2020年09月19日

時代が変わる時大失業になる (明治ー戦後ーそしてコロナウィルス)


時代が変わる時大失業になる

(明治ー戦後ーそしてコロナウィルス)   

時代が変わる時、大失業時代になる、明治には侍がなくなり失業した
するとその人たちを受け入れる職業が必要になる
侍は知識人でもあるから学校の教師になったとかある
また侍は武道にたけているから警官になる者も多かった
一番多かったのは北海道開拓に入ったことである
なぜなら伊達藩では亘理の侍は今の北海道の伊達町に集団で移住したからである
その時代に北海道はフロンティアになっていたのである
この変化も大きく北海道は日本のフロンティアとその後もなっていたがそれも過酷であり失敗した人も多いのである

ただなぜそうなったのか?その時代はもともと農業中心の社会であり農業が主産業だからそうなった、だから農業の問題は土地があることであり土地がないとできないので広大な土地を必要としたから北海道に移住したのである
それは満州でも同じだった、戦前も農業中心の社会だから土地を求めて移住した
満州は寒い土地でもそこで米作りまでしたのである
今はどこまでもトウモロコシ畑であり米作りには適していない土地である

そして戦前の主産業は絹織物であり養蚕でありそれも農業だったのである
だから桑畑はどこにでもあった、私の家の裏も桑畑だった
それで今の伊達市辺りで蒸気機関車ができると煙で桑がだめになるからと中止する運動も起きている
とにかく今でもいたるところに兜屋根の養蚕した家が残っている
どれだけ養蚕をしていたかである、それはなぜかというとアメリカに絹織物を輸出していたからである、私の母親は原町紡績で十年糸取りして働いていたという時もそうである
それは工業でもあったからそうなった、そこで生産されたものは横浜まで運ばれてアメリカに輸出されたのである、そして驚くべきは原町紡績の工場まで引き込み線が引かれていたのである、それは運ぶのは鉄道になっていたからである
車がない時代は輸送は鉄道がになっていた、それで原町は機関区になっていたのである

戦後になり焼け野原になりこの時も6,249,908人も引揚者が本土に帰ってきた
その人たちに職業はない、その人たちを受け入れたのは開拓だったのである
だから本当に戦後の引揚者が開いた部落がどこにでもある
この辺でも例えば浪江町の津島とかでもそうである、飯館村でも木戸木という不便な所でもそうである、それは戦後の引揚者が作った部落である
それでかえって山村でも人口が増えていたのである
ただこれも過酷であり半分は撤退した、これは大きな戦後の歴史だった

つまり時代が変わる時大失業時代が来る、産業の大きな変化がくる
それが明治に起こり戦後に起きた、戦後は電器産業に変わりそこで失業者を吸収した
そして高度成長時代になった、そしてまた70年とすぎてコロナウィルスとかで大失業時代になる、では今度はその失業者をどこで受け入れるのか?
耕作放棄地とか膨大である、でも農業時代ならその荒地でもまた回復しようとするが工業時代になるとそれもない、すると何が失業者を受け入れるのか?
それが深刻な問題になる、なぜならドイツでナチスが起きたのは大量の失業者が生まれたからである、職がないということは食べることもできないとなる
そこで兵士にして職をもたせて戦争するとまでなった、失業の怖さは戦争までなるということである

日本では電器産業でも衰退したという時どこで失業者を受け入れるのか?

それが大問題になる、銀行でも金融関係でも失業者が生まれる、それはIT化とか機械化でも生まれて来る、人がいらないという時代になり失業者が生まれる
おそらくもう新たな産業が生まれることはむずかしくなっているかもしれない
そうなると人口を削減するともなる、人口もやはり時代によって調整される
日本でも人口が減るということはそれだけの人口を養うものがないからともなる
もし新しい産業が生まれるとしたら戦後のように電器産業とかで吸収されるがそれも見つからないとすると人口を減らすほかないとなる
日本は人口の適正規模をすでに越えていて人口調整が必要になり人口が減っているともなる
ただ人口の不思議はなぜ戦後に食べ物すらないのに団塊の世代とかが子供を産んだのかとなる、もう今より最悪の条件である、食べるものもないのに良く子供を産んだとなるからである、今なら食べ物がないというまではならないだろう
だから人口というのは何か調整機能があり増えたり減らされたりする
それは地球規模で見ても今や人口は地球で養えない状態になっている
だから人口を減らすことがコロナウィルスで働いているのかともみる
となるとそれは自然の作用とかともみる、地球がもう限界にきて人間を減らしているともなる

いづれにしろ大失業時代になると相当な危険な状態になる、治安も悪化する
マルクスが生きた時代も失業者が多かった、それで資本主義の問題は失業が生まれることだとしてその理論を構築した、つまり失業がそれだけ危険なのは職を失ったら食べることすらできなくなるからだ、それで戦争でもしてくれとなる
兵士になれば食べられるとかなるからだ、戦争の原因はそうしたし経済的危機に起きる
日本でも戦争の原因はアメリカによに経済封鎖にもあったというのもそうである
経済的に追い詰められて戦争に追い込まれたともなる

ともかく大きな時代の変化の時である、その時起きるのが大量失業である
それに対応できないと戦争にもなる、その前に治安悪化する
その兆候は現れている、もう老人でも年金がもらえないとか非正規の数も一千万単位とで膨大でありその人たちが困窮すると日本は危険な状態になる、そうなりつつもありコロナウィルスで拍車をかけた
観光業とか飲食業が大打撃になった、観光は地方の産業にもなっていたからである
だから大量の失業者を吸収するものが何なのか?それを模索することになる
ただもうそれもないとしたら人口削減しかない、それで調整するために人口が減っているのかとなる
団塊の世代とか死ぬと人口は相当に減る、そして日本の人口適正規模は8000万くらいだろうとしている、大正時代には6000万くらいであり東京の人口は百万とかであり新潟より人口が少なかった、地方の人口が多かったのである
東京から人口が地方へ移動するというのも時代になる
ただ時代の変わり目には何が起きるかわからない、そこに混乱と犠牲が生まれる
その産みの苦しみを経て新しい時代が来るとなる、その変わり目が今なのである


posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年09月18日

南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

   南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう 
  
  (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

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南相馬市はいわき市より多い

 県は17日、新型コロナウイルスに感染して県内の感染症指定医療機関に入院していた70代男性2人が死亡したと発表した




南相馬市 60代 男性

南相馬市 50代 女性

浪江町 50代 男性

浪江町  60代 女性

南相馬市 30代 男性

南相馬市 60代 女性
   
南相馬市 10代 女性

南相馬市 40代 女性

南相馬市 30代 男性
  
浪江町 40代 男性

相馬市 60代 男性

南相馬市 20代 男性

南相馬市 60代 男性

南相馬市 80代 女性

南相馬市 60代 女性

相双   50代 男性

南相馬市 30代 女性

南相馬市 70代 女性

南相馬市 50代   男性 

浪江町とあるのはやはり移り住んだ人だろう
 

      
なぜ南相馬市とかで人口に比例して感染者が多いのか?
郡山市とか福島市は人口が多いのだからそれに比例して多くなる
南相馬市は人口が少ないのに多いとなるから注目する
相馬市は5名で少ない、相双とは相馬と双葉地域でありでも双葉地域には浪江町でも双葉町でも大熊町でも富岡町でも人がまだわずかしか住んでいない、一割も住んでいない
だからそこでの感染者数とは復興住宅に移り住んでいるから他の市町村に移って感染したとも考えられる、その場所に住んでいないからである
すると南相馬市でももともとそこに住んでいる人ではなく原発事故で避難した人が移って南相馬市でも増えたとなる

それを証明したのが南相馬市の自分の住んでいるすぐ近くで感染者がでた
それは東京のライブハウスに行った人からうつった
その家族の家は窓が壊されたとかして住めなくなり他に移ったという
何か他にも家があったらしいとか裕福な家だったからうつったと言っていた
南相馬市で多いのこうして外から移り住んで人が多いためだとなる

何かウィルスの感染は人口密度とか交流密度とかと比例している
郡山市は人口が多いし東京との交流も多い、交通の要である、そこから会津若松へと鉄道がでている、だから会津でも最近増えてきた
郡山市が一番多くまた福島市が多いのはわかる、でも南相馬市がそれについで多いのはなぜだろうとなる
その原因は原発事故で避難した人たち復興住宅に住んだ人たちが多いからなのだろうか
でも考えてみると南相馬市に移り住んだ人たちでも浪江町の人だった浪江町となり南相馬市民にはならないのである、ただ移り住んで南相馬市民となった人もいるだろう
その辺がこの辺ではわかりにくい、ただ南相馬市が多いのはそういう事情があるかもしれない、ただ浪江町とか富岡町とか感染した人の出身地を出している
でもその人たちも移り住んだ場所で感染したともとれる

いづれにしろ南相馬市は意外と多いとみたのでなぜだろうと疑問をもった
一部は東京から来た人たちによってうつされたとも報告されている
南相馬市ではまだ外部から工事関係者が来ているからだ、ただそれもかなり減っているからどういう経路で感染したかわかりにくい
年齢で50代以上が多い、東京では40代以下が多い、若い人は外に出る範囲が広い
それで新宿の歓楽街で広がったのである
地方では若い人より50代以上が多いだろう
それは年齢的に50代以上が多いからだから人口比率なのかもしれない。
男性と女性の比率でもたいして変わりない、ただ50代以上が多いことは確かである

いづれにしろウィルスの感染者は数学的にみれる、人口比率とか交流度合いとか交通の関係で見れる、江戸時代に会津若松からコレラが広がったことでもわかる
それは新潟からでも北前船が来て阿賀野川で交通があり白河からも街道があり会津が交通の要であり人口も多かったからである
その時郡山市は人口が少なかったのである、大正時代に人口が増えた   


会津の人口 

1899年 明治32年 30,488 

郡山市の人口推移

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郡山市はもともと藩がない、三春藩があり白河藩があり二本松藩があり城があるが郡山にはない、新興の都市だった、戦後になって急速に人口が増えた都市である
それは地の利にもよっていたのである
東京にも近いことからも発展した、新幹線で一時間くらいで行くとしたらここから仙台市に行くより近いとなるからだ
ただ普通列車で行くと郡山市から磐越西線で途中スイッチバックの中山駅があった
だからそこで会津まで遠いという感覚が生れていたのである
何かそれが思い出となる、でもそのスイッチバッグもなくなったのである

いづれにしろウィルスはもともと人口密度と交通とか密接に関係していた
江戸時代にコレラが会津若松が多くなり広がったのはそのためである
会津若松の城下町が交通の要となっていたからである
それが郡山市が次に交通の要となり人口が増えたから感染者が多くなったのである
だからウィルスの感染は予測できる、仙台市から最初秋田の方に移動した人がうつしたということでもわかる、仙台市は増えると思っていたがやはり増えた
それは人口密度とか交通の関係から予測できたのである

ウィルスの感染を防ぐには人の交流をとめるほかないのである
それが現代ではとめられない、江戸時代でもやはり止められなかった
江戸時代なら人の交流度合いは今と比べれば格段に低いのに止められなかった
関所もあったしそれでも止められなかった
となると現代はもう人との交流は止められない、不可能だともなる
だからこそGO TO キャンペーンになったのである
観光業でも生活できないとなれば死ぬとまでなる深刻になる
現代は意外と交通がこれだけ盛んになればもう止めることはできない
交通が発達して人が行き来する交流することはいいことだと思っていた
でもそのこともコロナウィルスで見直されたのである
それは時代の変化もうながすものだったということになる 

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)

    

posted by 老鶯 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年09月17日

無駄が多すぎる社会−税金の無駄使い) (でも無駄は税金となって国民の負担になる-無駄な行政)


無駄が多すぎる社会−税金の無駄使い)

(でも無駄は税金となって国民の負担になる-無駄な行政)

何かこの世の中無駄が多い、金が有効に使われない、医療費がこれほど莫大なものになって国がつぶれるとまで言われるのもそうである
福祉関係でも無駄が多い、そして肝心なことに使われない
何か行政でもそうである、加治将一氏のyoutubeでハンコなどいらないとしているがその担当大臣のIT大臣がハンコ議連の主導者であり利権を推進する者となっているというのも矛盾である
除染にしても何兆円もかけて効果あるのか?郡山市では300億円無駄にしたとかある 

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何か今や高価もないことに予算が無駄に使われる、五輪などまだしようとしている
そんなもの国民は望んでいない、望んているのはマスコミとゼネコンなの利権にかかわる人たちだけである、電通などもそうである
万博などでもそうである、高度成長時代になるとき日本が戦争から復興したということで意味があった、日本はこのように復興しましたと世界に示すイベントで意味があった
今なんのためにそんなことする必要があるのか?
ただ観光で外国人を呼ぶためだともなっていた、それもコロナウィルスで停止されたのはこれは神の意志、天の意志だともなる

何か天意とか神意があり災いが起きて来るともなる、原発だってこのまま安全神話で日本に増えたらいつか事故になりもう日本に住めなくなっていたかもしれないからだ
日本は大陸と違って狭い国だからである
だから日本経済というのは高度成長時代が終わり不景気になったけどそもそもあらゆるものが過剰になったためだともなる、それが膨大な無駄になる
それは豊かになると中国でも膨大な食べ物を捨てているから中国政府ですら無駄するなとなった、中国だった昔は餓えて土を食ったとか小説にあった、餓えたら人間の肉も食う
そういう過酷な環境なのが中国だった、それで食べ残して食糧を捨てるというのはありえないことだったのである

こうして無駄が増えたのはやはり豊かになったからである、豊かにならなければ無駄をしようがないのである、江戸時代の生活を見たら紙一枚でも蝋燭の残り粕でも糞尿でも何でも一切無駄はせずに利用した、そうしなければ生きていけなかったからである
もったいないとなり捨てることはありえないのである
ただ逆に日本が貧困になるともう10円20円を節約している人もいる
昔に戻った生活にもなる、やっと食べて命をつないでいる人もいる
一方でまだまだいくら貧乏でも無駄がある社会になった

医療費の無駄というとき高価な機械を買うとその元をとるために実際は何の効果もない
見てもわからないのに認知症になったからと脳を写真をとる
でも脳の精密な写真を取れるのは福島県に二台くらいしかない、そもそも見ることもできない機械でみる、3万だとしても保険がきくから十倍にもなる
それが保険料の負担となり医療の負担にもなる
何か福祉関係だと医者ではどうけ国で出すのだからと人間ドッグに入れとかなる

でも無料ではなかったのである、そんなのを見ても何も役にたたないという医者もいる
ただ高価な機械だからそれを使わないと金にならないと困るからそうなる
福祉関係では生活保護とかの関係では強制的に病院でそうさせられるということもある
また普通の人でもいらない薬を飲まされることもありかえってそれで体の調子が悪くなったという人もいる、高血圧の薬などがそうらしい
薬関係でも会社でなんとか売らなければ利益にならない、するといらない薬でも売るとなる、それは医者や病院を通じて売るからそこにリベードが入るとなる
30万とか50万かかるとしたらその分を別なものに回す、貧しい人はまともな栄養をとれないことに問題がありそのためにその金を使った方がいいとなる

なんか現代は無駄が多いのである、その無駄も金は税金として国民が負担させられているのである、だからもっとこの無駄に国民が監視して減らすようにしなければならない
でもハンコ一つとっても無駄を減らせないのである、そこに利権があり議員でもそうしした利権団体の応援がないと票を得られないので忖度するとなる
でも国民はそうして税負担となり自分自身にその無駄が決して無となるのではない、有となり税となり支払わされるのである
無駄はただの無駄ではない、その無駄のために税金で負担させられているのである
その自覚をすべきであり税負担を減らすためには予算とかの無駄を減らすべきなのである

いづれにしろ日本は貧困化するとき無駄はもうできない、医療費ももう無駄はできない
それはコロナウィルスで4兆円が病院で収入が減ったというときその分は実際は無駄だったことが判明したからである、別に病院に行かなくても良かったのに行っていたともなる結局補償しすぎるとそれが無駄になる
南相馬市では小高と原町では十年間も医療費が無料だった、鹿島区は半年打ち切られた
それで軽いものでも病院に行く人が多かったという、病院が老人のサロンのようになっていたということは言われてきた
そういうことで膨大な医療費がかかり国がつぶれるとまでなっていたのである
ただ正直人間は病気に一番弱い、ひどい便秘になり困り2500円もする薬を買った
まさに自分自身が病気になるとそうなるからなかなか病気に関ししては言えないとはなるどうしても効くいい薬が欲しいとなるからだ

ともかくこれからは行政でも医療でもあらゆる部門で無駄は日本がではできなくなる
貧困化してそんな金がないからである、金の無駄はできないのである
おそらくコロナウィルスとかで余計に無駄はできない社会になる
まず観光とかができなくなり交通関係は大損失になった
これから人はあまり移動しない時代になる、あまりにも移動が激しい時代だった
それももう限界だったのである、だからリニアなどももう時代に合わないから停止すべきなのである
なぜそんなに早く行かなければならないのかわからない、それは社会で必要もなくなった時ただ膨大な無駄なものとして捨てられるかもしれない
戦艦大和も飛行機の時代になりその巨体を一発も大砲を打つこともなく海の藻屑となったようにもなる

もう早く早くとか遠くへ遠くへの時代は終わった、コロナウィルスでそれが現実化した
そんなことにエネルギーを費やす時代は終わった
若い人たちでミニマリストとかなるのもわかる、若い人は時代の最先端をゆく、時代に敏感だからである
何か金も実際は相当に余っている、その余った金が行き場がなくなり株式市場に流れている、銀行では投資先がなく金がだぶついている
金余りなのである、それで景気など良くなっていないのに金が増えている、その金も実は実態のないものである、景気が良くなって金が増えたのではない
むしろ日銀でも金をばらまいていて金の量が増えているのでありそれで株が下がらないだけなのである
金は紙幣はしょせん紙切れでありだから今金の値段が上がっていることが理解できるのである、金の行き先が株式と金と現物に向かう、投資先がないので資本主義も終わりだとしている

いづれにしろこれからは禅宗のような禅僧のような生活になるかもしれない、デスタンスをとれとか近づいて話すなとかそれは座禅を組んで瞑想している禅僧と似ているからだ
宗教でもカルト教団のように集団化して示威行動して世間を威圧する
それは利権を要求する団体にすぎない、それで韓国で集会を開いたキリスト教のカルト団体がコロナウィルスを広めてその指導者が謝るはめなになったことでもわかる
キリストは二三人集まるところに私がいると言った
そうなると十人でも多い、それが百人になり千人になり対には十万人にも集まるとなる
そこに神も仏もいない、ただ利権団体と化して示威行動して圧力かける団体にすぎない
そこに一切の宗教的なものはないのである
だって釈迦だって洞窟で悟りを開いたからである

ともかく時代が変わる時、価値観も変わる、無駄はできないというのもそうである
何か増やすより減らす思想になる、それが老子の思想でもある
だから中国には老荘思想があり禅宗も中国で生まれて日本に入ってきた
それは東洋思想の流れをくむものであった
無用の用とかいう思想はヨ−ロッパからは生まれえないものだった
仏教の空の思想もそうである、とにかく文明になると無駄なものが増えると言っていたのも老子である
無駄なものは無駄で終らない、無駄なことに労働力でも費やされるのである
だから労働がすべていいものではない、莫大な無駄なことがありその無駄のために貴重な時間と労力が費やされているからである


加治将一
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名前だけで何の働きをするのかわからない大臣を批判する

時事問題の解説としては優れている、こいうふうに解説できない
だからマスコミを見ているより思考脳が鍛えられる
要するにマスコミがオピニオンリーダーとかなり愚かな無思考人間を洗脳して操作していたのである
それがなかなか気づかなかったがカウンターメデアがyoutubeになりそうかと気づいた人がかなりいる
youtubeはやはりテレビだからわかりやすいことが武器になる
ただもっと深いことを理解するには本を読むとか文章になる
でも要点がわかるからいいとなる

とにかくオピニオンリーダーは必要である、それがマスコミになっていたことがメデアの大きな問題だったのである
だから個々人でメデアをもつ意義が大きいと思った
なぜならこうしたプログでも自分の意見が言える場となっているからである
すると何か発言することで発言力というかプロのジャーナリトとして活動しているという意識をもつようにもなる
だからこんな大きなメデアでもそれなりの発言の場が与えられることは民主主義の発展には力となるものだと思った
posted by 老鶯 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年09月15日

日本の宿命、地理的に大陸を理解できない (中国に覇権が移行してゆくのか?-中国の戦略)


日本の宿命、地理的に大陸を理解できない

(中国に覇権が移行してゆくのか?-中国の戦略) 

中国は日本を併合するー平松茂雄を読む

日本は地理的にまず世界を理解できない、現代のように世界が身近になっても庶民でも海外旅行しても江戸時代の鎖国のようではない時代に生きていてもそうである
日々世界のニュースに接しても理解できない
その原因が地理にある、どうしても日本の様な島国では大陸のような広大な世界を理解できない、実感できない、それはアメリカでもそうである
たいがいそこには砂漠がある、日本には砂漠がない、また大河もない、すると大河の岸に生まれた文明を理解できない、何か大きなものを理解できない
それは政治とかあらゆることで大陸の国々を理解できないとなる

中国の指導部は何を考えているのだろうというときも理解できない
それで「中国は日本を併合するー平松茂雄」を読んだらなるほどなと思った
中国は日本を併合するという目的をすでにもっていて行動している
中華帝国の再興を目指して計画して実行している
一つ一つのことを見てもそれは中華帝国再興として手を打っている
全体的戦略の一環としてそうしている、国家の計画と意志があってしている
つまり世界支配の目的があり個々のことに対処している
それが大国であり巨大な土地と人民を支配してきた国だとなる

日本だと何か太平洋戦争で大東亜共栄圏とかめざした、でも国家的にそれだけ広い土地を戦略的に計画的に支配するという意志があったかとなるとただ膨張して無計画に拡大しただけだとなる

中国のような広大な土地をどうして支配できるのか?

そういう視野がもてたのか?とてもできなかったろう、ただ無闇に戦線を拡大したとなるそして巨大な中国にのまれてしまったともなる
その失敗は中国とか大陸とかはやはり歴史的にそうした巨大な土地とか人民を支配して来た経験がある、第一万里長城を作るような国を理解できないのである
中国をなにやかにやといっても基本的に日本の島国にいたら地理的に理解不可能である
毛沢東は「中国の人口の半分が死んでも、半分は生き残って、また元にもどってゆく」
こんなことを考えているとなると日本人にはありえないことである
第一14億人がいる人口とその巨大な土地を理解できない、つまり一億人死んでもたいしたことがないと考える、ということは日本人の一億が絶滅させてもたいしたことがない!
こんなふうにみるとしたら空恐ろしいとなる

そして中国人は欧米に植民地化されたことを怨念としている、日本に対してもそういうものがある、一時中国は貶められた、そのことを忘れないというとき大国を維持した矜持が強い、だから中華帝国再興なのである、中国のそうした歴史とか矜持をあまり日本でも考えない、でも現実に中国はそういう意志のもとに戦略のもとに中華帝国の再興を世界的に実現しようとして個々の問題に対処している
そうなるととても日本だけとかで対処できる問題ではない、そして現代は容易に人が移動できるからそうして戦争の前に中国人が大量に日本に移り住んで実質的に日本でも支配できるとなる、そういう計画もある
一帯一路というのもそういう一環としてあり中国の支配を世界的に実現させる戦略なのである

だから日本を属国にさせるというのはもう身近に迫っているのだ
日本は地理的にその脅威から逃れられないのである、アメリカは遠いからまた戦争に負けても人が一部入ってきても住むということがなかった
今や中国人は大量に入ってきて一部団地でも占領しているとかなる
北海道の土地でも買っているし経済的に日本が弱体化しているからそこにつけいってくるつまり中国は計画して戦略的に日本を支配を実質的に始めているということである

それに対抗できるのはアメリカだけだとなる、でもアメリカにしても弱体化している
だから中国と対抗できるのかとなると疑問になる
もちろん中国に弱点がありいろいろな見方がある、内部崩壊を言う人もいる
それもありうる、ただ中華帝国再興の意志があり計画があり戦略があり国家的意志がありそのために団結して全力をあげて戦うということがある
そういうとき民主主義とかは弱いと思った
話し合いだ議論だとか反対意見を聞くだとかしていてもまとまらない、それが民主主義である、でも共産党一党独裁だったら国家の意志とか中華帝国再興とかを反対勢力のことなど無視してできる、その強大な強権でできる
第一あれだけの巨大な国をそうした強権なしでまとめ支配することは不可能だからである
いづれにしろ日本が戦争でも失敗したのは地理的に大陸を理解できないことだった
それだけの広い土地と人民を支配できる戦略もなかった、歴史的に日本はそうした大帝国を作る経験などしていないからである
日本の戦争はせいぜい大陸から内輪もめであり小競り合いでしかないからである
その島国が小国がなぜ大陸支配の戦争ができたのかとなる
それは欧米の進出で中国が弱体化した結果である、草刈り場のようになったためである
でもそれも一時的なものであり再び中国は再興して元の大国の繁栄をとりもどす
もちろん中国にも弱点がありそのことを言う人はいる
中国は巨大なるがゆえに常に三国志のように分裂するとか言われる
それもありうるし巨大だからといって必ずしも有利にはならない、強いともならない

ただ中国が共産革命を成しどけたときから軍事力に重きを置く、軍事国家だとしている
軍事を最優先として軍備拡張をしてきた、それがアメリカに欧米に対抗できるものとして計画して実行してきた、核戦争を辞さない国だというとき恐怖になる
その大国意識が怖いとなる、そうなるとアメリカでも中国は恐れていない
日本に原爆落とされた、それすら恐れないとなる、そうなるとどうなるのか?
中国とアメリカの戦争で核戦争になりとも倒れになる、人類滅亡になる危機である
日本は地理的にその中間にあり必ず核ミサイルが飛んでくる、そうなると大三次世界大戦でありそれは人類滅亡に通じているのだ
そういう危機感がまだもてない、ただ中国にはそういう国家意志があり着々とそれを実現するために政治でも経済でもそのためにある
中国はアメリカを恐れていない、このことは注意すべきである
ソビエト連邦の米ソ冷戦があったが中国はもっと手ごわい、経済の規模が大きいからである、その経済力で世界をのみこむ、ロシアの経済力は小さいかったから世界に影響することがなかった、それでソビエト連邦は崩壊したからだ

中国は三回旅行したけど20年もならないのにこんなになるとは思いもよらなかった
20年前は貧困国であり技術も劣っていた、それが急速に日本の高度成長のようになった
それはグロ−バル化したとき急速に国でも発展する、そのスピードが早いのである
新幹線まで走っているのは驚きである、車両に家畜のように詰め込まれて都会に出稼ぎに出ていた、その差が余りにも大きい、それで今でも中国は日本より遅れているとか見ている人もいる、つまり現代の変化のスピードが早いから理解できなくなるのである
ジャパンアズナンバーワンとか言われたのは20年―30年くらいだった
そして日本は三等国になったとかなる、こうしてまた衰退するものも早いのがグロ−バル化社会なのである、

歴史をふりかえると明治が日本では一番高揚した時代だった、なぜならその時日本だけが欧米の植民地にならなかった唯一の国だったからである 
他は中国でもアジアはみんな欧米の植民地化されたからである
だからなぜ江戸時代から駕籠に乗っていたような時代から一挙に明治維新が成り欧米とも対抗できたのかとなるのが不思議だとなる、その原動力が何だったのか?
それはやはり江戸時代三百年がありその歴史がありそれが必ずしも遅れたというものでもなかったからだとなる、もしそれが遅れたものだったら南米のアステカとかインカとかのように簡単に滅ぼされていたからである
中国すら対抗できないものとなっていたのに日本だけがそうはならなかった説明がつかないのである

ただもう覇権国というのはアメリカから中国に移っていいるようにも見える
アメリカはコロナウィルスでもそうだが経済的にも弱体化している、国も分裂している
格差も極端であり国としてまとまりがなくなっている、もう日本のように衰退国になっているように見える、黒人暴動もあったかいろいろ内部崩壊もある
するとどうしてしもアメリカに頼るだけでいいのかとなる
アメリカが頼れる国なのかとなる、その屋台骨がゆらいでいるのである
ヨ−ロッパでも衰退している、それは前から言われてきた、ただ中国を過度に大きく見るのも問題だとはなる、ただ日本は地理的に歴史的にも中国とか大陸国家を見誤る、理解てきない、つまり人間は地理的宿命から逃れられないのである
それでつくづく野郎自大国が漢に滅ぼされた、漢などたいした国ではないとして青銅の刀で対抗して敗れた、漢の刀は鉄器だったからである
日本とは結局この野郎自大国だったのかもしれない、中国でもアメリカでも大陸国家の巨大きさを地理的に理解できないことが政治的にも失敗するということになる

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2020年09月11日

大麻逮捕の伊勢谷友介容疑者 注目される「ナチュラリスト志向」 (芸能人でも、引きこもり,ニートとか無職は異常人格になりやすいー ただ現代社会自体が異常である)


大麻逮捕の伊勢谷友介容疑者 注目される「ナチュラリスト志向」

(芸能人でも、引きこもり,ニートとか無職は異常人格になりやすいー
ただ現代社会自体が異常である)

それに伴い、ナチュラリスト的な思考がどんどん強くなっていたことも事実です。周囲の人たちには、自然回帰志向のヒッピーのコミューン的な雰囲気もあって、その流れから“大麻礼賛”論者になっていったのではないかとも言われています」

なぜこの事件を取り上げたかというと逮捕された人の部屋を見たら何か装飾品を自分なりに作っている、ということはアーティストでもあった
芸能人はアーティストの部類に入る、そして彼が独身でありまた家庭もない
50近くになっているのにそうである
すると家庭環境がノーマルではない、父親ともなっていない、そこからして人並みとははずれている
何かナチュラリストとかは前も女性の芸能人で大麻をしていて沖縄の島で男性とも集団生活していた
何か普通の家庭をもたない女性であり何か社会常識からはずれた生活をしていたのであるそれと今回も似ていた、この人が飯館村に来て子供と一緒に写真に写っていた
原発事故ではいろいろな人が入ってきたからである

この事件になぜ私自身が興味をもったのかというと何か前から何度も言っているように私自身の生活も社会からはずれた生活をしていて異常化したと述べてきた
30前は底辺労働者であり浮浪者でもあった、でもその時は仕事していたとなる
30以後は全く仕事はしない、旅ばかりして家に引きこもる生活を30年もしていたとなる
そこから何か異常化してこの人と同じような状態になった

なぜこうなるのかというと芸能人とかは現実の社会で仕事をしているのとも違う
ドラマの俳優だとしてもそれは架空のものである、現実を生きるのではない
仮想現実を生きるのが人生となってしまうからである
それで現実と仮想の世界の区別がつかなくなる、ゲームにばかり没頭するとかもそうである
インタ−ネットでもまた仮想現実の世界だともなる
そういう仮想現実が人生になるとき人間はとうなるのか?その人格形成はどうなるのか?何か変な方向に向かってゆく、大麻に溺れるとかいうときその人は大麻を悪いものと思っていない、多少思っても大麻は許されるものだと思いこんでいたことは確かである
大麻は違法ではないと思ってあえてしていたのである
そういうことが世間で世界的にもあり大麻は違法でない国も出ているからだ
かえって体にいいとか精神を活発にするとか思い込んでいる

私自身が大麻をしないにしてもそれは軽微なものとしてこの人はしていたのである
こういう人は引きこもりとニートとか無職とか大量にいる
芸能人は何か社会からはずれた世界であり異常化しやすい、何かエキセントリックになるつまりアーティストになる
現代は何かアウトサイダーとなることが一般化した社会でもある
こういう種類の人が百万単位とかいることになる
ただこの人は引きこもりではない、社会にも認められているし自活しているしそれでナチャルリストとして活動して学校すら経営にかかわっていたのである
何か自由な教育を目指していた、それは自分にも共通していたのである 
そして小人閑居して不善を成すとなる、閑居することは小人にはむずかしい
必ず変な方向に行ってしまう、それは自分自身がそうだったからである

ただアウトサイダーを論じる時、ゴッホとかゴーギャンとかニーチェとか上野霄里とか
ヘンリミラーとかその人たちはまぎれもなく天才である
天才がゆえにエネルギーが大きく普通の平凡な人間になれない、社会に適応できずにあのような超人的志向になったのである
現代社会自体が文明自体が何か異常人格者を産みやすい、なぜヒットラーが生まれたのかを分析すると複雑な巨大な文明社会で人間がアトム化して原子化して無数の部分化して
人間性が失われたとか批判される
シュペングラーの西洋の没落でもそうである、数学的に分析したからである
人間はまた数として見れるだけであり一人の人間など何億人分の一でしかない存在であるただ巨大な高層ビルを見上げていま蟻にすぎないとなる
それで天才はエネルギーがあり能力もあるからそういうことに耐えられないのである
それで強烈な反文明人間になったのである

そもそも現代文明自体が何か仮想現実のように見えてしまう、東京などではそうである
ニュヨークなどでもそうである、これが現実なのかという感覚になれないのである
そこは別な惑星に来たのかと思えるとなる、そこはとても人間が住む世界なのかともみるでも現代人はそうした大都会に住んでいる人が多いのである
その存在は無数の点の一つの点でしかすぎないのである
私自身もそういう生活に耐えられず引きこもりになった、引きこもりは社会と離脱して一人になる、すると無数の複雑な部品として生きるのとは違う
社会だと常に人に頭を下げる生活になるが無職で社会とかかわらなければ何か部品としての自覚がなくなり自然と同化してニーチェのような全人間を目指すようになる  

それで私は天才でも何でもないがそうして社会から離脱して生活してきた
そして自然と山や木や石とアイディンティティする詩を書いてきたのである
それは社会から孤立してきそうしてきたのである
ただそれで異常化してきたことは確かである
何らかそういう芸術家は狂気化してゆく、ニーチェもそうでありヘルダーリンでも最後は塔に閉じこもり精神病になってひきこもるようになった
ベ―トベンでも社会性がなかったとされる
芸能人でも芸術家でも共通したものがある、それで何かエキセントリックなものになってゆく

ただこれは芸能人とか芸術家だけの問題でもない、別に結婚して子供を育てた60くらいになってもその夫婦が奇形化した人格になっていた
妻も異様な人格になっていた、情もない人間になっていた
それは子供の時から三人母親が変わったということがありそうなったのか?
経済的には恵まれているからどうしてそんな信じられない人間になったのか理解できないもうとても人間として付き合えないという人間になっていたからだ

だから別に異様な人格になるのは正常のルートで生活していてもなる
それより現代文明人はもう異常化しやすい、まともに人格形成ができない
その模範となるものもない、それでカルト宗教団体があれだけの数を集める
それはやがてファシズムとなりナチスのように世界を混乱させるようになる
現代の文明自体がもう複雑怪奇であり迷宮でありそこでまとも人格形成することは不可能にもなっている、文明自体がもう病理現象だともなる、だからうつ病が現代病になっているのもわかる
オウムが生まれたのもやはり現代文科学技術文明があってこそである
その土壌から必然的に生まれたとなる
ただ創価の場合もカルトなのだが貧乏人とか庶民を相手にしていたのでオウムのようにはならなかった、そこにまだ常識が保たれた、でもやはりナチスになるファシズムになる
団体なのである

現代はもうまともな人格を形成することは不可能だろう、そういう社会ではない、誰もこの社会をしりうるものはいない、第一一万の町でも何を仕事にしている人なのかわからないのである、都会なら江戸なら隣は何をする人ぞともなる
でも田舎でも今は同じなのである、それは戦後に余計になそうなった
つまり江戸時代から戦前までは農業主体だから農民は自然と結びつき共同体を形成していたからその地域で何をしているかわかっていたしアイディンティティをもつことができたしかしもう今はできない、何か震災以後この辺は外部から移り住んだ人たちが多いから
都会かして余計に何をしてしいる人か近くでもわからないのである

芸能人とか芸術家とかの異常性を指摘したが現代文明自体が異常だとなる、そしたら異常人格者が生まれているのが普通だとなる
それはここの問題ではない全体の問題としてそうなっている
社会からはずれても異常化するのだが社会にあっても異常化しているのが現代なのである学者でも象牙の塔に閉じこもり突然40万人がコロナウィルスで死ぬというのも異常だったそれは社会を知らない、象牙の塔に閉じこもって研究しているからである
そこでも社会性をはぐくむことができないのである 
専門馬鹿が普通にいる、その専門用語を使っているともう他者は煙にまかれて理解できない、特に科学者と対話もできない、専門的なことがそもそも理解できないからである
それでお前は核のことがわかるのかと言われればわかないとなり原発には立ち入るなとなるだけなのである
お前は何も知らないし理解できない、お前は無能にすぎないとなるだけである
その専門家でもまた全能でないから過ちを犯すのである

だから何か江戸時代とかの方が全人間として精神を育む人格が形成されやすいとなる
そこでは他人でも何をしているかわかるし理解するからである
それで塾の教師を見る時、人がいいのか人格者なのかを見たというのもそうである
医は仁術というのもそうである、モラルが高い人を評価していたとなる
現代はモラルなと関係ないのである、医者なら病気を治す人、手術がうまい人であり人格など関係ないのである、別に悪徳医者でも技術が優れていれば評価されるのである

そうはいっても人格というのはやはり社会性がないと培われない
なぜキリストが30まで大工だったのか?これも不思議なのである
神の子でも神話の様な人物ではない、大工として働いていたのである
またいくら神の子でもそこで社会の一員として働く必要があり働いたのである
そこで社会の一員としての自覚が生まれ人に教えを垂れることができたとなるからだ
とにかく現代は知識とか技術は格段に進歩した
でも肝心の人格は形成されない、そういう環境がないのである
そして現実でも仮想現実のようになっていて変な方向にゆく、自分自身がそうだったのである、だから関心をもったとなる





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2020年09月09日

コロナウィルスと人類の災禍 (欧米の悪い面も取り入れた日本ー鬼は外、福は内は変わらなかった)


コロナウィルスと人類の災禍

(欧米の悪い面も取り入れた日本ー鬼は外、福は内は変わらなかった)


コロナウィルスが社会にもたらしたものは何なのか?
ウィルスそもそもが人類の災禍だった、歴史を見れば実際ウィルスがどれほど人類の災禍だったかわかる、そして不思議なのは大航海時代というのは歴史的にヨ−ロッパからみれば偉大な時代とされる、コロンブスは英雄とされる
そのコロンブス像が黒人とかもともとの原住民の子孫からは災いをもたらしたものとしてその像が引き倒される、またイギリスの奴隷商人の像が引き倒される
それはイギリスに移民が増えたからである、そしたらアフリカ系イギリス人とアメリカ人は歴史的には奴隷にされて売り飛ばされたのだから英雄でもなんでもない、悪徳商人にすぎないとなるからだ

コロナウィルスでは外から入ってくるものが何でもいいものとは限らなかったことであるまた必ずしも外から入ってくるものが日本国内ですらいいものだけではなかった
「鬼は外、福は内」と日本だけではない、世界的普遍の真理だったのである
日本はなぜ日本文化を天皇でも長く維持できたのか?
海を防壁となり外国人が容易に入れない島国だったからである
それで鎖国もありえたし独自の文化が維持できたのである

まず大陸だったら陸続きだから異民族の侵入を防ぐことができない
それで中国のように万里長城を作るほかなかった
また街でも城壁で囲み守るほかなかった、市民とは市を守る戦士共同体だった
つまり共同して侵入してくる敵と戦う集団だったのである
それがシテズンシップとなった
これは大陸だったらヨ−ロッパでも中国でも同じなのである
塔があるとしたらそれは見張りの塔であり敵が攻めてくるのを見守っている塔なのである日本の五重塔のような優雅なものではないから塔自体が日本の塔と性質が違っていて
作りも強固なのである

大陸が文明を作り普遍性をユニバーサルなものを作りだした
日本はその大陸文明のユニバーサルな世界からスタンダードからはずれた特殊な国として江戸時代の鎖国まで存在しえたのである
そこにも確かにいい点と悪い点がある、それは結局なんでいい点と悪い点がある
人間でもいい点と悪い点が必ずありいい点は悪くもなり悪いと見れるのはいい点にも変化する、日本は島国で閉鎖された国だとなるが海に囲まれている故に異民族の侵入に苦しめられることはなかったとなる、国内で争いがあっても民族皆殺しとかにならなかった

そもそも天皇の不思議は天皇を批判することもわかるが何か調整役として争いを治めるものとしてあった、日本人同士ならわかりあえるものとして日本人はあり勝海舟と西郷隆盛が江戸無血開城をなしえたのは日本人同士ならわかりあえるということと同じ侍ということで日本人として通じるものがありできた
そして東北は薩長の官軍と戦ったがそれで死んだ九州などの藩士でも敵味方塚に葬られている、そのことが中国人には理解できないというのも大陸と日本という島国の相違なのである、中国人だと敵は墓でも暴いて罰しているからだ
敵を許さないともなるからだ

人間社会はいいものが悪いものとなり悪いものでもいいものとなったりする
そして外から入ってくるものが必ずしもいいものとは限らないのである
でも明治維新から日本はヨ−ロッパの文明がすべていいものとして取り入れた
そこで日本人の文化が失われていった、でもまだ戦前までは日本人的いい面としてあったもの義理人情などがあったが戦後の高度成長時代を経て喪失した
グロ−バル経済は資本主義は情を否定してすべてを金で計るようになったからである

何でも外国でも外から入るものがいいとは限らないのである
食べ物でも日本人は日本がという島国で与えられたものによって体が作られてきた
ところが外国人は狩猟牧畜民族であり肉を食べる、それはなぜかというと大陸だと塩分をとるのがむずかしい、それで肉から塩分とるためだという
また肉を消化する酵素が白人から出るというとき体の作りまでそういう食生活から作られてきたのである

一方で日本だったら海に囲まれている海産物主体の食生活になる、塩分が不足することなくかえって塩分が過剰になに生活をして脳卒中が多くなったとされる
こういうふうに人間はそもそもその風土によって体まで作られる存在なのである
だからこそ中国人が日本に来たとき日本の特徴を魏志倭人伝に記している 
倭にいない動物として牛馬虎豹羊鵲(カササギ)として記している
カササギとは韓国にいて日本にいないのである、だから韓半島を通って日本に来たことが証明される
日本ではタンパク質を魚からとっていた、ただ縄文時代でも肉食していた、狩猟はしていた、その後仏教が入ってきて鹿とか肉食を禁止したとかあるから動物の肉はほとんど食べていなかったのである                                                        

そして日本は食生活からして大陸とは異にしていた、それが自ずと日本文化を作ったのである
日本は島国でも韓半島とか中国と通じることができていた、大陸から切り離されて孤立していたわけではない、現実に古代にはいろいろ民族が入ってきた
秦氏とかは秦の始皇帝と通じてシルクロードがありそれはキリスト教(景教)も実際は入っていた、それは弓月国でありそれはイスラエルまで通じていたというとき壮大な人類の歴史を感じる、つまりイスラエルまで古代から日本は通じていたともなるからだ
そして唐の時代に日本人は遣唐使が漢字をもたらして文字をもつようになった
その時宦官制度から取り入れなかった、すべてを何でも取り入れなかった、取捨選択したのである
それは海に囲まれたから特殊な地理によってできたことなのである
南米のアステカとかマヤとかインカでは文字がない、それはヨ−ロッパとユーラシア大陸と分離した孤立文明だったからである

とにかく外国からいいものだけを取り入れた、日本に合うものを取り入れた
ヨ−ロッパのものが中国でもすべていいものではないからである
そして日本が漢字を使っていても中国とは意味も違っているし別なものとして利用するようになったのである
そして言葉の面から日本人も本当に特殊である、なぜ日本語の起源がわからないのか?
アジアの言葉でも共通性がないのか?ヨ−ロッパとかでも印欧語族として共通性がある
その言葉はアイヌの言葉にも受け継がれているからアイヌは縄文人とは関係ない、新来の人たちでありインドヨ−ロッパ―と共通した人たちである
その顔でも彫りが深いから純粋の日本人とは違っている

コロナウィルスが世界に日本にもたらしたものは大航海時代から世界はグロ−バル化して結ばれたのがそれも世界を一巡して終わりかえってそうしたグロ−バル化よりナショナルなローカルな文化の時代になる、国風文化の時代になる
日本だと平安時代になる、また戦国時代が終わり江戸時代になる
そういう時代の変化がコロナウィルスで起きたのである
人がもう自由に行き来できないということでそうなったのである

奇妙だけど一億総引きこもりのような時代になる、それぞれの地域で関所をもうけ外から入れないようにする、まさに江戸時代に回帰するようにもなる
そういう時代の変化が日本でも世界でも起きたのである
大きな時代の変化が世界でも日本でも起きたのである
ただ日本の不思議はなぜコロナウィルスが今のところこれほど感染者でも死者でも少ないのかである
それはやはり風土とかに育まれて培った免疫性とか体の特質とかにあるのかもしれない
こんなに欧米とかと比べると少なすぎるからである、検査しないということがあってもこんなに差があるのはなぜだろうととなるからだ
それはやはありアジアとしての共通した何かがある、免疫性があるともなる

ただ外国人でも異人種でも異文化でも異文明でも交わる時、そこに必ず問題が起きる
ウィルスもその一つでありそのウィルスが入ってくることでアメリカのインデアンとか
アステカとかマヤとかインカ文明が滅びるとまでなった
ヨ−ロッパ人の侵略は暴力的でもありそれだけの影響があったとなる
日本は明治維新で唯一欧米の暴力的侵略に抵抗できた唯一の国だったのである
それだけのものが歴史的に蓄えられていたから抵抗できたともみる
中国ですら抵抗できず植民地化されたからである

ただグロ−バル化した世界は日本がもはや島国であることを許されない、中国だって軍事強国となり経済強国になるときもう海は防壁にならない
大量の中国人であれ移民が押し寄せて来る、それをおさえられないのである
海が防壁にならないからである、大量の中国人がおしよせて日本は今度は中国の植民地となってしまう恐れがある、北海道の土地は中国人に買い占められているとかでもそうである、海は防壁にならないとき大量の移民が侵入して日本を占領してしまうことがありうるそれがグロ−バル化の怖さである
だから「福は内、鬼は外」なのである、人でも何でも物でも何でも入れていいことはないのである、牛肉でもなんでもあらゆる世界のものを食べることにも疑問なのである
それは体にいいとはならない、何かそして日本人がならない病気にもなる、癌も増えるとかなる                  

コロナウィルスでこうして大航海時代からのグロ−バル化に歯止がかかったことはやはり時代を変えることにもなった、それがすべて悪くは働かない、いい方に働けば日本は日本独自の再生がルネサンスが起こる、国風文化を再び醸成するともなる
それが今度はユニバーサルなスタンダードにもなりうる
だから日本の悪い面だけを取り上げて批判するのも問題なのである
どこの国でもいいい面と悪い面があるからだ、ただ外国と比較すると日本の悪い面は良く見える、いい面でも見える、そこで外国で生活した人は両方が比較して見えるから参考になるのである
でも外国のものがすべていいものとはならない、日本はあまりにも明治維新から戦後から外国のものをいいものとして取り入れ過ぎてしまったのである
もう日本独自のものがなにかさえわからなくなった、精神的なものでもそうである
日本精神が何なのかもわからない、日本人として骨格となるものさえ失ったのである
だからコロナウィルスはこれも悪い面として作用もするがいい面として作用する
そのいい面を伸ばせば日本も変わるともなる、そういう時代の変わり目だとなる


確かにイギリス人の食糧は牛肉である

と認めなければなるまい

イギリス人は戦争愛していると

それはあらゆる享楽と同じ

彼らの大好きな気晴らしなのだ

クレタ島の人々もそうだった

牛肉と闘争、この二つとも

イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)



こういうようにイギリス人気質があり文化がある、闘争的である、そのイギリス人が主に作った国がアメリカなのだからその気質でも文かも受け継がれている
アメリカの西部開拓は牛の大群とともに西へ移動したからだ

牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
(食生活は文化の根元)

ロング=ドライブは途中にはそのインディアンの襲撃や農民とのトラブル、牛の暴走などなどがあり、カウボーイたちは危険な仕事ではあるが莫大な金を手にすることができた。しかし終点の町では賭博や酒、女で使い果たしてしまい、無法者のガンマンが暴れるというお定まり「西部劇」が展開された。大平原のフロンティアには、はじめ政府もなければ法律もなかったので、取引やカウボーイの休息の場所たるドライブの終点地は、暴力の町となる傾向があった。「荒野の決闘」や「OK牧場の決闘」で有名なワイアット=アープが保安官を務めたのがドッジ=シティでは、町が出来てから一年間に25人が殺されている。<旧版世界各国史『アメリカ史』 p.195>

アメリカは今銃をみんな持っている、それで黒人が討たれるの銃で撃たれるとうい恐怖から先に撃つのである、つまり西部劇が継続されているのだ
西部劇で常に銃で決闘が行われる、どちらが先に銃を撃つのかかたづをのんで見ていた
そういう世界が今つづいている野蛮性が残っている国なのである
だから何でもアメリカがいいとして取り入れることは日本にとって良くなかったのである

欧米型の食生活のために胃ガンが増えた? (病気も生活習慣病)




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2020年09月04日

コロナウィルスは人の交流度合いと一致している (人から人へ感染するので交流をさけるほかない)


コロナウィルスは人の交流度合いと一致している

(人から人へ感染するので交流をさけるほかない)

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北海道はもともと中国人が多く来ていたから別として他は人と人の交流の度合いに比例している、これは間違えないのである、数学的な問題として割り出されている
最初は宮城県でも少ないとかあった、そして青森から感染者が出たとかあった
その青森とか秋田で最初に感染者が出たのは仙台市から行った人が感染させたのである
だから最初の内は人との交流度合いが明確に出ていなかった

でも予測できたことはまず仙台市があれだけ東京から来る人も多いから東北では一番多くなると思っていた、東北地方を見ると青森が35、秋田50、山形78、福島172、宮城226となっているがこれは人の交流度合いからみれば本当に数学的に比例している
秋田は過疎地域だと常に指摘されていたからだ、青森でもそうである
山形県もそういう地域である

宮城県と福島県は東京と人的交流が一番多い県

東京と人的交流が多いとどうしても感染者が出やすいのである
最近福島県では郡山市が多くなった、郡山市は東京に近い、新幹線で一時間もかからないとかなる、だからやはり人的交流が東京と多いからそうなる
それは宮城県なら仙台市が人的交流が多いのだから多くなる
福島県と宮城県が多くなるのは本当に数学的比例の問題であり予測できたのである
コロナウィルスは何かわからないにしてもそもそもウィルスは人的交流から割り出されることは判明した

当然東京圏内は多いことは最初からわかっていた、茨城県が少ないなと見ていたがやはり多くなった、群馬県と栃木県を見ると群馬県が多い、群馬県の方が東京圏と交通でも結ばれていて多くなるのがわかる、栃木県となると交通的に不便だとなり少ない
これは明らかに人的交流と交通と比例しているのである

ただ日本海側の福井、石川、富山が多いのはやはり大阪圏との交流が多いからかもしれない、東京圏との交流ではなく大阪圏との交流だろう
現実に最初滋賀県が少なかった、あんなに近いのになぜだろうと見ていたがやはり多くなった
初期の段階では明確に数字とならなかったが今になると数学的正確さで割り出されているのである
岐阜県が山の地域でも多くなったのはなぜか?
名古屋中心に広がったからだともみる、つまり人口密度の高い大都市中心に感染してゆくなぜなら三密というように人口が密集している地域は人から人へ感染するのだから当然そうなる、名古屋から人気の白川郷へはかなり山の方に入るがやはりそこには観光客が中国人でも人気で行っていた、それで多くなったのかとみる
他でも四国では少ないのは四国も過疎地域のようになっているからだ
福岡県は福岡市中心に広がった、ただ宮崎県とか鹿児島県が多いのはなんらか理由がある概して人的交流の度合いによってそれも大都市からの交流度合いによって感染者が数学的比例でほぼ正確に割り出されている

江戸時代の末期のコレラの流行でなぜ会津若松市中心に広がったかとなると白河街道と日本海からの北前船が来て阿賀野川の水運があり人的交流があり広がったのである
ほとんど交通も人的交流もない桧枝岐では感染者は出なかったのである
そこは秘境だったからである、田島方面には会津若松市から感染者が広がった
ということは田島方面にも参勤交代で江戸までの街道があったとしても人的交流は少なかったとなる

こうみてくるとウィルスの感染を防ぐ最大の効果的方法は人的交流を減らすこと止めることだとなる

でもこれは現代では最大の難題なのである、それは世界的にもそうでありこれだけ交通が発達して人の交流をとめることができない、それでなんとか観光でも人を呼ばざるを得ない、GO TO キャンペーンになったのである
人の交流をとめることはもう地方でも生活できなくなるからだ
でも本当にこうした世界的にも国内でも人の交流が過剰になるのがいいことだったか見直される
そういう自分でもこうして全国を分析できるのは日本国内を隈なく旅行していたからである、私の場合実感として地理がわかる、地理はやはり地図を見てもわからないからである
結局このコロナウィルスとは何だったのか?

何か人の過剰な人的交流をとめるものとなった、世界的にもそうである、また観光の見直しも迫られた、観光は水商売だったのである、別に地域にも根ざしていなかった
外国人に頼ること自体そうだった、このようにぱったりと来なくなる影響は大きすぎたのである
それで近くの人に安く泊まってくれと政府で金をだしたら近くの人で泊まる人が増えたというときそれが本来の正常な状態だったのかもしれないと気づいた
なぜなら宿泊料が高いからである、でも東京の金持ちなら4,5万でも泊まってくれる
それで商売になる、近くの貧乏人は相手にしないとなる
それは外国人でもグロ−バル化するとそうなる、金を落としてくれる人がお客様であり近くの貧乏人は関係ないとなる
また現代の宿は旅人を歓迎しない、何であれ金のない人間を歓迎しない、江戸時代辺りなら歩いて旅していたのだから疲れたでしょうとなり足を洗ってくれたりみんな金でも安くても泊めるとなる、そこにもてなしが生まれたのである
それは金持ちを特別にもてなすということはない、みんな平等だったのである
旅人をねぎらうものとしてあった、それはホテルがホステルでありホスピタリティであり病院になったことでもわかる

今はまず本当の旅人は歓迎されない、ただ不思議なのは三回くらい歓迎された
それは阿武隈山中を自転車で行った時、山の中に昔の万事屋(よろず)がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になった
ただ買いものしたところでそんなことしてくれるのかといぶかった
今の時代そんなことありえないのである、見知らぬ旅人をねぎらうなどありえないのである、むしろ観光客ではない金を与えない者は嫌われる
そこは別に宿でもないのである、だからいかに宿でも今や旅人をもてなすとかねぎらうとかはなくなった、ただ金があるなしで判断される、だからホテルでもそうである
でも山の中のホテルで自転車で行って泊めてくれたことは不思議だった
そもそも自転車旅行では観光ホテルなどで泊めないからである
普通はそんなところに泊まれないとして旅している
たまたま山の中で何もないので寄ったら泊めてくれて親切してくれたのである
そこの女将がそういうもてなしの心があったのである

だから経営者とか上に立つ人が大事になる、駅でも駅長は大事である
無人駅でボランティアしていたのに駅長は受け入れず目の敵にされて排除されたからである、そこに何ら考慮するものはなかった、そしてコロナウィルスで鉄道が大打撃になったそこでもう遠くから人と話すこともできなくなった不思議がある
これは私怨にはなるがやはりもてなすという心がそもそもJRにはないのである
それは他の人も言っていたからである、ただ正確に運行することには努力しているのである鉄道事業はサービス業とみていない、その点私鉄だとサービス業の心があるかもしれない
だから駅でも無人駅で改札でも機械化して効率化を計る、でもそこに人間の情が消失するのである

とにかくコロナウィルスは現代の社会を見直すきっかけとはなった

遠くより近くを大事にしろ

それは近くの人をもてなすことはない、金を落としてくれる人を優先する
それはグロ−バル社会で起きたことである、まず近くの人を大事になる
それが人間としての基本である、今や近くの人より遠くの人が大事になっているのだ
そういうことは必要でも基本的に人間の生活は近くが日々生活する場なのだからそこがだいじになる、遠くとの交流とか経済でも必要である
ただそれが余りにも過度になって近くの交流が希薄になったことも確かである
だからそういう点を見直すということにもなった、別に観光でも旅でも外国旅行でもできることはいいことである、ただそれが過度になりすぎて近くがないがしろにされたということである

それで芭蕉の句の

語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな

この句が不思議なのである、そもそもなぜ奥の細道が古典になったのか?
それは東北という地域への深い共感を芭蕉がもったからだとなる、今の旅人にそういうことはない、ただ今は移動でありあとはグルメだとかなるからだ
この時代に農民が労働でともに疲れた体を癒していた
そういう人達に同情していたのである、そして東北人は寡黙であるということもここにこめられていたのである
でもなぜこれだけ江戸から来たのに東北人に共感したのか不思議だとなる
それはやはり時代のためである、江戸時代を知ることは今やむずかいしからだ
別に東北でなくても農民の暮らしが苦しいことは眼にしているし知っていたからである

結局今の時代は金の時代でありすべては金で計算されて金のないものはもてなしもなにもないのである、江戸時代となるとそういう面はあったにしても何か情的なものが色濃くあって違っていたとなる、まず現代では何か情がなくなったのである
人間の情が通わないのである、それは旅は道連れなどもないからである
旅人同士が情を交わす場とかがないのである、それはまず歩く旅ではないからである
歩いて旅していれば道の辺の花とかもみる、人間的感覚になる、でも車とかで飛ばして行けば目に入らない、キレてふっ飛ばしてすぎさる

それで車から突然「馬鹿野郎」と怒鳴られる、これも自転車だと危ないからそうなるも当然だかこうして人間同士に情が通わないのである
歩いていてぶつかったらすみませんとかなりそこに会話が生れて人間としてのやりとりがあるが車時代になればそういうこともない、交通事故になるからそうなる
そういう車というのがどれだけ人間の心まで変えてしまったかということである
だから機械は人間の心を変えるということがある
ただ機械をすべて否定はできない、ただそれによって失われたものがあったことを知るべきである
みんな情も失うような殺伐として世界になったのである
それがコロナウィルスで示されたことは気付かされたことは不思議なのである













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2020年08月26日

北海道の寿都町の核廃棄物問題 (3000人の町は限界集落化して維持できない)


北海道の寿都町の核廃棄物問題

(3000人の町は限界集落化して維持できない)

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寿都町に確かに行ったことがある、それが奇妙なのだけど記録もないので確かめようがなくなった、岩内町まで自転車で下り岩内から寿都町まで海岸線を行った
弁慶岩とかあるから義経が逃れてやがてロシアの方にわたりジンギスカンになったとかの伝説がある

寿都町の特徴が風がいつも吹いているから本当に風の町である
それは岩内から寿都まで狭い海岸の道を行ったからそれだけは覚えている
日本海側だから日本海に面した本州と気候が似ている
寿都町の歴史が意外と古い、北前船が通っていた江戸時代からあるった
北海道では古いとなる

75 歳以上の割合が最も多くなっています。漁業形態別では、定置底建網漁業では、
40 歳未満が多くなっていますが、浅海漁業では 7 割以上が 60 歳以上となっており、高齢化が
目立ちます。今後の産業の維持のためには、漁業の若返りと人手の確保が必要です

テレビでは大きな牡蠣の食べ放題とか宣伝していた、昔のニシン御殿を改造して食事する場にしていた、ここで何か売り物になるのはこのニシン御殿と海産物とかである
漁港がありそれが町の中心なのかもしれない、それにしても3000人は少なすぎる
限界集落である、その町が維持できるかとなり放射性廃棄物の処理場が国に指定されてもめているとなる

北海道チャンネルでは反対の立場で応援している、それで牡蠣がうまいと地元で宣伝していた人を取り上げたのである
ここになぜ関心をもったかというと私はここに確かに行ったからである
ただ記録がないから頭に記憶されたことで思い出す、とにかく風が強い場所でありそれでマスコットキャラクター「風太」とかを宣伝している
風力発電もできた、ここは一日風が吹く場所なのである

磯菊や留寿都の風に吹かるかな

海岸にびっしりと延々と磯菊が咲いていたのを思い出している
磯菊がふさわしい場所だった、もの錆びた地域である、家も少ない
泊発電所は岩内町の近くにあり札幌もここでは近い方である

北海道ちゃんねるでは寿都町は公共の建物がそれなりに整えられているから町長の手腕をほめていた、建物は立派なのである
ただこれは飯館村でもそうだが50億円の学校を5人の生徒のために建てたと批判された原発の復興がいくら箱物を立派にしてもそれぶ復興にはならないことも言えた
別に施設が粗末でもそこに人がいれば市町村でも活きてくる
つまり肝心の人がいなくなっているのだ
何か小高でもマルシェとか施設は立派に作ったのである、でも若い世代は帰ってこないのである  

飯館村ではこじんまりした新しい家を建てていた、でもそこには人は住んでいなかったのである、それで別荘だと言われている
要するに建物だけが立派でも復興にはならない、またそれで活気がもどる訳でもないのである、問題は人がいて建物も活きてくるのであり建物を活かすのは人なのである
原発事故の大被害にあったこの辺では肝心な人がいなくなったことが最大の問題だったのである、そのいなくなった地域に立派な建物を建ててもそれで町でも村でも昔の賑わいをとりもどすかとなるとならない
だから不思議なのは戦後焼野原になったとき引揚者が地方に帰ってきた
そこで働く場所がなく不便な地域に開拓に入った
例えば飯館村でもそうである、全国的にそうだった、飯館村の人口を見れば驚く
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戦後に増えた、一万一千の時もあった、これはどこでも全国同じである
ということはその時どこでも辺鄙な村でも活気があった、貧乏でも活気があった
団塊の世代は子供で若い人であふれていて活気があった
どこでも子供群れて遊んでいた、それは寿都とかでもそうなのである
人口も6000とかあり更にさかのぼると人口は多かったのである
これは全国的傾向である、ただ北海道の場合は極端なのかもしれない
なぜなら北海道の人口の四割が札幌に集中している
都会に集中してしまうのである、北海道は極端だとなる
なぜ貧乏なのに飯館村で生活できたのかとなると不思議になる
6000人の倍も住んでい時があった、それがどうしてこうなったのか、全国的でもそうであり
時代をふりかえると別に貧乏でも人は生きていけたとなる
今の二倍もの人口をどうして飯館村のような所で養えたのかとなるからだ
ただ山菜だけを食べていたという訳でもないからである

とにかく日本人の問題は少子高齢化だということを指摘する人がいるのもわかる
老人ばかり増えてはどんなことしても昔の様な賑わいをとりもどすことはできない
老人は今毎日病院通いしている人が多いのである
ただこういう場所だから核の廃棄物処理場にするのにはいいと国に見られたのである
それで北海道知事も何も言わないというのはおかしいと指摘する
それはここでも双葉とか大熊地域はもともと森であった場所で仕事がないとして出稼ぎに行かないで暮らしたいとなり東電の原子力発電を誘致したのである
ただこの時はほとんど議論もしない、国と県が結びつき町民でも反対することはなかった漁業者は漁業権を東電に売って事故前も補償金をもらって悠々生活していたのである
事故後も漁業者は補償金が手厚いから暮らしに困ることはない、事故前も御殿を建てて事故後をやはり同じだったのである

そこで寿都町はこの辺と事情が似ていると関心をもった、ただ寿都はこの辺より条件が相当に悪い、もう3000人で町が維持できるのか?
それも老人が多い、そんな町が維持できるのか?建物だけを立派にしても肝心の住む人がいない、若い人は流出した、それは原発事故を起こしたこの辺とにているのである
その条件もこの辺より悪い、この辺だとまだ近くに都市があり働く場所がまだある
そこにはない、ただ泊原発とかで働く場所がありそういう所で現金を収入を得ているのかとなる

ただ放射性廃棄物処理場とかは武田邦彦氏などは安全だとしている
だから原子力発電とは違ったものにもなる、それでもそこは不明であり不安になりふさわしくないとなる、それが漁業者から言われて反対される
でもここでは全くそういう反対の声を聞いたことがないのである
何の疑問もなくただ補償金がもらえるということで漁業権を売ったのである
今その漁業者が反対するのは福島原発の事故があってそうなったとも言えるのかもしれない、一旦事故になるともうその町でも村でもゴーストタウンになることを示したからである

原発には問題がありすぎたのである、核廃棄物の処理でもそうである、とにかくやっかいなものだったのである、でもなぜこれがすすめられたかというと先進国では核の技術をもつことがせまられた、それで福島原発事故後でもベトナムとかイギリスとかに原発を作る予定があったが頓挫した、原発は割の合わないものとなったのである
ただもしこうして原発をやめるとその技術も後退する、つまりもう技術的に後継者もいなくなり維持できなくなる
でもそれが原発の運命だったともなる、あまりにもリスクがあったのが原発だったのである
そして原発をもたらした福島県の政治家の渡部恒三が死んだ、これも原発事故があり最後は有終の美を飾ることができなかった、ただ福島県を汚した政治家とされるだけだったのである、原発はあまりにも巨額の金が動きそれに翻弄されたのである
事故後でもなんで除染に何兆円とかかけるのかとなる、それも徒労のように見える
小さな庭の池の除染に半年以上かける、これも理解しかねるのである
それほど一旦事故になると大被害となりとりかえしのつかない修復できないものとなるのが原発だったのである

それで日本を元の活気ある社会にもどすには人口を増やさない限り無理だというのもわかる
国全体を見れば老化して瀕死の状態になってゆく、それは少子高齢化が最大の問題なのだとしている
それでフィリンピンは安定して人口が増え若い人が増える、減らないとして投資をすすめている記事が他の人も書いていたのである
それはなぜ戦後に食べ物もない、最低限の経済でも活気があったというとき若い世代が多いから貧乏でも国に未来があるとみなされていたともなる
団塊の世代がその象徴だったのである、それも今度は老いてゆきお荷物となり負担となるそうした逆の現象となり国が衰退してゆく
それは危機となっている、この辺で避難区域なった場所が一時ゴーストタウンになったように市町村が消滅してゆく、維持できなくなっゆく危機なのである
流出した若い人は帰ってこない、そして町や村でも維持できなくなっている
そうしたことが原発事故で起きたが他でも寿都でも起きている
それは全国的な問題なのである、危機となっている問題なのである   

衰退する日本を一気に逆転させ国力、影響力を活気を倍増する方法がある

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2020年08月25日

コロナウィルスにかかった近くの人は他に移り住んだ (いじめ、村八分、同調圧力の日本人の問題)


コロナウィルスにかかった近くの人は他に移り住んだ

(いじめ、村八分、同調圧力の日本人の問題)

すぐ近くで東京のライブハウスに行った人がコロナウィルスにかかった
それは福島県では一番早かったのである
このことは他でもありそれで批判された

それでガラスを割られたと聞いた時本当なのかと疑った
そこまでするのか?それより今日聞いた話ではその人は今ここに住んでいないという
その人は元からいた人ではない他から移ってきた人だと思った
この辺は本当に新しい街が三つくらいできたほど新しい家が建ったからだ
今でもやはり新しい家が建っているのである
それは津波の被害者もいるが原発事故で避難民になった人が移り住んだのだと見る
なぜならある場所では高級住宅街のようになっているからだ

でもそういう人が他にまた移り住めるだろうか?
また元々住んでいた人が簡単に他に移り住めるだろうか?
その辺がかりにくい、これは二人の人が言っているし間違えない
今回のコロナウィルスは何か異常に警戒して日本人の悪い面がでた
コロナウィルスに国民が一切に同調して防ぐのはいいのだけど
その反面自粛が過剰になり一人でも出たら許さないという異常自粛になった
つまりコロなりこうした日本人特有の同調圧力が怖いとなった

学校でもコロナウィルスにかかっているからと親が医療関係者の子どもかいじめなになった、前は福島原発事故で東京とかに避難した人たちが放射能はうつるといじめられたのと似ている
日本人は何か同調圧力が強い、それがいい面に働くと感染も防げるとなる
みんな一斉に警戒してマスクも全員するからである
するとマスクしないと責められる、別に政府が命令しなくても相互監視になる
田舎だと日常が相互監視になっているからだ

とにかく村八分というのが日本人の特性である、どこでもその話を聞くからである
陰湿ないじめが起きる、そして自殺したりする
よそ者を受け入れないとか普通にある、それが村という小さい範囲で生きてきた日本人の特性だとなる
コロナウィルスでも放射能でも何かあるとこうなりやすい
学校のいじめでは実際にバイキンバイキンとしていじめられたからである

ともかくコロナウィルスに警戒過ぎるという意見も今はテレビ以外でかなりでている
何か過剰警戒になりすぎて自粛になりすぎている
ただの風邪だインフレインザでは騒がないのになぜこんなに死者も少ないのに騒ぐのかとなる
それで経済とか精神まで委縮してしまった
そうしたし抑圧された委縮したマインドは変わらない、変えられないというとき
人間はつくづく心理的な影響が大きい
何かマインドが氷河期のように冷え込んでしまったのである
それはあくまでも過剰な警戒の心理的なものでそうなったのである
景気は気持ちだというとき確かにそうである
気持が委縮してしまったことが一番の問題だったのである
コロナウィルスにはつくづくそういうものだということを今回意識したのである
そして一旦こうして委縮した冷えたマインドはなかなか回復しないのである

それでコロナウィルス前とコロナウィルスの後ではニューノーマルな生活をしろとなる
時代が変わるという時、こうして心理的なものからマインドから変わるのかとも見た
そういうマインドが変わり社会も変わる
これは個人的なものでも同じである、人間はこうした心理的なものに左右されやすいのである
つまり気分に左右されやすい、その気分で高揚したり落ち込んだりする
何か現実に実際に起きたことより起きないことでもその前に心がマインドが冷え込んていて景気も悪くなる、景気とはまさに気だからである

ただおそらく株が下がらないのは不思議だけど日銀が金融を操作しているのであり
とても国民の経済が向上しているとはとても思えないからだ
おそらく国民の心が気分がマインドが落ち込まないように日銀が操作している
それは世界経済でもアメリカの株が上がっているのも同じである
株がおちこむとまたパニックになり本当に冷え込んで景気が落ち込み恐慌までなるからだアメリカではすでに各地で暴動が起きている、不穏な情勢にある
それが大きな暴動に発展して内乱状態にもなる

いづれにしろ人間の気持が個々人でも人間の集団でも左右するのが大きい
コロナウィルスは人間の気分をマインドを変えたことが問題だったのである
だから経済でも活気をとりもどすは相当時間がかかる
一旦冷えた心はマインドは簡単に変わらないということである
伝染病は現実としてもそうだが人間の心を過剰な自粛とか他人へのバッシングになる
もう一人でも地方ででたら許せないとなる
それが田舎の地方の異常性だとなる、ただそれだけ警戒するのだから安心だということもある、そうした二面性があり複雑だとなる

この辺の原発事故の放射能問題にしてもそうである
これをどれほど警戒していいのかわからない、過剰になるともう住めないとなる
そうでなくても若い世代は避難して他に家を建てたりし帰らなくなった
この放射線もどれくらい恐れていいのかわからない
ただ地元では補償金ではもめてもコロナウィルスではそうはなっていない
ただ感染した人がバッシングされて住めなくなったということは驚きである
ということは相当なプレッシャーがかかったということなのである   

コロナウィルスは世界共通に症状も現れないとかあり過度に警戒することもこうして心に影響するから問題なのである
なにもないとすることも問題だが地方での過剰な自粛がエスカレートして何か抗議文を張り付けたり過剰自粛になるのは問題である
それで警察もとりしまるとしている、それは犯罪なのである
とにかくコロナウィルスはまだ先が見ない、冬に向かって第二波、第三波が来るのかわからない、人間はやはり未知なものに対してこうして過度に警戒して心も委縮するものだと思った、そして一旦委縮してしまった心はなかなか回復できなくなるというのが問題なのである、死者とか少なくてももう元の社会に戻らないという時、コロナウィルスいかに実被害より心理的な面で被害がすでに大きかったとなる    


2013年7月21日の夜、山口県周南市の山間部にある集落で、2軒の家が燃え、3名が亡くなった。翌日昼、別の2軒の家からそれぞれ遺体が発見される。5名の遺体には、外傷があった。人口わずか12人の限界集落で突如発生したこの連続殺人放火事件で逮捕されたのは、殺害された村人たちと同じ集落に住む保見光成(69)。今年7月、彼の死刑判決が確定した。
(つけびで有名になった)

津山事件(つやまじけん)または津山三十人殺し

今でも田舎で起きる凶悪殺人事件はやはり田舎の闇である、村八分やいじめ体質があり起きる事件である、日本人にはこうした狭い村で生活して来たことで闇の部分として日本人の体質となっている、時々こうして爆発を今でもしているのである

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2020年08月19日

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)


福島県コロナの感染者が会津にでない不思議

(スペイン風邪を分析して地理を見る)

fukushimanazo111.jpg

●会津に感染者が出ない謎

福島県のコロナウィルスで不思議なのは会津にまだ感染者が出ないのである
これは岩手県のようにここだけなぜ感染者が出ないのか?
最初は南相馬市から東京のライブハウスに行った人から感染者が出た
その人はすぐ近くだったから驚いた
でも会津では未だに感染者が出ていない
郡山市などが多いのは交通の要所だからわかる、中通りが出やすいのもわかる
新幹線が走り東京との交通が頻繁だからである

でも会津でも東京から会津鉄道がありそれなりに観光でも来ている
会津は観光収入が多い、会津の江戸時代のコレラの流行で考察したが会津若松市中心に拡散した、それで田島の方には逆に栃木県の方からではなく会津若松市から城のある所から伝染していたのである
また白河街道が江戸時代は主要な道路で新潟から阿賀野川も道路の役割りを果たしていたからそこを通じて人の流れがあり感染が広がった
新潟には北前船が入ってきて遠くからも感染した人が入ってきて伝染した
長崎からコレラは入ってきて感染者が増えたからである

でも不思議なのはなぜ会津で感染者が出ないのか、これが不思議なのである
人の行き来はやはり相当数ある、でも福島県で唯一感染者が出ていない
これには何か理由があるのだろうか?
県でも実際は満遍なく感染者が出ているのではなく出ていない地域がある
ただ東京から拡散してその周辺から感染者が徐々に増えた
茨城県が最初少なかったがやはり増えた、予想したのは東北では仙台市が多くなると診たかその通りになった、あれだけ東京から人が流入するのだから感染は増えるとと思った
ともか感染者はコレラでもそうだが交通と深く関係しているのである

江戸時代でコレラがあれほど会津の城ある所から感染者が増えたのはその当時福島県は会津中心の社会だったかもしれない、今見ている感覚と違っていたのかもしれない
福島県は福島市に県庁が置かれたがここに何か藩があったとか城があったとかないのである、郡山市にもない、三春藩があり郡山市は明治以降に発展したのである
中通りだと二本松が10万石で中心だったとなる
会津は30万石くらいだとすると中心が会津にあった
でもコロナウィルスでは一つのエアポケットのようになっている
この原因は何なのだろうと不思議なのである
今ならどうししても会津でも人の交流があり交通でも発達しているし感染するはずだからである

ただ全国の感染者を見るとやはり東京を中心にして大都市を中心にして感染している
東北では仙台中心であるが青森とか秋田とか岩手県は少ないのである
それは全国を見ても四国などでも感染者が少ない、大阪中心に感染者が増えたのはそこが人口密集地帯であり交通の要だから当然だとなる
ただ金沢など日本海側は比較的多いのもやはり交通の関係かもしれない
大坂京都ととの交通が古代からある場所だったからである
大伴家持が赴任した場所でもあったから古代から奈良と京都と交流があったからである
そして滋賀県が最初大阪に京都に近い割には少ないと見ていたがいづれ増えるだろうと見ていたらやはり増えたのである
何かこれは地理を見ていると予測できるのである
私は地理に興味がありそうなると見ていたのである 

●スペイン風の全国への感染  

最モ早ク發生ヲ見タルハ神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣ニシテ、之ト相前後シテ埼玉、山梨、奈良、島根、ヤ島、等ノ諸縣ヲ襲ヒ、九州ニ於テハ九月下旬ヨリ十月上旬ニ渉リ熊本、大分、長崎、宮崎、福岡、佐賀ノ各地ヲ襲ヒ、十月中旬ニハ山口、廣島、岡山、京都、和歌山、愛知ヲ侵シ、同時ニ東京、千葉、栃木、群馬等の關東方面ニ蔓延シ、爾餘ノ諸縣モ殆ント一旬ノ差ヲ見スシテ悉ク本病ノ侵襲ヲ蒙レリ、

神奈川、三重、岐阜、佐賀、熊本、愛媛等ニ流行再燃ノ報アリ、次テ十一月ニ至リ東京、京都、大阪ヲ始メトシ茨城、福島、群馬、長野、新潟、富山、石川、鳥取、静岡、愛知、奈良、和歌山、廣島、山口、香川、福岡、大分、鹿兒島、青森、北海道等に相前後シテ散發性流行ヲ見、爾餘ノ諸縣モ漸次流行ヲ來スニ至レリ」

1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.男子では1917-19年と1920-22年との両期間で年齢ピークの位置が異なっているのに対し,女子ではいずれの期間においても24-26歳の年齢域でピークを示している.また,女子のピークが男子に比して高いことも特筆に値する

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣というときここに東京が入っていない
神奈川というとき横浜市が神奈川である、その時東京より横浜の人口が多かったかもしれない、確かなことは東京から拡散していない、後から東京に拡散したのである

そしてここでも不思議なのは宮城県が出ていない、感染者が少ないのである
今なら仙台市が感染者が増えて東北に広がる、それは最初から見えていたのである


横浜市 1920(大正9年) 42万  

東京  1920      36万  


(A) 仙台市
■(B) 仙台圏 

1920年(大正9年)118,984 320,770   

福島市

大正09年35762   

郡山市

大正09年26218  

会津若松市

大正09年45492 


これでみるとスペイン風邪が流行した時に横浜市が東京より人口が大きいのである
つまり横浜市から文明開化が起こり人口が増えて次に東京が人口が増えたのである
おそらく神奈川から増えたというとき横浜市が中心に増えたとなる

福島県では会津若松市が一番人口が多かった、つまりその時でも会津若松市が福島県の中心的存在ともなっていた
仙台市はすでに11万だから多い仙台圏となると32万だから多い

●東北の感染拡大地図

仙台市にも広がったが仙台市が特別多いとはなっていない
新潟県が多いからその方面から伝染したのかもしれない
それは江戸時代のつづきだったともなる
最初に仙台市が増えるようなことはない
鉄道とか交通が発達していないからである

次の感染地図を見ればわかる

spanishvirus1.jpg

spanish222.jpg

新潟県が多いのは江戸時代の延長にもなっている
1920になるとやはり宮城県は福島県より増えている
ただ福島県の方が先に伝染している
宮城県は後だということは当時の交通が影響している



仙台市にも広がったが今だと仙台市から東北へ拡散するが当時は福島県から拡散した
当時の交通は確かに鉄道は通っていたとしても主に貨物輸送であり人がそんなに乗らなかったのである、今のように観光旅行などしていないからである
文人などが一部していただけで庶民はしていないのである
ただ大正時代生れでもその後成年になって東京に行く人が増えたのである

いづれにしろウィルスは交通と深く関係していた、それは確実にそうである
だから最初は東京に近い茨城県が少ないと見たが増えた
大坂京都に近い滋賀県が少なかったがやはり増えたのである
つまり人口が多い密集地帯から拡散するのである
でも仙台市がそうならなかったのは交通が活発でなく人の行き来が今と違っていたからだと推測する、江戸時代だと北前船とかで新潟県から会津の方へ人の流入があり感染が広がったからだ、ただスペイン風邪でも新潟県が多いのである   

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


yokohamarail11.jpg


汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
(新橋)


鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで


愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

こんな感覚は今はない、ビルに埋まっているからである
ここで横浜ステーションとしていることが文明開化の地だからそうなった

posted by 老鶯 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年08月15日

太平洋戦争の原因の追究―文明論として (長い目で歴史的視野で見るべき)


太平洋戦争の原因の追究―文明論として

(長い目で歴史的視野で見るべき)


人間に起きることは必ず今起きていることでも過去と関係している
過去が原因になって今起きることである
だかちら今起きていることを今に原因を求めてもわからないのである
病気でもすでにその前の生活に原因があるとされる
不摂生な生活をしていると必ず60以降に病気が現れる
人間は必ず60以降になるとどこか病気になりやすいのである
人間の生活も積み重ねなのである
体でも心でもそうである、いいにしろ悪いにしろその積み重ねが老人になって現れる
人間は天才でないかぎり日々の積み重ねが人間を作る
知識でも日々探求して積み重ねればそれなりのものになる
それは必ずしも生まれつきでもないのである
そして人間は時間だけは平等に与えられている
金がなくても時間だけは平等なのである
だから金持ちでもその時間を活かさなかったらやはり後年何も残らないとなるのだ
金持ちでなくても時間を活かせば何者にかなるのである
その時間がたちまち過ぎる、時間が飛んでゆくのである

このように人間に起きることは継続したものとして見なければならない
だから何か戦争でも突然起きたように見る
それで歴史的に見るとは長い時間で見るということである
それも世界的視野でみる、空間的に時間的に見る

するとなぜ太平洋戦争が起きたのか?      

それはまずインドをイギリスが植民地化した、七つの海を支配するイギリスの侵略がアジアにあった、だから今でも英語を話すのがアジアに多い
そこはイギリスの植民地だったからである、ネパールでもガイドが英語を話ししていた
インドでももちろん英語を話ししている、ただ今はみんな英語が公用語ではない、ただなぜ英語がこれだけ話されているのかはイギリスが世界を支配した時期があったからだ
英語が何か世界の合意で世界に通用した訳ではない
現実に日本語がパラオとか台湾とか朝鮮でも話しできたのは日本がそのとき支配して教育したからなのである、今でも日本語の教育を受けた人たちは日本語を片言でも覚えていて話ししたりする
だから英語が共通語になったのはイギリスが植民地化した国がそうなったのである
もし世界の共通語を作ろうとしたらエスペラントになるのである
それは国の力関係とは関係ない平等なものとして作る人工語になるからだ
英語だとどうしてもイギリスとアメリカが有利になる
その国の人たちは労せずして英語がネティブなのだから有利になる
ところが日本人だと英語を覚えることだけでその労力が大きすぎるのである
その時間を別な勉強にふりさけば有利になる

結局世界史的視野と時間軸で戦争をみれば確かに最初にイギリス帝国が七つの海を支配してアジアを植民地化した、その最初がインドであり次に東南アジアであり次に中国だったのである
アジアに対して欧米が侵略したのが世界史からみればそうだった
だから日本が最初敵と定めたのはイギリスだったのである、それで私の姉がシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院に従軍看護婦して辛酸なめたはのはそのためである、その時シンガポールは昭南島と呼ばれていたのである
イギリスに向かって最初その拠点ともなった地点を攻撃して勝利した
それは大きなことだった、なぜならそれまではヨ−ロッパにアジアはどこも植民地化されていたからである,ベトナムはフランスでありカトリック教会があるのはそのためである

そこで唯一植民地化されていなかったのは日本だった!

日本だけがヨ−ロッパの挑戦を受けて唯一植民地にされなかった国なのである
だからこれは特筆すべきことである、それで明治維新を欧米でも評価している
明治維新はだから奇跡的なことでもあった
圧倒的な力の差があった日本がなぜ植民地化されなかったのか?
ヨ−ロッパ列強によって大航海時代から世界は北アメリカや南米のメキシコでもペルーでもスペイン,ポルトガルによってあっけなく滅ぼされた

だから世界史的視野でみるとヨ−ロッパ文明に対して

日本だけが植民地にならず日本文明は対抗できた!

これは特筆すべきである、そこでなぜ日本だけがそれができたのかと問題になる
それも歴史的時間軸で考察すると江戸時代300年の歴史がその土台にあったとなる
つまり明治維新というのが成功したのは江戸時代がありそこから考察しないとわからないのである
歴史は連続している、人間個人でも必ず老人になればわかるが何でも積み重ねでありその結果として人間でも知識でも技術でもなんでも作られる
また悪いことでも何か必ず因果がある、そして遂に人間の運命も不可解だから前世の因果が今に現れたというカルマ論まで成り立つのでるあ
必ずカルマは苦しみとなって現れるからである
そして個々人でも個々の家族でも必ずなんらかの業(カルマ)を背負っているのである
それが60以降に現れやすいのである
自分自身が四苦八苦したからそれがわかったのである

このように時間の断片とか空間の断片とかで歴史を見ないことである
だから歴史は地歴になったのである、地理は空間であり歴は時間なのである
そして不思議なのは明治時代に日本は一番精神的には高揚した時代だったのである
それはインドが植民地化されて中国も植民地化された
あのような大国が植民地化されたのである
その他のアジアの小国は当然植民地化されて抵抗できなかったのである

主義の政治家は宇宙自然の理に基づいて国是を定む、彼は地理によって天の摂理を察し
歴史によりて国民の天職を考え、時と所を処するに彼の良心と信仰を以てす
彼は国運を恒星の示導に繋ぎ、成否を上帝の聖意にまかす、彼は詩人の大いなるものなり理想を衆生の口に謳う、彼は画伯の秀なる者なり、雄志を地球上に描く、彼は正義のために人類全体の幸福を欲して人類のために国家を愛して故に彼は争闘をつつしむも衝突を恐れず公儀を正すに敵の強弱を考えず・・・・
(内村鑑三ー時勢の観察)

なぜ明治にかえって世界的でありこうした世界的視野で日本が指導的先導的役割りを意識しえたのか?
それは結局その時アジアはヨ−ロッパ列強に植民地化されていたからである
インドでも中国でもそうだったからである、その時唯一植民地化されなかった独立した日本が結果的にそうなっていたのである
そういう時代がこうして内村鑑三でも他でも世界的視野でアジアの先導者として意識されていたのである、それが日露戦争でロシアと引き分けたとか勝利したとかなり余計に日本は大国の道をつきすすんで太平洋戦争に突入したのである
そういう歴史の継続した流れの中に太平洋戦争を位置づける

ただ現代はかえって日本はアメリカに負けてそうしたアジアの先導者だとか世界を視野にした思想は生まれない、要するにアメリカに負けた結果、アジアがイギリスなどの植民地化したように植民地に似た状態にされたのである
その相違は余りにも大きいものだったのである、それでアメリカに負けた結果として
こうしたアジアの先導的役割は消失してかえって一小国の島国となってしまったのであるだから何かこうした雄想は生まれないし時代に合わない、そこに意外と明治がかえって世界的視野があり現代にはないというこれだけグロ−バル化しても起きている
ただ内村鑑三は日露戦争に反対したから太平洋戦争にも反対した
となると非国民となり罰せられていたとなる   

人類のために国家を愛して故に彼は争闘をつつしむも衝突を恐れず公儀を正すに敵の強弱を考えず・・・・

争闘をつつしむとあるからそういうことになる、でもやたらと国家とか人類とかなると今では似合わない、その時代は戦争負けるまで国家なくして個人も家族もなかったからである、すべてが国家のためにあった時代だったからである
それがアメリカに負けてから日本から逆に国家が消失したのである
高度成長時代でも国家はない、あったのは企業戦士となった会社になったのである
それで一時ジャパンアズナンバーワンになったのである
それは経済大国としてであり明治はアジアの精神的指導者としてあった

でも戦後は日本はアジアの犯罪人のようにされて常に中国から韓国北朝鮮から謝罪しろとなるだけである、それはアメリカに仕組まれたものだともなる
なぜなら人道を言うならアメリカの原爆こそが何であれ決して許されないものだからである、アメリカのしてきたことはベトナム戦争でもイラク戦争でも人道的には許されない
そういう国が人権を言うことができるのかとなる
このカルマは消えることがない、それでアメリカは核兵器で自国を守ろうとしている
そうして北朝鮮でも中国でも核攻撃を一番恐れているのはやはり原爆を落としたカルマなのである、原爆を落としたアメリカは終生核に怯えなければならない
そして日本の原子力発電でもアメリカの要請があって作られたとなると何かここにも因縁を感じる

いづれにしろ世界史からみればカルマ論になれば別にアメリカが正義でもなかったのである、第一アジアをヨ−ロッパ列強が植民地にするのが正義でもなんでもないからである
それでコロンブスまでは侵略者だったと差別だったとしてその像が倒されていることでもわかる、歴史は常に見直されるからである
アメリカこそが人道に反する国だったのである、それなのに日本の戦争は人道に反しているとか責めて正義はアメリカにあったというのはただ力関係でそうなったのである
力があるものが正義だとなっているのがまた歴史だからである
ただカルマ論としての世界史となると米中戦争になり中国が日本のように戦争に負けて属国になるようなことがあれば日本の苦しみを理解することになる
本当は日本と大東亜戦争と言われるようにアジアの大義のために欧米と戦うべきだったからである

なぜ日本だけが中国と韓国北朝鮮から責められるのか?

中国に原爆が落とされればそれが変わるということである
欧米こそ責められるべきであり日本がではないのである
ただ中国と日本が同盟するかとなるとできない、結局また日本は中国の属国となりさらに悪い状態になる、奴隷化にもされる
右なら中国よりアメリカの方がいいとしているからだ
日本が大東亜連合を謳ったが今度は中華帝国の再興の中で日本はその朝貢国に戻るともなるからだ

ただ今世界史的にみれば西欧文明とアジア文明と日本文明を止揚するアウフヘーベンする第3の文明が勃興する、それは実は明治にそういう役割を日本がになっていたのである
だから日本はその時、何かアジアを導く、人類とかを視野に入れた世界的なものになっていたのである、別にグロ−バル化していなくてもそうなっていたのである
ただそれは指導的役割をになった人たちである、庶民はそういうことはなかったにしろ日露戦争ではそういう気分があり日本は大国となったということでその奢りがまた大東亜戦争に向かわせたのである
ただ確かなことは日本はかえってグロ−バル化しても何か明治のような気運というか壮大な雄志とかを失ったのである、小市民的安寧しかないとなる

それはアメリカに負けた結果としてそうなったのである
帝国主義ナショナリズムは否定される時代になったのである
ただ本当は精神的には芸術の分野とかでは本当は今こそ西欧文明と東洋文明が合一したアウフヘーベンした世界が生れる時代だとなる
それはインタ−ネットとかでもそうである、知識の世界が膨大に広がったからである
庶民でも外国旅行に行ける時代になり実際に見聞できるからである
それで私は50以降バックパッカーになって世界を見てきたことでもわかる
それで多少国際性が身についたのである
ただ外国で生活した経験があるものとは相当に差がある、つまり仕事で外国で生活した人は肌で世界を知っているからだ 

主義の政治家は宇宙自然の理に基づいて国是を定む、彼は地理によって天の摂理を察し
歴史によりて国民の天職を考え、・・・

つまり地理と歴史を空間と時間の中で国の方針を定める、それはやはり変わっていないのである、日本は太平洋の島国でありまた中国とアメリカの狭間にありそこに日本の運命と方向が決められていたのである 
ただ戦後は日本の世界史的役割は喪失した、何か日本を常に矮小化して卑小化されるのである、戦争に負けるまでは日本は常に国威高揚の国だったのである
戦争に負けてからは日本は国を語らない、国は常に外国からでもバッシングの対象になってしまったのである、それでも高度成長時代の時は経済で世界に存在感を示せたがそれもなくなったときますます日本は全体に気分的に矮小化して卑小化される国になったのである
明治人がもっていた世界的役割の認識とか意気込みとかが喪失したのである
日本は米中時代になるとどっちに属するとかかであり日本がが独立するとか指導的立場に立つとかはない、ただどちらに属するかと従うかしかないのである
それが全体的日本の雰囲気であり何か逆に日本は戦後はアメリカの植民地国になったのである、そしたら日本の自主性などないのである
それに代わって中国がアジアの盟主として帰り咲いた、日本は世界でもアジアの一小国であり世界的役割も小さいし世界での存在感がないのである

ただ文化面では世界はグロ−バル化したとき融合してゆく、東洋文明であり西洋文明でも融合して止揚されてゆく、だから西と東の文明が500年周期で交代するというのもそのためである、つまり西と東の文明が交代して成熟するには500年の歳月が必要だったとなる、その時間軸ではその端緒についたともなる
だから100年後とか見れば日本が再び勃興して東西の架け橋となり日本の彼は地理によって天の摂理を察し歴史によりて国民の天職を考え・・・というようにその役割を果たす時代が来るかもしれない、アメリカでも中国でも国内問題をかかえているしそれがアキレス腱となり両国とも衰退してゆくともみるからである
ただ日本というのは高度成長時代からバブルにもなり失われた30年とかあり精神的にも委縮している、それがあらゆる方面に影響する
だからコロナウィルスもあり日本自体が大改革しないとますます没落してゆくともなる
ただ今がその大変革大改革の時代になっているともなる
何かあらゆるものが制度疲労とか起こししていて改革が必要になっている
それで津浪原発事故とか自然災害から巨大事故とかが起きてコロナウィルスに翻弄されるとかある、それは大きな時代の変わり目だから起きているのである





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2020年08月13日

米中戦争の危機 (覇権国になるために軍事力と金融で支配する)


米中戦争の危機

(覇権国になるために軍事力と金融で支配する)


歴史検証が弾き出した「米中戦争勃発確率75%」


「トゥキディデスの罠」として世界の覇権国争いがありそれはギリシャのスパルタとアテネで始まっていた、スパルタが覇権国だったがアテネが力をつけて驚異となり迫ってきて戦争にになった  

海上交易をおさえる経済大国としてアテナイが台頭し、陸上における軍事的覇権を事実上握るスパルタの間で対立が生じ、長年にわたる戦争(ペロポネソス戦争)が勃発した。転じて、急速に台頭する大国が既成の支配的な大国とライバル関係に発展する際に、それぞれの立場を巡って摩擦が起こり、当初はお互いに望まない直接的な抗争に及ぶ様子を表現する。現在では、国際社会のトップにいる国はその地位を守るために現状維持を望み、台頭する国はトップにいる国につぶされることを懸念し、既存の国際ルールを自分に都合が良いように変えようとするパワー・ゲームの中で、軍事的な争いに発展しがちな現象を指す[3]。 
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確かにこういうことが世界史で展開された、世界史は覇権国になるために戦争があった

ポルトガルとスペイン
スペインとイギリス
オランダとイギリス
アメリカと日本
アメリカーソ連
アメリカと中国

これらの戦争は海を巡って行われている、そこで軍事力として強固な船団が必要になる
ただアメリカとソ連の場合はソ連は海軍が弱い、港がない、それで日本との戦争でバルチック艦隊はアフリカ回りで対馬海峡にきて東郷平八郎に待ち伏せされて敗れた
ソ連はまたロシアでも港がないということが海を支配できないことで覇権国になりえなかった
確かに米中の対立も東シナ海に勝手に中国が飛行場とか軍事施設を作る、要塞化して海を支配する、すると米中とかまわりのベトナムとかフィリンピンでも支配できるとなる
なぜアメリカとの戦争が太平洋戦争だったかわかる
海を支配することが世界の覇権国になることだからである
イギリスが七つの海を支配したから覇権国になったのである

そして覇権国になるもう一つの有力なものが金融であり世界で通用する紙幣をもつことである、つまりアメリカが覇権国になったのは軍事力とドルが世界の貨幣となったことでもわかる、この二つを握れば世界の覇権国になる
それで香港が金融市場となりドルが支配する、またドルでしか中東の石油が買えないということも大きな利権となる
アフリカの果てまでドルは通用する、アフリカの部族でもドルは通用する
エジプトでロバに乗った少年がワンドーラ―くれというときもそうである
エジプトは一時はイギリスが支配してボンドが通貨だった  
このように必ず軍事力と金融が通貨でもって世界の覇権国になれるのである
だから中国で独自の共通通貨を作るとかなったときアメリカは警戒するし止めるとなる
中国はこの両方の面で覇権国のアメリカを脅かしているのである

オスマントルコのドラマでスレーマンが王となっていたがそれに従う有力な軍人がエジプトに赴任して独自の貨幣を作りそこにその人の顔を彫って通用させた
それにスレーマンが起こり軍をさしむけて殺したとなるのもそのためである
それはローマ帝国でも地方の軍人が独自の貨幣を発行したりしたときも同じようなことが起きていた
貨幣は支配の標しでありそこに王や軍人の顔が彫られるということはその人が支配しているということなのである
ただ日本の貨幣にはそうした支配する人の顔が彫られていない、だから日本の貨幣はヨ−ロッパとかとは違ったものとして作られていた
ただ明治になると維新の功労者とかが伊藤博文とかが紙幣に刷られた

いづれにしろ覇権国争いがアメリカと中国で起きていて戦争になると警告する
それはやはり世界史でそういうことが過去にも起きている
だからまた繰り返すカルマだとなる、「歴史は繰り返す」となるからだ
ただ中国は海に接している海岸線でも長いけど海洋覇権国にはてったことがなかったのである、あくまでも陸の帝国だった、それが今海洋覇権国となり東シナ海に基地を作りそれでアメリカでも日本でも回りとも対立することになる

だから歴史はくりかえす、カルマはくりかえすとなる、日本は米中の狭間で苦しむことになる
ただアメリカでも中国でもその国内を見れば大災害で苦しんでいる、アメリカはコロナウィルスで苦しんでいる、そういう国が戦争できるのかとなる
内部で国内で苦しんでいる人たちが戦争する気になるだろうか?
そしてアメリカでも中国でも数パーセントの人がアメリカの50パーセントの富をもっているとか中国でも共産党の幹部が富を独占しているとかある
そういう極端な格差社会の国民が死ぬことになる戦争を支持するのだろうか?
戦争に命をかけて命をささげるだろうか?
そして共産党の幹部でも巨額の金をもっているから守りにはいる、戦争したらそうした財産も失うとなるからしたくないとなる
戦争は上の人たちだけでできるものだろうか?
国内で苦しんでいるのにさらに戦争で外部に向かって戦争できるのだろうかというのが疑問なのである
ただ失業したりすると兵士になればそこで食べることはできるとなると志願するともなるそれは別にアメリカのためでもない、金のためにそうするとなる

とにかくなぜ日本がアメリカに原爆まで落とされて三〇〇百万人も死なねばならなかったのか?
これは世界史としてみれば日本がアジアの覇権国ともなり満州の利権をめどぐってアメリカと対立してやはり覇権をめぐる戦争になった
だから世界史の戦争が覇権国になるための争いだというとき米中が戦争になるという分析は納得する、つまり何でもカルマであり繰り返すからである
それは人間の業(カルマ)だとなる、必ず国内でも関ケ原で日本が二分して戦ったように天下分け目の戦いは二つの勢力に分かれる
それは世界でも同じなのである、二つの勢力が必ず利権であれ衝突して争うことになる
それは資源をめぐってもそうである、その覇権争いで勝てば世界を支配できるとなる
するとその国には莫大な富が入ってくる
それが今のアメリカなのである、でも覇権国が変わると世界の富でも奪われて二等国三等国になる 

アメリカでは何百億するクルーザーがコロナウィルスでも売れているという
その人たちは株長者らしい、国民が苦しんでいる時に株でもうけて巨利を得たりしているのも解せないのである、そういう国が果たして国として維持できるのか?
むしろ資本主義が崩壊するという時そうして極端な格差を世界的にもたらした
そういうシステム自体が崩壊してゆく、アメリカでも中国でも貧乏な人が多い、そういう国内事情が両方ともかかえていて戦争ができなるのかとなる
米中戦争になったら両方とも疲弊して経済も衰退する、その時かえって日本が有利になるでもまた日本がその戦争に必然的に巻き込まれて大被害になることもある
日本は板挟みにあい日本国も二分される争いにもなる
ただ戦争になればどっくつかずではいられない、決断が迫られる
津浪原発事故⇒コロナウィルス⇒戦争だともなる
そういう大きな時代の変わり目なのが今なのである 


「富裕層は、所有する富を利用し、貧困層に比べて疫病の流行を跳ね除ける力があります」

別荘もありクルーザーもありとアメリカの富裕層は桁違いでありそういう富裕層に対して不満がつのることは確かなのである、そういう不満な下層の人たちが戦争をする気持ちになるだろうか?むしろそうした富裕層を襲うということにもなる
戦争で死ぬ理由を見出せるのかとなる
ただどうして戦争が起きるのかとなるとこうして世界史では新たな覇権国が台頭するとき戦争になりやいというのは歴史の事実なのである

「海を制するものは世界を制する」と一九世紀後半に説いたのは、当時まだ海軍大国になりきれていなかったアメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンであるが、20世紀なかばの世界大戦を経て文字通り「海を制して世界を制した」アメリカの海の覇権状態が、とりわけ中国の南シナ海や東シナ海における活発な活動によって、崩れつつあるように思える

日本がも太平洋戦争でアメリカに敗れ覇権国にはなれなかった、ただその時代から海から空への航空の時代になっていたのである

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2020年08月10日

利権団体民主主義が社会を歪める (GO TO キャンペーンもそうだった)

利権団体民主主義が社会を歪める

(GO TO キャンペーンもそうだった)

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利権というときその反対は権利でありもともと明治に翻訳していたときは権理であった
なんらかの理由がリーズンがあって権利がありえた
権利はrightであり正しいということで権利があった
民主主義が入ってきたとき何か本来の意味がゆがめられる
第一市民というとき日本には市民という存在がなかったから訳しようもなかったのであるヨ−ロッパ社会の基は市民であり国民ではない、パスポートにどこの都市の出身かと記さねばならない、つまりどこの市民かということがアイディンティティになっていたのである、それは歴史的にそうなっていたからそうなる
国民というのもこれは近代に生まれたのであり世界中で国民という概念がないのは国民と意識するものがなかったからである
日本では明治維新で国民は存在しなかった、天皇の臣民とされていたのである
それが西南戦争で侍の集団と戦ったとき国民意識が芽生えたのである

民主主義をゆがめたのは利権民主主義になったことである
利権団体民主主義である、あらゆる団体がそれが正当でなくても利権を主張する
その利権に答えるのが政治となった、それで政治も歪められる
その利権団体が正当でないにしろ政治は票で動くのだからそうした利権団体の票を無視できない
それで今回もGO TO キャンペーンで自民党の二階堂氏が観光業界とかかわっていて献金を受けていたから一兆円もの金をそこにつぎ込んだ
それが必ずしも効果があるともならないしコロナウィルスを広めることにもなった
そうして観光業界に金をつぎこみその見返りとして献金があり票を得られるという政治の構図ができあがっている

結局GO TO キャンペーンは観光業界でも対応しにくく効果があるともならなかった
つまり大金をつぎこんでも必ずしも効果があるとはならない
それはこの辺でも莫大な金を原発事故の復興に何兆円もの金をかけてもそれが必ずしも復興にはつながらなかった、
結局市町村は補償金で対立したりかえって補償金をもらって
外に若い世代は流出したのである
飯館村では5人しかいない生徒のために50億円もの学校を建てたりした
これも復興になったかというと巨額の金をつぎこんでもならない
だから金だけをいくらつぎこんでも効果を発揮しないのである

それはどうしてそうなるのか?それは政治家だけの問題ではない、その利権を受ける方にも問題がある、そういう団体は利権が第一であり金を得ればいいとしかない、それで団体化することは利権化することになる
それはカルト教団でもそうであり漁業組合があるとすればそうだし農協も一時は自民党を支える利権団体だった、それだけではないあらゆるものが利権団体化したのが民主主義になった、民というとき国民のことでもそうした利権団体に入らな限り利権を得られない
得にならないという構図がある、第一電力関係の電事連とかは電力会社の強力な利権団体でありそこから宣伝費が800億とかマスコミに出ていたとなる
それからマスコミ自体が強力な利権団体だったのである
なぜなら六局でしかテレビ放送できない権利を得ていた利権団体であり新聞でもそうである、それで新聞には消費税をかけないということで反対論をおさえようとしたのである

つまり民主主義はこのようにあらゆるものが利権団体化して利権を得ればいいとしかならなくなった、その利権団体と結びつくのが政治である、第一まとまった票を得るにはそうした利権団体の応援がないとできない、それで創価ならまとまった票が得られるとなり自民党はそこに大臣の地位を与えたりする
本当は政教分離に違反するのだけど強大な票田であり見逃される
それは他でもそういうことが行われる、民主主義がそうした利権団体によって歪められる正当な権利を主張するならいいが正当でなくても団体になれば力もをもち利権を得る
だから今回のGO TO キャンペーンでもそうだったのである

漁業組合のことではなぜ東電に漁業権を売りわたして事故前も多額の補償金をもらっていたのか?そのことを追及した、
そもそもその漁業権とは海の資源を守るために与えられていたのであり東電に売り渡すものとして与えられていなかったのである
そして事故後も多額の補償金を船主はもらっていたのである
ただそれはそこだけではない、あらゆるものが利権化してそれが金を得る手段になる
医療関係でもなぜ検査できないのかとなるとそこに医師会の利権がからんでいるとか言われた、現実に医療の利権は莫大なのである、薬剤関係の会社でも常に医師会と結びつき利権化している、高血圧のデオパンとか降圧剤が売れるのは高血圧が体に悪いということを言うと医師会によって推薦され処方される、それが薬剤会社の莫大な利益になっている
でもそれはかえって効果がないとか副作用があるとか指摘されている

とにかくこの利権化するというときあらゆるものにあり第一官僚とか自体が利権団体だとされる、これこそ強力な利権団体であり公務員でもそうである
検察自体が利権団体でもあるというときもう公正な正当性をrightを追及することは不可能である、なぜなら東電に天下りしたのが検察関係もあり警察関係もある
そして警察自体も利権団体なのである、なぜならパチンコ業界に幹部が天下りしたり何か利権と結びつく、そこは一番権力を有しているのだから強いのである

要するに民主主義は機能していない、ただ利権民主主義であり一票などなんの意味もないそうした利権団体組織により政治は動いている、それで問題なのは必ずなんらかそれが社会の歪みとなり国民にはねかえってくることである
それは原発事故でも起きたことである、それで復興もうまくいかない
例えばオリッピックでも電通とかゼネコンの利権になるからすすめられるとかある
すでにオリッピックは商業オリッピックであり世界の平和のためとかの趣旨とはかけ離れたものになっている、ただ利権になるからするともなる 

GO TO キャンペーンとかも失敗なのはこうして常に利権団体がありその意向をくみとり予算を使う、そして見返りとしてまとまった票を得るとか献金を受けるとか政治が利権政治になっているからである
結果的に無駄に税金が使われて観光業界でも国民でも損害になる
だから観光業界でも本来の観光のあり方をこの際追求すべきだというのが正論だとなる
つまり結局国民も利権を得ればいい金をになればいいとしか考えないことに問題がある
この辺だって原発が金になるからいいとしかなかったからである
そうして利権だけを金だけを求めるとかえって今回の様なとりかえしのつかない事故になったりする、つまり国民自体が大損失被害を受けることにもなる
いづれにしろ利権団体民主主義は社会自体を歪めている
ただこれを是正することは至難である、なぜなら官僚自体が利権団体であるとしたらそれを是正することができるのかとなるからだ

ともかく神は偏り(かたより)見ないという時、神が自分の利益など求めないからであるだから公正であることは例えば報道でもそうである
公正で中立な立場になることは至難である、民間だと必ず広告が入りそこで収入になる
これまでテレビとか新聞とかは莫大な費用がかかるからそうなっていた
でもインタ−ネットになったとき無料でも報道できるとかなった
youtubeでも安価でテレビ放送までできるようになった
すると公正さを追及できるともなったがそれでも今度はyoutubeでも視聴率をとり宣伝費をもらうとなることで
マスコミとにたものにもなる
ただ設備費などはかからないから個人でもできる
ただ正直インタ−ネットでもプログでもそらくyoutubeでも手間がかかる
これだけは省けないのである、あと取材にしても手間がかかる
だからマスコミのように報道することは個人では無理だともなる
ただ安価になったから別に少人数でもできるとなったのである
だからインタ−ネットが民主主義を促進させることは確かである

インタ−ネットは対話的なのがいいのである
マスコミだと対話はありえない、一方にマスコミの報道にのせられるだけである
そこには全く対話がないし個々人の発言は許されない
マスコミが選定した人物がマスコミの方針のままに発言する人が選ばれるだけである
いわばマスコミの意向にそった人が飾りとして出れるだけなのである


Go Toキャンペーンは世紀の愚策か 競争力失わせ「差別」助長 

おおまえ・けんいち

週刊ポスト2020年8月14・21日号

これに共感した、とにかく無数の記事でも自分なりに対話してみる必要がある
これは本でもただ読んでいるのではなく対話的に読むとより理解が深まるのである
そしてプログで発言する、アウトプットするのである
それがネットの民主主義にもなる

この記事にリンクが張れなかった、urlが短縮できなかった
ただ本来の観光とは何であるから書いていた、外国人より日本人の観光客が圧倒的に多いしシニアが金があり旅行するのだから
旅行業界もそこに工夫してニューノーマルな観光を考えるべきだとしている

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2020年08月07日

コロナウィルスも人間のカルマだった (スペイン風邪から戦争へ向かった時代を知る‐カルマはくりかえす)


コロナウィルスも人間のカルマだった

(スペイン風邪から戦争へ向かった時代を知る‐カルマはくりかえす)

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人間は過去になると忘れやすい、人間の問題は忘れやすいことである
何か大きな事件があってもその時は夢中になって見ている
でもまもなちく忘れてゆく
なぜ忘れるかというと日々新しいことが起きて変わってゆくからである
それで歴史的に大事なことでも忘れてゆく、それで儀式のようなものでもいいから大事なことを忘れないようにする
もう戦争でも自ら体験した人はいなくなる、するとますます忘れられる
戦争に実際に参加した人もいなくなる
すると戦争の話を親とから聞いただけが戦争の記憶になってゆく

私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで四年間勤めた
それは傷病兵を世話するとか地獄の様な場所だった
そこで死んでゆく人もいたからである
最も悲惨だったのは日本軍が負けてジャングルに逃げた時だった
そこで食べ物もないので悲惨だった、そのことを死ぬ直前まで語っていたのはどうしても忘れられないものだったからである

とにかく戦争でも75年も過ぎると忘れられてゆく、この忘れることがまた怖いのであるなぜなら津波は相馬藩内であった、それも400年前であり慶長津波だった
記録として「700人生波(いくなみ)で溺死」と記されているだけであり学者さえ知らなかった、津波の後に発見されたのである、生波とは津波のことである、慶長津波以後に津波となったのである
その津波についてもう誰も語り継ぐものはなかったのである
ただ文書の記録として二行だけ相馬藩政記に記されていたのである

人間は生きても百年生きても短い、なぜなら歴史は長いからである
だから老人でも津波のことを経験していないからこの辺は津波が来ないと確信までしていた、それで老人は逃げなかったとなり死んだ人が多い
つまり百年生きても百年の記憶しかないから津浪に関して全く伝えられていないから来ないという確信になったのである
そういう重大なことでも語り継がれない、忘れられるのが人間なのである

コロナウィルスにしても百年前にスペイン風邪があり世界で実際は4000万人くらい死んだのではないかと言われる、実数はもっと多いとされている
その数には驚く、日本でも38万人死んだということは多かった
大正時代であり人口は今の半分くらいであった
歴史をふりかえるとその前に

大正7年(1918) スペイン風邪が大流行する
          第一次世界大戦が終結
大正12年
(1923)     関東大震災
昭和4年
(1929)      世界恐慌が始まる   

※(1929年10月21日、ニューヨークの株価暴落がきっかけとなり世界的な不況が発生する
明治が終わり大正7年から時代的に暗いムードになっていた
そしてそれが太平洋戦争へと向かっていったと分析する人もいる
何か今の時代と似ていると分析するのもわかる
津波があり原発事故があり約10年過ぎてコロナウィルス騒ぎがあり失業者が大量にあふれるとかその前から日本経済はすでにバブルから停滞して回復していない
それに追い打ちをかけるようにスペイン風邪があり関東大震災があり世界恐慌となる
スペイン風邪が先に来てその後関東大震災が来たからここは逆になっている

私の母は関東大震災の揺れを経験している、百歳まで生きたからである
大正4年生まれだったからである、だから大正時代というとき親しみを感じるのである
明治と違って大正時代は暗い時代でありそれがさらに継続して太平洋戦争になったのかとみる

でもスペイン風邪とか津波のことは忘れてしまうのか?

それは一過生の被害だからかもしれない、津波も瞬間的に大被害となる、でもつづけて被害はない、コロナウィルスでもそうである
それは大被害でも忘れやすいのかもしれない、意外とウィルスのことなど話題にもならなかったからである
でも例えばウィルスでも結核だけは常に語られてきた、それは国民病とも言われ恐れられていた、その被害者が常に家族でも近くでもいたのである
母の実家の墓には25歳とかで結核で死んだ人がいた
その墓誌を見る時、何か生きられなかったくやしさがその年齢から感じる
でも今は墓参りにも行かない、何か嫌になったからである      

同じ親戚でも肺の手術した人がいて生涯はそのために障害者になっていた
それは戦後のことでも結核だったのである、つまり結核は常に身近な病気であり若い人が死んだから悲惨なものとして見ていたし伝えられたのである
戦後にそれがウィルスとして細菌だったことがわかりその病気は消えないにしてもかかる人はまれになった、ほとんどなくなったとも言える              

ただなぜ結核だけはスペイン風邪のように忘れられなかったのか?

それは江戸時代でも明治時代からでも常にその病気にかかる人がいて悲惨なことを目撃していてそれで語られていたのである
石川啄木もその結核で死んで怨念を残して死んだからである
つまり記憶に残ることは継続されることであり一過性だと忘れやすい、それが大きな被害でも忘れやすいともなる
人間はその目でじかに見ているものは語る、でも一過性のものは被害が大きくてもその時だけだから忘れやすいのかもしれない
それで語られずに記録でも記憶でも断絶してしまうのかもしれない
こうして人間は忘れやすいのである、だからこそ忘れてならないものがありそれがわかるのは結局津波でもコロナウィルスでも同じことで苦しむことによって実感する
それがカルマなのである
カルマは個々人でも苦しみとなって現れたとき自覚するからである
何もなければ自覚してないのである

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今の時代はまさに津波でもそのカルマが苦しみとなって自覚させられる
またウィルスでもそうである、忘れていたことでも同じことが起こり苦しむ時そのカルマを自覚するのである
人間は必ずカルマを自覚させられる、カルマはこの世から消えることがない
カルマはこの世の終わりまで消滅しないのである
それは確実である、この世はそういう場所なのである
天国はこの世に実現しないからである
むしろこの世は滅びると予言されているからだ
この世は個々人でも国でも団体組織でもカルマを受ける場所なのである
コロナウィルスもカルマだったのである

ともかく歴史を知ることは大事である、コロナウィルスでも日本でもスペイン風邪で被害がありその前に幕末でもコレラの被害があった
ただそれを忘れていただけなのである、だからどう対処すべきなのか?
それを歴史をふりかえり考える、それが歴史に学ぶことなのである
何か大正時代から関東大震災があり世界恐慌があり戦争となる
その歴史のカルマを繰り返すのかともなる
なぜなら米中冷戦に入りとか険悪な空気が流れて戦争に日本でも巻き込まれるかもしれないからだ、それで時代もカルマを繰り返すともなるからだ   

そして人類が滅びるまでカルマは消滅しない!

これが人間の宿命だったのである、自然災害だってなくなることはないし様々な争いであれなんでもあれなくならない、平和は一時的でありまた争いとなりカルマを業をくりかえす、それが人間なのである
個々人を見ても国を見ても世界を見てもそうである、人間の業火は消えないのである
国と国の平和もありえないのである、そしてその業火は原爆でもあり核戦争となり人類は滅亡するともなる、それが人間の宿命だったともなるのだ

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2020年08月06日

原発事故とコロナウィルスとの比較 (専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


原発事故とコロナウィルスとの比較

(専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


現代は科学抜きでありえない時代である、すべての問題が科学と技術と密接に結びついている、それを具体的に理解したのは私の住んでいる場所で起きた原発事故だった
原子力とか核とか放射線が毎日のように話題になった
だから文系でも知らないですまされなかった
コロナウィルスでもこれも理系であり科学の分野である、これも知らないですまされなくなり素人でも知ろうとした
ただ専門的なものはわからないから口出すことはできない
それで現代の評論家とかニュースの解説者は科学者でないとできない
それも専門の科学者を批判するとなると普通の人にはできない、理系でも相当に優れた人である、だから武田邦彦氏はノーベル賞もらったしんや氏をコロナウィルスのことはその専門ではないからわかっていないと批判したのには驚いた
それだけの自信が自らも研究者だから言えたのである

今回吉村大阪府知事がポピドンヨードでうがいするとコロナウィルスの細菌を拡散させない効果があると実験で出たと言った時もそうである
それを今度は専門家がそんなに効果があるものではない、かえって副作用もあり危険だと指摘した
つまり文系である吉村知事が安易に公に発言したことで問題になった
それでそのポピドンヨードが売り切れた店が出て来た
何か原発でもそうだった

政治家ー専門家(科学者)

専門家は理系でありそこで専門家が重要な役割を果たす、そもそも政治家とかは文系がほとんどだから専門的にわからない、すると専門家に従うほかないともなる
ところが専門家の言うこともまちまちである、統一されていない
それはコロナウィルスが未知のウィルスだからそうなっているのである
そもそもポピドンがいいと実験して推奨したのは専門家だからである
ただその専門家の言ったことを公の場で知事が発言すればそれは一つの政策として実行することにもなる、それでなんとかいい薬がないかというときそれに飛びついたのである

ここで政治家と専門家とがどういう役割をするのかが問題になった

そもそも政治家は何なのか?

その役割は何なのか?例えば政治家で権限をもつのは権力をもつのは予算の配分である
それは具体的に金を扱うからわかりやすいのである
どこにどれだけの金を配分するかを決める、それが政治家の権限なのである
それで研究費とかに金を出すのは配分するのは政治家の仕事だとなる
その裏には官僚がいるから陰の実力者は官僚だとされる

でも十万配布を決めたのは政治家である、また50億かけて飯館村の5人の生徒のために学校を建てたのは村長だった、また原発を作ると決めたのも科学者でも技術者でもなかった、政治家が決めて科学技術者に作らせたとなる
ここでも政治家と科学技術者(専門家)の問題が浮彫にされたのである
原発はアメリカが古い原子炉とか原子力関係のノウハウを教えて売りたいとかフランスとか協力して原子力を西側で欧米でその技術をもつということで力を得るためだった
それで日本がアメリカの属国に近いから政治家が従ったとなる

でも本当はそこに原子力の科学技術者が重要な役割を果たすべきだった

その決定には安全が最も大事だから科学技術者(専門家)の意見を重視すべきだった

それで湯川秀樹博士は時期が早いとして原発を作ることにその時は反対していたのであるつまり日本には原発の技術がなかったからである
福島の一号機の原子炉はアメリカのお古であり危険なものだったのである
また科学技術者でもいろいろ分野がある

失敗は東芝の技術者だったか、原発を建てる所を高くしていたのに電源を下にすると不便であり
コストがかかるとその高くした場所を削った

それから十数メートルの津波が来ると東電が依頼した科学者が警告していた

この二つのことが大失敗の原因になっていた
これらはコストがかかるとかで決定されていたのである、この失敗が致命的な失敗になったのである            

これは誰の責任なのか?

政治家なのか官僚なのか?

保安院がいたとしてもそれは飾りであり何の役にもたたなかった、安全を計るためならわざわざ高くして所に原発を作ることをしていたのにわざわざ土をけずって低くしたとき
保安院が危険だから高くして作れと支持するべきだったからである
保安院は何の役にも立たなかったのである
また十数メートルの津波が来るとして提言してもコストがかかるので実行されなかった
その時も保安院は何の役割も果たしていない、何か安全を守るというけど何にしていなかったのである、東電の言うなりであり政治家も何もしていない

結局そうした責任はどこにあったのか?

東電にあったとしか言いようがない

なぜなら保安院に官僚にあったとしても何もできない状態にあった、そういう権限もなかったともなる、そうした専門的なことにかかわることができなかったともなる
保安院の官僚は科学技術者ではない文系の法律関係の人だったとなるからだ
ただ官僚でも理系の人がいるしその人たちはやはり安全のことで食品でも支持している
指示する権限はもっていたのである、でも実際に工事するのは東電の支持でされていたのであり何か指示することもなかったのである

なぜならせっかく高く土盛りして原発を建てた、それを低くしろと命令したのは東電の幹部なのである、でも東北電力では副社長が10メートルでいいとしていたのをこの辺は津波が起きるから5メートル高くしろとしたときその命令が通り高くした結果ぎりぎりて津波からまねがれたのである、これも危機一髪だった
その5メートル高くしろとしたのは別に保安院とか政治家と官僚でもない
その人たちは何らかかわりなかったのである、おそらく会議にすら参加しないないのである
だからどのように政治家か官僚が原発にかかわったのか知るべきだとなる
結果的に東電とか東北電力で政治家とか官僚と関係なく独断で工事して作ったとなる
ただ東電でも東北電力でも原発に関しては国家的事業であり事故があった場合は補償することになっていた、つまりそれだからこそ原発を建てたとなる  
ここでは国家と民間との問題も生れていたのである

東電⇒高くした所を低くしろ

東北電力(副社長)⇒5メートル高くしろ


でも考えてみると国家的事業だから補償もするのだから国は安全にはかかわるべきだった
保安院でも口出しするべきだったとなる、その権限もあった

東電で土盛りした高台に建てるのをわざわざ土を削って低くしたとき
そんなことするなと支持できたのである、その権限もあったはずなのである
また十数メートルの津波が来ると報告されたときその対策をしろと命令できた
予算的にできないなら国で援助することもできたのである
なぜなら事故に成ったら20兆円とかの事故処理費用が税金でかかったからである
だからその責任は政治家にも官僚にもあったとなる
また官僚は検察で警察でも東電に天下りして利益を得ていたからである

政治家(官僚)−専門家(科学技術者)

この関係が科学技術の時代には必ず問題になる、でも政治家でも官僚でもその権限があっても役割を果たせなかった、東電を監視することはできなかった
ただ東北電力でも副社長の一存で5メートル高くしてぎりぎりて津波の被害からまねがれた、一方東電ではわざわざ高くした土を削って低くして大事故になった
それを決定できたのは東電であり東北電力であり政府とか官僚とか政治家でもなかった
つまり科学技術の時代は専門家の方が力があり文系的な政治家とか官僚でも力がないから知らないからなんら力を発揮できなかったともなる
要するに現代社会を牛耳るのは科学技術集団であり専門家集団だとなる
政治家でも官僚でも原発では金をだしても何も力を発揮できなかったからである

コロナウィルスでもそうなのである、これもやはりウィルス関係の専門家がいて政治家がいて官僚がいてこの関係がどうなっているのかわからないのである
だから吉村知事が専門家の知見をわずかの実験結果を鵜呑みにして発表した結果問題になったのである
何か今の科学技術の時代はこうした専門家は表にでてこないが現実の社会を支配しているのは専門家集団だとなる
ただ今回のコロナウィルスについては専門家でも未知であり解明されていない、ワクチンも作れないから混乱している、専門家集団でも力を発揮できない
原発では専門家はコロナウィルスよりは知っていたからこそ危険であっても電気を作りだしていたのである、そこでの専門家の力は強かったとなる
それで「安全神話」が作られたのである

いづれにしろ専門家集団がワクチンでも作れるようになったらその力はまた増す、つまり実際の社会の実権を握っているのはこうした専門家集団であり理系の集団であるともなるそれをイリイチは指摘したことは功績だった
専門家というとき例えばマスコミも報道の専門家なのである
テレビで六局しか報道できないということでもそうだった
つまり報道する権限はテレビ局六局にしか与えられていなかったからである
その権限は巨大なものとなり第三の権力ともなっていたのである
特にNHKはまさに国民を指導する木鐸ともなっていたのである
それで今インタ−ネット側から常にマスコミは批判されるようになった
youtubeとかで個人でもテレビ放送できるようになったからである

他にも専門家集団は理系だけではなく、いろいろある、法律家などもそうかもしれない
法律なしで裁判もできないのだから当然免許をもった専門家集団でありそこを頼らない限り何もできない、国民はただ専門家に頼らない限り何もできないとなっているからだ
だからコロナウィルスにしても常に細菌学の専門家が問題になる
でも放射線より今回のコロナウィルスは未知だから専門家も何か役にたたない
それで素人でもいろいろ言うというとき専門家がワクチンを作れないからである
そして経済活動をとめることがかえって自殺者を出すとかなり経済優先になる
専門家がそれは危険だとしても専門家自体が今回はわからないからそうなっているのだ
特に日本の場合は重症者と死者が極端に少ないから当然そうなるのである
つまり専門家より政治家とか素人の国民の意向が反映されるとなる

つまり吉村知事がポピドンが有効だというとき確かに別な専門家が異を唱える
でもそれも必ずしも説得力がないのは有効な手立てを専門家が示していないからである
だからそれも試しにしてもいいじゃないかとなる
本当に今回のコロナウィルスでは専門家の力の無さを露呈したのである
ただ政治家でもウィルスの素人でも自粛しろというくらいでレベルが同じなのである
何か明確な指示ができない、対策ができないのである

いづれにしろ現代が科学技術の社会だというとき専門家集団に社会は牛耳られているというのは確かである、それは主に理系でありそこで素人は何も言えない、手も出せない
その専門家集団内には立ち入ることもできない、原発がすぐ近くにあっても素人は入るな危険だから入るなとなって何もできずに住むことすらできなくなったのである
常識的に近くに原発があって危険があるとしたら一番心配なのはそこに住んでいる人である、でもその人は全く原発にかかわることもできなかったのである
ただコロナウィルスに関しては専門家自体がわからない未知なものだから力を発揮しないいろいろ言ってもそれが素人レベルにも思えるのである
そもそも専門家自体が憶測で言っているだけだからである
ポピドンにしても副作用があるから使用すべきではないという人もいればまた慎重に扱えば効果があるかもしれないともいう、明確にならないのである
だから原発の時と似ているようでそういう点で違っている
でも何かやはり似ている面もあり比較すると見えるものがある



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この図のように専門家が国家より上に立つことがある、そもそも国家とは何なのか?
その存在意義はなになのか?
なぜなら国家より専門家が上に立ち指導するとなれば国家とは専門家が国家の指導者だともなる

何かそういうことで国家の代表たる政治家と専門家が対立するとしても専門家に従うのが国家であり政治家だともなる
つまり国家とは国民のことである、国民が意志決定することである
でも国民と言っても数が多いからその代表者が政治家が決めるとなる
それで経済が苦しいと国民が訴えればコロナウィルスも怖いがどっちを優先させるかとなると国民の意向だともなる
でもまた国民自体が対立する、コロナウィルスに伝染するから観光でも規制すべきだとかなるからだ
国民自体の利害とかの対立があり政治家は国民に等しく対応できないのである

専門家時代の幻想 (イリイチ)

この古本はAmazonで7000円していた、やはりそれだけ価値があるからだろう




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2020年08月02日

事実を報道しないマスコミ (武田邦彦氏がヒットラーの宣伝工作と同じだと・・ 原発事故と同じく数字のマジックに踊らされる)


事実を報道しないマスコミ

(武田邦彦氏がヒットラーの宣伝工作と同じだと・・

原発事故と同じく数字のマジックに踊らされる)

絶対に騙されないで!政府・マスコミは恐ろしい事実を隠して報道しています。
ある自治体の人が衝撃の事実を打ち明けてくれました…

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原発事故で放射線量というので混乱した、ある学者は低い放射線はかえって体にいいとか言う、すると素人はそういうものかとも思う
それは結局目に見えて現れないからそうなる、放射線被害は十年とか二十年とかさらに三十年とか後にガンになるとか被害が出るとしたらわからないからだ
そして数字のマジックにかかる、数字にいっきいちあいする
数字で恐怖して数字で安心する、でも実際の症状が出るのはずっと後だからただ数字に
踊らされるだけだった

ただ原発事故とコロナウィルスの相違は放射線量は別に機械でも市販されていたから計れたのである、それで自分も放射線のことなど皆目わからなくてもそれで計った
それで確かなことは飯館村では一部泥の所が佐須で20マイクロシーベルトと出たのである、だから飯館村は高いと実感した、それはホットスポットだけではない
全体的にそのくらいの放射線量が出ていたときがあったのだ
だから特別飯館村の被害が大きいものだったのである
そして樋の下からは7マイクロシーベルトとかあった、それは屋根に放射性物質が雨になりたまり下に落ちてきたからである、こういうことも素人でもわかったのである

今回のコロナウィルスは確かに数字を発表している、ところで武田邦彦氏によると陽性者と感染者は別だという、感染者とは症状が出た人であり陽性者は症状が出ないから感染者ではないという、ある自治体の役人が4人陽性者が出たが症状が出たのは一人だった
となると実は感染者は一人だとして報告すべきだと指摘した
自治体の役人も四人が感染者だとしているのはおかしいと言っていたという
つまり実際に問題になるのは症状がでた感染者であり陽性者のことではないという
そこが混乱して何か毎日数が増大してゆくので怖くなる
するとマスコミにテレビにくぎ付けになる、それで視聴率が増える
それがマスコミの目論見であり正確な情報を伝えることをしていないとなる

報道とは何か?これが今問われている、インタ−ネットでそのことが常に問われ批判されるようになった、NHKでも事実を報道したりしない、NHKが報道するのを決める、NHKが何かあったらその正邪を決める、そのNHKの報道したことに従うべきだとなる
その報道することでも客観的には報道しない、NHKがマスコミの判断したように報道する、事実があってもそれを脚色したものを報道する
第一まず何か事件があったら編集会議を開きどう報道するか決めるのである
そしてその局のトップがどう編集していいか決める
それで原発事故では津波の被害者と原発避難者がいたが原発避難者側につくことを決めたのである、実際は津波の被害者の方が被害が大きかったのだけど今話題になるのは原発避難者だとしてそうしたのである

おそらくマスコミは国民受けするのを大衆受けするのを率先して報道するのかもしれない原発事故なら原発事故一色になっているからそこに注目して報道する
津浪もそうだが原発事故の方が注目するということで報道したとなる
マスコミは視聴率をとれるものを優先する、話題になりにくいものは報道もしない
それはすべて視聴率優先だからそうなる
誰も関心がない見ないものを報道しても何もならないからである
誰も見ないとしたら宣伝費もかせげないからだ、そんな番組にテレビ局でも会社で宣伝してくれともならないからだ
それはyoutubeでもプログでも同じだったのである
どうにかして視聴率上げることばかりに夢中になる、見る人が多くなればそれだけ評価があがる、影響力も高くなるからだ
それでyoutubeもテレビと同じようになっているところがでてきた
大衆受けする奇抜なものを自ら演出したりする、そういうものが大衆受けするからであるつまり視聴率優先になれば必ずそうなるのである

そもそもなぜコロナウィルスでこんなに混乱しているのだろうか?

●政府の指針

●専門家科学者医者の指針

●マスコミの指針

これらが別れて混乱しているからではないか?
それは原発事故でも起きたことである、だから原発事故ともにていると思った
ただ原発の場合は政府の指針が強力でありそれに専門家や御用学者が従った
それにマスコミも従った、それで強力な原子力村が形成されて安全神話が作られたのである

(アメリカの指針)⇒政府の指針⇒専門家科学者医者の指針⇒マスコミの指針

何か表には出なかったが原子力政策はアメリカの要請でありアメリカの指針があり日本が従ったともなっていた
この構図はわかりやすいものだったのである

でもコロナウィルスにアメリカの指針がかかわったり政府の指針で専門家とか科学者医者が従いマスコミが従いとはなっていない

ただそれぞれの思惑があり混乱している、マスコミの指針はNHKでも視聴率をとるために恐怖をあおるという指針である、それで利益を得るのは原発報道と同じである

視聴率がとれる⇒会社の宣伝費が増える⇒給料が増えるとかなる

だから盛んに数字で恐怖をあおるとなる
視聴率をあげるというときそれは視聴者にも問題があるのだ
ヒットラーだってけナチスだって生まれたのは結局国民が大衆がそれに熱狂したからである、経済もゆきづまり失業者が膨大になり苦しんでいる時ヒットラーが救世主のように見えたのである、それとメデアの力であおったのである
それでピカートはナチスはラジオから生まれた分析した
ラジオとは今ならテレビなのである、音だけの世界とテレビの映像の世界はまるで違う
そのインパクトが違う、それでイラク戦争では油まみれの海鳥をテレビで放送してフェクニュースに世界中の人がだまされたのである
テレビではその回りの状況が映されないことがある  

ツバルなどで見られる海水の湧き出しによる洪水の深刻化は、潮位だけでなく、島の地形土地利用、波力など複数の要因が関わって生ずる現象ですが、そのメカニズムは十分に解明されておらず、現時点では温暖化による海面上昇が主原因と断定することはできません

つまりあくまでも温暖化が原因だとは特定できていない、それはあくまでも推測なのである
ではなぜ温暖化がNHKがこれほどにあおるのか?何か目的があるのか?
それは温暖化商売となるかららしい、つまり温暖化で利益を得る団体があり利権がありそうなる
それは逆に原発が推進されたのは原発が利益になり利権になるからだったと同じなのか?原発は莫大な利益になり利権となったから強固な原子力村が形成されたからだ

ともかくメデアの流すウィルスにかかりそれの方が一番怖いというのがわかる
コロナウィルスの本体よりテレビによりかかるウィルスの方が怖いとなる
そしてこういう混乱状態と経済的困窮時代になるのはヒットラーが生れた時代と酷似しているという、社会全体が不安になりその解決策が戦争へと結びついた
日本がの戦争もアメリカの経済封鎖で困窮して追い詰められた結果として戦争に踏み切ったともしているからだ
つまり戦争は国自体が追い詰められた結果なのである、人間でも追い詰められ人間は本当に怖い、金に追い詰められた人間は犯罪者になるのが普通であり今日食べるものがなければ簡単に人でも殺す、ということは他国でも侵略して食料を得るともなるのである
そういう恐怖の時代が迫りつつあるということである

平和主義というとき何か盛んに平和を言う人はあてにならない
ヒットラーも平和主義者だったのである
それは右でも左でもそうである、平和平和と9条を死守しろとかなる
また創価でも池田大作が平和のことを延々と説く、でも実際は創価でも武装集団とにていて権力争奪にしか関心がないのである
平和というときそれは内心の平和であり私が詩にしたように山鳩が野に飛んできた田畑に人が働いているような光景なのである
平和とは平和を叫ぶことではない、平和な光景であり状態なのである
それが飯館村とかでは原発事故で全く失われたことを書いてきた
そういう光景自体が東京のような場所では喪失した、つまり戦争がない状態が平和ではない、平和は私が田舎で詩とかで追求したことにあった

そもそもなぜ人間社会は混乱になるのか?そこに人間社会の限界がある
イ―カロスが実は迷宮から脱出しようとした高く飛んで墜落したのである
この世はそもそもその時代から迷宮だった、その迷宮から科学技術の力で脱出しようとして墜落したのである、それはコロナウィルスでワクチンを作りこの混乱から脱出することともにている
つまり科学技術にも限界があり解決できないということなのである
だからこの世は最終的に自壊して滅びると予言されているのである
何かすでにコロナウィルスでも政治も機能しないし専門家科学者でも機能していない
こうした混乱に乗じて視聴率をあげるためにマスコミは扇動するだけだとなる
つまり機能不全に陥る、そして多機能不全で社会全体が崩壊する
つまりそこにファシズムが起こり戦争にもなる、そういう危機的状態になっている

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迷宮から脱出しようとして墜落したイ―カロス


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加治将一ちゃんねるを見ていると何か武田邦彦氏の言うことと一致している
日本は感染者がふえても死者の数が極端に少ない
その理由が良くわからない、でもそれは欧米と比べてはっきりしている

それでなぜこんなに政府でもマスコミでも感染者が増えていると騒いでいるのか?
用心することにはこしたこことがないということもある
でも過剰に恐れさせているのである
普通に手を洗うとかマスクするとかしていればそれほど恐れるものではないという
でもどうししても恐怖心を持つのである
それは人間の心理的な影響であり心理学の問題である
恐怖心というのはそういうものだとなる
その恐怖心で社会全体が委縮させられたとなる
もちろんコロナウィルスなど気にするなというのではない、その対策に従うべきである

でも日本人に必要がない、ワクチンをアメリカとイギリスの製薬会社に6千万人分注文したというのもなぜだろうとなる
全く治験(ちけん)もしていないのに危険もあるのに注文した
これも不可解なのである

これもアメリカがGEとかの会社がお古の原子炉を日本に売るために日本に原発を作らせたとかと同じなのか?
欧米には必要でも日本でぱこれだけ死者数が少ないのだから必要ないとなるからだ


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2020年07月31日

日本で起きたことが中国でも起きている (三峡ダム崩壊の危機の被害の予想-原発も危機 )


日本で起きたことが中国でも起きている

(三峡ダム崩壊の危機の被害の予想-原発も危機 ) 

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神王TV

三峡ダム決壊で、原発9基が超ヤバい裏話

ダムというのも巨大化すると自然を改造することだからそれだけで自然から復讐されるときがある、最近起きていることは世界的にも日本でもそうである
ダムの放流で日本でも危険なことになった
それからはよう湖は広大だけどそこも相当埋め立てて住宅地にとかしたという
それでそういうもともと湖だった場所がまた湖となり被害を受けやすいのである
水があふれやすいからである、それも自然の改造だから自然から復讐を受ける
それも日本と同じだった

なぜ津波でこれほどの被害を受けたのか?それは仙台の若林区の被害が大きかったというときそこは不動産屋が開発した地域だった
それで学者がそこは津波で危険だと警告したら不動産屋からとがめられたという
そして津波が来た結果大被害になったのである
何か常に利益優先になりそうなる

それから中国の原発9基が長江の洪水で危険にさらされているという、これも怖いと思った、つまり長江洪水の危機は日本の津波と似ていたのである
もし洪水になり原発が崩壊したらそれは中国一国ではすまなくなる被害になる

そしてまた共産党の政府の幹部が500年間は三峡ダムは崩壊しない

と言っていたのもそうである、必ず御用学者がそう言うのである

福島原発でも100万年事故は起こらない!

御用数学者がそう計算していたのである

この構図は世界共通である、政府が御用学者を使い安全でないものを安全だと言わせる
民間は民間で利益第一主義であり不動産屋が無理して開発して津波で被害にあった
はよう湖でも同じ構図である、湖を埋め立てて住宅地とか田畑にして被害になった
だから本当に政府を信用する、政府になんでも任せるということが危険になる

でも政府とか共産党は権力をもっているからその圧力で押し通すことができる
そこに権力の怖さがある、権力さえもてば危険なことでも押し通すことができる
それに抵抗することはできない、共産党一党支配だと反対する者は逮捕されるからだ
日本が民主主義で自由主義だからそんなことがないとしている
でも実際は原子力村が形成されたようにその体制は共産党一党独裁と似たものだったのである、原発に反対することは封じられていたからである

政府は権力で押し通す

民間は利益になればいい

科学技術者は権力に従う

マスコミも時の権力に従い利益を得る

この構図は世界共通しているのである、だからこの逆にならなければ国民の平和は守れないとなる

政府は信用するな

民間は国民は利益だけを考えるな

科学技術は御用学者になるな

マスコミは利益だけを求めるな

太平洋戦争でもこういうことがあった、戦争をあおったのは朝日新聞だとしている
政府を信用しすぎたこともある、それは天皇現人神ということで政教一致になることで加速されたし絶対化された、つまり不敗神話は作られたのである
戦争には負けない、神の国だから負けない、原発は安全だという安全神話は一体化して作られた、それはあまりに強力なものだった
だから誰も反対できないものになっていたのである
宗教でも政治権力と一体化すると危険なものになるのである

政府は信用するな、常に監視せよ!

これが民主主義なのである、中国では共産党一党独裁だからこれができない
日本が自由でも原発に関しては同じだったのである
検察官僚でも東電に天下りして利益を得ていた
だから未だに原発の責任は誰も問われないのである、無罪なのである
ただ必ず責任は誰かかがとらされる、戦争では国民が3百万人死んだし原発では故郷に住めなくなった、その責任は甚大なものだったのである
だから民間でも利益ばかり求めると危険になる、責任をとらされるのである
そこに目覚めなければならない、その責任を必ずとらされるからだ
だから故郷に住めないとか戦争では3百万人死んだとかその責任の結果を常に考えるべきだとなる
権力に唯々諾々と従っていると危険なことになり故郷に住めなくなったり死ぬことにもなる、そういう危機感をもてばいいのだが何か利益になればいいしか国民でも民間でもないのである  

結局民主主義といっても国民がこうして自ら自覚しないかぎり何の効果も発しない
そういう制度があっても活かされないのである、立派な建物があってもそれを活かす人間がいないかぎり無用の長物になる、魂が入らないのである
そうするのは国民の自覚が必要になる
そして党派があるがその党派もまた利益優先主義である
どんな組合でも団体でも組織でも利益優先である、カルト宗教団体でも何でもそうであるそこで漁業組合が東電に漁業権を売りわたしたのもそうである
もともとそんな権利もないのに私的なものとして利用して利益を得ていたとなる
こうして組合とかも必ず正当な権利を追及しているのではない
利益を優先して求めているだけだとなる
原発でも容認されるのは電事連とかがありそれで生活している人がいるのだからそこから莫大な宣伝費がマスコミに流れていた
つまり共犯者だったとなる、結局人間利益から逃れることができない、でも利益だけを求めていると危険なことになる、このジレンマをどうして解決するのか?
それが世界で共通した問題なのである  

マスコミに対してyoutubeというのができたのはいいことだった
テレビばかり見てたら政府の言う通りにもなる、それは原発の報道でもわかる
マスコミ全員が朝日新聞でも幹部が原発が爆発した時、中国に招待されて歓待されていたからである
それでyoutubeで放送されることでバランスがとれるとなる、ただyoutubeはチャンネルが多すぎるので選ぶのが大変だとなる
情報が錯綜してしまうのである、でもマスコミの六局支配は異常だったのである
それが情報を一方的にしたのである、youtubeの不思議は簡単にテレビ局など個人でもできることであった
またインタ−ネットだと一個人でも新聞でも雑誌でも発行できるメデアだと思った
だから民主主義の発展の強力なツールになるとも見た
自分自身でもこうしてとにかく自分の力で書いて報道するとき自らが力を得たとも感じるからである、でも確かに読む人とか見る人の数に左右される
その数を得ることがインタ−ネットの世界ではむずかしいのである
だからどうしても選ばれた者は読んだり見たりするがそれが意外は全く読まれない見ない無視されるとなる、これも問題だと思った




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2020年07月30日

疫神社(八坂神社がなぜ多いの?) (渡来神と疫病除けの神の謎ー災難が連続するのはなぜなのか)


疫神社(八坂神社がなぜ多いの?)

(渡来神と疫病除けの神の謎ー災難が連続するのはなぜなのか)



私たちの郷里の疫神社にはこういう由緒が書かれています。

「明暦二年(一六五九年)多田村及近邑に疾疫流行し、人民なやみ苦しめり其年十月祠官有光時安十七日間身を浄め、神道を以て妙見大明神に其の事を伺い奉るに、祇園三社を勧請し祈祷をなすべしとの霊告によりて那珂郡博多の津祇園の神を祀り、病邪たちどころに退き邑村の悦ぶところとなる。」

かんながらの道


神道を以て妙見大明神に其の事を伺い奉るに、祇園三社を勧請し祈祷をなすべしとの霊告によりて那珂郡博多の津祇園の神を祀り

八坂神社の境内の三社を巡って御朱印をいただける「三社詣」です。

朱印を頂く宝船の絵が入った用紙をとり、八坂神社の主祭神である素戔嗚尊の六世孫にあたる大国主社からスタートし、続いて八坂神社、つまり御本社へ、そして最後に大国主命の御子神でもある蛭子社(北向蛭子社)


元慶元年(877)疫病が流行したので占ったところ、東南の神の祟りとされた。そのため各社に祈り奉幣が行われたが、一向に治まらなかった。さらに占ったところ、東山の小祠の祟りとわかり勅使を発遣、祈ったところ疫病の流行が止んだ。これが祇園社の発展の契機となり

ここに祀られている蘇民将来は、牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊)から疫病を免れる茅(ち)の輪を授けられたという伝承があります。蘇民将来に縁のあるものは疫病にかからないとされ、有名な祇園祭では、粽(ちまき)などに疫病退散を願って「蘇民将来之子孫也」と書かれた札が付けられます。

平家物語の冒頭の部分、「祇園精舎の鐘の音」とあるように、江戸時代までは、仏教寺院にある鐘もあったわけです


この辺で多い神社は綿津見神社と山津見神社と八坂神社とかである
これは本当に多い、ただ八坂神社は全国的に多いのである
綿津見神社と山津見神社も渡来系の安曇氏などの祀る神だから渡来系である

ここで不思議なのは津祇園神社とある、この津なのである、これはこの辺に津神社がいくつかあることで考察した、これは津とあってもツノ神社と読んでいる
それがまぎらわしいのである、ツノとはツノガノアラシトのことのである
伽耶(かや)国の王子のことであり渡来系であり鉄を生産する技術をもった人たちでありこの地に来て鉄作りをしたのである
その跡が今の東北電力の火力発電所のある場所である
津神社は原町に二カ所とかあり相馬市の松川浦に津神社があるがその呼び名はツノミツ神社なのである、これは津波の神様だとかしたが違っていた
また妙見神社は相馬氏の祀る神でありそれは北斗七星でありこれも中国からもたらされた神なのである

神社というとき渡来系が多い、それは何を意味しているのか?
神社は祖先を祭ることが多い、とするとそれだけ渡来系の神社があるということは渡来人が日本に相当数きてその人たちが日本の国造りをしたとなる
ただ謎は逆に縄文時代から韓国の釜山辺りとか伽耶国のあった場所は韓半島でも別な地域であり文化も違っていた、それで縄文人が渡って行っていたともある、その証拠も発掘されている、つまり伽耶国とは必ずしも外国というのではなく日本と一体化した国だったことは確かである
そしてそこが照葉樹林文化帯に属している、そこは気候的にもそうなのである
南相馬市の原町区の原町区江井字西山のスダシイ神社はスダシイの北限の地としている
そして同じく鹿島区海老村のマルハシャリンバイも奄美大島から種が流れて来て根付いた北限の地とされているのである
そういうふうに気候的に温帯地域と寒帯地域の境界線としてあった地域である
その気候風土の境界線が国の境界線にもなるのが歴史ではある

陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを (笠女郎)

この万葉集の歌はその境界線だからこそ歌われたのである、ここまでは奈良時代にも知られた地域であり大和王権の領域ともなっていたのである

ではなぜこの渡来神が疫病を防ぐ神ともなったのか?
蘇民将来なども中国系の渡来神である、何かもともといた縄文人なのかその人たちが技術をもった渡来系の人たちに頼ったのかもしれない、技術をもっているということは医学の知識もあったのかもしれない、漢方薬などがそうである
それで他の病気でも直したことがありそれで頼ったのかもしれない、信仰といっても科学技術がないときは神に頼るほかないのである
それで会津であれだけ800年とか寺院が建てられたのは加持祈祷のためだったのであるだから疫病にしても加持祈祷になる、それしか方法がないからである

ともかくなぜこれほど災害がつづくのか?
それを確かに科学で解明するのが現代である、でも解明できない、対処する方法もない
ワクチンの開発をしているがコロナウィルスの正体は不明である
一度できた抗体も消えたとかある、こうして不可解なものがあると神に頼るほかないのである

津浪にしてもなぜこんな恐ろしいことが起きるのか、それも確かに科学的に解明することが現代である、でも不可解なものが残る、科学だけですべてが解明できるのかという疑問にもなる、なぜなら科学がすべてを解明していないからである
それで私は津波が起きたのは原発事故でも神からの罰だったと発言してきた
伝承でも一匹の魚を粗末に扱った結果として津波が来たということが伝えられている
漁師でも東電に漁業権を売り渡して原発御殿を建てていたとかある
それは原発前から多額の補償金をもらっていたからである
何かそうして魚をとれることよりまた米をとれることとか天地の恵みを軽視したことがあったことから原発事故が起きた
科学万能の時代だからそういうことは軽視されてきた
でもすべて科学で解明できないからこそそうもみる

第一自分自身の一身上でも家族の認知症にしてもこれも不可解な病気だったのである
そして回りで津波ー原発事故ーコロナウィルスと次々に災難が襲ってきた
これは何なのだろうとなる、それを科学で合理的に解明できるのか?
その災いのもとになっているのは何なのかとなる
それでカルマだともした、東京が一番今度は災いの地となったからだ

それで東京から来るな!

こうなったのもカルマだとなる、なぜなら福島から東京に逃れた人たちが放射能がうつるとして子供がいじめられたからである
そもそも原発は東京に作るのが危険だから福島に作ったのである
これこそ東京がやましいのである、危険を知っているからこそそうしたのである
別に東京に作って良かったのである、その方がコスト的には安上りだった
送電線でも安上りだったし東電の幹部は東京に住んでいるのだから管理しやすかったし東京都民が監視することになるから安全に目を光らせるからかえって安全が守られたとなるからだ

そして本当は津波が来ない高台に原発が作る予定だったのにコストがかかるとしてわざわざ土地を削って低くしたのである、それで津波に襲われたのである
女川の東北電力の原発も10メートルの高さにするところを副社長の提言でこの辺は津波が来るとして15メートルの高さにしてぎりぎりて難を逃れたのである

ともかくなぜこうして次々に災いが生れのか?
それが時代の大事件でも戦争でもそうである、それは偶然が重なり人智を越えたものが働いているのかとなる、戦争にしても結果はどうなるのかわからない、いくら計算しても
結果はふってみないとわからない、どう展開するかわからない、意外な結果にもなる
そこに神が関与しているのかともなる、偶然でもそれは偶然ではなく神が関与したとなると神の意志が働いたことになるからだ

聖書でも様々な災いがありその災いから逃れ守るのが神だったとなる
そこに確実に神の関与がありその奇跡を記したのが聖書である
とても科学的には説明できない、だからそんなことは作り事でありなかったともする
でも神が関与することは確かにある、ただわからないことはアメリカがなぜ日本に原爆をおとしたのか、そんなことをなぜ神が見過ごしていたのか?
神がいるのかいないのかともなる、つまり神の力が働いて原爆を落とす飛行機を墜落させても良かったとなるからだ
そんな悲惨なことを神がとめないのか?、そして津波でもそうである、なぜそんな悲惨なことを止めてくれないのかともなる
そもそもこの世にいるかぎり様々な災いから逃れようがないのである
この世はまさに火宅の世であり災いの世だということを実感した

いづれにしろカルマは必ずある、それは苦しみとなって現れるのである
本当に東京から来るなというとき東京が災いの地にもなったからだ
それは福島が災いの地となったされたと同じである
カルマは必ずいつかめぐってくる、でも何か早すぎた感じもする、カルマは何百年後かにもめぐって苦しみとなって現れるからである

次の災いは何なの?

もう米中戦争とかになる、これもカルマなのかもしれない、なぜなら日本は欧米と戦い
3百万人も死んだからである、その時中国は被害をそれほど出していない
その前に欧米に屈して植民地化されていたのである
その復讐として今中国が欧米を攻めてきているというのもカルマである
そして日本人に対してもそうだとなるがやはり欧米と対立して日本のようにつぶされるともなる
日本にされたことを今度は中国にされるのである、これもカルマなのである
この時日本が受けた苦しみを中国が受けることにもなる
ただその時また日本が戦争に巻き込まれるかもしれない、それはどう展開するかわからないのである
ただなぜこんなに災いが起きて来るのか、それが不可解でありそこにカルマが関係していることは間違えないのである

とにかくかんながらの道という神道による農業の実践には共感する
その思想に共感する、神道というとき明治以降は国家神道になったがもともとそういうものではなかった、神道というのはわかりにくいにしてもここでは農業として自然と一体化するものとして追求している、そして場を重視するというとき私が追求して来たものと同じであり不思議になった
外国でもそうして場の現象学とかに共感した、だから同じようなことを感じて同じことを追及している人はいるものだと思った、徳は孤ならず必ず隣あり・・・となる
思想的に共感するものがある、それは結局少数者である
大衆が共感するのは別なのである、それで現代ではアウトサイダー化するのである

かんながらの道 野見山広明

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2020年07月27日

嘱託殺人容疑の医師へ、患者から130万円提示か (金には責任がつきまとっている)


嘱託殺人容疑の医師へ、患者から130万円提示か  

(金には責任がつきまとっている)

(ALS)の女性患者が昨年11月下旬、計130万円を50万円と80万円の2回に分け、同容疑で逮捕された医師山本直樹容疑者(43=東京都港区)の口座に振り込んでいたことも判明。

大久保容疑者は昨年5月、自身のブログに「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた。


金はカルマとして具体的に責任としてある、だから金のやりとりから人間のことをみるとわかりやすいのである
金を受け取ることで責任が生じていたのである
それをカルマ論で私は追求して来た

原発事故でも福島県の漁業組合は特に船主などは事故前にも多額の補償金をもらっていたそれで原発御殿が建っていたと周りの者がうらやましがっていたのである
漁業権という権利自体も海の資源保護が目的として与えられている
そうなれば東電に漁業権を売り渡せるものではない、原発が建った時、漁業権を売り
事故前に補償金をもらっていたのだ
事故後なら海を汚して魚などとれないとなって補償しろとなる
現実にそうなっている、でも事故前にももらっていたのである

それを言うのはこの辺では東電の原発のために故郷に住めなくなった大被害を受けたからである
その責任を問うときなぜ漁業権を東電に売り渡したのだとなった
それは漁業組合のものでもない、今になればこれだけ広範囲に被害があったのだから
みんなて市町村でも県でも管理するものでありまたその是非は県民であれ広範囲で決めねばならないものだった、なぜならこれだけ広い範囲で放射線の被害があったからである

それは漁業組合だけではない、船主だけではない、官僚でもそうである
警察とか検事とかが天下りしていたのである
官僚がそうでありまたマスコミでも宣伝費で莫大な利益を得ていたのである
原発は金を産むものでありその金を目当てにあらゆる人が群がったのである
それが事故になって黒い金となって責任が問われたのである
でも実際は何も問われない、東電の幹部でも罰せられなかったのである
地元の人は金をもらっても故郷に住めなくなるなるとかの罰があったから責任を果たさせられた、でもそうして東電の幹部であれ天下りした特権階級は罰せられなかったのであるそれだけの金をもらっていたのだから責任があり罰せられるべきだがなかったのである
何かその責任を厳しく問うものもない、マスコミ自体はできない
みんな莫大な金をもらっていたからできないのである

金をもらえばいい金になればいいというのが現代社会である
でもこの金には明確な責任がともなっていたのである
母の実家の墓を三百万で守ってくれと言って死んだ人がいた
私ももらう権利があったがもらわなかった、でもそれで助かったと思った
墓を捨てても墓は何も言わないとしても
「お前は三百万もらった」だから墓を守る義務があるとなるからだ
するとなかなか墓を捨てることはできなくなる
それよた何か無形のものが死んだ人を供養する無形のものの責任が課せられているともなる
別に墓がなくても愛する家族だったら心の中で愛しつづけることがあるからだ

金はもらえればもらうのがいいとしてか考えない、でも金は明確にその額だけの責任が課せられている、額が大きければ大きいほど責任が重くなっているのだ
それが何らかで後でカルマとなって苦しみとなって現れることがある
ただここでの医者の嘱託殺人の問題は金としての問題でもあったことだと気づいた
安楽死がいい悪いという前にこれは金をもらっていたということで責任が問われる

「『安楽死は500万(円)』なんてふっかけても支払えないでしょう」
「リスクを背負うのに、まったくのボランティアではやってられません」と投稿していた

これは純粋に患者が苦しんでいるから殺して楽にしてやろうというのではない
すでに金をもらって殺すということの罪が問われる
そこに罪の軽重が生れる
そこで情状酌量とはなりにくいともなる
金が欲しくて殺したのかとなるからである、もし金をもらっていなかったら医者にも同情されるものがあるともなる
純粋に相手の苦しみをとりのぞいてやりたいという動機になるからだ
でも金をもらってやることは違ってくる
金が欲しいということが動機でありそこが大問題になる

だから人間の問題は金のやりとりで具体的に現れる、その罪を問う時も金のやりとりを見て判断する、それがわかりやすいからである
金には具体的に責任が課せられているからだ
だから法外な金をもらうことはいいようで後で苦しむことにもなる
原発事故では他の人はあいつらは事故の前も金をもらっていたし事故後も補償金をもらってうはうはだ、俺もあやかりたいとか言われるようにもなる
もし東電からそうしたことが金でももらっていなかったら堂々と原発に反対できたのである

例えばコロナウィルスでもGO TO キャンペーンでも二階氏とかが観光組合から金をだしてくれたことで見返りとして多額の政治献金を受ける
するとそれは純粋に観光業者に同情したわけでもない、自分たちの利益になるからそうしただけだとなる
こういうことは政治に普通にある、それがこの世だとなればなる
でもその観光業への金も国民の税金の金であり自ら金を出すということではない
国民の税金でも使うのにも責任が課せられている
でも何か大きな金はかえってその責任がわからなくなる、10万であれ百万であれ一万でもそういう金の責任はわかりやすいからだ
だから予算でも大きな金は何兆円でも無駄に使われるともなる、でもその責任も強く問われないともなっている

ともかくこの事件の注目すべきは金をもらったということにあった

ドラマであれヤクザが金をもらったので人を殺したとういことがあった
金をもらうことで責任が生れ人を殺すことになった、金にはそうして人を殺すまでの責任が課せられていたとなる
金から人間の問題が生じるのが多い、金のやりとりからみるとわかりやすくなる
だから犯罪者は借金していたとかが常に問われるのである
借金とは責任でありその責任を果たすことが強いられて犯罪にまでなる
だから金は怖いものだということである
漁業組合の船主でもそんなことを責任を考えず事故前に多額の補償金をもらっていたのである、それが事故になってそのことが問われた
他の人は自分でも知らなかったのである
だから後でこういうことで暴かれてその責任が問われる、金をもらった責任の重さを自覚させられるから怖いのである
でも普通は金をもらえばいいとしかないのである、責任のことを考えないのである

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山火事も森を再生するために必要である? (人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)


山火事も森を再生するために必要である?

(人間社会も大きな変革には自然災害も戦争も必要だった?)

そのため森林は古い巨木だけが繁った状態で固定化され、新陳代謝が停止してしまうこともよく見られる。これはまさに森林の縮退なのだが、ここでしばしば大きな山火事が皮肉にもそこからの脱出を助けることがあるのである。つまり山火事がそうした古い巨木をすべて焼き払ってしまうことで、地表に一時的に陽が戻って若い苗木が育つことができるようになるというわけである

これは興味深い、山火事は自然の摂理でありそれで新陳代謝が起きて来る
すると自然現象にはそういう作用があるのか?
津浪とかでもそうである、何かそこには自然の摂理があり津浪によって人間に甚大な被害があっても自然の作用であり自然としては海が何か蘇る、新陳代謝するということもあるのか?
人間はあくまでも人間側からしか考えない、自然の大きな作用についてはわからないからだ

それで武田邦彦氏が常に自然はでかい、人間が考えるよりごついものであり人間の活動で自然が汚されるということはない、それはあくまでもほんの一部であり自然全体を人間の作用で壊されたり汚したりできないとしている
ただ放射性物質の汚染を一ミリシーベルトにしたのかそんなに厳しくしたら住めなくなるからだ
放射性物質の汚染はまた別だったのかとなる
温暖化はないとしているのもやはり科学者でもそう見る人もいる
人間はとにかく自然といってもその一部を見ているだけなのである
自然全体を感じるとか見ることができないのである
どんなことしても人間の視野は狭い、それは人間が作り上げた歴史でも社会でも一部しか見れないから問題なのである

この原理を人間社会に適応すると

社会の新陳代謝のためには戦争とか民族移動とか動乱とかウィルスとか大きな事が必要

こうまでなる、実際にそうして社会が歴史が進行したからである
人間社会が歴史が変わる時、それで社会も大きく変わる、それがコロナウィルスでもそうだった、ウィルス自体が自然から生まれたものだからである
なぜウィルスがあるのか、これも謎だからである
そして不思議なのはコロナウィルスが若い人は感染しても軽くすみ、重症化して死ぬのは60以上だということである、これだけは明確なのである
だからこれも増えすぎた老人を減らす自然の作用なのかとまで思ってしまうのである
長生き悪いものではないにしろ全体的な生物の生存という面からみると老人ばかり増えるのは生命の維持ではいいものではないからである
そこで生命の新陳代謝のために増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生れたともなる

自然災害は常にありそれによって易姓革命が起きるという中国の思想は人間を変えるのは自然でありまたそこに神の意志もあるとなる
人間がいくら変えようとしても限度があるからだ
原発を止めようとしても止められない、でも津波が来て止められたともなるからだ
中国では今三峡ダムが崩壊するとか大洪水で苦しんでいる
大陸の洪水は水が簡単に引かないないのである、だから長期の被害になる
巨大な湖のようになって水が引かないのである

世界中に起きていること気候変動でもそうして生命の新陳代謝のためなのか?

自然の活動は地震でも津波でも火山の爆発でも大雨でも大きな地球的自然の活動である
それらがないのが好ましいとしても地球規模ではそれは自然の活動でありそれは生命の新陳代謝だとなる
だから山火事までそうなのかとなる、一旦焼け野原にすることで新しい森が形成される
木でも剪定するのは木を切ることでかえって木の伸びる力が出るという
木の花でも腐ったりしたら葉でも早めにとらないと栄養が他の蕾とか伸びる枝とかに回らない、自然には常にそうして新陳代謝する作用がある
それは人間社会にもあるのかとなる

なぜなら戦後の焼け野原に生まれたがなぜあの時食べるものもないのに子供が大量に生んだのか、誰もそんなとき子供など生みたくないし育てたくないとなるのが普通である
でも戦争から男たちが引き上げて大量の子供が生まれたのである
それは実際は理にかなったことだった、焼け野原になっても次の新しい時代を作るものともなったのである、戦争で既得権者が例えば地主などが一掃されたとかあり社会変革が起きた、そして高度成長時代になり人手はいくらでも必要になったのである

だから社会が変わる時、何か大きな事件などが起きる、自然災害も起きる
それは次の時代の産みの苦しみとしてあるともなる
それが今の動乱の時代になっているのかもしれない、日本では社会でも70年ごとに大きな変化に見舞われる、明治維新から70年で太平洋戦争になり次の70年が今の時代だからである、だからここ十年くらいは大きな変化の時代になる
そこで戦争のような混乱や苦難や大きな自然災害でも起きて来る
何か米中戦争になるというときもそうである、自然災害が頻発するのもそうである
コロナウィルスでもそうである、こうした災難の後に新陳代謝が起こり新しい時代が生れる、つまり森の再生には一旦山火事が起こりそれで新たな森が新生する

それが人間の歴史でも社会でも起きるということである
それは自然の作用であり神の意志が加わっているのかともなる
人間だけではとても一旦作り上げられた社会を変えられないからそうなっているのである
いづれにしろ高齢化社会は社会が停滞しやすい、新陳代謝が起きにくいのである
技術的にもそうである、高齢者がIT技術を使いこなせないことが新しい社会を作れないとかなる、その是非かあっても老人はどうしても新しいことについていけないのである
だから明治維新で活躍したのは20代とか30くらいの若者だったのである
激変する時代になると老人は既得権にしがみつくだけである
今金をもっているのが老人だけで金があっても使えないということがある
自分も何かやろうとして登山のリュックを買おうとしたがもう登山もできない
電動自転車の長距離用のいいものがでたから買おうとしたが体力的にできない
海外旅行もできる気力もない、携帯の翻訳機を使おうとしたがこれも使っていないとか
何か利用しようとしてもできないのである      

だから老人は一部でも金をもっていても消費できないという問題が生れていたのである
つまりそれは経済が停滞するということなのである
もちろん投資などもめんどうでできないのである
貯金していれば利子がついていた時代が一番良かったのである
たた人生百年時代が悪いわけではない、それだけ長ければライフワークをもてば凡人でも相当なことができる、結局何するにしても時間がかかるからである
才能がなくてもやはり根気よく勉強していれば身につくことがあるからだ
人間はやはり時間を一番無駄にしていることが老人になって気づくからである
新陳代謝できない高齢化社会はやはり大きな問題なのである
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2020年07月26日

米中戦争の脅威で迫られる日本を世界史的視野での考察 (独立を維持したベトナムに習う)


米中戦争の脅威で迫られる日本を世界史的視野での考察

(独立を維持したベトナムに習う)   

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SakuraSoTV

世界覇権は中国に!?[桜R2/7/25]


今日のさくらTVで中国のことを議論していた、その中でベトナムで会社経営している人の話がリアルだった
ベトナムは常に中国の脅威と向き合ってきた、でも独立を保ってきた
だから漢字も使用した時期があったが今はしていない、そこで漢字を使っているのかと
私自身がベトナムを訪ねて親しみを覚えた
逆に中国化されないために漢字を使用しないということもあったのかと思う
ベトナムは8千万人もいる、それなりの大国である
その気質としてベトナム戦争ではアメリカに抵抗してアメリかを追い払った
それは長い歴史で中国という大国と直接戦った歴史がありそれでその気概が受け継がれて独立を保ったとのかとみる
アメリカに対抗できて降伏しなかったからだ
ただフランスの植民地になったことがあった、それはなぜだったのか?
日本軍がベトナムに入りフランスとも戦い追い払ったとなる

いづれにしろ今中国は世界の覇権国としてアメリカと戦う、戦争にもなるという恐怖がある、だからなぜベトナムはそれだけ抵抗できて独立を保つことができたのか日本も習う必要がある、これも地理が関係している
陸続きだとどうしても他国の侵入があり防げないのである
中国自体はそうした他国の侵略の歴史があり万里長城ができたからである
中国とはアメリカのように多様な人種のグロ−バルな国であった
第一モンゴルが攻めてきて支配したがそれは中国でもない、満州族が支配したこともありそれも中国ではないとなる
中華というとき別に漢人だけの国ではない、漢人の回りの多様な民族の集合体としてのグロ−バルな国のことである

東南アジアでも一時カンボジアのアンコールワットは巨大な帝国の中心地としてありその栄光の跡として遺跡を残したのである
その壁画に中国人の兵士の像が刻まれてたい、つまりその時カンボジアでともに戦った中国人がいたということである
東南アジアは中国の影響が直接的になる、陸続きだからである
中国資本が入って華僑でもその国を牛耳ることにもなり反発される
日本でも中国人が多数入ってきたがそこまでは成ったことがない、でもこれから日本が弱体化するとそうなることが懸念される

日本が今中国にどう向き合うか問われている、コロナウィルスでもそうだし米中戦争が本当に現実化しつつある、すでに冷戦に入っている
中国は経済発展しないときこうはならなかった、後進国として見ていたからである
それは十数年前に中国に行った時は鉄道でも貧弱であり地方から流民化した中国人が家畜のように車両に詰め込まれて運ばれていた、実際に車掌が鞭で打っていたから家畜だったのである、それが中国で生きる過酷さだったのである
それが今や新幹線からITから宇宙旅行からと日本の技術を凌駕しているから驚嘆する
こんなに急速に国も変わるものかとみる
(三日見ぬ間の桜かな)となる
人も変わるが国もこんなに急速に変わるものだと驚きになる
技術的に日本は後進国なのかとさえみる

こうして中国が巨大化すると世界の覇権争いになる、今度は米ソから米中の覇権争いになる、その狭間にあるのが日本なのである
米ソの冷戦のとき日本は漁夫の利を得ていた、朝鮮戦争でもかえってそれを契機に日本は浮上した、ベトナム戦争でも特需となり得をした
それで高度成長時代を築いたともなる
でも日本はバブル崩壊で失われた30年となり中国が台頭してきた
そして中国が世界の覇権国になろうとしてアメリカと深刻な対立になった
アメリカは戦争を辞さないとまでなっている

その時日本はアメリカにつくのか中国につくのか問われる
親中派が自民党にも多い、まず自公政権の公明党は創価は前々ら親中派なのである
どうしてあれだけ親中派なのかわからないが中国様様なのである
それで公明党と二階が結びつきコロナウィルスな国民に十万の給付金を決定したとされる日本がの外交でむずかしいのはアメリカにしてもアメリカ自体が混迷して衰退している
もちろん中国でも巨大であり一つではない、それで覇権国の争いで争う時、どっちつかずではいられないだが両方が倒れるということがあるという説明がある
そうなると漁夫の利を得るのが日本だとなる

ただ今回はそうはいかない、アメリカはイラク戦争の時のように血の同盟を求めて来る
実際に中国との戦争となれば血の同盟で本当に命の犠牲を求める
それでこそ同盟だとなるからだ、また中国でもアメリカと切ることを要求してくる
どっちつかずではいられないだろう、傍観もできない
戦争に成ったら飛び火してミサイルでも飛んでくる、アメリカ軍の基地があるのだから当然だとなる
背後のアメリカは強国なのときは安泰だった、でも今やそうとも言えない
中国軍はハイテク化しているし侮れないとしている、その見方はいろいろでも中国は技術力がアメリカと伍するほどになっているのだ
そうしたら簡単にアメリカが勝つと中国は分断されるとかなるのか?
それは予断を許さないのである
はっきりしていることはその火の粉が日本に飛んできて日本が戦場にもなる
また日本でも国論が二分する、アメリカにつくのか中国につくのかせまられる
それはヨ−ロッパでも同じだという、イギリスはアメリカについた
ドイツは思案中だとしている
ヨ−ロッパでも分かれている、まさに米ソ冷戦時代と同じである  

とにかく世界は動乱の時代に入った、それは日本でも自分の一身上でもそうだった
家族のことで苦しみ次に津波原発事故で回りが苦しみそして今度はコロナウィルスで苦しみ遂には戦争にもなり最悪の事態になり大きな時代の変化となる
それは明治維新と同じであり戦後の焼野原のような大変化になる
ただそれが日本にとってすべて悪く働くとは限らない、つまり中国でもアメリカでも両方が戦って国力が弱体化することもありうるからだ
ただとても朝鮮戦争とかベトナム戦争とかのようにはいかない
イラク戦争の時は日本は金だけをだして直接戦闘には参加しなかった
つまり血の同盟としてアメリカ軍と一緒に戦わなかったのである
今度は地理的にそうはいかない、すぐ隣でありミサイルでもすぐに飛んでくるからであるまた海軍がすでに尖閣諸島でも占領するからである、今でもすでに中国海軍が尖閣諸島を手中にもしている、日本は何もできないとしている

日本はもともと地理的に国力でも中国の属国になりにくい距離にあった
海で囲まれていてそれが事前の防壁となり日本は侵略されることからまねがれていた
でももう航空機とミサイルとかの時代になるとそういう自然の防壁は役にたたない
ただ確かなことは日本は西欧化するときアジアで唯一植民地化しなかった国であり
西欧文明を最初に取り入れた国である、その時いろいろな用語を新しい漢字を作り翻訳したのである、それを中国で取り入れたのである
中国にはそうした西欧文明の精神を取り入れることはできなかった
だから日本を経由してその漢字をとりいれて理解したとなる
だから中国から唐から漢字をとれいれたときのように中国を尊敬していないのである
なぜ中国人が日本に来て唐の時代の中国を尊敬して今の中国を尊敬しないのかと問われる
それは中国は独自のものを作りだしていない、みんなアメリカとかヨ−ロッパのコピーなのである、その政治にして共産党王朝であり古代から変化していないのである
ただマルキシズムを取り入れたのだがそれはヨ−ロッパの思想なのである
中国独自の思想という時老子の思想とかまた禅宗の思想なのである
そこには私でも共鳴している、でも共産主義はヨ−ロッパの思想でありアジアの思想でもないし中国の思想でもないのである

ただ言えることは何かアジアが復興するというとき新しいものが求められている
それが何なのか?それがなければいくら軍事力でも技術力でも欧米並みになっても
覇権国となっても力だけでありそれで世界をリードすることはできない
西欧文明が世界を導いたのはやはり科学技術だけてはない、総合力としての文明であり
そこには宗教もありキリスト教もありそれで世界を導いたのである
中国は王朝国家であり何ら政治的にも変わっていないである
過去の栄光の中華帝国の再興なのである、それに世界がついていゆくのかとなる

中華帝国の再興は過去の亡霊である

文明は伝播してもその同じ場所で再興していないから過去の亡霊に憑かれているともなる

科学技術でも経済力でもそれだけで世界の覇権国となり導くものとなりうるのか
だから価値観の対立だとなりその価値観を共有することで戦いとなるとされる
まず中華帝国の価値観を共有することは周辺国ではしない、それは時代錯誤なのである
そこが中国の最大の問題なのである

いづれにしろ世界史的視野から見ると文明は一旦栄ても再び栄えることはない
ギリシャ文明があれほど栄えたのに今はただ遺跡だけである
確かにギリシャ人は文明が栄えた時と同じ言葉を今も使っているのである
でも今なにも見るべきものがない、何か作り出すもの工業製品もない、ヨ−ロッパ文明の発祥の地として過去を回想するだけである
文明は移転する、伝播するの法則である、ギリシャ文明からローマ文明にまたゲルマン文明へそしてキリスト教でも南方のローマで政治と一体化したカトリックとドイツを中心としたプロテスタントと分れた
そのプロテスタントシズムが基となり資本主義が生れてアングロサクソン中心の文明がユニバーサルなものグロ−バル化したのである
アメリカはそうでありカトリック系は南米とフィリンピンとかでありそこは停滞した国になった
マックスウェバーがプロテスタントシズムを資本主義の精神だと説いた時がそうである
そういう精神の態度がエトスがアメリカへ移住した人たちによって実現された
ただその資本主義ももう銀行で投資先がないとかゆきづまった、極端な格差社会になり
資本主義の終わりが言われるようになった
                                                                              
ともかくエジプト文明は終わりギリシャ文明は終わりローマ文明も終わった
ただ西欧文明は一連のものとして継承され発展してきたのである
ただアメリカ文明はその継承というのではなく何か物質とか技術に特化したものであり
そこから精神文明は生まれていないのである
つまり科学技術文明であり精神文明ではない
文明というとき精神文明が根底にあり生まれた、エジプト文明でもそうでありキリスト教文明もめうでありイスラム文明もそうである
インドのヒンズー教が仏教になり中国に伝播して仏教文明が作られて日本にも伝播されたのである
つまり宗教があり文明が形成されたのである 
文明は常に伝播して発展してゆくのである、周辺国に必ず伝播して独自のものとして発展するのである
現代の文明は科学技術文明であり精神文明ではない、それで新しい文明は生まれないとなる

19世紀ドイツの思想家は文明と文化をはっきりと区別して、文明は機械、技術、物質的要素にかかわるものであり、文化は価値観や理想、高度に知的・芸術的・道徳的な社会の質にかかわるものだとした。この区別のしかたは、ドイツ思想界には根付いたが、それ以外の場所では受け入れられなかった。…… 

現代文明は物質の荒野と化したのである、それは東京とか密集した大都会が世界中で同じようになっている、
文化は価値観や理想、高度に知的・芸術的・道徳的な社会の質にかかわるものだとした

これがないのである、だからむしろ文明はグロ−バルに画一化したものであり文化は多様性なのである、なぜなら場所というのは無数にあり多様だからである
だから地方都市から田舎から新しい文化は生まれるのである
つまり文明の時代は終わったのである、米中の覇権争いは機械、技術、物質的要素の争いでありそこに文明の基礎となる精神文化がないのである
第一中国の老子の思想があるとして中国自体がその思想と関係ない、マルキシズムはやはり唯物論となっているごとくそうである
アメリカも物質主義であり唯物論なのである、だから資本主義であれ社会主義であれそれは唯物論なのである、文明の支えとなる宗教はないのである
そこにただ巨大な軍事力でも技術力で争う、そして最終的には核戦争で両方とも自滅するともなる

では日本はどうかというとそれは日本人自身がわかっていない、ただ日本文化として
敵味方塚)があることは世界でありえないことである
敵を殲滅することが普通である、中国では敵を許さない、死んでも許さない、墓を暴いてまで罰している、それほど民族同士でも同じ国民でも熾烈な争いになる、弱肉強食なのである
だからキリストの言う「汝の敵を愛せよ」というのはこの敵味方塚に現れているのだ
それが日本で日本で実現されていたのである
日本は高度成長時代はやはり技術面で有利になった繁栄した
しかしそれも衰退して貧困化している、では日本はどうなるのか、日本の使命は日本が自然と歴史で培った文化にある、それが普遍的なものとして世界に共有される
私自身でも田舎で自然と一体化するアイディンティティ化することを詩作することでしてきた、自然に調和があり人間はそこで安心立命を得るのである

それは東京とか大都会にはありえないのである
そこは迷路であり迷宮であり脱出できないのである
そしてその迷路からイーカロスは翼で高く高く飛んで脱出しようとしたが墜落したのである、迷宮から脱出するのも技術の力だった、でもその技術でも限界があり高みから墜落したのである
それこそ原発事故でもあったのだ、原発を操作する力が人間にはなかったのだ
また核を破壊するなどのしてはならないことをしたことにより罰せられたのである
遺伝子操作などでも思わぬことが起こる、そこに人間の限界があった
そのために過酷な罰を与えられたのである
そういう神話的場所になったのが自分の住んでいる場所になったのである  

とにかく新しい文明はもう起こらない

資本主義は終わる                  

グロ−バル化経済は終わる

そして文化の時代になる

地域に根ざした文化は多様に発展する 

こうみると何か中国とアメリカの力による科学技術力の争いは前時代的であるし中国は古代中華帝国を夢みた再興なのである
でもそれはまさに誇大妄想なのである、文明はその地で復活して再興したことがないからである、伝播して発展することはある、仏教でも韓国を経由して日本に伝播されても韓国の仏教と中国の仏教でも日本ではまた日本独自の仏教として発展したからである


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2020年07月22日

コロナで問われた観光立国の政策


コロナで問われた観光立国の政策

(桜北海道チャンネルで批判したことに同調)

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このyoutubeで北海道観光について疑問を呈している
観光立国という政策ににも反対している
これは何か今の時期に言うことはあまりない
ここでは観光立国より日本は物造りで栄えたのだからそうすべきだとしている
そして一兆二千億の金をつぎこむのは無駄だとしている
無理して行きたくない所に金まで出して行かせることはないとしている
金を出さなくても魅力が場所には行くとしている

観光で気づいたことは水ものだったとういことである
一挙に90パーセントも減る、ばったりと外国人でも来なくなる
これも信じられないことだった
北海道は外国人に人気があり外国人専用のリゾート地と化している場もあった
それで地価が上がったりした

そもそも観光立国となるようだ国も終わりだとなる、それはギリシャを見ればかわる
観光意外なにもない、産業がない、観光しかない、そしてヨ−ロッパでもそこは保養の地でしかない、誇るものは過去の栄光の遺跡しかないのである
だから経済危機になり国がつぶれるとまで一時なった
観光しか売り物がないということはそう言うことなのである
観光があったとしてもそれは付随的なものであり主要なものとはなりえないのである

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ホテルリステル猪苗代

地上18階/地下1階建 全370室

このビルを見たら凄い、こんなのあったのかとなる
千人くらいとまれるし一日の維持費だけで何百万だとかも言っていた
だからこんな大きくなると今回のように外国人でもぱったり来なくなると影響が大きすぎる、またこれだけの投資をしたということにも驚く
それだけ客を見込んでいたということである、これは別に投資したのは大手であり地元ではない、でもはずれたとなるとその損失も大きすぎるし地元の影響も大きすぎる
それはイオンとかともにている、そのために地元の商店街が廃れたとなる
ただ観光ではかえってこじんまりした割安なゲストハウスとかもありそれはそれなりに利用されるから違っている

でもこういうのを見るともはや前にも述べたが旅の宿とは関係ない、こんな巨大なホテルに泊まっても旅の情緒を味わえないだろう
団体旅行向きでもある、もうホテル自体を楽しむとなるのだろう
そこに娯楽施設があり楽しむ、景色を鑑賞するとかあってもそこですることがまるでデズニーランドのような娯楽施設なのともなる
私はこういう場所に泊まったことがない、私はただ泊まれればいいというだけだった

それで湖南町福良の蔵の宿に自転車で行って泊まった、それが情緒があったとなる
それは民宿でもあった、自転車旅行はホテルは泊まりにくい、汚れている場合もあり
受け入れにくい、だからテントに寝たりするのが多かった

いづれにしろこんな巨大なホテルの客室を埋められるのかとなる
今回のコロナウィルスはそれで観光業界が打撃になった
急激に90パーセントとか減る、そしたらもう一日電気代とか何百万かかるとした維持できないのである
それから交通関係も航空会社も鉄道もバスでも観光がとまるとその影響が大きすぎたのである、だからこんなことを予想できなかった

私は旅が人生ともなっていたから観光とか旅館とかホテルでもかかわりがあった
ただ金がないので温泉旅館にも泊まったことがない 
ただ一回くらい北海道の辺鄙な旅館に泊まって体を休めたことがあった
あとは何か泊まって楽しむことはしていない、一夜の旅の宿にすぎなかった
ただ一回だけ山形県のホテルで自転車でも泊まれた
断れると思ったがいいですよと泊めてくれたのである
その女将は親切だったのである、だからこうしてそんなホテルで自転車旅行者に気づいかいしてくれるのは例外的だろう、そもそも自転車旅行者はそんな所に行かないからだ
ふさわしくないからだ、ただここはホテルでも女将がそういう気遣いをもっていたのである、つまり前にも書いたがホスピタルから発したもの病院にもなりホテルになったからである
建物でもこれだけ巨大化するとそうしした心は失われてしまうだろう

いづれにしろ現代は交通の発達で旅はなくなったのである
旅するという時、その労力が大変なものになるしかえって金でもかかるとなる
自転車旅行がまさにそうなのである、それは少なくても一週間はかかる
すると会社員ではできないとなるからだ、二三日ではないからだ
それで歩く旅をしている人もいるがこの労力も大変なものになる
私自身は一回も歩く旅をしていないからだ
そうしたホテルに泊まることはもう旅ではない、ただリゾートで体を休めるとかうまいものを食べたいことしかない、そして旅の記憶が残らないのである
何か食べたとかは刹那的なものでありそれっきりで忘れるからである
つまり人生とは最後は思い出しか残らなくなる
でも現代の観光はそうした記憶が残りにくいのである 

何か観光というとき私は日本中ならほとんど旅したからいろいろふりかえる
北海道にはほどんど行った、最初は北海道から旅をはじめたからである
その後も電車でも自転車でも行った、苫小牧から稚内までも行った
これが長く一か月かかった、だからこうして旅ばかりしいると社会からはずれたものになった、そういうことができたのも家族に恵まれたためだったのである
それでもそこで地理を体で知ったりと本ではない知識が身についたとなる
まず地理は実地にその場を踏まなければ知ることができないからである
だから何もしなくても世界でも実地にその地を踏むことは外国を理解する第一歩なのである、ただ外国も旅したが広すぎて一部になった
それでも50歳以降旅したことは遅かったが外国を理解するには不可欠だった

そして60以降は介護になり何もできなくなったしまた旅する気力もなくなったのである
旅は何かやはり忘れやすい、でも何か印象に残った場所は忘れない、そういう場所はごちゃごちゃした都会ではない、自然が映える場所である、でも明石城が記憶に残ったのは
前が海で船が行き来して夕陽が映える光景だったからである、そういう場所か東北の太平洋岸にはないからである
もうこの年になると鳥のように飛んで歩くより牛のように一歩一歩住んでいる場所を歩き土地と一体化することに向いている
だから旅は滞在型の旅がいいとなる、一週間くらいある場所に滞在する
ヨ−ロッパだったらバカンスである、どんな土地に何か見出すものがある
その見出すものが近くでもあったが発見されなかった、灯台下暗しだったのである

北海道テレビというのも面白い、youtubeだとこうした地域のチャンネルが生れる
プログでもそうである、するとそこで地域に根ざした人が語ると違ったものになる
なぜなら人間はその生活している場所と深く関係して知らずに住んでいるからである
基本はその場所に生活している人がいて観光がある
その生業があり日常があって外から来る人の観光がある
それが観光がその地域の主体となってそこに住んでいる人が観光に頼り観光が生活そのものになると本末転倒になったともなる
だからコロナウィルスでばったり人が来なくなってもうつぶれるとなってしまった
日本でも観光立国はおかしいものだしオリンピックだって一時的なものでありそれより恒久的なものを目指すべきだというのが正論である
そういうことがマスコミでは言わない、それをこのyoutubeチャンネルで言っていたので
感心したのである

結局一兆二千億とか援助しても観光組合の利権団体にその金がながれるだけだとかその見返りにまたそうした利権団体から自民党に献金される構図になる
この辺で莫大な金が復興に使われた、除染でもゼネコンに何兆円と使われた
そしてまたゼネコンから自民党に献金される、何か政治はそういう構図になっている
でも結局そうししても福島の復興はなかったのである
だから金をいくら使っても必ずしも復興になったり効果的にもならないのである
金が万能のようでも金だけではどうにもならないものがある
ホテルリステル猪苗代でも巨大な城のようなものでもそれが無用化することもありうる
リニアでもこれだけ交通でもコロナウィルスで利用しないとなるといらないとなる
何か戦艦大和のように一戦も交えず海の藻屑と消えることもありうる


新型コロナウイルスによるホテル・旅館の倒産まとめ 

全国で41社が倒産し負債総額828億円

※6 月 30 日時点


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2020年07月20日

6号線でホンドキツネが交通事故で死亡


6号線でホンドキツネが交通事故で死亡

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これは犬ではないだろう、口とか尻尾がキツネなのである
その体毛とか色もキツネ色と言われるものである


これはキツネである、犬とにているようでも違う
北海道では日常的にキタキツネを見る、これはホンドキツネである
本州に本土に生息するキツネとなる
生息の地図を見ると全国的に生息している
でも2003年とかか最新で今はどうなっているかわからない
キツネは震災の時、荒地と化した田んぼを一目散に走っていた
それは犬だと見えたがキツネだった 

原発事故で人が町からもいなくなったとき猿とかイノシシでも街の中にでてきた
人がいなくなると野生の動物でも植物でも元の自然にもどる
草ぼうぼうとなり放置していると木が育ち森になってゆく
チェルノブェリではヘラジカとかがもどり増えた、狼ももどってきた
だからこの辺でもそういうことがあった
猿でもイノシシでも街にでてきたり人家を荒らす
飯館村とかでは畑がイノシシに荒らされていた
浪江とか双葉とか大熊とかは田畑が荒地化したから野生の動物が住みやすいのである

ただ事故前でもキツネはいたのかもしれない
これは夜行性とかありなかなか見れない、タヌキと結構みかける
キツネは犬と間違えやすい、今回死んだのも犬かと見た
でもこれはキツネだろう
口がとがっているからだ
何か精神病をキツネ憑きとか言ったのは口がとがっていることが似ていたからだろう
キツネの昔話が多いから昔は日常的にキツネと接していたのだ
子供の頃、近くのニワトリがキツネに襲われたとか話題になった
すると街の方にも来ていたとなる

人間はなかなか自然のことを今わからない、田舎に住んでいてもわからない
農業しているのは田舎でも一割にみたないからだ
みんな会社員になっているからだ
私の父親は何か戦後仕事がないのか、イタチとりしていた
そのイタチを飼っていたことがあった
その皮をとるためであり屋根に干したりしていた
そして母はイタチは人に絶対になれないと言っていた、餌だけをとり人になつかない
そのイタチも逃げた、イタチは今でもみかける、すぐ街中の川の土手でもノウサギを見ただから野生の動物は結構いる
原発事故で農家が空になり捨てられた所にカモシカを見たのは驚きだった
それ八木沢峠に行く手前の大古とかであった
これも原発事故の影響で人家近くに来たとなる

動物でも交通事故は無惨である
口を空いて断末魔の形相だった、普通に死んだらこんなふうにならないだろう
キツネはまだ田舎にはいる、ただキツネを子供の時でも見たことがない
キツネがニワトリを食べるとか聞いてもキツネそのものを見たことがない、これは犬と間違いやすい
カモシカは橲原(じさばら)の八木沢に行く薔薇坂で見た
意外と平地におりてくるときがある
動物でもやはり注意してみているべきである、動物もやはり生態系に依存して生きている

posted by 老鶯 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年07月18日

コロナウィルスが問うたもの (ヨ−ロッパの科学技術文明のの限界現象が起きている)


コロナウィルスが問うたもの

(ヨ−ロッパの科学技術文明のの限界現象が起きている)

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科学技術は何でもいいとしてそれ自体に歯止がかけられず発展してきた
ただギリシャ神話の時代にすでに科学技術の危険は神話として伝えられていた
それがゼウスから火を盗んだプロメテウスであり過酷な罰を受けた
だからその時から何か科学技術は危険なものとして認識された
それはイカロスの飛行の墜落でもそうである
どこまで高く飛行しようとして墜落した
それはロケットの墜落ともにている、科学技術の限りない挑戦でありでも人間の力では及ばず墜落した
つまり人間の能力に限界があるからそうなったのである
そして人間の技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである
この言葉のように日本語ですら技術が災いをもたらすこととして残していたのである

それは福島で原発事故がありそれがまさにギリシャ神話の世界になったことである
空気から水から土から森林からあらゆるものが生態系全体が汚染されたとき人は住めなくなったのである
除染するにもプルトニウムが二万年たたないと消えないという空恐ろしい被害だった
今でも飯館村の山菜の放射線量が増えているのである
森で放射性物質が循環するから消えないからそうなっている

とにかく20世紀は科学技術の時代だった、それも原子爆弾が日本に落とされたようにそれが核戦争となり人類滅亡の危機になった
福島の原発事故もそうである、これは世界中にあるからいつ事故になったり何かあれば戦争でも核戦争となり人類は滅亡する
そしてなぜそんな恐ろしいものを科学者でも発明したのかとも問われる
アイシュタインは広島の原爆でそれを作りだしことで反省した
剣をとる者は剣で滅びるというときまさに人間は核兵器で滅びるとなる
ただ一方で平和利用はよしとされた、それで電気を作ることは奨励されたのである
でもそれも実際は危険なものだったのである

ただ人類的にみるときなぜ人間はこうした科学技術を制御できないのか?
核の様なものでなくても技術の発展は発明でもそれを止めることができないのである
技術の発展はいいものとして止めることができない、またそういう思想もないのである
車でもどこまでも早く走らせようとしたり飛行機でも音速で走らせようとしたりリニアで飛行機並みのスピードで走らせる、ただ原理としては浮上させるのは摩擦をさけるためでありそれは素人でも意外とわかりやすいのである
必ず摩擦でスピードが出なくなるからだ、重力が働いて限界が生れる
すると無重力の状態にして浮上させて走るというにしようとするのは摩擦の関係でわかるまた空気抵抗があり新幹線の車体はあのように流線形になる
何か理系でなくても原理的思考でわかる場合がある
常に風の抵抗とか摩擦とかは感じているからである

でも技術の発展がそれがすべていいものとして必ずしも働かないことは現実として20世紀で証明された、それは甚大な影響をもたらして地球環境でも破壊して汚染して人間が住めない世界を作り出すようになったのである
それで今なぜ水害でも三峡ダムとかでも崩壊が起きるとかなるのか、つまりダムでも溜まったら放流せざるをえない、すると洪水が起きる
ダムもまた不自然なものとして人間の技術で作ったものだからそうなる
常に人間の技術は自然に逆らうものだからそうなる

そしてコロナウィルスでもこれは科学技術とは関係ないにしろ科学技術がもたらした交通の発達の結果として空間が狭められたことにより人間はグロ−バルに自由に行き来することから同時間に世界中に広まったのである
それは船による大航海時代からアメリカのインディアンとか南米のアステカとかインカとかが簡単に滅んだのはウィルスが関係していたということでもわかる
人間が移動するとウィルスも同時に移動してゆく
そして移動した先でウィルスは猛毒化してゆく
ウィルスは風土病とされたときある地域内にとどまっていれば広がることはなかったからである、だからシベリアのカモにウィルスがいてもそこでは共存していた
でもそのカモが移動した先でウィルスが伝染したのである
つまり一地域の風土内でウィルスは適応して悪さをしなかったとなる

だから不思議なのはコロナウィルスが人間の文明活動を科学技術によるグロ−バルな経済活動を停止させた、そしたら交通事故もへり大気もきれいになりベネチアでは海水もきれいになり魚が泳ぐのが見えたとなる
それだけ人間の文明による活動が科学技術で拡大して限界に達していたのである
また人類の人口増加も地球で養いないような状態となっていた
それでこれから食料不足が来て飢饉が来るとなる
何か地球が人類でも限界状態になっていたのである
そういうときにコロナウィルスによりそうした活動が魔法のように止められたことが不思議なのである、それでこれは神の意志が働いたそうなったのかとも見た
小川未明の「眠い町」のような働きをコロナウィルスはしたのである

いづれにしろ人間の技術の危険性はギリシャ神話でも指摘されていた
神話とか聖書でもそうだがそれは人類普遍のものとして予言して警告していたのである
それから老子の思想でもそうである、道具を否定して小国寡民かいいというときもそうである、つまり中国で一億もいないときにそう見ていたのである
そんな時でも人口が多い見ていたのである
それかその十倍以上になっている、道具を否定してもその道具が核兵器まで発展した
それが限界に達していたのである

ただこの科学技術を制御する思想とか何か減らす思想というのは西洋にはないと思う
何か常に増やす思想であり経済でも増やして拡大してゆく思想である
それは資本主義の思想である、だから世界大航海時代をヨ−ロッパが築いたのである
そのことが植民地にしたということで黒人からも否定されてイギリスの奴隷商人の像が引き倒された
黒人にしてみればヨ−ロッパのしたことは許せないからである

今世界史的には変換の時が来ている、欧米は衰退してアジアが興隆するサイクルになる
それは500年とかの周期で起きるという時、そういう時期になる
中国がインドがまた興隆してくる、ただその先駆けとして西欧化した日本が興隆したとなる
ただそれは科学技術の面だけではない、思想的な面でも転換の時期である
西欧的資本主義とか成長拡大路線の縮小化なのである
アジアに宗教は生まれた、宗教はやはり共通したものがありキリスト教でも仏教でもイスラム教でもそれはアジアから生まれたものなのである
キリスト教がヨ−ロッパから生まれたようにみる、あれだけの教会があるのだからそうみる、でもそれはヨ−ロッパ的キリスト教でありそれはカトリックに代表される
それは極めてローマ帝国から発祥した政治的なものだったのである
本当のアジアの思想は仏教でも老子の思想でもキリスト教でも共通しているのである

アジアが人間の根源であり文明の源でありヨ−ロッパ文明ではないのである
だから人間の人類の歴史はアジアに帰る、アジアがすべての母胎だからである   
イスラエルとかエジプトでもイランでもイスラム圏でもオリンピックではアジアの代表になっている、現実に歴史でもヨ−ロッパはアジアの辺境として発展した地域だったのである,ヨ−ロッパはイスラム圏の辺境であり貧しい地域だったのである
学術的にも技術的にも遅れた地域だったのである
数学でも代数はアラビアから生まれた、ゼロの観念はインドから生まれた
ただそれらが忘れられたのはヨ−ロッパが文明の中心となったのが20世紀だったからなのである、それは主に科学技術の成果がヨ−ロッパから生まれたからである

それでアジアとは何かもわからなくなったのである、アジアは遅れた地域だというしかならなくなったのである、その象徴が中国がヨ−ロッパの植民地化したことである
あれだけの大国が衰退してヨ−ロッパに支配されアメリカにも支配されるようになったのである
それで今反撃に転じているがマルクスの思想をイデオロギーとしてもこれもヨ−ロッパの思想である、だからアジアの思想ではないのである
中国がアジアの指導者になる、一帯一路とかであるとしている
でも中国自体がヨ−ロッパのアメリカのコピーでしかないのである
科学技術でもそうだしイデオロギーにしてもそうである、それはアジアの思想ではないのである
だから中国はいくら大国でもアジアの中心となる、過去の栄光をとりもどすとしても力だけではコピー文化ではなれないのである

むしろ日本のみが西欧文明の挑戦を受けて西欧化した唯一の国だったのである
だから日本もアジアでありアジアを先導したともなる
ただ戦争に負けて今度はアメリカ主導の世界となったのである
でもアメリカはヨ−ロッパ文明の延長でありアメリカ文明というのはないのである
アメリカは成熟した文明になっていない、ただ物質的に科学技術が突出して発展した国なのである、そこに精神文化は形成されていないのである
だからアメリカには宗教でも哲学でも芸術もないのである
ただエジソンのような科学技術の発展のみがある
精神的に成熟した深い文明はないのである、だからプラグテズムの実用主義しかないとなる、それ以外は眼中にないとなる
その科学技術が世界的に環境でも破壊して限界に達したのである
アメリカ国内でも西へ西へと進んでアジアに達しても戦争とかて進み続けたのがアメリカだった
日本との戦争もその一環だった、なぜならその後にベトナム戦争がありイラク戦争があったからである
それで地球を一周してイスラエル建国がありアジアを征服したという感覚になっていた
それで今度は中国台頭してアメリカは西への侵攻からアメリカファ―ストになり世界進出を制覇をやめたともなる

何か自然には自然の法則があり理がある、天理がある、それを破る時災いが生れる
ただ科学技術には限界がないものとして科学者が神にもなろうとしたのが現代の文明だった、そこに制限はないのである、だからイカロスのように墜落するのである
ヨ−ロッパの思想には減らすとか無用の用とかインドの無の思想とかゼロの観念がないのである、確実に原子とかあり世界は物質で埋め尽くされる、用の世界しかないのである
それはギリシャからヨ−ロッパが発展したのでありアジアの聖書から発展したとはなっていないのである、根本的にヨ−ロッパのものとしてキリスト教でも解釈したとなる

ともあれこのコロナウィルスに対応するにはどうするのか?
それは不思議だけど移動しないことなのである、定められた一地域の風土に収まりそこから出ないことなのである、その地域の風土に即して生活をする、自給自足することを基本とすることなのである、だからそうして地域地域は離れて交わらず小国寡民になっているときウィルスに対応できる
小国寡民とういとき人口がまばらで少ないのだからソーシャルデスタンスがとれる
人口が多い大都会とかは密集ししてデスタンスがとれないからウィルスの感染を止めることができないのである
だから大都市そのものが自然の理にあわない、生態系を無視している
そこに自ずと災いが生れる、だから東京から脱出して分散して住むのがいいのである
そういう大変化がはじまる、それをうながしたのがコロナウィルスだとなる

グロ−バル化⇒小国寡民

資本主義⇒欲望の制限、アジアの宗教へ帰る

科学技術社会⇒環境破壊⇒核戦争の恐怖⇒制限の思想

このようになるがコロナウィルスの不思議は小国寡民というとき大都会の密集した生活の否定なのである、そこではどんなことしたってソーシャルデスタンスはとれない
つまり感染を防ぐことができないのである、もし分散して住んでいればそうはならないのである、そして世界中が交わることはいいこととなっていたが本当にそうなのか?
それが悪い面として露骨に現れたのがコロナウィルスだったのである
グロ−バル化というとき何でも食料でもあらゆるものが入ってくる
それで牛から豚からパンかはワインからあらゆるものを食べるようになった
もともと中国は大陸国家でありないものはなかった、それで動物でもあらゆるものを食べていた、何かがつがつしている、それはまた人口が増えたことにもよる
遊牧民だと家畜を飼う文化は動物を食べる、動物との接触が身近になる
それでどうしてもウィルスに感染しやすいから発生源となり世界に広まる

おそらくエジプト文明時代からウィルスはあり感染が広がっていた
ローマ帝国が衰退したのはウィルスのためだったという人もいる
現実にウェルギリウスの農耕詩に家畜がばたばたと苦しみ死んだことが記されている
そこでは一村が廃村になったりしているから今と同じことが起きた
そして日本にはもともと魏志倭人伝で牛、馬、羊がいない特殊な国として認識されていた日本人は漁労民族であり家畜を飼っていないし食べてもいなかった
ただ鹿などは狩りして食べていたのである、でも海産物主体の食生活でもあった
それが世界で見れば特殊なのである
人間はそれぞれの風土にあった生活を強いられている、それで体も作られている
日本人の腸が長いのは穀物を消化するためでありまた欧米人が肉を消化する酵素がでるというときもそういう食生活だったからである
その食生活から体が作られてきた、日本食世界でいいというとき日本人が長生きだというとき何かそうした風土とか食生活とかから体が作られてきたからである

西欧文明は科学技術文明でありアメリカはその延長の文明であり独自のものではない
確かに技術は発展して世界を導いたとしてもアメリカはヨ−ロッパの延長なのである
それでヨ−ロッパ文明が限界に来たときアメリカもその派生なのだからゆきづまるとなるただではアジアとは何か?それが西欧文明一色になったとき見失われたのである
これまでもただアジアというと中国であれインドであれやたら人口だけが多い貧しい国だけだとなっていた、中国は豊かになってもやはり半分くらいが依然として貧困なのであるいづれにしろアジアというとき何なのか、アジアに再び新しい文明の復興があるのか?
それが模索されているがとても中国がその指導国とはなりえない
依然として政治体制としては王朝国家でありそれに共産党のマルキシズムのイデオロギー国家でありそこに新しいものは起きていない
旧弊な政治体制の継続でありそこにただ欧米からコピーした科学技術があるとなる
人権なともそこにはない、強圧的に権力で周辺の少数民族を弾圧する
チベットとかウィグルとかの次はその周辺国に及び日本もその範囲に入っている
そして中華帝国の古代の先祖帰りとなる、そんな世界観を受け入れるのか
それで日本でも大きな抵抗が生れる

いづれにしろ大きな時代の曲がり角にきている、そこで大きな混乱が起きる
自然災害も起きる、三峡ダムの崩壊とか原発のような巨大事故も起きる
コロナウィルス禍でも時代の変わり目に現れた災難である
そのためにこれまでの世界まで変わる、時代の節目にそうした大きなことが起きる
そうしてミクロ的なことではなくマクロ的に世界をみる
そこで日本の立ち位置を知る、ただ人間は常に目前の事象に事件に追われる
だから大きな視点で見ることができないのである
毎日目前のことに追われる、大きな視点で未来を見るということができないのである
こういうときは大きな変革が要請されるから犠牲もともなう、でも明治維新でも侍は侍でありたいと固執した、西郷隆盛はそのために旧勢力の侍にもちあげられて西南戦争で死んだのである
世界史は結局旧勢力と新勢力の争いなのである、それは国内でも起こり世界でも起きる
ただ必ず新勢力でも国々に歴史があり復古にもなる
日本でも天皇とか神道の復古があったからである、中国も王朝の復古になっているからだそこに新勢力の課題がある、人間は全く新しい世界を作りえない
必ずその国の歴史があり文明の挑戦と応戦があり歴史は展開する 

小川未明 「眠い町」

これは何かこうしてがむしゃらに科学技術社会化したものを止めるということにある
コロナウィルスもこの童話のようにな魔法の砂で交通がとまり文明の活動が一時的にとまった、そしたら交通事故がへり水もきれいになり空気もきれいになったからだ
これは神が魔法の砂でウィルスでとめたのかとも見た
何かそうした不思議な作用が自然にはあり自然は科学者によってすべて解明されていないのだ
コロナウィルスがいろいろ変異しているというのもそうである、このウィルスは新種であり謎であり解明されないからそうなる  


神の技と人の技

(Human beings unite with the universe and become a Giant)

時に人の技を安め
その技をとめよ
大いなる無用の空間にこそ
神の真の用がある
大いなる山は沈黙して
太陽は静かに輝き移る
人の技は限りなく疲れる
決してその技は完成しない
神の技はすでに完璧に完成している
人はただそれを讃える者としてある
その広大な海、山々、宇宙
そこに自ずから神の歌が響き渡る
精妙にして雄大なる楽が鳴り響きわたる
時に人の技を休めて
大いなる神の歌に耳を傾けよ
荘厳なる沈黙にひびく神の歌を聞け
一大ハーモイのシンホ二ィーを聞け
山は今日も深く黙しつづける
その内に向かって強く堅固に不動に
神の技はすでに完成して与えられている
人よ、なぜなお人の技を付け加えて労するや
無用の用のなかで人は大きくなる
汝は神の子にあらじや
汝に糧は与えられしにあらじや
神を賛美する者なれば・・・


結局人の技には限界が生じる、文明でもそうである、でも神の技は無限である
すでに地球自体を知りえようがないしまだ詠われていないことでもわかる
依然として未知であり神秘なのである
それが田舎でもすぐ近くにそうした人の踏み入らない神秘な場所がある
それはただ発見されないだけだったのである
人生百年でもそうして発見されないことは無数にある
要するにこの世とは永遠に発見と創造の世界なのである
決して未知がなくならない、神秘もなくならない、新たな発見は創造はつづく
そして全能の神は新しいものを作り出す、新しい道を作り出す
それは人間の技ではなしえないものを新たに作りだすのである
神は確かに見ることはできない、でも神には人間のような限界はないのである
つまり創り主の神の創造は終わっていないのである
それは人間が不完全なことにも現れている、コロナウィルスのように未知の病気で死んだり社会が混乱するのもそうである、人間の技が科学技術でもイカロスのように失墜するのである、神は決して失墜することはないからである
そこに人間の技の限界があり文明もまた不完全であり何かの原因で過去の文明も滅んだのである

自由自在に空を飛べるイーカロスは自らを過信し、太陽にも到達できるという傲慢さから太陽神ヘーリオス(アポロン)に向かって飛んでいった。その結果、太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死した。

本当にギリシャ神話のようなことが自分の住んでいる福島で起きた
だから神話のような場所になったのである
なぜなら二万年もプルトニウムの毒が消えないとかなっているからだ
まさにゼウスから火を盗んだプロメテウスの過酷な刑罰の地にもなった
だから神話が語るものは現在にも及んでいる
つまり二千年前三千年前でも神話で予告していたのである
それが現実化したのが自分の住んでいる場所だったということでショックだったのである

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2020年07月16日

コロナウィルスとSARS (2003年のSARSの時と今の中国の相違)


コロナウィルスとSARS

(2003年のSARSの時と今の中国の相違)

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中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界でその猛威をふるっている。WHOによると、2020年3月15日時点で、中国を含め144の国と地域に広がり、感染者数は15万3,517人、死者数は5,735人に上っている

蛇、亀、鶏、鳥、犬、猫、猿、狸、穴熊、ムササビ、蛙そして各種昆虫まで売っている。一瞬ドキッとしたのは、ゴキブリを並べて売っている老人を見つけたと思ったときだ。よくよく見ると、それはゲンゴロウとタガメだった。こんなもの、どのようにして、食べるのだろうか? 

私が発見したこの中国での広州の見聞録を見れば中国には今まであのような病原菌が発生しないこと自体不思議なことだった。いや実際は発生していても隠されていたのである。今回も政府の役人が隠したことでわかる。中国は表沙汰にならないことがいくらでもあるのだ。10億人もの人間を管理などできない、奥地では何が起きているのかもわからないのだ。中国では飢饉のときは土まで食ったという過酷な世界だから何があっても不思議ではない。

北朝鮮の説、中国の南部では猫を食う習慣がありそこから発生した(5月3日)
コロナウイルス FIP(猫伝染性腹膜炎)

野生動物の売買取り締まり逃れ後絶たず…中国・広東省

大部分の新しい感染症の原因は、全く新しい病原体が出現したということではなく、微生物が宿主に入るルートが新しく生れたか、あるいは検査技術が進んだために、新たなウイルスや細菌が発見されるようになったというものだ。

(人類と細菌の戦い)


コロナウィルスはこうした旧型があり新型のコロナウィルスとして現れた
だから共通性がある、このコロナウィルスは時系列でみれば継続したものとして生まれたただコロナウィルスは中国はグロ−バル経済の主役となったときたちまち世界中に広がったのである

このことは原因不明で死んだ人はかなりの数がいるが発見されずまた今のように報道もされなかった。中国などでは特にそうである。国際化していやいやながら中国も公表し細菌の戦いを強いられるようになったのだ。こうして人の行き来が活発になると
未知の細菌もまた発見され人類を脅かすことになる。国際化ではいいものも入ってくるのだが悪いものを必ず入ってくるのだ。日本の国際化とかは歴史的にも日本人が選んでいいものだけを取り入れ日本流に根付かせたのだ。それが現代ではできないのである。

2ちゃんねるより

中国のインターネットで、
感染者5000人と書いたらつかまった人が居たらしいけど、
感染者が5000人以上居るような予感。
なんか、言論弾圧の国だね。
中国って。

中国政府はGoogleへのアクセスを遮断してる。

【北京4日時事】新型肺炎の感染が拡大する中国では、多くの医療関係者が新型肺炎の予防・治療に奮闘する一方で、地方政府幹部などが職務怠慢で処分されるケースが出ている。
中国は報道規制にでた。インタ−ネットを規制されるのだ。中国でも4千万人がインタ−ネットしているというから数としては日本より多いのだ。

この時は4千万しかいなかった、今はみんなスマホをもっているからインタ−ネットの利用は比べようもなく増えている

先月28日以降発生していなかった新型肺炎「重症急性呼吸器症候群(SARS)」の
疑いのある患者が今月4日発生し、韓国内のSARSの疑いのある患者は合わせて15人に増えた。

 コロナウイルス科ヒトコロナウイルスは一本鎖RNAウイルスで、軽症のかぜ様症状の約30%の原因となっていると考えられていたが、重症化の報告はほとんどなかった。SARSは、この科に属する新型のSARSコロナウイルス(SARS-CoV)(図)により引き起こされる、全身性の感染症である4)。


 私たちがシベリアの営巣湖沼でフィールドワークをしていた90年代でも、現在でも、湖沼には様々な型の鳥インフルエンザウイルスが存在する。冬には天然のフリーザーになるから、ウイルスはそのまま越冬する。つまりカモとウイルスは共生しているんです。

 ところが、そのカモが南に飛来して、他の鳥や動物に感染すると、それら宿主の体で増殖しやすい変異が起きてウイルス感染が拡大する


 
 SARSとコロナウィルスは似ている、同型であり症状も似ている
ただこれは世界的に拡散されなかったのは中国が17年前であり発展していない
2020年では中国がグロ−バル経済の中心になっていた
アフリカでもヨ−ロッパでも一帯一路の中に組み入れられていた
だから一早くイタリアで感染者が出てみるみる増えた
死者も増えた、そこからたちまち近辺にEUに増えた、死者も増えた、イギリスも増えた
そうしてなぜ欧米でこれほど感染して死者数が多かったのか謎である
その反面として日本では今感染者が増えているが極端に少ないし死者数も少ない
これは今にっない増えているから遅く増えてくるのかもしれないからわからない
でもなぜ欧米にあれほどたちまち感染者が増えて死者数も増えたのか?
それが疑問だったがsarsと症状もにているとすると中国とかでその時免疫が作られたのか抗体が作られたのか

そして日本でも実はSARSの被害はなかったのはなぜなのか?
何らかその時実は感染していたが抗体ができていて新型コロナウィルスにかかりにくくなって症状が出ない、死者数も極端に少ないとなったのか?
ただ日本では検査数も少ないので統計的には信用できず不明なのである
検査数をふやしたら増えてきて危機的状態の再現になったからである

何か素人でもわかることはウィルスというのは地理と関係している
人が移動してうつる、ヒトからヒトへうつる
だから基本的に人の移動を止めるほか防ぐ手段がない    

私たちがシベリアの営巣湖沼でフィールドワークをしていた90年代でも、現在でも、湖沼には様々な型の鳥インフルエンザウイルスが存在する。冬には天然のフリーザーになるから、ウイルスはそのまま越冬する。つまりカモとウイルスは共生しているんです。

動物でもカモがシベリアではウィルスが凍結されてうつらないが南に飛んでくるとウィルスをうつす、まさにこれは人間が飛行機で飛んできてうつすのと似ている
つまりウィルスをおさえるには一番効果的なのは

人の移動をおさえること

これになる、それは今まで経験したことでもそうだったのである
それがグロ−バル化してしにくい、国内でも人の移動を止めることができない
経済でも人が動くことで現代の文明は成り立っているからだ
だから人の移動がとめられて電車でもバスでも飛行機でもここが一番打撃になった

カモの事例のようにある場所からある場所へうつるときそこでウィルスがうつりそれが重症化しやすい、そういう性質がある、スペインであれメキシコのアステカとかインカとかが簡単に滅亡したのはウィルスだったとかありインディアンもそうだったというときウィルスはそれだけ怖いものだった
人がある風土で生活している、それが別な風土の所にウィルスをもちこむと大きな被害になる、それがグロ−バル経済になり同時間に世界に広まった原因なのである

とにかく人間は必ず過去でも歴史でも振り返る考えることが必須である
なぜなら10年前でも人は忘れる、私はSARSについてもプログではなくホームページの時事問題の深層で書いていた
その自分自身が書いたことでも全く忘れていたのである
人間は本当に忘れやすいのである、だから記録することが大事になる
自分自身が書いたことすら覚えていないとなる
次々に新しいことが起きるから一年前でも昨日のことすら忘れるのである

津波についてもその7年前にスマトラで大津波があって甚大な被害がでた、その時日本が津波の国なのに関心がなかった
その7年後に東日本大震災で津波が起きた、その時日本ではインドネシアでは津波に日本のように警戒していないからだとか言っていたのである、チェルノブエリの原発事故でも他人事だった
日本の技術は優秀だからあんなことにならないと言っていたのである
誰も警告もしない、安全神話の国になっていたからだ
日本は外国をグロ−バル化しても自分の国のように考えない、中国だと大陸国家だから国際性はまだある
(他山の石)とかの諺もあるし隣国でも世界でも注意している
現代はグロ−バル化の中に否応なく組み入れられているから無関心でいられない
自然災害でも地球は一つのなのだから他国で起きることでも関係ないとはならない
日本はもともと島国でそういう自覚がもていなのである

ともかくなんでも空間的なものと時間的なものとしてみる、それは一体である、歴史でも時間的なものでも空間的に見なければならないしまた空間的でも時間的な歴史からも見なければならない
それは個々人の人生でもそうであり時系列でみる、歴史となるとそれが長くなるから時系列で起きることが理解しにくくなるのだ
年号があったとしてもそれでも時系列で起きることが理解しにくいのである
だから時間的に歴史となると逆になったりしているのである
空間は今でも変わらずあるからその地を踏む気なら踏めるが時間だけは元にもどれないからその理解ができないことが大問題となる
相馬藩政期に二行だけ「生波で700人溺死」と津波で死んだと記されていたが誰も知らなかったのである
津波の後に発見されたのである、そうした重大なことでも忘れられるのが人間なのである


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コロナウィルスの謎は人間を越えた力の影響のためか? (神が怒り自然も怒っている)


コロナウィルスの謎は人間を越えた力の影響のためか?

(神が怒り自然も怒っている)

コロナウィルスは何か謎なのである、その正体もわからない、それは専門家もわからないただいろいろ検討中なだけなのである
科学者が万能でないからそうなる、ワクチンができれば解決するとしきりに言ってもそれも実際は不明である
こういうときは謎が謎を呼ぶようになり不安になる
原発事故の放射線被害より謎であり不可解でありとまどっている
それがこれたらどういうふうに影響するかわからないからだ
後遺症で苦しんでいるとかこれから爆発的に増えるとかの不安もある
だからgo to キャンペーンなどしていいのかという疑問にもなる
でも経済的に苦境にたたされて自殺者も出るとか失業者が増えることはより深刻である

本当になぜ次々に自然災害であれ原発事故であれコロナウィルスであれ地球的規模で起きて来るのか?
原発事故は局所的でもやはり世界中に原発があるのだから警告になった
明らかなことは地球規模で何か自然から復讐されているのかとなる
それでコロナウィルスも自然災害とにていて生態系から逆襲を受けているという学者もいる
そもそも原発事故で意外と生態系のことを語らないが最も大きな被害は生態系を破壊したことなのである
空気から水から土から森からあらゆるものが汚染された、するともうその地域で食べるものもなくなる、ただ交通が発達しているから外から入ってくるので生活が続けられているだけなのである
飯館村では山菜とかで放射線量が増えている、それは森に放射性物質が循環して減らないからである、そして今だに食料も生産できない、荒廃したままである

生態系というとき一地域では水とか土とか森でもベーシックファンダメンタルとしてあるそれが汚染されると人間の生物の生存を脅かして住めなくさせる
実際に原発避難区域ではそうなった、田んぼがなくり草ぼうぼうになったとき荒地となったときそこに蛙も水生生物もいなくなり鷺もいなくなった
それで田んぼが回復したとき蛙が鳴き鷺ももどってきたのである
こういうことを東京とかの大都会では感じない、田んぼも自然もないコンクリートのビルに囲まれて生活しているからだ
でも水でも空気でも汚染されれば都会でも生活できなくなるのだ

何か「地球が怒っている」というとき自然からの逆襲とかいうとき人間が地球を汚染して自ら住めなくなるような状態にまでなる
自然に対して人間の技術が度を越えたものとなり自ら崩壊してゆく
そういう現象が津波や原発事故やコロナウィルスでも起きているのかとなる
それとあまり考えないが人間のモラルの荒廃も関連している
なぜならノアの箱舟でもわかるように神は人間のモラルの荒廃に怒り大洪水を起こしたからである、自然災害に神の意志が働いたとなる
そういうことは原発事故がどうして起きたかで追求して来た
人間側勝手に権力を総動員して「安全神話」を作った、そして大事故になった
それも人間側の傲慢であり権力者の傲慢であり事故で打ち砕かれたのである

コロナウィルスは地球規模で起きているという時、グロ−バル経済にも歯止めをかけた
グロ−バル経済を批判して来たけどこれは地球環境も森林なども破壊するものとして働いた、すべていいものとして働かなかったのである
そもそもコロナウィルスは風土病だというとき一地域に限定されて世界規模に広がらなかった、それが交通の発達とグロ−バル化で同時間的に拡散したのである

自然災害とかコロナウィルスでも自然の働きであり何か人間に対しての制限として働き
戒めとしても働く、原発事故が起きたのもそんな危険なもの作るなということで津波で破壊されたともなる
そこに神の意志の働きとして津波まで起きたとかともみる、そういうことが中国の三峡ダムでも起きている
川の流れをせき止めることは自然ではない、それはやはり不自然なのである
ソーラーパネルでも風力発電も自然エネルギーではない、だから自然を歪めるのである
風力発電でも植物の生育に障害が起きるとされているからだ

でも結局何かしら仕事が必要であり金になるとしてせざるをえない
それで職業とはつくづく業(カルマ)だったのである
それが悪いとしてもキャバクラとか水商売関係が非難されるけどそれだけではない
職業自体がカルマだったのである、兵士という職業は国を守るとしてあっても一転すれば戦争になれば人を殺すことをが職業となる業となるのである
医者でもそうである、今コロナウィルスで患者が来ないというとき生活できないとなる
そうするとなんとか患者を作り出さねばならないとなる

本当は警察でも兵士でも医者でも犯罪者がいないと戦争がないとかの方がいいのである
 銀行でもまたゆうちょですらおかしな保険であれ投資信託であれ理解できないものを売るようになった
それは利益がでないからであり追い込まれてそうなったのである
つまり本来はこうした職業はないことに越したことかないのである
その時人間社会は平和だとなるからだ
職業とは何かみんな働くことが善だとしているが業(カルマ)ともなる
それで老子とかは無用の用を説いたのである
老子だと自然の作用にまかせるということで道具すら否定したからである

いづれにしろ

地球が怒っている、神が怒っている

これが現代の地球の状況である、それを鎮めるにはどうするのか?
それは様々な視点でいろいろな分野の人が語っている
ただそこに何か人間のモラルの荒廃という視点からは語られない
それも確実にある、それでも神は怒る、そして罰を与えるともなる
それが現状に起きている災難の原因になっている   

西浦教授が語る「新型コロナ」に強い街づくり


この人は過度な警告で顰蹙をかった、でもこの見解は納得する、ドイツを例にして地域が独立して生活している
他に頼らない自給自足を確立しているというのでそういう社会体制が必要だとしている
これには納得した



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2020年07月14日

不要不急」が問われた (過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)


不要不急」が問われた

(過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)

コロナウィルスが社会に提起した問題は様々だった
そこで浮き彫りにしたのが「不要不急」という標語だった
不要不急とは無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要、無くてもよいこと、またそのさまを表す語で、不急は差し迫っていないこと、またそのさまを表す語である。

現代社会はこの不要不急が多すぎたのである、無くてもいいものまた少なくてもいいものが多すぎたのである
その一つが医者とか病院で患者過剰になっていた
コロナウィルスでは感染関係の医者とか病院とか看護師とかは必要でもその他の関係ない医者ふ病院や看護師は暇だった、それより患者が来なくて収入がなくなり倒産するのがこれから増えてくるという危機になった
つまり病院に医者に行くほどでもないのに行っていたのである
そして本当はいらない薬まで飲まされて金を使っていた 

そこで医療費が膨大なものとなり国までつぶれるとかまでなっていた
病院が街の医院でも老人のサロン化していたいうのがそうである
それは日本では国民保険があり医療費が安いからそうなっていた、でもそれももう国では負担できない状態になっていた
医者がたりないと言っていたが本当は医者が過剰だったということが判明した
看護師でも過剰だったのである、人手不足が常に言われたが実は今になると失業者が増えてそれも解消してゆくというのも不思議である 

医者とか病院の怖さはこのように患者がいなくなると病気になって病院に来てくれ、病院がつぶれるからと切実なものになる
するとどうなるのか?何か故意に病気の不安をあおりいらない薬を飲ませたりいらない治療をする、さらに医者がありもしない病気まで作りだして治療もいらないのに治療して金を稼ぐとまでなるから怖いのである

そういうことは職業にある、消防士が仕事がなくてわざと火をつけて火事にしたことがあった、暇だから火事にした
警察だと犯罪者がいないから犯罪起こしてくれとかともなる
軍隊だと戦争がないと生活にならないとして戦争を起こしてくれとなる
アメリカの軍産複合体では武器を大量生産しているからその武器を売り消化するには大規模な戦争が必要になる、そのために定期的にアメリカでは戦争を起こしていると言われていたのである、極端になるとそうなるから怖いのである

現代文明社会はあらゆることが過剰化したのである、不要不急なものにあふれるようになったのである
新宿の歌舞伎町の夜の街が批判されたけどそれも不要不急であり必要なものとも言えないでも世の中は誰も修行僧のように暮らせない、だからそうした場を否定できない
要するにこの世には特に文明社会になると無駄なものが膨大に増えてくるのである
もしかしたら本当に必要なものはわずかである
それでも人間は生きることができる、それは動物をみればわかる
最低限のもので自然の中で生きているからである

とにかく文明社会はあらゆるものが過剰化したのである、報道でも過剰化した
ニュースはきりなく毎日報道される、そして忘れられる
そこで一貫して連続して追求されるものはなくなる
次々に新しいもの新しいものを求めて報道される、まさにニュースなのである
またあらゆる人が意見を言う、コメンとする

意見は積み重ねがなく、変動し流動する

知識は積み重なってゆく、意見というものは他の意見に必ずしも積み重なってゆくのではない、知識は成長するが意見は変貌する
「過剰化社会」−D・J ブーアスティン

知識と意見は違う、意見は誰でも言うことができる、いいとか悪いとか言うことができるでも知識は体系的であったりまた専門化してくるから簡単に言えないのである
あることに言うについてもその知識の積み重ねがないと言えないのである
いろいろな歴史についてもそうである、知識の積み重ねがないと言えないのである
だから私は何かいちいちコメントするのがめんどうになりしていない
一方的に書いているだけである
対話するということは二三行コメントするのとは違う、深いコミニケーションが必要になる
それは何かネットではしにくいのである
今はこうして毎日プログに書くことに時間をとられて他のことができないのである

過剰というときあらゆるものが情報でも報道でも日々過剰化している
もうインタ−ネットでyoutubeを見たりしているとテレビは見れなくなる
実際私も見る時間がかなり減った、youtubeの方が有益だとしったからである
今は情報に追われる、でも知識は積み重ねでありまた物事を知るには過去から歴史からみることで深く知ることできる、今のことに追われていると深く知ることはできないのである
だから今はある程度情報を遮断することも必要になってくる
情報の洪水にのまれてしまい、かえって真相が見えなくなる
「沈黙」もまた必要なのである、瞑想も必要なのである
ただ現代文明は沈黙とか瞑想を嫌うのであく、それは空白であり真空を嫌うからである
何かで空白を埋めようとするのである
だからなにかかにかある、広告で埋められたり絶えずそこには音があり何もない空間とか沈黙の空間とかは拒否されるのである
それが具現化したのが大都会である、東京とかになると家とビルで埋め尽くされている
仏教とかでも無を説いたときその無の空間が老子なら無用の用の空間がないのである

教育だって過剰化していた、学校が休校になったけど今ならITで学ぶことができる
youtubeとかは教育の道具として優れている
すると自主学習になり能力をかえって伸ばせるかもしれない、なぜならそこでは教えるのがうまい、特別優れた人が教えているからである
つまり並みの先生はいらないとなるからだ
学校という校舎に建物に集める必要もなくなる、ただコミ二ケーションとかは問題になるでも何か学校だけが教育の場所とするのはふさわくしなくなっていたのである
それは明治の時に教える場所が学校しかなかった、その後もそうだったのである
私の家には戦後のことであり貧乏だから一冊の本もなかったのである
戦前はそれよりびどかった、学校に通いなかった人がいたのである
子守りとかあってそうなっていた、今なら後進国ではまだそういう場所がある
ネパールとかだとボールペンもないのである、だからくれと言われた
そういう社会なら学校は不可欠である、でも文明社会ではもう学校に行くことをこだわる時代ではない、学ぶ環境が整っているからである
つくづく知的仕事には大きな家が必要である、書斎でも必要である
テレワークでもそうである、環境が人を作るのである

人間とはまたこれほど仕事をしなければならないのか?
それも疑問なのである、みんながこれほど働いていることも異常なのである
本当はそんなに働かなくてもいいのかもしれない、でも働くことは強制される
それで無職とかニーとは罰せられるべきだとまでなる
俺たちは働いているのにあついらはのうのうと働かないで過ごしているとかなる
自分自身は30年間引きこもりでありで沈黙の行をしていたからまた異常だった
ただ社会もまた異常なのである

いづれにしろ過剰化社会をコロナウィルスが浮き彫りにした、不要不急のことはするなというのはそうだった
つまり現代社会はあらゆるものが過剰だったのである
その過剰が問題を引き起こしていたし無駄な労苦さえ生んでいたのである
そんなに外国からあらゆるもの食料まで輸入することがあったのかとかこんなに交通が必要だったのかとが問われた
交通も過剰だった、もうリニアなど必要なくなった、急激にコロナウィルスで鉄道すら利用しないことに驚いたからである
コロナウィルスが過剰なオーバーツーリズムとか交通を止めた
車だって過剰化していた、道路でも作りすぎたとかある
いらないもの不要不急なものはいらないというときどうしても必要なものには力をそそぐとなるから悪いことではない、食料は自給が必要だとなればそこに人員を集中させるとかなる、すると農家の人手不足も解消するとかなるからだ

コロナウィルスは謎であるがこれほど社会自体を変えることに驚いた
社会は簡単に変えられないからである、コロナ前と以後の世界は変わってくる
津浪と原発事故もこの辺でまるで違ったものとなった
そのうようにコロナウィルスでも社会は変わり時代が変わる
何かあらゆることが過剰化していた、物でも情報でもあらゆるものが過剰化していた
ただそこに足りないものが常にあった、それから物があふれていても今度はその物が変えない貧困化した日本になっていた
あらゆるものが目の前にあるのに買えない貧困である
過剰に物があっても買えないとなるとかえって苦しいとなる
なければないで暮らすほかないがこれだけ物があってもそれが買えない食べることもできないとなる貧困である、これまた矛盾なのである
過剰に物があっても貧困化すればますます不満がつのるだけになる

そういうアンバランスがどうして起きたかというとグロ−バル経済というのにもある
世界から食料まで材木でも何でも輸入する、しかし日本が電器製品でも売れないとか
貧困化してくれば買えないなのである
確かに世界中に物がある、でも買えないとなるのである
そういう時代にどういう社会にするのか生活にするのか考えねばならなくなった
エネルギーでも電気でも過剰に使っていた、でも使えなくる、貧乏がわかるのは人口の
5%が毎月の電気水道料が払えない、それで取り立てする人が嫌になってやめたとかあるそこに一番の貧乏が具体化しているのである
そこが節約できないからである
いづれにしろ過剰化社会はつづけられない、コロナウィルスでそれが明らかになったのである
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2020年07月09日

コロナウィルスで観光業の打撃 (旅館やホテルを歴史から見直す)


コロナウィルスで観光業の打撃

(旅館やホテルを歴史から見直す)

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会津の観光収入は相当に大きかった


観光時代でもあった、インパウンド観光で京都などはオーバーツーリズムになり日常の生活すらままならなくなった
それはがコロナウィルス騒ぎでぱったりと人が来なくなった驚きである
こんなに急激に変わることの驚きである
つまり観光業というのはもともと水商売のようなところがあり当てになるものではなかった
でも交通が発達するとそれが過剰化していたのである
そして交通が止められると急激に人の行き来が途絶えたのである
それこそ不要不急だったからこそ一挙に途絶えた
観光しなくてもそれで死ぬわけでもない、食料がなくなるのとは違っているからだ
観光とは生きぬきであり贅沢なものだったのである
それが豊かな時代から起きたことなのである

江戸時代にも確かに観光ブームがお伊勢参りとなって旅する人がふえた
平和な時代になり豊かになると遠くへ旅したいとなるからだ
ただそれにしても観光のようなものではなく一生に一度の旅だったのである
歩いてする旅では遠くになるととても行けないからだ
今の観光はいくらでも交通が発達しているから行ける
遠くが近くなり近くが遠くなるとまでなっていた
常に内部より外に向かってヒトもモノも動く、だからこそこれだけひっきりなしに車が走っているのだ

何か人間は正常と異常の見分けがつないのである、正常とは何かわからない
正常と見えたものは実は異常だった、異常と見えたものは正常にもなっている
戦争時代は戦争することが人を殺すことでも正常でありそれが奨励される
でもそれは異常なことである、人間は本当に何が正常なのか、異常なのかわからない
異常も正常だとなるのが普通である

そもそも東京にあれだけの人口が密集しているのは異常なのことである
満員電車に詰め込まれて家畜のように会社に行くのも異常である
でもそれが習慣化すると異常でもなくなる
それがコロナウィルスでテレワークとかなり別に通勤しなくてもいいとなったとき
別な生活が志向できると気づいたのである
その方が正常だともなり満員電車に詰め込まれる生活は異常だったと気づいた
そして地方で暮らす方がいいともなったのである

観光業も歴史をたどると今の観光のようなことはなかった
お伊勢参りとか神社仏閣をまわるときそれは信仰でありそこで門前町が栄えた
それは観光とにていても観光になったのは最近のことである
高度成長時代の会社の団体旅行は観光の始まりでありそれに答えた大きなホテルができたそれまでは日本は貧乏で観光はなかったろう
汽車で電車で旅行していたのは一部の恵まれた人にすぎない
そもそも鉄道の歴史をみればわかる、ほとんどが物資の輸送であり北海道とかなると石炭の輸送のために鉄道があった
この辺だと常磐炭鉱があり東京に石炭が運ばれた
また日本全国に森林鉄道があり網の目のようにあり木材や石材が運ばれた
それは東京に運ぶものとしてもあった
でも旅行を楽しむ人は一部の恵まれた人だけだったのである

なぜなら私の母親とかに聞いても汽車に乗るのは特別なことであり汽車賃が高いから乗っていないからである、その時貧しいから汽車に乗れなかったのである
だから鉄道を利用して観光旅行などすることは普通の人はなかったのである
だから観光は高度成長時代から豊かになりはじまったものである
ということは日本では観光の歴史は浅いとなる

街道を旅したとしても宿は相宿でありそこで食べて寝て休めればいいとかしかないのである、そして街道を旅していた人はやはりただ遊びで観光で旅するというより何か用事があり商売のためとかであり観光で旅する人はいなかった
だからただ旅する人は特殊な人である、それは僧だったり芸能を売りにするものだったり何か普通の人ではなかった、山頭火などは乞食だったからそういう社会からはずれた人たちだったのである、ただお伊勢参りは農民が主役だったからそれは一生に一度のものとして許されていたのである

だから現代の観光業はそういう時代とは違ったものとして生まれた
第一街道を行くように歩く旅でもない、目的にすぐ着く旅である
となると目的地でグルメするとかが目当てであり旅とも違ってくる
旅とは宿場を点々として泊まりその行程を楽しむまたは苦しんで旅することだからであるその行程がぬけおちたのが現代の旅なのである
だから現代には保養者はいるとしても旅人はいなくなったのである
だから芭蕉のような旅自体を生きてそれは人生ともなり宗教のようなものとして昇華することはなくなったのである
要するに浅薄な旅であり観光は何かもう一つ人生に深みと意味を与えるものとなっていないのである

そして農民にとって旅館とかは湯治のように日ごろの労働をいやす場としてあった
それは観光ではない、また今のグルメ旅とかとも違う、ただ癒すということでは共通しているかもしれない、そもそもホテルがホステルであり病院の役割があった
そこに接待が生れた、湯治もそうだった、温泉はもともと病気の治療の場ともなっていたからである、それで傷ついた鹿が温泉につかっていたとかの伝説が生まれる 

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

明治以降外国人を受け入れるためにホテルができたということでももともと日本では外国人をもてなすものとして生まれのでありその由来が違っている

とにかく東北では湯殿の碑が多い、それはそこで農民が湯治として滞在したからである
湯殿信仰があったためである

それで芭蕉の句にある

 語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな

これは何か深く東北の民に同情していたから不思議である、芭蕉の不思議は「奥の細道」が何か東北という地域と深く一体化したことなのである
心情的にも一体化したからそういう句が生れたのである、現代だと東北を旅してもそういうことにならない、ただ癒されるということはある
でも湯治とは違う、贅沢な旅でありそういう人は東京の人が多く金をもっていて贅沢するというだけである
現代はただ金持ちだけが優遇される時代なのである、農民が湯治で日ごろの疲れをいやすというのとは違う、要するには今の仕事はただ金持ちのために使われるのである
一泊三万とか四万とかの旅館もありそこは金持ち専用になっているからだ
たいがい東京の金持ちが利用することになる、地方ではそんな金持ちは少ないからである
そういうことで何か私は旅に明け暮れたけど常に安宿を探し歩いていた
でも日本にはそうした安宿がない、かえってヨ−ロッパには安宿があった
だからヨ−ロッパは貧乏人でも旅しやいと思ったのである
それでホテルとか旅館でも自分にはいいと見なかった
まず温泉宿にとまったこともないからである、あとは自転車旅行になったら余計に泊まりにくくなりテンと泊まりになったのである

現代はすべて金で価値が決まる、金のないものは相手にされない社会である
でも江戸時代とは何か違っていた、みんな貧乏だからとういことがあったろう
貧乏で平等だったから差別もなかったともなる
何か現代ではあらゆることで金で差別される時代なのである
またそうせざるをえない時代なのである、だからそれでホテルとか旅館を批判しても仕方がない
でも本当の旅人をもてなさない、ただ金持ちの保養にくる人をもてなすのが旅館でありホテルなのである、時代が変わりそうなったのである

だから旅を追及してきたものとして現代は旅人はいない、すると旅から生まれる文化も生れない、芭蕉のような句も生れない、ただ金持ちの保養所のようになっている
旅する人などいらない、金を落とす人しか来るなとなっていたのである
このことを言ってもしかたがない、それは当然だとなるからだ
でもコロナウィルスで観光業がこれほど打撃を受けてこれからをとするのかというとき
旅館でもホテルでもその原点は何だったのか見直すことも必要になる
旅館は旅人もてなす館なのである、金持ちの保養所ではないのである
これも交通の発達とかいろいろなことが重なって変化したのである

でもコロナウィルスで近間の人を呼び込むことになったようにそれは温泉宿がもともと湯治の場であり近間の人の農民をいやすものとしてあったことに帰ったともなるのである
近間の人を客として大事にするということである  
それで5000割引を政府で援助したらすぐに予約で埋まったとういう、つまり近隣の人は泊まりたかったが料金が高くて泊まれなかったということがあるかもしれない、東京や外国人の方が金を落とすとして優遇されたとなるからだ
それは全国的にそうである、京都など特にそうである

何か金だけを優先する資本主義の論理というのが成り立たなくなってきたのかもしれないすべて金で価値を計り人間もそうであり
金のないものは排除されてる社会である,コロナウィルスはこうして今の社会を見直す契機になっている、弱肉強食の資本主義とか金融資本主義とかグロ−バル経済とかが見直される、それがいいものとてし働いた時があったが今は悪い方に働くようになった
そこには人間が生きるのに何か大きなものが欠如しているのだ
人間にとって最も大事なものすらふみにじるのである
原発事故だってそういうふうに金だけですべてを見た結果として生態系が汚染されて住めなくなった、それも同じ根だったとなる

そこで不思議なのは近隣の人が利用できなくて遠くの人や外国人のためとなり5千円割引したら近隣の人が利用した
観光立国というときギリシャがそうである、ギリシャで生産されるものはほとんどない
観光が売り物でありそれで成り立っていた国である
そういう国はもろいということである
ばったりと観光客が来なくなると経済が干上がってしまうのである
5000円割引が大きかったとなるが大きくなるともう無理である、それは東京であれ遠くであれ外国であれ受け入れないと経営できない、一日ホテル維持するだけで何百万かかるとかなるとそうである、するともう維持できないとなり倒産する
やはりこれもホテルとか旅館とか観光を見直すことになる
ただそれにしても極端な変化だったのである、あれだけ中国人であふれていた京都でもぱったり外国人が消えたからである、その変化があまりにも急激だったのである 



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2020年07月08日

自然災害は神の意志が働き起きるのか? (あと残されたのは飢饉と戦争だ!)


自然災害は神の意志が働き起きるのか?

(あと残されたのは飢饉と戦争だ)

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 モーゼの出エジプトで起きた10の禍の中に家畜が死んだのは伝染病だった

ブヨの災い

ブヨが大量発生し、人々や家畜が襲われた。アブの災い 
これは農業国だったから起きる、今でも虫の禍に悩まされているからだ
サバクバッタの大群に苦しめられているのも今起きている、それは南アフリカから発生しして中国まで迫っている
ここで伝染病があったとういことは重要である
そこに神の意図があったからだ
自然災害としてではなく神の意図がありその災害は神によって作り出された災害だった

そもそもなぜ自然災害が起きるのか?

この辺は東日本大震災では津波があり原発事故がありまた去年は水害があった
こうして連続して災害が起きるのはなんなのだろうとなる
まず津波の災害だけは今ででも信じられない空恐ろしいものだった
この世の終わりなのかとさえ思うような恐ろしいものだった
それは村ごと消失したりしからである
それで神を恨んだいうのは理解できる
この衝撃は簡単には消えることはない

ではなぜそれほどの災害が起きたのか? 

それは不可解なのだけど人間側の理由としてもともと海だった所に港を作り集落を作り
津波のことを全く考慮しないで住んでいた
第一波が打ち寄せる海岸に住んでいるとなると何か怖くないと海側に住んでいる理屈ではなくてそう思うからである
磯部は500人死んだとか被害が大きかったけどそこはもともと地形を見ると砂州だったのである、となると海だった所に陸地ができてそこを集落にした
それはもともと危険な場所だったのである
でも漁業に便利だからとして住んだのだから人間側の落ち度ともなる
でもあまりにも津浪は恐ろしいものであり何で自然はこんなに非情で残酷だとして恨んだことは理解できる

今回の九州の球磨川の洪水もそれは前にも被害があり必ず水害になる場所だった
でもそのことに対策していなかったのである、50年前とかでその被害のことを忘れていたのである、そして今回もダムが意外と危険なものとして働く
放流することで一気に水嵩が増す、この辺でも原町の高倉ダムが放流した結果新田川が氾濫したからだ、それと同じことが起きる、他でも起きていたからである
ダムは必ずしも治水にはいいとはならない、かえって逆に危険なものにもなる
それで中国では三峡ダムが決壊すると騒いでいる

ここで謎なのは神の意志が働いて自然災害が起きるのか?

ノアの洪水とか出エジプトの自然の変異は神の意志がモーゼを通じて働いた結果である
だから確実に神の意志が働き自然の変異が起きる
ただそれは無闇には起こらない、神の定めた人によりその人を通して自然の変異が起きた聖書の物語とは神に選ばれた者を通じて起きる現象を語り伝えたのである
それは科学的には説明できないのである
旧約聖書となる神の国へ導くものとして神がイスラエルの民を導いた物語なのだ
だからそれを達成させるために神の意志が働き自然現象でも奇跡でも起きた

でも地球に起きる自然災害は神の意志が働いて起きているのか?

これは不可解でありわからない、聖書ではそうだとしても他にも巨大な自然災害がありそれをどう解釈していいかわからない                  
今回のコロナウィルスでもこれは神の意志が働いた結果なのか? 

その原因はわからないにしろ結果として起きたことをみると何か不思議なのは今までのグロ−バル経済とか資本主義であれ経済のシステムとか金融とかそうしたものへの制約をかけた、つまり国々をを分断するように働いた
ウィルスは国境とか関所とか人の移動をとめるもきだったがそれが自由になったときウィルスは伝染し広がったからである
そしてもともとウィルスは動物とかサンクチュアリ―に人間はずかずかと恐れることもなく侵害したからだ
現代は何か本当は人間は入ってはいけない聖域にも関所をもうけず入りこむようになり
そこに動物が生息してそこからウィルスが人間に伝染してきた
それで自然の逆襲だと科学者が言うのも理解できる

なぜこうして不可解なことが震災以後自分の一身上でも起きた、そしてその周りでもこうして不可解な自然現象が起きる
それが何を意味しているのか謎である
ただ津波でも原発事故でも何か神からの働きかけがあり原発などはやめろという神の意志でも働いた、コロナウィルスでは大きくはグロ−バル経済を停止させる働きがあった
また国内でも人の自由な行き来を制限するものとして働いた
だから国内でも遠くより近くへの回帰と東京の大都会からの脱出移動が始まった
もしかしたらそれは次に起きる東京の大災害の予告なのかもしれない

今東京から脱出しなと危険だという警告なのか?

この辺で八沢浦の湊で高潮で震災前に被害を受けた、それも実際は自然の予兆だった
こんな被害にあうならここに住んでいられないとか判断したら津波からも助かった
なぜなら湊の部落は40軒ほどあったがみんな流されて消失した
村自体が消失したからである

磯部村では慶長津波の前にやはり高潮があり支配者の佐藤氏が今の相馬の道の駅の鬼越館に移った、そして今回の津波でその近くまでも津波が来ていたのである
そして磯部村は消失したから空恐ろしいものだったのである
このように予兆を見て逃れていたら助かったともなる

そして不思議なのは原発事故の時に東京に避難した人たちが放射能がうつるとか子供が差別されたりいじめられたのである
それが今度はコロナウィルスで東京の人は来るなとして地方から言われるのもカルマだともなる
特に福島は東電によって大被害を受けたからである
それが今度は東京にカルマとなってそうなったのかとなる

だから神意として自然災害でも起きてくることはありうる、あまりにもモラルが荒廃した結果としてソドムとゴムラは滅ぼされた、それは明らかに自然災害としても神の意志が働いてそうなったのである
今何か歌舞伎町とか水商売関係がコロナウィルスで仕事ができなくなった
そこは性の乱れた場所である
ソドム、ゴムラでも同性愛とか性の乱れがありまたそこは人間が薄情になった都市だっただから神が滅ぼしたと記録される、だからコロナウィルスでも何かそういう神の意志が働いているのかとも見たのである

そしてまた不思議なのはなぜ日本ではコロナウィルスの感染者でも死者が外国と比べてこんなに少ないのだろうかということである
そこにもまた神の意志が働いているのか?
神の意志というとき日本の八百万の神なのかとなるがそれよりやはり一段上の神になる
人間が神と認識できるのは聖書に現れた神である、エホバである、それにはただ名はないのである、名がつけられない神なのである

要するにどうしても津波でも自然災害でも不可解なのである、科学者がいくら説明しても納得できないものとして自然災害も起きるからだ
みんなこういうとき科学者を頼る、でもその科学者が専門家がすべて対応できるのかとなるとできない、それは原発事故でもそうだった
そうして今回も同じでありワクチンという対抗策があってもそれは簡単に作れない
ただこれまでのウィルスはワクチンを作って勝利はしたとなる
だから科学者に頼るほかないともなる、でもウィルス自体は変異したり新種のが出たりと科学者でもみんな対応できていないのである

そして国際情勢を見ると中国とアメリカの対立が激化して戦争になるという人がいる
それは単なる予測ではない、そういう緊迫した対立が起きているからだ
それで日蓮の時代のようなモンゴルが攻めてくるとか内憂外患の時代になっている
日本は貧困化して中高年がリストラされて失業して介護職に転落するとか他に野垂れ死にする人がでてくるとかも言われる
日蓮の時代も道に野垂れ死にした死骸が積まれていたのである
そういう危機的状態が日本に起きて来る、それはコロナウィルスで失業者が増えればそうなるのである
要するに末世であり七難八苦が起きて来る、日本でも地獄の様な状態になる
だからこれからの時代は大きな災難の時代であり変革の時代である
その時代をぬけだすときまた平和な時代がやってくる
それは戦争が終わり日本が団塊の世代を中心になった高度成長時代が来たと同じなのである 

あと残された災難は飢饉と戦争である、だから食料不足が確実にやってくる、日本に外国からの食料が入ってこなくなる、備蓄するのにも米がいいとしても米すらなくなるというなぜなら今は麦でパン食が多い、すると小麦が入らないと米に頼る
すると米が足りなくなり奪い合いになるかもしれない、米は確かに備蓄して日本ではとれる、でも不足するのである   

こうして日本でも食料の奪い合いになり地獄のような状態になるかもしれない、
その時紙幣が紙くずになる、その時また戦争が終わった時のように食料を得ることが第一になる、その時金より銀より食料が貴重になる
超インフレにもなり馬鹿高くなり紙幣の価値が極端に低下する
もう紙幣では何も買えなくなるかもしれない、その時何でも現物でもっている人が強くなるのである
都会でぱ食料でも供給できなくなる、もう水さえも供給できなくなる
つまり紙幣は信用されなくなる前兆が起きている
預金封鎖とか財産税とかそんな話ばかりだからである
つまり紙幣の価値が暴落して信用されなくなることは資本主義そのものの崩壊に向かっている、紙幣がただ紙きれとみなされるような前兆が起きている
銀行が危機だというとき資本主義の中枢が機能しなくなりつつあるともなるからだ

そして地震が来たりしてさらなる災難で混乱する
そこで「東京脱出」がはじまる、コロナウィルスもあり東京に住めなくなるのだ
それは原発事故でこの辺が住めなくなったように東京のカルマなのである
何かこうして起きてくることは大混乱の前兆なのかもしれない
こんなにつづけて災難が起きることが解せないからである
それも地球規模で起きているからである
人類の危機のようになっているからである
こんなとき国と国が争っているときではない、この機に乗じて有利になる、得しようととすることは危険である
コロナウィルスでは人類は協力することが求められているからだ  

そして中国が攻めてくるとかといっても中国自体が国内問題やコロナウィルスでも三峡ダムの崩壊の危機とかでも簡単にできるとも思えないのである
だから中国に対抗する軍事力をもてというのは危険である
日本に今やそんな経済力も力もないからである
もし中国が攻めてくるとしたらそれが第三次世界大戦の引き金になるかもしれない
そこまでリスク中国が犯すのかどうかは疑問なのである

posted by 老鶯 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年07月07日

仙台市と神戸市で感染者(7月6日) (東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市と神戸市で感染者(7月6日)

(東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市は前から感染者が増えると見ていた、だから仙台市に行くのが嫌だった
どうしても東京とかから新幹線でも仕事でも行き来が多いからである
そしてやはり感染者が四名でた
そして神戸市にもでた、ここも大阪と近いから増えることはさけられない
それで知っている人が東邦銀行に勤めている孫がお盆にも来るなと言ったのは正解だったともなる

とにかくこのウィルスは伝染病は地理と深く関係していることを述べてきた
ただ鹿児島市にクラスターが発生したのは意外だった
福岡市が中心となって感染者が増えた、鹿児島となると東北だと青森だという感覚になるからだ
でもなんらか今は交通が発達しているから拡散することはとめられない
よほど交通がない所でとないと無理である、でも現代ではそういう場所はほとんどないのである
どこにでも人が出入りして秘境の村などない、桧枝岐だって今度は尾瀬の観光が開始されたからやはり東京からでも人が入ってくるからだ

そもそも交通が止められない限りウィルスの拡散を止めることは不可能なのではないか?それほどウィルスは交通と関係して拡散されるからである
仙台市は東北でも東京からでも交通の交差するところでありそこは一番危険だと前から思っていた、それが自粛が解除されてたちまち広がった
東京でも感染者百人が四日つづいている
それも検査数を増やしたから当然でありもともと検査しないから低くおさえられていたのである

コロナウィルスを止めるには交通を止める他に方法がない

こうなるのではないだろう?いろいろ対策しても東京や他県からでも入ってくれば感染してくる
だから東京に行くことと東京から来る人を止めない限り感染をとめることはできない
だから関所が必要になる、そこで止める意外方法がない
東京と地方を考えるとき東京から出るな、東京から来るなってしまう
それで地方は安全だとなってしまう
現実に何かこの辺では感染者が何人かすぐ近くで東京かのライブハウスから行った人が感染した、福島市でも最近一人東京と関係して感染した
感染経路をたどるとこうして東京とか他県から来て感染しているからだ

でもこうなると東京から脱出したい、地方に住みたいという人がでてきているのもわかるそういう人は検査して陽性でないなら受け入れる
でも不特定多数の人が県またいで行き来するのは危険なのである
それは地方の安全を脅かすのである
地方では田舎では感染者が極めて少ないから安全だと見る
確かにみんなマスクをしてる、でもしなくてもスーパーでもそれほどこまない
だから距離がとれる、デスタンスがとれる
それで私はマスクしなくても安全だとなり他の人もマスクしなくてもそれで何か言うこともない、店の人でもそうである、ただ一応マスクをするというだけである

感染病で歴史でも村の境に藁人形を置いたりしたのは他から伝染病をもった人を入れないようにするためである
だから境とか関所とかも今になると意味あるものとして再認識された
江戸時代にもどるような感覚になる
ただ人と物の流れをとめることはできない、なぜこんなに毎日車が通っているのか?
それを見ればわかる、物を運ぶことを止めることはできない
ただ人を入るのを抑えることはできる、特に観光とかなると不要不急とかなると止めた方がいいとなってしまう
歓楽街で遊ぶのも不要不急だからやめなとなる
その他病院でも患者が来なくなったという時もともとそれほど行く必要もないのに病院がサロンのようになっていて行っていたというからそれも不要不急だったのである

何か結局現代は交通過剰でありオーバーツーリズムでもあり何か限度を越していたのである、そんなに必要なものがあるのかともなっていた
なくてもすまされるものでも買っていた、それが見直されたということもある
だからその生活が実際はアブノーマルだからニューノーマルに移行するともなった
ただ不思議なのは時代が元にもどるというか後戻りするというかそういうことがあるのだと思った
江戸時代は沈黙と闇の世界である、交通は歩くことであり後は馬があるだけだった
そういう世界にもどるような感覚になる
すると内輪が近くが大事になり生活感覚も変わる、内輪での人間関係が昔の村のように濃密になる、狭い範囲で生きてゆくほかなくなる
すると近くにあるもので資源でも活かすほかなくなる
昔の自給自足的な生活に逆戻りするともなる、そこで人間が地域が見直されるかもしれない、そこでかえってまともな精神形成が成されるともなる

要するにミニマリストとかが見直されるというよりそうならざるをえない時代になる
もう世界から物が入ってこないしそれを買うだけの経済力も日本になくなる
そうしたら自前で食料でも材料でも供給するほかなくなる
それで外国貿易がなくなるということはない、今までの形ではない別な形での貿易になるそれが何かはわからないがそういうことに否が応でも強いられるということである
それがニューノーマルなのである

原発でも東京からもたらされた、大事故になりこの辺では住めなくなった
東京でなくても東北電力が小高に建設する予定があり工事がはじまるとき事故になって中止になった、だから必ずしも東京だけのせいにすることはできない
でも東北電力と東京電力では違いがあった
東京電力の電力が東京に送るものだった、それもどうして福島に作られたかというと東京の安全を第一にしてリスクをとらないためであり東京のエゴだったのである

でもつくづく人間にはカルマが返ってゆく、そうした東京の身勝手な行為がカルマとなって返ってゆく

東京の人は地方に来るな、福島に来るな!

これこそそのカルマだったともなる
もちろん地元でも金に目がくらんで原発を誘致したのだからカルマがあった
ただそのカルマの責任は故郷に住めないということで支払わされた
東京はそのカルマを支払っていないから今度支払うことを強いられたともなる
カルマは必ず苦しみとなって現れてその時自覚するのである
東京は今はそれを自覚させられているとなる
放射能がうつるからと福島の人を差別したときもそうだった
今度は東京の人は来るな、コロナウィルスがうつるというのがまさにカルマだったのである


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2020年07月04日

コロナウィルスがグロ−バル経済をとめる (森林破壊の歴史があり黒死病で森が回復した)


コロナウィルスがグロ−バル経済をとめる

(森林破壊の歴史があり黒死病で森が回復した)

中世ヨーロッパも人口増加で森林減少で崩壊の危機に。でも、黒死病の登場で人口が急減。そして森が増えたんだそうです。古今東西、人口爆発、農地拡大によって森が無くなっていきま

 きこりのホームページ


これも不思議である、コロナウィルスでも一時空気がきれいになり水がきれいになったとかある
人間の活動が停滞すると自然が回復する、また人口が増えることはそれだけエネルギーが必要になるから燃料としたりする木が必要になる
森が消失していった原因は人間の活動と人口が増大したためである
そもそもレバノン杉が船を作るために喪失していった
そんなに船に木材が必要なのか?そんなに船を作ったのかとなる
これも人間の活動が増大して貿易でも増大したからである
それは現代のグロ−バル経済と同じである,世界的に貿易が増えればそれと同時に森林も目次材需要が高まり森の木が切られる

なぜエジプトとかヨ−ロッパとかで石の建築物が多いのか?

それはもともとそうした建築物は木材で作られていた、ストーンヘンジでももともと木材で作られていたという、というのはイギリスでも森に覆われていたからである
木材がふんだんにあったのである
エジプトのようなサバクノうな乾燥地帯でももともと森があって木材で神殿でも作られていたのである

そしてペストで黒死病でヨ−ロッパで三分の一が死んだというとき森が回復したというのも不思議である、それは一時的でも自然の力が回復して空気でも水でもきれいになって
ベネチアでも魚が見られたとかなる
だからこのコロナウィルスは世界的に経済を停滞させる、活動とめる不思議なのである
それは神意なのかとまでなってしまう
グロ−バル経済は世界的に人間の活動を無限に増大させる、資本主義というのも常に新たな投資する場所を求めるシステムである
金が金を産む、そうして世界を発展させてきたシステムである
でもそれもコロナウィルスで止められ停滞させられて交通もままならないともなった

このままグロ−バル経済を進興させれば森でも破壊され環境も汚染されるままになりアマゾンの森さえ消失してゆくとかの危機になっていた
それは中世にも人口増加でヨ−ロッパで森林が消失していた
それがペストの流行で三分の一に人口がへり森が回復したというのも不思議である
それと同時に富裕層が貴族が没落して庶民が土地を所有するようになり豊かになったということもある、その社会の変化は大きなものだったのである

このコロナウィルスは明らかにグロ−バル経済を停滞させる、止める働きがある
このサイトは文明の発展は森林破壊の歴史だとして説明している
黄河文明は今は土だけの世界になっている、人はヤオトンとか土の穴に住んでいる
でもあそこももともと森林でおおわれていたのである
それは文明が発達したところは森林がありその木材を利用して森林が喪失した
メソポタミアでもエジプトでもそうである、森林がありその木材を利用して建築物がありその木材がなくなり森林が喪失して石の建築物になった
第一石を加工するとなると木を加工するよう高度な技術が必要だからである

また森林は鉄器の発明によってもその木材で炭を作り鉄を作りだしたので喪失していったつまり今砂漠になっている所でももともとは森林が豊富な場所だったのである
鉄器が生れたということは木材を切り加工するのに有利である
斧で木を切れるからである、でも森を破壊するスピードも速くなったのである
だから中国でもそうだけどとにかく禿山が世界では多すぎるのである
韓国でも中国でも山に森がない、禿山である
日本だけは山も森に覆われているのである

いづれにしろコロナウィルスはグロ−バル経済とか世界的に人間の活動をとめる働きがあった、まずこんなことをできるのは人間の力では無理である
そして新宿の歓楽街が危険だとされる、そこに水商売で働く人たちが一万人いるという
その活動をとめろという、またそこから増えてきたからである
確かに差別的になるかもしれんがやはりそうした欲望の活動も止めたともなる
そういうものは不要不急だともなるからだ
ただそういう人たちを差別したりするのではない、そういう場所にやむなく追われる社会の状況があるからだ、それでそういう場所はなくなることはないのである
ただエイズの時も性の乱れだとか批判があったのである

ともかくコロナウィルスは世界の時代の転換をもたらしたともなる
それは簡単に元にもどらないというときそうなる
それに適した生活にする他に対処方法がないのである
つまり中世的世界への回帰、江戸時代への回帰ともなる
そして人間は内面的世界を志向する時代となる
グロ−バル経済は縮小をよぎなくされる、それはもう限界にきていたのである
このままつづけば環境破壊も止められない、危機的状態になっていた
それと同時に資本主義の限界もきていたのである
だから大幅にそうしたシステムも見直される、世界市場とか世界の株式市場化とかそういうものも見直される、そういうものこそ何か環境面からすると元凶だとも見えてしまうからである
つまりこれまでの手法が大幅に変更させられる、確かにそこで不況になるとか恐慌になるとか一時的にはなる、そこに新しい時代の産みの苦しみが起きる
でもそれは新しいニューノーマルへの産みの苦しみなのかともみる

つまり資本主義の終わりとかも良く言われるようになっている
コロナウィルスで新しい時代の模索が始まる、それほどの変化をコロナウィルスがもたらすとするとまさに神意なのかとまでなる
そんなこと簡単に人間にはできない、コロナウィルスも自然の作用でありこれ以上グロ−バル経済をつづけるなとかの警告だったともなる
もしそういこたとがなかったら世界はますます環境破壊がすすみもう原発事故でこの辺が住めなくなるような状態にもなっていた
原発でももし事故が起きなかったら日本中に原発が増えて日本自体また事故があったら滅びるとまでなっていた、それに事故で歯止がかかったのである
これも神意だったのかともなる 

紹介したサイトは一冊の本のように説明しているから参考になる



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2020年07月03日

地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった (ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった

(ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


その人は糖尿病である、だから孫が神戸にいて働いていてお盆に来るというとき来るなと強く断ったという、その人は東邦銀行の人だった
なぜ東邦銀行の人が神戸で働いているのかその辺の事情はわからない
ともかくお盆でも東京から来るなという人が多い
それだけ田舎でぱ地方では東京から来る人を警戒している
福島市で最近感染した人も東京と関係してなった
最初私の住んでいるすぐ近くで感染した人も東京のライブハウスに行って感染した
最新ではまた一人仙台市で感染した

このコロナウィルスは交通と地理と深く関係している
大都市中心に人口が密集した地帯から広がる、だから大阪の隣の神戸は危険だとして来るなとなった
なぜなら東京でまた100人越えたように潜在的に感染している人が相当数いるからだ
ただ検査しないからわからないだけなのである

一時茨城県から感染者が出ないとみていたらすぐにやっぱり出た
東京圏内だから必ず出ると見ていたからだ
そして東京を抑えなければこれは地方でも抑えられない
なぜなら東京とのヒト、モノの交流が抑えることができないからだ
そういう時代に生きてきたしそうういシステムの中で生きている
ただ本当に不思議なのはITとか通信は人と接しないからテレワークができる
それでますますITが重要になるという
それでも人との交流、物流をとめることはできない
だから交通関係の被害は大きいものとなった
せっかく3月に開通したスーパーヒタチでも人が乗っているのがわずかだからもったいないとなる、それは東京との交通が主なものとしてあるから困る

江戸時代のコレラの感染のことを前に書いた
会津若松を中心にして広がった、東は白河街道があり西は新潟県が北前船とかが入ってきて阿賀野川の交通があり会津若松に人、物が入り広がった
そして田島の方には田島からではなく会津若松から広がったのである
それは東京中心にして拡散するのとにているのだ
それで感染者を出さなかったのは桧枝岐(ひのえまた)だった
ここは交通も閉ざされた地域であり米を食べないで蕎麦が主食でありイモリなど燻製にして食べていた、だから地理的に隔離して交通もなかったから感染しなかった
つまりウィルスは密接に地理と交通と関係しているのである

だから東京の人は地方に田舎に来るな帰るな!
                                        ・       
入らせないために関所を作れ!

こうなるのもまるで江戸時代に還れということにもなる
関所など前時代の不便なものでありグロ−バル化した結果、国境すらないとか世界がなって人、物が交流したのである
それがもう極限に達していたのである、それが急激にコロナウィルスによって否定された国境も関所すら必要なものになったのである
それもかなり厳しく入国制限をするような状態になった

だからコロナウィルスが世界を変えてしまうことの驚きがある
グロ−バル経済すらとめるようになったことの驚きがある
人間の生活は本来どうあるべきかも問われている
そんな外国と人でも物でも自由に行き来する、それはいいこととして推進された
でもそこにすでに弊害が生れていたのである、観光にしてもオーバーツーリズムになり
限界になっていた、それがぱったり止まったという驚きである
今や京都でも閑散としているかえって今ならゆっくり観光できるともなる

いづれにしろ東京を封じ込めろとなってもそれはできない
一千万の人間を東京に閉じ込めることはできない、ただこれもなんらかのカルマだったのかともなる
福島の原発事故のカルマとして東京にこうした災いが生れたのかもしれない
またそもそも東京の様な大都会は不自然でありその不自然さがコロナウィルスに弱かった東京では密集せずに生活できないからである、必ず人と接触するし接触しないて生活できないからである
そして新宿で水商売の人たちからまた感染者が増えたというときもそうである
一万人くらいそういう場所で働いているという、それだけのボリュームがあると感染は防げない、そういう場所も本当は異常だったのかともなる
ただそういう歓楽街は江戸時代でも吉原とかあり人間の欲があるかぎり消えない
でもコロナウィルスでそれも危機にたたされる
自粛が解除されてもそれでまた増える、それは実際予想されたことである
では両立が可能なのかとなるとまたむずかしいのである

とにかくニューノーマルの生活形態に変化するほかないのだろう
不思議なのはこうなるとみんながデスタンスをとり座禅して沈黙する寺に籠る僧のようにもなる、しゃべると飛沫が飛び感染するからである

距離をとれ、デスタンスをとれ、マスクをしろ、大声でしゃべるなとかなると

それが禅僧のようになる生活だともなる、まさに修行僧と同じになる
でもそれもまた新しい時代のニューノーマルなのかとなる
何かこれまでの生活を見直す、これまでの生活が実際はノーマルにみえてもアブノーマルだったのかもしれない、それをコロナウィルスによって気づかされて変えたとともなる
私自身は奇妙なだけど30年間引きこもりであり禅僧のような生活をしていた
人とは接せず沈黙してしゃべることもしないで暮らしていたのである
だから変なのだけどこういう生活は向いているのである
今でも一人くらいとは接しても人と接していない、そうして誰とも接することなく通信でプログを文章を書いている、テレワークなのである
だからこういう生活に違和感がないともなる

何か時代というのは不思議である、高度成長時代があっても自分には会社勤めもしていないしバブルの狂乱も地方では関係なかった、その時株もしていないから関係しなかった
その時自分はアブノーマルな人間だったのである
そして私自身は内面の追求をしてきた、宗教とか哲学とか芸術を内面的なものを追及してきたとなる
それがまたAIで仕事がなくなりみんなアーティストになれということを言う人がいる
高度成長時代は企業戦士であり会社のために闇雲に働いているのがノーマルだったのである
だから時代が変わるとノーマルがアブノーマルになりまたニューノーマルが志向される
このように人間の社会は常に変わってきたのである




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2020年07月01日

東京都知事選挙で山本太郎の創価批判の演説 (創価会員が公明党に反対して除名された)


東京都知事選挙で山本太郎の創価批判の演説

(創価会員が公明党に反対して除名された)

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東京都知事の演説で創価会員が公明党に反対して除名されたとか訴えている
公明党がカジノに賛成するとか国土交通大臣がその法案を通すために奔走していたとか
ある
公明党が宗教政党がギャンブルを積極的に誘致するとかなるとありえないことだとなる
なぜなら創価会員は特に婦人部は夫がギャンブルで苦しんでいる人が多いからである
そういうことを批判して除名される、仲間からもコミニュティからも除外されて孤立させられる
山本太郎の説明でコミュニティから除外されることが辛いということを言ったのは的を得ている
なぜなら創価は団地の宗教とも言われ戦後に東京に地方から就職した人が団地などに入りコミニュティとしてつながりを持ち精神的に安定をもった
だから日々の生活でもそうしたコミニュティの中で暮らしているとそこから除外されたら孤立するとなる

宗教というのはもともとそういうものではなかった、その始祖をみれば釈迦は洞窟で悟りを開いたとかそうした集団化しない、それは後に集団化したのである
集団化することによってそれは強大な組織となり寺は治外法権の不可侵の場となり僧兵によって武装までされた、そこは武士の城と同じだったのである
だからそうした寺院から僧兵が生れ武士になったというのもうなづける
それはヨ−ロッパでも同じだった、十字軍とか武装した信者が騎士団を形成したからである

何か宗教というとそうした武力とか権力とか関係ないとみている
ところが歴史をみればわかる、一向宗でも日蓮宗でも強力な組織集団になり政治集団化したのである、だから信長はあれだけ強烈に戦争で皆殺しするようもなった
それは寺院は武装集団であり権力と対抗するものとして認識されていたからである
信長以降は寺は武士集団の下に所属する管理するものとなったのである

創価はそういう武装集団とにているのである、ただ民主主義になったから平和革命だとか無血革命だとやたらにいう、でも一票とることは至上命令でありその一票をとるために池田先生のためだとなり拠点に集まり祈る、これは明らかに政教一致であり憲法違反なのである
だから一票を得れば成仏して得なければ地獄に落ちると脅すのである
完全に政教一致の団体だからである、それは戦争で天皇が神であり現人神(あらひとかみ)として導いたのと同じである
でも創価の創始者の牧口常三郎は戦争に反対して獄死したのである
そういう歴史があっても今と選挙に勝つことが信仰の最大の戦いとなる
権力を争奪することが目的の団体なのである

それでやっかいなのはそれに反対する者はここでも会員がカジノでも何か公明党の政策に反対して除名されたとかいうのもそうである
その人は地獄に落ちるとか烙印おされ除外される、するとコミニュティからはずされて孤立するとなると訴えている
ともかく宗教と政治が一体化すると何かというと地獄に落ちるとか罰当たると云うになるのが宗教の危険性である、それは個人的にもそうなりやすいのである
本当は私怨でも宗教になると神でも仏をもちだして罰が当たるというのは普通にあるからだ、そんなことに神仏がかかわることはないのである
そこに宗教の危険性がある、それが集団化すると余計にそうなる
てぜなら選挙でもそうだが何であれ逆らうものは仏敵となるからである
そうして集団組織で祈る、それはやがてファシズムとなる
宗教は議論とか反対を許さないものだからである            

創価とは本当に前は武装集団であり僧兵であり権力争奪を辞さないともなっていたのである、何か洞窟にこもって修行するとかはない、極めて政治的団体である
だからすべての目標は選挙に勝つことであり一票をとり政治権力でも手中にして日本を支配することである
日蓮の思想自体がそれを容認している、王仏冥合とは王とは権力であり仏は信仰である
それが容認しているのだから政教一致でも教義的に矛盾しないのである

そして東京がその最前線であり東京で勝つことは日本全国でも勝つとなり東京都の都議会選挙でも最大の戦いの場となる
それは宗教団体を認可するのが東京都になっていることもある
ともかく創価があのように増えたのはやはり地方から東京に就職した人達が拠り所を失いそのコミニュティに所属したということが大きい、組織化集団化して座談会とかなにか
家族的なものを形成して仲間意識を作ったのである、団地の宗教と言われたのはそのためである
その成り立ちが本来の宗教より組合とかの感覚になる
でも宗教だからそれがファナティックになりやすい、狂信的になりファシズムとなる
実際は本来の宗教とは何の関係もない、権力争奪を目指す政治的団体である
だからこそ創価会員が公明党の政策でも反対すれば除名され地獄に落ちるとか仲間からも除外されるのである                        
でもカジノに反対するというのは宗教政党だったら当然だとなる
それもできない宗教集団とは何なのだろうとなる

結局民主主義とは数であり数が権力である、だから選挙でも数でありどれだたけ数を集めるかで勝敗が決するとなれば何であれ数を集めることが日々の戦いになる
だから創価では毎日会員を増やすために運動している
幽霊会員が膨大なのである、その人たちは何の活動もしていない、座談会にも来ない
ただ名前だけの会員である、その人たちに一票をいれてもらうことが戦いなのである

やはり宗教というのは弊害の方が歴史的にも大きかった、どうしても明治維新に天皇を神のようにして日本をまとめたことが後の禍ともなった
それを強く感じるのはどんな神社にも小さな社にも武運長久とか鳥居でも狛犬の台座でも刻まれているのである、だからどれだけ小さな神社でも国家神道の中に組み入れられていた、そこで村人は出征して行ったのである
そして神社団体が江戸時代に寺が優遇されていたとなり廃仏毀釈運動になり仏像が破壊された、これも利権争いだったのである
神社でも寺でも利権団体であり権力機構に組み入れられる、寺は本当に江戸時代は役所のようになり優遇されていた、というのは武士の菩提寺ともなるからそうなる
だからその反動として寺に対して明治維新になり天皇を国家神道化して排撃したのである要するに戦争の原因はそうした政教分離ができないということにもあったのだ
天皇は象徴天皇で権力はないにしてもそれをもちあげて権威を利用してきた歴史がある

だから不思議なのは今の天皇は明治天皇から南朝の楠正成を祭りあげている
南朝の復活であり南朝の系統が今の天皇だというのも歴史の継続だとなる
この辺も霊山は南朝の城でありそこから落ち延びた子孫がこの地域には多いのである
ただそうした歴史を今にも尾をひいているのも歴史である
そして明治天皇は替え玉だったというのも万世一系が天皇ではないのである
明治維新の過ちがあったとすればやはり政教分離が成されていなかったことなのである
靖国神社には朝敵となった武士は祀られていないのである
西郷隆盛でも最後は朝敵となり祀られていないのである
日本の国が天皇の臣下であり臣民であり国民ともなっていなかったのである
ただ国民国家というのはフランスでも他でもみんなそうなった
国家はヨ−ロッパてもハウスブルグ家とか貴族のものだったのである
でも国民国家となったとき国民が今度は全員兵士にもなり国同士の熾烈な戦いになった
そして世界大戦で大量の人間が死んだのである

buunchou2.jpg

buunchoukyuu1.jpg

国威宣揚 武運長久

これは戦争の時に刻まれた文字である、これはどこの神社にも刻まれている
これは大倉の山津見神社とかのものである、
とにかく小さな村の社にも刻まれている戦争の歴史なのである


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2020年06月28日

専門馬鹿により社会が混乱させられる (コロナウィルスでもそうだったー専門用語を使い通じなくなる)


専門馬鹿により社会が混乱させられる

(コロナウィルスでもそうだったー専門用語を使い通じなくなる)


今回のコロナウィルスでも急に統計で40万人がこのままでは死ぬというウィルス学の専門家が言った
それが専門家会議の代表として言ったようになったから国民は恐怖になった
でも現実は日本は感染者も死者は世界と比べると極端に少ないのである
だからなぜそんなことを言うのかとウィルスをわからないにしても世界から判断すればそんなことを言うのはおかしいというのは常識である
ただ常識からはずれたことを言うのが専門家であり専門馬鹿なのである
専門馬鹿とは学者にも多い、象牙の塔にこもる学者は社会のことがわからなくなる
まだ実験室にこもり研究ばかりしている学者もそうなりやすい
ただ現代社会は無数に部分化した社会であり社会をトータルにわかる人などもういない
そこに必然的に専門馬鹿が普通に生まれるのである
文系でも経済の専門馬鹿がいるし法律の専門馬鹿もいる
そもそもイリイチの指摘したように専門化した社会が現代だからである
社会は無数の職業に分化して専門化してその専門のことはわからなくなり専門家に支配された社会だとなる

要するに専門家が今では司祭である、専門家に従わない限り何もできない社会である
教育にしても教育を専門家とする学校に行かないかぎり何も学べないとか病気になれば医療機関に行かなければならない、勝手に自分で学んだり治療したりしてはいけないともなる、銀行にしても金融の専門家である、投資信託など仕組みが複雑すぎてわからない
だから金融の専門家に従いとなる、ところ地銀などは素人と変わりなかったのである
証券会社ではないからである
そこではやたらと専門用語が出て来る、それで煙にまかれてわからなくなる

それは原発でもありここは原子力の核ということを知れとなるともう普通は不可能であるそれで数学者が

事故の起きる確率は百万分の一だと統計学から計算して言っていた

これも専門馬鹿の典型なのである

なぜなら他の学者は10数メートルの津波が来ると警告していたからである
だから学者でもいろいろな分野の人がいてそれが相互に協議などしないからそうなる
今回でも

このまま対策をしなければ40万人が死ぬ

こさも専門馬鹿の警告だったのである、それが専門家会議の総意として発表されたと受け取られたから問題だったのである

何か文系と理系があるけど総合的なもの全人間として生きることなど不可能な時代であるそれで天才的な優れた人はアウトサイダーになりニーチェのようになりそこで人間回復を計ったのである
なぜなら社会を離脱することによりそこに自然が全面に出てきて人間回復できるとなるからだ
私の場合は天才でも何でもないけど引きこもりであり社会から離れて暮らすようになったそれで自然と一体化するアイディンティティ化する詩などを作るようになったのである
ただどんなことしても人間は現代ではかたよった人間になる
総合的人間になりえないのである、社会人として勤めない人もまたかたよった人間になるなんらかですべての人間がかたよった人間になる
だから別に専門馬鹿だけのことではないのである、文明人がみんなかたよっているし奇形文明だと書いた時もそうだった


そもそも学校からして教科が別れ分裂的思考になる、いろいろなものが一緒くたに教えられ分裂混乱させられるのである、そこからして分裂状態になっているし大人になってもその延長であり同じなのである
そうした分裂状態からナチスが生れた分析するのもわかる
何か一つのなるために一切のことを無視してハイルヒットラーとなるのがわかりやすいからである、それで偽りの一体感に酔うのである
カルト宗教団体でもそうである、そこはファシズムの温床なのである
大衆を相手にしたときはわかりやすいことが第一でありそれでまとめることが第一になるからだ

いづれにれろ人間社会は文明は迷路に陥る、専門家もまたそうした迷路に陥れる人である原発事故でも低放射線は体にいいとかなんとか様々なことを言う人がいる
すると迷路にはいりこむ、右が出口だという専門家もいるし左が出口だという人もいて迷路を彷徨うことになる

でも決して出口に到達しない!

これが現代なのである、それで理系と文系とかいてもその両方に通じる人はまれである
武田邦彦氏は両方に通じているから指標にはなる
もし理系だけのことを言われたら文系は話すこともできない、あなたは何も核についてわからない、ウィルスについてわからないのですから話す権利もなにもないですとなるだけだからである
つまり専門馬鹿というとうけど今の社会は文明はみんな専門馬鹿なのである
それで突拍子なことを言うのは総合的に考えられないからである
原発にしても事故になったらどうなるのか?
そういうことを考えない、生態系の中で生きている人間のことを考えない
空気でも水でも土でも森でも汚染されることも考えないのである
それは全体のことであり人間が生態系に依存しないと生きていけないということも考えない、その周りの全体のことを考えないのである
その全体の中に技術を活用することであり全体を無視してありえないのである
現代文明は全体的思考に必ず欠けてくるのである
私は景観にこだわるときそれは全体のことであり景観が破壊されることは全体が破壊されることに通じているからである

ともかくコロナウィルスでもやはり原発事故と同じような迷路に陥っていた
専門家の指導に頼りかえって混乱する、そしてその出口が見つからないのである
それはそもそも原発でも核でもウィルスでも人間が制御できないのは人間が全能ではないからである、神でもないからである、そこで必ず迷路に迷い込むのである
そこに人間の限界が生じているのである

例えばワクチンにしてもコロナウィルスが変異するというときその変異が限りないとしたら科学者でもそのワクチンを作るのに無限に対応しなければならなくなる
つまりきりないし解決もないとなる、そこに科学者の限界が生じる
もう対応できないということである、そこに人間の限界が生れお手あげになる
それは科学の分野だけではない、経済の分野にしてもそうでありグロ−バル経済などわかる人などいないのである、そこは見えざる神の手によって導かれるなどありえないのである、実際は悪魔の手によって導かれて世界の数パーセントが富を独占しているのが現実なのである、それこそ陰謀論でもなんでもない、事実である
そんな富を独占している人自体が悪魔だとなってしまうのである

要するに文明というのはバベルの塔なのである、文明が専門家して専門用語を使うというときそうである、専門家がいて専門用語を使い互いに意思疎通ができなくなる
違った言葉を話しして通じなくなっているのだ
そしてバベルの塔は崩壊して散り散りにされたとなる
この辺では原発事故後に故郷に住めなくなり家族もばらばらになったのともにている
それはバベルの塔の崩壊ともにていたのである
posted by 老鶯 at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月26日

交通が発達しても距離が人間の心を隔てる (東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)


交通が発達しても距離が人間の心を隔てる

(東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)

何か遠いとか近い感覚が相当に違って来た、江戸時代なら芭蕉の奥の細道のように
みちのくと地の果てのような感覚になっていた
だから平泉まで来るのにそういう感覚で旅して来た
はるばるやっとみちのくの都の平泉に来たな、おりしも五月雨の季節、金色堂はその雨に打たれても鞘堂の中に残っていたとなる
そこに深い感懐があった、それまですでに相当な月日を重ねて旅して来たからである
でも今なら平泉まで新幹線で東京から二時間だとなればその感懐もなくなる
その途中の行程が省かれているからだ

だから距離の感覚が交通の発達で変わってしまった
その距離の感覚が何か錯覚して物事でも理解できなくなる
東京は遠いと思っても実際は近いのだがまた遠いとも思う
福島県はみちのくの入り口にしても今なら郡山まで新幹線で一時間もかからず着くとなれば実際は東京圏にもなる
それで福島県の中心は福島市ではなく郡山市がいいともなる
経済の中心地は郡山市である、それと会津も福島県だから郡山から磐越西線がでているから会津と交通でもつながるとなるからだ

そして東北には奥州には山城が多い、三春でもそうであり二本松は最も山城の形を残している古い中世から受け継いだ防御の城である
防御というとき自然を防御に用いる、山城であれば山が攻めにくいとなる、前に川があれば堀となり自然の防御となる
伊達政宗の青葉城は前は広瀬川であり見上げるような高い所に城を作った
これも防御のためである
東北には平城は少ないのかもしれない、盛岡城でも高台にありそれなりに小高い高台にあるのが多い、相馬の城も低いにしろ高台にあった
やはり山城形態が多いとなる、東北ではそういう点で大阪とか西と比べると歴史的発展として停滞していたともなる
商業が盛んにならないのはやはり平地で庶民が活動しないからだともなる
平城ならそこから町が発展してゆくともなるからだ、山城だと庶民と武士は隔離して生活するからである

一方で大阪城とか姫路城とかは城自体が大きく堅固な守りがあり平城である
平城になるのはそうした自然の地勢を守りに利用するのとは違い、平和な時代だと庶民が生活しやすい平地に城を作ったとなる
でも大阪城は徳川家康に攻められたからやはり戦国時代の城なのである

ともかく江戸時代では江戸とみちのくとなると相馬からだと8日とか歩いてかかった
その距離感覚をもう知ることはできない、交通の発達で実際は東京と福島県は近いのである、福島県は東京圏内にでもあるような感覚になる
それでそうした距離感覚から福島の浜通りに東電で原発を作ったとなる
もちろん東京には作れないこともあったが福島県だとさほど遠くないという距離感覚があったかもしれない、また東京から近くないから事故になっても東京は安全だという距離感覚で場所を設定したとなる

この距離感覚が問題になる、なぜなら私の住んでいる地域は原発のある場所から30キロ離れていた、そこで線引きされて補償があまりされなかったからである
そして30キロというとかなり遠い距離だと思い原発に関心がなかった
でも小高に東北電力でもうすでに工事を開始するところだった
事故がなければ小高に原発は作られていた、そしたら小高からここは20キロにもなる
小高となると相当に近い感覚になる

何か人間は地理に地勢にその見方でも左右される、ただこの地理の感覚が交通が発達すると距離で計れないものが生じて来る
それは平泉まで東京から二時間だとか青森でも二時間でつくとなれば距離の感覚が違ったものになる
それが人間の判断でも誤る原因ともなる

距離が離れれば迅速に対応できない、それで広い帝国になると地方で反乱が起きる
それは中央政府の統治が遠くて及ばなくなるからである
通信もない世界で連絡とることさえ簡単にできないからである
つまり何が起きているかも把握できなくなるのである
今でも東京は実際は遠い、そこで離れていると意志疎通がむずかしくなる
誤解ともかも産みやすい、それで何か急に事件とか緊急ことが起きると対処できなくなる静岡で交通事故をおこしたとき連絡があっても遠いので何が起きたかもわからない、
それで運送屋に死体が置かれていたり何がなんだかわからなくなった
そんな遠くに通うこと自体が苦労だったのである
母はそれで前の夫の息子の私の一応兄になる遺体を前にどうにもならない状態になっていた

そういうことは原発でも起きた、東電の幹部と地元の吉田所長が爆発してどうしていいのかわからなくなり電話で映像でも連絡して指示を仰いでも吉田所長は納得せず独断で実行したとかなる、東電の幹部は東京にいて現場のことが理解できなくなっていたからである東京からその現場の状況を把握することができなくてっていたのである
それは電話でもテレビ電話でもできないものとなっていた
いくら通信が発達しても緊急事態に対応できなくなっていたのである

こういうことは戦争でもあった、現場のことを司令部は理解できない、何をしてもらいたいのかも理解できない、そして関東軍が暴走したりする
もう中央の指令すら届かなくなったのである
確かにテレワークはいいとして果たして緊急事態になれば意志疎通ができるのかとなると問題である、じかにあって話しないと事態を把握できないとなる
結局原発事故ではどう対処していいかわからずお手上げになっていたのである

確かに交通が発達すれば距離は縮められる、でも人間はじかに合ったりして現場でともに働いていないとその場のことがわからなくなる
だからテレワークは平時はいいとして緊急事態に対処できるかどうかはわからないのである
ただ広域社会になると距離の感覚として福島県も東京圏内とかなりその中で自治体でも相互の連携を計り今コロナウィルスでも東京から分散するときそうした周辺地域との関係の中で国造りをせざるをえなくなった
別に首都遷都でも三春辺りが郡山があり森に沈む首都とか計画されていたのである
それがいつのまにか立ち消えになっていたのである
コロナウィルスはそうして再び首都遷都とか具体化するようになった

それで東京をこれからどうするのか?
その未来のビジョンを示して新たな国土を作りをすべきだとすべきなのだということもわかる
その新たな東京圏に福島県も組み入れられるとなるとそこが別な世界として考えて江戸時代のように住めないのである
そもそもかそういうふうに東京では原発でも東京は安全圏として福島に作ったということ自体が間違っていたのである
それは東京と福島県が相当に議論したり協議したりするべきものだったのである
でもそういうことは距離感覚から成されていなかったのだ
ただ東京では福島に作れば離れているから安全だとなり地域エゴから福島県に原発を作ったのである
本当に福島県とまた相馬地域でもいわきでも東京と原発について協議しないのである
ただ一方的に東京から東電によって政府によって福島に作られたのである

コロナウィルスでもそうである、東京からどうしても人の出入りを江戸時代のように止められない、すると東京圏とその周辺はコロナウィルスと戦うために協同せねばならない
でも東京は東京は福島県は福島県でありそこに別々にして考える
東京は東京で原発は危険だから福島に作ればいいとかなり地域エゴになる 

それで福島県の人が東京に原発事故で避難した時、放射能うつるとかいじめられた

今度は東京の人はコロナウィルスがうつるから来るなと言われる

これもつくづくカルマだった、必ずこうして自分たちのしたことがカルマとして返ってゆくのが人間なのである、東京が今やコロナウィルスの感染源でありとめることができないからである、こうなると地域の対立が激化して戦争にもなる、それが戦国時代だった

福島県はまた政府と東電が一体となっているから福島県の知事は官僚出身で中央の言いなりだという批判もある
ここに中央と地方の自治体の反発とか乖離とか生じてきている
それは距離の感覚から人間は交通がこれだけ発達しても克服できないということにもあった
第一東京の人はやはり福島県のことは遠いから安全だと考えること自体が依然としてやはり離れているという距離の感覚からそう決めたからである
posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月25日

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている (6月24日の感染者の出た県名)

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている

(6月24日の感染者の出た県名)

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6月24日20:30時点

会津のコレラの感染が会津若松中心に広がったことを考察した
会津若松に集中してそれから会津田島の方に逆に広がった
今回でも6月24日でも東京が閉鎖されて解除されたがやはり東京中心にして広がっている東京の周辺の人口密集地帯に広まる、群馬でも東京から近いからである

仙台市は危ないと前から私は指摘していた、なぜなら東京は東北の交通の要であり
新幹線でも東京から来る人が多いからである
それで3日前とかに仙台市に行った時は怖かった、必ず東京から来た人交わるからである
今は相馬地域では福島県では感染者がないからマスクをしないでスーパーにも行ったりしている、何か仙台市よりは安全に感じるからである
ただ距離はとっている、スーパーでもこの辺はそんなにこまないから距離がとれる、ソーシャルデスタンスがとれる
都会だとどうしてもこの距離がとりにくいのである

大坂の方だと確かに少ない、でも大阪から兵庫と岡山県に出ている
例え一名でも危険である、なぜなら一名からでもウィルスが相当に広がるからである
一名出たというときそれはアラーとなのである

何か本当にこの伝染病は地理と深く関係している
だから人の出入りが頻繁な所はどうしても危険になる
東京からは継続的に感染者が出て減らないと思う
一千万以上がいるしその首都圏の人口が多すぎるからである
そこを閉鎖することもできないからである

福島県だと中通りが危険である、福島市で増えたことでもわかる
最近でも一人が出たのはそのためだった
浜通りになると新幹線がない、でも東京からスーパーヒタチが通じるようになった
でも本当に乗っている人は少ないのである
だからせっかく東京まで震災から9年で3月に通るようになったのに残念だったとなる

でもまたもし常磐線が原発事故があった双葉とか大熊とかに電車が通らなかったらかえってコロナウィルスには安全だったとか思う
つまり東京から人が来るのもまた東京に行くのも危険である
それですぐ近くで感染した人は東京のライブハウスに行って感染したのである
その家ではガラス窓が壊されたとかでいられなくなり一時的なの仙台に避難しているという、岩手県でも最初一人の感染者にならないように必死だったのである
そういうふうに田舎では村八分になることが本当に怖いからである

とにかく伝染病は本当に地理と深く関係している
また関所のようなものがあるとウィルスをそこでとめることができる
なぜなら空港で外国から来た人を検査したとき陽性の人が見つかる度合いが大きかったからである
空港は関所になっていたからである、だから関所というのも何か人間には必要なものだったと今になると思う

ただ現代では都市封鎖とか交通をとめることはできない、でも首都圏地帯から人が来てもらいたくないとなる、でも観光でも封鎖が解除されたのだから来る
また観光業の人はきてもらわないと生活できないジレンマに陥っている
でも何か急に解除されて人があふれだして観光地でも来るのは危険だと思った
つまりもともと急に都市封鎖のようなことをしたりまた解除して急に人があふれだして来るというやり方に問題があったともなる

そもそもコロナウィルスは簡単に消えない、それでwith コロナの生活をしろというようになった、急激に人の流れをとめたりまた解除して人の交流を自由にして人がどっとくりだしたりすることはいいように見えないのである
そしたらまた元にもどり何の効果もなくなる、だからその辺を見直すことも必要である
コロナウィルスの戦いは長くつづくという認識が必要なのである
だから急激に人の流れをとめてまたそれを解除してどっと人をあふれさせて交流させるというやり方は危険である
かといって全面的に人の流れをとめることはできない、そこに何らかの智慧とか対策が必要になる

何か都市封鎖のようなことをしたのがかえって良くなかった、それは結局一時的効果であり継続しないからである、別にそれでコロナウィルスの感染を止めることはできないからである
だからロックダウンの効果を疑うように外国でなったのである
やはりwith コロナでやって行くしかないともなる
それで一年とか耐えてゆく、それで効果をみてゆくほかないのかとなる
そのうちワクチンが開発されるの期待する、だからこの戦いはすぐには終わらない
都市封鎖のようなことをしても効果がないともなる
継続的な長期戦となればそうなる、ただそれは相当に消耗する戦いになる
今回の解除で人がとっどあふれたことでもわかる、コロナ疲れになり耐えられなくなりそうなった、そこにまた危険がありやっかいだとなる




posted by 老鶯 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

誰も未来は予測できない (2030年後の日本ー東京から人口が分散)


誰も未来は予測できない

(2030年後の日本ー東京から人口が分散)

2030plan1.jpg

未来は誰も予測できないというときこの予測でも東京に人口がさらに集中する
仕事を求めて若者が東京に集中するというのははずれたようだ
なぜならコロナウィルスでテレワークになりかえって地方へ人口が分散する
それから観光産業もコロナウィルスで大打撃を受けた
観光に頼ることは危険だったとことを知った
ただあとは当たっているからこの予測がはずれたとはならない
でも東京に人口がさらに集中するというのがはずれたとき全体的に影響する
だからこの予測がはずれたことは大きいのである
つまり予測は必ずはずれるのである
未来の予測は人間にはできない、神のみぞ知るとなる 

人間社会は物中心の経済から頭脳労働や知的仕事へシフトする
それは確かである、この頭脳労働は場所を選ばなくなることである
ITの発達で世界中が頭脳が知性が結ばれるともなる
だから東京のような大都会一局集中は必要なくなる
今でもアマゾンなどで通販の発達で地方でボタン一つ押せばなんでも買えるからだ
東京で得られるものは地方でたいがい得られる
一方で地方で得られるものは東京で得られない
自然によって得られるものが東京にはないからだ
それで若い女性が20代の人がここに移り住んだ、それでサイクリングを楽しんでいた
ここは山もあり海もありサイクリングにはいいからだ
都会の車洪水の中よりそういう点ではいいのである

東京への人の移動は実際は明治からつづいていた、なぜなら大正生まれの自分の母方の家族の二人も東京に出ていたからである、私の母は女中として東京に出たのである
大正時代の東京の人口は百万くらいだった、それでも日本では大都会だった
その後継続して地方から東京へ人が移動しつづけてきた
戦後は高度成長時代になり同級生が金の卵として集団就職したのである
この時も東京へ人が移動した
戦前は看護婦になる試験でも東京でないとできなかったとか何でも東京中心になっていたのである
今でもどうしても東京でいなと大学出たりすると就職先がない
東京には多様な仕事があるから東京に集中したのである

でも東京とのハンディキャップは解消しつつある、本当に一番地方で格差があったのは
本すら買えないということだった、仙台まで頻繁に行ったのは本を買うためだった
でも仙台すら本は少なかった、それに気づいたのはAmazonでらゆる本があることだった
古本でもあるゆる本が買える、そうなれば地方で勉強もできる
そもそも本がなかったら研究でもなんでも不可能だからである
文科系なら本で勉強できるからである、それがないとしたらお手上げだとなる
とにかく本の数は膨大であり天文学的数字にもなっていたのである
まず良質な本をそろえないかぎり知的仕事は不可能だからいかに東京との差が大きかったかわかる、そしてインタ−ネットなら学者の論文も読める
それで津波のことなど重要なことを理解した
相馬藩内で津波の前と後で米の収穫高が三分の一に減ったと研究があった
それが何かこの辺では記録がないので証拠なのかとなりそのことを知ることは津波の研究で重要なことだったのである

とにかくテレワークは自宅にいながらどこでも勉強もできる仕事をできる、
報道でもyoutubeとかで様々な情報にふれることができる
また発信もできる、まず自分でもそうだがこのように毎日プログで書いて即座に発信できなかった、雑誌だって一か月に一回くらいだった
それも手間と金がかかりすぎてできない、だから一つのメデアを個々人で持つということは大きな変化であり権力を得ることだった
テレビでも新聞でもそれを発行するだけで莫大な資本と金と手間がかかるからだ
それが一個人でもできるということは大きな変化だった
テレビの六局に情報を独占される時代は終わったのである

いづれにしろ人間は個々人の人生でも予測できない、何か人間はAIで仕事しなくてもよくなる、では人間は何をするのか?みんなアーティストになれとか言うの本当に解せないとなる
高度成長時代は企業戦士で兵士のように会社のために命までささげるように働きそれが普通だった、その時ニートとか引きこもりなどいない
自分はそうだったとしてもそんな人はいないとされていた
今話題にするのはその数が多くなったからである、数十人とか数百人いてもそんな人はいない社会にとっていないとされるからである
何か自分はパソコンは別にしてないかった、最初はワープロだったがその富士通のワープロに通信機能がたまたまついていたので通信の世界に入りパソコンになっても継続していたのである、私は文系でありメカに弱いからパソコンのことなど知らなかった
でも最初のときパソコンのメカを知らないとできないものだったのである
そして一台40万くらいしていて普通の人はやれるものではなかったのである

結局人間は未来を予測できない、未来は常に意外な結果になる

これは間違えない、個々人の人生でもみんな意外に終わったなとなる
こんなはずではなかったとなり終わっている
例えば依然として一流大学に入り大企業に入ることが成功だとなるがそれも変わる
だからそういう規程の路線だけを目指すとかえって失敗したりする
時代が大きく変わるとそうした価値観が変わってしまうからである
みんながアーティストになることだというのもそうである
アーティストとかはもともと食えない仕事であり誰も認めないからである

時代が変わると価値観が変わる

これもそうである、東京一極集中は時代が作ったがこれが逆にコロナウィルスで地方分散時代になる、テレワークの時代になるとかもそうである
テクノロジーでも社会は変わる
それで先に行ったものが後になり後になったものが先になるとかにもなる
大企業とか目指すのは先を行っているうよでも今になるとかえって時代にそぐわなくなるとか変化が起きてくるのだ
人間社会は歴史がはじまって以来絶えざる変化だったのである

明治維新でもそうであり戦後でもそうである、70年くらいのサイクルで大きな変化に見舞われる、そこで価値観もがらりと変わる、今がその時だとなる
津浪や原発事故やコロナウィルスでこの辺では大変化を経験した
これは予測つかないことだったのである
ただその大変化に茫然としているだけだともなった
個人的にも家族がみんな死んだとかもそうである、その急激な変化に突然白髪の老人になったということもある、現実自分自身がすでにそうである

間もなく見事な魚をほとんど船いっぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかったほど、たくさんとれたと三人とも話し合いました。

疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日までは鴉からすのように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、


大漁として喜んでいたが突然大渦に飲み込まれた結果、突然急激に黒髪が白髪になってしまった、それはこの辺では津波と原発事故で経験したことである
津浪で沖に流されて漂流して助かった人もいるからだ
そして現実に津波は大きな渦を作ったのであく、それはテレビでも放送された
その話をこの辺でも聞いた、水が両側からおしよせて大きな渦を作ったというのであるその近くで30人くらいが死んだのである
だからこの大渦は津波と同じだった、それより津波は空恐ろしいものだったのである

このように人間がこの世に生きるとは想像もつかない恐ろしいことが起きるということである、信じられない変化が起きる、そして突然に老いてしまい人相まで変わり果てて同一人物に見えなかったとなる、現実に人生で人間は老人になると変わり果てる
女性でも華やかにスポットライトをあびても見る影もなく老いて醜くなっているのである
人間は過酷な人生で変身して悪魔のようになる者もいる、人間自体がいつも同じではない、二三年逢わなくても人間は変わる
だから遠くに行ってしまうとその人が何をしているのかもわからなくなる、それで突然連絡がくる
便りがないことは善いことであり便りが来ると悪い事だとなってしまうのである

このように社会で急激に変化する、鬼畜米英として300百万人が満身創痍で戦って死んだのに負けたらアメリカ一辺倒になった、赤から白に突然に変わる
それが社会でも個々人の人生でも起きるのである
そして誰も未来は予測できないのである、コロナウィルスを予測した人はいなかったからである、2020年に大変化が起きるとは言っていたけどコロナウィルスだとは言った人は一人もいなかったからである、そこに人間の限界があったとなる
人間には安心な世界はありえない、常に危険と隣り合わせであり何が起きるかわからないのである、ただその変化は悪いことばかりではない、何か金でも遺産とかで突然入ったりして金持ちになったり何か突然幸運もやってくる
ただ不運がやってくることも確実なのでなのである
そして人間は最後は死ぬだけだとなるのである




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2020年06月24日

テレワークの時代へ (そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)


テレワークの時代へ

(そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)

テレワークは実際はすでにyoutubeとかではじまっていた
youtubeはテレワークなのである、インタ−ネット自体が距離とか関係ない世界だからである
youtubeには教育機能があることを見てていて気づいた
教育機能として優れていると見た,テキストだけだとわかりにくいが別にyoutubeで講義していると現実に教室で教えられるのと変わりないとも見たからである
何かそうなると個々人が家でも勉強できるとなる
そこでは超優秀な人が教え方がうまい人が教える、それで他の並みの先生はいらないともなる、なぜなら全国放送できるからである
だから教室で30人でもまとめて教えるというやり方も変わるのかとなる

コロナウィルスは接触することが拒否される、するとインタ−ネットだと接触しないからいいとなる、ただそこにスキンシップとかなくなり人間と人間の連帯が作れないとかなるかもしれない、要するにみんな引きこもりで仕事するのかとなる
自分自身は引きこもりだった
どうしても学校の集団とか会社の集団とかにはなじめなかった
結局底辺化して流れ作業のような仕事しかしなかった
それ以来仕事自体がしたくなくなった、嫌悪するようになり家族に恵まれて旅ばかりしていたとなる
だから人生はまずしたくない仕事を金のためにさせられることほど不幸はないともなる
勉強だって強制させられてやるのと自らすすんでやるのとは相当違っている
興味もってやるのとはその差は大きいのである
強制されてやるのはつづかないが興味があってすすんでやるのは飽きることがないし一生勉強つづけられるのである,ライフワークになる

とにかくインタ−ネットそのものが新しい仕事を生み新しい社会を産んできた
それがコロナウィルスでさらに加速されることになった
何か変だが引きこもりになって仕事するともなった
だからコミニケーションの形も変わる、家が主体となりそこが仕事場になり生活の中心となる
となるとどうしても家が広くないとできない、家の中で仕事するには自分自身がそうである、家は広い、学生時代から書斎まで与えられていた、まず書斎がないと知的な仕事はできないのである、そして家の中で雑音が入ると仕事に集中できない
そして知的な仕事にはそこに余裕ある空間が必要になる
家の中で気分転換が必要になる、私の場合は二階も広いし廊下も広いからそこを歩いたりする、そして創作をする、何かアイデアとかイメージが湧いてくるのである
それで家ばかりにいない喫茶店を利用するというのもわかる
仕事でも知的な仕事になると気分転換が大事になるからだ

いづれにしろテレワークというとき自分自身がインタ−ネット利用すること自体テレワークになっていたのである
そもそもプログでもそうだけどこれもテレワークなのである
もしインタ−ネットがなかったら文章を書いて即座にみんなに読まれるようにならない
旧来だと活字にして雑誌なり本にしてとかその手間が大変なものになる
それは普通の人は全くできないのである
金がかかりすぎるし素人だと受け付けないからである
こうしてパソコンで書いたものが即座にアップして読まれるということがテレワークなのである

だからもし仕事の場所が限定されないなら東京から地方に移住しても仕事はできる
そうすると地方の方がいいとなる、第一家が家賃でも安い、隣の人は一軒屋げ庭が広い、そこにもう一軒家を作ってもまだ余裕がある広さである
そんな家の家賃が4万とかである、それとまた空家が多いからそこを買えば家自体が安くなる、つまり広い家にすめる、そこでテレワークならできる
自分の書斎なり仕事場なりテレワークする場所がもてる
ただ正直それだけで仕事がてきるのかどうかまた勉強できるのかどうかはわからない
なんか引きこもりになり何か人間的な交流までなくなるともなる

もし作家であれ何か芸術家とかであれ創作関係は東京でなくて地方でできる
テレワークでも写真でも絵でも文章でも発信できるからだ
そこで収入になれば別に地方でも生活できる
ただ過疎地域では無理である、最低でも5万くらいの都市の規模に住むべきである
そしてその周辺には自然がある、仙台市でも杜の都とういごとく森につつまれている
ただ5万くらいだとその周辺は自然でも豊かなのである
ある程度都会的な生活ができる、だからテレワークになったら地方の方が生活が充実する
日曜日に若い女性がロードに乗っていた、駅にいたので聞いてみたら私は原町に住んでいるんです、これから飯館村の方に行くんですとはりきっていた
こうしてこの辺だと山から海と変化に富んでいるからサイクリングには向いているのである、若いから飯館村までの坂はきついけど行けるとなる
そういうふうにして自然に親しむこともできる、その女性はどういう仕事をしているかわからないが田舎に移り住んだ女性なのである
20代とするとこれから結婚もして子供を産めば地方の活性化になる
だからテレワークが地方にとってはいいとなる

東京一極集中は限界だった、そして東京はこれから危険である、地震とか災害が起きる
コロナウィルスでも三密から東京では逃れられない、どうしても人が密集してしまうからだ、本当に東京から脱出を真剣に考えるべきである
テレワークによってそれが促進されれば東京の過密と地方の過疎のバランスがとれるとなる
ただ正直飯館村とかになるとまず車がないと生活できない、満足なスーパーもないとかとても環境は良くても生活するとなると別である
だから自分自身がそこに行くときはそこに生活していないから一時的に行くからいいとなっていたのである
自分が住んでいる場所は隣は相馬市は4万くらいの都市であり隣は5万くらいの都市があり普通に生活できる
そして今は買い物に不自由しない、本でも古本でもいくらでもアマゾンで買える
何でも買える、そうなると都会に住むのと地方に住む差がなくなった
わざわさ神田とか水道橋とかの古本屋街に行くようなことはしなくてもいい
居ながらにして勉強はできる、情報格差がなくなったのである
むしろ田舎の方が落ち着いて仕事できるとなるのである




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2020年06月22日

地産地消が一番体にもいい (アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)


地産地消が一番体にもいい

(アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)

【武田邦彦】「野菜が体にいい」は嘘!健康になりたければ
「これ」だけを意識しなさい


武田邦彦氏の健康の話をいつもyoutubeで見ている、今回の話は同調するものがあった
人間の体はその土地にあったもを食べて作られている
それは長い間にその土地にあった食料がありそれに適した体に作られる
それで日本人は日本人の風土にあった土地にあったものとして形成される
だから何が体にいいのかというのはその土地でとれたものがいいとなる

今はいろいろなものを世界からでも入ってくるから何を食べろ何を食べるなとそれがyoutubeとかでも言うようになったから混乱する
野菜を多くとることが必ずしもいいとはならない、ブロッコリーがいいからと自分自身も毎日食べていた、でももともと日本にあった野菜がいいという、それはその土地で千年とか食べていたものだからである

日本の特徴として一番いいものは旬なものである、何か旬なものはうまいのである
旬なもので新鮮なものを食べると体にいいことは間違えない、それが日本の文化であり
それで俳句の綺語が生れたのである

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

「初物七十五日」(初物を食べると寿命が75日のびる)

「八十八夜に摘んだお茶(新茶)を飲むと無病息災で長生きできる」(新茶を贈る風習もあります)

漁師は何か他にも植物を葉が茂るのを見てそのとき食べる魚があるという、だから鰹だけではないのである、魚は種類が多いからその季節に回流してくるものがありそれが旬の魚だとなる
まず漁師は二三日過ぎた魚を食べないというとき新鮮なものがうまいし体にもいいのである

そしてある一つのものを野菜でもブロッコリーが何々いいとかいうとき疑った方がいいとも言っている、つまり栄養をとるときバランスだからである
ある一つのものがすべてにいいのではなくいろいろなものを食べて体にいいとなるからだ「其地無牛馬虎豹羊鵲」魏志倭人伝にあるごとくこれらの動物がいなかった
そして家畜もいない、家畜を食べていないのである
ただ狩猟時代がありイノシシとかシカでも食べていたのである、家畜はいなかったのである
でも日本人の食生活は魚と米と野菜だった、それが日本人の体を作ったのである

だからもしかしたらなぜ日本でコロナウィルスにかからない原因はこうして食生活とか風土とかから作られた体にあるのかともなる、その説明がつかないからだ
なぜ日本だけがこれだけ感染者数が少ないのか、検査しないからだいっても何か少なすぎるのである
つくづくウィルスが風土病だというときもともとは一地域でしか広まらずに終わっていたその土地特有のものとして終わっていた、それが交通の発達とともに広がりマヤやインカやアステカとかの文明に広まりそれで滅んだとされる
インデアンとかにもアルコールとかが広まりウィルスも広まりそれで一気に人口が減少したともなる
逆にアジアからモンゴルの侵略でペストがもたらされたとなる

常に外国から悪いものも入ってくる、それが世界が交流するとき問題なのである
それで古来からあるせのが体にいいというとき砂糖とかは二百年前から入ってきたものであり新しいものだから体に悪いとされる
暑い所では暑い所に適した食が生れる、インドならカレーとかである
日本なら新鮮なものを生のものをサシミとかスシが生れたのである
その風土と土地にあったものがいいのである
それである狭い地域ですら人によって作った野菜の味が違うというほど野菜はその土地に影響される、土地の養分に影響される、だからその土地の多様性によって野菜も種類は同じでも味が違ってくるのである
そしてその土地の名のついたものがブランド品となるのである
その多様性が文化なのである、だからcultureはcultivateーその土地を耕したものなのである

そして文化というときその土地の風土から作られるのが基本である、アイディンティティはその土地と風土から作られる、だからこそ世界で多様な文化が生まれたし国内でもそうである
だから日本では外国のものを今は何でも食べるが疑問になる、そんなにいろいろなものを食べていいのかともなるからだ
地産地消がやはり人間の基本としてある、それでコロナウィルス騒ぎで一旦外国でも国内でも交通が途絶えたということが不思議だった
インパウンドの観光客もぱったりと消えたことの驚きである、
でも観光公害にもなっていたのだから本来の状態に戻ったというだけだったともなる
それで近くの人が温泉に来てくれとかなったのである
近くの人を接待することに方針を変えたともなる

それは湯治とかそうである、それは近くの人が農作業の疲れをいやすものとしてあった温泉である、交通が発達しなければ江戸時代ともなれば近くが基本的に生活の場となる
それも地産地消になる、コロナウィルスではどうしても遠くが敬遠される
特に東京から来る人が危険視される、それで関所でももうけて検査して簡単には入れないようになった、そういうことがアフターコロナのニューノーマルになる

今までのグロ−バル化とか広域社会というのは何か人間の生活からはずれたものだったのである、ただこれだけ交通が発達したのだから東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか四国ブロックとかで基本的なものをまかなう生活をする
第一世界市場などとなるともうそれは人間的感覚は隔絶した世界であり株式の世界がギャンブルなのである、今どうしてこれだけ経済が落ち込んでいるのに株だけが上がっているのかもそうである、実際の経済と実態経済が乖離しているからこうなっている
だからコロナウィルスのもたらしたものは人間が本来の生活にもどるということで悪いことばかりでもなかったとみる

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2020年06月20日

コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる (原発事故との類似性の探求)


コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる

(原発事故との類似性の探求)

今回のコロナウィルス騒動でも現代文明特有の問題として現れてきた面があった
まずコロナウィルス自体が生態系に無理やり人間側で入ってゆきコロナウィルスに感染したということもそうである
その後はそのコロナウィルスの対策としてまたいろいろな問題が起きた

感染症専門家が前面に出て来た

原子力学者(御用学者)が前面に出て来た

これはにていたのである

つまり科学の専門家が科学社会になると重要になる、一般の人は素人は口出せなくなる
原発の場合は特にそうだった、核のことがわかりますかと言われればわからないとなりそれではあなたは何にも知ることはできません、教えることもできません
私たちにまかせればいいのです、あなたには何も言う権利はないです
これが専門家時代なのである

イリイチが指摘したことはそのことだった

専門家によって無力化される

原発のことを知りたくてもしることすらできない、その前に断られるからである
つまり素人には何も言う権利も知る権利もありませんということになる
でも問題はその近くに住んでいるからこそ知りたいとなるのである
何が危険なのか知りたいとなる、でもそこに入ることすらできないのである
そして事故になってからその原因の究明をすることになる
その前には素人は絶対に入ることもできない、知ることはできない
専門家しか立ち入ることもできないのである

その専門家と政治家とか権力をもつものが一体化する、政治家と専門家がタッグを組み
そこが強力な権力として素人は立ち入ることはできないのである
地元の住民は危険なのだから知りたいとなってもできないのである
その口を閉ざすために金をばらまいたのである
地元の人もそれでいいとしたのである、もともと金が欲しいから原発を誘致したということがあったからだ、だから地元の人たちもそうして金によって黙らされたとなる
金をくれれば何でもいいやという面もあったからである
一般的には金のことが一番は身近だからでありいろいろなめんどうなことはわからなくても金のことならすぐに誰でも簡単に理解するからである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはそうである
つまり専門家以外のものは何もできない、無力化される時代である
それはあらゆる分野でそうである、教育は学校でするものであり勝手に学んだり教えたりしてはいけないとまでなる、それが学校が特権化して権力化するからである
医者だったら医師免許がなければ勝手に治療してはいけないとかなる
弁護士だったら弁護士資格がないものは弁護すらできない
それはいいとしてもそうしてそういう専門家集団が特権化して権力化することなのであるそれは強力な権益団体と化して社会を牛耳るのである
医師会というのは強力な団体であり医者の専門家集団でありそのことで今回のコロナウィルス騒ぎでも力を発揮した
何か利権がからんで検査させないとか、感染した人を診ないで死んだ人もいた
それは利権がからんで勝手に医師会の許可なしで検査したり診ることをしなかったからだとされる
それで保険を払っているのに医者が感染者を診ないというのはおかしいという人がyoutubeでいたのでわかる
ただ一般の人は何かいろいろ言い訳を言うからわからなくなるのである
それは原発でもそうである、いろいろなことを専門家の科学者でも言うから素人には判断等できないのである
原発で強大な原子力村が形成されて利権化権力化したのでしる

ただわかりやすい例だったのはこれまでテレビ局は六局しか認可されていなった
六局だけが独占して放送できたのである、その影響は第三の権力ともされたのは放送する権利がその六局に限定されていたからである
それでyoutubeでテレビ放送するのを見て一個人でもテレビ放送できるのかと何か良くわからなかったがテレビ放送は簡単にできるものだと不思議な思いになった
テレビ放送となるその機材からなにから莫大な金がかかっていたからそんな簡単にテレビ放送できるのかと不思議になった
これも報道の専門化か利権団体化していたのである
それで新聞とかもそうであり消費税が新聞には8パーセントにするとかで政府批判をおさえるとかなったのもそうである
報道が専門化されて報道できるのは専門家集団だけだとなっていた
それがyoutubeで破られたことで何が眼を覚まされたような気分になった
プログなども報道でありこれも出版とかでも金がかるからできないことがあったが故人の放送局でもあり個人でできる、金はほとんどかからないからできるようになったのであるこのことでマスコミだけが報道する権利は失ったのである
ここは専門家集団の特権が崩されたのである

でも他の特権が強力であり崩されていない、今回のコロナウィルスでも感染にかかわる集団がいてそれは医師会でもありその特権がありそれを壊されたくないとして検査とか感染者を診ないとかなった、医師会の許可なくしては個々の医院や医者でもしてはいけないとかなった
それは教育でも学校だけでしろとか報道は許可された六局だけでしろと同じなのである
そこで報道の専門家がいてそれ以外の人たちは素人は報道はしていけないとなっていたのである

でも不思議なのは個々人が素人が報道して解説していることである
それが意外と的を得ているものがある、それで報道は別に旧来のテレビ局を通じなくてもまた新聞のようにも一個人がプログでもは報道できるとなった
自分自身も毎日プログに書いて報道している放送しているともなるからだ
ただそれを見る人の数がテレビだと百万単位異常だからけたはずれに違う
youtubeが内容がないかとなるとそうでもないことに気づいた
いろんな人が参入しているからである、つまり報道は誰でもできる、一個人でもできる
ま教育でも得意な分野を一個人でもできる
それで数学とかでも優秀な人の講義を見るとなる、だからyoutubeは一つの教育機関なのだと見た、今まではマスコミが国民を一方的に洗脳する教育機関になっていたのである
特にNHKはそうである、NHKのいうことは神の言だともなる、NHKのいうことは間違えない
従わねばならなぬともなっていた、NHKを批判はできないとなっていた
でもNHKもやらせ報道していたりとかその暗黒面が暴露されたのである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはなかなか気づきにくいけど専門家に操作されて素人は何も知ることもできない、ただ無能な大衆は従っていればいいのだということになっていた、その対抗手段はなかったのである
でもその専門家集団というのは原発事故を起こしたりもうとりかえしのつかない大事故であり故郷に住めなくなった
そういう過ちを専門家集団も犯すのである、だからこそすべてを専門家集団だけに特権を与えて肝心の一番危険な目にあう生命の危険がある地元の人に知らせることもしないことが大問題だったのである
それは専門家に対抗することができないとなっていたからである

現代社会ではこういうことが専門家集団による支配がありそれが大きな事故にもなる
専門家集団でもそれが完全なものではなく、やはり過ちがあり事故にもなる
専門家がすべて神のように知っているなら全能なら別である
コロナウィルスでもわかったようにそもそもこれも感染学者でも本当はわかっていない
ただ憶測で言っているのだからこれは素人レベルなのかとまで思ってしまった
なぜ日本人が対して対策もしていのにこんなに死者とか感染者が少ないのかとなっているがその理由は実際わからないのである
つまりわからないということは素人レベルなのかとまでなってしまうのである
放射線被害についてある程度わかっていたがコロナウィルスはそもそもわからないからだそれで感染学者のいうこともまちまちであり一定の見解などないのである
それで専門ではない科学者でもこれは単なる風の一種だから騒ぐ必要かないともしているそれもそうなのかと思うのは日本ではせいぜい風くらいの被害しかないからである
ただ言えることはコロナウィルス自体がわからないということであり症状からしたら日本では風邪と同じでありこんなに騒ぐ必要はなかったとしている


ともかくここでも専門家の問題がクローズアップされたのである、それは極めて現代的なのである、科学時代だから起きたことである
ここで考えねばならないのは専門家でも神ではないし全能ではない、だからコロナウィルスについてはわからない、でもウィルス対策はすべきだとしか言えないのである
その対策をどうするかを感染学者の専門家もてきないのである
それで過剰の警戒をしてこのままでは40万人死ぬとか恐怖をあおる、それも無責任なのである、それを統計学的に割り出したということもそれもただ恐怖をあおっただけだともみる、そんなことをなぜ言わせたのかもわからない
要するに科学時代はあまりにも専門家が力ももちすぎて社会を混乱させたり社会を悪い方に導くことにもなる、それは余りにも専門家が力をもつ時代になったからである
科学が信仰のようになった時代だからだともなる

むしろわからないとしたら神に祈るということだって有効だともなる
なぜなら科学の専門家でも解明できないからそうなっても責めることはできない
責任もって科学の専門家が支持することができないからである
ただ有効なワクチンを作りだせば科学の勝利だとはなる、そういうワクチンは確かに作られたからである、でもコロナウィルスは未知でありそれができない
人間社会にはこうしう常に未知なことが起きてくる
そこに人間の限界があるともなる、専門家社会でも専門家の権威は未知なものに対して失墜する、それは原発事故でそうなった
科学者でも技術者でも政府でも検察でも東電でも信じられなくなったからである
それらは専門家と一体となって「安全神話」を作りとりかえしのつかないことになったからである

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2020年06月16日

コロナウィルスの観光業の打撃 (観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)


コロナウィルスの観光業の打撃

(観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)      


観光とか飲食業とかがコロナウィルスで一番影響をうけた、水商売の歌舞伎町なども影響が大きかった
観光というときそれは江戸時代とか戦前でもなかった
ただ旅することは古くからあったしお伊勢参りとかもあった、それは巡礼の旅である
現代の観光ブームは何かこれまであったものと別なのである

なぜそうかとなるとまず人間が移動することは歩くことしかなかった、江戸時代までがそうだった、だから観光ということはない、歩くとなれば苦行なのである

「トラベル(Travel)」の語源を遡ってみると、古いフランス語の「トラバーユ(Travail)」という言葉に行き着きます。この意味はなんと「苦しみ」  

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです。元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

次に、旅先での人との関わり方から来ている言葉もあります。昔は旅先の民家で食料や寝床の施しを求めることも多々ありました。時代が進むにつれ街道や宿場は整備され、その分苦労も減っていきましたが、古い時代であればあるほど民家を訪ねることも多かったのでしょう。こうしたことから、他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になったのではないかという説があります。

旅は苦しみであったというときいかに今の観光とはかけ離れているかである
だから旅は何か苦しくても行かねばならないという強いられたものだったとなる
旅などしたくないというのが普通である
重い荷物をもって旅などしたら苦しいだけである、旅は苦行だったのである
それでなぜ旅籠とか宿ができたかとなるとそうして苦しい旅をしてきた人をねぎらうものとしてあった
草鞋をぬぐとか宿で足を洗うとかそれを旅籠の人がするときねぎらいがあった
疲れたでしょうご苦労さんとかなり、ゆっくり休んでくださいとなる
それは旅とは苦行でありそれを知っているからおもてなしの心が生れたのである

今こうして旅する人はいない、みんな電車であれ車であれ移動自体が楽なのである
車などは神経を使うから楽ではないというものもあるか平均して40キロも歩くのとは大違いなのである
そして今はこうして旅する人はいない、確かに歩いて旅している人はまれにいる
それはあえて旅したいからそうなった、でも何か歩いて旅していたりすると浮浪者のように見られたりする、実際本当にそういう人がみかけるのも確かなのである
借金から逃れて歩いていた人がいた、その人は金がないのだからどうして食べていたのかとなる、今思うと犯罪者になっていたと思う
そういうふうにすでに歩いて移動している人は何か怪しいとなる
また自転車で旅している人も胡散臭いとみられる
まずホテルでも旅館でもそんな人を歓迎しない、でも江戸時代の旅人のように相当に疲れている、でも疲れたでしょうかとかねぎらいの言葉があったことなど一度もない
なんかいやいやながら金になるから仕方がないとして泊めてやっているというだけである

一方で観光となると立派なホテルに泊まりそこでいいものを食べるとかになる
それは旅とは違う、ホテルで宿でくつろいでおいしいものを食べることに目的があるともなる、旅とは歩いていればそれ自体が旅になる
今は電車とか車で途中を飛ばしてただ目的地に着くことが優先されるのである
観光とはこうして贅沢をすることであり苦しむことではない、そこにもてなしなど必要ないのである、むしろ自分のように倒れるくらい疲れている旅人をもてなすことなのであるそれが全然ないのである、だからホテルとか旅館をいいものに見えないのである
本当の旅人は無視されているのである

観光業とか何かこういうものにかかわる仕事が本来何も目的としているのか?
またどうしてそうした宿が生まれたのかとなる
それは40キロも歩いて旅して来た人をもてなしその疲れをいやすものとしてあったのだ
だから旅人が来たらそういう心をもってもてなしするのが当たり前だった
ホテルもホステルから生まれたのであり巡礼の人とかをもてなす癒すことから始まっていた、ホスピタルが病院でありここから来ていることでもわかる
病院には癒しが必ず必要だからである
今なら電車であれ車であれ別に疲れてもいない、確かに車だと疲れることはある
ただ歩く旅とは余りにも違っている  
温泉にしても必ず伝説で傷ついた鹿が温泉につかり直したとかある
また湯治宿があり農家の人たちが日ごろの農作業の疲れをいやす場としてありまた病気の治療としてもあんた、なぜなら必ず温泉には効能書きがあり何に効くのか書いてあるからだ、つまり温泉宿はやはり一つのホスピタルだったともなる

語られる湯殿にぬらす袂かな 芭蕉

それでこの句が生れたのである、語られぬ苦労があり温泉で癒すということである、東北には湯殿の碑が多い
湯治に行ったからそれが残ったともなる

だから観光というのは何かこうした時代とは相当に違っている、そういう面が残っていたとしても癒すとかもてなすというのがあったとしても切実ではないのである
40キロも歩いて来た人とは余りにも違っている
確かに乗り物は疲れる、だからそういうことはある
でも江戸時代とかなるともうふらふらになっているかもしれないのである
自分自身が自転車ではそうだった、体力がないからふらふらになっていた
でも別にそうであってもそんな人を歓迎しない、ただこの時代に胡散臭い奴だとしかならないのである、またバイクだと北海道だとライダーハウスがあったするからそういう金のない人でももてなす、ただバイクと自転車の差も大きいのである
バイクは楽過ぎるのだ、自転車は本当にトラベルの苦しみなのである

ともかく旅しなくても自転車に乗っているだけで変な奴だと見られることがある
そして今日も警察に職務質問を受けた、何の違反もないのにそうなった
人も通らないのに走り交通違反もしないのにである
ただ駅で自転車が盗まれたとか警戒しているからと言っていた
ところが車だと怪しいという人もわからないのである
車は乗っている人が見えない、それで犯罪にはいいのである
自転車は目立つから警察に目をつけられるのである
それより今時車に乗らない人は変な奴だ底辺だと見られてしまう、それは底辺層を見ていると車を運転しない人が多いことも確かなのである

いづれにしろ観光業の原点は何かをふりかえる時期なのかもしれない、それは旅人が旅すること自体が歩くことであり疲れているから疲れをいやすということから始まっている
そういう心があって宿もあった
今はそういうことはなくなるとただうまいものを提供するとか何か本来の目的とはずれたものにもなる、ただ別に江戸時代でも旅すれば土地の物を食べるという水戸黄門のドラマにあるようにないことはない
でもそんなことより歩いて移動することは苦しいことだったのである

今の宿はホテルでもホスピスとか必要でもない、だからうまいものを提供して贅沢させるのがホテルの役割にもなる、もちろん場所が変われば心も変わるからそれは気分転換になる、でも旅の本来の役割は喪失した
やたら立派なホテルを建てる、そこで金持ちが金を使わせるのが役割になる
星野リゾートなどがそうである、リゾートというときそれは旅人をいやすものではなく
そこに滞在して癒されるという空間の提供なのである

私は旅したいからでありうまいものを食べたいとも思わなかった、だから金がないから
最低の食事しかしていない、それでも今なら栄養はとれるのである
ただ宿はビジネスホテルでも最低5000円とかなり節約できなかったのである
それで外国まで行って安宿を探していた、ところが外国の方が本当に旅しやすい
安いホテルが多いからである、ユースホステルも多く老人も普通に泊まっているからである、ただ高いホテルは豪華であり馬鹿高いとなる
中国だったら100円くらいで泊まれる宿があった、それは20年前とかであり高いホテルもあるが中国でぱ貧乏人は貧乏人用に安いの食事でも宿でもある
だから暮らしやすいとなる、別に雨露がしのげればいいということがあるからだ

観光業はコロナウィルスで廃業するのがおおくなるという時、どうして観光業を維持できるのか?それは原点に帰ることかもしれない、時代が違うともなるが本来は貧しくても疲れた旅人をいもてなす癒すことから始まっている、外国だとホスピスでありホスピタリティになるからだ                                        
だからうまいものだけを提供するとかではない、貧しくても相手が疲れているからもてなし癒すというのが基本になる、そういう心をもたないと成り立たないだろう
でも今は金持ち優先でありホテルにも宿にも格差がある
金持ちは優遇される、江戸時代は殿様は別格として他は同等だった
ただそこには疲れた旅人をもてなすということはなくなる、金持ち優先であり貧乏人はもてなさいなとまでなったのである
それを自転車旅行で感じたのである、つまり自転車旅行など胡散臭い奴で粗末に扱えばいい、どうせ金もないだろうとかなって冷たく扱われるだけだった

でもコロナウィルスで観光業やホテルや飲食業が窮地に立たされている
別に観光とかホテルでも旅館でも社会にとって必要ではないとはならない
ただ不要不急という職業だったのかともなる
観光には多分にそういうことがあった、ただ旅には何か歩いても移動しなければならない用事があり仕事がありそうなったともなる
それは不要不急ともならない、もし宿がなかったらへとへとに疲れてもう動けずに旅もで
他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になった
乞食がいたというとき旅することは物を乞うことをしないとできないこともあった
つまり宿ができる前にはそういうふうに旅する人を無料で農家の人がなどが助けたということがある、そういう人が増えた結果、有料の宿が生れたのである
だからどうしてもともといろいろな仕事が生れたのか、その由来を知る、そこに原点がありそこからまた再興がありうるともなる

ただコロナウィルス以後は遠くへの旅とか海外旅行でも敬遠される、内向きになりステイホームになり狭い範囲での生活が基本になる
それは江戸時代とかヨ−ロッパ―の中世に返るともなる
グロ−バル化というのはやはり極限状態になっていた、観光公害にもなっていた
それで観光業はインパウンドでもばったり来なくなったというのも驚きである
つまりそれはやはり不要不急の要素が大きかったからともなる
だからコロナウィルス以後は何が不要不急でないのか知るべきだとなる
そこに生きる術を見出すべきだとなる変化があった
江戸時代のような時代になるとしてもそこからまた新しいものが生れる
時代は絶対に元にはもどらない、でも江戸時代のようなものが新しい時代に別なのもとして再現されるということである



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2020年06月12日

近くのコロナウィルスに感染した人の家のガラスが壊された (コロナウィルスで気づいた生活の見直し)


近くのコロナウィルスに感染した人の家のガラスが壊された

(コロナウィルスで気づいた生活の見直し)


その人は東京のライブハウスに行って感染した、それはすぐ近くだった
浪江の人だったという、何かそこには二三軒新しい家が建っていた
警戒している時、ライブハウスに行ったことはとがめられるべきである
田舎ではそういうことがうるさい、そこで他でも田舎で住めなくなって他に移ったという人がいた、それは東京の方から移り住んだ人だった
村八分にされると住めなくなるのである、この人も仙台に移ったという、ほとぼりが冷めたらまた帰ってくるのかもしれない

このコロナウィルスは何か田舎では都会より相当に敏感である
みんなマスクしているししていなと暗黙の内にとがめられる
その同調圧力は都会より強くなる
ただコロナウィルスでは何か外から来る人を警戒するようになった
東京ナンバーとかみると警戒する
また外に出て行くこともなかなかできない
それでカメラのレンズを買うことで聞きたいと思ったがこの辺では専門店がない
仙台に行こうとしたが行きづらくなった
ただそれは簡単にわかることで方法はいくらでもあったのが急いで失敗した
今や別に買い物で困ることはないのだ、通販で買える、ただそこで失敗がある
サイズが違っていたとか現物をみないので失敗はあった
だから高い買い物はしにくかったのである

音楽でも別にライブハウスに行けなくても楽しめる、家で楽しむ方法はある
ただライブハウスの魅力も大きいから行ったのである
若い女性の人がロードに乗っていた、それが感染者を出した近くの人だった
だからもしかしたらその女性の家だったのかともなる
つまり田舎だとコロナウィルスでも感染者が出るとより身近になり警戒する
それで外から来たということでガラスが割られた
これが田舎の怖い所である

ただ反面はこうして警戒が強くなるから感染が広がりにくいのである
外からの人でも警戒するしまた内部でも一人でも出ると警戒が強まる
そさで岩手県では最初の一人の感染者にならないと警戒して今も感染者が出ていないのである、それだけ最初の感染者になると責められることの恐怖からそうなったのである
田舎はこうしたコロナウィルスとかでは都会より警戒するから広まらないことがある
みんな見ているからである、もうそうなったら感染した人は家でも監視状態になる
現実そうでなくても田舎は監視社会である
それで近くの知人は誰か家に入って行くが見られている
女性が入ると必ず噂になる、それがたちまち広まる
田舎でぱ誰もいない、見ていないようで誰かが見ているのである

だからなんかコロナウィルスでは遠くの人と接すること、また遠くに出て行くこと特に東京に行ったり来たりすることは警戒する
東京が一番感染しやすいからである、あれだけの人口が行き来したら感染はとめられないのである
それで変なのは内輪だけで生活していれば安心だとかなる
江戸時代だったら内輪の人としか交わらない生活である
でも現代は外国人でも田舎に必ずいるし絶えず人、物でも外国からでも運ばれ交流する時代である
だからそういう社会はウィルスには弱かったことがわかった
これも奇妙な経験だったとなる、ただそうして遠くの人と交わる社会が過度になっていたのである、それはもしかしたら人間の生活にとって必ずしも本来の生活ではなかったともなる
交流はしても基本は日本がだったら地域だったらその地域に生活の根拠がありそこを中心にして生活する、それが人間的だともなる


とにかくどうしても警戒するようになる、それもすぐにコロナウィルスでもなくならないからそうした生活がつづく、何かそういう心にもなってしまう、遠くの人と交わりにくい遠くから来る人を警戒する、これはまさに江戸時代に戻ったという感覚になる
関所がいたるところにあり外部の人はそこで調べられて通される
それはその関所で感染者を検査して通さないともなる
江戸時代でも玉野村に相馬藩と伊達藩の境に若木神社がありこれは疱瘡の伝染を防ぐものとして境に祀られていたのである

まず人間が外国人でも普通に交わり物でも人でも交流することは悪いことではない
ただその悪い面が今度はコロナウィルスで露骨に出たのである
ただ外国と交わるにしてもそこには様々な問題が生れていた
だからグロ−バル化社会というのはもう過剰自体であり歪(ひずみ)もたらしていた
人間は何かコミニュティでも共同体でも世界規模とか日本でもあまりにも広い範囲だとそこで人間的な範囲を越えて問題になる
人間というのは心と心が通じ合うとかなるともうグロ−バル化では日本国内で遠くになりすぎると無理である、県単位でも広いから一体感がもてない
相馬藩くらいが適当な規模だとなり私はそこでアイディンティティをもつ世界を作ろうとしたのである

コロナウィルスの不思議は何か本来の人間の生活とは何か問うようにもなった
テレワークでも何か家族中心にした仕事も一体化した生活である
それはもともと会社員になる前はみんな自営業であり小規模なものだった
それで・・・屋という屋号があるがそこは会社のようなものだった
家族経営の会社だったのである、そういう家族経営があり近隣の人を雇っていてそこで家族のように扱われたとういこともあった
奴隷でも誤解しているのは奴隷が本当にみじめなものでもなかった
なぜなら家族の中で働いていたから自ずと家族のように扱われた面もあったからだ
だから奴隷というと何かみじめな悲惨なものとして見るがそれは今の時代から見るからである、だって侍がいたとしてその家臣がいたとして家臣は殿様の奴隷だとなったらとても忠義とか御家のためとかとして尽くす倫理が生れないのである
使う者と使われ者が今のように必ずしも敵対するものではない、そこに人間の情が生れ一つの家に仕える、そしてともに栄えるということがあった
「御家」という野馬追いの旗がそうなのである、一つの家の旗印としてそれがあった
それは会社と同じだったのである

コロナウィルス後の社会を語られるようなったがやはりこれまでのグロ−バル社会とか広域社会を問うものになった、他にも働き方が変わる、そもそも遠くの会社まで満員電車で通うということ時代異常な人間生活だったということに気づいた
職住接近がもともと人間の生活だった
それで前田とあるとき前畑でも家の前に生活の場がある、生産の場があるということが人間として自然な生活だったとなる
何かグロ−バル社会は世界とも友好に交わるのだからいいと見ていたがそれは本当は不自然なものであり人間的に無理なものだったのである
だから歪として現れた、コロナウィルスは人、物の交流を止めた
それで気付いたものがあり悪いことばかりではなかったともなる

村八分や離縁も…根強い新型コロナへの偏見 アフリカ

MSNニュース

人間は未知なものに恐怖心をもつ、アフリカとかなると医療も発達しないから余計にそうなる
アフリカでも外部からの侵入者をとめることができない、中国人も大量に入っているからだ
つまりここで中国人とかかわったことが仇(あだ)になった、イタリアから広まったのは中国人の影響だった
つまりグロ−バル化の影響は中国を巨大化した、それと同時に中国が覇権国家となり近隣を蹂躙するともなる
グロ−バル化の負の部分が大きくなった結果としてのコロナウィルス騒動になったのである

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2020年06月11日

小池百合子氏の学歴詐称疑惑 (エジプトの歴史と日本の歴史の共通性ー旅した記憶)

 

小池百合子氏の学歴詐称疑惑

(エジプトの歴史と日本の歴史の共通性ー旅した記憶)

小池百合子氏の学歴詐称疑惑、カイロ大学が声明文を発表。背景に何があるのか。

ヌビア人のファルカーの写真

これも説明がいい、それは実際にカイロの大学に留学していた人だからである
エジプトは本当に人なつこいしアラブ人はそういう傾向があり日本人には好意的である
でも何か乞食とかがいたり子供が金をくれとしつこくついてくるから貧乏な国である
産業としては麦作りと観光すくらいしかないからである
ロバに乗った少年がワンドーラーとか叫んでいた
これは戦後日本の子供が進駐軍についてギブミーチョコレートととなったのと同じである
日本人は戦争に負けて日本人の魂を失いただ物質主義になり金だけを求めるようになったのである

誤解しやすいのはエジプト人と今のアラブ人は人種的には別物である
そもそもエジプト人とは何なのか解明していない謎である
でもあれだけ高度な文明を作りだしたのは誰だろうとなってしまう
だからこういうとき常に宇宙人が作ったとかされる
それだけの高度な技術でありそれは現代でも再現できないような技術をもっていた
だからそんな時代にどうしてそれができたのか不思議になる
相当な幾何学とか建築学とかがすでにあり天文学も高度なものとしてあった
その人たちがメソポタミアから来たという時、そうなのかとなる
高度な文明は必ず最初優れた文明から取り入れるからである

エジプト神話に登場する「上の国」(ナイル上流)と「下の国」(ナイル下流)、二つの王権、白冠と赤冠といったモチーフは、もともと北と南で異なる勢力だったものが統一されて一つになったとき古代エジプト王国の歴史が始まった、ということを表している。

「ヌビア遠征から7000人の捕虜と20万頭の家畜、またエジプト東部砂漠から多数のベドウィンを連れ帰って来た」という。
第四王朝つーと、でっかいピラミッド作ってたあの頃ですな。

西アジアに覇権を広げるための軍資金をヌビアの金鉱に頼っていたエジプトは、南のヌビアが強大な力をもつのを嫌った。そのためエジプト第18王朝(前1539〜前1292年)の王たちは、軍隊を派遣してヌビアを征服し、ナイル川に沿って要塞を建設した。ヌビア人の首長を行政官に据え、従順なヌビア人の家の子どもをテーベの学校に送り込んだ。

あれだけ広いとなると必ず二つに国が別れるというのも歴史である
日本でも西と東に分かれていた、その争いは関ケ原の戦いまで続いていたのである
だから大きな国となるとまとめることが容易ではない
それはどこでも起きたことである、イギリスが島国でも今だにスコットランドとかウェールズとかアイルランドとかに分かれている
その歴史も古い、アメリカでも南北戦争がありアメリカという巨大な国を統一するのに苦心した、中国は巨大すぎるから三国志になったことでもわかる

また興味をもったのはヌビアに金がとれたことで力をもった、それで東北の蝦夷地は金の取れる場所として大和朝廷が征服に乗り出した、そして多賀城を築いた
奈良の大仏を鍍金するために

天皇(すめろき)の 御代栄(さか)えむと 東(あづま)なる 
陸奥山(みちのくやま)に 金(くがね)花咲く
大伴家持 万葉集巻18 

陸奥国小田郡から黄金が貢献された(続日本紀) 

みちのくには渡来人が来て海岸沿いを砂鉄をとりにきて鉄を作っていた
それが真野の草原の万葉集の歌と関係していたと書いてきた
つまり黄金の道、鉄の道がみちのくだったのである

それでここでヌビア人とは何ものかとなると日本の歴史から推測すると東西に分かれて
資源国であり一時はヌビア人がエジプトの王になったということがあるとかヌビアとはそれなりに進んだ大きな国だったのである,ヌビアのヌビは黄金のことだったのである
なぜこうして歴史に共通性があるかというと人間が作ったものであり宇宙人が作ったものでないからである、人間ということで同じようなことが起きてくるのである 
ただここでもヌビア人は奴隷にされていたしモーゼの出エジプトでもイスラエル人は奴隷だったのかとなる
でもエジプトの記録に脱出したとかの記録は一切ないのである
そんな大事件が記録されていないことが不思議である
でも聖書は事実を基にしていて事実ではないものは書かない、だからこそ奇跡は事実なのである

ともかく何か事件とかあるとき歴史をふりかえるみると理解が深まる
エジプトと今のアラブ人は関係ない、またイスラム文化は偶像崇拝を禁止しているから
エジプト人の後継者ではないのである
歴史が継続しているのは日本がである、日本人は縄文人から日本人であり今も日本人なのである、こういう国はかえってめずらしいのである
だからこそ天皇の万世一系になる、他はみんな人種の混交であり異文化の混交だからである、だから日本の歴史とは文化は異質なのである

小池百合子が何か都知事になるとき異常にもちあげられた、熱狂したのである
それを演出したのは誰なのか?それが今になると不可解になる
マスコミだったことはわかる、マスコミではこの学歴について何も追求していないからだあの時異常な熱狂は何なのだろうとなる
その時自分自身も小池百合子の人気に乗ったのである
その時は今でもそうだが何か行き詰まった政治を打破してくれる女性のように見えたのである
ただ小池百合子のことはそうしたマスコミにのせられて作られた虚像だったとなる
そもそも何かそうした虚像は常にマスコミで作られているのだ
何をもって判断するのか?その判断するのはテレビでありマスコミだとなっていたからである
それだけテレビ局六局の力が強すぎたのである
テレビによって世論も形成され導かれ大衆が熱狂したとなる

ただyoutubeでいろいす説明する人はでてきた、それが意外と専門家であり体験者であり説得力があるのだ
だからテレビに対抗するメデアとして相対化できる時代になった
カイロの大学に実際留学したとか仕事していたとかの人は説得力がある
ともかくテレビだと虚像が作られやすいのである、その人のことなどそもそもわからないからだ、するとイメージ選挙になる、見た目にも左右される
小池百合子は中味がなくても見た目がいいとかで左右されるのである
そしてyoutubeでも何か最初に顔を見て判断するようになる
私はしゃべるのが苦手だからこうしてしプログに文章を書くことをしている
深く探求するには文章も欠かせない、しゃべるだけでは何か深いところがわからないのである、一つの説を打ち出すとなると論文になる、本だと長くなるがpdf形式の短い論文なら書けるのである

ともかくエジプトでも一通りみたのは貴重だった、ナイル川を帆をついたファルカーで下るというのも今の時代ではそういうことができる、それだけ今の学生は有利になっている
本を読むより外国はこうして体験しない限りからないからである
だから50代からバックパッカーになって世界を見たのが本当に良かった
その後介護とかて行けなくなったからである
ただ正直苦しかった、今になるとその気力もなくなった
それで行ける時行っていないと海外旅行は行けなくなる  

ナイル川のヌビア人(詩)

詩はべつにしたけどここは更新していない、実際詩は膨大に書いているが発表していない



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2020年06月09日

アメリカの暴動の次は日本か? (日本の貧困化で治安も悪化する)


アメリカの暴動の次は日本か?    

(日本の貧困化と治安も悪化する)

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アメリカの暴動の原因は何なのか?それは簡単に黒人差別とも言えないようだ
暴動に参加したのはアジア系とかアフリカ系とかが入り混じっていた
黒人を殺した白人の警察官はアジア系の女性と結婚していた
これも複雑である、アメリカは人種の坩堝である
黒人差別の根はもともと深く解決していない、そして最近はヒスパニック系が多い
スペイン語であり英語が通じないとてしいる
そうなるとコミ二ケーションするのが困難になる
言葉自体通じないのだからそこからして意思疎通がむずかしくなる
だからそんな国がまとめられるのかとなる

様々なモザイクのような人種模様があってそのパズルも複雑であり分解してしまうのではないかともなる、そんな国は何をアイディンティティするのかとなる
そして極端な格差社会であり数パーセントの人が富を独占しているのも異常である
移民がまた多いということでまとめるのが至難になる
人種で相反目して銃で威嚇して不穏な状態になり暴動になる
そこに経済的格差が極端なので不満が金持ちに対してでも爆発する

それは資本主義というのはもともと格差をさけることができないものとしてある
資本主義が勝者を選別して持てるものがますます持てる者になり持てないものはますます貧しくなる、なぜなら資本がもていないからである
資本という時土地でもそうであり金融資本でもそうである
金でも本当に一億もつと株でも何かの投資でも見返りが大きくなる
損することがあっても一億あれば一千万損してもいいやとかなるから余裕なのである
そうして投資すると今回のようにコロナウィルスで職がなくなる人がいてもかえって株が上がってもうかっているのだ
これも社会の矛盾でありゆがんだ社会となっている
つまり道徳なき経済なのである、市場はギャンブル場でありカジノなのである
そこに公平さなどはありえない、もう見えざる神に導かれるのではない
実際は見えざる悪魔に導かれているのが現代のグロ−バル資本主義なのである

こういう社会は真面目にこつこつ働くことが馬鹿らしくなる
一攫千金とか消費だけが目的化する、ギャンブル場では時給いくらで汗水たらして働いていても金にはならない、でも市場のギャンブル場で巨額の金が賭けられてもうける
そこにももう職業倫理もなにもない、そんなふうにして真面目に働いても金は博打場に吸い上げられて下には回ってこないのである
道徳なき経済である、そして金は湯水のように刷られて日銀が株を買いコロナウィルスで苦しんでいる人たちのことなど関係ないのである
株は上がっている、国債とかからの金が株にながれて上がっているとかなる
要するに実態経済とは関係なくマネゲームなのである
そして労働倫理も職業倫理もない、一攫千金を夢見てFXに底辺層は賭ける

ただその資本主義のマルクスが指摘したことで社会主義共産主義国家が生まれたがこれも中国のように共産党幹部が王朝の官吏となり莫大な金を得ているから同じなのである
ただ不満を暴力で抑えている違いがあるだけである
六億人が貧困層だというのも驚きである
その格差もまた大きい、不満が爆発しないのは暴力で抑えているからである

中国の李克強(りこくきょう)首相=写真、新華社・共同=が五月二十八日の記者会見で「中国では六億人の月収が千元(約一万五千円)前後だ」と発言し、中国メディアなどで話題となっている

これが中国の実体なのか・、中国の貧困はもともと生活費が安かった、粥だけで朝食とかで安いのである、日本の十分の一とかだった、10数年前にしてもそうして安く生活できるからいいのである、宿でも百円か何か安く泊まれのである、日本がだったらとても泊まれない、つまり日本では貧困でも金がかかりすぎるのである
貧困用のものがない、みんな富裕層とたいして変わりない生活しかできないのである
第一食べるものでも外食でそんな安いものがないからである

このアメリカの暴動は世界に飛び火する、格差が世界で大きくなったからである
それを是正するにはなにかしらの今回の様な暴動のようなものが起きてしか変わらないともなる
中国は盗賊が王になったごとくである、それすら底辺層は目指すようになる
それが主義とか関係なく権力をとることである
黄巾族とかが宗教でも時の政権に反抗する、カルト宗教団体がそうである
その創価とかカルト教団と自民党が一体になっているのも不似合なのである
なぜなら創価には下級国民が多いからである
自民党は上級国民を相手にしていて旨い汁を吸う政党だからである

だから何かこれからさらなる巨大な変革が起きて来る、格差社会を打ち破るような大きなことが起きて来る、その後に来るのはわからないが資本主義でもない社会主義でもない
何か新しいものがそこから生まれるようになる
日本の貧困化はさらに厳しくなりその人たちがもうアメリカのように暴動を起こすかもしれない、そんなことがないとはいうけど犯罪は増えることは間違えない
追い詰められた人間に善悪などない、明日食べるものがなくなれば襲ってくる
相手のことを考える余裕もないからだ
そういう不穏な危険な時代になっているのだ

ただそうした混乱状態からまた新しい秩序が生まれるかもしれない
格差社会は打破される、フランス革命のようなことが起きるかもしれない
その前に既得権層は貴族がギロチンで殺されたように血祭りにあげられる
そのとき下層民は喜んでいたのである
そういうことがアメリカでも起きて中国でも起きてそして日本でも起きる
日本の貧困化は深刻になっているからだ
このコロナウィルスでさらに貧困化してホームレスなどが増えたりして治安が悪くなる
そういう困窮者が増えれば治安が悪くなる
そして上級国民とか金持ちとかが襲われるのである

だから株でもうけたからいいやとか金持ちが思っているとそうはならない
巷に浮浪者がホームレスがあふれるときその人たち犯罪者になってゆくからだ
それで戦々恐々として生活するようになるからそこに富裕層にしろ貧困層にしろ平和はなくなるのである
若者の不満も大きい、貧困化しているから世代間対立も激しくなりその不満をぶつけるようになる
貧困層とか不満分子が怖いのはもともと資産もは金もないからかえって守るものがないから暴動でも起きて失ってももともとだとなる、ところが富裕層は金でも資産を持つと守りに入る
どうしたら財産を守れのかとなら腐心するのである
それは中国の共産党幹部でも外国に逃げる算段しているし金があっても紙幣が紙切れになることがあり恐怖になる
その金持ちにつけいり財産の保全を説く投資家のコンサルタントが生まれるのである
つまり金持ちは金持ちで決して安泰ではないのである
むしろ格差社会を金持ち自身がなくすようにしないとその危険から逃れることができないのである

ただこうして大きな混乱が起きてその後にまた新しい社会が生れて秩序が生まれるかもしれない、そういうことが人間の歴史の繰り返しでありカルマだったからである
だから津波から原発事故から水害からコロナウィルスからアメリカの黒人暴動からと世界は不穏になり国際関係も大きく変化する
そこで日本はどうするのか、それが今大きく問われているのである


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2020年06月04日

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議 (グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議

(グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

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新潮6月11日号


コロナウィルスが提起した問題はいろいろある

そもそもなぜたらまち広がったのか?その原因は何なのか?

●生態系の破壊

●グロ−バル化と都市化

●経済のみ重視

●科学技術進歩と偏重

他にもいろいろあるにしろこの三つが基本的にある
何か動物から未知のウィルスが発生したという時、そこは人間は入ってならない場所だった、聖域、サンクチャリーとしてあった、そういう場所にもづかづか人間は入り込むようになった、その原因が今科学者とか生物学者からも指摘されている

新潮の記事でもアフリカに意外とコロナウィルスが広がらないのはなぜだろうというとき人口の密集する場所が少ない、都市化もまだしていない、それで広がらないとしている
それでコロナウィルスが一千万都市の武漢から世界中に拡散したというときまた世界中で都市封鎖がされたというときそうである
都市が世界で巨大化したからである、日本でも東京から拡散する、東京を止めない限り安心はないとなる
この辺でも東京のライブハウスに行った人が感染したのである
他でも東京から感染が広がる、大都会から感染が広がる、大都会は常に人が密な場所だからである
都市そのものが生態系と断絶した生物として住むには異様なものなのである
異物ともなっているのだ

ただコレラとかでは長崎とか福島県なら会津若松から拡散した
そこは新潟県からでも中通りからでも街道があり人が集まる交差点になっていたからである、だから人の交流する集積地となりそこから各地に拡散したのである

またグロ−バル経済を批判して来たけどグロ−バル経済とは結局政治と経済原則とか生態系とか地理とか様々な制約をあったものを破るものとしてある
それが極限に達するような状態になっていた
そうなると何の制約もないアナキー社会になる、無政府状態のようになる

そこに通用するのは何か?

金しかなくなった、金ですべては売られだけである、金にならないものは一切価値のないものとして切り捨てられ無視される社会である
値段のつかないものは無価値にされ捨てられるのである
だからそもそもグロ−バル経済など成り立たない代物だったのである
世界的な公平な市場など成り立たない、そこは極わずかな超富裕層がもうけるギャンブル、カジノなのである
そこで世界の富は数パーセントの人たちに吸い上げられるのである

こういうグロ−バル社会が継続できるのか、それはバブルとなり恐慌となり破綻して当然だともなる
現実に家もなく路頭に迷っている人たちがいるのに株価は上がっているのも変なのであるそのこと自体経世済民が経済だというとき全く正反対の経済なのである
モラルがない、ただ金が右から左に流れ投機になる、マネーゲーム化して巨万の富を得ている少数者がいる経済なのである
経世済民どころではない民を苦しめるだけの経済なのである
だからアメリカのように暴動が起きても不思議ではない、その資本主義のシステム自体がもう成立しなくなっているのだ

また科学技術が巨大化して一地域のミクロコスモスを簡単に破壊する
それが原発だった、原発事故によって空気も水も土も汚染されて住めなくなったからだ
科学技術は万能ではない、だからコロナウィルスも未知のものであり対処できない
専門家でもいろいろ言って定まらない、原発事故でもそうなった
コロナウィルスについて誰も科学者でもわからないのだ、ただみんなそれぞれ勝手に予測している段階なのである

ともかく東京から若い働き盛りの人が地方へ移住するようになるのは老人が移住するより活気をもたらすからいいとなる
テレワークになったり働き方も変わる、距離を関係なくさせるのがIT技術だからである
こうして文章を書いて一瞬で全国に世界に発信できるのもそうである
その技術の恩恵はある、ただ技術がすべていい方に作用するとはならない
それが原発事故だったのである

いづれにしろコロナウィルスで社会構造をシステム自体変えざるを得なくなったというときそれは悪いばかりではない、人間が密集する都会は災害でも危険である
それでミサイルが飛んでくるとして恐れたりするようになる
軍事防衛的にも大都会は一発核ミサイルが飛んできたら壊滅するから恐怖である
それより一千万とか人間が密集する世界が生態系を無視しているし危険なのである
津浪で襲われた三陸とかでは裏山の清水で米をたいてしのいだとかある
そういうことが大都会ではできない、備蓄しても限度がある
その時ただ脱出するほかなくなる、ならばその前に脱出した方が安全だとなる

グロ−バル経済でも何か物でもいくらでも入ってくるという社会はいいように見えた
でもその物を得るためには金が必要である、その金をどうするのかとなる
何か売るもの作らねばならない、でも何か売るということはいろいろコストがかかる
第一全国でも外国でも売るとなると交通費がかかったり容易ではない
それは負荷が大きいのである、それは簡単にみんなができることではない
かえって苦労が大きくなり負担になる、だからあらゆるものを世界から買うことができる食料でも外国から金さえあれば入ってくることはありえないのである
それでマスクすら中国頼みであり日本で作れず調達できなかったことでもわかる
つまり肝心なものが日本国内で作れず入ってこなかったのである
それは今後でも緊急事態でそうなる

人間は遠くの親戚より近くの他人というとき緊急の場合はそうなる
何か親戚としても薄い関係であり自分自身が責められることがあるらいいにくいが
東京にその人がスンデいても要求するのは金だけの関係になっていた
だからその人は金だけを要求する、金を送ってくれだけでありこっちのことは何の関心もない、心配もしない、そういう人と人間関係が結べるのかとなる
このように人間関係を越脱してグロ−バル化が限度なく進攻したのである
経済の前に人間と人間の関係が何なのか?
ただ物の交換とか金だけがグロ−バル化で通用する世界は人間からするとありえないことだったのである   

だからコロナウィルスで物でも人でも交流が止められた、その時外国人労働者が自国に帰れないとかなり雑草まで食べて飢えをしのいだとか記事にあった
まさにこういうとき外国人労働者でも人間なら助ける、相手は物ではないからである
外国人労働者を入れることは単に給料が安いからとして受け入れても物として扱えないからそうなる
つまりグロ−バル経済というのはそうした本来の人間の在り方を越脱したものであり
それがコロナウィルスの危機で露呈したのである
「金を送ってくれ、あなたが病気になろうが何になろうが関係ないです、その時は連絡しないでください、私は関係ありません」
こんな関係が成り立つのかとなる、それは親戚でも成り立たないから遠くの親戚より近くの他人になったのである

人間はいくら交通が発達してもある限定された土地で生活する、そこが根拠になる
その中で経済でも回す、それで戦前までは自給自足の生活だった
その土地でとれるものを基本にして生きるほかなかったのである
だから燃料は炭だったのである、炭なら森林があり森林は50年で育つとしても絶えることなくある、でも石油とかに頼るとなると遠くから運ぶから負担になる
緊急の場合、紛争とか戦争かあると石油は入ってこなくなる
かといって炭で生活する時代にはもどれない、でも何か外国でも外部に頼りすぎる生活は緊急時に弱いし危険が伴っていたのである
それをコロナウィルスで知らしめられたのである
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2020年06月02日

権利と責任(カルマ) (過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)


権利と責任(カルマ)

(過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)

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今回のコロナウィルスでも政府からの給付金、支援金がもらいとなるとあらゆる人が要求した
こういうときもらわなければ損だとなり権利があるとして要求する
それで京都の寺でも拝観料をが入らなくなり政府から給付金を出してくれと訴えた
ところが寺では拝観料に税をかけようとしたとき寺の組合がみんなで反対してとめた
つまりもしここで税金を払っていればもらう権利が出ていたかもしれない
それを今さらまた拝観料が入らなくなったから支援してくれというのは虫がよすぎるとして政府の担当の政治家が怒ったのもわかる

芸能人でも給付金を要求した、芸能人は一応税金は払っている
でもネットでは批判が多い、収入が大きかったし芸能人は河原乞食でなくてもどうでもいいんだとして批判が大きいのには驚いた
なぜならち芸能人だとその批判している人でも見ているのかと思ったからである

そしてなぜ芸能人がこれほど批判されるのか?

それは収入が馬鹿高いとかもともとその仕事に一般の人も評価していなかったのである
ではなぜそうして批判があるのに認められるのかというと一般の人が批判してもやはり
一般向けに大衆向けに面白おかしく政治のことでも語り影響力があるからだとなる
それで政治家でもカルト宗教の団体でも芸能人を宣伝役に使うのである
それで影響力があるから政府でも芸能人を宣伝役として使う、また支援金を出すというのはそのためである

結局そうして影響力があることが政治家を動かし現代の民主主義となる
何か一人の人間が熟考したことを言っても無駄である
なぜなら民主主義は数で決められるからであり多数決だからである
すると政治家でもとにかく数を集めようとする、一人の人間よりどうしたら数を集めるのかとなる、これはマスコミでも視聴率をとることが宣伝費も入るからいかにみんなにみてもらうかで芸能人をテレビに出すのである
それがポピュリズムにもなりファシズムにもなってゆく、そこに民主主義の限界があってもそれに代わるものがないからそうなっているだけなのである

ともかくこの支援金問題は原発事故でも起きた、それは何度もしつこく追及して来た
つまり原発の補償金は避難区域で大きかったからである
それであらゆることに補償を要求したのである
それで一番矛盾したのが漁業権をもった漁業組合なのである
なぜなら漁業権が大きな権利でありそれを東電に売ったからである

そのことが何を意味していたのか?

その意味も何も考えない、漁業だけではやっていけないとなりそれなら金になればいいとしかなかった
つまり金になるなら何でもいいとなっていた、それは地元でもみんなそうである
金になればいいしかないのである、そのために権利を主張する
家の前の海でも権利あるとか日ごろ関心もない私道にも権利があるとありあらゆるものに補償を要求したのである
ただ東電でも仏壇とかいろいろな物に補償を与えたのである

それに対して何の疑問も感じなかった、つまり権利を法律的にも何でも主張できると思っていたからである、そこに悪びれることもなにもない、当然でありそれに後ろめたいものも何も感じなかったのである
つまりこれは民主主義がただ権利を主張するものとして受け入れた結果なのである
だから原発事故になり海が放射性物質で汚染されて魚がとれなくなった
でも事故前も事故後の十分な補償金をもらえるから困らないのである
いち早く立派な新しい家を建てたのは船主だということがわかった
その人たちは補償金で困ることがないからである

でもここでわかったことは権利を主張するのはいい、でも権利と責任は一体だったとういことである
寺で支援金を要求するのはいい、でもその権利には責任がともなっていた
拝観料に観光税を払うことを拒否した、税金を治めなかった
それなのに観光客が来ないから税金で補償してくれというのは虫が良すぎる
なぜなら市の行政でも観光客の便宜を図り税金を使っているからである
寺だけで観光客を呼べるもてなすこともできないからである
だからこそ京都市でも観光客があれだけ多いのだから税金をとろうとしたのは納得する
別に拝観料とることは宗教活動でもないからである

つまり権利を主張するのはいいとしてその権利に正当性があるのか?

これが問題になっていたがそれを深く検討などしない、金になればいいしかないのであるこのことはあらゆることにある
第一弁護士自体がなぜ相談に行ったら相談料として百万も最初にとったのか?
その正当性がどこにあうったのか?
その弁護士は詐欺だったのである、弁護士自体がそうして金のためなら法律に違反していることを平気でしているのである
だから弁護士自体が何かうさんくさいとされるのである
弁護士は何か法を守る番人でもない、金で動くこと自体弁護士という資格をもって利権を得て金を得るともなっている
今の世の中はあらゆるところでこうして金を得るために権利が主張されているのである

ところが怖いのは金をもらえばいいとなってもそこに何らかのカルマが付加されている
カルマとは責任なのである、金は具体的だからカルマがわかりやすく付加されている
10万の金には10万のカルマが付加され、百万には百万のカルマが付加され
一億には一億のカルマが付加されているのである
カルマとは責任のことなのである、だから金を得て良かったと普通はなるがそうなっていない、後でそのカルマがア苦しみとなって現れる
逆にみんなから責められるのもカルマだったとなる

そういうのは自分自身にもあったのだ、親の遺産問題でそうなった、ただ自分は懸命に介護したから遺産を受け継ぐ権利を得たともなる
親が認めてくれたからである、でももし肉親でも介護をしなかったどうなるのか?
それは確かに法律的に権利があったとてももし他人が介護したらやはりその人にも権利が生じる、それで法律でも遺産を得る権利があるとして認めるようになったのはわかる
つまり権利には何であれ責任がともなっているのである

つまり権利と責任は一体なものである、そして現代では金がすべてとなったとき権利ばかり主張する、それが民主主義であり当然だとしている
でもその権利を主張する責任のことが欠落しているのである
ドラマにしろヤクザが親分から5両でも金をもらった義理があるとかで人を殺した
つまり5両をもらっただけで人を殺してしまうという責任が課せられていたのである
こうなると怖いことである、そんな金をもらうこと自体普通だったらもう拒否する
そな責任は負えないとなるからだ、ドラマにしてもやはり金というのはそうして怖いものをもっているのだ
江戸時代は5両盗んだら死刑とかなったのもそうである、金の額で刑罰が決められる
しかしほとんど金を得られれば何でもいいしかないのが現実であり権利だけを主張するのが民主主義として受け入れた戦後があった

権利というとき不思議なのは法律ではあらゆることに権利が主張される
日本国民は労働の権利と義務があるというのもそうである
実際このことでも労働は権利だというのが理解しにくい、労働はやむをえざる強制となっているのが普通である、私に労働の権利があるから職を与えてくださいとか言わない
そんな権利など与えてくれない、職が得たかったら国が職を与えることなどないからである、ただ労働の義務は課せられているだけである

だからとにかく「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こんな権利があるだろうか?日本貧困化してくるときどうしてそれが保証できるのか?
貧乏な国ではそういう保証は不可能である、なぜなら戦前は貧乏だから普通に乞食がいたそれを国で保証したりしなかったからである、国でできなかったからである
だから日本が画貧困化ししてくればそんな金を出すことができなくなる
つまり何でも国で保証できるわけがないのである
それで政府では紙幣をすればいくらでも金を作れるというのも疑問になることは確かである、そんな魔法のようなことができるのか、それなら誰もこんなに苦労しないだろう
紙切れの紙幣をすればいくらでも金が生れ解決するとかならないというのは小学生でもわかる、それでMMT理論はありえないとしているのもわかる

とにかく金を得ればいいというとき権利を主張するときその正当性が問題になる
なぜ漁業権を得たのか?資源保護のためにである、でも東電に売ることが資源保護になったのか?それが原発事故以後問われたのである
なぜ寺で拝観料から税金をとることを拒否したのに国に給付金を要求するのかとなる
権利を主張するのはいいとしてその正当性が問われたのである
だから日本は民主主義が何かを理解しないでただ権利だけを主張することを要求するものだとなったのである
そして権利というとき反対は利権になる、そこに漁業組合であれ宗教団体の組合であれ
その活動には税金をかけない、そういう権利を得ている
でも今回別に京都の寺で拝観料をとることが宗教活動でもない
また宗教団体でも給付金を要求して得られというのも理にあわない
もともと税金を宗教活動なら免除されているからである
でもまたなぜそういうことが通るかとなるとそれが団体化して数で影響して権力化して政治家を動かすからである、そこでまた政治が歪められるのである

とにかく様々な利権を主張することが民主主義でありそのために数を集める、それは宗教団体でもそうである、それで利権を得て金を得る、利権団体民主主義になったのが日本なのである、その問題は社会自体を歪めるから問題なのである
何も権利を主張するのがいいことだと悪びれることもなにもないのである
それが正義だとなっているからだ
ただ何かをしたら権利を主張できる、何も草取りを頼まないのに勝手に草取りした
だから金をくれと要求された、つまり勝手に草取りしてその権利を得たとなる
何もしないのに金をくれとは言えないからそうなった
これも変なのだけど一応権利を得たとはなっていたのである 

他にもマスコミでも六局に特別放送する権利が与えられた、その権利は大きいものだったそれでマスコミに左右される結果になった、つまりそれは特別の権利である
でもその権利がマスコミで勝手に解釈して公共の利益になるとはならなかった
NHKは特に国民から平均して金をとって放送しているから中立の立場で放送するべきである、それもしなかったので批判される
その影響が大きいから問題になる、それでインタ−ネットが出てきて万人に放送の権利を与えたことは民主主義の大きな進歩になった
テレビだけを見ていると社会がわからなくなるからだ
テレビ自体がいかに映像で操作できるものか知ったからである
それはネットから指摘されるようになったからである
テレビは大きな権利を与えられていた、でもその権利を悪用したということがあった
つまり権利が大きければ大きいほど責任も重くなっていたのである   

ところがまたインタ−ネットでも誰でも発言することができるようになった
するとそこに権利を得たとしてもまた責任が生じるようになった
それでネット上の発言で責められて自殺した女性のプロレスラーがいた
それはネットだと何でも発言できる、誰かわからないとか匿名だとかでそうなった
これまではネットで発言してもそんな影響がなかったのである
でもスマホであれ一般化すると何んでも発言していい環境でなくなったともなる
それが広まり安くなったからである、ただその発言がそれだけ影響するとは思わない
それがネットの盲点である、面と向かって言うわけではないからそういうことはこの通信世界には常にあった、顔も見えないからである
ただyoutubeは顔を出しているから責任が生れているとなる
ただインタ−ネットだとそれだけ読まれるとか見られるとかない、そこで責任が軽減されている、でもだんだん一般化してきたからそういうことが起きてきた
つまり権利を得ることは責任も生じるということである
権利を主張のはいいとして責任をとかその主張する正当性をrightを自覚して発言するべきだとなる
それが意外と後で大きな問題となる、得したと思ったことが大損にもなるから気をつけるべきだとなる、つまり重いカルマとなりのしかかることになるからだ


生活保護って何なの? (権利ばかり主張するようになった現代) 





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2020年05月29日

原発事故での漁業権の問題と寺の給付金要求の共通性 (権利を与える目的が見失われていた)


原発事故での漁業権の問題と寺の給付金要求の共通性

(権利を与える目的が見失われていた)


原発事故のことを追及してきた、その原因は何なのか?それを現場なのだから追求し続ける立場にあった
そしたらコロナウィルス騒ぎになった、これも何なのだろうと原発事故の経験と比較して考察して来た、そこに共通の原因があった
するとなぜ社会自体が歪んでくるのか?そこに共通の原因がありそれを知るべきだとなる
再三漁業権を東電に売ったということで漁業組合を批判して来た
これはどういう経過で起きたのだろうか?

まず東電で原発を作る⇒漁業権をもつ漁業組合と交渉する

「ここに我が東電では原発を建てます、海は汚すことはありません
でももしもの場合として補償します、その金は払いますのでご了承願います」
「補償してもらえるならいいでしょう、漁業権を売ります、でも補償は十分にお願いしますよ」
「わかりました、補償は十分にさせていただきます」

なんかこんな交渉があった、でもここでおかしなのは漁業権の権利が与えられた目的はなんだったのか?

それは漁業資源の保護であり東電に漁業権を売って補償金をもらうために与えられたのではない、確かに漁業をするために海産物を汚されては困る
でも汚されるても補償金を払うから容認されたのである
だから漁業権を与えられた趣旨と違ったものとして利益を得るために漁業権を売ったのである

権利を与えるのはもともと権利はライトであり正しいから与えられる
また最初は権利は権理と訳されていた、何か権利を与えるには理に適うことで必要だからである
ところが権利は利権にもなる、最初から利権になれば金になればいいということがどこでも起きている、権利を与える目的がありその目的より金になればいいとなってしまう
そこであらゆるものが歪められるのである
それは漁業権だけではない、あらゆるものがまず金になればいいとしかなくなっている
それが社会全体を歪めているのである

今回のコロナウィルスでもそうである、給付金を寺にもしてくれと政府に要求する

ところがそもそも寺は何のためにあるのか?

僧侶はなんのためにあるのか、何の目的をもって社会に存在しているのか?
それが見失われている、それで観光客から金をとるときその金に税金を京都府でかけようとしたら仏教組合で反対して税金をかけさせなかったのである

観光はそもそも宗教活動なのか?

お布施とかありそれは何のために金を払うのかとともなる
つまり金を払う方でももらう方でもその金についての明確な理由があいまいなのである
そもそも寺が何のためにあるのかということもあいまいだから観光税をかけるというとき宗教行為だから税金をかけるなとしている
では宗教行為とは何かとなるとこれもあいまいなのである
別に外国人が寺に来るのは仏様を信仰するとか何の関係もないからである
主に寺の美術品とか庭を美の鑑賞とかになる
でせもともと寺は観光のためにあるのではなかった、その目的からは観光ははずれていたのである、そこで莫大な収入ともなるから京都府では税金をとりたいというのは自然なの事である

こういうことは常に社会にある、会社を経営するときでも何もを目的としているのか?
まずもうければいい、金になればいいとなる、利益にならなければどうにもならない
だからあくどいことでも客をだましてでも利益をあげることが優先される
銀行でも投資信託とかむずかしいものをすすめて手数料をとる
その目的は何か不明でもまず利益をあげればいいとかなる、客でも金になればいいとしかならない、第一投資するにもなんのために投資するかというより金になればいいとしかならないからである
だから投資する方でも目的がただ金になればいいとなりわからないのである

宗教というのがある、でも宗教活動とは何なのか?

これも不明でありあいまいなのである、神を仏を信じることだとなっても創価などは選挙を第一として政治の権力を得るための活動になる
だから選挙が最大の仏法の戦いだとして仏に祈り一軒一軒回って必死に一票を獲得に回るだからその目的が宗教活動ではない、政治活動になっている
教理にしても王仏冥合の思想が日蓮宗にあり王は政治であり仏と一体化する社会を作るということでもそうなる
でもそれは現代の法では政教分離で禁止されている、それは神道が国家神道となり戦争で三〇〇百万人死んだという反省で生まれた法律でもある
現実に創価の創始者の牧口常三郎は戦時中弾圧して獄死したとかあるからだ
これでもまた政教分離を主張することになるが政教一致祭政一致の集団となっているのも矛盾なのである

こういうことはこの世の中に常にある、宗教でも権利を主張する、でも宗教が権利を主張するとしてもともと宗教の勤めはなになのかとなる
宗教活動に税金をかけないのは宗教行為だからとしている
また国が援助しないのは国家権力が宗教に関与しないからだとしている
だから常に権利と利権{利益}と目的が相反するものとなり矛盾してきて社会をゆがめる
権利を与えることには責任がともなう、それで資本主義社会だと金がよりあるものが実は責任が重くなるということがある
金をもらうことは得ることはその金に責任がともなっている
それでヤクザが金をもらったから殺すんだとというときそのもらった金に責任をともなっていたからそうしたとなる
つまり何であれ金をもらうこと得ることでも責任が課せられているともなる

民主主義はただ個々人でも団体でも常に権利を要求してそれが利権になっていた
そこに責任があることを自覚しない、権利が与えられることは責任がともなっていた
漁業権は資源の保護であり東電に売って金を得ることに与えられていなかった
だから事故になってその責任が問われる、なんだあいつら東電から事故前も豊富な補償金をもらい事故後ももらっている
それは回りの者が事故後に気づいたことであり別に事故にならなければ責められることも気づくこともなかったのである
実際はそれは権利を与えられたとしても責任が重いものだったのである
だから何でも金になるからいいというのは相当に問題なのだけど現実は金になればそれでいいいとしかないのである

税金にしてもそれがどう使われているかも不明なのが多い、コロナウィルスの給付金でもそれが利権化して目的とは違って使われる、そのことは原発事故でも起きたからである
ただ金になればいいとしかなくなる
原発事故でも地元住民でも金になればいい、あとは関係ないとなっていた
ただ事故後にいろいろ考察すると原発を作るのはその土地に住めなくなるほどの被害を出すのだから相当に互いに検討して納得してから作るべきだったと今では思う
責任は必ず誰かがとらされる、地元で住めなくなったということで地元住民は責任をとらされたからである
でももし地元に住めなくなるということがイメージされてそれを納得の上に原発を建てさせたかとなると疑問になる
そういう例が近くになかったので真剣に地元の人たちも考えなかったのである
それよりまず金だ、金になればいいとしかなかったのである

ただ一般に人は今や金のことしか考えない、あとは考えることもめんどうになる
その人の前に金をが積まれればそれがなんであれ従うのが資本主義社会だともなる
でもそうして金と利益だけに目を奪われると矛盾してくるしまた原発事故のように地元に住むことさえできなくなる
そういう教訓を事故から得たということもある
ただ一般的に大衆となると金を積めばそれでたいがいは通る、それで本来の目的となるものが見失われる、それはどこでも常に起きている問題なのである

人間社会はともかく何か考えるより金だとなるのがわかりやすい、また何か理屈など考えずに宗教だったら題目を唱えるとか楽だからそれがポピュリズムとかファシズムになりやすい、何のために働いているのか行動しているのかも考えない
まず金になればいいとなり若者は上の人に年配者に権力者に使われるとなる
だからどうしても本当は若者は必ず何か不正を社会に感じる
それを感じないとしたらその若者も人間としておかしいとなる
つまりおかしいな、こんなことしていることは人間として許せないとか何か義憤を感じるそれを感じないとしたらもうすでに社会の悪にどっぷりとひたってしまったのかもしれない、そうなるともう改革はありえないのである

結局人間の社会は常に腐敗でありそれの絶えざる改革を迫られる、それは限りがないのである、その原因は人間社会をそもそも治めることができない、それで改革は永遠につづき人類が滅亡するまでつづくほかない、そして最後は滅びなのである
真の理想の国は天にしかなく神がその作られた国を与えることによって成る
人間に理想の国は作ることは不可能であり必ず何か不測の事故が起きたり混乱したりして右往左往したりとバブルの塔のようになる
それが人間の宿命であり人間が人間によって理想の社会を作ることは不可能だとなる




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寺でも政府に給付金を要求で怒られる (政教分離は重要でも検討されない)


寺でも政府に給付金を要求で怒られる

(政教分離は重要でも検討されない)

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週刊新潮6月号


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この記事でわかったことはコロナウィルスで観光業の影響が大きかった
するて京都などをみれば観光収入が減ったかというか入らなくなった
その打撃が大きいと思った
何か京都とかなると寺は美術館なのか博物館なのかわからなくなっている
そして宗教法人になっているとその観光収入が莫大でも税金を納めなくてもいいとなる
坊主丸儲けともなる、そういうことが昔からあったからそんな言葉が生まれた

それは宗教の場ではなくなっている、高い戒名料とったり何か本来の役割がなくなっている、江戸時代までは武士の菩提寺となりそこで死者を供養することであった
また戸籍係のような武士の政治の事務方のようなものにもなっていた
それで手厚く保護されていたのである
それで変なのは明治維新になったとき廃仏毀釈運動が起きて仏像など壊されたのは神社側が天皇が強力な力をもったことで国家神道となったことで力を得て積年の恨みを果たしたとなる、それはただこれも利益を得られない、利権の問題としてそうなったのである

もともと宗教と利権は深く結びついていたのである
宗教とはもう俗化したのであり利権の場と化していたのである
だから神社にしても完全に戦争の時国家権力として機能するようになった
地方の小さな神社でも必ず戦争に出征するとき神社にお参りして戦地に出されたからである、だから必ず神社に武運長久とか狛犬の台座とかに字が刻まれている
もともとそうした小さな神社は豊作を祈るとかであり国家神道化したものとは違っていたのである

ここで仏教団体にも金銭的に支援してくれ補助金を出してくれと頼んでしかられた
税金も免除されているのに金をくれというのは図々しいとなり担当した政府の人が怒ったというのもわかる                          

そもそも寺とか宗教はなんのためにあるのか?

観光のためになるのか?美術館なのか?博物館なのかわからなくなっていた
京都とかなればインパウンドで観光客が増大した、それがコロナウィルスでぱったりと来なくなった、確かにそうなると収入が激減したとなる
でもこれまでどれだけもうけていたのかともなる、それは京都だとそうなる
それで京都では白足袋族の人といって寺には逆らえないという事情があったという
なぜならそれだけ観光でも寺中心でありそれで京都でも恩恵がある
それはあくまでも観光としてであり何か本来の宗教とは関係なくなっている
観光自体にも問題があった、観光とは何か、その前に人々の日常生活がありそこを乱さないようにすることも必要だったのである
京都などは外国人観光者の街となってしまったからである

ただ寺というのは建物とか庭でも維持するだけでそれなりに金がかかる
だから観光収入に頼る、でもそれは本来の宗教の役割ではないが観光には不可欠だとなる第一宗教の始祖とかみればわかる、あばら家に住み乞食と変わりないような生活していたからである、キリストにいたっては住む家すらなかったのである
釈迦でもそうである、そしたらそうした教祖にならうのが宗教者になるがそうはならないかえって派手な衣装を来て土地の権力者となったり観光収入で豪華に寺を装い遊んでいるともされる

そして仏教界でも利権を守るためには一致している、反目しても政府から金をもらいために創価にも相談するかともなる、でももらう資格かないのであきらめた
宗教団体からも税金をとるべきだというとき宗教界では利権を守るために一致していた

とにかくこういう政府からの給付金とか出るとなるとみんな目の色を変える
それは原発事故の補償金でそうなったことを延々とプログで書いてきた
原発避難区域ではあらゆるものが補償されたからである
仏壇でもあらゆる物権もそうであり何か私道のようなものでも補償してくれとなった
それで自分の家の前の海にも権利があるとして補償を要求した
そもそも何か漁業権というのでも強力な権利となり東電から事故前も事故後も手厚い補償があった
なんでもこうして利権化して団体化してゆくのが現代である
宗教団体も利権団体なのである、創価はあからさまにそうであるが他の宗教団体でも政治力がそれなりにあり権利を要求する、だからこそ本来の宗教とは違うのだから税金を納めるべきだともなる
でも自民党は公明党に反対できないのである

これはそもそもヨ−ロッパのキリスト教でもそうだった、カトリックが権力をもち堕落した
その権力は強大なものでありローマ帝国と一体化して権力基盤を広げたのである
だからヨ−ロッパとかでもあれだけ大聖堂とかあるのだから宗教が盛んなのかと見るとそうでもなく無神論者が増えているのである
日本でも外国から来た人が寺が多いから仏教信者が多いのかとみるがそうではないのとにている面があるようだ

いづれにしろこのコロナウィルスの影響はこうして宗教界まで及んでいた
韓国で広がったのはカルト教団が密集して起きた、何かそうして集団化して祈ることが本来の宗教からはずれている、キリストは密室で一人祈りなさいと言っているからだ
だから集団化組織化した宗教は権力化した政治化した宗教なのである
それで仏教というとき私は禅宗にひかれるのである、日蓮宗とか念仏宗は集団化して一心に題目を唱える、それで騒々しいからである
ただそういうのは大衆に受ける、集団となり一体化をかもしだすからだ
それが結局ファシズムにも通じているのである
何か宗教というのは人を心から奴隷化するのにはいいのである
それはイスラム教でもそうである、なぜイスラムの世界では科学とかでも一時は先進国だったのに停滞したのか?
それは宗教と関係している、民主主義も受け入れないのは宗教のためである
政教分離ができないのもそうである

だから意外と政治と宗教の政教分離がヨ−ロッパで法制化したがイスラムではできなかった、それがヨ−ロッパに後れをとったとのかともなる
それは中国でもそうである、中国では宗教ではないにしろマルキシズムが共産主義が宗教のようになっている、そして一党独裁であり批判を許さない
それで周りの国でも中国に同調しにくいのである
政治体制が恐怖政治であり批判を許さない体制でありそれで受け入れられない
そこで香港の自由はなくなり次に台湾は占領されて沖縄が占領されて中国に支配されてゆく、だから中国と欧米が対立するとそうした宗教化したイデオロギーの対決ともなる
それはソビエト連邦の冷戦でもそうだったからである

本当は政教分離はこうして大きな課題である、でもそのことはあまり議論もされないのである、信長は徹底して政教分離を宗教より政治の優位を寺を破壊し僧侶を殺戮することで実行したから新しい時代を作ったとされる
だから政教分離はそれだけ人間社会にとって大きな問題である
なぜなら明治維新で今度は神道が国家神道化して太平洋戦争に日本が突入したからである国家神道というときそれは政教一致になったからである
それで戦後は反省して政教分離が法律になったのだが創価とかあるように他でもそれが守られていないのである、それは結局ファシズムになる危険があるからだ
また中国が受け入れられないという時、経済の恩恵はあっても政治体制が一党独裁のイデオロギー政党であり共産化をおしつけるともなるからだ

宗教がかかわると厄介なのはなにかというと批判すると罰当たる地獄に落ちるとか集団で恫喝する
そうなると批判一切許されなくなる、それが危険なのである、宗教ファシズムになりやすいのである
ただ共産主義とは何なのか?それはソビエト連邦が崩壊して過去の亡霊ではないのか?
でも巨大化した中国でまだそれが残っている、それでも資本主義社会の中にもある矛盾である
だから中国はこうしたことで内部矛盾をきたし自壊するとも言われる
だから政教分離とは大きな問題なのだけどあまり検討されていないのである



1985年、当時の今川京都市長は古都税を創設しました。目的は寺社などの古都遺産を守るためです。京都市内の寺社へ支払う拝観料に対して課税する


古都の掟は彼らが決める。京都の影の実力者「白足袋族」は何者か

こういうことがあった、拝観料に都では税金をかけられなかったのである
だから税金を都にも国にも払っていないのだから今度コロナウィルスで観光客が来ないからと給付金を政府で出してくれというのはあまりにも虫がよすぎるとなる
白足袋族というのも京都の強力な利権団体だったのである
だからあらゆるものが利権団体化すると社会を歪めるのである

本来の仕事はなになのか?本来すべきものが何なのか見えなくなる
ただ利権だけを金だけを追及するようになるからだ
それは原発事故でも起きた、漁業権でも本来は資源を守るものだったけど手厚い補償金を東電からもらう団体と化していたのである
それだけではない、そういう本来の仕事を目的があるとしても利権団体化して歪められるのである

お寺が持続化給付金と引き換えに失うもの

ここでは税金をまねがれていたが政府からの給付金をもらうことは今度は宗教法人でも団体でも税金をかけられてもしかたがないとなる
なぜなら拝観料でも税金をとるなと京都府に抗議してそれが認められたからだ
だからこそ今回給付金を払えないとなったのである
それで給付金を払いというのは法律的にも理屈に合わない身勝手なのである



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2020年05月28日

コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由 (原発事故も生態系を破壊して住めなくさせたのは自然の逆襲だった)


コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由

(原発事故も生態系を破壊して住めなくさせたのは自然の逆襲だった)

流行の背景にあるのは、人間による野生動物の世界の撹乱です。アフリカ、中南米、中国の奥地など未開の地において、土地開発や農耕地の拡大による自然破壊、動物の乱獲、密猟、売買などが繰り返されることによって、自然界に埋もれていたウイルスと人間が接触するチャンスが必然的に増えてしまいました。

江戸時代もまた、地域ごとに最も適応度の高い社会を作り、経済を分散させることによって全体の適応度を上げていました。ところが、いま世界中で進行しているのは、地方分散型社会とは真逆の、画一化としてのグローバル化社会です。

コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由

コロナウィルスで変わる世界 (生態系を無視して人は生きていけない)


人間の生活は生態系を基にして成り立っている、その生態系というとき人間はもともと一地域で自給自足でまかなっていた
村が単位の経済だったのである、江戸時代がまさにそうだし実際は明治になってもその延長だった、だから子供の時本当に自給自足の江戸時代の生活だったのである
水道も電気もない生活である、水は井戸でありまた燃料は炭であり薪でありトイレは外のトイレであり農家の人がくみ取りして肥料にしていた
そしてその土地土地にとれるものでおよそまかなっていた
交通が発達していないから運ぶにしても馬車とかなると運べないからである

この運ぶというき鉄道ができたとき確かに運ぶことが飛躍的に発達した
福島県ではもともと小名浜から船で運んでいたのが常磐炭田ができて蒸気機関車で東京まで運ぶようになった、その他網の目のように森林鉄道がはりめぐらされて木材とか石材とかを東京に運んだのである
つまり運ぶという時主に東京にこの辺では運んだのである
そして何か外から運ばれるものがまれだった、地方では地方でとれるもので地産地消していたのである

運ぶといっても海でとれた魚を運ぶだけで苦労である、短い距離でも運ぶのは労力なのである、自動車などないからである
だから魚を売るということから行商が始まったということがある
松川浦の魚を売る人がいたからである
運ぶという時どうしても海を交通路にして運ぶということが楽である、もちろん海は危険だったか陸を運ぶとなると自動車も鉄道もないと海を運んだ方が楽である
だから北前船が日本海を通じて運んだのである
明治になり鉄道ができて運ぶのは不便となり廃れたのである
運ぶということは簡単にできない、江戸時代なら余計にできないから自給自足になったのである、それで隣の村とさえ交渉がない、隣から麦踏みの若者が大蛇だったとかの伝説が残る、つまり隣の村でもそれは得たいの知れない人になっていたのである

そういう社会だったら人は交わらないからウィルスは広がらないとなる
それでもウィルスは広がり大きな被害があった、その時医学も発達しないから被害が大きくなった
とにかく人間の生活がある一定の地域に限定されて住んで他と交わらないというのが長い間歴史的にそうなっていた
日本人は外国のように陸続きでないから海に閉ざされていたから外国とも交わらない
特殊な環境にあった、大陸の歴史は民族の激烈な抗争でありその侵入を防ぐことができないのである、だからこそ万里の長城が作られたのである
今回のコロナウィルスでも大陸ではヨ−ロッパでも陸続きでありロシアにもたちまち拡散したとか陸続きになると侵入を抑えられないのだ
だからグロ−バル化は今回はコロナウィルスをたちまち拡散させたのである

人間は生きることに最も大事なのは本当は生態系である
その生態系でもその土地土地が一つのミクロコスモスの生態系として完結している
その生態系の基本となるのは空気と水と土と森林とかである
そこが基本としてありそれが損なわれると生きることもできなくなる
現実に原発事故では空気も水も土も森林も放射性物質に汚染されて住めなくなったのである、それだけ甚大な被害が生まれたのである
原発がミクロコスモスを破壊したのである

ではコロナウィルスとは何なのか?これも生態系を動物とか生きている場所に人間が無防備に入りこんだからだときされている、その動物からウィルスが人間にうつされたからである、つまり生態系の破壊なのである動物は地域地域の中の生態系で生きる
技術もないから自然状態では生態系を変えることはできないからその狭い生態系に適応して生きている、それでそのウィルスがでてもその外に広がらないようになっていた
コレラでもインドの風土病でありそれが人に感染してもその地域から広がらないものだったが人が移動することによって広がった

人間は生態系を破壊するというとき原発でもその一地域の生態系を破壊すると空気でも水でも土でも汚染されて住めなくなる、今でも放射性物質の廃棄場にその汚染物質が積まれている
コロナウィルスと原発事故を比べて考察してきたが何か共通性があった
自然破壊は生態系の破壊でありコロナウィルスでもそうした人間の暴力的な自然の侵入と関係していたからである
そこで自然から逆襲されたということにもなる
ミクロコスモスというときそこで生物が生きる基盤であり人間でもそうだったのである
空気と水と土がないと人間は生きていけないからである

ところが東京のような大都会になると生態系を感じない、生態系から遊離して一千万人もの人間が生きるようになった、ただ原発で感じたのは空気が汚染されたことである
でも水でも水源が放射性物質で汚染されることがありその水が危険になる場合があった
そして食料でも外国から入るからいいとかなりその土地の日本の風土の生態系を意識しなく何ていたのである
でも今回のように外国から食料を運べないとなると日本の地方に食料を依存するほかないのである

つまり運ぶ技術がこれだけ発達しても食料でも外国から入らなくなる
そうすると近くから日本国内から運ぶことになる、でもまたコロナウィルスではそうして運ぶことも危険になった、そうなると日本国内からも食料も運べないともなる
それだけ遠くと結びく経済はいいようでもその弱点と危険性を自覚したのである
だから人間は生態系とか国々の風土を無視してはありえない存在である
その土地土地に生態系に動植物のように適応するのがまさに自然だとなる
それを無視した結果としてのグロ−バル化とか広域化経済には無理があった

何かスーパーで大きなタマネギ十個くらいが150円とかで売られていた
それは何か安物でまずいものだから売られていると思い買わなかった
別にそうでもなかった、佐賀県でとれたものが大量にとれて廃棄するようになったからそんなに易く出回ったとなる、東北で九州のタマネギが入ってくる
それは今は当たり前にしても何か不自然なものを感じた
何か過剰にある地域で一種類の野菜が大量に作られているからそうなる
それは全国に売るためであり運ぶ交通が発達したからそうなったのである
だから日本でも世界でも運ぶ交通の発達がそういうふうにある場所で一種類の野菜でも大量に作るとなる                                                     

それでコーヒーばかり作っていたらコーヒーが安くなったりして食べることもできなくなったとか後進国であった、そこではいろいろな野菜を食料を作っていた
でもコーヒーだけを作っていたら安くなったり売れなくなったら他の食料がなくなって飢え死にするともなる、それは江戸時代の東北で起きた
米ばかり作っていた所で起きた、米は江戸に送る商品作物となっていて米を作りすぎていたのである、だから米が冷害とかでとれなくなったら他のものが食料がなく飢え死にしたとかなる、これもグロ−バル経済とかで広域経済で起きる

つまりタマネギが大量に作られて捨てるくらいになる、キャベツとかでもキャベツ農家がキャベツがとれすぎて安くなるからと捨てたことがあったからだ
何かこういうことは不自然なのである、その不自然なことは自然から復讐されるともなるもちろん一地域ですべてをまかなうことはできない、それがグロ−バル経済でも広域社会でも度を越したものとなっていた
そうなると金の力が大きくなる、遠くからそうしたこ食料でも買うということは金が必要になるからだ

そうして金だけが頼りになったのは土地をもてなかったユダヤ人でありそれで金融が発達したとなる、それが今のグロ−バル金融社会を作ったものともされる
そうなると金が万能になる、それで原発事故以後補償金をもらうことがこの辺では目的化してその補償金を基にして他に移り住むちようになり故郷は放置されて復興できなくなったのである
金さえあれば別に便利な場所に住んだ方がいいからである
そういうふうに移動社会になるとそうなる、一億円もらえば前ら故郷を出て都会に出たいという人が多いからだ、それで仙台市に移り住んだ人がこの辺でも多いのである

何か原発事故でもコロナウィルスでも人間の生活が自然に則らない、不自然なものになって自然から復讐されたのではないか?
人間にはそもそもそういう宿命があった、人間は自然を破壊するように宿命づけられていたからである、グロ−バル化とはグロ−バルに地球環境を破壊することに通じていたからである、だから逆に自然からコロナウィルスでも復讐されたとなる 



佐賀のタマネギ農家に打撃 外食自粛、給食中止で価格大幅下落 出荷量全国2位 

これもコロナウィルスでタマネギが売れなくなり余ってこうなった

東北地方の気候は米の栽培には向いていなかったため、米以外の作物もつくられていましたが、江戸期に米の増産を強いられて水田の割合をふやした結果、天候不順がすぐに飢饉をまねく体質となっていました。 

posted by 老鶯 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月23日

NHKの「福島の経済と暮らし」で放送 (相馬の水産業のコロナウィルスの影響ーその人は近くの人だった)


NHKの「福島の経済と暮らし」で放送

(相馬の水産業のコロナウィルスの影響ーその人は近くの人だった)

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震災から回復していた、でもコロナウィルスでまた減ったのはショック

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こういう食堂は濃厚接触になるから営業できなくなった


この放送ですぐ近くの人が映っていたので驚いた
松川浦の魚の仲卸業であり主に飲食店とか旅館とかに魚を卸す仕事をしていた
それはわかっていたがテレビに映ったので注目した

コロナウィルスで魚が売れないという時、東京の新宿の食堂で福島産の魚を食べるのを写していた、東京で自粛があり食堂などが閉鎖されたので売れなくなった
何か飲食業に卸している人がいる、それは農業でもそうなのである
それでコロナウィルスの影響があった
飲食業とかホテルとか観光業が一番影響があった

ただ原発事故で海が汚染されたけど漁業関係者は生活に困ることはない、特に船主は困らない、原発事故前も以後も補償金をもらっているからだ
これは前から書いてきた、その補償は手厚いのである
だからこれもおかしいと追求して来た

そしてやはり漁業関係者が津波で家なくして近くに家を建てた、だからこの辺では漁業関係で仕事している人がそれなりにいる、前は小高の人が松川浦の魚を売りにきていたのである
今回の魚の仲卸の人は漁業組合とは関係ない、補償がない
魚をとったものを売る商売だからである、だから三分の一とかなると苦しいとなる
回復しないというのもその商売をつづけられるのか?
その人は一つの会社として経営していた
事務の女性もいたからそれなりの収入がないとつづけられないともなる

ただ魚の需要はある、でも観光とか飲食業とか旅館でもホテルでもそれが回復しないからそう言ったのか?
売り上げが三分の一に減ったら苦しいだろう

何か田舎で何の仕事しているかわからないようになっている
この辺は原発事故以後に大熊とか双葉とか浪江とかから移住してきた人が多いから余計にそうなった、だから新しい街が三つくらいできた感じにもなる
今でもまだ建売の家が建っている

ともかくコロナウィルスの影響が身近にあった一例である
前はすぐ近くの人が東京のライブハウスに行って感染したというときも驚いた

新宿の食堂では淡路産の何かと陸奥産と磐城産とかメニューが全国的豊富である
何かそれを見てうらやましくなった、かえって地方はメニューが限られている
どうしても外食するからうらやまく見たのである
東京だとさらに食べ物だと金があれば外国のものでもなんでもあらゆる料理を楽しむことはできる
そこが都会の利点だとはなる、自分の住んでいる地区は弁当さえ売っていないからだ

とにかく食事にはこまる、いろいろなものを使うからめんどうすぎるのである
それでステーホームで三食用意するのが大変だと学校が休校になり母親が嘆くのもわかる
給食の方がいいとなるのだ

posted by 老鶯 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層