2020年07月14日

不要不急」が問われた (過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)


不要不急」が問われた

(過剰化社会が是正される―病院に患者も来ない)

コロナウィルスが社会に提起した問題は様々だった
そこで浮き彫りにしたのが「不要不急」という標語だった
不要不急とは無用でいそぎでないことを表す語。不要は不必要、無くてもよいこと、またそのさまを表す語で、不急は差し迫っていないこと、またそのさまを表す語である。

現代社会はこの不要不急が多すぎたのである、無くてもいいものまた少なくてもいいものが多すぎたのである
その一つが医者とか病院で患者過剰になっていた
コロナウィルスでは感染関係の医者とか病院とか看護師とかは必要でもその他の関係ない医者ふ病院や看護師は暇だった、それより患者が来なくて収入がなくなり倒産するのがこれから増えてくるという危機になった
つまり病院に医者に行くほどでもないのに行っていたのである
そして本当はいらない薬まで飲まされて金を使っていた 

そこで医療費が膨大なものとなり国までつぶれるとかまでなっていた
病院が街の医院でも老人のサロン化していたいうのがそうである
それは日本では国民保険があり医療費が安いからそうなっていた、でもそれももう国では負担できない状態になっていた
医者がたりないと言っていたが本当は医者が過剰だったということが判明した
看護師でも過剰だったのである、人手不足が常に言われたが実は今になると失業者が増えてそれも解消してゆくというのも不思議である 

医者とか病院の怖さはこのように患者がいなくなると病気になって病院に来てくれ、病院がつぶれるからと切実なものになる
するとどうなるのか?何か故意に病気の不安をあおりいらない薬を飲ませたりいらない治療をする、さらに医者がありもしない病気まで作りだして治療もいらないのに治療して金を稼ぐとまでなるから怖いのである

そういうことは職業にある、消防士が仕事がなくてわざと火をつけて火事にしたことがあった、暇だから火事にした
警察だと犯罪者がいないから犯罪起こしてくれとかともなる
軍隊だと戦争がないと生活にならないとして戦争を起こしてくれとなる
アメリカの軍産複合体では武器を大量生産しているからその武器を売り消化するには大規模な戦争が必要になる、そのために定期的にアメリカでは戦争を起こしていると言われていたのである、極端になるとそうなるから怖いのである

現代文明社会はあらゆることが過剰化したのである、不要不急なものにあふれるようになったのである
新宿の歌舞伎町の夜の街が批判されたけどそれも不要不急であり必要なものとも言えないでも世の中は誰も修行僧のように暮らせない、だからそうした場を否定できない
要するにこの世には特に文明社会になると無駄なものが膨大に増えてくるのである
もしかしたら本当に必要なものはわずかである
それでも人間は生きることができる、それは動物をみればわかる
最低限のもので自然の中で生きているからである

とにかく文明社会はあらゆるものが過剰化したのである、報道でも過剰化した
ニュースはきりなく毎日報道される、そして忘れられる
そこで一貫して連続して追求されるものはなくなる
次々に新しいもの新しいものを求めて報道される、まさにニュースなのである
またあらゆる人が意見を言う、コメンとする

意見は積み重ねがなく、変動し流動する

知識は積み重なってゆく、意見というものは他の意見に必ずしも積み重なってゆくのではない、知識は成長するが意見は変貌する
「過剰化社会」−D・J ブーアスティン

知識と意見は違う、意見は誰でも言うことができる、いいとか悪いとか言うことができるでも知識は体系的であったりまた専門化してくるから簡単に言えないのである
あることに言うについてもその知識の積み重ねがないと言えないのである
いろいろな歴史についてもそうである、知識の積み重ねがないと言えないのである
だから私は何かいちいちコメントするのがめんどうになりしていない
一方的に書いているだけである
対話するということは二三行コメントするのとは違う、深いコミニケーションが必要になる
それは何かネットではしにくいのである
今はこうして毎日プログに書くことに時間をとられて他のことができないのである

過剰というときあらゆるものが情報でも報道でも日々過剰化している
もうインタ−ネットでyoutubeを見たりしているとテレビは見れなくなる
実際私も見る時間がかなり減った、youtubeの方が有益だとしったからである
今は情報に追われる、でも知識は積み重ねでありまた物事を知るには過去から歴史からみることで深く知ることできる、今のことに追われていると深く知ることはできないのである
だから今はある程度情報を遮断することも必要になってくる
情報の洪水にのまれてしまい、かえって真相が見えなくなる
「沈黙」もまた必要なのである、瞑想も必要なのである
ただ現代文明は沈黙とか瞑想を嫌うのであく、それは空白であり真空を嫌うからである
何かで空白を埋めようとするのである
だからなにかかにかある、広告で埋められたり絶えずそこには音があり何もない空間とか沈黙の空間とかは拒否されるのである
それが具現化したのが大都会である、東京とかになると家とビルで埋め尽くされている
仏教とかでも無を説いたときその無の空間が老子なら無用の用の空間がないのである

教育だって過剰化していた、学校が休校になったけど今ならITで学ぶことができる
youtubeとかは教育の道具として優れている
すると自主学習になり能力をかえって伸ばせるかもしれない、なぜならそこでは教えるのがうまい、特別優れた人が教えているからである
つまり並みの先生はいらないとなるからだ
学校という校舎に建物に集める必要もなくなる、ただコミ二ケーションとかは問題になるでも何か学校だけが教育の場所とするのはふさわくしなくなっていたのである
それは明治の時に教える場所が学校しかなかった、その後もそうだったのである
私の家には戦後のことであり貧乏だから一冊の本もなかったのである
戦前はそれよりびどかった、学校に通いなかった人がいたのである
子守りとかあってそうなっていた、今なら後進国ではまだそういう場所がある
ネパールとかだとボールペンもないのである、だからくれと言われた
そういう社会なら学校は不可欠である、でも文明社会ではもう学校に行くことをこだわる時代ではない、学ぶ環境が整っているからである
つくづく知的仕事には大きな家が必要である、書斎でも必要である
テレワークでもそうである、環境が人を作るのである

人間とはまたこれほど仕事をしなければならないのか?
それも疑問なのである、みんながこれほど働いていることも異常なのである
本当はそんなに働かなくてもいいのかもしれない、でも働くことは強制される
それで無職とかニーとは罰せられるべきだとまでなる
俺たちは働いているのにあついらはのうのうと働かないで過ごしているとかなる
自分自身は30年間引きこもりでありで沈黙の行をしていたからまた異常だった
ただ社会もまた異常なのである

いづれにしろ過剰化社会をコロナウィルスが浮き彫りにした、不要不急のことはするなというのはそうだった
つまり現代社会はあらゆるものが過剰だったのである
その過剰が問題を引き起こしていたし無駄な労苦さえ生んでいたのである
そんなに外国からあらゆるもの食料まで輸入することがあったのかとかこんなに交通が必要だったのかとが問われた
交通も過剰だった、もうリニアなど必要なくなった、急激にコロナウィルスで鉄道すら利用しないことに驚いたからである
コロナウィルスが過剰なオーバーツーリズムとか交通を止めた
車だって過剰化していた、道路でも作りすぎたとかある
いらないもの不要不急なものはいらないというときどうしても必要なものには力をそそぐとなるから悪いことではない、食料は自給が必要だとなればそこに人員を集中させるとかなる、すると農家の人手不足も解消するとかなるからだ

コロナウィルスは謎であるがこれほど社会自体を変えることに驚いた
社会は簡単に変えられないからである、コロナ前と以後の世界は変わってくる
津浪と原発事故もこの辺でまるで違ったものとなった
そのうようにコロナウィルスでも社会は変わり時代が変わる
何かあらゆることが過剰化していた、物でも情報でもあらゆるものが過剰化していた
ただそこに足りないものが常にあった、それから物があふれていても今度はその物が変えない貧困化した日本になっていた
あらゆるものが目の前にあるのに買えない貧困である
過剰に物があっても買えないとなるとかえって苦しいとなる
なければないで暮らすほかないがこれだけ物があってもそれが買えない食べることもできないとなる貧困である、これまた矛盾なのである
過剰に物があっても貧困化すればますます不満がつのるだけになる

そういうアンバランスがどうして起きたかというとグロ−バル経済というのにもある
世界から食料まで材木でも何でも輸入する、しかし日本が電器製品でも売れないとか
貧困化してくれば買えないなのである
確かに世界中に物がある、でも買えないとなるのである
そういう時代にどういう社会にするのか生活にするのか考えねばならなくなった
エネルギーでも電気でも過剰に使っていた、でも使えなくる、貧乏がわかるのは人口の
5%が毎月の電気水道料が払えない、それで取り立てする人が嫌になってやめたとかあるそこに一番の貧乏が具体化しているのである
そこが節約できないからである
いづれにしろ過剰化社会はつづけられない、コロナウィルスでそれが明らかになったのである
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2020年07月09日

コロナウィルスで観光業の打撃 (旅館やホテルを歴史から見直す)


コロナウィルスで観光業の打撃

(旅館やホテルを歴史から見直す)

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会津の観光収入は相当に大きかった


観光時代でもあった、インパウンド観光で京都などはオーバーツーリズムになり日常の生活すらままならなくなった
それはがコロナウィルス騒ぎでぱったりと人が来なくなった驚きである
こんなに急激に変わることの驚きである
つまり観光業というのはもともと水商売のようなところがあり当てになるものではなかった
でも交通が発達するとそれが過剰化していたのである
そして交通が止められると急激に人の行き来が途絶えたのである
それこそ不要不急だったからこそ一挙に途絶えた
観光しなくてもそれで死ぬわけでもない、食料がなくなるのとは違っているからだ
観光とは生きぬきであり贅沢なものだったのである
それが豊かな時代から起きたことなのである

江戸時代にも確かに観光ブームがお伊勢参りとなって旅する人がふえた
平和な時代になり豊かになると遠くへ旅したいとなるからだ
ただそれにしても観光のようなものではなく一生に一度の旅だったのである
歩いてする旅では遠くになるととても行けないからだ
今の観光はいくらでも交通が発達しているから行ける
遠くが近くなり近くが遠くなるとまでなっていた
常に内部より外に向かってヒトもモノも動く、だからこそこれだけひっきりなしに車が走っているのだ

何か人間は正常と異常の見分けがつないのである、正常とは何かわからない
正常と見えたものは実は異常だった、異常と見えたものは正常にもなっている
戦争時代は戦争することが人を殺すことでも正常でありそれが奨励される
でもそれは異常なことである、人間は本当に何が正常なのか、異常なのかわからない
異常も正常だとなるのが普通である

そもそも東京にあれだけの人口が密集しているのは異常なのことである
満員電車に詰め込まれて家畜のように会社に行くのも異常である
でもそれが習慣化すると異常でもなくなる
それがコロナウィルスでテレワークとかなり別に通勤しなくてもいいとなったとき
別な生活が志向できると気づいたのである
その方が正常だともなり満員電車に詰め込まれる生活は異常だったと気づいた
そして地方で暮らす方がいいともなったのである

観光業も歴史をたどると今の観光のようなことはなかった
お伊勢参りとか神社仏閣をまわるときそれは信仰でありそこで門前町が栄えた
それは観光とにていても観光になったのは最近のことである
高度成長時代の会社の団体旅行は観光の始まりでありそれに答えた大きなホテルができたそれまでは日本は貧乏で観光はなかったろう
汽車で電車で旅行していたのは一部の恵まれた人にすぎない
そもそも鉄道の歴史をみればわかる、ほとんどが物資の輸送であり北海道とかなると石炭の輸送のために鉄道があった
この辺だと常磐炭鉱があり東京に石炭が運ばれた
また日本全国に森林鉄道があり網の目のようにあり木材や石材が運ばれた
それは東京に運ぶものとしてもあった
でも旅行を楽しむ人は一部の恵まれた人だけだったのである

なぜなら私の母親とかに聞いても汽車に乗るのは特別なことであり汽車賃が高いから乗っていないからである、その時貧しいから汽車に乗れなかったのである
だから鉄道を利用して観光旅行などすることは普通の人はなかったのである
だから観光は高度成長時代から豊かになりはじまったものである
ということは日本では観光の歴史は浅いとなる

街道を旅したとしても宿は相宿でありそこで食べて寝て休めればいいとかしかないのである、そして街道を旅していた人はやはりただ遊びで観光で旅するというより何か用事があり商売のためとかであり観光で旅する人はいなかった
だからただ旅する人は特殊な人である、それは僧だったり芸能を売りにするものだったり何か普通の人ではなかった、山頭火などは乞食だったからそういう社会からはずれた人たちだったのである、ただお伊勢参りは農民が主役だったからそれは一生に一度のものとして許されていたのである

だから現代の観光業はそういう時代とは違ったものとして生まれた
第一街道を行くように歩く旅でもない、目的にすぐ着く旅である
となると目的地でグルメするとかが目当てであり旅とも違ってくる
旅とは宿場を点々として泊まりその行程を楽しむまたは苦しんで旅することだからであるその行程がぬけおちたのが現代の旅なのである
だから現代には保養者はいるとしても旅人はいなくなったのである
だから芭蕉のような旅自体を生きてそれは人生ともなり宗教のようなものとして昇華することはなくなったのである
要するに浅薄な旅であり観光は何かもう一つ人生に深みと意味を与えるものとなっていないのである

そして農民にとって旅館とかは湯治のように日ごろの労働をいやす場としてあった
それは観光ではない、また今のグルメ旅とかとも違う、ただ癒すということでは共通しているかもしれない、そもそもホテルがホステルであり病院の役割があった
そこに接待が生れた、湯治もそうだった、温泉はもともと病気の治療の場ともなっていたからである、それで傷ついた鹿が温泉につかっていたとかの伝説が生まれる 

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

明治以降外国人を受け入れるためにホテルができたということでももともと日本では外国人をもてなすものとして生まれのでありその由来が違っている

とにかく東北では湯殿の碑が多い、それはそこで農民が湯治として滞在したからである
湯殿信仰があったためである

それで芭蕉の句にある

 語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな

これは何か深く東北の民に同情していたから不思議である、芭蕉の不思議は「奥の細道」が何か東北という地域と深く一体化したことなのである
心情的にも一体化したからそういう句が生れたのである、現代だと東北を旅してもそういうことにならない、ただ癒されるということはある
でも湯治とは違う、贅沢な旅でありそういう人は東京の人が多く金をもっていて贅沢するというだけである
現代はただ金持ちだけが優遇される時代なのである、農民が湯治で日ごろの疲れをいやすというのとは違う、要するには今の仕事はただ金持ちのために使われるのである
一泊三万とか四万とかの旅館もありそこは金持ち専用になっているからだ
たいがい東京の金持ちが利用することになる、地方ではそんな金持ちは少ないからである
そういうことで何か私は旅に明け暮れたけど常に安宿を探し歩いていた
でも日本にはそうした安宿がない、かえってヨ−ロッパには安宿があった
だからヨ−ロッパは貧乏人でも旅しやいと思ったのである
それでホテルとか旅館でも自分にはいいと見なかった
まず温泉宿にとまったこともないからである、あとは自転車旅行になったら余計に泊まりにくくなりテンと泊まりになったのである

現代はすべて金で価値が決まる、金のないものは相手にされない社会である
でも江戸時代とは何か違っていた、みんな貧乏だからとういことがあったろう
貧乏で平等だったから差別もなかったともなる
何か現代ではあらゆることで金で差別される時代なのである
またそうせざるをえない時代なのである、だからそれでホテルとか旅館を批判しても仕方がない
でも本当の旅人をもてなさない、ただ金持ちの保養にくる人をもてなすのが旅館でありホテルなのである、時代が変わりそうなったのである

だから旅を追及してきたものとして現代は旅人はいない、すると旅から生まれる文化も生れない、芭蕉のような句も生れない、ただ金持ちの保養所のようになっている
旅する人などいらない、金を落とす人しか来るなとなっていたのである
このことを言ってもしかたがない、それは当然だとなるからだ
でもコロナウィルスで観光業がこれほど打撃を受けてこれからをとするのかというとき
旅館でもホテルでもその原点は何だったのか見直すことも必要になる
旅館は旅人もてなす館なのである、金持ちの保養所ではないのである
これも交通の発達とかいろいろなことが重なって変化したのである

でもコロナウィルスで近間の人を呼び込むことになったようにそれは温泉宿がもともと湯治の場であり近間の人の農民をいやすものとしてあったことに帰ったともなるのである
近間の人を客として大事にするということである  
それで5000割引を政府で援助したらすぐに予約で埋まったとういう、つまり近隣の人は泊まりたかったが料金が高くて泊まれなかったということがあるかもしれない、東京や外国人の方が金を落とすとして優遇されたとなるからだ
それは全国的にそうである、京都など特にそうである

何か金だけを優先する資本主義の論理というのが成り立たなくなってきたのかもしれないすべて金で価値を計り人間もそうであり
金のないものは排除されてる社会である,コロナウィルスはこうして今の社会を見直す契機になっている、弱肉強食の資本主義とか金融資本主義とかグロ−バル経済とかが見直される、それがいいものとてし働いた時があったが今は悪い方に働くようになった
そこには人間が生きるのに何か大きなものが欠如しているのだ
人間にとって最も大事なものすらふみにじるのである
原発事故だってそういうふうに金だけですべてを見た結果として生態系が汚染されて住めなくなった、それも同じ根だったとなる

そこで不思議なのは近隣の人が利用できなくて遠くの人や外国人のためとなり5千円割引したら近隣の人が利用した
観光立国というときギリシャがそうである、ギリシャで生産されるものはほとんどない
観光が売り物でありそれで成り立っていた国である
そういう国はもろいということである
ばったりと観光客が来なくなると経済が干上がってしまうのである
5000円割引が大きかったとなるが大きくなるともう無理である、それは東京であれ遠くであれ外国であれ受け入れないと経営できない、一日ホテル維持するだけで何百万かかるとかなるとそうである、するともう維持できないとなり倒産する
やはりこれもホテルとか旅館とか観光を見直すことになる
ただそれにしても極端な変化だったのである、あれだけ中国人であふれていた京都でもぱったり外国人が消えたからである、その変化があまりにも急激だったのである 



posted by 老鶯 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract river


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2020年07月08日

自然災害は神の意志が働き起きるのか? (あと残されたのは飢饉と戦争だ!)


自然災害は神の意志が働き起きるのか?

(あと残されたのは飢饉と戦争だ)

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 モーゼの出エジプトで起きた10の禍の中に家畜が死んだのは伝染病だった

ブヨの災い

ブヨが大量発生し、人々や家畜が襲われた。アブの災い 
これは農業国だったから起きる、今でも虫の禍に悩まされているからだ
サバクバッタの大群に苦しめられているのも今起きている、それは南アフリカから発生しして中国まで迫っている
ここで伝染病があったとういことは重要である
そこに神の意図があったからだ
自然災害としてではなく神の意図がありその災害は神によって作り出された災害だった

そもそもなぜ自然災害が起きるのか?

この辺は東日本大震災では津波があり原発事故がありまた去年は水害があった
こうして連続して災害が起きるのはなんなのだろうとなる
まず津波の災害だけは今ででも信じられない空恐ろしいものだった
この世の終わりなのかとさえ思うような恐ろしいものだった
それは村ごと消失したりしからである
それで神を恨んだいうのは理解できる
この衝撃は簡単には消えることはない

ではなぜそれほどの災害が起きたのか? 

それは不可解なのだけど人間側の理由としてもともと海だった所に港を作り集落を作り
津波のことを全く考慮しないで住んでいた
第一波が打ち寄せる海岸に住んでいるとなると何か怖くないと海側に住んでいる理屈ではなくてそう思うからである
磯部は500人死んだとか被害が大きかったけどそこはもともと地形を見ると砂州だったのである、となると海だった所に陸地ができてそこを集落にした
それはもともと危険な場所だったのである
でも漁業に便利だからとして住んだのだから人間側の落ち度ともなる
でもあまりにも津浪は恐ろしいものであり何で自然はこんなに非情で残酷だとして恨んだことは理解できる

今回の九州の球磨川の洪水もそれは前にも被害があり必ず水害になる場所だった
でもそのことに対策していなかったのである、50年前とかでその被害のことを忘れていたのである、そして今回もダムが意外と危険なものとして働く
放流することで一気に水嵩が増す、この辺でも原町の高倉ダムが放流した結果新田川が氾濫したからだ、それと同じことが起きる、他でも起きていたからである
ダムは必ずしも治水にはいいとはならない、かえって逆に危険なものにもなる
それで中国では三峡ダムが決壊すると騒いでいる

ここで謎なのは神の意志が働いて自然災害が起きるのか?

ノアの洪水とか出エジプトの自然の変異は神の意志がモーゼを通じて働いた結果である
だから確実に神の意志が働き自然の変異が起きる
ただそれは無闇には起こらない、神の定めた人によりその人を通して自然の変異が起きた聖書の物語とは神に選ばれた者を通じて起きる現象を語り伝えたのである
それは科学的には説明できないのである
旧約聖書となる神の国へ導くものとして神がイスラエルの民を導いた物語なのだ
だからそれを達成させるために神の意志が働き自然現象でも奇跡でも起きた

でも地球に起きる自然災害は神の意志が働いて起きているのか?

これは不可解でありわからない、聖書ではそうだとしても他にも巨大な自然災害がありそれをどう解釈していいかわからない                  
今回のコロナウィルスでもこれは神の意志が働いた結果なのか? 

その原因はわからないにしろ結果として起きたことをみると何か不思議なのは今までのグロ−バル経済とか資本主義であれ経済のシステムとか金融とかそうしたものへの制約をかけた、つまり国々をを分断するように働いた
ウィルスは国境とか関所とか人の移動をとめるもきだったがそれが自由になったときウィルスは伝染し広がったからである
そしてもともとウィルスは動物とかサンクチュアリ―に人間はずかずかと恐れることもなく侵害したからだ
現代は何か本当は人間は入ってはいけない聖域にも関所をもうけず入りこむようになり
そこに動物が生息してそこからウィルスが人間に伝染してきた
それで自然の逆襲だと科学者が言うのも理解できる

なぜこうして不可解なことが震災以後自分の一身上でも起きた、そしてその周りでもこうして不可解な自然現象が起きる
それが何を意味しているのか謎である
ただ津波でも原発事故でも何か神からの働きかけがあり原発などはやめろという神の意志でも働いた、コロナウィルスでは大きくはグロ−バル経済を停止させる働きがあった
また国内でも人の自由な行き来を制限するものとして働いた
だから国内でも遠くより近くへの回帰と東京の大都会からの脱出移動が始まった
もしかしたらそれは次に起きる東京の大災害の予告なのかもしれない

今東京から脱出しなと危険だという警告なのか?

この辺で八沢浦の湊で高潮で震災前に被害を受けた、それも実際は自然の予兆だった
こんな被害にあうならここに住んでいられないとか判断したら津波からも助かった
なぜなら湊の部落は40軒ほどあったがみんな流されて消失した
村自体が消失したからである

磯部村では慶長津波の前にやはり高潮があり支配者の佐藤氏が今の相馬の道の駅の鬼越館に移った、そして今回の津波でその近くまでも津波が来ていたのである
そして磯部村は消失したから空恐ろしいものだったのである
このように予兆を見て逃れていたら助かったともなる

そして不思議なのは原発事故の時に東京に避難した人たちが放射能がうつるとか子供が差別されたりいじめられたのである
それが今度はコロナウィルスで東京の人は来るなとして地方から言われるのもカルマだともなる
特に福島は東電によって大被害を受けたからである
それが今度は東京にカルマとなってそうなったのかとなる

だから神意として自然災害でも起きてくることはありうる、あまりにもモラルが荒廃した結果としてソドムとゴムラは滅ぼされた、それは明らかに自然災害としても神の意志が働いてそうなったのである
今何か歌舞伎町とか水商売関係がコロナウィルスで仕事ができなくなった
そこは性の乱れた場所である
ソドム、ゴムラでも同性愛とか性の乱れがありまたそこは人間が薄情になった都市だっただから神が滅ぼしたと記録される、だからコロナウィルスでも何かそういう神の意志が働いているのかとも見たのである

そしてまた不思議なのはなぜ日本ではコロナウィルスの感染者でも死者が外国と比べてこんなに少ないのだろうかということである
そこにもまた神の意志が働いているのか?
神の意志というとき日本の八百万の神なのかとなるがそれよりやはり一段上の神になる
人間が神と認識できるのは聖書に現れた神である、エホバである、それにはただ名はないのである、名がつけられない神なのである

要するにどうしても津波でも自然災害でも不可解なのである、科学者がいくら説明しても納得できないものとして自然災害も起きるからだ
みんなこういうとき科学者を頼る、でもその科学者が専門家がすべて対応できるのかとなるとできない、それは原発事故でもそうだった
そうして今回も同じでありワクチンという対抗策があってもそれは簡単に作れない
ただこれまでのウィルスはワクチンを作って勝利はしたとなる
だから科学者に頼るほかないともなる、でもウィルス自体は変異したり新種のが出たりと科学者でもみんな対応できていないのである

そして国際情勢を見ると中国とアメリカの対立が激化して戦争になるという人がいる
それは単なる予測ではない、そういう緊迫した対立が起きているからだ
それで日蓮の時代のようなモンゴルが攻めてくるとか内憂外患の時代になっている
日本は貧困化して中高年がリストラされて失業して介護職に転落するとか他に野垂れ死にする人がでてくるとかも言われる
日蓮の時代も道に野垂れ死にした死骸が積まれていたのである
そういう危機的状態が日本に起きて来る、それはコロナウィルスで失業者が増えればそうなるのである
要するに末世であり七難八苦が起きて来る、日本でも地獄の様な状態になる
だからこれからの時代は大きな災難の時代であり変革の時代である
その時代をぬけだすときまた平和な時代がやってくる
それは戦争が終わり日本が団塊の世代を中心になった高度成長時代が来たと同じなのである 

あと残された災難は飢饉と戦争である、だから食料不足が確実にやってくる、日本に外国からの食料が入ってこなくなる、備蓄するのにも米がいいとしても米すらなくなるというなぜなら今は麦でパン食が多い、すると小麦が入らないと米に頼る
すると米が足りなくなり奪い合いになるかもしれない、米は確かに備蓄して日本ではとれる、でも不足するのである   

こうして日本でも食料の奪い合いになり地獄のような状態になるかもしれない、
その時紙幣が紙くずになる、その時また戦争が終わった時のように食料を得ることが第一になる、その時金より銀より食料が貴重になる
超インフレにもなり馬鹿高くなり紙幣の価値が極端に低下する
もう紙幣では何も買えなくなるかもしれない、その時何でも現物でもっている人が強くなるのである
都会でぱ食料でも供給できなくなる、もう水さえも供給できなくなる
つまり紙幣は信用されなくなる前兆が起きている
預金封鎖とか財産税とかそんな話ばかりだからである
つまり紙幣の価値が暴落して信用されなくなることは資本主義そのものの崩壊に向かっている、紙幣がただ紙きれとみなされるような前兆が起きている
銀行が危機だというとき資本主義の中枢が機能しなくなりつつあるともなるからだ

そして地震が来たりしてさらなる災難で混乱する
そこで「東京脱出」がはじまる、コロナウィルスもあり東京に住めなくなるのだ
それは原発事故でこの辺が住めなくなったように東京のカルマなのである
何かこうして起きてくることは大混乱の前兆なのかもしれない
こんなにつづけて災難が起きることが解せないからである
それも地球規模で起きているからである
人類の危機のようになっているからである
こんなとき国と国が争っているときではない、この機に乗じて有利になる、得しようととすることは危険である
コロナウィルスでは人類は協力することが求められているからだ  

そして中国が攻めてくるとかといっても中国自体が国内問題やコロナウィルスでも三峡ダムの崩壊の危機とかでも簡単にできるとも思えないのである
だから中国に対抗する軍事力をもてというのは危険である
日本に今やそんな経済力も力もないからである
もし中国が攻めてくるとしたらそれが第三次世界大戦の引き金になるかもしれない
そこまでリスク中国が犯すのかどうかは疑問なのである

posted by 老鶯 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年07月07日

仙台市と神戸市で感染者(7月6日) (東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市と神戸市で感染者(7月6日)

(東京からのコロナの拡散が止められない)


仙台市は前から感染者が増えると見ていた、だから仙台市に行くのが嫌だった
どうしても東京とかから新幹線でも仕事でも行き来が多いからである
そしてやはり感染者が四名でた
そして神戸市にもでた、ここも大阪と近いから増えることはさけられない
それで知っている人が東邦銀行に勤めている孫がお盆にも来るなと言ったのは正解だったともなる

とにかくこのウィルスは伝染病は地理と深く関係していることを述べてきた
ただ鹿児島市にクラスターが発生したのは意外だった
福岡市が中心となって感染者が増えた、鹿児島となると東北だと青森だという感覚になるからだ
でもなんらか今は交通が発達しているから拡散することはとめられない
よほど交通がない所でとないと無理である、でも現代ではそういう場所はほとんどないのである
どこにでも人が出入りして秘境の村などない、桧枝岐だって今度は尾瀬の観光が開始されたからやはり東京からでも人が入ってくるからだ

そもそも交通が止められない限りウィルスの拡散を止めることは不可能なのではないか?それほどウィルスは交通と関係して拡散されるからである
仙台市は東北でも東京からでも交通の交差するところでありそこは一番危険だと前から思っていた、それが自粛が解除されてたちまち広がった
東京でも感染者百人が四日つづいている
それも検査数を増やしたから当然でありもともと検査しないから低くおさえられていたのである

コロナウィルスを止めるには交通を止める他に方法がない

こうなるのではないだろう?いろいろ対策しても東京や他県からでも入ってくれば感染してくる
だから東京に行くことと東京から来る人を止めない限り感染をとめることはできない
だから関所が必要になる、そこで止める意外方法がない
東京と地方を考えるとき東京から出るな、東京から来るなってしまう
それで地方は安全だとなってしまう
現実に何かこの辺では感染者が何人かすぐ近くで東京かのライブハウスから行った人が感染した、福島市でも最近一人東京と関係して感染した
感染経路をたどるとこうして東京とか他県から来て感染しているからだ

でもこうなると東京から脱出したい、地方に住みたいという人がでてきているのもわかるそういう人は検査して陽性でないなら受け入れる
でも不特定多数の人が県またいで行き来するのは危険なのである
それは地方の安全を脅かすのである
地方では田舎では感染者が極めて少ないから安全だと見る
確かにみんなマスクをしてる、でもしなくてもスーパーでもそれほどこまない
だから距離がとれる、デスタンスがとれる
それで私はマスクしなくても安全だとなり他の人もマスクしなくてもそれで何か言うこともない、店の人でもそうである、ただ一応マスクをするというだけである

感染病で歴史でも村の境に藁人形を置いたりしたのは他から伝染病をもった人を入れないようにするためである
だから境とか関所とかも今になると意味あるものとして再認識された
江戸時代にもどるような感覚になる
ただ人と物の流れをとめることはできない、なぜこんなに毎日車が通っているのか?
それを見ればわかる、物を運ぶことを止めることはできない
ただ人を入るのを抑えることはできる、特に観光とかなると不要不急とかなると止めた方がいいとなってしまう
歓楽街で遊ぶのも不要不急だからやめなとなる
その他病院でも患者が来なくなったという時もともとそれほど行く必要もないのに病院がサロンのようになっていて行っていたというからそれも不要不急だったのである

何か結局現代は交通過剰でありオーバーツーリズムでもあり何か限度を越していたのである、そんなに必要なものがあるのかともなっていた
なくてもすまされるものでも買っていた、それが見直されたということもある
だからその生活が実際はアブノーマルだからニューノーマルに移行するともなった
ただ不思議なのは時代が元にもどるというか後戻りするというかそういうことがあるのだと思った
江戸時代は沈黙と闇の世界である、交通は歩くことであり後は馬があるだけだった
そういう世界にもどるような感覚になる
すると内輪が近くが大事になり生活感覚も変わる、内輪での人間関係が昔の村のように濃密になる、狭い範囲で生きてゆくほかなくなる
すると近くにあるもので資源でも活かすほかなくなる
昔の自給自足的な生活に逆戻りするともなる、そこで人間が地域が見直されるかもしれない、そこでかえってまともな精神形成が成されるともなる

要するにミニマリストとかが見直されるというよりそうならざるをえない時代になる
もう世界から物が入ってこないしそれを買うだけの経済力も日本になくなる
そうしたら自前で食料でも材料でも供給するほかなくなる
それで外国貿易がなくなるということはない、今までの形ではない別な形での貿易になるそれが何かはわからないがそういうことに否が応でも強いられるということである
それがニューノーマルなのである

原発でも東京からもたらされた、大事故になりこの辺では住めなくなった
東京でなくても東北電力が小高に建設する予定があり工事がはじまるとき事故になって中止になった、だから必ずしも東京だけのせいにすることはできない
でも東北電力と東京電力では違いがあった
東京電力の電力が東京に送るものだった、それもどうして福島に作られたかというと東京の安全を第一にしてリスクをとらないためであり東京のエゴだったのである

でもつくづく人間にはカルマが返ってゆく、そうした東京の身勝手な行為がカルマとなって返ってゆく

東京の人は地方に来るな、福島に来るな!

これこそそのカルマだったともなる
もちろん地元でも金に目がくらんで原発を誘致したのだからカルマがあった
ただそのカルマの責任は故郷に住めないということで支払わされた
東京はそのカルマを支払っていないから今度支払うことを強いられたともなる
カルマは必ず苦しみとなって現れてその時自覚するのである
東京は今はそれを自覚させられているとなる
放射能がうつるからと福島の人を差別したときもそうだった
今度は東京の人は来るな、コロナウィルスがうつるというのがまさにカルマだったのである


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2020年07月04日

コロナウィルスがグロ−バル経済をとめる (森林破壊の歴史があり黒死病で森が回復した)


コロナウィルスがグロ−バル経済をとめる

(森林破壊の歴史があり黒死病で森が回復した)

中世ヨーロッパも人口増加で森林減少で崩壊の危機に。でも、黒死病の登場で人口が急減。そして森が増えたんだそうです。古今東西、人口爆発、農地拡大によって森が無くなっていきま

 きこりのホームページ


これも不思議である、コロナウィルスでも一時空気がきれいになり水がきれいになったとかある
人間の活動が停滞すると自然が回復する、また人口が増えることはそれだけエネルギーが必要になるから燃料としたりする木が必要になる
森が消失していった原因は人間の活動と人口が増大したためである
そもそもレバノン杉が船を作るために喪失していった
そんなに船に木材が必要なのか?そんなに船を作ったのかとなる
これも人間の活動が増大して貿易でも増大したからである
それは現代のグロ−バル経済と同じである,世界的に貿易が増えればそれと同時に森林も目次材需要が高まり森の木が切られる

なぜエジプトとかヨ−ロッパとかで石の建築物が多いのか?

それはもともとそうした建築物は木材で作られていた、ストーンヘンジでももともと木材で作られていたという、というのはイギリスでも森に覆われていたからである
木材がふんだんにあったのである
エジプトのようなサバクノうな乾燥地帯でももともと森があって木材で神殿でも作られていたのである

そしてペストで黒死病でヨ−ロッパで三分の一が死んだというとき森が回復したというのも不思議である、それは一時的でも自然の力が回復して空気でも水でもきれいになって
ベネチアでも魚が見られたとかなる
だからこのコロナウィルスは世界的に経済を停滞させる、活動とめる不思議なのである
それは神意なのかとまでなってしまう
グロ−バル経済は世界的に人間の活動を無限に増大させる、資本主義というのも常に新たな投資する場所を求めるシステムである
金が金を産む、そうして世界を発展させてきたシステムである
でもそれもコロナウィルスで止められ停滞させられて交通もままならないともなった

このままグロ−バル経済を進興させれば森でも破壊され環境も汚染されるままになりアマゾンの森さえ消失してゆくとかの危機になっていた
それは中世にも人口増加でヨ−ロッパで森林が消失していた
それがペストの流行で三分の一に人口がへり森が回復したというのも不思議である
それと同時に富裕層が貴族が没落して庶民が土地を所有するようになり豊かになったということもある、その社会の変化は大きなものだったのである

このコロナウィルスは明らかにグロ−バル経済を停滞させる、止める働きがある
このサイトは文明の発展は森林破壊の歴史だとして説明している
黄河文明は今は土だけの世界になっている、人はヤオトンとか土の穴に住んでいる
でもあそこももともと森林でおおわれていたのである
それは文明が発達したところは森林がありその木材を利用して森林が喪失した
メソポタミアでもエジプトでもそうである、森林がありその木材を利用して建築物がありその木材がなくなり森林が喪失して石の建築物になった
第一石を加工するとなると木を加工するよう高度な技術が必要だからである

また森林は鉄器の発明によってもその木材で炭を作り鉄を作りだしたので喪失していったつまり今砂漠になっている所でももともとは森林が豊富な場所だったのである
鉄器が生れたということは木材を切り加工するのに有利である
斧で木を切れるからである、でも森を破壊するスピードも速くなったのである
だから中国でもそうだけどとにかく禿山が世界では多すぎるのである
韓国でも中国でも山に森がない、禿山である
日本だけは山も森に覆われているのである

いづれにしろコロナウィルスはグロ−バル経済とか世界的に人間の活動をとめる働きがあった、まずこんなことをできるのは人間の力では無理である
そして新宿の歓楽街が危険だとされる、そこに水商売で働く人たちが一万人いるという
その活動をとめろという、またそこから増えてきたからである
確かに差別的になるかもしれんがやはりそうした欲望の活動も止めたともなる
そういうものは不要不急だともなるからだ
ただそういう人たちを差別したりするのではない、そういう場所にやむなく追われる社会の状況があるからだ、それでそういう場所はなくなることはないのである
ただエイズの時も性の乱れだとか批判があったのである

ともかくコロナウィルスは世界の時代の転換をもたらしたともなる
それは簡単に元にもどらないというときそうなる
それに適した生活にする他に対処方法がないのである
つまり中世的世界への回帰、江戸時代への回帰ともなる
そして人間は内面的世界を志向する時代となる
グロ−バル経済は縮小をよぎなくされる、それはもう限界にきていたのである
このままつづけば環境破壊も止められない、危機的状態になっていた
それと同時に資本主義の限界もきていたのである
だから大幅にそうしたシステムも見直される、世界市場とか世界の株式市場化とかそういうものも見直される、そういうものこそ何か環境面からすると元凶だとも見えてしまうからである
つまりこれまでの手法が大幅に変更させられる、確かにそこで不況になるとか恐慌になるとか一時的にはなる、そこに新しい時代の産みの苦しみが起きる
でもそれは新しいニューノーマルへの産みの苦しみなのかともみる

つまり資本主義の終わりとかも良く言われるようになっている
コロナウィルスで新しい時代の模索が始まる、それほどの変化をコロナウィルスがもたらすとするとまさに神意なのかとまでなる
そんなこと簡単に人間にはできない、コロナウィルスも自然の作用でありこれ以上グロ−バル経済をつづけるなとかの警告だったともなる
もしそういこたとがなかったら世界はますます環境破壊がすすみもう原発事故でこの辺が住めなくなるような状態にもなっていた
原発でももし事故が起きなかったら日本中に原発が増えて日本自体また事故があったら滅びるとまでなっていた、それに事故で歯止がかかったのである
これも神意だったのかともなる 

紹介したサイトは一冊の本のように説明しているから参考になる



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2020年07月03日

地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった (ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


地方ではコロナウィルスで東京から来るなになった

(ノーマルからアブノーマルへまたニューノーマルと変わる)


その人は糖尿病である、だから孫が神戸にいて働いていてお盆に来るというとき来るなと強く断ったという、その人は東邦銀行の人だった
なぜ東邦銀行の人が神戸で働いているのかその辺の事情はわからない
ともかくお盆でも東京から来るなという人が多い
それだけ田舎でぱ地方では東京から来る人を警戒している
福島市で最近感染した人も東京と関係してなった
最初私の住んでいるすぐ近くで感染した人も東京のライブハウスに行って感染した
最新ではまた一人仙台市で感染した

このコロナウィルスは交通と地理と深く関係している
大都市中心に人口が密集した地帯から広がる、だから大阪の隣の神戸は危険だとして来るなとなった
なぜなら東京でまた100人越えたように潜在的に感染している人が相当数いるからだ
ただ検査しないからわからないだけなのである

一時茨城県から感染者が出ないとみていたらすぐにやっぱり出た
東京圏内だから必ず出ると見ていたからだ
そして東京を抑えなければこれは地方でも抑えられない
なぜなら東京とのヒト、モノの交流が抑えることができないからだ
そういう時代に生きてきたしそうういシステムの中で生きている
ただ本当に不思議なのはITとか通信は人と接しないからテレワークができる
それでますますITが重要になるという
それでも人との交流、物流をとめることはできない
だから交通関係の被害は大きいものとなった
せっかく3月に開通したスーパーヒタチでも人が乗っているのがわずかだからもったいないとなる、それは東京との交通が主なものとしてあるから困る

江戸時代のコレラの感染のことを前に書いた
会津若松を中心にして広がった、東は白河街道があり西は新潟県が北前船とかが入ってきて阿賀野川の交通があり会津若松に人、物が入り広がった
そして田島の方には田島からではなく会津若松から広がったのである
それは東京中心にして拡散するのとにているのだ
それで感染者を出さなかったのは桧枝岐(ひのえまた)だった
ここは交通も閉ざされた地域であり米を食べないで蕎麦が主食でありイモリなど燻製にして食べていた、だから地理的に隔離して交通もなかったから感染しなかった
つまりウィルスは密接に地理と交通と関係しているのである

だから東京の人は地方に田舎に来るな帰るな!
                                        ・       
入らせないために関所を作れ!

こうなるのもまるで江戸時代に還れということにもなる
関所など前時代の不便なものでありグロ−バル化した結果、国境すらないとか世界がなって人、物が交流したのである
それがもう極限に達していたのである、それが急激にコロナウィルスによって否定された国境も関所すら必要なものになったのである
それもかなり厳しく入国制限をするような状態になった

だからコロナウィルスが世界を変えてしまうことの驚きがある
グロ−バル経済すらとめるようになったことの驚きがある
人間の生活は本来どうあるべきかも問われている
そんな外国と人でも物でも自由に行き来する、それはいいこととして推進された
でもそこにすでに弊害が生れていたのである、観光にしてもオーバーツーリズムになり
限界になっていた、それがぱったり止まったという驚きである
今や京都でも閑散としているかえって今ならゆっくり観光できるともなる

いづれにしろ東京を封じ込めろとなってもそれはできない
一千万の人間を東京に閉じ込めることはできない、ただこれもなんらかのカルマだったのかともなる
福島の原発事故のカルマとして東京にこうした災いが生れたのかもしれない
またそもそも東京の様な大都会は不自然でありその不自然さがコロナウィルスに弱かった東京では密集せずに生活できないからである、必ず人と接触するし接触しないて生活できないからである
そして新宿で水商売の人たちからまた感染者が増えたというときもそうである
一万人くらいそういう場所で働いているという、それだけのボリュームがあると感染は防げない、そういう場所も本当は異常だったのかともなる
ただそういう歓楽街は江戸時代でも吉原とかあり人間の欲があるかぎり消えない
でもコロナウィルスでそれも危機にたたされる
自粛が解除されてもそれでまた増える、それは実際予想されたことである
では両立が可能なのかとなるとまたむずかしいのである

とにかくニューノーマルの生活形態に変化するほかないのだろう
不思議なのはこうなるとみんながデスタンスをとり座禅して沈黙する寺に籠る僧のようにもなる、しゃべると飛沫が飛び感染するからである

距離をとれ、デスタンスをとれ、マスクをしろ、大声でしゃべるなとかなると

それが禅僧のようになる生活だともなる、まさに修行僧と同じになる
でもそれもまた新しい時代のニューノーマルなのかとなる
何かこれまでの生活を見直す、これまでの生活が実際はノーマルにみえてもアブノーマルだったのかもしれない、それをコロナウィルスによって気づかされて変えたとともなる
私自身は奇妙なだけど30年間引きこもりであり禅僧のような生活をしていた
人とは接せず沈黙してしゃべることもしないで暮らしていたのである
だから変なのだけどこういう生活は向いているのである
今でも一人くらいとは接しても人と接していない、そうして誰とも接することなく通信でプログを文章を書いている、テレワークなのである
だからこういう生活に違和感がないともなる

何か時代というのは不思議である、高度成長時代があっても自分には会社勤めもしていないしバブルの狂乱も地方では関係なかった、その時株もしていないから関係しなかった
その時自分はアブノーマルな人間だったのである
そして私自身は内面の追求をしてきた、宗教とか哲学とか芸術を内面的なものを追及してきたとなる
それがまたAIで仕事がなくなりみんなアーティストになれということを言う人がいる
高度成長時代は企業戦士であり会社のために闇雲に働いているのがノーマルだったのである
だから時代が変わるとノーマルがアブノーマルになりまたニューノーマルが志向される
このように人間の社会は常に変わってきたのである




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2020年07月01日

東京都知事選挙で山本太郎の創価批判の演説 (創価会員が公明党に反対して除名された)


東京都知事選挙で山本太郎の創価批判の演説

(創価会員が公明党に反対して除名された)

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東京都知事の演説で創価会員が公明党に反対して除名されたとか訴えている
公明党がカジノに賛成するとか国土交通大臣がその法案を通すために奔走していたとか
ある
公明党が宗教政党がギャンブルを積極的に誘致するとかなるとありえないことだとなる
なぜなら創価会員は特に婦人部は夫がギャンブルで苦しんでいる人が多いからである
そういうことを批判して除名される、仲間からもコミニュティからも除外されて孤立させられる
山本太郎の説明でコミュニティから除外されることが辛いということを言ったのは的を得ている
なぜなら創価は団地の宗教とも言われ戦後に東京に地方から就職した人が団地などに入りコミニュティとしてつながりを持ち精神的に安定をもった
だから日々の生活でもそうしたコミニュティの中で暮らしているとそこから除外されたら孤立するとなる

宗教というのはもともとそういうものではなかった、その始祖をみれば釈迦は洞窟で悟りを開いたとかそうした集団化しない、それは後に集団化したのである
集団化することによってそれは強大な組織となり寺は治外法権の不可侵の場となり僧兵によって武装までされた、そこは武士の城と同じだったのである
だからそうした寺院から僧兵が生れ武士になったというのもうなづける
それはヨ−ロッパでも同じだった、十字軍とか武装した信者が騎士団を形成したからである

何か宗教というとそうした武力とか権力とか関係ないとみている
ところが歴史をみればわかる、一向宗でも日蓮宗でも強力な組織集団になり政治集団化したのである、だから信長はあれだけ強烈に戦争で皆殺しするようもなった
それは寺院は武装集団であり権力と対抗するものとして認識されていたからである
信長以降は寺は武士集団の下に所属する管理するものとなったのである

創価はそういう武装集団とにているのである、ただ民主主義になったから平和革命だとか無血革命だとやたらにいう、でも一票とることは至上命令でありその一票をとるために池田先生のためだとなり拠点に集まり祈る、これは明らかに政教一致であり憲法違反なのである
だから一票を得れば成仏して得なければ地獄に落ちると脅すのである
完全に政教一致の団体だからである、それは戦争で天皇が神であり現人神(あらひとかみ)として導いたのと同じである
でも創価の創始者の牧口常三郎は戦争に反対して獄死したのである
そういう歴史があっても今と選挙に勝つことが信仰の最大の戦いとなる
権力を争奪することが目的の団体なのである

それでやっかいなのはそれに反対する者はここでも会員がカジノでも何か公明党の政策に反対して除名されたとかいうのもそうである
その人は地獄に落ちるとか烙印おされ除外される、するとコミニュティからはずされて孤立するとなると訴えている
ともかく宗教と政治が一体化すると何かというと地獄に落ちるとか罰当たると云うになるのが宗教の危険性である、それは個人的にもそうなりやすいのである
本当は私怨でも宗教になると神でも仏をもちだして罰が当たるというのは普通にあるからだ、そんなことに神仏がかかわることはないのである
そこに宗教の危険性がある、それが集団化すると余計にそうなる
てぜなら選挙でもそうだが何であれ逆らうものは仏敵となるからである
そうして集団組織で祈る、それはやがてファシズムとなる
宗教は議論とか反対を許さないものだからである            

創価とは本当に前は武装集団であり僧兵であり権力争奪を辞さないともなっていたのである、何か洞窟にこもって修行するとかはない、極めて政治的団体である
だからすべての目標は選挙に勝つことであり一票をとり政治権力でも手中にして日本を支配することである
日蓮の思想自体がそれを容認している、王仏冥合とは王とは権力であり仏は信仰である
それが容認しているのだから政教一致でも教義的に矛盾しないのである

そして東京がその最前線であり東京で勝つことは日本全国でも勝つとなり東京都の都議会選挙でも最大の戦いの場となる
それは宗教団体を認可するのが東京都になっていることもある
ともかく創価があのように増えたのはやはり地方から東京に就職した人達が拠り所を失いそのコミニュティに所属したということが大きい、組織化集団化して座談会とかなにか
家族的なものを形成して仲間意識を作ったのである、団地の宗教と言われたのはそのためである
その成り立ちが本来の宗教より組合とかの感覚になる
でも宗教だからそれがファナティックになりやすい、狂信的になりファシズムとなる
実際は本来の宗教とは何の関係もない、権力争奪を目指す政治的団体である
だからこそ創価会員が公明党の政策でも反対すれば除名され地獄に落ちるとか仲間からも除外されるのである                        
でもカジノに反対するというのは宗教政党だったら当然だとなる
それもできない宗教集団とは何なのだろうとなる

結局民主主義とは数であり数が権力である、だから選挙でも数でありどれだたけ数を集めるかで勝敗が決するとなれば何であれ数を集めることが日々の戦いになる
だから創価では毎日会員を増やすために運動している
幽霊会員が膨大なのである、その人たちは何の活動もしていない、座談会にも来ない
ただ名前だけの会員である、その人たちに一票をいれてもらうことが戦いなのである

やはり宗教というのは弊害の方が歴史的にも大きかった、どうしても明治維新に天皇を神のようにして日本をまとめたことが後の禍ともなった
それを強く感じるのはどんな神社にも小さな社にも武運長久とか鳥居でも狛犬の台座でも刻まれているのである、だからどれだけ小さな神社でも国家神道の中に組み入れられていた、そこで村人は出征して行ったのである
そして神社団体が江戸時代に寺が優遇されていたとなり廃仏毀釈運動になり仏像が破壊された、これも利権争いだったのである
神社でも寺でも利権団体であり権力機構に組み入れられる、寺は本当に江戸時代は役所のようになり優遇されていた、というのは武士の菩提寺ともなるからそうなる
だからその反動として寺に対して明治維新になり天皇を国家神道化して排撃したのである要するに戦争の原因はそうした政教分離ができないということにもあったのだ
天皇は象徴天皇で権力はないにしてもそれをもちあげて権威を利用してきた歴史がある

だから不思議なのは今の天皇は明治天皇から南朝の楠正成を祭りあげている
南朝の復活であり南朝の系統が今の天皇だというのも歴史の継続だとなる
この辺も霊山は南朝の城でありそこから落ち延びた子孫がこの地域には多いのである
ただそうした歴史を今にも尾をひいているのも歴史である
そして明治天皇は替え玉だったというのも万世一系が天皇ではないのである
明治維新の過ちがあったとすればやはり政教分離が成されていなかったことなのである
靖国神社には朝敵となった武士は祀られていないのである
西郷隆盛でも最後は朝敵となり祀られていないのである
日本の国が天皇の臣下であり臣民であり国民ともなっていなかったのである
ただ国民国家というのはフランスでも他でもみんなそうなった
国家はヨ−ロッパてもハウスブルグ家とか貴族のものだったのである
でも国民国家となったとき国民が今度は全員兵士にもなり国同士の熾烈な戦いになった
そして世界大戦で大量の人間が死んだのである

buunchou2.jpg

buunchoukyuu1.jpg

国威宣揚 武運長久

これは戦争の時に刻まれた文字である、これはどこの神社にも刻まれている
これは大倉の山津見神社とかのものである、
とにかく小さな村の社にも刻まれている戦争の歴史なのである


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2020年06月28日

専門馬鹿により社会が混乱させられる (コロナウィルスでもそうだったー専門用語を使い通じなくなる)


専門馬鹿により社会が混乱させられる

(コロナウィルスでもそうだったー専門用語を使い通じなくなる)


今回のコロナウィルスでも急に統計で40万人がこのままでは死ぬというウィルス学の専門家が言った
それが専門家会議の代表として言ったようになったから国民は恐怖になった
でも現実は日本は感染者も死者は世界と比べると極端に少ないのである
だからなぜそんなことを言うのかとウィルスをわからないにしても世界から判断すればそんなことを言うのはおかしいというのは常識である
ただ常識からはずれたことを言うのが専門家であり専門馬鹿なのである
専門馬鹿とは学者にも多い、象牙の塔にこもる学者は社会のことがわからなくなる
まだ実験室にこもり研究ばかりしている学者もそうなりやすい
ただ現代社会は無数に部分化した社会であり社会をトータルにわかる人などもういない
そこに必然的に専門馬鹿が普通に生まれるのである
文系でも経済の専門馬鹿がいるし法律の専門馬鹿もいる
そもそもイリイチの指摘したように専門化した社会が現代だからである
社会は無数の職業に分化して専門化してその専門のことはわからなくなり専門家に支配された社会だとなる

要するに専門家が今では司祭である、専門家に従わない限り何もできない社会である
教育にしても教育を専門家とする学校に行かないかぎり何も学べないとか病気になれば医療機関に行かなければならない、勝手に自分で学んだり治療したりしてはいけないともなる、銀行にしても金融の専門家である、投資信託など仕組みが複雑すぎてわからない
だから金融の専門家に従いとなる、ところ地銀などは素人と変わりなかったのである
証券会社ではないからである
そこではやたらと専門用語が出て来る、それで煙にまかれてわからなくなる

それは原発でもありここは原子力の核ということを知れとなるともう普通は不可能であるそれで数学者が

事故の起きる確率は百万分の一だと統計学から計算して言っていた

これも専門馬鹿の典型なのである

なぜなら他の学者は10数メートルの津波が来ると警告していたからである
だから学者でもいろいろな分野の人がいてそれが相互に協議などしないからそうなる
今回でも

このまま対策をしなければ40万人が死ぬ

こさも専門馬鹿の警告だったのである、それが専門家会議の総意として発表されたと受け取られたから問題だったのである

何か文系と理系があるけど総合的なもの全人間として生きることなど不可能な時代であるそれで天才的な優れた人はアウトサイダーになりニーチェのようになりそこで人間回復を計ったのである
なぜなら社会を離脱することによりそこに自然が全面に出てきて人間回復できるとなるからだ
私の場合は天才でも何でもないけど引きこもりであり社会から離れて暮らすようになったそれで自然と一体化するアイディンティティ化する詩などを作るようになったのである
ただどんなことしても人間は現代ではかたよった人間になる
総合的人間になりえないのである、社会人として勤めない人もまたかたよった人間になるなんらかですべての人間がかたよった人間になる
だから別に専門馬鹿だけのことではないのである、文明人がみんなかたよっているし奇形文明だと書いた時もそうだった


そもそも学校からして教科が別れ分裂的思考になる、いろいろなものが一緒くたに教えられ分裂混乱させられるのである、そこからして分裂状態になっているし大人になってもその延長であり同じなのである
そうした分裂状態からナチスが生れた分析するのもわかる
何か一つのなるために一切のことを無視してハイルヒットラーとなるのがわかりやすいからである、それで偽りの一体感に酔うのである
カルト宗教団体でもそうである、そこはファシズムの温床なのである
大衆を相手にしたときはわかりやすいことが第一でありそれでまとめることが第一になるからだ

いづれにれろ人間社会は文明は迷路に陥る、専門家もまたそうした迷路に陥れる人である原発事故でも低放射線は体にいいとかなんとか様々なことを言う人がいる
すると迷路にはいりこむ、右が出口だという専門家もいるし左が出口だという人もいて迷路を彷徨うことになる

でも決して出口に到達しない!

これが現代なのである、それで理系と文系とかいてもその両方に通じる人はまれである
武田邦彦氏は両方に通じているから指標にはなる
もし理系だけのことを言われたら文系は話すこともできない、あなたは何も核についてわからない、ウィルスについてわからないのですから話す権利もなにもないですとなるだけだからである
つまり専門馬鹿というとうけど今の社会は文明はみんな専門馬鹿なのである
それで突拍子なことを言うのは総合的に考えられないからである
原発にしても事故になったらどうなるのか?
そういうことを考えない、生態系の中で生きている人間のことを考えない
空気でも水でも土でも森でも汚染されることも考えないのである
それは全体のことであり人間が生態系に依存しないと生きていけないということも考えない、その周りの全体のことを考えないのである
その全体の中に技術を活用することであり全体を無視してありえないのである
現代文明は全体的思考に必ず欠けてくるのである
私は景観にこだわるときそれは全体のことであり景観が破壊されることは全体が破壊されることに通じているからである

ともかくコロナウィルスでもやはり原発事故と同じような迷路に陥っていた
専門家の指導に頼りかえって混乱する、そしてその出口が見つからないのである
それはそもそも原発でも核でもウィルスでも人間が制御できないのは人間が全能ではないからである、神でもないからである、そこで必ず迷路に迷い込むのである
そこに人間の限界が生じているのである

例えばワクチンにしてもコロナウィルスが変異するというときその変異が限りないとしたら科学者でもそのワクチンを作るのに無限に対応しなければならなくなる
つまりきりないし解決もないとなる、そこに科学者の限界が生じる
もう対応できないということである、そこに人間の限界が生れお手あげになる
それは科学の分野だけではない、経済の分野にしてもそうでありグロ−バル経済などわかる人などいないのである、そこは見えざる神の手によって導かれるなどありえないのである、実際は悪魔の手によって導かれて世界の数パーセントが富を独占しているのが現実なのである、それこそ陰謀論でもなんでもない、事実である
そんな富を独占している人自体が悪魔だとなってしまうのである

要するに文明というのはバベルの塔なのである、文明が専門家して専門用語を使うというときそうである、専門家がいて専門用語を使い互いに意思疎通ができなくなる
違った言葉を話しして通じなくなっているのだ
そしてバベルの塔は崩壊して散り散りにされたとなる
この辺では原発事故後に故郷に住めなくなり家族もばらばらになったのともにている
それはバベルの塔の崩壊ともにていたのである
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2020年06月26日

交通が発達しても距離が人間の心を隔てる (東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)


交通が発達しても距離が人間の心を隔てる

(東京と福島県ー広域社会の共有する自治が必要)

何か遠いとか近い感覚が相当に違って来た、江戸時代なら芭蕉の奥の細道のように
みちのくと地の果てのような感覚になっていた
だから平泉まで来るのにそういう感覚で旅して来た
はるばるやっとみちのくの都の平泉に来たな、おりしも五月雨の季節、金色堂はその雨に打たれても鞘堂の中に残っていたとなる
そこに深い感懐があった、それまですでに相当な月日を重ねて旅して来たからである
でも今なら平泉まで新幹線で東京から二時間だとなればその感懐もなくなる
その途中の行程が省かれているからだ

だから距離の感覚が交通の発達で変わってしまった
その距離の感覚が何か錯覚して物事でも理解できなくなる
東京は遠いと思っても実際は近いのだがまた遠いとも思う
福島県はみちのくの入り口にしても今なら郡山まで新幹線で一時間もかからず着くとなれば実際は東京圏にもなる
それで福島県の中心は福島市ではなく郡山市がいいともなる
経済の中心地は郡山市である、それと会津も福島県だから郡山から磐越西線がでているから会津と交通でもつながるとなるからだ

そして東北には奥州には山城が多い、三春でもそうであり二本松は最も山城の形を残している古い中世から受け継いだ防御の城である
防御というとき自然を防御に用いる、山城であれば山が攻めにくいとなる、前に川があれば堀となり自然の防御となる
伊達政宗の青葉城は前は広瀬川であり見上げるような高い所に城を作った
これも防御のためである
東北には平城は少ないのかもしれない、盛岡城でも高台にありそれなりに小高い高台にあるのが多い、相馬の城も低いにしろ高台にあった
やはり山城形態が多いとなる、東北ではそういう点で大阪とか西と比べると歴史的発展として停滞していたともなる
商業が盛んにならないのはやはり平地で庶民が活動しないからだともなる
平城ならそこから町が発展してゆくともなるからだ、山城だと庶民と武士は隔離して生活するからである

一方で大阪城とか姫路城とかは城自体が大きく堅固な守りがあり平城である
平城になるのはそうした自然の地勢を守りに利用するのとは違い、平和な時代だと庶民が生活しやすい平地に城を作ったとなる
でも大阪城は徳川家康に攻められたからやはり戦国時代の城なのである

ともかく江戸時代では江戸とみちのくとなると相馬からだと8日とか歩いてかかった
その距離感覚をもう知ることはできない、交通の発達で実際は東京と福島県は近いのである、福島県は東京圏内にでもあるような感覚になる
それでそうした距離感覚から福島の浜通りに東電で原発を作ったとなる
もちろん東京には作れないこともあったが福島県だとさほど遠くないという距離感覚があったかもしれない、また東京から近くないから事故になっても東京は安全だという距離感覚で場所を設定したとなる

この距離感覚が問題になる、なぜなら私の住んでいる地域は原発のある場所から30キロ離れていた、そこで線引きされて補償があまりされなかったからである
そして30キロというとかなり遠い距離だと思い原発に関心がなかった
でも小高に東北電力でもうすでに工事を開始するところだった
事故がなければ小高に原発は作られていた、そしたら小高からここは20キロにもなる
小高となると相当に近い感覚になる

何か人間は地理に地勢にその見方でも左右される、ただこの地理の感覚が交通が発達すると距離で計れないものが生じて来る
それは平泉まで東京から二時間だとか青森でも二時間でつくとなれば距離の感覚が違ったものになる
それが人間の判断でも誤る原因ともなる

距離が離れれば迅速に対応できない、それで広い帝国になると地方で反乱が起きる
それは中央政府の統治が遠くて及ばなくなるからである
通信もない世界で連絡とることさえ簡単にできないからである
つまり何が起きているかも把握できなくなるのである
今でも東京は実際は遠い、そこで離れていると意志疎通がむずかしくなる
誤解ともかも産みやすい、それで何か急に事件とか緊急ことが起きると対処できなくなる静岡で交通事故をおこしたとき連絡があっても遠いので何が起きたかもわからない、
それで運送屋に死体が置かれていたり何がなんだかわからなくなった
そんな遠くに通うこと自体が苦労だったのである
母はそれで前の夫の息子の私の一応兄になる遺体を前にどうにもならない状態になっていた

そういうことは原発でも起きた、東電の幹部と地元の吉田所長が爆発してどうしていいのかわからなくなり電話で映像でも連絡して指示を仰いでも吉田所長は納得せず独断で実行したとかなる、東電の幹部は東京にいて現場のことが理解できなくなっていたからである東京からその現場の状況を把握することができなくてっていたのである
それは電話でもテレビ電話でもできないものとなっていた
いくら通信が発達しても緊急事態に対応できなくなっていたのである

こういうことは戦争でもあった、現場のことを司令部は理解できない、何をしてもらいたいのかも理解できない、そして関東軍が暴走したりする
もう中央の指令すら届かなくなったのである
確かにテレワークはいいとして果たして緊急事態になれば意志疎通ができるのかとなると問題である、じかにあって話しないと事態を把握できないとなる
結局原発事故ではどう対処していいかわからずお手上げになっていたのである

確かに交通が発達すれば距離は縮められる、でも人間はじかに合ったりして現場でともに働いていないとその場のことがわからなくなる
だからテレワークは平時はいいとして緊急事態に対処できるかどうかはわからないのである
ただ広域社会になると距離の感覚として福島県も東京圏内とかなりその中で自治体でも相互の連携を計り今コロナウィルスでも東京から分散するときそうした周辺地域との関係の中で国造りをせざるをえなくなった
別に首都遷都でも三春辺りが郡山があり森に沈む首都とか計画されていたのである
それがいつのまにか立ち消えになっていたのである
コロナウィルスはそうして再び首都遷都とか具体化するようになった

それで東京をこれからどうするのか?
その未来のビジョンを示して新たな国土を作りをすべきだとすべきなのだということもわかる
その新たな東京圏に福島県も組み入れられるとなるとそこが別な世界として考えて江戸時代のように住めないのである
そもそもかそういうふうに東京では原発でも東京は安全圏として福島に作ったということ自体が間違っていたのである
それは東京と福島県が相当に議論したり協議したりするべきものだったのである
でもそういうことは距離感覚から成されていなかったのだ
ただ東京では福島に作れば離れているから安全だとなり地域エゴから福島県に原発を作ったのである
本当に福島県とまた相馬地域でもいわきでも東京と原発について協議しないのである
ただ一方的に東京から東電によって政府によって福島に作られたのである

コロナウィルスでもそうである、東京からどうしても人の出入りを江戸時代のように止められない、すると東京圏とその周辺はコロナウィルスと戦うために協同せねばならない
でも東京は東京は福島県は福島県でありそこに別々にして考える
東京は東京で原発は危険だから福島に作ればいいとかなり地域エゴになる 

それで福島県の人が東京に原発事故で避難した時、放射能うつるとかいじめられた

今度は東京の人はコロナウィルスがうつるから来るなと言われる

これもつくづくカルマだった、必ずこうして自分たちのしたことがカルマとして返ってゆくのが人間なのである、東京が今やコロナウィルスの感染源でありとめることができないからである、こうなると地域の対立が激化して戦争にもなる、それが戦国時代だった

福島県はまた政府と東電が一体となっているから福島県の知事は官僚出身で中央の言いなりだという批判もある
ここに中央と地方の自治体の反発とか乖離とか生じてきている
それは距離の感覚から人間は交通がこれだけ発達しても克服できないということにもあった
第一東京の人はやはり福島県のことは遠いから安全だと考えること自体が依然としてやはり離れているという距離の感覚からそう決めたからである
posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月25日

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている (6月24日の感染者の出た県名)

コロナウィルスの感染は交通と密接に結びついている

(6月24日の感染者の出た県名)

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6月24日20:30時点

会津のコレラの感染が会津若松中心に広がったことを考察した
会津若松に集中してそれから会津田島の方に逆に広がった
今回でも6月24日でも東京が閉鎖されて解除されたがやはり東京中心にして広がっている東京の周辺の人口密集地帯に広まる、群馬でも東京から近いからである

仙台市は危ないと前から私は指摘していた、なぜなら東京は東北の交通の要であり
新幹線でも東京から来る人が多いからである
それで3日前とかに仙台市に行った時は怖かった、必ず東京から来た人交わるからである
今は相馬地域では福島県では感染者がないからマスクをしないでスーパーにも行ったりしている、何か仙台市よりは安全に感じるからである
ただ距離はとっている、スーパーでもこの辺はそんなにこまないから距離がとれる、ソーシャルデスタンスがとれる
都会だとどうしてもこの距離がとりにくいのである

大坂の方だと確かに少ない、でも大阪から兵庫と岡山県に出ている
例え一名でも危険である、なぜなら一名からでもウィルスが相当に広がるからである
一名出たというときそれはアラーとなのである

何か本当にこの伝染病は地理と深く関係している
だから人の出入りが頻繁な所はどうしても危険になる
東京からは継続的に感染者が出て減らないと思う
一千万以上がいるしその首都圏の人口が多すぎるからである
そこを閉鎖することもできないからである

福島県だと中通りが危険である、福島市で増えたことでもわかる
最近でも一人が出たのはそのためだった
浜通りになると新幹線がない、でも東京からスーパーヒタチが通じるようになった
でも本当に乗っている人は少ないのである
だからせっかく東京まで震災から9年で3月に通るようになったのに残念だったとなる

でもまたもし常磐線が原発事故があった双葉とか大熊とかに電車が通らなかったらかえってコロナウィルスには安全だったとか思う
つまり東京から人が来るのもまた東京に行くのも危険である
それですぐ近くで感染した人は東京のライブハウスに行って感染したのである
その家ではガラス窓が壊されたとかでいられなくなり一時的なの仙台に避難しているという、岩手県でも最初一人の感染者にならないように必死だったのである
そういうふうに田舎では村八分になることが本当に怖いからである

とにかく伝染病は本当に地理と深く関係している
また関所のようなものがあるとウィルスをそこでとめることができる
なぜなら空港で外国から来た人を検査したとき陽性の人が見つかる度合いが大きかったからである
空港は関所になっていたからである、だから関所というのも何か人間には必要なものだったと今になると思う

ただ現代では都市封鎖とか交通をとめることはできない、でも首都圏地帯から人が来てもらいたくないとなる、でも観光でも封鎖が解除されたのだから来る
また観光業の人はきてもらわないと生活できないジレンマに陥っている
でも何か急に解除されて人があふれだして観光地でも来るのは危険だと思った
つまりもともと急に都市封鎖のようなことをしたりまた解除して急に人があふれだして来るというやり方に問題があったともなる

そもそもコロナウィルスは簡単に消えない、それでwith コロナの生活をしろというようになった、急激に人の流れをとめたりまた解除して人の交流を自由にして人がどっとくりだしたりすることはいいように見えないのである
そしたらまた元にもどり何の効果もなくなる、だからその辺を見直すことも必要である
コロナウィルスの戦いは長くつづくという認識が必要なのである
だから急激に人の流れをとめてまたそれを解除してどっと人をあふれさせて交流させるというやり方は危険である
かといって全面的に人の流れをとめることはできない、そこに何らかの智慧とか対策が必要になる

何か都市封鎖のようなことをしたのがかえって良くなかった、それは結局一時的効果であり継続しないからである、別にそれでコロナウィルスの感染を止めることはできないからである
だからロックダウンの効果を疑うように外国でなったのである
やはりwith コロナでやって行くしかないともなる
それで一年とか耐えてゆく、それで効果をみてゆくほかないのかとなる
そのうちワクチンが開発されるの期待する、だからこの戦いはすぐには終わらない
都市封鎖のようなことをしても効果がないともなる
継続的な長期戦となればそうなる、ただそれは相当に消耗する戦いになる
今回の解除で人がとっどあふれたことでもわかる、コロナ疲れになり耐えられなくなりそうなった、そこにまた危険がありやっかいだとなる




posted by 老鶯 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

誰も未来は予測できない (2030年後の日本ー東京から人口が分散)


誰も未来は予測できない

(2030年後の日本ー東京から人口が分散)

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未来は誰も予測できないというときこの予測でも東京に人口がさらに集中する
仕事を求めて若者が東京に集中するというのははずれたようだ
なぜならコロナウィルスでテレワークになりかえって地方へ人口が分散する
それから観光産業もコロナウィルスで大打撃を受けた
観光に頼ることは危険だったとことを知った
ただあとは当たっているからこの予測がはずれたとはならない
でも東京に人口がさらに集中するというのがはずれたとき全体的に影響する
だからこの予測がはずれたことは大きいのである
つまり予測は必ずはずれるのである
未来の予測は人間にはできない、神のみぞ知るとなる 

人間社会は物中心の経済から頭脳労働や知的仕事へシフトする
それは確かである、この頭脳労働は場所を選ばなくなることである
ITの発達で世界中が頭脳が知性が結ばれるともなる
だから東京のような大都会一局集中は必要なくなる
今でもアマゾンなどで通販の発達で地方でボタン一つ押せばなんでも買えるからだ
東京で得られるものは地方でたいがい得られる
一方で地方で得られるものは東京で得られない
自然によって得られるものが東京にはないからだ
それで若い女性が20代の人がここに移り住んだ、それでサイクリングを楽しんでいた
ここは山もあり海もありサイクリングにはいいからだ
都会の車洪水の中よりそういう点ではいいのである

東京への人の移動は実際は明治からつづいていた、なぜなら大正生まれの自分の母方の家族の二人も東京に出ていたからである、私の母は女中として東京に出たのである
大正時代の東京の人口は百万くらいだった、それでも日本では大都会だった
その後継続して地方から東京へ人が移動しつづけてきた
戦後は高度成長時代になり同級生が金の卵として集団就職したのである
この時も東京へ人が移動した
戦前は看護婦になる試験でも東京でないとできなかったとか何でも東京中心になっていたのである
今でもどうしても東京でいなと大学出たりすると就職先がない
東京には多様な仕事があるから東京に集中したのである

でも東京とのハンディキャップは解消しつつある、本当に一番地方で格差があったのは
本すら買えないということだった、仙台まで頻繁に行ったのは本を買うためだった
でも仙台すら本は少なかった、それに気づいたのはAmazonでらゆる本があることだった
古本でもあるゆる本が買える、そうなれば地方で勉強もできる
そもそも本がなかったら研究でもなんでも不可能だからである
文科系なら本で勉強できるからである、それがないとしたらお手上げだとなる
とにかく本の数は膨大であり天文学的数字にもなっていたのである
まず良質な本をそろえないかぎり知的仕事は不可能だからいかに東京との差が大きかったかわかる、そしてインタ−ネットなら学者の論文も読める
それで津波のことなど重要なことを理解した
相馬藩内で津波の前と後で米の収穫高が三分の一に減ったと研究があった
それが何かこの辺では記録がないので証拠なのかとなりそのことを知ることは津波の研究で重要なことだったのである

とにかくテレワークは自宅にいながらどこでも勉強もできる仕事をできる、
報道でもyoutubeとかで様々な情報にふれることができる
また発信もできる、まず自分でもそうだがこのように毎日プログで書いて即座に発信できなかった、雑誌だって一か月に一回くらいだった
それも手間と金がかかりすぎてできない、だから一つのメデアを個々人で持つということは大きな変化であり権力を得ることだった
テレビでも新聞でもそれを発行するだけで莫大な資本と金と手間がかかるからだ
それが一個人でもできるということは大きな変化だった
テレビの六局に情報を独占される時代は終わったのである

いづれにしろ人間は個々人の人生でも予測できない、何か人間はAIで仕事しなくてもよくなる、では人間は何をするのか?みんなアーティストになれとか言うの本当に解せないとなる
高度成長時代は企業戦士で兵士のように会社のために命までささげるように働きそれが普通だった、その時ニートとか引きこもりなどいない
自分はそうだったとしてもそんな人はいないとされていた
今話題にするのはその数が多くなったからである、数十人とか数百人いてもそんな人はいない社会にとっていないとされるからである
何か自分はパソコンは別にしてないかった、最初はワープロだったがその富士通のワープロに通信機能がたまたまついていたので通信の世界に入りパソコンになっても継続していたのである、私は文系でありメカに弱いからパソコンのことなど知らなかった
でも最初のときパソコンのメカを知らないとできないものだったのである
そして一台40万くらいしていて普通の人はやれるものではなかったのである

結局人間は未来を予測できない、未来は常に意外な結果になる

これは間違えない、個々人の人生でもみんな意外に終わったなとなる
こんなはずではなかったとなり終わっている
例えば依然として一流大学に入り大企業に入ることが成功だとなるがそれも変わる
だからそういう規程の路線だけを目指すとかえって失敗したりする
時代が大きく変わるとそうした価値観が変わってしまうからである
みんながアーティストになることだというのもそうである
アーティストとかはもともと食えない仕事であり誰も認めないからである

時代が変わると価値観が変わる

これもそうである、東京一極集中は時代が作ったがこれが逆にコロナウィルスで地方分散時代になる、テレワークの時代になるとかもそうである
テクノロジーでも社会は変わる
それで先に行ったものが後になり後になったものが先になるとかにもなる
大企業とか目指すのは先を行っているうよでも今になるとかえって時代にそぐわなくなるとか変化が起きてくるのだ
人間社会は歴史がはじまって以来絶えざる変化だったのである

明治維新でもそうであり戦後でもそうである、70年くらいのサイクルで大きな変化に見舞われる、そこで価値観もがらりと変わる、今がその時だとなる
津浪や原発事故やコロナウィルスでこの辺では大変化を経験した
これは予測つかないことだったのである
ただその大変化に茫然としているだけだともなった
個人的にも家族がみんな死んだとかもそうである、その急激な変化に突然白髪の老人になったということもある、現実自分自身がすでにそうである

間もなく見事な魚をほとんど船いっぱいに積みましたが、その日はそれまでに一度もなかったほど、たくさんとれたと三人とも話し合いました。

疲労のためにぐったりと弱りはてている、そして(もう危険がなくなったとなると)その恐ろしさの思い出のために口もきけなくなっている私を。船にひきあげてくれた人たちは、古くからの仲間や、毎日顔を合わせている連中でした、――が、ちょうどあの世からやってきた人間のように誰ひとり私を見分けることができませんでした。その前の日までは鴉からすのように真っ黒だった髪の毛は、ご覧のとおりに白くなっていました。みんなは私の顔つきまですっかり変ってしまったといいます。私はみんなにこの話をしました、


大漁として喜んでいたが突然大渦に飲み込まれた結果、突然急激に黒髪が白髪になってしまった、それはこの辺では津波と原発事故で経験したことである
津浪で沖に流されて漂流して助かった人もいるからだ
そして現実に津波は大きな渦を作ったのであく、それはテレビでも放送された
その話をこの辺でも聞いた、水が両側からおしよせて大きな渦を作ったというのであるその近くで30人くらいが死んだのである
だからこの大渦は津波と同じだった、それより津波は空恐ろしいものだったのである

このように人間がこの世に生きるとは想像もつかない恐ろしいことが起きるということである、信じられない変化が起きる、そして突然に老いてしまい人相まで変わり果てて同一人物に見えなかったとなる、現実に人生で人間は老人になると変わり果てる
女性でも華やかにスポットライトをあびても見る影もなく老いて醜くなっているのである
人間は過酷な人生で変身して悪魔のようになる者もいる、人間自体がいつも同じではない、二三年逢わなくても人間は変わる
だから遠くに行ってしまうとその人が何をしているのかもわからなくなる、それで突然連絡がくる
便りがないことは善いことであり便りが来ると悪い事だとなってしまうのである

このように社会で急激に変化する、鬼畜米英として300百万人が満身創痍で戦って死んだのに負けたらアメリカ一辺倒になった、赤から白に突然に変わる
それが社会でも個々人の人生でも起きるのである
そして誰も未来は予測できないのである、コロナウィルスを予測した人はいなかったからである、2020年に大変化が起きるとは言っていたけどコロナウィルスだとは言った人は一人もいなかったからである、そこに人間の限界があったとなる
人間には安心な世界はありえない、常に危険と隣り合わせであり何が起きるかわからないのである、ただその変化は悪いことばかりではない、何か金でも遺産とかで突然入ったりして金持ちになったり何か突然幸運もやってくる
ただ不運がやってくることも確実なのでなのである
そして人間は最後は死ぬだけだとなるのである




posted by 老鶯 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月24日

テレワークの時代へ (そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)


テレワークの時代へ

(そのためには広い家が必要-地方に住むのが有利)

テレワークは実際はすでにyoutubeとかではじまっていた
youtubeはテレワークなのである、インタ−ネット自体が距離とか関係ない世界だからである
youtubeには教育機能があることを見てていて気づいた
教育機能として優れていると見た,テキストだけだとわかりにくいが別にyoutubeで講義していると現実に教室で教えられるのと変わりないとも見たからである
何かそうなると個々人が家でも勉強できるとなる
そこでは超優秀な人が教え方がうまい人が教える、それで他の並みの先生はいらないともなる、なぜなら全国放送できるからである
だから教室で30人でもまとめて教えるというやり方も変わるのかとなる

コロナウィルスは接触することが拒否される、するとインタ−ネットだと接触しないからいいとなる、ただそこにスキンシップとかなくなり人間と人間の連帯が作れないとかなるかもしれない、要するにみんな引きこもりで仕事するのかとなる
自分自身は引きこもりだった
どうしても学校の集団とか会社の集団とかにはなじめなかった
結局底辺化して流れ作業のような仕事しかしなかった
それ以来仕事自体がしたくなくなった、嫌悪するようになり家族に恵まれて旅ばかりしていたとなる
だから人生はまずしたくない仕事を金のためにさせられることほど不幸はないともなる
勉強だって強制させられてやるのと自らすすんでやるのとは相当違っている
興味もってやるのとはその差は大きいのである
強制されてやるのはつづかないが興味があってすすんでやるのは飽きることがないし一生勉強つづけられるのである,ライフワークになる

とにかくインタ−ネットそのものが新しい仕事を生み新しい社会を産んできた
それがコロナウィルスでさらに加速されることになった
何か変だが引きこもりになって仕事するともなった
だからコミニケーションの形も変わる、家が主体となりそこが仕事場になり生活の中心となる
となるとどうしても家が広くないとできない、家の中で仕事するには自分自身がそうである、家は広い、学生時代から書斎まで与えられていた、まず書斎がないと知的な仕事はできないのである、そして家の中で雑音が入ると仕事に集中できない
そして知的な仕事にはそこに余裕ある空間が必要になる
家の中で気分転換が必要になる、私の場合は二階も広いし廊下も広いからそこを歩いたりする、そして創作をする、何かアイデアとかイメージが湧いてくるのである
それで家ばかりにいない喫茶店を利用するというのもわかる
仕事でも知的な仕事になると気分転換が大事になるからだ

いづれにしろテレワークというとき自分自身がインタ−ネット利用すること自体テレワークになっていたのである
そもそもプログでもそうだけどこれもテレワークなのである
もしインタ−ネットがなかったら文章を書いて即座にみんなに読まれるようにならない
旧来だと活字にして雑誌なり本にしてとかその手間が大変なものになる
それは普通の人は全くできないのである
金がかかりすぎるし素人だと受け付けないからである
こうしてパソコンで書いたものが即座にアップして読まれるということがテレワークなのである

だからもし仕事の場所が限定されないなら東京から地方に移住しても仕事はできる
そうすると地方の方がいいとなる、第一家が家賃でも安い、隣の人は一軒屋げ庭が広い、そこにもう一軒家を作ってもまだ余裕がある広さである
そんな家の家賃が4万とかである、それとまた空家が多いからそこを買えば家自体が安くなる、つまり広い家にすめる、そこでテレワークならできる
自分の書斎なり仕事場なりテレワークする場所がもてる
ただ正直それだけで仕事がてきるのかどうかまた勉強できるのかどうかはわからない
なんか引きこもりになり何か人間的な交流までなくなるともなる

もし作家であれ何か芸術家とかであれ創作関係は東京でなくて地方でできる
テレワークでも写真でも絵でも文章でも発信できるからだ
そこで収入になれば別に地方でも生活できる
ただ過疎地域では無理である、最低でも5万くらいの都市の規模に住むべきである
そしてその周辺には自然がある、仙台市でも杜の都とういごとく森につつまれている
ただ5万くらいだとその周辺は自然でも豊かなのである
ある程度都会的な生活ができる、だからテレワークになったら地方の方が生活が充実する
日曜日に若い女性がロードに乗っていた、駅にいたので聞いてみたら私は原町に住んでいるんです、これから飯館村の方に行くんですとはりきっていた
こうしてこの辺だと山から海と変化に富んでいるからサイクリングには向いているのである、若いから飯館村までの坂はきついけど行けるとなる
そういうふうにして自然に親しむこともできる、その女性はどういう仕事をしているかわからないが田舎に移り住んだ女性なのである
20代とするとこれから結婚もして子供を産めば地方の活性化になる
だからテレワークが地方にとってはいいとなる

東京一極集中は限界だった、そして東京はこれから危険である、地震とか災害が起きる
コロナウィルスでも三密から東京では逃れられない、どうしても人が密集してしまうからだ、本当に東京から脱出を真剣に考えるべきである
テレワークによってそれが促進されれば東京の過密と地方の過疎のバランスがとれるとなる
ただ正直飯館村とかになるとまず車がないと生活できない、満足なスーパーもないとかとても環境は良くても生活するとなると別である
だから自分自身がそこに行くときはそこに生活していないから一時的に行くからいいとなっていたのである
自分が住んでいる場所は隣は相馬市は4万くらいの都市であり隣は5万くらいの都市があり普通に生活できる
そして今は買い物に不自由しない、本でも古本でもいくらでもアマゾンで買える
何でも買える、そうなると都会に住むのと地方に住む差がなくなった
わざわさ神田とか水道橋とかの古本屋街に行くようなことはしなくてもいい
居ながらにして勉強はできる、情報格差がなくなったのである
むしろ田舎の方が落ち着いて仕事できるとなるのである




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2020年06月22日

地産地消が一番体にもいい (アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)


地産地消が一番体にもいい

(アフターコロナの生活は人間本来の姿にもどること)

【武田邦彦】「野菜が体にいい」は嘘!健康になりたければ
「これ」だけを意識しなさい


武田邦彦氏の健康の話をいつもyoutubeで見ている、今回の話は同調するものがあった
人間の体はその土地にあったもを食べて作られている
それは長い間にその土地にあった食料がありそれに適した体に作られる
それで日本人は日本人の風土にあった土地にあったものとして形成される
だから何が体にいいのかというのはその土地でとれたものがいいとなる

今はいろいろなものを世界からでも入ってくるから何を食べろ何を食べるなとそれがyoutubeとかでも言うようになったから混乱する
野菜を多くとることが必ずしもいいとはならない、ブロッコリーがいいからと自分自身も毎日食べていた、でももともと日本にあった野菜がいいという、それはその土地で千年とか食べていたものだからである

日本の特徴として一番いいものは旬なものである、何か旬なものはうまいのである
旬なもので新鮮なものを食べると体にいいことは間違えない、それが日本の文化であり
それで俳句の綺語が生れたのである

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

「初物七十五日」(初物を食べると寿命が75日のびる)

「八十八夜に摘んだお茶(新茶)を飲むと無病息災で長生きできる」(新茶を贈る風習もあります)

漁師は何か他にも植物を葉が茂るのを見てそのとき食べる魚があるという、だから鰹だけではないのである、魚は種類が多いからその季節に回流してくるものがありそれが旬の魚だとなる
まず漁師は二三日過ぎた魚を食べないというとき新鮮なものがうまいし体にもいいのである

そしてある一つのものを野菜でもブロッコリーが何々いいとかいうとき疑った方がいいとも言っている、つまり栄養をとるときバランスだからである
ある一つのものがすべてにいいのではなくいろいろなものを食べて体にいいとなるからだ「其地無牛馬虎豹羊鵲」魏志倭人伝にあるごとくこれらの動物がいなかった
そして家畜もいない、家畜を食べていないのである
ただ狩猟時代がありイノシシとかシカでも食べていたのである、家畜はいなかったのである
でも日本人の食生活は魚と米と野菜だった、それが日本人の体を作ったのである

だからもしかしたらなぜ日本でコロナウィルスにかからない原因はこうして食生活とか風土とかから作られた体にあるのかともなる、その説明がつかないからだ
なぜ日本だけがこれだけ感染者数が少ないのか、検査しないからだいっても何か少なすぎるのである
つくづくウィルスが風土病だというときもともとは一地域でしか広まらずに終わっていたその土地特有のものとして終わっていた、それが交通の発達とともに広がりマヤやインカやアステカとかの文明に広まりそれで滅んだとされる
インデアンとかにもアルコールとかが広まりウィルスも広まりそれで一気に人口が減少したともなる
逆にアジアからモンゴルの侵略でペストがもたらされたとなる

常に外国から悪いものも入ってくる、それが世界が交流するとき問題なのである
それで古来からあるせのが体にいいというとき砂糖とかは二百年前から入ってきたものであり新しいものだから体に悪いとされる
暑い所では暑い所に適した食が生れる、インドならカレーとかである
日本なら新鮮なものを生のものをサシミとかスシが生れたのである
その風土と土地にあったものがいいのである
それである狭い地域ですら人によって作った野菜の味が違うというほど野菜はその土地に影響される、土地の養分に影響される、だからその土地の多様性によって野菜も種類は同じでも味が違ってくるのである
そしてその土地の名のついたものがブランド品となるのである
その多様性が文化なのである、だからcultureはcultivateーその土地を耕したものなのである

そして文化というときその土地の風土から作られるのが基本である、アイディンティティはその土地と風土から作られる、だからこそ世界で多様な文化が生まれたし国内でもそうである
だから日本では外国のものを今は何でも食べるが疑問になる、そんなにいろいろなものを食べていいのかともなるからだ
地産地消がやはり人間の基本としてある、それでコロナウィルス騒ぎで一旦外国でも国内でも交通が途絶えたということが不思議だった
インパウンドの観光客もぱったりと消えたことの驚きである、
でも観光公害にもなっていたのだから本来の状態に戻ったというだけだったともなる
それで近くの人が温泉に来てくれとかなったのである
近くの人を接待することに方針を変えたともなる

それは湯治とかそうである、それは近くの人が農作業の疲れをいやすものとしてあった温泉である、交通が発達しなければ江戸時代ともなれば近くが基本的に生活の場となる
それも地産地消になる、コロナウィルスではどうしても遠くが敬遠される
特に東京から来る人が危険視される、それで関所でももうけて検査して簡単には入れないようになった、そういうことがアフターコロナのニューノーマルになる

今までのグロ−バル化とか広域社会というのは何か人間の生活からはずれたものだったのである、ただこれだけ交通が発達したのだから東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか四国ブロックとかで基本的なものをまかなう生活をする
第一世界市場などとなるともうそれは人間的感覚は隔絶した世界であり株式の世界がギャンブルなのである、今どうしてこれだけ経済が落ち込んでいるのに株だけが上がっているのかもそうである、実際の経済と実態経済が乖離しているからこうなっている
だからコロナウィルスのもたらしたものは人間が本来の生活にもどるということで悪いことばかりでもなかったとみる

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2020年06月20日

コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる (原発事故との類似性の探求)


コロナウィルスでも専門家時代のイリイチの指摘があてはまる

(原発事故との類似性の探求)

今回のコロナウィルス騒動でも現代文明特有の問題として現れてきた面があった
まずコロナウィルス自体が生態系に無理やり人間側で入ってゆきコロナウィルスに感染したということもそうである
その後はそのコロナウィルスの対策としてまたいろいろな問題が起きた

感染症専門家が前面に出て来た

原子力学者(御用学者)が前面に出て来た

これはにていたのである

つまり科学の専門家が科学社会になると重要になる、一般の人は素人は口出せなくなる
原発の場合は特にそうだった、核のことがわかりますかと言われればわからないとなりそれではあなたは何にも知ることはできません、教えることもできません
私たちにまかせればいいのです、あなたには何も言う権利はないです
これが専門家時代なのである

イリイチが指摘したことはそのことだった

専門家によって無力化される

原発のことを知りたくてもしることすらできない、その前に断られるからである
つまり素人には何も言う権利も知る権利もありませんということになる
でも問題はその近くに住んでいるからこそ知りたいとなるのである
何が危険なのか知りたいとなる、でもそこに入ることすらできないのである
そして事故になってからその原因の究明をすることになる
その前には素人は絶対に入ることもできない、知ることはできない
専門家しか立ち入ることもできないのである

その専門家と政治家とか権力をもつものが一体化する、政治家と専門家がタッグを組み
そこが強力な権力として素人は立ち入ることはできないのである
地元の住民は危険なのだから知りたいとなってもできないのである
その口を閉ざすために金をばらまいたのである
地元の人もそれでいいとしたのである、もともと金が欲しいから原発を誘致したということがあったからだ、だから地元の人たちもそうして金によって黙らされたとなる
金をくれれば何でもいいやという面もあったからである
一般的には金のことが一番は身近だからでありいろいろなめんどうなことはわからなくても金のことならすぐに誰でも簡単に理解するからである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはそうである
つまり専門家以外のものは何もできない、無力化される時代である
それはあらゆる分野でそうである、教育は学校でするものであり勝手に学んだり教えたりしてはいけないとまでなる、それが学校が特権化して権力化するからである
医者だったら医師免許がなければ勝手に治療してはいけないとかなる
弁護士だったら弁護士資格がないものは弁護すらできない
それはいいとしてもそうしてそういう専門家集団が特権化して権力化することなのであるそれは強力な権益団体と化して社会を牛耳るのである
医師会というのは強力な団体であり医者の専門家集団でありそのことで今回のコロナウィルス騒ぎでも力を発揮した
何か利権がからんで検査させないとか、感染した人を診ないで死んだ人もいた
それは利権がからんで勝手に医師会の許可なしで検査したり診ることをしなかったからだとされる
それで保険を払っているのに医者が感染者を診ないというのはおかしいという人がyoutubeでいたのでわかる
ただ一般の人は何かいろいろ言い訳を言うからわからなくなるのである
それは原発でもそうである、いろいろなことを専門家の科学者でも言うから素人には判断等できないのである
原発で強大な原子力村が形成されて利権化権力化したのでしる

ただわかりやすい例だったのはこれまでテレビ局は六局しか認可されていなった
六局だけが独占して放送できたのである、その影響は第三の権力ともされたのは放送する権利がその六局に限定されていたからである
それでyoutubeでテレビ放送するのを見て一個人でもテレビ放送できるのかと何か良くわからなかったがテレビ放送は簡単にできるものだと不思議な思いになった
テレビ放送となるその機材からなにから莫大な金がかかっていたからそんな簡単にテレビ放送できるのかと不思議になった
これも報道の専門化か利権団体化していたのである
それで新聞とかもそうであり消費税が新聞には8パーセントにするとかで政府批判をおさえるとかなったのもそうである
報道が専門化されて報道できるのは専門家集団だけだとなっていた
それがyoutubeで破られたことで何が眼を覚まされたような気分になった
プログなども報道でありこれも出版とかでも金がかるからできないことがあったが故人の放送局でもあり個人でできる、金はほとんどかからないからできるようになったのであるこのことでマスコミだけが報道する権利は失ったのである
ここは専門家集団の特権が崩されたのである

でも他の特権が強力であり崩されていない、今回のコロナウィルスでも感染にかかわる集団がいてそれは医師会でもありその特権がありそれを壊されたくないとして検査とか感染者を診ないとかなった、医師会の許可なくしては個々の医院や医者でもしてはいけないとかなった
それは教育でも学校だけでしろとか報道は許可された六局だけでしろと同じなのである
そこで報道の専門家がいてそれ以外の人たちは素人は報道はしていけないとなっていたのである

でも不思議なのは個々人が素人が報道して解説していることである
それが意外と的を得ているものがある、それで報道は別に旧来のテレビ局を通じなくてもまた新聞のようにも一個人がプログでもは報道できるとなった
自分自身も毎日プログに書いて報道している放送しているともなるからだ
ただそれを見る人の数がテレビだと百万単位異常だからけたはずれに違う
youtubeが内容がないかとなるとそうでもないことに気づいた
いろんな人が参入しているからである、つまり報道は誰でもできる、一個人でもできる
ま教育でも得意な分野を一個人でもできる
それで数学とかでも優秀な人の講義を見るとなる、だからyoutubeは一つの教育機関なのだと見た、今まではマスコミが国民を一方的に洗脳する教育機関になっていたのである
特にNHKはそうである、NHKのいうことは神の言だともなる、NHKのいうことは間違えない
従わねばならなぬともなっていた、NHKを批判はできないとなっていた
でもNHKもやらせ報道していたりとかその暗黒面が暴露されたのである

いづれにしろイリイチのいう専門家の時代というのはなかなか気づきにくいけど専門家に操作されて素人は何も知ることもできない、ただ無能な大衆は従っていればいいのだということになっていた、その対抗手段はなかったのである
でもその専門家集団というのは原発事故を起こしたりもうとりかえしのつかない大事故であり故郷に住めなくなった
そういう過ちを専門家集団も犯すのである、だからこそすべてを専門家集団だけに特権を与えて肝心の一番危険な目にあう生命の危険がある地元の人に知らせることもしないことが大問題だったのである
それは専門家に対抗することができないとなっていたからである

現代社会ではこういうことが専門家集団による支配がありそれが大きな事故にもなる
専門家集団でもそれが完全なものではなく、やはり過ちがあり事故にもなる
専門家がすべて神のように知っているなら全能なら別である
コロナウィルスでもわかったようにそもそもこれも感染学者でも本当はわかっていない
ただ憶測で言っているのだからこれは素人レベルなのかとまで思ってしまった
なぜ日本人が対して対策もしていのにこんなに死者とか感染者が少ないのかとなっているがその理由は実際わからないのである
つまりわからないということは素人レベルなのかとまでなってしまうのである
放射線被害についてある程度わかっていたがコロナウィルスはそもそもわからないからだそれで感染学者のいうこともまちまちであり一定の見解などないのである
それで専門ではない科学者でもこれは単なる風の一種だから騒ぐ必要かないともしているそれもそうなのかと思うのは日本ではせいぜい風くらいの被害しかないからである
ただ言えることはコロナウィルス自体がわからないということであり症状からしたら日本では風邪と同じでありこんなに騒ぐ必要はなかったとしている


ともかくここでも専門家の問題がクローズアップされたのである、それは極めて現代的なのである、科学時代だから起きたことである
ここで考えねばならないのは専門家でも神ではないし全能ではない、だからコロナウィルスについてはわからない、でもウィルス対策はすべきだとしか言えないのである
その対策をどうするかを感染学者の専門家もてきないのである
それで過剰の警戒をしてこのままでは40万人死ぬとか恐怖をあおる、それも無責任なのである、それを統計学的に割り出したということもそれもただ恐怖をあおっただけだともみる、そんなことをなぜ言わせたのかもわからない
要するに科学時代はあまりにも専門家が力ももちすぎて社会を混乱させたり社会を悪い方に導くことにもなる、それは余りにも専門家が力をもつ時代になったからである
科学が信仰のようになった時代だからだともなる

むしろわからないとしたら神に祈るということだって有効だともなる
なぜなら科学の専門家でも解明できないからそうなっても責めることはできない
責任もって科学の専門家が支持することができないからである
ただ有効なワクチンを作りだせば科学の勝利だとはなる、そういうワクチンは確かに作られたからである、でもコロナウィルスは未知でありそれができない
人間社会にはこうしう常に未知なことが起きてくる
そこに人間の限界があるともなる、専門家社会でも専門家の権威は未知なものに対して失墜する、それは原発事故でそうなった
科学者でも技術者でも政府でも検察でも東電でも信じられなくなったからである
それらは専門家と一体となって「安全神話」を作りとりかえしのつかないことになったからである

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2020年06月16日

コロナウィルスの観光業の打撃 (観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)


コロナウィルスの観光業の打撃

(観光の宿のホテルの原点は何だったのか?)      


観光とか飲食業とかがコロナウィルスで一番影響をうけた、水商売の歌舞伎町なども影響が大きかった
観光というときそれは江戸時代とか戦前でもなかった
ただ旅することは古くからあったしお伊勢参りとかもあった、それは巡礼の旅である
現代の観光ブームは何かこれまであったものと別なのである

なぜそうかとなるとまず人間が移動することは歩くことしかなかった、江戸時代までがそうだった、だから観光ということはない、歩くとなれば苦行なのである

「トラベル(Travel)」の語源を遡ってみると、古いフランス語の「トラバーユ(Travail)」という言葉に行き着きます。この意味はなんと「苦しみ」  

「Hotel」という言葉は中性ロマンス語(フランス語)の「Hostal」から転じたものです。元々はラテン語の「Hospitale(旅人や客人を暖かくもてなす)」という意味の言葉です。つまり、「Hospital(ホスピタル)」とは主人が客を持て成す意味であり、親切に「もてなすというホテル業界の根本理念とも言える言葉なのです。

次に、旅先での人との関わり方から来ている言葉もあります。昔は旅先の民家で食料や寝床の施しを求めることも多々ありました。時代が進むにつれ街道や宿場は整備され、その分苦労も減っていきましたが、古い時代であればあるほど民家を訪ねることも多かったのでしょう。こうしたことから、他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になったのではないかという説があります。

旅は苦しみであったというときいかに今の観光とはかけ離れているかである
だから旅は何か苦しくても行かねばならないという強いられたものだったとなる
旅などしたくないというのが普通である
重い荷物をもって旅などしたら苦しいだけである、旅は苦行だったのである
それでなぜ旅籠とか宿ができたかとなるとそうして苦しい旅をしてきた人をねぎらうものとしてあった
草鞋をぬぐとか宿で足を洗うとかそれを旅籠の人がするときねぎらいがあった
疲れたでしょうご苦労さんとかなり、ゆっくり休んでくださいとなる
それは旅とは苦行でありそれを知っているからおもてなしの心が生れたのである

今こうして旅する人はいない、みんな電車であれ車であれ移動自体が楽なのである
車などは神経を使うから楽ではないというものもあるか平均して40キロも歩くのとは大違いなのである
そして今はこうして旅する人はいない、確かに歩いて旅している人はまれにいる
それはあえて旅したいからそうなった、でも何か歩いて旅していたりすると浮浪者のように見られたりする、実際本当にそういう人がみかけるのも確かなのである
借金から逃れて歩いていた人がいた、その人は金がないのだからどうして食べていたのかとなる、今思うと犯罪者になっていたと思う
そういうふうにすでに歩いて移動している人は何か怪しいとなる
また自転車で旅している人も胡散臭いとみられる
まずホテルでも旅館でもそんな人を歓迎しない、でも江戸時代の旅人のように相当に疲れている、でも疲れたでしょうかとかねぎらいの言葉があったことなど一度もない
なんかいやいやながら金になるから仕方がないとして泊めてやっているというだけである

一方で観光となると立派なホテルに泊まりそこでいいものを食べるとかになる
それは旅とは違う、ホテルで宿でくつろいでおいしいものを食べることに目的があるともなる、旅とは歩いていればそれ自体が旅になる
今は電車とか車で途中を飛ばしてただ目的地に着くことが優先されるのである
観光とはこうして贅沢をすることであり苦しむことではない、そこにもてなしなど必要ないのである、むしろ自分のように倒れるくらい疲れている旅人をもてなすことなのであるそれが全然ないのである、だからホテルとか旅館をいいものに見えないのである
本当の旅人は無視されているのである

観光業とか何かこういうものにかかわる仕事が本来何も目的としているのか?
またどうしてそうした宿が生まれたのかとなる
それは40キロも歩いて旅して来た人をもてなしその疲れをいやすものとしてあったのだ
だから旅人が来たらそういう心をもってもてなしするのが当たり前だった
ホテルもホステルから生まれたのであり巡礼の人とかをもてなす癒すことから始まっていた、ホスピタルが病院でありここから来ていることでもわかる
病院には癒しが必ず必要だからである
今なら電車であれ車であれ別に疲れてもいない、確かに車だと疲れることはある
ただ歩く旅とは余りにも違っている  
温泉にしても必ず伝説で傷ついた鹿が温泉につかり直したとかある
また湯治宿があり農家の人たちが日ごろの農作業の疲れをいやす場としてありまた病気の治療としてもあんた、なぜなら必ず温泉には効能書きがあり何に効くのか書いてあるからだ、つまり温泉宿はやはり一つのホスピタルだったともなる

語られる湯殿にぬらす袂かな 芭蕉

それでこの句が生れたのである、語られぬ苦労があり温泉で癒すということである、東北には湯殿の碑が多い
湯治に行ったからそれが残ったともなる

だから観光というのは何かこうした時代とは相当に違っている、そういう面が残っていたとしても癒すとかもてなすというのがあったとしても切実ではないのである
40キロも歩いて来た人とは余りにも違っている
確かに乗り物は疲れる、だからそういうことはある
でも江戸時代とかなるともうふらふらになっているかもしれないのである
自分自身が自転車ではそうだった、体力がないからふらふらになっていた
でも別にそうであってもそんな人を歓迎しない、ただこの時代に胡散臭い奴だとしかならないのである、またバイクだと北海道だとライダーハウスがあったするからそういう金のない人でももてなす、ただバイクと自転車の差も大きいのである
バイクは楽過ぎるのだ、自転車は本当にトラベルの苦しみなのである

ともかく旅しなくても自転車に乗っているだけで変な奴だと見られることがある
そして今日も警察に職務質問を受けた、何の違反もないのにそうなった
人も通らないのに走り交通違反もしないのにである
ただ駅で自転車が盗まれたとか警戒しているからと言っていた
ところが車だと怪しいという人もわからないのである
車は乗っている人が見えない、それで犯罪にはいいのである
自転車は目立つから警察に目をつけられるのである
それより今時車に乗らない人は変な奴だ底辺だと見られてしまう、それは底辺層を見ていると車を運転しない人が多いことも確かなのである

いづれにしろ観光業の原点は何かをふりかえる時期なのかもしれない、それは旅人が旅すること自体が歩くことであり疲れているから疲れをいやすということから始まっている
そういう心があって宿もあった
今はそういうことはなくなるとただうまいものを提供するとか何か本来の目的とはずれたものにもなる、ただ別に江戸時代でも旅すれば土地の物を食べるという水戸黄門のドラマにあるようにないことはない
でもそんなことより歩いて移動することは苦しいことだったのである

今の宿はホテルでもホスピスとか必要でもない、だからうまいものを提供して贅沢させるのがホテルの役割にもなる、もちろん場所が変われば心も変わるからそれは気分転換になる、でも旅の本来の役割は喪失した
やたら立派なホテルを建てる、そこで金持ちが金を使わせるのが役割になる
星野リゾートなどがそうである、リゾートというときそれは旅人をいやすものではなく
そこに滞在して癒されるという空間の提供なのである

私は旅したいからでありうまいものを食べたいとも思わなかった、だから金がないから
最低の食事しかしていない、それでも今なら栄養はとれるのである
ただ宿はビジネスホテルでも最低5000円とかなり節約できなかったのである
それで外国まで行って安宿を探していた、ところが外国の方が本当に旅しやすい
安いホテルが多いからである、ユースホステルも多く老人も普通に泊まっているからである、ただ高いホテルは豪華であり馬鹿高いとなる
中国だったら100円くらいで泊まれる宿があった、それは20年前とかであり高いホテルもあるが中国でぱ貧乏人は貧乏人用に安いの食事でも宿でもある
だから暮らしやすいとなる、別に雨露がしのげればいいということがあるからだ

観光業はコロナウィルスで廃業するのがおおくなるという時、どうして観光業を維持できるのか?それは原点に帰ることかもしれない、時代が違うともなるが本来は貧しくても疲れた旅人をいもてなす癒すことから始まっている、外国だとホスピスでありホスピタリティになるからだ                                        
だからうまいものだけを提供するとかではない、貧しくても相手が疲れているからもてなし癒すというのが基本になる、そういう心をもたないと成り立たないだろう
でも今は金持ち優先でありホテルにも宿にも格差がある
金持ちは優遇される、江戸時代は殿様は別格として他は同等だった
ただそこには疲れた旅人をもてなすということはなくなる、金持ち優先であり貧乏人はもてなさいなとまでなったのである
それを自転車旅行で感じたのである、つまり自転車旅行など胡散臭い奴で粗末に扱えばいい、どうせ金もないだろうとかなって冷たく扱われるだけだった

でもコロナウィルスで観光業やホテルや飲食業が窮地に立たされている
別に観光とかホテルでも旅館でも社会にとって必要ではないとはならない
ただ不要不急という職業だったのかともなる
観光には多分にそういうことがあった、ただ旅には何か歩いても移動しなければならない用事があり仕事がありそうなったともなる
それは不要不急ともならない、もし宿がなかったらへとへとに疲れてもう動けずに旅もで
他の家の火で「他火(たび)」、物を乞う「給べ(たべ)」といった言葉が由来になった
乞食がいたというとき旅することは物を乞うことをしないとできないこともあった
つまり宿ができる前にはそういうふうに旅する人を無料で農家の人がなどが助けたということがある、そういう人が増えた結果、有料の宿が生れたのである
だからどうしてもともといろいろな仕事が生れたのか、その由来を知る、そこに原点がありそこからまた再興がありうるともなる

ただコロナウィルス以後は遠くへの旅とか海外旅行でも敬遠される、内向きになりステイホームになり狭い範囲での生活が基本になる
それは江戸時代とかヨ−ロッパ―の中世に返るともなる
グロ−バル化というのはやはり極限状態になっていた、観光公害にもなっていた
それで観光業はインパウンドでもばったり来なくなったというのも驚きである
つまりそれはやはり不要不急の要素が大きかったからともなる
だからコロナウィルス以後は何が不要不急でないのか知るべきだとなる
そこに生きる術を見出すべきだとなる変化があった
江戸時代のような時代になるとしてもそこからまた新しいものが生れる
時代は絶対に元にはもどらない、でも江戸時代のようなものが新しい時代に別なのもとして再現されるということである



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2020年06月12日

近くのコロナウィルスに感染した人の家のガラスが壊された (コロナウィルスで気づいた生活の見直し)


近くのコロナウィルスに感染した人の家のガラスが壊された

(コロナウィルスで気づいた生活の見直し)


その人は東京のライブハウスに行って感染した、それはすぐ近くだった
浪江の人だったという、何かそこには二三軒新しい家が建っていた
警戒している時、ライブハウスに行ったことはとがめられるべきである
田舎ではそういうことがうるさい、そこで他でも田舎で住めなくなって他に移ったという人がいた、それは東京の方から移り住んだ人だった
村八分にされると住めなくなるのである、この人も仙台に移ったという、ほとぼりが冷めたらまた帰ってくるのかもしれない

このコロナウィルスは何か田舎では都会より相当に敏感である
みんなマスクしているししていなと暗黙の内にとがめられる
その同調圧力は都会より強くなる
ただコロナウィルスでは何か外から来る人を警戒するようになった
東京ナンバーとかみると警戒する
また外に出て行くこともなかなかできない
それでカメラのレンズを買うことで聞きたいと思ったがこの辺では専門店がない
仙台に行こうとしたが行きづらくなった
ただそれは簡単にわかることで方法はいくらでもあったのが急いで失敗した
今や別に買い物で困ることはないのだ、通販で買える、ただそこで失敗がある
サイズが違っていたとか現物をみないので失敗はあった
だから高い買い物はしにくかったのである

音楽でも別にライブハウスに行けなくても楽しめる、家で楽しむ方法はある
ただライブハウスの魅力も大きいから行ったのである
若い女性の人がロードに乗っていた、それが感染者を出した近くの人だった
だからもしかしたらその女性の家だったのかともなる
つまり田舎だとコロナウィルスでも感染者が出るとより身近になり警戒する
それで外から来たということでガラスが割られた
これが田舎の怖い所である

ただ反面はこうして警戒が強くなるから感染が広がりにくいのである
外からの人でも警戒するしまた内部でも一人でも出ると警戒が強まる
そさで岩手県では最初の一人の感染者にならないと警戒して今も感染者が出ていないのである、それだけ最初の感染者になると責められることの恐怖からそうなったのである
田舎はこうしたコロナウィルスとかでは都会より警戒するから広まらないことがある
みんな見ているからである、もうそうなったら感染した人は家でも監視状態になる
現実そうでなくても田舎は監視社会である
それで近くの知人は誰か家に入って行くが見られている
女性が入ると必ず噂になる、それがたちまち広まる
田舎でぱ誰もいない、見ていないようで誰かが見ているのである

だからなんかコロナウィルスでは遠くの人と接すること、また遠くに出て行くこと特に東京に行ったり来たりすることは警戒する
東京が一番感染しやすいからである、あれだけの人口が行き来したら感染はとめられないのである
それで変なのは内輪だけで生活していれば安心だとかなる
江戸時代だったら内輪の人としか交わらない生活である
でも現代は外国人でも田舎に必ずいるし絶えず人、物でも外国からでも運ばれ交流する時代である
だからそういう社会はウィルスには弱かったことがわかった
これも奇妙な経験だったとなる、ただそうして遠くの人と交わる社会が過度になっていたのである、それはもしかしたら人間の生活にとって必ずしも本来の生活ではなかったともなる
交流はしても基本は日本がだったら地域だったらその地域に生活の根拠がありそこを中心にして生活する、それが人間的だともなる


とにかくどうしても警戒するようになる、それもすぐにコロナウィルスでもなくならないからそうした生活がつづく、何かそういう心にもなってしまう、遠くの人と交わりにくい遠くから来る人を警戒する、これはまさに江戸時代に戻ったという感覚になる
関所がいたるところにあり外部の人はそこで調べられて通される
それはその関所で感染者を検査して通さないともなる
江戸時代でも玉野村に相馬藩と伊達藩の境に若木神社がありこれは疱瘡の伝染を防ぐものとして境に祀られていたのである

まず人間が外国人でも普通に交わり物でも人でも交流することは悪いことではない
ただその悪い面が今度はコロナウィルスで露骨に出たのである
ただ外国と交わるにしてもそこには様々な問題が生れていた
だからグロ−バル化社会というのはもう過剰自体であり歪(ひずみ)もたらしていた
人間は何かコミニュティでも共同体でも世界規模とか日本でもあまりにも広い範囲だとそこで人間的な範囲を越えて問題になる
人間というのは心と心が通じ合うとかなるともうグロ−バル化では日本国内で遠くになりすぎると無理である、県単位でも広いから一体感がもてない
相馬藩くらいが適当な規模だとなり私はそこでアイディンティティをもつ世界を作ろうとしたのである

コロナウィルスの不思議は何か本来の人間の生活とは何か問うようにもなった
テレワークでも何か家族中心にした仕事も一体化した生活である
それはもともと会社員になる前はみんな自営業であり小規模なものだった
それで・・・屋という屋号があるがそこは会社のようなものだった
家族経営の会社だったのである、そういう家族経営があり近隣の人を雇っていてそこで家族のように扱われたとういこともあった
奴隷でも誤解しているのは奴隷が本当にみじめなものでもなかった
なぜなら家族の中で働いていたから自ずと家族のように扱われた面もあったからだ
だから奴隷というと何かみじめな悲惨なものとして見るがそれは今の時代から見るからである、だって侍がいたとしてその家臣がいたとして家臣は殿様の奴隷だとなったらとても忠義とか御家のためとかとして尽くす倫理が生れないのである
使う者と使われ者が今のように必ずしも敵対するものではない、そこに人間の情が生れ一つの家に仕える、そしてともに栄えるということがあった
「御家」という野馬追いの旗がそうなのである、一つの家の旗印としてそれがあった
それは会社と同じだったのである

コロナウィルス後の社会を語られるようなったがやはりこれまでのグロ−バル社会とか広域社会を問うものになった、他にも働き方が変わる、そもそも遠くの会社まで満員電車で通うということ時代異常な人間生活だったということに気づいた
職住接近がもともと人間の生活だった
それで前田とあるとき前畑でも家の前に生活の場がある、生産の場があるということが人間として自然な生活だったとなる
何かグロ−バル社会は世界とも友好に交わるのだからいいと見ていたがそれは本当は不自然なものであり人間的に無理なものだったのである
だから歪として現れた、コロナウィルスは人、物の交流を止めた
それで気付いたものがあり悪いことばかりではなかったともなる

村八分や離縁も…根強い新型コロナへの偏見 アフリカ

MSNニュース

人間は未知なものに恐怖心をもつ、アフリカとかなると医療も発達しないから余計にそうなる
アフリカでも外部からの侵入者をとめることができない、中国人も大量に入っているからだ
つまりここで中国人とかかわったことが仇(あだ)になった、イタリアから広まったのは中国人の影響だった
つまりグロ−バル化の影響は中国を巨大化した、それと同時に中国が覇権国家となり近隣を蹂躙するともなる
グロ−バル化の負の部分が大きくなった結果としてのコロナウィルス騒動になったのである

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2020年06月11日

小池百合子氏の学歴詐称疑惑 (エジプトの歴史と日本の歴史の共通性ー旅した記憶)

 

小池百合子氏の学歴詐称疑惑

(エジプトの歴史と日本の歴史の共通性ー旅した記憶)

小池百合子氏の学歴詐称疑惑、カイロ大学が声明文を発表。背景に何があるのか。

ヌビア人のファルカーの写真

これも説明がいい、それは実際にカイロの大学に留学していた人だからである
エジプトは本当に人なつこいしアラブ人はそういう傾向があり日本人には好意的である
でも何か乞食とかがいたり子供が金をくれとしつこくついてくるから貧乏な国である
産業としては麦作りと観光すくらいしかないからである
ロバに乗った少年がワンドーラーとか叫んでいた
これは戦後日本の子供が進駐軍についてギブミーチョコレートととなったのと同じである
日本人は戦争に負けて日本人の魂を失いただ物質主義になり金だけを求めるようになったのである

誤解しやすいのはエジプト人と今のアラブ人は人種的には別物である
そもそもエジプト人とは何なのか解明していない謎である
でもあれだけ高度な文明を作りだしたのは誰だろうとなってしまう
だからこういうとき常に宇宙人が作ったとかされる
それだけの高度な技術でありそれは現代でも再現できないような技術をもっていた
だからそんな時代にどうしてそれができたのか不思議になる
相当な幾何学とか建築学とかがすでにあり天文学も高度なものとしてあった
その人たちがメソポタミアから来たという時、そうなのかとなる
高度な文明は必ず最初優れた文明から取り入れるからである

エジプト神話に登場する「上の国」(ナイル上流)と「下の国」(ナイル下流)、二つの王権、白冠と赤冠といったモチーフは、もともと北と南で異なる勢力だったものが統一されて一つになったとき古代エジプト王国の歴史が始まった、ということを表している。

「ヌビア遠征から7000人の捕虜と20万頭の家畜、またエジプト東部砂漠から多数のベドウィンを連れ帰って来た」という。
第四王朝つーと、でっかいピラミッド作ってたあの頃ですな。

西アジアに覇権を広げるための軍資金をヌビアの金鉱に頼っていたエジプトは、南のヌビアが強大な力をもつのを嫌った。そのためエジプト第18王朝(前1539〜前1292年)の王たちは、軍隊を派遣してヌビアを征服し、ナイル川に沿って要塞を建設した。ヌビア人の首長を行政官に据え、従順なヌビア人の家の子どもをテーベの学校に送り込んだ。

あれだけ広いとなると必ず二つに国が別れるというのも歴史である
日本でも西と東に分かれていた、その争いは関ケ原の戦いまで続いていたのである
だから大きな国となるとまとめることが容易ではない
それはどこでも起きたことである、イギリスが島国でも今だにスコットランドとかウェールズとかアイルランドとかに分かれている
その歴史も古い、アメリカでも南北戦争がありアメリカという巨大な国を統一するのに苦心した、中国は巨大すぎるから三国志になったことでもわかる

また興味をもったのはヌビアに金がとれたことで力をもった、それで東北の蝦夷地は金の取れる場所として大和朝廷が征服に乗り出した、そして多賀城を築いた
奈良の大仏を鍍金するために

天皇(すめろき)の 御代栄(さか)えむと 東(あづま)なる 
陸奥山(みちのくやま)に 金(くがね)花咲く
大伴家持 万葉集巻18 

陸奥国小田郡から黄金が貢献された(続日本紀) 

みちのくには渡来人が来て海岸沿いを砂鉄をとりにきて鉄を作っていた
それが真野の草原の万葉集の歌と関係していたと書いてきた
つまり黄金の道、鉄の道がみちのくだったのである

それでここでヌビア人とは何ものかとなると日本の歴史から推測すると東西に分かれて
資源国であり一時はヌビア人がエジプトの王になったということがあるとかヌビアとはそれなりに進んだ大きな国だったのである,ヌビアのヌビは黄金のことだったのである
なぜこうして歴史に共通性があるかというと人間が作ったものであり宇宙人が作ったものでないからである、人間ということで同じようなことが起きてくるのである 
ただここでもヌビア人は奴隷にされていたしモーゼの出エジプトでもイスラエル人は奴隷だったのかとなる
でもエジプトの記録に脱出したとかの記録は一切ないのである
そんな大事件が記録されていないことが不思議である
でも聖書は事実を基にしていて事実ではないものは書かない、だからこそ奇跡は事実なのである

ともかく何か事件とかあるとき歴史をふりかえるみると理解が深まる
エジプトと今のアラブ人は関係ない、またイスラム文化は偶像崇拝を禁止しているから
エジプト人の後継者ではないのである
歴史が継続しているのは日本がである、日本人は縄文人から日本人であり今も日本人なのである、こういう国はかえってめずらしいのである
だからこそ天皇の万世一系になる、他はみんな人種の混交であり異文化の混交だからである、だから日本の歴史とは文化は異質なのである

小池百合子が何か都知事になるとき異常にもちあげられた、熱狂したのである
それを演出したのは誰なのか?それが今になると不可解になる
マスコミだったことはわかる、マスコミではこの学歴について何も追求していないからだあの時異常な熱狂は何なのだろうとなる
その時自分自身も小池百合子の人気に乗ったのである
その時は今でもそうだが何か行き詰まった政治を打破してくれる女性のように見えたのである
ただ小池百合子のことはそうしたマスコミにのせられて作られた虚像だったとなる
そもそも何かそうした虚像は常にマスコミで作られているのだ
何をもって判断するのか?その判断するのはテレビでありマスコミだとなっていたからである
それだけテレビ局六局の力が強すぎたのである
テレビによって世論も形成され導かれ大衆が熱狂したとなる

ただyoutubeでいろいす説明する人はでてきた、それが意外と専門家であり体験者であり説得力があるのだ
だからテレビに対抗するメデアとして相対化できる時代になった
カイロの大学に実際留学したとか仕事していたとかの人は説得力がある
ともかくテレビだと虚像が作られやすいのである、その人のことなどそもそもわからないからだ、するとイメージ選挙になる、見た目にも左右される
小池百合子は中味がなくても見た目がいいとかで左右されるのである
そしてyoutubeでも何か最初に顔を見て判断するようになる
私はしゃべるのが苦手だからこうしてしプログに文章を書くことをしている
深く探求するには文章も欠かせない、しゃべるだけでは何か深いところがわからないのである、一つの説を打ち出すとなると論文になる、本だと長くなるがpdf形式の短い論文なら書けるのである

ともかくエジプトでも一通りみたのは貴重だった、ナイル川を帆をついたファルカーで下るというのも今の時代ではそういうことができる、それだけ今の学生は有利になっている
本を読むより外国はこうして体験しない限りからないからである
だから50代からバックパッカーになって世界を見たのが本当に良かった
その後介護とかて行けなくなったからである
ただ正直苦しかった、今になるとその気力もなくなった
それで行ける時行っていないと海外旅行は行けなくなる  

ナイル川のヌビア人(詩)

詩はべつにしたけどここは更新していない、実際詩は膨大に書いているが発表していない



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2020年06月09日

アメリカの暴動の次は日本か? (日本の貧困化で治安も悪化する)


アメリカの暴動の次は日本か?    

(日本の貧困化と治安も悪化する)

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アメリカの暴動の原因は何なのか?それは簡単に黒人差別とも言えないようだ
暴動に参加したのはアジア系とかアフリカ系とかが入り混じっていた
黒人を殺した白人の警察官はアジア系の女性と結婚していた
これも複雑である、アメリカは人種の坩堝である
黒人差別の根はもともと深く解決していない、そして最近はヒスパニック系が多い
スペイン語であり英語が通じないとてしいる
そうなるとコミ二ケーションするのが困難になる
言葉自体通じないのだからそこからして意思疎通がむずかしくなる
だからそんな国がまとめられるのかとなる

様々なモザイクのような人種模様があってそのパズルも複雑であり分解してしまうのではないかともなる、そんな国は何をアイディンティティするのかとなる
そして極端な格差社会であり数パーセントの人が富を独占しているのも異常である
移民がまた多いということでまとめるのが至難になる
人種で相反目して銃で威嚇して不穏な状態になり暴動になる
そこに経済的格差が極端なので不満が金持ちに対してでも爆発する

それは資本主義というのはもともと格差をさけることができないものとしてある
資本主義が勝者を選別して持てるものがますます持てる者になり持てないものはますます貧しくなる、なぜなら資本がもていないからである
資本という時土地でもそうであり金融資本でもそうである
金でも本当に一億もつと株でも何かの投資でも見返りが大きくなる
損することがあっても一億あれば一千万損してもいいやとかなるから余裕なのである
そうして投資すると今回のようにコロナウィルスで職がなくなる人がいてもかえって株が上がってもうかっているのだ
これも社会の矛盾でありゆがんだ社会となっている
つまり道徳なき経済なのである、市場はギャンブル場でありカジノなのである
そこに公平さなどはありえない、もう見えざる神に導かれるのではない
実際は見えざる悪魔に導かれているのが現代のグロ−バル資本主義なのである

こういう社会は真面目にこつこつ働くことが馬鹿らしくなる
一攫千金とか消費だけが目的化する、ギャンブル場では時給いくらで汗水たらして働いていても金にはならない、でも市場のギャンブル場で巨額の金が賭けられてもうける
そこにももう職業倫理もなにもない、そんなふうにして真面目に働いても金は博打場に吸い上げられて下には回ってこないのである
道徳なき経済である、そして金は湯水のように刷られて日銀が株を買いコロナウィルスで苦しんでいる人たちのことなど関係ないのである
株は上がっている、国債とかからの金が株にながれて上がっているとかなる
要するに実態経済とは関係なくマネゲームなのである
そして労働倫理も職業倫理もない、一攫千金を夢見てFXに底辺層は賭ける

ただその資本主義のマルクスが指摘したことで社会主義共産主義国家が生まれたがこれも中国のように共産党幹部が王朝の官吏となり莫大な金を得ているから同じなのである
ただ不満を暴力で抑えている違いがあるだけである
六億人が貧困層だというのも驚きである
その格差もまた大きい、不満が爆発しないのは暴力で抑えているからである

中国の李克強(りこくきょう)首相=写真、新華社・共同=が五月二十八日の記者会見で「中国では六億人の月収が千元(約一万五千円)前後だ」と発言し、中国メディアなどで話題となっている

これが中国の実体なのか・、中国の貧困はもともと生活費が安かった、粥だけで朝食とかで安いのである、日本の十分の一とかだった、10数年前にしてもそうして安く生活できるからいいのである、宿でも百円か何か安く泊まれのである、日本がだったらとても泊まれない、つまり日本では貧困でも金がかかりすぎるのである
貧困用のものがない、みんな富裕層とたいして変わりない生活しかできないのである
第一食べるものでも外食でそんな安いものがないからである

このアメリカの暴動は世界に飛び火する、格差が世界で大きくなったからである
それを是正するにはなにかしらの今回の様な暴動のようなものが起きてしか変わらないともなる
中国は盗賊が王になったごとくである、それすら底辺層は目指すようになる
それが主義とか関係なく権力をとることである
黄巾族とかが宗教でも時の政権に反抗する、カルト宗教団体がそうである
その創価とかカルト教団と自民党が一体になっているのも不似合なのである
なぜなら創価には下級国民が多いからである
自民党は上級国民を相手にしていて旨い汁を吸う政党だからである

だから何かこれからさらなる巨大な変革が起きて来る、格差社会を打ち破るような大きなことが起きて来る、その後に来るのはわからないが資本主義でもない社会主義でもない
何か新しいものがそこから生まれるようになる
日本の貧困化はさらに厳しくなりその人たちがもうアメリカのように暴動を起こすかもしれない、そんなことがないとはいうけど犯罪は増えることは間違えない
追い詰められた人間に善悪などない、明日食べるものがなくなれば襲ってくる
相手のことを考える余裕もないからだ
そういう不穏な危険な時代になっているのだ

ただそうした混乱状態からまた新しい秩序が生まれるかもしれない
格差社会は打破される、フランス革命のようなことが起きるかもしれない
その前に既得権層は貴族がギロチンで殺されたように血祭りにあげられる
そのとき下層民は喜んでいたのである
そういうことがアメリカでも起きて中国でも起きてそして日本でも起きる
日本の貧困化は深刻になっているからだ
このコロナウィルスでさらに貧困化してホームレスなどが増えたりして治安が悪くなる
そういう困窮者が増えれば治安が悪くなる
そして上級国民とか金持ちとかが襲われるのである

だから株でもうけたからいいやとか金持ちが思っているとそうはならない
巷に浮浪者がホームレスがあふれるときその人たち犯罪者になってゆくからだ
それで戦々恐々として生活するようになるからそこに富裕層にしろ貧困層にしろ平和はなくなるのである
若者の不満も大きい、貧困化しているから世代間対立も激しくなりその不満をぶつけるようになる
貧困層とか不満分子が怖いのはもともと資産もは金もないからかえって守るものがないから暴動でも起きて失ってももともとだとなる、ところが富裕層は金でも資産を持つと守りに入る
どうしたら財産を守れのかとなら腐心するのである
それは中国の共産党幹部でも外国に逃げる算段しているし金があっても紙幣が紙切れになることがあり恐怖になる
その金持ちにつけいり財産の保全を説く投資家のコンサルタントが生まれるのである
つまり金持ちは金持ちで決して安泰ではないのである
むしろ格差社会を金持ち自身がなくすようにしないとその危険から逃れることができないのである

ただこうして大きな混乱が起きてその後にまた新しい社会が生れて秩序が生まれるかもしれない、そういうことが人間の歴史の繰り返しでありカルマだったからである
だから津波から原発事故から水害からコロナウィルスからアメリカの黒人暴動からと世界は不穏になり国際関係も大きく変化する
そこで日本はどうするのか、それが今大きく問われているのである


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2020年06月04日

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議 (グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

コロナウィルスウィルスが世界を変える不思議

(グロ−バル化、都市化、生態系破壊などへの逆襲)

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新潮6月11日号


コロナウィルスが提起した問題はいろいろある

そもそもなぜたらまち広がったのか?その原因は何なのか?

●生態系の破壊

●グロ−バル化と都市化

●経済のみ重視

●科学技術進歩と偏重

他にもいろいろあるにしろこの三つが基本的にある
何か動物から未知のウィルスが発生したという時、そこは人間は入ってならない場所だった、聖域、サンクチャリーとしてあった、そういう場所にもづかづか人間は入り込むようになった、その原因が今科学者とか生物学者からも指摘されている

新潮の記事でもアフリカに意外とコロナウィルスが広がらないのはなぜだろうというとき人口の密集する場所が少ない、都市化もまだしていない、それで広がらないとしている
それでコロナウィルスが一千万都市の武漢から世界中に拡散したというときまた世界中で都市封鎖がされたというときそうである
都市が世界で巨大化したからである、日本でも東京から拡散する、東京を止めない限り安心はないとなる
この辺でも東京のライブハウスに行った人が感染したのである
他でも東京から感染が広がる、大都会から感染が広がる、大都会は常に人が密な場所だからである
都市そのものが生態系と断絶した生物として住むには異様なものなのである
異物ともなっているのだ

ただコレラとかでは長崎とか福島県なら会津若松から拡散した
そこは新潟県からでも中通りからでも街道があり人が集まる交差点になっていたからである、だから人の交流する集積地となりそこから各地に拡散したのである

またグロ−バル経済を批判して来たけどグロ−バル経済とは結局政治と経済原則とか生態系とか地理とか様々な制約をあったものを破るものとしてある
それが極限に達するような状態になっていた
そうなると何の制約もないアナキー社会になる、無政府状態のようになる

そこに通用するのは何か?

金しかなくなった、金ですべては売られだけである、金にならないものは一切価値のないものとして切り捨てられ無視される社会である
値段のつかないものは無価値にされ捨てられるのである
だからそもそもグロ−バル経済など成り立たない代物だったのである
世界的な公平な市場など成り立たない、そこは極わずかな超富裕層がもうけるギャンブル、カジノなのである
そこで世界の富は数パーセントの人たちに吸い上げられるのである

こういうグロ−バル社会が継続できるのか、それはバブルとなり恐慌となり破綻して当然だともなる
現実に家もなく路頭に迷っている人たちがいるのに株価は上がっているのも変なのであるそのこと自体経世済民が経済だというとき全く正反対の経済なのである
モラルがない、ただ金が右から左に流れ投機になる、マネーゲーム化して巨万の富を得ている少数者がいる経済なのである
経世済民どころではない民を苦しめるだけの経済なのである
だからアメリカのように暴動が起きても不思議ではない、その資本主義のシステム自体がもう成立しなくなっているのだ

また科学技術が巨大化して一地域のミクロコスモスを簡単に破壊する
それが原発だった、原発事故によって空気も水も土も汚染されて住めなくなったからだ
科学技術は万能ではない、だからコロナウィルスも未知のものであり対処できない
専門家でもいろいろ言って定まらない、原発事故でもそうなった
コロナウィルスについて誰も科学者でもわからないのだ、ただみんなそれぞれ勝手に予測している段階なのである

ともかく東京から若い働き盛りの人が地方へ移住するようになるのは老人が移住するより活気をもたらすからいいとなる
テレワークになったり働き方も変わる、距離を関係なくさせるのがIT技術だからである
こうして文章を書いて一瞬で全国に世界に発信できるのもそうである
その技術の恩恵はある、ただ技術がすべていい方に作用するとはならない
それが原発事故だったのである

いづれにしろコロナウィルスで社会構造をシステム自体変えざるを得なくなったというときそれは悪いばかりではない、人間が密集する都会は災害でも危険である
それでミサイルが飛んでくるとして恐れたりするようになる
軍事防衛的にも大都会は一発核ミサイルが飛んできたら壊滅するから恐怖である
それより一千万とか人間が密集する世界が生態系を無視しているし危険なのである
津浪で襲われた三陸とかでは裏山の清水で米をたいてしのいだとかある
そういうことが大都会ではできない、備蓄しても限度がある
その時ただ脱出するほかなくなる、ならばその前に脱出した方が安全だとなる

グロ−バル経済でも何か物でもいくらでも入ってくるという社会はいいように見えた
でもその物を得るためには金が必要である、その金をどうするのかとなる
何か売るもの作らねばならない、でも何か売るということはいろいろコストがかかる
第一全国でも外国でも売るとなると交通費がかかったり容易ではない
それは負荷が大きいのである、それは簡単にみんなができることではない
かえって苦労が大きくなり負担になる、だからあらゆるものを世界から買うことができる食料でも外国から金さえあれば入ってくることはありえないのである
それでマスクすら中国頼みであり日本で作れず調達できなかったことでもわかる
つまり肝心なものが日本国内で作れず入ってこなかったのである
それは今後でも緊急事態でそうなる

人間は遠くの親戚より近くの他人というとき緊急の場合はそうなる
何か親戚としても薄い関係であり自分自身が責められることがあるらいいにくいが
東京にその人がスンデいても要求するのは金だけの関係になっていた
だからその人は金だけを要求する、金を送ってくれだけでありこっちのことは何の関心もない、心配もしない、そういう人と人間関係が結べるのかとなる
このように人間関係を越脱してグロ−バル化が限度なく進攻したのである
経済の前に人間と人間の関係が何なのか?
ただ物の交換とか金だけがグロ−バル化で通用する世界は人間からするとありえないことだったのである   

だからコロナウィルスで物でも人でも交流が止められた、その時外国人労働者が自国に帰れないとかなり雑草まで食べて飢えをしのいだとか記事にあった
まさにこういうとき外国人労働者でも人間なら助ける、相手は物ではないからである
外国人労働者を入れることは単に給料が安いからとして受け入れても物として扱えないからそうなる
つまりグロ−バル経済というのはそうした本来の人間の在り方を越脱したものであり
それがコロナウィルスの危機で露呈したのである
「金を送ってくれ、あなたが病気になろうが何になろうが関係ないです、その時は連絡しないでください、私は関係ありません」
こんな関係が成り立つのかとなる、それは親戚でも成り立たないから遠くの親戚より近くの他人になったのである

人間はいくら交通が発達してもある限定された土地で生活する、そこが根拠になる
その中で経済でも回す、それで戦前までは自給自足の生活だった
その土地でとれるものを基本にして生きるほかなかったのである
だから燃料は炭だったのである、炭なら森林があり森林は50年で育つとしても絶えることなくある、でも石油とかに頼るとなると遠くから運ぶから負担になる
緊急の場合、紛争とか戦争かあると石油は入ってこなくなる
かといって炭で生活する時代にはもどれない、でも何か外国でも外部に頼りすぎる生活は緊急時に弱いし危険が伴っていたのである
それをコロナウィルスで知らしめられたのである
posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年06月02日

権利と責任(カルマ) (過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)


権利と責任(カルマ)

(過剰な権利の要求が民主主義になった弊害)

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今回のコロナウィルスでも政府からの給付金、支援金がもらいとなるとあらゆる人が要求した
こういうときもらわなければ損だとなり権利があるとして要求する
それで京都の寺でも拝観料をが入らなくなり政府から給付金を出してくれと訴えた
ところが寺では拝観料に税をかけようとしたとき寺の組合がみんなで反対してとめた
つまりもしここで税金を払っていればもらう権利が出ていたかもしれない
それを今さらまた拝観料が入らなくなったから支援してくれというのは虫がよすぎるとして政府の担当の政治家が怒ったのもわかる

芸能人でも給付金を要求した、芸能人は一応税金は払っている
でもネットでは批判が多い、収入が大きかったし芸能人は河原乞食でなくてもどうでもいいんだとして批判が大きいのには驚いた
なぜならち芸能人だとその批判している人でも見ているのかと思ったからである

そしてなぜ芸能人がこれほど批判されるのか?

それは収入が馬鹿高いとかもともとその仕事に一般の人も評価していなかったのである
ではなぜそうして批判があるのに認められるのかというと一般の人が批判してもやはり
一般向けに大衆向けに面白おかしく政治のことでも語り影響力があるからだとなる
それで政治家でもカルト宗教の団体でも芸能人を宣伝役に使うのである
それで影響力があるから政府でも芸能人を宣伝役として使う、また支援金を出すというのはそのためである

結局そうして影響力があることが政治家を動かし現代の民主主義となる
何か一人の人間が熟考したことを言っても無駄である
なぜなら民主主義は数で決められるからであり多数決だからである
すると政治家でもとにかく数を集めようとする、一人の人間よりどうしたら数を集めるのかとなる、これはマスコミでも視聴率をとることが宣伝費も入るからいかにみんなにみてもらうかで芸能人をテレビに出すのである
それがポピュリズムにもなりファシズムにもなってゆく、そこに民主主義の限界があってもそれに代わるものがないからそうなっているだけなのである

ともかくこの支援金問題は原発事故でも起きた、それは何度もしつこく追及して来た
つまり原発の補償金は避難区域で大きかったからである
それであらゆることに補償を要求したのである
それで一番矛盾したのが漁業権をもった漁業組合なのである
なぜなら漁業権が大きな権利でありそれを東電に売ったからである

そのことが何を意味していたのか?

その意味も何も考えない、漁業だけではやっていけないとなりそれなら金になればいいとしかなかった
つまり金になるなら何でもいいとなっていた、それは地元でもみんなそうである
金になればいいしかないのである、そのために権利を主張する
家の前の海でも権利あるとか日ごろ関心もない私道にも権利があるとありあらゆるものに補償を要求したのである
ただ東電でも仏壇とかいろいろな物に補償を与えたのである

それに対して何の疑問も感じなかった、つまり権利を法律的にも何でも主張できると思っていたからである、そこに悪びれることもなにもない、当然でありそれに後ろめたいものも何も感じなかったのである
つまりこれは民主主義がただ権利を主張するものとして受け入れた結果なのである
だから原発事故になり海が放射性物質で汚染されて魚がとれなくなった
でも事故前も事故後の十分な補償金をもらえるから困らないのである
いち早く立派な新しい家を建てたのは船主だということがわかった
その人たちは補償金で困ることがないからである

でもここでわかったことは権利を主張するのはいい、でも権利と責任は一体だったとういことである
寺で支援金を要求するのはいい、でもその権利には責任がともなっていた
拝観料に観光税を払うことを拒否した、税金を治めなかった
それなのに観光客が来ないから税金で補償してくれというのは虫が良すぎる
なぜなら市の行政でも観光客の便宜を図り税金を使っているからである
寺だけで観光客を呼べるもてなすこともできないからである
だからこそ京都市でも観光客があれだけ多いのだから税金をとろうとしたのは納得する
別に拝観料とることは宗教活動でもないからである

つまり権利を主張するのはいいとしてその権利に正当性があるのか?

これが問題になっていたがそれを深く検討などしない、金になればいいしかないのであるこのことはあらゆることにある
第一弁護士自体がなぜ相談に行ったら相談料として百万も最初にとったのか?
その正当性がどこにあうったのか?
その弁護士は詐欺だったのである、弁護士自体がそうして金のためなら法律に違反していることを平気でしているのである
だから弁護士自体が何かうさんくさいとされるのである
弁護士は何か法を守る番人でもない、金で動くこと自体弁護士という資格をもって利権を得て金を得るともなっている
今の世の中はあらゆるところでこうして金を得るために権利が主張されているのである

ところが怖いのは金をもらえばいいとなってもそこに何らかのカルマが付加されている
カルマとは責任なのである、金は具体的だからカルマがわかりやすく付加されている
10万の金には10万のカルマが付加され、百万には百万のカルマが付加され
一億には一億のカルマが付加されているのである
カルマとは責任のことなのである、だから金を得て良かったと普通はなるがそうなっていない、後でそのカルマがア苦しみとなって現れる
逆にみんなから責められるのもカルマだったとなる

そういうのは自分自身にもあったのだ、親の遺産問題でそうなった、ただ自分は懸命に介護したから遺産を受け継ぐ権利を得たともなる
親が認めてくれたからである、でももし肉親でも介護をしなかったどうなるのか?
それは確かに法律的に権利があったとてももし他人が介護したらやはりその人にも権利が生じる、それで法律でも遺産を得る権利があるとして認めるようになったのはわかる
つまり権利には何であれ責任がともなっているのである

つまり権利と責任は一体なものである、そして現代では金がすべてとなったとき権利ばかり主張する、それが民主主義であり当然だとしている
でもその権利を主張する責任のことが欠落しているのである
ドラマにしろヤクザが親分から5両でも金をもらった義理があるとかで人を殺した
つまり5両をもらっただけで人を殺してしまうという責任が課せられていたのである
こうなると怖いことである、そんな金をもらうこと自体普通だったらもう拒否する
そな責任は負えないとなるからだ、ドラマにしてもやはり金というのはそうして怖いものをもっているのだ
江戸時代は5両盗んだら死刑とかなったのもそうである、金の額で刑罰が決められる
しかしほとんど金を得られれば何でもいいしかないのが現実であり権利だけを主張するのが民主主義として受け入れた戦後があった

権利というとき不思議なのは法律ではあらゆることに権利が主張される
日本国民は労働の権利と義務があるというのもそうである
実際このことでも労働は権利だというのが理解しにくい、労働はやむをえざる強制となっているのが普通である、私に労働の権利があるから職を与えてくださいとか言わない
そんな権利など与えてくれない、職が得たかったら国が職を与えることなどないからである、ただ労働の義務は課せられているだけである

だからとにかく「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こんな権利があるだろうか?日本貧困化してくるときどうしてそれが保証できるのか?
貧乏な国ではそういう保証は不可能である、なぜなら戦前は貧乏だから普通に乞食がいたそれを国で保証したりしなかったからである、国でできなかったからである
だから日本が画貧困化ししてくればそんな金を出すことができなくなる
つまり何でも国で保証できるわけがないのである
それで政府では紙幣をすればいくらでも金を作れるというのも疑問になることは確かである、そんな魔法のようなことができるのか、それなら誰もこんなに苦労しないだろう
紙切れの紙幣をすればいくらでも金が生れ解決するとかならないというのは小学生でもわかる、それでMMT理論はありえないとしているのもわかる

とにかく金を得ればいいというとき権利を主張するときその正当性が問題になる
なぜ漁業権を得たのか?資源保護のためにである、でも東電に売ることが資源保護になったのか?それが原発事故以後問われたのである
なぜ寺で拝観料から税金をとることを拒否したのに国に給付金を要求するのかとなる
権利を主張するのはいいとしてその正当性が問われたのである
だから日本は民主主義が何かを理解しないでただ権利だけを主張することを要求するものだとなったのである
そして権利というとき反対は利権になる、そこに漁業組合であれ宗教団体の組合であれ
その活動には税金をかけない、そういう権利を得ている
でも今回別に京都の寺で拝観料をとることが宗教活動でもない
また宗教団体でも給付金を要求して得られというのも理にあわない
もともと税金を宗教活動なら免除されているからである
でもまたなぜそういうことが通るかとなるとそれが団体化して数で影響して権力化して政治家を動かすからである、そこでまた政治が歪められるのである

とにかく様々な利権を主張することが民主主義でありそのために数を集める、それは宗教団体でもそうである、それで利権を得て金を得る、利権団体民主主義になったのが日本なのである、その問題は社会自体を歪めるから問題なのである
何も権利を主張するのがいいことだと悪びれることもなにもないのである
それが正義だとなっているからだ
ただ何かをしたら権利を主張できる、何も草取りを頼まないのに勝手に草取りした
だから金をくれと要求された、つまり勝手に草取りしてその権利を得たとなる
何もしないのに金をくれとは言えないからそうなった
これも変なのだけど一応権利を得たとはなっていたのである 

他にもマスコミでも六局に特別放送する権利が与えられた、その権利は大きいものだったそれでマスコミに左右される結果になった、つまりそれは特別の権利である
でもその権利がマスコミで勝手に解釈して公共の利益になるとはならなかった
NHKは特に国民から平均して金をとって放送しているから中立の立場で放送するべきである、それもしなかったので批判される
その影響が大きいから問題になる、それでインタ−ネットが出てきて万人に放送の権利を与えたことは民主主義の大きな進歩になった
テレビだけを見ていると社会がわからなくなるからだ
テレビ自体がいかに映像で操作できるものか知ったからである
それはネットから指摘されるようになったからである
テレビは大きな権利を与えられていた、でもその権利を悪用したということがあった
つまり権利が大きければ大きいほど責任も重くなっていたのである   

ところがまたインタ−ネットでも誰でも発言することができるようになった
するとそこに権利を得たとしてもまた責任が生じるようになった
それでネット上の発言で責められて自殺した女性のプロレスラーがいた
それはネットだと何でも発言できる、誰かわからないとか匿名だとかでそうなった
これまではネットで発言してもそんな影響がなかったのである
でもスマホであれ一般化すると何んでも発言していい環境でなくなったともなる
それが広まり安くなったからである、ただその発言がそれだけ影響するとは思わない
それがネットの盲点である、面と向かって言うわけではないからそういうことはこの通信世界には常にあった、顔も見えないからである
ただyoutubeは顔を出しているから責任が生れているとなる
ただインタ−ネットだとそれだけ読まれるとか見られるとかない、そこで責任が軽減されている、でもだんだん一般化してきたからそういうことが起きてきた
つまり権利を得ることは責任も生じるということである
権利を主張のはいいとして責任をとかその主張する正当性をrightを自覚して発言するべきだとなる
それが意外と後で大きな問題となる、得したと思ったことが大損にもなるから気をつけるべきだとなる、つまり重いカルマとなりのしかかることになるからだ


生活保護って何なの? (権利ばかり主張するようになった現代) 





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2020年05月29日

原発事故での漁業権の問題と寺の給付金要求の共通性 (権利を与える目的が見失われていた)


原発事故での漁業権の問題と寺の給付金要求の共通性

(権利を与える目的が見失われていた)


原発事故のことを追及してきた、その原因は何なのか?それを現場なのだから追求し続ける立場にあった
そしたらコロナウィルス騒ぎになった、これも何なのだろうと原発事故の経験と比較して考察して来た、そこに共通の原因があった
するとなぜ社会自体が歪んでくるのか?そこに共通の原因がありそれを知るべきだとなる
再三漁業権を東電に売ったということで漁業組合を批判して来た
これはどういう経過で起きたのだろうか?

まず東電で原発を作る⇒漁業権をもつ漁業組合と交渉する

「ここに我が東電では原発を建てます、海は汚すことはありません
でももしもの場合として補償します、その金は払いますのでご了承願います」
「補償してもらえるならいいでしょう、漁業権を売ります、でも補償は十分にお願いしますよ」
「わかりました、補償は十分にさせていただきます」

なんかこんな交渉があった、でもここでおかしなのは漁業権の権利が与えられた目的はなんだったのか?

それは漁業資源の保護であり東電に漁業権を売って補償金をもらうために与えられたのではない、確かに漁業をするために海産物を汚されては困る
でも汚されるても補償金を払うから容認されたのである
だから漁業権を与えられた趣旨と違ったものとして利益を得るために漁業権を売ったのである

権利を与えるのはもともと権利はライトであり正しいから与えられる
また最初は権利は権理と訳されていた、何か権利を与えるには理に適うことで必要だからである
ところが権利は利権にもなる、最初から利権になれば金になればいいということがどこでも起きている、権利を与える目的がありその目的より金になればいいとなってしまう
そこであらゆるものが歪められるのである
それは漁業権だけではない、あらゆるものがまず金になればいいとしかなくなっている
それが社会全体を歪めているのである

今回のコロナウィルスでもそうである、給付金を寺にもしてくれと政府に要求する

ところがそもそも寺は何のためにあるのか?

僧侶はなんのためにあるのか、何の目的をもって社会に存在しているのか?
それが見失われている、それで観光客から金をとるときその金に税金を京都府でかけようとしたら仏教組合で反対して税金をかけさせなかったのである

観光はそもそも宗教活動なのか?

お布施とかありそれは何のために金を払うのかとともなる
つまり金を払う方でももらう方でもその金についての明確な理由があいまいなのである
そもそも寺が何のためにあるのかということもあいまいだから観光税をかけるというとき宗教行為だから税金をかけるなとしている
では宗教行為とは何かとなるとこれもあいまいなのである
別に外国人が寺に来るのは仏様を信仰するとか何の関係もないからである
主に寺の美術品とか庭を美の鑑賞とかになる
でせもともと寺は観光のためにあるのではなかった、その目的からは観光ははずれていたのである、そこで莫大な収入ともなるから京都府では税金をとりたいというのは自然なの事である

こういうことは常に社会にある、会社を経営するときでも何もを目的としているのか?
まずもうければいい、金になればいいとなる、利益にならなければどうにもならない
だからあくどいことでも客をだましてでも利益をあげることが優先される
銀行でも投資信託とかむずかしいものをすすめて手数料をとる
その目的は何か不明でもまず利益をあげればいいとかなる、客でも金になればいいとしかならない、第一投資するにもなんのために投資するかというより金になればいいとしかならないからである
だから投資する方でも目的がただ金になればいいとなりわからないのである

宗教というのがある、でも宗教活動とは何なのか?

これも不明でありあいまいなのである、神を仏を信じることだとなっても創価などは選挙を第一として政治の権力を得るための活動になる
だから選挙が最大の仏法の戦いだとして仏に祈り一軒一軒回って必死に一票を獲得に回るだからその目的が宗教活動ではない、政治活動になっている
教理にしても王仏冥合の思想が日蓮宗にあり王は政治であり仏と一体化する社会を作るということでもそうなる
でもそれは現代の法では政教分離で禁止されている、それは神道が国家神道となり戦争で三〇〇百万人死んだという反省で生まれた法律でもある
現実に創価の創始者の牧口常三郎は戦時中弾圧して獄死したとかあるからだ
これでもまた政教分離を主張することになるが政教一致祭政一致の集団となっているのも矛盾なのである

こういうことはこの世の中に常にある、宗教でも権利を主張する、でも宗教が権利を主張するとしてもともと宗教の勤めはなになのかとなる
宗教活動に税金をかけないのは宗教行為だからとしている
また国が援助しないのは国家権力が宗教に関与しないからだとしている
だから常に権利と利権{利益}と目的が相反するものとなり矛盾してきて社会をゆがめる
権利を与えることには責任がともなう、それで資本主義社会だと金がよりあるものが実は責任が重くなるということがある
金をもらうことは得ることはその金に責任がともなっている
それでヤクザが金をもらったから殺すんだとというときそのもらった金に責任をともなっていたからそうしたとなる
つまり何であれ金をもらうこと得ることでも責任が課せられているともなる

民主主義はただ個々人でも団体でも常に権利を要求してそれが利権になっていた
そこに責任があることを自覚しない、権利が与えられることは責任がともなっていた
漁業権は資源の保護であり東電に売って金を得ることに与えられていなかった
だから事故になってその責任が問われる、なんだあいつら東電から事故前も豊富な補償金をもらい事故後ももらっている
それは回りの者が事故後に気づいたことであり別に事故にならなければ責められることも気づくこともなかったのである
実際はそれは権利を与えられたとしても責任が重いものだったのである
だから何でも金になるからいいというのは相当に問題なのだけど現実は金になればそれでいいいとしかないのである

税金にしてもそれがどう使われているかも不明なのが多い、コロナウィルスの給付金でもそれが利権化して目的とは違って使われる、そのことは原発事故でも起きたからである
ただ金になればいいとしかなくなる
原発事故でも地元住民でも金になればいい、あとは関係ないとなっていた
ただ事故後にいろいろ考察すると原発を作るのはその土地に住めなくなるほどの被害を出すのだから相当に互いに検討して納得してから作るべきだったと今では思う
責任は必ず誰かがとらされる、地元で住めなくなったということで地元住民は責任をとらされたからである
でももし地元に住めなくなるということがイメージされてそれを納得の上に原発を建てさせたかとなると疑問になる
そういう例が近くになかったので真剣に地元の人たちも考えなかったのである
それよりまず金だ、金になればいいとしかなかったのである

ただ一般に人は今や金のことしか考えない、あとは考えることもめんどうになる
その人の前に金をが積まれればそれがなんであれ従うのが資本主義社会だともなる
でもそうして金と利益だけに目を奪われると矛盾してくるしまた原発事故のように地元に住むことさえできなくなる
そういう教訓を事故から得たということもある
ただ一般的に大衆となると金を積めばそれでたいがいは通る、それで本来の目的となるものが見失われる、それはどこでも常に起きている問題なのである

人間社会はともかく何か考えるより金だとなるのがわかりやすい、また何か理屈など考えずに宗教だったら題目を唱えるとか楽だからそれがポピュリズムとかファシズムになりやすい、何のために働いているのか行動しているのかも考えない
まず金になればいいとなり若者は上の人に年配者に権力者に使われるとなる
だからどうしても本当は若者は必ず何か不正を社会に感じる
それを感じないとしたらその若者も人間としておかしいとなる
つまりおかしいな、こんなことしていることは人間として許せないとか何か義憤を感じるそれを感じないとしたらもうすでに社会の悪にどっぷりとひたってしまったのかもしれない、そうなるともう改革はありえないのである

結局人間の社会は常に腐敗でありそれの絶えざる改革を迫られる、それは限りがないのである、その原因は人間社会をそもそも治めることができない、それで改革は永遠につづき人類が滅亡するまでつづくほかない、そして最後は滅びなのである
真の理想の国は天にしかなく神がその作られた国を与えることによって成る
人間に理想の国は作ることは不可能であり必ず何か不測の事故が起きたり混乱したりして右往左往したりとバブルの塔のようになる
それが人間の宿命であり人間が人間によって理想の社会を作ることは不可能だとなる




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寺でも政府に給付金を要求で怒られる (政教分離は重要でも検討されない)


寺でも政府に給付金を要求で怒られる

(政教分離は重要でも検討されない)

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週刊新潮6月号


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この記事でわかったことはコロナウィルスで観光業の影響が大きかった
するて京都などをみれば観光収入が減ったかというか入らなくなった
その打撃が大きいと思った
何か京都とかなると寺は美術館なのか博物館なのかわからなくなっている
そして宗教法人になっているとその観光収入が莫大でも税金を納めなくてもいいとなる
坊主丸儲けともなる、そういうことが昔からあったからそんな言葉が生まれた

それは宗教の場ではなくなっている、高い戒名料とったり何か本来の役割がなくなっている、江戸時代までは武士の菩提寺となりそこで死者を供養することであった
また戸籍係のような武士の政治の事務方のようなものにもなっていた
それで手厚く保護されていたのである
それで変なのは明治維新になったとき廃仏毀釈運動が起きて仏像など壊されたのは神社側が天皇が強力な力をもったことで国家神道となったことで力を得て積年の恨みを果たしたとなる、それはただこれも利益を得られない、利権の問題としてそうなったのである

もともと宗教と利権は深く結びついていたのである
宗教とはもう俗化したのであり利権の場と化していたのである
だから神社にしても完全に戦争の時国家権力として機能するようになった
地方の小さな神社でも必ず戦争に出征するとき神社にお参りして戦地に出されたからである、だから必ず神社に武運長久とか狛犬の台座とかに字が刻まれている
もともとそうした小さな神社は豊作を祈るとかであり国家神道化したものとは違っていたのである

ここで仏教団体にも金銭的に支援してくれ補助金を出してくれと頼んでしかられた
税金も免除されているのに金をくれというのは図々しいとなり担当した政府の人が怒ったというのもわかる                          

そもそも寺とか宗教はなんのためにあるのか?

観光のためになるのか?美術館なのか?博物館なのかわからなくなっていた
京都とかなればインパウンドで観光客が増大した、それがコロナウィルスでぱったりと来なくなった、確かにそうなると収入が激減したとなる
でもこれまでどれだけもうけていたのかともなる、それは京都だとそうなる
それで京都では白足袋族の人といって寺には逆らえないという事情があったという
なぜならそれだけ観光でも寺中心でありそれで京都でも恩恵がある
それはあくまでも観光としてであり何か本来の宗教とは関係なくなっている
観光自体にも問題があった、観光とは何か、その前に人々の日常生活がありそこを乱さないようにすることも必要だったのである
京都などは外国人観光者の街となってしまったからである

ただ寺というのは建物とか庭でも維持するだけでそれなりに金がかかる
だから観光収入に頼る、でもそれは本来の宗教の役割ではないが観光には不可欠だとなる第一宗教の始祖とかみればわかる、あばら家に住み乞食と変わりないような生活していたからである、キリストにいたっては住む家すらなかったのである
釈迦でもそうである、そしたらそうした教祖にならうのが宗教者になるがそうはならないかえって派手な衣装を来て土地の権力者となったり観光収入で豪華に寺を装い遊んでいるともされる

そして仏教界でも利権を守るためには一致している、反目しても政府から金をもらいために創価にも相談するかともなる、でももらう資格かないのであきらめた
宗教団体からも税金をとるべきだというとき宗教界では利権を守るために一致していた

とにかくこういう政府からの給付金とか出るとなるとみんな目の色を変える
それは原発事故の補償金でそうなったことを延々とプログで書いてきた
原発避難区域ではあらゆるものが補償されたからである
仏壇でもあらゆる物権もそうであり何か私道のようなものでも補償してくれとなった
それで自分の家の前の海にも権利があるとして補償を要求した
そもそも何か漁業権というのでも強力な権利となり東電から事故前も事故後も手厚い補償があった
なんでもこうして利権化して団体化してゆくのが現代である
宗教団体も利権団体なのである、創価はあからさまにそうであるが他の宗教団体でも政治力がそれなりにあり権利を要求する、だからこそ本来の宗教とは違うのだから税金を納めるべきだともなる
でも自民党は公明党に反対できないのである

これはそもそもヨ−ロッパのキリスト教でもそうだった、カトリックが権力をもち堕落した
その権力は強大なものでありローマ帝国と一体化して権力基盤を広げたのである
だからヨ−ロッパとかでもあれだけ大聖堂とかあるのだから宗教が盛んなのかと見るとそうでもなく無神論者が増えているのである
日本でも外国から来た人が寺が多いから仏教信者が多いのかとみるがそうではないのとにている面があるようだ

いづれにしろこのコロナウィルスの影響はこうして宗教界まで及んでいた
韓国で広がったのはカルト教団が密集して起きた、何かそうして集団化して祈ることが本来の宗教からはずれている、キリストは密室で一人祈りなさいと言っているからだ
だから集団化組織化した宗教は権力化した政治化した宗教なのである
それで仏教というとき私は禅宗にひかれるのである、日蓮宗とか念仏宗は集団化して一心に題目を唱える、それで騒々しいからである
ただそういうのは大衆に受ける、集団となり一体化をかもしだすからだ
それが結局ファシズムにも通じているのである
何か宗教というのは人を心から奴隷化するのにはいいのである
それはイスラム教でもそうである、なぜイスラムの世界では科学とかでも一時は先進国だったのに停滞したのか?
それは宗教と関係している、民主主義も受け入れないのは宗教のためである
政教分離ができないのもそうである

だから意外と政治と宗教の政教分離がヨ−ロッパで法制化したがイスラムではできなかった、それがヨ−ロッパに後れをとったとのかともなる
それは中国でもそうである、中国では宗教ではないにしろマルキシズムが共産主義が宗教のようになっている、そして一党独裁であり批判を許さない
それで周りの国でも中国に同調しにくいのである
政治体制が恐怖政治であり批判を許さない体制でありそれで受け入れられない
そこで香港の自由はなくなり次に台湾は占領されて沖縄が占領されて中国に支配されてゆく、だから中国と欧米が対立するとそうした宗教化したイデオロギーの対決ともなる
それはソビエト連邦の冷戦でもそうだったからである

本当は政教分離はこうして大きな課題である、でもそのことはあまり議論もされないのである、信長は徹底して政教分離を宗教より政治の優位を寺を破壊し僧侶を殺戮することで実行したから新しい時代を作ったとされる
だから政教分離はそれだけ人間社会にとって大きな問題である
なぜなら明治維新で今度は神道が国家神道化して太平洋戦争に日本が突入したからである国家神道というときそれは政教一致になったからである
それで戦後は反省して政教分離が法律になったのだが創価とかあるように他でもそれが守られていないのである、それは結局ファシズムになる危険があるからだ
また中国が受け入れられないという時、経済の恩恵はあっても政治体制が一党独裁のイデオロギー政党であり共産化をおしつけるともなるからだ

宗教がかかわると厄介なのはなにかというと批判すると罰当たる地獄に落ちるとか集団で恫喝する
そうなると批判一切許されなくなる、それが危険なのである、宗教ファシズムになりやすいのである
ただ共産主義とは何なのか?それはソビエト連邦が崩壊して過去の亡霊ではないのか?
でも巨大化した中国でまだそれが残っている、それでも資本主義社会の中にもある矛盾である
だから中国はこうしたことで内部矛盾をきたし自壊するとも言われる
だから政教分離とは大きな問題なのだけどあまり検討されていないのである



1985年、当時の今川京都市長は古都税を創設しました。目的は寺社などの古都遺産を守るためです。京都市内の寺社へ支払う拝観料に対して課税する


古都の掟は彼らが決める。京都の影の実力者「白足袋族」は何者か

こういうことがあった、拝観料に都では税金をかけられなかったのである
だから税金を都にも国にも払っていないのだから今度コロナウィルスで観光客が来ないからと給付金を政府で出してくれというのはあまりにも虫がよすぎるとなる
白足袋族というのも京都の強力な利権団体だったのである
だからあらゆるものが利権団体化すると社会を歪めるのである

本来の仕事はなになのか?本来すべきものが何なのか見えなくなる
ただ利権だけを金だけを追及するようになるからだ
それは原発事故でも起きた、漁業権でも本来は資源を守るものだったけど手厚い補償金を東電からもらう団体と化していたのである
それだけではない、そういう本来の仕事を目的があるとしても利権団体化して歪められるのである

お寺が持続化給付金と引き換えに失うもの

ここでは税金をまねがれていたが政府からの給付金をもらうことは今度は宗教法人でも団体でも税金をかけられてもしかたがないとなる
なぜなら拝観料でも税金をとるなと京都府に抗議してそれが認められたからだ
だからこそ今回給付金を払えないとなったのである
それで給付金を払いというのは法律的にも理屈に合わない身勝手なのである



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2020年05月28日

コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由 (原発事故も生態系を破壊して住めなくさせたのは自然の逆襲だった)


コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由

(原発事故も生態系を破壊して住めなくさせたのは自然の逆襲だった)

流行の背景にあるのは、人間による野生動物の世界の撹乱です。アフリカ、中南米、中国の奥地など未開の地において、土地開発や農耕地の拡大による自然破壊、動物の乱獲、密猟、売買などが繰り返されることによって、自然界に埋もれていたウイルスと人間が接触するチャンスが必然的に増えてしまいました。

江戸時代もまた、地域ごとに最も適応度の高い社会を作り、経済を分散させることによって全体の適応度を上げていました。ところが、いま世界中で進行しているのは、地方分散型社会とは真逆の、画一化としてのグローバル化社会です。

コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由

コロナウィルスで変わる世界 (生態系を無視して人は生きていけない)


人間の生活は生態系を基にして成り立っている、その生態系というとき人間はもともと一地域で自給自足でまかなっていた
村が単位の経済だったのである、江戸時代がまさにそうだし実際は明治になってもその延長だった、だから子供の時本当に自給自足の江戸時代の生活だったのである
水道も電気もない生活である、水は井戸でありまた燃料は炭であり薪でありトイレは外のトイレであり農家の人がくみ取りして肥料にしていた
そしてその土地土地にとれるものでおよそまかなっていた
交通が発達していないから運ぶにしても馬車とかなると運べないからである

この運ぶというき鉄道ができたとき確かに運ぶことが飛躍的に発達した
福島県ではもともと小名浜から船で運んでいたのが常磐炭田ができて蒸気機関車で東京まで運ぶようになった、その他網の目のように森林鉄道がはりめぐらされて木材とか石材とかを東京に運んだのである
つまり運ぶという時主に東京にこの辺では運んだのである
そして何か外から運ばれるものがまれだった、地方では地方でとれるもので地産地消していたのである

運ぶといっても海でとれた魚を運ぶだけで苦労である、短い距離でも運ぶのは労力なのである、自動車などないからである
だから魚を売るということから行商が始まったということがある
松川浦の魚を売る人がいたからである
運ぶという時どうしても海を交通路にして運ぶということが楽である、もちろん海は危険だったか陸を運ぶとなると自動車も鉄道もないと海を運んだ方が楽である
だから北前船が日本海を通じて運んだのである
明治になり鉄道ができて運ぶのは不便となり廃れたのである
運ぶということは簡単にできない、江戸時代なら余計にできないから自給自足になったのである、それで隣の村とさえ交渉がない、隣から麦踏みの若者が大蛇だったとかの伝説が残る、つまり隣の村でもそれは得たいの知れない人になっていたのである

そういう社会だったら人は交わらないからウィルスは広がらないとなる
それでもウィルスは広がり大きな被害があった、その時医学も発達しないから被害が大きくなった
とにかく人間の生活がある一定の地域に限定されて住んで他と交わらないというのが長い間歴史的にそうなっていた
日本人は外国のように陸続きでないから海に閉ざされていたから外国とも交わらない
特殊な環境にあった、大陸の歴史は民族の激烈な抗争でありその侵入を防ぐことができないのである、だからこそ万里の長城が作られたのである
今回のコロナウィルスでも大陸ではヨ−ロッパでも陸続きでありロシアにもたちまち拡散したとか陸続きになると侵入を抑えられないのだ
だからグロ−バル化は今回はコロナウィルスをたちまち拡散させたのである

人間は生きることに最も大事なのは本当は生態系である
その生態系でもその土地土地が一つのミクロコスモスの生態系として完結している
その生態系の基本となるのは空気と水と土と森林とかである
そこが基本としてありそれが損なわれると生きることもできなくなる
現実に原発事故では空気も水も土も森林も放射性物質に汚染されて住めなくなったのである、それだけ甚大な被害が生まれたのである
原発がミクロコスモスを破壊したのである

ではコロナウィルスとは何なのか?これも生態系を動物とか生きている場所に人間が無防備に入りこんだからだときされている、その動物からウィルスが人間にうつされたからである、つまり生態系の破壊なのである動物は地域地域の中の生態系で生きる
技術もないから自然状態では生態系を変えることはできないからその狭い生態系に適応して生きている、それでそのウィルスがでてもその外に広がらないようになっていた
コレラでもインドの風土病でありそれが人に感染してもその地域から広がらないものだったが人が移動することによって広がった

人間は生態系を破壊するというとき原発でもその一地域の生態系を破壊すると空気でも水でも土でも汚染されて住めなくなる、今でも放射性物質の廃棄場にその汚染物質が積まれている
コロナウィルスと原発事故を比べて考察してきたが何か共通性があった
自然破壊は生態系の破壊でありコロナウィルスでもそうした人間の暴力的な自然の侵入と関係していたからである
そこで自然から逆襲されたということにもなる
ミクロコスモスというときそこで生物が生きる基盤であり人間でもそうだったのである
空気と水と土がないと人間は生きていけないからである

ところが東京のような大都会になると生態系を感じない、生態系から遊離して一千万人もの人間が生きるようになった、ただ原発で感じたのは空気が汚染されたことである
でも水でも水源が放射性物質で汚染されることがありその水が危険になる場合があった
そして食料でも外国から入るからいいとかなりその土地の日本の風土の生態系を意識しなく何ていたのである
でも今回のように外国から食料を運べないとなると日本の地方に食料を依存するほかないのである

つまり運ぶ技術がこれだけ発達しても食料でも外国から入らなくなる
そうすると近くから日本国内から運ぶことになる、でもまたコロナウィルスではそうして運ぶことも危険になった、そうなると日本国内からも食料も運べないともなる
それだけ遠くと結びく経済はいいようでもその弱点と危険性を自覚したのである
だから人間は生態系とか国々の風土を無視してはありえない存在である
その土地土地に生態系に動植物のように適応するのがまさに自然だとなる
それを無視した結果としてのグロ−バル化とか広域化経済には無理があった

何かスーパーで大きなタマネギ十個くらいが150円とかで売られていた
それは何か安物でまずいものだから売られていると思い買わなかった
別にそうでもなかった、佐賀県でとれたものが大量にとれて廃棄するようになったからそんなに易く出回ったとなる、東北で九州のタマネギが入ってくる
それは今は当たり前にしても何か不自然なものを感じた
何か過剰にある地域で一種類の野菜が大量に作られているからそうなる
それは全国に売るためであり運ぶ交通が発達したからそうなったのである
だから日本でも世界でも運ぶ交通の発達がそういうふうにある場所で一種類の野菜でも大量に作るとなる                                                     

それでコーヒーばかり作っていたらコーヒーが安くなったりして食べることもできなくなったとか後進国であった、そこではいろいろな野菜を食料を作っていた
でもコーヒーだけを作っていたら安くなったり売れなくなったら他の食料がなくなって飢え死にするともなる、それは江戸時代の東北で起きた
米ばかり作っていた所で起きた、米は江戸に送る商品作物となっていて米を作りすぎていたのである、だから米が冷害とかでとれなくなったら他のものが食料がなく飢え死にしたとかなる、これもグロ−バル経済とかで広域経済で起きる

つまりタマネギが大量に作られて捨てるくらいになる、キャベツとかでもキャベツ農家がキャベツがとれすぎて安くなるからと捨てたことがあったからだ
何かこういうことは不自然なのである、その不自然なことは自然から復讐されるともなるもちろん一地域ですべてをまかなうことはできない、それがグロ−バル経済でも広域社会でも度を越したものとなっていた
そうなると金の力が大きくなる、遠くからそうしたこ食料でも買うということは金が必要になるからだ

そうして金だけが頼りになったのは土地をもてなかったユダヤ人でありそれで金融が発達したとなる、それが今のグロ−バル金融社会を作ったものともされる
そうなると金が万能になる、それで原発事故以後補償金をもらうことがこの辺では目的化してその補償金を基にして他に移り住むちようになり故郷は放置されて復興できなくなったのである
金さえあれば別に便利な場所に住んだ方がいいからである
そういうふうに移動社会になるとそうなる、一億円もらえば前ら故郷を出て都会に出たいという人が多いからだ、それで仙台市に移り住んだ人がこの辺でも多いのである

何か原発事故でもコロナウィルスでも人間の生活が自然に則らない、不自然なものになって自然から復讐されたのではないか?
人間にはそもそもそういう宿命があった、人間は自然を破壊するように宿命づけられていたからである、グロ−バル化とはグロ−バルに地球環境を破壊することに通じていたからである、だから逆に自然からコロナウィルスでも復讐されたとなる 



佐賀のタマネギ農家に打撃 外食自粛、給食中止で価格大幅下落 出荷量全国2位 

これもコロナウィルスでタマネギが売れなくなり余ってこうなった

東北地方の気候は米の栽培には向いていなかったため、米以外の作物もつくられていましたが、江戸期に米の増産を強いられて水田の割合をふやした結果、天候不順がすぐに飢饉をまねく体質となっていました。 

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2020年05月23日

NHKの「福島の経済と暮らし」で放送 (相馬の水産業のコロナウィルスの影響ーその人は近くの人だった)


NHKの「福島の経済と暮らし」で放送

(相馬の水産業のコロナウィルスの影響ーその人は近くの人だった)

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震災から回復していた、でもコロナウィルスでまた減ったのはショック

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こういう食堂は濃厚接触になるから営業できなくなった


この放送ですぐ近くの人が映っていたので驚いた
松川浦の魚の仲卸業であり主に飲食店とか旅館とかに魚を卸す仕事をしていた
それはわかっていたがテレビに映ったので注目した

コロナウィルスで魚が売れないという時、東京の新宿の食堂で福島産の魚を食べるのを写していた、東京で自粛があり食堂などが閉鎖されたので売れなくなった
何か飲食業に卸している人がいる、それは農業でもそうなのである
それでコロナウィルスの影響があった
飲食業とかホテルとか観光業が一番影響があった

ただ原発事故で海が汚染されたけど漁業関係者は生活に困ることはない、特に船主は困らない、原発事故前も以後も補償金をもらっているからだ
これは前から書いてきた、その補償は手厚いのである
だからこれもおかしいと追求して来た

そしてやはり漁業関係者が津波で家なくして近くに家を建てた、だからこの辺では漁業関係で仕事している人がそれなりにいる、前は小高の人が松川浦の魚を売りにきていたのである
今回の魚の仲卸の人は漁業組合とは関係ない、補償がない
魚をとったものを売る商売だからである、だから三分の一とかなると苦しいとなる
回復しないというのもその商売をつづけられるのか?
その人は一つの会社として経営していた
事務の女性もいたからそれなりの収入がないとつづけられないともなる

ただ魚の需要はある、でも観光とか飲食業とか旅館でもホテルでもそれが回復しないからそう言ったのか?
売り上げが三分の一に減ったら苦しいだろう

何か田舎で何の仕事しているかわからないようになっている
この辺は原発事故以後に大熊とか双葉とか浪江とかから移住してきた人が多いから余計にそうなった、だから新しい街が三つくらいできた感じにもなる
今でもまだ建売の家が建っている

ともかくコロナウィルスの影響が身近にあった一例である
前はすぐ近くの人が東京のライブハウスに行って感染したというときも驚いた

新宿の食堂では淡路産の何かと陸奥産と磐城産とかメニューが全国的豊富である
何かそれを見てうらやましくなった、かえって地方はメニューが限られている
どうしても外食するからうらやまく見たのである
東京だとさらに食べ物だと金があれば外国のものでもなんでもあらゆる料理を楽しむことはできる
そこが都会の利点だとはなる、自分の住んでいる地区は弁当さえ売っていないからだ

とにかく食事にはこまる、いろいろなものを使うからめんどうすぎるのである
それでステーホームで三食用意するのが大変だと学校が休校になり母親が嘆くのもわかる
給食の方がいいとなるのだ

posted by 老鶯 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月22日

コロナウィルスで変わる世界 (生態系を無視して人は生きていけない)


コロナウィルスで変わる世界

(生態系を無視して人は生きていけない)



風土病に対する一般的な認識と同様です

すなわち、感染症の発生地域の人間・動物・植物には、何らかの耐性があるのに対して、遠く離れた地域の生物には免疫がないとするものです。

かつてのペストのように、元々はアジアの病気であったものがヨーロッパやアメリカに広ると、被害がより大きくなる傾向があります。

グロ−バル科学技術文明の批判 (生態系を破壊してコロナウィルスでも世界的災禍となる)


文明は滅び生態系は残る (原子力文明は生態系を破壊し滅びる)


人間は生物の一種である、その制約を受ける、その地域に風土に適合して生きざるをえない、その土地に合った食料がありその地域にあった暮らしをする
それが文化なのである
コロナウィルスでもウィルスは風土病だというときその土地に発生した病気でありそれはその土地だけに広まり世界に広まることはなかった
コレラでも江戸時代なら長崎から広まったのはそこが外国の玄関口となっていたからである
港からウィルスが入り安いから水際作戦が大事になる

人間は大航海時代からヨ−ロッパ中心の世界になった、ヨ−ロッパの侵略を受けてきた
アメリカにヨ−ロッパから人が入ったときその原住民のインデアンとか南米のインカとかメキシコのアステカとか古代文明人にウィルスがもたらされて大量に原住民が死んだ
それが呆気なく征服された原因だと見直されている
それだけウィルスの影響が大きかったのである、それは今回のコロナウィルスで証明された、社会を自体を世界を変えるような働きを目の当たりにしたからだ

大航海時代からヨ−ロッパ人が世界を席巻して侵略して征服した
それはいい面と悪い面をもたらした、悪い面は世界が交わることはかえって対立を産み出して戦争になった、第一次第二次世界大戦となり大量の人が死んだ
日本でも3百万人が死んだ、世界が交わることがいいように見えてそれが戦争になったのである、その惨禍はあまりにも悲惨だった
その負の面の大きさは何だったのだろうと世界史をふりかえる

例えばなぜ江戸時代三百年は日本が鎖国していても中国とも朝鮮とも平和な関係を結んでいた、それが欧米の侵略で対立関係になり戦争にもなった
それはヨ−ロッパの侵略が原因していたのである
ヨ−ロッパの侵略に対抗するためにアジアを守るための戦争ともなったのである

国と国が交わる時、その土地土地の生態系から国は長い年月をかけて作られている
だからヨ−ロッパ人だと肉食するために特別の酵素がでる、日本人は穀物を主に食べるから腸が長くなるとか体質的にも違ったものとして作られてきた
おそらく風土病というときまさにその風土から生まれた病気だとなる
だから世界が交わらなければその一地域の風土病として終わっていた
つまり世界に広まることはなかったのである

現代のようにグロ−バル化したとき世界中に瞬間的にも同時にウィルスも広まった
つまり悪いものも同時間で広まる、それを避けることができない
そして多国籍企業とかが世界を席巻する、それは国よりも大きな力をもち世界まで支配するようになる
そこでオラウータンの住んでいた広い森が破壊されてオランウータンが住めなくなったりする、そのことはそこに住んでいる人に影響する、森を破壊することはその土地の生態系を破壊することだからである
一地域は生態系に依存して住んできたからである

生態系とは空気とか水とか土と森林とか生物の基本的ベースとなる環境である
その環境が破壊されたら人は住めなくなる
それで原発事故が起きた周辺では空気も水も土も森林も海も放射性物質で汚染されて住めなくなったのである
東電とか原発はそうした一地域の生態系を根こそぎ破壊したのである
それだけ技術力が巨大化して簡単に一地域の生態系を破壊できる力を企業とか多国籍企業とかがもつようになったのである
東電は一地域の生態系を破壊した、それは世界でもそういうことが起きている、大企業がアフリカであれどこであれ未開の地に富を求めて進出する、するとそこに住んでいた原住民の生活が破壊されるのである、生態系を破壊するから住めなくもなる

江戸時代は生態系に依存して国内でも村ごとに自給自足の生活であり貿易があったとしても小規模であり基本的に村ごとの自給自足だったのである
隣の村人とすら交わらない、隣村すら異国でありそこの人は異人になっていたのである
確かに世界的交わることのいい面はある、でもそれが極限に達して限界になっていた
中国人が大量にインパウンドで日本に来る、それはまるで侵略だったのである
現実に北海道は中国領になるのかとまで見えたり京都は京都でもなくなる
外国人が押し寄せて悲鳴をあげていたのである

もちろん外国の文化とかにふれることは悪いことではない、そこで異文化と他国との理解が深まる、ただそれも限度だったのである、なぜならそのために自国の文化すら生態系でも環境も破壊されることになる、中国人があれだけの数がいると日本近海の魚でもとりにくる、魚がとりつくされるという恐怖にもなる
いなごの大群がおしよせて食い荒らすような恐怖になる
でも江戸時代三百年はそういう恐怖はなかったのである
中国側にすれば日本が戦争しかけてきたとか殺戮されたとか責める
それはもともとヨ−ロッパの侵略に対抗するためにそうなった一面があった
その元凶ヨ−ロッパのアジア侵略にあった、それに唯一対抗したのが日本だったのであるだから中国と日本の対立というより世界史的視野で見なければならない
現実に今度は米中対立となり戦争にもなるとなっているからである

だから何かこのコロナウィルスの不思議はそうした大航海時代からのヨ−ロッパの侵略やアメリカの世界支配を見直すものとなった
つまり世界が交わるグロ−バル経済とかの負の面が増大していたのである
もう限界に達していたのである、それはそれぞれの土地で長い時間でその風土に生態系に育んだ生活文化でも破壊するからである
その技術とかの巨大さが簡単に一地域の生態系でも破壊する
すると技術をなんでもいいものとして受け入れることも危険になる
何らか技術の制約とかまた巨大化する多国籍企業とか大企業とかを制約することが必要になる

つまりこれからは制約の時代になる

地理的に風土的に制約されない世界がグロ−バル社会だった、でもコロナウィルスであらゆる面で制約される社会になる、それがすべて悪い方に向くとはならない
人間とは何か制約されて生きる、その制約された中で文化を育む、アイディンティティを作ってゆく、それが人間本来の姿だとなる、なにか現代文明の制約なき社会はかえってアブノーマルであり異常だったのである
だからニューノーマルな新しい生活様式というときやはり基本は生態系を基本にしたものに帰らねばならない、復帰する復古するという傾向になる
国風文化の時代になる、日本の歴史は奈良時代は中国の文化をとりいれた、その時漢字を取り入れた、唐風文化の時代でありその後に平安時代になり宮廷の女御がかなを発明して国風文化になった、次に鎌倉時代になり武士の時代になった        

その時貴族の仏教から武士の仏教となり庶民の仏教となった、その後信長がでて安土桃山時代となりキリスト教も一時的に入り外来文化と日本文化の融合が起きた
戦国時代が終わると鎖国の江戸時代となりまた国風文化の時代になった
そして明治維新になり西欧化した、次にアメリカに負けてアメリカ化して次はまた江戸時代への復古が起こり国風文化の時代になる
そういうサイクルが日本の歴史にはあった
その時ちょうどコロナウィルスが世界に蔓延したというのも不思議である
コロナウィルスでこれだけの変化をもたらしていることが驚きである
人間だけの力では世界は変えられないことを見せつけられたのである




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2020年05月21日

黒川検事長は朝日新聞社員と産経新聞記者と賭けマージャンをしていた


黒川検事長は朝日新聞社員と産経新聞記者と賭けマージャンをしていた 


黒川検事長は今月1日と13日に緊急事態宣言が続く中、朝日新聞社員と産経新聞記者と賭けマージャンをしていたと『週刊文春デジタル』で報じられていた。

黒川弘務が懲戒免職まっしぐら!3密賭けマージャンで完全詰み状態

これも原発事故で起きたこととにてたいる、丁度福島原発が爆発したときマスコミの幹部が中国に招待されていたのである
それも右左関係ない、産経新聞でも朝日新聞でも招待されていたのである
こういう人たちがどうして原発の原子力村の「安全神話」に疑問すらさしはさまないことがわかる、つまりなぜなら「安全神話」に加担したのがマスコミだったからである
マスコミは権力と癒着しやすいのである
マスコミは報道は権力におもねるとしたら公正な報道ができない

なぜマスコミが堕落するのか?

それは権力とかかわりその権力にとりこまれるからである、そもそも権力とかかわるとき警察でも検察でも情報を得ること自体が権力におもねないと得られない
そして記者クラブとかがかえって権力のおかかえとなり権力者によって操作されるだけだとなる、そうしていれば楽だし利益の分配が受けられるからである

それからなぜマスコミが堕落するのかというとそもそもマスコミでも報道することに莫大な金がかかっていた、新聞をみればわかる、いちいち新聞を配るだけでその費用を大きすぎる、するとその金を工面するのにどうするのかとなりとても自力でまかなうことができない、それで宣伝費でまかなうとなる、その宣伝費でも会社から払ってもらうのだから
どうしても宣伝費を払う会社に忖度してその会社の悪があっても目をつぶるとなる

それげ福島民報などは創価の聖教新聞を刷っている、そうしたらそうした団体の悪口を言えないのである、そういうことは東電でもそうである、電事連から800億円の宣伝費が出ていた

原発再稼働政策を推し進める安倍政権と歩調を合わせるように、電力業界は広告費を増やし、再びマスコミを“カネ”で漬け込んで“原発タブー”を作り出しているのだ。

この電事連には右も左でも共産党でも組合員が入っているから強力である
第一電力無しで今の社会は成り立たない、電力で働く人も多いしまた電力を使う社会なのだからそうなる
だからこそ莫大な宣伝費がマスコミに支払われる、それで批判を封じることができる
つまり金でマスコミでも報道でも買われるとなる
福島県にも政経福島とか財界福島とか雑誌があっても一か月一回くらいだしてそれが賄えるのか?出版になると金がかかるからだ
だからなんらか会社とか他にも援助がないと出せないように思う
そこで何か必ずそうして金を出してくれる会社でも忖度するようになる
政経東北には渡部恒三がかかわっていたようだ
福島原発の推進のボスだった人である、だからそういう方面からも何か援助があったのかとなる

そしてマスコミの特徴としてマスコミ自体が一つの利益を共有する組織ともなっている
なぜなら他社を批判しないルールみたいなものがある
むしろ他社と競って真実を明らかにするようになった方がいいのである
でも互いに批判しないからみんな一様であり真実が見えないのである
かえって赤旗であり創価の聖教新聞であれそれが偏っていてもそういう党派のものとして見るからいいとなる
福島民報はあと半分は県で出資しているとなると官報と同じたとなる
そうなると真実を知らせることはありえないのである
でもマスコミの問題はテレビ局でもはNHKでも中立で公正を装っているから問題なのである、他社の記事でも互いに批判しないからかえって真実が見えなくなっている

それでなぜ福島原発が爆発したとき全マスコミの幹部が中国に東電に接待されていたのか?それは東電の宣伝費が大きいからである
それはほとんどのマスコミが報道がそうだったのである
創価関係の潮とか第三文明とかは全マスコミの二番目くらいに宣伝していて宣伝費をもらっていたのである
第一そこで雑誌を出す最初の仕事は宣伝費をもらうために会社に行くことである
そうなると東電が最も宣伝費を払うのだからお得様になり原発の原子力村の「安全神話」を支える強力なシンパとなる
それは朝日新聞でもそうでありみんなそうだったのである
福島県の報道関係でも全部そうである、だから「安全神話」を支えるものとしてあり
真実は県民に知らされなかった 

ともかく権力と癒着することは避けられない、何か情報を聞き出すにしても権力者が情報をもっているのだから記者はマスコミでも独自に調査できないのである
また権力と権力が癒着しやすい、検察と政治家が時の政権と癒着しやすいのである
今回はそれが露骨に現れた事件だった
マスコミでも報道が大事になるのは民主主義では何か知らされなければわからないとなるからだ、とすると知らされないのだから判断しようもない

それで福島原発でもそうだった、科学者の一団が十数メートルの津波が来る!

このことを自分は知らなかった、そもそも原発に関心がなかった
30キロ離れているし関係ないと思っていたのである
でもこのことを強く大々的に報道していたら違っていた
そんな津波来たらどうなるんだと注意するようになるし調べる人もでてくる

今になってそのことを知っていて科学者が警告していたのに東電は安全を計ることを怠ったから責任があるとされたのである、津波だけの原因ではない
十数メートルの津波が来るとして備えをしなかったとして裁判でも認められたのである
別にこのことは隠蔽する必要もなかった、かえってもし大々的に報道されて警告されていたら津波に警戒して助かった人もいた
すると東電に感謝されていたともなる

とにかく権力と報道でも癒着しやすい、第一権力がないものが取材すらできない
一ブロガーなど相手にされないだろう
ただインタ−ネットで一億総記者にもなった、今度はyoutubeで個々人がテレビ局にもなった、すると六局で独占したテレビ局でもマスコミでも対等化され水平化される
飛びぬけて力を持っていたマスコミの力がそがれるともなる
でも取材力となるとインタ−ネットでは力が劣る
だから何らか権力を監視するものが必要である
それで三権分立となった、権力を分散して監視する、行政を監視するのが検察だとなる

その検察を監視するのは何なのか? 

検察を監視するのはマスコミとか国民世論しかないというのが問題なのである
なぜなら東電にはこうした権力者が天下り先としてあった
検察でも警察でも自衛隊でも海上保安庁とかの官僚の天下り先となっていたのである
こうなっていたとても監視することはできない
だから権力の暴走をとめることができなくなる、そうしてその結果として国民が関係ないようで必ず誰かが責任をとらされる、戦争では暴走して300百万人が死んだように原発事故では故郷に住めなくなったように必ず誰かが責任をとらされるのである
でも東電の幹部は一人も責任をとっていない、政府でもそうである
だからこういいう構造自体がシステムを直さない限り同じことが起きる
それでまた電事連とかで宣伝費を増やして原発を推進しようとしている
まあれだけの事故が起きてもたりずにそうしているのである

おそらくそういうシステムとかを批判しても個々人のモラルの低下があり正せない
記者魂とかあったというときそうなのだろう、何か日本人自体魂(たましい)が喪失したそれは戦争に負けて大和魂も喪失した
何かうしろに魂がつくときそこに命を駆けるうなものが生まれる
職業倫理が日本では・・・魂だとなる、ただ利だけを追及するのではない
魂(たましい)を追及するのだとなるからだ
日本人は戦争に負けてその魂がぬかれたのかもしれない、ただ利益を求めるだけとなったそれは上らか下まで全部そうなのである、金になればいいしかない、その他のことは考慮しなくなったのである
金のために魂を売る、それが普通の状態でありそれに疑問すら感じないのである
そうしていると原発事故になって故郷にすら住めなくなったのである
だから上から下まで腐って日本自体が滅びに向かっているともなる

報道を考える時をどうしたら公正になれるのか?

金がかかりすぎる報道だとできない、インタ−ネットとかだと無料でもできる
ただ取材とかなるとむずかしくなる、だから何らか組織が必要になる
それも大きくなると金がかかりまかなえないのである
奇妙なのは公正になるには権勢家でもかかわらないことだとなる
どうしてもそこで忖度するらようになるからだ
それで引きこもりの隠者が向いているとかなるのも奇妙である
そういう人は人とかかわらないしかえって公正に見られるとなる
なぜなら人間は誰でも交際すると情実が生じやすい、そこで忖度するようになる
この問題でも権力者と記者の間で親しくなりすぎるとどうしても情実が生れて
秘密の情報でももれやいからである 

ただ引きこもりとか隠者になっていては社会をのこともわからなくなる
それも問題なのである、そのことは自分自身だった、ただ人間関係からはどうしても情実が生まれやすい
そこで必ず忖度するようになり不公正になる、だから検察とかは特定の人と記者でもあまり親しくなると今回の様な問題が起きるから戒めねばならないとなる

タダで情報を得るということは、事実上、タダ働きしている人がいるということだ。そんなビジネスモデルではジャーナリズムは維持できない。

このようにジャーナリズムを担う人が必要である、それが誰になるのか?
権力を監視するためには結局権力が必要になる、その権力をマスコミに与えられていたがそれで不公平になった、マスコミがかえって第3の権力となり社会を歪めた
その本来の使命を果たさなくなった、それは朝日新聞が戦争をあおったりマスコミが歪めることが多かった、今は新聞よりテレビ局が社会を歪める
それでyoutubeが生まれたがこれが権力を監視したりできるのか?
それだけの力を持つことができるのか?それにも無理がある
第一では権力者の取材ができるかとなるとできないからだ
常に陰謀論ばかり語られる、直接取材できないから陰で推測だけだともなってしまう
結局権力を監視するには権力が必要でありまた権力を与えると堕落するとなる
それで権力は絶対的に腐敗するとなるジレンマになる
そこに人間の限界があるともなる、人間を裁くとき人間に限界があるからだ
だから公正な裁きはシオンにより成されるとなる

民をさばく主権者はあくまでも神です。その「さばき」は「義と公正をもって」なされます

この世ではいくら三権分立で公正を実行しようとしてもできない、システムをいくら作ってもできない、そこに抜け穴があり不公平がある
それを実行できるのは神しかないとなる
人が人を裁けない、裁くなというときそれだけ裁くことは人智を越えているためである
人の心をみる神だけが裁けるとなるからだ
だから法の番人でも最高権力者の検事でも裁かれる方にもなる
裁く者が裁かれる者になるのである





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2020年05月20日

大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価 (若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂吉村知事のコロナウィルス対策の評価

(若いから機敏に対応できた?ー緊急事態の対応は至難である)


大坂知事がコロナウィルス対策で評価されている、早めに手を打ち先を見たという

それができたのはななぜなのか?

40才という若さなのか?弁護士出だとすると文系である、政治家だと阿部首相とか文系である、とするとウィルスのことをとっさにわかるだろうか?
それは知事だけの力ではない、回りのスタッフに専門家がいて適切なアドバイスがしてくれたからだとかとも言う、それもありだとしている

適切にアドバイスしてくれる人は大事!

これは言える、自分も家族が認知症になったとき何が何だかわからなかった、でもそういう緊急の時は身近に相談する人はいない
その時インタ−ネットでとっさに検索して読んだことが役に立った
何かお茶とか飲ませて落ち着かせろということと目を見て話せということが書いてあった
それでそれを即座に実行したのである
別に詳しく見たわけでない、時間がなかった、でもそのページを読んだことで即座に実行したら効果があった
つまり認知症について医者する知らない、かえって経験した人が知っている
でもそういう人が近くにいないのである、近くでアドバイスを受けられる所はなかったのである
そういうとき親身になって相談にのってくれる人はいないのであく

また大阪庶民は大阪人は義理人情に篤いとか大阪人はもともと東京のように地方かからの集まりではなくもともと住んだ人が多く団結心があるともいう
大坂は東京とにたようなものと思っていたが違うのかとなる
大阪人に何か好感をもてる、それで外国人でも受け入れる素地があり大阪が好きになることがわかる 

第一大阪弁からして親しみ安いのである
かえって情に篤いというとき東北人は情に篤いということもない、田舎が情に篤いなど今はないのである
むしろ何か隣人でも誰か不幸になることとそれを楽しむという傾向が強いのである
そういうことがかえって露骨に現れるのが田舎なのである
まず正直東北人はとっつきにくいし何か自分自身東北に住んで東北人は好きでない
地元に住んでいても人との対応が本当に悪いのである
原町の自転車屋では来るなと言われた、それは原町に住んでいないからである
他の人もそういわれたとある、そういうふうに客商売でも縄張りとかを守る
つまり東北人は商売人に向いていない、それで事業を起こした人も失敗した
事業を起こす経営者としても向いていない、youtubeの経営者向きのコンサルタントは
商売人の嫁をもらいというときそうである
事業には商売の要素が大きいからそうなる
その人は事業を起こす経営者になる前は一級の免許をもった技術者であり優秀だったのである、でも経営者になるとそこは違った世界になっていた
客を相手に商売するということがある、それで失敗した

つくづく東北人は商売に向いていない律儀な職人とか技術とか向いている
自分もそうである、何か学問とか芸術でも内面的なものに向いている
性格もあるが東北人気質となると政治家とか経営者とか何か商売のようなものに関係するのは向いていない、大阪人はもともと商売の土地でありそのあいさつが「もうかりまっか」となることでもわかる、それは東は江戸は政治であり西の大阪は商都として秀吉の時代から発展したからである
それから近江商人とかがいる、そこの出身の人と旅でであった、その人は外国で中国でもねぎるのがうまいのである、それを自分もまねてしたがかえって失敗したのである
その人だからできたことなのである、だからその資質はその土地の風土と歴史から生まれ育ったとなる、東北にはそういう歴史がないのである
ただ伊達政宗だけは例外なのである、なぜあのような人間が出たのが不思議である
ただ仙台が唯一江戸時代でも商人の町だったということが影響しているのかもしれない
それで方言で語尾にだっちゃ、だっちゃという、その響きが東北弁だとこの辺でもんだんだとなるが全然違った押しの強いものに感じる
んだんだというのは何か口籠もるような感覚になるからだ
それは山形弁とかでもそうであり東北弁に共通している、でも仙台弁だけは例外なのである

今回のコロナウィルスで大坂知事が評判が良かったのは何か若いということも関係していたのか?
こういう緊急の時、本当に機敏に対応できない、それは津浪とか原発事故で経験している何か大きな事は急激にやってくる、それに対応できないのである
それで南相馬市長でも知事でも緊急事態の対応が迫られたのである
国でもそうだが成すすべもなく対応できなかった
そもそも放射線のことなど事前に良く知らなかったからである
避難訓練もしていないしそういう放射線被害のことは歴史でも経験していないのである
それより肝心の支持すべき東電の幹部でも政府でも支持できなかったのである
だから浪江町では町長の独断で最も放射線量が高い津島に避難した
放射性物質がどう流れかもわからないからそうなった
そして東電が最初に事故のことを放射線量を計るスピーディがあったがそれを報告したのはアメリカだったのである

つまり日本は原発事故で何もできない、お手上げだった!

だから緊急事態が人間社会には必ず来る、それにどう対応していいのかわからない
それでただ右往左往するだけだとなる、そして被害を拡大するだけだともなる
だからコロナウィルスも緊急事態だけど対応が遅れた、中国人を入国禁止にすぐしなかったなど批判される
大坂吉村知事はすぐに対応したから評価される、そして株が上がったとなる
政治家とは緊急事態の対応力で評価されるのかもしれない、平時はその人の能力がわからない、でも緊急事態になるとその能力が発揮される
それが信長でもそうだし明治維新でもそうである
明治維新では若い人が活躍したのはそうした危機に若い人でないと対応できないからである、まず命をかける戦争もするとなると若い力がないとできないからだ
それで今回若い知事だから対応できたのかとなる

何かこういう時代が大きく変わる時若い人が活躍するようになるかもしれない
テレワークだって50代くらいの管理職は適応できずに無用化するとかなる
IT社会に適応できなくなる、つまり常に若い人はその時代の最先端を生きるから適応できるし新しい時代を作ることができる、時代に機敏に反応できるのである
ただ本当に津波でも原発事故でも突然襲われるものには対応するのがむずかしい
だからこそ判断が遅れて死ぬ人も多数いたのである
何か津波ではかえって老人がかえって多く死んだ、この辺では津波は来ないということが確信にもなっていた、だから老人は逃げずに死んだとなる、高齢者の割合が多かったからである

ただ今回はやはり運が関係していたのかもしれない、別に大阪だけではない、東京でも日本全国でなぜか日本は感染者が少ない、本当は検査しないとしても死者数が極端に少ないのである、それはなぜなのか?それは日本の特殊な事情でそうなっている
だから大坂知事だけが評価されるのではない、日本の特殊性があったからである
それが何なのかは不明である、ただ第二波の感染が来るから油断できない
だからコロナウィルスとの戦いが終わったわけではないしその後遺症も大きなものになったのである

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2020年05月15日

南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策 (観光業に鉄道も航空会社も打撃)


南相馬市でも飲食店と葬儀屋のコロナウィルス対策

(観光業に鉄道も航空会社も打撃)


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ホッキ御飯弁当はいいかもしれない、これはどこでも出していない


フローラで弁当配達する、二食で送料を無料にする、マルマツでも弁当を出している
カレー丼が400円で安いしうまかった
店で食べると1000円くらいかかる、それでも安いので600円とかになる
相馬市のまるまつでは魚のフライがうまいが原町では出していないのが残念
何か揚げ方違うと味も相当違う、相馬市のイオンの広い店の天丼がうまい
これも天ぷらの揚げ方が違っていてうまいのである
その揚げ方にプロの技が入っている、それは他でできないのである
料理もやはりプロとなると家庭料理では出せない味を出せるかが勝負になる
家庭での天ぷらは味がうまく出せないからである

今回のコロナウィルスで困ったのは飲食店である
日本の飲食店は狭い所が多い、そうするとどうしても客同士でも接し合うことが多くなるでもガストとかまるまつはそれなりに広いし仕切られているのもある
高見ホテルは一番広いからあそこはコロナウィルスでも入り安い
悠々と座れるからだ
でも外食は必ず飽きる、だから野菜をとるとしたら自分で買って食べるほかない
ただ何か料理は本当にめんどうである、いろいろな素材が使うのがめんどうなのである
第一買い物の段階から種類がありすぎてむずかしいのである
それでいつも冷蔵庫になにが入っているのか忘れるのである
だから本当はこれも専門家になる、専業主婦にでもならないかぎりできない
そこに時間をとられるすぎる、家事全般でもそうである
だから自分は暇なく何かをしているようになった、前は介護でそうだったが介護が終わっても家事全般の仕事はつづいている
でもなんとかプログを毎日書いている、これも手間でありだからコメンとがあっても対応できないのである
一日分を書くだけで後は余裕がないのである

ともかくこの辺でコロナウィルスの影響が出たのはまず飲食店であり次に葬儀会社なのがわかった
人が密集できないからそうなった、それで弁当の配達をするようになった
何か催し物の弁当も高いから出している、でも人は密集できないということは人か集まる行事ができないのである
そしてそれが長くつづくとなると影響が大きい、観光業で苦しい
それで星野リゾートとの会社では観光の見直してをしている
地元の人たちを呼び込む作戦にも変えている、外国人が来なくなるからそうである
観光の痛手も大きい、スーパーヒタチが東京まで3月から行くようになったが時期が悪かった
乗っていたのは一人しか見なかった、仙台から一人しか乗っていないのである  

それより飛行機は空港はがら空きである、外国には行けない、国内でも行かない
飛行機内は密閉された空間だし接触もするから鉄道よりウィルスには弱い
ただ常磐線だと仙台空港まで名取から直結した路線ができている
仙台からも直行できる、良く駅で伊丹空港から來る大阪の人とあったからである
つまり大阪までは新幹線では行かない、仙台空港から飛行機を利用するのである
だから空港と鉄道は密接に関係している、交通のネットワークなのである
それで成田空港は不便だった、どうしても鉄道で成田まで行くと一時間くらいかかるから東京で一泊することになる、それが問題だったのである
羽田ならその日に行ってまにあうこともあったとなるからだ
ただ朝が出発になるとやはり時間的には苦しいとなる
そうなったのは官僚の天下り先として成田が選ばれたという論評があった
すると成田騒動とはなんだったのだろうとなる
原発でもそうだが必ずこうして天下り先とか利権がかかわってくる
そのためにこの場合はかえって国民にとって不便なものとしたとなる

コロナウィルスの影響はこの交通にも大打撃だった、自粛が解除されても県をまたいで
移動するなというのもそうである
いくら解除されても怖いのは東京から人が移動してくることである
これが避けられない、茨城県でも解除されると福島県も入り安くなる
だから何か関所が必要だったとなり見直されたのも不思議だとなる
関所のようにすぐに境界を閉鎖できる国とか地域は伝染を防ぐことができたとなる
それは遠く離れた島国のニュージランドとか台湾とかアイスランドが成功したことでもわかる
そこは地理的に隔離されていたし台湾にしても中国と国交がないとかあって独自に対策をとることができたからである
江戸時代の末期のコレラ流行では会津若松中心に増えたが桧枝岐は感染者ゼロだった
そこは交通もないまさに秘境であったからである、人も物の交流もほとんどなかったからである

新しい生活様式を作り慣れろというけど簡単ではない、ただ何か東京圏中心の経済から
地方へ分散して生活する新しい生活様式となると悪いことばかりではない
テレワークなどが普及して地方の経済が活性化するチャンスだともしている
第一これは今までも東京は密集して限界だったのである
そして首都遷都もできなかった、この際思い切ってそういうことが実行できる
だから地方がチャンスだというのも悪いことばかりではないともなる

posted by 老鶯 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月12日

米中対立の時代で日本が危機になる (アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)


米中対立の時代で日本が危機になる

(アジアの地図の見方ー地図で錯覚される世界)

asiamap222.jpg 

この地図のように逆さまに見ると何か具体的に見えて来る
中国からの視点で見るのと日本から見る視点は違ってくる
この地図から見る錯覚が大きな誤解を生んでいる
人間はその住んでいる場所が基点となり日本がでも見ているからその視点となる場所で
見え方が違ってくる
韓国で東海というとき日本で陽の沈む方向だが韓国から見ると太陽の昇る方向になる
この相違は本当に全く違って感覚になる
日本から見たら日本海は太陽の沈む方向だからである
旅行するとこの方向がわからなくなるのだ
海洋民にとって西が太陽の沈む方向である、でもなぜ海岸地帯が陽の沈む場所になっていたのか?
それを相馬市の日立木の日下石で津波が襲って海になったとき感じた
太陽が海から上り海岸地帯に輝き沈んだからである
海からみるとそこは西になる、それで江西という地名がある
江西は縁(えにし)である、そこが海洋民が上陸した地点だとなるからだ
縁を結んだ場所となるからだ

縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? 

韓国側からみると出雲のある場所が意外と近いし結ばれている、そこで

昔、ヤツカミズオミツノノミコトが、出雲の国を見て、
「八雲立つ出雲の国は、細長い布のように小さく、
まだこれからの国だ。
どこからか国を引いてきてぬいつけなくては」 と思い立ちました。

海の向こうを見渡して、新羅という国を見てみると、国のあまりがあります。

そこで、大きなすきを手にとって、
大きな魚の身をさくように新羅の土地をぐさりと切りはなしました。

そこに、三つよりになった強い綱をかけ、
霜枯れたかづらを「くるや、くるや」とたぐり寄せるように、
また、河船を「もそろ、もそろ」と引くように、
「国来、国来」 と、言いながら、引き寄せました。

こういう神話があるのもさの逆さま地図から見れば納得する、つまり日本からばかりの地図を見ているとそれが頭脳に固定されてしまい本当の地勢が見えなくなるのだ

そして出雲地域から信州の長野県の諏訪湖がありそこを通って関東に出て陸奥に渡来人が渡ってきたことも納得する
つまりなぜ末続が島根県由来なのか出雲由来なのか地図から見るとわかる
出雲何か東北からすると遠いしつながりがないようでそうでもないことがわかる

だから歴史でもまず地理を知ることが大事なのである、なぜ会津が最初に国として「
会津の国をさ遠み・・・」となったのか?
その神話も古いし大塚山古墳に三角神獣鏡が東北で唯一埋蔵されていたのか?
それは日本海が古代でも最初に開けて航路が開発されていた
それは秋田とか青森まで進出していたことは阿部氏でわかる

この逆さま地図をみると現代でも台湾が重要な国なことがわかる

台湾になぜ中国はこだわるのか?

地図をみれば一目瞭然である、台湾を支配下に置けフィリンピンも支配しやすくなる
南沙諸島に中国が空軍の基地を作ればベトナムでも東南アジアを支配できる
そして意外なのか済州島なのである
それが日本と結びついている、済州島の漢拏山(ハルラサン、かんなさん)山を仰いだとき、この山を中心にして中国、韓国、日本が視野に入り結ばれていると感じた
それは地理はその場に立たない限りわからない、その場に立った時、直感的にわかるのだ何か済州島が地理的に要の島であり榛名山に上ればそこで韓国と中国と日本を展望できるそれは直感的にわかる、ただ地図を見ただけではわからないのである
だからいかに地理を知ることが大事か何でもそうなる、国際情勢を知るのもそうである
台湾が要の島でありこれをゆずれないとアメリカでも重視するのはそれが要の島だからである、そこが中国側になるとそこから沖縄でもフィリピンでも支配されるからである
与那国島も台湾に近い、国境の島なのである  

すでに、中国の海空軍は対馬海峡を渡り、日本海に進出する訓練を繰り返している。今後は、済州島を含む朝鮮半島から容易に日本海に進出することが可能となろう。

 これにより中国は日本海側から日本の太平洋側の東京や政経中枢を攻撃できるようになる。新潟に大規模な中国領事館を作りたい気持ちがよく分かる。

済州島が意外と要の島となっているのだ、済州島から韓国で政争があったとき大阪に逃れた人たちが多いのもわかる 
   
 済州島民の蜂起に対して、韓国本土から鎮圧軍として陸軍が派遣されるにあたり、政府の方針に反抗した部隊による反乱が生じ(麗水・順天事件)、韓国本土でも戦闘が行われた。この混乱により済州島の住民を中心に、戦闘から逃れて日本へ渡る者が多数生じ、これが在日朝鮮・韓国人の先祖の多くを占めるともされる[                                                                                     
済州島では事件前(1948年)に28万人[12]いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる

   済州島四・三事件
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そして

なぜ日本軍はハワイに真珠湾攻撃したのだろうか?

これもやはり地理が関係している、ハワイを攻略すればアメリカに近づくし太平洋を制覇できる、ハワイは拠点になるからだ
ただその時は航空機は発達していない、日本では戦艦大和のように巨艦主義でありそれでアメリカが航空機では先をゆき、日本の零戦を破り空中戦で敗れて敗戦になったのであるただ日本はその時ハワイを攻略すればアメリカを抑えることができると思った
それは台湾ともにている、一見無謀にも見えたが地理的にそういう計画が生まれたともなる
なぜなら太平洋は広いし飛行機の時代の前ならそういう発想が生まれるからである
船で日本まで一か月もかかるとする時代だからそういうふうに地理でも見ていたともなる
つまり世界を知ること、日本でも知ることは地理が基礎なのである
それで自分の場合、日本は隈なく旅した、外国も二十か国は旅した
ただ外国の場合は広すぎてまだまた行けない場所が残った、アフリカとか南米とかは行っていないからだ
ただナイル川をくだってアフリカ人にスーダンのヌビア人とあったのは貴重だった

いづれにしろ米中対立が深刻化してくる、その時日本はどうするのか?
どっちつかずにはありえいのである、その時熾烈な日本での分断が生じるかもしれない
明治維新の時

 碑によれば、しげは越後国三条の生れで、白河の旅籠坂田屋に抱えられていた。閏四月上旬に奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵(長州藩出身)が小峰城に入った際に世良と馴染みになったという。
 しかし世良は、白河は危険と察して白河を逃れた。その脱出を助けたと疑われたしげは、世良を敵視していた会津藩士に殺害されたという。享年二十二歳。法名を梅質貞顔信女と伝える。

こうして別にそうした争いを知らない者でも庶民でもは巻き込まれて殺されたりする
そういうことが米中対立で起きるかもしれない、日本が分断されたら起きる
なぜなら日本が敗戦でアメリカとロシアに二分割支配される計画があったからである
ただ不可解なの親中派に自民党でも二階堂派とかいるし公明党は創価はもともと親中派でありそれが二階堂派と結びついたのかとなる
十万給付も公明党と協同したことでもわかる、創価には外務省に力をもっている
それで池田大作の外遊を外務省が援助したことがある
佐藤優とかが外務省でありそのために創価と深い関係にある
だから自民党でも実際はアメリカと中国派に分かれているのだ
それが米中対立激化した時、自民党も分裂して二分化する,そうならざるをえないのである
共産党も中国派だとすると奇妙なことは創価と自民党の中国派と共産党は連合するともなる、つまり中国派とアメリカ派に二分されるのである

コロナウィルス騒ぎで中国が軍事的に進出しているということでアメリカが怒っている
だからコロナウィルスが一段落したときアメリカが攻勢にでるという
米中冷戦はすでに始まっている、そして本格的な覇権争いがその後に開始される
その時日本はどっちつかずにはいられないのである
中立はあたえないのである、だから東日本震災以後、国際的にも日本は岐路に立たされる外憂内患になる、経済的にも苦しくなり日本は危機になる
だから戦争になったときのように危機の時代になる
それで様々な災難がふりかかっているのだ、日本は明治維新とか太平洋戦争のような苦難の時代に突入したともなる
それで何か団塊の世代は恵まれていた、平和な時代がつづいたからだ
経済的にも高度成長時代があり恵まれていたのである
でもこれからの時代は厳しい時代になる、何か9条が守ってくれるとかはならない
日本が自ら血を流して平和を守らねばならない時代にもなる
それが本格的な米中対立で起きて来る

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コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える (人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)

                                                        
コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える

(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


韓国と台湾を見ていると、共産党の一党独裁下で中国の習近平体制が進めた極めて統制色の強い対策がすべてではないと勇気づけられる。双方に共通の成功要因は、個人情報をビッグデータとしてスマートフォンを使って上手に収集したうえで、国民一人ひとりに迅速に必要な情報を提供してきた点だろう。


これは何を意味するのか?

やはり人間はガバナンスとか一体感とか統制するにはそれなりの規模でないとできない
韓国は大陸とつながっていても小国でありガバナンスしやすい、それでITの活用もうまくいった                                      

そして北朝鮮と国境が閉鎖されて出入りできない

このことがかえってコロナウィルスにはいい面として作用したのも皮肉である
もし北朝鮮と強固な国境がなかったら中国から大量の人間でも物資でも流入したからである、そして半島だから海にも囲まれているので外部から入りにくい
それはニカラグアという小国でも似たような地理だったのである
細長い半島であり回りは海に囲まれているし国境を閉鎖すれば入れない
それでいち早く国境を閉鎖しておさえた、それは韓国よりもっと小国であったからだ
国とも言えないような小国だったのである
台湾とかニュージランドでも感染拡大を阻止できたのは地理的条件であり小国だったからである、また海に囲まれていたということである
日本もまた海に囲まれていて地理的条件はにていても実際は大国である
だからガバナンスがうまくいくとはならない、でもなんらかコロナウィルスに強い条件が備わっていた、地理的条件も良かったともなる

そもそもアメリカとかヨ−ロッパでも大陸と陸続きであり国境があってもないと同じである、EUは国境がない、人でも物でも自由に出入りする
中国も巨大すぎて統制ができない、何かコロナウィルスを抑えたと言うが別な地域でまた感染者が増えるのは国が大きすぎて統制ができないからだ
今回のコロナウィルスでわかったことは人間には国には国境が必要だ
境界が必要だという時、市町村合併でさえそうだった、南相馬市では小高、原町、鹿島と合併したがそれが原発事故の補償金の分配などでもめた、利害の対立が生れて一体感がなくなった、つまりこんな狭い範囲でももともと境界がありその境界内で自治体があった、それが全国的に合併が実行されたときうまく自治体として機能しない面があった
きめこまかい行政もできなくなった、つまりガバナンスがうまく機能しない面が生れた
こんな狭い範囲でもそうならこれがグロ−バル化したときもうそこにはガバナンスも何もないのである
ただ貨幣が支配する非人間的な世界である、それで金融資本家が世界を支配するとか多国籍企業が世界を支配するとかなったのはそのためなのである、極端な格差社会になったのもそのためである
世界の富が極一部のものに集中したのである

そもそもなぜ万里の長城ができたのか? 

そんなもの途方もない無駄にも思える、でも人間には国境が必要だということを歴史的に示していたのである
国境は人間に不可欠なものとして生まれた、時代がそうさせたとかそんなも何の役にたったのかとか今なら見る、でも必要だったから生まれたのである
それでアメリカとメキシコでもアメリカが移民が入らないように壁を作る
それは万里の長城の再現なのである
また江戸時代に関所が多かったのも必要から生まれた
関所があればそこを閉鎖すれば他国のものが入ることはできない
ウィルスの伝染もそこで抑えることができる

だから今コロナウィルスで関所が必要なったことは歴史の繰り返しだとなる
交通が途絶えてしまったからである
何か20世紀までに人間は国境なき世界を目指してきた
それがグロ−バル経済でありそれで世界が歪んだものにかえってなった
それを是正するためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
国と国の交流というときそれぞれの風土や文化があり制限なく交わることは天の理とか地の理に反している
なぜならウィルスとは風土病でありその風土に生まれたもの、地理が限定されて他に広がらないものだったが世界と交流すると広まったからだ
コレラでもインドの一部の風土病だったのが世界と交流があり日本でも長崎とかの港から広まったのである                  

人間には本当は境界が必要なのである
境界とか国境とかは不便なもので取り払うべきだ、人間は自由に世界と交流すべきだというのがグロ−バル社会である、そこに落とし穴があった
第一人間の文化が育まれるのは実際は狭い地域である、日本は日本という島国でありそこで歴史と文化を作って来た、だから食生活から海産物主体とかなるのは当然だったのである、羊とか牛はいないし食べてもいないのである
また遊牧民の牧畜とか家畜を使わなかったからそこに根本的に違った文化が形成されたのである
奴隷とか宦官とか生れたのは牧畜とか家畜文化があり生まれた、人間が家畜のように見るからである,カースト制などでもそうである、そこには家畜文化があり動物をカースト制に入れる、つまり人間を家畜のように見ることがあるからだ

そのことはどれだけ深く動物と人間が交流している、動物と一体化した文化だったということである、それは宗教にも現れている
魚を殺して食べても何か罪の意識が生れない、でも動物を殺すことは罪の意識を感じるからだ
日本がでも狩猟時代があった、縄文時代はそうだった、でも後は動物をあまり殺していないのである、米が中心になり野菜と魚中心の食生活になったからだ
それで腸が長くなった、肉食中心の欧米人などは肉を消化する酵素がでるが日本人は出ない、すると体質的に肉食は本当は合わないとなる、それは風土によって体まで作られていたからである、今回のコロナウィルスの不思議は欧米人がなぜあんなに感染者が一挙に増えて死者が増えたのか、それが良くわからないのである

また日本人がこんなに死者でも少ないのはなぜなのか?

それが疑問なのである、ロシアでも増大している、大陸とかは広いから増大しやすい、感染をとめられないという地理的条件があることは確かである
つまり何でも地理が関係している、地理を知らないと人間のことも世界のことはわからないのである

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

この本には全面的に共感する

つまりグロ−バル経済の矛盾は全世界的に心あるものが感じていたことである
何かおかしい、こんな世界でいいのかと感じていた、でも貨幣が世界を席巻して支配して多国籍企業が世界を支配する、それがグロ−バリズムである
その矛盾が頂点に達していた、そこにコロナウィルスが起きたのである
ということはコロナウィルスが世界を変えるともなる
なぜならコロナウィルスの前と後で世界が変わるとしているからだ
それは悪いことばかりではない、全体的にグロ−バル化した世界から新たな地域に根ざした人間中心の社会をとりもどすことである
文化とはcutivateでありその土地土地に根差してcultureを作ることである
だからワインにしても土地土地によって味が違うし米でも酒でもそうである
グロ−バル化でもみんな同じ味になったら文化はないのである
コカ・コーラとかが世界に普及したりマグドナルドとか食生活を一様化することは文化ではないのである

コロナウィルスは世界を変える、だから不思議になる、世界を変えるというときとても人間の力だけでは変えられない、原発事故でも津波で崩壊して原子力村の悪を暴いた
コロナウィルスも自然の作用であり世界を変えるというこで人間社会は人間だけでは変えられない、それで中国では易姓革命の思想が生まれたのである
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2020年05月11日

東京にコロナウィルスに地震で地方に避難 (原発避難区域に移り住めそれがカルマ)


東京にコロナウィルスに地震で地方に避難

(原発避難区域に移り住めそれがカルマ)

今ニュースで東京に地震が起きて避難するようになから福島県でも用意しておけとか放送していた
でもコロナウィルスを伝染させるから困るとなる
避難する場所は密集するから伝染しやすいから拒否される
今でも〈東京の人は来るな)とてっていたからだ
観光地でもそうなったのである
何かこういうとき人間は協力する面もあるが分断する面もある

放射能がうつるとか東京の人に言われていじめにあったのも福島の人間だったからである今度はコロナウィルスがうつると拒否されたら深刻になる
もしかしたらそこで争いになる、移民が無理やり入ってきて争いになるのとにている
東京と地方の問題がもともとあってそれがコロナウィルスで顕著になったのである

常に地方は過疎地域でもそんなもの税金の無駄だとか批判されてきた
食料など外国から輸入すればいい、日本の田舎は地方は無駄だ、税金の無駄使いでしかないと言われてきたのである
そして東京人は原発は危険だから福島に作ったのである
東京圏は福島県とは遠からず近からずで影響が大きいのである
だからコロナウィルスでも宮城県についで福島県が感染者が多い
宮城県が多いのは仙台市が東北の中心都市だからである
その他は秋田県でも青森県でも少ない、岩手県は未だにゼロなのが不思議である
コロナウィルスは人口密集地帯の大都会から拡散しているからだ

こうして巨大化した東京圏が福島県の小高浪江双葉大熊地域をゴーストタウンにした
でも東京の人たちが何か地震とかあって避難するのならそこがいいとなる
なぜなら街自体が空家でありゴーストタウンになっているからだ
放射線の影響があるとしても浪江までそれほどではないから住める
それより東京の人がそこに住むべきだとなる、それがカルマだとなる
それでそこで町を復興させるようになる
そこでみんなが農業するわけではない、テレワークなどもある
何か技術をもっている人は仕事を作り出す、東京が離れていても仕事ができるとなる

人間は何かカルマがありカルマは責任でもありその責任を果たすことを要求される
だから地域的にもそうである、東京にはその責任があるとなる
なぜここだけがゴーストタウン化していなければならないのか?
東京の人たちが避難してきたらコロナウィルスのことは言わない
その代り地元に住んでもらう、それが復興になる
本当は流出した若い人たちが住むべきだがその人たちは故郷を捨てたのである
また親も捨てたのである、いづれそれもカルマとなって現れる時がくる

かならずいつかカルマはめぐってくる、苦しみとなってめぐってくる
それは個々人でもそうであり集団でもそうである、集団のカルマもいつか現れて苦しみとなる、地域でもカルマがありカルマを果たすことを要求される
ともかく何か今年から2年くらいの内にさらに大きな災害でも起きる
そういう予兆が現れている、そういう時期なのである

ただ人間は本当に自ら苦しみを受けない限り本気にならない
「なんとか助けてくれ」となったときもう恥も外聞もなくなり思い切ったことができる
だからさらなる大きな変動が起きる予感がする
それはすでに東日本大震災から原発事故から去年の水害からと災難つづきだったからである、その延長として大きな災害がカルマとして東京に起きる

それと何か人心の乱れとも関係している、日本の人心も相当に乱れてしまった
自然環境も破壊された、だからコロナウィルスでも一時的に空気をきれいにしたように
神からの作用かともみた、神から文明が粛清されたようにも見えたからである
文明の再構築を要求しているようにも見えたからである
そもそも全国でもそうだが耕作放棄地が原発事故の避難区域では多いというより街の回りは荒地になっているのだ
だから土地は空いているし町自体が空家化している、すると避難してもそういう場所に住めるともなるからだ

とにかく東京はもともと災害に弱い、ウィルスにも弱いことがわかった
だからこの際に集団で移住することも考えねばならない、そういう決断はやはりぎりぎりに追い詰められないとできないのである
だから首都遷都も盛んに言われたが実行されなかった
つまりそういう大きなことはとても何かぎりぎりに追い詰められなければ決断できないのである  

いづれにしろ人間にはカルマがありそれが苦しみとなって現れカルマを解消することを強いられる、その時苦しむのである、それが東京の人たちに課せられている
カルマを解消するために原発避難区域に住まざるを得なくなるともなる
東京はコロナウィルスでもそうだけど地方に分散しないと危険である、それは一時的なものではない、将来にも同じことが起きる、だから東京に密集して住みつづけることはもうできない、コロナウィルスはその警告でありもし東京脱出して地方に分散すれば命も助かるとなる
結局そうして生死がかかるような危機感をもたないかぎりそうした大きなことは決断できないのである

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2020年05月10日

科学の時代でも科学が無視される (マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


科学の時代でも科学が無視される

(マスコミの報道で真実が歪められるー武田邦彦氏の主張から)


現代は科学の時代である、科学技術なしではありえない社会である
だから科学技術者が一番重要な役割を果たしている
昔は預言者とか聖職者とか僧侶とかが力をもっていた
それは会津で8世紀とか早い時期に大きな寺院が建設された
それは病気を治すための加持祈祷のためである
ウィルスでもそうだけど科学技術が発達しなければ神仏に祈るほかないからだ
それでた村では様々な病気を直す地蔵がいて目が悪くなれば目を直す地蔵とか
腰が痛くなれば腰痛を直す地蔵とか耳が悪くなれば耳を直す地蔵とかに祈る
それしか方法がないからである 

江戸時代でも医者は仁術というとき医者は病気を治すことができない
するとやはり仁術ということは病気を治すというより慰めるということになる
そもそも直せない病気が多いからである
今のように病気は直せるものとして医者にも期待していないのである
今はみんな病気を治せるものとして医者にも科学技術者にも期待している
それはもう信仰なのである、医者を神様のように頼っているのである
そして医者は科学者は全能のように見ている、今直らなくても将来は必ず治ると期待されている

だから今一番無能化している役立たずと見られるのは宗教者である
仏教でも神道でも僧侶でも神主でもキリスト教の牧師でも何か現実社会で何に役立っているのかとみる、ただ戒名料を馬鹿高くとったり神主でも何を祈っているのか良くわからない
ただ賽銭だけはとっているとかなる
要するに宗教に何ら効能が認められないからである
その割合にしてはなぜこんなにカルト教団でも多いのか?
その理由は宗教は効能がなくなったけど利権団体化して政治団体化して力をもつ
それは創価だけではない、宗教者は宗教団体として組合化して税金をかけられないように宗教が違っていても協力していることでわかる  
利益第一主義であり集団化組織化すればみんなそうである
その利益のために一致団結している
そして何かしらそうした利権から利益から脱することができないのである
あらゆるもものがそうして組織化組合化集団化しているからである

なぜこうなったかというと宗教者が無能化したかというと科学技術の時代になったからである
科学者が医者でも神官であり聖職者になったのである
現代人が崇めるのは科学でありそれに通じたものである
政治家とかマスコミとかはそれに付随して利益を得ている、たいだいそこは文系なのである

だから原発事故でも東電の科学者が十数メートルの津波が来るからそれに備えろと進言していた
そして本当に津波が来たから驚きだった
でもそのことは「安全神話」が権力で作られていたから公にも知らされていない
第一マスコミが知らせないからである

つまり科学的に追求されたことは信用できる

だから科学者や技術者は信用できる

そうなっているのだがその通りには社会は進まない、社会は科学で追求されたことを無視する、それで武田邦彦氏がダイオシキンは無害だったのにマスコミが危険を騒ぎ過ぎた
そのために社会が歪められたとてマスコミを怒っている
科学的真理も社会によってこの時はマスコミによって歪められた
でもその反省もなく罰せられることもないとしてyoutubeで訴えている

ガリレオでもカトリックに科学者として追及して来たことを主張しつづけた
それで否定されても「地球はそれでも回っている」と言ったのである
現代社会は科学技術社会である、それなくしてはありえない社会である
だから武田邦彦氏はコロナウィルスでもこれは普通の風邪だから普通に過ごせばいいとしている、インフレインザと変わりないとしている
ではなぜマスコミでも政府でも経済が破綻するようなことまでしているのか?

そんな過剰を防衛をしているのか?

何か得があるのか?政府にあるとは思えない、原発では警察から検察から海上保安庁から天下り先として役得を得る利益があった
コロナウィルスでは一体誰が利益を得るのか?
政府も巨額の財政支出があり医者でも必ずしも得するとはなりえない
医師会に予算を回すとしてもそれほどの利益にはならない
医師会が検査を拒むのは利権にならないからだともしている

ただマスコミは危険を言うと視聴率があがる、すると宣伝費をコマーシャル代を会社からもらうから視聴率をあげることは利益になる
その利益のためコロナウィルスは日本ではさほどの危険がなく風邪と同じだとしているがそれではテレビを見る人が増えない
だから毎日何人感染者が増えたとか恐怖をあおっている
その手法はナチスのゲッベルスと同じだとしている
つまり何回も同じことを言いいつつげるとそれが真実に見えて来る
恐怖をあおることを何度も言っているとそれが本当に恐怖として洗脳されるのである
カルト教団も恐怖で洗脳するのとにている

人間に恐怖を与える、おびえさせる、それが効果的なのである
人間はそうした恐怖に敏感であり地震のことでも科学的ないにしろ実際はわからないのだから何か恐怖して注目するのである
だからマスコミはそうしして危険をあおり社会を歪めたから罰せられるべきだという武田邦彦氏の主張に共感する
なぜならこれまでは六局しか放送できなかったからである
その影響力はあまりにも大きかったからこそその責任も重大だったのである

でもマスコミはNHKでもそれだけ影響力がありメデアを独占していたのにその責任を自覚していない、だから技術を手に入れるものが誤ると核でも原発として甚大な被害になる
マスコミも放送する機械を道具を与えられたものとして責任を自覚すべきだがしない
それは大きな間違えを報道したとしても誰も責任をとらないからである
ただ原発事故でも誰も責任をとらなかった、政治家も官僚も東電も科学技術者も全マスコミも責任をとっていない
ただ必ず戦争でも3百万人死んだように責任はとらされる
原発事故で周辺の町がゴーストタウンになったように責任をとらされる  

だから報道にもマスコミにも責任をとらせるべきだとなる
なぜなら報道の権利と武器になるメデアを機械を道具を与えられたからである
権利を与えられたものには責任も課せられていたのである
でも一切責任をマスコミはとらないのである
コロナウィルスでも経済破綻するし自殺する人もでた
だからこの影響も大きいから経済をとめることも慎重にすべきである
ただインタ−ネットで個々人にもメデアが与えられたからある程度は報道の公平さがもたらされた、でもまだ依然としてマスコミの影響が大きい
でもテレビ自体がyoutube化するようになるとテレビの影響が大きくそがれる
とういのはそんなにいろいろなものを見れないからである
youtubeを見ているから最近テレビを見る時間が減ったからである

ただコロナウィルスは科学者にとっても医者にとっても未知である
それで対処できないということはわかる、でもその未知なことをいいことにマスコミが誇大に危険をあおり視聴率を稼ぐことは許されないのである
要するに社会は利権とか利益ばかりを追求すると本来の使命が失われる
マスコミでも事実を正確に報道してその判断は国民にまかせる
マスコミが判断して裁判官になり私刑にする、リンチするようなことをしているから問題なのである

また危険を言う学者が医者が選ばれて放送する、マスコミの意図は危険をあおりコロナウィルスで視聴率を稼ぎ宣伝費をくれる会社のために貢献するということでそうなる
その利益も巨額なのである、だから原発事故が起きたとき朝日新聞でもマスコミは全部中国に招待されていた、その時事故が起きたのも因縁だったのである

 原発事故で十数メートルの津波が来る!

こう警告していた科学者集団がいた、でもそれも無視された、利益を第一として原子力村の利権集団に無視されたのである、安全神話はどれほど強固に作られていたか?
これが報道されていたら津波の被害も少なかったかもしれない
なぜなら仙台から宮城県の海岸線は津波の警戒がなかった
それは400年前に津波があったとしても忘れていたからである
それで津波は来ないという確信までになって避難が遅れた、津波を甘く見ていたことがある
だからこの科学者の指摘したことをみんな衆知していれば頭にそのことがあり早く逃げたかもしれないのだ、でもそういう危機感がないから死ぬ人が多かったともなる

安全神話もそうして強固に作られていた、事故はありえないとしていたのである
それで地元の人たちでもそれを信じていたのである
それはとても崩せないものであり津波でしか崩せないものだったのである
民主主義とはそうした原子力村とか利権団体の主張を通すことである
だからそうした利権団体に入らない者は利益を得られないのであるその利益を得るために常に社会が歪められるのである
原発事故では漁業組合は利権団体となり事故前も事故後も利益を得ていた
それだけでない、農協とかでも利権団体でありあちゆるものが利権団体化している
その利権団体を調整するのが政治だともなる

でも公正さを報道とかに求めるとそうした利権団体に組み入れられるとできない
必ずその利権団体に票を得るからと忖度する
そしてテレビとか六局が独占していたがそうした公器を手に入れたマスコミが宣伝費で成り立つから宣伝費を出す会社に忖度する
それは原発事故でもわかった、電事連から800億円とかの宣伝費が出ていたのである
原発は金のなる木だからみんな群がったのである
だからこそその危険性は地元でもみんなによって無視されたのである

だから科学で追求した真理でも事実でもそれがその通りに社会に通用しない
隠蔽されたり科学の真理がそのままに報道されることもない
コロナウィルスでも複雑なのだけどそういうことがある
聖書が予言の書だというとき現代では預言者は科学技術者になった
それで津波を警告するというとき科学者は預言者と同じだとしている
コロナウィルスでもこれからどうなるのか?
それを予言するからである、でもそれが当たらないとしたら科学者の信頼は失墜するのである
預言者は神の言を伝える者であった、でも殺されたりしたのは必ずなんらか不興を買うものがあったためである
科学者でもいくら科学的に追求しても正確にその将来を未来を示すことはできない

つまり未来は神の掌中にある、人間は知ることはできないのである
だから人間の未来を握っているのは人間ではない、神なのである
なぜなら神は人間界でも地球でも滅ぼすことができるからだ
創ることもできるか滅ぼすこともできるのである
人間の未来を決めるのはAIでもなんでもない、神が決めることなのである
そういう権能をもっているのは神だけである
科学技術者でも限界があり実際すべてがわかるわけではないからである
だからこそ何かあるとこうして不明な未知のことが出てきて混乱するのである 

takedacolona1.jpg

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2020年05月08日

東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖 (福島原発事故でカルマを作った東京)


東京にコロナウィルスに地震頻発の恐怖

(福島原発事故でカルマを作った東京)


なぜ今東京が危険地帯となっているのか?

コロナウィルスでも東京から拡散する、南相馬市でも自分の住んでいるすぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染したのである
東京が危険なのは人口が多すぎるからである、その周辺の神奈川とか埼玉とかでも東京圏の人口が多すぎる、その影響が大きすぎる
そこで人の流れも止めることができない、それでコロナウィルスでも伝染するのが止めることができない、そのことは前から言われていた

そして福島に原発を作ったのも地理的なものだった、茨城県だと近すぎる、確かに東海に原発があっても実験用とかで規模が小さいが福島は大きすぎた
それで甚大な被害となった
福島県は東京から遠からず近からずという場所にありそれで東京圏ではないが疑似東京圏にもなっていたのだ
東京の影響が地理的に受けやすい場所にあったのである
それで経済的には東京の恩恵を受ける面があったが逆にまた原発のように被害を受ける面もあった、岩手県とか秋田県とか青森県になるとこうはならなかったのである
でも青森県でも核燃料貯蔵庫とかができているからかえって辺鄙な所に危険なものが作られることはあった

何かカルマというとき個人的にも家族的にもその場所であれカルマをかかえている
時間的にも空間的にもカルマがある、カルマとは繰り返すことであり自然災害も地震でもコロナウィルスがあったがこれも実際は百年前とかスペイン風邪とかで大被害が世界であったことなのである、だからまたカルマとして繰り返すとなる
カルマを意識するのは苦しみとなった時である
それは津波でもそうだった、それは余りにも凄惨なものでありこんなことが起きるのか?そうみて震撼としたがそれも過去に同じようなことが起きていたのである
相馬地域では400年前に700人溺死とありやはり起きていたが忘れていたのである
だからつくづく災害は忘れたころにやってくるとなっている
カルマは必ずめぐってくる、それは空間的にもそうなのである
世界で起きたことが関係ないようで日本にも起きて来る、カルマは空間的にも時間的にもめぐってくる

今なぜ東京が危険なのか?

何かそこにカルマがめぐるような状態になっている、東京はカルマを積んだのである
それは福島原発事故でカルマを積んだ、東京電力が福島に原発を作った時カルマの因を作ったのである
それで一時福島から放射性物質の汚染を恐れて東京に避難した人たちが放射能がうつるとかいじめられたとかあった
今度は東京の人たちが地方にコロナウィルスをうつすから来るなとち拒否された

放射性物質をうつすから福島の人は来るな!

コロナウィルスをうつすから東京から來るな、出るな!

これも何なのか?これもカルマではないか?そうして人にしたことが今度は我が身にふりかかってくる、それが個人的にもそうだし家族でもそうだし地域でもそうだしあらゆることにカルマが適応されるのである

東京が今地震が頻発して恐れている、東京は何か今の時期一番危険になっている
なぜならコロナウィルスと地震が重なったら阿鼻叫喚のようになる
コロナウィルスをうつすから東京から出るなとか地方から言われて今度は避難することもできなくなる、地方で受け入れないからである
地震が起きたら東京内でも密集するから避難場所もなくなる

東京から脱出したい、でも脱出もできない

その時東京がパニックになる、まさに生き地獄になる、東京にカルマがめぐり東京に今そういう危機が集中している
そしてカルマの解消は苦しまないと解消しないのである
それは個人的でも家族でも地域でもそうなのである
それは自分自身が死ぬような苦しみを受けた、介護とか自分の病気とかでそうだった
つまり死ぬような苦しみを受けないとカルマは解消しないのである
それだけのカルマを東京という地域が積んだのである
これは科学的でないにしろカルマには明らかに法則性がある
だから今東京がコロナウィルスとか地震とか一番危険になっているのだ

ではその他は安全なのか?

それもわからないにしろ福島は安全ではないか?、なぜなら津浪地震とか原発事故とかでその被害を受けてカルマを解消したと思えるからだ
ただ放射性物質はこの地に残り依然としてその後遺症が残りつづけている
人は住めなくなるゴーストタウンになったままの地域もある

だから不思議なのは

福島の原発周辺がゴーストタウンになった

コロナウィルスで日本でもゴーストタウンになった

世界中がゴーストタウンになった

これも何かカルマが関係してそうなったのかともみる、世界が村となったというとき距離に関係なく悪いことも広がるからである

ともかく何かこういう時不安がらせるということがある,マスコミは不安をあおっているという、視聴率のためにそうである

巨大地震が連続して起きた慶長時代とにている (東北と九州(熊本)に起こり今度は関東へ迫る恐怖)

ここにアクセスがそれなりにあったということは東京で危険を感じる人たちが多いからである
正直脅かすわけではないが、東京にはカルマがたまっている、それを一度出さないと治まらないのではないか?
そういう時期になっているのではないか?
だから東京を脱出する人が地震の無いところに移住しようとしている人が増えるのもわかる
かなり不安になっているからだ、そもそも東京は災害には弱い
あれだけ人が密集していること自体が危険なのである
それはコロナウィルスでもわかった、だからそうして警戒するのはわかる
つまり東京から人が地方へ分散する、それが日本の国土にとってもかえって東京と地方のバランスをとりもどす契機となる
あまりにも東京一極集中になりすぎたからその弊害が大きくなったからである

人間は危険を察知することが大事

人間は命が助かるためには危険をいち早く察知することである、それは津波で原発事故でもそうだった
危険を察知しないで甘く見ていた結果大被害になり多くの人が無惨に死んだ
だからソドム、ゴモラでもロトが危険を察知して脱出したことにより危機一髪助かったのである
でもその妻はその光景を見て石と化してしまった、それほど恐ろしい光景だったのである
だから東京が危険だと察知して脱出した人たちが命が助かるということがある
それだけそもそも東京は人が密集してビルが密集して危険なのである
逃れる場所もなくなるからだ




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2020年05月07日

小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況 (神がコロナウィルスをばらまいた?)


小川未明の「眠い町」の童話と似ているコロナウィルスの状況

(神がコロナウィルスをばらまいた?)


そこで少年は、袋の中なかから砂を取とり出だして、せっかく敷しいたレールの上うえに振ふりかけました。すると、見みるまに白く光ひかっていた鋼鉄のレールは真っ赤かにさびたように見みえたのでありました……。
 またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩あるいていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危く殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼かれは袋ふくろの砂なをつかむが早はやいか、車輪に投なげかけました。すると見みるまに車の運転は止とまってしまいました。で、群集は、この無礼な自動車を難なく押おさえることができました。

 またあるとき、ケーは土木工事をしているそばを通りかかりますと、多くの人足が疲かれて汗を流ながしていました。それを見みると気の毒になりましたから、彼は、ごくすこしばかりの砂を監督人の体にまきかけました。と、監督は、たちまちの間あいだに眠気をもよおし、
「さあ、みんなも、ちっと休やすむだ。」
といって、彼は、そこにある帽子を頭に当あてて日の光をさえぎりながら、ぐうぐうと寝ねこんでしまいました。
 ケーは、汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから、とうとう砂はなくなってしまいました。

コロナウィルスで起きたことも不思議である、この辺では津波とか原発事故とかがありこれも不思議であり恐ろしいものだった
このコロナウィルスで人間の活動が止まったことである
それも世界的に止まった、一番それを象徴していたのが空港とか鉄道とか交通関係が止まった
こんなに交通関係が停止するのを見たことがない、結果として交通事故が減り空気がきれいになった、それだけ人間の活動がもう限界に達していたのかもしれない
それで神がこの童話のように活動を止める砂をまいた
その砂とはコロナウィルスである、これをばらまいて人間の過剰化した活動を止めたとなる

だから何かこのコロナウィルスは何なのだろうと考えると不思議になる
本当にこの童話のように過剰化した人間の活動をとめるために砂をまく、すると人間の活動はとまり「眠い町」になる   

汽車に乗ったり、汽船に乗ったり、また鉄工場にいったりして、この砂をいたるところでまきましたから・・・

この時は飛行機はない、空港がなかった、車もあまりなかったがそれでも自動車は走っていたのである、何か今と比べるとその時代は牧歌的でさえあったともみる
東京でも百万とかであり市電が走っていたり何か今とはまるで違っていた
その時代こそ実は「眠い町」になっていたとなる、現代から比べるとそうである

とにかくは神が天から人間界を見下ろして「大気を汚すな、車でも多すぎる、煩さい、静にしろ、そんなに移動するな、もっと落ち着いて生活しろ、人口密集する大都会などに住むな広い田舎でソーシャルデスタントにフィズカルデスタントをとって静かに悠々と暮らせ」
東京のアパートかで騒音殺人が起きるのはフィズカルデスタンスがとれないからである
田舎でも市営住宅では隣に変な人がいてそれで悩まされている人を知っている
それは離れて住めないからである、常に隣に密着している、そして自分を見ているとなっているからだ
田舎は田舎で誰も見ていないようで見ている、窮屈さがある、でもフィズカルデスタンスがあり離れて住んでいる人が多いからそういう騒音問題は比較的起こりにくい、ただ密集して近接して人間が住めばそういうことはどこでも起きるのだ

何かそういうことを神が天から見て人間界にコロナウィルスをばらまいたのかもしれないそれが童話では魔法の砂だけどコロナウィルスがそれとにていたのである

原発にしてもなぜ津浪に襲われて爆発して人が住めなくなったのか?

それもなんらか神の関与があったのかとなる

そんな危険なものを作るな!

そういうことがあって神が津波を起こしたのかとまで思う
そして私が安全神話を作った権力集団、政府とか官僚とか科学者とかマスコミが一体化した利権集団を暴いたと追及して来た
何かこの世には人間だけがすべてを決めるのではない、神の関与がある
バベルの塔がなぜか単なる作り話ではない、事実に基づいていると感じるのはまさにそうである、人間は言葉が通じなくなるということは心が意志疎通がてきなくなることであるそれは何か原発事故でも起きた、人はみんなばらばらにされたからである
家族もばらばらになり自治体も補償金で争ったり世代でも若い世代は流出して老人だけが取り残されたりしてばらばらになったのである

だから何かコロナウィルスでもこれは一体何なのだろうとなると不可解になる
それは何かしら人間を越えた神の関与があってそうなったのかとも見る
つまり人間の活動が過剰化して限界に達していた、地球は人間の文明活動で大気を汚して大地も汚した、だからそれを戒めるためにコロナウィルスをばらまいたのかとなる

人間は生態系から離れて生活しえない、だから世界の大都会化はもう限度を越えていた
生物がそこで生きるということが不可能な状態になっていた
だからニューヨークとかが一番被害があった、もともと武漢風というように大都会から世界に広がったのである
だから一千万とかも密集して生活していること自体生物として限界でありそんな生活は続けられない、それでコロナウィルスをばらまいて人間を分散して生活させる
そういう働きがあったのかとなる

私の場合は常にこうした文明とか都会生活の逆に志向してきた、それで秘境を求めて来たのが自分だったのである
そうして大地とか森とか山とか岩石とかと精神的に一体化する、アイディンティティ化すること追及して来た
そういう文明否定をアウトサイダーはニーチェとか上野霄里氏とか他にも現代ではまともな人間ならそうなる、東京のような所に生きられ人は人間でもないとなるからだ
そこでもう生態系として生物として人間でありえない状態になっていたからである

いづれにしろどうしてもこの世に起きることはいくら科学が発達しても科学者が神のようになっても解明されていないのである
科学者が神のように何でも解明していると見ている、でも解明されていないのである
だからコロナウィルスというのもいろいろ言うがそれが何なのか解明されない、未知のものなのである、未知の侵入者なのである
つまりこの世には未知なものがまだまだあるし永遠にこの世界は解明できない
未知の世界である、全能の神のみがすべてを知っている
だから何らか神からの働きがこの世に人間界に起きる
それは不可解な不思議なものとして起きる
そういうことはなくならないのである、つまり絶対に人間はこの世のことを自然界を解明できないからである
だから科学者でも専門家でも何か解決してくれる、ワクチンができるとか言う
でもまた未知のウィルスが生れて同じ繰り返しになる

ではどうすればいいのか?神に祈って助かるのか?

実際は助かる道はそれしかない、なぜなら聖書ではノワの箱舟とかソドム、ゴムラから救出した、神に滅ぼされる前に救出した、つまりこの世が滅ぶことは定められている
しかし神の子とされたものは最後の日に救出されるからである
だからこれからも文明が滅びるような空恐ろしいことが起きる
人間は神に罰せられる、その一つがコロナウィルスであり未知の侵入者なのである

もはやこれだけ科学が発達したから未知なものはないということが傲慢なのである
人間はまだまだ未知の世界に生きている、その未知は永遠に解明されないのである
一つの未知が解決してもまた新たな未知が生まれる、そういう繰り返しであり科学者も実際は絶望しているのである
人間の限界を感じているのである

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2020年05月04日

コロナウィルスの感染者数は大都市圏から拡散 (地理と深い関係がある)


コロナウィルスの感染者数は大都市圏から拡散

(地理と深い関係がある)

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江戸時代の福島県の会津のコレラの伝染径路から考察した
すると会津若松中心に拡散した、そこが交通の要だからそうなった
意外だったのは田島の方へは会津若松の城のある所から拡散した
大内宿があり栃木県の方へ行く街道である、ここは深い山の道でありそれもかなり高い
不便な道である
一方新潟県からは日本海側から阿賀野川とか交通路があり北前船も通っていたから交通が頻繁だった、また白河街道でも会津若松に人と物流があった

そして桧枝岐(ひのえまた)はその時閉ざされた秘境になっていた
米も食べられず蕎麦が主食でありヤモリを焼いて燻製にしたりして貧しい地域だった
最近は尾瀬の観光の入り口として豊かになったのである
そんなところだからコレラは全く伝染しなかった
伝染病は交通が盛んな場所から必ず拡散してゆく
人から人へと伝染するのだから当然だとなる
桧枝岐は全く人の行き来がないのだから伝染しようがないのである

飛脚が運んだはやり風邪

こういうことが言われたのも飛脚は遠くへ移動するからである
人がウィルスを運ぶからである

感染者の数を見ても明確である、大都市圏から拡散してゆく
一時は青森とか秋田に感染者が出たので驚いたが秋田は仙台市から移動した人が感染させたのである、青森でも東京から移動した人が感染させたとかある
新幹線で今は行けるから拡散したのかと見た
でもその後は秋田とか青森は少ない、増えないのである
そして謎は岩手県だけが感染者が出ていないのが不思議である

このコロナウィルスの伝染地域を見ると何か地理で見ると大都市圏から拡散していることは明確である
名古屋からなぜ岐阜県などが多いのか?
それは名古屋から岐阜県の白川郷とかに通じしている、名古屋市から拡散するのである
名古屋市から白川郷まで自転車で行ったことがあるからだ

それからどうして石川県とか富山県とかに多いのか?
これもここは大坂と京都とかと交通があり結ばれている
大坂京都圏内に入るということで増えたのかともみる
つまりウィルスは交通と深く関係しているのである
今回は沖縄と北海道は別である、そこは中国人観光客が多く来た場所だからである

だから最初の内、なぜ茨城県に感染者が出ず増えないのかともみた
その後はやはり東京に近いのだから増えたのである

それは確実に地理から予測できた

どの地域に感染者が増えるかはウィルスは予測できる、安全な地域は大都市圏から離れた地域である

だからこそ

大都市をロックダウンする、都市封鎖する

これが必要であり外国ではそうしたのである
そしてニカラグアとか台湾とかニュージランドでは国自体を閉鎖したから伝染を防げたのである
もう大国はこの感染を防ぐことは不可能であった
ガバナンスもできない、それで関所があった江戸時代なら関所を閉ざして閉鎖して守ることができたとなる
それでも江戸時代でもコレラが蔓延したのである
だから関所となるとそんなもの不便だとなり効用がないとなってなくしたがそれなりの効用があった、ウィルスに関しては効用があったとなる

いづれにしろ社会を見る時必ず地理が関係してくる、地理を知らないと理解できないことが多いのである、外国が理解できないのは基本的に地理が理解できないからである
例えば福島県の地理を理解するだけで大変になる
福島県はハマ、ナカ、アイヅとありそこで風土も違っている、とても風土的地勢からして全く別な地域になっているからだ

例えば棚倉があるがあそこは水戸街道があり水戸と通じている
でもあの地域は古代ではヤマトタケルの伝説があるように蝦夷軍と大和王権軍が戦った場所である、だから古い場所なのである、つまりそこが蝦夷の地域に入る東北に入る入り口だったのである、白河の関所があるがそれより古い東北の入り口だった

ともかくウィルスの伝染は江戸時代のコレラでも交通と深く関係していたのである
だからグロ−バル化すると交通が発達すると瞬時にウィルスが世界中に広がった
つまりグロ−バル化と交通の発達がウィルスには弱かったのである
もう飛行機で同時間に結ばれているのだから発見したときは時遅しになり伝染がグロ−バルに拡散していた
それは情報が瞬時に同時間に世界を駆け巡ると同じである
マクルハーンの言うように世界が村となった、ウィルスでも情報でも瞬時に同時間にグロ−バルに拡散して感染するのである    

もう地理の障壁がインパウンドになっりバウンドがないからである
それがコロナウィルスでinbound⇒boundに逆行したのである
これも何か過度なグロ−バル化が世界で公害とかいろいろ問題が起こしているからその歯止のためなのかとも見る、神の働きなのかとも見てしまうのである
そもそもなぜウィルスが生まれたのか?
それを探ればboundしていた世界を破るinboundになりオーバーになった、限度を越えた
聖なるサンクチャリーでずかずかと入りすぎて本来の生態系を乱したからウィルスがそこから出てきて感染したともされるからだ

要するに人間にタブーというものがなくなったのである
あらゆることでタブーを破ることが文明だった、科学技術でもそうである
原子力で核を故意に破壊したりすることは危険だと科学者さえ言っていた
遺伝子操作も危険だとしてもそれも金儲けのためなら何でもするとかなる
経済が優先される、だからウィルスとは何なのか?
それは津浪と同じように自然作用であり自然を乱したものへの人間の攻撃なのかとまでなる
人間はいくら科学が発達しても未知なものがありそれは解明できない
神の領域というものがある、そこにかまわず侵入してゆく、そこに災いがもたらされるのである
posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月03日

コロナウィルスでダウンサイズ化する (江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)


コロナウィルスでダウンサイズ化する

(江戸時代への回帰かー社会の変化の対応が迫られる)

downsize1.jpg

コロナウィルスのキーワードとなるものがダウンサイズのような気がする
本当に驚くのはあらゆるものがダウンサイズする
交通を見て鉄道をみて驚くのは人が乗っていない、スーパーヒタチがせっかく今年になって運行されたのに乗客がほとんどない、だから鉄道好きだから写真をとった
でもその中に人が乗っていないのである
鉄道がこんなになるとは信じられないとなる
他でも空港もがらあきであり運休している
観光は大打撃である、観光公害までなり騒いでいたのが昨日のことだった
それがどこも観光地ががら空きになっている驚きである
一体これは何なのだろうとまた理解できなくなる
これはこの辺で原発事故でゴーストタウンになったことと似ている
新宿の歌舞伎町とかでも歓楽街でもゴーストタウンのようになっている

アフターコロナの世界がどうなるのか?

そのキーワードはダウンサイズという言葉である
あらゆるものがダウンサイズ化する、交通でもグロ−バル化だと世界に自由に行き来する拡散であり拡大である、それで世界からインパウンドとなり日本でも京都とかで観光公害になった、それが今ばったりとその人が一瞬にして消えたのだから驚く
インバウンドとはバウンドしていることを否定することである

境界,限界(内); 立ち入り許可区域.
限度,範囲; 境界線,限界.

このバウンドを否定してグロ−バル化したのが現代の世界だった
境界を破る、限度を越えるのがグロ−バル化である
地理的物理的バウンドを破る、越えることがグロ−バル化だったのである
コロナウィルスで起きたことはこの逆行である
バウンドを再び作ることなのである、ウィルスが入らないように境界を自ら作ることなのである、関所でも作ることなのである
そこで検査をして感染を防ぐことなのである
つまりバウンドを取り去ることからバウンドを再び作ることを強いられたのである

だから江戸時代の回帰なのとなるとき、江戸時代なら関所があり地域で自由に人でも物でも行き来できない、狭い範囲で自給自足の村で生活していたのである
それは経済的には貧しいものとなるがそれでも人間は生活して来た
もしかしたらそうした生活が本来の人間の生活でありグロ−バル化経済というのは異常なことだったとアウターコロナでふりかえることになるかもしれない

何か一番目に見えて現象が顕著なのが交通関係だからである
グロ−バル化広域化とは交通の発達があったからこそできた、鉄道であれ飛行機であれ自動車であれ交通の発達があってインパウンドが境界を越えることができたからだ
それができなくさせたのがコロナウィルスである
ただ交通に関しては自動車は依然として重要なインフラとして機能している
物流を支えるものとして自動車はより活用されている、ただ自動車にしても自粛となれば相当に減ってかえって空気が汚染されず大気汚染がなくなり空がきれいになったとなる
それだけグロ−バル化とか広域社会とかは交通に頼る社会だったからである

アフターコロナというとき前の社会には戻れないというとき、それは明らかに時代が変わる、ただそれがどういう社会なのかは急激に変わるからイメージできないのである
また対応もできないのである、つまり社会構造が変わるのだからその変化が余りにも劇的でありそれでイメージできないのである
戦後の焼野原のように茫然としてたたずむというまでにはなっていないにしろそうした急激な大きな変化には対応できないのが人間である

ただ津波とか原発事故を経験したからそういうことがあるのだとこの辺では意識しているただこうして日本全国とか世界同時に大変化するのとは違っていた
震災とか原発事故では局所的でありそれでその傷口を全国でカバーすれば回復するとなっていた、でも今回は全国であり世界的になると回復することは簡単にできないのである
だから新しい生活様式にしろとか新しい時代の社会を構築して適応しろとかいう
でもそれが何なのかもう一つ明確ではない、ただテレワークとかはその一つだろう
でもこれは前からそうしろと言われてきた、それがこの際現実化したということである

また鉄道にしても常に車社会になり乗る人が少ない、ローカル線はみな赤字だとかされていた、それがコロナウィルスでこうして鉄道はさらに利用しない
これも信じられない変化である、常磐線のスーパーヒタチは恰好いいので写真をとったが人が乗っていない
その写真をとった場所は実は津波で田んぼが草原化した場所である
だからこれもなんともいえぬ変化なのである

原発事故以後は常磐線は双葉とか大熊間不通になっていた
それで仙台が下がりで東京方面が上りとなっていたが仙台へ向かうことで上りという感覚になっていた、なぜなら東京は上りでも常磐線では東京に直接行けなくなっていたからだとにかく交通関係はもう鉄道でもバスでも飛行機でも利用者が激減した

これからどうなるのか?

これは簡単に回復しない、インパウンド⇒パウンド社会にもどる、それはあらゆる面でダウンサイズすることである
交通でもそうだし生活そのものが倹約とかになりリサイクルとか大量生産とか消費がなくなる、江戸時代のようなリサイクル時代の復帰となる
江戸時代にはならないにしろ感覚的にダウンサイズしたバウンドした縮小社会に戻るとういうことである
だから資本主義自体がすでに金余りで投資する先がなくなり銀行も用なくなるとかでつぶれとか言われた
それがさらに極端化してゆく社会になる
あらゆるものがダウンサイズする、芸能人とかスポーツとか何かエンタメとか興業でも
いらないとなる、三密だから危険だとしてできなくなる
何か無駄が省かれる社会になる、ならざるをえない、だから娯楽的なものは真っ先に切られとなる

そしてコロナウィルスで一番不利なのは東京とか大都会だった、そこは常に三密の世界でありそれか。さけられないからウィルスの蔓延を止めることができない
そしてその周辺に拡散してゆく、南相馬市でも東京のライブハウスに行った人から感染したからである
だから東京とかその周辺の人口過剰密集地帯は危険であり非難される場所となった
交通の発達でそこからの人の流れが止めることができないからである
コロナウィルスに強かったのは小国で隔離されたような国だった
ニュージランドとか台湾とかまたニカラグアは小国であり国境をいち早く閉鎖した
閉鎖できたから感染者を抑えることができた、つまりその地図をみると細長く回りが海であり閉鎖しやすい地形にあった
これがメキシコとか大きくなると国境自体長いのだから閉鎖できないのである

ともかくヨ−ロッパの中世だと内に籠もる闇黒時代と言われたし江戸時代でも鎖国でそうであるでもそこにもメリットがあった、日本はその狭い国土でも平地が少ない資源がない国土でも節約して工夫して自然を活かして生きてきたからである
江戸時代が実は日本の骨格を作ったとされる、日本が日本がになったのは江戸時代だと言われるからだ、江戸時代300年が日本を作ったとされるからだ

つまり日本は再び江戸時代ではないにしろ歴史が逆戻りする
それで前から国風文化の時代だと時分は主張してきて表現してきたのである
グロ−バル化も批判してきたのである
それがコロナウィルスでそういう時代に具体的に変化してゆくことまではイメージできなかった
人間はとても未来をイメージできない、世界は未来は誰も予測できないことが起きる
ある程度イメージしても実際の世界は驚くべきものでありそうなってみないとわからないこの辺でそれが津波とか原発事故で経験してきたのである

だから自粛でゴーストタウンになったことは経験している、見ているから同じことが起きたのかと見た、だから何かカルマというのはどこかで起きたことが別な場所でも起きる
地理的に制約がなくカルマとして起きて来るのかともみる
第一津波でもそうだか過去にもありただ忘れていただけなのである
伝染病でも実際は百年前に明治にもコレラが蔓延して苦しんだ   

  とりわけ長崎や横浜のようなコレラがひどい猛威をふるった場所では、住人10,000人に対し61人の死者が出て、致死率は80%にのぼった。
男性の患者数は女性の3倍に及んでいる(男性 10,214:女性 3,496)」
場所によっては致死率8割超え。「コロリ」とあだ名されたその恐ろしさが、決して大げさではなかったことを物語っています

江戸時代の末期と明治時代にコレラが猛威をふるった、どっちも十万人死んだ
人口が少ない時代だから割合としては多い
男性と女性の割合で女性が少ない、今回のコロナウィルスでもそうである
女性の割合はこの割合のように少ないのである
女性は強いというとき子孫を残させるために女性は弱いようでも病気の耐性が男性より強いのかもしれない、子孫を残し種を保存するために女性をウィルスに強くしているのかもしれない、それは神の働きとしてそうなっているのかとなる 

とにかくアフターコロナのキーワードはダウンサイズである、それは交通でもそうだしあらゆるところで起きて来る、そうしなければ生きていけなくなる
だから江戸時代の逆行現象が起きて来る、大量生産消費とかではない
あらそるもののダウンサイズであり無駄を省き自国にあるものを活かして生きる社会である、もちろん外国と貿易がなくなるということではない
でも現実に外国から食料すら入らなくなるかもしれない、バナナすらそうらしい
自国優先になり食料でも自給自足の方向に向かうほかないからである

・・・・・・・・・・・


高齢化社会の価値観 (高度成長時代の価値観は終わる―節約の時代に)


前に60万人死んだとか書いたが実際は江戸時代のコレラでも十万にであり明治でも十万人だった、
でも人口比からすると多くなる


posted by 老鶯 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年05月02日

多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


多すぎる大学(コロナウィルスで淘汰されても仕方がないのか―文系と理系の問題)


782校で私立大学は603校です

河合塾が出しているBF大学だけ見ても500校以上。日東駒専の偏差値以下と定義していますので520校ぐらいは行くのではないでしょうか?

私立大学には助成金が支払われます。平成30年では支払われたのでしょうか?

答えは平成30年度で約2727億円です*2。大学によって支払われるお金は違いますが平均して約45億円貰っています。有名大学のことを考慮しても1000億はFランク大学に支払われているのではないでしょうか?

1000億だとして、このお金でどれだけの本当に学びたい学生に投資できるのでしょうか?Fランク大学で遊び呆けている大学生より有意義に使うと思いますし、優秀になると思いますよ?

では、私立大学が何のために助成金を使っているか想像できますか?

学びたい学生や教授の研究設備の増強ですか?遊びたい学生用の設備の増強ですか?それとも、経営者の私腹の為ですか?

多分、Fランク大学になるほど後者だと思うんですけどね。実際、官僚等の役人の天下り先に私立大学がありますし

以上のことからFランク大学はこれからの日本にとっても邪魔でしかならないと考えています

大学というときどうしても理系と文系との差が大きすぎることである
理系のFランでも文系の上位の慶応とか早稲田とか国立でも何か優秀に思える
この差は数学ができるかできないかで最初に生まれている
要するに数学の能力というのが実は能力のバロメーターになっていると思う
だいたい学習能力は数学でつまづいている、数学嫌いか好きかで別れる
だからFランの理系だと最低の数学の素養がないとそもそも授業にもついていけないだろう
たから文系の自分は文系自体がみんな同じように見える
ただもしかしたら経済学があるとしてそこに統計分析がありそこで数学を使う、微分積分などを使うとするとそこに理系の知識が必要になりそれができるとなれば文系であっても理系の知識をこなせるとなれば違ったものとなる
つまり理系の知識があってこそ評価されるとなる

自衛隊とかでも理系が多い、有名な髭の隊長の国会議員は化学部隊だから理系だったのである、自衛隊は様々な機械を使うし技術系だから理系なのである
だからコロナウィルスでも専門家として発言している
社会に出たとき社会を構成しているのは理系と文系がある
原発事故でわかったことは東電の専門家集団は理系である、放射線とか原子力のこと核を知っているのは理系である
だから事故が起きたとき理系の専門家がまず発言する
ただ御用学者は低放射線は体にいいも発言して顰蹙をかった

そして文系となると政治家であり官僚でありマスコミとかなる
こういう人たちは文系であり科学的知識に欠けている、それはコロナウィルスでも同じだったのである
まずコロナウィルスでも感染学の専門家が意見を言う、それに政治家が従うという構図は原発事故とにていたのである
専門家会議が開かれてその意見を聞く、ただ判断して決めるのは政治家なのである
だから専門知識がない文系の人が判断するということで疑問になる

でも専門家が科学技術者がすべてを判断できるのか?

それができない、科学が技術がすべてを決することはできない、そこに社会があり生身の人間が生きているからだ
経済でもそこに生身の人間が生きている、物として経済的単位として数字としてすべて扱うわけにはいない

だから30キロ内で区切りゴーストタウンにしたのか?

そのことが疑問になる、そこに何か科学的根拠があったのかとなると定かではない
ただ便宜的に30キロ内は補償する、後は政府ではしないとして決めた
それで30キロ内は10年過ぎても医療費が無料なのである
でも30キロをはずれたら鹿島区は同じ南相馬市でも

半年で医療費無料は打ち切られた!

これは別に放射線量とかで科学的判断したのではない、政府では便宜的に30キロで線引きして後は補償しないためにそうしただけなのである
これは理不尽なのだけど南相馬市の市政では何の対策もしていなかった
なぜなら原町区と小高区で30キロ内で補償金をもらえばいいとなったからである
ただまた20キロでも区切られていたし伊達市とか他でも放射線量で補償金の差がありもめたのである

それは科学的根拠とは関係なかった、政治的判断だった!

このようにすべてが科学で判断されないのである、それでも地球は回っているという
ガリレオの言はカトリックの司祭が権力をもっていた、宗教と政治が一体化して権力をもっていたから科学的真理であっても否定されたのである

つまりこうして宗教的でも政治でもその判断は文系がしているとなる
第一大学というときそれは仏教なら僧侶集団から生まれたしキリスト教団からイスラムでも神学が基本として生まれた、だからもともと文系から始まったのが大学なのである
そこに医学が組み入れられた、医学というのは仏教でも最初は医学がその中にあった
なぜならそもそも人間は感染病でも病気に悩まされてきたからである
それが深刻だから当然宗教でも医学が起きる、ただ祈るだけではだめだと薬草とかを飲ませるようになるからである
会津でなぜあれだけ古代から仏教が盛んになったかというと病気を治すために寺が建立されたのである、つまりもともと様々な病気と宗教は結びついていた
病気になったら祈るほかないとになっていたからだ
それで腰が痛いとか耳が悪いとか目が悪いとか何か体が悪くなるとその悪い病気に効く地蔵に祈っていたのである

ともかく大学というとき文系大学がいらないというとき科学社会になったからである
科学技術の効用があうまりにも大きくなったためである
すべてが科学技術で計られるから科学者が技術者が神官となりかつての宗教者の威光は仏教でもキリスト教でも失ったのである
第一イタリアでは牧師でもコロナウィルスに感染して死んでいるからだ
神に祈っていたらそんなことにならないともなるからだ
するともしコロナウィルスのワクチンを作り直すとなるとその人がそんな牧師とか僧侶より神の如く崇められるのである、現実になぜ医者がこれほど尊敬されているのかをみればわかる、病気を治してくれるからそれだけ尊敬されるのである
何か牧師とか僧侶は役立たずの無駄飯喰らいのようにしか今は見られないのである
ただ何か訳の分からないお経を唱えているだけだとなる
でももしそのお経を唱えて病気を直せば今の医者のように崇められるのである

いづれにしろ理系と文系の問題はコロナウィルスでも起きている
専門家からすればもっと警戒して自粛する、経済活動を止めているべきだとなる
ただ一方でこのままではもたない、倒産する会社も増えて失業してそのために自殺する人が増える、そうなるとコロナウィルスで死ぬ人と自殺とか経済的活動をきめたために苦しむ人を計りにかけたら経済活動を再開すべきだとなる
それは外国ですでに起きている、つまり専門家の意見があっても政治家が経済活動を再開するように踏み切るべきだとなる
それは政治家の判断であり専門家の判断ではないのである
だから何でも科学技術社会でも理系の論理がすべて決めることではない

最終的判断をするのは誰なのか?

専門家なのか、政治家なのか?

結局政治家だとなる、その政治家は文系なのである、阿部首相は成蹊大学だからである
そして民主党の時、菅首相は東工大であり理系であり原発事故の時陣頭指揮をとったが
それが成功したとはならなかった、現場を混乱させたとかとも言われる
まだ鳩山由紀夫は東大の理系であり宇宙人として揶揄されて何か政治家として評価されなかった、でも民主党のときトップが理系だったのである
だから必ずしもトップが指導者にふさわしいともならない
経営者でも理系でも必ずしも指導力が発揮できていないのである

結局理系でも原子核とか細胞の一つを仔細に探求するのと社会そのものを見るのとは相当に違っている、だから必ずしも原子核がわかっていてもコロナウィルスがわかるとしても社会の問題として解決することはまた違っていてそれは文系の分野だともなる
ただこれは理系文系に別れる問題ではなく総合的な問題としてある
でもどう判断するかはむずかしい

人命を優先すべきだ⇒コロナウィルスに感染しないことを第一とする

         ⇒経済活動を再開して自殺者を出さない
         
どっちも人命を優先することに変わりないのである、コロナウィルス対策で自粛をつづける、
経済活動を停止させているとそのために死ぬ人もでてくるからだ
その判断をどうするのか?それは理系だけではなできない、それは原発事故でも起きた
放射線の被害をあまりにも恐れるためにゴーストタウンにしてもう回復しないようしたからである、それは科学者が専門家がそうさせたのである
ただそこには根拠があるから従わざる得なかった
しかし自治体の村の歴史とかアイディンティティの場を失った被害も余りにも大きかったのであるそれはコロナウィルスでもその判断が迫られている

どっちを優先するのか?

ゴーストタウンにするよりは経済活動を止めて大量の失業者を出して社会が混乱して
治安も悪くなりその被害の方が大きくなることの方が問題ともなる
だからもう一か月が限度でありそれ以上をつづけたら経済でも死んで社会自体が維持できなくなりコロナウィルスで死ぬより経済の死で死ぬ人でも社会自体がゴーストタウンになる恐怖の方が怖いのである

第一原発事故のように手厚い補償はできないから路頭に迷う人も出てくるからだ
原発事故では本当に手厚い補償金が出たから何とか収めることができたからだ
今回はそうはいかない、国全体が混乱して犠牲者が出て外国のように暴動でも起きる
失業者が行き場をなくして犯罪者になってアナキーのような状態になる
戦争状態のようになるかもしれない、その時安定している上級国民にも及んでくる
米騒動のように襲われるようにもなるから怖いのである
ただこういうふうに社会が混乱する時、下剋上のようになり下のものが這い上がり上の者の富を奪って成り上がったりする

ペストではかえって下級階層が上流階級が死んだのでその富を労せずして得たのである
それて豪華な貴族の衣服を着たりしていたという、土地だって無料で手に入ったということである何かそういう逆転が起きてくるかもしれない
時代が大きく変化するとき上下が逆転したりするからである
不要不急というけどコロナウィルスで力をもつようになるのは戦後の焼野原と同じように農家だいうのもそうである、食料が一番大事になるからである
そういう逆転が大きな変化がコロナウィルスで起きるのか、それで新しい社会がまた生まれるのか、それだけの影響がコロナウィルスにあったとしたら驚きだったとなる

何かいろいろな問題が噴出している、大学をアルバイトの収入がなくなりつづけられずやめるとか言う学生もででいる、2割くらいでている、それだけ大学でも数が多いからである、そもそもFラン級の大学に奨学金で借金して入ること自体おかしなことである
国立の理系ならわかるがそんな価値がFラン級大学にあるのかとなるからだ
コロナウィルスの不思議は何か無駄なものが淘汰してゆく、飲食点とか風俗とか歓楽街とかは密になる場だから避けられるしつぶれた方がいいというのもそうである
そんなものなくてなっても社会は維持できるとかなる
社会にとって不可欠なものは何かをコロナウィルスによって決められる、無駄なものはこの際、淘汰すべきだとなる、それがFランとかあまりに増えた文系の私立大学なのである
自分もそうだったからあまり言いたくないがそういう者でも社会に効用があるとは思うがやはり余りにも増えすぎたということである

自分の時はFラン大学はなかった、日東駒専が最低クラスだったろう
それに自分も入っていたのである、でも自分の時代は第一大学に入る人が中学だとクラスだと50人いて5名くらだから少なかった、後は中卒で集団就職の時代だったのである
その後大学が300くらいから800までに増えて半分が大学に入る時代になったのである
その差も大きいのである、だから小学校の学力もない学生もいるとかなる
ただ自分も高校でも卒業できないような学力だったからきついことは言えないのである
自分の場合は大学を出てから相当に勉強した、もともと自分は自ら考える傾向があった
それで暗記だけの教育にはなじめなかった

学ぶとは何なのか?

考える力を身につけることである

これは思考脳とかyoutubeで言う人がいたがまさにそれである
自ら考えることのために学問がある、自ら考えない人間は理系でも文系でもその人は誰かの支配者でも奴隷になるのである
宗教でもカルト団体でも奴隷にされるのである、オウムでは理系の優秀な人が道を誤ったのはなぜなのか?

自ら考える力がなかったからである

そのことが人生を無駄にして死刑になりあえなくその才能も活かされず死んだのである
そのことは肝に銘ずべきだとなる

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2020年05月01日

コロナウィルスが起きた原因 (グローバル経済で統制ができないからー経済と人間の乖離)


コロナウィルスが起きた原因

(グローバル経済で統制ができないからー経済と人間の乖離)


コロナウィルスが同時間に世界に拡散したのはグロ−バルに世界が結ばれるようになったからである
それを象徴していたのがいろいろ研究者に言われるから定かではない
でも最初中国人が入ってきてそれで日本人が免疫ができたとかその後に欧米から人が入ってきて感染者が増えた、そして日本人が感染しているのは変異したヨ−ロッパ型とういのも複雑である
それがいかにグロ−バル化しているかを物語っている
世界がもう瞬時に交わる世界になるとそのように拡散する
だからグロ−バル社会はウィルスには本当に弱いものだったことが判明した

これが一時代前だったらそんなに世界に拡散しない、ヨ−ロッパのペストにしても三分の一が死んだとしても世界的には広がらない
今なら世界にたちまち広がる、そうなると空恐ろしいとなる
ペストでもヨ−ロッパ内に留められたのである
今までなら世界中に広がることはなかなかありえない、ただ江戸末期にコレラは日本にも広がり70万人死んだとかある
その時代でも伝染病は世界に広がるものをもっていた
ただ世界中が同時に瞬時に広がるということはありえなかった

コロナウィルスに強かったのは小国である、台湾とか香港とかニュージランドとかまた今のところわからないがスエーデンでも免疫をつけるようにして普通に経済活動をしているこれらの小国がこうしてウィルスの封じ込めに成功したというときなぜなのか?
それは小国であり台湾とかニュージランドは島国である
すると水際作戦とかを徹底するとかできた、つまり小国なるがゆえに統制できる
社会のガバナンスが統治がしやすいのである
これがアメリカとか中国とかになるともう国が大きすぎて統治できなくなる
ヨ−ロッパでもEUという一つの国境なき連合国となりアメリカのようになるとき統治しにくくなる、それでヨ−ロッパとアメリカはたちまち拡散したのである          
日本は比較的まだ広がらないのは良くわからないにしても島国でありそれで防げているのかともなる、ただ日本は島国でも一億以上あるから他の小国とは違う
それで今の所は判断がつかないのである

だからこのコロナウィルスは現代社会の一見いい面としてグロ−バル化があった
でもそれが実はウィルスには弱かった、その原因が社会にあったともなる
今回のコロナウィルスはこうしたグロ−バル化した社会を問うものとなったのだ
人間はそもそも国として一体感をもてるのは国が自然と一体化して血肉となりアイディンティティ化できるのは大きな範囲ではない、会津は会津峰の国をさ遠み・・・という万葉集の歌で東北では国として認定された唯一の国である
国(くに)という範囲がやはり一体感をもてるものとなる
ただ県となるとこれは明治に無理やりに政治的行政的なものとして区割りされたから一体感がもてない、福島県をみればわかる、ハマ、ナカ、アイヅと分かれて地理も風土もちがっているからだ、会津のように冬は雪に埋もれてしまう世界と浜通りのように雪が冬でもほとんど降らない世界ではまるで違ったものなのである
つまり会津は浜通りからしたら理解できない風土に生きているのである

ともかくグロ−バル化社会というのは何か無理があった、人間的に無理があった
人間というものがどういうものか無視してモノでもヒトでも自由に流通できるものとして生まれたのである、結果的にマスクにしても自国で生産していないから世界で中国頼りになったとか緊急時には自国にないとかなる
それは食料でも自国中心になり輸出が禁じられるようになる
もし緊急事態になれば本当はグロ−バル化社会でも世界が協力するとなれば別だが実際は自国中心主義にならざるをえないのである
外国でも文化の交流とかならいい、でも日本でワインを飲みまた外国に日本酒を輸出するそういうことが果たしていいものなのか?
食べ物でも世界中のものを食べることはいいように見える、一面は言える
でも料理はその国の風土から歴史から生まれている、日本の地域地域からも生れている
だから日本料理は日本の風土にあって旬なものを追及するとかある
そして外国料理でも何でも食べるということに疑問なのである
牛肉でもなぜこんなに日本人が食べるようになったのか?、それは体質的に合わないともみる、そして狂牛病もイギリスで牛を媒介として起きたし日本でも起きた
牛肉を食べる習慣は日本にはもともとなかった、ところが世界中であらゆるものを食べるようになった結果として特に家畜類とか動物経由で伝染病が広がったのである

いづれにしろ何かグロ−バル化とかまた日本の中でさえアイディンティティを失った
地域的な国としてのアイディンティティを失った
まず東京となると巨大なメガシティであり自然と乖離した非人間的怪物都市となる
だからコロナウィルスには弱かった、都市封鎖をするような状態になった
東京中心にウィルスが拡散されるからである
そしてそもそもウィルス問題の前に東京とかなるとそこは自然と乖離した統制できない
社会である、一千万都市ともなるともう統制できない、統治できない
そしてそういう大都市はウィルスでもそうだが災害に脆弱である

だから今回のコロナウィルスでわかったようにパニックになってしまう
だから人間がまともに暮らすには統治できるのはアイディンティティをもてるのは国なら小国であり地方都市であるとなる
東京があまりにも巨大化した結果として地方も歪めたのである
そもそも地方都市を充実して地方に拡散した方が国土を利用するにはいいのである
ただ田舎に分散するとしても一万とかの田舎では無理である
どうしても4,5万の都市の規模がないところでは文化的生活は不可能なのである
だから田舎に移り住んだ方がいいというとき限界集落のような所ではない
そんな極端な変化には人間は耐えられないのである

自分はそういう地方で芸術などでもアイディンティティを追求してきたのである
国というとき自然と調和した国である、もちろんそこに工業もあってもいいが東京とか川崎とかなるともうそこは国とは言えない、国とはそこが生き死ぬ場所としてのアイディンティティをもつ場所である
人間が生きるということは経済的単位ではない、全人間としての意味をもつものとして生きる、それに値するものとして生きる場が必要なのである
コロナウィルスの不思議は何かそういうことを問うものとなりまた具体的にそのように人間社会を見なおして生きるように具体的にすすめるということがある
人間的な本来の生活に回帰させるという働きがあることで不思議だとなる

つまり全部が悪く働くとも思えない、確かに一時的には混乱して犠牲がでたり混乱があるでもその後に社会が変えられてより人間的なまともな社会が生まれるのかともみる
それだけの変化をさせるというのも神の働きなのかとまでなる
ともかく人間は人間だけでは改革できない、そこに外圧とか易姓革命があることをつくづく感じる、原発がとめられたのも津波だったし「安全神話」を打ち砕いたのも津波でありか自然災害だった、安全神話の悪は権力者が既得権者が結託して作られていたのである
それは強固だからとても人間だけでは暴かれることがなかった
でも自然災害がそれを暴いたとなるからだ、だから人間社会は人間だけによってすべて動くものではない、自然が神の働きが作用しているともなる
ウィルスは謎でもやはり一つの生命体でありそれと共存しなければならないというときもそうである
何か人間側に問題がありそれが蔓延しているともなるからだ

posted by 老鶯 at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月29日

なぜコロナウィルスでも判断を誤るのか? (一つのことに頭が占領されるて他のことが考えられない)


なぜコロナウィルスでも判断を誤るのか?

(一つのことに頭が占領されるて他のことが考えられない)

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今回のコロナウィルスでなぜ阿部首相とか日本の政府関係者が判断を誤ったのか?

●緊急事態に対応できない

●コロナウィルスが未知だったから

●頭が一つのことオリッピックのことに占領されていた

こういうことになる、人間は緊急事態とか未知なものに弱いのである
ここですでに判断を誤る、つまりまず緊急事態に冷静でありえない、また未知なものを恐れる、未知なる故にどう対処していいかわからない

そういうことを自分自身が経験して来た
家族が認知症になったときそれが何なのかわからないから怖かった
一瞬狂気になったのかとなり怖かった
それは全く認知症というのが何かわからなかったからである
少しでも認知症について知っていれば対処の仕方があった
でもわからないからただ戸惑うばかりだったとなる

でも相手の目をみて冷静にさせろとかインタ−ネットで書いてあってそれをすぐに実行した、水やお茶を飲ませて落ち着かせろとか書いてあったからである
その後認知症がどういう病気なのかかなり理解するようになり恐れなくなった
これは必ずしも狂気というのではなく正気の面がかなりある病気だと思うようになった
意思疎通はできる、これまでの長い時間を共にしたことで理解し合っている
そういうことがわかり安心したとはなった
つまり最初突然未知のものとして襲われる、次にだんだん理解して既知のものとなるとき恐れることも狼狽することもなくなる

コロナウィルスも同じなのである、他のこれまでの伝染病でもそうである
最初は何かわからないから怖がるのである
でもそれが科学的にわかってくると病気について理解すると恐れなくなる
そしてワクチンとかができるともう何も恐れる必要がなくなる
人間の歴史とは伝染病でもそうだが常に未知との戦いであった
何か未知なものがありそれに対処できない、でもだんだんその正体が判明すると既知となり恐れる必要がなくなる
コロナウィルスが今恐怖なのは未知だからである
いろいろ専門家が言うにしても本当の正体がわからないしワクチンもできないからである
またなぜ人間は判断が誤るのか?

それはコロナウィルスというとき突然襲いかかってくる、その時阿部首相の頭にあったのはオリンピックのことである、これに頭が占領されていたのである
だからオリッピックの成功のみが優先的になり頭がそのことに占領されていた
するとコロナウィルスがでてきても即座に対応できない
なぜならオリッピックが頭を占領しているからコロナウィルスのことは後回しになる
その時時遅しともなっていたのである
中国人とか外国人の入国を早く止める決断をしなければならなかったができなかった
それは中国人の習近平の日本訪問とかもしり中国に忖度したからである
つまり人間は簡単に頭を切り替えられないのである

人間が判断を誤るという時必ず頭が一つのことに目前のことに占領されて別なことに対応できなくなる、それが人間の弱点である
ある人は事業で失敗したから頭が借金のことしかない
するとそこに苦しみ困っている人がいてもその人の頭は借金を返すことしかない
するといくら苦しみ困っている人がいても無関心になる
実はその苦しみ困っている人は金をもっていたからもし世話したらそれなりのお礼が金銭的にもあったとなる
でも今金が欲しい、借金を返さねばならないとしてその人のしていたことはバチンコ屋の掃除の仕事をすることだった
苦しんでいる困っている人のことなどに頭が回らなかったのである
その苦しんでいる困っている人とは自分のことだったのである
つまり頭が借金を返すことに占領されて他人の苦しみも何も関心がないのである
でもふりかえれば実はパチンコ屋で働いてもそれほど金にはならなかったのである
むしろ金をもっている人を助ける工夫をした方があとで金になったともなる
ただ頭が今借金を返さねばならないと一杯になっいいるからそんな先のことは判断できない、要するに人間は今のことにとらわれる、でも先のことも考慮しなければならないのだができないのである、すべてが今に集中されるからである

コロナウィルスは危機であるパチンコ屋のことを述べたがなぜ原発事故で避難した人たちがパチンコ屋に入りびたりになっていたのか?
何もすることがなくそうなった、でも他の人たちはボランティアでも働いていたのであるでも避難した人たちは何もせずギャンブルに興じていんたのである
これも何か判断を誤ったとなる、何かすべきことがっあってもしなかった
それが最初はしょうがいなにしても5年とかつづいたのである
しかしそのことで責められることはなかった、なぜなら被害者だということで責められなかった、NHKでもマスコミでもかわいそうな被害者として常に応援してきたからである
マスコミは現代では判断を誤らせる

マスコミの力が大きすぎるからである、NHKが言っていることがまるで法律のようにもなっているからだ

ただ正直人間は必ずこうして頭が一つのことに占領されたら他のことに頭が回らなくなるそれはみんな経験していることだからなかなか責められない
そういうことは個々人でもり会社とか組織とか団体とか大きくは国家とかでも常にある
だから国家的にも必ず判断が誤るのである
日本の戦争でも真珠湾を攻撃したら奇襲したらアメリカも日本を恐れて攻めてこないとかとなり判断した
でも戦争は実際は長くつづき圧倒的に力の差があったアメリカに反撃されたのである

ただどうしてそういう判断になったのか? 

結局経済封鎖とかで追い詰められたからイチカバチカの賭けに出たのかもしれない
だから経済封鎖とかで追い詰められると判断をやはり誤る
人間は追い詰められるとみんな判断を誤る、もう冷静に考えることもできなくなっているからだ、だから借金した人は判断を誤り安いとなる

いづれにしろ人間は必ず個々人でも集団でも判断を迫れる
その判断が誤るのは最初にあげた三つのことで誤り安いのである

オリンピックだ、習近平の日本訪問だ

それが頭を占領しているとき突然コロナウィルスが襲いかかってくる
そのために水際作戦も遅れた、今解明されつつあるのが実は中国からではない
ヨ−ロッパ型に変異したコロナウィルスが日本に蔓延しているという
だからこれもいかにグロ−バル化してこうなっているかわかる
普通は武漢型のコロナウィルスだと思うが実はヨ−ロッパで変異したものが日本で流行しているウィルスだというのである
その時ヨ−ロッパからも日本人が帰ってきていてそれが広がったとなる
このようにグロ−バル社会になると複雑に世界が関係してくる

それは国際関係でもなんでもそうである、交通が発達すると昔のように時間差もなくなる世界同時にウィルスでも伝染するしとめられないのである
また情報でもフィクニュースでも世界中にたちまち拡散するのである
それでマクルハーンが世界は村となったというとき情報ではそうなる
世界は村でありその情報は村人に伝わるようにたちまち伝染するともなる
それでアメリカとイラクの戦争で油まみれの海鳥がテレビに写されたときイラクはひどい国だとして世界中の人にすりこまれたのである
テレビではそういう効果がある、映像の力で世界が支配されるともなる
そこに時間差がないから情報の力が極大化したのである


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2020年04月28日

コロナウィルスでは経済活動とめる被害が大きくなる (すでに失業者が犯罪者になり治安が悪化する)


コロナウィルスでは経済活動とめる被害が大きくなる

(すでに失業者が犯罪者になり治安が悪化する)



容疑の男「コロナで失職、路上で生活」 横浜の女性刺傷

西山容疑者は昨年末ごろから今年3月末ごろまで、大阪府内の風俗店で勤務していたが、感染拡大の影響で働けなくなったと説明。横浜市内のインターネットカフェで寝泊まりし、金がなくなった後は路上で過ごしていたという。「約20万円の借金があった」と話し、逮捕時の所持金はほとんどなかった。

仙台でホームレス増加 若年層の相談が相次ぐ

「新型コロナのせいで、ようやく見つけた仕事がなくなってしまった」。列に並んだ男性(46)は肩を落とした。今月上旬から市中心部で路上生活を続けているという。

 男性は昨秋、職を求めて南相馬市から仙台市に移った。冬に東京都内で建設業の仕事を見つけて寮生活を始めた。

 今年3月になると一気に仕事がなくなった。貯金は早々に底を突き、歩いて6日かけて仙台に戻った。支援団体にもらったマスクを着け、感染におびえながら路上で暮らす。

 仙台でホームレス増加 若年層の相談が相次ぐ
 河北新報社 2020/04/27 06:05
 
コロナウィルスで失業者が増えることの方が怖い、水商売関係でも失業者が増える
そういうところは暴力団とかのように社会からあぶれたとういうかまともな職につけない人のセーフティネットともなる
それは建設工事とかもそうである、だからこの記事でも水商売と建築土木の人だった
南相馬市とあるがもともと南相馬市に住んでいるというよ工事現場を渡り歩く人なのだろう、この辺は原発事故とかまだ工事がつづいている場があるからである

つまり言われていることだが世界的にでもそうである、貧困層にコロナウィルスは襲い掛かり苦しめる、フランスでもアメリカでも移民と貧困層がいてその人たちはその国の中でも別な集団として暮らしている、そこはウィルスにも弱いし生活も底辺層であり失業しやすいし困窮する度合いが強い、生活が安定していないのである

第一驚くのは貯金がない人たちが本当に多いことである
たいがい貯金があって一年くらい暮らせるとか思う、でも実際は年齢が低下するほど驚くほど貯金がないのである、それが60代以上でも意外と貯金がないのである
それだけ貧困化しているのが日本である
やはり貯金がないといざというときは困ると思った、ただ若い人はなんとか職につける
でもこういう緊急事態になると失業して路上生活者にもなる

これを原発事故と比べると違うのは原発避難者には手厚い補償がされたことである
30キロ内となるとその補償は本当に手厚かった、今でも補償はつづいている
医療費がすでに十年にもなるのに無料なのである        

30キロから外になると半年で医療費の無料は打ち切られた

この差は本当に大きかった、そしてたとえ仮設暮らしになっても生活は十分に補償されたしそれで思わぬ金が入って喜んでいた人もかなりいたのである
それから仮設には毎日のようにボランティアが来て援助していたのである
だから仮設暮らしがひどいように見えてもそうでもなかったのである
もちろんそこに住んだ人は必ずしもそうとは思っていないことがある
でも今回のコロナウィルスはそうはいかない、かえって補償にしても十万くらいもらってもどうにもならないともなる
失業するということは収入がなくなることだからである
原発避難者は失業しても5年とかすでに8年とかでも十分な補償がされているからだ
その相違も大きい、ただ原発事故の被害が小さいとかではない
経済的にはコロナウィルスの方が全国的であり世界的であり厳しいと見ている

こうして犯罪が増えたり治安が悪くなることが怖いのである
ともかく追い詰められた人間ほど怖いものがないからだ
なぜそんなことまでするのと言っても追い詰められた人間は今食べるものがないとなれば野獣のように相手のことなどかまわず襲ってくるということである
自分も一身上でそういうことを経験してきたので追い詰められた人間と出会うことは怖い借金している人も怖い、常にそういう人は追い詰められているからである
犯罪予備軍になる

だから本当にこのコロナウィルスで経済を無視してコロナウィルスの対策だけを重視するとその結果の方が被害が大きくなりとりかえしのつかないことになる
それは原発事故でも避難区域にした所はゴーストタウンになって回復しないことでもわかる、放射線が怖いこともわかるがでも自治体自体が崩壊するということも問題だった
ただそこまでできたのは手厚い補償金が与えられたから別にそこに住まなくても生活できるということで他に移り住んだのである

ただこの選択はむずかしい、人命重視してコロナウィルスのために自粛する、経済生活を止めるということも否定できない、でも一方で経済活動を止めることで失業者が増えることも社会を不安定にして治安を悪化させることが怖い
つまり経済活動を止めることの方が悪い結果ともなりうる

その判断をどうするのか?

それは原発事故の判断とにている、放射線被害というのも素人には良くわからなかった
だから専門家に従わざるをえなかった、それは原発があるときから「安全神話」を作られて強制されていたのである
その過度な安全意識があり事故になり何の対策もできなかったのである

今回はどこまで安全を人命尊重を強調できるのか?

これも未知である、若い世代からすると老人が死ぬだけではないかとかまた危機をあおる専門家は何十万死ぬとか言う、これも放射線の被害を誇大化したときと同じである
それは専門家もどういうふうに被害になってゆくのか先が見えないからそうなる

だからすべて専門家だけに頼るのが科学者に頼るのがいいのだろうか? 

ここにも理系と文系の対立が生れている、第二次世界大戦で頭角を現した政治家は果断に実行した人だったというのもそうである
平時と緊急事態ではやはり強力な指導者がでて果断に実行しないと解決できないのである官僚主導型は平時では通用するがこのような緊急事態には通用しないのである
だから阿部首相は幸運で長くつづいたが緊急事態では対処できないとなった

まず長期戦であると専門家がいうときもう経済が崩壊した方が怖い、その例がすでに出ている、結局緊急事態で自粛をしてもまたゆるめると感染者が増えるとなるとめんどうである、そうしても援助もできない、全国民に援助しつづけられるのか?
それもできないとなるとどこかでいづれ経済活動を平常にもどすことになる
そうしなければ失業者であふれ治安が悪化して外国では暴動にもなった
社会自体が混乱して治めることもできなくなる
その時、危険が及ぶのは安定して生活している人たちもそうである
膨大な失業者がうろうろしてホームレスが街の中に増えたりしてその人たちにいつ襲われるかもしれないと戦々恐々として暮らすほかなくなる
そっちの方が悪夢だとなる

昨日自転車の電源がきれて真っ暗な中を帰ってきた
ライトがつかなくて真っ暗の中を走って側溝に落ちた、その時は危険だった
今でもその傷が消えない、そして一時はライトがついていたが弱くなっていた
でも前は多少照らしていた、でも遠くが見えないのである
ただ目前をわずかに照らしていた、こういうとき遠くが見えると安心する
車のライトで照らされたとき遠くが見通しがつくと安心する
つまり何か遠くを照らされて道が見える時安心する

コロナウィルスが不安なのは放射線でもそうだが先が見えないから不安になる
安全ですよということが確信できない
それは専門家でもそういうことを保証できない、この先どういうふうに展開するか闇なのである、ワクチンができるというとき放射線被害よりは対処する方法がある
でもそれがどれくらい先になるかわからない、だから闇はつづくのである
つまり真っ暗な道を行くとなると不安である
でも今回は前もそうだったが暗くても知った道だから安全に帰ることができた
事故になった場所も知っていたからさけたし慎重にゆっくりと帰ってきたからである
でも全く知らない真っ暗な道を行ったら恐怖である、事故になる度合いが大きいのである要するにコロナウィルスが未知だということが不安にさせて怖がらせる
放射線でも被害がどうなるのか次世代の子供に影響してし奇形になるとかいわれこ恐怖したと同じである、現実は何もないかもしれないが未知になると恐怖になる
その恐怖が何かと未知だから増幅されるのである

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2020年04月26日

なぜ新潟県が江戸時代から明治へと人口が多かったのか? (コレラでも北前船とかの交流があり会津の方に広がったー) コロナウィルスと人口問題)

なぜ新潟県が江戸時代から明治へと人口が多かったのか?

(コレラでも北前船とかの交流があり会津の方に広がったー)
コロナウィルスと人口問題)



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福島県が宮城県より多く島根県でも上位になっている、秋田県でもそうである

につい

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新潟県がこれほど人口が常に多かった
江戸時代の継続としてあれば日本全体では人口は均等に分散されていたとなる
今はかたよりすぎているのだ
戦後で東京が400万になり一千万都市と成長した
東京も400万くらいだったら住みやすい場所だったのである

昭和30年県内総生産 単位:百万円
東京都 1,529,161(125,800円)
神奈川 *,319,290(*88,100円)
新潟県 *,203,771(*77,800円)
埼玉県 *,155,338(*75,500円)
福島県 *,152,646(*62,200円)
千葉県 *,152,093(*71,200円)
茨城県 *,148,911(*63,500円)
長野県 *,139,021(*73,900円)
栃木県 *,138,685(*69,000円)
宮城県 *,134,946(*67,100円)
群馬県 *,118,779(*66,800円)
秋田県 *,109,016(*70,300円)
富山県 *,*98,789(*80,800円)
岩手県 *,*94,061(*54,500円)
山形県 *,*92,047(*63,300円)
青森県 *,*91,267(*59,600円)
石川県 *,*88,360(*77,000円)
福井県 *,*69,410(*73,600円)
山梨県 *,*52,542(*56,900円)

()内はひとりあたり

新潟県と福島県が上位にある、農業中心だとこうなっていた
東北の生産量は高かった

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会津で感染者が出ていない

南相馬市は多いのはなぜなのか?


江戸期から家康の力で繁栄した、愛知県が日本一(1873年)

なぜ愛知が栄えたか。それは江戸・大阪につぐ城下町として地元出身の徳川家康が「6万人の街を丸ごと移転させる」など、過剰ともいえるほどの情熱を持って城下町づくりを行い、木曽の山林(御用林)も特別に与えたから。これにより財政が安定し、現在まで続く繁栄の基盤になりました。

19世紀までは経済の中心は第一次産業であったため、作物の王様である「米」を育てるのに適した環境であった日本海側が賑わいました。

 加えて、明治の途中で陸路が発達するまで、運送の主役は長らく「海運」でした。その中でも代表的な「北前船」という運送手段が活躍したのも日本海側です。

 1880年を例に取ると、今の鳥取県を含めた島根県が103.7万人(全国12位)、対して東京府が95.9万人(同17位)と、東京を凌駕していたのです。

 
 なぜ新潟県が人口が多かったのか?明治でも東京より新潟県が多い
それが今理解できないのは交通と関係していた
つまり江戸時代から北前船がありそれで日本海側は栄えていた
新潟県でた神社の数が日本で一番多いという時、様々な神様が新潟県に人ともに移動したとなる

そして福島県は宮城県より人口が多かった、東北では一番人口が多かった
つまり今の時点で見る風景と明治に見る風景は違っていた
明治は江戸時代の連続としてあり依然として日本は農業国家でありすると米の生産に向いた新潟県に人口が集中したとなる
その新潟県から阿賀野川を通じて会津までの交通がありコレラが江戸時代に流行した時の感染経路が新潟県から会津若松市へまた陸路では白河街道を通じて会津若松市へ人の流れがあり感染したとなく
でも田島の方は逆に会津若松市から感染が広がったのである 

このウィルスは港から侵入してきていた、港で水際作戦する必要があるのはそのためである、日本だったら特にそうである、回りが海でも港から外国人でも物でも入ってくるからコレラも入ってきた、passportというととまさにport(港)を通過するためのものだった今は飛行機で入るから違っている
日本海の港からコレラも伝染して会津若松市まで伝染したのである

歴史でも地理でも人口から見るとわかりやすくなる
人口が多ければそれだけ経済的に繁栄していたとみるしそれだけの人口を養う基盤があったとパるからである
東京が100万にもなっていなかった、ということは江戸が百万都市とはならない、明治に百万になっていないことはもっと江戸時代だったら少ないとなるからだ
何か歴史が変わるとイメージが変わる、日本海側は裏日本とか言われるようになり日本海に夕日が沈むようにその風景の感覚からなにかもの淋しい土地にみる
越後獅子とかありそれも新潟県が貧乏国だからそんな物語が生まれたのかとなる
でも実際は新潟県はもともと栄えた県だった
地理的には裏日本でも実際は表日本になっていた
それでコレラが流行したとき会津若松市に新潟県から感染したということでもわかる
ウィルスは交通と密接に関係しているからだ
交通の盛んな所から拡散してゆくのである

今回のコロナウィルスは東京から拡散してゆく、一千万の都市から拡散してゆく
そして今回不思議なのは福島県だと東北本線が新幹線が走る中通りと浜通りに感染者がでている
昨日は南相馬市でクラスターが生まれたから注意とかアナウンスがあった
でも会津で感染したとニュースでは報告されていない
東京と通じている会津鉄道もある、ただ東京から不便な地域にはなっている
でも会津とか岩手県に感染者が出ないのは不思議である
岩手県には出ているとみている、ただ検査数が少ないので出ないのである
福島県でも南相馬市の人が東京のライブハウスに行って感染した
だから仙台から一関とか盛岡は50分圏内だから感染者が出ないことはありえないのである

江戸時代でも明治維新でも会津があれだけ活躍したというとき大藩だったからである
すると経済力もあった、30万石というと伊達藩に次ぐ大きさである
だから京都守護職にもなりそれで長州や薩摩に恨まれたとかある
それだけ大きな藩であり江戸幕府を支える藩だったからそうなった
福島県は歴史的に会津県のようになっていた、なぜなら万葉集時代に国(くに)として認識されていたのは会津だけだからである

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳(東歌) 『万葉集』 巻14-3426 相聞歌

この歌で国として意識されたのが会津だったかでらある

コロナウィルスは東京とかから止めようがなく拡散する
異常に人口密集地帯になった日本の風土を歪めたからこそコロナウィルスには弱かった
そこがウィルスに脆弱であり拡散させたのである
名古屋市からとか大阪市でも福岡市でもそうである、大都市から拡散する
それが現代では交通が発達して止めようがないのである
北海道は中国人観光客がおしかけて感染した、これもまた中国の観光客を呼び込んだの裏目となった
飯館村では1980で8000人いて6000人に減った、その変化も大きい、戦後は戦争の引揚者などが開墾に入った人たちが人口を増やした
戦後は地方に人が多かった、それが都会に集中するようになった
東北では震災以後、原発事故でも仙台市に移り住む人が多くなった
だから逆にコロナウィルスではそうして人口密集してくる都会が感染する度合いが高くなる
仙台市から東北に拡散されてゆくのである 
    

ただ福島県と新潟県を行き来しないように警告を出した、ただ江戸時代は交流が活発でも今は福島市でも郡山市でも東京からでも感染者が移動して感染する
仙台市でもそうである、でも今のところ会津には感染者が出ていないのである
岩手県にも出ていない、それはなぞなのだが会津は浜通りとか中通りからすると交通が不便だからともなる
つまりコロナウィルスは交通と密接に関係している、また人口密集地帯から都会から伝染しやすいのである
だから東京を封鎖しなければ拡散が止められないというのはそのためなのである

錆びついた中央集権社会から、生き生きとした地方分権社会へと移行することができれば、大きな起爆剤となるだろう。中央集権を目指した明治維新とは逆方向であるが、「一新」することにより、同じような強い力を発揮できるのではないか。

 「中央集権型の工業社会」から「地方分権型の生命社会」へのパラダイムシフト。かすかにではあるが、そんな気運が見えてきたような気がする。

コロナ禍はパラダイムシフトの契機か 「中央集権型の工業社会」から「地方分権型の生命社会」へ

4/25(土) 9:00配信

これには共感する、なぜなら私のプログを読めば(相馬郷土史研究)とか(相馬学)とかは地域に根ざした有機的ミクロコスモスのアイディンティティを追求してきたからである「地方分権型の生命社会」というのはそれは東京のような自然と乖離した世界ではない
自然に根ざしたアイディンティティをベースにした世界である
このコロナウィルスの不思議はそうした今までの世界の社会の在り方を変える
過度なグロ−バル社会も批判して来た、これもやはり地域から分離して世界へ結びつくということでいいようでも地域の地元の力を活かさないものとして地域を衰退させたのである

これからは東京とか大都市圏中心の社会から人口が流動化して地方にその生活の根拠を移すことになる変化が起きるかもしれない
それが大規模になれば社会自体が変わり地方が再び活性化する
とにかく土地とか家でも安価に手に入る、足りないのがそこに住む人なのである
原発事故で避難区域になった所は人が住んでいない、ただ膨大な土地が使用されないままに残されている、だから移住するにはいいとなる
放射線が問題にしてもそれよりそれだけの土地をどう活かすのかを考えるべきだとなる

そもそも東京のエネルギーをまかなうために東京電力が福島に原発を作った
ここからして方向が間違っていた、東京のエネルギーは東京でまかなうべきだったとなるし労働力でも地方から中央に集めて来て東京が異常に巨大化したのも国土のバランスからして不自然だったのである
ただそういうことはいくら言われても首都移転もできずに終わった
でもコロナウィルスとかで東京は危険であるとなれば本当に住民の移動が起きるかもしれない、それは国策として国土の利用をどうするか真剣に考えるようになる
だからコロナウィルスがすべてマイナスのものとして働くとは限らないのである

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2020年04月25日

人命重視か、経済重視か (コロナウィルスの戦いは戦争と同じかー原発事故との比較)


人命重視か、経済重視か

(コロナウィルスの戦いは戦争と同じかー原発事故との比較)

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原発事故と比べるとコロナウィルスの危機は全国的世界的であり身に迫る恐怖がある
人が死んでゆくということで恐怖である
放射線ではすぐに人が死ぬということがなくそれで恐怖心が身に迫って感じなかった
別に爆発した時でも私は外を歩いていた、その時20マイクロシーベルトも一日であった時があり危険だった、なぜならそこで被爆して甲状腺癌になる危険があったからだ
ただそれは二三日で急激に放射線量は減った
でも飯館村とか山の方が長く放射線量が高かったのである
でも避難が遅れたのである
それは今回のコロナウィルス対策が遅れたのとにている
何か危機でも危機と感じないことがあるからだ

原発事故では経済とかは全く無視された、閉鎖命令、ロックダウンではなく避難命令が出たからだ、その時南相馬市では5万人くらいの原町区でも避難命令が30キロ内で出て避難したのである、それで一時ゴーストタウン化して自治体が崩壊するような状態になった
その後も小高とか浪江とか飯館村ではゴーストタウン化して回復しなくなっていたのである

経済を無視してゴーストタウン化した

放射線の恐怖もあったが原発事故では全く経済は無視された、自治体の維持でも無視された、それは政府の命令でそうなったのである
た強制的避難命令だったからである、そうできたのは局所的な被害であり東京のような一千万都市とは違っていたからである
だから一時的でも東京がロックダウンしたらゴーストタウンになりその経済的損害は莫大になり補償もできなくなる、それが外国で起きている
その経済的負担が原発事故とは比べ物にならないからである

つまり放射線の被害を重視するのか、それとも経済を重視するのか?

コロナウィルスの被害を重視するのか、経済を重視するのか?

こういう問いが同じように発せられる
この両方を並行して同時にするべきだという意見もある
なぜなら人命尊重といっても経済が破綻するとそれで死ぬ人もありその被害の方が大きくなるからそのバランスをどうするのかということになる
どっちに梶をとるのか?それとも両方を一緒にして解決を計る
経済活動停止しないでコロナウィルスでも防御しつつそうする
そこで確かにある程度の不具合が犠牲も生れるかもしれない
でも経済活動を止めるとそれによる被害も大きくなり人命も失われるとなる
それでアメリカでは経済活動を停止できないとして経済活動を復帰させるとしている
それでまたコロナウィルスが再び拡大するという不安がある

でも原発事故では経済活動とめて避難させて自治体を崩壊させたことの被害が甚大だったゴーストタウンになりそれが回復できなくなったからだ
若い人は流出して残されたのは老人だけにもなった
だから30キロ内でもいろいろ放射線被害の差があり一律にすべきでなかった
経済の崩壊、コミニュティの崩壊、自治体の崩壊の方が放射線被害より大きくなったからである

もしこれがコロナウィルスの戦争だとする戦争では仲間の兵士がばたばたと死んでゆく
でも戦争をやめるわけにはいかない、戦わなければならない
戦争に比べたらコロナウィルスの被害も大きいにしても戦争よりはましだともなる
つまりこうした緊急時には正常な状態のもきの考え方ができない
戦争という異常事態と同じになる
兵士が死んでゆくのが戦争では普通であり兵士の死をとめるべきだとなれば戦争を停止しして降伏するほかないのである


だから現実にアメリカではあれだけ被害があっても経済活動を再開しようとするのは
経済活動で失業したりしてその影響の方が大きくなったからである
それが一時的ならいいが長引くから暴動まで起きている
政府でも長期戦になったら援助できくなるからだ
ただ最初はコロナウィルスの戦いでは人命尊重になるのはしかたがない
それが長期戦になったとき維持できるのか?
すでに自粛は連休の後もつづくとされているからだ
だからアメリカと同じく日本でも長期戦はできないから経済活動を開始するようになる

今回は若い世代に影響がない、原発事故では放射線は若い世代に被害があるとして恐れられた、それも次世代に母親にも影響して奇形が生まれるとかされて若い世代は流出して
自治体は崩壊してゴーストタウンになったのである
だから若い世代にそれほど被害がないとしたら老人が死んでも自治体を維持して経済活動をした方がいいとなる
もちろん老人が死ねばいいとかではない、私自身も老人だから死にたくない
ただ原発事故でもそうだが戦争でも若い人が死ぬ
日本の戦争の最後の方ではもう兵士になる若い人がいなくなり妻子もちの40くらいの人まで兵士にされて戦わされたのである

とにかく危機の場合、平時の考え方が通用しないのである、人命を尊重しろといっても
経済破綻崩壊で人命が失われるのである
だからコロナウィルスと戦争しているのだという危機意識が必要になる
人命尊重でもその危機意識が徹底しないから依然として人と人の接触を減らせないのである
結局ベトナム戦争のように地下にくぐりこもり戦うとかそういう緊急事態にあるのだという意識がないとだらだらと規制も緩慢にしているとコロナウィルスの戦いに敗れるともなるとにかく人間は戦争なら否応なく人がばたばた死ぬのだから意識がまるで違ってくる
コロナウィルスでもそうだが放射線でもばたばた死ぬわけではないから危機意識がもてないのである、でもアメリカのように死ぬ人が増えると意識も変わる
それでもやはり経済活動を再開しないともう生きることもできなくなる
だからこれは世界的戦争状態ともなっている、どっちを優先することでもない
総力戦になる、どっちに梶をとっても人命が失われることになるからだ
posted by 老鶯 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月23日

コロナウィルスで政府が判断不能に (津浪、原発事故でも判断不能になった!)


コロナウィルスで政府が判断不能に

(津浪、原発事故でも判断不能になった!)

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浪江町長は自らの判断で山側の津島に避難させた

東電社員は海側の街に引き返すように指示した

こうして誰に従うかで生死を分ける場合もある


津浪とか原発事故の経験で危機に人間がどう対処するかを経験した
津浪原発事故だけではない、人間は危機にどう対処するつのか?

家族が認知症になったときも危機だった
自分にとっては最大の危機であり恐怖だった
身近な人が狂気になったと思ったからだ

それがなぜ恐怖だったのか?

認知症の正体が全くわからなかったからだ

それで対処する方法がわからずにただ狼狽して混乱するだけだった

その後認知症について勉強してある程度対処方法がわかってきて対処できるようになった

つまり得体のしれないもの、その正体がわからないからこそ混乱する
どう対処していいかわからなくなる

放射線とは何なのか?

それ自体もう素人には理解することは不可能だった、学者でも低放射線は体にいいという人もいたし御用学者もいた、そうなるとそうなのかと素人は思ってしまう

要するに判断不能になった!

コロナウィルスでもその正体がわからない
これはインフレインザでありその死者数を比べるととるにたらないと言う学者もいる
それが武田邦彦氏である、そうするとあれだけの実力ある科学者なのだからそうなのかと思う
でも不思議なのは原発事故では執拗に一年一ミリシーベルトをゆずらない科学者として有名になった、それはもう厳しい条件でありみんな住めなくなるものであった

だからなぜ今度は普通に仕事している人がコロナウィルスで自粛とか厳しくすると生活できなくなりその方が被害が大きくする、だからコロナウィルスはインフレインザより怖くないとしてむしろ普通に働かせる方をすすめている
でも原発事故のときは逆だった、一ミリシーベルトを守ったらもう30キロ内でも外でも誰も住めなくなった、だからこれはおかしいともみる

ただ危機は同じようには来ない!

だからまた対処が違ってくる

これは言えるのである、津波の危機でも原発事故の危機でも今回のコロナウィルスの危機も違ったものである、だから対処方法が違ってくるからだ
数学の数式のように社会の人間の危機には対処できないのである

でも今回も頼るのは科学者である、専門家である
つまりコロナウィルスの正体がわからないからそうなる
そして放射線と同じように大きく危険を言う学者と普通に生活してもいい、インフレインザよりコロナウィルスは怖くないとしている
むしろ自粛を強制したりする経済的被害の方が怖い、それでも人間は死ぬからである

結局人間はバベルの塔の崩壊のようにある時、危機には意思疎通ができくなるように思うバベルとは乱れという意味でありその乱れが来たとき対処できない、右往左往するだけであり遂にはばらばらになってゆく
原発事故でこの辺は家族までばらばらになったし今でもそうである

そして政府自体が判断不能になる、阿部首相はそうなった、おそらく何をしていいのかもわからなくなった、いろいろ言われてもどうしていいかわからないからのんびりと自宅にくつろいでいる姿を国民に放送して顰蹙をかった

阿部首相とか政府自体が判断不能に陥っている!

それは原発事故でもそうである、原発が爆発した時、政府では東電でも判断不能に陥ったスピーディで放射線量を適格に計ったとしてもそれを最初に連絡したのアメリカだった
アメリカに頼むのが先だったのである
アメリカに事故の処理の方法を教えてくれと頼んだのである

そうなると原発周辺の住民はどうしていいかわからない、判断不能になり浪江町長は自ら判断して山の奥の津島に避難した

そこは一番放射線が高い場所だった!

ところが避難した人たちの中に東電の社員がいて海側の街の方が安全だと引き返した人たちがいたのである、東電の社員がそういうからそれに住民も従った
それが正しい判断だった
なぜなら放射線は風に影響されたからである、風の方向を知れば山の方に逃げることはありえなかったのである
だから東電の一人の社員が放射線のことを知っていたからそれに従ったのが正しい判断だったのである

だから今回も何を信じていいのか?

誰を信じていいのか?

これが問題になる、科学者でも必ず意見が分かれるからである
つまり誰を指標にすればいいのかである
東電の社員のような人は誰なのかとなる?
その判断もまたむずかしいのである

武田邦彦氏を指標とするべきなのか?

確かにそうなのだろう・・・でもなぜこんなに自粛とか被害を誇大化しているのか?
マスコミでは危険を毎日あおる、だからテレビは見ない方がいいとしている
それもそうだとも思うが、では危険を全く無視できるのかとなるとできない

結局人間は危機にどうして対処していいのかわからない⇒判断不能になる

それは戦争でも起きたし危機では起きて来る、それが歴史をふりかえれば聖書の記述からすれば預言者が現れてイスラエル民族が危機から脱したとなる
つまりその時神の助けがあって危機から脱したのであり科学者とか専門家とか政治家とか様々な人ではない、第一危機の時民主主義など役に立たない
有識者を集めて話し合っても結論などでない、そのうち津波があっというまに来て飲み込んでしまったのである
大川小学校では前例で肯定に集めて協議して最も危険な川の側に避難した
生徒はすぐ裏山の山に逃げた方がいいとして逃げて助かった人もいた 

またテレビで放送していたが砂漠を旅した日本人の集団が水がなくなり水を求めて移動したのはそこに指導者がいた、経験者がいてその人に従い水のある場所に行って助かった
それは聖書の預言者が導いたのとにている
それは神に導かれたともなっていたからだ
ただ今回はその導いた人が経験して知っていたからである
ただここに運があったかもしれない、もし間違ったら水がなかった全員死ぬということもあったからだ          

つまり誰を信じて従うか?

それは集団でもなく、合議でもなく、一人の人間に従って助かる、また助からない

この時の判断は集団ではできない、また話し合っても時間がないからできない
すると誰かの判断に従い、それで助かる場合もあるがない場合もある
一つの賭けになる、でもどっちかを選ばねばならない
その責任はだれにあるのか、

導く人のなのか?選んだ人なのか?

結局双方にあるともなる

南相馬市の鹿島区の海老村では海に面した崖の上が高いからと避難場所に指定されていたそこに逃げて30人が死んだ、そこは海に面して危険な場所だったからだ
でも10メートル歩けば助かる所がいくらでもあったのだからそんな所に逃げる必要もなかったのである
そういうことは他でもいろいろあった、例え行政で安全だと指定しても危険な場所があった、だから行政すら危機には頼りにならないとなる

だからどう判断するのか?

ペストではヨ−ロッパで三分の一が死んだ、そこでカトリックとか神に祈っても効果なかったとしてキリスト教信仰からルネサンスとか科学とか現世欲望を肯定する社会に変化したとしている、今回もイタリアなどでは牧師が感染して死んでいるからだ


結局人間は危機にバベルの塔のようになり散り散りばらばらになり収支がつかなくなり茫然としているだけのなかとなる
それが人間の宿命でどうにもならないとなるのか?
そうしてボッシュの絵のように混乱の中に入り乱れそこに死神が君臨するようになる
いくら科学や文明が発達して人間の行く着く先はバベルの塔だとなってしまう
ただ最後は神を仰ぎ見る、神の助けなくしてなにも成せなくなる
世の終わりが来るともなるのだ

バベル(混乱)→収束不可⇒give up⇒神の来臨⇒選ばれた信者の救出

結局こんなふうになる、人間の文明の行き着く先はこれなのである
いくら人間の知恵を働かせても収支つかなくなり文明はバベルの塔のように崩壊する
神が神の知恵で治めない限り永遠の平和はない
人間の社会は(バベル)に終わる



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2020年04月21日

原発事故とコロナウィルスの判断基準の共通性 (科学的理由、経済的理由、政治的理由の優先順位)


原発事故とコロナウィルスの判断基準の共通性

(科学的理由、経済的理由、政治的理由の優先順位)

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どれを重んじるのか?それが問われる

●科学的理由

●経済的理由

●政治的理由 


原発事故とコロナウィルス禍は似ていると考察して来た
これをどう判断するかでも共通な面が多かった

まず原発事故になったとき「放射線の被害」のことが真っ先に取り上げられて恐怖におののいた
コロナウィルスでも同じである、このウィルスが正体不明のために恐怖した
放射線でも実際はどう影響するのかわからず恐怖になった
ただ放射線はコロナウィルスと違ってある程度科学者でも理解していた
ただどれくらいの影響があるのかわからなかった

素人でも内部被爆が怖いことを理解した

体内で放射性物質が放射線をだして細胞を破壊して癌にさせるとかなり恐怖した

そして放射線の怖さは遺伝子を破壊して女性は奇形の子が生れるとか次世代への影響があり恐怖した

コロナウィルスは老人が死ぬが次世代の人たちまで影響することはもう社会を持続できなくなる、それで避難区域からは若い世代が去り老人だけが取り残されたのである

この三つの理由がどれを優先させたかどうかの判断はむずかしい

第一原発が日本に福島に誘致されて作られた理由は政治的経済的理由である
政治的には核兵器をもつ日本として欧米の要請がありまた技術先進国として認められるためである
そもそも科学技術となるとそれ自体に善悪はない、その利用する人間が間違えば核戦争になる、一方で原発も安全利用しようとしてももともと危険なものだからその危険性を承知していなければならなかった
でも政治的、経済的理由で無視されたのである

この三つで優先する順位は変わる

最初に原発でも科学的理由で判断する、でも実際はそこで生活している人たちがいてその人たちの生活が破壊され自治体が破壊される、だから一概に科学的理由だけで判断できるのかということが後で問題になった
もう自治体は経済的に崩壊してゴーストタウンになった
その被害の方が大きくもう回復できなくなったからだ
確かに科学的には年間一ミリシーベルトを守れという意見もわかる
でもそうなると住めなくなることの被害の方が甚大になった
現実は老人は放射線のことを気にしていなかった
それで飯館村で老人はキノコでも食べていたのである
別に十年後に癌になるにしても何かしらの病気になり死ぬのだから関係なかったのであるだからすべてが科学的判断が優先されることはないのである

今回のコロナウィルスでもそうである
武田邦彦氏は今回はコロナウィルスはインフレインザと比べてみても日本では自粛することもない、普通に生活していて大丈夫だとしている
これもマスコミでは危険を言うからわからなくなる、マスコミは視聴率をとるために危険をあおっているのだという
そんなことがあるとしたらマスコミは犯罪的であり罰せねばならないともしている
危険をマスコミがあおるのは視聴率を稼ぐことがテレビとかマスコミの目的だからとしている

また武田邦彦氏はむしろこうした厳しい自粛とかの命令は経済的破壊をもたらして飲食街とかを崩壊させて生活できない人たちを大量に作り出す、その被害の方が大きい
そういう失業した人たちが巷にあふれる時、危険な状態になる
外国でぱすでに暴動が起きているからだ
それは原発事故で30キロ内を避難させて自治体を崩壊させて回復できないようにしたとにている
つまり今回は科学的理由で安全⇒経済的崩壊を防ぐという言論に終始している

ともかく政治的判断にしても必ず科学的理由と経済的理由があって判断できる
でも公明党が10万給付を阿部首相に直談判したのは政治的理由だとなる
公明党の創価の協力なしで選挙に勝てないともなるからだ
またこの10万給付は国民には人気になる、生活保護者ももらえるからである
創価とか共産党系は生活保護者は相当数かかえているからだ

原発もコロナウィルスも科学的な問題が最初にくる
でもそれだけでは判断できないのである、必ず政治的、経済的な問題がからんでくる
科学を優先するにしてもそれだけでは解決しないのである
そもそも放射線でもどれだけの被害があるのかは確定しない、コロナウィルスでもそうである
コロナウィルスはすぐに死者がでるから外国では即恐怖になった
でも日本では死者数が少ないからそれほど感じない、ただ隠されているからわからない
こういうとき原発事故でも低く放射線を政府では操作したからである

モニタリングポストの下の土をとって低くしたのである
その周りを私が計ったら倍以上あったからだ

政府⇒大成建設⇒放射線量を低く見せる

今回は

政府⇒医療従事者⇒感染者と死者数を少なく見せる

こういうことが行われるから判断できなくなる

一方で科学的理由で医療関係者と一体になり自粛を強調する、緊急事態宣言をして活動をとめる、そのことで生活の影響が大きく経済的に困窮する人たちが増える
そこでは経済的被害の方が大きくなり失業者とか自殺者とかが出ることの方が問題だとなる
これによって社会の安定はなくなり不穏な状況になる

すると経済的理由の方を優先すべきだとなる

それは原発事故で自治体の経済が破壊されてゴーストタウン化した
それと同じことが起きている
10万の給付とか国の経済的支援でも補償でも原発事故とにている
ここでも今でも問題が尾をひいているからである
どうしても不公正になるからだ
南相馬市内では30キロ内は医療費が未だに無料である、同じ南相馬市でも30キロをはずれると医療費無料は半年で打ち切られた
科学的にみても放射線量は何も変わらないのである
それは放射線量で補償を決めたら政府で莫大な金を出すことになるから30キロ内だけは補償するとしたのである
それで30万円を補償する給付するというとき差別化を計ったのと同じである
それでは不公平になるからと10万円を国民に平等に迅速に支給することに変えたのである

韓国が今回コロナウィルスの対処で成功してムン・ジェイン(文在寅)が当選した
それはまず科学的理由として検査を徹底した、感染者の数もごまかさずに徹底した
そして政治的判断をして乗り切ったとなる
ただ国によって事情が違ってくるから日本は日本なりの事情があるから同じようにはできないことはわかる
でも日本は最初から科学的理由で判断していない
検査もしていない、そこからして政治的経済的判断が優先されたとなる
ただ日本の特殊な事情で本当に感染者とか死者数が少ないとしたらその判断は正しいとなる、でもそうでなければ失敗したとなる

とにかくこの問題は原発事故でもそうだったけど理系と文系の問題としてもあった
理系だと科学的に判断する、でもその科学的判断でもすべて科学者でもわかっていないから困るのである、原発事故では御用学者がでてきて安全神話を唱えつづけたからである
放射線は被害はたいしたことがないと言っていたからである
またコロナウィルスでもそういうことが起きている
被害を大きく言うものと小さく言うものがいるからだ
今回はコロナウィルスはインフレインザから比べると被害がずっと少ないとしているからだ、ただ一方で被害を大きく言う人も科学者でもいるから判断できなくなるのは原発事故と同じなのである

私としての判断は原発事故のように経済的崩壊、破綻することの方が怖い
ゴーストタウン化した方が怖い、そうなると回復しないからだ
それはそこで培った歴史の継続もたたれる、墓すら別な場所に若い世代移り住んだ場所に移されたりするからである
自治体の歴史自体が消失するのである、するとアイディンティティも消失する
その被害の方も大きいから経済的に破綻することの方が被害が甚大である
だから老人は死んでも若い世代にはそれほど影響ないのだから経済的破綻を崩壊を食い止める方をを優先すべきだとなる
今回は老人が死ぬとしても若い世代は生き残るから生は継続されるからである
ただこの判断は本当にむずかしい、結果でもまた違ったものとなる
結果をみてこうすればよかったとこうしなければ良かったとか必ずなる
でもそれは結果論でありその前にどう判断するかは今本当にむずかしいとなる
でもその判断の結果が戦争で3百万人死んだ重大な結果をもたらすから今の判断をどうするかが大事になる
そもそも原発事故の場合は日本に原発を作ったこと自体が間違っていたのである
コロナウィルスはまた別な問題てありまた新たな判断が対処が迫られているのである



原発事故を隠蔽したソ連は崩壊、中国の命運はいかに

MSNニュース











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2020年04月20日

コロナウィルスでゴーストタウン化 (原発事故周辺もゴーストタウン化したーこれもカルマなのか?)


コロナウィルスでゴーストタウン化

(原発事故周辺もゴーストタウン化したーこれもカルマなのか?)

原発事故は地域的なものであり一番被害を受けたのは福島県であり浜通りであり
相馬藩内が主だった、相馬藩内でも城のある相馬市は平常通りだった
原発事故とコロナウィルスと比較して考察して来た
そこに共通なものがあった

一番感じたのは

原発事故以後この辺がゴーストタウンになった

コロナウィルスウィルスでゴーストタウン化した

歓楽街などが一番被害を受けた、これも何なのだろうとなる
原発によるゴーストタウン化は今でも継続しているしその深刻さは今のゴーストタウン化とは違うにしろやはりゴーストタウン化していることは確かである

おそらく原発事故でこの辺がゴーストタウン化したときテレビで写されたとき面白がっていた人がいたことは確かである、他人事として見ていた
それは原発事故は一地域で起きたことだからそうなった
深刻な被害を受けたの原発の限られた周辺だったからである
だから全国的に深刻なものとして見れなかったのである

今回のコロナウィルスは全国的であり世界的である、だから世界中の人が日本中の人が被害を受けるから関心をもつ、そこが根本的に原発事故とは違っている

人間は自ら体験しない限りわからないことが多くある、人間の経験することはあまりにも限られている、だから相手を理解をすることがむずかしいのである
だから原発事故で避難を余儀なくされた人たちが仮設に住んだり家族がばらばらになったりすることでもそれを経験しない人は理解できないとなる
それは福島県でも浜通りでも南相馬市でも全部がそうなったわけではないからだ

ゴーストタウン化したのは原発から約20キロ圏内である
小高などは一時街灯もともらず通りは真っ暗になって不気味だった
今でも浪江とかは帰っているのは一割とかゴーストタウンなのである

このゴーストタウン化は世界中で起きたことも原発事故とは違っている
都市が封鎖されてそうなった、ここは小規模であり大都市が封鎖されるのとは違っていたでも何かここと同じようにゴーストタウン化することがどういうことなのか多少は理解する、他人事ではなくなる
第一人間は世界で紛争がありシリアとかのようになってもそれが自分のこととして理解できない、そこに苦しんでいる人たちがいても自分のこととして理解できない
安全地帯からテレビで見ているだけだから刺激があっていいとかしかならないのである
つまり何でも当事者にならないと相手のことが理解できない
だから多少でもゴーストタウン化することはどういうことなのか原発事故周辺のことが理解できるようになる

だから原発事故は局所的なことではない、一つの人類の呪いとなりカルマとなったことを知るべきである、それは全世界の問題なのである
なぜならその責任は日本国民全員にありまた世界に人類の罪だともなるからだ
だからどうしても核兵器を作り広島に原爆を落としたアメリカはこの呪いからカルマから逃れることができないと思う
それが我が身にカルマとなってふりかかる、つまりアメリカは一番核の恐怖に怯えねばならない国だともなる
だから小国の北朝鮮をこれほど恐れるのも自らの核の呪いカルマからだともなる

いづれにしろ人間は必ずカルマを経験する、親が苦しんだことを子がその苦しみを経験して親を理解する、その子の親は夫が若い時大病になり生涯苦しんだ
そしてまた今夫が事業地失敗して夫で苦しんでいる
その時親の苦しみを理解するとなる
親と同じような苦しみを子供が受けることはかなりの確率で起きていることは確かなのである
私の家で店をやっていたとき母はお客さんが食事中でも来るから必ず立たねばならなかった、それが嫌だった、でもそうしたことが今自分は経験している
一人で食事するといろいろ用意することがあり必ず食事の途中でも立ったりするから
何かゆっくり食事できないのである
これもカルマだったともなる、そこで母親の苦しみを理解することになるからだ

そういうことはみんな年になれば経験しているだろう、なぜこんな苦しみを受けるのかというときそれはカルマが関係しているのである
そもそも他人に何か苦しみを与えたものは自らもその苦しみが与えられる、そうしなければ相手がどれほど苦しんだか理解できないからである
それがカルマなのである

ともかくコロナウィルスでもこれを人類は経験している、この被害を甚大なものであり人類的災禍である、でも時間がたつと忘れられるのである
でもその苦しみがカルマとなって時間がたつと再現されてウィルスの恐怖におののく
そして当時の人たちがどれだけ苦しんだか理解する
つまり同じようなことを経験していくら文明が発達してもその恐怖は同じであり同じことが再現される、カミュの小説でもそういうことがありやはり同じことがくりかえされる
津浪でもそうだった、これも日本では歴史的に何度も経験したことなのである
でも忘れていたがそれが現実化するときカルマを知る、当時の津波で苦しんだ人たちのことを知るのである
まずそうして同じ苦しみを経験しないと歴史でもそういう事実があったとさえ人間は時間の中で忘れてゆく、だから忘れさせないようにこうしてカルマが再現されるのかともなる

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2020年04月18日

南相馬市のコロナウィルスの影響 (はらまちユッサは営業停止・・レストランは・・)


南相馬市のコロナウィルスの影響

(はらまちユッサは営業停止・・レストランは・・)

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はらまちユッサ

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高見ホテルのレストラン

写真で見るより広い空間である


新田川のユッサは五月の連休過ぎるまで営業停止であった
これも結構長いとなる
ここはあまり利用していないから自分にとっては影響がない

レストランでは高見ホテルのレストランは一週間に一回くらい定期的に行っている
その理由はあそこが広いのである、悠々として食事ができる
それとメニューではサシミ定食がお得である
なぜなら料金が900円でも正味材料だけでも600円はかかっている
それはサシミの内容を見ればわかるからだ、スーパーでそれくらいだとなるからだ
だからもかっていないのである

レストランというとき特に街の古い食堂となると狭い敷地で経営している
場末の飲み屋でもそうである、場所が狭いのである
となると濃厚接触しやすいからコロナウィルスでは危険だとなる
すぐ近くに高見食堂がある、これは高見ホテルとは別だった
警察署の前にある、そこは料理はいいとしても狭いのである
何か狭いと窮屈になるから嫌である、でもそこは混んでいる、料理がいいからだろう
でも濃厚接触してしまうからコロナウィルスには弱いとなる
空間に余裕がない所はコロナウィルスには弱いのである
距離がソーシャルデスタンスが保てないからである

南相馬市ではまた一人感染者が増えたとか結構危険である
すぐ近くに感染者が出たのを知って驚いた
だからみんな今はマスクしている、相当に気を使っている

ただ東京はこのコロナウィルスに対処するには辛いだろう
外に出れないことは精神的にも鬱屈する
田舎だと別に一人で誰もいない所に出ることは簡単だから家に閉じこもることはない
第一そもそも東京とか大都会になるとまず人と接しないで生活すること自体不可能なのである
だから感染者が増えている、その原因がいくら減らすにも接触者を減らすことができないようになっているからだ
8割に接触者を減らすことは至難だとなる

となると感染者を増えるのを止めることができない
とにかく人が密集することで東京でも大都会は成り立っている
それを止めることはできない、だからウィルスには大都会は弱かった
そしてウィルスには危険だった、その点田舎はウィルスにはそれほど影響されないということがあった
ただ外部からどうしても入ってくるから感染者が増えてゆく

でも問題なのは東京を中心にして拡散してゆく、東京からの人の流れを止めないと感染者が増えてゆく、それで地方でも東京で止めてくれないと困るとなる
でもそれは密集して暮らしているのだから不可能にもなってしまう
必ず拡散されてゆく、仙台市からこの辺では拡散されたことでもわかる
あれだけ人が行き来すればどうしても仙台市から東北では拡散してゆくのである

コロナウィルスでテイクアウトがレストランとか食堂ではじめたのはいいことである
その食堂なりの料理があるそれを気軽に弁当として食べられる
なかなかなじみでないと入りにくいのが田舎だからである
つまり人と接しなくても弁当だけを買って食べるとなるなら気楽だとなる
引きこもりでもそれならできるとなる

日本では食堂でもレストランでも狭いから接触しやすい、だから高見ホテルのレストランは広いから例外的だともなる
そして意外と客が入らないのである、だからあれだけ広いのにもったいないとも思う
ただ料理はどこであれ何か飽きる、自分で料理しないと栄養も十分にとれないのである
特に野菜不足になる、だから料理はしていない
とにかくコロナウィルスでは密集しているとか密閉しているとか人と人が接触するのが嫌われる
飲み屋なども狭いのである、路地裏で狭い空間で商売しているから危険だとなる
それは田舎だとある程度可能でも東京とか大都会では不可能である
そこにこのコロナウィルスの問題がありそこが解決できないのである
だから人が集中する都会自体の問題がクローズアップされたのである
posted by 老鶯 at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスと原発事故が似ているのはなぜなのか? (既得権者は悪くても罰せられない‐司法でも守られる)


コロナウィルスと原発事故が似ているのはなぜなのか?

(既得権者は悪くても罰せられない‐司法でも守られる)
kitokuken11.jpg


colonavirus222.jpg

医師会とかどういうふうに今回関係しているのかわかりにくい
ここは強力な団体だから誰もあからさまに言えないのだろう
特にマスコミでは言えない、医師会がどうだとかマスコミでは指摘しないからである



何かコロナウィルスと原発事故に共通性があるのはなぜなのか?
それを解説していたのが加治将一氏のyoutubeである
日本の根幹に既得権者がいてその人たちを守るためにすべてが機能するようになっているそれで原発事故でもなぜ東電の幹部とか政府でも明らかに過失があったのに罰せられなかったのである
重大な過失があったのに誰も罰せられていないのである
それは司法でも官僚でもマスコミでも既得権者の仲間だから罰しないとしている
司法関係者も東電に天下りしていたからである
東電に天下りした人々を見ればそこが既得権者として上級国民として利権を構成した人たちだということがわかる
だからその人たちは守られる
そういう構図がもともと日本にあるからコロナウィルスでも同じことが起きている

今回のコロナウィルスでもどうしても不可解なことがある

●なぜ日本では検査しないのか?

●なぜ病院で医療を拒否して医療崩壊を言っているのか?

まず検査しないかというより病院で検査させないのである
だから熱がでて病院に行って断られて50もの病院を回っても診てもらえなかったとなる門前払いされているのである
政府では検査したくない、コロナウィルス患者の数を増やしたくない、医師会でもコロナウィルスはもうからないし病院にとっても利益にならない、医師会でも利益にならないから検査しない、でも上級国民は検査するという、それでアナウンサーはマスコミは既得権者の仲間だから検査されて入院して治療できたとしている
一般庶民は診てもらうことさえできなかった

武田邦彦氏もインフレインザと比べて解説していたが十二分に診れる余裕が病院にはあるというインフレインザと比べるとコロナウィルスの数は比べものにならないほど少ないとしている
インフレインザと比べたときこんなに騒ぐ必要はないとしている
つまり医療崩壊など起きていないというのだ
ではどうして医療崩壊のことを盛んにマスコミで言っているのだろうか?
これもテレビばかり見ていたらわからなくなる

今回の謎は原発事故の時は東電という大企業と政府と官僚と司法とマスコミが既得権者でありそれで重大な過失があっても司法でも誰も罰することがなかった
第一司法関係者の天下り先が東電だったとしたらそこに忖度するからできない
この忖度とは既得権への上級国民への忖度だったとなる
これも極めて日本人的な用語でありその言葉が生まれる背景が日本社会にあった
常に忖度するという時、権力をもつものくとか上級国民の利益を守るということで忖度するのである
そこで庶民に忖度することはないのである

なぜ今回のコロナウィルス禍で理解しにくいことが起きているのか?
それはやはり原発事故では強力な原子力村が既得権者となっていてそれに庶民は立ち入ることができなかった
今回でも同じで今度は医師会という日頃お医者様として崇められている人たちの利権がかかわり何かそこで黒い霧がかかり見えなくなっている
医師会というのを庶民でも病気になれば世話になるのだから意外と最も身近なである
だからお医者様に逆らうことはできないとなる
でもお医者様も高額な給料をもらっていてももっと金が欲しいという医は算術にもなっている
ただ別にお医者様が悪人というのではない、そういうシステムとして既得権者の中に入っているから個々の医者も従わざるを得ないとなる

ともかくマスコミの報道からは真実が見えないのである
なぜならマスコミは既得権者の仲間であり利益を得るものだからである
東電でもまた電事連で莫大な800億とかの宣伝費をマスコミに払っていたのである
その時マスコミの幹部は東電によって中国に招待されて歓待されていたとき原発事故が起きたのである
このことがマスコミが既得権者の仲間であり原発の危険性を指摘できない、報道もできないことを示していたのである

だからテレビばかり見ていると真実がわからなくなる、ネットというメデアが生れて対照的に見るにしてもなかなか時間が普通はとれない、するとテレビだけを見て要点を知ろうとする、それだと真実を知ることはできないのである

どうして日本では検査しないのだろうか

どうして病院で熱が出たりしてもコロナウィルスの検査とかしてくれないのだろうか?

そしてなぜ医療崩壊をしきりに言うののだろうだろうか

このことがテレビばかりみていたらわからないのである
それで科学者の武田邦彦氏の言っていることで理解する
それにしても今回もまずウィルス自体がわかりにくいのは放射線がわかりにくいのと似ていた、ただ違っていたのは放射線は一応素人でも計ることができた
放射線を計る機械を買えばできた、そしてその数字を偽ることはできない
それでモニタリングポストの下の土を大成建設の社員が掘って捨てて放射線量を低くしていたのである
私がそのモニタリングポストから離れた所を計ったら倍以上の放射線量があった
つまりモニタリングポストの放射線量は実は半分くらいに抑えられている

このことでわかるのは

政府⇒大成建設⇒放射線を低く抑える

こういう構図があったとなる、政府と大企業とかゼネコンはやはり既得権者の仲間だとなるからそうなる
ただ原発事故とコロナウィルスの相違はその既得権者の仲間に入り利益を得ようとしたのが地元の人たちである、その人たちも利得を得たのである
地域でも自治体でも原発マネーで潤ったのである
コロナウィルスでは何か庶民では利得を得るという人たちはいない
緊急事態宣言で店を閉じたとういことでその損失分をもらえるだけなのかとなる
それすら全国民となると10万くらいだとするととても足りないとなる
このコロナウィルスで地域的に得した所はないのである 

どこかが特別利益を得るようにもなっていない、医師会でも得するわけではない、ただ損したくないとして診療拒否とか何かそういうことが行われているだけである
原発マネーだと地域でも利益を得た人たちがいたのである
だから既得権者の原子力村だけではない、その原発を積極的に誘致した地元の人たちも批判されたのである、原発乞食とか補償金にたかるものとして批判された
でもコロナウィルスではそういうことはない、みんな損する立場になっている
それで全国民に差別なく10万円を与えるとなったのである

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加治将一

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武田邦彦

新型コロナ悲報 この“黒すぎる闇”(2020.2.29)

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テレビでは医療崩壊を言うがyoutubeでは武田邦彦氏はないという

原発事故では「安全神話」がマスコミと結託して作られた
「安全」という報道しかないとにている




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2020年04月17日

阿部首相に危機の時のリーダーシップはなかった (今危機に求められるのは強力なリーダーシップ)


阿部首相に危機の時のリーダーシップはなかった

(今危機に求められるのは強力なリーダーシップ)

 自立心のない安全保障観は、アメリカと組んでさえいれば大丈夫という誤った信念を生む。つまり北朝鮮のミサイル対応や尖閣沖の中国船に強く出られるのも、「いざとなったらアメリカがやってくれる」と思うからで、その状態を保つこと、アメリカの要請に応えられる状態を保つことが日本における危機管理の柱になってしまったのである。


 コロナで露呈「危機に強い安倍晋三」神話はなぜ崩壊したのか
4/17(金) 11:16配信プレジデントオンライン

日本はアメリカに負けてから政府も国民も自立心がなくなっていた
アメリカ頼りでありアメリカがなんとかしてくれるというマインドになっていた
日本は独立国ではなくアメリカの従属国でありアメリカの一つの州だという人もいた
結局そのくらい日本は自立心がなくなり独立国でもなくなっていたのである
ソ連との冷戦の時とか高度成長時代はそれでけ良かったのである
それまで大きな危機が来なかったからである

それが津浪とか原発事故とかコロナウィルスで大きな危機が来たとき対処できなくなっていた                                            

日本は原発事故の時、最初に連絡したのがアメリカだった!

スピーディで計測したのを最初に連絡したのはアメリカだった、日本政府ではなかった
こんなことありえるだろうか?

アメリカさん、助けてください!

これしかなかったのである、日本自体で成す術もなかったのである

日本は戦争に負けてからそういう体質になった、危機に対処できないものとなっていた
ただそれが表面化しなかったのは大きな危機が来なかったからである
つまり幸運だったのである

阿部首相にもそうした危機が来なかった

つまり阿部首相の政権が長く続いたのは実力ではない、幸運だったのである
でもそうして幸運が長くつづかない、こうして危機が来て実力が試されることになった
その時阿部首相は対応できなくなっていたのだ

阿部首相が優秀だから長く政権がつづいたというのではない、それも幸運で錯覚していたのである
阿部首相は保守の強権派でもない、たまたまその血筋なのか何なのか実力なくても天皇のような地位に上げられたのかもしれない、それが危機に瀕して対処できなくなった
危機の時本当の人間の実力がわかる、そこで日ごろ隠された能力を発揮する人もでてくるまた全く無能をさらけ出す人もでてくる
おそらく阿部首相は危機に直面ししていないから右の硬派のように見られていたか実際は人格からして優しく見える、また苦労人でもない、血筋で上がってきたから危機に対処できないともなった

ただそれは阿部首相だけではない、日本人そのものが独立心を戦争に負けてから失ったのである
だから国自体が独立心がないのだから個々人も独立心がないと言われたのである
何か独立心を主張すると戦争のことがあり否定されてきた
ナショナリズムとかも否定されてきた、でも国の独立が今や危機的状態になったら必要とされる
現実にアメリカは後退して今度は中国が日本に侵略するような状態になっている
でもアメリカにもう頼れなくなるのである
そしたら否応なく日本は独立心がないと対抗できなくなる
それが右寄りであり戦争になるとか言っても現実問題としてアメリカに頼れなくなるのだからどうするのかとなる

いづれにしろ戦後70年となり時代が変わる波乱の時代になった
この時代の変化に対処することを日本全体が迫られている
まず阿部首相はとてもリーダーシップを発揮できる人ではなかったことは国民は知った
実力がなかったのだか幸運の結果そのことが隠されていたのである
ただそうなると強面のリーダーが軍人のような人がでてきてまた戦前に逆戻りするともなる

つまり日本は依然として戦後なのであり戦争を清算してもいないし総括もしていないし
ただ戦争をのことをあいまいにしてきたのである
だから危機になると戦争のことを見直して日本はアメリカ頼りから脱する
でもそれは大きな決断でありその舵取りするリーダーは強力でないとできない
そうなると戦前のようにファシズムのようなものとして国民の自由を拘束するようになる
でもそもそも危機になったら何か今回のように右往左往しているとますます傷口を広げてどうにもならなくなる
強いリーダーを望んでいることは確かである

日本という国は戦後独立心が消失したこと戦争のトラウマから70年過ぎても逃れられないのである
コロナウィルスでもそうだが日本は国際情勢でも大きな危機にたたされているという
中国とロシアが日本の海で活動を活発化しているというからだ
それはアメリカがコロナウィルスで混乱して衰退してゆく、太平洋から艦隊でも引いてゆく、そこにつけいっているという
日本は戦後70年で危機に直面している
でも日本国民でも独立心はないし政府でも阿部首相にもリーダーシップがないことは判明したのである

こういうとき新たなリーダーになるものが出て来ることが望まれているのだろう
それがまだ形とならない、でも本当に危機になったら中国でも攻めてきたら誰かが強力なリーダーシップをとって国民を導かないと日本は滅びるとなる
中国の属国になるとかロシアに占領されるとかなる
ただ日本は70年間平和でありこうした危機を経験していない、だからどうして独立心をもって国民自体が対処していいのかわからないのである

こういうときは40代とかでも首相になれるかもしれない、どうしても60代以上になるとできない、ただアメリカでは70代でも大統領候補になっているしトランプ大統領は70代だから時代も変わっている
だから現代だと60代以上でも政治でも戦力となる時代である
66歳の大工さん見たら全く体力が衰えていないことに驚いた
50代にしか見えないし体力仕事も高い所での作業をできている、だから今は年齢だけではその人を見れない時代となっているともなる
なかなか歳だけでは判断できない時代になっている
でもITとかなるとどうしても苦手でありテレワークについていけないというのもわかる
ITはいろいろなものがありyoutubeの動画とかなるとめんどうになる
それで老人は不利になっているのである


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コロナウィルスで起きた社会の変化 (それがすべて悪いともならない―神の働きでもあるのか?)


コロナウィルスで起きた社会の変化

(それがすべて悪いともならない―神の働きでもあるのか?)

大気が浄化された

交通事故が減った

交通機関の利用が激減

(飛行機、船、電車、バス、車など)

歓楽街の灯が消えた

テレビの芸人の自粛

俳優や芸能人の収入減

密集化する祭りとかイベントの禁止

エネルギーの消費が減った

人が密集する場が激減

宗教の集団で祈ることの禁止

集団化する組織団体の働き方の見直し

直接人と人が接しない社会  


コロナウィルスで起きた社会の変化は何を語っているのか?
それが必ずしも全部悪いとはならない、もちろん世界の景気が経済が悪くなり恐慌とかなることは世界動乱になりいいものではない
ただ大気が浄化されたというのは人間の活動が止まった結果として二酸化炭素が減ってそうなったのである
これは悪いことではない、また交通事故が減ったのは車社会であり車がもともと多すぎたからである
そして交通機関の打撃も大きかった、鉄道でも乗りにくい、密閉空間だからである
そして駅は人が集まる所だからである

でも何か現代は移動過剰社会になっていた、インパウンドでも膨大な人間が移動する社会である、仕事でも過剰に移動する社会である
それが高速道路とか新幹線とか飛行機とかで加速された 
それが別に悪いということではない、でも過剰移動社会になったときグロ−バル経済になった時問題が起きた
移動が容易な社会だからグロ−バル経済が可能になったからだ
そこで自ら住む場所が軽視されるとか問題が起きた  

金があればどこにずも住めるということは金が第一となる社会でありそれは移動社会を加速させる
だから原発事故で多額の補償金をもらった人はもっと便利な仙台市に移り住んで人が結構いた、つまりどうしても大都市が便利だからそこに移り住みたいとなった
東北には仙台市に住みたいという人がもともと多かったからである
つまりなぜ故郷でも確かに放射線が怖いというのはわかる
でも一挙に若い人たちが脱出して帰らなくなったのか?
それは現代の金が唯一の価値となりどこにでも簡単に移動して住めるという社会のせいもあった
まず江戸時代のようだったら移動することすら簡単にできない、まして移住することはできない、この辺に越中とかから移住して住んだ人は命の危険があって移住してきたからである、それは世界の難民とにている
移住することは国内でも簡単にできなかったのである

とにかくコロナウィルスは人を移動さこせないように強制した、また人が密集しないように人と人が直接接しないように濃厚接触しないように強制した
現代はあまりにも人が密集しすぎたことがある
東京のように満員電車で詰め込まれるて出勤しているのは異様な光景だった
でもそれが日常化していた、今なら適度にすいているからそれが正常だとなる
テレワークになると会社に一週間に一回とか行く、すると自宅とかで過ごしてその住んでいる場所を快適にするようになる
それから東京一極集中しすぎたのである
東京圏に集中しすぎたことが自然の理にかなわないものとなっていた
そのことが日本全体でも世界で歪めるものとなっていた
原発でもそもそも東京の膨大なエネルギーを供給するために福島に作られたのである
福島県は東京から遠くもなく近くもないという場所にあった
それが不幸を生んだのである

このコロナウィルスの不思議は宗教でも集団で祈ることを禁止した
イスラム教などは常に大集団で祈る、メッカでは人が押しかけて将棋倒しで死んだりするそれが宗教なのだろうか?
宗教はそもそもそんなに集団化するものだろうか、そのことはずっと自分の課題として問うてきた
神が現れるのは絶対に東京のような人が密集する騒々しい場所には現れない
なぜなら何もない砂漠にまず神は住んだからである
そこには人はいないし雑多な建物もないのである
そこで一人の人間が予言者から神から啓示を受けたのである
集団はそこにいないのである、釈迦だって洞窟で一人悟りを開いたのである
イスラム教でもマホメットが洞窟で一人啓示を受けたのである
まず集団で神からの啓示を受けることは絶対にないのである

現代の宗教は全部集団化組織化したのもでありそれは政治化経済化したものである
だから本来の宗教は皆無なのである
つまり集団化した示威行為をして政治勢力として働きかけて利益を得ることも目的としているだけである、それは現代の宗教というのはほとんどみんなそうである
利権化権益化した宗教である
だからこそ集団化して密集化して数で示威行動をしているのである
それがコロナウィルスで禁止されたのはなぜなのかとなる
私は何か禅宗に惹かれるのはそれが集団化しないためである
日蓮宗とか真宗の念仏とかがただ題目を唱えて集団化して祈る、それはイスラム教とにている集団化することは権力化することなのである

サムエル記下」の24章で、イスラエルの王になったダビデが人口調査をした話です。

主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。

民を数えたことはダビデの心に呵責となった。ダビデは主に言った。「私は重い罪を犯しました。主よ、どうか僕(しもべ)の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました。」

 現代の「人口調査」の意味ではなく、勢力を広げ権威や権力を持つ体勢の拡大を望み数えてしまうこと、それを戒めているのだろうと心に残ったのでした 

こういうことをカルト宗教団体がしている、毎日会員の数を数えている、数が増えればそれだけ勢力が増したとなるからだ
それが神から見ればどうなるのかをここで諭していた
神の見方と人間の見方は違うのである、だから神の見方は今の人間社会を見てどうみるのかとなる、宗教でもどこも数を誇る数で計算される
数を競い合うだけでありその中身は関係ないとなる、それが神にとってどうみられているのか?
神は砂漠に住んでいたように騒々しい場所は嫌う、そんなに数ばかり数えている集団を嫌うのである、それは神の意にそうことにはならないのである

自分自身は東京とかに学生時代いてもなじめなかった
もともと性格的に騒々しい所や人と交わることが苦手であり遂に家庭に恵まれていて60歳まで引きこもりだったのである
何か自然の中で黙想していたのである、自然と一体化するために沈黙の行をつづけていたのである
だから現代社会とは何か合わない性格だった、それでアウトサイダー化したとなる
それで秘境を求めていたのは自分だった、人のいない自然の秘境を求めていたのである
だから現代文明社会とは逆のことを志向していたのである
石と樹とか山とか自然と一体化することアイディンティティ化することを求めてきたのである
だからコロナウィルスで生じたことが不思議なのである
これは自分にとって必ずしも悪いことではないとも見たからだ
ただこれで困窮する人が増えることは必ず影響する、治安が悪くなるのである
すると平穏に暮らせないともなる

でもコロナウィルスとは何なのか?

これは神が現代文明社会を戒めるために送り出したのか?

何かそうも感じるのは現代文明社会は神から見たとき何か異常であり神にとっても好ましいものではないと見ていた
神の前には静粛たれというのがどこの宗教でも同じである、神道でも同じである
ただ日蓮宗とか真宗の念仏は騒々しいのである、イスラム教も集団化してアラーとか念仏を唱えるのとにている、何か騒々しいので嫌いなのである

また本来歓楽街とか芸能人かがもうけて話題になっていることがいいものなのか
それは社会を歪めるている、そんな窮屈なことを言うなとかそれも経済活動であり社会にとって必要である、そんな硬いこと言っていたら生きることもできないとかもわかる
でも問題はあらゆものが限度を越えて過剰になっていたのではないか
あらゆるものがオーバーになりそれが地球的規模になりグロ−バル経済になり大気まで汚染していたのである
物には限度がありそれを鎮静化したのがコロナウィルスの働きがありこれは神から送りだされたのかとまで思った
もちろんこう言えば不謹慎だとかなる、職を失ったりして自殺する人までいる
そういう窮地にあることをお前は無関心なのかとしかられる

でも何かコロナウィルスでもそれは自然の作用なのだろうか?

津浪でも悲惨だったがこれも自然の作用である

自然に逆らった結果として被害があったともなる、なぜなら海岸沿いに住むことは危険なのにあえて住んだとかある、自然の作用として起きるものは人間の力ではどうにもならない、自然に逆らわない生き方が必要だとなる
ウィルスでも結局人間が生態系を無視して汚した、または動物を家畜化することは文明化でありそれで動物からウィルスが必然的に伝播したともなる
動物の家畜化自体が不自然だったともなるからだ
ただ人間には文明化することは不自然なことなのである
だからそこから災いが生れて来る、技(わざ)わいなのである
そういうことは神話でも語られているしそういきう業をもったのが人間だったとなる
だからウィルスでも自然から生まれたものだからそれは自然の作用であり全部悪く働くものとは限らないともなる
コロナウィルスの結果を見れば確かにそういう面があるのかと見たのである




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