2019年09月11日

千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年09月07日

U18 日本の敗戦の原因 (そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)


U18 日本の敗戦の原因

(そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)



U18の日本の敗戦の原因は何だったのか?

●人選(守備のいい選手を選ばなかった)

●相手のチームのことがわからず対処できなかった

●金属バットから木製のバットの切り替えができなかった

●合成チームであり団結できなかった

●アウィで韓国料理とかが合わず元気が出なかった

●監督の采配はまずかった、64歳で年齢的に合わなかった

●佐々木投手のアクシデントがひびいた

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は何か高校野球かずっと見ていたからサッカーよりわかるから今回も見た
野球は見ていて面白い、それは野球というのも自分はしたことがなくても理解できるからである、プロ野球はずっと見なくなったが高校野球は面白いとして見ている
それで今回も国際試合ということで見ていた
それなりに面白かった
ただ国際試合の特有の問題が生じたり日本の敗戦は複合的原因で負けた
何かこうしたゲームでも複合的原因であり一つの原因ではない

相手のチームのことがわからず対処できなかった

これも韓国戦で失敗した、投手が誰かわからずに勝手に日本の方で決めてはずれて失敗した、対策できなかった、つまり敵を知り己を知れば百戦危うからずであった
これは日本軍でもそうだった、太平洋戦争ではアメリカがどういう国かわからずに戦争に突入したからである、アメリカのこと良く調べもしないで真珠湾で戦争に突入した
結果的に大敗北になった、情報戦で負けていたのである、暗号でもアメリカに見抜かれていた

人選では守備の乱れが大きかった、その守備の乱れで韓国戦では敗れたし台湾戦でも守備の乱れがあった、そもそももともと守る場所が違っていた選手が多かったからエラーになった、それから寄せ集め選手だから連携がうまくとれてかったのである
これももともと一つのチームでやるのとは違っていたのである
何か守備がチグハグだったのである

また金属バッドから木製のバッドの切り替えがうまくできていなかった
これも大きな敗因だった、他のチームはみんな木製バッド慣れていたからである
つまりバッドは道具であり武器だった
その武器が違っていて武器がうまく使えなくて敗れたとなる
それは日本でも飛行機とか戦艦とかをうまく使えないで敗れたのとにている
武器を道具をどするかでという問題があって敗れた
ただこれは前からわかっていたことなのである
ただそうした準備不足があることがわかっていても解決しなかった

それから監督も下手だった、采配がまずかった、人選自体がまずかったという人もいる
韓国戦ではハイブレークで采配が下手で失敗して負けた
投手を選ぶのでも失敗した
それから肝心の佐々木投手が宝の持ち腐れとして終わった
それは太平洋戦争で戦艦大和とかが何の役にもたたず海の藻屑と消えたのとにている
戦いには必ず思わぬアクシデントがつきものなのである
そこには運不運もあった、審判の判定にも疑問があった
そして韓国の料理が口に合わず選手が不満でありやせたというのも影響した
アウィでそうなったのである、それも準備不足だとして批判する人がいる
アウィの戦いは厳しくなるということである

こういうことは何か戦争とかでも戦いでは必ずある、だからゲームでも予測つかないことがありそれが勝敗を決める、第一天候も相当に影響したからである
どしゃぶりの雨にも何度もあった、台湾戦は途中で試合が中断して負けたからだ
天候で負けたともなるからだ

何かこうしてスポーツでも勝敗を決めるのは複合的様々な要素がからんでいる
野球はこうして理解できるから面白い、それはずっと野球を見て来たからである
サッカーはもう理解できないのである
ただゴールしたときだけわかる競技だからつまらない
野球には何か人間臭いかけひきがいろいろありその勝敗は複合的なのである
特に高校野球とかなるとそうである、エラーがあるのもそうである
戦争だって何か原発事故だってエラーなのである
そのエラーが致命的になったのである
今回の勝敗もエラーで決まったとなる
つまり攻撃は目立つが守りも防御も大事なのだけど自衛隊とかはあまり重要に見られない守りは目立たないのである、ミサイルでも打つとなると目立つが守りは目立たないのである、だから守っているだけの自衛隊は目立たないのである

ともかく日本は野球は強いと見ていた、第一韓国で70校くらいしか野球のチームをもっていないのに日本だと3000校だとかその差が大きいのに韓国に敗れ台湾に敗れたのはなぜなのか?
そこに批判が集中している、日本はもともと弱いとなっている
それは数の問題ではなく、精鋭が育てば別に強くなるという証明でもある
いくら数がいても優秀な人が育たない限り強くならないのである
だから少子化でも精鋭主義で優秀な人を育てれば世界のグロ−バル競争にでも勝つということがありうる、それは数の勝負ではない質の勝負になるからである
中国でも数が日本より十倍以上でも日本でも少数精鋭主義で対抗できるかもしれない
知能とかの争いになると対抗できるかもしれないのである
今回のU18から見えるものはこのようにあったから面白いと見た
ただ日本はもう決勝に出れないからもう見たくないともなったのである

結局運不運も勝負の内、運不運も人生

こんなふうになる、審判の問題もあったがこれもまた勝負のうちであったともなる
この世に公正な審判がない、人間が判定するからである
人間の判定自体必ず過ちがある、むしろ機械にしてもらった方が正確だとなるが最後に決めるのは人間なのである
動画の映像で判断してもそうだった、つまり野球というゲームでもそこに人間社会を見ているのである
実際にオーストラリアにも日本が負けたのだから日本自体の実力がなかったと見られるようになった
これだけ野球が盛んなのに情けないとなる
posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月21日

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1{テレビ朝日)

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1{テレビ朝日)

cara1111.jpg




caraaaa2222.jpg


caraa3333.jpg


caaaa5555.jpg



●車の中がじぶんにとってリラックス空間

これはクルマの中が外から遮断された密室となり自分の自由な空間となる
そこには相手がいない、他者がいない、いたとしても親密な人でありそれは気を使う他者ではない
その空間は他者を排除して受け入れない空間なのである
プラベイトな空間である、プライベイトとは奪うという意味であり空間を奪う私的なものとして奪うことなのである

そこにパブリックが欠けるのである
共有する空間という意識がなくなる
専横的的にふるまう空間なのである

電車ならそこは他者がいて気を使うから共有空間である、そこに他者でも情を通うということがある
老人席とかが用意されているのもそのためである
つまり車はこうして極めて私的なものとして相手を無視して暴走する性格を有している
それでハンドルを握ったとき人格が変わることを意識しろとなる
日ごろ穏やかな人でも人格が変わることが怖いのである
そうしてそういう人格は形成されているから車に乗らない場でもそういう性格をひきづるのである

とにかくクルマは他者に対する共感性を喪失する乗り物である
歩いて旅すれば旅は道連れとなる
そこに情が自ずと育まれる、そして別れるときもその後姿をずっと見ている
車は例えばそういう情を育むものが一切ない
瞬間的に別れを惜しむ時間もなく暴走して差ってゆくのである
つまり必ずキレル乗り物なのである

駅だったら待つ時間がありその時間が人間的時間を造りだしている
何かそこで十分でも待つから話したりする
それだけでも何か駅を人間的なものにしている
クルマにはそういう人間的時間とか共有する時間がないのである
プライベイとに暴力的になるものもわかる
自分だけの空間で他者への配慮がなくなる
それであれは極端にしてもなぐりつける

オレの邪魔するな)となる

そこには忍耐心も情もはぐくまれない、それは牛馬とか動物と一緒に生活したとき相手は生き物だからそこに情が育まれた
馬でも牛でも名前を呼び人間のようにも扱ったから情が育まれていたのである
クルマ社会の人間は何か他者への配慮がなくなる、クルマは他者を排除してキレテ暴走するのである
だから現代の人間はこういうクルマ人間になっていることが怖いのである

ハンドルを握ったら人格が変わる

これは林秀彦がテレビが人間どれだけ変えたか自らテレビとかかわってそのことを指摘した
ラジオがナチスを生んだというようにテレビで人間の人格まで変えられていたのである
道具はなんらか人間そのものもを変質させるから怖いのである
それはパソコンでもスマホでもそういうことがある
人間はやはり対面的でないと本当のコミ二ケーションが作りにくいのである

タイムアウトしろというときやはりクルマで走り続けるのではなく中断するということである
一息ついて車から離れることである
ただそれはかなりむずかしい、それで車から解放されるわけではない

いづれにしろこのあおり運転した人は40くらいで普通ではないことはわかる
そしてこの40代が問題を起こしやすいことがわかる
最近の事件でもそうだからある
この人は金に困っていない、マンション経営とかで親の遺産で暮らしているからだ
こういう人は都会にいる、それで外国で会った人が自由に早い時期に外国旅行していたのである
そういう人は本当に恵まれた人だったのである

ただそういう人は自由をもてあます、それで必ず「小人閑居して不善を成す」となる
そういう人が非常に多くなっている
このあおり運転した人も一流会社にキーエンスというAIの会社に就職していたからである
でもすぐにやめて社会性が喪失して遊ぶようになり問題を起こしたのである
そうなりやすいのである、それは自分自身も経験しているからわかる
40頃に何か問題を起こしやすいのである
何かおかしな方向に暴走しやすいのである

あの人は異常でも車に乗るとあれほど暴力的になるのかということをまざまざと感じた
あそこまで普通はしない、それはクルマが人格を変えるということでそうなる
クルマでは忍耐心が養われない
常に渋滞でもいらいらしている、とにかく切れやすい乗り物なのである
それがクルマから乗らなくても人格が変わっているのである
切れやすい性格になり情がない人格になる
だから現代人は人格そのものが変わっている
何か他者を人間とも見ない、物にしか見えない、それはまた資本主義社会で金だけが唯一の力となったこととも関係して
さらに人間は人格が変わったのである

そういう人間に取り囲まれていることは恐怖だとなる
他者に対する同情心も喪失している、第一車だったら道路で怪我していようが死んでいようが見ないで去ってゆくだけである
それで知っている人が道端に人が倒れていても助けないというときクルマ社会で形成された情なき人間になっているからそうなるとも言える、クルマに乗っていれば他者への配慮とかいたわりなど消失するからである
むしろ攻撃的になりあれほどなぐりつけるのも驚く
他者はもう攻撃してクルマで踏みつぶすものだとなってしまうから怖い
自転車でも絶えず邪魔者として怒鳴られる、そこに人間としての交流もなにもないのである
文明人は様々な便利な機械を利用するがそこで人格が変わっているのである
その機械の負の部分を知るべきである、原発でもそうだが機械には必ず負の部分がありそれが大きく影響して社会自体を変えている、人間も変えて非情化しているのである

posted by 老鶯 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月20日

津波原発事故で学問の大事さを知った (学問は未来を知るための過去の知識の整理と分析)


津波原発事故で学問の大事さを知った

(学問は未来を知るための過去の知識の整理と分析)

gakumonnnnn111.jpg
【武田邦彦】2019年はこうなる! などとドヤる学者の話を真に受けてはいけない

学問とは何なのか?
私自身別に学問を志した訳でもない、そもそも自分自身が学問を志すほどの能力がなかった、まずおかしなことは学校は学問する場なのである
でもそれを感じている人はまれだろう
いつも試験試験であり点数で優劣を決めるとかしている
だから人間がこうあるべきだとか学問をなぜするのか?
それが現代にはない、ただいい大学に入りいい会社に入るということしかない
現代はただ知識と技術の追求であり何ために学問するのかわからなん
功利的なものであり学問はまた知識欲であり好奇心である

学問は現代では実利的なものと結びつきすぎたのである
学問が実利的であれば社会でも容認するし金もだす
でももし実利的なかったら社会に何の役にたくのかとなり文系はいらないとなる
文系は実利と結びつかいのが多いからである

私が一番学問とは何なのかを感じたのは津波と原発事故だった
これほど学問を必要としたものはなかったのである
この大問題に直面して学問の大事さを知ったのである
それまでは郷土史でも地名とかなんとか好奇心であり学問とは思えないものである
俳句とか短歌を作っても学問とはならない
つまり津波と原発事故は最も学問が必要なものだったのである
それは生死にかかわるものだったからである

学問は生死にかかわる、未来の予知は生死にかかわる

普通の人にとって学問は自分と結びつかないだろう
庶民はただ功利的に生活している、今日の金を稼ぐために毎日仕事している
だから原発が金になるとなれば危険をかえりみず積極的に誘致したのである
でも学問は実利的なもの功利的なものだけではないものを追求している
学問の範囲は広いのである、宇宙の中の星がどうだとか研究してもそれが現実生活にどう反映されるのかそんなこと知って何か利益があるのかともなる
それはただの好奇心であり宇宙のことなど結局人間の知識の範囲外であり絶対にわからないと思うからだ

学問とは何かというときそれは未来を予知することにあることは確かである
未来がどうなるのかとなると実際は予知は不可能だとしている
地震でも予測できないのに予測していることを批判するのもわかる
ただ過去の記録を整理して分析することが学問であり予測はできない
その整理と分析から未来を予測するだけである

それを怠っていたために津波や原発事故で大被害になった
津波では二万人近くが死んだとかなる、それを予測できなかった
でも過去を整理して分析すればある程度予測できたことは言える
でもそれはかなりむずかしくなる

相馬藩政史に津波のことは二行でも記されていた
「生波(いくなみ)で700人溺死」と記されていた、生波とは津波のことである
まだこの時津波という言葉はない、慶長津波以来津波という言葉が定着したのである
この二行だけで凄い記録だった、でも今回の津波で明らかになったのでありそれまで相馬藩内で注目していた人はいなかったのである
郷土史というと何か好事的的なものであり実際の役にはたたないとされていた
でも郷土史という範囲は本当に広いのである
そこに地質学なども全般をトータルに郷土という地域を知ることでありそこには必ず科学的知識も必要なのである
だからとても一人では郷土史でも解明できないのである

学者の使命は未来を予知することである、なぜなら今回のように大被害となり二万人近くも死んだとういことでその被害はあまりにも大きいものだっからである
聖書が予言の書だというとき昔から何か常に大きな被害があり未来を知ることが生死にかかわっていたからそうなった
危険の前に逃げ出さないと死ぬということである
ソドム、ゴモラの滅亡が予知されて逃げた結果助かった、ソドム,ゴモラは神によって壊滅したからである
それは津波のように一瞬のできごとであり少しでも遅れて逃げていれば津波のように死んだのである
ただ未来は予測できない、人間の力では予測できない、未来は神の手の中にある
そこに人間の限界がある
なぜなら何億年の単位とかなるともう人間の知識でも力でも及ばないからである

何か微分積分でもその瞬間的なものでも変化がありそれが未来を予測している
株価の変化を瞬時的な変化から上がるとか下がるとか変化がないことでチャートをみるし予測する、人間の社会は自然でも人事でもは刻々変化しているからである
でも何百年とか何千年とか何億年という変化になるとできなくなるのである

ともかく確かに整理と分析が学問の要諦である、これは地道でもそうだったのである
現実に岡田清氏が過去の事実を整理して分析したことでもそうである

津波の前と後では石高が三分の一に減ったということは事実を整理して分析した結果だったのである
ここに学問の力を感じたのである、それは数字となり具体的になったから訴える力があった、それは過去のことだからできたのである
未来となるとできない、ただ過去のことはこのように学問でわかる
そこから未来はこうであろうということは予測できる、でもそこにはいろんな変数が生じるからあくまでも未来は確かではない、ただ過去の事実とか整理、分析から未来が予測されるのである

だから原発事故でも10数メートルの津波が来ると東電関係の学者が予測していたのである、だから津波対策をするべきだと提言していたのである
そのことにやはり科学者の学問する者の力を感じた
もしそれを大々的に宣伝してみんな知れば津波にだって警戒したのである
そういうことを広く知らされていない、それでこの辺では津波はこない地域として確信になっていたのである
でも学者が予見していたのである、それは占いとかではない、科学者がそうして過去を整理分析して予見していた

ただ津波対策をしなかったとなる、ただ津波の前にすでに配管とか原子炉でも危険な状態になっていたということは今になると説明する人もいる
そのことでも東電はなぜ事故になったかを正確に公表していない
結果的に次の事故でもそうなると起きる、なぜ事故になったかという正確な資料が残されないからである
それは戦争でもそうである、なぜ戦争を起こしたのか?それも日本自体が総括していないだからまた戦争が起きるともなる
いづれにしろ津波とか原発事故をほど学問を必要としていたことを感じことはない
それは結局生死にかかわるものだったからである

いづれにしろ文系は役立たないと言われるが郷土史でもこうして生死にかかわるものがあるということを実際に知った
時事問題の深層に7年前に相馬市の奥まで津波が来ているということがボーリング調査でわかっていたことを書いた
それはスマトラ津波があったときだった
でもそれは貞観津波のことであり400年前の慶長津波のことではなかった
貞観津波となると千年以上前のことだから危機感がない、でも400年前となると相当に危機感をもったはずである
それを科学者が原発に津波が来るということを調査して対策するように提言していたのである
それで裁判で東電は津波が来ることを知っていて対策していなとしてその過失の罪が確定されたのである
それは東電の経営者の責任だったのである、科学者は学者は理論的に危険を提示した

でも実際の対策すべき経営者はコストの関係とかで対策しなかったのである
それは政治家の役割でもあり政治家も何もしなかったのである
それは国との共同責任だったのである、つまり権力のある経営者はそれだけ責任が重かったとなる
それは政治家にも言えたのである、その責任の重さを自覚していなかったのである
そしてこうして経営者でも政治家でも責任はとならないが必ず戦争でも3百万人死んだとか津波とか原発事故でも甚大な被害が出
たように誰かが責任をとらされるのである、その責任から逃れられないのが人間社会なのである

posted by 老鶯 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月18日

高校野球に求めるのは勝敗だけではない (でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)


高校野球に求めるのは勝敗だけではない

(でも地域性は失われ技を競うだけになった時代)

内地から教えを請うのではなく、自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと。それこそが、真のウチナーンチュのあるべき姿なんだと。

甲子園で活躍する強豪チームは他府県の出身者だらけ! 是か非か?

沖縄でも野球留学が盛んになり優秀な選手が流出している
そして沖縄というとざされた島では腕をみがけない、試合も沖縄内に限られる
すると多様なチームと戦いないから相手から学ぶことができない
それで沖縄の優秀な選手は本土に野球留学するという
でもそうなると沖縄の高校が弱体化するので問題になっている

これも高校野球が地元だけでは勝てないとかその出身地で見ることができなくなっているテレビで明石から千葉県に嫁いだ女性が明石商業が活躍しているので応援している
故郷の思いがあるからそうなっている
でも何か今は地元志向がない、野球だったら野球という技を競うのでありその土地とは関係なくなっている
だからこそ

自分の生まれ育った土地で育み、学び、研鑽し、そのままの姿で勝負して結果を出すこと
これはスポーツには適応できない、スポーツはある土地と関係しているとはならないからだ、ただ世界的にグロ−バル化するとオリンピックでも国技としての柔道が普及したようにその国の文化と関係してくる
でもグロ−バル化すると勝敗だけが問題になり本来の柔道は道を究めるという日本独特の精神が消失する、ただわずかの差で勝敗が決められるから本来の趣旨とは違ったものになる、そこにスポーツでも文化が反映しているからそうなる

ただ正直スポーツではこういうことはありえない、その土地と関係して野球が上達することはないのである
ただ文化的な面なら必ずある、その土地土地でもともと風土とか地理とかが違うからそこで育まれる精神も違ってアイディンティティ化されるからである

ただ未だに不思議なのは高校野球をその土地土地の代表だと見ている
それが変わったのにそう見ている、そこに問題がある
もう地域代表ではない、野球という技を競うのに地域は関係なくなっている
だから高校野球自体が社会んの変化とともに変わらざるを得ないのである

それでもなぜ地域にこだわるのか?
それは人間は地域地域で生きていることには変わりない、それで全国から地域代表として甲子園に集まるとき盛り上がるのである
全国の地域が一堂に会すということで盛り上がる
例えば野馬追いでも浪江地区(標葉ーしめは)と原町(中ノ郷)と鹿島区(北郷)と相馬市(宇多郷)が雲雀が原に集結して一体化するとき最高潮に盛り上がるのとにている
そして戦争の時でも日本軍が外国で戦う時、日本全国の兵士が集結して一体化する
その時日本軍が外国軍と戦うということで命をかけて戦うから盛り上がる
戦争は否定されるにしても戦争の時人は命をかけるのだから一番高揚するとなる
つまり外国で日本の兵士として戦う時一番日本を意識して愛国心に燃え上がるのである
オリンピックは世界中の人がその国を背負って戦うから盛り上がるとなる


でもスポーツが地域とか国とか文化とみんなかかわるとかなるとそうはならない
いくら国を代表しているとしてもそこからその土地をイメージして文化的なものを感じないからである、むしろ技と体力の競争なのである
とするとやはり高校野球のようにもう地域性とか国は関係ないともなる
だから高校野球で地域の代表と見ることはもうできないのである
ただ百年もの歴史があるから今もそのように見ているがもう違ったものになっているのだ
多様な地域があって多様な地域が文化を育む、料理にしてもそうでありその土地土地に培うものがある、そういうものがなくなるどこに行ってもハンバーグだとチェーン店の料理だとかなるとそこに豊かさはないのである
要するに高校野球には何かそういう地域性とかを求めている
プロ野球だったら地域性はない、ただ広島だと広島の地域性はある
てもプロ野球は技そのものを競うものであり地域は関係ないのである

でもなぜ高校野球には地域性を求めるのか?
それはみんな地域地域で別れて暮らしているからである
それでも東京だとか大阪になるともともと地域性は希薄である
そういうことで池田高校とかが優勝したときは地域性が特別発揮されたから盛り上がったのである、つまり東京とか大阪の代表に地方の少人数の部員の野球部が勝ったということで盛り上がったのである
今はもうそういうことはない、全国の優秀な選手が地方に散らばり甲子園に来るからである

とにかく校歌でも必ずその土地のことが歌われる、土地に根ざして育まれるものをとりこむ詩になる
でもでは江戸時代の藩校のようなものだったらその土地は深く関係して精神でも育てられたとなる、会津などは山国でそうなっていた
それが明治維新後そうした地域性とか土着的なものが失われるようになった
標準語でもそうである、方言は禁止されて土着性が失われた
それで八戸光星では大阪の選手が野球留学で多い、一人だけ青森県出身者が活躍した
それでその人は大阪弁がしゃべれないので通じるのかと心配した、津軽弁ではないからである、方言は国の訛りであり文化でもあるからそうなる、つまりすでにそこは大阪軍団になっていたのである
地域性はそうして国の訛りがありその国を偲ぶとなるからだ

いづれにしろ現代はグロ−バル化してさらに世界でも地域性が喪失して一様化されやすいのである、日本だって英語にしろとかなるのもそうである
英語にすると世界で言葉でも通じやすいからそうなる
でもその時日本で縄文時代から育まれた言葉は失われて文化が喪失する
すると日本という国すらただ世界の経済の政治の一単位のようになる
グロ−バル経済は何か経済を金で結びつける、あらゆるものが金で計る
でも文化的なものは金で計れないし人間の価値として金で計れないものが多いのである

日本人が高校野球に求めるのがありそれが変わったのだがやはり何か地域と愛郷心とかを求めている、それが現実は変わっているのに郷愁のようにして高校野球を見ているのである、高校野球はそれだけ100年もの歴史がある時一つの文化的なもの精神的なものとなっているからそういうふうに見る、でも現実社会は変わり適合できなくなっている
ただ高校野球に求めるものは普通のスポーツとは違うから日本人は熱狂するのである
プロ野球のようになっていたら熱狂しない、ただ勝敗を覚めてみるだけだとなってしまうのである


posted by 老鶯 at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月16日

百年の高校野球の歴史 (地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)


百年の高校野球の歴史

(地元出身者ではなくなったからする方も見る方も変わらざるえない)

戦前の大阪にはたくさんの丁稚や.奉公人が.関西以西の土地から集まってきていた。彼らは七月のお盆休みはもらえなかった。商いのかきいれどきの時期だからである。それが,八月のお盆になってようやく休暇をもらえた。今と違って,交通が発達していなかったから,彼らは遠い故郷へ帰ることができなかった。せいぜいできることは.甲子園へ野球を見に行って,故郷の代表チームの活躍を応援することであった, 彼らはライスカレーとかち割りをとりながら.故郷もしくは,その周辺の代表チームの勝ちを祈った。しかも.彼らの目の前のグランドで野球をしているのは,彼らと.ほぽおなじ年ごろの少年たちである。彼らは故郷を応援しながら.一方は野球選手として華やかなスタートをきり.自分はしがいない.辛く.苦しみだけ多い丁稚,奉公人におかれていることに,ひとしおの感慨があったのであろう。(虫明 1996)

このように戦前の丁稚や奉公人の立場にある若者や.戦後の高度成長期を担った集団就職で関西地方にやってきた中学卒の若者たちは,自分とは全く違う忠まれた境遇にある選手たちを「個人」として羨むことよりも 故郷を代表する集団と捉えて一体化し.敗れて球場を去るときにかけられる「また来いよ」という甲子園特有の掛け声までも自分へのものへと同化していたのではないだろうか

儀礼論による高校野球の考察
一一宗教的儀礼から相互作用儀礼へ一一

何でも歴史がある、こういうことがあったというのも発見である
丁稚奉公の社会がかつてあった、その時お盆には帰れなかった
故郷に親元に帰りたくても帰れなかった、それで甲子園で野球を見に行って故郷の代表チームを応援することだった、年頃が同じくらいの少年が野球をしていたからである
これもなんとも不思議というか歴史である
つまり高校野球の歴史が百年ということはそれだけのストーリーがすでにあった
ただそこまでふりかえり見ている人はいない

とにかく高校野球は戦後でもずっと熱中して全国民がお祭りのように見ていたのである
最初は地元の生徒だけのチームでありそれで全国を舞台に活躍するとき愛郷心が沸き上がったのである
それを象徴していたのが部員10数人しかいなかった、田舎の池田高校が優勝したときだったのである、そんな田舎で部員もチームを組むのにりぎりぎりなのに優勝できたことが高校野球を盛り上げたのである

それから高校野球は東京とか横浜とか大阪とか大都会の高校が優勝するようになった
なにしろそれだけ数が多いのだから優秀な人が集まる、部員の数も百人以上とか普通である、その中のえりすぐれた人が選手として出れる
そこでPL学園とか宗教団体の代表も数を集められるから有利である
それで桑田とか桑原とかがスターになったのである、何回か優勝したのである
つまり高校野球は地元出身者からなるチームでは勝てなくなった
それで最後に池田高校だけは違っていたから歴史を残したとなる
福島県の磐城高校は福島県では進学校でありそれでも決勝戦に進出したとことが記憶にある

その時は地方の郷土の答えに応じるべき選手は戦った、だからその時は全部郷土出身者が選手だったのである
何かそういう時代から変わっても依然としてそう見ているのが高校野球である
今回でも海星とかあると何か九州なのか長崎なのかとか地域を見る
明石商でも明石城に行ったことがありあの城のあるところだと見る
でも現実にはそうした郷土を背負ったいることはもうないのである

東北勢が強いという時、八戸光星はなんなのだとなるとき八戸がついているから青森だとなる、そもそも青森県というとき八戸とかより弘前とか青森市の方が青森県だとイメージする、だから八戸が青森県の代表に見えないのである
現実に八戸光星は一人しか青森県出身者はいない、でも今回活躍した
選手も地域の代表だとも思っていない、大阪の人が多いから大阪弁であり青森県出身者が津軽弁で通じるのかと不安だったというのもそうである
出身者を見れば大阪であり大阪が数が多いから優秀な選手いて地方に留学しているのである、その人たちは別に郷土愛なども全くないのである
ただ甲子園に出たいために留学しているだけである

東北だと仙台育英でも外人部隊が多い、あのダルビッシュも大阪出身だったのである
だから高校野球も何なのだろうとなる
高校野球は今でも甲子園が聖地なのである、野球の聖地なのである
だからそれは宗教だとか儀式だとかしている
勝敗は別に全力をだしきる、また激しいスチールとかまるで犠牲が奨励される
それは特攻隊にもにているから日本的な集団を美化するものとして教育として奨励される高校野球は商業主義であってはならないのはそのためである
それは日本的宗教となり儀式化したのである

それで負けた時聖地の砂を地元にもってゆくのはそのためなのである
それは一度きりの青春の熱い思いとして砂をもってゆくのである
何かそこに青春の美化がある、青春とういのは実は長くない
たちまち過ぎてゆくのが青春である
でもその青春を賭けて戦う、負けても悔いなく戦うのが高校野球なのである
だからただ勝敗を争うというだけではないのが高校野球でありそこに見る人も魅力を感じるとなる

本当に青春はたちまち過ぎて消える、その青春の一時の輝きが甲子園にあるから選手も出たいとか観る人もそれを感じるから高校野球にはただ普通のスポーツとは違ってみているのである、大げさに言えば人生を見ている、一時の青春の夢のステージを見ている
それは青春がありまにも過ぎ去るのが早いし消えやすいものだからである
その一時が過ぎれば夏が終わり後は永遠にその舞台に立つことはできないのである
青春とはそういうものなのである、だから青春に命を燃焼できた人は幸福だったとなる
そういうスポーツ選手はうらやましいとなる、なぜなら自分でもそうだがみんなそうしたスポーツ選手になれないからである

ともかく何か高校野球は変わったのだけど長い歴史がありその歴史をひきづっているのである、今は地元出身者が極わずかなのだから地元とは関係ない、郷土愛でもない
するとなんげ全国大会となって選抜しているのか?
別に各県ごとに大会を開き選抜しなくてもいいとなる
みんな外人部隊なのだから地元とは関係ないからである
ただ技を競うものであり地元とは郷土とは関係ないのである
東北に優勝旗を持ち帰るのが悲願なのはわかる、金足農業のような高校野球だったからわかる、八戸光星にはそういうものが全くないのである
だから高校野球自体が社会の変化とともに変えざるを得なくなる
ただ高校野球だけは高野連があり特別なのである  
長い歴史がありそのために変えることができないのである

それでする方にしても観る方にしても現実と乖離して見ている
甲子園に出たいというのは外人部隊にとっては地元と関係ないのである
甲子園という場で個人の力を発揮したいからやるともなる
ただ地方だと甲子園に出やすいから留学するとなる
こうなるといくら東北が優勝していないからと東北に是非優勝旗をもってきてもらいたいといっても現実は外人部隊でありその選手たちも別に地元の人とは関係ないのである
こういう地域主義はもう時代的に終わっている

ただ地域主義というとき文化的には残っている
東北には東北の風土があり依然として文化があるからだ
ただスポーツとなるとそうした地域的なものとは関係ないのである
ある地域によって特別優秀な選手が育まれということでもないからだ
それより大都会で東京とか大阪の方が選手を育て安いのである
ただ甲子園に出るために地方の高校に留学しているだけなのである

とにかく高校野球が武士道と関係して明治に取り入れられたとか何か日本的スポーツ化したのである、犠牲心とか団結心とか・・・何か日本人精神の養成の場になっていたのである、だから宗教とか精神主義が育まれた
勝敗だけではない、全力を死力尽くして戦いとなる戦争のようなものにもなる
特攻隊精神を育むものともなる、それは勝敗ではないからそうなるのである

百年過ぎて高校野球もどうなるのか?
やはりこれも変わらざるを得ない、それはする方でも見る方でもそうである
地元中心主義では見れないからである、そうしたら見る方でも応援する方でも見方を変えざるを得ないのである
もはや東北出身の高校が勝手も特別喜ぶことはできないのである
ただ金足農業とかなるとそうなっていた、でもそういう高校ももう絶滅危惧種になってしまった、それで例え八戸光星が優勝したとしてもそれほどの感慨はないのである
別に東北人でもないし地域とも関係なくなっているからである

baseballhiscool1.JPG

戦前とか戦後十年くらいはこういう社会が残っていた
現代の特徴はこうした長い間アイディンティティ化していたものが消失した
それで墓でも高校野球でもその社会の変化の中で変わらざるをえなくなったのである
posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月15日

なぜ戦争が忘れられるのか? (自分自身が苦しまない限り関心をもたない)


なぜ戦争が忘れられるのか?

(自分自身が苦しまない限り関心をもたない)

戦争は戦後70年とかで忘れられてゆく、遺族会でも維持できない、会津では今年は慰霊祭でもテントを張ったりめんどうなことをしない、できない、みんな年とっているからだそれでそれぞれが勝手に戦死者に祈りをささげることにした、そこには戦死者のお骨が収めている忠霊堂がありそこで祈る
団体として維持できなくなったのである

でもまだ団塊の世代でも親が戦争にかかわった人が多い、私の姉がそうだった、従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で働いたからである
「マンゴーの樹の下で」というNHKの戦争番組で日本軍が敗戦に至る過程でジャングルに逃げて悲惨な結果になった
そこには食べ物がなかったのである、それで現地の農民から食べ物を奪っていた
その話を良く姉から聞いた、女性だから特に苦しかった
それで死ぬ直前まで認知症になっていたのだが戦争のことは忘れず語り死んだのである
何かあまりに過酷になると人間は忘れられなくなる
トラウマとなりフラッシュバックして思い出すとなる
特に青春時代だったから余計に感受性が強いからそうなったのである

戦争というのは経験しない人にはわからないのである
人が目の前で死んだり殺されたりした光景は普通は経験できない
だからこそいくら語ってもそれが通じないということがある
戦争は悲惨だということを言っても通じなくなる

人間は別に戦争だけではない、何かについて関心を持たせることが本当にむずかしい
原発などでも本当はもっと関心を持つべきものだった

でもなぜ関心をもたなったのか?

関心をもたせる人がいなかった、メデアでもテレビでも新聞でもその危険を報道することはなかった、そして安全神話が作れて誰も何も言えない状態にされていた
それは地元の住民でもそうである、金になればいいから反対したらこの土地に住めなくなることもあった
金になればみんな目の色を変える、そんな人に原発は危険だと言ったらにらまれて肩身の狭い思いをして村八分にされていたろう

だから関心をもたせないようにする

それは新聞でもテレビでも雑誌でもマスコミに危険を言わせない、そして関心をもたせないようにすることなのである
そういうことにしていると関心をもたないと原発は容易に作られる
それを一番証明していたのが小高に東北電力の原発の工事がはじまときだったのである
そんなに近くにあるのに私は知らなかったし知らない人が多かったのである

つまり知らされないままに重大なことが行われる

これだけ戦後民主主義とか常に言っていても肝心な重大なことが知らされなかったのである、今でも重大なニュースが知らされない、報道されないのである
報道されないことは関心をもたないとなるのである

そしてなぜ人間は忘れるのだろうか?
その忘れることだ重大な結果として今回のような津波とか原発事故にもなった
津波は400年前に相馬地方でも生波(津波)で700人溺死として記録されていたが知る人はなかった、津波になってその記録を知ったのである
全く記録もされないから忘れられていたのである
すると津波に関心をもたない、そしてこの辺では津波が来ない場所だと確信するようにもなっていたのである
そして津波の大被害にあいその当時のことをふりかえようとしても記録されたものがないからわからなくなっていた
人間はどんな被害にあってもだんだん歳月が過ぎると忘れてゆく
死者も死んだ時点で影も形もなくなり骨と灰だけになって忘れられてゆく
だんだん歳月が過ぎるとリアリティを失いイメージの世界にもなってしまうのである
人間の大きな弱点は忘れることにあった

戦争でもあれだけ悲惨なことでも3百万人が死んだとしてもだんだん非現実化して忘れられてゆく、その悲惨なことを経験した人もいなくなると余計にそうなる
津波でも戦争でも忘れることが危険なのはまた同じことを繰り返すカルマとなり繰り返すことが怖いのである
ただ人間はカルマをくりかえす、人間の業は尽きることがないからだ
カルマというとき親が子と同じようなことで苦しむ、カルマになることを書いてきた
これは戦争だって同じなのである
やはりまた戦争を繰り返すことがある、悲惨な戦争を経験しても忘れるからである

そして再び戦争になりその過酷な経験をするときはじめて戦争の悲惨さを身をもって知るこれが戦争だったのか?その時親が祖先が戦争で苦しんだことを理解するのである
自ら苦しまない限り人間は理解しないのである
人間は自らの身にふりかからないかぎり無関心である
何かに関心をもたせようとしても「俺には関心がないよ、うるさい」となるだけである
病気にならなければ誰も体に関心をもたない、でも一部でも病気になれば異常なほど関心をもつのである
だから津波や原発にこれほほどみんな関心をもつようになったのである
でもすでに時遅しとなっていたのである
駅でも無人駅になっても誰も関心を持たない、別に車がある人は困らないからである、ただ盲人の団体が抗議しているのは電車を利用して無人駅だと困ることがあるためである、他の人は駅には関心がないのである
でも何か本当に困ることがあれば関心をもつのである

どうしたら人間は忘れないようにできるのか?

これが人間の大きな課題である、重大なことでも人間は時間がたてば忘れる
その忘れることによって今回のような津波でも原発でもまた戦争でも恐ろしい苦しみを受ける、だから忘れることは危険なのである  人間はとにくか他人の苦しみでも自分自身が苦しまないと理解でないのである
貧乏人のことを知らない人は貧乏のことを理解できない、病人でも病気の経験のない人は理解できない、それで同情もしないのである自ら苦しまない限り関心がないし同情もしないし理解できないのである
そのためにカルマは苦しむ時自覚するのである
これだけこの辺では苦しんだからそのカルマを理解したとなるのである
だから神は忘れていてもまた同じカルマを起こして人間を苦しめて理解させるとまでなっているかとも思う
苦しまない限り理解しないからである
戦争のことだって理解できないからまた戦争を起こして戦争で苦しむ時戦争がどういうものか理解するからだ
カルマというのはそういうものだということが個々人でも歴史でもそうだったのである



posted by 老鶯 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年08月07日

韓国の「ホワイト国」除外…戦後初めて「国家の意志」を示した日本  (日本国民にも覚悟が強いられる国家の意志の表明)


韓国の「ホワイト国」除外…戦後初めて「国家の意志」を示した日本 

(日本国民にも覚悟が強いられる国家の意志の表明)

肉を切らせて骨を断つ」という覚悟を、日本国民なら当然持つべきである。党利党略に走って「制裁反対」を唱える左派野党や国民を惑わす左派メディア、目先の利益で韓国にへつらう財界人は、今や「国賊」以外の何ものでもない

駅で飛行機で仙台空港から神戸に帰る人とちょっと話した
その人はなぜ韓国人をひどく嫌っていたのか?
その人は別に普通の労働者であり知識人ではない、韓国人をひどく嫌っていた
ベトナム人でも中国人でも他は言いか韓国人は嫌だと盛んに言っていた
その人は何も今の日韓の対立から言っているわけではないだろう
何か韓国人と直接に接することが多いからそう言ったのかもしれない
何しろ関西になると韓国人が多いからである
あういうふうに嫌っているのはそういう人をじかに接しているからだとなる
そうした庶民レベルでも韓国人は嫌われている 
これはいろいろ言うが韓国自身が嫌われる理由を作っている
それを否定することはできないのである 

韓国人も今回の政府の強い意志には驚いている、これまでと違っているので予想がはずれた、日本は韓国の要求の言いなりになると見ていた
今までも誤っていたし妥協していた
だから今回の政府の表明は意外だったとなる

そういえば日本は国家の意志を示したということが戦後70年アメリカに支配されたようになかったのである

国家の意志

これを国民自体もはじめて感じたのではないか?
国家の意志というとき日本では古代から朝鮮半島を通じて発していたのである
朝鮮半島を契機として国家の意志が発動されてそれで兵を派遣されていたのである

6世紀から7世紀の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していたが、新羅は二国に圧迫される存在であった。

倭国は半島南部に領有する任那を通じて影響力を持っていたことが『日本書紀』の記録から知られている。大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」の記述が初出である。『宋書』では「弁辰」が消えて438年条に「任那」が見られ、451年条には「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲されて『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことを示している。任那、加羅は、倭国から百済への割譲や新羅の侵略によって蚕食され、562年以前に新羅に滅ぼされた。

475年には百済は高句麗の攻撃を受けて、首都が陥落した。その後、熊津への遷都によって復興し、538年には泗詫へ遷都した。当時の百済は倭国と関係が深く(倭国朝廷から派遣された重臣が駐在していた)、また高句麗との戦いに於いて度々倭国から援軍を送られている

なぜ国家の意志というのに新鮮味というか驚きを感じたのはなぜなのか?
それは日本はアメリカに戦争で負けてから国家の意志が消失した
国家の意志はなくなっていたのである、結局アメリカの意志が国家の意志となっていたのである
そして対外的にも韓国に対しても国家の意志を明確に示したことはないのである
だから韓国はそれに乗じて日本は組やすしとして攻める一方だったのである
それが国家の意志を示したことで韓国は混乱したともなる

日本自体が国家の意志というのを戦後否定してきたからこれは政治的外交的に転換したのか?
国家の意志は戦争に通じるとして示さなかったのである
ただ国家の意志というとき国家が独立していないとできない、それでしきりに日本は国家が独立していないと言われてきた、それは国家の意志がないことだったのである
国家が意志をもつことは自らの軍隊を持ち自ら国家を守ることにも通じている
それは憲法改正へと向う布石とするのか?
それで日本がでも国論が分かれる、韓国でも分かれる、アメリカは突き放す
アメリカ軍は日本から軍隊を引き揚げると言う人がいる
ではその時日本は今度は強大化した中国と向き合うことになる
日本の独立が試される厳しい情勢になる

日本は国家の意志を示した

それは日本は再び独立するのだがそれは韓国を契機にまた国家が全面に出てくる
そういう歴史が日本には古代からあるからだ
それは国民にとって覚悟が要求されるとか厳しいものになる

日本国民も覚悟せよ!

それは戦争した時同じように平和ボケの日本を覚醒させるのか、それとも危険なものに向かうことになるのか?

そもそも国家の意志とは何なのか?
原発は国家の意志で作られたのか?廃止できないのは国家の意志だからなのか?
だから国家の意志はどうして形成されるのだろうか?
それは確かに世論が影響する、その世論とは必ずしも知識人だけではない、駅であった庶民感情も影響する、感情的になっているのが庶民でありそれが世論にもなる
でもその世論は誤っているとは言えない、庶民レベルで韓国人への傍若無人とも言える態度に耐えられないとなっていたからである 

「肉を切らせて骨を断つ」という覚悟を、日本国民なら当然持つべきである。党利党略に走って「制裁反対」を唱える左派野党や国民を惑わす左派メディア(在日韓国人)、目先の利益で韓国にへつらう財界人は、今や「国賊」以外の何ものでもない。

今や「国賊」以外の何ものでもない

これはかなり危険なことなのかもしれない、戦争に負けるまで(国賊)とかが言われたからである、これは右の勢力が左を国賊として糾弾する
国家の意志に反するものは国賊として糾弾する
日本が国家の意志を示すことはどっちつかずではいられない
戦後70年はどっちつかずでも良かった、アメリカの庇護のもとにあり日本は国家の意志を示す必要がなかったからである

いづれにしろ戦後70年で日本自体が国家の意志を示してこれまでの外交方針も変える
清算して変える、在日の勢力も日本を動かしているいるのでその辺にメスを入れるようになるかもしれない、日本はいづれアメリカが撤退したとき国家の意志を示す前に示さざるを得なくなるのだ、そういうことが今回の韓国との対立でありこれは韓国が日本に対抗できるのか、韓国人はその非力を知れと見ているが実際は日本自身の独立であり国家の意志を示すことは危機であり覚悟が必要だとなる
こういうことは戦後70年で経験していない
外交でもアメリカに追従していれば良かったし日本国家の意志を示す必要がなかったのである

でも日本自体がいろんな面で弱体化している、軟弱化している、ニートが百万人いるとかなんとか老人ばかりの国でこの辺では震災でも原発事故でも復興できない
これは韓国だけではない日本自体が厳しく問われる結果となる
日本人自体が相当な覚悟が必要だともなる
戦争ではないにしろ貿易戦争で日本自体も苦しむ、すると戦争のように日本国民として意志を示す、戦地に行くのではなくても痛みをともなう覚悟必要だとなる
日本はこれまでは経済成長一辺倒であり国家をもちだすことは否定されてきたのである
それは戦争の経験でそうなっていたのである
だから今回国家の意志をもちだしてきたことは国民にも厳しく問われることである
戦後70年であらゆるものが変革の時期に来たのである
これだけは確かでありそれが今回の韓国と日本のどちらも下がることができない対立となったのである


posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

危険だった熱中症の経験 (熱帯化する日本?)


危険だった熱中症の経験 (熱帯化する日本?)

heatillness1.jpg


二年前だったか、春であってもこの症状がでた
その時4月でも暑かったのである、それで自転車で遠くへ行ってこの症状が出た

吐いた

痙攣した

これは明らかに熱中症としては重い、ぶるぶるふるえたからである
だから本当は救急車を呼ぶ状態だったのである
ただ一人暮らしはこういうときなかなか反応できないから不利である
家族がいないと体を気にしてくれないからである
だから一人暮らしの場合そのまま死にいたることもありえた
熱中症で最近死んでいるのが多いと見ているからである

何か毎日一応外に出る、そのあとぐったりする、それで毎日昼間寝ている
体がだるくなってそうなる、それで暑い所ではシスタとか昼寝の習慣があることもわかるまた暑い所はアジアでも昼間は活動できないので夕方から活動するというのもわかる

この辺は海が近いのでそれほど暑くならない、海から風が吹いてくるからである
でも中通りや会津となると盆地になり暑い、福島市だと35度とか蒸し風呂のようになる冬は会津だと雪になる、ここは気候だけはいい場所なのである 

暑いのは温暖化だけではない、コンクリートが舗装道路が暑い、それが熱となって暑くなる、土だと夏でも冬でも温度を調節機能がある
夏は涼しく冬はあたたかくする、それで農家の土間がそういう役割を果たしていたという何かそういう知恵があり建築もあった
その時クーラーがなくても自然のクーラーがあったとなる
おそらく自然のクーラーはいろいろな所に機能していた
温暖化は何なのか結局過度に人工化した環境で起きているともなる

子供の頃から高度成長時期とかずっとこんなに暑くなかった
その原因は何なのか?地球的規模の天候の変化なのか?
ただ地質学でみれば古生代にこの辺は海でありサンゴの化石があったとかフタバスズキリュウが海を泳いでいた、だから熱帯地域の時があったからそうなることもある
南相馬市海老村のマルハシャリンバイは南限の地として有名だった  

kasekisea1.JPG


仙台南西部に分布する東北日本太平洋側標準層序としての中-上部中新統及び鮮新統

heatsoma1.JPG

ジュラ系ー下部白亜系相馬中村層群の化石


こういうことでこの辺は熱帯地域でありそれで今でもこの辺は暖かいのである
それで「みちのくの真野の草原」の歌が奈良時代に入江になっていて歴史的境界と同時に地質的にも天候的にも境界線だったとなる
天候と歴史を深く関係している、ただこの温暖化は自然の作用なのか?人工の作用なのか?
別に自然の作用で熱帯化したからその時代にもどるのか?としたら温暖化はとめようがないとなる
氷河期もありそれは人間の力でとめることはできないとなる

いづれにしろ体がぐったりする、それは冷房のせいもある、これでクーラーがなかった熱中症になって死ぬというのもわかる
生活保護者でもこの辺でクーラーを備えてくれるようになったのもわかる
それは全国的に暑いからである、なぜ東北で岩手県とかがここより暑くなったり北海道でも暑くなる、それは内陸だと盆地だとどしても暑くなるからだ思う、気候的には老人は暑いのも寒いのもこたえる、だから老人が住みやすいのは今気候的には浜通りがいいとなるただ残念なのはフタバスズキリュウで双葉(フタバ)が有名になったのはいいが原発事故で有名になったのは最悪だったとなる

posted by 老鶯 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月22日

日本の選挙は民主主義は崩壊している (自民一党独裁であり政権交代ができない)


日本の選挙は民主主義は崩壊している

(自民一党独裁であり政権交代ができない)


日本の選挙はもう機能していていない、結局何も変わらないとして選挙に行かない
選挙に行く前から決まっているからだ
何か変えたいとしても変わらないとして行かないのである
自民党一党独裁が変わらないのである

消費税はみんな反対

でもなぜ自民党に入れるのか?それはもう国民の意志が政治に反映されない仕組みになっている、その受け皿がないのである、だから投票しても無駄だとなり投票しないのである若者も投票しない、数が少ないから若者が望む政策が作れない、老人は投票に行くから数が多いから変えることができないとして選挙に行かない
つまり選挙に積極的に行く動機がなくなったのである
つまりすでに選挙に行く前から大勢は決まっているのである
浮動票があってもその行く先がないのである
それからすでにどこでも利権で固められていてそうした組織的バックをもてないものは当選できない、もう選挙などしても無駄だとなる
選挙する前に決まっているからである
そして投票率が低いからち組織をもっている公明とかが有利になる、組織をもたないものは不利になり勝てないのである

だから日本の民主主義はもう機能していない、民主主義の基本として政権交代がある
それもない、自民党永久政権のようになっている、批判勢力を吸収する野党がない
日本の野党の問題はあまりにも中国よりになったりして偏りすぎるのである
それは民主党政権でそうなって終始がつかなくなったことでもわかる
つまり日本はアメリカに逆らうことができない、それが大枠としてあるとき野党は共産党のように極端になるからついていけないのである
だからアメリカのように定期的に政権交代する仕組みを作るべきだとなる
それでトランプがでてきたときあんな人が大統領になるのかと誰も思わなかったけどアメリカのことを知っている人は政権交代がアメリカではあるから民主党の次は共和党になると言って当選すると予想した
やはりアメリカで暮らしていたからそういうことがわかっていたのである

それにしてもさくらチャンネルで生放送していたげど1万くらいしか見ていなかった
選挙放送にしても少ないと見た、生放送だからそうなっているのか?
youtubeは生放送はまだなじんでいないのか?
テレビのライブ配信もしているがインタ−ネットではそれほど見ていないのである
選挙ではもう視聴率がとれないからまた芸能人のスキャンダルを放送している
それは結局選挙でも政権が変わるわけではないから興味がないのである
消費税は大問題にしても結局それも阻止したくてもできない
結果的にあきらめムードになり選挙に行かないのである

だから選挙自体もう機能しないとき民主主義も機能しない、それですでに自民党一党独裁化しているのだ、ただ補完政党の公明が半分くらいになればまた自民党で別な党との連携を考える、それもまだなかった
ただ野党でも公明でもそうだが共産党でも65歳の老人が多いというときもう団塊の世代が75以上になるとそういう党はもう維持できないとしている
あらゆるところで高齢化しているのである
そして新陳代謝がなくなり日本自体が疲弊化しているのである
つまり日本は衰退して後進国になり滅びるとか言うのはそのためである
改革できなければ世界から取り残されて衰退して後進国になりやがて滅びてゆく
もう外国人が3割くらいになると日本という国が維持できないとしている
選挙権をもちその外国人が国をのっとることにもなるという
それも本当にリアルなのである、そのことでもう外国人労働者が都会には多くて仲間になっているから日本人は入り込めないとか言っている人がいることでもわかる

そして日本語が通じなくなる!

これも恐怖である、それだけ日本という国が衰退して危機的状態にある
それはあらゆる分野ではそうである、日本という国体が維持できなくなりつつある
そして自民党一党独裁になり日本の民主主義は機能麻痺化している
だからテレビでは芸能スキャンダルを選挙より優先している
ただ戦前のように国の縛りがなくなることはいいことだという人もいる
政治はそれほど社会で重いものとならない、その方がいいという人もいる
でも国が衰退すると全体的に衰退して個々人でも衰退してしまう
それでもう外国人が3割とかなり日本語が通じくなる時日本という国はなくなる
それも恐怖である

いづれにしろ二大政党が政権交代として機能させるために小選挙区制にしても機能しなくなった、一党独裁国家が日本なのである
だから政治改革もできない、選挙にも行かない、そして高齢化して日本は衰退して滅びるとかるのも怖い、常に時代が変わり改革できないと世界から遅れて三流国家に転落する
ただ政治は停滞しても経済の分野では容赦なく改革が迫られる
銀行が大リストラされるのもそううだし会社自体が維持できないからそうなる
そこでは個々人がその責任をとらされるのである
政治家は責任をとらなくても今度は国民が責任をとらされる
貧乏国家となり日々の生活もままならなぬとなってしまうのである
戦後70年でそういう大改革の時でもてきない、それで日本国家自体が崩壊してゆく恐怖である、だから選挙という手段では改革できない、そこで何が起きてくるのか?
何か外圧とか内部でもどうにもならなくなったとき暴力とかが大きなデモでも起きてくるかもしれない、つまり選挙には絶望しているからである
そういう危機的な状態になってくるのが2020年以後である
posted by 老鶯 at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月21日

平和な時代から動乱の時代へ (緊迫する韓国情勢をまとめる)

平和な時代から動乱の時代へ

(緊迫する韓国情勢をまとめる)

coreadddd1.JPG

2019年7月19日の深夜3時頃に、韓国ソウルの鍾路区にある日本大使館が入居するビルに 
78歳男性が車ごとつっこみ大爆発事故を起こした。 

男性が突っ込んだ車からは、ガソリン入っていた容器が2個、液化石油ガス20個、ライターなどが見つかり焼身自殺をはかったと見られる。 
男性は一命を取り留めたが、重傷を負い病院に搬送された


文大統領も娘家族をタイ王国に送り出したのです。タイは暫定軍事政権ですが、韓国よりもはるかに暮らしやすく、国民性は優しく温和。世界各国から多くの観光客が訪れる安心安全な国です。文大統領の権力は永遠に続くものではありませんから、大事な娘家族は韓国にいては危険だと感じ取っている表れです』と指摘する


韓国情勢は緊迫している、でも日本では日本大使館につっこんだ車のことは放送されない何かかなり緊迫してきている
文大統領が危険を感じて家族をタイに避難させたことでもわかる
何か米中の貿易戦争でもイランとアメリカの対立でも危険になる
2020年とか動乱が起きるとか地震とか津波が南海トラフで起きるとか不穏なことを言う人がいた

そもそも日本でも世界で動乱の時代に入ってきた
それは東日本震災の津波の被害から発火点だったのである
そして今度は外交問題で米中対立で貿易戦争になる

日本と韓国の半導体の争いもアメリカが背後にあり中国に半導体を輸出させないとして日本がアメリカの許可のもとにしかけたとなる
なぜなら中国でも韓国経由で半導体を仕入れていたされるからである
それで中国と対立するアメリカが日本を通じて中国に圧力をかける

【北京=時事】中国国営新華社通信によると、韓国サムスン電子が中国陝西省西安市で建設を進めている半導体工場の2期工事の総投資額が、140億ドル(約1兆5400億円)を超える見通しであることが分かった。2期工事は昨年3月に着工し、今年7月に完成、来年1−3月期の量産開始を予定している。

coreaddddd2222.jpg

中国とアメリカの貿易戦争でこれもアメリカに警戒されて日本がフッ化水素の輸出をとめる、すると中国でもスマホとか通信関係に影響する
つまり徴用工だけの問題ではない、中国もからんだアメリカの圧力があってこうなった
日本だけでしたことではない、だから事が重大なのである
日本だけだったら韓国でも対抗できるが裏にアメリカがかかわっていたらできない
現実にアメリカは仲裁もしないて応援していないからだ

アメリカが北朝鮮主導で統一を図ることを望んでいるというのも意外である
韓国は政治が不安定だから北朝鮮の方がいいとされるのも見方としてある
それで韓国は消滅するとかなる、北朝鮮が消滅するのかと思ったから韓国が先に消滅して北朝鮮によって統一される、それは高句麗の再現だと言う

百済が高句麗と戦い負けた、百済には武寧王陵がありそこを訪ねたことがあった
中国の南朝と結び煉瓦作りの王陵を遺した、そこには銀の匙まであり中国の影響で華麗な生活をしていたのである、そこには男性の王は金の棺に王妃は銀の棺に入れられていた
そしてその棺にコウヤマキが使われていた
それは日本製であり日本がでしかとれないものだったのである
そこに興味をもったのは金銅双魚佩が私の住んでいる近くで古墳から発見されたからである、これは東北ではめずらしいものだったのである
それが武寧王ともつながりがありそこを今調べて書こうとしている

韓半島とは古代からこうして政治的文化的につながりが深いのである
渡来人も大量に来ている、百済と日本は一体だったともなる
そういう歴史があり半導体というとわかりにくいにしても技術的にも深いつながりがあるそこでその技術を廻って争いが起きたことも歴史の継続だとなる
ただここに強大なアメリカが加わったことが古代とは根本的に違う
それがさらに複雑なものとしている

ニュースは日々変化していろいろあるが意外とテレビではすべて放送されない
するとこうしてニュースを自分なり編集することがわかりやすくなる
でも暇がないとできない、それでテレビで編集されたものを見る
そして肝心なことが報道されないから偏った見方になるのである
何かニュースでも自分なりに編集するなりして消化する、それが情報社会で求められている、ただそうなると時間がかかるから普通はできないのである
そこにいくら情報が大量に出ていても消化しきれないという問題が生まれている
ただこうして自分なり編集して消化したしときやはり見えてくるものがある

いづれにしろ平和な時代が終わったのかと思う、何かもっと大きな動乱が起こり内外が乱れる、もう経済でも銀行はなくなるとかリストラとか平均収入が300百万以下になるのが普通だとか終身雇用がなくなること自体が大動乱なのである
結局戦後70年とか特別恵まれた平和な時代だったとなる
日本では特にそうであった、高度成長が終わり30年くらい停滞したが平和であった
そうした安定した平和の時代は終わり動乱の時代となる
そのきっかけが東日本大震災の津波と原発事故だったのである
そうして自分自身も大動乱を経験して四苦八苦したのである



posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月20日

なぜ選挙に関心を持てないのか? (直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


なぜ選挙に関心を持てないのか?

(直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


選挙でもそうだけで現代社会は広域社会でありグロ−バル社会である
そうすると人間の関心は村社会で生きていたような時代とはまるで違ったものになっている、あまりに広いから関心をもつのにもできない
ただ悲惨な事件でも我が身に及ばないならニュースはショーであり娯楽なのである
もしそういうことに関心をもつとしたら何かしなければならないとかなる
だから災害でも少しの金でも寄付すればかかわることができるとはなる
その寄付するにしてもその金がどうなったのかなど皆目わからない
それでその寄付金は寄付金を集める人に流れたとか肝心の被災者に届かなかったとかなっている
金の流れどうなっているのかわからないのである

この図は自分にかかわった人で自分が金をだした人への金の流れである

moneyflow111.jpg

困窮者は低年金でとても生活できない、40才くらいの息子がいる
その人は建築土木関係の会社に入っている
非正規とは違うからそれなりに収入はある
でも今南相馬市から青森の施設にあづけた、南相馬市では介護士不足で空き室があっても介護できないからだ、それはここだけの問題ではない、介護士不足は全国で深刻なのである、青森は仕事がない場所だからそういう人を引き受けている
そして40代の息子は独身であり保証人になっているからそこは安いとしてもその他金が請求されている
そして65歳以上の親が息子に金をせずる、前は近くにいたから弁当とか用意していたから食費とかもらっていたから良かった、青森の方に行った結果それがもらえないのであるそれでまたお盆で9日間休みになるとか困ったと言っている
これは非正規とか派遣でもその休みの間に金がもらえないと困るという人達がいた

そして自分がなにもしてもらえいのにその人は何回も食べることすらできないとか電気水道やガスがとめられるとか来る
そしてガス屋なのか張り紙されたとか言う、常に困窮している
それは年金はわずかでありとても生活できないからである
なにか4,5万くらいしか年金をもらっていない人がいる
生活保護がいいというがこれは簡単にもらえないのである
生活保護でも住む場所によって福祉サービスは違っているからもらえるとは限らないのである

このことが選挙と何か関係あるのかとなると関係はある
このことがまさに今の政治の問題としてあるからだ
年金問題、ロスジェネ問題、介護問題とかが深刻だからである
でも私が払った金の流れは見える、どういうふうに金が流れてそれが利用されて活きているか見えるのである
では選挙となると自分の一票がどうなるのかそれがわからない
それは金の流れと同じである

選挙でも争点がいろいろある、どれ優先課題にすべきなのか?
どっちにしろ同じではないか、政治は遠いから選挙に行かないというのもわかる
選挙日々の日常活動から離れていると感じる時、それは広域社会でありグロ−バル社会になるのとにている
あまにりも広い範囲で人を選ぶ、そして日々の関心事と結びつかないし無力感だけがある選挙に行っても何も変わらないとなっている
つまり現代の民主主義は範囲が広すぎるし日々の生活から離れている
議員にしても国政となると日々の生活から離れている、めったに直接会うこともできないだからギリシャのポリスだったら選挙があったとしても一万二万のレベルだったのであり直接民主主義で選んでいたのである
だから国単位になると広く大きくなると関心が薄れてしまうのである
日々の生活で困ることがあるがその生活から離れているから政治は遠いとなる

消費税は上げることは反対

これはわかりやすいからみんなそうである、でもそれだけで選ぶのか?
他にも国際政治問題とかありむずかしくなる
私は無党派だから選挙に行っても何か選ぶのが適当でありわからない
本当は私も選挙に行きたくないのである、どの人を選んでいいのかわからないのである
比例とか全国になると人気投票みたくなるのもわかる
広すぎでその人がどういう人かなどわからないからである

もう選挙を中心として選ぶことが機能しなくなって民主主義の危機だともなっている
ただどこでも日々生活して要望することはある
でもそれは個々で違っている
そして大事なことは関心をもたないことで原発事故のようなもう住んでいた場所に住めなくなるということが生じたから無関心は本当は怖いものなのである
でもあらゆることに関心をもてないのだ、それは関心をもつ範囲が広くなると関心がもてなくなる、それは金の流れでも広域化してグロ−バル化するとわからないのと同じなのである

ある人が関心をもたせることもむずかしい、それで大学生が選挙に行かせるためにボランティアして電話したが苦しいとなる、聞いてくれないとなる
それは自分も駅でボランティアしていたから痛いほどわかる
鉄道にはそもそも関心をみんな持たない、駅はどうでもいいと思っているからだ
別に困らないと思っているからだ
だから関心をもたせることは不可能だとなっている、だから何でも関心をもたせようとすることそれを無視することは危険である

一応話だけでも聞いてやる姿勢が必要である
関心をもたせようと努力する人はやはり何かが社会を良くしようとする善意があってしているからである
ただ何でもすすめるのがいいとはならない、カルト宗教団体などはかえって害になる
でも何でも無関心であることは本当は怖いことになる
それを原発事故でこの辺では痛いほど知った
自分自身全く無関心だったからである

国政選挙の問題はその関心が広すぎることなのである
日常生活から離れている、日々の生活は狭い範囲でしている、だから細部が大事になる
でも国政となるとそうした細部とは関係なくなる
それで一票投じるしもなにもかわらないとなるからだ
現実に駅でも行く先の表示がないとかささいなことでもJRに言ったら表示してくれたとか何か改善されたことがあった
だから何か困ったら言わないと改善できないのである
そしてささいなことでも改善されたら何か主張して言ったことが通ったとなり成果があったともなる
そういうことが政治にはほとんどない、国政選挙になると特にそうである
すでに大勢は決まっているのとかなり無力感だけが残る
若い人が投票しないというとシルバー民主主義となり老人が数で圧倒しているから老人に有利になり無駄だとなるのもそうである
数だけですべてが決められるから不満なのである
だから選挙とか民主主義は行き詰まっている、それで支持政党なしとい政党が生まれたのも時代である、何かここに入れるほかないと自分自身も思ったからである







posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

京アニ放火事件 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


 京アニ放火事件

 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


・NHKの取材で主要メンバーが集結 
・通常はカード認識式で一般人は入れない 
・今日は打ち合わせのため警備システムを解除 



これ話題になっているけど偶然の一致にしてはできすぎているとなる
用意している者がおおがかりなのである
だからその日に確実に犯行ができることを事前に知っていて用意した
わざわざ関東から来て犯行できることを確信していてその日に来た

まさかNHKがお膳立てしたとはありえないだろう

ということは情報がどこからかもれたとなる

ではどこからもれたのか?誰からもれたのか?

そこを追求することが大事になる


セキュリティの費用を減らしているというのはわかる
コストがかかるしそこに金をかけても利益をうまない
それは原発事故でも津波のことは13メートル級のものが来ると東電では予測していた
その備えができなかったのは金がかかる、コストの問題だったからである
百年に一度とかのことに備えられないというのもわかる
ただ建物も専門家からみて非常に危険なものだった

とにかくこの事件はなになのか?

41歳の独身で前科があり自暴自棄になったのか?

この年になるとそうなりやすいのである、人生をあきらめる人がでてくる

何かアニメにこだわっていたということも40才にしてはおかしいとなる

それは自分自身も社会からはずれておかしな方向に行ったからこの人はすでに犯罪者であり社会からはずれていたのである
犯罪者であれニートであれ社会から一旦はずれると暴走することもありうる

とにかく今回はNHKが取り上げられるのも何なのだろうとなる
NHKを批判して参議員に立候補した人もいた
NHKとは何かと話題になり批判がある
NHKの言うことはそのまま信じやすいのである
とくにテレビ世代の団塊とかになるとそうである
ネットを知らないそうなりやすい

ただ今はあらゆる雑誌でも新聞でもマスコミでも批判の対象になる
今まではうのみにしていたが批判の対象になる
マスコミとかは必ず偏っているのである
その原因が収入を会社の宣伝に頼っているから偏るのである
宣伝費を出す会社の悪口は書けないからである
そしてこれまではテレビでも新聞でも雑誌だって出すに金がかかっていた
今ならyoutubeでテレビ放送でもできるしインタ−ネットでyoutubeでライブ配信もしている、するとテレビの電波放送も必要なくなると見た

NHKがこの事件にかかわっていることはテレビや新聞やマスコミではわからない
また即時性でもインタ−ネットは早い
そんなことがあったのかと驚くことがある
これはインタ−ネットから拡散する

NHKでなんらか説明が強いられるかもしれない

偶然の一致にしてはできすぎている

現代はインタ−ネットで一億総記者になっている、自分もその一人である
だからこれは隠すことができない、NHKの偏向報道を盛んに言う人がいる
これはNHKにとっては苦しいことになると見た



posted by 老鶯 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月14日

山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判 (創価は分裂するのか?)


山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判

(創価は分裂するのか?)


「創価学会員の票を切り崩すしかありませんね。学会員の中には、今の公明党や創価学会に不満を持っている方が多くいると思います。そういう方たちを説得したい。学会員には原点に戻って欲しいですね」

 と語る野原氏



山口代表と創価学会員の野原氏が同じ選挙区で戦う

これも前代未聞だとなる、創価はこうして分裂して力を失ってゆく
ではなぜそうなるのか?池田大作会長が病気になって生きているのか死んでいるのかわからない状態で分裂してゆくのか?

政教一致だから政治での対立が宗教での対立にまでなり分裂

創価は完全に政教一致なのである

一票入れたら成仏する

入れない人は福運がなくなる→地獄行き

現実に選挙は信仰を示す最大の戦いである、選挙のためにあるのが創価である
そして選挙の時は拠点に集まり池田大作先生のためにと御本尊にく祈りフレンド票をとりにゆくのである
それは常時そうなのである、すべて選挙のためにある
選挙に勝つことが日々の活動なのである

選挙の勝利は仏法の勝利

だから政治で分裂することはありえないのである、政治の政策でも分かれれば組織全体が分裂する宿命にある
なぜなら政治と宗教が完全に一体化しているからである
政治が俗世のことが聖なる宗教と一致しているからそうなる
分離ししていれば政治で分裂しても関係ないとなる

宗教と政治が一致すると日本の戦争でも祭政一致になればどうなるのか?
それは戦争でも証明された、宗教は神は絶対だから日本に味方するから勝つとなる
その他のいろいろな条件が不利でも神が味方しているから負けることはないとなる
そのことで300百万人が死んだのである
これはまた違ったものとしても基本的に国家も実際は俗世的なものだが国家の神聖化は歴史で起きてきたのである、神聖ローマ帝国などと呼ぶのもそうである
政教一致の歴史が普通だったのである
それがフランス革命でカトリックの呪縛から離脱した、カトリックも強力な政教一致体制たからである、そういう歴史が長いから宗教に対して反発も強いものとなった

政治で対立→宗教で対立→分裂

こうなりやすいのである

ヨ−ロッパでは

宗教で対立→カトリックとプロテスタントに分裂

ヨ−ロッパでもカトリックとプロテスタンとは宗教で対立するから政治的にも対立して
アイルランドはカトリックでありイングランドはプロテスタントで差別されたのでテロになったのである

宗教対立→政治対立

政治対立→宗教対立

こうなる歴史がある

ただもともと創価は政治色が強い、日々の活動が選挙のためだというときそうである
政治権力を得るための闘争なのである、なぜなら御利益を福運を得るというとき政権をとりそこで御利益を配分することができるからである
創価も時代の産物だったのだろう、東京とか大阪で増えたというときそれは都会型宗教だった、戦後戦争に負けた精神の空白状態をうめるとか団地の宗教というように何かそこで新たな共同体を求めたのである

いづれにしろ完全な政教一致となると日本の戦争のように政治でも批判できなくなる
必ずあれだけの集団でそうして政治でも宗教でも批判すれば罰あたると祈りもするからである、宗教はそもそも批判を許さないものだからである
ただ政治になるとどうしても批判がありこうして政策が違うこともある
ただそれが完全な政教一致だから政治で分裂することは宗教でも分裂してゆく
政治で敵になることは宗教でも敵になってしまうのである

この政教分離問題は人間の歴史では実際はエジプトでもイスラムでもどこでも政教一致だった
政教分離の方が歴史としては浅いし新しい思想だったのである
ただ宗教も必ず俗化する、創価は前から数を集める一票を集めることを最大の目的としているから今回のように政治で分裂するとその本体の宗教団体も分裂しやすいのである
こうしたことが分裂のきっかけになり勢力は衰えてゆく
だから今度は自民が公明と一体なのだからその影響が国政にかかわってくるのである
自民が公明と組んだことで今度は自民が大きな影響を受ける
安定した票田を失うからである
自民党は弱体化して政権がゆらぎ国政も変わる、だからもともと宗教団体と一体化するべきではなかった
一時的には楽に票が得られるとしても政教一致の火種をかかえていたのだから慎重であるべきだったのである

posted by 老鶯 at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月11日

かんぽ生命の不正契約問題 (被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)


かんぽ生命の不正契約問題 

(被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)

「私の姑も信頼していた郵便局員に騙され、一時は月に30万円以上もの保険料を、かんぽ生命に支払っていたことがありました。きっとほかにも被害者が大勢いるに違いないとは思っていたのですが、これほどの数とは……、ニュースを知って驚いています」と語るのは、東京都在住の40代主婦・A子さん。

その返戻金で、また新しい契約を結ばせることを繰り返していました。姑は保険の内容について十分な説明を受けていませんでしたが、『郵便局のXさんが“いい保険ですよ”と、おっしゃっているから』と信じ切っていました


これも地銀の投資信託とにていた

まず地銀を銀行を信用していた

高齢者がねらわれた

仕組みがわかりにくいから契約した


私の場合もこれとにた経験をした、まず利子がつかないからと投資信託を進められた
その人は証券会社で働いていた経験があるということで現場を知っているのかと思った
勧誘の手口は

銀行ではもう利子がつかない

では銀行は何でもうけるのか→投資信託がいい

なぜなら投資信託は絶対に銀行が損しない商品だからである
そして地銀などは株とか投資信託でも全くの素人と同じだったのである
まず売れば手数料が確実に入る、投資信託で客が損しようが全然関係ない
銀行は絶対に損しない商品でありリスクをとる必要がないのである
だから売ってはまた買わせたりする、転売するとその時点で手数料が入る

そして最初カナダが石油がとれるからとか国債を買った、後はアメリカの投資信託を買った、それから今度は為替差益で失敗したから日本のリートを買った
こうして売ったり買ったりしているとその都度手数料が入る
あとで定期的に手数料が入るのが投資信託なのである

つまり今は銀行にあづけたらこうして利子がとられる!

かんぽの保険でもそうである、なぜ高齢者がねらわれるのか?
それはこれまでの郵便局とか地銀でも信頼関係を結んできたからである
必ず今でもそうだが一軒一軒回って対面的に信頼を築いてきた
そういう時代は必ず利子がついていた時代だったのである

だから高齢者そうした時代の感覚をひきづっている
郵便局と銀行は信頼できるという感覚である
それは高度成長時代に築かれた感覚なのである
その高度成長時代が終わると郵便局でも地銀でも経営が苦しくなった
もうけることができなくなった

そして高齢者にはまだ金をもっている人が多い

金融資産は60代以上の人に集中している

ではこの人たちをターゲットにして金をとろう

こういうふうに時代が変わってしまったのである
銀行とかに金があっても投資先がないのである、もう資本主義自体がそこでゆぎづまっているのである
資本主義というのは常に投資先がありそこで投資してもうけて株主に分配する仕組みである、その構造自体が機能しなくなったのである
ではどうして収益を上げるのかとなるともう詐欺的商法しかないとなる
つまりオレオレ詐欺のような商売になってしまったのである
これはもう資本主義とかの根幹が崩壊してきているのだ

それはグロ−バル資本主義でもそうである、世界でもそういうことが起きている
経済は成長の限界にきたのである、もう投資して利益だすことができないのである
そういう社会になった時人々そういうことが理解されていないのである
私自身もそうである、まだもうけが得られると思っていたのである
確かに一部の優秀な人は専門家は株とか投資信託でももうけている
それはもう例外的な存在であり大方の人は関係ない世界だったのである
それで金融商品をもっている高齢者はカモにされるだけだとなる

ここ十年で自分が経験したこともそうだった、金に窮した人たちが襲って大きな被害を受けたからである

それで

ブルータスお前もか

地銀もお前もか

郵便局もお前もか

郵便局もそこに加えられたのである、誰も信用できない社会となっている、それだけ会社でも安定してもうけることができない社会になっている

社会は世間は時々刻々変わっている、その変わり方のスピードが速いのである
「無常迅速」なのである、すると老人はそうした変化についていけないのである
つまり郵便局とか地銀はこれまで地域で信頼を築いてきていた
だからまず郵便局とか地銀となると地域の人たちは特に年寄りになると親しみがあり信用してきた、そういう身近なところで信頼関係が崩壊してきている
そういう身近なところで大きな変化があるということは社会自体がこれから大きく変わってくる、大企業の終身雇用すらもなくなりこうした地域の一番信頼ところでも信用がなくなり地銀などは消えてゆくとされる

ただ高齢者は時代の恩恵を受けてきた、銀行にあづけて利子が7パーセントある時代があったからだ、それで資産を築いた人が多いのである
だからこそ地銀であれ郵便局であれ信用されてきたのである
それだけ恵まれた時代だった、今の時代の人は恵まれない
低成長と日本の貧困化社会の中で生きるほかなくなっている
そういうなかで淘汰されるものが増えてくる
それで若い世代は厳しい時代になる、その影響を老人も受けるようになったのである


posted by 老鶯 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月06日

半導体で韓国との対立激化の深層 (韓国にリーズンがあるのか?)


半導体で韓国との対立激化の深層

(韓国にリーズンがあるのか?)

韓国となぜ日本をこれほどせめてくるのか?国際法的には戦争のことは解決したとされるそういうこととは関係なく執拗に謝罪を要求して日本から賠償金を得ようとしている
何を目的でそうしているのか?金なのかとなる
日本は攻めやすいから攻めてくる、日本に謝罪させることで頭を下げさせて優越感にひたるためなのか?
戦争という力の争いの前にリーズンの言葉の争いがあると林秀彦を外国経験から言う
日本にはリーズンがない、リーズンを理屈を言う人が嫌われる

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)

これが日本人である、何か対立をさける、狭い村とかの中で何千年とたきいして争いもなく暮らしてきた、世界史では民族と民族が争い根絶やしにされるか、奴隷にされる熾烈な歴史である、そこで言葉も武器でありリーズンにこだわる
物を買うのでもリーゾナブルだとして納得する、ただなぜ安いのか高いのかと問いつめないのである、外国人旅行者は白人は無駄な金を払わない、リーゾナブルでないと払わないのである

そして日本人はなぜなのか、リーズンを追求しない民族だ林秀彦は言う
question→quest→requestになる、questは追求するという意味である
欧米人はquestionからquest(追及する)ということが非常に強い民族である
だからこそ科学が進歩した、そこでは常になぜなのか?という問いがあり科学が進歩するからだ
日本人にはこのなぜなのかという問いがない、考えない民族だとしている
それは原発事故でもこれだけの大被害があったのになぜこんな大事故になったのか?
なぜなのかということを追求しない、私は追求してきた
ただ科学的なことがわからないから追求しにくかった

なぜ戦争になったのか?

なぜ敗北に至ったのか?

誰に責任があるのか?

なぜ原発事故は起きたのか?

誰に責任があるのか?

そういうことが原発でも明確にされていないのである、そして誰も戦争と同じように責任をとらないのである、なぜならなぜそうなったのかそれを追及しないからである
事の成り行きだともなる、自然に起こった、自然の災害だったとかなり誰も責任をとらないのである、それは人間の責任ではなく自然の責任だとしたら人間に責任はないとなるからだ、ただ原発事故は確実に人間の責任があった、でもそれも追求されないのである
結局戦争と同じくみんなに責任がありみんなに責任がないとなってしまっている
それはリーズンを追及しない民族だからと林秀彦は言っている

だから韓国がなぜ日本にそれほど請求するのか、謝罪を要求しつづけるのか
そこにリーゾナブルなものがあるのか?
ただ自分自身もそうしたリーゾナブルを追求できない、勉強していなからだ
でも韓国でも日本でもリーゾナブルを無視するようになり力の衝突になるとき危険になるまだリーズンでの争いなら死者は出ないからである
リーズンで解決しないとなると戦争になる、力のみが正義となってしまうからである

たいがいいくら戦争でも時効になっているともなる、戦争のことを言うときりがなくなるそれは日本自体も戦争の被害者にもなっているからだ、原爆がそうである
戦争はみんな被害者になる、日本が加害者というだけではない朝鮮戦争ではアメリカが加害者だとなる、でも韓国は中国とかアメリカには何も言わない、怖くて言えないのである日本だと弱体化したから言えるのである

韓国との関係で複雑なの在日である、この人たちは日本に属しているのか、日本人なのか韓国人なのか?それが明確でない、ただ日本の支配層に食い込んでいるからやっかいである、NHKでもマスコミでも在日の勢力があり支配されていると言われる
在日とは韓国の代弁者であり韓国なのか?でも韓国に還るのが筋だとしても韓国では在日を受け入れていないのである
だから在日とは何なのか戦後70年で明確化して清算が迫られているともなる

そして日本の危機はやはりまた朝鮮半島から起きてくるともなる
そこはアジアの火薬庫になっているからだ
中国がアメリカと対等となりその力もアメリカを上回るとどうなるのか?
中国は韓国と一体化して日本に迫ってくる
その時どうなるのか?モンゴルが攻めてきたとき同じような状態になる
その時アメリカもう弱体化して撤退している
その時日本はどうするのか?そういう危機が迫っている
日本は地政学的に孤立しやすいからである、海に囲まれて守られていた同時にそれが逆に孤立しやすい文明と文化を作ってきたからである
アメリカは離れすぎているから頼りにならない、また離れすぎていて相互の交流がなく戦争になった

中国と韓国はつかず離れずの距離でありむずかしい関係にあった
とにかくアメリカが日本から撤退する時どうなるのか?
北朝鮮と韓国はその時統一する、なぜなら中国がかかわりそうなる
アメリカが日本から撤退すれば必然的にそうなる
そして日本は孤立して共同する国もないのである
今度は中国の属国ともなる、つまり朝鮮半島の関係は必ず中国が背後にあって中国との関係ともなる
それは古代からそうだったのである、百済の興亡がそうだった
韓国は古代から統一されていない、分離した国だった、それは大陸につづいているからそれで統一が保てないのである、大陸から異民族が押し寄せて蹂躙されるからである

いづれにしろ韓国がやっかいなのは中国であれロシアであれアメリカでもかかわってきた大国の対立の場になっていたことである
朝鮮半島はそうした大国の圧力の中で引き裂かれた国になった
それが日本でも小国化すると大国によって中国とかロシアによって分断されることもありうる、戦争に負けたとき日本国土が分断される危機があったからである

だから国際政治で日本の危機がまた迫っているのかもしれない、日本には戦後平和を享受してそういう危機感は喪失した、日本人の一体感すらなくなった
ただあくことなく利を求める民族になった、猛烈な企業戦士となったのもそのためであるそれが戦争に負けたものとしてアメリカに対抗するものとしてそうなった
日本の国威高揚するものは経済でありそれしかなくなったのである
そうなった民族が戦前のように全国民一体となれるのか?
天皇でも戦後の天皇は平和の象徴でもあった

そして何か話題なる時、平成天皇なら美智子妃との恋愛とか結婚だったのである
テニスの天皇だったのである、天皇から日本の威厳など何も感じなくなったのである
それは戦争に負けた結果としてそうなったのである
でも天皇は日本の国の歴史と威厳をもつものでありそういう私的な身分ではない、公のものである、ただそもそも戦後は日本の公(おおやけ)は喪失した
ただ利を得ることしかない、官僚でも政治団体でも会社でもカルト宗教団体でもすべて利を求めて画策しているだけなのである

はたしてそういう国が独立して日本の威厳を示せるのか?
国民も金と享楽しか求めていない、惰弱の民となったのである
そんな国民がとても戦争に耐えられないだろう、戦う意志もなくなっている
だから「日本は奴隷になった」と林秀彦が痛烈に日本をこきおろしたのである

ただ今回は日本も具体的に抵抗の意志を韓国に示した、これは結構大きな決断だった
実際会社の経営にも影響するし国民にも影響するかもしれない
日本の尊厳を保つために韓国に日本の意志を示したから今までにないとを決断したとなる日本は戦後70年過ぎてようやく独立国家として再び立つときが来たとなる
でもそういう覚悟が惰弱化して日本国民にあるかとなるとない
今回の決断はそういう惰弱な日本から独立国家としての威厳を保つ方向に舵をとったともなる、でも国民にはそういう意志は覚悟はまだないのである 
だから一気に日本が他国に蹂躙されてしまうかもしれない、その発端になるのが朝鮮半島なのである


posted by 老鶯 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月26日

日本が孤立する理由は地理だった (中国は近くアメリカは遠すぎた―中国の脅威が増してくる)


日本が孤立する理由は地理だった

(中国は近くアメリカは遠すぎた―中国の脅威が増してくる)

lengthcorea1.JPG

国際関係でも地理的要因が大きい、アジアは日本にとって近い存在である
韓国は古代から一番近い存在であり交流があった
日本の天皇が伽耶からでたというのもそうである 

対馬から韓国・釜山直轄市までの距離は49.5km

最狭部はケント州フォーランド―パ=ド=カレー県カレーで、34km。

この大陸との差が日本を作ったのである、近いのでもない遠いのでもない、第一対馬から50キロとしても津島からさらに福岡は島伝いで147キロある
合計200キロもある
だからとても近いとは言えないのである
イギリスとヨ−ロッパ大陸は本当に近い、陸続きとはならなくてもそれに近いから大陸の一部だともなるしそういう歴史が形成されたことが地理からわかる
歴史と政治でも地政学がベースとなる

なぜ日本は中国に進出してアメリカと戦争となったのか?

これも地理的要因が大きい、地理だけではないにしろ基本的には地理が要因となった
なぜなら中国大陸は韓半島経由で近いがアメリカは大平洋を挟んで離れすぎているからだするとアメリカのことを実感として日本では知り得ないのである
だから韓国から中国に進出して満州で戦争が起きるとアメリカのことは考慮しないで戦線を拡大していった、それも西安(シーアン)まで日本兵が行っていたことに驚いた
なぜそうなったのか?そんなに戦線を拡大したのか?
それはその時代中国が欧米の植民地化して弱体化していたから日本をつけ入る余地があった

それよりアメリカが遠すぎたからアメリカのことを考慮しなかったのである
最初の敵はイギリスとオランダとかヨ−ロッパが植民地化した所だったのである
その時最初に攻撃したのがシンガポールでありマレーシアでありその最先端のジョホールバルに姉が従軍看護婦として地獄の苦しみを受けた
その戦争でイギリス軍はアジアから追放されたのである
フランスはベトナムでありここでも日本軍がベトナムの独立軍と戦ったとかある
日本はヨ−ロッパとの戦いでは勝っていたし勝った
でもアメリカが参戦することで負けたのである

つまりなぜかというとアメリカが遠いからアメリカの驚異を感じられないことがあった
韓国中国は常に日本にとって身近な存在である
でもアメリカは歴史的に明治維新の時にペリーが来たというくらいだったのである
強大なアメリカを見ていなかったし見れなかったともなる
それはあまりにも離れていたからである
この地理的要因が日本の運命を決めていたのである
陸続きだと常に驚異を感じる、それは理屈無しでそうである
真珠湾攻撃でもアメリカ本土とは遠いからという計算が働いたかもしれない
その頃交通は主にに船だったからである、一か月もアメリカまでかかったとしたらアメリカは軍事的にも遠い存在だったのである
その時中国は弱体化しているから進出を容易とみたのである
最大の敵はイギリスを主体としたアジアの国を植民地化した国だったのである

結局この地理がその国の運命を決める、これから逃れられない、地理は変えることができていカルマとなっている、だから同じことが起きる
今や中国が強大になり日本がのっとられるというときもそうである
中国は近いからそうなる、その脅威から逃れることはできないのである
だから沖縄でのアメリカ軍の基地騒動でも結局左翼が反対してもではそのあとアメリカ軍が撤退するとどうなるのか?
沖縄は中国に支配される、それを沖縄県民も望んでいるから当然そうなる
それがどういうことになるのかは沖縄県民も考慮していないのである
中国に属したいとなればそうなる
沖縄では絶えず日本軍に対する恨みを言っているからである
では中国に沖縄が支配されたときやがて日本は中国に支配されることが現実化する

つまりその時アメリカは中国と戦わない、日本を捨てるというときアメリカは別に日本は遠いし中国も遠いからかかわらなくても何の不利益もないからである
そうしてまた日本は第二次世界大戦の時のように孤立するのである
中国ともロシアとも対立するようになり孤立無援になるのである
そういう地理的カルマを背負っているからだとなる
日本はもう日本だけで防衛しなければならないというときまさにそうである
日本は離れ島のように孤立して援助がないのである
アメリカに頼っても遠すぎるからあてにならない
もし陸続きだったら近かったら即アメリカの脅威になるから事態は変わっていたのである
中国人が凶暴化している動画をを見た

謎の中国人市場


そこでも韓国人と同じことを言っている、戦争で日本人に殺された中国人のことを思い、謝罪しろとか堂々と言っているのには驚いた
それは不正に道路で商売していて周りの人に毒ついていたのである
この光景を見たとき怖いと思った
中国人は日本人に根強い恨みをもっていていつかそれを晴らすとしている
それで強国化したとき日本は危険な状態になる
これはベトナムとかネパールとかの外国人労働者問題とは別である
日本侵略の先兵として日本へ送り込まれている
また中国の人口増加対策として人減らし政策として送られている
中国の人口が最盛期でも4億くらいしかなかったのは驚きである

今中国の人口圧力が増大して日本が移民先として狙われている
日本のいろいろなものが買われるという恐怖を言うのもわかる
だから中国人の労働者は規制すべきだとなる、その背後に中国国家があるから危険になるいづれにしろ中国の強大化はアジア全体世界全体の問題になっている
それはアメリカと中国だけの問題ではないのである
最も身近なのが日本なのである、それは地理でそうなっているのである

sekiheiiiii11111.JPG

これをキンドルで読んだ、400円で安かった
キンドルPCだと画面が大きいので読みやすい
でも持ち歩きのキンドルは画面が小さいので読みにくい
スマホでも読みにくい、そこが一番の問題なのである
パソコンは操作しやすいから老人にも適しているのである

posted by 老鶯 at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月24日

カンボジアの今はどうなっているのか? (カンボジアに魅力を感じるのはなぜなのか?)


カンボジアの今はどうなっているのか?

(カンボジアに魅力を感じるのはなぜなのか?)

タクシーの車両は3か月前に15,000ドル(約165万円)の借金をして購入したばかりだった。そのほかに生活資金として1,000ドル(約11万円)の借金がある。いまも月に500ドル(55,000円)の返済をしなくてはならないが、仕事は、妻が調味料や食品を細々と販売するだけ。主をなくし、とても返済する余裕はないだろう。

日本人に殺されたカンボジア人の経済状況は厳しかった
借金してタクシーの車両を買っていた、これは高い!
バイクで案内されたときは中国人がバイクを貸していた、バイクは現地で日本人が安く買っている、あれから10数年過ぎる変わっている、日本人より金持ちも生れている

日本人はなぜカンボジアでたいして金のならないタクシー運転手を殺害したのか?
それは情報不足で日本人のタクシーのように思ったのか?
それだって殺してまで金がそこにあるわけではないのだから不可解だとなる
でもタクシー始めるのに車だとこれだけの最初に金がいるということは簡単には始められない、需要はあるから返せるともなるがまだカンボジアでは相当な額である
ただカンボジアでは車でもバイクでももてばそれで商売になる
ただ十数年前と事情が違ってきている、中国人が100万人入っているとかいうのも驚く中国人は自国が発展してきた時の状態であり通販とか何か中国で商売したことを始めれば成功すると言っている
それにしても中国人が多いことに驚く、そんなに多かったら中国人の国の一部とも化してしまうし東南アジアは中国の発展ですでにそうなっている

カンボジア関係のyoutubeで情報が見れる、なぜカンボジアのような所に魅力を感じるのか?未だにまだ発展途上の魅力である、物価も安い、そこで日本人がまだ金にものいわせることができからなのか?
もうタイとかマレーシアとか東南アジアでも日本より裕福な人も普通にいるだろう
それでタイ人でもマレーシア人でも大阪に日本人の買春に来ているという逆な現象が起きている、これもカルマである
日本がが貧乏になれば今インパウンドで日本人がもてなしで必死になるようにそうなる
売るものがなくなればそうなるのである

とにかく十数年前行ったときとまだ同じ状態もあるが中国人がみるみる発展してカンボジアにも百万人いるということは驚きである
日本人も何かそこで起業しようとする人がいるが成功するのは4パーセントくらいだという、日本人がプノンペンだったとかたむろしていた
何かそこで起業しよとしていたのかもしれない、中高年でありそういう人は日本でも起業しても成功しないと報告している
日本でまともに仕事できなければ外国でもできないのである

もはや完全に「中国の植民地」だ。だから、「今度アンコールワットに行ってみたい」という人には、私は「本気ですか?」と必ず聞く。そして、「中国と中国人が好きなら別ですが、そうでないと全然楽しめませんよ」と忠告する

アンコールワットに行くなら覚悟したほうがいい。完全に「中国人の観光地」となり全然楽しめない。

これがカンボジアの今であり十数年前でもバイクをカンボジア人に貸して商売していたのは中国人だった
もう中国マネーが入り支配される、日本人はそこで起業してもうける状況にはない
インフラの整備も今は中国人が中心だからである、中国無しではもうカンボジアは成り立たなくなっているのだ

いづれにしろカンボジアの魅力は原始的なこと生活がありまた何か人間の悪の面でもむきだしになった混交した世界がある、欧米と日本でも中国でも発展するとみなにたようなものになる、都会だと今は世界でもどこもたいして変わりないのである
それでかえってそういう混交した猥雑とか何かそういうものがある所にかえって魅かれることがある
それで世界中から人が集まるともなる、そこになにか異次元の人間の世界を見るとなるからだ、文明化された都会だと整いすぎてつまらないともなる
ただそこに生きる人は苦しい、でも観光客として傍観者として来れば面白いともなるのである
そしてそういうところだと何か昔に帰ったようなタイムトラベルに乗って昔に来たようになる
インドでは炭を使っていたし白黒のテレビでゲームしていたり牛が路地を歩いたりとかしていた、そこはペレナスでありガンジス河の岸で死体も焼かれている
牛の糞が干されて燃料にされているとかなる
インドもこうして混沌とした生活がありそれは文明国では経験しえないものだからそういうものを求めて旅する人はいる

団塊の世代となると何度も言っているけど戦後十年はそういう後進国の生活があった
燃料は炭だったし水は近くの井戸からもらっていたとか水道もなかった
便所は外にあり近くの農家の人が糞尿を肥料にしていた
そういうものが畑に使っていたりしたけど今は化学肥料になったのである
だからそうした昔の生活を知るには後進国に行ってみると見れるのである
ただタイとかはもうたいして先進国と変わりないとなるし中国でも都会は日本より裕福な人たちになった
それも本当に十数年でそうなったのだから変わり方が世界でも激しいのである

人間はその時代時代に雰囲気がある、それが一時代が過ぎると変わるからいくら何か語られても本を読んでも映像を見てもその時代の雰囲気いうのが実感しえないのである
子供時代のこともあまりに遠くなりその時代の雰囲気が子供として経験していたからわからなくなる
まずその時代時代の雰囲気はその時代に生きてみなければわからない
戦争など特にそうである、戦争だけはもういくら語り聞かされてもとてもイメージできない
でも小学生でも中学生だった人でもその時代の雰囲気を実感している
それでその時に日本の美があったとかその時代にこそ本当の日本があったと回想する作家がいた、その時国民は異様に高揚していたのである
それは戦争というものがただ戦後は否定されてきたからである
戦争を反戦平和からしか見ないからそうなる、そういう面があってもその当時の雰囲気はとても体験できないのである 

私の姉は従軍看護婦でシンガポールで対岸のマレーシアのジョーホールバルで4年間いて地獄の苦しみ受けて帰ってきた
そして死ぬ直前まで戦争のことを語って死んだ、認知症になっても戦争のことは忘れなかった、忘れられなかったのである、それで千回も聞かされてうんざりしたとはなっていたそういうことはとても戦争は否定されるべきだとしても何か日本人がその時一体となり高揚したものがあったことは確かなのである
戦争は讃歌すべきではないがその時代の雰囲気は戦争というもので日本人が一体となり高揚していたということもあった、でもその時代の雰囲気はもう実感しえない

だから歴史をふりかえるときどうしてもその時代の雰囲気が実感しえないことが致命的なのである
海外旅行でもカンボジアとかなると現地に行って肌で感じないと実感しえない
それもかなり長く滞在しないとわからない、実際は住んでみないとわからないとなる
なんとか海外旅行を50歳でしたから良かった、今になるともうできない
体力的にできなくなった、だから海外旅行はとにかくどこでもいいから早い内にした方がいいしできれば留学をした方がいいとなる

何か鋭い批評ができるのは日本を相対化できる海外で生活した人が多いからである
日本を知るには外国に住んで客観的に相対的に見ないとわからないからである
また歴史を勉強するのも今の時代と昔を比較することによって見えてくるものがあるからだ、ただ歴史の問題はその時代の雰囲気がもう50年過ぎても実感しえないものとなる
そういうふうに時代の雰囲気が変わるからである
高度成長時代だと何か異常な熱気が日本にありジャパンアズナンバーワンとして注目されたようにこの時も日本全体に高揚感あった
私は会社員でないから実感しえなかったが会社でも今と相当に違っていた
そこでも高揚感があったからその時代もバブルで崩壊して今は衰退感しかなくなっているのである
posted by 老鶯 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

カンボジアで日本人2人をタクシー強盗殺人の疑いで逮捕


カンボジアで日本人2人をタクシー強盗殺人の疑いで逮捕

カンボジアのビル崩壊、死者18人に 中国人所有者ら4人拘束


朝日新聞によると、世界遺産アンコールワットで知られるカンボジア中部のシェムリアプで2019年3月17日、タクシー運転手を殺害した疑いで、カンボジア警察は日本人の男2人を逮捕しました。

逮捕されたのは、福島県出身の中茎竜二(なかくきりゅうじ)容疑者(23)と、千葉県出身の元自衛官・石田礼門(いしだれいもん)容疑者(23)。2人は3月17日に、シェムリアプで乗車したタクシーの運転手を殺害し、車外へ捨て、逃走しているところを捕まったとのこと。2人は現金目当てだったと供述しているそうです。

その後のフジテレビの報道によると、2人は日本円で約400万円の借金があり、奪った車で移動しながら強盗を繰り返そうと思ったと供述しているとのこと。

これも何なのだろうか?
アンコールワットには私も滞在していた、そこには日本人がたむろしている
中高年の人もいた、何をしているのかわからない、長くいる
ヨ−ロッパから売春しに来る人もいた
なんか女性が5ドルで買えるとか貧乏な国だった
最底辺の国はカンボジアとネパールである
カンボジアは内戦で200百万人死んだとか疲弊した国だがここもアンコールワットがあり観光に力を入れている、貧乏な国では観光でかせぎ売春で稼ぐ
日本が戦争に負けたときのように傷病兵がいて物乞いしていたし他でもベトナムのハノイでも一軒一軒まわって物乞いしていた、それはベトコンだった人だろう

そしてバイクを交通手段でありバイクはホンダでもそのバイクを貸しているのは中国人の経営者である、バイクを十台でもあればそれを貸して商売になる
東南アジアでは中国人がそうして入ってきて金儲けしている
アンコールワットには中国人の兵隊が描かれている、つまりその時アンコールワットが栄えて中国人も来て兵隊になっていた時代があったとなる
そういうふうにカンボジアが栄えていたときがありあのアンコールワットが残った
何かそれでビジネスとかに関係ない自分ですら資本があればバイクを買って貸せば商売になると思った、でも地の利で中国人が商売しているのである
それも十数年前だから今は中国人が相当に進出して中国人に支配される

カンボジアのビル崩壊、死者18人に 中国人所有者ら4人拘束

これもずさんな工事だったのだろう、中国人が所有しているのもバイクを貸して商売していたのが中国人だからわかる

そもそもなぜ日本人がカンボジアのような貧乏国に言って強盗しなければならなかったのか?それもイメージすらできない
日本人が襲われるならわかるけど日本人がタクシーを襲ってそれも残酷に殺してどれだけの金が入るというのだ
400万の借金あるとしてそんな金をカンボジアで手に入るのか?
麻薬の密売ならわかるが何か理由がわからない、でもなぜこんな凶悪な犯罪をしたのか?終身刑にもなるという、これも若気の至りなのか?
何か若い時こうして無謀なことをして過ちを犯しやすいからだ
そういう経験をみんなしているからだ、それにしてもあまりにも凶暴である
ただ借金に追い詰められた人は怖い、自分もそういう経験しているからわかる
もう見境いなくなるからだ、人殺しでもなんでもするとなる
でもカンボジアでしてどうなるのか?そんな金を持っている人がいない
当面の金がなくなってそうしたのか?              

それにしても最底辺の貧乏国でそんなことするのか?

それだけ日本が貧乏になっているのか?そうかもしれない、一人は福島県出身の元自衛官である、何か自衛隊でそういう訓練を受けていたのか?
やはり日本は今や貧困国家になっている、もう日本人の若い人は逆に外国に出稼ぎに行く時代になるというからそういうことでこういう事件が起きたのか?
日本がの貧困化が深刻化しつつありそれが若者に波及しているのか?
十数年でこんなに変わるとは驚きである

自分自身も経験したことは金がないということで地方で苦しんでいる人がいて自分も相当な被害にあった、だから日本国内でも貧困化すると治安が悪くなる
追い詰められた人間が増えると犯罪は確実に増える
だから金をもっている人でもそれがわずかでも狙われるということがこれから起きてくる格差社会とは金持ちにとっても安閑としてはいられない危険に満ちた社会になるのである貧困が他人事にならない、南米ではいつ子供が誘拐されるかわからないとか安心して暮らせなくなっているからだ

ともかく新たな犯罪が起きてくる、犯罪はなくなることはない、そこに絶望しかないとなる、カルマは消えることなくつづく、暗黒の世界はなくなることはない
日本が貧困化するとき若い世代に負担がかかってくる、だから今の時代は若い人にとって負担が大きくなるから生きにくいとはなる、でも氷河期世代よりはいいのかともなる
世代間によって差が生まれる
そして世代間で理解しあえなくなる、それは人間社会で常にあった
とにかく今はグロ−バル化して交通が発達しているから急速に変化するのである
中国があんなふうになるとは思いもよらなかったからである
新幹線が走る、ITではアメリカをぬくとか十数年前に考えられないことだった
第一鉄道でも車両に人間が家畜のように都会に仕事を求めてくる人を詰め込んでいたからである世界の変化が激しいのである、
それは交通が発達しているからそうなる
それがグロ−バル化を推し進めるのである
そして日本が時代に取り残されているということになった
日本がは後進国になり貧困化してそんな事件が起きたのかとなるとそこまで日本も落ちたのかと信じられないともなる

posted by 老鶯 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月13日

クルマ社会を見直すときが来ている (高齢化とかになり様々な弊害が大きくなりすぎた)


クルマ社会を見直すときが来ている

(高齢化とかになり様々な弊害が大きくなりすぎた)

cycleroadnewold1.jpg

これだと車と対等になる

ヨ−ロッパでは自転車道路がかなりある


クルマ社会の到来は人々の精神の不自由化、すなわち人間の劣化を伴っていたのです。

改革すべきは、共同体を破壊するクルマ社会であることは明白です。現に、マイカーの普及とともに最も基礎的な共同体である家庭は崩壊に向かい、家族の紐帯から切れた個人はロードサイドを彷徨い、マイカーをもたない者は自室に籠もっています。そして、身近な地域からは相互扶助の精神が消え去ろうとしています。その様相は、都市景観の混沌、乱雑、無粋に端的に表れてもいます。 

クルマ社会がもたらす地方都市の荒廃   新しい交通システムLRTに未来はあるか

車道と歩道は物理的に分離するだけでなく、その間に緩衝地帯を設け並木を植えたりして、歩行者が直接自動車の排ガスをうけるようなことがないようにしなければなりません。住宅も直接車道に面している場合が多いのですが、必ずある程度の距離をとって、樹木なども植えて、人々の生活が排ガス、騒音、振動から守られるようにしなければなりません。」

moter222222.jpgmoterization11.jpg

序章 成熟社会への展望
第1章 基本八策―百年の行動計画
第2章 有縁社会―コミュニティーの再生
第3章 安全社会―大震災を超えて
第4章 教育社会―次世代を育てる
第5章 長寿社会―人も物も長持ち
第6章 近接社会―歩ける暮らし
第7章 楽園社会―美しい国土の復活
第8章 和風社会―伝統文化の将来
第9章 成熟社会の世界戦略―日本モデルの提示

成熟社会―これから百年の日本 谷明

悲惨な交通事故が起きている、89歳になって親子を車で殺した高級官僚が杖ついて歩いて実況見分しているのも痛々しいとなる
そもそもあんな状態にまでなって車を運転していたということが信じられないとなる
それがクルマ社会の異常性なのである
身体障害者でも免許があれば運転できる怖さなのである

人間という生き物はなにか常に責任が背負っている、何するにも責任が課せられているのが動物とか植物と違っている、それが最大の相違なのかともみる
例えば道具をもつのは人間だけである
石を道具にしたときそれは魚でも肉でも切り裂き料理するのには便利である
でもそれは人を殺傷する道具ともなってきたのが人間である
猿も確かに道具を使うということがあっても殺傷まではしないできない

つまり人間には石器という道具をもったときからその道具をもつことで責任を課せられていた、使いようによっては強力な殺戮の道具となるからだ
つまり人間は道具をもつことによって大きな責任を課せられることになったのである
それは人間の業(カルマ)でもありそのカルマは遂には人類を亡ぼすまでになったのである、原発事故でもそうだし核兵器でもそうである

原発事故でもどれだけ責任を課せられていたか?
核兵器をもつことがどれだけの責任を課せられているか?
それを考えるともうその責任を果たせないから持ちませんとまでなる

原発事故は「安全神話」で百万年起きないとか確率で計算している科学者がいた

ではその発言に責任をもてるのか?

百万年原発事故は起こりません

責任をもてますか?
事故が起きたら切腹してもらいますが約束できますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これほどの責任を課せられていたのである
するともうそんな責任が果たせないとしてやめるのが得策だとなってしまう
アメリカだと銃をもたせるがそれを持つことは大きな責任がある
人を殺せるからだ、現実に銃乱射事件が定期的に起きている
人間の道具は何かそうして石器が殺戮道具になってから変わらないのである
石器が核兵器になったのと変わりないのである
道具を持ったことにより過重な責任を課せられていたのである

クルマまたそれと変わりないのである、恐るべき殺戮の道具にもなるのだ
それが最近起きている痛ましい事件である
クルマは暴虐的なものであり恐ろしい殺戮の道具だという認識が必要でありそれに責任をもてないものは運転するべきではないのである
あんな歩くのがやっとの人がそもそもクルマを運転していることが異常だとなる
でも習慣の惰性があり今までしていたとはやめられないし継続するのである
ただそれではその責任が負えますか?
その責任を自覚したらもう運転はできないはずだったのである

でも交通事故は罪が軽すぎるのである、人を殺しても無罪にすらなる
金はそのために補償されているということで罪の自覚が薄い、責任の感覚が軽いのである
だからこそクルマがみんなもってクルマ社会になったのである
そうでなければクルマを簡単にもてないからである
そしてクルマをもたないと生活できないとなるまで社会が変わりすぎたのである
これまでの社会を根本的に変えてしまった
何かそれが今になってその異常性が露わになったのかもしれない
高齢化社会に車は向いていないということである
今の老人はクルマ社会に生きてきた、でも老人になってクルマ社会に適応できなくなったとなる、それもカルマだったとなる
道具は確かにいい面に働くと同時に悪い面として働く、それがあるときカルマとなって現れるのである

クルマというのがこれまで継続された社会を根本的に変えてしまったのである
そして人間そのものまで変えてしまった、クルマによって人格まで変えた恐ろしがある
キレルというときクルマに乗る人はどうしてもそうなりやすいのである
歩くとか自転車くらいだとそんなことにはならない、何か親和的情緒的にもなる
クルマを空間を切り裂くようにしてキレテ走る凶器ともなる
人間と人間でも自然との間でも切断する、溶け込まない親和的でないい道具なのである
クルマ依存から脱却すれば地方が再生するというのもあながち空想でもないのである
人間そのものまで変えた、人格まで変えたのがクルマだったからである

そしてなぜ原発事故でこんな簡単に故郷が捨てられたのか?
それは多分にクルマ社会であり分散社会でありもともとクルマと常に遠くに行く道具であり故郷とか近くではなく遠くへ行くものとしてある
するとクルマ社会だと狭い地域で暮らしていないのだから金さえあればどこに暮らしてもいいとなり一斉に蒸発するように人が流出したのである
それは原発事故だけでそうなったとも思えないのである
クルマが家だったとのかとまでなる、現実クルマの中で暮らしているホームレスもいたからクルマは家にもなるからだ

いづれにしろクルマ社会が根本的に社会を変えた、その影響は人間の人格まで変えたのである、モラルでもクルマによって喪失させられたのである
ただ異常なクルマ社会に住んでいる人はそれを感じない
異常社会でもそこに住んでいる人は異常を感じないのである

ネットを通じてできる仕事をしている人であれば、都会でも地方でも自宅でやりとりが可能ですよね。
しかし、仕事の息抜きに外(主に住宅街)を歩くといい感じに不審者に見えます。
というのも、地方の20代以降はほぼマイカーを所持しているため仕事休みの土日ですら「道を歩いている姿」を見かけません。(ゼロではないですが)

歩いているとすれば子供か高齢者の二択。
そのため20代以降の大人が犬の散歩などでもなく、のんびりと住宅街を歩いているとすごく違和感があるのですね。
「働いてないのかな?」「空き巣の下見かな?」「N○Kの集金かな?」



これも異常なことなのである、私は昼間住宅地を歩いているからこれを感じる
街を自転車で行っても人と会わないのである
街はもぬけの殻のような感覚なのである
それはみんな車を使っているから人は見えないのである、車に乗っていると人は見えないからである
だから歩いている自転車でも何か怪しい人なのかとなる
そういう社会は異常なのである、それで街道だとかなると歩いて行く人に感動しているのも異常だとなる、人が歩く姿に感動していること時代今がすべてクルマになっているから異様な社会なのである
そして旅人はいなくなった、江戸時代ならみんな歩いているから旅人なのである

だからこそ「草臥(くた)びれて宿かる頃や藤の花」−場所となる
そして江戸時代の宿は旅人のための宿だったのである
なぜなら長く歩いてやっと宿につくからそこでねぎらうとういことがあった
宿は旅人のための宿だったのである、なぜならみんな歩いていたからである
今の旅館でもホテルでも旅人の宿ではない、クルマ社会になれば別に疲れるということもないからねぎらうこともない、旅館とかホテルは保養の場所でありそれで金持ちのためのリゾートのようになる、うまいものを食べるとかに変わる
現代では本当の旅人は歓迎されない、江戸時代ならみんな同じ宿代だろう
特別な部屋はない、それは殿様くらいだった、今の旅館とかホテルは旅人のもののためではない、第一旅人はいないのである、車で旅する人は旅人ではない、楽に移動している人だともなる

いづれにしろクルマ社会からの変革が高齢化社会でも要請されている
でもまだその自覚がたりないのである、そしてクルマというのは金がかかりすぎるのである、すると日本が貧困化するときクルマは贅沢品になる、クルマにかける金が大きいからである、ただクルマ社会を批判できないのは、クルマをトヨタなどで外国に売っているからなのだ、それて国が成り立っているとかまでなっているからである
そこで凄惨な交通事故があってもマスコミではクルマ社会が悪いとは批判しない
それはタブーになっているのである
でもなんか現実的に高齢化社会になりクルマ社会自体を見直すことが要請されてきているのである

posted by 老鶯 at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月09日

「天安門事件」から30年の経過 (中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)


「天安門事件」から30年の経過

(中国の目覚ましい経済発展で恐怖政治の共産党が問われる)

人間は過去を忘れやすい、自分自身書いたものすら忘れている、それでホームページとかプログは人に読まれる前に記録することで有効だとなる
第一これは自叙伝みたくなっていてあまり人が読まないからである
ただ人間は意外と記録することが大事だともみる
旅したことでもこんなところに行ったのかと全く忘れている
それでその時写した写真が残っていて辛うじて思い出しているのである
人間は常に忘れらさてゆく存在なのである
人間は一旦死んだら急激に忘却されて伝説の人にもなってしまう
その人について身内でもあいまいになってしまうのである
なぜならこの世に生きていれば次々に人でもなんでも変化するからそうなる
すると常に今に追われて過去は忘れられるのである

それで「天安門事件」が30年過ぎたのか?
その時どうだったのかということが思い出せなくなる
ただ現代でわかったことはテレビの映像は頭に焼き付けられるということである
戦車の前に立った青年のことは誰でも思い出している、何か学生が軍隊に抵抗して兵士も殺している、戦争状態になっている
人間が焼かれて吊らされたとかそこは地獄絵だったのである
ただそれから30年も過ぎたとなるとあれは一体何だったとなる
それより自分自身の30年前は何していたのか?
それすらわからなくなる、結局自分はどこかに旅していた、どこかに泊まっていいた
そんなことは記憶している

その後10年過ぎて中国に旅したのである、中国には三回旅している
何か中国は日本の親だと思うから行きたかったのである
それもはじめての旅で中国を旅することは間違っていた、それも何も知らないで行ったのである
中国の20年前は今とは全然違っている、鉄道の旅になったが一般庶民が乗るのと観光客が乗る車両は全く違っている、一般庶民が乗る車両はすしずめでありそこには乗れない
死んでしまうかもしれない、家畜のように庶民が詰め込まれていたのだ
車掌が実際に鞭で打っていたから家畜と同じだったのである
大陸では中国でも人民を家畜と扱うこと奴隷と扱うことが歴史だった
なぜなら民族同士の激しい争いの歴史であり負ければ奴隷にされる

それは大陸全般の歴史である、なぜ奴隷がいるのか?
そしてなぜカースト制があるのか?
これが大陸の歴史から生まれたものであり階級制もそうである
それは民族同士の熾烈な争いの結果そうなったのである
負けた者たちは奴隷にされるのが大陸国家だからである
それは中国でも同じだしインドのカースト制もそうである
共産党の国家でも幹部は兆もの金をかせぐ特権階級になって階級制を作る
第一中国とは多民族国家でありそういう国家はみんな階級制になる
始皇帝の最初中国の統一国家でも長安(西安)は国際都市だったのである
だから兵馬俑には外国人が混じっていたのである
中国自体が多様な民族であり漢民族が中心にあっても常に多民族が進攻して
王朝を建てたから多民族国家である

中国にはペルシャ人が何十万人もいた地域があると伝えている。シルクロードを介してペルシャやギリシャの人々や文化が入って来ても不思議ではない。
その流入の地であった秦の国に最先端技術(優れた製鉄技術、牛耕技術)を持った渡来人(西アジアの人々、イスラエル移民と想定)が大量に流入し、新しい文化を持った国を造り上げたとしても不思議ではない。
現に、秦の始皇帝の実の父は荘襄王ではなく“呂不韋(ロフィー)”と言われている。この名前は中国人ではなく外国人の名前を中国語で表記したと思えるのです。

大陸国家の特徴は多民族国家である、多民族をどうして治めるかということで歴史があるローマ帝国でもそうである、多様な異民族を支配する政治があり法律が生まれた
それで今でもローマ法が成立する、ただそこでも奴隷が容認されていた
異民族がいてそれと戦争して負けたら奴隷にされるから常に奴隷がいて階級制が生まれるオスマン帝国外伝のドラマでもそうだった、イスタンブールのハーレムには外国人の戦争に負けた国から女性が連れてこられていたのである
そこには宦官がいたのも中国と同じである、つまりこういうことで大陸国家は共通しているのである

なぜ奴隷がいるのか?

それは大陸国家の共通した歴史から生まれていた、だから黒人を奴隷としてアメリカに連れていったのもそうである、それが大陸国家の歴史なのである
なぜそうなるのかというと現実に日本でも外国人労働者が多くなった
先日も7,8人女性がいた、それはベトナム人だった、ネパール人も三人知っている
何か増えてきた、この辺はまだ原発事故処理の仕事があるからともいえる
それで黒い顔の人がいるから最初はスリランカ人かとも思った、前に来ていたからであるネパール人が最近増えてきたのである
そしてネパール人で面白いと思ったのもここにも階級制がある、カースト制がある
人種が混交しているから人種色分けしてカースト制が生まれる
日本人も色分けしてある人種と同等とされてカースト制に組み入れられていることも奇妙だと思った
それだけ人種が混交しているから色分けされるのは大陸国家なのである
日本がだってこんなに外国人が増えてくるとそうなりやすいのである
白人は優遇されるというのは歴史的にそうである
ではネパールとかベトナム人は一段劣ったものとしてみる
それは経済的なもので低いとみる、現実に出稼ぎに来ているから一種の奴隷なのである
つまり民族が混交すると階級制とか奴隷制とかカースト制が必然的に生まれるのであるそれが大陸国家の歴史なのである

日本は島国でありそういう歴史がないのは特殊だったのである
それで中国人が敵味方塚として敵まで墓を作り供養していることはしりえないとなったのである、中国人は敵だったら墓をあばいてでも罰するからである
日本はそれだけ世界にない特殊な国なのである、それは島国で2000年前とかにすでに民族が一つになっていたためである、そういう国は大陸にはない
日本には奴隷の歴史がない、だから外国人でも奴隷として扱えないのである
外国で召使を使うこともできないのである、それはそういう歴史がないからである
第一まず普通の人が家で人を使うことはむずかしい、古い旧家だったらそういうことになれているからできる、でも普通はそういう家はまれだからできないのである

いづれにしろ天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国の歴史がありそういう歴史の延長として事件も起きる
共産党は平等を目指してもやはり権力を握ったら共産党王朝になったともなる
中国は独裁政治がいい、良く言えば君主制にあっているとなる
あれだけの人民をどうして治めるのかとなると強権しかないともなるからだ
20年前でも人民が貨車に家畜のように鞭で打たれて詰め込まれ移動する
その数が膨大でありそれが流民のように都会に出稼ぎに来ていた時代だったしそれは継続している
中国では飢饉などあると膨大な数が食料を求めて流民化する、その時戦争にもなるのである、だから中国では経済がうまくいっていればいいが習政権でも経済がうまく回らないと危険になるというのはそのためである
中国の歴史はどうしたら膨大な数の人民を食べさせるかが最優先の課題なのである

結局天安門事件がなぜ起きたのか?
それは中国ではまだそうした民主化運動は時期が早かったとなる
経済の復興の方が最優先課題だったのであり人民をそのデモを支持したともならない、
学生主体だから日本の全学連の学生運動とも共通していた
誰も庶民は学生運動など支持していなかったからである、インテリを支持していなかったからである、むしろ警官は反発していた
なぜならその時大学に入っていた人たちは恵まれた人たちだったからである
中卒で金の卵で働いていた人たちが相当数いたからである
だから国民に共感されていなかったのである

いづれにしろ「天安門事件」から30年過ぎたというのも早いと思う
その間に中国がどれだけ変わったか?それも信じられないとなる
日本がよりもう中国が技術でも優れているし経済力ではもうかなわない
それが20年くらいでそうなったのである
日本の高度成長を20年で成し遂げたと同じである
それだけ今はグロ−バル化しているから追いつくの早いとなる
ただあれだけの巨大な国だからその潜在力があったとなる

そして中国が世界のリーダーになれるのか?

こんなことまで言われる世界になった、それで天安門事件が取りざたされる
中国が世界を支配すればどうなるのか?他民族はあのように殺されたりする
ウイグルとかもそうである、共産党一党独裁で反対は許されないとなる
ただ中国自体が世界のリーダーになるということを自覚していない
経済が猛烈に発展してそういう立場にあることを世界が見るようになったが政治はそうなっていない、その前に経済発展が急速に進んだということである
経済と政治はまた別問題なのである

いづれにしろ共産主義とかは世界共通のイデオロギーにはなれないことは証明されているそれは一党独裁を生みかえって階級制を生んだともなるからだ
では中国の民主化が可能かとなるとあれだけの人口と国土を一つにまとめるには強権しかないともなっている 
中華思想しか中国にはない、でもそれが現代の世界に通用しないのである
でも世界のリーダー国になるとしたらそういう恐怖政治の国にはついていけないともなるだから世界からの目が厳しくなっているのである
ただそういう自覚は中国にはない、共産党一党支配で甘い汁を吸いばいいとしかないのである、もちろんアメリカもまた強引な世界へのイデオロギーの押しつけだったのである
民主主義でもイデオロギーでありそれが世界にすべて適応できるともいえない
アメリカだけが善だということはなかったのである、それを強引に押し付けたのがアメリカだったのである
中国が経済的に軍事的にも科学技術的にも一等国になり世界を支配するとなったらそれに従うのか?
ヨ−ロッパでも周辺国でもやはりそうした恐怖政治に従わない
その歴史の実例として天安門事件が共産党一党独裁の強権政治の汚点として見られるのである、そしてその後は天安門事件が無かったようにされ監視が強化されて忘れられる
しかし30年過ぎてその亡霊に共産党は悩まされているのである
やはり死者の怨念が怖いとなる、それを消すことが簡単にできないということである

posted by 老鶯 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月05日

熊沢元農水事務次官の引きこもりの息子の殺人の深層 (ここにもカルマがあったのか?)


熊沢元農水事務次官の引きこもりの息子の殺人の深層

(ここにもカルマがあったのか?)

「最たるものは約2年に1度、抜き打ちで行われる金融検査の日程と支店の特定です。とくに数十兆円もの不良債権を抱えた大手金融機関は、多くの違法スレスレな案件を抱えていました。それが発覚すれば営業停止など、経営を直撃する厳しい処分が待っていました」

 酒色に溺れる官僚と手段を選ばず情報入手に奔走する金融マン。ズブズブの関係の両者に、司直のメスが入るのは時間の問題だった

 
 ノーパンしゃぶしゃぶの顧客名簿
  
農林水産省 
高橋 政行 (事務次官)東  久雄 (審議官) 
堤  秀隆 (官房長)石原  葵 (総務審議官) 
鈴木 信毅 (技術総括審議官)加藤  孝 (審議官) 
小畑 勝裕 (審議官)小高 良彦 (審議官) 
竹中 美晴 (審議官)西藤 久三 (審議官) 
田原 文夫 (企画課長)上谷 敏博 (情報化対策室長) 
城  知晴 (秘書課長)関川 和孝 (総務課長) 
須賀田 菊仁(文書課長) 
熊澤 英昭 (経済局長)←うおおおおおおお 
林  正徳 (総務課長) 
佐藤 正明 (調整課長) 
白須 敏朗 (金融課長) 
宮本 昌二 (国際部長) 
山本  徹 (構造改善局長) 
岡本 芳郎 (次長) 
川村 秀三郎(総務課長) 
小林 新一 (農政部長) 
石原 一郎 (農政課長) 
高木  賢 (農産園芸局長) 
高橋 徳一 (総務課長) 
皆川 芳嗣 (企画課長) 
坂野 雅敏 (農産課長) 
中須 勇雄 (畜産局長) 
梅津 準士 (畜産課長) 
本田 浩次 (食品流通局長) 
田中  誠 (総務課長) 
上原 勝美 (企画課長)

BSE問題で引責辞任、退職金8874万円満額支給、天下り…息子殺人容疑で逮捕の元農水次官

こんなことしていたの、何か事務次官は製造責任果たしたから偉いとかいうけどこれも何なのだろうか?
何かそもそも官僚というのも汚れている、それはそれだけの権力をもっているから金融関係でも深くかかわる、だから最近は地銀とかでも信用できなくなった
地銀などはもう追い込まれているから自分たちの利益しか考えられくなっている
そういう状態にあるのを知らなかった、地銀がなくなるんだといういうときそういう所にはかかわるべきでなかったとなるが遅かったとなる

何か人間は世間はブラックなのかとみる、官僚からしてこういう状態なのである
それは原発事故でも官僚は何の役目もなくただ東電の言いなりになって安全策を講じなかった、ただ天下り先として見ていただけだとなる
それで保安院は不安院だったとしている
何かこうした腐敗が底流にあり大事故につながった要因だともなる
「安全神話」を作ったのは官僚が大きな権力をもってそうした
もちろん政治家でもそうだった、その利権が大きいからそうなった
東電に天下りしている官僚が多いからである、そこに癒着が生まれていた
それはどこにでもあるとなればそうである、でも国のトップがそうだと国民は何を信じいいかわからなくなる
何か官僚とは犯罪者だとか言う本も出ていた、これも何なのだろうとなる
トップがモラルを欠けた時下々もモラルが喪失するからである
第一検察関係が東電に天下りしているのも大問題なのである
利益で東電と結びついていたのである

いづれにしろ今回の事件は何なのだろうと思う
屑息子というけどこの事務次官がそんなに優れた人だったのか?
その詳細はわからないにしろ親自身が息子を屑息子として殺せる者だったのか?
その親があってその子がありともなる
この人の場合、別に殺さなくてもいいのである、金銭的に生活にも困らないとしたら何をしようが他人に害を与えなければいいとなる

ただ必ず引きこもりは「小人閑居して不善を成す」になる、それは経験からわかる
それで川崎登戸事件で親が恐れたこともわかる
ただ息子を殺すことまでできるのか?それをほめる人がいるのも納得いかないともなる
この不詳の息子でもかえって親が死んだり介護になったりすると目覚める
そういう立場に追い込まれると目覚めるということがある
44歳にしてもまだ目覚めることはありえたのである
詳細はわからないにしても高齢化社会では何か親の跡を継ぐことが遅くなるのである
60歳だってみんな親が80過ぎて生きているからである、そういう社会に変化しているのである、それで新陳代謝がなくなり社会が停滞している負の面がでている
とにかく時代劇でもドラ息子が親が死んだりして目覚めて立ち直っているのを良く見る
だから今本当に殺す必要があったのか?それが疑問なのだがなかなかその家の事情には踏み入れない、まず家庭環境というのはみんな複雑なのである
私の家でも外からは絶対に理解できない家族だったからである

得てして、社会的地位が高く、固い仕事をしている人が親だと、とにかく家庭内の問題を隠そうとして、相談にも来なければ、来ても変わることができません。
時々「息子の命と、あなたの世間体とどっちが大事ですか?」と、私なんぞブチ切れる時があります。

こういうことはある、あまりにも社会的地位が高すぎたのである
だから庶民のように気楽に相談もできない、まず全然プライドもない人を知っている
頭を下げて畳にこすりつけてお願いする、借金とかでもそうである
そんなことを地位ある人はできない、妻でもできないのである
普通の人だってそこまでできない、だからお嬢さん育ちだと危難に対処できなくなるのだ
ただこういうことにもカルマが関係しているのだろうか?

その人の一生のカルマが関係してそうした家の問題でも苦しみとして現れてくるのか?
自分自身の家は介護とかでそうなった、何か親の因果をカルマとして受け継いだとなる
でも正直愚母を殴ったりは普通はしない、それは思春期だとある
自分自身もあった、自分は学校に適応できない性格だし我がままだった
でも親元を大学の時離れたのが良かったのである
その後自分が親を殴ったことで自責の念に罪の意識にかられた
自分自身も何か人間的にまともでなかった、不良ではないが何か性格的に弱いとかあったためだとなる 

普通はどうであれ親がいろいろあっても普通の親だったらそうはならない
ただ親を憎んでいる人もいるがそれは例外的なものである
今の時代子供を虐待して死なせることまであるからもう家族自体の崩壊現象が起きているのかともなる、動物以下だと憤る人もいるのがわかる
親に迷惑かけたとか必死になって介護している人もいた
やはりそういう人はいる、でも40過ぎたらそういうことで自責の念にかられるのが普通である、だから親が認知症になっても愛情をもって介護しているのをプログで報告していたのである 

ただ今の時代ならゲームしていることは不自然ではない、別に40歳過ぎてゲームしていても漫画を読んでいても不思議ではないし異常ではない
では写真が趣味の人や鉄道のNゲージが趣味の人がいてもその人が異常とはならない
現代は趣味に生きる時代だからでもある、趣味が高じてプロになる人もいるし遊びとして追求するものがある、芸術ならそういうことがある
ゲームであれ漫画であれそれは絵画とも変わりないのである
絵を描いているから正常であり漫画だから異常だとはならないのである
現代は個々人で趣味を究める時代になっているからである
別に老人になって撮り鉄でも異常ではない、それでプロになり生活する人もいる
その人は写真の趣味なだけである、写真の趣味の人が一番多いからである
それが鉄道マニアであ撮り鉄だから異常だとはならないのである
鉄道は風景にとけこむから芸術化するのである   
でも芸術家には何か社会性がなく社会的常識がない人が普通にいる
ベ―トベンもそうだったらしい、何か絵とか音楽とかしかわからなくなるのだ
それも異常だともなるからだ

ただこれもあくまでも趣味でありこれで金を稼ぐとなるとまた別問題でありフリーランスとか老後に悲惨になっている
何か自分ですべて自由に決めるとか自由とかいうが自分の存在の意味すらわからなくなっているともなる
正直この息子は別に引きこもりでもいいが精神的未熟のままに大人になった
ただ自分自身も引きこもりだった時、そういう面があった
何かやはり普通の社会生活をしない人はおかしくなる、社会的常識もなくなる
でも愚母を殴って快感だったとはならない、それは不愉快なものとして罪の意識として40頃になればふりかえる、それで自責の念にかられるのである
何かこの息子は統合失調症だったとか異常性があったのかもしれない
それでも自分自身も変な方向に行ったから社会から離れるとおかしな方向に行きやすいのである

会社に行く。特定の界隈の人と定期的に接する。これらの行為は、自分の定義を確認する行為でもあったのだ

つまりあまりにも自由ということは不自由になる逆説がまたここに生まれていた、不自由があり自由がある、不自由がなければ自由もないとなるから人間は複雑なのである、本当にかえって自由に生きることがむずかしいことなのである

アウトサイダーとかなると相当に優れた人でないとなれないだろう
天才でも狂気にいたったことでもわかる、ニーチェの超人思想でもそうである
だから今自分にしてもこれだけの多くの人が引きこもりとなり社会から隔離されるというか離脱していることはそれでまともな感覚を維持できるのかとなる
この息子は親も異様なものとモンスターと感じたのだろう
手に負いなくなったのである、ただこうしした社会から離れた人でも優秀な人は優秀である、
それは本当に百万人に1人とかなるだろう
キリストとか釈迦とかソクラテスなどはそういう人だったとなる
そんなレベルまでになることは普通は誰もなれないのである
たから何かおかしな方向に行く方が多いのである

では社会人として普通に働いている人が正常かというとそうではない
現実この事務次官自体が高級官僚としていかがわしいものだったのである
お前ら引きこもりは屑だとか生きるに値しないとか責めるがそれで俺たちは違うと比べて悦に入るのもどうかとなる
お前らはただの社会のロボットにすぎないんだよ、社畜なんだよと自らも言っているのだから社会で働いている人が結婚して子供がいるだけで自慢できるのかとなる
そういうことは昔から言っていた、そういう人でも異常人格者などいくつらでもいる
モラルに反している人など官僚自体が普通にいるということである
お前らはただ社会の平凡なロボットに過ぎないんだなるから引きこもりを責めるがお前らもそんなに責めるほど偉いのかともみる
いづれにしろネットでは何か深い議論はできない、表面的なことでみんな終わっているから自分自身は議論は今したくない、結局不毛だからである
例えば武田邦彦氏とかだと深い議論ができるが他はできない
何か表面的であり掘り下げて議論ができないからである

時事問題の深層というとき私はまさに深層を追求しているのである
だから一言二言を発言しても深層には至らないから議論はしないのである
誰かプログで長い文で批判する者があれば検討するが今は一言二言の発言では相手にしたくないのである
時事問題でもこれも何かその時々に常に事件が起きるしまた忘れられる
でもそれを歴史的にとか幅広い見地から検討する
そうするとその起きてくることでも何か人間の普遍的な問題としてクローズアップするのである
ただ歴史的には引きこもりがこれだけいる時代はなかった
だから引きこもりとは何なのだろうとなるが自分自身が引きこもりだったから理解するともなる、普通に会社に勤めていた人は理解できないからである
そこで深い議論にもならない、ただ引きこもりは無駄だとか始末しろとか言いたい放題になる、とにかく議論を深められないのがネットの弱点なのである


posted by 老鶯 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから。最近は高齢者用の携帯電話が普及されているが、自動車に高齢者用とは聞かない。運転免許をもち、実際に運転している高齢者の構成割合は高いのに、車には沢山の車種、色などの種類があるにも関わらず高齢者に適した車はないのが不思議である。

高齢化社会と自動車のあり方


人口10万人あたりの事故件数の多い順に並んでおり、日本は163位だ。これを少ない順から並べて、車の保有率が少なそうな国を除いて並び直すと次のようになる。

スウェーデン:3.0人
イギリス:3.7人
オランダ:3.9人
ノルウェー:4.3人
スイス:4.3人
イスラエル:4.7人
ドイツ:4.7人
アイルランド:4.7人
デンマーク:4.7人
フィンランド:5.1人
シンガポール:5.1人
日本:5.2人

欧州社会では、高齢者は自分自身が危険と感じたら自主的に運転免許を手放す人が多くなっています。そして、自主返納へと導く社会環境が整っています。その大前提として、交通社会において、自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、そして自動車は、交通参加者として対等なのです

自動車と路面電車が遭遇する場面では、基本的に路面電車に優先権が与えられています自動車を運転するドライバーに対して、年齢を問わず、厳しい条件が課されるため、これを超えることが難しいと自ら感じたときには、静かに身を引いていると言えます。


車に乗っていない人は車のことがわからない、でも最近駅で免許を返納している老人に何人かあっている、その人たちは電車の乗り方すらわからなくなっている
まずそういう人が多いということはそれだけ車社会になっているからなのだ
電車をほとんど利用せずに80歳とかなってしまったのである

ただ特別日本が交通事故が多いかというとそうでもない、アメリカは交通事故が少ないのか?車社会のアメリカがこの順位に入っていない
アメリカは広い国だから道路も広いから事故が起こりにくいのか?
どちらかというと国土が狭い国に事故が多いのか?
シンガポールなどは狭いのだから事故が起こりやすいとなる

とにかく車社会なのに車を利用していなことはその人は社会的弱者となる
それで近くにあったモスバーガーを20年とかそこが車専用として見ていて利用しないで大損だった、あの辺に喫茶店がなかったからである
その他車がないことで社会がわからなくなることがある
保険のことなどもわからないと常識として知ることも知らないのである
そして車がないことは就職すらできないとなる
私は別に仕事していないから車がなくても過ごせた、一万の町でも街内に住んでいるから車がなくても不便というものでもなかった
でも買い物にするにも田舎では街から離れると不便になる
自転車で買い物にするにも不便になる、だから一人一台車を持っているのである
通勤するのにも車が必要なのである

車社会で生活していれば車がない人は大きなハンディキャップを背負うことになる
普通の社会生活すらできないともなる、でも車というのは電車などと比べると本当に危険なものである、交通事故の現場を見ればわかる
コンクリートの塀に直撃した車を見ただけでその破壊力には恐怖する

1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから

車自体が相当な凶器となる、車社会の暗黒面は本当はいろいろあるがプラスの面が大きいのでやめられないのである、車社会の暗黒面は津波の被害でも現れた
車で注目されていなかったのが車は場所をとる、空間の占有率が高いのである
電車を見ればわかる電車だったら百人であれ乗っても空間の占有率は少ない
でも車に1人一台で百人利用すると百台でありそれが道路をしめるとどうなるのか?
百台がが連なるのである、それで渋滞になって走れなくなり津浪で死んだ人が多くいた
それは車社会の危険な盲点が現れたとなる

自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、
そして自動車は、交通参加者として対等なのです

ヨ−ロッパではそうなっているが日本ではなっていない
ヨ−ロッパでは自転車道路も整備されているからそこを走れば安全なのである
でも日本ではないから危険になる、日本の道路は狭いから自転車も危険になる
でも日本ではすべて車優先の社会である
そして自転車に乗っていていて一番危険を感じるのは後ろから猛スピードで来る車であるそれは見えないから危険になるのだ
また車から見ると逆に急に自転車は道を横切るから目障りになる
それで車の人に怒鳴られたり注意されたり嫌がられているのである
日本では本当に車優先社会であり歩行者とか自転車とか目障りなものにされているのである、ヨ−ロッパではそうでないとするとき日本はなぜこれほど狭い国土なのに車が優先されているのか?
それは車が国の主要産業であり車を外国に売るから企業の方針でそうなっているのかともみる、なぜなら日本は会社社会であり会社の要求が優先される社会だからである
政治より財界の力が強くその言いなりになる、車が売れないとまずいとなれば国内でも車優先社会になるのである

自分自身はもともと車は嫌いだった、なぜなら車は自然に風景に溶け込まないからということもあった、突然目の前を猛スピードで走る、その時風景は乱される
また騒音も嫌だった、その点なぜ電車には鉄道には魅かれるかというと風景にとけこむからである、何か人間的なものがあるからだ
それで駅でボランティアしても見送りしたり何か情があるのが駅だと思った
車にはそういうものがないのである、またマイカーであり閉鎖された個人の空間となっているから車の人とは対話もない、誰が乗っているかもわからないからだ

つまり何か車はキレル道具である、キレルというとき人間と人間が通じあえないのである突然猛スピードで馬鹿野郎とか叫んで去ってゆく、そういう乗り物なのである
キレルとか情がないとかいう時車社会が影響していることは確かである
車によっては情ははぐくまれないのである、そういうことでも非情化社会になったともなる、つまり車社会では相手を思いやるということができないからである
それで私は自転車の人とは良く話するのである
最近でもトラック運転手だった人が足を悪くして車に乗れなくなり自転車に乗り始めた
意外と遠くまで行っているなと見ている
自転車に乗る人とは仲間になりやすいのである、でもバイクでも仲間にはなれないのである、ただバイクに乗る人はバイクを通して仲間になりやすいのである
だから車社会に住んでいると車を持たない人は仲間はずれにまでなる

だからこそ高齢者が車を手放せないのである、そして老人になると年寄りの冷や水とかいうけどそれは今までしたことができると思い込むのである
それは習慣の惰性ともなる、習慣的にしてきたことは年とっても体が衰えてもできると思うのである、またそうして車であれバイクであれ自転車であれそれに乗った快感を覚えたものはそれをやめることができないともなる
私自身でも自転車に乗れなくなったら死にたくもなるから車でも同じになる
車社会で車で生活してきた人たちが車に乗れなくなることは社会人としてまともに生きれなくなるとまでなるのが車社会なのである

そして免許を返納して失敗したという80歳の人がいたけど車が乗れないことが日常の社会生活に支障になる、田舎だと買い物すらできないとなる
その代りの交通など今はない、バスは一日二本くらいしか出てない、鉄道で不便なのは駅からの足がない、バスが出ていない、出ていても二時間に一回くらいだとか相馬市の人も言っていた、街から離れるとそうなる、でもタクシーだと高くつくのである
街内だったら600円だけど離れとすぐに倍にもなるからだ
つまり代替えする足がないのである
こうなったのも高齢化社会のマイナス面がいろいろな所に現れてきたためである

高齢化社会には車は向いていない

ここに車社会のマイナス面が露骨に現れてきたのである、だから何か高齢者向きの車が必要だというのもそうである、ところが日本ではそういう車はないという
自動運転などが取りざたされるがまだ先である
高齢者向きの車が販売されないとうのも変なのである
今度買ったヤマハの電動自転車はYPJ-XCマウテンバイクだから若者向きだと最初思っていた
でも全然違っていた、体力なくても楽に走れる優れものだったのである
この自転車だったら体力なくても走れるなと乗るのが楽しくなったのである
自転車でも今まで乗っていたらやめられないのである、自転車に乗れなくなったら恐怖だとなる、これを紹介したら脳卒中から回復した人も買って乗るようになった
おそらく車ももっているが危険にもなるから乗らないのか、ただ運動用に使っている

いづれにしろこうして高齢化社会になると車から自転車とか電車を利用する人が増えてきているのだ、技術的に自転車は進歩している
でも何か高齢化社会に車は適応しにくいのである、もともと車は若者向きだったからである、第一猛スピードで走るのもそうである、ゆっくり走れないものだからである
車間距離とかあり同じスピードに合わせなければならない、だからゆっくりは走れない
自転車なら別に早くも遅くも走れるし景色が楽しめるのである
そして田舎だと歩道を走れるから安全だとなる、ただ自転車はどうしても車社会では目障りになる、自転車から見ると車は危険なのである
つまり車は高齢化社会になり合わなくなったのである
何か高齢化社会では若者向きのものが合わなくなる、スマホでも字が小さいから目が疲れるしめんどうだからしたくないとか何かと今の社会に合わなくなる
それがみんな悪いというのではなくいい方に働けば住みよい社会になる
何か多少不便でもスローな社会で余裕ある社会になる

正直車は減らすべきだと思う、車をもちすぎて増えすぎたのである
車をいらないとできない、ただ車社会一辺倒の時代は終わったのである
だからヨ−ロッパでは車に対しても成熟社会になっていると見た
日本はなぜ効率第一で余裕がない社会なのである、それはヨ−ロッパのように成熟していないからだともなる、ヨ−ロッパでは騒音にうるさい食べる時だって音をたてないようにするのがマナーである、何かそういう点日本はまだ後進国なのかとなる
社会とか文化が成熟していないのである
だから技術があっても車というものに対して制御できない社会だとなる
技術を社会にうまく適合できない社会だとなる
そうなると車優先になりそれ以外のものは無視されるのである
歩行者でも自転車でも全く考慮されない社会になってんることがそれを示している
でも高齢化社会になると運転できなくなるから車社会にブレーキがかかるとういことがある、それは悪いとはならないのである

いづれにしろ車をもたない人は何か劣等者だとか能力がないとか見ているというのも異常である
それもあまりにも車優先の社会にしてしまったからである
その弊害が高齢化社会で出て来たのである、これもカルマであり自業自得である
車をもたない人がどれだけ肩身の狭い思いをしていたか車をもっている人にはわからない
でも車を運転できないとなりそのことを高齢化社会で老人は痛切に感じることになったのである
技術は必ずいい面と悪い面に働く、なんでもそうだけどそれが高齢化社会で現れたのである


posted by 老鶯 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年06月02日

処刑される引きこもり、ニート、無職! (数が多いから社会の重荷となるため)


処刑される引きこもり、ニート、無職!

(数が多いから社会の重荷となるため)

東京・練馬区の住宅街で元農水事務次官の熊澤英昭容疑者(76)が、同居する息子の熊澤英一郎さん(44・無職)を刺殺。川崎市・登戸の小学生児童ら連続殺傷事件を起こした岩崎隆一容疑者(51・死亡)が長期にわたって就労しない”引きこもり傾向”にあったことが改めて社会的に議論となる中、一報は飛び込んできた。

この引きこもりとかニートは相当数いる、田舎でもみかけるしそういう人と私は会い安いのである、それは都会だけではない全国的に平均的に存在している
だから特定の地域の問題でもない、場所に関係なく満遍なく存在している
もうそれは特殊なものではなく、普通にもなっているのだ
それだけ当たり前のことであり普通であり多いということである

ともかく社会の問題は数が多くなるとそれで騒ぐことになる、社会は数で見ている
少子高齢化でも子供の数がへると困るとか老人の数が増えて困るとかなる
歴史でも数からみる、縄文時代の人口はいくらだとか弥生時代になりいくらになったとか人口の増減で社会をみる、本当に明治以降なぜ日本がはこんなに人口が増えたのかとなるからだ
だから別に人口が減ってもいいじゃないか、それがもしかしたら自然の摂理というか社会の摂理なのかとなる
だって動物であれそれが増えすぎると生態系のバランスが崩れ問題になるからだ
地球自体人間増えすぎるとそれが自然破壊にもなる
だから世界人口が増えすぎているから減らした方がいいとするのもわかる

ともかく一連の事件が何を語っているのか?
それは引きこもりとかニートの数が多すぎるから社会問題化する
40前で50万とか40から60歳でも50万とかいるとてるとその数は社会を圧迫する
私が述べたアウトサイダーというときそれは世界で十数人の特殊な思想家とか芸術家のことなのである、それは今の引きこもりとかニートと似ていても全く違ったものである
第一団塊の世代は高度成長を築いた人たちでありその人たちは猛烈な企業戦士となった人たちでありその時引きこもりとかニートとか無職はほとんどいない
だからそんな人かいたのとなる、それは社会問題に何にもならないのである
そんな変人がいたのかとか誰も問題にしないからである
私は高度成長の時こそ、みんなが猛烈な企業戦士となり会社人間になっているときたこそ実は引きこもりでもニートでもそういう人がいた方が良かったのである
数としては1000人くらいでもその中から独創的な人間がかえって出たと今では思う
私自身がそういう人間として生きてきたからである

今の引きこもりとかニートはそういう問題ではない、百万人もいるときどうなるのか?
その数が社会を圧迫するのである、なぜならその人たちは仕事もしないからやかで生活保護になるというときその数の多さが社会の負担になるから騒ぐのである
それで51歳の引きこもりが無差別殺人になったとき社会がその引きこもりとかニートに恐怖する、それがどこでも実際は身近にいるからである
するとそういう人たちがあんな事件を起こすのかと見るからである
それは数の多さの故にそうなるのである
またそれだけ数が多いと別にみんな引きこもりでニートなのだからいいじゃないかとか
政府でなんとか対策しろとかなる、それは非正規だとそうなっている
非正規は働いているからまた違っている

ともかく社会は数でみる、人口で見ること統計から見る、それが社会を見る手法である
カルト教団があるとする、例えば創価でも票が7百万だとか8百万だとか政治的にはすべて数でみる、数は勢力となり政治的圧力となり権力となる
でも実際は創価の会員でも幽霊会員がただ一票を選挙の時入れてくれると思われる人が数百万とか膨大なのである、それを日々回っているのが幹部の仕事なのである
その幽霊会員をいかに一票に結びつけるか、座談会に出席させれば一票いれてくれるとなるとなり勧誘する
その目的ははっきりしている、ただエホバとかなるとなぜあんなにしつこく勧誘しているのか?それが疑問なのである
ただ数を増やそうとしていることは確かである
カルト教団は数を増やすことが目的でありその人がどんな人かなど関係ないのである
そんなこといちいち問うていたら数か集まらないからである

いづれにしろ数の多さでそれが社会に影響する、いい方面としてはそれだけの数がいるのだからなんとか対策しなければならないとなり政府でも援助するとかなる
そういう存在を認めて社会的に受け入れて社会に役立たせようとする
一方で常にネットでそんな役たたずは始末しろ、害になるだけだと攻撃しているそう思う人が多いのである
今回のような無差別殺人が起きるとそうなる傾向が強くなる
それで事務次官とかの高級官僚の引きこもりの息子が親に殺されたとなるのか?
迷惑かけるからと思ったのは事件がありまたそういう立場にあったからなのかとなる

つまりこれからの引きこもりニートは数が多いから社会の重荷となる

引きこもりニートは処刑しろ!

本当にこうなるかもしれない、親に処刑されたともなるからだ
それは引きこもりやニートにとっては恐怖となる
なぜそうなるのか?それは数が多いから社会の負担となるからである
数百人とかの単位だったら負担にはならないから無視できるのである
でも百万人とかなるともう無視できないのである
それから外国人労働者だって百万人以上になると無視できない、社会を変えてしまうのである、現実に田舎でもベトナムとネパールの人がかならずいるからである
つまり数が増えるということは確実に社会を変える、それで放置するわけにいかなくなるのである、それはいい面にも働くが悪い面にも働く、どっちかというと悪い面に働き処刑しろという世論が高まりそれを見越して親が処刑したのかとなる

民主主義とは数で決まる、多数決で決まる、数が多いということが権力をもつことであるだから非正規でも数が多いのだからそれを圧力とできるが政治的にそれを組織するものがないとか政治に反映する団体がないとかできないとしている
そこに民主主義の問題があるとなる
シルバー民主主義というのもそうである、老人が数が多いのだからどうしても老人に有利な政策がになるのである
だから数が多いということは現代社会では社会そのものを左右するのである
数の多さによって多数決ですべて決まるという民主主義もそこに限界が生じているのである

posted by 老鶯 at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月30日

川崎登戸殺人の事件の切っ掛けが叔父叔母の介護のため (介護になると引きこもり、ニートは地獄になる)


川崎登戸殺人の事件の切っ掛けが叔父叔母の介護のため

(介護になると引きこもり、ニートは地獄になる)


なにかこれも自分の状況とにている、60から介護になり社会とかかわるようになったのが自分だったからである
そのことで苦しんだことをプログで書いてきた、一人は認知症になりもう一人も介護になった、そうして10年間塗炭の苦しみを受けた
その時、誰も助けないし同情もしない、社会性がないから対処に他の人より苦しむ
親戚はなくその遠い親戚は事業に失敗していたからかえって借金とか要求されたし
手伝いさんとかに大金を奪われた
その時自分が病気になって入院二回した、病院では身寄りがなく虐待された
このようにニートとかひきこもりは親の介護になると悲惨なものになる
金があってもそうして一人にされて援助もなくなるからだ
金だけは欲しいという人しか来ないからである
だから金だけでは介護は解決しないのである
そしてもちろん金もなかったらさらなるどん底の地獄になる
そういう人が50-80問題としてこれから起きる、その始まりの事件だったのかともなる

自分の場合は自業自得して納得していた、だからひどいめにあったが他者を恨んでいない結局あまりにも恵まれた結果だとして恨んでいない
ただそれにしても自分のところに来た人たちは異常だったと思う
狂気的だと思う、むしろその人たちの不満が異常に大きかったのである
一人は異常性格者になっていた
その人には情もなにもなくなっていた、その人は前に書いたけど三人の母親に育てられたそして最も長く最後まで育てられた母親を捨てたのである
その人が「ひどい娘だわ」と私に最後に電話かけてきてその後すぐ死んだのである
病人になってもその人はなんの世話もしなかったがあっけなく死んだのである
まずその人は介護などできないから救われたとなる
今一人の実の親はわからないが施設にいるけど認知症である
その親は金があるのでそれしか関心がないのである
だからこの人の三人の親はみんな悲惨な結果になったことを書いた

とにかく今回の事件も親となっていた人の介護がきっかけとなり犯行になったと分析している、介護になるといろいろと社会とか人とかかわる、それで社会性がないと対処できなくなる、この事件を起こした人は親代わりの叔父叔母夫婦と何かコミ二ケーションもなくなっていたということも問題であった
もし親身になって世話していれば自分のようにとにかく世話しようと自ずとなるからだ
自分の場合は必死になって認知症でも世話した、それは特別自分は良くされたからであるそれは自然とそうなっていた、強制されたものではないのである

こういう事件が起きると社会でどう対処すべきとかどうかとか言う
しかし社会が他人がそんなふうに思っているのか?
それは自分が経験したことでもわかる、むしろこういう人は働かないとか怠けていたとか責められるだけになる、それを実際に経験したのが自分だったのである
それも私の場合はカルマだとして受け入れて恨まない
一人のぞいて生活が追い詰められていたからまず他者のことに思うことなどできない人たちだったのである
今度はそんなとき津波や原発事故があった、そして小高の人たちなどが仮設として移り住んだのである、その時その人たちは常にボランティアがきて世話していた
かわいそうだと世話していた、それでうらやましくなったのである

私の家に来た人はただ責めるだけの人だったからである、借金で苦しみなんとか自分から弱った時金を借りようとするだけである
それが脅迫にもなる、その人たちは別に何もしないというわけではないが一週間に一回買った弁当をもってくるとかしていない
そして借金で毎日パチンコ屋の掃除をしていたのである
そのパチンコ屋に小高の仮設に入った人たちが大勢通っていたのである
そしてボランティアが来てかわいそうだと働いてくれていたのである
これも矛盾だったのである、ボランティアが悪いというのではない
正直あまりにも原発避難者は手厚くされていた
介護でも優先で厚遇されていたのである

とにかく私が経験したこと本当に異常なことだった、誰一人として親身になってくれる人はいなかった、それも自業自得だとしてカルマだとして納得していた
だから他者を恨まない、でも今回の事件の犯人はやはり介護から何か事件に突入することになったのか?
それを解説していたが介護になり今度は叔父叔母夫婦を世話する立場になったとき何か問題が起きたのか?
その事情は良くわからない、ただそれがきっかけにはなったみたいだ
そこに経済的問題も生じたのか?何かその変はわからない
ただこういう問題は序の口でありこれからもありうる
それから非正規の問題も深刻になる、その苦境を毎日訴えている人がyoutubeで見たからである
そういう人たちもヤケになり事件を起こすかもしれない、何か爆発してもいいような心境になっていることが汲み取れたからである

ただすべての事件が社会のせいにすることはできない、いつの世でも理不尽なことはあり苦しいことはあるからだ
感心するのと戦前の大正生まれの人たちは苦労が多く忍耐強かったことである
今から比べると貧乏でもなんでも文句言わないのである
ひたすら耐えて働いてきた、遊ぶこともない世代だったのである
現代は遊びの時代でもある、若い女性がバイクでロシアの方まで行ってキャンプしているあんなことできるのか?そういうことが普通の時代でもある
働きづめの世代とはあまりにも違うからである


「8050問題」「7040問題」という言葉がある。80代の親と50代のひきこもりの子、70代の親と40代のひきこもりの子を指すのだが、ひきこもりが中高年に達し、親の高齢問題と併せて、ここにきて深刻な社会問題として浮上している。
posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月29日

川崎登戸殺人事件の犯人は51才引きこもり? (不遇な生い立ちと謎の空白ー「小人閑居して不善をなす」)


川崎登戸殺人事件の犯人は51才引きこもり?

(不遇な生い立ちと謎の空白ー「小人閑居して不善をなす」)


なぜこの人に私が興味をもったのか?それは自分自身が引きこもりとにたような状態で社会からはずれて暮らしていたからである
結婚もしないし20代では底辺で働いたが30以降は一切働いていないからだ
ニートとか引きこもりににていたのである
そういう人はどうなるのか?
それが一つのテーマとしてある、団塊の世代ではニートとか引きこもりとかそんなものはいない、本当にまれでありみんな企業戦士となっていたからだ
その頃みんな必死に働いていたのである
だからふりかえるとなぜ自分だけが働かないでいられたのか不思議になる
それは特殊な家族環境でそうなっていたのである
一時はもめてもその後働かなくても何も言われないのである
旅に行くというとかえってすすめられたし帰ると喜んで迎えてくれたのである
食事は常に用意されているしまるで殿様のようにして暮らしていたのである
こんなことは普通の家庭ではありえない、それは説明しにくいけど特殊な家庭環境でそうなったのである

この無差別殺人の犯人の生い立ちは家庭環境はまた過酷だったらしい
親の愛情にも恵まれず叔父夫婦の元で育てられたが愛情はなかったとか
その姉がカリタス学園に通っていたとか何かの因果関係があった
全く関係ない無差別殺人でなかった
ただ不思議なのは20代とかすぎて何か50まで何をしていたのかわからない
そこが謎なのである、空白期間が長いとなる
ところが自分自身も社会とかかわらず30年とか長いのである
そういう人は今ニートとか引きこもりで普通にいるからめずらしくない

そういう人はどうなるのか?

社会から認識されなくなる、いるのかいないのかわからなくなる
そして突然に事件が起きて認識されたのである
そんな人いたんだとなるのである
確かにもともと隣近所で問題起こしていたとかある、でもニートとか引きこもりとかは存在自体が社会から消えるのが多い、いるのかいないのかもわからなくなるのだ
そうして突然事件となり注目されてなにやかにやと問われ言われのである
つまり社会が逆に異常なほどかかわるのである
それまでは全く無視しているが逆に今度は異常なほどかかわりなにやかにやというのである
そういうふうに社会がかかわらないその存在すら抹殺されていたということで犯罪を犯してそれも凶悪な犯罪をおかして自分の存在を知らせる、そういうことが動機にもなったのかと書いた 

万引きで老人が軽犯罪を犯して刑務所に入ってかまってもらえる、食事も与えられるし介護までしてくれる、でも世間に出たら誰もかまってくれないし生活すらできないとなると軽犯罪でも犯して刑務所に入りたいとなるのもそうである
そういう人は頼るべき家族もいないからである 
奇妙なのは私の家族の一人は公務員で50代で退職した、そしたら後はなにもしない、家事もしない、趣味のようなものをしていてもそれは才能がなかった、そしたらどうなったのか?
社会から忘れられた存在になっていたのである、働いている時はみんなその人を認めていたが退職して何もしなくなってから社会から消えたのである、そして認知症になったとき社会でかかわったのである、迷惑なものとしてかかわったのである
それは軽犯罪で刑務所の人がかかわるのちとにていたのである

いづれにしろ結婚しないとか家族をもたないとか何かニートとか引きこもりは社会的に異常化しやすいのである
実際はそういうふうに社会から外れた人はアウトサイダーとなっていた
それは歴史上に残る人になる、芸術家とか思想家がでもそうである
ニーチェとか何か芸術家でもそういうアウトサイダーになっている
そういう人たちは天才であり平凡な社会生活や家庭生活を送れないのである
それだけの異常なエネルギーがあるからそうなった
でも社会性がなくなり常識からもはずれてゆき遂には狂気にもなった
そうした社会からはずれた人は狂気になりやすいともなる
それは優れた天才の芸術家のことである、ニートとか引きこもりはかえってエネルギーが消失している人たちであるからまた違っている
ただ社会性がなくなり遂には最後に突飛な異常行動になるということにもなる

ただ結婚している人がみんな正常なのか?
私は結婚して公務員で子供いる人の異常性には驚いた
これはなんなのだと思った、これがまともな人間なのか?夫婦なのか?
それは何とも言えない、異常化した夫婦だった
夫婦であれ家庭をもっていてもみんな正常なのか?
それもまた違っている、だから結婚した人がみんなまともだとはならない
それは一般的な話であり確率の話だとなる

ただ一般的には結婚して家庭をもち暮らしている人は社会性がありまともだとみる
結婚しないで50にもなってい一人暮らしは異常だと見られる
でも現代は40でも50でも結婚しない一人暮らしが増えているのである
非正規が増えているのである、だからその人たちがみんな異常だとはならないのである

私が社会からはずれて長く生活して見て感じたことは

「小人閑居して不善をなす」

これである、自分自身でもそうだった、自分自身は天才でもなんでもなかったからであるどうしてもこうなりやすいのである、社会で働いている人は一応社会で機能してそうはなりにくいのである、そこで社会性が育まれるからである
そうなるのは社会から離れて生活していると社会のことが関係なくなる
するとどうなるのか?自然とかに没入するにはいいのである
禅僧のように座禅組んで沈黙の訓練をするとかなる、自分自身が性格もあるが石のように沈黙してい一人こもっていたからである
すると無駄な口もきかないから身と口を収めて心身を修養できるとなったからである
私はそうして石と木とか山とかアイディンティティ化する詩を書いてきたからである
でもそういうことがあった反面どうしても不善を成すということがあった
つまりかえってニートとか引きこもりで身を治めることはむずかしいのである
むしろ社会の中で心身を鍛えた方がいいとなる

とにかくこれだけの事件を犯すというのもやはり限界が来たのだろう
金がないというだけではないらしい、精神的限界が来たのかもしれない
いくら生い立ちが不幸でも50になってそれをひきづり親を責めるのはどうかとも思うからだ、家庭環境は確かに致命的に人間を左右する
でも家庭環境だけがすべてとはならない、家庭環境があまりにも恵まれて放蕩息子になっている人も多くいるからだ
だから結局個々人に差がありわからないとなる

ここでこうしたニートとか引きこもりが膨大なになり何かまた同じような事件が起きるかもしれないということである、50歳になり限界になり「小人閑居して不善をなす」ということが起きやすいのである
なぜならニートとか引きこもりは普通の凡人だからである
天才とかなると別だからである
ただ狂気と正常は紙一重だということもある、結婚していようが普通の家庭で暮らしていようが狂気というのが人間にはある

そしてナチスやカルト教団がこれだけ興隆しているのは人間社会自体が狂気になり安い社会だからである、文明社会自体が実は狂気的なのである
だから狂気的な事件でも社会全体がその狂気にまきこまれるということがある
それがナチスでありカルト教団が社会を支配することである
「個人も狂っているが集団はもっと狂っている」こういってニーチェ狂っては死んだからである、集団が狂っている時は社会ではそれを正常とみているからである
そこに集団化して大衆化群衆化した人たちの恐怖がある
その人たちが狂っているといえばそういう人たちが襲ってくることにもなるからだ
だから人間社会は誰が狂っているのかわからない
ただ「小人閑居して不善をなす」とはアウトサイダーであれニートであれ引きこもりであれ言えるのである
この事件をどうみるかとなるといろいろでありやはり謎にはなる

posted by 老鶯 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月28日

川崎登戸無差別殺人の動機は何のか? (犯罪を起こすのなぜかその心理ー格差が原因なのか?)


川崎登戸無差別殺人の動機は何のか?

(犯罪を起こすのなぜかその心理ー格差が原因なのか?)


この無差別殺人のことは今のところわからない、だから何か言うことはむずかしい

ただ一体なぜ犯罪を起こすのか?

これは最初から計画した犯罪であり金目当てでもない、自らも死ぬ覚悟で起こした犯罪である
生きようとするのではなく自らも死ぬことを覚悟した犯罪である
それも壮絶な自死で死んでいる
ではどうしてこんなことを起こしたのか?

犯罪は相手に対してそれは社会でもいい、自分を知ってもらいたい、自分という人間をいることを知ってもらいたい、何かそういうことで犯罪を起こす
これは別に金が欲しいというのでもない、もう人生をあきらめた人が絶望した人がしている
それで道連れ殺人になる

そんなら自殺しろよ

となるがしないのはなぜか?
そうしたらその人のことを誰も知らせることができない、自殺したら誰もその人のことを知り意識する人はいないのである
そんな人いたのとなるだけである
それがその人がどんなに苦しんでいても誰も知らないということがある
何か現代ではそういうことが多いのである
誰にも相談する人がいないとか窮状を訴える相手がいない
そういう人がやがてどうなるのか?自暴自棄になる

何かyoutubeで非正規の底辺労働者が追い詰められている、何かもう聞いているだけで息苦しくなる、でもyoutubeがうっぷん晴らしになり不満のはけ口になる
そういう効果がある、見ている人が聞いている人がそれなりにいるからだ
それで自分自身もそういう人がいるのかと知り意識したのである
特に都会だと人が多いから埋もれてしまうだろう
それはテキストでは感じないものを感じた不思議がある
つまりyoutubeだと声とかによって感情がこめられるからだとも見た

カリタス学園と何なのか、金持ち行く私立なのか東京辺りでそういうことで私立学校がありそれで金持ちのことがわかり差が生まれる
ただ動機はわからなくなったし何が動機なのかはわからない
ただ私立の学校をねらっとなればそこに動機があったのか?

とにかく犯罪は相手に対して意識させる、

俺がいるんだ、俺を知れ、俺を意識しろ

そういうことがある、なぜなら実際にそんなことで子供を殺されたら絶対に一生親は忘れられなくなるからだ、まさに犯人の思うようになるからだ
でなければそんな人がいたのとか何の意識もしない、その人がどんな苦しんでいてもそうである、そんな人知らないよで終わりだからである

ともかく何でもそうだが追い詰められた人は怖い、そこまでするのには何か追い詰められていたのだろうともなる、自死覚悟でしているからである
ただこの本当のところはわからない
でも犯罪を犯す動機は効果は相手に社会でも自分がいる、苦しんでいる自分がいるということを知らせることであり意識させることなのである
それで誰か一人でも訴える人が慰める人がいれば救われるとなる
誰もいないと自分という存在を知らせる意識させるために凶悪な犯罪も犯す
そしてそれだけの犯罪を起こすとなれば自らも死ぬということで決行した
だからそれが精神障害者なのか?そうも見えないしわからない
そこまでの決意があってしたのが何か違っている

こういう犯罪を犯せば社会では大騒ぎになりそいつはなんなのだと延々と問うことになる、でもそうしなければそんな人はいくらでもいて何も知らない、いることさえ知らないし意識しないのである
現代社会は経済的に行き詰まり追い詰められている人が増えてくる
40代50代ではもう絶望する人がふえている、それで底辺労働者が延々とその不満を書いている、その人も非正規で40近くであり50代となってゆく
その人も絶望しかないと毎日youtubeで訴えているのである

現代はとにかく人間の心は非情化している、相互の人間のつながりはなくなっている
そこで非正規とかは孤立している、もし底辺でもそこにまだ人間的つながりがあればそうはてらない、家族もいないとなれば余計にそうなる
現代とは孤立化しやすいのである
それで知っている60代の女性が畑にいて土手の道の方を見てここで倒れても誰も助けないよという
何かその人は田舎でも最底辺で苦労したから非情を身にしみている
田舎でもそういう非情化した時代なんだと思う
自分もそういう目にあったからである、田舎だと何か人の不幸がドラマのように楽しみなのである、刺激がないからそれは一番の刺激だともなる
だから田舎が人情に厚いとかはとっくになくなっているのである

そういう社会は都会でも田舎でも同じだとなるが何か私立などはないからそこに格差が目立ちそうなったのかともなる
南米では格差が激しくて金持ちの人は誘拐されたり常に危険にさらされているからである
いづれにしろ登戸で毎日十何万も乗り降りがあることに驚く、そういうことがこの辺ではイメージしにくい、ただ自分は小田急沿線に大学あり良く登戸というで名前を覚えていた小田急沿線には大学とか学校が多いということがわかる
たた川崎市というとき何かわかりにくいところだった、田畑があったりもするしでも人口密集地帯もある
それももう半世紀前とかなると記憶もおぼろになった
でも登戸でこんな犯罪があったのか?それで注目したともなる

posted by 老鶯 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月15日

丸森町のメガソーラーで考えたこと (グローバル経済で日本の国土も破壊されてゆく)


丸森町のメガソーラーで考えたこと

(グローバル経済で日本の国土も破壊されてゆく)  


megasolarrr1.jpg


台風とメガソーラーの危険性

メガソーラーは、無人島のような、人が近所にいない場所にしか設置は許されるべきではないと考える。何かあった際、被災時(特に水害)に重大な危険性があるためだ。

太陽光発電そのものを否定しているわけではないが、人の住環境の近傍に、設置されて良いとは思えない。災害時でなくとも、設備故障・経年劣化・鳥獣被害により、近隣住民を危険に晒す可能性が否定できないからだ。

また山奥などでは、火事の火元となる危険性もある。
山も推奨できるものではない。

海の近くとなれば、塩害により設備が損傷する危険性が高まる。
同様に、推奨できるものではない。
風水害でパネルが海に大量にばら撒かれた場合の汚染リスクもある


丸森のメガソーラーパネルには驚いた、あれだけの量があると災害があったりしたら被害も大きくなる、ソーラーパネルも自然破壊であり公害を生むものだった
原発も津波は地震で大被害になった、科学技術でもこうした自然の影響をまねがれることができないことを知った

ではなぜソーラーパネルがこんなに普及したのか?
農業でも跡継ぎがないとかするとそこが荒地化する、その土地をもっていても何の用もなくなる、税金をとられるだけだとなる、するとその土地を活かす方法はソーラーパネルだとなる
土地さえ提供すればいいから楽である、家を貸すより楽である
そしてそうした金にならない土地が山でも森でも増えすぎたのである

山林でも丸森だったら江戸時代に米沢藩と相馬藩と伊達藩で木材資源で争いがあったように木材が利用されていたからそうなった
実際に相馬から伊達藩の宮城県の丸森まで森がつづいていた、森は相馬藩からも連続してつづいていたのである
戦国時代が入会権から村同士の争いとなったのが原因だったという学者もいる
入会権をめぐって大名が加担してその争いにまきこまれたからだとうい
それだけ木材資源は今の石油のように大事なものだったのである
それがグローバル化経済で石油が燃料となり炭を作る木材も使用されない、後は外材となったとき森は無用の長物となってしまった
それでも日本はまだ森が残っていた、森林が70パーセントもある国だとなる
外国では森林が鉄とか牧畜とかで消失してはげ山になった
ギリシャの山でも羊飼いがいた、外国ではいたる所に羊飼いがいる
それはヨ−ロッパでも同じだし中国でもそうである
それでヨ−ロッパの広大な森林は消失したとなる

とにかく文明と自然破壊、環境破壊は必然的に結びついている
それは人間の宿命のようなものである、人間の業なのである
自然破壊しなければ生きていけないのが人間なのである
焼畑農業でも森林を焼いて灰で肥料にしたとかでも森林の破壊だったからである
だからそういう環境の破壊は人間は現代まで継続してきたのである
原発事故でもそうだった、大規模な環境破壊自然破壊が起こり故郷にすめなくなった
森はもう除染もできない、セシウムは30年とかで半減するとかになるとそれだけの時間を待つほかないのである
プルトニウムは2万年消えないとするともう待つこともできない、人類は滅びるともなる

不思議なのはソーラーパネルが農業と関係ないと見ていたが問題が共通していた
畑だと常に雑草の駆除が強いられる、毎日のように日本では草むしりが仕事だからであるソーラーパネルでも雑草が繁るので草刈りが仕事になる
それから鳥獣の被害もでてくる、鳥の糞とか巣を作られて被害があったとか
また電線なのか何か盗まれたとかの被害もある
畑でも誰も見ていないから作物が盗まれるのが農業である
それからネズミだモグラだキジだとか鳥だとかに常に作物が食われる被害がある
だからそうした自然の影響からまねがれないのがソーラーパネルでもあった
特に台風とかで斜面が崩れてソーラーパネルが落ちるのは怖いと見た
あの丸森のメガソーラーパネルは何かそうなったら麓の人が住んでいる所まで被害が及ぶ

ソーラーパネルは景観を破壊することでも影響が大きい
せっかく絶景ポイントとなっていてもあんなふうになると台無しだともなる
あそこが森だったら蔵王が見えてさらに荘厳な景色となっていたからである
ただあの斜面は日当たりがいいから選ばれたのだろう、もともとゴルフ場だったとなると森林はなかったのか?
すでにゴルフ場の時に森林は破壊されていたのか?
あそこだったら見晴らしがいいからゴルフ場としては最適地となっていたとなる?

そして丸森町にも事情がある、木材資源があっても利用できない、森があれだけあっても木材が利用できない、それで高齢化率がここでも高くなり苦慮しているのはどこでも同じである、農業の後継ぎがないと会社経営にして他からも若い人を呼び込もうとしている
それは日本全国でそうなっている
そういう状況であのメガソーラーができたのである

いづれにしろ飯館村は原発事故で無惨なものとなったし丸森でもメガソーラーで景観が破壊された、それもグロ−バル経済とも関係していたのである
そもそも石油とか木材でも輸入だからである
そして人まで安い賃金で外国から入れて働かせる、でも日本で人手不足かとなるそうではない、氷河期世代の30代後半から40代頃まで膨大に人手がある
でも若い人がいいからは外国人労働者を入れる、するとその人たちの時給でもあがらないし不用にされて捨てられると訴えているのも深刻なのである

なぜ若い外国人を優遇して日本人の氷河期世代は国から捨てられるのかという訴えも最もだと思う
それもグロ−バル経済の結果としてあったのだ
世界的になれば企業でも国のことよりコストが最大の問題になる
いかにコストをおさえるかとなり世界での労働市場に目を向ける、そこで最貧国のネパールとかなら低賃金でも若い人が働くとなるからだ
そして肝心の日本人はいらない、30後半から40ともなるとおっさんでありいらないとなる、これも理不尽でありおかしいのだがそれもグロ−バル経済が作り出した矛盾なのである


posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月06日

上級国民ー飯塚幸三は原子力村の人だった? (上級国民への不満が貧困化する日本で鬱積している)


 上級国民ー飯塚幸三は原子力村の人だった?

 (上級国民への不満が貧困化する日本で鬱積している)

 原子力委員会専門部会の構成員の変更について核融合会議の構成員のうち等々力達を飯塚幸三に変更することについて、資料に基づき説明がなされ了承された。

もし元々通産省にいたなら設置基準が妥当と認めるという事を通産省に対して出すのが元々通産省内部の人間という事ですね。後で入省したとしても行ったり来たりの関係が独立性と無縁の原子力村、原子力マフィアの一味という事です。汚い。 

交通事故で母子が死んだ、その事故を起こしたのが飯塚幸三でありこの人は高級官僚だった、このことで興味をもった

なぜこんなところに原子力村とか出て来たのか?

これも何か因果関係があるのか?
なぜなら原発事故では高級官僚でも科学者でも経営者でも誰も罰せられていないことが疑問だったからである、検察がなぜ罰しないのか?
そのことがこれとも通じていたのである

上級国民は警察は罰しない!

なぜなら警察官僚が東電に天下りしているのが多いからである
官僚という時検察もそうなのである
だからあれだけの被害を出した原発事故でも検察は罰しないのである
普通だったら自殺者を出したりするがそれもなかった
社長でも官僚の関係者でもなんでも罰せられなかったのである

それで警察は上級国民には甘くしているとなって不満が沸き起こった

その原因として非正規とか年収300百万円以下の人が増えていることも関係している
日本人が一千万単位で底辺化しているのである

私が底辺かに興味をもつようになったのは底辺と付き合うようになってからである
その人は毎月のように電気止められたガスとめられた水道とめられたとなきついてくるからである、貧困化はこういうところで最悪なものとして現れる
後は家賃が払えないとかで住む所すら奪われるのが最悪である
その人は老人だけど老人でも貧困化している、年金がそもそも少なすぎるから基本的に生活できないのである
そういう人が老人でもますます増えているのである

それから若い人でも非正規とか年収300百万円以下とかが増えている
特に氷河期世代がそういう人達が多い、それで上級国民への怨嗟が大きなものとなって社会の底辺層が攻撃してくる、それはもしかしたら危険な状態にもなっている

底辺層がyoutubeでその不満を延々と言っている、今だとインタ−ネットで訴えることができるからそういう人がいたのかと気づくし共感する人も増えるからである
マスコミでは取り上げないとか叩かないとか不満も大きくなっているからだ

確かにその経歴をみると下級国民からすれば垂涎の的になる、そこには原子力村があり東電からも金が流れていたのかとみる、それがここではこれだけ被害があったのだから注目したのである

田舎ではそうした特別な上級国民とか金持ちは住みずらい、目立つからそうなる
日本が江戸時代でも平等社会だったのは狭い所に住んでいるからそうした目立つものへの怨嗟が大きくなるからだ
ただ普通は上級国民だとしても東京に住んでいたらわからない
こんな大きな事件を起こしたことで表に出てきたのである
それも原発と関係して因果関係があり悪が露呈したのか?カルマが現れたのかとも見た

つまり原子力村に関与した者への罰だったのか?

こういうことはあるかもしれない、あまりにも検察でも何もしないからである
官僚という時、検察とか警察も官僚なのである、こういう人達は連帯している
公務員でも同じなので知る、特権階級を形成しふすいのである

それで自分自身の家族も公務員だったから得していたのである
それでやっかみをもっていた人がいるかもしれない
田舎では大きな会社がないから公務員が特権階級になる、上級国民になるからである
ただこの人のような国レベルの特権階級とは桁違いである
年金だって減らされて民間並みになり平均化していたからである 
まず田舎だと狭い所に住んでいるからとてもそういう人は住みにくくなり住めないとまでなる、何かとうるさすどぎるからである

とにかく日本が貧困化している、その影響がだんだん深刻化してくる
その不満が上級国民へ向けられる、自分自身が別に上級国民ではない、自由に旅行したとしてもまず満足にホテルさえとまらない自転車旅行だったからである
食事は常に最低のものしか食べていないからだ、それでも自由を満喫はしていたとなる
何か金を自由に使える身分のように見られるがそんなことがなかった
外国旅行したとしてもバックパッカーだったからである
ただ自分の場合自由な時間を与えられていただけだったとなる

いづれにしろ貧困化する日本の問題はますます深刻化して暴動すら起きるかもしれない
それだけ貧困化している、日本はすでに後進国になりつつあるとも言われる
中産階級は消失している、子供でも貧困化して満足に食べられないとかなっている
そういうとき上級国民とかは怨嗟の的となり恨みとなってもゆく
そこに危険なものが生まれてくる、検察とか警察とかの不満も大きくなる
警察とか下層のものには高圧的に接する、人間と見ないとかにもなる
それは日常的な光景である、でも上級国民に忖度するとかなり下層化した下級国民の不満が大きくなるのである
そういうことで自分自身も被害にあっているからである
治安が悪くなり犯罪が増える、それで中国では歴史でも金持ちへの不満が増大して盗賊でも一時皇帝にもなったからである、だから共産党の幹部でも民衆の不満が特権階級に向けられることに戦々恐々しているのである

それにしても底辺層の生活が金銭的にもそうだが精神的にも貧しすぎるのである
確かに金がないから何もできないというのもわかるがFXとかスロットとかで一攫千金を夢みているとかしかないのがわびしいのである
インタ−ネットで無料でも勉強できる時代でもありなにか知的好奇心とかあって他にエネルギーを費やすべきことがある、時間を使うことがあってもいい
別に金がなくてもできるのである、そこに自己責任があるかもしれない
すべて環境とか生い立ちの結果にするのは問題がある
ただ海外旅行している人を羨ましく見ているのは悲しい
なぜなら東南アジアなど前は円高でも貧乏人でもできていたしうらやむことではなかったからである、そううところまでうらやんでいるのは相当に底辺が増えているということである

ただ若い時は私自身が底辺を経験している、流れ作業とかしていて仕事するのが嫌になったからその気持ちがわかる、そのままつづいていたら絶望することもわかる
その点自分は恵まれていたとなる、ただ自分は金をそんなに使えなかった
だから貧乏旅行しかしていない、でも旅行は貧乏でもできる、むしろふりかえれば時間が大事なのである、自転車旅行でも体力がないとできなくなる、つまりその時々にすべきことがありそれを逃すと後でできなくなる、だから人生にとって若い時すべきことをしないとかなると大損失だったとなるのである、それは金だけの問題ではない、体力とか気力とかがなくなってできなくなるからである



posted by 老鶯 at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月01日

天皇を受け継ぐことの重み (高齢化で代替わりが遅くなるが経験しないとわからない)


天皇を受け継ぐことの重み

(高齢化で代替わりが遅くなるが経験しないとわからない)

何か最近政治家でも高齢化している、マレーシアの前に首相をした人でマハテールもまた首相になったが92歳なのに驚く、トランプ大統領でも70歳であり今度民主党から立候補した大統領候補も80近いとかサンダースでも74だとか政治家がこんな年齢で勤まるのかという疑問である
ただ高齢化社会は世界的なものでありこうなっても不思議ではない
これも今までの固定観念がありそう思うだけだとなる
百歳人生だったら70頃から本格的にその本領を発揮するということがある
やはりそれだけ経験とか知識を積んでいれば若い人よりは有利だとなるからだ
ただ政治という時何かハードに感じるからこんな年でやれるのとなる
学者とか芸術家とかは別に家にこもってでもやれるが政治はそうはいかないから体力がなかったらできないとみるのである

天皇を受け継ぐにしても皇太子だって60近くになっている、それは昔だったら老人なのである、こうして高齢化社会になると遺産とかでも受け継ぐのが親が死ぬのが遅いから60くらいになるのが普通になる
それも社会を停滞させるということがある、なぜなら人間はどんなに優秀な人でも実際にやってみないとわからない、経験しないと理解できないからだ
それがもう60くらいになって天皇でも跡を継ぐというとき天皇になることがどういうことかすぐには理解できないのである
いくらそういう皇族の中で育っても実際に天皇になることがどういうことなのか実感できない、それは天皇になったとき徐々に実感してゆくのである
天皇になることはこういうことだったのかと実感してゆく

それは家の跡を継ぐことでも同じである、家の跡を継ぐことはこういうことなのかと実際に継いでみてわかる、でも60近くになって家の跡を継いでも遅いとなる
家を継いで新しいことを始めるのにも60とかなると苦しいとなる
実際に跡を継ぐ人も老人になっているからだ
ましてや天皇を継ぐということはその重みは計り知れないとなる

こんなことを言うのは自分自身がそうだったからである
家を継ぐとういことが自分にはわからなかった、でも親が介護になり家族がみんな死んだとき否応なく家を継ぐことになったのである、私は家に付随したようなものだったが今は後を継いで家の主となっている、それも一人だかそうなっている、それで家を維持することが今度は重いものとして自分にのしかかったともなる
何か家が残っていることで後を継ぐということを意識する
でも家が残っていないとそういう意識もあまりもてないかもしれない
それだけ家のもっている重みがあったともなる
家の中に死んでも先祖が生きているということを実感するからだ

おそらく新天皇でもそういうことを徐々に実感する、皇太子と天皇では全く違ったものでありその重みも全く違ったものになる、でもそれを意識するのはすぐにはできないからだ時間が何でもかかるからである、天皇になることはこういうものだったのかと意識してゆく、つまりその人がどうであれそういう立場になり権力を持つとかならないと実感できないのである
王様になるにしてもその地位に実際についてみないと皇太子ではわからないのである
それはここの家でもそうだし会社とか団体と政党とか何でもそうである
社長になってみないと社長がどういうものかすぐにはわからないのである
それで若い人でも重責にある地位につけば能力を発揮することがある
それは経験してみないとわからないからである
人間の能力が発揮できるのは必ずしも能力があるかないかもあるがそういう立場に実際になってみて力を発揮することがある
でもそういう立場を与えられなかったら何も発揮できないのである

それで今度は天皇は夫婦で留学経験があるから外交面で力を発揮するかもしれないとか言われる、天皇となると世界的にも影響があるそこでやはり英語でも自由にしゃべれれば会話がはずむとかなり外交力を発揮するとなる
いづれにしろ天皇を受け継ぐということは国家を受け継ぐとかにもなりその重荷は計り知れないものとなる
それで平成天皇は戦没慰霊者を全国を回ってしてきた、それは日本国家の天皇家の負の遺産でありそれも大きいからそうなったのである
個々の家にも必ずカルマがあり負の遺産がある、プラスの遺産もあるが負の遺産もある
そういうものを担うのが後を継ぐことだと意識するようになる

江戸時代のようなあまり変化しない時代だと後を継ぐということは特別能力がなくてもできた、徳川幕府の将軍が別に能力があるから継がれたのではない、長子相続が継続されたのは平和な時代がつづいていたから継続されたのである
グロ−バル化とか激動の時代になったら跡を継ぐとしても守れないとういことがある
戦国時代では能力のない跡継ぎは駆逐されるからだ
いづれにしろ天皇のようにな国家の跡を継ぐようなものになるとその重責をひしひしと感じる時がこれから生じてくる
でも実際に経験して次代の天皇として成長するともなるがもう天皇制は限界でありそれは大統領制にして国家の重責を担わせる時代へ移行するようになることも考えられる
ただここで国家とは何かとかが問題になる、それもまた二千年の歴史を知らないと答えは出せないのである

shichohouyaki11111.jpg


 家を継ぐ我なりしかも牡丹の五六輪庭に重く咲き継ぐ

 天皇となればまさに牡丹である、栄光を受け継ぐとなる、ただ家でもいろいろある、家も何も残さない人だっている 
 子供が親にひどいめにあって死んだが墓参りもしない人もいる、家もいろいろでありカルマがあるからだ
 ただ家は具体的形になっているから受け継ぐというときわかりやすいのである 
 どういう訳か狭い庭に牡丹だけが毎年咲いている、五六輪は咲くのである
 新しく倉庫のような所を壊して作った庭には花が咲きにくいのである
 だからなぜ牡丹だけがこうして咲いているのか不思議だとなる
 私の家は古い家ではない、でも跡継ぐということはこういうことがあるなと思った
 ただたいして金持ちでないにしろ家とそれなりの財産とかがないと跡を継ぐにしても淋しいとはなる
 受け継ぐというとき具体的な目に見えるものだけでもない精神的なものを受け継ぐことがある
 それも遺産なのである、日本精神を受け継ぐとかなればそうである
 そういうものが天皇に凝集しているということが日本の特殊性にはなる


あとがき

七宝焼の皿は売り物である、10万している

 これは令和にふさわしいかもしれない、日の出工芸社となっている
 令和にからんで売れるものがあるし宣伝している
  








posted by 老鶯 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月30日

元号が変わるけどもうグロ−バル化の時代に合わない (天皇の存在は是非は多数決で国民の総意で決められるのか?)


元号が変わるけどもうグロ−バル化の時代に合わない

(天皇の存在は是非は多数決で国民の総意で決められるのか?)

第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

●元号は明治と大正までは時代を現していた

平成から令和に変わるけど何か元号自体が時代にあわなくなっているのではないか?
明治とか大正までは元号が活きていた、それは私の父は明治生まれであり母は大正生まれだからである、そこに元号に親しみを感じる
明治は大きな時代だった、大正はもうひとつ特徴がないが何かそれでも時代の雰囲気を感じる、昭和になると戦争であり戦後は高度成長時代になる
昭和も大きな時代である

ではなぜ元号というのが今時代に合わなくなったのか?
それはこれだけグローバル化ししていると世界的に同時代的に世界の人が生きるようになったからである、元号だとそれは日本だけのことである
天皇と言っても日本だけの歴史の中で活きるものであり世界には通用しない
だからアジアでも天皇が戦争のことで批判されるのである

つまり太平洋戦争で天皇の権威は失墜したのである、それはグローバル化の結果だったのである、元号が変わるということでお祭り騒ぎしているけど何か私自身はそんな時代が変わることを意識しない、平成をふりかえることでも平成がインタ−ネットネットがスマホが普及した時代だというときそれは日本だけの現象ではない世界的なものである
すると平成がインタ−ネットの時代というより世界がインタ−ネットの時代になったとなる、だから元号だけでその時代をみることはできなくなった     

●江戸時代までは元号は活きていた

私は郷土史をみるときどうしても常に古い碑を見て元号をみているから元号に親しみがある、最近では宝暦の碑を相馬市の辻の塩嘗地蔵で発見した、ここが意外と古い場所だと発見した、宝暦の碑は日立木の薬師堂にもある、そこが浜街道であり松並木を通り過ぎた所にある、そこには南無阿弥陀仏の碑がある、宝暦にも飢饉がありそこで餓死した人たちを供養したものかとも思う、南無阿弥陀仏の碑が他にもありそれは餓死なのか死んだ人を供養したものである、何を供養したのかわからないものもある
つまり歴史には膨大な人たちが闇に消えたのである
それで相馬藩で津波の記録で二行だけ溺死者700人いたというのがわかった
それも全く忘れられていた、津波があって発見されたのである
そういう人たちも忘れられて闇に消えていたのである

江戸時代なら元号に意味がある、世界とかかわりがないからである
日本国内のことであり世界の歴史とは関係なく生きていたからである
現代はグロ−バル化して世界と密にかかわっている
するとどうしても国内だけの元号には違和感があるし世界的に通用しないのである
平成でも令和でも何か元号の重みがない、元号が重みがあったのは昭和までかもしれない昭和でも戦前と戦後ではまるで違っているから昭和で統一できないのである
元号でも大同とかというと東北では相当に歴史的に重い意味をもっている
その時蝦夷征服で坂上田村麿が活躍したときであるからだ
大同というのは時代的に日本にとって日本を統一した時代をの元号だからである

ただ元号と天皇は密接に結びついている、特に逆に明治時代には天皇の一世一元が元号になったから逆戻りである、江戸時代は元号を何か大きな災害があるとか変えていたのであるだから明治以後の方が元号は古い天皇の時代に戻っている
明治に天皇をより神格化して日本を統一したとなる、それが太平洋戦争に通じていたのである
天皇の是非は現代のグロ−バル化した世界にはもうあわない、世界とこれだけ密接にかかわるとき日本だけが二つの歴を使用するのはめんどうになる
元号は江戸時代のような日本だけで生活しているようだったら合っていた
これだけグロ−バル化しているのに元号を使用するのは合わなくなった
天皇は日本国民の総意でなり日本国民の象徴だというとき元号も国民の総意で決めるともなるがそうなっていない、秘密のベールの中で決められた  

●天皇が廃止されると全国の神社は維持できなくなる

とにかく天皇の是非は別にして何か元号は時代に合わなくなったのである
だから元号が変わるとしても何かそれで何か変わるとも思えないのである
そういう感覚が時代的に消失している、国民の総意でもそうでくなっている
テレビでは天皇が変わることで煽っているけど本当に国民の総意なのか?
天皇自体がもう国民の総意に合っているのかどうか?
天皇とは国民の象徴ではなくて、日本文化とかの象徴ではないのか?
日本の伝統を担う人ではないのか?

ただもし天皇が廃止されるとどうなるのか?
無数の日本の神社が維持できなくる、なぜなら由来がわからないにしろ神社と天皇は結びつく
だからこそ明治になった時廃仏毀釈がおこなわれて仏教勢力は排除された
それも当然だったのだ、江戸時代に幕府によって優遇されたのは寺であり神社ではなかったからである
天皇は全国神社の代表のようなものでありそこにこそ天皇の重みがあるとなる
天皇が総元締めのようになっているからだ
神社には必ず忠魂碑があることでもわかる、それは戦死者の霊を祭るものである
そこにまた神社の意味がある
神社でも子安神社とかあれば国家とか天皇とは全然関係ない、子供が安らかに育つようにとの願いの神社だからである
神社にはいろいろあっても国家と天皇と結びつくものが多いのである

天皇の是非は簡単には語られない、それは二千年の日本の歴史と関係しているからである
元号もまた天皇と関係しているが江戸時代は必ずしも関係していない、天皇の一世を元号にしていない
何か災害があったり悪いことがあったりすると元号を変えているからだ
それは天皇の一世元号とは違うからである、そういうことは国民の総意でもある
なぜなら災いとか悪いことを起きてくれるなというのは国民の総意だからである
それは支配者だけではないみんなの総意だからである 

●令和はグロ−バル化の中で天皇の役割を模索する時代へ

いづれにしろ次の天皇は令和の時代をどう築くのか?
夫婦で留学して国際派だというときそのことでもグロ−バル化した中での天皇がどうあるべきか模索するようになる
だから平成の天皇とは違ったものになる、代が変われば家でも会社でも自治体でも市長が変われば変わる

グロ−バル化の中で天皇はどうあるべきか?

これが令和の時代の課題だとなる
平成天皇は昭和天皇の反動として国民と同等となり膝をつき国民と対話した、それは昭和天皇との大きな相違だった
昭和天皇は戦前の現人神(あらひとかみ)の感覚がまだ残っていたからである
またもう天皇を受け継ぐ人が皇族が減少していなくなるからもう天皇制は維持できないとも言われる
天皇制を維持する体制自体が消失しているからもう維持できないともいわれる
だから今度の令和の天皇が最後の天皇であり元号もこれで終わりになるというのも現実的である
そういう状況にすでに追い込まれているのである
そして大統領制に向かってゆくのが次の時代だとなる
結局騒いでいるのは官製化したテレビだけだともなる、国民はそんなに天皇というのを重く見ていないだろう
天皇を重く見ていたのは明治から戦前までくらいである、戦後生れでも天皇は一平民のようにすら見ている
何か特別なものとして見ていない、つまり戦争に負けた結果、天皇のカリスマ性みたいなものが消失したのである
それに不満で三島由紀夫は自決した
憑き物がとれた感じになったのである

そもそも戦前は戦争の時は政教一致だったから政教分離になった、それは天皇が神だとしたら戦争に負けるわけがないからである
それは創価とかカルト宗教団体でもそうである、選挙に勝つか負けるかが仏法で決まるとしたらもし選挙で負けたら仏が負けたとなるからだ、現実に天皇が戦争に負けてその宗教的権威も喪失したからである
天皇は政教分離して国民の象徴となり政治には直接かかわらないようにしたのである
それは戦前の過ちをくりかえさないためである、政教分離にしたのである
でも創価などやカルトは政教一致であり憲法に違反している、選挙は仏法による戦いなのである、勝てば仏法の勝利であり負ければではどうなるのか?仏法の敗北かとなるからカルトなのである
日蓮宗団体は国家と一体化しやすいのである、現実に教義では仏法が国法り国より上だとしているからだ

それは近代国家では違法なのだけどカルトなのだけど容認されている、天皇にもそうした神格化の危険がつきまとっている
国民の総意で別に戦争にも総意になる、すべて国民の総意で決定されることも危険なのである
つまり根底になにがあるのか?それを歴史的に経験したのがナチスだったのである
国民の総意ほど危険なことはないことはを証明したのである、国民の総意には何ら根拠がないのである
数が多ければ何でも通るというだけなのである、選挙に勝てばすべてが通る、国民の総意だからだとなる
それが全体主義ファシズムになる、数さえ集めればすべて通るとなるからだ
だから天皇が国民の総意でどうにでもなるとしたら国民投票でその是非を決めればいいとなるのである
それが民主主義だとなる、国民の総意というのが絶対的になるのが正しいのか?
これも疑問なのである
posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月24日

スリランカの複雑な歴史 (人種の宗教のモザイク模様ーその一人と田舎で接した記憶)


スリランカの複雑な歴史

(人種の宗教のモザイク模様ーその一人と田舎で接した記憶)
ポルトガル植民地時代にはムーア人に対する大規模な迫害が行われ、多くの人々が中部高地地帯や東海岸へと逃亡した。これらの地域では、現代でもその末裔が多く居住している。
スリランカは仏教国である、ヒンズー教もあるにしても仏教国である
それはタイとかカンボジアとかチベットとかインドの周辺国が仏教国になった
中国だって韓国とか日本でもそういう文化圏にあった
インドは古来のヒンズー教にとどまったのである
イスラムとかカトリックとかこれは極めて少数者であり一割にもみたない、ほとんどが仏教徒なのである

その少数者である人種の中にムーア人がいた、

シェイクスピアの時代、文学や芝居に登場するムーア人やトルコ人は、憐れみや慈
悲の心を持たない存在、すなわち、キリスト教世界にとっての他者として表象されて
いた。

アフリカのムーア人とかトルコ人は悪魔とされていた、そういう偏見は古いのである
キリスト教とイスラム教の対立はすでに十字軍から始まっている
オスマン帝国でもその対立は最大化した、イスラムの方が先進国だったときが長かったのである、そこは見逃されている、イスラムとういと何かテロとか無謀な野蛮人のように今では見てしまうが歴史的にはキリスト教徒の方が十字軍のように野蛮だったのである
ヨ−ロッパ人の女性がイスラム圏で5ドルくらいで売買されていたという時代があった
イスラムの栄光の時代がありそのためにヨ−ロッパに対して特別の感情をイスラム圏ではもっている、それは韓国と日本でも韓国があれぼと日本に対して特別の感情をもつのとにている、俺たちがもともと日本にいろいろ教えてやった、俺たちが日本より進んでいて教えてやった、もともと日本にあるものは韓国起源だったというのとにている
もちろん中国も日本の戦争で蹂躙されたときもそうだった、中国が文明を日本に伝えたのとなったのである

スリランカはこうして人種と宗教の坩堝である、その少数者としてムーア人とかがいて虐げられているということがある、そもそも生活習慣も違うからそりが合わないのである
そこに根強い対立が生まれる、それは宗教だけではない、宗教はそうした対立を先鋭化しているのである、日常生活で差別されているという不満があればそうなる
それはアメリカとか中国でも多民族国家で起きる、日本では単一民族として世界史的にもありえた、でも世界では人種が混交して歴史が形成されてきたのである
日本がも確かに古代では様々な民族が人種が集まり形成されたととしても同じ民族なのである、何かこうした人種で分けられることはないのである、みんな日本人なのである
だから激烈な争いにならない、戦争がっても敵を皆殺しとか殲滅することはないのであるそれで中国人が敵まで祭っている墓がある明治維新の争いのことでありえないとしているのである、なぜなら中国では敵となったものなら墓を暴いてでも罰してるいるからであるそれほど民族が違えばその争いは容赦がないものとなるのである

世界史では大国となった国はそうした人種の争いとか民族の争いとか宗教の争いとかいろいろ経験している、それで民族同士の融合を計る、そういう歴史の積み重ねがある
日本がには島国でありそういうことがない、でも明治維新から150年過ぎてグロ−バル化で物だげではない、大量の外国人労働者が入ってくることで人種とか民族の混交をはじめて経験しているのである
日本には江戸時代は鎖国だし島国でこんなに大量の外国人と直接国内で交わることはなかったのである、明治に外国人が入ってきたとしてもそれは一部の技術者とか知識人とかであり極わずかだったのである
こんなに大量に一般庶民までが国内に入ってくることはなかったのである

そこで何が起きるのか?

世界史的に大国でも小国でも人種の混交、民族の混交、文化の混交・・・が起きてくる
もしグロ−バル化でも物だけが入るならこうした軋轢は起きないのである
生身の人間が入ってくることとはまるで違ったものになる
だからこそ様々な軋轢が生まれテロになったりする、ニュージランドでキリスト教のテロがありイスラムが報復したというのもそれはやはり十字軍以来のキリスト教とイスラム教の対立が尾をひいている
それはイスラムがキリスト教圏の下位にされていることの不満でもあるのだ
でもそれはテロでは解決できない、イスラムが再びヨ−ロッパとかでも優位にたつ文明形成をしなければできないのである

日本がなぜ太平洋戦争で失敗したのか?
それは日本にはグロ−バル化する思想もないし世界史のなかでこうした人種とか民族の混交した世界を経験していないのである、天皇を神とする皇国史観では世界に通用しないからである、それは一民族の神であり人種を越えた民族を越えた神とはならないからであるそれを越えた世界政治思想がないと対処できないのである
ただ外国人労働者がこれだけ入ってくるとういことは是非はともかく日本ははじめて庶民レベルで人種の混交とか文化の混交とかを経験しているとなる 

一人の外国人が日本に入ってきて働くことはそのこと自体がもう日本一国だげではないグローバル化が政治でも思想でも文化でも迫られることになる
それが日本を破壊するとなると人は入れるべきではないとなる
人は物ではないからグロ−バル化でも全然違ったものとなる
だから日本人と給料でも同じくすべきだとか待遇も同じくすべきだとかなり法律までできる、そうならざるをえないのである、人が直接入ることはそういうことなのである
それは世界的共同性の追求になるからだ
一つの大きな世界的共同体の形成になるからだ
もし日本が世界をリードするというときはそうなる、でもそれができなとなるなら無理ならそうすべきではないとなる、それは大国にまかせて従属すべきだとなる
それは物凄い重荷となるからである、太平洋戦争はそのために300百万人死んだ犠牲だったのである、日本には世界に進出したがそれだけの力がなかったとういことなのである

フェルナンド、ポルトガルの王の名
スリランカより我が田舎の町に来たる人の姓
コロンボに住むキリスト教徒
そはスリランカを語りて
数年ここに住みスリランカに去りぬ
そはこの田舎にありしを記される 

何かこれもふりかえると一つの田舎に記した歴史だともなる
その時私は外国に行ったことがなかった、それから世界旅行をしたのである
ただ私は遅かったのである、外国を知らなかったのである、それが失敗だった
外国を知るにはやはり留学とか住んでみないとわからないことがある
国際性は旅行したくらいでは育まれないのである
その後十年は介護で外国も旅行もしていないのである


posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月23日

宗教はどうなってるのか訳わからん? (スリランカのテロの恐怖―ノートルダム焼ける)


宗教はどうなってるのか訳わからん?

(スリランカのテロの恐怖―ノートルダム焼ける)
                                            

宗教はわかりにくい、なぜ仏教徒が武装集団になっているのか?
日本がにはそんなことがないというけど別に最近でオウムの仏教派があんな怖いテロ集団だった、宗教は歴史的に仏教だって僧兵がいたし武士の起こりは僧兵だったという歴史家もいる
なぜ信長が比叡山の僧侶集団と対立したのか?
それは権力を僧侶集団が握っていたからである
そういうことは今でも日蓮系の組織集団にある、日蓮宗は国粋主義であり武装集団にもなり安いのである
創価などはそもそも組織が軍隊組織であり序列化して臨戦体制にある
戦争の準備すらできているとなる、なぜ参謀などとかいるのか?
それは権力を得るために組織であり武装も辞さないと前はなっていたからである
日蓮系統はそういう過激なのが多いのである

ヨ−ロッパでも宗教は政治化して権力をもったからこそ政教分離が生れた
それでノートルダムが火事でやけたとき今度は市民が寄付された一千億の金を底辺層に回せデモしている、その金は富裕層の税金逃れだとしているのも何なのだろうとなる
普通だったらキリスト教徒が多いという時、それに反対するとは思えないからだ
これもすでにフランス革命はカトリックの政治支配からの脱却のためであったことがあるから宗教に金をかけることに不満だったということもわかる
そして現実にヨ−ロッパでも教会に行く人は相当減ったとなっているからだ

宗教だと対立すると深刻になりめんどうになるから人権主義(ヒューマニズム)になったのである
自由、平等、博愛の博愛とはキリスト教に基づくとしてもあくまでも相手の宗教を問わない博愛、博識というように博とは宗教にこごわらない広いという意味である
今回のテロでもその背景は不明だしスリランカの国の歴史も事情も複雑なのである
おそらくその背景にインドとか中国とかもからんでいるとなると複雑である
そして外国人用の高級ホテルがねらわれたというのもまた宗教だけが原因ではない
スリランカは貧乏であり高級ホテルに泊まる人を良く見ていないことはある
そこにグローバル化で格差を具体的に思い知らされるからである

スリランカの人がこの辺で働いていたけど指を切断した、外国人労働者、技能実習生は機械で良く指を切断している、それは何か共通している、それが悲惨だと見た
最近はネパールとかベトナム人が多い、中国人は今は豊かになっているからなぜ日本に来るのだろうと思う
宗教の前にそうした格差がありそれが引き金となりテロになるとそれを喜ぶ人もいるかもしれない、共感する、イスラムのテロは貧乏がかなり影響している
グローバル社会は格差がまざまざと見せつけられる、グローバル競争に敗れたものはその国民でも奴隷のようにされる、昔のような奴隷でないにしろ実質的に奴隷のようにされる日本がだってインパウンド観光でそうなっている
外国人の方がデパ地下でいい高い弁当を買い日本人はスーパーで夜に安くなる惣菜弁当の奪いなわいになっているという報告でもわかる
つまり外国人をもてなす側になり下僕にされる、今や外国人優先であり金のない日本人はまともにホテルにも泊まれないとなる

こうした宗教テロは宗教だけが原因ではない、背後に大国が動く、インドや中国やアメリカも動いている、そうした小国はそうした大国の影響でずたずたにされる
ベトナムでもそうだし朝鮮でもそうだしシリアでもそうだった
そうして日本がももし小国になると中国とアメリカとロシアによってずたずたにされる
それが敗戦のときにロシアが北海道をとり分断される危機だったのである
だから日本も弱小化してくるからそういう恐怖があるのだ
中国が巨大化してくるとその危機は一層大きくなるのである
明治維新の時も日本が分断される危機だったと日本は国として統一されたのである
スリランカが二千万とかの人口になるとあれだけのテロで死人がてると国の崩壊の危機にもなる、するともともとスリランカは統一国家として維持するのが無理な国だともなる

宗教は純粋に宗教ではない、組織集団化するとそれは一つの権力集団になり他を威圧するようになる、エホバとかでも何の集団なのだろうとかなり統一教会などは韓国系であり政治的団体化する、エホバでも背後にアメリカがかかわりアメリカから資金が流れてきているのかとかんぐる
教会でも資金の流れを見ればアメリカが関係しているかもしれない
宗教とは人間は別に国家と関係なく死があるのは共通している
その死をどうして克服するのかというのは別に国家の問題とは関係ないのである
個々人に共通したものでありその信仰は集団とか組織で解決しないのである
会員になったからといってそれでも解決しない

そうなら楽だからである、それは他人まかせになり他人に従属して奴隷となることなのだ宗教の場合、一億人十億人信者が生まれたから仏国土になると天国になるとか全くない
むしろそうなったときもう本来の宗教はない、俗化した欲を満たすだけの宗教になっているのだ、だから権力を得るために武装でもする、その背景に貧乏がありその不満が富裕な外国人に向けられるのである
それは日本国内だって同じなのである、そういう不満が大きくなれば国自体の平和も保てなくなる、富裕層だって安心できない社会になる
だから中国で共産党幹部が恐れているのは民衆だというのもわかる、いくら幹部が富豪となっても民衆が反逆してきたらたちまちどん底におとされるし殺されたりもするからである

posted by 老鶯 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月03日

新地町の文禄の碑は検地のためだった (元号が地名化した例)


新地町の文禄の碑は検地のためだった

(元号が地名化した例)

gengoochimei11.jpg

gengona123.jpg

日刊現代2019−4月3日号

bunroku111.jpg

日刊現代で元号が地名化している例をあげている
明治、大正、昭和がある
それは耕地整理で移転した人たちがいてその人たち住む場所を明治とか大正とか昭和にした、何かと土地の整理と関係していた

だから新地町にあったただ「文禄」と記された石碑は検地が行われたときの記念なのである、伊達藩では相馬藩より早く検地が行われていたからである
相馬藩では文禄の碑は見かけないからである

ただ元号が地名化するというのは普通はない、ただ福島県に昭和村とかある

1927年(昭和2年)11月23日 - 野尻村、大芦村が合併、昭和村となる。

1926年に昭和が誕生したのだからその時の記念に昭和村になった
だから令和と名のつくのがこれからできるのかとなる。

検地の記念の碑が各地に多いことは確かである
葛尾村の落合の墓地に記されていた明暦と元禄は古いがやはり検地を記念にしたものらしい、なぜならそれは墓ではないからである

江戸時代から戦前でも農業中心の社会である、するとどうしても土地と関係して地名でも名付けられる、耕地整理は常に行われてきた
この辺は津波の被害とか原発事故で小さな田とか畑でもやめる人が多くなった
それでそこがソーラーパネルになっているのを見かける
ただ土地をもっているだけでは何のや利益にもならないからである

平成(へなり)という地名があったとしてもそれはへいせいの音ではないから平成村とか平成町は生まれていない
江戸時代までは元号しかないのだから元号に意味があった、歴史の記録だった
だから必ず墓でも古い碑でも元号を見て時代を見る
でも現代は元号からだけでは時代は見えない、西暦の時代だからである
この人が昭和生まれだからと言ってそこからその人なりを見ない
西暦何年でこの人は私より年上であり年下でありそういう時代を生きたのかと見る
そして昭和は戦前と戦後とまるで違っているから時代を見れない
戦前と戦後に明確に分けられる、昭和になっていると時代がかえってわからなくなるのである

だから元号はもうゆきづまっている、これから採用されるかどうかすら国民的議論になるかもれない、それはまた天皇制をどうするのかということにもつながる
元号で活きていたのは明治と大正までだったとなるかもしれない
でも大正は中途半端な時代だった、それでも私の父親が明治生まれであり母と姉は大正生まれだから親しみがある
つまり団塊の世代までは元号にまだ親しむが昭和とか平成とかさらに令和でもどうなるのか?必要性も感じなくなるかもしれない、元号にもいい点があるにしてもグローバル化社会では通用しないともなる 

でももしこれから時代が変わり中国がアメリカより大きくなり日本も中国寄りになると
元号でも「華和」とかなったりするかもしれない、そうすると中国が喜ぶからである
中華の華と大和が和でもって一体化するともなる
ただ中国ではすでに元号は廃止している、そういう政治的意図とかの元号は中国自体廃止しているのだからありえないともなる

posted by 老鶯 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月02日

令和になぜ違和感があるのか? (「英弘」「広至」「万和」「万保」よりは良かった)


令和になぜ違和感があるのか?

(「英弘」「広至」「万和」「万保」よりは良かった)


新元号の候補にあがったものとして「英弘」「広至」「万和」「万保」があったと報道された、これも何か違和感を覚える
万というのは江戸時代とかに使われる感じで斬新さがない
「英弘」「広至」はユニバーサルということで現代的なのだろう
英知を弘める、広きに至るとかなる
本当にまず令和というのは意外だったのである
国文漢文関係の学者でも専門家でも意外だった
だからこの字がなぜ引用されたか不思議だとなる
著名な万葉学者が名付けたというが令という字は漢文が典拠だとてしている
月令というのが使われているからだ

それそれ令というからイメージされるのは典拠になった万葉集の文をイメージする人はほとんどいないだろう、国文学の関係者でふらそうだったのである
だから最初何なのだろうといぶかうのが普通である
今まで一度も元号に使われなかったということでもそうである
元号には何かしら意味と期待がこめられて作られてきた
大同などは坂上田村麻呂が活躍した蝦夷征服のために日本を統一するために大同になった大同とはこれも中国の思想にある、その思想に基づいて日本の統一のために使われたのである

今回の元号は令という意味を深く詩的にでもくみとればいい元号となるのかもしれない
でもそこまで庶民は意味を汲み取れないのである
それで令は命令であり上から目線で阿部首相が選んだとか批判される
それは何か令は古典を典拠にしてもその意味を普通は汲み取れないからである
汲み取ればいい元号になっているのかもしれない、そのことを書いた

令は明らかに冷をイメージする、それは冷たいなのである、すると現代的にはクールであり格好いいとかなる、クールジャパンになるのだ
そしてどうしても上からの命令に従って和がありうるとかにとる人もいる
それは令というのがどうしてもこの一字から古典の出典からでもイメージできないからである
それは他のものと重ならない、重複しないとすれば新鮮なものになっている
でも令一字から意味を汲み取ることはむずかしい

ただ意味を汲み取るとしたら庶民的には普通にはクールになる
クールに冷めた時代になれとなるのか?
月令とあるように月と関係している、月はクールだからである、太陽とは正反対であり陰陽にすれば陰である
それでも今年の新年から月を見ていると満月がありそれが震災から8年過ぎて何か明るくなごむものがあった、それはやはり8年も過ぎたからである
そのことで令和というのがいいものだとも見た

しかし一般的には何か違和感が大きい、でも候補にあがったものよりは比べるとこの令和というのは希少価値があり良かったのかともみる
これまでの元号に使われていないということで斬新だったのかともなる
まず「万和」「万保」は江戸時代的で元代にあっていない
「英弘」「広至」は現代的であるからこの二つから選ばれたら庶民でもなんとなく漢字からイメージできる
でも令だけはなぜこの四つの候補とは異質すぎるのである
そしてこれに決められたというのはなぜだろうとなる

ただ令というのが冷でありクールだというイメージがある、月はクールだから私自身は意味としてはいいものだと見たし震災からクールになり落ち着く時になったとも思うからだやはり東日本震災はあまりにも大災害でありこれをクールに客観的にふりかえるのには時間がかかる、すると8過ぎてクールにふりかえり考察するようになる
そういう点で令和があっていたのかとなる


@「命ずる」、「いいつける」

A「法令などを世の中に広く知らせる」

B「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」

C「のり(法律、規範、おきて)」(例:律令)

D「布告書(広く国民に知らせる書類)」

E「いましめ(前もって注意する事)」、「教訓(教え)」

F「おさ」、「長官」(例:県令)

G「よい」、「立派な」、「優れた」 (例:令名)

H「他人の親族に対する敬称」(例:令兄)

I「皇后、太子、諸侯などの命令文」  

令という文字がひざまづくとかその上に冠をしたとかから成り立つとそれは上の命令を従順に聞きしたがって和があるとなってしまうそれも何か違和感がある、どうしても一般的にはそういうイメージになる  

家令(かれい)とは

明治時代以降の日本において、皇族や華族の家で、家の事務や会計を管理したり、他の雇い人を監督した人[1][2]。執事。バトラーを参照。
律令制において、一品以下四品までの親王・内親王、職事三位以上の公家の家に与えられる家務を総括した職員[1][2]。あるいは、そのような公的家政機関の長官[2]。けりょう。家司を参照。 

何かこうしたものとして令が使われている、 

B「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」 

この意味にとる人が多いことは確かである、万葉集からとったとしてももともと中国の古典に由来しているという時そうなる
何か万葉集の古典からとったから庶民的だともならない感じなのである
ただ月令とかと結びつくとき月をイメージしていいものだと私は感じたのである
人間はその時々の心境によって自然を見る目を違ってくる、だから今年は月令はまさに落ち着いてより平和を感じたからである
でもそこまで一般的にこの字から感じ取ること意味を汲み取ることはむずかしいから何か違和感がある

しかし平成とか昭和でも別に時代にあっていない、和を昭かにするとかなるが戦前の昭和は争乱であり戦争の時代である
平成にしても最後の十年は東日本震災であり全く平成ではなかったのである
明治だけは一番元号としては時代にあったものであり明治時代は日本にとって時代的にはいいイメージがある
明治から大正となるとまた違った雰囲気を感じる、時代的にも退廃してきたとかともみる
それでも父が明治生まれであり母は百歳生きて大正生まれだから親近感をもつのである
いづれにしろいくら元号が何か期待してもその期待とは裏腹にもなってきたのが歴史だった
だから元号にこだわるのもまた元号が何か社会を変えるということもないのである






posted by 老鶯 at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月01日

新元号は「令和」 (意外と時代に合った良い元号なのかも)

新元号は「令和」

(意外と時代に合った良い元号なのかも)

reiwaaagen1.jpg


「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります。

鏡前の粉…女人が鏡の前でよそう白粉。梅花の白さをいう。
蘭…蘭はフジバカマだが、広くキク科の香草をいう。ここでは梅と対にして香草をあげた文飾で実在のものではない。
珮後…珮は本来帯の飾り玉。ここでは身におびる程度の意。

蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす...実景ではない、詩的創作である

梅の花がふんぷんと匂い、珮後に蘭が咲きとか花が咲き交じりそこに花の匂いに満たされる、阿部首相がそれぞれの花を咲かせる平和な時代であって欲しいということを記者会見で言っていた
やはり時代としてはそれぞれの花を個性を活かす文化の時代を言ったともなる
それで文和というのを私は挙げた、文化の時代になると思うからである
ただこの令は予想外だったし誰も予想してなかったから意外だった
何か最初違和感を感じたのである

でもそれなりに調べてみるとなるほどと思うこともあった

嘉辰令月 無極 万歳千秋楽 未央」の詠み

「嘉辰(かしん)令月歓(よろこ)び極まり無く

   万歳千秋楽しみ未だ央(なか)ばならず」

★「かしんれいげつ よろこび きはまりなし、
  ばんざいせんしうたのしみ いまだなかばならず」 
  
  1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。

大辞林 第三版の解説

れいげつ【令月】

@ 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。
A 陰暦二月の異名。

精選版 日本国語大辞典の解説

れい‐げつ【令月】

  
  
  
禮記卷六 月令 東風解凍

東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來。

東風凍とうを解き、蟄虫ちつちゆう始めて振うごき、魚冰こほりに上のぼり、獺だつ魚を祭り、鴻雁こうがん来きたる。

【通釈】正月には東風が氷を解かし、土にもぐっていた虫が動き出し、魚は氷の上に姿をあらわし、かわうそは魚を岸に並べて祭をし、鴻おおとりや雁が飛来する。

「月令」(「がつりょう」または「げつれい」と読む)は一年間の暦や恒例行事、季節の変化を月順に述べたもの。『呂氏春秋』の十二紀とほぼ同じ記述である。引用部分はその冒頭、孟春之月(旧暦正月)における自然の変化の特徴を述べた部分である。「東風解凍」を踏まえた和歌は夥しい数に上る

「月令」があるから例がないというわけではなかった
ここでも月のことだった、最初なじめなかった、意味もわからなかった
ただクールムーンなのかと思った
これが国民になじめるのかと思った

ただ新年になりずっと月をみているとなごんだ、それが満月となり穏やかに感じた
それは津波原発事故から8年すぎたからである
その時間がすぎてようやく何か月を見て平和を感じたのである
それで俳句にしたりした、その月を満月を見た感じは 

凍りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房『詞花集』)

この感じである、凍てりついた風景も心の傷も何か穏やかになり癒されるという感じになったのである、それは歳月がそうさせたのである
それでこの元号もいいのかなと思い直した

平成とは全く平成でなかった、もう津波原発事故で大災難の時代になったのである
平成の記憶はもう悲惨な戦争の時代と同じだった、それからバブルの崩壊とかもあり日本は停滞した失われた20年と2になっていた氷河期世代も平成である 一身上でも平成の三〇年の後の一〇年間は介護や病気で惨憺なる状態だった
もう責められるだけの地獄の世界を経験したのである

ともかく人間は世代によってどういうふうに生きるのかどういう時代になるのか違っている、まず明治とか大正とか戦前の戦争から戦後の生きた人たちは激動を生きたのである
だから昭和でも戦後生まれは平和の時代を豊かな時代を生きたとなる
特に団塊の世代は高度成長時代を生きたので余計にそうなっていたのである

梅の花匂い放ちて夕べ散る満月照らし心おきなし

紅梅の匂いに満月美しき盛りの時や幸にめぐまる

月影に浮かびしもあれ死にしもその面影や彼岸となるかな  


こんな歌を今年は作った、やはり令月の気分が出ている、令和にふさわしい気分である、だから最初はこれは何と思ったが意外といいものなのかもしれない、自分にもあったものなのかもしれないと思った
ただこれは賛否両論がかなりある元号だと思う、何か最初違和感を感じたからである
ただ自分の心境に照らし合わせると意外と合っているなと見直したのである

posted by 老鶯 at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

一世一元制は明治からはじまった (日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


世一元制は明治からはじまった

(日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


年号(元号)は、漢の武帝の即位した紀元前141年の建元元年に始まる。それ以後、各王朝の皇帝は、祥瑞(めでたいしるし)や天災を機会に年号を代えてきた(改元)。改元は皇帝の権限であった。明を建国した朱元璋は、洪武という年号を立て、皇帝一代一元として絶対に改元をしてはならないと定めた。皇帝は死後、廟号として太祖といわれるとともに、元号によって洪武帝と呼ぶ習慣ができた。これ以来明、清の皇帝はいずれも一世一元の制を守っていく。

日本でも明治になって一世一元とされた。一世一元制はまさに皇帝の絶対権力の成立とともに始まったもので、

 彗星が接近したら改元(例:久安・宝徳など)

・戦乱が起きたら改元(例:応仁・享禄・天正など)

・火事や大噴火が起こったら改元(例:明暦・宝永など)

・他にも将軍の改元、江戸城が燃えたから改元、山崩れのため改元、などなど


元号というとき常に私は郷土史を知るために墓地とか石碑でもまずいつの時代かをみる
江戸時代だったら必ずマークしてここは古いなとかみる
でも元号をみて天皇を意識したことはないのである
元号で意識するのはその元号の時代に何が起きてどういう時代だったのかを知りたいとなるが容易ではない
例えば大同というのは東北では重要な元号である
それはその時代に蝦夷征服を大和朝廷で推し進めていて坂上田村麿が活躍した時代だからである、それで田村市とあるとそこから市の名前になっている
相馬市も南相馬市も相馬市一族が千葉方面から移住して支配したからその名になったとにている

また文明となるとこの時飢饉があり相馬藩で三分の一の所帯が減ったから常にマークされる、それは文明という元号が大事なのではなくその時起きた大惨事故に記憶されているのである
明治以降でも太平洋戦争だと昭和になる、でも戦後の昭和は高度成長の時代であり平和の時代を享受したのである、だから戦後はもし江戸時代だったら改元している
ところが一世一元になっていたから変えられなかったのである
そうなると元号から時代を見ることがむずかしてなる、なぜなら戦前と戦後とはまるで違った社会となっていたからである
アメリカの民主主義を全面的に取り入れた社会になったからである

歴とは元号とはその時代に何が起きたかどういう時代の特徴があるのかが肝要なものとなる、それの目安としてある
それで天変地異があったり戦争があったり何か大きな事件があったりすると改元したというのはその方が歴史にとって重大なことだからである
つまり歴史にとって元号とはあくまでも時代の目安となるものであり何か明治以降は強力な天皇制が全面に出たから時代が逆戻りしたのかともみる
古代では天皇は現実に神になった、でもその後は江戸時代などは天皇の名前すら知らないとか京都で貧乏暮らししていたとかなる、実質の権力は政治は武家によって行われていたからである

だから明治以降は日本の歴史は古代に返ったとなる、尊王攘夷思想でも天皇を前面に押し出すものとなりそれが西欧化による対抗手段として用いられたのである
そのことが尾をひいて太平洋戦争に天皇を御真影として神として300百万人が死ぬ犠牲を払うことになった
これは実は歴史の逆戻りだったのである
明治といえば明治天皇時代であり大正でも昭和でもそうである

一世一代の元号の利点は江戸時代の年号をみればわかる、5年で改元されたとかあまりにもその年数が短すぎるから元号で歴史をたどると細分化されているのでわかりにくくなる特に幕末は変わりすぎたのである
だからなぜもし元号が日本の歴史に必要だというのはわかるとして一世一元の元号にするのくだろうか?
それは天皇の権威を保つためだともなる、そうしないと天皇の権威が失われるからだともなる

元号より西暦でもその数字よりその時代に何が起きたのかどういう時代なのか知るか事が重要である、それによってその時代をしる、西暦でも元号でもそうである
キリストが生まれたときから西暦が始まるのだからキリストが生まれたという大事件がそうさせたのでありイスラム教になるとモハメッドが生まれた年だとか釈迦が生まれた年をはじめとするのもそのためである
一世一元の元号にも利点がある、天皇と同時代を生きる感覚が生まれる
それでそのことを書いた、明治とか大正という時代になると私の父が明治生まれで母と姉は大正生まれでありそれでその時代に親しみを覚えているからだ
でも元号で天皇を呼ばない、明治以降だけ元号を天皇が生きた時代として現すようになったのである

ただ昭和となると何か親しみがないというか時代が長すぎるとなったのである
つまり頻繁に改元するのも良くないが戦後は改元するべきだったとなる
なぜなら江戸時代まではそうしてきたからである
古代の神のような天皇を継続させる時代ではなかったけど日本が西欧列強に植民地されるとかの危機感から古代の天皇に逆戻りしたとなる
何か日本を統一するのに天皇はどうしても必要になったからである
天皇とは何かとなるともともと政治的道具として権威として利用されてきた経緯がある

ともかく元号を継続するのか?天皇制を継続するのか?
これも曲がり角に来ているとなる、でも二千年つづいた元号を簡単に廃止はできない
それが日本の文化だという時、天皇制ともまた違って元号の意味を考える時なのかもしれない、天皇とあまりにも深く結びつくことは象徴天皇制の時代に合わないのである
なぜなら明治天皇とか大正天皇とか昭和天皇の時代となり天皇が中心となる歴史に逆戻りするからである
つまり歴史を作るのは天皇ではない、その時代を作るのは天皇ではないからだ
だからこそその時代に起きた天変地異とか戦争でも大事件でもそうである
この辺では東日本大震災と大津波と原発事故により時代がまるで変ってしまった
だから津波前と原発事故前と後で時代が変わったから元号も変わってもいいとなる
ただ江戸時代のようにそうして頻繁に元号を変えるのも問題だとなる
そうなると西暦の方がいいともなる

だからこそ戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違ったものだから元号を変えてもうたいして事件も起きなかったのだから元号を変えない方が歴史をみるには良かったのである
天皇が時代を作るわけでもないからである、そして元号を秘密裏に決めるとかも何か民主主義にかなっていないのである
この権限は政府にあり天皇になるとかなる、ただ天皇は元号を決められない時代になったすると誰が元号を決めるのか今の政府が秘密裏に決める、そして何か今の政府の権威を高めるイベントにするともなる
もちろん私は日本古来の伝統文化を維持し復古させるべきだという立場にある
でも天皇制を今のように維持するのかとてるとそれは別な問題になる
元号にしても歴史的に一世一元ではないしそういう趣旨でつけられた元号は今までなかったからである、そうしたら二千年の歴史的伝統に反していたとなるからだ

それで思い出すのは都築詠一氏があれほど昭和天皇を批判していたのか?
強力な武闘派の極右とも見えたのになぜなのか?

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる(キーワードー都築詠一) 

なぜこれほど光厳天皇をほめていたのか?それは南北朝の争いで光厳天皇が自ら蟄居して深く反省したからだとしている
それに反して昭和天皇は自分の命が助かりたくてGHQに命乞いしたとか痛烈に批判していたのである
それが極右なのになぜだろうと良く理解できなかったのである
普通は極右だったら天皇は批判しないからである、だから一世一元制にも反対したともなる
ただ今や日本人にとって天皇とは何なのか?それも問い直されている
それはマスコミとかでは表立って言わない、だからまともな議論にもならない、何か日本が危機になる時天皇が問題になる
南北朝時代がそうでありまた明治維新の時もそうだった、錦の御旗が強力なものとして勝敗を分ける
官軍と賊軍に分断されてしまうのである、それが日本の歴史だったともなる

でもそれが今後適応されるのか?日本は混乱が生じると天皇を担ぎ出す、それが権威となるからだ
だから今は自民党がそうである、これはいい機会だとして政権を強化するものとして利用する政治的意図が働くとなる
かといって元号は日本の歴史そのものであり文化だというとき否定するのもむずかしいしメリットもある
そういうことで元号は日本の歴史とかをふりかえる話題として良かったとなる
そして元号がなぜ維持されているのか?
それは日本が漢字圏であり漢字を使用していることにあった、漢字二字で深い意味をもたらす、漢字一字一字にも深い意味があるからだ、でも中国では元号は廃止された、それは共産主義国家になったからである
王朝を否定するものだからそうなった、日本では天皇を象徴制として維持するのはやはり日本の歴史と文化の継続のためとしてあるからだともなる



posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年03月31日

新元号は何になるのか (元号の意味とは何なのか)


新元号は何になるのか

(元号の意味とは何なのか)

bunwakeiwa111.jpg

nengooo1.jpg


日本の元号の意味は何なのか?その歴史は天皇の歴史とともに始まっている
だから日本の歴史は万世一系の天皇の歴史だとなり特殊だとなる
元号というとき私は郷土史を知るために必ず墓を見て歩いてきた
今日も大内村の隠された墓地を発見した
そこに墓誌があり元禄からの先祖が記されていたのである
元禄までたどることはなかなかこの辺ではむずかしいし記されていない
だから墓でも必ず江戸時代のものがあるのか、古い碑でも江戸時代のものがあるのか
必ず見ている、ただその元号でもわからなくなっているのがある
一番多いのは天保から明治にかけての幕末である
その辺の元号は細分化されている、だから元号というのはわかりにくいのである
元号からその時代をイメージすることがむずかしい

ただ何か元号でもその時代に特筆するものがあれば覚えやすい
元禄というとき何か日本が新田開拓で米が多くとれるようになって豊かになった時代になったとかある
その時代の代表的人物として芭蕉が存在した、俳句が庶民のものとなるとき裕福になった商人がいて俳句を作るようになった、芭蕉はそうした俳句をたしなむ裕福な商人の家に泊めてもらったりしていた、そこで俳句を指導していたのである
元禄というとそうした華やかな時代をイメージはする
ところが葛尾村の落合という所に墓が夏草に埋もれてあった
そこは山の中でありこんなところになぜ元禄の碑があるのかと不思議だった
そこには明暦とも刻まれていた、それは新田開発した記念の碑だったかもしれない
そんな山の中に元禄の碑があるのかとなる
それから相馬市の松川浦に近い新田にも元禄の碑があった
そこは津波が来た所である、それほど被害はなかったが津波の被害があった

その他で何か元号はわかりにくい、でも元禄の前なのか後なのかで区切りがある
それから天明は飢饉の時代だからその前と後では区別する
そして最近では良く津波があって慶長地震のことが盛んに言われ津波のことも言われるから慶長時代で区切ることになった
ただ文禄慶長の役があり朝鮮征伐とかが秀吉の時代にありその文禄の碑を新地の神社で発見されたことは新鮮だった、なぜなら相馬藩より伊達藩の歴史が古いから文禄が発見された、でも相馬藩では文禄の碑を見たことがないからだ
そしてただその碑には文禄とだけ記されていた
何か葛尾村の元禄の碑も検地がありその記念でありこの文禄の碑も検地が行われてその記念として建てたのかもしれない。

文化ぶんか1804/02/111818/04/21
文政ぶんせい1818/04/221830/12/09
天保てんぽう1830/12/101844/12/01天保の改革
弘化こうか1844/12/021848/02/27
嘉永かえい1848/02/281854/11/26
安政あんせい1854/11/271860/03/17安政の大獄、安政の大地震
万延まんえん1860/03/181861/02/18
文久ぶんきゅう1861/02/191864/02/19
元治げんじ1864/02/201865/04/06
慶応けいおう1865/04/071868/09/07慶応の改革  

この辺は一括して幕末になる、なぜなら天保というとき明治になって新島襄などが天保生まれだからである、幕末がこのように細分化された元号になっていることがわかりにくくしている
この時代は昭和のように幕末として一つの元号にした方がわかりやすかったとなる
それで昭和になって天皇一代で一つの元号化することが法制化された

年号とは何なのかとなるとめんどうになる、ただ年号のいい面がある
西暦にすると数字化すると無機質的になる、ただその方が世界史を学ぶとすると世界共通になるからわかりやすいのである
元号とは日本が天皇の歴史を国の歴史としているからありえた
でもそれがグローバル化した世界で通じるのかとなる

ただベトナムが越南と呼ばれて大正という元号が使用されていたことはベトナムが一時
中国の漢字圏にあり日本と共通していた、中国周辺国家として歴史を共有していたことになる、それでベトナムに親近感を覚える、韓国は漢字がないことで何か共通の歴史と文化を継いでいるという感じがなくなる、今はベトナムはもう漢字は全く使っていない
漢字は中国と日本でしか使っていないのである

元号というとき明治があるがこれは明確に時代を画したので明治というときその時代を彷彿とするものがイメージできる
それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」がありえた
そして大正はあまりに短かった、でも私にとっては大正はなじみがある

明治 父親が酒屋で丁稚奉公
大正 母と姉が生まれる
昭和(前)母は原町紡績で糸取り 姉は従軍看護婦でシンガポールに四年
昭和(後)高度成長時代
平成 バブル崩壊 停滞の時代

私にとって明治とか大正でもなじみがある、それは家族が両親がその時代の生まれだからである、まず祖父の時代までは一つの時代を生きた感じになるからだ
そして明治の前になると江戸時代になるともう時代を共有していない
それで元号の不思議は幕末の安政があるとする、でも慶安(けいあん)1648/02/15とかありそれより前だったのかとか勘違いする
つまり元号は江戸時代になるとその順序を間違うのである、だから変なのことになるのである
それは明治と大正を逆にして時代を間違うことは今ならありえないからである
大正―明治とみる人はいない、でも江戸時代だとそれがあいまいとなり間違うのである
するとその時代に起きたことでも何か時代を間違えてみることになる、そうすると歴史が混乱するのである

昭和にしても昭和前と後では全く時代が変わっているのに同じ昭和ということで違和感を感じる
いづれにしろ元号とは何なのか?それがやはりこれだけグローバル化しているから問われる  
戦後30年くらいまではやはり高度成長の時代であり活気があった時代として見る
でもその後は何かバブル崩壊とか日本の経済は停滞に入った
それが平成の時代だったとなる
ではその次の時代は何になるのか?
どのような元号になるのかいいのか?
これもむずかしい、それは合併して市町村の名前が変わった時そうだった、何か美里というありふれた名前にしたのもいいとは思えなかった、この辺は南相馬市になったがこれは単なる方角地名で良かったのか今でも問われる
結局南相馬市と相馬市が合併して相馬市になるための布石だったという人もいる

江戸時代の元号をみるとなぜ文とつくのが多いのだろうか?
gengouuu1.jpg
bunroku111.jpg

これも新地にあり伊達藩内だった


            
あや
【文・綾】

物の表面に現れたいろいろの形・色彩。模様。特に、線が斜めに交わった模様。 「―織」

文化とはなぜつけられたのか?これも文字通り文化なのか?文化興隆の時代だからか?
文の意味は文化の時代だからか?その意味が良くわからない

人気のものとして 

 明治、大正、昭和、平成の頭文字をアルファベットにしたM・T・S・Hと重ならないよう配慮したのか、「安」「永」「和」などの漢字の人気が高い 

この三文字が使われるのか? ただ次の時代を象徴するものとして何がいいのか?
私は文和とか啓和をあげた、これはまだ使用されていないし前の明治大正昭和とも重ならない
安と永は江戸時代の年号に良く使われている、でも今の時代にふさわしいのか?
何かどうしても元号は古臭いものとして古典に基づくからそうなりやすい、斬新なものが作れないのである
  
文和とするとき文は文化交流の時代であり文化でもって世界的に和を結ぶとなる  

啓和とすると 


閉じたものをあける。未知のものを明らかにする。教えみちびく。みちびく。 「啓示・啓発・啓蒙(けいもう)・啓開」

これだと現代に合っているかもしれない、つまりこれからの時代はインタ−ネットの社会が成熟してくる
ネット社会でグローバル化することはさけられない、つまり知識の時代が加速して成熟してくる
それはグローバルインテリジェンスの時代になる、知識は庶民にまで拡大浸透してくるのである
それは文化の時代にもなる、ハードの物の生産からソフトなネットワークの知識社会になる
日本はそれに乗り遅れたのである、中国の方に先を越されたのである
それは日本人はどうしても何かインタ−ネットのことがその世界のことが何を意味しているかわからなかったからだろう
それは良質な物を作るというのと次元が違ったものでありそれが理解できないためだったともなる

日本人には苦手な分野だったともなる、そういう時代に適応できなかったためだともなる
それで銀行もなくなるとか何かこれまで安定したものが崩壊してゆく危機にさらされている
それはインタ−ネットというもののコンセプトが何なのか理解できなかったからだともなる
それは新しいネットワークを世界的に結ぶものだったということが理解できなかったからだとなる
そうしてブロックチェーンとかの技術が生まれたりするともう貨幣はなくなる
インタ−ネットの中で世界中でビットコインのように流通して金が直接支払われる、銀行を介さなくてもいいのである
それは私にはわからないにしても何かそうしたネットワークがインタ−ネットの技術にあることが理解できないのである

まさに閉じたものをあける、未知のものを明らかにする、それがたりなかったとなる
だから啓和というのがふさわしいともなりまた文和もこれからの時代にあったとものとなる
そして国風文化が日本にまた起こるということを私は言ってきたのは奈良時代の漢字化した中国文化した時代から平安時代になりかなが発明された時代とにているからだ
西欧文明とかアメリカ文明の時代は終焉して新しい時代の啓和の時代が来るともなる
ただ昭和とか平成の元号が時代にあっていたかどうかは疑問である
明治とかは明確に一時代をイメージする、大正でも短くても親が生まれた時代だからなじみが団塊の世代にはある
でも昭和というのは和の時代でもない戦争があったから何か合っていない
平成でも何か平凡でありどういう時代だったのかただ平凡であり日本の停滞の時代だったとなる

でもこれからどういう時代になるのか、また作っていくのか?
元号は次の時代を現すまたは象徴するものとなるのか?ただ私自身はもう団塊の世代でありその時代を生きることはむずかしい
それでも人生百年時代となるとまだまだともなる
第一次の天皇になる人が59になっていることに驚くのだ
それはたいして自分とも変わりないのかとも思ってしまうからである
現代の年齢感覚はかなり違っている、人生百年となると60は50前であり10年以上差し引く必要があるからだ
60代はみんな現役として生きる時代だからである
長生きの時代として永の字を使うのもありかなとも思う、永和とかなると何か平凡なのである
これは明日のお楽しみではある

我が父は明治生まれや母姉は大正生まれ死にてふりかえる

ともかくまだ平成となるとこうした歴史とはならない、昭和はなりつつある、戦前はの昭和は歴史であるしすでに戦後の昭和も高度成長も過去のものとなり歴史となりつつある、元号というのはやはりそうした歴史として重みをもつかどうかにある
西暦の数字だと無機質であり無味乾燥ともなる、元号は天皇に由来するから人間を基準にしているから人間味があるともなる
ただ天皇象徴制が日本でいつまでつづくのか?
政党名でも民が多い、福島民報とか民友でもそうである、民主主義の時代だからそうなったのである
だから民という字は必要だともなるがなかなか江戸時代の過去の年号をみると入れにくいのである
とにかく元号でも地名でも市町村名でもそれが長く使用するから変な合わないものをつけるといつまでも影響することが問題なのである、美里などどこにでもありあまりにも特徴がなさすぎるのである、でもそれを使用つづけなければならないことに問題がある
まず地名は古代からあり変えられないからである
元号は変えられるが地名は変えられないものだからである、そこに元号と地名の相違がある

posted by 老鶯 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年01月08日

時代劇のの政治家と悪徳商人の関係に世界戦争を見る (陰謀論が常に言われるのはなぜなのか?)


時代劇のの政治家と悪徳商人の関係に世界戦争を見る

(陰謀論が常に言われるのはなぜなのか?)


蘭学者がいて今までの火縄銃から新式のヨ−ロッパ式の銃を作るために蘭学者を老中が利用する
開国を言い開国のためのきっかけとして新式の銃を作ってくれと頼む
蘭学者は開国論者だから引き受けた
ところがそれは老中と商人がグルになって銃を売ってもうけるためだったのである
最近youtubeとか陰謀論が盛んである、ネットでは陰謀論が本当に多いのである
ただそれが全部嘘とかにはならないのも本当なのである

そもそもなぜ戦争が起きるのか?

このこと自体が本当に謎なのである、何が理由で戦争が起きるのか?
そしうてなぜ膨大な人間が戦争で死なねばならなかったのか?
それは勝敗に関係なくそうした戦争を産みだす原因は何なのか?
それが何か不可解であり謎なのである

私自身が思うにも国民は本当は誰も戦争を望んでいない、アメリカ国民も実際は戦争を望んでいない、それで戦争を望む人たちが支配者でありその支配者がマスコミとかメデアを握って国民に戦争をあおる、そこには別に正義がなくてもいい
ただ正義のように見せかけることが必要なのである

どこの国でも国民は戦争を望んでいない、戦争は上層部とか一部の大金持ちとかと結託した人たちである、その人たちは国のエスタブリッシュメン?になっているからだ
最近元外交官だった人がトランプはそういうアメリカの支配層に金融関係者に対立して発言している、大統領こそアメリカの代表者であり国事を決めるものだとして発言しているだから今までの支配者層からの反発があるのだというのもそうかなと思う

第一国民とかでもどこの国でも本当は戦争などしたくないのである
戦争をいいように見せるのはどこでもその国の国民ではなく支配者層になる
まず戦争で死ぬということはあまりにも過酷だからである
日本がでも戦争をあおったのはやはり支配者層とメデアであり日本国民そのものが戦争に進んで参加したわけではない
そもそも赤紙一枚が突然に来て即座に戦地に送られて地獄の中に叩き落されたのである
何のために戦争するのかも考える余裕もなにもなかったからである

だから盛んに東西冷戦とか北朝鮮問題でもそれは何か戦争を産みだし戦争を利用してもうけたい人がいる、悪徳商人と政治家が結びつくからだとなる
そこで今回の桃太郎のドラマのように老中は大義を言うけど実際は悪徳商人と結んで金儲けしようとしている、そこに大義などなにもないのである

そのことは明治維新でも坂本竜馬などを操っていたのはロスチャイルドのグラバーでありたイギリスの商人であり武器を売りつけるために日本を利用した人でそれがロスチャイルドとかの大金持ちだとされている、つまり必ず人間の社会には金がからんできている
金儲けがのために戦争もあるとなるのはわかる
武器を売るのは戦争がないとできないからである
ソ連との冷戦の時アメリカでは莫大な武器が製造され核も作られ軍事費に武器製造に予算が使われたからである、そこに金儲けのために政治家が動かされる
ロビー活動しているのは大金持ちだとかユダヤ人とかいろいろ言われるのである

グラバーさんは貿易商ですがいろんな物を日本にもたらしました。
龍馬が5000挺余のフランス式新型銃をグラバーさんを通して輸入、長州藩に売却したとされます。

幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていました。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。

銃が関係していた、武器が関係していた、明治維新は旧幕府藩から武器の面で優れていた、仙台藩では木の大砲が丸森にあるように旧式であり会津攻撃には大砲が使われたとか武器の優位性で旧幕府軍に勝ったともるな
人数からすると旧幕府軍が有利だったが武器の差で負けたともなるからだ、その武器を売ったのはロスチャイルド支配下のグラバーであった、それは悪徳商人だったのである、だから戦争とかになると武器が必要でありそこで悪徳商人がかかわってくるのである

すると戦争を起こすのは国民ではない、真の支配者は政治家でもない、裏で金でもって商売をする大金持ちとかだとなる、ただそこに大義銘文を付け加える
何かそういうことは別に日本でも常に時代劇で放送されているのである
とすると世界規模での戦争もそうなのかとも見る

そもそも社会でも何かブラックなものが公然としてある、カルト教団などでもそうである宗教を看板にしても中身はやはり金儲けであり利権を権力を得たいとかのために活動している、ただこれも宗教というのは偽りの看板でありそれは金を得るための権力を得るためのものでしかない
そういうことは常に日本でもあり世界的にあっても不思議ではないのである
ただ世界だと規模が大きすぎるから不可解になって陰謀論になっているのである

確かなことは戦争に悪徳商人が武器商人がからんでくる、戦争は商売になる、それで大儲けできるということはある、その時大義より実は裏で金儲ける悪徳商人が戦争をあおっているのだともなる
それは常に裏で活動しているから表に現れない、見えないから陰謀論になるのである
それで金融関係にたずさわるのは胡散臭いとなる、それらはただ金を操作するだけであり何もしないで大金が入ってくる
そういうシステムを世界に作り上げたともなる、それがグロ−バル経済であり金融だとなる
だから数パーセントの人たちに世界の富が集中しているからだ、そうして世界中から金を集める、富を略奪しているのがその人たちだともなるからだ、グロ−バル経済がいいものに見えても実際は世界の富を我が物にしようとする極わずかの人たちのためのものだとなるからである、だからアメリカでもグローバリストとナショナリストがいてトランプは実はそうしたグローバリストに対立するから叩かれているのだというのもわかりやすいとはなる

だからなぜ戦争が起きるのか?その原因がわかりにくい、それは人間の複雑さとか不可解さと似ているのだ
人間にも裏表があり本当の姿が見えない、善人に見えたのが悪人だった、悪人と見えたのが善人だったとかなる、また善人と見えても何かのきっかけで人間は簡単に悪人にもなるからだ、金でも何でも追い詰められると人間は悪人になるからだ
純粋に金儲けだけを考えるなら利益とか利権を考えて主張するならいいが人間はそうは言わない、何か理屈を言い大義を言いそれで人間はわかりにくくなるのである
その点自然には裏表がない、動物でもなんでもありのままであり天性のままである
そこに無邪気さがある、ただ他の生物を食べるとういことで残酷だとも見るがそれは腹が減っているからであり命をつなぐためにそうしているだけなのである
腹を満たせばそれ以上は望まないのである

この陰謀論を原発事故にあてはめても同じだった
原発村を形成したのは安全神話を形成したのは現代の支配層でありエスタブリッシュメントだったからである
政治家、官僚(検察)、マスコミ、科学技術者とか現代の支配層だったのである
だから原発マフィアとかとも呼ばれるようになった
あの時はあいつらはオウムだったということも言う人もいた
東電にはそれだけの利権の場、金のなる木であり天下りの場であったからだ
その恩恵は地元にもあった、地元でも金になるとして積極的に誘致したからである

ただ戦争となる時死ぬということが普通にあるからいくら利益になる金になるといっても簡単には参加できない、でも日本だったら戦前は国が一番大事であり国を強くして欧米列強と並ぶということが悲願となっていたから国のために犠牲になることでも国のためにということが優先であり戦争に参加したとなる
だからアメリカのようにウオール街とか大金持ちが陰でもうけるためにだけ戦争を起こしたのかとなるとそうは見えない
第一天皇の富のことを言うけどそれはロックフェラーとかロスチャイルドと大金持ちと比べると微々たるものなのである
日本がは国王なる天皇が外国のように贅沢していない、質素なのである
ただ本当に日本でも戦争を国民が望んだのかは疑問である
庶民は赤紙一枚で有無を言わさず戦地に送られたから戦争がなんのためのなかなど理解して行っていないからである
強引に権力者によって戦地に有無を言わさずほうりこまれたのである

ともかく戦争とは人間にとって最大の悪であり罪として現れたものである
それは確かなのである、そこに勝者も敗者もないのである
その原因はいろいろあるにしてもそれは人間の罪の結果が最大限に戦争で現れたものだとなる
だから人類が最後にハルマゲドンで苛烈な世界戦争滅びるというときそれは人間の罪の総決算としてそうなるのである、勝者も罰せられるのである
アメリカが正義でもないし勝者であってもまた罰せられる
戦争に勝者はいない、ただ膨大な戦死者を産み勝者にも敗者にもただ地獄を作りだしたということだけである、その戦争を利用してもうけたとなるとそれこそその人たちは悪魔でありサタンだったというのもわかる
なぜなら膨大な人たちの命を犠牲にしたからである

そんなふうにして金儲けしたとしたらそれがどうなるのか?
神は罰せずにはおかない、いづれ目に見えてその恐ろしい罰が下されるとなる 
そういう暗黒がこの世から消えないという時まさにこの世が滅びなければならない理由だともなるのである
つまりこの世はサタンに支配されているということなのである
それが必ずしもロスチャイルドとかユダヤ人とか大金持ちとかでもない、それはあるにしてもそれだけで世界を動かせるのか?
となるとサタンがこの世に介在して支配しているとしか言いようがないのである
サタンによって人は金であれ何であれ人間の欲を餌にして操作しているとなるのだ


posted by 老鶯 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

なぜ外国人労働者を入れるのがむずかしいのか? (国と国の関係となり国際問題になる)


なぜ外国人労働者を入れるのがむずかしいのか?

(国と国の関係となり国際問題になる)


外国人労働者の問題がめんどうなのは国と国の関係となりそれで対処がむずかしくなるなる、ややこしくなる
それは日本人でも海外旅行に行くと日本人とされて日本の国を背負うようにもなる
別に普通の人なのだけどそうなっしまうのである
それは普通の庶民でも外国に行くと日本人として日本国を意識させられるのである
だから外交官にもなってしまう、でもこれまでは庶民は直接外国に行くこともない
でもこれだたけグロ−バル化すると庶民でも外国に行くようになったからそこで何か事件があると国際問題化する
それでイラクに行ったりしてまたイスラム国で殺されたとかして国際問題になった
日本の政府がかかわり金を払ったとかなった
人質になり政府に金が要求されたとかなった
でも自己責任として政府は見放したとかあった
つまり一私人なのだけどそういうふうに外国になると国がかかわるのである

今度はまた日本に自由に外国人労働者が入ってくるとこれも今までになかったことであるからとまどうのである
外国人労働者でも必ず背後に国を背負っているから国と国の関係になる
それで問題がややこしくなる、日本がでも実際はブラック企業で働きひどい目に合っている人は普通にいる
でも外国人労働者になるとまた違ったものになる
何か日本に来て働いた人たちが中国に帰って反日運動していたというのもそうである
何か日本に来て働いていいことがなかったのでそうなったのか?
日本がの国自体に恨みをもってそうなったのか?
ただいい思いして帰った人もいるからみんながそうではない
でも一部に指を切断したとかあるからそういうことがトラウマになり恨むということがある、それは別にどこでも労働していれば事故がある

でも外国人労働者だと国を恨む

それが国際問題となる、そこで日本国との関係でも悪くなるとか影響する
でもそこまで考えて外国人労働者を入れることはめんどうでありややこしくなる
経営者としては働かせる方では安価な労働者として雇うだけなのである
そして日本に永住させるとなるとまたさらに問題が大きくなる
つまり外国人から日本人になることがどういうことなのか?
外国人労働者にしてもただ金を稼ぐ、家族のために金を稼ぐためにきている
仕送りしている、でも永住するとなると日本人になるとなるとまた根本的に違った問題になる

外国人労働者にしても日本人になることがどういうことなのか?そんなこと考えないからだ、こっちの方が生活しやすいとかしか考えないからである
現実に自分の町のホンダで働いているネパールの人は4000メートル級の場所に住んでいたのである、3000メートルまでは行ったがそんなところでどうして暮らしていけるのか?それがイメージできないのである
観光行などがあるにしてももうそこでもともと何か食べるものがあるのか?
そんなところに暮らすのと日本で暮らすのとはあまりにも差が大きい
だからその人は日本がでの暮らしが長いから奥さんを呼んで定住するというのもわかる

そういうことになるとヨ−ロッパの移民でもそうである
過酷な条件の国にいるより生活しやすいヨ−ロッパに移住した方がいいとなるからだ
でも人間はグロ−バル化してもどこかの国に属している
無国籍の人間はいない、無国籍だとその人は安全も確保できない、外国に行って死んでも放置されるとなる、だから人間はどこかの国に属していて国籍をもっていてそれで保証されているのである
だから小さな国となると何か損になる、大きな国になるとバックを大きいから得になることはある、アメリカは一番世界で大きいし力があるから得である、ドルも世界中で通用するからである、日本がでも一番パスポートが世界で通用するというとき得な方である
中国だってそうなる、外国に行くと一般の庶民でも国を代表するとなるからだ

ただ外国人労働者の対処方法ではシンガポールであれ韓国であれ他でも永住権とかは与えない、原則として期限を決めて金を稼ぐことを許可して後は故国に帰ってもらうシステムなのである、ただ賃金はいいから外国人労働者でも不満がないのである
互いにそう割り切ってやれば韓国のように問題が起きないともなる

単なる期間労働者なのかーそれとも日本に永住させる日本人とするのか?

この二つの関係は相当違っているのである、そこが日本ではまだあいまいなのである
都合のいい期間労働者として受け入れのか?それでも韓国のように賃金も日本と同じにして不満がないようにするのか?。
何か混乱している、次世代の日本人にするとなるとそれはまた別問題になりめんどうになるのだ
つまり外国人労働者との契約が必要になるのかもしれない、期限を決めて働いてもらうが日本人と同一賃金にする、でも日本に定住するとか永住するとか日本人になるのではないその二つを明確に分ける必要が出てくる
何かここが混乱している、次世代の日本人を作るとなるとそれは教育でもなんでもめんどうなものになるからだ
それが何か混乱している、それで国の方針もはっきりしていないし国民でもどう対処していいかわからなくなっているのである
いづれにくしろここには国際問題になりそれが問題をむずかしくしていることは確かなのである 

つまり働くということは共同することでありその共同が国際化するから国を越えて働くとなるから問題になる
グロ−バル化でもただモノだけが入ってくるのなら問題がそんなにない、それは実際はあるのでグロ−バル化は日本がの社会を田舎まで変えてしまったとして批判してきたのである、でもヒトが入ることはモノが入るのとは根本的に違ってくるから問題なのである
それぞれの国はそれぞれの国の定めがありその国を発展させる
グロ−バル化すればこの国は嫌だとなり暮らしいい国に出ていけばいいとなるとなる国を維持できなくなるのである
外国人労働者だと別に日本人でないから何かあれば嫌になればまた国に帰ればいいともなる
戦争になったりしたら敵国にもなる、でも日本に住んでいれば日本人は戦争になったら日本のために死ぬのも拒否できないのである、だから外国人自身でも永住して国籍まで持つとなると期間労働者とは相当に違ったものになる
日本がではその区別を明確にしていないのである、そこで何かどっちにしろ混乱しているのである

posted by 老鶯 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年01月07日

外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶 (指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)


外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶

(指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)

iminnnnn555.jpg

2019-01-07_18h09_34.jpg

waokerfff11.jpgyubiaaa1.jpg
「選ばれない国ー日本」

週刊東洋経済 2019−1−12



移民を大幅に受け入れることになり話題になっている、外国人で一人はスリランカの人だったが指を切断したした人を知っている
それからテレビの放送で「外国人に選ばられない日本」という放送でもその人は指を切断していた
週刊東洋経済の記事でもやはり指を切断した中国人の写真が出ていた
それは機械でドリルで穴をあける仕事で指を切断しやすいのである
そういう仕事をアルバイトでしたことがあり一日機械のようにドリルで穴をあけるのが嫌になった
私がした仕事はそうした単純作業であり底辺の仕事しかなかった
それ以来私は仕事したくなくなった、それで30以後は仕事していない
結局遊びだったといえばそうである、そういう特別恵まれた家庭環境だからこそそうなったのである

スリランカの指を切断した人は義指というか人口の指をつけるためち病院に通った
だからそのまま放置されたりしてはいない、会社ではその事故に対してめんどうみていたのである、ただそれも20年前とかなるから事情が今とは違っていた
まだこんなに人手不足にはなっていなかったからだ

人手不足という時、広島の大雨で洪水で被害にあった町では家を修理する大工不足で復興できないとかある、人手不足は深刻なのである
それもオリンピックの方に建築工事関係の人手がとられているからである
肝心の災害の被害の復興に人が集まらないというのも不公平なのである
オリンピックより災害の復興の方が大事だからである

つまり人手不足の時代は何を優先順位にするからが問題になるのだ
オリッピックに人手が必要だとかなると本当にオリンピックが日本にとって必要なものなのか日本の国にとって優先的に必要なものなのか?
そこがもともと疑問であり私自身はもう日本はオリンピックなどに金をかける必要がないということを書いてきた

ただ何が優先的なものなのか?プライオリティとは何なのか?
それが大きな国単位になると判断がむずかしくなる
それは個々人の人生でもそうである

何を優先的に選び金を使い時間を使うべきなのか?

そのことが人生を左右するから何に優先的に時間でも金でも投資するのかが大きな問題になる
それは大きな国でもそうだった、景気対策として公共事業が必要でないのにも全国で莫大な予算を使って高速でも道がいたるところに作られた
そんなに道が必要なのか?農道でも舗装したり必要なのかとか問われた
ただそれは地方に仕事を与えるためにそうしたのであり必要性から金を使ったのではない地方には建築土木関係で仕事する人が多いからである
そこでその人たちのために仕事を与えねばならないと国でそうしたのである
だからそれが一概に必要性がないから無駄だっと言えない
ただその反省から民主党がコンクリートから人へとかの政策変換を計ったのである

日本では移民というとき大量の移民は入ってきていない、確かに中国や韓半島からの亡命者とかはかなりの数入ってきた
それは鉄の生産に従事したとか技能者だったのである、日本では大量の普通の労働者を受け入れた歴史はないのである
そこにどうしても普通の労働者を受け入れる素地がない、歴史的にノウハウがないのである

相馬藩では天明の飢饉で藩内の人口が三分の一に減った
その時越中とかからの移民が大量に入ってきて穴埋めした歴史がある
その移民は江戸時代だから必死で移住してきた
江戸時代に移動の自由がなかったからだ
命がけで移動してきたのである、でも困窮した場所になぜそうして移住してきたのか?
今アメリカとかヨ−ロッパに移住しようとする人たちはもう自分の国に住んでいられないという危機感からやむをえず脱出を図り移住してきている
その時移住する先が飢饉で苦しんだような場所ではないのだ
ただそうなったのは荒れた土地でも農業の時代だから土地が与えられるということで移住したのである、その後も相馬藩では移民は苦しんだのである
それが加賀泣きということが伝えられている、加賀から来た人が苦しくて泣いていたということである

これは時代が違うが現代の移民はどういう事情でくるのか?
貧乏な親に仕送りしたり助けたいということもある
それは貧乏な国から豊かな国に来るのである、そうなれば同じ人間だから同等にあつっかてもらいたいとなるのである
でも移民だったら江戸時代でも相馬藩に来た移民は苦しい一段劣ったものとして扱われたそれでも何代もここに住んでやがて豊かになっていったのである
豊かになるとかは一代ではできないしまた日本人になるというときもできない
それで農家では前は三代までつづいたとき一人前として受け入れたとなっていたのである
移民を日本ではどういうものとして考えて受け入れるのか?
それが問題になっているのだ、次世代の日本人を作るものとして受け入れるというなら
それは長期的視野で日本を支える人を作っていくとなる
一時的なものではないからその対策もかなり違ったものになる
ただ一時的に受け入れるとなるとそれは付け焼刃のようなものになる

ただ私の町でホンダで働ている人は車の免許もとりネパールから奥さんを呼ぶとしているから定住するのである、定住する人を認めるようになるとそれは次世代の日本人になる
でもそこで軋轢が生まれる、本当に日本人として受け入れ覚悟があるのか?
もちろんでは移民でもどういう考えて入ってくるのか?
ただ一時的に金を得たら後は関係ない、そうして帰った人も多いからだ
ただでは日本人となることはどういうことなのか?

中国人と韓国人が問題になるのは反日であり中国人はアメリカで問題になったようにアメリカのスパイとみられる
中国では移民したとしても中国に忠誠を誓う法律がある、つまり移民して定住しても中国の国民となっている、そういう人たちを受け入れられるのか?
そうなると東南アジアとかベトナムとネパールとかいいとなる
中国は豊かになったのだから別に日本に来る必要もないとなっているからだ
だからそういう国の選択も必要になるのである
要するに移民は機械として一時的な労働力の穴埋めとして受け入れるのと日本人として受け入れるのは相当に違っているのだ
そのコンセンサスが日本ではできていないのである

ただ三人が指を切断したということは重いことである、そこで日本がについてどう思うかとなるといい思い出はない、ただ切断した指を見て苦い思い出となる
それは現実に日本で働いたからそれが日本への記憶となっているのである
日本のために受けた傷だとなる、そういう記憶はなかなか消えないのである
ただ日本人でも工場で死ぬ人もいるし怪我もしている、でも何か日本人が怪我するのと外国人が日本に来て怪我するのが違っている
それは外国人だからそうなっているのである、そこに国と国の国際問題になっているからである、そこに移民を受け入れるむずかしさがある

posted by 老鶯 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年01月05日

世界の歴史認識をどう見るのか? (第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)

                                    
世界の歴史認識をどう見るのか?

(第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)
warldwar1.jpg

worldwar123.jpg


そもそも歴史とは何なのか?人間の生の集積だとなりそれは無数にありもう一人一人の生も歴史になるからとてもそれらあいちいちとりあげていたらもうわからなくなる
ただ武田邦彦氏の言うように大きな流れを見ることは大事である
それで最近NHKで見た映像の記録の第一次世界大戦のことがわかりやすかった

なぜそこでドイツがイギリスとフランスとロシアに対して戦っていたのか?
その理由が良くわからないけどドイツはロマノフ王朝時代からオスマン帝国時代からフランスとイギリスに敵対して戦っていたのである、ロシアともそうである
それが第二次世界大戦まで継続していた歴史がある
歴史はそうして必ず継続している、ドイツはなぜそれほどイギリスとかフランスとかロシアに敵対したのか、両側から責められたら苦しいからである
それでオスマン帝国と同盟して戦うようになった

ヨ−ロッパ大陸のつづきとはしてロシアがありそこが熾烈な戦いになってのだろうか?
同じキリスト教徒なのにそうなっている、オスマン帝国はイスラムだがロシアもロシア正教でありキリスト教の分派である
それがなぜあれだけの熾烈な戦いをしたのだろうか?
ただ覇権争いが世界史ではありヨ−ロッパ諸国がその覇権争いになった
スペインが覇権国になり次にスペイン艦隊がイギリス艦隊に敗れイギリスが覇権国となったり興亡はヨ−ロッパで繰り広げられてきたヨ−ロッパで覇権国となることが世界で覇権国になることだったから熾烈な戦いになったそこに最後に一枚加わったのはアメリカだったのである
第一次世界大戦もアメリカの参戦で決着したからである

最近オスマン帝国とエスカりてーナ二世のテレビの連続ドラマを見て身近に感じた
その歴史ドラマを見ると今のシリアをめぐる争いもその継続だと理解した
オスマン帝国としてシリアもあったからである
サウジアラビアもオスマン帝国の支配下にありなぜサウジアラビアの王室を批判した記者が殺害されたのか?
それは昔のオスマン帝国に逆らうものとしてサウジアラビアがありアラビアのローレンスはオスマン帝国からの独立をうながした
それはイギリスの狡猾な二枚舌だったのである、そのこに悩んでローレンスは死んだのである

つまり今起きていることは過去からの歴史の継続であり突然起きたことではない
だから現在を知るには過去からの長い歴史を見なければわからないのである
歴史の大きな流れを知ることは確かに大事である、個々のこまかいことをとりあげていたら切りがないからである
ではヨ−ロッパで起きていた歴史とアジアがどういう関係にあるのか?
世界史はヨ−ロッパの歴史から世界史と発展したからそこにアジアも関係しているとなる欧米史観として世界史があるからそれで世界史を見るからである

大航海時代にスペインがインカとかマヤ文明を亡ぼしたりてポルトガルもそうだった
ヨ−ロッパが世界へ進出して支配した歴史が世界史となっているからだ
ヨ−ロッパの植民地を世界に作ったからである、そのヨ−ロッパ内で熾烈な覇権争いがあった、その派遣争いで中心的役割を果たしたのがドイツだったのである
ドイツにどうしてフランスとかイギリスもロシアを敵にして戦うことができたのか?
それだけドイツ一国が力をがあるからだともなる
それが第二次世界大戦までナチスの登場まで継続されていたのである
そのドイツと日本が同盟国となったのである

第二次世界大戦はドイツ対フランス、イギリス、ロシアとなっていた
それは日本が第二次世界大戦で戦った相手と同じだったのである
ロシアは後から参戦したから違っていたが構図がにていたのである
そして最後にイギリスにうながされてアメリカが参戦して日本が負けたのも似ている
過去の歴史の構図がそのまま第二次世界大戦にも引き継がれたともなるからだ

でもなぜアーリア人として武田邦彦氏は一くくりにしているけどドイツ人もそうである
そのアーリア人同士が苛烈に戦ったのだろうか?
そのヨ−ロッパでの戦いが世界に波及したのが第二次世界大戦だった
そこに中国があったのだか中国は白人側についた国だとしている
つまり日本だけがアーリア人連合の白人と戦った唯一の国だったとしている
でもドイツ人もアーリア人でありそのドイツがヨ−ロッパでは孤軍奮闘していたのである
不思議に今ドイツと中国が接近して連合化しているのもその継続なのか?
アメリカと対立したときドイツと連合する、日本にも接近するのはアメリカというヨ−ロッパから生まれ鬼っ子と対立すると実はドイツであれ第二次世界大戦で敵となったものと戦うということになる
中国を除いて欧米列強と戦ったのに中国だけは白人側について戦ったという歴史認識も今になると中国は失敗したというのもそうなのかとなる
中国はアヘン戦争などであれだけヨ−ロッパとかにひどい目にあったのにヨ−ロッパ人は白人は尊敬しているのである、日本人は常に小日本人として卑しめるのである
それはもともとも中国文明の漢字文化圏にあり日本は中国の朝貢国として見ているからである、そもそも日本は中国の子供のようなものであり親なる中国に責めてきたことが許されないのである、プライドが許さないのである

日本がしきりに右だと太平洋戦争は植民地解放のために日本人か戦ったというのは疑問である、なぜなら結果的にそうなってもそもそも明治維新の時アジアへ進出する野望があり吉田松陰でも西郷隆盛でも征韓論がありそれは植民地解放するということではなく日本がアジアに進出してアジアを支配するということがあったからだ
それは結果論として言っているのでありそういう意図があり理念があったとは言えないのである
ではアジアをヨ−ロッパ列強から植民地解放するというならもし植民地を解放したなら日本人が勝ったらその植民地から日本人が撤退するということはなかったと思う
結果的にそうなったのでありそれは快挙であってももともと植民地解放思想というのは大平洋戦争にあったと言えない、それは結果的にそうなったのである


ただ歴史認識は時代とともに変わる、アメリカと中国が覇権争いになるとき歴史認識も変わる、中国がアメリカにつぶされるというときアメリカこそが敵だったと第二次世界大戦の日本の立場になる
しかしその時周りの国は中国を応援するのか、同盟するのか?
それが一帯一路計画でも拒否されたようそうはならないのである
中国は侵略国とはなされるようになったからである
だから日本にもまた接近してくる、協力を願うとなる
つまり中国独自ではアメリカに対応できないからである
だからもともと第二次世界大戦では日本と中国は同盟して欧米と一致して戦うべきだったという反省があるというのもわかる
中国がいかに巨大でもアメリカとは依然として一国では戦いないのである
そこで過去の歴史認識もまた変わってくるがそれを言えないというのもわかる
そうなると歴史認識がくつがえされて共産党の立場がなくなるからである
弱い日本を悪者にしているのが楽だからである、アメリカを悪者にはできないのである

ともかく歴史の継続としてドイツと日本は似ていてこの二つの国を無視して世界史もなかったとなる、江戸時代は世界史とは関係なかったが明治維新で日本は世界史に参加して世界史を塗り替えたというのは言える
ただ次に覇権国になるのはどうこなのか?アメリカなのか中国なのか?
それを考える時、アジア対欧米という構図で見るのも歴史認識である
もはや中国は白人側につくのではなくアジア連合として第二次世界大戦の主役となった日本の立場になる、でも中国はそうなると歴史認識を見直すことになり共産党は崩壊してしまうかもしれない不安がある

中国の周辺国を侵略して支配するのでなく同盟国してアジアが連帯して欧米列強に立ち向かうとういうことをしなければならなくる
それは歴史認識を大幅に変えねばならないからジレンマになる
中国が今度世界の覇権国になるには周辺国の特に日本の同意が必要になってくる
でも反日政策とか共産党一党独裁とかでは同盟できない、それは中国の恐怖政治の下に国を置くことになるからである
ただなんらか日本の立場もむずかしくアメリカ一辺倒の時代は終わったとしてもでは次をどうするのかとなるまだ日本自体の立場が見えないのである
二つの強国のながて右往左往しているだけなのかともなる、しかしアメリカがこれから今もすでに衰退している、もう国内優先であり世界にかかわらないというとき世界の覇権を誰がにぎるのかリードするのかとなりその模索時代になっているのである
確かなことは欧米からアジアへ西から東に覇権は移り今度は東が興隆してゆくことは確かである
すると大きな流れを見ればアメリカにだけ頼る時代せ終わったのである 

それは経済的なことだけではない、文化面でも日本独自の国風文化の興隆でありアジアの再生、ルネサンスを目指す、これからインドが一枚また加わってくるときそうなる、西は衰退するのである、その大きな歴史のサイクルを指摘する人もいる
やはり歴史の大きな流れを見れば東から西へ西から東へと栄えはシフトするのである、そういう歴史の分かれ目として現在がある
そこで日本だけが欧米列強と対等に応戦して次なるアジアの未来を開いたという見方もある程度はわかる
でも3百万人も死ぬという犠牲はあまりに大きかった、戦争の悲惨は世界的に極点に達したのである
だからその戦争をそのまま賛美することは危険になる
ただ第二次世界大戦はアーリア人の暴虐的気質から生まれそれに席巻されたとかはわかる、アーリア人とかは何かわからないにしてもアジアは気質的にインドになると平和の民だからである、ガンジーの無暴力の民だからである
それを攻撃的戦闘の民にしたのはアーリア人に対抗してそうさせられたというのもある
アジアとは何か?東洋文明とは何かというとわからなくなった
ただそれはまた再びよみがえらせることになるから東洋ルネサンス(再生)が日本なら国風文化が再び起こるのである
それは物質文明の極点になった東京とかからは起こらないのである、地方から起きるのである
その試みをしているのが自分だったともなる

    アメリカ一強の時代は終わり

   中国一強の時代へ?

   EUは分裂、ロシアはまだ力たらず、インドはまだ途上

   日本は経済的に停滞

   日本とドイツが鍵になる
    
   第二次世界大戦の繰り返しの構図か?     
    
とにかく確かに西へ西へと進出したフロンティアを求めた時代は終わった
それをホイットマンは示唆していたのである、地球を一周してアメリカの西部開拓がありそこは大平洋で閉ざされた
でもそこから太平洋を越えて西へ日本に向かいアジアに向かい逆に今度はアジアから東から西へと向かう大きな歴史の流れがありそれは繰り返されてきたのである
その時間は500年とか長いからなかなかそういう時間とかの長さで見通せないのである


カリフォルニアの岸辺から西に向かって―ホイットマン(草の葉)

カリフォルニアの岸辺から西に向かって
倦むことなく問いかけつつ、まだ見つからぬものを探しつつ
年をとっても子供のぼくは、波路はるかに母なる者の住む家を
移住者たちの母国を遠望し
今まさに円をめぐり終えようとして 西部の海の岸辺の沖のかなたに眼を馳せる
想えばかつてヒンドスタンから、カシミールの渓谷から
アジアから北国から神から賢人と英雄から
南国から花咲く半島、香料におう島々から、西をめざして旅立ったが
以来長きにわたってさまよいつづけ、地球をぐるりとさまよい終えて
今喜びに胸をおどらせつつ、ようやく故郷との再会を果たしている

長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる
今日以後君は、たとえ何がどうなろうと君自身として確固不動だ



西へ西へと向かう旅が遂にアジアが終着点だったことを示唆している
アジアが再び勃興することを示唆している、 アジアに還るということである
アジアがオリエントでありすべての起源であるからそうなる
アジアが再び東から西へと一めぐりして再び戻ってきたということである

 長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる

これは老人になると誰でも経験したものや追求したものが実る、それはある意味で不思議な現象である
人は死ぬ前に何かわからぬが神の力が働いて最後に壮大な詩をうたい死ぬということがあるのかもしれない
ただ個人の力には限度がある、自分は天才でもなんでもない凡人にしかすぎなかった
それでも何か天才とか凡人とか関係ないのかもしれない、誰かに神の力は働く、その神の力にうながされて何かを成す
才能でも発揮されるとかなる
それはこれまでの人類の英知の芸術でも文化でも歴史の集積したものが一人の個人を通して現れることがある
それは天才だからではないのだ、つまりそういう時代に巡り合うことが大事なのである
現実に天才芸術家でも有能な人でも戦争では死んで実りとならなかったからである

歴史とは何か?

無数の屍の上に築かれている

なぜこんなに第一次第二次世界大戦でも他にも共産党の粛清でも無数の人が死んでいるからだ
なぜこんなに死なねばなはないのか?だからこの言葉が生まれるのである   





posted by 老鶯 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年12月30日

偽情報でイラク戦争に (情報は権力によって操作される、原発も同じだった)


偽情報でイラク戦争に

(情報は権力によって操作される、原発も同じだった)

iraq1.jpg

iraq22.jpg

iraq2233.jpg

  • 報道特集TBS


イラク戦争は何だったのかと今ふりかえる、そしたら報道特集で大量殺戮の化学兵器は実際はなかった、でも一人の詐欺師のイラク人の情報を信じてそれで戦争になったと分析している
一人の人間に詐欺師の情報を信じて戦争になり多大の犠牲を出した
そこには何の正当性もない、ただ権力によってごり押しされた戦争だった
強いものが力でもって制圧したとっちめたというだけである
その時私は人道的立場から戦争に反対した、それをホームページに書いたが別に反応はない、読む人は少ないからである、ここ三年くらい津波原発事故がありアクセスが増えたのである、それまでアクセスは相当に少ないから誰も目にとめないというだけだった

あの戦争は9・11のアメリカのテロがありその犠牲が大きかったのでスケープゴートを求めてイラクが別にアルカイダとかテロとは関係なかったがどうしてもその怒りがおさまらずイラクにそき怒りが向けられたのである
別に大量殺戮の化学兵器はなかったのである
それも一人の詐欺師の言ったことくらいで後は何の証拠もなかったのである

ではなぜ戦争が起こされたのか?

9・11のテロの怒りがイラクに向かった  

もともとイラクをアメリカはたたきたかった

イラクがアメリカを攻撃するので憎かった

そのために戦争する理由が必要であり大量殺戮の化学兵器を製造しているとこじつけて戦争を起こしたのである
その確かな証拠は何もなかったのである
情報はこうして権力あるものによって操作されそれが真実かどうかもわからなくてもいいのである

まずイラクをたたけ!

イラクが憎い!

それがあって戦争するための情報を探していたとなる、だから偽情報でもいい、フェイクニュースでもいいのである
それは感情が先にありその感情をあおる、国民は冷静になっていないからだ
テロの無惨な惨劇で理性を失っていたからである
だから人間は感情的になることが危険なのである
テレビとか映像は生々しいから感情的になり怒りとか憎しみとかをあおるメデアである
例えば犯罪でもテレビに出ただけでそれで罰せられると同じである
裁判で決まらないのにテレビで疑いの段階でもあいつは悪い奴だという印象を与えてそれが消せなくなるのである
それで油まみれの海鳥をアメリカの放送局が映し出してそれが世界の人達が見て怒りになった、その映像効果は抜群だったのである
だからテレビとか映像のインパクトは大きい、今でもそうである
マスコミが裁判官のようなっているのである
それは大勢の人が見るからそうなる、その影響が大きいのである
インタ−ネットで放送しても見る人が少なければ影響も少ないのである

これと同じようなことが佐藤 栄佐久知事が賄賂とかで逮捕されたことにもあった
福島原発でプルサーマルの危険性を指摘して情報公開を東電に求めたが拒否された
それで一時原発は危険だと停止されたのである
それに政府とか東電が怒り「佐藤 栄佐久」憎しとなった
それに検察も加担したともされる
原発には強力な権力がかかわり反対できないのである
アメリカの圧力もあり反対できない、それは沖縄の基地問題とかでも同じである
別に佐藤 栄佐久知事は原発に反対だったわけではない、ただ安全性を追求して情報公開を求めたができなかったのである
それが正しいとしても政府とか東電は感情的になり佐藤 栄佐久憎しとなって情報でもでっちあげて賄賂問題で逮捕したともなる

その虚実は詳しくわからないにしろここにも同じ構図がある
権力をもてばそれが暴力でも法律でも曲げて行使できるから危険になる
権力は歴史でもそうである、歴史が勝者の歴史だというときもそうである
勝者が正義であり敗者は悪者とされるのである
日本が戦争に負けて悪者にされることでもそうである
アメリカはこのように力をもっているから権力を暴力として軍事力で行使できる
そこにアメリカの危険性があった
だから中国が台頭して困ることもあるがアメリカが抜きんでて世界を牛耳ることも危険なのである、中国も問題にしてもアメリカの横暴を抑制するものとはなる
それでイランが今イラクと同じような状態にあるという

でもイランをイラクのように簡単に攻撃できない
世界情勢が変わっているからだ、中国が台頭しているからそれが抑制力となるからだ
世界でも一党独裁に一国独裁になることは権力が力があるものが支配するとなり正義はそこになくなるからである
そこにアメリカの国是とする民主主義を追求しているそのこと自体を否定することになる何の証拠もないのにただ力でももって戦争して殺戮して決めるとなるからだ
ただ力が正義となるだけだからである

chijii123.jpg







posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年12月20日

2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる? (2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー でも自分にとってはいい年になる?)


2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる?

(2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー
でも自分にとってはいい年になる?)


そもそも自分自身に起きたことそして回りで起きたことは何なのだろうとふりかえる

●津波(大自然災害)
●原発事故(大科学技術災害)
●介護(認知症に親二人の介護)
●自らの病気(入院二回に手術一回
●盗難の災難
●借金している人から責めら脅迫される
●投資信託の失敗(地銀の勧誘のため)

このことをプログで10年間書き続けてきた、なせこんなことが自分に起きたのかとか本当に思う、それは自分だけではない、周りでも起きたことである
ただそれに自分の一身上の問題があり悪いことが二重に三重にも重なったのである
本当に自分の病気は辛かった、身体障害者のようになり一人だから助ける者もいない
金銭的には余裕があったがその金をねらってきただけである
親戚でも別に親戚とも言えないから事業に失敗した人だから自分の家ががたがたになったとき金を得るために脅迫してきたのである
借金した人の怖いのはモラルを失うということである
自分自身のことで精一杯であり相手のことなど考えられないのである

自分に起きたこことはまさに津波の惨状とにていた、そういう信じられない地獄が現実化した、それは津波の結果ではない、人間がすでに金、金、金でモラルを失っていた
みんな金を求めるだけで野獣と化していたのである
それで相手が弱者になると金や財産を奪うことしか考えない
それが自分の病気のときに介護の時に家ががたがたになったとき財産を奪うと金を要求する好機となる、それはまさに弱った動物が最初に餌食になるのとにていたのである
弱肉強食の世界を身をもって体験したのである

そして小高の人たち仮設に大勢入ったけどもそれも異様なことだった
その人たちは突然おしかけたけどそして外部からかわいそうだとして毎日のようにボランティアが炊き出しとかいろいろ援助しにきた
しかし自分も塗炭の苦しみにあったが誰も同情しない、ただその弱ったことをいいことに責められるだけだったのである
そしてその原発避難者は何をしていたかというと毎日パチンコでありギャンブルに興じていたのである
家に来た親戚の人は借金してパチンコ屋で働いていたのも異常である
自分は苦しんでいてもそっちの方でで金を得るために奴隷のように働いていたのである

何かこれはなんなのだったと思う、まさにこれは自分だけではないもう末世が来た、世の終わりが来たのかとも本当に思った
ただ南相馬市は補償金で分断された、小高の人たちはこんなことういうと怒る
俺たちはかわいそうなのだ、なぜ鹿島の人は金のことばかり言うのかとなる
それは当然であり鹿島の人は情もなにもないのか?
そうして南相馬市は心が一致しないから復興もしにくいとなったのである
それは原町区ともうまくいかないとなったのである
それも元を正せば金の問題だったとなる
ただこれは自分のカルマだった、何か自分が楽しすぎた結果としてこんな悲惨なことになったのである、だから周りの責任ではなく自分自身のカルマだったのである
カルマはいづれ必ず苦しみとなって現れるのである
だから他者を自分は恨まない、それぞれのカルマが苦しみとなって現れるのである

2019年がどうなるのか?それは明るい面は見えてこない、すでに物価があがっている消費税もあがる、すると年金暮らしの老人は苦しくなる、老後破産とか下流老人が問題になったけどそれはますます深刻化してゆく
なぜ知っている人が青森の施設に移されるのかとなれば青森では女性の職がない介護関係で職にありつくためだという、前から青森は出稼ぎの県だったからである
今度は人手不足がどこでも深刻化している、この影響も大きい
この辺では施設で空き部屋が多いというしかし働く人がいないのである
介護士が不足している、それは福島県全体でそうなのである
建物があってもそこで働く人が確保できないのである

日本はこれから経済的に窮迫化してゆく、それが余裕ある人には関係ないように見えても関係してくくる、それは自分自身が証明している
金のない窮迫した人間は襲ってくるということである、だから金持ちは日本に住めなくなる、海外の余裕ある金持ち住むのにいい場所に移住した方がいいとまでなる
自分は金持ちでもない、その暮らしは普通であり贅沢などしていない
もともと自分は旅行しても贅沢な旅など一度もしたことがないのである
海外旅行でも50歳でバックパッカーだったからである

いづれにしろ2019年以降は経済が悪化する、株も下がる、アベノミックスなど見せかけであり日本の経済は悪化している、それがさらに高齢化とか団塊の世代の2025年問題、75歳以上になると病気と介護が増えてくるからそれが全国民の負担になってくる
つまり福祉や医療費が膨大になってくるのだ
なぜ知っている人は仙台に行きまた東京の病院にいて1週間もいて金がまたなくなった要求される、その人は薬も飲んでいる、そんなに金を使っていたらどうなるのか?
それを自分に要求されてももう払えないのである
医療費、福祉の費用はもう国でも負担しきれなくなるのだ

するともう介護は在宅でやれとか税金ではやれないから家族でなんとかしろとなり今や家族全員で何か地域でもみんなで共同してやれとかなる
まず医者にかかると病院と施設は設備から人件費から金をかけすぎているからだ
もうそんなこと成り立たなくなる
愛が慈悲がというだそれは余裕があるときそういえるのである
そしてそれに甘えすぎるのである、ただ俺は苦しいんだから弱者なのだから保護すべきしかない、弱者は要求するだけでありそれに答えないとお前には情がないのか冷たいとされる、そういう社会も問題なのである

平均寿命でも余命から計算すると90歳が平均になるという、つまり60歳生きたら90歳まで生きるとなる、それだけ年金はもう払えない、だから年金も減らされる
実質的に物価が上がり消費税もあがるからかなり目減りするのである
するとぎりぎりで生活する老人が増えてくる、もう手厚い福祉はできない
生活保護でも減らされる、家族で助け合いとなる、また地域とか老人同士で助け合いとかなる、自分はそうさせられている、なぜなら家族もなく一人だから援助しなければならない人が必要だとなりそうなった

2019年以後は明るいものが見えない、オリンピックも一時的なものでありかえってその後は日本は衰退の一途をたどるとされている、それよりオリッピックなどするべきなではなかった、オリッピックをしたかっのは電通とかそれで利益をえる人たちだけだともいうのもわかる、オリッピックには今はなんの意義も見いだせないからである
そのオリッピックでもうけるのは電通だとかマスコミだとかそれで利権にあづえる人ただけだともされる、第一国民の総意でオリッピックは招致されたのではない
高度成長で日本がオリッピック開いた時とはあまりにも時代が違っているからだ

ともかく悪いことしか見えてこないが奇妙だが自分にはとってはいい方向に向かっている介護でも終わり余裕ができた病気でも快復したからまた前のように活動できる
それでヤマハの新しいマウンテンバイクは技術的に進歩したものでこれならまた遠くへ行けると思った、これによって行動範囲が広がる
それは自分にとって大きいし大きな喜びをもたらしたのである
それはバイクであり自走する感じになるから前のアシスト自転車とは次元の違うものだったからである
それで自分にとって来年は明るい年になる
だから日本全体とかなると暗いことしかみえないのだが自分にとってはそうはならない

そして自分は亥(いのしし)年でありまた猪突猛進してゆくにふさわしいともなる
つまり自分にとって10年は凶運でりどうにもならない10年間だったのである
それで相当に消耗してしまった、だから旅する気力もなくなっていたのである
でも新しい自転車も買って来年は年であるが最後の活動ができると思った
だから自分にとっては来年は明るい年である
ただ日本全体とか世界を見ると不穏なものがありいいとはならない
それが個人的にも影響してくるから明るいものにならないのである
いくら自分がいいとして回りが借金だらけとか窮迫していると実際に自分が襲われたように安閑とはしていられないからである
そういうことで日本には明るい未来が見えないのである
ただ自分にとっては最後の力をふりしぼって活動する年にはなる

posted by 老鶯 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年12月18日

中国の覇権は海の征服と通信の世界 (それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)


中国の覇権は海の征服と通信の世界

(それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)

イギリス史家ヘッドリクは,電信を「見えざる武器」だといった。あまり歴史の表面には現れな
いが,おそらく電信こそ,イギリスが覇権をにぎることができた最大の武器であった

1857年に初の電信に成功し,19世紀末には,イギリスの電信ネットワークは,オランダ,ドイツ,
オーストリア,サンクトペテルブルクにまで及んだ。さらに1866年には,大西洋を横断する海底通
信ケーブルが敷設された。


どうして世界の覇権を握れるのか?
意外と注目されていないのが電信である、だからこの時代からすでに電信は大きな力はなっていたのだ
世界の歴史をみれば空間を征服するとなると距離を征服するとなると物理的に距離を縮めるほかない、その労力は甚大なものになる
最初は馬とかで距離を縮める、それでアジアの平原の民が馬で距離を縮めることで空間の征服に成功する、それがジンギスカンのモンゴル帝国であった
馬によって空間をせばめ距離を縮める、そういうことは人間は有史以来してきた
空間を征服することは大航海時代で頂点に達した
その時新しい世界史がはじまり新たな次元の世界が生まれた、陸は馬だが海は帆船だった陸は始皇帝の兵馬俑軍団のように騎馬隊なのである
馬によって空間を征服して距離を縮める、それで日本ですら騎馬民族征服説が話題になったのである、モンゴル帝国は騎馬民族の日本の征服を目指したが海にはばまれて失敗した
なぜ通信とかが大事になるのか?それは情報をいかにいち早く伝えるかが戦争でも生死を分けることに勝敗を決することになるからだ

では情報をどうして伝えるのか?
江戸時代をみればわかる、飛脚であり江戸から大阪まで走りつづけてようやく手紙が書類が届くからである、距離を縮めることがいかに生死を分けるか、経済的利益を得るかが決まるからである
それで北前船ではいち早く大阪の情報が伝わっておおもうけしたということがっあった
北前船は物だけではない、情報を伝えていたのである 

sakatakitamae.jpg



情報というのは常に人間生活にとって大事なのもであった

エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したというこれをもとに第1回近代オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。

それは飛脚ともにていた
信長は明智光秀に討たれたときも秀吉が奇跡の中国大返しでもそうである

家康が畿内にいる間に何が起こってもおかしくないことを事前に察知していて、もし何かが起これば、その情報をできるだけ早く伝える指令を出していたのではないだろうか

情報を伝えることはそれだけ大事だからそうなったのである
ローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときもそうである
その道とは物資を流通させるだけでない情報を流通させるものでもあった
それで距離を縮めること空間を征服することが大帝国を作ることになる
でもローマから首都から離れると地方では必ず反乱を起こす、地方は遠くなり中央の意志が伝えにくくなり地方を独自に支配しようとする軍人がローマでも現れたし最近見た「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」でもエジプトに派遣されたて軍の司令官が支配者となり独自にその国の王のようになりそれを密告されて中央政権からつぶされたのである
その軍司令官は自分の貨幣まで発行していたのである
こういうことはローマ帝国でもあった
日本でも満州国の軍人が中央の言うことを聞かないで勝手に戦争に突入したとかあり中央から歯止めがきかなくなり中国に深入りして大敗北になったということが言われる

イギリス南西部のサマセットで2010年に発見されたローマ時代の硬貨およそ5万枚の一部。 

その中にはカラウシウスが鋳造させたとみられる800枚近い硬貨も含まれている。カラウシウスは海賊掃討を任されたローマの艦隊司令官だったが、紀元286年に反乱を起こしブリタニア皇帝を僭称した。7年にわたりこの地を支配したが、自軍内の反乱で暗殺された

これはオスマン帝国でもあったからこういうことが起こりやすいということである

中国がなぜ今世界の覇権国となりアメリカと対立するようにくなったのか?
それは陸の帝国から海の帝国へまた電信の世界、今では無線の世界でITを通じて世界の覇権国になることを目論むからアメリカの覇権と対立するようになった
海を制するものは世界を制するということで南シナに港を軍事施設を作りアメリカと対立したことでわかる、海と通信の世界で覇権を握ることで対立する
それは日本とアメリカの戦争も海を支配することで太平洋戦争が起きたこととにている
だからつくづく歴史は繰り返すとなる、イギリスのしたことを中国は今度はするようになったのである 
雌雄を決するのは海と通信の世界だということがやはり世界史でもそうだったとなるからだ


posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月24日

ゴーンも東電の清水社長コストカッター (総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


ゴーンも東電の清水社長コストカッター

(総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


連続して浮上してきた数々の事件・事故・トラブルの背後にある原因のほとんどが、こうしたコストダウン・コストカットに集約される。加えて「嘘をつく」「誤魔化す」「隠す」「手を抜く」「騙す」「脅す」「法律違反をする」など、倫理観すらコストダウンに飲み込まれている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2016/02/post_13625_2.html
Copyright c Business Journal All Rights Reserved.


どうして危険だと分かっていた1号機の廃炉をしなかったか。上の記述で明らか。10円を惜しんで、1億円を失ったのです。

社内の土木調査グループから、国の研究機関である地震調査研究推進本部の長期評価を用いて試算したところ、福島第一原発が15.7mの津波に襲われる可能性があるという報告がなされた。

しかし、吉田氏を含む東京電力の経営陣は、そうした津波の発生確率は1万年から10万年に1回程度で、防潮堤建設にも数百億円の費用がかかることを主な理由に、対策を打たなかった。

またGEは竜巻の経験はあるが、津波のことはまったく念頭になく、電源盤や非常用ディーゼル発電機などを、補修がやりやすいよう、建屋の地下にまとめて設置しており、これが3・11の大惨事を招いた。

東電から、福島第一原発を8.6〜8.9mの津波が襲う可能性があるという試算結果を説明され、その場合、ポンプの電動機が水没して冷却機能が失われることを認識していたが、「聞き置いた」だけだった。


日産の会長、カルロス、ゴーンの逮捕で気になったのがコストカッターだということであった、二万人の社員を首にした
それを恨みに思っている日産社員が語っている
そしてゴーン自身が会社の金を私的に流用して50億円を裏金として利用していた
社員を非情にコストカットのために首にして自分自身は裏金で日本に税金も払わず
私用に使っていた、ベルサイユ宮殿でまた結婚式までしていた
これでは腸(はらわた)がにえくりかえるともなる

経営はわからないにしても東電の事故でも清水社長はコストカッターでのし上がったと常に言われてきたのである
東電自体でもコストカットの圧力があり会社全体で取り組んでいた、社員も整理していたそもそも経営では常にコストカットが要求される、営業ではノルマを果たすことが要求される、それが強硬なものとなり社員に圧力がかかりプレッシャーとなり何が何でもノルマを果たすために客をだますということにもなる
私企業ならもうけを出すことが最優先なのだからそれはどこの会社でもある

ただ東電に関してはそのコストカットが重大事故の原因になったから問われた

原発事故の原因はいろいろあるが

●アメリカの押しつけ

●日本の技術の未熟性

●日本の風土の無視

●無理なコストカットの強制

●コストカットで安全の無視

これが主要なものとしてあった、原発はもともと原子力潜水艦から生まれ技術であり原子力技術者は陸で行うことは危険だから反対していた
つまり科学者でも技術者でも原発には反対する人がいたのである
ただそこにアメリカの圧力とか日本の政治の圧力があり無理やり作られたのである
最初に湯川秀樹はアメリカの原発を導入しようとしたときまだ時期が早いからやるべきではないと言っていたのである

結果としてアメリカからの強力なおしつけで古い型のマーク1の原子炉を売りつけられたのである、それは危険だからやめるべきだという意見もあったが無視された
アメリカでは外国だから事故のことを真剣に考慮しないからだった

もう一つはアメリカでは竜巻があるからそれにならって地下に電源を置いた
そのことが最大の過ちとなったのである
日本にはそんな巨大な竜巻は来ない、でも地震と津波が来るのである
それでもともと津波とか警戒して高台に作る予定していてそうなるはずだった
そうすれば津波の被害はなかったのである

コストカットするために高台に作ろうとてして土盛りもしたがわざわざ低くしてそれで地下に電源を置いた結果津波で破壊された
コストカットと日本の地震とか津波を予測されていたのにしなかった
何かここに経営の失敗の共通性がある
経営はわからないにしろ総合的なものから判断する必要がある
それを統括する人は社長になるとただコストだけを見ていたら失敗する
ゴーン社長もコストだけを見ていてそれをカットしたことには成功した
でもそのために二万人が犠牲になっていたのである
そうして犠牲にさせていて自分自身は巨額の会社の金を私用に使っていたのである
コストカットは誰でもできることだという意見もある

つまり経営は総合的判断だからコストカットということだけに目がむくと他がないがしろにされる、その総合的に判断することが社長の役目なのである
その総合的になるということが現代の複雑な社会では至難なのである
なぜなら吉田社長でもそうだけど私は資材部門の専門であり復水器については知らないと言っていたのである、復水器は原発の安全に欠かせない重要な装置だったが知らなかったのである
技術でもあらゆる技術を知り得る人はいない、そんな人がいたら神のような人だとなってしまうだろう
それで大病院で癌の見落としがあったことが問題になっている

主治医は、報告書が届く前に画像だけを見て診断し、患者に説明することも少なくありません。その際、主治医は自分の専門分野、例えば肺なら肺、腎臓なら腎臓の臓器だけに注目し、周辺に映っているほかの臓器に注意を払わない傾向があるといいます。ほかの臓器に異変があるかもしれない、そうした可能性を考えることなく判断を下す

「相次ぐ『がん見落とし』 背景に何が」(時論公論)
                                               
これも同じように体全体を診れる医者がいないのである、いくら技術が発達しても優秀な医者でも体の一部分しかしらない
全体の体を診れないのである、だからそこに落とし穴があるのは原発でも同じだった
原発全体を見渡せる知りえる人はいないのである、するとどうなるのか?
もう事故になったら何もできない、壊滅的なカタストロフィー大崩壊が起きて成す術もなくなるのである
それが現代文明の宿命でありそれで文明が崩壊するというのも納得する
誰ももう全体を知ることはできない、それはAIになってもそうである、そして操作不可能になり大事故になっても成す術がなくなり文明が崩壊する、それが現実にここで起きたことなのである
原子力文明の崩壊だったのである  

ゴーン社長でもコストカットということだけに目を向ける、そこでは成功している、しかし二万人の首切りとか犠牲があった
それはコストカットには必ず無理があるから犠牲が生まれる
それにしてもブラジルからレバノンからフランスから日本と渡り歩く人にも驚く、その育った家庭もグローバルだったのである
でもこのグローバルなものが実は今や危険だということを知る
原発事故でわかったようにそれぞれの国には歴史があり風土があり地歴があって成り立っている

日本には日本の文化があり会社文化もある、社員を大事にするという文化がある、社長が飛ぶ抜けて給料を独り占めするようなことは日本ではない、欧米では普通にある、それは階級社会があったからである、そこに奴隷も存在したからである
それでフランスの人の発言で富裕層は仲間でありこうした悪も暴かれないが日本では暴かれたとして喜んでいる
欧米では支配階級と被支配階級が明確に二分されているのである、それは歴史的にもそうである
日本は平等社会なのである、侍がいたとしてもヨ−ロッパの貴族とは違っている、質素なのである
極端な格差がないのが日本社会でありそれが歴史であり文化なのである

だから会社でも日本では日本文化に基づいた会社形成をするべきだという人がいるのもわかる
社員の幸福のために会社があるのであり株主のためではないという思想である
いづれにしろグローバル経済はいたるところでほころび限界に来ているのである
それは国々の地歴を風土文化を無視しているからである
そこが最大の問題でありそこからさまざまな軋轢が生まれるのである
グロ−バル化というのは今や限界に来ていてもう全否定とはいかなくても否定する方向に世界で向かっているのである



posted by 老鶯 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月22日

南米などカトリック地帯がなぜ停滞しているのか? (ホンジュラスの移民騒動の深層)


南米などカトリック地帯がなぜ停滞しているのか?

(ホンジュラスの移民騒動の深層)


ホンジュラスとかでもそこはマヤ文明が起きたところであり古い場所である
ただなぜメキシコでもインカ帝国があったところでも南米は停滞しているのか?
その原因の主要なものに宗教があるということも考えられる
南米はスペインに侵略して植民地化された、簡単にマヤもインカも崩壊した
黄金をすべてやるからと王は懇願したが無惨に殺戮された
その殺戮したスペインは強盗団だったとされる
その黄金を略奪してスペインが一時的には栄えたのである
でもそれは長続きしなかった

何か宗教と文明発展の因果関係があるのか?

プロテスタント国がカトリック国やギリシャ正教国の債務問題に奮闘しているのを見るとある国民の働き方、貯金の仕方、消費の仕方などは彼らの属する宗派の影響を受けるという説が、改めて説得力を持ってくる。
カトリック教会は「勤労と蓄財は罪」だと説明しましたが、こうした教えを公然と否定したのが、ドイツのルターとスイスのカルヴァンです。いわゆる宗教改革ですね。彼らの教えを信じる新しいキリスト教徒を総称してプロテスタント(新教徒)といいます。

ギリシャに加えて、ポルトガル、イタリア、アイルランド、スペインも巨額の財政赤字を抱えていることが明らかになっています。
これら5カ国の頭文字をとってPIIGS(ピッグズ)と呼びます。
「イタリアは昔、ローマ帝国があんなにすごかったのに、今はなんでダメなの?」

中南米に乗り込んでいったのは、スペイン人とポルトガル人。つまりカトリック教徒だったのです。


カトリックが蓄財を禁止して教会に寄付することが救いになるとか免罪符とか配布して教会が金儲け組織になった、それが社会全体に影響してカトリックの国が軒並みヨ−ロッパでも中南米でも停滞している
宗教がそれほど影響を及ぼすのかとなるとまた疑問があるが文明を宗教で分けるのが普通である、イスラム教の文明、キリスト教の文明、仏教の文明・・・とか大別される
ただキリスト教は三つに分かれている
カトリックとプロテスタントロシア正教でありギリシャ政教から発展したのがロシア正教である
この中でもプロテスタントが普及した所が世界の主導役になり発展している
アジアでもフィリンピンはカトリックであり工業化できない発展できない

ただこのカトリックに共通しているのが比較的暑い南国地帯なのである
南国地帯にはもともと勤勉の思想がおこりにくい、なぜなら暑くて働けないのである
でもバナナがいつも目の前にぶらさがっているとか食べることはできるから暑いからあえて働かないということがある、そのためにカトリックの宗教思想がマッチして受け入れられたともなる、人間は気候の影響を受けるのである
なぜならプロテスタンとはドイツとかイギリスとか寒い国から起こったからである
ただアイルランドが停滞しているという時ここもカトリックなのである
ということは宗教が影響したという説の後押しになる
ただ不可解なのは日本だという時その説明はめんどうになる
中国だって今は発展しているから宗教の影響がどうなっているのかすべてこれで説明はできない、ただイスラム圏が停滞しているのもやはり宗教が原因しているともとれる

ともかくホンジュラスがあのように停滞して貧困からぬけだせない、そして治安が悪化して住んでいられないとなるのは悲惨である
やはり貧困化が極端になると治安が悪くなり国が崩壊する
そしてグローバル化時代は世界的になり移民が発生する、大陸では陸続きだから大量の移民が発生する、それは歴史でもゲルマン人とか民族移動があったからだ
それが歴史を変えたこともあるからだ、あの人たちは命がけで国境を越えようとしているそれで砂漠地帯で食料も水もなく死んでいる人もいる

要するにグロ−バル化するとそうして格差も極端になり豊かな国に人が移動する
日本では海に囲まれているから何か大陸で動乱があっても大挙民族が移動することができない、でも朝鮮では古代から常に動乱があり日本国が成立していないときは移民があったでもその移民は先進技術を製鉄技術をもった人の移動だったのである
今の移民は何ももたない移民でありただ単純労働する移民なのである
日本でも技術をもっている高度な移民は受け入れるとなるが単純労働になると問題が生じる、日本は高度な技術をもった少数の人しか受け入れていない歴史がある
つまり日本でもそうした大量の移民を下働きさせるとか経験していないのである
そこに混乱が生じているのである

第一アメリカでは英語をしゃべれない人が半分とかいるのも異常である
ヒスパニックがそれだけ多いからそこで意思疎通することがむずかしくなる
言葉が通じないとなればもうそこにアメリカ文化があるのか?
日本で考えてみても他の国でも一応一つの国で言葉は共通なのである
それがないとしたらそもそも国としてのアイディンティティでを保てるのかとなる
だからアメリカが分断されるとか言われるのもわかる

何をアイディンティティとして国をまとめるのか?
それがもう混雑してわからなくなるからである
それで格差が極端化して資本主義とか民主主義すら機能しなくなり崩壊しつつある
民主主義自体が世界で問われている、日本でも多数決なると不平等になりシルバー民主主義などが批判される、南相馬市だと原町区がもともと人口が多いのだから合併したら他の地区がないきがしろにされ人口が多い場が中心になる
民主主義も危機にさらされているのである
アメリカ自体が国をどう維持していいのか岐路にたたされているのである
それで移民を拒否するのは白人からするとこの国は誰のものだとかなってしまう
それは日本だって移民でも外国人労働者でも大量に受け入れるとそうなるから拒否する人たちがいるのもわかるのである

posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月17日

地方議員がいらないというのはなぜか? (私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


地方議員がいらないというのはなぜか?

(私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


我が家の近所に住む町内会長さんは、無償で公園の掃除をしたり、祭りを仕切って慕われているが、地方議員より、よほど地元に貢献している。

日本は民主主義の本場のアメリカから比べても本当に議員の数が多すぎる
ここの主張では議員を減らして行政にたずわる人に金を回した方がいいとしている
議員は無駄飯くらいとしている
それだけ何をしている人たちなのかわからないのである
それで選挙の時いい大学出ているとかで評価したりする
でも政治はその人なりもあるが何をしたのか、どういう働きをしたのかが問われる
しかしそれがわからないのである

選挙の時だけ騒ぐけど日ごろ議員の時何をしているのかわからない
ただ金をもらっている人だともなる
だからここでは町内会長が公園の掃除を無償でしている
その人の方が役に立っているとなる
要するに議員は高給取りでも何をしているのかわからないのである
議員は暇でしょうがない職業だともここで書いてある
ただ議員となれば議員という地位と金が入るとなるだけでだとなる

ともかくアメリカからすると倍以上というより何倍も議員が多いのである
それでかえって効率的でなくなる、行政を担うのでもない、だから直接行政で働く人を増やした方がいいとなる

この辺では様々な問題が山積みだけどその解決に議員がどれだけ努力しているのか何か方策を考えているのか?それもわからない
これだけの問題をかかえても議員が何をしているのか良くわからないのである
鹿島区で高速無料となったのは市長の権限なのだろう
市長は何かをすることができるが議員がどうかかわるのか見えない
だから議員代議制は特に地方の場合形骸化しているのである

それでいろいろな方策を提案するようになる
何か議員に一票投じることが虚しいのである、それは何の効果もないからである 
 
 平成22年(2010) 

震災前は72パーセントの投票率

 平成26年(2014)

 59パーセントである
 
震災前が高かったが震災以後の2014年は低い、これは小高が避難区域になり投票者が散らばったからかもしれない
今回はどれくらいになるのか?
70パーセントにもどるのか?

ただ正直選挙に関心がもてない、地域に住んでいればいろいろと関心をもつ、私自身が鉄道と駅に関心をもったので報告した
それは身近な存在だからそうなった
つまり議員でも何をしているのかプログなどでも報告する義務があるとなる
そういうことをしている人はいても少ないし内容がともしいのである

現実にどういう主張してどういう成果をあげたかなどわからない、ただ選挙の時お願いしますお願いしまだけなので嫌になる
つまり町内会長さんが無償で公園の掃除をしている人の方が市のために役に立っているともなるのだ
議員は前はそれも昔になるが土地の有力者などが無償で行っていた名誉職だった
だから無償のボランティアとして始まっていたのである
今は高給とはいかなくても市の財政から金を払っているのだからそれなりの仕事をしてもらいたいとなるがしていない、またわからない、だからボランティアで公園の掃除している人の方が役に立っているのである

いづれにしろ今回は私は棄権である、誰に入れていいかわからない、そして民主主義で棄権が多くなるとそれは民主主義自体を否定することになるから民主主義の危機なのである、もう50パーセントくらいの投票率では成り立たないともなる
民意は反映されないシステムになるからである
だから個々の事案について投票するシステムを作れとかいろいろ言う人が出るのもそのためである

つまりもう選挙では何も反映されないとなるからそうなる、そしてシルバー民主主義のように選挙する前から決まっている
数が多い方に有利になっているから若い人は選挙に行かない、この辺だと合併して原町中心になったからそこは6万とかの人口の内
4万いるから原町区中心に何でも決まってしまうのである
だから補償金でも鹿島区の三倍原町区はもらっている、鹿島区が不満でもどうにもならないのである
原町区の方が人口が多いし票が多いのだから文句言っても多数決で決まるからどうにもならないのである
それはシルバー民主主義と同じなのである、そしてどうせ自分たちの意向は反映さないとなり棄権になり投票率が下がり民主主義の危機になっている、だからなんらかの制度を改革が必要なのである


posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月11日

南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機) (最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)


南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機)

(最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)

mapcity2.jpg

cityvote2222.jpg


大山議員制作


原町区は一か月十万で19か月分もらった

一人190万もらった

4人分で760万もらった

鹿島区は一人10万で7か月分で70万もらった

4人分になると280万である

760−280=480万になる

この差をどうみるのか?


差が大きすぎた、でも原町区の人はそれなりにもらったから文句は言わない
そして政府や東電に要求するにしてもその動機が弱くなる
どうせもらっているんだからいいやともなるからだ


だから何か原町区の人が来て鹿島区の人と協同しようとした会合があったがうまくいかなかったのである、それは原町区の人はもらっているのだから別に要求しなくてもいいともなるからだ、鹿島区の人はもっともらいたいという強い動機があり要求がある
でも南相馬市全体の要求とは意志とはならないのである
つまり南相馬市全体で一致しないから協同もできないのである
だから合併しても協同が計られなかったという皮肉な結果になったのである





「議員たちは本来、二元代表制のもとで行政をチェックするのが役割のはずですが、実際は自らが行政に食い込み、コネクションを利用して支持者や関係者のために公共事業をとってくる『利権の配分者』になってしまっている。すべてが公開されるべき行政の情報も、議員が行政と結託して『ブラックボックス』にしてきた。住民と行政の仲介者であるはずの議員が、公正な行政の実現を妨害している。今のような職業としての地方議員は、いなくなったほうがいいと考えています」

私たちは普通に暮らす人たちが議員になるべきと考えます。そういった人たちが日常見聞きする問題について専門家やその当事者を議会に呼び、オープンな議論を住民に見せて、住民が賛否を判断する。議員はその仲介役でいいのです」(同)

地方議員をゼロにする運動まで起きている、それはもう民主主義でも資本主義でも制度疲労であり社会の要求に答えられない、民主主義が多数決で公平になっているかとなるとなっていない、かえって不公平になっているのである
それで一票の権利をもっていても投票もしたくないのである
結局何も変わらないからである、そうして民主主義の本場のアメリカでも今無力感がつのり国が二つに分断される、それはもう選挙で多数決で決めることの限界が来ているからである

例えば日本だとシルバー民主主義であり若者がいくら投票しして数が少ないから老人向きの政策になる、それが民主主義が多数決で決められるからそうなる
それがかえって不公平になりもう選挙しても無駄だとなり投票にも行かなくなる
資本主義だって世界の数パーセントが富を独占しているとなると公平でないからもう資本主義はやめた方がいいとかなる、そういう資本主義でも民主主義でも制度疲労を起こしているのである

南相馬市は津波原発事故が起こりあらゆる問題の場所になったのである
政治の場にもなった、日本の政治や世界のアメリカのことも問題になった
だから政治意識が高まったことは確かである、またそうならざるをえなかったのである
それは直接利害をみんな及ぶことになったからである

その最大の象徴が原発事故の補償金問題だったのである
これによって小高区と鹿島区は分断された
それと原町区が関係しないかというと実際はしていた
ネットで百億円鹿島区に仮の賠償金として払うというときネットでものすごく反対した人がいたのである、それは南相馬市の予算から出るからである
でもそれは後で東電からでも支払われるものだったのである
ただ百億円が大きいから反対した
そして小高区の人にはなんでも手厚いサービスがされた
介護でも優先されていた、その時私自身が介護で四苦八苦していたから腹ただしかった
すくに病院でも高速でも有料になったのである、半年くらいでそうなった
原町区と小高区は三年とか無料だったのである
ようやく市長が変わって高速でも無料になったのである

そして前の選挙のとき鹿島区出身の議員が仮設に住んでいた小高区の人と一緒に投票するよう頼みに来たのである
南相馬市として合併すれば別に票になるから鹿島区を優先する必要はないからそうなる
でもこれもおかしいなと思った、なぜそんなに小高区の人が優先されて良くされるのか?そのことが鹿島の人たちはみんな不満に思っていたからである
もちろん小高区の人には言い分がある、でも全面的に問答無用で小高に文句言うこと原発避難民に文句言うことは禁じられるようになっていたのである
NHKでもマスコミでも原発避難民側についていて批判することはタブーになっていた
それが鹿島区の人たちは不満をくすぶらせていたのである

だから南相馬市として小高と原町と鹿島が合併してかえって不公平になったということはある
多数決で決めることはかえって不公平になる、それがここでも起きていた

原町区では鹿島区の三倍の補償金をもらっている

それはなぜか、それに反対できないのか?

国が決めたということもあるがそもそもが同じ南相馬市なのにこれほどの差があるのか?それは国や東電が悪いということは確かである、鹿島区にも30キロ圏外でも配分すべきだとなる、なぜなら同じ南相馬市だからである
ここで南相馬市の一体感はなくなったのである
そのしこりが今でも残り協力できない関係になったのである

ではどうすれば良かったのか?

多数決で決めてはならない、公平にすべきだったとなる

原町区が鹿島区の三倍もらうのはおかしい、二倍でいい、その分を鹿島に配分するとかすべきだった
なぜなら鹿島区でも避難した人は半分いたからである、30キロで区切られたにしろ鹿島でも半分は避難したのである、避難したから原町区の人はもらって当然だったとなる
でもそうなら二分の一にしてその分を鹿島区に与えれば良かったともなる
hhhhkkk123.jpg

こんな風に配分すればよかったともなる、これを四人分にすると原町区は126×4=504万円
鹿島区は103×4=412万円になる、鹿島区は4人で280万にしかならない
そもそも原町区が一人190万は多かったのである
これは一つの例だけど鹿島区がこれでは多いといえば引いてみるとかする50万くらいひいてもいいとかなる
でも確かに鹿島区は原町区と比べて少なすぎるのである
こういうふうに原町の人がしろとして賛成は誰もしない、そしてら原町が多数なのだがら議員だって代表となるには当選するには原町区の人たちの言い分を尊重しなければならない、結局誰も原町区の人は賛成しない
つまりすべて民主主義は数で決まるから不公平になるのである
利害だってそうである、少数者は切り捨てられる、それは他の国アフリカなどでも起きて凄惨な殺戮が起きている
多数決だと多数であれば何でも通るとなっているからそうなる

ここで大事なのは公平感をもたせることである、そうすれることが一番大事なのことだった
確かに30キロ圏で区切られたから国で決めたことだから市ではどうにもならないという理由がある
むしろ一致して要求すべきだとなる、でもその前に国でも東電も差別して協力させないようにしたのである
それを市の方でまた南相馬市民全体でそれに対処しなかったのである
自分たちだけ良ければいいとしかなかった、それは避難区域でもそうである
自分たちが補償金もらって脱出していちはやく家を建てて帰らないと決めた人がいた
補償金はかえってそうして町全体の復興のためには使われなかったのである

でもここでも多数決になるから不公平になる
それは前からもそうだったのである

原町区の人口は7万あったとして5万くらいがもともと原町区の人口だからそこが人口が多いのだから行政でも予算でも原町区中心に配分されると不満があった
今回の補償金でもそうである
原町区の人口が多いからその人たちが鹿島区の三倍もらっていれば何も言わない
原町区の人には不満がないのである
その原因が人口が多いから南相馬市の決定権は原町区にあるからだ
市長選挙でも原町区の票をとらないかぎり当選しないからだ
つまり多数がかえって不公平になるのである、多数の横暴によって少数者は損する仕組みなのが民主主義だとなりシルバー民主主義と同じく投票しても何も変わらない
投票しても無駄だとなって無力感をもつだけなのである

だから議員はいらないとかなる、議員を具体的になくす方法を東京でも模索されていることでもわかる、ただそこにあるのは都民でれ市民であれ国民であれ無力感しかないのである
市民であれ国民であれ何か要求があってもそれが議員を通じて達成されないから無力感をもつだけだとなる、それで民主主義の危機になっている

例えば庶民レベルだと誰を選ぶとかなるとあの若い人は一流の大学を出ているとか評価している、それも変なのである、どういう成果をあげたのかが実際は問題である
どんな大学を出たかなど関係ないのである
それは就職すると仕事ができるかできないかで成果でその人の評価が決まる、東大出ても仕事ができない人は評価されない、でも何か議員になるとその成果がわからないのである

社会は成果に対して厳しい、家を大工さんに修理してもらったら直っていなかった、それでかなりの金はとられたのである、でも直らなかったら金をとる権利がなかったのである医者でも病気を直したら金をとれというが実際は直らなくても膨大な国民の金が医療関係者にとられているから膨大な医療費が節約できないのである
それと同じように議員の成果がわからない、それでも国民の市民の税金で給料をもらうのはおかしいとなり地方議員の場合はいらないという運動まで起きているのである
つまり議員はどういうふうに評価していいかわからないからそうなる
どこの大学出たからなど関係ないのである
ただ庶民レベルだとそうして投票する人もいるのかとなるとまた民主主義は結局愚民主義になり政治家でもろくなものがいないとなっているのである

いづれにしろテーマごとにその時代表でも選ぶ方法とかいろいろ改革が必要なのである
今のままではただもう民主主義に対する不公平感がつのるばかりであり選挙しても無駄だとなり選挙自体機能しなくなる、それは民主主義ではだめだということである
何でも選挙で多数決で決めることがいいのかとなる、それは不公平感が増すばかりなのである

例えばでは大山議員は原町区の人だけど原町区の補償金を一割でも二割でも減らして鹿島区に回すとかできるのかとなるとできない
それを国や東電に要求することはできる、でもそれがむずかしいとなるとき
南相馬市の一体感をもたすために原町区の補償金を鹿島区にまわすとか何か痛みともなうことはできない、つまり南相馬市は小高区と原町区と鹿島区と補償金の配分で分断されたのである
割をくったのが鹿島区でありる、でも南相馬市では原町の人口が三分の二とかなり多いのだからそれで政策も決まるのである
だから投票の数で決まるかぎりこの不公平感はなくなることはない
それはシルバー民主主義でもそうであり民主主義の本場のアメリカでも分断されたように多数決とか投票だけで多数決至上主義が限界に来ているのである
ただそれに代わるものが何かあるのかとなる
いろいろ模索されているけど明らかなことはもう多数決で投票で決める民主主義は制度疲労であり限界に達している、その時どうなるのか?
誰もそうして多数決で何でも決まることに無力感を感じて関心もなくなることである
遂にはほんの党派の人とかしか投票に行かない、もうそうなると民主主義自体機能しなくなる、そういう危機になっているのである


posted by 老鶯 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月04日

ホンジュラスの移民騒動 (格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)

ホンジュラスの移民騒動

(格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)


米には麻薬組織ともつながった「マラス」と呼ばれるギャング集団が横行していて治安がひどく悪化していることと、貧困問題が主な理由です。働きたくても仕事がない若者がギャングに勧誘されることも多く、断ると命に危険が及ぶこともあるようです。

成人男女の平均労働時間は、14時間だ。機械が常時、動きつづけられるようにするため、労働者は、一日に14時間、週に、三日から四日働き、休日には、他のチームが入れ代わる。生産割当は極めて高く、病気の労働者ですら、限られた休み時間と食事時間しか与えられない。シフトにつき一時間半だ。注文が、増減するのにつれ、工場の雇用も増減する。労働法は、日常的に、無視され、労働組合の結成は弾圧される  

300,000人以上の子供がホンジュラスでは働いている。彼らの一日の就業時間は、成人のそれより、ほんのわずかばかり短いだけだ。国連児童基金(UNICEF)によると、マキラドーラでは、15歳という若さの子供が、一日、10から13時間も、一時間わずか40セントで働くよう強いられている

ホンジュラスは、アメリカ軍によって、1907、1911、1912、1919、1924、1925、そして1931年と、繰り返し、侵略されてきた。こうした侵略において、目標は、アメリカ企業の権益を保護と、専制的傀儡政権の安定性だった。



この国はアメリカの企業によってバナナだけを生産される、単一商品化栽培させられる
そのことでバナナの値段に国が左右される、それからアメリカの企業の支配になりそれと結託した地主とか指導層が金持ちになる、それで極端な格差社会になる
そのことはアフリカでもコーヒーだけを栽培させられてコーヒーの値段に左右されて飢餓にまでなった国がある
それが現代の資本主義化多国籍企業化した問題である
一千万人くらいの人口なのだからもうアメリカの属国のようになっていた
でも何かこういう構図は世界中にあった、日本だって戦争に負けたらアメリカの支配になったからである

それはグローバル化経済で多国籍企業支配で起きたことである
それは江戸時代の日本でも起きていたのだ、伊達藩から大量の米が石巻から江戸へ送られていた、その米は商品と化していたから米を売るために米がバナナとかコーヒーと同じように単一商品化して飢饉になった時、他に食べるもきるを生産していないから飢饉になったという、コーヒーばかり作っていたアフリカの国でもそうなった
もともとはいろいろなものを畑で野菜を作っていたからである
同じような問題が江戸時代にもあったのである

ではなぜホンジュラスで大量の移民がアメリカにおしかけるのか?
それはアメリカにも責任がある、アメリカの支配でそうなった
そして麻薬を扱うギャングが横行して国を支配してしまう、ギャング国家になる
メキシコでもそういうことがあり映画を見た、若者はギャングになるほかなく鉄道を利用してアメリカに脱出するほか救いがない、その心は荒れ果てている

ただなぜ中南米とかがそうした貧困にあえでいるのか?
あの辺は弱小の国が多い、またそういう国は工業化できない、するとバナナだけを生産するようにアメリカに強いられる、そういう仕組みがあり今度は移民となって大挙脱出することになる、それはメキシコでも同じだったのである
ギャング団に支配された国から脱出したいとなる
メキシコでもそうしてギャング団に残酷無惨に殺された映画を見たがそれは現実を反映していたのである

いづれにしろグローバル経済の格差問題は深刻である
こうして必死の移民が増えるのは恐怖である
それは日本国内でも貧困格差問題はこれから深刻化する
まず治安が悪くなる、もう金持ちは私兵を雇ってでも防衛するほかなくなる
小金持ちでも飢えたような人が増えれば襲われる
実際日本でもそうなりつつある、貧困は深刻化しているのである
そのことで自分自身が家が介護などでガタガタになり弱者化したとき起きた

家に入れたものに大金を盗まれたとか今度は事業に失敗した人が借金を要求するとか地銀は苦しくなり投資信託を売りつけるとかさんざんな目にあった
今でも困窮者が来て金を要求してくる、その人はぎりぎりの生活だからである
現代はなかなか貧困者が見えないのである、着るものでもわからないからである
でも日本全体が貧困化している、格差社会になっている
それで自分のようなたいして金持ちでもないものも狙われ襲われるのである

日本では本当に暴動寸前になっているのかもしれない、暴動が起きないというけどそれもわからない、消費税10パーセントなどふざけるなと自分でさえ思う
別に日本政府には金があるとみんな言っている
財務省の支持でそうなっているから財務省を批判する人もいる
つまりもしかかしたら日本の官僚は財務省はホンジュラスのようにアメリカの言いなりである、その支持で経済政策も決められるとなる
そこでそれをとめるにはホンジュラスのように暴動とか国を脱出して移民化する
日本に絶望して若い世代が外国で働こうとしているのもわかる
経済的危機になるとグロ−バル化社会では外国に脱出する人が増えるのである
貧乏人もそうだが金持ちでさえ税金を収めたくないとかなる
そうして国時代は崩壊しかねないのである

まだ日本ではそうした深刻な自覚がないが否応なく格差社会では自覚させられる
何より治安が悪くなり金持ちでも小金持ちでも襲われる
そうなると金持ち自衛しなくてはならなくなる、太宰治の生家のように高い塀で囲み警察を常駐させるようにもなる、地主であり極端な経済格差のためにそうなったからである
要するにホンジュラスはアメリカの属国でありその属国が移民化しておしよせる
そしてアメリカはそういう国を捨てる、移民を撃ち殺すとまでなる
アメリカ自体が経済的余裕がないからそうなった、アメリカ本土でも格差が極端であり
多数が貧困化しているからである、何パーセントの大金持ちがいてあとは貧困化しているのである
そこで暴動でも起きてくる、アメリカという国自体が危機であり格差社会で分断化して崩壊の危機に晒される、それは日本にも波及しているのである
貧困化社会になり暴動が起きる、すでに自分が経験したようにその時モラルは崩壊する
銀行でももうけるためにはなんでもする、だましてでも投資信託などをうりつける
そうしなければ会社を維持できないからである

日本でもそうした貧困者が増えているからことを自覚していない、それは暴動とかならないと自覚しない、だから米騒動のような打ちこわしとか起きる
すでに自分が経験しているように起きている、個々人で起きて全体と波及するのである
その対処方法があるのか?それを深刻に考えないと日本は治安が悪くなり危険な状態になる、だから消費税など上げるべきではない、なにかにやと政府では理屈を言うがそれは嘘なのである
財源はあるが隠している、日本の官僚は財務省でもアメリカの支持に従うというときホンジュラスとにている、でも貧困層はもう我慢ができないから暴動ともなり移民化する
命がけで国を脱出するとなるのだ
人間追い詰められとモラルもなにもなくなる、会社でもそうである、もうけるためには地銀でも投資信託を売りつける
それは社会全般にそうなる、日本は貧困国家にすでになっているのである
ホンジュラスのようにはならないにしてもそれと似たことがこれかたら起きるのである、実際起きているし自分がその被害者だったのである
posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層