2022年09月28日

安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった (死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)


安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった

(死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)

●死者は美化される

いづれにしろ死者は美化され安いのは過去が美化されやすいのと似ているのである
何かもう過去は人を害することはない、過去の人は人を害を与えないからいい人が多かったとかなるのである、親でも実際生きている時は嫌な面があった
でも死んでみるとそうした嫌な面は消失する
ただ何か今残され生きている人はやさしく見ているだけだとなる
それは何も生者に対して要求しないからである、また何かを与えてくれとも要求しないのである、するとそういう存在はあるとしたら美化されやすい、観音様のようだとかなる
これも不思議なの現象なのである

つまり死者と生者の関係には利害関係はなくなる、何らか人間は利害関係で生きている

過去は美化されのはなぜか?
 (死者は美化されるのはなぜか―利害関係がなくなるのから)


死そのものを社会的に美化したのは明治以降ですよ。
いつからという明確なものではないけれど、美化することによって死にに行く事に抵抗力をなくしているんでしょうね。つまり明治以降軍の力が強くなってからです。

株価も円高も市場が安倍総理と政策を歓迎したのです。

死んだ人のことを悪く言うとバチが当たるような恐怖感がみんなの心の片隅にあるから正直に言えなくなってしまいます。
それと、死んだ人のことを悪く言うと、人から悪い人間だと思われるからです。
結局みんなうそつきってことです。

そもそも安倍じいじが壺を日本に呼んできたのは
団塊が学生運動して国家転覆しかけたからだよ

そもそも安倍前首相が国葬にするほどの人物だったのか?国葬に値する人物だったのか
首相で国葬になったのは吉田首相だけである、すると吉田首相と同等の功績があったのかそのことでも議論すらない、権力者の一方的判断で強行された、民主主義だと常に議論があり是非が問われるがそれもなかった
結局死者は生者によって恣意的に利用される、死者を祭りあげて今生きている人が有利にする、権威を高めるとなる、そういうことはソ連時代の書記でも神のように死ぬと神のように祀られていた、つまり死は無神論者でもその前に厳粛ならざるをえないのである
だから死者は神にもなりやすいのである、生前がどうであれ死ぬと神になるというのは
原始時代からあった、死者は神になりやすいのである
日本でも先祖崇拝となるとき先祖が神となるのもそうである

ともかく自民党の権威を高めるために国葬にしたともなる、祭りは祀るからきているからである、死者を祀ることは祭りになったのである、神聖政治であり政教一致である
政治とは祀ることであり政りごとのことだからである
つまり政治も何かしら権威が必要でありただ権力とか武力とか数だけでは権威は得られない、権力だけでは権威が得られない、だから祭政一致になっていたのである
宗教が政治にかかわってきたのである

●祭政一致ー政(まつ)りごとが政治だった

天皇は国の祭司であり死者を祀ることが仕事にもなる、だから戦没者慰霊蔡が毎年あり天皇が司祭となり死者を供養して祀ることが仕事なのである
国のために死んだのだから国家的行事としてつづいている、それを日本人は否定できないのである、でも韓国とか中国にとってその死者は犯罪人としているのである
アメリカでもそうだったのである、戦争犯罪人をどうして英霊として祀るのかを問題にしている、ただ死者に対して責めないというのが日本の文化でもある
だから戊辰戦争でも官軍の戦死者でも戦士塚として碑を建てて供養している、敵味方塚として供養している、そういう文化があるのは日本だけだとなる
なぜなら大陸だと中国だと民族抗争で熾烈であり民族自体を殲滅するジェノサイドがあるからだ、墓まで暴きたして罰する、日本人はみんな日本人でありそうした熾烈な民族抗争は経験していないのである

ともかく皮肉にも阿部前首相が凶弾に倒れた原因も統一教会とか宗教とかかわりそのために殺された、政治が宗教とかかわりそのとばっちり受けて殺された
宗教と政治がからんでそれが原因となり殺された、カルト教団にだまされて人生を破壊された人がいてその恨みで殺された、ただ政治家は危険な職業である
常にテロに合いやすい、それは様々な人達がいて利害関係がありまた宗教でも安易に票になるとかで野合する、それが危険なのだけどともかく票が喉から手が出るほど欲しいとなり野合する、創価と一体化した自民党自体が野合政権である
そこに危険性がすでにありそのために殺されたともなる
でも政治家は何らか現政権に不満やら恨みを持つ人がいるからテロを受けやすい
でも統一教会がそんなに力があったのかということが理解しにくい
創価ならわかるが10万くらいの信者で自民党を動かすような力をもったのかという疑問である

いづれにしろ宗教と政治は不可分なものとして歴史的にあった、第一邪馬台国のヒメ子かが鬼道で治めたというとき宗教で治めていたとなるからだ
国を治めるにしてもそうした権威が必要であり力だけでは治められないからそうなる
カトリックがローマ帝国にキリスト教が国教化したとき政治化して力を持つようになったその弊害が大きかったので政教分離がフランス革命で起きたとなる
宗教による弊害が大きくなりすぎたのである、そもそも宗教が権力と結びつくと歪められる、なぜなら宗教は個々の心を見ることであり一つの勢力化した権力化した組織団体とは相反するのである、でも社会では心の問題より社会としてはどれだけ勢力があるかで判断する

そして日々会員を増やすことに奔走する、創価ならすべてが選挙に勝つために運動している、統一教会と似ているのである、何か映像みたらみんな集まり気勢をあげて戦う姿がテレビで映されていた、それは何で一致しているのか、日本の政治権力とかかわり日本の政治に影響して金を収奪して国まで収奪しようとする
つまり創価でも目的は日本権力の収奪でありそのために選挙運動がすべての活動として信仰となる、そこで利するのは幹部とか利権にあづかるものである
御利益を得ることが最大の目的である、あとは罪だとか罪障だとか一切問わない、欲望の否定もない、題目をあげてむしろ欲望を強くもって欲望をかなえろしかない
そしてともかく人数を集めてこの世で社会で力を持つことである
そういう団体と一体化して政権を担う自民党も危険である、それはナチスのようなファシズム化の危険がある
でもそうなったのは自民党の票田が農民とか地方から消失して支持基盤が弱くなったためである、一定数の票をが確保しにくくなったためである、そこでカルト教団であれとにかく当選するには票が欲しいとしてそうなったのである

●宗教が権力を持つことの危険

政治はこの世のことである、宗教はこの世となるべくかかわらないで来世で神の国に生きることを目的としているからである、この世にあるかぎりこの世のことにかかわらざるをえなけどなるべくかかわらない、だから運動とかならない、集団化組織して社会を変えようとはしないのである、カルト教団は政治団体でありこの世の権力を得るために日々運動している、統一教会だっから韓国がかかわり政治化して日本とかかわり日本から金を巻き上げて収奪していた、それに組していのが自民党だったということが山上のテロで暴かれた、その首謀者が安倍前首相だったのである、そういうことで自民党が攻められたので
それを隠すために安倍前首相を国葬にして覆い隠そうとしたともなる
死んだ人は罰せられないとなる、でも中国では死んだ人も墓から暴きだして罰している
それだけ激しい憎悪の争そいが中国にあったからだとなる
日本では死者に鞭うつなという文化がある、一旦死んだらその人がどんな人であれ批判はしない、美化されるのである、神となるのである

そもそもなぜ国会での議論もなく自公政権で国葬にできたのかとなる、民主主義的手続きもないのである、権力の怖さはこうして勝手に国民に強制できることである
戦争の時は突然赤紙がきて地獄の戦場に連れて行かれた、それが今ロシアで行われて反対している、権力とは強制できる力を持つことである、だから警察とか軍隊とかと結びついている、警察と軍隊を動かすことができるのが権力だからである
国葬というのもそういう国家的動員をして国民の一体感を高める、でも今回の国葬には反対する人達が多かった、だから国民総意ではないのである
むしろ阿部前首相の悪行が隠されて統一教会問題を自民党は隠して終わりにしたいとしている、そういう政治的意図がある国葬だったのである
阿部前首相がどういう功績があったのかも良く国民にはわからない、むしろ悪行が死とともに隠されてしまった、でもなぜ安倍前首相が死んだ結果オリンピックの賄賂で逮捕された人がいたり司法で悪が暴かれたのか、それは安倍前首相が死んだからだとしている
すると司法でも首相がトップの権力者で逆らえなかったとなる
それだけの権力を持っていたとなる

政治家の側にありては宗教は政治問題として扱われ宗教家の側にありては政治勢力を占めるにいたってその成功が確かめられるのである(内村鑑三)

いづれにしろ政治は宗教を利用して宗教は政治を利用して権力を強固にする
この世の権力は権勢を得ることが政治の目的であり宗教もまた政治にかかわり権力を得たいとなり政治にかかわる、このことが危険なのである
政治と宗教が一体化すれば宗教は批判を許さないから何かあると宗教をもちだして罰当たるとか地獄に落ちるとか脅迫する、それが権力をもったら現実に警察とか軍隊を動員して刑務所に入れることもできる、イスラム世界では宗教と政治が一体だから反対勢力は容認しない、宗教裁判があり法律ではなく罰を与えられる、宗教がこの世の権力を持つとどうなるのか、それを証明したのかカトリックである、この世と姦淫したのがカトリック団体だとしている,ローマ帝国の宗教になったときそうなった
そもそも宗教はいくら強制しても改悛したり信仰に目覚めるとかないだろう
あくまでもそれは自主的な行為であり強制できない、宗教は強制できない、強制する力をもっていない、この世の権力は強制する

宗教自体が権力を持つことが危険なのである、だから宗祖はキリストであれシャカであれ寝る所もなく住んでいたのは岩窟でありそこで悟りを開いたとなる
一人は浮浪者であり一人は乞食だったのである、それが宗教者にふさわしいとなる
なぜなら宮殿に住んでいたり大金持ちだったり栄誉栄華の暮らしをしていたら信仰すれば俺たち庶民でもあのような暮らしができるとなりそうした組織集団に入る
それがカルト教団なのである、世俗的な欲望を達成するものとしてカルト教団がある
だから容易に政治化する、すでに政治団体であり利益団体である、だから税金をとれというのがわかる、営利御利益団体でしかないからである
別に資本主義社会だったら利益を得ることを批判できない、でも宗教化かかわるから問題になる、宗教がかかわるとそもそも宗教でもないのに税金なしで御利益追求ができるとなるからだ

そこに宗教で偽装しているのである、だからこの偽善はいつか矛盾して災いをもたらす
要するにこの世とは人間とは余りにもこうした偽装とか偽善とか偽りが多すぎるのであるそして信教の自由を盾にして批判を許さない、でも実際は本来の宗教でもないのである
規制するという時、組織化団体化した宗教であり個々人の信教の自由ではないのである
組織化集団化自体が権力化することである、キリストが二三人いるところに私がいるというときもう百人でもいたら多いとなる、それがカルト教団になると多すぎるし数を増やして権力を得ようとする、なぜなら十人でも会員が店に買い物に行けば権力化する
会員が十人買うということでも権力化する、店ではそういう組織団体を批判できなくなる民主主義社会では数が力なのである、赤信号みんなでわたれば怖くないが民主主義でもあるのだ、それが極端になると全体主義になりナチスになるのである

●この世は偽善と無駄が多すぎる

自然をみるとそういうことが全くないのである、その美は純真であり偽りは全くない
花を見ても山を見ても動物を見てもそうである、鳥でもそうである
その相違が余りにも大きすぎるのである、その対比でみると人間社会とは何なのだろう
人間とはそもそも何なのだろうとなる、なぜこんなに差があるのか?
何かこの世で仕事するにしてもその職業でも人をだますとかが多いのである
まず金融関係がそうである、銀行など堅い職業だと思っていたが全然今は違う、むずかしい手の込んだ詐欺なのかとも思った、投資信託であれ簡単に理解できないからである
人間の職業は業(カルマ)になっている、何らか必ず職業にはカルマがある
そもそも軍隊とか警察とか医者とかもともとない方がいいのである
なぜなら軍隊が兵士がいないことは平和なのであり警察がいないということは犯罪がないことであり医者がいなければ病気がないということである

そういうものは神の国にはないからである、そこに膨大な力を尽くすことは甚大な無駄だとなる、それで高齢化社会になるとその医療費のために国がつぶれるまでになっているのだ、宗教家なども実際は無用のものなかのかもしれない、極々一部を除いて害になっている、それが膨大なカルト教団なのである、それは実際は害悪でしかないのである
老子の無用の用というとき空地などは都会ではかえって無用の空間でも必要なのであるそこで休息の空間である、びっしりと用で埋め尽くされた建物のなかに空地があることは
むしろ無用でもない必要なのである
でも人間は無用といっても害になる物が多い、人間そのものが害になる人が多すぎるのであく、無用の人にはなれない、必ず害悪をもたらすのが人間である
人間は本当は無用でありえない、そういう人がいたら貴重である
なんらか害を及ぼすのが人間なのである、政治でもそうである、プーチンとかいて戦争を起こして大害悪を作り出し貴重な若い命が無駄死にさせられる
人間は膨大な人間は無益に消尽される、無用ならいいが必ず害悪となるのが人間なのである、自然にはこうした無益なこと無駄なことをしない、自然では何も無駄なことはないのである、人間から無用に見えても無用ではないのである

宗教の専門家などいらないのである、個々人で学べるものであり教会にも寺にもましてやカルト教団などに行かなくても宗教は個々人で学べるし神を知ることができる
かえってそうした仲介者は危険である、金儲けのためとか他者を支配しようとするからである
それは宗教家だけではない、師も危険である、もちろん師にもいろいろあるから全部は否定できない、でも師も偶像崇拝になってしまうのである
だから師というのも危険なのである、師を神のように偶像化して崇める、それはカルト教団ではそうなっている、そしてまるでそのロボットのようになる
師と同一化するロボット集団化する、カルト教団はみんなそうである、全くロボットであハイルヒットラーとたいして変わらないのである、そこに個性は認められないのである
同じ色であり様々な色は認められないのである、メカニカルに一斉に動くロボット集団なのである、それが現代文明の病弊となってナチスが生まれたのである
現代文明は画一化大量生産であり地域性の文化とかを無視する、日本語でも英語にすればいいとか日本文化そのものも否定する、確かに英語は世界の共通語のようになっいるから必要である、でも日本語まで否定することはないのである
むしろ方言とかが見直さらる、方言は国の訛りであり文化でもありそこに温かみがあるからだ、標準語には温かみがないのである、数字のようになってしまうからである












posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月27日

ロシア人の生死をかけた深刻な選択 (他の国でも同じことが起きるし起きてきた)


ロシア人の生死をかけた深刻な選択

(他の国でも同じことが起きるし起きてきた)

russia1.jpg

ロシアで今何が起きているのか、それは生死をかけた選択である
ウクライナと戦うとなると死ぬことが普通にある、戦争は生死をかけた戦いだからであるすると何かそこに意義がないとやれない、それでロシアではウクライナとの戦争に消極的であり士気が低いとされる、ウクライナは自国防衛で士気が高い
それでロシアは混乱している

さらに百万人をも徴兵しプーチンが戦わるとしたら死ぬ確立も高くなる
すると死にたくない、何で死ぬまでして戦争するのか、そういう疑問が生まれる
それも深刻なのである、生死の選択にもなるからだ
祖国防衛戦でもない、わずかの土地を奪うために戦うとなるとそこに意義が見いだせないだから戦いたくないとして脱出する人たちも増えている

でも逆にそれを受けいれない、国内でプーチンに反対して戦いとなる
それもやはり生死をかけたものとなる、反対運動があるがつかまり戦場に強制的に送りこまれる、どちらにしてもその選択は命がかかっているから深刻だとみる
そもそもロシアでもそうだが国とは誰の者なのかということである
平和に住んでいる時意識しない、でも平和な時でも日本だって上級国民のために働かせられているとかある,国のためという時上級国民のために働かせられる、犠牲にされる
上級国民の奴隷だとも常に言う、つまり国家は誰のためにあるのかということである

ロシアとか中国とか巨大国家はもともと一将功成りて万骨枯るとなりやすい
ロシアはプーチンがそうでありプーチンのために犠牲になり死ぬのかとなる
だからロシア国内ではプーチンに反対する勢力もあってプーチンを倒せとなる
でもそれもロシアとかは独裁であり強固な権力がありおさえる、命令する、反対すると殺されるとなりそこで反対して殺されり国を脱出した方がいいと考える人達もいる
大陸だと陸続きだからそういうこともしやすい、でも断る国もいる

それはロシアだけではない戦争となれば死ぬのは嫌だとなるのは当然なのである
ただ大陸国家だと常に激しい民族抗争があり戦争がつづいてきた、だからジェノサイドも起きてきた、聖書でも神の命で民族を根絶やしにするジェノサイドが認められていた
それでけ民族抗争が激しいからそうなった
日本だと島国でありそうした激しい民族を抗争を経験していない、最初は百余国が争うとかあっても日本は島国であり異なった民族でもみんな一つの民族に融合したのである
だから戊辰戦争でも東北では官軍でも敵味方塚として戦死した人達を手厚く葬っているのである、それは中国ではありえないと言っている
中国だと死んでもその墓を暴いて罰しているのである
それでだけ民族間の抗争が激しいのである、日本人はそういう厳しさを知らないのであるただ明治維新後グローバル化して世界の民族抗争に巻き込まれたのである

いづれにしろ人間は死にたくない、でも死ぬとしたらその意義を求める、わずかの領土を得るために死にたくない、戦争自体にそもそも意味があるのかとなる
今回の戦争でもウクライナでも莫大な損失だった、人命から土地から建物からインフラからその損失は巨大なものであり双方ともただ消耗したというだけになる
何か奇妙なのはロシア人の優秀な人達がエリートが国を脱出する
でも戦争という時、本当はそういうエリート達は支配階級の貴族だったら率先して戦った

『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが最初である[4]。

最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

ノーブレスオブレージがありそれは戦士でもあり国のために率先して戦う人達だった
日本がだったら侍だった、そして戦争とはもともとそういう支配者同士の戦いだったのである、国民全員が戦った訳ではないのである
そうなったのは世界第一次大戦とか第二次大戦からである、国民同士が全員兵士となり戦うようになったのである
日本だと西南戦争で侍集団と国民軍が戦い国民軍が戦い侍はいなくなったのである
そして国民全員が兵士にされ戦うことになった
だからこそその犠牲も信じられないものとなった、日本だと三百万人が死んだとかなる
他でもロシアでも一千万人死んだとか信じられない犠牲者を出したのである

第二次世界大戦以後大きな戦争がなかった、でもウクライナであのような大きな戦争がまた起きたことは意外だった、それはロシアが西側に攻められた防衛戦とは違う、ウクライナはソビエト連邦から離脱して独立国になったからである
だから今回の戦争では国論が統一しない、プーチンという独裁者に不満が多い
そして奇妙なのはロシアから国民が脱出する
それが極端になるとプーチンとそれに従うわずかの国民が残り戦うとなる
「プーチン、お前が最前線で戦い、もうお前に従う者はいない、お前一人で戦い」
こうまでなる、そしてロシアという国自体が消失する
だから国家とは国とは誰のためにあるのか、一人の独裁者のためにあるわけではない
スリランカでも国を牛耳っていた大統領一家が外国に追われて逃亡した
国を私物化していたからである、プーチンも国を私物化しているともなる
そして誰も従うものがいなくなったら国は消失する

いくら独裁者でも国は一人では維持できない、また強権的にも維持できない、何らか国を愛して守る自主的な人達がいなかったら国は守れないし消失する
だからロシアは今はそうして国が分解して消失してゆくのかとなる
ただ見方としてはロシアは西側にアメリカに対抗するものであり有利に展開している
報道は西側よりでありアメリカ寄りであり現実の戦況がわからないとも言う
でも大方の見方としてロシアがプーチン独裁であり積極的に戦う意志がないと見る
そもそもロシア国民が大量に脱出するということは戦う意志が本当はない
ただ日本でもグロ−バル化してひろゆきのように日本は駄目になるから脱出しろと戦争する前から叫んでいる、そういう人達も増えているのである
すると日本にも戦争となったらそういう脱出する人たちも増える
でも日本人は外国に住める人はわずかである、島国であり日本は日本国内一億総玉砕となる心情にある、つまり大陸のように簡単に逃れられないからである

いづれにしろ人間が生死をかけた選択を迫られるとき深刻である、その時何のために死ぬのかと平和の時と違って深刻に考える、行動でも迫られる、そういうことでウクライナ戦争はやはり自国の問題でもある、それは他の国でも同じなのである
中国でも台湾が欲しいからといって戦争にふみきれば犠牲者がでる
そうなるとき死んでまで台湾が欲しいのかとなる、それなら支配者がまず率先して戦場に行き戦いとなる、犠牲になれとなる、国民はみんな台湾を中国にすべきと思っているとは限らないからである

ともかく戦争は勝にしろ負けるにしろ余りにも犠牲が多すぎるのである、それで得るものもたいしたことがない、わずかの領土であり台湾にしてもそうである
ウクライナにしても争っている領土はわずかである、そのための犠牲が余りにも大きすぎるのである、とても見合わないのである、損得で考えれば戦争は損しか双方にない
でもなぜ戦争がなくならないのか、人間は愚かなことをカルマとして繰り返すのかとなるそれも人間の業(カルマ)であり逃れられないのかとなる
そしてこれだけグロ−バル化すると最終戦争のハルマゲドンになる、核戦争の恐怖になるこうして人類は滅びゆくほかないのかとなる
posted by 老鶯 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月17日

グロ−バリゼーションの終わり (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)


 グロ−バリゼーションの終わり

 (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)

 グロ−バリゼーションの崩壊ー文藝春秋(中野剛志)

 今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。

 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。
 円安が進んでいてもついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた
 

  グロ−バリゼーションが始まったのは明治維新からまたは大英帝国が七つの海を支配した時だろう、そこで世界共通貨幣が基軸通過がボンドになったのである
次にアメリカが覇権国になりドルが基軸通貨となった
明治維新で日本が鎖国から開国してグロ−バリゼーションの中に組み入れられた
グロ−バリゼーションとはまた世界で対立が激化して世界戦争になった時代だったのである、その負の面も大きかった、何千万人の人間が戦争で死んだからである
世界大戦の時代がグロ−バリゼーションの時代だったのである
日本の太平洋戦争も日本が悪だとしているがそれはそういうグロ−バリゼーションの中で起きたことである、世界の覇権争いに巻き込まれたのである
大英帝国は日本の太平洋戦争で敗れて終わった、アジアから追放された
それは快挙だったのである、最初にアジアの覇権国になろうとしたのが日本だったのである、それは失敗に終わった,アメリカが台頭してきて次の覇権国になったからである

グロ−バリゼーションといっても覇権国があって成り立つ、無制限なものではない、統制する覇権国がありグロ−バリゼーションが成立する
無政府的グロ−バリゼーションはありえないのである
ヒト、モノ、情報でも金でも自由に流通するということではないのである
そこに自ずと限界があり人間はその定められた地理や風土や生態系に依存して生きる
それを越えられないのである、だから国境も必要だと認識した
コロナウィルスなどでやはり国境がないと境界がないとウィルスも自由に入ってくる
関所も必要でありそこで人の流れを止めるということも必要だとなる

グロ−バリゼーションは頂点に達して負の面が大きく認識されるようになったのである
経済面でもそうだが精神的にもそうなる、経済的には内需型になり文化的には国風文化の復興になる、日本は奈良時代は中国の唐から学び奈良時代に遣唐使を派遣して国造りをした、漢字なども取り入れた、でも平安時代になると国風文化になった
そして鎌倉時代になるとやはり中国から禅宗などを取り入れた、でも東(あづま)に政権を樹立して東が支配するようになった、そして戦国時代になり安土桃山文化になった
これはキリスト教などが入り国際化したグロ−バル化した
外国の文物でも技術でも文化でも積極的に取り入れた、その一つが信長が鉄砲を輸入したことである、その技術を取り入れたことである、それが戦争を変えた
そこで絢爛な安土桃山文化が生まれた

次に江戸時代の鎖国になった、国風文化になった、その300年で日本文化が歴史が培われた、ここは世界から遅れたものとして見られていたが実際は内需型であり日本国内で
経済を回す社会である、自給自足の社会が形成されたのである
この時世界から孤立していたとしても戦争のない平和な三〇〇年がつづいたのである
この三〇〇年があまり評価されていない、でも明治維新が成立したのはやはりこの三〇〇年に培ったものがあり成功したとなる
明治維新になぜ綺羅星のごとく偉人が生れたかでもわかる
それは侍がいたからである、明治維新は庶民の力ではない、真のエリートの侍がいたからできたのである、つまり侍が人材となり新しい日本を導いたとなる
侍とは武だけの人ではない全人格として全人間として優れた人達だったのである
それはその後の人間が劣った人達になったということでもわかる
侍はいなくなったのである
ただ世界的にも戦争していたのは貴族であり戦士として選ばれた人達だった
その後は国民となり大衆化したのが現代である、つまりエリートというのは世界的に消失したのである
戦争とはもう数であり機械の戦争となったのである、そこで何千万人もの人間が無惨に物のように殺戮されたのである、国民と国民、大衆戦争だったのである

そして太平洋戦争後から七五年は経済のグロ−バリゼーションの時代だった
それはアメリカ覇権のドル基軸通貨となったグロ−バリゼーションだった
でもこれも終わりになりつつある、中国の台頭とかで終わりになりつつある
アメリカの覇権は終わる、日本はどうなるのかとなるとアメリカが覇権国でなくなるとアメリカは守ってくれない、そこに台湾有事が大問題になるのである
アメリカは武器を与えても直接戦争にかかわらないというときウクライナを見ればわかるアメリカはもう直接兵士を派遣したり戦争にかかわらないとしている
トランプ大統領がアメリカファーストを言っているからである、国内第一になる
外国にかかわらない政策になってきたからである

そして日本もまた国内回帰になる、経済でも国内で極力回す、エネルギーでも石油でもガスでも何かあると輸入できないからである、ただ原子力発電を再稼働するのは問題であるあまりにもリスクが大きすぎるのである、一旦事故になったらこの辺のように住めなくなるからである、ただ国内自己完結する経済になる、だから鎖国時代にもなる
結局人口が縮小して日本が縮んでゆくのはこういう時代だからそうなった
日本がの人口は江戸時代で3000万人とかでありせいぜい6000万くらいの人口が適正規模なのかもしれない、そこで国内需要とまかなうとなるかもしれない
ただそうなると小国になるから中国に支配されることの恐怖になる

でもどうしても日本はもうかつての高度成長とかないし縮小をまねがれないのである
そのことはは文化にも影響する、思想的にも国内回帰であり国風文化の再興になる
世界的にも中世に戻るというときでもそうである
文化的なこと内面的なこと思想の深化とか学術的なこと芸術的なことそうした時代になるだから今なぜオリッピックでもするのかとかなぜインフラでもリニアなど必要なのか問われる、そんなもの本当に必要なのかどうか問われる
高度成長時代には道がないのだから道を作ることに疑問などなかった
でも鉄道でも整備されているし新幹線もあるしそれにリニアなど必要なのかとなる
何があらゆることで意義が問われる、哲学の時代になもなっているのである

いづれにしろ社会は内向きになる、コロナウィルスなどで在宅で家で仕事するリモート会議などしてするのもそうである、働き方も変わった、何か巣籠りというときそれも内向きになり外向きのグロ−バリゼーション時代の終わりを示唆している
世界でもそれぞれの国で国内経済中心となり国内で文化を育てる時代にもなる
自然はやはりそれぞれの地理があり風土がありその中で人間は育つ、それを無視して人間はありえない、自然をグロ−バル化などできないのである、それを多国籍企業がする自然破壊になる、生態系が破壊される、そこでウィルスがたちまち世界に感染するのである
そこに時間差もなくなったのが現代なのである
人間はそれぞれの地理と風土で育つのが自然である、食糧でもやはりその地理と風土の中で育つ、それを食べるのが体にもいいのである、そもそも体はその土地でとれたもので食べるのがいいのである、日本食はだから長寿食になったのである
牛肉とか外国のものをいろいろ食べることはいいことではない、またそれもできなくなる円安になりもう外国のものは高くなり買えなくなるからだ
すると日本にあるものでまかなうほかないとなる
日本がにあるものでもそれなりに豊かな食生活が今ならできる、別に葡萄でもとれているし前よりはいろいろなものがとれているからである
ハウス栽培で南国産のものも作れるとかなる、ともかく外国から輸入することは高くなるしむずかしくなる、そういう時代になったのだからそれに適応した生活をしなけぱればならないとなる


柿の詩

ここに柿なりぬ
今年も違わず柿なりぬ
その柿を食せよ
我が母は貧しく育ち
柿が好物なり
干し柿も好物なり
今あまたの果物あれども
昔はなしも貧しき
柿は日本の産物
それぞれの土地に実りあり
その実りを尊ぶべき
外に求めて欲は限りなしも
今年もここに柿はなれるも
その柿に感謝して
ここに住める良しとすべし

柿はkAKIとして外国に通じる、柿は日本の産物なのである、私の母は大正生れだから貧乏に育った、原町紡績で働いてその食事は一汁一菜である、沢庵とか味噌汁とかで良く働けたと思う、それでもそれが当時では現金収入になったから良かったと言っていた
その他は女中だったからである、女性の働く場がなかったのである
イギリスでも貴族に女性は下働きしていたから同じだったのである
ともかくいろいろな果物を食べれる時代が終わったのかもしれない、なぜなら円安で外国産は買えなくなっている
でも山形産のメロンが五〇〇円だった、それが大きなものであり得した感じになる
私は果物が好きであるから高いと買えないことは辛い、でも別に日本で果物はそれなりにとれている、でも昔は柿くらいしか後はミカンかくらいしか食べてないのである
リンゴも東北だと青森でとれるから食べていたのか果物はあまり食べていないだろう
ただ私は柿はあまり食べていない、母が好きだったので供養として買ってあげている

柿は、16世紀頃に南蛮貿易で日本と交易のあったポルトガル人によってヨーロッパに渡り、のちにアメリカ大陸に広まっていったという。またポルトガル領だったブラジルにも同様にして伝わったようだ。そのときに用いられたのは日本の品種である。そのため、前述したように世界でも「KAKI」とよばれるようになった。

日本における柿の歴史は古く、縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種の化石が発掘されています。奈良時代には日本の各所に柿が流通していたとされ、当時は祭祀に使われたり、冬場の大事な糖分補給源として食されていたとのこと。しかし当時流通していたのは、渋柿。人々は渋柿を熟柿や干柿にして食していました。

ポルトガルから鉄砲が入って逆に柿が輸出されていたのである
果物があまりないから柿は糖分をとるのに貴重だった
でも柿は今高い、干し柿でも高い、伊達市が特産物となっている
だから今は簡単に柿も食べられないとなる、今貧困化しているから果物には手が出ないという人もいる、でも一応日本産のものは輸入しないからまかなえるとはなる
外国産よりなんでも日本産のもの国内でまかなうようになるから貴重だとなる


柿の話ー俳句エッセイ

posted by 老鶯 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月09日

政教一致の危険 (安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)


政教一致の危険

(安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)

山上の安倍首相の暗殺は私憤と公憤の問題になる、一面から見ると身の不遇を嘆く私憤に見える、でもまたそれが統一教会のカルトの被害者でありそれと政府が結託していたということで公憤に見える、私憤が公憤となったと見るのが妥当だろう
私情からの犯罪はある、特に男女間では常にある、でもそれは公憤にはならない5.15事件とかは政治テロであり公憤であった、もちろん底辺で苦しむからそ政治への不満となりテロとなった、私憤があり公憤にもなった
そして複雑なのは宗教がからんでいてそれが政治ともかかわっていたことである

だから政教分離ともかかわっていた、政治は宗教とかかわると危険になることを政治家は意識していなかった、なぜ政治と宗教がかかわると危険なのか?
カルト教団では世俗的なことに宗教をもちだすからである
何かというと罰当たるとか地獄に落ちるとか脅しそれでやめさせないようにする
でも逆に今度は世俗にそれを持ちだして言うとかえって創価の場合など地獄に落ちろとか罰当たるとか攻撃される、そこで統一教会に安倍首相が率先してかかわり政治的に票を得るために利用した、また統一教会でも利用したとなる

ここで問題なのは何なのか?

政治と宗教の一体化による危険である

宗教となると政治と違って絶対的になる、反論は許されない、でも政治となるといろいろな問題があり議論して決めたりする、宗教となると議論はできない、もし反対したりすると罰当たる地獄に落ちるとかなり反対が許されなくなる
だから戦争でも宗教がかかわると聖戦となり神が天皇が味方するのだから必ず勝つとなるそれでもう日本だったら一億総玉砕にもなるところだったのである
宗教には妥協がないからそうなる、政治とは賛成反対があり双方の言い分を一応聞いて判断する、そこで妥協するとなる、でも宗教だと絶対だから反対は仏敵となり許されないのである、だからこそ政教分離が生まれた
なぜならカトリックが政治と一体化して政治的に支配されたからである
その反発がありプロテスタントが生まれた、政教分離も生れたからである

そして政治と一体化した宗教は実はサタンが支配することになる、それはカトリックの歴史で証明している、政治と一体化して世と姦淫したサタンが支配するのである
聖俗が分離せずに一体化する、そして獣の印を押される、つまりそれがカルト教団なのである、宗教と政治が一体化するからである、それが統一教会であり創価でも他の団体でも同じなのである、つまり宗教が世俗化して政治化することは現実の社会を政治権力でも乗っ取りこの世の王となることである
そこでカトリックのように宗教が政治を支配するのである

日蓮の国立戒壇などでもそうである、それが政治的に実行されれば社会は宗教によって完全に支配される、何か逆らうものがあれば仏敵となり地獄に落ちる罰当たるとなり支配する、つまりそれはサタンに支配されることなのである
要するにカルト教団は異常にこの世の欲に執着している、この世の王になることに執着している、この世に天国を作るとしているがそれは実は自分たちが支配者になりこの世の王となり支配することであり地獄を作ることにもなる
心が清い者は神を見るだろうなど関係ない、この世で実質的に御利益を得て権力を得て
この世の王となり人民を支配することなのである、だからサタンなのである

ともかく私憤と公憤というとき今回の山上の安倍前首相の暗殺は宗教と政治がからんで複雑になった、それは宗教が政治にからむとそうなるのである
だから政治家は票になるからは政治にかかわることはつつしむべきであり危険なので悪
その火の粉が飛んできたのが今回の事件だったのである
一見統一教会に援助されるのは票になるからいいことである、そうしか見ないが宗教とかかわると危険だということを警告したのである
だからこそ政教分離が必要でありそれが軽視されていたのである

だから創価などは非常に危険な団体である、完全に政教一致だからである、そういう団体と自民党が一体化することはまた同じようなことが起きる、宗教の問題が政治に反映してまた逆に世俗的な政治の問題が宗教に反映して複雑になり事件が起きる
聖俗があり聖俗分離が必要にもなる、カルト教団になると聖俗もない、完全に聖なるものが俗化したものである、だから世俗的なものに支配される、すべて御利益であり金でありこの世の権力を得ることが第一になり目的化したのである
創価となればそれしかない、毎日選挙運動であり権力をとるために祈っているだけであるカルト教団はオウムでもそうだし幸福の科学でもそうだし統一教会でもこの世の権力を得て人民を支配することなのである、そのために宗教がある
宗教とは世俗を支配する道具にもなるからサタンなのである

でもなぜそれがなくならないのか?

それはいかにサタンが強力なものかということでもある

そのサタンと戦えるものはなにか?それはまたキリスト教でも仏教でもサタンに乗っ取られたことでもわかる、それはどうしてなのかとなると余りにも人間の欲望がこの世に執着して切り離すことができないからである、そこにサタンがつけいり支配するのである
老人になっても性の欲望が消えないとか人によるが欲に支配されるのである
だからこの世は欲で滅びるとされたのである
つまり獣の印をサタンに押されるのである、その人達は地獄に行くのである
それによって聖別される、カルト教団員は獣の印を押された人達なのである
要するに人間の欲が消失すれば自ずとこの世でも天国になるのである
子供ならそこに天国的なものを見ることができるのと似ている、でも大人になれば欲にふりまわされ欲にまみれ堕落してゆくのが普通だからである
そして兄弟でも遺産争いになり殺し合いまでなっているのも普通である

それは欲があってそうなる、なぜ創価であれカルト教団であれ根強くあり数を増やすのかといえば欲を否定しないからである、かえって教祖自体が欲望が強くこの世を支配したいとなっている、王とされたいとしている、だからカルト教団の教祖はサタンでもあるのだサタンを崇拝するということは人間で現世の欲をかなえてやるとしているからついてゆくのである、そこにだまされる人がいたとしても幹部などはみんなそうである
自分の欲望を実現するために運動するのである、他者を助ける気持などない
普通だったら金にそんなに執着しないからである、信者から金をとることなどないのである

だから何か宗教家というのは胡散臭い、社会にとって害になり無用なものに見える
かえって下々と汗して働いている人の方がまともであり上に見えるのである
宗教だけで糊口を得ている人は胡散臭いとなる
それで四国遍路でホームレスになった人がにわか僧侶となって御経を上げて金をもらうとなったのもそうである、もう追い詰められてそうなったのである
すると乞食でもない、俺は偉い僧なのだとなる、それと宗教にかかわるものは似ているのである、金を得る欲望を達成するための方便として宗教を利用するのである
宗教にかかわる者はカルトだけではないみんな何かいかかわしいは見れる
何かお経でも唱えていれば生活できるとなれば楽だともなるからだ
一方で働く人は汗して危険でも仕事しているからである、その方が立派だともなる

いづれにしろ政治と宗教の問題はそれが一体化すると危険だということである
そのために今回の事件が起きた、だから政治家もいくら票を得たいとしても深入りすることは危険である、自制が必要であり創価公明と連立政権を自民党を組むことは危険である何かしら今回のような事件が起きるかもしれない、でも票が喉から手をでるほど欲しいとなりそうなっているのである、だから民主主義とういのもそうしたカルト教団に支配されたりナチスのファシズムになりやいから問題なのである
数さええれば権力を得ることが危険なのである、結局それがナチスとなりファシズムとなったからである



posted by 老鶯 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月07日

この世の中は何故なのかが問われる (様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)


この世の中は何故なのかが問われる

(様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)

自然であれ社会であれ個々の人間であれ何か起きることで問題になるのが何故なのかということである
結果があり因果関係を求める、だから因果応報がありカルマだとなる
なぜそれぞれの家に問題が起きるのか?
それもその家の持っている因果がカルマが関係しているとなる
それで統一教会では先祖が悪いことしたから今あなたが苦しんでいるというのは説得力がある、でもそれで金をとるということは相手の弱みにつけこんでそうしている
実際はカルマはそれぞれか苦しまなければ解決しないのである
金を貢いでも実際とカルマは解消しないのである

人間の問題は常に何故なのかということで問題になる
それが自然現象なら科学となり原因と結果を求める、それは明快でありわかりやすいとなる、では人間に起きることで社会現象とかまた経済のことでもわかりにくいのである
明確な因果関係がわからない、この何故を探求するのが学問になる
例えばある人が事業を起こす、結果として失敗して多額の借金に苦しむ
ではなぜ事業に失敗したのかとなるとわかりにくいのである

その人はなぜ事業に失敗したのか?

それは社会のせいだともしている、自分の責任ではないとしている、でもそうはいっても必ず責任をとらされるのである、それで借金で苦しむ、その人には確かに技術者でありだから技術に通じているから成功するとして事業を起こした
でも経営となると違ったものになり失敗した、また家族でも経営者になると巻き込む
その家族自体が妻でもうまく協力できなかったとかともなる
経営には向いていないともなる
その人はまず人のために何かをするという感覚はない、自分は技術的には優秀だから自ずと成功すると思って事業を起こしたのである
でも経営するとなると様々な要素が関係して来る、その社長の人間性とかまで関係してくる、でも理系だとそんな人間性などを見ない、つまり技術的に優れていれば成功すると見ていたのである

だから会社でトイレ掃除していた人が社長だったとかある、それで新入生がその人を馬鹿にしていた、でも社長だったということで驚いたのである
そんなこと社長がやるべきではないということを言う技術者もいた
でも技術者なら技術をみがけばいいとなる、それは雇われていてそうなる
でも経営するとなると違ったものになる、そこの理解がなかったとなる
社長は社長として威張っているだけではできない、会社全体を見て社員を見てその上に立ち会社を経営する、会社を経営することは今度は社会全体と関係してくるし多くの人々とも関係してくる、だから経営となると一部の専門的技術者と違ったものになる
理系だと一部の専門的技術者に通じていればいいとなる
でも病院を経営するとかなると優秀な専門的医者が必要でも病院を経営することは病院全体をみてまた社会にもかかわる仕事になる

だから社長がトイレ掃除するときそうして下々のことで目配りしていて全体を見て経営することになる、トイレ掃除する人もやはり社員だからである
私の母親の実家の父は警察署長で退職して事業を起こしたが失敗した、そもそもこの人も警察署長だから成功するとして事業を起こした、実際は能力はなかったのである、母が言うには威張っているだけだったという
これもやはり事業するノウハウも何もないのに警察署長したから事業が成功すると思ったのである
その後事業に失敗して一家離散になったし不和の家になったのである、それが自分に影響して苦しんだともなる
こっちの方が専門知識もなにもないのに事業を起こしたのだからひどいとなる、その結果の責任が負わされたとなる

その人は他人のために箱一つもちたくない人だったともみる、なぜなら私が病気になってその人は助けに来たとしても箱一つ持つのを嫌がっていた
またその家族でも相当に嫌がっていた、だから入院して手術する時もその家族は来たにしろ見守ることさえ嫌がっていた、、そもそも何も私のためにしたくなかったのである
親が世話したことがあってもその子供は関係ないとなっていたからである
だから金が欲しいというだけだったのである、借金をかかえていたから余計にそうなっていたのである
そうなったのも自分のカルマにしろその人は他人のために何か尽くすという気持ちはなかった、自分が技術的には優秀だから社長としてみんなから偉い優秀だと見られることで事業を起こしたのである、その動機がそうだったのである

ではなぜ事業に失敗したのか?

その理由は一つではないにしろそうしてその人はもともと他者に尽くす気持がなかった
簡単なことでも他人のためにしたくない、もちろん無償ではしたくない、その気持ちが行動に現れる、ただ技術的には専門的技術では優れているから成功すると思って事業を起こしたのである
その人はささいなことでも他者のために何かをしてやりたいということはなかった
人間は大きなことよりそうしたささいな小さなことにその人が現れる
もし妻がいたとしても夫に尽くしたくない、でもしかたがないから一緒にいるとなるといつか破綻する、それで意外と熟年離婚が多いのである
嫌でも一緒にいる、でもいつ本心が必ず現れる

いつか必ず本心が現れる、行為となって現れる

これが怖いとなる、積もり積もったものがいつか行動として現れる
人間は表面上は善人面しても実際は悪人でありその本性が必ず現れる
つくづくなぜこんなに人間の職業でも悪が多いのか、まさに職業とは業(カルマ)であるなぜこれほど職業が何か嘘ついたりごまかすものとなっているのか
第一宗教が一番偽りが多い、それは宗教の目指すものが余りに高いものだからそうなる
誰もキリストやシャカのようになれない、その目指すものが高すぎるのである
結果的に宗教と言っても今度は自分たちの欲のために利用するとなる
それがカルトなのである、宗教そのものが方便でありそれで自分たちの欲望を実現しようとする
ほとんどの集団化した組織化した宗教は本来の宗教ではない、ただそれぞさの私利私欲を実現するために団体化して権力化したものである

だからこの世とは何なのか

これ自体がわからなくなる、親鸞が言うようにみんな悪人だとか、義人一人もなしとかなる、職業でも業でありカルマであり悪いことをするものとして職業もあるとなる
銀行員でも投資信託とか売りつけて人をだますとか証券会社とかもなにかうさん臭いとかまともに見えるものでもそこはまともでなくなっている
マスコミも平気で嘘つくとかあらゆる職業が何かそこに倫理にそむいているとなる
政治家とかなると自ら言っているように選挙の時はとにかく頭を下げる、後は知らない、自分の利益を追求するだけだと自ら言っている
別にどの宗教など関係ない票をもらえればいいとういだけである
いちいち選別していたら票にならないからである、それがまた民主主義の弊害でもある
もう人物がどうか人格がどうかなど関係ない、数が集めた人が勝ちだけだとなっているからである、そして選挙はすでに組織団体の票で決まっている、一票など何の力にもなれないなのである、すると相手にするのはカルト教団でもなんでもいい多数の票をもらえることに働きかけるとなる、その相手がカルトでもどうでもいいとなまでなってしまうのである

ともかくこの世の中では何故が常に問われる、安倍首相の国葬でもそうである、なぜ国葬にする必要があるのか?それが問われる、そこで必ず議論すれば賛成と反対論がある
でも何故する必要があるのか明確化しないと国民をも納得しない
今回は国民が納得しないから問題なのである
ただ何故を求めるとあらゆることでその何故がわからないのである
戦争でも三百万人も死んだのになぜ戦争したのかも今になってもわからないのである
科学だと何故を追求すると明確に数学のように答えが出やすい、でも社会現象となると
明確な答えがでないのである

なぜ日本が戦争したのか?

これも明確な答えがないのである、これだけ大きな問題でも答えがない、すると三百万人も死んだ人達は報われないとなる、ただ靖国神社に祀られて英霊とされる
国のために尽くした人達だとされる、それで慰めているが果たしてそうだったのか?
それで死者は報われているのか満足なのかとなる
それは結局何故それだけの戦争をしたのか明確な理由がわからないからである
安倍首相の国葬問題でもそうである、なぜ国葬にするのかその理由が明確ではないし
国民がみんな納得しているわけではない、でも権力者は実際に権力を行使することができる、つまり何故するのかとあっても権力者は何かを決めてそれを成す、そして後で何故そんなことしたのかと問われるのである
人間が権力を持つことは何故かとかを真剣に考えないでも実行できる力を持つことなのである、人間は何故かより権力をもって実行したいとなる
カルト宗教団体でも権力追求になるのはそのためである

つまりこの何故かと問うのが学問であり学者とかになる、哲学者にもなる、自分はこのタイプである
でもその人たちは権力を持っていないから何か実行することはできないのである
だから政治家と哲学者は学者は違ったものである
実業家であり政治家が学者を嫌うのは理屈ばかりこねていて実際には何もできないとしているからである、でも何かを実行するとして必ず何故そんなことしたのだと問われるのである,オリッピックでもそうである、今になると金にまみれたものであり逮捕者もでている、そんなオリッピックをすべきだったのかと問われる
それは私でも前らオリッピックにはもう意味がないと反対していた、他でも反対する人達がいた、でもそういう人達を無視して実行された
結果的には一部の利権者のためにしていたとなって追求される
行動の前に何故そういう行動に出たのか、行動した後にまたなぜそんなことをしたのかと問われるのである
でも現実社会では何故かより行動をすることが先になる

なぜならこうして考えることが先になると
ハムレットのように

あるべきかあらざるべきか

と逡巡して行動できなくなるからである、優柔不断になってしまうのである
でも何故かを無視すると必ず後で何でそんなことしたのかと必ず問われるのである




posted by 老鶯 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月04日

宗教の献金の問題 (宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)


宗教の献金の問題

(宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)

●宗教の組織化団体化は権力化

今統一教会で多額の献金は禁止すべきだと議論していた、それぞれの収入に見合ったものに制限する、法律化するべきだという提言があった
ここで弁護士とか法律から規制しようという発言があった
弁護士にはカルト教団の被害者からの訴えがありそれに答えるためにそうなった
消費者庁とかありその大臣が発言していた

そもそも人間は集団化組織化するとそこは利権団体になるのではないか?
民主主義とはそうした様々な利権団体に推薦されて力を持つ、政治にもかかわる
どうも自民党が前は票田としていたのは農家であり農協とかが票田となっていたが
その力が弱まって他に頼るようになったとかいう
それでカルト教団でも票になるとか選挙の応援をしてくれるとかで統一教会とかかわった議員は喉から手が出るほど票が欲しいからである
それも一票とかではないまとまった票が欲しいからである

だからこそ創価になると一定の票があてになるから連立になった
それは政教分離に違反していても自民党は責めないのである、一連托生になっているからだ、創価の票がないと当選もできないとなり創価のことは批判しないのである
マスコミも批判しない、なぜなら聖教新聞を刷らせて資金援助している
福島民報などがそうである、毎日新聞でもそうである
そうしてマスコミはとにかく金がかかりすぎるのである

そもそも一軒一軒新聞を配ること自体手間なのである、そこに資金がかかりすぎるのである、インタ−ネットになれば全国に配信するのにも個人レベルでできるとなる
だから報道はテレビ局だと六局しか放送できなかったとかなる
それで絶大な力をマスコミは持ったのである
それがインタ−ネットが発展して個人がテレビ局をyoutubeなどで持つようになった
テキストだと文章だとプログとかで新聞社にもなった
その変化が大きかったのである、今はテレビを見なくても別に困らないのである

宗教が組織化集団化すること自体権力を得ることでありやがて日本国でもその権力で支配することを目指している、実際この世では特に民主主義になると確かに個々人の自由があり権利を主張できる、でも一人だったら誰も相手にしない、それはボランティアすらできない、20人くらい集まらないとボランティアもできないのである
つまり民主主義はすべて数で決められる、数の力で決められる、それが権力になる
だから田中首相は政治は金と数だと言ったのである
金と数が最大の権力になったのが現代だからである

●宗教は個々人の心の問題だが集団化組織化すると権力利権団体になる

経済活動でも一人が買い物するのと十人が買い物するのとでは十人を相手にする
一人などどうでもいいとなるのが社会なのである
一人は相手にしない、私は個人というだけで本を置くのを地元の図書館とかで断られた
そこに管理する公務員がいてそうなった
その公務員というのは権力を持っていたのである、それも一人だからそうなった
私は会員十人の代表ですとかなれば公務員でも権力をもっていても考慮することになるのである、まず一人などどこでも相手にしないのである,ボランティアにすらなれない

こうなるとどうなるのか、人はどうしても権力を持とうとする、権力を持つためにどうするのかとなる、それは宗教でもそうなのである、宗教でも一人など相手にしない
権力を持つために数を集めることだとなる、だから創価でも他の宗教団体でも常に会員を増やすそれを一票に結びつける、それが日々の活動になるのである
でも預言者とかは一人だった、日蓮は預言者であり一人で時の権力者と戦ったのである
だから今の組織化集団化した宗教団体は全く別物でありただ権力を得るために活動しているのである、聖書でもそこはある一人の人間を選び神の実在を示したのであり集団に示すことはなかったのである

だからそもそも宗教と政治の何が問題なのかとなれば組織化集団化することは権力化することである、それはカトリックで強制的になり免罪符まで売るようになった
それが統一教会ではあからさまに霊感商法で宗教を盾に商売化したのである
カルト教団はまた宗教を利用した商売でもあるから当然だとなる
宗教団体は利権団体であり本来の宗教は何の関係もない、集団化組織化して権力奪取を目指すのである
統一教会の場合はさらに問題だったのは背後に外国がかかわり日本の政治に影響して日本を韓国の支配下に置こうという魂胆があったからである

それは秀吉の時代にもあり外国に国がのっとられるという恐怖がありキリスト教が禁止された、キリスト教でも自国から自発的に起る信仰ならいいが外国から押し付けられると問題になる、それで内村鑑三とかは外国の宣教師を嫌った、でも何らか日本キリスト教団でも外国の援助がありかかわっているともなる
資金の援助があるかもしれない、この資金の流れが問題なのである
何か大きな犯罪でも資金の流れをみればわかりやすくなるからである
信教の自由があるにしてもそれも悪く利用されるのである、法律でも解釈がいろいろあり悪く利用されるのである

●宗教に金がかかわると汚される

なぜそんなに金が宗教に必要なのかとなる、宗教には金をかけるべきではない、また金をとるべきではない、そうなると金だけが目的になってしまう、パウロはキリスト教を広めるのに金をとることはいけないとテントを作り自ら働いた、何かそこにやましいものを感じたからだろう
宗教はそもそも極力金にかかわらないことがいいのである、金にかかわると汚されるとなるからだ、でも僧侶でもお布施が足りないとかなり不満になるとしたら自分で働いて金を稼いだ方がいいともなるのである

何かわからなかったが四国遍路でホームレスになった人がいた、その人に 同情して金を与えようとした数万をやろうとしたらその人は自分に向かってお経をあげた、なんのことかわからなかった、要するに無料では金をもらえないという自負があった
その人はなんらかで四国遍路の国だから御経を覚えたのである
だから乞食ではない、ただでは金をもらいたくないとしてそうなった
その動機はそもそも宗教にはない、日々の金が欲しいからそうなっただけである
そしてお前にありがたいお経をあげてやったのだから金をもらっても当然だとなったのである

この人はこうしてホームレスになり追い詰められてそうなった、つまり実際は金のこめに仮の僧になり金をもらうことになった、こういう人を見れば何かカルト教団でもそうなのかとも見た、ただ規模が大きくなったのがそうなのかともみた
何かありがたいお経をあげてやるから金をもらうとなる、その人はただ金を欲しいためにそうなったのである、別にくれるというのだからもらえば良かったのである
おそらくカルト教団はこんなものである、宗教とは方便であり金が欲しい権力が欲しいともなり仮の僧になった人だとなる
ただ数が増えて巨大化すること自体が権力化することなのである
数が増えて権力化するとマスコミでも政治でもその数を利用しようとする
だから自民党は統一教会でも創価でも何でも票をえるために利用する、そしてまた利用もされるのである、現実に創価のことは批判しないのである
それは創価というのは巨大であり誰も批判できない、マスコミも批判できない、自民党政権と一体化もしているからだ、それがどうなるのか、ナチスのようになるのである
社会全体が創価化してくればそうなる、ただ最近は力も衰えた、限界が来て減少するだけである、そしてインタ−ネットではyoutubeなどでも盛んにその実体が暴露されているのである

●創価と統一教会は同類でカルト

政治と宗教の問題が統一教会問題であぶりだされた、それはもともと創価が自民党を牛耳るために一体化していたことでもわかる、そして批判もされないのは権力と一体化しているからである、人間の問題は政治でもなんでも権力をどう操作するかにある
そのために統一教会でも裏で操作している、創価でもそうである
でもその権力というのは本当の権力者は誰なのかとなると不可解になる
なぜなら統一教会の裏にはアメリカのCIAがかかわっていたとか創価なら中国と一体であり中国の命令で動く日本を乗っ取る団体にもなっている
つまりその背後には中国がありアメリカがあり統一教会でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでもかかわっていたとなるのである
そうしてそれが不可解だから必ず陰謀論になるのである、つまり本当の権力者は見えないそうなるとその隠れた権力者は遂にサタンだともなってしまうのである

宗教でも集団化組織化すると権力集団化して政治を支配する、だからイスラム教だと政治と一体だから政教分離していないから経済も発展しないのかともみる
レバノンではイスラム教でも派閥がありセクト化して四っつくらいに分断して政治が機能していない、援助しても上の方で奪われて下には回らないとかなり国が破綻状態になった宗教はこの世のことではない、政治はこの世に力を具体的に力を持つことである
でもそうした宗教の架空のようなことより現実社会に活きていれば毎日食べなければならないとかパンの問題が優先されるのである
つまり宗教は本来パンの問題ではない心の問題なのだけどどうしても現世に生きる限りパンの問題になる、明日食べるものがないとしたらどうにもならなくなる
また様々な問題をかかえているのでそこでカルト教団はつけいる、それは金をとる一票を得るためであり確かに先祖がどうのこうのとかは現実にある

ただそれがあったとしてもカルト教団はそれで脅迫して金をとるためにしている
目的は金なのである、つまり金をとるということで宗教は必ず歪められるのである
もちろん新聞代くらいはしかたないかもしれない、でも寄付金でもあまりにも多額になることは問題なのである、ただカトリックでも一割の宗教税があった、でも一割を越えてはならないということもあった、その辺の線引きがむずかしいのである
献金を多くした金持ちがいたとしてその人は福運とか幸運とか救いがあって献金の少ない貧乏人には救いもない福運も授からないとかなったらどうなるのか?
それが宗教だということ自体おかしいのである

まず人間は金を払いたくない、金に対してはシビアである、だからそんな多額の金を払うこと自体その払う人自体がおかしいのである
御利益を得たいというのはわかるがその御利益を自ら献金して貢いでいる
その金はどこにゆくのか、なんのためなのか、それは結局幹部などに流れ団体組織の権力の拡大に使われるのである
結論は集団化した組織化したカルト教団自体を規制すべきだとなる、でも少人数だったら規制はできない、でもオウムとかはたいして大きな組織でもないのに危険なものとなったどこで規制の線引きするのかがむずかしいとなる
ただ議論では金の面から規制するというのはわかりやすい、第一何十億と何百億とういう金をどうして集めているのか、それ自体が宗教にしては問題だからである
宗祖をみればシャカでも住む家もないしキリストでもそうだった、枕するところなしだったからである、そこに宗教があまりにも違った全く世俗化したものとなったことを示しているのである

宗教団体の政治活動は否定しない、政治活動を行うなら情報開示を義務つけるべきだ
企業献金は厳しく開示が求められる
宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ

週刊東洋経済ー9月3日号

宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ
宗教課税とカルト規制法は、セットだろ!

信教の自由は有るけど、課税は別。 課税と規制しないから、邪教が生まれる。
本来宗教は信仰するだけなら、お金掛からないだろう。
イベントとか葬式するとかの物理的な物動くなら代金掛かるけど。
皆が集まれる場所作るなら、生活に困らない範囲の低額でカンパ募るだろうけど。

かろうじて残ってる信者から
カネを搾り取ろうと必死になって
さらに信者を減らしていくパターンになりそうだよねw

原発村が盗電社長を庇った結果村自体が存続の危機に陥ったのが良い反面教師になっているな、宗教村が全力で統一潰しに行ってるよいけいこうだ、次は創価だけどな

5ch


創価などは日々選挙運動であり選挙のためにある団体である、それも会員が信仰のためであり御利益のためであり無償で選挙運動を毎日しているのである
そんなことわかっているのに誰も批判しないとりあげない、それは自民党と一体となりマスコミでも批判しないとなる、だから自民党自体がもともとカルト政権だとも言われる
票が欲しいから批判しなかったのである、票を得たいとなり統一教会とかかわり創価公明と一体化する、票のためになら何でもするとなる
悪魔とも手を結ぶのが政治家なのである、その弱みをついてカルト教団が自民党を操作しようとする、またその背後には今度は中国とか韓国とかアメリカがかかわり陰謀論になるのである

●youtubeなどで創価をあからさまに批判

政治と宗教】統一教会より創価学会が問題だ!【朝香豊の日本再興チャンネル】


9/2 CIA・創価学会・南米麻薬組織と小沢一郎の複雑な関係

創価批判がyoutubeで相当にでている、これはありえないことだった
これだけあからさまに批判できているのも変わった
統一教会のことは霊感商法の壺を売りとか以来報道されなかった
すると報道されないのだから問題がないともなっいてた

つまり報道されないことは悪は隠ぺいされていたことだ!

NHKでも他でも報道されなかった、それはマスコミも統一教会の支援を受けていたとか
かかわっていたからだとなる
こうして報道されないことで重大なことが起きる
原発事故でも危険は報道されず安全神話が作られて甚大な被害になったからである
つまりマスコミで報道しないと真実は隠されその結果として国民に被害が及ぶのである
そして宗教は信教の自由だとかを盾に批判させないのである
信教の自由は個々人にはある、でもそれが集団化組織化して巨大化すると権力化して社会を支配してやがてナチス化する、また原発の安全神話のように危険が隠ぺいされて甚大な被害が起きる、だから国民でもそういうことで関心を持ちマスコミ報道にまかせないことである、でもyoutubeとかではプログでもインタ−ネットだと金がかからず報道できるので民主主義の促進にはなる

posted by 老鶯 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月23日

なくしたスマホが警察に届けられて思ったこと (警察は市民の味方なのか、警察は権力側につく-財布でも届けると犯罪者に見られる)


なくしたスマホが警察に届けられて思ったこと

(警察は市民の味方なのか、財布でも届けると犯罪者に見られる)

スマホを置き忘れた場所を一日寝たら朝に思い出した、そこは真野ダムの岸の階段だったそこでおにぎりなどを食べた、しかしそれは確実に近いし思い出せる場だった
飯館の道の駅で本当はスマホがなくなっていることを気付くべきだった
そうしたらすぐに引き返していて見つけることができた
その時家に忘れたのかと思ったのが失敗だった
ただなぜそこに忘れたのをその時思い出せなかったのか?
道の駅でスポーツカーのイベントなどがあり気がまぎれたからだったのか、普通だっらすぐに思い出すことである

とにかく人間は忘れ安いのである、でもそこで良くたどってきた道を思い返さないことでし失敗した、真野ダムによってということをそこで食事したことを思い出せばわかったことである、それを意図的にでも思い返すことをしていればこうはならなかった
でも朝目覚めたらどういうわけか即座に気づいた
そして真野ダムまで朝6時に自転車でまた行った、これは私の自転車が電動自転車で優れたものだから行けた、エンジンが優れていて楽に走れるからだ

そして真野ダムについて座った階段の場所を見たらなかった、これはもう探せないとあきらめた、でも掃除する若い人がいた、その人に聞いてみたらそれなら見つけた人がいて
相馬の警察署に持って行きましたと聞いた、それならあると安心した
その人は真野ダムでボートを貸している人だった、そんな人がいるのかと知った
でもその人がいて助かったとなる、ということは今真野ダムで魚釣りなどする人がいても管理する人がいなくなっている、つまりなんらかそうした観光の場所では管理する人が必要なのかとも思った、ただそこで商売すになるかどうかはわからない
でも飯館村は外から来た人が多い、第一飯館村のあいのさわの管理棟でも外か来た人がしていた、地元に詳しくないのにしていた、結局人材がいなくなりそうなった
郵便を配達している人も外から来た年配の人だったからである
あそこには店が一軒があったがそれもなくなった、自動販売機もないのが問題である

それから相馬署にスマホのことを聞いたらめんどうだった、それは本当にあなたのものですかといろいろ聞いてくるのである、すぐに渡せないとかなっている
スマホが買ったのは半年前くらいで安全管理もわからなかった
でもまずどこで落としたのかわかりそこでボートを貸している人に聞いて相馬署にあづけられとわかれば疑いようがないだろう、でもまず警察というのは疑う、疑うのが商売であり簡単には忘れものを届けてもめんどうになる
財布などとどけたら本当にめんどうになる、中の金をぬきとったことを疑われるからである、それで捕まった人も現実にいる、するとみんな財布などは警察に届けるなと言っている、根掘り葉掘りきかれて犯罪者扱いにされるからである

そして警察が市民の味方かというとそうでもない、確かにいい面と悪い面がなんでもあるが警察の商売がそもそもその性格を作っているのだ、それは常に犯罪者を相手にしているから疑い深くなり相手を信用しない、また相手を許すことがなく刑罰を与える仕事だからである、その仕事が業となっている、職業とは何かこうして何らか業を持っているのだ
それは警察に一番現れているのである
だからそもそも警察を市民が嫌うのは当然なのである、そして本当に市民の味方かというとそうはならない、市民生活でも破壊することがあるのだ
私が駅でボランティアのまねごとをしていたら誰かが怪しいと警察に連絡したらみんなの前で職務質問されてできなくなった
つまり善意でしていたことだが怪しいとなり犯罪者扱いになったのである
警察はこうしてまともな市民生活を破壊することがあるのだ

そして警察に対する不満として何か頼んでもしてくれないとか多いのである
警察は困りごとがあってそれほどかかわらない、まずめんどうなのは明確な証拠がなければ受け付けもはしないのである、だから多額の金を盗まれても証拠がないからはと受け付けないのである、殺人とかなれば別だがいろいろ困りごとがあってもかかわらないのである
だから本当に警察は庶民の味方なのか、あからさまに警察を批判する人たちが結構いるし警察に対抗する市民をもいる、警官が好きな人はいないだろう
それは警官の最大の問題は権力をもっているからである、具体的に警察は暴力装置であり権力を代表するものだからそうなる、権力で暴力でおそれさすものだからである
だから警察と誰もかかわりたくない、一種の暴力団にもなりうる
常に権力という暴力装置であり監視しているからである
現実にパチンコ業者と結託して金をもらっているのが警察なのである

警察とパチンコ業界の癒着について

ここでは警察とパチンコ業界は天下り先はわずかだとなっている、金融業が多いとなっている

 竹垣氏は、暴力団とつながっている警察官が罪の見逃しをするケースについて「その課のトップにおったらできますよ。逮捕状請求すなとかね。色んな面で融通きかせてくれますよ。平成になってからの話です。ようけあったよ」と、仰天の打ち明け話。

 警察は権力があるからその権力にこびる利用する人達もでてくる、すると権力を持っている警察は金をもらえば許すとなるのも怖いがそれは人間として起り安いことである
何か前は警察関係は退職すると天下り先がなくなるとかでいかがわしい会社に再就職していたとかある、でも今は警備関係とかいろいろ再就職先があるからないとしている
東電にも検事関係などが天下りしていたのである

愛知県警の創価汚染

愛知県警が全域・全部門に渡って創価学会に汚染されており
創価学会が一声かけたら、警察OBを経由して、

部長や参事官、県警本部で課長以上の地位にある警察幹部
こういった上層部と形容してもよい大幹部の連中が、創価学会の意向に沿った行動を取り
創価学会の意のままに動く状況が、愛知県警内部では確立されている、と考えられる

これも怖い話である、創価と統一教会は似ているのである、どうしたら権力を操作できるかしか関心がないからである、そのために警察の予算をにぎる東京都で議員が力をもって警察を操作しようとているといわれる
阿部前首相は最大の権力者だからいろいろ犯罪にかかわっても捕まえることはできないとなる
でも権力が変わる時、韓国のように裁判になる、つまり民主主義というのは政権交代がないと権力との癒着が生れから機能しなくなるのである
民主主義とは三権分立であり権力の独占とかを禁止して権力を監視する体制のことであるそれは報道でもそうである、報道も大事なことは権力を監視することなのである
でもそれも金をもらえば忖度して真実は報道されないのである
だから権力者が変われば隠された犯罪が闇が暴かれるのである
つまり司法警察の上に政治家がいてそれで左右される
だからこそ創価は政治家を使い支配しようとするのである

警察は市民の味方ではない、権力者の味方だ!

こうなっているともなる、そもそも警察自体が市民が監視しなければ暴力団のようにもなる危険が常にあったのだ、暴力装置なのだから当然だとなる
軍隊でもそうである、軍隊も暴力装置なのだから当然そうなる、

自衛隊の情報保全隊が全国で市民運動を監視し、いつ、どの集会やデモ・パレードで誰が何を言ったか、何人が参加し、ビラや署名運動はどうだったかなどを詳しく調べ、それを報告書として全国の自衛隊情報部門に配布していたことが明らかになりました。私たちWORLD PEACE NOW 実行委員会は、自衛隊による市民運動の監視・調査に厳重に抗議し、監視・調査を直ちにやめ、実態を公表して、責任者を処分することを求めます

自衛隊と警察は同類である、暴力装置だからである、だからこういうことがあるのは警察と同じである、だから市民運動でも監視している、ただ警察も絶対かとなるとそうではない、時の権力を持つものに従うとういことである
だから基本的に権力をいかに監視するかが民主主義の基本となる
統一教会でもなぜ今頃騒がれるようになったのか、霊感商法のことでは警察もかかわっていたろう、それが全くなくなったのはやはり自民党が深くかかわりそうなったのかとみるいくら警察でも自衛隊でもあくまでも国民の意向を無視して成り立たないからである
国民でも騒げば成り立たなくなる、そして今警察自体の犯罪が増えるとまた信用できなくなる、その犯罪も取り締まる方になると隠せるからやっかいなのである

警察がみんな嫌うのは何かしら脛に傷持つ人が多いからである、それは人間として仕方がない、罪を犯さない人などいないからである、正直自分自身がそうである
でも警官自体が結構犯罪を犯していることでもわかる、警察を罪をゆるす場ではない
犯罪者にすることだからである、でも警察自体がその機構が犯罪に加担することが大問題になる、でも時の権力側につくのだから検察司法でも限界がある
三権分立としてもやはり選挙で勝った方が権力を持つ、そして検察司法でもその配下の警察でも従うことになる、全部ではないにしろそうらざるをえないのである
でも問題は警察でも自衛隊でも暴力装置であり強制できることなのである
戦争でも赤紙一枚で戦場に連れていかれて地獄の苦しみを受けたり死んだ人が国民にあった、でも国家は軍隊を持ち強制できたのである、そこに国家権力の怖さがある
だから民主主義は権力の交代が必須として選挙があるのだからそれが機能していない
自民党一党独裁になりそれで絶対的権力は絶対的に腐敗するとなっているのである



他人の共感力がなくなるのはなぜ

お金持ちや権力者になると他人の気持ちを読み取ることが苦手になるデメリットが出るということがわかっています。

本当に金持ちとかは貧乏人に共感できなくなる、金で苦労しなくなるからそうなる
何か人に共感することはその人が経験していないとできない
その人は十円でも二十円でも安く買うことに苦労している、安い店をまわる、昨今の物価高で余計にそうなった
でも自分自身はそこまでしていない、つまりそういう貧困にならないと貧乏に共感できないのである
権力者とか金持ちとかはそうして自分が苦しまないから共感できないのである

仕事でも実際にその仕事に経験して共感するのである
だから苦しい仕事があったとしてもそれをしない人は共感できないのである
そこに人間が理解しえないものとなる

警官が常に上らか目線なのは権力を持っているからである、庶民の気持ちなど考慮しない警察は人はみんな犯罪者だとみる、犯罪者にしたてることでもある
つまり正常に他人に共感できなくなる、悪い奴ばかりと接していると人間はみんなこんなものだとなる、でもその警官でも犯罪を犯しているのである
つまり人間は犯罪を犯しやすいのである、でもみんな犯罪者と見るのは危険なのである
ただ警察は許すとういことはない必ず刑罰を与えるものだから警察は嫌われるのである

ともかく人間が権力を持つことはこうして人間性を歪めたり危険があるから監視する体制がないと社会自体が腐敗して危険になるのであり市民でも国民でも被害を受けるのである

posted by 老鶯 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月14日

南相馬市鹿島区千倉でバイク事故


南相馬市鹿島区千倉でバイク事故

accedent1111.jpg

常磐線の鹿島駅の近くの踏切のあるところの十字路でバイク事故があった
でもそのバイクは壊れた訳ではない、傷もついていなかった
乗っていた人は若い人で顔にちょっとだけ傷がついていた
でも立って警官に対応していた

救急車が来てタンカーで運ばれた、やはりそれなりに体も傷ついたのか
一応救急車で運んだのか、警察の車も来ていた
あそこは知っている人が常に気をつけている
その女性は用心深いのである、あそこが危険だからそうなっていたのか
私も毎日のように通る場所である
鹿島小学校へゆく道は地下道になっているから安全である
ただ車とかは危険な場所なのかもしれない、自転車で地下道を行けるのだがめんどうなので十字路の方で待っている

何か信号関係の見間違いなのかスピードの出し過ぎなのかわからない
三人でバイクに乗ってきた若い人達がいた
心配そうに事故を起こした人によりそっていた
でもその人は普通に立っているしタンカーで運ばれるような傷を負ったようにも見えないバイクも壊れていなかった
どういう事故だったのかわからない、でもものものしい感じになっていた

バイクは事故を起こしやすい、何らかでバイクの事故の確率は高い
バイクは怖い、自転車でも事故になる、その70代の女性はいつも自転車の事故になることを言っている、相当に用心深いのである
その十字路のことも常に言っていたのである
その女性も必ず毎日そこを買い物とかで自転車で通るからである
ただあれだけ用心深いなら事故は起きないように思う

私の方が危険である、私は何か注意が散漫だからである、だから私は車は買えても乗らない、事故になるからである
車に乗っていたら事故になり早死にしていたかもしれない、やはり向き不向きがある
自分には車は向いていない、それで車社会を批判している
なぜ車でもバイクでも事故になるかというと早すぎるからである
あっと思った時は事故になっている、自転車だと遅いが車はバイクでも早すぎるから不注意であっと思った時すでに事故になっている、止めようがないとなる

でも田舎では車がないと仕事もできないし暮らしていけない
私は別に買い物も近くでてきるしそれほどの不便はない、でもみんながそうはならない
まず事故は怖い、一瞬の油断でとりかえしがつかないことになる
私の兄は高速で事故で40才で死んだ、何らかで身近で家族でも親戚でも交通事故にあっている、交通事故で人生が狂ってしまう
それで推理ドラマでは必ず交通事故になりそこから人生が狂ってしまったストリーになるのである、それだけ交通事故が多いのである
posted by 老鶯 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高校野球は高校プロ野球になった (地域代表ではなくなったー大阪桐蔭は全国のえり優れた選手を集め一強になった)


高校野球は高校プロ野球になった

(地域代表ではなくなったー大阪桐蔭は全国のえり優れた選手を集め一強になった

高校野球はもともと地域代表として全国で戦うとういことで熱くなった
郷土でも応援した、でも今や第一郷土出身者は一人二人とかいない
ほとんどが越境入学した別な県の人達である
特に大阪とか東京とかが人口が多いからそこから全国に散らばる
ただ地域の高校はそうした野球エリートが名前を借りているだけだとなる
大阪桐蔭はえりすぐれた選手を選抜して育てるから当然他の高校は勝てないのである

そもそもスポーツには地域性がない、ただ柔道とかは日本で生まれたので日本文化伝統を受け継ぐもので地域性があり日本はそれで強いとはなっていた
でも勝負にこだわると勝敗がありそれでどこで勝ったのかわからないのにわずかの差で点数で勝敗が決まる、それは勝敗にこだわるからそうなる

野球は別にアメリカから生まれたとしても人種とか国とは関係ない、それが証明したのが大谷である、大リーグでも大活躍であり日本人でもあれだけのスターになれる
だから日本人だからといって身体能力でも劣っていないことが証明したのである
アメリカでは能力第一主義であり能力があればアメリカンドリームを手にいれる
成功すれば大富豪になる、人種とかではなく能力を重んじて差別するのである
日本人でも大谷のように大活躍すればアメリカ国民は賞讃して受け入れる
そこに人種差別はないのである

そういうことはIT分野で起きている、世界の優秀な人を集める、そこでGAFAとがでは世界中の優れた人達が集まり知能集団を作り世界を支配するとまでなる
それがアメリカの活力となり世界をリードするものとなる
つまり才能でもアメリカだけでは世界一にはなれないのである
スポーツでもそうである、サッカーでも世界から優秀な人達集めチーム作りをする
それはサッカーに特化して才能あるものを世界から集めて強くするのである
それがプロの世界でありそこで成功したものは莫大な収入を得るとなる

だから高校野球でも勝負にこだわればどうしても全国から優秀な選手を集めなければ勝てないから高校野球もプロ化したのである
なぜなら高校野球でもその力の差がありすぎると勝負にならない、とても地元出身だけでは勝てなくなったからである
だから地元はもう関係ない、優秀な選手を全国から集めた高校が勝つとなる
だから聖光学院が東京と神奈川の名門校に勝ったとしても中味は福島県出身者は一人くらいしかいないとなる、その一人にクローズアップして福島県の放送局が取材して放送していたのである、でも他の人達はみんな他県の人達なのである
ただ宮城県から二人とか山形県とか東北地域から来ている選手もいるから東北人だと
一応応援するかとなる

それで全国でもそうして東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか近畿ブロックとかに分けてその中で優れた選手を集めればそれなりに強いチームができる
ただそれでもどうしても関東とか近畿地域は強いとはなる
そもそもスポーツは地域と関係ない、どこの地域だから強いとかはない、人によりけりでありどこの出身者だから強いとはならない、ただ大阪辺りだと育つ環境が違うから積極的であり東北とは違っているかもしれない、でもスポーツは高校野球でも地域とは関係ないのである

とにかく高校野球はもう高校プロ野球であり全国から人材を集めなければ勝てないのである、人材という時グロ−バル化するとやはり才能ある優秀な人達は集めないと競争に勝てない、科学分野だと必ずしも地域とは関係ない、数学でも科学だと世界共通だからであるだからアメリカでは世界から人材を集めて世界一になる
黒人でもスポーツ分野では強いからオリンピックで陸上とかでメダルをとる
それでアメリカは有利になる、また英語が世界共通語だとなると英語ができる国はどこでも活躍できるとなる、その英語より数学ができることが世界共通語ともなる
ヨ−ロッパだと東ヨ−ロッパの人達でも英語を話すみたいだ
ウクライナの人達がインタビューされると英語で話ししていたからである
英語は世界で共通語になっていて知的分野の人なら英語でコミニュケーションができる
だからそれほど言葉の壁はないとなる

ただ言葉は地域性がありその土地に根付いた文化の側面がある、日本語は日本という島国から生まれ育まれた言葉であるから文化そのものである
でも世界共通性はない、日本語は漢字やらかなやらカタカナでも交じり複雑だからであるでも文化であるから日本語が英語になったらもう日本文化は消失するとなる
その独自性は失われる、もし理系的なもの科学分野技術分野となると日本語はなくてもいいとなるかもしれない、ただ文系となると日本語が英語になったら俳句とか短歌も消失する、それは日本文化のアイディンティティの喪失となり日本は日本でなくなる
ここにも理系と文系の問題が生まれている

スポーツでもどうしても強くなるには優れた選手を集めなければ勝てない、地域代表としては限界がある、人間の才能は資質は遺伝子でも異質なものが交わる時天才的な人が生れる、混血すると美人が生まれるとか黒人と混血した日本人の大坂なおみは身体能力に優れて世界的に活躍するとかなる、それは明らかに黒人の血が入ってそうなった
ヨ−ロッパの天才でも異質な世界と交わる所に生まれていた
北方系と南方系の交わる場所に生まれていた,ヨ−ロッパは国々が分かれて多様性があるから異質なものと交わり天才が生まれやすいとなる
また異業種の人と交わると刺激を受けやすいとかなる
大工さんとかでもじかに接して仕事をしてもらうと教えられることがあった
要するに人間の仕事も多様だからそうなるのである

とにかく勝負にこだわればどうしても優秀な人を全国からでも集めないと勝てない
勝つこと優先にすればそうなる、大きな得点差になると弱小な高校はみじめだからであるその差があまりにもありすぎるからだ、だから高校野球は出身地とは関係なくプロ化しているのである
でも別に大リーグでも外国人でも優秀な人を入れれば強くなる、それが大谷である
日本でも優秀な外国人を入れないとグロ−バル競争には勝てない
勝負にこだわれば必然的に高校野球もそうなったのである
そうなると高校野球のプロ化であり教育の一環としてやるのとは違ってきたのである
大阪桐蔭とかと比べると格段の差が生まれた、それはプロ化したからである
そうなるとプロ野球のように大金を払ってトレードすることにもなる
実際何かそうしたことを裏で工作しているという記事もある

でも地域とほとんど関係ないとしたら何か高校野球は地域に貢献するとかあるのか
勝ったとしてもそれは地域に育った人でもないし地域とは関係ないとなる
だから高校野球の本来の趣旨とは違ったものになっている
高校野球は別に地域に貢献することもないし地域と関係ないともなる
それは高校プロ野球として行われているとなる
高校野球は教育の一環として行われているとは今は見えないのである
だから別に初めて神奈川の高校、横浜高校に福島県の聖光学院が勝ったとしても福島県で大喜びとかにもならない、前の磐城高校が準優勝したときは福島県出身者だから大喜びになったが今はそうならないのである
ただスポーツでも何でも知的な分野でも科学でもグロ−バルに競うとなるとどうしても世界から優秀な人たちを呼ばないと勝てないのである
だから勝負にこだわれば必然的にそうなったとなる


posted by 老鶯 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月12日

レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史


レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史

●レバノンの国家破産の危機





ヘロドトスは、著書『歴史』の中でリディア人のことを「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と述べています。

 リディア王国が発明した貨幣(コイン)というアイデアは、その後ギリシャ、ローマに広まり、そしてペルシアや西北インドなどの西アジア政界にも広がりました

 歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせていた[7]バビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどを使い分けた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%8F%B2


第一次世界大戦まではオスマン帝国領であったため、この地域ではトルコ・リラが使用された。大戦中にイギリスに占領されるとエジプト・ポンドが流通したが、大戦後にフランスの委任統治領となるとシリア・ポンドの発行が始まり、1ポンド=20フランス・フランの固定相場制をとった。これはシリアとレバノン共通の通貨であったが、レバノンでは1924年から独自の硬貨を、1925年から独自の紙幣を発行するようになった。当時はまだシリア・ポンドとの互換性が保たれていたものの、1939年には完全に独立した通貨となった。1941年、フランスがナチス・ドイツに敗北すると、レバノン・ポンドは8.83レバノンポンド=1イギリス・ポンドのレートで英国ポンドにペッグされた。1949年にはフランス・フランとの固定相場は放棄された。1975年から1990年の間、1ポンドは3アメリカ・ドルの価値があった。2006年、レバノン・ポンドは1アメリカ・ドル=1507.5ポンドのレートに固定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D
%E3%83%B3%E3%83%89#top-page

国からの金銭給付と預金には年度に紐づけられているものがあります。もし預金者が満期日に自身の米ドルを引き出そうと思えば、銀行からは米ドルを市場から確保するか預金を米ドルに換金して口座内に留め置くよう言われることになります。つまり20日前に、レバノンはバウンド経済に突入したわけです
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_3222/

レバノン国内には主なものだけで18の宗派が存在し、なかでも多いのは、国民の約55%を占めるスンニ派やシーア派などのイスラム教、次いで約40%を占めるマロン派などのキリスト教。そのほか約5%がイスラム教少数派のドゥルーズ派など他宗教です。

レバノンでは宗派ごとに権力を分散する体制をとっていて、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派から選出。国会議員数も1932年の国勢調査をもとに18の宗派ごとに割り振られる決まりになっています。

野菜やハーブを多用するレバノン料理や世界最古級の歴史もつとされるレバノンワインなど、料理を目当てにした観光客が多いです。特にレバノンワインは紀元前7000年頃からつくられていたそうで、オスマン帝国時代に一時途絶えたもののフランス統治時代に復活し、本場フランスワインにも負けない味わいだといわれています。

現在レバノンがある地域は、古代ではフェニキア人が土地を有していました。首都ベイルートも、もともとはフェニキア人が築いた都市。彼らは航海技術に優れ、レバノン山脈に自生していたレバノン杉で建造した船を用いて地中海に乗り出し、カルタゴ、バルセロナ、マルセイユ、リスボンなどに植民市をつくりました。

現在のレバノン人とフェニキア人には民族的な繋がりはほぼないとされていますが、レバノンの国旗にはレバノン杉が描かれています。

紀元前10世紀頃、フェニキアがアッシリア帝国に滅ぼされると、この地は新バビロニアやアレキサンダー大王、セレウコス朝シリア、ローマ帝国などが支配。7世紀頃にはアラブ人に征服され、イスラム化しました。

レバノン南部では、シリアやイランが支援するヒズボラと、イスラエルの紛争が継続。2006年にはイスラエルによる「レバノン侵攻」を招く事態に

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/9399



  レバノンは国家崩壊状態にある、ではレバノンという国をどう理解するのか、フェニキア人がいたとしてもそれは関係なくなりイスラム国家になりアラブ人が主な人種となり支配している、ただイスラエルとの関係が悪くヒズボラが支配してどこの国なのかわからなくなっている
あの辺はとにかく歴史が古い、7000千年前にワインが作られたというのも驚きであるもちろんエジプトでは小麦がとれるからビールを作っていた

●貨幣から見る歴史

世界史でも貨幣から見ると興味深い、レバノンボンドというときそれはイギリスの支配下にあったからボンドを使っていた、ボンドは世界的には今のドルと同じ役割を果たしていた、世界基軸通貨ともなっていた、エジプトボンドを使われている
中東でもイギリスの支配があったからだ

私はイスラエルの港から船で一時キプロスによった、そこで7時間位船が停泊したのだ
そこで金を使うにはイギリスボンドに変える必要があった、それでドルからだったのか交換した、まずドルが世界基軸通貨だから世界的に通用しやすい、だからこそドルに交換しないと世界では通用しないとなる、その役割が前はボンドがしていたのである
また世界で英語が共通語のようになったのはイギリスが七つの海を支配したからである
キプロスはすでに中世でも十字軍がキプロスを支配したことがあったから古い

1191年、第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる。キプロス島はギリシャ正教会からカトリック教会の支配下となり、東地中海でのキリスト教国家の「基地」としての位置を約400年間果たすこととなる

もともと中東は文明発祥の地だから古い、何かどこに立っても歴史を感じるのが中東でありヨ−ロッパであり中国だとなる、日本では歴史が古いとしても二千年前となると縄文時代でありそれが文明なのかどうかわからない、すでに中東やヨ−ロッパでは高度な文明が生まれていたからである、
今はキプロスはユーロ―になっている、2007年まではキプロスポンドを使っていた
となると確かにその頃行ったのだからユーロ―にはなっていない、ヨ−ロッパも旅行したときもユーロ―ではなかった、だから国が変わるごとに両替していたからめんどうだったでもそのことで別な国に入ると意識したのである
やはり国境とかでもないとかえってつまらないとなる、いよいよ国境を越えて別な国に入るとなる緊張感が生まれるからである

ドラクマという名前は「つかむ」という意味の動詞「ドゥラットー(ギリシア語: δρャττω)」に由来している。これはもともとドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである。オボロイ(単数:オボロス)は、紀元前11世紀以降使われていた通貨単位である。

紀元前5世紀以降、アテネでつくられた四ドラクマ硬貨は、アレクサンドロス大王以前のギリシア世界でもっとも広く用いられた硬貨であった。このコインでは、表にかぶとをかぶったアテナ女神の胸像が彫られており、裏にはアテナの使いフクロウの像が彫られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E



コインの旅

キプロスで一時船が停泊して
イギリスボンドの貨幣に変える
7時間ばかり滞在する
次にギリシャのアテネの露店で
何かを売っている
ドラクマを出して買う
そのドラクマの歴史も古い
アレキサンダーはインドまで遠征して
その貨幣が流通する
イギリスのボンド、アメリカのドルと同じ
ベトナムで中国だけではない
日本の貨幣も使われていた
重い金属の貨幣があり運ぶのも容易ではない
国々をめぐり貨幣は変わる
それが旅の思い出となる
またそれぞれの国の歴史を想うようになる
南の島で石貨がある
それは流通しない飾りとしてある
金は交換の道具
だから様々な国と歴史を語る
世界で貨幣のない国は今はない
でも未開の国で貨幣をもっていっても
通用しない所があるだろう
貨幣にはそれだけ長い歴史がある
塩と金が対等にアフリカの砂漠で交換されたと
つまり貨幣がなければそうなる
物々交換になる
ネパールの山岳地帯では物々交換が活きている
交通は容易ではなく閉ざされるから
交通が発達しないと貨幣も流通しない
ともかくいろいろな貨幣と紙幣が残された
でも価値があるのはドルである
ドルはエジプトの果ての辺りで
ロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫ぶ
アフリカの果てまでドルは通用する
アメリカが世界の覇権を握っているからだ
またなぜアンティークコインが安定した価値があるのか
それはやはり貨幣の種類でも中東ヨ−ロッパでは多い
トルコのエフェソスではローマの重厚な遺跡が残っている
そこでローマの貨幣を露店で売っていたが
それは偽物だったから損した
でもあれだけの荘厳な遺跡があると
その貨幣も価値あると思ったのだ
貨幣には何らかの裏付けが必要である
貨幣自体が金とか銀とかであれば価値がある
でも鉄のコインとかではそれ自体に価値がない
だから日本ごと小判であり
石見銀山の銀が価値があり世界から求められた
貨幣のことは語り尽くせない
それだけ貨幣は人間の歴史とともにあったからだ
世界の歴史が貨幣という物から物語になるからだ



キプロスにおける古代貨幣製造はBC6世紀頃に始まったとされています。当初のコインはキプロス文字の銘文を記したタイプとなっており、その後、ギリシャ文字に変化して行きました。

1878年に入ると英国(イギリス)が行政権を獲得し、1879年の3種の青銅貨が発行され余した。その後、1950年までキプロスのコインには英国王(女王)の肖像が描かれることになりました。

ドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである

ベトナムで金属の塊りが貨幣になっていた、骨董品を探して回る日本人がいた
その金属の塊りは持つだけで重いしとても持ち運べるものでもなかった
金属が貨幣になり金属そのものがもともと価値があったからそうなる

●国が崩壊するとどうなるのか?

レバノンという国が崩壊しつつあるのは理由は政治がうまくいかない、宗派対立があり
宗派でコミュニティがありその利権があり対立する
4っつくらいに分断されてまとまらない、そして援助したとしてもその金も上の方で一部のものに奪われてみんなに回らない、政治が機能していないからだという
宗教というのは利権化して利権対立になり争う、中東とヨ−ロッパはキリスト教とイスラム教の対立がありまとまらない、絶えず争いがあり戦争があった
日本という国はこの大陸の歴史からはずれていて熾烈な争いからまねがれていたのであるそれで明治維新になり日露戦争とか太平洋戦争となりその争いに巻き込まれたのである
日本はそもそも国際性が養われないのである

中東とかヨ−ロッパの歴史をみればわかる、民族でも様々であり四分ごれつして戦っていた、絶えず陸で国境を接して争っていた、それで悲惨なのだけど国際性は養われたのである、レバノンは外国に出て稼ぐ人がいた、それがカルロスゴーンだったとなる
莫大な富を得たからである、でもその故国のレバノンは悲惨な結果になっている
政治に宗教がからんでくると複雑怪奇になってくる
政治経済に宗教がかかわると経済合理性とかは無視される、科学的なことでも宗教がかかわりガリレオが地球が回っているとしてカトリック教会から刑務所に入れられた
つまり近代はこうした宗教支配から脱することだった
経済合理性と科学とまた宗派で対立するのではなく人権が重んじられるようになりフランス革命はカトリックに反発するものとしてあった
イスラム圏で政教一致だから経済でも科学でも停滞して発展しないのかもしれない
つまり近代は宗教と経済と科学とかを分離することになったのである
宗教が利権と結びつくとこうして政治でも介入して利権争いになる、宗派対立は利権利益の争そいになる
互いに宗教が絶対だとすると譲らないからである、聖戦だとかなり政治的妥協もなくなるからである

レバノンで注目したのは国が破産状態になるとどうなるのかとういことである
水不足になっているのは浄水場などを機能させる人材がいなくなったとかある
水はあるが浄水できないのでウィルスとか毒が交じっていて飲めないという
また電気が使えないので浄水できないとしている
つまりエネルギーとか水が得られないと国家破産状態にもなる
日々の生活に水は不可欠でありエネルギーにしても電気がないと何も動かなくなる
そしてレバノン人の優秀な人たちは脱出している、国を見捨てている
それはロシアでも起きた、ウクライナと戦争になり何十万人がエリートが脱出したとしている、大陸では民族移動がありそれで国も変わる、もともと遊牧民国家の人民は移動するだから移動するのに抵抗がないとなる、日本は島国であり海に囲まれていて脱出できないとなる、だから一億総玉砕とかになったのである、大陸だったら国から脱出するからである

いづれにしろ国が破産する崩壊するとどうなるのか?

そのことを他山の石として学ばねばならない、日本でもそうなるかもしれないからだ
日本は何か実際は相当な危険な地理にあった、ロシアと中国にはさまれアメリカに支配されたがアメリカは本国は遠い、アメリカは大陸と分離した島国である
だから直接攻撃されて戦争しても本国には被害がなかった
ロシアとかだ二千万人がヨ−ロッパから攻められて死んだとかある
戦争とは人間が大挙して移動することでもある、だからこそ遊牧民は戦争に強かったのである
日本の経済が低迷して貧困化して日本国家が破産するとかまで言われる
そういう機器がるときレバノンのことも無関係だとは言えない
レバノンも宗教のことで分裂しているが日本だって統一教会とか創価とか他の宗教団体もありそれらが衝突しないとも限らない、なぜなら中国派とアメリカ派に分断されるからである、創価は中国につき幸福の科学は右寄りであるからアメリカ側になるののか、ともかく日本は大国によって分断されることがありうる
時代劇で大藩にはさまれた小藩がただ大藩の言いなりになるだけで搾取されると嘆いていた、小藩の悲哀が江戸時代にもあった
だから日本がそうした危機が来るのではないか、戦後75年は冷戦などがあり米ソ対立で日本は直接戦争に巻き込まれなかった
でも米中対立とかでは必ずまきこまれる、台湾有事ではもう逃れられない、隣国だからである

日本でもエネルギーが石油でも石炭でもガスでも入らなくなると危機になる
でも原子力発電は危険度が高く失敗した、ウクライナも遠いからと傍観しているが何か日本もウクライナになるのではないか、アメリカは日本を中国と戦争させたいとか言う人もいる、ウクライナの戦争はアメリカがかかわりロシアと対立したからである
日本は明治維新で危機になり70年過ぎて太平洋戦争になり焼野原となった
そして戦争から75年過ぎて大きな危機にみまわれる
それが津波とか地震でも原発事故とかで現象化して次に経済危機から戦争ともなる
それでレバノンであれスリランカであれよそ事にもならない
同じような不安が増大しているのである

rebanon111.jpg
レバノンは世界最大のポンジスキームだった! 世界銀行がレバノン政府の詐欺行為を強く非難【越境3.0チャンネル】
https://onl.bz/nTT2KyF

smalljapan.jpg






posted by 老鶯 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月09日

高校野球は地域代表ではなくなった (高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は地域代表ではなくなった

(高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は見る方にすると面白い、聖光学院は福島県だけど図を見ればわかるように
福島県出身は三人しかいない、意外と宮城県が多いとみる
宮城県なら東北なのだから大阪とか遠くからの留学生のような人よりはいいとなる
高校野球は前は公立高校の磐城高校でも準優勝とかあった
池田高校も地方の公立高校であり一時優秀もして熱狂したそういう時代はもう昔になった
だから高校野球は全国の地方代表が戦うものではない、全国の選ばれた野球エリートが
地方の私立校に所属して戦うだけだとなる
地元とは関係ないともなる、めうしなければとても強豪チームには勝てないからだ
日大三校は強いと見ていたが意外と聖光学院が強かった

春夏通算3度の優勝・3度の準優勝を誇る強豪校として知られています!

日大三校は強豪チームだった、でも最近東京勢は強いと見えない、勝ちあがってこない
でも日大三校でも東京出身者が5人しかいなかった
これも意外だった、東京だったら人材が集まるかと見ていたらそうではない、全国から野球エリートを集めていたのである
東京すら東京に住んで育った人が出ているわけではなかったのである
そうなると高校野球は一体地方代表でもない、野球エリートが全国の私立校に散って争うプロのようなものなのかとなる
東京すらそうなのだから他はもっと地域の代表ではない、そうなると高校野球は何のなのだろうとなる

聖光学院と日大三高の戦いを見て面白かったのは甲子園特有の浜風が吹いてそれに左右されたことである、それで風にのって大きく伸びたこともあるがさえぎられたこともあったまたライトの方に風が吹いて外野の選手がフライをとれなかった
また盗塁があり二塁になげたが失敗したのは甲子園の球場は勾配がありそれで捕手の玉が高くなったとか地形の影響まで解説していた
それで甲子園で練習していないと損だとも言っていた、すると甲子園で練習している関西の高校は有利なのかとなる、今回は甲子園で練習できなかったからそれで不利になっていると解説していた

ここに私が注目したのは風土とか地理にか関心があり戦国時代の戦いでも必ず地の利が関係してまた天候も関係している、信長の桶狭間の戦いも地の利とその日の天候で勝ったとしているからだ、その他関ケ原の戦いとかも天候が関係していたとかある
勝敗は必ずしも簡単に決められない、時の運が作用するからである
ただそもそも本当に実力がなければ勝てないことはある、高校野球でもいくら運が作用するにしても実力が基本にないと勝てない、だからこそ全国から野球エリートを集めて精鋭部隊を編成しているから強いのである

ともかく私は野球が見ていて一番面白い、見て面白いスポーツだと思っていた
ただ高校野球はそれだけではない、プロ野球とは違った要素がある
その一番の特徴は一回限りのトーナメント制の勝負だということである
一回負ければ即退場になってしまう、そこに緊張感が生まれる
そこで一戦一戦全力を尽くすことで真剣さが生まれる
人生も実際は一回限りの真剣勝負だからである、そしてチャンスをものにしたものが人生の勝利者にもなる

だからチャンスにヒットを打つホームランを打つということが最高に印象的になる
いかにチャンスにヒットするかこれが人生でもある
それもそのチャンスは一回限りの勝負だとなると余計にそうなる
人生でも重大なチャンスは一回か二回なのか本当にない、そのチャンスを逃すとチャンスはもう後はないともなる、そのチャンスは若い時に30くらい前までである
そのチャンスを逃すと後はないとなる、何回もチャンスがある見ているが意外とないのである、だから就職でも新卒で大企業に入れないとしたら一生しょうぼい会社で過ごすとかなるのである、これは別に大企業でくなしてもやはり30前まで人生の方向が決まってしまのである、だから今は引きこもりが多いけど20代で就職に失敗したりすると一生引きこもりになる、これも怖いことだと思った

スポーツでも人間のドラマになる時にる時興味深いものとなる、ただ正直後のスポーツはそういう興味が感じられない、サッカーでもそうである、ただサッカーでも一回シュートを成功することで勝負が決まるとかやはりそれもチャンスをものにしたということである一回のシュートが勝敗を決めるとなるからだ、その時やったとなる
いづれにしろ高校野球に野球エリートがこだわるのはわかる
つまり甲子園という大舞台に出るだけで本当に選ばれた人となるからである
そういう舞台は人生で一回限りなのである、そういうチャンスは与えられないからであるだから甲子園に出た人は最高の思い出となりヒットを打ったことでも忘れられないものとなる、そういうことで人間臭いものがあり高校野球に惹かれることがある
人生をふりかえれば30とかまでは青春は得難い時間だったとなる
「少年老い易く学なりがたし」というのはあらゆることに言えるのである
青春などあっというまに過ぎるからである、だから何であれ青春時代に打ち込むことがあり懸命にスポーツであれした人は後でその時のことが忘れられないとなるのである
なぜなら後は意外とそうした大舞台など人生にはないからである

ただ最近は野球は見ていない、どうしても福島県の高校が戦うとういことで見た
それも実際は違っていたのである、だから将来的には今でも現実的には地域の代表ではない、でも強くないと勝てないのだからそうなった
それで将来的には地域の代表の戦いとなれば東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか分けて代表を選び戦うようにすればいいのかとも見る
もう県代表では勝てないからである、聖光学院に宮城県出身者が多いことでもわかる
そうなると東北の代表なのかともみるからである
そもそも高校野球は県の代表とかみているけど実際は違っている、それは錯覚なのである地域の代表同士の戦いではなくなっているのである
ただ高校野球自体には魅力がある、見ていて面白い、エキサイトするスポーツだとなる


センバツ「私学と公立の格差」埋まらぬ根本原因
https://toyokeizai.net/articles/-/419878?page=4

聖光学院出身高校
baseballfukushima.jpg

宮城が二人と山形県がいるーこれは一応東北勢であり
地域代表になる、東北ブロック代表となる

日大三高出身中学
baseballtokyo1.jpg

baseballtokyo2.jpg

東京も関東地方が多いから関東ブロック代表ともなる
ただ沖縄とか大阪からも来ている

posted by 老鶯 at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月05日

大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代 (地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)


大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代

(地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)

●政治とは利権利益の調整

政治とは何かと言えば利権利益の争そいである、互いの利権利益があり奪い合いとなり戦争にもなる、戦国時代は入会権の争そいから始まったというときわかりやすいのである
地域の入会権に戦国大名がかかわり大規模な戦争にもなった
水争いとかなると砂漠地帯では水が命だから水の奪い合いになるとかわかりやすいのである、本質的には人間が争いになるのは利権利益の争そいである
それが自分の住んでいる場所でも起こった

原発事故の補償金でもめたからである、それは今でも尾を引いてる、隣でなぜ多くもらえたのかとか、30キロで区切られたから女性の親は泣いて訴えていた
なぜなら別に放射線量など変わらないからである、だから30キロで区切ったのは問題だった、南相馬市では鹿島区が30キロ以外になり補償金が30キロ内の原町区と小高区とは相当に少なかった、原町区は避難区域になっていないのに三倍もらっていたとかなる
それで南相馬市は一体化感が失われたのである
でも避難者が仮設住宅に押し寄せた、それは相馬市でもそうだし新地とかでもそうである補償金では津波被害者と原発避難者では差が大きかった、それで同じ仮設に住んでいても口をきかなかったという、それも人間は金になるとシビアになるからである

人間はともかく争いの原因は利益利権の争そいである、政治とはその争いを調節することが役割だとなる、でもそれも公平にするのはむずかしい、だからこそその決着は武力になり戦争になる、平和的に解決しようとしてもできないから最後は武力で力で解決するとなる、それが人間の歴史だったとなる
それで三国志とマキャベリズムが生まれた、いかにして権力を得るかとか権力が最大の課題となるからだ、そして宗教でも占いでもなんでも戦争に利用しろというとき統一教会でも同じだった、宗教は戦争のために利用されたのである

●カルト教団も大衆ファシズム

カルト教団とは何かとなれば統一教会でも創価でも幸福の科学でも権力志向が強いのである、政治に深くかかわり権力を操作したいということである
創価なら毎日365日選挙しか関心がない、そのために祈る
それが利益になり利権になるから祈る、御利益のために祈るだけである
あらゆる欲望は肯定されるしむしろもっと欲望を持てと幹部が指導する
会員もそうした欲望を満たすために祈り運動しているからである
だからなぜそれが宗教なのかとなる、政治活動であり御利益を得る経済活動だから税金をかけろというのは正論なのである
それも結局民主主義とは数であり数だ多数になれば法律も数で決められるのだからどんな理不尽なことでも通る、そしてナチスになりファシズムになるのである

つまり現代とはファシズムの時代だったのである、なぜなら民主主義といってももう大衆民主主義でありすべては数で決まる、内容など関係ないからである
だから創価とはでもカルト教団では必死になって会員を増やそうとしている
数が集まれば社会を威圧できるし権力化するからそうする
ただ統一教会はそんなに力があったのかということである
隠されて報道されないのでわからなかった、全国で十万くらいの会員で自民党を操作する力があったのかとなる

キリストがこの世のものをあなたに与える、王にしてやると言ったとき断った
でもカルト教団だったら喜んで引き受ける、それよりそもそもがこの世の王になること権力を持つことが目的だからである、理論的に王仏冥合とかあり矛盾しないからである
それは中世のものであり現代にとても適用などできないのである
ただ理論などどうでもいいのである、権力を得ることが利権御利益を得ることが目的でありそのためにいろいろ理屈が言えるからである

●共産主義も全体主義で大衆ファシズムと化した

現代とは大衆社会であり民主主義と大衆は相性がいいのである、そしてマスコミが大衆を洗脳するのである、実際は大衆があってマスコミがある、大衆の意向にそってマスコミもあったのである、だからナチスがラジオから生れたかというときもそうである
ラジオのようなものでもそんな影響があったのかとなる
ただ現代社会は報道するときその場に立つこともできないし世界になるとさらにわかりにくくなる、だからフェクニュースでも信じやすいのである
マスコミによって操作されやすいのが現代だったのである
でもそれまでは新聞がそうだった、朝日新聞が一番戦争をあおったというのも意外だがそういうことがあった、そこでファシズム的熱狂が起きていたことはいえる
ファシズムというとき全体主義のことである

共産主義も全体主義でありそのために何千万人が死んだとか言われる
カンボジアでは二百万人が共産主義で粛清されてその骸骨が山と積まれた博物館がある
共産主義も全体主義でありファシズムでもあった
また宗教ファシズムにもなるのがカルト教団である
それらを野放しにしているとナチスとなり膨大な犠牲者が出る、何か信教の自由と自由、自由とかまるで絶対の権利になったのが現代である
そこであらゆるものが自由だとなり結果的にはそれがナチスとなりファシズム戦争となったのが現代だったのである

政治というとき民主主義でもポリスは一万くらいしかの人口がない、そこでは直接投票であり誰かの代理人を選ぶ投票ではない、だから一票の重みがあったし責任もあった
現代で一票など何の価値もない、だから組織化集団化したものに頼る、それがカルト教団でもいいとなり問題化したのである
つまり現代の危険はどうしたら大衆洗脳されるものから逃れて各自の自主性を確保するかとなる、そのためにカルト教団などは規制すべきなのだができないのである
自民党はカルト政権だったということが統一教会のことでもわかったしそもそも創価と一体化しているのだからカルト政権であり政教分離に違反している
でも法律など関係ない、政治は数だというときカルト教団も数となれば票を得られるのだからそれでいいとなる、とにかくまとまった票がない勝てないとなるからそうなる

●ノブレス・オブリージュ(地の塩の消失した大衆社会)

現代とはあまりにもあらゆることが自由にしたことなのである
そしてカルト教団でも信教の自由があるとか主張する、あらゆる人が自由を主張する
権利を主張する、しかし義務とか責任は意識しないのである
貴族支配に問題があったが侍支配にも問題ががあったがそこで

ノブレス・オブリージュの精神とは、
「財産、権力、社会的地位というものは、自分自身の能力ではなく、社会から、祖先から与えられたものであるから、自己を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務がある」という考えである。

要するに大衆は義務とか責任は感じない、ただ利益を得ることであり利権を得ることしか考えないのである、無責任なのである、そこで起きたことはもう大衆に社会が席巻されて終始がつかなくなる、誰も国でも地域でも責任は持たない、すべては大衆の利益と利権しか追求しない、それで原発事故でも家の前の海に権利があるとして補償金をもらう権利がるとして主張したりあらゆることで権利を主張するようになったのである
そこに責任とか義務などはない、それが意識できないのである
でも結局必ず責任がとらされる、その責任とは大衆戦争だったら何千万人が死んだとか原発事故だったら故郷に住めなくなったとかである
その責任は空恐ろしいものとなったのである

この世には一定数の地の塩が必要である、とても大衆にまかせたらあくことなく権利利益を主張するだけであり社会は餓鬼地獄にもなる、大衆は責任とか自覚しないからである
結局現代文明とはこうして大衆によって消耗される社会だともなる
カルト教団でもそうである、膨大な大衆によって使うようで使われる
大衆に使われて一生も終わる、結局大衆は真善美など追求しない、真善美を追求するのはやはり一定数の地の塩だとなる、その人達がいて下々でも社会は治められるとなる
カルト教団などは真善美など追求していない、権力しか眼中にない、数を集めて権力を得ることしか眼中にない、あとは人間のあらゆる欲望を肯定して御利益を得るために活動しているだけである

そして大衆を使っているようで大衆に使役されて一生を終わる
民衆のためだとかはない、自分の御利益と欲望しかない、その教祖は実際はサタンだともなる偶像でありそれに使役されて終わるとなる
何か善きものは残さない、会館とか各地に建ててもそれも虚しくされる
でもそこに費やされた金とか時間は膨大である、それも何ら実りがないのである
だからつくづくこの世は何なのかとなる、無益なことに膨大な時間と金と人員が費やされるのである、それはサタンに使役されるためにあったのかとなる

●代議制は無責任社会にした

人民の代議士はその代表者ではない、彼らは人民の委託人にすぎない
最終的に何事も取り決めることはできない、人民が親しく承認しなかったような法律は
すべて無効であり決して法律とは言えない
イギリス人民が自由だと自分では考えているが彼らが自由なのは議会の構成員を選挙する期間中だけであり選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となりなきに等しくなる

戦争を起こすものは人間の関係ではなくものごとの関係である
そして戦争状態は単なる対人関係から生まれない、ただ対物関係から生まれる

人民は代表を持つやいなやもはや自由でなくなりもはや人民として存在しなくなる
(社会契約論ールソー)

代議制では代表者を選ぶのであり選ぶ人は責任もなにもないいてある、すべて委託するだけであり責任を放棄するのとも同じだとしている、だから代議制というのは無責任であり選ばれた人でも実際は無責任である、選んだ人に責任があり選んだ人が悪いのだとか
選ぶ人たちが低劣なる選ばれる人も低劣だとなる
むしろ低劣な人間しか選ばれないともなる、そこに民主主義の限界がある
直接民主制とかはもう国単位では無理である、巨大すぎるからである
それは一万くらいのポリスで可能な政治体制だったのである

そして大衆民主主義とかポピュリズムとなるとき芸能人とかただ名前が売れている人が選ばれることになる、それで青島だとかふざけた人でも東京都知事になる
それは大衆にとって芸能人が身近であり名前も知っているからそうなる、第一大衆は考えるのが嫌なのである、めんどうなのである
だからこそカルト宗教が人を集めたのである、そこで一切考える必要がない、教祖の命令のままに動くロボットとなる、ナチスの党員となるからだ
その人達は機械のように動く、それで怖いのは殺せと命令されたら何の躊躇もなく人間を大量殺戮したとなる、命令されたことに疑問もなく考えることもなくそうしたことが怖いのである、大衆民主主義はそうなりやすいのである

大衆民主主義は最低限の人達のレベルに合わせることである、知性もなにもない芸能人に投票するような人に合わせることである、よくよく考えて選ぶ人ではない、人気投票のようなものになる、つまり大衆民主主義は最低辺のレベルの人達に合う人しか選ばれないということである、そこに絶望がある
経済的には最下層の人達に合わせるのがいい、でもその外のことについては大衆には合わせるべきではない、経済的な富裕層というのではなく何か選ばれた人達、一定の地の塩が必要なのである、一番下劣な人達に合わせて社会はどうなるのか?
もう高等なものを追求することもできない、愚民社会であり最悪は大衆ファシズムとなりナチスとなってゆく、それが今問題にしているカルト宗教のようなものになる
それはただ数を集めることを目的として権力と御利益しか関心がないからである
ただ現代はあらゆることが水平化するから何か優れた人とか認めないのである
それでニーチェのように衆人から逃れよとなってしまう、そして山に入り自然と一体化してロゴスを追求するのてある,アウトサイダーになってしまうのである
別に超人ではなくても自然のロゴスと一体化するのである

●水平化される大衆化される社会はヒットラーが指導者となる

大衆に高遠なことを説いて無駄である、それより大衆からは逃れよとなったのがニーチェなのである、雲霞のように押し寄せて来る大衆を相手にすることではない
結局大衆に消耗されて疲れるだけだとなる、大衆は相手にしないことである
政治の問題は市民とかではない、もう大衆を相手にしているから行き着く先は大衆ファシズムになる、それを象徴しているのがカルト教団なのである
何百万人の会員がいる、その中に百万以上の幽霊会員がいるとかもうそこには何も人間的なものは生まれない、ただ数として人間は処理されるだけなのである
つまり大衆は幽霊化した実体のないものでもある

そもそも現代文明とは人間は数として処理されるだけである、統計的数字として処理されるだけの存在なのである、万物の霊長たる人間はいない、そうなるには大衆より逃れよ
山に入れとかなる、何か大衆に諭すことなどできない、大衆に説教しても無駄である
個々人ならできるが無数の大衆には無駄である、それはただ数としてあるだけであり
リンゴであれミカンであれバナナであれ果物でも違っていてもみんな一個として数えられるだけなのである、カルト教団などは創価などでも毎日数を数えている、票を数えているだけなのである、結局大衆に使役されているのがカルト教団である
結局ロボット集団なのである、その制服はみんな真っ黒なのである
人間的なものはない真っ黒な集団でありナチスの党員と変わりないのである

対話するときは同じレベルの低レベルの人達と会話しても対話しても低レベルにとどまるだけである、現代は高レベルの人でも水平化されるから大衆が力をもっているから高遠なことを説いても無駄である、雲霞のような大衆に席巻されるのである
政治とは金と数だと田中首相が言ったように数を第一にすることは大衆が席巻する時代である、だからこそ自民党がカルト教団に牛耳られる、まとまった票を得られる
無料で選挙応援もしてくれる、金もくれるとかなる
現代とは大衆を操作するものが権力を持つのである

それはナチスを見ればわかる、民主主義があり選挙して勝ったから数を集めてそれがナチスに発展したのである、つまり低劣な大衆扇動者が権力を持ったのである
カルト教団はみんなそうである、その教祖を神のようにあがめハイルヒットラーとなっているのである、それがサタンになっているのである
とにかく代議制というとき他者に住民がまかせることがなかったというとき以外である
ローマでもそうだった、今と違って直接民主主義か責任をもって参加する度合いが強かったとなる、だから代議制民主主義は堕落する、議員に成る人は禄な人がいないとなる
でも現代社会ではエリートとか地の塩とかは否定される、すべて水平化されて大衆化される、つまり優れた者はない、みんな同じだとされる
そして大衆を指導するの扇動するのはナチスになったのである,カルト教団だったら
教祖になる、そもそも宗教もカルト化したとき大衆化したからである

posted by 老鶯 at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月03日

安倍晋三とは何者だったのか? (在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が不可欠)


安倍晋三とは何者だったのか?

(在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が必要)

aabemisnister.jpg

安倍晋三というのは何者だったのか、山上に殺されてから統一教会が問題にされ問われた歴史的には勝共連合からその祖父の岸信介とかから受け継がれてきたものがある
CIAとかは関係していたとか議論されている
韓国はアメリカ軍が駐留しているし統一教会ともトランプ大統領でも関係していた
統一教会のバックにはCIAとかがあり日本工作していたとかいう
何かそれが辻褄が合うのも不思議である
日本は今でもアメリカに戦争に負けてから属国なのだから当然だとなる
なぜ安倍政権が長期政権になったのかとういうとバックに統一教会がいてアメリカもかかわっていたとなる、たいして功績がなくても長期政権になっていたとなるからだ

そしてもう一つは政治も地政学が基本にある、下関とかは韓国に近い、韓国に行く定期船が出ている、そして岩国基地がありアメリカ軍がいる

 垂直離着陸可能な米軍のステルス戦闘機F35B16機を、米軍岩国基地に追加配備する計画が動き出している。岩国基地は厚木基地からの空母艦載機移転や「沖合移設」を掲げた滑走路増設で、すでに120機の軍用機と滑走路2本体制を備えた極東最大の軍事拠点に変貌している。そのうえに空母艦載機であるF35Bの一個飛行隊を追加配備し、岩国基地を対アジアをにらんだ空母艦隊出撃拠点に増強しようとしている
 
岩国には岩国城があり山城がある、そこに上ったことがある、でも小さい城だった
ここはアメリカ軍基地としては第一の大きさである
ここはやはり地政学的に韓国に近いし日本最大のアメリカ軍基地となった
そういう地政学が必ずあらゆることに関係している、なぜなら明治維新でもここは長州でありここを基点として幕府軍と戦って明治維新になったからである
それに比べると会津でも国際情勢にうとくなる、明治維新は四国の坂元竜馬、長州の萩の吉田松陰とかあとは薩摩藩が合体して成したということがあるからだ
そういう人物が出たのも地政学でわかる、例えば江戸時代で赤穂浪士が討ち入りしたとき青森の弘前藩までそのことが伝えられるのに相当な時間がかかった
電話もないのだから伝わるまで時間がかかる、そうして東北とかは国際情勢にうとくなるのである、そこに会津藩の悲劇もあったのかとなる

地政学的に山口県とかなると知った人だとアメリカ国籍であり在日の人がいた
これも不可解なのだがそこにいれば不自然ではない、アメリカの第一の基地があり
在日の人も多いからだ、でもその人は日本人ではない、それでも日本語はしゃべれるし日本人と区別できないのである
だからこうして複雑な事情がありそういう人物も生れたとなる
日本人になるのは嫌だ、では在日という国籍はない、それではアメリカに住んでアメリカ国籍をとったとなる、だから実質はアメリカ人なのである
それで岩国のアメリカ軍人と話ししていたのである、それも不思議だとはなるがこうしいう人は地政学的にあの辺りにはいるということである
その人はアメリカと通じ在日に通じまた日本人に通じている、でもアメリカ国籍とするとアメリカ人でありCIAの一員なのかともなる
それは統一教会とも似ているのである、在日とか韓国人は戦争のことで日本人を恨んでいる、それは共通している、そこで差別に異常に敏感なのである
だから在日というのは扱いにくいのである、一体何人なのかわからなくなるのである

Yoshitakaは,名前を 「YoshitakaLEE-MIYAZAKI」 とい うかたちで名
乗 りたいと思 うようになっているとい う。
《Yoshitaka》両方にしたいかもしれません.LEE でもなく,MIYAZAKI
でもなく,まあ,スペイン人風に,LEE-MIYM AKIって。それなら,韓
国人でもない。 もう,ほんと,在 日ですよね。
LEE-MIYN AKIなら,アメリカにいれば,コリアンから見ても,ああ,
日本で生まれたコリアンね,つて,そ うい うところで理解を得てもらえる
と思 うので。ぼくは,アメリカ人 としての部分もあるんで,そこを強 くし
て い き た い と思 っ て

越境する 「在 日の苦悩」
- 日本名 でアメ リカ国籍 になった在 日コ リア ンか らの聞 き取 り
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/KY-AA11946779-26.pdf

こういうことである、LEEとは李のことなのである、李とは李朝鮮があり中国でも大きな一族の姓である、日本で李と名乗る時、その人は私は在日ですと宣言しているのである
でも日本名になるともうわからなくなる、区別がない、だから李と名乗る人は日本人になりたくない人だともなる、だからはこそその人はアメリカ国籍をとったとなる
でも現実は日本で育ち日本人なのである、だからそもそも国籍とは何かとなる
二重国籍も普通にありグロ−バル化すると増えた、そうなるとその人は一体何人になるのか不可解になるのである

安倍晋三という人間もこうして山口県であり長州閥でもあり岸信介から韓国とかかわり
勝共連合とかかわり統一教会とかかわる、その背後にはアメリカがいるともなる
東北だとそういう人物は理解でなきないとなる
その人は個人的にそうなっているのだが統一教会は組織団体としてそうした立場になっているのである、韓国人にとっては在日にとっては日本人を操作するものとしてあったとなる、ただ在日朝鮮人を理解することは本当にわかりにくいのである
東北人はそういう歴史とか地理にない、そこで日本でも地政学が影響するのである
なぜなら人間は基本的に自分が住んでいる場所から世界を見るからである
そこにどうしてもずれが生れて来る、東北ではどうしても国際性が育たないのであるもともと出雲に国引き神話があるように韓半島は常に近いからそうなっていたのである

つまり安倍晋三とは地政学的に歴史的に理解する、地政学なくして人物も理解できないからである、安倍晋三はどうみても国葬にするような人物ではない、外交で多少功績があったとしても国葬にするような功績はないだろう、だから国民は賛成していないのである
結局何であれ人間が一旦死ぬと美化されやすい、どんな人でも死者を責めるのははばかられるからだ、そして美化されることによって自民党は国民の支持を得ようとする
死者を祭あげて政治に利用する、そういうことは共産党でもソ連があったとき書記はまるで神のように葬られたことでもわかる、エジプトでも王が神のようになったのもそういうことがある、神聖政治になるのである

ただ人間が別に普通の人でも死ぬと必ずその人が何だったのか問われる、この人は何をしてきた人なのか、何を残したのか、何の価値があったのかとか死んだ時客観的に冷静に見られるのである、それで安倍晋三が死んだからそういう議論が開始されたとなる
その評価はいろいろあるにしても何か目立って政治的に功績があった人なのか疑問であるどうしても右寄りの人は良くいうのは政治的に死者を美化して利用することがある
それが歴史的にも政治の手法だからである
ただ日本を衰退させただけの人だという人もいる、現実に衰退はつづいている
でもそれが安倍晋三のせいなのかとなるとまたわからない
そこには様々な要素があるからだ、政治もその大きな要素であり責任はあったとなる
ただ山上一人がこれほどの反響を呼んだことは驚きである

多数決の民主主義にこれで疑問を感じた人は相当にいる、民主主義の選挙では何も変えられないということを常々思っている人は同じようなテロに走るかもしれない
テロというのは否定されるにしても命をかけてしているから違っている
一票を投じるのとは余りにもその覚悟が違うのである
そもそも民主主義は大衆民主主義であり機能しなくなっている、だから何らか改革しないとテロが横行するようになるかもしれない、選挙では民主主義では変わらないということをみんな実感しているからだ、だからこそ山上が祭りあげられるようになった
その効果に驚いたのである



李という人はパソコン通信で知ったのである、それも20年前とかなるのに驚く
何か時間が過ぎるのが早い、あの人と旅で逢ったなと思ったら十数年過ぎていたとかなる大学時代あった人は50年過ぎたなとかこれも信じられないとなる
パソコン通信とはあの時相当な熱気があった、それは全国に住んでいる人が出合い文字で話すことによってそうなったのである、そういう経験をしたことがないからである
それはインタ−ネットができて起きた新しい経験だったのである
だから今でも自分は5chとかを読んでいる、ただ発言はしない
やはり発言するとなるとその人を知るには不十分でありものたりないからしていない
また今は忙しいので対話もしていない、返事もしていない
何かプログに文章を書くだけで手間なのである、そしてスマホを買ったがこれも手間で
今はほとんど利用していない、結局一人でいろいろなことをすることができないことがわかった、家事から何から何でも一人ではできない、それでフェスブックとかもしようとしたが一回も書き込みも返事もしていない、結局使い方自体がわからないからできなくなったのである

posted by 老鶯 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月02日

日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの? (政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)


日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの?

(政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)

人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、徳治主義を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする法治主義によって統治される国家のこと。

法律を絶対として人を治める法治国家である、でも法律が絶対的なものかとういとそうでもない、なぜなら法を扱うのは人でありその人が法律通りにするかというとそうはならない、法律は数式のようにもなる、自然を見る場合でも科学は数式でありそれで納得する
ただあいまいな根拠で一方的なものとなると誰も信頼しない
重さを計るにしても計量器で計り数字が出て納得する
だからだいたいこれくらいの重さですと言っても納得しない、だから法律とは数式のようなものなのかとなる
なぜなら機械の方が人間より信用できることがあるからだ
機械は偽らないことがあるからだ
それがこの辺で起きた原発事故でそうだった、モニタリングポストの下の土を削って故意に低くしていたのである

それを見ていた人がいて告発した、私もその回りを計ると倍くらいの放射線量だったのである、それをしていたのは大成建設とかだったのである
それは政府ぐるみで行われていたのである
大成建設が勝手にできない、政府の支持でしていたからである
だから政府そのものが嘘をつくし権力があるから大成建設とかゼネコンに命令できるとなる、そしたら一体誰が罰するのかとなる
それは裁判所になり現実に東電でも過失がありと判決があった
それで賠償金を払いとなったのである

法律が絶対とはならない、第一弁護士でもただ相談するだけで百万の金をとったのであるそんなことありえないのだけで頼んだ人は弁護士を知っているとかでそうなった
これも法律違反ではないか?弁護士が法律を守らない、政府でも守らない、大企業でも守らない、となれば法律は有名無実になる、また法律にも抜け道があり解釈がいろいろありそれで法そのものが絶対的なものではない
そもそも法律の始まりは宗教だったのである、モーゼの十戒がその始まりだった
これは神から授かった厳命だった、特殊なのは形をあるものを神となるなという偶像崇拝の禁止だったのである、ただではこれが法律化しているかとなればしていない
信教の自由となれば何を拝んでもいいとなっているのだ
イスラム教とかキリスト教とかではアブラハムを祖として同じルーツがあり偶像崇拝を異常に恐れているのである、そこは共通しているのである
そして無神論は許されない、つまり法律でも無神論主張すれば殺されるとなる
でも言論の自由がある民主主義社会では許されるのである
結局民主主義社会の問題はあらゆるものが何でも自由にしたことなのである

そこから様々な問題が生まれたのである、あらゆるタブーがなくなった
性のタブーでも同性愛でもなんでも自由であり何かそこからわからないにしてもサル痘が生れて来たとかなる、またあらゆるものが自由だとしてヒト、モノが外国でも出入り自由になった、そのためにウィルスも自由に入ってくるともなった
なんでもあらゆることが自由だということの弊害が出てきたのが今問題化したともなる
グロ−バル経済でもそうである、公平な自由市場の世界経済など実際は成り立たない
だからアメリカの一握りの人間が世界の富を収奪してとんでもない格差社会になったのである

今必要なのは自由を制限すべきだ!

人間にあらゆる自由はありえない、それがどうなるのか?大きな災いが世界的に起きる
現実に起きている、宗教も自由だ、信教は自由だと主張する
でも現実に政教分離があるのにそれも守られないのである、法治国家なのに法を守らないのである、そのことから統一教会問題やカルト教団の問題が起きた
創価などは明らかに政教分離に違反していても取り締まることもできない
もしかしたら法務大臣にすら公明党がなりうる、現実に公安委員長が統一教会と通じていたことでもわかる、カルト教団が権力の中枢に入りこんで政治を操作してくる
莫大な金が宗教を通じて韓国に貢がれていたのである
宗教は宗教ではない、金を収奪するための方便であり目的は金であり権力に影響して操作することだとなる
政教分離とかは有名無実なのである、政治家も票になればいいとかなり無視しているのである、法治国家ではない、そして民主主義もここにも法律が上として適用されればいいのだがしていない、法律より上なのが選挙である、選挙で勝つものが法律は無視してもいいともなる、そして民主主義でナチスが政権とって大惨事となったのである
日本の戦争でも同じではないにしろ似たようなものがあった
天皇が神となり日本は神国で負けないとなり戦争が苛烈なものなり一億総玉砕までなりえたのである

宗教は現代文明では病理的現象として現れたのであり過去の宗教とはまるで違ったものなのである、大衆洗脳宗教なのである、大衆ファシズム宗教なのである
だからこそ選挙が権力を得る為のものとなり統一教会でも創価でもそれを最大の仏法の戦いとしているのである、統一教会を批判するけど自民党は創価と一体化しているのだからまさにカルト政権ともなっている
ただ統一教会は表に出なかった、隠されていたが自民党の中に深く入りこんでいたのである、だから外国勢力が宗教を通じて他国を乗っ取るとか警戒されたものもわかる
外国のスパイが宗教団体を通じてはいりこみ操作するからである

いづれにしろ政教分離の法律にしても有名無実である、そうして制限制約されないことはどうなるのか?、また同じ道を行くことになる、日本帝国現人神戦争とかナチスの戦争の再現なのである、現代社会が大衆社会だとするとき数が権力だとするとき民主主義社会もまた数で決まる、数で決まるとういことは一人二人の賢者の声など簡単に抹殺される
大衆の数ですべてが決まる社会である、赤信号みんなで渡れば怖くないとなる
だからもう自由主義とか民主主義とか世界が自由市場のグロ−バル化でも限界にきているもはや統制できないのである、かえってあらゆる自由はアナキーになる
それはアメリカでも起きているし世界中で起きて来る、世界市場などでも公正ではない
そこでグレートリセットが起きるとか言われるのもそうである
とにかく人間はそもそもタブーとか否定してきたけど人間にあらゆる自由はない
それはカオスとなり統制できないものとなり混乱になりバベルの塔のように崩壊するとなる

宗教というとき信教の自由があり制限できないとなるがこれも規制するべきなのである
カルト教団を野放しにした結果として統一教会問題がありカルト教団で苦しむ人達がいるだからこそ政教分離を厳格にして信教自由を維持することが課題となる
創価のように公明党が国土交通大臣になっいること自体が最大の政教分離に違反している宗教団体は国からいかなる特権を受けてならないとしているからだ
その最大の特権を受けているのだから法律違反でも自民党は法律を守らないのである
肝心の政府が法律を守らないとしたら誰が法律を守るのか、弁護士だって法律を守らないそうなるとこの世はアナキーとなり戦国時代にもなる
ともかく大衆を扇動してもいいからナチスのように権力奪取して支配することだとなるからだ

でも奇妙なのは法律を作るのが国会であり議員であり議員は選挙で選ばれる、だから選挙で勝ちさえすれば多数になればどんな法律でも作れるともなる
創価公明党多数になれば国立戒壇も可能になり創価が国民を支配するともなる
そもそも法律は多数によって決まらないものなのである
宗教とはそういうものである、人を殺してはならないというとき多数決でそれは決めるとしたらどうなるのか?多数決で法律が作れるのかとなる
だから法治国家がどういうものが理解していない、法が最高の権威としても現実は司法も国会議員によって決められるとしたらそうはならない
それでナチスが生れたことを知るべきである、多数は正義でも法律に叶うものではない
でも多数ですべて決められるとしたら別に法律などいらないのである
つまりそういうことを国民も理解していないのである

天皇の象徴天皇であり戦後は国民の総意でその地位にあり権威があるとするのも変なのである、国民の総意が総意とは何なのか、ただ数が多いというだけなのである
天皇の権威はそもそもそういうものではない、そもそも政教分離なら天皇も日本からなくなるかもしれない、皇室はヨ−ロッパのようになくならないにしても最高権威とはならないとなる、では最高権威に成るのは何かとなれば選挙ですべて数で決まるとなってしまうのである、だからこそカルト教団ではどんな人でもいい、一票に結びつく運動を創価でも選挙の二年前からしている、毎日数を集める運動なのである
でも別にそれは法律違反でもない、政教分離で罰せられることもないのであ
そうして結局数ですべてが決まるということはナチスの再現となる

そこに自由市場とか民主主義とかはもう限界にきて結果としてアナキーになりカオスになりそこで権力を握る者は武闘で決まる、殺し合いで決まるともなる
それがアメリカでも起きている、カルト教団でも実質武装するということもありうる
オウムがそうだったし創価でもそうである、、なぜなら創価とは一つの軍隊組織になっている、隊長とか参謀とか軍隊組織なのである、武闘集団でもあったのだ
寺というのも僧兵がいたし武装集団でもあったのと同じである
だからこそ時の権威の武士集団と衝突して権力争いになり信長が僧侶を大量虐殺したのである、それは寺が城であ僧兵がいる武装集団だったからである

とにかく大きな時代の変化がきている、規制のものが崩壊する破壊される
自民党も安泰ではない、新しい勢力が出てきて変わる、日本は実際は戦後70年間自民党政権一党独裁とたいして変わりなかったのである
一回くらい政権交代があったとしても自民党一党独裁は変わらなかったのである
だから野党がだめなら自民党が二つに割れるとかして新しい政党となり出直すとかならないないと日本の再生はないとなる、あらゆる方面で改革が望まれている
でもそれが成されないと日本はますます衰退して沈没してゆくだけだとなる

死後に神の裁きがある

こういうときやはりこの世で悪は裁けない、人間にそもそも裁く能力がない
なぜなら人間はみんな罪人だからである、だから奇妙なカルト教団の教祖とかである
あたかも神のようになって人を裁いている、地獄に落ちるとかで恐怖を与えている
その本人がサタンになっていることでもわかる
この世とは誰が悪人かわからない、大悪人が大善人にもなっている
そしてとても人間を裁くことを人間はできない、そこには隠された悪も膨大にあり裁くことなどできない、その最たるものが神の子キリストをローマの官吏が死刑にしたことでもわかる、そんな権威があるのかとなる、この世とは神の子が裁判にかけられ死刑にされる場所でもある、そうだからこそこの世の人間が裁くことはできない
死後に罪が明るみに出される、この世で隠された罪が白日の下にさらされる
これも怖いことである、何か悪いことしましたかと自分で思っていても隠された罪が明るみに出される、その時反省しても遅いとなったら怖いのである
そうならこの世で罰せられた方が良かったともなる

ただ死後のことは誰もわかないし見ることもできない、でもカルト教団などは宗教詐欺罪になるからその罰は相当に厳しいものとなるかもしれない、そんなはずがないと言っても明らかにされる、この世とは何か悪が隠されまた栄える場所としたら不公平になるから死後裁かれるとなったのである、だから法律とかでない、この世の権力者でもない
神を畏れよということはそのことである、裁く能力を持つのは神しかないからである
ただみんなが恐れているのはこの世の権力者である、でもこの世の権力者もまた罪があり裁かれる、それも権力のない者より苛烈な罰が与えられるともなる
恐れるべきは神であり人間ではないとなるが現実は死後のことなど関係ないとしているのが人間である、いづれにしろ聖なるものの濫用は相当に罪が重い、ただこの世では裁かれないからかえってそれで成功する人は危険である
そもそも宗教で成功すること自体危険である、なぜならこの世で成功することはまさに
この世で力を得て権力を得るとういことだからである
だからこの世で成功した宗教は実際は失敗した宗教だともなる、そこに金が集まり人が集まりそして巨大権力化してこの世を支配する、それこそそこはサタンに乗っ取られたとなる、それがこの世なのである


posted by 老鶯 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月15日

旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった! (在日朝鮮人の浸食と国家の独立が奪われていた日本)


旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった!

(在日朝鮮人の浸食と国家の独立が奪われていた日本)

「2021年4月、国立京都国際会館で『新型コロナ終息を願う京都1万人祈りの集い』というイベントが開催される予定でした。実行委員長は旧統一教会の京都教区長で、『天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合』や教団系列組織『京都府平和大使協議会』などが共催しており、実質的に旧統一教会の主導イベントであるのは明らかです。その『呼びかけ人』に名を連ねているのが二之湯氏なのです」

このイベントのチラシには、二之湯氏のほかにも世話人として、田中英之衆院議員、木村弥生衆院議員、繁本護衆院議員の、計4人の京都を選挙区とする国会議員が名を連ねています

安倍元首相銃撃事件で注目の旧統一教会「主導イベント」国家公安委員長が呼びかけ人だった!

これも大問題だった、なぜこんなに統一教会が公安委員長とかまで操作するようになったのか?そんな力をどうして持ったのかという疑問である
創価のような国会議員も持っていない、ただ警察でも自衛隊でも天皇でも工作はする、会員が内部にいるからである統一教会がなぜそんなに力を持ったのか?
選挙の応援するにしても選挙運動員として無料で働いたとてしてもそれだけそんな大きな力を持ち得るのか?
創価と公明はあからさまに権力をそもそも持っているし権力追求する団体である
それは目に見えて明確なのに政教一致なのに法律的に制裁されることもないのである
統一教会のように隠れて権力を操作しようとしていない、あからさまに選挙を通じて議員をもち自民党だと票を配分して自民党に対して要求できる
そのために国土交通大臣の席が与えられている
この地位はかなり大きな権力であり創価が握ることは建築土木関係に力を持つことになる大成建設は正本堂を建てたとき大成建設と深い結びつきができて公明に票を入れるように社員に強制されたのである、団地の会合でも大成建設の社員がいたからである

それに比べて統一教会は壺を高額で売りつけるということで話題になったり合同結婚式とかでもそうだがそれ以来統一教会が話題になっていなかった
でも隠然として日本の権力中枢に食い込んでいたのである
それが今回の阿部前首相の銃殺で明るみに出された
そもそも東北だと余り在日とかわからない、でも戦時中は大原とかの発電所建設とかで
在日朝鮮人が働かされたとかあり東北でも在日の人は結構いるのである
韓国に行ったら仙台で戦争の時軍人として働いていたとかいう人もいたし韓国人は戦争の時一緒に戦ったのである、上官になった人もいるし韓国はもともと日本とは深い関係にあった

ただ在日朝鮮人と言ってもわかりにくいのである、創価のような組織集団としてあるわけでもないからわかりにくい、でも在日はそれなりに一つの集団として日本に力をもっている、それは中国人であれベトナム人とか外国人労働者とは違う、日本人と一体化しているから区別できないのである、顔からも言葉からも区別できない、日本人にしか見えないのである、でも在日は特殊な立場にあり日本人ではないとなる
日本国籍ではない、でも韓国国籍なのかとなるとそれもわかりにくい、それで山口県に
韓国人でアメリカ国籍を持っていた人がいたのである
その人は日本で育ったから日本人であったが在日朝鮮人であり日本人ではないのである
だから私はこういう人を理解できなかった

山口県というと阿部前首相の出身地である、下関からは船が韓国に出ていてそれに乗って韓国に行ったことがある、韓国は山口県とかなると身近なのである
それで出雲とか島根県とかでは国引き神話が生まれた、それだけ近いからそうなった
その在日の人はアメリカに留学してアメリカ国籍をもっている、すると在日朝鮮人でもない,アメリカ人なのである、だから岩国に自衛隊の基地がありアメリカの軍人と話ししていた、知っている原町の人はその岩国の自衛隊基地で働いている
在日というとき小高に住んでいる小説家も在日朝鮮人である
でもこの人にしろなぜここに来たのか?やはり在日朝鮮人の一員として来たのか?
その意図がわかりにくい、でも南相馬市役所に横断幕がありアメリカから賞をもらったとか大々的に宣伝している、それもアメリカから応援されてそうなったのか?

とにかくアメリカのバックがあり力を持つということは日本では属国なのだからありえる
在日はわかりにくい、在日というとき中国人とも違う、ベトナム人とかの外国人労働者とも違う、日本語を話ししているし顔でも見分けにくい、中国人でも見分けにくいが在日の人は日本で育ったのだから日本人だと思ってしまうのである
そして在日の人には優秀な人がまた多いのである、だから重要な公的な地位にもついていることがある、でも日本国籍は持っていないからどうなのかということはある
学者もいるし芸術家もいるし俳優もいる、それでアメリカ国籍をもっていた有名な俳優もいたのである
この在日朝鮮人のことを知らないと今回の統一教会のことも理解できないだろう
その本部は韓国にあるからだ、つまり日本が統一教会によって金をまきあげらて韓国に尽くすものとしてあったとなる、そもそも韓国では日本に戦争の謝罪させるためにそれを当然としているからである

でも統一教会がこれほど日本の権力中枢まで食い入って操作するようになっているとは誰も思わなかった、それが山上の阿部の銃殺で明るみに出たのである
だから今や山上は国士とまでなったとかなる、当然統一教会の悪を訴えても警察も考案も動かない、統一教会は自民党と一体化していたからだとなる
無料の選挙運動員ともなっていたのである
日本人から巻き上げた金は韓国に入り日本の議員であれ警察であれ公安委員長であれ操作するともなるからショックだった、これは日本国家の存亡にかかわる重大な問題になったまさになぜ統一教会が放置されていたのか?山上は警察が動いてくれないと訴えていた
公安委員長が統一教会を応援していたのだから何もできないとなる

この阿部前首相の銃殺事件が意外と私怨とかでもない、大きな政治問題として浮上している、自民党にとっても相当な打撃になる、国民の怒りが今や自民党にも警察にも向けられている

つまり日本を売りわたしたのが自民党と警察だ!

ここまでにもなる、日本がなぜこれほどだめになったのかとなると韓国にもむしばるれアメリカによって収奪されるとかある、CIAも関係しているとかなればそうである
そこまではまだわからない、日本には中国でもいろんな所にスパイとして入り込み技術とか盗まれていたということがある、日本と言う国家はそうして外国にむしばまれていたのである、自立的国家ではなくなっていたのである
国家の権力の中枢が蝕まれていたのである、上級国民といわれる官僚もむしばまれていたこうして日本は外国に食い物にされ上級国民は日本から利益をえるだけだなとる
スリランカのように大統領一族が国を私物化したのとにている
自民党とか創価公明党でもそういうものともにている、だからなぜ阿部前首相を国葬にするのかわからない、国賊でもありえた、自民党は韓国に国を売っていたともなる

明らかなことは日本の信者から献金させて韓国に上納させて日本を支配するものとして統一教会があった、それに加担していのが自民党であり警察でもあったとなる
この構図は怖い、そもそも自民党自体が政府与党がそうなのだからそうなった
自民党はも大改革しないとこの国を指導することはできない、そさが山上の阿部前首相の銃殺で判明した、そのことはマスコミでも報道しなかった、でも隠れて日本の権力の中枢に入り込み操作していたのである
日本はアメリカに戦争で負けてからもともと自立していない、独立国家でもなくなっていた、だから外国勢力から裏からでもサイレントインベージョンされやすくなっていたのである、日本は独立国家ではなく外国勢力に操作される植民地のようになっていた

それが奇しくも山上の阿部前首相の銃殺で明るみに出されたから一私怨ではないものとして見るようになった、それだけ影響力があったことに驚いたとなる
ただそれは権力によってマスコミでも報道しないだけで隠されていたのである
でも何かのきっかけで明るみに出される、安全神話を作った原子力村の特権階級も津波によってその悪が暴かれたからである、それは大自然の恐るべき力だった
でも今回一弱小の人間が引き起こしたことで驚いたとなる
でも必ずいつかは悪は暴かれる、隠しつづけることはできないのである

阿部前首相を国葬にすることは問題である、それほど国に尽くした人なのか?
それは自民党を支持させるための工作だともなる、それはまるで英霊のようにする
それも祭政一致、政教一致なのかもしれない、死者を利用して神格化して治める手法である
それはソビエト連邦でも書記がまるで神のように葬られたからである
死者もこうして政治に利用されるのである、死者はとにかく美化されやすいのである
阿部前首相の悪は死んで隠され美化される、自民党がそうして力を持つとなる
では阿部前首相にそれほどの功績があったのか?それが明確ではない、国葬にするということは自民党だけで決められるものだろうか?国民一致ではない、野党でも国民全体の問題であり国葬にすることは国民の税金を払うことだからでもある
自民党一党だけで国葬にするのは勝手だとなる、議論もされていないし簡単に国葬にしていいものか疑問なのである

旧統一教会「主導イベント」 自民党・国家公安委員長が呼びかけ人だった!

posted by 老鶯 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月09日

阿部前首相を殺害した犯人の動機はカルト教団への恨み? (政教分離を全く無視してカルト教団は野放しになっているー自民と創価は一体)


阿部前首相を殺害した犯人の動機はカルト教団への恨み?

(政教分離を全く無視してカルト教団は野放しになっているー自民と創価は一体)


・母親が統一教会に入信し、多額の寄付をさせられて破産。家庭が崩壊したことで統一教会に恨みを抱く。
・銃を崇拝する統一教会の分派サンクチュアリ教会に所属していたことから、銃の構造に詳しかった。
・統一教会幹部の襲撃を狙って銃を自作していたが、幹部の居場所を突き止めるのが難しかったことから標的を変更した。
・安倍晋三氏は統一教会の集会に参加したり、広報誌の表紙を飾ったりしており、統一教会が日本で広まった原因は同氏にあると考えたため、標的に選んだ。
・政治的には自身も保守派であり、安倍氏の政治姿勢に対して特に不満はなかった。選挙期間に実行したのは警備が手薄で狙いやすかったから。

これ、テロでも暗殺でも民主主義への挑戦でもなんでもなく、たまたま標的が大物政治家だっただけのただの宗教トラブルによる逆恨み殺人じゃねーか・・・

この国はカルトが幅効かせすぎなんだよ
金もらってるのか知らんけど日本はカルトに甘いから起こるべくして起こった

宗教にはまって一家離散は創価でも珍しくないから
この問題はあまり大きくさせない気がする

政教分離の意味を知らない馬鹿って本当にいなくならないよなぁ。
宗教権力と政治権力の分離って意味であって
政治家が何かの宗教の信者だったり信仰を持ってるのを禁止するものではないぞ。


これが本当だとするととばっちりだったのか?私が常日頃政教分離を主張して訴えてきたでもこのことに関心がない、でもこれは民主主義にとって大きな問題だったのである
だからこそ阿部前首相がそのために殺害された、自民党は余りにも政教分離などに関心がない、票をとるならどこでもいいとしている、それで創価と一体となる

政教分離の意味を知らない馬鹿って本当にいなくならないよなぁ。
宗教権力と政治権力の分離って意味であって
政治家が何かの宗教の信者だったり信仰を持ってるのを禁止するものではないぞ。


こういう人が常にいる、これも詭弁なのである、創価でぱ選挙は仏法の戦いであり聖戦なのである、仏が味方して選挙に勝つとしている、だから常に選挙は常勝でなければならない、そして必ず当選している、選挙となると拠点に集まり題目をあげて祈り票をとりにゆく、フレンド票でもとりにゆく、会員でも百万単位で幽霊会員がいるからである
それは名ばかりであり何もしていないか一応名簿では会員になっている
その数が膨大なのである、その幽霊会員を回り一票に結びつけるのが幹部の仕事なのである
一票になれば幽霊ではないとなるからだ

いづれにしろ戦後雨後の竹の子のように新興宗教が生まれた、それは戦後戦争に負けて精神的支柱が失われからである、、精神的空白ができて新興宗教が生まれて繁盛したとなるその最たるものが創価だった、それは最初団地の宗教であり地方から出てきた人達が仲間となってコミニュティを作ったのである
それは地方から出てきて精神的不安があり仲間造りをしたということである
それは本来の宗教とは違う、むしろ宗教は衆人と離れシャカのように岩窟で悟りを開くとなっていたからである、東京のような大都会で生まれようがないものである

とにかく創価の現実を知れば確かに信仰は自由である、でもそれが組織化集団化して政治団体となり権力化して権力奪取を目指すとなると全く政教分離に反するものとなる
それは歴史的にも寺が実際は城であり権力を握っていて武士と対抗できたから信長が攻めたのである
余りにも政教分離が法律としてあるのに大目に見過ぎたのである
自民党でも政教分離など関係なく創価でも他のカルト教団でも政治化するのを見過ごしていた
そのことが今度の事件になった、そんなことで殺されることは悔しいともなるがこれも
自民党自体が創価とかカルト教団と一体となり票を得ようとしていたからだとなる
その報いだったとのとまでなる、この事件の根源はカルト教団から票をもらいたくて
阿部前首相がこびたことである、票をえられればいいとして余りにも不用意だったのである

統一教会でも韓国がかかわりそれは国の大問題だったがそれも寛容だった
票にがもらえればいいとしかなかったのである
宗教団体は票田だからそうなる、内村鑑三は外国の宣教師を嫌った、日本は日本独自のキリスト教を作るべきだとしていたからである
つまりエホバとかもそうでありそれはアメリカの意向を受けて日本を支配しようとすることがある、そのことは秀吉の時代にもありキリスト教でも外国となると支配の道具として使われるということで警戒したのである
日本のキリスト教会は今でも実際はアメリカから支援受けているかもしれない
それは政治的にも支配されることになる
宗教は別に教団とか教会に行く必要もない、行ったとしても参考くらいにしておけばいいのである、教会員になる必要はないのである

ではなぜ会員を増やそうとしているのか?

それはやはり権力化して日本に影響力をもつ背後の力があるとなる
ソビエト連邦の時代は共産主義が宗教の代わりをしていた、今は中国がそうである
共産主義で国を治めているから日本でも共産化されるとなり自由がなくなる
信仰の自由もなくなる、思想の自由もなくなる
カルト教団は本当は法律でとりしまるべきものである、そうなると信仰の自由に反するとなるが現実に信仰というより明らかに政教一致であり政権にかかわり権力を操作しようとする、別に預言者なら個人ならいい、その人は集団組織の人ではない、個々人で諫言することはいいのである、それは日蓮でもそうでありもともと個人が政治を批判したのであり集団組織ではなかったからだ、そこには何の権力もなかったのである
数もないし何もない、空手で一人て権力者に諫言したからである

それが大集団で組織化して権力を得るためにのものとなったのがカルト教団である
だからカルト教団は取り締まるべきなのである、政教分離の法律にも違反している
でも自民党は票が得られるとして何も言わないのである
その結果として阿部前首相が殺されたとしたら自業自得なのか?
やはりなんらかカルマが個々人でも集団でも現れて来る、余りにもカルト教団など宗教でも何てもないに票になるからと容認してきたつけだったのかともなる

ただ政治家とは危険な職業である、なんかわからない理由でも一人の狂気の人間が出てきて殺されることは普通にある、だから一体何が原因だったのかなかなか明確にできない
もし宗教が関係していたとなると阿部前首相にしても意外だったとなる
そんなことになりうるとは思っていなかったろう、別に票をとればいいとしか考えない
そのために殺されるとはまでは考えない、でも前々から統一教会は問題視されていたのである、そういう団体を安易に応援することは危険だったのである
でも民主主義は数で決まるからどうしても票がまとまってとれる所ならどこでも行くとなる、つまり民主主義自体が問題なのである、すべてが数で決まる、その中身など問わないのである、そして大衆民主主義になり全体主義になりファシズムになる
それはナチスで経験しているのである、でも政教分離は全く守られていないのである
この犯人がカルト教団への家庭生活がめちゃくちゃにされたとういことで恨みを持っていたとなるとまたそこにその団体の幹部がいてねらっていたとなるとそのとばっちりを受けたとなる、でも阿部前首相もかかわっていたから同類となり殺されたともなる
カルト宗教団体は下火になったとしても現代の病的現象として起きる
だからこれを放置しているとまた危険なことになる、余りにも安易に見ているからである

特定の宗教団体に政治が加担

カルト教団に苦しんだ人の恨みをかう

銃弾でで殺害される

こんな因果になるのだろうか?
政治家は票がもらえるとしてカルト教団を組みしてはいけない
それは政教分離に反する
カルト教団で家庭がめちゃくちゃされたり苦しん人がいる
だから取り締まるべきだ
まず自民党が創価からの票を得ることはやめるべきだ
そうしたら政治も左右される、全然それが成されていないのである
むしろ票をもらいたくて積極的に協力関係になり政権を維持している
これを被害者になった人は恨むとなる
もちろんそれは自己責任にもなるが全くそうした害になるものが野放しにされている
ことにも問題がある
そしていつか宗教とは関係ない政治家でも復讐される
つまりとばっちりを受けるとなる

ただここまで因果めぐるとなると想像もできなかったとなる
でも因果めぐりめぐってくる、カルマはめぐりめぐってくるの例だともなる
どこかで関係ないようでも現象となって苦しみとなって現れるとなる
つまりその根をたたないとまた同じことが起きる
でもそうした根をたつとなるとこの世では不可能だともなる
様々な悪や罪は消えることはない、宗教詐欺でも犯罪にもなるが罰せられることもこの世ではない、むしろ悪人が善人になっているのも現実である
誰が悪人なのか善人なのかもわからないのである
ただこの事件もなんらか教訓を残した、それはカルト教団とかは危険なものであり政治と分離しないと宗教のことで政治家も被害を受けることなのである
でも政治家とはいろいろなものとかかわりそこで反対があり殺されるということがあったそういう職業でありカルマになる

karumaroll1.jpg



つくづくどこでカルマがめぐってくるかわからない、思わぬことからめぐってきて苦しめられる、今回は阿部前首相が統一教会とか宗教団体にかかわったことでカルマがめぐって来た、犯罪に合う時もどこからカルマがめぐってくるかわからないのである
それで都会は意外と危険かもしれない、人が多いからカルマを受けやすくなる
そしてカルマは断ちきれない、延々と人間につづいてゆくのである
カルマは解消できない、それは罪ともなるが解消しないのであ
今回の事件ももし宗教が関係していたなら阿部前首相にとっては思わぬことになるのである、ただそれは政治家でも票が欲しいからと見境なく運動するからそうなる
危険な所にも票になるならと行く、そこに大きな落とし穴があったみる
posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う? (カルト教団の被害者も多い)


宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う?

(カルト教団の被害者も多い)

●カルト教団の被害者の犯行なのか?

「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思い狙った」という趣旨の供述をしているということです。

また、捜査関係者によりますと、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしているということです。

山上容疑者がその宗教団体について、「家を破産させられた」「もともとトップを殺そうとした」と話していることが新たに分かりました。

この宗教団体が何なのかわからない、統一教会というのが当たっているのか?
創価も自民党と一体と言う時そうなのか、カルト教団にのめりこむことでと家族が巻き込まれそれで家族崩壊にもなる
また熱心だと必ずそこが選挙の拠点として利用される、創価の場合はそうである
選挙本部のようにされる、そこに人を集めて票に結びつけるのが日々の闘争だとなる
仏教の戦いであり選挙に勝つと仏法の勝利だとなっているからだ
完全に政教一致なのだけどとがめられるさともないし無税で政治活動でも経済活動でも行えるので税金を払いとなったのである
創価でものめりこんだら家庭生活がめちゃくちゃになったとかあるだろう
他のカルト宗教団体でも同じである

何か真光とかに入っていた人が裁判を起こした、その女性も家庭が破壊されたから恨みでそうなった、でもそういうことを訴えても結局そんなカルト教団に入るのは自己責任になってしまい、その罪は問いない、でもそれは明らかに宗教を利用した詐欺だともなる
でもこの世では罰せられない罪などいくらでもある
権力を持つと罰することができなくなる、検察でも大きな権力を持つ団体だとその圧力があり裁くこともできないとなる
要するに社会的法律的に防ぎようがないのである、いくら政教分離していない法律違反だとしても権力を持つと罰することはできない、自民党と創価は一体化して権力を形成して既得権者となり得することになるからだ
その利権を失いたくないとなり互いに不満はあっても結合する
それはあくまでも利権を維持するたにそうなっているだけである
だから利権が得られないと何らか利益にならないとかなり分断にも将来的にはなる
要するに権力を得る為に結合しているのだか得られないとなると分断する
自民党も票にならないとしたら簡単に創価でも捨てる、利をもって結ぶものは利をもって離れるともなる、金の切れ目が縁の切れ目ともなる

わからないにしろこの犯人はカルト教団にのめりこみ家庭生活がめちゃくちゃにされたということで恨んでいた、カルト教団にのめりこむと家庭生活や仕事より信心とかが優先だとされて活動する、運動員にさせられる、そして会員獲得のために日々活動させられる
そうして家庭生活よりその運動が第一とされ家庭生活がめちゃくちゃにされたとなる
それで幸福の科学の教祖の息子がyoutubeで親を批判している
何かここでもやはり家庭生活がおかしくなっていた、妻とも離婚して訴訟にもなっているからだ
もしこのことが阿部前首相の襲撃の動機だったとすると考えさせられる
なぜならあまりカルト宗教団体のことを批判できないからである

●カルト教団は宗教詐欺罪にもなるが罰せられない

すでに大きな権力を数でも政治でも持っているからである
そして宗教を標榜していることでもしにくい、つまり何か批判すると地獄に落ちるとか罰が当たるとかなる、それは政治や経済活動でもそうである
なぜなら選挙とは創価にとっては仏法の戦いであり聖戦ともなる
選挙に勝てば仏法の勝利である、だから常勝しなければならない、仏に従うことは必ず勝つことだからである
完全な政教一致なのである、それは天皇を神として戦った日本の戦争ともにている
そのために天皇を批判した牧口常三郎は獄死した、でも今は反対するものはすべて仏法に逆らうものとして地獄に落ちるとか罰が当たるとか何百万人の会員が脅迫するのだから
これはナチスと同じなのである、警察でも逆らえないとなったらそうである

カルト教団は宗教詐欺罪でもあり本当は取り締まるべきものである
その最悪の例がオウムだったのである、それを放置していたから被害になった
何もしないで放置するとナチスのようになり恐ろしい結果になる、仏教ファシズフムになり一向宗のように題目を唱えて戦地でもどこでも突っ込んでゆくとなる
イスラム教にもキリスト教でもそういうことがあった、カルト化して戦争になり聖戦となり殺してもいいとなったからである
宗教戦争ともなり悲惨な結果になった、不思議に宗教がかかわり人を殺すことになって
罪悪感もない、オウムだとボアしろとなり平気で殺された人達がいたのである
宗教による災いも大きなものだった
宗教が戦争にかかわると人殺しも正当化される、仏教ではそういうことはあまりなかったでもオウムではあった、宗教そのものは悪いものでない、悪いのは悪い人間が宗教にふれてかえってその悪が大きなものとなる
触らぬ神にたたりなしであり安易な気持で利益が得たいからなどと宗教に接するとむしろ祟りがあるとなる、現実にカルト教団は全体が祟(たた)られるものなのである

宗教というとき何か徒党組み集団化して組織化していること自体それは権力集団になる
現実に比叡山でも一向宗でも

「難しいことはわからないけどとにかく念仏で病気が治る」とか、そんな民衆の生活によりなじみ深い欲求・需要から一向宗への期待が高まり、裾野を広げていったのでしょう。

そして、この民衆の求心力を恐れたのが戦国大名のような支配層でした。素朴で土俗的な、いかがわしい呪力を使って一向宗は各地で民衆を組織している。戦国大名たちから見た本願寺勢力(一向宗)とは、敵になりうる軍勢を抱えた一大組織であり、だからこそ警戒したのです。

宗教が力を持ったのは病気平癒を願ったからである、会津で仏教が盛んになったのもそうだった、人間の最大の弱みは病気だからである、病気はその頃直しようがないからだ
すると祈るほかないとなり医者代わりに僧がなっていたのである
それで力をもつようになった、そうして寺は比叡山でも山城であり僧兵がいて不可侵の領域であり琵琶湖の交通で税をとっていたりした
すると信長とかからみれば宗教というより敵対する一大勢力と見たのである
僧兵もいるし税金も独占するしとなれば政治化した武装集団と見たのである
それは創価を見ればわかるこれも時代が変わり同じようなものが出てきた
時代は違うにしろ歴史は繰り返すとなる、そしてこうした寺の僧が武士になったというのも理解できる、僧兵が守り武装集団なのだから当然そうなる

●宗教団体は武装化もするし共産党でも同じ

オウムでも武装化して権力を奪取しようとした、オウム王国を作ろうとした
でもその前に選挙にもでて議員になり平和的に政権を奪取しようとした
それが失敗した、幸福の科学でも政治化して選挙に出ているが当選できない
創価はもともと選挙のために組織化した団体だから議員になり政治で力を持ち自民党と一体化したのである
共産党でもそうだが武装化して政権奪取をもくろんでもいたのだが民主主義だから選挙で政権をとることに変わった、平和団体を装うようになったのである
またキリスト教でも島原の乱があったがあれも浪人が集まり徳川幕府を倒すために戦った純粋な宗教により抵抗ではなくそうした浪人が野心家が集まってきたのである
つまり宗教でもこうして生臭いものがあり権力を得るために宗教組織にでも入ってくる
また利用もする、そういう浪人は信仰とは何の関係もなかったのである
ただそこが徳川幕府と戦う集団でありそこで一旗あげようとした

そういうことは創価にも言えるし他の団体にも言える
とにかくあらゆるものを吸収する、それは創価の場合は一票になればいいからである
その人の罪だとか人格だと心の問題は一切関係しない、一票を得ることしか関心がないのである
そして現代の権力とは数なのである、なぜ数が権力になるかとなれば経済的にも数が集まれば勢力になる、店でも十人が買えば利益になるとして歓迎される
一人が買っても商売にはならないのである、だから現代では数が権力になるのである
大衆民主主義であり大衆を操作することで数を集めることで権力化して社会を支配できるのが民主主義だともなる

赤信号みんなで渡れば怖くない

ナチスでも民主主義の選挙で選ばれて力をもって全体主義、ファシズムになり全国民をまきこみ多大の人間が戦死したのである
民主主義からファシズムになりやすいのである、それは数を第一とするからそうなるのも当然だとなる、数の前に今はひれふす、そしてマスコミは主にテレビはこの大衆を操作する、そこでむずかしいことは言わないことである
ハイルヒットラーでもいい、題目を唱えることでもいい、それはわかりやすいから洗脳されるのである、だからこうしたカルト教団とかマスコミを支配しようとする
創価だと福島民報で聖教新聞を刷らせるとか毎日新聞でもそうである
何かそこで経済的に援助してマスコミを支配して批判させないようにするのである
それは原発事故でもそうだった、それは追求してきた
だからNHK党がNHKを批判するようになった、インタ−ネットで新しい勢力が出てきたのである、マスコミは規制の勢力の権力の機関のようになっていたからである

現代文明社会は民主主義とかマスコミとか一見自由社会のように見えてもそれが巨大化すると大衆民主主義であり背後の巨大な利権を持つ組織集団に支配されやすいのである
原発でも電事連から800億円の宣伝費が出ていたのである
そして政経東北でも相双リテックから宣伝費が入り裏表紙全面で宣伝していた
相双リテックは除染でたいした技術もないのに大儲けして幹部で何十億という金を山分けしていたのである、それはNHKでもちょっとだけ批判していた
こうして報道機関も簡単に買収できるのである
結局それも新聞でもテレビでも金がかかりすぎたことなのである
新聞でも一軒一軒回って配達すること自体手間であり金がかかりすぎる
本を出版するにも金がかかりすぎる、だから報道の自由もなかったのである
インタ−ネットなら金がかからないのである、プログなど無料でてきるのである
手間がかかっても無料である、youtubeでも金がかからないのである
するとここに言論の自由があるとなったのである

●民主主義ではまともな人間が選ばれない

なぜ民主主義が行き詰まっている、無力感があり選挙に若い世代が行かないのかとなると選挙する前から結果は決まっている、様々な利権団体の票で趨勢は決まる
だから早めに当選確実になる、一パーセント開票でも当選確実になるのである
それはすでに票が決められていて計算できるからだとなる
公明党ならか確実に計算できる、会員が必ず投票するからである
こうして民主主義の本場でももう選挙は不正だとして暴力にもなった
すべてが数だというときそれが正しいとはならない、かえって今求められているのはそうした選挙で指導者を選ぶことではないのかもしれない
選挙で選ばれる人間は禄な人間がいないというときでもそうである
第一議員自体がそうした一票を入れる人を馬鹿にしている、選挙の時だけ頭を下げるからいいことは言うが当選して権力を持てばそんなことは忘れる
一時的に御愛想をして票を得るがあとは自分が権力をもって得することしか考えていないのである

民主主義では選挙ではもうまともな人間など選ばれない、まともな人間は選挙になど出ないともなっているのである
そもそも権力を得て自分の欲望を充たしたいとしかない、それは共産党であれカルト教団であれ何であれ同じである、共産党でもソビエト連邦でも中国でも同じだった
権力を得る為に革命をしたのであり結果的にその内部の権力争いで粛清されて何千万人が死んだとされるのである、外部に対しても権力闘争であり内部でも権力闘争である
それは欲の闘争だともなる、内部の組織でも地位につけば権力を得て欲望がかなえられるそのために組織団体を利用するとなる
人間はどうしても平等をめざしても不平等になるのは結局個々人の欲を抑えることができないからである、自分の欲を充たしたい、他の人はそのために利用するというだけになるその組織団体の内部でも欲をめぐって争いがあり外部に対しても欲を充たそうとするのである

ただ下層階級をみるとそれほど贅沢しようとしていない、今日食べれればいい、今日暮す金があればいいとかなる、でも電気水道ガス代が払えないことで一番苦しんでいるのである、何か議員になって金と女とか地位と富が入ればいいとかではない
そういうふうに苦しい人達はやはり一応同情するとはなる
でもそういう下層階級でありたくないとして団体組織で運動していい暮らしをしたいとなる、
それがおかしいのは矛盾しているのは共産党でもイデオロギーがあり平等の思想があり
カルト宗教団体でももともと宗教は欲を抑えることが基としてあった
だからシャカでも無一物となり修行した、何も持たない乞食のようになって修行したのである,キリストも寝る場所すらなかった、教祖がそうなのだから見習えばいいのだが誰一人としてそんなこと見習う人はいないのである
結局人間の欲を消すことはできない、だからこそいくら宗教の看板をかかげてもそこは俗化してかえって欲望を満たすものとしてある

人間はそもそも共産主義であれなんであれ人間の欲を消すことはできない
そこに最大の問題があったのである、そこでその矛盾に悩む人もいない
なぜなら欲望など否定しないしむしろ欲望を肯定してもっと欲望をもつことがエネルギーがあることだとして一心に祈る、地位が欲しい、富が欲しい、女が欲しい、・・・
あらゆる欲望をかなえるために祈ることになる
これが人間の現実なのである、ただ病気を直したいというときこれは人間の最大の弱みだからそのために祈るというときは悪いとはならない、でもそれが権力を得るために利用されるから宗教は危険にもなる





posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月08日

阿部前首相銃弾に死す (民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


阿部前首相銃弾に死す

(民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


この事件の真意はまだわからない、でも何か日本でも世界でも民主主義でも資本主義でも行き詰まり限界にきている、アメリカでも選挙をもう信用していない、不正選挙だとして暴動が起きた、日本でも民主主義といってももう既得権者とかで固まられていて変えられない、何か宗教団体のことをも言っていたというが明確ではない

特定の宗教団体幹部の名前を挙げ、「この幹部を狙うつもりだった」という趣旨の不自然な供述をしていることも判明

これも政治にかかわり利権団体と化した宗教団体が自民党の背後にいる、それより創価と一体化したのが自民党だからである、また自民党は特に阿部前首相は統一教会の会合に出ている、親密な関係にあり応援されている

だから宗教団体の幹部というとき誰なのが?

奈良と言うと天理教の本部があるからそういう団体に日ごろ反発していたかもしれない
カルト教団は宗教ではない、利権団体でありそれで税金を納めないことであからさまに
NHK党とから批判されたのである、それも信濃町創価本部前で黒川氏が演説していたのには驚いた
そういう宗教を装う利権団体に反発する人はいてもその数と権力と抑え込まれて何も変化しない、それにいらだつ人達もいる
ただガス抜き政党としてNHK党があり新しく出た参政党などがある
でも現実の政権は依然として自民党が継続して変わらないのである

またシルバー民主主義であり高齢化社会は60以上の人達が多いのだからその人たちを優遇する政策をとらないと票にならないのである
でも4万とかしか年金をもらえない人でも引かれるようになったのである
そして日本は貧困化して物価があがり何か余裕ある人がいないのである
賃金も30年上がらないとか日本は失われた30年を継続している、そこから脱することができないのである

何か暴動が起きるとか不満が爆発するとか言われてきた、それほど追い詰められた人達が増えたからである、つまりもう民主主義とかでは何も変えられないという風潮になる
するとどうして変えるのかとなると暴力だとなるのである
それは民主主義の本場のアメリカでも起きているしウクライナでもロシアが侵略したように何かを変える時話し合いではできない、だから暴力となり軍事力が変えるものとなる
民主主義でも資本主義でも限界に来ている、一見公正なように見えても実際はそこにはもう既得権者とか利権団体とかシルバー民主主義で数が多いことによってすべてが決められる、それで絶望している人達が増えている、選挙に行ったて何も変わらないとなるから

若い人は選挙に行かない、選挙する前から決まっているからである
日本は基本的に自民党一党独裁だったのである
一回だけ民主党の鳩山政権の時自民党から変わった、それは失敗だったにしろやはり民主主義が権力を持つと既得権化するから政権を変えないと変われないのである
それは今までは暴力であり武力で変えていた
それで暴力が全面に出てきて社会を変えるともなる

ただ犯人が自衛隊に属していたということも騒ぎになった、やはり自衛隊とかで訓練していたからできたとなる、素人ではできないとしている
いづれにしろ日本は世界でも動乱の時代になった、それは東北大震災津波から福島の原発事故から始まっていたのである、そこに激動した時代の変化に突入した
故郷に人が住めなくなり荒地化して空家化したからである、それは回復していないのである
その後も去年だったか大きな地震があり今回の地震は強烈だった、未だに家が直していない散らかった本などが整理できていないのである
回りでも瓦屋根は直されていない、今回は瓦は自分の家では壊れないで助かった
前はいわき市から来た業者が直してくれた、この地震も大きかったので恐怖だった

何か戦後70年とかで大きな変化が来ている、明治維新から70年で太平洋戦争になりそして70年過ぎて激動の時代になる
激動の時代になると規制のものが崩壊してゆく、戦後の焼け野原のようにもなる
あらゆるものの崩壊が起きて来る、終身雇用の会社の崩壊、銀行の崩壊、医療崩壊、自治体の崩壊、医療崩壊、教育崩壊・・・あらゆるものが行き詰まり崩壊してゆく
それは戦後の焼け野原のようにもなる、そこで混乱してあえぎ苦しむとなる
何か安泰のものがない、戦国時代の下剋上のような世界になるともされる

そういう時犯罪が増えて日本もアメリカのようになると警告する人もいる
現実に犯罪は増えている、田舎でも南相馬市の原町で宝石強盗とかあったから驚いた
実際は田舎でも安心はなくなったのである
なぜなら生活が追い詰められている人が増えてくるからである
あらゆるものが物価が上がって10円20円安いのを探している人がいる
もう毎月電気水道ガス代が払えない人がいる、百万以上いるとか賃金が上がらずに物価高で苦しむ人達がいる

それはアメリカでも世界中で起きている、ロシアが戦争で肥料とか小麦とかガスが入ってこないということでもそうである、コロナウィルスでもそうである
世界中が大きな変化に襲われている
こういう時また必ず大きな天変地異が起きて来る、水不足とか農作物に被害があるとか
いろいろあり餓えている人が世界中で増えたとかなる
世界中が大きな激動になっている、グロ−バル化経済というのも見直される
食糧危機になったら自国第一主義で食料は輸出しない、インドでは麦を輸出しないとしている、これでグロ−バル経済も止められる、米中の対立で今までのようなグロ−バル化はもう限界である、それぞれの国で自立してまかないともなる
貿易はあるにしても基本的にはそうなる、でもグロ−バル化してきた経済を止めることの反動も大きい、そのために世界中で苦しむ、そもそも90億になるとかもう地球でそれだけの人間は養えないのである、これも限界に来たのだ
あらゆるものが限界現象が世界でも起きている、その大きな変わり目に来ているのが今なのである

だからこういう時下剋上が起きて来るというのもわかる、既得権者の既得権が奪われる
上級国民と言われる人達の既得権が奪われる、そういうとき戦国時代のようになり下からでも上に上れる時代にもなる、戦後の焼け野原だと食糧をもっていた農家の人達が力をもった、都会の人達は何か高価なもの着物でも骨董品でも食料と引き換えに交換した
その時紙幣は金では交換できないともなっていた
預金封鎖もあり金は統制されて市中に出回らない、その時物々交換にもなった
またそういう時代が来るのかとなる、円安になり物価が上がりインフレになればそうなる銀行であれゆうちょであれ貯金しても利子はつかない、それで銀行とは何の役割があるのかとなる、投資信託を売りつけるとなると証券会社なのかとなるからだ
そうして銀行も崩壊するとなる

つまり規制のものが力を失いあらゆるものが崩壊してゆく、それは戦後の焼け野原と似たような状態になる、そこでどうして生き抜いてゆくのかとなる
もう高齢者になるとその気力もないとなる
なぜ戦後の焼け野原になって復興できたのか、それはとにかく子供が多かった
何もない食べるものもないような状態で子供が多かった
子供は未来であり確かにその時高度成長時代になりその多かった子供たちを労働力として吸収できたのである、そして賃金は毎年上がっていたのである
今日本の給料は上がらない、なのに物価だけが上がっている
そして税金をいろいろととられる、4万くらいの年金からも年金は減らされているのだ

本当にこれから暴動が起きて来る、その兆しとして今回の事件があるのかとなる
こんなこと日本で起こらなかったとみんな言うがそれほど日本は危険な状態になっているのである、結局もう民主主義は機能しないと若い人たちも絶望して選挙に行かない
そして選挙でも既成の団体組織の票で決まっている
その組織団体となると宗教団体などがそうである、創価などは選挙のためにある団体であり利権団体にすぎない、だから税金をかけるべきだとなる
宗教活動ではないのである、政治活動であり経済活動なのだからそこに税金をかけるべきだとなる
それもできない自民党は創価と一体化しているからである

そこでまた阿部前首相は統一教会と一体でありとか何か不満があって撃たれたのか、わからないにしてもそういうことはありえる、そうした利権団体に牛耳られている、民主主義が機能しない、選挙など何の効果もない、すると一人の人間をテロで襲えば変わるとなるその反響が大きいものとなるからだ
民主主義は維持すべきである、でも民主主義に限界を感じている人も多いのである
そして無力感をもち暴力に走る人もいてこんな事件が起きたのかとも見る

日本が安全だとか犯罪が少ないとかは終わった、暴力で変えるほかないと思う人達も増えている、それは民主主義の不公平が是正できないからそうなっているのである
そうした不満が爆発寸前になっているのが今の日本にもなる
だから暴動が起きるというとき今までの大人しい日本人でも不満が鬱積してそうなる
それだけ危機的状態になっている、もう選挙では変えられないとなるから暴力になったのかともみる、ただこの人がどういう人なのか良くわからない
でもこれまで日本でこんなことありえなかった、それが起きたことはまさに大人しい日本人ではなくなったということかもしれない、次なる標的は誰かともなり怖いとなる


posted by 老鶯 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月07日

NHK党と参政党の過激な主張に賛同 (創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)


NHK党と参政党の過激な主張に賛同

(創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)

NHKsouka.jpg
(3) 信濃町、創価学会本部前、街宣。三木谷のおじいちゃんは創価学会の幹部。創価学会は税金を払え、池田大作氏の個人資産1兆円超え? - YouTube
●信濃町であからさまに創価を批判する黒川NHK党

信濃町の創価本部の前で黒川氏が訴えていることに驚く、またNHK党の がNHKの選挙番組でもあからさまに創価とかを批判した
こういうことは今までなかった、それができたとういことの驚きである
創価のことについては書いてきた、創価は団地の宗教だとするとき別に小さなグループで相互扶助団体だったら問題なかった
それがなぜ権力奪取を目指し政権をとることを目的と化した団体になったのか?
王仏冥合などという政教一致の中世的なものを現代に実地に応用していること自体
ありえないことである、
ヨ−ロッパで政治と宗教が一体化したことで腐敗した、人間の正体は変わらない
人間の真実は変わらない、人間の欲が消えてないことは変わらない
そこから問題が起きてくる

人間は権力を持ちたい

でも人間が権力を持つことが一番怖い

なぜ人間が権力を持ちたいし権力を持つと怖いことになるのか?
それは人間の欲があってそうなる、ダビデでも部下の軍人の妻の裸を見て魅せられて
その部下を危険な場所に派遣して死なせたのである
つまりこれも人間の欲からそうなったのである、そして王であり権力をもっているから
命令できたことに問題があってのである
誰も止めることもできなかったからである、王に逆らうことはできなかったからである

●権力とは何なのか?

これは別に政治権力ということでもない、人間が力を持つものである、権力といっても
いろいろある、その最たるものが暴力になる、相手を理屈などではない、正義もなにもない暴力で従わせる、だから第一の権力は暴力であり軍事力になっていたのが世界の歴史である、何かを決めるにしても話し合って決めることができなくなる
すると最後の手段は暴力であり軍事力になる
それはロシアのウクライナ侵略でもそうである、ロシア人が迫害されているというのは真実だったようだ、それが止められないからロシアが軍事力で止めようとして侵略してきたとも言う、現実に迫害されて一万人とか死んでいるのも事実だとなる
その援護のために侵略してきた
どちらに肩を持つというのではなく、ロシアにも言い分がありもう力で抑えねばならない戸なった、もちろんウクライナにも言い分があった
双方の言い分があったとしても最後は実力行使であり暴力で軍事力で決めるとなる

権力というとき軍事力であり金であり民主主義では数である、この三つを抑えると権力を持ち人を支配できる、そして民主主義でも自由社会でも実際は金の力が大きい
つくづく人間は金に支配されるものだと実感した、毎月電気水道ガスが止められる人は
切実に金を求めている、生活保護でもそれを払うほどの金を支給していないからだ
するとその金を与えればその人は従う支配できるとなる
その人は病気であり金がかかる、でも生活保護でも全額を支払えない、三割くらい払うのである、その金がないのである、そうして今日本が貧困化するとその金が払えず医者にかかれない病院にも入れないとかなっている
だから金がないことは命にかかわっているのである
すると金を与えることで確実にその人は金を与える人に従うことになる

その金融を支配しているのがロックフェラーだとかロスチャイルドとかユダヤ人とかなるそれは常に陰謀論になる、それはわからないにしろ金によって人間は支配できることである、人は金がある所に集まる、明日食べるものがないというとき死につながる
でも金があれば食料は買えるのである、そのために金によって人間は支配できる
金が絶大な権力になる、また数も権力になる、例えばボランティアでも実は一人ではほとんどできない、20人くらい集まらないとできない
それも数は力だからである、数が力だという時、何か物を買うにしても一人が買うのと
十人が買うのでは相当に違う、売る方でも10人を重んじる

●数が権力である

一人が買っても商売にならないからである、数が力となる権力となるのは民主主義では選挙がありそこで権力を得るから数を集めることが第一となる
その数もまとまってないと権力になはならい、それでまとまった票を常に確保している創価であれ他のカルト宗教団体に自民党であれ野党であれ頼るのである
そうして自民党は創価なしでは選挙に勝てないとなり権力を持つことになったのである
そもそも創価とは24時間、365日、毎年、頭の中が選挙しかないのである
そこに座談会にも参加しない幽霊会員百万単位でいる

その会員を座談会に参加させて一票に結びつけるのが幹部の日々の活動なのである
宗教というがそれはこの世のあらゆる欲が肯定される、むしろもっと欲をだせ、題目あげてエネルギーを出せ、何でも欲を実現させるのが信仰なのである
これほど本末転倒したものがないが現代文明社会ではナチスが生まれたようにそんなことが関係ないのである、大衆社会でありむずかしいことは言わない、ハイルヒットラーでありハイル池田大作になるのである、大衆にはむずかしいことは言わないことである
簡単に率直に誰でもわかる命令がいいとなる
そこららのおばさんとかにむずかいしことを言ってもわからないからである
政教分離がどうのこうのも関係ない、ただ御利益と福運がすべてでる
それは賽銭を投げて幸運を祈る神道も同じである、宗教はそもそもそういう人間の欲から脱するために生まれたものである

でも一旦そういうコミニュティに入るとそこが生きる場となるからなかなかぬけられないとなる、それは教会でも同じらしい、仲間でできるからその仲間と離れるのが嫌だとなる一応助け合うこともその党派内ではある、でもその党派に入らないものは敵であり地獄に落ちるとか罰当たるとかしか言わない、それは仲間の権益を権力を維持するためにそうなる、イスラムでもキリスト教でも党派化して熾烈な争いになる、一見宗教の争そいの用に見えて権益、利権、権力の争そいになる、そもそも宗教をめぐって争いになるのか?
それがわからないのである、人間が一番気にしているのは自分の利益でありその御利益を得ることだと教えるのがみんな納得する、すぐに理解する、そして何か御利益があるとして入ってくる、いい女がいるとかでもそれも座談会とかに来るきっかけとなる
実際はそれで一票を得るものとして誘い込むものとしてある
そもそも宗教は女人禁制だった、だから修行する山でも女性は登山が禁止されていたのである、それが時代遅れともなるが今やそういうことは一切ない
いい女がいるぞとなって入る人もいる、要するに一切の動機は問わない、頭数を集めて一票をえて選挙に勝つことしかない、それが創価の目的であり外でも似たようなものである

●宗教団体が無税なのは納得できない

だからなぜ宗教でないものが宗教活動として無税なのか?

これは全くわからない、政教分離もない、それは宗教を金儲けの手段としてこの世の俗世の欲を実現させるも道具でもある、
でもそんなことしていたら何かおかしなことになる、自己矛盾にもなる
だから宗教を看板にしないことである、別に宗教でなければ御利益を求めて矛盾しないのである、自民党は常に不正があったとしても宗教とは関係していないから人間のやることだからとして大目に見られているのである
でも宗教だと信仰しているのになぜそんなことをしているのかと見られるのである
公明党の議員が逮捕されたけどあれこそまさに御利益を得た創価の見本である
あのようになりたくてみんな祈っているのである
地位であり金であり女であり・・・・それは世俗の人間と何ら変わりないのである
これが自民党だと常にあり人間はそんなものだと見られて一過性で終わりそういう人は絶えることなくでてくるのである

そもそも創価でもカルト宗教団体は理論的に崩壊している、何かジキルとハイドであり
そこで真面目に考える人がいたら精神分裂病にもなる、そういう団体が正常でいられるのは創価でもカルト教団の人達はまず考えない、無思考人間であり頭にあるのは欲だけである、得することはするがあとは関心がないのである
例えば肝心の政教分離など言ってもわからない、何が悪いのともなる
そうした歴史的経緯など言ってもわからないのである、それをごまかすことも幹部等がしている、何かどんなことでも正論になる、理屈はどうにでもなるからだ
大衆には理屈を言っても理論を言っても無駄である
大衆は感情であおり御利益を言い、むずかしいことは言わないことである
そもそも理解する能力がないからである、そうしてナチスが生まれたのである
つまり創価でもカルト教団とは現代文明の大衆社会から必然的に生まれたものである
だから大衆とはどういうものかを知るべきだとなる
大衆的宗教とは何かを知るべきだとなる、それはナチスになるのである

●民主主義から全体主義になる

権力団体であり政治でも経済でも世俗と一体化してこの世を支配することが目的である
そして宗教は脅しとかに使うものである
逆らうとやめると地獄に落ちるとか罰当たるとか集団で脅迫する
そこに権力をもつと暴力になる、警察とか自衛隊でもかかわる、内部にも創価の会員がいるからである
そもそも罰当たるとか地獄に落ちるとか言っている人間はどういう人間なのか?
極めて俗的な欲にまみれた醜悪な人間だということである
池田大作自体は醜悪な人間である、そんな人達が言っているのである
でも何百万人が会員がいるから権力の圧力となり脅迫する、ナチス党員が創価会員にもなっているのだ、その支持者は大衆という極めて現代的な背景がある
触らぬ神に祟りなしとは良く言ったものである、カルト宗教団体に入って与えられるのは地獄と罰の恐怖である
第一そんなものをもてあそぶようにしている、宗教にかかわるとは実際危険だからその言葉が生まれた
安易に近づくものではないからそうなった

それは結局大衆化した数と化した文明から生まれたものでありそういうものはなくならないともなる、大衆に席巻されたのが20世紀でもあったからだ
それまで戦争していたのは貴族であり日本だったら侍だったが国民戦争となり全員が戦争に参加する時代になった、そして現代で一番勢力をもっているのは大衆だからそうなったのである、その大衆の扇動者がマスコミでありテレビなのである
だから大衆とはどういうものか知るべきだとなる、テレビは大衆は一体でもあった
テレビというメデアは大衆と相性が良く一体化したのである
毎日必ずテレビは見るからである、ただインタ−ネットで政治にも変化が現れた
NHK党とか参政党はインタ−ネットのyoutubeとかから拡散したからである
それであからさまに日曜討論でも創価は収支決算を明確にして税を払いとなったのであるそれが堂々と言えたことに驚いた、そこに民主主義の自由な言論はあったとなる

ただ民主主義とはまた全体主義になりやすい、数がすべてでありシルバー民主主義というとき60以上の人達が三分の一とかなれば当然偏り全体主義になるのが民主主義であり
もう選挙も機能しないのである、アメリカでもそうである、そこで暴力が今度は前面に出てきてアメリカが内乱になるとも言われるのもわかる
民主主義であれ資本主義であれこれまでのシステム価値観が大きく変化する時代になったのである

●NHK党と参政党に期待

私自身はNHK党と参政党に入れる、でも何の効果もないだろう、結局選挙は団体組織の票であらかじめ決まっているのである、だから早めに当選確実とか出る
その組織団体票が事前にわかるからである、創価の票は事前にわかる、するとその票を加算するから当落が決まっている
そもそも民主主義でも選挙でもそれが機能不全になっている、だからアメリカでは不正選挙があったとかもう暴力による内乱が近いうちに起きるとしているので
ある
民主主義の本場でもそうなっていることは民主主義も崩壊しつつある
それは結局大衆民主主義でありあくまでも大衆というものに依拠しているからそうなる
数が正義となるからそうなる、民主主義も資本主義も限界に来て次に来るのは何なのか
それはもしかしたら地域主義なのかもしれない、これも後退するようにもなるか人間の存在基盤がバックボーンはその人々の生きる地域にありそこにアイディンティティを見出すそういう土着的なものとして本来人間もあり政治でもそうなのである
創価が団地の宗教として生まれたというとき地方から東京に出てきた人達が作ったコミニュティでありそれは地域のアイディンティティを失ったからそうなった
東京という場には何かをアイディンティティとするものがないからである

いづれにしろ宗教は強制できない、強制しようとしたがのがカトリックとかでありイスラムでもそうだが宗教は権力でもって強制できない、でも実際は暴力であり軍事であれ金であれ数であれ宗教を強制するのがカルト教団である、それはそもそも宗教を求めるより権力を求めているのだからそうなる、政教一致祭政一致になっているからそうなる
政教分離などない、天皇現人神(あらひとかみ)でもそうであった、そこで創価の創始者の牧口常三郎が獄死したからである、その創始者が政教一致で殺されたともなる

でも現実は創価自体が政教一致であり迫害する方に回っているのである
だから人間の問題は権力を持つことが危険になる
それで老子でも政治を否定して聖書でもみどり子に治めさせよとかなった
人間にとって常にあくことなく権力をこの世の欲を追求しているのだからそうなった
当然創価でもその欲のために犯罪が起こしている、人間は権力をもったとき危険になる
権力を行使できるからである、それによって逆に権力化すると迫害するのである
でも公然と信濃町の創価の本部前でNHK党が演説したのには驚いたのである
posted by 老鶯 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月02日

蝶が減っているのは何故なのか (生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)


蝶が減っているのは何故なのか

(生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)

●蝶は人間の住む里に増えた

多くの異常現象は極めて否定的に蝶に影響していることが明らかになった。例えば、芋虫が蛹に変わる時の降雨は英国に住む蝶25%にとって極めて危険であり、蝶にとって最も危険な天候現象である異常に高い冬季の気温は、半分以上の種に関係する。おそらく、冬季の暑さは蝶を冬眠から目覚めさせ、その後、寒さが戻ってきたときに死なせる。」

英国の学者たちは憂慮すべき信号を出し、それによると、2050年までにジャノメチョウ亜科、モリジャノメ属、セセリチョウ科、オオモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウといった6種の蝶が英国と全世界において完全に消滅する可能性がある
https://jp.sputniknews.com/20161101/2961832.html

34種が「絶滅危惧種」レベルで減少

 1年にどのくらい減ったかという割合(減少率)を見ると、1番はミヤマカラスアゲハ(31.4%)で、1千匹が10年後には30匹ほどになるような減り方だ。オオムラサキ(16.1%)なども加えた計6種が15%以上の減少率だった。
 また、ゴマダラチョウ(11.0%)、ギフチョウ(8.8%)、ウラギンスジヒョウモン(8.1%)、アカタテハ(7.4%)、イチモンジセセリ(6.6%)、キタテハ(6.5%)など28種が4%以上だった。
 https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/17276.html

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう

  アゲハチョウの研究室

 アゲハチョウは羽化してから二週間しか生きられません

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう
 http://butterfly-beautiful.com/archives/209



2022年の6月から7月になった、そして梅雨もなく炎暑になった
そして蝶が少ないように思える、インタ−ネットで調べると過去に五六年前でも蝶が少なくなっていると書いている、ま0た外国でも蝶が少なくなっていると記録がある
私は蝶の生態に詳しくない、ただ田舎だから自然に敏感ではある、でも科学的生物学的知識は希薄である、私の場合は文系だから美的なものとして自然を見ているからだ
でも田舎では自ずと自然に敏感になる、なぜなら私は注意して蝶を見ているからだ
蝶は五月頃になれば増えていたようにも見る
ただ梅雨になると蝶はあまり見かけないだろう

だから季節がずれて少なくなったのか?

今年は梅雨がなく真夏の酷暑に六月でなったからだ、何か梅雨というものでも前のように季節通りになっていない、空梅雨というのはこれまでがあったにしろこんなに酷暑になるようなことはなかったように思える
温暖化の真意はわからなにしろ気候が変わったことは認めざる得ない
ただ人間の時間感覚は短い、縄文時代とかさらに古生代とかなるとこの辺は熱帯であり山の方にサンゴの化石とか発見されている、福島県の浜通りはもともと温暖な地域であり
それで南相馬市の鹿島区の海老はマルハシャリンバイとか奄美大島産の植物の南限の地となっている
またスダシイ神社がありそれは沖縄の山原の密林に自生しているものである
照葉樹林帯の南限の地として福島県の浜通りはあったとなる
そういう長大な時間感覚でみれば機構の変動は地球規模で在り異変が起きてきた
氷河期とかもありそこで大きな地球規模で生態系が代わっているのだからある時期に蝶が増えたり減ったりもしているのかもしれない

●蝶も蛙も人間の住む里に増えたものーそれが減ることは何かを警告している

蝶と言う時春になった時山に行くルリタテハが宝石のようにちらちらと舞い飛ぶ、その蝶は春を知らせる蝶なのである、今年もそういう蝶は見ている、でも普通に見る蝶が少ないのである、アゲハチョウでももう飛びはじめて増えてもいい感じがする
ただそれは今は梅雨時期だから飛ばないということもあり季節感がなくなりそうなったのか?
ただインタ−ネットで見ても確かに蝶の数は減っているのだろう、その原因はいろいろある、ここで指摘していたのは人間側の作用で蝶の数が減ったという指摘である
蝶というのも里山とか人間が生活でかかわった場所に生息しやすいと指摘している
全くの原生林とは違ってむしろ人間が住んでいる場所に生息して増えていたとしている
それが農薬だとか使い蝶でもその影響を受けて減ったとしている

そういうことは田んぼで明確である、ほとんが人工の堀りになりそこにドジョウとかメダカとか最近ではザリガニなども見ない、ドヂョコだのフナっコだとかいなくなった
でも溜池では釣りをしているからフナはいるのである
何か生物は原生環境だけではない人間と共生していた、原生の自然の中に人間の手が入ってかえってそこが住みやすい場となって増えた種がある
その一つが蛙だった、蛙は水田があってそこを住処としている、その蛙を餌として鷺がいる、他にも虫を食べて鳥がいる、雀でも烏でも畑をほじくりかえして虫を食べている
鳥の主な餌は虫だからである、蝶もまた虫であり雀が蝶をつかまえて食べるのを見た
そういう食物連鎖がありその連鎖に狂いが生じたのかもしれない
それでも雉などは良く見かける、これは大きいから目立つからなのかもしれない
蝶とか虫類はもともと数が多くなければならない種である
また蛇も減ったようにも見える、あまり合わないからだ,雉は蛇でも食べるから食物連鎖として関係している、ノスリは見かける、これはネズミを食べる、ネズミでもカヤネズミとかなると小さい、それに悩まされている家もある
荒地になったときネズミは増えたからノスリも餌となるものが増えると増えたのであ
つまり自然を見るととき、生物は何かを餌にしている、その餌がなければその場所で生きていけないのである、ただ鳥となると餌がその土地になくなれば簡単に飛んで移動できるからいいのである

●原発事故で荒地となり蛙も鷺もいなくなった

そのために原発事故で田畑が荒地になったとき蛙がいなくなたった

そして鷺もいなくなった

鷺と蛙がいなくなれば餌がなくなるのだから消える、それで蛙がなき蛙か田んぼに増えると鷺ももどってきた
それは感動的だった

ただなぜか津浪の跡にに一時モンシロチョウなどが異常に増えたのである
この原因は塩気がありその塩を吸うためだったのか?
なぜならアゲハチョウなどでも小便した所に集まったりするからである
塩気があるところに集まるからかもしれない
津浪でもそうだが原発事故でもこの辺では大きな生態系の変化が起きた
津浪の変化は余りにも驚嘆すべきものであり自然の計りしれぬ大きさを感じた
田んぼだったところが入江になり海にもなったことは驚嘆した
ただそれは別にそこはもともと海だったのである、そこを人間が干拓して田んぼにした場所だったから元の海に戻っても不思議はなかったとも見た
それは自然の大きな作用でありそれで自然を破壊することはない
でも原発事故は生態系そのものを破壊したので修復できなくなった
放射性物質は残りつづける、プルトニウムの毒は二万年消えないとしているからである確かに死者はないとしても自然への打撃は汚染は致命的になったのである
木まで汚染したらか木さえ使いなくなったのである

人間は科学技術の時代になり意外と自然への関心が衰えている、自然に対する直観力が衰えている,五感が本能的直観力が衰えている
それで自然から何か危険でも直感的に感じなくなっている、頼っているのは科学技術であり機械である、それも必要だが何か東京であれ都会だとそもそも自然がないのだから自然への感性が失われる、田んぼも畑もなければ自然を肌で知ることはできないからだ
だから原発事故で田畑が荒地になりそこに蛙がいなくなたっのは驚きだった
そして鷺もいなくなったのである、それは淋しいものだった
でも田んぼも再生して畑も再生したとき蛙の合唱が聞こえたときこの辺は復興したと思った、その声は夜空の星々にもひびきわたっのである
つまり蛙でも蝶でも他の生物でも人間の営みと融合して棲息して増えたものがいるのだ
水田にはいろいな虫が棲息していて餌にもなるのである

蝶でもキャベツ畑に集まるのは

モンシロチョウは独特の匂いを持つ菜の花に好んで集まる蝶で幼虫はキャベツなどの菜の花と同じアブラナ科に属する植物の葉を好んで食べる為、本来はキャベツを栽培している場所に多く集まりますが専門の農家などのキャベツ畑では農薬を使っている為、モンシロチョウの姿は殆ど見られません。

モンシロチョウは夏型と春型に分かれており、春型は夏型に比べて黒い紋が薄い事が特徴です。また、日光のよくあたる広い場所に集まりやすいようです。
https://onl.la/qVYveMB



こういうことがあってモンシロチョウなどは里に増えたのである、そこに餌があるからだとなる、農業は第二の自然でありそれに適合して蝶や蛙などが増えたのである
いづれにしろこの辺で起きた津波とか原発事故の変化は驚くべきものだった
ただ津波はあくまでも大きな自然の作用でありそれは自然が修復する
でも原発事故の被害はプルトニウムの毒が二万年消えないとなり住めなくなったのであるでもチェルノブエリとかでは逆にヘラジカとか狼が人がいなくなたっ森に棲むようになった、チェルノブエリノブエリは意外とウクライナの首都のキエフ(キーフ)に百キロとか近かったのである、そこの平地には壮大な森が広がっていたのである
放射線被害があってもやはり自然は回復しているとなっているのも不思議である
ただ遺伝子の影響とかいろいろ言われているからそれはわからない
ただ放射線被害で奇形の生物が生まれたとかは見ないのである、ただその影響は科学的にまだ解明されていないのである

●生態系から離れた自然を感じない大都会の危険

ともかく大都会だとか東京などでは自然の生態系を直感的に感じない、危険でも感じないそこにこそまた危険がある、ただ科学技術に頼っている、でもそれだけで自然に対処できるのかとなるとできない、大都会自体が何か人間の直感かするとそんな所に人が密集して住んでいていいのかと見る、そこに大災害が起きるとも見る
津浪の被害で交通が途絶えたとき物資が運ばれなくなたっとき米がありそれを裏山の清水と木を燃料にして二週間くらい生き延びた、つまり人間はむしろそうした原始的生活ができる場所でこそ生き延びられるとなる、なぜなら都会だとそういうことはできないし逃れることもてきなくなるからだ、その時万事休す戸なる、それをイメージしたらとても住んでいられないともなる
また津波でももし人間の直観力が働いたら住めないともなる、波が絶えず打ち付ける海岸線は直感的には怖い場所だったともなるからだ
石巻の日和山の前には家が密集していたのである、それが自転車で通った時、危険に見えたのである、すぐ前に波が打ち寄せる場だったからである、一方で福島県の浜通りの四倉などは前に広い砂浜があり緩衝地帯となり意外と津波の被害が少なかったのである
でもいわき市の海岸でも直接海に接した場所が津波の被害にあったのである

現代は科学技術の社会である、それを否定できない、それで原発事故の前に科学者集団が津浪が来ると警告していたのである、それをまともに東電で聞いて対策していたら被害は防げたのである、でも聞く耳をもたなかった、東電でも科学者集団なのに科学者の言うことを聞かなかったのである、それはコストも関係していた、金をかけたくなかったことがある、でも科学者が科学者を信用しないというのも理解できなものだったのである

何か自然から異変を察知する能力が本能が生物には備わっているとしてそれがすべて科学技術に頼ることになった、それも問題があった、でももはや人間の直感力とかなんとかいうと誰もとりあわない、そんなもの科学的に見たら何の力もないとなったのが現代なのである、それは文系的なものであり理系のものからみれば何の意味もないともなる
でも理系の科学者にしても科学をすべてとしても津波とか原発事故でも防げなかったのである、科学者が津波が来ると警告することでも無視したからである
だからすべて科学万能としてこの世のことに対処できないのである

聖書だとなぜ常に危険を予言していたのか、預言者が尊ばれたのか?

それはとてつもないノワの洪水であれ危険がありそれでその災いから逃れることを警告したのである、でも人々はそんなことを聞かなかった、そして大被害になり洪水にのまれて死んだのである、また科学者が仙台の若林地区とかでここは津波が危険だと言ったら地価が下がるとして不動産屋が怒ったのである、人間は科学者であれなんであれ危険を感じないのである、人間が見ているのは目の前の利益だけだとなるからだ
そのこともまた危険なのである

fogsong1.jpg
posted by 老鶯 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月11日

今回の地震で被害が多かった石の倉のこと(蔵の物語)


今回の地震で被害が多かった石の倉のこと(蔵の物語)

stonekura3333.jpg

相馬市の大きな蔵の倉庫

kuraphoto1.jpg
木の蔵と石の倉が並んでいる
木の蔵が古く石の蔵が新しいとなる
木の蔵は写真映りが悪くどういう状態だったかわからなくなっている
風邪が落ちたのか・ちょっとわからなくなっている


stonekura2222.jpg

ここは小高の城の近くである




石倉町

戦国時代頃からある地名である。江戸時代に入ると「内藤分」という地名になった。内藤分村ははじめ総社藩領、寛永10年に高崎藩領、元禄8年からは前橋藩領だった。

文字通り石積みの蔵である“石の蔵”には、 大谷石とともに歩んできた秘められた歴史があります。

大谷石は宇都宮市西部に位置する大谷町付近で産出される緑色凝灰岩のことです。すでに古墳時代の石室などにその利用が見られ、近世に入ると宇都宮城の改修に大量の大谷石が使われるなど、大谷石は古来よりこの地の人々の生活とともにありました。

大谷石の名声を決定的にしたのは、大正元年(1912年)に完成した巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計による旧帝国ホテルでした。この名建築は関東大震災にも大きな被害を受けず、優れた耐火性が実証されました。

こうしたことから大谷石は蔵の建材としても使われることとなり、宇都宮の町並みには、大小さまざまな大谷石の蔵がとけ込んでいます。

そうした蔵のひとつとして、この東塙田の蔵はありました。65年ほど前に建てられたこの蔵は、砂糖や小麦粉などの食品原材料の業務用倉庫として長い月日にわたり、その役割を担ってきました。しかし、その後、倉庫が郊外に新設され、役目を終えた蔵はひっそりと休息の時を刻んでいました。


谷石の構造物が広く普及するのは、江戸時代になってからであり、最も多く用いられたのは蔵である。宇都宮市周辺地域における蔵の変遷は、大雑把にいえば板蔵から大谷石蔵である。板倉は太い木材を柱や梁として用い、柱と柱との間の壁は板材を用い、屋根は茅葺ないしは板葺きである。ところが板倉は、すこぶる火災に弱い。そこで、宇都宮市近辺では、防火性の高い大谷石蔵が建てられるようになったのである。

明治期になると大谷石の運搬が発展し、それとともに大谷石の利用目的が広がり、利用範囲も飛躍に拡大した。まず、明治初期に馬車が使われるようになり、従来、大谷石運搬の主役だった馬の背に比べ運搬力が約15倍にも高まった。それまでは厚さ3寸(約9cm)の石が基準であったものが、厚さ5寸(約15cm)のものでも一度に約30本が運搬できるようになった

。大谷石の防火性、および保温・保湿性が改めて高く認識されたからに他ならない。栃木県内に限って言えば、農家の米蔵のみならず、大正期以降は肥料倉庫や米蔵を始め各種倉庫が建造された。それとともに耐震性が求められ、側壁に控え壁(バットレス)を配したものや昭和20年代以降はコンクリート柱枠を支えにした倉庫が作られるようになった。中でも各地の鉄道の駅近くには、こうした大谷石倉庫群が目立つ。大谷石倉庫建築が最盛期に達した時期でもある。



今回のこの辺の大地震で目についたのが石の倉だった、こんなに石の倉があったのかと見た、注目していなかった、石の素材は古代から作られていた、古墳の石室などがあったからだ、石の倉も江戸時代前からもあった、江戸時代からあっても土蔵とか板倉が多かった石の倉が普及したのは明治以降である、それは防火のためである、石の倉だったら火には強いからである

でも石の倉は地震に弱かった、たいがい一部が壊れた、全部が壊れたということはなく石がずれたとかである、それで石の倉が意外と多かったことに気づいたのである
知っている農家だった家でも石の倉があり壊れた、石の倉は米等の保存に使われた

農家では、湿度が管理できる大型の貯蔵庫を用いて、低温(15度)または冷蔵(5度)でお米を保管しています。

何らかこういう役割が石の倉にあった、土蔵の倉より石の倉が効果があったから石の倉が普及した

ここはただの土蔵ではない。文庫蔵と呼ばれるものだろう。一階正面には天袋つきの押入二階にもきちんと押入がある。土台は石積み、二階の小屋組は和小屋とやらで、京間で桁行二間半、梁間は二間、柱は檜で梁は松。窓に嵌まった鉄格子は文化文政の頃のもの。扉は黒い漆喰で塗り固めて縦二メートル、横は七十センチ、その厚さは三十センチだ。壁も同じ厚みがあって、土壁の下地は普通は竹だが、太い木で組まれて棕櫚縄でしばって、その上から何層も漆喰を重ねて塗ってある。その上、屋根は置屋根じゃなく、土居塗りの上に直接瓦葺きをして、大棟ののし瓦は九段積み、鬼瓦は屋号の入った尾州産

ある蔵の物語

これだけこった作りになると見物であり文化財にもなる、竹というとき私の家は土壁でありそれ以後職人がいなくなった、最後の土壁として残った、中味は竹を組んで土壁にするすると竹で組んでいるから地震には強かったのかともみる
ただ現代の家の方が耐震設計で地震には強いのである
家というときこうして物理的とか構造物とかその材料とかが問題になる、建築の歴史をみればヨ−ロッパは石の文化でありあとは煉瓦である、だから石の城であり石の建築物が基本としてある、第一大聖堂にしても石だからである、あれだけの石の大聖堂になると圧巻になる、その石の聖堂を作る人達が結社となりフリーメーソンとかなったという歴史がある、それだけ石工は特異な技術集団であり力をもっていたのである

蔵とつく名前

これだけ蔵とつく名前が多いことは蔵は生活に欠かせないものとしてあった
喜多方市は蔵の市で知られている、会津は武家の街だったが喜多方は会津の北ということで喜多方になり商人の町として繁栄した、そして蔵が多いのは豊かになったとき競って蔵を建てたからである、だから蔵の街なのである
倉敷とかなるとまさに蔵だらけであり蔵の間の道を行くことになる、そこも商売で栄えたからである、大原美術館などもその栄があって建てられた

ともかく今回の地震ではこの石の倉が一部壊れてこんなに石の倉があったのかと気づいたそして石の倉は地震に弱かったということに気づいた、でもこれだけ地震がある国なのだから石の倉が多かったということはなぜなのだろうともなる
防火性があったとしても地震には弱かった、でも石の倉でも全体が壊れてはいない、一部なのである、だから修復できるのである、家自体も全壊したのはわずかである
地震より火事にそなえるために石の倉にしたのかとなる
今では蔵は喫茶店になったりしている、石の倉でもそうである、そこに何か重厚なものを感じる、黒々とした梁があり喜多方市でそこに入って外に積まれた雪を見ていたのが印象的だったのである、雪国の蔵はまた違ったものとなる

kurahari1.jpg

会津の雪の詩


posted by 老鶯 at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月07日

なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか (民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)


なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか

(民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)

ビザンティオン(イスタンブール)、ネアポリス(ナポリ)、マッサリア(マルセイユ)など、現在も大都市として繁栄しているものがある。植民市は、方言、祭儀、制度などさまざまな面で母市と結び付いていた

ウクライナ戦争は西側や欧米側ではアメリカでも盛んに民主主義と独裁国家との対立の戦争だとしている
民主側につくのか、自由の無い独裁国家につくのか主義の戦いだと扇動する
それは米ソ冷戦と米中対立は共産主義と民主主義の対立としての戦争としていたのと同じなのである,イデオロギーの対立だともしている
ウクライナは西側となり民主側であり自由を守るためには民主主義を守るために戦うとする、でも実際はウクライナはウクライナの民族主義があり俺たちの土地を守るのだということで西側の援助を受けて戦っている、その意識の方が強いのである

そもそもヨ−ロッパの歴史とかわかりにくいのは何故なのか、それは歴史がわかりにくいからである、もちろん地理もわかりにくい、ただ大陸だとヨ−ロッパでも長大な河がありそれで世界が分けられる、ライン河でドイツとゲルマン民族とが分れたのである
そこまでローマ帝国が進出してもライン川から渡り支配できなかった
逆に最後はゲルマン人によって逆襲されてローマは占領されたのである
地理的には海でも川でも山でも障壁となり国境となった、川でも平坦な大陸でもその川を越えるのが難儀だから国境になる、それでriverとはライバルなのである
それがウクライナ戦争でも起きていた、現代で河など障壁になるのかと見ていたら
川を挟んで戦闘があり川をなかなか渡れないでそこで死んでいる人も多い
また渡れないように爆破もしているのである、だから人間の歴史はやはり依然として地理の影響が大きいと思った、そもそも航空機の戦いとなると河など関係ないと見ていたからである、でも陸戦となると依然として何か古典的な戦争として変わらなかったとなる

ヨ−ロッパがわかりにくいのは地理的にもそうだが歴史的にもそうである
ギリシャが基となっていたというとき民主制がギリシャのボリスで始まったからである
でもそれは一二万とかの小さなボリスなのである、その後の議会制民主主義とかアメリカの民主主義とは違ったものである
でも民主制とか民主主義とか自由とか言うときペルシャがアジア的独裁国家でありその戦いはポリスの自治を民主制を守るための戦いだったとしている
長大な大陸だと必ずその国家の規模が巨大となりアジア的専制国家になるからである
それはエジプトでもイスラム圏内でも専制国家になる、中国ももちろん専制国家の歴史なのである、そしてロシアもツアリー皇帝の専制国家であり農奴がいた
中国も同じである、それでプーチン皇帝とか習近平皇帝と言われるのである

ウクライナはロシアの専制国家に入り蹂躙されてきた、だから西側に入りたいとなった
でもその争いは民主と専制国家の争そいというより民族対立の争そいが基になっている
ロシア人とウクライナ人が同居して争いそれが火種となり対立して戦争に発展した
その動機は民主と専制国家の対立とも言えない、民族と民族は歴史的カルマとなり戦争が継続されてきたからである、だから東欧に小さな国があるけど遊牧民であり民族が違っているとなる、ただ民族的にはヨ−ロッパの白人とアジアのモンゴルに一時支配したからタタールの軛となり混血したとなる
ウクライナ戦争もウクライナ人がいて民族があり民族同士の戦いだとなる

でもアジア的専制といってもヨ−ロッパにもフランスのナポレオン帝国とかドイツのナチス帝国とかもありヨ−ロッパが民主的だともならない、ローマ帝国は専制国家とは違う共和制とかになるにしてもローマ帝国としてヨ−ロッパを支配した
それがルーマニアとかでもローマを期限にした国名となっているのである
とにかくアメリカが民主と専制国家との戦いだとしているとき中国でもそうなる
その対立は民主と専制独裁国家との戦いだとして鼓舞している
でも必ずしもウクライナはそういう意識では戦っていない、ウクライナという領土がありウクライナ人としてロシアと戦っている、自分たちの国土を守るものとして戦っている
それでベトナム戦争でも同じだった、ベトナム人が戦った理由は共産主義だからではないベトナムに侵略した外国人のアメリカ人と戦ったのである
それはパトリオテズムとなる、国土を基にした愛国心であり民族主義の抵抗にあってアメリカは敗退したのである、その構図はウクライナでも似ているとなる
ただ同じスラブ人だからその辺鄙は違っている
アメリカは人種差別があり黄色人種差別もある、アメリカはそれで黄色人種の日本人ならいいとして原爆を落としたのである、ドイツには落とさなかったからである
なぜならアメリカ人の祖先にはドイツ人も多いからである

民主主義でも共産主義でもイデオロギーで共通の理念で国造りをしようとした
民主主義もイデオロギーなのである、だから本当は人種とは関係ないのである
一つの理念の元に団結することだからである、共同体を作ることだからである
そうした共同体とはヨ−ロッパならキリスト教でありイスラムならイスラム教なのであるそしてロシアもキリスト教なのである、ただ共産主義でソビエト連邦を作ったけど崩壊したのである、そしてウクライナもそのソビエト連邦の一部だったのである
でも最後に強力なものとして残ったのは民族であり民族を基にして国土をもったアイディンティティが実際は残ったとなる

アメリカはもともと世界からの人種民族の寄せ集めであり民族主義になるとあとめられない、それはロシアであれ中国であれ巨大な大陸国家だとそうなる
様々な民族が混交するからである、それで共産主義で理念でまとめようとしたのは中国でもロシアでも同じなのである
ただ結果的には民族国家は残り対立してウクライナ戦争になったのかとなる
ただヨ−ロッパは東欧でも歴史が複雑でありウクライナ人とロシア人は違うのかとなるとわかりにくくなる、ウクライナは一時一部がボーランド領地になもっていた
ヨ−ロッパの国の領土は一定していない、拡大したり縮小したりしているからである
そしてヨ−ロッパでも絶えず戦争をしてきたのである
隣り合って協調することもあるが対立して戦争してきた歴史でもあった
日本のような島国で世界から鎖国のように孤立ししてありえないのである
隣国から攻めてくるという恐怖に生きてきたとなるからだ
その対立はそれだけ根深いとなる、それがまたカルマとなってウクライナ戦争にもなったとのかと見る

ヨ−ロッパを電車で旅していたら知らない間に国境を越えていたのである
それで何か関税のようなものをとられたようだった、つまりヨ−ロッパだと簡単に国境でも越えていることがあるのだ、日本だったら外国に出るということは海を渡ることだから知らない間に国境を越えていることなとありえないのである
ヨ−ロッパの国というときそれほど障壁はないのである、国籍でも形だけであり別な国の国籍を取得することも簡単だとかなる、日本のような島国とは違う
だから移住するのも国籍を簡単にとれるとしたら海をわたる異国に行くということでもない、日本のように外国に住むということのハードルが低いのである
それでロシア人でも国を捨ててヨ−ロッパであれ他国に出る人が大量に出た
ロシアはやはりヨ−ロッパではないにしろ半ヨ−ロッパだからである
ともかく大陸は陸続きだということそれがどういうことか海に囲まれた日本人には理解できないのである、隣国から敵になり攻めてくるということは海に囲まれて守られて来た
日本とは根本的に違っている、意識も違う、だから歴史もカルマとなり現代でもあのような戦争になったとみる


カール・マルクスは「労働者には祖国は無い」と国際主義を提唱していたが、第一次世界大戦の際に各国の戦争に協力する社会民主主義(社会愛国主義)と、レーニン主義の共産主義に分裂し、共産主義でも後のスターリン主義や毛沢東思想では愛国主義が強調された(左翼ナショナリズム)

社会主義とか共産主義より根強いのが愛国主義であり民族主義なのである
パトリオテズムだとなる、それは今でも変わりないのである
アメリカには愛国心というのが人種の混交であり作られていないのである
それでもアメリカファ―ストととなったとき愛国心が民主主義であり共産主義であり優先されるし根底にそれが根強く残っているのである
それはまさに大木の根のようなのものなのである



まず外国は住んでみないと実感できない、いくら本を読んでもそこで暮らしてみないと実感がもてないから理解できない
それでこうして様々な国に住んでいる経験がある人は実感とし理解する
他でもyoutubeで外国に暮らしている人が報告しているのは日本に住んでいる人は違っているのである
だからたいがい外国について発言しているのは留学経験とか仕事をしている人になる
外国を理解するには実地にその場を踏まないかぎり実感できないのである

posted by 老鶯 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月06日

ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー (その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー

(その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツでのオープンカーの比率が高い理由は、次の3つが考えられます。

・ドイツの気候がオープンカーに適している
・ドイツ人の多くは、日焼けした肌を好意的に捉えている
・季節ナンバー制度の存在やそもそも車庫証明が存在しないなど、クルマを2台持ちするハードルが低い

ドイツの冬は長く寒さも厳しいですが、春から秋にかけては逆に日照時間が長く、気温は真夏でも35度を超えることはほとんどありません。また年間を通して乾燥しており、日本のようなジメジメとした梅雨は存在しません。夏でもカラッとした爽やかな陽気で、日中暑くても朝晩は気温が下がるため、冷房設備のない古い建物も多く見かけます。雨が降っても長時間降り続くことは稀なので、オープンカーの幌を開けられる時間や時期が非常に長い、というのがドイツの気候の特徴です。

田舎ではめずらしくオープンカー持っている人を見た、ともかくこの辺では原発補償金でレクサスなどのいい車を買った人がかなりいたという、ただ私は車がないので車のことがわからないのである
ただなぜオープンカーがドイツ製がいいのか、ドイツで普及したのか?
その人のオープンカーもドイツ製であった

ではなぜドイツでオープンカーの技術が向上して普及したのか?

その理由が風土になったのである、ただ誤解していたのはドイツというとき雨が多く霧とかも多く陰鬱な風土だと思っていた、なぜならドイツの詩とか読むと何か霧の詩が多いからである、それはそうではなかった、とにかくこの風土とか地理でも理解するのはむずかしい、私は確かにドイツを旅行した、でも風土となると気候となると一年くらい住んでいないとわからない、だから外国を理解することはむずかしいのである
風土と地理を理解しないことは根本的にその国を理解できないことである
砂漠に住んでいる国がある、砂漠で暮らせるのかともなるしそれを理解することはできないとなる、なぜならそもそも日本には砂漠が無いからである
そうしたらどうして理解するのかとなる、またヨ−ロッパでも中国でもインドでも想像できないような大きな河がありこれも理解できない、そんな河が日本がにはないからであるそれで外国人が日本の川は滝だというのもわかる、急流となり流れて浅いからである
外国の大陸の河は運河のようになっているから船を利用して交通に便利だからである
それで四大文明が河から生まれたというのもそのためである

人間と風土と地理は一体で切り離せない、それはあらゆることに通じている
技術とかなると気候とか地理とか風土とか関係ないともみるが実際は深い関係がある
技術の発展もやはり風土と関係して生まれている、風車が生まれたの中東地域だというとき砂漠が多いしそこでは風が吹きやすいから合っていたとなる
日本だとトンネル技術が発展したのは山が多い山国だからトンネルを常に掘る必要があるからだ、リニア新幹線でもトンネルを掘る、そこで山でも影響して問題があると反対したりする

それは原発でもあった、原発はアメリカで作られたがその場所はアメリカは広いから東側に作られた、西側には作らなかった、海岸には作らなかった
ただ東側は竜巻がありそれで電源を地下に作ったのである
それをまねて日本の福島原発も地下に電源を作ったが津波で浸水して使えなくなったのである、それは風土を考慮しなかったからだとなる
つまり科学技術でも土着的なものから生まれる、幾何学などがエジプトなどが砂漠のエジプトとか大陸で生まれたのはピラミッドを見ればわかるように何もない砂漠の平坦な土地に人工の山を作る、そういうことが自ずとイメージする、そういう風土から生まれたともなるからだ

そして食料とかでも稲作と麦は根本的に違ったものである、麦は意外と作るのがめんどうだといのもそうである、面積当たりで収穫が少ないのである
米の方が面積当たりで収穫が多いのである、それは水田ということで水が流れる家庭で養分を九州して肥料の代わりになっているからだという
つまり農業は風土と密接に結びついて作られている、だから本当は食料はその風土に合ったものをとるべきだとなる、日本食は日本の歴史的長い年月で風土にマッチして作られてきたからである
日本は旬を大事にするとか活きのいい魚でも寿司にしたりする文化である
それは日本が四季が明確であり四季の変化が文化にもなる、俳句の季語がそうである

日本の風土にあった食文化がアメリカに負けてアメリカの食糧政策の笠下に強制的に入れられて日本はパンや牛肉を食べるようになったのである、麦にはタンパク質が少なく米に多いという、それでパンと肉食が一体化したのはそういう理由があったとなる
そもそも体でもそれぞれの風土から作られていた、ヨ−ロッパとか大陸だと肉を消化する酵素が出るという、日本だと穀物類を消化するのに腸が長くなったというのもそうであるつまり風土と地理から離れて人間は存在しえないのである、それは科学技術でもそうである、その風土に見合った科学技術が発展するとなる

草花でも植物でもエビネランとかは山の日影に自生するから日影の場所がいいとかまた乾燥地帯に育つ花は日当たりがいい場所がいいとかなる、湿地帯に向いた花もあるからそういう原産地の環境を人工的に作り花を咲かせる、作物を実らせるとなる
だからグロ−バル化した経済というのは不自然でありそこに世界的な問題が生まれた
特に食料はその土地の風土と密接に結びついている、風土を無視してありえないのであるだからアメリカによって戦後日本の農業でも食文化がアメリカ向きにされたということが問題になった、それで今麦が輸入すると高くなるとか麦が入ってこないから飢饉になるとか騒がれる、ウクライナ戦争でそうなっている

でもし日本で食糧でも自給が高かったら恐れることはなかった、これもグロ−バリゼーションの弊害なのである、それぞれの国で土着化して風土と一体となり生活しているのが
人間の生活であり生態系から離れて人間も生物だからありえないのである
それは世界を平均化できないものである、それぞれの国の風土と歴史がありそこで培われたものを変えることは危険なのである、特に食料に関してはそうなのである
最近コロナウィルスでもそうである、疫病が世界的に一気に拡散したのはグロ−バルな交通の発達によりそうなったからである、そこに世界的に時間差もなくなり同時間で一気に拡散したからである、もう止めることも不可能になったのがグロ−バリゼーションてあった

こうしてオープンカー一つをとって風土と関係していた、ドイツとかフランスとか
大陸に向いたものだったのである、ただ技術力があるからドイツとかフランスとかで技術開発できたとなる、またオープンカーだと陽射しを受けるからいいともなる
日に焼けた肌がかえって好まれるという時、ヨ−ロッパなどは特にドイツとなると寒い地域で陽射しが弱いからだとなる、日光浴にもなるということである
そもそもヨ−ロッパと白人は肌が白いというとき科学的にも風土の影響があってそうなった、肌が白くなる風土だったのである
ともかくグロ−バリゼーションで歪めれたものが相当にある、そういうものがコロナウィルスでも様々な分野で噴出してきたのかもしれない、やはり人間も生物なのだからその土地と気候とか風土と離れて無視して存在し得ないものなのである
そういう自覚のもとに国造りもすべきなのである

「農業に正義あり」石堂徹生ーこの本では明治維新以来入会権があった地元と密着した生活を明治政府が私有権を与えて破壊してしまったことを書いている
もともと共同で利用した私有権のないものが私有権によって歪められた
この辺では補償金をもらうために私道とか家の前の海に権利があるとして補償金をもらうために交渉していたのである
それで山でも私有権で所有されて分断されて共同事業もできなくなった

なぜなら狭い土地でも私有権があり誰かの持ち主であり許可がないとできなくなったからである、つまり明治以降はこうして国の力が強くなった、それは江戸幕藩体制とは根本的に違った国が管理するものとなったのである、そこで国の力が強くなり官僚が力をもつようになった、結局国の力の増大は戦争にまで結びついたのかもしれない
江戸時代までは地域地域の土着的な生活がありそこで自給自足していた
でも明治時代からすでに国家の力が強くなり国家に管理される官僚に管理されるものになった、それはすべてにそうである、国家の力が増大したのである
それは日本だけでは世界的にそうである、それで国家間の戦争となり世界大戦となったのである

そして国家がファシズムとかになるのも国家の権力が増大したからである
原発事故でもあまりにも国家権力が強大化してそれに従わざるを得ないものとなり
大事故になり故郷にも住めなくなったということもある
地域でも地方自治体でも国家の管理になる、それに逆らうことはできなくなった
言葉すら国家の意向により標準語が作られた、方言があっても標準語になる
それは国家が強制的にそうしたのである、江戸時代なら多様な方言があったとしてもそれを禁止したりしない、国家で地域の文化すら破壊されたのである
それは英語を世界の共通語としているのと似ている、それが米英で世界を支配することだという意見もわかる、言葉でも文化でも欧米を基準とするとなるからだ
そういう矛盾がグロ−バリゼーションで様々な分野で生まれたの現代である


参考にした本

「農業に正義あり」石堂徹生



posted by 老鶯 at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月04日

小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん (藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)


小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん

(藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)

ゴルフ業界は好景気? コロナ禍で起きた意外な問題

最近になって、巷で問題になっているのは、シャフト不足だ。さまざまなシャフト、そしてスペックが欠品している。最近ゴルフショップや工房にいったゴルファーは、そんな話を聞いたことがあるのではないだろうか。海外メーカーのパーツが供給不足のため、日本メーカーも増産に追われているという話もある。



原町工場
所在地:福島県南相馬市
総合職従業員数:約30名
主要製品:工業用品事業部・制御機器事業部・ACP事業部の製品

原町工場は1969年に設立され、3工場の中では最も歴史の長い工場です。
多くのプロゴルファーに使用していただいているフジクラシャフトは、原町工場で製造されています!(海外工場でも製造しています)。
 2020年には医療用ゴム製品を含むLIM(液体射出成形製品)の生産エリア拡張、生産効率の向上や管理部門の集約を目的としてLIM棟を設立しました。


2002年9月
ベトナムハイフォン市にFUJIKURA COMPOSITES HAIPHONG,INC.(現連結子会社)を設立。
2006年5月
米国オハイオ州のIER Fujikura,Inc.(現連結子会社)を子会社化。
2009年7月
米国イリノイ州にFUJIKURA GRAPHICS,INC.(現連結子会社)を設立。
2010年11月
福島県南相馬市に小高工場開設。
2011年1月
岩槻工場内にエンジニアリングセンター開設。
2011年2月
中国浙江省安吉経済開発区に安吉藤倉橡膠有限公司(現連結子会社)を設立。
2011年3月
東日本大震災で原町工場、小高工場に甚大な被害を受ける。小高工場を閉鎖

藤倉ゴム工業は26日、福島県南相馬市の原町工場敷地内に工場建屋を新設すると発表した。

医療用ゴム製品を含むLIM製品の生産エリア拡張、生産効率の改善、管理部門の集約に伴う作業効率の改善などを目的に、9億8500万円投じて、延床面積4562平方メートルの建屋を建設する。来年1月に着工し、同年11月の竣工を目指す

その人は小高の大工だけど原町に移り住んだ、それで週三回藤倉ゴム工場で働いているという、大工の仕事をしているのかと思ったらそうではない
歳もありきつい肉体労働ができないためにそうっなた
藤倉ゴム工場というときこの辺では目立つ会社である、工場も大きい、新しい工場も作ったので拡張している

ただそこでゴルフ関係のものを作っているのがわからなかった、何か近くでもわからないことがある、あそこは旧街道にありいい松があると私は見ていた、でも藤倉ゴムはこの辺では大きな工場であった、でも従業員が30名とか少ないと見た、これは良くわからない
もっと多く働いている感じである、それは正社員だけで他にも働いているだろう

そして意外だったのはゴルフ関係のものを作っていた、それがコロナウィルスでも巣籠り需要があり増えて海外にも輸出しているという、部品も不足して増産しているという
一時はゴルフする人も減った、でも新規にゴルフをする人も十数万人とか若い人でも出て来た、ただゴルフは衰退産業と見ていた、ゴルフは自然破壊だとして地元で反対運動も起きた、でも奇妙なのは丸森の山の大きなゴルフ場にソーラーパネルがしきつめられた
となるとゴルフ場はソーラーパネルよりは景観的にはいいものだったともなる
なぜなら丸森では山ごとソーラーパネルが敷き詰められた所があったからだ
あれは見ただけで嫌な感じになった、でも山の奥の方だから目立たないから知らない人もいる、それでも危険を感じた、これも丸森は江戸時代には木材をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が熾烈に争った場所だが今や木材が売れないからソーラーパネルになった

現代社会は地方でも田舎でも農業が主体ではない、その全体の生産高の割合の一割くらしかないのである、何か依然として田畑が田舎では多いから農業して生活しているのかと見る、でも現実はこうして工場で働く人や会社で働く人が多いのである
だから地方でもむしろこうした会社とか工場が重要だともなる、働ぎ場所になるからである
それで小高にも鹿島にも藤倉ゴムがあった、それを知らなかった、だからこの辺では藤倉ゴムの果たす役割が大きいものだった、小高は震災以後廃止された

何か浪江の人だったか震災原発事故になり会社が浪江にあったが二本松の会社に浪江から通っていたということを聞いた、その人はおそらく二本松に工場がありそこに移り住むようになったと思う
つまり会社とか工場に勤めていれば地元にこだわることはない、農業だったら土地がないとできないからそうはならない、会社や工場が生活の場になっているから場所を選ばないとなる、だからこうして移住した人も多いことは確かである
まず生活が大事であり働く場所がなかったら住むこともできないからである
また多額の補償金をもらった人は仙台市とか移り住んで仕事をして成功した人もいる
こうして原発避難区域は空洞化したのである

小高の復興を言っても原町に移り住んだり鹿島とか相馬市とか新地とかまで移り住んだ人が多い、そこで若い世代は流出して帰らないのである、それで老人だけが取り残されたからそうなればとても復興できると思えないのである
その大工さんも立派な家と広い庭をもっていたがそこには誰も住んでいない
そして息子と嫁と一緒に住んでいたが息子は仙台市の方に行き何かわからないが妻がいても今は一人で住んでいる、だから何か淋しい感じである
そういう人も震災以後多い、家族がばらばらになってしまった人が多い、それが悲劇だったとなる

ただ一人暮らしの老人であれ本当に多いのである、また離婚した人も多い
自分の家に来た女性の三人は離婚している、その大工さんも離婚したらしい、その辺の事情は良くわからない、ただこうしてもともと住んでいた場所が変わったり変化があり
そういうことは年取ると辛いとなる
老人でも今は一日三時間とかスーパーで働いていたりしている、その人も週三日働いているから収入はある、ただもう働けない人もいてそういう人は年金も少なく苦しいとなる
国民年金は6万くらいしかもらえないからである
ともかく老人が多くまた一人暮らしが多い、それも現代の大きな問題なのである
回りをみても老人の一人暮らしが多い、それは男女に関係ないのである
家族が崩壊しているとも言われる、でも今日本が貧困化すると一人一人で所帯を持つことは金がかかる、大家族で住んでいれば電気代でも他でも節約できる、でもそれをしない
個々ばらばらに住むことになったからである、それは貧困化すると贅沢なことかもしれない、一人一人になると何でも生活費がかかるからである
posted by 老鶯 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月03日

ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた (トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)


ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた

(トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)

ヨーロッパ諸国が現実逃避ともいえるほど機関銃を忌避したのには理由がある。
南北戦争や日露戦争の結果は当然知っていた、機関銃によりたくさんの人たちが感慨もなく死んだと。
つまり敵軍を崩し大勢の人間を殺すのに必要だったことは、
勇気あるリーダーが率いる決死の騎兵突撃かけるでも、
傑出した英雄が敵兵を何人も斬り伏せるでもなく、
ただの一般歩兵がクランクを回すだけの作業であった。

それは人間と人間がぶつかり合う戦争は終焉し、機械が戦う戦争へと変遷しつつあることを意味し・・・


戦争は常にあったが20世紀になると戦争は機械と機械の戦争になりそこに人間が欠落する人が面と向かって戦う時例え殺し合いでも人間の情が働く、それで平家物語でも一つの
人間の物語として記された、そこには例え殺すにしても人間の情が働き、相手が少年のような人がいてかわいそうがとかなる、また戦争は殺し合いとしても一対一で戦うと自ずとそこに人間的なものが働く、ただ相手を殺戮するだけの者ではない
何か卑怯なことはしないとか勝ち負けがあっても人間的なものが働きそこから武士道が生まれた、そこには刀が武器としてあっても人間対人間の戦いであり現代の大量殺戮戦争ではないからだ、つまり何でもそうだが人間が作りだす道具は平和時にいいものとして働くでも戦争となるとその道具が武器になる、斧だったら木を切るものとしてあっても戦争になれば無慈悲に人を殺す道具と化すのである
それは原発でもそうだった、核兵器ともなり日本はその被害を受けた、一方で平和利用として原発があったがこれも事故でこの辺は悲惨な結果となった

何か今回のウクライナ戦争は武器のショーのようになった、それが現実の戦争でどれだけ力を発揮できるかとなりリアルであり世界中の国が注目したのである
それで先日のテレビで武器について解説していたのが興味深かった
武器産業が活気づいたのである、そして武器を一番売っているのはアメリカなのである
アメリカの武器が技術的に優れていることが判明した
ロシア制は旧式であり今になると使えないことが明らかに見えた、するとロシアでは武器輸出していてももう買わないとなる、それが実践の場で実証されたからである

それで意外とトルコのドローンが効果を発揮して注目された、それで注文が増えた
そしてトルコのエルドワン大統領がロシアのプーチン大統領と直接合い停戦に向けた交渉をしようとなった
でもわからないのはエルドワンがトルコのリラ暴落とかで経済的に苦しい時、このドローンが売れて立ち直るとかなり喜んでいるのも納得がいかない
また今度はそのドローンの効果を見たロシアが買いたいとなり売るともしている
つまりトルコではただ経済的利益をみて仲裁しようとしている
それも納得がいかない、戦争ももうける商売として見ている、それはアメリカでも同じである、アメリカの主要産業として軍産複合体があり武器を輸出することで成立っている
その武器が売れるのは戦争の時だとなるからだ
だから戦争がないことは経済的に追い詰められる、そこで戦争を自らおこすのがアメリカだとも言われる、そこに職業の業(カルマ)が働く、金になるためには戦争でも必要だとなるからだ
トルコにしてもエルドワン大統領にしてもそもそも自らの国の金儲けのために仲裁するということができるのだろうか?そんな不純な動機で平和をもたらされるのか?

真に平和を願うならいいが戦争があってこそ自国の武器が売れる、そうなるともっと戦争してくれともなる、そういうことがアメリカでもあるのだ
だから仲裁するということが矛盾してくる、なぜなら戦争があってこそ自国の武器が売れるからである、そんな人が仲裁できるのか?
つまりウクライナにもロシアにも同じドローンを売ろうとしているのである
仲裁ではなく商売として戦争を見ていてもうけようとしている人が平和をもたらされるのか?それが納得できないのである

だからそもそも武器を作り武器で儲けることは倫理的に問題なのである
アメリカは人権とか盛んに言うけど一番の武器輸出国でありそれでもうけている国であるそしたらそんな国が人権とかなんとか言うことができるのか?
アメリカもだから常に表向きは善人ぶるが実際は悪人だとなってしまうのである
何か人間はジキルとハイドなのである
カルト宗教団体などでもそうである、表向きは宗教を看板にしていても実際は政治と深くかかわり勢力を拡大して権力争奪を計る、善人の顔して実は利権を得る金を得るための
手段として宗教があるとまでなる

だから人間は本当に信じられないとなる、アメリカはやたら正義をふりかざすけど実際は戦争国家でもありそれで武器を売る、これを見ればわかる、実際言うことと現実にしていることは違っているからである
人間はこうして常に二面性があり特にアングロサクソン系はその傾向が強いとしている
平気で人をだます、インディアンは素朴な人達だったか平気でだまして土地をとりあげたとか言われるのもそのためである
どうしても国単位になると善悪など関係ない、国の利益が優先される
だから善人ぶるのは偽善なのである、国単位では善悪はない、ただ国優先の利益があるだけだとなる、だからウクライナでもトルコのエルドワン大統領でも武器を売ってもうければいいとなる、そんな人が国が仲裁できるのだろうか?

ともかく武器から戦争を見るとわかりやすい、戦争の勝敗は武器によって決まる
中国の野郎自大国が漢に敗れたのは武器の相違であった、野郎自大国と銅の刀であり
漢は鉄の刀でありそれで敗れたからである
信長は鉄砲で武田の騎馬軍団を破ったとかあるからだ
そして武器でも古い武器が在庫一掃されるとか武器生産する国ではアメリカでも喜んでいる、アメリカの南北戦争でも古い旧式の型落ちの銃が日本に輸出されて明治維新で使われたのである
今回も型落ちの武器が使われる、そしてロシアの武器は旧式であり効果がないとして売れないとなる
この型落ちの旧式のものは実は原発でもあったのだ
アメリカの古いもの、マーク1が日本に輸出されていたのである、それは危険なものだったのである、でもアメリカではもうけるために日本にうりつけたのである

戦争をなくしたいとしてもなかなかできない、その問題の一つとして武器がありその武器が核にまでなった、それで核戦争で人類が滅びるという恐怖がウクライナ戦争でロシアによって引き起こされる恐怖だったのである
それだけ武器というものが戦争に果たす役割が極限まで達したからである
それを抑えることもできない、平和を実現するにはまず武器をなくすことだからである
でもアメリカは銃社会であり銃をなくすことができない、そのために小学生が乱射事件で数十人とか死んだ、アメリカ自体が武器をなくすことができない、それがアメリカの業(カルマ)だとなる
他国にも武器を売るが自国でも武器で銃で苦しんでいるからだ


いづれにしろ戦争をなくすことができないというときその大きな問題として武器をなくすことができないことである、武器でもうけること自体悪なのである
でもアメリカは軍産複合体が大きな産業となっているように戦争がないと商売が成り立たない、そこに矛盾がある、だからアメリカが人権を言うのも理解できない
戦争こそ最も人権を無視したものとなるからだ、それはロシアでも残虐なことが行われるそれは普通なら死刑にもなる大犯罪である、でも戦争ではそういう大犯罪を無視される
人を殺すことが是認されるのだから後は何でもありとなる
だから戦争では人間の悪が欲望が野放しになる、ロシアがウクライナからいろいろなものを強奪したりレイプしたり悪が何でもあるとなる
だから戦争こそが最も悪が是認されてむきだしになりそれでもとがめられない最悪なものとなる、だから戦争だけは止めねばならないものだがそれができない
その理由の一つに武器があるためだとなる、アメリカでも銃規制ができないことが自ら証明しているのでありそれで苦しんでいるのはアメリカのとカルマだとなる

戦争のことが話題になり軍人がでしゃばる時いいことはない、結局自衛隊が何のためにあるのかというとき不祥の器としてるとき別にそれで良かったのである
自衛隊が軍隊が全面に出てくる時は日本の戦争したようにいいことはない
軍人が一番威張っていたの戦争の時であり反発されていたのである
そして近代の戦争は機械の戦争であり国同士の熾烈な全員戦争でありそれで一千万人とか死んだとかなる、そこに歯止がきかくなっている
そして最後は核戦争で滅びるとまでなる、その恐怖を現実化しようとしたのがウクライナ戦争でもあった、それで一地域の紛争とは違ったものとして注目されたのである

posted by 老鶯 at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月01日

空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史 (一軒一軒が語る郷土の歴史)


空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史

(一軒一軒が語る郷土の歴史)

stonegarden.jpg

stonetable1.jpg

twostoes1.jpg

空家なる大石二つ冬の暮

この家の庭は最近掃除した、でも屋根瓦は直していない
庭は家族が来て掃除したが屋根瓦は直すとなると金もかかる
そして直す職人でもまだたりない、それで放置されているのだろう
ただこうしてまだ持ち主がいて見ている人はいい
全く放置された空家は問題である

kabutoyane.jpg

これは空家ではない、兜屋根であり養蚕していた家である
こういう家が田舎にはまだ多い
この屋根は明確に養蚕した家の造りである
何かこういうのは歴史的遺産ともなる家だとなる
ただここはまだ人が住んでいる、飯館村だと住んでいないこうした家が多い




空家となる庭の石

隣なる家は空家となりぬ
庭に大きなる石あり
礎となる石なれや
冬の日さして静か
洗濯物干す女あり
静粛な妻にあれ
街の一隅に十数年住む
今はなしもなお近くに住む
貸家なれども二十数年ここに住む
子供らここに育ち離れる
我が一人今庭に入り偲ぶ
塀にボケの花咲き
その花を手折り我が部屋にさしぬ
一つの家にそれぞれの歴史あり
隠されし処、空家の庭
堅く大きな石の組まれて庭あり
石のテーブルありて家族の憩う
そこに一人一人の顔も浮かばむ
ここにも人の営みありて歳月を刻む
また一つ空家の庭に大きな岩二つ
どっしりとありて動かず
ここに暮らせし人は誰やいづこに
冬の日に我が訪ねて偲ぶもあわれ

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値ー詩)
http://musubu.sblo.jp/article/189114900.html

今空家が大きな問題となっている、一千万軒が空家なるとか空家だらけになる
原発避難区域は空家だらけである、もう町が空家の町となっている
それで5000万近く誤って金を支給した若い人は空家バンクで移住した人だったのである
無職だとなっていた、何か空家利用でも良く利用されるとは限らない
こういう人も入ってくる、町では何とか空家を利用して町に住んでくれとなったそうなったのだろう、それもわかる、ともかくそれだけ空家が多いのである
これからますます空家が増えてくるのである
それで古民家を修復して活かそうとする人も出て来る

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

ここではそうである、古い物を活かそうとしている、それは思想的にも共感する
この空家問題は実際は大きな現代の日本のテーマなのである
それは少子高齢化でもそうなった、後継ぎがいずその家を継ぐものもいなくなりそうなる墓仕舞いが言われるのも跡継がいなくなり墓を守る人がいなくなるからそうなる

どうしても原発避難区域になった浪江とか小高とか飯館村などは空家だらけでありそれが元のように回復するとは見えないのである、第一若い人が流出したからである
老人ばかり取り残されてそれで復興することはできない
だから空家問題は深刻なのである

例えば詩にしたように一つの家でもそれは地域の歴史を刻んでいる、郷土史にもなる
ただ江戸時代から続いているような家はそれ自体が地域の歴史となる
この辺だと野馬追いにでる家は江戸時代からつづいた家だからである
それは家が継続しているからそうなる
でも隣の家にしても二十数年貸家でもそこに住んでいたのである
ただ別にその家とは関係しない、話したこともわずかである
それでも子供がそこで育ちいつも見ていたのは庭である

大きな石がありそこで妻が洗濯物を干していた、その女性は控えめな女性で顔すらまともに見たこともないのである、だからほとんど交渉がなかった
でも確かにそこに二十数年住んでいたのである
ただ空家になっても近くに新しい家を建てたからである、もう遠くに行って放置している空家とは違っていた、今回の地震でも壊れたりしたが持ち主が修理した
でも放置されてある家もある、それはもうそこに住まない家だともみる
なぜなら東京に息子は住んで両親も死んだからである、するとこことはかかわりもなくなったからである、だからその家は金持ちでそれなりに立派なのだけど住む人がいないとなる、それで地震で壊れた所を直していないのである

ともかく空家化する日本、空洞化する日本ともなる、この辺だと津波で村自体が消失したそこは何も残っていない、空家は一応庭でも家でも残っているからこうして偲ぶことができるでも全部消えたら何も残らない、でもそこに一つの家でも刻んだ歳月がありそれを偲ぶということがある、それは家でも庭だけでも残っていると偲ぶとなる
それは城があったとかでも石垣があって偲ぶのと似ている、相馬藩の城があったとしても石垣しか残っていないから偲ぶとしてもむずかしいとなる
何か昔を偲ぶというとき何か残っていて偲ぶとなるからだ
その点ヨ−ロッパの歴史などは古いし2000年前でも石として残っているから歴史を偲ぶ
ローマの遺跡などがそうである、石は残るからである

ともかく津波であれ原発事故であれ避難して一つ一つの家の歴史でも失われたのがこの辺である、家があれば偲べるが取り壊された家もある
するともう他者から見れば何も偲べないとなる、何か空家でも家があるとここに家があって暮らしがあったのだと見る、でも家もなくなると偲ぶこともないのである
何か記念碑のように家が残っているともみる

家二愛着があるのはやはりそこで暮らした歳月がありただの箱とは違う、そこで暮らした家族の歳月がありそれで家に愛着が生まれるのである、だから老人は原発事故で避難しても故郷の家に帰りたいとなるのである、そこで暮らした歳月がそうさせるのである
やはり人間は歳月の重みというのがある、どこで長く暮らしたのか誰と長く暮らしたのかが重みとなる、なぜなら人間の生きる時間は短いからである
その中で親密になれる時間を持つ人は限られているのである

だから熟年離婚とかなると損だとなる、なぜならもう共に生きる時間が限られているからだ、そこで親密になる時間がもう限られているているからだ
つまり人間で意外と貴重なのは金があるにしても時間だとなっていたのである
誰と人生の時間を長く過ごすかということも大事になる
そしてその人も限られている、家族だったら四五人とかなるだろう、その他の人は親密になれない、それは人間は時間が限られているからである
だから何人もと親しくはなれない、その時間がないのである
そして人はたちまちこの世から消えるのである

いづれにしろ空家となると本当に淋しく感じる、そこでは庭の石でも人間化していたのである、人間の暮らしがあって石も一体化して活きていたことを感じる
それが自然のままだったらそうはならない、一旦人が住んだらそうなる
人の情が石にも樹にものりうつっていたともなる、だから物とは単なる物ではない
物が憑くとなり人間の心がのりうつったものにもなるのである
だから人が消えるとそこに残された物は余計に淋しいものとなるのである
posted by 老鶯 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月28日

大陸は人種が混交し混血した (ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


大陸は人種が混交し混血した

(ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


 混交して混血する大陸の民族

 なぜウクライナの大統領ゼレンスキーがユダヤ人なのか
 プーチンの顔にモンゴルータタールの血が交じる
 モンゴルはウクライナまで攻めて来た
 その猛威にヨ−ロッパは震撼する
 タタールの軛ははロシアの起り
 トルコは突厥でありモンゴルと近接する
 遊牧民は中央アジアに跋扈して領土を拡大する
 羊を追い大騎馬軍を率いて大陸を進軍する
 インドの原住民はドラビダ族
 そこにアーリア人の侵入あり
 その彫の深い顔はギリシャ彫刻のよう
 仏像はアレキサンダーがもたらしたヘレニズム文化の所産
 スリランカの男性は顔だちが白人
 名前はフェルナンドにしてポルトガル人の王の名なり
 大航海時代にヨ−ロッパ人の侵入あり支配される
 中央アジアに東西の対立
 様々な民族が部族が混交して鬩ぎ合う場
 血を流し争いまた混血してきた歴史
 それはウクライナでも再現する
 兄弟とするウクライナでもせめぎ合い争う
 中国の始皇帝は白人らしい
 遊牧民、騎馬民族の末裔なれ
 始皇帝陵兵馬俑の大軍団の威容
 それが中国の地下に眠っていた
 遊牧民は広大な草原を砂漠を移動する
 そこで異民族と出合い熾烈な戦いとなる
 その興亡は繰り返される
 スラブ民族はスラブは奴隷の意味と
 ローマ帝国の辺境となる地域は 野蛮人とされ
 文化なき世界とされゲルマン人もライン川で区切られる
 スラブとはヨ−ロッパの源流から外れた劣った民族
 でもフランスのナポレオンとドイツのナチスであれ
 ロシアに攻め入り寒さに敗れて撤退する
 その犠牲者は一千万人以上ともされる
 ナチズムはアーリア人の優秀さを主張してジェノサイドする
 ユダヤ人は固陋にその血を守り神の民として遺民とてし残される
 民族と民族の熾烈な妥協なき争闘の歴史
 ゲルマン人の荒々しい血がローマに侵入して滅ぼす
 スラブ民族主義が西のヨ−ロッパに挑む
 東欧諸国の成り立ちはいかにここも遊牧民に由来する
 地球は陸の国より歴史が始まる
 大陸、砂漠、草原が始源となり世界史は形成される
 アラーの神は砂漠の神でキリスト教も同じ
 アブラハムを共通の祖として一神教なり
 日本は極東の島国にしてその歴史よりはずれる
 島国で敵味方塚あり敵をも戦い終われば供養する
 大陸は民族絶滅ジェノサイドになる
 他国に侵略して支配されざりし島国日本
 しかし今グローバル化は進展して孤立はならじ
 鎖国はもう成りたたじ世界大戦に巻き込まれる
 日本民族の存続すら危ういともなる
 世界はまた動乱の時代となり
 日本は深刻にその行く末が問われる


●日本人のアイディンティティは村

戦争の原因という時、日本国内なら村同士の争いである、入会権がありその争いで大名がかかわり戦国時代になったという分析もある
また水争いもあり村同士が争う、日本だったらそうした地域間、村の争そいになる
そして日本で一番怖いのは村八分なのである
そうなると村で暮らしていけないからである、最近地方に田舎に東京から移住する人達が増える、特に退職した人など田舎でのんびり暮したいとなる
でも日本だと人間関係でむずかしいのは村が生活の基本にありそれでうまく適合できないのである、ある人は回りに親戚がいて誰が家に入ってくるかも監視されている
そこに女性が入ってきたらすぐに話題になる
田舎では誰も見ていないようで常時監視状態にある
それで都会から来た人は同じ移住者の住む別荘地帯に住んで楽になったとしている
日本人のアイディンティティは村にある、狭い村にある
それで日本人の姓は必ず村に由来している、これだけ姓が多いのも日本にある村の地域名が姓になっているから多いのである

でも大陸では違っている、一地域名が狭い村の地名が姓になることはないのである
あくまでも血統であり血統集団が一族でまとまる、だからその姓はハウスブルクとあればそれが国の名にまでなる、確かに日本でも平氏源氏は血統としてまとまる集団である
それは地域名ではない、でも多数の姓は村の地名に由来している
そして日本人が理解できないのは大陸の遊牧民なのである、羊を飼い広大な地域を移動する遊牧民のことが身近に接しないから理解できないのである
その人たちは住んでいる土地をアイディンティティとしない、羊を追って草を求めて広大な地帯を移動するからである、するとどうして一体感を持つのかとなると血統だとなる
日本だと村で一体感をもち先祖は山にいて村を見守り春になると田植えの時期に先祖が山からおりてくるという感覚は遊牧民にはないのである
それは広大な地域を移動しているからである、だから別に村八分になってもその村自体もない、ここが嫌なら別な地域に移ればいいとなるだけなのである

●大陸は民族同士が混血する文化も混血する

そして大陸で理解しにくいのは国の成り立ちである、それはその土地もあるか人種が深く関係している、人種と一族である、それは必ずしも土地に所属しているのではない
人種としても民族としても顔だちとかも違っていて区別される、さらに言語も違っていて区別される、だから不思議なのは一体ロシア人とウクライナ人を一見見て区別できるのか普通はできないと見る、それで外国に日本人が行くと必ず中国人に見られるのと似ているまず中国人と韓国人と日本人の区別は顔をみただけでは区別できないからである
でもプーチンの顔はタタール人の血がモンゴルの血が入っている
スラブ民族というが大陸では人種が必ず混血しているのである,ゲルマン人でもスラブ系の民族が住んでいたとかある
ヨ−ロッパの歴史はローマ帝国の継続としての西側とかゲルマン人とかスラブ系の遊牧民の対立がありそれが今日まで継続している,ウクライナでも一時モンゴルが攻め入りモンゴルと混血した、ロシアがタタールの頸(くびき)となったときもそうである
なにかプーチンの顔はモンゴル系統が入っているように見える
モンゴル系統というときアジア系統の血が入っている、つまり人種的には白人系統とアジア系統の混血でありスラブ民族のオリジナルは別にあるとしても広域的にはそうなる
ゼレンスキー大統領がユダヤ人だというきこれもわかりにくい、ロシアとかウクライナのユダヤ人はまた違っている、ユダヤ人の血を受け継いだものとも違う
ユダヤ教を信奉するものがユダヤ人だともなる、だからユダヤ人といってもいろいろあるとなる、人種では人間は分類できないのである

人種としてはゲルマン人とかアングロサクソンは強力な民族でありイギリスとかその延長のアメリカ人がそうでありそれが世界支配をしたとなる、それはゲルマン人と北方人が主流となったものである、ともかく大陸だと多様な人種があり民族がある、何か世界の人種をアフリカの黒人からペルーとかメキシコとか南米から一列に並べてみたら不思議になるそこでは必ず混血民族がいる、つまりAという遺伝子がありBという遺伝子がありその中間に混血してABという遺伝子の結合があるとなる、それがプーチンの顔にある,スラブ人の顔だともなる、大陸では国境は明確に定められない、地続きなのだからそうなる
すると民族間でも交わり混血になる、そして人間は混血すると異種の人種と交わる時
それが刺激となり種が強化されるようである、だから混血すると美人が生まれるとされるつまり大陸では人種でもそうだが混血する、ヨ−ロッパの文明がイスラム文明を取り入れて発展したというのもそうである、文化も混血するのである
ヨ−ロッパの言語も混血していることが明確である

●人種よりも言語の相違が理解できなものとなる

スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。その語源となったスラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」「言葉」を意味するもの[注釈 2]である[要出典]。近隣の(非スラブ人)の人々は、スラブ人によって "nemets" と呼ばれ、これは「ミュート」「話すことができない」という意味である。

人種の前に人間は言語によって区別される、言葉が通じないともう意志疎通もできないからである、そもそもなぜこれほど多様な言語が人間にはあるのか?
それはバベルの塔の崩壊で意志疎通ができなくなった、様々な言葉で話すようになり意志疎通ができなくなったことに由来している
つまり言語が通じないことは意志疎通できなくしたのである
人種の相違より言語の相違が需要だから神は言語によって人間を分断して罰したとなる
ただ言語でも印欧語は大陸の共通言語として認識された、だから何かしら似ているから
言語でも理解されやすい、文法も同じだから構造的にも理解しやすいのである
スラブ語にしてもヨ−ロッパとの共通性があり理解しやすいのかもしれない、なぜヨ−ロッパとかロシア辺りでも英語を話す人が多いのか、それは何か共通した言語の基礎があるからだとなる、ウクライナ人でインタービューされる人がたいがい英語を話しているからだともかく人間を人種で分けるとういことがあるが言語で分けるというのもある
言葉が違うともう人間は意志疎通できないからである
それでギリシャでは言葉を通じない人をバルバロスとしてた野蛮人としたことでもわかる

バルバロスは、「聞きづらい言葉を話す者」または「醜い言語を話す者」の意で、バルカン半島東部(ギリシアの北東)のトラキア地方に住むトラキア人や、ペルシア人のことである。由来としてはギリシア人から異民族の言葉は「バルバルバル」と聞こえたからといわれている

人間は人種だけではない言葉の相違で分けられる、言葉が通じなければ野蛮人ともされるのである、だから言葉は人間にとって人種よりも大事なアイディンティティを形成するものとなる、別に人種が違っても流暢に日本語を話せるとその人は日本人のようにも思えるからである、そこで中国でも多様な民族がいて一つにまとまらない、あれだけの人口と民族をまとめることは至難である、そこで中国では常に民族ごとに分かれて国が形成される

●中国は漢字で意志疎通し文明を作った

 胡(日本語の訓みは「えびす」)とは漢民族から見て北方民族(北方にいる異民族)を主とした異民族のことで、中国史では、匈奴・羯・鮮卑・l・羌の五つの民族を言いう。彼らの多くは騎馬遊牧民であった。厳密に言えばこのうちのl・は北方民族とは言わず、

中国は常に多様な民族が混交して争い統一しては分裂してきた、それで言語も違っているその統一するために漢字が生まれたとなる、まず人間は言葉は音が基本であり文字は後から生まれた、幼児でも母親のしゃべる音から言葉を習得する、でもこの音はその時ネティブとして自然に頭に入るのだが大人になるとそれができなくなる
だから外国語を学ぶとき音より文字から学ぶとなり日本では翻訳文化になったのである
中国でも読み下し文とか文字から漢字から学んだのである
直接中国人とは話すことがないからそうなった、それで日本がヨ−ロッパから学んだ時も翻訳文化になったのである、実際中国人と意志疎通するときは漢字を書く、すると通じやすい、でもその音は聞き取りにくくしゃべることもできないのである
だから大きな国を統一するには共通の言語が欠かせないのである
これは人種の壁より大きいともなるから人種にこだわるのは問題だとなる

大陸の歴史をみれば必ず民族間の抗争がありジェノサイドがある、それだけ多様な民族が大陸には存在したからである、何故ロシアとウクライナが兄弟のような同一民族だとするとき争うのかとなる、言語も共通したものが多いだろう、言語でも文化でも宗教でも人種でも共通しているのである、それでロシアがかえってオリジンの国としてこだわる
つまりウクライナとロシアはもともと同一民族であり一体だとなる
それで欧米側に西側に所属することを許さないとなった
ヨ−ロッパとかはロシアでも言語的にヨ−ロッパと共通性がある、ロシア語はギリシャ語が基になっている、音は別にして文字はギリシャ語が基になっている
宗教でもギリシゃ正教が波及して変形したものだからである

●日本語は孤立語であり島国として閉鎖された国

日本はなぜ大陸の歴史や地理を理解しにくいのか?

それは日本人が極東の島国として一つの孤立していたからである、でも仏教とかは取り入れたのである、その孤立したことでわかるのは日本語の由来が未だにわからない
どことも共通性がない言葉なのである、アジアに探してもそうでありそれで中東に由来を求めたりする、ユダヤ人の言葉と似ているとかシュメール語に由来していとかにもなる
でも依然としてその由来が不明な謎の言葉なのである、そのことが日本が大陸から隔離された孤立した文明だったということの証明なのである、まず大陸だったら鎖国など絶対にできない、陸つづきなのだから常に異民族が侵入して来る

大規模な民族の移動もあるからだ、第一ウクライナで何百万人も移動したということが驚きになるからだ、日本では海に囲まれているからそういうことができないからである
だから日本には人種的なも問題もないし言語が違うということもないから一体感をもてたとなる、でも混血しないから人種的には弱体化したともなる
アメリカとかなると人種差別がある、日本にはない、でもその反面様々な民族が人種が混血することは種が強化されて文化でも新たなものが作り出される

そもそもなぜ戦争になるのか?

その原因は複雑であり多様である、だからなぜ兄弟でもあるとするロシアとウクライナが過酷な戦争になるのか?そのことが理解できない、同じ民族なら言語も共通しているなら争うことがないと思うからだ、ただ西側の関係でそうなったという、それも言える

エゴだけで引き起こされるわけではない。むしろ、危機意識が高く、犠牲的な精神の高い者によって引き起こされる場合の方が多い。戦争の原因は、観念論者が言えような独裁者の夢想や野心と言うより、人民の切実な問題が、隠されている事の方が多いのである。

第三の経済

独裁者の夢想や野心と言うよりというときプーチンの夢想や野心からウクライナ戦争が始まったというのはやはり違っているだろう、そこには複雑な背景がある
でもウクライナでも国を守る犠牲的な精神が発揮されて抵抗した、またロシア側ではロシア人が住んでいる地域はロシアのものだということで戦争になった
そこに国同士のエゴだけではない、ただ犠牲的精神が高い方は士気があるのはウクライナだったともなる,ロシアにはそれがないとされた、ただ両国が和解できない何かがあったとなる、それを知ることは日本という閉鎖された島国ではわかりにくいのである

posted by 老鶯 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月25日

日本の自衛隊員の不足と高齢化 (もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


日本の自衛隊員の不足と高齢化

(もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


驚かされるのは、自衛隊を辞めた後などに予備役として登録する「予備自衛官」の採用年齢(退職時に士長以下)を37歳未満から55歳未満へ、また第一線部隊と同じ任務に就く、同じく予備役の「即応予備自衛官」の採用年齢(同)を32歳未満から50歳未満へと、ともに18歳も一気に引き上げたことだ。

定員割れを解消しようと毎年22億円ものカネを募集経費に充て、47都道府県に募集担当者を配置し、高校を回ってリクルート活動を展開。募集ビデオの電車内放映、新聞広告なども積極的に活用している。

50代でも予備自衛官に…自衛隊、止まらぬ「高齢化」の実態
平均年齢は米陸軍より7歳上
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58170?imp=0

自衛隊の募集原ノ町駅前でしていた、そこで呼び止めたのが中学生だった、体つきが大人に見えたのだろう、人が集まらない、少子高齢化が自衛隊にも影響している
だからそもそも日本で戦争などできるのかという疑問である
それは中国でも一人っ子政策とか高齢化もしてくる
そういう中国でも戦争できるのかとなる、ロシアではまだまだ国民の年齢が若いのであるすると戦争のようなことでも命令すればできるとなりウクライナに侵攻したのかとなる
戦争はやはり若い人ならできるが年齢が上になるとできない、それだけ過酷だからである
日本はほんの一部を除いて戦争できるのかとなると疑問なのである
豊かな暮らしにもなれた人達でありそういう人達が戦争できるのか?
どうも戦前は東北辺りは貧困に苦しむ人達が多かった、それで戦争でも行けば食べることはできるとかなる、つまり貧乏ということは戦争でもましだともなる
それで東北人の部隊が強く関西辺りの大阪とか都市民は弱かったとなるときやはり都市民は贅沢になれ軟弱になっていた、何か戦前の人たちは粗食でも忍耐強いとか軍隊でも通用していたのかもしれない、今の人たちは贅沢を覚えた人達であり過酷な戦争ができるのかローマ帝国でも都市化して贅沢を覚え軟弱化してゲルマン人の侵入で滅びた
ローマ人はもともと農民であり素朴な人達だったが都市化して贅沢を覚え軟弱化したのである

現代文明の贅沢を享受した人たちはアメリカでも中国でも戦争することは厳しくなっているのではないか?ただアメリカは確かに戦争経験している、中国は経験していない
すると意外と台湾有事でもロシアのように弱いことが露呈するかもしれない
ただ今の戦争はミサイルが飛んでくるから体力より技術力だとなる、でも戦争というのはとても40歳以上とかなると体力的にもたない、ウクライナで戦争になったのはやはりロシアが若い人が多い国だからかもしれない、血気盛んだからかもしれない
日本人は戦前のような粗食に耐えて戦争するようになっていない
贅沢になれてとても戦争するような体力も気力もないように見える

ともかくウクライナのような大規模な大きな国と国の戦争は起きないと見ていた
だからロシアの侵攻は意外だった、でもロシアという国がまだ他と違って若い世代が多く野蛮性があり戦争を起こす国だったのかとなる、ウクライナにしてもやはりもともとロシアなのである、ということは共通したものがあり激しい戦争になったのかとなる
ウクライナはわからないにしてもやはり同じロシア人でもあり共通しているのかともなる
なぜ戦争になるのか?

その理由が定かではない、老子の思想だと兵そのものを否定している、いらないとしている

軍隊というものは不吉な道具であり、多くの人がこれを嫌うものだ。だから「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない。人の上に立つ人々は、通常は左の席を上座とするのに軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な道具であるので、人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ。勝利を善い事だとしてはいけない。勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い。

軍隊とかはもともとそういうものである、だから軍隊が社会で軍人が社会の枢要な地位にあるときはその社会はいい社会ではない、平和な社会ではない、軍事力の増強とかばかり語られるのはいい社会ではない、それはアメリカの軍産複合体では武器を作っていて売らねばならない、するとどうしても戦争が必要でありアメリカは戦争をしかけるとなる
ただそういうことはあからさまに語られないからわからなくなる
ウクライナの戦争にしてもアメリカが画策して対立をあおりロシアと戦争になったという人もいる

中国の思想はあれだけ歴史が長いのだから様々な人間の実験の場であり教訓を残している私が一番魅かれるのは老荘思想である、荘子でも身体障害者は戦争があっても兵士にならずにすんだとか言ってそのことを肯定している
こういう考えは普通はない、国のために戦いとか家族のために戦いとか戦争することが
人の勤めだとまでなる、日本でも戦争するために身体検査をされていた

合格し即入営となる可能性の高い者の判定区分を「甲種」というが、甲種合格の目安は身長152センチ以上・身体頑健だった。始まった当初の明治時代では合格率がかなり低く、10人に1人か2人が甲種とされる程度だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

戦争は本当は誰もしたくないものである、人を殺すことになるからしたくない、また自らも死ぬのだからしたくない、それが正常な感覚なのである
それでわざわざ不健康を装い自ら病気にもして兵役をまねがれた人もいたのである
その人達は非国民となっていた、でも今ロシアの戦争でも死にたくないとして若い兵士が自らの体を傷つけて戦いをやめるうにする、命が助かるためにそうしている
ロシアにはロシアの大義名分があっても人間は死にたくないからである
その大義名分にしても良く理由がわからないから何で死ぬのかとなりそうなった

軍隊は不吉な道具である、

勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い

アメリカは常に戦争してきた、軍産複合体があり武器を売るためにもしてきた
ウクライナでもアメリカが仕掛けた戦争だという人もいる、その犠牲になっているのがウクライナ人だという人もいる、ロシアでもそうである

人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ

軍人が尊敬される注目されるたとは良くない、戦時中は軍人が威張っていたというときそうである、そういう社会はいい社会ではない、軍人が目立つ社会は平和な社会ではない
だから北朝鮮はいい社会ではない、また軍事バレードで軍事力をみせびらかすことはいい国家ではない、軍人が尊敬される注目されることはいいことではないのである
その時はまさに戦争がありそのために注目され敬われる、敬わされるともなるからだ
だから何か墓まで今でも軍人の位が記されて上等兵とかなんとか記されている
その時代はそう墓に記すことで国の誇りになっていたのである
それが今になるとそんな軍人の位に何が意味があったのかとなる、誰も注目していなのである

兵者不祥之器

戦争にたづさわる軍人は目立たない、なるべく表に出ない方がいい社会だとなる
最近軍人がウクライナ戦争ででしゃばるのはいいことではないのである
結局日本の自衛隊のような状態がいいのかもしれない、自衛隊は目だってならない存在であり誇示してはいけない存在である、だから若い人はそれを知っているから自衛隊に入りたくないのである、優秀な人でも貧乏だから給料すらもらえるから防衛大学に入るとなるつまり戦争を目的とする自衛隊員になるためではない、むしろ自衛隊は災害派遣で功績があり認められている、この辺の津波震災でも一番働いたのは自衛隊だとして感謝しているからである、それだけ装備があり訓練していたからである

ロシアのウクライナ侵攻で何か軍事力強化になり戦争準備体制のようになっている
それは中国の台湾有事で現実味を帯びている、実際に台湾の国境の島、与那国島でも自衛隊の基地化する、台湾有事に沖縄の島で準備しているのである
こうして中国が攻めてくると準備することはもう戦争状態にすでなっているのかもしれない、それもウクライナでロシアが侵攻したことで容認されるようになっている
これも危険なことではないか?もちろん北朝鮮の脅威もある
何か一発触発の状態のようにもなっている、中国とも北朝鮮とも戦争になる
それは中国がそうしようとしているのだからやむえないという感覚になる

でも過剰に反応することも危険だともみる、ただもう自衛隊でも全面に出て戦いとかなる雰囲気にもなる、日本を守のは日本しかない、アメリカは守らないとしたとき誰が守るのかとなる、だから次のウクライナは日本だと言われるのである
それが危険な方向に向かうことになる、日本に攻めてこないのにもう中国が攻めてくるとして準備することはすでに戦争状態なのではないか?
そしてアメリカは中国とは戦わず台湾でも台湾人最前線で戦わさせられる、そのためにアメリカでは武器を売る、日本でもそうなる、アメリカは最前線では戦わない、後ろからの援助であり自ら血を流すことはしない、だからこそ中国も抑制すべきなのだがしない
要するにウクライナのように日本と中国が正面で戦い犠牲者がでる
アメリカは武器を送るだけだとなるかもしれない、そこで利益を得るのはアメリカだともなる

どうしたら戦争にならずにすむのか?

そのことを互いに模索して犠牲をなくすることにする、それが政治なのだけどできない
いづれにしろ不祥の兵がそうでくなるとき危険になる、本当は戦争するなら米中だけでしてもらいたとなる、日本は高見の見物をするとなればいい、でも必ず日本にはアメリカの基地があるのだから中国にでも北朝鮮でも攻撃される、それもミサイルの射程距離にありうちこまれ、アメリカは避難してアメリカに帰れば安全だとなるのである
ともかく日本はこうして危険な状態にある、別に自衛隊に人など集まらなくてもいいのである、でも軍事力増強を言う時、軍備でも増大してゆくし兵力も増強するとなる
それがいい兆候ではないことは確かなのである

ともかく老子の思想に共感するのは無用の用とか人間はいらないものを作りすぎた、
いらない仕事を作りすぎた、軍隊はない方がいいし医者でも警察でもそれがなければいいものである、つまり病気でも犯罪でもなければそういう職業は必要ないのである
だから天国では病気もないし犯罪もないし戦争もないからそういう職業は必要ないのである、第一武器を作っていて売れなければ困るから戦争してくれとなるのは異常なのであるだから職業は業〈カルマ)になる面があった、食べるためには麻薬でも栽培して売るほかないとかにもなる、そして今物余りになり要らないものでも買ってくれとなる
それで40代くらいの人の考え方は変わった、ニートとかも容認する人とか働くことに積極的な意味を見いだせない人が増えている、それも物を大量に作って売れないもの余りになったからだともなる、老子が言うのはいらいなものが多すぎる、またいらないものが災いをもたらすことである、それで武器を否定するのがわかるが農民が鎌とか鍬とか道具をもつまで否定したのである、それが二千年前だったから驚く、それは現代文明を見越していたということの驚きなのである

posted by 老鶯 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月24日

プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に (日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)


プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に

(日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)



日本でも太平洋戦争で終わりに近づくと兵士不足になった
それで40才くらいの人も相馬市の松川浦から徴兵された、また少年兵でも18歳の人も志願兵として募集された、その人はどうも中国人を殺したようだが口を噤んだ
それは上官の命令でしたらしい、逆らえずした、ただこうした生々しいことは語りにくいおそらく戦争とは必然的にこうした残虐なことが起きる
それは経験しない人しかわからないのである
でも今ウクライナで起きることは日本の敗戦が濃くなり兵士不足になり少年兵でも年配の人でも兵士として募集されて戦わされたとなる

それでその40才の人は子供もちだから戦地で子供のことに同情していたのである
そういう短歌を残していたのである

幼児に罪のなければと携帯のパンかみくだき吾はあたえぬ

短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男) 
一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集

だからロシアは実際は負けている、日本でもアメリカの戦争で武器でも組織力でも士気でも負けていた、上官と下士官はいがみあい団結もしていなかったのである
日本は団結する一億人が火の玉になって一致団結するように見えていても実情はそうではなかった
やはり戦争というのは何か共通したものがある、兵士不足になり補充できない、
また武器の優劣でも勝敗が決められる、ロシア軍の兵器は時代遅れになっていた
ハイテクでも遅れていたのである、それじ情報戦でも遅れをとった
それが日本の戦争でも同じだったのである、アメリカ軍は航空戦で優位にたち兵站でも優れていた、経済力があり物量でも優っていた、そして意外とアメリカ軍は士気も高かった上官と下士官は争うことなち一致団結していた
つまり日本は野郎自大国になっていたのである、漢が鉄器で攻めてきて漢を馬鹿にしていたが銅の武器で戦ったが敗れたのである

それは真珠湾攻撃でそうなったともみる、アメリカはキリストのように右の頬を殴られたら左の頬をだせではない、一回殴られたら千回殴り徹底的に打ちのめすのである
それはイラクの3.11のテロ戦争でもそうである、それがアフガニスタンにも及んだのである
アメリカの問題は戦争で国土が焼野原になることを経験していないのである
遠い位置から他国を攻撃する、徹底的に攻撃してうちのめすのである
だから本当の戦争の悲惨さを国民的レベルで経験していないのである
その点ロシアはドイツのナチスで一千万人以上とか死んだ、まさに国家総動員で戦った歴史がある、だからそれを言うのもわかる

ただなぜロシアが技術的にも遅れていたのか、それはソ連が崩壊した後に欧米の技術などを積極的に入れなかったからかもしれない、ロシアは中国のように経済成長しなかったのである、だから最先端の宇宙技術があったのにその後は停滞して遅れをとった
だからロシアが大きな北朝鮮だというと核兵器だけを自慢する国だったとも見られたのがわかる、戦争でそれがあからさまになったのである、ある意味で意外であり世界でも驚いたとなる、逆にロシアが野郎自大国にもなっていた不思議である
戦争は総力戦だからその国の国力をあかさまに示してしまうということを見た
だから確かに中国は脅威なのだが台湾有事でもどうなるかわからない、圧倒的に軍事力に差があっても実際に戦争になればわからないということである
でもドイツでも日本でも敗戦国なのだから戦争はしたくない、アメリカと中国がやれとなるが巻き込まれるのである

次のウクライナが日本だ!

こういうとき米中対立が激化すれば台湾有事で日本がウクライナにもなるからだ
日本でもドイツでも戦争にはこりごりだとなっている、だからとても日本で戦争する気力があるのかとなるとそういう気分になれない、だからアメリカが戦争しろ最前線で戦いというとき何か矛盾しているのである、アメリカが戦争に勝ったのだから最前線で戦いとなるからだ、勝者になるのはいいとして勝者には責任が生じていたのである
負けた国は従うほかない、でも勝者こそ最前線で戦いとなる
アメリカは自国の人間を犠牲にしてまで戦わないというのも変なのである

そもそも日本を占領しているのは何のためなのか?

中国でも攻めてきたら日本は守らない、撤退する、自国民を犠牲にできないという
ではなぜアメリカ軍の基地があるのか?何のためにあるのか、日本は依然としてアメリカの占領国なのである、日本が戦いというより占領しているアメリカ軍戦いとなる
それが勝者の責任なのである、勝者というのはそれだけの責任が課せられている
勝ったら何をしてもいいとはならないのである

そもそもアメリカは日本と何のために戦ったのか?

真珠湾の恨みを果たすためなのか?これも良くわからないのである、その時中国は敵ではなかった、むしろ日本軍と戦う同盟国ともなっていたのである
戦争はなぜ起きるのか、それも不可解なのである
そしてロシアの恐怖はプーチンの恐怖は一人の狂気の独裁者が核のボタンを握り人類を滅亡させるという不条理である、こんなことがあっていいのかということがウクライナ戦争で現実にあり世界が震撼したのである
この世とは何か明確な理由があって戦争があるのとも違う、人間は何か不条理があり明確に理由があり説明されるわけではない、数学の公式のようにはならないのである
ただ正義を装ったり人道を装ったりするのである,アメリカのしてきたことをみれば人道を言えるのかとなる、中国でもウクライナ戦争で人道から批判しているからこれも勝手だとなる

いづれにしろロシアは意外と弱い国だった、領土は馬鹿でかいにしても国力は弱体化していたのである、だからこのまま戦争をつづけられるのかとなる
背後から応援する国もいないし経済的にも戦争を続けられないともなる
日本でも戦争に負けるとき同じような状態に陥っていたからである
posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月22日

2045年に人口が約半減する市や町 (漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)


2045年に人口が約半減する市や町

(漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)

2045popuration.jpg

ここでは漁業の衰退で人口減少になる町が多いとしている

「上を見て歩かないと瓦が怖い」…5軒に1軒が空き家になった町
愛知県・知多半島の先端に位置する漁業の町、南知多町の師崎(もろざき)地区。

漁業の町の衰退が増加の一途、漁業の衰退がそれだけ深刻ということ

fishmanpower11.jpg



fishproduce.jpg

fishjp11.jpg

2013年に477.4万トンだった水産業生産量は、2017年には430.4万トンで、4年間に9.8%減少した。ピークだった1984年の1282万トンと比べると約3分の1で、国別では世界第1位から第7位に後退した。

漁業従事者は、全体的に50代以上の高齢層が多いと分かります。一般企業だったら定年退職しているケースも多い60代・70代が特に多い傾向です。
https://saiyo-kakaricho.com/wp/laborshortage_fishingindustry/


人口は45年まで約半減になる市や町の原因が一次産業、特に漁業になっていた、後は北海道だと炭鉱が消滅して極端に減った、そもそも鉄道でも石炭を運ぶものとして作られたのである、常磐線でも常磐炭鉱であり福島県では意外とそこで働く人がいた
安達からもいた、安達は紙漉きが50軒ほどあったとかそれが農業の副業になっていた
だから紙漉きというのは農業としてありまた養蚕は地方の主産業だったのである
だから今でも兜作りの屋根の養蚕をした家が残っている
なぜ炭鉱がこれほど多かったのかというとまず石油は地方の生活で使っていない
学校のストーブもコークスという石炭であった、あとは家では炭が燃料だった
私の家が街中にあっても囲炉裏があったのである、炭小屋とかもあった
戦後十年の生活は本当に江戸時代のつづきであった、だから江戸時代がどういうものだったかある程度イメージできる、銭湯が多いのは家に風呂があった家は少ないからである
銭湯は戦後から必ず街にはあったのである
そして電気は使っていない、裸電球一つがあったとかなる、飯台一つしかなくその生活はほとんど同じだったのである
その時かえって豊かだったのは農家だった、なぜなら農家では納豆まで作っていて自給自足していたからである、そして裏山に林があってその木材を燃料に利用したりできたからである、街で暮らすことは私の家だと水すらなく近くの井戸がある家で水をもらっていたのである、農家には必ず井戸があるから水に不自由しなかったのである

とにかく戦後十年の子供時代の生活は江戸時代だった、なぜなら裏に小川が流れていてそこで洗濯していたからである、これも今になると考えられないのである

おじいさんは柴刈りにおばあさんは川で洗濯

これと同じだったのである

昭和の初期 はこのような 木熊 とよばれる 薪棚 が 山間部 にたくさん作られた。山で仕事 して 薪棚を積む 。木熊を組む という表現をうちの父もよく使っていた。 山でおよそ2年分の 燃料を備蓄 していた。家の中で 家族が病気になったり しても 燃料 だけは確保しておくという 昔の人の知恵 がそこにあり、燃料が確保できているという 安心感 が 生活の中に重要だった に違いない。
https://hakutan.net/2017/10/08/%E6%9C%A8%E7%86%8A-%E6%9F%B4%E5%88%88%E3%82%8A/

金を貯えて置くより実際こっちの方が安心だとなる、なぜなら最近紙幣は紙きれになるとか預金封鎖があるとかそんな話しかないからである
すると安心を得るには燃料でも薪でも貯えていたら安心だとなる、つまり自給自足の昔の農家の方が安心だとまでなる、それで都会の金持ちでも田舎で土地をもって野菜でも作って置けとか言うのもわかる、紙幣は紙屑になる恐怖があるからだ
日本の貧困化でそういう不安が現実化しているからである

ともかく昔の生活をふりかえると子供時代でも何か手間がかかり休む暇もないとなる
ほとんど人間の手でしているからそうなる、田植えでも稲刈りでもそうだった
農業でも漁業でも一軒の家でもできないから村全体で共同で仕事をしていたからそこで農民は結束していたとなる
家事でも東京の中産階級ですら二人も女中を雇っていた、私の母は東京で女中していたのである、女中はその頃女性の勤め先として普通にあったのである、後は糸取りであり養蚕がありその糸を取り出す仕事を原町紡績でしていたのである
戦前の仕事となるとかなり限られていた、ただ糸取りでも女性が現金収入になったから必ずしも苦しいともならない、第一現金収入になるものがなかなかなかった時代だからである

人間の生活は生活から見れば意外と共通している、なぜならあのパリのセーヌ川で女性が大勢選択している絵を見た、田舎ならわかるがあの大都会でセーヌ河で洗濯していたのである、だから洗濯というのは一仕事であり家事でも電化されていないからその労力も大変なものだった、何かそれは世界的に同じなのである
インドの街中では不思議だった、やはり炭が積まれていて牛が歩きその糞が干されていたそれは燃料にするためである、でも子どもが白黒のテレビを見ていたとかある
それは十数年前のことである、そういう生活は日本の戦後と似ている、なぜならテレビは戦後十二、三年後に家庭で見るようになったからである
テレビの出現は衝撃的だったのである、それでラオスとかでテレビが欲しくて子供を街に売って売春させていたとか放送された、それだけテレビの価値は高かったのである

石油もない電気もなくても人々は縄文時代から生活できていたのである、もちろん今と比べると余りにも足りないものがあっても一応生活してきたのである
だから電気水道ガスが毎月止められるという時、そもそもそういうものは自給自足だから石油でも水道でもガスがなくても生活は貧乏でもできていたのである
つまりそれで生活できないことはない死ぬことはないのである
それは世界でも共通していた、どこかの国で特別豊かな今のような生活などしていないのである、ただ仕事が養蚕がありそれが輸出品となっていてそれで外貨を稼いでいた
養蚕は農業だから田舎でもできたのである、工業製品を作るのとは違っていたからである養蚕業でもうけた人が銀行も作ったりしたのである

ただ魚というとき鮭とかはかなり食べていた、サンマとかも食べていた、石鰈は地元でとれていたが贅沢品であり大晦日とかに食べるだけだったとなる
だから普通は石鰈は食べていない、それだけ高価なものであり今度は東京の方に売ったとかなっていた
でも漁業が衰退して人口が半減する市や町がある、漁業というのは衰退産業になった
一次産業は農業でも林業でもそうである、魚でも外国から入ってくるし外材にもなり第一次産業は日本では衰退産業になった
こういう事情でこの辺は原発は金になるということで積極的に誘致された
双葉とか大熊辺りは原町市とか相馬市とから離れて働く場所がなく出稼ぎ地帯で地元で生活したいとなり原発が誘致されたのである

それでこの辺で烏崎などは小さな港だけど漁村だけど東北電力の火力発電所が建つ時
多額の補償金が出て呉服店では旅行に招待して高い着物が売れていたのである
そしてヨ−ロッパ旅行をした人がいたのに驚いた
その時飛行機代が馬鹿高い時だったからである、50万とかもする時代があったからだ
だからその時憧れがあったが私は行けないと思っていたのである
その後も今度は原発ができて浜通りでは船主中心に手厚い補償金が出たのである
もう漁業が衰退産業になっているとき漁師はどうなったのか?
実は東電の社員と同じになっていたのである、その収入源は東電の補償金で十分であり原発御殿が建っている周りから羨ましがられていたのである
黄金の襖を東京に注文して作っていたとかその金が大きいからそうなった
原発はこうして金の成る木だった、それもその金が大きいのである
その後も相双リテックなどでは除染で幹部が何十億という金が入って銀座で豪遊していたとかなる,原発マネーで狂ってしまったのがこの辺だったのである

だから全国的にこのyoutubeで紹介された人口が半減する市や町は漁業の衰退が原因だとしている、つまり漁業だけではもう成り立たなくなっていたからだとなる
そして福島県の漁業は浜通りでも宮城県からすると水揚げ高が生産量が十分の一とか少ない零細産業になっていた、石巻の高橋英吉のような人が漁夫像とか彫刻化したのは
やはり戦前であり何かしら江戸時代からつづいていた漁業があり漁師が身近にいて作れたのかとも見る、石巻はそれだけ漁業がここより規模が大きいものだったからである
あの漁師像は機械化した漁業とも違う、本当に海にじかに向かう人間のたくましさを表現したものだからである、遠洋漁業とも違うからである
ともかくこの辺の漁業はそもそも零細であり全体でもとるにたらないものになっていた
それは農業でもそうである、全体の生産高からする十分の一にも満たないものだったのである、それは農業ですらそうなのだから漁業になるとそれより十分の一も少ないとなる
ということで実際は原発が作られたとき漁民は東電の社員になっていたのである
十分補償金で生活に困らないからである、それが矛盾だったのである
ただ高橋英吉が彫刻化した漁師像はすでになくなっていた、でも本来の漁師はかくあるべきだということを示していたのである

ただ現実を見れば漁業では生活できないとなっていた、そうであっても漁業でも農業でも江戸時代から生活があり生業となって継続されてきたことも確かである
だからもう生活できないとしていることも疑問になるのである
つまり人間は電気でもガスもなくても生活できていたのである
でも松川浦でもそこは漁船が多いにしても風景は火力発電所と最近はガスタンクがあり
松川浦からガスを東北地方に回す基地ともなっている、そっちの方の産業が主体になっている、エネルギー産業が主体になっているのである
問題は一次産業というのは農業でも土と深く関係しているし林業でも漁業でも放射性物質の汚染が致命的な損害になった、放射性物質は空気まで汚したのだから住めなくもなった第一次産業は衰退産業となった、前から農業でも金にならないとなり跡継ぎもいなとかなっていた、それで農業していた農家の子供は農業なんかやるなと父親に殴られたという
その子供は原発とか建築現場で働いたとなる、そして原発事故になったのである

日本では沿岸漁業から遠洋漁業になっていた、戦前でも高橋英吉は遠洋漁業の船に乗っていたのである、でも遠洋漁業すら日本では衰退していた、そういう時代に追い打ちをかけるように津波が襲ったのである、そこで壊滅的被害が原発によってもたらされたとなる
でももともと漁業は衰退産業であり福島県とかなればその生産量は宮城県の十分の一にしかなっていないから経済的損失としてはそれほどでもなかったのかとなる
ただ農業となると土が汚染されたから被害が大きく長引いた、でも十年過ぎて回復はしてきたとなる
漁業だと養殖に活路を見出すとか模索はつづけられている、そしてなぜ大卒で遠洋漁船員になるのかとなるとやはり人手不足であり待遇も良くして若い人を呼び込むためだともなる、それは奨学金の借金があるらあえて苦しくても金になるからと申し込んだともみる

ともかく日本は海の幸山の幸の国である、漁労民族でもあった、でもそれが消失した
漁師とか山で暮らすにしても林業とかが衰退したのである
だから日本の風土から培われた文化でも消失する、祭りも消失する、もう受け継ぐ人もいなくなる、後継ぎがいなくなる、漁師でも50歳以上の人が多いとか跡継ぎもないということが深刻なのである、それで人口が2040年には半減するとなる
でも戦前のように細々とでも生活は継続される、消滅することはないだろう
江戸時代から一応生活はできていたから継続はされるだろう、でも消滅する市町村もでてくる、炭鉱で栄えた町は消滅するのはそれだけ炭鉱が産業として大きいものだったからである、それは原発とも似ている、原発事故でこの辺では町や村が消滅する危機にもなったただ相馬市とか南相馬市はそれなりの経済規模があるから継続するが避難区域になった所は継続することが困難になる

それにしても人口が半減する市町村が増えると日本はどうなるのか?

空家が一千万軒とか少子高齢化とかさまざまなことで衝撃が大きい、経済規模が縮小することは恐怖にもなる、その影響は大きなものとなる、国自体の衰退にもなる
その時何が起るのか?それは未知である、歴史を見れば飢饉で相馬藩で三分の一とか人口が減ったとかあったが越中からの移民とかで穴埋めできた
でもこれが日本全国規模で起きるのでスケールがまるで違う、日本が衰退するというより空家化して空洞化してゆく恐怖である、国力も弱体化してゆくと防衛の問題もある
でも十年先に二〇年先に現実化する、ただ老人は今度は死んでゆく
それで無責任になるがどうでもいいとかなってしまうのである
死んだ後のことまで考えられないとなるのである



posted by 老鶯 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

遠洋漁業と沿岸漁業 (グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)


遠洋漁業と沿岸漁業

(グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)

●遠洋漁業とグロ−バル経済は似ている

この遠洋漁業が不自然を感じたのはグロ−バル経済と似ていたからなのか?
マグロを獲るために世界の海でとるということは資源を沿岸だけではない遠くに求める
それはグロ−バル化経済でもそうだからである
国境を越えて大企業が利益だけをみて世界に進出する
だから世界の海でも魚の資源も世界で獲り合うとなると魚でもサンマでもとれなくなる
魚資源の争奪戦が世界で行う、だから沿岸業業だけだったら土着的になるが
遠洋漁業だとその日々生きてる暮らしから離れる
第一一年間も船上で暮らすことは非人間的なのである、だからそこでは精神的にも荒廃する、家族もいない土地とのつながりもない、土着的ではない
沿岸漁業だったら土着的であり人間的なのである
でもマグロを獲るにしても沿岸漁業だと限界がある、だから遠洋漁業になった
でもそこに非人間的なものが生まれた

そしてその土地とのつながりもなくなる、山と海の暮らしは結びついていた
鯨をとったとしてもその一部を山に住んている人と分けて食べた
それが祭りともなる、陸でつながった村同士が神が与えた魚の恵みを分かち合うとういことである、でもグロ−バル経済になると利益中心主義でありこうした伝統的民俗学的な風習は無視される、そんな民俗的な風習などをとでもいいとかなったのが科学技術主義優先の社会である、でもそれが何か人間だけではこの大自然に対処できないものがありそうした風習も生れた、それが時代遅れとか一概に言えないものがある
とにかく人間は大自然を畏れた、その畏れがあり神に乞うという許しを得るという祭りが行われた、でも科学技術社会になるとそういうものが前近代的なもの非合理なものとして排斥されるようになった

でも科学技術でも万能ではない、未知なものが依然として多い、もちろん科学技術を無視しろとかではない、効用がないとかではない、ただ人間には限界があり万能の神のようになれない、それで自然であれ神であれ畏れを持つことは正しい態度である
現実に万能の神は存在する、人間を作った生物を地球を宇宙を想像した神は存在する
もちろんその神をまともに見ることはない、もしまともに見たら死んでしまうとなる
その神は決して見ることはできない、でも永遠の命を与える神は確かに存在する
神は無から有を創造できるのである、人間は無から何も創造できない、生命を新しく創造することはできない、ただ神の創ったものをあれやこれろと分析して神の創られた声明を基にして多少変化させることはできる、でも根本的に生命を新しく創りだすことはできない

それはどういうことかというと例えこの地球が滅びたとしても宇宙すら滅びたとしても再創造できるしまた新しい生命体を創造できる、つまり新しい天と地を創造できるのであるだから例え地球が滅びてもまた新しい生命体は創造できるのである
人間はどんなに科学技術が発達したとしても新しい生命体を作ることは不可能なのである科学技術でもそれは戦争のために使われる、ウクライナ戦争を見ればわかるまるで兵器のショーのようになっている、現実の戦争で殺し合いで兵器の優劣を競い今度はその兵器を売り込むとなる、ロシア兵器は現実の戦争の場で役にたたないと見られた、
結果としてロシアの兵器はこれから売れないとなもなったのである

●土着的なことがアイディンティティの基礎

民俗学的なものとか郷土史とか伝説とかはあまりに重要視さされなかった
原発だったら科学技術の塊りであり文系的なものは除外されていた
でも本当に科学技術集団が起こしたのが原発事故だったのである
それは原発が神への畏れを自然への恐れもなくて作られたものだからであった
そもそも核を破壊して強力な爆発を起こさせるとういこと自体が不遜なことであり
それは神を畏れないものとして危険だとも科学者が言っていた、何か科学には危険なものがつきまとっていたのである、それで中世になると魔法使いのように胡散臭いものとして見られていたのである、科学技術には危険なものがあったからである
何か神の領域にずかずか入ってくる危険性があった、遺伝子組み換えとかでも危険がある勝手にそういうものを人間の手で操作していいものかとなるからだ

とにかく遠洋漁業というのは何か土着的なものではなくなり土地からも遊離したものとなる、そこではただ魚をとるためにだけあり沿岸漁業のように人間の暮らしがあると見えない、沿岸漁業だと陸地とも一体化して離れずにあった、家族全員での生活の場として港もあったとなる
だから私が漁師として讃歌した詩は土着的漁師の姿である、それは海に面しているが陸地とも深くつながり家族ともつながっている人間なのである
遠洋漁業だとその土地土地から遊離したものとなる、だから船上で男だけで一年間も暮らす場は異常化するのである、異常な空間となるのである
なぜなら家族の元にも一年間も帰らないからである、そういう生活は荒れたものとなる
いくら金が他により高くなっても精神的には荒廃するともなる
それは何かグロ−バル経済と似ているのである、グロ−バル経済でもその土地土地から遊離して世界を市場として利益だけを目的に会社は機能するからである
だからアメリカの大企業でも突然森林でも木材をとるために売るために伐採してそこに住んでいたオランウータンの棲む森を奪ってすめなくしたということがある
それは日本の企業でもしているのである
要するにグロ−バル大企業は利益しかみない、そこに生態系がありそれに基づいて生活していたものを根こそぎ奪って利益しか考えない、それが世界を荒廃させたのである

●グロ−バル化は覇権争いであり通貨でも支配のためにある

そしてグロ−バル経済の労働は非人間化する、一年間も船に閉じ込められて労働するのは普通ではないからだ、そういうことをさせるのがグロ−バル化した経済のためである
他にも巨大企業が後進国の人達を安い給料で雇いそれで利益を出す搾取がある
グロ−バル経済とは結局公平なものではない、すべて覇権国が搾取する仕組みだともなるそもそもそれはアメリカだけではない今度は中国が覇権国になれば中国の元が紙幣がドルの代わりになるというときもそうである、つまり通貨でもその時々の覇権国が支配するためのものなのである
ローマ帝国時代はローマの通貨が通用しているしイギリスが覇権国の時はボンドが世界の基軸通貨となりエジプトではボンドなのである、中国でも宋の時代には宋の通貨が日本まで流通したとなる

宋銭は、金や西夏、日本、東南アジア諸国でも使用され、遠くは、ペルシアやアフリカ方面にもおよび、ほぼ全アジアで流通したため、当時の経済状況に多大な影響をおよぼした。これは当時の中国王朝の政治力を物語る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%8A%AD

アフリカまでも宋銭が流通したことはまさに今中国が一帯一路でしていることと同じである、歴史の繰り返しなのである、結局こうして世界が中国が覇権国になれば支配されて中国の通貨がドルに代わる基軸通貨となるのである
ここでも今度は中国にアフリカが搾取されているとか反発されるのである
グロ−バル経済はすべていいものとはならない、覇権国が世界を搾取する構造ともなる
グロ−バル経済はそもそも非人間的なものになる、人間的感覚を越えたものであり道徳無き経済ともなっている、その規模が余りにも大きいから世界的に搾取されているとしてもわからない、結果的にわからないから陰謀論になるのである
これだけ大きくなると人間的感覚でもう知ることもできないからである
だから資本主義でも株式でもそこで何か行われているのか見えないし知ることも不可能なのである、それで実際は一部の特権者が株を操作して暴利を得ているとされる
それはそんな巨大なスケールの経済を知ることもできないからである

いづれにしろ現代の経済はグロ−バル化して土着的なものから離れてしまった
それが非人間的なものとなり人間的なものを無視する、だからそこではただ魚をどれだけ大量にとるかと利益中心主義になる、魚でも農産物でも何か生き物を扱うからそこに自然の畏敬のようなものを失った、祭りも失った、ただがつがつと魚を多くとりもうければいいとかしかない、それはわかるにしても今度は原発のために東電に漁業権を売るとかになる、本来の漁師の仕事は金にならないからとなりそうなった
そうして土着的なものは無視されただ利益追求だけになったのが現代の経済なのである
そこに必ず世界的搾取がありそれは巨大なグロ−バル経済の中で見えない、そこで常に陰謀論になる世界である
道徳無き経済というときもう人間的範囲のヒューマンなものからかけ離れた経済だから当然そうなるのである
要するに物と心が分離する世界である、そもそもマグロにしても物があってもこのようにそのマグロが食卓に提供されるのか、そんなことはもうわからない、つまり他の商品でもどうして作られて提供されているのかわからない、ただ値段を見るだけだとなっているからだ

●物と心の分離した道徳無き経済がグロ−バル化の問題

例えば物と心が一体化しているというとき提供される物に心がついているとかなる
家族で母親が出す料理には母親の愛情がこもっているとかなる
物は単なる物ではない、商品は単なる商品ではない、人間の心がこもったものとして提供される、それが物と心が分離してしまうのが世界市場化したグロ−バル化だともなる
狭い範囲だったらそうはならないと思うからである、誰が作ったとかまで村とかの範囲だったらわかるからである、そしてその物を作る人を見て知っているともなるからだ
世界経済になったらそういうことは全く見えない世界である

それで働く(「傍(はた)」という字は、「そば」とか「かたわら」という読み方もあります。「いつもあなたの傍(そば)にいるよ」とか、「傍(かたわ)らであなたを支えます!」を楽にする)から来ている、いつも苦労して働いている人を見ているから楽にしてやりたいということで働くという言葉が生まれたことでもわかる

つまり働く人を身近にみていてこういう言葉が生まれた、今や世界の果てからでも物が入ってくる、でもそこで働いている人など全く見えないのである
マグロ獲るにしても遠洋漁業となると見えないのである、だから傍を楽にするなどということはありえないのである、そこでどなんに過酷な働き方をしていようが見えないからである、でも沿岸漁業だと一応働く人は家族とも一体となっていて見えるのである
それで漁師は彫刻になったり自分の詩にもなる、それはやはり土着的なものになっているから身近に見えるから心が働くのである、世界の裏側の人はいくら働いていても全く見えないのである,グロ−バル経済になるとそういうことが普通になるからいくら物が入ってきてもそこに心がこめられないのである、心と物が分離して物だけが入ってくる世界なのである、そもそも心とはココから来ている、こことは狭い場所なのである

ここを離れたら心はなくなるとなる、つまり人間の心はそこに住んでいる場所と一体化する、ここを離れると心も離れてしまうのである
だから国というとき実際は相当に狭い世界だったのである、小国とか日本に多い地名がそれを物語っている、狭い所が国となる小国となりその小世界が国となっていたとなる
そういう狭い場所で心と土地とがアイディンティティ化して一体化したとなる
グロ−バル経済となるとその物と心が分離したものとなる
だから世界的経済となっても国と国は対立して戦争になる
グロ−バル化した経済でも別に心が通じあうことはない、むしろ対立して戦争にもなるしなっている、物が世界の果てから入ってきても別に心が通じ合うこともないのである
それで第一次世界大戦があり第二次世界大戦があり莫大な人が死んだのである
対立がグロ−バル化でさらに激化してそうなった、互いに理解しえないからそうなったのである

●万葉集は心と物が土地とも一体化して歌われている

万葉集の世界はそうした世界とは違っている、心と物が一体化した世界である

君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ(1839)

我(あ)がためと織女(たなばたつめ)のそのやどに織る白たへは織りてけむかも

君に逢はず久しき時ゆ織る服(はた)の白たへ衣(ころも)垢(あか)つくまでに

我がためとか君がためにとかのために働きまた服を織っている、つまりそこに心がこめられているのである、それはあくまでも特定の人のためであり不特定多数のものではない
現代は不特定多数の人のために働いている、それもグロ−バル化すれば世界の人のためにともなる、でも逢ったこともない人のために働くということは心が通わないのである
万葉集だと必ずこのように心がじかに通う世界が歌われている
また枕詞がありそれはその土地と深く結びついている、だから人間的になる
それが現代の感覚とは違っている、心と物は一体なのである

●グロ−バリゼーションでかえって世界の対立が激化した

要するに道徳無き経済であり心が通じない経済であり経済の意味の経世済民もない経済である、ただ巨大企業が世界を搾取する経済だともなる、その富は覇権国にそれもまた一部の人達に巻き上げられるとかなる、ただそれは見えないから陰謀論になるのである
そしてウクライナ戦争でもわかるようにあれは武器を売りつけるための軍産複合体がしかけたのかともみる、なぜなら武器の優劣を現実の戦争の場でみせつける
するとロシア制の武器は劣っているから買わないとなるからだ、武器の優劣が明確になったからである、そのために多大な人間が犠牲になっているのである
グロ−バル化すれば世界的対立が激化して最終的にハルマゲドンとなり人類滅亡にもなる平和が来るわけでもないのである、ただ世界がグロ−バル経済で豊かになればいいが
戦争にもなるのがグロ−バル化なのである,グロ−バル化を推し進めると最終的に覇権争いで世界大戦となり人類滅亡となる

世界平和にしても武器を捨てない限り平和はない、核兵器を捨てないかぎり平和はない
それがいつか必ず使われるからだ、だから本当にロシアのプーチンが核を使うと脅したことでもわかる、核を持てば大国になれともなり北朝鮮は核兵器を持つためになりふりかまわないとなる、そしてアメリカは戦争国家であり武器を作り売る国家でもある
アメリカはまた国土が戦場になり焼野原になったことがないのである
ロシアでも第二次世界大戦で一千万以上死んだとかありドイツでも日本でも焼野原にされた、そういう経験がない国がアメリカなのである、だから戦争の本当の悲惨さを実感できないのである、だからどうしても人道がどうだとかなんとか正義とか言うのはなぜ言えるのかとなる、もちろんロシアの弁護するわけでもない、ロシアには非がある、でもアメリカのしてきたことを見れば人道がアメリカにあるとは言えないし正義でもないのである

なぜ中国とか韓国北朝鮮とか日本と対立するのか?
それもグロ−バル化の結果だった、なぜなら江戸時代なら中国であれ韓国でも友好的だったからである、それが日本の侵略のせいだともされるがそれは欧米の侵略が先でそうなったのである、なぜアメリカと日本が戦争する理由があったのか、アジアに侵略したのまずヨ−ロッパであり次にアメリカだったとなる
結局人間がグロ−バルに交わることはまたグロ−バルに対立することだったのである
グロ−バリゼーションは平和をもたらすわけではなかった、覇権国が世界の富を収奪するシステムでもあったとなる、だからこそその覇権をめぐって戦争になる
ウクライナ戦争でもそういう側面があり人道的に問題だけではかたづけられない複雑なものがある,アメリカとロシアの覇権争いにも起因して起きているからだ



豊穣の海と漁師

朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな

http://musubu.sblo.jp/article/189548693.html

石巻の高橋英吉の漁師像は土着的なものだろう、でも高橋英吉は遠洋漁業に実際に船に乗って行っている、そこで漁師の姿に接して彫刻にした
でもその像は海に面して沿岸漁業に従事していた漁師を手本にしたのだろう
沿岸漁業と遠洋漁業は違っている、沿岸漁業は土着的になるからだ

fisherman222.jpgfisherman1.jpg


無駄な贅肉がない肉体美なのである

神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海 
(津波は神の祟りなのかー海への祭りが消失していた)

posted by 老鶯 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月21日

マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も (時代で変わる就職事情)


マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も

(時代で変わる就職事情)



それは、普段私たちが何気なく食べているツナ缶の背景で行われているのです。
主人公は、ミャンマー、インドネシア、タイ、ベトナム、台湾などの海が近い国々で、仕事を探している普通の若者たちです。
良い条件で稼げる仕事があると話を持ちかけられた若者たちは、生計を立てるために愛しい家族をあとに残して船に乗り込んでゆきます。
そこで待っていたのは、食事も十分に与えられず、睡眠時間も少なく長時間こき使われる奴隷のような日々。
支払われる給料は契約よりもはるかに安く、タダ同然のこともあります。

防寒着もなく魚を保存するための冷凍庫で長時間作業したために、凍傷になってしまう人も少なくありません。

目を背けてはいけない、太平洋マグロ漁船で働く人々のありえない話。


船内では、借金などで生活が困窮してマグロ漁船で働かざるを得なくなったアウトロー系の人達や、ろくに日本語を話せない外国人の人達が多い傾向にあるので、人間関係で辛い思いをすることが非常に多くなる

マグロ漁の航海中の、「はるか沖合のうえで、四方を見渡してもどこにも陸が見えない」という状況は、
恐くなったり嫌になっても決して陸へ逃げ出せないので、独特の強い圧迫感と恐怖感をひんぱんに覚えることになる

1年間は国へ帰れない、遠洋マグロ漁の4つの超ブラック要素



どうして大卒でマグロ漁船員を志したのか?
生きがいを見出したいとかあるが奨学金返済のためだとか理由はある
でもそもそも大卒だったらそんな過酷な仕事につくのか?
これも仕事の環境が改善されたとか現代の事情がある
それにしても一年間も船の上で暮らすとなると相当に過酷なことが予想される
でもあえて挑戦するというのはやはり借金のためなのか?
ただ世界を回りたいという憧れが青年にはある、そしてなかなか魅力的な仕事につけないとか文系Fランだといい仕事につけないということもある
テレビの放送で船乗りがギリシャによってそこの料理を覚えたとういことを知った
やはり世界を回るからそういうこともあり船乗りの仕事は他とは違っている
そういうことに憧れるとしても現実は厳しい

おそらく今の時代の事情もある、団塊の世代だと三流大学でも一応就職できていたようである、高度成長時代だから人手不足の時代であり吸収されたのである
今は大学には入るのが50パーセントとかなる大学出てふさわしい仕事に就けない
そもそも文系の大学は価値がない、廃止しろというのもわかる
大学は遊びの場であり遊びを覚える場だったともなるからである
だから奨学金の借金を返すためにそうなったのか事情はわからない
一流大学の人もいるがそれも良く事情がわからない、実際は文系のFランなどで就職先がなくてそうなったのか?
どんな仕事か一応調べれば過酷なことがわかるからどうしても理解できいところがある

ただ漁師というとき沿岸漁師なら松川浦の人の話を聞いた、その人は小柄なのである
こんな人が漁師できるのかと疑った、でも身が軽いから船に乗っても適応できたとしている、確かに船が揺れるのだから身が軽くないと危険にもなる
ただ一般的に漁師とか建築関係だと体が丈夫でないとできない
知っている大工さんは体がまるで柔道の有段者のようにがっちりしているし体自体が違っているのでうらやましいとなる、それは全く生まれつきのものである
確かにそういう仕事をしていればそういう体付きになるにしてもその人の素質が大きい
だからブルカラーとか肉体労働となるとみんなが適応できるわけではない
それで自分自身の失敗はそういうことがわからないから勉強もしなかった
勉強嫌いになっていたのが失敗だった、なぜなら自分自身は体力がないからである
それに気づいていたら勉強していたとなる
つまり自分自身のことがわからないでどうしたらいいかわからないから後で苦労することになる

結果的には自分の場合、底辺労働者になった、肉体労働とか流れ作業の仕事とかしかなかった、でもマグロ漁船員は相当に過酷なことをしりえる、ちょっと調べれば簡単になれるものとは思えない、奴隷のようにされている外国人もいた
借金でそういう仕事につかざるええないとなった
そして一年間も船の上で男だけで生活していたらどういう感じになるのか?
それも理解できない、ただマグロ漁で冷凍室で働かせられて凍傷になったことはわかる
この冷凍庫の中がマイナス20度くらいになる、だからこういう所で働くと凍傷にもなり確実に体を壊すことになる、自分も経験しているからだ、ここが一番過酷だったし建築現場でも死に目にあった、こういうことを知っていればもっと勉強して事務とかでも楽な仕事につけば良かったとなる、ただ私は幸いに引きこもりになっても親に恵まれてそういう仕事を続ける必要がなかったので特別親には感謝しているし今でも供養している

ともかく時代によって就職事情も変わる、どこに就職したら迷うだろう、今になると銀行は地方ではエリートだったが今では違う、証券会社の子会社のようになっている
もう銀行は地方でも用のないものともなってしまった、だからつぶれともされる
それで銀行員をやめて農業をやるようになったという人も出でいる
それは架空のような金のやりとりとか仕事の充実感を得られないとしてそうなった
だから必ずしもマグロ漁船員になることが悪いとも言えない、悪い仕事とも言えない
仕事としての充実感はむしろあるとなる、でもそれも経験すれば過酷だとなる
まず相当な体力が必要だからみんなやれると思えないのである

とにかく文系の大学は就職に困る、なんらスキルを身につけていない、弁護士とか一部は別にしてもそうである、もし医学部とかなると即医者になるのだから安定した就職先は確定している、文系というのはそういうことはなくただ遊びの場であり期間だったとなる
英語でもぺらぺらになるようだといいのだがそれもない、英語を喋れれば外国人でも話せたり意志疎通できれば仕事になりえる、ドイツ人の技師を東北電力に案内していた人を駅で見たからである
それがないとしたら何か実社会で役立つことをあまり教えられないのである、そして今やFランとかなればマグロ漁船員になるというのも理解できる、でもそれでも過酷だとなる
社会の仕事が現代では親の仕事すら会社員だと何をしているかもわからないだろう
農業とか漁師とか大工とかでも身近で見ているからわかりやすいのである
だから親の跡を継ぐということが自然にできる、でも金にならないとかで継ぐのが嫌だとなったのである

遠洋漁業となるとやはり沿岸漁業とは違って厳しい、なぜなら沿岸漁業なら家がありそこに帰れば家族が待っているからである、そしてに三日過ぎた魚を食べていないとか言っていた、とれたての新鮮な魚しか食べない、それが漁師の贅沢なのである
だから漁師がすべて辛いとかもならない、機械化もしているしそれほど力仕事をしないかもしれない、でも遠洋漁業はまた別なのである
それにしても今はいくらでも贅沢して魚を食べているにしてもその魚をとっている人がどういう苦労しているかなどわからない、それはあらゆるものがそうである
ただ値段を見てるだけなのである、だからそんなに苦労してとったものでもそのとった人のことなど考えないのである、それで命がけのみうにして獲って来た魚を食べる時別に
獲った人の苦労なとわからないし感謝などもしないのである
苦労して獲ってきた魚をありがとうなど言わないのである

仕事にしても現代の事情が反映される、正直文系の大学は価値がない、すると就職先もいいところはない、すると遠洋マグロ漁船員でもいいように見えてしまうのかもしれない、でもそういうことを調べればわかるはずだからどうしても理解でとないともなる
ただもう銀行員でも農業するとかする時代だから就職事情も変わる、まず文系の大学は価値はない、その数も多い、となるとどこに就職するのかとなる
体力に自信があればそういう仕事でもいいとなる、給料だって安くなっているから高いとなればやる人もででくるのだろうとなる
ただ正直仕事はやってみないと理解できない、なぜマイナス20度の冷凍室で働いたのか仕事がわからないのとしょうがないのでそんな所に自分は行ったとなる
現実に働いて見てもう続けられないともなるだろう
その過酷さを身をもって知ればそうなるのである、ただ何かいいように見えてしまっているのかもしれない、給料も高いからとかなっているからかもしれない、それだけ日本が貧困化しているからそういう仕事でもいいように見えてしまうという事情があるのかもしれない、就職にも時代の影響がありそうなったとのかとも見る

ただ遠洋漁業と沿岸漁業はかなり違っている、沿岸漁業は土着的である、生活する根城を土地にもっていて畑で野菜作りしいたりもする、半農半漁もある、だから土地と密着している、だからこそ原発事故で海が汚染されたとき問題になったのである
遠洋漁業なら世界の海でとるのだから一つの場に固定されないからいいいのである
でもそうなると土着的仕事ではなくなる、それはグロ−バル化した仕事ととも似ている、そんな遠洋漁業など江戸時代とかにはなかったからである、結局江戸時代から明治から戦前までは土着的仕事が大半だったろう
その土地土地に密着して生活していたのである魚でも沿岸でとれるものしか食べていない、それで不思議なのは江戸っ子がカツオを食べていてもマグロはとれていても捨てていたというのも信じられないとなる

だから時代によってこうして価値あるものでも価値ないとされていたのである
仕事でも時代が変わると価値がなくなり新たな仕事が生まれて価値が生まれる、こうして仕事でも時代で変わり一定しないのである、それで大卒でもマグロ漁船員にもなるということはありうる、農業も見直されて大卒でもするようにもなる
農業は畜産でももともと大卒でも親の跡を継いでいた
桜井市長とか飯館村の菅野村長とか大学の畜産科を出ているから地方だきと依然として農業社会とも見れるからそういうことがありうる、でも地方でも農業とか漁業とか林業は衰退したのである、だからこそ原発が建てられたのである
そしてどういう職業につくかは時代によって変わる、この辺では原発で働く人が多かったのである
なにしろ他に三倍くらい給料が高かったからである、でもそれも原発事故で終わりになったのである

posted by 老鶯 at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月02日

知床観光船の事故と原発事故の共通性 (仕事が土着的なものから離れた現代の危険)


知床観光船の事故と原発事故の共通性

(仕事が土着的なものから離れた現代の危険)

●知床観光船事故と原発事故の共通性

知床観光船の事故と原発事故に多くの共通性があった

●地形とか海流とか天候とかが深く関係していた

●経営者や船長が外部のものだった

●安全管理を国土交通省でも怠った

●地元の人達とのコミニュケーションの不足があった

今回の知床観光船事故は原発事故を追求して多くの共通したものがあったことに気づいた事故になった原因が一致するものが多かった

地形とか海流とか天候とかが深く関係していた

知床の海流とか地形でも複雑でありそこは危険な場所だった、海流でもそれは地元の漁師でしかわからないものがあった
そして意外と風が関係していた、北西の風だと直接船にふきつけるから波も高くなるから危険だと言っていた、でも知床半島でさえぎる風だと船体に直接吹きつけないから安全だという説明が地元の人からあった
この風向きはなかなか地元の人でないとわからない、風の方向はわかりにくいからだ
でも地元の漁師だったらもうそこで生業として仕事しているから直感的にわかるのであるたいがい生業として農業でも第一次産業にかかわる人は密接にその土地の風土と結びついて暮らしている、それは科学知識というより日々の仕事なのかで自ずと身に着く知識であり知恵である、自ずと土着的になる
その土地にrootrdnessでありconstantに接する土着して仕事をしているからである
その土地と人間は不可分に密接に結びついているからである
それでこの辺では東風が3月頃から海から吹いてくるのである、不運だったのはその東風が吹いた時、原発の爆発がありその風によって放射能の塊り飯館村から福島市の方に流れたのである
でもすぐ近くの浪江の請戸だと放射性物質は海に流れたからあんなに近くても0.5マイクロシーベルトだったのである

●地元の人達とのコミニュケーション不足

そしてなぜ爆発した時、山の奥の津島に町民を浪江町長が逃げさせたのか?
それは放射性物質がどういうものが知らなかったからである
でも東電の社員の一人は知っていて山の方に向かって逃げていたが海に近い街の方に戻った方がいいとして街の方に引き返したのである
つまり東電の人は専門家だから知っていた、でもそこに原発があるのに東電では地元の人達との深いコミニュケーションがなかったのである
それはなぜかとなれば政府と東電指導で地元の人たちは自治体ではその町長より上に立つものであり命令に従う方だったからである
それは県でもそうである、政府から命令を県で受けて各自治体に命令を下す、それに逆らうことはできなかったのである

肝心のそこに住んでいる自治体の公務員とか住民との十分なコミニュケーションがなかったのである
それより政府と東電が大きな権力をもち「安全神話」を作って危険を知らせないようにしたのである
その管理も実際は政府でも幹部でもなおざりにしていた、なぜなら原発とかは一般人にはわかりにくいから御用学者でも雇いいくらでもごまかせたからである
そして政府でも危険があるのにそれを教えないし管理もずさんだったのである
そこで働く電気関係者が千人いたとか言われるが何か配管とかに問題があっても指摘してもとりあげない、それよりそれを言うと地元の電気関係者でも仕事がもらえないとなって言えなかったのである、何しろ政府でも東電も一体となった巨大な権力を持つものとなっていたからである
今回も前にも事故三回も起こしていたが国土交通省でそのままであり対処しなかった
政府は安全対策で常に問われる、ただなぜこの会社に警告しなかったのかわからない

そして東電には司法関係者から警察官僚から海上自衛隊から天下りしていた官僚が相当数いた、その人達は多額の金をもらっても事故の責任を何にもとらないのである
東電でも政府でも何か事故の責任をとった人は今回はいないのである
これに反発する人もいないというのもわからないのである
地元の人たちももっと何か追求して批判するべきだがしていない、それは結局地元の人たちもその利権にあづかり補償金をもらっていたからしないともなる
地元の報道関係も追求しないんのはやはり宣伝費として金をもらっていたからである
政経東北でも相双リテックから宣伝費をもらって表紙でも宣伝していたのは何なのだろうと思った、結局福島県の報道機関はその危険性を追求していない、第一電事連から800億円の金が報道機関にマスコミ支払われていたというのだから驚く
つまり庶民の想像を絶した金が動いていたのである
それは事故後に判明したのである
そして官僚の安全管理も名ばかりであり「不安院」だとして揶揄されて批判された
安全について何もしなかったとなる
ただ金だけをはもらっていたのである、実質は何の安全管理などしていなかったのである
地元の人達とのコミニュケーションの不足があった

原発は地元の人たちとコミニュケーションなどしない、政府の権力東電によって一方的におしつけられたのである、ただその見返りとして金を湯水のようにばらまいたので地元の人も許可したとなる、だから地元の人も金ばかり求めていたことで責任はある
それで事故後もあまり政府でも東電でも批判できないということはあった

●科学技術と土着性

こうしたことも知床観光船でも起きていたのである
土着性とかなると何か古いとなる、そんなものを現代に持ち出すのは時代遅れだとかなるでも人間はそもそも生物の一種なのだから土着的なものから大地から風土から離れてありえないのである
人間の基本的な生は土着的なものとして営まれる、その土地から実りがありそれで生きるのが基本としてある、それが工業化科学社会になったとき無視されたことがある
その土着的なものより科学的技術が優先される、土着的なものとは生態系に準じて生活することである
でもそうした土着性は広域化グロ−バル化社会で無視されていた
現代のグロ−バル化社会はいいように見える、でもそこにいろいろな人間の根本的な生存権すら脅かすものがあったのである
だから最近ウクライナ戦争で麦が輸入できない、円安で高くなるから米を食べろというときでもそうである、地元で日本でとれるもので賄うことが基本にある
それで米を食べろ利用しろと言われるのもやはりそれがまともな生活だからとなる

電力でも東北電力となると土着的になる、東北を根城として仕事するからそうなる
それで東北電力の副社長がこの辺は津浪があるからと女川の原発を作る時、10mをあえて高くして作った、その結果津波から辛うじてまねがれた、でもすれすれだったのであるこれはやはり東北に住んでいるからこそできたことである
三陸では明治になっても大津波があり一万人とか死んでいるからである
そういう場所に隣接していたからこそ身近なものとして危険を感じてそうなった
でも相馬地域とかなると400年間大きな津浪がないから警戒していなかったのであるそして相馬藩政期に二行だけ生波(いくなみ)−津波で700人溺死と記録されていた
それも学者すら知らなかったのである、ただ津波の後に発見したのである
だから郷土史などあまり重要視されない、物好きな人がしているとかなる
でも実際は原発事故でも郷土史というのは深く関係していたのである
郷土史とは最も土着的な仕事なのである

そして報道にしても土着的でないとできない、それは福島県でも広すぎるのである
海側と会津とか山国となるとまるで違った風土だからである
すると報道でも福島県でも広いから全部をカバーできないのである
常にコンスタントにrootednessになるのは限られた地域になるのである
だからそうして一地域でも深くコンスタントに地域と密着して生活していないと報道もできないとなる
そもそも文化でもcultureがcultivateであその土地に根付いて耕すものとして生まれる食糧でもそうである、その土地と常にコンスタントに密着して生活していてその土地独自の文化が生まれるのである、それは様々な土地のものが野菜でも名付けられる
その味はその土地独特のものとしてありそれが土地の魅力となる

●グロ−バリゼーションも土着性を喪失させた

ともかく知床観光船事故ではこうして原発事故を起こした原因が共通している
現代の盲点は仕事に土着性がなくなったことである
何か材料でも家の木材でも外国から輸入する、ウクライナからも木材を輸入していたということで入らなくなり家を建てるにも値段が高くなって建てられないとかなる
外国からはこうしていくらグロ−バル化していても輸送ができないとか高くつくとか
常時安心して入ってくるとは限らないのである
だからあくまでも自給自足を基本にしてそれにつけ加えるものとして輸入もあるのが安全だとなるのである

そして知床観光船では社長も外部の人とか船長も外部の人だったとかなる
その船も瀬戸内海仕様のもので知床の海には合っていないものだったとかなる
つまりその土地の風土とかにそぐわないものとして作られたものを使っていたとなる
原発にしても日本では地震が多いから風土に合わないものであった
それでアメリカで竜巻が多いから原発の電源を地下にもってきていた
それを日本でまねたのが失敗だった、日本では竜巻の被害はまれである、むしろ地震の国であり津波でも起きるからその備えが必要だったのである
ただ科学者は津波が来るから備えろと警告はしていた、でも東電は聴かなかったのである
それはコストがかかるからである

つまりどうしても安全よりコストとなるのが経営である、今回もそれで失敗したのである天候を無視して利益をあげるために危険を無視した結果として大事故になったのである
ただ安全となると経営では利益をあげなければならないから無視されやすい
それでそこに国がかかわる、でも国土交通省でも認可が甘かったとなる
原発でも危険は無視されて政府の安全を計る官僚は天下りして金をもらうだけであり何もしなかったのである、だからその金は返還すべきだとなる、でもそのことを言う人もいないのである、マスコミでも追及しないのである、それはマスコミ自体が東電から多額の宣伝費をもらっていたからでとる、朝日新聞すらそうてある
つまり東電の原発の危険性を追求した報道はなかったとなる

いづれにしろ現代社会から土着性が失われた、それがまた大きな問題でありそこから大きなとりかえしのつかない事故にもなる、グロ−バリゼーションとは地域地域の土着的な生活を破壊するものでもある、巨大な企業でも森を破壊して生態系でも一挙に破壊したりする、それができる時代だから根こそぎ自然が破壊されてしまう
経済ばかり優先されるのも問題なのである、人間の生きる意味とかは土着的なものとして追及されその土地土地にアイディンティティ化して生きる意味を持つとなる
それを詩などで追求して来たのが自分だったとなる
第一東京とか大都会ではもう土着性は何もない、ビルの狭間でそこに土はそもそもないからである、そこで志向されるのはなにかとなる、大地とか自然から遊離した人工的空間で生きているから人間はもう自然を意識できないのである
そのこと自体が何か大きな災害をもたらす潜在要因となっている
つまり東京で大地震があり津浪があったり何か都会自体を崩壊させるようなものが起きる不安がある、そして現実に大災害が来たらもう水も飲めないとか食料すら得られないという恐怖がある、外国からもその時食料でも入ってこないからである
だから東京の金持ちでも田舎で野菜を作っておけとかなるのである
食糧は必ずしも外国から入るとは限らない、円安になり馬鹿高くなるとか戦争とかあると入って来なくなるのである、それが意識されないことが危険なのである


桂田社長が観光船仲間の会長をしていたとか報道があった
これも地元ではなく外から来た人が会長とかなっていた
それも問題だったのかもしれない、東電でも東京であり外から来た人達が運営していたからである
それで支持は東京から幹部がしていたのである

三回も事故を起こしていたのだから行政処分もあっていいという発言があった
危険な会社として公表すべきだったとも議論があった
国土交通省で安全の管理をきちんとしていなかったと批判があった
これも原発と共通している、でも小さな会社だからここから何が見返りがあるとは思えない
ただ小型船舶は厳しく規制されない、それで猪苗代湖でクルーザーで子供が事故にあい死んだ
小型になると規制がゆるいからそうなった






posted by 老鶯 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月30日

南相馬市相馬市の地震の被害写真 (まだ屋根などが修復できない家が多い)


南相馬市相馬市の地震の被害写真

(まだ屋根などが修復できない家が多い)



南相馬市小山田地区

kuradamage1.jpg

これ中は土壁である、表面の壁がはがれた



toomplace1.jpg

tombplace2222.jpg
ここの墓地は斜面だから被害が大きかった
なぜなら街中の近くの平地の墓地では墓が倒れていないからだ
私の家の墓はその街中にあるから倒れていないのである



日立木の小川

breigedamage2.jpg
橋の下の方の支えの石だろうか?
かなり重いものがはずれたのである、これだけのものが動くということは
相当な衝撃だったのである、橋自体が壊れたものもある

roadstationsoma1.jpg
相馬の道の駅の被害が意外と大きかった
中の商品は全部撤去されて廃業になる

somastcar1.jpg
政経東北4月号

相馬市の道の駅は中の商品は全部撤去されている
ここは営業をんつ始めるのか?

政経東北に売り上げが年々落ちていると記事があった
ここは立地として街から離れていることが問題だったのかもしれない
道の駅でも原町だと街とつながってるから便利になるからだ
相乗効果じある、ここは田んぼの中に一つだけ孤立してある感じになる
景色はいいにしても他に店もなにもいから相乗効果はないのである

売り上げも来訪者も震災以後からコロナウィルス騒ぎでへりづつけていた
意外と福島中央道ができて寄る車の数が相当数減った
それで福島中央道のインターチェンジの方に道の駅を作っていればと書いてあった
現代は車社会だから車の影響が大きいのである
鉄道でもそれで廃れたからである
常磐高速の鹿島区のSAに比べればわかるその人の数は百倍なのか千倍なのか
人の出入りが全然違うからである
結局営業できなくなりやめるとしている

鹿島区屋形地区

kurastonedd444.jpg
このように石を積んだ塀は地震に弱い
石の蔵でもみんな一部壊れていた、ただ十分の一とか一部である
でも石積みの家は地震に弱い
でも市営住宅のコンクリートの古い家は壊れていない
50年以上とかすぎているのである
かなり老朽化しているのに全然壊れていない

なぜなのか?

鉄筋が中に入っているからかもしれない
ただこのようにい石積みは地震に弱いことがわかった


kura5555.jpg

石の蔵は意外と多かった


今回の地震の被害が意外と多かった、屋根の瓦が破壊されたのが多い、家の中はわからないが障子などはぼろぼろになっている、自分の家でもそうである
まだかたづけられないのである、本が散乱しているし戸なども壊れている
障子も一部だめになった、でも一回知っている大工さんが来たが来ない
数が多いから地元の人だけでは手が回らない、それで仙台からタクシーで来た人が何人かいた、仕事をするために来たのだろう、6000円くらいで来れたのは何か仕事関係で安くなったのだろう

石の蔵はたいがい壊れている、一部であるにしても壊れている
あれだけの地震なのだから石積みは地震には弱い、レンガも弱い、中国とか他でもレンガの家が多いから震度5くらいでも壊れる
日本がでは地震が多いから家の強度は高い、でも今回の地震では屋根の瓦とかグシはずれたりこわれた
数が多いから当分修復はできない、職人の手が回らないかである
posted by 老鶯 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月28日

地震で屋根とか壊れた空家の問題 (空家を放置できない、責任がある)


地震で屋根とか壊れた空家の問題

(空家を放置できない、責任がある)
house123.jpg
ここは20年なのか相当長い間空家だった
でも外見は痛んでいなかった
今回の地震で相当傷んだ、でも直さないと梅雨とかなりさらにいたんでくる
今直す家が多いので順番待ちとなっている、ただこれだけ損傷すると直すのに金がかかる
他でも空家になっているで地震で損傷した家を三軒見ている
その家の所有者でも住まないとすると直してどうするのかとなる



今回の地震でこの辺では相当数屋根の瓦などが壊れた、それで未だにブルーシートの家がある、その中に近くでも瓦屋根が壊れてそのままになっている
その家の不思議は20年なのかとにかく長く空家なのである
見た目は空家でも普通に見える、知らない人だと人が住んでいるように見える
でも毎日見ていると今回の被害が大きかった
壊れて下に散乱した瓦はかたづけたが屋根の瓦はそのままである
それで困るのは雨になると雨漏りして相当に家自体がいたむ
でも空家だから放置しているともなる、ただ今屋根を直すにしても順番待ちだから簡単にはできない、その内梅雨になったりしたら雨漏りしたら困ると見た

空家というのは何かただ放置しておけばいいというものではない
もう一つの空家は東京に住んでいる息子が最近死んだのである、金持ちの家であり立派な家であり庭もいい、でも放置してある、利用するようにも見えないのである
だからもったいないと見る、誰も利用しないでただ放置されている
このまま放置されたまま直さないでいると荒れて来る、すると回りにも影響する
第一原発事故の避難区域になったところは空家だらけなのである
だからこれもどうするのかとなる、利用する人がいないのである

空家の問題はただ別に放置していればいいとならない、ただどういう理由で放置されているのかわからない、何か理由があって将来に利用することがありそのままにしているのかもしれない、でもいつまでも空家になっていることは迷惑にもなり危険にもなる
こうして放置された空家は別にそのまま放置していいともならない
でも利用する人はいない、そして人間は何でも必ず責任をもたされるている
その土地に住み家を建てるだけで責任をもたされていたのである
だから空家でも放置されていると回りで迷惑にもなる
責任をもってなんとかしてくれとなる、でも第三者勝手に利用することもできない
そこに権利があるからだ、でも権利を持つことは責任を持たされていることなのだ
だから利用しないならなんとかしてくれとなる、責任をとってくれとなる

ただ空家でも所有していると今回の地震で壊れても住んでいないとか住む予定もないとしたら金かけるのも無駄だともみる、もしかしたら百万とかでもかかるからである
住むこともないのにそうして空家に金をかけて維持することが嫌になるだろう
でも放置されたままでは困るとなる
それは耕作放棄地でもそうである、草ぼうぼうのままの土地をもっていてどうするのだとなる、それは回りでも困るとなる、つまり土地でも家でもそれを所有しているだけで責任がある、この辺では原発事故があり住んでいるだけで住民の責任が問われたのである

権利があるということは必ず責任がともなう、権利を主張するのはいい、でも必ず責任がともなっている、民主主義になったら常に権利を主張する
権利は利権にもなる、でも必ずの権利には責任がともなっていたのである
漁業権でもそれは権利であった、でもそれを東電に売って多額の補償金を事故前にももらっていた、それが責任になっていたのである
海は俺たちのものだという権利を言うのはいい、ではその権利は何のために与えられていたのか、資源の保護とかであり漁業の維持のためだった
でも東電から多額の補償金をもらったということは東電で海を汚して魚とれなくなっても文句を言うなという金だったのである
つまり金には必ず責任がともなっていたのである、金は具体的だからわかりやすいのである

一見何かを所有したり権利があるというとき得なことばかりだと思う
でも必ず責任がともなっている、あらゆることに特権があり上級人間になりかいとなる
官僚とかなると天下りで多額の金が入ってくるとかある
それは東電でもあった、でもその人たちは事故の責任があったのだ
だから責任をとって東電からもらった金は返還すべきだとなる
事故の責任があったからだ、安全を計る責任があったからだ
でも原発事故では幹部でも天下り官僚でも一切責任をとっていないのである
つまりあらゆる権利には責任がともなっているのである
権利を得たい得だけをしたいとしてもそこには責任が課せられている
長男が親の財産を前は受け継ぐ権利があったが長男には家を守る責任が課せられていたし親の世話をしたりと長男には長男の責任が課せられていた
何か特権があるとしても責任が重いものとなる

それで侍は権利があったとしても上に立つものとしてあっても責任が重かった
だから責任をとらされて切腹させられた、それが嫌だから庶民は侍になりたくなかったのである、ただ民主主義社会になると誰も責任を感じない、ただ得すればいい権利を主張するようになった、それが大衆民主主義の問題になる
誰も責任が自覚できない、投票するにしてもせいぜい百万分の一の責任しかない
するともう何の責任もないとなる、もし一人の票が十票とかなっていたら責任を感じる
要するに現代の問題は誰も責任を感じない社会である
権利は利権は主張するが責任はとらないという社会である
でも人間は必ず責任をとらされるようになっている
住んでいるだけとらされる、それが原発事故で故郷に住めなくなって理解したのである

大衆民主主義でもやはり一人一人に必ず責任がとらされる、数が多いからとしてすべてを数で決めたとしてもその結果は一人一人に責任となってはねかえってくる
無責任社会などありえないのである、責任は必ずなんでもとらされる
その責任が余りにも重いものともなる、戦争に熱狂したときでも3百万にが死ぬという責任を国民はとらされたのである
今回の知床観光船の事故でもそうである、26人が死んだとなるとその責任は余りにも重すぎたのである、となれば前からそういう責任を自覚する対策が必要だった
それで法律では必ず免責事項をことこまかに書いている
私たちには会社でも責任をとりませんと書いてあるのである
そういう責任を自覚してするのならいいが責任の自覚がなくただ付和雷同して大勢に従うということはあとで責任をとらされて痛い目にあうことになる
その責任の自覚がないことが問題なのである

いづれにしろ空家問題は深刻である、ただ放置されるままにしておけない、それは危険にもなる、火事とかにもなりやすい、管理する人がいないからである
つまり空家にしていても所有者の責任がつきまとっているのである
ただ一方で新築の家を建てるのが増えている、空家は利用されない
でも膨大な空家は利用されず放置されることと逆である
ともかく今回の地震でも空家のことを考えさせられた
それだけ空家が目につくし何とかしてくれともなっているのである
posted by 老鶯 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月26日

知床観光船の社長は借金して余裕がなかった (モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)


知床観光船の社長は借金して余裕がなかった

(モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)

事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。他の会社は元漁師や経験者が経営に携わっているのに、知識も経験もない桂田さんが、なんで観光船なんかに手を出したのか、疑問に思っていた。

借金していたということでこうなった、借金に追われていてもう安全をみれなかった
なんとか金にしようとなった、こういうことが本当に多いのである
余裕がないことがこういう結果になる
一回二回くらい危険なんだから無理して出なくても良かった
そもそも借金から犯罪になるのが推理ドラマの定番なのである
借金していることが犯罪の動機になっていることが多いのである
だから借金しているかどうか調べるのである

ただ本当に事業している人でも失敗して借金している人が多いのである
この人は借金に借金を重ねていたのである、それでけ余裕がないからこういう事故が起きた、借金はそれだけ怖いのである、なんとか返すとなり犯罪にもなるからだ
だから事業でも経営となると資金が必要だけど借金して始めるとなると危険にもなる
ただ見通しがあればいいがそれがなかったりしたらやめるべきだとなる
でも自分はやれると思って事業を始めるのだからそれを止めることもできない
実際事業で成功するのは20人一人とかしかいないのである
それだけの確率でしか成功しない、すると簡単に事業はできないとなる

こうして借金のとばっちりを受けて20数人も死んだということである
だから借金は怖いのである、事業とか経営となると額が大きいから危険になる
簡単に返せない額だからである、小さい額でも借金に追われて苦しんでいる人はいる
でもそれはたいした額ではない、それでもヤクザ風の人が来て絶えず脅されたりしていたのである
私の家で店を始める時、5万だったのか今ならその十倍の金になっていたかもしれない
ただ戦後まもなくで小さな店であっても一応金がかかったから銀行から借りようとしたが銀行では貸してくれなかったのである
ただその時は何もない時代であらゆる小店でも下請けの町工場でももうかった事業に成功していたのである、そういう時代だったら銀行で金を貸しても良かったが銀行はなかなか担保がないと貸さないのである

ともかくこの事故の原因はこんな借金に追われているような社長だから起きた
他にいろいろ理由があると思ったがこれはもう社長の責任であり他にはない
情状酌量の余地もない、でも乗客はそんな事情など知らないのである
だから不運ともなる、仲間の業者も危険だから出ない方がいいというのあえて船をだしたのは借金のためだったのである

ともかく事業者でも経営者でも今回だったら船の操作のことや天候や地形や海流のことなどを知る人がやるべきだと書いたがそれ以前の問題だったのである

モラルが喪失した人が経営者になっていた!

このことが最大の問題だったのである、何か技術関係だと理系であり技術者として優れていればいいとなる、でも何か経営者というのはモラルが関係している
そんなものどうでもいいとみる人もいる、文系なんか科学のこと技術のことを知らないのだから何も言うなということにもなる
でも経営となるとモラルが関係してくる、原発事故の原因はそもそも嘘をついていたり
御用学者でも技術者でも本当のことを知らせないという単純なモラルが喪失していて
事故になったということもある、嘘でも隠していて「安全神話」を作っていたのである
モラルはむずかしいことではない

嘘をつくな!

ただそれだけのことであるがこれがどれだけむずかしいか、守れないか?いろいろな営業でも立場でも嘘つかずに仕事ができないということがある
でもそれが恐ろしい結果にもなる、だから経営者となるとモラルが関係している
それから会社の社長がトイレ掃除していたというときもそれなりの理由がある
そんなことする必要がないという優秀な技術者とかいる
でも人間は謙虚な心が必要でありただ社長だから威張っているだけでは勤まらないともみる、こういうことで経営には宗教も関係するともなる

その人はまず人に対して何もする気がない、ただ威張っていたいということで事業を始めた、自分は優秀なんだということを示したいということで始めたようだ
だから人のためには何もしたくない、現実に自分でも苦しんでいる人でも自ら荷物一つも持ちたくない人だったのである
そんなこと社員でもすればいいとなるがそういう人のために何もしたくない、助けたくないという人が社長になれるのかとなる
ただ技術的に優れているとかだけで理系で経営者になれるとも思えないのである
原発を運営していた幹部は嘘をついていた、「安全神話」を作り嘘をついていた
危険なことを言わなかったことが問題だったのである
そうなれば何も安全を計ることはない、努力する必要もないからである
ただ拝んでいれば安全だともなるからである、「安全、安全」と唱えていれば安全だとなってしまうからでなしる、それは科学者にふさわしくないものだったのである

この知床の観光船事故は全くモラルの欠如が原因だった、他のことは関係なかったのである
こうして全くモラルに欠如した人でも経営者になれるということが問題だったのである
でも何かこうした観光業者の社長でもこの人はどんな人なのかモラルのことなど問わないのである、技術的なことは問題にするがモラルは問題にしないのである
そして借金のことも問題にしない、いちいち調べたりしないとなる
でも借金していてその人がどんな人か回りの人は知っていたのである
そういう人でも社長になれたということが問題なのである
ただモラルなど関係ない、社長は利益をあげる人ができる人で出世するとなる
それで東電の社長はコストカッターとしてのし上がり社長になっていたのである
その人のモラルがどうのこうなど回りでも問わないのである
つまり利益が上がればいいとしかないのである
それはどこでも会社でもみんなそうだとなる、それが資本主義社会だとなる
だからモラルなき経済でありそれが社会を荒廃させてまた危険にもなる

グロ−バル経済ももともとモラルはない、それは覇権国がアメリカでも世界から富を収奪するシステムである、それでわからないにしてもデーブステートが支配して世界から富を吸い上げられるとしている
何か資本主義がマックスウェバーのキリスト教の修道院からはじまり他者への奉仕のために資本蓄積するということが資本主義の起りだったということでもそうである
何かそこにはモラルがはじまっていた、でもそれが強欲資本主義とか金融資本主義とかに変貌したのである
このモラルなき経済になったとき退廃が生れやがて今回の事故でもそうだが自ら崩壊してゆくともなる
そもそもウクライナ戦争でもアメリカの軍産複合体が戦争を起こしたとか言う時でもそうである、戦争で武器を使うから売れてもうかる、戦争によってもうかる会社というのは
全くモラルなどないのである、アメリカで人道を盛んに言うけどアメリカにモラルなどないのである、もちろんロシアにもモラルはない、人道もない、でもアメリカにもないのである

いづれにしろいろいろな事故の原因を探ると技術的なことやいろいろあるが人間のモラルの荒廃がある、この事故は明らかに社長にはモラルはなくなっていた
借金に追われて客の安全などどうでもいいとまでなっていた
これも恐ろしいことである、そんな人でも社長になれるからである、社長にモラルなど要求しないからである、別にヤクザでも社長になれるともなる
その社長に徳とかモラルなど要求しないのである、どれだけ利益をあげるかもうける人なのかで選ばれるだけだとなるからだ
モラルというときそもそも学校ではただ知識だけを教えられる、受験競争では試験の点数が良ければいい、そして受験戦争に勝った人が指導者になれる
東大が出たら上級官僚になれていい暮らしができるとかしかないのである
全くそこにモラルが消失しているのである、すると利益になればいいということでモラルがないのだからいろいろ問題が起きてくるのである
戦後の社会はアメリカに習い、ギブミーチョコレートから始まった
チョコレートをもらい食べられればいいしかなくなった、そして金をどれだけとれるかで優劣が決まる社会になったのである

明治時代になぜ優秀な人物が出たのか?それは江戸時代の武家の出が多かった、その侍は武士道を身をもって学びモラルを身につけた人である、知識だけの人ではなかった、そういう教育が藩校だけではない、その社会全体で育んでいたのである
だから内村鑑三のような人物がでた、それは侍の家の出でありモラルを生活の中で身につけていたからである
今の社会では戦後ではそうして日本のモラル自体が消失した、ただアメリカに習い利益だけを金だけを追求する社会になったのである、金儲ける人が一番偉いとなったのである、得とか全然重んじない、医者でも医は仁術となっていた
でも医でも教育でもなんでも金が第一であり利益を第一となった社会なのである
そういう社会は獣社会ではないか、もうモラルなき経済であり金をどれだけ稼ぐかですべてが決まるからである

モラルを一番重んじる宗教自体が戦後が新興宗教が興隆したのも全くモラルなどない
創価をはじめとして御利益追求権力追求しかなくなっていたのである
それは会社でも事業でもどれだけ利益をあげるかですべてが決まる社会である
すべての欲望が是認されかえってもっと欲を持てぎらぎらした欲をもてと指導しているのである、これも異常なのだが異常とも思わない、それほどモラルが荒廃してしまった社会になっていたのであるつ
だから原発事故でも追求してきたが今回の事故でもそうだった、ただこれはわかりやすい小さな会社のことだからわかりやすいのである、その悪がまざまざと見えたからである
でも大きな会社になるともう悪があってもわかりにくいのである
それがグロ−バル社会になるとますますわからない、悪は見ることはできない、それで隠されたデーブステートが世界を支配していると言われるようになる
それは見えないからそうなる、見えない暗い場所に悪は住みつきやすいのである

人間の失敗の原因 
(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)

借金していたから余裕がなかった!それが事故の原因



posted by 老鶯 at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の失敗の原因 (知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)


人間の失敗の原因

(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

●人間の奢り

●安全より金儲け

●土着的な生活からの乖離


何か人間に起きて来る問題には法則がある、法則とはカルマでもある
つまり同じ事が繰り返されることである
その大きな要因に人間の奢りがある、それは自然災害でも戦争でもあらゆることで人間の奢りが原因して起きる
それは法則のようにあてはまる、だから何かが起きたとして原因を探ると奢りがあったとなる、そしておごれるもの久しからずとなる
人間はいかに繁栄を極めていても奢りやがて帝国でも大国でも没落してゆく
それは歴史をみればみんなそうである、大国の興亡があり今は衰退している
だからアメリカがいつまでも大国でありえないのである
もう衰退が始まっているのかもしれない、ただ人間の弱点は短期的視点でしか見れないからわからないのである

ただ確かなことは人間には必ず奢りがでてきて失敗する、夜郎自大国は漢がたいしたことはないとみくびった、でも自分たちの国には鉄器はなく青銅器てありそれで敗れたのである、これは日本でもアメリカなどたいしたことがないとみくびった結果として大敗北となった、日本ではアメリカのことを一般国民は知らなかったからである
ところがアメリカでは日本のことを相当に研究して熟知していたのである
日本はその時夜郎自大国になっていたのである
またいくら大国でもすべてが思う通りになるとは限らない、それがベトナム戦争だった
ベトナム戦争ではなぜあれほどアメリカが爆撃しても負けなかったのか?
それは土着的であり地理を知り尽くしていて地下にもぐり食べ物はイモでしのいだとかある、熱帯ではイモが主食ともなり育ちやすいのである
だから日本がでも救荒食物としてサツマイモ取り入れたのである
米だけでぱたりないからである、確かにサツマイモだと米代わりにもなるのである

ウクライナ戦争でもなぜ大国のロシアに負けないのか、それは大国ロシアの奢りがあったウクライナを小国として軽くみた、なめてかかった、でも思わぬ反撃にあって苦しんでいる、そして背後にアメリカとかNATOがいるのにそれも重く考えなかった
そして意外とロシア軍の兵器が旧式でその軍隊も強力なものではなかった
「天の時、地の利、人の和」がやはり通用していたのである
ウクライナは地の利に通じていた、ロシアはそれがない、また人の和でもウクライナには人の和があり自分たちの国を守ろうとする土着的意思かあった、愛国心があった
ロシアにはそうしたものがない、それで士気があがらない、それはベトナム戦争でも同じ事があったのだ、ベトナム人は地理に通じていたし愛国心がありそれでアメリカでも負けた、だからどんなに大国でも必ずしも大国がすべて有利だとはならないのである

そしてこれは戦争のことだが知床観光船の事故でも同じ事が言えたのだ
その観光船を運航していたのは地元の人ではなかった、全国からの寄せ集めだったのである、そしていかにその地形が複雑だったかである、海流も関係していて危険な場所だったのである、それは地元の漁師は熟知していた、また風も関係していた
なぜ転覆したかというと北西の風が強くそれを受けたのも原因だとしている
別な方向の風だったらそうはならなかったとしている
風とか海流とか地形とか複雑にからんで事故になったのである

そのことはこの辺の原発事故でも言えた、そもそも日本で地震が多いから原発には向いていない地形だったのである、津波もあるし原発には向いていない国土だったのである
それでアメリカでは西海岸には原発を作らず東の方に作っていたのである
また竜巻があるので電源を地下も設置していた、でも日本では地下に接することはかえって危険でありそのために津波で浸水して電源がとまり原子炉を冷却できずに大事故になった
これも地の利があり土着的なものとして生活していない人達が作ったためにそうなった
なぜなら東北電力の副社長は三陸の津波のことを知っていて低い土地に作ろうとしたが
10メートルとか高くしろとして作ったのでぎりぎりで助かったのである
それは女川とかは三陸に近いからそういう意識が生まれていたのである
つまり土着的生活をしていればそういうことを意識するからである

とにかく意外と地形とその風土とか天候とかは住んでみないとわかりにくいのである
どういう風が吹くとかもわかりにくい、浜通りだと3月頃に海から東風(こち)が吹く
原発が爆発した時その東風が吹いて山の方に吹いて飯館村が一番被害があった
それは不運だったのである、海の方に吹いていればあんな被害にはならなかったのであるだから一次産業とかなると風土と密接に関係している
農業とか漁業とか林業でもその土地の風土と深く関係している
すると工業にしてもそういうその土地特有の風土とか地形とか海流にでも通じていないと危険になる、それが見逃されて大事故になったのである

またもう一つの原因としして安全より金を稼ぐことが優先される、東電の社長はコスト削減で成果があり社長になったとされている
どうしても経営だと儲けが優先される、今回の知床観光船でもそうだったらしい
社長が危険でも金儲けを優先して船をあえてださせた、それは原発事故とも似ている
それは人間一般に共通している、つまり失敗の原因は共通したものがありカルマとして起こる
奢りが失敗の原因だというとき事業で失敗した人も技術者としては優れていても経営者になったときうまくいかず失敗したとなる、俺は優秀だという奢りがあり失敗したとなる
人間は本当は自然のことでもなんでも知り尽くすことはできない、それは万能の神しかしりえない、そしてウィルスでも未知のことが起きてきて対処できない
でも科学万能社会になると科学でなんでもできると過信するようになる
そして科学者が技術者が神官となったのが現代である
そうして「安全神話」が作られたのである、そして日本の技術は優秀だから安全だとしていたのである、事故は起きないという確信までになっていたのである
それも打ち砕かれたのである

ともかく安全を無視するときでも何でも人間には責任が課せられている
それで今回のような知床観光船事故でも20数名が死んだというときその責任は余りにも重すぎたから恐怖である、そんな責任を負えるのかとなる
もう死んでお詫びするほかないとなまでなる、金銭的にも賠償は無理になるからだ
原発事故の被害も故郷に住めなくなるとか甚大だった、でもその責任が上の人はとっていない、誰もとっていないのである、天下りした官僚も大きな金をもらっていても
責任をとっていない、金だけはもらえますとなっているだけなのである

つくづく庶民が侍になりたくなかったというとき責任をとらされるからである
切腹させられるからである、それだけ重い責任をになえないとして侍になりたくなかったのである、でも今だと金だけはもらいます、責任はとりませんとなっているのである
そうはいっても戦争の結果でも3百万人死んだとか原発事故でも観光船でも20数名が死んだということでその責任は余りにも重すぎるものとなったのである
プーチン戦争の暴挙でもロシア兵が相当数死にウクライナ人も甚大な被害を受けた、その責任は誰がとるのかとなる
プーチンは敗戦ならもうロシアから追放か死刑にもなるだろう、それだけの人命であれ失ったのだから当然だともなる
つまりそれだけの責任を引き受けざるをえないのである
上にたつことはそれだけの責任を引き受けることだからいいようでも庶民が侍になりたくないという気持ちがわかる
責任が余りにも重すぎるからである

posted by 老鶯 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月25日

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)


知床観光船事故はなぜ起きた

(余裕がないことが事故につながる)


事故の修理をしておらず船の先端に亀裂がある

・他社が運行しない期間ですら運航

・事故当日は同業者に全力で止められるも出航

・波浪注意報が出ているのに全コース強行

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ
この観光船だって8000円の料金が高いというやつがたくさんいるけど、
船の維持管理費や人件費を考えたら1万円でも安いくらい

なぜそもそも無理して船をだしたのか、回りから警告されてもあえて出したのか?

この原因は余裕がないことではなかった?、その余裕とは金の問題だったかもしれない、コロナウィルスとかで観光客が減ったとかあり無理しても稼ぐ必要があったためなのか?
というのは私はここのウトロの民宿で経営が苦しいことをその女主人から延々と聞かされたからである、それも20、30年前とかなるかもしれない、夫の主人が何か遊んでいるとか愚痴を延々と言っていたのである
つまり観光でもやはり客が来なければやっていけないとなる、そこには大きなホテルもあるらそっちの方に泊まる人がいたのかもしれない

とても運航が無理でもあえて船をだしのか、その理由は金を稼ぐということで強いられたのかとなる
もし収入がある程度あり余裕があれば今日は危険だから出さないという判断にもなる
ただ客がどうしても行きたいということもある
なぜならせっかく遠くまで来て観光もできずに帰るとなるとかなり損した気分になるからである
何か時間をかけ金をかけて苦労して来たんだからお目当ての観光ができないと損したとなる、そういうことは観光にある

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ

これは言える、金銭的に安くしようとすると観光客にも金の余裕がないからである
なるべく安く観光しようとする泊まろうとするすると当然安全面でもおろそかになる

それなりに金がかかるのだからしかたがないとかならないのである
ところが金に余裕がある人は安くしようとはしない、それだけの仕事なのだから払ってもいいとなる
一二割高くなってもいいとかなる
そういう自分も金がなかったからこういう考えにはならない、余裕がなかったからだ
ただ金銭的に余裕ができたときそういう考えになったのである
だから金の影響はつくづく大きいと思った、金に余裕がない人が多い社会は危険がますのである

人間が余裕がないことがこうした事故にもつながる人間が余裕がないことが常に危険な状態になる
なんとか稼げないとどうにもならない、危険でも客をのせて金を稼がねばならないと思ったのかもしれない、それは別にあらゆる職業でとにかく金を稼ぐために不法なことでも
無理なことでする傾向がある
まず人を助ける時余裕がない人は助けることができない
借金で首が回らない人が病気とか苦しい時来た時とうなるのか、その人の頭の中は借金で一杯なのである、人のことを気遣う余裕がないのである
そうして自分は介護とか自分の病気でそんな余裕がない人がきて死ぬ目にあったからだ
人間は余裕がないと強迫観念になり判断を誤る、戦争だって日本の戦争にしろもう経済封鎖で追い詰められてアメリカと戦争するほかないとなる、余裕が全くなくなり真珠湾攻撃になったのである、経済的に余裕があればそうならなかったかもしれないからだ

何でも余裕がないことは判断を誤らせるのだ、金に余裕がないとやはり余裕がないから
金をなんとか稼がねばならないとなる、また営業でもノルマが課せられてそれを達成しろと上から言われて余裕がないからもう客の身になって考えることもできないのである
会社に余裕がなくなればとにかく稼がねばならないともなる
そのことでかえって人間は失敗することになるが余裕がないからそんなことを言っていられないとなる
だから意外と余裕は大事だなとなる、それで貯金があれば余裕が生まれる
貯金がないといつも追われていて余裕がないから相手のことを思いやることなどできないのである
つまり人を思いやるには余裕が必要なのである
だから余裕ない人に金でもなんでも相談しても無駄だとなりむしろ危険だとなる

日本は貧困化してくると余裕がない人が増大する、するとみんな余裕がないからギスギスした社会になる、すでになっている、もう物価高だとか電気代からガス代あがるとかなり経済的に余裕がない、そういう人と接しいるともうこっちも苦しくなり余裕がなくなる
何か交通事故でも起きる時急いで時間の余裕がないとかのときなりやすいともなる
それは時間であれ金であれ追われているからそうなる
勉強でも常に脅迫的に強制されてしても身につかない、余裕があってその人なりに勉強すれば身につくとなる

ともかく金でも時間でも余裕がないことは危険である、観光だと金もそうだが時間に追われるのである、ゆっくり見たいとしてもできない、またせっかく遠くから来たのだから
見たいともなる、また観光業者でも金を稼がねばならないとなり無理をする
そして事故になる、現代社会は金であれ時間であれ常に追われている
観光でもじっくり見ることもできない、時間に追われるからである
そうして急ぐ旅は心に記憶されないのである、記憶されないということはせっかく遠くまで行ったとしても行かなかったと同じになってしまうのである

だから何度も行っているように記憶する旅をしろとなる
なぜならせっかく旅しても記憶していないと行ったことにもならないからである
現実近くでも行った所を全く記憶していなかった、だから初めて行ったと同じだった
あんな坂があったとは全く記憶になかった、こうして全く記憶に残らないことがある
得に外国旅行はそうなりやすい、だからせっかく行ってもどこに行ったかも記憶に残らない、記憶は月日が過ぎるとますますあいまいになってゆくからである

私の場合は北海道は十回とか行っているからウトロにも行ったとか思い出す
あの岩も見ている、あそこから船がでて事故になったのかと見る
知床半島には冬にも行った、その時だったのか民宿に泊まった、食事をしたとかなる
いづれにしろ二十、三十年も過ぎると記憶があいまいになる
ぼんやりと霧がかかったようになる、特に旅になると外国だったら一回しか行けないとかなりますますその記憶は消失してゆき思い出せなくなるのである

何か観光でも危険がある、知らない所でなれていない所だと事故になりやすい
ただ常に人間社会には生きるのに危険がある、家にいても地震があるし水害にもあったし安全はない、危険と突然襲いかかってくる、津波などは逃げる余裕もなにもないただ咄嗟に逃げる他ないのである
ただ余裕がないことが事故に成り安いことは確かである
余裕が無いから判断を誤るのである、じっくり考えることもできないからその人なりの勉強ができない身につかないとなる
ただ観光でも遊びでもそこには危険がある、でも今回はプロが案内したのであり危険はわかっていたのに船を出したのだから観光客に責任はない
でも金を稼がねばならないという余裕のなさがそうさせたとなればやはり余裕がないということが人間にとって危険なものになる
現代はこうして金でも時間でも余裕がない人が多いからそれが危険になる

posted by 老鶯 at 06:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月23日

ロシア総主教が核兵器を祝福する異常 (組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)


ロシア総主教が核兵器を祝福する異常

(組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)

relogionrossia1.jpg
ロシア正教トップが元KGB? 侵攻と信仰の”ただならぬ”仲
https://www.youtube.com/watch?v=YdCikK71lpM&ab_channel=TBSNEWSDIGPoweredby

今回のウクライナ戦争はいろいろな問題を提起した、何か盛んに武器のショーにもなっている、ロシア軍の弱さは旧式の武器を使っていたとかそれでこれでは使えないとかロシア製の武器を買っていたインドとか中国は不安になった
またドルが使いないとかスウィフトで金の流れがとめられたとかもあった
それは基軸通貨のドルに対する反発としても現れた
そして今回はロシア正教の問題がクローズアップされた
それが余りにも信じられないものだった
核兵器をキリル総主教が祝福している、プーチンと一体化してウクライナ侵攻を奨励している
それがどうしてそうなったのかというとソ連時代にロシア正教が弾圧されて存続できないような状態になったからである、そのことから国家なくして宗教もないとしてそうなったという
それにしても宗教が平和を一番大事にするのに核兵器を祝福するというのが信じられないとなる
ただ核兵器が信仰の対象となる映画を見た、だから想像上ではそういうことがありえた
核兵器が国を守るものとなるからそうなったのである

いづれにしろ宗教というのはもともとローマ帝国に取り入れられてから政治化して本来の宗教というのはなくなった、キリスト教が政治的に利用されるようになった
カトリックと政治的だからこういうことがありうるのかともなる
ただロシアというのは謎が多い、何か西側の文明から見るとまだ前近代的なものが残っている、政教一致というのもそれらは前近代的なものとして継続されてきたからである
フランス革命の大きな命題が政教分離にあったというこもある
日本の太平洋戦争も天皇を神とする政教一致がありそこで戦後は政教分離になったのである

その弊害として戦後は新興宗教が興隆した、それがカルト教団である、創価がその最たるものであり政治化して選挙宗教となり権力収奪を目的とするものとなった
本来の個々の心にその信仰心をおくものとは違う、集団組織化してこの世の権力をにぎりこの世を支配するということで360日選挙運動している
そして自民党でも創価の票を入らないと落選する人が相当数いると恐れているのである
そうしてその票でもって権力を左右する、それが政教一致になっているのは一票を入れることが信仰になっているからだ、御利益となるのは経済的理由でありまた成仏するとかになり選挙に勝つことは仏法の勝利として常勝だとなり団結するのである
それは全く政教一致で法律違反なのだけど自民党は票が欲しくて容認しているのである

これと同じようにロシアも政教一致なのである、ただそれが度はずれているから理解しかねるとなる、核兵器を祝福して戦争も奨励しているからだ
ただ天皇を神として戦争した日本でもそういうことがあったからそれは世界史でもあったそもそも宗教が戦争と関係しないとなっていない、もともと旧約では聖戦として預言者が指揮して勝った記録である
中世になっても十字軍でもキリスト教の武装集団だしイスラムでも武力と関係して生まれている、日本だとそもそも僧侶集団が城のようなものを作っていた
それは一向宗ではそうだった、それで僧が武士になったというとき歴史は連続しているからである、僧兵ともなるのである
だから僧が権力を得るために武装集団になっても不思議ではないのである
戦争ともなれば武器をもって戦う集団なのである、また利権集団だからこそ比叡山が城のようになっていて琵琶湖の船運から税をとっていたとかなり信長が攻めたのである
だから組織化集団化した宗教は本来の宗教とははずれた世俗的権力的宗教になったのである、そこを誤解するのである
それでオウムは極端な武装集団として政権を奪取しようとしたのである、創価もまた武装化しなくてもやはり目的は同じである

つまりロシアには何か前近代的なものがツアリーとかの支配がありその歴史がプーチンに受け継がれている、政教一致がある、近代化とは政教分離したことが大きな変化だったからである、西側でもカトリックの政治化があり支配した歴史があったからだ
それでプーチン皇帝であり習近平皇帝になる、その皇帝とロシア正教の総主教のキリルが一体化している、だから宗教とは何なのだろうとなる
宗教とは戦争を奨励して人類を滅亡させる核戦争する奨励していることの不可解なのである
ただ宗教団体組織となるとそれは宗教というより巨大な権力でありその権力でもって世界を支配することを目的化している、ますキリストとかシャカとか寝る所もない、岩窟で悟りを開いたとかとは全く関係ないこの世の力とを栄華を宗教で求めるとなるからこの世はわからなくなるのである、だから組織化集団化した宗教は宗教ではない、この世の権力を得ることが目的だから世俗の政治と同じなのである
だか。らどうして宗教を看板にしているのかわからないのである
そこが暴力団の看板でもかかげていればわかりやすい、宗教の看板をかかげていることは実際は全く正反対のものなのである

武器こそ核こそ力だ
金こそ力だ
数こそ力だ

宗教団体は神仏であれ信じていない、この世の力を得てこの世を治めることしかない
だから神仏に祈ることが矛盾なのである、神仏からみてそれは何なのとなってしまう
でも現実はその核兵器を持つことでそれを力として金を力としてあとは数を力として
支配しようとする、それはサタンの仕業ではないか?
根本的に矛盾したものになる、一方でジキルの顔をして善人の顔をして実際はハイドでありその両面があり矛盾してくる、偽善者になってしまうのである
別に暴力団ですとか看板を出していればそういうことはない
またあらゆる欲望を満たすためにしている営利団体ですとかなっていれば問題ないのである、どうしても自己矛盾になってくる、でも大衆洗脳団体だからそんな疑問すら大方は考えないかもしれない、別に金になればいいとか仲間がこんなに多いのだから力になるだろうとかしかない、後はやめると罰当たるとかなんとかあり実際祝福よりそういう恐怖が与えられるだけなのである

いづれにしろロシアという国はわかりにくい、もちろん外国はみんなわかりにくい
でもおそらく日本人は西側からしかアメリカ側からしか世界を見ないから理解しにくいとなる、西側のアメリカは戦争国家でありベトナム戦争であれイラク戦争であり人道に反する大量殺戮をしてきたからだ、だからそういう国がロシアを一方的に人道で責められるのか?日本の戦争でも原爆を落としたからである、そんな国が人道を言えるのかともなる
専制国家と民主自由国家の戦いだとしているが人道に反することが戦争でありそれは否定されるべきだとなる、民主自由の前に人道があることになる
その人道を無視してきたのがアメリカなのである、人道とか人権を旗印にしてもやはりアメリカもそんなこと無視して世界を支配したいという権力を追及する国なのである

ともかくロシアという国はわかりにくい、それは情報でも閉鎖しているし観光旅行でも制限されているからロシア人と接している人も少ない、交流がないためでもある
ただ核兵器で脅したり核兵器をロシア正教の総主教が祝福したりとその異様さは何なのかとなる、そこに一人のプーチン皇帝が君臨して独裁者がいて核兵器で脅して来る
それは核兵器で脅すテロと同じでありテロ国家にもなる
ブーチンは最後に核と一緒に世界を滅ぼすとまでなっている、こんなことがありうるのか?一人の人間によって人類は滅亡することがありうるのかとなる

ただ武器とはそういものであり核戦争で人間が滅びるのが人間のカルマともなる
最終戦争となりハルマゲドンで滅びるのである、それが聖書でも予言されていたから本当にそれが起きるのかとなり恐怖した
明らかにエゼキル書の予言ではロシアがゴグでありそれはアジアのことであり中国もふくまれるとなるからだ、つまりロシアと中国連合とアメリカを中心とした西側連合の最終戦争の場がウクライナになるという恐怖を世界に与えたのである
だから今までの地域紛争とは違う、世界最終戦争の場になるとして恐怖したのである
日本でもロシアが北海道を攻めてくるという宣言したことでもそうである
全世界が震撼したのであり日本も例外ではない、ただ正直ロシアとは何かというとき理解できないのである

ただウクライナ人がシベリアに前もつれていかれて強制労働されたとかある
そして今回の戦争でも強制的にシベリアに連れていかれる
それは日本軍でも経験していて34万にも死んだという説もある、これもカルマの繰り返しだとなる、だからロシアでは強制労働あり歴史をくりかえしているのである



オウム真理教の痕跡をクリミアで見た。今もロシアに残る麻原彰晃の幻影
https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/aum-shinrikyo-in-russia_a_23479379/

こんなことがあった、オウムはまさに武装集団化していた宗教団体である
それでロシアに接触したのは武器を手に入れるためだった
オウムも宗教であるが信じられないものだった、それがロシア正教でもオウムと似ているとなるから何か人間には世界でも共通したものがあると思った
posted by 老鶯 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月19日

飯館村の佐須から高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ) 飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと

(車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須で何か警備の人が10人くらいいたのか、チューリップの丘にして見せるために警備の人が整理していた、でもチャーリップは、三列くらいしかさ咲いていないから
無料であった、実際は大人だと八百円とる、60種くらい咲くから見物ではあるが
高いようにも思う
その人たちはどういう団体がわからないが有志の医者の会のことを言っていた
ワクチンは危険だからと医者が警告している、特に子供には危険だとしている
その人たちはどうも原発を廃止しろという方ではない、原発は必要だとしている
その理由が別に死人がでていないからだという、だから被害がないとしている
それも変だがやはり放射線の被害はあるから警戒している
ワクチンの被害は良くわからないからかえって副作用があるから危険だと警告している
ともかくボランティアでも地震被害でかけつけたDRTもそうだが組織化していないとできない、その人たちも大きなジープをもった人が来たり何か組織化して働いていたからである
地元の人ではない人達であった

それから佐須を出て霊山の道に出て下ってゆきそこで2時過ぎていて腹減ったので
食堂がないかと聞いた、それとすぐ近くに一軒あった
その食堂で聞いた、高速ができて車が通らないから客が少ないでしょうと・・
そしたら相当に影響している、客が少なくなった
夏は海の方へ行く車で一杯で繁盛していたという、車が通らないことは現代では本当に影響する、シャッター通りも車の影響でそうなったからである
日曜日だったので車は多少通っていた、でも霊山の相馬の方へ行く方はほとんど車が通らないのである
だからサイクリング道路にはいいと思った、現実にロードで上ってゆく人がいた
石戸村では車が出れる道を作るように要求はしたができなかった

何が人間を社会をかえたかというと車ほど社会でも人間でも変えたものはない
それは人間の人格まで変えたし社会そのものを変えたのである
つまり車に適応した社会になったからである
そこに人間的な情は喪失したのである

とにかく夜になって真っ暗な道を帰ってきたが一台の車にも出合わなかったらか安全だった、自転車は夜は危険だからである
でも夜は結構冷えたのである、そこで山上の方にきてコンビニに入りコーヒーとパンを食べた
冷えたのでその中でコーヒーを飲みパンを食べていたらここでは食べないでくださいとして外で食べることになった
何かここでもコンビニでもスーパーでも相手の事情など考えない
すっど自転車で走って来たので結構冷えたのですとか言っても何にも通じない
しかし車だとそんなこと関係ないからである、車の中で食べればいいだけである
つまり前々から言っているように車というのは便利でも人間の情を奪ったのである
歩く旅だったら相当に疲れているから宿に入ればまず足を洗うとかする
そして疲れたでしょうとかねぎらいの言葉がある、そうなるのはそれだけ疲れているし旅することが苦しいからである、そこで相手のことを自ずと思うようになる
でも今は車だと疲れているとか考慮しないのである

それで阿武隈山中を旅してそこは昔の店であり万事屋のようなものが残っていた
そこでは御飯と味噌汁とを御馳走したのである
そんなことをこれでけ旅しても経験したことがないのである
それは山の中で昔が残っていたのでそうなったとみる
コンビニだったら店員と話ししたりもしない、コンビニの店員は昔の店とは違う
昔の店は何か人間的なものがあったとなる、そこで何か話したりできる
コンビニで一番気にしているのは盗まれることである、わずかのもの百円二百円でも盗まれるからである
それで疑われて二回ひどい目にあった、それは間違ったものでも犯人扱いされてひどい目にあった
それは店にしても通りすがりの人であり信用していないということである
でももの凄い剣幕で責めてきたのには驚いた
ただコンビニでも客は客ではない、通りすがりの人だからそうできるのである

そこに別に信頼関係などないからである、また一人などどうでもいいからである、店の経営には全く関係ないからである
人間の関係は今やこのように希薄化してそうなっている
でも奇妙なことはなじみになってゆくとコンビニでも親しみを感じる、すると何かそこでは盗んだりできないとなる
ローソンでは手渡しでコーヒーを渡すのは人間的でありたいということでそうなった
それもまた逆な意味で経営としていいのかもしれない、つまり温かい人間の手で渡されるから人間的な情が伝わるともなるからである何でも効率的で機能的で合理的だからいいとは人間には当てはまらないのである

要するに現代の車社会でも人間は必要ないのである
だからコンビニでも店員はもういらない、自動販売機が置かれるだけになる
人間はコストだとなっているからだ、それは鉄道の駅でも無人化するのもそうである
人間は一番のコストだからいらないとなるのだ
その時駅には人間的なものがなくなる、何か高速のSAと駅の相違は駅だと電車を待っていた電車が遅れたり何かかにかわからない困ることがありそれで聞かれることがあった
一番聞かれたのは下りなのか上りなのかそのホームがわからないのである
それが意外だったが私自身も他の駅に行ってホームが上りなのか下りなのかわからなかったからだ
また駅をでると道を聞かれたりする、SAではそういうこともないのである

やがてあらゆる場所に人間そのものが消える、無人化して案内するのはロボットになる
人間はコストだからいらないとなる、でもそこで失われるものがある
人間でしかできないことがある、それは人間の情だということである
これは機械にはロボットには持てないのである
例えば中学生が受験で間違って駅におりた、ひどく腹減っていたのである
それで近くに菓子屋があったので菓子を与えたのである
何かこういうことは人間にしかできないのである
そういう人間の情が失われたのが現代である、確かに車は便利だし不可欠である
そこで失われたものがあるということを知るべきである

これは人間社会のいたるところでそうなっている、病院でも機械に診てもらうのか人間の医者に診てもらうのかわからなくなる、AIの方が優秀だともなるからだ
でもそこで人間の情がない、機械とロボットに囲まれて息を引き取るともなりかねないのである、孤独死なども増えるのはやはり情が失ってきた社会だからそうなる
江戸時代辺りは医が仁術というとき病気は直せないものとしてあった
ただ患者が来たら情をもって接していたのである
外でも人間は情でもって接ししていた、また農家では曲がり屋で馬小屋と一体化して
家族のようになっていた、すると馬と結婚した娘がいたというのもわかる
動物だと必ず情で接するからである、情が育まれるのである
その代わりになったのがペットだということがわかる
人間は情なしで愛なしで生きられないからである

ただ便利さでも何でも何かを得れば必ず何かを失うのが人間である
何かを失えばまた何かを得るようになっている
だから人間社会が便利になり進歩したとしても失ったものがある
ただそれを自覚しない、車社会になれば車に適応したものとなり人間の情など全く無視されるのである、そこに殺伐とした社会が生まれる
ともかくコンビニの店員は客を人間のように見ていない
通りすがりのものであり人間に見ていない、次から次と遠くからの人が来るのだからそうなるそしてまた逆に客でも店員を人間に見ていない、ロボットのようにみているだけである、だからこそコンビニでも無人化して人間はいなくなる

鉄道の駅が無人化すると同じなのである、鉄道会社でも乗客を人間と見ていない
ただ物体を駅から駅に安全に正確に運ぶことには努力するが仕事になるのがそのほかのサービスはしない、だから駅員はコストでありロボットで十分であり無人化する
何でもこうして人間はコストであり無人化するのである
その時情もない殺伐とした社会になる、その影響が怖いのは人間から情が失われて何になるのか?人間社会が非情化して殺伐として人を人とも見ないものとなる
それは怖いものでもある、戦争でも直接人を殺すというよりコンピュター操作で遠くの物を殺すとなると見えないのだから人間を殺すという罪悪感もなくなる
そうなった社会はどうなるのか?それは恐ろしい社会にもなる
ただそんなことをいちいち人間は考慮しない、便利になればいいしかないのである

だからこそやはり人間を人間とみれなくなったからナチスとかでも大量に人間をガス室送りとかなったり全体主義となり人間は物のように殺されてゆくともなる
事務員はただ殺されてゆく人間を数字のようにしか認識できない
人間が情でもって通じ合わない社会で生きていればそうなるのである
あらゆる場所で情が喪失して人間は人間としてみれない、そうなる社会も怖いとなる
そもそも宗教が情を重んじる、情とは愛のことでもある、そのことを一番重んじたのである
でも現代社会では情は喪失した、確かにそれで得るものがあったが失ったものがある
それが情であり愛だったともなる、それが人間に一番大事だとキリストでもシャカでも説いたものが喪失したらどうなるのか?
それを良く考える人はいないのである
wakuchinnn1.jpg

【出遅れ!】分科会の報告が遅い!すでに「有志医師の会」は動いていました・・動きの速さが違いすぎて驚く
https://onl.sc/rGsMEh4
posted by 老鶯 at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月15日

人間はなぜ戦争になるのか?(2) (民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)


人間はなぜ戦争になるのか?(2)

(民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)



東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響(特にビザンティン文化)を受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。
83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91?msclkid=42af0c18bc9511ecba2156743546f636

人間が集団的に対立するのはなぜなのか?
日本だったら人種間での対立はない、日本に住んでいればみんな日本人だからである
でも大陸になると民族でも人種でも多様であり対立が生まれる
それは人間の歴史が始まって以来あった
日本がでは民族とか人種とかあまり意識しない、日本に住んでいればみんな日本人だからである、でも一旦外国に出ると常に日本人だということを意識せざるをえないのである
そして民族とは何かとなるとその定義はむずかしいのである

日本人の基本的アイディンティティは村という狭い地域で作られていた、その歴史も長いのである、その村の範囲も狭いし500人くらいの規模だろう、そこで閉鎖的に暮らしていたのである、日本人にとって外の人は異人であり警戒されていた
第一なかなか村の中に入り込めない、江戸時代ならみんな村に入ってきたよそ者はすぐにわかり警戒して監視する、だから日本人の国意識は村が基本になっている
国(くに)と国家は違っている、

国(くに)とは地理的にも一つの世界観が形成される範囲である
例えば会津だと古代から一つの国(くに)として意識されていた

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

その国の範囲がどれくらいの範囲になるのかわからないが確かにそこは国として意識されていた、それで最初の国は大和朝廷から奈良の都から国造(くにのみやっこ)が官人が覇権されたの国として意識された、その範囲が国だった、それは狭い範囲である
だから会津でも実際は狭い範囲でありそれがやがて拡大されて会津全体の広い領域となった、ここだと浮田国造が置かれた地域が大和朝廷から認定された国だったとなる

国というときもともとこのように狭い範囲で意識していたものである
すると国というのは無数にあることになる、その数が多い、日本国家として意識することでも日本は江戸時代までしていない、藩が国であり藩の外は外国にもなる
現実に藩内でしか通用しない貨幣があり藩の外にでるときは 両替する必要があった日本はそもそも狭い範囲で村で自給自足していて村の外とは交わらなかった
だからこの辺の伝説で麦踏みの仕事を手伝った人が隣の村の人でも蛇だったとかなる
つまり今なら外人をそうみるのとにている、でも不思議なのは言葉は通じていた
第一隣村でも人が交わらないというのは相当に閉鎖されて暮らしていたとなる

それで飯館村の大倉村と佐須村は明治以降も民情が違うので合併しないとかなっていた
この民情とかがわからないが意外と今でも日本人は村意識が根強く残っている
よそ者を警戒して受け入れないということがある
第一大倉村と佐須村は5、6キロくらいしか離れていないのである
自転車で行くとそれなりに遠さは感じるがそれにしても村と村は交流せず暮らしていたとなる、またそうして孤立していても暮らせていたともなる
今なら外国から物が入らないと大騒ぎになっているのにそうして村だけで自立して自給自足して暮らしていたのが不思議だとなる、もう今の生活から比べればいろいろなものが足りないのである、医者もいないし何かもない、この辺ではむずかしい病気になると仙台の方の医者に行く、仙台市にはいい病院があり医者がいるからである
江戸時代はもう簡単にいい医者にかかれない、とにかく江戸時代は眼の病気が多かった
それで座頭とかも多かった、それは栄養不足から来ていたらしい、それで眼の病気を直したいとして村の外にでて関所を出て看てもらうとした人が記録に残っている

ともかく日本でいう国というのはこのうよに村が基本となって狭いのである
そして小国という地名が多いのは狭い範囲でも自給自足していてそこを国とか感じていたから地名化したのである
そして日本人のアイディンティティはどの村に所属しているからがアイディンティティになる、人種とか関係ない、民族とか関係ないのである、どこどこの村に住んでいるということが今の国籍になる、そしてお国訛りがありそれで分けることになる
それで日本人の姓はたいがいどこかの村の名前が姓になっている
必ず姓をたどると村の名前があり地名がありそこから出て来たのが姓である
でも外国だと大陸だと姓は土地とは関係ない、血縁である、先祖が誰であるかでありそれで一族がある、一族意識は血族であり先祖を同じくするものである
だから外国人の大陸では誰の先祖なのかということが大事になる
それは中国でも同じである、中国で重んじるのは姓を同じくする一族なのである
韓国でもそうである、姓を同じくするの人たちは同族となり連帯を持つのである

日本でも村だけではない、源氏平家という大きな氏族が生まれると大きな氏族に属して
姓を同じくして一族意識をもつ、でも日本は基本的に村で生活を共に々するもののつながりは強いのである、小さい村だと家族のようにもなっていたのである
それで一家族の子供でも村の子供となり名付け親とかいろいろ実質的にも村の子供となると家族のように扱ったとなる
でも日本がでは姓よりどの村に所属しているかが大事である
そこが大陸とは相当に違っているから大陸の歴史を理解しにくいのである

そもそもウクライナ人とロシア人を区別するものはなになのか、顔を見ても区別できないだろう、なぜウクライナという国が成立したのか?それもわかりにくいのである
そして日本だったら島国だからいつも領土は海に囲まれて変化しないのである
でもヨ−ロッパとか東欧とかイスラム国でも常に領土は拡張したり縮小したり一定ではないのである、そしてなぜ東欧諸国にいろいろな国があるのか理解できないのである
なぜあのように小国がロシアとの間にあるのか理解できない
ドイツだと強力なゲルマン人がいて一つの民族国家を形成していることはわかる
フランスでもそうだしイギリスでもそうである、アングロサクソンとかの人種である
その人たちは体も大きくモンゴル人のようなアジア系とは違う、そしてスラブ人となるとこれはアジア系とヨ−ロッパ系の混血なのかとなる

ともかく大陸国家は様々な民族が人種がか混交している、だから聖書でもこの世にいることは異邦人だということになる、常に異民族が混交して同一民族となりえないからであるそして大陸は遊牧民族であり移動する、今回のウクライナ戦争でも何百万人が移動した
そういうことが大陸では陸続きだから常に起きてきたのである
それが動乱となり戦争ともなる、だから国家の消長が常にありウクライナがボーランドであったときもある、今の領土が日本がのように島国で古代から同じということがなかったのである、そこに勢力が変わり領土も拡張したり縮小したりしてきたの歴史である
こういう歴史が日本がとは相当に違うから理解しにくいのである
日本人は一民族でありみんな日本人だとなる、でも大陸では様々な人種が民族がいて争っていたのである
そして民族を抹殺するジェノサイドでも起きていた、それは旧約聖書でも神の民であるユダヤ民族に逆らう者に対してジェノサイドがあった
また中国人でも民族が混交している、胡人というのはイスラム系であり胡国という国が生まれた、また中国では戦争になったら敵国の者は墓からも暴きだしても罰している
でも日本では敵国の人でも争っても敵味方塚として丁重に葬っているのである
墓が残されているのである、それは薩長軍が東北に攻めてきて争ったが九州の侍でも敵味方塚に葬られている、こういうことは中国にないから驚いているのである

漢字文化圏には古来より「胡」という姓が存在し、霊太后の父胡国珍、北宋の儒者胡安国中国共産党総書記の胡錦濤、ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)などがいる。

その起源は、華人に同化した異民族出身の者が漢風の姓を付けたのが始まりとも言われるが、通志の氏族略が伝えるところによると、春秋時代の陳の初代君主胡公に由来し、陳の滅亡後に陳の遺民が名乗ったのが始まりと書かれている。

百家姓において、「胡」の姓は十三大姓の一つに数えられている。

ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)がそうなのか、ベトナムでは漢字を使ったいた時代があるから中華文明圏内にあったともなる
胡人とは今のウィグルとかのイスラム系でもある、その人達が胡人であり胡の国となった、、姓はその胡の国に由来している
姓が同一民族となるから大陸国家では多様な民族がいて姓が同じだと一族意識が生まれるのである

いづれにしろウクライナ戦争のことを理解することは本当にむずかしい
そもそもこの戦争の発端はウクライナの東部地域のロシア人とウクライナ人の争そいにあった、でもそもそもロシア人とウクライナ人の相違は何なのかというと理解できないのである、ロシア人とウクライナ人を区別できるのかとなるからだ
日本人と韓国人と中国人を区別できるのかとも似ている、だから必ずしも民族だけがアイディンティティにはならないのである
そもそも国家というのは何かというとき大陸国家だと一民族が国家とはならない
アメリカでも見ればわかる、人種が混交しているから民族国家ではない、それでその国家をまとめる原理は何なのかとなると日本がのように一民族国家としてまとめられない
それで人種差別がありそれをまとめるのに苦労するのである

東欧となるとまた宗教でもわかりにくい、カトリックからプロテスタントからギリシャ正教からロシア正教とか別れてきたからわかりにくい、イスラムでも「スンニ (スンナ)派」と「シーア派」とかなぜ争うのかもわかりにくい、宗教も根深い対立の原因となる
ロシア人とウクライナ人が兄弟のようなものだとかルーツを同じするものだとか言うのになぜこんなに激しい戦争をするのかもわかりにくい、同族でこんな残酷な戦争するのかとなるからだ、ただ大陸国家では民族の抗争が延々とつづいてきた、その延長としてウクライナとロシアの争いがあるとなる
この争いの発端は東部地域のドンパスとかにありそこで実際に抗争が小規模の争いがあり殺し合いもしてきた、それが大きく発展したのが今の戦争なのである
その火種となるのものが拡大し拡散したのである、だから何か事件があるとき時系列で見ないとわからない、何事も突発的に起こらない、積み重ねられた時系列の歴史を見ないと理解できないのである
それでプーチンにもロシアにも言い分があったということは理解できる

そもそもなぜあんなに東欧に小国家があるのか?

それ自体が歴史的にもわかりにくい、ルーマニアがローマニアでありローマの延長としてあり東西にローマ帝国が分離して生まれ国だとなる
ヨ−ロッパとは何かとなればローマ帝国を形成した地域が基本として作られたものだとなる、その前はフランスでもドイツでも蛮族とされていたからである
そしてキリスト教が東方に広がってもロシア正教とかまた別なものである
そこにはモンゴルの血も交じっている、プーチンの顔がモンゴル人の顔にも似ている
そしてウクライナ戦争でも歴史が繰り返すということで歴史を実感する
タタールの軛(くびき)のことをロシアが中国の属国になるとか言う時なるほどと思った歴史は繰り返すである、ロシアはウクライナ戦争以後小国化して中国の配下になると言う時、確かにタタールの軛の再来だともなるからだ
常に大陸国家には消長がある、領土でも固定してみれないのである、日本のように島国として古代から変わらない領土を維持するのは世界でも珍しいのである
歴史とは何か?それはこのように長大なものでありその継続なのである
だからウクライナ戦争もこの長大な人類の歴史の中で繰り返されてきたれのとして起こったのであるつまり歴史とはエンドレスの物語なのである、だからこそ歴史は繰り返すとなるのである、人間個々人でもカルマは繰り返すとなるのである
そして人間はこうして誰しも長大な歴史の一コマを生きているとなるのである
posted by 老鶯 at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月14日

戦争はなぜなくならないのか? (職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)


戦争はなぜなくならないのか?

(職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)

 「一国の戦争能力がどの程度にあるかと云うことを判定する一つの基礎でありまして、其の国がどの程度に自給自足が出来るのかと云うことが、其の国の戦争力を判定する一の重要なる要素に相成って参る訳でございます」(東亜経済懇談会第一回大会報告書)

 日本食レストラン営む日本人に聞く現状「ロシアは経済危機を何度も経験...正直これくらいのは慣れている」』(MBS NEWS 4月12日)でも紹介されているように、モスクワは穏やかなものだ。グッチなどの西側のブランドが休業しているだけで、スーパーにはものがあふれて、人々も特に困った様子もない。

 自衛隊はずっと「定員割れ」が続いている。さすがにこればっかりは「外国人労働者を増やせば解決」というわけにはいかないので、入隊できる年齢を引き上げてなんとかしのいでいるが、これから深刻な“国防力不足”が到来することは間違いない

  
 日本が侵攻されたら「敗戦濃厚」な理由、核武装・防衛費増より大事なのは?

●グロ−バル経済の問題(アメリカ一局の金融支配)

●エネルギー問題、食糧問題

●防衛問題

ウクライナ戦争の問題は何か具体的に問題を提起した、ここにロシア正教もからんでくるとなると複雑である、つまりキエフはロシア正教の下位に属するとか序列があり
西側の支配に入らないことを望んでいる、宗派争いがある
そしてそのトップだプーチンを支持しているのである
宗教家が戦争を支持するのかとなる、一部は司教でも反対して制裁されたとかなる

戦争で問題になるのは武器とか兵隊の数とか主要問題のようでそれだけでは戦いない
兵站がロジステックが大事だというときそうである
戦争とは国をあげての総力戦になる、腹が減っては戦いなとなるからだ
またかエネルギー問題も重要である
戦争するにしても必ず燃料に石油を使う、それで聞いた話では特攻隊はゼロ戦でも燃料がなく片道しか飛ぶことができないものだった
だからもう帰ることもできないので戦艦につっこんで死んでいったという

ロシアがなぜ戦いるのかとなると石油天然ガスがあり食糧があり自給自足できる
これが強みなのである、日本はエネルギーもないし食糧も自給自足していない
様々な物でも外国に頼っているのである、それで日本がロシアのようには戦いないとしている
日本の戦争もこうして物量作戦ができずに兵站で補給ができないので敗れたとしている
「勝つまでは欲しがりません」では勝てなかったのである
また航空機の時代に竹槍で戦おうとしたのだから相当に時代遅れだったのである

●人間の職業は業(カルマ)であり武器を売らないと失業するから戦争をする

ロシアでも中国でも広大な穀倉地帯がある、食糧は供給できる、日本はエネルギーもないし食糧もまかないないとしたら戦いない、兵士すら不足している、若い人で成り手がないそれで原町駅前で中学生まで自衛隊の人が勧誘していた、何か見分けがつかないでそうなったらしい、誰も自衛隊になど入りたくない、仕事としてあまり評価されないからである何か自衛隊とか医療関係でも警察でもそういう仕事は必ずしもいいとは限らない
なぜなら兵隊となると戦争が仕事であり戦争になると重要なものとなる
価値があがる、戦争がないと何しているのかとなる、ただ飯食っているのかとも見られるただ災害の時一番働いたのは自衛隊である、橋を架けたりいろいろ武器で戦わなくてもできるからである、それで三人が過労で死んでいる

今回のウクライナ戦争でも言われるのはアメリカの軍産複合体が戦争させたとか言われるなぜなら戦争にならないと武器を生産しても消化されない、売れないからである
それで盛んに旧式の戦車とか武器でもウクライナ戦争で使われた
戦争の時は必ず旧式の武器でも売れるのである、明治維新の時もアメリカの南北戦争の時の旧式な武器が鉄砲などが使われたとしている
つまり旧式な武器でも戦争にるなると必要になり使われるということである

ともかく怖いのは職業は業なのである、それで現実に消防士が仕事がないとして放火した事件があったのだ、火事になれば仕事があるが火事がなければ仕事がない、だから職業は業であり怖いものをもっているのだ
警察でも悪人がいて犯罪がないと用がないとなるからだ
医者でも病人がいないと商売にならないともなる、これらの職業は何か本当に人間の業だともなる、これらの仕事は暇なときの方が平和でいいのである
これらの仕事が増えて重要になるとき社会は不穏になって平和でないということである
だから自衛隊で隊員が集まらないというときそういう仕事はやはり社会で重要ではない
そういうことはやはりいい社会であり時代だとなる
戦争は人が殺し合うのだから最悪なのである、あらゆるものが破壊され何か建設的なものがなくなる、残虐行為も野放しになり人間が野獣化する
人を多く殺した人が英雄にもなるのだからそうなる

ただなぜ人間社会から戦争がなくならないのか?

つまり原因はいろいろあるにしても人間の業があり戦争がなくならない
それは武器を作り売る人達がいて戦争がないと大量に失業するとアメリカでは言われるからだ、アメリカの主要な産業が武器を作ることでありロシアでも武器を輸出しているからだ、そこで戦争をウクライナにでも入り画策したというのも理解できる
大量の武器が必要になりドイツでも高い爆撃機を買うことになり防衛費も増大したことでもわかる、つまりアメリカの軍産複合体にとって戦争になると在庫一掃にもなり売れるからだ、でも戦争は人を殺し合うのだから何であれ最悪なのである
武器を売ることは戦争を奨励することにもなるからだ
武器の開発はいいものではない、それは人殺しをどれだけ効率的にするかということを開発するともなるからだ
病気だったら医者でも懸命に直すために働いている、それは悪いとはならないのである
そもそも剣をもつ者は剣で滅びるというのは武器を作るものは宗教では否定されるのである

戦争がなぜなくならないのか?その大きな原因が武器を作る人達がいてそれを売らねば生活できない人達がいるからだ、またアヘンとか栽培するのはそれでしか生活できない人達がいるからだとなる、アメリカがなぜ戦争をしてきたのか?
それは軍産複合体があり武器を売らねば生活できない人が相当すいるからだとなる
消防士がわざわざ放火して火事を起こしたようにウクライナでも画策したとされる
それは消防士が放火するのとにている
また昨今のウィルス騒ぎでもそうである、ウィルスが世界に蔓延すればワクチンを作る製薬会社が大儲けするから陰謀論になる
病気を人工的にウィルスは作りだしてばらまけばそこで製薬会社が大儲けするとなる
そういうことが確かにある、医者は今では商売でありいらない薬まで飲ませるからであるそしてしなくてもいい手術までされたりるすと医者も怖いとなるのである

●江戸時代でも丸森の森林資源をめぐり三つ巴の争そい

なぜ戦争がなくならないのかと問う時、なぜ日本では戦国時代が終わった時、戦争がなくなったのかということも問いになる
なぜ三百年も戦争がなかったのか?こんなこと世界ではありえないのである
それは大陸国家と事情が違うというのもある、でもなぜ日本ではこうして平和が300年もつづいたのかとなる
では多数の藩があってもその藩同士が必ずしも協力しあったということもないのである
なぜなら相馬藩と伊達藩があっても相馬藩内の飯館村が飢饉の時、伊達藩では応援していないのである、今なら外国まで災害とかあると応援している
でも江戸時代は藩が違えば応援しない、でも相馬藩内では飯館村に援助していたのである戦国時代が終わっても依然として敵国という意識があった
また藩は別々の国であり援助したりしなかったともなる
経済的には藩が違えば別々であり今のように世界までグロ−バル化して経済でも一体化しないのである

なぜ戦争が起きるのかとなるとやはり経済的問題があり利権化して争う
それを象徴していたのが丸森の森林資源をめぐって伊達藩と米沢藩と伊達藩が三つ巴で争ったのである、それは有名である、丸森は森林資源が豊だったからである
この資源をめぐる争いは世界でも石油とか天然ガスとかで起きている
ロシアは石油でも石炭でもガスでも豊かだからである
それがロシアの強みになっている、それでロシアはあれだけ世界から責められても対抗できるとなる、日本では資源がないからできないとなる
レバノンで石油が高くなり森の木を伐採していることが問題になっている
やはり追い詰められるとこうなる、自国内にあるものでまかなう他なくなる
日本でもエネルギーは木材であり炭だったからである
そういう生活は戦後でも十年くらいはそういう生活だったのである
石油などわずかしか使っていない、ガスも使っていない、石炭がエネルギーであり
蒸気機関車の燃料は石炭だったとなるからだ
そもそも山の入会権をめぐって村同士の争いがありそこに大名が加担して戦国時代になったとも言われる

●大盗も英雄となり戦争でも残酷な殺人者が英雄になる

戦争になるのは戦国時代でも相手国の持っているものを自分の国のものにしたいということがある、日本では資源がないようでも土地が資源になる、土地があれば米でも作れて強国にできるからである、だから土地の争いが戦争の原因になる、これは個々人でも土地の争そいがある、経済的利権争いがある、土地の争いはどこでも常にある
基本的に国の争いも土地を得るための争そいになる
ウクライナは広大な土地があり穀倉地帯である、それでロシアがそこを欲しがった
それでウクライナでとれた食糧を麦などロシアがとってウクライナでは

「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人[9]から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した

まさに食糧の収奪があからさまに行われた、こういう歴史があるからウクライナはロシアに従属したくないとなっている
要するに国同士になると強い国が弱い国から強制的に武力で奪う、国が強盗になる
それは不思議に是認される、大盗になるとそれはとがめられなくなる
なんらか大きな権力を力をもつ者は盗んでもとがめられないのである
また為政者でも国民から富を収奪していてもとがめられない、つまり大盗だともなるのである、天下りとかがそうである
現実に中国では本当に盗賊の頭が皇帝までなったからである
本当にグロ−バル経済でも大盗となればとかめられない、だからこそアメリカでも世界の覇権を握り手放さないとなる

つまりこの世では小盗は常に厳しく罰せられるけど大盗は罰せられないのである
かえって讃えられ英雄化されるのである
シリアで残酷に殺したロシアの将軍は英雄であり総指揮官になったのもそうである
殺人鬼であっても戦争では英雄になるのである
だからみんな大盗になりたいのである、権力を握りたいのである
それは国内でもそうである、それは共産主義でもそうである、その幹部は国民から富を収奪する大盗にもなる、中国でもものすごい富が幹部になると利権をもち得られるからである
いづれにしろなぜロシアがウクライナに侵攻して戦争になったのか、それはアメリカの覇権に挑戦したともなる、ウクライナはもともとロシアのものだとして侵攻した
そこには利権がある、穀倉地帯でありそこを手に入れればロシアがまた強国になるからであるそして今度は北海道も因縁つけてロシアのもともとの領土だとか言う
それでウクライナは遠い国でもロシアは隣国であり恐怖になったのである

●世界がグロ−バル化して第一次第二次世界大戦になった

別にグロ−バル化でも貿易でも悪いものではない、でもなぜ世界で広く交わるようになったとき第一次世界大戦となり第二次世界大戦となったのか?
明治維新があり日本でも開国して世界と広く交わった時、3百万人も死ぬような戦争になったのか?、それはグロ−バル化して広く世界と交わる結果そうなった
経済的平和的な面だけで交わればいいのだがそこで対立が生じて争いになったのである
つまりグロ−バル化とは世界の富をアメリカなり覇権国が収奪するシステムなのである
だから当然それに反発する国がでてくる、それが最初は覇権を争った米ソ対立を産んた
次に米中の対立になったのでしなる
グロ−バル経済は平和的なものとして交流するとはならない、そこで覇権国になったものに富が収奪されるシステムなのである
そこに公平な自由競争とか市場とかはない、一見あるようにみえてその富は覇権国に集まるようになる、それでドルが世界の基軸通貨となる
紙切れのドルをいくらでも刷って世界の物が買えるとなる、石油でもドルでしか買えないというのはおかしいともなる

ただではアメリカだけを批判していいかとなるとならない、今度は中国が覇権国になったら日本は完全に従属国になり中国人に支配される、なぜなら中国人は日本に住むようになるからだ、もう中国の一部と日本はなってしまうのである
要するにアメリカが世界木警察になったように世界の平和を保つにはそれだけの力をもった国が必要だともなる、なぜなら小国分立していたら争いがやまないからである
だから米ソ冷戦でも世界が二分化されても力の均衡があるとき平和が保たれる
その均衡が破られると世界がまた四分五裂の争そいになる
それで三国志がまさにそういう世界だった、三国に力が分散したとき力が均衡したとき
平和が保たれるとかなる教訓だったのである

結局貿易だけならいいがそうはならない、必ず対立が生れ争いになるのが人間のカルマなのである

理想はやはりともに貿易でも栄えることである

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

戦国時代は争っていても江戸時代になり平和になると互いに栄えることを志向した
何か互いに国同士でもたりないんものがありそれを補い共に栄えるのが理想だとなる
なぜそうならないのか、それが一方が一方的に富を収奪しようとするからである
つまり覇権争いは利権争いなのである、双方に利するものがあっても自分の国だけが
覇権をにぎり世界を支配したいということがあり世界から戦争がなくならないのである

個々人でも俺はお前より上だとか俺が優秀だとか常にこだわっている
国同士でも変わらないのである、強い国に従いとなるからだ
なぜそもそも人間に平和がないかとなるとキリストのように下僕になりなさいということができないからである
ただ力でもって支配して上に立とうとするからである、結局人間はそうしてカルマを繰り返しているとなる、それはこの世の終わりまでつづく
最後に神が治めない限り平和はない、それはこの世が滅びてからだとなる
それはいづれ近いうちに来る、そういう時期に来ている
グロ−バル化経済でもそこに公平とかないのである、だから行き詰まり反抗する国が出てきてもおかしくないのである、もちろんロシアがいいとかはならない
ロシア自体がまた覇権を握りたいという野望の国だからである
そこで最終戦争がハルマゲドンが起きてもおかしくないとなる
そして人類滅亡してそのあとに神の国が来るとなる、それが希望だとなる








posted by 老鶯 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月10日

人間に起きることはカルマが関係している (個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)


人間に起きることはカルマが関係している

(個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)

chagerock1.jpg

シーシュポスの岩


カルマというとき個々人でもあるし家族単位でもある狭い地域でもある
大きくは国家レベルでもある
なぜ今自分自身がカルマと自覚したのは家族でも母でも全部死んでから家事でも全部自分一人ですることになったことである
私は60歳まで家事でも全部家族がしてくれたのである、だからいつも料理は出されていたし家事はする必要なかったのである
でも私自身はそれが当たり前だと思っていたのである
それは特別恵まれた結果としてそうなっていたのである

今自分が必ず自分自身一人で料理を作り食べている、その時どうしてもたりないものがあり台所まで食事の途中でも立ってゆくするとゆっくり食事ができないのである
それで今まで母でも食事を作りだしてくれていたことは特別恵まれた結果だと思うようになった
そして母は店をしていたときお客さんが食事中に来て必ず立っていた
ゆっくり食事できないし自分自身もそのことが嫌だったのである
食事のときくらいゆっくり家族で食事したいとなるからだ

ただそのことが母のことが自分自身のカルマとなっていたのである
それは食事中に必ず立ってたりないものを運ぶことになったからである
つまりゆっくり食事ができないともなっているからだ
母は私の家では女中のように働くだけだったのである
若い時は現実に東京の方に行って女中をしていたからである
それで花でも何か興味もなく働く詰めの一生だったとなる

人間はつくづくこうして誰でもカルマを背負っているしそれが現実となり苦しみとなってそのカルマを自覚するのである
これは本当に自分自身のカルマだった、また母が後妻に来て自分の家で連れ子の兄は良くされなかった、ただでは自分自身が全部それでよかったかとなると最後に家族の介護で死ぬほど苦しんだのである
それもカルマだったのである、その時誰も頼ることもできなくなっていたからである
それで親の介護のとき一倍お前はかわいがられたのだから介護しろと兄弟に言われるというのもわかる、カルマとはそういうことなのである、
兄弟でも親から平等に愛されると限らないからである

カルマの不思議はその家族は両親があっても父親が若い時から病気であり障害者のようになっていた、それで母は大変な苦労をしていた
でもその娘が結婚した相手は技術者で頭が良くて給料も良かったのである
でもそれが最後に実際は事業に失敗していたのである
すると娘も夫の事業の失敗で借金とかで苦しむ、つまりここでもカルマが苦しみとなって現れたのである
そういうことが身近でこれは何なのだろうとなるとカルマだと実感する

ただ全部があてはまることはない、その家の両親は本当にいい人だったのである
正直実直だったのである、でも息子は全く出鱈目であり誰からも嫌がられていた
最近死んだ、そして誰も惜しんでくれる人はいない
なぜなら息子がいても自殺していたからである、でもなぜそうなったのか?
その両親がそんなにいい人でもそうなるからその理由がわからないとなる
他にも創価でも他の宗教団体でもそういう人をまじかで見ているとわかるだろう
近くで若いの息子が病気で早死にして母親もすぐに死んだとかある
そういう不幸な人は別に宗教団体でもいくらでもいるし実際に見ているのである
呪われてたたられているのかと思う人がいくらでもいるのである

カルマは集団で解決しない、なぜなら個々人でも家族でも負っているカルマは違っている全部同じカルマではないし、それはそれぞれが負い苦しむことで解消するからだ
みんなであなたのカルマを解消してあげますよとか言ってもできないのである
カルマは個々人苦しみ自覚して解消するからである
つまり個々人が負っているのでありそれは他の人が代わってそのカルマを負い解消できないからできないからである
むしろ集団に入ると集団がもったカルマで負わされることにもなるのだ
何かいいことばかり期待して入るとそうなるのである
つまりそうした宗教団体でもカルマを団体的に背負っているから集積されるからそうなる

カルマは苦しまない限り解消しない、また苦しまないと自覚できないのである
だから自分のようになぜ食事もゆっくりできないのだろうと考えた
そしたら母がまさにそうして働き尽くしていたことをふりかえりこれはカルマだと自覚したのである
おそらくどんな家でも家族でもカルマを背負っている、今いいように見えてもカルマは必ず苦しみとなって現れる、そして長男長女がその苦しみを負うことになる
家族のカルマを一身に背負うのは長男長女になるからだ

結局人間は誰しもカルマから逃れられない、逃れようとして宗教団体に入ってもカルマから逃れられない、カルマを解消するには自ら苦しみまた他者に善行をほどこすとかするほかないのである
カルマは個々人でも家族でもそうだが国家でもカルマを背負っている
なぜロシアが日本でも良く思わないかというと戦争の時、どさくさまぎれに北方四島とかを奪ったりシベリアは抑留とかありロシアは日本と戦争しなくても漁夫の利を得た
そういうことでロシアは言い分があっても日本は今回の戦争でもロシアの悪辣さを非情さを批判する、それは確かに一方的な見方でも結局過去にしてきたロシアの悪行があり
カルマがありそれで良く見ないのである

ただアメリカに原爆落とされて日本は悲惨なものとなった、ではなぜアメリカを恨まないのかとなる、それはおそらくアメリカ人は戦争の後でも日本を経済的援助したり良くしたりしたからかもしれない、そしてその時はアメリカ人も相当に死んで血を流している
ロシア人は争わずして死ぬこともなくただいいとこどりになっただけだからである
でもそういうことがカルマになって過去の行為(カルマ)があり日本人はロシアを良く見ないのである
だから歴史でも国家レベルでもカルマが関係しているのである
昔はあいつはあいうことをした、あいつは悪い奴だとなり過去のことが尾を引いている
それは個々人レベルでも国家レベルでもそうである
でも国花レベルになると人道とか関係なくなり力で他国の土地を奪っても英雄になったりする、プーチンでも英雄になる、人殺しでも正当化されるのである
それで権力者とは大盗だというのもわかる、中国では現実にそうだったからである
盗賊が皇帝に実際になっていたからである

いづれにしろ人間のカルマは苦しまないとそもそも自覚できない、でも苦しむことで自覚して苦しむことによってカルマが解消するとなる
でもシジフォスの神話のように転がり落ちてくる岩を延々と持ち上げてもまた落ちてきて延々と持ち上げては転がり落ちて持ち上げる、それもカルマなのである
それは怠けていた結果として何か有益なこともしなかったのでそれでそうしたカルマを負わされたともなる、そしてそれが尽きることなくつづけさせられる
カルマが簡単に解消しないのである
人間はこうして何らかみんな罪業をカルマを負っていてそのことで苦しむ
この辺の原発事故もカルマであり放射性物質のプルトニウムが毒となり二万年消えないというときそうである、故郷にも住めなくなったのである
これこそがまさにカルマでありカルマは簡単に解消しないのである

カルマというとき戦争というのも人間からなくならない、それはウクライナ戦争でわかった、現代にあれだけの殺戮が破壊が行われるのをまざまざと見たからだ
実際にベトナム戦争からイラク戦争からアフガニスタン戦争からと戦争は継続されていたのである、だから人類から戦争がなくなることがない、それが証明されたのである
戦争も人間のカルマなのである、人類がつづくかぎり戦争は終わらない、終わるとしたら核戦争がありハルマゲドンがあり人類滅亡してカルマが解消するのである
それが人間の現実なのである





posted by 老鶯 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月07日

日本人の貧困化の深刻 (日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)


日本人の貧困化の深刻

(日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)

 大阪市淀川区三津屋中3の住宅でベトナム国籍の女性の遺体が見つかった事件で、大阪府警は6日、首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手、山口利家(としや)容疑者(59)を強盗殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した。山口容疑者は自宅の階下の弁当店で働いていた女性を誘い出したとされ、「生活が苦しくなり金を奪おうと思った。抵抗されて首を絞めた」と容疑を認めているという。


 こんなことありうるのか?
ベトナム人とか貧乏だろう、そんな貧乏人が貧乏人を襲う時代なのか?
首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手とあり切羽詰まっていかたのかもしれない、それにしても日本にはもう追い詰められた人が相当数いる
そういう追い詰められた人に出合うことは不運であり危険である
田舎ても自分もそういう目にあった、もう年金でも普通に節約しても暮らしていけるだけもらえない人がいる、どうも一人暮らしの中高年の女性がそうなっている人が多い
なぜなら女性はまともに年金などもらっている人が少ない
誰でもできる仕事でありそうしたサービス業がコロナウィルスとかで職がなくなった人が多い、もともとぎりぎりの生活をしていた人がこういう時は生活もできなくなる
また物価高になるとそういうぎりぎりの生活の人にさらに負担になるのである
生活保護を受ければいいというがそれも簡単にできない、確かにもらっても年金がわずかでももらうと一万だとか医療費でも必ず負担がある
一万援助するがあと一万は払えとかなっているのである
満額が援助されないのである

とにかく追い詰められた人間が増えてくると安閑として暮らしていけなくなる
回りでそうなるのである、そういう人は危険な存在になるからだ
だからわずかの金でも奪い殺してしまうとまでなるこら怖いのである
日本人が金に困ってベトナム人襲うというのも日本人の困窮者が増えてゆく兆候である、昼職ぬきで働いているとか困窮する人が増えて来る
それで本当に今度は日本人が中国でも金持ちの国に出稼ぎに行く時代になるというのも
ありうる、日本はそもそも賃金が上がらないし物価も高くなってくる
年金は減らされる、増えるのは老人と病人ばかりなのである
その医療費でももう賄えなくなる、そこで親でも子は捨てる時代になる、介護の負担はできないとなる、それは金銭的に労力でもそうである
介護の負担の労力は大きいからである、金があっても労力の負担は大きいのである

生活保護は犯罪を犯させないものとして最低限支給するものだという、でもその最低限も支給されない、するとどうなるのか?犯罪に走るとか危険なものになってゆく
回りにそういう人達が増えて来ると治安が悪くなる、そういう人達と出合う確率も増えてゆくのである、何かこれから食料不足になり食事は戦前のようにもなると言う人もいる
私の母親は味噌汁と沢庵と何かわからないが一汁一菜とかで紡績工場で働いていた
痩せていたのに良く働いていたと思う
何か最近本当の貧困のことがわからなくなっている、それは贅沢になれてしまったからだろう、人間は一旦贅沢になれると生活の質を落とせなくなるのだ
うまい米を食べているとまずい米は食べたくない、それでいい米はいくらでもスーパーに入ってくるからそれを買うことになるのである
地元でとれた米があってもうまくないなら食べないのである
でもいざ食べるものもなくなると震災の時古米でも配られてそれでしのぐことができたのである

この事件は日本でもこの世の末だともなる、ここまで落ちたのかとなる
日本人がベトナム人にわずかの借金を要求して断れて殺してしまうというのは信じられないとなるからだ、それほど切羽詰まっていたとなる、そもそも弁当屋で働いているベトナム人自体が貧乏なのである、そんな人にまで襲って殺すというのが信じられないとなる
こういう事件が起きることは日本がいかに貧困化しているかを示している
この人には病気になったとか事情があるにしろこういうふうに追い詰められた人達が増えて来る、すると治安が悪くなる、つまり餓えた動物でもうろうろしているような感覚になるのである、その餓えた動物がいつ襲ってくるかわからないということになり安閑に暮らせないとなる
自分でも事業に失敗した人が借金を要求するとか一人暮らしの60くらいの女性が金を奪うとかもう毎月電気ガス水道が止められる人がいるとか田舎でもそうなのである
ただそういう人と出合いないと日本の貧困化は実感できなかもしれない、でもさらに貧困化してくれば誰でも身近に出合うともなる

そしてウクライナ戦争で世界でも物価があがり食料不足になり電気がとまるとかペルーでも暴動が起きたしスリランカでも暴動が起きる
肥料不足が農業にとっては致命的になる、それは日本でも同じなのである
米騒動とかが前に起きたがそれこと同じようなことが起きて来る、不穏な世界になってゆく、追い詰められた人間は一番怖いのである、そういう人は善も悪もない、餓えた動物であり相手を殺してまで食べなければ生きていけないとなるからだ
まず麦が高くなることは食料にとっての影響が大きい、うどんでも麦だというときあらゆるものに影響する、麺類は麦だとするとそうなる
ただそうなると米の需要が増える、ということは農業にとってはいいことかもしれない、でも今農業の成り手が少ないからすぐに増産はできないのである

何かグレートリセットとかあらゆる方面で大きな変化が起きて来る
その大きな切っ掛けはウクライナ戦争でも前からそういうことは言われてきて現実化してきたのである
怖いのは日本が第二のウクライナになるかもしれないことである
今度は中国とアメリカの狭間でウクライナのようになる、そこにロシアもかかわてくる
そしてそういう混乱して来ると悪鬼が侵入して来る
家が乱れたときそうなると書いたようにである
なぜアゾフ隊とか何かテロ組織とか外人部隊が入ってきてそこで荒らされるのである

国が乱れ荒れる時、そういう悪鬼が入り安くなる
だから日蓮のような日本の危機がやってくる、すでに来ている
こういうときまた大きな自然災害も起きて来る、人心が乱れるとそれに呼応して自然も乱れるのである
なぜこれほどの災害が起きて来るのか?
70年生きていてもすでに三回の大地震を経験している、ここ十年の間にである
でもこんな地震をここで経験していないのである、ただ70周期で社会が大きく変わる
そういうとき自然も乱れるのである、だからまた大地震が日本のどこかで起きる
それにしてもなぜ自分の住んでいる所でこれほど地震が起きているのか
それもとなりの街は今回それほどの被害ではなかった、自分の住んでいる所が被害が大きかったのである
それでこに住んでいられなくなるのとまで見てしまうのである

posted by 老鶯 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月06日

ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか? (ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか?

(ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ukuraina111.JPG
ルーベン" ジスベルト現地ルポ マリウポリからライブ速訳

ここは詳しい、スペインに住んでいるからスペインの人がドンバス地域に入った報告は信憑性がある
ウクライナ人が市民を盾にしてロシア人を殺している、ロシア人をロシア人を殺すわけがない
殺しているのはジェノサイドしているのはウクライナ人のネオナチだというのは本当なのだろう
ともかく一方的な情報ばかりに接していると危険である
そして余りにもウクライナでも複雑な事情があったのである
だからロシアだけ責めるのは危険である


日本が国に二大敵国あり、その第一はロシアなり、ロシアは併呑(へいどん)主義をもって外より我らを破壊せんとす、その第二は米国なり、その物質主義によって我は腐食せんとす、、我らの軍人は剣をもって第一の敵を撃退せり、我らの宗教家は信仰をもって第二の敵を排斥せざるべからず(内村鑑三)

そもそもなぜロシアでもアメリカでも中国でも信用できないのか?
その過去の行為(カルマ)があり信用できない、ロシアでも戦争でシベリア抑留とかあり北方四島をどさくさにまぎれて奪った
ロシアとは平和条約を結んでいた日本がロシアを攻めたかげはないのに一方的にどさくさにまぎれて悪行のしたいほうだいだったとなる
弱体化したところで攻めてきたのである
そういうことがあるからどうしても信用できないとなる、併呑(へいどん)主義というときロシアは北方四島まで奪う権利もなかったのに戦争のどさくさに紛れてそうしたのである

そしてアメリカがどうなのかというとこれも過去の行為をみればわかる
アメリカとは戦争国家なのである、何かいいがかりをつけて戦争する、ベトナム戦争でもイラク戦争でもそうだったのである、それは人道に反するものであり何の根拠もないのに生物化学兵器がなかったのにイラクを攻めて大量の人を殺したのである
ベトナム戦争でもイラク戦争でも人道に反することを大規模にアメリカはしてきた
そして日本の戦争でも原爆を落とした、これは人類的罪であり最大の人道違反だった
こうしたことがあっても過去のことを反省もしないのである
あたかも正義の鉄槌を加えてやったとかなっている

何か欧米系は特にアメリカは正義面をする、アメリカの原住民からインディアンから土地を奪ったときもそうである、契約でだましたというときそうである
食料がないからとインディアンが援助してもそれを恩義とも感じなかったという
アメリカが正義とか人道を言う時こういうことが過去にあったから信じられないとなる
それは口先だけのことであり平気で嘘を言うとなる
表と裏の顔が違っているのである、その相違が極端なのである

内村鑑三はアメリカに留学してアメリカは金がすべてだとして嫌った、また外国人の宣教師も嫌った、日本独自の文化と歴史に根付いたものからキリスト教を取り入れた
それが武士道を基にしたのもであった
もちろん日本にも過去の戦争で責められるべきことはあった
でもそれではアメリカが正義のために戦争したのかとなると違う
また東京裁判などで裁かれるかとなれば違う、アメリカは人類的人道的最大のカルマを作った、それが原爆なのである、そういう国が他国を責められるのか、人道を言えるのかとなる
そして日本でもドイツでも戦争の報いは焼野原となってあった、でもアメリカは離れているから国土が焼野原になるようなことを経験していないのである、ただ勝った方が正義だとなっているだけなのである

今回のウクライナ戦争でもロシアの併呑主義であり許されないことである
でも西側の報道をうのみにしていいのだろうか?
ジェノサイドがあったというが本当だろうか、その映像がウクライナ側によって作られたものであるという報告もある
それは確かにそうだったのである、妊婦が運び出されて死んだ映像と思ったらその妊婦は生きていたのもそうである
また真偽が明確ではないにしろブチャの民間人のジェノサイドは嘘だということを報告している記者もいる
これは相当に重大なのことである、殺したのはウクライナ側のアゾフ隊だという
そんなことがあるのかとなるがその明確な証拠はないのである
もしそんなことをししているとしたら大問題だとなる
だから西側とかアメリカからの報道でも信じられないのである
イラクでも油まみれ海鳥の映像で世界中をだましたからである
イラクは悪い奴だフセインは大悪党だとして攻めたからである
アメリカの言う大悪党はアメリカの都合のいいように作られたものなのでてある

結局報道では真実が報道されると限らない、映像は何かすべて真実に見える
するとそれが証拠であり訴える、現実にあれだけ悲惨な映像を映されればそうなる
ただ人がどれだけ殺されたのかどういうふうに殺されたのかはわからないのである
だから調査が必要だとしている
ともかくロシアが悪いことはわか、でも一方的に報道を信じることも相当に危険である
テレビばかり見ているとロシアが悪い、悪いしかないのである
でもネットだとその反対のことも報道している、すると何が事実であり本当なのかと考える

ただ映像の時代になると映像の力が本当に大きいのである、映像は信じやすいのである
そこに嘘がないと見るのである、言葉だったら嘘だとなっても映像は偽れないと見るからだ、都市が爆撃された映像は嘘ではない、ただそこで人間がどういうふうになっていたのか、死んだのかなどは明確ではない、でもあれだけの映像を見せつけられるとそれが嘘だとは思えないのである
ただブチャで民間人を殺したのアゾフ隊だとかウクライナ側だったとなれば大問題であるまずそんなことができるのかとなるからだ
でもそれをスペインの記者が報告している、それが全く嘘とは見えないのである
それでその記者は命を狙われているという

つまり何かを中立的に見る時当時者より第三者でないと中立的には見れない
喧嘩している時でもそうである、どっちかに加担すると中立になれない
それで失敗したのは家族がもめていて娘が親にひどい目にあっていると思っていたら
全然違っていた、娘の方が信じられないひどい娘でありいじめられていたともなる
そして親はひどい娘だと自分に言い残して死んだのである
それがわからなかったのは付き合いもなくなっていて情報不足になっていたからである
こうして喧嘩でもどっちが悪いかなど簡単に分からないのである
それは情報が不足しているからそうなる、そしてどういう経過でそうなったのかも時間軸で見れないからわからないのである

私はロシアを弁護しているのではない、一体真実がどこにあるのかということである
ロシアが悪いことはわかる、でもアメリカが西側が正義なのかとなるとこれもわからないのである、結局こうして大国の狭間で犠牲になるのは小国だとなる
外国勢力が入ってきてずたずたにされる、一見独立のためだとかいってもそこには外国勢力が入ってきて二分されるのである
日本の明治維新でも外国勢力が入ってきて二分されることはありえた
でも日本はヨ−ロッパの植民地にはならなかった唯一の国だったのである
中国さえヨ−ロッパの植民地になったからである
ただ日本はアメリカに負けたアメリカの従属国になったのである

民主とか自由がその国とってすべて良く働くとは限らない、その国々の歴史的文化的価値観がある、それは否定できないのである、だからロシア的価値観が何かわからないにして国々にはその国なりの価値観がある、日本だっから武士道がったとなる
ただ外国勢力が入ってきてそういう価値観が全部否定される、ただ民主とか自由とかではモラルとか価値観を形成されない、結局国が二分されてばらばらになり外国勢力に分断されるだけだったともなる

ともかく現代は情報社会だから報道合戦にもなる、通信を駆使して有利にする
それで報道で欧米側が優ったとなる、ウクライナでも通信で報道で優っていたとなる
ロシアは悪役にされプーチンが大悪党にされた
でもアメリカでも悪人だったのである、でも正義面するのである
ただアメリカは遠く離れているから領土を盗るということはない
ロシアとか中国の問題は必ず領土拡張して他国に侵略するのである
いづれにしろ大盗になるとそれが善人化され英雄化される
国を盗むのものは英雄であり善人になるのである
報道は事実を報道するわけでもない、まずロシアが悪い、プーチンだ悪いとてけ報道する姿勢かある

例えばこの辺で原発事故があり補償金問題でもめた
原発避難者と津波の被害者が仮設にともに住んだ、そこでもめたのは原発避難者は多額の補償金をもらったが津波の被害者はもらえなかった
でもNHKでは放送の方針として原発避難者につくように決めたのである
だから原発避難者の方がかわいそうだと応援して放送したのである
それを後で訂正したのである
報道とはこうしてテレビ局でも方針を決めてする、テレビ局の意向によって決まるのである、ウクライナの戦争でも常に西側に欧米側につき放送しているのである
やはりそこを見ないと真実が何なのかもわからなくなるのである


posted by 老鶯 at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月02日

ソビエト連邦崩壊からアメリカのグロ−バル化になった (自由市場競争とはアメリカの金儲けのシステムであった)

ソビエト連邦崩壊からアメリカのグロ−バル化になった

(自由市場競争とはアメリカの金儲けのシステムであった)

なぜロシアのウクライナ侵攻があったのか?そのことは時間軸で考えないとわからない
プーチンの狂気だともなるがそこにはソビエト連邦崩壊が深く関係していたのである
米ソ冷戦があった、それからソビエト連邦が崩壊した
そのことを忘れていた、世界でもロシアとかが注目されなかった
注目されるようになったのは目覚ましく経済発展した中国だったのである
ロシアのことは経済的に話題にならなかった、経済的には韓国並みのGDPであり世界には影響ないものになっていたのである
ただ米ソ冷戦時代の遺物として核兵器をもっていたのでそこだけが常に危険だとして注目されていたのである、だから今回もロシアは大きな北朝鮮になるということになった

グロ−バル化とは自由競争市場主義となるがそれは結局アメリカに有利になるアメリカに富が集中するシステムであった、そこで確かに日本でも高度成長時代になり恩恵はあったでも世界市場は一国にとどまらない、世界が市場だから今度は簡単に別な国に市場が移り日本は取り残されたのである、ただそうしてアメリカは常に繁栄するシステムがグロ−バリゼーションなのである
それを象徴しているのがドルが世界の基軸通貨になっていることである
ドルを刷ることによって世界からの富を収奪するシステムがグロ−バリゼーションである

1991年のソ連の崩壊で、われわれはアメリカの万能の思いもかけぬ別世界に迷い込んだ
アメリカのアメリカのためのアメリカの世界が今や人類の目的になってしまった
ソ連の崩壊で世界はアメリカのために存在するものになった

(日本には日本の経済があるー菊池哲郎)

だからソ連崩壊とは世界が大きく転化した時代であった、ただソ連が弱小国になったとき忘れていたのである
それでもう一度ソビエト連邦再興を計ったのが今回のロシアのウクライナ侵攻だったのである、ただそこにはアメリカだけではないヨ−ロッパの問題でもありアメリカのドルに対抗してEUが生れて通貨でもEUの通貨が生まれた、だから世界は二極化から三極化してきた、今度はロシアがルーブルで石油でもガスでも買いというときそうである
一応EUでも買えることにした、通貨というのは世界支配の道具ともなるからだ
それでドルが世界の基軸通貨になっているときアメリカが世界を支配しているとなっていたのである、そもそもドル紙幣などいくらでも刷れる、それがアメリカの富になっていっていたのである

要するに時間軸でみればプーチンのウクライナ侵略も無謀だとかなるがそれなりの理由はあったとなる、戦争は肯定されないにしてもそれにも理由はあったとなる
アメリカ支配に対抗するものとして今回のウクライナ侵攻もあったとなる
ただすでにロシアはソビエト連邦から比べると格段に力の相違がある
とてももう欧米に伍する力はない、ただ核兵器だけで対抗しようとしたのである
アメリカのグロ−バル化でも別に豊かになればアメリカに反抗しない、富の配分があれば反抗しない、その例が中国である、でも中国はもうアメリカと対等になったときアメリカの力がそがれてアメリカに富が集中することができなくなる
アメリカはただ日本であれどこの国であれ自由競争市場で公平を装うが現実は違っているアメリカに対抗するとアメリカは日本製品をボイコットしたりしたことがある
それは高度成長時代だったのである、アメリカが常に優先されるのがグロ−バル化なのである、ただどこの国でも自国優先である、アメリカの自国優先は世界の富を収奪する自国優先なのである、第一アメリカだったら天然資源でも石油でもガスでも食料でも果物でも自給自足できる、他国に頼る必要がないのである

いづれにしろ今回のウクライナ侵攻は世界の転機にもなる
それはソビエト連邦の復活ではなく、かえってロシアはさらに小国化する、そして中国がアメリカと対抗する国となる、ロシアは中国の属国化するようにもなる
米中対立の時代でありその中でグロ−バル経済も変わる
基軸通貨のドルの時代も終わる、それがルーブルで石油でもガスでも買いということになった、中国でもドルに代わる通貨を作ろうとしていたからである
アメリカのグロ−バル化は世界からの富の収奪でありそれも終わりつつある
アメリカはアフガニスタンからも手を引いたように日本からでも手をひく、中国と戦争とかなっても自ら血を流すことはしない、基地があるとしても撤退することがありうる
アメリカも弱体化しているからである、そしてアメリカァ―ストとトランプが言ったようにそうなると日本からも手を引く、そういう時代の大きな変化の中にあり日本がどうするのかとなる、もう米ソ冷戦時代のようにアメリカは日本を守らない、すると巨大化した中国と人はどう対応するのかが大問題になる
そういう時代の大きな変化が戦後70年でやってきたということである

グロ−バル経済の問題は物と心の分離にもなった、余りにも巨大化した経済はもう物が世界的に流通しても心が通わないのである
第一経済という言葉がエコノミーが家政から始まっていた
つまり家政が経済だというときそこに心が通うものとなる
日本語で物とはただのものではない、モノと心は一体のものとしてあった
モノが憑くとかがそうである、物と心は切り離せないものとしてあった
それが東洋的思想であり物と心が分離するのは西洋的思考だともなる
グロ−バル経済にはモラルがない倫理がないというときもそうである
それでナショナルなものドメステックなものに回帰する
西洋でもアイディンティティというとき物と心が一体化することである
とてもグロ−バル経済というとき全く物と心は分離した世界なのである
それはまた自然とも分離した世界ともなる

本来は人間も生物だから生態系にのっとり生きてまた自然とアイディンティティ化することに生の充実を感じるのである
山とか木とか森とか石とかと心がアイディンティティ化することその土地土地の自然とアイディンティティ化することが文化になる
だからそもそもその土地土地にとれるもので基本的に暮らすことが自然なのである
もちろん貿易とか商業は必要だけどそこには限界があり境界がある商業になる
その境界とか国境とかが見直されたのはコロナウィルスである
これはグロ−バル化した結果として防ぎようがないものとなったからだ
これもサンクチャリーとかがあり本来は聖な領域がありそこでも人間がづかづかと入りこんだ結果としてタブーを破った結果としてウィルスがもたらされたともなる

つまり極端なグロ−バル化は生態系を破壊することにもなったのである
ま0た科学技術でも原発のように生態系を壊した結果として人が住めなくなったのであ
人間は生態系を離れて生活できないのである
ともかくグロ−バル化はアメリカ支配のシステムでありそれは終わりつつある
ロシアのウクライナ侵攻を認めるというのではなくアメリカ支配のシステムの崩壊が起きたのかともみる
ただロシアは弱小化する、中国がさらに巨大化する、それもまた問題なのでなのである

posted by 老鶯 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月01日

人間は時間軸で見ないとわからない (ロシアはソ連崩壊からたどるー中国に併合される)


人間は時間軸で見ないとわからない

(ロシアはソ連崩壊からたどるー中国に併合される)

なぜプーチンが突然ウクライナに侵攻したのかわからなかった
狂気になっのかと一時思ったし西側でもそう見えた
それは時間軸でソ連が崩壊した後のことが無関心になりわからなくなっていたからだ
今日は時間軸でどうなったのかテレビで放送していたからそうかと納得することがあったなぜならロシアの大学に1019年頃大学に留学していた人がその頃外貨が稼げなくて
日本とかヨ−ロッパからでも学生を呼んでいたという
その時授業料でも安い、それで日本の円も高い時だったから外国人でも入れていたというその大学はロシアの東大のような大学で全員KGBに入る大学だという
東大だと法学部だと上級官僚になる大学だったという

日本では大学ではないが後進国の若者を日本語学校に入れて授業料をとるとかある
でもその人たちは日本で働き円を得て親にまた家族に仕送りしたりしている
これはロシアとは違っているにしろやはり円がまだ価値があるから為替格差でグロ−バル化するとそうなる
日本の企業でも日本人は日本で雇うと高くなるから安い国で仕事をさせる国を選ぶ
これがグロ−バル化社会である

ロシアでは資本主義と民主主義を同時にソ連が崩壊した後入れた、中国は資本主義を入れても政治には民主主義は入れていない、そして中国でぱ経済の面では資本主義化して成功した、豊かになった、でもロシアではそうならなかった
そもそも株式会社としても株を持つことがどういうことかもわからなかったという
社会主義から資本主義の変化で会社は国有企業であり資本主義は民営になる
それがうまく移ることができず極一部の富豪が生まれたが全般的に豊かになれなかった
中国は人口が多い割には豊かになった、だからロシアのGDPは韓国より低いのである
中国とは十倍もの差がある、つまりロシアは小国化していたのである
ただ核兵器を持っているから軍事力で大国を維持していた
それしか誇れるものがなくなっていた、だから大きな北朝鮮だというのもわかる

ソビエト連邦崩壊というのはロシアにとって相当な衝撃だったのである
そうなると西側の資本主義とか民主主義を入れても国は豊かになれない
アメリカと並ぶ大国だったのに小国化して貧乏になった、そのことでプライドも持つことができなくなっていた、プーチンはKGBにいてソ連崩壊のことを肌で知っているから
かつてのソビエト連邦のことを知っているからその時代を再興させたいという気持ちが強かった
そういうことが心の中で鬱積していてそれがウクライナ侵攻になった
そこで武器となるのは石油とか天然ガスとかの資源である、あとは核兵器だとなったのである、でも強い軍隊があると思ったら旧式の武器でありウクライナに入ってきた最新式の武器とは違っていて苦戦したとか統制がとれないとか士気がないとかで一挙に制圧することができなかった
つまりロシアにはそれだけの国力がいろいろな面で消失していたのである
ただ核兵器があるからそれを脅しに使うとういことが世界に恐怖を与えたのである

こういうふうに時間軸で見るとプーチンの突然のウクライナ侵攻となった気持もわかる

ソビエト連邦ではアメリカに並ぶ大国だった

今は何なのだ、こんな国ではなかった

もう一度ソビエト連邦を再興させるのだ

こんな気持ちになることもわかる、でも現実はロシアは国民がそうして一体ともなっていない、プーチンに従わない、軍事力も思ったほどではなかった
それで指導部でも統一されずプーチンから離反してゆく
そしてプーチンは暗殺されるとかなる
つまりソ連が崩壊して資本主義と民主主義を同時に入れてもそれがうまくいかなかった
そこで西側を恨むことにもなった、でも中国は資本主義を入れて民主主義を拒否しても
豊になったから成功したとなる、それで西側をアメリカを恨むということはなかった
ただアメリカと並ぶ国となったのでアメリカから睨まれる敵対するともなったのである

結局人間は空間軸で起きることはある程度わかる、ウクライナはロシアにとって西側との緩衝地帯であり防衛上重要な欠かせない国だとはわかる
でも時間軸になるとどうなっているのかわかりにくいからそこに誤解が生まれる
でも時間軸でソ連が崩壊してどうなっていったのかわかるとそういうことだったのかとなる
ロシアはソ連が崩壊して資本主義と民主主義を入れても豊かになれなかったのである
国力でも弱体化したしとても西側にアメリカと伍する国ではなくなっていた
ただ核兵器の国でありそれが誇るものとなっていた
だから大きな北朝鮮であり戦争が終わればそうなる、さらに小国化して国さえ維持できるかわからなくなる

そういうことでウクライナ侵攻はソビエト連邦再興ということはありえない
大きな失敗だったともなる、拡張する力などなくなっていたのである
だから戦争してかえって自壊するとなる
時間軸でみるとそういうことなのかと納得する、でも人間は時間軸で見るのが苦手なのである
何か普通に事件が起きてもそれがどうしてなのかそのことが時間軸で見れないから誤解するし理解できないのである
どういう経過をたどってそうなったのかを知ることが時間軸で知ることがむずかしいからそうなる

ともかくこの戦争でさらに疲弊して国を維持できるのかとまでなる
ソビエト連邦の再興などないのである、中国の属国みたいになるかもしれない
現実にこの戦争で頼るのは中国でありそうなりつつある
するとますます中国は大国化してゆく脅威となる
結果としてロシアはハバロスクとかウラジオストックとかサハリンとかを維持できなくなる

1991年にソ連が崩壊すると,ロシアの極東地域は政府からの補助金が見込めなくなったつまり生きるための安価な輸送がコストが消えたことになる
そのためにこの地域全体が餓えに直面した
当時からはハバロフスク州政府は地域住民がソ連の法律を破って,スクラップの金属、
あまったセメント、その他あらゆるものを中国人に売り、その代わりに食料や服を手に入れることに目をつぶっていた
そしてロシア人は中国人に感謝することもない、ただ怒っていたという
中国人は物理的に極東を征服する必要はないでしょう
私たちを経済的奴隷にしているのですから
「奴隷国家の完成、政、官、ヤクザ支配は強化されている」ベンジャミンフルホード

この本は日本のことを書いたのだがロシアはまたこうして国家自体がこういう状態なのである、ただあらゆる国家にはそれぞれ問題がある、アメリカにもあるしどこにでもある
でもロシアはもう国家を維持できないような状態に経済的にもっていたのである
ただロシアの脅威は核兵器国だから世界が恐怖したのである
それしか誇るものがないとなっていた、だから大きな北朝鮮だとしている
ロシアより驚異なのは中国なのである、北方四島とかサハリンでもロシアは維持できなくなる、そこに入ってくるのが中国なのである
第一輸送するにしてもモスクワとから離れて過ぎているからである
むしろ地政学的には中国に属しているのである

私はハバロフスクから中国に出て満州里に出た、そしたら十数年前でもいい車をトヨタの車をもっていた人がいたのである、すでにその頃から中国人でも豊かになれる人がいたのである、満州とかシベリアとなると酷寒の地である
また南相馬市ではロシアに中古車を売る会社がある、ロシアでは日本の中古車が人気なのである、でもその生活は中国からすると相当に遅れてしまったのである
だから中国に実質的には吸収されていて将来もそうなる
経済規模でも十倍も違うからである、技術革新もできているからである

こうしてウクライナのロシアの侵攻はアジアの極東の日本まで関係していたのである
それで北方四島でミサイル実験が行われたとか核を日本に打ち込むとか恐怖を与えたのである
ただロシアの内情はこのように中国と比べるともう内部崩壊のような状態になっていた
だからとてもソビエト連邦の再興などないしむしろロシアという国自体の消滅するのかともみる,ウクライナからでも逆襲されているからである
ロシアはこの戦争でかえって疲弊して国力はさらに減退して弱小国になり中国に併合されるのかとまでなる、それが現実的見方だとなる
ロシアとなると日露戦争もあり函館にはロシア人の墓がありニコライ堂とかロシア正教の教会もある
外人墓地にはロシア人の墓もある
日本とはモスクワは遠いにして隣国なのである、ただ将来的には中国の属国化してゆくだろう
それがウクライナの侵攻でその衰退に拍車をかけたともなる、未来はわからないにしてもそういう予測が一般的になる
posted by 老鶯 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月29日

南相馬市地震被害にDRT−ボランティア支援団体が来る (プロ集団で無料で瓦を直していた)


南相馬市地震被害にDRT−ボランティア支援団体が来る

(プロ集団で無料で瓦を直していた)

earthroof111.jpg
ブルーシーとは無料で配られた

これで被害にあった家がわかり結構多かったことが判明した
鹿島区は相馬市とか原町区より被害があったと言う


earthquake2.jpg


earthq3.jpg
DRTでは重機ももっているから本格的である

earthq44.jpg

社会福祉協議会(鹿島区)

DRTの活動の写真
https://www.facebook.com/drtjapan/


瓦屋根を直している人がいた、車はDRTというボランティアの支援団体である
屋根にあがったりするのは危険である
でもプロであり経験者だからできる
それも無料でしているというからそんなことできるのかと思った
でも寄付金でしているという、こういうときは地元の業者だけではできない
仕事が急激に増えるからだ、だから助かるとなる

この人達は社会福祉協議会(鹿島地区)と協力してやっている
軽トラと赤十字の車があった、軽トラで地震で出たゴミを運んでくれる
頼めば運んでくれる、社会福祉協議会に行って頼めばできる

今回はやはり屋根が壊れた、ブルーシートをかぶせたのでわかった
このブルーシートをとりつけるのにも危険である
それをプロの人にしてもらえは助かる
この人達は素人ではない、プロ集団だからできるのである
ボランティアはなかなか簡単にできないのである
でもこんな危険なことを無料でしている団体もあるのかと思った
ケガしたりしたら頼まれた人は金はらったりしていなからである
そして重機ももってきていたから本格的なのである

今回の地震の被害は2011の東日本震災より揺れは強かった
でも地震だけならそれほどの被害にはならない、津波になると大被害になる
でももし夜で火事になったりしたら怖いと思った
私の家も階段の一部が壊れたので危険なので困る
他にもガラスが割れたとかあった、屋根の瓦は東日本震災で壊れたが今回は私が見た限りでぱ壊れていない、それで助かったとなる
いわき市から来た業者がいて70万かかったからである
その時は原発事故関係で補償金をもらったから良かった
今回はこの辺では補償金は出ないから自腹で直すほかない、でも無料でボランティアが直してくれたら助かるとなる、これは瓦を全部入れ替えることなどはできないだろう
あくまでもボランティアだからである

ブロック塀も倒れたが鉄筋が入っていなかったからか
鉄筋でも錆びたりして地震に弱くなるという、そういうこともあるのかと思った
その人たちはプロだからわかる
でもなぜコンクリートの市営住宅は壊れたのを見ない、ひび割れたのも見ない
ねれはもう50年以上の老朽化したものである、でも全然壊れていない
内部でもひびが入ってもいないという、それがなぜなのかわからない
ともかくこういうときは地震に強い家がいいとなる


posted by 老鶯 at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月28日

ロシア人気質とは(その風土―広大な森がある) (変わらぬ皇帝支配と農奴の国ーウクライナの領土争いの継続)


ロシア人気質とは(その風土―広大な森がある)

(変わらぬ皇帝支配と農奴の国ーウクライナの領土争いの継続)

●ロシア人の気質を語るもの

1、非常に疑心暗鬼が強く、めったに人を信用しない。
2、非常に押しが強く、妥協しない。
3、自分の損得を考え、得になるとわかったときだけ妥協する。

トルストイの「戦争と平和」の中に次のようなくだりがある。
「フェンシングのあらゆる法則にしたがって、剣で決闘をいどんだ二人の人間がいたとしよう。フェンシングはかなり長い間つづいた。不意に、たたかっていた者のひとりが、傷を受けたのを知って、これは冗談ではなく、命にかかわることだとさとり、剣を捨てると、ありあわせの棍棒をつかみ、それを振りまわしだした。・・・・フェンシングの規則にのっとって勝負を要求したのはフランス人だった。剣を捨てて、棍棒を振りあげた相手はロシア人だった。フェンシングの規則にしたがってすべてを説明しようとした人々は、この事件について書いた歴史家であった。」

この話の中にロシア的原理がある

(ロシアを理解するために)ロシア人気質とロシア的原理

ロシア人の気質とかわかりにくい、そもそもいろいろな民族のの気質があるとしてもわかりにくい、ただなぜプーチンがとった暴挙と思えるものがロシア人気質に由来しているのかとなる、欧米だと一応ルールを重んじる、ロシア人も一応ルールに従うのだがそれを極端にして破る

フェンシングの規則にのっとって勝負を要求したのはフランス人だった。剣を捨てて、棍棒を振りあげた相手はロシア人だった。

これは何かいろいろウクライナで西側と交渉はルールに従いしていたのだが突然暴挙になった、もう話し合いとかでは拉致があかないとなり暴力に走った、棍棒でなぐりはじめたとなる
ロシア人はモンゴル系統の遊牧民で気質が荒いともなる、野蛮性がある
中国人の気質とも違う、中国人には長い歴史があり一応文明化された国でありそれを誇っていた、でもロシア人は一見アジア的専制国家として似ているが違う
肉体の強さを誇示するとかプーチンのようなパーフォマンスを普通はしないからだ
そこに未だ野蛮性がある、文明化されていないとなる
中国人だと礼を重んじたのとは違っている、野蛮性をむき出しにする
遊牧民のモンゴルと似ているとしている、それはもともとモンゴルの支配下にあり混血もしているからである、モンゴル人の血をひいているからである
野蛮であるということは動物的であるともなる、だから肉体を誇示するのである
強い人が好まれるということである

●ロシアの風土が作る気質

そもそも温暖な地域ならその生活も温和になる、熱帯の地域とかでは食料でも果物などでも無料で得られるとかなり温和になる、でも寒帯地域とか砂漠地域とかでは何か人間は荒々しくなるのかもしれない、そこは食料に恵まれた地域とは違って風土が厳しいからである、そこは北海道より寒い地域でありその寒さが防壁になり西側のフランスのナポレオンでもドイツのナチスでもモスクワまで攻めてきても陥落できなかった
寒さで撤退せざるをえなかったのである
つまり雪と氷に閉ざされた世界となりそれが防壁となって攻め入ることはができなかったのである
四大文明でもやはり温暖な地域に発生しているからロシアのような極寒の地では野蛮性が失われていなかったとなる
ウクライナでもキエフの近くに大森林がありチェルノブエリブエリも近かったが事故後に放置されて人はいなくなり森林に埋もれた
原始の森林が覆っていたのである、そこにヘラジカや狼がまた棲息するようになった
そういう原始的環境が残っている場所だったとなる

ソ連が崩壊した直後の生活は、聞いただけで想像を絶するものでした。政治・経済のシステムがゼロスタートっていうのは本当に大変なことなんだ…と。

「外気温マイナス20度の冬に家の中に暖房がなくてありったけの服を着込んで寝ていた」「本当に食べるものがなかった。その辺に生えている草とかを調理して忍んだ」

特に問題になったのが失業。

ソ連時代はみんなに仕事が割り当てられていて、仕事を探さないといけないなんてことはなかった。

 それが、仕事を探しても仕事がない。
仕事がないということは、家族を養えない。
多くの男性にとって大きな精神的ダメージ
お酒の力を借りないとダメになってしまう男性がでてくる
&ロシアのお酒は強い(ウォッカはアルコール度数40以上)
アルコール中毒になる
ソ連が崩壊し、

結婚するも離婚するのも自分の自由
シングルマザーも同棲も問題ない
価値観が違う人と一緒に居続ける必要はない酔っぱらって自分を制御できなくなり家庭内暴力・浮気・不倫が始まる


ソ連崩壊のことなど忘れていたけどこれはソ連社会を全く変えてしまった
これはロシア人の社会を根本的に変えてしまった、アメリカに伍するというプライドも打ち砕かれて実際は三等国になっていた、でもソ連時代のことが忘れられないとしている
それにしても離婚率八〇パーセントというのは異常である
つまり国も崩壊して家庭崩壊になっていたのだ

●ロシアの風土(広大な森がある)

何かプーチンのウクライナ侵攻の裏に何があるのか、それが突然のことで理解しにくかった、これは毎日日本でも事件があるけどどうしてそんな事件を起こしたのかをすぐには理解できない、個々の家庭事情があり理解できないのである
つまり事件は空間軸と時間軸で起きる、その時間軸で形成されたもの、それが大きな国の歴史ともかかわってくると余計にわかりにくくなる
そもそも民族の気質など簡単にわからない、ただそれぞれの民族で共通の性格が行動でもパターンがあるとはいえる
まずわかりにくいのはロシアでもその風土であり大陸だと広すぎて感覚的に日本と余りに違うから理解できなくなる、距離の感覚が違うのである

キエフがテレビで見たけどその背後に大きな森林が見えた、すると大都会の近くに大森林があるのかと見た、それは日本でない光景である、日本では森という時小さいからであるなぜそうした大森林があるのかとなると平坦の地がどこまでもつづくからである
それはヨ−ロッパでもそうでありドイツでは広大な森がありそれが行き来を阻んで国境ともなっていたのである
相馬藩だと夜ノ森は余の森であり相馬藩主がなづけた、そこは磐城藩との境目であり余の森として地名化した、そこは森が覆っていて境界になっていたのである
日本でも森が広く境界になっていた、そこが原発が作られた双葉町なのである

私は一応ロシアに行ったことがある、ただウラジオストックからシベリアの方であり中心のモスクワには行っていない、そこで電車からアムール川をみたときは感動した
広大な川ではありそれが運河のようではなく激しく広い川が流れていたのである
あれだけ大きな河は日本にはないから感動したのである

ウクライナは、国土面積 6037万ヘクタールのうち 976万ヘクタールが森林で、森林率は 16.5%。この数字だけを見れば、森林は少なそうに感じるが、雄大なカラパチア山脈が西部を縦断している。ウクライナで山と言えばカルパチアなのである。そしてここは、アカマツやトウヒなどの針葉樹林とナラなど広葉樹林に覆われた森林地帯だ。

森林地帯に兵士が隠れているというときそこは広いからである
チェルノブイリもキエフから一〇〇キロくらいとか近い、そこは事故で森に埋もれてしまった、そこに狼とかヘラジカが棲むようになったのである

 実はウクライナで起きている戦闘の報道を目にしていると、背景などに森林が映っている

これはそうである、広い森があると見ていた、テレビでは実感がわかないが相当に広い森が平地に広がっているのである、ここからも日本へ木材が輸入されていたのである

●ロシアの皇帝と農奴の歴史(詩)

とにかく世界は広い、まず地理からしてわからない、だから常に誤解が生まれる


種族を異にする人の誇らしげな眼は
理解もせず、また気づきもすまい
お前の温順な飾らぬ姿のなにか
ひそやかに光りほのかに見えるものを
(最後の愛ーチュッチュッツ)

ひとがひとを毒の樹へ送る
権力あるものの目くばせをもって
人はかしこみ急ぎ
夜の明けに毒はもたらされる

男はついに力尽き
小屋の筵にに横たわる
並ぶものない皇帝の足元に
あわれな奴隷は息絶える

皇帝が毒に浸すのは
日だろ手慣れたいくさの矢じり
異国の民は次々と
射こまれゆく破滅の征矢(そや)
(黄金と剣とープーシキン)

この二つの詩では

種族を異にする人の誇らしげな眼は

異国の民は次々と
射こまれゆく破滅の征矢(そや)

異民族を常に意識する、ロシア人がいてウクライナ人がいるように
ともかく大陸国家だと多様な民族の坩堝になるからだ、それが欧米の歴史である
その前に中東の歴史でもそうである、多民族が争いつづけた歴史がある
だから常に異民族を意識するのである、それじ人種差別がありジェノサイドも起きて来るそれが大陸国家の歴史だったのである
アメリカでも人種の坩堝であり人種差別が消えないのである
日本人は特殊なのである、日本に住めばみんな日本人であり異民族などいないからだ
アイヌとかは異民族として江戸時代まで意識されたが同化された
日本人に異民族はいない、ただ在日などが朝鮮人として違うとなるがそれも日本語を話すし見分けがつかないのである
だからロシア人とウクライナ人がどう違うのかわからない、ただローマ帝国の辺境としてルーマ二アがある、ローマ二アでもあるからだ
つまりロシアはヨ−ロッパの辺境であり野蛮な国としてあったのだ
それはモンゴル系統でもありゲルマン人とかラテン人種とは違っていたのだ

いづれにしろロシアの歴史は農奴の歴史でもある、絶大な力をもつ皇帝がいてその下に無数の農奴が苦しんでいたのである、

並ぶものない皇帝の足元に
あわれな奴隷は息絶える

まさにこれである、プーチンは皇帝である、豪華な宮殿に住んでいて贅の限り尽くしている皇帝である、でも下々は依然として農奴なのである
ウクライナでもスターリン時代に農奴にされて食料が収奪されて何百万人も飢え死にしていたのである、それは皇帝時代と変わりないとなる

ソ連の政権が「ウクライナ人の問題」を解決するために、ウクライナ人が住む地域において人工的な大飢饉を促した。1933年に「ヨーロッパの穀倉」といわれたウクライナではホロドモールによって数百万人が餓死した。



1918年からはポーランド・ソビエト戦争と呼ばれる戦争が始められたが、その主戦場となったのはウクライナ地方であり、第一次世界大戦時の連合国各国派遣軍やドイツ帝国軍なども加わって激しい戦闘が繰り返された。

主要な国家としては、中部ウクライナから東ウクライナにかけてウクライナ人民共和国、西ウクライナに西ウクライナ人民共和国が成立した。

常に領地争いがありウクライナは西と東に分断されていたのである
だから今起きていることは歴史の継続でありカルマの継続だとなる
ウクライナと西と東は統一されない、常に分断されてきたのである
その歴史が継続されてロシアのウクライナ侵攻が繰り返されたのである

 神の聖者よ
 この世は霧にとざされている
 ロシアのために祈ってください
 こわれた船のようなロシアのために
 嵐の中を走りながら
 もうずっと前からみしみしいっている
 聖なるルーシが
 底に沈んでよいものだろうか
 すべてが失われてしまわないうちに
 わたしたちを助けてください

 現代ロシアの宗教詩

 これが今のロシア人の気持ちなのか、プーチンが夢見るロシアの再興なのか
 ソビエト連邦を最高する夢を見てウクライナに侵攻したのかとなる
 それはプーチンだけではない、ロシア人の夢なのかとなる
 だからプーチンが独裁者でも共感しているのかとなる

●戦争は若い人も死に深刻な問いをなげかける

戦死者の問いかけるもの

ロシア人の若き兵士の死して贖(あがなう)うものはなにか
ウクライナ人の死して贖うものはなにか
日本人の死して贖いしものは何か
その死の意味のありやなしや
戦争は深刻な問いをなげかける
プーチン皇帝はその死をになえるのか?
一人の独裁者はその責任をになえるのか?
独裁者のために若き命を献げられるのか
戦争葉深刻な問いをなげかける
その痛ましい民間人の子供の死に面しても
むしろ戦争を拒否して死ぬとすれば
そこにかえって大きな意味がある
人はみな無益に死にたくない
それぞれのかけがいの命を無意味にしたくない
しかし人の世から戦争はなくならない
そして無数の死は忘れられてゆく・・・・・

戦争とは敵でも味方でも若くても死ぬから深刻なのである、ただ人間の歴史は戦争の歴史でもあった、日本国内でもそうだし世界となると常に戦争があった
ただウクライナの戦争は今までも小規模の戦争と違っているから驚いた
世界第三次戦争とか核戦争とかまで発展するとしたら恐怖である
そういう恐怖を与えた戦争だから世界の関心が集まったのである

posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月27日

日蓮の立正安国論の時代と似ている現代 (家が乱れ国が乱れると鬼神が入ってくる-ウクライナが鬼神の住処となる)


日蓮の立正安国論の時代と似ている現代

(家が乱れ国が乱れると鬼神が入ってくる-ウクライナが鬼神の住処となる)


立正安国論にある「国を失い、家が滅んでしまえば、どこへ逃げることができるだろうかあなたは自身の安全を願うならば、まず四表の静謐(=社会全体の安穏)を祈ることが必要ではないか」

『仁王経』には『国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。鬼神が騒ぐために、多くの民が乱れる。さらに外国が侵略して来る。天変地異も起こり、国の中も悪い賊が人々を苦しめる』とあり


日蓮の立正安国論の時代と似ている現在
(家が乱れるのと国が乱れることは似ている)


世界各国のネオナチがウクライナに結集!【及川幸久


家が乱れると本当に悪鬼が入ってくる、それを嫌というほど自分は経験した
金に困窮した人がこれはチャンスだと入ってきたのである
一切の同情などない、求めるのは金だけだけだったのである、それで大金を盗まれたとかなるそれは地獄だったのである

国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。

家が乱れるとき、鬼神が騒ぐ

さらに外国が侵略して来る。天変地異も起こり、国の中も悪い賊が人々を苦しめる

その後天変地異がこの辺では起きた、地震があり津浪があり水害があり先日も大地震があった
だからこれは何なのだろうとずっと考えてきた、家の乱れ⇒国の乱れともなる

これが起きているのはウクライナである、そこに外国のテロ組織が好機として入ってくるISISが入りそこは国としての統一が喪失したから新しい国を作り指導者になろうとしてるつまり国を乗っ取ることを画策して入ってくる
それは一身上でも家が乱れて自分も経験している
家でも国でも弱体化するとそうした悪鬼が入ってくるチャンスとなる

鬼神が騒ぐ

ISISなどが鬼神でありまた借金とか金に困窮した人達がこれは幸いだ好機だとして入ってくるのである、だから国が混乱して弱体化することは怖いことなのである
それは一時シリアで起きた、トルコのイスタンブールにいた人がシリアの人は素朴だと
盛んに言っていたけど国が乱れて外国勢力が入りめちゃくちゃになったのである
それが今ウクライナで起きている、そういうとき好機になり鬼神が入ってくる
実はその前からアメリカのネオコンとか外国勢力が入っていた工作していたのである
そういう国は真に独立した国ではない、そしてそうした有象無象の外国勢力が入ってきて国自体が乗っ取られこるともなる

これが日本と関係ないかというとある、それはアメリカの力が衰退してもう日本でも守れないし世界よりアメリカファーストになったからである
そうすると中国は台湾に侵攻する、アメリカは何もしない、そして沖縄に侵攻する
アメリカは撤退するかもしれない、アフガニスタンのようにアメリカはかかわらないとなる、そしてウクライナを応援した日本をあからさまにロシアが敵対するようになった
するとロシアが北海道に侵攻してくる、そして日本は分断される
そういう恐怖が現実化することがロシアのウクライナ侵攻で見えてきたのである
ただ逆にロシアが衰退して小国化すると北方四島とかサハリンとかを取り戻すことができる好機ともなる、こうして世界情勢はでき変化している

ともかく世界情勢は複雑怪奇だとつくづく思う、簡単に善悪で分けることはできない
アメリカが善でロシアが悪ともならない、やはり70年周期世界が大きく変わる
それが今なのである、だから何が起きるわからない、
確かにウクライナで戦争で死んでゆく苦しめられる人達はかわいそうだとなる
でも一方に加担するとその戦乱に巻き込まれて日本も傷を負うことになる
日本に言えることは日本が外国勢力によって分断されてばらばらにならないようにすることである、ただそれも相当にむずかしい、何をもって一つとなるのか?
明治維新では天皇で一つにしたがそこに功罪があったが今は天皇で一つにまとめられるのか?それもむずかしいだろう
そしたら何をもって一つになりうるのか、それができないとシリアとかウクライナのようになる恐怖である

そして今日本が失われた30年があり衰退しつづけている、もう先進国でないともなっている、つまり弱体化するとそこに悪鬼が入り安くなるのである
また日本の伝統的なものも失われている、明治まであった武士道などもう全くわからないしない、モラルなき国家になった、ただ金を求める金がすべてとなった社会である
それはアメリカに習ったから当然そうなったのである
そういう国で愛国心などもない、日蓮宗の創価などあってもそこも御利益宗教であり
ただただひたすら金を御利益を求めているだけである、そのために祈るだけなのである
根本的に宗教団体はカルトである、だから自民党が創価と一体化しているのは危険である幸福の科学もカルトである、だから信用していない、でも世界情勢に詳しい人がいるから見ているだけである

とにかくウクライナ戦争は他人事ではない、次は日本がウクライナ化する恐怖がある
そういう立場になっているからだ、でも日本を一つにまとめる強力なものがない
そこで鬼神が入ってきて分断されてウクライナのようにずたずたにされる
だからこのことをよほど真剣に考えないと日本もウクライナのようになる
posted by 老鶯 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層