり怒ったのである
イラクは悪い奴だとして怒った、フセインは悪い奴だと怒った
でも実際は化学兵器とかはなかったしアメリカが難癖をつけて戦争してフセイン大統領を抹殺したのである、これも情報操作だった
情報というのは容易に操作されやすい、映像社会になると映像のインパクトが強いから余計にそうなる、過剰に反応しやすいのである
そして様々な情報に混乱させられしフェクニュースもある
ただこうして地方でも霜とをベースにして情報を発信できる時代になった
こういうことは今でありえなかった、だから相馬新報として地元をベースにして津波と
原発事故を報道したことは意義があった
確かに他にも報道したが個人として感じたことを報道したことは意義があった
それは今までできなかったことだからである

ともかく情報化社会の問題がいろいろでてきている、インタ−ネットでもそうである
そこで何が真実なのか事実なのかを知ることさえ容易ではない
だからインタ−ネット上での会話とか対話は誤解が生まれやすいのである
対面的でもないしそこで誤解が生まれやすいのである
それで私は今プログで毎日書いていても対話はしていない、コメントにも答えていないのである、対話するにもその人のことを良くわからないと対話できないということがあるからだ、人間が対話すること互いに理解し合うことがいかにむずかしいかを知るからであるただ一言二言その場でインタ−ネットの画面から消えてゆくというのが人間の存在としてはあまりにはかないともなる

いづれにしろ情報社会の問題はインタ−ネットがでてきてさらに複雑化して混乱して来るしかしこれまではテレビ局六局にしきられていたからこれはもう言論の自由もない状態だったのである、それだけマスコミが力をもった時代だった
お前を何か言わせてやる、でも局の言う通りにしろ、勝手なことはしゃべるなとなっていたのだから言論の自由はマスコミの幹部たちにあってそこでは自由な発言なと許されなかったのである、つまりマスコミにコントロールされた発言しかできなかったのである

ただインタ−ネット時代になっても様々な問題が生まれている
結局数が多すぎると選ぶの大変だしyoutubeで顔出して放送してもほとんど見られないプログでも読まれないというのが大半になる
だから情報というのはどうしても放送するにも限度があり限られてくるとなる
そんなにいろいろ時間をさけないからである
ただ専門分野とかでは検索して知識が深められているのも確かなのである
インタ−ネットは共同学習の場にもなっている、だから映像で教育の場にもなる
ただ出版社が本を出すというのではなく専門的なことでもyoutubeを通じて放送することができる、それはかなり効果的なのである、テレワーク学習になる
家にいて学習でるし自ら発信できることも大きな力になり変化なのである

インタ−ネットの強みはリアルタイムに放送できることである
今風が強く吹いた、これは九州に近づいてきた大型台風なのかと一瞬思ったことがそうだったのである、それをその日のうちに発信することができる
その時インタ−ネットは大きな力を発揮できるとなる
でもリアルタイムで見ている人は限られている、個人だと本当に読む人見る人は限られているのである、だから何百万人がテレビで一斉に見ていたメデアとは相当に違う
わずかの影響しかないということである

ただ専門的なことで学ぶことがあり知ることがあり有益なのはマスコミ時代とは違っている、古代史とかで歴史でも地域のことを発信できるからそこで専門的な学者のようにもなれるということがある、それがインタ−ネット時代で変わったことだとなる
つまりローカルな情報が全国に放送できるということである
まずテレビだと福島県のテレビ放送を見れないがインタ−ネットだったら全国でも世界でも観れるからである、だから私の抽象画で世界の人が特にアメリカで十人くらい見ているようだから世界的に見られるということがある
特に音楽とか絵画では世界に通用する、詩となると言葉の壁がありむずかしいが音楽と絵画は世界共通で理解てきるからである、写真でもそうである
だから膨大な世界の写真と絵画とか抽象画でもインタ−ネット上に出ているのである
それを加工して抽象画にしている、それがインタ−ネットの効果でもあったとなる
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2021年09月11日

アメリカの9・11からのテロ対策の失敗 (一挙に武力では解決できない−20年の戦いは長かった)


アメリカの9・11からのテロ対策の失敗

(一挙に武力では解決できない−20年の戦いは長かった)

アメリカの9・11のニュヨークのビル崩壊のテロから20年過ぎた
そこでイランとの戦争があり遂にアフガニスタンに攻め入りテロを撲滅しようとしたが
撤退することになり失敗に終わった
その原因は何であったのか?人間は力では武力で治められないということであった
アメリカは巨大な軍事力がありその力を過信する、力で治めることができると思った
そしてアメリカが戦場になったことがない、アメリカ以外だとアジアでもヨ−ロッパでも戦場になって大被害があり何千万として死んでいる
アメリカだけが戦場になっていない、だから戦争が国自体が戦場になるととれだけ悲惨になるか経験していないのである
ニューヨークのビル爆破で三千人死んだとか大きな被害であっても世界でアメリカがどれだけ人を殺してきたかを反省していない、まるでそれは正義のための戦争だとしていた
そこに何ら反省がない、日本の原爆でも反省がない、戦争をやめさせるためにそうしたのだとかアメリカの一方的な勝手な言い分だけが主張されてきたのである

人間は力がある時どうしても奢りになる、そしてその力を行使する、そもそも武器をもっていること自体危険なのである、何か銃がありその銃を子供がもてあそんだりしていて
銃があることでそれが必ず利用されるようになる、そういうドラマがあった
つまり武器があるだけでそれが使用されるようになる
つまり武器がある、貯えることだけで危険になる、だから核武装するときいつかその核が使用される危険がある、だから核自体を無くすべきだとしてもできない
それがいつか核戦争になり人類滅亡にもなる

剣を取る者は皆、剣で滅びる・・・核を持つ者は核で滅びる

そういう運命にある、武器をもつこと自体が戦争の準備でありそれが実際に戦争になる
武器を持つこと自体戦争の準備をしているからである、そして莫大な核兵器が世界にありそれは核戦争の準備でありいつか核戦争になる
なぜ日本でも原発がやめられないのか?電気が必要だからだけではない、原発から核が作れるからという理由もある、日本では簡単に核を作れる、原発があればできるとなる
それでやめられないとしている
技術には必ずいい方面に働くが悪い方面にも働く、それは人類始まって以来そうだったのである、技(わざ)はわざわいになる、日本でもそういうことがすでに意識されたからそういう言葉が生まれたのである、それは世界共通のことだったのである

アメリカは自国が戦場になったことがない、だから戦争の悲惨さを理解できない
でも相手にしたこと他国にしたことは自国にはねかえってくる、カルマとなる
だからアメリカが戦場になってみて戦争の悲惨さがわかる、でもアメリカは自国が戦場になったことがないからかえって他国を力でおさえこもうとして戦場にしてきたのである
でも力だけでは抑えることはできなかった、人間社会は武力だけでは治められない
一時は必要でも武力だけでは力だけでは治められない、また国民であれ民衆であれ従わない、治められない、だからタリバンがアフガニスタンでアメリカを追い出しても
今度国民を治めることは容易ではない、銃をもつことから平和的に生活することは違っているからだ、その時銃は不用にもなるからだ、それでアフガニスタンは前途多難なのである、ここでも武力だけで力だけで治められないし支持されないからである

そして人間は急激に一挙に物事を解決することができない、確かに一時的に武力で革命を起こしてもその後の方がまた大変なのである
何か人間は物事を一挙に解決することを望む、それが痛快だとなる、そういうことがあってもでは貧乏の解決が一挙できるとかなるとできない
徐々に努力を積み重ねで時間をかけないとできない、それは恰好いいことはなく地味なのである、そうして一代でも解決できない、貧乏だとなるとやはり二代くらいつづくと貧困な家でも豊かになることがある、そこで積み重ねられたものがあり財も蓄積される
家とか土地とか他に受け継ぐものがありそれで豊かになれる
でも一挙にギャンブルのようにして豊かになれないのである
どうしても長期的視野が必要になる、それが現代では欠けている、即製的に何でも成そうとするからである、だからアメリカが一挙に武力でテロを解決しようとしたが失敗した
20年間もアフガニスタンにかかわり成果が出なかった
だから何かが根本的に間違っていたのである
テロがなぜ起きているのか?その原因が何かとか追求せず一挙に暴力で解決すると思ったのである、そこには激しい怒りとなり感情的に暴走したとなる
結果として20年もアフガニスタンにかかわっていたのである
何かアメリカがアフガニスタンにそんなに軍事でかかわっていたのかわからなくなっていた、それだけ長い間軍事でかかわっていたのである

あのニューヨークのビル爆発から20年過ぎたのも意外だった、時間が過ぎるのが早いと常に思う、そんなに過ぎたのかと個人的なことでも時間が過ぎるのが早いのである
後でふりかえるとあっという間だったとなる、でもまた忘れるのも人間は早いのである
要するに次々に人間には新しいことが個人的にも世界的にも起きるから忘れられてゆく
私は自分のホームページでその事件をのことで書いていた
それから20年も過ぎたのである、これも早いとつくづく思う
その時私は確かにアメリカは耐えるべきだったということを書いた
というのはアメリカは戦争の悲惨さを自国が戦場にならないからわからない
どれだけ自国が戦場になると悲惨になるか経験していない、9・11のビル爆破では自国が戦場のようになりそれを感じたのである

ただそこでは感情的になり激怒してイラクに化学兵器で難癖をつけてアフガニスタンに深入りしたのである、結局アフガニスタンの無様な撤退で世界の信用を失い敗北したとなるだから何か人間は感情的になることは良くない、理性を失い暴走する
個人的にもそうである、感情的になることは危険なのである
テレビとかは何か感情的に反応させるメデアなのである、必ず誰かをリンチのようにして責める、感情的に憎しみを大衆にあおる、そしてあたかまも正義の味方のように放送するのである、映像だとそうなりやすいのである
もし文字だったら感情的にならず冷静になることはある、そうしたメデアの影響も現代は大きいのである、映像の影響が大きいのである
それでイラク戦争の時も油まみれ一羽の海鳥が世界中に放送されてイラクはひどいと世界中の人が感情的になりイラクは悪い奴だフセインは悪い奴だと一方的にされたのである

ともかくアフガニスタンにアメリカが20年もかかわっていたことも忘れていた
それだけ長かったということである、その間タリバンが戦っていたというのも長いと思った、タリバンにしても20年間も戦っていたらその時若い人でも20年も年取っているからである、そうして時間が過ぎるのが早いのである
本当にアメリカにしろタリバンにしろ20年間も戦っていたということは長い
ただそうなると関心がなくなっていたのである



耐え難き悲しみに耐えたるあとに

この非道、残酷は何故か知らじ
その暴虐、その無謀、狂気は何故ぞ
一瞬にして3000人の命を奪う
ただ茫然自失として佇むのみ
その悲しみはぬぐいがたし
ニューヨークを死の影が覆う
その怒りは煮えたぎるマグマとなり
敵なるサタンに向い爆発する
一転して敵地を見ればそこも無惨
大旱魃に長年の戦乱に飢えたる大量の難民
その敵に向い押し寄せてくる
ロシアに国土は踏みにじられて
地雷に足をなくす子供
その置き土産は地雷なり
アメリカはかつての友なりしを
その友の送るミサエルは今度はアメリカに向かう
イラクもかつてのアメリカの友
武器は売られ蓄えられまたアメリカに向かう
武器そのものが災いならじや
アフガニスタンはアメリカの敵たるや
その国は疲弊しその民は飢え苦しむ
アメリカは正義の国なりと
原子爆弾を落とし裁きを与える
ベトナムになお爆弾の痕生々し
そして不敵に逆らうイラクに爆弾の雨
アメリカは強者故に裁きを与える
人なれ国なれ裁くべからじ
裁くは神のなすことなり
その耐えがたき悲しみに耐えたる時に
世界の同情はアメリカに集まり
神の哀れみもそこに注がれ
テロの魔の手も神によりそがれむ
また強者のアメリカの裁きを実行すれば
そこに憎しみは残り深まり
またテロがアメリカに向けられる
眼には眼を、歯には歯を
そこに解決の道は平和はこない
その耐えがたき悲しみに耐えたる時
テロの無謀も収まらん
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む
その悪の連鎖は断ち切れぬ
主、キリストの十字架に祈るべきにあらじや
その時その無謀に流せし涙は無駄にならじ
世界の人々の分け隔てなく集う
平和の鳩の憩う都とならん
その耐えがたき悲しみに耐えたる故に
戦争の悲惨さを自らの国で知り
ヒロシマの悲劇にも同情の及び
ニューヨークは再び世界の自由の都とならむ

ニューヨークテロからの一連のことをここで私は書いていた

結果的にはこういうことが20年過ぎて現実化したのである、
武力暴力だけではテロは解決しなかったのである

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2021年09月10日

世界的飢饉から世界最終戦争の危機 (グロ−バル化は世界を一つにするより対立を激化させた)


世界的飢饉から世界最終戦争の危機

(グロ−バル化は世界を一つにするより対立を激化させた)

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【習近平独裁最終戦勃発!世界経済危機】

江戸時代に生きている人は未来をどう見ていたのか?
まず日本全国のことすらわからない、藩ごとに分かれていて視野が狭い
極端になると村単位でしか未来とか見ていないのである
そうなると一番の関心はほとんどが農民であり米がとれるかどうかが最大の関心事であった
それで飯館村の作見の井戸をみて豊作になるかどうかを占ったのである
その時日本の他の藩のことすら関心がなかった、ただ隣の藩のこと伊達藩のことなどは関心があった、境を接するからである

伊達と相馬の 境の桜 花は相馬で 実は伊達に

戦国時代は争っていてもその後は互いに平和的な交流がありこうなったのである

江戸時代の最大の関心事は米がとれるかどうかである、他にも食料が供給できるかどうかである、なぜなら最大の恐怖は天候不順であれ米がとれなくなることだからである、そのために飢饉がありそれが最悪であり相馬藩では三分の一が相馬藩内から消失したからである

では現代はどうなるかというとその生活する範囲が日本全国から世界へと拡大したことである、それは明治維新からそうなった、グロ−バル化した結果としてそうなった
そのために世界大戦が二回あり何千万人も死に日本でも三百万人が死んだのである
その犠牲はあまりにも大きかった、原子爆弾もアメリカによって落とされた
つまり現代はどんな国でも世界と切り離して江戸時代のように生きることはできない
江戸時代だったら別に中国であれ朝鮮であれ交わることもないのだから平和的であり友好的だったのである、それは別に経済的でも交流がないからである
だから関心もないのである

現代は情報でもグロ−バル化するとまるでマクルハーンが言っているように世界が村になる、遠い小さな国のことでもまるで隣の村で起きているように関心を持つ
そしてその恐怖にも怯えるとなる、世界の果てのような国でも関心を持つ
そして肝心の自分自身の国とか故郷より関心を持つということにもなる
その結果として何が起きるかというと情報によって振り回されることである
マスコミの報道の力が巨大化する、その報道の真意もわからずフェクニュースに混乱させられる、その象徴がイラク戦争の時油まみれになった海鳥の写真が世界に報道されたことだった、イラクはなんてひどい国だとその写真をみて世界中が感情的になったのである
映像のインパクトはそれだけ強いから効果抜群だったのである
イラク戦争は明らかに化学兵器もなかったしアメリカが因縁をつけて攻めたのである
でもイラクはひどいという宣伝がその写真一枚で抜群の効果があった

またアフガニスタンでもタリバンを悪者にしているがそれは西側のい見方だという人もいる、ただどうみてもタリバンが悪とされるのである
要するに世界が舞台となると簡単に事の善悪も判断できないのである
だから一方的になる、タリバンは悪でありアメリカは善だという構図になる
てもそもそもアフガニスタン情勢は余りにも複雑なのである
そもそもその国を理解すること自体簡単にできないのである
簡単に白黒をつけて見ることができないのである

とにかくグロ−バル化することはすべていいものとして働かない、グロ−バルに世界が交わるということは逆に世界最終戦争の危機ともなる
米ソ冷戦があり次に中米対立がありそれが世界大三次戦争の不安になる
中国が日本を攻めてくるというのも現実化して怯える
中国が貧困の時はこんなこと起きなかった、ある国が強くなると近隣国に攻めてくる
平和的な交流ならばいい、相馬藩と伊達藩のようになればいいのである
現代とはグロ−バル化の負の面が極大化したように思う
その行き着く先は何なのか?中米戦争であり第三次世界大戦である
それが忍び寄っている感じになる、また食料危機がアメリカでも起きているし中国が食料を買い占めている
つまりこれまで起きた災いは津波とかの巨大災害であり原発事故という科学技術の人災でありコロナウィルスという世界的災禍であり

次に来るのが飢饉と戦争だ!

こういう順序になっているのかとなる、つまり聖書で言う世界最終戦争が起きるのかとなる、ハルマゲドンが起きる、そして人類が滅亡する
グロ−バル化とは世界の人々が助けあうことではない、世界戦争になり人類が滅びるという最悪のものにもなりうるものだったのである
それを可能にしているのは交通の発達であり核兵器とミサイルの発達であり第三次世界大戦は核戦争になったら確実に人類は滅亡する、第一近代兵器の戦争はミサイルが主役であれ一瞬に核爆弾が飛んでくるのだから防ぎようがないとなる

そんな戦争ができるのかとなる、グロ−バル化とは情報によって左右されフェクニュースで混乱させられる社会である、コロナウィルスでもそうである
様々な情報が入り乱れ判断しにくくなる、科学者でも違ったことを言うからである
コロナウィルスが世界的災厄となるのもグロ−バル化した結果である
それは原発事故でもそうだった、御用学者は低放射線はかえって有益だとも言っていたからである、情報によっても世界は混乱して来る、パニックになる
そしてイラクの油まみれの海鳥のように世界のことはこの目で見ることもできないから必ず誤解が生じるのである、アフガニスタンのことでも本当のことはわからないのである
カブールでは意外と市民は日常の生活をしていたというのもそうである
それは必ずしも映像を見ただけでも真実がわからないからである

いづれにしろ人間は広く世界的に交わるようになったからといって世界的平和が実現されることはなかった、それで老子の小国寡民の思想が2000年前に言われていたことは驚きである、それは中国内でも広く交わらないことが平和を保つ思想だったのである
世界がグロ−バル化して広く交わることは世界最終戦争となり人類が滅亡することにもなる、そういう不安が増大してゆくのである

ただ家族を守れといっても自給自足しろといっても農業は簡単にできない、そのことを書いたてきた、自給すること自体農業がノウハウから労力から大変なものになる
かえって金がかかる、都会の人が農業をはじめて500万円かかりできなかったというのもそのためである、農業を知らないからそういうのである

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2021年09月09日

密集が避けられないからコロナウィルスも止められない (ワクチンの副作用も怖い)


密集が避けられないからコロナウィルスも止められない

(ワクチンの副作用も怖い)

実際にワクチン打った人がが体調を崩して復帰できないでいる
明らかにコロナに罹ったほうが軽症なんだよな
ワクチンは感染も重症化も防げないし重篤者も多い
後遺症もワクチンのほうが多いこれが現実
それでもワクチンを打ちたいなら打てば良いと思うが

70歳の女性は肩が痛くなり腰が痛くなり立つのにも苦労して二回入院した
もともと腰は悪かったが立つのにも苦しくなったり全体的に弱った
これは明らかに副作用である
このワクチンは結構副作用がある、死んだ人もかなりあり報告されいるがマスコミでは言わない、ワクチンの副作用は見逃すわけにはいかないがこれがマスコミではあまり報道されないのである
調べれば相当に数が多いとしてもそれが報告されないし報道されないすると危険を感じない人もいる
ただこれも危険を過度に言う人もいるし情報が混乱する

ただワクチンは今や強制的である、職域で強制されたりするからワクチンしない人は少数派である、田舎でもそうである、たいがい打っている
私がワクチンを打たないのは人と接しいないからである、一人として接していない
ただスーパーとかに買い物に行ったりしている、でも田舎だとそれほど混まない
東京だとまず人流を抑えることは不可能である、特に喚気の悪いデパ地下が移り安いことは素人でもわかる、人でむんむんしていて喚起がないからである
そして空気感染しているということでそこが危険なことがわかる
他でも都会はまず人が密集しているのだから三密をさけられないのである

コロナウィルスで感じたことは都会はウィルスに弱かったことである
つまりあれだけ密集した生活は人間として生物として生活していること自体が異常なのである、分散して生活するのが生物的に本来の姿なのである
あれだけ密集していれば地震でも何でも災害に弱くなる
逃げる場所すら空間すらない、それで江戸の大火では逃れるための空地を作ったのである防火のためにはそうした空き地が必要だったのである
それが無用のようで無用の用があったのである
とにかく現代文明社会は用で埋め尽くされている、都会となれば空き地は活用しなければならないとなる、だから建物でも人でもびっしりと建ち密集するのである

だからそもそも東京一極集中とか見直すべきだとしてもそれも東京遷都も誰も言わなくなった、何かこのコロナウィルスは人が密集する集まることが良くないものとなった
宗教団体でももともとここも人を集めて示威行為をして数をみせつけて権力を得るためにしている、数だけが問題にされるので要するにウィルスは大局的に見れば文明生活をそのものを見直すものにもなったのである
原発事故もそうだった、便利な生活を見直すものとなった、電気が必要でも原発はあまりにも危険なものでありそれを人間は操作できないものだったのである

その点ヨ−ロッパでは巨大都市はあまりなく小都市が多い、そこでシテズンシップが養われた、フィレンツにしても6万くらいだったとか南相馬市くらいの規模だったのである
それでルネサンスが華開いたことは驚きだとなる
そうした小都市がヨ−ロッパのアイディンティティを築いたのである
一千万の都会となればもうそれは人間的なものからはずれいる
もうそこには自然もないし政治でも経済でもただ数として数えられるだけなのである
そういう異常なものから異常なカルト教団などが生まれて来る
宗教でも森とか砂漠とか山岳宗教があり自然と密着したものならカルトのようなものは生まれないともなるからだ
神道でも穢れをこ拒み潔斎するとかあるから清らかな自然の中で育まれたものである
ただ宗教でも人間は悪人が利用するから結局堕落して俗化するのである

結局私自身が求めたのは秘境である、意外と田舎には知られない場所が依然としてある
地元の人も発見していない場所がある、この辺で山深く入って行ったらトリカブトがあった、これは毒である、でもそういうものもあった
城のある会津若松でもコレラが長崎から入り新潟に入り北前船が来ていてまた阿賀野川が交通としてあり会津にコレラが拡散したのである
ただ桧枝岐(ひのえまた)にまではコレラはうつらなかったのかったのである
桧枝岐は本当に江戸時代は秘境だった、隔絶した地域だった
江戸時代とかなるとそうした場所はかなりあった
そういう場所でどうして生活していたのか?米は食べられずソバを食っていた
またヤモリの燻製などを食べていた

ても山の中でもソバはたいして肥料もいらず育つ、救荒作物だったのである
荒れた土地でも育つものであり山には米がとれなくても生活できるものがあった
だから飢饉になるとき山に逃げろというのはそのためだった
かえって米は商品作物であり山の中でも米を作っていれば売れたのである
それで江戸時代の東北の飢饉は実は米が江戸に大量に送られていて伊達藩では石巻から送った、米は商品作物であった、だから米がとれなくなったとき飢饉になった

でも山の中だ米だけではないソバでも稗でも粟でもとっていたし山菜もあり飢饉からまねがれたということがある
つまり一様化することは危険なのである、自然は多様だからである
それで津波でこの辺にあった古い松原が全部流されたことにも驚いた
松原という一様化したものは自然ではなかった、自然なら様々な木があるからだ
そして松は深く根が張らないから津波に弱かったのである
津浪に強いのは深く根を張るのと竹だったのである
第一砂場に松があるとするとどうしても深く根を張りえないのである
そうして不自然なものは何か災害には弱いとなる

現代文明とはまさに不自然な生活が普通になっている、それが意外とその不自然さ故に災害に弱いとなる、まず大都会の密集した生活は不自然そのものなのである
そこから大きな災いが生まれて来る、それに対抗するにも科学が発達しても抗しきれないともなる、そもそもどんなことしても都会で密集が避けられないからである
だから人流をとめることが一番困難であるからだ
私自身が秘境である、一人しか人とは接していないからである
田舎だからあとはスーパーに行くにても人とは接していないから安全なのかとなる
ただそうはいっても現実には外からの物流がなくなれば生活も維持できないのである
本当に秘境に生きるために昔の山の生活をしていればできるとなる
ただ人間の生活は弱点が長所になり長所がまた弱点になる
コロナウィルスには秘境が一番強いともなるのである、でもそういう秘境は現実にはなくなっている、車だとどんな山奥までも入ってゆくからである



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2021年09月04日

菅首相の総裁選出馬辞退の波紋 (大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)


菅首相の総裁選出馬辞退の波紋

(大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)

ヨーロッパでは、古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させる必要があると考える、神秘主義的な古代概念である。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の中でローマの逃亡奴隷の祭司長である「森の王」の殺害を取り上げている。

王は暗殺などで殺害される歴史


菅首相の総裁選不出馬で退陣で感じたことはいかにそのトップに不満が集積されるトップに全責任が負わされるようになるかである
コロナウィルス対策のまずさでそれがすべて菅首相の責任のようにされた
ところがGO TO トラベルとかは二階とか公明が提案してその圧力でしたものである
またオリッピックは電通などの利権があり無理して実行したのである
その背後に巨大な利権がありそれは首相の独断でやめるわけにもいかなかったということがある、つまりいくらトップでも自分の一任で決めることはできない
その背後に巨大な利権団体がありその意向にそわなければならないからだ
ただその利権は国民全部ではなく一部の利権者たちのものだったことが問題だったのである

でも何か、あのように国のトップとなるなと責められる、おそらく誰がやってもトップは責められる、そしてその責めに耐えられなくなりやめたとなる
そこで考えたのは菅首相にすべての責任をおしつけて悪魔祓いのようなことをする
すべての悪をトップにかぶせて終わりにするように見えた
すべて悪いことを菅のせいにしてまた新たに首相を選ぶ、悪いのはすべて菅だったとするそうすると何か自民党にとって今までの失敗が無きものにされるとまでなる

ともかく民主主義社会ではフレザーの指摘したように王殺しは起きない、禁止されているでも王殺しとか暗殺は常に起きてきた、王には絶大な権力がありそれが腐敗すると全体も腐敗する、だから王殺しをして新たな体制を作り新しくやり直すことである
王殺しでなければ現代では革命だとなる、その革命で武力革命となるとやはり王は殺される、つまりトップに立つことはそれだけ責任が重く危険なものである

何か王とかなるといい身分とも見るが危険な立場にもなる、犠牲にもされる
生贄にもされるとなる、何か農作物の不作とかなると犠牲にされた生贄にされた人がいたからである、人身御供にされた人が現実にいたからである
コロナウィルスとかでもこれはいろいろ言っても未知なものだからどう対処していいかわからない、でもその失敗の責任は首相に王が負うことになる
だから菅首相でも王でもトップにたつものがやめてまた昔だったら殺してコロナウィルスも背負ってあの世にもっていって消してくれとまでなる
まずGO TO トラベルとかオリッピック開催は大失敗だった
それが強行されたのは利権のためだったのである
この世の中とにかく利権で金で歪められる、原発ももの凄い利権の塊りだった
原発事故以後も何兆円という除染でも金がきりなくつぎ込まれたのである
それが有効だったかどうかは不明であり徒労とも見えた
森など除染できないのだからそこから放射性物質がきりなく流れてくるから不可能にもなる

政治の問題は必ず利権と結びつく、その利権と政治家が一体でありそれで歪められるのである、人間が公平になれないのは利権と結びつくからである
そして選挙でも票が得られる利権団体に忖度せざるを得ない、そうしなければ選挙に勝てないからである、正義を振りかざしても通用しない、利権団体の意向に沿わなければ当選できないからである、そして自民党は二世が多いという時、地域でも世襲になり地域の利権団体により票をもっていて当選するとなる
自民党はそうして世襲であり二世とか三世でもその利権を受け継ぐのである
それは江戸時代の御家を守るとかの跡目相続とかと似ている
そこで安定はするが革新はできなくなるのである
だいたい日本は自民党一党独裁と同じであり戦後70年で二三回しか政権交代していないからだ、そのために世襲議員が多くなっているのである
自民党で慶応大学出が多いというときもそうである、東京に住んでいてそこで地方の議員は子供を慶応に子供の時から入れておくからそうなる
そこですでに身分制であり貴族のようになっているのである

ただこの利権から逃れることは不可能にも近い、何らか利権と関係しないで生きていけないからである、つまり全く利権と関係しないのは神だけだとなる
なぜなら神は別にこの世から離れているし人間の力を必要としないからである
だからこそ公正な目で見れるのである、また公正に裁くことができるのである
また人間は個々人でも欲があるからその欲に左右される、その欲によって左右され歪められるのである、でも神は欲がないから歪められることはない

それで聖書ではみどり子におさめさせよということになる
幼子だったら何の欲もないから治めることができるとまでなる
政治とはそれだけ人間の欲と利権の世界なのである、だから政治家になること自体もう
欲まみれになり普通に犯罪者にもなってゆく、ただその犯罪でも権力があれば隠すことができる、権力が腐敗する絶対的に腐敗するというときそのことなのである
そして宗教も利権団体でありなんらか利権と結びつき利権を得よとする御利益を得ようとするだけである、その利権のために毎日祈っている、一票を得れれば成仏するとかなり
それで創価などは二十四時間選挙活動なのである
他の宗教団体でも実際は利権団体なのである、だからこそカトリックが利権団体だったからプロテスタントが起り利権団体から離脱する運動が起きたのである

いづれにしろ政治が歪められるのは必ず利権団体が背後にありそのために歪められる
今回でも二階氏がGO TO トラベルを提唱して実行したのはやはり観光にかかわる人達の利権がありそれであえて実行した
オリッピックでも電通とかの利権のためにやめることができなかった
二階氏と公明は一体化して実行したのである
だから利権から脱したところで政治でも行わないと実際は政治でもうまくいかない
でも利権から利益から脱して人間は何もできないともなっている
マスコミでも利権と深く結びついている、それは原発事故でわかった
電事連とかから800億円とかの金が宣伝費として流れていた、朝日新聞にも流れていた
なぜなら原発事故が起きたときすべての新聞社の幹部が中国に招待されて歓待されていたとき起きたからである

マスコミも巨大な権力である、テレビ局はこれまで六局した放送することができなかったまた新聞にしてもそれを刷り一軒一軒配るからその費用が莫大になる
するとその費用をまかなうために莫大な金がいる、だから福島民報でも実際は県が半分出資して創価の聖教新聞を刷っている、東電の宣伝費ももらっていたとなる
そういうマスコミはもう何も不正など追求できないのである
だから原発の危険なことを知らせなかった、科学者集団が10数メートルの津浪が来るということを警告してもそれも新聞とかテレビで大々的には報道していないだろう
それは新聞でも出すのに金がかかりすぎるからである
インタ−ネットだったら手間はかかるにしても無料だから何にも忖度することなく言えるとなる、それでyoutubeは何か学問的にも勉強なるものがあると見た
芸能的なものがあってもテレビとにも似ていたが何か勉強になるものも結構ある
やはりテレビだとわかりやすくなるから見ている人が多いのである
ただこうして個々人でもテレビ局とか新聞社ともなるとその数が膨大になるからこれまた今度は見てもらうこと自体が大変になる、テレビ時代だったら放送するだけでみんな見てくれたがyoutubeなどではそうはいかない、そこにまた問題があるともなる

菅首相の辞任しても自民党自体がもう二世議員とか世襲制度になっていてそこに新たな人材が生まれないシステムになっている、とすると自民党には期待できないともなる
では野党に期待できるかとなるとこれもできない、では新たな政党の出現があるのかとなると簡単にできない、そこに日本の政治の行き詰まりがある
でも大変革が要求する時代でありそれができないと日本は没落する、すでに貧困化しているとかイノベーションができないとかなっていて没落が現実化している
それは政治の分野でも経済の分野でも科学の分野でも教育の分野でもあらゆる分野で衰退して没落しているのが日本なのである
だから大変革の時代でありそれができないと日本は没落する、それをどうするかとなるとやはり政治だったら二世議員とか世襲とかではいい人材は出ない
明治維新で活躍したのは下級武士であり家老とかの侍の中でも保守化して利権にあづかる人達ではなかった、そういう人達は保守であり結果的に排斥された
それで藩が廃止されて北海道に開拓に入ったのである

そういうふうに時代が変わる時下克上が起きる、そうしなければ改革でとないともなる
ただ問題は高齢化社会であり若い力でないと大きな変革はできないのが問題である
この辺で原発事故で避難区域になった所は若い世代が流出して老人だけか取り残された
それで復興はできなくなった、高齢化社会になると何か大きな改革ができない
戦後の焼け野原になったときでも団塊の世代が生まれた時であり子供が本当に多かった
子供の遊ぶ声があらゆる所にあった、今は子供すら見かけないのである
戦後何もなくなったとしてもあれだけの子どもがいたということが復興の原動力となっていたのである、今はそれがないからまた没落してゆくともなる
少子高齢化の問題が深刻だからである、空家が800万軒とか認知症が800万人になるとか介護で孫の世代まで費やされるというのも異常だとなる
そこで社会全体が疲弊してゆく、ただ大きな変革の時代になっていてそれを乗り切らないと日本がは没落してゆくだけだとなる
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2021年09月02日

死者と家(死んだ母が家にいる)



死者と家(死んだ母が家にいる)



時々死者を想ふ
死者は語らない
死者を語るのは
遺された者である
母はなお家に現れる
この家に苦労して70年もいた
母に不幸あり苦しみがあった
この家は母にとって
必ずしもいい場所ではなかった
ただ母はその運命に耐えた
母は死んでこの家見ているかもしれない
静かな大人しい母が見ている
この家になお心残りがあり見ている
死者は今騒がずに凝視する
秋雨がしとしと庭の石を濡らしている
その石のように母はいるとも見える
死者は今は安らぎの中にある
こごこの家で苦労したことをなつかしむ
それで死んでもなかなか家から離れられない
死者は何も語らない
遺された者が語る
そして死者も生き続ける
ただ死者もこの家がなくなったとき
その拠り所をなくして悲しむ
そこに長く住んだ人はやはり愛着があり
依然として共に生きようとするから・・・
雨がしとしとふる
石は黙している
死者は生きている者がいると思えばいる
いないと思えばいない
死者はいないと思えばたやすく消える
ただ生きている者がいると思えばいる
死んでも交流はつづく・・・



人が死ぬと不思議である、家族は全部死んだ、姉は死んで早くも十年とかすぎた
母は四年くらいだから日にちがそれほど過ぎたわけでもない
10年過ぎるとやはり一昔になる
死者の不思議は生きて残された者があると思えばいる、何かに憑いて石でも木でも憑いているとかなる、死者がそこに浮かんでくるとかなる
でも思わないものは浮かばないしいないのである
だからいつまでも死者を想っている人は死者が現れているのである
じっとこちらを見ている感じにもなる
特に家にいることが長いから家にいるという感じになる
70年とかいれば長いからである、だから死者は家にいる
墓にはいると思えないのである、墓とは一つの記念碑のようなもので墓に死者がいるとは思えないのである

近くの人は相当に妻を愛して思っていた、妻を供養しつづけている
でもそういう家に知人の女性が介護のようなことをしている
女性は70くらいであり男性は85くらかもしれない、糖尿病である
それで時々介護のようなことをしている、現実に訪問介護の人が来ている
ただその女性は体が弱っているから何かできないのである
でも生前から親しいから通っている
でもその男性が妻のことを依然として思っている、十年以上過ぎても思っている
それでねんなに妻のことを思わなくてもいいのにとその女性は言う
それもわかる、死んでもやはり愛していればそこに妻がいる感じになるためである
つまり姿が見えなくてもその家にいた年月が長いからやはりいる感じになるのである
これもだから家に入り新しい関係を結ぶことがむずかいともなる
その女性は妻が死んで十年以上過ぎている15年は過ぎているとしても何か死者でも見ている感じになるからだ
それでその女性がいつまでもそんなに妻のことを思わなくてもいいのにというのもわかる
死者に嫉妬することもわかるのである

つまり家には何か長く住んでいたから死んでもいつづける感じになるのだ
死者とは何かわからない、謎である、それは遺された生きた者が死んでもいると思う時やはりいるのである
もう愛もなにもなく、やっかいなものとして苦しめられただけだとなるとき肉親でもなんでもその人は完全に消失する、そういう人も親子でも結構いる
実の親で近くにいても顔合わせても何の関係もしない、困っていようが関係ない
何でそうなったのかわからないが近くに住んでも家族遺棄しているのである

とにかく死者は家に依然としている、ただ残された者がいると思う時いるのである
それはもしかしたら家がなくても死者はいるのかもしれない、どこでも生きている者が死者を想いいると思う時いるとなるからだ
ただ恨んで死んだ人がいるからその時は死者は恨みとして幽霊のように現れたりしたら怖い、人を殺して十数年とかたって自主した人がいた、何か亡霊のようなものが夢で現れたりして耐えられなくなったのかもしれない、そういう人も現実にいる

急に秋になった、雨しとしととふり庭の石を見ている、そこに母がいる感じがしたのである、母は台所で60年間とか働いた、それを当たり前とか見て私は感じなかった
でもそれがカルマとなっていたのだ、私が今度は台所で食事のよういから皿洗いからとしなければならなくなったからである、片付けもするからである
なんらかでこうして必ずカルマとなって苦労となって相手のことがわかる
生きている時はその苦労もわからないのである、自分が苦労してわかるからだ
家事を一人ですることは楽ではない、途中で立つことがありゆっくり食事できない
ところが母は店をしていたとき必ず食事中でも立っていたのである
それが嫌だった、ゆっくり店をしていると食事ができなかったからである
今も何か自分で用意して片づけるとなるとゆっくり食事ができないのである
ただこれもカルマだったのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

カルマとは何らか同じようなことを背負わされるのである
戦争などで死んだ人のことなど実際は経験しない限りわからない、でもまた戦争になった時、苦しんだからわかる、だからアメリカでも原爆落としたり相当に戦争で人を殺している、アメリカは戦場になったことがないからその苦しみがわからないのである
世界でほとんどの国が自国が戦場になっているからだ,アメリカだけはならないからである,カルマはいつかめぐってくる、介護になって私が四苦八苦したようにカルマがめぐってくる、それが怖いのである
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2021年08月30日

幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論 (弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論

(弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


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九州ー奄美諸島ー沖縄ー与那国島ー台湾は一連のものとしてつながる防衛線

中国はこの防衛線を突破しようとしている


愛されてかつ恐れられることが理想だが、両方できないときは、君主は「恐れられる」ほうがいい。鷹揚な態度を見せると相手は甘く見て、たまに必要な厳しさを発揮すると反発される。一方、日ごろ恐れられている君主は、稀に鷹揚さを見せると人は慕うもの。愛されないのであれば、恨みを買わずに恐れられることが最上である。

尊敬されるために白黒ハッキリした方針を示すこと

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」(共に池田廉訳『新訳 君主論』より)

この記事はいい点をついていた、日本は後進国なのに外国勢力でも薩摩藩でも長州でも果敢に攻撃して戦った、例え負けたとしてもそこに教訓を得て藩を強化した
つまりなぜ薩摩藩とか長州藩が江戸幕府を倒すことができたのか?

それは外国勢と幕府が戦う前に一戦交えてその力を知っていた

この相違が大きいのとやはり地の利があった、薩摩とか長州は関東とか東北と違い外国勢がまず入る入り口になっていたからである、そういう地の利があった
常に地の利が影響している、地政学が大事なのである
中国が大国化するときなぜは台湾が日本にとって大事なのか、それを中国側から見ればわかる奄美諸島から沖縄諸島から台湾の隣の与那国島まで数珠つなぎように連なっている
台湾まで実際はつながっている、だから台湾が中国領になるとその大きな輪が失い結果的に数珠つなぎの主体になるものが失われドミノ倒しのように次々に日本の防衛線が失いやがては日本列島も危機的状態になる

ということはこの防衛線は九州とか中国地方とかに連鎖的に影響して日本列島全体に影響する,ドミノ倒しになって日本列島に中国の脅威が及んでくる
逆行に中国がなぜ台湾にこだわるのか?それも台湾は日本と一体ともアメリカとも一体の主軸となっているからである、そこを攻略すれば日本の防衛線は崩れるとなるからだ
アメリカでも台湾に肩入れするのはやはり日本に基地があってもそこを奪わさると防衛線が崩れ危機となるからだ、アフガニスタンでもそうだったがいかに地理を見ないと理解できないのが政治でもあった
与那国島にも行ったがそこはそれほど大きな島ではない、簡単に一周できる島である
その隣が与那国島であり対岸は中国大陸になるのである
だから今自衛隊の基地が作られて監視するようになった
地の利からするとこうして与那国島から沖縄から奄美大島とつづいて九州薩摩につながるだから江戸時代でも薩摩藩は外国とつながり外国の情勢に機敏だったとなる
それが明治維新の主役になった原因だったともなる、薩摩藩が優秀というのではなく地の利からそうなったのである、地の利が人間を作りまたその国を藩を作るともなるからだ

ともかく国際政治は弱肉強食である、国が弱体化すると攻めてくる、それは戦国時代と同じである、相手が弱体化すると攻めてくる、この記事で日本が経済力があった時代はそれが日本を守っていたというのもわかる、経済力も国の基本的な力だからである
それで中国が経済力がついたとき強国化して日本の脅威となったことでもわかる
中国が戦前でも弱体化していたときは西欧列強とか日本でも食い物にされるだけだったからである、それが逆の立場になったのである

世界の歴史でも結局弱肉強食でありマキャベリズムである、それで菅首相の愛著が「君主論」だというのもわかる、政治家はそうなるから実感としてわかるから学ぶとなる
特にこれが国内ではなく国際政治になると全くこれがあてはまる
相手国が弱る時、攻める支配する好機だとなり攻勢をかけてくる
なぜならその言う風地相手が弱る時弱みをもつときその弱みを攻撃することが一番効果的になるからだ
そういうことを自分の介護で嫌とういほど経験した、そして借金している人かゆすられたり弱者になると攻められるだけである、助けるからといってもそれも交渉であり金をくれたら助けるとかなる、また大金を盗まれたりがたがたになったのである
人間とは相手が弱る時チャンスとなる、国の関係でなく普通の人間関係でもそうなのである、だからこの世では愛だとか情だとか言っても実際はない、現実は弱肉強食なのであるそれでこの世はいつの世も地獄を生きているとなる
動物の世界でも弱肉強食でりあり弱った子供が餌食になっているからだ

現実問題として相手が弱いとみれば個々人でも襲いかかってくるということがある
でも強いとなればそうはしない、それが人間なのである
君主は恐れさせよというのもそうである、またなぜ日本でアメリカに原爆を落とされて
それで全面降伏してアメリカに従ったのか?これは謎だとなるのが

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。

このことでそうなったのかとなる、不思議に原爆で日本人はそれほどアメリカを恨まずに降伏して従ったからである
日本が弱体化すると中国やロシアの餌食になる、また大国の草刈り場になる不安がある
代理戦争の場になり日本は地獄と化する、アフガニスタンのようにもなる
現実に国際政治は弱肉強食だからである、アフガニスタンで後ろ盾のアメリカがいなくなるとすぐさまタリバンが支配したからである
日本の恐怖もアメリカが撤退したらすかさず中国がロシアが日本をとりにくる、せめてくる、ロシアとかも虎視眈々と狙っているからである
プーチンとかはマキャベリのような顔に見える、蛇のような顔に見えないか?

とにかく日本の弱体化はそれ自体が非常に危険なものになっている
なぜ日本が外国の植民地にならなかったのか?
戦国時代の時外国人がやはり来た時、軍事力が圧倒的に上であっても宣教師が日本には侍がいて武の国だから植民地化することは無理だと伝えたことでもわかる
じかに見た侍は実際は怖いものだったのである、明治維新の西郷とかの写真をみるとドラマとは全然違う怖い顔なのである、鬼気迫る顔だったのである
つまり明治維新は庶民とは関係ない侍がいてできたのであり外国とも渡り合うことができたとなる

日本はアメリカに負けてからもう物質的にも精神的にもアメリカ化したのである
本来の日本人とかいうのはなくなったともみる、平和の上に軟弱化した
もちろんそれがすべて悪いとはならない、人間はやはり平和で過ごすのがいいからであるアフガニスタンのような国にいたらまともに安眠もできない、いつ爆弾が落とさるからわからないからだ、だから平和が悪い訳ではない、自分自身も平和の方がいいのである
また老人はもうそうした戦意すらなくなっいるのが現実である
また日本の青年でも平和になれているし何かそうして戦うという気力もないとみる
平和と繁栄が軟弱化をもたらしやがて必ず強国も衰退したのが歴史が示している
ローマ帝国も贅沢になり内部から頽廃して衰退してゲルマン民族とか強力な民族が入ってきてその大国も分裂して終わったとなる

こうして日本は外部的にも危機であり内部的にも危機である、そこにいろいろな自然災害とかコロナウィルスなどで政府の指導力もなく混乱する
日本は相当に劣化している、大衆社会でもありそれは烏合の衆でもあるから頼りにならない、ただ混乱するだけだとなる
やはり国となるとその国を導く一定数の人がいないと守れないのかともなる
烏合の衆がいても守れない、日本は侍の国であれそれで守れたのかともなる
ただ武力だけで兵器だけで戦いに勝つとはならない、アフガニスタンでは政府軍が全く志気がなく簡単に敗れたからである、やはりタリバン側が土着的であり民衆の支持を得ていたからなのかとなるからだ
必ずしも軍事力とか武力だけではない、それが国を守るとはならない、そこに様々な要素が加わるからである、おそらくそこに神の意志も加わる
全部が人間の意志では決まらないのがまたこの世である
なぜベトナムにアメリカが負けたのかでもそうである、大国でひねりづぶすことができたのにできなかったのである

人間は力だけでは支配できない

力で強行して強制しても支配できないものがある、それに抵抗するものがありゲリラとなったりテロとなったりして大国でも支配できないとなるからだ
ただ日本でも少子高齢化であり国自体が老人が多いとなると老人は戦いない
また中国も一人っ子政策でこれから高齢化社会になるとき老大国になり戦争はしたくないとなる、その時奇妙だが他国を侵略したりしないともなる
何かそれで平和になるというのも奇妙である、血気盛んだとどうしても戦争でもしろともなるからだ
とにかく日本は弱体化している、それが高度成長時代の時は見えなかった
それがなくなると国際政治でも弱い立場になり攻め入られやすい国になったことである

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2021年08月28日

なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか? (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)


 なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか?

 (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)

 アメリかがなぜ圧倒的兵力と近代的武器と経済力でもアフガニスタンを支配できなかった、それはなぜなのか?
 それはベトナムでもアメリカは負けた、その原因の主要なものが地の利にあった
ベトナムはジャングルがありその生まれた土地を知り尽くしていた
そこも複雑な土地でありそこに踏み入ったらもう出れなくなるとか迷路になる
でもベトナム人はその土地を知り尽くしている、だからアメリカ人がいくら爆撃を繰り返しても負けたのである、物量でも圧倒していても負けた
南ベトナムを支配して南ベトナム人を応援しても今回と同じように負けた
北のベトナムを支配できなかった、それは冷戦時代だからソビエトとか共産国の応援があったとしてもやはり土着的な愛郷心がありそれに勝てなかった
だからその敗戦の利用は共通している

天の時、地の利、人の和

地の利と人の和がベトナムにありアメリカがそれを崩せなかった
アフガニスタンでもそうである、そこは3000、4000メートルの山々が遮り隠れて戦うし
タリバンは地元の人の応援もあったとされると地の利があり人の和があるから強力だったとなる
そしてアメリカ軍側についてアフガニスタン人はそのトップがいち早く大金をもって外国に逃亡した、それでわかるように戦うモチベーションがなかった
ただアメリカについていい暮らしができればいいとなり賄賂も横行していた
またタリバンに武器を売ってもうけていたともいう、つまり人の和がアメリカについた
アフガニスタン人にはなかったのである
だから莫大な金をつぎこんでもアメリカは支配できなかった、徒労だったとなる

そこには信仰心もあった、このイスラムの信仰心は外部からはわかりにくい、確かなことはアメリカに対する反発するものとしての信仰心であり明治維新なら攘夷派になるのだろう、アフガニスタンはそもそもイギリスでもソビエト連邦でも支配できなかったのであるそもそも命を賭けて戦うとなると簡単にはできないだろう
つまりその強い動機が必要になる、その動機がタリバン側にあったということである
それはベトナムでもそうだった、ベトナムの土着民にあったので負けた
自分たちの国を必死で守ろうとした動機があり負けた
ベトナムでもアメリカが物量でも武器でも格段の差があった、でも支配できなかった
そしてベトナムの独特の地の迷路に入り「地獄の黙示禄」になったのである

これを比べるとなぜ日本はアメリカに負けたのか?

もし日本だけを守ろうとしたらアメリカがいくら日本に攻め込んでもゲリラ戦になりやはり同じことが起きただろうかとなる、日本が負けたのは中国でもアジアでも広範囲な戦争となったからである、アジアの人が植民地支配から解放されるものとして日本の戦争にみんな同調して共同戦線を張れば勝ったとなるがそうではなかった
特に中国はアメリカが味方であり日本は敵だったからである

ベトナムでもアフガニスタンでも江戸時代なのではなかろうかともみる、タリバン兵が空港で書類検査するのに字が読めない兵士が多いというときそうである
それは江戸時代なのである、でも江戸時代というとき日本でも地域的に藩が支配していて日本全体が国家として統合されているというわけでもなかった
すると地域の連帯の中で人々は生活していたしまた農業主体だから村が強固な共同体となる
みんなが回りが農民の時代は何か一体感が持ちやすい、生活自体がみんな同じでありまた稲作でも田植えでも共同でするとか一体感を持ちやすいのである
だからそこで強固な一体感をもつ、そういう社会がベトナムでもアフガニスタンでもあったとなる

だから近代化した生活となるもう田舎でも一割くらいしか農民ではない、中国に行ったら何か知らないけど「ノンミン」ですとか言って物を売りつける女性がいた
つまり農民ということを強調して買ってくれということだったのか、その頃中国も農業主体だからそうなっていた、私は会社員とかなかったともなる、私は貧乏な農民だから買ってくれとなっていたのかもしれない、その時代は十数年前では中国は貧困者が多かったからである、今はまるで違った国ようになってしまった
ノンミンは少数者になっているからだ

いづれにしろ日本の戦争はまた逆に中国とか東南アジアに戦線を拡大化して逆に地の利が知らず負けたのである、インパール作戦とかでもそうである、大きな河がありジャングルがあり山々がさえぎり死体の山を築いたのである
だから必ず戦争でも地の利が影響しているのである、これはベトナムでもアフガニスタンでもそうだったからやはり普遍的な真理としてある
それは戦争だけではない、あらゆることに地の利が影響しているのである
人間はその住む場所はアイディンティティを築く場所である、それは歴史的にもそうなっていたから地歴になったのである

そして逆に近代的生活というのはみんなもうノンミンではない、都市生活者が主体の社会である、そういう生活は土着的愛郷心などない、そもそも戦後は農民社会でないからもう土着的愛郷心も希薄化した、地方で田舎で求めるのはやはり金しかないのである
だから原発は金になるからといって積極的に誘致された、漁業者は漁業権を売り補償金が事故前も入っていて贅沢していたし事故後もなんら生活に困ることなく津波で家が流されても立派な家をすぐに建てたのである
つまり東電の社員ともなっていたのである、それは自治体自体が東電の社員化していたのである、それで事故になったとき自治体は簡単に解体してゴーストタウンになったのである

それで不思議だったのは浪江の人でその人は全然事故になって浪江町に一割くらいしか人が住まず回りは田んぼもなく荒地になっているのに何も嘆いていないのである
かえって補償金みんなもらって老後も安泰だとか言っていたのが理解てきなかった
でもその人にとって農業など関係ないのである、金さえあれば別にみんな物は米でもいくらでも入ってくるからである、そもそも農業は軽んじられていたからである
だからこそ金になる原発がいいとなり現実にそこで働いていて金にあれば東電でも会社員であれば会社が大事になる、その土地のことより郷土のことより会社が大事になる
すると農業のことなど関心がないともなる、田舎だと周りは田畑でも農業に関心がないのである、こんなことは戦前とか農業主体の生活だったらありえないのである

だから意外と日本とかでも近代化資本主義化した社会というのはもう連帯などない
金を求めることしかない、土着的愛郷心も全体的にはない、だから多額の補償金をもらったら簡単に故郷を捨てて仙台市であれ都会に出たとなる
身近では小高の人は避難区になったが豪邸に住んでいた人も原町区に移りすんだ
息子夫婦は仙台市に移り住んだのである
要するに土着的愛郷心は農業社会ではあったが今はない、すると意外と他国が攻めてきたとき日本では外国に中国でも簡単に降伏して売りわたすとなる
土着的愛郷心がないのだからベトナムやアフガニスタンのようにはならないとなる

右翼の主張があってもそれに同調しないのは土着的愛郷心がある農民の時代は共鳴する
強調するがそれがなくなったからだともなる
天皇はもともと農民を土台にして綿々とつづいてきた象徴だったからである
それで皇居で田植えをして蚕を飼っているのである、でも工業社会になったときそれもあわないのである、皇居から東京の大都会を見渡してみればわかる、そこには田畑など全くないからである
ただ世界の大都市は共通しているから世界では土着的愛郷心などなくなっている
そうして土着的に歴史的に培われて来たものが失われた、家族の紐帯さえ失われて拠り所もなくなってみんな故郷喪失者にもなっているのである

そういうことで意外と愛国心をどうのこうのと言っても共鳴しない、愛国心の基は愛郷心だからである、それが近代的資本主義になると利益中心になり金を追い求めるだけとなるそしたら他国が攻めてきてもベトナムやアメリカのように戦いえない、武器があるにしても戦えない、その戦う動機がないから戦えない、それも逆説である
戦争とは必ずしも物量とか武器だけで勝つともならない、いろいろな要素があり作用するからである
日本がなぜ負けたかというときその動機が必ずしも国土防衛ではなくアジアに侵略したということもありアジアとの連帯が得られなかった、確かに植民地解放戦争だったといっても地元の人達はそうとも思っていなかった
そして日本兵が連帯があったようでなかった、上官と下士官が憎みあい連帯しなかった
アメリカがかえって上官と下士官が連帯していたのである、つまり人の和がなかったのである、日本は人の和があるようでなかったのである
そうはいっても日本本土の防衛戦となったらなんとか国を守ろうとするから違っていた
そこでやはりベトナムやアフガニスタンとのように土着的愛郷心で戦うことが依然としてあったとなる

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2021年08月26日

セルフロックダウンで感染を防げ (自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)


セルフロックダウンで感染を防げ

(自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)

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週刊朝日 9月3日号

都市のロックダウンは日本ではできない、でも感染症は人から人へうつる、するとなるべく人と接しないことが防ぐことになる
ただ現実は仕事していたら人と人の接触をとめることはできない、現代ほど交通が発達して人と人が接触する時代はない、自給自足の江戸時代の様な村社会だったら隣の村とさえ交わらないことが可能だし現実に隣の村さえ遠い村だったのである
というのは歩くか馬とかで行くほかないから隣村でも遠く感じるのである
なぜ現代では江戸時代とか戦前のことがわからなくなったかというと車がない社会をイメージできなくなったのである
確かに汽車とかあっても汽車賃が高くて一般人は乗るのはまれだったのである
汽車は主に荷物を運ぶものだったのである

そういう社会では自給自足で生活するほかないのである、最低限でもそうして生活ができていたのである、燃料は炭であり薪であり近くの山からとってくる、水は井戸水とか清水である、洗濯は川でしていたのである
だから今になると信じられない、私の家のすぐ裏に堀があり堀の水で洗濯していたのである、燃料は炭でありまた材木屋の木材の切れ端を無料でもらって手作りの風呂で鉄砲風呂で使った、水は近くの家の井戸水をもらっていたのである
そんな生活があったこと自体今になると不思議になる
そういう生活はもう遠くに行くことは相当に難儀なことでありめったに行けないのである車がなければどうして行くのか歩いて行くほかない
葛尾村まで歩いた話を姉から良く聞いたのである
要するにそんな所まで歩くほか手段がない時代だからとても外との交流は限られている
すると外から人は来ないしまた外にも出れない生活だったのである

そういう生活だと外から人も来ないし村内で生活するほかない、自給自足するほかないのである、そういう生活は感染症には強いとなる、でも江戸時代にコレラがやはり長崎から入り北前船で新潟から会津若松に入ってきて増えたのである
江戸時代でもそうして感染症が広がった、全国に広がった
ということは江戸時代の人流規模でも広がるとなるとその何千何万倍の物流と人流がある今ならもう防ぎようがないのである
だからこそワクチンとか手洗いとマスクとかで自己防衛する
都市だったらロックダウンするとなるがそれができないとしたら自己防衛でセルフロックダウンしろとなる
私の場合はもともと引きこもりだからセルフロックダウンしている
接しているのは一人だけである
でもその一人の老女がワクチンをうって副作用がでて体中が痛くなり立つのやっとであり入院したり寝ていたとなる、やはり副作用がある、もう三週間くらい痛くて立てないとかなった、ただもともと腰が悪いとか言って何もできない人だった
でもワクチンは明らかに副作用がありそれが結構重くなる場合がある

いづれにしろコロナウィルスから自己防衛するほかないというといそれがみんなできるかとしたら自分の様なもともと引きこもりはできても他の人は不可能だともなる
仕事でどうしても人に接する広域社会だから物流をとめることもできないからだ
でも全体で国家の命令でロックダウンも簡単にできない、なぜならそれを補償するとなるとその金が膨大になるし予算的にもできなとなる
自民党は財政緊縮でありしないのである

都会になるとスーパーでもこむ、田舎だと空いた時間に行くとか勤め人でなければできるスーパーは意外と危険なのかもしれない、というのは品物に触るからである
そこから感染するということがある
ただ自分の様な引きこもり生活はコロナウィルスを自ずと防ぐことになる
仙台市にも行かないし最近原町にすら行っていないからである
もともと人と接触しないのがさらに接触しないからである
でも仕事している人はこういうことは一番むずかしい、そうなると生活もできなくなる

確かに江戸時代のコレラの流行は会津若松中心に広がった
ても桧枝岐(ひのえまた)とかなるとそこはほとんど人の行き来しない本物の秘境だったそんなところに良く人が住んでいたとも思う
平家落人の村としてあったからだ、そういう場所ならコレラにもかからなかったのであるつまり人間社会はプラスと思えるのがマイナスにもなる
人間自体も性格でもマイナスと思えるものが実はプラスにもなる
人と接触しないと外交的でない内向的な人は一般的には社会では嫌われる
てもこういうとき引きこもりが有利だというのも不思議だとなる
だから人間とは何が良く作用したりするか悪く作用するのかもわからなん
万事塞翁が馬になってしまうのである

ともかく現代生活は逆に異常に人が交わり三密を減らすことが不可能に近い、交通が発達して車社会であり車ならどんなところでも辺鄙な所でも行ける、すると人流をどこでもとめられないのである、そうして便利な生活と思えたものが実は感染症には弱かったのである、弱点となっていたのである
東京とかの大都市とかに異常に人が集中することはそもそも不自然なのである
そんな生活を改めないからコロナウィルスでその弱点が露わにされたのである
東京遷都もいつのまにか消えた、それをするに大災害とか今回のようなコロナウィルスとか感染症とかでひどい目に合わない限り決断できない
多少テレワークとか東京周辺に移住するようになったのはいいことである

つまりコロナウィルスは新しい生活形態をうながしたのである
ただそれも極一部であり全体的には変わらない、もっと死者が増えたりしたら変わらざるをえない、だからコロナウィルスもか易姓革命であり自然の作用でありそれが社会を変えるとなる、東京など一極集中する社会は異常なのである
人流をとめることは不可能なのである、セルフロックダウンもなかなかできない
自分のように特殊な人間だとできるが普通の社会人が会社員は簡単にできない
でも方法がないからこういうことを言うのもわかる
私自身はセルフロックダウンの生活だったから今までの生活の継続で防げるともなる
それでワクチンもしていないのである、ここでも一人とか二人とか毎日増えているから
怖いことは怖い、でもこういう生活は田舎であり人流もないとか安全だと思ってしまうのである

コロナウィルスはまだ5年くらいつづくと専門家が言う時、これは簡単に終息しない種類のウィルスなのかもしれない、するとこれは長いと見た
つまり何らか社会を大きく変えてしまうものともなる
すぐに元に戻らないものだともみる、するとどうなるのか?
いろいろコロナ後の社会を言われたが広域社会とかグロ−バル社会の変化が起きる
グロ−バル化社会はもう頂点に達したのである
グロ−バル化社会は世界大航海時代からヨ−ロッパのアフリカアジアの支配ということで起きて来た、イギリスで紅茶の習慣が生まれたのはスリランカなどで紅茶を栽培させてそれを輸入してそうしした贅沢な習慣が文化が生まれた
イギリスは寒い国であり実際は食でも貧しい国だった、ヨ−ロッパ自体南国のアジアのように様々なものがとれないのである、花にしてもともしいから植民地化した南国から
とりよせてガーデンを作ったとなる、アジアからでも富を収奪して豊かになったのがイギリスだったのである

グロ−バル化社会かはこうしてヨ−ロッパの支配でありアフリカからは奴隷をアジアからは様々な産物を輸入して豊かになった、中国では売る物がなく阿片をりつけたとかなる
このイギリスが覇権国になってその後を受け継いだのがアメリカなのである
ただアメリカはもともと自国でなんでもまかなえる資源が豊かな国であり世界一の農業国であり食料を輸出できる国なのである、だからイギリスとは違って別に外国から食料品でもなんでも輸入する必要はないのである、石油さえ今では輸入する必要がないのである
アメリカが覇権国になったのは必ずしも経済的動機だけだったとは見えないのである

ともかく大航海時代からグロ−バル化がはじまりそれが20世紀で頂点に達したのであるその結果は最悪としては世界大戦が二回あり何千万の人間が死んだことである
その負の面も巨大なものだったのである、グロ−バル化すべていいものとして作用しなかったのである
コロナウィルスでも交通が発達して交通の発達で距離が縮小されたとき世界が同時進行するようになりコロナウィルスも同時進行でたちまち世界に広まったことでもわかる
そこには時間差がなくなったのである、コロナウィルスはグロ−バル化の結果としてマイナスのものとして作用したのである
だからコロナウィルスはこうした世界を変えるというときグロ−バル化自体見直すものとなる

結局グロ−バル化とは一面共存ではない、国同士でも様々な文化をもった人達でもグロ−バルに交わることは対立と軋轢をもたらしてそれが戦争になり何千万人も死んだのであるグロ−バル化でも共存する、助け合うとかならいい実際はそこで衝突して戦争になり何千万人も死ぬことになった
格差社会でも生まれグロ−バル化で世界の富はアメリカに集中して吸い上げられまたアメリカでも極一部の特権階級に富が集中した、それがロスチャイルドとかなんとか陰謀論になる、そしてもともと江戸時代なら朝鮮と中国と争うことなどなかった
ヨ−ロッパの世界支配の結果として日本も世界大戦に巻き込まれたともなる
マクロ的にはそうなる、だからグロ−バル化を見直す時期にすでになっていた
その時コロナウィルスが世界的に蔓延してグロ−バル化に歯止めがかかったのである

だから何かこれからは拡大拡散する世界より内向きの世界になる、それでヨ−ロッパのような中世世界と日本の江戸時代への回帰現象のようなものが起きて来る
時代のサイクルとしてそうなる、交通の発達でも極限を追求している
リニアでもそうだけどそういうものが本当に必要なのかどうか?それも疑問になったのである、また空飛ぶ自動車などでもそうである
そんなものが空をぶんぶん飛んでいたら落ち着かないしいいものとは全部ならないのである、技術でもなんでもいいものとはならない、作用しないのである
必ず負の面が技(わざ)から災いが生まれるからだ、それが原発事故だったのである

セルフロックダウンというときそれは本当に内向きの生活である、私自身がセルフロックダウンの引きこもりになる、もともとそうだった、でも今は仙台市にも行かないとか近間を回るだけである、こうして巣籠り生活というのも鬱屈した状態をもたらす
でも私自身はそういう生活をしてきたからそれほど苦しいとはならない
ただ中世というのは何か変わった動物とか動物の人間とか合体した仮想のものをイメージしたりと内向きの生活で生まれた
それと同じようなことを私は抽象画でしていると思った、これだけ絵の才能が全くないのに作り出しているのはインタ−ネットがありAIのようなソフトの使用でできたとなるからだ
また巣籠り生活だと家が広くないとできない、プライベートな空間が必要になるからだ
でも今空家が膨大でありそれを利用するとかまた地方に移住するというのも奨められる
すると人口のバランスがとれるともなる、そういう社会の変化が生まれることは悪いことでないのである
ただ何でも必ずいい面と悪い面が生まれるのが人間なのである
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2021年08月24日

アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓


アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓

国家がどうして成立っているのか?(資金がない、財源がない)


アフガニスタン国家がどうして成立ちタリバンが政権奪取したとしてもその後国家を運営できるのか?
今度はこのことが問われる、それでこの記事が興味深いとなる
アフガニスタンでは財政破綻で国家が破綻するとしているからだ
その理由は国家運営のための資金が調達できないということである
その資金調達がアメリカが握っているからだと分析している

例えば海外旅行してカンボジアやベトナムやネパールなどの後進国の紙幣を日本にもってかえっても何にもならなかった、交換するにもそれは紙きれである
でもドルだったら依然として使えるのである、円に交換して価値あるものなのである
世界でドルが通用する時、金融で世界を支配しているのはアメリカだとわかる
中国が強大化してもやはり基軸通貨はアメリカのドルなのである
それはアフリカの果てまで通用する
エジプトでナイルの上流の方、スーダンに近い方でロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫んでいるのはそのためである

エジプトはイギリスに支配されていたときはエジプトポンドが国家の紙幣だった
ボンドがその時世界の基軸通貨ともなっていたからだ
基軸通貨という時、世界で英語が共通語のようにして普及したのはイギリスが支配したからである、だから東南アジアでは別にエリートだけではない英語をしゃべる人が多いのである、それはイギリスが支配したからであり別に英語が特別優れた言葉だからではないのである、言葉というのも支配、被支配の関係で国のネティブな言語が代えられる
一時は日本が明治維新の時フランス語にしろとか言う人もいたしまた今でも国際化しているから楽天とかでは英語を共通語にしろとまで言う
それは現代はグロ−バル化しているから会社でそうしないと不便だからそうなる

グロ−バル化した社会というのを理解することはむずかしい、それは株式が理解できないのと同じなのである、天文学的な巨額の金が流れている、それは金とともに物資が世界に流通していることなのである、もし物資でも流通していなかったら金も通用しない
また物資でも運送できなかったら金も通用しない、その運送できる、交通が発達すると貨幣でも紙幣でも世界的に流通する、それでモンゴル帝国では広大な領域を支配したからそこでその支配範囲内で紙幣のようなものが流通できるようになったのである
それはやはり一つの大きな帝国ができて政治的に支配できたとき紙幣でも貨幣でも流通するとなる
日本だと江戸時代は仙台銭とか藩札が作れとしても一部の範囲内でしか流通できないとなる

とにかくなぜグロ−バル化すると金融というのが重要になるのか?

それは誰でも日々金なしでは生活できない、あらゆる物資が世界から運ばれているからだ人間は何かやと言ってもグロ−バル化した世界では金が重要になる
この辺で原発事故で避難区域になったところでは別にそこでは米を野菜を食糧をとれなくても生活できているのである、それは金があれば外部から物資でも食料でも買えるから不便でも一応生活できているのである
だから郷土を愛すとかなるよりまず金を愛すとなっている、別に故郷から出て行っても
金さえあればかえって都会に出れば便利な生活ができる、だから仙台市に移住した人も多いとなる、億の金をもらった人が結構いるからである
ただそこで喪失した故郷のアイディンティティはありそれを私は追求して来た
でも現実問題として故郷を愛すという精神的な問題と現実問題とは別である
要するにそれだけでは飯は食えないということである
だからどこでも世界の果てまでワンドーラ―くれとなっているのである

アフガニスタンが注目されるのは様々な問題がそこから噴出してきているからである
それは津浪や原発事故でこの辺が様々な問題が噴出してきて私が追及してきたのと同じである、コロナウィルスでもそうである、それに共通しているのは世界がグロ−バル化しているからである、コロナウィルスも結局グロ−バル化したということがありあっという間に世界に感染者が広がった、同時間的に広がった、時間差がなくな広がったのは飛行機とかで世界が時間差がなく行けるからである、8時間くらいで世界中行けるからそうなる
ウィルスは人から人へうつる、もし船でしか行き来できない江戸時代ならそんな簡単に世界へ広がらないと思う

でも現実は江戸時代のコレラは長崎から入ってきて北前船で新潟県に入り阿賀野川を通じてシロのる会津若松に入ってきて広がったのである
だから江戸時代でも感染症のウィルスは広まっていたことが意外だともなる
長崎の出島から外国人が入ってきて広まったことに驚く、今なら何万倍なのかとてつもないヒト、モノの交流があり移動している、つまり現代のグロ−バル化は移動の文明でもある、そうしたらその移動を止めることは不可能にもなる
交通とか移動を決めたら社会が機能しなくなり麻痺して生活もできなくなる、物資も入らなくなり社会生活の機能が停止して身動き取れず死ぬこともありうる
だからグロ−バル化した世界は感染症には一番弱かったのである

金融の問題もこうしてグロ−バル化しているから複雑であり理解しにくいのである
ただアフガニスタンの問題でわかることは金になるものが自国で産みだせないとういことで国家運営が可能なのかということである
自国で生産しているものはアヘンが主要産業のような国で国家運営が成り立つのか、その資金をどうするのかということである、それが今タリバンが政権奪取しても簡単に国家運営ができないとなる

不思議なのは江戸時代の様々な村が中心の自給自足の生活では村に入れないようにしても一応生活はできるようになっていたのである、自給自足が基本だからである
外から物資が入らなくても自給自足だから一応死ぬようなことはなかったのである
だからロックダウンとかしきりに言うが江戸時代だったら可能である
ただ江戸とかなると外から食料が入らないと苦しいとはなっていた
江戸でも米は外部から伊達藩とからでも相当数入ってきて生活できていたからである
都会は自給自足ではないからもし閉鎖して人流をとめたらもう死ぬようにもなる
都会には実際はまた災害に弱いとかあり危険もある
石巻だったか外部から物が入らなくなったとき裏山の木を燃料として清水をくんで米はあったので近隣で集まり自活していたのである

都会だと外から物資が入らないとお手あげになるので危険なのである
この辺では二週間くらい物が入らず危機的状態になった
石油もなくなり車だと移動できなくなったのである、それは危機的状態だった
私は米が二週間くらいありノリとかオカズがありしのいだ、その時電気は通じていたからできたのである、そして米が尽きたとき古米がここでは配給された、それで助かったのである、こういうことで緊急事態のとき食糧でも貯えがないと危機的なものになる
逆になぜ江戸時代に飢饉が度々あったのか?
それは逆に遠くから物資が運べないということもあった、藩ごとに国が違うともなり物資が隣の藩からでも入ってこないのである、今のようにグロ−バル化しているとどこかの国から援助されて物資が入るということがあり飢饉はなくなったともなる
そういう危機的状態では外から物資が入らない時、金があってもモノが買えない、コンビニですらたちまち商品がなくなり買えなくなったからである
それで私は自転車で隣の市までスーパーが開いているということで自転車で行ったのである、その時車はガソリンがないので使えなくなっていた
車が便利でもこれも使えなくなる、ガソリンが外部から入らないと使えなくなるのである

いづれにしろアフガニスタンの政府崩壊はよそ事ではなかった
なぜならアメリカも日本を見捨てて撤退することがありうることなのである
それをまざまざと見せられたからである、その時日本はどうするのかということが目に見えて示されたからである
とにかくアフガニスタンは食料でも何でも自給自足などできない、ベトナムは地下にもぐりベトコンとなりイモを食べてしのぎアメリカ軍と戦い勝った
でもアフガニスタンにはアヘンがあってもそれを食料とすることもできない
だからタリバンが政権を奪取してもこれから国家を運営できるのかとなる
つまり軍事力だけでは国家を運営できない、一時的に制圧しても今度は経済的問題がのしかかってくるからである
ただ外部から見るものとしてはただ様々な点で興味深い、それは日本でもアメリカ軍が支配しているのだからよそ事ではないからである

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2021年08月22日

金を残しても死ぬと価値がない (金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)


金を残しても死ぬと価値がない

(金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)

この世の中すべて金になり金で判断する、収入でも金で計算されて価値が判断される
生きている時はみんなそうである、でも死んだ時その人の価値は何で判断されるのか?
一億円残したからこの人の価値は一億円になるのか?
それをもらう人は子供の世代はその一億円は相当な価値になる
なぜならまだこの世を生きるから価値があり親の価値も金の価値にもなる

でも死んだ時不思議なのはあの人は一億円残したから価値ある人だったとなるだろうか?その金をもらえない人はその金で人の価値を判断するだろうか?
死ぬとその人が生前に残した物でその人の価値を判断する
例えば古い特別な家を遺したものを放送する番組がある
するとその金持ちの残した家が文化財のようにもなる
それはあくまでも金ではその人が残した家がその価値だとなる
それは別に家族でなくても文化財のようになれば他の人も見ることはできる
立派な庭でもそうである、その価値は家と庭にあったとなる
金持ちでもその金をどう使ったかで評価される
多額の金をもっていてもそれを子供たちに遺産として残したとしても評価するのは子供たちだけだとなるからだ

人間はすべて金に換算される時代である
でも死んでしまうと何で価値が判断されるのか?

ここのことを思って生きている人は意外とまれだろう、死んでしまったらその人の人生が何であったのか問われる、歴史的にでもその人の価値が何であったのか問われる
なぜ陸軍二等兵とか他でも墓に戦死したのか、位が記されているのが多い
でも今になるとそんな位に何の意味が価値があるのだろうか?
何か軍人であることが価値があるとされた、でも今になるとその墓を見て位を見てこの人は偉い人だったとみんな見ているだろうか?
ただ戦死者か無益だったとかではない、でもそうして今でも墓に記された軍人でありその位に何の意味があるのかともなる
それを墓に記したのは当時だったら社会的意味があり社会でも注目しいたからだとなる
軍人は威張っていたというときそうである、それはミャンマーとかの軍事政権となると軍人が一番威張っている、中国だと共産党が一番威張っている

でも必ずこれも時代によって変わる、共産党でも永続しないからである
それはあくまでも集団として組織としての価値なのである
個々人の価値なら例えば科学に尽くしたとか芸術で貢献したとかいろいろありそれは人類的普遍的価値ともなる、だからそれらは長く残ることがある
でも実際百年後に残るものがどれだけあるのかとなるとほとんどなくなってしまうのが人間社会なのである
時代によって価値は激変することがある、それが戦後に起きたのである
国民全員が鬼畜米英になっていたのにまるでアメリカ様様になった、それを経験した人は何んなのだろと理解できなくる、あまりの変わりようだったからである
白だったものを黒にしてしまったからである

ともかく死ぬとその人の人生は何だったのと問う、歴史的になれば戦争で三百万人も死んだのは何だったのだろうとなる、その意味が問われるのである
第一三百万人を死んだのを無駄死にだった、犬死だったとは言えないからである
それなりの意味と価値をもたせなければ浮かばれないとなってしまうからである
でもどうしても陸軍二等兵という墓があったとしてそれに敬意をもていないのである
他の人でも敬意をもっていないだろう、それだけもう価値観が変わったからである

何か家のことに私はこだわるのは結局残されたものが家だからである
もちろん金も遺されたとしても具体的に残されたのは家なのである
それでこの家は広くていいなとかここに家族が寝ていたなとかふりかえる
また台所に母がいて料理してくれたな、それも60年とか長い時間だったなと
つくづく私は今度は自分で料理したり台所で働くからそのことを一層感じたのである
意外はそんなこと当たり前のことだと思っていた、でも全部自分で家事をするとなると大変だなつくづく思った
料理するにも種類が多すぎるのでいちいち冷蔵庫をチェックしているのも手間で忘れてしまうのである
それからプログとか毎日書いたり本を読んだりするから手が回らないのである
それでありあわせのもので食事はすましているのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

私の母親は嫁いできても女中と同じだったのである、働き詰めで終わったのである
そして今自分がその台所にいるのもカルマだとなる
そして死んでから感謝して供養してごくろうさんという、ただ死ぬ前に5年くらい介護したことで喜ばれたので恩返しが多少できたとして救われたのである
そうでないと何か一方的になり母も不満のうちに死んだからである
そこで介護の問題が苦しいけど何か死後にも人間は関係がつづくからむずかしいのである現実に子供を恨んで死んだ人もいるし結構そういう親はいる
せっかく苦労して育てたのに子供に冷たくされたとか普通にあるだろう

ともかしく親が死んで一番感じたのは確かに金を遺してくれたからありがたいともある
でも一番感じるのは残された家なのである、それで家のことを延々と語っているのである家にいるとやはり親のありがたみがわかり家に感謝するのである
他に具体的には残したもので感じないからである
だから家には依然として家族がいるという感覚になるのである
この家を支えて来たという時、家という建物だけではない、家族がいて私は支えられていたとなるからだ、そこで家に感謝しているである

ただその他で残したものはない、庭は狭いしそこに何か感じるものはない、むしろ死んだ後に自分が頼み作ったものだともなるからだ
こうして具体的なものとしては家が残されたものとして意識する
他にその人によるそれぞれの人生がありその人生を振りかえりそこに価値を見出す
その人生をふりかえることは価値があったとてももう金にはならないものである
死ねば人間はやはりHistory-story(物語)になる
ものー語りとなるがやはり死ぬと遺された物を通じて死者を想うからそうなる

それが具体的だからわかりやすいのである、画家だったら残された絵を見てその人を偲ぶとか価値づける、芸術家の場合は残した作品から価値をみる判断するとなる
でも別に普通の人でも生きた一生があり判断される
でもカルト宗教団体とか党派の団体とか会社とかの組織団体に属して生きた人はそれが一生なのだけどその団体組織が消失したときその価値も消えるとなる
百万人会員がいたとしてもその価値は百万分の一なのである
その組織はやがて消滅する、それは生きている間にも起こる、退職すると大企業に属していても価値がなくなるからだその人の価値はすべて会社に属している価値だったからである

とにかく人間の生きる意味とか価値とかは意外と死んでみないとわからないのである
死んだ時純粋にその人の生きた価値とか意味が問われるからである
つまり金をいくら残したとかではない、他者にとってはそれはもらえないのだから関係なくなる、ただその人自身の純粋な意味とか価値が問われるのである
この人はこういうことをして一生を終えたとかになりストリーとなりその価値が判断されるその女性は何か自分にはわからなかったけど大正生れて本当に馬鹿正直な人だったのである、それで私の家族が認知症になったときその女性だけが相手にしてくれたのである
認知症になると親しい人でも相手にしなくなるのにしてくれていたのである

でも別にその人に私の家族が良くしたとはならない、むしろ冷たかったかもしれないのである、でも認知症の介護に苦しんだからその人に感謝することになったのである
この人いい人だったなとつくづく感謝するようになった
つまり自分自身がこの女性の価値を認めてそうなった、それは金とは関係ないことだったのである
他の人は介護になってかえって金を奪うとう金をよこせとか脅迫するような人達ばかりだったから余計にその人を思うようになったのである
だからこうして金だけで価値は計れないである
また何かその男性には世話になったことがありそれを恩に思ってその人が病気になったと世話している女性がいる、それもまた金のことは関係ないのである
むしろいくら金をやっても人間はそれを恩とも思わないし感謝もしないのである
だから人間はすべて金で計るわけでもないのである
それで「金の切れ目が縁の切れ目」になるのが普通なのである

ただいやいやながら金をもらうからしているというとき本心が必ず現れる
絶対に人間は無償の行為はつづかないからである
必ず見返りを要求するようになるからだ
最初から見返りを要求する人もいる、いくらくれるなら助けてやるとかまでなる
でもここに倒れた人がいればお前俺にいくらくれんるんだとか言っていくらなら助けてやるとかなるとそれは脅迫なのである
私は介護でそうして金で脅迫されてきたからである
それは後で世話になったからと金をやるということもある、でも窮地にあるとき金を払うから助けてくれとはなれないのである
それでまず救急車は無料で運び後で金を要求するとなっているのである

いづれにしろ人間はすべて金で価値は計れない、それが死んだ時それがわかる
その人の価値がわかる、この人はこういう人だったなとわかる
それは家族でもわからない、親のことでもわからない、子供なら親が尽くすのが当たり前だと思っているからである、それが自分が親になったり死んでから親の苦労がわかったりして親に感謝するとなる、ただ親でもいろいろり毒親も多いからみんなそうなるわけではないのである
ただすべてを金で計ることはできないし、金は紙きれでありそれが実際の価値とはならないのである、それが死んだ時はっきりするのである




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2021年08月21日

アフガニスタンで副大統領が北部で反撃 (地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)


アフガニスタンで副大統領が北部で反撃

(地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)

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古代ならペルシャ、今はイラン、インドがあり中国が迫る
その影響を受けてここは支配が変わったのである
インドの王朝の一部にもなったことがあるからだ

アフガニスタンの山の高さ

 3000−4000mがほとんどである

ここの地図がわかりやすい



アフガン副大統領が唯一タリバン支配の及んでいないパンジシール州で挙兵

ヒンドゥークシュ山脈(ヒンドゥークシュさんみゃく、パシュトー語/ペルシア語: セF/HゥO4)とは、主にアフガニスタン国内を北東から南西に1200kmにわたって延びる山脈。一部はパキスタン西部にも広がる。

急峻な地形ゆえ、山脈周辺では土砂災害も発生する。1971年7月下旬にはケンジャン峠付近で発生した地すべりが集落を押しつぶし、1000人以上が死亡している[2]。

ヒンドゥークシュ山脈は古来から東西南北の交通の障害となってきた。このため重要な峠が点在する。中央アジアとインドを結ぶ峠道が多数あり、ハワク峠(英語版) (3548m)はアレクサンドロス3世(大王)やティムールが通過している。シバル峠(英語版)(2978m)、サラン峠(3363m) はカーブルと中央アジアのマザーリシャリーフを結ぶ重要な道路が通る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%
82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B1%B1%E8%84%88

アフガニスタンの主要作物であり、主食の小麦の生産量が今年は440万トンから370万トンに減少。7月25日には緊急援助委員会の委員長を務めるモハマド・カリム・カリリ副大統領が、250万人が深刻な食料不足に苦しんでいると明らかにした。

水不足、干ばつ、自然災害が問題の根源にはあるが、農地の3分の2が灌漑用水に頼っているアフガニスタンにとって、ダムの建設や配水システムの整備が緊急課題である。


このおっさんは単にタジキスタン系なんでは
タリバンはイスラム主義ではあるがパシュトゥーン人主義でもある
だからこんな難しい国の統一を武力でないと維持できない
イスラム帝国でアラビア史上初めて部族の枠を超えた一致を見たのに
それはクライシュ族至上主義の上には立っていたけど
今のイスラムは原理主義でもそうでなくても結局部族単位で行動してるから
いつまで経っても一つになれない

北側も東側も標高7000m級のパミールの高山が続くから包囲なんて出来ないのよ
南側も6000m級の山岳地帯なので実質西側から攻めて来る敵だけ対処してれば良い
それでも山脈の間抜けて騾馬や航空機でタジキスタンと繋ぐ補給路はあったりする



国際政治を理解するには地理が基本にある、地政学が大事になる
アフガニスタンの地理でも理解するのが容易ではない、6000メートル級の山岳地帯ということが理解できない、地理は地図を見てもわからない、地理はまた意外と交通機関が発達するとわかりにくくなる、峠があっても電車でトンネルで行くと地理を実感しないのである
だから私は常に飯館村まで自転車で坂を上って行っていたからそこが高原地帯になって別世界のように感じたのである、標高400メートルとかなれば結構高いからである
八木沢峠でも車で行っても相当な七曲の坂だからである
ただなぜそこが古くから相馬地域の鎌倉から来た岩松氏の支配下にもなっていた
それを受け継いで相馬氏の支配地域となった、確かに山にさえぎられているのだがやはり一体化する地理にあったともなる
また木材資源がありそれを得たいとなり塩の道ができたことも関係しているかもしれない
とにかくアフガニスタンは山岳民族が跋扈する中世の時代だとも言われる
部族が蟠踞して高い山にこもる、となると自然が障壁となり攻めにくい、ゲリラ戦には向いている、だからなかなかロシアでも手を焼いて撤退したりして支配できない
またアフガニスタンでも統一がむずかしい

例えばペルシャとかモンゴルとか平原と草原とかつづいていると大帝国ができやすい
なぜなら遮るものがなくその領土は拡大できるからである
それでモンゴル帝国がヨ−ロッパまでも進出できた所以である
確かに日本でも山が多いからヤマトともなった、でも6000メートルとか7000メートルの山ではない、それなりに越えられる高さなのである
そういう高い山は日本にはないからイメージできなくなる

ナンは現在のイランを起源とし、その後メソポタミア、古代エジプト、インド亜大陸に伝わったと考えられる。語源はペルシア語。

主食としてのナンがペルシャ起源で古い、古代エジプトに広まったというのも驚きであるナン文化圏は広いのである、食べ物から世界を観るとわかりやすい、でもこんな古い時代からあったとなると意外である
アフガニスタンは農業の占める割わい一割にも満たないとかあり盛んではない
平坦な地がなく山岳地帯だからである、そしてその山岳地帯には木がない
一般的に日本のように木に覆われた山はまれである、日本の山は世界から見れば例外なのである、エジプトのシナイ山でも一本の木もなかった、荒涼とした風景だった
岩山であえ砂山である
そして木がないから土砂災害で千人も死んだというときその規模が大きくなる
木は水を貯えるからである、保水能力があるから日本では常に山から水が供給されて田んぼがありうる、アフガニスタンとか砂漠地方だと木がない森がないから雨が急激にふると鉄砲水になり川がたちまち洪水のようになる、砂漠の川はそういうものである
灌漑が水を供給することが大事になる、例えばイスラエルとかも半分砂漠だけど水を供給するシステムを作り果実などがとれるようになった
水をどうして供給するかが問題になりそれが文明を産んだとなる
アフガニスタンの耕地向きが12パーセントでその一パーセントしか利用されていない
だからアヘンの栽培が主たる産業にもなってしまうのである
中村哲氏が灌漑事業の手伝いをしたのはそのためである

そして回りの国々との関係もわかりにくい、実際はアフガニスタンというまとまった国はなく部族がそれぞれの地域で支配している、統一国家となっていないのである
だから北部同盟がありそこに副大統領は逃げてこもりタリバンに抵抗するとなった
これだけ山が高く多いとそれぞれが独立していて統一することはむずかしくなっていた
だから外国勢力でも支配できなかった、ゲリラ戦になると強いということである
ベトナムでもべトコンは地下にもぐりゲリラ戦になりアメリカに負けなかった
ジャングルがありそれで阻まれたこともある、また食料はイモでありこれは意外と早く成長するから食料は供給できたことも勝利の原因だった
結局地の利があり土着愛郷精神がありそこにずかぶかと踏み入ったアメリカは敗れたとなる
アフガニスタンもそれと似たものがあった、地の利があり抵抗がありゲリラ戦に向いていたので支配できなかった

またここは地理的要衝であり中国でも一帯一路でここを通過してパキスタンから海に出れるということでタリバン政府をいち早く承認した
ペルシャとインドを分けるヒンド―山脈やカルバル峠は有名である
ここは玄奘三蔵も越えてインドに向かった、アレキサンダーもここを越えてインドに向かったでもインドではさはに広い国があり引き返したとなる

そしてアメリカの問題はアメリカ本土は日本でもそうだしヨ−ロッパでも離れている
アメリカの本土自体が戦場にならないことが有利になるしそれで本気にならないということもある、もし地続きだったら本土が攻められて侵略されるから恐怖となり戦い方が違ってくる、常にはるか後方にあって安全地帯にあるから戦い方も違ってくる
別に不利になったら戦闘をやめて本土に引き上げればいいとなるからだ
それがまた問題になる、中国とかロシアは陸の大国であり陸続きで隣国と接するから
常に責めて来る恐怖となり万里の長城が築かれたのである
アメリカは遠い島国でありそういう本土が攻められるという恐怖はない
ただミサイルとなる核ミサイルで攻撃されることを一番恐怖している

つまり今回のアフガニスタンは常に自分の国が直接陸伝いで攻められる恐怖がないということで戦い方が違ってくる、真剣にもならないともなる
それで中国が脅威となるときアメリカは果たして対抗できるのかするのか疑問になった
つまり日本の基地でも引き上げるということが見えたからである
アメリカは別に本土にいつでも避難できなるからである
ところが陸続きだったらもうそこから避難できない、そこで戦い死ぬほかないとなる
だからアメリカは簡単に撤退するということが見えたので日本でも自主防衛しなければ中国でもロシアでも簡単に支配されるとなる
つまりいつでも逃げられるから無責任にもなる、でも日本でも他でも逃げる場所がないのである、すると本土決戦とか一億総玉砕とか悲愴な決断になるのもわかる
そういう集団はいくら軍事力が経済力などがあっても戦うとなると相手は死にもの狂いなのだから怖いとなる
そのため本土決戦になるとアメリカ軍の被害が死者も増えるから原爆を落としたのだともされる

ともかくアメリカ軍は同盟軍のヨ−ロッパの人達も助けないとなった
アメリカの信用が失ったともなる、アメリカはあんな簡単に撤退するのだという事実を見てしまったからだ、ともかく陸と海との戦いがありアフガニスタンは陸の孤島のようになっていたのである、だからそこを侵略することは古来から手こずっていたのである
だから世界でも世界史でも地理がわからないと基本的に理解できないのである
この地理を理解することがともかくむずかしいのである
アメリカに一回くらい行ってもその広さをまず理解することは不可能である
そこからすでに理解できないとなるのである
中国でも同じである、あまりにも広すぎてわからないとなるからだ
世界を知るには本とか地図見たりしてもわからない、実地に路査して見聞した方がイメージできるようになる
それで50歳になってやっと世界旅行したバックパッカーになってしたことが今になると活きてくる、ただ遅かったとはなる

アフガニスタンの詩

その谷間は深く雪解け水が流れ
峠のかなた万年雪の高峰が連なり迫る
その山々に閉ざれて侵入者を拒む
独立の気風が養われて古来よりよせつけぬ
ロシアは去りアメリカも去る
唯一の神、アラーの声がひびきわたる
純白の雪に閉ざされた高峰のように
・・・・・・・・

山は独立の気風を養う、平地には人が交流して都市が生まれるけど山は閉ざされて独立する、高い山を見ていると自ずと精神的にそうなるのである
ただこの辺には海があるけど高い山がないからものたりないのである
何か精神を涵養するものがないのである

 山国の欠点にして、国を山間に立つるもの民は狭隘にして遠大ならざる理由なり
 山国の民の特徴として激烈な愛国心を有するにと同時に、嫉妬憎悪の念深く、
 針小子細の過失は百世にわたる怨恨の基となり,郡は郡と争い、村は村に抗して
 外に強敵の犯すなき時は..紛擾の中に日を送るをもって常とす
 
 (内村鑑三ー地人論)
 
 これがまさにアフガニスタンである、このように山岳地帯は個々に山に遮られて独立しているから融和しないのである
紛擾とは乱れるさまでありまさにアフガニスタンはまとまらず分裂するのを常としている
モンゴルは平原だからまとまりやすくモンゴルの大帝国が生まれた原因である
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2021年08月20日

日本の戦争はなぜ起きたのか (アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)


日本の戦争はなぜ起きたのか

(アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)



日本の戦争はなぜ起きたのか

ベトナム戦争はなぜ起きたのか

イラク戦争はなぜ起きたのか

アフガニスタン戦争はなぜ起きたのか


これらの戦争に共通性はあるのか?それはあるとしたらアメリカの被害妄想意識とかかもしれない、太平洋戦争でも真珠湾攻撃がありそれを契機として恨みとしてアメリカが日本を徹底的に総攻撃でうちのめして最後は原爆を落とした
一見日本側から見ればそれだけのことをしたのだから当然だとアメリカではなる
でもふりかえるとアメリカとはそういう国なのだともみる

ベトナム戦争でも泥沼になった、この戦争の理由は共産主義に対抗するためであり米ソ冷戦があり自由主義陣営と共産主義陣営の戦いだともなっていた
でもこれもまた最後の方になるとなんのための戦争なのかわからなくなっていた
それで(地獄の黙示禄)という映画ができた、ただそこは人を殺す狂気の世界ともなっていたのである

そもそもそんな地獄を作りだしたのは誰なのか、アメリカだったとなる
ベトナムにアメリカが侵攻したときベトナム人は土着精神の愛郷精神でベトコンとなり耐えて勝利を治めた、それはアフガニスタンとも似ている
タリバンはベトコンなのかもしれないからだ、土着している土地を踏みにじったということで戦ったからだ、今でも土を盛っただけのベトコンの墓がそちこち見られる
また負傷した人が傷痍軍人が回って物乞いしていたりした
それは日本の戦後とも似ている

イラク戦争ではアメリカが化学兵器があると難癖つけて戦争になり攻撃した
実際は化学兵器はなかった、ヨ−ロッパとか多国籍軍を編成してイラクに突入した
日本は金だけを払いアメリカから責められた
同盟軍なのだから参加しろと強制されていたからである
この戦争の原因は9・11のニュヨークのビルの爆破で三千人くらい死んだことである
日本人も20人くらい死んだ
これに激怒してイラク戦争になったのである
それは真珠湾攻撃で日本にアメリカが激怒して原爆まで落としたのと似ているのである
そこに正義などないし戦争にそもそも正義などないのである
アメリカは2の被害があったら十倍にしても報復する
それは報復する力があるからその力を乱用する

それでなぜアフガニスタンでもベトナムのように勝てなかったのか?
強大な軍事力をもっていても勝てなかった、タリバンもベトコンなのか地元に土着しているしやはり地元の支援があるからアメリカでも勝てなかった
アメリカに空爆して殺されている住民もいるからである
つまり強いとその強さのためにわずかでも被害があると十倍になってもはねほかえってくる、アメリカを攻撃するものは絶対に許されないとなる

でもアメリカの戦争をみるとそれが正義とかないのである
アメリカの強さを誇示するものでありアメリカに逆らうものは許さないということなのである
確かに真珠湾でも三千人くらい死んだから被害が大きかったし日本は馬鹿だったとなる
アメリカという国がどういう国かわからなかったのである
その強大な軍事力であれ経済力を知らなかったのである
ただ日本側にすれば経済封鎖で石油が入らないとか窮迫していてやむをえず真珠湾を攻撃した、つまり追い詰めれていた結果なのである
そうして追い詰めたのはアメリカだったとなる

何かやはりアメリカは強大な力をもっているからそれが力の乱用になる
それが行き過ぎた結果となる
原爆まで落とす必要があったのか?それが疑問なのだけど日本はそれで完全に降伏した
日本側の問題は戦線を拡大しすぎたことである
日本側でも何の目的でアメリカと戦争になったのか明確はない
アジアの国々の植民地解放といってもそんなことを国民が意識していたのかという疑問である、戦争が終わって結果的にそうなったからそれを盛んに言う、戦争の理由にしているとなる

戦争にしてもそれが何千万人も死ぬ、するとそれ相応の戦争の理由があってもいいのだがそれがはっきりしないのである、ドイツのナチスにしてもそうである
その戦争の理由が明確ではない、ただドイツでも失業者が増大して国民の不満がありそれが戦争に結びついた、ただその理由は何なのかとなる不可解だとなってしまうのである
理由なき反抗とかの映画があったがそれとも似ている

そして戦争が終わって必ずその意味が問われる、なぜ日本は戦争したのだ

それは三百万人も日本でも死んでいるからである、そしたら犬死だった、その死は無意味だったとできないからである、もし明確な意味ある目的ある戦いとして始めていればこういうことはないのである
戦争が終わり莫大な犠牲者が出て一体この戦争は何のために戦争だったとなる
その犠牲が余りにも大きすぎたからである
最初から意味と目的がはっきりしていればそんなことはないのである

ただあらゆることが何かその意味とか目的が明確ではない、江戸時代辺りまでの戦争はただ権益争いであり強い者が勝利してその権益を得たとかわかりやすい、それはヨ−ロッパとかでも同じである、戦争は権力闘争であり権益を得るためだとということでわかりやすいのである
ただ現代文明の戦争はその理由がわかりにくいのである
そして今になるとあらゆることで意味とか意義とかが問われる
オリッピックでもその意義が問われた、高校野球でさえ今その意義が問われる
それはあらゆる方面で問われる時代になったのである
なぜなら日本でも三百万人死んだように犠牲があまりにも大きいからその意味が問われるその意味は戦争が始まる前によくよく考えるべきだったとなる
そうすればみんなその意味に納得して後で後悔することはないからである

アメリカがなぜこれほど強行に戦争するのか、そさは強大な力をもっていて少しでも傷つけられるとその十倍にも百倍にでも報復する
そして原爆まで落としたのである、そういう国だということである
だからいづれそれが大きなカルマとなる、アメリカは戦場になったことはない
日本のようにベトナムのようにイラクのようにアフガニスタンのように戦場になったことはない、だから一回戦場になったみたらその苦しみがわかるはずである
9・11のニューヨークのテロでは戦場になったような気分になった
だからあれほどのイラクとかテロ国家への攻撃となったのである
でも日本であれベトナムであれアフガニスタンであれどれだけの被害があったかみればわかる、その規模があまりにも違いすぎるのである
それで9・11のテロは日本のパールハーバーになったのである

とにかくこうして戦争でもその戦争中はあまり意味を問うこともない
でも終わった後に意味が問われる、なんためにこんなに死んだのかと問われるのが人間であり歴史である
近代の戦争は何かその戦争の意味が明確ではないのである
ただ近代兵器が生まれて犠牲が莫大になったのである
そして古代から戦争があったが近代の戦争では英雄というのは生まれない、日本の戦争でも3百万人死んでも何か英雄として語られる人がいないのである
ただ莫大な消耗戦のようになっている、だからこれも何なのだろうとなる

他にもあらゆる分野で意味が問われる時代になった
オウムとかカルト教団にしてもその時優秀な理系の大学を出た人が革命のために仏教の教義で逆らうものはポアしていい殺してもいいということを信じてサリンをまいた
ただその時こんなことしていいのだろうかと疑問をもったはずである
それもなく死刑にされるときひどく後悔したのである、麻原にだまされたとか無念の内に優秀な人が死んだのである、これも何か意味を問わないではじめた
またカルトだから宗教だったら殺傷は禁止なのにそれも正当化されたのである

創価などでも何のために宗教を看板にしているのかわからない、政治権力を得て権力を掌握することが目的なことは確かである
そうしたら宗教とは相反する、でも日蓮の教義では矛盾しないがそれだって中世のものであり適応されないのである
タリバンでも中世時代の宗教の価値観だから問題がある、おそらく江戸時代でありイスラム原理主義の政教一致なのである


共産主義にしても文化革命で一千万人死んだとかカンボジアで二百万人が死んだとか頭蓋骨が積まれて博物館になっている
この犠牲も何だったのだろうとなる、共産主義の暗黒がまざまざと示された
一応民主主義国家ではそういうことはありえない、反対勢力を一応認めるからである
でも共産主義は反対勢力は抹殺する意外ないからこれほどの被害がでる
それで欧米の民主主義とか法の支配とかが政治として理想でなくてもいいとなった
民主主義はまどろこしいというか手続きとかにこだわり話し合いになると簡単に物事を決められない、だからコロナウィルスでも緊急時には弱いとなった
強力にコロナウィルスに対処できずに感染者を広めたということがある

ただ共産主義にも問題がありそれは反対を認めない、抹殺することである
権力をもったものはどうしても反対勢力を嫌う、すると権力があるからそれで抹殺できるその権力の乱用が怖いのである、権力を監視するものがないからである
だからどうしたら反対勢力でも存在させる仕組みが必要になる
タリバンなどにはないから反対する者は許さない戸なり暴力で排除してしまう
そこで反対するとなる死者が出てそれも多くの死者が出て犠牲が大きくなる
それも大問題なのである

結局こうして社会の大きなことでも何のためにするのか、その意味と意義が問われる
それはあらゆる方面でそうなのである、だから哲学の時代でありどこでもなぜなのか
何のためにするのか、あるのかが問われるのである
それは別に哲学という学問をする一部のものではない、あらゆる方面に庶民でもかかわり問われているのである

とにかく人間個々人でも死ぬと必ずこの人の人生は何だったのか、何の意味があったのかとか問われる、例えは巨額の財産を金を残したからと必ずしもそれが意味あるものとして評価されないこともある、でも財産を残さなくてもその意味や価値が問われてそれが価値あるものとして認められることもある、歴史的価値あるものとして認められることもある何か死んだ後の価値は必ずしも財産ではなくなる
組織団体でも意味が問われ個々人でも死ぬと必ず意味と価値が問われる
それが人間である、動物にはそんなことはないからである
人間の人間たる所以はこうして何のために生きるのかとか何のために生きたのかと意味を問うことにある、だから莫大な犠牲を死者を出してもそれに何の意味があったのかと戦争が終わった後に問われるのである

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高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に (あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)


高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に

(あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)

高校野球もコロナウィルスの陽性者がでて東北学院と宮崎商業が辞退した
特に東北学院は新顔でありこれまでは育英とか東北高校が定番であり新鮮だった
だから注目していた、そしたら強豪の愛工大名電に買ったので余計に期待していた
つまり高校野球はプロ化していて勝つ高校はたいがい試合する前から決まっている
第一大阪桐蔭とかはまず大阪だけで勝つのが甲子園で勝つよりむずかしい
それだけすでに大阪で勝つことがもう甲子園で勝つともなっている
もう普通の高校では勝てない、プロを選抜する大会とまでなっている

実際に東北でも北海道でも甲子園に出たくて野球のために有力高校に入る
それが大阪出身が多いのである、そしたら地元の生徒ではないのだからそれは高校野球の目的に趣旨に反するものになる
だから高校野球自体今や高校のプロ化したものでありとても普通の高校では勝てない
北海道とかで優秀した高校でも9割くらいがそうして野球留学した人達であり大阪出身が多いのである
それはまず大阪で甲子園に出るとなると最もそっちの方がむずかしいとなるからそうなるそこにもう高校野球の趣旨とは違ったものになっていたのである

そして戦国時代でも勝敗には天候が関係して勝敗が決まったりする
信長の桶狭間の戦いでも嵐になってその時攻撃して勝ったとかある、関ケ原の戦いでも天候が左右したとかある、だから勝敗というのは必ずしも実力だけも決まるものではなかった、天候は人間の力で操作できない、左右できないからである

こうしてコロナウィルスなのに朝日新聞が強行させたとか批判がある、五輪は反対したのに高校野球はすすめた、その危険性を無視したとして批判がある
ともかく五輪でも高校野球でも天候がマラソンなどでも30人が途中でやめたとか天候の影響がある、だから東京ドームでやれとかも言われる
また暑すぎるから夏の盛りにやるのは問題だともなる
そして高校野球は本来の趣旨とは違ったものになっている
もはや大阪桐蔭のような一種の高校野球のプロ集団に勝つことができないからである
つまり始める前から勝敗は決まっているともなる
そうなると見る方でもつまらないとなる
でも東北学院が  に勝ったのは注目して期待したがコロナウィルスの陽性者が一人出て辞退したのである

五輪もそうだったがなぜ高校野球でもその是非すら問われるようになったのか?
オリッピックでもそれが一部の特権者の金儲けのためだと判明してIOCの会長がぼったくり会長として批判された、コロナウィルスの最中にオリッピックを強行することはありえないということもあった、でも菅首相はオリッピックで劣勢を挽回しようとした
でもそれもコロナウィルスの感染者が増加して裏目に出た
政治でも自然災害でも天候でもいろいろなことが影響してくる
特に今は本当にあらゆることでそんなことをする意味があるのか?
莫大な金をかけてする意味があるのかとかが問われる

何か宗教とか哲学の時代なのである、ただ盲目的に信じるカルト宗教団体すらなぜ存在しているのか問われる、それは本来の宗教ではないかとなる
それは創価の様な大きな団体だけではないのである
檀家でも跡継ぎがいないから墓じまいしたいからと言ったら200万の金を払いと要求されたとか訴える、寺は檀家は維持できなくなっているともなる
それは地域社会で農民社会でコミニュティがありその要にあり機能していた
でもそういう農民社会でもつながりが希薄化すると寺の存在理由が問われる
それは他の宗教団体でもその存在理由が問われているのである
なんのためにあるのか?となるからだ、ただ墓の管理のためにあるとなると別に市営の墓地でもいいとかなる、それはその存在理由がわからなくなったからである

他に銀行とか地銀でもそうである、投資信託とか詐欺まがいのものを売りつける
それはゆうちょでもしていて批判があった、これも高度成長時代が終わり利子がつかないことで金をあづけていて何になるのだとなっているからだ
貸金庫なのかとなる、それなら誰でもできるとなる、銀行はもともと起業して成功した人が資金を貯えてまたあらたな事業をするために生まれた
だから起業する会社をはじめる能力が必要にもなっていたのである
ただ金をあつめて借りに来る人を待っているだけの商売はできなくなったのである
そうなるとなぜ地銀でも銀行でもゆうちょでも存在するのかと問われることになった
これは社会全般に起きていることである、教育でもIT化や人工知能化で教師の役割も変わる、すると教育はなんのためにあるのかともなる

奇妙なことは引きこもりとかニートとかが増えたけどそれは機械化してAI化するなど
人間の仕事が減る、すると当然そういう仕事しない人も職を持てない人も増えて来る
それでそういう人のためにベーシックインカムが必要だとなる
つまり働かなくても最低限の収入を与えるという制度である
これもまるでユートピアにもなる、なぜなら働かないで暮らせるとなれば遊んで暮らせるとなればそうなる

でもここでもやはり意味が問われる

あなたはなんのために存在するのか?

あなたは何か価値ある存在なのか?

このことがかえって強く問われるのである
例えばこの辺で原発事故が起り漁業者は魚がとれなくなった、でも漁業組合は漁業権をもっていてそれを東電に売り渡したとかで強い権利があって事故前も手厚い補償金をもらって生活に困ることがなかったのである
でも事故後はそのことが問われた、なんでそんなにもらう権利があるのかと周りの人からも言われるようになったのである
そして仕事をしない漁師は何で俺はここにいるのか?
自ら自問したのである、それは別にその漁師が哲学などわからない、でもそう問うようになった、だからこうなるのは一部のインテリだけではないのである
あらゆるところで起きている現象なのである

マスコミだって今までは放送を独占して世論を作っていた、その権力も巨大なものだったのである、なぜなら六局しか放送する権利がなかったからである
それでマスコミに取り上げられて顔が写るだけでも有名人になり選挙でも有利になる
でもyoutubeのように個々人が放送局にもなれる、そうなると芸能人でも自らyoutubeで
芸を披露するともなる、youtubeですでに極わずかでもマスコミに出れず有名人となり
億の金を稼いだ人がいる、それはマスコミで有名になった人と似ているのである
そうなるとまたマスコミに何か存在意義かあるのかと問われる
マスコミとは何であったのかと問われる、今までは独占状態だったからそんなこと問われないのである

これはあらゆる方面で起きているのである

何の意味と意義とか価値があって存在しているのか?

あなたは何のために働き何のために存在しているのか?

それはあらゆる方面で起きているから一部ではないから現代の潮流であり大きく時代が変わる変わり目に起きている現象なのである
これは別にむずかしい専門的な哲学を学ぶことではない、それぞれの職場で日常の中で一般人でも問われているのである
また易姓革命があったように自然災害とか天候でもその変化をうながしているのというのが不思議なのである
とにかく高校野球はコロナウィルスに天候にたたられてさんざんだった
ただこれも高校野球も変わらざるを得ないものとして自覚させられたということである

オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 
(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

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2021年08月18日

日本製紙の釧路工場が廃業へ (日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


日本製紙の釧路工場が廃業へ

(日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


「日本製紙」釧路工場は大正9年に操業を開始し、およそ100年にわたって新聞用紙などの生産を続けてきました。
しかし、デジタル化の進展や新型コロナウイルスの影響などで紙の需要が落ち込み、去年11月、紙・パルプ事業から撤退する方針を決めました。
そして、16日午前、紙を作る「抄紙機」2台を止めて、生産を終えました。

釧路は釧路湿原である、でも日本製紙の工場がある、大正9年だから早い
北海道に十回くらい行っていたから思い入れがある
ただ釧路湿原を見に行くのであり釧路市には注目していなかった
でもここが意外と今の日本を象徴していた
紙の需要が減ったのは電子化したためである、これが相当にひびいているのも現代を象徴している、新聞紙の需要があっても新聞自体が消滅してゆく状態になる
本でもそうである、雑誌でも電子化して読んでいるから紙を使わない、また紙の材料の木材も外材にしていた、値段が安いから外材にしていた
すると北海道にある木材も利用されず地元にとっては経済の活性化にはならない
農業がいいとみるが釧路は農業に向いていないというのも意外である
いい土ではないとある

酪農家数は釧路町を除く4市町村で50%以上の割合を占めており、これは北海道の平均(16%)と比較すると突出しています。

畑作より酪農中心である、北海道というとき一面のジャガイモ畑の風景である
十勝平野とかでも一面のジャガイモ畑を見た、その広い畑があり小さな社があったが何か本州の風景とは違いそぐわないと思った
北海道には開拓で移住した人が神社をもたらしたが何かその風土に似合わないのである
釧路地方はやはり寒いということもあり畑作に向いていない
酪農でも牛乳余りで捨てていたとか見た、なかなか農業でも厳しいから北海道の人口は4割くらい札幌に集まる

1995年、569万2321人)に比べ約30万人減り、旭川市に匹敵する人口規模が消えた。道内179市町村の9割超の171市町村で減少。一方で札幌市は2.1%増の195万3784人と、一極集中が一段と進んでいる

これは人口としては偏っている、札幌市では農業をしていない、広大な地域があっても札幌市ではしていない、すると農業にたづさわる人は意外と少ない
何か地方だと田舎だと田んぼとか畑とか広がる、北海道だと牧場があり牛がいるから農業に従事して農業で成立っているように見える
でも現実はこの辺でも農業にたずさわる人は一割りくらいなのである
前は農業にたずさわる人は六割とかありそれが田舎だったのである

中国から船で帰るときモンゴルで羊飼いを習い北海道で羊を飼うという人に出会った
その人は農学部とか出た人である、何でも冬になると体が一回り小さくなると言っていたモンゴルは冬が厳しいのである、ただモンゴルと北海道の風土は似ているともなる
草原ではないにしろ広さでは似ている

とにかく釧路でも他の都市でもシャッター通りとかで釧路は特にさびれいてるというときやはり北の果てだからそうなる、観光だけでは経済的に苦しい、でもニセコのスキー場が外国資本に買われて外国人の別荘ができたりしてそこが外国の特区みたくなった
そして中国とかが北海道の土地を買っているというとき危機感を訴えるのもわかる
広大な土地が利用されずそのままにしては金にもならない、そこでやはりソーラーパネルが多いというのもわかる、土地が広いから向いている、山だと自然災害の危険があり問題があるからだ

北海道もやはり今の日本を象徴している場になっている、鉄道も私が行ったとき20年前以上で半分の線がなくなっているからだ、一両の電車もある、それで高倉健のぽっぽ屋という鉄道に生涯を過ごした鉄道員の映画が話題になった
鉄道はそもそも北海道でも石炭を運ぶために作られていたのが多い、常磐線でも常磐炭田の石炭を東京に運ぶために最初はあったとなる、乗客ではないのである

大正生まれの母が言うには松川浦の親戚に汽車に乗ったがそれはめずらしいことであった汽車賃が高かったからあまり地元でも利用しなかったのである
子供の思い出として長い貨物列車が行くの見ていたから鉄道は物を運ぶものとしてもともとあった、それで日本のいたる所に森林鉄道がある、その時外国から物は入ってこないから石材でも木材でも日本国内を利用したからそうなっていた
浪江の高瀬川から葛尾村の落合までも森林鉄道があったようだ
そこで山をくりぬいて森林鉄道の線路をひいた跡がありそれほど森林鉄道は全国にあった
北海道の現状は日本を象徴していた、日本製紙が廃業になるもの電子化の影響であり
また大きな問題が広大な無用化した土地が外資に特に中国に買われていることは重大な問題である、日本の防衛として重大なのである

日本が経済的に衰退するときそれに乗じて中国が静かな侵略を開始している
ロシアでも北方四島は返さない、そこをアメリカの基地にされると困るからである
でもアメリカ自体がアフガニスタンから撤退したようにいづれ日本から撤退することが予想される、そういうことを示したものでもあったのだ,アメリカに守られる時代は終わり
日本は日本で守らざるを得なくなることをそこで現実として見たのである

こうして北海道は日本の今を象徴した場所でもあった、福島も原発事故で日本の技術力がいかに信頼できない者かを示した、日本がいろいろな方面で衰退してゆくのである
コロナウィルスの対応でもそうである、政府は指導力を発揮できない、日本の劣化は相当に大きいものとなっている、それは一部ではなく全体的なものとして現れているのである政治であれ科学技術であれ教育であれ経済であれあらゆる所で衰退して劣化している
そういうとき中国が静かな侵略をすすめる、そしていつのまにか中国の配下にされていたともなる、アフガニスタンでわかったことはアメリカの衰退でありアメリカが意外と頼りにならなくなっいることなのである

製紙工場というと南相馬市の原町の丸三製紙は有名である、この辺では大きな工場となっている、私の叔父も課長として勤めていたとかあり道の駅の公園で休むと煙が出てくるのですぐわかる、街中にあるのでそうなる、鉄道の駅のすぐそばにある
不思議なのは戦前の原町紡績(はらぼう)から駅から引き込み線があり生糸を横浜の方に出していたのである、鉄道は物を運ぶものとしてあった
原ノ町駅は今のいわき市の平と同じように機関区になっていて大きい駅だったのである
だからここから相当な物が東京に運ばれていたのである
そして無線塔が見えてそれが原町の象徴だったのである

このたび竣工したライナ用8号新抄紙機は、環境面からニーズの高まる段ボール原紙の薄物化に対応するとともに、さらなる品質向上と、徹底した省エネ・省資源化が図られています。
今般新設備の竣工により、当社グループの東日本地域における段ボール原紙供給体制がさらに充実し、製紙・段ボールの一貫生産体制が強化されることとなります。
丸三製紙(株)は、当設備更新により今後とも立地する福島県南相馬市経済の一翼を担い、継続的な産業振興と雇用の場の安定確保を通じ、地域の復興、再生にも大きく貢献してまいります。

今はダンボールが紙より主な生産物となっている、やはり紙の需要が減ったからである
だから将来的に丸三製紙でも危ないかもしれない、そうなるとここも経済的に相当落ち込むとはなる、この辺は原発事故で落ち込んだからこれ以上落ち込むと悲惨になる
いづれにしろ北海道は自分にとって親しい場所であり興味がある
北海道はやはり東北とつづきの地としてある、ただ北海道は日本では大陸的でありそれが魅力なのである、外国人が北海道にひかれるのもわかる
ただもうすでに二十年以上を行っていないのである

posted by 老鶯 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスの基本的対策が間違っていた (人流をとめることをまずするべきだった)


コロナウィルスの基本的対策が間違っていた

(人流をとめることをまずするべきだった)

現代社会で一番むずかしいのは人の行き来を人流をとめることである
そしてウィルスから守るのには人流を抑えるしかない、確かにワクチンも必要である
でも感染症の基本的対策は人流をとめることなのである
県境を越えて出るなとかなるべく人と交わるなとかになる
でも現代社会はそれが一番苦手なのである
江戸時代だったら関所がありなかなか藩の外に出れないのである
それで関所も有効なものがあったと認識したのも不思議である
国境もまた必要なものだと認識した
そこで水際作戦を行えるからである、だから相馬藩の玉野村には若木神社とかあり感染症を防ぐ神を祭っていたのである

何か政府のコロナウィルスの対策自体これに反したものだったのである
GO TO トラベルとかかえって旅行することを奨めた、それもまたコロナウィルスより生活がかかっているからそっちが大事となりそうなった
それもわかるしそれをネットで大学教授とか科学者がコロナウィルスはインフレインザインザより怖くないということも言うしそれも説得力があったからそうなのかとも考える
正直自分にはわからない、専門家自体もまだコロナウィルスについてはわからない

でも確かなことは最初から感染症に対処する基本的なものが欠けていた
それは最初からそうでありその後もずっと同じなのである
GO TO トラベルとかでもありえないことである、またオリッピックで世界中から人が来るのにそれも止められない、今度高校野球で感染者がでてせっかく東北学院が出たのに
出場辞退でがっかりした、なぜならやはり高校野球はいつも常連しかでないから新鮮だったからである、高校野球はもううプロ化していているからもう本来の素人の野球でもないとも見る、だからもう今までのように持続じてきない時期に来ているというのもわかる

とにかくこうして感染症の基本的対策を実行していない、五輪とか高校野球はとめることができたが政府でもしない、結果的にデルタ株なのかどうか外国から入ってきて広がる
怖いのはメキシコなど南アメリカで流行している変異株がもたらされることだとしているそれで死んでいる人が多いからである
でも五輪は強行したし高校野球も強行した、そして雨とコロナウィルスでさんざんなものになった、とても楽しめないともなった

要するに感染症の対策はそもそも過去でも歴史をみればわかっている、人から人へうつるのだから人流を減らすことなのである、それを人流を増加させる方の対策をしたというのが現代社会のやむにやまれぬ事情があったとなる
ヒトでもモノでも自由に流通することは全面的にいいことだとされ世界的にヒト、モノが流通するグロ−バル化が促進された
しかしコロナウィルスではそれが負の面として意識されたのである
ただ一旦ヒトでもモノでも自由に地域を越えて流通する世界になったときそれを止めることができなくなったのである
それを止めると生活ができなくなるとかなっていた

でもオリッピックなどでも高校野球でもしょせんそれが中止されても飢え死にすることはない、遊びにすぎないのではないかともなる
だから中止してもいいともみる
緊急事態なのだからしょうがないともなる
しかしそれふらできなかったのである、変異株が入るとかわかっていたのにく中止しなかったのである、それは今の政権の責任だったとなる

ただ正直江戸時代のような隣村さえ交わらない異国のようになっていた時代とはあまりにも違っている、それが常態化した社会で人流をとめることはほとんど不可能になっていた江戸時代なら貧乏でもその土地でとれるもので基本的に生活していた
燃料でも食料でもそうである、すると外と交わらなくても一応貧乏でも生活はできたとなる、現代ではそれができなくなった
つまり長所と見えるものが短所ともなるのが人間社会なのである
江戸時代にもどることはできないにしろグロ−バル化世界というのは異常に過度になっていた、そこで失われたものもあり大きいものがあった
ただそれに気づかされることがなかった、コロナウィルスで気づかされたとういことである

グロ−バル化というときなぜ近代では世界大戦で何千万も死んだのかという問題もある
まずこんなに戦争で死んだことは経験していない、世界的に人が交わることはいいこととして全面的に肯定されていたからである
もっと世界を見ろと世界に出ろというのが共通の合言葉だったのである
それは一面ではそうでありそれも必要だった、でもその負の面がコロナウィルスで露わにされたのである
G TO トラベルにしても五輪の開催にしても高校野球にしてもこんなき感染を広めるようなことをすることはありえないともなるからだ
ただそういう社会だからありえたとなる
観光に打撃でありどうにかしてくれとなり政府でも動かざるを得ない事情があった
ただ感染症に対処する基本ができなかったことである

県境をまたいで往き来するなとかなるべく人と接するなとかなると現代社会では一番むずかしいことである、それは江戸時代にももどることである
その江戸時代ですらコレラとかの流行をおさえられなかった、長崎から北前船とかで新潟に入り阿賀野川から会津若松に広まったからである
結局安全だったのは桧枝岐とか交流のない秘境だけだったとなる
最近福島県より宮城県の感染者がまた増えたのはやはり仙台市となると東京からでも人が来る
するとどうしても仙台市から広がる、青森とかで広まったのも仙台市の人が移動して広まったのである
だから今になると仙台市に行くのは危険だとなり行っていないのである

また個人的には引きこもりが安全だともなるのは皮肉である
遠くに行かず外に出るのもはばかり家に籠っていることは感染症にはいいからである
だから現代では禅宗のような寺に籠もり座禅を組んで黙想するとかして人と交わらない
世界に変わるのかともなる、そもそも東京とかは異常な超過密な世界である
とても人流をとめられない、三密をとめられないのである
だから都市的超過密の社会を変えねばならない、その契機にコロナウィルスがなるかのかもしれない、するといい方面にコロナウィルスでも作用したとなる
posted by 老鶯 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月14日

福島県でなぜいわき市で特別増えたのか? (東京からの人流が原因か?)


福島県でなぜいわき市で特別増えたのか?

(東京からの人流が原因か?)

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南相馬市でも少ないが二人だとしても増えている

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宮城県はやはり仙台市で増えてから全体的に増える
あとは大都市の周辺が増えるのは人流のためである
宮城県が増えるのは仙台市があるからだとなる


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  大都市周辺が多いのがわかる



特急 2時間33分 6,170円
普通電車 4時間5分 3,670円
高速バス 3時間3分 3,450円
車 2時間43分 8,770円

いわき市となると東京圏に近くなる、スーパーヒタチだと2時間30分だとなる
普通電車だと4時間である、高速バスは3時間である
車で高速で2時間40分となる、高速料金は特急より高いのに驚いた
車をもっていないから感覚的にわからないからだ

金の節約のために上野からいわきま市まで乗ったことがある、長椅子でありこれは遠く感じた、でも通勤電車が上野からいわき市まで出でいるのは意外だった
途中で終わるものがあるがいわき市が終点になっているのだ
だから相当に長い区間なのである、ただこれは上野からいわき市までで使う人はいないだろう、でも使うことはできるのである
だから意外といわき市と上野は近く結ばれているとなる
でもいわき市から相馬とか仙台市へ行くとなるとやはり遠く感じるのである

なぜこんなことに注目したかというと自分はとにかく電車の旅が長く交通に興味がある
電車だとと全国でまあ80パーセントくらい乗った感じになるからだ
それで鉄道好きなのである、ただ車がないからここで交通を知るには相当に欠けたものになる
そもそもなぜいわき市が増えたのか?その理由は何なのだとなる
郡山市はわかる、ここは新幹線も通っているし会津へ向かう磐越西線もあるからだ
ここは前から多かった、福島市も多かった、そして郡山市と福島市にはさまれた本宮市も増えた、やはり交通と関係して人流が増えるから増えるとなる

意外と南相馬市も最初の内、すぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染して増えて警戒したがその後南相馬市でもそれほど増えていない
相双地域だと津浪とか原発事故の関係で一時東京などから工事関係で人流があった
その後も除染関係で東京からの人流が増えた、でもそれも一応収まった
ただ原発事故関係の仕事で東京から来る人はある
でもプレハブの工事関係者の宿舎はあちこち建てられたが減っている
だから東京から来てそれで感染しているとも言えない、どちからかというと相馬地域は仙台市との交流が多く人流がある、工事関係者でも他でも仙台や宮城ナンバーが六号線を見ていると多いからである
それで仙台市から増えてこっちも増えるのかと危惧した
でも亘理とか名取とか山下が仙台の通勤圏でも増えていないのである
その理由は良くわからない、相馬市もそれほど増えていないのである

コロナウィルスは人流と深く関係しているという時、いわき市が増えるということは不思議ではない、ただ施設でクラスターが発生して増えた、それは東京とは関係あるともみえない、第一東京から来た人から感染したのかそれを知ることはむずかしい
ただいわき市には上野から通勤列車の終点になっていることは東京圏に近いとなる
それで茨城県も増えたのである、とにかく東京圏の増え方は尋常でなくなったからであるあれだけ増えるとどうしてもその周りでも福島県でも増えてゆく
現代は交通が発達しているから人流をおさえられないのである
だからつくづく都会の密集した生活とか交通の発達とか文明的生活が感染症には弱かったのである
第一江戸時代のコレラでも北前船で新潟に来て阿賀野川が交通となり城のある会津若松中心に広まったからだ、江戸時代のような交通が不便な時でもウィルスは広がるのである

そうなると今はその何百倍なのか何千倍なのか何万倍なのか人流がある
そしたら防ぎようがないとなる、もしその交通を人流をとめると経済も成り立たなくなるそれでかえって自殺したりするとかその方が増えるともなって困るとなる
ただ感染症を防ぐには人から人へうつるのは変わりないのだから人流をおさえるほかないとなる

江戸時代辺りだと隣の村でも交流をあまりしない、隣村から麦つきに来た若い男が蛇だったかと伝説にあり見知らぬ人が交わらない社会だった
そうして隣村すら異国になっていたのである、そこで飯館村の大倉村と佐須村が明治になって合併しようとしたとき民情が違うからできなかった
民情とは何かということもわかりにくいが何か村々で打ち解け逢えないものがあったのである

それができたのは自給自足が基本の生活としてあったからである
これも今と比べると想像できないのである、なぜなら今ならグロ−バル化であらゆるもの食糧でも入ってくるからである、どうして自給自足できたのか不思議だとなるからだ
そういう生活は感染症には強いはずである、それでもコレラが長崎から入り全国に広まったのである

とにかく世界でも中国でもまた増える傾向があるとかなかなかおさえられない
変異株の問題もあるが今回はなかなかおさえこめない、そして人流を抑えられない
すると東京のような異常密集で生活すること自体が問題になる
また交通の発達がいいと見ていてもそれもマイナスに働いたのである
こうして何か人間社会というのはいいと思えるものが悪いものとなる
また逆に悪いと思ったものがいいともなるのである
日本の鎖国が悪いようでも実際はその時朝鮮使節とかきて朝鮮と友好的だったのである
もちろん中国とは関係しないから今のように侵略されるとかの脅威も感じなかったのである、第一世界大戦でも第二次世界大戦でもグロ−バル化した結果として起きたのである

だから老子の小国寡民の思想とか文明否定の思想もいいともなる
それはグロ−バル化世界の反対の思想である
おそらく現代は交通でも流通でも人流でも限界に来ていたともなる
そういう時にコロナウィルスが蔓延して社会を見直す契機になったとはなる
狭い範囲で自給自足が日本の自然的な生活であり世界の果てからでも食糧でも物でも運ぶことは異常だったともなる、その運ぶ労力も大きな負担となるからである
貿易でも江戸時代だったら長崎の出島に限定されていた、それでもウィルスはそこからでも入ってきていたのである
感染症は防げないやっかいなものだったとなる
人間社会の長所と思えるものが短所となる、短所と思えるものがかえって有利になったりする、それは人間自身でもそうである、長所も短所になり短所も長所になる
ということで東京のような超過密の社会は異常でありこれを見直さないと感染症は防げないとなる

皮肉なことは感染症に強いのは隔絶した交通も不便な場所である、江戸時代なら桧枝岐のような秘境である
人流がほとんどないからである、そこではソバとか主食であり本当に自給自足だったからである
第一物も運べないからである、そしたら人流もないのである
江戸時代ではそうだったが今ならそうした秘境にも物流があり車も通うから防げないのである
あとは奇妙なのは引きこもりになると感染症には強い、人と接しなのだから強い
自分でも家にこもり一人としか接していない、だから引きこもりの悪い点ばかり言われるが実は引きこもりにも効用がある
この世で何がいいとか悪いとかならないのも不思議である、悪いとみられるものでも良く作用する場合があるからだ


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カルマは苦しみとなって自覚する (コロナウィルスも同じである)


カルマは苦しみとなって自覚する

(コロナウィルスも同じである)

カルマは個々人でもあり家族にあり地域にあり国家にもある
でも何もないと意識しないのである、感染症とかは常に周期的に人類で起きてきた
でも現実に経験しないとその苦しみも解からない、自覚しないのである
人間はつくづくそうして過去のことを忘れている
でも過去にあったことでもそれが今苦しみとなって現れた時自覚するのである
過去の苦しみを自覚する自覚させられるのである、それがカルマなのである
第一苦しみがなければそんなことがあったのとかで終わる
それで歴史の勉強でも真剣にならないのである、自分のことではない、遠い過去のことであり過ぎ去ったことであり関係ないとなってしまうのである

ただ忘れた頃に災害がやってくるというときそれはカルマを否が応でも自覚させられることなのである
そのことは津波でもそうだった、津波などこの辺では400年も来なかったから津波は来ないという確信までなっていた、それで逃げないで死んだ人がいる、それは老人に多かった、老人でもせいぜい百年生きてもそれだけの期間しかしらない、400年前に津波があったことなどこの辺で知っている人は一人もいなかったのである
学者すら知らなかった、津波が来て文献を調べて相馬藩政期を調べてたった二行生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた記事を発見したのである
その二行の記録に注目する人は一人もいなかったのである

ではなぜそうなったかというとその時相馬藩政記とかで記録するのは当時の支配者の相馬氏である、その時まだ相馬地域を支配するために争っていた
だからその争いのことを事こまかに書いている、津波の被害よりその権力闘争の方が大事だったのである、他でも津浪があってかえって敵対する勢力の力がそがれて有利になったとかもある
何かそういうことは現代にも通用している、時の政権にとって権力を得るための戦いこそ大事なのである、だから今でもコロナウィルスでも民衆のことを思うより政権維持とか権力維持のために力を尽くし民衆の苦しみのことはなおざりにされる
ただその当時は民主主義の時代ではない、強い者が支配する時代であり民衆より権力闘争の方が優先される、ただこれも現代でも同じものがある
民衆のことはさておき権力闘争に勝って政権を維持して支配者となることが優先される

なぜこのことを言うかというともしその時津波の被害のことが相馬藩政記に詳しく記録していたらみんなが注目して備えることがあったからである
でも津波のことは二行しか記されていず学者すらわからなかったのである
そのことが後々の大問題となる、津波の大被害にもなったとなる
そしてその時この地域で津波で苦しんだ人がいたということを思うようになる
つまりカルマは苦しみとなって現れた時に自覚させられるのである

カルマが怖いのは必ずいつかそのカルマがきて苦しみとなって現れることである
それは400年後かもしれない、例えば戦争で日本人が三百万人も死んだ
でもそれだっけ過去のこととなり忘れられる、でももし戦争になったらそこで苦しみ死んだりするとその戦争の悲惨さを自覚するのである
いくら悲惨なことでも自分自身が経験しないかぎり苦しまない限り実感できないからである
だから例えば日本に原爆を落としたアメリカでもそうである、原爆を落とされた方の苦しみをアメリカでは自覚できない、でもアメリカ本土に原爆を落とされたら必ずその恐ろしさを自覚させられる、それはいつかカルマとなってアメリカ人が塗炭の苦しみを味わうともなる、その時自ら原爆を落としたことの罪深さを自覚させられるのである
そういうカルマは必ずいつかめぐってくるから怖いのである

コロナウィルスでも感染症でも歴史をみれば繰り返し起きてきてそれはいくらでも様々なに記されている、でも忘れていたとなる
そして実際に苦しみとなって現れる時、その過去にあったことを自覚する自覚させられるのである
そもそも人間の罪深さなど自覚できない、ただ苦しみとなって自覚させられる

なぜ自分はこんな苦しみにあうのだろう?

そういう深刻な疑問につきあたりそれがカルマだったということを自覚する
それは個々人でもそうなのである、因果応報というのが必ずあるからだ
それから人間は逃れられないのである
感染症でも定期的に人類を襲うカルマである、どうしても自然災害であり感染症でも他の戦争ですらカルマとなって繰り返すのが宿命としてある
そき宿命は苦しみとなって現れてはじめて自覚させられるのである
人間は何か過去にあった苦しみなど今が恵まれていれば自覚しない、飢饉があったとしてもそれも自ら苦しまないと実感できないのである

でもそういうこともカルマとなって苦しみとなって現れた時自覚するのである
後残されたカルマは飢饉と戦争だとなる、それがカルマとなって近々現れるかもしれないそういう時が来ているともなる
最終戦争ハルマゲドンでも起きて来る、そして人類は絶滅する
でも神に選ばれたものは絶滅することはない、神が救い上げて救出してまた新たな神の意にかなった国を創る
要するに一旦人類は絶滅しないかぎり新たな神の国は実現しない
その積もり積もった罪(カルマ)を払拭しないかぎり新たな神の国は作れないからであるそれだけ人間のカルマ(罪)は重いからそうなる

アダムの犯したカルマ(罪)で楽園から追放された原罪は延々と人類にのしかかっているプロメテウスがゼウスから火を盗んで罰せられた罪は過酷でありそのことが原爆で現れ
原発事故でこの辺では住めなくなった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかなる空恐ろしいものとなった、それはカルマとなってまた苦しみとなって現れたのである
技術がすべていいものとはならない、それもまた技術は技(わざ)はわざわいをうむのである、だからそれはすでに予定されていたことでありそれが苦しみとなって現実化したとなる
科学技術だとバラ色の未来を見るがそこにも決してバラ色ではない闇黒が待っているのだつまり人間の成すことに必ず暗黒面がつきまとっているからである
神に逆らうものがありそれがカルマとなり苦しみとなって現れるのである

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2021年08月11日

公明党議員に検察の捜査が入る (米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)


公明党議員に検察の捜査が入る

(米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)

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真相はこうだ!桜便り】公明党議員家宅捜索と小泉元首相の闇[8/11]
https://www.youtube.com/watch?v=_SmEuzfT38Q&t=22s

なぜ自公政権なのに例え公明党が方にふれても権力があるのだから隠せる
そういう権力をもっている、ではなぜ公明党がたたかれているのか?
その裏はアメリカの圧力でありデーブステートの圧力のためだという
官僚を検察を動かせるのが官僚であり検察でも動かせる、アメリカに従わせる

ロッキード事件は、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による主に同社の旅客機の受注をめぐって、1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件である。

または中国と急接近していた田中元首相を快く思っていなかったアメリカ政府が田中元首相を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だが、田中元首相による中国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中元首相の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B
%E4%BB%B6

この詳しい事情はわからなにしろ中国と国交回復することにアメリカは反対でありそれを阻止するものとしてロッキードを利用したという見方もある
要するに首相とか時の権力者になると検察でも簡単に逮捕などできないからである

ただ前から言っているように創価公明の問題は宗教団体などではない、権力奪取が本来の組織の目的である、教理的に日蓮宗は王仏冥合だから矛盾しないのである
つまり王は権力であり仏は宗教になる、それは中世のものであり現代に適合させるのが無理なのである
それより大衆を導き洗脳させるために宗教を利用しているにすぎない
だから権力を得るためなら御利益になる金になるなら何でもする、そのために毎日題目を唱えているのである、それを矛盾と思わないのはそれこそカルトだからである
大衆にむずかしいことを言っても無駄である

拝めば何でも手に入れられとか金になるとかあらゆる現世の欲がかなえられるとしているそれに敵対するものは今度は罰あたるとか地獄に落ちるとかおどしている
この脅しも大衆にきくから退会するのおさえられるのである
こういうことは免罪符を売っていたカトリックと変わりなくそれでルターの宗教改革が起きたのである
では創価にそうした改革が起きるのかとなるとない、なぜならそこに入った動機はみんな御利益を得たいためでありそれに疑問感じる人は一人もいないからである
第一法華経などを実行できるのかとなると一人できない、完全な無所有とか無欲にならないと実行できないからである、信仰心などなにもないのである
大衆は御利益を与える、そして宗教は脅してとして利用するだけである

また政治家というと必ず利権とからんでくる、それがソーラーパネルの会社であった
そのソーラーパネルとなると中国が背後でからんでいたのかとなる
そしてキャバクラで国民が自粛しているとき遊んでいたというのもあきれたとなる
おそらく創価にはそういう場所で働く人がいてそのためにそうなったのかもしれない
御利益を配分するのが政治だからそれが信仰の目的だから別に何か悪いこととも感じないのである
創価とかを信仰する人とかみるのは間違いである、かえって一般の人より欲望が深い人が多くその欲望を実現するために入っている人が多いのである
人がいいというとき利用されているだけだとなる
ただ底辺層なるとすがる所がないから創価であれ共産党に頼る

そして創価と共産党は支持者がそうした底辺層になり票の取り合いになるから争うのである、だから一見対立しているようで似ているのである
共産主義なども中国でもみればわかる、平等などない、共産主義の名のもとに一部の特権者が権力を得て民衆を支配しているだけだとなる
そこに宗教とかイデオロギーを看板するからわかりにくくなるのが人間社会なのである
それは偽装なのである、第一宗教というのは創始者を見ればわかる、キリストであれシャカであれ無一物であり寝る所さえなかった、つまり何の権力をもっていなかった
そんな人を模範にしていても人間は結局できないのである
だから言っていることと矛盾してくるのである

ただ公明党議員が自民党と一体となったのはこれも常に御利益から判断するからである
得な方に御利益がある方につくだけが目的だからそうなる
でもその親分の自民党が権力をもっているのに検察に逮捕されたのかというのが疑問なのである、そこに不正があったとしても政権をもっている自公に検察が踏み込むことができるのか?
それでその検察を動かしているのが中国派の二階堂とか公明を牽制する
そこにデーブステートがかかわっているのもわかりやすい構図なのである
なにしろ日本は依然として戦争に負けてから実質はアメリカの統治下にある
アメリカが日本の本当の政府だともなる、それを証明しているのがなぜ日本にアメリカの基地があるのか、そのことが日本は戦争に負けて以来アメリカに従属していることなのである、たから日本の本当の独立はアメリカの基地がなくなるときにそうなる
てもそうなると今度は日本一国で中国に対抗するようになり今度は中国の支配下に入る
ようになる

この公明党議員などの検察の関与は背後にアメリカの圧力が命令がありそうなったというのもわかる、米中対立激化の影響もある
創価公明はとにかく中国様様だからである、それをアメリカは苦々しく思い日本の検察に命じて公明議員のガサ入れになったともなる
つまり米中対立の激化によって日本は政権でも中国派とアメリカ派に分断されるのであるそれは田中首相逮捕の時もそうでありその繰り返しなのである
日本の中でアメリカと中国の綱引きが行われてそれが激しくなる
その一つの現れとして公明議員の検察のガサ入れがあったとなる
ただもともと創価公明はそうして権力争奪を目的にしているのだから権力とじかに対立すようになる宿命にある、だから中国の日本の一部隊のようになっているから今度はアメリカの権力によってつぶされるともなる
それは宗教とかとは関係ない、中国の一部隊となり日本の権力をのっとりその下で御利益を得るということしかない、常に頭は御利益で動く、日本をどうするとかなにもない
日本自体を中国に簡単に売りわたす、そして御利益を権力を得ればいいとしかないからである

とにかく日本は米中対立で分断される、どららにつくのかと迫られる、二階派とか創価公明は完全に中国の一部隊と化している、だからこそアメリカは検察を動かして牽制したのである、背後にアメリカがあり中国があると見ないとその真実はわからないとなる
デーブステートとなるとわかりにくくなるが明らかに米中対立が激化すると日本は分断される、要するに日本はアメリカに負けて以来独立国ではない、日本にアメリカの基地があることがそれを示している、また原発にしても事故の時いち早く知らせたのは日本政府ではなかった、放射線量を計るスピーディを知らせたのはアメリカだったのである
日本では事故に対応することもできない、準備もしていない、アメリカ頼りだったのである、つまり日本が危険なのはアメリカ頼みであり原発でもアメリカのお古のマーク1の原子炉を買わされたり福島県議員の渡部恒三がGEの手下となり利益を得ていた
その息子はGEに就職していたからである,アメリカと結びついていた売国者だったともなる

日本はこうしてアメリカの支配下にあり独立国でないから原発事故になったとかその処置もできなかったとなる
原発でも自国の安全は自国で守らなければできない、他人頼みではできない
日本は戦争に負けてから独立国ではない、そこからやはり大きな問題が起きてくるのである
結局この世界にどこの国であれ仏国土とか神の国など実現しない
むしろこの世は欲で滅びるというのが現実なのである
そしてこの世とは火宅の世であり災いの世界でいつか神により滅ぼされるのが現実なのである、だから聖書はこの世からの脱出がテーマとなっているのである
出エジプトでもそうだしソドムゴモラが神によって滅ぼされたとき神の命でロトか危機一髪脱出したようにである
それはなぜこんなに災いがつづくのか?津波の大災害から原発事故から今度はコロナウィルスとかこれはこの世の終わりではないかともみる
災難が限りなく起きて来る、文明が発達したからといって災難から逃れることはできない今回のコロナウィルスでも予想もしない災難が起きて来る
その災難を人間の力ではなくすこともできないのである
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2021年08月09日

日本人の満州進出は米を作るため (アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)


日本人の満州進出は米を作るため

(アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)

戦争についてはいろいろな見方がある、満州が問題になる、太平洋戦争の発火点になったそれはその当時農民が多かったからである、日本は農民社会であり農民が一番求めるのは土地なのである、日本にはもう開墾する広大な土地がない、となると大陸の広大な土地は魅力でありそこで農業したいとなった
土地を与えられることで満州に移住したとなる、今なら第一土地を無料でやるからと言っても誰もそこで農業したいと思わないだろう
その時は農民が8割とかであり農業中心の社会だった、
養蚕も農業の拡大化したものでありそれが生糸となり絹織物となり輸出品になった
それも基本的には農家で養蚕をしていたのである、今でも二階が兜作りで養蚕していた家が本当に多いのである、農家だったら軒ごめしていたとなる
その時地方では養蚕が産業となり土地に根付いた暮らしをしていたのである
それで川俣町に蒸気機関車が通るということで農民が煙で桑の葉が汚れて蚕の餌にならなくなるとして反対したのである

その当時の価値観が農民だと土地が一番価値あるものだった、土地無くして養蚕だって桑を作りその葉を蚕に食べさせるから土地が必要なのである
そして景気が悪るく失業者であふれていた、特に東北はひどかった、それが満州で一山あてるとか渡った
それでどうして相馬藩で飢饉で三分の一が欠落して荒地になったとき越中とかから移民が法を破ってまで命がけで相馬藩に移住したのか?
それはやはり欠落した土地があり三分の一がいなくなったからその土地が与えられるということで移住したのである
それでもやはり農業することは相当に厳しかった、加賀泣きというとき加賀から移住してきた人たちが泣いていてそれが伝えられた
戦後だって日本が焼野原になり働く場所がないから開墾に戦地の引揚者は開墾に入ったのである、それは全国いたるところにある、辺鄙な所にあるから古い場所と勘違いするがその人達は戦後に住みついたのである

満州は土地は広大でも寒い地域である、北海道より寒いのである、冬はマイナス20度くらいになる、だからいくら土地を与えられるからと言ってもそこで農業をすることはかなり厳しかった、第一農業は何でも簡単にできない、厳しいのである
そんな寒い場所で日本人は米を作っていたのである、北海道より寒い場所で米を作っていた、米を食べたいからそうなった
1930年代から(中国)東北地方には大量の日本人が移民したと紹介。続けて、「東北地方における米作りは日本人が主導することになった」、「日本は水利施設の建設や適した品種の導入を行行った。東北地方の米生産力は極めて大きく向上した」と説明した。

 中国ではたとえ特定の分野に限ったとしてもメディアが旧満州における日本の「行状」を手放しで称賛することは珍しい。また「新僑報」掲載の記事は、中国で旧満州を指す時に決まって使う「偽満洲国」の語を用いなかった。
 http://news.searchina.net/id/1572325?page=1

 l913年には、満洲各地において水田開発熱が沸騰し、奉天以外の地域においても本格的に水田開発に参入する朝鮮人が登場した。のちに朝鮮総督府は、満洲水稲作の発展が「愈々確実」であると判明す
ると、「満洲の沃野」を憧‘|景する朝鮮人が奉天.吉林省のみならず東部内蒙古に移住し、開墾に従事したと回顧している

間島における「小田代」の普及が水稲栽培の振興に結び付いた34.1915〜17年にかけて
間島総領事館は、朝鮮の水原模範農場から取り寄せた「小田代」を改良し、朝鮮人に無償で配布した。
小田代は、短期間のうちに間島各地に急速に拡大し、1919年には栽培品種の3割、翌20年には6割を
占めるようになり、間島を代表する品種となった

東部満州地域における農業振興と米作
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/13669.pdf

日本人の農家の米作りが満州に伝えられてそれに朝鮮人がその米作りのために入ってきた技術指導したのは日本人の農民だったとなる、意外と古代でも実は日本の前方後円墳があり日本人が入ってきていたのである
満州の日本人の進出は米を作る、農業指導者の役割があった
それこに朝鮮人が従い増えたのである、ともかく寒い地域であり米をとることは容易ではない、でも米を食べられることは食生活を豊かにした
今でも満州はどこまで行ってもとうもこし畑でありまた粟がもっともとれて後は大豆とか麦だったのである
何か車窓から馬車に乗った農民がトウモロコシ畑の中に消えた、トウモロコシは米代わりであり主食にもなる

満州に関東軍がいてそれが中央の指導部に連絡せず暴発して満州事変になった
そこから中国全土へと戦線が拡大した、西安(長安)まで日本軍が行っていたことには驚く、そんな果てまで日本軍が行ったのかとなる

ここでなぜアメリカが満州の権益で文句を言い日本を中国を支配しようとした
なぜ太平洋を越えてまてアジアにかかわったのか?
それは権益とか経済的理由でもない、なぜならアメリカは資源も豊かだ他国に頼る必要がないからである
とにかくアメリカは正義をふりかざし一方的に力にまかせて他国に侵略もする
そもそも西欧列強が明治になり進出して植民地化したこと自体が横暴でありそれに対抗したのがアジアでは日本だけだったのである

別にアジアを植民地化する日本を植民地にする権利もなかった、ただ力があり従わせただけであり正義などなかったのである
そもそも正義の戦争など世界の歴史でもなかったろう、戦争は正義を実行するためのものではない、世界を支配するためにであり覇権国になるためである
そうすると覇権国には通貨もドルのように基軸通貨となりアメリカに富が集中するようになるからだ

ともかく日本が満州に進出したのはこうして米を作るとかのためであり日本人が指導的役割を果たしたとなる、そこには広大な土地があり日本人が先導して豊かな平野にしたともなる、インフラも朝鮮でも鉄道を作り満鉄を作り発展させたのである
ただ満州が発火点になったのはアメリカなど゜かかかわってきたからである
権益を得ようとしてかかわったから日本人を排斥して欧米が中国でも支配しようとしたからだとなる
欧米とかアメリカがかかわりまたロシアがかかわる、その原因は実は中国にあったのだ
中国が孫文の国民軍と毛沢東の共産党に別れて分裂して戦いそこに日本軍も加担した
複雑な構図になった、そうしして内乱状態になったとき他国が欧米が干渉して中国はずたずたにされたのである、イギリスはアヘンを売ったりしたのである
日本は米作りしたのだからそれは朝鮮人でも助けたともなる
アジアの中華の中心の中国のふがいなさが衰退が混乱が日本がの進出を許した
何か世界史は国が弱体化すると強力な民族が侵入してくる
ローマにゲルマン人が移動してくるよにである

それで今日本が弱体化すると中国であれロシアであれ日本をねらって侵略してくる恐怖がある,アメリカ軍が撤退すれば日本は危険な状態になる、巨大化した中国がたちまち日本を占領してしまうかもしれない、そういう危機になっている
アメリカ人は米中戦争になったら耐えられない、アメリカ人が死ぬとアメリカは民主主義の国であり騒ぐからだ、日本がの戦争でもアメリカ人一人の命と日本人の命の重さは全然違う、アメリカ人の一人の命は日本人百人の命にもなる
それは日本の戦争の後にそうだったからである
アメリカ軍が九州に上陸しようとしたとき死者が犠牲が多くなるとして躊躇した
アメリカ人を死なせたくないから原爆落としたとNHKの果てなき殲滅戦 日本本土本土上陸作戦に迫る(NHK、BSスペシャル)で分析している
その時日本人総玉砕として日本を守るために備えたからである
そうなるとアメリカ軍が上陸すればアメリカ人が多数命を落とすということでためらったとしている

いづれにしろ今問題になっているのはむしろなぜアメリカが日本と戦争する気になったのか、その理由がわからないのである、真珠湾が理由としても日本と戦争して何か利益になるかとなればならない、アメリカは一国でも豊かであるから資源もない日本から得るものがないからだ、そしたらアメリカが何が目的で日本とそれなりに犠牲を出して戦争したのかとなるい今になるとアメリカの戦争した理由がわからないとなる
黄色人種の人種差別もあった、ドイツには原爆を落とさなかったことでもわかる
何か同じ人種であり白人でありできなかった、でも人種差別というけど今やアメリカの貧富の差が大きく白人も貧困化しているのである、だから白人同士でも分裂して大統領選挙でトランプ陣営の人たちが議会に乱入したのである

また西部開拓から西への進出があったがアジアでとまり、今度は後退してゆく
アメリカ軍も撤退してゆく、アメリカと中国が戦争したらアメリカが負けるとしているからいづれは撤退する、その時今度は日本は中国の属国になる
その時また日本は危機になる、後ろ盾もなくなるからである
米ソ対立も恐怖だった、核戦争一歩手前ににもなったから恐怖である
現代の戦争は一発核のミサイルをうちこめばそれで終わりとなる
それ以上とても戦争できない、人類破滅になるからだ

とにかくアメリカの日本への戦争を言う時、原爆のことを言う時責める時、歯切れが悪い、戦争をやめさせる為だったとかなんとかそれがいい訳に聞こえる、何か内心では良心の呵責を感じている、それで言い訳しているのである
原爆投下という人類的罪はカルマはおそらく未来永劫消えないともなる
時間によっても消えないのである、人間の罪が時間によって消えるのか、そう見るけど罪自体は消えない
そこに神の裁きがあって償いがあってようやく消えるとなる、その償はなものにも過酷となる
プロメテウスの罰のように過酷になる、この辺の原発事故でも二万年プルトニウムの毒が消えないとなり住めなくなったからである、それは神からの罰だったのである
アメリカに原爆を落とされてそのカルマを知り苦しみそしてようやく解消するともなる
だからアメリカ人は一番核を恐れているのである
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オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 (何のためにするのかー哲学、思想の時代に)


オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代

(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

オリッピックも終わったけど今回のオリッピックほど何でコロナウィルスに苦しんでいてやるのか、何のためなのだと問われたことはない
アスリートの日本がの金メダルラッシュでも素直に喜べない
みんな苦しんでいる時、アスリートだけが喜んでいるがみんなは喜ばない
だからアスリートにとっても不幸なオリッピックだった
オリッピックが何のためにしているのか問われたことはこれまであまりない
反対があっても一部であり無視できた、今回はそうはいかなかった
IOC会長のバッハがぼったくり会長だとかあからさまにメデアから言われた

つまりオリッピックは一部のIOCとかのための金儲けのためだった
それでアメリカのNBCのテレビ局が一兆円なのか放映権を払っていた
そのために真夏でもその時他のプロスポーツ番組がないので視聴率が高くなるとふんでそうした、でも結果的には視聴率は高くならなかった、これも誤算だった
次回のパリオリッピックからは見方が相当に変わる
オリッピックとは一部の利権者の金儲けのためだったことが明確にされたからである

オリッピックは様々な弊害が露骨に現れたのが今回のオリッピックだった

新国立競技場「歴史的空間を破壊する」「ありえない」取り壊し目前、建築家らが怒り

国立競技場の再開発とアパート住民の立ち退き

新国立競技場で失われたものが犠牲になったものがあった、これもまたどうしてオリッピックをするのかということを問うのである
つまりそれでけの金、三兆円もかけてする意味があるのかとなる
ただその経済的効果が無観客とかで得られないとなり余計にオリッピックの是非が問われるようになった、人間社会は利益になるとき他の負の面を無視するからである
原発は危険だとしても金になるから地元でも容認されたからである
でも利益にもならないとなったら余計に何でするんだとなる
そんなこと莫大な無駄使いではないかとなってしまうのである

何今は何かというとその意味とか価値が問われる時代になった

オリッピックに何の意味があるのか?

それは美名のもとに無視されていたのである
それは結局一部の利権者の金儲けのためでありそのためにオリッピックでもアスリートも利用されていただけだったとなる

何か意味が問われるという時、人間はまず利益になるか金になるかで判断する
その仕事に意味があるのかなどあまり問わない、

でも最初にどうして必要なのかこれを作ることに成すことに意味があるのか?

何かこういうことが問われるとき、オリッピックの起源をたずねる
どうしてオリッピックがギリシャで始まったのか?
戦争が絶えずありオリッピックの期間は戦争は中止になりゼウス神殿が建てられ神への奉納として行われた、宗教的儀式ともなっていた
つまり意味を問う時どうしてそれが行われたのか作られたのかと問うことになる
何か必ずそれが行われた作られた理由があるからだ
ただ時間たつにつれて不明になり現代オリッピックはギリシャのオリッピックとは別物であり変質して一部の者の金儲けのためになったのである
ただオリッピックは何か美名の元に行われていたからわからなかったが今回のオリッピックはそれが暴かれたのでオリッピックに露骨に反対する人もでてきたのである

人間は何か利益になる、金になるから行うというのがわかりやすい、そのことに何の意味があるのかとかまた安全なのかとか負の面を利益になると無視しやすいのである
それが原発が証明している、これも莫大な金が投入されるからそうなる
それで利益を得ようとする人達が利権者がIOCだったのである
そしてアスリートはその巨大なショーの見世物だったということである
ローマの剣闘士となると極端だがそれとも似ていたのである
世界的な商業的なショーにもなっていたからである

ではなぜそうったかというとテレビが生まれた時自宅でテレビを見ることができるらうになったからである、観るスポーツがメデアの発達で生まれたからである
戦後まもなくはテレビがなかった、ところがテレビが発明されて売られると観るスポーツの全盛期となったのである
その時野球でも相撲でも観るスポーツとなり長嶋とか王とか大鵬とかスターが生まれたのである、それはメデアの発達でそうなったのである
とにかくテレビの影響は本当に大きかった、テレビに出るだけでたちまち全国に知られてスターになった、中味がなくてもテレビに出ればスターになったのである
それで東京都知事の青島知事とかは中味がないふざけた人でも東京都知事になれた
選挙の時もどこかに遊びに行っていても当選していたのである
中味がなくてもそうしてテレビに出れば名が売れて議員になれたのである
芸能人で議員になる人が増えたのはテレビというメデアの影響だったのである

オリッピックでもそうである、アメリカのNBCが莫大な放映権を払うからその開催時期も決められる、酷暑のなかでもあえてするのはNBCの都合だったのである
その時期はアメリカのプロスポーツ番組がないからである
スポーツが観るスポーツになったのはテレビとメデアの発達があったからである
相撲でも有名な相撲取りは江戸にいても地方の人は見ることかできない、芸人でもそうである、それで地方巡業があり本物を見れるとなっていた
だからテレビがいかに大きな影響があったか計り知れないのである

そのテレビの時代も終わりつつある、youtubeとかで個人がテレビ局にもなる時代になった、人間個人がメデアを持つということは大きいと自分で毎日プログでも書いて実感したメデアそのものが権力だったということが理解できた
メデアが権力だというとき今までなら新聞社であれ雑誌社であれテレビであれ取捨選択するのはメデアでありそこを通らないとその人の意見でも知識でも伝えることはできなかったからである、つまりメデアがマスコミが取捨選択の権力がありそこに選ばれなければ何も言えないとなっていたのである
そのメデアをマスコミを通さないで意見でも知識でも他の作品でも伝えられることは大きな変化だったのである
だからマスコミの時代は終わりつつある、常にマスコミ自体が批判の対象になってしまったのである

こうして時代は新しい技術が生れてまた変化する、そして今の時代はあらゆることで意味を問う時代になったのである、哲学の時代になったのである
確かに利益になればいいとして現代もある、でも何のために会社でもあらゆるものがあるのか問われる、銀行が投資信託とか株とか地域の客に売るとなればそこは証券会社であり現実に証券会社の子会社化しているのである
すると銀行が地銀でも何のためにあるのか、地域の発展のためにあるとなってももはや証券会社であり株の売買でありそれは地銀とかすることではなかったからだ
すると地銀でも何で地域にあるのかわからなくなるのである
そこで地銀のオリジンを銀行は何のためにできたのか問うことになる

銀行はそもそも企業家が大きな利益を得てその余剰金で作った、それは新たな起業するためでもある、だから銀行とは起業できるもの新たな投資をして起業してもうけることができる人がしていたのである、でも今の銀行には地銀となるとそういうノウハウもないのである、ただ金を集めて利子をとるしかなかった、それが高度成長時代は借りる人がいくらでもいたから問題なかったのである
今と銀行が地銀でも地域で起業することが強いられる、それができないとなるつぶれるほかないとなってしまうのである

まず利益になればやる、その他は二の次だ!

高度成長時代は何のためにやるのかとか問わない、道がなければ道を作る、橋がなければ橋を作る、いろいろ整備されていないからそれが必要かどうかなど問わないのである
でもインフラでも整備されると今度は何のために作るのかとか何のためにするのかとか問われる
オリッピックでも莫大な金をかけてやるべき意味があるのかとなる
そこでもうけるのは一部の利権関係者だけだとなるからだ
国家予算が使われその穴埋めを国民がする、税金で払わされる
それより優先すべきはコロナウィルス対策だとか他の困窮者のために使いとなってしまうのである

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2021年08月08日

マラソンと人生 (最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)


マラソンと人生

(最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)

大迫が二位集団に迫っても追いつけなかった、何かもう少しで追いつけるようにも見えたでも実際は相当に厳しい距離だった、というのは最後でありそんなに力が残されていないみんな最後の力をふりしぼって走っている
大迫もぎりぎりで走っていたから追いつけるようで追いつけない

何か人間をマラソンに例えるともう最後になったら老人になったら力を出すことができなくなる、勝負は決まったとなる
ただ人生はマラソンにも似ている、特に高齢化社会になると長寿社会になると人生百才となるとマラソンである、長距離を走ることが要請される
人生50年とか60年となれば退職してぶらぶらしていたら後は死んでいたとかなる
でも退職してらか先が30年とかあるとなると人生は長距離でありマラソンになったのである

それで成果を出すのはあせる必要はない、60からでも70からでもいい
そして長寿になるということは学問とか芸術の分野だと有利である
「少年老い易く学成りがたし」というとき学問にしてもその分野が広範囲にあるからだ
第一中味のある一冊の本を理解すること自体が一生かかるとまでなる
人間それだけ一分野でも理解するのに時間がかかるのである
例えばギリシャを理解するとき実地を踏んで本を読んでとかして理解する努力をつづけないかぎりできない、知的な分野だと理解するのに時間がかかるのである

老人になると評論に向いているのは何でも理解力が深まるからである
そういう点で長寿社会はプラスなのである、特にグロ−バル化社会になると外国のことについて理解を強いられる、外国のこととなると本当に言葉の障害もあり理解することが困難になる、でも持続して時間をかけるとそれなりに理解力が深まるのである
ただ正直本を読むより一回でも外国の土地を実地に踏むことが第一となる
それで私は50歳で海外旅行したのが理解力を深めた
もしその時行かなかったら親の介護とかなっていけなかったからもう外国について語ることもできなかったのである

スポーツだと盛りの期間は短い、大迫選手でも今回で終わりだというときそうである
30歳でもう終わりになる、でもその人の人生はこれから百才までもつづくのである
ただマラソンでも最後の方になるともう簡単に前に追いつけない、すでに差が開きその差を埋めることができなくなる、もう前でも後ろでも限界に達しているからだ
ただ見ていれば前の集団に追いついてもらいたいとしても本人にすれば限界なのである
ただ知的な分野だとたいして才能がなくても積み重ねであり集積が効果を発するのである継続していればやはり素人でも専門家になれる
でも正直人間は深いをことは簡単に理解できない、私自身むずかしい本を買って読んでいた、重要な所に線をびっしりひいていた、でも今読みかをしてみるとその線を引いたところでもほとんど忘れているし理解していなかったのである
本も積読(つんどく)になりやいのである

現代は長寿社会になると百才を走りきらなければないとなる
でもすでに同級の人でも死んでいるしまた病気になった人が多いのである
つまりすでに70越えたら二三割は脱落しているかもしれない、だから老後は健康が大事になる、最後はマラソンのようにサバイバルゲームになる
健康でない者と病気になった人の差があまりにも大きすぎるからだ
私の場合は汗が出なくなったり熱中症になりやい、熱がこもりそうなる
すると今までのように外に自由に自転車でも出歩けないのである
それで今まで経験したことを回想して作品化することが仕事になっている
いづれにしろ最後は前を走っている人を簡単にぬくことはできない、相当に自分自身をも疲れているからだ、その順位をくつがえすことは簡単にできない
老人になると何かを身につけようにもできないのである
ただこれまでしてきた積み重ねたものが力を発揮するだけなのである

人生は短距離ではない、百メートル競走だといくら努力しても資質がないものは勝てないそれは生まれつきにもなっている、でもマラソンとなるとこれも資質であるにしろ訓練したりして才能がなくても伸ばすことができる競技かとも見る
ただアフリカ勢が常に勝つのはやはり資質がありそうなっている
人生になれば短距離ではない、長距離でありマラソンなのである
でも最後になるとわずかの距離でも縮めることは至難になる

だからマラソンはひたすら走りつづけるのだがもうある程度差がつくとその差を埋められないのである、人間でも何かこうしてひたすら走りづつけて何か積み重ねてきたものと
何もしないで時間を無駄にしたものの差が大きくなり埋め合わすことができなくなるのだ天才でないかぎり積み重ねが大事だとなる
とにかく例えば身近なことでも郷土のことですら理解するのに時間がかかるのである
すると多様な世界をグロ−バル化して世界を理解することはさらに時間がかかる
例えば江戸時代辺りだと500人くらいの村で暮らして顔見知りの人たちの中で一生終える、でもグロ−バル化した世界となる外国を理解することとなると何百倍もの時間がかかるとなる、だから空間が拡大したときまたそれに応じて時間も増えないと理解ができないのである

それにしても北海道大学の広い、あのような所で学ぶならいいとなる
北海道大学は農学校でありクラーク博士は農学校の教師だった
そこで内村鑑三などがキリスト教を教えられたのである
何か北海道は広いから清新な空気があり明治にはフロンティアにもなっていた
そこで優秀な侍だった師弟が学んだのである、そもそも優秀な青年たちが学んだからこそクラークの教えも伝わったとなっていたのである
ただ本当にキャンパスが広い、白樺の木もあり煉瓦の校舎にも伝統の重みが感じられる
エリート養成の学校にはふさわしいとなりうらやましいともなる
東京の大学にはそうしたものは感じられないのである

今回のマラソンで印象に残ったのは大迫選手が最後に二位集団に追いつけなかった
もう少しで追いつけたとか見たがその差がマラソンになると大きい
もう疲れ切っていて差を縮めることができなかったのである
人生も最後になるともうそうして知識の差でも経験の差でも縮めることができない
これまで積み重ねた経験したことの差を縮めることができないのである
そこに突然力が出て奇跡的に追い抜くことはできないのである
人間も老人になると何か突然前の人を追い抜くようなことはできない
二位集団はいいとしてその後方との差はさらに大きいのである、差のつき方が激しいのである、人生でも老人になるとこうして大きな差がついて縮めることができなくなる
何か理解するにも積み重ねでありあることについてすぐに理解するということは不可能なのである
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2021年08月06日

オリッピックは観てても面白くない (記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックは観てても面白くない

(記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックが日本でやるにしては見ててもたいしてつまらない、また意義も見いだせない、例えば百メートルでももう記録は限界である、ホーガン投げでも世界記録が出たとしてもわずかに伸びたとしかない、いづれ世界記録は出なくなる、限界なのである
そもそも人間の体力には限界がある、いくらスーパースターが出ても限度がある
そしてその世界記録が人類にとって何か意味があるのかとなると見いだせないのである

日本のどこの神社にも力石とかある、比べ石とかあるのはその石を持ち上げる力持ち男が人気になり女性にもてる、農業社会となると力ある人が強い人が必要であり社会にとってもそうだからもてるとなる、戦国時代だったら強い人間がもてる、それより強い人間が武力が支配者になる
そういう社会では力の強い者が社会にとって選ばれた人でありエリートになる
スポーツがそもそも戦争を起源にして生まれている
円盤投げであり槍投げであれ砲丸投げであり敵を殺すものとして始まったのがスポーツとなった
だからアレキサンダーがインドに攻め入り戦象に苦戦した時、槍を投げて象を操る人も殺した、また長槍で戦いを有利にしたとかある
つまりスポーツの起源は戦争だったのである、戦争という命がけの戦いがスポーツになった、それは日本の武道でも同じである
ただ命がけの戦いとなれば真剣勝負となれば今の様なゲームとして観るのとは違ったものになる、それで観る方からするともっと激しく戦いとかなる
それでローマになると剣闘士の命がけの戦いになりそれが見世物になったのである

これは観る方でそういう刺激的なものを求めたからである、やはりこういうオリッピックでもスポーツでも時代が繁栄している、時代の影響をまねがれないのである
その時代の社会がどういう価値観があるのかということである
明治時代になれば侍はいなくなり刀も無用化する、武の時代ではなくなる
それは戦国時代が終わるとすでにそうなっていたのである
明治時代になれば侍がいなくなり侍は官僚になり事務能力にたけたものが必要になる

現代ではどうしても未だに槍投げとか砲丸投げとか円盤投げとかしているのか?
それもわからないのである、そんなことをつづけてどうなるのだとなる
それはギリシャで紀元前7世紀にはじまったことでありそれをつづける意味があるかともなる
そして筋肉むきむきの力持ちなど現代では価値がないのだ、何かそういう人はかえって野蛮にも見える、現代が要求されているのは知性であり知識である
だからこそ知性の競争になっているのが世界である、知性は技術の競争にも現れている
どれだけ科学技術で優勢になるかの知性の頭脳の世界的競争なのである
そして人間の体力にはもう限度があるオリッピックでもでも世界記録は限界に来ている
でも知性とか頭脳の開発はきりないのである、技術でもやはり限界はまだないとなる
様々な分野で技術開発はされているから人間の体力に限界があっても技術にはないとなる

コンピュターなどは本当に人間の頭脳の代わりになり知識を知性を拡大したのである
インタ−ネットでも駆使すればたいして能力がなくても何か専門的なことにも通じて素人学者になったりする、私の場合は絵の才能などゼロなのにコンピュターのソフトの操作で抽象画を切りなく作りだしていることもそうである
ただ無数の写真があり絵がありそれをソフトで変化させているだけでも創作になっているのでやめられないとなる、つまりコンピュターがもともと才能がなくてもその才能を付け加える役割をしているのである
何か文章を書くにしても一つのキーワードから関連するものをつなぎあわせるとそれが一つの論文のようにもなるのである、要するに知の分野ではコンピュターは相当に寄与しているのである

だからインタ−ネットになると知のオリッピックのようになっているのだ
10人くらい私の抽象画を外国の人が見ているというときもそうだし様々な知の分野で世界の人たちが競うというものもオリッピックと似ているのである
体力を競うオリッピックには限度がある、今や人間の体力を評価する人はいない
比べ石とか力石とかで競ってもそんなものに関心がないのである
そんなもの機械で持ち上げればいいとなるからだ、すると機械を作る方が優秀であり注目されるのである

もうオリッピックをすることに意義を見出せない、結局一部の利権者の金儲けのためだったということが明らかにされたのが今回のオリッピックである
でもそのショーにしてもつまらないとなった、観る方でもつまらないのである
こんなことに莫大な金をかけていることが馬鹿らしいとも見る
世界の平和の祭典とかにもなっていないのである
するスポーツなら別にそれぞれが熱中して励むことはいい、また別にスポーツは観るスポーツでないなら必要なのである、心身を鍛えるものとして必要なのである

でも観るスポーツは必要なくなったのである、そこに意義も見いだせないのである
だから世界的祭典として観るスポーツとしてはもう何か見ていても面白くないとなり
その意義も見いだせなくなり今回の東京オリッピックを境に世界でも関心がなくなる
オリッピックはもう終わるのではないか?
そもそもコロナウィルスで苦しんでいるときオリッピックをやるべきではなかったとなるギリシャのオリッピックはその時代に意義があった、でも現代ではそうした意義は見いだせないのである、世界平和に貢献するということもないのである
オリッピックは観るスポーツになると魅力がなくなったのである

今娯楽として面白いのは歴史に興味があるから世界の歴史の時代劇である
最近見た、ポロス 古代インド英雄伝 とかオスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム 
は面白かった、勉強にもなった、なかなか外国というのがわかりくいけどこうして連続ドラマ化すると興味をもつ、日本でもNHKの大河ドラマが人気になったようにである
ただ今のNHKの大河ドラマはマンネリ化してつまらないから見ない
それは脚色が多くて歴史の真実を示していないからである

「力石と文化財ー4(茨城県常総市,一言主神社))」  日本歴史と雑事記録


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2021年08月04日

福島県のコロナウィルスの感染地図 (人流をおさえないかぎりとめられない)


福島県のコロナウィルスの感染地図

(人流をおさえないかぎりとめられない)

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福島県の感染者数を見るとやはり人口が多い所と交通の要所になっている所は多い
郡山は交通の要である、会津にも鉄道が通り東北線があり新幹線が通る
いわき市も東京から常磐線の通勤列車の終点にもなっている
ただ白河市とか須賀川市が救いなともみる、、南相馬市はちょっと多いともみる
最初は東京のライブハウスに行った人から感染した
交通の要所になっている所は人の流れがあり東京からも来るから感染しやすい
郡山市と福島市とか二本松市とかにはさまれた大玉村などが少ない
人の流れがあるから増えてもいいとも見る
ただウィルスは人口が多ければ比例して増える、それはその通りになっているからだ
白河市は少ないとみる

この地図でわかるのは棚倉町とか古殿町とか阿武隈山中の地域が少ない、棚倉町でも鉄道が通っているとしてもあまり乗らないからである
東北線とか新幹線ではないからだ
郡山市から会津へ行く磐越西線は結構乗るだろう

このウィルスは交通と深く関係している、江戸時代のコレラでも長崎から入り北前船で
新潟に入り阿賀野川を通じて会津若松の城がある所に入ってきた
そして南会津の方に広がったのは会津若松の城のある所が中心になって広がった
南会津の方から会津若松には広がらなかったのである
それは交通の関係でそうなっていたのである、交通が頻繁な所は人から人へうつるのだから感染者が広がるのが普通なのである

ただ古代となると棚倉にヤマトタケルの伝説があるように茨城県から久慈川をさかのぼり棚倉に出る道があり川が道となってそこで戦いがあった
古代になると交通路としてあったとなる、白河市も棚倉町もみちのくに入る関だったのである、それは古代からそうだったのである
その辺は石川とか浅川とか阿武隈山中であり辺鄙な場所だった、そんな場所へ自転車で行って万(よろず)屋があり御飯と味噌汁を御馳走になった、今時そんなことをしてくれる人などいない
ということはそこが辺鄙な場所で昔ながらのものが残っていたとみる
第一万(よろず)屋などはなくなっているからだ、コンビニになってしまっているからだ

草深き山里にあれ万屋によりて馳走や心に残る

とにかくこのウィルスは人流と交通と深く関係している
これをおさえないかぎりどうにもならないのである、だからもう東京とかその周辺とか大都会では人流をおさえることができないから減らすことができないのである
江戸時代のコレラでは桧枝岐(ひのえまた)などは本当に秘境であり人との交流もない
そこでは米が食べられずソバが主食となっていた、本当に辺鄙な場所だったのである
でも尾瀬の観光で観光地になったのである
そういう場所だったら伝染病でも防げるのである
現代とは逆にウィルスには弱かったのである、交通が発達し人流が抑えられない、車でもどんな辺鄙な所にでも行くしおさえられないのである
ただ田舎では一人でも感染者が出ると恐れる、それで近くの人は窓ガラスを割られたとか住めなくなり引っ越したとも聞いた、それは東京のライブハウスに行った人らしい
このように敏感に田舎では反応するから都会よりはおさえられるとはなる
南相馬市でも一時増えたがまたおさまった、ゼロになっている
飯館村とか双葉とか大熊は人が住まなくなった地帯であり感染者も極端に少ないとなる

ウィルスは人から人へうつる

人流をおさえないかぎり感染を止めることができない、ワクチンがあってもこれの効果もまだすべてではない、新しい変異株に対応できていないとか完全ではないからだ
一番の対応は人の流れを減らすことしかないのである
それが現代では一番むずかしいからつくづく現代文明はウィルスには弱かったことが判明したのである
こういう時は引きこもりが有利となる、人と接しないからである
私自身も一人しか人と接していない、今は仙台市にも行っていない、また暑くて原町にも相馬にも行っていない、閉じこもっている
こういう生活はウィルスに対しては安全だとなる

何か人が密集するとか交通が盛んになることにも問題があったとなる
グアム島では観光客が来ないから苦境に陥っている、そういう隔絶した島で自給自足の生活をしていたらウィルスから守られていた、でも外部の人が来ないともう生活が成り立たなくなる、そういうことは他でもあった
現代ほど外国であれ人ととの交流が増えた時代はないからである
それが裏目に出たのである、やはり基本は自給自足でありそれがないと危機の時は生きていけなくなる、ただ交通を止めることはできない、ただ基本的なものとして自給自足の生活を基にしていないとこういうとき困るとなる

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)
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2021年08月03日

医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している (日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)


医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している

(日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)

英高級紙「ガーディアン」は、新型コロナ禍の深刻化により日本の医療界で東京五輪に対する「憎悪」が増幅していると厳しく糾弾した

こういう矛盾は混乱状態の中で起きやすい、五輪とは何なのか、そんなことしていれられるのか、コロナウィルスで生命の危険があるときに五輪なんかしていられるのか?
金メダルなど喜んでいられるのか ?
こういう疑問が一番出ているのは医療従事者である、俺たち必死で治療したり看護したりしているのに金メダルラッシュで騒いでいるのが腹正しいとなる
そういうことは平和時だったら見逃される、でも緊急事態になるとそういう人たちは非難される、それは遊びじゃないかとも見られるからだ

オリッピックの意味はギリシャで戦争が絶え間なく行われてオリッピック期間だけは戦争はしないということで始められた、ある意味で神に捧げる奉納として成された
それでゼウス神殿が建てられて立派なのである
つまり祭りの期間のときは戦争はしていけない、神の祭りを汚すからだともなる
一種の聖なる祭りだったともなるからだ
またその時疫病もありその回復を願いオリッピックをしたというのも当時は伝染病のことがわからないからそうなった、人が密集することが良くないということがわからないのでそうなった

いづれにしろ何か人がいろいろ働いている時働かない人にニートとかに不満になるのは
俺たちはこんなに苦労して働いている、真夏の最中でも汗流して働いているのにのうのうと働かずいる奴がいるのはなんなのだと憎らしいとなり憎悪になるのである
今それが医療従事者に起きている、そこでは必死にコロナウィルスと戦っているからである
そういうことは津浪とか原発事故でも起きていた
原発事故の避難区域から大量の人たちが避難して仮設住宅に住んだからである
でもその時ボランティアも全国から集結したが地元の人たちは毎日することがなくパチンコ通いだったのである
それでボランティアが怒っていたというのもわかる、また自衛隊なども必死で働いていたのである、ただ肝心の地元の人たちは避難者は何もしない、パチンコとギャンブルをしていた
そして自分が介護で苦しんでいる時も親戚の人はそのパチンコ屋で働いていたのである
借金のためにそうしていた、その時自分も苦しんでいるから腹正しくなった

何かそれと似たことかコロナウィルスとかオリッピックでも起きているのである
何かと津波とか原発事故と似ていることを書いてきた
それは人間が緊急事態になると普通ではないから変わるからそうなる
普通だったら平和だったら見逃すことも見逃せなくなる、なんで俺たちが必死にコロナウィルスで戦い働いているのにオリッピックで騒いでいる
そのことになんの意味があるのだ、かえって医者と看護師がオリッピックで奪われているともなる

つまりそれほどまでにしてオリッピックする意味があるのか?

それはお祭りであり世界的な遊戯にすぎないのではないか?
何かこうも苦しんでいる医療従事者に見えるので怒りとなるのである
もちろん自分自身も八沢浦のことで報告して叱責された
そこでは死んだ人もいるし泥をかきだして死んだ人を取り出している人たちもいたのに
八沢浦が美しい入江にもどったと報告した時地元でもなんなのだとなる
ただそれはあまりの変化に驚嘆して報告したのである
その時自分自身も介護とか自分の病気で苦しんでいたのである
それはやはり郷土を伝えるものとして記録として残すことに意義があったとはなる

とにかく何かこうして異常事態に緊急事態になるといろいろな問題が噴き出す
オリッピックでもなぜこんなときにするのだろうということが根本的な問題だった
それは政府が人気取りに批判をそらすためにしているとかとも言われるのは当然なのである
一部の人たちの利権者の金儲けのためだとされるからだ、ぼったくり会長のバッハが200万のスイートルームでもてなされるというのもそうである
みんな困っている時なんなのだとなる、こんなときオリッピックをしている時なのか
そういうことがを一番感じているのは医療従事者なのである
それは結局そこで一番苦しんで働いているからそうなる
だからこの辺で津波や原発事故でも同じことが起きたのである
ボランティア来て自衛隊が来て必死に働いているのになんなのだとなる
自衛隊では三人くらい現実に過労死しているからである
要するに緊急事態は平時と違うからそうした矛盾が露骨に現れるのである

だからどうしても日本人の金メダルでもオリッピック自体が喜べないともなる
それで自分は熱心には観ないとなる、それは日本国民だけではない世界でもそうなる
熱中できないとなる、こんなとき一部の利権者のためにオリッピックなどしていていいのかとなるからだ、それが普通の感情である
復興五輪というのも偽装であり何ら復興など福島ではしていないからである,オリッピックと復興はなんら関係ないからである
それでオリッピックをあえて実行したことは後で失敗だったとされるかもしれない
そこで菅首相のもくろみがはずれたとなり猛烈な批判となり政権も危うくなるかもしれない、感染者はますます増えて収支がつかなくなる、一方では金メダルラッシュとかマスコミで騒いでいる、マスコミでは視聴率がとれればいいということでそうなる
何かこうして混乱してきて収支がつかなくなる
ともかくオリッピックは日本が金メダルをとっても素直に喜べないということはアスリートにとっても喜べないともなる
医療従事者にしてみればただ腹正しいというのが理解できるのである

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2021年07月31日

観るスポーツと自らするスポーツの相違 (オリッピックは観るスポーツでショー化したーオリンピアを訪ねて)


観るスポーツと自らするスポーツの相違

(オリッピックは観るスポーツでショー化したーオリンピアを訪ねて)

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古代ローマの剣闘士は、何故歴史から姿を消した?日本の政治、メデイアが進化しない本当の理由

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オリンピアの競技場、春の花が咲いていた

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オリンピアの神殿跡の石柱


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アテネのローマ神殿ーアーチが特徴的

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デルフィの競技場

観客席の石の座席は立派であり残っている



古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされている。オリンピアはゼウス神の聖地であり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされる

勝者には勝利の枝(この枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。
競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合いは固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。

マケドニア王国の人々は、国政が都市国家でない上に辺境に住んでいたため、ギリシア人であるにも関わらず古代オリンピックに参加していなかった。しかし、アレクサンドロス1世は自らの先祖をヘーラクレースと主張し、結果としてギリシア人であると認められ、紀元前6〜5世紀頃から古代オリンピックに参加できるようになった[3]。後にピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利した際には、フィリペイオンというイオニア式のトロスが献納されている。アレクサンドロス大王がアレクサンドロスと名付けられたのも、ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に彼が生まれたので、それを記念し、マケドニア王で初めて古代オリンピックに参加したアレクサンドロス1世から名を取ったという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある


こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である。勝者はエーリスのコロイボスであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

エリスはアテナイ(アテネ)やスパルタに比べてはるかに弱小で、しかも発展の遅れた国であった。だが逆に、大国の意向に左右されず、政治的に中立を保ったということが、かえってオリンピア祭の威信を高める要因になったのである。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00061.html





オリンピアに行ったけどそこで不思議だったのはやたら神殿の柱となった石の台とか柱の跡が多いのである、それを見ただけでここに壮麗な神殿が建築物があったとイメージできる、体育館などもあったというからオリッピアというと田舎町なのに立派な建物があったそして競技場とかなるとまるで学校の運動会場より狭いのである
こんな狭い所で競争していたのかと意外だった、こういうことはなかなか写真を見ただけではわからないのである
それを見ている観客にしても学校の運動会より少ないともなる
そして回りは田舎であり田園が広がっていたのである
場所はここで説明しているような所だった

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである

今日本でコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピックが行われている、それが伝染病と関係していたとなるとこれも歴史は繰り返すカルマだとなる、ただ競技会に人が集まれば実際は伝染病はかえって蔓延する、でも当時はそういうことを知らないから
再開したとなる

でも観客が20万とか集まったというのもわかりにくい、20万も田舎町に集まったのかただこの辺の野馬追い祭りでも祭りとなる予想外の人たちが集まる
その場所のエリスが政治的中立の場所だった、それがオリッピックを栄えさせたものになった、戦争が絶えない時代だからこそそこに意味があった
そこは平和的中立の場所、スイスのような場所だったのである
とにかくヨ−ロッパとかなると古いのである、紀元前8世紀から始まったというのもそうである、貨幣が流通してすでにすべてが金だとか嘆いていたのも紀元前7世紀とかであるだからその石の観客席の座席が当時のままに残っている

ヨ−ロッパの遺跡はローマにしても石だから今でも残っている、すると歴史を明確に意識するのである、日本だと木だからそういうふうに紀元前とかなると意識できない
何か歴史を意識するときこのように古くなると何か物として残っていないと意識しにくいのである、ローマ帝国の道は今でも残っているし意識する
ギリシャとなるとさらに古いのである
だからオリンピアが田舎でありその競技場は春の花に彩られていたのである
ギリシャ神話がこうして自然が豊かな時代に生まれたのである
ギリシャが魅力があるのはそうした自然がありそこで繰り広げられた人間の物語があり
神話となり魅せられるとなる
そこでヘルダーリンとかバイロンとかギリシャを讃歌する詩人がいたり哲学でも科学でも彫刻でもギリシャが基になっいるのがヨ−ロッパだとなる
何かそこに詩になるもの物語になるもの美になるものがありそうなった

ただ小規模であり田舎の田園の中でオリッピックが行われていた、それがローマのコロッセオとかなると巨大な残酷なショーと化したのである、その相違も大きい
ただギリシャでも時間がたつにつれて神聖な神へのゼウスへの奉納として始まった祭りが堕落して金銭とか賞目当てになった
ただその始まりが人間は何でも神と深くかかわり始められていたのである
日本でも相撲は神への奉納として始まっていた
またマヤ文明とかでも走る競争が行われていてそれも神への奉納だったのである
信じられないことは走る競争で一番になったものは犠牲として殺され神に捧げられた
これも信じられないが神に殺されて捧げられるとしたら一番になりたくないとなるが
実際はそれでも一番になるために必死に走り名誉となり神にその体は捧げられたとなる
神が喜ぶのはこうして若い健康な者であり老体ではないとしてそうなったのである
そういうことは聖書でも「若きうちに神を知れ」と通じているものがあるし神は若者を愛すとかいうのもそうである
人間はやはり若いこと健康なこと価値があり神もそこに価値を認めていたのである
でもどうしても一番になったら神にその体も奉納される、犠牲として捧げられるということが理解できないのである

またオリッピックにはマケドニアは参加できなかった、でも世界征服に向かったアレキサンダーの名が実はオリッピックに由来していたのも興味深い
アレキサンダーにしても紀元前三世紀の人物なのである
こうしてエジプトであれ聖書の歴史であれギリシャでもインドでもその歴史が古いのである
こうしてオリッピックでもどうしてはじまったのか、その起源が何であったのかたずねるとオリッピックの意義を知ることになるが近代オリッピックはまたギリシャのオリッピックとは別なものとして始まったのである
そしてやはりギリシャでも金が欲しいとか賞が欲しいとして堕落したように今のオリッピックはまさにそれと同じであり世界的なものになっても世界的に放送して金儲けすることが目的化したのである

確かに観るスポーツと自らするスポーツは根本的に違う、批判されるのは観るスポーツとなりそれが金儲けのために利用されるようになったことである
それは世界的に同時にテレビ放送されることで普及したのである
つまりメデアの力が大きくなりオリッピックを世界的ショーとして見世物としてアメリカのNBAとかが一兆円もの放映権を払うとかなったのである
それはあくまで世界的ショーとして見せてそれで金儲けしたいだけである
世界的規模にグロ−バル化するとその金も莫大なものになる
そしてどうししてもアメリカとか中国とか大国が優先されるものとなる
政治的に利用されるとなる、だからアスリートにも選手もスパイ活動していたとまでなっていたのがオリッピックなのである


オリンピアに人々は集い競技に熱中する
そのオリンピアは田舎である
まわりは田園であり
訪ねて見れば小さな運動所であった
そこには春の花が咲き縁どられていた
そこは陰惨なコロッセオの闘技場とは違う
穏やかな田園で競技は行われていた
だから勝者にはオリーブの冠をまた花飾りを
そこにただ殺し合いの戦争を休み
人間的な場となり記念となった


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2021年07月29日

なぜオリッピックがやめることができなかったのか? (アメリカのNBCの金儲けのために圧力でやめられなかった)


なぜオリッピックがやめることができなかったのか?

(アメリカのNBCの金儲けのために圧力でやめられなかった)



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東京オリンピックの開会式、超ヤバイ裏話TOP7【大坂なおみと中国】

日本国内で五輪の中止、あるいは再延期を望む声がどんなに高まっても、NBCユニバーサルにとって、その選択肢はまるで存在しなかったし、今もない。大きな理由はもちろん広告収入。NBCユニバーサルは、五輪の放映で10億ドル以上の広告収入を見込んでいるのだ。だが、それだけではない。実は、このオリンピックは、会社の将来を左右するとも言える大きな使命を担っているのである。自社の配信サービス、Peacockの会員獲得にはずみをつけることだ。

ロサンゼルスタイムズ紙によると、NBCユニバーサルは2014年にIOCと2032年大会まで総額120億ドル(約1兆3200億円)でパートナーシップを結んだ。「同社の五輪報道はテレビ視聴率でライバル企業に圧勝してきた」そうで、S&Pグローバル・マーケット・インテリジェンスのKaganユニットによると、5年前のリオ五輪で、NBCユニバーサルは、16億ドル(約1761億円)の収益を上げ、そのうち広告収入は12億ドル(約1321億円)だったという。

東京五輪にも潜んでいる? かつての五輪では選手たちが「スパイ」として働いていた


なぜオリッピックがやめられなかったのが具体的にわかった
アメリカのNBCが独占して放映権をもっていて一兆円以上金を出している、IOCに出している、その見返りは視聴率をあげて自社の配信サービスの会員獲得のためだった
また菅首相が簡単にオリッピックがやめられないのは国でも3兆円も出していてそれでやめれば損だとなりやめることがてきなかった

こういうことはテレビでは放送しない、今では五輪で日本人の金メダルラッシュでこの裏側の事情など関係なく日本人が熱狂すると視聴率がとれる、そこで宣伝費が入るとなる
NBCで一兆円もIOCとかに出すとなるとその見返りが必要になる、オリンピックは世界中で見るから効果絶大だとなる
そしてなぜ酷暑の時に日本で行われるのか?それもNBCの都合だったのである
なぜならその時バスケットボールとか人気のアメリカのスポーツ番組がないからである
だからその時期にやればみんな見るとなっていたからである
でも今回は視聴率がとれなかった、それで見込みがはずれたとなる

とにかくオリッピックが商業主義の金儲けのオリッピックになったというときこういうことだったのである
NBCで大損になることはアメリカの大損にもなる、つまりアメリカの意向で演出され決まるともなる、だから開会式の入場式でもアメリカは最後の方に出て来た
なぜなら日本のあいうえお順では最初になるとみんな見ないとかあり最後の方にもってきたとなる、これもNBCの都合でそうなった

何かこれはフクシマ原発でも似たことがあった、アメリカのGEが原子炉を売りたくて日本に原発を作ることをすすめた、そしてマーク1という古い原子炉を買わせられたからである、そこでGEと結びついていた福島県の国会議員の渡部恒三の息子がGEち就職していたのである、原発マネーが回っていた、この原発マネーは巨額でありそれはおりり巨額なものになったいた、だからこの金がまわりある意味でモラルもなにも麻痺してしまったとなるこうして地元の議員のボスにもまわり大熊町長の5億円入った金庫が津波で流されて探してくれとか頼まれたとかある、その真意はわからないにしろそれだけの金がいろいろな利権者に流れたということである
それは事故後も今度は何兆円とんう除染費用が相双リテックの幹部に報酬として何億円とか流れた

そして事故になったとき東電ではお手あげになり放射線を測定したがそれはまずアメリカに報告したのである、日本の政府ではなかったのである
それだけ日本では原子力発電の技術が遅れていてどうしていいかわからなくなっていたのである
このオリッピックマネーでも原発マネーでもその流れを見るといかに金によって支配されているかわかる
それはただ巨大な世界的ショーでありアスリートはその駒にすぎない、何か崇高な世界平和のためだとか人権だとかいろいろ言ってもそれは表面的なことにすぎなかったのである
こういうことがわかると何かオリッピックに熱中すること日本が金メダルラッシュで騒ぐのもただこうした裏の人たちの金儲けのために踊らされているだけだったのかとなる
サッカーであれ野球であれ他の種目でもプロの競技ならそれは責めることはできない
何かオリッピックは美名のもとに行われている、それが実際は裏の利権者の金儲けのためだったとなる
何か世界平和とか人権とかを看板にしているがその裏ではそういうことはなかったのである

いづれにしろオリッピックでも今度は中国マネーに支配されるというとき大国の政治的宣伝のためだともなる、今はアメリカがそうなっているのである
アメリカに金が流れ込むのは覇権国になっているからである
覇権が中国に移れば中国に金が流れ込むようになるのである
覇権国には金が流れるこむ仕組みができあがるのである
現代は複雑な社会でありグロ−バル化しているから余計にわからない、でももし金の流れを明確化するとその悪でも見えて来る、可視化されるのである
とにかく巨大なマネーが流れる時、その悪も巨大になるのである
そして常に背後には隠然として覇権国のアメリカがいて逆らえないとなる、次の覇権国は中国になると中国に逆らえないとなる
WHOがまさに中国の金で支配されていたのと同じである、オリッピックは欧米資本が支配している
そもそもオリッピックのはじまりもうさん臭いのである、ヨ−ロッパの貴族が始めたものであり世界平和とか人権とかとあまり関係ないものだったのである
posted by 老鶯 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

国家的事業の決断は慎重にすべきだった (オリッピックの金メダルラッシュを喜べない)


国家的事業の決断は慎重にすべきだった

(オリッピックの金メダルラッシュを喜べない)

東京五輪の国民1人あたりの負担額「都民10万3929円」「国民1万408円」

「これまでに費やしてきたお金と時間を考えると、簡単には引き下がれない」という行動経済学の「サンクコスト(埋没費用)」の回収にこだわっているからではないだろうか。

大事業を計画して始めると途中でやめられない、莫大な金もかけているしせっかく作った施設も利用できないとかなりやめられない、何か引き返すとか途中でやめることが個人的にもむずかしい、せっかく苦労して来たのだからとか何か引き返せない
だから国民的大事業となると一旦決めて始めたことはやめることができなくなる
戦争もそうだったというときそうである
戦争を決めた時点でもうやめることができなくなり結果的には三百万人が死んで犠牲になったのである
何か戦争する前は一方的ではなく不安があった、マスコミでも批判していたが一旦戦争がはじまるともうそういう批判はなくなり突き進んで行くだけになった

原発でも本当は内心地元の人でも不安があった、放射線被害のことでもわからないにしろなんとなく不安があった、核のことなどわからなくてもなんとなく不安があった
何か科学がわからないにしろなんとなく不安だというのが人間にとって大事なのかもしれない、それは命にかかわるからである
それで津波でも海は怖いとか言う人がいた、それはなんとなく海は怖いということを感じる人がいた、まして海岸沿いに住んでいる人はなんとなく不安を感じなかったのだろうかただそういう感覚が麻痺してしまったのだろうか?

トロイの木馬にしてもあれなんなのだと不安があった、そんなものを引き入れるなとかあった、でも引き入れてしまったのである、内部には兵が隠れていて責められてしまった
原発でも何かそういう不安があったのだ、安全神話が作られて常に「安全、安全」が言われた、その裏返しがそれを運営する科学者技術者でも不安があったからだ
おそらく技術者でも何か不安をもっていた、それを打ち消すために「安全神話」が作られたのである

動物には何か危険を察知する機能が本能的についている、また生物なら人間でもなんとなく不安だとか危険を未然に察知するものが備わっている
第六感というものがある、それは女性が敏感である、何か直感的に人を見抜くとかある
それは女性が弱いから本能的なものとして備わっている
ただ人間はこの第六感的なものが文明化して失って機械とか科学とかにまかせる頼るようになった

津浪でも海の水が川の水が退くとか前兆があった、その時これはおかしいと察知して早めに逃げれば助かったとなる、ただその時間があまりにも短いから逃げられないとなったのである
人間は鳥のようだったら何も持っていなければ逃げることができる
人間は家でもなんでもいろいろなものを持っているからすぐに逃げられないのである
この時は逆に家が足かせとなって逃げられなくなっていた
不思議なのは私は津波の前でも津浪が来た地点は田んぼであり家がぱらぱらでありそこでなぜか波にもまれて流される夢を何度も見ていたのである
その場所まで津波が来ていた、だから夢は何か危険を告知するものがあったのだ
ただ今はそういうことは迷信とかなんとて否定される科学万能社会になった
結果的に何か機械に科学に頼り過ぎてそれがかえって危険を察知できなくなるとなる

人間でもこの人ヤバイなと直感したときは近づかない方がいい、君子危うきに近寄らずとなる、ただ不安ばかり言っていると冒険ができなくなる
ここでは国家的大事業のことであり個人的なものではない、戦争するにも大丈夫なのか
アメリカはどんな国なのか、アメリカなどたいしたことがないとか吹聴されると知らないのだから信じる、夜朗自大国になる、漢などたいしたことがないと見て負けたのである
それは相手のこと敵のことを知らないからそうなったのである
「敵を知り己を知れば百選危うからず」である

その敵の正体がわからないとき負けるとなる、コロナウィルスでもそれが未知だから対処できない、科学者でも対処できない、不安なことは確かでもどれだけの脅威なのだかわからないからである、すると不安を言う人は不安をあおりたいしたことがないという人は恐れることはないという、そこで二つに意見が分かれて判断しにくくなる
ただ確かなことは一旦決めた国家的大事教は途中でやめることができなくなる
戦争でも原発でもオリッピックでもリニアでもそうである、莫大な金と労力をつぎこんでしまっているからやめることができない、その見返りが欲しいとなるからだ
だから大事業の場合はよほど慎重に検討して決めないと引き返せなくなる

ただ戦争でも原発でもオリッピックでも始める時意外とそうして国民全体で議論すらあまりしないのである、その理由は利権がかかわり利益になるとなると目の前のことしか見えなくなる、原発でもオリッピックでもそうである
とにかく利益になるということで一部の者の利権者がすすめるのである
つまり目先のことしか人間は見ない、先のことを見ないのである
また見えないのである、だからなんでも急いで決めるのは良くないともみる
十分に検討してからやりましょうというのがいいのかもしれない、戦争も急いで決める必要もなかったし原発でも十分に検討してから作ることを決めても良かった
湯川秀樹博士が日本では原発を作るのはまだ早いと言っていたからである
それで古い原子炉のマーク1をアメリカから売りつけられてそれも事故の原因になったのである

いづれにしろ国家的大事業はよほど検討して慎重にしないとその被害が戦争のように三百万人死ぬとかなる、そういうことがあるとなると簡単に決めて実行できないとなる
ただその時も日本が勝つということしか見えていないのである
負けるということを想定しなかった、神国神話がここでも作られていたからである
原発の安全神話とにたものだったのである、日本は強い優秀だから勝つとしかなかったのである、つまりそこに奢りがあり負けたとなる

今度はオリッピックのメダルラッシュとかでそっちに国民の眼がゆきコロナウィルス対策がおろそかになる、でもマスコミは視聴率をとるためにそうしているという
それはマスコミは常に新聞でもテレビでも視聴率第一でありそれで稼ぐからそうしているというのもわかる、商売だからそうなる
戦争のような危険なことでも商売だからあおったとなると怖い
常識的にどうしてもこんなときにオリッピックをして日本人が金メダルをとったからと心から喜べないのである
コロナウィルスで疲弊している人たちも多いからである、まるでそういう人達のことを忘れさせるためにしているのかとなる
だからもともとオリッピックはすべきでなかったのである
それはアスリートのためにも良くないものだったのである
別に普通だったら国民みんなでメダルラッシュなら喜んでいたからである
それが得られないとなるとアスリートにとってもいいものではないとなるからだ

急(せ)いては事を仕損じる

これがやはり教訓だったとなる















posted by 老鶯 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月27日

福島県相馬市の主婦の女性(56)。はじめてのダイビングで死ぬ (私の海外旅行もかなり危険だった)


福島県相馬市の主婦の女性(56)。はじめてのダイビングで死ぬ

(私の海外旅行もかなり危険だった)

宿毛海上保安署などによると、福島県相馬市の主婦の女性(56)。夫と2人で訪れ、ダイビングショップのボートで沖に出て深さ3〜4メートルの海底に潜っていた。ダイビングは初めてだったという。

相馬市の主婦の女性(56)でダイビングで死んだ、はじめてダイビングしたという
でもインストラクターがついていたのである
私も50歳代で海外旅行して紅海でダイビングさせられた
自分は泳ぐこともできないのにやれやれと言われてしようとしたが海にくぐることもできずにやめた、でも何か海外だとそういうことを気にしないから怖かった
とてもやれないのにすすめることも怖かった

この場合には日本人だったしインストラクターもついていのに事故になった
問題は初めての主婦が56歳という年だったのである
これは非常に危険だったのである

そもそもなぜそんな歳ではじめてでもダイビングさせたのか?

もしかしたら観光のために金をとるためにすすめたのかもしれない
安心ですよとしてすすめたのかもしれない、何か金のためなら危険なことでも知らなくても進めることか今は多いからである
銀行とかでも株を進めたりするのとにているのである
それでもはじめて56歳でダイビングをすすめるのは問題があった
確かにダイビングを自分もしていみたい、海の底を見てみたいと思ったが全くの無経験だし海が怖いしまず泳げないのだから無理だと最初から思い込んでいたから一旦ダイビング用の備えをしたが海には入らなかったのである

とにかく海外旅行も事情とかわからないので危険があった
大きな失敗があった、ロシアでも大失敗した、鉄道の写真を撮っていたら警察につかまり尋問されてひどいめにあった,スパイと思われたのである
ロシアは一人旅などできる国ではなかったのである、だから無謀だったのである
ただ若い時なら無謀も許されるが50以上すぎたらやはり海外旅行とは危険である
ここでは国内でもこうしたことが起きた、何か理由はわからないが観光で金を得るためにそうしたのなら問題である
今は金をとるために何か危険なことまですすめるとなるからだ

でも日本だと意外と慎重になるから詳しいことはわからない
それでも50代で海外旅行したことは今になると役に立っている
実地にはじめて外国を知ったので役に立っている
その時行かないともう行けなかったからである、だから時間がいかに貴重なのかわかる
時間はたちまち過ぎて飛んでゆくからである

いろいろな体験を積むことが後の宝となるのである、金があるとかでもないことがある
その時海外旅行のことなど私は全くわからなかったのである
それで最初に行った韓国ではハングルがわからないのでどうしていいかわからなくなったそこで滋賀県の大津の人に助けてもらったのである
その人から年賀症が来るがまだ返事をだしていない

あの時はお世話になりました

このプログを読んでいたらお礼しておきます

人間は危険がつきものである、海外旅行は今はどこでも観光化しているから意外安全なのに驚いた、ヒマラヤでもそんなとこに行けないと思ったがガイドが安く使えるからついていけばいいのだから楽だったのである、ただ体力的に苦しくなって一時寝たことがあったでも3000メートル級なら観光ルートで誰でも行けるようになっていたのである
だから現代は海外旅行はどこでも観光化しているから行ける
それでもこうして国内ですら危険がある、海外だとそれ以上に危険なことがある

そうはいっても人間経験したことは宝になる、思い出して詩とか書いているからである
これが実地にその場を踏んでいないと詩でもそもそも理解できないのである
何か深く理解するのは後になってからでありその場では海外になると理解しにくい
そこはそういう場所だったのかとか歴史などを勉強して理解を深めることができる

しかし私はもう国内旅行すらできない、近間を回るだけで精一杯となる
ただ回想する旅をつづけているのである、それも一回でもその現場を実地に踏んでないとそういう旅もできないのである
でも時間はたちまちに過ぎてしまう、金があっても時間がないとできない
十回もヒマラヤに行っていた人には驚いた、一人で行っていたのである
私もヒマラヤをもう一回くらい見たいと思ってもできない、海外旅行は疲れる、体力も必要である、海外旅行でも登山でも若いうちにしていないとできなくなる
その体験したことが貴重になる、人間は本当に体験するにしてもわずかのことしかできないからである

カンボジアに50万ももっていって旅行したのは馬鹿だった、東南アジアはその時安かったしカンボジアは最低だったからである
女性が5ドルで買うとかできた、ただ自分は関心がないから関係しない
泊まった宿は5ドル以下だったのである
こうしして外国のことを知らなかったのである、そこは貧乏旅行者でもできた
なぜなら為替の差が大きかったからである、カンボジアとかネパールとかベトナムは今でも最貧国になっていたからである

いづれにしろ今回の事件は国内だからありえないと思った、でも何か観光の金稼ぎのために相手をのことを良くみずに進めたのかともなる、ただ事情はわからない
南相馬市の人だったということにびっくりしたのである


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2021年07月24日

オリッピックがなぜ意味がなくなったのか? (グローバル化によって失われた文化の価値)


オリッピックがなぜ意味がなくなったのか?

(グローバル化によって失われた文化の価値)

オリンピックに200か国も参加しているのには驚く、東京オリッピックでは90か国だった
知らない国が小国が多い、そんな国があったのかと見る
ただ民族衣装を着ているとそこにバラエティが生まれ文化を感じる

ただオリッピックでは文化を感じない

オリンピックとは唯一世界中の国が集まる祭典でも文化を感じないのである
それはなぜかとなるとスポーツとはグローバル化したものであり世界共通のルール化して競技が行われるからである
ただスポーツでも文化はあった、その最たるものが日本の柔道なのである

「精力善用」とは、そのような柔道の持つ力や理念「柔よく剛を制す」(柔弱な人が強者に勝つ)を使って、相手をただ倒したり、むやみに威圧したりするために使うのではなく自らが持つ柔道の力を、自分の周りや社会のために善いほうへ用いることを教えてくれる言葉と言えるでしょう。

日本は必ず何でも道を追求する、職人でも職人道があり刀を作るにも潔斎して身を清めて精進して神に祈り最高の物を作るように励む、だから必ず職業でもそれぞれの分野の道を究めるものとなる、そこに日本の文化があった
何かただ利益を得るというのではないものがあった、だかさ商人道もあった
近江商人の三方よしというのもそうだった、武士道などもそうである、必ず道が後ろにつくということは道を究めるものとして職業もあったからだ
日本人は仕事を重視するのは働くことを重視するのは仕事を通じて職業を通じて道を究めるということがあったからだ
だからスポーツの語源が気晴らしとなるのとは相当に違う、スポーツは気晴らしということはとても道を追求するようなものではない、息抜きであったとなる

ただスポーツでも文化と関係ないかというと関係があった、文化の意味がcultureでありcultivateが耕すが語源となっていることでもわかる
その土地を耕すという時、農業だけのように思っているがスポーツでもそうだったのである
イギリスでなぜゴルフが生まれたのか?まずイギリスの風土を見ればわかる、丘が多くなだらかでありまるでゴルフ場にもなっているからである
天然の場がゴルフ場だからゴルフが生まれて当然だともなる
日本の様な急峻な山だったらそんなスポーツが生まれないからである
だからスポーツにも文化があるとなる、欧米のスポーツがほとんど組織的なものとしてルール化したのも模擬戦争ともにているのである
逆に日本人の武道は個人対個人なのである、日本には個人がないとか個性がないとか言われるけど武道に関しては集団的ではなく個と個であり一対一でありそこで武道を究めるとなる

スポーツさえ文化だというときなぜオリッピックになるとその文化でも失われるのか?

それはグロ−バル化すると文化は喪失する、どうししても一律のルールに則らないと公平にならない、そして勝ち負けだで判定する、でも日本のように勝ち負けより道を究めるとなると本来の柔道とは違ったものになる、でもグロ−バル化すれば勝ち負けですべてが決められるのである、すべての結果が勝ち負けでありその他は評価できないのである
それでかえって柔道の精神でも失われるとなる

要するにグロ−バル化するということはかえって文化を失うことになる、意味もなくなることになる、文化とはそもそも国々で地域でも違ったものとして文化があったからであるそれを一律なものにすることに無理があったからだ
ただすべてを勝ち負けで決めるとなると文化は失われる
例えば比べ石とか今でも残ってるけどこれも重い石を持ち上げる今なら重量挙げのような競技だった、その重い石を持ち上げることが競技になったのはその重い石を持ちあげることが村で一人前の男として認められることだったからである
農業社会では力が評価されたからである、米俵でもかつどとか仕事でしなければならないからそうなった、そういう狭い範囲で価値が評価されているからわかりやすいのである

でもそれが広域化したりグロ−バル化するとそこに共同体とか社会として共通の価値観が違ってくるから理解できないしただ勝ち負けですべてを計ることになる
それは貨幣と似ていたのである、貨幣が生まれて広域化グロ−バル化社会が生まれたからである、江戸時代でも仙台銭というのがあった
それは仙台でしか通用しない貨幣ともなる、広域でグロ−バルに通用する貨幣ではない
江戸時代には関所があり貨幣を別な反に

江戸時代も中期になると、為替制度が発達して各宿場宿場に両替商がありましたから、重い小判や文銭を大量に持ち歩かなくても済んだようです。又、有力な藩では、紙幣に当たる藩札を発行していて、両替が出来ましたから不便は無かったようですが、両替手数料はめちゃくちゃ高く、10%〜15%が当たり前だったようです。

ヨ−ロッパ旅行すると国ごと交換レートがありめんどうだった、今ならユーロ―になっているから便利である、それで広域化してグロ−バル化されるのである
ドルはアフリカの果てまで通用しているからアメリカが覇権国になり世界に通用する紙幣となっている

このようにグロ−バル化するということは貨幣がどこの国でも使えるということになる
でもその貨幣ですべての価値を計ることができるのかとなるとできない
それはあくまでも一応の目安なのである、この貨幣はグロ−バル化するためには不可欠である、ただそこでの問題は価値が貨幣ですべて計れないのに計ってしまう弊害である
それがグロ−バル化の大きな問題なのである
価値は実際多様であり簡単に貨幣だけで計れないものだからである

オリッピックでもそうだがこのようにやはりグロ−バル化したものは価値の一様化なのである、すべてが勝ち負けで決められる、負けた者には価値がないとされる
それは実際は価値基準にならないにしろそう強いられるのである
オリッピックの問題もグロ−バル化した結果として現れた
それは一部のオリッピック貴族のための金儲けになっていたことが判明した
スポーツでも文化があり一様化できないのにただ勝敗ですべての価値を決めるからである
要するにグロ−バル化の弊害が大きくなって現れたというのがオリッピックでもあり全体的にもそうである、それは様々な方面でその弊害が大きくなったのである

貨幣で紙幣でもすべての価値は計れない、スポーツでもそうなのである
メダル数でその国の強弱とか価値を計ることはできないからである
むしろ小国でもそこに独特の風土に根ざした文化があるとき尊ぶとなる、そこに価値があるとなるからだ、オリッピックでも大国が有利になるからだ
でも文化になると小国でもそこに文化があり特徴があり興味あるとなるからだ
グロ−バル化となればそうした小国の価値は無視されるからである
それは国内でも起きてきたし世界的になれば余計にそうなったのである
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2021年07月23日

無意味化したオリッピック (膨大な金の無駄使いと化した-意味が問われる時代)


無意味化したオリッピック

(膨大な金の無駄使いと化した-意味が問われる時代)

オリッピックにも莫大な金が日本の税金でも使われた、それは原発ともにていた
原発は除染でも何兆円とかこれも効果もさほどないのに湯水の様に使われた
オリッピックも国立競技場とか施設を作るにしても莫大な金が使われた
そして開会式でも無観客だとなるからそれだけ金をかけた施設も活きてこない
盛り上がらないのである

だからそれだけの金と労力をかけたものが無駄になる、活きないのである
するとそのためにゼネコンにかけた金とか労力でも無駄になる
その労力にしても莫大なものとなるからだ、国家的事業だからである
確かにゼネコンにとっては利益となった、それは原発の除染でもゼネコンが入ってきて
利益を得たからである、それも実際は効果があったかとなるとそうでもないのである
それは徒労のようにさえ思えた、なぜなら森などは除染できないからである
だから除染はいくらしてもそれは全体からすれば一部にすぎないのである

何か最近問われているのは莫大な金をかけてもそれが有効にならない、施設を作っても
有効にならない、飯館村では学校を作るのに何十億かけて施設も作っても肝心の村民は若い世代は流出して住んでいない、生徒は村外から通っている、生徒5人に何十億かけているとか言われた、つまりそうして箱ものを立派な施設を作ってもそれが活かされていないのである
それがオリッピックにも言えた、無観客とは校舎が立派でも生徒がいないと同じなのである

それで人間のやることは莫大な金をかけてもそれが必ずしも活きないと思った
何か徒労に終わることがあると思った、なぜそうなったのか?
そもそもオリッピックをする意味が何かわからなくなっていた
時代によってその価値が変わったのである、これまでは何か価値あるものだった
世界中の人が技を競うとかで何か意味があり効果があった
でも実際はオリッピックはやる意味が希薄化してきたのである
金ばかりかかり何のためにしているのかわからなくなっていた
商業主義になりなるべく安くするのがいいとかも言われてイギリスとかアメリカでは実行した、それは金がかかりすぎても国の収益ともならないとなったからである

そして現実はオリッピックは本当に一部の既得権者の利権と利益のためにされていたのである、それがIOCのバッハ会長がぼったくり会長として批判されたことで判明した
なんでも200万とかのスイートルームの部屋が用意されたとかまるで国賓並みの待遇なのである、それでオリッピック貴族と言われたこともわかる
そのオリッピックは企業の宣伝のために使われる、放映権でも莫大な金が世界から出る
一つの世界的ショーとして金儲けのためにされていたのである
それが今回露骨にそのことがクローズアップされたのである
可視化されてみんながオリッピックとは一部のものの利権と利益のためにされることがほむかったのである
第一コロナウィルスがまた増えてきたとき強行するのは命の危険にもなる
そこまで危険を犯してまでやらねばならないのかとなり日本国民も反対が過半数を軽く越えているし世界からの批判もあるのに強行するのはなんなのだとなったのである

そもそもオリッピックを誘致するとき国民でも深く議論もしないそれが本当に必要なのかどうかも検討しない、震災からの復興オリッピックだとか言ってもそれも全くの偽装だったのである、原発事故の避難区域は何ら復興していないからである
それも世界に対して欺くものとして偽装されたとなる、それが政府指導で行われた
政府の都合であり今の自公政権の都合であり自民党内だと菅政権の都合で行われたともしている、なんか人気取りとかのためとなるが実際は裏目に出た
国民の総反発をくらっているからだ、こんなときになぜするんだとなっているからだ

結局これも原発でもそうだったが本当に必要なのかどうか深く議論もしないし検討もしない、ただ利益になる金になるということしか見ないからである

何の意味があってやるのか?

このことが深く検討されない、国民側にしてもやはり観光客が増えるとか金になりあとは一部の者の利権と利益のためにやるとなるだけであったのだ
ただそういうことが原発でも可視化されない、眼に見えたものとして現れない、第一IOCのことなどわからないからである

2018年から何年かは危険な時なのかもしれない
こんなとき東京五輪などやるべきではなかった
なぜなら東京五輪はやる意義もなくなっていたからである
ここに予算をつぎ込むのは日本をかえって衰退させる
それからカジノも中止になる、日本にまた大きな災害が来たら地震がくるとなれば
外国人も来ないからだ、外国人をいくら金もうけでも際限なく受け入れるのは問題だからである
北海道でも外国人が多いがこういう地震があると外国人も来るのを控えることになる
それでは観光で困るとなるがやはりあまりにも外国人に頼りすぎるのはどうかと思う
日本人が自分の国土でゆっくり観光ができないのもおかしいと思うからだ

自然災害もカルマなのか?
(カルマは蓄積されたものが放出すると安定する?)

ここで自分は書いていた、2018年に危険な年としたが2020がコロナウィルスが流行した年だった、災いがつづいていたのである
その時国民もオリッピックにはとんど反対していないだろう
何か景気良くなるとかしか考えていなかったのである、それは原発でも目の前の巨大の利益利権に目がくらんで地元でも積極的に誘致したのと似ている
人間はどうしても目の前の利益を優先する、それは誰でもわかりやすいからである

オリッピックする意味があるの?

こういうふうになるとなかなか考えることだからわからなくなるからだ
ただ実際オリッピックする意義は希薄化していたのである
前の東京オリッピックは意味があった、日本がの戦後からの復興オリッピックとして世界に示す意味があった、そしてそこで東洋の魔女とかでバレーボールで日本が優勝したのも日本の高度成長時代を象徴していたのである
では今度のオリッピックが震災からの復興オリッピックになるかとなるとそんなものが最初からなかったのである、それは政府の偽装でありそれは地元でもわかっていた
原発事故から復興などしていないからである、避難区域は依然としてゴーストタウンのようになっているからである
結局その偽装はいつか暴かれる、原発の「安全神話」も暴かれた
今回のオリッピックもこれは一部の者達の利権利益のオリッピックだったのである
それが露骨に可視化されたのである、何かいつか悪は暴かれるというときオリッピックもそうだったのかとなる
もうオリッピックを強行するのは狂気の沙汰だともなったからである
そうして菅政権は崩壊するとまでなったからである
何か人間社会でもやはり天災があったり神の意志が働いているのかとなる

原発はやめろ

カジノはやめろ

オリッピックはやめろ

何かこういうことが天からの意志、天意とか神意があってそうなったのかともなる
それでもしかしたらリニアなどもいらないともなる、大事業でもそれが無益化すると莫大な損失に奈留だけだからである
でも例えばエジプトのピラミッドなどはこれも莫大な労力をかけて作ったのだが何か意味があるのかと今になって問われる

何のために作ったのか?

それが問われる、でもそれも定かではなくなっている、ただこれが今になって無駄なものとも必ずしも見えないのである、一つの巨大な文明の記念碑だったとなる
歴史的にそうした巨大建造物は世界に残っている、ただなぜ今になるとなぜこんなも巨大なものが残ったのかとなる、意味が問われるのである
オリッピックも世界的行事だからこそその意味が問われる
とにかく最近は現代は何かと意味が問われる時代になったのである
何のためにこんなに金をかけてするのかと問われる時代になった
高度成長時代は橋がなけれはインフラを整備しなければならない時代だった
でもそういう時代が終わると何か公共事業でも無駄が多くなったのである
だからこそ何のために何か意味があってするのかとが問われるようになったのである
戦争で三百万人も死んだのはなぜかなると今になって問われる
必ず過去にしたことでも歴史的なことでもその意味が問われるのである
それが人間の人間たる所以だとなからだ

posted by 老鶯 at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月16日

東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。 (役割や意義や意味が問われる時代)


東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。

(役割や意義や意味が問われる時代)


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オリッピックてだは利益、利権より意味や意義が問われる

原発事故では利益や利権より安全が問われた



オリンピックを誘致しようとしたとき、何かその〔意義」などあまり国民でも考えなかった、世界中の人が集まり観光にもいい、日本に金を落とすとかくらいしか考えなかった
今になってコロナウィルス騒ぎになりなぜこんな時にわざわざ感染を広げるようなことをするのだろうとなった

最初日本が震災とか原発事故から立ち直ったということを世界に示すものだとして聖火リレーを東北を回ることにした、でも原発事故は依然として復興していない
避難区域には浪江町で一割とか他でも飯館村とかでも帰って住んでいるのは老人であり若い人は移り住み住んでいないのである

だから例えばそうした避難区域を聖火リレーで回ってなにか復興のたしになるのだろうか?
そこに意義は見いだせない、そもそも何か意義を本当に深く検討することなどなかったのである、結局一部の利権にかかわる人たちがしたいということでありそれも金儲けが目的なことが判明したのである
それでIOCのバッハ会長が世界からぼったくり会長としてオリンピック貴族して批判されたのである

とにかくどういうわけか最近こうしていろいろなことが何のためにするるのとか何か会社でも何でも存在する意義があるのかと問われる
オリンピックにしろこれまで世界中の人が集まった祭りでありそれがこんなふうに
意義とか問われることがなかったのである
こういうことは他でも問われている
何のためにしているのか、その目的と意義は何なのかと問われる

銀行でも銀行は一体何をすることが目的で意義があるのか?
なぜ投資信託とか株とか売りつける証券会社のようなものに変わったのか?
利益が出ないからそうなった、でも本来の地銀とか銀行の社会の役割はそういうものではなかった、地域の経済を活性化して発展させるものとして金を集め融資することだった
それは高度成長時代には資金を必要としていた会社も多く銀行に金を貸してくれと来ることが何もしなくて頼みにきていて必ず利子が帰って儲けになっていたのである
つまり銀行は何か金さえ集めていれば金を借りにくる会社がいる、人がいる
それに利子をつけて貸していればいいとなったのである
でも今は借りに来る会社でも人もいないのである

だから金を銀行で集めても借りて利子をとることもできないのである
それで投資信託とか株とかを売る仲介役となりそれは証券会社のすることを肩代わりするようになった
すると銀行の役割は地銀の役割は別に地元の経済を活性化する発展させるということもなくなるとなる
その代り客が投資信託でも株でも判断して利子になるものを得るようにするほかないとなる
つまり客自体が金をもうけたいなら利子を得たいなら投資信託でも株でも投資のことを自分で勉強してしなさいとなった

結局その負担が地元の客にかけられるようになったのである
自分自身そういうことをしたことで書いてきたけどこれも大変だとつくづく思った
そもそも投資のことなど簡単にわかるものではないからだ
だから銀行に頼むほかなかったからだ、でもその地銀でも投資に関して素人だったのである、同じレベルだったのである、そして地銀では手数料をとることしか考えていないのである、だからリーマンショックで半分に下がった株が元にもどりさらに倍にもなった
でもその株を営業の人は売ってJ-REITにした、そこでまた手数料が入りノルマを果たすことができるからそうしたのである、でもJ-reitは急激に下がったのである
ただなにやかにや客が言ったとしても投資は自己責任で終わりなのである
別に銀行が詐欺だとかなんとにはならない、お前の責任であり自己責任で終わりなのである

ただここでも問われているのは何のために地銀とか銀行があるのか?
それが問われている、株とか投資信託とかをするのは証券会社であり地銀の役割ではなかったからだ、そうならば証券会社になった方がいいとなり現実に福島銀行はSBIに吸収されて証券会社にもなったからである
だからそもそも一体地銀の役割は地銀とあるごとく地域のために何をする役割があったのかと問われているのである
つまりその役割とか意義とかが問われているのである、それを見出さなければ地銀はいらないとなる、確かに利益を出すことが何であれ優先される、利益が出ないならやめるほかないというのも現実である
でもその前にその会社であれそれが存在する役割や意義は何なのかと問われるようになった

それはあらゆる方面でそういうふうに役割とか意味とか意義が問われるようになったのである
ただすべてがまず利益を出すことでありそんな役割とか意味とか意義とか問われなかったろう、これまでは別に利益をだすものが意味があり意義があった
だから利益を出していればいちいちそんなことを問わなかったのである
それは何故なのだろうとなると例えは橋がここにないというとき橋をかける意味とか意義など誰も問わない、それはみんな必要としているからだ
ただ橋でも道でもインフラが整備されると北海道に高速道路を作っても熊が歩いているだけだと言われた、そんなもの必要ないのに税金の無駄だとされるようになった

リニアなどでも自然破壊がありそんなに早くして莫大な金をかけてやる必要があるのかと問われる、新幹線は必要だったがリニアとなると本当に必要なものなのかどうかと問われる、新幹線で十分ではないかということにもなるからだ
インフラでも整備されると地方への公共事業でもそんなに道路ばかり作っても無駄だともされたのである
だから今整備するのはこれまで作ったものが老朽化したら修繕の方だとなる
新しく何かを作る時代ではなくなったともなる

ともかく何でも利益を求めて意味とか意義など関係ない、まずは利益であり利権だとなるそれは高度成長時代には良かったのかもしれない、いろいろなものが整備されていないからである
そういうことはあらゆる方面で起きているのである
創価公明は高度成長時代に急激に増えたのは日本が経済成長することは御利益が得たからだとなる、みんなその時は給料でも上がり豊かになっていたからその時代にあったものとして生まれた
でも日本の経済が30年とか成長しないとか給料も上がらない、貧困化すると御利益がないとして衰退する
それで何の目的で活動しているのかとか今問われる
何をしたいのか会員でもわからないとなる、それは前からそうだったのが今になるとその存在意義とかが社会から問われるのである

原発事故で漁業者が事故前からも多額の補償金をもらっていた
漁業権を売ってもらっていた、そして事故になりまた補償金をもらうから生活の心配は何もないのである
そして海が汚染されるか騒いでもまた補償金を上積みするためなのかとも見られる
そして漁師が港で魚もとならないのになぜ自分はここにいるのだろうと自問していた
これもつくづく漁師がそもそも何をする人であり地域であれ社会であれ何の役割があっていたのかと問われる、魚をとり地域の人に提供するためであったからだ
その魚にしても実際は地元ではなく東京の金持ちのために寿司だったら三万円もの高給料理店に売っていたとなる、地元の人に売るわけでもなっかとなる
こういうことは別に広域化グロ−バル化経済になれば普通のことなのである
でもその土地に住むならその土地の共同体とかがありそこで意味とか意義をもつ
でもグロ−バル化するとそういう役割とか意味とか意義が考えないのである
ただ高く売れて利益になればいいとしかないのである

NHKのテレビで浪江の人が田んぼを作っていた、それもすでに十年くらい放置されたままである、でもその田んぼでも畑でも働いて子供三人とか育てた
じいちゃんは帰りたいとか言う、新しい家はすでにいわき市とかに建てている
でもその荒地化した田んぼを再生させたいというとき田畑で子供を育ててここに生きたということがありそれが生きたことであり生きた意味でもあったからまた再生したいとか跡を継いでもらいたいとなる
でもその人も実際は東電でも働いていたのである、農業だけでは子供でも育てられないということがあったからだ
ただその田んぼに執着するのはやはり自分の人生がそこにあったからだともなる
それは家のことを書いたがやはり家には親が苦労して作ったとか思い入れがあるからだとなる、それを子供が受け継ぐのである
田畑でもそうである、だから農家では先祖の田んぼだから売りたくないとなるのである
先祖の労苦がそこにあったからそこに意味と意義があるからだとなる
大げさになれば歴史的価値としてある、単なる米を食べる腹を充たすだけではないものが田畑でも家でもあったからそうなるのである

なぜこうしてあらゆる方面で存在意義とか意味とかが問われるのか?

それは経済成長してインフラでも整備されるとそこに余計なもの無駄なものが生まれるからだともなる

そんなものに金を使って意味があるのか、意義があるのか?

それがオリッピックでも問われたのである、このことは本当にオリッピックだけではないあらゆる方面で問われている、だから哲学の時代てあり宗教の時代であり芸術の時代にもなる、宗教でもただ拝んでいればいいというのではない、もともとなぜかというこから宗教だって始まっているからだ、ただ御利益を求めるものではなかったからである
哲学と宗教は不可分なものとしてあったからである

これから今でも何かというとこの役割とか意味とか意義が問われる
それはまず利益になればいいだけではない、意味や意義が見出さなければやるべきではないとなる、だからまずそれをやるべき意味と意義を深く検討しないと後で問題が起きてどうにもならなくなる
それはオリッピックでもそうだった、実際はその意味と意義とかをみんなで検討したり深く議論したもしなかった、利益がある利権があるということで始まったのである
それがあまりにも誰が見てもそれが一部の者のオリッピック利権者がするものであり
かえってコロナウィルスが広めるためにするのかともなる
災いのオリッピックになってしまったのである
ただそれも利益利権しか見ないからそうなった、原発事故でもただ利益であり利権であり危険性はないがしろにされた、安全神話を作り都合いいように利権として利用されたからである、危険なものだということは隠されて議論もしないで利益利権のために作られて大事故になったからである


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2021年07月13日

この世に完全な安心安全などない (コロナウィルスのリスクを許容する時期が来ている?)


この世に完全な安心安全などない

(コロナウィルスのリスクを許容する時期が来ている?)


人間はこの世に生を受けた時、すでにリスクがある、まず安全にうまれるかどうかもリスクがある、子供が死産の場合もあるしまた母親が死ぬ場合もある
近くでそういう女性がいた、ただそういうリスクは減ってきた
また子供が死ぬことも多くそうして死んだ子供の名前を墓に見る
人間は医療が発達しなかったり栄養が悪いと子供でも死に安いのである
それは今でも後進国でアフリカなどでは同じである

つまり人間は生まれた時からすでにリスクをかかえて生きている、子供でも交通事故にもあうし何か危険な目にあうし死ぬこともある、遊んでいてもリスクがある
決行危険な遊びをしている場合があるからだ
だから結局人間はリスクがないということはないのである
どんなに気をつけてもやはり事故があり確率的に死ぬこともある
それは避けられないのである、それがこの世に生を受けた宿命だとなる

私の母親は冒険などしないおとなしい内気な女性だった
それでも水害になり水が床上浸水になりその時あわてて米をかかえて逃げようとした
その時炬燵の穴に入って大けがをしたのである
水が入って穴になっていたのがわからなくなりそうなった
結局人間は家にいても安全はない、リスクがある、津浪が来て地震がきて家が流されたり村ごと消失したりしたのには驚いた
だからなぜそんな危険な場所に平気で住んでいたのかとふりかえる

リスクと言えば交通事故は死者が減ったとしても一番確率が高く事故にあう
もうそれは避けられない、あの時ちょっとの差で事故になり死んでいたかもしれないということをほとんどの人が経験しているだろう
だからちょっとしたことで人間は死ぬということは普通なのである
それでも車社会でありリスクを許容して生きているのである
私は何かずぼらであり車運転に向かないから車を持たないのである
車を運転したら早い時期に死んでいた、それほど車というのはリスクなのである

今日テレビでこれからの問題はどれだけリスクを許容するかであると言っていた
もうコロナウィルスとともに生きざるを得ないから何でも制限する必要はない
with コロナで生きるほかないと言っていた
そういう実験をイギリスではしている、アメリカではもう普通の生活に戻っている
日本ではどうするのか、敏感すぎるともなる
ただこの辺が正念場だから耐えるべきだとかも言う

確かなことをこの世から完全にリスクを取り除くことはできない
だから原発の安全神話は全くありえないことでありそれでも安全と言って住民をだましていたから許されないとなったのである
リスクはある、でもそのリスクにどう対処するかが問題になる
ただ「安全、安全」と題目のように唱えているだけでは安全はなかったのである
配管などももう老朽化していたのにそういう修繕もしない、ただ安全、安全と唱えていれば安全になっていたら楽なのである
それで大事故になったのである

ともかくリスクはさけられない、コロナウィルスでもどの辺で折り合いをつけるのか未知の物だから迷うのである
科学者や研究者ですらプロですらわからないとしたらどう判断していいかわからないからだ
ただ日本だと完全にリスクをゼロにするコロナウィルスをゼロにするということは問題だとしている
それはできないからである、未知なものでありできないのである
だからどの辺で折り合いをつけるかが今問題になる、このままでだらだらやっていたら
いつ終わるのかわからないしそのうち社会が機能しなくなる
飲食店も倒産して自殺者も増えたりそっちの方の被害の方が大きくなる

そのことをテレビで討論していたのでそういう指針を政府で出すべきだということもわかる、明らかになったことはそれほどの死者が出ないことである、重症者が減っていることである、感染者は増えても重症者が減っていることは安全を計る基準にはなる
ただ未知なものに対しては何か恐怖がつのるのである
そういう私自身がすでにワクチンをして500人死んだというときしたくないからしないのである、そのことはテレビでは報道しないからである

ともかくこの世を生きることはもう生まれた時からリスクがあり時代を見れば70年ごとに大変化がありリスクとなる、70年前の戦争では三百万人も死んでいるからである
もしそういうリスクを想定したらとてもじゃないが戦争などできない
でもあえて日本はアメリカとの戦争に踏み切ったのである
そんなとてつもないリスクを考えていたのかとなる、その責任はどうなるのだとなる
それは原発事故でもいえる、故郷に住めなくなる、50年以上も放射線量は減らない、毒は消えないとかなる
そもそも原発は本当にリスクが大きすぎたから作るべきではなかったのである
でも「安全神話」を作り何も事故になることを想定してしいないから浪江の人たちは一番危険な放射線量が高い津島に避難したのである

株でも投資でもリスクはある、そのことは銀行でも証券会社でも一応言うし事前にそういうものだという了解でしている
でも売る方になるとリスクはあまり言わないのである
とにかく人間社会は常にリスクがあり時代によってもリスクがある
リスクはまねがれないのである、だからリスクにどう対処するのかが問題になる
コロナウィルスでもリスクでありこれにどう対処するのか問題になる
イギリスではある程度のリスクがあるとして許容して普通の生活にもどる
アメリカでもワクチンをうって野球観戦でもマスクをしていないとかしている
もうリスクを許容してそうするようになった

では日本ではどうするのか、リスクをそのように許容できなるのか?
ゼロリスクにすることはできないが日本だとそうしたいとなる
でもそんなことがありえないことだからどこかで許容して普通の生活に戻らないと社会自体が大損失になり自殺者の方が増えたとなる方が問題になる
だからどこかでリスクを許容して生活を正常に近くするほかないとなる
ただ正直南相馬市では飲食店でクラスターが起り警戒するようになった
田舎では敏感でありそれで外出もできなくなったともなる
田舎の場合はこうして敏感だから人流もある程度おさえられる、でも東京とか都会となるとおさえにくいのである、仙台市は一時減ったがまた増えてきたとかある
だからもうゼロコロナではななくwithコロナにするほかないのかもしれない
そういう指針を政府で出す時期なのかもしれない、そうしないといつまでもコロナウィルス騒動終わらないし戦々恐々として正常な生活ができないとなる
その被害の方が大きくなる、それで社会活動がてきなくなりそのための犠牲者がコロナウィルス自体の被害より大きくなることは止めねばならないとなる

人間はやはり運不運がさけられない、個々人でもリスクのない人生などない
どこでどうなるのかわからない、安全安心もない、だから運が関係しているとなる
商売でも運が関係している、私の店が繁盛したのもただ角にあり場所が良かったのと小商いが成立した時代だったからだとなる
つまり運が良かっただけなのである、

それで財産でもラテン語 fortuna(運;[複数形] 財産)→fors(好機;運)→bher-(運ぶ)が語源。「偶然やってきたもの」がこの単語のコアの語源。bear(運ぶ)と同じ語源をもつ。fortuneが運が財産となったのである運が良いか悪いのか相当に人間の陣形に影響している

私でも戦争の前に生まれていたらすでに20代で死んでいたとなる
でもちょっとの差で戦後に生まれたから死なずにすんだとなっているのだ
それも運だったのである、何か人間には運が作用しているのである
この運だけは人間ではどうにもできない、神が運を作っているともなるからだ
人間には様々なリスクがつきものである、そのリスクをなくすることかできない
いくら安全を計って家から一歩もでなくても災いにあうのである
かえって思い切り冒険したので助かったとういこともあるのだ
とにかく過度にリスクを恐れることは問題がある
ただ原発の様な危険なものはもともと作るべきではなかったのである
こんなふうにして事故にあったらもうとりかえしがつかないからである
別に火力発電所なら爆発しても回復できたが原発はできないからである
それなのに安全神話を作ってだましていたから許せないのである

posted by 老鶯 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月09日

創価公明は中国の命令で動く一部隊である (文明の病的現象としての創価ーナチスとも似る)


創価公明は中国の命令で動く一部隊である

(文明の病的現象としての創価ーナチスとも似る)

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●勤行・唱題しない会員が多すぎる!
●地区の運営マニュアルがない!
●折伏する活動家が激減!
●子供への継承ができていない!
●人材育成システムが存在しない!
●組織を運営し、発展させるプロがいない!
●提案・意見・苦情を吸い上げる機能がない!



創価とは何なのか何もの目的でそもそも作られたのか?
それが不可解なのである、そしてなぜあれほど会員が増えたのか?
それは信仰のためとかなるが現実は信仰とは関係ない
第一あらゆる欲望が肯定され信仰でさらなる欲望を得るために祈るのが宗教ではありえないだろう
題目を一日唱えている人もいる、それは何のためなのか?
それは現世の欲望をかなえるためである
あらゆる欲望は否定しないしかえって奨励される、欲望が強いことがエネルギーがあるとして肯定されさらなる欲望を満たすために祈りつづける
日蓮宗は何か題目を唱えて江戸時代でも練り歩いていた
攻撃的な宗教てある、ただ念仏宗でも同じようなものである

ただ日蓮宗はより政治的である、ただ戦国時代になりそうした権力と一体化した宗教が信長によって弾圧されて江戸時代には仏教は幕府の寺社奉行の支配下になって権力に対抗することはなくなった、役所のようになり人別帳とかで管理するものとなった
それで寺は幕府に優遇された
でもそのことで神社側が不満があり明治維新になって廃仏毀釈運動が起きて仏像などが破壊されたのである、天皇は神社の総元締めであり天皇が復活したからそうなった
つまり宗教も利権と深くかかわりそうなったのである

ただなぜ創価が会員でも増えたのか、それはやはり戦後の混乱の中で何か拠り所を求めたからだろう、特に創価は都会の宗教であり都会を重んじる
東京と大阪を主戦場として会員を増やしたのである
それで東京と大阪では選挙で常勝であり仏法の勝利だとして鼓舞していた
それは全く都会中心の宗教でありまた団地の宗教ともされた
地方から田舎から来た人が何か精神的拠り所を求めて入信した、会員になり仲間意識を育てだとなる、だから本来の宗教とは別な動機がありそれで増えたのである

第一宗教というときどういうふうにしてどこから生まれたかを見ればわかる
エホバは人一人もいない砂漠から荒野に現れた、大都会の人が密集しているような場所に神は絶対に現れない、神は不浄を拒絶するから砂漠とか自然の厳しい場所にこそ宗教がありうる、だから山伏とか山岳宗教でも自然の中で身を浄めるのだからそっちの方が宗教らしいとなる
イスラム教でも仏教でも岩窟で宗祖が悟りを開いたとか神からの啓示を受けたとなる
東京のような所で神も仏もない、ただそこに大衆と群衆とビルがあるだけであり索漠としている、ただ巨大な高層ビルを見上げて人間の卑小さを知らしめられるだけである
あとはただ数字としてカウントされもう人間はいない東京砂漠なのである

創価の異常性はヒットラーのナチスと類似もしている、現代文明の中でアトム化した人間が砂のようになった人間が何か理由もわからずにそこでナチスのように一体感を感じる
仲間意識をもてるとなり増えたのである、その内部では別に助け合うとかではない
結局は一部の幹部とか議員になるとかで上昇意識をもたせて組織を活用した
第一人間が組織化すること団体化することは必ず地位とか序列を作る
それは中国の共産党自体がそうである、序列を作り内部抗争があり権力闘争があり反対する者は殺すことを繰り返してきた
それはまさに人間の業だった、カルマだったのである
人間は組織化団体化するとき非情になる、そしてその数で権力をもち高圧的になる
民主主義といっても田中首相が政治は金と数だと言ったように数が力なのであり一個人など一票など何の力ももっていないのである

そして創価というとき何か数が多くてそれが恐怖になるが実際活動している人は少ないのである、最近は全国の選挙でも百万票を減らしたように活動していない人が膨大なのであり衰退の一途をたどっているみたいだ
その数の中味は実際はただ数だけだともなる、信仰などは全くない、ただ何か得することがあるとか上の方になると議員になれるとか地位を得るとかしかない
何か本来の宗教的なことは一切ない、そして幹部のしていることは膨大な何百万という名前だけの会員に一票を入れさせるために一軒一軒回る
常時選挙で勝つ、票を得ることが目的だからそうなる
だから創価とは膨大な幽霊会員の団体だとなる、実質の連帯とか村の共同体のようなものはないのである
それはそもそも文明人間自体がつくづく幽霊人間なのである
ただ数として統計としてあるだけであり本来の人間などいなくなっているのだ
そういう現代文明からナチスが生まれたのであり創価も同じなのである
現代文明の中から生まれた病的集団だとなる,オウムも現代文明の落とし子でもあったからである

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人と人は結合しない
大衆や群衆となり
見せかけの連帯に酔う
しかしその騒ぎののちに
何か実りなき虚しさ
結合した建築物ともならない
分解して結び合わない
そして散り散りになり
砂のように結び合わない
砂には足跡も残らない
ただ砂に消されて跡を残さない
まさに手に握る砂がこぼれてゆく
現代人の悲しさ

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ 啄木

啄木の歌がそうである、カルト教団でも何かそこで人間と人間が結び合うことを欲して生まれたことはわかる、でも現代文明ではそれがないのでありカルト教団でも実際はないのである、だから創価でも何百万人の幽霊会員がいる
その幽霊会員を一票に結びつけると数として具体的な権力となるから常時選挙活動しているのが創価なのである、でもそこに本来の共同体などないのである
だからそこ幽霊会員が膨大にいる、そもそも人間が大都会では幽霊のようになっているのである

いづれにしろ創価とはな何なのか?何の目的で集まったのかも良くわからないのである
表面的には日蓮宗であるとしても政治団体でありなぜあれほど中国に従属してその配下のようになっているのか?その目的は何なのか?
ただ別に周恩来時代から中国は今のように発展しないときから親密であり中国様様になっていたのである、それは池田大作がそういうふうにしたとなる
ということは今の中国の巨大化を見ればそれを見込んでそうしていたのか?
とすると先見の明があったとなる、世界のことがわからない自分からするとやはり国際性がすでにあったとなる

創価とは中国の命令なら何でも従う日本の中の中国の一部隊なのである
だから公明党が国土交通大臣になったりして土地規制法でも骨ぬきにしたのである
この権力が日本にとって大きな権力だからである
それは自民党を下支えてして選挙で創価会員が票をまとめて当選させてくれるからである公明党が応援しなければ半分くらい自民党議員が落選するともされるからである
つまり票を集めることは権力を得ることに通じているからである
それで常時選挙態勢なのが創価公明なのである

ともかく創価の影響は知識人でもまきこみプロパガンダとしている、その最たるものが
佐藤優でありキリスト教とか言っているが全然違う、池田大作を礼賛することなどありえないからである、それから田原総一朗などもそうである
これも本を売るために礼賛の本を書く、またマスコミにも新聞などでも福島民報で聖教新聞をすらせてその資金源を提供している
毎日新聞などでもそうである、これは創価が金もありそこで金を権力を得るために活用する、会員から金を集めて権力掌握のために金を使うのである
だからマスコミはそういう組織団体のために使われいるだけであり真実は報道しないのである、それは新聞でもテレビ局でも金がかかりすぎるのである
もしyoutubeやプログのようなものになると手間がかかるとしても無料なのである
だから金もなくても報道でもできるとなる

ただ最右翼の鈴木傾城などが佐藤優などを持ち上げたりしているのは解せないのである
なぜなら創価公明は中国の一部隊であり中国に日本の国土でも自由に買わせて使わせるとかしているからである、その国土交通大臣が公明党だからである
そしたらなぜ創価公明のプロパガンダの佐藤優を持ち上げるのかわからないとなる
矛盾しているとなる、あれだけ中国を攻撃しているのに矛盾しているとなる
ただ日本でも中国の影響はアメリカより増大している
なぜなら中国はアメリカと違って中国人そのものが日本に住み活動するからである
そして土地でも買ったりあらゆる面で戦争する前に中国が支配しているとなる
だから高橋洋一氏が中国の統計は嘘だとか本を出そうとしたら中国政府から抗議が来た
つまり日本でも言論弾圧をすでにしているということなのである

ただづはさの党では中国とアメリカは対立しているようで裏でつながっている
日本を分断させて日本を支配する、そのことは裏で了解しあっているとしている
CIAとか国際資本家がそう決めていて実質の支配者はデーブステートとしている
そのことがあながち否定できないのは日本がアメリカに負けた時、実はソ連とアメリカで日本を分割することが密約されていたからである
それが辛うじてそうならずにすんだのである

いづれにしろ日本は今国力が弱体化して中国であれ進出しやすい、アメリカはどうしても衰退してやがて日本から駐留軍を引き上げる、そうなったら日本一国で中国とは対峙できない、モンゴルの元冠のようにはならない、海が防壁とはならない
日本は今そうした危機に直面しているけどその危機感がない
何か日蓮が遭遇したような時代になっている、その鎌倉時代は様々な災害が疫病でも自然災害でも連続して起り日本は危機になった
その時日蓮は警告した、その時は外国勢力をモンゴルの侵略を止めることができた
しかし今回は創価が日蓮宗でも全く日本の独立など防衛など考慮しない
すでに中国の一部隊として日本を乗っとることに加担しているのである
それに二階とかが共同している、でも対立が激しくなると自民党も分裂する

日本は中国派とアメリカ派で分裂する、それは台湾有事で現実化する
次は沖縄の中国支配でありそして日本の本土支配になってゆく
沖縄は中国の一部だと明言しているから台湾の次は沖縄が戦場となるからだ
ただ日本は戦後はそうした戦争とか危機を感じなくなったのである
何か国自体の力を失っている、それは高度成長時代が終わり経済が低迷しているとか様々なことで日本が衰退していることもある
だからこそ今日本が対外的にも国内的にも危機的状態にある
ただそれがまだまだ自覚されていないしそういう危機を経験していない、津浪でも原発事故でもコロナウィルスでも日本は危機に弱くなった、対処できないのである

つばさの党でもまた右派でも創価が中国の手先だとして批判している
それで好感がもてる、国際金融資本も批判しているからアメリカからも独立を志向している、そういう党が今日本に必要だともなる
でも中国の圧力が強くなりそれになびくのも多い、経済界ではどうしてもそうなる
結局創価とは何なのか、何を目的としているのか、世界広宣流布だとか言うけどそもそも日蓮宗とか法華経とかとは関係ない、本来の宗教性は皆無である
ただ御利益であり得することしか頭にない、後は権力争奪を目的としている
宗教とはまさに方便であり中国とかも政治的に利用して利用されて権力拡大を目指している、俺たちの後ろには中国がいるとなると権力で日本を動かすことができる
それが今になると中国が巨大化したからさらに有効になる
だから中国が発展しない時でも中国と親密になっていたのはそういうことを見越していたとなり今になりその効果が現れたとなる
中国があんなにたちまち巨大化してアメリカを経済で追い抜くようになるとは思わなかったからである

ただ創価はもう衰退の一途をたどっている、活動する人は高齢化しているしその巨体をやっと維持している状態である、だから票でも百万票も減った、増えることはない
するとやがて自民党からも見捨てられる、今は下支えしてもそれもできなくなるからだ
特に中国の手先だとして警戒されて右派から攻撃されるようになる
ただ中国をめぐっては日本は深刻な分裂状態になる、そこで新しい政党が必要になる
その一つがつばさの党なのかもしれない、ただここの党は何を目指しているのかまだわかりにくい、ただ若い人が多いということは未来を担うのかもしれない
確かなことはもう自民党とか野党でも旧来のものに頼れなくなっている
大きな交代が世代交代が変革が要求されているのである
創価でも生き残るとしたら相当な大変革が必要であるがそれは不可能だとなる
その成り立ちからして宗教心などゼロだからである
だから一体何を広宣流布するのだろうと思う、ただそれは権力の拡大でありそれ意外ない信仰がそもそもないものが何を広宣流布するのか?
そんなことをできる人がいるのか、権力とか金とか地を得たいとか全く世俗と同じでありそんな団体が何を広宣流布するのだろうとなるからだ
いづれにしろナチスのように文明の病的現象として消えるとなるだけである

創価内部から改革ができるのか?創価は池田大作とか批判しても依然としてその組織の内部では組織の維持を望んでいる、そこがやめた人とは違っている
そういう人は内部から改革しようとしているがそれもなかなかできないと思う
その組織自体がもう維持できなくなっているからだ
ただやめる罰当たると地獄に落ちるとかでなんとかやめるのをとどめている
でも罰当たるのは実は創価の会員になっていることなのである
その組織にいること自体がもう地獄に行くことになっている、でも宗教のやっかいなのはやめることがそういう恐怖でやめられないのである
だからなんとか票でも減らさないという効果がある、つまり奴隷の霊を受けてそれから脱することができないのである、精神的奴隷人間なのである
そして生きているのか死んでいるのかわからない偶像化した池田大作に頼っている
組織自体がそう なっていたのだからその偶像の呪縛からも逃れられないのである
でも創価の崩壊が近くその時自民党にも影響する
票の下支えなくなり自民党も分裂するし日本は明治維新とか戦争の時のような大混乱になることも予想される、そのきっかけになるのが台湾有事でありまたつづいておきる中国の沖縄侵攻なのである


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2021年07月08日

自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴 (熱海市の土石流被害は中国も関係していた)


自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴

(熱海市の土石流被害は中国も関係していた)

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丸森のソーラーパネルはここは本当に危険である
ただ近くに人家はない、だからここまでしたとなる



熱海市の土石流被害が今の日本の問題を集約していた、そこに中国が関係していたことである、今回の崩落した盛土の脇に確かにソーラーパネルがあった
それが保水能力に影響して崩落したのか明確ではない
でも熱海市など地方小都市の土地が中国人に買い占められているというのは意外だった
北海道はそのことが言われたていた
でも今は日本の小都市の土地が買われているという、それで熱海市は標的としてはいい場所だったとなる

何か日本は中国の影響があらゆる場所で受けるようになった
日本浸食が尖閣諸島だとわかりやすいが実は日本中で中国の侵略が見えない形で行われている、熱海市は一時観光客も来ず低迷していた
そういう場所に中国人が土地を買う、中国マネーが入ってくる
それは毒のように日本人に回ってくる、カジノ問題でも富山県とかで中国人が関係してすすめられていた、金が中国人から流れていたのである

やはり国というのは国力が弱ると他国が進出しやすい、別に今は戦争ではなくても自由に人、モノが行き来するのだから住むことも簡単にできるのだから中国人が日本に住みつく現実に近くにも中国人が空家だったところに住みついて仕事しているからである
ベトナム人も住んでいる、それで中国人がベトナム人を仕事させるために連れてきていたというのも現代のグロ−バル化である
中国人の女性と結婚した人も知っている、中国人と欧米人の違い中国人は日本の中に住みつく、欧米人で住みつく人はまれである
だから欧米人は間接的影響であり中国人などは日本に住みつくから直接に影響する
中国人は中国政府の命令に従うというときもそうである
日本人に住んでいても中国人であり中国政府の命令に従う義務があるというとき日本にとっては危険なものになる

とにかく国力が弱体化すると外国の影響を受けやすくなるのだ
原発事故でももともと日本の技術で作られたものではなかった
何か日本人は技術で優秀だとかうぬぼれていた、そして日本人は原発でも事故を起こさないと「安全神話」が作られた、これは日本が戦争には負けないという神国としての神話を作ったのと似ていた
でも戦争で負けてそれも崩壊した、今回も原発事故で安全神話は崩壊した
原発はそもそも日本の技術で作られていなかった
古い型のお古のマーク1の原子炉をアメリカから買ったというより買わせられたのである遅れた国は武器でもお古を売りつけられるのである
日本は不思議に江戸時代の鎖国の時代まで独立国家だったのだが明治維新でも独立国家を維持していたがアメリカに負けてからは従属国家になり独立国家ではなくなったのだ
だからアメリカの意向に逆らうことはできなくなっていた

そして今度は中国が巨大化すると中国の意向に逆らえなくなる、それは日本の国力が弱体化しているからである、戦争する前にすでに日本は弱体化しているから経済的にも他国が進出して日本の土地でも会社で買うとなる
独立していないということはすでに経済的にも独立していないとなり土地でも買われ戦争する前に平和的に侵略されているとなる
熱海市でも衰退しても中国人が入ってきてそれで経済的にも復興したとかなるからだ

だから不思議に熱海の土石流が国際問題であり今を象徴していた災害だったのである
単なる自然災害とは違っていたのである、人災という側面もあった
その人災に中国人がかかわっていたともなる
ソーラーパネルは本当に自然破壊である、丸森では山ごとソーラーパネルになっていた
もう山自体の木をみんな切ってしまったのである
すると土石流になって流れ出す、でもそこには人家がない山奥だから熱海市のようにはならないということはある
でも山ごとソーラーパネルにしていいのか?景観としても問題である
そしてソーラーパネルの材料が中国製でありソーラーパネルは中国の企業が関与して作られている、中国をもうけさせただけだという人もいる

それは原発事故からクリーンな再生エネルギーとして民主党の行った政策だった
でも景観を破壊するし自然災害も起きてくるし廃棄物となるとき有害なもので公害にもなる、だからクリーンな再生エネルギーではないのである
ただこの辺では津浪で荒地化した海岸とかはソーラーパネルで埋まった
何も利用できないからそうなった、山でも木材が利用できないとかでソーラーパネルになった
ただ木材は外材が入ってこないとかウッドショックとかなると国産の木材を頼るようになるかもしれない、だから自給自足的な経済の回帰するかもしれない、何かコロナウィルスとかてもそうして過度なグロ−バル経済からその国の生態系に基づいた経済に回帰するのはいいことである

ただ危険なことは日本はアメリカによって従属国になったとき日本独自の国造りをできなくなっていた、原発を作ったのもアメリカに押し付けられたという側面もあるからだ
日本独自の国造りができない、アメリカに強制されまた今度は中国の巨大化で中国に強制される、その結果として日本の国土自体が破壊される
それが大問題なのである、ただ日本の自然は工業化で破壊されて来た
だからすべて外国のせいだとはならない、でも日本の国土を守るときやはり日本の独立が日本独自でするということが大事になる、それができないと日本の自然自体が守れずに外国に売られるともなる

日本は独立国家ではない、それは戦後戦争に負けてから精神的にも独立を失ったのである日本で独自の方向に向かうということができなくなった
日本の国力が衰退してやがてアメリカが衰退して日本からアメリカ軍が去る
その時巨大化した中国と対峙できるのかとなる
元冠の時は海が防壁となり防いだが今は海は防壁とならない、現実に飛行機でも簡単に日本に来て住みつく中国人がいるからだ
つまり戦争しなくても中国人の侵略は平和裏に行われいつのまにか日本は中国の一部だとかされてしまう
ただ日本は長年70年もアメリカの庇護にあり日本人だけで独立する気概が喪失した
それは国力の経済の衰退でもそうなった

日本一国で中国と対峙して独立の道を歩むことは至難になる
すでに中国の一部と化しているのが創価でありまた自民党の二階派とかもそうであり野党でもそうである、中国様様になって従属しているのである
すると日本の景観が破壊されても中国製のソーラーパネルで埋め尽くす、自然災害より中国様の意向に従うとなる、今まではアメリカ様の意向に従っていたが今度は中国様の意向に従う、中国の場合はより直接的になるから中国の一省となり中国が直接日本を統治するともなる
それがすでに高橋洋一氏が中国は統計で嘘ついているというとき中国政府から圧力がかかったからである、つまり出版すらできなくなるともなる
言論の自由はなくなるのである、これがアメリカとの大きな相違である
アメリカも圧力かけるにしても一応言論の自由は認めているからである
中国は全く認めない、弾圧されてしまうのである
その時日本はアメリカの支配より委縮した国家となり独立もない個々人でも奴隷的従属人間と化すともなる




自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴


森林を伐採というよりも、リゾート開発でそのあと打ち捨てられた山間部のゴルフ場跡地や、
採石場跡地、林業用の杉の山(輸入材の安いので切るだけ赤字)、そういうところが多いけどね。

田舎の太陽光発電ってコンクリの基礎作るわけでもなく、丸坊主にした山に
パネルの台座を差し込んで、坊主にした部分にシート貼ってるだけだからな。
恐ろしいよ。
見るたびに位置が下がってきてる気がする

シナチョンにやられて太陽光発電広めただけだしな
なんでアメリカが太陽熱発電が多いかと言うと砂漠が多くて、環境破壊のリスクが低いからなのに
同じ事を森林の多い日本でやるとか、砂漠化加速するだけなのに進めた結果がこれ

雑草が土の流出を防いでいるのに
ソーラーパネルで枯らしちゃ駄目よ
土砂災害に繋がるから
草刈りだって根っこは残すんですよ

パネルも事業母体も中国が多くて、中国人に日本人の再エネ賦課金含む金を
献上してるのが現状

あと、国内の金融機関も積極的に国内の企業に融資しなかったから中国人が
現金で土地を買収しまくった 挙句の果てに金融機関に再エネ関係には
極力融資をしないでくれとまで圧力かけた電力会社のバカもいる

つか今の土砂崩れは大半が土木知識のない素人が起業して価格とか利回りだけで工事したせい。

普通の家用分譲の成形地もここまでひどくなっていない。
建設業許可もってない企業とかが工事してる。

山削ってパネル建ててるやつがほどんどなんだから
そりゃトラブルにもなるわ
まず景観が汚くなるし、反射光も凄いし、大雨降るとダダ流れで
付近の田畑に流入して近隣大迷惑
空いてる土地が山ほどあるアメリカや中国みたいな国ならともかく
日本じゃやっぱり太陽光は向かないんだよな

利益より費用が圧倒的に多いのが太陽光発電
詐欺に近い

ソーラーパネルの会社は日本企業ほとんどいない
カナダとか中国韓国がほとんど
外資系企業が作るだけ作ってあとは放置

建築物というより工作物なんで上流に作られると災害時に注意がいる
昔は近所の山は数日掛けて水路に流れてたが今は泥水の鉄砲水化してる

日本のソーラーメーカーもアメリカのソーラーメーカーも、原材料が殆ど中国からで、しかもその材料が採れるのがウイグル地区なんだよ。だからほぼ人件費もかからずあいつら加工してやがるから儲かってしょうがない。
日本が国策でソーラーを増やしたのは、中国の金のなる木を増やしただけ

ソーラーパネルは、各家庭がとりつけるものであって
大掛かりにやるべきものではない。
なぜなら蓄電率が悪いし天候に左右されるから。
自然破壊してまでビジネスにするもんじゃあない。
各家庭への取り付けを義務づければ、街ごとの停電なども防げる。
必要なものだ

パネルも割と持たんよ
発電してるときは常に電流通ってるから
パネルの何処かがショートすれば
パネル全体がひび割れて産廃化する

20年補償とかようやるわ
半導体メモリや包丁の永年補償みたいなもん

日陰も作ってしまうから植物も育ちづらいし
それを食料にする動物も困るしな
完全な自然破壊か
自然を守ろう
でも二酸化炭素を少なくするのも自然を守ってるのか

ちなみにメガソーラー発電所ではほぼ毎日特殊な洗剤で
大量のパネルを洗浄して汚染された洗剤を処理せずに敷地にばらまき
雑草が生えると発電効率が落ちるから除草剤を大量に散布
土壌汚染のどこがエコなんですか?
賛成派はソーラー発電所の近くの汚染物資を大量に含んだ地下水を飲んでくださいね





丸森のメガソーラーパネルは元はゴルフ場だった
また山全体をソーラーパネルにした、そこの木は全部切られたから保水能力が消失して熱海市のように土石流となり流れ出す、ただ人家がない所だから誰も文句も言わないと成るこうして人家がないいうことはかえって自然破壊がすすむ
誰も文句を言う人がいなくなるとそこは自然に戻るわけではない
今度は飯館村とか原発事故の避難区域の人が住まない所が放射性廃棄物場にされる
だから何か森でも木材でも利用されないとかえってソーラーパネルになったりすることが止められない、人が住んでいることで逆に自然でも景観でも守られる
田んぼがあると生態系の一部になるから自然景観とかも守られる
でもそこが荒地になるとソーラーパネルになったりする
だから人の営みがないとかえって自然破壊される矛盾がある

ともかく原発でも日本だと地震が多いし津波もあるから向いていなかった
ソーラーパネルは土地が無限大にあり砂漠があるような所に向いていた
要するにその土地の風土を無視した科学技術はやはり問題があった
人間はどうしてもその土地に適合して生きるほかないのである
もしそれを無視すると自然から逆襲されるのである
ただエネルギーをどうするかとなると大問題である
地熱発電もこれもなかなかうまくいかない、結局炭の時代にもどるのかとまでなる
ただエネルギー問題は国の根幹にかかわることでありそれで戦争までになる
石油をめぐり戦争が起きたようにである

いづれにしろ原発事故がありその後ソーラーパネルによる自然景観の破壊があり日本の国土の荒廃がある、だから科学技術による繁栄には限界がある

御民我れ 生ける験(しるし)あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば

天地を基にして日本の栄がある、それをないがしろにしたとき栄がないとなる
それが原発事故でありソーラーパネルの自然破壊でありそこに日本の栄もないとなる
ただこの問題は国際問題化していて中国によるソーラーパネルの企業進出があり日本の富が奪われて中国に静かな侵略が行われていたということが裏にあった
つまり今や巨大化した中国があらゆることにかかってくる
日本の国土が守れない、国土交通大臣が公明党になっているのもおかしいのである
なぜなら創価公明と中国は一体でありすでに中国の一部隊となっている
だからと土地規制にしても公明党は反対なのである、つまり創価公明は日本を中国に売り渡すことに抵抗がないしその手先だとなる、それと自民党の二階も中国と親密であり中国様を優先する
自民党の右派がいたとしても目立たないのである
そこで熱海市の土石流被害でも現代を象徴するものとして起きていたのである


「中国人が持っている北海道の土地面積、静岡を超える」と田母神氏:
グローバリズムとの両立の道は

中国に蝕まれる日本人の土地
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2021年07月07日

あらゆることで意味と意義が問われる時代 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)


 あらゆることで意味と意義が問われる時代

 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)

高度成長時代は戦後の焼け野原の何もない時代から始まったからなんのためにするのかとか考えないで良かった、今腹減っていればただ腹を充たしたいとしかならない
ここに橋がなければ橋をかける、それをいちいち考える必要はなかったのである
だからそもそもこれが必要かなど考えなくても良かった
道がなければ道を作る、それはみんなが望んでいたことでありそれに反対する人はいないのである

でも最近つくづく何のためにするのか?

何の目的でするのか?

それがあらゆるところで問われている、それが本当に必要なのかも問われている
オリッピックが必要なのか?なんのためにするのか?それも問われた
結局必要だったのはぼったくり会長と言われたIOCにとって利権になるものにとって必要だったわかった、それで急にオリッピック熱が冷めたのである
何か白けたのでありオリッピックに熱中することもなくなったのである
アスリートは一部のオリッピックの利権者の駒に過ぎなかった、見世物の道具だったとなる

だからそもそも何のためにオリッピックをするのか?

その目的と意味と意義が問われたのである、前の東京オリッピックは日本が戦後の焼け野原から復興したことを世界に示すためとして意義があった
今回は津波とか原発事故からの東北の復興を示すためだとしたがそれはなかった
全然原発事故から避難区域となれば復興していないからである
さらにその意味とか意義が問われたのはなぜコロナウィルスの感染を広げるのにあえてやるのか、それが厳しく問われた、国民の命まで危険にしてやるのかとなり国民の大半は反対しているのにやる、そんなに国民すら無視してやるのは何なのだろうとなる
そこで今の政権に不信が高まり今年中に行われる選挙で自公政権は負けると不安になる
都議選でその傾向が現れたからである

とにかく今起きていることはなんのためにするのか、なんの目的がありするのか何の意味があって意義があってするのか、そういうことがいろいろな場所で問われる
食べ物がない物がない時代はまず腹を充たすことが先決でありそういうことは問わないからだ、でも様々な分野で何のためにするのかその意味とか意義が問われるから哲学の時代だとなる

例えば銀行なども窮地に追い込まれている、それで投資信託とか売り証券会社なのかともなる、でも地銀なら証券会社とは違う、その会社の目的は地域の経済にかかわり地域を発展させるために集めた金を回すことが本来の仕事である
それはこれまではそれが成立ったいた、会社でも金を貸してくれと銀行に頼みにきたからである、そして会社も成長したら利子ももらえてそれが預金者に回っていったのである
つまり銀行は何もしなくても金を貸してくれという会社が来てそれに金を貸せばいいとなる、あとは預金を集めればいい仕事だったのである

でも金を貸してくれという会社が地元でも少なくなり預金者には利子もつけられないとなると一体銀行は地銀はなんのためにあるのか
地域にある理由は何なのか、意味は意義は何なのかと問われる
それで地銀はいらないとかにもなる、だからそもそも地銀の存在意味は何なのかとか問われているのである、信用組合はその存在意義が地元と密着して果たしているという側面がある、地銀はもう証券会社の支店なのかともなっている、つまり役割りが喪失しているのである

こういうことはあらゆる所で起きている、もともと何のためのなのかということは追求されて来た、それが学問になった、学ぶはまねるだけど問うということから始まっているからである、だからあらゆる学問の基は哲学であり宗教もその代わりをしてきた
科学でもやはり哲学を基にしている、ただそれが時代的には食べるものもないとかなると食べ物を確保することが優先される、だから高度成長時代にはそういう疑問はあまりなかったのである、ただ人間は考える芦であり我思う、故に我ありというのは変わらなかったただそれが全体的風潮として様々な分野で会社でも問われるというのはやはり時代が変化したためだと見る

なんでこんな時にオリッピックやるのか?狂気の沙汰ではないか?

それまでにする意味と意義があるのか?ならばその意味と意義を問い正したいとなる
菅首相に聞きたいとなる、でも何か意味とか意義をIOCでも言わない、結局その意味とか意義より金だ利権のためだとなりそんならやる必要はないと世界の人でも見ているのである、つまりやる意義がなくなっている、世界平和に貢献するということでもない
もともとオリッピックが世界に貢献することなどなかったのである
ただ政治に利用されたり利権であったり金のためになされてきた、それが今回は露骨に可視化されたのである

それこはオリッピックだけではない、例えば原発でも電気は必要なことはわかる
でも本当に原発が必要なのか、原発無しでもやっていけるとかなる
電気はいらないとは言わないが原発なくてもやっていけるとはなる
リニアは自然破壊してまで危険を犯してまで作るべきなのかともなる
新幹線は必要だったとがリニアは必要なのか、そんなに早くすることが必要なのかと問われる
また宇宙まで火星まで莫大な金をかけて行く必要があるのかともなる

何かあらゆることでその必要性とか何のためにするのかとか問われる時代になった
科学技術でもあらゆることが研究でも必要なのかと問われる
それは科学の問題の前に哲学的問題となっているのである
だから今は哲学、宗教、芸術とかの時代に移行する、科学技術でもあらゆるものが本当に必要なのかと問われる、そこに危険があり原発事故になり故郷に住めなくなったからである
爆発した時吉田所長が東北に人が住めなくなるというのは原発のことを知っていたから言われた言葉なのである、それだけ危険なものが原発だったのである
そんな危険なものを地震とか津浪とかが襲う日本に必要なのとなる
電気がなくてもいいといのではなく、そんなに危険なものが近くにあり安心して生活できるのかとなる

哲学というと一般人と関係ないとかわからないともならない
この辺で原発事故で漁業関係者は事故前も手厚い補償金をもらっていたのである
だから別に魚かとれなくても良かったのである
補償金で暮らせたからである、でもそこで事故後は魚をとることもなく海を見てぶらぶらしていた、そこでなぜ自分は魚もとらないでここにいるのだろうと自問していたのであるつまり哲学的になったのである、魚を獲ることが仕事なのにそれもしない
すると確かに金は入ってきても何でいるのだろうと自ら棟うになったからである

何か今はあらゆることでこうして存在意義が問われている、その目的とか意義が問われる宗教でもカルト教団になるとなんのために社会に存在しているのか?
内訳はただ一票獲得のために祈って選挙活動しているだけである
すると目的は選挙に勝つことである、そして権力を得ることだとなっている
それが宗教なのかとなる、そんなことが社会にとって許されるのかとなる
その存在意義は何なのかとなるからだ

他にもマスコミの存在意義は何なのかとか様々なことで意味と意義が問われている
これまでは腹が減ったら充たせばいいしかなかった
宗教までがカルトだとそうなっていた、腹を充たすための宗教である
御利益宗教である、それは資本主義社会であれ社会主義であれ金をもうけるのが共同して金をもうけるのが利益を追求するのが会社だとなればそうである
でも今はその利益を上げるいうことだけで社会から容認されない
社会のためにその会社がどういう働きをするのか意味と意義が問われている
「SDGs」とか持続可能社会が言われるのもそのためなのである
ただ利益あげて社員に株主により多くの金を分配すればいいとはならなくなったのであるそれは世界的兆候としてある、中国でも若者から寝そべり族が生まれた時、なんでこんなに働くのか、働かせるのかわからなくなったとしてそうなったと見る
つまり哲学的になったのである


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2021年07月01日

中国の巨大化は元寇の再来なのか? (日本と中国の歴史をふりかえる―天童寺を訪ねて)


中国の巨大化は元寇の再来なのか?

(日本と中国の歴史をふりかえる―天童寺を訪ねて)



1275(建治元)年、降伏勧告に派遣された元の使節杜世忠(とせいちゅう)以下5名は、上陸と共に捕らえられ、鎌倉に送られて龍口刑場で斬首された。その5人の供養のために建てられた五輪塔が近くの常立寺(じょうりゅうじ)に残されていて、元使塚といわれている。2007年、朝青龍を初めとするモンゴル出身の力士が参拝して以来、毎年の大相撲藤沢巡業の時に、五輪塔にはモンゴルの英雄のしるしである青い布が掛けられるようになった。もっとも使節の5人のうち副使の何文著は漢人であり、二人は通訳の高麗人であるので5人ともモンゴル人というわけではない。

第1回の日本遠征が失敗に終わった2年後の1276年、モンゴル軍は臨安(杭州)に無血入城し、南宋は実質的に滅亡した。フビライは江南を支配すると泉州を拠点とした蒲寿庚などのムスリム商人船団を勢力下に納め、強大な海軍力を手に入れ、江南軍に編入した海軍力を獲得したフビライは、1281(弘安4)年に第2回の日本遠征を実行し、高麗からの東路軍4万の他に、明州(寧波)から10万の江南軍が派遣された。

フビライがハンの位に就いた1260年、日本では日蓮が『立正安国論』を著し、幕府に提出した。そのころ日本では大地震や風水害が相次ぎ、飢饉も起こっていた。日蓮は薬師経にいう、人衆疾疫・他国侵逼・自界叛逆・星宿変怪・日月薄蝕・非時風雨・過時小雨の七難のうち、五難はすでに起きてしまったが、「他国侵逼」つまり外国が攻撃してくる国難、「自界叛逆」つまり国内に反乱が起きる国難もそのうちに起こるだろうと予言した。
http://www.y-history.net/appendix/wh0403-033.html


人衆疾疫・他国侵逼・自界叛逆・星宿変怪・日月薄蝕・非時風雨・過時小雨の七難のうち五難はすでに起きてしまった

この時代と似て来たともしなる、疫病が起り天変地異が起きた
疫病はコロナウィルスであり天変地異は地震であり東日本震災の大津波であった
水害もこの辺で起きた、七難の内の五難が起きたとしているがこの辺でもそうなのである
1281(弘安4)年に第2回の日本遠征を実行し、高麗からの東路軍4万の他に、明州(寧波)から10万の江南軍が派遣された

寧波とか江南は中国の港として入り口としてあり道元が寧波により天童寺で禅の修行した場所である、港から運河があり天童寺に通じている、いかにも中国的な景色になっている

springchinesepoem.jpg

春日天童寺

日本人寧波入
春日運河舟行
紫山塔高々映
古松参道吾登
道元参禅室在

ここの写真がいい
https://4travel.jp/travelogue/10113583

ただ山寺に上る道がありそこの松がいかにも古い、その写真はない

chinesetowerphoto1.jpg

これば天童寺ではない、ただ典型的な中国的風景である


北宋の慶暦7年(1047年)11月、王安石は、「遊天童寺」の詩を作った。

村村桑拓緑浮空、
春日鶯啼谷口風。
二十里松行欲盡、
青山捧出梵王宮。

 村々の一面の桑畑が緑色に染まる季節、今日は上天気である。
 麗らかな春の陽光の中、鶯の鳴く声が聞こえ、谷の方から風が吹いてくる。
 村から続く二十里の松並木がようやく尽きようとしている。
 青々と美しい山の中に、私が目指す太白山天童寺はあった
 
ここは風光明媚な地だった、なぜなら海があり長江が近くにあり運河がある
春の日に行ったがそこに行くには運河を行ったらもっといいとなる
山の上にあり紫の山々に高い塔がいくつか映えていた

二十里松行欲盡

ここは松の多い場所だったのである、二十里も松がつづいてあるのはやはり中国的である禅宗という時鎌倉の五山があり中国から学んだものである

中国とは歴史的つながりが長く深いのである、そういうことで創価公明も中国と友好になったのかもしれない、そういうことで日本人は中国に歴史的文化的に親近感を覚えるのである、欧米は日本とはまた歴史的には150年だからまだ交流が浅いのである
何か日本の歴史とか文化をたずねると中国由来のものが多いのである
韓国由来の者はねつ造されたものである、それより中国由来になると韓国自体もそうなのである、南朝の煉瓦作りのドームの円形の日本生まれの武寧王の墓もそうである

ただ歴史をたどると逆に寧波から江南の軍が日本に送られて来た、10万の江南軍というのも驚きである、船団にしても数が多くなる

「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して
日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。つまり、元寇は高麗が積極的に進言した為引き起こされた侵略であった。
https://blog.goo.ne.jp/sumomo_218/e/71081ff9429c2cb70f7005f51dfe448e

この歴史も今からでも日本と韓国の歴史を彷彿とするできごとである
そうしても全く不思議ではない、日本には何か近親憎悪的になっているからである

弘安の役(1281年)

東路軍船舶数 4400隻(高麗が建造)
東路軍兵力
高麗人 25000人
漢 人
女真人
遼 人
トルコ人
安南人
モンゴル人 150人

総 数 50000人

江南軍兵力
旧南宋人 100000人

八幡愚童訓:高麗兵による日本人狩り
《弘安四年の夏頃、蒙古人、大唐・高麗以下の国々共の兵を駈り具して、十万七千八百四艘の大船に
数千万人乗り連ねて襲来す。其中に、高麗の兵船五百艘は壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。

ここの歴史談義が詳しい
https://blog.goo.ne.jp/sumomo_218/e/71081ff9429c2cb70f7005f51dfe448e

船は高麗で作った、その数に驚く、海を埋め尽くすような数である
私は中国を去る時漁船が尽きず海の上に船から見た、その数が多いからいつまでも漁船群が見えたのである

この兵力はまさにアメリカがイラクを攻めた多国籍軍だったのである
ただその主力は高麗軍でありその高麗軍が日本人に対して手に穴をあけて連行したように残虐なことをしたことは今でも伝説ともなり語り継がれている
日本の残虐性を吹聴するが韓国も残虐だったのである、それは戦争となれば殺し合いなのだから自ずと残虐になる、それで戦争は人間の悪質性が一番現れるのである

今中国が巨大化するとき日本を属国にすることをねらっているとも見る
元冠のときは海が防壁となり日本は救われたが今度はならない、一瞬にしてミサイルが飛んできて壊滅するとなるからだ、それは北朝鮮のような小国でもそれができるから全然違ったものとなる

とにかく日本と戦争となるとアメリカでもそうだったが太平洋戦争となり海戦となる
それで台湾がその防波堤となりそこにまず日本軍がつぎこまれると言うのもそのためである、その背後に日本のアメリカ軍基地があり中国を狙うのである

そして日本は中国派とアメリカ派に分断される恐怖である
すでに自民党だと二階派が中国よりでありや野党でも中国寄りがあり創価公明が完全に中国寄りだから中国様様でありすでに中国に隷属していて中国の一部隊とも化している
それは別に中国が発展する前から中国崇拝だったのである
池田大作がそれを先導したのである、それはなぜなのか理由がわからない
ただ創価公明は政治団体組織であり組織の意志として中国に忠誠を誓うものとなっていただから中国様の言うことには従う、中国様が日本の土地を買っても法律でも規制することにも反対なのである
おそらく中国様にかしづきそこで権力を得ることが目的だともなる
なぜなら創価公明は宗教など関係ない、そこでいつも幹部語るのは権力をどうして得るかしかないからだ、宗教はその隠れ蓑に過ぎない
だから中国様が後ろ盾となり日本も売ることも何の抵抗もないのである

ただ日本は中国の巨大化で脅威でもうそれが現実化してくると深刻化する
二つの勢力によって分断される、中国につくのかアメリカにつくのか
自民党内でも最右翼から分断される、野党も中国寄りだとすると実際はアメリカ寄りのようで中国寄りの方が多いともなる
日本の太平洋戦争は日本のために戦い300万人が死んだ
でも米中戦争になると日本はアメリカのために戦うのかともなる、アメリカではまず日本を中国と戦わせて日本を守れとなる、アメリカ軍は血を流さないとなる
それが太平洋戦争との大きな相違である、ただ理解できないのは中国の共産主義とマルキシズムと宗教は相いれない、創価の日蓮主義は鎌倉時代には通用した
でもマルキシズムと共産主義と法華経とは相いれない、だからそこで衝突して矛盾してくる、毛沢東を賛美することは共産主義をマルキシズムの基に国家を作るともなる
そしたら思想的に相いれないのである
ただ創価公明は思想的に深く悩んだりしない、現世利益だから中国側について権力を得て地位を得て金を得ればいいとなっている
だから中国様に日本を売りわたしても何かとがめることかないのである
思想とか宗教より現世利益だから関係ないとして利がある方につく、

いづれにしろ内憂外患となり鎌倉時代の再来になるのか?
でも世界的風潮として第一次世界大戦とか第二次世界大戦とか経験して戦争をしたくないそれで中国でも若者が寝そべり族とか生まれ日本でもニートとか大量に生まれた
そういう人達は戦争などしたくない、戦争とか生死を賭けることなどしないともなる
日本だって勇ましいこと言っても少子高齢化であり戦争できなるのかとなる
病人と老人ばかりの介護に追われる人が増えて戦争などできるのかとなる
ただ中国問題が最大の外交問題であり日本をゆるがすものとなることは確かである
アメリカはどうしても衰退に向かうからである

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2021年06月29日

オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった (今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)


オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった

(今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)

東京大会を開くかどうかも、政治家だけで決めるのではなく、選手自身や国民の意見をもっと聞くべきだったと僕は思う。今回の大会誘致のとき、福島第一原発事故の影響を心配する意見に対し、当時の安倍晋三首相が「アンダーコントロール(制御下にある)」と発言した。事実と違うのではといわれたけど、誘致が成功したから黙殺された。そんな経緯があるから、新型コロナウイルスの流行が収まらない今、「中止すべき」という声も黙殺されているように疑問を持たれてしまう。

本当にオリンピックが必要なのかどうか?
そのことが国民的に議論もしない、何か上の方でいつのまにか決まっていた
ただオリンピックが経済的効果があるから外国人が来るからいいとしかなかった

ただ利益だけから利権だけから見る

金になればいいじゃないかとなる、オリンピックは何なのか?
その意義は何なのか?それが追及されなかった
今になるとこれは一部の特権階級の利権のためにするということが判明した
ぼったくり会長としてIOCの会長が世界から批判されたからである

前の東京オリンピックが日本が戦後の焼け野原から目覚ましい発展を遂げてそれを世界に示すものとして意義があった
では今回のオリンピックの意義は何なのか?それが議論もされずただ誘致が決まった時
国民もそれでいいとした、関心もなかった人も多いだろう
オリンピック自体それほど悪いものに見えなかったのである
ただ福島原発からの復興オリンピックは偽装だったのである
地元では復興などしていないからである、避難者は町や村に帰っていない、大きな限界集落のようになっているだけである

ともかく何か大きな事業でも国民的なものでも本当に議論すらされないのである
それで今になってコロナウィルスになり日本人の命よりオリンピックが大事なのかと問われる、オリンピックは一部の特権階級の利権と利益のためだったのかこんなに汚れたものなのかと判明した
要するに世界的ショーでありそのショーを催す者たちが巨大な利権を得る、利益を得るとなっていたのである
それが見えなかったが暴露されたのである

それは原発事故ともにていたのである、原発に関しても地元でもそれがどういうものか知ることもなく議論されることもなかった、ただ利益になればいいじゃないかしかなかったそしてそれを作る方は原子力村を作り「安全神話」を作り何も言えなくさせた
そうして重大なことでも議論すらされないとなると民主主義があったのかとなる
そして常にこうして後から問題が起きると騒ぐだけなのである

でもオリンピックでもすべきかすべきでないか、する意義あるのかないのか?

こういうことが議論されるべきだった、その意見が分かれるにしても国民的に議論することが必要だったがそれもなかった
こういうことは常にある、大事業とかになると必ずある、戦争だって大事業でありこれには国民の生死がかかっていた、でもそれも国民的議論もなく、真珠湾攻撃で後にひけなくなり3百万人が死んだのである
それは予想もされない結果になった、これも国民が納得してそうなったものではない
強権的に上からの命令でそうなった

それで私の姉は突然赤紙が来て戦争に招集されて従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで地獄の苦しみを受けたのである
それはあまりにも突然のことであり有無を言わさず戦地に行かされたのである
それは国民がみんなそうだったのである、どうして戦争するかなどわからないままに強制的に地獄の戦場に連れて行かれたのである
そして三百万人が死んでその戦争が何であったのかと反省することになったのである
国民はまず何で戦争するのかもわからない人が多かったろう
鬼畜米英とか感情的に朝日新聞などでただあおられて良く考えもしないで強制的に戦地に送られたのである

とにかく人間は何かをするにも深く考えない、共同でするのにも議論もしない
事業を起こした人も地元では金にならないから東京の金持ち相手に別荘など建てるのが事業の目的だったとかある、そこでもただ利益になればいいとしかないのである
それで失敗して借金をかかえて苦しむとなる
そのために自分にしても周りにしても大迷惑になる、苦しめられたとなる
そうして事業に失敗すると家族でも回りでも苦しむことになる
そのとっばちりを受けるからた
だから回りにどういう動機で目的でするのか説明することも大事だとなる
人間は何でも勝手にしていいものなのか?
それがただ自分だけで始末できればいい、でも借金をしたということですでに周りに迷惑をかけるのである

とにかくまず金になればいい、利益になればいいしかないのである、カルト宗教団体でもそうである、御利益になればいいしかないのである
でもその御利益になればいいということが大集団になって社会に主張するとき他の人も巻き込まれるのである、民主主義といってもそれは利権利益民主主義である
その利権と利益のために集団化して組織化して社会に主張するだけだとなる
誰かが一人でも深く考えたことも数が多い方で物事は決められる、そうして後で問題が起きて国民全体が戦争では三百万人死んだことで責任がとらされるしまた原発事故でも
利益になればいいやとなって故郷に住むことすらできなくなったのである

現代はいろいろなものが整備されてできあがった社会になっている
戦後焼野原になったら何もなくなったからいろいろなものインフラでも整備される必要がありそれは考えることもなくみんな必要だから考えることもしなくても良かったのである例えば橋がなければ不便だということが目に見えてみんな要望だから橋でも道でも作る必要があった
でもインフラでも整備されると本当にこれ以上道が必要なのかインフラが必要なのかということが問題になった

リニアなどでもそういうことが起きている、そんな大工事していいのか、自然の影響がどうなるのかとか問題になる、新幹線は意味があってもそんなに早くして景色も見えないようなものに乗って快適なのかとなる
そもそもそんなに早く早くとすることが必要なのかとなる
それがコロナウィルスでヒト、モノの自由な行き来が止められた
それはグロ−バル化経済を止めることになった、それは世界に対する神からの警告だったのかともなる、そこに世界的に大きな歪が生まれたからである

いづれにしろ現代は何か重厚長大な産業とか外延的経済とか外に膨張する社会だった
でもそれがコロナウィルスで抑制された、またがむしゃらに働く社会だった
それで中国の若い世代でも寝そべり族とかが生まれそうしてがむしゃらに働かされることに抵抗するようになった、日本では前からニートとか引きこもりがいたからやはり中国でも同じことが起きてきているのかともなる

現代は物質的には交通でもその追及が頂点に達していたのである
グロ−バル経済でもそうだし科学技術でもそうである、原発などでもそこに相当な無理がありずさんだったのである、安全神話どころではない、内部の技術者がそれを知っていたのである、それでも強行された、それは利権と利益のためでありオリッピックと同じだったのである

現代で問われているは何か強引にすることではない、何かをするべきかしないかを考える時代にてったのである、哲学とか宗教の時代になったともなる
宗教でもカルト団体は全く無思考の団体だからそれは現代文明のナチスのような病的現象として現れたのである、大衆は考えないからである
そして現代では外延的に拡張拡散する世界ではなく、内面化する哲学宗教の時代になる
それは芸術の時代にもなる
それで私は木や石とかと自然と一体化するアイディンティティ化することを追求してきたのである,詩にしてきたのである
とにかく哲学宗教芸術の時代となると何かをするにも意義と意味とかが求められる
オリッピックでも一体これは世界の祭典として何の意義があるのかと問われたからである
コロナウィルスで生命の危険まで犯してする必要があるのか、結局利権利益のためだったということが判明したからである
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2021年06月24日

オリッピックを強行するのはなぜか (国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)


オリッピックを強行するのはなぜか

(国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)

オーシェ氏は、菅首相は五輪反対という国内世論は懸念していないのではないかとみている。その理由として、日本の選挙は非常に投票率が低い上に、特異な選挙システムであるため、自民党は政権維持のために有権者の大多数を勝ち取る必要はなく、65年間中61年間も政権を握ってきた点を指摘している

そういうことなのか、ならばわかる
なぜこれほど国民が反対しているのにオリッピックを強行するのか?
そのことが理解できなかった、それは菅首相にとっても自民党にとっても公明党にても有利とはならない、すぐに選挙があるのだから大負けすることもありうる
国民全体を敵に回したらそうなる、でもあえてオリッピックを強行するのはなぜだろうとなる
国家の威信だというがオリッピックが国家の威信と関係するのか
国民の安全の方が大事でありそれを国民が望んでいる

国民をあえて敵に回してもオリッピックは強行する

そこまで危険を犯してもやるというのが理解できない、自民党内でも選挙があるのだから反対する人もいるだろう、その声も表に出てこない

つまり菅首相は国民のことは恐れていない

どうせ選挙で勝つ、多少の増減があるだけで勝つ

だから国民のことは眼中にない!

これはもはや民主どころではないい、独裁政権である、菅首相の独裁政権である
国民のことなど眼中にないとなればそうである
選挙などどうせ自民党が勝つのだからどうでもいい、何の役割とないまでなる
ただの儀式のようなものだとなる
ということはすでに選挙しても無駄だとなるから民主主義の根幹の選挙制度自体が崩壊しているともなる、それは前から言われて来たことである
選挙はする前から決まっている、その勝敗は決まっている

またシルバー民主主義であり若者は数が少ないから投票もしないとなっていた
つまり実質民主主義自体が崩壊している
また資本主義自体も崩壊しつつある、世界の富が数パーセントの人たちに吸い上げられている、株式市場はそれは一部の人によって操作されているマネーゲームに過ぎないとかいろいろ言われきた
そうなるとみんな働くのが馬鹿らしくなるのだ
それでアメリカでもコロナの支援金をもらったら働かないとか中国では寝そべり族とか日本なら前々からニートとか引きこもりが問題になっていた
それは働くことは結局一部のものに搾取されるだけだということでそうなっていた
働くことが一方的に善だとされていた時代と違ってきたのである

働くことにはもともと人間の基本として奨励されてきた、働くことなしで社会は成立しないのも真実である
その労働観も崩れつつある、働くことに対して何か積極的な価値を見出せなくなっているみんながコロナウィルスで苦しんでいる時、株で大儲けしている人たちがいるのもそうである、そういう人にはかえってコロナウィルスはいいものだったのである
だからグロ−バルに何かモラルが崩壊しつつある、働くことは一部のものために働いているのであり大多数は貧困にあえでいるとなる
働くことのモラルが崩壊しつつある、投票することの民主主義のモラルも崩壊しつつあるそこで自民党の独裁政治となり国民のことなど無視してオリッピックを強行する
これだけ国民が反対しているのに強行すること自体何なのだろうとなるからだ

国民のことなどどうでもいい

どうせ選挙では自民党が勝つんだから

国民は無視だ、オリッピックは強行する

国家の威信がかかっている、そっちの方が大事だ

これは独裁政治であり民主主義などは言葉だけになってしまったためではないか?
もう機能しない、そして資本主義ももうモラルは崩壊して機能しない
極端な格差社会になり崩壊しつつあるということである
だから一見中国のことでG7で対抗姿勢を見せても実際は共同に対抗するのも見せかけだけだとなる
そもそも民主主義でも資本主義でも機能しなくなりつつある、それはアメリカの大統領選挙でも現実化した、議会に暴徒が乱入したからである

いづれにしろ民主主義が資本主義が崩壊しつつあるとき何が起きてくるのか?

武力革命が暴徒化するのではないか、それしか方法がなくなる
これほど国民が反対するオリッピックでも止められない、止めるにはどうするのか?
大きなデモを起こして暴力で阻止するしかなくなる
ミャンマーでは軍事政権に独裁政権に対抗して武装化したように対抗することができないつまり選挙とかではもう対抗できないからそうなった
それは日本でも自民党独裁政権であり対抗手段がなくなったときそうなる
選挙では自民党に勝てないからである
ただ日本人はそこまで危機感を感じしていない、だから政府でも国民を甘く見ているとなる
でもこうして大きな時代の変わり目になると何が起きるかわからない
日本が経済的窮地に追い込まれるとやはり我慢できずに何か暴力でも起きてくる
それだけ今世界全体でも大きな変革の時代に入っているともなる

posted by 老鶯 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月22日

人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない (研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル)


人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない

(研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル

studyhit1.jpg 
https://www.youtube.com/watch?v=gQIee8yDehQ

そんなものなのか?ほとんどの研究が役にたたないで終わる
理系ですらそれが役にたつかどうかわからない、だから予算の無駄だとなり選択と集中にしろとなった
ところがそもそもその選択と集中がわからないからみんなに公平に予算をつぎこむのがいいとしている

これも何なのだろうとなる、要するにおそらく研究課題が無数にありそれが将来役に立つかどうかわからない、だからこういうことを言っている
それだけ人間社会のことでも自然界のことでも科学技術のことでも種類が無数にありそれでそれを見分ける人がいない、そのことは結局この社会が複雑でわからないということなのだ

原発などもそういうものだし他でもそうである、社長すら会社のことを何もかも知っている人などいないと言っている
原発でも吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかった

私の分野ではない、私は資材関係の分野を担当していた

こんなことがありうるのかとなると原発自体でもすべてを知っている人はいなかったからそうなる、一部分のことしか知らないのである
それはあらゆるものに言える、人間は一部分のことしか知りえないのである
それだけ複雑に分化した社会なのである

何が当たるかわからないから公平にみんなに金をつぎこめ!

これは人生にも言える、何が本当に後で役に立つかもわからないのだ
だから雑学でも無駄だとはならない、何を勉強するかでも文系でもあらゆるものが実際は結びつく、その分野も多様だから何か知ることは無駄にならないのである
ただ20年後くらいにしか成果がでないとすると無駄に思えてしまうのである

そんな勉強して研究して何になるんだ!

こう言ってもそれが無駄とは言えないのである、人間は無駄と思えるものが無駄にもならないのである
人間はそもそもその知りうることと経験することがわずかしかない、短い人生で経験することは学べることは知ることはわずかなのである
だからどんな経験も貴重であり後に役立つとなる
そしてたいだい人間はその人の個々の経験から人生を語る
でもその経験は限られているから他のことはわからないのである

この人は理系の官僚でもあり優秀だからそこで経験したことを語る
でも普通の人はそんな経験できないのである、科学技術者として一流の人でも武田邦彦氏などもそうである
そういう人が経験したことは自分の様な底辺労働しか知らない人とはまるで違ったものなのである
だから武田邦彦氏は労働は義務だとか強調するのである
自分にとって労働は流れ作業とか肉体労働とかした経験していないから嫌悪するものとなったのである

人生で無駄になることはない、雑学でも無駄にならない、第一知識は膨大だからである
そして何があたるかわからないというとき時代によっても価値観が変わるからだと思う
その時代によって必要なものが変わる、それは科学技術でもそうだとなる
ただ科学技術でも複雑だから違った分野のものでも他の分野で活かされたりする
だから何が当たるかわからないというのである

例えば引きこもりとかが問題になるがこれがすべてマイナスに働くともならないのであるもし引きこもって自分の好きなことに没頭していればそれは無駄にはならない
あなたは旅ばかりしていたとか遊んでばかりいたとか外から見ればなるがそれが無駄とは言えないのである、無駄な人生だったともならない、おそらくもし旅人として一生終わればその人は社会にとって得難い人だったともなる
なぜなら現代では本当の旅すること旅人になることは至難だからである
あまりにも便利に過ぎて旅人でありえなくなったからである

でも今になると常に好きなことをやれ好きなことに没頭しろとかいうのも不思議だとなる団塊の世代なら企業戦士となり会社のために働けとなっていた、そんなことを公に学者とかでも言わなかったろう、それが今になると堂々と進めていることが不思議なのである
それは価値観が変わったからである
また戦前の生まれるの人の価値観は働くことである、働くというときまずまともに食べられない時代は働くことが価値になる、それはそう強いられていたのである
だから大正生まれの母は働きづめであり花など無駄だとして庭に豆を植えていたのであるそれは食べることを優先して生活していたからそうなったのである
でも今はそういう価値観が変わったからそれをみたら異常人間だと見てしまうのである
趣味もない人間でもそうである、そういう人は面白くない味気ない人に見られてしまうのである

いづれにしろyoutubeの面白さは個々の経験を語っていることである
まず優秀な官僚として働いた人の経験は普通ないからそういうことがあったのかと新鮮なのである
これはテレビだったらコメントしてもその人の発言ではない、テレビ局がメデアが操作してちょっとコメントさせるというくらいになる
それが一個人がメデアをもちテレビ局まで持つということで情報環境が変わったとみた
本当に一個人がメデアをもったのがインタ−ネットである、この変化は大きいのである
そこで新聞でもテレビでも衰退してゆく、マスコミの時代は終わったのである
ただ本当にその人の経験を語るとなるとそれだけの経験をしていないと語れない
だから意外とこのメデアは若者向きのようで老人向きでもある
若者向きというときパソコンの操作にたけているとかであり人生経験が少ないから語る内容となると貧弱になるからだ

私は語るのは苦手だけどこうしてプログで文章にするのが得意なのである
それでこうして膨大に書きつづけているのである
そして不思議なのは自分の書いたものを読み直すとそれも忘れていて何か自分が書いたものでいいこと書いていたなと感心して自分の書いたものからまた学びそこからまた発展したものを書いていけるともなる
いくらでも書いてもいいとなるとそうなる、だから個々人がメデアを持つことはこれは情報革命だともなっている

テレビとかはもう衰退メデアなのである、芸人の馬鹿騒ぎをまともな人はもう見ないからである、ただ残された者はコンテンツ作りであり取材とかである
放送することは個人でもできる、でもコンテンツ作りと取材は簡単にできない、でもそれはテレビ局を通して伝える必要もない、インタ−ネットを通じてすればいいとなる
その変化が大きいとなる、ただyoutubeでもプログでもそこで読まれるということは数が多いから至難だとなる、でも高橋洋一チャンネルとかなるとまず官僚の第一線で活躍した人だからそこで語られることは内部を知っているから一般人の知りえないことを知っているから人気があるのもわかる
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2021年06月21日

空家が800万軒になる時代 (その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)


空家が800万軒になる時代

(その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)

生活困窮者の住まいに「空き家」活用 “事故物件”を危惧し増えぬ現状も〈週刊朝日〉
飯館村の空家(養蚕した兜屋根)

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原町区の大原の空家、これはなぜ壊さないのか?
十年なのかに二十年なのかわからない
ここに入ったら気味悪かった、本当に幽霊が棲んでいると思った
幽霊が家から出てきて迎えるとも感じた
つまり物の怪がここに本当に住んでいるのである


なぜ私が空家が気になるのかというと自転車で近くを回ると空家が目立つからである
ここも空家なのかとみる、これからますます空家が増えてくる
ただこの辺は南相馬市だと小高区が街自体が空家化した、浪江はさらにひどくゴーストタウンにもなった、廃墟の街と化した
そして南相馬市に最近知っている人が移った、前にも原町に移り住んだ人を知っている
つまり小高には住まない、小高に住むことをあきらめた、また浪江町に住むことをあきらめた人が多いのである

それで復興とかはすすまない、ただ外部から小高とか浪江に入って住んでいる人はいる
鹿島区だととにかく新しい街が三つくらいできた感覚になる
外部から入って来た人が多いのである、それで一軒の自転車屋では知らない人が多くくると言っていた、でも自転車を買ってくれるのだから消費してくれるから歓迎されるのである
私の家の脇の道は震災前は車とかほとんど通らない道だった
でも震災以後ひっきりなしに通るようになった、主に小学校へ行く子供を車でのせて行くためである

こういうふうに私の住んでいる場所は空家も多いのだが新しく移住してきた人たちの新築の家が新しい街を形成したのである

それで近くでも空家がある、まだ新築の感じさえする、その空家を十年以上は見ている

なぜこんなに長く空家なのだろうか?

それが不思議になる、すぐ近くの一軒屋も空家化した、一人の女性が住んでいたが死んだのか空家になった、ただその息子が近くに住んでいる
空家でもどうして空家になったのか事情がある、それがわかりにくいのである
隣がまた最近空家化したのは新しい家を建てて引っ越したからである
それは近くであり空家化した家は前の人が借りていたのである、それも二十年間くらい借りていた
その家は庭が広く大きな石がある、ただ庭作りしていないのでただ石が積み上げられているだけだとなる、でもそこを庭にすればいいなと見ている
石が好きで私は隣の庭の石を見ていたからである

大石に洗濯物干す冬の暮

そこに人がいて生活感がでてくる、でも人がいなくなると石すら淋しく感じるのである
それはゴーストタウン化した原発避難区域に行けばわかる
何か本当に家でも庭でもその石でも淋しい感覚になる
もともと自然の石だったらそう感じない、その石も人間化して淋しくなった
長く病院に入院している人の知り合いの女性が何かお笑い芸人の素質があり「家が泣いているよ」と言ったのも面白い、その女性は留守の家の草むしりとかしていたからである

本当に人が住まない家は家が泣いているのかもしれない、家も人が住んで活きているからそうなる、一旦人が住まないと家も死んだものとなってしまうからである

ともかく空家が800万軒とかなるという時代である、それが少子高齢化となる日本を象徴しているのである、だから空家をどう利用するか問題になる
もう家の値段は十分の一とか無料でも手に入るとかまでなる
なぜなら空家がこれだけ多ければ無料でも使ってくださいとなるからである
ただ空家が放置されているのはそこにいろいろな個別の事情があるからそうなっている
それがよそからみてわからないのである

なぜいつまでも空家になっているのだろう?

それもわからない、利用してくれる人がいないからだともなるしまた将来持ち主が利用するからだともなっているかもしれない、それもわからない
ただ隣だと新しい家に引っ越したとういことでわかった
何か変なのだけどそこにある大きな石があり庭として利用したらいいともみる
でもその持ち主と自分の家は土地をめぐって争ったことがあり簡単にその土地を何か使うという訳にも買うけにもいかない
つまり土地とか家の問題は持ち主がいて個々に事情が違っているしその事情がわからないから困るのである
“事故物件”を危惧し増えぬ現状も・・・こういうことはわからないのである
ただ隣とか近くだとわかるのである
だから土地を売ったり買ったりするのがめんどうなのである

何かいろいろな物のように値段をつけて売るようなものでもないとなる
もしかしたらその家とか土地に因縁がありカルマがありたたられるとかも不安になる
本当にそういう不安がつきまといて簡単に空家でも住めない、買えないともなる
土地とか家は場所が深く関係している
私の家は土地が街で一番低い場所にあり水害で二回浸水した、それも床上だった
だから土地は悪いから問題がある、家そのものは50年過ぎても使える
ただ土地が悪いから問題なのである、だから土地とか家の値段は簡単につけられないのである

本当に原発事故以後避難区域は空家だらけになった、それをどうするんだろうとなる
そのままにしても誰も住まないし土地と家の価値もゼロになったともなる
土地と家の価値は街全体とも関係して価値がつけられていた
もう原発避難区域になると価値はゼロにもなった、もう誰でもいいから住んでくれ無料でもいいともなっている、それだけあれだけ荒廃していれば誰も無料でも住まないとまでなっている
だから小高なら原町にとか移り住む人が多いのである、だから小高の復興は無理に思えるこれも農業ではなくその土地を利用して生活していた時代と違うから移住しやすい時代だからそうなったともみる
とにかく空家の問題は個々に事情が違うからそれが外からわかりにくいから困る
いつまで空家にしておくのかと見てもその事情がわからないからである
そして土地に因縁がカルマがありまた家にもある、それがまたむずかしくしているのである

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2021年06月20日

いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935) (それは当時の歴史を語るものでもあった)


いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935)

(それは当時の歴史を語るものでもあった)

徳田寛は1913年に医師試験に合格。以後、福島県の炭鉱会社の嘱託医をしていたが、1928年、樺太に移住。1935年10月ごろまで同地で医師を務めた。

 その間、長男貢を日大専門部歯科に入学させ、長女栄子、次女秀子も上京、遊学させた。妻はまは以前産婆試験に合格し、夫に従って福島県で産婆を開業していた。栄子は1928年4月に上京。私立小石川高女を卒業後、一時日本女子大と東京女子専門学校に入学したがどちらも中退した。

 寛は樺太の小さな村で開業医をしていたが、経営不振に陥って苦慮。敷香町に日本人絹パルプが設立されると聞いて嘱託医になれば業績が上がると考え、1931年11月、敷香にほとんど全財産を投じて徳田病院を建設。

 父が主謀、母が殺害、妹が協力…一家で息子を惨殺した日大生保険金殺人事件とは

 これも恐ろしい事件であった、ただここで注目したのが当時の社会状況のことである
徳田が炭鉱会社の嘱託医ということは磐城の常磐炭鉱と関係している
それから東京に上京して大学に入った
この人は樺太で開業医をしていたということは樺太とも関係していた、当時の社会状況があった、東京まで行かないと地方でぱ看護婦免許ももらえない、それで私の姉は東京の新宿に滞在して免許をとったと言っていた

私の母は原町紡績工場で糸取りを十年間してそれから東京に女中に出た
そこで知り合った人と結婚した、ところが工場の事故で死んだのである
その夫の勤めていた会社は北区にあった、そこは工場地帯だったのである
今でも荒川線の都電が唯一ありそこを通っているのである

この息子を殺した人も福島県出身であり磐城の人でありその当時の社会状況が見えて来るなぜなら常磐炭鉱は大きな働き場所であったからだ、今の原発の様な場所だったのであるその石炭は東京に送られていたのである、絹織物の生糸は原町機関区から横浜に送られてアメリカなどの外国に輸出されていたのである
日本の主要産業は石炭と絹織物の生糸となっていたのである
だからいたるところに農家では蚕(かいこ)を飼っていた、その家は兜作りの家として残っている、だからすぐにそういう家はわかる
どれだけ生糸を作っていたかわかる、それか主要産業だったからである
その輸出によって外貨をかせぎ戦争の準備もできたとしているからだ

この人の経歴はまさこその当時の歴史を語っていたのである
そういう時代に生きていたのである、まるで推理小説になっている、ただ余りにも残酷だったとなる、東京の官僚がひきこもりの息子を殺したことはまだ記憶されている
この息子も遊んでいて手を焼いていたから似ていることはあった
ただ保険金をかけて殺すということは尋常ではない
でも事業に失敗する人も多いのである、そして多額の借金をかかる人は近くにもいた
そのために自分自身も苦しめられたのである

何か事業というとき私の父親は双葉の新山で酒屋をしていたが倒産した
ただ暖簾分けしてこの地に住むようになった
また母親の実家は父親が警察署長だったが機織り工場の経営に失敗して一家離散のようになった、とにかく事業に失敗しておかしくなる人がまた多いのである
借金をかかえておかしくなる、この人も病院を経営していたがそれにも失敗していたからである

ただこういうことは何か人間の業(カルマ)として継続しているのだろう
ふしだらな親に苦しめられる人もいるしその子供に息子に娘に苦しめられる人もいる
結局そういうことはめずらしいものではなく世の常だとなる
だからそういうことは江戸時代にだってあったし継続しているのである
みんな親に恵まれたり子供に恵まれたりしないからである

歴史というとき一人の庶民の歴史をたどると当時の状況が見えてくるものがある
それを集団として見るのではなく個々人の歴史として見るのである
するとそこに当時の歴史が見えてくるのである
一人の人間がその当時どのようち生きてきたか?それを知ると当時の状況が見えて来る
ただ庶民のことは歴史に残らないのでわからなくなる、これは明治になって新聞が生まれそのことが詳しく残された結果たどることができる
新聞はそうして歴史を記録するものでもあったからだ

今になけるとインタ−ネットで個人が語る、するとそれも歴史を後世に語り残すことにもなる、この辺では津波とか原発事故がありそのことを自分はプログで延々と書いてきた
それは後世にも残されるものだとなる、ただ問題はインタ−ネットの記録は膨大であり
電子記録だから消えることがあるのが問題なのである
だから記録としてアイカーブする必要がある、それは膨大な記録を残すことができるからだでも死んでから50年とかなるとわからなくなる
本でも50年過ぎたらボロボロにてっていたからである
でも電子記録より紙の方が残るともなる、それで私は紙でもまとめて残そうとしている
それが膨大なので日々整理しても整理しきれないのである

この事件は福島県のいわきであり近いから興味をもった、そして当時の時代が状況が反映しているので歴史を知ることにもなる
小説家だったら小説にできる事件だったのである




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2021年06月17日

日本が中国に売られる、 (土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)


日本が中国に売られる、

(土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)

自民党と連立を組んでいる公明党もまた〔土地利用規制法)の可決に対して足をを
引っ張った

公明党は(反日勢力)だということが今回も露呈した
公明党は与党に食い込んでいる売国政党なのである

なぜか良くわからないのだけど創価というのは中国様様なのである
中国で布教が許されるからだとか言うがそれも簡単にはできないだろう
共産党は宗教を警戒しているしカトリックのキリスト教を弾圧もしている
なぜなら中国の革命は黄巾の乱とか宗教団体から起きてきた歴史的経過があり警戒している
ただ別に創価だけではない、自民党に二階堂氏とか中国派の勢力が多い
それで公明党と二階堂氏が手を組んでGO TO キャンペーンが実施されたと言われる
それは中国派として共同できるからだともなる

創価というのはそもそも政治色の強い団体でありそれが教理からも肯定されている
王仏冥合という王は政治であり仏は法華経のことである
これが合体するという中世的なものを教理にしているからだ
それは完全な政教一致であり憲法に違反している
日本でも天皇制で政教一致になった反省で政教分離の法律ができたからである

ただ日本というのはこれは苦難な時代になる、米ソ冷戦の時は何か日本は傍観者でありかえってアメリカから優遇されていて高度成長時代を築いた
それはソ連のアメリカの防波堤として位置づけられていたからである
共産主義との戦いの中で日本は別に血を流す必要もなく経済的繁栄を求めるだけで良かったのである
でもベトナムなどは中ソ冷戦で多大な犠牲が強いられたのである

自民党でも公明党のようなものと組むと二階堂氏とか中国派とそれに反発する派で分裂する、また創価は衰退の一途をたどっているからもう選挙でも力を発揮できない
百万票でも減ったということは大きい、なぜなら創価公明は選挙にすべてのエネルギーを費やしているからである
二年前からも選挙態勢であり常時選挙態勢でありそうして座談会でも選挙の一票を獲得する場としてある、なぜなら座談会にも出ない人が膨大だからである
それが幽霊会員なのである、ただ会員となっているだけでありあとはなにもしない人たちである
そういうことでも全然気にしない、なぜならなんであれ一票になればいいのである
信心など関係ないからである

本当にあれだけ中国様様になると何なのだろうとなる
それはもしかしたら中国にもう日本が支配されるとなると中国様の配下となり権力の座につくことを目的にしているのだろうか?
今アメリカ様の配下になっているがまもなく中国様の支配下になればそうなる
もともと権力に異常に執着しているからそれを目指しているのだろうか?

日本はこれから日本自体が弱体化してロシアは北方四島など手放さない、そこがアメリカの基地にされたくないからである
また実質アメリカ軍が駐留して守られているのが日本である
でもアメリカが弱体化すると日本がから引き上げるとなったらたちまち日本は中国が侵攻してロシアが北海道にも侵攻するかもしれない、日本が大国の狭間で分断されるという恐怖の時代になる
その時創価公明はいち早く中国にすりより権力を中国の後ろ盾で得る

何か宗教というとき右よりになるが創価公明の場合は違っている
もともと極端に中国よりなのである、だから土地規制法すら強硬に反対していた
創価公明は中国に日本を売ることに抵抗感がない、それは相当に危険なことである
でも不思議なのは鈴木傾城は創価のプロパガンダの佐藤優の本を推奨していたのである
こうして創価公明を批判しているのにそうだった
何か知識人は創価公明を宗教団体でいい人たちのように見ている
個々人をみればそうかもしれないがそれが組織化して団体化して活動するときそうはみれない、組織団体には必ず目的があって成り立っている
それでNHKですら組織団体でありその組織団体には意志があるから中立ではない
単なるメデア、仲介するものではない、そこに在日などがかかわり政治的な意志があって報道もしているのである、右寄りの報道はしないのである

国際関係としては日本はこれから苦しい立場に追い込まれる、それは中国の巨大化なのである、中国の問題は隣国だから大量の中国人が移動して住めるということがある
それはウィグル問題のようにたちまち漢人によって国がのっとられるともなるのだ
そこで思想弾圧もあり宗教も否定される、共産党の支配下でそうさせられる
だからなぜ創価公明でも宗教だとなると除外されるのか?
ともかく日本はこうして中国派と欧米派とかに分断される危機に直面する
ただそういう危機感が平和になれて日本には消失しているのである
でもそういう現実が迫り平和は維持されなくなる、そういう時代になってきている

中国とどういう付き合いをするのか、それが真剣に模索される時代になる

それはアメリカが衰退するということで余計にそうなる、力のバランスが世界で変わってしまうからそうなる
反日勢力というとき在日もそうである、ただ在日と中国の関係となると複雑になる
なぜなら在日でアメリカ国籍の人もいるし駐留しているアメリカ軍と懇意の人もいる
すると中国との関係はどうなるのか?反中国になるのである
それもまた複雑で理解しかねるとなる,反日なことはわかるが反中国にもならないから理解できなくなるのである
つまり在日でも一つではなくなく反日でもアメリカ寄りの人と中国寄りの人もいるとなる国際関係となると複雑化するのである

ただ在日というのはあいまいな白黒はっきりしない存在なのである
ただこういう人達によっても日本は分断される、内部から分断される
そして日本が二分されて争うともなる、自民党にも右派がいるしその人たちは分裂して強硬右派になり袂を分かつようになる
それは中国が迫ってきて軍事的侵攻してくれば必然的にそうなってくる
そこであいまいさは許されなくなるからだ
ただ確かなことはアメリカが衰退して日本の国力が弱体化しているからそうなる可能性が強いのである

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