2023年01月27日

犯罪もカルマが関係している (今回の強盗事件でも因果関係はあるのか?)


犯罪もカルマが関係している

(今回の強盗事件でも因果関係はあるのか?)

「なぜ私だけがこんな目に遭うのでしょうか」。犯罪の被害者は異口同音に同じようなことを言います。世間には多くの人がいるのに、なぜ自分だけが悲惨な目に遭わねばならないのか、それは誰でも考える理屈でしょう。

犯罪の被害者、加害者の運命を調べてきました。その結果わかったのは犯罪の背後には複雑に絡み込んだ運命の因果があるということでした。ただそれが全てではありません。犯罪のすべてが運命的な原因をもつわけではないのです
犯罪とカルマの相互作用がある

犯罪に合う人と犯罪を犯す人に何らか関係があるのか?
ただそれは偶然のこととして起きたことなのか?
そこに複雑な因果関係があるということを書いている
例えは昔だったら因業な金貸しが貸した相手に恨まれて殺される
そこに確かな因果関係がある、動機もある
でもなぜ毎日のように犯罪が起きる、今回の強盗事件でもそうである
90歳の女性が殺された、ではこの90歳の女性と殺した強盗と何か関係があるのかとなる
それは外からはただ偶然の出来事に見えるし知り得ようがないのである

でも犯罪は必ず起きるし自らでも犯罪を起こす、何かしら犯罪にかかわらない人はいない自分自身がそうである、なぜ私の家で次々に不幸があり犯罪者が入ってきたのか?
それも何かしら因果関係があってのことだったのか?
それはわかりにくいにしても犯罪者がただ偶然に来たとも思えないとも見た

なぜ母が積んでいた金が盗まれたのか、なぜその人が来たのか?

ここに因果関係があるのか?その人はここに前から住んでいた人ではない
ただ偶然でそうなったのである、そういう犯罪の機会が与えられたのである
でもよくよく考えてみるとその女性は金に窮していた、その生活はずっと金に窮していただから切実に金が欲しかった、その機会が偶然に私の家にきてめぐってきたのである
母が積んでいた金は実はその時積み立てていなくても国から支払われていた
月三万もらっていたのである、百才まで生きたのだからそれが結構な金になっていたのである
でもその金が盗まれた、これは何なのだろうと思った
結構な大金だった、私の母親は吝嗇でケチであった、何か無駄なことに金を使わない
それで花なんかいらない、買う必要がないと言って私を責めたのである

それは極端な貧乏を経験していて継母に育てられた金銭に余裕がないからそうなった
店をしているときも一円でも無駄にしない人だったのである
でもその年金は高度成長時代に国が豊なので無料でもらえた金だったのである
たとえ3万でも今の年金とは違い無償でもらえた金だった
それで後五年たつと5万もらえたとか悔しがっていたのである
その時代は国が豊でありそうなったのである、今でも年金が4万とか5万しかもらえない人がいる、その人達は一応積み立てていてそうなのである
年金制度が確立する前は積み立てていなくても無償でもらえた時期があった

でもその金は盗まれたというときそこに母と盗んだ人の因果関係があったのかとなる

あなたがもらえた金は国で支払った金と同じです

それは国のものであり国民の金です

だから私ももらう権利だある

それで盗んでいいのです

こんな論理も成り立つでのである、なぜなら私がそのことを責めたら私自身が警察からでもみんなからも責められたからである、御前は金を持っているから何も言うなとなっていたのである、その犯罪をとがめる人はいなかったのである

ただこうして犯罪者と犯罪を受けた人の相手とに全く何の関係もなく偶然にすぎなかったのかとなるとそうでもない、その金は盗まれても犯罪者を責められないものでもあったとなる、つまり犯罪の被害者の方にも何かしら犯罪を受けてもいいものだったとも見れる
でももし金がない人だとわずかの金でも盗まれたりしたら借金でも返さないとしたら殺人にまでなっている、だから犯罪者であゃ犯罪の被害者であれ双方に何の因果関係もないのかとなるとそうでもないとなる

そもそも犯罪でもそうだが何か偶然に起きる事がこの世にあるのか、偶然と見えるものも必然だったとかなる、金を不正にためこんだりしていると盗まれても当然だと外から見られる、二人も家政婦を雇っていた地主の人なのか家を貸している人なのか殺された
でも二人の家政婦は何の被害もなかった、ねらちわれたのは地主なのか金持ちだったのである
何か不正に貯えたとか本来はそんな金を得られないのに得たとかなりそれが盗まれたともなる、その金に正当性がなくて盗まれたとかにもなる

そうして犯罪が起きているのかもしれない、犯罪にカルマが関係している
そのカルマでも前世まで関係しているともなる、何からのカルマが双方にあってそうなったともなる、つまり全然関係がない因果関係はないとは言えないとなる

何らか人間はどこかでカルマを解消させるために事件が起きる、苦しみが生じる
それが過去に積んだカルマが原因だともなる、もしためこんだ金でも人のために使うとかしていればそうはならなかったとかなる
ただ私欲のためにため込んだ結果として盗まれたのかともなる
ただ盗んだことがいいことということではない、その盗んだ方もカルマを積んだとなり
いづれ苦しみとなって現れる

ともかく犯罪を犯す人と犯罪の被害者はただ偶然に出合ったことであり関係ないのか
それを日々のニュースを見てもわからない、ただ恐怖になる
でも犯罪を防ぐことはできないのではないか、いくら防備しても穴がありそこから犯罪者は入ってくる、もう鉄条網とか城のようにしないと防げない、それで回りのもの隣近所と連携しろということもわかる
隣近所で協力して犯罪者の侵入を防ぐとなる、ただ現代は隣近所は疎遠である
都会だと特にそうだし田舎でもそうなっている、それで犯罪に弱くなっている
まず江戸時代のような村だったら回りがみんな警備員のようになったいた
だからよそ者が簡単に侵入できない、関所もあり簡単に他藩に入れないからである
今は車で簡単にどこにでも行けるしすぐに遠くに去ってゆくから犯罪しやすい社会でもある、ただ自転車だと自転車に乗っているだけで犯罪者にも見られのである
これもおかしい、車に乗っている人が犯罪者になる、つかまりにくいからである

一回は内部の犯行

次は外部の犯行

次も外部の犯行?


一回は近くの人の犯行であり二回目は外部の人の犯行であった
なぜなら物色されたからである、それで二階まで来ていた、証書を盗まれたがそれは金にならないものだった、金庫も開けられたが金は入っていなかった
今は現金は置いていない、その次はジャンパーとその何か入っていた財布が盗まれた
クレジットカードが入っていたが金は一万くらいだった
でも未だにジャンパーが出てこないからやはり盗まれたのだろう
これはどうも内部ではなく外部の人だったらしい、通りすがりの犯行だったのかとなる
でも何か常に警戒しなければならないので困るのである
こうした犯罪の困ることは家でも安心できなくなる、また誰が盗んだのだろと疑心暗鬼になり近くの人でも疑うことになる、これも困ったことなのである

ともかく日本は貧困化して犯罪が増えて来る、回りをみると日々の暮らしで苦しんでいるそういう人は犯罪予備軍にもなる、そして犯罪でも今回の強盗事件のように凶悪化してくる、つまりアメリカのようになってくる、日本はアメリカに戦後まねたのだからアメリカのようになってくる、もちろん犯罪そのものはこのこの世から絶対になくならない
この世に罪を犯さない人などいないからである
例え現実に犯罪を犯さないにしても人間は心で悪意とかもっただけで犯罪なのである
心で悪い思いが生まれただけで実は罪なのである、それはそう心で想うことが必ず行為となるからである、相手を憎むということがありそこでは犯罪にならないとしてもそれがいつか行為となり最悪は殺人までなる、だから念というのも怖いのである

日本は貧困化してくると犯罪が増えてくる、これは防ぎようがない、それも今回の強盗事件のように凶悪化してくる、いくら防備しても侵入を防げない、だから謎のなのはどうしてその家がねらわれて殺されるまでなったのかということである
その因果関係がどうなっているのか謎だとなる
犯罪に合いにくい家があることは確かである、一軒屋はどうしてもどこかに隙があり犯罪を防げない、そこでいくら防せごうとしてもできないということになる
もう犯罪にあうのも宿命なのかカルマなのかとあきらめるほかないとなまでなる
犯罪者であれ犯罪の被害者でカルマがありそうなったのかとなりあきらめる他ないのかともなる、ただ正直その因果関係は外から見てもわからないとなる

posted by 天華 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月24日

家族の限界,家族の崩壊がみんなに起きる (介護やその他の問題で起きる)


家族の限界,家族の崩壊がみんなに起きる

(介護やその他の問題で起きる)

●家族だけでは担いない問題

家族と言う時そこで人は育つしそこが拠り所となる、でも家族だけで何でもまかなえることはない、家族でも多様であり他者の家族のことはなかなか理解しにくいのである
確かなことは家族だけではこの世の中やっていけない
家族でも様々な問題をかかえている、だからそれを家族だけで解決できないのである
そして家族が崩壊する時がみんなに来る、家族を大事にして生きていてもいつか家族は崩壊する、そんなことありえないと思っても最後は家族は消失するともなる
なぜなら必ず親は死ぬし夫婦でもどちらかが死んで一人になってしまうのである
今一人所帯が多いというとき何らかで家族がいなくなり一人で暮らすようになった
老人の一人暮らしも多いのである、つまり家族がいなくなっている

そしていづれ最後は家族はいなくなる、家族というのも一時的なものだと思った
家族も永遠のものではない、この世での一時同じ屋根の下で暮らすがそれも永続はしないのである、だからどこかでいつかは家族は終焉する、崩壊して破綻したりする
別にそれは離婚が三分の一があるように家族自体が分離して分解するともなる
介護とかなると家族だけではやっていけないのである
でも日本の場合は家族にまかされる、そこで負担が大きく悲劇が事件が起きる
ヨ−ロッパでは家族ではなく国でめんどうをみるシステムである
だから家族に負担はかからない、それだけ福祉の歴史がありまたキリスト教の歴史があり社会の中で培ったものがありそうなった

日本ではそういう福祉というものがなく村とかの小さな共同体がその代わりをしていた
だから村の子供は村を支えるから村人全員で育てたのである
一つの家族のようになっていたのである

それで興味深いのは浅間山の火山が爆発して 

93人の中で、夫を亡くした妻と妻を亡くした 夫とを再婚させ、また子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせるなどして、93人全員を実際に一族としてまとめ直し、その門出を酒・肴を贈って祝った。誠に非常時における有力百姓の対応の仕方は興味深い。

身分も関係なく救済を優先にした、そうでなければ村を維持できなうなったからである、つまり被害が大きくそうなったのである、強いられたともなる。
そうしないと村が維持できなくなったからである

こういうことは今ならありえないのである、それだけ村は家族のようになっていたということである、そうしなければ生きていけない事情があった。一家族ではどうにもならないことが起きたのである

●家族は永続的なものではない

現代ではそういうことは福祉が担っているが何かそれはあくまでもシステムとしてあり心が通わない場合がある、事務的にもなっている、それは日ごろから村のようにみんなで村を維持する仕事を共にするという関係もないからだろう
ただ金をもらえるからしかたがないとしてやっている、その動機は金しかなくなっているのが現代である、小さな町でも金が力となり金がすべての社会になってしまった
でも金だけではやれいなこともある、それが福祉の分野に多いのである

とにかく今は何かあれば金で解決する、だから自分が介護で苦しんでいてもまず金をくれとなっていた、そして家に入って来た者に大金を盗まれたり借金している人はまず金をくれとなっていた、多少心つかいがあってもまずは金をくれとなっていたのである
ただ自分の場合はそういうカルマを背負っていたともなる
でも一般的になんでも金だとなる、でも福祉とか介護とか病気のときでも金だとなるとき殺伐としたものを感じた

とにかく家族でも崩壊する時がくる、これは別に特定の家族だけではない、みんなに起きてるのである、なぜなら両親でも必ず死ぬしまた夫婦でもどちらかが死ぬとそうなる
つまりいつか家族は崩壊する、家族はこの世ので一時的な交わりだったともなる
それを両親が死んだりすると痛切に感じる、家族でもはかないものだと感じる
結局人間は無常を生きている、この世の人間の交わりも無常なのである
永続するものがない、家族はそうではないとしてもやはりいつか死に別れるのだからそうなる、そもそもこの世に永続するものはない、人間関係でも常に変化なのである
特に現代社会は変わり安いのである、江戸時代の村社会とかなると余り変わりないだろうだから精神的には安定していたとなる、それも過去は理想化するからわからないにしても現代社会は変わり安いのである

そしてこの世を生きることは「地獄は一定の住処なり」と親鸞が言ったようにそうなのである、一定ということは変わりないということである、それは時代が変わってもやはり同じなのである、時代によって地獄の様相は違っていてもやはり地獄を生きるのである
現代には現代の地獄あり過去には過去の地獄があった、では地獄が消えるかと言えば消えていないのである、どんなに豊かになったとしてもこの世から地獄は消えないのである
それは何故なのかとなれば人間の欲は限りないし消えないからである
その欲が地獄を産むともなる、結局この世には安住の地などもともとなかったのである
家族が安住の地と思っていたがそれも崩壊した、家族も最終的には崩壊する
老人の一人暮らしが多いことがそれを語っている、家族は分散したり死んだりして維持できない、介護になるともう家族だけでできないのである、だから家族だけに負担をかけることが問題になる、でも福祉というときシステムとして備えてもそこに心が入らないとできないのである、それはシステムでも経済的にでも整えても心が入らないとできない
それは何でもそうだろう、心が入らないと活きたものとはならないのである

●なぜ家族を妻帯を宗教は否定したのか

そもそもなぜ宗教では仏教でもキリスト教でも出家するとか家族を否定したのだろうか
妻帯でも否定したのだろうか?それはそもそも肉の交わりそのものもを否定したからだろう、肉から生まれるものを否定した、ということは家族そのものを否定した
そこが宗教の出発点にもなっていた、男女の交わりは肉の交わりでありそれが家族を形成してもいつか破綻する、崩壊する、そして最後は一人になる
家族も無常だったとなる、永続しないのものでありそれを悟ったから妻帯しないとなった家族でもそれはエゴの団体であり自分の家族さえよければいいということにもなる
それが拡大化すると家と家の争そいになり平家と源氏が家と家が戦争の始まりだったともなる、そもそも江戸時代でも一つの有力な家が一つの団体となり勢力を権力を持ったとなる、そして徳川家が治めたともなる、家の拡大したものが国になっていたのである
天皇でも天皇家があって天皇の赤子が国民だったとなるのもそうである、国民は天皇を父として家族だとなったのである

いづれにしろ家族は最終的に崩壊する、介護とかになったりして維持できない、両親でも死んで維持できない、ということは家族だけには頼ることができないともなる
家族には限界がある、いくら家族を維持しようとしてもできない、家族だけで何でもできないのである、それが自覚されていなのである、でも最後に自覚させられる
家族がみんな死ぬということもあり家族だけでは介護できないとかなる
それはみんなに起きることであり例外がないともなる、家族は何らかで消失してゆく
それはみんな死ぬからそうなる、必ず両親でも結婚してもどちらかが死ぬ、すると一人になってしまうのである

そして宗教でもカルトになると一つの宗教共同を形成するように偽装する、それも結局幹部とかによって困った人を助けるふりをして搾取するとなる、献金させて得すること権力を得ることしか考えていないのである、でもそうして騙されるのは何故なのか
それは偽装されたものでも頼るのはそれだけ頼るものがいないからそうなっている
安倍首相を暗殺した山上でも母親が夫が自殺して統一教会に頼ったからである
カルト教団はそもそもが信仰などない、御利益を得るための利権団体なのである
そこではあらゆる欲が肯定される、むしろ強い欲望を持つことを奨励している
それは金もうけでも何でもいいのである、ただ欲望を実現するために祈るだけのなであるだからそこからも地獄が生れている、そこに集まるのはまた地獄的人間なのである
その地獄人間が罰当たるとか地獄に落ちるとか言っているのだから空いた口が塞がらないともなる、御前はどんな人間か知れとなる、地獄行きが決まっている人間が言っているのだから信じられないとなる

●この世の地獄から脱出することが宗教のテーマ

結局宗教とは何かとなると仏教でも出家するとかこの世間からの離脱である
この世に生きるのは地獄人間である、その地獄人間に交わって生きざるを得ない、だからこの世から脱することがテーマになる、一見聖書だと何かユダヤ民族の物語のようにみて個々人は関係ないようにみる、でもそのテーマも脱出だったのである
この世から脱出だったのである、ノワの箱舟でもそうである、悪に満ちているこの世からの脱出であり出エジプトも脱出である、ソドム、ゴムラからの脱出だったのである
それが集団的民族的になっているから別だと見ているが今は個々人の問題でありやはりこの世からの脱出こそ救いなのである
この世はいづれ神によって滅ぼされるとういことである
まさに地獄の炎となってこの世は滅びる、地獄の世の中が滅びて新たな天と地が神によって作られる、そこに安住の地がある

第一いくらこの世を変えようとしても変えられない、必ず地獄が生れ地獄に生きることになる、それはそもそも人間の欲が消えないからである、だからこの世は欲で滅びるとなっている、原発でも再稼働となるのはやはり人間の欲が関係している
電気がなくては便利な生活ができないとなりやめられないとなる、別にまた車でもなくても死にはしないし電気がなくても死にはしない、なぜならこれまで人間はそういうものがなくても継続して生きてきたからである、貧乏にしろ生きてきたことは確かなので在り電気がなくても死にはしないのである
電気がなくて暮らせないというとき原発事故になりこの辺では故郷にも住めなくなった
その代償は余りにも大きいものだったのである

宗教的な問題は別にしてどうしても介護とかなくと家族だけではやっていけなくなる
だから近くの人が一人娘でも親をめんどうみない、金にケチだとかなりいつも行っていて話相手とか介護を手伝っていた女性は不満だった
それで今度は自分自身が脳梗塞になり行けなくなった、見舞いもなかったとか不満であり切れた、それも結局家族だけでは介護ができないということである
もっと他人でも心つかいがあるべきだったとなる、何か他人が入ることを嫌っていたからである、娘は遺産とかの関係でそうしていたとか言っている
でも他人はその遺産をねらっているとか入れたくないということがあったらしい
これも問題だった、一人娘でも親をめんどうみたくないということがある
でも他人でもそこに考慮がなかったとなりうまくいかなくなった
つまりここでも家族だけでめんどうみるのは限界がある、家族が崩壊してはいないにしろ家族だけでは介護とかなるめんどうみきれないとなる、だから家族遺棄社会になったのである

●見知らぬ他人に冷たい日本人

新幹線のデッキで大泣きする娘をあやしていたところ、他の乗客に誘拐を疑われ、警察に通報されて取り調べを受けたとの一件があった。

誰かがなにかを疑問に思ったのなら、警察に通報する前にたった一声かければよかったのに、と思う。「どうしたの、大丈夫?」と。そして一緒にあやしてあげればよかったのに、と思うのだ

子供の命より「家族」を尊ぶ日本社会の異常性

現代社会はこういうことが多い、それは余りにも不特定多数の見知らぬ人と交わる社会だからそうなる、結局見知らぬ人だからそうなる
村社会のような所で生きていないからである
もう子供に声をかけることもできな、あやしいとなり警察に通報される
ということは村社会のように日ごろから交わりがないからである
日ごろから何か共同性がないとしたらそうなるのである
広域社会だとそうなりやすいのである

また日本では村社会がアイデンティティになっていた時代が長い
そのために広域的な人間と交わる歴史がない、外国だと常に陸続きであり他民族でも交わらざるを得ないがそこで戦争にもなるがまた他民族の理解も生まれる。法律でも日本のように腹でわかるとか話せばわかるとかでは通じない、それで契約とか法律が生まれたのである
つまりなぜ日本では家族中心になるのかとなれば村社会という狭い範囲でしか社会を共同体を作れなかったからだとなる
そこで内と外を分けた、外の見知らぬ人は信用しないのである
社会というものが日本ではなかった、明治以降に生まれた言葉である
社に会すとは村の社に集まるの人たちである、それ以外は社会に入らないない人たちなのである、そうなるとこれだけ広域化グローバル化した社会に適合できないとなる
その問題が日本が家族中心になっている、公共的なものパブリックなものが欠けている社会になっている、それが福祉とか介護で問題になるのである

日本は家族に負担がかかりすぎる

このために家族だけでは処理できない問題で苦しむ人が多いこと確かなのである


posted by 天華 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月23日

未来の年表が現実化した原発事故周辺 (街中も家が壊され空地が増えたーやめた店も増える)


未来の年表が現実化した原発事故周辺

(街中も家が壊され空地が増えたーやめた店も増える)

ツルハドラッグは拡大している、鹿島区でも二軒になった、原町でも増えた
それは目に見えてわかる、南相馬市原町区でも二軒くらい増えたと見る、イオンの近くと六号線のキクチスーパーのある所にもできた
なぜこんなに増えるのか確かに1000軒から二〇〇〇軒に増えたというのも近くを見ても実感する
一方で通りを見たら家が五六軒壊されて空地になっていた
それは最近のことである、回りもそうだったが街中も空地化しているのである
まず商売している店は何軒なのか、二三軒なのかとなっている
街の通の薬局もやめていた、もう一軒の薬局もやめた、それはツルハドラッグができたためである、そこに客も吸収されたのである
第一そんなに薬局も必要がない、でも新しい薬局が厚生病院の隣にできた
たから薬局は必ず病院の脇にできて薬を調達しているから成りたつ

それにしても店が消失してゆく、家も壊されて空地化してゆく、未来の年表はもう先のことではない、今の進行している、街一軒の自転車屋も主人が死んで今はなくなった
だから自転車持っている人達は困っている
パンクでも直せないとどうなるのかとなる、街でも空洞化してゆく、つまり個人商店は成り立たなくなっている
でも原町区だと新しい店が生まれている、通信できる喫茶店のようものもできている
他に無人の餃子を売る店とかできていたし他にも新しい店ができていた
原町には新しいものができる、でも相馬市となるとイオンが撤退したのは影響が大きかった、何かあの一帯が街の中心とも見ていたからである
あそこで休むのが習慣にもなっていたからである、何か今は街中で休むということがあまりない、あそこはやはり街の中心になっていたのである

外国だと旧市街とか歴史地区があり新市街がある、観光するのは歴史地区の旧市街であるそこに古い城があったりする、相馬市は城下町であり一応歴史地区であり趣きがある
だから入母屋の庁舎にもしたし高いビルもないから城下町の雰囲気があった
日本でも古町と新町があり街でも栄枯盛衰がある
でも現代の問題は新しい街ができないことである、真野川沿いでも場所がいいのに新しい道はできてもそこに店などはできなかった、むしろやめた店もあった、そこにも廃墟の家があり活用されていないのである
街が活きていない、何か死んだ街になって行く駅前の自転車屋も暗くなり灯が灯ってないのも淋しいとなる
相馬市の中村喫茶店などは新しくできたのに藤の花が似合っていたのにやめた
コロナウィルスの影響もあり人が集まりにくくなったこともある
でもやめたのが早すぎた、せっかくあれだけのものをレンガの建物を建てたのにもったいないとなる、それは城下町に合っていたのである
ビートルズの曲を流していたしそれは団塊の世代とかでも昔をなつかしんで集まっていたようである、でも若い人は集まらない、そもそも若い人は少ないし金もないので集まらないとかある、高校生などはマグドナルドとかに集まっている

本当に未来の年表の予想していることは遠い先のことではない、ただいま進行中なのである、この辺では原発事故で双葉とか浪江とか小高でも移住してきた人達がいて新しい住宅地に住んでいる、だから人口的にはそれほど減っていないのである
でも街の通りとかは寂れている、家でも歯がぬけるように壊され消えてゆく
それは最近目立ったことだった、十軒くらいの家が壊されて空地化した感じになる
だから驚きにもなった、街は衰退してゆく、何か商売でも成り立たない、増えたのはスーパーが一軒とツルハドラッグである、そういうチェーン店しか成り立たなくなっている
駅前に農協のスーパーがあったときはまた駅前もそれなりににぎわっていたとか思い出すでもその時小さな店はやれくなったのである
そういう変化が常に社会にはある、でも今度の変化は日本全国に及ぶから違っている

そもそも自転車屋でも街に一軒は必要である、自転車を持っている人でもこれから買う人でも必ず修理とかあるので欠かせないのである
だから自転車屋もいない街というのは生活してゆくのに困るとなる
でも民間だと利益をあげなければやっていけないのでつづかないのである
駅は無人駅だったが高校生の見守り役として市で金をだして人を配置することにした
その人達には金は払われている
つまりこれからは今までのように必要でも維持できないものが出て来る
するとみんなが困るのだから商売でも成り立つように援助しないと保てないとなる無医村のようになる、ここだとまだ近くに市があるからなんとかやってはいける
ただ自転車屋でも簡単にできない、だから自転車屋でも他から来てやる人がいれば歓迎してみんなで市でも支える、それは利益だけではない、必要なものとして維持する

良く自転車を使う人は近くに買い物できる場所があればいいとかしきりに言っていた
その人は老人であり今度は脳梗塞とかなり歩くのもままならなくなった
だから近くに店があれば簡単な買物はまだできた、一応短い距離なら歩けるからである
でもそんな店はない、自転車に乗れたらスーパーまで買い物できた
でも自転車に乗れなくなったらできない、すると昔のようにすぐ近くに店があれば買い物でもできるし頼まれたものを配達もできると奈々、配達でも近くのだから届けるという感覚になる、戦後まもなくは隣に店があり隣近所の人が買い物して成り立っていたのである私の家でも店をしていてそうだった、その時は何でも万屋(よやずや)のように置いていたのである、だから近くだったら例え足が弱っても買い物ができるとなる
また届けることもできるとなる、何かその頃配達もしていたし自分が子供の時配達させられていたからである

老人になると意外に近くが大事になる、知っている人は病気になり車にも乗れなくなり
自転車にのってよるかとか言っていた、それで元気な時、親しい女性が買い物してくれていた、でもその女性が脳梗塞になりできなくなった、また仲も悪くなった
隣の市に娘が住んでいても一週間に一回しかこない、だから困っている
つまり一見車があるが手間になる、介護とか病気になったときなど近くがすぐ行けるからいいのである、でも今は近くが遠くなり遠くが近くなっている時代なのである
でもこれは高齢化社会には向いていないと思った
近くで用を足せるのがいいのである、車に乗れなくなったら困る、買い物すらできなくなる、車社会になったのも高齢化社会になると向いていないとなる
脳梗塞になった女性はもう二三百メートルの距離にあっても来れない、今までは自転車で来ていた、自転車にものれない、歩くとなると相当な距離になり来れない、家内なら歩けても歩けなくなったからである
すると近くが頼りになるのが近くに頼る者がないとなる、人でも病気とか介護になると近くが便利なのである、でも車社会とか広域社会になり近くに何か頼りになるものがないのである

今になるとこうして車社会であり広域化社会の負の面が現れてきた
車社会でも負の面が現れてきた、そうは言っても歩けなくなっても息子の車で来れるのだから車があることはありがたいとはなる
車社会になったことで近辺の店が成り立たなくなり巨体中央資本のイオンとかチェー店が増えた、つまり車社会の影響がどれほど大きいものだったかわかる
シャッター通りになったのもそうである
なぜなら車だったら郊外でも簡単に行けるからである、かえって街中は車の駐車場もないので行きにくくなったからである、それで人が車に乗らなくなると街を歩く人達が増えると活性化するというのもわかる、極端な車社会が現代の状況を作ったからである
でもそれは簡単にはできない、そういう社会になったときその社会に適合せざるをえないからである、でも車社会も行きすぎたものだったということを反省すべき時期になったとも言える

これだけ少子高齢化になると社会自体もまた変わることが望まれる
その社会は車社会とか広域社会とはまた違ったものになる
近くで用が足せるとか昔の時代を取り戻すともなる、病気とか介護とか老人になるとそういう社会が良かったともなる、車が運転できなくなるともう足がなくなる、そして近くでも疎遠になり助ける人もいない、孤独死とかも増える、だから時代も逆戻りすることもある、これだけ老人が増えたら老人向きの社会にもしなければならない
そんなことはいいと言っても現実問題としてそうなる、若者向きにしても若者自体がいないからである、そしたら商売にもならないのである
まず子供とか若い男性でも女性でも中学高校生はいてもその上になるとなかなか見かけないとなる

原発事故で避難区域になった町や村はもう自治体が維持できない、それは未来の年表が現実化している場所である、飯館村にしても一割以上が村外から来た都会からの人達であるでもその人達も年の人が多い、つまり老人になる人でありそれはやがて病気になり介護される人にもなる、今特別養護老人とかが順番待ちで入れないのは別に建物があり部屋は余っている、でも肝心な働く人がいないのである
それは飯館村などでも公共の施設が学校でも多額の金を補償金使って建てても生徒が五六人とか子供がいないのである、ここでも介護する人がいないとかなり青森の施設に送られたことがあった、どこでも人材とか働く人が減ってゆく、そして社会自体を維持できなくなる、その未来の年表がここではすでに具体的なものとして現象化している
どこでも後継者がいなくなり何でも維持できなくなる、ここでは自転車屋がなくなったということで現実化したのである






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2023年01月12日

人口減少して高齢化で縮小化する日本 (世界で起きている人口減少は地球規模の問題)


人口減少して高齢化で縮小化する日本

(世界で起きている人口減少は地球規模の問題)

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日本人は「人口急減の恐怖」を直視するべきだ
高齢者と若者の溝は、ますます深まっていく

建設業界で働く外国人11万人が去ってしまうと、家の建設5年待ち、マンション建設10年待ちも当たり前になり、道路や橋のメンテナンスが滞ってしまえば、地方都市への流通が軒並みストップし、地方のお店は閉店ラッシュに追い込まれるかもしれない。
河合氏はこうした状況については、「仙台が消滅する! は言い過ぎだが、仙台までもが! が正しい。




隣近所を見ると空家化であり空地化している、すぐ隣で三軒の家が壊された
また一人暮らしも多い、それも老人である、それもやがて空家化するとなる
跡継がいないからである、街一軒の自転車屋も死んでなくなった
駅の活性化など語ったがその人が死んでしまったのである
ここだけではない日本全体がこのような状態になっているしなってゆく
一万くらいの人口だと自転車屋もなくなる、無医村のようになる
自転車屋がないと困るのはパンクしても近くでないと直せないので困るのである
また修理が必ずあり近くでないと困るのである

何か人間は近くでないと困ることがある、介護とかも近くの人が看るのが効率的なのである、隣の市でも車で近いようでも結構手間になるからである
でも現代社会は遠くが近くなり近くが遠くになってしまった時代でもある
隣近所でも疎遠であり何しているのかもわからないのである
だから病気になっても介護になってもその家のことは無関心だともなる
要するに誰も助けてくれない、役所関係が来ても事務的なもので終わるということもある

市町村でも消滅してゆくというときこの辺は原発事故で住めなくなりゴーストタウンにもなった、でもそれが復興できるのかとなるとできないとも思う
なぜならもともとこうして若い人がいない子供がいないというとき飯館村などでも立派な施設を高額な費用で学校を新築しても肝心の生徒は村に住んでいない、他の市町村から通っているとなる、でももしかしたら戦後の焼け野原のような所でも人口が多いと復興するなぜなら戦後引揚者が大量に還ってきた、その人たちは若かった、だから大量に還って来た若者が結婚して子供生んだ、それが団塊の世代だったのである
戦後の焼け野原になっても人口爆発がありそれで引揚者がなんとか職もないので不便な地域に開墾に入ったのである、つまり土地を求めて農業するためだった
でもそれも困難であり半分は撤退したと言われる

このことは何を語っているかというと若い人の人口が多いということはそれだけ社会に活力をもたらす、不便な不毛な地でも開墾してなんとか生活しようとしたからである
でも現代は九州くらいの面積が耕作放棄地になっている、農業しているのは67才以上とか高齢化しているし後継ぎもいないとかなる
戦後の焼け野原から復興したのは電器産業で物造りで日本製品が海外に売れたからであるそこで団塊の世代を吸収した、都会でも集団就職があり中卒を労働者として吸収した
若い人の人口が多い時それがどこの国であれ未来があるとなる
ベトナムであれミャンマーであれ今は若い人達が多いからやはり未来があるとみる

ただ日本の人口でも世界の人口でも限界に来た、これ以上人間を養えないという所まで来ている、それは自然破壊にもなる、膨大なエネルギーを消費するからである
そこでアマゾンで開墾して食料を得る為に森を破壊して畑にするとなり原住民とか森を維持するために反対する、このままではアマゾンもなくなるとなっている
人口圧力は自然でも社会でも大きな影響力がある
不思議なのは日本では大正時代とかなると6千万人であり東京でも百万くらいだったのである、そして新潟県の人口の方が多かったともなる
地方の人口が東京より多かったのである、それから東京が一千万都市になったのだから十倍にもなったのである
何かその時東京は讃美されていた、都会としての価値が高かったのである

その東京の発見が人口増加が周辺に影響した、常磐線は常磐炭鉱があり石炭がエネルギーとして東京に運ばれたしいろいろな木材や石材や資材が蒸気機関車で運ばれたのである
だから子供の時長い貨物列車を見ていた記憶がある
鉄道は北海道ならもともと石炭を運ぶためのものであり人を運ぶものではなかったのである、その時は外国からまだ石油でも入ってこない、石油があっても買う金がなかったともなる、だからあらゆる場所で石炭を探していたのである
第一戦後十年は炭が燃料であり街中の家でも囲炉裏があったのである
その時電器製品はない、洗濯機もない、冷蔵庫もない、だから裏の堀の川で洗濯していた風呂炊くには山で落葉などを拾ってたいていた、便所紙は新聞紙だったのである
今の水洗トイレ用の紙などなかったのである、そんな暮らしは原始時代でもあり江戸時代からの継続だったのである、

おじいさんは川に柴刈りに おばあさんは川に洗濯に

これが戦後十年の生活だったのである、それは江戸時代の継続だった、戦前でもそういう生活をしていた、洗濯機などないからである、それで今なら一人暮らしでも洗濯機に衣服をほうりこめばいいのだからできるとなる、家事の手間は大幅に省かれたのである
その代りは電化するとあらゆることに電器がエネルギーが必要となったのである
それが原発にまで発展したというのが現代である
そして現代社会は便利さを追求して機械化でも何でも限界に達したのかともみる
何でも過剰化した、そして膨大な無駄な消費もした、膨大な食料でも何でも捨てているからである、そして交通が発達して車社会になり運送社会にもなった
それも何か頂点に達した感がある、そこに起きて来たのが原発事故でありまたコロナウィルスウィルス騒ぎだった、これは何を意味しているのか?

やはり科学技術の限界が現れたのかもしれない、常に未来とは現代でぱ科学技術であり
それが万能でありますます科学技術が発展してとどまることを知らないとなっていた
でも本当にそうだったのか、それが原発事故で問われた
科学技術の限界があり危険があることを認識したのである、科学技術をみるとき必ずバラ色の未来のみ語られるのである、空飛ぶ自動車とか実現するとかなるがそんなものが空をぶんぶん飛んでいたらどんな気持ちになるのか、何かゆっくり空すら見てられなくなる
また騒音があり空にも静寂がなくなるとなりそれが本当にいいことなのかもわからないのである、必ずマイナスとプラスの面が人間には生まれるからである

疑問なのは常に科学技術はいいものであり肯定されることである
科学技術がすべてを解決される万能のように見させることである、だから未来というき科学技術なのである、遂には人間は歌学の力によって死ななくなるとか言われる
老化を防ぎ死ななくなるとかも言うがそういうのは嘘なのである
ただ科学技術はバラ色の未来を見せるしそれを信じるのである
だからこそ科学技術者がまるで神のようになっているのが現代なのである
でもそこにも原発事故のように落とし穴があるとなる

もしかしたら人口が抑制されるのは原発事故でもコロナウィルスでも津浪とかウィルスでも神からの働きかけがあったのかとなる
地球の環境を守るための働きかけとして制御するようになったのかもしれない
また資本主義が終わりだというときそれは資本主義がSDGs(持続可能社会)を目指すのに合っていないからだとなる、資本主義は常にフロンティアを必要とする
だからグロ−バル資本主義になったのである、未発展があるとしたらそこに世界で投資して発展させる、そういう未開の地が常に必要だった、それが大航海時代からアメリカ発見からつづいてきたのである、でもそれも終焉しつつある

地球にフロンティアが消失しつつある、むしろさらに資本主義でもフロンティアを求めて投資すると自然破壊が大規模に起きて原発事故のように人が住めなくなる危機になっているのである、つまり人間が住める許容範囲を現代文明は越えているとなり人口減少が起きるのはやはり自然からの働きかけでそうなったのかとなる
つまり人口減少はそういうことであり地球で養える人口には限度があるということで起きた、とするとそれに逆らうことはできない、自然で地球で養える人口がありそれみ見合った人口にしようとする働きかけがあってそうなったともなる
日本の人口は多すぎたのである、だから減少することは理にかなっている

ただそのい衝撃も大きい、でも適正人口がありそれは自然と調和する人口規模だとなる
それを越えているからこそ減少するのは理にかなっている、いくら経済成長とか国力がなくなるとか言っても自然の理に逆らうことはできないのである
すべて人間側の都合で決めることはできない、そもそも人間が地球を自然をコントロールなどできないからである、それでグロ−バル経済も崩壊する
グロ−バル経済も限界に来たのである、そこに市場の公正などないのである
規模が大きすぎて誰も知る人はいない、だからギャンブルにもなる、どのように天文学的な金が流れて極一部の人が超富裕層になり富が集まるシステムになっている
そこに公正な市場の取引などないのである、そもそもグロ−バル化の金融システム自体が崩壊しつつある、なぜなら誰も公正なものだと見ていないし信用していないからである
それで投資信託を発明した優秀な人がそれが詐欺だとして良心の呵責に耐えられず公表したとなる、つまり富が一部のものに収奪されるシステムとして作られていたのである
だから銀行でももう成り立たない、金を貸してその金を有効に利用して利益をあげることができなくなっている、もう資本主義は成り立たなくなっているのである



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2023年01月09日

中国人が極東の土地を買い占めロシア人と対立 (ロシアは中国の植民地になる)


中国人が極東の土地を買い占めロシア人と対立

(ロシアは中国の植民地になる)

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【ドキュメンタリー】中国・農民工の大群がロシアへー国境の小さな村で勃発!大地争奪戦ー知られざる「食糧」を巡る攻防をカメラが捉え


これは興味深い、ロシア人の土地が中国人に買い占められている、それは北海道の山林とか土地とかでも買い占められているのと似ている
違っているのは広大な土地を買って自ら中国人が働き大豆を栽培している
ロシア人はなまけもので働かない、社会主義時代にソ連連邦時代にそういう癖がついてしまったとうい、働いても働かなくても給料は同じだとなってそうなった
ロシアどう理解するのかということがむずかしい、ウクライナとロシアが戦争になっていることはなぜなのだろうとなる
それは日本からすると遠いから理解しにくい、でも極東もロシアである
それは中国と接しているのである、日本とも海を隔てて接している

ウラジオストックからロシアをまわり中国の満州を回り日本に帰ってきた
それも長い旅であり外はトウモロコシ畑であり家も見えない、どこまでもつづいていた
満州というとと満州里がありそこではすでにトヨタの車を持っていた富裕層がいた
そこはロシアと中国の国境の街である
十数年前でありそんな所ですでにトヨタの車をもっていた人がいたのである
ただ春でも凍てついた大地が広がっていた、中国にはまだ未開の地がある
それでその延長の極東に広大な土地がありロシア人はその土地を開拓できない
そこで中国人にその土地を売っている、高い値段で買うからロシア人は土地を売っている
そこに日本人も大豆をとるために機械を売るとかその大豆をとるために商社がその土地を利用しようとしている、日本には農機具が技術的に優れている、アメリカからだけでは
遺伝子組み換えの大豆となり日本では買いたくないとしてそうなった
日本の問題は大豆でも自給できていない、大豆が大事なのは日本の食の根幹である味噌とか醤油の材料だからである、世界的にも食糧危機になるとき自国でも海外でも日本の食糧を確保しなければならない、ただ中国の力が強大になり日本は食料でも買い負ける
つまりいかに中国が巨大化しているかを実感させる放送だった

何かロシア人が中国人に土地を売り中国人のいる場所はゴミだらけだとか言っていた
中国人に相当不満だった、私は満州里でロシア人の女性が買い物して何か盛んに不平を言い怒っていたのを見ている、中国人が進出してロシア人が中国人からも買い物して不満だったのだろう、ロシアをみるとき一体なぜウクライナと戦争したのだろうか?
そのことを見る時、ロシアと中国は陸続きであるという地理を見なければならない
広大な土地が陸つづきなのである
そして中国人でもなぜあれだけ広大な土地があるのにロシアに極東に土地を求めているのか?中国では土地を持てないからだとなる、すでに誰かの所有になっていて新しい広大な土地を持てないからだとなる、それで渡り鳥としてロシアの極東で出稼ぎしていたのだが土地を買い占めて広大な土地で大豆を作りもうける、そしてロシア人はかえって劣悪な土地で耕作しているという矛盾がある

つまりロシア人には広大な土地を利用する活力というか人間もいないとなる
それは何を意味しているのか、土地があったとしてもそこでその土地を利用して働く人がいなければいくら広い土地があっても活かせないとなる
ロシア人にはそれができなくなっている、ここにやはりロシア人の問題がありロシアが
衰退してゆくものがある
それは日本でも同じである、東京のマンションとか買い占められたり中国に北海道の山林が買い占められたりしているのと似ている、北海道でも広大な土地を持っていても金にもならないとなれば土地を売って金にした方がいいとなるからである
そこで別に戦争する前から侵略される前から静かな侵略で中国人が日本を支配してゆくとなる、中国人はアメリカ人と違って人間がじかに移住してその国の人となり国を乗っ取るともなるのである

ウクライナのダニロフ国家安全保障・国防会議書記は1日の地元テレビで、中国を念頭に、ロシアが「植民地になる可能性がある」と主張した。兵器不足に陥り、思うようにウクライナ侵攻を進められないロシアが「隣国」の支援を受け、やがて支配下に置かれるシナリオに言及した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023010200101&g=int

中国はウクライナに戦争を仕掛けるほどの国力がなかったのではないか?
ロシアはソ連連邦が崩壊して弱体化した、中国と比べると余りにも差が大きい
どうしてそうなったのか、だからウクライナ戦争でもロシアがあんなに弱いのかとかえって世界にその弱体化を露呈したのである、張り子の虎とはロシアのことだったのである
確かに核兵器がアメリカと同等にある、でも軍事力だけでは国力にはならない
ロシアは核で脅す北朝鮮と同じだと言われたらからである

ただロシアでも中国でも国土が巨大すぎて理解しかねる、でも中国があれほど発展しているのにロシアが衰退したのか?結局ソ連時代の大国としての矜持がありその再興のためのウクライナ戦争なのだろうか?
様々な見方があるにしろロシアと中国を比べると余りにも違いすぎるのである
だからこそロシアは中国の植民地化するとロシア人の高級官僚が言うのも真実味がある
ロシアはウクライナの戦争で疲弊してやがて中国に併合されるとまでなる
とても極東などの広大な土地も活かせないしやがて中国の領土にもなる
ロシアはやはり縮小してゆく、要するにウクライナ戦争は大国の意地を見せたロシアの最後の戦いなのかもしれない、結果的には中国の植民地になるというのもイメージできる
ただ逆にロシアがエネルギー大国であるから西側のアメリカ支配を破るという意見もあるそれはやはりロシアが何なのか理解しにくいからだろう
ただロシアは土地が広大しにしてもGDPにしたら小国なのである
だから戦争つづける経済力がないとか言われる、武器も供給できないとか言われる

いづれにしろ今年はウクライナ戦争は停戦になるのか?

それとも規模が拡大してさらに激しい戦争になるのか、でも一体どちらが優勢なのか
おそらく今年は決着するのではないか、プーチンが癌を患っているというのも本当かもしれない、癌は意外と普通に行動できる、近くの自転車屋は三日前頃まで普通に仕事していたのである、そして死んだことに驚いたからだ
ガンの種類によるにしろ三日前まで仕事していた死ぬこともあるということになる
するとプーチン大統領もそうなるのか?元気そうにみえて突然死ぬかもしれない
今年は死ぬかもしれないとなる、そして異変があり戦争は終結する
それもわからないにしろ今年はとういう年になるのか、やはりウクライナ戦争は一番の世界の問題だとはなる



あとがき

外国は本を読んだりテレビを見ただけでは理解できない、その土地にじかに立つとき実感する
だから外国を理解できる人はそこに住んだ人である、短期間でもいいその土地で暮らしてみれば実感する
それで外国を語れるのはそこに住んだ人であり留学することが外国を知るには大きな力をとなる

満州里でなぜロシア人が買い物して中国人に対して怒っていたのか?その事情はわからないにしろ何かやはり中国人に不満がありそうなった、それはこの放送のように極東であれ国境を接してロシアの領土内にも中国人が土地を買ったりして農業をするようになったからである,ロシア人はもう極東とかでも土地を活かせない維持できなくなっている
それは日本でも北海道の土地が中国人に買い占められて維持できなくなっているのと似ている
つまり戦争する前から中国人が世界を支配するとはそういうことなのである
そこでアフリカでもソロモン諸島でも中国人排斥運動が起きる、それだけ中国の影響がグロ−バルに拡大したのである
posted by 天華 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月06日

近くの家が何軒か解体される (縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)


近くの家が何軒か解体される

(縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)

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すぐ隣の家が一軒空地化した、その隣が今日壊されていた、去年の地震で壊れていたが取り壊れた、その家は理髪店であり40くらいだったのか息子が死んで次に母親が死んだのである
そして後ろの家の人は最近死んだ、そこは農家だったので広い空地になり不動産屋が買った、そしてその隣は空家になった、でもそこを借りていた人は近くに新しい家を建てて
住んでいる、道路を挟んで医者をしていた人の家も地震で壊れても屋根を直していない
それももったいないのだけどその一人息子も東京で医者をしていたが最近死んだ
78歳だった、去年だったか78才で三人くらい知っている人が死んだ
隣の女性も癌で78歳で死んだ、これも元気であり話したことがあり死ぬとは思わなかった、最もショックだったのは街一軒の自転車屋が去年死んだことである
この町ではもう自転車屋はないから困ったことになる

この状況はまさに日本が縮小してゆく象徴にも見える、子供もいない、遊んでいるのは幼稚園なのか保育所でしか見ない、ただ病気になった、50歳の息子が親を介護する人とか増えてゆくだけである、ただその親は軽い脳梗塞ですんだのである
ただそれでも金がもともとないのでいつも電気水道ガス代が払えないと嘆いていた
依然として退院したとしても金がない問題は解決しないのである
こういう状態はここだけではない全国で起きている現象である
この辺は津波や原発事故で廃村になったり街でもゴーストタウンのようになった
そこは空家だらけなのである、帰ったとしても老人が多いのである
もうそうなるととても復興できないとみる、また街一軒の自転車屋が死んで跡継ぎがいない、全国的にも後継者がいないとなっている
そして高度技術者のITかの人材不足が言われる、つまり人材不足が深刻になってくる

原発事故で街自体が廃墟のようになったのは極端にしろ私の回りをみても歯がぬけたように人がいなくなる、空家があったが解体される、ただ私の町は原発事故で住めなくなった避難区域から浪江とか双葉とかから移住してきた人達が新しい家を建てている
それで人口自体は減っていないみたいだ、一番移住したのは原町である、ここは住むのには便利だからである、相馬市より便利である、いろいろなものがそろっているし新しい店もできている、店員がいない餃子の自動販売店ができたりもしている
原町には新しいものができているから活気がある、相馬市はイオンが閉店したことが衝撃だった、あそこは街の中心のようにもなっていたからである
いつもあそこで休んで食事などもしていたからである
原町は離れているから郊外にあるから閉店しても街自体が寂れた感じにはならないかもしれない、相馬市の場合は街中にあったから寂れた感じになったのである

新年早々暗い話になるけどこれが現実である、日本が縮小してゆく、自治体でも生き残れない所が相当数出て来ると試算している、財政的に苦しくなってそうなる
税金にしても人口が関係しているし少子高齢化では働く人達がかなり減るのだから福祉関係でも年金でも維持するのがむずかしくなる
そして8050問題が深刻になる、50才くらいの人が80代とかの親を介護することになる、それは現実に見ている、その人は50代であり施設に父親を入れた
でも日給の建築土木関係で働いていて金がない、それで今度は母親が入院したとかで苦しむ、何かこの50代に親の介護の負担がかかり仕事もできなくなるとか問題になっているこの世代はまた氷河期世帯とか言われ経済的に苦しいのである
そして全体的にも日本は賃金が物価が上がっても上がらないのである
こうして日本自体が貧困化している、中産階級で下の方に落ちてゆく、みんなぎりぎりになる、、最下層もまた一千万人とか多いのである
それで日本では稼げないとして外国に働き稼いだ金が大きいとなり自慢する人がでてきている、日本ではもう稼げないのである、日本に来る外国人労働者はベトナムとかネパールとかミャンマーとか最低の生活をしている人しかこない、ネパールの山で生活している人はボールペンすらない、だからくれとなる
日本はもうそうして最下層の人しかこないしいづれはその人達も来なくなる

未来の年表が話題なになったようにこうして日本の未来は本当に深刻なものとなる
人口6千万人くらいになるとかそうなると空家化して耕作放棄地がさらに増えて今度は空家が隣のように解体されてゆく、その衝撃は相当に大きなものとなる
そして少子高齢化では全体の雰囲気がどうなるのかというと若者すら何か新しいことに
チャレンジすることもない、それは老人が上にいて頭を抑えられてあきらめているからだという、上にいる人達がこれは世界でもアメリカでも70代で80にもなっても大統領なのかとなる、ロシアですらプーチンがそうである、これも問題だろう
世界全体が老化してゆくのか?中国でも人口が減ってゆく、現代はもう人口はピークになり減少してゆく、これ以上人口を養うことが地球でできなくなっている

もう他の惑星にでも移住しないかぎり限界なのである、でも他の惑星に移住はできない
つまり世界自体が縮小化してゆく、人口も減少してゆく、でも高齢化はどこでも進んで行くのである、別に長生きが悪いわけではない、なぜなら人類の願いは長生きすることだった、それだけ若くて死ぬ人が多すぎたらそうなった
幼児の死亡でも多かったのである、だから大正生れとかなると家族でも兄弟でも必ず幼児が死んでいるのである、それだけ出産も危険であり死んでいる
また病気でも肺病とかでも若死にする人が多かったのである
延命地蔵とかあるのは長生きできる人は限られていたからである

ともかく新年になり明るい未来があるのか?この縮小化社会は相当な衝撃になる
徐々に百年とかそれ以上の時間をかけてなればいいが急激になると衝撃が大きい
辺りを見たら子供いない老人だらでけであり自転車屋が死んで一軒も街になくなったとか賃金は上がらない、物価だけが上がって苦しいばかりだとなる
そして電気水道ガス代が払えないという人が増える

そして貯金しても利子は一切つかない、だから銀行の役割は貸金庫なのか、何の役割があるのだろうかとなる、ただ投資信託とかは売りつける、でも銀行は証券のことはわからない素人と同じなのである、ただ借りてくれる会社とかがないので投資信託で手数料を稼ぐ商売になったのである、そもそも地銀でもつぶれてゆくとか言われる
何か社会での役割がなくなった、前なら銀行に金をあづけていれば7パーセントとかの利子をがついていたし銀行では金を集めるだけで良かったからである
今になると預金した金でも預金封鎖がありとりあげられるとか恐怖になる
何か安心がない社会なのである

そしてもう一つの問題は私の家も築50年で家がいたんできた、だから地震でトイレの配管なども壊れた、それを直すのに20万もかかる、トイレ自体を変えないと工事できないとしているからだ、それは郡山から来た会社の人だった、元旦でも仕事していたから頼んだ、他にキッチンも壊れてこれも直さなければならない、去年はいろいろ地震で壊れた所を直して金がかかった、こうして古くなると傷んできて直すの金がかかる
それは自分の家だけではない、水道管とか道路とか橋とかでも古くなって直す必要がでてきているのである、それでトンネル事故とかあったのも古くなってそうなったのである
これを直すのにもかなりの金がかかってくるのである
そして今日はビデオレコダーが壊れたので見てもらったらもう直せないとういう、それは10年前に買ったものだったのである、だから直しようがないと言われたのである
でもビデオレコダーだと安くていいものがでている、これはそれほどの金ではない
そしてWIN8.1のサービスが終わる、これでWIN11のパソコンを買わねばならない
これも出費になるし何かいろいろなものが変わり操作が変わることがめんどうなのであるでもウィルスの危険があるから変えざるをえないのである
老人は機械でも変わるとめんどうになる、慣れたものの方がいいのである

こういうことはあるにしろ夕べ帰りに見たら満月だった、それだけは心なごんだ

新年に満月にこやかなごむかな災いなかれ兎の年かな

月には兎がいるとかなっていた、兎年である、兎は飛び跳ねるから飛躍する年なのか
何かわからない、去年は怖い地震があったりウィルスが収まらず本当に激動の寅年だった月に兎がいるというときもしかしたら今年は悪い事ばかりではない状況が変わる年かもしれない、今日満月を見てそう思った、これもわからないがそう願うほかない
でも兎年はそんなに波乱はないかもしれない、でも人間は短い期間でも一年でも未来はわからないのである、今日も地震警報が出てびっくりしたからである
地震でも予測できない、ただこれだけ災難があると平穏であれ平和であさと願うほかないウクライナの戦争でも終わってほしいとなる、ただ和平が今年にあるかもしれない
私の姉は兎年みたいだった、私自身は猪年である、何かこの十二支は年に関係あるのか
今日の満月にはなごんだ、それが吉兆なのかどうか?ただそう願うほかないのである


ともかく無病息災を自分にも皆さまにもお祈りします






posted by 天華 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月04日

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる (自然災害から逃れられない日本)

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる

(自然災害から逃れられない日本)

トイレが故障したのは配管が割れていたという、これは去年の地震のためでありまた家自体が古くなったためである、築50年とかなるとやはり痛んでくる
そのために大工さんにも壊れた部分を直してもらった、トイレを直すのは配管が関係しているからめんどうでる
TOTOの販売店でも配管までの工事はしない、トイレの製品売るだけである
それで床をはがして配管を見たりトイレ自体を新しいものにするのに10万かかり床をはがして工事するにのに十万とかかかり消費税で22万もかかる
大工さんには3月頃にキッチンを直す、これも地元だとかえって高くなる
でも地元の大工さんとかだと細かいところまでしてくれる、注文もできる
アフターサービスもいいとかなる、だから地元できいなものがある
なんでも大手だけではたりないのである、クラシアンとか郡山の会社は一日で来た
トイレは早く直さないと困るのである,トイレが使えないことは困るからである

とにかく去年の地震の被害は大きかった、まだ瓦とか直している、この修理代でも相当金がかかったろう、そもそも家を持つと修理代とかが大きいので金がかかる
私の家は築50年で古くなって傷んでいたから配管でも壊れたのである
去年の地震では古い家は相当に破壊された、だから全体を修理する家がまだある
家一軒持つことは金がかかる、私の家は1960年代の後半に建てた、その時は400万で二階建ての家が建てられた、大工の賃金が安かったからできた、その後大工の賃金は急に高くなったのである、あの頃は依然として高度成長時代であり今とは違っている
そもそも全国相手にするハウス会社はなく地元の大工さんが全部作った
その材料も橲原の同級生がキコリだったとか太い柱を地元の木を買い作ったのである
だからいつも姉は自慢していたのである

いづれにしろこの家そのものもが歴史であり郷土史になっている
それぞれの家を見ればそうなる、私の家はなぜ大きな二階建てにしたのか?
それはその前の家が粗末なものであり真野川が氾濫して水害で天井に水がつくくらいの被害だった、その原因は私の家の土地が街で一番低い土地にあったからである
そのために今でも雨がふると水がたまり三回くらい水があふれて道に流れ私の家に入ってきたのである、だから土地は良くない、でも私の家は乳が酒屋の丁稚してここに移り苦労して手に入れたものなのである
ただここの土地は低くて良くない土地だったのである
家というのはどういう場所にあるか問題なのである、だからテレビで常に放送されるように土砂崩れがあり家が埋まって死んだとか常にある、そういう場所は危険な場所である
でもなぜそういう場所に家を建てたのかそれも事情がある
それは外から見てわかりにくいのである、危険な場所でもそこに建てざるをえない事情があったともなる、また山の方だと家を建てるのにも平な場所がなく危険な所に家を建てたのかとなる

この家では水害を二回経験している、それも床上であったから被害が大きかった
それは真野川が二回氾濫したからである、それは40年前頃だったかもしれない
でも川幅を広げて堤防を頑丈にしてから氾濫しなくなった、水害はなくなったのである
日本は自然災害が本当に多いことを実感した、津波から去年の大地震からとつくづく何でこんなに災難がつづくのかと思った、他では津波では家族でも死んでいるからもっと過酷だった、しかしそうは言っても水害の被害がない場所も多い、高台にある家がある
そういう家は被害がないのである、だから日本だと本当にどこに住むかが大事になる
常に危険な場所がある、まず海岸地帯が港ととかがぎれだけ危険な場所だったか津波で
痛感した、とてもあんな所は住め場所でなかった、でも利便性があり三陸でも死者が多くてもやはり海の近くが便利なのでもどり住んだのである

なんか今年は幸先が悪い、トイレとか使えないと困る、電気水道ガスでもそうである
だから金がなくてもなんとか払うほかないとなる,ライフラインだからそうなっている
とにかく家というのは金がかかる、それが借りている市営住宅でもそうである
それを市の方で出してくれるとしても全部がそうはいかない、それよりか電気水道ガスが高くなると貧困者はその取り立てで苦しむ、そしてなぜ金がかかるのか、それは一人一人別々に部屋を借りて住んでいるからである
そこで一緒に住めといっても住まない、息子がいたとしても喧嘩になるからと住まない
また福祉関係だと一緒に住めないとかある、でも現代ではここが贅沢なのである
昔は大家族で住んでいたし江戸時代なら長屋であり狭い部屋で何人も一緒に住んでいたからである、いくら貧困化してもここは贅沢だとみる、でもそういうことが続けられるのか誰がその金を負担するのか、そこまで負担させられるとなると負担しきれないとなる

一軒一軒の家は郷土史である、でも近く家が何軒か壊されて空地になった、家がまるで歯がぬけたようになくなるのも現代である、空家が膨大に増えてゆくのである
駅前の活性化を語っても一見の歯医者がいななり空地になったままでありすぐ近くの自転車屋も去年で死んでしまった、その人はいつも駅を見ていて街の活性化を語っていたのである、その本人が死んでしまったのである
畑でも前の人は病気になり死に隣の畑は車で老人が来て這って作業していたがやめた
知っている人も体がつづかなくてやめた、そして最近脳梗塞になって入院した
軽かったがこうしてその後継ぎになる人もいないのである、耕作放棄地も膨大なのである少子高齢化であり日本が衰退してゆく、縮小してゆくのである
その衝撃は大きなものとなる、どこでも後継者がいないということも大問題なのである
一軒でも自転車屋があったときは貴重だった、でもその一軒の自転車屋も消えた
無医村のようにもなったのである

新年早々暗い話になるがこれが現実なのである、ともかく郷土史というとき一軒一軒の家が郷土史なのである、ただ家がない人もいる、市営住宅を借りて家がない人もいる
そうなると家の歴史はないとなる、ただ借りる家だとなるからである
でも家は本当に金がかかる、建て増ししたりもしたから家は新しく建ててからより建て増しとか修理とかで金がかかっている、これも問題である
でも家族全部死んでも不思議なのは家には依然として家族がいる感覚にもなる
家というのはこうして単なる人を入れる箱ではない、ごから家族が死んでも依然としているように思えるのである


まず狭い家では何か知的作業をするのは向いていない、また余りに家族が多いと煩いので知的作業には向いていない、気が散るからである、それで個室がない時代は勉強する環境としてはいいものではなかった、でも子供の時個室を持っているのは相当な金持ちだったろう、みんな小さな飯台一つを囲んで食事して個室というのはなかったのである
個室を持つことは贅沢だったのである、それで貧乏人でも別々の部屋を借りて住んでいることは金がかかる、それをしているのは贅沢だとみる
でも人間は個室があればそこで思索したり知的作業するのにはいいのである
私の家は部屋が七つもあり一人で使っているから贅沢だとなる、でも部屋を変えると気分転換になるのである
家でいいのは部屋によって見える景色が違うと相当に気分転換になりいいものになる
そこで違った景色を見るからである、だから今は知的環境としては最高の環境に自分は住んでいる
ただ家事に追われる、掃除するだけで家が広いとめんどうになる、だから家一軒を維持することが結構な労働になっている、それで暇なく家事やら掃除やらなにやらと家で働いているともなる

クラシアンでは正月でも電話一本で即座に来るのには驚いた
トイレの修理は早くないと困るからそういうサービスになった、そのついでにトイレを売ることもできる、こうしてこの会社は全国でしている、地元は意外とこうしたサービスをしない、屋根を直したのはいわきの会社でありユニットバスは仙台市の会社であり
安くていいものだった、百万は安い、工事が結構大変だったからである
地元だと二百万から三百万になると言っていた
でも今度は春にキッチンを直す、これでまた金がかかる、地元の大工さんであり細かいことまでしてくれるが金は高くなるのである
こうして去年の地震の被害は今年もつづいていたのである、まだ瓦でも直していない家がある、

今年はどういう年になるのか、去年は寅年であり本当に大きな災難の年だった
今年は兎年であり跳ねる年になるのか、家族が認知症とかなり地震津波がありここ十数年はもう災難つづきだった、日本とは本当に自然災害が多いのである
でも災害は忘れる頃にやってくるというように警戒が十分でなかった
災難というとき病気も大きな災難である、知っている人は脳梗塞になったが普通にしゃべれる、軽くてすんだのが幸いだった、でも病気も大きな災難である
結局人間はどんなことしても災難から逃れられない、それは必ず来るということである

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2023年01月01日

海老の宝蔵寺であったミャンマー人 (日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)


海老の宝蔵寺であったミャンマー人

(日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)

myanma.jpg
インド、ネパール、タイ、カンボジア、ベトナムは行った


myanmagress1.jpg

スカートの丈が長い女性が来ていた、でもベトナムとも似ている


特徴A:言語能力が高い

「言語能力が高い」こともミャンマー人の特徴です。

ミャンマーでは元々イギリス領だったいうこともあり、幼稚園から英語を学習するという風習があるのです。

これまで鎖国状態だったことから、授業や試験では英語が使われており、日本人に比べるとはるかに高いレベルにあります。

最近では日本への移住を考える人も増えたことから、日本語を学習する人も多くでてきています。
https://one-team-project.jp/burmese-person-japan/


何か日本人だと思い海老の宝蔵寺で冬桜を見ていたので話しかけた、そしたらその人はミャンマーから来た人だった、女性一人と男性三人だった、原町で働いているという
その人は日本語がうまい、かなり高度な日本語を話せる、どうしてなのか?
日本語をミャンマーで相当学んだらしい、そしてその人は大学を出ている
ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
でも不思議だったのは二年間いるとしてそんなに日本語がうまくなるのか?
ミャンマー人は言語能力が高いということをネットに出ていた
なるほどそういうことか?日本語を何年間もいてかたことしかしゃべれない人がいる
スリランカの人はそうだった、でも英語で多少通じた、スリランカでも英語をしゃべる、ミャンマーでも英語をしゃべるというときイギリスに支配されたからである

その若い人は漢字がむずかしいと言っていた、でも東南アジア系の文字もわかりにくい
確かに漢字は全く慣れていない人にはむずかしいだろう、発達障害の人は普通の人と同じように話す、だからどこが悪いのか話しただけでは分りにくいのである
でも漢字が書けない読めないと言っていた、だから漢字を読んだり書くことは相当に高度なものだとある、なぜならアメリカ人でも新聞を読めないという人が結構いるというときでもそうである、日本人はみんな新聞を読めると感心しているからである
でも言葉だとまず音から話せるようにはなる、その音にしてもわかりにくいのである
だから中国語は何を言っているのかわからない、古代でも外国語を話す人を鳥のさえづりに例えたのもわかる、さっぱり音からわからないからそうなった
むしろ漢字が中国の多様な民族の共通なものとして中国統一の大きな力になった
今でも中国人とは筆談で漢字を書いて多少は通じるのである
上海と北京では音では話しが通じないという、それだけ中国では多様な民族がいて通じないのである
だからこそ漢字が文で明らかにするが文明を作ったともなる

ミャンマー人は宝蔵寺に来たのは同じ仏教国だから寺に来てみたとなる
でもこの仏教でもミャンマーであれタイであれ中国であれ韓国であれ国によって違っている、それは国にはもともと培った文化がありそれに適合させるからそうなる
中国でも仏教が盛んになったときがある、それは唐の時代である、その時日本から遣唐使が渡って学び日本に漢字を取り入れたのである、ミャンマーとかタイでも漢字を取り入れていない、ベトナムは一時取り入れている、だから中国から入った言葉がある
多少日本と似ているとなる、それにしても今日本に来ているのはベトナム人が多く私の住んでいる町にもいるようだ、原町だと働く場所があるから多い、そこでネパール人にもあっている、これらはもう最貧国なのである、もう最貧国しか日本には来ないし円安とかなり日本には外国人の労働者は来なくなると言われる
そして冗談で次はアフリカの黒人が来る、そして黒人との混血が生まれる、極一部では現実化ししているからだ

それにしても太平洋戦争で日本軍がビルマまで侵攻した、その時戦った相手がイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスを知る時、いかにイギリスの力か大きいものだったかを知る、シンガポールも英領でありマレーシアでも英語が通じるというときそうである
そして私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめた、そこに赤十字の病院がありそこで傷病兵を看護したのである
それは地獄にいるような経験したとなる
そして遂に死ぬときまでそのことを語りながら死んだ、それは24歳くらいであり青春時代であり忘れることのできない経験だったからである
そして世界帝国を築いたイギリス軍と戦い勝ったということが世界の驚きとなった
日本がその時世界史の大きな担い手として出て来た時だったのである
イギリスとは当時最強国だったからである、だからイギリスにとってはショックだったのである
今でも日本人に捕虜にされて虐待されたとか恨んでいるからである

不思議なのはミャンマー人は日本人に似ているというときも親近感を持つともなる
タイ人とかとも違う、ベトナム人とも違うのである、ただ様々な民族が混交している
目鼻立ちがくっきりしているのはインド人でありアーリア人系統と原住民が混血したからだとなる,インド、パキスタンとかイランの系統はアーリア人系統が混血した
そして印欧語系統として共通性がある、それは遊牧民の言葉なのである
ドラビダ族がインドの原住民でもアーリア人との混血があり宗教もイスラム教が入ったのである
いづれにしろ言語は余りにも多様である、なぜそうなったのか?その理由はバベルの塔の崩壊からきている、神に逆らってバベルの塔を作り神が崩壊させた、そして民は言葉が通じなくなったのである、その理由が的を得ている
それは単なる神話ではない、今もそれを現実として人類がある、人間は言葉の面でも一つにはなれないのである

その人は大学もでている、ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
だから大学でも日本語を学んだ、日本語相当に学んだから日本に来てしゃべるようになったとなる、ただ漢字はむずかしいというのは何でも文字を理解することはむずかいしということである、英語だってアメリカ人でも別に知識人でなくてもしゃべるからである、発達障害の人もしゃべることは普通にできる、結構高度なこともしゃべっているのである、でも漢字が書けない読めないとなる、しゃべることより書いたり読んだりすることが知的に高度だということになる

世界史で共通しているのは隣国とは必ず争っている、それも熾烈な争いになっている
タイ人とは今でもミャンマー人が争っているのもそうである
タイでは仏像とか壊された戦争の跡が残っている
タイ人とは人種も違っているのも不思議である、仏教でも同じようで違っている
そして争っている、ミュンマーの問題は軍部が既得権者となり経済的にも利権を握っている、その利権を手放したくないから権力を持ちつづけたいからそうなっいるという
軍部に金が入る仕組みを作っている、それは中国でも同じである、アメリカでもそうだし日本でもそうだとしている、既得権者は権力を利権を手放したくないというので共通しているのである
カルト教団でも宗教でも歴史をみてもカトリックが権力を持ち権力を手放したくないなったのと同じである
人間は一旦権力をもったら手放したくない、権力がなければ相手にされなくなる

権力を持っいることで利権がありそのためにカルト宗教もその利権と権力を得るために運動している、それが一連の統一教会のことなどで明らかにされたのである
創価とかなどはそうした権力奪取とか利権を得るためであり御利益しか眼中にないのである、だから宗教と何の関係あるのかさっぱりわからないのである
単純に考えてもお釈迦さまがなぜ仏さまになっているのか、そうしたこの世の欲を求めて達成するためにではない、だからこそ王宮から乞食にもなったからである
カルト宗教とはだから宗教ではない、では何なのかとなればナチスのような現代文明から生まれた病的なものであり異様な集団である、でも明確なのは御利益を得ることであり
権力が御利益と利権と結びつくから運動しているとなる
それは人間なら理解できるのてある、それがどうして宗教と結びつくのかそれがどうしても理論的に理解できない、でも人間は利権や利益があれば何でもいい喰らいついてくる
だからあれだけ会員が増えたとなる、山で修行して欲をなくせと言ったら誰もついてことないからである

いづれにしろミャンマー人はめずらしい、でも今や最貧国の人たちしか日本に来ないしやがて日本には来なくなる、それより日本人が海外に出て働くようにもなる
まだわずかでありそういう報告が円安で起きているのである
外国人を安い労働力として使うことはもうできなくなる、次はアフリカの黒人だとなるがこれも抵抗があるだろう、それらり日本人自体が外国に出稼ぎに行く時代になる
日本はそういう最貧国にならないにしろそういう人達とも同等になる恐怖でありそうなりつつある、なぜ日本がそんなに落ちぶれたのかということである
イギリス帝国は長かったが日本は高度成長時代は20年ー30年くらいしかなかった
余りにも短い繁栄で終わったとなる、その理由が何なのか問われているとなる



元日にベトナム人が大仏に大集結する理由、福岡の南蔵院・茨城の牛久大仏


「数年前からベトナム人が来ている。元日は多い」「ミャンマー人も来ている。伝統衣装で大仏の前で手を合わせている」(東京・多摩大仏のある寶光寺)、「それほどではないが、たまにベトナム人やミャンマー人が来る。ミャンマー人は10〜20人くらいの団体で年に2〜3回来る」(岐阜大仏のある正法寺)、「5年ほど前からミャンマー人が来るようになった」(愛知県の聚楽園大仏)、「ミャンマーの人は多いです。寄付する人も中にはいる」(千葉県の日本寺大仏)などの声があった。

仏教国だから日本に来ても大仏があれば母国のものと同じともみる、でも日本の寺と東南アジアの寺は違っている
妻帯しないとかあり日本は妻帯して普通の人と同じ生活している、そもそも日本では寺は宗教の場なのかとなる
葬式とか死者とか墓がある場所であり信仰の場所なのかとなる
だから外国人が同じ仏教徒でも受け入れないとしている、観光に来るのはいいとして共通の信仰の場にはならないのである
キリスト教だと日本でも外国人を教会で受け入れることがある、共通の信仰者として受け入れる
それよりカトリックだったら同じ信徒としてあるからグロ−バルだから受け入れるとなる
イスラム教徒でもそうである、でもまたイスラム教でもセクトがあり戦争までしている
宗教でもこうして派閥争いがある、大仏とかに外国人が集合するのは観光の要素が大きいだろう、なじみの仏像があるからなごむとなるのかもしれない、日本人でも京都辺りだと庭を見たり美術鑑賞したりする場にもなっている
別に信仰の場としてあるわけではないからである

インタ−ネットの強みはこうして情報を連結させることである、この記事でも他の場所でも東南アジア系統の仏教国の外国人が寺に集まっているのかと言っていたからである
確かにここでも寺に集まっていたのである、なも礼拝する場とういのではなく庭を見たり宝蔵寺だと紅葉がきれいだから来ていたりりしていたとなる、そもそも仏教というのはイスラム教徒とかキリスト教のようにグロ−バルな連帯がない
ただベトナムでもミャンマ-でも日々の生活の中で活きている、でも日本のような葬式宗教だけではないだろう
ただ大仏があるとなれば同じとみているのかもしれない、元旦に観光に来ているともなる
posted by 天華 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月26日

人間の評価は死後に明確になる (自転車屋の死で考えたことー金で計られないもの)


人間の評価は死後に明確になる

(自転車屋の死で考えたことー金で計られない価値)


人間は生きている時はなかなかその人の価値がわからない、生きている時の価値はたいがい金で計られる、どのくらい稼いでいるかで人を見る、金を稼げない者は価値がないとなる、でも不思議なのは一旦死ぬとこの人はいくら金を稼いだかいくら金を残したのか
一千万残した一億残した十億残したとかで価値が計られるのか?
それは遺産をもらう人によって価値があるが他の人にとってはそうはならない
遺産をもらうわけではないからである

すると何が価値になるのか?それを近くの自転車屋の死で考えた
死んでその人の価値が明らかになった、なぜならこの町では一軒しか自転車屋がなかったからである、他に頼みようがないからである
何か隣の市で聞いたら断られた、自転車を買って日ごろから修理とか頼んだりしてないと受け付けないのである、商売だからそうなる

自転車屋が近くにないことはヤマハの販売店になっていたからヤマハの電動自転車のいいものを買っていた、そのチェーンがはずれた時、直しようがなかった、それはそれを直す特殊な道具が必要になったからである、それをヤマハの本店から仕入れるほかなかったのである、前はエンジンの不具合で全部取り代えたりもした
これができるのは本店と直接交渉できるからである
このように自転車屋か近くにないと困るのである、パンクは一番困る
それだけではないタイヤで規格がありヤマハで買った場合、ヤマハからタイヤでも仕入れることがある、だから自転車屋の場合近くにないと困るのである

その自転車屋の価値は一軒しか町になかったことで価値が高くなった
何か無医村とも似ていた、医者がいない村では医者の価値は本当に高いものとなる
病気は深刻だからである、でもこの辺だとまだなんとか近くに市があり医者はいる
そこに通えばいいともなる、今医者でも地方で問題になっているのは医者自体が高齢化しているのである、近くでは90歳まで現役だった医者がいた
現実にすでに60以上とかの医者が多いだろう、そして後継者がいなくなっているのである、また医者でも自転車屋でも若い人がいいというとき技術的に進んでいても老人はついていけないし遅れるからである、それも問題なのである

前は一万五千人くらい人口があり自転車屋四件くらいあった、その頃子供が多いしそれで成り立っていた、でも一軒となりその一軒も消えたのである
これはここだけの問題ではない、いたるところで起きて来る問題である
後継者がいないということである、農業でもそうである、ただこの町では経営としては成り立っていたろう
人間の価値とか決めるのはいろいろな要素がある、ここでは町に一軒しか自転車屋なくなったことで価値があがっていたのである
そして死んだ結果その価値がさらに明確になった、みんな自転車を使っている人は困るからである、それは鉄道とかでもそうである、無人駅化して困るとかある
それは日本がこれから起きて来る現象の一つなのである、縮小化してゆく日本で起きて来る現象なのである

だから人間の価値は必ずしも金では計れない、その人が必要なものであるとき必須ものとしてあるとき価値がある、その人がいなければみんなが困るというとき価値がある
それがここで起きたのである、あの人がいなくなって困ったとなったからである
その人は病気でも懸命に仕事していた、そこにも価値があった、それは一軒しかないからそうなったのである、他に自転車屋があればそうはならなかったからである
こうして人間の価値とは必ずしも金で計れない、でもすべては金で計られる
自転車屋でも経営がここでは成り立たないとなれば生きている内でもやめることがあるからだ、民間だとそうなる、でも只見線とかは莫大な復旧費がかかったけど県でも国でも出費して復興して再開したのである

ともかく一軒だけあった自転車屋の価値は死んで明確になった
ではその死を弔うのに供養するのに金をやればいいのか多くの金を死者に与えればいいのか?

それも実際は死んだ必要がないのである、なぜなら死者は何を望むのか?

金が欲しいのか?

死んだ死者が望むものは金でもなく供物でもなくその人自身の評価である
何を生きたのか、何を与えたのか、何の役割があったのかとかある
それは家族内でもある、私の場合は姉と母には自由に生かしてくれたので今でも感謝しして供養している、このように感謝されれば価値がある
でも別に死んだら金で報えることはできない、死者が望むものは何なのか
それは死者がしていたことを認めて評価してまたその遺志を継ぐこととかなる
それは金ではないのである、一旦死ぬと人間は金で評価されないのである
死者に報えることはその人の価値を認め評価して感謝することだともなる
それで自転車屋に献げる詩を書いたのである


お悔やみに行く

今日お悔やみに行ってきた、祭壇は大きなものではなかった、だから金銭的には苦しかったのかもしれない、それで病気の治療代もかかっていたこともある
お悔やみの金は実際は残された人には必要なのである
残された妻がこれからどうなるのかはわからない、娘の孫が来て騒いでいた
その孫は東京にいるから跡は継がない、他にも東京とかに娘が嫁いでいる同世代の親がいる、後継ぎがいなくなり空家家するのである、駅前の理髪店も廃業して家が壊されていた駅前の活性化とか言っていたがそう言っていた本人が死んでしまったのである



posted by 天華 at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月24日

今年の私の重大ニュース―災難は続いている


今年の私の重大ニュース―災難は続いている


●大地震の被害

●知人が脳梗塞

●盗難

●自転車屋の死

●win8・1のサービス終わる

今年の最大のニュースは事件は地震だった、また本でも片づけていないし障子も直していない、散乱したままなのである、本が多いからそもそも整理してきれないでいた
それからここではまだ屋根を直していない家もあるて地震で壊れたのを直していない
今年最大の災難は地震だった
東日本大震災以後またそれ以上に強い地震がきたのである
今回の地震も東日本大震災の余震だったのである、まだ余震がつづいてる
その大きなものが来たのであく

知人の脳梗塞には驚いた、日ごろから手が悪いとか目が悪いとかめまいがしたとか訴えていた、それは明らかに脳梗塞の前兆でありそれが事前に医者でも見抜けなかったのはなぜなのか、そのことを書いた
でも実際は二週間くらいで退院できるのをコロナウィルスを警戒して入院をしていたという、軽い脳梗塞だったのである、それでしゃべることは普通であり脳も正常であり
ある程度歩けていたのである、だからこれは回復すると見た

どういうわけか姉が死に母が死に一人になってから盗難が増えた
大盗難の被害もあった、それは近くの人である、今回もジャンパーがなくなった
でも置き忘れたのかと見た、中に財布がありカードなどがなくなったのでめんどうだったでも盗まれたように見えないのである
今度も100円ショップで買ったソーラー発電の人に感知して光るものが張り付けていたのがなくなっていた、これはそれなりに大きいものであり風で落ちたとも思えないのである、落ちていたらわかるだろう、遠くに飛ばされるとも思えないのである
どうも私の家に出入りしている人がいるという不気味である
そういうことを言う人が他にもいたからである

この問題は軽いようで軽くない、なぜなら通りすがりの人だったら後は来ない
それは金庫を開けられたプロの泥棒が入ってきたがその人は通りすがりでは一回だけであり来ないと見た、でも近くでねらって来ているとしたらまた来るから怖いのである
それも近くだから怖いとなる、いつも狙っているとしたら怖いのである
それも誰なのかと不安になるからである

街に一軒しかない自転車屋の突然の死にも驚いた
3日前くらいにタイヤ交換してもらったときいつまでつづくかわからないと言っていたがそれが最後だった
最後まで仕事をしつづけて仕事しながら死んだともなる
ここが貴重だったのは一軒しかないからである
それは無医村と似ていた、そういう場所では価値が高くなり貴重になる
原町まで行くにも大変だからである、そしていつも買ったり利用していないと自転車屋というのは受け付けないことがある、それで断られたことがあるからだ
通信販売ではいろいろあってもアフターサービスがないので利用できないのである

win8.1のパソコンのサービスが終わる、これもめんどうになる
でも危険になるから対処せざるをえない、これの問題は手間が相当にかかりめんどうになることである、新しいパソコンに移るのに時間がかかる
これもやっかいである、何かめんどうなことをしたくなくなったからである

ともかく今年も波乱の年だった、地震が一番怖かった、またこの歳になると知っている人が同世代の人が死んでゆく、自転車屋の人は66歳だからまだ若かったとなる
その後を継ぐ人もいないのである、それでみんな困っている
なくてならていものがありそれが無くなることは不便になる
無医村のようになってしまうのである、ただ救われているのはこの辺は近くにまだ5万とかであれ都市がある、でも自転車の場合は近くにないと困るのである
本当に一回は電動自転車のエンジン部分が買ったばかりで交換したのである
それからもう一台の高価な電動自転車もチェーンがはずれて直せなかった
それを直すのにヤマハの本店に直接聞いてそれに対応する道具を送ってもらって直してもらった、こういうことがあるから自転車屋がないと修理するできなくなり使えなくもなるのである、これも大きな問題だった

いづれにしろ今年も終わるがやはり様々な災難の厄払いをしたいとなる
でも簡単には行かない、来年もいい予想はないのである
何かいいことがあるようには思えないのである、でも知人の脳梗塞が軽くすんだということはいいことになる、でももう一人の親しい男性の家には行かないとなり切れてしまったこれも問題である、近くの人間は老後は大事になる、近くだと常に近くにいるのだから
遠くの親戚より近くの他人となるからである、現実に相馬市から娘が週に一回しかこない意外と近いようで車でも手間なのである、介護になったら毎日とか来ざるをえなくなる
となると会社勤めしているとできないとかなる
遠いというとき8キロでもその倍でも遠いとなる、これも問題なのである

とにかく人間は生きている限り災難から逃れられない、その人によってどこでもそれぞれに災難がある
病気であれ自然災害であれ盗難であれ様々な難がありそれから逃れられないのである
他人の災いを笑っている人や楽しんでいる人もいる、でも必ず他人に起ることはそうして関係ないとみていても必ず災いは
誰にでも起きて来る、順々にカルマは回ってくるのである
この世は地獄であり逃れられないともなる、死んではじめて災いが終わるのかとなる

posted by 天華 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月20日

街一軒の自転車屋の死について (星淳氏に献げる詩)


街一軒の自転車屋の死について

(星淳氏に献げる詩)

その人は癌でありながら懸命に仕事した
死ぬ直前まで仕事していた
苦しくも仕事していた
点滴する所がなく首にしていた
その痕が痛々しかった
でも何か弱音を吐かなかった
ただ死ぬ数日前に
「いつまでつづけられるのかわからな」と言った
それが私と最後に語った言葉だった
その時死ぬということを全く思わなかった
だから突然の死に驚いた
その人は死んでも心残りがあるだろう
駅前が寂れてゆくことや
ここで暮らしたことをあの世で想うだろう
なつかしく回想するだろう
そこで長い町の人とともに長い歳月を過ごしたから
何か悲しい次々に知っている人が死んでゆく
人間の命ははかない
人は短い人生で何を残してゆくのか
つくづくそれを知らねばならない
その人は懸命に働き続けて死んだ
治療代も払わねばならない
自ら生きるためにも働いた
それが貴重だったのは一軒しか自転車屋がなかったから
年の暮にその人は死んだ
その人は死んでもここで暮らした日々をなつかしむだろう
私はここで働いた、懸命に働いた
それが私の人生だったと・・・・
(一人また町に働く人死にぬそを偲びつつ年も暮れなむ)

一隅の死

街の一隅に
名もなく
ひたすらに
そは働けり
あわれかな
駅に咲きにし
冬の薔薇
駅に人はまれなり
その駅を共に見守りぬ
そは死すも
その駅を見て
そこに立っている
いつまでも立っている
何か悲しき街一軒の自転車屋
消えて語りぬこの町の歴史
一人の庶民の人生なれ
歴史はここに刻まれぬ
年の暮雪降り冷えにけるかな
惜しまれて死ぬ人の良しや
人の心に残りけらしも
人は働く者なれ
その果はいつか実らむ
死して後実ることあるべし
仕事なき者こそ虚し
人は天職持ちて勤め死なむ
それが幸いなるべし

なぜ自転車屋に思いがあるのかとなると自転車が自分自身好きであり足が自転車になっていたからである、それで自転車屋とも深くかかわったとはなる
ただ深いといってもその人特別親しいというわけでもない、ただ自転車を通じて親しくなったのである

何か車がないと自転車に乗る人と仲間意識が生まれるのである
車に乗っている人はそうはならないのである、そして車がないとその人は一段劣った人に見なされることもある、なぜなら田舎だとみんな車を持っているから持っていないのは変な眼で見られる、変わり者ともなり警官からは怪しいとも見られるのである
ただ最近は老人が車の免許を返上して自転車に乗っている人をみかける
だから自転車の需要は結構ある、自転車は健康には運動にはいいのである

またなぜここの一軒の自転車屋に思いがあるとなるとやはり一軒しかなくなっていたことである、後は隣の市に行くほかない、それが不便なのである
やはり近くにないと困るものが結構ある
弁当屋もないのも困る、百円ショップもないのも困る、医者でも困る
やはり平均的現代の生活になると一万の町ではそろえしられないのである
原町と比べるとその差が大きいのである

とにかく人間の価値は働くことにある、天職を持ちて働くことにある
だから自転車屋でも働きながら死んだようになったから死に方としては良かったのかもしない、向かいの自転車屋でもそうして死んだのである
仕事して体の調子が悪いと言って病院に行きまもなく死んだのである
だからこの人も仕事しながら死んだとも言える
こういう死に方は長く十年とかでも介護されて死ぬの比べるといい死に方だったなとも見る、ほとんど迷惑かけず死んだからである

ともかく郷土史も探求しているが郷土の歴史を刻んだ人でもあった
それは特別な人でないにしろ郷土史としてはやはり一つの歴史を刻んだのである
その価値はやはり狭い町だからあったとなる
もし仙台市とか東京のような所に住んだらこうはならない、いくらでも自転車屋とかあるからである
ここでは一軒しかないから価値あるものとなっていたのである
だからこれから修理とか何か自転車に関して困ることがでてくる
後継者もいないからである、中小企業でも農業でも後継者がいないことで困る時代になっている、空家をどうするのかもそうである
これは全国的な課題である、それが実際は深刻なのだけど今の社会は別にここになくても車があれば買い物でもなんでもできるということで深刻にならない
でも車がない人は深刻なのである

ともあれご冥福をお祈りします、この町を死んでも見守って下さい・・・

66歳ではまだ今では若いとなる、でも技術的な面で追いつけないハンディはでてくる
そこではロードとかは詳しくないからあまり買う人がいなかったろう
相馬市と原町にはあった、でも必ず自転車屋は必要なのである、そういうものが他にあるので困るのである

posted by 天華 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月19日

南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡 (後継者がいないことが全国でも問題になっている)


南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡

(後継者がいないことが全国でも問題になっている)

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これも驚いた、何日か前にタイヤを交換してもらった
ヤマハの直販店なのでヤマハの自転車を特に電動自転車を何回も買っていた
それは十年前より前でもあった
なぜならその前はすぐじき前の自転車屋で買っていたからである
その人も急に死んだのである
今回も急なことなので驚いた、とても死ぬとは見えなかった
でも癌になっていたということはみんな知っていた

でも仕事は普通にしていたから死ぬとは思えなかった
それも十年くらい癌になってからでも仕事していたのである
だから癌でそんなに仕事ができるのかという不思議があった
ただ点滴した痕は首のところありいたいたしく見た
でもその他は普通に仕事していて話ししていて死ぬとはとても見えなかった
「いつまでつづけられるのか」と私に何日か前にタイヤ交換に行った時言っていた
それが私との最後の会話であった

その人は駅前にいて駅前で無人化したことで案内したとき駅前の活性化とかで話し合ったことがあった、それが死ぬとは信じられないともなる
いくら病気でも実際昨日普通に話ししていて死ぬものなのか?
心筋梗塞だとそういうことがある、でも癌だと死ぬまで入院してとか療養して死ぬとかになるだろう、それが普通に仕事のことで話しして死んだとなる
それは前の自転車屋でもそうだった、やはり仕事していたのだが調子が悪いと言って入院したらまもなく死んだのである
その人もあっけなく死んだのである、そこに何か苦しんだようなものが見えないのであるだからそういう死に方はいいのかもしれない、認知症になったり七転八倒して死ぬよりはいいのかもしれない、でも一概には言えない、残された人はそうは思わないだろう

鹿島区で困るのは自転車屋が一軒もなくなることである
自転車は通販で買っても後で修理とかあるので困るのである
現実ヤマハの電動自転車のエンジン部分が故障して全部交換したことが最近あったからである、こういうことがあるので通販ではいいものがあってもなかなか買えないのである
またパンクの修理とかその他故障がありアフターサービスが必要なので困るのである
原町に行ったら一回自転車を買ったことがある所に行ったら自転車のことを相談もできなかった、自転車屋でも商売だから常に買ったり修理したりとお得意さんにならないと断られたりするのである、相手も商売だからそうなる
その星自転車屋でも折り畳みの電動自転車のことでナンバーをつけてくれとか頼んだができないと言っていた、金にならないのだからできないのである
でも死んだということは驚きである

その自転車屋では娘がいる、その娘が父親が死んだので来た、でも東京とかに住んでいてここには戻ってこない、そして跡継ぎがいないのである
ただバンクを修理するくらいの人はいるらしい、自転車は結構乗る人が増えている
なぜなら老人が増えて車に乗らなくなった人は自転車に乗るようになるからである
だから需要がないというのではない、またこの辺で原発事故で避難区域から移住してきた人も多い、それで知らない人が来ると自転車屋の人は言っていた
ということは自転車を経営するのがむずかしいというのでもなっかたろう
問題は病気でありそのことで継続できなくなったのである

そのこは前に書いたけど畑を借りてしていた人がその人も体が弱りできなくなった
その前の畑をしていた人も70前で腎臓が悪く透析になり死んだ、その隣の人は80過ぎて娘に車に乗せられて畑にきて這って働いていたが力尽きて放棄された
そして知っている女性も力尽きて放棄した
今度はその女性が脳梗塞になり病院に二カ月入院して昨日とか退院したのである
見た限りでは思った以上元気に見えた、これならまだまだ生きると見えた

ともかくショックである、人間は死ぬ時はあっけないというか簡単に死ぬものだと思ったそれはこれまでも経験してきた、でもまさか今度は昨日まで普通に仕事していた人が死んだので驚いたのである
そして問題なのは後継者がいないことである、これは農業でもそうである、65才以上が農業をしていていづれは継続できない、また中小企業でも後継者がいなとしている
それも全国的な深刻な問題になる、空家の増加と後継者不足とか社会が衰退してゆく
前は自転車屋など小さな町でも四五軒あった、それが一軒もなくなった
自転車は通販ではだめである、修理とかアフターサービスが必ず必要だからである

とにかく鹿島区だと不便になる、弁当屋もないから一人暮らしには困る
前にしていた人を知っていたがその人もやめたからである
百円ショップなどでもダイユーエイト内にあっても品物の数が少ない、これも今の社会では必要だから困る、私の場合車がないので困るのである
その自転車の死を知らせてくれた人も自転車で配達の仕事とかしているから困るのである私は何か自転車に乗る人とは親しくなるのである、車の人とは親しくなれないのである
自転車仲間になるのである

それにしても駅にクリスマスのイルミネーションが点滅していた、でも前の自転車は閉じてなくなる
いつも駅前で駅を見ていた人がいなくなった、これも淋しいとなる
駅前通りでは一軒の家が壊れて空地にもなった、駅前通りは活気がなくなっていたしこれからもなるのか
鹿島区にとっては大きな死だったともなる

年の暮親しき人のまた死にぬ

その人と自転車につき語りしを今はなしかも年も暮れゆく

葬式の日取りとかは出ていた

心からお悔やみ申しげます、お仕事ご苦労様でした、お世話になりました


死んだ後の処理で困ること

自転車は何かあったとき困る、ナンバーを取得していないと困る、なぜなら警察に職務質問されたりするからである
盗品とか疑われたりする、その時買った自転車屋に連絡することもある
それが死んだできないとなる、これも大きな問題かもしれない、死んだ保証もしてくれないとなる
だから自転車は通販で買いにくいのである

何かいろいろなことで駅でもそうだが無人化すると困ることを書いてきた
自転車でもそうなのである、町で一軒もなくなればみんなが困る
だから商売が成り立つようにしないとみんなが困る、でも商売にならなければ誰もやらない
ボランティアではやれない、何か公共的な役割がある時それがなくなるとみんなが困る
でも市とかで援助したりしないのである、それより自転車屋は技術的な面で簡単にできない
そのことでこれからいろんな場面で困ることが全国で起きて来る
少子高齢化で縮小社会になるときいろいろものが維持すらできなくなるからである
posted by 天華 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月10日

風力発電のメンテナンスの仕事も危険 (風力発電もヨ−ロッパの方がすすんでいる)


風力発電のメンテナンスの仕事も危険

(風力発電もヨ−ロッパの方がすすんでいる)

windenergy1.jpg

windenergy2.jpg
写真では人が見えない、機械だけでできる仕事のように見えない
見た感じでは鉄塔に簡単なもので支えている
これはどうなっているのかわからない



風力発電設備は、メンテナンスすることが保安規程によって必要になっています。国の決まりによって、メンテナンスする回数は毎月1回以上となっており、外回りのメンテナンスと一緒に運転を停めて制御回路、主回路端子のチェック、動作チェックを、毎年1回くらいは実施することが必要です。

1年間の1,200万円の維持費・風力発電にプラスし、作るためのコスト6億円の1年間の回収コストがかかります。風力発電の場合には17年が法律で決まっている耐用年数になっているため、作るためのコストの1年間の回収コストは6億円を17年で割った約3,500万円になります。

1年目から17年目は、作るためのコストの1年間の回収コストも考えて、1年間の儲けは8,100万円の収入から1,200万円のランニングコストと3,500万円の回収コストを差し引くと
3,400万円になります。この儲けは、6億円の風力発電を作るために投資した額の5.6%にあたります
https://www.tainavi-pp.com/investment/wind/53/

再生エネの支柱は太陽光よりも風力だ。再生エネ導入が29%と進むドイツでは、うち風力は12%と太陽光6%の2倍。英国は再生エネ25%中、風力は12%と太陽光2%の6倍に上る。




この風力発電もどれだけ発電できるのか、投資額にしては見返りがあるのかとなる
メンテナンスも定期的にする、その費用もかかる、海上に作るとしても日本では海が深いから普及していないという、ヨ−ロッパではかえって30パーセントとか普及している
遠浅の海があるから設置しやすいからそうなっているという
南相馬市の鹿島区の風力発電を作るのにかかわったのはドイツだったのである
技術者と駅であったからである、また外国の技術者がドイツからでも原町火力発電所に来ていた、だからヨ−ロッパの方がドイツなどが先進国だとなる
特に風力発電はそうなっている、もともとオランダに風車がありまた風車は中東で発明されて発展した、風が吹くから風車もできた、これも風土と関係してそうなったのである
そのオランダの風車の技術が造船で利用されとかある、低地のために排水に利用された、やはり地盤に風土があり技術が発展することがある、日本だと山が多いからトンネルの技術が優れたものになったのである

ソーラーパネルでも必ずしも発電量があるわけではなく採算があっていないともいう
でも相馬市の玉野村へ行く山がまるごとソーラーパネルになる
あれは宇多川にも水が流れ込むからなんらか影響がある
景観的にも良くない、丸森の方では山がいくつかまるごとソーラーパネルになっていた
反対する人もいるが結局木材が使われない売れないということでそうなった
外材を買うからそうなった、でも円安とかなり日本の木材の方が安上がりだとなれば
売れるようになる
日本の木は山にあるから運び出すのが手間なのである、そこにコストがかかる
大陸だと平坦な土地が延々とつづいてそこが森になっている、すると運ぶには楽なのである

ただ何らか科学技術は自然破壊になる、一見自然エネルギーだからいいように見えてもそうではない、風力発電でもそうなのである、何か回りに必ず悪い影響がある
地熱発電がいいとしてもこれも温泉地にあり問題がある
人間の成すことは必ず自然を破壊になる、職業は業でありカルマなのである
農業でも焼畑は森を焼くのだからそこから自然破壊だったのである
原子力発電でもそうでありこの辺は甚大な被害を受けて住めなくなったのである
でも石炭とか使った火力発電だったらこんな被害にはならなかった
そのくらいはしかたがないとなっていた

とにかく高い所で仕事するきは怖い、高所恐怖症の人はできないとみる
怖いのは高い所で仕事して突然地震などが来たら怖い、地震の怖さはそこにある
地震は結構頻繁に起きているからである
危険な仕事がある、実際電気を送る鉄塔で感電して死んだ人がそれなりにいる
電気の仕事も危険なのである、建築関係でも高い所で仕事するから危険である
鳶職は江戸時代の火消しが由来となると燃える家の屋根に上って纏を建てるのだから
命がけだったとなる

posted by 天華 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月07日

あらゆる所で継承継続ができなくなる (少子高齢化による(未来の年表)の衝撃)


  あらゆる所で継承継続ができなくなる
  
  (少子高齢化による(未来の年表)の衝撃)

futureshock.jpg

未来の衝撃という本が話題になっている、これは本当に現実化しているからである
それはもう確実に未来がそうなると予測できるから単なるSFの空想でもないからショックなのである、それでこの辺が原発事故で極端な現象として現実化したことを書いてきた
農業しているのも65歳以上の人が8割とかである、そして耕作放棄地でも膨大なのである、近くで小さな畑で野菜を作っていた女性が72歳で脳梗塞になった
その前の畑の人は腎臓が悪く透析をしていたが60代で死んだ
隣の畑をつづけていた人は娘に車に乗せられて這って仕事していた
80代でありでもつづけられなくなった、そこは草ぼうぼうになっている
つまり隣の畑が放置されると困るのは草がすぐ生えてきて影響するからである
だから田舎では草むしりが日々の仕事なのである

その女性は苦労したので普通の人より10歳くらいふけていた、そして煙草を吸っていたそれが血管に悪かったのである、でもストレスが絶えずありやめられなかったのである
まず煙草とか酒は体に良くない、私は30歳くらいでやめたかさ良かった
その女性は知っている人を私の同級の人がやはり脳梗塞になり片足が悪くなっていたのを見ていた、脳梗塞は再発するんだよとか言っていた、そうして他人を見ていた人が脳梗塞になったのである、だから他人の心配するより自分の心配が先だとなる
なぜならかえって自分の健康管理していない人は誰かの世話になったり他でも迷惑をかけるからである
脳梗塞も多い、同級の人はすぐに病院に行ってカーテルを入れて助かった
南相馬市には新しく脳出血のセンターのビルができた、そこには優秀な医者がいたからである、若い医者でも習いに来ているからである、だから助かったのかとなる
でもその女性は脳梗塞の症状があっても専門の病院に行かなかったのである
医者が見抜けるはずだったができなかったのである

いづれにしろ8050問題とかは始まっている、その女性は入院している、50代の息子が病院に行ってみている、ただ脳出血では意外すぐには死なない、心筋梗塞では死ぬ
だから10年くらい介護している人を知っている、その苦労も大変なものだとなる
リハビリをすればそれなりに回復するのである、長嶋茂雄も脳梗塞になった、でもそれなりに回復している、これは脳の部位で体の影響が違ってくる
こうして増えるのは老人と病人なのである、子供など近くでも見かけないのである
まず少子高齢化の問題はあらゆる分野で継承継続ができなくなる
私の住んでいる街でも一軒しか自転車屋がない、その人も60代後半であり病気でもあるそれでもつづけている、自転車屋でも技術者だから簡単にできない、他でも原町の自転車屋でも老人だった、そして老人より若い人がしている自転車屋に行けというとき自転車の技術も進歩しているからついていけないからである
自転車は後で必ず故障とかで世話なになるから通販はできないのである
またいつも利用していないと隣の原町で断れらたとういことがある
だから自転車屋が今一軒しかなくそこがなくなると困るとなる
そこでも継承する人がいなくなるのが問題なのである

それより田舎だと広いから山の村でもその村自体を維持するのがむずかしくなる
より不便な所だと限界集落になりもう老人しか住んでいない、継承する人がいなくなるのである、祭りでも若い人がいなくて継承できないとかの問題がすでにでている
すると歴史と文化も継承できなくなる、村というとき江戸時代からでも長い歴史がある
そしてその村にあり石一つでも何かいい伝いとか伝説とかあ村の人とともに活きていたのである、庭が人間化しているように村の自然も人間化している、だからそこに人間が住まないと荒寥としたものとなる、それは家の庭の石とも似ているからである
人間化した石になっていたからである、そういうことでも継承がなくなるとき淋しいものとなる、村自体が消失してゆくことは歴史でも文化でも継続できないということである
これはかなり深刻なことである、そこで失われるものが何か、それが原発避難区域で問われているからである、先祖とのつながりも絶えることにもなるからである

もう過去の経済成長させるとかの問題はない、今あるものを継承継続させることが問題でありそれができなくなる問題なのである
自治体自体が維持できなくなるというのもそうである、半分以上が維持できなくなるというのも深刻なのである、この辺では原発事故で避難区域には老人だけが取り残されてそうなった、もうそこにいくら新しい施設とか建物を作っても肝心の人が住んでいない
立派な学校を建てても肝心の生徒がいないのである、外から通っているとかなる
また老人ホームでも人手がたりないとかで青森に送られたとかもある
つまりあらゆる分野で継承継続が問題になるのである、IT技術者が70万人不足するとかもそうである、そうなると通信のインフラも整備できないとなる
老朽化したインフラでも直すこともできないから橋を壊したとかなる

そうして空家が800万軒とかにもなる、近くの街中の家も一軒取り壊された
他には壊されないで利用されない空家が近くに何軒かある
原発避難区域では空家だらけでありゴーストタウンにもなっている
それで最初は復興を盛んに言っていたが残されたのは老人だけである
だから小高からとか原町に移住した人が多い、立派な家を建てた人も家を放置して原町に住んだとかなる、また原町だけではない鹿島だと新しい家が建っているから救われているそれはおそらく地元の人でない、原発避難区域から移ってきた人達なのである
だから原町とか鹿島でも相馬市でも新地でもそういう人が新しい家を建てて移り住んでいるのである
つまり集住化が起きているともなる、とても復興はできないとなりそうなったのであるこれは全国的に起きていることでありここだけではない、でもここは極端な現象となって現れたのである、これが日本の衝撃的な未来なのかともなる

その対策はどうするかとなるともう分散しては住めない、集住して住むとなる
ただそうなると継承して継続してきた村とかが失われる、それも大きな問題なのである
都会からすると痛みをも感じないかもしれないがそこで多様の生活が歴史でも文化でも失われ何か精神的には貧しくなるのである
でも現実問題として優先されるのは歴史とか文化でなく日々の生活を成り立たせることだからどうにもならないともなる
その解説は簡単にできない、それは個々の問題ではなく全体の問題だからである
日本全体の問題であり縮小してゆく社会をどうするかとなるからである  

「後継者難倒産」が過去最高水準に

これはあらゆる分野で起きている問題である


posted by 天華 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年12月06日

2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」 (原発事故の避難区域で起きたことが全国的に起きる)


2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」

(原発事故の避難区域で起きたことが全国的に起きる)

山里に行くと90代1人暮らしの人だらけという光景が珍しくない。そこに30代の家族が移住したとする。10年後には高齢者が亡くなり、若い移住者だけが残ることになる。

 「ポツンと5軒家」から「ポツンと1軒家」の状態になるのだ。すると、わざわざ1軒のために、電気やガスや水道を提供しないといけなくなり、他地域のインラフの料金もアップする

 「2030年には大型ショッピングモールは維持できなくなる」という事態が起こる。見込んだお客さんが来ず、場所によっては閉店が始まっており、今年だけで25店が閉店しているという。想定以上に人口減少が進んでいるのだろう。

 2030年となると意外と早い、まだ私でも生きているだろう、このことが先取りして極端化して原発事故で現れた地域にもなる
盛んに復興とかいってもできない、若い人は流出して残されたのは老人だけなのである
そうなったところでいくら復興といってもできないとみる
復興してもらいたいと望む、でも現実を見ればもうできないと見るのである
どうしても大熊とか双葉とか浪江とか小高や飯館村を見ると復興できないように見える
だからそこにいくら金をつぎ込んでも無駄にも思える

それはここだけで起きたことではない、全国で起きていることなのである
空家が800万軒なのかその数も凄い、それより町や村が廃墟化してゆく
それが原発事故の避難区域で起きたのである、極端なものとして起きた
でも日本全国で起きている現象なのである、空家問題でもそうだし過疎化の問題もそうである、少子高齢化で縮小してゆく日本の対策が望まれている
インフラ整備でも過疎化した所では都会の80倍もかかるとかその金の負担は東京とか都会の人が払うということで不満なのである、だからむしろそういう所には住まないで一か所に集中して住めとなる、私自身としては人間の多様な生活があって地域があって住むのがいいと思っている、でもそれは何か自分の場合は常に美的観点とかから見ているからである、現実生活するとなると自分自身はとても今は村には住めない

近くにスーパーもないところに住めない、車もないのだから買物だけで苦労になる
今なぜそうした街から離れた所でも住めるのかというと車をみんな持っているからできるのである、だから田舎では車無しでは暮らせないのである
でも私は車がなくてもスーパーが近くにあるからできるのである
原町にも相馬市にも自転車で行っているからなんとか暮らすことができる
鉄道は好きでも利用しない、なぜなら駅から買い物するにも遠くなるからである
そして商品を持つにも重くなり運べないとういこともある、鉄道は仙台市とかに長距離には便利なのである、短距離になると不便になり日常的に利用できないことがある

この辺では原発事故で浪江町でも二万の人口があり小高でも一万の人口があったところが極端に減って廃墟化のようになった、そしてその人達は復興より原町とかに移り住んだ人が多いのである、原町はもともといろいろなものがそろっている、だから便利だから住みやすいとなっていたのである
つまりもうとても復興できない、元の町には戻らないとなりそうなったのである
だからそうなると復興といっても何か見直す必要があるのかとなる
とても元の町に戻らないのに若い人でも帰ってこないのに老人ばかり残って復興できるのだろうかという疑問がある、それは全国でも起きている

だからここでそうして分散して住むことが不効率でありインフラでも金がかかるからあきらめて集住をすすめている、ばらばらに分散するのではなく集中して住む
例えば介護でも田舎は広いから一軒一軒でも回るのが手間になる
でも一か所に人が集住すると回り安いとなる、そして介護というとき隣近所とかが協力すると効率的なのである、車でも相馬市とか原町から娘息子がいても来るとなると手間でありめんどうになるからである
でもすぐ近くで歩いて行けた人が病気で毎日行っていた女性が脳梗塞になり入院した
そしたらその人は自転車にも乗れない、歩いてもその人の所に行けないともなったのである、自分の家にも来れないとなったのである、これもショックである
ただ元気であれば私はその人の所には行くことができる

ともかく今現実問題として理想論ではなく原発避難区域はもう復興自体あきらめるほかないのでないか?
そこにいくら金をつぎこんでも無駄に思えるからである、それで三陸の津波被害の町に対して官僚がジジババしかいない所に税金をつぎこんでも無駄だと本音を言ったのである
私自身は多様な場所でそれぞれ生きることがいいと思っている
いろいろな場所で村があり生活がありというのが実際は国土の利用としてはいいし文化的にも豊かな感覚になる、それが実際江戸時代からできていたのである
それは燃料も炭とかであり自給自足で贅沢していない、電気も水道もない時代だからできていたのである、その時は別に都会の人が田舎の人達に税金を使うことなどなかったから自立していたから良かったのである、都会の人に文句を言われることもなかったからかえってそうして自給自足していた生活を誇りにしていたのである

そして今貧乏になると必ず電気水道ガス代を払えない人が相当数いる、そこで必ずその金がないと嘆いて訴えていたのである、日本が貧困化してくると最低の生活すら維持できなくなっている、昔に戻って自給自足の生活もできない、そうなるとどうしても分散型の生活ができない、だから集住したコンパクトシティとかの発想になる
車は金がかかる、その金も十年二十年と計算すると意外と一千万とかにもなる
都会の人は東京とかるなると若い人は車を持たない、別に車がなくても生活に困らないからである、田舎ではそれができないから車代の出費でも大きいのである

少子高齢化というのも深刻であり人口は減少してゆくだけである、それで未来か描けない縮小してゆく日本にしてもその未来が明確に描けない、徐々に衰退してゆくから明確に見えない、でも原発事故周辺では極端なものとしてその未来が提示されたのかもしれない
実際にゴーストタウンにもなったからである
そうなったときもう復興できない、回復できない状態になっている
そこを復興させようとしても確かに建物が作られたがそこに肝心の人が住んでいないのである、そこで人が住まない限り町でも村でも活きないのである
電気ガス水道がない時代でも人は生きていた、その時飯館村でも山村でも今の二倍の人口があった、それが半減したのである、だから人間は別に電気水道ガスがなくても住めていたのである、でも今のような便利な生活になるともうてきないとなる

未来の衝撃というときなかなか実感できない、でも原発事故の避難区域を見れば実感できる、極端な現象として現実化しているからである、そこでは住民は移住したからである
住んでいる人達は老人が多く学校すら子供がいないのだから成り立たない、立派な施設を作ってもそれを活かせない、人がいなくなっているからである
だからそういうことに金を使って有効だったのかと疑問になる
もちろん私自身は人が住んでこそ村でも活きる、多様な地域があり人が住むことが精神的にも豊かになることだと見る
でも現実を見るとそれができなくなっている、そうしてもらいたいと言っても現実はできなくなっている、でも飯館村辺りでも人が住まないとどうなるのか、元の自然に還るわけではない、そこが政府で放射性物質の廃棄場にしたり何かソーラーパネルとか風力発電の工業地帯のようにされ景観は壊されるのである

もともと原自然があり人間によって作られた第二次自然があり農業などがそういう景観を作って来たのてある、それが里の景色だとなる
だから人が住まないことはそこは元の自然に還るわけでもなく荒廃するのである
人が住んでいればそうしたものに反対する人もいるからできないとなるからである
でも現実問題としてどうしたらいいのかとなるともう維持できないとなる
肝心の人がいなくなったいる、いるのはそこで死んでゆく老人だけだとなる
老人はなかなか移動しにくい、慣れ親しんだ土地で人とともにあり死んでゆきたいとなるでもそれがしにくくなっているのである
ではどうしたらいいのかとなると解決策があるのかとなるとわからないとなる

でも人間は電気がなくても水道がなくてもガスがなくても生きてきたのである
だからそれがなくなっても生活できないとか死ぬということはなかったのである
戦後まもなくは電気製品などないのである、裸電球一つくらいが電気であり車もないし
水道もない、別にそれで死ぬこともなかった、生活は貧乏にしろできていたのである
不思議なのはかえってそれで人口が今の倍もあったということなのである
つまりそれだけの人口を養うものが飯館村であれ山村であったのである
だから人間が生活できない、死ぬとういことは電気や水道やガスがなくてもありえないのである、むしろ原発事故になり空気も土も水でも森林でも汚染されたとき住めなくなったのである、この住めなくなることが人間にとって最大の問題である
気候変動でも住めなくなって人類は移動した、だから農業より狩猟採集民の方が生き残ったという見方もある、食糧のある場所に移動すればいいからである
国境とかない広大な自然がある時その方が生き残ることができるとなる
そうして人類が広大の地球に分散したとなる

相馬市のイオンが閉鎖したことは驚きだった、あそこには休憩所があり食事ができたら喫茶店もあったからである、また中村喫茶店も閉店したことも驚いた
何か相馬市は原町より衰退したのかとみる、原町には何か新しいものができている
松川浦の方には新しいものができている、だから原発事故で原町に移住した人が多いのである

要するに原発事故周辺では集住化が起きた

だからそれは全国でも起きる現象だとなる、そうしないと現代の便利な生活は維持できないからである、貧困化もしているしそうなる
都市そのものが便利な生活するためにできたともなるからである
それがいい悪いにしろ便利な豊かな生活を生活を維持するとなればそうならざるをえないとなる、それに私自身は賛成しているわけではないけど現実を見るとそうなってしまうのである




posted by 天華 at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月16日

南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている (前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている

(前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


●議員の不満が多いのはなぜかー議員自体も成り手がいない

「町政与党に所属しているだけで、意見も言わず一般質問もせず、ただ集票のみの存在だけの議員がいることが地元住民から『議員なんていらない』という考えがなくならない原因なのではと思うことが多々ある」

議員の私個人の考えではあるが首長がしっかりしておられるかたであれば議会不要と考える…都道府県議会も同様と考える。特に県議会議員は金儲けである。多くの歳費以外に月額30万もの政調費を支給されているのはおかしいと思う県会議員は月に50万預金できるらしい話はたくさんある。
最近の地方自治法は首長に権限が集中するべく方向に改正されていく傾向にあり、議会の権能が低下しており議会不要への方向となっていることも事実である。首長が決定した事項を議会が変えることはほぼ不可能であることも事実としてある」

自分の地域の利害で活動するのなら議員は不要、自治会長会で充分」

県議会議員の報酬活動費が高すぎる。普通市の市議会議員はその半分以下、生活ができない。働きざかりの人はなれない、ならない。質の低下がひどい。

「市民から見れば『議会で、何の話がされ、何が決まっているのかわからない』状態がある。実際まちを歩き、声を聞くと、『議会がなにをしているかわからない』という声は多い。


議員なんて、もうやめたい
〜地方議員2万人アンケート

「地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎて、そのために、地方議会の改革は大きく滞ってい

地方議員になるためには、地縁・血縁・カバンが最重要で、資質・行動力・実現力が軽視されている」

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

2018年)の同市議選は、定数22に対し24人が立候補し、現職17人、新人5人が当選しました。党派別では共産2、公明1、無所属19で、女性は1人(党派は選挙時)。投票率は55.91%でした

南相馬市長選 門馬氏当選投票率63.75%




●地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている

地方議員の問題はいろいろあり常に言われてきた、そもそもが議員が何をしているのかさっぱりわからない、関心もないからでもあるが関心を持たされないこともあるし何か要望があっても議員を通して実現されることもあまりないだろう
ただ身近な問題が常にある、この辺ではゴミを投げる場所がなくて困っている
その場所さえ確保されれば市ではゴミ箱を設置できるとしている
でもこれもなかなか私人ではむずかしいのである
回りと交渉しなければならないし合意しないとできないし誰かの所有の土地だからできない、つまり強制力がないのである
また回りでも烏につつかれたりしてゴミが散らばったりした、それを私はかたづけたりした、でも回りでもそもそせ関心がないのである
この関心がないことが結局民主主義を発展させないのである
何か個々人でも損害を受けるとかならないと関心がないのである
ただ介護とか病気になると切実な関心を持つようになる
でも議員に相談する人は少ないだろう、何かしてくれるわけでもないだろう
でも共産党とか公明党だと生活保護を優先的に市の方に働きかけてとれるとかはある

地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎる

共産党とか公明党は強固に国政にかかわり地方議員でも党勢を拡大して国政に国家権力にかかわることで運動している、公明党はそれより地方議員でも仏法の戦いとして位置付けていて政教一致の戦いとして地方議員を確保する
だからこういう党は地域としてはふさわしくないのである
地方地域になるとそれより日々の生活の中での要望を斡旋する仲介することが主な仕事になるからである
でも底辺層になると頼る人がいないので頼るのである

何かわからなかったが創価とかなると市会議員に家族がなって今度は中央の本部に就職した人がいる、その人は家族ぐるみで一体化して国政にかかわる、、政教一致にもなる
地方議員もその駒として働くとなる、確実に公明党と共産党は地方議員でも国政が主体であり地方議員はそのためにある、党勢拡大とか公明党になると宗教とも一体化した政教一致であり会員を増やす手段としてある
公明党とか共産党の最終目的は権力奪取だからである
創価だと仏教による革命であり、共産党になると共産主義の革命であり権力を得るために運動しているのである
でも地方議員となるとそうした国政にかかわることではなく、地域地域の問題に要望を聞いてそれを解決することにある、その一つはゴミの処理問題だったりするのである

驚いたのは全国の衆議院参議院選挙でも投票率が50パーセントくらいであり市会議員となればもっと身近だから高いと思った
でもは60パーセントくらいしかないのである、こんなに低かったのかと驚きである
何か地域でも関心がなくなっているのは何か要望があっても聞いてももらえないし何にもしてくれない解決してくれないとかあきらめているからである
私自身も投票する候補者がいないとなる
つまり議員とは頼りにならない存在なのである、ただ金だけを税金でとられるとなっている、でも逆に町村になると報酬が少なくてやっていけないと議員になる人が減っている
そもそも議員に仕事として魅力を感じなくなっている

●議員の成り手がいない、議員に魅力が感じられない

仕事というとき何でも達成感があると生きがいになるやる気がでてくる
それは別に報酬がなくてもそうなのである、だから議員でももともとは金持ちがボランティアとして名誉職としてしていたのである、金の報酬はなかったのである
かえって選挙運動すると金がかかっていたのである
だから実はそういう人こそかえって向いていたともなる
なぜなら金をもらえるとなると必ず金に注目する、すると本来の目的とは違ったものとして仕事することにもなる
それは芸術家でも金のために絵を描いたり何か詩でも書いたり物を作るとなると金が欲しいとういことが優先されるとかえっていいものはできないのである
金によって惑わされ本来の目的からはずれてしまうのである
私は金が欲しいために議員になりかいとかなったらおかしいのである

宗教となると金をもらうためにお布施をもらうために僧になりたいとか牧師になりたいとなったりしたらおかしいのである
でも現実はそうなっている場合がある、だから常に金によって人間は歪められるのである
そうは言っても現実に議員になりたくない人が多いというとき何か議員の仕事に生きがいを感じないからそうなる、何か達成感がない、芸術家だったら別に金にならなくてもいいものを作ろうと懸命になる、職人でもそうである、それが生きがいとなる
ただ民主主義の基礎として地方議会とか地方議員がいるとしてそこは草の根民主主義になるから重要だともなる
でも現実にはそうなっていないから投票する人も議員自体もやる気がなくなっている
実際に権限があり決めているのは市町長村長だというときそうである
議員自体で何か権限があって決められることがないからそうなる
でも原発とかなると市民であれ重大なことだった、でもそのことでどんな議論をしていたのか議員がどんな発言をしていたのかその時はやはり関心がなかった
それよりもう市民でも町民でも原発に反対する人などいないのだからそんなことをすることもなっかともなる

だから新潟県の巻町で町民が議論して反対して原発を拒否したことは稀有なことだったのである、その時新潟日報とかも反対して協力していたのである
何か重大なことが地域である、命にかかわることがある、だからその時議会とかが必要でありそこで議論する、それが民主主義だとなる
でも議員は権限がないから国ー県ー市町村となりただ国の命令に従うだけだったとなる
まともに議論すらしていないのである、そして福島県では福島民報でも県で株を50%を持っているとかなり県の広報機関だったのである
そうして原発は素人だとわかりにくい、専門家の言うことに反論できないから安全神話が作られて誰も事故など起きないと思うようになったのである
でも巻町のように町民で議論して新聞社でも応援して止めることができたのである
そこでは民主主義が機能していたとなる
民主主義とは過程にあり完成することはない、国民でも市民でも民主主義を促進していかなければ民主主義自体が崩壊する、それはアメリカでも民主主義の危機になっているから日本でもそうなる

●広域化する社会に対応ー飯館村は南相馬市と合併するべき

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

これは飯館村の選挙で議員に立候補した人に聞いたりしたら応援している人がよそ者はかかわるなとか言われた、つまり議員というのはおらが村とかおらが町とかだけになる
でも今回の原発事故で飯館村から放射性物質のフレコンバッグが破れて放射性物質が流れ出した、それは南相馬市と川で結びついているし土地が結びついているのだから村意外のよそ者がかかわるなとはならないのである
でも別に一票がないのだから相手にされないとなっていたのである
ここでいかに地元であれば一票持つことか重要なことがわかったのである
もし一票をもっていればこんな扱いにはならなかったからである
それは浪江町とか双葉町から避難した人々に言える、南相馬市に移住しても選挙権がないのだから何か要求する権利もないとなる
でも小高の人が避難してきたとき鹿島区に住んでいる議員が応援していたのである
南相馬市と合併したからそうなったのである、一票の権利を持っているからである

議員がいらないというとき多いというときやはり現代は広域社会になっているからそうなる、もう昔の村のような狭い範囲で生活していないからである
広域化グロ−バル化もしているから議会でもそうならざるをえないのである
おらが村の町の感覚では成り立っていない社会だからである

飯館村ももう南相馬市と合併するべきだ!

今やもうそうならざるをえないのではないか、とても飯館村だけはもう成り立たないのである、財政的にもそうでありもう飯館村自体が消滅する危機にもなっいるからである
もう飯館村の議員はなくして南相馬市の議員とする、そして議員を減らすのである
もともと飯館村は鹿島の屋形で鎌倉から移り住んだ岩松氏が支配していた
だから相馬藩内でもあり歴史的地理的一体感があるから違和感がないからである
そしてもう議員に払う金も自治体にはなくなる、それで消滅する自治体のことが常に語られているのである、それでどうしても広域的に合併せざるをえないのである
つまりもう税金の無駄はできない、コンパクトに縮小化する社会になるからである
今までのような無駄な金は使えないのである
だから少数精鋭で自治体も議員でも運営する他ないのである


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2022年11月12日

弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も…… セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと


弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も……

セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと

(MSNニュース)
hanzai122.jpg


●セルフレジで盗みを疑われた

セルフレジの設置率が増えるに伴って万引きは増えていると言われています。自分でバーコードを読み込んで会計をするわけですから、中にはバーコードを読み取らずに会計をしたかのようにしてレジを通ってしまう人もいるわけです。

では、うっかりレジを通さずに商品を持って帰ってしまったらどうなるのでしょうか、現役弁護士の幸谷泰造さんが解説します。

セルフレジを通さないまま意図して商品を持ち帰ってしまった場合は窃盗罪になります。いったん窃盗罪になると、後で商品を返した場合でも窃盗罪になってしまいます。

万引きと疑われないためには、セルフレジの通し忘れがないか、その場で確認するようにしましょう。

私はキクチスーパーで最初の内わからないでこうなった
それで後で店長がきて問い正された、これは警察に通報されると犯罪になる
でもキクチスーパーではセルフレジは最近導入したのもであり使い方がわからない人が多いのである、だからこうしたミスもある
でもスーパー側からみると犯罪に見えるのである
だから今は必ず見守る人のところで領収書をだして脇の箱があり捨てている
何か結局必ず便利なものでも犯罪は防げない、つまり新しい便利なものが出るとその便利なものによる新種の犯罪が増える、パソコンが生れインタ−ネットが生まれた新たな犯罪が生まれたように生まれる
これが人間社会なのである、でも機械化するのは経営側からすれば人件費を減らすためにしている

そもそも犯罪とは何なの?

私の場合は犯罪ではなかった、ただミスしただけであり盗むとかを意図していなかったからである
これは前にもコンビニで経験している、私は親の介護とか自分の病気で苦しんでいた
それでコンビニで週刊誌なのか立ち読みしていて自分が気づかないのにパン二個をボケっとに入れていたのである
それは無意識にそうしていた、でも監視カメラがありそれで犯罪人扱いにされた
店長がしきりに言うのには私たちは十円二十円のもうけの商売なんだとか犯罪人扱いして責めてきたのである
それは他のコンビニでもそうである、盗みが多いとかで手を無理やりこじあけて調べたのである
これもやはり十円二十円でも万引きされて経営に困るからそうなる事情がある
つまり盗みが多いからそうなる、コンビニとかは通りすがりの人達が利用するから犯罪が多いかもしれない、車で遠くに行ってしまうからわかりにくいのである
第一店長自体が地元の人ではない、雇われ店長なのである

●犯罪とは何なのか (故意とそうでない見分けがつかない)

ともかく犯罪とは何なのか?

奇妙なのだけど盗む意志がないのに盗んでいたこともある、無意識にそうなっている場合だってある、私の場合は自分で気づかずにパン二個をボケットに入れていたのである
そして現代では地元の人が経営したり地元の人が買い物するのではない
コンビニとかなればみんな外部の人を相手にしている、でも私はそのコンビニに十年間くらい行っていたのである、だからいつも来ている人と店の人も認識はしていたけど
今はそんなことは関係ない、お得意様とかもない、みんな誰かわからない人達であり
だからみんな疑うとなる

「故意」とは「わざとすること、またはその気持ち」、故意の対義語である「過失」は、「不注意などによって生じたしくじり、過ち」を意味します。日常生活の中で使われる場合、故意は「わざと」「意図的に」、過失は「うっかり」といった意味をもつ

刑事事件における故意と過失の違いとは? 判断基準について解説
https://keiji.vbest.jp/columns/g_other/4919/

法律ではこの故意かどうかを問題にする、とういのは私の場合のように盗む意図もなにもないのに盗むとういこがある、無意識に盗むことがある
私はいろいろ悩み苦しみ知らないうちにボケっとにパン二個を入れて支払うのを忘れていた、それでコンビニにそのまま出たのである
でもそれを見ていたらあの人は盗んだとしか見えないのである

だから人間とは複雑でありそのパン二個のために犯罪人にされてひどく責められたのである
一方で大金を盗まれてもその人は何も責められない、回りの人でも自分を責めてきたのである、一方はパン二個でこっぴどく責められ何百万とか盗まれても警察では証拠がないからと相手にもしないのである、盗まれた方が悪いとされたのである
こうしてこの世と理不尽なのである、別にそれは自分だけのことではない、何もしないのに天下りとか地位ある者は金が入ってくる、下々ではいくら働いても金にならないこととか普通にある、でも決して上のものは責められないましてや犯罪人などにされないのである、百円千円盗んで刑務所に入れる人がいるが何億もたいして働かなくても地位があり
金が入る上級国民もいるのである、東電に天下りした検察関係者がいた、その人こそ厳しい罰を与えられるべきだができない、検察だとなる裁く方になるからである
裁く方が犯罪人になっているのである
だから神は裁くなというとき裁く能力が人間にないからである、こうして人間は複雑であり裁くことができないからである

●人間で一番難しいのは信用すること

つくづく人間で一番むずかしいのは信用だった!

どうして相手を信用するのか!

これが人間の最大の問題だったのである、だから契約というときそれは相手を信用するからするのではない、損しないようにするために細かく法律を作っておく
また責任をとらないためにあらかじめ法律決めておくのである
それはそもそも相手を信用しないから契約が生まれたのである、見知らぬ人と商売したら必ずそこでだまされることが普通にあるからである
日本で契約とか発達しなかったのはもともと村社会が基本であり顔見知りであり信用しあっていたからである
でも今や広域グロ−バル化社会になればそういうことはなくなった
でも人間は信用が基本にある、そうしないと社会自体が成り立たないのである

その信用が一番問題になるのは家に入って働く人である、家の中がわかってしまうから本当は信用がないと家の中には入れるべきではない
それで私は大金を失い大損した、私自身も犯罪にあっている
まず信用を得るにはこれは簡単にできない、私自身が人を雇ったりすることをしていないでもほんのささいなことでも家で働いてもらうことで一番重要なのは信用だったのであるなぜなら何か物がなくなると盗まれたと思うからである
家の中のことがわかるとそうなゃやすい、それでアメリカでは金持ちの家で雇われる人を手伝いさんを裸にして働かせたという、必ず盗まれるからそうなったのである
家の中には入り働く人は特に信用が大事になる、だから手伝いさんを雇う場合、他で十年働いて信用されたとかなれば安心だとして雇うとなっていた
そのことが私にもわかった、やはり五年間くらい一緒に暮せばその中で何かいざこざあり疑うこともあるがやがて互いに信用関係が築かれる
人間はとにかく何でも時間がかかるのである
そして人間の生きる時間が短い、だから熟年離婚は相当に損だと思う
60以降離婚してまた結婚したとしても信用関係が築かれるのか、ただ金目当てで結婚するとかあり信用できないとなる

いづれにしろ現代は広域グロ−バル化社会であり信用することがむずかしい社会である
田舎だって隣の人が何の仕事をしている人かわからなくなっている
子供の時から大人になるまですぐ近くに家をもって住んでいた人がいなくなった
その家の人とは何も話すこともなかった、第一夫をその家で見かけたことがないのである遠くで働いていたためである、おそらくだから仕事関係で遠くにまた移住したのだと思うただ家をもっていたのだから移り住むとういのもわからない、その家のことはだから不思議であり都会と同じである
また市営住宅の隣に住んでいた人が死んでいて二カ月間も隣の人が知らなかった
これも不可解であった、別に近くに兄弟が住んでいたのである
でも付き合いがなかったのだろう、電気がついていたので死んだのを二か月間も知らなかったのである、だから今は田舎でも都会化しているのである
仕事を地元でしているとは限らない、建築土木関係だと遠くで仕事をする
その人は九州の佐世保に足場組みの仕事に行ったというのも驚きである
青森に行った人もいる、これだけ全国で仕事しているのである

●広域化グロ−バル化社会の信用問題

とにかく現代の問題は様々ある、やはりこの広域化社会というのもグロ−バル化も大きな問題である、もちろんそのいい面がある、でもまたマイナス面もある
その大きなものが信用できない社会になっていることである
コンビニでもなぜそんなにしてまで人を疑い犯罪人とみているかとなるといつも盗まれているからそうなる、そうなるとどうなるのか疑心暗鬼になる
どうしても損するから人は常に見知らぬ通りがかりの人だから疑うとなる
だから必ずしも店の人とかばかりを責められないのである
要するに互いに信用しえない社会になっているからである
なぜなら村社会のようにいつも同じ場で共同で仕事している人とは違うからである
だから村社会では容易に商売人は入れなかったのである
取引でも神社で無縁な人達が商売できたのである、神社は縁結びにもなるがそういう自由な市場にもなっていたのである、無縁な人を受け入れる場所としてあった
それはそもそも外から来る人を信用できないからである
関所があるのも外から来る人を信用しないからである、これが人間としては当然だったとなる、

でももはやいかなる関所もない、見知らぬ人が入ってくるが常態化したのが現代社会である、車であればどこにでも行ける、かえって遠くが近くなり近くが遠くなった社会である、でも信用となるとそうして外から来る人は簡単に信用できないとなる
ただ近くでも今は信用できない、それで私は犯罪にあっているからだ
そして近くにそういう犯罪する人がいると困るのは内部の人に裏切る者がいるということは安心できない社会になる
外からの犯罪者は一時的であり通りがかりでありいつもいるわけではない、でも近くだとまた狙われるのか盗まれるのかと警戒して疑心暗鬼になり安心して住めなくなるのであるだから近くで犯罪が起きるのは怖いのである
でも今や近くでも村社会とは違ってつながりが希薄になり金だの社会となると犯罪も起きやすい、互いに信用していないからである、またつながりがないからである
それで皮肉なのは東日本震災の時、しきりに「絆」を言われた
でもその絆とは内部のものではなく外部との絆だったのである、なぜなら外部から来た人達が復興のために働いていた、ボランティアでもそうだった
でも被災者は何もしない、パチンコだとかで遊んでいたとして怒っていたのである
つまりこれも広域化グロ−バル化社会で起きたことなのである

広域化グロ−バル化社会で通信が発達してインタ−ネット社会になったときでも相手のことを信用することはむずかしい、そこでも新種の犯罪が起きてだまされるとかなる
常に技術が発達してまた新しい犯罪が生まれのが人間社会である
ただ別にインタ−ネットだから信用できないとういことはない、でも信用するとなるとむずかしくなる、信用には互いに協同するとかの体験と時間が必要なのである
そういうことがないと信用は築けないのである、一朝一夕に信用は得られないのである

●信用を得るには時間がかかる

例えばなぜ侍社会で信用が生まれたのか、それは戦国時代なら共に命をかけるから強い絆が生まれた、殿様がいて忠誠を誓う、まるで家族のようになったいた、だから御家に尽くすとなる一つの堅固な共同体が形成された
そこに忠臣も忠義も生れたとなる、それも一代ではない、代々受け継がれて扶持を得て暮らしていたからその絆も強いものだったのである
それもやはり時間があってできたことなのである、一朝一夕に信用関係はできるものではないからである
つまり人間で大事なのは信用なのである、だから信用されれば例え金持ちの家に手伝いとして勤めるにしてもその主人に信用されればその勤める人も信用されてやがて金持ちになることもありうる、重要なことをまかせられるようになるからである
それは会社でもある、ともかく互いに信用して共同して働くことが簡単にできないからである、それで会社でも常に横領とかあったり裏切りがあるのが常だとなるからである

ともかく今は田舎でも実際は都会化している、それは広域化グロ−バル化した社会であり仕事でもそうである、狭い村社会で生活している人はいないからである
常に車が行き来している、働く場所は車で通うからである
でも外から来る人は信用できないということはある、でも全部がそうかとなると違う
ユニットバスを作った優・創建(仙台市)とかは百万で作った、それはいいものであった
でも地元で作る二百万と以上になっていたのである
こういうことはやはり広域的グロ−バル的に競争を強いられている社会だとなる
こういう会社が入ってくれば地元で仕事を奪われるとういことがある

でも金だけから見ると安いからいいとなる、でも後で故障したりしたら修理とかが簡単に頼めないとかあり問題はある、だから何でも外部から来たものが安いといってもいいとは限らない、でもそもそも現代はそういう広域化社会グロ−バル化社会に生きているのだからそういう社会に適合する他ないとなる
ただそこで問題なのが信用なのである、グロ−バル化でも中国でも大きく巨大化して日本が攻められ乗っ取られるとか問題になる、巨大な市場があるから日本で売ればいいしもうければいいとなるが逆に国と国が対立すれば争いとなり貿易もできなくなる、肝心の物すら入ってことなくなるのである、特に食料はそうである、これは自国優先になるからである、人間と人間でもそうだが国と国でも信用があってこそ貿易でも成り立つ、それが外国になると信用できないとなる、つまり人間は個々人でもそうだが信用しえないということである
インタ−ネットでも信用が問題になる、それでわからないにしろブロックチェーンで信用を築くシステムを作るとかなる、インタ−ネット社会でも信用が一番の問題になるからである

posted by 天華 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月07日

相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退 (純喫茶は全国的にも消えてゆく)


相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退

(純喫茶は全国的にも消えてゆく)

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ここに五本松があり次に枯れて三本松になり遂には松は全部消えたのである
何かこれも淋しい、喫茶店も消滅してゆく、限界集落とかも消滅してゆく
温泉街も廃墟化したのには驚いたからである



喫茶店数は30年で半減! 「純喫茶」はこのまま絶滅してしまうのか

全日本コーヒー協会によれば、喫茶店数は1981年の15万4630がピークで10年後の91年には12万6260、そして2016年には6万7198まで減少している。つまり、なんとこの30年間でほぼ半分にまで減っているのだ。

 これを受けて近年叫ばれているのが、「純喫茶の絶滅危機」である。

 『絶滅危機?昭和レトロな純喫茶 「文化残す」受け継ぐ若者の思い』(毎日新聞 21年10月4日)というニュースも近年増えてきている。

 明治に西洋から「カフェー」という文化が入った当初、ここは文化人や上流階級の人々のサロン的な役割だった。

 「喫茶バー」や、画廊だったが珈琲を出すようになった「画廊喫茶」もあれば、音楽を延々と流す「ジャズ喫茶」、漫画をたくさん置く「漫画喫茶」もできた。その中でも1960年代に爆発的に増えたのが、若くて美しいウエイトレスがウリの「美人喫茶」である。

 創業60年を超えるある老舗純喫茶は、Wi-Fiや電源を新設して「リモートワークできます」と掲げてコロナ禍でも売り上げを伸ばしている。
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/902102?page=6
 
道の駅の近くの六号線にあった喫茶店も閉店した、道の駅は新しく開業したが魚は売っていない、でも食堂はあるし休める、ところがコーヒーを飲んだりしして休む場所がない
食事するところはあるがくつろぐ場所がない、何かコンビニでも休む場所があるのはまれである、これも困るのである、ただそれは商売になると無駄だとなりそうなる
コンビニだと狭いからである

喫茶店は1980年代が最盛期だった、だからずいぶん昔になったのである
その頃まだ若者が多かったからかもしれない、喫茶店に若者が集まっていたからである
私は喫茶店というときどうしても旅行して休む場所としてくつろぐ場所としてあった
そこで詩作したりもしていたからである
ただ喫茶店はその頃青春時代を過ごす場だったのかかもしれない、恋人との出合いの場所とかなっていたのかもしれない、だから若者の熱気であふれていた
とにかく団塊の世代とかは若者が多くそれがムーブメントになっていた
学生喫茶とかあり歌声喫茶とかありそこでみんなで歌って青春を謳歌したとなる

1955年(昭和30年)、東京・新宿に「カチューシャ」、「灯」がオープン。これをきっかけとして東京に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%A3%B0%E5%96%AB%E8%8C%B6

これは政治とも関係していて左翼の集会の場所となっていた、私は歌が苦手なので東京の大学で学生運動があっても喫茶店というのにはあまり行った記憶がない
ただ50年前となると忘れるのである
確かなことは喫茶店は若者が集まる場所だったのである
でも今高齢化社会になったとき中村喫茶店ではビートルズの曲を流していてバンドもそこでしていた、その人たちは昔をなつかしんで集まっていたのである
ビートルズは団塊の世代とかが熱狂したからである
そうなると老人が昔をなつかしんで集まる「老人喫茶」にもなってしまう
喫茶店は結構金がかかるから今の若者は金がないから入らないし若者の人口も少ないからはやらないとなる、今どこでも喫茶店に集まるのは意外と老人になっているかもしれないこれだけ老人の数が多いとそうなる、老人が集まれば昔の話に花が咲くとなる
だからこそ中村喫茶店もビートルズの曲を流していたのである
ただこういうことは時代に合わないともなる、なぜなら老人も今は金に余裕ある人は少ないからである、特に地方ではそうである、また喫茶店より飲み屋の方が肉体労働者だったら集まり安いからである、でもそこでも金がないと行けないとなる

とにかく何でも時代の影響がある、流行がある、その流行を若者が作っていたのである
若者が新しいものを作っていた、流行を作っていた、今はその若者が減少しているから
若者文化は生まれないともなる、地方ではしきりに嫁になる若い女性が都会へ東京とかへ流出して若い男が結婚できないとしている、今同世代の老人でも娘が結婚して東京に行っている人がかなりいる、地方に田舎に残った人は少ないのである
それはまた若者の働く場所がないことで男でも結婚相手が見つからないのかとなる
地方の仕事はどうしても建築土木とかであり知的な仕事は限られている
だから公務員とか教師とか郵便局とか銀行員とか農協に勤めれば田舎ではエリートだとなっていたのである、今になると郵便局でもゆうちょでも銀行でも農協でも経営が苦しいから変わったのである、それは全国的なことである
地方には活気がなくなっている、ただ地方には田舎には田舎の良さがある
私が一番常に気にしているのは景観なのである

喫茶店でも前に紹介したが

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ここは景観がいいのである、一番景観がいいのは鹿狼山の花木山の喫茶店である、太平洋を一望できるからである、ただ自転車で行くのに遠いから三回くらいしか行っていない
そこは喫茶店というより休息所である

洒落た建物であり前は畑で見晴しがいい、バラの園にもなっているからいい
でもここでも数回しか行っていないのである、だから常連客にはなっていない
でも景観がいい場所にあるのは気持いいのである、だから原町だと喫茶店が景色のいい場所にない、海の見える場所にあればいいと思う、六号線でもそういう場所にあればいい
また花が好きだから花屋兼用の喫茶店などでもあればいいと思う
ただやはり時代に合わせないと商売はうまくいかないのだろう
高齢化社会の客は老人になってしまうからである、若者の数が少なすぎるから客になりえないのである

また老人にしても年金暮らしであり金に余裕がある人は少ないから老人相手の商売は成り立ちにくいのである
ただ商品でも老人向きのものがでていないというのは確かである
なんでも若者向きだというのも矛盾なのである、だから金がある老人でも買うものがないと言う人がいる、スマホでも操作がめんどうなのである
老人に向いているのはスローなものであり何か昔を語り合うとかである
だから車などは向いていないかもしれない、そのスピードが速すぎるからである
老人はとにかく過去を思い出して語り合うことに向いている
過去でも昔でもやはりその経験したことが違っているからである
だから私は老人からそうして昔の話を聞いて郷土史を知る、そこに老人の存在意義があるからである

とにかく相馬市で中村喫茶店は城下町の雰囲気に合っていた、レンガの喫茶店なのもレトロで合っていたし市内にあるからそれなりに人が集まると思っていた
隣が庭になっていて藤の花がきれいだった、それが売りでもあった
それが閉店したのは残念だった、それも一二年くらいで閉店したのはなぜなのか?
老舗の喫茶店ではないのである、つまり現代社会に喫茶店が合わなくなったとういことである、喫茶店は地方で維持するのは相当にむずかしくなっている
ただ原町に確かに通信してテレワークできるような場所ができていた、また新しい店もできていた、だから原町には新しいものができる
でも相馬市は城下町であり城下町の雰囲気を壊す街作りは合わない、だから原町と相馬市の雰囲気は相当違うのである

でもイオンとかなくなるとこれも影響が大きいと思った、何か寂れた感じになる
あそこでいつも休んでいたからである
そしてそこでは相当数の人が働いていたのである、するとその人たちが失業することも影響が大きい、でも別に地元で暮らす人スーパーが他にもあり困ることはないだろう
イオンの危険は地元に根ざすより東京の会社だから撤退することがある
するとそこが空洞化して影響が大きいのである、それを私も感じた
だからイオンとういのは土着的ではない、チェーン店はこういうことがあるから困ることがある、でも現代は小さな店は商売にならないのである
そうはいっても結局商売も時代によって常に変化して変わらざるを得ないのである
それに適応しないか改革しないと取り残されて衰退するのである
それがグロ−バル化した経済でも日本が世界に遅れたのと同じである
IT化に遅れて貧困化したとかあるからだ、ただなんでも新しいものがいいとは限らない
伝統的なものにも価値があるか、昔ながらの良さが必ずありそれも見直されるのである

中村喫茶店の庭とかレンガの建物や花屋とかしていたけどそれをどうするのだろうか
何かもったいないと思った、隣の家は壊されていた、あそこはやはり藤の花がきれいだから何か活用すればいい、庭は五百万円かけて作り直すことができると言っていた
それもできずに終わった、ただ城下町に合ったものをここで継続すればいいと思う
問題は資金である、それはやはり金を集めることが必要になる、市民の協力が必要になるでも喫茶店だけではもう経営できない時代だからどうするのかとなる
相馬市には他にも喫茶店はある、でもかなり少ないし喫茶店は消えつつあるのが現状である、書店も消えてゆくのもそうである、どうしても時代の影響がありそうなる

結局私が寄って休んだのはドライブインの店だった、結局これも車社会だからこういうものができて成り立つ、時代の影響を商売でもまねがれないのである

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 藤の花と相馬の城下町 (中村喫茶店の藤の花)
 http://musubu.sblo.jp/article/188664973.html
 
 喫茶店は場所がいいと価値がある
 http://musubu.sblo.jp/article/189432870.html
 
posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年10月29日

統一教会が批判されて創価公明が批判されない怖さ (マスコミは時の権力を持つ側につく‐ナチスになる危険)


統一教会が批判されて創価公明が批判されない怖さ

(マスコミは時の権力を持つ側につく‐ナチスになる危険)

●統一教会より創価が危険

旧統一教会を問題視するマスコミの問題点


(統一教会と創価学会の違い)50歩100歩。


そのため、安倍元首相の殺害事件をきっかけに、特定の宗教を過度にバッシングしたり、その活動を制限したりといった、事実上の「宗教弾圧」が始まることは避けるべきだ。

国民が今統一教会問題でこれほど騒いでいるのになぜ創価公明については批判しないのか?
このことが本当にかえってマスコミでも一言も問題しないことにこそ大きな問題が浮上していたのである
統一教会とか会員数にすれば創価と比べたらとるにたらない、そもそも統一教会員と直接接している人などどれくらいいるのだろうか
エホバだと一万の人口でも集会所が一つくらいあるからエホバに接している人は多いのである、統一教会員など聞いたことすらないのである

だから逆になぜこんなに大騒ぎしているのか?

それよ創価公明こそ大問題なのである、それがしていないということこそ大きな恐怖を感じた、何か統一教会がこれほど騒がれるのにマスコミで問題にしているのに創価のことは一言も言わないのである
余りにもと統一教会が責められるがどうして創価公明は一言もマスコミでは言わない

マスコミは最も大事なことを報道しない!

これが明確になったのではないか?マスコミは巨大な権力がある団体は批判しない
また聖教新聞などをすっているので金をもらっているので批判できない
そもそも新聞などは金がかかりすぎる、するとどうしても団体の組織の援助が必要になるそれが宗教団体でもいいとなる、金がかかりすぎてそうなる
それは選挙でもそうである、金がかかりすぎて金を持つ団体に左右される
選挙に金がかかりすぎているからこれらをなんとかしないことにはもう選挙で勝つとなると必ずそうしたカルト団体だろうが何だろうが票集めしなければ勝てないからそうなる

確かに創価では統一教会のような悪どい金集めはしていない、ただそれは数で金を集めている、新聞でも何百万部売れれば金になる、統一教会だと数で金を集めることができないから高額な金を集めるために信者が犠牲になっていたのである
ただ不思議なのは人間は金にはシビアである、そんな簡単に金など出さないのである
いくらいろいろ脅されても金だけは出さないのに出していることも理解できないのである

●宗教がビジネスとして成功しやすい、金になるから権力を得られるから集まる

宗教と経済(宗教は金を集めやすい―成功しやすい)

このサイトで宗教が商売になりやすい、宗教も経済と切り離してあってはならないという宗教は金になる、税金もかからないから金が集まる、それでその金を目当てに御利益を目当てに人が集まるとしている
つまりカルト教団とは宗教を装って商売しているのである、だから相当に悪質なのだけど不思議なのは国民でも容認している、悪徳商人でもあるが税金も払う免除されて宗教を利用したあくどい商売が許されているとなる

そのため、安倍元首相の殺害事件をきっかけに、特定の宗教を過度にバッシングしたり、その活動を制限したりといった、事実上の「宗教弾圧」が始まることは避けるべきだ

ダイヤモンドでもこんなことを言っている、これも危険だと思う
宗教でないものを宗教と認めることである、宗教弾圧などと言っていると今度は逆にナチスのように弾圧される方になる
宗教というのは一面危険なものなのである、日本の戦争だって天皇がかかわ現人神(あらひとかみ)として民族的ナショナリズムの戦争となったからである
そのために初代の創価の会長の牧口恒三郎が獄死したのである
また三島由紀夫がなぜ天皇は人間宣言したのかと怒り自刀とした
宗教戦争にもなり三百万人が死んだ、だからこそ靖国神社に英霊として祀られているとなる、それを全部否定するということではないがやはり政教一致であったことに問題があった、慰霊は必要でも政教一致になることはもう妥協がなくなる
天皇のために殉教するともなる、それは間違ったものでありそのために死ぬことで正当化されるのである
だから政教分離がヨ−ロッパでは法律化した、それはカトリックが政治と一体となり支配した歴史が長いからである

特定の宗教を過度にバッシングしたり、その活動を制限したりといった、事実上の「宗教弾圧」が始まることは避けるべきだ

これも危険なことである、弾圧するとかではない、宗教が政治を積極的にかかわることをしているからである
ただ正直統一教会がそれほど力がある団体なのか、でも現実に政治にかかわり日本の独立を脅かす団体であったことは確かである、だから国家的問題になったのである
でも統一教会自体がそんなに権力を左右するほどの力をもったのかとなるとそうは見えないのである
だからむしろ本丸は創価公明こそ危険な団体なのである
ただ本当に似ている、何か瓜二つでありそれでその矛先が創価公明に向かうことを恐れるとういうのもわかる

その手法が創価公明と似ているのである、創価は二十四時間でも活動は選挙である
選挙に勝つことにすべてのエネルギーを費やすからである
そのこと自体が権力奪取すると毎日活動している、題目や拝むのも選挙で票をとるためであり座談会の目的も票をとることである
選挙で勝つことが信仰の最大の目的でありそのために団結する
だから完全に政教一致なのだけで自民党も票を得たいために見逃しているのである
どうしても創価公明と比べると小粒である

統一教会は小粒だからマスコミも批判する!

統一教会を批判してもマスコミにとってはたいして影響がない、でも創価を批判したら新聞社でも地方の新聞社でも福島民報でも聖教新聞を刷っているから批判はできない
毎日新聞も刷っているとか読売新聞でも今度は聖教新聞を配達するようになるとか金を得ている批判できないのである
ここにマスコミの問題がある、youtubeだと創価でも批判しているのである
それは金がかからないからできるのである、プログなどでも簡単だし金はかからないのである

●危険を報道しないマスコミは信用できない

でもマスコミでも何か危険なことを報道しないとどうなるのか?

それは国民が大被害になる、原発事故でも安全神話が政府と東電と一体となりまた検察でも警察でもマスコミでも一体となり安全神話を作ったからである
海上自衛隊まで天下りしていたのである、検察でも警察幹部でも天下りして甘い汁を吸っていたのである
このことが確かに津波のためであっても危険が隠されていたのである
誰も危険を言うこともできなくなっていたからである
だから創価でもナチスのようになることすらあった、なぜなら創価は権力を得るために外務省であれ国の政策を決める場にも会員がいてその人達が創価の指令に従うとなる
そのために会員を送り込んでいるともなる、総体革命とかを目指していたからである
本当の目的は宗教ではない権力を得て日本を支配者になることである

それはオウムでも小集団でも暴力化して権力を得ることでオウム王国を作ろうとしていたのである、幸福の科学でもそうだし他のカルト教団も権力を得ることを目的としている
心がどうのこうのではないのである
だからそういう宗教団体が放置されているとどうなるのか、それを弾圧するのは言論の自由とか信仰の自由を奪うものだとなるのか?
実際の活動は全然違ったもので明確に権力奪取を目的として活動している
統一教会も韓国が日本の政治権力を動かすとういことがあったから危険だったのである
創価でも中国と一体であり中国の命令には絶対服従だとなると中国が攻めて来た時どうなるのか、中国人と一体となり日本の権力を操作して支配者になる
だから宗教弾圧するべきではないとかの問題でもない
むしろ逆に国民が宗教の自由とか宗教団体の法人の自由とかで思想でも言論の自由でも奪われるのである、その認識が甘いのである

いづれにしろ本当にマスコミが報道しないことに重大なことがある

これだけは確かである、報道されなければ重大な危険でも知ることはできない
結果的に国民自体に大きな被害になる

津浪でも実際は相馬藩政記録に二行だけ700人溺死と記されていた、それは400年前のことであり学者すら気づかなかった、でも津波の後にそれが発見されたのである
もしこういうことが発見されて報道されていればここにも巨大な津浪が来ると警戒したかもしれない、でもここには津波か来ない場所だと思い込んでいたのである
ただ東電でも科学者集団が十数メートルの津浪が来ると警告していた
でもそう警告していてもマスコミでは地元でも報道しないから警戒もしないとなっていたのである

●報道の使命は危険を知らせること

報道の使命とはやはり危険を知らせること

ここにあるともなる、なぜなら命にかかわることだからそうなる
その危険もいろいろある、でもカルト教団でも野放しにしているとそれがナチスのようになって日本を支配するとなる
つまりそうなったときすでに遅いとなるのである、そして戦争のように莫大な犠牲ともなる、だから危険を警告する必要がある
宗教団体だから平和な団体とかではない、あくまでも宗教による偽装でありその目的は権力を掌握したり奪取することである、いかに権力を得ることを最大目的にしているか
そういう野心家が宗教の名の下に集まっている、だから平和どころではない、権力を得る為には武装集団にもなる、僧兵にもなるのである

統一教会の会合でも何か手を挙げて気勢を上げていた、その人達に武器をもたせたら戦争でもすることになる、キリスト教とかでも武装勢力になるのである、それがカルトなのである、アメリカの統一教会の文鮮明の息子が武装集団化していることでもわかる
オウムも武装化したからである、平和集団などではないのである
日本の権力を政治を通じてかかわり乗っ取るともなっていたのである、韓国と直接結びついていたことがまた危険だったのである
だからそういう危険を報道しないマスコミはもう信用してはならない
肝心なことを報道しないからである、批判もしないからである

むしろマスコミは信じるな、騙されるな

こうにもなってしまう、確かなことはマスコミも時の権力側につくことである
そして報道というのは世界でもウクライナで戦争があったら必ず欧米側一辺倒になる
もちろんロシアがいいとかでなはい、世界の報道でもやはり日本はアメリカの属国だからアメリカ側の情報しか入らないとなる、世界となるとわかりにくくなるからである
そこで中立的見方ができなくなるからだ
そこにも危険がある、そうして報道されないことで危険なことに戦争にもまきこまれるとなる、中立的見方ができないからである
一方的な見方になって失敗するのである

ともかく宗教とか信仰の自由がある、それを盾にして何でも許されるとはならない
それが集団化して組織化して権力を左右する、積極的に権力を得ることが目的化しているだから公明党が国土交通大臣になることは憲法違反なのである、でもそれが自民党は票を得るために許可しているのである、それは統一教会と同根の問題なのである
でも創価公明は一切批判されない、そのことに大きな危険が潜んでいる
一時創価の会員が増えてナチスのように日本が席巻される危機にもなっていたからであるただ創価だけではない、民主主義からナチスが生まれたように民主主義とはギリシャのポリスのような小人数のものではない、大衆民主主義は全体主義にナチスのようになりやすいのである、すべて数だけで何でも決まるからである、数が恐怖になるのである
何百万の会員がいる、その数がすべてになり政治でも社会でも動かすようになるからである
だから赤信号みんなでわたれば怖くないとなる、それが全体主義でありナチスになったのである、その危険が常にあることを知り備えるべきだとなる

インタ−ネット時代になると多角的な見方が可能になる、マスコミ一辺倒の時代は終わりつつある
多様な見方になるのは地域地域でも必ず違った見方があるからである
また人間の経験することも年代の差でも違ったものになる
だから一つの見方は成り立たない、そこに偏見が生まれる、とにかく何か人間は直接経験していることに真実が生まれる
実際カルト教団でもその中で運動したり被害にあえばその人が訴えればそれが真実だとなる
内部情報を持っている人が真実を語っているとなるからだ
そうでないと真実は隠されやすいし何か危険を感じないし幻想でも信じるとなる
現代は何かありもしない幻想をバーチャルとして信じやすいのである
それはやはりインタ−ネットでもそうした仮想区間になるから現実から離れる場合がある
それも問題になる、でもマスコミだけでもそこは必ず偏るのである
人間は何らかで偏る、なぜなら人間は万能でもないから複雑な社会で専門家でも偏るからである
だから多様な見方があり一つの色にナチスのように染められないことが大事なのである

『公明新聞』を印刷している新聞社系の印刷会社、毎日新聞グループの東日印刷など26社、
新聞ジャーナリズムが機能しない客観的な原因に




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2022年10月18日

日本のあるべき姿ー小国寡民 (日本は島国で資源もないから豊になれないーでも平和であることが肝心)


日本のあるべき姿ー小国寡民

(日本は島国で資源もないから豊になれないーでも平和であることが肝心)

資源に乏しく、国土も狭い。原材料、食料の海外依存度が高い。人口が減り続けることによる労働力不足。でもそれでいいのかも。所詮、小さな島国日本。平和であるならそれでいい。

日本は石油とかでも資源がない、ロシアなどは石油でもガスでも資源があることで大国となっていた、だから別にドルを使わなくてもルーブルでいいとなった
でも石油でも中東から買うのに他の国はドルで買う、ロシアは石油を買う必要がないからルーブルでいいとなった、つまり富とは紙幣とか貨幣とかにはないのである
いくら紙切れの紙幣を積んでもそれは所詮紙切れになる運命にある

富とは何なの?

資源だけではない、現代では科学技術力が富になる、欧米が力を持ったのは科学技術力である、ヨ−ロッパは特にそうである、アメリカは資源もあり技術力もあり豊かになった
軍事力も豊さを作る、覇権国になり基軸通貨にドルがなっているからだ
日本は科学技術力で世界の競争に負けた、高度成長時代は特別優れた技術力というものでなくても電器製品が売れたから豊かになったのである
その科学技術力も中国であれ韓国に追いつかれて抜かれたともなり貧困国になってゆく

日本はそもそも大陸国家のようには豊かになれない国だった
そして日本は地政学では島国でありそれで300年の鎖国がありえた、そこに300年間戦争がないということは世界の歴史でも奇跡的だったのである
それができたのはまだグロ−バル化していない時代であり外国とかかわらないことでも
それで国が継続できないとか破産するとかはなかったのである
確かに貧しいとしても国自体が破綻するとかはなかったのである

富とは何かとなれば紙幣とか貨幣にはもともとなかった、最近証券の証券化債権化とか起きているという、それも不思議なのだけどそれは単に紙幣を増やしているにすぎずその証券も債権も紙切れだから紙切れにもなるという、いくら証券とか債権とかでもそれは紙幣と同じく紙切れになる、実際の富は現物でありまた技術とかも関係している
だから極端な円安とかなるのは紙幣にはもともと価値がないのだから紙切れだからそうなる
紙幣にしてもカンボジアとかベトナムとかネパールの紙幣をもってきてもそれは本当に紙切れにすぎなかった、それに比べればドルは違っていたのである
だから日本の経済が弱体化すると恐怖なのはカンボジアのようにな紙幣になる
それも恐怖だがそもそも紙幣とか金自体には価値がないのだから大きく変動して紙切れになっても不思議ではないのである
要するにいくら紙幣を紙幣を貯えても安心はない、それは本当に紙切れになる

本当の価値は現物にある、米であれ野菜であれ木材であり石油であれ石炭であれ工業製品であれ現物こそ変わらぬ価値がある、紙幣はいくら貯えていても紙切れになる
だから銀行であれ国であれいくら紙幣を作れるとしてもそれが富にはならないのである
それでグロ−バル化経済で金融で証券でも債権でも操作して架空の虚の富を作り出しているとされる、だからそれせリーマンショックとかなり金融市場の崩壊現象のようなものが起きて来る
つまり銀行であれ国であれいくら紙幣を金を貯えてもそれが富にはならないとなる
世界に売れるもの、車を作れば富になる、また何か世界に売れるものがあれば富になる
その富はどこから作りだされるのか?それは金融の操作では作れないのである

日本はもともと経済的には豊かにれない国であった、大陸だと資源もありアメリカでも馬鹿でかい土地を持っているし富が国に蓄積される
それは中国でも皇帝となれば王ともなれば地下にまで大宮殿を作って墓ともなる
その富が支配者階級に蓄積されてそうなった、今でも共産党幹部は兆もの金が労せずして入るとかなる、それは支配者階級に富が集中するからである
日本はもともとそれだけの富を産めない国だからそうはならなかったのである

ただ日本は大陸のような熾烈な民族抗争もなかったし貧乏でも平和な国だった
鎖国はマイナスともなってもそこで300年間も平和がつづいた、戦争がなかったということは世界史では稀有なことだったのである
それは明治になって日本も世界の戦争にまきこまれて遂に太平洋戦争で3百万人も死んだとなる、こんなことは世界の戦いに巻き込まれなかったらありえないことだったのである日本はアジアの覇権国になろうとして失敗したのである
そんな強国になりえなかったのである、日本は島国で貧乏でも平和な方が良かったのである、覇権国となると確かに豊かにはなれる、それを担うとなるとアメリカであれ中国であれロシアであれその負担は馬鹿高いものとなる
日本はそもそもそんなことできる国ではなかったのである

結局老子が2000年前に説いた小国寡民が平和なのである、大国化することが平和にはならない、日本はもともと小国寡民の国だったのである
だからこそ平和な国でありえたのである、それは地政学的にも島国で恵まれていたからである、海に囲まれていて海が自然の防衛を担ったからだとなる
大陸だとどうしても陸地がつづいているのだから国境争いがあり戦争が絶えなかったとなるからである

いづれにしろ紙幣に貨幣に本当の価値がない、だからこそ極端な円安にもなる、でも資源の価値はそんなに変動しない、石油が一時安くなってもやはり回復した
つまり石油の価値は基本的にはなくなることはない、多少の変動があっても価値がありつづけるのである、そこに資源がある国は強いとなる、アメリカが強いのは資源国でありまた科学技術に優れているからだとなる
日本は資源もないのだからどうしても大国にも強国にもなれないのである
だからどうしても独立志向でもアメリカか中国に従属するほかない国だとなる

ただ従属する国を選ぶだけでありとても太平洋戦争のように覇権国になることはできないそれは歴史か証明したのである、中国でも十数年前まで後進国だったのにみるみる巨大化した成長したことに驚く、中国とはそもそも国自体が巨大でありそういう潜在力があってそうなったのである、日本にはそうした潜在力がポテンシャルがなかったのである
つまり身の程を知れということであり日本は過剰に日本を誇大化して見ていたのである
それが太平洋戦争でアメリカに打ち砕かれたのである
ただ明治維新で世界に伍するようになったことは不思議だとなる、鎖国から一挙に世界の国と伍するようになった、でもそこには相当な無理がありそれが太平洋戦争で破綻したのである

日本は日本なりの道がある、それが何になるのか、とても覇権国になどなりえない国なのである、だから問題は覇権国を選ぶ従うことだともなる
それが悪いともならないのである、だからかえって問題があるにしろアメリカに負けて従属してもそれが豊になることでもあったからだ
とても日本は覇権国家にはなりえないのである、ただ平和を維持するにはどうするのかということが問題なのである、自ら覇権国になることではない、そんな力はない
すると中国側につくより欧米側につくほかないとなる、そこでは一応自由は保証されるとかなる、ただ覇権国には従わざるを得ないともなる
でも中国に従うよりはましだともなる、そこには確かにいろいろな問題があり簡単には言えない、でも中国に従うと自由などなくなる、完全な属国となり自由は奪われる
日本はそうした選択を強いられる、日本が覇権国になれないのだからどうにもならないとういことである

経済でも食料などでも自給することである、それはウクライナ戦争とか何かなると食糧を入ってこないからである、アメリカではトウモロコシをとれても食糧として輸出しない
餓えている国があり人達がいても安くは売りたくないからエタノールにして売る
つまり世界ではアメリカは人権とか人道とか言っても上辺だけであり自国の利益優先なのである,グロ−バル化経済というのはこうしてリスクがある、互いに助け合うことではない、どこでも自国優先なのである、まず自国民を食べさせなければ国が成り立たないからである、だから食料を他国に頼ることがいかに危険であるかが今回の争乱で証明されたのである、他でもなるべく自国で供給する体制を作っていることが安全を計る防衛にもなるそれは軍事力だけではないのである
本当に武力だけで平和が守れるのか?中国の防衛費はすでに日本の十倍である、そういう国と戦えるのかとなる
貧困化している日本にそんな財力はもうないのである、すでに自国防衛自体が不可能なのである
最右翼の人が日本は侍の国だから戦う精神をなくしたら終わりだとかいうけどそれは時代錯誤になる
そもそも刀で戦う時代ではない、ミサイルとか核が飛んでくる時代に戦争ができるのかとなる
軍事力を増強してもそれが防衛になるのか疑問である、ただ防衛としても食糧自給とかはできるのである、食糧自給できなくなったら戦争にもなる
だから自国でなるべく自給する体制をしておくことが必要である
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2022年10月08日

汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択) (鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)


汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択)

(鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)

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●鉄道開設でも日本は欧米の植民地にならないために苦慮した

当時の国庫には余裕がなく、「植民地主義を推し進める西洋列強に対抗するための軍備増強を最優先すべし」と唱える西郷隆盛らは、鉄道建設に猛反対。さらに、藩邸や兵部(ひょうぶ)省(軍務機関)の海軍操練所などがあった新橋から品川にかけての土地の買収問題も鉄道建設の行く手を阻みました。

日本初となる鉄道の敷設事業は、民部・大蔵両省の大輔(次官職)である大隈重信の主導のもと、民部省鉄道掛(がかり)により進められることとなった。

大隈は佐賀藩の出身で、精煉方が製作した蒸気機関車を見ていただろうし、西洋文明を尊重する土壌に育ったことも大きかった。日本を近代化させ欧米列強と肩を並べるためには早急に国を豊かにしなくてはならない。その一つの手段として、交通制度の整備が急務と考えたのである。そして「鉄道より軍艦を優先すべし」と主張する反対派を押し切って鉄道敷設を実現させたのだ。

実際に工事を指揮したのは、英国人鉄道技術者のエドモンド・モレル。さらにいえば、建設費も主に英国からの外債で調達し、汽車も英国製だった。レール幅は英国の規格に合わせた。ただし英国本国のそれではなく、植民地用の狭いゲージ(軌間)だった。このため、日本の鉄道は欧米よりずっと狭くなり、列車の幅も細くなってしまった。

資金や資材の調達は、パークスから紹介された英国人金融家のホレイショ・ネルソン・

レイに一任していた。ところが彼は、日本政府をだまして利ざやで儲けようとした。これが発覚すると新政府はレイを解雇したが、すでに中古の汽車や狭いゲージのレールが発注されていた。のちに大隈重信は、狭いゲージを採用したことについて「一生一代の不覚」と悔やんでいる。

いずれにせよ、当初の鉄道は、英国頼りでつくられたものだった。


これは興味深かった、明治維新を鉄道開設から見えるものがあった
明治維新はわかりにくい、良く日本だけが欧米列強の植民地にならなかったという
そして太平洋戦争はアジアの植民地解放の戦争だったという
そういうことは実際は明治維新を知らないとわからない
鉄道開設が明治維新の原動力にもなったことを知らないとわからない
なぜなら鉄道開設には巨額の資金が必要だった、その資金をどうするかがまず大きな障壁となっていたのだ

●金をいかに調達するかで苦労

●アメリカの資本家から調達ーでも経営権を渡すことで拒否

●イギリスの資本家からイギリス国家から資金援助を頼む

●国内資金でまかなう

ここに一連の資金調達の経過がでている

資金援助してもらいたいが経営権を渡すとそれは日本が植民地化されることにもつながる国内資金でまかなうべきだとか論議があった、でも急いでいたので資金調達を早くしなければならないのでそれもできなかった
最終的にはイギリスの銀行家が資金を調達できた、それは国家からではなく一銀行家であり経営権は日本にあり利益を出したら配当するということになった
その前にイギリスでも投資家がいて資金調達すると話しがあったがそれは日本が経営するものではなかった、それは契約書を良くみていなかった、まだそうした契約書に慣れていないからそうなった、見落としていたのである
そのことでアメリカではやはりインディアンを契約書でだまして土地を奪ったということがあった、欧米人はこの辺が巧妙であり契約書でもだますために使っていたのである

ではなぜイギリスから資金が調達できたかというとその頃イギリスの植民地化に収奪された国が反乱を起こしたりして政策が変わった、利益を出せばいいとしてイギリスの銀行が資金を出したのである、それは経営権を奪うということではない、日本人が経営して利益を出してその一部の利益を銀行に出すということになったのである

ともかくここで日本人は経営権とか独立して鉄道を運営することにこだわったのである
なぜなら外国資本が入り経営権がないと例えば鉄道を見守るとか保守するとかで軍隊まで駐屯するとかにもなる、実質植民地化されることを危惧したのである
それはイギリスがこれまでしてきたことでありそれを大隈とか伊藤博文はヨ−ロッパとかにも直接行ったので知っていたのである
明治維新の時上海でも高杉晋作が中国人がイギリス人に支配されて苦しんでいるのをじかに見ていた、それで日本は外国に植民地化されてはいけないと肌で感じていたのである
日本はとにかく欧米の植民地化されることを警戒していた
でも鉄道開設に関しては西郷や大久保利通などは薩摩は反対していたのである
軍事を優先するべきとして反対したのである
薩摩屋敷がありそこを鉄道が通ることにも反対したので海の方に鉄道を石積みで敷設したのである

鉄道開設に関してはまた庶民の反対も大きかった、篭屋とか馬車屋とか運送業が反対したりした、何でも鉄道と馬が競争したとかもある、それだけ鉄道というのがどういうものかまだ庶民はわからなかったのである
最初は鉄道の枕木は鉄で作ろうとしたが費用がかかることで木にしたのである
また橋でも鉄橋にしようとしたが費用がかかることで時間もかかることで木で作ったのである
最初はいろいろ苦労があった、その車両でも箱家とか見た人がいたこともわかる
家が移動するように見えたからである

●鉄道事業か明治維新を成功させた

日本は明治維新から鉄道の果たした役割が大きい、その後も日本は鉄道王国にもなった
イギリスがもともと鉄道を蒸気機関車を発明した、それはイギリスには石炭が豊富だったからである、まずエネルギーがないと蒸気機関車も動かない、エネルギーが大事なのである、それで日本の鉄道も常磐炭田があったが石炭を運ぶものとして拡大した
北海道でも石炭の産地でありその石炭を運ぶものとして鉄道は日本中にめぐらされたのである、つまり鉄道は石炭と一体となり発展したのである
鉄道は国家的事業だった、そしてそれは百年以上も国鉄であったことでもわかる
この国家的事業は世界にも拡大したのである、韓国に鉄道を敷設したのもそうである韓国の鉄道は日本が最初に作ったのである、そして朝鮮半島から満州鉄道が伸びて行ったのである、満鉄が日本の満州支配の原動力となっていたのである

ハリマンは、日本の財界の大物や元老たち、桂首相らと面会した際、日本はロシア帝国から譲渡された南満洲鉄道の権利を、アメリカ資本を導入して経営すべきだと主張し、アメリカが満洲で発言権を持てば、仮にロシアが復讐戦を企ててもこれを制止できると説いた[24]。9月12日、彼は日本政府に対し、1億円の資金提供と引きかえに韓国の鉄道と南満洲鉄道を連結させ、そこでの鉄道・炭坑などに対する共同出資・経営参加を提案した


「ひかり」の歴史は、日韓併合(1910年)までさかのぼります。日韓併合に合せて朝鮮鉄道局(以下「鮮鉄」)が設立、翌年の1911年に新義州と安東1を結ぶ鉄橋が完成、長春まで直通する「鮮満直通急行」が運転されました
明治45(1912)年6月、新橋〜下関間に特急(列車番号1/2)が運転されます。それに合わせて関釜連絡線の運行時刻も改正され、さらに鮮満直通急行が釜山にまで延長されました。さらに翌年、運転区間を釜山より釜山桟橋に変更、関釜連絡船との接続が重視されたダイヤとなりました。
船が釜山港へ到着後、目の前に停車している「ひかり」「のぞみ」に乗れば、朝鮮半島経由で大陸(満州)へ。そこからシベリア鉄道に乗ればヨーロッパへ。このルートが、当時の欧州への最短ルートでした。

ロシアから譲渡された鉄道が満州鉄道であった、アメリカを味方にしてロシアが満鉄を奪い返すことを防ごうとした、こういう時代もあった
金のない時代は飛行機が高いので鉄道を利用した、ウラジオストックからシベリア鉄道でヨ−ロッパへ向かった、日本からヨ−ロッパに行くには鉄道を利用したのである
私はウラジオストックからシベリア鉄道に乗り満州を回り日本に帰ってきた
外の景色はとうもろこし畑ばかりで飽きた、変化がないから飽きた
ただ満州となると相当に寒い場所だったのだろう、春だったのか大地が凍てついていたのである、日本人だったら満州の広さに驚いたろう、農業が主な時代だとどうしても土地が必要であり満州のような広大な土地があるということは驚きだったとなる

●明治は植民地化されなかった偉大な英雄の時代

明治を知ることは今の日本を知ることである、でもいろいろと錯綜していて明治維新はわかりにくいのである、確かなことは欧米列強の植民地化することに抵抗して自立するという意志が日本人にあったということである
これは日本だけがアジアでできたことでありそれは誇りとすべきものだった
でも太平洋戦争は確かにアジアの植民地支配からの解放というけどまた違っていた
とにかく明治は偉人が様々な分野で輩出した、それはなぜだったのか?
その偉人とはたいがい侍が多かったのである、だから明治維新は侍が成したものであり庶民ではないのである、侍が優秀だったから成したともなる
例えば宗教の分野だと内村鑑三がいる、彼も独立信仰を唱えた、外国人の宣教師を嫌ったのである、これも明治になかなかできないことである

カトリックとなるとそうしてヨ−ロッパ人に支配されたともなるからだ
内村鑑三が武士道とキリスト教を一体化したのである、ただ彼はヨ−ロッパの文明をキリスト教文明と見ていた、鉄道とかではない機械とかではないものとして見ていた
でも日本は鉄道とか機械とか便利なもの実用的なものを西洋文明として見ていたのである常にモラルを重んじていた、それも先見の明があったとなる
なぜなら今や日本人にはモラルすら消失したともなるからだ
ただそうして便利なもの機械とか道具が文明として追及してきたからである
不思議なのは仏教を取り入れた時はそこに確かに大仏とか仏像を作るとか寺院を作るのは技術力である、そういうものを取り入れたとしても本質的には精神的な仏教を取り入れたのである、でも西欧文明を取り入れる時日本は物質的なもの機械とか道具をその文明とみて取り入れたのである、その最大の象徴が鉄道だったのである

そういうことがあってもなぜ明治が偉大だったのか、その理由はやはり侍がいてその侍が日本人として独立心があり優れていたからだとなる
ただ現代をみれば侍などいない、太平洋戦争で戦った人たちはもう江戸時代の侍とはかけはなれていた、そもそも世界的にも戦争は貴族がしていたものだから外国でも何か違っていた、でも国民戦争になるとき戦争の形態が変わったのである
大衆戦争ともなったのである、機械戦争ともなったのである
だからそこに英雄がいないということでもそうである、英雄というときそれは極めて人間的な人だからである、でも現代の戦争には英雄は生まれない、ただ機械と物量の戦争であり人間的なものがなくなる、人間はただ機械より劣るものであり英雄は生まれないのである、ただ何か物のように人間が消耗されるのである
それは戦争でなくても文明は人間を物のように消費しているからだともなる
現代の戦争からは英雄が生まれないのである、ただ命が物のように消耗されるだけだとなる、そして死ぬ数が莫大なのである、何千万人も死んでもそこに一人の英雄も生れないのである

ともかく何か明治維新とかは人間的なのである、人間のドラマがある、だからこそドラマにもなる、太平洋戦争とかではドラマになりにくい、もちろんナチスとかでもそうであるただ大衆戦争であり人間の莫大な命が消費されるだけだともなったのである
核戦争になればもうそこには人間はいない、もう戦争することは人類滅亡にもなる
そういう危機がウクライナ戦争で迫っている、時代によって戦争の意味も変わった
もう戦争自体が核戦争となると人類滅亡の戦争となるだけなのである




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2022年09月28日

安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった (死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)


安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった

(死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)

●死者は美化される

いづれにしろ死者は美化され安いのは過去が美化されやすいのと似ているのである
何かもう過去は人を害することはない、過去の人は人を害を与えないからいい人が多かったとかなるのである、親でも実際生きている時は嫌な面があった
でも死んでみるとそうした嫌な面は消失する
ただ何か今残され生きている人はやさしく見ているだけだとなる
それは何も生者に対して要求しないからである、また何かを与えてくれとも要求しないのである、するとそういう存在はあるとしたら美化されやすい、観音様のようだとかなる
これも不思議なの現象なのである

つまり死者と生者の関係には利害関係はなくなる、何らか人間は利害関係で生きている

過去は美化されのはなぜか?
 (死者は美化されるのはなぜか―利害関係がなくなるのから)


死そのものを社会的に美化したのは明治以降ですよ。
いつからという明確なものではないけれど、美化することによって死にに行く事に抵抗力をなくしているんでしょうね。つまり明治以降軍の力が強くなってからです。

株価も円高も市場が安倍総理と政策を歓迎したのです。

死んだ人のことを悪く言うとバチが当たるような恐怖感がみんなの心の片隅にあるから正直に言えなくなってしまいます。
それと、死んだ人のことを悪く言うと、人から悪い人間だと思われるからです。
結局みんなうそつきってことです。

そもそも安倍じいじが壺を日本に呼んできたのは
団塊が学生運動して国家転覆しかけたからだよ

そもそも安倍前首相が国葬にするほどの人物だったのか?国葬に値する人物だったのか
首相で国葬になったのは吉田首相だけである、すると吉田首相と同等の功績があったのかそのことでも議論すらない、権力者の一方的判断で強行された、民主主義だと常に議論があり是非が問われるがそれもなかった
結局死者は生者によって恣意的に利用される、死者を祭りあげて今生きている人が有利にする、権威を高めるとなる、そういうことはソ連時代の書記でも神のように死ぬと神のように祀られていた、つまり死は無神論者でもその前に厳粛ならざるをえないのである
だから死者は神にもなりやすいのである、生前がどうであれ死ぬと神になるというのは
原始時代からあった、死者は神になりやすいのである
日本でも先祖崇拝となるとき先祖が神となるのもそうである

ともかく自民党の権威を高めるために国葬にしたともなる、祭りは祀るからきているからである、死者を祀ることは祭りになったのである、神聖政治であり政教一致である
政治とは祀ることであり政りごとのことだからである
つまり政治も何かしら権威が必要でありただ権力とか武力とか数だけでは権威は得られない、権力だけでは権威が得られない、だから祭政一致になっていたのである
宗教が政治にかかわってきたのである

●祭政一致ー政(まつ)りごとが政治だった

天皇は国の祭司であり死者を祀ることが仕事にもなる、だから戦没者慰霊蔡が毎年あり天皇が司祭となり死者を供養して祀ることが仕事なのである
国のために死んだのだから国家的行事としてつづいている、それを日本人は否定できないのである、でも韓国とか中国にとってその死者は犯罪人としているのである
アメリカでもそうだったのである、戦争犯罪人をどうして英霊として祀るのかを問題にしている、ただ死者に対して責めないというのが日本の文化でもある
だから戊辰戦争でも官軍の戦死者でも戦士塚として碑を建てて供養している、敵味方塚として供養している、そういう文化があるのは日本だけだとなる
なぜなら大陸だと中国だと民族抗争で熾烈であり民族自体を殲滅するジェノサイドがあるからだ、墓まで暴きたして罰する、日本人はみんな日本人でありそうした熾烈な民族抗争は経験していないのである

ともかく皮肉にも阿部前首相が凶弾に倒れた原因も統一教会とか宗教とかかわりそのために殺された、政治が宗教とかかわりそのとばっちり受けて殺された
宗教と政治がからんでそれが原因となり殺された、カルト教団にだまされて人生を破壊された人がいてその恨みで殺された、ただ政治家は危険な職業である
常にテロに合いやすい、それは様々な人達がいて利害関係がありまた宗教でも安易に票になるとかで野合する、それが危険なのだけどともかく票が喉から手が出るほど欲しいとなり野合する、創価と一体化した自民党自体が野合政権である
そこに危険性がすでにありそのために殺されたともなる
でも政治家は何らか現政権に不満やら恨みを持つ人がいるからテロを受けやすい
でも統一教会がそんなに力があったのかということが理解しにくい
創価ならわかるが10万くらいの信者で自民党を動かすような力をもったのかという疑問である

いづれにしろ宗教と政治は不可分なものとして歴史的にあった、第一邪馬台国のヒメ子かが鬼道で治めたというとき宗教で治めていたとなるからだ
国を治めるにしてもそうした権威が必要であり力だけでは治められないからそうなる
カトリックがローマ帝国にキリスト教が国教化したとき政治化して力を持つようになったその弊害が大きかったので政教分離がフランス革命で起きたとなる
宗教による弊害が大きくなりすぎたのである、そもそも宗教が権力と結びつくと歪められる、なぜなら宗教は個々の心を見ることであり一つの勢力化した権力化した組織団体とは相反するのである、でも社会では心の問題より社会としてはどれだけ勢力があるかで判断する

そして日々会員を増やすことに奔走する、創価ならすべてが選挙に勝つために運動している、統一教会と似ているのである、何か映像みたらみんな集まり気勢をあげて戦う姿がテレビで映されていた、それは何で一致しているのか、日本の政治権力とかかわり日本の政治に影響して金を収奪して国まで収奪しようとする
つまり創価でも目的は日本権力の収奪でありそのために選挙運動がすべての活動として信仰となる、そこで利するのは幹部とか利権にあづかるものである
御利益を得ることが最大の目的である、あとは罪だとか罪障だとか一切問わない、欲望の否定もない、題目をあげてむしろ欲望を強くもって欲望をかなえろしかない
そしてともかく人数を集めてこの世で社会で力を持つことである
そういう団体と一体化して政権を担う自民党も危険である、それはナチスのようなファシズム化の危険がある
でもそうなったのは自民党の票田が農民とか地方から消失して支持基盤が弱くなったためである、一定数の票をが確保しにくくなったためである、そこでカルト教団であれとにかく当選するには票が欲しいとしてそうなったのである

●宗教が権力を持つことの危険

政治はこの世のことである、宗教はこの世となるべくかかわらないで来世で神の国に生きることを目的としているからである、この世にあるかぎりこの世のことにかかわらざるをえなけどなるべくかかわらない、だから運動とかならない、集団化組織して社会を変えようとはしないのである、カルト教団は政治団体でありこの世の権力を得るために日々運動している、統一教会だっから韓国がかかわり政治化して日本とかかわり日本から金を巻き上げて収奪していた、それに組していのが自民党だったということが山上のテロで暴かれた、その首謀者が安倍前首相だったのである、そういうことで自民党が攻められたので
それを隠すために安倍前首相を国葬にして覆い隠そうとしたともなる
死んだ人は罰せられないとなる、でも中国では死んだ人も墓から暴きだして罰している
それだけ激しい憎悪の争そいが中国にあったからだとなる
日本では死者に鞭うつなという文化がある、一旦死んだらその人がどんな人であれ批判はしない、美化されるのである、神となるのである

そもそもなぜ国会での議論もなく自公政権で国葬にできたのかとなる、民主主義的手続きもないのである、権力の怖さはこうして勝手に国民に強制できることである
戦争の時は突然赤紙がきて地獄の戦場に連れて行かれた、それが今ロシアで行われて反対している、権力とは強制できる力を持つことである、だから警察とか軍隊とかと結びついている、警察と軍隊を動かすことができるのが権力だからである
国葬というのもそういう国家的動員をして国民の一体感を高める、でも今回の国葬には反対する人達が多かった、だから国民総意ではないのである
むしろ阿部前首相の悪行が隠されて統一教会問題を自民党は隠して終わりにしたいとしている、そういう政治的意図がある国葬だったのである
阿部前首相がどういう功績があったのかも良く国民にはわからない、むしろ悪行が死とともに隠されてしまった、でもなぜ安倍前首相が死んだ結果オリンピックの賄賂で逮捕された人がいたり司法で悪が暴かれたのか、それは安倍前首相が死んだからだとしている
すると司法でも首相がトップの権力者で逆らえなかったとなる
それだけの権力を持っていたとなる

政治家の側にありては宗教は政治問題として扱われ宗教家の側にありては政治勢力を占めるにいたってその成功が確かめられるのである(内村鑑三)

いづれにしろ政治は宗教を利用して宗教は政治を利用して権力を強固にする
この世の権力は権勢を得ることが政治の目的であり宗教もまた政治にかかわり権力を得たいとなり政治にかかわる、このことが危険なのである
政治と宗教が一体化すれば宗教は批判を許さないから何かあると宗教をもちだして罰当たるとか地獄に落ちるとか脅迫する、それが権力をもったら現実に警察とか軍隊を動員して刑務所に入れることもできる、イスラム世界では宗教と政治が一体だから反対勢力は容認しない、宗教裁判があり法律ではなく罰を与えられる、宗教がこの世の権力を持つとどうなるのか、それを証明したのかカトリックである、この世と姦淫したのがカトリック団体だとしている,ローマ帝国の宗教になったときそうなった
そもそも宗教はいくら強制しても改悛したり信仰に目覚めるとかないだろう
あくまでもそれは自主的な行為であり強制できない、宗教は強制できない、強制する力をもっていない、この世の権力は強制する

宗教自体が権力を持つことが危険なのである、だから宗祖はキリストであれシャカであれ寝る所もなく住んでいたのは岩窟でありそこで悟りを開いたとなる
一人は浮浪者であり一人は乞食だったのである、それが宗教者にふさわしいとなる
なぜなら宮殿に住んでいたり大金持ちだったり栄誉栄華の暮らしをしていたら信仰すれば俺たち庶民でもあのような暮らしができるとなりそうした組織集団に入る
それがカルト教団なのである、世俗的な欲望を達成するものとしてカルト教団がある
だから容易に政治化する、すでに政治団体であり利益団体である、だから税金をとれというのがわかる、営利御利益団体でしかないからである
別に資本主義社会だったら利益を得ることを批判できない、でも宗教化かかわるから問題になる、宗教がかかわるとそもそも宗教でもないのに税金なしで御利益追求ができるとなるからだ

そこに宗教で偽装しているのである、だからこの偽善はいつか矛盾して災いをもたらす
要するにこの世とは人間とは余りにもこうした偽装とか偽善とか偽りが多すぎるのであるそして信教の自由を盾にして批判を許さない、でも実際は本来の宗教でもないのである
規制するという時、組織化団体化した宗教であり個々人の信教の自由ではないのである
組織化集団化自体が権力化することである、キリストが二三人いるところに私がいるというときもう百人でもいたら多いとなる、それがカルト教団になると多すぎるし数を増やして権力を得ようとする、なぜなら十人でも会員が店に買い物に行けば権力化する
会員が十人買うということでも権力化する、店ではそういう組織団体を批判できなくなる民主主義社会では数が力なのである、赤信号みんなでわたれば怖くないが民主主義でもあるのだ、それが極端になると全体主義になりナチスになるのである

●この世は偽善と無駄が多すぎる

自然をみるとそういうことが全くないのである、その美は純真であり偽りは全くない
花を見ても山を見ても動物を見てもそうである、鳥でもそうである
その相違が余りにも大きすぎるのである、その対比でみると人間社会とは何なのだろう
人間とはそもそも何なのだろうとなる、なぜこんなに差があるのか?
何かこの世で仕事するにしてもその職業でも人をだますとかが多いのである
まず金融関係がそうである、銀行など堅い職業だと思っていたが全然今は違う、むずかしい手の込んだ詐欺なのかとも思った、投資信託であれ簡単に理解できないからである
人間の職業は業(カルマ)になっている、何らか必ず職業にはカルマがある
そもそも軍隊とか警察とか医者とかもともとない方がいいのである
なぜなら軍隊が兵士がいないことは平和なのであり警察がいないということは犯罪がないことであり医者がいなければ病気がないということである

そういうものは神の国にはないからである、そこに膨大な力を尽くすことは甚大な無駄だとなる、それで高齢化社会になるとその医療費のために国がつぶれるまでになっているのだ、宗教家なども実際は無用のものなかのかもしれない、極々一部を除いて害になっている、それが膨大なカルト教団なのである、それは実際は害悪でしかないのである
老子の無用の用というとき空地などは都会ではかえって無用の空間でも必要なのであるそこで休息の空間である、びっしりと用で埋め尽くされた建物のなかに空地があることは
むしろ無用でもない必要なのである
でも人間は無用といっても害になる物が多い、人間そのものが害になる人が多すぎるのであく、無用の人にはなれない、必ず害悪をもたらすのが人間である
人間は本当は無用でありえない、そういう人がいたら貴重である
なんらか害を及ぼすのが人間なのである、政治でもそうである、プーチンとかいて戦争を起こして大害悪を作り出し貴重な若い命が無駄死にさせられる
人間は膨大な人間は無益に消尽される、無用ならいいが必ず害悪となるのが人間なのである、自然にはこうした無益なこと無駄なことをしない、自然では何も無駄なことはないのである、人間から無用に見えても無用ではないのである

宗教の専門家などいらないのである、個々人で学べるものであり教会にも寺にもましてやカルト教団などに行かなくても宗教は個々人で学べるし神を知ることができる
かえってそうした仲介者は危険である、金儲けのためとか他者を支配しようとするからである
それは宗教家だけではない、師も危険である、もちろん師にもいろいろあるから全部は否定できない、でも師も偶像崇拝になってしまうのである
だから師というのも危険なのである、師を神のように偶像化して崇める、それはカルト教団ではそうなっている、そしてまるでそのロボットのようになる
師と同一化するロボット集団化する、カルト教団はみんなそうである、全くロボットであハイルヒットラーとたいして変わらないのである、そこに個性は認められないのである
同じ色であり様々な色は認められないのである、メカニカルに一斉に動くロボット集団なのである、それが現代文明の病弊となってナチスが生まれたのである
現代文明は画一化大量生産であり地域性の文化とかを無視する、日本語でも英語にすればいいとか日本文化そのものも否定する、確かに英語は世界の共通語のようになっいるから必要である、でも日本語まで否定することはないのである
むしろ方言とかが見直さらる、方言は国の訛りであり文化でもありそこに温かみがあるからだ、標準語には温かみがないのである、数字のようになってしまうからである












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2022年09月27日

ロシア人の生死をかけた深刻な選択 (他の国でも同じことが起きるし起きてきた)


ロシア人の生死をかけた深刻な選択

(他の国でも同じことが起きるし起きてきた)

russia1.jpg

ロシアで今何が起きているのか、それは生死をかけた選択である
ウクライナと戦うとなると死ぬことが普通にある、戦争は生死をかけた戦いだからであるすると何かそこに意義がないとやれない、それでロシアではウクライナとの戦争に消極的であり士気が低いとされる、ウクライナは自国防衛で士気が高い
それでロシアは混乱している

さらに百万人をも徴兵しプーチンが戦わるとしたら死ぬ確立も高くなる
すると死にたくない、何で死ぬまでして戦争するのか、そういう疑問が生まれる
それも深刻なのである、生死の選択にもなるからだ
祖国防衛戦でもない、わずかの土地を奪うために戦うとなるとそこに意義が見いだせないだから戦いたくないとして脱出する人たちも増えている

でも逆にそれを受けいれない、国内でプーチンに反対して戦いとなる
それもやはり生死をかけたものとなる、反対運動があるがつかまり戦場に強制的に送りこまれる、どちらにしてもその選択は命がかかっているから深刻だとみる
そもそもロシアでもそうだが国とは誰の者なのかということである
平和に住んでいる時意識しない、でも平和な時でも日本だって上級国民のために働かせられているとかある,国のためという時上級国民のために働かせられる、犠牲にされる
上級国民の奴隷だとも常に言う、つまり国家は誰のためにあるのかということである

ロシアとか中国とか巨大国家はもともと一将功成りて万骨枯るとなりやすい
ロシアはプーチンがそうでありプーチンのために犠牲になり死ぬのかとなる
だからロシア国内ではプーチンに反対する勢力もあってプーチンを倒せとなる
でもそれもロシアとかは独裁であり強固な権力がありおさえる、命令する、反対すると殺されるとなりそこで反対して殺されり国を脱出した方がいいと考える人達もいる
大陸だと陸続きだからそういうこともしやすい、でも断る国もいる

それはロシアだけではない戦争となれば死ぬのは嫌だとなるのは当然なのである
ただ大陸国家だと常に激しい民族抗争があり戦争がつづいてきた、だからジェノサイドも起きてきた、聖書でも神の命で民族を根絶やしにするジェノサイドが認められていた
それでけ民族抗争が激しいからそうなった
日本だと島国でありそうした激しい民族を抗争を経験していない、最初は百余国が争うとかあっても日本は島国であり異なった民族でもみんな一つの民族に融合したのである
だから戊辰戦争でも東北では官軍でも敵味方塚として戦死した人達を手厚く葬っているのである、それは中国ではありえないと言っている
中国だと死んでもその墓を暴いて罰しているのである
それでだけ民族間の抗争が激しいのである、日本人はそういう厳しさを知らないのであるただ明治維新後グローバル化して世界の民族抗争に巻き込まれたのである

いづれにしろ人間は死にたくない、でも死ぬとしたらその意義を求める、わずかの領土を得るために死にたくない、戦争自体にそもそも意味があるのかとなる
今回の戦争でもウクライナでも莫大な損失だった、人命から土地から建物からインフラからその損失は巨大なものであり双方ともただ消耗したというだけになる
何か奇妙なのはロシア人の優秀な人達がエリートが国を脱出する
でも戦争という時、本当はそういうエリート達は支配階級の貴族だったら率先して戦った

『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが最初である[4]。

最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

ノーブレスオブレージがありそれは戦士でもあり国のために率先して戦う人達だった
日本がだったら侍だった、そして戦争とはもともとそういう支配者同士の戦いだったのである、国民全員が戦った訳ではないのである
そうなったのは世界第一次大戦とか第二次大戦からである、国民同士が全員兵士となり戦うようになったのである
日本だと西南戦争で侍集団と国民軍が戦い国民軍が戦い侍はいなくなったのである
そして国民全員が兵士にされ戦うことになった
だからこそその犠牲も信じられないものとなった、日本だと三百万人が死んだとかなる
他でもロシアでも一千万人死んだとか信じられない犠牲者を出したのである

第二次世界大戦以後大きな戦争がなかった、でもウクライナであのような大きな戦争がまた起きたことは意外だった、それはロシアが西側に攻められた防衛戦とは違う、ウクライナはソビエト連邦から離脱して独立国になったからである
だから今回の戦争では国論が統一しない、プーチンという独裁者に不満が多い
そして奇妙なのはロシアから国民が脱出する
それが極端になるとプーチンとそれに従うわずかの国民が残り戦うとなる
「プーチン、お前が最前線で戦い、もうお前に従う者はいない、お前一人で戦い」
こうまでなる、そしてロシアという国自体が消失する
だから国家とは国とは誰のためにあるのか、一人の独裁者のためにあるわけではない
スリランカでも国を牛耳っていた大統領一家が外国に追われて逃亡した
国を私物化していたからである、プーチンも国を私物化しているともなる
そして誰も従うものがいなくなったら国は消失する

いくら独裁者でも国は一人では維持できない、また強権的にも維持できない、何らか国を愛して守る自主的な人達がいなかったら国は守れないし消失する
だからロシアは今はそうして国が分解して消失してゆくのかとなる
ただ見方としてはロシアは西側にアメリカに対抗するものであり有利に展開している
報道は西側よりでありアメリカ寄りであり現実の戦況がわからないとも言う
でも大方の見方としてロシアがプーチン独裁であり積極的に戦う意志がないと見る
そもそもロシア国民が大量に脱出するということは戦う意志が本当はない
ただ日本でもグロ−バル化してひろゆきのように日本は駄目になるから脱出しろと戦争する前から叫んでいる、そういう人達も増えているのである
すると日本にも戦争となったらそういう脱出する人たちも増える
でも日本人は外国に住める人はわずかである、島国であり日本は日本国内一億総玉砕となる心情にある、つまり大陸のように簡単に逃れられないからである

いづれにしろ人間が生死をかけた選択を迫られるとき深刻である、その時何のために死ぬのかと平和の時と違って深刻に考える、行動でも迫られる、そういうことでウクライナ戦争はやはり自国の問題でもある、それは他の国でも同じなのである
中国でも台湾が欲しいからといって戦争にふみきれば犠牲者がでる
そうなるとき死んでまで台湾が欲しいのかとなる、それなら支配者がまず率先して戦場に行き戦いとなる、犠牲になれとなる、国民はみんな台湾を中国にすべきと思っているとは限らないからである

ともかく戦争は勝にしろ負けるにしろ余りにも犠牲が多すぎるのである、それで得るものもたいしたことがない、わずかの領土であり台湾にしてもそうである
ウクライナにしても争っている領土はわずかである、そのための犠牲が余りにも大きすぎるのである、とても見合わないのである、損得で考えれば戦争は損しか双方にない
でもなぜ戦争がなくならないのか、人間は愚かなことをカルマとして繰り返すのかとなるそれも人間の業(カルマ)であり逃れられないのかとなる
そしてこれだけグロ−バル化すると最終戦争のハルマゲドンになる、核戦争の恐怖になるこうして人類は滅びゆくほかないのかとなる
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2022年09月17日

グロ−バリゼーションの終わり (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)


 グロ−バリゼーションの終わり

 (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)

 グロ−バリゼーションの崩壊ー文藝春秋(中野剛志)

 今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。

 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。
 円安が進んでいてもついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた
 

  グロ−バリゼーションが始まったのは明治維新からまたは大英帝国が七つの海を支配した時だろう、そこで世界共通貨幣が基軸通過がボンドになったのである
次にアメリカが覇権国になりドルが基軸通貨となった
明治維新で日本が鎖国から開国してグロ−バリゼーションの中に組み入れられた
グロ−バリゼーションとはまた世界で対立が激化して世界戦争になった時代だったのである、その負の面も大きかった、何千万人の人間が戦争で死んだからである
世界大戦の時代がグロ−バリゼーションの時代だったのである
日本の太平洋戦争も日本が悪だとしているがそれはそういうグロ−バリゼーションの中で起きたことである、世界の覇権争いに巻き込まれたのである
大英帝国は日本の太平洋戦争で敗れて終わった、アジアから追放された
それは快挙だったのである、最初にアジアの覇権国になろうとしたのが日本だったのである、それは失敗に終わった,アメリカが台頭してきて次の覇権国になったからである

グロ−バリゼーションといっても覇権国があって成り立つ、無制限なものではない、統制する覇権国がありグロ−バリゼーションが成立する
無政府的グロ−バリゼーションはありえないのである
ヒト、モノ、情報でも金でも自由に流通するということではないのである
そこに自ずと限界があり人間はその定められた地理や風土や生態系に依存して生きる
それを越えられないのである、だから国境も必要だと認識した
コロナウィルスなどでやはり国境がないと境界がないとウィルスも自由に入ってくる
関所も必要でありそこで人の流れを止めるということも必要だとなる

グロ−バリゼーションは頂点に達して負の面が大きく認識されるようになったのである
経済面でもそうだが精神的にもそうなる、経済的には内需型になり文化的には国風文化の復興になる、日本は奈良時代は中国の唐から学び奈良時代に遣唐使を派遣して国造りをした、漢字なども取り入れた、でも平安時代になると国風文化になった
そして鎌倉時代になるとやはり中国から禅宗などを取り入れた、でも東(あづま)に政権を樹立して東が支配するようになった、そして戦国時代になり安土桃山文化になった
これはキリスト教などが入り国際化したグロ−バル化した
外国の文物でも技術でも文化でも積極的に取り入れた、その一つが信長が鉄砲を輸入したことである、その技術を取り入れたことである、それが戦争を変えた
そこで絢爛な安土桃山文化が生まれた

次に江戸時代の鎖国になった、国風文化になった、その300年で日本文化が歴史が培われた、ここは世界から遅れたものとして見られていたが実際は内需型であり日本国内で
経済を回す社会である、自給自足の社会が形成されたのである
この時世界から孤立していたとしても戦争のない平和な三〇〇年がつづいたのである
この三〇〇年があまり評価されていない、でも明治維新が成立したのはやはりこの三〇〇年に培ったものがあり成功したとなる
明治維新になぜ綺羅星のごとく偉人が生れたかでもわかる
それは侍がいたからである、明治維新は庶民の力ではない、真のエリートの侍がいたからできたのである、つまり侍が人材となり新しい日本を導いたとなる
侍とは武だけの人ではない全人格として全人間として優れた人達だったのである
それはその後の人間が劣った人達になったということでもわかる
侍はいなくなったのである
ただ世界的にも戦争していたのは貴族であり戦士として選ばれた人達だった
その後は国民となり大衆化したのが現代である、つまりエリートというのは世界的に消失したのである
戦争とはもう数であり機械の戦争となったのである、そこで何千万人もの人間が無惨に物のように殺戮されたのである、国民と国民、大衆戦争だったのである

そして太平洋戦争後から七五年は経済のグロ−バリゼーションの時代だった
それはアメリカ覇権のドル基軸通貨となったグロ−バリゼーションだった
でもこれも終わりになりつつある、中国の台頭とかで終わりになりつつある
アメリカの覇権は終わる、日本はどうなるのかとなるとアメリカが覇権国でなくなるとアメリカは守ってくれない、そこに台湾有事が大問題になるのである
アメリカは武器を与えても直接戦争にかかわらないというときウクライナを見ればわかるアメリカはもう直接兵士を派遣したり戦争にかかわらないとしている
トランプ大統領がアメリカファーストを言っているからである、国内第一になる
外国にかかわらない政策になってきたからである

そして日本もまた国内回帰になる、経済でも国内で極力回す、エネルギーでも石油でもガスでも何かあると輸入できないからである、ただ原子力発電を再稼働するのは問題であるあまりにもリスクが大きすぎるのである、一旦事故になったらこの辺のように住めなくなるからである、ただ国内自己完結する経済になる、だから鎖国時代にもなる
結局人口が縮小して日本が縮んでゆくのはこういう時代だからそうなった
日本がの人口は江戸時代で3000万人とかでありせいぜい6000万くらいの人口が適正規模なのかもしれない、そこで国内需要とまかなうとなるかもしれない
ただそうなると小国になるから中国に支配されることの恐怖になる

でもどうしても日本はもうかつての高度成長とかないし縮小をまねがれないのである
そのことはは文化にも影響する、思想的にも国内回帰であり国風文化の再興になる
世界的にも中世に戻るというときでもそうである
文化的なこと内面的なこと思想の深化とか学術的なこと芸術的なことそうした時代になるだから今なぜオリッピックでもするのかとかなぜインフラでもリニアなど必要なのか問われる、そんなもの本当に必要なのかどうか問われる
高度成長時代には道がないのだから道を作ることに疑問などなかった
でも鉄道でも整備されているし新幹線もあるしそれにリニアなど必要なのかとなる
何があらゆることで意義が問われる、哲学の時代になもなっているのである

いづれにしろ社会は内向きになる、コロナウィルスなどで在宅で家で仕事するリモート会議などしてするのもそうである、働き方も変わった、何か巣籠りというときそれも内向きになり外向きのグロ−バリゼーション時代の終わりを示唆している
世界でもそれぞれの国で国内経済中心となり国内で文化を育てる時代にもなる
自然はやはりそれぞれの地理があり風土がありその中で人間は育つ、それを無視して人間はありえない、自然をグロ−バル化などできないのである、それを多国籍企業がする自然破壊になる、生態系が破壊される、そこでウィルスがたちまち世界に感染するのである
そこに時間差もなくなったのが現代なのである
人間はそれぞれの地理と風土で育つのが自然である、食糧でもやはりその地理と風土の中で育つ、それを食べるのが体にもいいのである、そもそも体はその土地でとれたもので食べるのがいいのである、日本食はだから長寿食になったのである
牛肉とか外国のものをいろいろ食べることはいいことではない、またそれもできなくなる円安になりもう外国のものは高くなり買えなくなるからだ
すると日本にあるものでまかなうほかないとなる
日本がにあるものでもそれなりに豊かな食生活が今ならできる、別に葡萄でもとれているし前よりはいろいろなものがとれているからである
ハウス栽培で南国産のものも作れるとかなる、ともかく外国から輸入することは高くなるしむずかしくなる、そういう時代になったのだからそれに適応した生活をしなけぱればならないとなる


柿の詩

ここに柿なりぬ
今年も違わず柿なりぬ
その柿を食せよ
我が母は貧しく育ち
柿が好物なり
干し柿も好物なり
今あまたの果物あれども
昔はなしも貧しき
柿は日本の産物
それぞれの土地に実りあり
その実りを尊ぶべき
外に求めて欲は限りなしも
今年もここに柿はなれるも
その柿に感謝して
ここに住める良しとすべし

柿はkAKIとして外国に通じる、柿は日本の産物なのである、私の母は大正生れだから貧乏に育った、原町紡績で働いてその食事は一汁一菜である、沢庵とか味噌汁とかで良く働けたと思う、それでもそれが当時では現金収入になったから良かったと言っていた
その他は女中だったからである、女性の働く場がなかったのである
イギリスでも貴族に女性は下働きしていたから同じだったのである
ともかくいろいろな果物を食べれる時代が終わったのかもしれない、なぜなら円安で外国産は買えなくなっている
でも山形産のメロンが五〇〇円だった、それが大きなものであり得した感じになる
私は果物が好きであるから高いと買えないことは辛い、でも別に日本で果物はそれなりにとれている、でも昔は柿くらいしか後はミカンかくらいしか食べてないのである
リンゴも東北だと青森でとれるから食べていたのか果物はあまり食べていないだろう
ただ私は柿はあまり食べていない、母が好きだったので供養として買ってあげている

柿は、16世紀頃に南蛮貿易で日本と交易のあったポルトガル人によってヨーロッパに渡り、のちにアメリカ大陸に広まっていったという。またポルトガル領だったブラジルにも同様にして伝わったようだ。そのときに用いられたのは日本の品種である。そのため、前述したように世界でも「KAKI」とよばれるようになった。

日本における柿の歴史は古く、縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種の化石が発掘されています。奈良時代には日本の各所に柿が流通していたとされ、当時は祭祀に使われたり、冬場の大事な糖分補給源として食されていたとのこと。しかし当時流通していたのは、渋柿。人々は渋柿を熟柿や干柿にして食していました。

ポルトガルから鉄砲が入って逆に柿が輸出されていたのである
果物があまりないから柿は糖分をとるのに貴重だった
でも柿は今高い、干し柿でも高い、伊達市が特産物となっている
だから今は簡単に柿も食べられないとなる、今貧困化しているから果物には手が出ないという人もいる、でも一応日本産のものは輸入しないからまかなえるとはなる
外国産よりなんでも日本産のもの国内でまかなうようになるから貴重だとなる


柿の話ー俳句エッセイ

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2022年09月09日

政教一致の危険 (安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)


政教一致の危険

(安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)

山上の安倍首相の暗殺は私憤と公憤の問題になる、一面から見ると身の不遇を嘆く私憤に見える、でもまたそれが統一教会のカルトの被害者でありそれと政府が結託していたということで公憤に見える、私憤が公憤となったと見るのが妥当だろう
私情からの犯罪はある、特に男女間では常にある、でもそれは公憤にはならない5.15事件とかは政治テロであり公憤であった、もちろん底辺で苦しむからそ政治への不満となりテロとなった、私憤があり公憤にもなった
そして複雑なのは宗教がからんでいてそれが政治ともかかわっていたことである

だから政教分離ともかかわっていた、政治は宗教とかかわると危険になることを政治家は意識していなかった、なぜ政治と宗教がかかわると危険なのか?
カルト教団では世俗的なことに宗教をもちだすからである
何かというと罰当たるとか地獄に落ちるとか脅しそれでやめさせないようにする
でも逆に今度は世俗にそれを持ちだして言うとかえって創価の場合など地獄に落ちろとか罰当たるとか攻撃される、そこで統一教会に安倍首相が率先してかかわり政治的に票を得るために利用した、また統一教会でも利用したとなる

ここで問題なのは何なのか?

政治と宗教の一体化による危険である

宗教となると政治と違って絶対的になる、反論は許されない、でも政治となるといろいろな問題があり議論して決めたりする、宗教となると議論はできない、もし反対したりすると罰当たる地獄に落ちるとかなり反対が許されなくなる
だから戦争でも宗教がかかわると聖戦となり神が天皇が味方するのだから必ず勝つとなるそれでもう日本だったら一億総玉砕にもなるところだったのである
宗教には妥協がないからそうなる、政治とは賛成反対があり双方の言い分を一応聞いて判断する、そこで妥協するとなる、でも宗教だと絶対だから反対は仏敵となり許されないのである、だからこそ政教分離が生まれた
なぜならカトリックが政治と一体化して政治的に支配されたからである
その反発がありプロテスタントが生まれた、政教分離も生れたからである

そして政治と一体化した宗教は実はサタンが支配することになる、それはカトリックの歴史で証明している、政治と一体化して世と姦淫したサタンが支配するのである
聖俗が分離せずに一体化する、そして獣の印を押される、つまりそれがカルト教団なのである、宗教と政治が一体化するからである、それが統一教会であり創価でも他の団体でも同じなのである、つまり宗教が世俗化して政治化することは現実の社会を政治権力でも乗っ取りこの世の王となることである
そこでカトリックのように宗教が政治を支配するのである

日蓮の国立戒壇などでもそうである、それが政治的に実行されれば社会は宗教によって完全に支配される、何か逆らうものがあれば仏敵となり地獄に落ちる罰当たるとなり支配する、つまりそれはサタンに支配されることなのである
要するにカルト教団は異常にこの世の欲に執着している、この世の王になることに執着している、この世に天国を作るとしているがそれは実は自分たちが支配者になりこの世の王となり支配することであり地獄を作ることにもなる
心が清い者は神を見るだろうなど関係ない、この世で実質的に御利益を得て権力を得て
この世の王となり人民を支配することなのである、だからサタンなのである

ともかく私憤と公憤というとき今回の山上の安倍前首相の暗殺は宗教と政治がからんで複雑になった、それは宗教が政治にからむとそうなるのである
だから政治家は票になるからは政治にかかわることはつつしむべきであり危険なので悪
その火の粉が飛んできたのが今回の事件だったのである
一見統一教会に援助されるのは票になるからいいことである、そうしか見ないが宗教とかかわると危険だということを警告したのである
だからこそ政教分離が必要でありそれが軽視されていたのである

だから創価などは非常に危険な団体である、完全に政教一致だからである、そういう団体と自民党が一体化することはまた同じようなことが起きる、宗教の問題が政治に反映してまた逆に世俗的な政治の問題が宗教に反映して複雑になり事件が起きる
聖俗があり聖俗分離が必要にもなる、カルト教団になると聖俗もない、完全に聖なるものが俗化したものである、だから世俗的なものに支配される、すべて御利益であり金でありこの世の権力を得ることが第一になり目的化したのである
創価となればそれしかない、毎日選挙運動であり権力をとるために祈っているだけであるカルト教団はオウムでもそうだし幸福の科学でもそうだし統一教会でもこの世の権力を得て人民を支配することなのである、そのために宗教がある
宗教とは世俗を支配する道具にもなるからサタンなのである

でもなぜそれがなくならないのか?

それはいかにサタンが強力なものかということでもある

そのサタンと戦えるものはなにか?それはまたキリスト教でも仏教でもサタンに乗っ取られたことでもわかる、それはどうしてなのかとなると余りにも人間の欲望がこの世に執着して切り離すことができないからである、そこにサタンがつけいり支配するのである
老人になっても性の欲望が消えないとか人によるが欲に支配されるのである
だからこの世は欲で滅びるとされたのである
つまり獣の印をサタンに押されるのである、その人達は地獄に行くのである
それによって聖別される、カルト教団員は獣の印を押された人達なのである
要するに人間の欲が消失すれば自ずとこの世でも天国になるのである
子供ならそこに天国的なものを見ることができるのと似ている、でも大人になれば欲にふりまわされ欲にまみれ堕落してゆくのが普通だからである
そして兄弟でも遺産争いになり殺し合いまでなっているのも普通である

それは欲があってそうなる、なぜ創価であれカルト教団であれ根強くあり数を増やすのかといえば欲を否定しないからである、かえって教祖自体が欲望が強くこの世を支配したいとなっている、王とされたいとしている、だからカルト教団の教祖はサタンでもあるのだサタンを崇拝するということは人間で現世の欲をかなえてやるとしているからついてゆくのである、そこにだまされる人がいたとしても幹部などはみんなそうである
自分の欲望を実現するために運動するのである、他者を助ける気持などない
普通だったら金にそんなに執着しないからである、信者から金をとることなどないのである

だから何か宗教家というのは胡散臭い、社会にとって害になり無用なものに見える
かえって下々と汗して働いている人の方がまともであり上に見えるのである
宗教だけで糊口を得ている人は胡散臭いとなる
それで四国遍路でホームレスになった人がにわか僧侶となって御経を上げて金をもらうとなったのもそうである、もう追い詰められてそうなったのである
すると乞食でもない、俺は偉い僧なのだとなる、それと宗教にかかわるものは似ているのである、金を得る欲望を達成するための方便として宗教を利用するのである
宗教にかかわる者はカルトだけではないみんな何かいかかわしいは見れる
何かお経でも唱えていれば生活できるとなれば楽だともなるからだ
一方で働く人は汗して危険でも仕事しているからである、その方が立派だともなる

いづれにしろ政治と宗教の問題はそれが一体化すると危険だということである
そのために今回の事件が起きた、だから政治家もいくら票を得たいとしても深入りすることは危険である、自制が必要であり創価公明と連立政権を自民党を組むことは危険である何かしら今回のような事件が起きるかもしれない、でも票が喉から手をでるほど欲しいとなりそうなっているのである、だから民主主義とういのもそうしたカルト教団に支配されたりナチスのファシズムになりやいから問題なのである
数さええれば権力を得ることが危険なのである、結局それがナチスとなりファシズムとなったからである



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2022年09月07日

この世の中は何故なのかが問われる (様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)


この世の中は何故なのかが問われる

(様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)

自然であれ社会であれ個々の人間であれ何か起きることで問題になるのが何故なのかということである
結果があり因果関係を求める、だから因果応報がありカルマだとなる
なぜそれぞれの家に問題が起きるのか?
それもその家の持っている因果がカルマが関係しているとなる
それで統一教会では先祖が悪いことしたから今あなたが苦しんでいるというのは説得力がある、でもそれで金をとるということは相手の弱みにつけこんでそうしている
実際はカルマはそれぞれか苦しまなければ解決しないのである
金を貢いでも実際とカルマは解消しないのである

人間の問題は常に何故なのかということで問題になる
それが自然現象なら科学となり原因と結果を求める、それは明快でありわかりやすいとなる、では人間に起きることで社会現象とかまた経済のことでもわかりにくいのである
明確な因果関係がわからない、この何故を探求するのが学問になる
例えばある人が事業を起こす、結果として失敗して多額の借金に苦しむ
ではなぜ事業に失敗したのかとなるとわかりにくいのである

その人はなぜ事業に失敗したのか?

それは社会のせいだともしている、自分の責任ではないとしている、でもそうはいっても必ず責任をとらされるのである、それで借金で苦しむ、その人には確かに技術者でありだから技術に通じているから成功するとして事業を起こした
でも経営となると違ったものになり失敗した、また家族でも経営者になると巻き込む
その家族自体が妻でもうまく協力できなかったとかともなる
経営には向いていないともなる
その人はまず人のために何かをするという感覚はない、自分は技術的には優秀だから自ずと成功すると思って事業を起こしたのである
でも経営するとなると様々な要素が関係して来る、その社長の人間性とかまで関係してくる、でも理系だとそんな人間性などを見ない、つまり技術的に優れていれば成功すると見ていたのである

だから会社でトイレ掃除していた人が社長だったとかある、それで新入生がその人を馬鹿にしていた、でも社長だったということで驚いたのである
そんなこと社長がやるべきではないということを言う技術者もいた
でも技術者なら技術をみがけばいいとなる、それは雇われていてそうなる
でも経営するとなると違ったものになる、そこの理解がなかったとなる
社長は社長として威張っているだけではできない、会社全体を見て社員を見てその上に立ち会社を経営する、会社を経営することは今度は社会全体と関係してくるし多くの人々とも関係してくる、だから経営となると一部の専門的技術者と違ったものになる
理系だと一部の専門的技術者に通じていればいいとなる
でも病院を経営するとかなると優秀な専門的医者が必要でも病院を経営することは病院全体をみてまた社会にもかかわる仕事になる

だから社長がトイレ掃除するときそうして下々のことで目配りしていて全体を見て経営することになる、トイレ掃除する人もやはり社員だからである
私の母親の実家の父は警察署長で退職して事業を起こしたが失敗した、そもそもこの人も警察署長だから成功するとして事業を起こした、実際は能力はなかったのである、母が言うには威張っているだけだったという
これもやはり事業するノウハウも何もないのに警察署長したから事業が成功すると思ったのである
その後事業に失敗して一家離散になったし不和の家になったのである、それが自分に影響して苦しんだともなる
こっちの方が専門知識もなにもないのに事業を起こしたのだからひどいとなる、その結果の責任が負わされたとなる

その人は他人のために箱一つもちたくない人だったともみる、なぜなら私が病気になってその人は助けに来たとしても箱一つ持つのを嫌がっていた
またその家族でも相当に嫌がっていた、だから入院して手術する時もその家族は来たにしろ見守ることさえ嫌がっていた、、そもそも何も私のためにしたくなかったのである
親が世話したことがあってもその子供は関係ないとなっていたからである
だから金が欲しいというだけだったのである、借金をかかえていたから余計にそうなっていたのである
そうなったのも自分のカルマにしろその人は他人のために何か尽くすという気持ちはなかった、自分が技術的には優秀だから社長としてみんなから偉い優秀だと見られることで事業を起こしたのである、その動機がそうだったのである

ではなぜ事業に失敗したのか?

その理由は一つではないにしろそうしてその人はもともと他者に尽くす気持がなかった
簡単なことでも他人のためにしたくない、もちろん無償ではしたくない、その気持ちが行動に現れる、ただ技術的には専門的技術では優れているから成功すると思って事業を起こしたのである
その人はささいなことでも他者のために何かをしてやりたいということはなかった
人間は大きなことよりそうしたささいな小さなことにその人が現れる
もし妻がいたとしても夫に尽くしたくない、でもしかたがないから一緒にいるとなるといつか破綻する、それで意外と熟年離婚が多いのである
嫌でも一緒にいる、でもいつ本心が必ず現れる

いつか必ず本心が現れる、行為となって現れる

これが怖いとなる、積もり積もったものがいつか行動として現れる
人間は表面上は善人面しても実際は悪人でありその本性が必ず現れる
つくづくなぜこんなに人間の職業でも悪が多いのか、まさに職業とは業(カルマ)であるなぜこれほど職業が何か嘘ついたりごまかすものとなっているのか
第一宗教が一番偽りが多い、それは宗教の目指すものが余りに高いものだからそうなる
誰もキリストやシャカのようになれない、その目指すものが高すぎるのである
結果的に宗教と言っても今度は自分たちの欲のために利用するとなる
それがカルトなのである、宗教そのものが方便でありそれで自分たちの欲望を実現しようとする
ほとんどの集団化した組織化した宗教は本来の宗教ではない、ただそれぞさの私利私欲を実現するために団体化して権力化したものである

だからこの世とは何なのか

これ自体がわからなくなる、親鸞が言うようにみんな悪人だとか、義人一人もなしとかなる、職業でも業でありカルマであり悪いことをするものとして職業もあるとなる
銀行員でも投資信託とか売りつけて人をだますとか証券会社とかもなにかうさん臭いとかまともに見えるものでもそこはまともでなくなっている
マスコミも平気で嘘つくとかあらゆる職業が何かそこに倫理にそむいているとなる
政治家とかなると自ら言っているように選挙の時はとにかく頭を下げる、後は知らない、自分の利益を追求するだけだと自ら言っている
別にどの宗教など関係ない票をもらえればいいとういだけである
いちいち選別していたら票にならないからである、それがまた民主主義の弊害でもある
もう人物がどうか人格がどうかなど関係ない、数が集めた人が勝ちだけだとなっているからである、そして選挙はすでに組織団体の票で決まっている、一票など何の力にもなれないなのである、すると相手にするのはカルト教団でもなんでもいい多数の票をもらえることに働きかけるとなる、その相手がカルトでもどうでもいいとなまでなってしまうのである

ともかくこの世の中では何故が常に問われる、安倍首相の国葬でもそうである、なぜ国葬にする必要があるのか?それが問われる、そこで必ず議論すれば賛成と反対論がある
でも何故する必要があるのか明確化しないと国民をも納得しない
今回は国民が納得しないから問題なのである
ただ何故を求めるとあらゆることでその何故がわからないのである
戦争でも三百万人も死んだのになぜ戦争したのかも今になってもわからないのである
科学だと何故を追求すると明確に数学のように答えが出やすい、でも社会現象となると
明確な答えがでないのである

なぜ日本が戦争したのか?

これも明確な答えがないのである、これだけ大きな問題でも答えがない、すると三百万人も死んだ人達は報われないとなる、ただ靖国神社に祀られて英霊とされる
国のために尽くした人達だとされる、それで慰めているが果たしてそうだったのか?
それで死者は報われているのか満足なのかとなる
それは結局何故それだけの戦争をしたのか明確な理由がわからないからである
安倍首相の国葬問題でもそうである、なぜ国葬にするのかその理由が明確ではないし
国民がみんな納得しているわけではない、でも権力者は実際に権力を行使することができる、つまり何故するのかとあっても権力者は何かを決めてそれを成す、そして後で何故そんなことしたのかと問われるのである
人間が権力を持つことは何故かとかを真剣に考えないでも実行できる力を持つことなのである、人間は何故かより権力をもって実行したいとなる
カルト宗教団体でも権力追求になるのはそのためである

つまりこの何故かと問うのが学問であり学者とかになる、哲学者にもなる、自分はこのタイプである
でもその人たちは権力を持っていないから何か実行することはできないのである
だから政治家と哲学者は学者は違ったものである
実業家であり政治家が学者を嫌うのは理屈ばかりこねていて実際には何もできないとしているからである、でも何かを実行するとして必ず何故そんなことしたのだと問われるのである,オリッピックでもそうである、今になると金にまみれたものであり逮捕者もでている、そんなオリッピックをすべきだったのかと問われる
それは私でも前らオリッピックにはもう意味がないと反対していた、他でも反対する人達がいた、でもそういう人達を無視して実行された
結果的には一部の利権者のためにしていたとなって追求される
行動の前に何故そういう行動に出たのか、行動した後にまたなぜそんなことをしたのかと問われるのである
でも現実社会では何故かより行動をすることが先になる

なぜならこうして考えることが先になると
ハムレットのように

あるべきかあらざるべきか

と逡巡して行動できなくなるからである、優柔不断になってしまうのである
でも何故かを無視すると必ず後で何でそんなことしたのかと必ず問われるのである




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2022年09月04日

宗教の献金の問題 (宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)


宗教の献金の問題

(宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)

●宗教の組織化団体化は権力化

今統一教会で多額の献金は禁止すべきだと議論していた、それぞれの収入に見合ったものに制限する、法律化するべきだという提言があった
ここで弁護士とか法律から規制しようという発言があった
弁護士にはカルト教団の被害者からの訴えがありそれに答えるためにそうなった
消費者庁とかありその大臣が発言していた

そもそも人間は集団化組織化するとそこは利権団体になるのではないか?
民主主義とはそうした様々な利権団体に推薦されて力を持つ、政治にもかかわる
どうも自民党が前は票田としていたのは農家であり農協とかが票田となっていたが
その力が弱まって他に頼るようになったとかいう
それでカルト教団でも票になるとか選挙の応援をしてくれるとかで統一教会とかかわった議員は喉から手が出るほど票が欲しいからである
それも一票とかではないまとまった票が欲しいからである

だからこそ創価になると一定の票があてになるから連立になった
それは政教分離に違反していても自民党は責めないのである、一連托生になっているからだ、創価の票がないと当選もできないとなり創価のことは批判しないのである
マスコミも批判しない、なぜなら聖教新聞を刷らせて資金援助している
福島民報などがそうである、毎日新聞でもそうである
そうしてマスコミはとにかく金がかかりすぎるのである

そもそも一軒一軒新聞を配ること自体手間なのである、そこに資金がかかりすぎるのである、インタ−ネットになれば全国に配信するのにも個人レベルでできるとなる
だから報道はテレビ局だと六局しか放送できなかったとかなる
それで絶大な力をマスコミは持ったのである
それがインタ−ネットが発展して個人がテレビ局をyoutubeなどで持つようになった
テキストだと文章だとプログとかで新聞社にもなった
その変化が大きかったのである、今はテレビを見なくても別に困らないのである

宗教が組織化集団化すること自体権力を得ることでありやがて日本国でもその権力で支配することを目指している、実際この世では特に民主主義になると確かに個々人の自由があり権利を主張できる、でも一人だったら誰も相手にしない、それはボランティアすらできない、20人くらい集まらないとボランティアもできないのである
つまり民主主義はすべて数で決められる、数の力で決められる、それが権力になる
だから田中首相は政治は金と数だと言ったのである
金と数が最大の権力になったのが現代だからである

●宗教は個々人の心の問題だが集団化組織化すると権力利権団体になる

経済活動でも一人が買い物するのと十人が買い物するのとでは十人を相手にする
一人などどうでもいいとなるのが社会なのである
一人は相手にしない、私は個人というだけで本を置くのを地元の図書館とかで断られた
そこに管理する公務員がいてそうなった
その公務員というのは権力を持っていたのである、それも一人だからそうなった
私は会員十人の代表ですとかなれば公務員でも権力をもっていても考慮することになるのである、まず一人などどこでも相手にしないのである,ボランティアにすらなれない

こうなるとどうなるのか、人はどうしても権力を持とうとする、権力を持つためにどうするのかとなる、それは宗教でもそうなのである、宗教でも一人など相手にしない
権力を持つために数を集めることだとなる、だから創価でも他の宗教団体でも常に会員を増やすそれを一票に結びつける、それが日々の活動になるのである
でも預言者とかは一人だった、日蓮は預言者であり一人で時の権力者と戦ったのである
だから今の組織化集団化した宗教団体は全く別物でありただ権力を得るために活動しているのである、聖書でもそこはある一人の人間を選び神の実在を示したのであり集団に示すことはなかったのである

だからそもそも宗教と政治の何が問題なのかとなれば組織化集団化することは権力化することである、それはカトリックで強制的になり免罪符まで売るようになった
それが統一教会ではあからさまに霊感商法で宗教を盾に商売化したのである
カルト教団はまた宗教を利用した商売でもあるから当然だとなる
宗教団体は利権団体であり本来の宗教は何の関係もない、集団化組織化して権力奪取を目指すのである
統一教会の場合はさらに問題だったのは背後に外国がかかわり日本の政治に影響して日本を韓国の支配下に置こうという魂胆があったからである

それは秀吉の時代にもあり外国に国がのっとられるという恐怖がありキリスト教が禁止された、キリスト教でも自国から自発的に起る信仰ならいいが外国から押し付けられると問題になる、それで内村鑑三とかは外国の宣教師を嫌った、でも何らか日本キリスト教団でも外国の援助がありかかわっているともなる
資金の援助があるかもしれない、この資金の流れが問題なのである
何か大きな犯罪でも資金の流れをみればわかりやすくなるからである
信教の自由があるにしてもそれも悪く利用されるのである、法律でも解釈がいろいろあり悪く利用されるのである

●宗教に金がかかわると汚される

なぜそんなに金が宗教に必要なのかとなる、宗教には金をかけるべきではない、また金をとるべきではない、そうなると金だけが目的になってしまう、パウロはキリスト教を広めるのに金をとることはいけないとテントを作り自ら働いた、何かそこにやましいものを感じたからだろう
宗教はそもそも極力金にかかわらないことがいいのである、金にかかわると汚されるとなるからだ、でも僧侶でもお布施が足りないとかなり不満になるとしたら自分で働いて金を稼いだ方がいいともなるのである

何かわからなかったが四国遍路でホームレスになった人がいた、その人に 同情して金を与えようとした数万をやろうとしたらその人は自分に向かってお経をあげた、なんのことかわからなかった、要するに無料では金をもらえないという自負があった
その人はなんらかで四国遍路の国だから御経を覚えたのである
だから乞食ではない、ただでは金をもらいたくないとしてそうなった
その動機はそもそも宗教にはない、日々の金が欲しいからそうなっただけである
そしてお前にありがたいお経をあげてやったのだから金をもらっても当然だとなったのである

この人はこうしてホームレスになり追い詰められてそうなった、つまり実際は金のこめに仮の僧になり金をもらうことになった、こういう人を見れば何かカルト教団でもそうなのかとも見た、ただ規模が大きくなったのがそうなのかともみた
何かありがたいお経をあげてやるから金をもらうとなる、その人はただ金を欲しいためにそうなったのである、別にくれるというのだからもらえば良かったのである
おそらくカルト教団はこんなものである、宗教とは方便であり金が欲しい権力が欲しいともなり仮の僧になった人だとなる
ただ数が増えて巨大化すること自体が権力化することなのである
数が増えて権力化するとマスコミでも政治でもその数を利用しようとする
だから自民党は統一教会でも創価でも何でも票をえるために利用する、そしてまた利用もされるのである、現実に創価のことは批判しないのである
それは創価というのは巨大であり誰も批判できない、マスコミも批判できない、自民党政権と一体化もしているからだ、それがどうなるのか、ナチスのようになるのである
社会全体が創価化してくればそうなる、ただ最近は力も衰えた、限界が来て減少するだけである、そしてインタ−ネットではyoutubeなどでも盛んにその実体が暴露されているのである

●創価と統一教会は同類でカルト

政治と宗教の問題が統一教会問題であぶりだされた、それはもともと創価が自民党を牛耳るために一体化していたことでもわかる、そして批判もされないのは権力と一体化しているからである、人間の問題は政治でもなんでも権力をどう操作するかにある
そのために統一教会でも裏で操作している、創価でもそうである
でもその権力というのは本当の権力者は誰なのかとなると不可解になる
なぜなら統一教会の裏にはアメリカのCIAがかかわっていたとか創価なら中国と一体であり中国の命令で動く日本を乗っ取る団体にもなっている
つまりその背後には中国がありアメリカがあり統一教会でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでもかかわっていたとなるのである
そうしてそれが不可解だから必ず陰謀論になるのである、つまり本当の権力者は見えないそうなるとその隠れた権力者は遂にサタンだともなってしまうのである

宗教でも集団化組織化すると権力集団化して政治を支配する、だからイスラム教だと政治と一体だから政教分離していないから経済も発展しないのかともみる
レバノンではイスラム教でも派閥がありセクト化して四っつくらいに分断して政治が機能していない、援助しても上の方で奪われて下には回らないとかなり国が破綻状態になった宗教はこの世のことではない、政治はこの世に力を具体的に力を持つことである
でもそうした宗教の架空のようなことより現実社会に活きていれば毎日食べなければならないとかパンの問題が優先されるのである
つまり宗教は本来パンの問題ではない心の問題なのだけどどうしても現世に生きる限りパンの問題になる、明日食べるものがないとしたらどうにもならなくなる
また様々な問題をかかえているのでそこでカルト教団はつけいる、それは金をとる一票を得るためであり確かに先祖がどうのこうのとかは現実にある

ただそれがあったとしてもカルト教団はそれで脅迫して金をとるためにしている
目的は金なのである、つまり金をとるということで宗教は必ず歪められるのである
もちろん新聞代くらいはしかたないかもしれない、でも寄付金でもあまりにも多額になることは問題なのである、ただカトリックでも一割の宗教税があった、でも一割を越えてはならないということもあった、その辺の線引きがむずかしいのである
献金を多くした金持ちがいたとしてその人は福運とか幸運とか救いがあって献金の少ない貧乏人には救いもない福運も授からないとかなったらどうなるのか?
それが宗教だということ自体おかしいのである

まず人間は金を払いたくない、金に対してはシビアである、だからそんな多額の金を払うこと自体その払う人自体がおかしいのである
御利益を得たいというのはわかるがその御利益を自ら献金して貢いでいる
その金はどこにゆくのか、なんのためなのか、それは結局幹部などに流れ団体組織の権力の拡大に使われるのである
結論は集団化した組織化したカルト教団自体を規制すべきだとなる、でも少人数だったら規制はできない、でもオウムとかはたいして大きな組織でもないのに危険なものとなったどこで規制の線引きするのかがむずかしいとなる
ただ議論では金の面から規制するというのはわかりやすい、第一何十億と何百億とういう金をどうして集めているのか、それ自体が宗教にしては問題だからである
宗祖をみればシャカでも住む家もないしキリストでもそうだった、枕するところなしだったからである、そこに宗教があまりにも違った全く世俗化したものとなったことを示しているのである

宗教団体の政治活動は否定しない、政治活動を行うなら情報開示を義務つけるべきだ
企業献金は厳しく開示が求められる
宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ

週刊東洋経済ー9月3日号

宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ
宗教課税とカルト規制法は、セットだろ!

信教の自由は有るけど、課税は別。 課税と規制しないから、邪教が生まれる。
本来宗教は信仰するだけなら、お金掛からないだろう。
イベントとか葬式するとかの物理的な物動くなら代金掛かるけど。
皆が集まれる場所作るなら、生活に困らない範囲の低額でカンパ募るだろうけど。

かろうじて残ってる信者から
カネを搾り取ろうと必死になって
さらに信者を減らしていくパターンになりそうだよねw

原発村が盗電社長を庇った結果村自体が存続の危機に陥ったのが良い反面教師になっているな、宗教村が全力で統一潰しに行ってるよいけいこうだ、次は創価だけどな

5ch


創価などは日々選挙運動であり選挙のためにある団体である、それも会員が信仰のためであり御利益のためであり無償で選挙運動を毎日しているのである
そんなことわかっているのに誰も批判しないとりあげない、それは自民党と一体となりマスコミでも批判しないとなる、だから自民党自体がもともとカルト政権だとも言われる
票が欲しいから批判しなかったのである、票を得たいとなり統一教会とかかわり創価公明と一体化する、票のためになら何でもするとなる
悪魔とも手を結ぶのが政治家なのである、その弱みをついてカルト教団が自民党を操作しようとする、またその背後には今度は中国とか韓国とかアメリカがかかわり陰謀論になるのである

●youtubeなどで創価をあからさまに批判

政治と宗教】統一教会より創価学会が問題だ!【朝香豊の日本再興チャンネル】


9/2 CIA・創価学会・南米麻薬組織と小沢一郎の複雑な関係

創価批判がyoutubeで相当にでている、これはありえないことだった
これだけあからさまに批判できているのも変わった
統一教会のことは霊感商法の壺を売りとか以来報道されなかった
すると報道されないのだから問題がないともなっいてた

つまり報道されないことは悪は隠ぺいされていたことだ!

NHKでも他でも報道されなかった、それはマスコミも統一教会の支援を受けていたとか
かかわっていたからだとなる
こうして報道されないことで重大なことが起きる
原発事故でも危険は報道されず安全神話が作られて甚大な被害になったからである
つまりマスコミで報道しないと真実は隠されその結果として国民に被害が及ぶのである
そして宗教は信教の自由だとかを盾に批判させないのである
信教の自由は個々人にはある、でもそれが集団化組織化して巨大化すると権力化して社会を支配してやがてナチス化する、また原発の安全神話のように危険が隠ぺいされて甚大な被害が起きる、だから国民でもそういうことで関心を持ちマスコミ報道にまかせないことである、でもyoutubeとかではプログでもインタ−ネットだと金がかからず報道できるので民主主義の促進にはなる

posted by 天華 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月23日

なくしたスマホが警察に届けられて思ったこと (警察は市民の味方なのか、警察は権力側につく-財布でも届けると犯罪者に見られる)


なくしたスマホが警察に届けられて思ったこと

(警察は市民の味方なのか、財布でも届けると犯罪者に見られる)

スマホを置き忘れた場所を一日寝たら朝に思い出した、そこは真野ダムの岸の階段だったそこでおにぎりなどを食べた、しかしそれは確実に近いし思い出せる場だった
飯館の道の駅で本当はスマホがなくなっていることを気付くべきだった
そうしたらすぐに引き返していて見つけることができた
その時家に忘れたのかと思ったのが失敗だった
ただなぜそこに忘れたのをその時思い出せなかったのか?
道の駅でスポーツカーのイベントなどがあり気がまぎれたからだったのか、普通だっらすぐに思い出すことである

とにかく人間は忘れ安いのである、でもそこで良くたどってきた道を思い返さないことでし失敗した、真野ダムによってということをそこで食事したことを思い出せばわかったことである、それを意図的にでも思い返すことをしていればこうはならなかった
でも朝目覚めたらどういうわけか即座に気づいた
そして真野ダムまで朝6時に自転車でまた行った、これは私の自転車が電動自転車で優れたものだから行けた、エンジンが優れていて楽に走れるからだ

そして真野ダムについて座った階段の場所を見たらなかった、これはもう探せないとあきらめた、でも掃除する若い人がいた、その人に聞いてみたらそれなら見つけた人がいて
相馬の警察署に持って行きましたと聞いた、それならあると安心した
その人は真野ダムでボートを貸している人だった、そんな人がいるのかと知った
でもその人がいて助かったとなる、ということは今真野ダムで魚釣りなどする人がいても管理する人がいなくなっている、つまりなんらかそうした観光の場所では管理する人が必要なのかとも思った、ただそこで商売すになるかどうかはわからない
でも飯館村は外から来た人が多い、第一飯館村のあいのさわの管理棟でも外か来た人がしていた、地元に詳しくないのにしていた、結局人材がいなくなりそうなった
郵便を配達している人も外から来た年配の人だったからである
あそこには店が一軒があったがそれもなくなった、自動販売機もないのが問題である

それから相馬署にスマホのことを聞いたらめんどうだった、それは本当にあなたのものですかといろいろ聞いてくるのである、すぐに渡せないとかなっている
スマホが買ったのは半年前くらいで安全管理もわからなかった
でもまずどこで落としたのかわかりそこでボートを貸している人に聞いて相馬署にあづけられとわかれば疑いようがないだろう、でもまず警察というのは疑う、疑うのが商売であり簡単には忘れものを届けてもめんどうになる
財布などとどけたら本当にめんどうになる、中の金をぬきとったことを疑われるからである、それで捕まった人も現実にいる、するとみんな財布などは警察に届けるなと言っている、根掘り葉掘りきかれて犯罪者扱いにされるからである

そして警察が市民の味方かというとそうでもない、確かにいい面と悪い面がなんでもあるが警察の商売がそもそもその性格を作っているのだ、それは常に犯罪者を相手にしているから疑い深くなり相手を信用しない、また相手を許すことがなく刑罰を与える仕事だからである、その仕事が業となっている、職業とは何かこうして何らか業を持っているのだ
それは警察に一番現れているのである
だからそもそも警察を市民が嫌うのは当然なのである、そして本当に市民の味方かというとそうはならない、市民生活でも破壊することがあるのだ
私が駅でボランティアのまねごとをしていたら誰かが怪しいと警察に連絡したらみんなの前で職務質問されてできなくなった
つまり善意でしていたことだが怪しいとなり犯罪者扱いになったのである
警察はこうしてまともな市民生活を破壊することがあるのだ

そして警察に対する不満として何か頼んでもしてくれないとか多いのである
警察は困りごとがあってそれほどかかわらない、まずめんどうなのは明確な証拠がなければ受け付けもはしないのである、だから多額の金を盗まれても証拠がないからはと受け付けないのである、殺人とかなれば別だがいろいろ困りごとがあってもかかわらないのである
だから本当に警察は庶民の味方なのか、あからさまに警察を批判する人たちが結構いるし警察に対抗する市民をもいる、警官が好きな人はいないだろう
それは警官の最大の問題は権力をもっているからである、具体的に警察は暴力装置であり権力を代表するものだからそうなる、権力で暴力でおそれさすものだからである
だから警察と誰もかかわりたくない、一種の暴力団にもなりうる
常に権力という暴力装置であり監視しているからである
現実にパチンコ業者と結託して金をもらっているのが警察なのである

警察とパチンコ業界の癒着について

ここでは警察とパチンコ業界は天下り先はわずかだとなっている、金融業が多いとなっている

 竹垣氏は、暴力団とつながっている警察官が罪の見逃しをするケースについて「その課のトップにおったらできますよ。逮捕状請求すなとかね。色んな面で融通きかせてくれますよ。平成になってからの話です。ようけあったよ」と、仰天の打ち明け話。

 警察は権力があるからその権力にこびる利用する人達もでてくる、すると権力を持っている警察は金をもらえば許すとなるのも怖いがそれは人間として起り安いことである
何か前は警察関係は退職すると天下り先がなくなるとかでいかがわしい会社に再就職していたとかある、でも今は警備関係とかいろいろ再就職先があるからないとしている
東電にも検事関係などが天下りしていたのである

愛知県警の創価汚染

愛知県警が全域・全部門に渡って創価学会に汚染されており
創価学会が一声かけたら、警察OBを経由して、

部長や参事官、県警本部で課長以上の地位にある警察幹部
こういった上層部と形容してもよい大幹部の連中が、創価学会の意向に沿った行動を取り
創価学会の意のままに動く状況が、愛知県警内部では確立されている、と考えられる

これも怖い話である、創価と統一教会は似ているのである、どうしたら権力を操作できるかしか関心がないからである、そのために警察の予算をにぎる東京都で議員が力をもって警察を操作しようとているといわれる
阿部前首相は最大の権力者だからいろいろ犯罪にかかわっても捕まえることはできないとなる
でも権力が変わる時、韓国のように裁判になる、つまり民主主義というのは政権交代がないと権力との癒着が生れから機能しなくなるのである
民主主義とは三権分立であり権力の独占とかを禁止して権力を監視する体制のことであるそれは報道でもそうである、報道も大事なことは権力を監視することなのである
でもそれも金をもらえば忖度して真実は報道されないのである
だから権力者が変われば隠された犯罪が闇が暴かれるのである
つまり司法警察の上に政治家がいてそれで左右される
だからこそ創価は政治家を使い支配しようとするのである

警察は市民の味方ではない、権力者の味方だ!

こうなっているともなる、そもそも警察自体が市民が監視しなければ暴力団のようにもなる危険が常にあったのだ、暴力装置なのだから当然だとなる
軍隊でもそうである、軍隊も暴力装置なのだから当然そうなる、

自衛隊の情報保全隊が全国で市民運動を監視し、いつ、どの集会やデモ・パレードで誰が何を言ったか、何人が参加し、ビラや署名運動はどうだったかなどを詳しく調べ、それを報告書として全国の自衛隊情報部門に配布していたことが明らかになりました。私たちWORLD PEACE NOW 実行委員会は、自衛隊による市民運動の監視・調査に厳重に抗議し、監視・調査を直ちにやめ、実態を公表して、責任者を処分することを求めます

自衛隊と警察は同類である、暴力装置だからである、だからこういうことがあるのは警察と同じである、だから市民運動でも監視している、ただ警察も絶対かとなるとそうではない、時の権力を持つものに従うとういことである
だから基本的に権力をいかに監視するかが民主主義の基本となる
統一教会でもなぜ今頃騒がれるようになったのか、霊感商法のことでは警察もかかわっていたろう、それが全くなくなったのはやはり自民党が深くかかわりそうなったのかとみるいくら警察でも自衛隊でもあくまでも国民の意向を無視して成り立たないからである
国民でも騒げば成り立たなくなる、そして今警察自体の犯罪が増えるとまた信用できなくなる、その犯罪も取り締まる方になると隠せるからやっかいなのである

警察がみんな嫌うのは何かしら脛に傷持つ人が多いからである、それは人間として仕方がない、罪を犯さない人などいないからである、正直自分自身がそうである
でも警官自体が結構犯罪を犯していることでもわかる、警察を罪をゆるす場ではない
犯罪者にすることだからである、でも警察自体がその機構が犯罪に加担することが大問題になる、でも時の権力側につくのだから検察司法でも限界がある
三権分立としてもやはり選挙で勝った方が権力を持つ、そして検察司法でもその配下の警察でも従うことになる、全部ではないにしろそうらざるをえないのである
でも問題は警察でも自衛隊でも暴力装置であり強制できることなのである
戦争でも赤紙一枚で戦場に連れていかれて地獄の苦しみを受けたり死んだ人が国民にあった、でも国家は軍隊を持ち強制できたのである、そこに国家権力の怖さがある
だから民主主義は権力の交代が必須として選挙があるのだからそれが機能していない
自民党一党独裁になりそれで絶対的権力は絶対的に腐敗するとなっているのである



他人の共感力がなくなるのはなぜ

お金持ちや権力者になると他人の気持ちを読み取ることが苦手になるデメリットが出るということがわかっています。

本当に金持ちとかは貧乏人に共感できなくなる、金で苦労しなくなるからそうなる
何か人に共感することはその人が経験していないとできない
その人は十円でも二十円でも安く買うことに苦労している、安い店をまわる、昨今の物価高で余計にそうなった
でも自分自身はそこまでしていない、つまりそういう貧困にならないと貧乏に共感できないのである
権力者とか金持ちとかはそうして自分が苦しまないから共感できないのである

仕事でも実際にその仕事に経験して共感するのである
だから苦しい仕事があったとしてもそれをしない人は共感できないのである
そこに人間が理解しえないものとなる

警官が常に上らか目線なのは権力を持っているからである、庶民の気持ちなど考慮しない警察は人はみんな犯罪者だとみる、犯罪者にしたてることでもある
つまり正常に他人に共感できなくなる、悪い奴ばかりと接していると人間はみんなこんなものだとなる、でもその警官でも犯罪を犯しているのである
つまり人間は犯罪を犯しやすいのである、でもみんな犯罪者と見るのは危険なのである
ただ警察は許すとういことはない必ず刑罰を与えるものだから警察は嫌われるのである

ともかく人間が権力を持つことはこうして人間性を歪めたり危険があるから監視する体制がないと社会自体が腐敗して危険になるのであり市民でも国民でも被害を受けるのである

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2022年08月14日

南相馬市鹿島区千倉でバイク事故


南相馬市鹿島区千倉でバイク事故

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常磐線の鹿島駅の近くの踏切のあるところの十字路でバイク事故があった
でもそのバイクは壊れた訳ではない、傷もついていなかった
乗っていた人は若い人で顔にちょっとだけ傷がついていた
でも立って警官に対応していた

救急車が来てタンカーで運ばれた、やはりそれなりに体も傷ついたのか
一応救急車で運んだのか、警察の車も来ていた
あそこは知っている人が常に気をつけている
その女性は用心深いのである、あそこが危険だからそうなっていたのか
私も毎日のように通る場所である
鹿島小学校へゆく道は地下道になっているから安全である
ただ車とかは危険な場所なのかもしれない、自転車で地下道を行けるのだがめんどうなので十字路の方で待っている

何か信号関係の見間違いなのかスピードの出し過ぎなのかわからない
三人でバイクに乗ってきた若い人達がいた
心配そうに事故を起こした人によりそっていた
でもその人は普通に立っているしタンカーで運ばれるような傷を負ったようにも見えないバイクも壊れていなかった
どういう事故だったのかわからない、でもものものしい感じになっていた

バイクは事故を起こしやすい、何らかでバイクの事故の確率は高い
バイクは怖い、自転車でも事故になる、その70代の女性はいつも自転車の事故になることを言っている、相当に用心深いのである
その十字路のことも常に言っていたのである
その女性も必ず毎日そこを買い物とかで自転車で通るからである
ただあれだけ用心深いなら事故は起きないように思う

私の方が危険である、私は何か注意が散漫だからである、だから私は車は買えても乗らない、事故になるからである
車に乗っていたら事故になり早死にしていたかもしれない、やはり向き不向きがある
自分には車は向いていない、それで車社会を批判している
なぜ車でもバイクでも事故になるかというと早すぎるからである
あっと思った時は事故になっている、自転車だと遅いが車はバイクでも早すぎるから不注意であっと思った時すでに事故になっている、止めようがないとなる

でも田舎では車がないと仕事もできないし暮らしていけない
私は別に買い物も近くでてきるしそれほどの不便はない、でもみんながそうはならない
まず事故は怖い、一瞬の油断でとりかえしがつかないことになる
私の兄は高速で事故で40才で死んだ、何らかで身近で家族でも親戚でも交通事故にあっている、交通事故で人生が狂ってしまう
それで推理ドラマでは必ず交通事故になりそこから人生が狂ってしまったストリーになるのである、それだけ交通事故が多いのである
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高校野球は高校プロ野球になった (地域代表ではなくなったー大阪桐蔭は全国のえり優れた選手を集め一強になった)


高校野球は高校プロ野球になった

(地域代表ではなくなったー大阪桐蔭は全国のえり優れた選手を集め一強になった

高校野球はもともと地域代表として全国で戦うとういことで熱くなった
郷土でも応援した、でも今や第一郷土出身者は一人二人とかいない
ほとんどが越境入学した別な県の人達である
特に大阪とか東京とかが人口が多いからそこから全国に散らばる
ただ地域の高校はそうした野球エリートが名前を借りているだけだとなる
大阪桐蔭はえりすぐれた選手を選抜して育てるから当然他の高校は勝てないのである

そもそもスポーツには地域性がない、ただ柔道とかは日本で生まれたので日本文化伝統を受け継ぐもので地域性があり日本はそれで強いとはなっていた
でも勝負にこだわると勝敗がありそれでどこで勝ったのかわからないのにわずかの差で点数で勝敗が決まる、それは勝敗にこだわるからそうなる

野球は別にアメリカから生まれたとしても人種とか国とは関係ない、それが証明したのが大谷である、大リーグでも大活躍であり日本人でもあれだけのスターになれる
だから日本人だからといって身体能力でも劣っていないことが証明したのである
アメリカでは能力第一主義であり能力があればアメリカンドリームを手にいれる
成功すれば大富豪になる、人種とかではなく能力を重んじて差別するのである
日本人でも大谷のように大活躍すればアメリカ国民は賞讃して受け入れる
そこに人種差別はないのである

そういうことはIT分野で起きている、世界の優秀な人を集める、そこでGAFAとがでは世界中の優れた人達が集まり知能集団を作り世界を支配するとまでなる
それがアメリカの活力となり世界をリードするものとなる
つまり才能でもアメリカだけでは世界一にはなれないのである
スポーツでもそうである、サッカーでも世界から優秀な人達集めチーム作りをする
それはサッカーに特化して才能あるものを世界から集めて強くするのである
それがプロの世界でありそこで成功したものは莫大な収入を得るとなる

だから高校野球でも勝負にこだわればどうしても全国から優秀な選手を集めなければ勝てないから高校野球もプロ化したのである
なぜなら高校野球でもその力の差がありすぎると勝負にならない、とても地元出身だけでは勝てなくなったからである
だから地元はもう関係ない、優秀な選手を全国から集めた高校が勝つとなる
だから聖光学院が東京と神奈川の名門校に勝ったとしても中味は福島県出身者は一人くらいしかいないとなる、その一人にクローズアップして福島県の放送局が取材して放送していたのである、でも他の人達はみんな他県の人達なのである
ただ宮城県から二人とか山形県とか東北地域から来ている選手もいるから東北人だと
一応応援するかとなる

それで全国でもそうして東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか近畿ブロックとかに分けてその中で優れた選手を集めればそれなりに強いチームができる
ただそれでもどうしても関東とか近畿地域は強いとはなる
そもそもスポーツは地域と関係ない、どこの地域だから強いとかはない、人によりけりでありどこの出身者だから強いとはならない、ただ大阪辺りだと育つ環境が違うから積極的であり東北とは違っているかもしれない、でもスポーツは高校野球でも地域とは関係ないのである

とにかく高校野球はもう高校プロ野球であり全国から人材を集めなければ勝てないのである、人材という時グロ−バル化するとやはり才能ある優秀な人達は集めないと競争に勝てない、科学分野だと必ずしも地域とは関係ない、数学でも科学だと世界共通だからであるだからアメリカでは世界から人材を集めて世界一になる
黒人でもスポーツ分野では強いからオリンピックで陸上とかでメダルをとる
それでアメリカは有利になる、また英語が世界共通語だとなると英語ができる国はどこでも活躍できるとなる、その英語より数学ができることが世界共通語ともなる
ヨ−ロッパだと東ヨ−ロッパの人達でも英語を話すみたいだ
ウクライナの人達がインタビューされると英語で話ししていたからである
英語は世界で共通語になっていて知的分野の人なら英語でコミニュケーションができる
だからそれほど言葉の壁はないとなる

ただ言葉は地域性がありその土地に根付いた文化の側面がある、日本語は日本という島国から生まれ育まれた言葉であるから文化そのものである
でも世界共通性はない、日本語は漢字やらかなやらカタカナでも交じり複雑だからであるでも文化であるから日本語が英語になったらもう日本文化は消失するとなる
その独自性は失われる、もし理系的なもの科学分野技術分野となると日本語はなくてもいいとなるかもしれない、ただ文系となると日本語が英語になったら俳句とか短歌も消失する、それは日本文化のアイディンティティの喪失となり日本は日本でなくなる
ここにも理系と文系の問題が生まれている

スポーツでもどうしても強くなるには優れた選手を集めなければ勝てない、地域代表としては限界がある、人間の才能は資質は遺伝子でも異質なものが交わる時天才的な人が生れる、混血すると美人が生まれるとか黒人と混血した日本人の大坂なおみは身体能力に優れて世界的に活躍するとかなる、それは明らかに黒人の血が入ってそうなった
ヨ−ロッパの天才でも異質な世界と交わる所に生まれていた
北方系と南方系の交わる場所に生まれていた,ヨ−ロッパは国々が分かれて多様性があるから異質なものと交わり天才が生まれやすいとなる
また異業種の人と交わると刺激を受けやすいとかなる
大工さんとかでもじかに接して仕事をしてもらうと教えられることがあった
要するに人間の仕事も多様だからそうなるのである

とにかく勝負にこだわればどうしても優秀な人を全国からでも集めないと勝てない
勝つこと優先にすればそうなる、大きな得点差になると弱小な高校はみじめだからであるその差があまりにもありすぎるからだ、だから高校野球は出身地とは関係なくプロ化しているのである
でも別に大リーグでも外国人でも優秀な人を入れれば強くなる、それが大谷である
日本でも優秀な外国人を入れないとグロ−バル競争には勝てない
勝負にこだわれば必然的に高校野球もそうなったのである
そうなると高校野球のプロ化であり教育の一環としてやるのとは違ってきたのである
大阪桐蔭とかと比べると格段の差が生まれた、それはプロ化したからである
そうなるとプロ野球のように大金を払ってトレードすることにもなる
実際何かそうしたことを裏で工作しているという記事もある

でも地域とほとんど関係ないとしたら何か高校野球は地域に貢献するとかあるのか
勝ったとしてもそれは地域に育った人でもないし地域とは関係ないとなる
だから高校野球の本来の趣旨とは違ったものになっている
高校野球は別に地域に貢献することもないし地域と関係ないともなる
それは高校プロ野球として行われているとなる
高校野球は教育の一環として行われているとは今は見えないのである
だから別に初めて神奈川の高校、横浜高校に福島県の聖光学院が勝ったとしても福島県で大喜びとかにもならない、前の磐城高校が準優勝したときは福島県出身者だから大喜びになったが今はそうならないのである
ただスポーツでも何でも知的な分野でも科学でもグロ−バルに競うとなるとどうしても世界から優秀な人たちを呼ばないと勝てないのである
だから勝負にこだわれば必然的にそうなったとなる


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2022年08月12日

レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史


レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史

●レバノンの国家破産の危機





ヘロドトスは、著書『歴史』の中でリディア人のことを「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と述べています。

 リディア王国が発明した貨幣(コイン)というアイデアは、その後ギリシャ、ローマに広まり、そしてペルシアや西北インドなどの西アジア政界にも広がりました

 歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせていた[7]バビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどを使い分けた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%8F%B2


第一次世界大戦まではオスマン帝国領であったため、この地域ではトルコ・リラが使用された。大戦中にイギリスに占領されるとエジプト・ポンドが流通したが、大戦後にフランスの委任統治領となるとシリア・ポンドの発行が始まり、1ポンド=20フランス・フランの固定相場制をとった。これはシリアとレバノン共通の通貨であったが、レバノンでは1924年から独自の硬貨を、1925年から独自の紙幣を発行するようになった。当時はまだシリア・ポンドとの互換性が保たれていたものの、1939年には完全に独立した通貨となった。1941年、フランスがナチス・ドイツに敗北すると、レバノン・ポンドは8.83レバノンポンド=1イギリス・ポンドのレートで英国ポンドにペッグされた。1949年にはフランス・フランとの固定相場は放棄された。1975年から1990年の間、1ポンドは3アメリカ・ドルの価値があった。2006年、レバノン・ポンドは1アメリカ・ドル=1507.5ポンドのレートに固定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D
%E3%83%B3%E3%83%89#top-page

国からの金銭給付と預金には年度に紐づけられているものがあります。もし預金者が満期日に自身の米ドルを引き出そうと思えば、銀行からは米ドルを市場から確保するか預金を米ドルに換金して口座内に留め置くよう言われることになります。つまり20日前に、レバノンはバウンド経済に突入したわけです
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_3222/

レバノン国内には主なものだけで18の宗派が存在し、なかでも多いのは、国民の約55%を占めるスンニ派やシーア派などのイスラム教、次いで約40%を占めるマロン派などのキリスト教。そのほか約5%がイスラム教少数派のドゥルーズ派など他宗教です。

レバノンでは宗派ごとに権力を分散する体制をとっていて、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派から選出。国会議員数も1932年の国勢調査をもとに18の宗派ごとに割り振られる決まりになっています。

野菜やハーブを多用するレバノン料理や世界最古級の歴史もつとされるレバノンワインなど、料理を目当てにした観光客が多いです。特にレバノンワインは紀元前7000年頃からつくられていたそうで、オスマン帝国時代に一時途絶えたもののフランス統治時代に復活し、本場フランスワインにも負けない味わいだといわれています。

現在レバノンがある地域は、古代ではフェニキア人が土地を有していました。首都ベイルートも、もともとはフェニキア人が築いた都市。彼らは航海技術に優れ、レバノン山脈に自生していたレバノン杉で建造した船を用いて地中海に乗り出し、カルタゴ、バルセロナ、マルセイユ、リスボンなどに植民市をつくりました。

現在のレバノン人とフェニキア人には民族的な繋がりはほぼないとされていますが、レバノンの国旗にはレバノン杉が描かれています。

紀元前10世紀頃、フェニキアがアッシリア帝国に滅ぼされると、この地は新バビロニアやアレキサンダー大王、セレウコス朝シリア、ローマ帝国などが支配。7世紀頃にはアラブ人に征服され、イスラム化しました。

レバノン南部では、シリアやイランが支援するヒズボラと、イスラエルの紛争が継続。2006年にはイスラエルによる「レバノン侵攻」を招く事態に

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/9399



  レバノンは国家崩壊状態にある、ではレバノンという国をどう理解するのか、フェニキア人がいたとしてもそれは関係なくなりイスラム国家になりアラブ人が主な人種となり支配している、ただイスラエルとの関係が悪くヒズボラが支配してどこの国なのかわからなくなっている
あの辺はとにかく歴史が古い、7000千年前にワインが作られたというのも驚きであるもちろんエジプトでは小麦がとれるからビールを作っていた

●貨幣から見る歴史

世界史でも貨幣から見ると興味深い、レバノンボンドというときそれはイギリスの支配下にあったからボンドを使っていた、ボンドは世界的には今のドルと同じ役割を果たしていた、世界基軸通貨ともなっていた、エジプトボンドを使われている
中東でもイギリスの支配があったからだ

私はイスラエルの港から船で一時キプロスによった、そこで7時間位船が停泊したのだ
そこで金を使うにはイギリスボンドに変える必要があった、それでドルからだったのか交換した、まずドルが世界基軸通貨だから世界的に通用しやすい、だからこそドルに交換しないと世界では通用しないとなる、その役割が前はボンドがしていたのである
また世界で英語が共通語のようになったのはイギリスが七つの海を支配したからである
キプロスはすでに中世でも十字軍がキプロスを支配したことがあったから古い

1191年、第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる。キプロス島はギリシャ正教会からカトリック教会の支配下となり、東地中海でのキリスト教国家の「基地」としての位置を約400年間果たすこととなる

もともと中東は文明発祥の地だから古い、何かどこに立っても歴史を感じるのが中東でありヨ−ロッパであり中国だとなる、日本では歴史が古いとしても二千年前となると縄文時代でありそれが文明なのかどうかわからない、すでに中東やヨ−ロッパでは高度な文明が生まれていたからである、
今はキプロスはユーロ―になっている、2007年まではキプロスポンドを使っていた
となると確かにその頃行ったのだからユーロ―にはなっていない、ヨ−ロッパも旅行したときもユーロ―ではなかった、だから国が変わるごとに両替していたからめんどうだったでもそのことで別な国に入ると意識したのである
やはり国境とかでもないとかえってつまらないとなる、いよいよ国境を越えて別な国に入るとなる緊張感が生まれるからである

ドラクマという名前は「つかむ」という意味の動詞「ドゥラットー(ギリシア語: δρャττω)」に由来している。これはもともとドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである。オボロイ(単数:オボロス)は、紀元前11世紀以降使われていた通貨単位である。

紀元前5世紀以降、アテネでつくられた四ドラクマ硬貨は、アレクサンドロス大王以前のギリシア世界でもっとも広く用いられた硬貨であった。このコインでは、表にかぶとをかぶったアテナ女神の胸像が彫られており、裏にはアテナの使いフクロウの像が彫られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E



コインの旅

キプロスで一時船が停泊して
イギリスボンドの貨幣に変える
7時間ばかり滞在する
次にギリシャのアテネの露店で
何かを売っている
ドラクマを出して買う
そのドラクマの歴史も古い
アレキサンダーはインドまで遠征して
その貨幣が流通する
イギリスのボンド、アメリカのドルと同じ
ベトナムで中国だけではない
日本の貨幣も使われていた
重い金属の貨幣があり運ぶのも容易ではない
国々をめぐり貨幣は変わる
それが旅の思い出となる
またそれぞれの国の歴史を想うようになる
南の島で石貨がある
それは流通しない飾りとしてある
金は交換の道具
だから様々な国と歴史を語る
世界で貨幣のない国は今はない
でも未開の国で貨幣をもっていっても
通用しない所があるだろう
貨幣にはそれだけ長い歴史がある
塩と金が対等にアフリカの砂漠で交換されたと
つまり貨幣がなければそうなる
物々交換になる
ネパールの山岳地帯では物々交換が活きている
交通は容易ではなく閉ざされるから
交通が発達しないと貨幣も流通しない
ともかくいろいろな貨幣と紙幣が残された
でも価値があるのはドルである
ドルはエジプトの果ての辺りで
ロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫ぶ
アフリカの果てまでドルは通用する
アメリカが世界の覇権を握っているからだ
またなぜアンティークコインが安定した価値があるのか
それはやはり貨幣の種類でも中東ヨ−ロッパでは多い
トルコのエフェソスではローマの重厚な遺跡が残っている
そこでローマの貨幣を露店で売っていたが
それは偽物だったから損した
でもあれだけの荘厳な遺跡があると
その貨幣も価値あると思ったのだ
貨幣には何らかの裏付けが必要である
貨幣自体が金とか銀とかであれば価値がある
でも鉄のコインとかではそれ自体に価値がない
だから日本ごと小判であり
石見銀山の銀が価値があり世界から求められた
貨幣のことは語り尽くせない
それだけ貨幣は人間の歴史とともにあったからだ
世界の歴史が貨幣という物から物語になるからだ



キプロスにおける古代貨幣製造はBC6世紀頃に始まったとされています。当初のコインはキプロス文字の銘文を記したタイプとなっており、その後、ギリシャ文字に変化して行きました。

1878年に入ると英国(イギリス)が行政権を獲得し、1879年の3種の青銅貨が発行され余した。その後、1950年までキプロスのコインには英国王(女王)の肖像が描かれることになりました。

ドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである

ベトナムで金属の塊りが貨幣になっていた、骨董品を探して回る日本人がいた
その金属の塊りは持つだけで重いしとても持ち運べるものでもなかった
金属が貨幣になり金属そのものがもともと価値があったからそうなる

●国が崩壊するとどうなるのか?

レバノンという国が崩壊しつつあるのは理由は政治がうまくいかない、宗派対立があり
宗派でコミュニティがありその利権があり対立する
4っつくらいに分断されてまとまらない、そして援助したとしてもその金も上の方で一部のものに奪われてみんなに回らない、政治が機能していないからだという
宗教というのは利権化して利権対立になり争う、中東とヨ−ロッパはキリスト教とイスラム教の対立がありまとまらない、絶えず争いがあり戦争があった
日本という国はこの大陸の歴史からはずれていて熾烈な争いからまねがれていたのであるそれで明治維新になり日露戦争とか太平洋戦争となりその争いに巻き込まれたのである
日本はそもそも国際性が養われないのである

中東とかヨ−ロッパの歴史をみればわかる、民族でも様々であり四分ごれつして戦っていた、絶えず陸で国境を接して争っていた、それで悲惨なのだけど国際性は養われたのである、レバノンは外国に出て稼ぐ人がいた、それがカルロスゴーンだったとなる
莫大な富を得たからである、でもその故国のレバノンは悲惨な結果になっている
政治に宗教がからんでくると複雑怪奇になってくる
政治経済に宗教がかかわると経済合理性とかは無視される、科学的なことでも宗教がかかわりガリレオが地球が回っているとしてカトリック教会から刑務所に入れられた
つまり近代はこうした宗教支配から脱することだった
経済合理性と科学とまた宗派で対立するのではなく人権が重んじられるようになりフランス革命はカトリックに反発するものとしてあった
イスラム圏で政教一致だから経済でも科学でも停滞して発展しないのかもしれない
つまり近代は宗教と経済と科学とかを分離することになったのである
宗教が利権と結びつくとこうして政治でも介入して利権争いになる、宗派対立は利権利益の争そいになる
互いに宗教が絶対だとすると譲らないからである、聖戦だとかなり政治的妥協もなくなるからである

レバノンで注目したのは国が破産状態になるとどうなるのかとういことである
水不足になっているのは浄水場などを機能させる人材がいなくなったとかある
水はあるが浄水できないのでウィルスとか毒が交じっていて飲めないという
また電気が使えないので浄水できないとしている
つまりエネルギーとか水が得られないと国家破産状態にもなる
日々の生活に水は不可欠でありエネルギーにしても電気がないと何も動かなくなる
そしてレバノン人の優秀な人たちは脱出している、国を見捨てている
それはロシアでも起きた、ウクライナと戦争になり何十万人がエリートが脱出したとしている、大陸では民族移動がありそれで国も変わる、もともと遊牧民国家の人民は移動するだから移動するのに抵抗がないとなる、日本は島国であり海に囲まれていて脱出できないとなる、だから一億総玉砕とかになったのである、大陸だったら国から脱出するからである

いづれにしろ国が破産する崩壊するとどうなるのか?

そのことを他山の石として学ばねばならない、日本でもそうなるかもしれないからだ
日本は何か実際は相当な危険な地理にあった、ロシアと中国にはさまれアメリカに支配されたがアメリカは本国は遠い、アメリカは大陸と分離した島国である
だから直接攻撃されて戦争しても本国には被害がなかった
ロシアとかだ二千万人がヨ−ロッパから攻められて死んだとかある
戦争とは人間が大挙して移動することでもある、だからこそ遊牧民は戦争に強かったのである
日本の経済が低迷して貧困化して日本国家が破産するとかまで言われる
そういう機器がるときレバノンのことも無関係だとは言えない
レバノンも宗教のことで分裂しているが日本だって統一教会とか創価とか他の宗教団体もありそれらが衝突しないとも限らない、なぜなら中国派とアメリカ派に分断されるからである、創価は中国につき幸福の科学は右寄りであるからアメリカ側になるののか、ともかく日本は大国によって分断されることがありうる
時代劇で大藩にはさまれた小藩がただ大藩の言いなりになるだけで搾取されると嘆いていた、小藩の悲哀が江戸時代にもあった
だから日本がそうした危機が来るのではないか、戦後75年は冷戦などがあり米ソ対立で日本は直接戦争に巻き込まれなかった
でも米中対立とかでは必ずまきこまれる、台湾有事ではもう逃れられない、隣国だからである

日本でもエネルギーが石油でも石炭でもガスでも入らなくなると危機になる
でも原子力発電は危険度が高く失敗した、ウクライナも遠いからと傍観しているが何か日本もウクライナになるのではないか、アメリカは日本を中国と戦争させたいとか言う人もいる、ウクライナの戦争はアメリカがかかわりロシアと対立したからである
日本は明治維新で危機になり70年過ぎて太平洋戦争になり焼野原となった
そして戦争から75年過ぎて大きな危機にみまわれる
それが津波とか地震でも原発事故とかで現象化して次に経済危機から戦争ともなる
それでレバノンであれスリランカであれよそ事にもならない
同じような不安が増大しているのである

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レバノンは世界最大のポンジスキームだった! 世界銀行がレバノン政府の詐欺行為を強く非難【越境3.0チャンネル】
https://onl.bz/nTT2KyF

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2022年08月09日

高校野球は地域代表ではなくなった (高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は地域代表ではなくなった

(高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は見る方にすると面白い、聖光学院は福島県だけど図を見ればわかるように
福島県出身は三人しかいない、意外と宮城県が多いとみる
宮城県なら東北なのだから大阪とか遠くからの留学生のような人よりはいいとなる
高校野球は前は公立高校の磐城高校でも準優勝とかあった
池田高校も地方の公立高校であり一時優秀もして熱狂したそういう時代はもう昔になった
だから高校野球は全国の地方代表が戦うものではない、全国の選ばれた野球エリートが
地方の私立校に所属して戦うだけだとなる
地元とは関係ないともなる、めうしなければとても強豪チームには勝てないからだ
日大三校は強いと見ていたが意外と聖光学院が強かった

春夏通算3度の優勝・3度の準優勝を誇る強豪校として知られています!

日大三校は強豪チームだった、でも最近東京勢は強いと見えない、勝ちあがってこない
でも日大三校でも東京出身者が5人しかいなかった
これも意外だった、東京だったら人材が集まるかと見ていたらそうではない、全国から野球エリートを集めていたのである
東京すら東京に住んで育った人が出ているわけではなかったのである
そうなると高校野球は一体地方代表でもない、野球エリートが全国の私立校に散って争うプロのようなものなのかとなる
東京すらそうなのだから他はもっと地域の代表ではない、そうなると高校野球は何のなのだろうとなる

聖光学院と日大三高の戦いを見て面白かったのは甲子園特有の浜風が吹いてそれに左右されたことである、それで風にのって大きく伸びたこともあるがさえぎられたこともあったまたライトの方に風が吹いて外野の選手がフライをとれなかった
また盗塁があり二塁になげたが失敗したのは甲子園の球場は勾配がありそれで捕手の玉が高くなったとか地形の影響まで解説していた
それで甲子園で練習していないと損だとも言っていた、すると甲子園で練習している関西の高校は有利なのかとなる、今回は甲子園で練習できなかったからそれで不利になっていると解説していた

ここに私が注目したのは風土とか地理にか関心があり戦国時代の戦いでも必ず地の利が関係してまた天候も関係している、信長の桶狭間の戦いも地の利とその日の天候で勝ったとしているからだ、その他関ケ原の戦いとかも天候が関係していたとかある
勝敗は必ずしも簡単に決められない、時の運が作用するからである
ただそもそも本当に実力がなければ勝てないことはある、高校野球でもいくら運が作用するにしても実力が基本にないと勝てない、だからこそ全国から野球エリートを集めて精鋭部隊を編成しているから強いのである

ともかく私は野球が見ていて一番面白い、見て面白いスポーツだと思っていた
ただ高校野球はそれだけではない、プロ野球とは違った要素がある
その一番の特徴は一回限りのトーナメント制の勝負だということである
一回負ければ即退場になってしまう、そこに緊張感が生まれる
そこで一戦一戦全力を尽くすことで真剣さが生まれる
人生も実際は一回限りの真剣勝負だからである、そしてチャンスをものにしたものが人生の勝利者にもなる

だからチャンスにヒットを打つホームランを打つということが最高に印象的になる
いかにチャンスにヒットするかこれが人生でもある
それもそのチャンスは一回限りの勝負だとなると余計にそうなる
人生でも重大なチャンスは一回か二回なのか本当にない、そのチャンスを逃すとチャンスはもう後はないともなる、そのチャンスは若い時に30くらい前までである
そのチャンスを逃すと後はないとなる、何回もチャンスがある見ているが意外とないのである、だから就職でも新卒で大企業に入れないとしたら一生しょうぼい会社で過ごすとかなるのである、これは別に大企業でくなしてもやはり30前まで人生の方向が決まってしまのである、だから今は引きこもりが多いけど20代で就職に失敗したりすると一生引きこもりになる、これも怖いことだと思った

スポーツでも人間のドラマになる時にる時興味深いものとなる、ただ正直後のスポーツはそういう興味が感じられない、サッカーでもそうである、ただサッカーでも一回シュートを成功することで勝負が決まるとかやはりそれもチャンスをものにしたということである一回のシュートが勝敗を決めるとなるからだ、その時やったとなる
いづれにしろ高校野球に野球エリートがこだわるのはわかる
つまり甲子園という大舞台に出るだけで本当に選ばれた人となるからである
そういう舞台は人生で一回限りなのである、そういうチャンスは与えられないからであるだから甲子園に出た人は最高の思い出となりヒットを打ったことでも忘れられないものとなる、そういうことで人間臭いものがあり高校野球に惹かれることがある
人生をふりかえれば30とかまでは青春は得難い時間だったとなる
「少年老い易く学なりがたし」というのはあらゆることに言えるのである
青春などあっというまに過ぎるからである、だから何であれ青春時代に打ち込むことがあり懸命にスポーツであれした人は後でその時のことが忘れられないとなるのである
なぜなら後は意外とそうした大舞台など人生にはないからである

ただ最近は野球は見ていない、どうしても福島県の高校が戦うとういことで見た
それも実際は違っていたのである、だから将来的には今でも現実的には地域の代表ではない、でも強くないと勝てないのだからそうなった
それで将来的には地域の代表の戦いとなれば東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか分けて代表を選び戦うようにすればいいのかとも見る
もう県代表では勝てないからである、聖光学院に宮城県出身者が多いことでもわかる
そうなると東北の代表なのかともみるからである
そもそも高校野球は県の代表とかみているけど実際は違っている、それは錯覚なのである地域の代表同士の戦いではなくなっているのである
ただ高校野球自体には魅力がある、見ていて面白い、エキサイトするスポーツだとなる


センバツ「私学と公立の格差」埋まらぬ根本原因
https://toyokeizai.net/articles/-/419878?page=4

聖光学院出身高校
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宮城が二人と山形県がいるーこれは一応東北勢であり
地域代表になる、東北ブロック代表となる

日大三高出身中学
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東京も関東地方が多いから関東ブロック代表ともなる
ただ沖縄とか大阪からも来ている

posted by 天華 at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月05日

大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代 (地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)


大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代

(地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)

●政治とは利権利益の調整

政治とは何かと言えば利権利益の争そいである、互いの利権利益があり奪い合いとなり戦争にもなる、戦国時代は入会権の争そいから始まったというときわかりやすいのである
地域の入会権に戦国大名がかかわり大規模な戦争にもなった
水争いとかなると砂漠地帯では水が命だから水の奪い合いになるとかわかりやすいのである、本質的には人間が争いになるのは利権利益の争そいである
それが自分の住んでいる場所でも起こった

原発事故の補償金でもめたからである、それは今でも尾を引いてる、隣でなぜ多くもらえたのかとか、30キロで区切られたから女性の親は泣いて訴えていた
なぜなら別に放射線量など変わらないからである、だから30キロで区切ったのは問題だった、南相馬市では鹿島区が30キロ以外になり補償金が30キロ内の原町区と小高区とは相当に少なかった、原町区は避難区域になっていないのに三倍もらっていたとかなる
それで南相馬市は一体化感が失われたのである
でも避難者が仮設住宅に押し寄せた、それは相馬市でもそうだし新地とかでもそうである補償金では津波被害者と原発避難者では差が大きかった、それで同じ仮設に住んでいても口をきかなかったという、それも人間は金になるとシビアになるからである

人間はともかく争いの原因は利益利権の争そいである、政治とはその争いを調節することが役割だとなる、でもそれも公平にするのはむずかしい、だからこそその決着は武力になり戦争になる、平和的に解決しようとしてもできないから最後は武力で力で解決するとなる、それが人間の歴史だったとなる
それで三国志とマキャベリズムが生まれた、いかにして権力を得るかとか権力が最大の課題となるからだ、そして宗教でも占いでもなんでも戦争に利用しろというとき統一教会でも同じだった、宗教は戦争のために利用されたのである

●カルト教団も大衆ファシズム

カルト教団とは何かとなれば統一教会でも創価でも幸福の科学でも権力志向が強いのである、政治に深くかかわり権力を操作したいということである
創価なら毎日365日選挙しか関心がない、そのために祈る
それが利益になり利権になるから祈る、御利益のために祈るだけである
あらゆる欲望は肯定されるしむしろもっと欲望を持てと幹部が指導する
会員もそうした欲望を満たすために祈り運動しているからである
だからなぜそれが宗教なのかとなる、政治活動であり御利益を得る経済活動だから税金をかけろというのは正論なのである
それも結局民主主義とは数であり数だ多数になれば法律も数で決められるのだからどんな理不尽なことでも通る、そしてナチスになりファシズムになるのである

つまり現代とはファシズムの時代だったのである、なぜなら民主主義といってももう大衆民主主義でありすべては数で決まる、内容など関係ないからである
だから創価とはでもカルト教団では必死になって会員を増やそうとしている
数が集まれば社会を威圧できるし権力化するからそうする
ただ統一教会はそんなに力があったのかということである
隠されて報道されないのでわからなかった、全国で十万くらいの会員で自民党を操作する力があったのかとなる

キリストがこの世のものをあなたに与える、王にしてやると言ったとき断った
でもカルト教団だったら喜んで引き受ける、それよりそもそもがこの世の王になること権力を持つことが目的だからである、理論的に王仏冥合とかあり矛盾しないからである
それは中世のものであり現代にとても適用などできないのである
ただ理論などどうでもいいのである、権力を得ることが利権御利益を得ることが目的でありそのためにいろいろ理屈が言えるからである

●共産主義も全体主義で大衆ファシズムと化した

現代とは大衆社会であり民主主義と大衆は相性がいいのである、そしてマスコミが大衆を洗脳するのである、実際は大衆があってマスコミがある、大衆の意向にそってマスコミもあったのである、だからナチスがラジオから生れたかというときもそうである
ラジオのようなものでもそんな影響があったのかとなる
ただ現代社会は報道するときその場に立つこともできないし世界になるとさらにわかりにくくなる、だからフェクニュースでも信じやすいのである
マスコミによって操作されやすいのが現代だったのである
でもそれまでは新聞がそうだった、朝日新聞が一番戦争をあおったというのも意外だがそういうことがあった、そこでファシズム的熱狂が起きていたことはいえる
ファシズムというとき全体主義のことである

共産主義も全体主義でありそのために何千万人が死んだとか言われる
カンボジアでは二百万人が共産主義で粛清されてその骸骨が山と積まれた博物館がある
共産主義も全体主義でありファシズムでもあった
また宗教ファシズムにもなるのがカルト教団である
それらを野放しにしているとナチスとなり膨大な犠牲者が出る、何か信教の自由と自由、自由とかまるで絶対の権利になったのが現代である
そこであらゆるものが自由だとなり結果的にはそれがナチスとなりファシズム戦争となったのが現代だったのである

政治というとき民主主義でもポリスは一万くらいしかの人口がない、そこでは直接投票であり誰かの代理人を選ぶ投票ではない、だから一票の重みがあったし責任もあった
現代で一票など何の価値もない、だから組織化集団化したものに頼る、それがカルト教団でもいいとなり問題化したのである
つまり現代の危険はどうしたら大衆洗脳されるものから逃れて各自の自主性を確保するかとなる、そのためにカルト教団などは規制すべきなのだができないのである
自民党はカルト政権だったということが統一教会のことでもわかったしそもそも創価と一体化しているのだからカルト政権であり政教分離に違反している
でも法律など関係ない、政治は数だというときカルト教団も数となれば票を得られるのだからそれでいいとなる、とにかくまとまった票がない勝てないとなるからそうなる

●ノブレス・オブリージュ(地の塩の消失した大衆社会)

現代とはあまりにもあらゆることが自由にしたことなのである
そしてカルト教団でも信教の自由があるとか主張する、あらゆる人が自由を主張する
権利を主張する、しかし義務とか責任は意識しないのである
貴族支配に問題があったが侍支配にも問題ががあったがそこで

ノブレス・オブリージュの精神とは、
「財産、権力、社会的地位というものは、自分自身の能力ではなく、社会から、祖先から与えられたものであるから、自己を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務がある」という考えである。

要するに大衆は義務とか責任は感じない、ただ利益を得ることであり利権を得ることしか考えないのである、無責任なのである、そこで起きたことはもう大衆に社会が席巻されて終始がつかなくなる、誰も国でも地域でも責任は持たない、すべては大衆の利益と利権しか追求しない、それで原発事故でも家の前の海に権利があるとして補償金をもらう権利がるとして主張したりあらゆることで権利を主張するようになったのである
そこに責任とか義務などはない、それが意識できないのである
でも結局必ず責任がとらされる、その責任とは大衆戦争だったら何千万人が死んだとか原発事故だったら故郷に住めなくなったとかである
その責任は空恐ろしいものとなったのである

この世には一定数の地の塩が必要である、とても大衆にまかせたらあくことなく権利利益を主張するだけであり社会は餓鬼地獄にもなる、大衆は責任とか自覚しないからである
結局現代文明とはこうして大衆によって消耗される社会だともなる
カルト教団でもそうである、膨大な大衆によって使うようで使われる
大衆に使われて一生も終わる、結局大衆は真善美など追求しない、真善美を追求するのはやはり一定数の地の塩だとなる、その人達がいて下々でも社会は治められるとなる
カルト教団などは真善美など追求していない、権力しか眼中にない、数を集めて権力を得ることしか眼中にない、あとは人間のあらゆる欲望を肯定して御利益を得るために活動しているだけである

そして大衆を使っているようで大衆に使役されて一生を終わる
民衆のためだとかはない、自分の御利益と欲望しかない、その教祖は実際はサタンだともなる偶像でありそれに使役されて終わるとなる
何か善きものは残さない、会館とか各地に建ててもそれも虚しくされる
でもそこに費やされた金とか時間は膨大である、それも何ら実りがないのである
だからつくづくこの世は何なのかとなる、無益なことに膨大な時間と金と人員が費やされるのである、それはサタンに使役されるためにあったのかとなる

●代議制は無責任社会にした

人民の代議士はその代表者ではない、彼らは人民の委託人にすぎない
最終的に何事も取り決めることはできない、人民が親しく承認しなかったような法律は
すべて無効であり決して法律とは言えない
イギリス人民が自由だと自分では考えているが彼らが自由なのは議会の構成員を選挙する期間中だけであり選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となりなきに等しくなる

戦争を起こすものは人間の関係ではなくものごとの関係である
そして戦争状態は単なる対人関係から生まれない、ただ対物関係から生まれる

人民は代表を持つやいなやもはや自由でなくなりもはや人民として存在しなくなる
(社会契約論ールソー)

代議制では代表者を選ぶのであり選ぶ人は責任もなにもないいてある、すべて委託するだけであり責任を放棄するのとも同じだとしている、だから代議制というのは無責任であり選ばれた人でも実際は無責任である、選んだ人に責任があり選んだ人が悪いのだとか
選ぶ人たちが低劣なる選ばれる人も低劣だとなる
むしろ低劣な人間しか選ばれないともなる、そこに民主主義の限界がある
直接民主制とかはもう国単位では無理である、巨大すぎるからである
それは一万くらいのポリスで可能な政治体制だったのである

そして大衆民主主義とかポピュリズムとなるとき芸能人とかただ名前が売れている人が選ばれることになる、それで青島だとかふざけた人でも東京都知事になる
それは大衆にとって芸能人が身近であり名前も知っているからそうなる、第一大衆は考えるのが嫌なのである、めんどうなのである
だからこそカルト宗教が人を集めたのである、そこで一切考える必要がない、教祖の命令のままに動くロボットとなる、ナチスの党員となるからだ
その人達は機械のように動く、それで怖いのは殺せと命令されたら何の躊躇もなく人間を大量殺戮したとなる、命令されたことに疑問もなく考えることもなくそうしたことが怖いのである、大衆民主主義はそうなりやすいのである

大衆民主主義は最低限の人達のレベルに合わせることである、知性もなにもない芸能人に投票するような人に合わせることである、よくよく考えて選ぶ人ではない、人気投票のようなものになる、つまり大衆民主主義は最低辺のレベルの人達に合う人しか選ばれないということである、そこに絶望がある
経済的には最下層の人達に合わせるのがいい、でもその外のことについては大衆には合わせるべきではない、経済的な富裕層というのではなく何か選ばれた人達、一定の地の塩が必要なのである、一番下劣な人達に合わせて社会はどうなるのか?
もう高等なものを追求することもできない、愚民社会であり最悪は大衆ファシズムとなりナチスとなってゆく、それが今問題にしているカルト宗教のようなものになる
それはただ数を集めることを目的として権力と御利益しか関心がないからである
ただ現代はあらゆることが水平化するから何か優れた人とか認めないのである
それでニーチェのように衆人から逃れよとなってしまう、そして山に入り自然と一体化してロゴスを追求するのてある,アウトサイダーになってしまうのである
別に超人ではなくても自然のロゴスと一体化するのである

●水平化される大衆化される社会はヒットラーが指導者となる

大衆に高遠なことを説いて無駄である、それより大衆からは逃れよとなったのがニーチェなのである、雲霞のように押し寄せて来る大衆を相手にすることではない
結局大衆に消耗されて疲れるだけだとなる、大衆は相手にしないことである
政治の問題は市民とかではない、もう大衆を相手にしているから行き着く先は大衆ファシズムになる、それを象徴しているのがカルト教団なのである
何百万人の会員がいる、その中に百万以上の幽霊会員がいるとかもうそこには何も人間的なものは生まれない、ただ数として人間は処理されるだけなのである
つまり大衆は幽霊化した実体のないものでもある

そもそも現代文明とは人間は数として処理されるだけである、統計的数字として処理されるだけの存在なのである、万物の霊長たる人間はいない、そうなるには大衆より逃れよ
山に入れとかなる、何か大衆に諭すことなどできない、大衆に説教しても無駄である
個々人ならできるが無数の大衆には無駄である、それはただ数としてあるだけであり
リンゴであれミカンであれバナナであれ果物でも違っていてもみんな一個として数えられるだけなのである、カルト教団などは創価などでも毎日数を数えている、票を数えているだけなのである、結局大衆に使役されているのがカルト教団である
結局ロボット集団なのである、その制服はみんな真っ黒なのである
人間的なものはない真っ黒な集団でありナチスの党員と変わりないのである

対話するときは同じレベルの低レベルの人達と会話しても対話しても低レベルにとどまるだけである、現代は高レベルの人でも水平化されるから大衆が力をもっているから高遠なことを説いても無駄である、雲霞のような大衆に席巻されるのである
政治とは金と数だと田中首相が言ったように数を第一にすることは大衆が席巻する時代である、だからこそ自民党がカルト教団に牛耳られる、まとまった票を得られる
無料で選挙応援もしてくれる、金もくれるとかなる
現代とは大衆を操作するものが権力を持つのである

それはナチスを見ればわかる、民主主義があり選挙して勝ったから数を集めてそれがナチスに発展したのである、つまり低劣な大衆扇動者が権力を持ったのである
カルト教団はみんなそうである、その教祖を神のようにあがめハイルヒットラーとなっているのである、それがサタンになっているのである
とにかく代議制というとき他者に住民がまかせることがなかったというとき以外である
ローマでもそうだった、今と違って直接民主主義か責任をもって参加する度合いが強かったとなる、だから代議制民主主義は堕落する、議員に成る人は禄な人がいないとなる
でも現代社会ではエリートとか地の塩とかは否定される、すべて水平化されて大衆化される、つまり優れた者はない、みんな同じだとされる
そして大衆を指導するの扇動するのはナチスになったのである,カルト教団だったら
教祖になる、そもそも宗教もカルト化したとき大衆化したからである

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2022年08月03日

安倍晋三とは何者だったのか? (在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が不可欠)


安倍晋三とは何者だったのか?

(在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が必要)

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安倍晋三というのは何者だったのか、山上に殺されてから統一教会が問題にされ問われた歴史的には勝共連合からその祖父の岸信介とかから受け継がれてきたものがある
CIAとかは関係していたとか議論されている
韓国はアメリカ軍が駐留しているし統一教会ともトランプ大統領でも関係していた
統一教会のバックにはCIAとかがあり日本工作していたとかいう
何かそれが辻褄が合うのも不思議である
日本は今でもアメリカに戦争に負けてから属国なのだから当然だとなる
なぜ安倍政権が長期政権になったのかとういうとバックに統一教会がいてアメリカもかかわっていたとなる、たいして功績がなくても長期政権になっていたとなるからだ

そしてもう一つは政治も地政学が基本にある、下関とかは韓国に近い、韓国に行く定期船が出ている、そして岩国基地がありアメリカ軍がいる

 垂直離着陸可能な米軍のステルス戦闘機F35B16機を、米軍岩国基地に追加配備する計画が動き出している。岩国基地は厚木基地からの空母艦載機移転や「沖合移設」を掲げた滑走路増設で、すでに120機の軍用機と滑走路2本体制を備えた極東最大の軍事拠点に変貌している。そのうえに空母艦載機であるF35Bの一個飛行隊を追加配備し、岩国基地を対アジアをにらんだ空母艦隊出撃拠点に増強しようとしている
 
岩国には岩国城があり山城がある、そこに上ったことがある、でも小さい城だった
ここはアメリカ軍基地としては第一の大きさである
ここはやはり地政学的に韓国に近いし日本最大のアメリカ軍基地となった
そういう地政学が必ずあらゆることに関係している、なぜなら明治維新でもここは長州でありここを基点として幕府軍と戦って明治維新になったからである
それに比べると会津でも国際情勢にうとくなる、明治維新は四国の坂元竜馬、長州の萩の吉田松陰とかあとは薩摩藩が合体して成したということがあるからだ
そういう人物が出たのも地政学でわかる、例えば江戸時代で赤穂浪士が討ち入りしたとき青森の弘前藩までそのことが伝えられるのに相当な時間がかかった
電話もないのだから伝わるまで時間がかかる、そうして東北とかは国際情勢にうとくなるのである、そこに会津藩の悲劇もあったのかとなる

地政学的に山口県とかなると知った人だとアメリカ国籍であり在日の人がいた
これも不可解なのだがそこにいれば不自然ではない、アメリカの第一の基地があり
在日の人も多いからだ、でもその人は日本人ではない、それでも日本語はしゃべれるし日本人と区別できないのである
だからこうして複雑な事情がありそういう人物も生れたとなる
日本人になるのは嫌だ、では在日という国籍はない、それではアメリカに住んでアメリカ国籍をとったとなる、だから実質はアメリカ人なのである
それで岩国のアメリカ軍人と話ししていたのである、それも不思議だとはなるがこうしいう人は地政学的にあの辺りにはいるということである
その人はアメリカと通じ在日に通じまた日本人に通じている、でもアメリカ国籍とするとアメリカ人でありCIAの一員なのかともなる
それは統一教会とも似ているのである、在日とか韓国人は戦争のことで日本人を恨んでいる、それは共通している、そこで差別に異常に敏感なのである
だから在日というのは扱いにくいのである、一体何人なのかわからなくなるのである

Yoshitakaは,名前を 「YoshitakaLEE-MIYAZAKI」 とい うかたちで名
乗 りたいと思 うようになっているとい う。
《Yoshitaka》両方にしたいかもしれません.LEE でもなく,MIYAZAKI
でもなく,まあ,スペイン人風に,LEE-MIYM AKIって。それなら,韓
国人でもない。 もう,ほんと,在 日ですよね。
LEE-MIYN AKIなら,アメリカにいれば,コリアンから見ても,ああ,
日本で生まれたコリアンね,つて,そ うい うところで理解を得てもらえる
と思 うので。ぼくは,アメリカ人 としての部分もあるんで,そこを強 くし
て い き た い と思 っ て

越境する 「在 日の苦悩」
- 日本名 でアメ リカ国籍 になった在 日コ リア ンか らの聞 き取 り
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/KY-AA11946779-26.pdf

こういうことである、LEEとは李のことなのである、李とは李朝鮮があり中国でも大きな一族の姓である、日本で李と名乗る時、その人は私は在日ですと宣言しているのである
でも日本名になるともうわからなくなる、区別がない、だから李と名乗る人は日本人になりたくない人だともなる、だからはこそその人はアメリカ国籍をとったとなる
でも現実は日本で育ち日本人なのである、だからそもそも国籍とは何かとなる
二重国籍も普通にありグロ−バル化すると増えた、そうなるとその人は一体何人になるのか不可解になるのである

安倍晋三という人間もこうして山口県であり長州閥でもあり岸信介から韓国とかかわり
勝共連合とかかわり統一教会とかかわる、その背後にはアメリカがいるともなる
東北だとそういう人物は理解でなきないとなる
その人は個人的にそうなっているのだが統一教会は組織団体としてそうした立場になっているのである、韓国人にとっては在日にとっては日本人を操作するものとしてあったとなる、ただ在日朝鮮人を理解することは本当にわかりにくいのである
東北人はそういう歴史とか地理にない、そこで日本でも地政学が影響するのである
なぜなら人間は基本的に自分が住んでいる場所から世界を見るからである
そこにどうしてもずれが生れて来る、東北ではどうしても国際性が育たないのであるもともと出雲に国引き神話があるように韓半島は常に近いからそうなっていたのである

つまり安倍晋三とは地政学的に歴史的に理解する、地政学なくして人物も理解できないからである、安倍晋三はどうみても国葬にするような人物ではない、外交で多少功績があったとしても国葬にするような功績はないだろう、だから国民は賛成していないのである
結局何であれ人間が一旦死ぬと美化されやすい、どんな人でも死者を責めるのははばかられるからだ、そして美化されることによって自民党は国民の支持を得ようとする
死者を祭あげて政治に利用する、そういうことは共産党でもソ連があったとき書記はまるで神のように葬られたことでもわかる、エジプトでも王が神のようになったのもそういうことがある、神聖政治になるのである

ただ人間が別に普通の人でも死ぬと必ずその人が何だったのか問われる、この人は何をしてきた人なのか、何を残したのか、何の価値があったのかとか死んだ時客観的に冷静に見られるのである、それで安倍晋三が死んだからそういう議論が開始されたとなる
その評価はいろいろあるにしても何か目立って政治的に功績があった人なのか疑問であるどうしても右寄りの人は良くいうのは政治的に死者を美化して利用することがある
それが歴史的にも政治の手法だからである
ただ日本を衰退させただけの人だという人もいる、現実に衰退はつづいている
でもそれが安倍晋三のせいなのかとなるとまたわからない
そこには様々な要素があるからだ、政治もその大きな要素であり責任はあったとなる
ただ山上一人がこれほどの反響を呼んだことは驚きである

多数決の民主主義にこれで疑問を感じた人は相当にいる、民主主義の選挙では何も変えられないということを常々思っている人は同じようなテロに走るかもしれない
テロというのは否定されるにしても命をかけてしているから違っている
一票を投じるのとは余りにもその覚悟が違うのである
そもそも民主主義は大衆民主主義であり機能しなくなっている、だから何らか改革しないとテロが横行するようになるかもしれない、選挙では民主主義では変わらないということをみんな実感しているからだ、だからこそ山上が祭りあげられるようになった
その効果に驚いたのである



李という人はパソコン通信で知ったのである、それも20年前とかなるのに驚く
何か時間が過ぎるのが早い、あの人と旅で逢ったなと思ったら十数年過ぎていたとかなる大学時代あった人は50年過ぎたなとかこれも信じられないとなる
パソコン通信とはあの時相当な熱気があった、それは全国に住んでいる人が出合い文字で話すことによってそうなったのである、そういう経験をしたことがないからである
それはインタ−ネットができて起きた新しい経験だったのである
だから今でも自分は5chとかを読んでいる、ただ発言はしない
やはり発言するとなるとその人を知るには不十分でありものたりないからしていない
また今は忙しいので対話もしていない、返事もしていない
何かプログに文章を書くだけで手間なのである、そしてスマホを買ったがこれも手間で
今はほとんど利用していない、結局一人でいろいろなことをすることができないことがわかった、家事から何から何でも一人ではできない、それでフェスブックとかもしようとしたが一回も書き込みも返事もしていない、結局使い方自体がわからないからできなくなったのである

posted by 天華 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月02日

日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの? (政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)


日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの?

(政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)

人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、徳治主義を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする法治主義によって統治される国家のこと。

法律を絶対として人を治める法治国家である、でも法律が絶対的なものかとういとそうでもない、なぜなら法を扱うのは人でありその人が法律通りにするかというとそうはならない、法律は数式のようにもなる、自然を見る場合でも科学は数式でありそれで納得する
ただあいまいな根拠で一方的なものとなると誰も信頼しない
重さを計るにしても計量器で計り数字が出て納得する
だからだいたいこれくらいの重さですと言っても納得しない、だから法律とは数式のようなものなのかとなる
なぜなら機械の方が人間より信用できることがあるからだ
機械は偽らないことがあるからだ
それがこの辺で起きた原発事故でそうだった、モニタリングポストの下の土を削って故意に低くしていたのである

それを見ていた人がいて告発した、私もその回りを計ると倍くらいの放射線量だったのである、それをしていたのは大成建設とかだったのである
それは政府ぐるみで行われていたのである
大成建設が勝手にできない、政府の支持でしていたからである
だから政府そのものが嘘をつくし権力があるから大成建設とかゼネコンに命令できるとなる、そしたら一体誰が罰するのかとなる
それは裁判所になり現実に東電でも過失がありと判決があった
それで賠償金を払いとなったのである

法律が絶対とはならない、第一弁護士でもただ相談するだけで百万の金をとったのであるそんなことありえないのだけで頼んだ人は弁護士を知っているとかでそうなった
これも法律違反ではないか?弁護士が法律を守らない、政府でも守らない、大企業でも守らない、となれば法律は有名無実になる、また法律にも抜け道があり解釈がいろいろありそれで法そのものが絶対的なものではない
そもそも法律の始まりは宗教だったのである、モーゼの十戒がその始まりだった
これは神から授かった厳命だった、特殊なのは形をあるものを神となるなという偶像崇拝の禁止だったのである、ただではこれが法律化しているかとなればしていない
信教の自由となれば何を拝んでもいいとなっているのだ
イスラム教とかキリスト教とかではアブラハムを祖として同じルーツがあり偶像崇拝を異常に恐れているのである、そこは共通しているのである
そして無神論は許されない、つまり法律でも無神論主張すれば殺されるとなる
でも言論の自由がある民主主義社会では許されるのである
結局民主主義社会の問題はあらゆるものが何でも自由にしたことなのである

そこから様々な問題が生まれたのである、あらゆるタブーがなくなった
性のタブーでも同性愛でもなんでも自由であり何かそこからわからないにしてもサル痘が生れて来たとかなる、またあらゆるものが自由だとしてヒト、モノが外国でも出入り自由になった、そのためにウィルスも自由に入ってくるともなった
なんでもあらゆることが自由だということの弊害が出てきたのが今問題化したともなる
グロ−バル経済でもそうである、公平な自由市場の世界経済など実際は成り立たない
だからアメリカの一握りの人間が世界の富を収奪してとんでもない格差社会になったのである

今必要なのは自由を制限すべきだ!

人間にあらゆる自由はありえない、それがどうなるのか?大きな災いが世界的に起きる
現実に起きている、宗教も自由だ、信教は自由だと主張する
でも現実に政教分離があるのにそれも守られないのである、法治国家なのに法を守らないのである、そのことから統一教会問題やカルト教団の問題が起きた
創価などは明らかに政教分離に違反していても取り締まることもできない
もしかしたら法務大臣にすら公明党がなりうる、現実に公安委員長が統一教会と通じていたことでもわかる、カルト教団が権力の中枢に入りこんで政治を操作してくる
莫大な金が宗教を通じて韓国に貢がれていたのである
宗教は宗教ではない、金を収奪するための方便であり目的は金であり権力に影響して操作することだとなる
政教分離とかは有名無実なのである、政治家も票になればいいとかなり無視しているのである、法治国家ではない、そして民主主義もここにも法律が上として適用されればいいのだがしていない、法律より上なのが選挙である、選挙で勝つものが法律は無視してもいいともなる、そして民主主義でナチスが政権とって大惨事となったのである
日本の戦争でも同じではないにしろ似たようなものがあった
天皇が神となり日本は神国で負けないとなり戦争が苛烈なものなり一億総玉砕までなりえたのである

宗教は現代文明では病理的現象として現れたのであり過去の宗教とはまるで違ったものなのである、大衆洗脳宗教なのである、大衆ファシズム宗教なのである
だからこそ選挙が権力を得る為のものとなり統一教会でも創価でもそれを最大の仏法の戦いとしているのである、統一教会を批判するけど自民党は創価と一体化しているのだからまさにカルト政権ともなっている
ただ統一教会は表に出なかった、隠されていたが自民党の中に深く入りこんでいたのである、だから外国勢力が宗教を通じて他国を乗っ取るとか警戒されたものもわかる
外国のスパイが宗教団体を通じてはいりこみ操作するからである

いづれにしろ政教分離の法律にしても有名無実である、そうして制限制約されないことはどうなるのか?、また同じ道を行くことになる、日本帝国現人神戦争とかナチスの戦争の再現なのである、現代社会が大衆社会だとするとき数が権力だとするとき民主主義社会もまた数で決まる、数で決まるとういことは一人二人の賢者の声など簡単に抹殺される
大衆の数ですべてが決まる社会である、赤信号みんなで渡れば怖くないとなる
だからもう自由主義とか民主主義とか世界が自由市場のグロ−バル化でも限界にきているもはや統制できないのである、かえってあらゆる自由はアナキーになる
それはアメリカでも起きているし世界中で起きて来る、世界市場などでも公正ではない
そこでグレートリセットが起きるとか言われるのもそうである
とにかく人間はそもそもタブーとか否定してきたけど人間にあらゆる自由はない
それはカオスとなり統制できないものとなり混乱になりバベルの塔のように崩壊するとなる

宗教というとき信教の自由があり制限できないとなるがこれも規制するべきなのである
カルト教団を野放しにした結果として統一教会問題がありカルト教団で苦しむ人達がいるだからこそ政教分離を厳格にして信教自由を維持することが課題となる
創価のように公明党が国土交通大臣になっいること自体が最大の政教分離に違反している宗教団体は国からいかなる特権を受けてならないとしているからだ
その最大の特権を受けているのだから法律違反でも自民党は法律を守らないのである
肝心の政府が法律を守らないとしたら誰が法律を守るのか、弁護士だって法律を守らないそうなるとこの世はアナキーとなり戦国時代にもなる
ともかく大衆を扇動してもいいからナチスのように権力奪取して支配することだとなるからだ

でも奇妙なのは法律を作るのが国会であり議員であり議員は選挙で選ばれる、だから選挙で勝ちさえすれば多数になればどんな法律でも作れるともなる
創価公明党多数になれば国立戒壇も可能になり創価が国民を支配するともなる
そもそも法律は多数によって決まらないものなのである
宗教とはそういうものである、人を殺してはならないというとき多数決でそれは決めるとしたらどうなるのか?多数決で法律が作れるのかとなる
だから法治国家がどういうものが理解していない、法が最高の権威としても現実は司法も国会議員によって決められるとしたらそうはならない
それでナチスが生れたことを知るべきである、多数は正義でも法律に叶うものではない
でも多数ですべて決められるとしたら別に法律などいらないのである
つまりそういうことを国民も理解していないのである

天皇の象徴天皇であり戦後は国民の総意でその地位にあり権威があるとするのも変なのである、国民の総意が総意とは何なのか、ただ数が多いというだけなのである
天皇の権威はそもそもそういうものではない、そもそも政教分離なら天皇も日本からなくなるかもしれない、皇室はヨ−ロッパのようになくならないにしても最高権威とはならないとなる、では最高権威に成るのは何かとなれば選挙ですべて数で決まるとなってしまうのである、だからこそカルト教団ではどんな人でもいい、一票に結びつく運動を創価でも選挙の二年前からしている、毎日数を集める運動なのである
でも別にそれは法律違反でもない、政教分離で罰せられることもないのであ
そうして結局数ですべてが決まるということはナチスの再現となる

そこに自由市場とか民主主義とかはもう限界にきて結果としてアナキーになりカオスになりそこで権力を握る者は武闘で決まる、殺し合いで決まるともなる
それがアメリカでも起きている、カルト教団でも実質武装するということもありうる
オウムがそうだったし創価でもそうである、、なぜなら創価とは一つの軍隊組織になっている、隊長とか参謀とか軍隊組織なのである、武闘集団でもあったのだ
寺というのも僧兵がいたし武装集団でもあったのと同じである
だからこそ時の権威の武士集団と衝突して権力争いになり信長が僧侶を大量虐殺したのである、それは寺が城であ僧兵がいる武装集団だったからである

とにかく大きな時代の変化がきている、規制のものが崩壊する破壊される
自民党も安泰ではない、新しい勢力が出てきて変わる、日本は実際は戦後70年間自民党政権一党独裁とたいして変わりなかったのである
一回くらい政権交代があったとしても自民党一党独裁は変わらなかったのである
だから野党がだめなら自民党が二つに割れるとかして新しい政党となり出直すとかならないないと日本の再生はないとなる、あらゆる方面で改革が望まれている
でもそれが成されないと日本はますます衰退して沈没してゆくだけだとなる

死後に神の裁きがある

こういうときやはりこの世で悪は裁けない、人間にそもそも裁く能力がない
なぜなら人間はみんな罪人だからである、だから奇妙なカルト教団の教祖とかである
あたかも神のようになって人を裁いている、地獄に落ちるとかで恐怖を与えている
その本人がサタンになっていることでもわかる
この世とは誰が悪人かわからない、大悪人が大善人にもなっている
そしてとても人間を裁くことを人間はできない、そこには隠された悪も膨大にあり裁くことなどできない、その最たるものが神の子キリストをローマの官吏が死刑にしたことでもわかる、そんな権威があるのかとなる、この世とは神の子が裁判にかけられ死刑にされる場所でもある、そうだからこそこの世の人間が裁くことはできない
死後に罪が明るみに出される、この世で隠された罪が白日の下にさらされる
これも怖いことである、何か悪いことしましたかと自分で思っていても隠された罪が明るみに出される、その時反省しても遅いとなったら怖いのである
そうならこの世で罰せられた方が良かったともなる

ただ死後のことは誰もわかないし見ることもできない、でもカルト教団などは宗教詐欺罪になるからその罰は相当に厳しいものとなるかもしれない、そんなはずがないと言っても明らかにされる、この世とは何か悪が隠されまた栄える場所としたら不公平になるから死後裁かれるとなったのである、だから法律とかでない、この世の権力者でもない
神を畏れよということはそのことである、裁く能力を持つのは神しかないからである
ただみんなが恐れているのはこの世の権力者である、でもこの世の権力者もまた罪があり裁かれる、それも権力のない者より苛烈な罰が与えられるともなる
恐れるべきは神であり人間ではないとなるが現実は死後のことなど関係ないとしているのが人間である、いづれにしろ聖なるものの濫用は相当に罪が重い、ただこの世では裁かれないからかえってそれで成功する人は危険である
そもそも宗教で成功すること自体危険である、なぜならこの世で成功することはまさに
この世で力を得て権力を得るとういことだからである
だからこの世で成功した宗教は実際は失敗した宗教だともなる、そこに金が集まり人が集まりそして巨大権力化してこの世を支配する、それこそそこはサタンに乗っ取られたとなる、それがこの世なのである


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2022年07月15日

旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった! (在日朝鮮人の浸食と国家の独立が奪われていた日本)


旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった!

(在日朝鮮人の浸食と国家の独立が奪われていた日本)

「2021年4月、国立京都国際会館で『新型コロナ終息を願う京都1万人祈りの集い』というイベントが開催される予定でした。実行委員長は旧統一教会の京都教区長で、『天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合』や教団系列組織『京都府平和大使協議会』などが共催しており、実質的に旧統一教会の主導イベントであるのは明らかです。その『呼びかけ人』に名を連ねているのが二之湯氏なのです」

このイベントのチラシには、二之湯氏のほかにも世話人として、田中英之衆院議員、木村弥生衆院議員、繁本護衆院議員の、計4人の京都を選挙区とする国会議員が名を連ねています

安倍元首相銃撃事件で注目の旧統一教会「主導イベント」国家公安委員長が呼びかけ人だった!

これも大問題だった、なぜこんなに統一教会が公安委員長とかまで操作するようになったのか?そんな力をどうして持ったのかという疑問である
創価のような国会議員も持っていない、ただ警察でも自衛隊でも天皇でも工作はする、会員が内部にいるからである統一教会がなぜそんなに力を持ったのか?
選挙の応援するにしても選挙運動員として無料で働いたとてしてもそれだけそんな大きな力を持ち得るのか?
創価と公明はあからさまに権力をそもそも持っているし権力追求する団体である
それは目に見えて明確なのに政教一致なのに法律的に制裁されることもないのである
統一教会のように隠れて権力を操作しようとしていない、あからさまに選挙を通じて議員をもち自民党だと票を配分して自民党に対して要求できる
そのために国土交通大臣の席が与えられている
この地位はかなり大きな権力であり創価が握ることは建築土木関係に力を持つことになる大成建設は正本堂を建てたとき大成建設と深い結びつきができて公明に票を入れるように社員に強制されたのである、団地の会合でも大成建設の社員がいたからである

それに比べて統一教会は壺を高額で売りつけるということで話題になったり合同結婚式とかでもそうだがそれ以来統一教会が話題になっていなかった
でも隠然として日本の権力中枢に食い込んでいたのである
それが今回の阿部前首相の銃殺で明るみに出された
そもそも東北だと余り在日とかわからない、でも戦時中は大原とかの発電所建設とかで
在日朝鮮人が働かされたとかあり東北でも在日の人は結構いるのである
韓国に行ったら仙台で戦争の時軍人として働いていたとかいう人もいたし韓国人は戦争の時一緒に戦ったのである、上官になった人もいるし韓国はもともと日本とは深い関係にあった

ただ在日朝鮮人と言ってもわかりにくいのである、創価のような組織集団としてあるわけでもないからわかりにくい、でも在日はそれなりに一つの集団として日本に力をもっている、それは中国人であれベトナム人とか外国人労働者とは違う、日本人と一体化しているから区別できないのである、顔からも言葉からも区別できない、日本人にしか見えないのである、でも在日は特殊な立場にあり日本人ではないとなる
日本国籍ではない、でも韓国国籍なのかとなるとそれもわかりにくい、それで山口県に
韓国人でアメリカ国籍を持っていた人がいたのである
その人は日本で育ったから日本人であったが在日朝鮮人であり日本人ではないのである
だから私はこういう人を理解できなかった

山口県というと阿部前首相の出身地である、下関からは船が韓国に出ていてそれに乗って韓国に行ったことがある、韓国は山口県とかなると身近なのである
それで出雲とか島根県とかでは国引き神話が生まれた、それだけ近いからそうなった
その在日の人はアメリカに留学してアメリカ国籍をもっている、すると在日朝鮮人でもない,アメリカ人なのである、だから岩国に自衛隊の基地がありアメリカの軍人と話ししていた、知っている原町の人はその岩国の自衛隊基地で働いている
在日というとき小高に住んでいる小説家も在日朝鮮人である
でもこの人にしろなぜここに来たのか?やはり在日朝鮮人の一員として来たのか?
その意図がわかりにくい、でも南相馬市役所に横断幕がありアメリカから賞をもらったとか大々的に宣伝している、それもアメリカから応援されてそうなったのか?

とにかくアメリカのバックがあり力を持つということは日本では属国なのだからありえる
在日はわかりにくい、在日というとき中国人とも違う、ベトナム人とかの外国人労働者とも違う、日本語を話ししているし顔でも見分けにくい、中国人でも見分けにくいが在日の人は日本で育ったのだから日本人だと思ってしまうのである
そして在日の人には優秀な人がまた多いのである、だから重要な公的な地位にもついていることがある、でも日本国籍は持っていないからどうなのかということはある
学者もいるし芸術家もいるし俳優もいる、それでアメリカ国籍をもっていた有名な俳優もいたのである
この在日朝鮮人のことを知らないと今回の統一教会のことも理解できないだろう
その本部は韓国にあるからだ、つまり日本が統一教会によって金をまきあげらて韓国に尽くすものとしてあったとなる、そもそも韓国では日本に戦争の謝罪させるためにそれを当然としているからである

でも統一教会がこれほど日本の権力中枢まで食い入って操作するようになっているとは誰も思わなかった、それが山上の阿部の銃殺で明るみに出たのである
だから今や山上は国士とまでなったとかなる、当然統一教会の悪を訴えても警察も考案も動かない、統一教会は自民党と一体化していたからだとなる
無料の選挙運動員ともなっていたのである
日本人から巻き上げた金は韓国に入り日本の議員であれ警察であれ公安委員長であれ操作するともなるからショックだった、これは日本国家の存亡にかかわる重大な問題になったまさになぜ統一教会が放置されていたのか?山上は警察が動いてくれないと訴えていた
公安委員長が統一教会を応援していたのだから何もできないとなる

この阿部前首相の銃殺事件が意外と私怨とかでもない、大きな政治問題として浮上している、自民党にとっても相当な打撃になる、国民の怒りが今や自民党にも警察にも向けられている

つまり日本を売りわたしたのが自民党と警察だ!

ここまでにもなる、日本がなぜこれほどだめになったのかとなると韓国にもむしばるれアメリカによって収奪されるとかある、CIAも関係しているとかなればそうである
そこまではまだわからない、日本には中国でもいろんな所にスパイとして入り込み技術とか盗まれていたということがある、日本と言う国家はそうして外国にむしばまれていたのである、自立的国家ではなくなっていたのである
国家の権力の中枢が蝕まれていたのである、上級国民といわれる官僚もむしばまれていたこうして日本は外国に食い物にされ上級国民は日本から利益をえるだけだなとる
スリランカのように大統領一族が国を私物化したのとにている
自民党とか創価公明党でもそういうものともにている、だからなぜ阿部前首相を国葬にするのかわからない、国賊でもありえた、自民党は韓国に国を売っていたともなる

明らかなことは日本の信者から献金させて韓国に上納させて日本を支配するものとして統一教会があった、それに加担していのが自民党であり警察でもあったとなる
この構図は怖い、そもそも自民党自体が政府与党がそうなのだからそうなった
自民党はも大改革しないとこの国を指導することはできない、そさが山上の阿部前首相の銃殺で判明した、そのことはマスコミでも報道しなかった、でも隠れて日本の権力の中枢に入り込み操作していたのである
日本はアメリカに戦争で負けてからもともと自立していない、独立国家でもなくなっていた、だから外国勢力から裏からでもサイレントインベージョンされやすくなっていたのである、日本は独立国家ではなく外国勢力に操作される植民地のようになっていた

それが奇しくも山上の阿部前首相の銃殺で明るみに出されたから一私怨ではないものとして見るようになった、それだけ影響力があったことに驚いたとなる
ただそれは権力によってマスコミでも報道しないだけで隠されていたのである
でも何かのきっかけで明るみに出される、安全神話を作った原子力村の特権階級も津波によってその悪が暴かれたからである、それは大自然の恐るべき力だった
でも今回一弱小の人間が引き起こしたことで驚いたとなる
でも必ずいつかは悪は暴かれる、隠しつづけることはできないのである

阿部前首相を国葬にすることは問題である、それほど国に尽くした人なのか?
それは自民党を支持させるための工作だともなる、それはまるで英霊のようにする
それも祭政一致、政教一致なのかもしれない、死者を利用して神格化して治める手法である
それはソビエト連邦でも書記がまるで神のように葬られたからである
死者もこうして政治に利用されるのである、死者はとにかく美化されやすいのである
阿部前首相の悪は死んで隠され美化される、自民党がそうして力を持つとなる
では阿部前首相にそれほどの功績があったのか?それが明確ではない、国葬にするということは自民党だけで決められるものだろうか?国民一致ではない、野党でも国民全体の問題であり国葬にすることは国民の税金を払うことだからでもある
自民党一党だけで国葬にするのは勝手だとなる、議論もされていないし簡単に国葬にしていいものか疑問なのである

旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった!

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2022年07月09日

阿部前首相を殺害した犯人の動機はカルト教団への恨み? (政教分離を全く無視してカルト教団は野放しになっているー自民と創価は一体)


阿部前首相を殺害した犯人の動機はカルト教団への恨み?

(政教分離を全く無視してカルト教団は野放しになっているー自民と創価は一体)


・母親が統一教会に入信し、多額の寄付をさせられて破産。家庭が崩壊したことで統一教会に恨みを抱く。
・銃を崇拝する統一教会の分派サンクチュアリ教会に所属していたことから、銃の構造に詳しかった。
・統一教会幹部の襲撃を狙って銃を自作していたが、幹部の居場所を突き止めるのが難しかったことから標的を変更した。
・安倍晋三氏は統一教会の集会に参加したり、広報誌の表紙を飾ったりしており、統一教会が日本で広まった原因は同氏にあると考えたため、標的に選んだ。
・政治的には自身も保守派であり、安倍氏の政治姿勢に対して特に不満はなかった。選挙期間に実行したのは警備が手薄で狙いやすかったから。

これ、テロでも暗殺でも民主主義への挑戦でもなんでもなく、たまたま標的が大物政治家だっただけのただの宗教トラブルによる逆恨み殺人じゃねーか・・・

この国はカルトが幅効かせすぎなんだよ
金もらってるのか知らんけど日本はカルトに甘いから起こるべくして起こった

宗教にはまって一家離散は創価でも珍しくないから
この問題はあまり大きくさせない気がする

政教分離の意味を知らない馬鹿って本当にいなくならないよなぁ。
宗教権力と政治権力の分離って意味であって
政治家が何かの宗教の信者だったり信仰を持ってるのを禁止するものではないぞ。


これが本当だとするととばっちりだったのか?私が常日頃政教分離を主張して訴えてきたでもこのことに関心がない、でもこれは民主主義にとって大きな問題だったのである
だからこそ阿部前首相がそのために殺害された、自民党は余りにも政教分離などに関心がない、票をとるならどこでもいいとしている、それで創価と一体となる

政教分離の意味を知らない馬鹿って本当にいなくならないよなぁ。
宗教権力と政治権力の分離って意味であって
政治家が何かの宗教の信者だったり信仰を持ってるのを禁止するものではないぞ。


こういう人が常にいる、これも詭弁なのである、創価でぱ選挙は仏法の戦いであり聖戦なのである、仏が味方して選挙に勝つとしている、だから常に選挙は常勝でなければならない、そして必ず当選している、選挙となると拠点に集まり題目をあげて祈り票をとりにゆく、フレンド票でもとりにゆく、会員でも百万単位で幽霊会員がいるからである
それは名ばかりであり何もしていないか一応名簿では会員になっている
その数が膨大なのである、その幽霊会員を回り一票に結びつけるのが幹部の仕事なのである
一票になれば幽霊ではないとなるからだ

いづれにしろ戦後雨後の竹の子のように新興宗教が生まれた、それは戦後戦争に負けて精神的支柱が失われからである、、精神的空白ができて新興宗教が生まれて繁盛したとなるその最たるものが創価だった、それは最初団地の宗教であり地方から出てきた人達が仲間となってコミニュティを作ったのである
それは地方から出てきて精神的不安があり仲間造りをしたということである
それは本来の宗教とは違う、むしろ宗教は衆人と離れシャカのように岩窟で悟りを開くとなっていたからである、東京のような大都会で生まれようがないものである

とにかく創価の現実を知れば確かに信仰は自由である、でもそれが組織化集団化して政治団体となり権力化して権力奪取を目指すとなると全く政教分離に反するものとなる
それは歴史的にも寺が実際は城であり権力を握っていて武士と対抗できたから信長が攻めたのである
余りにも政教分離が法律としてあるのに大目に見過ぎたのである
自民党でも政教分離など関係なく創価でも他のカルト教団でも政治化するのを見過ごしていた
そのことが今度の事件になった、そんなことで殺されることは悔しいともなるがこれも
自民党自体が創価とかカルト教団と一体となり票を得ようとしていたからだとなる
その報いだったとのとまでなる、この事件の根源はカルト教団から票をもらいたくて
阿部前首相がこびたことである、票をえられればいいとして余りにも不用意だったのである

統一教会でも韓国がかかわりそれは国の大問題だったがそれも寛容だった
票にがもらえればいいとしかなかったのである
宗教団体は票田だからそうなる、内村鑑三は外国の宣教師を嫌った、日本は日本独自のキリスト教を作るべきだとしていたからである
つまりエホバとかもそうでありそれはアメリカの意向を受けて日本を支配しようとすることがある、そのことは秀吉の時代にもありキリスト教でも外国となると支配の道具として使われるということで警戒したのである
日本のキリスト教会は今でも実際はアメリカから支援受けているかもしれない
それは政治的にも支配されることになる
宗教は別に教団とか教会に行く必要もない、行ったとしても参考くらいにしておけばいいのである、教会員になる必要はないのである

ではなぜ会員を増やそうとしているのか?

それはやはり権力化して日本に影響力をもつ背後の力があるとなる
ソビエト連邦の時代は共産主義が宗教の代わりをしていた、今は中国がそうである
共産主義で国を治めているから日本でも共産化されるとなり自由がなくなる
信仰の自由もなくなる、思想の自由もなくなる
カルト教団は本当は法律でとりしまるべきものである、そうなると信仰の自由に反するとなるが現実に信仰というより明らかに政教一致であり政権にかかわり権力を操作しようとする、別に預言者なら個人ならいい、その人は集団組織の人ではない、個々人で諫言することはいいのである、それは日蓮でもそうでありもともと個人が政治を批判したのであり集団組織ではなかったからだ、そこには何の権力もなかったのである
数もないし何もない、空手で一人て権力者に諫言したからである

それが大集団で組織化して権力を得るためにのものとなったのがカルト教団である
だからカルト教団は取り締まるべきなのである、政教分離の法律にも違反している
でも自民党は票が得られるとして何も言わないのである
その結果として阿部前首相が殺されたとしたら自業自得なのか?
やはりなんらかカルマが個々人でも集団でも現れて来る、余りにもカルト教団など宗教でも何てもないに票になるからと容認してきたつけだったのかともなる

ただ政治家とは危険な職業である、なんかわからない理由でも一人の狂気の人間が出てきて殺されることは普通にある、だから一体何が原因だったのかなかなか明確にできない
もし宗教が関係していたとなると阿部前首相にしても意外だったとなる
そんなことになりうるとは思っていなかったろう、別に票をとればいいとしか考えない
そのために殺されるとはまでは考えない、でも前々から統一教会は問題視されていたのである、そういう団体を安易に応援することは危険だったのである
でも民主主義は数で決まるからどうしても票がまとまってとれる所ならどこでも行くとなる、つまり民主主義自体が問題なのである、すべてが数で決まる、その中身など問わないのである、そして大衆民主主義になり全体主義になりファシズムになる
それはナチスで経験しているのである、でも政教分離は全く守られていないのである
この犯人がカルト教団への家庭生活がめちゃくちゃにされたとういことで恨みを持っていたとなるとまたそこにその団体の幹部がいてねらっていたとなるとそのとばっちりを受けたとなる、でも阿部前首相もかかわっていたから同類となり殺されたともなる
カルト宗教団体は下火になったとしても現代の病的現象として起きる
だからこれを放置しているとまた危険なことになる、余りにも安易に見ているからである

特定の宗教団体に政治が加担

カルト教団に苦しんだ人の恨みをかう

銃弾でで殺害される

こんな因果になるのだろうか?
政治家は票がもらえるとしてカルト教団を組みしてはいけない
それは政教分離に反する
カルト教団で家庭がめちゃくちゃされたり苦しん人がいる
だから取り締まるべきだ
まず自民党が創価からの票を得ることはやめるべきだ
そうしたら政治も左右される、全然それが成されていないのである
むしろ票をもらいたくて積極的に協力関係になり政権を維持している
これを被害者になった人は恨むとなる
もちろんそれは自己責任にもなるが全くそうした害になるものが野放しにされている
ことにも問題がある
そしていつか宗教とは関係ない政治家でも復讐される
つまりとばっちりを受けるとなる

ただここまで因果めぐるとなると想像もできなかったとなる
でも因果めぐりめぐってくる、カルマはめぐりめぐってくるの例だともなる
どこかで関係ないようでも現象となって苦しみとなって現れるとなる
つまりその根をたたないとまた同じことが起きる
でもそうした根をたつとなるとこの世では不可能だともなる
様々な悪や罪は消えることはない、宗教詐欺でも犯罪にもなるが罰せられることもこの世ではない、むしろ悪人が善人になっているのも現実である
誰が悪人なのか善人なのかもわからないのである
ただこの事件もなんらか教訓を残した、それはカルト教団とかは危険なものであり政治と分離しないと宗教のことで政治家も被害を受けることなのである
でも政治家とはいろいろなものとかかわりそこで反対があり殺されるということがあったそういう職業でありカルマになる

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つくづくどこでカルマがめぐってくるかわからない、思わぬことからめぐってきて苦しめられる、今回は阿部前首相が統一教会とか宗教団体にかかわったことでカルマがめぐって来た、犯罪に合う時もどこからカルマがめぐってくるかわからないのである
それで都会は意外と危険かもしれない、人が多いからカルマを受けやすくなる
そしてカルマは断ちきれない、延々と人間につづいてゆくのである
カルマは解消できない、それは罪ともなるが解消しないのであ
今回の事件ももし宗教が関係していたなら阿部前首相にとっては思わぬことになるのである、ただそれは政治家でも票が欲しいからと見境なく運動するからそうなる
危険な所にも票になるならと行く、そこに大きな落とし穴があったみる
posted by 天華 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う? (カルト教団の被害者も多い)


宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う?

(カルト教団の被害者も多い)

●カルト教団の被害者の犯行なのか?

「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思い狙った」という趣旨の供述をしているということです。

また、捜査関係者によりますと、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしているということです。

山上容疑者がその宗教団体について、「家を破産させられた」「もともとトップを殺そうとした」と話していることが新たに分かりました。

この宗教団体が何なのかわからない、統一教会というのが当たっているのか?
創価も自民党と一体と言う時そうなのか、カルト教団にのめりこむことでと家族が巻き込まれそれで家族崩壊にもなる
また熱心だと必ずそこが選挙の拠点として利用される、創価の場合はそうである
選挙本部のようにされる、そこに人を集めて票に結びつけるのが日々の闘争だとなる
仏教の戦いであり選挙に勝つと仏法の勝利だとなっているからだ
完全に政教一致なのだけどとがめられるさともないし無税で政治活動でも経済活動でも行えるので税金を払いとなったのである
創価でものめりこんだら家庭生活がめちゃくちゃになったとかあるだろう
他のカルト宗教団体でも同じである

何か真光とかに入っていた人が裁判を起こした、その女性も家庭が破壊されたから恨みでそうなった、でもそういうことを訴えても結局そんなカルト教団に入るのは自己責任になってしまい、その罪は問いない、でもそれは明らかに宗教を利用した詐欺だともなる
でもこの世では罰せられない罪などいくらでもある
権力を持つと罰することができなくなる、検察でも大きな権力を持つ団体だとその圧力があり裁くこともできないとなる
要するに社会的法律的に防ぎようがないのである、いくら政教分離していない法律違反だとしても権力を持つと罰することはできない、自民党と創価は一体化して権力を形成して既得権者となり得することになるからだ
その利権を失いたくないとなり互いに不満はあっても結合する
それはあくまでも利権を維持するたにそうなっているだけである
だから利権が得られないと何らか利益にならないとかなり分断にも将来的にはなる
要するに権力を得る為に結合しているのだか得られないとなると分断する
自民党も票にならないとしたら簡単に創価でも捨てる、利をもって結ぶものは利をもって離れるともなる、金の切れ目が縁の切れ目ともなる

わからないにしろこの犯人はカルト教団にのめりこみ家庭生活がめちゃくちゃにされたということで恨んでいた、カルト教団にのめりこむと家庭生活や仕事より信心とかが優先だとされて活動する、運動員にさせられる、そして会員獲得のために日々活動させられる
そうして家庭生活よりその運動が第一とされ家庭生活がめちゃくちゃにされたとなる
それで幸福の科学の教祖の息子がyoutubeで親を批判している
何かここでもやはり家庭生活がおかしくなっていた、妻とも離婚して訴訟にもなっているからだ
もしこのことが阿部前首相の襲撃の動機だったとすると考えさせられる
なぜならあまりカルト宗教団体のことを批判できないからである

●カルト教団は宗教詐欺罪にもなるが罰せられない

すでに大きな権力を数でも政治でも持っているからである
そして宗教を標榜していることでもしにくい、つまり何か批判すると地獄に落ちるとか罰が当たるとかなる、それは政治や経済活動でもそうである
なぜなら選挙とは創価にとっては仏法の戦いであり聖戦ともなる
選挙に勝てば仏法の勝利である、だから常勝しなければならない、仏に従うことは必ず勝つことだからである
完全な政教一致なのである、それは天皇を神として戦った日本の戦争ともにている
そのために天皇を批判した牧口常三郎は獄死した、でも今は反対するものはすべて仏法に逆らうものとして地獄に落ちるとか罰が当たるとか何百万人の会員が脅迫するのだから
これはナチスと同じなのである、警察でも逆らえないとなったらそうである

カルト教団は宗教詐欺罪でもあり本当は取り締まるべきものである
その最悪の例がオウムだったのである、それを放置していたから被害になった
何もしないで放置するとナチスのようになり恐ろしい結果になる、仏教ファシズフムになり一向宗のように題目を唱えて戦地でもどこでも突っ込んでゆくとなる
イスラム教にもキリスト教でもそういうことがあった、カルト化して戦争になり聖戦となり殺してもいいとなったからである
宗教戦争ともなり悲惨な結果になった、不思議に宗教がかかわり人を殺すことになって
罪悪感もない、オウムだとボアしろとなり平気で殺された人達がいたのである
宗教による災いも大きなものだった
宗教が戦争にかかわると人殺しも正当化される、仏教ではそういうことはあまりなかったでもオウムではあった、宗教そのものは悪いものでない、悪いのは悪い人間が宗教にふれてかえってその悪が大きなものとなる
触らぬ神にたたりなしであり安易な気持で利益が得たいからなどと宗教に接するとむしろ祟りがあるとなる、現実にカルト教団は全体が祟(たた)られるものなのである

宗教というとき何か徒党組み集団化して組織化していること自体それは権力集団になる
現実に比叡山でも一向宗でも

「難しいことはわからないけどとにかく念仏で病気が治る」とか、そんな民衆の生活によりなじみ深い欲求・需要から一向宗への期待が高まり、裾野を広げていったのでしょう。

そして、この民衆の求心力を恐れたのが戦国大名のような支配層でした。素朴で土俗的な、いかがわしい呪力を使って一向宗は各地で民衆を組織している。戦国大名たちから見た本願寺勢力(一向宗)とは、敵になりうる軍勢を抱えた一大組織であり、だからこそ警戒したのです。

宗教が力を持ったのは病気平癒を願ったからである、会津で仏教が盛んになったのもそうだった、人間の最大の弱みは病気だからである、病気はその頃直しようがないからだ
すると祈るほかないとなり医者代わりに僧がなっていたのである
それで力をもつようになった、そうして寺は比叡山でも山城であり僧兵がいて不可侵の領域であり琵琶湖の交通で税をとっていたりした
すると信長とかからみれば宗教というより敵対する一大勢力と見たのである
僧兵もいるし税金も独占するしとなれば政治化した武装集団と見たのである
それは創価を見ればわかるこれも時代が変わり同じようなものが出てきた
時代は違うにしろ歴史は繰り返すとなる、そしてこうした寺の僧が武士になったというのも理解できる、僧兵が守り武装集団なのだから当然そうなる

●宗教団体は武装化もするし共産党でも同じ

オウムでも武装化して権力を奪取しようとした、オウム王国を作ろうとした
でもその前に選挙にもでて議員になり平和的に政権を奪取しようとした
それが失敗した、幸福の科学でも政治化して選挙に出ているが当選できない
創価はもともと選挙のために組織化した団体だから議員になり政治で力を持ち自民党と一体化したのである
共産党でもそうだが武装化して政権奪取をもくろんでもいたのだが民主主義だから選挙で政権をとることに変わった、平和団体を装うようになったのである
またキリスト教でも島原の乱があったがあれも浪人が集まり徳川幕府を倒すために戦った純粋な宗教により抵抗ではなくそうした浪人が野心家が集まってきたのである
つまり宗教でもこうして生臭いものがあり権力を得るために宗教組織にでも入ってくる
また利用もする、そういう浪人は信仰とは何の関係もなかったのである
ただそこが徳川幕府と戦う集団でありそこで一旗あげようとした

そういうことは創価にも言えるし他の団体にも言える
とにかくあらゆるものを吸収する、それは創価の場合は一票になればいいからである
その人の罪だとか人格だと心の問題は一切関係しない、一票を得ることしか関心がないのである
そして現代の権力とは数なのである、なぜ数が権力になるかとなれば経済的にも数が集まれば勢力になる、店でも十人が買えば利益になるとして歓迎される
一人が買っても商売にはならないのである、だから現代では数が権力になるのである
大衆民主主義であり大衆を操作することで数を集めることで権力化して社会を支配できるのが民主主義だともなる

赤信号みんなで渡れば怖くない

ナチスでも民主主義の選挙で選ばれて力をもって全体主義、ファシズムになり全国民をまきこみ多大の人間が戦死したのである
民主主義からファシズムになりやすいのである、それは数を第一とするからそうなるのも当然だとなる、数の前に今はひれふす、そしてマスコミは主にテレビはこの大衆を操作する、そこでむずかしいことは言わないことである
ハイルヒットラーでもいい、題目を唱えることでもいい、それはわかりやすいから洗脳されるのである、だからこうしたカルト教団とかマスコミを支配しようとする
創価だと福島民報で聖教新聞を刷らせるとか毎日新聞でもそうである
何かそこで経済的に援助してマスコミを支配して批判させないようにするのである
それは原発事故でもそうだった、それは追求してきた
だからNHK党がNHKを批判するようになった、インタ−ネットで新しい勢力が出てきたのである、マスコミは規制の勢力の権力の機関のようになっていたからである

現代文明社会は民主主義とかマスコミとか一見自由社会のように見えてもそれが巨大化すると大衆民主主義であり背後の巨大な利権を持つ組織集団に支配されやすいのである
原発でも電事連から800億円の宣伝費が出ていたのである
そして政経東北でも相双リテックから宣伝費が入り裏表紙全面で宣伝していた
相双リテックは除染でたいした技術もないのに大儲けして幹部で何十億という金を山分けしていたのである、それはNHKでもちょっとだけ批判していた
こうして報道機関も簡単に買収できるのである
結局それも新聞でもテレビでも金がかかりすぎたことなのである
新聞でも一軒一軒回って配達すること自体手間であり金がかかりすぎる
本を出版するにも金がかかりすぎる、だから報道の自由もなかったのである
インタ−ネットなら金がかからないのである、プログなど無料でてきるのである
手間がかかっても無料である、youtubeでも金がかからないのである
するとここに言論の自由があるとなったのである

●民主主義ではまともな人間が選ばれない

なぜ民主主義が行き詰まっている、無力感があり選挙に若い世代が行かないのかとなると選挙する前から結果は決まっている、様々な利権団体の票で趨勢は決まる
だから早めに当選確実になる、一パーセント開票でも当選確実になるのである
それはすでに票が決められていて計算できるからだとなる
公明党ならか確実に計算できる、会員が必ず投票するからである
こうして民主主義の本場でももう選挙は不正だとして暴力にもなった
すべてが数だというときそれが正しいとはならない、かえって今求められているのはそうした選挙で指導者を選ぶことではないのかもしれない
選挙で選ばれる人間は禄な人間がいないというときでもそうである
第一議員自体がそうした一票を入れる人を馬鹿にしている、選挙の時だけ頭を下げるからいいことは言うが当選して権力を持てばそんなことは忘れる
一時的に御愛想をして票を得るがあとは自分が権力をもって得することしか考えていないのである

民主主義では選挙ではもうまともな人間など選ばれない、まともな人間は選挙になど出ないともなっているのである
そもそも権力を得て自分の欲望を充たしたいとしかない、それは共産党であれカルト教団であれ何であれ同じである、共産党でもソビエト連邦でも中国でも同じだった
権力を得る為に革命をしたのであり結果的にその内部の権力争いで粛清されて何千万人が死んだとされるのである、外部に対しても権力闘争であり内部でも権力闘争である
それは欲の闘争だともなる、内部の組織でも地位につけば権力を得て欲望がかなえられるそのために組織団体を利用するとなる
人間はどうしても平等をめざしても不平等になるのは結局個々人の欲を抑えることができないからである、自分の欲を充たしたい、他の人はそのために利用するというだけになるその組織団体の内部でも欲をめぐって争いがあり外部に対しても欲を充たそうとするのである

ただ下層階級をみるとそれほど贅沢しようとしていない、今日食べれればいい、今日暮す金があればいいとかなる、でも電気水道ガス代が払えないことで一番苦しんでいるのである、何か議員になって金と女とか地位と富が入ればいいとかではない
そういうふうに苦しい人達はやはり一応同情するとはなる
でもそういう下層階級でありたくないとして団体組織で運動していい暮らしをしたいとなる、
それがおかしいのは矛盾しているのは共産党でもイデオロギーがあり平等の思想があり
カルト宗教団体でももともと宗教は欲を抑えることが基としてあった
だからシャカでも無一物となり修行した、何も持たない乞食のようになって修行したのである,キリストも寝る場所すらなかった、教祖がそうなのだから見習えばいいのだが誰一人としてそんなこと見習う人はいないのである
結局人間の欲を消すことはできない、だからこそいくら宗教の看板をかかげてもそこは俗化してかえって欲望を満たすものとしてある

人間はそもそも共産主義であれなんであれ人間の欲を消すことはできない
そこに最大の問題があったのである、そこでその矛盾に悩む人もいない
なぜなら欲望など否定しないしむしろ欲望を肯定してもっと欲望をもつことがエネルギーがあることだとして一心に祈る、地位が欲しい、富が欲しい、女が欲しい、・・・
あらゆる欲望をかなえるために祈ることになる
これが人間の現実なのである、ただ病気を直したいというときこれは人間の最大の弱みだからそのために祈るというときは悪いとはならない、でもそれが権力を得るために利用されるから宗教は危険にもなる





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2022年07月08日

阿部前首相銃弾に死す (民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


阿部前首相銃弾に死す

(民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


この事件の真意はまだわからない、でも何か日本でも世界でも民主主義でも資本主義でも行き詰まり限界にきている、アメリカでも選挙をもう信用していない、不正選挙だとして暴動が起きた、日本でも民主主義といってももう既得権者とかで固まられていて変えられない、何か宗教団体のことをも言っていたというが明確ではない

特定の宗教団体幹部の名前を挙げ、「この幹部を狙うつもりだった」という趣旨の不自然な供述をしていることも判明

これも政治にかかわり利権団体と化した宗教団体が自民党の背後にいる、それより創価と一体化したのが自民党だからである、また自民党は特に阿部前首相は統一教会の会合に出ている、親密な関係にあり応援されている

だから宗教団体の幹部というとき誰なのが?

奈良と言うと天理教の本部があるからそういう団体に日ごろ反発していたかもしれない
カルト教団は宗教ではない、利権団体でありそれで税金を納めないことであからさまに
NHK党とから批判されたのである、それも信濃町創価本部前で黒川氏が演説していたのには驚いた
そういう宗教を装う利権団体に反発する人はいてもその数と権力と抑え込まれて何も変化しない、それにいらだつ人達もいる
ただガス抜き政党としてNHK党があり新しく出た参政党などがある
でも現実の政権は依然として自民党が継続して変わらないのである

またシルバー民主主義であり高齢化社会は60以上の人達が多いのだからその人たちを優遇する政策をとらないと票にならないのである
でも4万とかしか年金をもらえない人でも引かれるようになったのである
そして日本は貧困化して物価があがり何か余裕ある人がいないのである
賃金も30年上がらないとか日本は失われた30年を継続している、そこから脱することができないのである

何か暴動が起きるとか不満が爆発するとか言われてきた、それほど追い詰められた人達が増えたからである、つまりもう民主主義とかでは何も変えられないという風潮になる
するとどうして変えるのかとなると暴力だとなるのである
それは民主主義の本場のアメリカでも起きているしウクライナでもロシアが侵略したように何かを変える時話し合いではできない、だから暴力となり軍事力が変えるものとなる
民主主義でも資本主義でも限界に来ている、一見公正なように見えても実際はそこにはもう既得権者とか利権団体とかシルバー民主主義で数が多いことによってすべてが決められる、それで絶望している人達が増えている、選挙に行ったて何も変わらないとなるから

若い人は選挙に行かない、選挙する前から決まっているからである
日本は基本的に自民党一党独裁だったのである
一回だけ民主党の鳩山政権の時自民党から変わった、それは失敗だったにしろやはり民主主義が権力を持つと既得権化するから政権を変えないと変われないのである
それは今までは暴力であり武力で変えていた
それで暴力が全面に出てきて社会を変えるともなる

ただ犯人が自衛隊に属していたということも騒ぎになった、やはり自衛隊とかで訓練していたからできたとなる、素人ではできないとしている
いづれにしろ日本は世界でも動乱の時代になった、それは東北大震災津波から福島の原発事故から始まっていたのである、そこに激動した時代の変化に突入した
故郷に人が住めなくなり荒地化して空家化したからである、それは回復していないのである
その後も去年だったか大きな地震があり今回の地震は強烈だった、未だに家が直していない散らかった本などが整理できていないのである
回りでも瓦屋根は直されていない、今回は瓦は自分の家では壊れないで助かった
前はいわき市から来た業者が直してくれた、この地震も大きかったので恐怖だった

何か戦後70年とかで大きな変化が来ている、明治維新から70年で太平洋戦争になりそして70年過ぎて激動の時代になる
激動の時代になると規制のものが崩壊してゆく、戦後の焼け野原のようにもなる
あらゆるものの崩壊が起きて来る、終身雇用の会社の崩壊、銀行の崩壊、医療崩壊、自治体の崩壊、医療崩壊、教育崩壊・・・あらゆるものが行き詰まり崩壊してゆく
それは戦後の焼け野原のようにもなる、そこで混乱してあえぎ苦しむとなる
何か安泰のものがない、戦国時代の下剋上のような世界になるともされる

そういう時犯罪が増えて日本もアメリカのようになると警告する人もいる
現実に犯罪は増えている、田舎でも南相馬市の原町で宝石強盗とかあったから驚いた
実際は田舎でも安心はなくなったのである
なぜなら生活が追い詰められている人が増えてくるからである
あらゆるものが物価が上がって10円20円安いのを探している人がいる
もう毎月電気水道ガス代が払えない人がいる、百万以上いるとか賃金が上がらずに物価高で苦しむ人達がいる

それはアメリカでも世界中で起きている、ロシアが戦争で肥料とか小麦とかガスが入ってこないということでもそうである、コロナウィルスでもそうである
世界中が大きな変化に襲われている
こういう時また必ず大きな天変地異が起きて来る、水不足とか農作物に被害があるとか
いろいろあり餓えている人が世界中で増えたとかなる
世界中が大きな激動になっている、グロ−バル化経済というのも見直される
食糧危機になったら自国第一主義で食料は輸出しない、インドでは麦を輸出しないとしている、これでグロ−バル経済も止められる、米中の対立で今までのようなグロ−バル化はもう限界である、それぞれの国で自立してまかないともなる
貿易はあるにしても基本的にはそうなる、でもグロ−バル化してきた経済を止めることの反動も大きい、そのために世界中で苦しむ、そもそも90億になるとかもう地球でそれだけの人間は養えないのである、これも限界に来たのだ
あらゆるものが限界現象が世界でも起きている、その大きな変わり目に来ているのが今なのである

だからこういう時下剋上が起きて来るというのもわかる、既得権者の既得権が奪われる
上級国民と言われる人達の既得権が奪われる、そういうとき戦国時代のようになり下からでも上に上れる時代にもなる、戦後の焼け野原だと食糧をもっていた農家の人達が力をもった、都会の人達は何か高価なもの着物でも骨董品でも食料と引き換えに交換した
その時紙幣は金では交換できないともなっていた
預金封鎖もあり金は統制されて市中に出回らない、その時物々交換にもなった
またそういう時代が来るのかとなる、円安になり物価が上がりインフレになればそうなる銀行であれゆうちょであれ貯金しても利子はつかない、それで銀行とは何の役割があるのかとなる、投資信託を売りつけるとなると証券会社なのかとなるからだ
そうして銀行も崩壊するとなる

つまり規制のものが力を失いあらゆるものが崩壊してゆく、それは戦後の焼け野原と似たような状態になる、そこでどうして生き抜いてゆくのかとなる
もう高齢者になるとその気力もないとなる
なぜ戦後の焼け野原になって復興できたのか、それはとにかく子供が多かった
何もない食べるものもないような状態で子供が多かった
子供は未来であり確かにその時高度成長時代になりその多かった子供たちを労働力として吸収できたのである、そして賃金は毎年上がっていたのである
今日本の給料は上がらない、なのに物価だけが上がっている
そして税金をいろいろととられる、4万くらいの年金からも年金は減らされているのだ

本当にこれから暴動が起きて来る、その兆しとして今回の事件があるのかとなる
こんなこと日本で起こらなかったとみんな言うがそれほど日本は危険な状態になっているのである、結局もう民主主義は機能しないと若い人たちも絶望して選挙に行かない
そして選挙でも既成の団体組織の票で決まっている
その組織団体となると宗教団体などがそうである、創価などは選挙のためにある団体であり利権団体にすぎない、だから税金をかけるべきだとなる
宗教活動ではないのである、政治活動であり経済活動なのだからそこに税金をかけるべきだとなる
それもできない自民党は創価と一体化しているからである

そこでまた阿部前首相は統一教会と一体でありとか何か不満があって撃たれたのか、わからないにしてもそういうことはありえる、そうした利権団体に牛耳られている、民主主義が機能しない、選挙など何の効果もない、すると一人の人間をテロで襲えば変わるとなるその反響が大きいものとなるからだ
民主主義は維持すべきである、でも民主主義に限界を感じている人も多いのである
そして無力感をもち暴力に走る人もいてこんな事件が起きたのかとも見る

日本が安全だとか犯罪が少ないとかは終わった、暴力で変えるほかないと思う人達も増えている、それは民主主義の不公平が是正できないからそうなっているのである
そうした不満が爆発寸前になっているのが今の日本にもなる
だから暴動が起きるというとき今までの大人しい日本人でも不満が鬱積してそうなる
それだけ危機的状態になっている、もう選挙では変えられないとなるから暴力になったのかともみる、ただこの人がどういう人なのか良くわからない
でもこれまで日本でこんなことありえなかった、それが起きたことはまさに大人しい日本人ではなくなったということかもしれない、次なる標的は誰かともなり怖いとなる


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2022年07月07日

NHK党と参政党の過激な主張に賛同 (創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)


NHK党と参政党の過激な主張に賛同

(創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)

NHKsouka.jpg
(3) 信濃町、創価学会本部前、街宣。三木谷のおじいちゃんは創価学会の幹部。創価学会は税金を払え、池田大作氏の個人資産1兆円超え? - YouTube
●信濃町であからさまに創価を批判する黒川NHK党

信濃町の創価本部の前で黒川氏が訴えていることに驚く、またNHK党の がNHKの選挙番組でもあからさまに創価とかを批判した
こういうことは今までなかった、それができたとういことの驚きである
創価のことについては書いてきた、創価は団地の宗教だとするとき別に小さなグループで相互扶助団体だったら問題なかった
それがなぜ権力奪取を目指し政権をとることを目的と化した団体になったのか?
王仏冥合などという政教一致の中世的なものを現代に実地に応用していること自体
ありえないことである、
ヨ−ロッパで政治と宗教が一体化したことで腐敗した、人間の正体は変わらない
人間の真実は変わらない、人間の欲が消えてないことは変わらない
そこから問題が起きてくる

人間は権力を持ちたい

でも人間が権力を持つことが一番怖い

なぜ人間が権力を持ちたいし権力を持つと怖いことになるのか?
それは人間の欲があってそうなる、ダビデでも部下の軍人の妻の裸を見て魅せられて
その部下を危険な場所に派遣して死なせたのである
つまりこれも人間の欲からそうなったのである、そして王であり権力をもっているから
命令できたことに問題があってのである
誰も止めることもできなかったからである、王に逆らうことはできなかったからである

●権力とは何なのか?

これは別に政治権力ということでもない、人間が力を持つものである、権力といっても
いろいろある、その最たるものが暴力になる、相手を理屈などではない、正義もなにもない暴力で従わせる、だから第一の権力は暴力であり軍事力になっていたのが世界の歴史である、何かを決めるにしても話し合って決めることができなくなる
すると最後の手段は暴力であり軍事力になる
それはロシアのウクライナ侵略でもそうである、ロシア人が迫害されているというのは真実だったようだ、それが止められないからロシアが軍事力で止めようとして侵略してきたとも言う、現実に迫害されて一万人とか死んでいるのも事実だとなる
その援護のために侵略してきた
どちらに肩を持つというのではなく、ロシアにも言い分がありもう力で抑えねばならない戸なった、もちろんウクライナにも言い分があった
双方の言い分があったとしても最後は実力行使であり暴力で軍事力で決めるとなる

権力というとき軍事力であり金であり民主主義では数である、この三つを抑えると権力を持ち人を支配できる、そして民主主義でも自由社会でも実際は金の力が大きい
つくづく人間は金に支配されるものだと実感した、毎月電気水道ガスが止められる人は
切実に金を求めている、生活保護でもそれを払うほどの金を支給していないからだ
するとその金を与えればその人は従う支配できるとなる
その人は病気であり金がかかる、でも生活保護でも全額を支払えない、三割くらい払うのである、その金がないのである、そうして今日本が貧困化するとその金が払えず医者にかかれない病院にも入れないとかなっている
だから金がないことは命にかかわっているのである
すると金を与えることで確実にその人は金を与える人に従うことになる

その金融を支配しているのがロックフェラーだとかロスチャイルドとかユダヤ人とかなるそれは常に陰謀論になる、それはわからないにしろ金によって人間は支配できることである、人は金がある所に集まる、明日食べるものがないというとき死につながる
でも金があれば食料は買えるのである、そのために金によって人間は支配できる
金が絶大な権力になる、また数も権力になる、例えばボランティアでも実は一人ではほとんどできない、20人くらい集まらないとできない
それも数は力だからである、数が力だという時、何か物を買うにしても一人が買うのと
十人が買うのでは相当に違う、売る方でも10人を重んじる

●数が権力である

一人が買っても商売にならないからである、数が力となる権力となるのは民主主義では選挙がありそこで権力を得るから数を集めることが第一となる
その数もまとまってないと権力になはならい、それでまとまった票を常に確保している創価であれ他のカルト宗教団体に自民党であれ野党であれ頼るのである
そうして自民党は創価なしでは選挙に勝てないとなり権力を持つことになったのである
そもそも創価とは24時間、365日、毎年、頭の中が選挙しかないのである
そこに座談会にも参加しない幽霊会員百万単位でいる

その会員を座談会に参加させて一票に結びつけるのが幹部の日々の活動なのである
宗教というがそれはこの世のあらゆる欲が肯定される、むしろもっと欲をだせ、題目あげてエネルギーを出せ、何でも欲を実現させるのが信仰なのである
これほど本末転倒したものがないが現代文明社会ではナチスが生まれたようにそんなことが関係ないのである、大衆社会でありむずかしいことは言わない、ハイルヒットラーでありハイル池田大作になるのである、大衆にはむずかしいことは言わないことである
簡単に率直に誰でもわかる命令がいいとなる
そこららのおばさんとかにむずかいしことを言ってもわからないからである
政教分離がどうのこうのも関係ない、ただ御利益と福運がすべてでる
それは賽銭を投げて幸運を祈る神道も同じである、宗教はそもそもそういう人間の欲から脱するために生まれたものである

でも一旦そういうコミニュティに入るとそこが生きる場となるからなかなかぬけられないとなる、それは教会でも同じらしい、仲間でできるからその仲間と離れるのが嫌だとなる一応助け合うこともその党派内ではある、でもその党派に入らないものは敵であり地獄に落ちるとか罰当たるとかしか言わない、それは仲間の権益を権力を維持するためにそうなる、イスラムでもキリスト教でも党派化して熾烈な争いになる、一見宗教の争そいの用に見えて権益、利権、権力の争そいになる、そもそも宗教をめぐって争いになるのか?
それがわからないのである、人間が一番気にしているのは自分の利益でありその御利益を得ることだと教えるのがみんな納得する、すぐに理解する、そして何か御利益があるとして入ってくる、いい女がいるとかでもそれも座談会とかに来るきっかけとなる
実際はそれで一票を得るものとして誘い込むものとしてある
そもそも宗教は女人禁制だった、だから修行する山でも女性は登山が禁止されていたのである、それが時代遅れともなるが今やそういうことは一切ない
いい女がいるぞとなって入る人もいる、要するに一切の動機は問わない、頭数を集めて一票をえて選挙に勝つことしかない、それが創価の目的であり外でも似たようなものである

●宗教団体が無税なのは納得できない

だからなぜ宗教でないものが宗教活動として無税なのか?

これは全くわからない、政教分離もない、それは宗教を金儲けの手段としてこの世の俗世の欲を実現させるも道具でもある、
でもそんなことしていたら何かおかしなことになる、自己矛盾にもなる
だから宗教を看板にしないことである、別に宗教でなければ御利益を求めて矛盾しないのである、自民党は常に不正があったとしても宗教とは関係していないから人間のやることだからとして大目に見られているのである
でも宗教だと信仰しているのになぜそんなことをしているのかと見られるのである
公明党の議員が逮捕されたけどあれこそまさに御利益を得た創価の見本である
あのようになりたくてみんな祈っているのである
地位であり金であり女であり・・・・それは世俗の人間と何ら変わりないのである
これが自民党だと常にあり人間はそんなものだと見られて一過性で終わりそういう人は絶えることなくでてくるのである

そもそも創価でもカルト宗教団体は理論的に崩壊している、何かジキルとハイドであり
そこで真面目に考える人がいたら精神分裂病にもなる、そういう団体が正常でいられるのは創価でもカルト教団の人達はまず考えない、無思考人間であり頭にあるのは欲だけである、得することはするがあとは関心がないのである
例えば肝心の政教分離など言ってもわからない、何が悪いのともなる
そうした歴史的経緯など言ってもわからないのである、それをごまかすことも幹部等がしている、何かどんなことでも正論になる、理屈はどうにでもなるからだ
大衆には理屈を言っても理論を言っても無駄である
大衆は感情であおり御利益を言い、むずかしいことは言わないことである
そもそも理解する能力がないからである、そうしてナチスが生まれたのである
つまり創価でもカルト教団とは現代文明の大衆社会から必然的に生まれたものである
だから大衆とはどういうものかを知るべきだとなる
大衆的宗教とは何かを知るべきだとなる、それはナチスになるのである

●民主主義から全体主義になる

権力団体であり政治でも経済でも世俗と一体化してこの世を支配することが目的である
そして宗教は脅しとかに使うものである
逆らうとやめると地獄に落ちるとか罰当たるとか集団で脅迫する
そこに権力をもつと暴力になる、警察とか自衛隊でもかかわる、内部にも創価の会員がいるからである
そもそも罰当たるとか地獄に落ちるとか言っている人間はどういう人間なのか?
極めて俗的な欲にまみれた醜悪な人間だということである
池田大作自体は醜悪な人間である、そんな人達が言っているのである
でも何百万人が会員がいるから権力の圧力となり脅迫する、ナチス党員が創価会員にもなっているのだ、その支持者は大衆という極めて現代的な背景がある
触らぬ神に祟りなしとは良く言ったものである、カルト宗教団体に入って与えられるのは地獄と罰の恐怖である
第一そんなものをもてあそぶようにしている、宗教にかかわるとは実際危険だからその言葉が生まれた
安易に近づくものではないからそうなった

それは結局大衆化した数と化した文明から生まれたものでありそういうものはなくならないともなる、大衆に席巻されたのが20世紀でもあったからだ
それまで戦争していたのは貴族であり日本だったら侍だったが国民戦争となり全員が戦争に参加する時代になった、そして現代で一番勢力をもっているのは大衆だからそうなったのである、その大衆の扇動者がマスコミでありテレビなのである
だから大衆とはどういうものか知るべきだとなる、テレビは大衆は一体でもあった
テレビというメデアは大衆と相性が良く一体化したのである
毎日必ずテレビは見るからである、ただインタ−ネットで政治にも変化が現れた
NHK党とか参政党はインタ−ネットのyoutubeとかから拡散したからである
それであからさまに日曜討論でも創価は収支決算を明確にして税を払いとなったのであるそれが堂々と言えたことに驚いた、そこに民主主義の自由な言論はあったとなる

ただ民主主義とはまた全体主義になりやすい、数がすべてでありシルバー民主主義というとき60以上の人達が三分の一とかなれば当然偏り全体主義になるのが民主主義であり
もう選挙も機能しないのである、アメリカでもそうである、そこで暴力が今度は前面に出てきてアメリカが内乱になるとも言われるのもわかる
民主主義であれ資本主義であれこれまでのシステム価値観が大きく変化する時代になったのである

●NHK党と参政党に期待

私自身はNHK党と参政党に入れる、でも何の効果もないだろう、結局選挙は団体組織の票であらかじめ決まっているのである、だから早めに当選確実とか出る
その組織団体票が事前にわかるからである、創価の票は事前にわかる、するとその票を加算するから当落が決まっている
そもそも民主主義でも選挙でもそれが機能不全になっている、だからアメリカでは不正選挙があったとかもう暴力による内乱が近いうちに起きるとしているので
ある
民主主義の本場でもそうなっていることは民主主義も崩壊しつつある
それは結局大衆民主主義でありあくまでも大衆というものに依拠しているからそうなる
数が正義となるからそうなる、民主主義も資本主義も限界に来て次に来るのは何なのか
それはもしかしたら地域主義なのかもしれない、これも後退するようにもなるか人間の存在基盤がバックボーンはその人々の生きる地域にありそこにアイディンティティを見出すそういう土着的なものとして本来人間もあり政治でもそうなのである
創価が団地の宗教として生まれたというとき地方から東京に出てきた人達が作ったコミニュティでありそれは地域のアイディンティティを失ったからそうなった
東京という場には何かをアイディンティティとするものがないからである

いづれにしろ宗教は強制できない、強制しようとしたがのがカトリックとかでありイスラムでもそうだが宗教は権力でもって強制できない、でも実際は暴力であり軍事であれ金であれ数であれ宗教を強制するのがカルト教団である、それはそもそも宗教を求めるより権力を求めているのだからそうなる、政教一致祭政一致になっているからそうなる
政教分離などない、天皇現人神(あらひとかみ)でもそうであった、そこで創価の創始者の牧口常三郎が獄死したからである、その創始者が政教一致で殺されたともなる

でも現実は創価自体が政教一致であり迫害する方に回っているのである
だから人間の問題は権力を持つことが危険になる
それで老子でも政治を否定して聖書でもみどり子に治めさせよとかなった
人間にとって常にあくことなく権力をこの世の欲を追求しているのだからそうなった
当然創価でもその欲のために犯罪が起こしている、人間は権力をもったとき危険になる
権力を行使できるからである、それによって逆に権力化すると迫害するのである
でも公然と信濃町の創価の本部前でNHK党が演説したのには驚いたのである
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2022年07月02日

蝶が減っているのは何故なのか (生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)


蝶が減っているのは何故なのか

(生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)

●蝶は人間の住む里に増えた

多くの異常現象は極めて否定的に蝶に影響していることが明らかになった。例えば、芋虫が蛹に変わる時の降雨は英国に住む蝶25%にとって極めて危険であり、蝶にとって最も危険な天候現象である異常に高い冬季の気温は、半分以上の種に関係する。おそらく、冬季の暑さは蝶を冬眠から目覚めさせ、その後、寒さが戻ってきたときに死なせる。」

英国の学者たちは憂慮すべき信号を出し、それによると、2050年までにジャノメチョウ亜科、モリジャノメ属、セセリチョウ科、オオモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウといった6種の蝶が英国と全世界において完全に消滅する可能性がある
https://jp.sputniknews.com/20161101/2961832.html

34種が「絶滅危惧種」レベルで減少

 1年にどのくらい減ったかという割合(減少率)を見ると、1番はミヤマカラスアゲハ(31.4%)で、1千匹が10年後には30匹ほどになるような減り方だ。オオムラサキ(16.1%)なども加えた計6種が15%以上の減少率だった。
 また、ゴマダラチョウ(11.0%)、ギフチョウ(8.8%)、ウラギンスジヒョウモン(8.1%)、アカタテハ(7.4%)、イチモンジセセリ(6.6%)、キタテハ(6.5%)など28種が4%以上だった。
 https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/17276.html

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう

  アゲハチョウの研究室

 アゲハチョウは羽化してから二週間しか生きられません

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう
 http://butterfly-beautiful.com/archives/209



2022年の6月から7月になった、そして梅雨もなく炎暑になった
そして蝶が少ないように思える、インタ−ネットで調べると過去に五六年前でも蝶が少なくなっていると書いている、ま0た外国でも蝶が少なくなっていると記録がある
私は蝶の生態に詳しくない、ただ田舎だから自然に敏感ではある、でも科学的生物学的知識は希薄である、私の場合は文系だから美的なものとして自然を見ているからだ
でも田舎では自ずと自然に敏感になる、なぜなら私は注意して蝶を見ているからだ
蝶は五月頃になれば増えていたようにも見る
ただ梅雨になると蝶はあまり見かけないだろう

だから季節がずれて少なくなったのか?

今年は梅雨がなく真夏の酷暑に六月でなったからだ、何か梅雨というものでも前のように季節通りになっていない、空梅雨というのはこれまでがあったにしろこんなに酷暑になるようなことはなかったように思える
温暖化の真意はわからなにしろ気候が変わったことは認めざる得ない
ただ人間の時間感覚は短い、縄文時代とかさらに古生代とかなるとこの辺は熱帯であり山の方にサンゴの化石とか発見されている、福島県の浜通りはもともと温暖な地域であり
それで南相馬市の鹿島区の海老はマルハシャリンバイとか奄美大島産の植物の南限の地となっている
またスダシイ神社がありそれは沖縄の山原の密林に自生しているものである
照葉樹林帯の南限の地として福島県の浜通りはあったとなる
そういう長大な時間感覚でみれば機構の変動は地球規模で在り異変が起きてきた
氷河期とかもありそこで大きな地球規模で生態系が代わっているのだからある時期に蝶が増えたり減ったりもしているのかもしれない

●蝶も蛙も人間の住む里に増えたものーそれが減ることは何かを警告している

蝶と言う時春になった時山に行くルリタテハが宝石のようにちらちらと舞い飛ぶ、その蝶は春を知らせる蝶なのである、今年もそういう蝶は見ている、でも普通に見る蝶が少ないのである、アゲハチョウでももう飛びはじめて増えてもいい感じがする
ただそれは今は梅雨時期だから飛ばないということもあり季節感がなくなりそうなったのか?
ただインタ−ネットで見ても確かに蝶の数は減っているのだろう、その原因はいろいろある、ここで指摘していたのは人間側の作用で蝶の数が減ったという指摘である
蝶というのも里山とか人間が生活でかかわった場所に生息しやすいと指摘している
全くの原生林とは違ってむしろ人間が住んでいる場所に生息して増えていたとしている
それが農薬だとか使い蝶でもその影響を受けて減ったとしている

そういうことは田んぼで明確である、ほとんが人工の堀りになりそこにドジョウとかメダカとか最近ではザリガニなども見ない、ドヂョコだのフナっコだとかいなくなった
でも溜池では釣りをしているからフナはいるのである
何か生物は原生環境だけではない人間と共生していた、原生の自然の中に人間の手が入ってかえってそこが住みやすい場となって増えた種がある
その一つが蛙だった、蛙は水田があってそこを住処としている、その蛙を餌として鷺がいる、他にも虫を食べて鳥がいる、雀でも烏でも畑をほじくりかえして虫を食べている
鳥の主な餌は虫だからである、蝶もまた虫であり雀が蝶をつかまえて食べるのを見た
そういう食物連鎖がありその連鎖に狂いが生じたのかもしれない
それでも雉などは良く見かける、これは大きいから目立つからなのかもしれない
蝶とか虫類はもともと数が多くなければならない種である
また蛇も減ったようにも見える、あまり合わないからだ,雉は蛇でも食べるから食物連鎖として関係している、ノスリは見かける、これはネズミを食べる、ネズミでもカヤネズミとかなると小さい、それに悩まされている家もある
荒地になったときネズミは増えたからノスリも餌となるものが増えると増えたのであ
つまり自然を見るととき、生物は何かを餌にしている、その餌がなければその場所で生きていけないのである、ただ鳥となると餌がその土地になくなれば簡単に飛んで移動できるからいいのである

●原発事故で荒地となり蛙も鷺もいなくなった

そのために原発事故で田畑が荒地になったとき蛙がいなくなたった

そして鷺もいなくなった

鷺と蛙がいなくなれば餌がなくなるのだから消える、それで蛙がなき蛙か田んぼに増えると鷺ももどってきた
それは感動的だった

ただなぜか津浪の跡にに一時モンシロチョウなどが異常に増えたのである
この原因は塩気がありその塩を吸うためだったのか?
なぜならアゲハチョウなどでも小便した所に集まったりするからである
塩気があるところに集まるからかもしれない
津浪でもそうだが原発事故でもこの辺では大きな生態系の変化が起きた
津浪の変化は余りにも驚嘆すべきものであり自然の計りしれぬ大きさを感じた
田んぼだったところが入江になり海にもなったことは驚嘆した
ただそれは別にそこはもともと海だったのである、そこを人間が干拓して田んぼにした場所だったから元の海に戻っても不思議はなかったとも見た
それは自然の大きな作用でありそれで自然を破壊することはない
でも原発事故は生態系そのものを破壊したので修復できなくなった
放射性物質は残りつづける、プルトニウムの毒は二万年消えないとしているからである確かに死者はないとしても自然への打撃は汚染は致命的になったのである
木まで汚染したらか木さえ使いなくなったのである

人間は科学技術の時代になり意外と自然への関心が衰えている、自然に対する直観力が衰えている,五感が本能的直観力が衰えている
それで自然から何か危険でも直感的に感じなくなっている、頼っているのは科学技術であり機械である、それも必要だが何か東京であれ都会だとそもそも自然がないのだから自然への感性が失われる、田んぼも畑もなければ自然を肌で知ることはできないからだ
だから原発事故で田畑が荒地になりそこに蛙がいなくなたっのは驚きだった
そして鷺もいなくなったのである、それは淋しいものだった
でも田んぼも再生して畑も再生したとき蛙の合唱が聞こえたときこの辺は復興したと思った、その声は夜空の星々にもひびきわたっのである
つまり蛙でも蝶でも他の生物でも人間の営みと融合して棲息して増えたものがいるのだ
水田にはいろいな虫が棲息していて餌にもなるのである

蝶でもキャベツ畑に集まるのは

モンシロチョウは独特の匂いを持つ菜の花に好んで集まる蝶で幼虫はキャベツなどの菜の花と同じアブラナ科に属する植物の葉を好んで食べる為、本来はキャベツを栽培している場所に多く集まりますが専門の農家などのキャベツ畑では農薬を使っている為、モンシロチョウの姿は殆ど見られません。

モンシロチョウは夏型と春型に分かれており、春型は夏型に比べて黒い紋が薄い事が特徴です。また、日光のよくあたる広い場所に集まりやすいようです。
https://onl.la/qVYveMB



こういうことがあってモンシロチョウなどは里に増えたのである、そこに餌があるからだとなる、農業は第二の自然でありそれに適合して蝶や蛙などが増えたのである
いづれにしろこの辺で起きた津波とか原発事故の変化は驚くべきものだった
ただ津波はあくまでも大きな自然の作用でありそれは自然が修復する
でも原発事故の被害はプルトニウムの毒が二万年消えないとなり住めなくなったのであるでもチェルノブエリとかでは逆にヘラジカとか狼が人がいなくなたっ森に棲むようになった、チェルノブエリノブエリは意外とウクライナの首都のキエフ(キーフ)に百キロとか近かったのである、そこの平地には壮大な森が広がっていたのである
放射線被害があってもやはり自然は回復しているとなっているのも不思議である
ただ遺伝子の影響とかいろいろ言われているからそれはわからない
ただ放射線被害で奇形の生物が生まれたとかは見ないのである、ただその影響は科学的にまだ解明されていないのである

●生態系から離れた自然を感じない大都会の危険

ともかく大都会だとか東京などでは自然の生態系を直感的に感じない、危険でも感じないそこにこそまた危険がある、ただ科学技術に頼っている、でもそれだけで自然に対処できるのかとなるとできない、大都会自体が何か人間の直感かするとそんな所に人が密集して住んでいていいのかと見る、そこに大災害が起きるとも見る
津浪の被害で交通が途絶えたとき物資が運ばれなくなたっとき米がありそれを裏山の清水と木を燃料にして二週間くらい生き延びた、つまり人間はむしろそうした原始的生活ができる場所でこそ生き延びられるとなる、なぜなら都会だとそういうことはできないし逃れることもてきなくなるからだ、その時万事休す戸なる、それをイメージしたらとても住んでいられないともなる
また津波でももし人間の直観力が働いたら住めないともなる、波が絶えず打ち付ける海岸線は直感的には怖い場所だったともなるからだ
石巻の日和山の前には家が密集していたのである、それが自転車で通った時、危険に見えたのである、すぐ前に波が打ち寄せる場だったからである、一方で福島県の浜通りの四倉などは前に広い砂浜があり緩衝地帯となり意外と津波の被害が少なかったのである
でもいわき市の海岸でも直接海に接した場所が津波の被害にあったのである

現代は科学技術の社会である、それを否定できない、それで原発事故の前に科学者集団が津浪が来ると警告していたのである、それをまともに東電で聞いて対策していたら被害は防げたのである、でも聞く耳をもたなかった、東電でも科学者集団なのに科学者の言うことを聞かなかったのである、それはコストも関係していた、金をかけたくなかったことがある、でも科学者が科学者を信用しないというのも理解できなものだったのである

何か自然から異変を察知する能力が本能が生物には備わっているとしてそれがすべて科学技術に頼ることになった、それも問題があった、でももはや人間の直感力とかなんとかいうと誰もとりあわない、そんなもの科学的に見たら何の力もないとなったのが現代なのである、それは文系的なものであり理系のものからみれば何の意味もないともなる
でも理系の科学者にしても科学をすべてとしても津波とか原発事故でも防げなかったのである、科学者が津波が来ると警告することでも無視したからである
だからすべて科学万能としてこの世のことに対処できないのである

聖書だとなぜ常に危険を予言していたのか、預言者が尊ばれたのか?

それはとてつもないノワの洪水であれ危険がありそれでその災いから逃れることを警告したのである、でも人々はそんなことを聞かなかった、そして大被害になり洪水にのまれて死んだのである、また科学者が仙台の若林地区とかでここは津波が危険だと言ったら地価が下がるとして不動産屋が怒ったのである、人間は科学者であれなんであれ危険を感じないのである、人間が見ているのは目の前の利益だけだとなるからだ
そのこともまた危険なのである

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2022年06月11日

今回の地震で被害が多かった石の倉のこと(蔵の物語)


今回の地震で被害が多かった石の倉のこと(蔵の物語)

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相馬市の大きな蔵の倉庫

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木の蔵と石の倉が並んでいる
木の蔵が古く石の蔵が新しいとなる
木の蔵は写真映りが悪くどういう状態だったかわからなくなっている
風邪が落ちたのか・ちょっとわからなくなっている


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ここは小高の城の近くである




石倉町

戦国時代頃からある地名である。江戸時代に入ると「内藤分」という地名になった。内藤分村ははじめ総社藩領、寛永10年に高崎藩領、元禄8年からは前橋藩領だった。

文字通り石積みの蔵である“石の蔵”には、 大谷石とともに歩んできた秘められた歴史があります。

大谷石は宇都宮市西部に位置する大谷町付近で産出される緑色凝灰岩のことです。すでに古墳時代の石室などにその利用が見られ、近世に入ると宇都宮城の改修に大量の大谷石が使われるなど、大谷石は古来よりこの地の人々の生活とともにありました。

大谷石の名声を決定的にしたのは、大正元年(1912年)に完成した巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計による旧帝国ホテルでした。この名建築は関東大震災にも大きな被害を受けず、優れた耐火性が実証されました。

こうしたことから大谷石は蔵の建材としても使われることとなり、宇都宮の町並みには、大小さまざまな大谷石の蔵がとけ込んでいます。

そうした蔵のひとつとして、この東塙田の蔵はありました。65年ほど前に建てられたこの蔵は、砂糖や小麦粉などの食品原材料の業務用倉庫として長い月日にわたり、その役割を担ってきました。しかし、その後、倉庫が郊外に新設され、役目を終えた蔵はひっそりと休息の時を刻んでいました。


谷石の構造物が広く普及するのは、江戸時代になってからであり、最も多く用いられたのは蔵である。宇都宮市周辺地域における蔵の変遷は、大雑把にいえば板蔵から大谷石蔵である。板倉は太い木材を柱や梁として用い、柱と柱との間の壁は板材を用い、屋根は茅葺ないしは板葺きである。ところが板倉は、すこぶる火災に弱い。そこで、宇都宮市近辺では、防火性の高い大谷石蔵が建てられるようになったのである。

明治期になると大谷石の運搬が発展し、それとともに大谷石の利用目的が広がり、利用範囲も飛躍に拡大した。まず、明治初期に馬車が使われるようになり、従来、大谷石運搬の主役だった馬の背に比べ運搬力が約15倍にも高まった。それまでは厚さ3寸(約9cm)の石が基準であったものが、厚さ5寸(約15cm)のものでも一度に約30本が運搬できるようになった

。大谷石の防火性、および保温・保湿性が改めて高く認識されたからに他ならない。栃木県内に限って言えば、農家の米蔵のみならず、大正期以降は肥料倉庫や米蔵を始め各種倉庫が建造された。それとともに耐震性が求められ、側壁に控え壁(バットレス)を配したものや昭和20年代以降はコンクリート柱枠を支えにした倉庫が作られるようになった。中でも各地の鉄道の駅近くには、こうした大谷石倉庫群が目立つ。大谷石倉庫建築が最盛期に達した時期でもある。



今回のこの辺の大地震で目についたのが石の倉だった、こんなに石の倉があったのかと見た、注目していなかった、石の素材は古代から作られていた、古墳の石室などがあったからだ、石の倉も江戸時代前からもあった、江戸時代からあっても土蔵とか板倉が多かった石の倉が普及したのは明治以降である、それは防火のためである、石の倉だったら火には強いからである

でも石の倉は地震に弱かった、たいがい一部が壊れた、全部が壊れたということはなく石がずれたとかである、それで石の倉が意外と多かったことに気づいたのである
知っている農家だった家でも石の倉があり壊れた、石の倉は米等の保存に使われた

農家では、湿度が管理できる大型の貯蔵庫を用いて、低温(15度)または冷蔵(5度)でお米を保管しています。

何らかこういう役割が石の倉にあった、土蔵の倉より石の倉が効果があったから石の倉が普及した

ここはただの土蔵ではない。文庫蔵と呼ばれるものだろう。一階正面には天袋つきの押入二階にもきちんと押入がある。土台は石積み、二階の小屋組は和小屋とやらで、京間で桁行二間半、梁間は二間、柱は檜で梁は松。窓に嵌まった鉄格子は文化文政の頃のもの。扉は黒い漆喰で塗り固めて縦二メートル、横は七十センチ、その厚さは三十センチだ。壁も同じ厚みがあって、土壁の下地は普通は竹だが、太い木で組まれて棕櫚縄でしばって、その上から何層も漆喰を重ねて塗ってある。その上、屋根は置屋根じゃなく、土居塗りの上に直接瓦葺きをして、大棟ののし瓦は九段積み、鬼瓦は屋号の入った尾州産

ある蔵の物語

これだけこった作りになると見物であり文化財にもなる、竹というとき私の家は土壁でありそれ以後職人がいなくなった、最後の土壁として残った、中味は竹を組んで土壁にするすると竹で組んでいるから地震には強かったのかともみる
ただ現代の家の方が耐震設計で地震には強いのである
家というときこうして物理的とか構造物とかその材料とかが問題になる、建築の歴史をみればヨ−ロッパは石の文化でありあとは煉瓦である、だから石の城であり石の建築物が基本としてある、第一大聖堂にしても石だからである、あれだけの石の大聖堂になると圧巻になる、その石の聖堂を作る人達が結社となりフリーメーソンとかなったという歴史がある、それだけ石工は特異な技術集団であり力をもっていたのである

蔵とつく名前

これだけ蔵とつく名前が多いことは蔵は生活に欠かせないものとしてあった
喜多方市は蔵の市で知られている、会津は武家の街だったが喜多方は会津の北ということで喜多方になり商人の町として繁栄した、そして蔵が多いのは豊かになったとき競って蔵を建てたからである、だから蔵の街なのである
倉敷とかなるとまさに蔵だらけであり蔵の間の道を行くことになる、そこも商売で栄えたからである、大原美術館などもその栄があって建てられた

ともかく今回の地震ではこの石の倉が一部壊れてこんなに石の倉があったのかと気づいたそして石の倉は地震に弱かったということに気づいた、でもこれだけ地震がある国なのだから石の倉が多かったということはなぜなのだろうともなる
防火性があったとしても地震には弱かった、でも石の倉でも全体が壊れてはいない、一部なのである、だから修復できるのである、家自体も全壊したのはわずかである
地震より火事にそなえるために石の倉にしたのかとなる
今では蔵は喫茶店になったりしている、石の倉でもそうである、そこに何か重厚なものを感じる、黒々とした梁があり喜多方市でそこに入って外に積まれた雪を見ていたのが印象的だったのである、雪国の蔵はまた違ったものとなる

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会津の雪の詩


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2022年06月07日

なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか (民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)


なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか

(民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)

ビザンティオン(イスタンブール)、ネアポリス(ナポリ)、マッサリア(マルセイユ)など、現在も大都市として繁栄しているものがある。植民市は、方言、祭儀、制度などさまざまな面で母市と結び付いていた

ウクライナ戦争は西側や欧米側ではアメリカでも盛んに民主主義と独裁国家との対立の戦争だとしている
民主側につくのか、自由の無い独裁国家につくのか主義の戦いだと扇動する
それは米ソ冷戦と米中対立は共産主義と民主主義の対立としての戦争としていたのと同じなのである,イデオロギーの対立だともしている
ウクライナは西側となり民主側であり自由を守るためには民主主義を守るために戦うとする、でも実際はウクライナはウクライナの民族主義があり俺たちの土地を守るのだということで西側の援助を受けて戦っている、その意識の方が強いのである

そもそもヨ−ロッパの歴史とかわかりにくいのは何故なのか、それは歴史がわかりにくいからである、もちろん地理もわかりにくい、ただ大陸だとヨ−ロッパでも長大な河がありそれで世界が分けられる、ライン河でドイツとゲルマン民族とが分れたのである
そこまでローマ帝国が進出してもライン川から渡り支配できなかった
逆に最後はゲルマン人によって逆襲されてローマは占領されたのである
地理的には海でも川でも山でも障壁となり国境となった、川でも平坦な大陸でもその川を越えるのが難儀だから国境になる、それでriverとはライバルなのである
それがウクライナ戦争でも起きていた、現代で河など障壁になるのかと見ていたら
川を挟んで戦闘があり川をなかなか渡れないでそこで死んでいる人も多い
また渡れないように爆破もしているのである、だから人間の歴史はやはり依然として地理の影響が大きいと思った、そもそも航空機の戦いとなると河など関係ないと見ていたからである、でも陸戦となると依然として何か古典的な戦争として変わらなかったとなる

ヨ−ロッパがわかりにくいのは地理的にもそうだが歴史的にもそうである
ギリシャが基となっていたというとき民主制がギリシャのボリスで始まったからである
でもそれは一二万とかの小さなボリスなのである、その後の議会制民主主義とかアメリカの民主主義とは違ったものである
でも民主制とか民主主義とか自由とか言うときペルシャがアジア的独裁国家でありその戦いはポリスの自治を民主制を守るための戦いだったとしている
長大な大陸だと必ずその国家の規模が巨大となりアジア的専制国家になるからである
それはエジプトでもイスラム圏内でも専制国家になる、中国ももちろん専制国家の歴史なのである、そしてロシアもツアリー皇帝の専制国家であり農奴がいた
中国も同じである、それでプーチン皇帝とか習近平皇帝と言われるのである

ウクライナはロシアの専制国家に入り蹂躙されてきた、だから西側に入りたいとなった
でもその争いは民主と専制国家の争そいというより民族対立の争そいが基になっている
ロシア人とウクライナ人が同居して争いそれが火種となり対立して戦争に発展した
その動機は民主と専制国家の対立とも言えない、民族と民族は歴史的カルマとなり戦争が継続されてきたからである、だから東欧に小さな国があるけど遊牧民であり民族が違っているとなる、ただ民族的にはヨ−ロッパの白人とアジアのモンゴルに一時支配したからタタールの軛となり混血したとなる
ウクライナ戦争もウクライナ人がいて民族があり民族同士の戦いだとなる

でもアジア的専制といってもヨ−ロッパにもフランスのナポレオン帝国とかドイツのナチス帝国とかもありヨ−ロッパが民主的だともならない、ローマ帝国は専制国家とは違う共和制とかになるにしてもローマ帝国としてヨ−ロッパを支配した
それがルーマニアとかでもローマを期限にした国名となっているのである
とにかくアメリカが民主と専制国家との戦いだとしているとき中国でもそうなる
その対立は民主と専制独裁国家との戦いだとして鼓舞している
でも必ずしもウクライナはそういう意識では戦っていない、ウクライナという領土がありウクライナ人としてロシアと戦っている、自分たちの国土を守るものとして戦っている
それでベトナム戦争でも同じだった、ベトナム人が戦った理由は共産主義だからではないベトナムに侵略した外国人のアメリカ人と戦ったのである
それはパトリオテズムとなる、国土を基にした愛国心であり民族主義の抵抗にあってアメリカは敗退したのである、その構図はウクライナでも似ているとなる
ただ同じスラブ人だからその辺鄙は違っている
アメリカは人種差別があり黄色人種差別もある、アメリカはそれで黄色人種の日本人ならいいとして原爆を落としたのである、ドイツには落とさなかったからである
なぜならアメリカ人の祖先にはドイツ人も多いからである

民主主義でも共産主義でもイデオロギーで共通の理念で国造りをしようとした
民主主義もイデオロギーなのである、だから本当は人種とは関係ないのである
一つの理念の元に団結することだからである、共同体を作ることだからである
そうした共同体とはヨ−ロッパならキリスト教でありイスラムならイスラム教なのであるそしてロシアもキリスト教なのである、ただ共産主義でソビエト連邦を作ったけど崩壊したのである、そしてウクライナもそのソビエト連邦の一部だったのである
でも最後に強力なものとして残ったのは民族であり民族を基にして国土をもったアイディンティティが実際は残ったとなる

アメリカはもともと世界からの人種民族の寄せ集めであり民族主義になるとあとめられない、それはロシアであれ中国であれ巨大な大陸国家だとそうなる
様々な民族が混交するからである、それで共産主義で理念でまとめようとしたのは中国でもロシアでも同じなのである
ただ結果的には民族国家は残り対立してウクライナ戦争になったのかとなる
ただヨ−ロッパは東欧でも歴史が複雑でありウクライナ人とロシア人は違うのかとなるとわかりにくくなる、ウクライナは一時一部がボーランド領地になもっていた
ヨ−ロッパの国の領土は一定していない、拡大したり縮小したりしているからである
そしてヨ−ロッパでも絶えず戦争をしてきたのである
隣り合って協調することもあるが対立して戦争してきた歴史でもあった
日本のような島国で世界から鎖国のように孤立ししてありえないのである
隣国から攻めてくるという恐怖に生きてきたとなるからだ
その対立はそれだけ根深いとなる、それがまたカルマとなってウクライナ戦争にもなったとのかと見る

ヨ−ロッパを電車で旅していたら知らない間に国境を越えていたのである
それで何か関税のようなものをとられたようだった、つまりヨ−ロッパだと簡単に国境でも越えていることがあるのだ、日本だったら外国に出るということは海を渡ることだから知らない間に国境を越えていることなとありえないのである
ヨ−ロッパの国というときそれほど障壁はないのである、国籍でも形だけであり別な国の国籍を取得することも簡単だとかなる、日本のような島国とは違う
だから移住するのも国籍を簡単にとれるとしたら海をわたる異国に行くということでもない、日本のように外国に住むということのハードルが低いのである
それでロシア人でも国を捨ててヨ−ロッパであれ他国に出る人が大量に出た
ロシアはやはりヨ−ロッパではないにしろ半ヨ−ロッパだからである
ともかく大陸は陸続きだということそれがどういうことか海に囲まれた日本人には理解できないのである、隣国から敵になり攻めてくるということは海に囲まれて守られて来た
日本とは根本的に違っている、意識も違う、だから歴史もカルマとなり現代でもあのような戦争になったとみる


カール・マルクスは「労働者には祖国は無い」と国際主義を提唱していたが、第一次世界大戦の際に各国の戦争に協力する社会民主主義(社会愛国主義)と、レーニン主義の共産主義に分裂し、共産主義でも後のスターリン主義や毛沢東思想では愛国主義が強調された(左翼ナショナリズム)

社会主義とか共産主義より根強いのが愛国主義であり民族主義なのである
パトリオテズムだとなる、それは今でも変わりないのである
アメリカには愛国心というのが人種の混交であり作られていないのである
それでもアメリカファ―ストととなったとき愛国心が民主主義であり共産主義であり優先されるし根底にそれが根強く残っているのである
それはまさに大木の根のようなのものなのである



まず外国は住んでみないと実感できない、いくら本を読んでもそこで暮らしてみないと実感がもてないから理解できない
それでこうして様々な国に住んでいる経験がある人は実感とし理解する
他でもyoutubeで外国に暮らしている人が報告しているのは日本に住んでいる人は違っているのである
だからたいがい外国について発言しているのは留学経験とか仕事をしている人になる
外国を理解するには実地にその場を踏まないかぎり実感できないのである

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2022年06月06日

ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー (その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー

(その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツでのオープンカーの比率が高い理由は、次の3つが考えられます。

・ドイツの気候がオープンカーに適している
・ドイツ人の多くは、日焼けした肌を好意的に捉えている
・季節ナンバー制度の存在やそもそも車庫証明が存在しないなど、クルマを2台持ちするハードルが低い

ドイツの冬は長く寒さも厳しいですが、春から秋にかけては逆に日照時間が長く、気温は真夏でも35度を超えることはほとんどありません。また年間を通して乾燥しており、日本のようなジメジメとした梅雨は存在しません。夏でもカラッとした爽やかな陽気で、日中暑くても朝晩は気温が下がるため、冷房設備のない古い建物も多く見かけます。雨が降っても長時間降り続くことは稀なので、オープンカーの幌を開けられる時間や時期が非常に長い、というのがドイツの気候の特徴です。

田舎ではめずらしくオープンカー持っている人を見た、ともかくこの辺では原発補償金でレクサスなどのいい車を買った人がかなりいたという、ただ私は車がないので車のことがわからないのである
ただなぜオープンカーがドイツ製がいいのか、ドイツで普及したのか?
その人のオープンカーもドイツ製であった

ではなぜドイツでオープンカーの技術が向上して普及したのか?

その理由が風土になったのである、ただ誤解していたのはドイツというとき雨が多く霧とかも多く陰鬱な風土だと思っていた、なぜならドイツの詩とか読むと何か霧の詩が多いからである、それはそうではなかった、とにかくこの風土とか地理でも理解するのはむずかしい、私は確かにドイツを旅行した、でも風土となると気候となると一年くらい住んでいないとわからない、だから外国を理解することはむずかしいのである
風土と地理を理解しないことは根本的にその国を理解できないことである
砂漠に住んでいる国がある、砂漠で暮らせるのかともなるしそれを理解することはできないとなる、なぜならそもそも日本には砂漠が無いからである
そうしたらどうして理解するのかとなる、またヨ−ロッパでも中国でもインドでも想像できないような大きな河がありこれも理解できない、そんな河が日本がにはないからであるそれで外国人が日本の川は滝だというのもわかる、急流となり流れて浅いからである
外国の大陸の河は運河のようになっているから船を利用して交通に便利だからである
それで四大文明が河から生まれたというのもそのためである

人間と風土と地理は一体で切り離せない、それはあらゆることに通じている
技術とかなると気候とか地理とか風土とか関係ないともみるが実際は深い関係がある
技術の発展もやはり風土と関係して生まれている、風車が生まれたの中東地域だというとき砂漠が多いしそこでは風が吹きやすいから合っていたとなる
日本だとトンネル技術が発展したのは山が多い山国だからトンネルを常に掘る必要があるからだ、リニア新幹線でもトンネルを掘る、そこで山でも影響して問題があると反対したりする

それは原発でもあった、原発はアメリカで作られたがその場所はアメリカは広いから東側に作られた、西側には作らなかった、海岸には作らなかった
ただ東側は竜巻がありそれで電源を地下に作ったのである
それをまねて日本の福島原発も地下に電源を作ったが津波で浸水して使えなくなったのである、それは風土を考慮しなかったからだとなる
つまり科学技術でも土着的なものから生まれる、幾何学などがエジプトなどが砂漠のエジプトとか大陸で生まれたのはピラミッドを見ればわかるように何もない砂漠の平坦な土地に人工の山を作る、そういうことが自ずとイメージする、そういう風土から生まれたともなるからだ

そして食料とかでも稲作と麦は根本的に違ったものである、麦は意外と作るのがめんどうだといのもそうである、面積当たりで収穫が少ないのである
米の方が面積当たりで収穫が多いのである、それは水田ということで水が流れる家庭で養分を九州して肥料の代わりになっているからだという
つまり農業は風土と密接に結びついて作られている、だから本当は食料はその風土に合ったものをとるべきだとなる、日本食は日本の歴史的長い年月で風土にマッチして作られてきたからである
日本は旬を大事にするとか活きのいい魚でも寿司にしたりする文化である
それは日本が四季が明確であり四季の変化が文化にもなる、俳句の季語がそうである

日本の風土にあった食文化がアメリカに負けてアメリカの食糧政策の笠下に強制的に入れられて日本はパンや牛肉を食べるようになったのである、麦にはタンパク質が少なく米に多いという、それでパンと肉食が一体化したのはそういう理由があったとなる
そもそも体でもそれぞれの風土から作られていた、ヨ−ロッパとか大陸だと肉を消化する酵素が出るという、日本だと穀物類を消化するのに腸が長くなったというのもそうであるつまり風土と地理から離れて人間は存在しえないのである、それは科学技術でもそうである、その風土に見合った科学技術が発展するとなる

草花でも植物でもエビネランとかは山の日影に自生するから日影の場所がいいとかまた乾燥地帯に育つ花は日当たりがいい場所がいいとかなる、湿地帯に向いた花もあるからそういう原産地の環境を人工的に作り花を咲かせる、作物を実らせるとなる
だからグロ−バル化した経済というのは不自然でありそこに世界的な問題が生まれた
特に食料はその土地の風土と密接に結びついている、風土を無視してありえないのであるだからアメリカによって戦後日本の農業でも食文化がアメリカ向きにされたということが問題になった、それで今麦が輸入すると高くなるとか麦が入ってこないから飢饉になるとか騒がれる、ウクライナ戦争でそうなっている

でもし日本で食糧でも自給が高かったら恐れることはなかった、これもグロ−バリゼーションの弊害なのである、それぞれの国で土着化して風土と一体となり生活しているのが
人間の生活であり生態系から離れて人間も生物だからありえないのである
それは世界を平均化できないものである、それぞれの国の風土と歴史がありそこで培われたものを変えることは危険なのである、特に食料に関してはそうなのである
最近コロナウィルスでもそうである、疫病が世界的に一気に拡散したのはグロ−バルな交通の発達によりそうなったからである、そこに世界的に時間差もなくなり同時間で一気に拡散したからである、もう止めることも不可能になったのがグロ−バリゼーションてあった

こうしてオープンカー一つをとって風土と関係していた、ドイツとかフランスとか
大陸に向いたものだったのである、ただ技術力があるからドイツとかフランスとかで技術開発できたとなる、またオープンカーだと陽射しを受けるからいいともなる
日に焼けた肌がかえって好まれるという時、ヨ−ロッパなどは特にドイツとなると寒い地域で陽射しが弱いからだとなる、日光浴にもなるということである
そもそもヨ−ロッパと白人は肌が白いというとき科学的にも風土の影響があってそうなった、肌が白くなる風土だったのである
ともかくグロ−バリゼーションで歪めれたものが相当にある、そういうものがコロナウィルスでも様々な分野で噴出してきたのかもしれない、やはり人間も生物なのだからその土地と気候とか風土と離れて無視して存在し得ないものなのである
そういう自覚のもとに国造りもすべきなのである

「農業に正義あり」石堂徹生ーこの本では明治維新以来入会権があった地元と密着した生活を明治政府が私有権を与えて破壊してしまったことを書いている
もともと共同で利用した私有権のないものが私有権によって歪められた
この辺では補償金をもらうために私道とか家の前の海に権利があるとして補償金をもらうために交渉していたのである
それで山でも私有権で所有されて分断されて共同事業もできなくなった

なぜなら狭い土地でも私有権があり誰かの持ち主であり許可がないとできなくなったからである、つまり明治以降はこうして国の力が強くなった、それは江戸幕藩体制とは根本的に違った国が管理するものとなったのである、そこで国の力が強くなり官僚が力をもつようになった、結局国の力の増大は戦争にまで結びついたのかもしれない
江戸時代までは地域地域の土着的な生活がありそこで自給自足していた
でも明治時代からすでに国家の力が強くなり国家に管理される官僚に管理されるものになった、それはすべてにそうである、国家の力が増大したのである
それは日本だけでは世界的にそうである、それで国家間の戦争となり世界大戦となったのである

そして国家がファシズムとかになるのも国家の権力が増大したからである
原発事故でもあまりにも国家権力が強大化してそれに従わざるを得ないものとなり
大事故になり故郷にも住めなくなったということもある
地域でも地方自治体でも国家の管理になる、それに逆らうことはできなくなった
言葉すら国家の意向により標準語が作られた、方言があっても標準語になる
それは国家が強制的にそうしたのである、江戸時代なら多様な方言があったとしてもそれを禁止したりしない、国家で地域の文化すら破壊されたのである
それは英語を世界の共通語としているのと似ている、それが米英で世界を支配することだという意見もわかる、言葉でも文化でも欧米を基準とするとなるからだ
そういう矛盾がグロ−バリゼーションで様々な分野で生まれたの現代である


参考にした本

「農業に正義あり」石堂徹生



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2022年06月04日

小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん (藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)


小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん

(藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)

ゴルフ業界は好景気? コロナ禍で起きた意外な問題

最近になって、巷で問題になっているのは、シャフト不足だ。さまざまなシャフト、そしてスペックが欠品している。最近ゴルフショップや工房にいったゴルファーは、そんな話を聞いたことがあるのではないだろうか。海外メーカーのパーツが供給不足のため、日本メーカーも増産に追われているという話もある。



原町工場
所在地:福島県南相馬市
総合職従業員数:約30名
主要製品:工業用品事業部・制御機器事業部・ACP事業部の製品

原町工場は1969年に設立され、3工場の中では最も歴史の長い工場です。
多くのプロゴルファーに使用していただいているフジクラシャフトは、原町工場で製造されています!(海外工場でも製造しています)。
 2020年には医療用ゴム製品を含むLIM(液体射出成形製品)の生産エリア拡張、生産効率の向上や管理部門の集約を目的としてLIM棟を設立しました。


2002年9月
ベトナムハイフォン市にFUJIKURA COMPOSITES HAIPHONG,INC.(現連結子会社)を設立。
2006年5月
米国オハイオ州のIER Fujikura,Inc.(現連結子会社)を子会社化。
2009年7月
米国イリノイ州にFUJIKURA GRAPHICS,INC.(現連結子会社)を設立。
2010年11月
福島県南相馬市に小高工場開設。
2011年1月
岩槻工場内にエンジニアリングセンター開設。
2011年2月
中国浙江省安吉経済開発区に安吉藤倉橡膠有限公司(現連結子会社)を設立。
2011年3月
東日本大震災で原町工場、小高工場に甚大な被害を受ける。小高工場を閉鎖

藤倉ゴム工業は26日、福島県南相馬市の原町工場敷地内に工場建屋を新設すると発表した。

医療用ゴム製品を含むLIM製品の生産エリア拡張、生産効率の改善、管理部門の集約に伴う作業効率の改善などを目的に、9億8500万円投じて、延床面積4562平方メートルの建屋を建設する。来年1月に着工し、同年11月の竣工を目指す

その人は小高の大工だけど原町に移り住んだ、それで週三回藤倉ゴム工場で働いているという、大工の仕事をしているのかと思ったらそうではない
歳もありきつい肉体労働ができないためにそうっなた
藤倉ゴム工場というときこの辺では目立つ会社である、工場も大きい、新しい工場も作ったので拡張している

ただそこでゴルフ関係のものを作っているのがわからなかった、何か近くでもわからないことがある、あそこは旧街道にありいい松があると私は見ていた、でも藤倉ゴムはこの辺では大きな工場であった、でも従業員が30名とか少ないと見た、これは良くわからない
もっと多く働いている感じである、それは正社員だけで他にも働いているだろう

そして意外だったのはゴルフ関係のものを作っていた、それがコロナウィルスでも巣籠り需要があり増えて海外にも輸出しているという、部品も不足して増産しているという
一時はゴルフする人も減った、でも新規にゴルフをする人も十数万人とか若い人でも出て来た、ただゴルフは衰退産業と見ていた、ゴルフは自然破壊だとして地元で反対運動も起きた、でも奇妙なのは丸森の山の大きなゴルフ場にソーラーパネルがしきつめられた
となるとゴルフ場はソーラーパネルよりは景観的にはいいものだったともなる
なぜなら丸森では山ごとソーラーパネルが敷き詰められた所があったからだ
あれは見ただけで嫌な感じになった、でも山の奥の方だから目立たないから知らない人もいる、それでも危険を感じた、これも丸森は江戸時代には木材をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が熾烈に争った場所だが今や木材が売れないからソーラーパネルになった

現代社会は地方でも田舎でも農業が主体ではない、その全体の生産高の割合の一割くらしかないのである、何か依然として田畑が田舎では多いから農業して生活しているのかと見る、でも現実はこうして工場で働く人や会社で働く人が多いのである
だから地方でもむしろこうした会社とか工場が重要だともなる、働ぎ場所になるからである
それで小高にも鹿島にも藤倉ゴムがあった、それを知らなかった、だからこの辺では藤倉ゴムの果たす役割が大きいものだった、小高は震災以後廃止された

何か浪江の人だったか震災原発事故になり会社が浪江にあったが二本松の会社に浪江から通っていたということを聞いた、その人はおそらく二本松に工場がありそこに移り住むようになったと思う
つまり会社とか工場に勤めていれば地元にこだわることはない、農業だったら土地がないとできないからそうはならない、会社や工場が生活の場になっているから場所を選ばないとなる、だからこうして移住した人も多いことは確かである
まず生活が大事であり働く場所がなかったら住むこともできないからである
また多額の補償金をもらった人は仙台市とか移り住んで仕事をして成功した人もいる
こうして原発避難区域は空洞化したのである

小高の復興を言っても原町に移り住んだり鹿島とか相馬市とか新地とかまで移り住んだ人が多い、そこで若い世代は流出して帰らないのである、それで老人だけが取り残されたからそうなればとても復興できると思えないのである
その大工さんも立派な家と広い庭をもっていたがそこには誰も住んでいない
そして息子と嫁と一緒に住んでいたが息子は仙台市の方に行き何かわからないが妻がいても今は一人で住んでいる、だから何か淋しい感じである
そういう人も震災以後多い、家族がばらばらになってしまった人が多い、それが悲劇だったとなる

ただ一人暮らしの老人であれ本当に多いのである、また離婚した人も多い
自分の家に来た女性の三人は離婚している、その大工さんも離婚したらしい、その辺の事情は良くわからない、ただこうしてもともと住んでいた場所が変わったり変化があり
そういうことは年取ると辛いとなる
老人でも今は一日三時間とかスーパーで働いていたりしている、その人も週三日働いているから収入はある、ただもう働けない人もいてそういう人は年金も少なく苦しいとなる
国民年金は6万くらいしかもらえないからである
ともかく老人が多くまた一人暮らしが多い、それも現代の大きな問題なのである
回りをみても老人の一人暮らしが多い、それは男女に関係ないのである
家族が崩壊しているとも言われる、でも今日本が貧困化すると一人一人で所帯を持つことは金がかかる、大家族で住んでいれば電気代でも他でも節約できる、でもそれをしない
個々ばらばらに住むことになったからである、それは貧困化すると贅沢なことかもしれない、一人一人になると何でも生活費がかかるからである
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2022年06月03日

ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた (トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)


ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた

(トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)

ヨーロッパ諸国が現実逃避ともいえるほど機関銃を忌避したのには理由がある。
南北戦争や日露戦争の結果は当然知っていた、機関銃によりたくさんの人たちが感慨もなく死んだと。
つまり敵軍を崩し大勢の人間を殺すのに必要だったことは、
勇気あるリーダーが率いる決死の騎兵突撃かけるでも、
傑出した英雄が敵兵を何人も斬り伏せるでもなく、
ただの一般歩兵がクランクを回すだけの作業であった。

それは人間と人間がぶつかり合う戦争は終焉し、機械が戦う戦争へと変遷しつつあることを意味し・・・


戦争は常にあったが20世紀になると戦争は機械と機械の戦争になりそこに人間が欠落する人が面と向かって戦う時例え殺し合いでも人間の情が働く、それで平家物語でも一つの
人間の物語として記された、そこには例え殺すにしても人間の情が働き、相手が少年のような人がいてかわいそうがとかなる、また戦争は殺し合いとしても一対一で戦うと自ずとそこに人間的なものが働く、ただ相手を殺戮するだけの者ではない
何か卑怯なことはしないとか勝ち負けがあっても人間的なものが働きそこから武士道が生まれた、そこには刀が武器としてあっても人間対人間の戦いであり現代の大量殺戮戦争ではないからだ、つまり何でもそうだが人間が作りだす道具は平和時にいいものとして働くでも戦争となるとその道具が武器になる、斧だったら木を切るものとしてあっても戦争になれば無慈悲に人を殺す道具と化すのである
それは原発でもそうだった、核兵器ともなり日本はその被害を受けた、一方で平和利用として原発があったがこれも事故でこの辺は悲惨な結果となった

何か今回のウクライナ戦争は武器のショーのようになった、それが現実の戦争でどれだけ力を発揮できるかとなりリアルであり世界中の国が注目したのである
それで先日のテレビで武器について解説していたのが興味深かった
武器産業が活気づいたのである、そして武器を一番売っているのはアメリカなのである
アメリカの武器が技術的に優れていることが判明した
ロシア制は旧式であり今になると使えないことが明らかに見えた、するとロシアでは武器輸出していてももう買わないとなる、それが実践の場で実証されたからである

それで意外とトルコのドローンが効果を発揮して注目された、それで注文が増えた
そしてトルコのエルドワン大統領がロシアのプーチン大統領と直接合い停戦に向けた交渉をしようとなった
でもわからないのはエルドワンがトルコのリラ暴落とかで経済的に苦しい時、このドローンが売れて立ち直るとかなり喜んでいるのも納得がいかない
また今度はそのドローンの効果を見たロシアが買いたいとなり売るともしている
つまりトルコではただ経済的利益をみて仲裁しようとしている
それも納得がいかない、戦争ももうける商売として見ている、それはアメリカでも同じである、アメリカの主要産業として軍産複合体があり武器を輸出することで成立っている
その武器が売れるのは戦争の時だとなるからだ
だから戦争がないことは経済的に追い詰められる、そこで戦争を自らおこすのがアメリカだとも言われる、そこに職業の業(カルマ)が働く、金になるためには戦争でも必要だとなるからだ
トルコにしてもエルドワン大統領にしてもそもそも自らの国の金儲けのために仲裁するということができるのだろうか?そんな不純な動機で平和をもたらされるのか?

真に平和を願うならいいが戦争があってこそ自国の武器が売れる、そうなるともっと戦争してくれともなる、そういうことがアメリカでもあるのだ
だから仲裁するということが矛盾してくる、なぜなら戦争があってこそ自国の武器が売れるからである、そんな人が仲裁できるのか?
つまりウクライナにもロシアにも同じドローンを売ろうとしているのである
仲裁ではなく商売として戦争を見ていてもうけようとしている人が平和をもたらされるのか?それが納得できないのである

だからそもそも武器を作り武器で儲けることは倫理的に問題なのである
アメリカは人権とか盛んに言うけど一番の武器輸出国でありそれでもうけている国であるそしたらそんな国が人権とかなんとか言うことができるのか?
アメリカもだから常に表向きは善人ぶるが実際は悪人だとなってしまうのである
何か人間はジキルとハイドなのである
カルト宗教団体などでもそうである、表向きは宗教を看板にしていても実際は政治と深くかかわり勢力を拡大して権力争奪を計る、善人の顔して実は利権を得る金を得るための
手段として宗教があるとまでなる

だから人間は本当に信じられないとなる、アメリカはやたら正義をふりかざすけど実際は戦争国家でもありそれで武器を売る、これを見ればわかる、実際言うことと現実にしていることは違っているからである
人間はこうして常に二面性があり特にアングロサクソン系はその傾向が強いとしている
平気で人をだます、インディアンは素朴な人達だったか平気でだまして土地をとりあげたとか言われるのもそのためである
どうしても国単位になると善悪など関係ない、国の利益が優先される
だから善人ぶるのは偽善なのである、国単位では善悪はない、ただ国優先の利益があるだけだとなる、だからウクライナでもトルコのエルドワン大統領でも武器を売ってもうければいいとなる、そんな人が国が仲裁できるのだろうか?

ともかく武器から戦争を見るとわかりやすい、戦争の勝敗は武器によって決まる
中国の野郎自大国が漢に敗れたのは武器の相違であった、野郎自大国と銅の刀であり
漢は鉄の刀でありそれで敗れたからである
信長は鉄砲で武田の騎馬軍団を破ったとかあるからだ
そして武器でも古い武器が在庫一掃されるとか武器生産する国ではアメリカでも喜んでいる、アメリカの南北戦争でも古い旧式の型落ちの銃が日本に輸出されて明治維新で使われたのである
今回も型落ちの武器が使われる、そしてロシアの武器は旧式であり効果がないとして売れないとなる
この型落ちの旧式のものは実は原発でもあったのだ
アメリカの古いもの、マーク1が日本に輸出されていたのである、それは危険なものだったのである、でもアメリカではもうけるために日本にうりつけたのである

戦争をなくしたいとしてもなかなかできない、その問題の一つとして武器がありその武器が核にまでなった、それで核戦争で人類が滅びるという恐怖がウクライナ戦争でロシアによって引き起こされる恐怖だったのである
それだけ武器というものが戦争に果たす役割が極限まで達したからである
それを抑えることもできない、平和を実現するにはまず武器をなくすことだからである
でもアメリカは銃社会であり銃をなくすことができない、そのために小学生が乱射事件で数十人とか死んだ、アメリカ自体が武器をなくすことができない、それがアメリカの業(カルマ)だとなる
他国にも武器を売るが自国でも武器で銃で苦しんでいるからだ


いづれにしろ戦争をなくすことができないというときその大きな問題として武器をなくすことができないことである、武器でもうけること自体悪なのである
でもアメリカは軍産複合体が大きな産業となっているように戦争がないと商売が成り立たない、そこに矛盾がある、だからアメリカが人権を言うのも理解できない
戦争こそ最も人権を無視したものとなるからだ、それはロシアでも残虐なことが行われるそれは普通なら死刑にもなる大犯罪である、でも戦争ではそういう大犯罪を無視される
人を殺すことが是認されるのだから後は何でもありとなる
だから戦争では人間の悪が欲望が野放しになる、ロシアがウクライナからいろいろなものを強奪したりレイプしたり悪が何でもあるとなる
だから戦争こそが最も悪が是認されてむきだしになりそれでもとがめられない最悪なものとなる、だから戦争だけは止めねばならないものだがそれができない
その理由の一つに武器があるためだとなる、アメリカでも銃規制ができないことが自ら証明しているのでありそれで苦しんでいるのはアメリカのとカルマだとなる

戦争のことが話題になり軍人がでしゃばる時いいことはない、結局自衛隊が何のためにあるのかというとき不祥の器としてるとき別にそれで良かったのである
自衛隊が軍隊が全面に出てくる時は日本の戦争したようにいいことはない
軍人が一番威張っていたの戦争の時であり反発されていたのである
そして近代の戦争は機械の戦争であり国同士の熾烈な全員戦争でありそれで一千万人とか死んだとかなる、そこに歯止がきかくなっている
そして最後は核戦争で滅びるとまでなる、その恐怖を現実化しようとしたのがウクライナ戦争でもあった、それで一地域の紛争とは違ったものとして注目されたのである

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2022年06月01日

空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史 (一軒一軒が語る郷土の歴史)


空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史

(一軒一軒が語る郷土の歴史)

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空家なる大石二つ冬の暮

この家の庭は最近掃除した、でも屋根瓦は直していない
庭は家族が来て掃除したが屋根瓦は直すとなると金もかかる
そして直す職人でもまだたりない、それで放置されているのだろう
ただこうしてまだ持ち主がいて見ている人はいい
全く放置された空家は問題である

kabutoyane.jpg

これは空家ではない、兜屋根であり養蚕していた家である
こういう家が田舎にはまだ多い
この屋根は明確に養蚕した家の造りである
何かこういうのは歴史的遺産ともなる家だとなる
ただここはまだ人が住んでいる、飯館村だと住んでいないこうした家が多い




空家となる庭の石

隣なる家は空家となりぬ
庭に大きなる石あり
礎となる石なれや
冬の日さして静か
洗濯物干す女あり
静粛な妻にあれ
街の一隅に十数年住む
今はなしもなお近くに住む
貸家なれども二十数年ここに住む
子供らここに育ち離れる
我が一人今庭に入り偲ぶ
塀にボケの花咲き
その花を手折り我が部屋にさしぬ
一つの家にそれぞれの歴史あり
隠されし処、空家の庭
堅く大きな石の組まれて庭あり
石のテーブルありて家族の憩う
そこに一人一人の顔も浮かばむ
ここにも人の営みありて歳月を刻む
また一つ空家の庭に大きな岩二つ
どっしりとありて動かず
ここに暮らせし人は誰やいづこに
冬の日に我が訪ねて偲ぶもあわれ

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値ー詩)
http://musubu.sblo.jp/article/189114900.html

今空家が大きな問題となっている、一千万軒が空家なるとか空家だらけになる
原発避難区域は空家だらけである、もう町が空家の町となっている
それで5000万近く誤って金を支給した若い人は空家バンクで移住した人だったのである
無職だとなっていた、何か空家利用でも良く利用されるとは限らない
こういう人も入ってくる、町では何とか空家を利用して町に住んでくれとなったそうなったのだろう、それもわかる、ともかくそれだけ空家が多いのである
これからますます空家が増えてくるのである
それで古民家を修復して活かそうとする人も出て来る

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

ここではそうである、古い物を活かそうとしている、それは思想的にも共感する
この空家問題は実際は大きな現代の日本のテーマなのである
それは少子高齢化でもそうなった、後継ぎがいずその家を継ぐものもいなくなりそうなる墓仕舞いが言われるのも跡継がいなくなり墓を守る人がいなくなるからそうなる

どうしても原発避難区域になった浪江とか小高とか飯館村などは空家だらけでありそれが元のように回復するとは見えないのである、第一若い人が流出したからである
老人ばかり取り残されてそれで復興することはできない
だから空家問題は深刻なのである

例えば詩にしたように一つの家でもそれは地域の歴史を刻んでいる、郷土史にもなる
ただ江戸時代から続いているような家はそれ自体が地域の歴史となる
この辺だと野馬追いにでる家は江戸時代からつづいた家だからである
それは家が継続しているからそうなる
でも隣の家にしても二十数年貸家でもそこに住んでいたのである
ただ別にその家とは関係しない、話したこともわずかである
それでも子供がそこで育ちいつも見ていたのは庭である

大きな石がありそこで妻が洗濯物を干していた、その女性は控えめな女性で顔すらまともに見たこともないのである、だからほとんど交渉がなかった
でも確かにそこに二十数年住んでいたのである
ただ空家になっても近くに新しい家を建てたからである、もう遠くに行って放置している空家とは違っていた、今回の地震でも壊れたりしたが持ち主が修理した
でも放置されてある家もある、それはもうそこに住まない家だともみる
なぜなら東京に息子は住んで両親も死んだからである、するとこことはかかわりもなくなったからである、だからその家は金持ちでそれなりに立派なのだけど住む人がいないとなる、それで地震で壊れた所を直していないのである

ともかく空家化する日本、空洞化する日本ともなる、この辺だと津波で村自体が消失したそこは何も残っていない、空家は一応庭でも家でも残っているからこうして偲ぶことができるでも全部消えたら何も残らない、でもそこに一つの家でも刻んだ歳月がありそれを偲ぶということがある、それは家でも庭だけでも残っていると偲ぶとなる
それは城があったとかでも石垣があって偲ぶのと似ている、相馬藩の城があったとしても石垣しか残っていないから偲ぶとしてもむずかしいとなる
何か昔を偲ぶというとき何か残っていて偲ぶとなるからだ
その点ヨ−ロッパの歴史などは古いし2000年前でも石として残っているから歴史を偲ぶ
ローマの遺跡などがそうである、石は残るからである

ともかく津波であれ原発事故であれ避難して一つ一つの家の歴史でも失われたのがこの辺である、家があれば偲べるが取り壊された家もある
するともう他者から見れば何も偲べないとなる、何か空家でも家があるとここに家があって暮らしがあったのだと見る、でも家もなくなると偲ぶこともないのである
何か記念碑のように家が残っているともみる

家二愛着があるのはやはりそこで暮らした歳月がありただの箱とは違う、そこで暮らした家族の歳月がありそれで家に愛着が生まれるのである、だから老人は原発事故で避難しても故郷の家に帰りたいとなるのである、そこで暮らした歳月がそうさせるのである
やはり人間は歳月の重みというのがある、どこで長く暮らしたのか誰と長く暮らしたのかが重みとなる、なぜなら人間の生きる時間は短いからである
その中で親密になれる時間を持つ人は限られているのである

だから熟年離婚とかなると損だとなる、なぜならもう共に生きる時間が限られているからだ、そこで親密になる時間がもう限られているているからだ
つまり人間で意外と貴重なのは金があるにしても時間だとなっていたのである
誰と人生の時間を長く過ごすかということも大事になる
そしてその人も限られている、家族だったら四五人とかなるだろう、その他の人は親密になれない、それは人間は時間が限られているからである
だから何人もと親しくはなれない、その時間がないのである
そして人はたちまちこの世から消えるのである

いづれにしろ空家となると本当に淋しく感じる、そこでは庭の石でも人間化していたのである、人間の暮らしがあって石も一体化して活きていたことを感じる
それが自然のままだったらそうはならない、一旦人が住んだらそうなる
人の情が石にも樹にものりうつっていたともなる、だから物とは単なる物ではない
物が憑くとなり人間の心がのりうつったものにもなるのである
だから人が消えるとそこに残された物は余計に淋しいものとなるのである
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2022年05月28日

大陸は人種が混交し混血した (ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


大陸は人種が混交し混血した

(ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


 混交して混血する大陸の民族

 なぜウクライナの大統領ゼレンスキーがユダヤ人なのか
 プーチンの顔にモンゴルータタールの血が交じる
 モンゴルはウクライナまで攻めて来た
 その猛威にヨ−ロッパは震撼する
 タタールの軛ははロシアの起り
 トルコは突厥でありモンゴルと近接する
 遊牧民は中央アジアに跋扈して領土を拡大する
 羊を追い大騎馬軍を率いて大陸を進軍する
 インドの原住民はドラビダ族
 そこにアーリア人の侵入あり
 その彫の深い顔はギリシャ彫刻のよう
 仏像はアレキサンダーがもたらしたヘレニズム文化の所産
 スリランカの男性は顔だちが白人
 名前はフェルナンドにしてポルトガル人の王の名なり
 大航海時代にヨ−ロッパ人の侵入あり支配される
 中央アジアに東西の対立
 様々な民族が部族が混交して鬩ぎ合う場
 血を流し争いまた混血してきた歴史
 それはウクライナでも再現する
 兄弟とするウクライナでもせめぎ合い争う
 中国の始皇帝は白人らしい
 遊牧民、騎馬民族の末裔なれ
 始皇帝陵兵馬俑の大軍団の威容
 それが中国の地下に眠っていた
 遊牧民は広大な草原を砂漠を移動する
 そこで異民族と出合い熾烈な戦いとなる
 その興亡は繰り返される
 スラブ民族はスラブは奴隷の意味と
 ローマ帝国の辺境となる地域は 野蛮人とされ
 文化なき世界とされゲルマン人もライン川で区切られる
 スラブとはヨ−ロッパの源流から外れた劣った民族
 でもフランスのナポレオンとドイツのナチスであれ
 ロシアに攻め入り寒さに敗れて撤退する
 その犠牲者は一千万人以上ともされる
 ナチズムはアーリア人の優秀さを主張してジェノサイドする
 ユダヤ人は固陋にその血を守り神の民として遺民とてし残される
 民族と民族の熾烈な妥協なき争闘の歴史
 ゲルマン人の荒々しい血がローマに侵入して滅ぼす
 スラブ民族主義が西のヨ−ロッパに挑む
 東欧諸国の成り立ちはいかにここも遊牧民に由来する
 地球は陸の国より歴史が始まる
 大陸、砂漠、草原が始源となり世界史は形成される
 アラーの神は砂漠の神でキリスト教も同じ
 アブラハムを共通の祖として一神教なり
 日本は極東の島国にしてその歴史よりはずれる
 島国で敵味方塚あり敵をも戦い終われば供養する
 大陸は民族絶滅ジェノサイドになる
 他国に侵略して支配されざりし島国日本
 しかし今グローバル化は進展して孤立はならじ
 鎖国はもう成りたたじ世界大戦に巻き込まれる
 日本民族の存続すら危ういともなる
 世界はまた動乱の時代となり
 日本は深刻にその行く末が問われる


●日本人のアイディンティティは村

戦争の原因という時、日本国内なら村同士の争いである、入会権がありその争いで大名がかかわり戦国時代になったという分析もある
また水争いもあり村同士が争う、日本だったらそうした地域間、村の争そいになる
そして日本で一番怖いのは村八分なのである
そうなると村で暮らしていけないからである、最近地方に田舎に東京から移住する人達が増える、特に退職した人など田舎でのんびり暮したいとなる
でも日本だと人間関係でむずかしいのは村が生活の基本にありそれでうまく適合できないのである、ある人は回りに親戚がいて誰が家に入ってくるかも監視されている
そこに女性が入ってきたらすぐに話題になる
田舎では誰も見ていないようで常時監視状態にある
それで都会から来た人は同じ移住者の住む別荘地帯に住んで楽になったとしている
日本人のアイディンティティは村にある、狭い村にある
それで日本人の姓は必ず村に由来している、これだけ姓が多いのも日本にある村の地域名が姓になっているから多いのである

でも大陸では違っている、一地域名が狭い村の地名が姓になることはないのである
あくまでも血統であり血統集団が一族でまとまる、だからその姓はハウスブルクとあればそれが国の名にまでなる、確かに日本でも平氏源氏は血統としてまとまる集団である
それは地域名ではない、でも多数の姓は村の地名に由来している
そして日本人が理解できないのは大陸の遊牧民なのである、羊を飼い広大な地域を移動する遊牧民のことが身近に接しないから理解できないのである
その人たちは住んでいる土地をアイディンティティとしない、羊を追って草を求めて広大な地帯を移動するからである、するとどうして一体感を持つのかとなると血統だとなる
日本だと村で一体感をもち先祖は山にいて村を見守り春になると田植えの時期に先祖が山からおりてくるという感覚は遊牧民にはないのである
それは広大な地域を移動しているからである、だから別に村八分になってもその村自体もない、ここが嫌なら別な地域に移ればいいとなるだけなのである

●大陸は民族同士が混血する文化も混血する

そして大陸で理解しにくいのは国の成り立ちである、それはその土地もあるか人種が深く関係している、人種と一族である、それは必ずしも土地に所属しているのではない
人種としても民族としても顔だちとかも違っていて区別される、さらに言語も違っていて区別される、だから不思議なのは一体ロシア人とウクライナ人を一見見て区別できるのか普通はできないと見る、それで外国に日本人が行くと必ず中国人に見られるのと似ているまず中国人と韓国人と日本人の区別は顔をみただけでは区別できないからである
でもプーチンの顔はタタール人の血がモンゴルの血が入っている
スラブ民族というが大陸では人種が必ず混血しているのである,ゲルマン人でもスラブ系の民族が住んでいたとかある
ヨ−ロッパの歴史はローマ帝国の継続としての西側とかゲルマン人とかスラブ系の遊牧民の対立がありそれが今日まで継続している,ウクライナでも一時モンゴルが攻め入りモンゴルと混血した、ロシアがタタールの頸(くびき)となったときもそうである
なにかプーチンの顔はモンゴル系統が入っているように見える
モンゴル系統というときアジア系統の血が入っている、つまり人種的には白人系統とアジア系統の混血でありスラブ民族のオリジナルは別にあるとしても広域的にはそうなる
ゼレンスキー大統領がユダヤ人だというきこれもわかりにくい、ロシアとかウクライナのユダヤ人はまた違っている、ユダヤ人の血を受け継いだものとも違う
ユダヤ教を信奉するものがユダヤ人だともなる、だからユダヤ人といってもいろいろあるとなる、人種では人間は分類できないのである

人種としてはゲルマン人とかアングロサクソンは強力な民族でありイギリスとかその延長のアメリカ人がそうでありそれが世界支配をしたとなる、それはゲルマン人と北方人が主流となったものである、ともかく大陸だと多様な人種があり民族がある、何か世界の人種をアフリカの黒人からペルーとかメキシコとか南米から一列に並べてみたら不思議になるそこでは必ず混血民族がいる、つまりAという遺伝子がありBという遺伝子がありその中間に混血してABという遺伝子の結合があるとなる、それがプーチンの顔にある,スラブ人の顔だともなる、大陸では国境は明確に定められない、地続きなのだからそうなる
すると民族間でも交わり混血になる、そして人間は混血すると異種の人種と交わる時
それが刺激となり種が強化されるようである、だから混血すると美人が生まれるとされるつまり大陸では人種でもそうだが混血する、ヨ−ロッパの文明がイスラム文明を取り入れて発展したというのもそうである、文化も混血するのである
ヨ−ロッパの言語も混血していることが明確である

●人種よりも言語の相違が理解できなものとなる

スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。その語源となったスラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」「言葉」を意味するもの[注釈 2]である[要出典]。近隣の(非スラブ人)の人々は、スラブ人によって "nemets" と呼ばれ、これは「ミュート」「話すことができない」という意味である。

人種の前に人間は言語によって区別される、言葉が通じないともう意志疎通もできないからである、そもそもなぜこれほど多様な言語が人間にはあるのか?
それはバベルの塔の崩壊で意志疎通ができなくなった、様々な言葉で話すようになり意志疎通ができなくなったことに由来している
つまり言語が通じないことは意志疎通できなくしたのである
人種の相違より言語の相違が需要だから神は言語によって人間を分断して罰したとなる
ただ言語でも印欧語は大陸の共通言語として認識された、だから何かしら似ているから
言語でも理解されやすい、文法も同じだから構造的にも理解しやすいのである
スラブ語にしてもヨ−ロッパとの共通性があり理解しやすいのかもしれない、なぜヨ−ロッパとかロシア辺りでも英語を話す人が多いのか、それは何か共通した言語の基礎があるからだとなる、ウクライナ人でインタービューされる人がたいがい英語を話しているからだともかく人間を人種で分けるとういことがあるが言語で分けるというのもある
言葉が違うともう人間は意志疎通できないからである
それでギリシャでは言葉を通じない人をバルバロスとしてた野蛮人としたことでもわかる

バルバロスは、「聞きづらい言葉を話す者」または「醜い言語を話す者」の意で、バルカン半島東部(ギリシアの北東)のトラキア地方に住むトラキア人や、ペルシア人のことである。由来としてはギリシア人から異民族の言葉は「バルバルバル」と聞こえたからといわれている

人間は人種だけではない言葉の相違で分けられる、言葉が通じなければ野蛮人ともされるのである、だから言葉は人間にとって人種よりも大事なアイディンティティを形成するものとなる、別に人種が違っても流暢に日本語を話せるとその人は日本人のようにも思えるからである、そこで中国でも多様な民族がいて一つにまとまらない、あれだけの人口と民族をまとめることは至難である、そこで中国では常に民族ごとに分かれて国が形成される

●中国は漢字で意志疎通し文明を作った

 胡(日本語の訓みは「えびす」)とは漢民族から見て北方民族(北方にいる異民族)を主とした異民族のことで、中国史では、匈奴・羯・鮮卑・l・羌の五つの民族を言いう。彼らの多くは騎馬遊牧民であった。厳密に言えばこのうちのl・は北方民族とは言わず、

中国は常に多様な民族が混交して争い統一しては分裂してきた、それで言語も違っているその統一するために漢字が生まれたとなる、まず人間は言葉は音が基本であり文字は後から生まれた、幼児でも母親のしゃべる音から言葉を習得する、でもこの音はその時ネティブとして自然に頭に入るのだが大人になるとそれができなくなる
だから外国語を学ぶとき音より文字から学ぶとなり日本では翻訳文化になったのである
中国でも読み下し文とか文字から漢字から学んだのである
直接中国人とは話すことがないからそうなった、それで日本がヨ−ロッパから学んだ時も翻訳文化になったのである、実際中国人と意志疎通するときは漢字を書く、すると通じやすい、でもその音は聞き取りにくくしゃべることもできないのである
だから大きな国を統一するには共通の言語が欠かせないのである
これは人種の壁より大きいともなるから人種にこだわるのは問題だとなる

大陸の歴史をみれば必ず民族間の抗争がありジェノサイドがある、それだけ多様な民族が大陸には存在したからである、何故ロシアとウクライナが兄弟のような同一民族だとするとき争うのかとなる、言語も共通したものが多いだろう、言語でも文化でも宗教でも人種でも共通しているのである、それでロシアがかえってオリジンの国としてこだわる
つまりウクライナとロシアはもともと同一民族であり一体だとなる
それで欧米側に西側に所属することを許さないとなった
ヨ−ロッパとかはロシアでも言語的にヨ−ロッパと共通性がある、ロシア語はギリシャ語が基になっている、音は別にして文字はギリシャ語が基になっている
宗教でもギリシゃ正教が波及して変形したものだからである

●日本語は孤立語であり島国として閉鎖された国

日本はなぜ大陸の歴史や地理を理解しにくいのか?

それは日本人が極東の島国として一つの孤立していたからである、でも仏教とかは取り入れたのである、その孤立したことでわかるのは日本語の由来が未だにわからない
どことも共通性がない言葉なのである、アジアに探してもそうでありそれで中東に由来を求めたりする、ユダヤ人の言葉と似ているとかシュメール語に由来していとかにもなる
でも依然としてその由来が不明な謎の言葉なのである、そのことが日本が大陸から隔離された孤立した文明だったということの証明なのである、まず大陸だったら鎖国など絶対にできない、陸つづきなのだから常に異民族が侵入して来る

大規模な民族の移動もあるからだ、第一ウクライナで何百万人も移動したということが驚きになるからだ、日本では海に囲まれているからそういうことができないからである
だから日本には人種的なも問題もないし言語が違うということもないから一体感をもてたとなる、でも混血しないから人種的には弱体化したともなる
アメリカとかなると人種差別がある、日本にはない、でもその反面様々な民族が人種が混血することは種が強化されて文化でも新たなものが作り出される

そもそもなぜ戦争になるのか?

その原因は複雑であり多様である、だからなぜ兄弟でもあるとするロシアとウクライナが過酷な戦争になるのか?そのことが理解できない、同じ民族なら言語も共通しているなら争うことがないと思うからだ、ただ西側の関係でそうなったという、それも言える

エゴだけで引き起こされるわけではない。むしろ、危機意識が高く、犠牲的な精神の高い者によって引き起こされる場合の方が多い。戦争の原因は、観念論者が言えような独裁者の夢想や野心と言うより、人民の切実な問題が、隠されている事の方が多いのである。

第三の経済

独裁者の夢想や野心と言うよりというときプーチンの夢想や野心からウクライナ戦争が始まったというのはやはり違っているだろう、そこには複雑な背景がある
でもウクライナでも国を守る犠牲的な精神が発揮されて抵抗した、またロシア側ではロシア人が住んでいる地域はロシアのものだということで戦争になった
そこに国同士のエゴだけではない、ただ犠牲的精神が高い方は士気があるのはウクライナだったともなる,ロシアにはそれがないとされた、ただ両国が和解できない何かがあったとなる、それを知ることは日本という閉鎖された島国ではわかりにくいのである

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2022年05月25日

日本の自衛隊員の不足と高齢化 (もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


日本の自衛隊員の不足と高齢化

(もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


驚かされるのは、自衛隊を辞めた後などに予備役として登録する「予備自衛官」の採用年齢(退職時に士長以下)を37歳未満から55歳未満へ、また第一線部隊と同じ任務に就く、同じく予備役の「即応予備自衛官」の採用年齢(同)を32歳未満から50歳未満へと、ともに18歳も一気に引き上げたことだ。

定員割れを解消しようと毎年22億円ものカネを募集経費に充て、47都道府県に募集担当者を配置し、高校を回ってリクルート活動を展開。募集ビデオの電車内放映、新聞広告なども積極的に活用している。

50代でも予備自衛官に…自衛隊、止まらぬ「高齢化」の実態
平均年齢は米陸軍より7歳上
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58170?imp=0

自衛隊の募集原ノ町駅前でしていた、そこで呼び止めたのが中学生だった、体つきが大人に見えたのだろう、人が集まらない、少子高齢化が自衛隊にも影響している
だからそもそも日本で戦争などできるのかという疑問である
それは中国でも一人っ子政策とか高齢化もしてくる
そういう中国でも戦争できるのかとなる、ロシアではまだまだ国民の年齢が若いのであるすると戦争のようなことでも命令すればできるとなりウクライナに侵攻したのかとなる
戦争はやはり若い人ならできるが年齢が上になるとできない、それだけ過酷だからである
日本はほんの一部を除いて戦争できるのかとなると疑問なのである
豊かな暮らしにもなれた人達でありそういう人達が戦争できるのか?
どうも戦前は東北辺りは貧困に苦しむ人達が多かった、それで戦争でも行けば食べることはできるとかなる、つまり貧乏ということは戦争でもましだともなる
それで東北人の部隊が強く関西辺りの大阪とか都市民は弱かったとなるときやはり都市民は贅沢になれ軟弱になっていた、何か戦前の人たちは粗食でも忍耐強いとか軍隊でも通用していたのかもしれない、今の人たちは贅沢を覚えた人達であり過酷な戦争ができるのかローマ帝国でも都市化して贅沢を覚え軟弱化してゲルマン人の侵入で滅びた
ローマ人はもともと農民であり素朴な人達だったが都市化して贅沢を覚え軟弱化したのである

現代文明の贅沢を享受した人たちはアメリカでも中国でも戦争することは厳しくなっているのではないか?ただアメリカは確かに戦争経験している、中国は経験していない
すると意外と台湾有事でもロシアのように弱いことが露呈するかもしれない
ただ今の戦争はミサイルが飛んでくるから体力より技術力だとなる、でも戦争というのはとても40歳以上とかなると体力的にもたない、ウクライナで戦争になったのはやはりロシアが若い人が多い国だからかもしれない、血気盛んだからかもしれない
日本人は戦前のような粗食に耐えて戦争するようになっていない
贅沢になれてとても戦争するような体力も気力もないように見える

ともかくウクライナのような大規模な大きな国と国の戦争は起きないと見ていた
だからロシアの侵攻は意外だった、でもロシアという国がまだ他と違って若い世代が多く野蛮性があり戦争を起こす国だったのかとなる、ウクライナにしてもやはりもともとロシアなのである、ということは共通したものがあり激しい戦争になったのかとなる
ウクライナはわからないにしてもやはり同じロシア人でもあり共通しているのかともなる
なぜ戦争になるのか?

その理由が定かではない、老子の思想だと兵そのものを否定している、いらないとしている

軍隊というものは不吉な道具であり、多くの人がこれを嫌うものだ。だから「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない。人の上に立つ人々は、通常は左の席を上座とするのに軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な道具であるので、人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ。勝利を善い事だとしてはいけない。勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い。

軍隊とかはもともとそういうものである、だから軍隊が社会で軍人が社会の枢要な地位にあるときはその社会はいい社会ではない、平和な社会ではない、軍事力の増強とかばかり語られるのはいい社会ではない、それはアメリカの軍産複合体では武器を作っていて売らねばならない、するとどうしても戦争が必要でありアメリカは戦争をしかけるとなる
ただそういうことはあからさまに語られないからわからなくなる
ウクライナの戦争にしてもアメリカが画策して対立をあおりロシアと戦争になったという人もいる

中国の思想はあれだけ歴史が長いのだから様々な人間の実験の場であり教訓を残している私が一番魅かれるのは老荘思想である、荘子でも身体障害者は戦争があっても兵士にならずにすんだとか言ってそのことを肯定している
こういう考えは普通はない、国のために戦いとか家族のために戦いとか戦争することが
人の勤めだとまでなる、日本でも戦争するために身体検査をされていた

合格し即入営となる可能性の高い者の判定区分を「甲種」というが、甲種合格の目安は身長152センチ以上・身体頑健だった。始まった当初の明治時代では合格率がかなり低く、10人に1人か2人が甲種とされる程度だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

戦争は本当は誰もしたくないものである、人を殺すことになるからしたくない、また自らも死ぬのだからしたくない、それが正常な感覚なのである
それでわざわざ不健康を装い自ら病気にもして兵役をまねがれた人もいたのである
その人達は非国民となっていた、でも今ロシアの戦争でも死にたくないとして若い兵士が自らの体を傷つけて戦いをやめるうにする、命が助かるためにそうしている
ロシアにはロシアの大義名分があっても人間は死にたくないからである
その大義名分にしても良く理由がわからないから何で死ぬのかとなりそうなった

軍隊は不吉な道具である、

勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い

アメリカは常に戦争してきた、軍産複合体があり武器を売るためにもしてきた
ウクライナでもアメリカが仕掛けた戦争だという人もいる、その犠牲になっているのがウクライナ人だという人もいる、ロシアでもそうである

人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ

軍人が尊敬される注目されるたとは良くない、戦時中は軍人が威張っていたというときそうである、そういう社会はいい社会ではない、軍人が目立つ社会は平和な社会ではない
だから北朝鮮はいい社会ではない、また軍事バレードで軍事力をみせびらかすことはいい国家ではない、軍人が尊敬される注目されることはいいことではないのである
その時はまさに戦争がありそのために注目され敬われる、敬わされるともなるからだ
だから何か墓まで今でも軍人の位が記されて上等兵とかなんとか記されている
その時代はそう墓に記すことで国の誇りになっていたのである
それが今になるとそんな軍人の位に何が意味があったのかとなる、誰も注目していなのである

兵者不祥之器

戦争にたづさわる軍人は目立たない、なるべく表に出ない方がいい社会だとなる
最近軍人がウクライナ戦争ででしゃばるのはいいことではないのである
結局日本の自衛隊のような状態がいいのかもしれない、自衛隊は目だってならない存在であり誇示してはいけない存在である、だから若い人はそれを知っているから自衛隊に入りたくないのである、優秀な人でも貧乏だから給料すらもらえるから防衛大学に入るとなるつまり戦争を目的とする自衛隊員になるためではない、むしろ自衛隊は災害派遣で功績があり認められている、この辺の津波震災でも一番働いたのは自衛隊だとして感謝しているからである、それだけ装備があり訓練していたからである

ロシアのウクライナ侵攻で何か軍事力強化になり戦争準備体制のようになっている
それは中国の台湾有事で現実味を帯びている、実際に台湾の国境の島、与那国島でも自衛隊の基地化する、台湾有事に沖縄の島で準備しているのである
こうして中国が攻めてくると準備することはもう戦争状態にすでなっているのかもしれない、それもウクライナでロシアが侵攻したことで容認されるようになっている
これも危険なことではないか?もちろん北朝鮮の脅威もある
何か一発触発の状態のようにもなっている、中国とも北朝鮮とも戦争になる
それは中国がそうしようとしているのだからやむえないという感覚になる

でも過剰に反応することも危険だともみる、ただもう自衛隊でも全面に出て戦いとかなる雰囲気にもなる、日本を守のは日本しかない、アメリカは守らないとしたとき誰が守るのかとなる、だから次のウクライナは日本だと言われるのである
それが危険な方向に向かうことになる、日本に攻めてこないのにもう中国が攻めてくるとして準備することはすでに戦争状態なのではないか?
そしてアメリカは中国とは戦わず台湾でも台湾人最前線で戦わさせられる、そのためにアメリカでは武器を売る、日本でもそうなる、アメリカは最前線では戦わない、後ろからの援助であり自ら血を流すことはしない、だからこそ中国も抑制すべきなのだがしない
要するにウクライナのように日本と中国が正面で戦い犠牲者がでる
アメリカは武器を送るだけだとなるかもしれない、そこで利益を得るのはアメリカだともなる

どうしたら戦争にならずにすむのか?

そのことを互いに模索して犠牲をなくすることにする、それが政治なのだけどできない
いづれにしろ不祥の兵がそうでくなるとき危険になる、本当は戦争するなら米中だけでしてもらいたとなる、日本は高見の見物をするとなればいい、でも必ず日本にはアメリカの基地があるのだから中国にでも北朝鮮でも攻撃される、それもミサイルの射程距離にありうちこまれ、アメリカは避難してアメリカに帰れば安全だとなるのである
ともかく日本はこうして危険な状態にある、別に自衛隊に人など集まらなくてもいいのである、でも軍事力増強を言う時、軍備でも増大してゆくし兵力も増強するとなる
それがいい兆候ではないことは確かなのである

ともかく老子の思想に共感するのは無用の用とか人間はいらないものを作りすぎた、
いらない仕事を作りすぎた、軍隊はない方がいいし医者でも警察でもそれがなければいいものである、つまり病気でも犯罪でもなければそういう職業は必要ないのである
だから天国では病気もないし犯罪もないし戦争もないからそういう職業は必要ないのである、第一武器を作っていて売れなければ困るから戦争してくれとなるのは異常なのであるだから職業は業〈カルマ)になる面があった、食べるためには麻薬でも栽培して売るほかないとかにもなる、そして今物余りになり要らないものでも買ってくれとなる
それで40代くらいの人の考え方は変わった、ニートとかも容認する人とか働くことに積極的な意味を見いだせない人が増えている、それも物を大量に作って売れないもの余りになったからだともなる、老子が言うのはいらいなものが多すぎる、またいらないものが災いをもたらすことである、それで武器を否定するのがわかるが農民が鎌とか鍬とか道具をもつまで否定したのである、それが二千年前だったから驚く、それは現代文明を見越していたということの驚きなのである

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2022年05月24日

プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に (日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)


プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に

(日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)



日本でも太平洋戦争で終わりに近づくと兵士不足になった
それで40才くらいの人も相馬市の松川浦から徴兵された、また少年兵でも18歳の人も志願兵として募集された、その人はどうも中国人を殺したようだが口を噤んだ
それは上官の命令でしたらしい、逆らえずした、ただこうした生々しいことは語りにくいおそらく戦争とは必然的にこうした残虐なことが起きる
それは経験しない人しかわからないのである
でも今ウクライナで起きることは日本の敗戦が濃くなり兵士不足になり少年兵でも年配の人でも兵士として募集されて戦わされたとなる

それでその40才の人は子供もちだから戦地で子供のことに同情していたのである
そういう短歌を残していたのである

幼児に罪のなければと携帯のパンかみくだき吾はあたえぬ

短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男) 
一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集

だからロシアは実際は負けている、日本でもアメリカの戦争で武器でも組織力でも士気でも負けていた、上官と下士官はいがみあい団結もしていなかったのである
日本は団結する一億人が火の玉になって一致団結するように見えていても実情はそうではなかった
やはり戦争というのは何か共通したものがある、兵士不足になり補充できない、
また武器の優劣でも勝敗が決められる、ロシア軍の兵器は時代遅れになっていた
ハイテクでも遅れていたのである、それじ情報戦でも遅れをとった
それが日本の戦争でも同じだったのである、アメリカ軍は航空戦で優位にたち兵站でも優れていた、経済力があり物量でも優っていた、そして意外とアメリカ軍は士気も高かった上官と下士官は争うことなち一致団結していた
つまり日本は野郎自大国になっていたのである、漢が鉄器で攻めてきて漢を馬鹿にしていたが銅の武器で戦ったが敗れたのである

それは真珠湾攻撃でそうなったともみる、アメリカはキリストのように右の頬を殴られたら左の頬をだせではない、一回殴られたら千回殴り徹底的に打ちのめすのである
それはイラクの3.11のテロ戦争でもそうである、それがアフガニスタンにも及んだのである
アメリカの問題は戦争で国土が焼野原になることを経験していないのである
遠い位置から他国を攻撃する、徹底的に攻撃してうちのめすのである
だから本当の戦争の悲惨さを国民的レベルで経験していないのである
その点ロシアはドイツのナチスで一千万人以上とか死んだ、まさに国家総動員で戦った歴史がある、だからそれを言うのもわかる

ただなぜロシアが技術的にも遅れていたのか、それはソ連が崩壊した後に欧米の技術などを積極的に入れなかったからかもしれない、ロシアは中国のように経済成長しなかったのである、だから最先端の宇宙技術があったのにその後は停滞して遅れをとった
だからロシアが大きな北朝鮮だというと核兵器だけを自慢する国だったとも見られたのがわかる、戦争でそれがあからさまになったのである、ある意味で意外であり世界でも驚いたとなる、逆にロシアが野郎自大国にもなっていた不思議である
戦争は総力戦だからその国の国力をあかさまに示してしまうということを見た
だから確かに中国は脅威なのだが台湾有事でもどうなるかわからない、圧倒的に軍事力に差があっても実際に戦争になればわからないということである
でもドイツでも日本でも敗戦国なのだから戦争はしたくない、アメリカと中国がやれとなるが巻き込まれるのである

次のウクライナが日本だ!

こういうとき米中対立が激化すれば台湾有事で日本がウクライナにもなるからだ
日本でもドイツでも戦争にはこりごりだとなっている、だからとても日本で戦争する気力があるのかとなるとそういう気分になれない、だからアメリカが戦争しろ最前線で戦いというとき何か矛盾しているのである、アメリカが戦争に勝ったのだから最前線で戦いとなるからだ、勝者になるのはいいとして勝者には責任が生じていたのである
負けた国は従うほかない、でも勝者こそ最前線で戦いとなる
アメリカは自国の人間を犠牲にしてまで戦わないというのも変なのである

そもそも日本を占領しているのは何のためなのか?

中国でも攻めてきたら日本は守らない、撤退する、自国民を犠牲にできないという
ではなぜアメリカ軍の基地があるのか?何のためにあるのか、日本は依然としてアメリカの占領国なのである、日本が戦いというより占領しているアメリカ軍戦いとなる
それが勝者の責任なのである、勝者というのはそれだけの責任が課せられている
勝ったら何をしてもいいとはならないのである

そもそもアメリカは日本と何のために戦ったのか?

真珠湾の恨みを果たすためなのか?これも良くわからないのである、その時中国は敵ではなかった、むしろ日本軍と戦う同盟国ともなっていたのである
戦争はなぜ起きるのか、それも不可解なのである
そしてロシアの恐怖はプーチンの恐怖は一人の狂気の独裁者が核のボタンを握り人類を滅亡させるという不条理である、こんなことがあっていいのかということがウクライナ戦争で現実にあり世界が震撼したのである
この世とは何か明確な理由があって戦争があるのとも違う、人間は何か不条理があり明確に理由があり説明されるわけではない、数学の公式のようにはならないのである
ただ正義を装ったり人道を装ったりするのである,アメリカのしてきたことをみれば人道を言えるのかとなる、中国でもウクライナ戦争で人道から批判しているからこれも勝手だとなる

いづれにしろロシアは意外と弱い国だった、領土は馬鹿でかいにしても国力は弱体化していたのである、だからこのまま戦争をつづけられるのかとなる
背後から応援する国もいないし経済的にも戦争を続けられないともなる
日本でも戦争に負けるとき同じような状態に陥っていたからである
posted by 天華 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層