2019年05月15日

丸森町のメガソーラーで考えたこと (グローバル経済で日本の国土も破壊されてゆく)


丸森町のメガソーラーで考えたこと

(グローバル経済で日本の国土も破壊されてゆく)  


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台風とメガソーラーの危険性

メガソーラーは、無人島のような、人が近所にいない場所にしか設置は許されるべきではないと考える。何かあった際、被災時(特に水害)に重大な危険性があるためだ。

太陽光発電そのものを否定しているわけではないが、人の住環境の近傍に、設置されて良いとは思えない。災害時でなくとも、設備故障・経年劣化・鳥獣被害により、近隣住民を危険に晒す可能性が否定できないからだ。

また山奥などでは、火事の火元となる危険性もある。
山も推奨できるものではない。

海の近くとなれば、塩害により設備が損傷する危険性が高まる。
同様に、推奨できるものではない。
風水害でパネルが海に大量にばら撒かれた場合の汚染リスクもある


丸森のメガソーラーパネルには驚いた、あれだけの量があると災害があったりしたら被害も大きくなる、ソーラーパネルも自然破壊であり公害を生むものだった
原発も津波は地震で大被害になった、科学技術でもこうした自然の影響をまねがれることができないことを知った

ではなぜソーラーパネルがこんなに普及したのか?
農業でも跡継ぎがないとかするとそこが荒地化する、その土地をもっていても何の用もなくなる、税金をとられるだけだとなる、するとその土地を活かす方法はソーラーパネルだとなる
土地さえ提供すればいいから楽である、家を貸すより楽である
そしてそうした金にならない土地が山でも森でも増えすぎたのである

山林でも丸森だったら江戸時代に米沢藩と相馬藩と伊達藩で木材資源で争いがあったように木材が利用されていたからそうなった
実際に相馬から伊達藩の宮城県の丸森まで森がつづいていた、森は相馬藩からも連続してつづいていたのである
戦国時代が入会権から村同士の争いとなったのが原因だったという学者もいる
入会権をめぐって大名が加担してその争いにまきこまれたからだとうい
それだけ木材資源は今の石油のように大事なものだったのである
それがグローバル化経済で石油が燃料となり炭を作る木材も使用されない、後は外材となったとき森は無用の長物となってしまった
それでも日本はまだ森が残っていた、森林が70パーセントもある国だとなる
外国では森林が鉄とか牧畜とかで消失してはげ山になった
ギリシャの山でも羊飼いがいた、外国ではいたる所に羊飼いがいる
それはヨ−ロッパでも同じだし中国でもそうである
それでヨ−ロッパの広大な森林は消失したとなる

とにかく文明と自然破壊、環境破壊は必然的に結びついている
それは人間の宿命のようなものである、人間の業なのである
自然破壊しなければ生きていけないのが人間なのである
焼畑農業でも森林を焼いて灰で肥料にしたとかでも森林の破壊だったからである
だからそういう環境の破壊は人間は現代まで継続してきたのである
原発事故でもそうだった、大規模な環境破壊自然破壊が起こり故郷にすめなくなった
森はもう除染もできない、セシウムは30年とかで半減するとかになるとそれだけの時間を待つほかないのである
プルトニウムは2万年消えないとするともう待つこともできない、人類は滅びるともなる

不思議なのはソーラーパネルが農業と関係ないと見ていたが問題が共通していた
畑だと常に雑草の駆除が強いられる、毎日のように日本では草むしりが仕事だからであるソーラーパネルでも雑草が繁るので草刈りが仕事になる
それから鳥獣の被害もでてくる、鳥の糞とか巣を作られて被害があったとか
また電線なのか何か盗まれたとかの被害もある
畑でも誰も見ていないから作物が盗まれるのが農業である
それからネズミだモグラだキジだとか鳥だとかに常に作物が食われる被害がある
だからそうした自然の影響からまねがれないのがソーラーパネルでもあった
特に台風とかで斜面が崩れてソーラーパネルが落ちるのは怖いと見た
あの丸森のメガソーラーパネルは何かそうなったら麓の人が住んでいる所まで被害が及ぶ

ソーラーパネルは景観を破壊することでも影響が大きい
せっかく絶景ポイントとなっていてもあんなふうになると台無しだともなる
あそこが森だったら蔵王が見えてさらに荘厳な景色となっていたからである
ただあの斜面は日当たりがいいから選ばれたのだろう、もともとゴルフ場だったとなると森林はなかったのか?
すでにゴルフ場の時に森林は破壊されていたのか?
あそこだったら見晴らしがいいからゴルフ場としては最適地となっていたとなる?

そして丸森町にも事情がある、木材資源があっても利用できない、森があれだけあっても木材が利用できない、それで高齢化率がここでも高くなり苦慮しているのはどこでも同じである、農業の後継ぎがないと会社経営にして他からも若い人を呼び込もうとしている
それは日本全国でそうなっている
そういう状況であのメガソーラーができたのである

いづれにしろ飯館村は原発事故で無惨なものとなったし丸森でもメガソーラーで景観が破壊された、それもグロ−バル経済とも関係していたのである
そもそも石油とか木材でも輸入だからである
そして人まで安い賃金で外国から入れて働かせる、でも日本で人手不足かとなるそうではない、氷河期世代の30代後半から40代頃まで膨大に人手がある
でも若い人がいいからは外国人労働者を入れる、するとその人たちの時給でもあがらないし不用にされて捨てられると訴えているのも深刻なのである

なぜ若い外国人を優遇して日本人の氷河期世代は国から捨てられるのかという訴えも最もだと思う
それもグロ−バル経済の結果としてあったのだ
世界的になれば企業でも国のことよりコストが最大の問題になる
いかにコストをおさえるかとなり世界での労働市場に目を向ける、そこで最貧国のネパールとかなら低賃金でも若い人が働くとなるからだ
そして肝心の日本人はいらない、30後半から40ともなるとおっさんでありいらないとなる、これも理不尽でありおかしいのだがそれもグロ−バル経済が作り出した矛盾なのである


posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月06日

上級国民ー飯塚幸三は原子力村の人だった? (上級国民への不満が貧困化する日本で鬱積している)


 上級国民ー飯塚幸三は原子力村の人だった?

 (上級国民への不満が貧困化する日本で鬱積している)

 原子力委員会専門部会の構成員の変更について核融合会議の構成員のうち等々力達を飯塚幸三に変更することについて、資料に基づき説明がなされ了承された。

もし元々通産省にいたなら設置基準が妥当と認めるという事を通産省に対して出すのが元々通産省内部の人間という事ですね。後で入省したとしても行ったり来たりの関係が独立性と無縁の原子力村、原子力マフィアの一味という事です。汚い。 

交通事故で母子が死んだ、その事故を起こしたのが飯塚幸三でありこの人は高級官僚だった、このことで興味をもった

なぜこんなところに原子力村とか出て来たのか?

これも何か因果関係があるのか?
なぜなら原発事故では高級官僚でも科学者でも経営者でも誰も罰せられていないことが疑問だったからである、検察がなぜ罰しないのか?
そのことがこれとも通じていたのである

上級国民は警察は罰しない!

なぜなら警察官僚が東電に天下りしているのが多いからである
官僚という時検察もそうなのである
だからあれだけの被害を出した原発事故でも検察は罰しないのである
普通だったら自殺者を出したりするがそれもなかった
社長でも官僚の関係者でもなんでも罰せられなかったのである

それで警察は上級国民には甘くしているとなって不満が沸き起こった

その原因として非正規とか年収300百万円以下の人が増えていることも関係している
日本人が一千万単位で底辺化しているのである

私が底辺かに興味をもつようになったのは底辺と付き合うようになってからである
その人は毎月のように電気止められたガスとめられた水道とめられたとなきついてくるからである、貧困化はこういうところで最悪なものとして現れる
後は家賃が払えないとかで住む所すら奪われるのが最悪である
その人は老人だけど老人でも貧困化している、年金がそもそも少なすぎるから基本的に生活できないのである
そういう人が老人でもますます増えているのである

それから若い人でも非正規とか年収300百万円以下とかが増えている
特に氷河期世代がそういう人達が多い、それで上級国民への怨嗟が大きなものとなって社会の底辺層が攻撃してくる、それはもしかしたら危険な状態にもなっている

底辺層がyoutubeでその不満を延々と言っている、今だとインタ−ネットで訴えることができるからそういう人がいたのかと気づくし共感する人も増えるからである
マスコミでは取り上げないとか叩かないとか不満も大きくなっているからだ

確かにその経歴をみると下級国民からすれば垂涎の的になる、そこには原子力村があり東電からも金が流れていたのかとみる、それがここではこれだけ被害があったのだから注目したのである

田舎ではそうした特別な上級国民とか金持ちは住みずらい、目立つからそうなる
日本が江戸時代でも平等社会だったのは狭い所に住んでいるからそうした目立つものへの怨嗟が大きくなるからだ
ただ普通は上級国民だとしても東京に住んでいたらわからない
こんな大きな事件を起こしたことで表に出てきたのである
それも原発と関係して因果関係があり悪が露呈したのか?カルマが現れたのかとも見た

つまり原子力村に関与した者への罰だったのか?

こういうことはあるかもしれない、あまりにも検察でも何もしないからである
官僚という時、検察とか警察も官僚なのである、こういう人達は連帯している
公務員でも同じなので知る、特権階級を形成しふすいのである

それで自分自身の家族も公務員だったから得していたのである
それでやっかみをもっていた人がいるかもしれない
田舎では大きな会社がないから公務員が特権階級になる、上級国民になるからである
ただこの人のような国レベルの特権階級とは桁違いである
年金だって減らされて民間並みになり平均化していたからである 
まず田舎だと狭い所に住んでいるからとてもそういう人は住みにくくなり住めないとまでなる、何かとうるさすどぎるからである

とにかく日本が貧困化している、その影響がだんだん深刻化してくる
その不満が上級国民へ向けられる、自分自身が別に上級国民ではない、自由に旅行したとしてもまず満足にホテルさえとまらない自転車旅行だったからである
食事は常に最低のものしか食べていないからだ、それでも自由を満喫はしていたとなる
何か金を自由に使える身分のように見られるがそんなことがなかった
外国旅行したとしてもバックパッカーだったからである
ただ自分の場合自由な時間を与えられていただけだったとなる

いづれにしろ貧困化する日本の問題はますます深刻化して暴動すら起きるかもしれない
それだけ貧困化している、日本はすでに後進国になりつつあるとも言われる
中産階級は消失している、子供でも貧困化して満足に食べられないとかなっている
そういうとき上級国民とかは怨嗟の的となり恨みとなってもゆく
そこに危険なものが生まれてくる、検察とか警察とかの不満も大きくなる
警察とか下層のものには高圧的に接する、人間と見ないとかにもなる
それは日常的な光景である、でも上級国民に忖度するとかなり下層化した下級国民の不満が大きくなるのである
そういうことで自分自身も被害にあっているからである
治安が悪くなり犯罪が増える、それで中国では歴史でも金持ちへの不満が増大して盗賊でも一時皇帝にもなったからである、だから共産党の幹部でも民衆の不満が特権階級に向けられることに戦々恐々しているのである

それにしても底辺層の生活が金銭的にもそうだが精神的にも貧しすぎるのである
確かに金がないから何もできないというのもわかるがFXとかスロットとかで一攫千金を夢みているとかしかないのがわびしいのである
インタ−ネットで無料でも勉強できる時代でもありなにか知的好奇心とかあって他にエネルギーを費やすべきことがある、時間を使うことがあってもいい
別に金がなくてもできるのである、そこに自己責任があるかもしれない
すべて環境とか生い立ちの結果にするのは問題がある
ただ海外旅行している人を羨ましく見ているのは悲しい
なぜなら東南アジアなど前は円高でも貧乏人でもできていたしうらやむことではなかったからである、そううところまでうらやんでいるのは相当に底辺が増えているということである

ただ若い時は私自身が底辺を経験している、流れ作業とかしていて仕事するのが嫌になったからその気持ちがわかる、そのままつづいていたら絶望することもわかる
その点自分は恵まれていたとなる、ただ自分は金をそんなに使えなかった
だから貧乏旅行しかしていない、でも旅行は貧乏でもできる、むしろふりかえれば時間が大事なのである、自転車旅行でも体力がないとできなくなる、つまりその時々にすべきことがありそれを逃すと後でできなくなる、だから人生にとって若い時すべきことをしないとかなると大損失だったとなるのである、それは金だけの問題ではない、体力とか気力とかがなくなってできなくなるからである



posted by 老鶯 at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年05月01日

天皇を受け継ぐことの重み (高齢化で代替わりが遅くなるが経験しないとわからない)


天皇を受け継ぐことの重み

(高齢化で代替わりが遅くなるが経験しないとわからない)

何か最近政治家でも高齢化している、マレーシアの前に首相をした人でマハテールもまた首相になったが92歳なのに驚く、トランプ大統領でも70歳であり今度民主党から立候補した大統領候補も80近いとかサンダースでも74だとか政治家がこんな年齢で勤まるのかという疑問である
ただ高齢化社会は世界的なものでありこうなっても不思議ではない
これも今までの固定観念がありそう思うだけだとなる
百歳人生だったら70頃から本格的にその本領を発揮するということがある
やはりそれだけ経験とか知識を積んでいれば若い人よりは有利だとなるからだ
ただ政治という時何かハードに感じるからこんな年でやれるのとなる
学者とか芸術家とかは別に家にこもってでもやれるが政治はそうはいかないから体力がなかったらできないとみるのである

天皇を受け継ぐにしても皇太子だって60近くになっている、それは昔だったら老人なのである、こうして高齢化社会になると遺産とかでも受け継ぐのが親が死ぬのが遅いから60くらいになるのが普通になる
それも社会を停滞させるということがある、なぜなら人間はどんなに優秀な人でも実際にやってみないとわからない、経験しないと理解できないからだ
それがもう60くらいになって天皇でも跡を継ぐというとき天皇になることがどういうことかすぐには理解できないのである
いくらそういう皇族の中で育っても実際に天皇になることがどういうことなのか実感できない、それは天皇になったとき徐々に実感してゆくのである
天皇になることはこういうことだったのかと実感してゆく

それは家の跡を継ぐことでも同じである、家の跡を継ぐことはこういうことなのかと実際に継いでみてわかる、でも60近くになって家の跡を継いでも遅いとなる
家を継いで新しいことを始めるのにも60とかなると苦しいとなる
実際に跡を継ぐ人も老人になっているからだ
ましてや天皇を継ぐということはその重みは計り知れないとなる

こんなことを言うのは自分自身がそうだったからである
家を継ぐとういことが自分にはわからなかった、でも親が介護になり家族がみんな死んだとき否応なく家を継ぐことになったのである、私は家に付随したようなものだったが今は後を継いで家の主となっている、それも一人だかそうなっている、それで家を維持することが今度は重いものとして自分にのしかかったともなる
何か家が残っていることで後を継ぐということを意識する
でも家が残っていないとそういう意識もあまりもてないかもしれない
それだけ家のもっている重みがあったともなる
家の中に死んでも先祖が生きているということを実感するからだ

おそらく新天皇でもそういうことを徐々に実感する、皇太子と天皇では全く違ったものでありその重みも全く違ったものになる、でもそれを意識するのはすぐにはできないからだ時間が何でもかかるからである、天皇になることはこういうものだったのかと意識してゆく、つまりその人がどうであれそういう立場になり権力を持つとかならないと実感できないのである
王様になるにしてもその地位に実際についてみないと皇太子ではわからないのである
それはここの家でもそうだし会社とか団体と政党とか何でもそうである
社長になってみないと社長がどういうものかすぐにはわからないのである
それで若い人でも重責にある地位につけば能力を発揮することがある
それは経験してみないとわからないからである
人間の能力が発揮できるのは必ずしも能力があるかないかもあるがそういう立場に実際になってみて力を発揮することがある
でもそういう立場を与えられなかったら何も発揮できないのである

それで今度は天皇は夫婦で留学経験があるから外交面で力を発揮するかもしれないとか言われる、天皇となると世界的にも影響があるそこでやはり英語でも自由にしゃべれれば会話がはずむとかなり外交力を発揮するとなる
いづれにしろ天皇を受け継ぐということは国家を受け継ぐとかにもなりその重荷は計り知れないものとなる
それで平成天皇は戦没慰霊者を全国を回ってしてきた、それは日本国家の天皇家の負の遺産でありそれも大きいからそうなったのである
個々の家にも必ずカルマがあり負の遺産がある、プラスの遺産もあるが負の遺産もある
そういうものを担うのが後を継ぐことだと意識するようになる

江戸時代のようなあまり変化しない時代だと後を継ぐということは特別能力がなくてもできた、徳川幕府の将軍が別に能力があるから継がれたのではない、長子相続が継続されたのは平和な時代がつづいていたから継続されたのである
グロ−バル化とか激動の時代になったら跡を継ぐとしても守れないとういことがある
戦国時代では能力のない跡継ぎは駆逐されるからだ
いづれにしろ天皇のようにな国家の跡を継ぐようなものになるとその重責をひしひしと感じる時がこれから生じてくる
でも実際に経験して次代の天皇として成長するともなるがもう天皇制は限界でありそれは大統領制にして国家の重責を担わせる時代へ移行するようになることも考えられる
ただここで国家とは何かとかが問題になる、それもまた二千年の歴史を知らないと答えは出せないのである

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 家を継ぐ我なりしかも牡丹の五六輪庭に重く咲き継ぐ

 天皇となればまさに牡丹である、栄光を受け継ぐとなる、ただ家でもいろいろある、家も何も残さない人だっている 
 子供が親にひどいめにあって死んだが墓参りもしない人もいる、家もいろいろでありカルマがあるからだ
 ただ家は具体的形になっているから受け継ぐというときわかりやすいのである 
 どういう訳か狭い庭に牡丹だけが毎年咲いている、五六輪は咲くのである
 新しく倉庫のような所を壊して作った庭には花が咲きにくいのである
 だからなぜ牡丹だけがこうして咲いているのか不思議だとなる
 私の家は古い家ではない、でも跡継ぐということはこういうことがあるなと思った
 ただたいして金持ちでないにしろ家とそれなりの財産とかがないと跡を継ぐにしても淋しいとはなる
 受け継ぐというとき具体的な目に見えるものだけでもない精神的なものを受け継ぐことがある
 それも遺産なのである、日本精神を受け継ぐとかなればそうである
 そういうものが天皇に凝集しているということが日本の特殊性にはなる


あとがき

七宝焼の皿は売り物である、10万している

 これは令和にふさわしいかもしれない、日の出工芸社となっている
 令和にからんで売れるものがあるし宣伝している
  








posted by 老鶯 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月30日

元号が変わるけどもうグロ−バル化の時代に合わない (天皇の存在は是非は多数決で国民の総意で決められるのか?)


元号が変わるけどもうグロ−バル化の時代に合わない

(天皇の存在は是非は多数決で国民の総意で決められるのか?)

第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

●元号は明治と大正までは時代を現していた

平成から令和に変わるけど何か元号自体が時代にあわなくなっているのではないか?
明治とか大正までは元号が活きていた、それは私の父は明治生まれであり母は大正生まれだからである、そこに元号に親しみを感じる
明治は大きな時代だった、大正はもうひとつ特徴がないが何かそれでも時代の雰囲気を感じる、昭和になると戦争であり戦後は高度成長時代になる
昭和も大きな時代である

ではなぜ元号というのが今時代に合わなくなったのか?
それはこれだけグローバル化ししていると世界的に同時代的に世界の人が生きるようになったからである、元号だとそれは日本だけのことである
天皇と言っても日本だけの歴史の中で活きるものであり世界には通用しない
だからアジアでも天皇が戦争のことで批判されるのである

つまり太平洋戦争で天皇の権威は失墜したのである、それはグローバル化の結果だったのである、元号が変わるということでお祭り騒ぎしているけど何か私自身はそんな時代が変わることを意識しない、平成をふりかえることでも平成がインタ−ネットネットがスマホが普及した時代だというときそれは日本だけの現象ではない世界的なものである
すると平成がインタ−ネットの時代というより世界がインタ−ネットの時代になったとなる、だから元号だけでその時代をみることはできなくなった     

●江戸時代までは元号は活きていた

私は郷土史をみるときどうしても常に古い碑を見て元号をみているから元号に親しみがある、最近では宝暦の碑を相馬市の辻の塩嘗地蔵で発見した、ここが意外と古い場所だと発見した、宝暦の碑は日立木の薬師堂にもある、そこが浜街道であり松並木を通り過ぎた所にある、そこには南無阿弥陀仏の碑がある、宝暦にも飢饉がありそこで餓死した人たちを供養したものかとも思う、南無阿弥陀仏の碑が他にもありそれは餓死なのか死んだ人を供養したものである、何を供養したのかわからないものもある
つまり歴史には膨大な人たちが闇に消えたのである
それで相馬藩で津波の記録で二行だけ溺死者700人いたというのがわかった
それも全く忘れられていた、津波があって発見されたのである
そういう人たちも忘れられて闇に消えていたのである

江戸時代なら元号に意味がある、世界とかかわりがないからである
日本国内のことであり世界の歴史とは関係なく生きていたからである
現代はグロ−バル化して世界と密にかかわっている
するとどうしても国内だけの元号には違和感があるし世界的に通用しないのである
平成でも令和でも何か元号の重みがない、元号が重みがあったのは昭和までかもしれない昭和でも戦前と戦後ではまるで違っているから昭和で統一できないのである
元号でも大同とかというと東北では相当に歴史的に重い意味をもっている
その時蝦夷征服で坂上田村麿が活躍したときであるからだ
大同というのは時代的に日本にとって日本を統一した時代をの元号だからである

ただ元号と天皇は密接に結びついている、特に逆に明治時代には天皇の一世一元が元号になったから逆戻りである、江戸時代は元号を何か大きな災害があるとか変えていたのであるだから明治以後の方が元号は古い天皇の時代に戻っている
明治に天皇をより神格化して日本を統一したとなる、それが太平洋戦争に通じていたのである
天皇の是非は現代のグロ−バル化した世界にはもうあわない、世界とこれだけ密接にかかわるとき日本だけが二つの歴を使用するのはめんどうになる
元号は江戸時代のような日本だけで生活しているようだったら合っていた
これだけグロ−バル化しているのに元号を使用するのは合わなくなった
天皇は日本国民の総意でなり日本国民の象徴だというとき元号も国民の総意で決めるともなるがそうなっていない、秘密のベールの中で決められた  

●天皇が廃止されると全国の神社は維持できなくなる

とにかく天皇の是非は別にして何か元号は時代に合わなくなったのである
だから元号が変わるとしても何かそれで何か変わるとも思えないのである
そういう感覚が時代的に消失している、国民の総意でもそうでくなっている
テレビでは天皇が変わることで煽っているけど本当に国民の総意なのか?
天皇自体がもう国民の総意に合っているのかどうか?
天皇とは国民の象徴ではなくて、日本文化とかの象徴ではないのか?
日本の伝統を担う人ではないのか?

ただもし天皇が廃止されるとどうなるのか?
無数の日本の神社が維持できなくる、なぜなら由来がわからないにしろ神社と天皇は結びつく
だからこそ明治になった時廃仏毀釈がおこなわれて仏教勢力は排除された
それも当然だったのだ、江戸時代に幕府によって優遇されたのは寺であり神社ではなかったからである
天皇は全国神社の代表のようなものでありそこにこそ天皇の重みがあるとなる
天皇が総元締めのようになっているからだ
神社には必ず忠魂碑があることでもわかる、それは戦死者の霊を祭るものである
そこにまた神社の意味がある
神社でも子安神社とかあれば国家とか天皇とは全然関係ない、子供が安らかに育つようにとの願いの神社だからである
神社にはいろいろあっても国家と天皇と結びつくものが多いのである

天皇の是非は簡単には語られない、それは二千年の日本の歴史と関係しているからである
元号もまた天皇と関係しているが江戸時代は必ずしも関係していない、天皇の一世を元号にしていない
何か災害があったり悪いことがあったりすると元号を変えているからだ
それは天皇の一世元号とは違うからである、そういうことは国民の総意でもある
なぜなら災いとか悪いことを起きてくれるなというのは国民の総意だからである
それは支配者だけではないみんなの総意だからである 

●令和はグロ−バル化の中で天皇の役割を模索する時代へ

いづれにしろ次の天皇は令和の時代をどう築くのか?
夫婦で留学して国際派だというときそのことでもグロ−バル化した中での天皇がどうあるべきか模索するようになる
だから平成の天皇とは違ったものになる、代が変われば家でも会社でも自治体でも市長が変われば変わる

グロ−バル化の中で天皇はどうあるべきか?

これが令和の時代の課題だとなる
平成天皇は昭和天皇の反動として国民と同等となり膝をつき国民と対話した、それは昭和天皇との大きな相違だった
昭和天皇は戦前の現人神(あらひとかみ)の感覚がまだ残っていたからである
またもう天皇を受け継ぐ人が皇族が減少していなくなるからもう天皇制は維持できないとも言われる
天皇制を維持する体制自体が消失しているからもう維持できないともいわれる
だから今度の令和の天皇が最後の天皇であり元号もこれで終わりになるというのも現実的である
そういう状況にすでに追い込まれているのである
そして大統領制に向かってゆくのが次の時代だとなる
結局騒いでいるのは官製化したテレビだけだともなる、国民はそんなに天皇というのを重く見ていないだろう
天皇を重く見ていたのは明治から戦前までくらいである、戦後生れでも天皇は一平民のようにすら見ている
何か特別なものとして見ていない、つまり戦争に負けた結果、天皇のカリスマ性みたいなものが消失したのである
それに不満で三島由紀夫は自決した
憑き物がとれた感じになったのである

そもそも戦前は戦争の時は政教一致だったから政教分離になった、それは天皇が神だとしたら戦争に負けるわけがないからである
それは創価とかカルト宗教団体でもそうである、選挙に勝つか負けるかが仏法で決まるとしたらもし選挙で負けたら仏が負けたとなるからだ、現実に天皇が戦争に負けてその宗教的権威も喪失したからである
天皇は政教分離して国民の象徴となり政治には直接かかわらないようにしたのである
それは戦前の過ちをくりかえさないためである、政教分離にしたのである
でも創価などやカルトは政教一致であり憲法に違反している、選挙は仏法による戦いなのである、勝てば仏法の勝利であり負ければではどうなるのか?仏法の敗北かとなるからカルトなのである
日蓮宗団体は国家と一体化しやすいのである、現実に教義では仏法が国法り国より上だとしているからだ

それは近代国家では違法なのだけどカルトなのだけど容認されている、天皇にもそうした神格化の危険がつきまとっている
国民の総意で別に戦争にも総意になる、すべて国民の総意で決定されることも危険なのである
つまり根底になにがあるのか?それを歴史的に経験したのがナチスだったのである
国民の総意ほど危険なことはないことはを証明したのである、国民の総意には何ら根拠がないのである
数が多ければ何でも通るというだけなのである、選挙に勝てばすべてが通る、国民の総意だからだとなる
それが全体主義ファシズムになる、数さえ集めればすべて通るとなるからだ
だから天皇が国民の総意でどうにでもなるとしたら国民投票でその是非を決めればいいとなるのである
それが民主主義だとなる、国民の総意というのが絶対的になるのが正しいのか?
これも疑問なのである
posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年04月24日

スリランカの複雑な歴史 (人種の宗教のモザイク模様ーその一人と田舎で接した記憶)


スリランカの複雑な歴史

(人種の宗教のモザイク模様ーその一人と田舎で接した記憶)
ポルトガル植民地時代にはムーア人に対する大規模な迫害が行われ、多くの人々が中部高地地帯や東海岸へと逃亡した。これらの地域では、現代でもその末裔が多く居住している。
スリランカは仏教国である、ヒンズー教もあるにしても仏教国である
それはタイとかカンボジアとかチベットとかインドの周辺国が仏教国になった
中国だって韓国とか日本でもそういう文化圏にあった
インドは古来のヒンズー教にとどまったのである
イスラムとかカトリックとかこれは極めて少数者であり一割にもみたない、ほとんどが仏教徒なのである

その少数者である人種の中にムーア人がいた、

シェイクスピアの時代、文学や芝居に登場するムーア人やトルコ人は、憐れみや慈
悲の心を持たない存在、すなわち、キリスト教世界にとっての他者として表象されて
いた。

アフリカのムーア人とかトルコ人は悪魔とされていた、そういう偏見は古いのである
キリスト教とイスラム教の対立はすでに十字軍から始まっている
オスマン帝国でもその対立は最大化した、イスラムの方が先進国だったときが長かったのである、そこは見逃されている、イスラムとういと何かテロとか無謀な野蛮人のように今では見てしまうが歴史的にはキリスト教徒の方が十字軍のように野蛮だったのである
ヨ−ロッパ人の女性がイスラム圏で5ドルくらいで売買されていたという時代があった
イスラムの栄光の時代がありそのためにヨ−ロッパに対して特別の感情をイスラム圏ではもっている、それは韓国と日本でも韓国があれぼと日本に対して特別の感情をもつのとにている、俺たちがもともと日本にいろいろ教えてやった、俺たちが日本より進んでいて教えてやった、もともと日本にあるものは韓国起源だったというのとにている
もちろん中国も日本の戦争で蹂躙されたときもそうだった、中国が文明を日本に伝えたのとなったのである

スリランカはこうして人種と宗教の坩堝である、その少数者としてムーア人とかがいて虐げられているということがある、そもそも生活習慣も違うからそりが合わないのである
そこに根強い対立が生まれる、それは宗教だけではない、宗教はそうした対立を先鋭化しているのである、日常生活で差別されているという不満があればそうなる
それはアメリカとか中国でも多民族国家で起きる、日本では単一民族として世界史的にもありえた、でも世界では人種が混交して歴史が形成されてきたのである
日本がも確かに古代では様々な民族が人種が集まり形成されたととしても同じ民族なのである、何かこうした人種で分けられることはないのである、みんな日本人なのである
だから激烈な争いにならない、戦争がっても敵を皆殺しとか殲滅することはないのであるそれで中国人が敵まで祭っている墓がある明治維新の争いのことでありえないとしているのである、なぜなら中国では敵となったものなら墓を暴いてでも罰してるいるからであるそれほど民族が違えばその争いは容赦がないものとなるのである

世界史では大国となった国はそうした人種の争いとか民族の争いとか宗教の争いとかいろいろ経験している、それで民族同士の融合を計る、そういう歴史の積み重ねがある
日本がには島国でありそういうことがない、でも明治維新から150年過ぎてグロ−バル化で物だげではない、大量の外国人労働者が入ってくることで人種とか民族の混交をはじめて経験しているのである
日本には江戸時代は鎖国だし島国でこんなに大量の外国人と直接国内で交わることはなかったのである、明治に外国人が入ってきたとしてもそれは一部の技術者とか知識人とかであり極わずかだったのである
こんなに大量に一般庶民までが国内に入ってくることはなかったのである

そこで何が起きるのか?

世界史的に大国でも小国でも人種の混交、民族の混交、文化の混交・・・が起きてくる
もしグロ−バル化でも物だけが入るならこうした軋轢は起きないのである
生身の人間が入ってくることとはまるで違ったものになる
だからこそ様々な軋轢が生まれテロになったりする、ニュージランドでキリスト教のテロがありイスラムが報復したというのもそれはやはり十字軍以来のキリスト教とイスラム教の対立が尾をひいている
それはイスラムがキリスト教圏の下位にされていることの不満でもあるのだ
でもそれはテロでは解決できない、イスラムが再びヨ−ロッパとかでも優位にたつ文明形成をしなければできないのである

日本がなぜ太平洋戦争で失敗したのか?
それは日本にはグロ−バル化する思想もないし世界史のなかでこうした人種とか民族の混交した世界を経験していないのである、天皇を神とする皇国史観では世界に通用しないからである、それは一民族の神であり人種を越えた民族を越えた神とはならないからであるそれを越えた世界政治思想がないと対処できないのである
ただ外国人労働者がこれだけ入ってくるとういことは是非はともかく日本ははじめて庶民レベルで人種の混交とか文化の混交とかを経験しているとなる 

一人の外国人が日本に入ってきて働くことはそのこと自体がもう日本一国だげではないグローバル化が政治でも思想でも文化でも迫られることになる
それが日本を破壊するとなると人は入れるべきではないとなる
人は物ではないからグロ−バル化でも全然違ったものとなる
だから日本人と給料でも同じくすべきだとか待遇も同じくすべきだとかなり法律までできる、そうならざるをえないのである、人が直接入ることはそういうことなのである
それは世界的共同性の追求になるからだ
一つの大きな世界的共同体の形成になるからだ
もし日本が世界をリードするというときはそうなる、でもそれができなとなるなら無理ならそうすべきではないとなる、それは大国にまかせて従属すべきだとなる
それは物凄い重荷となるからである、太平洋戦争はそのために300百万人死んだ犠牲だったのである、日本には世界に進出したがそれだけの力がなかったとういことなのである

フェルナンド、ポルトガルの王の名
スリランカより我が田舎の町に来たる人の姓
コロンボに住むキリスト教徒
そはスリランカを語りて
数年ここに住みスリランカに去りぬ
そはこの田舎にありしを記される 

何かこれもふりかえると一つの田舎に記した歴史だともなる
その時私は外国に行ったことがなかった、それから世界旅行をしたのである
ただ私は遅かったのである、外国を知らなかったのである、それが失敗だった
外国を知るにはやはり留学とか住んでみないとわからないことがある
国際性は旅行したくらいでは育まれないのである
その後十年は介護で外国も旅行もしていないのである


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2019年04月23日

宗教はどうなってるのか訳わからん? (スリランカのテロの恐怖―ノートルダム焼ける)


宗教はどうなってるのか訳わからん?

(スリランカのテロの恐怖―ノートルダム焼ける)
                                            

宗教はわかりにくい、なぜ仏教徒が武装集団になっているのか?
日本がにはそんなことがないというけど別に最近でオウムの仏教派があんな怖いテロ集団だった、宗教は歴史的に仏教だって僧兵がいたし武士の起こりは僧兵だったという歴史家もいる
なぜ信長が比叡山の僧侶集団と対立したのか?
それは権力を僧侶集団が握っていたからである
そういうことは今でも日蓮系の組織集団にある、日蓮宗は国粋主義であり武装集団にもなり安いのである
創価などはそもそも組織が軍隊組織であり序列化して臨戦体制にある
戦争の準備すらできているとなる、なぜ参謀などとかいるのか?
それは権力を得るために組織であり武装も辞さないと前はなっていたからである
日蓮系統はそういう過激なのが多いのである

ヨ−ロッパでも宗教は政治化して権力をもったからこそ政教分離が生れた
それでノートルダムが火事でやけたとき今度は市民が寄付された一千億の金を底辺層に回せデモしている、その金は富裕層の税金逃れだとしているのも何なのだろうとなる
普通だったらキリスト教徒が多いという時、それに反対するとは思えないからだ
これもすでにフランス革命はカトリックの政治支配からの脱却のためであったことがあるから宗教に金をかけることに不満だったということもわかる
そして現実にヨ−ロッパでも教会に行く人は相当減ったとなっているからだ

宗教だと対立すると深刻になりめんどうになるから人権主義(ヒューマニズム)になったのである
自由、平等、博愛の博愛とはキリスト教に基づくとしてもあくまでも相手の宗教を問わない博愛、博識というように博とは宗教にこごわらない広いという意味である
今回のテロでもその背景は不明だしスリランカの国の歴史も事情も複雑なのである
おそらくその背景にインドとか中国とかもからんでいるとなると複雑である
そして外国人用の高級ホテルがねらわれたというのもまた宗教だけが原因ではない
スリランカは貧乏であり高級ホテルに泊まる人を良く見ていないことはある
そこにグローバル化で格差を具体的に思い知らされるからである

スリランカの人がこの辺で働いていたけど指を切断した、外国人労働者、技能実習生は機械で良く指を切断している、それは何か共通している、それが悲惨だと見た
最近はネパールとかベトナム人が多い、中国人は今は豊かになっているからなぜ日本に来るのだろうと思う
宗教の前にそうした格差がありそれが引き金となりテロになるとそれを喜ぶ人もいるかもしれない、共感する、イスラムのテロは貧乏がかなり影響している
グローバル社会は格差がまざまざと見せつけられる、グローバル競争に敗れたものはその国民でも奴隷のようにされる、昔のような奴隷でないにしろ実質的に奴隷のようにされる日本がだってインパウンド観光でそうなっている
外国人の方がデパ地下でいい高い弁当を買い日本人はスーパーで夜に安くなる惣菜弁当の奪いなわいになっているという報告でもわかる
つまり外国人をもてなす側になり下僕にされる、今や外国人優先であり金のない日本人はまともにホテルにも泊まれないとなる

こうした宗教テロは宗教だけが原因ではない、背後に大国が動く、インドや中国やアメリカも動いている、そうした小国はそうした大国の影響でずたずたにされる
ベトナムでもそうだし朝鮮でもそうだしシリアでもそうだった
そうして日本がももし小国になると中国とアメリカとロシアによってずたずたにされる
それが敗戦のときにロシアが北海道をとり分断される危機だったのである
だから日本も弱小化してくるからそういう恐怖があるのだ
中国が巨大化してくるとその危機は一層大きくなるのである
明治維新の時も日本が分断される危機だったと日本は国として統一されたのである
スリランカが二千万とかの人口になるとあれだけのテロで死人がてると国の崩壊の危機にもなる、するともともとスリランカは統一国家として維持するのが無理な国だともなる

宗教は純粋に宗教ではない、組織集団化するとそれは一つの権力集団になり他を威圧するようになる、エホバとかでも何の集団なのだろうとかなり統一教会などは韓国系であり政治的団体化する、エホバでも背後にアメリカがかかわりアメリカから資金が流れてきているのかとかんぐる
教会でも資金の流れを見ればアメリカが関係しているかもしれない
宗教とは人間は別に国家と関係なく死があるのは共通している
その死をどうして克服するのかというのは別に国家の問題とは関係ないのである
個々人に共通したものでありその信仰は集団とか組織で解決しないのである
会員になったからといってそれでも解決しない

そうなら楽だからである、それは他人まかせになり他人に従属して奴隷となることなのだ宗教の場合、一億人十億人信者が生まれたから仏国土になると天国になるとか全くない
むしろそうなったときもう本来の宗教はない、俗化した欲を満たすだけの宗教になっているのだ、だから権力を得るために武装でもする、その背景に貧乏がありその不満が富裕な外国人に向けられるのである
それは日本国内だって同じなのである、そういう不満が大きくなれば国自体の平和も保てなくなる、富裕層だって安心できない社会になる
だから中国で共産党幹部が恐れているのは民衆だというのもわかる、いくら幹部が富豪となっても民衆が反逆してきたらたちまちどん底におとされるし殺されたりもするからである

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2019年04月03日

新地町の文禄の碑は検地のためだった (元号が地名化した例)


新地町の文禄の碑は検地のためだった

(元号が地名化した例)

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日刊現代2019−4月3日号

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日刊現代で元号が地名化している例をあげている
明治、大正、昭和がある
それは耕地整理で移転した人たちがいてその人たち住む場所を明治とか大正とか昭和にした、何かと土地の整理と関係していた

だから新地町にあったただ「文禄」と記された石碑は検地が行われたときの記念なのである、伊達藩では相馬藩より早く検地が行われていたからである
相馬藩では文禄の碑は見かけないからである

ただ元号が地名化するというのは普通はない、ただ福島県に昭和村とかある

1927年(昭和2年)11月23日 - 野尻村、大芦村が合併、昭和村となる。

1926年に昭和が誕生したのだからその時の記念に昭和村になった
だから令和と名のつくのがこれからできるのかとなる。

検地の記念の碑が各地に多いことは確かである
葛尾村の落合の墓地に記されていた明暦と元禄は古いがやはり検地を記念にしたものらしい、なぜならそれは墓ではないからである

江戸時代から戦前でも農業中心の社会である、するとどうしても土地と関係して地名でも名付けられる、耕地整理は常に行われてきた
この辺は津波の被害とか原発事故で小さな田とか畑でもやめる人が多くなった
それでそこがソーラーパネルになっているのを見かける
ただ土地をもっているだけでは何のや利益にもならないからである

平成(へなり)という地名があったとしてもそれはへいせいの音ではないから平成村とか平成町は生まれていない
江戸時代までは元号しかないのだから元号に意味があった、歴史の記録だった
だから必ず墓でも古い碑でも元号を見て時代を見る
でも現代は元号からだけでは時代は見えない、西暦の時代だからである
この人が昭和生まれだからと言ってそこからその人なりを見ない
西暦何年でこの人は私より年上であり年下でありそういう時代を生きたのかと見る
そして昭和は戦前と戦後とまるで違っているから時代を見れない
戦前と戦後に明確に分けられる、昭和になっていると時代がかえってわからなくなるのである

だから元号はもうゆきづまっている、これから採用されるかどうかすら国民的議論になるかもれない、それはまた天皇制をどうするのかということにもつながる
元号で活きていたのは明治と大正までだったとなるかもしれない
でも大正は中途半端な時代だった、それでも私の父親が明治生まれであり母と姉は大正生まれだから親しみがある
つまり団塊の世代までは元号にまだ親しむが昭和とか平成とかさらに令和でもどうなるのか?必要性も感じなくなるかもしれない、元号にもいい点があるにしてもグローバル化社会では通用しないともなる 

でももしこれから時代が変わり中国がアメリカより大きくなり日本も中国寄りになると
元号でも「華和」とかなったりするかもしれない、そうすると中国が喜ぶからである
中華の華と大和が和でもって一体化するともなる
ただ中国ではすでに元号は廃止している、そういう政治的意図とかの元号は中国自体廃止しているのだからありえないともなる

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2019年04月02日

令和になぜ違和感があるのか? (「英弘」「広至」「万和」「万保」よりは良かった)


令和になぜ違和感があるのか?

(「英弘」「広至」「万和」「万保」よりは良かった)


新元号の候補にあがったものとして「英弘」「広至」「万和」「万保」があったと報道された、これも何か違和感を覚える
万というのは江戸時代とかに使われる感じで斬新さがない
「英弘」「広至」はユニバーサルということで現代的なのだろう
英知を弘める、広きに至るとかなる
本当にまず令和というのは意外だったのである
国文漢文関係の学者でも専門家でも意外だった
だからこの字がなぜ引用されたか不思議だとなる
著名な万葉学者が名付けたというが令という字は漢文が典拠だとてしている
月令というのが使われているからだ

それそれ令というからイメージされるのは典拠になった万葉集の文をイメージする人はほとんどいないだろう、国文学の関係者でふらそうだったのである
だから最初何なのだろうといぶかうのが普通である
今まで一度も元号に使われなかったということでもそうである
元号には何かしら意味と期待がこめられて作られてきた
大同などは坂上田村麻呂が活躍した蝦夷征服のために日本を統一するために大同になった大同とはこれも中国の思想にある、その思想に基づいて日本の統一のために使われたのである

今回の元号は令という意味を深く詩的にでもくみとればいい元号となるのかもしれない
でもそこまで庶民は意味を汲み取れないのである
それで令は命令であり上から目線で阿部首相が選んだとか批判される
それは何か令は古典を典拠にしてもその意味を普通は汲み取れないからである
汲み取ればいい元号になっているのかもしれない、そのことを書いた

令は明らかに冷をイメージする、それは冷たいなのである、すると現代的にはクールであり格好いいとかなる、クールジャパンになるのだ
そしてどうしても上からの命令に従って和がありうるとかにとる人もいる
それは令というのがどうしてもこの一字から古典の出典からでもイメージできないからである
それは他のものと重ならない、重複しないとすれば新鮮なものになっている
でも令一字から意味を汲み取ることはむずかしい

ただ意味を汲み取るとしたら庶民的には普通にはクールになる
クールに冷めた時代になれとなるのか?
月令とあるように月と関係している、月はクールだからである、太陽とは正反対であり陰陽にすれば陰である
それでも今年の新年から月を見ていると満月がありそれが震災から8年過ぎて何か明るくなごむものがあった、それはやはり8年も過ぎたからである
そのことで令和というのがいいものだとも見た

しかし一般的には何か違和感が大きい、でも候補にあがったものよりは比べるとこの令和というのは希少価値があり良かったのかともみる
これまでの元号に使われていないということで斬新だったのかともなる
まず「万和」「万保」は江戸時代的で元代にあっていない
「英弘」「広至」は現代的であるからこの二つから選ばれたら庶民でもなんとなく漢字からイメージできる
でも令だけはなぜこの四つの候補とは異質すぎるのである
そしてこれに決められたというのはなぜだろうとなる

ただ令というのが冷でありクールだというイメージがある、月はクールだから私自身は意味としてはいいものだと見たし震災からクールになり落ち着く時になったとも思うからだやはり東日本震災はあまりにも大災害でありこれをクールに客観的にふりかえるのには時間がかかる、すると8過ぎてクールにふりかえり考察するようになる
そういう点で令和があっていたのかとなる


@「命ずる」、「いいつける」

A「法令などを世の中に広く知らせる」

B「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」

C「のり(法律、規範、おきて)」(例:律令)

D「布告書(広く国民に知らせる書類)」

E「いましめ(前もって注意する事)」、「教訓(教え)」

F「おさ」、「長官」(例:県令)

G「よい」、「立派な」、「優れた」 (例:令名)

H「他人の親族に対する敬称」(例:令兄)

I「皇后、太子、諸侯などの命令文」  

令という文字がひざまづくとかその上に冠をしたとかから成り立つとそれは上の命令を従順に聞きしたがって和があるとなってしまうそれも何か違和感がある、どうしても一般的にはそういうイメージになる  

家令(かれい)とは

明治時代以降の日本において、皇族や華族の家で、家の事務や会計を管理したり、他の雇い人を監督した人[1][2]。執事。バトラーを参照。
律令制において、一品以下四品までの親王・内親王、職事三位以上の公家の家に与えられる家務を総括した職員[1][2]。あるいは、そのような公的家政機関の長官[2]。けりょう。家司を参照。 

何かこうしたものとして令が使われている、 

B「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」 

この意味にとる人が多いことは確かである、万葉集からとったとしてももともと中国の古典に由来しているという時そうなる
何か万葉集の古典からとったから庶民的だともならない感じなのである
ただ月令とかと結びつくとき月をイメージしていいものだと私は感じたのである
人間はその時々の心境によって自然を見る目を違ってくる、だから今年は月令はまさに落ち着いてより平和を感じたからである
でもそこまで一般的にこの字から感じ取ること意味を汲み取ることはむずかしいから何か違和感がある

しかし平成とか昭和でも別に時代にあっていない、和を昭かにするとかなるが戦前の昭和は争乱であり戦争の時代である
平成にしても最後の十年は東日本震災であり全く平成ではなかったのである
明治だけは一番元号としては時代にあったものであり明治時代は日本にとって時代的にはいいイメージがある
明治から大正となるとまた違った雰囲気を感じる、時代的にも退廃してきたとかともみる
それでも父が明治生まれであり母は百歳生きて大正生まれだから親近感をもつのである
いづれにしろいくら元号が何か期待してもその期待とは裏腹にもなってきたのが歴史だった
だから元号にこだわるのもまた元号が何か社会を変えるということもないのである






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2019年04月01日

新元号は「令和」 (意外と時代に合った良い元号なのかも)

新元号は「令和」

(意外と時代に合った良い元号なのかも)

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「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」から引用したものであります。

鏡前の粉…女人が鏡の前でよそう白粉。梅花の白さをいう。
蘭…蘭はフジバカマだが、広くキク科の香草をいう。ここでは梅と対にして香草をあげた文飾で実在のものではない。
珮後…珮は本来帯の飾り玉。ここでは身におびる程度の意。

蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす...実景ではない、詩的創作である

梅の花がふんぷんと匂い、珮後に蘭が咲きとか花が咲き交じりそこに花の匂いに満たされる、阿部首相がそれぞれの花を咲かせる平和な時代であって欲しいということを記者会見で言っていた
やはり時代としてはそれぞれの花を個性を活かす文化の時代を言ったともなる
それで文和というのを私は挙げた、文化の時代になると思うからである
ただこの令は予想外だったし誰も予想してなかったから意外だった
何か最初違和感を感じたのである

でもそれなりに調べてみるとなるほどと思うこともあった

嘉辰令月 無極 万歳千秋楽 未央」の詠み

「嘉辰(かしん)令月歓(よろこ)び極まり無く

   万歳千秋楽しみ未だ央(なか)ばならず」

★「かしんれいげつ よろこび きはまりなし、
  ばんざいせんしうたのしみ いまだなかばならず」 
  
  1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。

大辞林 第三版の解説

れいげつ【令月】

@ 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。
A 陰暦二月の異名。

精選版 日本国語大辞典の解説

れい‐げつ【令月】

  
  
  
禮記卷六 月令 東風解凍

東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來。

東風凍とうを解き、蟄虫ちつちゆう始めて振うごき、魚冰こほりに上のぼり、獺だつ魚を祭り、鴻雁こうがん来きたる。

【通釈】正月には東風が氷を解かし、土にもぐっていた虫が動き出し、魚は氷の上に姿をあらわし、かわうそは魚を岸に並べて祭をし、鴻おおとりや雁が飛来する。

「月令」(「がつりょう」または「げつれい」と読む)は一年間の暦や恒例行事、季節の変化を月順に述べたもの。『呂氏春秋』の十二紀とほぼ同じ記述である。引用部分はその冒頭、孟春之月(旧暦正月)における自然の変化の特徴を述べた部分である。「東風解凍」を踏まえた和歌は夥しい数に上る

「月令」があるから例がないというわけではなかった
ここでも月のことだった、最初なじめなかった、意味もわからなかった
ただクールムーンなのかと思った
これが国民になじめるのかと思った

ただ新年になりずっと月をみているとなごんだ、それが満月となり穏やかに感じた
それは津波原発事故から8年すぎたからである
その時間がすぎてようやく何か月を見て平和を感じたのである
それで俳句にしたりした、その月を満月を見た感じは 

凍りゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く(大江匡房『詞花集』)

この感じである、凍てりついた風景も心の傷も何か穏やかになり癒されるという感じになったのである、それは歳月がそうさせたのである
それでこの元号もいいのかなと思い直した

平成とは全く平成でなかった、もう津波原発事故で大災難の時代になったのである
平成の記憶はもう悲惨な戦争の時代と同じだった、それからバブルの崩壊とかもあり日本は停滞した失われた20年と2になっていた氷河期世代も平成である 一身上でも平成の三〇年の後の一〇年間は介護や病気で惨憺なる状態だった
もう責められるだけの地獄の世界を経験したのである

ともかく人間は世代によってどういうふうに生きるのかどういう時代になるのか違っている、まず明治とか大正とか戦前の戦争から戦後の生きた人たちは激動を生きたのである
だから昭和でも戦後生まれは平和の時代を豊かな時代を生きたとなる
特に団塊の世代は高度成長時代を生きたので余計にそうなっていたのである

梅の花匂い放ちて夕べ散る満月照らし心おきなし

紅梅の匂いに満月美しき盛りの時や幸にめぐまる

月影に浮かびしもあれ死にしもその面影や彼岸となるかな  


こんな歌を今年は作った、やはり令月の気分が出ている、令和にふさわしい気分である、だから最初はこれは何と思ったが意外といいものなのかもしれない、自分にもあったものなのかもしれないと思った
ただこれは賛否両論がかなりある元号だと思う、何か最初違和感を感じたからである
ただ自分の心境に照らし合わせると意外と合っているなと見直したのである

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一世一元制は明治からはじまった (日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


世一元制は明治からはじまった

(日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


年号(元号)は、漢の武帝の即位した紀元前141年の建元元年に始まる。それ以後、各王朝の皇帝は、祥瑞(めでたいしるし)や天災を機会に年号を代えてきた(改元)。改元は皇帝の権限であった。明を建国した朱元璋は、洪武という年号を立て、皇帝一代一元として絶対に改元をしてはならないと定めた。皇帝は死後、廟号として太祖といわれるとともに、元号によって洪武帝と呼ぶ習慣ができた。これ以来明、清の皇帝はいずれも一世一元の制を守っていく。

日本でも明治になって一世一元とされた。一世一元制はまさに皇帝の絶対権力の成立とともに始まったもので、

 彗星が接近したら改元(例:久安・宝徳など)

・戦乱が起きたら改元(例:応仁・享禄・天正など)

・火事や大噴火が起こったら改元(例:明暦・宝永など)

・他にも将軍の改元、江戸城が燃えたから改元、山崩れのため改元、などなど


元号というとき常に私は郷土史を知るために墓地とか石碑でもまずいつの時代かをみる
江戸時代だったら必ずマークしてここは古いなとかみる
でも元号をみて天皇を意識したことはないのである
元号で意識するのはその元号の時代に何が起きてどういう時代だったのかを知りたいとなるが容易ではない
例えば大同というのは東北では重要な元号である
それはその時代に蝦夷征服を大和朝廷で推し進めていて坂上田村麿が活躍した時代だからである、それで田村市とあるとそこから市の名前になっている
相馬市も南相馬市も相馬市一族が千葉方面から移住して支配したからその名になったとにている

また文明となるとこの時飢饉があり相馬藩で三分の一の所帯が減ったから常にマークされる、それは文明という元号が大事なのではなくその時起きた大惨事故に記憶されているのである
明治以降でも太平洋戦争だと昭和になる、でも戦後の昭和は高度成長の時代であり平和の時代を享受したのである、だから戦後はもし江戸時代だったら改元している
ところが一世一元になっていたから変えられなかったのである
そうなると元号から時代を見ることがむずかしてなる、なぜなら戦前と戦後とはまるで違った社会となっていたからである
アメリカの民主主義を全面的に取り入れた社会になったからである

歴とは元号とはその時代に何が起きたかどういう時代の特徴があるのかが肝要なものとなる、それの目安としてある
それで天変地異があったり戦争があったり何か大きな事件があったりすると改元したというのはその方が歴史にとって重大なことだからである
つまり歴史にとって元号とはあくまでも時代の目安となるものであり何か明治以降は強力な天皇制が全面に出たから時代が逆戻りしたのかともみる
古代では天皇は現実に神になった、でもその後は江戸時代などは天皇の名前すら知らないとか京都で貧乏暮らししていたとかなる、実質の権力は政治は武家によって行われていたからである

だから明治以降は日本の歴史は古代に返ったとなる、尊王攘夷思想でも天皇を前面に押し出すものとなりそれが西欧化による対抗手段として用いられたのである
そのことが尾をひいて太平洋戦争に天皇を御真影として神として300百万人が死ぬ犠牲を払うことになった
これは実は歴史の逆戻りだったのである
明治といえば明治天皇時代であり大正でも昭和でもそうである

一世一代の元号の利点は江戸時代の年号をみればわかる、5年で改元されたとかあまりにもその年数が短すぎるから元号で歴史をたどると細分化されているのでわかりにくくなる特に幕末は変わりすぎたのである
だからなぜもし元号が日本の歴史に必要だというのはわかるとして一世一元の元号にするのくだろうか?
それは天皇の権威を保つためだともなる、そうしないと天皇の権威が失われるからだともなる

元号より西暦でもその数字よりその時代に何が起きたのかどういう時代なのか知るか事が重要である、それによってその時代をしる、西暦でも元号でもそうである
キリストが生まれたときから西暦が始まるのだからキリストが生まれたという大事件がそうさせたのでありイスラム教になるとモハメッドが生まれた年だとか釈迦が生まれた年をはじめとするのもそのためである
一世一元の元号にも利点がある、天皇と同時代を生きる感覚が生まれる
それでそのことを書いた、明治とか大正という時代になると私の父が明治生まれで母と姉は大正生まれでありそれでその時代に親しみを覚えているからだ
でも元号で天皇を呼ばない、明治以降だけ元号を天皇が生きた時代として現すようになったのである

ただ昭和となると何か親しみがないというか時代が長すぎるとなったのである
つまり頻繁に改元するのも良くないが戦後は改元するべきだったとなる
なぜなら江戸時代まではそうしてきたからである
古代の神のような天皇を継続させる時代ではなかったけど日本が西欧列強に植民地されるとかの危機感から古代の天皇に逆戻りしたとなる
何か日本を統一するのに天皇はどうしても必要になったからである
天皇とは何かとなるともともと政治的道具として権威として利用されてきた経緯がある

ともかく元号を継続するのか?天皇制を継続するのか?
これも曲がり角に来ているとなる、でも二千年つづいた元号を簡単に廃止はできない
それが日本の文化だという時、天皇制ともまた違って元号の意味を考える時なのかもしれない、天皇とあまりにも深く結びつくことは象徴天皇制の時代に合わないのである
なぜなら明治天皇とか大正天皇とか昭和天皇の時代となり天皇が中心となる歴史に逆戻りするからである
つまり歴史を作るのは天皇ではない、その時代を作るのは天皇ではないからだ
だからこそその時代に起きた天変地異とか戦争でも大事件でもそうである
この辺では東日本大震災と大津波と原発事故により時代がまるで変ってしまった
だから津波前と原発事故前と後で時代が変わったから元号も変わってもいいとなる
ただ江戸時代のようにそうして頻繁に元号を変えるのも問題だとなる
そうなると西暦の方がいいともなる

だからこそ戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違ったものだから元号を変えてもうたいして事件も起きなかったのだから元号を変えない方が歴史をみるには良かったのである
天皇が時代を作るわけでもないからである、そして元号を秘密裏に決めるとかも何か民主主義にかなっていないのである
この権限は政府にあり天皇になるとかなる、ただ天皇は元号を決められない時代になったすると誰が元号を決めるのか今の政府が秘密裏に決める、そして何か今の政府の権威を高めるイベントにするともなる
もちろん私は日本古来の伝統文化を維持し復古させるべきだという立場にある
でも天皇制を今のように維持するのかとてるとそれは別な問題になる
元号にしても歴史的に一世一元ではないしそういう趣旨でつけられた元号は今までなかったからである、そうしたら二千年の歴史的伝統に反していたとなるからだ

それで思い出すのは都築詠一氏があれほど昭和天皇を批判していたのか?
強力な武闘派の極右とも見えたのになぜなのか?

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる(キーワードー都築詠一) 

なぜこれほど光厳天皇をほめていたのか?それは南北朝の争いで光厳天皇が自ら蟄居して深く反省したからだとしている
それに反して昭和天皇は自分の命が助かりたくてGHQに命乞いしたとか痛烈に批判していたのである
それが極右なのになぜだろうと良く理解できなかったのである
普通は極右だったら天皇は批判しないからである、だから一世一元制にも反対したともなる
ただ今や日本人にとって天皇とは何なのか?それも問い直されている
それはマスコミとかでは表立って言わない、だからまともな議論にもならない、何か日本が危機になる時天皇が問題になる
南北朝時代がそうでありまた明治維新の時もそうだった、錦の御旗が強力なものとして勝敗を分ける
官軍と賊軍に分断されてしまうのである、それが日本の歴史だったともなる

でもそれが今後適応されるのか?日本は混乱が生じると天皇を担ぎ出す、それが権威となるからだ
だから今は自民党がそうである、これはいい機会だとして政権を強化するものとして利用する政治的意図が働くとなる
かといって元号は日本の歴史そのものであり文化だというとき否定するのもむずかしいしメリットもある
そういうことで元号は日本の歴史とかをふりかえる話題として良かったとなる
そして元号がなぜ維持されているのか?
それは日本が漢字圏であり漢字を使用していることにあった、漢字二字で深い意味をもたらす、漢字一字一字にも深い意味があるからだ、でも中国では元号は廃止された、それは共産主義国家になったからである
王朝を否定するものだからそうなった、日本では天皇を象徴制として維持するのはやはり日本の歴史と文化の継続のためとしてあるからだともなる



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2019年03月31日

新元号は何になるのか (元号の意味とは何なのか)


新元号は何になるのか

(元号の意味とは何なのか)

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日本の元号の意味は何なのか?その歴史は天皇の歴史とともに始まっている
だから日本の歴史は万世一系の天皇の歴史だとなり特殊だとなる
元号というとき私は郷土史を知るために必ず墓を見て歩いてきた
今日も大内村の隠された墓地を発見した
そこに墓誌があり元禄からの先祖が記されていたのである
元禄までたどることはなかなかこの辺ではむずかしいし記されていない
だから墓でも必ず江戸時代のものがあるのか、古い碑でも江戸時代のものがあるのか
必ず見ている、ただその元号でもわからなくなっているのがある
一番多いのは天保から明治にかけての幕末である
その辺の元号は細分化されている、だから元号というのはわかりにくいのである
元号からその時代をイメージすることがむずかしい

ただ何か元号でもその時代に特筆するものがあれば覚えやすい
元禄というとき何か日本が新田開拓で米が多くとれるようになって豊かになった時代になったとかある
その時代の代表的人物として芭蕉が存在した、俳句が庶民のものとなるとき裕福になった商人がいて俳句を作るようになった、芭蕉はそうした俳句をたしなむ裕福な商人の家に泊めてもらったりしていた、そこで俳句を指導していたのである
元禄というとそうした華やかな時代をイメージはする
ところが葛尾村の落合という所に墓が夏草に埋もれてあった
そこは山の中でありこんなところになぜ元禄の碑があるのかと不思議だった
そこには明暦とも刻まれていた、それは新田開発した記念の碑だったかもしれない
そんな山の中に元禄の碑があるのかとなる
それから相馬市の松川浦に近い新田にも元禄の碑があった
そこは津波が来た所である、それほど被害はなかったが津波の被害があった

その他で何か元号はわかりにくい、でも元禄の前なのか後なのかで区切りがある
それから天明は飢饉の時代だからその前と後では区別する
そして最近では良く津波があって慶長地震のことが盛んに言われ津波のことも言われるから慶長時代で区切ることになった
ただ文禄慶長の役があり朝鮮征伐とかが秀吉の時代にありその文禄の碑を新地の神社で発見されたことは新鮮だった、なぜなら相馬藩より伊達藩の歴史が古いから文禄が発見された、でも相馬藩では文禄の碑を見たことがないからだ
そしてただその碑には文禄とだけ記されていた
何か葛尾村の元禄の碑も検地がありその記念でありこの文禄の碑も検地が行われてその記念として建てたのかもしれない。

文化ぶんか1804/02/111818/04/21
文政ぶんせい1818/04/221830/12/09
天保てんぽう1830/12/101844/12/01天保の改革
弘化こうか1844/12/021848/02/27
嘉永かえい1848/02/281854/11/26
安政あんせい1854/11/271860/03/17安政の大獄、安政の大地震
万延まんえん1860/03/181861/02/18
文久ぶんきゅう1861/02/191864/02/19
元治げんじ1864/02/201865/04/06
慶応けいおう1865/04/071868/09/07慶応の改革  

この辺は一括して幕末になる、なぜなら天保というとき明治になって新島襄などが天保生まれだからである、幕末がこのように細分化された元号になっていることがわかりにくくしている
この時代は昭和のように幕末として一つの元号にした方がわかりやすかったとなる
それで昭和になって天皇一代で一つの元号化することが法制化された

年号とは何なのかとなるとめんどうになる、ただ年号のいい面がある
西暦にすると数字化すると無機質的になる、ただその方が世界史を学ぶとすると世界共通になるからわかりやすいのである
元号とは日本が天皇の歴史を国の歴史としているからありえた
でもそれがグローバル化した世界で通じるのかとなる

ただベトナムが越南と呼ばれて大正という元号が使用されていたことはベトナムが一時
中国の漢字圏にあり日本と共通していた、中国周辺国家として歴史を共有していたことになる、それでベトナムに親近感を覚える、韓国は漢字がないことで何か共通の歴史と文化を継いでいるという感じがなくなる、今はベトナムはもう漢字は全く使っていない
漢字は中国と日本でしか使っていないのである

元号というとき明治があるがこれは明確に時代を画したので明治というときその時代を彷彿とするものがイメージできる
それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」がありえた
そして大正はあまりに短かった、でも私にとっては大正はなじみがある

明治 父親が酒屋で丁稚奉公
大正 母と姉が生まれる
昭和(前)母は原町紡績で糸取り 姉は従軍看護婦でシンガポールに四年
昭和(後)高度成長時代
平成 バブル崩壊 停滞の時代

私にとって明治とか大正でもなじみがある、それは家族が両親がその時代の生まれだからである、まず祖父の時代までは一つの時代を生きた感じになるからだ
そして明治の前になると江戸時代になるともう時代を共有していない
それで元号の不思議は幕末の安政があるとする、でも慶安(けいあん)1648/02/15とかありそれより前だったのかとか勘違いする
つまり元号は江戸時代になるとその順序を間違うのである、だから変なのことになるのである
それは明治と大正を逆にして時代を間違うことは今ならありえないからである
大正―明治とみる人はいない、でも江戸時代だとそれがあいまいとなり間違うのである
するとその時代に起きたことでも何か時代を間違えてみることになる、そうすると歴史が混乱するのである

昭和にしても昭和前と後では全く時代が変わっているのに同じ昭和ということで違和感を感じる
いづれにしろ元号とは何なのか?それがやはりこれだけグローバル化しているから問われる  
戦後30年くらいまではやはり高度成長の時代であり活気があった時代として見る
でもその後は何かバブル崩壊とか日本の経済は停滞に入った
それが平成の時代だったとなる
ではその次の時代は何になるのか?
どのような元号になるのかいいのか?
これもむずかしい、それは合併して市町村の名前が変わった時そうだった、何か美里というありふれた名前にしたのもいいとは思えなかった、この辺は南相馬市になったがこれは単なる方角地名で良かったのか今でも問われる
結局南相馬市と相馬市が合併して相馬市になるための布石だったという人もいる

江戸時代の元号をみるとなぜ文とつくのが多いのだろうか?
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これも新地にあり伊達藩内だった


            
あや
【文・綾】

物の表面に現れたいろいろの形・色彩。模様。特に、線が斜めに交わった模様。 「―織」

文化とはなぜつけられたのか?これも文字通り文化なのか?文化興隆の時代だからか?
文の意味は文化の時代だからか?その意味が良くわからない

人気のものとして 

 明治、大正、昭和、平成の頭文字をアルファベットにしたM・T・S・Hと重ならないよう配慮したのか、「安」「永」「和」などの漢字の人気が高い 

この三文字が使われるのか? ただ次の時代を象徴するものとして何がいいのか?
私は文和とか啓和をあげた、これはまだ使用されていないし前の明治大正昭和とも重ならない
安と永は江戸時代の年号に良く使われている、でも今の時代にふさわしいのか?
何かどうしても元号は古臭いものとして古典に基づくからそうなりやすい、斬新なものが作れないのである
  
文和とするとき文は文化交流の時代であり文化でもって世界的に和を結ぶとなる  

啓和とすると 


閉じたものをあける。未知のものを明らかにする。教えみちびく。みちびく。 「啓示・啓発・啓蒙(けいもう)・啓開」

これだと現代に合っているかもしれない、つまりこれからの時代はインタ−ネットの社会が成熟してくる
ネット社会でグローバル化することはさけられない、つまり知識の時代が加速して成熟してくる
それはグローバルインテリジェンスの時代になる、知識は庶民にまで拡大浸透してくるのである
それは文化の時代にもなる、ハードの物の生産からソフトなネットワークの知識社会になる
日本はそれに乗り遅れたのである、中国の方に先を越されたのである
それは日本人はどうしても何かインタ−ネットのことがその世界のことが何を意味しているかわからなかったからだろう
それは良質な物を作るというのと次元が違ったものでありそれが理解できないためだったともなる

日本人には苦手な分野だったともなる、そういう時代に適応できなかったためだともなる
それで銀行もなくなるとか何かこれまで安定したものが崩壊してゆく危機にさらされている
それはインタ−ネットというもののコンセプトが何なのか理解できなかったからだともなる
それは新しいネットワークを世界的に結ぶものだったということが理解できなかったからだとなる
そうしてブロックチェーンとかの技術が生まれたりするともう貨幣はなくなる
インタ−ネットの中で世界中でビットコインのように流通して金が直接支払われる、銀行を介さなくてもいいのである
それは私にはわからないにしても何かそうしたネットワークがインタ−ネットの技術にあることが理解できないのである

まさに閉じたものをあける、未知のものを明らかにする、それがたりなかったとなる
だから啓和というのがふさわしいともなりまた文和もこれからの時代にあったとものとなる
そして国風文化が日本にまた起こるということを私は言ってきたのは奈良時代の漢字化した中国文化した時代から平安時代になりかなが発明された時代とにているからだ
西欧文明とかアメリカ文明の時代は終焉して新しい時代の啓和の時代が来るともなる
ただ昭和とか平成の元号が時代にあっていたかどうかは疑問である
明治とかは明確に一時代をイメージする、大正でも短くても親が生まれた時代だからなじみが団塊の世代にはある
でも昭和というのは和の時代でもない戦争があったから何か合っていない
平成でも何か平凡でありどういう時代だったのかただ平凡であり日本の停滞の時代だったとなる

でもこれからどういう時代になるのか、また作っていくのか?
元号は次の時代を現すまたは象徴するものとなるのか?ただ私自身はもう団塊の世代でありその時代を生きることはむずかしい
それでも人生百年時代となるとまだまだともなる
第一次の天皇になる人が59になっていることに驚くのだ
それはたいして自分とも変わりないのかとも思ってしまうからである
現代の年齢感覚はかなり違っている、人生百年となると60は50前であり10年以上差し引く必要があるからだ
60代はみんな現役として生きる時代だからである
長生きの時代として永の字を使うのもありかなとも思う、永和とかなると何か平凡なのである
これは明日のお楽しみではある

我が父は明治生まれや母姉は大正生まれ死にてふりかえる

ともかくまだ平成となるとこうした歴史とはならない、昭和はなりつつある、戦前はの昭和は歴史であるしすでに戦後の昭和も高度成長も過去のものとなり歴史となりつつある、元号というのはやはりそうした歴史として重みをもつかどうかにある
西暦の数字だと無機質であり無味乾燥ともなる、元号は天皇に由来するから人間を基準にしているから人間味があるともなる
ただ天皇象徴制が日本でいつまでつづくのか?
政党名でも民が多い、福島民報とか民友でもそうである、民主主義の時代だからそうなったのである
だから民という字は必要だともなるがなかなか江戸時代の過去の年号をみると入れにくいのである
とにかく元号でも地名でも市町村名でもそれが長く使用するから変な合わないものをつけるといつまでも影響することが問題なのである、美里などどこにでもありあまりにも特徴がなさすぎるのである、でもそれを使用つづけなければならないことに問題がある
まず地名は古代からあり変えられないからである
元号は変えられるが地名は変えられないものだからである、そこに元号と地名の相違がある

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2019年01月08日

時代劇のの政治家と悪徳商人の関係に世界戦争を見る (陰謀論が常に言われるのはなぜなのか?)


時代劇のの政治家と悪徳商人の関係に世界戦争を見る

(陰謀論が常に言われるのはなぜなのか?)


蘭学者がいて今までの火縄銃から新式のヨ−ロッパ式の銃を作るために蘭学者を老中が利用する
開国を言い開国のためのきっかけとして新式の銃を作ってくれと頼む
蘭学者は開国論者だから引き受けた
ところがそれは老中と商人がグルになって銃を売ってもうけるためだったのである
最近youtubeとか陰謀論が盛んである、ネットでは陰謀論が本当に多いのである
ただそれが全部嘘とかにはならないのも本当なのである

そもそもなぜ戦争が起きるのか?

このこと自体が本当に謎なのである、何が理由で戦争が起きるのか?
そしうてなぜ膨大な人間が戦争で死なねばならなかったのか?
それは勝敗に関係なくそうした戦争を産みだす原因は何なのか?
それが何か不可解であり謎なのである

私自身が思うにも国民は本当は誰も戦争を望んでいない、アメリカ国民も実際は戦争を望んでいない、それで戦争を望む人たちが支配者でありその支配者がマスコミとかメデアを握って国民に戦争をあおる、そこには別に正義がなくてもいい
ただ正義のように見せかけることが必要なのである

どこの国でも国民は戦争を望んでいない、戦争は上層部とか一部の大金持ちとかと結託した人たちである、その人たちは国のエスタブリッシュメン?になっているからだ
最近元外交官だった人がトランプはそういうアメリカの支配層に金融関係者に対立して発言している、大統領こそアメリカの代表者であり国事を決めるものだとして発言しているだから今までの支配者層からの反発があるのだというのもそうかなと思う

第一国民とかでもどこの国でも本当は戦争などしたくないのである
戦争をいいように見せるのはどこでもその国の国民ではなく支配者層になる
まず戦争で死ぬということはあまりにも過酷だからである
日本がでも戦争をあおったのはやはり支配者層とメデアであり日本国民そのものが戦争に進んで参加したわけではない
そもそも赤紙一枚が突然に来て即座に戦地に送られて地獄の中に叩き落されたのである
何のために戦争するのかも考える余裕もなにもなかったからである

だから盛んに東西冷戦とか北朝鮮問題でもそれは何か戦争を産みだし戦争を利用してもうけたい人がいる、悪徳商人と政治家が結びつくからだとなる
そこで今回の桃太郎のドラマのように老中は大義を言うけど実際は悪徳商人と結んで金儲けしようとしている、そこに大義などなにもないのである

そのことは明治維新でも坂本竜馬などを操っていたのはロスチャイルドのグラバーでありたイギリスの商人であり武器を売りつけるために日本を利用した人でそれがロスチャイルドとかの大金持ちだとされている、つまり必ず人間の社会には金がからんできている
金儲けがのために戦争もあるとなるのはわかる
武器を売るのは戦争がないとできないからである
ソ連との冷戦の時アメリカでは莫大な武器が製造され核も作られ軍事費に武器製造に予算が使われたからである、そこに金儲けのために政治家が動かされる
ロビー活動しているのは大金持ちだとかユダヤ人とかいろいろ言われるのである

グラバーさんは貿易商ですがいろんな物を日本にもたらしました。
龍馬が5000挺余のフランス式新型銃をグラバーさんを通して輸入、長州藩に売却したとされます。

幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていました。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。

銃が関係していた、武器が関係していた、明治維新は旧幕府藩から武器の面で優れていた、仙台藩では木の大砲が丸森にあるように旧式であり会津攻撃には大砲が使われたとか武器の優位性で旧幕府軍に勝ったともるな
人数からすると旧幕府軍が有利だったが武器の差で負けたともなるからだ、その武器を売ったのはロスチャイルド支配下のグラバーであった、それは悪徳商人だったのである、だから戦争とかになると武器が必要でありそこで悪徳商人がかかわってくるのである

すると戦争を起こすのは国民ではない、真の支配者は政治家でもない、裏で金でもって商売をする大金持ちとかだとなる、ただそこに大義銘文を付け加える
何かそういうことは別に日本でも常に時代劇で放送されているのである
とすると世界規模での戦争もそうなのかとも見る

そもそも社会でも何かブラックなものが公然としてある、カルト教団などでもそうである宗教を看板にしても中身はやはり金儲けであり利権を権力を得たいとかのために活動している、ただこれも宗教というのは偽りの看板でありそれは金を得るための権力を得るためのものでしかない
そういうことは常に日本でもあり世界的にあっても不思議ではないのである
ただ世界だと規模が大きすぎるから不可解になって陰謀論になっているのである

確かなことは戦争に悪徳商人が武器商人がからんでくる、戦争は商売になる、それで大儲けできるということはある、その時大義より実は裏で金儲ける悪徳商人が戦争をあおっているのだともなる
それは常に裏で活動しているから表に現れない、見えないから陰謀論になるのである
それで金融関係にたずさわるのは胡散臭いとなる、それらはただ金を操作するだけであり何もしないで大金が入ってくる
そういうシステムを世界に作り上げたともなる、それがグロ−バル経済であり金融だとなる
だから数パーセントの人たちに世界の富が集中しているからだ、そうして世界中から金を集める、富を略奪しているのがその人たちだともなるからだ、グロ−バル経済がいいものに見えても実際は世界の富を我が物にしようとする極わずかの人たちのためのものだとなるからである、だからアメリカでもグローバリストとナショナリストがいてトランプは実はそうしたグローバリストに対立するから叩かれているのだというのもわかりやすいとはなる

だからなぜ戦争が起きるのか?その原因がわかりにくい、それは人間の複雑さとか不可解さと似ているのだ
人間にも裏表があり本当の姿が見えない、善人に見えたのが悪人だった、悪人と見えたのが善人だったとかなる、また善人と見えても何かのきっかけで人間は簡単に悪人にもなるからだ、金でも何でも追い詰められると人間は悪人になるからだ
純粋に金儲けだけを考えるなら利益とか利権を考えて主張するならいいが人間はそうは言わない、何か理屈を言い大義を言いそれで人間はわかりにくくなるのである
その点自然には裏表がない、動物でもなんでもありのままであり天性のままである
そこに無邪気さがある、ただ他の生物を食べるとういことで残酷だとも見るがそれは腹が減っているからであり命をつなぐためにそうしているだけなのである
腹を満たせばそれ以上は望まないのである

この陰謀論を原発事故にあてはめても同じだった
原発村を形成したのは安全神話を形成したのは現代の支配層でありエスタブリッシュメントだったからである
政治家、官僚(検察)、マスコミ、科学技術者とか現代の支配層だったのである
だから原発マフィアとかとも呼ばれるようになった
あの時はあいつらはオウムだったということも言う人もいた
東電にはそれだけの利権の場、金のなる木であり天下りの場であったからだ
その恩恵は地元にもあった、地元でも金になるとして積極的に誘致したからである

ただ戦争となる時死ぬということが普通にあるからいくら利益になる金になるといっても簡単には参加できない、でも日本だったら戦前は国が一番大事であり国を強くして欧米列強と並ぶということが悲願となっていたから国のために犠牲になることでも国のためにということが優先であり戦争に参加したとなる
だからアメリカのようにウオール街とか大金持ちが陰でもうけるためにだけ戦争を起こしたのかとなるとそうは見えない
第一天皇の富のことを言うけどそれはロックフェラーとかロスチャイルドと大金持ちと比べると微々たるものなのである
日本がは国王なる天皇が外国のように贅沢していない、質素なのである
ただ本当に日本でも戦争を国民が望んだのかは疑問である
庶民は赤紙一枚で有無を言わさず戦地に送られたから戦争がなんのためのなかなど理解して行っていないからである
強引に権力者によって戦地に有無を言わさずほうりこまれたのである

ともかく戦争とは人間にとって最大の悪であり罪として現れたものである
それは確かなのである、そこに勝者も敗者もないのである
その原因はいろいろあるにしてもそれは人間の罪の結果が最大限に戦争で現れたものだとなる
だから人類が最後にハルマゲドンで苛烈な世界戦争滅びるというときそれは人間の罪の総決算としてそうなるのである、勝者も罰せられるのである
アメリカが正義でもないし勝者であってもまた罰せられる
戦争に勝者はいない、ただ膨大な戦死者を産み勝者にも敗者にもただ地獄を作りだしたということだけである、その戦争を利用してもうけたとなるとそれこそその人たちは悪魔でありサタンだったというのもわかる
なぜなら膨大な人たちの命を犠牲にしたからである

そんなふうにして金儲けしたとしたらそれがどうなるのか?
神は罰せずにはおかない、いづれ目に見えてその恐ろしい罰が下されるとなる 
そういう暗黒がこの世から消えないという時まさにこの世が滅びなければならない理由だともなるのである
つまりこの世はサタンに支配されているということなのである
それが必ずしもロスチャイルドとかユダヤ人とか大金持ちとかでもない、それはあるにしてもそれだけで世界を動かせるのか?
となるとサタンがこの世に介在して支配しているとしか言いようがないのである
サタンによって人は金であれ何であれ人間の欲を餌にして操作しているとなるのだ


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なぜ外国人労働者を入れるのがむずかしいのか? (国と国の関係となり国際問題になる)


なぜ外国人労働者を入れるのがむずかしいのか?

(国と国の関係となり国際問題になる)


外国人労働者の問題がめんどうなのは国と国の関係となりそれで対処がむずかしくなるなる、ややこしくなる
それは日本人でも海外旅行に行くと日本人とされて日本の国を背負うようにもなる
別に普通の人なのだけどそうなっしまうのである
それは普通の庶民でも外国に行くと日本人として日本国を意識させられるのである
だから外交官にもなってしまう、でもこれまでは庶民は直接外国に行くこともない
でもこれだたけグロ−バル化すると庶民でも外国に行くようになったからそこで何か事件があると国際問題化する
それでイラクに行ったりしてまたイスラム国で殺されたとかして国際問題になった
日本の政府がかかわり金を払ったとかなった
人質になり政府に金が要求されたとかなった
でも自己責任として政府は見放したとかあった
つまり一私人なのだけどそういうふうに外国になると国がかかわるのである

今度はまた日本に自由に外国人労働者が入ってくるとこれも今までになかったことであるからとまどうのである
外国人労働者でも必ず背後に国を背負っているから国と国の関係になる
それで問題がややこしくなる、日本がでも実際はブラック企業で働きひどい目に合っている人は普通にいる
でも外国人労働者になるとまた違ったものになる
何か日本に来て働いた人たちが中国に帰って反日運動していたというのもそうである
何か日本に来て働いていいことがなかったのでそうなったのか?
日本がの国自体に恨みをもってそうなったのか?
ただいい思いして帰った人もいるからみんながそうではない
でも一部に指を切断したとかあるからそういうことがトラウマになり恨むということがある、それは別にどこでも労働していれば事故がある

でも外国人労働者だと国を恨む

それが国際問題となる、そこで日本国との関係でも悪くなるとか影響する
でもそこまで考えて外国人労働者を入れることはめんどうでありややこしくなる
経営者としては働かせる方では安価な労働者として雇うだけなのである
そして日本に永住させるとなるとまたさらに問題が大きくなる
つまり外国人から日本人になることがどういうことなのか?
外国人労働者にしてもただ金を稼ぐ、家族のために金を稼ぐためにきている
仕送りしている、でも永住するとなると日本人になるとなるとまた根本的に違った問題になる

外国人労働者にしても日本人になることがどういうことなのか?そんなこと考えないからだ、こっちの方が生活しやすいとかしか考えないからである
現実に自分の町のホンダで働いているネパールの人は4000メートル級の場所に住んでいたのである、3000メートルまでは行ったがそんなところでどうして暮らしていけるのか?それがイメージできないのである
観光行などがあるにしてももうそこでもともと何か食べるものがあるのか?
そんなところに暮らすのと日本で暮らすのとはあまりにも差が大きい
だからその人は日本がでの暮らしが長いから奥さんを呼んで定住するというのもわかる

そういうことになるとヨ−ロッパの移民でもそうである
過酷な条件の国にいるより生活しやすいヨ−ロッパに移住した方がいいとなるからだ
でも人間はグロ−バル化してもどこかの国に属している
無国籍の人間はいない、無国籍だとその人は安全も確保できない、外国に行って死んでも放置されるとなる、だから人間はどこかの国に属していて国籍をもっていてそれで保証されているのである
だから小さな国となると何か損になる、大きな国になるとバックを大きいから得になることはある、アメリカは一番世界で大きいし力があるから得である、ドルも世界中で通用するからである、日本がでも一番パスポートが世界で通用するというとき得な方である
中国だってそうなる、外国に行くと一般の庶民でも国を代表するとなるからだ

ただ外国人労働者の対処方法ではシンガポールであれ韓国であれ他でも永住権とかは与えない、原則として期限を決めて金を稼ぐことを許可して後は故国に帰ってもらうシステムなのである、ただ賃金はいいから外国人労働者でも不満がないのである
互いにそう割り切ってやれば韓国のように問題が起きないともなる

単なる期間労働者なのかーそれとも日本に永住させる日本人とするのか?

この二つの関係は相当違っているのである、そこが日本ではまだあいまいなのである
都合のいい期間労働者として受け入れのか?それでも韓国のように賃金も日本と同じにして不満がないようにするのか?。
何か混乱している、次世代の日本人にするとなるとそれはまた別問題になりめんどうになるのだ
つまり外国人労働者との契約が必要になるのかもしれない、期限を決めて働いてもらうが日本人と同一賃金にする、でも日本に定住するとか永住するとか日本人になるのではないその二つを明確に分ける必要が出てくる
何かここが混乱している、次世代の日本人を作るとなるとそれは教育でもなんでもめんどうなものになるからだ
それが何か混乱している、それで国の方針もはっきりしていないし国民でもどう対処していいかわからなくなっているのである
いづれにくしろここには国際問題になりそれが問題をむずかしくしていることは確かなのである 

つまり働くということは共同することでありその共同が国際化するから国を越えて働くとなるから問題になる
グロ−バル化でもただモノだけが入ってくるのなら問題がそんなにない、それは実際はあるのでグロ−バル化は日本がの社会を田舎まで変えてしまったとして批判してきたのである、でもヒトが入ることはモノが入るのとは根本的に違ってくるから問題なのである
それぞれの国はそれぞれの国の定めがありその国を発展させる
グロ−バル化すればこの国は嫌だとなり暮らしいい国に出ていけばいいとなるとなる国を維持できなくなるのである
外国人労働者だと別に日本人でないから何かあれば嫌になればまた国に帰ればいいともなる
戦争になったりしたら敵国にもなる、でも日本に住んでいれば日本人は戦争になったら日本のために死ぬのも拒否できないのである、だから外国人自身でも永住して国籍まで持つとなると期間労働者とは相当に違ったものになる
日本がではその区別を明確にしていないのである、そこで何かどっちにしろ混乱しているのである

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2019年01月07日

外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶 (指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)


外国人労働者が移民が日本に来て残す嫌な記憶

(指を切断した人が多いーこれが国際問題化する)

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「選ばれない国ー日本」

週刊東洋経済 2019−1−12



移民を大幅に受け入れることになり話題になっている、外国人で一人はスリランカの人だったが指を切断したした人を知っている
それからテレビの放送で「外国人に選ばられない日本」という放送でもその人は指を切断していた
週刊東洋経済の記事でもやはり指を切断した中国人の写真が出ていた
それは機械でドリルで穴をあける仕事で指を切断しやすいのである
そういう仕事をアルバイトでしたことがあり一日機械のようにドリルで穴をあけるのが嫌になった
私がした仕事はそうした単純作業であり底辺の仕事しかなかった
それ以来私は仕事したくなくなった、それで30以後は仕事していない
結局遊びだったといえばそうである、そういう特別恵まれた家庭環境だからこそそうなったのである

スリランカの指を切断した人は義指というか人口の指をつけるためち病院に通った
だからそのまま放置されたりしてはいない、会社ではその事故に対してめんどうみていたのである、ただそれも20年前とかなるから事情が今とは違っていた
まだこんなに人手不足にはなっていなかったからだ

人手不足という時、広島の大雨で洪水で被害にあった町では家を修理する大工不足で復興できないとかある、人手不足は深刻なのである
それもオリンピックの方に建築工事関係の人手がとられているからである
肝心の災害の被害の復興に人が集まらないというのも不公平なのである
オリンピックより災害の復興の方が大事だからである

つまり人手不足の時代は何を優先順位にするからが問題になるのだ
オリッピックに人手が必要だとかなると本当にオリンピックが日本にとって必要なものなのか日本の国にとって優先的に必要なものなのか?
そこがもともと疑問であり私自身はもう日本はオリンピックなどに金をかける必要がないということを書いてきた

ただ何が優先的なものなのか?プライオリティとは何なのか?
それが大きな国単位になると判断がむずかしくなる
それは個々人の人生でもそうである

何を優先的に選び金を使い時間を使うべきなのか?

そのことが人生を左右するから何に優先的に時間でも金でも投資するのかが大きな問題になる
それは大きな国でもそうだった、景気対策として公共事業が必要でないのにも全国で莫大な予算を使って高速でも道がいたるところに作られた
そんなに道が必要なのか?農道でも舗装したり必要なのかとか問われた
ただそれは地方に仕事を与えるためにそうしたのであり必要性から金を使ったのではない地方には建築土木関係で仕事する人が多いからである
そこでその人たちのために仕事を与えねばならないと国でそうしたのである
だからそれが一概に必要性がないから無駄だっと言えない
ただその反省から民主党がコンクリートから人へとかの政策変換を計ったのである

日本では移民というとき大量の移民は入ってきていない、確かに中国や韓半島からの亡命者とかはかなりの数入ってきた
それは鉄の生産に従事したとか技能者だったのである、日本では大量の普通の労働者を受け入れた歴史はないのである
そこにどうしても普通の労働者を受け入れる素地がない、歴史的にノウハウがないのである

相馬藩では天明の飢饉で藩内の人口が三分の一に減った
その時越中とかからの移民が大量に入ってきて穴埋めした歴史がある
その移民は江戸時代だから必死で移住してきた
江戸時代に移動の自由がなかったからだ
命がけで移動してきたのである、でも困窮した場所になぜそうして移住してきたのか?
今アメリカとかヨ−ロッパに移住しようとする人たちはもう自分の国に住んでいられないという危機感からやむをえず脱出を図り移住してきている
その時移住する先が飢饉で苦しんだような場所ではないのだ
ただそうなったのは荒れた土地でも農業の時代だから土地が与えられるということで移住したのである、その後も相馬藩では移民は苦しんだのである
それが加賀泣きということが伝えられている、加賀から来た人が苦しくて泣いていたということである

これは時代が違うが現代の移民はどういう事情でくるのか?
貧乏な親に仕送りしたり助けたいということもある
それは貧乏な国から豊かな国に来るのである、そうなれば同じ人間だから同等にあつっかてもらいたいとなるのである
でも移民だったら江戸時代でも相馬藩に来た移民は苦しい一段劣ったものとして扱われたそれでも何代もここに住んでやがて豊かになっていったのである
豊かになるとかは一代ではできないしまた日本人になるというときもできない
それで農家では前は三代までつづいたとき一人前として受け入れたとなっていたのである
移民を日本ではどういうものとして考えて受け入れるのか?
それが問題になっているのだ、次世代の日本人を作るものとして受け入れるというなら
それは長期的視野で日本を支える人を作っていくとなる
一時的なものではないからその対策もかなり違ったものになる
ただ一時的に受け入れるとなるとそれは付け焼刃のようなものになる

ただ私の町でホンダで働ている人は車の免許もとりネパールから奥さんを呼ぶとしているから定住するのである、定住する人を認めるようになるとそれは次世代の日本人になる
でもそこで軋轢が生まれる、本当に日本人として受け入れ覚悟があるのか?
もちろんでは移民でもどういう考えて入ってくるのか?
ただ一時的に金を得たら後は関係ない、そうして帰った人も多いからだ
ただでは日本人となることはどういうことなのか?

中国人と韓国人が問題になるのは反日であり中国人はアメリカで問題になったようにアメリカのスパイとみられる
中国では移民したとしても中国に忠誠を誓う法律がある、つまり移民して定住しても中国の国民となっている、そういう人たちを受け入れられるのか?
そうなると東南アジアとかベトナムとネパールとかいいとなる
中国は豊かになったのだから別に日本に来る必要もないとなっているからだ
だからそういう国の選択も必要になるのである
要するに移民は機械として一時的な労働力の穴埋めとして受け入れるのと日本人として受け入れるのは相当に違っているのだ
そのコンセンサスが日本ではできていないのである

ただ三人が指を切断したということは重いことである、そこで日本がについてどう思うかとなるといい思い出はない、ただ切断した指を見て苦い思い出となる
それは現実に日本で働いたからそれが日本への記憶となっているのである
日本のために受けた傷だとなる、そういう記憶はなかなか消えないのである
ただ日本人でも工場で死ぬ人もいるし怪我もしている、でも何か日本人が怪我するのと外国人が日本に来て怪我するのが違っている
それは外国人だからそうなっているのである、そこに国と国の国際問題になっているからである、そこに移民を受け入れるむずかしさがある

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2019年01月05日

世界の歴史認識をどう見るのか? (第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)

                                    
世界の歴史認識をどう見るのか?

(第一次二次世界大戦の構図ー武田邦彦氏の歴史観の検討)
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そもそも歴史とは何なのか?人間の生の集積だとなりそれは無数にありもう一人一人の生も歴史になるからとてもそれらあいちいちとりあげていたらもうわからなくなる
ただ武田邦彦氏の言うように大きな流れを見ることは大事である
それで最近NHKで見た映像の記録の第一次世界大戦のことがわかりやすかった

なぜそこでドイツがイギリスとフランスとロシアに対して戦っていたのか?
その理由が良くわからないけどドイツはロマノフ王朝時代からオスマン帝国時代からフランスとイギリスに敵対して戦っていたのである、ロシアともそうである
それが第二次世界大戦まで継続していた歴史がある
歴史はそうして必ず継続している、ドイツはなぜそれほどイギリスとかフランスとかロシアに敵対したのか、両側から責められたら苦しいからである
それでオスマン帝国と同盟して戦うようになった

ヨ−ロッパ大陸のつづきとはしてロシアがありそこが熾烈な戦いになってのだろうか?
同じキリスト教徒なのにそうなっている、オスマン帝国はイスラムだがロシアもロシア正教でありキリスト教の分派である
それがなぜあれだけの熾烈な戦いをしたのだろうか?
ただ覇権争いが世界史ではありヨ−ロッパ諸国がその覇権争いになった
スペインが覇権国になり次にスペイン艦隊がイギリス艦隊に敗れイギリスが覇権国となったり興亡はヨ−ロッパで繰り広げられてきたヨ−ロッパで覇権国となることが世界で覇権国になることだったから熾烈な戦いになったそこに最後に一枚加わったのはアメリカだったのである
第一次世界大戦もアメリカの参戦で決着したからである

最近オスマン帝国とエスカりてーナ二世のテレビの連続ドラマを見て身近に感じた
その歴史ドラマを見ると今のシリアをめぐる争いもその継続だと理解した
オスマン帝国としてシリアもあったからである
サウジアラビアもオスマン帝国の支配下にありなぜサウジアラビアの王室を批判した記者が殺害されたのか?
それは昔のオスマン帝国に逆らうものとしてサウジアラビアがありアラビアのローレンスはオスマン帝国からの独立をうながした
それはイギリスの狡猾な二枚舌だったのである、そのこに悩んでローレンスは死んだのである

つまり今起きていることは過去からの歴史の継続であり突然起きたことではない
だから現在を知るには過去からの長い歴史を見なければわからないのである
歴史の大きな流れを知ることは確かに大事である、個々のこまかいことをとりあげていたら切りがないからである
ではヨ−ロッパで起きていた歴史とアジアがどういう関係にあるのか?
世界史はヨ−ロッパの歴史から世界史と発展したからそこにアジアも関係しているとなる欧米史観として世界史があるからそれで世界史を見るからである

大航海時代にスペインがインカとかマヤ文明を亡ぼしたりてポルトガルもそうだった
ヨ−ロッパが世界へ進出して支配した歴史が世界史となっているからだ
ヨ−ロッパの植民地を世界に作ったからである、そのヨ−ロッパ内で熾烈な覇権争いがあった、その派遣争いで中心的役割を果たしたのがドイツだったのである
ドイツにどうしてフランスとかイギリスもロシアを敵にして戦うことができたのか?
それだけドイツ一国が力をがあるからだともなる
それが第二次世界大戦までナチスの登場まで継続されていたのである
そのドイツと日本が同盟国となったのである

第二次世界大戦はドイツ対フランス、イギリス、ロシアとなっていた
それは日本が第二次世界大戦で戦った相手と同じだったのである
ロシアは後から参戦したから違っていたが構図がにていたのである
そして最後にイギリスにうながされてアメリカが参戦して日本が負けたのも似ている
過去の歴史の構図がそのまま第二次世界大戦にも引き継がれたともなるからだ

でもなぜアーリア人として武田邦彦氏は一くくりにしているけどドイツ人もそうである
そのアーリア人同士が苛烈に戦ったのだろうか?
そのヨ−ロッパでの戦いが世界に波及したのが第二次世界大戦だった
そこに中国があったのだか中国は白人側についた国だとしている
つまり日本だけがアーリア人連合の白人と戦った唯一の国だったとしている
でもドイツ人もアーリア人でありそのドイツがヨ−ロッパでは孤軍奮闘していたのである
不思議に今ドイツと中国が接近して連合化しているのもその継続なのか?
アメリカと対立したときドイツと連合する、日本にも接近するのはアメリカというヨ−ロッパから生まれ鬼っ子と対立すると実はドイツであれ第二次世界大戦で敵となったものと戦うということになる
中国を除いて欧米列強と戦ったのに中国だけは白人側について戦ったという歴史認識も今になると中国は失敗したというのもそうなのかとなる
中国はアヘン戦争などであれだけヨ−ロッパとかにひどい目にあったのにヨ−ロッパ人は白人は尊敬しているのである、日本人は常に小日本人として卑しめるのである
それはもともとも中国文明の漢字文化圏にあり日本は中国の朝貢国として見ているからである、そもそも日本は中国の子供のようなものであり親なる中国に責めてきたことが許されないのである、プライドが許さないのである

日本がしきりに右だと太平洋戦争は植民地解放のために日本人か戦ったというのは疑問である、なぜなら結果的にそうなってもそもそも明治維新の時アジアへ進出する野望があり吉田松陰でも西郷隆盛でも征韓論がありそれは植民地解放するということではなく日本がアジアに進出してアジアを支配するということがあったからだ
それは結果論として言っているのでありそういう意図があり理念があったとは言えないのである
ではアジアをヨ−ロッパ列強から植民地解放するというならもし植民地を解放したなら日本人が勝ったらその植民地から日本人が撤退するということはなかったと思う
結果的にそうなったのでありそれは快挙であってももともと植民地解放思想というのは大平洋戦争にあったと言えない、それは結果的にそうなったのである


ただ歴史認識は時代とともに変わる、アメリカと中国が覇権争いになるとき歴史認識も変わる、中国がアメリカにつぶされるというときアメリカこそが敵だったと第二次世界大戦の日本の立場になる
しかしその時周りの国は中国を応援するのか、同盟するのか?
それが一帯一路計画でも拒否されたようそうはならないのである
中国は侵略国とはなされるようになったからである
だから日本にもまた接近してくる、協力を願うとなる
つまり中国独自ではアメリカに対応できないからである
だからもともと第二次世界大戦では日本と中国は同盟して欧米と一致して戦うべきだったという反省があるというのもわかる
中国がいかに巨大でもアメリカとは依然として一国では戦いないのである
そこで過去の歴史認識もまた変わってくるがそれを言えないというのもわかる
そうなると歴史認識がくつがえされて共産党の立場がなくなるからである
弱い日本を悪者にしているのが楽だからである、アメリカを悪者にはできないのである

ともかく歴史の継続としてドイツと日本は似ていてこの二つの国を無視して世界史もなかったとなる、江戸時代は世界史とは関係なかったが明治維新で日本は世界史に参加して世界史を塗り替えたというのは言える
ただ次に覇権国になるのはどうこなのか?アメリカなのか中国なのか?
それを考える時、アジア対欧米という構図で見るのも歴史認識である
もはや中国は白人側につくのではなくアジア連合として第二次世界大戦の主役となった日本の立場になる、でも中国はそうなると歴史認識を見直すことになり共産党は崩壊してしまうかもしれない不安がある

中国の周辺国を侵略して支配するのでなく同盟国してアジアが連帯して欧米列強に立ち向かうとういうことをしなければならなくる
それは歴史認識を大幅に変えねばならないからジレンマになる
中国が今度世界の覇権国になるには周辺国の特に日本の同意が必要になってくる
でも反日政策とか共産党一党独裁とかでは同盟できない、それは中国の恐怖政治の下に国を置くことになるからである
ただなんらか日本の立場もむずかしくアメリカ一辺倒の時代は終わったとしてもでは次をどうするのかとなるまだ日本自体の立場が見えないのである
二つの強国のながて右往左往しているだけなのかともなる、しかしアメリカがこれから今もすでに衰退している、もう国内優先であり世界にかかわらないというとき世界の覇権を誰がにぎるのかリードするのかとなりその模索時代になっているのである
確かなことは欧米からアジアへ西から東に覇権は移り今度は東が興隆してゆくことは確かである
すると大きな流れを見ればアメリカにだけ頼る時代せ終わったのである 

それは経済的なことだけではない、文化面でも日本独自の国風文化の興隆でありアジアの再生、ルネサンスを目指す、これからインドが一枚また加わってくるときそうなる、西は衰退するのである、その大きな歴史のサイクルを指摘する人もいる
やはり歴史の大きな流れを見れば東から西へ西から東へと栄えはシフトするのである、そういう歴史の分かれ目として現在がある
そこで日本だけが欧米列強と対等に応戦して次なるアジアの未来を開いたという見方もある程度はわかる
でも3百万人も死ぬという犠牲はあまりに大きかった、戦争の悲惨は世界的に極点に達したのである
だからその戦争をそのまま賛美することは危険になる
ただ第二次世界大戦はアーリア人の暴虐的気質から生まれそれに席巻されたとかはわかる、アーリア人とかは何かわからないにしてもアジアは気質的にインドになると平和の民だからである、ガンジーの無暴力の民だからである
それを攻撃的戦闘の民にしたのはアーリア人に対抗してそうさせられたというのもある
アジアとは何か?東洋文明とは何かというとわからなくなった
ただそれはまた再びよみがえらせることになるから東洋ルネサンス(再生)が日本なら国風文化が再び起こるのである
それは物質文明の極点になった東京とかからは起こらないのである、地方から起きるのである
その試みをしているのが自分だったともなる

    アメリカ一強の時代は終わり

   中国一強の時代へ?

   EUは分裂、ロシアはまだ力たらず、インドはまだ途上

   日本は経済的に停滞

   日本とドイツが鍵になる
    
   第二次世界大戦の繰り返しの構図か?     
    
とにかく確かに西へ西へと進出したフロンティアを求めた時代は終わった
それをホイットマンは示唆していたのである、地球を一周してアメリカの西部開拓がありそこは大平洋で閉ざされた
でもそこから太平洋を越えて西へ日本に向かいアジアに向かい逆に今度はアジアから東から西へと向かう大きな歴史の流れがありそれは繰り返されてきたのである
その時間は500年とか長いからなかなかそういう時間とかの長さで見通せないのである


カリフォルニアの岸辺から西に向かって―ホイットマン(草の葉)

カリフォルニアの岸辺から西に向かって
倦むことなく問いかけつつ、まだ見つからぬものを探しつつ
年をとっても子供のぼくは、波路はるかに母なる者の住む家を
移住者たちの母国を遠望し
今まさに円をめぐり終えようとして 西部の海の岸辺の沖のかなたに眼を馳せる
想えばかつてヒンドスタンから、カシミールの渓谷から
アジアから北国から神から賢人と英雄から
南国から花咲く半島、香料におう島々から、西をめざして旅立ったが
以来長きにわたってさまよいつづけ、地球をぐるりとさまよい終えて
今喜びに胸をおどらせつつ、ようやく故郷との再会を果たしている

長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる
今日以後君は、たとえ何がどうなろうと君自身として確固不動だ



西へ西へと向かう旅が遂にアジアが終着点だったことを示唆している
アジアが再び勃興することを示唆している、 アジアに還るということである
アジアがオリエントでありすべての起源であるからそうなる
アジアが再び東から西へと一めぐりして再び戻ってきたということである

 長い間準備を重ねた無形のものが遂に君に宿って形ができる

これは老人になると誰でも経験したものや追求したものが実る、それはある意味で不思議な現象である
人は死ぬ前に何かわからぬが神の力が働いて最後に壮大な詩をうたい死ぬということがあるのかもしれない
ただ個人の力には限度がある、自分は天才でもなんでもない凡人にしかすぎなかった
それでも何か天才とか凡人とか関係ないのかもしれない、誰かに神の力は働く、その神の力にうながされて何かを成す
才能でも発揮されるとかなる
それはこれまでの人類の英知の芸術でも文化でも歴史の集積したものが一人の個人を通して現れることがある
それは天才だからではないのだ、つまりそういう時代に巡り合うことが大事なのである
現実に天才芸術家でも有能な人でも戦争では死んで実りとならなかったからである

歴史とは何か?

無数の屍の上に築かれている

なぜこんなに第一次第二次世界大戦でも他にも共産党の粛清でも無数の人が死んでいるからだ
なぜこんなに死なねばなはないのか?だからこの言葉が生まれるのである   





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2018年12月30日

偽情報でイラク戦争に (情報は権力によって操作される、原発も同じだった)


偽情報でイラク戦争に

(情報は権力によって操作される、原発も同じだった)

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  • 報道特集TBS


イラク戦争は何だったのかと今ふりかえる、そしたら報道特集で大量殺戮の化学兵器は実際はなかった、でも一人の詐欺師のイラク人の情報を信じてそれで戦争になったと分析している
一人の人間に詐欺師の情報を信じて戦争になり多大の犠牲を出した
そこには何の正当性もない、ただ権力によってごり押しされた戦争だった
強いものが力でもって制圧したとっちめたというだけである
その時私は人道的立場から戦争に反対した、それをホームページに書いたが別に反応はない、読む人は少ないからである、ここ三年くらい津波原発事故がありアクセスが増えたのである、それまでアクセスは相当に少ないから誰も目にとめないというだけだった

あの戦争は9・11のアメリカのテロがありその犠牲が大きかったのでスケープゴートを求めてイラクが別にアルカイダとかテロとは関係なかったがどうしてもその怒りがおさまらずイラクにそき怒りが向けられたのである
別に大量殺戮の化学兵器はなかったのである
それも一人の詐欺師の言ったことくらいで後は何の証拠もなかったのである

ではなぜ戦争が起こされたのか?

9・11のテロの怒りがイラクに向かった  

もともとイラクをアメリカはたたきたかった

イラクがアメリカを攻撃するので憎かった

そのために戦争する理由が必要であり大量殺戮の化学兵器を製造しているとこじつけて戦争を起こしたのである
その確かな証拠は何もなかったのである
情報はこうして権力あるものによって操作されそれが真実かどうかもわからなくてもいいのである

まずイラクをたたけ!

イラクが憎い!

それがあって戦争するための情報を探していたとなる、だから偽情報でもいい、フェイクニュースでもいいのである
それは感情が先にありその感情をあおる、国民は冷静になっていないからだ
テロの無惨な惨劇で理性を失っていたからである
だから人間は感情的になることが危険なのである
テレビとか映像は生々しいから感情的になり怒りとか憎しみとかをあおるメデアである
例えば犯罪でもテレビに出ただけでそれで罰せられると同じである
裁判で決まらないのにテレビで疑いの段階でもあいつは悪い奴だという印象を与えてそれが消せなくなるのである
それで油まみれの海鳥をアメリカの放送局が映し出してそれが世界の人達が見て怒りになった、その映像効果は抜群だったのである
だからテレビとか映像のインパクトは大きい、今でもそうである
マスコミが裁判官のようなっているのである
それは大勢の人が見るからそうなる、その影響が大きいのである
インタ−ネットで放送しても見る人が少なければ影響も少ないのである

これと同じようなことが佐藤 栄佐久知事が賄賂とかで逮捕されたことにもあった
福島原発でプルサーマルの危険性を指摘して情報公開を東電に求めたが拒否された
それで一時原発は危険だと停止されたのである
それに政府とか東電が怒り「佐藤 栄佐久」憎しとなった
それに検察も加担したともされる
原発には強力な権力がかかわり反対できないのである
アメリカの圧力もあり反対できない、それは沖縄の基地問題とかでも同じである
別に佐藤 栄佐久知事は原発に反対だったわけではない、ただ安全性を追求して情報公開を求めたができなかったのである
それが正しいとしても政府とか東電は感情的になり佐藤 栄佐久憎しとなって情報でもでっちあげて賄賂問題で逮捕したともなる

その虚実は詳しくわからないにしろここにも同じ構図がある
権力をもてばそれが暴力でも法律でも曲げて行使できるから危険になる
権力は歴史でもそうである、歴史が勝者の歴史だというときもそうである
勝者が正義であり敗者は悪者とされるのである
日本が戦争に負けて悪者にされることでもそうである
アメリカはこのように力をもっているから権力を暴力として軍事力で行使できる
そこにアメリカの危険性があった
だから中国が台頭して困ることもあるがアメリカが抜きんでて世界を牛耳ることも危険なのである、中国も問題にしてもアメリカの横暴を抑制するものとはなる
それでイランが今イラクと同じような状態にあるという

でもイランをイラクのように簡単に攻撃できない
世界情勢が変わっているからだ、中国が台頭しているからそれが抑制力となるからだ
世界でも一党独裁に一国独裁になることは権力が力があるものが支配するとなり正義はそこになくなるからである
そこにアメリカの国是とする民主主義を追求しているそのこと自体を否定することになる何の証拠もないのにただ力でももって戦争して殺戮して決めるとなるからだ
ただ力が正義となるだけだからである

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2018年12月20日

2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる? (2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー でも自分にとってはいい年になる?)


2018年まで自分自身に起きたことをふりかえる?

(2019年以降は経済の悪化で日本が乱れるー
でも自分にとってはいい年になる?)


そもそも自分自身に起きたことそして回りで起きたことは何なのだろうとふりかえる

●津波(大自然災害)
●原発事故(大科学技術災害)
●介護(認知症に親二人の介護)
●自らの病気(入院二回に手術一回
●盗難の災難
●借金している人から責めら脅迫される
●投資信託の失敗(地銀の勧誘のため)

このことをプログで10年間書き続けてきた、なせこんなことが自分に起きたのかとか本当に思う、それは自分だけではない、周りでも起きたことである
ただそれに自分の一身上の問題があり悪いことが二重に三重にも重なったのである
本当に自分の病気は辛かった、身体障害者のようになり一人だから助ける者もいない
金銭的には余裕があったがその金をねらってきただけである
親戚でも別に親戚とも言えないから事業に失敗した人だから自分の家ががたがたになったとき金を得るために脅迫してきたのである
借金した人の怖いのはモラルを失うということである
自分自身のことで精一杯であり相手のことなど考えられないのである

自分に起きたこことはまさに津波の惨状とにていた、そういう信じられない地獄が現実化した、それは津波の結果ではない、人間がすでに金、金、金でモラルを失っていた
みんな金を求めるだけで野獣と化していたのである
それで相手が弱者になると金や財産を奪うことしか考えない
それが自分の病気のときに介護の時に家ががたがたになったとき財産を奪うと金を要求する好機となる、それはまさに弱った動物が最初に餌食になるのとにていたのである
弱肉強食の世界を身をもって体験したのである

そして小高の人たち仮設に大勢入ったけどもそれも異様なことだった
その人たちは突然おしかけたけどそして外部からかわいそうだとして毎日のようにボランティアが炊き出しとかいろいろ援助しにきた
しかし自分も塗炭の苦しみにあったが誰も同情しない、ただその弱ったことをいいことに責められるだけだったのである
そしてその原発避難者は何をしていたかというと毎日パチンコでありギャンブルに興じていたのである
家に来た親戚の人は借金してパチンコ屋で働いていたのも異常である
自分は苦しんでいてもそっちの方でで金を得るために奴隷のように働いていたのである

何かこれはなんなのだったと思う、まさにこれは自分だけではないもう末世が来た、世の終わりが来たのかとも本当に思った
ただ南相馬市は補償金で分断された、小高の人たちはこんなことういうと怒る
俺たちはかわいそうなのだ、なぜ鹿島の人は金のことばかり言うのかとなる
それは当然であり鹿島の人は情もなにもないのか?
そうして南相馬市は心が一致しないから復興もしにくいとなったのである
それは原町区ともうまくいかないとなったのである
それも元を正せば金の問題だったとなる
ただこれは自分のカルマだった、何か自分が楽しすぎた結果としてこんな悲惨なことになったのである、だから周りの責任ではなく自分自身のカルマだったのである
カルマはいづれ必ず苦しみとなって現れるのである
だから他者を自分は恨まない、それぞれのカルマが苦しみとなって現れるのである

2019年がどうなるのか?それは明るい面は見えてこない、すでに物価があがっている消費税もあがる、すると年金暮らしの老人は苦しくなる、老後破産とか下流老人が問題になったけどそれはますます深刻化してゆく
なぜ知っている人が青森の施設に移されるのかとなれば青森では女性の職がない介護関係で職にありつくためだという、前から青森は出稼ぎの県だったからである
今度は人手不足がどこでも深刻化している、この影響も大きい
この辺では施設で空き部屋が多いというしかし働く人がいないのである
介護士が不足している、それは福島県全体でそうなのである
建物があってもそこで働く人が確保できないのである

日本はこれから経済的に窮迫化してゆく、それが余裕ある人には関係ないように見えても関係してくくる、それは自分自身が証明している
金のない窮迫した人間は襲ってくるということである、だから金持ちは日本に住めなくなる、海外の余裕ある金持ち住むのにいい場所に移住した方がいいとまでなる
自分は金持ちでもない、その暮らしは普通であり贅沢などしていない
もともと自分は旅行しても贅沢な旅など一度もしたことがないのである
海外旅行でも50歳でバックパッカーだったからである

いづれにしろ2019年以降は経済が悪化する、株も下がる、アベノミックスなど見せかけであり日本の経済は悪化している、それがさらに高齢化とか団塊の世代の2025年問題、75歳以上になると病気と介護が増えてくるからそれが全国民の負担になってくる
つまり福祉や医療費が膨大になってくるのだ
なぜ知っている人は仙台に行きまた東京の病院にいて1週間もいて金がまたなくなった要求される、その人は薬も飲んでいる、そんなに金を使っていたらどうなるのか?
それを自分に要求されてももう払えないのである
医療費、福祉の費用はもう国でも負担しきれなくなるのだ

するともう介護は在宅でやれとか税金ではやれないから家族でなんとかしろとなり今や家族全員で何か地域でもみんなで共同してやれとかなる
まず医者にかかると病院と施設は設備から人件費から金をかけすぎているからだ
もうそんなこと成り立たなくなる
愛が慈悲がというだそれは余裕があるときそういえるのである
そしてそれに甘えすぎるのである、ただ俺は苦しいんだから弱者なのだから保護すべきしかない、弱者は要求するだけでありそれに答えないとお前には情がないのか冷たいとされる、そういう社会も問題なのである

平均寿命でも余命から計算すると90歳が平均になるという、つまり60歳生きたら90歳まで生きるとなる、それだけ年金はもう払えない、だから年金も減らされる
実質的に物価が上がり消費税もあがるからかなり目減りするのである
するとぎりぎりで生活する老人が増えてくる、もう手厚い福祉はできない
生活保護でも減らされる、家族で助け合いとなる、また地域とか老人同士で助け合いとかなる、自分はそうさせられている、なぜなら家族もなく一人だから援助しなければならない人が必要だとなりそうなった

2019年以後は明るいものが見えない、オリンピックも一時的なものでありかえってその後は日本は衰退の一途をたどるとされている、それよりオリッピックなどするべきなではなかった、オリッピックをしたかっのは電通とかそれで利益をえる人たちだけだともいうのもわかる、オリッピックには今はなんの意義も見いだせないからである
そのオリッピックでもうけるのは電通だとかマスコミだとかそれで利権にあづえる人ただけだともされる、第一国民の総意でオリッピックは招致されたのではない
高度成長で日本がオリッピック開いた時とはあまりにも時代が違っているからだ

ともかく悪いことしか見えてこないが奇妙だが自分にはとってはいい方向に向かっている介護でも終わり余裕ができた病気でも快復したからまた前のように活動できる
それでヤマハの新しいマウンテンバイクは技術的に進歩したものでこれならまた遠くへ行けると思った、これによって行動範囲が広がる
それは自分にとって大きいし大きな喜びをもたらしたのである
それはバイクであり自走する感じになるから前のアシスト自転車とは次元の違うものだったからである
それで自分にとって来年は明るい年になる
だから日本全体とかなると暗いことしかみえないのだが自分にとってはそうはならない

そして自分は亥(いのしし)年でありまた猪突猛進してゆくにふさわしいともなる
つまり自分にとって10年は凶運でりどうにもならない10年間だったのである
それで相当に消耗してしまった、だから旅する気力もなくなっていたのである
でも新しい自転車も買って来年は年であるが最後の活動ができると思った
だから自分にとっては来年は明るい年である
ただ日本全体とか世界を見ると不穏なものがありいいとはならない
それが個人的にも影響してくるから明るいものにならないのである
いくら自分がいいとして回りが借金だらけとか窮迫していると実際に自分が襲われたように安閑とはしていられないからである
そういうことで日本には明るい未来が見えないのである
ただ自分にとっては最後の力をふりしぼって活動する年にはなる

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2018年12月18日

中国の覇権は海の征服と通信の世界 (それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)


中国の覇権は海の征服と通信の世界

(それは七つの海を支配したイギリスでも電信が大きな力となっていた)

イギリス史家ヘッドリクは,電信を「見えざる武器」だといった。あまり歴史の表面には現れな
いが,おそらく電信こそ,イギリスが覇権をにぎることができた最大の武器であった

1857年に初の電信に成功し,19世紀末には,イギリスの電信ネットワークは,オランダ,ドイツ,
オーストリア,サンクトペテルブルクにまで及んだ。さらに1866年には,大西洋を横断する海底通
信ケーブルが敷設された。


どうして世界の覇権を握れるのか?
意外と注目されていないのが電信である、だからこの時代からすでに電信は大きな力はなっていたのだ
世界の歴史をみれば空間を征服するとなると距離を征服するとなると物理的に距離を縮めるほかない、その労力は甚大なものになる
最初は馬とかで距離を縮める、それでアジアの平原の民が馬で距離を縮めることで空間の征服に成功する、それがジンギスカンのモンゴル帝国であった
馬によって空間をせばめ距離を縮める、そういうことは人間は有史以来してきた
空間を征服することは大航海時代で頂点に達した
その時新しい世界史がはじまり新たな次元の世界が生まれた、陸は馬だが海は帆船だった陸は始皇帝の兵馬俑軍団のように騎馬隊なのである
馬によって空間を征服して距離を縮める、それで日本ですら騎馬民族征服説が話題になったのである、モンゴル帝国は騎馬民族の日本の征服を目指したが海にはばまれて失敗した
なぜ通信とかが大事になるのか?それは情報をいかにいち早く伝えるかが戦争でも生死を分けることに勝敗を決することになるからだ

では情報をどうして伝えるのか?
江戸時代をみればわかる、飛脚であり江戸から大阪まで走りつづけてようやく手紙が書類が届くからである、距離を縮めることがいかに生死を分けるか、経済的利益を得るかが決まるからである
それで北前船ではいち早く大阪の情報が伝わっておおもうけしたということがっあった
北前船は物だけではない、情報を伝えていたのである 

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情報というのは常に人間生活にとって大事なのもであった

エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したというこれをもとに第1回近代オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。

それは飛脚ともにていた
信長は明智光秀に討たれたときも秀吉が奇跡の中国大返しでもそうである

家康が畿内にいる間に何が起こってもおかしくないことを事前に察知していて、もし何かが起これば、その情報をできるだけ早く伝える指令を出していたのではないだろうか

情報を伝えることはそれだけ大事だからそうなったのである
ローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときもそうである
その道とは物資を流通させるだけでない情報を流通させるものでもあった
それで距離を縮めること空間を征服することが大帝国を作ることになる
でもローマから首都から離れると地方では必ず反乱を起こす、地方は遠くなり中央の意志が伝えにくくなり地方を独自に支配しようとする軍人がローマでも現れたし最近見た「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」でもエジプトに派遣されたて軍の司令官が支配者となり独自にその国の王のようになりそれを密告されて中央政権からつぶされたのである
その軍司令官は自分の貨幣まで発行していたのである
こういうことはローマ帝国でもあった
日本でも満州国の軍人が中央の言うことを聞かないで勝手に戦争に突入したとかあり中央から歯止めがきかなくなり中国に深入りして大敗北になったということが言われる

イギリス南西部のサマセットで2010年に発見されたローマ時代の硬貨およそ5万枚の一部。 

その中にはカラウシウスが鋳造させたとみられる800枚近い硬貨も含まれている。カラウシウスは海賊掃討を任されたローマの艦隊司令官だったが、紀元286年に反乱を起こしブリタニア皇帝を僭称した。7年にわたりこの地を支配したが、自軍内の反乱で暗殺された

これはオスマン帝国でもあったからこういうことが起こりやすいということである

中国がなぜ今世界の覇権国となりアメリカと対立するようにくなったのか?
それは陸の帝国から海の帝国へまた電信の世界、今では無線の世界でITを通じて世界の覇権国になることを目論むからアメリカの覇権と対立するようになった
海を制するものは世界を制するということで南シナに港を軍事施設を作りアメリカと対立したことでわかる、海と通信の世界で覇権を握ることで対立する
それは日本とアメリカの戦争も海を支配することで太平洋戦争が起きたこととにている
だからつくづく歴史は繰り返すとなる、イギリスのしたことを中国は今度はするようになったのである 
雌雄を決するのは海と通信の世界だということがやはり世界史でもそうだったとなるからだ


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2018年11月24日

ゴーンも東電の清水社長コストカッター (総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


ゴーンも東電の清水社長コストカッター

(総合的に判断できる社長など今はいないーグロ−バル化の否定へ)


連続して浮上してきた数々の事件・事故・トラブルの背後にある原因のほとんどが、こうしたコストダウン・コストカットに集約される。加えて「嘘をつく」「誤魔化す」「隠す」「手を抜く」「騙す」「脅す」「法律違反をする」など、倫理観すらコストダウンに飲み込まれている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2016/02/post_13625_2.html
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どうして危険だと分かっていた1号機の廃炉をしなかったか。上の記述で明らか。10円を惜しんで、1億円を失ったのです。

社内の土木調査グループから、国の研究機関である地震調査研究推進本部の長期評価を用いて試算したところ、福島第一原発が15.7mの津波に襲われる可能性があるという報告がなされた。

しかし、吉田氏を含む東京電力の経営陣は、そうした津波の発生確率は1万年から10万年に1回程度で、防潮堤建設にも数百億円の費用がかかることを主な理由に、対策を打たなかった。

またGEは竜巻の経験はあるが、津波のことはまったく念頭になく、電源盤や非常用ディーゼル発電機などを、補修がやりやすいよう、建屋の地下にまとめて設置しており、これが3・11の大惨事を招いた。

東電から、福島第一原発を8.6〜8.9mの津波が襲う可能性があるという試算結果を説明され、その場合、ポンプの電動機が水没して冷却機能が失われることを認識していたが、「聞き置いた」だけだった。


日産の会長、カルロス、ゴーンの逮捕で気になったのがコストカッターだということであった、二万人の社員を首にした
それを恨みに思っている日産社員が語っている
そしてゴーン自身が会社の金を私的に流用して50億円を裏金として利用していた
社員を非情にコストカットのために首にして自分自身は裏金で日本に税金も払わず
私用に使っていた、ベルサイユ宮殿でまた結婚式までしていた
これでは腸(はらわた)がにえくりかえるともなる

経営はわからないにしても東電の事故でも清水社長はコストカッターでのし上がったと常に言われてきたのである
東電自体でもコストカットの圧力があり会社全体で取り組んでいた、社員も整理していたそもそも経営では常にコストカットが要求される、営業ではノルマを果たすことが要求される、それが強硬なものとなり社員に圧力がかかりプレッシャーとなり何が何でもノルマを果たすために客をだますということにもなる
私企業ならもうけを出すことが最優先なのだからそれはどこの会社でもある

ただ東電に関してはそのコストカットが重大事故の原因になったから問われた

原発事故の原因はいろいろあるが

●アメリカの押しつけ

●日本の技術の未熟性

●日本の風土の無視

●無理なコストカットの強制

●コストカットで安全の無視

これが主要なものとしてあった、原発はもともと原子力潜水艦から生まれ技術であり原子力技術者は陸で行うことは危険だから反対していた
つまり科学者でも技術者でも原発には反対する人がいたのである
ただそこにアメリカの圧力とか日本の政治の圧力があり無理やり作られたのである
最初に湯川秀樹はアメリカの原発を導入しようとしたときまだ時期が早いからやるべきではないと言っていたのである

結果としてアメリカからの強力なおしつけで古い型のマーク1の原子炉を売りつけられたのである、それは危険だからやめるべきだという意見もあったが無視された
アメリカでは外国だから事故のことを真剣に考慮しないからだった

もう一つはアメリカでは竜巻があるからそれにならって地下に電源を置いた
そのことが最大の過ちとなったのである
日本にはそんな巨大な竜巻は来ない、でも地震と津波が来るのである
それでもともと津波とか警戒して高台に作る予定していてそうなるはずだった
そうすれば津波の被害はなかったのである

コストカットするために高台に作ろうとてして土盛りもしたがわざわざ低くしてそれで地下に電源を置いた結果津波で破壊された
コストカットと日本の地震とか津波を予測されていたのにしなかった
何かここに経営の失敗の共通性がある
経営はわからないにしろ総合的なものから判断する必要がある
それを統括する人は社長になるとただコストだけを見ていたら失敗する
ゴーン社長もコストだけを見ていてそれをカットしたことには成功した
でもそのために二万人が犠牲になっていたのである
そうして犠牲にさせていて自分自身は巨額の会社の金を私用に使っていたのである
コストカットは誰でもできることだという意見もある

つまり経営は総合的判断だからコストカットということだけに目がむくと他がないがしろにされる、その総合的に判断することが社長の役目なのである
その総合的になるということが現代の複雑な社会では至難なのである
なぜなら吉田社長でもそうだけど私は資材部門の専門であり復水器については知らないと言っていたのである、復水器は原発の安全に欠かせない重要な装置だったが知らなかったのである
技術でもあらゆる技術を知り得る人はいない、そんな人がいたら神のような人だとなってしまうだろう
それで大病院で癌の見落としがあったことが問題になっている

主治医は、報告書が届く前に画像だけを見て診断し、患者に説明することも少なくありません。その際、主治医は自分の専門分野、例えば肺なら肺、腎臓なら腎臓の臓器だけに注目し、周辺に映っているほかの臓器に注意を払わない傾向があるといいます。ほかの臓器に異変があるかもしれない、そうした可能性を考えることなく判断を下す

「相次ぐ『がん見落とし』 背景に何が」(時論公論)
                                               
これも同じように体全体を診れる医者がいないのである、いくら技術が発達しても優秀な医者でも体の一部分しかしらない
全体の体を診れないのである、だからそこに落とし穴があるのは原発でも同じだった
原発全体を見渡せる知りえる人はいないのである、するとどうなるのか?
もう事故になったら何もできない、壊滅的なカタストロフィー大崩壊が起きて成す術もなくなるのである
それが現代文明の宿命でありそれで文明が崩壊するというのも納得する
誰ももう全体を知ることはできない、それはAIになってもそうである、そして操作不可能になり大事故になっても成す術がなくなり文明が崩壊する、それが現実にここで起きたことなのである
原子力文明の崩壊だったのである  

ゴーン社長でもコストカットということだけに目を向ける、そこでは成功している、しかし二万人の首切りとか犠牲があった
それはコストカットには必ず無理があるから犠牲が生まれる
それにしてもブラジルからレバノンからフランスから日本と渡り歩く人にも驚く、その育った家庭もグローバルだったのである
でもこのグローバルなものが実は今や危険だということを知る
原発事故でわかったようにそれぞれの国には歴史があり風土があり地歴があって成り立っている

日本には日本の文化があり会社文化もある、社員を大事にするという文化がある、社長が飛ぶ抜けて給料を独り占めするようなことは日本ではない、欧米では普通にある、それは階級社会があったからである、そこに奴隷も存在したからである
それでフランスの人の発言で富裕層は仲間でありこうした悪も暴かれないが日本では暴かれたとして喜んでいる
欧米では支配階級と被支配階級が明確に二分されているのである、それは歴史的にもそうである
日本は平等社会なのである、侍がいたとしてもヨ−ロッパの貴族とは違っている、質素なのである
極端な格差がないのが日本社会でありそれが歴史であり文化なのである

だから会社でも日本では日本文化に基づいた会社形成をするべきだという人がいるのもわかる
社員の幸福のために会社があるのであり株主のためではないという思想である
いづれにしろグローバル経済はいたるところでほころび限界に来ているのである
それは国々の地歴を風土文化を無視しているからである
そこが最大の問題でありそこからさまざまな軋轢が生まれるのである
グロ−バル化というのは今や限界に来ていてもう全否定とはいかなくても否定する方向に世界で向かっているのである



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2018年11月22日

南米などカトリック地帯がなぜ停滞しているのか? (ホンジュラスの移民騒動の深層)


南米などカトリック地帯がなぜ停滞しているのか?

(ホンジュラスの移民騒動の深層)


ホンジュラスとかでもそこはマヤ文明が起きたところであり古い場所である
ただなぜメキシコでもインカ帝国があったところでも南米は停滞しているのか?
その原因の主要なものに宗教があるということも考えられる
南米はスペインに侵略して植民地化された、簡単にマヤもインカも崩壊した
黄金をすべてやるからと王は懇願したが無惨に殺戮された
その殺戮したスペインは強盗団だったとされる
その黄金を略奪してスペインが一時的には栄えたのである
でもそれは長続きしなかった

何か宗教と文明発展の因果関係があるのか?

プロテスタント国がカトリック国やギリシャ正教国の債務問題に奮闘しているのを見るとある国民の働き方、貯金の仕方、消費の仕方などは彼らの属する宗派の影響を受けるという説が、改めて説得力を持ってくる。
カトリック教会は「勤労と蓄財は罪」だと説明しましたが、こうした教えを公然と否定したのが、ドイツのルターとスイスのカルヴァンです。いわゆる宗教改革ですね。彼らの教えを信じる新しいキリスト教徒を総称してプロテスタント(新教徒)といいます。

ギリシャに加えて、ポルトガル、イタリア、アイルランド、スペインも巨額の財政赤字を抱えていることが明らかになっています。
これら5カ国の頭文字をとってPIIGS(ピッグズ)と呼びます。
「イタリアは昔、ローマ帝国があんなにすごかったのに、今はなんでダメなの?」

中南米に乗り込んでいったのは、スペイン人とポルトガル人。つまりカトリック教徒だったのです。


カトリックが蓄財を禁止して教会に寄付することが救いになるとか免罪符とか配布して教会が金儲け組織になった、それが社会全体に影響してカトリックの国が軒並みヨ−ロッパでも中南米でも停滞している
宗教がそれほど影響を及ぼすのかとなるとまた疑問があるが文明を宗教で分けるのが普通である、イスラム教の文明、キリスト教の文明、仏教の文明・・・とか大別される
ただキリスト教は三つに分かれている
カトリックとプロテスタントロシア正教でありギリシャ政教から発展したのがロシア正教である
この中でもプロテスタントが普及した所が世界の主導役になり発展している
アジアでもフィリンピンはカトリックであり工業化できない発展できない

ただこのカトリックに共通しているのが比較的暑い南国地帯なのである
南国地帯にはもともと勤勉の思想がおこりにくい、なぜなら暑くて働けないのである
でもバナナがいつも目の前にぶらさがっているとか食べることはできるから暑いからあえて働かないということがある、そのためにカトリックの宗教思想がマッチして受け入れられたともなる、人間は気候の影響を受けるのである
なぜならプロテスタンとはドイツとかイギリスとか寒い国から起こったからである
ただアイルランドが停滞しているという時ここもカトリックなのである
ということは宗教が影響したという説の後押しになる
ただ不可解なのは日本だという時その説明はめんどうになる
中国だって今は発展しているから宗教の影響がどうなっているのかすべてこれで説明はできない、ただイスラム圏が停滞しているのもやはり宗教が原因しているともとれる

ともかくホンジュラスがあのように停滞して貧困からぬけだせない、そして治安が悪化して住んでいられないとなるのは悲惨である
やはり貧困化が極端になると治安が悪くなり国が崩壊する
そしてグローバル化時代は世界的になり移民が発生する、大陸では陸続きだから大量の移民が発生する、それは歴史でもゲルマン人とか民族移動があったからだ
それが歴史を変えたこともあるからだ、あの人たちは命がけで国境を越えようとしているそれで砂漠地帯で食料も水もなく死んでいる人もいる

要するにグロ−バル化するとそうして格差も極端になり豊かな国に人が移動する
日本では海に囲まれているから何か大陸で動乱があっても大挙民族が移動することができない、でも朝鮮では古代から常に動乱があり日本国が成立していないときは移民があったでもその移民は先進技術を製鉄技術をもった人の移動だったのである
今の移民は何ももたない移民でありただ単純労働する移民なのである
日本でも技術をもっている高度な移民は受け入れるとなるが単純労働になると問題が生じる、日本は高度な技術をもった少数の人しか受け入れていない歴史がある
つまり日本でもそうした大量の移民を下働きさせるとか経験していないのである
そこに混乱が生じているのである

第一アメリカでは英語をしゃべれない人が半分とかいるのも異常である
ヒスパニックがそれだけ多いからそこで意思疎通することがむずかしくなる
言葉が通じないとなればもうそこにアメリカ文化があるのか?
日本で考えてみても他の国でも一応一つの国で言葉は共通なのである
それがないとしたらそもそも国としてのアイディンティティでを保てるのかとなる
だからアメリカが分断されるとか言われるのもわかる

何をアイディンティティとして国をまとめるのか?
それがもう混雑してわからなくなるからである
それで格差が極端化して資本主義とか民主主義すら機能しなくなり崩壊しつつある
民主主義自体が世界で問われている、日本でも多数決なると不平等になりシルバー民主主義などが批判される、南相馬市だと原町区がもともと人口が多いのだから合併したら他の地区がないきがしろにされ人口が多い場が中心になる
民主主義も危機にさらされているのである
アメリカ自体が国をどう維持していいのか岐路にたたされているのである
それで移民を拒否するのは白人からするとこの国は誰のものだとかなってしまう
それは日本だって移民でも外国人労働者でも大量に受け入れるとそうなるから拒否する人たちがいるのもわかるのである

posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年11月17日

地方議員がいらないというのはなぜか? (私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


地方議員がいらないというのはなぜか?

(私は今回は棄権でありそれは民意が反映されないからだ)


我が家の近所に住む町内会長さんは、無償で公園の掃除をしたり、祭りを仕切って慕われているが、地方議員より、よほど地元に貢献している。

日本は民主主義の本場のアメリカから比べても本当に議員の数が多すぎる
ここの主張では議員を減らして行政にたずわる人に金を回した方がいいとしている
議員は無駄飯くらいとしている
それだけ何をしている人たちなのかわからないのである
それで選挙の時いい大学出ているとかで評価したりする
でも政治はその人なりもあるが何をしたのか、どういう働きをしたのかが問われる
しかしそれがわからないのである

選挙の時だけ騒ぐけど日ごろ議員の時何をしているのかわからない
ただ金をもらっている人だともなる
だからここでは町内会長が公園の掃除を無償でしている
その人の方が役に立っているとなる
要するに議員は高給取りでも何をしているのかわからないのである
議員は暇でしょうがない職業だともここで書いてある
ただ議員となれば議員という地位と金が入るとなるだけでだとなる

ともかくアメリカからすると倍以上というより何倍も議員が多いのである
それでかえって効率的でなくなる、行政を担うのでもない、だから直接行政で働く人を増やした方がいいとなる

この辺では様々な問題が山積みだけどその解決に議員がどれだけ努力しているのか何か方策を考えているのか?それもわからない
これだけの問題をかかえても議員が何をしているのか良くわからないのである
鹿島区で高速無料となったのは市長の権限なのだろう
市長は何かをすることができるが議員がどうかかわるのか見えない
だから議員代議制は特に地方の場合形骸化しているのである

それでいろいろな方策を提案するようになる
何か議員に一票投じることが虚しいのである、それは何の効果もないからである 
 
 平成22年(2010) 

震災前は72パーセントの投票率

 平成26年(2014)

 59パーセントである
 
震災前が高かったが震災以後の2014年は低い、これは小高が避難区域になり投票者が散らばったからかもしれない
今回はどれくらいになるのか?
70パーセントにもどるのか?

ただ正直選挙に関心がもてない、地域に住んでいればいろいろと関心をもつ、私自身が鉄道と駅に関心をもったので報告した
それは身近な存在だからそうなった
つまり議員でも何をしているのかプログなどでも報告する義務があるとなる
そういうことをしている人はいても少ないし内容がともしいのである

現実にどういう主張してどういう成果をあげたかなどわからない、ただ選挙の時お願いしますお願いしまだけなので嫌になる
つまり町内会長さんが無償で公園の掃除をしている人の方が市のために役に立っているともなるのだ
議員は前はそれも昔になるが土地の有力者などが無償で行っていた名誉職だった
だから無償のボランティアとして始まっていたのである
今は高給とはいかなくても市の財政から金を払っているのだからそれなりの仕事をしてもらいたいとなるがしていない、またわからない、だからボランティアで公園の掃除している人の方が役に立っているのである

いづれにしろ今回は私は棄権である、誰に入れていいかわからない、そして民主主義で棄権が多くなるとそれは民主主義自体を否定することになるから民主主義の危機なのである、もう50パーセントくらいの投票率では成り立たないともなる
民意は反映されないシステムになるからである
だから個々の事案について投票するシステムを作れとかいろいろ言う人が出るのもそのためである

つまりもう選挙では何も反映されないとなるからそうなる、そしてシルバー民主主義のように選挙する前から決まっている
数が多い方に有利になっているから若い人は選挙に行かない、この辺だと合併して原町中心になったからそこは6万とかの人口の内
4万いるから原町区中心に何でも決まってしまうのである
だから補償金でも鹿島区の三倍原町区はもらっている、鹿島区が不満でもどうにもならないのである
原町区の方が人口が多いし票が多いのだから文句言っても多数決で決まるからどうにもならないのである
それはシルバー民主主義と同じなのである、そしてどうせ自分たちの意向は反映さないとなり棄権になり投票率が下がり民主主義の危機になっている、だからなんらかの制度を改革が必要なのである


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2018年11月11日

南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機) (最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)


南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機)

(最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)

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大山議員制作


原町区は一か月十万で19か月分もらった

一人190万もらった

4人分で760万もらった

鹿島区は一人10万で7か月分で70万もらった

4人分になると280万である

760−280=480万になる

この差をどうみるのか?


差が大きすぎた、でも原町区の人はそれなりにもらったから文句は言わない
そして政府や東電に要求するにしてもその動機が弱くなる
どうせもらっているんだからいいやともなるからだ


だから何か原町区の人が来て鹿島区の人と協同しようとした会合があったがうまくいかなかったのである、それは原町区の人はもらっているのだから別に要求しなくてもいいともなるからだ、鹿島区の人はもっともらいたいという強い動機があり要求がある
でも南相馬市全体の要求とは意志とはならないのである
つまり南相馬市全体で一致しないから協同もできないのである
だから合併しても協同が計られなかったという皮肉な結果になったのである





「議員たちは本来、二元代表制のもとで行政をチェックするのが役割のはずですが、実際は自らが行政に食い込み、コネクションを利用して支持者や関係者のために公共事業をとってくる『利権の配分者』になってしまっている。すべてが公開されるべき行政の情報も、議員が行政と結託して『ブラックボックス』にしてきた。住民と行政の仲介者であるはずの議員が、公正な行政の実現を妨害している。今のような職業としての地方議員は、いなくなったほうがいいと考えています」

私たちは普通に暮らす人たちが議員になるべきと考えます。そういった人たちが日常見聞きする問題について専門家やその当事者を議会に呼び、オープンな議論を住民に見せて、住民が賛否を判断する。議員はその仲介役でいいのです」(同)

地方議員をゼロにする運動まで起きている、それはもう民主主義でも資本主義でも制度疲労であり社会の要求に答えられない、民主主義が多数決で公平になっているかとなるとなっていない、かえって不公平になっているのである
それで一票の権利をもっていても投票もしたくないのである
結局何も変わらないからである、そうして民主主義の本場のアメリカでも今無力感がつのり国が二つに分断される、それはもう選挙で多数決で決めることの限界が来ているからである

例えば日本だとシルバー民主主義であり若者がいくら投票しして数が少ないから老人向きの政策になる、それが民主主義が多数決で決められるからそうなる
それがかえって不公平になりもう選挙しても無駄だとなり投票にも行かなくなる
資本主義だって世界の数パーセントが富を独占しているとなると公平でないからもう資本主義はやめた方がいいとかなる、そういう資本主義でも民主主義でも制度疲労を起こしているのである

南相馬市は津波原発事故が起こりあらゆる問題の場所になったのである
政治の場にもなった、日本の政治や世界のアメリカのことも問題になった
だから政治意識が高まったことは確かである、またそうならざるをえなかったのである
それは直接利害をみんな及ぶことになったからである

その最大の象徴が原発事故の補償金問題だったのである
これによって小高区と鹿島区は分断された
それと原町区が関係しないかというと実際はしていた
ネットで百億円鹿島区に仮の賠償金として払うというときネットでものすごく反対した人がいたのである、それは南相馬市の予算から出るからである
でもそれは後で東電からでも支払われるものだったのである
ただ百億円が大きいから反対した
そして小高区の人にはなんでも手厚いサービスがされた
介護でも優先されていた、その時私自身が介護で四苦八苦していたから腹ただしかった
すくに病院でも高速でも有料になったのである、半年くらいでそうなった
原町区と小高区は三年とか無料だったのである
ようやく市長が変わって高速でも無料になったのである

そして前の選挙のとき鹿島区出身の議員が仮設に住んでいた小高区の人と一緒に投票するよう頼みに来たのである
南相馬市として合併すれば別に票になるから鹿島区を優先する必要はないからそうなる
でもこれもおかしいなと思った、なぜそんなに小高区の人が優先されて良くされるのか?そのことが鹿島の人たちはみんな不満に思っていたからである
もちろん小高区の人には言い分がある、でも全面的に問答無用で小高に文句言うこと原発避難民に文句言うことは禁じられるようになっていたのである
NHKでもマスコミでも原発避難民側についていて批判することはタブーになっていた
それが鹿島区の人たちは不満をくすぶらせていたのである

だから南相馬市として小高と原町と鹿島が合併してかえって不公平になったということはある
多数決で決めることはかえって不公平になる、それがここでも起きていた

原町区では鹿島区の三倍の補償金をもらっている

それはなぜか、それに反対できないのか?

国が決めたということもあるがそもそもが同じ南相馬市なのにこれほどの差があるのか?それは国や東電が悪いということは確かである、鹿島区にも30キロ圏外でも配分すべきだとなる、なぜなら同じ南相馬市だからである
ここで南相馬市の一体感はなくなったのである
そのしこりが今でも残り協力できない関係になったのである

ではどうすれば良かったのか?

多数決で決めてはならない、公平にすべきだったとなる

原町区が鹿島区の三倍もらうのはおかしい、二倍でいい、その分を鹿島に配分するとかすべきだった
なぜなら鹿島区でも避難した人は半分いたからである、30キロで区切られたにしろ鹿島でも半分は避難したのである、避難したから原町区の人はもらって当然だったとなる
でもそうなら二分の一にしてその分を鹿島区に与えれば良かったともなる
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こんな風に配分すればよかったともなる、これを四人分にすると原町区は126×4=504万円
鹿島区は103×4=412万円になる、鹿島区は4人で280万にしかならない
そもそも原町区が一人190万は多かったのである
これは一つの例だけど鹿島区がこれでは多いといえば引いてみるとかする50万くらいひいてもいいとかなる
でも確かに鹿島区は原町区と比べて少なすぎるのである
こういうふうに原町の人がしろとして賛成は誰もしない、そしてら原町が多数なのだがら議員だって代表となるには当選するには原町区の人たちの言い分を尊重しなければならない、結局誰も原町区の人は賛成しない
つまりすべて民主主義は数で決まるから不公平になるのである
利害だってそうである、少数者は切り捨てられる、それは他の国アフリカなどでも起きて凄惨な殺戮が起きている
多数決だと多数であれば何でも通るとなっているからそうなる

ここで大事なのは公平感をもたせることである、そうすれることが一番大事なのことだった
確かに30キロ圏で区切られたから国で決めたことだから市ではどうにもならないという理由がある
むしろ一致して要求すべきだとなる、でもその前に国でも東電も差別して協力させないようにしたのである
それを市の方でまた南相馬市民全体でそれに対処しなかったのである
自分たちだけ良ければいいとしかなかった、それは避難区域でもそうである
自分たちが補償金もらって脱出していちはやく家を建てて帰らないと決めた人がいた
補償金はかえってそうして町全体の復興のためには使われなかったのである

でもここでも多数決になるから不公平になる
それは前からもそうだったのである

原町区の人口は7万あったとして5万くらいがもともと原町区の人口だからそこが人口が多いのだから行政でも予算でも原町区中心に配分されると不満があった
今回の補償金でもそうである
原町区の人口が多いからその人たちが鹿島区の三倍もらっていれば何も言わない
原町区の人には不満がないのである
その原因が人口が多いから南相馬市の決定権は原町区にあるからだ
市長選挙でも原町区の票をとらないかぎり当選しないからだ
つまり多数がかえって不公平になるのである、多数の横暴によって少数者は損する仕組みなのが民主主義だとなりシルバー民主主義と同じく投票しても何も変わらない
投票しても無駄だとなって無力感をもつだけなのである

だから議員はいらないとかなる、議員を具体的になくす方法を東京でも模索されていることでもわかる、ただそこにあるのは都民でれ市民であれ国民であれ無力感しかないのである
市民であれ国民であれ何か要求があってもそれが議員を通じて達成されないから無力感をもつだけだとなる、それで民主主義の危機になっている

例えば庶民レベルだと誰を選ぶとかなるとあの若い人は一流の大学を出ているとか評価している、それも変なのである、どういう成果をあげたのかが実際は問題である
どんな大学を出たかなど関係ないのである
それは就職すると仕事ができるかできないかで成果でその人の評価が決まる、東大出ても仕事ができない人は評価されない、でも何か議員になるとその成果がわからないのである

社会は成果に対して厳しい、家を大工さんに修理してもらったら直っていなかった、それでかなりの金はとられたのである、でも直らなかったら金をとる権利がなかったのである医者でも病気を直したら金をとれというが実際は直らなくても膨大な国民の金が医療関係者にとられているから膨大な医療費が節約できないのである
それと同じように議員の成果がわからない、それでも国民の市民の税金で給料をもらうのはおかしいとなり地方議員の場合はいらないという運動まで起きているのである
つまり議員はどういうふうに評価していいかわからないからそうなる
どこの大学出たからなど関係ないのである
ただ庶民レベルだとそうして投票する人もいるのかとなるとまた民主主義は結局愚民主義になり政治家でもろくなものがいないとなっているのである

いづれにしろテーマごとにその時代表でも選ぶ方法とかいろいろ改革が必要なのである
今のままではただもう民主主義に対する不公平感がつのるばかりであり選挙しても無駄だとなり選挙自体機能しなくなる、それは民主主義ではだめだということである
何でも選挙で多数決で決めることがいいのかとなる、それは不公平感が増すばかりなのである

例えばでは大山議員は原町区の人だけど原町区の補償金を一割でも二割でも減らして鹿島区に回すとかできるのかとなるとできない
それを国や東電に要求することはできる、でもそれがむずかしいとなるとき
南相馬市の一体感をもたすために原町区の補償金を鹿島区にまわすとか何か痛みともなうことはできない、つまり南相馬市は小高区と原町区と鹿島区と補償金の配分で分断されたのである
割をくったのが鹿島区でありる、でも南相馬市では原町の人口が三分の二とかなり多いのだからそれで政策も決まるのである
だから投票の数で決まるかぎりこの不公平感はなくなることはない
それはシルバー民主主義でもそうであり民主主義の本場のアメリカでも分断されたように多数決とか投票だけで多数決至上主義が限界に来ているのである
ただそれに代わるものが何かあるのかとなる
いろいろ模索されているけど明らかなことはもう多数決で投票で決める民主主義は制度疲労であり限界に達している、その時どうなるのか?
誰もそうして多数決で何でも決まることに無力感を感じて関心もなくなることである
遂にはほんの党派の人とかしか投票に行かない、もうそうなると民主主義自体機能しなくなる、そういう危機になっているのである


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2018年11月04日

ホンジュラスの移民騒動 (格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)

ホンジュラスの移民騒動

(格差貧困化は日本でも深刻化して暴動も起きる)


米には麻薬組織ともつながった「マラス」と呼ばれるギャング集団が横行していて治安がひどく悪化していることと、貧困問題が主な理由です。働きたくても仕事がない若者がギャングに勧誘されることも多く、断ると命に危険が及ぶこともあるようです。

成人男女の平均労働時間は、14時間だ。機械が常時、動きつづけられるようにするため、労働者は、一日に14時間、週に、三日から四日働き、休日には、他のチームが入れ代わる。生産割当は極めて高く、病気の労働者ですら、限られた休み時間と食事時間しか与えられない。シフトにつき一時間半だ。注文が、増減するのにつれ、工場の雇用も増減する。労働法は、日常的に、無視され、労働組合の結成は弾圧される  

300,000人以上の子供がホンジュラスでは働いている。彼らの一日の就業時間は、成人のそれより、ほんのわずかばかり短いだけだ。国連児童基金(UNICEF)によると、マキラドーラでは、15歳という若さの子供が、一日、10から13時間も、一時間わずか40セントで働くよう強いられている

ホンジュラスは、アメリカ軍によって、1907、1911、1912、1919、1924、1925、そして1931年と、繰り返し、侵略されてきた。こうした侵略において、目標は、アメリカ企業の権益を保護と、専制的傀儡政権の安定性だった。



この国はアメリカの企業によってバナナだけを生産される、単一商品化栽培させられる
そのことでバナナの値段に国が左右される、それからアメリカの企業の支配になりそれと結託した地主とか指導層が金持ちになる、それで極端な格差社会になる
そのことはアフリカでもコーヒーだけを栽培させられてコーヒーの値段に左右されて飢餓にまでなった国がある
それが現代の資本主義化多国籍企業化した問題である
一千万人くらいの人口なのだからもうアメリカの属国のようになっていた
でも何かこういう構図は世界中にあった、日本だって戦争に負けたらアメリカの支配になったからである

それはグローバル化経済で多国籍企業支配で起きたことである
それは江戸時代の日本でも起きていたのだ、伊達藩から大量の米が石巻から江戸へ送られていた、その米は商品と化していたから米を売るために米がバナナとかコーヒーと同じように単一商品化して飢饉になった時、他に食べるもきるを生産していないから飢饉になったという、コーヒーばかり作っていたアフリカの国でもそうなった
もともとはいろいろなものを畑で野菜を作っていたからである
同じような問題が江戸時代にもあったのである

ではなぜホンジュラスで大量の移民がアメリカにおしかけるのか?
それはアメリカにも責任がある、アメリカの支配でそうなった
そして麻薬を扱うギャングが横行して国を支配してしまう、ギャング国家になる
メキシコでもそういうことがあり映画を見た、若者はギャングになるほかなく鉄道を利用してアメリカに脱出するほか救いがない、その心は荒れ果てている

ただなぜ中南米とかがそうした貧困にあえでいるのか?
あの辺は弱小の国が多い、またそういう国は工業化できない、するとバナナだけを生産するようにアメリカに強いられる、そういう仕組みがあり今度は移民となって大挙脱出することになる、それはメキシコでも同じだったのである
ギャング団に支配された国から脱出したいとなる
メキシコでもそうしてギャング団に残酷無惨に殺された映画を見たがそれは現実を反映していたのである

いづれにしろグローバル経済の格差問題は深刻である
こうして必死の移民が増えるのは恐怖である
それは日本国内でも貧困格差問題はこれから深刻化する
まず治安が悪くなる、もう金持ちは私兵を雇ってでも防衛するほかなくなる
小金持ちでも飢えたような人が増えれば襲われる
実際日本でもそうなりつつある、貧困は深刻化しているのである
そのことで自分自身が家が介護などでガタガタになり弱者化したとき起きた

家に入れたものに大金を盗まれたとか今度は事業に失敗した人が借金を要求するとか地銀は苦しくなり投資信託を売りつけるとかさんざんな目にあった
今でも困窮者が来て金を要求してくる、その人はぎりぎりの生活だからである
現代はなかなか貧困者が見えないのである、着るものでもわからないからである
でも日本全体が貧困化している、格差社会になっている
それで自分のようなたいして金持ちでもないものも狙われ襲われるのである

日本では本当に暴動寸前になっているのかもしれない、暴動が起きないというけどそれもわからない、消費税10パーセントなどふざけるなと自分でさえ思う
別に日本政府には金があるとみんな言っている
財務省の支持でそうなっているから財務省を批判する人もいる
つまりもしかかしたら日本の官僚は財務省はホンジュラスのようにアメリカの言いなりである、その支持で経済政策も決められるとなる
そこでそれをとめるにはホンジュラスのように暴動とか国を脱出して移民化する
日本に絶望して若い世代が外国で働こうとしているのもわかる
経済的危機になるとグロ−バル化社会では外国に脱出する人が増えるのである
貧乏人もそうだが金持ちでさえ税金を収めたくないとかなる
そうして国時代は崩壊しかねないのである

まだ日本ではそうした深刻な自覚がないが否応なく格差社会では自覚させられる
何より治安が悪くなり金持ちでも小金持ちでも襲われる
そうなると金持ち自衛しなくてはならなくなる、太宰治の生家のように高い塀で囲み警察を常駐させるようにもなる、地主であり極端な経済格差のためにそうなったからである
要するにホンジュラスはアメリカの属国でありその属国が移民化しておしよせる
そしてアメリカはそういう国を捨てる、移民を撃ち殺すとまでなる
アメリカ自体が経済的余裕がないからそうなった、アメリカ本土でも格差が極端であり
多数が貧困化しているからである、何パーセントの大金持ちがいてあとは貧困化しているのである
そこで暴動でも起きてくる、アメリカという国自体が危機であり格差社会で分断化して崩壊の危機に晒される、それは日本にも波及しているのである
貧困化社会になり暴動が起きる、すでに自分が経験したようにその時モラルは崩壊する
銀行でももうけるためにはなんでもする、だましてでも投資信託などをうりつける
そうしなければ会社を維持できないからである

日本でもそうした貧困者が増えているからことを自覚していない、それは暴動とかならないと自覚しない、だから米騒動のような打ちこわしとか起きる
すでに自分が経験しているように起きている、個々人で起きて全体と波及するのである
その対処方法があるのか?それを深刻に考えないと日本は治安が悪くなり危険な状態になる、だから消費税など上げるべきではない、なにかにやと政府では理屈を言うがそれは嘘なのである
財源はあるが隠している、日本の官僚は財務省でもアメリカの支持に従うというときホンジュラスとにている、でも貧困層はもう我慢ができないから暴動ともなり移民化する
命がけで国を脱出するとなるのだ
人間追い詰められとモラルもなにもなくなる、会社でもそうである、もうけるためには地銀でも投資信託を売りつける
それは社会全般にそうなる、日本は貧困国家にすでになっているのである
ホンジュラスのようにはならないにしてもそれと似たことがこれかたら起きるのである、実際起きているし自分がその被害者だったのである
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2018年10月08日

北海道地震でも厚真町などでも自治体の崩壊現象が起きる (北海道の過疎化は深刻)


北海道地震でも厚真町などでも自治体の崩壊現象が起きる

(北海道の過疎化は深刻)

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厚真町では、住民の移転の動きが出始めた。町はかつて人口減少で消滅する可能性を指摘され、対策を講じ人口増に転じたところで、地震は誘致策にも打撃になる。

日本の人口5千人未満の自治体のうち29.5%が北海道に集中することになります

ここで人口が半分にも減っている、これは大きい、北海道自体の状況が反映している
鉄道でも半分以上が廃止になっていて昔ここは駅だったとなり記念の建物が残る
北海道の鉄道は惨憺たる状態である
そして北海道の過疎化も厳しい、厚真町では人口が半分に減り60歳以上の人口が多くふはり高齢化になっている
そういうところに今回の地震のような災害が起こると一挙に町自体が崩壊しかねない
復興するにも高齢化社会で老人が多くできない
老人はもうあきらめるとなる
この状況は津波とか原発事故周辺で起きたことと同じである
ただこの辺は人口が半分まで減るとまではなっていなかった
でも急速に避難区域は半分以下どころではない、三分の一四分の一となったし浪江では
二万の人口があっても千人も帰っていない
自治体の崩壊の危機にひんしている

北海道は札幌に人口の40パーセントが集中してその広大な地域に4,5000人の自治体が散らばっている、酪農とか農業でも広大な地域である
それが魅力なのだが人口に比例していろいろな店とか施設とか病院とかできる
コンビニでも2300人に一軒とかできる
それはだいだいあっている、人口がやはり経済の指標になる
ただ高齢者が多いからそれも人口が多いからといって自治体の活力があるとはならない
全般的に高齢化がどこでも影響が大きいのである

それは北海道では特にそうなのである、農業は楽ではない、美瑛というと丘の町で観光で有名だがそこで農業している人は延々と不満を言っていた、遂には中国人の方がいいとまで言っていた、私はその時自転車で旅してライダーハウスに泊まったのである
その農家ではライダーハウスをしていたからである
農業を知らないと何か広大でいいなとしか感じないがまず農業ほど手間がかかり金がかかるものはない、鎌が盗まれた、肥料が必要だとか、種が高いとか小さな趣味の畑でも金がかかる、それを支援するとなると大変である
それでもらったのはキュウリ数本であり結果的に一本一万以上になる
これでは誰もやりたくなくなる、趣味だってやりたくなくなる、必ずしも収穫もあるわけでもないからだ

北海道は特に過疎化とか高齢化になると農業でもつづけるのが厳しくなる
そして寒さが厳しいから余計に厳しくなる
旅行するにはいいところなのだが住むとなると厳しい、それはどこでも同じである
沖縄だって実際は住めないといろいろ問題がある
住むのと旅行で行くのはまるで違ったものになる
旅するだけならただ通り過ぎてゆくだけだから悪いものを見ないですむからである
そこに住めば悪いものに否が応でも接しなければならないからである

いづれにしろ東北でも津波と原発事故の打撃が大きかった
それはやはり北海道ではないにしろ少子高齢化とかが大きく影響したのである
原発事故の避難区域になったところでも解除されても帰ったのはほとんど老人であり若い人は帰らないからである、そこには過去だけになり未来がなくなってしまうのである
それが自然災害でも原発事故でもそうした大災害になるともうお手上げになる
そのことが今回の地震災害でも起きていた
復興できなくなっている、この辺では原発事故では補償金がでたが北海道では出ないからである、そして老人になるともうあきらめる人が多くなる
それも致命的なのである

人口で自治体を計られるというとき小高では3000人は帰ったというが老人の比率が多い、だからそこで復興するといってもシルバータウンのようになってしまう
必要なのは老人ホームだとなってしまう
現実に介護施設でも介護士が集まらなくて開けないとなっているからだ
立派な施設があってもそこに働く人を確保できない、なぜなら若い人が流出したからそうなっている
北海道は広いから何か福祉関係だと一軒一軒回るだけでも手間であり苦労になる
なかなか普通の福祉サービスを受けることもむずかしくなる
だから札幌に人口が集中するともなる

札幌市は、高齢者の転入が目立つ。60代、70代、80代、90歳以上のいずれのカテゴリーも、転入超過数は全国で断トツの1位だ。北海道内では、多くの地域で病院経営が難しくなっているという。このため多くの病院が札幌市内への開設を進め、つれて高齢者の札幌移住が加速している模様である。

病院となると都会が有利である、北海道とかなる広いのだから病院に通うだけで手間だとなる、そして高齢化社会では病人が増えてくるからこうなる
わざわざ仙台から東京の病院に行ったり福島医大に通っていた人もいた、だから老人も都会に集まるとなる
震災以後この辺では仙台市の人口が増えたのと似ている
近くの中核都市に人が移動している、飯館村とかが避難区域になると福島市に補償金をもらい家を建てたとかなる
その方が便利だからそうなる、多額の補償金をもらったことで余計にそうなったのである
そしてますます地方の自治体が崩壊してゆく危機になる
5000人とかなると自治体が維持できるのか?その人口構成も老人の比率が高いから自治体の活力を失うのである
三陸方面とかで津波の被害にあった所に爺婆に資金を出しても無駄だと官僚が言ったのは本音である
それはやはり少子高齢化社会が深刻な状態にありそれが災害とか今回の原発事故になると極端な現象になり自治体の崩壊の危機にさらされるのである

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2018年10月05日

オウムは何だったのか? (現代文明から必然的に生まれた−偶像崇拝、科学者の崇拝など)


オウムは何だったのか?

(現代文明から必然的に生まれた−偶像崇拝、科学者の崇拝など)


● 偶像崇拝の危険

●科学技術社会の混乱

●大衆社会の真のエリート不在  


●偶像崇拝の危険

オウムとは何だったのか?これも一つの答えはないだろう
宗教の基本には偶像崇拝の否定がある、これがユダヤ教から発したキリスト教でもイスラム教でも最大の戒めである
偶像崇拝の否定から宗教がはじまった、人間はそれまであらゆるものを万物を神として拝んでいたのである、それは眼に見えるものを拝んでいた
目に見えるものは崇拝の対象になりやすい、すると自然の万物が神になる
木でも石でも山でもあらゆるものが神になる、動物も神になる
それはエジプトであらゆるものが神になったこととにている
それあアジアのアニミズム信仰ともにている、そして人間自体も神となる
エジプトでは神々に満ちていたからである
そういう偶像に満ちた世界からの脱出として出エジプトがあったともなる
出エジプトの前からも聖書では偶像との闘いがっあった
偶像信仰との戦いがそせそも宗教の始まりだったのである
神とは何か?その答えは偶像の否定から起きた、神とは形になるもの目に見えないものとして聖書で偶像の戦いのなかで示したのである

偶像礼拝とは

金の像を拝まないと王から殺される危機だったが守り通した、それだけ偶像の力は今でも強い、信仰するに至っては必ず偶像崇拝に陥る
その偶像を否定しないかぎり信仰には至らない、つまり信仰とは今でも偶像崇拝との戦いなのである、それだけ偶像の力が強大だからである
仏教では仏像から日蓮宗でも真宗でも題目を唱えることになったのは進歩だったのである偶像の否定として仏像を拝むことをしなくなったからである
偶像は依然として強力である、例えば師は本当に偶像になりやすいのである
師は必要でもそれが偶像として崇拝するようになるとき危険なものになる
師の危険性はそこにある、未熟な若者だと余計にそうした師を異常に崇拝するようになるからだ、それを神としてしまうのである

仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。
親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。

師というのは偶像化されやすいのである、つまり解脱とか悟りでもここまでいかないとない、命がけで偶像を否定しないとないのである
何故なら必ず偶像崇拝になり偶像がたちはだかることになるからだ
オウムの麻原も偶像化されているし創価でも池田大作がそうだしまた幸福の科学の会長もそうだしたいがい新興宗教の教祖は偶像化されているからだ
その偶像に何百万人が礼拝している、とすると偶像を否定することは何百万人の人たちの反感をかい攻撃されることになるのだ、だから宗教は奴隷化されふすいのである

あなたの救の喜びをわたしに返し、
  自由の霊をもって、わたしをささえてください(ダビデ)

あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
(ローマ人の手紙)

自由の霊というとき集団組織に属しているものは奴隷の霊が与えられている
だからカルト宗教団体となり奴隷の霊を与えられているのである
なぜあれほど会員獲得に励んでいるのか?奴隷の霊を与えるためだとなる
それから地獄の霊を与えるためだともなる、カルト宗教団体では恐れと地獄を説くからである、それで脱会できなくなる、罰があたるとかを本気で信じているからである
それがまさに奴隷の霊を与えられたことでありその呪縛から逃れられないのである
そうしていれば一票を確実に獲得できるから選挙では力を発揮するとなる
つまり集団組織に属している宗教は信者は奴隷なのである
それを否定することはすでに社会から攻撃を受ける、それは社会そのものになってしまうからである、創価などを批判したらマスコミでもしない、権力をもっているからできないのである、そういう人は社会から排斥されることでもわかる

●科学社会の混乱

それから現代を特徴づけているのが科学が宗教となり信仰となっていることである
現代ではもう奇跡はない、奇跡は科学がもたらすし実益をもたらすから科学信仰になる
カルト宗教団体でもそこに医者がいたり科学者がいたりすると信用されるのである
今一番尊敬され崇められているのは医者であるからだ
あそこの団体には医者とか科学者とかがいるとなれば庶民でも一目おくのである
そもそも宗教が一般化したのは病気の治癒のためである
会津であれほど宗教が古代から入ってきたのは病気の治癒のためでありなぜ法印とかが必ず山伏が地域に小さな村でも一人とかいたのか?
それは病気の治癒のためだったのである、またなぜ地蔵が多いのか?
それは様々な病気のとき祈るためである、腰が悪いとか目が悪いとかあらゆる病気がありそれに効く地蔵があり祈っていたのである
そして村の中心には必ず薬師堂があったことでもいかに病気に苦しんでいたかわかる
人間の最大の問題は病気なのである、今でもそれは変わりないから医者が神様になってしまうのである

そして現代は科学の時代であり科学者を無視してありえないのである
科学技術者が神様になる社会である、だからこそオウムが理系の優秀な学生を虜にして間違った道に踏み入ったのである
その原因が偶像崇拝にあった、それと科学が結びついたことになったのは時代を反映していたのである、現代文明はそもそも複雑怪奇でありどうしても迷路の中に入ってゆく
何も指標がなくなった、あるのとはカルト宗教団体くらいしかない、そこでは救済を説くがカルトなのであり道を説くとかは全くない、会員を増やして勢力をましてこの世で力をもつことである、そして外国の勢力が加担して政治的なものとして利用される
キリスト教会でももともと宣教師が入った所はそうである
今では韓国系統の宗教団体は統一教会などがそうである
そういうものを否定したのが内村鑑三の無教会などだった、外国の宣教師などを拒否していたからである
そしてそういう独立系統のキリスト教は日本の伝統を重んじていたのである
内村鑑三は武士道を基にしたキリスト教を唱えたし手島郁郎は良くわからないにしても神道的キリスト教ともなっていた、日本の伝統を重んじたキリスト教となっていた
そこに外国の勢力が加担しないということがあった

●大衆社会の中での真のエリート不在

現代とは何か?江戸時代と比べると江戸時代は侍がいて指導する社会であり庶民は責任はない社会である、庶民はまず政治に口を出せないからだ
その代わり責任もないのである、侍はその代わり大きな責任を課せられていた
それで責任をとるものとして切腹させられたのである
それで庶民は侍になりたくなかったのである、そういうことを見ているからそうなった
責任をとる人は明確だったのである

現代とは民主主義になればみんな責任があり何かあっても誰も責任をとらない時代であるそのことを原発事故の責任で問うものになった
政府でも官僚でも東電でも科学者(御用学者)でもマスコミでも責任があったが責任はとらない、それはなぜなのか?。
原発を作ることは国民の賛成が支持があってしたこととなるからである
原発を作ることは国民に選挙で選ばれた人が政治家が率先してしたから何事民主主義社会では一票をもった人に権利が与えられているのだからその一票を投じた人が選んだ人に責任があるとはならないのである、選んだ人が悪いとなるからだ
だから政治家を批判したとしても選んだ人が悪いとかならずなるからである
ただ一票だとそれほど力にはならない、それで投票でも半分くらいしか行かないのであるそうすると国民が権利を放棄しているのだから民主主義は成り立たないともなる

そして現代で力をもったのもはマスコミのように大衆を操作するものである
娯楽を提供して大衆を操作する、カルト教団のように芸能人を利用して操作する
マスコミ自体がそうして愚かな大衆を操作するものとしてあると自覚している
愚かな大衆はマスコミに操作されるべきものだとして真実は報道されない、ただ大衆は操作されるべきものとしてある
だからこそ原発事故でもマスコミは電事連から莫大な宣伝費をもらっていた
権力と一体化してうまい汁を吸っていたとなるのだ
マスコミが現代のエリートであり指導者となっていたのである
それが大きな現代社会の堕落なのである、そしてテレビだと六局しか報道できなかったことでもそうである、その権利はあくまでも民主主義を促進させる正しい情報を与えるものとして権利が与えられたのだがその責任は果たさなかった
権力と一体化して利益を得ることしかなかったのである

いづれにしろ現代は真のエリートも地の塩もいない、指導する人はいない社会である
その中でアウトサイダーとなるような人がいるがそれは異常なものとして社会の異端となる、社会には受け入れられないのである。
そういう混乱の中で優秀な若者でも迷路の中にまよいこむ、それがオウム事件として現れたとなる
やはり社会には地の塩となるべき指導層が必要なのだが現代では失った
またそうした指導層でも堕落する、ただ利益だけを求めるものとなる
でも民主主義は愚民政治化してしまう、大衆は別に高邁なものは求めないからである

第一宗教でも高邁なものを求めたのだがカルトとなりただ御利益を求めるとてって俗化した、それは資本主義が修道院からはじまり節制とか他者への愛の実践としてはじまったのがただ強欲資本主義になったのとにているのだ
結局世俗化して堕落する、現代文明はそうしていくら科学技術が進歩しても精神的には荒廃して堕落したのである
そして異常に科学者が技術者がもちあげられて神のようになった社会なのである
そこにオウムが生まれ幸福の科学でも生まれる下地があった
科学ぬきではありえない社会だからである
科学が万能であり人間の望みを欲望をかなえてくれるものとしてあるからだ
しかし科学技術が何でもかなえてくれるかとなるとならない、今回のように原発事故となり挫折して終わるのである


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2018年10月03日

沖縄の地政学(原発事故周辺との相関関係)


沖縄の地政学(原発事故周辺との相関関係)
  
「沖縄の貧困」は学歴社会と暴力が生み出した

「松山には離島も含めた沖縄県全体から、学歴が低かったり、シングルマザーだったり、経済的に困る女性が集まっている。いろんな風俗がある東京とは、事情は全然違う。朝まで普通に営業しているし、客引きの規制はないし、店は未成年とか平気で雇用する。違法だらけ

沖縄と原発事故があったこの辺がにているということを書いた
ただ本当に地元の問題は外から見るとわかりにくいのである
沖縄でわかりやすいのは日本で一番所得低い地域なことである
それは原発や発電所銀座とかなった浜通りより極端である
浜通りでも双葉とか大熊とかはもともと相馬藩でも僻地であり磐城との境目でありもともと森とか野になっていたが明治以降開墾された場なのである

沖縄の歴史はNHKで放送していたが一時は中国の明の支配下にあり日本との外交交渉で苦心したことが放送された、明をたてなければならないしまた日本もないがしろにできない、その時秀吉が明を目指して朝鮮征伐に向かった時だったのである
それが沖縄にも影響していたのである
何かそれは日本の国際関係とにていた、最近中国が勃興してアメリカと対立するとその板挟みにあうからである、どちらもたてる外交になるから沖縄とにている
ただそうして悩んでいる時薩摩に征服されてしまった
琉球王国はそれだけの軍事力がなかったのである、城(グスク)とかは薩摩に征服する前からあり高度な技術であり琉球の群雄割拠時代のものだったのである
ただ平和の時代になって戦国時代の日本の薩摩の兵には対抗できなかったのである

沖縄は戦争の時四分の一が死んだというときそのことも日本であって日本を恨むとういことになった、だから中央政府と沖縄の対立は歴史的なものであり複雑である
地政学的には本土とは隔絶して遠いことである、北海道より遠い地域でありさらに辺野古となると那覇から遠い山原の入口であり出口である
要するに辺野古の先は山原(やんばる)でありジャングルが残っているのである
その基地になる所で私は自転車で行きテントを張り一夜過ごしたことがある

そこは那覇からも相当に遠い隔絶された場になっていた
そこでの生活は水道もないとか本当に未だに未開の地域だともなる
そこで基地ができるというとき単に簡単に反対とはならない、それはこの辺で原発が誘致されたのとにている、反対運動している人がほとんど左の外から来た運動家であり
地元ではみんて反対ではないし複雑なのである
外から来た運動家が地元の店で買ってくれないというとき運動家が金がないからだというのもその事情を知らないからそうなる
ただ辺野古はこの辺より未開の地であり極端な僻地なのである
いくら双葉や大熊が僻地だチベットだとかいう人がいたがそこは極端に僻地なのである

辺野古寄り旅人遠く去りにけり山原の森に風の鳴るかな

山原のジャングルの風の音を聞いているような場所なのだ、ただアメリカ軍のヘリコプターの音がしていたから基地になれば騒音で煩い地域になる
ただ基地ができればあのような僻地だから経済的には相当に潤うことになる
この辺では原発ができて原発長者が船主などに生まれたようになる
富岡町長の津波に流された5億円の金庫のようにそういう人が生まれることは確かであるあそこではどんなことしても豊かにはなりえないだろう

原発が建てられる所でも経済的問題でそうなる、核廃棄物の最終処分地の六ヶ所村もそうなる、そこでは経済的には相当に潤っているからである
そこも辺野古と似ている,辺野古はもっと僻地である

越前人のことを若狭の人間は「エッチャモン」というなぜシモなのかというと上方である京都を中心にすると若狭より越前は下方にあるから

背後の山が海に落ち込むような若狭地方には広大な耕地もなく繊維産業や眼鏡産業が発達した越前地方の豊かな経済力には到底太刀打ちできなかったことが原発事誘致の背景としてあった
(季刊東北学−ハナドリとコウナゴダカリ)

外から見るとまず若狭と越前の区別はしにくい、言葉も違っているから土地の人は明らかに区別してわかるのである、そして戦後無理やりにそうした地域の事情を考慮しないで
廃藩置県で県単位にしたからおかしなことになったのである
つまり歴史とが文化を考慮しないで強引に線引きしたからである
それは明治以降はその土地の歴史とか文化を地理を考慮しない県単位の行政になったからである 

沖縄の旅では那覇でも国際通りの近くでもバラックのようなバーがありそこに島の名が記されていた、那覇に歓楽街がありその島々から仕事を求めて女性がくる、そこには芭蕉の木があるのも沖縄らしい、つまり那覇の中心街でもそうした何か鄙びた感じがする所がありその近くの宿に泊まったということも不思議だった

月光り露店を出すや沖縄の国際通りを我も歩みぬ

芭蕉の木路地裏にありや那覇なれど島の名記す小屋の飲み屋

サンシンのいづこに今日もひびくかな月影さしぬ沖縄の家

沖縄と北海道は異国である、時間の感覚は沖縄だと遅れる、サンシンのびびきものどかである、北海道も苫小牧に上陸すると空気まで違っている、そこで心まで解放されて広くなる、日本は縦に長く沖縄は南国であり北海道は北国なるから多様なのである
沖縄は南の島になるし北海道で北方のノルウェーとかとにた厳しい冬の姿を見る
特に沖縄はもともと中国の支配下にあったりして気候も南国そのものなのだから日本は旅するには恵まれた土地だったのである
今何か異質なものを求めるのはむずかしい、どこでも文明化して一様化しているからである

沖縄の魅力は近代化していないということにもある、それは地元に暮らす人にとってはいいものではないかもしれないが何か江戸時代にもどったような感覚になるとすればただ観光するにはいいとなる
時間の感覚がやはり遅くなるということは文明生活に都会の生活に疲れた人にとっては癒しの場になる
それは日本の本土から隔絶していたからそうなったのである,ただそこでも基地の問題とか起きたのは地政学として考察する必要がある、つまり辺野古という地域でもどういう場所か知らないと地理を知らないと実感として知りえないのである
それは政治的問題でもなんでもそうである、地理があらゆることの前提してありそれを知らないと国際問題でも国内問題でもわからないのである。

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2018年10月02日

神奈川大学ヒマラヤ遠征隊の一人が死亡


神奈川大学ヒマラヤ遠征隊の一人が死亡

ネパール国におけるヘリコプター墜落事故について
標記につきまして、本学の卒業生で組織されている
「神奈川大学学士山岳会」の関係者から以下のような連絡を受けておりますので、
ご報告申し上げます。
同山岳会は、本学創立90周年記念の海外遠征として、山岳部の現役
のメンバーとともに、ヒマラヤ山脈のマナスル登頂を目指しておりました。

ところが、ベースキャンプに向かう途中で、隊員の一人で、
1975年に本学工学部電気工学科を卒業された小松広美さんが体調不良を訴え、
治療が必要であると判断されたため、同国の9月8日午前7時30分に、
ヘリコプターで同国の首都であるカトマンズに向かいました。 

その後、同日午後5時頃に現地警察及び在ネパール日本大使館からヘリコプタ
ーが墜落し、邦人が亡くなったとの一報を受けました。そのため、身元確認などの
ために、同山岳会の名誉隊長が収容先の病院に向かっております。
本学におきましては、引き続き情報収集に努めるとともに、適時かつ適切な対応を
行っていく所存です。
この度の事態への対応について賜りましたネパール連邦民主共和国政府及び日
本国政府をはじめとする関係各位のご協力とご支援に対しまして、深く感謝を申し上
げます。


アクセス解析で神奈川大学からきていた、大学のurlはわかりやすい、ただ私が解析できるのはわずかである、そういうスキルもないしわからないのが多い
大学は解析でわかりやすいからどこの大学かを見ていた

とにかく日本の大学は本当に多いなと思った

●日本には 768 大学あり、そのうち約 8 割が私立大学

私も団塊の世代で私立大学を出たが今のFランの一つ上でありもともと自分には高校も卒業できないような状態だったらその大学に入っただけでも何か不思議になる
自分は高校の時二回も蓄膿症の手術をしたりしてほとんど学業に身に入らなかった
だから三流大学でも入れたことで良かったとなる
ただ勉強の仕方次第ではもっといい大学に入れた
そもそも勉強が嫌いでしたくなかった     

ただ東京の大学を目指したのは田舎から脱出したかっただけの動機だったのである
どんな大学でも良かったのである、大学でも勉強などしてぽてからだ
神奈川の大学だったが何かカルトに入ったりしておかしな方向に行ってしまった
その頃クラスで大学に入るのは4、5名でありあと三分の一は集団就職の時代だったのである、だから自分は相当に恵まれていたしその後も会社勤めもしないですんだから恵まれていたのである。

ふりかえると自分の人間形成にとって親元を離れて大学でに入って一年でも体育部に属してやれたことが大きかった、そこで一人前の男になった
それまでは何かもう気弱であり体力もないから学業でもだめでありいいところがなかったのである

ここでこのニュースをとりあげたのはネパールで自分もヘリコプターにのってカトマンズからポカラに行ったことがある、何か危険だとも聞いた
やはり危険だったのか?墜落して死んだ日本人がいたということで驚いた
最近ネパール人が駅の前のホンダで何年か働いていて車の免許をとったかで知ったから
ネパール人も日本に増えたから身近になる

この人は登山で死んだのではない、ヘリコプターの墜落で死んだとなると残念だとなる
ヒマラヤはそもそもあれだけ高いのだから交通が不便である
歩くしかないがヘリコプターだと高い所に飛べるから利用すると便利になると見ていたのである、ただ何が落ちやすいとかも聞いたから怖いことがあった
海外旅行では私は盗まれたこともないし危険な目にあっていない
ただとんでもない失敗はしているが命にかかわるまではならなかった
最初に中国旅行したのが失敗だったしロシアに一人で行ったのも失敗だった

ヒマラヤに上るとすると相当な体力がある人だったと思う
それで電気工学とかなると優秀な人だったともなる
普通は学業は優れてもスポーツはだめだ体力がないともなるからだ
ともかく優秀な人でも運が悪いと若くして死んだりする
これはどうにもならい,これも運なのだと思う
自分は事故で死んでいたかもしれない、それはアルバイトでビルの4階で仕事していたとき寸前で落ちる所だったからである
今でもひやっとする、自分はとても工事現場などで働けるような体力もなかったのである第一そんな危険な仕事をさせるべきでもなかったのである

この人が死んだのは登山に行ってだがヘリコプターで死んだのは残念である
悔しかったとなる、登山で死ぬなら本望だがヘリコプターで死んでは何にもならない
ヘリコプターは日本でも墜落事故があるから危険なのだろう
何かドクターヘリ−をこの辺で5回見たという人がいる
すぐちかくの丘にきて福島医大に運ぶのである
ヘリコプターになると早い、南相馬市立病院にも離着陸する場が脳卒中センターにある

とにかくお悔み申し上げます

神奈川大学山岳部へ





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沖縄知事選、自公丸抱え候補落選の衝撃 (沖縄と原発事故周辺の状況はにたものになった)


沖縄知事選、自公丸抱え候補落選の衝撃

(沖縄と原発事故周辺の状況はにたものになった)


「所詮、人間、カネと欲」という安倍首相にも菅氏にも共通するニヒルな価値観がある。それに対して、普天間基地は要らない、辺野古も要らないという玉城氏の訴えは「イノチこそ大事」ということであり、つまりは、カネなんぞいくら貰ってもイノチには換えられないという人間の尊厳に関わる主張を含んでいる。


何か沖縄と原発事故にあったこの辺がにている
原発を作った時
「所詮、人間、カネと欲」という安倍首相にも菅氏にも共通する」
と地元を見て金をばらまく、それに食らいついたのが地元である
沖縄でも政府の考えではそうだった、第一沖縄は貧しい地区だから余計にそう思われていたのである
辺野古という地域は未だにジャングル地域の山原の出口である
ジャングルをぬけた所にある鄙びた所である、一応町にはなっているが小さい町である
その砂浜で自分は自転車で行ってキャンプしたのである
そのキャンプした場所が基地になる、それは那覇からかなりはずれた地域である
そういう場所になると余計に金と欲が働く場所になる
この辺の双葉とか大熊地域ともにていたが一応常磐線が走っているし違う
本当にもう僻地の僻地なのである,だから辺野古という地名があっている
まずだからその場所がどういうところか地理的に知る必要がある
それで自分は日本なら全国を隈なく旅しているからイメージできる
やはり場所の感覚はそこに行ってみないと身につかないのである

今回の選挙で自民党候補が敗れたのは創価の影響があったとされる
指導部にさからって公に反自民の候補を応援したからである
沖縄には創価学会の会員が多い、結局貧しい地区に創価ははこびる
ただ沖縄とかなると地域の連帯も強いからどうかなと思うが創価が根付いたのは貧しいということがあるだろう

沖縄は戦争の被害が大きいしそのことで本土に対して恨みとなっている
それは韓国でもそうである、特殊な場でもある
日本政府に対して反感をもっている、それは沖縄人が四分の一とか戦場になり死んだということがある、そのことで恨んでいる
そういう恨みが消えないから政府寄りではなく左意識が強くなる
創価もそういう土地柄だからこそ沖縄で勢力をもつにはどうしても沖縄県民の意向に逆らうことができない、会員は増やせないのである
それが池田大作が今や死んだのかわからないが影響力がなくなると統制がとれなくなったのである

そもそも創価には自分も入っていたから疑問である
あまりにも政治的であり権力志向が強すぎる、権力を奪うことを露骨に幹部は宣言している団体である、だから完全な政教一致だから憲法違反だと書いてきた
宗教からすればたいがいどうしても反戦になるしアメリカの基地は容認できないのである宗教はもともと個々人の内面として追求するものでありそれが政治化したり経済化する完全に政治団体と化して歪められる、もうそこでは今度はあからさまに利権権力追求になる平和を言うのはあくまでも表向きではあり現実は利権追及になる
池田大作が元気だったらどう判断するかととりあげているがそれもわからない

なぜなら創価は自民よりというより常に権力側につくからである
だから実際は口で平和を言っても権力側につき利権にあづかりたいからわからいないのである
ただ公明党と創価学会が政治的にでも分離すると組織の崩壊をまねく
政教一致だからである、それは天皇が現人神(あらひとかみ)として戦争したときと同じである、政治と宗教が一致した祭政一致だからそれが分裂すると組織が一致できなくてり崩壊してゆく
別に戦争に負けたからと言って天皇が戦争に参加しなければ現人神とかにまつりあげられなければ天皇の責任はなかったのである
だから戦争に負けたとき自分は神ではないとして訴えて命が助かったのである
宗教と政治は別なのである

ともかく創価は池田大作のカリスマで成り立っていたから徐々に統一がなくなり崩壊してゆく、政治的野心家が票を得ることで利用することもできなくなる
会員がだんだん減って票にならなくなるからである
自分がしていたことも会員を票とりだったのである
幽霊会員というのが膨大なのである、ただ会員でも何もしない、座談会にも来ない
それで選挙のとき票を入れるものとして回っている
すべてが選挙中心に政治中心に動いているのが創価なのである

いづれにしろ沖縄とここはにたものになった、だから左翼運動家も入ってくる
中央と地方の問題が浮き彫りにされた地域でもある
ただここでは金と欲が優先されたから反対する人はほとんどなかった
それで富岡町長の5億円入った金庫が津波で流されたと話題になったのである。
それは沖縄でも同じである、どういうことかというと基地の土地を所有している人には多額の金が土地代として入ってくる
それでその人たちは東京で暮らしているというのだ
それはここだと船主が原発事故前でも原発御殿を建てていたとか言われていたからである基地はそれだけ沖縄にとって金になる、アメリカ兵が金を使うということでも経済が成り立つ、そういう矛盾がありこことにているのである

ただ戦争の傷痕が深く消えないということでもこことにたものとなる
原発事故でもこの辺は住めなくなったのだからその傷跡は本当に長く尾をひく
プルトニウムの毒が二万年消えないようにその傷痕は消えないのである
だからただ被害者意識にかたまりそれがマイナスにもなる
何もをしなくてもなにかあれば原発事故のせいだとして通るからである
沖縄でも戦争のことの被害を延々と訴えて補助金を水増しさせる、韓国でも同じである
それは補助金をもらいたいにそうなる、この辺でも補助金を補償金をもらうことだけが関心の的になってしまったからである
飯館村は原発とは関係ない貧しい村だったが今は多額の補償金をもらうことしか関心がなくなったと同じなのである、それで争っている

南相馬市もそうして補償金をもらうことでその差で分断された
こういうふうになると沖縄でも韓国でも被害ばかりいいそれで金くれという体質になる
そういう場は全国から見て嫌われるのである
自助努力をしないでただ補助金を補償金をもらうことだけになり現実に毎日パチンコ屋通いでありギャンブルに興じていて働いていたのは外部の人たちだったからである
そういう場所は退廃してくる、その子孫でもそうである
ただ被害を訴えていればいいとなる、自助努力をしなくてもいいとなると退廃した地域となる

いづれしろ中央と地方という問題が浮き彫りにされたのがこの辺であり沖縄とかとにている、沖縄は中国の支配下にもあったから国際問題に発展する地域であり現実にアメリカの領土だったのだからこの辺とは違うがにたものとなったのである
極めて政治的な場所となったのである
そしてこの辺は津波とかもありその傷痕も深い、これせ簡単には消えない、十年過ぎたとしても消えない、村がいくつもなくなるなどその傷痕は消えないのである

それは沖縄が戦争の傷痕が消えないとにているのである
ただ自然災害だから沖縄とは違っている、沖縄は日本政府の恨みが延々としてつづいているからだ、この辺だってその恨みどこに向けていいのかわからないが政府とか議員とか官僚とか科学者とか御用学者とかマスコミなど報道機関の責任を追及してきた
地元の人でもそこに責任があったとして追求してきた
でも私の場合は右でも左でもない、原発に反対でもどちらかというと右になる 

玉城氏の訴えは「イノチこそ大事」ということであり、つまりは、カネなんぞいくら貰ってもイノチには換えられないという人間の尊厳に関わる主張を含んでいる。

これをこの辺にあてはめると原発より故郷に住めることこそ第一でありそのことができなければ何にもならない、でも現実はここに住んでいる人は金だったとなる
原発は金になるものでありそれをう否定することは生活でも苦しくなるから誰も賛成しない、そういう矛盾は沖縄にもあるからにているのである



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2018年09月13日

北海道地震でも災害に文明社会の弱さを露呈 (電気も水道もとまればパニックに)


北海道地震でも災害に文明社会の弱さを露呈

(電気も水道もとまればパニックに)

北海道地震では電気がとまったことの影響が大きかった
東日本大震災でも牡鹿半島とかの集落では津波の被害があり裏山の清水を利用して
木をとり米を炊いて部落で協力してしのいでいた

それができたのはまだ清水が裏山に流れていたとか燃やす木があったとかしたからであるもし東京のような所で電気が止まり水道が止まったらどうなるのか?
幸い東日本大震災ではこの辺も津波の被害があったが電気も水道も私の住んでいる地区は止まらなかった
それでご飯を炊いてオカズは味噌汁とかノリがあり一週間ほどすごして二週間目に米がなくなり町で古米を支給して助かった
二週間たち隣の市に自転車で買い出しに行った
その時ガソリン不足で車が並んでいてガソリンが手に入らなかった
そうなると自転車の方が有利だとなっていたのである

現代社会は便利すぎて災害に弱い、不思議なのは災害に強いということはどういうことなのか?それを江戸時代にふりかえると江戸で火事が多いから何ももたない、家も長屋でありただ家事になったら逃げる、長屋は焼けてもいい、延焼しないように火消しは壊すだけである、まず命が大事ということでそういう生活を日ごろからしていたのである
物をもたない、家もないから身一つで火事になったらいち早く逃げる算段をしていた
そうなると津波が来ても身一つとにかくいち早く逃げる、とりあえず何ももたず命を先にして逃げる、すると助かる度合いが大きくなる

つまり不思議なのは災害に強いということは何もなければ身一つ逃げるなら命は助かる
別に命があればまた長屋は建てられるし道具もわずかだからそろえれば同じ生活を開始できるとなる
電気も水道も使うわけでもい、井戸水を使えばいいとなる
だから災害に強いということはその災害に備えるということでも考え方が江戸では違っていたのである。
とにかくできるだけ早く身一つで逃げる算段をしていた
それは津波の時だとそういう日ごろの生活が生きてくる
家とか物に執着すると命が助からないのである

電気とか水道とかガスとか交通でも電車から車からと今は便利である
でも災害になると違ってくる、車は道路に対する占有率が高くなるから渋滞になりそれで逃げ遅れて津波で死んだ人が多い、むしろ歩いたり走ったりして逃げた方が良かったとなっていたのである。特に都会では渋滞になりそれが命とりになったのである
江戸の火事でもそうだが津波に対してもまず身一つでもできるだけ早く逃げることが命を守ることだったのである

現代文明生活は便利である、その便利さがかえって災害に弱くしているのである
つまり電気がなくなったら何もできない、米すらたくこともできない、水道が止められたら水も飲めないとかなる、その時井戸があれば水が利用できるともなる
裏山に木があれば燃料として利用できるとかなる
それは戦前までとか江戸時代になるとそうして自給自足生活だった
だから電気もないし水道もない、でも日ごろからそういう生活しているのだから困ることもないとなる
車だってないのだから身近にあるもので生活しているから困らないとなる

現代文明社会は災害とか一旦原発でも事故になったら壊滅的な被害になる
電気はあまりにも便利なものであり電気なしではありえない社会になっているからだ
原発もまた石油もいらない、石炭もいらない、安上りにできるとかで始められた
しかし一旦事故になったら住めなくなる壊滅的被害になる
そういう怖さが現代文明社会にはある、それは皮肉なのはあまりにも便利な社会だからその便利さが奪われたときもうお手上げになり打つ手がなくなるのである

それで東京とか大都会では電気も水もとめられたらもう何もできない
いかに東京を脱出するかが問題になる、でもその時道路も破損したりして車で避難できなくなる、渋滞にもなる、それでその時自転車が有効だと言われたのである。
自転車でとにかく都会を脱出することが生き伸びることに通じる
東京のような大都会は地震でも災害に弱い、八方塞がりになる
逃げ場がなくなるのである、だから被害が大きくなる

東京のような所だとあれだけ家が密集しているのだからその家がビルが凶器となってくる高層ビルが倒壊したりしたら被害が大きくなる、それは神戸地震を見ればかわる
5000人も心死んだけどそんなに死ぬこともなかったかもしれない
都会だと被害が大きくなるのだ

いづれにしろ日本は自然災害の国だということを東日本大震災より自覚させられた
でもその対策はかえって文明化して脆弱になっている
電気が水道がとまればもう打つ手がなくなる、井戸水もないし備蓄しているとしてもそれだもたりないとかなる、燃料がなくて米もたけなくなる
現代文明生活は意外とあまりにも便利な生活ゆえに災害に弱いのである
電気に頼り水道に頼り車に頼りとなるが車だってガソリンがなくなったり使いものにならなくなったり渋滞で障害物となり津波では多数死んだからである。

だから鴨長明の方丈記に記されたように簡素な生活ならかえって地震にも強いとなる

大きな家を所有するためにあくせく働いたり心を悩ませたりするのは無意味ではないか。最小限の物と住まいで、好きなことに静かに打ち込める環境があればそれでいいじゃないか。そう言って、自らが実践している

これは江戸の長屋と同じである、つまり日本はつくづく地震洪水から災害の国でありそれでそうした生活方法の方がいいともなっていたのである
だから井戸とかも利用していた方が良かったなとも思う
井戸は東京ですらいたるところにあったからである。
つまりあまりにも便利な生活になれて今まであった生活をすべて捨てたことにも問題があった、便利すぎることは危険にもなっていたのだ
原発などもその最たるものである、そんな危険なものを地震国日本に50基も作ったということは災いの種を作ったとなる

だから今の便利すぎる現代文明社会は日本だと地震とか津波で崩壊してしまう
東南海地震がきて津波が来るとそれが現実化してしまう恐怖になる
ただではもう江戸時代にも戦前にも戻ることはできない,するとどうなるのか?
もう死んでも仕方がないという諦観の悟りに生きるほかないともなる
なぜ日本では無常観が生まれかというと本当に自然災害で津波で一瞬にしてなにもかもなくなりという恐るべきことを経験してきたからだと思った
日本と国がどういう国か東日本大震災で自覚させられたのである。


電動自転車だと充電が必要である
でもノーパンクタイヤの災害用自転車だと脱出用にはいい
3万くらいで買えるとしたら用意していた方がいいかもしれない



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2018年09月07日

ミャンマーが中国人に席巻される (マレーシアのジョホールバルは姉が従軍看護婦で4年過ごした地)


ミャンマーが中国人に席巻される

(マレーシアのジョホールバルは姉が従軍看護婦で4年過ごした地)


大陸・中国からの大量移民が、ミャンマーの伝統文化、歴史的価値観を軽視し、中国の文化、伝統を押し付ける事態に発展しているからだ。

 今では、毎朝、旧王宮の美しい壮大な堀のある街の中心部で、太極拳の練習をする中国人が大挙し、大音量の中国の音楽が鳴り響く。天空のミンドン王におかれては、さぞかしお悩みのことだろうとお察しする。

 結局、古の王都は、現在人口120万人ほどだが、その半数以上に相当する約60万から70万人(中国人

前回、「ついに頓挫か 中国人100万人マレーシア移住計画」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53936)で、マレーシア第2の都市、ジョホールバルに移住計画を企ててきた中国が、マハティール首相の誕生で苦境に立たされている様子をお伝えした。


東南アジアの歴史は戦争の時日本が深くかかわった
この記事で注目したのがジョホールバルである
シンガポールの対岸にありシンガポールは昭南島と戦時中言われていた
イギリスが支配していたときジョホールバルには赤十字の病院がありそこを日本軍が落としたことは大きな戦績であり西欧列強に勝ったことで記念すべき戦いだったと評価するのもわかる
東南アジアへの日本軍の拠点となったからである
ビルマへのインパール作戦などもイギリス軍を日本軍が追いやった結果としてビルマが最前線になった、日本はビルマまで侵攻することはできなかった

そのことをジョホールバルで四年間従軍看護婦として姉が死に物狂いで青春時代を過ごしたのでそのことが認知症になっても忘れることができなかった
そして死ぬ間際までその戦場のことを語りうなされるようにして死んだのである
最後は千回くらい同じことをしゃべりつづけたのである

東南アジアというときカンボジアに行ったがアンコールワットの壁には中国人の兵隊が彫られている、その時から中国人は関係していたのである。
カンボジアでは中国人がバイクを貸してカンボジア人を使っている
格安で5ドルくらいで雇っている、なぜならバイクを貸しているからである
つまりそこで中国人は資本家となっているからである
その時経営がわからなくてももし金があれば資本があればバイク十台くらいでもそれを貸せば安く地元の人を雇って経営者になれるとも思った
それくらい物価が安いのである。カンボジアは今でも十分の一くらいで安いのである
そしてそこの宿にもビルマ人がヤンマー人がいたのである

ともかくジョホールバルというとき日本が戦争でイギリス人を追い出したことから始まっている、イギリス人でもオーストリア人でも捕虜になったから今でも恨んでいる
日本はアメリカと戦争しなければ負けることはなかったのである
そして今は中国人が経済的に発展して東南アジアを席巻する、もともとベトナムでも漢字を利用していたとかあり中国は常に影響していた地域である

それにしてもミュンマーでも

古の王都は、現在人口120万人ほどだが、その半数以上に相当する約60万から70万人(中国人

それにしても多すぎるのではないか?
中国人に国がのっとられるてしまうのか?それだけ中国の力が強くなっているのだ
日本だって沖縄辺りが中国人にのっとられるとかなる
それを沖縄人は望んでいるのだとかも言う
中国がこのまま巨大化するとどうなるのか?それは日本でも大きな問題となる
アメリカは衰退しているから中国が次の支配者となるとか騒がれる
ただインドが経済成長してくると対抗する勢力となる

いづれにしろネパールも一時イギリスに支配されたから英語を話す人がいる
東南アジアでは英語が話す国が多いのはイギリスに支配されたからである。
インド自体がそうだったからである

今日本の企業がベトナムに進出している、中国は物価や人件費が高くなりすぎたからである、つまりまだ遅れているのはミャンマーとかネパールは最貧国なのである
ベトナムもそうだったがだんだん豊かになってゆくだろう
貧乏な国とはグローバル経済では工業化できない国なのである。
中国は工業化に成功したからこそ経済成長して巨大化したのである

東南アジアではタイとカンボジアには行ったがマレーシアのジョホールバルには行っていない、それが失敗だった、それから介護十年とかで海外も日本でも旅ができなくなったからだ
だからジョホールバルには姉があれほど語っていたから行ってみる義務があるようにも思えるから行きたいのだがなかなか今度は前のような気力がでてこないのである
そして暑い所が苦手になったのだ
でも短い期間で行けば行けないことはないかもしれない、それは何か自分の義務のように感じているからである
姉の場合戦争に負けてからもジャングルに逃げたとき最も辛酸をなめたのである
食べるものないとか苦しんた、ジャングルに逃げて日本兵が生き延びた
その苦しみはもう想像を超えているのである
posted by 老鶯 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年09月06日

2018年8月から9月に起きた地震のマップから予測できた北海道地震


2018年8月から9月に起きた地震のマップから予測できた北海道地震


このサイトの地図を是非見てください

この一か月間の地震が起きたのを地図で示している
すると東北の太平洋岸の地域、沖に集中していたのである
ここから安平町の方へ地震が起きることがつながっている
この一か月間の地震は良く見ていれば予想できたかもしれない

十勝沖地震と津波はまた違った方向なのである
そこにも確かにこの一か月間で何度か起きている
しかし東北沖の地震の頻度が多かった

これは何か法則性がある
西日本の方は熊本で起きても太平洋の沖のようには起きていないのである
すると西日本の方には法則性が感じられないのである

東日本大震災の時も実は震源地でこのように一か月前辺りから地震が頻発していたが
注意していなかった、それで失敗したということがあった
この地図は一日感覚で動画として見せる地図である
一か月間を見ていればここに法則性がある

この地図は見ておくべきだったとなる
その他いろいろ地震予測があるがこの地図はわかりやすいのである
posted by 老鶯 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然災害もカルマなのか? (カルマは蓄積されたものが放出すると安定する?)


自然災害もカルマなのか?

(カルマは蓄積されたものが放出すると安定する?)

なぜこんなに地震であれ洪水であれ起きてくるのだろうか?
自分自身の災難についも延々と書いてきた
なぜこんなひどい目に合うのか?
それの答えはないがやはり自分のカルマだったとしか言いようがない
カルマが意識しないうちに自分自身にも家にもたまっていたのだ
何か自分は他者と社会と遊離してしまっていたことも原因だったのだろう

個人的にも必ず誰でもカルマが蓄積されている、もう人間はカルマから誰しも逃れらなない、60以後には総決算が強いられる
カルマは必ず苦しみとなって現れるのである
それを隠すことができない、借金を隠してもそれが必ず現れる
そして家族にも周りにも多大な迷惑をかける
そのカルマは決して一人にはとどまらない、家族でも周りでも巻き込むのである。

では自然災害とは何なのか?
これもカルマなのだ、カルマというときその土地に関係している
その土地にカルマがたまっているときそれを放出する時、自然災害が起きる
地震でもそうである、カルマが放出されると苦しみは一応治まる
苦しみとなってカルマが現れるがそれが放出されると一応治まる
ただりその苦しみは相当なものになる
犠牲者も死人も続出してカルマは放出されてその土地はまた安定期に入る

地震の謎は一つの場所に連続して起こらないことが特徴ではないか?
何か熊本にあったら北海道にあるとか予想のつかない所で起きているのだ
十勝沖地震は津波でも予想されていたが今回の安平町などの地震はそれと違ったものだったからである
たいがい予想した地震が起きるとは限らないし的外れになり意外な所で起きているのが地震なのである

いづれにしろ現代はもう仏教でいう末世なのではないか?
世界的にもキリスト教だと終末が近いのではないかともなる
それはカルマが日本でもそうだが世界でも蓄積されてもう放出しないと耐えられなくなっているのかもしれない
そういう時にノアの箱舟とかあったり自然災害が連続して起きる
日本は科学的にもそうした時期にきている
地殻の活動期でありそれは周期的にやってきてエネルギーを放出するときまた安定した時期がやってくる

2018年から何年かは危険な時なのかもしれない
こんなとき東京五輪などやるべきではなかった
なぜなら東京五輪にはやる意義もなくなっていたからである
ここに予算をつぎ込むのは日本をかえって衰退させる
それからカジノも中止になる、日本にまた大きな災害が来たら地震がくるとなれば
外国人も来ないからだ、外国人をいくら金もうけでも際限なく受け入れるのは問題だからである
北海道でも外国人が多いがこういう地震があると外国人も来るのを控えることになる
それでは観光で困るとなるがやはりあまりにも外国人に頼りすぎるのはどうかと思う
日本人が自分の国土でゆっくり観光ができないのもおかしいと思うからだ

ともかくカルマが放出されると安定期に入る、だから何かこの辺は原発事故でも大被害だった、そして住めなくなった
だからこの辺はそんなにこれから何であれかえって大事故とか大災害があるとは思えない大災害が起こるのは東京だと思う、南海トラフとかの大災害が来るかもしれない
そして日本国土の再編成が始まるかもしれない
東京には今度は住めないと地方へ分散する
もう放射能汚染された福島でもいいやとかもなるかもしれない
遷都のことが言われたがそれが大災害で実現するかもしれない
大災害でも起こらないととても大変革は無理だからである
日本が戦争に負けて焼野原になったとき復興したエネルギーのように日本は変わるかもしれない、何かそういう時期に来ている
天変地異はそういう時期に起きて日本の国土を一新するということもあるからだ
それはもういろいろ言っても決断できない
天変地異が人間を決断させるのである

世界史を見てもそうして気候変動とか自然災害で民族移動が起こり世界が変わったとういことがあり気候変動とか自然災害が世界を変えてしまったからである
日本がそういう時期にきていてまた世界もそういう変わり目にきている
だから経済恐慌とかも起きる、もう資本主義は少数者が悪魔のように金を集めている
それを正すためにもそうした世界恐慌とかが起きてくるし資本主義の宿命として起きる
個人的にも金がだまりすぎることもカルマなのである。
その時泥棒が入ったり何かその金をめぐって事件が起きるのである。
だから2018年から何年になるのか変動の時期であり大きなことが自然災害でも起きるし経済的にもそうだし大きなことが起きてくる
そこで極端な富の偏りとかが是正されてゆく、その時アメリカ一辺等の支配も終わる
もちろん中国が次の支配者になるのでもない、世界がまた変動して国産関係も変動してくるからである、そういう国際関係も変動する時代になったのである
posted by 老鶯 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

安平町の位置 (北海道地震の被害の地域の地図)


 安平町の位置

 (北海道地震の被害の地域の地図)

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 苫小牧には何度も行っている、電車だと三つに分かれていた、一つは千歳空港のある千歳線である、意外なのは安平町は苫小牧から近い、そこにも電車が通っていた
 それから高山植物が小高い山で見れるアポイ岳へ行く様似駅までの日高本線が台風の大雨の被害で不通になった

 日高本線・鵡川〜様似間の復旧を断念 JR北海道、地元と協議へ

 私は千歳線と日高線には乗ったが安平町に行くのには乗っていない、ただ室蘭本線には乗っている、苫小牧から線路がいくつかに分かれていたから三つの路線が出ていた
ただ日高本線は復旧不可能となった
苫小牧からは本当に景色は北海道になる、湖もあり原始的なものが残っている

今回起きた地震は室蘭まで影響したことも地理的にわかる、でも室蘭は遠いとも感じる
苫小牧には相当に近い、隣の街の感覚である、ただ北海道の距離感覚は本州の二倍くらいの感覚になる

北海道ではたいがい千歳空港から回る人が多いからなじみのある場所である
ただ安平町には寄っていないしなじみがなかった
ても苫小牧の隣だったのである

北広島とかも近い、そこは広い地域である、そこは自転車で通過した
北海道はほとんど全部回ったから地理的にわかる
ただ安平町は小さな町でありわからなかった
でも苫小牧の隣だからあの辺だったのかとなる

今回の地震では結構被害があった、札幌もあったし室蘭まであったということはやはり安平町からそれなりに近いということがあった
室蘭は遠いようにも感じるがやはりそれくらいの距離までは震度が高かった

ともかくあの辺はなじみの場所であり思い出す、あの辺のほとんどは回っているからイメージできる、湖とかも多くいい場所だった

何か今日本列島は自然災害が多くなった、もともと日本は自然災害が多い
でもこれほど東日本大震災から災害が多い国だということを知らしめられたことはない
それで日本には無常観が生まれたことを実感した
いつでもどこでも常に自然災害があり死んだり家が壊されたり流されたりするのが日本だったのである。

自分の家も床上までに二回洪水で浸水被害にあっている、今回の津波の被害はまねがれた北海道の泊原発も電源がとまって予備の電源になったから心配した
原発は地震でも怖いものなのである。
大規模な停電もあり停電になるとその影響は大きい
ごはんがたけなくなったり料理ができなくなるとその影響が大きい
今の社会は電気がなくなるパニックになる
通信網もたたれたりするからだ

コンビニに行列ができたのもわかる、電気がとまり暗い中で買いだめしているのはここと同じだった、ただすぐに品物はなくなった
ここでは二週間外から物資が入らなかった
その時丁度米も一週間分があり電気も通っていたからなんとかしのげた
あとで古米を町で配ってくれたのでも助かった
それにしても東日本震災以降は日本列島は災害が多くなった
みなさんも気をつけて備蓄はしていてください

早めの復旧を願います
posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年08月24日

ニュースとは何なのか? (地域では個々人の動静もニュース)

                      
ニュースとは何なのか?

(地域では個々人の動静もニュース)


●知人が仙台の病院に入院して長引く
白内障の手術だが糖尿病があるので仙台の病院に入院手術

●知人が東京の建築現場で出張で働きに出る
お盆には帰ってくるからと言ったが来ない
会社はいわき市にあり派遣された

●福島生協に自分が加入

チラシを見て買うのがめんどうだった、オカズになる冷蔵食品とか冷凍食品が多いが
チラシでは料理したものが写真として出ている
でもオカズの種類は少ない、豆腐ハンバーグとかを買う
ハンバーグの種類は毎週違っている、それほどオカズになるものはなかった
ただ自分はオカズに困っているので入った
毎日配達するだけでしなくても180円とられるから得なものではない
スーパーの方が金はかからないがとにかく自分はオカズと買い物で苦労している
一日二つのスーパーに行き三回も行くこともある
それはオカズを用意できないためである

まず食事の用意が手間であり家事もありこれをしていたら何もできなくなる
だから簡単にすませるために入ったのである
配達しているのは相馬市の人であり相馬市に支店がある
営業にきて勧誘した人も60以上の老人であり配達する人もそうだった
これを見るともう老人も働く時代である
相馬市の人が鹿島のスーパーで働いている、退職した人である
その人は暇だから働いているというから動機が違っている
今はそういう人は少なく金が必要になるから働いている人が多い

生協ではその他いろいろサービスしている
電気までサービスしている、でも一年で2000円安くなるだけだとなるとめんどうだからしないとなる、そのサービスも不安になるからだ
その他通信関係のサービスとか保険とかいろいろしている
それが地元密着型になれば一人暮らしとかにサービスしてもらえればいいなと思った

前に仙台から来たユニットバスを作る会社に頼んだことを書いた
100万であり安いから頼んが、その代金はガス会社のイワタ二だと二百万かかると言っていたから安いしその仕事はいいものだった、不都合はなかった

今の社会はこうしてみると広域化している、むずかしい病気は地元では直せない
それで福島医大に通っていた人もいる
福島は車で相馬市から高速ができたから早くなったので便利である

ともかく広域社会でありグロ−バル化社会である
個々人がどういう動静にあるのか?
どういう仕事をしているのか?問題をかかえているのか?
それが地域だと見いやすいが実際はその知る範囲はつきあう範囲は限られているから
わからない、たかだニュースは無数にある
個々人の動静もニュースだからである
ただそれが国民的関心事とはならない、地元ならそうしたささいなことでも関心になる
それは地元に住んでいるから直接何かあれば影響があるからだ
それで交通事故に敏感になる,どこで事故が起きたのか知らないと危険にもなるからだ

posted by 老鶯 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年08月20日

今年の高校野球は面白い (一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い

(一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い、野球はずっと見ているからわかる、でもサッカーはゴールするとかしかわからない、どういうふうに勝敗が決まるのかわからない
どの人がうまいのかもわからない、ただゴールするところだけがわかる
そしてゴールは一試合で二回が限度だからその間だらだら何をしているのかわからないのである

野球はサッカーとはかなり違ったゲームである
今回わかったことはやはり投手が要であり投手がいいと打者がそれほどでなくても勝ち進むことができると見た
投手が打者をおさえてくれればそれなりに力を発揮できるのが野球だと思った
それで金足農業の投手がプロ級だとか言われるのもわかる
吉田投手を打てない、打たれても大きく崩れない、だから4点とるのが限度とかなる
守りがしっかりしているから見方でも4点以内とれれば勝つということでバントする試合運びができる、それは守りが投手が崩れないから4点以内には収めてくれるからそうなる

ただツーランスクイズとか決まった時は良かったが今日の日大三校でワンアウトで満塁ではスクイズが失敗した、これも同じことをしても必ずしもうまくいかない
その時々で状況が変わったりするからである
ただここで監督の指示が大きな勝敗を分けるものとなると見た
うまくあたればいいが失敗すると負けに通じる
その決断は選手ではなく監督がしていたからである。
そういう点で監督を見ることも必要になるのが野球だと見た
監督の采配によって勝敗が決まることもあるのだと見た

それから高校野球は一回勝負だから面白いともなる、一球入魂のピッチングというとき
一球を油断して打たれて試合が負けになるからだ、油断できないのだ
高校野球は一回失敗したら終わりになる負けになる
そこが高校野球の面白さを作り出している
必死でベースにヘッドスライディングするのもそのためである
それは一回勝負だからそうなっているだ
何か高校野球はトーナメント制でなく総当たり制とかにすると実力がわかるからいいとう意見もある
それはそうだと思うがそうなると高校野球の甲子園の面白さはなくなる
一回勝負ということで選手も一回限りだとして真剣になる
また次があるとしたら適当になるかもしれないからだ

その意味するところは人生でも同じである。人生はチャンスがあるとしても一回限りということがある、若い時は人生は長いのだから何回もチャンスがあると思ってしまう
でも実際は人生のチャンスはまれなのである。
一回で終わってしまうこともある、一回のチャンスを逃すと終わりだとなってしまうことがある
だからチャンスに打てるか、打てないかが野球にありそれが醍醐味だとなる
プロ野球のようにいくらでも次があるとなるととても毎回真剣にはなれないからである

剣術の試合でも一回負ければチャンスを逃し這い上がれないということがある
だからこそ真剣になる、何度もチャンスがあるとなれば真剣にはならないからだ
人生はゲームと違うのは真剣勝負であり本当に一回の勝負で負けたら命をとられるとまでなる、戦国時代ならそうだろう、別に戦国時代でなくても実際の人生でも一回の勝負が人生を左右してしまうのである
それで男はギャンブルをやめられないのである。
一回の勝負に賭ける、それで人生が決まるということがあるからやめられないのである。
今回面白いのは金足農業が全員地元の選手であり私立ではない、他はみんな私立で優秀な選手を集めて構成している、

福島県の聖光学院でも福島県出身者が一人でもいるのか?
みんな全国からの優秀な選手の寄せ集めであり八戸光星でも同じである
だから高校野球が元は全国の地域同士の戦いで盛り上がった、郷土愛が生まれて応援したそういうことがなくなったとき高校野球の意味がなくなった
何か高校野球はプロ化したのである、地元とは関係ないプロ化したチームの戦いになっていたのである、金足農業は最近ではめずらしく全部地元の選手なのである
それが高校野球のあるべき姿だったのである

桐蔭高校はそうした強力なプロ集団ともなっている、でもみんな応援するのは金足農業である、そして判官びいきもある、実際の社会でも強いものばかり勝つのはつまらない
アメリカは戦争でも勝って当然なのである。
でもベトナムに負けたということがどうしてなのかとなった
人間社会では必ずしも強い者が勝つとは限らない、そうだとしたらつまらないとなる
時には何かの調子で弱い者でも強い者でも勝つということで面白い
信長でも桶狭間で絶体絶命で非力でも大軍団に買ったから歴史に残った
桐蔭とかは大軍団なのである。日大三校にしても投手陣が何人もいた、でも負けたからそこで面白いとなった
だから決勝戦はみんな金足農業を応援している、それと東北に初の優勝旗をもって来てほしいとなる

勝負でもゲームでも勝敗を左右するのが何になるのか?
何かいろんな条件がありいくらプロ集団のようなチームでも負けることがある
それは一回限りの勝負だからそうなる、何かの調子でそうなるからである
これが三回勝負だとなるとプロ集団にはとても勝てないからである
だから一回限りということで勝ちが転ぶということありえる、ただそれも実力がないと無理である、金足農業の吉田投手が調子が良ければ守れるからそれがありうるのかと楽しみにはなる、日本全国で桐蔭には勝って欲しくないのである。

ともかく人生でも一回勝負を意識することである、なぜだらだらとして時間を無駄にしているのか?
それは一球入魂がないからである、人生は長いとなりだらだらとしまりなく生きる
人生が今日で終わりだとなると誰でも真剣になり生きようとするだろう
それがないからただだらだらと時間を浪費しているのである
今日が終わったが明日もあるとなる、でももし明日がないとしたらそうはならない
いづれにその日がくる、明日がなくなってくるのだ
老人になればわかる、もう明日はないのである。そして何かをするチャンスは失われたし何もできなくなってしまうからである
そしてみんな後悔しているがそのチャンスは若い時に活かせるが老人になったらできない体力もなくなるしそれだけのエネルギーがなくなっているからだ
あっいうまに青春など過ぎ去る、後は後悔が残るだけだったとなってしまうのである。

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2018年07月30日

外国人旅行者の増加も日本のカルマ (日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)


外国人旅行者の増加も日本のカルマ

(日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)

人口激減時代。短期的に労働者不足、中期的に消費者減少、長期的に日本民族日本人は少数派に転落する

─観光立国。訪日外国人観光客の迷惑行為に耐える日本。中国人観光客の非常識にしてモラル無きマナー違反。


これもひどい、もうこうなると観光公害であり京都ではもう限界になっている
もう外国人は来てくれるなともなる、制限も必要になる
日本人が日本をゆっくり旅行できない、外国人がおしよせてホテルもとれない
中国人が大声をだして情緒も壊される、こうなると京都に行っても京都を楽しめないとなる

でもこれもカルマである、日本人は円高のとき一ドル80円とかのときがあり中国でも東南アジアでも同じようなことをしていたのである。
ヨ−ロッパでもどこでも日本人がおしよせていたのである。
その時日本人は顰蹙(ひんしゅく)をかったのである。
そして女性でも信じられない値段で買って遊んでいたのである。
日本人はその時金にものいわせてしたいことをしていたのである

それが今度は逆に外国人に同じことをされている、特に最近東南アジア関係が裕福になっている、タイなどは物価も日本並みに高く物価が日本が安いとして遊びに来ている
中国では上海でも北京でも日本より物価が高いのである
それだけいつのまにか様変わりしたのである
10年一昔というけどグロ−バル社会は世界的な変化が激しい、そして世界中がその変化にさらされる、つまり為替の変動でも日本が物価が安いとなれば観光客が押し寄せるのである
日本人が一時一ドル80円の時代があったき海外旅行ブームになったからである

グロ−バル化とは人も移動しやすいから世界中で観光でも移動する、アジアは近いから余計に移動しやすい、日本人は円高のとき高度成長がまだつづき経済大国のとき金にものいわせて海外に団体でもおしよせていたのである
グロ−バル社会とはこうして世界中で株のように変動するのである
日本人が外国を観光している時、日本人が金持ちだとうらやましがられていたのである。その逆の現象がカルマとして起きているのである。

要するに日本人が電気製品を売ったりして稼げなくなった、貧乏国になると観光で稼ぐほかないとかなる、カジノでもそうである
日本で売るものがなくなるときグロ−バル社会で生き抜くために観光立国になる
それはギリシャがそうだしエジプトでもそうだしネパ―ルがそうだしそこで外貨は観光で稼ぐほかないのである、何も売るものがないからである。
グロ−バル社会では何か売るものがないときたちまち貧乏国になり観光立国とかいうようになる、日本がグロ−バル社会の競争で遅れをとりそうなったのである。

カルマと個人単位でも国単位でもめぐってくる、日本人が外国でどういうことをしていたかのか?今の中国人であれ同じようなことをしていたともなる
爆買いだってしていた、だからカルマとなって返ってくる
日本人が東南アジアの貧乏国で何をしていたか?女性を安く買って遊んだりしていた
それと同じことが今大阪の一地域で行われている
日本人がサービスを提供しているのである
観光立国とは日本人が貧乏化したことでありグロ−バル競争に遅れをとり負けた結果なのである
カジノを誘致するのもとても日本が品位ある国として経済的に保てなくなっているからである、それで恥も外聞もなくなり外国の奴隷にもすすんでなる
観光立国というと何かきれいごととに見えるが実際は外国人にサービスする召使になるとういことにもなる 

確かに世界との交流が生まれて国際化して理解を深め合うということはある
でもそれも限度がある、どこに行っても外国人だらけでありサービスは外国人が優先であり日本人は金がないから後回しだとなるのも本末転倒なのである
それもこれも日本人のカルマだとつくづく思う
東南アジアで日本人の観光客がいかにのさばっていたか?金にものいわせていたか?
それがカルマとなり逆の現象が起きているのだ
日本人は金でさんざん俺たちの国で威張り遊んでいたな、今度はサービスしけもらうぜ、せいぜい頭を下げてサービスしろよ、貧乏になればそうなるんだともなる

別に外国人が来ることはいい面はある、フランス人の小学校の先生は日本の文化に興味がありきている、日本の文化を学びたいのである。
そういう人もいるしみんなが悪いとはならない、中国人は評判が悪いのはその数が多いからである。
要するに日本人が除外されて外国人優先になるのはグロ−バル化社会では観光でも起きてくる、観光で生活している地域ではどうしても外国人頼りになる
日本人が貧乏になれば金を使う外国人の方がいいとなるのがグロ−バル社会なのである

旅に費やした自分だが旅と観光は違ってる、旅は道をどこまでも気ままに行く、コースが定まっていない、そして旅は豪華なホテルでグルメするとか保養するのとは違う
かえって木賃宿とかにとまっても風情がある、ホテルには風情を感じない
団体客用でありそれは社員旅行とか受け入れて増えたのである
今の時代旅人は存在しない、ただ車であれバイクであれホテルでグルメだとか保養することが目的であり旅人はいないい、わずかに歩く人とか自転車で旅する人は旅人らしいとなるでも本物の旅人はいないし現代では存在しにくいのである

交通があまりにも便利なったせいもある、歩いて旅していても電車を利用したりして旅のまねごとをしているという感じになるのである
だから旅というのは旅人になれないし何か浅薄なものとしてしてしか旅ができない
だから逆に交通が発達して便利になりすぎて本当の旅ができなくなったというのも逆説だなと思う、旅人になるには必ずしも金があるなしではなく貧乏でも旅ができる
かえって貧乏の方が旅らしい旅だともなるからすべては金で得られないのである 

いづれにしろ田舎の方にも外国人が増える、すでに観光地では増えている
ただ外国人慣れしていない人も多いのが田舎である
言葉の問題がありそうなる、だから国際化は悪いことではないのだが限度がある
限度を越えたとき観光公害になり日本文化の破壊までなる
それは移民問題とも通じているのである。

破壊される京都−観光立国、インバウンド、民泊、土地買収[桜H30/7/20]


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2018年07月24日

異常な暑さは地球温暖化なのか? (武田邦彦氏の意見も納得する)


異常な暑さは地球温暖化なのか?

(武田邦彦氏の意見も納得する)

この辺は35度とかになっていない,6、7年前になったような気がする
毎年はつづいていないのである。
ただ子供の時からこんな暑さを経験していない
40代の人も経験していないという,ここ十年が異常なのである
でも毎年ではないのである。
テレビではヒートアイランドで二度地球温暖化で一度上がっているという
日本はアスハルトの道路がしきつめられている、ここでも暑かったとき
アスハルトの舗装道路から家の中に熱気が入ってきた
アスハルトの熱気が影響している、都会だとそれが倍加される

ただ福島県の浜通りはもともと海からの風が吹いてくるから涼しいのである
福島市から来た人が駅にきて風が涼しいという、駅には海からの風が吹いてくる
でも暑い時はそれでも駅も暑かった
やはり舗装道路が相当に影響している、ヒートアイランド現象が田舎でも舗装道路にはある、ただ福島市は盆地であり蒸し風呂のようになるのは前からである

今夜の深層ニュースでは地球温暖化のことを言っていた、その対策が必要なことを言っていた、でも武田邦彦氏は地球温暖化はないという
世界の都市でもすべてが暑い訳ではないからだ
自分は科学が苦手だし科学的には何も言えない
ただなぜこの地球温暖化で疑問をもったのかというとマスコミでも一方的である
みんな地球温暖化を言う、民報でも言うしNHKは指導的立場で言っているからまず地球温暖化に反対する人は呼ばないのである。
するとみんな地球温暖化のせいだと科学も知らない人は思ってしまうのである。
それを作り出しているのは政府とマスコミと御用学者だともなってしまう

それは原発と同じ仕組みなのである、「安全神話」を作られたのは政府と御用学者とマスコミだったからである。
それに異論を唱える人は異端者になったのである。
原発を東京に作るべきだという主張は今になると正論だった
その時原発に反対する者はテレビにもマスコミにも出れない、本は出していたがそれは片隅に追いやられて異端の本として置かれていた
そしてそれがSFの世界のように架空のものとして見られていたのである

日本人はまず議論を嫌う、デベートなどもしないし苦手である
同調圧力が強い、しきりに武田氏もみんなが同調することをマスコミも放送する
みんなが地球温暖化を言えばそれに同調する
そしてそれが世論ともなりそれに疑問をもったり反対できないようにする
それは原発と同じでありそれが大事故につながっていたのである。

日本ではみんなで赤信号わたれば怖くないのである。
でも民主主義は少数派でも反対意見でもともかく議論してその意見を聞くという過程をへることが民主主義のルールなのである。
でもそれは守られない、みんな同じことで言いそれが世論となりそれに逆らうことはできなくなる
だから地球温暖化ではありませんよということを言わせないことが問題なのである

私は科学的なことはわからない、だから地球温暖化もあるかもしれない、でもその反対意見も必ずありそれも聞くべきなのが民主主義だとなる
それがマスコミでは全くないということが問題なのである。
それは「安全神話」を作り上げた時と同じでありそれが変わっていない

一人の科学者が地球温暖化はないというときそれにも耳を傾けるべきなのである。
私は科学のことはわからないにしても科学でも必ず見方が違うことがある
それは科学でも一つの答えにならないからそうなる
地球のことを科学者がすべて知っているわけではないからそうなる
すべては解明されていないからそうなるのである。

日本人は反対意見を聞かない、同調するものだけが集まりそれで世論を形成する
正反合とかでアウフヘーベンするとかの論理がない
正があるとしても反がある、この反が否定される、そして表には出てこない
この世のことは科学的なことでも正があり反がある
それを止揚するのが弁証論だとなる、それは民主主義の基本としてもある

だから科学者でも双方の意見を見解を言わせて視聴者に判断させる
その材料を提供するのでありマスコミがまず地球温暖化ありでそれに同調するものだけを呼ぶのは不公平であり民主主義のルールに反するのである。
ただ自分でもそうだがマスコミに反論する人はインタ−ネットにいくらでもいる
ただ目立たないだけでありインタ−ネットでは言論の自由がありマスコミも批判の対象になるのである。
マスコミが主導することが正しいということはない、あくまでもその材料を提供するにとどまるべきなのである。
マスコミも今や絶えず批判の的になる時代でありもはや世論を作る時代は終わったのである。

おそらくあと数十年後とか百年後かもしれないが日本列島が44度とかになるとかはあくまでも予想なのである。その根拠もないのである。
むしろ寒くなるということもあるしこの暑さがつづく保証もないしまたこの暑さは地球温暖化のためという科学的根拠も解明されていないのである。
つまり科学的に証明できないことなのである。
だから科学的に解明されもので不安をあおることはするべきではない
そういう点で武田氏の論点とか警鐘はマスコミを鵜呑みにしないということで役に立つ
それはやはり科学者だということが科学者の良心がありまた文系の知識もあるからそういうことができるとなる
現代ではまず科学的知識がない者は論議もできないようなものとなっているからだ
だから私はただ科学的なことではなく、民主主義は正反合の弁証法的なものとして機能する、それがないとただ一方的になり判断を誤り原発事故の「安全神話」がまた形成されて大事故になったり誤った認識でそれが社会に大きな影響を及ぼすから危険なのである。

posted by 老鶯 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年07月14日

土地のカルマを知れ (呉市は70年前に2000人が死んでいた!)

土地のカルマを知れ

(呉市は70年前に2000人が死んでいた!)

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過去の主な土砂災害一覧表

No.発生年月要因主な被災地被害概要

大正15年9月集中豪雨広島市山本川(祇園町死者24名),温品川(温品町,死者4名),畑賀川(瀬野川町,死者69名)他
昭和20年9月枕崎台風呉市,大野町死者行方不明者2,012名
昭和26年10月ルース台風大竹市,佐伯郡死者行方不明者166名
昭和42年7月豪雨呉市死者行方不明者159名
昭和47年7月豪雨三次市死者行方不明者39名
昭和63年6月豪雨加計町死者行方不明者15名
平成5年7月台風5号戸河内町,筒賀村家屋全壊1戸他
平成11年6月豪雨広島市,呉市死者行方不明者32名
平成13年3月平成13年芸予地震呉市死者1名,家屋全壊58戸他

呉市はまわりが山で囲まれていたから土砂崩れが起きやすい場所だった、そういう土地のカルマを宿命的にもっていた
驚いたのは昭和20年に台風で2000名も死んでいたことである
そして同じように災害で被害があった、災害はカルマとして繰り返されたことである
カルマはくりかえされることである
人間に業(カルマ)があり同じようなことが繰り返されて苦しむ

カルマは苦しみとなって現れた時に意識する

カルマは何もなければ意識されないのである、ただ苦しみがあるとこれは何なのだろうとして意識して考える、何もなければカルマを意識しようがないのである
カルマには大きな災害もそうだが個々人でも家族でもいろいろなカルマがあるからそれがわからないのである

この辺では相馬地方では津波が来ないとみんな思っていた
津波の経験した人は誰もいないし記録にもなかった、伝説があっても注目した人はほとんどいない、ただ記録として生波で700人溺死として相馬藩で記録していた
ただ二行だけでありソ被害の状況も何も記されていないから本当に津波があったのかどうかいくら調べてもわからなかった、言い伝えも何も残っていないからだ
でもカルマは確実に苦しみとなって現れる
その時カルマを意識する、ただ400年前の津波で人々700人溺死したとしてもそのことについて何もわからない、やはり今回の津波のように苦しみ死んだ人たちがいたとなる
呉市の場合は昭和20年だからそれを経験した人たちも生きている
そんな昔のことではなかったのである。2000人も死んだことを簡単に忘れることはないだろう、呉市は山に囲まれているから土砂崩れがあれば大被害になっていたのである。そういう土地のカルマを背負っていたのである。

自分の家も伊勢湾台風で被害が大きかった、土地が一番低い所にあったからだ
その後も川が堤防が決壊して被害があった
二回水害にあっている、それは土地が低いという土地のカルマであり宿命だったのであるただ河川改修してからは洪水は起きなくなっていたのである。
ただ津波が川を上ってきたときは堤防から水があふれていたのである。
それは500メートルくらい下だったから危なかったのである。

やはり今回でも倉敷の真備町では河川改修始めるところだったが遅くなり大被害になった
ともかくカルマはわからないことがある、何もなければ意識されないのである。
ただ苦しみとなったとき意識する、土地のカルマがありそこに同じような災害が忘れたころに起きてくる、津波とかなるとその間隔が長いから全く意識しないようになっていた
でも400年でも1000年でも大きな地震が津波が起きるように日本では土地のカルマで起きる、だから呉市で70年前に2000人死んでいたことでそういうカルマのある土地であり同じような災害が起きても不思議ではないと思った
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2018年07月13日

『西日本豪雨の甚大被害増える雨…治水対策は⊶プライムニュース』 (文明化都会化すると災害も巨大化する)


『西日本豪雨の甚大被害増える雨…治水対策は⊶プライムニュース』

(文明化都会化すると災害も巨大化する)

プライムニュースでの話は面白かった、洪水の被害があったけど川は恵みをももたらしていた、田んぼにわざわざ畔を切って大雨になり水害になったあとに泥水を入れていたという、その泥水に有機物があり栄養分があり肥料になったという
これもナイル川が定期的は氾濫して泥が流れて栄養分をもたらしてエジプトはナイルの恵みで栄えた話があり日本でもそういうことがあった
自然は必ず災害があったとしても恵みも同時にもたらしている
海だって津波の被害があっても恵みをもたらすものとしてある

関東平野でも土台を高くして土盛して家を建てていたし倉があり一か月くらい食料を備蓄していて舟まで用意していたのには驚く、それだけの備えがあった
それができなくなったのは日本中が都会化したためだというのはわかる
そもそも文明が発達すると実際は住んではならない所に住むようになる
第一田でも海側に作るの自然に逆らうことである、縄文時代ならそんな技術もないから人は住まない、高台に主に住んでいたのである。
平地は日本ではたいだい湿地帯になっていたからである
台とは高台であり平らという地名も高台にある場合がある
こういう地名が日本には多い、そして野は傾斜地なのである。
日本には山が多いから傾斜地が多いのである

日本はとにかく洪水が多い,自分の家も二回も水害にあっている
街の中で一倍低い土地だったのである。伊勢湾台風の時は一番被害があった
その後も堤防が決壊して水害にあった、その後河川改修して水害が起きていない
川幅を相当広くしたから流れも良くなったのである。
ただそれで安心かというと異常気象とかで今回のような予想しえない雨が降ったらわからない、津波が川が上ってきたときは驚いた
500メートルくらいの下は堤防からあふれていたからである
ただ堤防は決壊していない、決壊したら被害にあった

日本は2000年ころから公共事業費を減らして外国より予算を使っていない
これだけ災害がある国なのにそうなのかと思った
田中首相の日本列島改造論までは公共事業に金を使っていた、それで道路など作りすぎたので減らすことにした、それと同時に治水対策の工事も減らしていたのである。
日本は緊縮財政になり福祉とかに使う金が増えすぎたのである。
国民でもその要請が大きくなったから公共事業に使えなくなったという
広島の倉敷真備町でも工事がはじまるところだったが遅くなって大被害になった
そこは危ないと認識していたのである。

今日のテレビの放送で川は堤防内の河川敷とかに木が生えているのは良くない、水嵩が上がったり流木化したりして下に流れるから良くないという
それで浪江の復興住宅に移り住んだ人が木が茂っているから切ってくれと言っていた
確かに木が茂りすぎている、でもそれを見ていると合歓の花が咲いたり鳥がきてとまったり自然が街の中にあっていいなと見ている
それで木を切るのなと反対運動があり木を切れないとも専門家が言っていた

真野川の岸辺はきもちいいい場所なのである。それは街の中を流れている感じにもなる
そこを散歩すると気持ちいいのである。

葉群に山鳩が来て隠れ
木陰なすところ
テーブルがあり座る
そこで同じ年の旧知の人と
故郷の昔を語る
その人は病が癒えて
散歩しているから良く合う
夜には蛙も鳴いて
田畑も回復した
ここはといい場所だと思う

なんかこんな詩もできる場所なのである。真野川のいい点は街の中を流れているという感じになるからいい、それは盛岡でもそうである、二つの川が北上川と中津川が流れている川の街なのである。仙台でも広瀬川が街中を流れている
浪江では二つの川が街中を流れていたから一番いい場所だったとなる
相馬市の宇多川は細いし貧弱に感じる、川もあまり流れていないのである。
ただ人間は意外と自分の住んでいる場所の良さがわからない、当たり前になりわからないのである。ただ日本でもそうだが外国と比較するとわかるのである
それと他の街と比較するとわかる、真野川は長い川だから大きい川なのである。

それでも土手に堤防に桜の木が良くないという、根が張っているがそこから崩れやすくなるという、これも意外である、美的な観点からばかり自分は見る傾向がある
防災の観点からすれば違っている、でも堤防に桜の木があり春には花が咲きそこが夏には木陰になるのは気持ちいいのである。
でも右田の松原は津波でなくなったがあそこもまた松は根を強く張らないから根こそぎ津波で流された、末は津波に弱かったのである。竹は津波に強かった
竹は強く根を張るからである、防災の観点からすると松はいいものではなかったのであるただ松だけの景色は人間が人工林として作られた風景だったのである。
自然だといろいろな木が生える雑木林になるからである

日本は自然との共生を歴史的に計ってきたがしかし都市化したことが災害を増やしたのである。都市化したことは東京でもゼロメートル地帯があり大災害になる
江戸で大火になったのは人家が密集して空き地がない、それでたちまち延焼したのであるそれも都会化したための大火事であり都市化すると災害が巨大化するのである
だから都会は災害に弱いしそれを防ぐ術がないのである
災害からみたら都会は怖いと思う、でもそこに住む人はそなに危機意識もない、ただ離れられないということもある、それは便利だからだともなる

津波でも便利だからといって海に接した港の回りに住んで大被害にあった
便利だということは自然から見れば危険にもなる、文明は便利なものを追求してゆくがそれが危険なものにもなる、原発もそうだったのである
エネルギーでも炭とか木材でまかなっていればこうはならなかったからである。
都市化することは危険が増すことなのである。
洪水に備えるにも費用がかかる、たいしたこはないといってもやはり大工事になる
洪水でも地震でも津波でも都市化するともうそうした自然災害に限界があるように思う
備えきれない、異常気象になり備えきれないのである。
文明化都会化はそもそも自然に逆らうことでありそれが被害をもたらすのである
だから海側の湿地帯を田んぼを開拓したことは自然に逆らうことであり松原でも根こそぎ津波で流されたし昔は海だった八沢浦などが海に戻ったのである

だから都会は防災するにしても限界がある、地震でも津波でも火事でも防災できない
でも都会から便利だから離れられない、それは津波で被害を受けても港にまた戻ってきたと同じなのである。
でも高台を作りそこに家を作り食料を一か月分備蓄して舟まで用意している昔の方が安全度が高いというのも防災に関しては江戸時代の方が優れていたと感心したのである。
輪中などもそうである、防災に対してそれが有効だったのである。
大都会化すると防災の都市作りといっても限界がある
そこで大被害になってしまうのである。人間は自然に逆らっては生きられないということは今でもいくら文明が発達しても同じだということがあったのである。


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2018年07月11日

西日本の大雨の被害も津波とにていた (早めに避難することができないで死んだ人もいた)


西日本の大雨の被害も津波とにていた

(早めに避難することができないで死んだ人もいた)

今回の広島などの土砂崩れとか水害と津波の被害はにていたところがあった
まずあんなに大きな被害になるとは内部でも外部でも思っていない
ただ同じ地区で土砂崩れで50人とか死んだ地域では死んだ人はゼロだった
それで教訓が活きたのかとなる

みんなやはりこうした被害を想定していない、ここではそなことが起こりえないとか思っていた、でも必ず想定外のことで被害が大きくなる
実際には200年前に被害があったとか調べるとある
そこに50年とか住んでいた人はここでは被害は聞いたことはないとかなる
でも50年住んでいても人間の時間間隔では大災害に対処できないそれで津波の時はかえって老人はここに津波が来ないということで逃げずに死んだのである

また避難するときむずかしいのは家にはいろいろなものがありそれを置いて逃げるのが簡単にできないのである。命だけ助かればいいとは人間はならない
家は一番安心する場だと思っている、それは理屈ではない、人間は家があって生活している、だから家から簡単に離れられないのである。
それが弱点となる、動物でも鳥でも危険を察知すれば即座に逃げるからである
何ももたないから逃げやすいのである

文明が発達すると何かかえって第六感みたいなものが衰える、こんなに雨が降ったことが今までにないな、これは危険だとならない、みんな天気予報だとかを聞く
そこで避難指示がでて避難する、でも自ら判断して早めに避難した人は助かったという人もいる、その時やはり危険を察知する感を自らもつ必要もあるが今はメデアとか他者に頼る、それで判断が遅れる
文明はそうした様々な外部のものに頼るシステムになっているからである
でも緊急の場合は自ら判断して逃げないと遅くなるのである
一分一秒を争う場合があるからだ、他人のこともかまっていられない

津波ではそうして他人のことを心配して見に行った人が津波にのまれて死んだのである
それは老人だったのである。
今回も老人が多く死んだというとき老人は家にこだわり行動が鈍くなるからそうなる
そして過去の経験にこだわる、ここで50年いるが災害が起きたことはないとかなる
だから老人を見に行って若い人が死んだというのは自然の摂理にも反していた
若い人は助かるべきであり老人が死ぬのが順序だからである
それは何か高齢化社会でもそうなる、老人のために若い人が犠牲になるのはおかしいともなる、自然の摂理に反するともなる

ともかく災害でも人間の時間間隔は短い、百年いたとしても短いのである
家の方が人間より長く残っている,すると家の方が寿命が長いから後世に残る
自分の家を建てた家族も確かに40年くらいは住んだが死んだ
その後に今度は自分が跡を継いで住んでいる、つまり家は二代続いて住める
人間の命は短い、だからその短い間隔で判断にすると間違うのである
百年二百年千年単位でも災害は日本では常に起きてきたからである

緊急時に避難するとき確かに近所の人とかに相談するとかして逃げやすいとかある
でも時間が切泊しているからそれで判断を間違うこともある
逃げなくても大丈夫だよともなるかもしれないからだ
この辺で原発が爆発したとき何が起こったかわからない、そもそせ原発のことが皆目わからなかったのである。放射能がどうのうこうのもわからなかった
だから自分は一番放射線量が高い時外を出歩いていた、他の人は家に籠っていたのである半分は30キロ圏外でも避難したのである。
バスを用意するがたりないとか良く市の人が言っていることものみこめなかったのである回りの人が避難したかどうかもわからなかった
ただ自分の場合介護していたので避難できなかった
でも半分は避難したのである。

ともかくなぜこんなに大きな被害になったのか?
河川改修することは今年に予定されていたが間に合わなかったとかもある
なぜならこの辺は二回水害の被害があり自分の家は街で一番低い所にあり被害が大きかった、でも河川改修して被害がなくなったからだ
津波の時もすぐ近くの堤防から水があふれた、津波は最初に川を上ってくるのである
でも河川改修して土川幅を広く土手を高くしたからここまであふれなかったが危なかったのである。

ただ広島でも砂防ダムができたから安心だとかいってここに住んだという人も被害にあった、それは三陸の方でも津波の防潮堤を高くして安心だとしても想定外の津波が来て大被害にあったのと同じなのである。
人間の技術には必ず限界がありすべてに備えることはできない、なぜなら必ず想定外のことが起きるからである。
だから江戸時代には日本では災害から逃れられないとなるべく早く逃げることに専念した江戸では大火があり長屋のような所でなにももたない生活をして逃げることを優先した
そして火事になったら手早く壊すことに専念した
それも災害に対処する知恵だったというのもわかる

だから技術には限界があるから逃げるということを優先するというのも知恵なのである。
日本は本当に自然災害から逃れられない国である。それもどこで起きるかわからない
東南海地震津波が起きるといっても起きない、別なところで起きているからどこで起きるかわからない、そして意外な場所で甚大な被害になる
そして砂防ダムでも役にたたなかったとなる、200年に一度の大雨に対処できなかったとかなる、そういうことの繰り返しなのである
だから自然災害では命を優先して逃げるのが先決だとなる
ただそのことが一番むずかしいのである、時間が切迫しているから判断を躊躇していると死んでしまうとなるからだ、ここが人間の弱点なのである
津波で助かった人はその後なにもいらないとか言っていたのはやはり命だけでも助かったことでそうなったのである。

今回の大雨で被害にあわれた方々にお悔やみ申し上げます

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2018年07月07日

宗教は偶像崇拝との戦いだった (カルトは偶像の教祖のコピ−の大量生産である)


宗教は偶像崇拝との戦いだった

(カルトは偶像の教祖のコピ−の大量生産である)

あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神

神はイスラエルに向かって「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」と偶像礼拝を禁じた。

 すでにこの前で「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」と言われている。

(出エジプト記20:5 の一部)

偶像化された麻原
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まさに麻原のコピ−の大量生産だった
カルト宗教団体は教祖のコピ−の大量生産である
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宗教の基本は偶像の禁止である、人間はあらゆるものを神としてきた偶像化してきた、
エジプトでは動物から何から何まで神となった、アミニズムとにている、神像でみちみちていた、出エジプトは偶像の支配するエジプトからの脱出が目的でもあった
その前にも聖書では偶像との戦いが記されている、偶像の拒否ということが宗教の始まりだったのである。
そういう宗教は他にはなかったろう、なぜなら人間はともかく目に見えるものから何かを信じる、目に見えないものは信じにくいのである。

あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神

この言葉も不思議である。なぜねたむのか?人間と同じようにねたむのか?
神がねたんだりするのか?そんて感情があるのかとなる
そしたら人間と同じではないか?
でも実際は神がどういうものか?本当の神を人間に認めさせたいからこそこう言ったのである。なぜなら人間はなんらか目に見えるもの形のあるものを偶像を拝むからである
つまり拝む対象は目に見えないものではない、目に見えて形があるものである
でも目に見えるものは形があるものは神だとすると必ず破壊される

これが神なのか?なんだこんなもの壊してやるとなり仏像でも爆破されたからである。
例えば日蓮宗でも真宗でも御本尊があるとしたらそれはただ紙に字を書いただけではないか?そんなもの神のなのだから燃やせばいいとなる
だから実際に捨てられたり燃やされたりしている
すると頭が七つに割れるとかいうが実際そんなこは起きないのである。
ただ形ある仏像よりそれは偶像崇拝から脱したものだったのである。
イスラム教でも厳格に偶像を拒否しているが文字は許されているからだ

自分も宗教では過ちをおかしている、創価では池田大作を偶像化していた、上野霄里(しょうり)氏でも偶像化していた、何か師というのも偶像になりやすいのである。
師というのはだから危険でもあるのだ、師は弟子を奴隷化するからだ
麻原の仮面をかぶっているのはまさに偶像崇拝化したロボット化された信者である
そこには何の自主性もない、ただ命令通りに殺人でもなんでもするロボット人間とされているのである。
カルト宗教では必ず教祖がいて神となり仏となり偶像化される、師がいて弟子はただロボットとして従う自主性のないものとなる
だから宗教には哲学が必要なのである。でも人は考えるのがめんどうだからただ従うだけのカルトに入る、そして殺人マシーンにもさせられる

現代の偶像の怖さはハイルヒットラーになる、ハイル池田でありハイル麻原である
そしてその死体でも焼かれた骨でも崇拝の対象になる
自分だったらそんな汚れた悪魔のようなものを骨でも触りたくない
でも奴隷化した信者は偶像化してそんなものにまで頼るのである。
それらは悪霊であた悪霊にとりつかれたのが信者なのである。
そして悪霊は死んでも悪霊であり信者にとりついているから怖いとなる
それは池田大作でもそうであり死んだら神格化されるかもしれない、これも悪霊なのだが数が多いから容認されてまだ政治にも力をもち権力をもっているから怖いのである。
そういう人たちは死んだらどうなるのか?
その悪霊にとりつかれて離れられない地獄にいるのである。

でもそこは確実に天国とは隔離されている、この世では隔離されていない、だから悪霊はこの世で依然として権力をもち力がある
そしてその悪霊は世を支配する、悪魔でありサタンとして世を支配する
いろいろ陰謀論を言うがこの世を支配するのはサタンであることには変わりがない
この世の主は闇の主でありサタンである。
実際はオウムは不可解でありその殺人でも闇の中にあり解明されないままのである
その闇がどこから生まれたのか?その闇は解明されないままで死刑にされたのである。
だからこの世がこの世であるかぎり色を変え品を変えサタンはこの世を支配するのである

ともかくカルト宗教に引き入れられないためには偶像を拒否することである。
集団を拒否して自立する精神をもつことである。それに哲学が自ら考えることが必要なのである。なぜ人を殺すことが宗教なのか?
そう疑問に思うのが普通だがカルトでは人を殺すことすら信仰になっていた
ポアするということでそれは宗教の信心の一つであり実践だと教えられ実行した
思考停止しているからそうなったのである。
理系の人間の問題は機械でも思考でもマニア化しやすい、おたくになる
すると他のものは見えなくなる、宗教というものが何かわからないからただ教祖に従うだけのロボット化する、そこに理系の弱点がある
武田邦彦氏のような文系に詳しい総合的な知をもった人はまれなのである。

日本ではキリスト教ではない、何か基本的な宗教の素養がないし教えられていないとなるキリスト教だとやはり聖書を学ぶから偶像崇拝は固く拒否されるからである。
仏教は仏像を拝むからそこに偶像崇拝が日常化しているという危険がある
だから御本尊でも紙でも偶像崇拝を拒否するということで進歩したとはなる
とにかく人間は不安になり苦しむ、すると神仏に頼りたくなり祈りたくなる
するとどうしても偶像崇拝に陥ってくるのである。

自分は禅宗に好感をもっている、それは偶像崇拝拒否を徹底しているからである。
まず仏像を拝んたりしない、

仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。 

ローマ人への手紙8章15節は「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです

師は必要であり学ぶことも必要であるが師と同じのコピ−偶像を拒否するからであるうなってはだめなのである
人間はそもそも師といっても10年くらい違うと世代の差があったり時代の差があったり住む地域も違うし生い立ちも違うから同じになれない、性格も違うしだからこそ個性が生まれる、いろいろな宗派に分かれるのもやはり人間は同じではないからそうなる
だから禅宗は創価であれほかの仏教の宗派と違い集団化組織化しないのである。
日蓮宗とか念仏宗は何か太鼓をたたき練り歩いたり集団化して騒々しいのである。
だから政治化しやすいが禅宗にはそういうことがないのである。
カルト宗教団体には禅宗はなっていないからである。
それは個の自立の精神を禅宗では重んじているからだとなる 
聖書の自由の霊と奴隷の霊にも通じている、カルトは奴隷の霊に支配された人たちなのである。
エホバが絶対唯一の神としてその完全な下僕としてキリストがいてその間に師でも牧師でも教団でも教会でも外国人宣教師でも介在してはならないのである。その介在する人が団体が奴隷の霊を与えることになるからである。
要するに対等の精神でもって接することである。あくまで対等の対話的なものとして師でも接することである。
ソクラテスの弟子との問答のように接することである。ソクラテスは弟子といっても対等に問答形式で答えていたからである。

ただこれは大衆的ではないからあまり受け入れられないということがある
外国でも禅宗が受け入れられたのはやはり個の自立の精神があるから受け入れたのかとなる
宗教は宗教だけでは今や通じない、哲学が必要なのである。ただ大衆化しにくいから普及しにくいとはなる 
偶像化とはコピ−の多数の製造である、そのコピ−に生きる意味はない、なぜなら動物は個性があっても識別できない
犬は犬であり猫は猫であり何か個性を残さない、人間が生きる意味があるとしたらやはり何かしらの個性がありそれを残すことに意味がある、ただ芸術作品でもコピ−していたらそれは盗作であり何の意味もないのである。
同じものの大量生産には価値は生まれないのである。
でもカルト宗教団体ではその人間の教祖の偶像のコピ−でしかない、そこには何の価値もないのである。

そして組織化した集団化したものに入り安い、仲間がいるということで安心する
そして数が多いということで権力をもち社会に恐怖を与える
オウムの場合は武力をもつことでオウム王国を持とうとしたのである。
それは池田大作でも同じである。幸福の科学でも選挙に出ているから目的は同じである。エホバでもなぜあんなに一軒一軒まわり勧誘しているのか?
それは謎のなのだが何か背後に会員をふやして日本を乗っ取ろうとしているのかという疑心が生じる、それは秀吉も感じて遂にとキリシタン弾圧になったのである。無教会の内村鑑三が外国人の宣教師を拒否したのもそのためである。
明治以降外国人の宣教師が入ってきた、すると日本文化を理解していない、内村鑑三は武士の出身だからそのモラルを体得していた
それで武士道からキリスト教も説いたのである。そういうことは外国人の宣教師にはできない
エホバとかも外国の勢力が加担している資金が流れているとしたらやはり日本を乗っ取る工作のためなのかともなる

いづれに宗教は神と直結することである。その中間に介在するもの師でも牧師でもなんでも危険なものになる
偶像化しやすい、集団化した組織化した宗教はすでに権力化して社会を支配しようとする
オウム王国であり創価王国であり幸福の科学王国であり・・・となりその教祖が王になるのである。
そのために必然的に政治化して権力での実質的な支配下を目指すのである
オウムはそれが極端化したのである。武装して権力をとりそれに宗教も一体化するから政教一致になる
仏かかりになり神かかりなる、ヨ−ロッパでカトリックがそうなったからその反発から政教分離が生まれたしルネサンスとかその後のフランス革命は宗教の束縛からの解放だったのである。

いづれにしろオウムとかで人生を消費して有能な理系の若者が死んだということは悲しい、何のために生まれてきたかもわからない
それは戦争で死んだ人にも言えるかもしれない、これとは違っていてもそこでも戦争に費やされて有能な人が才能を発揮せず相当に若くして死んだことの無念があるからだ、ただこの世ではそうして人生とか命とか本当に浪費されやすいのである。
才能があるとかないとかのまえに様々な悪条件で才能が発揮されないのである。
才能というのは生まれつきでもない、なぜ全く絵の才能がない自分が抽象画をパソコンで作っているのか?
そして70人くらいのアメリカ人が見ているということは何かしら認められているという証拠ではないか?
70人となると数が多いなと見るからである。ここは数がわかりやすいのである
第二芸術にしてもやはり価値は認められているともなる
人間は何かしらの才能があっても発見されないし発揮されないのが多いのである。
時代の影響も大きいのである。明治維新のような時代なら英雄が生まれる今はそういう英雄は生まれにくい
ただ平和であるから豊かであるから個々の才能を発揮しやすいということはある
必ずその時代時代の影響を受けてそれから逃れられないのも人間なのである。






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2018年07月06日

麻原彰晃死刑囚の死刑執行 ほかの6人も執行見込み オウム事件で初 (現代文明社会から必然的に生まれたカルト宗教団体)


麻原彰晃死刑囚の死刑執行 ほかの6人も執行見込み オウム事件で初

(現代文明社会から必然的に生まれたカルト宗教団体)

浅原が63歳ということに驚いた、1988年ころから事件を起こしていた
地下鉄サリン事件が1995年だった、23年前でありその時生まれた人は知らないようになった、この事件の謎はなぜこれほど凶暴な団体と化したかである

この事件の特徴は優秀な理系の学生とか若者が多かったことである。
だからこそサリン製造工場まで作れたのである。
時代背景として科学者とか科学の問題として事件が起きた
つまり現代は科学の時代であり科学者が技術者が一番社会で重きをなして力をもっている時代だからこそ起きたのである。それは原発事故でもそうである
科学者が神官ともなっている時代だから起きた
医者はお医者様であり一番尊敬されている、僧侶などは坊主は穀潰しとされる
それは病気になってもなんら役にたたないからである。
では逆になぜ歴史で宗教がこれほど力をもったのか?
それは病気に関係していたのである。病気を直してもらいたいという切実な願いがあり
それで宗教に頼ったのである。

江戸時代に山伏、法印が異常に多い、小さな地区で必ず法印が一人いる
その墓もある、小さなけ村でも一人いるとなるとそれを養わなければならない
貧乏な時代になるとそれを生かすために食料を与えねばならないから負担になる
それでもそれだけいたということは病気を直すための加持祈祷をしていたからである
どれだけ病気で苦しんでいたかというと地蔵とかも病気を直すものとして建てられた
腰が痛ければそれに効く地蔵があり耳や目が悪ければそれに効く地蔵がいるとか分業化していたのである。医者に通いないから地蔵でもなんでも神仏に祈る他なかったのである。そして村の中心にあるのは薬師堂なのである。それも病気を直すために祈る御堂なのである、会津でもあれだけ早い時期に仏教が普及したのも加持祈祷宗教でそうなった
なぜ仏教でも歴史をみると興隆して力をもったのか?
奈良とか京都は寺の町となったのか?その原因は病気の加持祈祷をしたからだともなる

そして現代はその病気を直すのは医者であり病院であり科学者である、その人たちがお医者様として崇められるのはやはり同じ原因でそうなっている
人間は一番病気に弱いのである。今でもカルト宗教団体に入るのが病気の場合が多いのである。科学で医者でも直せない病気が依然としてあるからである。
オウムがなぜ力をもったのかといえばやはり科学者の団体だったことなのである。
つまり現代で一番尊敬されて力をもっているのは科学者であり技術者なのである。
するとそこに未熟であっても医者がいるとか科学者がいるとなると庶民でも一目置くのである。政治家とかなどは一見力をもっているようでももっていない、庶民も政治家を医者のように尊敬していない,医者はお医者様として異常に尊敬されているのは病気を直してくれるからでありそれは加持祈祷していて宗教が力をもっていたのと同じである
原因は時代が変わっても変わらなかったのである。

カルト宗教団体なぜ生まれたのか興隆したかというのも現代文明社会から生まれたということがある、個々にはいろいろあって大きな視野でみればそうである
現代文明の科学技術文明や複雑な無数の分業社会でもう社会がどう機能しているかもわからない、江戸時代だったら時代劇でも悪は明確でありわかりやすい社会である。
その基本は村単位の社会で生活していたからである。そこが世界だったからわかりやすいのである。視野は狭いにしろそこで世界になっていたからわかりやすい,社(やしろ)がありそこに会することが社会になっていたのである。
それが社会が今度は逆になり会社になったのである。その会社が様々であり巨大化した
でも今度は人間は会社に属する会社員であり村の社(やしろ)に属する村人ではないのである

宗教の歴史をふりかえれば病気の加持祈祷などから起こるとか山岳宗教が大きな力をもったということもわかる,山がもともと日本では御神体になっていたこともわかる
山が聖なる場だからこそこで修行したこともわかる
自然と結びついて宗教があったことは健全なのである。神道でももともと日本の清らかな自然から生まれたからである。今の東京のような所から生まれ得ようがないものだったのである。清らかな自然の中で浄化する,禊(みそぎ)すると罪も洗い流されるとなっていたのはそれだけ自然が汚されていなかったからなのだ

オウム真理教もそうした自然とは結びついていない、ただオウムでも創価でも富士山に修行の場として本堂とか建てたのはそうした歴史があってのことである
ただオウムでも創価でも幸福の科学でも東京から都会から生まれた宗教なのである。
幸福の科学というとまさに科学によって幸福がもたらされるから現代文明を象徴していたのである。
カルト宗教団体も現代文明が生んだものである、科学者が技術者が崇められる、だからこそ理系の若者でも力をもつ、原発でもそうである
カルト宗教団体でもそこに医者が科学者がいると信じられるのである。
それで宗教も現代を反映して科学から離れられない一体化するのである。

池田大作でも「科学と宗教」という本を出している、それは何かゴーストライターが書いたとかともいわれる、おそらく彼の著作の半分はゴーストライターが書いたのである
何か箔をつけるためにいろいろな知識人を利用するからである。
今でも佐藤優とか茂木健一郎などかぞうである、対談して潮でそういう知識人をとりこむのである。あとは政治で力をもつのである。
こういう人たちをまたマスコミはもちあげる、マスコミは時の権力に従うだけである
それが証明されたのは原発事故のとき朝日新聞の幹部まで東電に中国に招待された時起きたからである
ではなぜ創価もカルトなのだがオウムのような事件を起こさないのか?
それはオウムは理系の知識人であり創価はもともと庶民の団体だからである
庶民にはむずかしいことをいってもわからない、ただ病気が治るとか何でも御利益があるとか商売繁盛するから題目あげろというえばいいからである
それで一日題目をあげている人がいる、それはわかりやすいからである。
それで日蓮宗と真宗がこれほど普及したのである。
つまりこういう宗教は庶民の底辺層から起きているからオウムのようにはならなかったのである。

現代文明でなぜこれほどカルト宗教団体が力をもったのか?
それはいろいろな社会的背景がある、要するに現代文明の病的現象から生まれた
健全なものから生まれたものではない、山岳宗教は何か怪しいと今ではなるが山の空気を吸って心身を六根清浄を唱えて修行するのは健全なのである。
現代はみんな都会で生活しているからだ、創価でもオウムでも幸福の科学でも都会から生まれてまず都会人が信者となったことでもわかる
神道のように清浄な自然の気にふれて修行すればあのようにはならないと思う
自然とアイディンティティ化するとしたらならないのである
科学と技術が現代文明をリードすると起きたものだからである。

いづれにしろ宗教ではモーゼが十戒で戒律とした偶像崇拝に必ずおちいる
麻原とか池田大作とか幸福の科学の教祖とかでも偶像化される、そして浅原が死んだら神格化されることを言う人がいるのもわかる
生前はただの人だったのに欠点がある人だったのに一旦死ぬとその人が神格化されやすいそれも不思議なのだがそれは理屈ではない、最初の宗教が先祖崇拝だということは世界中で同じだからである。
そして宗教が聖書でも偶像崇拝との戦いだったことでもわかる
人間は偶像を拝みやすいのである。見えるものに人は頼るのである。
だから一神教は特殊な宗教だったとつくづく思う
人間も容易に神になるし神格化されるからだ
キリスト教関係だとエホバでも教祖がいない、偶像崇拝は守られているのである。
教祖を異常に崇拝するのは韓国系の統一教会などであるからこれは偶像崇拝的だとなる

いづれにしろオウム真理教事件はなぜこれほど不可解なのか謎なのか?
それはやはり現代文明が起こした事件だからだったのである。
現代文明が何なのかわかる人はいない、グローバル経済でも株のことでもわからない
それで陰謀論になったりする、だから現代文明社会から同じようなものがまた生まれる
文明社会の異様さとか矛盾とか混沌とかから生まれてくる
例えばルネサンスとか生まれ時代をみればわかる、なぜあのような芸術が生まれたのか?そこには調和があり美があり秩序がある

現代文明からそうした芸術でも生まれないことでもわかるのである。現代文明にふさほしいの抽象画なのである。
ピカソのような分裂してしまう人間でありそこで人間の尊厳はないのである。
シュペングラーのように数字化した人間であり経済的統計的数字化した番号化した人間しかいない、政治家でも病院で番号で呼ばれたというのもわかる、人間は番号でしかないのである、カルト宗教団体でも同じである。一人でも会員増やして政治の票にしたり勢力をもち政治的に力を持とうとする
その人がどんな人でもいいのである。頭数をそろえればいいだけである。
罪がどうだとか関係ないのである。そんなことを言っていたら会員が増えないからであるだからその会員は一票として数えら価値しかないし数としてカウントされるだけである
そこから何か個性ある人間など一人生まれない、ロボットとして数として数えられるだけである。現代文明社会でもそうだからそこでも同じなのである。
こういう文明社会からナチスがヒットラーが必然的に生まれと分析する思想家もいるのも当然なのである。
それでまともな人間になろうとしたときアウトサイダー化するのである
文明そのものを激烈に批判する、文明社会から排除された人間になるのである。


オウムとにていた原発事故(専門化した知識人の犯罪だった)

http://musubu.jp/jijimondai42.html#oom(時事問題深層42へ)


http://musubu.jp/jijimondai-41#tunami
のつづきで同じテ-マで書きました。

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2018年06月13日

米朝会談は成功したのか? (国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)


米朝会談は成功したのか?

(国にはそれぞれカルマがありそれを認識すべき―武田邦彦氏の意見に同調)

米朝会談にくいて武田邦彦氏は平和に向かっているからいいではとないかと指摘しているなぜそんなに水をさすような破断を望むようなことを言うのか?
アメリカでもトランプを批判する人たちがいる
一方的に妥協させられたのだとアメリカは損しただけだとアメリカのマスコミでも騒ぐ
日本でもそういう人たちがいる
アメリカと北朝鮮は一触即発の方がいいという人いる
アメリカは攻撃することを期待していく人達もいた

ネットだとそうして無責任にあおって面白がっている人たちがいる
それが現実に戦場に送られたり面白がっていられないのである。
つまり北朝鮮がアメリカに爆撃されて焼野原になっていいというならその人も戦場で戦い死んだり傷つくべきだとなる
ただ無責任にあおるのは自分の身に直接ふりかかってこないからである

武田邦彦氏は右だけど北朝鮮が爆撃されて焼野原になった方がいいというのも過激な右なのである。でも武田邦彦氏は必ずし右とはなっていない
右はこんな言い方をしない、北朝鮮を信じてはならない、爆撃しかないと言っているからだ
右にも実際はいろいろある、一つではないのである。
心の青雲の都築詠一氏もそうだった、死んだけど昭和天皇をあれほど批判するのか?
それも右だとすると理解しかねるものがあった、だから右でもいろいろあるのだ
第一右だ左だと分けることはできない、右でも左でもあることには同意するし同感する
原発には自分は反対でも賛成する人もいる,でも左は原発反対であり反対でない人は話し合うこともできない、受け入れられないというのもおかしいのである。

日本でも外部から国際的に公正にみれば戦争で原爆で悲惨なことを経験したがそのあとはアメリカに守られて冷戦の中で得したのである。
鉄くず拾いした子供の時を書いたがソレで財を成したのが和歌山の野崎氏であった
朝鮮戦争があり日本は特需で復興したのである
朝鮮戦争で鉄でなんでも日本から調達することで復興した
でもそのとき朝鮮半島は分断されたのである。民族は分断されたのである
それが冷戦が終わってもそうだった、北朝鮮は経済発展からも取り残されていたのである北朝鮮は忘れられていた国にてっていたのである
それで核をもちだして世界にその存在をアピ−ルしていたのかとなる

日本は戦後高度成長できたのはアメリカに敗北したが守られていたということもある
自立して守るということはなかった、それで経済だけに専念して高度成長を遂げたのである、ベトナム戦争でもそうである、日本はここでも特需がありベトナム人が苦しんで死んでも関係なく経済に専念して成長できたのである
そういう歴史的カルマを国は個人と同じように持っているのである

ただネットでは常に過激な北朝鮮でも批判しかない、それも一理ある
でも日本にもそうしたカルマがあることを言わないのである
もちろん慰安婦問題などは過剰であり韓国にも問題がある
そういうことは日本では受け入れられないのである。
そういうことはしこりになってただ反駁しあうだけだとなる
韓国でも北朝鮮でも常に日本を標的にして陥れるだけだとなっているから徹底的に対抗すべきだかとなる
それはdarkness tigaでもそうである、徹底して対処すべきとだと絶えず主張している
同じ右でもこのように違ったいるのである

自分にしてもイラク戦争を見ているあのように一方的に難癖つけて戦争するのは疑問だった、そこでアメリカには不信だったのである。
アメリカでは軍需産業が盛んだから武器を売る会社が戦争を欲しているという
トランプはその軍需産業の会社と距離を置いているという
それでその方面からの批判があるのか?マスコミも軍需産業の息がかかっているから反対するのかとなる
だから反対する声が大きくなるにはマスコミが利用される、どうしたら大きな声なるかというと依然としてテレビでありマスコミがまだその力をもっているからだとなる

ただ冷静に見るにはやはり右でもいろいろあり見方がある
その多様な見方がで可能になった、その都度テレビの様にリアルタイムで放送されるのが強みである。
ただユーチューブでも何百チャンネルも千チャンネルとかあると見切れないんとなるのも問題なのである。
そうなるとやはり人気がある人は読まれがある人は読まれないとなり選別される
ただマスコミとは違って独特の意見を言いやすいのである。
でも見られるのは和歌山ドンファン事件とかに注目が集まる
そこでは見る人が何十万とか百万人にもなっていたのである。
それだけ注目されるのに見る人が集まるのはマスコミと同じだったのである。

とにかく一触即発から平和に向かう作業はいいことでありこれを否定するとまた悪化するどうせ裏切られるだけだと右の過激派が言うときそうなのかとも思う人はいる
でも戦争を回避する方向に向かっているのだから日本でも後押しすべきだとなる
ただ右の強硬派はアメリカ軍が撤退すると日本が危機にさらされるとして反対しているのだろう、それも確かにある、常に日本は反日で批判されているからアメリカ軍が撤退すれば中国が韓国が北朝鮮が一体となり攻めてくるという恐怖におののいている
だから中国でも韓国でも北朝鮮でも過激な敵対感情を抑制すべきだとなる
でもそれができないから日本は断交すべきだとしている

そうなるとやはり敵対がエスカレートするだけだとなる、北朝鮮でも経済援助を受けるとそれなりに融和してくるのではないか?
ただ拉致問題は解決していないから問題である。
日本も戦争で悲惨な目にあったのだがやはりカルマがあり朝鮮半島が分断されたけど日本もそうなるところだったのである。
朝鮮半島は大国の対立の中でシリアのように犠牲になったのである
そういう点では武田邦彦氏の意見に同調するのである。
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2018年06月11日

和歌山の野崎氏は鉄くずを売ってもうけた同世代 (朝鮮特需があり復興した日本-そして米朝会談戦後の区切りになるのか?)


和歌山の野崎氏は鉄くずを売ってもうけた同世代

(朝鮮特需があり復興した日本-そして米朝会談戦後の区切りになるのか?)

太平洋戦争時でアメリカのB−29爆撃機から投下された爆弾の破片を回収したり、工場から出る鉄屑を整理したりして、それを鉄屑屋に売却するという仕事です>

 当時、銅線や鉄屑は高く売れ、流行のビジネスだったそう。会社の上司に命令されるのではなく、自分で考えて動き、サボれば収入がなくなるスタイルが野崎氏にハマった。朝から晩まで休むことなく鉄屑を探しまわり、以前よりは高収入に。

鉄屑拾いというのは子供のときしていた,鉄くずを拾って買う所があった
金になっていたのである。鉄くずがその時貴重だったのである。
何か真鍮(しんちゅう)とかあると貴重だと喜んでいたのである。
このことは子供もしていたが大人もしていたのである。

でも年齢的には和歌山ドンファンとは差がないから子供時代からその後もつづいていたのである。
日本は戦争で焼け野原になり疲弊した,物もほとんどなくなっていたのだ
だから鉄は貴重なものとなっていた,鉄くずでも貴重であり金になっていたのだ
これも思い出すと不思議である。

日本が戦争に負けて復興できたのは朝鮮戦争の特需があったからである。
その時物資を日本に頼ったからである。
アメリカに売るものがありそれで鉄くずでも貴重であり集めて何かを作ったとなる
武器でも作ったのかとなる

B−29爆撃機から投下された爆弾の破片を回収したり、

これも生々しい話である。B-29で日本は絨毯爆撃されたからである。防空壕に逃げた原町に住んでいた母の話も聞いている
相馬農業高校の近くでありそれで低空飛行して防空壕の蓋が飛ばされたとか話していたからである。

小学校では脱脂粉乳のミルクを飲まされていた,食料かなくアメリカに援助されていたのである。それは相当にまずいものだったのである。
そんな中で団塊の世代は育った

朝鮮戦争がまだ解決していないというとき米朝会談がシンガポールで行われるのもそうである
シンガポールというときそこは昭南島と言われてイギリスの島だったが日本によって支配された,その時自分の姉は従軍看護婦としてその対岸のジョホールバルの赤十字病院で働いていた
四年間働いていて最後に日本が負けたときジャングル逃げた時が一番苦しかった
食べ物がなかったからである。
自分の姉は死ぬまで戦争のことを語り死んだ,認知症になってから千回も同じことを延々としゃべり遂に死ぬまで直前まで語って死んだ
それが人生で一番印象に残ることだったからそうなったのである。

日本は最初東南アジアで戦争に勝利してイギリス軍を捕虜にしたりした,インパール作戦でもインド軍も一緒に戦っていたことを教えられた
インド軍とは共同で戦っていたのである。
ネパールもビルマもイギリス領になっていた,そこでイギリスと最初日本軍は戦ったのである。その後にアメリカが参戦して戦争に負けたのである。
ネパールで登山の案内したネパール人は英語をしゃべるからガイドとして一緒に行動したネバールでも英語なのかと意外に思う,英語をしゃべる国はイギリスと関係しているし支配された国植民地にされた国なのである。

シンガポールで米朝会談が開かれるというときそこは日本でも戦争と深く関係した場所なのである。
米朝会談でも日本が戦争に負けて朝鮮戦争になりソビエト連邦との冷戦になった
そしてソビエト連邦は崩壊した,そのソビエト連邦時代の時裁縫会社の人がカザフスタンとかに機械を売るために行っていたということを駅で聞いた
その人は日本でも機械を売るために回って歩いていた
これもまた時代を生きた証人だったとなる
ソビエト連邦というのも過去のものになったからだ

何か歴史というとき身近なものから大きな歴史をイメージすることができる
それもやはり経験しているから身近になる
子供の時の遊びが実は朝鮮戦争と結びついていたのである。
和歌山ドンファンの一生もまた戦後の歴史だったことをこれでもわかる
その人が酒屋で働いていたというのも酒屋が働き口になっていた
戦前でも江戸時代でも酒屋が主な職業となっていた
それも時代である。明治生まれの父親は酒屋で丁稚していたのである。

この人はともかく底辺から成り上がった人である。そういう人は同世代にも多いだろう
何もない焼け野原は出発点だったからそうなる
ただ団塊の世代は焼け野原から小学校を卒業する頃テレビがすでに売られていた
自分の家では一番先にテレビを買った,父親が病気になりなぐさめるために買った
テレビはその頃みんな買っていない,裕福になった人が買ったのである。
それでテレビある理髪店とかに子供が集まって見ていたのである。
バナナも高価であり売っていないので仙台まで買いに行って食べさせた
こういう時代があったというのもずいぶん昔になったなと思う

両親から祖父母までは直接話を聞くから歴史でも身近である。
でも次の世代はもう直接戦争を経験した人からの話を聞けないのである。
するとただ映像とか資料とか何か直接語ることで聞けないからそこに歴史が身近にならず誤解することが生まれてくる,江戸時代でもその時代を生きている人がまるで外国に生きていたように不可解にもなるからだ

米朝会談があるけどそれは朝鮮戦争がまだ終わっていないということでもある
朝鮮が二つに分断されているということで終わっていないのである。
でも朝鮮戦争からでも70年とかすぎているのだ,だからそれも長かった
それで米朝会談が朝鮮戦争を終わらせる区切りとなるのか?
そして会談が成功すれば米軍が韓国から撤退するといわれる
その時日本はどうなるのか,韓国中国は共同して日本を攻める,常に反日であるとういときそういう危機が日本に迫る

インターネットではいろいろな情報が出る,もう新聞社とかテレビとかマスコミだけではない,個々の情報が膨大に出る,でもそれを読む解くことがむずかしい
つまりインターネットでは情報を結び関連づけることが大事になる
偶然にこのサイトを発見したので引用した
ともかく野崎氏の一生もまた戦後を象徴していたのである。

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平成も終わる時に天皇を見送る (戦後からの時代をふりかえる)


平成も終わる時に天皇を見送る

(戦後からの時代をふりかえる)

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昭和時代(戦後) - [1952年 〜 1989年]

高度成長時代(団塊の世代)

平成時代 - [1989年 〜2018 ]

1991年、総量規制や消費税などでバブルが崩壊して失われた10年(失われた20年)となる。

阪神・淡路大震災、東日本大震災(福島第一原子力発電所事故)などが発生する。


時代をどうみるか?昭和の前半は戦争の時代とみる,団塊の世代でも特徴づけられるのは戦後の焼け野原から引揚者などが帰ってきてその時ベビーブームになったからである。
だから今は少子高齢化だけどなぜ日本が焼け野原になったときベビーブームになったか不思議である。
その時と比べると今はいくら高度成長が終わっても電気もないとか毎日食べるのが精一杯とかの時代ではない,燃料は炭だったし水道もなかった
水道ができたのは戦後十年くらいだろう,何か子供時代は原始的な時代にも今になると思えてくる,父親が鰻をとったり鮎をとったりしてそれがいいオカズになっていた時代だし竈(かまど)でご飯を炊いていた時代でもあった
囲炉裏が街に住んでいてもあった,そんな時代から団塊の世代は出発したのである。

あとはオリンピックは高校のときだったけど相当に活気あるものだった,あの頃日本人が一番高揚していたのかもしれない,大学を卒業するときは万博がありあれにも人が集まった,つまりその頃高度成長時代の真っ最中だったとなる
その頃まだ車がそれほど普及していない,道路もインフラも整備されていないが急速に整備されてきた,その時ブルドザーのような田中首相の時代だったのである。
1972年(昭和47年)首相になり日本列島改造論を書いた時だった
それは自分が大学を卒業してまもなくだった、ロッキード事件はその頃に起きた

昭和39年(1964)

(10月1日)東海道新幹線開業
(10月10日)東京オリンピック開催

昭和51年・(2月)ロッキード事件(田中首相の時代)

1989年〈昭和64年〉昭和天皇崩御

昭和天皇が死んでからすでに30年とかなるのか?平成は30年だからそうなる

平成になるとバブルの崩壊とか日本経済は停滞してリストラが社会問題になったりと経済的には暗い時代になった,それが今も継続しているのである。

平成は年号の漢字とは裏腹に災害の時代だった,阪神淡路の震災で5000人死んだとか東日本大震災で二万人近く死んだとか大災害の時代だったのである。
その平成も今年で終わりになろうとしている
自分は団塊の世代は昭和と平成を生きた,戦前生まれの人は戦前の昭和と戦後の昭和を生きて平成も生きたとなる
100歳まで生きている人は大正生まれである。
自分の母親は大正生まれあり父親は明治生まれだった
大正は短かったがそれなりに特徴ある時代だった,その時この辺では原町の無線塔が作られて関東大地震をアメリカに伝えたことで有名である。

年号で不思議なのは江戸時代になるとその時代が年号では良くわからないのだ
元禄とかはわかりやすい,これは今の高度成長時代とにている,新田が全国で開拓されて繁栄した時代である。それは地方にも波及していたのだ
なぜなら葛尾村にも元禄の碑があったし相馬市の新田村にも元禄の碑があった
この辺では元禄の碑はまれである、幕末の碑が多い,墓でもそうである。
元禄時代というと俳句では芭蕉の時代だった、俳句が興隆した時代だとなる
各地で新田が開墾されて開拓されて人口も増えたり高度成長時代とにている
あとは江戸時代では文明が飢饉の時代として記録される
相馬藩では飢饉で人口が流出して三分の一に減ったからだ
そこで越中などの移民が入り立ち直った歴史がある

年号で時代を現すとき江戸時代だと順序が逆になったりする,年号が安政とか安永とかいろいろあっても時代の順序を間違えるのである。古いのか新しいのかわからなくなる
その時代がどういう時代だったかイメージできないのである。
それは江戸時代はあまり変わりないからそうなったのかもしれない。
ただ元禄と文明は一つの区切りのようになった時代である。
まず明治以降は明治という時代があり大正という時代があり大正が先になったり明治が後になることはありえないのだ,江戸時代だとそういうことが普通に起こるのである。

ただ戦後の昭和から平成に変わるがこの変化はどうなのか?
確かに高度成長時代から変わったとしてもそんなに生活自体に変化はなかった
それなりに豊かな時代を過ごしているのである。バブルもあった
低成長時代になっても豊かであり暮らしが貧しくなったとは言えないからである
格差社会となっているのは確かだがそれほどの変化がないとも見ている
文明のように飢饉とかなれば大きな変化だから記録される
平成はやはり阪神淡路大震災や東日本大震災が時代として記録される
そして原発事故だった
そのために今回平成の終わりに天皇と美智子妃が相馬地方を訪れたのである。
それが何か時代の区切りだったのである。
ただ原発事故は終息していない,廃炉に30年かかるとかまだまだなのである。
だから津浪や原発事故の後遺症は十年とかつづきそれ以上つづくのである。

平成天皇というと美智子妃の方が注目されていた,結婚式のときは盛り上がった,それはまだ高度成長の時代の時だったのである。
ただ時代というのは個々人でもどう生きたかで違ったものになる
会社で高度成長時代を生きた人はいい時代を生きたとなる
今は銀行が窮地に追い込まれるとか経済的には後退している時代だからである。

でも自分のように会社勤めもしないで旅ばかりしていた者にとっては会社のこは関係なかった,でも自分はそうして30年間とか旅できたことは今になるとあまりにも恵まれていたとなる
それがわかったのは介護になって十年間苦しんだ,旅もしていない,それで家族もみんな死んだが旅に出る気力もなくなったことでわかった
自分が旅できたのは経済的にもそうだが精神的にも帰る家があり留守してくれる家があったからだと思った
何か家があると旅に出にくい,留守する人もいないから家族が死んで自由になってもしにくいのである。そして何か気力がなくなったのである。

ともかく今回天皇陛下と美智子妃が相馬地方に来たことはそして写真を自らとったことは時代の区切りを自分でも感じた,平成も終わったのか次はどうなるのだろうと思う
平成の終わりを天皇陛下を見送ることで感じたのである。

梅雨入りや天皇去りて燕飛ぶ

雨しとと平成終わるや美智子妃を我が見送りぬ梅雨に入るかな

何か平成は梅雨のような時代だったかもしれない,ぱっとしない時代である。
時々晴れ間があってもぱっと快晴にはならない時代だったような気がする

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2018年06月10日

天皇陛下,美智子妃殿下鹿島のローソン前通る (南相馬市の植樹祭で来る)


天皇陛下,美智子妃殿下鹿島のローソン前通る

(南相馬市の植樹祭で来る)

来たのは四時だった

michikohi33.JPG

michikohi22.JPG
鹿島ロ-ソン前
michikohiii1.JPG


並ぶ所が決まっていた,そこは混んでいるのではずれたところ離れた所にいて写真をとった
並んだ所で手をふっていたと思ったがはずれても手をあげていたのである。
そこには人は並んでいなかったのである。
ただ三倍のデジカメだかぼやけていた,それが失敗であった

この写真は貴重かもしれない,なぜなら平成天皇は今年で終わりだし美智子妃も見られないからである。
平成が終わるからである。
ただ平成というとき何か特徴がなかったように思う
昭和と比べるとそうなる

天皇陛下が来るとなると一番張り切っているのは警察である。
警察の紋が菊の紋のだから天皇を護衛するためにあるともなる
私服の警官が来て回っていた,相当な警戒であった

何か狭い地域でも写真をとることがある,だから常時携帯する必要がある
今回の写真はみんなとっているから見られるだろう
ただ自分が平成の記念として撮ったことに意義があった


両陛下、福島県入り=最後の植樹祭出席

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和歌山ドンファン事件(2) (家政婦は家族の一員となり犯罪にもからむ)


和歌山ドンファン事件(2)

(家政婦は家族の一員となり犯罪にもからむ)

推理ドラマでは常に家政婦が疑われるし犯罪でもからむ,それはなぜなのか?
その家のことを家族のように知るからである。
家族の一員のようにさえなる,実際にそうなって人もいる
有名な俳優の家で家政婦になった若い女性はその家の家族の一員のようになっていた
愛されていたのである。ところが夫婦に子供できたら愛されなくなったと子供を殺した事件があった
この事件がまさに家政婦がどういうものになるか象徴しているのである。

家政婦とかはその家の事情に深くからむことになる特殊な仕事だと思う
コンビニとか会社につとめればただ時給いくらだとか払って終わりでありこうしたことは起きない
家政婦はその家と深い関係になり家族のようにもなる
するとどうなるのか?犯罪があれば犯罪に必ずからむものとなるしそう見られるのである

だから和歌山ドンファン事件でも家政婦が一番しゃしゃりでていのことでもわかる
家政婦と妻がいて同格にすらなっているのだ
妻が月に小遣い百万もらっていたというときそれが不満で一万五千円にしてくれと頼んだというときもそうである。家族のようになっているときその差があまりにも大きいからである。金を貸してくれとかくれとかも平気で家政婦が言うこともあるし経験している
そして親戚がきて金をやったときそれを見ているから不満になるのだ
それは家政婦はまるで家族の一員のような立場になるからだ
まして二十年間もつきあいがある家政婦となっていたら余計にそうなのである。
だから妻が百万で自分は一万なのかという不満が大きかったことはわかる
そんなことは会社ではありえないが家に入る家政婦には起きてくる

実際だから家政婦雇うほどやっかいなことはないから普通の人は雇うべきではない
ヨーロッパの貴族とかなるとそういう社会であり伝統があるから執事とかは地位があり社会にも認められているのである。
チップとかが生まれたのもおそらくそうした貴族に雇われる家政婦とか使用人がいてそうなった,それは家族のようにもなるからそうなったのである。
日本でも武家では使用人を雇うがそれも時代劇では家族のようになることがある
そういう身分制社会があって成り立っていたのである。

日本でも家事が電化製品がないとき大きな労働となっていた
中産階級ですら二人の女中を雇っていたというからそれだけ家事が手間だったのである。選択から食事の用意するのが手間だったのである。
ゴシゴシ洗濯板で洗っていたり竈で薪をくべてご飯を炊いたりしているたらそれだけで時間がかかる、だから女中という仕事が普通にあった
自分の母親も東京で女中していたのである。
こういうときは家に普通に入ってくるから危険だとなるがやはりヨーロッパのようにそういう社会だからこそ成り立っていたのである。

現代となると家事は本当に楽になった,一人暮らしでもあらゆるものが備わっているので困らないのである。自分のようなルーズな人間でもできる
問題はどういうものが売っていて買うかである
それが意外とわからないのである。品物の数も多いからわからないのである。
今でもわからない,冷凍食品が腐らないからいいと今になって利用している
他にも何を買うかが問題なのである。
外食もすれば食事でも困らない,都会だったら外食をうまく利用すればさらに楽である。
今でも家政婦を雇う人はいるがそれは特殊であり大金持ちの家になるだろう
そういう家でないと今は家政婦は雇いないと思う
家政婦を雇うのはそれだけ贅沢なものになったのである。
例えば本当の大金持ちは介護でも専用の看護師を雇っているという
それだけの贅沢できるのはもう日本ではわずかの大金持ちしかないだろう

だから普通の人はもう家に入ってくる家政婦などでもどう扱っていいかもわからない
戦前のように女中として雇うことが普通の時代だったらいいのである。
今はこうして家政婦というのはなじみがないのだ
みんな電化製品で家事をしているからだ
このように常に社会は変わる,だから対応がむずかしいのである。

それは家政婦になる人の心構えでもそうである。戦前のように社会に女中が普通にあるときは雇う方も雇われる方も心得ているし中産階級でも二人も雇うということは別に大金持ちだから雇っていたのではないからだ
そうしないと成り立たない社会だったからそうなっていたのである。
犯罪があったとしても少なかったことは確かである。
それだけの人が女中となっていた時代だから犯罪が多くてもいいはずであるからだ

いづれにしろ家政婦はその家のカルマにもかかわる,どこの家でも癖があるというときカルマをもっているからである。
和歌山ドンファン事件でもカルマが如実にあった,するとそのカルマの故に犯罪が起きて回りに及んでくる,最も愛していた犬が死んだのも毒殺だとか言う時そうである。
その家の主のカルマによって犬が苦しみ死んだとなる
犬にはなんの咎(とが)がなくてもその主人のカルマによってそうした無惨な死に方になった,だからカルマというのは恐ろしいのである。
主人も自分が罪深いから業が深いから愛犬まで苦しめて死にいたらせたと反省すべきだったのである。その前に自分も死んだとなる

ともかくカルマはその回りの人に及んでくるから怖いのである。
何の罪もない動物でも人でも苦しむ,それは戦争で馬が戦場を狂気のように走っている
『戦火の馬』という映画でもそうだった,人間の身勝手な戦争で馬も苦しんだのである。原発事故でも飯館村などは原発から四十キロとか離れているから関係ないと思っていたのである。でも被害が一番大きかった
飯館村はまでいなせいかつとか素朴な村として森につつまれてある村だった
それが一番被害が大きかったのである。
つまり人間のカルマにより業により罪により何の罪もないものが自然でも動物でも苦しめられるのだ,そこに人間の業の怖さがある
夫婦でも無邪気な子供がいても争いになり離婚だとか家族のもめごとで苦しむのである。
家政婦はよほど信頼がないと家には受け入れられないだろう
和歌山ドンファン事件の家政婦は二十年来の付き合いだというときまた違っていたのか?
ただ金銭的に不満があったように何か積年の恨みとなっていたのか?
それはわからないにしても家政婦が一番しゃしゃりでていることでもいかに家政婦が家とかかわるかを示している
その家のカルマも受けるし一体化するのである。
いい方に向かえば家族の一員となるのだから愛されるのだからいいとなる

反面家族の一員となるとなぜ妻が百万で自分は一万円なのかという不満が出て当然なのである。そこに配慮するものがないと危険になる
盗むことも簡単にできる,事情を知っているからできるのだ
そういうことを自分も経験している,その家と深くかかわる仕事なのである。
そういう仕事は何か人間的であり今の社会では会社勤めとかでは経験できないものである自分も経験しているし家政婦ではないがそういう人が一時間であれ皿二三枚洗うにしろきているとなるとそうである。
ただその女性は家政婦とは言えない,三日に一回くらいきてそれが仕事なのかとなるからだ,でも現実に家族のようになり家族のように要求しているのである。


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2018年06月08日

逃れられないカルマ (和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


逃れられないカルマ

(和歌山ドン・ファン事件もそうなのか?)


この人自体が普通から見たら異常である。でも資本主義の世の中ではとにかく金があれば認められもてはやされる,金の力が露骨に現れる社会である。
江戸時代なら金ではなく身分でありその身分にふさわしいふるまいをしなければならなかった
今は身分など関係ない,金をもっていなかったら身分も地位もなにもない
何の力もないのである。だからどんな悪辣な人でも金さえもっていれば人はよってくる
でもそれはあくまでも金によってくのでありその人がどういう人格などとかそんなこと関係ないのである。
だから今の社会は「金の切れ目は縁の切れ目」ということがどこでも現れる
昔からそういうことがあったとしてもそれがあまりにも露骨になりすぎたのである。

とにかく自分もそうだったが60以降はカルマが具体的に苦しみとなって現れる
若いときの不品行とか別に犯罪として罰せられなくても人間はなにかしら後ろめたいことをしている,それで心の中で責められるのである。
ただ心の中で責められるならいいが具体的に苦しみとなって現れるのがカルマなのである60以降は人生の総決算のようなことが起こるし死ぬときもそうである。

だからこの人の死にざまはそのカルマの総決算として死だったのかとなる
溺愛していた愛犬も殺害されたのか苦しんで死んだ,そしてすぐに自分も殺害されたのか死んだ,なぜ犬まで殺されたのか?
カルマはその回りにいる人に及ぶからである。だから一番かわいがった犬もそのカルマを受けたとなる,そんなことがあるのかというがカルマは親戚と深く関係して影響するから怖いのである
結婚して相手の家のことなど関係しないと思っても結婚すれば相手の家のカルマを受けることになる
ただそのカルマはすぐに現れない,それが60以降とかでも現れるから怖いのである。
そのカルマが身に降りかかったときはじめてその怖さを知るのである。

自分もそういう目にあってきたことを書いてきた,これとにたことを経験してきたからである。
この人は金があっても金の亡者であり女性を物ののように扱う人だった
だから誰からも本当は愛されていない,信頼されていない,愛しているのは犬だけだったとなる
そして金目当てなのかどうか殺害されたともなる
こういう会社に勤める人の気持ちはとをなのか?
そんな人が社長になっている人の気持ちはどうなのかと思う
社長を見習いとなるとなるとそんな社長についていけるのかとなる

ただこの人だけではないカルマはみんなもっている,もたない人はないのである。
では良く通り魔殺人とかいろいろあるけどそれもカルマなのか?
犯罪にあうのもカルマなのか?それはただの偶然ではないか?
強盗に入って殺されるとかあるけどそれもカルマなのかとなる
多分にカルマはそこにある,金があるということでもカルマとなるからだ
カルマは多様なのである。人間が複雑なようにカルマの種類は多様であり計れないくらいある,だから犯罪にあうのもカルマだということはある

ただ例外はある,人間は苦しむのはカルマがかかわっていることが多いのだ
障害者をもってなぜ苦しんでいるのか?
それは前世で誰かを苦しめていた虐待していたためだとかなる
そうでも考えないとどうしてそんなに障害者の子供や病気で障害者となった人を障害世話しなればならなくなったのか?
それはおそらく前世で虐待していたためではないか?
自分が弱者化したとき責めてきたのはそういう前世の宿縁だったのか?
それが一応親戚だからその苦しみを自分も受けることになったともなる

ただこうしてカルマだと考えるとき自業自得だとなり相手を呪ったり恨んだりしない
自分がこうなったのはあいつのせいだとか恨み呪いつづける人がいる
でももしこれも自分のカルマだとすればその人は自分のカルマを自覚しているから自分のせいだとなるから他者を恨んだりしないのである。
でもそれに納得いかない人は今度は他者を責めるのである
ただ殺人までになるとそれはカルマなのかどうかわからない
それは相当に重いカルマとなるから軽々には判断できない
ただこの人の場合そうしたカルマを積んできて最後に総決算としてカルマが具体化して苦しみとなって悲惨なの結果となった
それは自分もにたようなことを経験しているから他者のことは言えない
殺されかかったということでは同じだったのである。
それは金にまつわりそうなった,金はそれだけ今の社会では怖いものでありもめごとの大半は金にまつわるものだからである。

自分の家族の一人は悲惨な死に方をした,それもカルマだったのか?
それも良くわからないにしろ一部は多分そういうことがあった
ただ善行もあり家のために尽くしたのだからすべてがカルマだったとも思えないのであるでもなぜ頭がいいとか最後まで優秀だと言って死んだ
実際は馬鹿になっていたのであるからこれもをと考えていいのか?
何か奢りがあってそういう無惨な死に方になったのだろうか?
カルマは死にざまに現れるのだろうか?
ただ人間は死ぬときはみんな苦しみ悲惨なのだからわからない
カルマは法則のようにあるとしても数式のようには現せないからである。

いづれにしろ今回の事件はわかりやすい,カルマがわかりやすい,誰が見てもあんな死に方するのが当然だとか見ているかもしれない,金の亡者であり金で女性をもてあそびそして死んだのだからまず女性の肉体を愛しても人として見ていないからである。
そういう人がもてはやされるのも金をもっているからなのだ
出版社も金儲けのために自伝を出させたり金が目的でみんな寄ってきているからだ
人間はやはり金があると金を目的でしか寄ってこなくなり金でもめるのが定番である。
金というのは怖いものでありそれで殺されるのが普通にある
今の世の中は特に金をもうければい得ればいいしかない社会となっているからその典型的パターンとしてこの事件が起きたと誰でもわかりりやすいから見ている


















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2018年05月26日

黙示録 666の恐怖 (6月が不安になる-末世に異常なことが次々に起きる)


黙示録 666の恐怖

(6月が不安になる-末世に異常なことが次々に起きる)

『また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。』(黙示録13:16-18)

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なぜ6月が不気味なのか?それは自分とも深く関係していた,自分が生まれと関係していた6月24日が世界の終わりの日とされている,これも怖いと思った
自分は実際こうしたことを信じない質である
聖書は信じても滅亡の日はわからないからである。
ただ今回恐怖なのは6月が何か自分の出生とも関係していて怖いとなる
ただこれはいつでも定番のようにネットでは出てくるから普通は何も感じない
でも自分の一身上のものと一致したから不安になる

世界が終わらないにしても何か大きなことが6月に起きるのか?

●天変地異

●戦争(外敵の侵入)

●経済破綻(株の暴落)

●大事故,大惨事,凶悪事件

戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。

注意していなさい、あわててはいけない。

それは起らねばならないが、まだ終りではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。

またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう
何かそういうものが起きるのか?
この辺は津浪や原発事故になったとき本当に世界の終わりが来たのかと思った
それほどの衝撃だった,原発事故も怖かったが津浪の方が怖かった
実際に自分の家は無事だったけど家族とか家が瞬時にして消えたとなるとこの恐怖は最大のものだったろう
だから津浪の方が原発事故より怖かった,原発事故では原爆のように20万人とか死んだわけでもない,放射線被害が実際は恐ろしいにしてもかえって避難した人は多額の補償金をもらって喜んでいた人達が結構いたのである。

津浪の被害者は補償金をもらえなかったら悲惨だった
ともかく津浪の被害は家も家族も根こそぎ一瞬にしてなくなるからその衝撃が大きかった津浪の被害を経験した人は本当にこの世の終わりだと実感したことは確かである。
原発事故は確かに爆発したのだがその時自分は何かわからなくて外を出歩いていたのである。
ただその時20マイクロとか放射線量が高くなっていたのである。
でもこの辺はそれは二三回で終わったのである。
飯館村とか福島市の方が長く放射線量が高かったのである。
だから放射線量からすると福島市の被害も大きかった,でも補償金はほぼゼロなのである
聖書は予言の書といわれる,道徳の書ではないことが他のものとその趣意を異にしているのだ,世の終わりを常に記しているからだ
だから世の終わりが来ることは間違いないのである。
ただそれがいつ来るのか?それは神のみぞ知るである
だからとても6月に世の終わりが来るというのは信じがたいとなる
ただ何か大きなことが起きるのではないかという不安はある
最近地震が多いというのも不安になる

天変地異というとき大きな地震が来る,戦争というとき北朝鮮とアメリカの交渉が決裂したから起きるのか?
経済破綻は常に言われている,株が暴落する
そして大事故となるとやはり原発事故がまた地震かなにかで起きるのかとなる

6月は不安だから外にあまり遠くに行かない方がいいかもしれない,梅雨の時期だから旅行には出れない,自分はここ十年旅行にはほとんど行っていない
ただネットでこうして不安をかりたてるのはそれで視聴率をとるためだとなる
週刊誌でも常にそうして不安をかきたてると売れるからである
人の不安につけいる商売なのである。
カルト宗教でもそういうことがある
だからこれも問題なのである。自分の場合はあまりにも自分の出生との一致があって恐怖になった
これもただの偶然の一致だともなる

そもそも666が危険だとなると6月6日が危険だとなるのか?
どうしてこの数字が出てきたのか?
6はムであり無になるの日なのかとかこじつけもできる

ただなぜ津浪や原発事故が起きて一身上でも異常なことが起きつづけたのか?
なぜ狂ったような人々が自分の介護や病気の時侵入してきたのか?
それも今ふりかえると不可解であり何かこれから起きる前兆だったのかとなる
人間は弱者化するとかえって凶暴な人が襲ってくる
国が弱体化すると外敵が侵入してくる襲ってくるからである。
食い物にされるのである,それは国と国の関係でもそうだった
獣として刻印された人達が襲ってきたのかともなる
その人たちはまさに獣そのものだったのである。
金しか求めるものがない,金に狂った人達である。
それは何もその人たちだけではない,みんな世界中が金に狂った時代だからである。

現代は末世にきているかことは確かである。
末世には信じられないことが起きてくる
もう世の終わりではないかということが起きてくることは否定できないのである。



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2018年05月17日

日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも (会社でも同じことが常に起きている)


日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも

(会社でも同じことが常に起きている)


この事件は社会人でも組織に属している人でも関係した事件である
監督の命令でしたとなれば監督の組織全体の責任である。
ただなぜその命令に従ったのかとなれば

「“反則をやるなら出してやる”と監督から言われた」

何かそこで目立ったことをして監督に認められたいということも選手にあった
このことは軍隊の組織とか会社の組織とかでも常にある

上司から認められたいから反則してもノルマを課せられているからとりにゆく
それは銀行でもあった,証券会社でもあるだろう
今はここは投資信託などを売るためにノルマを課せられている
そのノルマが厳しいからどんなことでもするとなり反則してとってくるともなる
カルト宗教団体ならなぜあんなに会員をとるために必死になっているのか?
これも上からのノルマなのである。会員がどんな人でも人格などどうでもいいのである。数を集めることが至上命令である。
それは上からの命令であり組織に入ればそのことが納得いかないおかしいと思ってもノルマを一票とるために一軒一軒回って歩くのである。

銀行でも今追い詰められている,投資先がないとなり証券会社化している
これも日大でもスポーツでも勝つということが至上命令になり勝つためになんでもしてもいい,反則でもして敵をつぶしてこいと監督が命令したとなる
勝つことが優先すればそうなる,勝つことによって監督の力量が決められるからだ
日大の監督はそうして大学でも認められたからである。
勝たなければ認められないのが現実なのである。

銀行でも支店長であれそこで投資信託でも売らなければ今や収入にならない,それで若い銀行員に投資信託を売らせるのである。
投資信託はまずその仕組みがわかりようがないし手数料が確実に入り銀行にはリスクがないから売り込むのである。売るにも売ってからも解約するときも手数料がとられる
だから投資信託は証券会社や銀行がもうけるために作り出したのだという人もいるのである。

なぜ投資信託をすすめるのか?

手数料が確実にとれる

これてしかないのである。だから別にリーマンショックの前にもっていた株が上がってきたのだからすぐに売る必要はないし分散投資という考え方は間違っていなかった
だからそれを投資信託に回す必要はなかったのである。
でも投資信託は銀行側にとってはもうかるから投資信託に回したのである。

ただこれは銀行員の営業がそうしたのであるが営業の人でもノルマを課せられているからなんとか投資信託を売ろうとしたのである。
それが銀行の方針になっているから銀行側が監督するものが全く関係ないとはならない
日大のアメフトでもやはり反則を犯たのもこの事情とにているところがある
監督に反則してもタックルして敵をつぶせというときそうである。
そうすれば出場させてやると言われた,それは銀行で営業している人やその他の会社でもそういうことはある
営業は上の命令でしているからである。組織に属していればその命令に従わねばならないからである。だからこそこれは日大のアメフト部の組織自体に問題があり責任があり大学まで責任が問われるようになった
そういうことは会社でも常に起きている

ただ会社と違っているのは部員が監督の命令をボイコットしてやめるという宣言をしたことである。それは別にやめたからすぐに職を失ったりしないからである。
職を失うとなると簡単にはそういうことはできない,社員はやめてもいいが会社はブラック会社でも普通に残るからである。

これはだから監督が悪いのかその命令に従った部員が悪いのか?
別に部員でもそれがあからさまなルール違反であり危険な行為だからあえてそれをしていいのかと自問するからだ
でも監督の命令で反則でもいいからそれをすれば出場させてやるとなれば選手はしたともなる
スポーツではルールが絶対なのだがどうしても勝ちたいとなり反則を犯すしエキサイトしても犯すのである。

いづれにしろこの事件は別に大学のスポーツの問題でもない社会全般の問題に適応される例えば監督が軍人だとして人を殺してこいというときそれをするのか?
戦争になるとそれが普通に実行される,でもそんなことはできないとなれば戦争を拒否するほかないがそれをすると国家から犯罪者ともされるのである。
簡単にボイコットはできないから戦争で3百万人も死んだとなる

ただ上からの命令と良心にはじないということでジレンマに陥れることは常に江戸時代の侍の時代劇でもテーマになっている,主命だとなり絶対化するがそれに反抗する部下は殺されるのである。だからこれは人間社会の普遍的なテーマなのである。



部員も部員で違反するような奴らだし早く潰した方が日大の為

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

コーチ陣を永久追放しろよ 
何学生に罪着せてんだ

今回の話は二流大学のマイナースポーツでの内輪揉めだけど 
反則は反則の域を越えて若者をカタワにしかねないもの 
それを自分の部下をおいつめて実行させる組織犯罪 
日大のナンバー2である老害が若者二人の将来を潰そうとした事件って考えると 
なんか行く末みてみたくない?

部員に責任がないかといえばある,ルール違反だということがあからさまであり知っているから悪質なのである。
監督の命令がすべてだというのはやはり体育会自体の問題である。
そういう体質だからそうなったとなる,軍隊と同じだからである。
反則しても殺せとなるのが戦争になるからだ
戦争にはルールがないからである。
スポーツも戦争になればそうもなりうる,有力な敵をつぶせとなっていたのである。

posted by 老鶯 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層