2018年05月17日

日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも (会社でも同じことが常に起きている)


日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも

(会社でも同じことが常に起きている)


この事件は社会人でも組織に属している人でも関係した事件である
監督の命令でしたとなれば監督の組織全体の責任である。
ただなぜその命令に従ったのかとなれば

「“反則をやるなら出してやる”と監督から言われた」

何かそこで目立ったことをして監督に認められたいということも選手にあった
このことは軍隊の組織とか会社の組織とかでも常にある

上司から認められたいから反則してもノルマを課せられているからとりにゆく
それは銀行でもあった,証券会社でもあるだろう
今はここは投資信託などを売るためにノルマを課せられている
そのノルマが厳しいからどんなことでもするとなり反則してとってくるともなる
カルト宗教団体ならなぜあんなに会員をとるために必死になっているのか?
これも上からのノルマなのである。会員がどんな人でも人格などどうでもいいのである。数を集めることが至上命令である。
それは上からの命令であり組織に入ればそのことが納得いかないおかしいと思ってもノルマを一票とるために一軒一軒回って歩くのである。

銀行でも今追い詰められている,投資先がないとなり証券会社化している
これも日大でもスポーツでも勝つということが至上命令になり勝つためになんでもしてもいい,反則でもして敵をつぶしてこいと監督が命令したとなる
勝つことが優先すればそうなる,勝つことによって監督の力量が決められるからだ
日大の監督はそうして大学でも認められたからである。
勝たなければ認められないのが現実なのである。

銀行でも支店長であれそこで投資信託でも売らなければ今や収入にならない,それで若い銀行員に投資信託を売らせるのである。
投資信託はまずその仕組みがわかりようがないし手数料が確実に入り銀行にはリスクがないから売り込むのである。売るにも売ってからも解約するときも手数料がとられる
だから投資信託は証券会社や銀行がもうけるために作り出したのだという人もいるのである。

なぜ投資信託をすすめるのか?

手数料が確実にとれる

これてしかないのである。だから別にリーマンショックの前にもっていた株が上がってきたのだからすぐに売る必要はないし分散投資という考え方は間違っていなかった
だからそれを投資信託に回す必要はなかったのである。
でも投資信託は銀行側にとってはもうかるから投資信託に回したのである。

ただこれは銀行員の営業がそうしたのであるが営業の人でもノルマを課せられているからなんとか投資信託を売ろうとしたのである。
それが銀行の方針になっているから銀行側が監督するものが全く関係ないとはならない
日大のアメフトでもやはり反則を犯たのもこの事情とにているところがある
監督に反則してもタックルして敵をつぶせというときそうである。
そうすれば出場させてやると言われた,それは銀行で営業している人やその他の会社でもそういうことはある
営業は上の命令でしているからである。組織に属していればその命令に従わねばならないからである。だからこそこれは日大のアメフト部の組織自体に問題があり責任があり大学まで責任が問われるようになった
そういうことは会社でも常に起きている

ただ会社と違っているのは部員が監督の命令をボイコットしてやめるという宣言をしたことである。それは別にやめたからすぐに職を失ったりしないからである。
職を失うとなると簡単にはそういうことはできない,社員はやめてもいいが会社はブラック会社でも普通に残るからである。

これはだから監督が悪いのかその命令に従った部員が悪いのか?
別に部員でもそれがあからさまなルール違反であり危険な行為だからあえてそれをしていいのかと自問するからだ
でも監督の命令で反則でもいいからそれをすれば出場させてやるとなれば選手はしたともなる
スポーツではルールが絶対なのだがどうしても勝ちたいとなり反則を犯すしエキサイトしても犯すのである。

いづれにしろこの事件は別に大学のスポーツの問題でもない社会全般の問題に適応される例えば監督が軍人だとして人を殺してこいというときそれをするのか?
戦争になるとそれが普通に実行される,でもそんなことはできないとなれば戦争を拒否するほかないがそれをすると国家から犯罪者ともされるのである。
簡単にボイコットはできないから戦争で3百万人も死んだとなる

ただ上からの命令と良心にはじないということでジレンマに陥れることは常に江戸時代の侍の時代劇でもテーマになっている,主命だとなり絶対化するがそれに反抗する部下は殺されるのである。だからこれは人間社会の普遍的なテーマなのである。



部員も部員で違反するような奴らだし早く潰した方が日大の為

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

コーチ陣を永久追放しろよ 
何学生に罪着せてんだ

今回の話は二流大学のマイナースポーツでの内輪揉めだけど 
反則は反則の域を越えて若者をカタワにしかねないもの 
それを自分の部下をおいつめて実行させる組織犯罪 
日大のナンバー2である老害が若者二人の将来を潰そうとした事件って考えると 
なんか行く末みてみたくない?

部員に責任がないかといえばある,ルール違反だということがあからさまであり知っているから悪質なのである。
監督の命令がすべてだというのはやはり体育会自体の問題である。
そういう体質だからそうなったとなる,軍隊と同じだからである。
反則しても殺せとなるのが戦争になるからだ
戦争にはルールがないからである。
スポーツも戦争になればそうもなりうる,有力な敵をつぶせとなっていたのである。

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2018年04月14日

シリアの混乱と悲惨は誰が悪いのか? (欧米が悪い?)


シリアの混乱と悲惨は誰が悪いのか?

(欧米が悪い?)

なぜこう判断したのかというとトルコの宿でシリアに滞在した会社の派閥争いでやめた五十歳くらいの人がしきりに言っていたのである。
シリアの人達は素朴でいい,最高にいいとか何度も言っていたのである。
自分は行っていないからわからないがおそらく社会主義国でありあまり金,金,金の社会になっていないからだったのだろう。
豊かではないけどいい人達が素朴な人達がいたとなる
シリアは資本主義国ではないからだ
ロシアと同盟のようになっていたにしろそうだったのである。

その話を聞いているからなぜ今シリアがあのような悲惨なことになっているのか?
それがどうしてもわからなくなる,何もそうして資本主義国ではなくても平和で素朴な人達が外国の干渉もなく生活していればあんなふうにはなっていない
なぜあのような悲惨な国になったのか?

それはイスラム国もそうだがもともと社会主義国としてあっれば良かったのである。
イラクにアメリカが介入してイスラム国ができて民主運動を応援するとして欧米が介入して混乱と内戦がもたらされたのである。
欧米側からみるとロシアが悪いとなるがロシアやアサド政権側から見れば欧米が悪いとなる

こういうことは日本でも太平洋戦争で起きていたのである。
イギリスと最初に戦争して日本は東南アジアを占領した,でもイギリスにアメリカが加担して日本は負けたのである。
シリアでもフランスが加担したとか欧米の勢力が後押しして戦場となり内戦となる
日本も欧米側だから欧米側からしか見れないのである。
だからロシアは悪者になるのである。

もちろん日本は先の戦争でロシアを良く思っていないしロシアがいいわけではない
でもなんでもロシアが悪いと見るのは偏るのである。
それは欧米の見方でありかたよるのである。
そう思ったのはやはり海外旅行したこともなかった自分は現地でそのことに触れたことが原因している,もちろんシリアに実際に行ってみれば判断がすることが違ってくる
どうしても日本は欧米側につくからその見方がかたよるのである。

日本もかつて戦争のとき欧米側にこのように悪者にされて原爆を落されて三百万人も死んだのである。そういう経験があるから欧米がすべて善でも正義でもないことは確かであるもちろんロシアでもひどいめにあっているから単純に味方にはなれない
でも平和だった素朴に暮らしていたシリアの人達が地獄のようになったということがどしてもそうしたのは欧米側の勢力であり社会主義国として平和を保っていればあんなふうにならなかったのである。
その原因を作ったのはアメリカのイラク侵攻でありそこからイスラム国が生まれたからあのような地獄になってしまった

日本の戦争もまた最初はイギリスとの戦いだったがそこにアメリカが参戦して悲惨な敗北となった,それは欧米側によってそうなったのである。その時はロシアも参戦してさんざんな目にあって悲惨な犠牲者がでたのである。
要するに今度は中国が巨大化してくる参戦してくると小国はその狭間で分断されたりする
それは日本でも起きてくる,大国の駆け引きの狭間で分断されるのである。
だから欧米側からの見方ばかりしていると間違った判断することになる
イラクには化学兵器など発見されないの難癖つけて爆撃したのがアメリカだったのである
シリアは離れているから日本とは関係ないようにみえても日本もそういう立場になる可能性がこれからある,日本は超大国化する中国とアメリカとロシアの大国の狭間に置かれ分断されることもあるのだ
シリアはだから他山の石としなければならないとなる
遠いから関係ないとはグローバル化した社会ではならないのである。

ともかく世界情勢の見方は何かいろいろな見方があってもやはりじかに触れた人の話とかその場にいて実感することが大事なのである。
一番日本で気をつけねばならないのは欧米側の見方にかたよることである。
それは日米同盟があるからしかたがないとなるがでも欧米側は正義ではない
もちろんロシアでも中国でもそうである。
でも何か欧米側が悪いとは見ないのである

そもそも日本の戦争が良く右の人が口が酸っぱくなるほどしつこく欧米からの植民地解放戦争だったという,それが戦争の原因だったという,すると歴史的連続性では欧米が悪いのである。その欧米と戦ったのが日本の義だとしているのである
だから欧米一辺倒の見方になることは歴史的連続性がないことになる
でも右寄りだとどうしても欧米側になるのである。
一方左は中国よりになるとされる,だから政治勢力でも二つに分断される危険がある
日本の独自性は保ていないのである。
その独自性を保とうとするとき戦争のように日本が中国を支配して欧米と戦いロシアとも戦うとなってしまうのである。
そこまで国際政治で追い詰められればまた戦争の再現だとなる
ただ世界情勢を見るときどうしても欧米側の見方になることは注意すべきである。
そこで判断を誤るからである。
タグ:シリア
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2018年04月03日

外国人観光客が増えた問題 (日本の情緒が破壊される)


外国人観光客が増えた問題

(日本の情緒が破壊される)

地域の住民にとって必ずしも歓迎されるものではない。はっきり言ってしまえば、観光客というのはそこに根ざして生活する人間にとっては、根源的に厄介者であり、迷惑以外の何ものでもないのである》

記事は、問題の原因が日本を訪れる観光客が多すぎる点にあるのではなく、「観光客が東京圏、関西圏といった大都市圏に集中しすぎている点」にあると指摘する。

通勤客で混み合う電車に大きな旅行バックを持った外国人が乗ったり、路線バスに大勢で乗ってきて病院へ向かうお年寄りが席に座れなかったりなど、日常生活と観光客との摩擦が起きています。


外国人がカプセルホテルに泊まるのが理解できる,日本はホテル代が高すぎる,自分は旅をして一番困ったのはホテル代だったからである。
カプセルホテルは地方にはない,すると地方の方が宿泊代は最低でもビジネスホテルでも五〇〇〇円以上かかる,すると宿泊代に金をとられて他にしたいことができないというのもわかる
交通費も日本は高いから移動するのは東京と大阪だというのもわかる

外国では安いホテルが多いことなのである。ホテルがそもそも多いのである。
パックパッカー用とかユースホステルも多い,そこは老人でも泊まっているし安いのである。
スイスなどホテルに泊まったら高くて旅行できない,そうしたパックパッカー用の宿が多い、ただなかなか外国人は慣れていないと泊まれないのである。
自分はパリの東駅におりて安宿を探した,やはりあったが泊まりにくかった
自分だけではないパリを旅行していた日本人の若者が夜まで安い宿を探し歩いていたのである。

パリにまで安宿探し落葉かな

こんな句にもなる,パリとか観光の都市でありヨーロッパは本当にホテルが多いし安宿も多い,だから観光しやすいのである。飛行機代とかかってもホテル代が安いと金持ちでなくても旅行できる,自分は50すぎてパックパッカーした
金が意外とかからないなと助かった,その時は自分は金の余裕がなかったからだ
つまり旅行で一番金のかかるのはホテル代だからである。
それで外国人が日本は特にホテル代が高いから若い人などはホテル代をまず安くしようとするのがわかる
ホテルは寝るだけの場所だとするのもわかる,日本では旅館だと食事つきとか何か高く設定されているのである。ただ泊まる場所として提供していないのである。
だからこそ民泊が生まれたのである。

ともかく旅と宿は深い関係がある,宿は旅情を作り出す,その点江戸時代の旅は宿場町があり人と人の交わり出会いがあり分かれがあり情緒があった
それは歩いて旅していたから余計にそうなった
車だったらそうした出会いとか分かれはないのである。
道を旅しないからそもそも分かれるという感じもなくなる
なぜなら分かれる道が分去りとして地名化しているからである。

京都で観光公害になるというのもわかる,京都に外国人が集中すればそうなる
なにか外人に見に来たのかとさえなるだろう。
嵯峨野辺りでも修学旅行生が来ていてうるさかった,それが外国人がおしかけたらさらにうるさいとなり情緒もなくなる
京都に住んでいる人の日常生活まで影響する,観光公害になるというのもわかる

ただ自分でも外国を旅行したとき慣れていないし貧乏旅行者だから迷惑をかけた
必ずどうしても外国では迷惑をかけやすいし観光客は異物になりやすいのである。
特に若い人のパックパッカーとかなるとそうである。
若い人その国の文化とか歴史とか情緒を楽しむというか学びに来るというのではないからだ,ラーメンだけを食べに来ている若者もいたからである。

東京と大阪に観光客が集中しているのも問題である,もっと地方に田舎に外国人を呼び込むべきだというのもわかる,ただ田舎は外国人に慣れていないし言葉もわからない
それで長野の白馬でおばちゃんが外国人とだきあって別れを惜しんでいた
英語も覚えたというしやはり生活するために必死になるとそうなる
でも実際は嫌なのである。沖縄でも実際は日本人が来ても迎えるばあちゃんは表面は歓迎しているが嫌だと言っていた
ただ金のためにそうしているだけなのである。

やはり外国人でも数が多すぎると問題が起きる,数の問題なのだろう。
情緒がなくなる,京都辺りだと着物姿の女性が歩むのににあう通りがある
でもそこを外人ががやがや歩いていたら情緒がなくなる
すでに情緒では日本はいたるところ失っている
若い人はやはり何か行動的であり情緒を楽しむということがしにくい
それは日本人でも同じである。
猪苗代湖でも静かな所があるが水上ボートの音が凄まじかった
それで情緒が破壊されるのである。
それは日本全国で起きていることである。

例えばそもそも現代ではそうした情緒は車社会で破壊されている
江戸時代のように歩いて旅していればその旅人は一つの絵になっていて広重の浮世絵のように残される,今はそうした情緒がそもそもなくなっているのである。
それに外国人が流入してくるとますます情緒はなくなる
何か自分は異常に情緒とか景観にこだわる
この辺は津浪や原発事故で土が大量にとられている,そこで土がとりだされたところがむき出しになっている
それをいつも見ているから嫌になる
そして八沢浦が元の美しい入江にもどったというときそこに住んでいる人にしかられたのは当然だった
そこでは津浪で死んだ子供を泥を掘り出して探していたからである。

ただ人間は意外と景観に無関心なのである。景観は金になるわけでもないからである。
森でも木材の資源としてみていて森全体があることを価値あるものと見ていないのであるだからこそヨーロッパでも森が消失してゆく,世界的にそうである
人間は何でも経済的観点からしか社会を見ない,でも情緒となると経済的観点からだけでは計り得ないものとしてある
その情緒がなくなればその価値もなくなり,京都などは古都でありそうなるのである。
だから今は旅行しないからいいと思った,旅行する気力もなくなったしまたあんなに外国人もいるのも嫌だなとも見るようになったからである。

京都なれ枝垂桜の優艷に夜もふけゆくや泊まる宿かな

京都はそこにいるだけで千年の都の中にいることになる,それは外人があれだけ多くなると情緒がなくなる
やはり数の問題であり限度があるということになる,観光都市ではあるがそこにも古都の生活があって成り立つ
でも寺でも観光収入で成り立つというのも実は批判がある
寺とは修行の場であり観光の場ではなかったからである。そこには本来の生活があって観光とは付随的にあるものが正常だからである。

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2018年03月21日

関西生コンに検察の捜査が入った (その事実がマスコミで報道されない怪)


関西生コンに検察の捜査が入った

(その事実がマスコミで報道されない怪)

金をもらうことは義務と責任が生まれると書いたけど報道機関でもテレビは電波の権利を政府から与えられている
すると報道する義務と責任が生じる
重大な事を国事にかかわることを報道しないとしたらその権利を剥奪しろという人もいる森友問題で政府を追及するのはいい,だかそれだけをマスコミは全部一致して追及して
いることが問題なのである。

関西生コンに検察の家宅捜査が入りました

ただこの事実だけを報道すれば何があったのだろうとなる,その事実も報道しないとすると国民は何があったかもわからない,知ることができないのである。
知る権利を奪われているともなる
このことに関して何なのだろうというのは左翼でも言い分がある,検察の横暴だとかなんとかあるしそれを言えばいいのである。

原発でも政府と官僚とマスコミとかで「安全神話」を作ってきた。
報道も99バーセントが安全だとして報道されていたのである。
原発が危険だという報道は一パーセントくらいだったのである。
だからこそ安全神話になっていたのである。
国民も信じきっていたのである。それは原発に関するものが強力な政府とか官僚とか電事連とかマスコミとか一体となり安全神話を作ってきたからである。

なぜこの関西生コンについて全く報道されないのか?
これはマスコミでも報道官制がしかれている
そのことでマスコミに不信感をいだくようになっている
検察が捜査することに是非がある
でも報道することに是非はない
実際NHKでも取材に行っている
でも報道しないのである。

ただここの背後にあるものがそんなに力が権力が強いのか?
それが在日の団体でありそんなに力があるのか?
その辺が東北では部落とか差別された団体のことが実感としてわからないのでぴんとこない
でもこのことを最近はネットでしきりに言う人がいる
それでそういうことなのかとそれなりに右の言い分を浸透してきているのである。
「心に青雲」の都築詠一氏は死んだけど強烈な右の主張があった
また「ダークネスドュオ」のプログも常にそのことを言っている
右もまた過激なところがある,そこで反発されることもある
でも左翼系も学生運動の革マル派とか派生して暴力的なものをもっている
左翼系も平和的なものではない,左翼の背後には在日から北朝鮮とか中国がかかわる

ただ言えることはマスコミは明かに今回の関西生コンのことを一致して報道しないということで左に占拠されていることがこのことで判明したのである。
でも原発だったら政府と官僚と電事連でも一体となっていたからその権力は強力だったのである。
では関西生コンなどがなぜそんなに力を持っているのか?

何をマスコミは怖がっているのか?

暴力団がかかわり暴力で報復されることなのだろうか?
そのことを言っている人はいる
でも自分から見ると原発にかかわった権力の方が怖いものだと思う
実際に検察も原発推進だかち原発訴訟では権力側についていたからである。
だからなぜマスコミが事実だけでも報道しないのか?
もう報道機関としての義務と責任をこのことで放棄したともなる重大なことではないか?

だから今後も国事にかかわる重大なことがあってもマスコミは報道しない
どこも地方紙でも報道しない,そうしたらマスコミに与えられた電波の権利を剥奪すべきだとかもっと他にも電波の権利を与えるべきだという政府の意向は実施されるべきたとなる

とにかく今森友問題でマスコミが一体となり追及しているがこれも冷めた目で見るべきだろう。
もし関西生コンのことも事実だけでもマスコミで報道するなら公正だとなるがみんなが一斉にこのことだけを追及して茶の間を占領するのは偏向報道なのである。
それはもうナチス的やりかたなのである。
左によって言論統制されて阿部政権の転覆だけを目的にしている
森友問題も報道されて追及されるべきである
でも関西生コンに検察の捜査が入ったという事実も報道するべきなのである。

銀行で投資信託すすめるのは銀行側にたった利益追及である,でも投資信託について知りたければ知ることはできた,めんどうではあるがその批判をしている人は普通にいたからである。ただ銀行ということで信用したとなる
これは自己責任として追及される,全部ではないにしろあったとなる
関西生コンについては全く事実が知らされていないのだから検討もできない
ただネットで報道されているから関心をもった
これについては知り得ようがないのだから自己責任もなにもないのである。

その責任は誰にあるのか?

報道の権利を与えられたマスコミにある

NHKでも取材しているのに報道しないから責任がある,つまり報道機関として与えられた権利を行使していない,だからその責任を全うしないからその権利を剥奪すべきとまでなる
金を与えられることは義務と責任が生じると書いたが権利を与えられることにも義務と責任が生じる,民主主義でも報道の自由は守られる
でも報道しない自由もあるとなるがマスコミにはない
それは特別与えられた権利だからである。ネットだと別に報道しなくてもいいとなる
それは特別与えられた権利ではないからである。


posted by 老鶯 at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2018年03月15日

関西生コン家宅捜索・ユニオンの闇と、北朝鮮の影。一部野党に激震か? (マスコミで報道しない,もう信用できない)


関西生コン家宅捜索・ユニオンの闇と、北朝鮮の影。一部野党に激震か?

(マスコミで報道しない,もう信用できない)

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このことが報道されないのはおかしい,マスコミはなぜ黙っているのか?
これが重大な問題でてある。
それは国事にかかわることであり芸能ニュースとは違う
国民も関心をもつべきものだからである。

政治とかになかなか関心もてないが北朝鮮もかかわるから国民に関心をもたせるべきなのである。
これを報道しないマスコミはもう国事にかかわる重要なことも報道しない
もうマスコミはこれで信用できないとなる

それは原発でもあった,中で何が起きていても報道されない
そのうち大事故となり国民に知らされることになる
北朝鮮で核開発していてそのミサイルが打ち込まれても報道されないことで日本人が危機感をもたないからそうなる

別に自分は右でも左でもない
これはただ事実だけを報道しろというのは正論なのである。
その事実がマスコミでは報道されないのである。

でもネットをしている人はみんな見ている
今最大の話題なのである。
それはただ芸能ニュースとは違う,国事のことでありこれを報道しないことは
もう報道の役割を放棄したとなる

つまりなぜこれを報道しないのか?

その理由を問いつめるべきである。マスコミはもう報道機関としての役目を放棄した
それはそれでいいとしてただの芸能ニュースとかゴシップとかしか扱わない

国事とか重要ニュースは報道しない

そういうものとして見るべきでありむしろ重大ニュースは国事にかかわる国民のためのニュースはネットで知るべきだとなる
ただヤホーでも報道しないとなるからそうした報道機関も信用できないとなる
ただ自民党側が今籠池問題で追及されているから議員でもとりあげている
そこに偏りがあっても信用できる
別に左翼でもネットだと自由に報道できるから公平だとなる

これでマスコミの報道機関としての信用は墜ちた

重大なことを報道しないことで信用できなとなった,50万人とが閲覧しているからそれなりの影響力はある,youtubeは政治でもわかりやすいから見ている人が増えている
自分も最近見はじめたのである。

タグ:関西生コン
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2018年03月13日

籠池問題で偏るマスコミの報道 (右に偏り左に偏る,バランスを計り見るのが大事)


籠池問題で偏るマスコミの報道

(右に偏り左に偏る,バランスを計り見るのが大事)


籠池問題は何なのか?わけわからなくなってきた
マスコミの報道だと籠池が一方的に悪く阿部首相が悪いとして追い詰めていた
マスコミがここだとたたみかけてきて政権打倒だと盛り上がった
でも今度は辻本清美が関西生コンとかと結びついて実は工作していたとか
民進党時代には公園の土地に金をつぎこんでいた
その額の方が大きく・・・学園はそこはゴミの廃棄場を学校にするのだから
回りの人たちにとってもいいことであるという
それよりもっと多くの金が民進党の時代に民主党の時代につぎこまれていた
辻本清美は関西生コンとつながりまた北朝鮮に通じてミサイルの資金として提供していたとかなる

それで公安なのか検察が捜査に入ったというのも驚きである。
なぜなら籠池問題では一方的に阿部首相が悪い悪いと野党側が追及してきたからである。何かこれは江戸時代の時代劇のように悪代官の阿部首相をこらしめろとなる

阿部首相が悪い
阿部首相が悪い
阿部首相が悪い
・・・・・・・

阿部首相は悪くない

こうしたマスコミの報道は何か真実より大衆に暗示をかけるものになる
その真実とか細かい事実とかを大衆はめんどうだから調べたりしないからである。
だからマスコミでは大衆に暗示をかけるように何度も同じことを言いそれを見ていると
なんだ阿部首相は悪い奴だとなり怒りにもなり政権打倒へと導く

ただこれは別にここで左翼系がマスコミを支配しているから一方的に阿部首相攻撃になるとか言う,でも逆に右翼系が一方的な報道になる

原発は安全だ
原発は安全だ
原発は安全だ
・・・・・
原発は安全でない

こうして安全神話が作られていたので原発が危険だという左翼系の学者は危険人物とされたしまて地元でも危険じゃないのかと言うこともできないでいた
なぜなら多額の交付金とか入り原発で働く人も多いからそうなっていた
本当にふりかえると報道はどっちにしろ左にしろ右にしろ偏るのである。

常磐線を浪江から富岡までを復旧するな,労働者を放射能汚染させるな,また車両点検で仕事が増えるとか汚染された町に住まわせるな,人のいないところに電車を通しても無駄と動労が前の国鉄の組合員が浪江駅が開通するとき騒いでいたのである。
でもそれはマスコミではテレビでは報道していないがわずかに開通の日に反対する人がいたのである。その騒ぎがテレビの画面に音声だけでも入ってきて
あれ,常磐線開通に反対していた人がいたというのに気づいてネットで調べるとそのことが出ていた,ネットにはどちらの意見も両方出ているのである。
マスコミは一方的になるのである。

もとかく報道はかたよる,籠池問題でも偏っていた,野党側の一方的追及に偏っていたのである。それで逆に今度は野党側の民進党の辻本議員が攻撃されるようになった
そこには裏があり辻本議員は籠池問題に深くかかわる人物だったのである。
つまり追及される側の人物だったということになりをとなっているんだとなる
報道は必ず偏って報道される,なぜなら報道する人が偏っているからである。
マスコミは左翼系が多いというとき偏る
でもまた右翼系でも偏るのである。原発は右翼系であり「安全神話」が作られた
だから武田邦彦氏は私は右翼でも左翼でもない,原発には反対だけど左翼ではない
でも原発に反対しないと左翼系の人は受け入れてくれないという
自分も別に右翼でも左翼でもない,ただ原発はなくした方がいいと思う
それはこの辺でこれだけの被害があったらみんな原発はいらないとなる
それは当たり前のことである,でも前の桜井市長が左翼系で原発反対でまた市長になろうとしたときそれだけの主張で市長になるのはまた納得いかなかった
それはこの辺では当たり前のことになっていたからである。

とにかく報道が偏るのはマスコミの場合はみんな左翼系だからそうなる
でも原発に関しては右翼系になっていた,だからこそ「安全神話」が作られた
朝日新聞でも安全神話に加担していたのである。
それは宣伝費を電事連からもらっていたからである。その額が800億円とかとてつもないものだったのである。
そして朝日新聞社をはじめ全部のマスコミの人が東電で中国に招待されていたとき原発事故が起きたのも皮肉だったのである。

インターネットでこの偏った報道は是正されつつある,でもマスコミの力はまだ強い
現実に関西ナマコン会社に検察の捜査が入ったということは報道されないのである。
報道されなければそれは社会に知らされないのだから知り得ようがないとなる
でもネットで騒いでいたので何だろうとyoutubeを見たら報道していたのである。
これは重大事件であ報道しないということはそれを無きものにしようとマスコミはしているのである。
報道の自由とういけどそれがマスコミにはない,ネットにはある
ただネットでも偏ることはあるがどっちも報道するので偏らない方だとはなる

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ベトナム人のIT人材を求める (日本人が後進国に追いつかれてゆく)


ベトナム人のIT人材を求める

(日本人が後進国に追いつかれてゆく)

大学の空洞化が静かに進んでいる。さまざまな世界ランキングでも、軒並み地盤沈下する日本の大学。東京大学はもう眼中にない。そう言い切る高校生も増えている。将来を担う若者に対する教育の劣化は、日本にとって致命傷となりかねない。大学改革は今度こそ離陸するのか。

「やっぱりベトナムの大学かな。技術者の人材の取りあいだよ」。アジア各国で、大学のレベル向上が目立つ国はどこか。日本のIT(情報技術)企業の人事担当者に聞いたところ、こんな答えが返ってきた。別の人材系企業の担当者も「ベトナムの人材は優秀」と同様の意見だった。

テレビでハノイ工科大学の学生をIT人材として採用する,それでベトナムでリクルートに会社が行く,その受け答えはすでに日本語でしている
日本語を勉強させる仕組みができている
ハノイ工科大学はベトナムで一番優秀な人が学んでいる
その学生は日本の会社で働きたいという意欲が強い
なぜなら給料でも六倍になるという,まだベトナムとは為替差が大きいからかつての中国とにている,中国はもうIT分野で日本より進んでいる
新幹線ももは満州のハルピンまできていると自分の町の男性が嫁いだ女性の故郷に行って教えてくれた

ベトナムからはここでも働いているしそれでかつての中国と同じように犯罪が増えている中国に代わりベトナム人になった
ただそうした単純労働者ではない,将来の技術者も少数でも日本に来ている
ベトナム人は日本人より向上心とかが強い,また発展途上だから上昇志向が強い
そこが日本人とは違う,そしてグローバル社会ではこうして頭脳が世界的に流出する
移動する、それでアメリカでは世界から頭脳を集めてIT大国となったのである。
グローバル社会とは物だけが自由に行き来しているのではない
人間の頭脳を流出する,日本でも優秀な人はアメリカに行くとなる
それは積極的にそうした人材を受け入れるからである。

ベトナム人とネバール人もIT人材として日本の会社が求めているという
なぜネパールなのか?それが解せなかったがネパールはインドなんだよというとき納得した
ネパールは文化的にはインドなのである。ヒンズー教だし経済的にインドの影響が大きいのである。物でもインドから入ってくる,出稼ぎでもインドに行く
インドから卵が入ってくるとか言っていた
そしてインドはゼロを発明したように数学が優れているからITに向いている
そのことはネパールに旅行したのでそうなのかと実感したのである。
だから世界でもその場に行かないとわからないのである。
ネパール人も日本に単純労働者も出稼ぎに来ている
英語ができるからベトナム人とは違っているのである
ベトナム人も日本語熱になるのは給料が高い日本の会社に入りたいからである。

文科系でも日本語ができれば日本語を学ぶ
ということは英語を学ぶというとき英語で仕事ができて給料が高くなるから学ぶということであり別にそれは日本語でも良かったのである。
英語の言葉が別に優れいてるからそうなっていたのではないのである。
欧米が世界を支配したからそうなっていたのである
日本人でも明治の時はそうだった,英語を学びヨーロッパに必死になって追いつこうとしていた
それで留学した学生が英語ができないと悲観して自殺したとかある
それだけ英語を学ぶのでも必死だったのである。
それは今ベトナム人が日本語を学ぶのとにているのである。
つまり文明度文化度が高ければその国の言葉を学ぼうとするのとにている
とにかく明治の時日本人の向上心は高かったから今日の発展があった

いづれにしろグローバル経済というとき人でも物でも自由に流通する
それを否定してナショナル経済にもどる,それは単純労働者が流入すること移民することで抵抗がありそうなった
でもそうした優秀な頭脳は日本でも歓迎だしどこでも歓迎なのである。
そうすれば国の発展に役立つからである。
グローバル社会とは知能とか頭脳のグローバルでもある,これはさけられないのである。そうしなければ世界から遅れてしまうからである。
自分がしている抽象画もグローバル社会でしている
やはりITを活用して生まれているからだ,それで定期的にアメリカなどの人が見ているのである。芸術の世界でもグローバル化するのである。


こうして日本は今成熟社会となり少子高齢化となり高度成長時代も終わり停滞している
まずそうしたベトナム人と日本人と比べた場合,その意欲とか向上心とか上昇志向が違う何か日本人はそうしたものを高度成長時代にもっていたものが失われた
非正規とかニートとかが普通にいてそういう人達は向上心もなにもないのである。
そこでグローバル化の競争にさらされて世界が格差社会になるとき日本は後進国においつかれ日本自体が今度は後進国になってゆく
会社の経営はすでに中国人ににぎられ日本人はIT分野で下請けになるとか逆の現象が起きてくるとなる
中国人もやはり向上心が強かったからである。

だから日本はそういう面でも危機であり将来的に後進国に追いつかれる,中国には追いつかれている,するとどうなるのか?
衰退国家になり中国などの従属国家になってゆく,
まず日本人には若者でもベトナム人のような強い向上心とか上昇志向がないからである。そうした意欲がない,成熟社会になるとそうなる
そしてベトナム人は大学の先生からして40代とか若いし若い人が多いのである
日本は少子高齢化だからますます停滞してゆく,向上心がない社会になっている
東日本震災でも復興できないのは少子高齢化のためである。
老人だけが残り復興できないのである。この差も大きいと思った
高度成長時代は子供の数も膨大だし若い人たちの社会だったのである。
そういう社会はどうしても向上心とか上昇志向が強い社会になる

少子高齢化社会は老人社会である,ただ見方を変えれば成熟社会としての良さはでてくるでも全体的にグローバル化した社会では日本は取り残されて停滞して衰退して
後進国に格下げになる,すでになっている
貧困化しているのがそうである。
世界が格差社会になっているというとき世界で頭脳でも競争しているからそうなる
そういう競争から遅れをとったら格差は拡大して日本がさらに貧困化して
遂に中国のようにまた東南アジアから追いつかれぬかれてしまうことになる
そういう危機感をもたないと日本はいつのまにか後進国となり貧困化して世界から取り残されてしまう,その時国防でも中国においぬかれ従属国家となる危機なのである。
ただ日本はそうした危機感をもっている人は少ない
それは高度成長時代での成功体験があり向上心を失っているからである。

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2018年01月22日

同世代の著名人が死んでゆく (西部邁さん(78)が自殺)


同世代の著名人が死んでゆく

(西部邁さん(78)が自殺)


大鵬(本名・納谷幸喜)が1月19日、心室頻拍のため都内の病院で死去した。72歳だった。

「羽柴秀吉」などの名で東京都知事選や大阪府知事選など全国の選挙に相次いで出馬し、話題になった三上誠三氏が11日、肝硬変のため青森県五所川原市内の病院で死去した。65歳

楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった

21日朝、評論家の西部邁さん(78)が、東京都内の多摩川で意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡しました。警視庁は、現場の状況から西部さんが自殺したと見て調べています

都築詠一死亡 腎臓透析17年 遂に力尽きて死す,残したものはプログの「心に青雲」のみ


大鵬は団塊の世代ではヒーローだった,その人も72才で死んでいた,これも意外と早かった,相撲取りは長くは生きられないのが多いみたいだ

羽柴秀吉も城を建てたとかテレビでも有名になった,その人も死んでいたのかこれもわからなかった

星野仙一も死んだ

そして西部邁も昨日自殺したというから驚きだった

そして去年はみんな知らないが都築詠一氏が死亡した,これも自分にとっては大きな死だった,ただその残したものがプログであり全部は残っていないので再検討しにくくなった西部氏だと著作が残っているからできるけど何かこむづかしいところがあり自分には理解しにくかった
自分にとっては都築詠一は簡潔でわかりやすいから理解できたから今でも興味がある
そこから発展させるものがある,対話できるものがあった

人間いくら著名人でも理解できないものは親近感がなく興味ももていなのである。
そして今更それを検討する気にもなれないのである。
西部氏がなぜ自殺したのか?
これも謎だがやはり病気のせいらしい,それと二年前くらいに妻を亡くしたことのショックらしい,とにかくこの病気にだけは勝てないのが人間である。
身内でも健康優良児のような人が最後は認知症になり無惨に醜態を晒し死んだからである何かそうして介護されて死ぬのが嫌で自死した語られる
なかなか自殺の原因はわからない,これも人間は一つの原因ではない複合的な原因で自殺になるからである。一つの原因ではない,その主要なものが病気だったとは推測できる

いづれにしろ同世代が死んでゆく,これから余計にそうなる,80前で死ぬとなると今では早いとなる,スポーツ選手でも体力あっても寿命とは関係ない?
自分の母親もかよわい人だったが百才まで生きたから不思議なのである。

人間の死に興味をもつのは人間は死ぬとその人間について評価しやすいからである。
客観的に評価しやすいからである。
例えば羽柴秀吉は何を残したのか?
巨万の富を残しても何を残したのか?
それを問うとその人間の生きた人生は何だったのかとなる
それは死んでみてそう問いるのである。
生きている内は成功者として通るからである。
田から人間は巨万の富を残しても何かを残したとはならないのである。
その一つの例かもしれない,本物秀吉は違う,それは歴史的人物だからである。

ともかくどんな偉人でも理解できないと興味がないし親近感がないのである。
芸術作品でも理解できないと興味がなくなる,自分が理解しやすいと死んでも作品を残していたらそこからその人を偲ぶとなる
だから西部氏の本は読んだとしても理解しにくい,するとそこでもういくら有名でも関心がなくなるのである。ただ関心をもつ人はもつ,そして死後でも関心を長くもたれる人はやはり歴史的人物だったとなるのである。
実際はほとんどの人は消えてゆくからである。
死後何十年もして語られ人は本当にまれになる,これからは同世代が次々に死ぬからいちいち考えることもできなくなる,あの人も死んだのかあの人もかとなりただそれだけだとなる

でもこの人達は意外と早くしんだなと思う,高齢化社会では早いとなる
三島由紀夫も実は老人になることをものすごく恐れていた,それで若い肉体に鍛えみせびらかして死んだのである。
そして最後は英雄になろうとして自演して死んだ,それは演技だと思っていたがそれを現実に実行したので驚いたのである。
人間は時代の子でありとても英雄にはなれない,吉田松陰も明治に生まれて英雄にされたのである。ただ動乱の時代になると英雄が出やすいことは確かである。
これからそうなってゆくかもしれないから新たな時代の英雄が出るかもしれない

とにかく団塊の世代は死が身近である。大量死の時代になる,その数が多いから火葬場が不足する問題がすでにでている,団塊の世代は学校でも教室が数が多くて用意できないとかあった,それがここにきて火葬場もないとなったのである。

「あだし野の露消ゆるときなく」=化野の石仏には常に露が滴り
「鳥部山の煙立ち去らで」=鳥部野の山では煙が消える事がない
「住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。」=人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう
「世は定めなきこそいみじけれ。」

鎌倉時代の徒然草に鳥部野と並び化野が人生の無常をあらわす枕詞に使われております。
こういう時代になってきた,津浪の死も大量死の無常だった,その霊は今も漂っている
そこになんらかの怪があっても不思議ではない,これだけの死があれば怨念か何なのか
漂っているとなる

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2018年01月11日

大学は名前だけになり大衆化した (それは団塊の世代から始まっていたー文系大学はいらないのか)


大学は名前だけになり大衆化した

(それは団塊の世代から始まっていた-文系大学はいらないのか)


大東亜帝国以下の大学なので、こんなもんじゃないです。
全国で500弱の大学が該当します。

自分のプログのアクセスを見ると驚くのはこんなに大学があるのかとなる
どこからアクセスしたかわかりにくいけど大学からアクセスするのはわかりやすい
するとこんな大学があったのかと知らない大学が多いのである。
Fランとかなるとそんなに多いのかとなる
何か地方にそうした大学を誘致して活性化を計るために大学を作りすぎたためである。
今日は長崎ウエスレヤン大学とかからアクセスしていた
キリスト教系の小さい大学なのである。

大学とは何なのか今問われている,団塊の世代から大学が大衆化していたのである。
自分の大学は文系でありマンモス大学であり講義を聞く講堂には3千人いたとかなる
これは高校の授業とはまるで違ったものなのである。
今は少人数になっているだろう。高校中学で30人クラスであり恵まれている
団塊の世代は50人くらいが普通だったからである。
そして地方から大学に入る人が多かった,今は有名私立大学は関東圏で70パーセントとかしめているとなるとか変わっている
地方から大学に行ける余裕のある人は少なくなったためである。
関東圏だったら家から通いから金がかからないのである。
地方だったら東京に住むだけで金がかかるからだ

学生運動というときなぜ起きたのか?
それはマンモス化した大学に対する不満があった,学問に身が入らないという不満があり学生運動になり青春のエネルギーを費やしたのである。
青春時代はなんらかでありあまるエネルギーが噴出して爆発するのである。
そして必ず過ちを犯すのが人間としてくりかえされてきたことである。
老人になってその過ちを悔いるのもそうである。

大学というと名前から錯覚しているのである。旧制高校からの帝国大学はまるで違ったものとして私立大学の文系などが生まれたのである。
団塊の世代から大学はそうしたエリートとは違う大衆化した大学となっていたのである。だから何か自分なども大学という名前だけでありその名前で錯覚しているのである。
大学を出たと言ってもほとんど勉強していないのだから大学を出たということにどれだけ意味があるのか?
例えばそこで何かを文系でも研究していたなら別である。そんなことは大学院まで行かないとないのである。

大学でも成城大学とか成蹊大学とか金持ちの行く大学は少人数でかえっていいものだったろう。その学生の数が百倍くらい違っていたからである。
だからその数に圧倒させられる,そんな数がいたことに驚くのである。
数が増えれば大学というっても名ばかりになる,それはすでに団塊の世代からはじまっていたのでありそれがさらに地方に大学は自治体の要請で活性化のために作られたのである最近看護系の学部を設置するのも地方では看護師不足で悩んでいるからである。

大学とは何かというとき戦前の旧制高校の時代とはあまりにも違ってきた,それはすでに戦後の団塊の世代からはじまっていたのである。
大学生の数がふえすぎて価値が低下したのである。
だから一流大学を出ない限り価値がないとなったのである。
むしろ手に職をつけた方が就職するにも世の中をわたるにもいいとなってもいる
大学の教育は役に立たない,特に文系は何のようにもならないとなった
自分は経済学部出ているけど何にも勉強していないから銀行員が来て株のことがわからないのである。
むしろ高卒の人は証券場で働いているから詳しいのである。
債権とか株の相違とか基本的なことがわからないのである。
株式とかが資本主義の中心にあるときそのことすら経済学部出てわからなかったのであるただ経済の分野は広い,哲学でも宗教でも関係しているから自分には本当はあっていたのである。

それにしても資本主義の基本である株式のことすらわからないというのはそれで大学の経済学部を出たと言えるのかとなる
理系と文系の相違は分けることは簡単にはできない
宗教が生まれたのは宗とはむねなることであり全体志向があって宗教が生まれた
だから宗教でも仏教でも医学と関係していたし江戸時代は医は仁術となっていたのである
大学で錯覚しているのは旧制高校の延長として団塊の世代は考えていたふしがある
つまり将来エリートとなり社会を指導する地位にたつことが約束されていたものとしての大学だと錯覚していたのである。
そんなマンモス大学でエリート意識が養われるはずがないのである。
エリート養成は少人数でしかできない,ソクラテスの回りに集まった弟子は数えるほどしかない,キリストでも12人の使途に教えを説いたのである。
講堂で三千人に講義すること自体,それは何なのだろうとなる
すでに授業も成り立たない状態になっていたのである。
だからみんな授業はつまらないとして学生運動で鬱憤を晴らしていた見れるのである。

その後大学を出てみんなが企業戦士となったのも戦前だったら旧制高校なら社会の重要な地位につき指導者になっていた
企業戦士とは会社の一兵卒のように働く人でありみんなが社長になるわけはないのである大量の一兵卒の方が必要とされた時代だったのである。
その人たちが団塊の世代を中心に高度成長時代を築いたのである。
その人たちはエリートではない,高度成長時代に大量生産して消費者となったのである。だから別に大学ではエリートとして社会の指導者としてどうあるべきかなど何にも教えられていない,日本の国をどうすべきかなども論じられないない
なぜならエリートでもなくなっているしそういう志など必要とされなかったからである。そもそも団塊の世代の受験戦争では他者を蹴落としていい大学に入り大企業や公務員になりいい暮らしをしたいということだけをすりこまれたからである。
そこにはエリートだった旧制高校のような矜持は全くなくなっていたのである。

いづれにしろ大衆化した時代というときエリートがいない時代であり何が指針となったかというとただいい暮らしをするしかない,物質的欲望を充たすことしかない
それはカルト宗教団体でもそうである。そこは巨大な欲望の塊りとなり政治化する
日本の戦後はエリートなき大衆社会である。
大衆がリードする社会である。それでマスコミでもその大衆向けに放送する
大衆が主役なのでありそれに答えるためにマスコミがある
パンとサーカスの時代だったのである

大学とは何か高邁な理想を追及するエリート集団を形成することにあったのだろう。
その理想が現実社会から離れていても大学内では理想を追及するとなる
社会の現実はそうでないとしても若いときはそういう純なもの目指すからである。
それに答えるために大学あったともなる
旧制高校とか明治維新の後の侍出身の人達はもともと選ばれた優秀な人達でありその人たちが新しい日本を作ったともなる
その後も旧制高校などのエリート集団が日本には存在したのである。
でも戦後はあらゆるものが大衆化したのである。
高邁なものを追及するものは拒否されて大衆化して堕落したのである。
マスコミがそれを象徴している,そこに本当の知とか何もない
芸能人の馬鹿騒ぎでありそれを見ているのも無知な大衆だとなってしまったからである。
それは日本だけではない世界的なものでありアメリカでもインターネットが発達していても一日十時間以上テレビを見ているというのには驚いた
インターネットを発明して普及しているのにそんなにテレビを見ているのかとなる
そしたらテレビに左右される人が多数だとなる,それで大統領選挙でもテレビを操作すれば勝てるとなり実質トランプ陣営がそれだけの金をテレビ宣伝に使ったとというのもそうなのかとなる

とにかく文系大学がいらないというとき大学が戦前の旧制高校のものとはまるで違ったものとなっていたのである。エリートを養成する場所ではなくなっていた
それは会社の一兵卒になって大量に働く人を大学をランクづけして選ぶことだったのである。もちろん有名大学ならそれは将来の幹部候補生となるからエリートとして選ぶとういことがあるかほとんどは一兵卒として採用されるのである。
だから大学というのは名前だけであり名前を変えないとなにか時代にそぐわないのである大学とついていると何か高校とはまるで違ったエリートのように錯覚するのである。
大学は団塊の世代からすでに大衆化してエリートでもないしその価値は格段に低下していたのである。
特に文系は大学では勉強しないし自分のように経済学部を出ても資本主義の基本の株式すら理解していないのである。
今や大学は名ばかりであり文系の場合どこの大学を出てもそれほど差がない気がする
自らが目的意識があって課題にとりくむことがなければ社会でも全然役に立たない

学問とは何か?それは社会の問題を解決するためにある,例えば今ここで津浪や原発事故で悲惨な状態になった,ではその復興とか解決策はどこにあるのか?
それこそがまさに学問なのである。それは理系が主でも文系も関係している
理系であれ文系であれ総力をあげて解決する策を見いだすことだからである。
それを自分はプログでしてきたのである。
学問とは現実社会がありそこに起きる問題を解決するためにある
それは個々人の問題でもそうである。
ただ学生だと現実社会を知らないから机上の空論になりやすいのである。
でも社会にでると否応なく社会の問題につきあたり解決を求められるのである。
その時大学で勉強していないと答えられない,解決策を見いだせないともなる


タグ:文系大学
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2017年12月25日

2017年自分の一年をふりかえる(十大ニュース)



2017年自分の一年をふりかえる(十大ニュース)


●駅で案内のボランティアをはじめる
●駅であやしいと通報され警官に職務質問される
●駅で掃除のことなどJRの会社と相談
●ロードに乗り転ぶ
●「心の青雲」のプログの著者,都築詠一氏死亡
●母の三周忌で家族の死を偲ぶ
●姪子が東京より来て兄の墓を自分の家の墓の脇に新しく作る
●家の修理を頼む
●歯医者に二回行く
●ケンチン汁と鰈の煮物の料理を覚える


こんなところかもしれない,駅のボランティアは去年の12月から常磐線が開通して無人駅になったのではじめた,一番わからなかったのはここで乗ったという証明書が出てくる所だった,はじめての人はわかりにくかった
それからはじめての人には原町行きが高架橋をわたって向こう側なことがわからない人が多かった,それでJRの原町駅にそのことを言ったら看板を設置した
それは一つの成果だった,他にもいろいろあった
自分は鉄道旅行が長いから鉄道好きである,でも不思議なのは鉄道員のまねごとをしてみたら鉄道の仕事は生きがいになるのだと実感した
一人盲人が通っていてその人を案内して車掌に合図したとき奇妙なJRの職員との連帯感を感を感じた
そもそも仕事は簡単にできないのである。仕事してもその経験は限られている
だから仕事のことはわからないのである。

駅でわかったことはともかくしょっちゅう点検にきていることである。
鉄道の仕事でいかに点検が多いかということである
それは安全にかかわることだから電気系統もあり点検が大事になる
ここは水戸の管轄にあり水戸からもしょっちゅう来ていたのである。
なんでも東日本のJRで点検だけで4000億円とかかかるというから点検は欠かせないのである。それで新幹線の台車がひびわれて大事故になるとか報道された
あれだけの破損したものを見逃していたのだから怖いとなる

無人駅で掃除を金をだしてJRが頼んでいるということはわからなくなった
確かに頼んではいるが決めるのはJRの水戸管理局でありわからない
商工会だとか市だとか商工会とか関係して複雑だった
NPOも関係していたとかなにかわからなかった
今日はまた風が朝から強いから運休になる,これからこの辺は風が吹くから遅れる
新地から山下とか高架になり風を受けやすくなったから遅れるから困るのである

あやしいとして通報され警官が来て職務質問されたのもショックだった
その時イベントが大勢の人が来ていたからである。
自分は結構駅ではボランティアを長くしていたらかである。
ただ回りの人は全く認めていない,あの人何しているの,怪しい人だとしたか見られていなかったのである。
ボランティアは身分の保証がないというのは確かである。
ただ高齢化社会はつくづく生きがいを求めてボランティアをしたい人がいるのである。
でもなかなかしにくいのがボランティアだったのである。

20数万で買ったヤマハのロードのJPYはロードとしても軽いから使えるのでいいが早いので危険があった、それで転んだとき危険だった,転ぶ場所が芝生のような草地だったので助かった,もし坂道の下りだったからそのまま坂を下った大怪我をしていた,
自転車も危険なのである。一度は近くでなんでもない場所で転んで前の歯を三本折った
その時頭を打っていたら死んでいたのである。そのことを忘れていたが思い出して冷や汗をかいた
今年は歯医者に二回通った,まだ歯が残っているので入れ歯にはならない
自分の母は60代で入れ歯になった,でも百才まで生きていたのは不思議である。

自分は最初鉄道の旅であり全国ほとんど乗った,次にものたりなくなり40代ころから自転車旅行になった,その間に登山などもしたが体力がなくつづかなかった
自転車旅行は体力がなくてもやれた,それは自分のペースで走り疲れたら休めば良かったからである。一日休んでまた走りとかしていたからできた
今度出たパナソニックの電動アシストマウンテンバイク「XM1」はいいものらしい
なぜならヤマハのJPYについてはこんなロードは必要ないとか悪評があったがパナソニックの電動バイクにはないからだ
悪評が全くないのである。自分でもヤマハの前の電動自転車は走りは遅いが悪路に強くマウテンバイクだった,馬力があり山の悪路を上れたのには驚いた,馬力が凄いのである。JPYはバッテリーはアクセサリーのようなものであり全く急な坂道では上れなかったからだ,そしてマウテンバイクがいいのは安定しているからいいのである。
転んだ時あったが足がつくのとで坂道で転んでも安全だった,でもその時も実際は危険だったのである。
パナソニックのは33万とかなるから高い,でもそれだけの価値がある自転車なことは評価がいいからわかる

今年一番驚いたことは「心の青雲」のプログの著者の都築詠一氏が突然死亡したことだった,これは信じられなかった,体の調子が悪くてプログに書き込めないと書いてあったがそのあとすぐ死んだのである。
なぜ驚いたのか,それは透析はしていたとか書いてあったがそんな病気のように見えなかった,わからなかった,書いていることは元気そのものだったのである。
だからとても死ぬとは思えなかったのである。
でも透析を十年以上とか17年なのかしていたことには驚きである
そんなに透析していて生きれるものだというのも驚きである。
都築詠一氏に関心をもったのは同世代であり言っていることが実に歯切れがいいのである

ユダヤ人陰謀説とか陰謀論とかネットに蔓延しているけどそこはついていけなかった    それがもまた異常ともなる,逆にカルト宗教的になる
カルトというのも異常な誤った信仰でも狂信的になるからでてある。
イルミナティがどうだこうだというのも逆にそうして陰謀論もカルト的になる
陰謀論は陰謀が陰謀を生みなにがなんだかわからなくなるのである。
もう一つ都築氏の死亡で問題になったのがログが消えたことである
一部保存されていたが全部が読めなくなっていた,そしてインターネットではそうして死んだらその後のログとかがどうなるのか?
死んだ時点で閉鎖しないと荒らされるということがあるのでそめうしろといわれる
でも突然死んだりしたらどうなるのか?
ただ「心の青雲」のプログは死んだ時点で閉鎖された
いろいろ検討するものがあったが一時はしていたが残されたものが少なかった
ただ10年近くだったか毎日のように欠かさず自分は読んでいた
だからその人なり思想に親しんだともなる

「文は人なり」というがそういうものを文章から感じた
残念だったのはあれだけのものを書けるのに突然中途で中断して終わってしまったことである。
でも死に方としては良かったとかなる,なぜなら介護とかそうした福祉のことを批判していたからである。
それを貫いて死んだというとき言行一致の人だったから感心したとなる
死を考えるとき仕事しながら死ぬのが一番いい感じである。
農民なら農作業してて死ぬとか医者でも一週間前まで90才でも患者を見ていた人が入院したら死んだとか前の自転車屋も一週間前に仕事して体が具合悪いと言って入院したら死んでいたのである。そういう死だと誰にもほとんどめいわくをかけないからいいのである。だから都築氏はそれを実行して死んだとなるから言行一致の人だったとなる

人間は死んでからでもなにもかも消えるいうことではない,死ぬと墓の問題とか遺産の問題とか具体的なものとしてもかたづけるものがある。
これらは意外とはやっかいな現実的な問題なのである。
それで兄の墓は実家の墓に骨も入れていたが土になってわからなくなった
それで墓標のようなものを自分の家の墓の脇に建てた,8万で石の道標なようなものでも墓として立派だとも思った
墓はこういうものでいいと思った,なぜなら跡継ぎがいないとか墓を継承することができなくなっているからだ,すると墓は簡単にかたづけられないとかあり困るのである。
道標のような墓だと簡単にかたづけられるから残された人が困ることがないからである。ともかく人間は死んですぐなんでも終わらない,死者を偲ぶことはつづくのである。
それは郷土史でもあった,老人は回想することが仕事となりみんな語り部となるからだ

料理はほとんどしていない、それでケンチン汁が袋に入っていてすぐにできるものがうまかった,その味は家で食べていたものと同じだった,自分はけんちん汁が好きだったからである。なぜそれを言うのかというと介護して10年の間とか今まで食べられていたのもが食べられなくなった,その一つにケンチン汁があった,だからそれを自分で作ったとき
味が同じだったので元にもどったと感じたのである。
それから鰈の煮物でもツユがうまく同じ味でありその味を思い出したのである。
それはお袋の味だったともなる,自分はそういう味も味わえなくなっていたからである。
結局自分の30年間は何事もなくあまりにも恵まれた結果として家族が死んで悲惨なことになったのである。

それは今のフリーターとか氷河期とかニートとかそういう人達が結婚もしないで親が死んだときどうなるのか?
金もないとしたら信じられない悲惨な運命になるかもしれない,その具体的な例が自分だった,そのことをいろいろ書いてきた
まず他人はもう金しかない,同情など全くない,相手が病気とか介護しているとか関係ない,金を盗ればいいしかない,それで現実にそうなった
他人は相手が死のおうが何になろうか関係ないのである。
特に現代では金がすべてであるから余計にそうなる,そしたら金もない,親もいない,身寄りがないとなったらどれだけ悲惨になるのか?
それを今のフリーターとか氷河期とかニートはイメージしていないのである。
でも否応なくそういう悲惨の末路が待っているいことは覚悟すべきである。

今年一年は家のかたづけとかあった,修理もあった,まず介護でもそうだが家自体と格闘してきたのが介護はじめてから十年とかそうだった
家は修理とかもあり維持するのが大変なのである。たからある程度の資産がないと維持できなくなる
それでつくづく姉が何度もこの柱は橲原(じさばら)のキコリから同級生だったので頼んで用意してもらったと言ったことを思う
この家を建てるのは相当に苦労だったし家を建てたことが誇りだったのである。
その時はあまり考えなかったが今になるとこの柱が姉のようにさえ思うようになった
家を維持するために自分一人がおしつけられた結果そうなったのである。

ともかく母も死んで三年とかなりまた心境が変わる,心境というのは常に年ごとに変わっているのである。今年はなにか死者を偲ぶとういこともあったが正常に精神的体力的にも回復してきた一年だったともなる
介護というのはそれだけ負担だし回復するには時間がかかる
でも老々介護になるともう力が尽きてしまうとなる
それで旅行する気力もなくなったとかなる,仙台にも今年は一回しか行っていない
なかなかかえって家を留守にすることがむずかしい
家を留守にすると誰もいないから不安になる
それで実際に電気の暖房機を一週間くらい電気をつけたままにしていた
それが気づかなかったのある。700ワットくらいであり相当に電気が使った
これも大失敗だった,一人暮らしにはそういうことがある
なにか家を留守にすると危険がある
ストーブでも消し忘れが良くあるからだ,だから外に出にくいのである。

ともかく今年も終わりである,来年はどうなるのか?
ちょっとまた遠くに旅行するのか?
なんかいろいろと家族の死後のことなども一段落したから正常化してくるのか?
やっぱり健康が一番である,一部悪いが自分が良かったのはやはり自転車に乗っていて運動していたからかもしれない,自転車に乗っている時間が多い人は長生きするとオランダで研究があったからである。
やはり自転車でなくても運動している人は体力が維持できる,それが積もり積もって老人になると60代以降現れるのである。
内蔵でも酒を飲みすぎると時間の中で疲労して磨耗する機械とにているのだ
人間の体も長い間使用していると機械のように磨耗して錆び付いてくるからだ
とにかくあと十年くらい元気に過ごせれば自分は人生を全うしたとなるだろう。
だから健康が老後は一番大事なのである。
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2017年12月21日

弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子 (富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)


弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子

(富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)

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週刊現代%202017年12月30日号

こういうのは何か怖い,縁戚関係になるとやはり因縁がカルマがかりり強いものとして影響する,まず富岡八幡神社の土地をもっていたということが土地の因縁としてカルマとしてあったことである。
そして弟に姉が殺されたことも共通している

弟が姉を殺した

弟が姉を殺した

そういうことが自分の縁戚でもあった

親が事故で死んだ

その子も事故で死んだ

これも何なのだろうとなる,こういうことには何かカルマがあり影響しているのか?

カルマは何かわからないけど怖いものがある,カルマは似たようなことをくりかえすことである。それがインドから生まれたというのはそれだけ人間をインドで長い歴史のなかで見ていて統計としては見ていなくても結果として現れるからそうした思想が生まれたのである。

ただカルマにはいろいろある。

親が子供を育てられない

その子供を子供まともに育てられない

それがカルマとなっている人もいる,カルマとはいろいろあるからわかりにくい
ただ同じようなことをくりかえすことである。

殺された北島さんは優秀な人であり富岡八幡神社の宮司の人とは違っている
そういう人でも縁戚関係とかでつまづき事件が起きる
だから縁戚関係とかカルマには怖いものがあるのだ

カルマとは別に縁戚関係だけにあるのではない,例えばある人が給料が未払いだった,そこは暴力団関係で支払われなかった,その額も大きかったのである。
その分を自分が払うようになった,なぜか他人のカルマが自分に回ってきて解消したともなる

まだ逆に他人のカルマが回ってきて背負わされることがある,犯罪などがそうである。
なぜ犯罪にあうのか?そこになんの因果関係があるのか?
全くないようでもあるのかもしれないのがカルマである。
自分が大金を盗まれたこともカルマだったとなる,なぜそんな人が自分の家に来たのか?
それはただの偶然だったのか?何か因果関係があってそうなったのかとなる

なぜまた事業に失敗した人が借金を自分に要求してきたのか?それは他人のカルマを自分に回ってきて背負わそうとしたのである。
犯罪とは他人のカルマを受けることであり背負わされることなのである。カルマはめぐりまわっているのだ

そしてこの事件が2017年に起きているということは一年前だったことも驚きである。
富岡八幡神社の土地をもっていたということ自体カルマになっていたともなる
宗教団体とかに入っていて指導者だった祖父母がいたというのも何かカルマとなっているそうしたカルト宗教団体ではカルマが積まれているのである。
そういうカルマが積り積もって事件となって現れる,苦しみとなって現れるのである。

ただどんないい家庭でも家系でも負の部分をもっている,そのカルマが苦しみや事件となって現象化する
北島さんの場合は優秀な人だったから惜しまれた,そういう人でもカルマから逃れられない怖さがあった

いづれにしろ日本人の宗教はみんな現世利益しかない,御利益追及である。
それは日本人には宗教心がなくただ金を求めているだけの怖いものとなったというときそうである。宗教によるブレーキがきかないからひたすら金だけをご利益を追及する
それにやましいものを感じないのである。
神社でも何かみんな求めているのはご利益しかないのである。
千円賽銭投げたら二千円くれ一万くれとかなる富クジと同じである。
日本人にとって神様とはそんなものなのかとなる
カルト宗教団体もみんなそうした神社と変わりないのである。

金しか求めていない人間が本当は怖い,自分はそういう怖さを経験した
自分の病気も家族の介護でもただ金をとればいいしかない
もうこいつが死ねば金が入るとまで心ではなっていたのである。
保険金殺人のような状態になっていたのである。
借金した人は犯罪予備軍である。その借金でも贅沢するための見栄のための借金が現代では多いのである。もう病気で困ったからとかではないのである。

そういうふうに日本人がモラルもない金だけを求める社会と化したとき本当にこの世は地獄である。金のためならなんでもする,もう相手を人とも思わないのである。
金をとるものとしてあり金がとれないなら関係もなにもなくなる
それは富岡八幡神社のように兄弟間でもそうなる
それほど社会が荒廃してしまっているのだ
だから震災とか津浪とか原発事故とかが起きてきた,それが関係ないようで関係ある。
原発事故だって人間の限りない欲から生まれているからだ
そしてもう人が住めなくなるような悲惨な状態になったのである。

ともかくカルマはどこかで清算が強いられる,自然に消滅することはないのである。
本人が苦しみ苦しみようやくそのカルマから解放される,dischargeされる
最悪なのは事故とか事件になりそれでカルマが消滅するともなる
そのための犠牲が強いられる,死なねばならぬとなればそうである。
親とか先祖とか縁戚関係でもそういうのは避けようにも避けられない
そしてそのカルマによって殺されるという犠牲を払わされることにもなる
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2017年12月15日

15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡 (危険な高所の仕事)


15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡

(危険な高所の仕事)

警察によりますと、茨城県古河市の工場で14日午前、秋山祐佳里さんが屋根に取り付けられた太陽光パネルの点検などをしていたところ、天窓のガラスが割れて13メートル下のコンクリート製の床に転落し、死亡しました。

こんなことがなぜ起きたのか?

人手不足のためだという人もいる,日本はそれだけ人手不足で追い詰められてこんな人まで雇っているのか?まず法律違反になるのに雇っているのはなぜだったのか?

ただ前にもアルバイトで60くらいの人がアンテナとりつけでやはり屋根から落ちて死んだだからなぜそんな危険なことをアルバイトにさせるのか?
今は何かと人を雇うのに厳しい時代だからである。まるでアジアの貧乏国なのかというのもわかる,中国人などはそうして建設中にビルから落ちているのか多かったからである。
アルバイトになぜそうした危険なことをさせることがわからない,普通の雇い主だったらさせない,でもさせている,これは明かに法律違反なことはいくらなんでもわかるだろう
なぜ自分が屋根から落ちるとか興味をもっているのかというと20代の時自分も同じ経験をしているからだ
ビルの四階から本当に危機一髪で落ちなかったが落ちるところだったのである。
だからそれを時々思い出すと良く落ちなかったなとふりかえる
明かにそれで一貫の終わりになっていたのである。

なぜそんなところで働かせられたのか?それは働く場所がなくてそんなところに行った結果なのである。雇い主は危険なことでもさせていたのである。
普通だったらもし事故が起きた責任を問われるからそんなことをアルバイトにはさせないのである。

まず屋根に上がるとか高所で仕事できる人はなれた人でありそれに向いた人である。
ただ中学生は軽いからと選ばれたなのかと言う人がいる
それもありうるが女性なのにそんなことをさせるのかとなる
この雇い主の責任は重い,まず法律違反だからそれだけで罰せられる

なぜそんな場所で働いた事情はわからない,そもそもアルバイトにそんな仕事をやらせることが理解できないのである。中学出たばかりの人を雇うこと自体わからない
だからそこまで今日本が人手不足に追い込まれているのかともみる
建築関係では人が集まらなくてつぶれている会社が報告されているからだ

80才の人が東京から除染の仕事に来ていたのも人手不足のためである。
人手不足になると人を選んでいられないのである。
だから介護関係などはいつも人手不足だから変な人でも雇っている
そうなるとそういうところで世話になる老人も怖いとなるのだ

人間はなんらかの危険を経験していない人はいない,ただその時は一番危険だった
ただ近くの岩場を登っていて下に落ちて頭を打ったときも実際は危険だった
高さがそれほどないので軽傷ですんだのである。
自転車でもすぐ近くの危険な場所ではない普通のところで起きた
車輪が大きい新しいもので乗りなれていなかったのもあったかもしれない
強く顔をうちつけた,それで前歯三本を折った,それを忘れていたが抜け落ちたので思い出したのである。
この時は本当に頭打っていたら死んでいたのである。自転車も危険なものがある,この前は急な坂道がつづくところで転んだが助かったのは
その自転車はマウテンバイク風の電動自転車であり足が地につきやすいので助かったのである。やはり高くなる,足が地につかなくなるととっさのとき危険になる
ロードは早いから危険なことを知った

いづれにしろ人間は誰でも危険な目にあっている,それで死んだ人もいる
別に交通事故でも死んでいるのだから人間の死ぬ確率はある
同世代でももう一割は死んでいるからだ
これも運不運があるのか?それよりそうした危険な場所で働くというのは自重すべきである。そんなことをやらないと自分で言わないとやらせられるから困るのである。
アンテナとりつける若い人は機敏でありスイスイと屋根を歩く,恐くないと言っていた
それから船乗りも漁船がゆれても機敏に動ける,体が小さいのだけと向いていたのかとなる

ともかく人間は自分に向かないことは本当にやるべきではない,仕事でもするべきではない,させられるのも困るのである。若いときは自分の適性がわからないのである。
学校では失敗したのは自分は体力がないから体力仕事ができないから本当は頭を使う仕事をするべきだったということを自覚すればもっと勉強していた
でも勉強嫌いになっていたから就職もせずそうした危険なアルバイトをさせられたのである

だから家の職業の跡を継ぐというときは親の仕事を見ていいてそれがどういう仕事なのかわかるからいいのである。電器屋だったらアンテナとりつけで屋根に上るのを子供が見ていてその仕事を身近に知るからいいのである。
そして屋根に上ったら危険でありそのことを親から言われるからいいのである。
全然そうした経験もない理解もない人が突然屋根に上げられて仕事させられるのは危険なのである。

そのアンテナとりつけではないがはずすために手伝わされた,そして屋根に上った
そしたらアンテナが落ちたのである。それが反対方向に落ちたから良かったのである。
もし自分の方に落ちてきたら大怪我をしたかもしれないのだ
だからなぜそんなことを自分にさせたのかということがある
たいした危険がないとその人は見て自分にさせたのである。
だから何でも頼まれたからと仕事をするのも危険なのである。
怪我しなかったから良かったがもし怪我したらもうその人とはつきあえなくなっていた
それもその人にとっては苦しいことになっていたのである。
なぜなら自分はずっとその後その女性を援助してきたからである。

人間は危険はどこにでもある,毎日のようにこの辺でも交通事故が起きている,だから歩いていても自転車でも安全だということはないのである。
知り合いの女性は自転車だが安全に相当に気を使っている
自転車の危険は車から死角になりやすい,ダンプとかの陰に隠れて見えなくなる
それでまきこまれて事故になる
この辺は外部から人がかなりまだ入ってきていてダンプが通るから危険なのである。
ともかく建設現場は危険な場所である,物でも上から突然落ちてきたりするからである。だからなれていないと危険なのである,ただそういう場所はだから誰でも雇う,履歴書などいらない,ヤクザ関係の人が連れてくるからである。
原発でも危険だからそういう人を連れてくる,そして犠牲になっても責任をもたないともなる,保証されないということもある

結局そんな危険な場所にゆく奴は馬鹿だともなるがそういう人がいないと成り立たないのも建設現場である。それで確実に一定数が死んでいるのである。
タグ:危険な仕事
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2017年12月08日

富岡八幡宮4人死傷の深層 (神社も寺も教会も聖なる場ではない)


富岡八幡宮4人死傷の深層

(神社も寺も教会も聖なる場ではない)

  瓦解する神社

神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も

これは何なのだろうとなる,これは急激に起きた事件ではない,前からもめていたのである。
神社本庁と地方の神社の争いがあった,この神社本庁とは何なのか?
これは権力機構としての神社を統括するものだった
悪く言えば地方の神社から金を吸い上げる組織なのとかなる
暴力団の上納金のシステムなのかとなる

なぜなら跡目相続でもめているというとき神社本庁もその地方の神社の宮司になるために争うというからだ
天下り先として地方の神社に神社本庁の職員がなる
そして東日本震災で寄付された御料米が職員に配られていたというのもそうである。
利権化した団体でありただ上納金を吸い上げる本元が神社本庁なのかとなる

そもそも宗教は無形だったものが有形化資産となったときそれをめぐって争いが起きた
カトリックでは土地を所有することによって財産を築き腐敗した
土地をもつだけで相当な財産を所有したからである。それは日本でも寺領がありそこは治外法権のうよになり国のようになり僧侶が支配したのである。
その僧侶が武士になったという説もありえないことではない,なぜなら寺領を武力でも治めていたからである。

平安時代後半は社会が乱れ、強い勢力を持った寺社が自衛するようになり、所有する領地の治安維持や公家・武家・悪党・他の寺社などに対抗するため武装。

ヨーロッパでは騎士団が形成されたし十字軍もあるから宗教は戦闘集団としても形成されていたのである。
そういう歴史があるから権力争いが宗教でも起きてくる

明治維新のとき廃仏毀釈がなぜ起きたのか?それは江戸時代は寺が幕府から役所の一部のようにされ優遇されたからである。それで天皇がもちあげられたとき右が勢いづいて
廃仏毀釈が荒れ狂ったのである。これも宗教の権力争いだったのである。

宗教の争いというとき宗派の争いとかあるがその根底に利権をめぐる争いがある
人間は土地でも建物でも金でもなんでも財産となるものがあればそれをめぐって争いとなる,だから宗教の理想は何ももたない無一物なのである。
キリストやシャカは家もないしこの世に安んじて寝る場所すら確保できなかった
そんなことをまねする人など今はいないのである。

神社も一つの権力化したものとみることができる,神社の意義は何なのか?パワースポットとかとして今では重宝される
神社は土地と深く関係して生まれているからだ,それで津浪で神社が建っている,社がある所が津浪からまねがれたということで話題になったのである。
ここでも烏崎の八幡神社が津浪からすれすれで残ったというのもそうである。
ぴったり津浪の来る高さにあったということも不思議なのである。
そこに霊験があったともなる

神社が場所に関係しているというとき飯館村に山津見神社などもそうである。あの奥深い場所がそうなのである。佐須とは焼き畑地名であり狼は祭っているのは農作物を鹿とかイノシシとかに荒らされるから天敵の狼が神ともされたのである。

神社が場所と深く関係しているというときエレサレムを首都にするということでもめているがやはりそこが聖地だということで争っている
本当は聖地は常に移動している,聖地は常に汚されるからだ,そんなに争う場所に神はいたくないとなるからだ,だから今神は砂漠にその住処を求めたというのもわかる
今はヒマラヤ辺りが聖地となる


古代に度々都を移したのはそこが汚れてしまうからである。政争があったり何やかやと汚れる,平城宮でも呪いの木簡が発見されたりする,それで心機一転するために都を移したのである。それは古代だから移る未開の土地があったかからできたことである。
人間はただ常にフロンティア求めてきたのである。
日本だと北海道になる,そこで空気まで違っているからだ
そのフロンティアが世界的に消失したとき宇宙にフロンティアぁう求めるようにもなったのである。

いづれにしろ東京などに宗教の本部があるとしたらそれは政治化したものであり暴力団の本部と同じである。上納金を吸い上げるためのものでしかない
神社はもともと地域の土地に根ざしたものだとするとなぜ神社本庁に組み入れられるのかわからないからだ,ただ権力機構化して上納金を吸い上げる組織だとなる
ただ巨大組織は宗教でも共産主義国家でも中央集権となり中央に権力が集中されて管理されるようになる

神社でも寺でもカルト教団でもそこは組織化して権力化した団体である。
そういう所に本来の宗教はない,韓国系統のキリスト教団体とかエホバならアメリカ系の政治的団体として日本を支配するための出先機関なのかともなる
そこに自主性はないのである。
宗教をもとるなら組織とか団体とかに入るべきではない,教会にも行くべきではない
そこも組織であり組織的に人を支配するための団体だからである。

創価なども巨大な権力機構であり何をしようとしているのか?
それは権力でもって日本を支配しようとしている,宗教はその道具にすぎない
狙いは権力なのである。どんな人でも人を選ばず会員とするのは票として権力をもつためにそうしている,数を集めるためならどんなことでもするとなる
そして池田大作が死ぬと分裂して内部で権力争いになる
莫大な有形資産をもっているからである。その争奪戦になり分裂してゆく
それがかつて人間がしてきた繰り返しカルマだとなるのだ

何か宗教を看板にしている所はすでに汚れているのだ,だから神社でも寺でもキリスト教関係でもイスラムでもなんでも汚れた場所なのである。
だから奇妙なのはそういう場所に行くと心も汚れるのである。
だからかえって山岳宗教など迷信的だとかなるが山の気にふれて心を清めるのだから宗教施設などで祈るよりいいとなるのだ
まず都会にある宗教施設はもう宗教ではない,政治であり経済であり権力の場として機能しているだけである。

寺には行くな
神社には行くな
教会には行くな

どこに行けばいいのか?山を仰ぎ自然の気に触れた方がいいとなるのだ,そこにこそ神道がある,神がすみ心が浄化される真直になるのである。
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2017年11月11日

観光立国の疑問 (なんでも経済優先は後で後悔する)


観光立国の疑問

(なんでも経済優先は後で後悔する)

デパートの売り上げが大幅に減ったことはともかくとして、これまで培ってきた「洗練された」「高級感あふれる」「落ち着いた」街という銀座のイメージが損なわれてしまったことは残念ですね

短期的な儲けを当てにして、外国人観光客目線の商売をすることは、長期的には、街に対する愛着を失わせてしまう恐れがあります。


NHKで観光立国のことを今放送していたけど疑問である。人間社会というのは何かを得れば何かを失う宿命にあることに気づくべきである。
確かに経済的に困窮してくると観光でもなんでも金を稼がねばならないとなるからそんなことを言っていられないともなる
この観光立国の問題はもしかしたら日本の文化的なものが破壊されることかもしれない
京都などの古都ではそういうことが起きているだろう,しみじみと静けさのなかで味わう日本的情緒が外人がおしかけて喪失する,それはすでに修学旅行生などで起きていたのである。そもそも寺は観光のためにあるのではない,修行の場だったのである。
これは銀座だけの問題ではない,京都などで一番起きている問題だろう

それぞれの土地には、そこに根差して暮らしてきた人々が時間をかけて培い、大切にしてきた歴史的、社会的な「意味」があります。そうした意味を、人々が共有しているからこそ、郷土愛や郷土意識、人々の同胞意識が育まれ、村や町、ひいては国が成り立っているわけです。

ここの文章はうまく表現している,観光が目的化するとこうしたものが無視され外国人のためにばかり配慮してそもそも長年生活していた土地の人のことは無視される
それが国の政策として奨励されると余計にそうなる
京都などは何か和服の人がもともと静かに歩み通るのに向いていた,それがすでに現代化したとき失われていたのである。
さらに外人が増えるともう京都の情緒もさらに失われる,だから宿もとれないとかなるともう行きたくないとなる,自分は十年間旅行していないししたくなくなったからいい。
自分が旅行したときは恵まれていたなとなる,むしろ閑散としていた方が情緒が味わえる
これも不思議なんだけどこの辺では原発事故で一時原町と相馬市の駅の間しか電車が通らなかった,それが何か人間的なのである。今までは6両くらいのときそう感じなかったのである。

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今日も行く二両の電車や秋の虹
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冬の雨(二両の電車の不思議は以前としてつづく(4)
枯野(人間的な二両の電車)

二両の電車は今でも二回くらい行き来している,乗る人が少ない昼間である。
なぜでは六両の電車と二両の電車が違って見えるのか?
それは一つの謎である。六両だと人間的ではない,二両だと時雨たりしても何か電車が人間のように見えるのである。
車だと時雨とか風でも感じない,外から見ても感じない,電車は風景と溶け込むことがあるので人間的なのである。それが二両になったとき余計に感じたのである。
この感覚は不思議だなと思う

だからこういうことは観光にも影響しているのである。京都などは人が多すぎたらもう本来の京都の情緒はないのである。
そして最近観光に来る外国人は別にそんなふうに見る人達でもない,ただラーメンを食べたいとか庶民が来ているのである。それでやはり観光により俗化が起きてくる
夜も楽しみたいというときそこに若者も来ているから見せ物を作り出す,それは日本文化とは違う,テレビのような見せ物になる

ただそうはいっても人間はつくづく背に腹はかえられないのである。
みんな金になるならやるとなる,地方では余計に衰退しているからそうなる
ただそこで失うものもまた生まれる,マイナスの面が生まれる
原発でもとにかく金になればいいと地元の人達が誘致したのである。
今になると後悔しても時遅しだったのである。
だから観光も極端化してゆくと遂には日本文化の破壊までになる

ただ日本はそれだけ落ちぶれたから贅沢は言っていられないとなる
要するに金のために日本の魂まで売るとまで大げさに言えばなる
それは原発でそこに住めなくなったこの辺とも共通しているのである
何か当たり前にあったものが喪失した,「生業を返せ」と補償金を要求しても
金をもらってももう生業は返ってこのないのである。

だから観光立国がすべていいように政府が奨励してもその弊害もある
ただ人間は背に腹はかえられぬとなる,別に自分は海外旅行したから外人と交わるのが楽しいということがある,外人と交流したいということもある
一人一人が外交官になる必要があるというのも面白い指摘である。
外人と交流を深めれば日本を理解されるからである。
それでもこれだけ数が多くなると問題が生じてくる
やはり限度があるが日本は何で稼ぐとなると観光で稼ぐほかないとなりそれをとめることもできないだろう。それで失うものより金が欲しいというときそれは原発と同じなのである。そして後で後悔したりするのである。


タグ:観光立国
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2017年11月10日

原発事故と神戸製鋼など大企業の不正の共通性 (日本の技術への奢りなのか)


原発事故と神戸製鋼など大企業の不正の共通性

(日本の技術への奢りなのか)

●技術の奢り

●コスト競争

●納期を守る

●縦割り組織

●安全の無視

何か最近起きている大企業の問題と原発事故も共通していた,それは日本自体の製造業の危機だとも言われる,東芝とかシャープとか神戸製鋼とか日産などは日本を代表する大企業だからである。
なぜこうした大企業が問題を起こしたのか?それは原発と共通性がある。
根本的にはモラルが喪失がある,企業経営にもモラルが必要なのである。そのモラルが喪失するとき問題が起きる

そして技術の奢りも日本にはあった,日本の製品は品質管理は優れているというのが世界で信頼を得ていたのである。それが壊れたのはなぜなのか?
日本が長年築いてきたそうした技術が奢りになっていたのである。
日本は技術が外国より優れているからロシアのチェルノブエリのような事故は起きないと自分も思っていたしみんな思っていた,それで「安全神話」が作られていたのである。
それは東電だけではない他の大企業でもそういうことがあったのである。

ただ内部事情ではコスト競争とか納期を守るとかそういうプレッシャーとか人手不足で品質管理を怠ったのである。納期を守るということでも急ぐから品質管理をおろそかにしてパスしていた,検査資格もない人にやらせていたのである。
縦割り組織というのも横の連携がなくなる,それも原発事故の原因にもなっていた
縦割り行政の弊害があった,セクショナリズムというのもそうである。
吉田所長が覆水器のことがわからなかったのである。専門分野が違うとなりわからなかった,様々な分野に別れているから全体を知る人がいなくなる
大きな組織はみんなそうなる,役所でも部署が違いますとか言われて何も聞くことすらできないことがある,それは責任逃れなのである。

そしてまたグローバル化するとコスト競争にさらされる,それてコストをおさえようとすると品質管理とかはいい加減になる,何かをコストを減らすことが要求される
それで東電の清水社長はコストカッターとしてのしあがったとういことでもわかる
そういうことが事故につながっていたのである。

東電では10メートル以上の津浪がくるということを試算していた,それがわかっていても対策をしなかったのは金がかかるからしなかったのである。コストの問題なのである。
企業でもやはり根本的な所でモラルがなくなるとそれが事故につながり安全は守れないのである。
ただこれは会社や大企業でも常時起きている問題である。
だからどこでもこういう問題は起きるのである。

奢りといえば別に個々人でも起きてくるし会社単位でも起きてくるし国単位でも起きてくる,奢りが個々人でも滅亡に導く,日本の戦争だって奢りからはじまった,アメリカの強大さを知らなかったからである。
そして日本の技術は特別優れているということをすりこまれてきたのもそうである。
技術のこと科学のことがわからないくてもそう思わされていたのである。
でも電器製品と原子力はまた別物だったのである。原子力の技術はアメリカとかフランスが優れていたのである。
そういう思い込みが一般人にもあり事故など起きないと思わされていたのである。

日本の技術は優れているというときそれがナショナリズムとなり日本礼賛となっていた
確かに優れていたものがあってもすべてではなかったのである。
原発に関しては後進国でありそういうことはなかったのである。
技術というのは安全性が生命線にもなる,鉄鋼でもそうである。
長く使っていると必ず磨耗してくるから強度が大事になる,技術の基礎としてある
ずいぶん長く使っても壊れない機械がある,そういうのには感心するのである。

いづれにしろ東芝であれ日産であれ神戸製鋼でありこうした日本を代表する大企業がこういう問題を起す時世界からの信頼も失われ日本の根幹がだめになってゆく兆候なのだろうか?
だから株価が上がっているけどこれは別に日本の産業が上向きになったからではなく金融の操作でなっているのであり日本の産業の価値があがっているわけでとないのである。
それもまた錯覚させられているのである。
賃金だってあがっているのは一部であり人手不足でもそれは少子高齢化が原因であり景気がいいからではないのである。
ともかく何かそういうふうに政府とかに思わされるのである。
それは原発事故で「安全神話」が作られたと同じなのである。
それは結局奢りであり奢りから事故が起きたり国自体の滅亡になってゆくのである。

日本の大手製造業では、長引く低成長のなかで、名誉職を含め、企業の上層部に団塊世代やバブル世代が長く居座り続け、製造ラインへの新増設投資は乏しく、若手社員の補充が乏しい傾向がある。要するに、活気がないのだ。

こういうことも影響しているのか?少子高齢化も社会を活力なくしている,やはり日本自体が老化しているのである。高度成長時代は若者の人口が多かった,今はその逆だからである。若者のエネルギーが社会にを動かさないのである。
そしてどこでも会社でも技術を受け継ぐ人が不足している,農業や漁業は顕著なのだが
企業でもそうだったのである。中小企業でも後継者がいなくなり倒産している,会社が継続できなくなっているのである。だから少子高齢化は本当は社会全体に影響する大きな問題なのである。
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2017年11月01日

黒人はなぜアメリカの国旗に起立しなかったのか? (グローバリズムで国家が問われる時代)


黒人はなぜアメリカの国旗に起立しなかったのか?

(グローバリズムで国家が問われる時代)


人の痛みはわかりにくい,それは自ら経験してないからだ,今回の警察による駅で職務質問はそんなことたいしたことがない,みんなされていることだとなり関心もない
警官自体が相手がみんなの前で職務質問されたことにどんな気持ちでいるかも無関心なのである。

それで黒人が良く警官に殴られたとかそれでひどい傷を負ったとか死んだ人もいる
そのことを考えるときやはり警官というのは暴力を行使できる権力だということを身をもって感じるのである。
その時権力を露骨に感じるのである。普通社会にいてそんなに権力を直接感じることはない,社会での権力は金があるかないかで感じる
金がない人は常に底辺で余裕もなくきつい労働もさせられる,だから奴隷だというとき金がないということなのである。
別に金があかば働かなくてもいいからである。

黒人がアメリカンフットボールの黒人選手が国旗に礼をして起立しない,膝をついて抗議した,それは黒人が警官などに暴力をふるわれたからだという
それでアメリカの白人が怒ってフットボールを見ないとなった
日本でも国歌を歌わないと国旗に向かって起立しないとかの問題があった
左翼系統の教師がそういうことを指示する
それは日本であることだから外国でもあるとなる

でも黒人差別問題は古いし根深いのである。アメリカの分断を考えるとき国家とは何か?
そういう根本的問題になる,誰が国を作ったんだ,白人だとなる
移民ではない,その移民が多くなることは白人の国家でなくなるということでトランプ大統領が指示されたのである。オバマ大統領が黒人だったということで反発がでてきたのである。

ところがアメリカを作ったとなれば黒人も奴隷としてアメリカができたときから国を作ってきたともなるから黒人は他の移民とは違っている,特にヒスパニックとかとは違っている,アメリカで暮らせば日本人などより黒人が人種的には上になる
黒人はアメリカでそれだけ古くから暮らしているからである。
ただなぜ黒人が本当はアメリカの階級でもそれだけ長く住んでいるのだから上のクラスになっていいのにならない,それは人種的な問題なのか黒人そのものの能力のなさによるのかわからない,ただ確かなことは警官が権力の手先となり白人の手先となり黒人を差別して暴力をふるう,そのことに黒人が凄く怒っているのである。


こういう痛みは外国になると余計にわからない,でも明かにアメリカは人種差別の国なのである。例えばなぜ武田邦彦氏などがあれほど白人嫌悪になったのか?
あれだけの学者で世界的に仕事していても差別があったのかもしれない,まちがいなくアメリカで暮らすと差別を受けるからである。
それは観光旅行でも差別を受けることがある,そういう国がアメリカなのである。
人種差別の根が深いのである。だからアーリア人種批判になったのである。
日本人で差別されるとしたら金があるかないかしかない,アメリカでは人種で差別される国なのである。

ただその痛みを共有することは外国になるとむずかしい,ただあれだけ警官に反発しているのは警官が権力の手先であり暴力装置でありそれで直接的に権力を身をもって感じるからである。それは警官が支配しているのではなく白人が支配者であるからそうなると感じるのである。
権力を一番直接的に感じるのは警察と軍隊である。だからぎりぎりになると軍隊が国を支配するのである。暴力で国を支配することになる
共産主義国家は軍隊や警察を幹部で勝手に動かすことができる体制である。
だから権力が一部のものによって使われる体制なのである。

人間はともかくいろんな事件があっても人の痛みを感じないのである。
すぐ隣でも困っている人苦しんでいる人でも直接接しないとわからないのである。
そんな貧乏しているのかとか今では貧乏も見えないのである。
ただ自分が苦しむとその痛みを理解できるのである。

自分は家族で認知症の人を介護したからその痛みを理解したのである。
認知症にはいろいろな誤解がある,それは認知症の人を介護しないとわからないのである自分は認知症はどういう病気か理解した,その苦しみと痛みを分かち合うことになったからである。
つまり介護することは人の痛みをわかちあうことになる,それは介護する人もくるしいのである。認知症の場合は特にそうでてある。また障害者をもつ人でもそうである。
そういう人を介護することは介護する方も同じような苦しみを背負うことになるのである
ただ黒人の苦しみに外国人が共有することはむずかしい,日本は部落差別などあったが差別がない国だからである。ただ人間の歴史をみると差別は常にあった,戦争に負ければ劣等民族とされて奴隷にされるのが普通であった
それでスラブ民族とはスレーブであり奴隷のことだったのである。今でも東欧諸国は遅れているの出稼ぎに出ている,そういう歴史が普通にあったから黒人だけの問題ではないのである。

いづれにしろ国家に忠誠を誓うというとき黒人が古くからいる人達なのに差別されるとなると嫌だとなるのもわかる,国家とか日本なら江戸時代なら侍は藩に忠誠を誓うとなる
藩が国家だから侍が支配者だからそうなる,外国でも貴族が支配者だから国家に忠誠を誓うのである。黒人は奴隷だったから国家意識がないというのもわかる
ヒスパニックでもそうである。アメリカにただ金が欲しくてかせぐために来ている
それは移民はみんなそうである。ただ金がほしい,楽したいために来ているからである。日本国家がどうのこうのとはみんな関係ないのである。
だから一旦そうした移民はもし戦争になったりしたら日本からでも逃げ出すのである。
日本のために死ぬという人はいないのである。

だから国家というとき何なのか?それが今アメリカでも問われているのである。
アメリカの問題はまた世界の問題にもなる,なぜならグローバリズムが否定されてナショナリズムに回帰するというときそれは世界的傾向だからである。
グローバリズムは国家をなくす多国籍企業が支配することである。
そのグローバリストとナシャナリストが世界的に争うようになったのである。
だから国家とかは何かというときグローバリズムで起きてきたことでもある
だから世界的問題となったのである。

国家とは何かというとき単なる利益共同体ではない,多国籍企業は利益共同体である。会社もそうである。国家は歴史的に作られてきたものであり利益共同体という側面があっても違ったものである。そこに軋轢が生じる,グローバリズムが今批判されるのは国家が何なのかそのものが問われているからである。
だからアメリカでは退役軍人が国旗に経緯を払わないフットボールの黒人の選手に怒りを覚えたのである。俺たちは国のために尽くして仲間も死んだとして怒っているのである。それはただ利益共同体ではない,国家を維持するためには死ぬこともあるから言っているのである。ただ今度は世界的に見ればアメリカが世界でアメリカのために戦争して死ぬとういことが世界で認められるかとなるとならない
そこにも国家間での国家とは何かが問われているのである。
世界的に意義がある戦争だったのかともなるのである。本当に正義があったのかとなると国家間ではそうではないからである。
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2017年10月24日

小池百合子の失敗 (臨機応変に対処できない)


小池百合子の失敗

(臨機応変に対処できない)

人間が生きることがむずかしいのは常に変化するからである。
小池百合子の失敗は都議選で大勝利したことである。
そのとき慢心した,自分の力を過信してしまったのである。
その人の政治の能力があり支持したのではせなかった
都議会議員に不満があったから支持したのである。

今度は国政選挙になり野党連合という新しい事態が生まれたときそれに対処できなかった
それは都議選とはまるで違った状況になっていたのである。
でも小池百合子は都議選と同じように自分の人気で風が吹くと思っていたのである。
そこちる慢心と誤算えあり対応できなくなった

この世とは絶えず変化している、その変化に対応できないのである。
信長が勝利したのは臨機応変だったからである。桶狭間の急襲で勝利したのもそうであり長篠の戦いで武田軍を鉄砲隊で勝ったのもそうである。
秀吉は明智光秀の謀反を知り四国から兵を引き上げて明智を撃った、その速さは奇跡的だったのである
つまり臨機応変に対処できたから勝利したとなる
つまりそのときどういう状況かのみこむだけでも大変である。
でもとっさに行動したからこそ天下をとったとなる
その変わり身の早さは信長と共通していたのである。

当時土佐藩士の間では長刀をさすことが流行していた。あるとき龍馬の旧友が龍馬と再会したとき、龍馬は短めの刀を差していた。そのことを指摘したところ「実戦では短い刀のほうが取り回しがよい」と言われ、納得した旧友は短い刀を差すようにした。
 次に再会したとき、旧友が勇んで刀を見せたところ龍馬は懐から拳銃を出し「銃の前には刀なんて役にたたない」と言われた。納得した旧友はさっそく拳銃を買い求めた。
 三度再会したとき、旧友が購入した拳銃を見せたところ龍馬は万国公法(国際法)の洋書を取り出し「これからは世界を知らなければならない」といわれた。
 
これは史実ではないにしても幕末にはそういう急激な時代の変化があったからこんな話が残されたのである。
何か時代の変化は急激に起きる,それに臨機応変に対処できないのが人間なのである。
今回の選挙でもそうである。急激な解散に野党は対処できなかった
でも小池百合子が臨機応変にく対処していたら首相にもなれたチャンスでもあった
そしてチャンスは何度も来ない、小池劇場は終わってしまったとなる

臨機応変ということは本当にむずかしい、だからこそ急襲が効果があるのである。
阿部首相の戦略が功を奏したというのは結果的にはなった
まず個人的に急激に起こることは対処しにくいのである。
民進党の希望の党への合流にしても簡単にできない、何になんだとすぐには理解できないのである。
だからそれに無理があった、でもチャンスでもあった
そのチャンスを小池百合子は逃したのである。

臨機応変とともに人間社会はケースバイケースなのである。同じケースがないということである。
怪しいと通報があり職務質問するのすべてしいいのかとなるといくら決まりになっていてもしてはならないケースがある、それで被害を受ける人もでてくる
でも警察の場合は権力があるからできる、そして市民はそのために被害者になり警察不信になる人もいる
そういうことはあらゆることで起きている、医者にしても本当は人間の体もみんな違っていてケースバイケースに対応が迫られる、認知症の人などは特にそうである。みんな症状が違うし家庭環境も違うからである。
そのために失敗するのが人間なのである。

政治のむずかしさは国際情勢が日々変わるから対応できなくなる
中国が遅れているとみていたらすでに日本より技術的に前に進んでいたとなる
すると前のような対応では失敗するのである。
ともかく今回の小池百合子劇場でもこういうことが起きた、都議選のときとは状況が違っていたことで対処誤ったのである。成功体験でかえって次に失敗するものそうである。
同じ状況ではないから同じように成功するだろうとはならなかったのである。
臨機応変,ケースバイケースに対応できない、それで失敗するのである。

洛陽城東桃李花  洛陽城東 桃李の花
  
飛来飛去落誰家  飛び来たり飛び去って誰が家に落つる
  洛陽女児好顔色  洛陽の女児 顔色好し
  行逢落花長歎息  行くゆく落花に逢うて長歎息す
  今年花落顔色改  今年花落ちて顔色改まり
  明年花開復誰在  明年花開くも復た誰か在る
  已見松柏摧為薪  已に見る 松柏の摧けて薪となるを
  更聞桑田変成海  更に聞く 桑田(そうでん)の変じて海と成るを
  古人無復洛城東  古人無復洛城の東に無く
  今人還対落花風  今人還た対す 落花の風
  年々歳々花相似  年々歳々、花相い似たり
  歳々年々人不同  歳々年々人同じからず
  寄言全盛紅顔子  言を寄す 全盛の紅顔の子
  応憐半死白頭翁  応に憐れむべし 半死の白頭翁
  
  
  桑田(そうでん)の変じて海と成るを
  
この辺が津波で本当に桑田が海になったのである。このように人間社会は変化が激しいのである。
だからこそ臨機応変に対処すること変化に対応することがむずかしいのである。
人は同じではない,常に変わっている、親戚もいつまでも親戚でとはない、結婚したりして音信も途絶える
近隣の人でも変わりやすいのである。いつのまにかに知らない人になっている
現代は特に人間関係は変わりやすいのである。
この辺は特に原発事故で故郷まで失ったからその代わりようは信じられないとなる
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2017年10月23日

急な解散で混乱して野党が負ける (急(せ)いては事をし損じる)


急な解散で混乱して野党が負ける

(急(せ)いては事をし損じる)


今回の選挙ではいろいろな見方がある。やはり希望の党が今回は中心になり小池百合子がクローズアップされた,台風の眼となった
それで小池百合子のことがいろいろと一番言われたのである。
その人格とか人となりも言われた,それが何か違っていた

小池百合子が東京都議選で大勝したことで奢りになったとか慢心したとか言うのは本当だろう。それが私が政治家として有能であり選ばれたと勘違いしたのである。
東京都議選では東京都議会の腐敗を一掃するということで選ばれたのであり小池百合子が優秀だからでもなかった,それを自分が政治家として優秀だから勘違いしたのである。
そして何か自分への人気投票のように錯覚したのかもしれない,私の人気は抜群なのね,これなら衆議院選挙でもやっていけると勘違いしたのである。
そこで自分には何の力もバックも組織もないのに東京都議選と同じ結果がでると思ったのである。

それで「排除」の論理も生まれた,私には力がある,私の力だけでもできると慢心した,政策を中心にして排除したのは理解できる,ただ私が中心なのよ,私の力で勝てると慢心したのである。
それから何か必ず諺というのが活きてくる「急(せ)いては事をし損じる」であった
あまりにも急な解散は急襲だったのである。それで野党陣営はまとめられなかった
それも小池百合子は最初は自分の人気で勝てると思ったのである。
小池百合子中心にすすみまるで小池百合子の人気投票のように自分自身が思ったのかもしれない,テレビのアナウンサー出身ということで芸能人だからそういう感覚があったのかもしれない,小池百合子にはそうした指導力はなかったのである。

選挙というとき何か一人物のことがまるで信長と秀吉とか家康とかのように影響することはないと思っていた
今回は小池百合子の動向で決まったということもある,それほど一人物が注目されたのである。だから小池百合子は都議選で大勝して慢心していた
私への人気投票のように選挙結果を見ていたのである。
人間は何でも奢るとかおかしくなってくる,それは国全体とか会社でも個々人でもそうである。

民主主義は一人の人間を偉大な物として祭りあげたりしない,一人一人の投票の結果として選ばれるのだから主権が国民にあって選ばれた人にはない制度なのである。
だから中国のように習金平のように自分の功績を延々と言って自分が王様のようになる共産主義とは違うのである。共産主義下でもまず政治は自分の力で何でもできるものではない,そういう奢りが必ず権力者にはもたらされるのである。

いづれにしろ「急(せ)いては事をし損じる」というとき最初から大勝して首相をねらうということではなく小さくても希望の党の基盤を作ってから首相になることをねらうべきだったというのもわかる
人間はまた何でも人はあせるのである,文学者でも何でも早く賞をもらって有名になりたいとか常にある,人間は待てないのである。

ただ小池百合子の場合年でありもう待てないとういことが急いだことにもなる
そして人生の中でチャンスは一回逃したらあとは来ない
それで小池百合子は東京との知事をやめて阿倍の対抗馬として希望の党の先頭に立ち国民に首相の選択させるべきだったというのもかる
おそらくもう首相になるチャンスは来ないと思って決断するべきだったともなる
人間はワンチャンスで未来が決まる,そのワンチャンスを逃すと二度とチャンスは来ないのである。もう小池百合子にはそれだけの時間が残されていなかったのである。

人間はここが勝負時だというとき賭けなければあとはチャンスがない,小池百合子にはそのチャンスがめぐり与えられたが逃したともなる
だから何か今回は小池百合子の人間的ドラマだったのかともなる
そしてそのドラマも終わったのかともなる
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2017年10月22日

雨の中で投票してきた (田舎では車がないと投票もできない)


雨の中で投票してきた

(田舎では車がないと投票もできない)

街内であり投票所が近くにあるから行ってきた,田舎ではこの雨では街から離れたら車がないと投票もできない
街内でないと一人暮らしは不便であり車がないと現代の生活は不便になる
田舎では一人一台車をもっているのだ

別に自分は投票もしたない,棄権したいのである。特別入れたい人も党もないからであるでも棄権したことがないのは何か具体的に選挙のとき政治を考えるからである。
やはり一票をどこに入れるかは大勢には何の関係ないにしても政治を直接に具体的に考えるものとしてあるからだ

だからどうせ一票など何の影響もないともなるが選挙は具体的に政治を考える場として投票しているのである。
この辺ではどうしても原発は反対になる,それは理屈でもなんでもない,もうこれだけの被害にあったらこりごりだとなってしまったからである。
だから自民党には与党には入れにくいのである。

選挙も蓋をあけてみなんと結果はわからない,今回の天候の影響がどうでるか?
悪天候のありには前より投票率がいいみたいだ
やはり関心があったのか?投票率がいいことは浮動票が反自公の票になるのか?
希望の党はずいぶんたたかれたけどそれはマスコミの恣意的操作だという人もいるからわからない

自分は公明党には納得がいかない,創価をやめた人は普通は票は入れないたろう。
やめたら地獄に落ちるとなっているからだ,でも創価でも今回は票が割れるかもしれないそうなれば宗教で決めないから政教分離だとなる
ただ創価も高齢化している,勢いがなくなっている
それはすでにずいぶん前から頭打ちになっていたのである。
選挙と信仰を結びつけるのは限界になるだろう

ただ野党には政権担当能力がないのである。なぜなら政権担当を経験していないからである。だから民主党は失敗したのである。
政権担当にもノウハウがあり積み重ねがある,するとそういう経験がないのだから失敗に終わった,つまり自民党しか政権担当能力が日本にはないのである。
アメリカだったら民主党と共和党が交代してもどっちも政権担当能力がある
日本で野党にはないのである。
だから一党独裁のような政治が延々とつづいてそれに代わるものがないのである。

確かにアメリカでもこのように支持基盤があり二大政党が成り立っているというとき日本にはないから自民一強政治がつづいている
イギリスでも資産家とう富裕層と労働者層が分かれているから二大政党制が成り立つ
それはもともと貴族階級と庶民階級は言葉も違うほど分かれていたという歴史が反映されているのである。
アメリカの民主党でも共和党でも南北戦争がありその継続としてもある
日本にはそうした地域の対立とか階級の対立がないのである。
労働者でも組合となるとかえって資本家寄りだとかなる,組合にも入っていない人が多いからである。

もしこの悪天候で投票率があがったら現政権にやはり不満な人が多いことがわかる
どうしても一票を投じてその不満を現したいということで投票率があがる,浮動票が入るからそうなる
だから前の選挙より投票率があがったら確実にそうである
こんな悪天候でもこれだけの投票率だとなるとその評価は違う,今回は悪天候を考慮した評価が必要になる。
天候は政治にも歴史にも影響するのは現代でも同じだった
それも天の采配とかなる,この天候だけは人間の力ではどうにもならないからである。
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2017年10月21日

ベーシックインカムに自分は賛成 (嫌々ながら仕事している人が多すぎる)


ベーシックインカムに自分は賛成

(嫌々ながら仕事している人が多すぎる)



ネットがざわついた「ベーシックインカム」に希望はあるのか?


希望の党がベーシックインカムを一応実施するのは別にして取り上げただけでもやはり先進的なことかもしれない,そんなもの空理空論であり馬鹿げているというので取り上げることもしなかったからである。
それは全くの理想論でありとるにたらない空想にすぎないとなっていたからである。

でも現代のゆきづまり社会の変化に対応できるものとして今とりあげられている
現実にスイスとか小国では実施されているのである。
これも賛否両論がある
例えば武田邦彦氏などは反対している,それは彼がエリートであり底辺層のことを知らないからである。底辺で働いたこともないからである。

自分は若い時は流れ作業とか底辺の仕事しかしていない,大学のアルバイトでも底辺の仕事,肉体労働しかしていない,武田氏くらいの東大卒のレベルだと家庭教師でかせげる
要するにこの世にそうしたエリートは少ない,みんな俺たちは社蓄なんだ奴隷なんだとなっているのが普通である。働くことでもそう感じているのである。
働くこと自体に生きがいを感じていないのである。

自分はそうした底辺労働,流れ作業などばかりしていて完全に労働意欲を失った
それはロボットと同じ仕事だからである。三流大学でも出ているのにそんな仕事しかしたことがない,だから社会からドロップアウトすることになった
その後はこれも実に不思議なのだけど仕事していない,それも老人になるまで仕事はしていない,稼いでもいない,旅ばかりしていたともなる
そういうことが許される環境にあったからそうなっていたのである。

それも自分には自分にあった仕事が与えられない得られないということにあった
そういう人の方が世の中の大半なのである。
だから奴隷なんだ,社蓄なんだと言うことになる

だからAIとかロボット化は人間にとって悪いものではない,誰も流れ作業などしたくないのである。一つのネジをボタンをひたすら組たてる仕事に生きがいを見いだせないのである。家だったら大工でも一人で家を請け負い作った人がいる
そうできる人はやはり大工として生きがいを感じるのである。
農業も金になちらないとかいうけど生きがいを感じる仕事なのである。

だから知っている人は趣味なのだが小さい畑で仕事していることに生きがいを感じているしそれがその人の価値になっている,何もしなければその人の価値がなくなるからだ
ただ金にならないというだけでその人に不本意な仕事をすると奴隷だ,社蓄だとなる
今そんなことができるのは家事自体仕事がなくなっている
機械化しているしもう買ってなんでもできる,この前けんちん汁の材料が売っていた,汁もついていた,肉を入れて簡単にできた,それがうまかったのである。
これには野菜が入っているから自分は好きだったが食べることができなかったができたのでうれしかった,家事は一人暮らしでも困らないのである。
だからその人はただ話し相手とかにきて畑のことを話すのが仕事だともなる
家事の仕事は皿に二三枚洗うだけだから必要ないからである。

これはAI化すればますますそうっなってくる,人間から仕事がなくなってくるのだ
すると人間が何をするのかということになる,知的な分野でもそうなる
ビッグデーターは素人でも学者になりうる,古代史関係で自分はそれを利用した
ビッグデーターになると膨大な地方史や古代の情報をキーワードから調べると見えてくるものがあったので書いた
ビッグデーターから自ずと見えてくるものがある
そういう利用の仕方は図書館でも何でもできなかった
今は本も古本だと安いからボタン一つ押して本を集めビッグデーターとのように活用しているのである。

そういうふうにAI化で社会も変わってくるのである,それに適応するには時間がかかるがベーシックインカムを将来の政策として検討したことには意味がある
そしてオリンピックなどは今の時代にもう何のためにしているかもわからないものとなった,今までは何か世界的に意味があるものとして行われていたが今はその必要性がなくなってきたのである。
だから時代と共に人間の社会は変わりそれに適応してゆく政策も必要になる

ベーシックインカムはいろいろ問題があるしそんなこと実現しえようがないというのもわかる,誰も働かなくなる怠け者になり遊ぶだけの人間になる
それもありうる,でも働く人は働く,なぜなら退職した人がいかに働きたいか?
それでボランティアを探してしていることでもわかる
ボランティアは金をもらうためではない,生きがいのためにしているからである。
まさにその時こそ人間は働いているのだ。自由意志でボランティアで働いているのであるそれはベーシックインカムを実現していると同じなのである。
退職して金に余裕があるから時間にも余裕があるからできるからである。

だから豊かになればベーシックインカムが架空のことではない,現実味を帯びてくるのである。全く荒唐無稽なことでもない,現実に退職した老人がそれを実行しているではないかともなるからだ。
自分のしていることもそうである。プログで書いていることはボランティアであり何の収入も得られないけど生きがいを感じるかからしているとなる
芸術的創造とか人間は創造的行為となると無料でも金をはらってでもしたいのである。
つまりそれが極めて人間的なことなのである。
画家でもなんでも芸術を追及するとき絵が売れないとか金にならないとかなる人が多いからである。そんなことを関係なく創造を追及できるのがベーシックインカムとなるからだこの理想もまた現実でくじけたりすることはある,でも現実的にそういう条件が調ってきたとき実行してもいいとなる。そういう環境がAI化などで調いつつあるからこそ今や空理空論でもなくなりつつあることは知るべきだろう。

posted by 老鶯 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年10月16日

<衆院選福島>1区で原発事故からの復興巡り論戦白熱 (亀岡氏の五輪の成果は評価できない)


<衆院選福島>1区で原発事故からの復興巡り論戦白熱

(亀岡氏の五輪の成果は評価できない)



亀岡氏は「復興五輪の成功を」と訴える。2020年東京五輪の野球・ソフトボール競技の一部福島市開催決定に奔走したことを実績としてアピールする。

金子氏は亀岡氏をけん制する。伊達市内の10日の演説で「五輪で原発事故をなかったことにはできない」と声を張り上げた。

原発事故後の対応では一部野党も主張する東電福島第2原発(富岡町、楢葉町)の廃炉実現を叫ぶ。民進党が今年3月に国会提出した廃炉法案は廃案にされたとして「東電に決断させるのが国の責任だが、自民にはできない」と批判する

福島一区は自公政権と野党が一対一の激戦の選挙区になった,前の選挙でも小差であり今回は共産党が候補者を立てないから無所属から出た金子氏に票が流れる
票を読むと金子氏が有利になった,でも選挙は蓋をあけてみないとわからない
浮動票がどう動くかもある,そういう自分が浮動票なのである。
別に自民でもないし野党でもない,その時の風によって決まる浮動票なのである。

政策的には原発を廃止するとか五輪などしないでむしろ震災復興に力を入れてもらった方が良かったから評価はしない,そもそも今度の五輪する意義が前の東京オリンピックとはまるで違ったものである。国自体に盛り上がりがないのである。
あの時オリンピックによってインフラを整備するとか高度成長真っ盛りでありそういう目的もあった,今回はそうした国自体の盛り上がりもないしそんな運動会に巨費をつぎこむのは馬鹿げているという意見も多いのである。

だからどうしてそもそも五輪がこうして国民の盛り上がりもないのに実行されたのか?
そのことを疑問に思っている人も多い,なんでも賛否両論があるにしろ今回は否定する人が多かったのである。
もうオリンピック自体に疑問をもっている人が世界的にも多くなった
一体オリンピックが何のためにやっているのかせわからない,それでIOCで金が不正に使われたりオリンピックを誘致するために巨額の金が使われたりと批判がある
そしてオリンピックの競技場で過労のために若い人が死んだとかありそれにも批判がある死者の犠牲の上にオリンピックをやる意義があるのかと批判もある
それだたけオリンピックの意義は今回は国民的合意とはなっていないのである。

ではなぜ行われるのか?それは国民が望んでいるよりゼネコンとか他の動機があってオリンピックが行われる,景気を良くするためだとも言われるがオリンピックで景気が良くなるよりかえって金をかけた分がかえってこないこともあるだろう。
観光客誘致には確かに効果があってもオリンピックをしなくても外国からの観光客は増えているのである。オリンピック景気は一時的なものでありその後は日本の経済は凋落してゆくと指摘する人も多い,だからオリンピックに期待する時代は終わったのである。

それから原発廃止は自民ではできないというの確かである。
この辺ではどうしても原発廃止になる,これだけの被害があったらとても原発を認めることはできなくなったのである。

それから復興は進んでるという自公政権が主張するが避難区域などは全く進んでいない
若い人は帰らないし何も進んでいない,働く場所も避難区域ではないとか若い人は帰ってこない,だから復興は進んでいるとはならない

それから憲法問題になると憲法改正した方がいいというとき自衛隊を軍隊として認めるというときそれは別に今のままでも軍隊であり改正する必要もないという主張もある

自分は精神的には日本文化を尊ぶ右よりなのだけど政策的には左寄りだとなる
そもそも自民と公明党が一体になっていることを容認できないのである。
カルト宗教団体と一体になり政治がゆがめられているのである。
その点を批判しないのがおかしいのである。そして自民党と公明党の政策は違っているのに一緒になっている
むしろ希望の党とか維新の党が右寄りであり自民と一体化しやすいのである。
公明党は野党の方が政策的には共同できるのである。

結局は政策的には左寄りになるが希望の党に入れることは右よりだとなる,ただ希望の党は原発にも反対しているから政策的には支持できる,消費税反対も支持できる
こうしたことは他の人にも起きている,自民党支持者でも消費税反対の人はいる
ただ株をしている人などは経済的には阿部政権で恩恵を受けたのである。
だから利害から選ぶと左だと損するとなる
なんでも右だ左だとかで分けられないのが現実である。

いづれにしろ福島一区は注目の選挙区になった,予想では無所属の前の民進党候補が有利とある,ただ浮動票がどっちに流れるかで変わるが地方では浮動票はそれほどない
票が固定しているからあてにならないこともある
希望の党がマスコミからたたかれたのは政権打倒できたのに排除の論理で野党を分断したからである。
でも希望の党にすればそれが第二民進党になることを拒否したためだったのである。
だからそれが悪いとも言えないのである。
いづれにしろ今回は政策的に希望とか野党の方にこの辺ではなりやすいだろう。
福島一区は自公政権側は不利なのかもしれない,でも希望も全体では50議席くらいしかとれないというのもあたっているのかもしれない,一本化しないから野党が分散化した結果そうなった,希望には保守の票もかなり流れる,保守票もとりこむ,それが民進党とは違っていたのである。
posted by 老鶯 at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本には二大政党制がなく政権交代ができない (民主主義が機能していないから選挙も無力になる)


日本には二大政党制がなく政権交代ができない

(民主主義が機能していないから選挙も無力になる)


今の政治状況はわかりにくい,小池旋風でわかりにくくなった,ではなぜ小池批判が起きてきたのか?
それは左からするとマスコミでも阿部政権打倒だから小池が民進党の一部を排除したことが面白くない,なぜならそうしたら政権打倒の勢いがそがれたからである。
すると小池が民進党の一部を排除して政権打倒できなくなったことが大きな不満となり
小池をバッシングすようになった

一方でその主義主張が根本的に違うものが一緒に活動できないというのも筋が通っているそれを批判するのはおかしいともなる,自分も別に主義主張が違うのだから排除したからとそれを批判するのはおかしい
結局希望の党は民進党になることを恐れたからそうしたのである。
自分たちの独自性を保つためにそうしだけである。
一方政権とるためにはそうした排除の論理ではできないという人がいる
排除した結果野党が一つにまとまらなくなり自公に有利になったというのが左とマスコミの主張である。

要するにマスコミは中立の報道ではなく左であり政権打倒したいとうことで一致しているだから御意見番にそのことを言わせるのだとなる
民主主義は政権交代が必要でありそれで小選挙区制になった
それで小池のような人か出るだけで政権交代にもなりうる
それがそがれたのは自らの主義主張に合わないものを排除したからだとなる

ただ政治の世界は主義主張だけで動かない,政権をとるということが大きな目的となる
政権が変われば政治の世界も社会も変わるからだ,それで失敗したのが民主党が政権をとったときでてある。民主党は「政権」をとるということで一致団結したのである。
だから政治は政権をとる権力闘争になる,それは歴史では戦争になり革命戦争となっていたのである。
共産主義ならその主義主張でイデオロギーで政権をとる,そのためには時の政権を暴力で武力でもとるということをしてきた
民主主義ではそれができないから選挙で政権をとるほかないのである。

日本は政権交代がない,自民一党独裁体制がつづいている,一回民主党になったが失敗した,政権担当能力がない,日本には二大政党が根付かないのである。
要するに日本の政治はアメリカとは違い,政権を維持する党と野党が極端なのである。
その原因は一方はアメリカよりであり一方は中国韓国寄りとなり相反する勢力となる
それは国際政治の力関係が日本にもちこまれているからそうなる
だからアメリカのような保守二大政党が根づかないから政権交代もないのである。
日本が未だアメリカの植民地でもあり自主性がもていなこともそうしている

アメリカだったら二大政党で政権交代してもそんなに政策が変わるわけでもない,国際政治でもそうである。日本だったら極端に変わってしまうからできない,それを証明したのが民主党が政権をとったときで証明されている
希望の党は保守なのである。だからかえって第二自民党だとの批判もある

ともかく日本は民主主義が機能していない,それで選挙に行っても無駄だとかなる
小選挙区制に反対の人もいる,憲法でも議員を選ぶのであって党を選ぶのではないとあるのもそうである。
小選挙区制は政権交代しやすいようにした制度だけでも機能していない
それはなぜなのか?日本は与党と野党が極端に違っているからなのだ
それは野党になれば革命にもなる,共産主義革命ともなる
だから簡単に政権交代できないのである。
政権交代ができるのはアメリカのような二大政党制なのである。
それで権力を交代して腐敗をなくしたり新たな政策を実行する
日本では今のままではこうした政権交代ができるものがないのだ
野党が一つになるといってもできない,それは極端に変わる革命になってしまうのである共産党が政権をとると同じなのである。

選挙民は何か変えたいとは思っているけどこういう状態だからできない,政権交代を望んでもできない,そして無力感になり投票しないともなる
自公政権を嫌っている人が多くても政権交代できない,公明党のようなカルト宗教団体が政権と一体とななっているのも嫌っている人はいる
でもそれもどうにもならない,小池もただ公明を利用しようとしただけであるのでもわかる,こうした団体に政治が牛耳られるのも政権交代できるように日本でなっていないからである。だから日本では民主主義は機能していないから選挙でも無力感があり投票率も上がらないのである。
自分も今回はどこに投票していいかわからない,小選挙区制でも元の民進党の人が無所属ででている,もう一人自民党である。
比例区は希望の党にしようかと思うが小選挙区がどうしていいかわからない
棄権になるかもしれない,今回は浮動票も分散されるから自民党に有利になってしまうのである。
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2017年10月09日

強調されるのはメリットだけ (あらゆる政策でもデメリットがあるが言われない)


強調されるのはメリットだけ

(あらゆる政策でもデメリットがあるが言われない)


メリットのみという政策はまずありません。必ずデメリットがあります。
メリットの選択とは、それに付随するデメリットの選択でもあるわけです。

政策で投票しようとするとき「原発ゼロ」というとき必ずそのデメリットがある。
石炭で火力発電したら二酸化炭素が出ますよとかある
電気が不足して電気自動車にできますかとか日本が核武装できなくる
核の技術がないことは先進国ではないのですよとかなる

デメリットが選挙では隠される,それは原発の安全神話と同じだった,デメリットになることが全く知らされなかったのである。
それは強大な国とか官僚とか電事連合とかマスコミとかが一体となって「安全神話」が作られた。そこではデメリットなにることは言われなかったのである。

地元でもメリットになることだけを要求してデメリットになることはないと思っていたのである。原発で景気が良くなるとか金のことばかりを言っていたのである。
事故になったらとかは言わない,ただメリットになることだけを言っていた。

人間は必ずメリットになることとデメリットになることがある
株でもそうであり危険がありそのことを一応言う,でも奨める人はデメリットを強調しないのである。
だから損したときデメリットが大きいものだと現実に認識する
人間は悪いことを想像したくないのだ
だからメリットのあるものだけに目を向ける性質がある

人間はやはりメリットとになめんとデメリットになる面を明確に知ることが大事になる
そうでないと原発の安全神話が再現される,戦争するにしてもそこにはメリットがある面とデメリットがあることを言わなければならなかった
戦争は負けることもあるしその可能性も大きかったが日本はメリットばかりに目を向けて巨大な幻想に陥ったいたのである。

野党に期待しすぎるのもそうである。希望の党とは何かと言ったら海のもの山のものかもわからない,ただ阿部首相が嫌な人は自民党が嫌な人は希望の党に投票する
でも民主党でわかったように政治は現実であり大きく変わりいいことだけがもたらされるとは限らないし実際はない
でもメリットの面だけを強調されるのである。

メリットとデメリットを明確に意識していればそれほど期待はずれだともならない,必ずデメリットもありそのデメリットを知ってでも投票する
つまりデメリットがあるということを意識して投票するのである。

原発ゼロにするデメリットは大きいことになる,
するとそのデメリットに耐えられるのか?
豊かな生活ができなくなることもある
それを原発問題では問うてきた,極端になると電気でも最低限しか使えなくなり炭を使うような昔にもどるともなる,そんな生活に耐えられるのかと極端になればそうなる
そのデメリットを人は見ない,ただメリットの部分だけを見ているのである。

選挙では票がほしいからいいことしか言わない,デメリットは隠されるのである。
でもデメリットこそ知るべきでありその自覚もするべきなのである。
そのデメリットを自覚して選ぶなら失望はないとなる
メリットともありデメリットもある,その二つを冷静に考慮して選んだとなるからだ

政治の問題,選挙の問題はメリットのみが強調されることである。
それに釣られて投票してあとでそのデメリットを知り失敗したことがくりかえされている希望の党にはそういう面が強い,メリットになる面をだけを強調する
でもデメリットは強調されないのである。
それはだから有権者が冷静に判断すべきことなのである。

教育無償化が全面的にいいメリットの面だけをみればそうである,でもそのためには消費税を10パーセントにする,そうしなければできないからである。
そのデメリットを明確に認識することが必要なのである。
無償化とはないのである。税金で運用するのだからその税金をどうするのかとなると消費税を上げるとかになってしまうからである。

原発事故では本当にデメリットになる面を全く隠されていて地元に金がおりて景気良くなるといういいことばかりが強調されていた
でもそこには大きなデメリットが隠されていたのである。

ともかく阿部政権,自公政権は嫌だから希望の党に入れる,それはそれでいい,ただそこでメリットとなることばかりはない,デメリットもある。
小池都知事なんか何もできない,ただ首相になりたいだけの人だという人もいる
そういうデメリットをもつ人でもある
でも今は希望の党にかける,そして自公独裁の政治を終わらせたいということで投票するそれはそれで希望の党にそれほど期待しないからいいとなる

いづれにしろ民主党を選んだ失敗はメリットの面ばかりに期待しすぎたのである。
高速道路無料とかその他の政策は何一つ実行できなかった,今も小池知事は何も実行していないのである。
ただ今の閉塞感を破ってくれるというメリットの面だけを見ているのである。
でも現実的政策とはないしただあいまいな希望という言葉だけの党だともなる
それでも阿部政権に自公独裁政権が嫌だとなれば浮動票は希望の党に流れる

人間は必ずメリットとデメリットがついてまわっている,そしてデメリットが明確に意識する人が少ないし意識させられないのである。
それをあまりに強調したら誰も投票しないからである。
そこに選挙の問題があった,投票する方もそうしてデメリットの部分を自覚すべきなのである。その上で判断なら失望することもないのである。
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2017年10月03日

ラスベガス銃乱射事件の犯人の動機の謎 (老人特有の心理が関係していたのか?)


ラスベガス銃乱射事件の犯人の動機の謎

(老人特有の心理が関係していたのか?)


人間というものは何するにもどうしてそうするのか?その動機が問題になる
神が人の心を見ているというときもそうである。
その行為があってもどういう心でその行為に及んだのかを見ている
一見善いことをしているようでも行為として現れていてもその心が実は名前を売りたいとか偽善の場合が人間には多すぎるからだ。
だから行為からだけでは人間は判断できないのである。
慈善でもそれも利用して金持ちになっているのもいる
第一寄付金がどういうふうに利用されているのかわからないからだ
それでアグネスでも天皇すら批判されている
赤十字は天皇家がかかわっているがその金をどうしていのか見えないからである。
それはタブーになっているから余計にわからないのである。

今回のラスベガスの事件でも犯罪でもその犯人はどうしてそんなだいそれたことをしたのか?
その動機は何なのだろうと疑問に思う

●ギャンブルで大負けしてやけくそになった

●64才で年なので一発大きいことをして死ぬことを選んだ

●その他

人間は犯罪心理学というも気があってもいいだろう。
まずなんでもそうだが動機が一ついうことはない,動機は三つも四つもあって犯罪にいたる,犯罪の経験があればそうなる
だからこの人の動機も一つではない,ギャンブルに負けたとしてもそれがすべての動機とはならない,何か他にある。

老人の心理も関係している,老人の心理は若者には理解しにくい

どうせ人生も終わりだ,最後に一発大きいことをして死んでやる

そんなことを考えるのも老人なのである。
どうせ死ぬというとき自殺を前提にしてあれだけのことをやったからである。
若者とは違いもう人生終わりだとなるといろいろ家族と社会のことでも考えなくなくなる社会がどうのこうの社会のためになれとかもなくなる
そんなこと死ぬ前にどれだけ意味がるのだとさえなる
社会のためにとか社会といってもそういうものが何か現代はわからないからである。

この犯人は社会から第一疎外されている人ではない,裕福な人だったのである。
そしたらそうした社会の恨みから犯行になったとはならない
では何なのだろうとなると不可解だとなる

誰かの恨みではない,では何のためそうしたのか?
ギャンブルに負けてやけくそになったことが大きな一因であることは間違いない
それで財産全部すったとかなればありうるがその人は金持ちなのである。
すると金だけが動機なのかとなるとこれもわからない

ただ若者と違って老人特有の心理が影響していたかもしれない

一発大きなことをして人生を終わりにしよう

何かそういうことが老人では動機になりうる,老人が起こした老人の心理から特有の犯罪だったかもしれない,だからそれは日本でも起こりうるし起こっていることせある
老人は社会規範からはずれてくる,会社から退職したりするとそういう縛るものがなくなる,この犯人は家族もいないみたいだから余計にそうなったのかもしれない
そもそも親が有名な銀行強盗だったというのも驚きである。
その子供だったとしたら相当に社会では苦しい立場になっていたが別に会計士とか金持ちでありそうもなっていないのである。

ともかくアメリカの銃社会というのは日本ではわかりにくい,西部劇の延長としてそれもある。国の成り立ちとかかわっているから簡単に銃は無くせない
それが外国からすると日本などからすると理解できないのである。
それぞれの国に事情があるというのは本当である。
インドではカースト制が残っていてそれで上の階級の人が下の階級の人が伝統を破ったと殺しているからインドにはインドの事情があり中国にもあるが中国は情報統制されているから悲惨な事件が報道されないのだろう。

いづれにしろ人間の心はあまりにも複雑で犯罪の動機もいろいろあるから決めつけることはできない,アメリカはとにかく犯罪でもスケールが大きいと感じる
ラスベガスというとギャンブルで有名だが何か芸術家が集まる場所でもあるらしい
それでラスベガスから常時アクセスあるのは自分が抽象画を定期的にアップしているからである。
そんな人達もいるしそこがギャンブル場になっているから芸術家がいるにはふさわしくないと思っても第一アメリカは広いのである。
ラスベガスでもいろんな人達がいる,ギャンブルだけではないのだろう。
それにしても最初二万人いたという観客は何が起きたのかわからなかった
銃声が連続的になってもわからない,だからとっさに何をしていいのかわからない
普通銃で打たれるときは伏せろというがかえって伏せたら今回は標的になったのである。
なぜなら30階もの高所から打ったのだから伏せていれば上から撃たれるのだからかえって危険だったのである。その場から逃げることだったのである。
だから何か事件があったとき一つのパターン化した考え方は通用しなくなる
それは自然災害でもそうである。その時々でどういう状態なのか違っている場合が起きるそれで誤り死にいたるから怖いのである。
人間は緊急な事態に弱いのである。とっさに判断できなくなる
だからテロに対処するといってもどういうふうにテロが起きるから予想つかないから備えようがないともなるのだ。
どこかに必ず穴がありそこで大惨事になってしまうのである。
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2017年10月01日

政権交代なき民主主義は死ぬ (世界も主義理念の対立で二分した)


政権交代なき民主主義は死ぬ

(世界も主義理念の対立で二分した)


都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素。

そもそも民主主義がどこではじまったのか?ギリシャのポリスからである。
ポリスといっても一万とか二万の都市なのである。
だから直接民主主義であり代議制ではない,何かをみんなの投票で決めていたのである。だから現代の民主主義とは相当に違ったものである。
民主主義は歴史が短い,だいたい古代から中世とか長い間君主制なのである。
その君主制の時代が二千年とかある,民主制の時代はここ100年くらいしかないのである
世界の政治的形態は君主制である。中国でもそうである。

理念というとき主義である。なぜ主義が争いの焦点になるのか?
世界を見ればわかる,なぜ中国が共産主義でありイスラムがシスラム主義であり欧米が民主主義になっているかである。
冷戦というのが共産主義と民主主義と資本主義の対立から生まれた
主義,理念の相違が世界を二分したことでもわかる

宗教でもカトリックに対抗してプロテスタンが生まれプロテタントイズムが資本主義が生まれたというときやはりそこには主義の対立がある,そもそもフロテスタンとはプロテストであり反抗するから生まれた言葉だからである。
これでキリスト教世界が二分されたことでもわかる
その影響が大きいというとき欧米もカトリック系とプロテスタン系に二分されたからである。
そして南米はスペインとかホルトガルとかカトリック系が支配したら発展しないとかあるアメリカは南北があるとき北が工業化に成功したのはプロテスタン系であり資本主義がそこから発展したという分析がある。
だから主義というのが理念が社会に大きな影響を及ぼしているのである。

そして大事なことは世界を見るとき民主主義,資本主義の世界と共産主義とイスラム主義世界に分かれるていることである。
その特徴は

欧米型の民主主義,資本主義→政教分離

イスラム主義→政教一致
共産主義→政教一致

こういう傾向がある,共産主義がマルキシズムを基にしているときそれはイデオロギーと政治が一体化しているから宗教ともなり政教一致になる
政教分離から分けるということもありうるのである。

政教分離というけどヨーロッパではカトリックがローマ帝国で政治化して支配体制組み込まれた,その反発としてプロテスタンとが生まれやがて資本主義が生まれ民主主義が生まれた,
政教分離というとき政教一致の歴史の方がまた長いのである。
仏教でも政教一致で国を治めた時があった,アシャカ王とかがインドで仏教を基に国を治めた。だから仏教には政治的な思想もある
日蓮宗の王仏冥合(おうぶつみょうごう)とは王は政治だから仏教と一体化して治めることである。
創価はそういう主義で戦っている,そういう主義なのである。ブッデイズムとかなる
だから現代の政教分離を基にする民主主義とは合わないのである。
ただ選挙で合法的に政権奪取ができるのだから選挙で勝つことが仏法の勝利となるのである。

ただ世界をみると政教一致というのは危険な思想になる,政治の世界にもちこむと危険になる,天皇が神とされた大東亜戦争も日本が神国だという宗教になり大きな災禍をもたらした。共産主義でも一千万くらいが政教一致でイデオロギーを絶対化して死んだ

共産主義の一番の問題は何なのか?

政権交代ができないことである。イスラム国でもそうなりやすい,一党独裁になりやすいそもそも選挙がないとしたらそうなる,政権交代の仕組みがないのである。
もちろん君主制には君主制の良さがあり民主主義が必ずしもいいとはならない,民主主義の弱点は今だとポピリズム,劇場型とか大衆主義になる
ともかく頭数だけを集めることが優先されるからである。
大衆にむずかしいことを言ってもわからないからである。
そこに希望の党の小池都知事の問題がある。

ただ政権交代がない限り民主主義はありえないのである。政権交代がなかったら民主主義が死んでいる:それは君主制であり一党独裁であり共産主義と同じである。
それで阿部首相のお友達内閣とか自分勝手に権力者が権力をの濫用する
そして検察も警察も動かすことができて原発を反対するとなると公安とか警察がとりしまりできないように現実にしているのである。
検察と警察は時の権力者につくからである。

要するに政権交代がなければもう君主制なのである。政策の変換も何もできない。
そして権力をもつものがコネとか自分のいいようにできる
そのことが社会自体を腐敗させる,そして民主主義は死ぬのである。

いづれにしろ今回の選挙の争点はなにか?

それは原発問題があり政権交代の党を二大政党制を保守系でも作ることである。
そうしなければ民主主義は死ぬし君主制となり独裁と進むことになる
選挙でも政権交代があって民主主義になる,もしそれもないとしたらどうせ自民が勝つようになっているとしたら選挙しても無駄だとなる
民主党でこりたというのもある,でもやはり二大政党制を目指ささなければ民主主義そのものが死ぬ,そうすると選挙などしても無駄だとなる,選挙の意義がなくなるのである。そしたら日本はもうそうなっているとしたら民主主義をやめて君主制にした方がいいとなる,つまり日本には民主主義は向いていなかったともなる
お上があってそれに従っているのが向いていたとなる
現実に戦後70年で政権交代があったのは二回くらいしかないのだから実質は政権交代なき民主主義になっていたのである。
日本は何か内部からは変革できない社会体質なのかもしれない,不満があってもじっと耐えている,それはいい面と悪い面ともなる
やはえ江戸時代の300年の君主制が政治にかかわらないことが体質的にそうさせているのかともなる,そのことでは江戸時代はマイナス的に作用したともなる
戦後の民主主義にしてもアメリカからおしつけられた民主主義でありただ私的権利のみを主張するものとなった。

日本は何か同調圧力が強すぎる世界である。対立することを嫌うのである。それは村社会が長い間に歴史的に生きる場所でありそこに日本人の性格が作られたからだともなる
だから弁証法などわからないだろう。対立するものからアウフヘーベンしてゆく,止揚してゆく,小池首相が言っていたがそもそも対立を嫌うのだからそういう思想になじまないのである。
だから日本は上からの支持に従う君主制が向いているとなると政治体制まで変えねばならない,みんな選挙に無力感を感じているからである。
それは選挙では何も変わらないとかあきらめの気持ちになっているからである。
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2017年09月30日

選挙でどこに投票するのか? (実質一党独裁であり民主主義が機能していない)



選挙でどこに投票するのか?

(実質一党独裁であり民主主義が機能していない)

都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素。

いつも無党派層は選挙でどこに投票していいかわからない,それはなぜなのか?
まとせな野党がいないからだ,共産党はいやだとか民進党はもう終わりだとか
現政権に対抗する政党がないのである。
そして野党同士で内ゲバであり分裂して自公政権に有利にしている
みんなそして政治なって何も変わらないよなとなって投票もしたくないとなっている
どうせ投票したって何にも変わらないという政治に対して無力感で一杯なのである。
若者は若者でこれだけ老人が多いのだから俺たちが投票しても変わらないとなり投票しない,すると固定票の公明党とが実際は投票率50パーセンとしかないのに数を確保できる

創価などは毎日二年前から選挙運動でありほぼ毎日が選挙運動のための活動なのである。それでも増えないのだから衰退して停滞するだけである。
選挙で勝てば仏法の勝利だから毎日拝んでF(フレンド票)とりに必死になっている
一票でもとれば数を確保すれば信心の勝利なのである。だからカルトなのである。
今は老人クラブのようになっているというのもわかる
時の権利をもつ側につくのが公明創価である。
こういうふうに公明党に頼る自民も情けないとなるが他に選択がないからもう一党独裁のようになっている

もう民主主義は対抗する勢力がなくなれば一党独裁になり阿部首相のようになんでもやり放題になる,自分は別に右でも左でもない,日本の文化とか伝統とか歴史は大事にするから右よりともなる,左翼になるとこれもネットで常に批判しいてる
中国と韓国のスパイの巣窟でありマスコミもそうでありNHKでもそうである。
マスコミはかたよりすぎているのである。だからネットではその反動として常に在日に支配されているとか中国の傀儡だとか批判のオンパレードになっているのだ

日本では民主主義は機能していない,民主主義とは何かというとき主義なのである。
それは主義だから思想運動なのである。ただそれが共産主義なとと違い明確なものがないでも三権分立とかの法整備があり権力を互いに制御するとか報道の自由とか国民や市民の自発性を育てる思想がある
制度としてはそうなのだが自発性となるとそれは国民が市民が自ら育てない限り自然とは生まれないのである。
だから民主主義は市民の自発性を育てる過程にある
それは国民が市民が目覚めて育てるのである。

では自分はどこに投票するのか?どこにも投票したくないのである。
ただ選ぶとすると政策的には原発ゼロ政策の「希望の党」などがいいとなる
そこに問題があるにしろ民主主義には政権交代が必要なのである。
権力は必ず腐敗するし対抗勢力がなければ一党独裁のようになる
そこではなんでもやりほうだいになる
昨日書いたけど原発では自民党と東電と警察まで一体となり事故にもなった
それを正すとがめるものもいなくなる
天下りもとがめるものもいなくなる
そこに警察権力の横暴も起きてくる,現実にそういうことがあり国民や市民はおびえる,それは時の政権によっても支持されてそうなっているからだ

自分は左ではないけど民主主義の推進にはどうしても対抗勢力が必要であり権力のパランスを計るのが民主主義なのである。民主主義とは権力をいかにして制御するかというものがあり生まれた,それが権力をもつもものが政権交代がなければ一方的になってしまうのである。誰も正すものがいない,すると天下りなどもとめることができない

細野豪志補佐官(当時-原発担当大臣)も追及していた

「警察から東電へ天下りしている元警察官が32人もいるのは多すぎないか。
しかも東電は栗本英雄顧問(元刑事)をはじめとして,彼らの職務内容を明らかにしていない,反原発運動の情報を警察から提供されたりそういう運動をおさえこもとして私兵として使ったりする見返りに業務と関係のない,元警察官を大量に雇用しているのではないか?」

こういう質問する議員すらいなくなる,するとどうなるのか?
原発はとめられずいつか日本自体がメルトダウンして滅びるとまである。
東日本が終わりだとフクシマの原発事故では騒がれていたからである。
民主主義が成り立たなくなり一党独裁になり原発はとめられず遂に日本は滅びる
なぜなら警察だって時の政権側の下僕となり検察でも時の政権側につくからこそ
東電の家宅捜査でも何もしないからである。
そして社長は天下りして何のとがめもないし幹部もないのである。
自公政権がそうさせているともなるからだ
もし政権が交代したら原発に関しては変わるかもしれない
ただ今度はアメリカの圧力を受けるからわからないにしても変わる希望はもてるのかとなる

民主主義にはともかく政権交代が必要であり小選挙区にしたのはそのためである。
一気に政権交代が起きる仕組みだからである。
希望の党とはなにかわからないにしてもそれでも政権交代を言っているのはそうしないともう民主主義は機能しなくなる,一党独裁であり全体主義であり次はファシズムであり戦争に突入とまでなる
前に藤原弘達が創価のファシズム的なものが自民の右などと合体して独裁になってゆくということを警告していた,創価はカルトだから日蓮主義は他でもそういう傾向がある。
だから戦争中も日蓮主義の思想がありナショナリズムと結びつきやすいのである。
日蓮の国粋主義と結びつきやすいのである。

そして公明党は聖教新聞系とかは原発の広告を一番か二番くらいにのせていたのである。それも広告費を東電からもらいたいためにそうしていただけである。
それは他のマスコミも全部そうだった,新聞社とかは維持するには金がかかりすぎるからそうなる,だから昨日も書いたように東電とか電力関係の会社は莫大な宣伝費をマスコミに出していたのである。たから実質の支配者はマスコミではなく宣伝費を払っている会社だったとなる

いづれにしろ右は原発推進である。「心に青雲」の都築詠一氏も右だから原発推進であり核武装はである。そして低い放射線量は体にいいとかフクシマは全体を維持するためには犠牲になるべきだとか言っていた,それには反発を感じたのである。
東京に原発を建てるべきだったというのが今では正論だったのである。
もちろんフクシマとか地方に問題がありそのことは書いてきた
ただ希望の党の「原発ゼロ」政策にはこの辺では賛成するだろう。
まず被害にあったものとないものの差は大きいからだ

ただ正直地元でも何が価値あるものかその価値が認識されていなかったのである。
金になればいいとかしかなかった,そして自分たちが生きる場すら奪われたのである。
だから地元でも反省すべきだが自公政権はもはや一党独裁と同じなのである。
民主主義が機能しなくなったときどうなるのか?
それはただ形だけでありもう崩壊しているのだからその思想を実現することは不可能だとなる,ただ名目としてあるだけであり何の働きもしていない,死んだともなる
そういう状態がやはりつづいたのである。
だから「希望の党」がそういう民主主義の危機でありそれを変えようとすることに期待する,民進党よりましであり保守でも政権交代できる二大政党を日本はめざすべきだとなる

都議会に理念とかあまり関係ない。国政は理念が対立要素

理念となるとわかりにくいけど理念は目標であり行動の基盤である,だから理念に主義に死ぬということもあ
それは利益を越えたものがありカルト宗教団体はその理念を間違ったものとして活動している
原発ゼロというとき相当な変革である。それは社会そのものも変える
原発をもたないことは核をもたないことにも通じている,それは平和の理念を核をもたないことで追及する理念になる,だから大きな争点となるのである。






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2017年09月15日

戦後70年で迫られる変革 (男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


  戦後70年で迫られる変革

(男女平等の弊害ー北朝鮮のミサイル-内憂外患)


●男女平等の弊害

結局戦後70年は大きな節目になった,明治維新から70年で太平洋戦争になり敗戦から70年でまた大きな変革が迫られる,70年後ごとに大きな変革が起きてくるのが歴史だった。
戦後70年の結果が今現れている,それはいい面と悪い面として必ず現れる
要するにこれもカルマなのである。

戦後は何でもアメリカに負けたのだからアメリカをいいものとして習い取り入れたのである。男女平等とか民主主義の自由だとか権利の主張とかいろいろそうである。
その結果として今がある。
男女平等というとき戦後は教育でも男女平等となり男女が席を同じくするようになった。男女共学になった,これもいいものかどうかわからない,結果的にかえって男性は男らしさがなくなり女性は女らしさがなくなったということもあった
そもそも男女の機能が違っているのだから男女平等というのは女性が男性と伍して働くことは女性にとっても苦しいものでありいいものではなかったのである。

男女平等というとき男性が結婚しないというときいろいろ理由があるにしろ女性の要求があまりにも大きくなりすきだことがある。
女性は男性にとって腫れ物にさわるようなものになりみんなめんどうだから嫌がっているだから結婚しない男性が増えるというとき女性はめんどうだからである。
そして家事も一人暮らしでも困らない社会になったとき余計に一人でいいともなる
そんなめんどうなもなら一人の方がいいとなる

昔だったら女性を召使のようにして使うというかそういう風潮があった,家事が女性の主な仕事であり中流階級でも女中を二人雇っていたのである。
そういうとき女性は男性にとって召使のように見ていたということもあった。
そうなると男性にとっては結婚は必定となる,結婚は今のように女性を特別扱いすることはないからである。それが問題があるにしろ戦後は何でもまた極端になったのである。

いづれにしろ男女共学にしても例えば痴漢でも一緒に電車に乗るから問題が起きる
男女別々の車両にすればいいというのもそのためである。
女性は腫れ物に触るように接していなければならないからだ
女性の要求が大きくなり強くなり男性は小さくなっていなければならない社会になると
男らしさもなくなるのは当然である。
そこにも社会の歪みが生れた,男は男らしくとか女性は女性らしくとかもくなる
だから女性にも異常な人格が増えてきているのかもしれない
女性でもちょっとでも不満があれば離婚するとかなる

結婚しないことで少子高齢化が国力を衰退させるというときそれはいすいろ理由があるにしろ女性の要求が大きすぎて男性はめんどうになる,それに答えられなくなる。
そして家事は自分でしても一人でできる,選択でも食事でもオカズを買えばいいし女性がいらないのである。そうなるとめんどうな女性をかかえることをあえてしないとなるのだ性欲は別な方で処理するとか生身の女性はとにかく男性にとってめんどうであり腫れ物に触るようなものとなっているのである。

● 北朝鮮のミサイルは国難

ともかく現代はあらゆるものが大きな曲がり角にきている,大変革が迫られている
戦後70年の結果が出ている,その弊害が顕著になっている
それはアメリカに負けた結果として日本の主体性が喪失してそうなったのである。
日本には日本独自の国造りがあって良かったのだが敗戦の結果としてアメリカ一辺倒になってしまったのである。
それは教育だけではない,あらゆる分野でそうなのである。
男女の在り方でもそうだし社会そのものの根本的な改革なしでもう日本は存続できない状態になっているのだ。

北朝鮮のミサイルにしても日本では何ら防ぎようがないという,要するに外交とか防衛でもアメリカ一辺倒の時代では成り立たない,何か今日本独自の外交が防衛でも必要だというときもそうである。日本が北朝鮮に働きかける立場にあるというときもそうである。
中国とロシアとアメリカの中で日本が独自の外交が要求されているがこれまではアメリカ一辺倒の外交しかない,だから変革が迫られているのである。

北朝鮮のミサイルにしても防ぎようがない,その国難にもなんら対処できないのである。それはただアメリカ一辺倒の外交しかしてこなかったからである。
そして津浪とか原発事故もやはり大きな変革を迫られる具体的な問題である。
それが自分の住んでいるところにふりかかった大問題である。
これもまた戦後の経済とか科学技術の結果としてカルマとして現れた問題なのである。
個人的にそうだが戦後70年のカルマの総決算みたいなことが起きているのだ。


日蓮の言うように

仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。
賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。
天地怪異し、二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊起こること有らん」と。

国土乱れるのは鬼神だとしている,賊とは国をおびやかすもの,北朝鮮とかである。

臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん

これは上に立つもの政治家,官僚や経済界の指導者とか資本主義社会で暴利をむさぼるものとか格差社会になりそうしたものへの反発が大きくなり社会が乱れる
金持ちから盗んで当然だとかもなり金持ちも危険になる
天地怪異しとかはこの辺に起きた津浪とか地震とか原発事故だったのである。

国難が内部からも外部からも起きてくる,それに対処するにはどうしたらいいのかとなる日蓮だと法華経を信じろとなるが創価などは宗教と何の関係もない,利権とご利益を目指すだけのカルト団体である。
つまり国難の時日蓮系が出てくる,太平洋戦争でもそうだった,日蓮の思想が戦争の理論的なものとして利用されていたのである。
これをすべて現代にあてはめることはできないのである。
時代的に必ず同じようなことが起きるのは歴史もカルマの繰り返しだからそうなる
でも同じようでも時代によって違ったものだから日蓮の言っていることは現代にあてはまらないのである。

●右傾化するのは日本独自の道を見いだすため

ただ日蓮の国粋主義とか国学とか神道系が国家神道化したようにそういうことが起きてくる。つまり明治維新のようにそこに争いも起きてくる
現代は鬼神乱れる時なのことは確かである。
それは個人的にも経験したことを書いた,自分の家が介護状態になったとき狂気のような鬼神が現れたのである。弱者になったとき信じられない人が来た,泥棒がくる,借金した人がきて脅迫する,それは金に狂った人達だったともなる,それも現代の世相である。何かわからないがそれは本当に鬼が自分の家を荒し回ったのである。これせ自分のカルマだといえばそうだった
金のためにすべてが狂わされている,この辺は原発事故の補償金でもめて分断された
人間は金のために狂気化しているのである。

国が弱体化すると鬼神が乱れる

これは家でもそうであり国でも同じである。弱体化した国がどうっないるのか?
それは世界の大国からでも強国からでも内部からでも食い荒らされるのである。
鬼神が跋扈して乱れに乱れるのである。
弱者化することはそれだけ怖いことなのである。それは国にもあてはまるのである。
国が弱体化するというとき軍備力のことではない,国自体が内部から乱れることなのである。

だから明治維新の大改革,戦後焼け野原からの復興,そして今度は戦後70年で日本は大改革が迫られている,だからどうしても右寄りになるし右に同調する時代である。
アメリカ一辺倒時代から離れるには精神的にもそうなるからだ
日本はアメリカ一辺倒であり精神さえもそうなっていた
日本独自の道を進めなかったのである。だから日本独自の道を鼓舞するとき右寄りになる
日本精神を復古させることが維新になる,明治維新に the Meiji Restoration という「回復」と英訳されている,維新というのはすべてアメリカ流にすることではなかった
古来からある日本精神の復古の意味があった
だからそういう日本精神の復古とともにあらゆるものの改革が制度でも望まれているのである。それは戦後の焼け野原となった時代や明治維新の時と同じなのである。
もし日本が改革できなかったら衰退して三流国になり中国とか今度は他の国の隷属国家となる,そういう大変革が望まれている時代だとなる
ではそれを担うのは誰かとなると今の若い人だといときそれだけの気概とエネルギーがあるのかとなるとそうは見れない,そういう自覚もない,ただ本当にそういう危機が目に見えるとき北朝鮮からのミサイルが本当に落ちてきて多数の死者が出たりしたら目覚めるかもしれない,日本は本当に危機を体験しない限り目覚めないからである。

それでもなぜこれだけの原発事故の被害があったのに原発がとめられないのか?
それだけの危機を体験したのに日本国民は原発を止められないのか?
それはすでに原子力文明となっているからなのか?
つまり今の文明に核は兵器としても必要であり核なしでは国が成り立たないということがあるからやめられない,それは滅びに通じている
人類自体が核を捨てられない,そのことが人類滅亡になってゆく

男女平等の履き違いもやはりそれは単に男女の問題だけではない社会全体の問題として生れているのである。国家の問題としても生れているのである。
確かにだから国家としての存立こそ優先されるべきだという「心に青雲」の都築詠一氏のような思想傾向が強くなる,死んだけどやはりそういう人の思想の影響は大きくなる
それは戦後否定されてきたことである。国家とは悪いものだと敗戦の結果否定されてきたからである。それも北朝鮮から実際にミサイルが飛んでくるとなると見直さざるをえないのである。
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2017年09月04日

人間の歴史は公平と平等の追及 (人間には裁く力がないー核で国は守れない)


人間の歴史は公平と平等の追及

(人間には裁く力がないー核で国は守れない)


平等に権利を得た。公平に権利を与えた。

インターネットのキーワードの検索でこのことが出ていた
平等とは何か,男女の差があっても平等にしろとか能力の差があっても平等にしろとか
生れた出自で生まれつきの家がらに関係なく平等に扱いとか人種で差別するな平等にしろとか平等にしろというとききりなくある

平等の語源は仏教の教理そのものを象徴する語で,全ての衆生はみな均しく悟りに至る資格を備えている,

ヒンズー教ではカーストのよう差別があり釈迦はその差別を廃して衆生が仏の前に平等だとなる,悟ることができるとされる
宇治の平等院とか平等寺とか四国の遍路などにあるのもそのためである。
日本では平等という概念は仏教からはじまっていた,漢字化されたなかには仏教から入ったものが多いのである。
女性は汚れたもので成仏しないとか何か差別されていた,ただ仏教では女性も悟れる,仏の前では平等だとされた,仏教によって平等の権利を得たとなる

人間の歴史をたどれば平等と公平を求める歴史だともなる
そのための闘争だったともなる,フランス革命で貴族階級が倒されたのもそうであり
それは庶民からすると平等ではないとして庶民が反乱を起こしたからである。
人間は必ず何らかの格差が生れる,金持ちと貧乏人が生れる
それが平等でないとなる

でも平等を追及しすぎる個々の個性の差や能力の差や様々な差を認めない,悪平等になる何の能力もないのに努力もしないのに平等を求める
そのことが不平等になる,平等を求めすぎるとかえって公平でなくなる
それが現代では極端化して男女平等をもとめてかえって女性が苦しんでいるのである。
そもそも女性には男性に伍して働く能力がないのである。
それを平等にして働けとなれば女性が苦しむ,女性の能力は別なものに生来あるからだ
平等をあまりに追及してかえってそのために女性の能力を発揮できないとなっている

例えば四角,三角,丸,とかあるとしてみんな平等で同じだとするときただ一つとか二つとか数で数える,するとその形の個性は失われるのである。
平等というときこうして数字的に還元することが多い
どんな人でも一票の権利があるというときもそうである。一人が二票をもつことはできない,そうしたら不平等となるからである。
これも一見いいようでも悪いものともなる,老人が一票もつのも若い人が一票もつものもみんな一票だとなる,そこで老人が多いのだからシルバー民主主主義になり社会がゆがめられる,平等なようで不平等にもなっている弊害がある。

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公平というときはまた違った意味がある
スポーツだと何かルールを決めてしている,そのルールを守らないで勝つことは公平でないフェアではないとなる
例えば格闘技で体重制になったのは体重差があればフェアでとなるからである。
大きいものはどうしても小さいものに勝つ,柔道では大きなものを小さなものが倒すということがあったが確率的にはどうしても大きなものが有利になるから体重制にした

でも国際関係とかになると大きな国がアメリカのような国が小さな国をふみにじる,中国でもそうである。その差が大きすぎるから対等の戦いができないのである。
だから北朝鮮がまるで巨人のアメリカと対等に核で戦っている
核があるが故にかえってフェアになっている,アメリカだけが核を使い小国は使っていけないのかとなる,それはフェアではないとなるからだ
何でも大国の言いなりになる,力でそうなったら公平な世界はなくなる
神がシオンで裁くというとき公平に裁くということである。
世界規模になると裁くことは神しかできないからである。

平等には何か現代では問題が多いが公平は求められる,国だって貧乏な国が一挙に豊かな国になる権利があるというのも問題である。国でもやはりその国が成り立つ歴史があり
その長い歴史で形成されてきたからである。
家でもやはり富める家があるとしたらやはりその先祖が努力してきてその子孫が繁栄しているともなる,それを否定すると社会の調和は乱されるのである。

その大きな過ちの思想がマルクス主義にあった,資本家がすべて悪く階級が悪いとなり
暴力革命になり平等を追及したがそれが悪平等になったからである。
結局共産主義革命は大きな不平等を作り出した,ソビエト連邦でも中国でも共産党一党支配となり幹部が今度は貴族となったからである。
平等を求めて不平等になったのである。それはかえって公平でないとなった
公平を求めるのがいいのだけど平等を求めすぎると人間社会は混乱するのである。

「平等じゃない」「公平ではない」というのは違っている
北朝鮮が核をもってアメリカに対抗するのはアメリカが公平ではないからである。
アメリカだけ一国が莫大な核を保有しているのは公平ではない
小国でも核をもてば平等であり対等になるとなる
アメリカは強大な力があり公平に国に対処しない,力あるものが公平さを与える
ところが警察を見ればわかるように警察自体が職務質問でもなんであれ力がありすぎるから公平を与えない,そして逆らうこともできないのである。
そもそもアメリカが世界の警察だというとき警察とにているのである。
なんでも力で通すことができるとなるからだ

ただ「平等じやない」というとき弊害がありそれが共産主義のような過ちや民主主義でも弊害がある,「公平じゃない」というときは警察があっていいとしてもそこに公平が与えられないと不満になる,大きな権力をもつものに対して要求している
アメリカは世界の警察とされたとき公平でないから世界の反発を受けたのである。
力があってもそれだけですべてが通るわけではない,世界は力だけでは支配できないのである。
ただ国々を公平に治めることなどはできない,そこに世界の政治とかなる法律でも通用しないのである。それはまた神しかできないともなる
国と関係なくそもそも公平に人間は犯罪でも何でも裁く力がないからである。
そこに人間の限界があり

わたしの腕は国々の民をさばく。

シオンは裁きをとおして贖われ(イザヤ)

国々を裁くとなると神しかできないのである。そういう思想があるのは聖書だけである。だから世界史に神の裁きが現れるともなる
つまりあれだけ強大なアメリカでも中国でも力によって世界を思いのままにはできないのである。

そもそも本当に人間は国でも軍事力で守れるのかという疑問がある。
日本も核をもつべきだという主張が強い
でもアメリカがあれだけの莫大な核をもっているのに北朝鮮のような小国におびえているのとはなぜなのか?
それは核だけで軍事力だけで国は守れないからでないか?
聖書でもそう書いてある
かえって力ではなく公平を追及したものが神に守られるともなる
力だけで押し通すことは警察に反発が強いのは公平を与えない,力で押し通すことができるとなるからだ。それで警察に対する反発が大きいのである。
アメリカが力が強大だから反発も大きくなるのである。

馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない。 

戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し/彼らを倒して再び立つことを許さず/灯心のように消え去らせた方。 (イザヤ)

この馬とは今では軍事力である,飛行機であり戦艦であり戦車でありありとあらゆる兵器である。そして核である。
しかしそれで国が守れるのだろうか,9条を唱えて守れるのかというのもある
神が守ってくれのかという疑問もある。
でも実際にアメリカは馬を莫大な兵器を核をもっていても北朝鮮のような小国におびえているのはなぜなのか?馬では核では守れないからではないか?
アメリカは公平ではないとうことで実際は世界から責められる
そのことこそがアメリカが世界を敵にまわして恐怖におとしいれられている
それが北朝鮮のような小国におびえる原因ではないか?
馬があれば兵器があれば国が安全だとか守れるとは限らないのである。
そこに何か世界史でも神の力が働いているのかとなる

最近日本の戦争が見直される,武田邦彦氏などの歴史観だと日本はアメリカに対して正義でもって戦いその犠牲になったのだという,ところがアジアでは中国でも朝鮮半島でも
そういう歴史観はない,日本は侵略国なのである。
それはアメリカの歴史観と共有しているのである。
なぜならその侵略者たる日本を成敗したのがアメリカなのだからアメリカは救世主みたいなものになっているのだ。
一方で矛盾しているのは北朝鮮である。北朝鮮とかつての日本は同じなのである。
鬼畜米英としていた日本と同じなのである。
もし北朝鮮がアメリカに殲滅されれば日本と同じ結果になるのである。

北朝鮮の問題はこうして何か過去の戦争の歴史とかアジアの歴史とかアメリカと日本の戦争とかとかかわっている,アメリカと北朝鮮だけの問題ではないのである。
日本の戦争がその犠牲が何であったのかとか北朝鮮によって問われているのである。
もし今度は中国でもアメリカと対立すれば同じようになる
日本が見直され共同の歴史観をもつことになる,アメリカと戦うアジアの同盟国として
歴史観を共有することになるのである。
それが中国と朝鮮半島にはないのである。

つまりアメリカの属国化から解放されても次は中国の属国化の道しかないのである。
それはでにチベットとかウイスラム教徒のウィグル族とかの弾圧になっているから
日本も同じ運命にされる
あくまでも中国中心の中華帝国の再興でありそれが中国の歴史観であり日本はそれに隷属するだけだとなる,それはアメリカに隷属されたと同じなのである。
アジアは共通の歴史観を共有できないのである。
日本は中国に戦争のことで謝罪すべきだとしかないからである。

日本がアメリカに戦争で勝っていたらそうしたアジアの共有の世界観歴史を作っていかもしれない,それがアメリカによって壊滅させられたのである。
次に台頭するのは中国の中華帝国の世界観の歴史である。
だから靖国に礼拝する日本人を中国は絶対に許さないしかえってアメリカと歴史観を共有しているのである。
北朝鮮はアメリカと対抗している国である。そしたらかつての日本と同じでありそれは奇妙だけど北朝鮮は日本を韓国と同じように敵対しているけど共通の歴史観を世界観をもつことになるのである。
北朝鮮問題は過去の歴史を写す鏡でありアジアの焦点としてある国である。
それはアジア全体の問題なのである。
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アメリカでも中国でも強いから何でもできる (そこに正義もなにもない,力の論理があるだけ)


アメリカでも中国でも強いから何でもできる

(そこに正義もなにもない,力の論理があるだけ)

力があるものは力のないものに無理難題を言っていい
なぜ日本を脅迫したのか日本が強いから
中国は南沙諸島を支配するのか,強いからできる
弱いものはそれで怒り戦争になった

力があるものが力のないものを勝手にやっつけてはいけない
力のないものは誇りをもって戦ったのが日本

武田邦彦

世界史的にみれば強いものが勝ち強いものが歴史を作る,それは日本でも世界でも同じである。
そして強いものは正義を主張したとしても強い者の正義でありその力によって強い者が正義とされるだけである。力の論理でそうなっているだけなのである。
正義とかはもともとそういうものではない,公平なこととか何か別な基準である。
それで法律が生れた,でも国際法になるとそうした国内で成立する法律は通用しないのである。
ただ力のあるものが正義になってしまう。
それはアメリカだけではない,中国が南沙諸島が中国のものだといえば中国のものになるそれは何かの基準でそうなっているのではない,強いから強いものがこれは俺のものだといえばそうなってしまうのである。
国内法だったらある程度はいくら強くても勝手にできないものがある。
国際政治ではそういうものが通用しないのである。

アメリカは世界で一番強い国だからアメリカの言い分が正義になる
あの国が気にくわなからやっつけてやろうとなるだけで戦争をしかけて国をつぶすこともできる
それは強大な力をもっているからそうなるのである。
それは警察の権力とにているのだ,警察も一番権力をもっている,だから理不尽なのことでも通りやすい,例えは警察が不法侵入していても罰せられなかった
それでボランティアで街の防犯係をしている人がその警官に逆に職務質問したのである。警察は悪いことをしても隠されることが多いのである。
警察の上に公安委員会があるとしもやはり警察と一体なのだから警察権力で仲間なのである。
だから警察に対抗することはできない,それで行政も警察に脅迫されていたのである。

そしてこうして国家権力が介入してくると小さな田舎の町などの平和が乱されることを駅の自分の職務質問のことで書いた,ただあやしいというだけで職務質問にきて自分のことを説明してもあやしいと通報があればまた来る,自分のことを説明しないというのであるこういうことは警察には非常に多いのである。
それはなぜなのかというと警察が権力をもっているから強いからだとなるのだ
強いものが正義だとなる,いくら法律を楯にしても警察権力と戦うことは簡単にできないのである。強いものが正義だとなるからだ

これは国際政治ではただ強いものが正義であり弱いものは何もできないとなる
アメリカは世界に力があるから介入して世界の平和を乱したのである。イラクなど別に攻撃する理由もなかったけど難癖をつけて攻撃したのである。そしてその周辺の平和を乱したのである。シリアの紛争がそうである。
それはアメリカのイラク攻撃に由来しているのである。

ただアメリカでも中国でもロシアでも強いものが何でも通るとなるのか?
そうはならない,アメリカが一番強いとしてもその力も衰える
すると世界から反撃されてくる,いくら核兵器を北朝鮮の千倍ももっていても
北朝鮮を恐れている,そして世界からのテロにも恐れる
アメリカが世界から反撃ささればとても自国も守れなくなるのである。

国内でもそうだが人間社会は権力だけで力だけでは治めらない,もしそうしたとしても反発が大きくなる,警察でも横暴なことばかりしていたら住民から信頼を失いその権力も剥奪される
自分が経験したように田舎だとなるべく争わないようにするのがいいのであり警察が介入するとかえって平和が乱されるのである。
アメリカは世界に力でも介入しすぎたのである。
力で何でもできる,通るとして介入した結果がかえって平和が乱されたのである。

アジアのことはアジアで解決しろとなっていたらアメリカが介入しなかったら別な解決方法が生れていたかもしれない,それがアメリカが介入したことによって多大の犠牲が生れアジア自体の平和が乱されたのである。
この世は力あるものが必ずしも勝つとは限らない,それは聖書でしつこく言っていることである。聖書では弱いものが神の力で勝つ物語でもあったからである

それが今アメリカの力が衰えるときアメリカが世界から反撃に恐怖となっているのだ。
日本に原爆を落としたこともカルマとなり北朝鮮のような小国におびえている
アメリカは意外と弱いなと見てしまうのである。
そこに中国の台頭もあるがアメリカは世界からの反撃をくらっているのかもしれない
相当に世界で理不尽なことをした報いを受けつつあるのかもしれない
だからアメリカは世界から後退して自国にとじこもり移民も受け入れない
白人優位主義を唱えて昔のエスタブリッシュメントに帰り保守化してゆく
それはアメリカの国力の衰退につながってゆく,アメリカの活力がなくなってくるのである。
アメリカはすでに国内でも人種問題などで衰退国家になってゆく
そして世界からの反撃に核の攻撃に恐れとじこむるだけだとなる
それは日本にも大きな影響がある,もうアメリカは頼りにならないというときどうするのかということが具体的につきつけられるからである。
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2017年09月03日

北朝鮮におびえるアメリカ (原爆落としたカルマなのか?)


北朝鮮におびえるアメリカ

(原爆落としたカルマなのか?)


このままほっとけば米は世界覇権を失うよ 北は世界中に核ICBMをばら撒くからね
世界の津々浦々から米は核攻撃される危険を抱え込み負け犬として引き籠ることになる


なぜアメリカが北朝鮮のような国におびえているのだろうか?
それはやはり日本に原爆を落としたことがカルマとなっていなか?
あれだけのことをしたアメリカが核に恐れているのはやはりカルマなのか?

人間はカルマから逃れられない,カルマはどこかからめぐりめぐって回ってくる
つまり日本で報復しなくても別な国が報復したりする
殺人を犯したら必ずしも殺された本人の家族とかに報復されるとは限らない
回り回って関係ない人から報復される
そう。そいうことがカルマの法則にはある

アメリカが北朝鮮を恐れているではないだろう,その背後に中露がいるからだともなる
でもアメリカが日本に原爆を落としたカルマが消えるとは思えないのである。
だからこそ北朝鮮の核に恐れている,あんなに離れていても恐れている
アメリカは核におびえる,恐れるカルマを日本に原爆を落としたことでもつようなったのだ,それは逃れられない重いカルマなのである。

そんなのんきなことを日本で言えるのか?それもそうである。
日本に核のミサイルがぶちこまれたらどうするのだとなるのもわかる
でも別に日本は朝鮮に原爆は落としていない
日本はアメリカに原爆を落とされてもアメリカと安保条約結ばれているから同盟国である日本が核攻撃されたらアメリカが北朝鮮を攻撃する

でもアメリカが一番核を恐れてはいないか?その恐れは日本に原爆を落としたことによるのである。
自分たちが日本に原爆を落としたようにそのカルマがアメリカに向かうことを恐れる
それも因果応報ではないか?
それだけの重いカルマをアメリカは持ったのである。

そして世界中から核の脅威を受ける,核をもたせないようにしてもできなくなる
とてもアメリカだけで支配できなくなる
そしてアメリカ本土にとじこもるようになるのかもしれない

ただその時日本はまた窮地にたたされるがたろう。
ロシアが北海道に侵略して中国が沖縄から侵略してくる
日本はそして分断される脅威にさらされる
今度は日本はそれに耐えられるのか?
今日本にそんな力があるのかといったらない
日本はとても戦争などできない国になっているのである。

そしたら日本が守られるのか?アメリカが守ってくれないからだ
日本がその時窮地にたたされることは間違いない
今度は中国やロシアの属国化してゆく
そうして国は分断される脅威にさらされる
それはシリアとかではそうなったからだ
大国のせめぎ合いで難民化したからである。

アメリカは北朝鮮とは戦争しない,むしろアジアからは手を引いて自国にひきこもるのではないか?それだけの国力もなくなっている
そして核におびえ原爆を落としたカルマにおびえるのである。
核の呪いがアメリカにふりかかっているのである。
それから白人優位主義は傲慢でありアメリカ国内でも争乱となり二分される
白人優位主義は神によって砕かれるのである。
人間はみんな平等だというとき神の霊は黒人にもアジア人にも日本人にも下っているからである。
何を根拠として白人優位主義があるのかわからない,知的能力なのだうか?
それも別に白人だけが優位になるのではない,すると何を根拠にしているのかわからないのである。
色が白いだけでどうして他の人種より優位にたてるのか?それも合理的に考えればわかるはずだが
なぜそんなことに固執しているのかわからないのである。
それは傲慢なる故にかえって神の罰が下るとなる,文明は東西文明があり東が栄え西が栄え東が栄えと長期的歴史をみればそうなっている,だから今は西が衰えて東がまた栄えるようになる
その西が白人優位主義でもそれも東がまた栄えればいくら肌が白いからなどという白人優位主義は世界で通用しなくなる

いづれにしろ人間は個々人でもそうだが国単位でもカルマから逃れることができないのである。
日本が原爆を落とされた唯一の国である。それは何を意味しているのか?
また日本に原爆が落とされるのか?それはありえないのではないか?
人類を代表して核の被害者となった国だからである。
カルマとしてはアメリカが核攻撃されないにしろその恐怖におびえる
そういう宿命,カルマを日本に原爆を落としたことで背負っているのではないか?

要するにあんな小国でも核をもつと大国に見えるから不思議である。
核をもつと国の力はまるで対等になる,その他だったら経済力でも軍事力でも何でも格段の差があるからだ
ただ核をもつことによって巨人なるアメリカに小人の北朝鮮が対等に戦っている
それが結局原爆を日本に落とした呪いではないか?カルマではないか?
ただ北朝鮮の火遊びも危険である。核のミサイルに酔っているがそれが命取りになる
核をふりまわすことは北朝鮮でもどこでも危険なことになるのだ
それが呪いとなってゆく

剣をもつものは剣で滅びる,核をもつものは核で滅びる

ただ人類は核戦争になったら人類そのものが滅びる,だから核は人類への呪いでもあった原子力発電もいいものと思っていたが呪いだった,この辺では住めなくなったからである核そのものが人類の呪いでありそんな危険なものを作り出したことが人類を滅亡させるものとなる
posted by 老鶯 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年08月28日

「心に青雲」の都築氏が死亡?


「心に青雲」の都築氏が死亡?


コメントした人あったけどこれフィクニュースじゅないだろうな
検索で心の青雲でてこない?
リンクしたものもでてこない,死亡した時点でプログは消されるのか?
何か彼は残すものがあったのか?
今記録が消されたとすると読むことができないのか?

透析していたけどずいぶん病気にしては強きの発言をしていた
透析している人がいるけど「あの人は顔が黒くなると死ぬんだ」と言う人がいた
別に畑で仕事しているからんなふうには見えない

透析していると長くは生きないということはそうなのかもしれない,
極端な右寄りだけど空手をしていたし筋が通っていた
病気なのにあれだけ強きの発言することは驚きだった
なぜなら自分も病気しているからどうしても弱きになるからだ
最近書き込みがないのでどうしたのだろうとは思っていた

あの人には文章からジャングルに生き残った小野田少尉のように感じていた
相当に筋が通っていた,要するに人間は何か筋を通す必要がある
右左関係なく筋を通せば人生でもその人の生は評価できる
日本があれだけアメリカと戦ったのに負けてから全員簡単に転向したことが
異常なのである。変わり身が早いからいいというのもあるが300百万人も死んだ
人達は浮かばれないとなる
一体自分たちは何のために戦ったのかとあの世で思っているかもしれないからだ

天皇をあれだけ批判していたのもわかりにくくかった
右の人は天皇はあんなに批判しないからだ
その点は正直だったのかもしれない,天皇を批判したら右ではないからだ

死亡したのだから検討してみたいがログがないとなるとしにくい
死んだらインターネットの記録は消えてしまうのか?
インターネットは簡単に消されることが問題なのである。
本だったら残るから死んでも誰かまた読んでくれる人がいるかもしれないからだ
それで自分は本にしようとしている,ただ本にすることは今は簡単だがめんどうでもある本とネットの発言は書き込みは違う,ネットは日々思ったことを書ける
本となると一貫したものしとてまとめる編集する必要があるだ

同じ団塊の世代であり共感することと反発することもあった
しかし本当に死んだとすると驚きである。
死ぬ前に遺言のようにして書いたのがプログだったとなるからだ
誰かがログをとっていたら公開すれば読めるかもしれない,
自分のもログをとっていてくれればあとで読めることはある
自分でも何か死というのが身近なのである。

ともかくご冥福をお祈りします

今自分のことで忙しいので何かまた追悼文でも書くことがあるかもしれません


posted by 老鶯 at 10:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年08月19日

戦意を喪失させられた日本人 (原爆のショックは永遠に消えない)



戦意を喪失させられた日本人


(原爆のショックは永遠に消えない)


NHKの放送で「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った“真相”」を見た
アメリカ軍がB29で日本を焼け野原にしたのは日本が戦争をやめさせるため,市民までまきこんで爆撃した,市民に戦意を喪失させるためにやったという
その目的はあまりにも見事に想像した以上に効果を発してアメリカでも驚いたという
原爆を落としたのも日本に戦争をやめさせるためだったと常にいう
理屈あとでどうでも言えるのである。

こうした焼け野原された日本人はその後どうなったのか?その惨状を見たときどうなったのか?

まさに言葉を失った

言葉に現せないものとしてこの世の地獄を見たのである。爆撃して焼かれた人が子供でも写されていた,それは地獄の光景だった,戦争は非道でありイスラム国だけが非道ではない,過去の戦争でもそれ以上のことが行われていたのである。
戦争というは人間の悪を最大限にひきだすものとしてある。
日本のことを非道というがアメリカの非道も信じられないとなる
それはあまり赤裸々に報道されないからわからないだけなのである。
インターネットを調べればその悪逆非道に戦慄を覚えるだろう。
そんなことがあったのかとういことである。人間の悪逆の限りが尽くされたとなるのが戦争だった
アメリカ人の悪逆非道の方が日本兵の非道よりどうしても勝っている
その悪逆非道を知ったら身の毛のよだつようなことが現実にあったということに戦慄を覚える

ピカートもナチスについて言っていたが

まさに言葉を失った

それが第二次世界大戦の結果だったのである。アメリカが正義でもなんでもない,ただ戦争の勝利者になったというだけである。
それも膨大な人命の犠牲の上に勝利者になったのである。

結局日本は戦争に負けてどうなったのか?

今でも戦意を喪失してしまった

そのあまりの悲惨さに戦争というのは口にしたくないとまでなった
だからウヨが戦争を鼓舞しても日本人は別に9条を守れば国が守れるという左翼も極端だがそもそも日本人は原爆であれなんであれ日本は戦争をする戦意を今でも喪失しているのである。
もちろん戦争をじかに経験していないものがそう言っても説得力がないことはわかる
でも戦争の悲惨さは映像でも残っている

それは津浪とかともにている,あの悲惨な状態の前に自然の大きな力の前に言葉を失ったただ茫然としているというだけだったのと同じである。
あれだけ大きな力を示されるともう何も言えなくなる,ただ自然の力に驚嘆するだけだとなる,それと同じようなことが戦争で起きていたのである。

日本はアジアから中国とか韓国から戦争のことでバッシングされるけどそもそも日本はその報いを敗戦の焼け野原で受けているのである。
なぜそれだけのことが成されたのにさらに日本をバッシングするのか?
それは「水に落ちた犬は打て」になる,弱者になるとかえってその弱さにつけこまれて個人的にひどいめにあったことを書いてきた
それは国家間でも同じなのである。

韓国や北朝鮮は常に不満をもっている,強いものにたかれつづけられた国である。
だからこそその腹いせを日本人に向けているのである。
日本人は確かに今戦わなければ国も守れないと危機意識をもつ
でも戦争で戦意を喪失してまった,悪くとれば戦争する気力がない,意気地がないともなった,それで非戦国家になり9条だけに頼る弱い国家でいいのかとなる

でもあれだけの戦争の悲惨さを見たらとにかく戦争はしたくないと別に経験しなくてもなる,自力で国を守らねば侵略されるというのもわかる
でもその戦意が喪失させられている,それは戦争が終わっても継続しているのである。
それだけ戦争の影響は大きかったのである。
日本全土が焦土となった記憶は簡単には消えないのである。

ではアメリカの戦争犯罪はこれからどう罰せられるのだろうか?
それだけのことをしたアメリカはやはり良心に怯えている
戦争を終わらせるためだったという理屈はただ理屈である。
その良心からその悪が消えることはないのである。

その報いはやはりカルマとなってアメリカに向かってくるかもしれない,なぜ今北朝鮮がアメリカに狙いを定めて核弾頭のミサイルを打ち込もうとしているのか?
それは日本もまきこむのだがやはり原爆を使用した日本を実験場としたカルマであり
核に怯えているである。
核爆弾を使ったものはまた核爆弾が落とされるという恐怖におののくことになる

国内的に人種差別でもめているようにアメリカ自体が分裂するかもしれない
人種差別が日本人に対してもあったがアメリカは白人主義だけではもう成り立たない国である。人種差別したら第一国内で統一できない,それだけ白人ではない人達が増えすぎたのである。

ともかく戦争は人間を非道にする,もう歯止めがきかない,ルールもなにもなくる
人間の悪の限りが戦争で噴出する,それが第二次世界大戦の結果だったのてある。
だから日本はその戦争を身をもって経験した唯一の国なのである。

日本人はもうどうしても戦争ができない

戦意が喪失した

それがいい悪いと関係なく戦争に負けた結果として日本人にもたらされたのである。
要するにアメリカも全土が焦土になれば戦意を喪失する
そういうことが核戦争ではなりうる,なぜ北朝鮮のような弱小国にアメリカがおびえなければならないのか?
それは核がそうさせているのである。核はアメリカでも怖いのである。
日本を空襲するとき飛行機を爆撃する体制が日本にはなかった
だから空襲も容易と見たというときもそうである。
やはりアメリカも核は怖いから簡単に攻撃できないのである。
そして核の呪いがカルマがアメリカに回ってくるかもしれない,それをしているのが北朝鮮なのかもしれない,それはアメリカだけではない,日本も恐怖である
ただ一番恐れているのはアメリカだとなっているのである。
posted by 老鶯 at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年08月17日

建築現場で人手不足-死者が出る (オリンピックをやる今意義あるのか?)


建築現場で人手不足-死者が出る

(オリンピックをやる今意義あるのか?)


大手ゼネコン「大成建設」の工事現場でまた死亡者が出た。 
20年東京五輪のメーンスタジアム「新国立競技場」の建設現場で、23歳男性が過労自殺したばかりだが、また現場の過酷さを象徴するような事故が起きた。 

土木屋 塗装 やらはスジモンとまでは行かないが、近いのが多いね 
基本的に誰でもできるような職種に多い 
機械工 電機工は技術持ってるから、比較的きちんとした人が多い

建物は残るから悲しみがずっと続く 
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった 
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった 
あそうだ日航機が墜落したその日だった 
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる


城を建てるとき人柱伝説がうまれのもわかる,誰かが建設工事で死ぬからそうなる
誰かが人柱になるからその伝説も生れる
そのことは現代に継続している,建築現場にこの辺で除染でも暴力団が入ってきて
治安が悪くなった,郵便局に入れ墨丸出しの若い男がきていた。

ではなぜそうして暴力団がかかわるのか?
つまり最低辺層の人達がまた前科者とかでも何でもかんでも労働者にするからである。
そういう人達は仕事を選ぶ余裕がない,明日食べものがないとなればどんなことでする
原発作業員にもなんでもなる,人間は追い詰められたらなんでもする

借金のカタに遊女にされたりパチンコ屋で働くとかとにかくもうそこに労働のモラルはない,金になり今日食べれればいいだけになる
建築現場は誰でも引き受ける,最低辺層の人達が集まる場所なのだ
事業に失敗した人なども集まってくる
それはそれなりに働く場所を与えて社会の役にたたせている面もある
アメリカの大企業が受刑者を低賃金で働かせているのとにている

ここに人間のブラックなものがあからさまに現れる,そもそも個々人の家建てるとしたらそれには意味がある,でもオリンピンクのために働くというときそこで働き死んだ者はオリンピックは日本で必要なものであり俺たちもオリンピックに貢献するのだ
日本のためになるんだとか考える人はいないだろう。
そもそもそういう人達は金をもらえればいいとしかならない

奴隷労働にされるのは借金のときがわかりやすい,もう遊女にもされるし何でも金のために働く奴隷にされる,そこに働く意義など微塵もないのである。
そういうことは普通にある,でも道路でも鉄道でも建物でもそれなりに社会インフラの整備のために働いたとはなる,そういう意識をもたなくても結果的になることはある

でもオリンピックは国民にしても今必要なのかどうか深い議論もせず行うことになった
前の東京オリンピックには国民的同意と意義があった,日本が戦後の焼け野原から経済成長した証として行われたからである。
そこに国民的同意があったのだ,今回はそれもないのに勝手に政府主導で行われるから問題が起きる

死んでまで犠牲者をだしてオリンピックをやる意義があるのか?

そういう疑問が国民の間に根づよくあるのだ。それはこの辺で行われた除染でもそうだった,飯館村で一軒の家を除染するのに一億円かかったという,それなら一億円もらった方がいいと村の人が主張したのもわかる,なぜなら後ろ森だから除染しても一時的なものであり効果がないからである。
除染費用の莫大な金は大成建設とかその他大手ゼネコンに流れたのである。
大成建設の社員は放射線量を計るモニターの下の土をとっていたのである。
だから放射線量は半分になっているが実際は倍以上なのである。

大成建設は創価と深く結びついた会社である。それは正本堂を富士山の麓に建てたときそうなった,大きな仕事を請け負ったからそうなった,利害関係で結びついたからである。宗教的建造物というとき信者がその建設にたずさわるなら死んでも信心であり成仏したとかされる,ピラミッドは宗教的建造物であるという見方がでている
王の墓ではない,宗教としての建造物ならそこで死んでもそれなりに意義があったとなるなぜならあれだけのものを建てるとしたらやはり死者が相当数でているからである。

働くということを追及するとただ金だけではない,その意義を認めて働いている人はまれだろう。まずは金が価値となり金をどれだけもらうかだとなる
でも労働で人か死ぬときそれまでして働く意義があったのか?
そんなにしてまでオリンピックには意義があるのかと疑問になる
オリンピックは血にぬられたものであり人柱の上に成り立っている
それほどに今オリンピックが日本人の総意として求められているのか?

まだ東北大震災の復興もできていないのになぜオリンピックに金を使うのかということに対して国民は合意していないのである。
ゼネコンと電通とかのためにするのかともされるのはそのためである。
そして死の犠牲までありそんなことをしてまでオリンピックををやる意義があるのかとなる

建物は残るから悲しみがずっと続く 
浜松のアクトタワーで死んだ電気屋さんは知り合いだった 
浜岡のゴルフ場で資金が尽きて自殺した型枠大工の親方は友人の父親だった 
この二つの建物は見るたび怒りが込み上げてくる

これは現場で働くものの率直な感情である。ただ電気屋でも建築現場は常に危険だから事故が起こりやすい,事故はさけられないことは確かである。
でもオリンピックとなると規模が大きいしその犠牲も大きくなるから問題なのである。
建築は戦争ともにている,道路を作ったり橋をかけたりと建築なのである。
ローマ帝国が道をはりめぐらし橋をつくり建築で大帝国を築いたことでもわかる
建築技術に優れていたから大帝国を築くことができたのである。

このことはオリンピックの熱狂があっても何か後ろ暗いものとして冷たいものとして見る今回のオリンピックはそれだけの意義がないからである。
そんな無駄なことのために労力が人命が費やされたことをどうみるのか?
この人のように怒りがこみあげてくるとなるのではないか?
posted by 老鶯 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年08月15日

日本だけが戦争で悪者にされるのか? (戦争は喧嘩両成敗にするべき)


日本だけが戦争で悪者にされるのか?

(戦争は喧嘩両成敗にするべき)


戦争とは何かというとき戦争は対外的に起こり国を意識する,敵が存在して国家を意識する,それは国内でも同じである。常に回りが敵であり戦国時代になった
相馬藩だと常に伊達藩を意識して軍事訓練していた,それが野馬追い祭りとなっていった日本全体で見ると

百済の援軍として戦ったのは、唐−新羅連合軍です。飛鳥時代だと思います。
白村江の戦いが最初の外国との戦いである。

戦争がなければ日本でも日本という国家を意識しない,それが証明しているのは鎖国となった江戸時代である。対外的に関係を閉ざしたから外国を意識しないのである。
だから日本人だという意識もない,敵も存在しないから300年間平和だった
こういうことは世界史ではまれであり島国だったからできたとなる

そして明治維新になり外国を過度に意識させられるようになった,すでに太平洋戦争の種はこの時まかれていたのである。
吉田松陰はアジアを侵略せよと公言していたからである。
そういう過激な思想がどうして生れたのか?
それが過度に今度は鎖国状態から外国を意識させられるようになったからである。

その意識した外国とは欧米列強だった,その時アジアは中国をはじめ植民地にされていたからその恐怖感があり戦争をはじめた,それが最初はアメリカではなくイギリスだったのてある。その時イギリスが七つの海を支配していたからである。

アジアの拠点がシンガポールであり自分の姉はそこで4年間従軍看護婦として勤めた。
実際はシンガポールの向かい側のジョホールバルでありマレー戦争だった
その赤十字病院だった,つまりイギリスとの戦いでイギリスを追い出してその病院を使っていたのである。それはアジアの国が欧米列強に勝ったということで快挙だったのであるただその後はアメリカが参戦して形勢がたちまち悪化して敗戦になった

日本の明治維新はまず日本がアジアの中国でも植民地にならないために独立した国だったその時日本人は強烈に国家を意識するようになり西南戦争で武士の集団との戦いで形成された国民軍が平民の軍隊が国民の軍隊が勝った,これによって日本軍が形成されたのである。

日本は江戸時代の鎖国から明治維新になり過度に外国を意識させられるようになった
アジアが植民地化されたことの恐怖から明治維新が起こり日本はアジアに先駆けて欧米列強と戦うことになったのである。
だからすでに欧米列強によって明治維新のときから戦争がしかけられていたともなる
しかし日本だけは植民地にできなかったのである。

戦争のきっかけがアジアの植民地解放戦争だったということも一理ある
中国と戦争になったのも中国が欧米列強側に立っていからそうなった
中国は欧米列強の植民地だったからである。
だから日本が中国戦争したときなぜ独立できたのか?
日本が欧米列強と戦ったから中国人が植民地にされていた隷属を破り共産党により独立国家を形成できたとなる,日本が欧米列強と戦争しなかったら中国は独立国家になれなかったともなる

つまり欧米列強とアジアの関係で見るとき日本の戦争がだけが悪だったのか?
なぜ日本だけが悪者にされるのか?中国からも韓国からもアジアからも悪者にされるのか?それは日本がアメリカに敗れたからそうなっているだけなのである。
日本だって国内戦争だったら勝った方が負けた方を悪者にするからである。

世界史でも同じなのである。そこに善悪は通用しないのである。だから日本だけが悪者にされるは負けたからだとなる
善悪を言うなら欧米列強が善なのかとなればそうではない,つまり欧米列強がアジアに進出しなければ第二次世界大戦はなかったからである。
西部劇でインディアンか常に悪者にされていたように日本も悪者にされていたのである。
そしてアジアでも中国や韓国が日本が悪いから謝罪せよというとき戦争で負けたからである。日本が悪いわけでなくても謝罪を要求される
謝罪させることによって上位に立つ,日本の謝る姿を見て優越感にひたる
そして韓国になると永遠に謝罪せよとなり日本を下位にする
しかしアメリカに対しては中国やロシアに対してはそういうことにはならない
日本に対しては下位の国家として謝罪を請求するのである。

そしてNHKの放送は中国や韓国の意向に沿ったものとして常に編集報道しているのであるそれで右側からNHKでも朝日新聞でも左翼系は中国とか韓国(在日)の工作員が入り込んで操作しているとなる
そういうことはネットで盛んに言われるようになったのである。
そう言えばNHKは常に戦争を起こした日本人が悪いとして戦争を否定している
日本人は謝罪すべきだとして報道している,それは中国韓国側の圧力の結果だともなる
だからNHKを見ていると知らず洗脳されるのである。
日本人は悪いのだな謝罪すべきなのだなと番組を見ていると自ずとそうなってしまうのである。そしてNHKは良心的な公平な放送局のように国民には見られているから余計にそうなる,テレビは事実を伝えるものではない,放送局の意向でもって編集して伝えているのである。だからテレビを見ていると意識しなくても洗脳されるのである。

確かに人体実験したとかはひどいとなる,でもそれだけを取り上げ日本人は悪いとされるのも問題なのである。そもそも戦争は非道であり戦争そのものがそういう悪を産み出すのである。現実になぜアメリカが原爆を日本に落としたのか?
戦争自体が非道だから人間的なものをはみだして残酷非道になる
戦争は日本だけが悪いとはいえない,戦争そのものが悪いのである。
どの国が悪いとはならない,アメリカも悪いのである。
日本だけが特別悪いものとして糾弾しつづけられるのはおかしいのである。

いづれにしろ国家間の戦争とかなると争いとなると公平に裁く者はいない,勝ったもの強いものが正義となってしまうのである。
だから常に日本人が悪者とされて謝罪を要求され下位に置かれる
アメリカや中国でもロシアならそうはならない,日本だけがそうさせられているのは国が弱いというだけの理由なのである。

ともかく姉は死ぬ間際まで戦争のことを語り死んだ,それだけ戦争のことが忘れられなかったのである。特に20代の青春が戦争だったから余計にそうなったのである。
戦争の興味は自分の場合は姉から聞かされた話が生々しいものとして残る
従軍看護婦の四年間は辛いし普通では勤まらない,特に敗戦になったジャングルに逃げたときは食うや食わずになり苦しんだ
そして死ぬ間際まで認知症になっても同じ従軍看護婦の戦友のことを忘れなかったのである。青春がまさに戦争だったからそうなった,青春時代は一番印象に残りやすいからである。

戦争というときやはりNHKとか左寄りの圧力が強い,すると常に日本は謝罪すべきだということが知らずに思い込まさせられるるのである。
つまりテレビ見ていると知らずに洗脳されるのである。
なんて日本人は悪い奴なんだ,戦争の責任は日本人にあり日本人は謝罪すべきだとなるのである。そういう意図でもってNHKでも他でも番組を作っているからそうなるのである。
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2017年06月26日

AIの判断と人間の判断 (データーの処理能力の相違なのか?)


AIの判断と人間の判断

(データーの処理能力の相違なのか?)


AI化はすでにコンピュターが生まれたときインターネットが生まれた時はじまっていたのである。コンピュターがインターネットが人工知能ではないか?
インターネットに接続して知識を吸収していることがすでにAI化した中に入っていることではないか?
インターネットは天文学的な膨大な情報がある、それも日々増加している
それは本の世界とも違う、ただ本でもインターネットのように検索可能にすると本の情報が利用しやすくなる、それも実際はできる

AIと人間の根本的な相違は情報の処理能力である。なぜ将棋でもむずかしいものがコンピュターにもう勝てないのか?それは人間の能力をはるかに超えた情報の処理能力だった
その譜面を記録しいるのが人間にはとても及ばないからだった
つまり人間の記録する記憶する能力はコンピュターと比べるとあまりにも小さいのである人間の記録する記憶する能力は非常に低いのである。

第一人間は忘れる、自分の書いたものも忘れる、それでプログでも何でも書いたものを記録したものを読んでこんなことを書いていたのと改めて発見しているのである。
人間ほど忘れやすいものはないのである。
旅行してもどこに行ったのかもわからなくなる、特に団体旅行だおしゃべりなどしていると回りの景色も心に残らないのである。
だから写真撮ったりメモすることも大事になる、そこから思い出す作業ができるからだ
つまり旅でも何か記憶していないと忘れて行ったということにもならないのである。
それで自分は旅を記憶したものを短歌や俳句や詩にしている、でも記憶していなければできない
でも時がたてばなんでも忘れることが人間の弱点なのである。

コンピュターの優れた面と人間の優れた面がAI化で浮き彫りにされる
例えば株式予想とか天気予報とか何かそうしたものは膨大なデーター処理することによって見えてくるものがある、何か予測するというとき過去のデーターが必要になる
ところが人間はその過去のデーターでも膨大であり一部しか目を通せない
その一部のもので判断するから誤るのである。

それは地震とか津浪でもそうである。その記録でも実際は膨大である、相馬地方でどのくらいの地震があったのか?江戸時代でもあったが小さいと忘れているしまた記録がわずかだからその記録から読み解くことがむずかしい
でもそうした過去の記録はあったが無視していたのである。

現代になると地震でも記録されるからその記録は膨大になる、そのデーターはもう人間では処理できない、大きな地震でも全国的になると震度5などいくらでも起きているからだそういうデーターを処理して予測することがコンピュターにできるようになるのか?
すでに株はAI化して予測している、その膨大な情報からチャートして図を形成すればわかりやすい、一秒感覚で売買して利ざやで稼いでいるいうから驚きである。
それは結局膨大なの情報の処理能力がコンピュターにあるからなのだ

それに比べるとあまりにも人間の情報能力は小さすぎるのである。
すると予測することも判断することも誤ることになる、そして人間の判断能力がAIより優れているとは限らないのである。
例えば戦争でもAIが判断したらアメリカと日本の国力とか総合的に膨大なの情報から判断したら負けるとでる、でも日本では人間が判断すると負けないとなる
その判断は人間だと政治力とか経済とか神がかりなものとか他にも恣意的に判断する
日本は神国だとなれば戦争にも負けないとして戦ったことでもわかる
それはカルト宗教団体ともにている、神の加護、仏の加護があるから負けない
そうして選挙運動している団体もあるからだ

何かそうして人間の判断は不思議に科学者でも非合理的な判断をする
おそらく科学者が科学的に合理的に判断すれば原発事故は起こらなかった
そこに政治的経済的判断が介入してきた、政治家は原発を作りたい、地元の人も金になる仕事が欲しいとして安全を無視する、それは科学的合理的判断ではない
一旦高く土盛りして原発を建てたのにわざわざ金がかかる経済的にコストがかかるとして土地を削った結果として津浪の被害にあった
高い所だと電源が下に置くからコストがかかったからである。
人間の判断にはそうした科学的ではないものが必ず入ってくる
そして「安全神話」が作られたというときもそうである。
それにはマスコミを加担して強力なものとなっていた、マスコミもまた判断を誤らせるこためにあった。

だから人間の判断がみんな正しいとは限らないのである。もちろんAIのコンピュターの判断も正しいとはならない、AIの判断に従ったら致命的なもの人類滅亡になるというのもありえないことではないからである。
ただ原発をAIが予測したらどうなったのか?
様々な見地から膨大な情報を駆使して判断したらどうなったのか?
まず日本だったら地震が多いから建てるべきではないと判断しているかもしれない。
人間の判断はそうはならない、政治的なものや経済的なものや他にいろいろな要素があり判断しているからである。

AIというより科学者が発明したものだから科学的思考が入っている
そして原発でも科学者が判断すれば事故にならなかったかもしれない、そこに政治的なものや経済的コストとか他の要素が入ってきて科学的に判断できなかった
それで湯川秀樹博士が原発を建てるというとき時期が早いと言っていたのはそのためである。現実にアメリカの旧式のお古のマーク1の原子炉を買わされていたから危険だったのである。そして日本ではまだ原発の技術が不十分だったからである。
だから日本では技術的に無理なのに政治的経済的なものでも判断してそれが事故につながった。

何かを判断するとき将棋だったら確実に膨大な譜面を記録してその情報から判断している駒一つどう動かすかの判断が膨大な情報からしている、すると人間が記録しているのは記憶しているのはわずかだから人間の判断は誤るとなる
それは将棋という限られたものゲームのなかだから解析されてもうコンピュターには勝てなくなったのである。
ただ判断をすべてコンピュターにゆだねることはできない
でも人間の判断も誤るとういことである。それが甚大な被害につながる、戦争でも300百万人死んだとか今回の原発事故とかなる、それは科学的な判断ではない
政治的経済的なもの神ががかりなものなどの判断が加わるからである。
また民主主義は大衆のファナテック(狂信的)なものが加わりナチスのようなものにもなってくる
そこではもう科学的合理的判断はできなくなり甚大な被害となる
もしかしたらAIだったらそんなあまりにも馬鹿げた恐ろしい戦争などするなと判断する
でも人間はそのAIの判断には従わないのである。


タグ:AI化 AIの判断
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2017年06月25日

女性の人格障害はなぜなるのか?豊田真由子衆院議員(42)の暴言 (この世に人を選ぶほどむずかしいことはない)


女性の人格障害はなぜなるのか?豊田真由子衆院議員(42)の暴言


(この世に人を選ぶほどむずかしいことはない)


この女性に興味をもったのは異常な女性とかかわってひどめいにあったからである。
一人はおとなしい女性だと思っていた、ただ母親が三人変わったという特殊なことで影響したことはいえる、実際はだいだいその女性とは20年間とかかかわらないからその間に結婚もしたし変貌しているのが当然なのである。
まず人間関係は10年とかでも一年でも疎遠になると連絡がないと事情がわからなくなる
親族でもそうである。だから何が事件があったりすると連絡が来て困るのである。
「便りがないのはいい便り」になるのである。

その女性の異常はどこから生まれたのか?女性は環境の影響を男性より強く受けるかもしれない,女性の場合は育ちが大きく影響するものかもしれない。
いい家柄の女性はやはりいい女性になっているかもしれない
ただ貧乏な女性でも性格のいい人はいくらでもいるからわからない
あまりにも裕福だと高慢になってしまうだろう。人の苦労もわからなくなる
それは男性でも同じである。

女性は一般的に感情的であり理性的ではない、すると感情が制御できないのできれやすいとなる、認知症になると感情が制御できない、怒ると暴力になる、それは病気だったのである。ただ病気と正常はどこが違うのかともなる
もうこの女性は異常の領域に入っているとみんなも感じているからである。
この女性はただ学歴があっても人を使うことができない人だった
そもそも人を使うことほどむずかしいことはないのである。
自分も一人の女性をほんのわずかなことをしてもらうのにも大変であり雇いたくなくなったからである。自分には人を雇う能力などないからである。
またそういう身分でもないからである。

ただこういう女性でもいい面を発揮すれば女傑とかなっているのだ。
何かできる人間なのである。自分の身内はそうだった、過酷な戦争体験もしているし異常に強気だけど何かをできる、実行できる人間なのである。
だから確かに人を馬鹿にするということで共通性がある
でも人生経験があるから違ってもいる

女性はやはり上に立つのは向いていないという意見もわかる、感情的になるとか理性的合理的に考えられないとか何か女性は経営者などはに向いていないから政治家にも向いていないとなる、ただ女性でも男性的な女性は普通にいるから政治家でも女性の首相が世界でいることでもわかる、その辺は判断しにくい。

でもあの女性はおとなしと思っていたのにあんなに暴力的にまでなったのか?
それが良くわからない、何かよ抑圧されていたことはわかる、親におさえつけられていたこと育ちではそうだった
そういう家族環境の影響があり次に夫が問題だったかもしれない、何か夫がおとなしい女性的な夫に見えたのである。そういうことも影響したかもしれない。
その女性は別に金に困ったことはない、世間的に苦労したことはない
経済的に子供から恵まれていたのである。

ただ人間はどんな人でも人格異常性がある、勝気な人が悪いわけではない、そういう人は人に負けないような強い意志をもちなにかができる人である。
一方で内向きな人は極端になると人と接することもできないコミ障となり引きこもることになる、でも内面を追求する哲学者とか思想家とか芸術家には向いているとなる
人の性格を見ていると自分でもそうだがいい方面に性格が活かされれば別にいいわけである。勝気だったら政策でも強い意志でもって通すということができる
ただ悪い方向に向かうと異常になり人格障害になるのである。

要するに人間はバランスがいいことが大事なのである。内向きな人は極端化するとひきこもりになる、だからある程度は社会と交わる工夫が必要になる
外向きの人は人で感情をおさえるとか謙虚になるとか必要になる
そのバランスがとれないと異常人格にもなる
女性一般の問題として感情的になるということがあることは確かである。
感情が制御できない、それは理性とか合理的精神となる前頭葉が男性より弱いということにあるかもしれない。
感情は前頭葉でおさえる,その前頭葉の制御がきかなくなるとき感情はおさえられなくなる、それが病気となったのが認知症だったのである。

この前頭葉は、「辛抱を重ねる」ことで大きく育ちます。

「辛抱すればするほど、辛抱強くなる」ということです。

これもそうだがおそらく勝気な人はその性格をうまく活かされればいいのである。
内向きの人は辛抱強くなる、でも内向きの辛抱強いといっても勝気な人のように何か成す実行力がないのである。だから経営者とか政治家には向いていないのである。
つまり人間には向き不向きがありそれは性格そうなのである。
自分は内向きだから経営者とか政治家とか商売には向いていない、だから内向きの仕事につけばいいとなるが、この世にはその性格にあった仕事など与えられない
文系だと営業にまわされるとなるとそれは外交的な性格が外向きの性格がいいとなるからだ。それ故に自分は環境に恵まれて無職に終わったとういことである。

いづれにしろ人間学歴だけではとうにもならない、現実に人を使うとなると容易ではないそういうことを学校では教えてくれない、学業成績と人を使うことはまるで違ったものである。それができるのは何なのか?それが学歴だけではないということは確かなのであるだから学歴からだけ見て人を見ると失敗する
理系は何かそもそもそういう素養を積んでいるが文系の素養はわからないのである。
文系の学歴は何か具体的に社会で役にたつように見えないし現実にそうである。

ただ人間ほどわからないものはない、

「子曰く、後生畏るべし。いずくんぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや」

 (孔子は言われた。私よりも後に生まれた者には畏れをもって接しなければいけない。将来、努力次第で今の私よりすぐれた人物になる可能性があるからだ)

若者は上の人から軽く見られる、それは師でもそうである。師は弟子を奴隷のようにさえみる、自分をもちあげるものとしてしか見ない、優れた上の人ならみんなそうである。
つまり弟子でも師を越えるような人を絶対望まないのである。
権力者でも下の者は自分の地位を脅かすものとして恐れている
こんな人がこんなふうになるのかなど師にもわからないから会社でも人を採用することは本当にむずかしいのである。だからこの女性を政治家にした採用した人も人を見る目がないとなるがそもそも人を見ることがむずかしいから学歴とかで見るのが楽だから当たり障りないからそうしているだけなのである。 

要するに現代は複雑な社会だから膨大な知識が要求される、すると人格的な面が見逃される、人格的には普通の人がいいものをもっている、今回の女性議員のような人はあまりいない、40代の人をみているが性格が素直だとかこんな女性はまれのようにも思える
ただ一人はこの女性とにていたし異常人格になっていたので女性でもなんでもいろいろな人がいるから一般的公式のようなものないから人間の判断は誤るのである。
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長野県南部 震度5強 (あらゆることに地歴の学問が基礎にあることを知るべし)


長野県南部 震度5強

(あらゆることに地歴の学問が基礎にあることを知るべし)

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巨大地震が連続して起きた慶長時代とにている

(東北と九州(熊本)に起こり今度は関東へ迫る恐怖)

今回の長野県の震度5強の地震は熊本からつづく中央構造線と関係あるのか?

図を見ればぴったりあっているから不気味だとなる

中央構造線
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何かある時地理感覚が大事になる、地図を見てもなかなかわからない場合がある
長野県というとき長野県の範囲はどの辺なのかというのもわかりにくい、県からイメージするのがわかりにくい、県は広いからわかりにくいともなる
ただ地理はどこでもわかりにくいのである。
自分は全国を隈なく旅したからある程度イメージできる

木曽町が震度5だったのというとき中山道の木曽町に泊まったこともあるからだ。
そして長野県というとき松本市から糸魚川の塩の道は有名でありここを歩いたことがあるそれで糸魚川が火事になったとき長野県の塩の道からイメージしたのである。
でもそこが新潟県だということはわからなかった
富山県との境だった、県からはなかなかイメージしにくいのである。


7世紀に成立した。成立時の範囲は、現在の岐阜県南部と長野県木曽郡
木曽は古代から長野県の中心部だった
ただ木曽というと中山道でありそこから尾張へ名古屋へ出る
名古屋というと信長であり接して美濃があり斎藤道三が有名になる
秀吉の一夜城は美濃国へ向かう途中にある
ここにも名古屋から自転車で行ったことがある、その時夕月が一夜城の上に出ていたのである。

夕月や美濃に接して一夜城

これもなんか不思議なの感覚だった、これも地理の感覚がわからないと実感しない場所だったのである。

そして長野県と接して山梨県がありここは甲斐であり武田信玄の騎馬軍団である。
それで飯田線を一両の電車が走っている、あそこも線としては長いが本当に人が乗らないのである。
長篠駅がありここで武田の騎馬軍団が信長の鉄砲隊により武田は負けた
その長篠から豊橋にでると東海道であり名古屋なのである。
ただここまで出るには飯田線は長いから時間がかかった、長野県には相当に辺鄙な所がある、だからここも山深いからわからない所がある、御岳山がありそこに玉滝村があるが
ここが震度5だったとある

地理を理解するにはまず地図を見てもわからない、やはり鉄道でも旅するのが一番だとなる、ある程度の輪郭がわかり実感するからである。
地理がわからないと歴史もわからないしまた地震があった、どこだとなりそれがどういう地点なのかもわかりにくい、木曽町辺りから震源地となり回りに拡大した
ただ長野県は山梨県とは違う、それも混同しやすいのである。
静岡県まで影響があったがそこは徳川家康の三河である。
尾張と三河は接している、このように地理は歴史的なものからもイメージしているのである。

地震と何の関係があるのかともなるがやはりその場所がどういう場所だったのか実感するには地理感覚が必要になる、それは地図を見てもわからないのである。
だから長野県と富山県や福井県のことがわかりにくいのである。
おそらく歴史的に信長とかには興味があるからそこから美濃とかをイメージして長野県もイメージしているのである。
それで地歴という造語は的を得ていた、地理と歴史は一体なのである。
それは地震のようなものでも関係してくる

東日本大震災でも太平洋岸が地理的に一体の地域だと地理的にも歴史的にも認識したのである。古代に多賀城がありその時同じように大被害がこの地帯にあった
貞観津浪でありそれは相馬市でも海岸から奥にボーリンド調査で津浪で運ばれた砂が発見されたのである。それは今回の津浪が来る前の7年前のことだったのである。
その時そのニュースに注目している人は少ない
相馬地方では津浪など来ないという確信までになっていて逃げない人がいたからである。それは老人に多かったのである。

地歴というとき長い時間感覚で見るものである、それが欠けたいたから今回のように備えることができなかったのである。
ただこれだけ自分が旅しても地理の感覚を養うことはむずかしい。東北とかだとある程度わかるにしてもそこから離れると地理的一体感がなくなるからだ
そして日本の地形は山が多いから余計にわかりにくいのである
福島県の地理を知ることだけで容易ではないのである。

いづれにしろ地理は地図を見ただけではわからない、立体地図を見てもわからない
その地を実際に歩まないとわからないのである。
土地の高低などもわかりにくいからである。電車だと土地の高低はわからないのである。車だと電車よりはわかるかもしれない、電車だと峠でもトンネルを通るから峠を越えるという感覚がなくなる、福島市に出る所に峠駅がある、そこで力餅というのも売っている
それは峠を越えるために売られていたのもである。
その峠を越えると福島市に出るからそこではある程度峠を感じたのである。
でも日本で地理を知るには山が多いから峠を実地に越えてみないとわかりにくいのである
この地理はあらゆる学問の基礎を成すものである。例えば官庁に勤めていて全国の市町村のことを知るためには単に数字として統計として知るだけではなく地理を知る必要が出てくる、将来消滅する市町村とかあるがそれもやはりその地理的な場所がどういう所か知る必要出てくる。それを一回も行ったことがないならイメージできないのである。
自分は全国を旅したからなんとか全国の市町村でも地理的にイメージできる
だからこの辺で除染とか工事関係で全国から来た人とちょっと話したときその場所がある程度イメージできるから話して通じることができたとなる

それは外国でも一回行った所はイメージしやすいのである。ベトナムかとかネバールとかは行ったからそれでイメージしやすい、スリランカは行っていなくてもインドに行ったからイメージする、ヒンズー教の寺院が多いことも知っているから共通点がある。
ドイツにも行った、そこでケルンに裁縫関係の人がソビエト連邦時代に8年間とかいたというときも話をあわすことができたのである。
ただ日本でも広いし地形が複雑だから地理を知ることは容易ではない、ましてや外国になるともうお手上げだとなる、それでも大雑把な所を知っていれば実際に行っているとイメージしやすいのである。

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2017年06月23日

豊田真由子衆院議員、精神的に不安定となり入院 (人格形成の失敗、人格障害?)


豊田真由子衆院議員、精神的に不安定となり入院

(人格形成の失敗、人格障害?)


東大出でハーバード大学出でも人格がだめになるのか?学歴とかと人格は性格は違ったものなのか?
まず東大とかハーバードととなる普通の人はなぜそんなに利口なのかと考える
人間はどこの大学が出たとか一生つきまとっている
学歴を目安にする、学歴に一生こだわる人もいる
病院で入院して老人が学歴を自慢していたとかいる
いつまでも大学のランクにもこだわる、人間は何んでも比較して優越感をもちたいのである。

ただなぜ人間は例えば体力がありスポーツに秀でていてもまた人格が形成されるとは限らない、結局、人間が奢ること傲慢になることが人格をだめにする一番の原因なのである。一方で頭がいいとかスポーツマンとか優秀なことが悪いことではない
みんなそういう人に憧れているからである。
自分は体力も知力も普通よりだめだった、だから高校でも集団生活になじめないとかわがままであり体力もない、何かいいものがなかった
でも今になると三流大学でも良く入れたなと思う
高校では卒業もできないくらいだったからである。
ただ自分は勉強の仕方が悪かったこともあった。
やはり勉強というとき勉強の仕方がかなり影響してくる
でもやはり東大とかハーバード大学となるとなぜそんなに勉強ができるのかと理解できなくなる

人間は学歴だけではだめである。ただ理系と文系は根本的に違っている、理系はやはり何か頭がいいとみる、違ったものとしてみる、文系の頭がいいというとき文系はたいしたことはないとみる
ともかく人格形成を考えるとき若いとき成功しすぎるとかえってゆがんでしまうだろう。恵まれた環境でもそうである。
金持ちで遊んで暮らせるとかなるとまたおかしくなってくる
江戸時代の映画だと旗本の息子がとんでもない悪さをするがそうなりやすい
つまりあまりにも恵まれた環境も人格形成にいいとは言えない
社会で苦労した人間はやはり人格的にできてくる
でもまたむずかしいのはあまりにも苦労しすぎると人格がゆがむ
そういう人を知っているけど人の不幸を絶えず喜ぶようになっているのである。

ただ人間は狂気になって終わるというとき人格そものものがまともな人がいるのだろうか?
人格を見ると必ずいい面があるとするとそれは悪い面になる、勝気な人は意志が強く何かをできる人である。でもそういう人はまた他者に同情しないとか奢るということもある
でもそういう人は何かできる人なのである。
一方で性格がおとなしい人は控えめであり何かを成すことができないのである。
性格は老人になると極端化してみんな狂気になってゆく
もともとバランスのとれた人格になることはむずかしい
強気の性格で謙虚な性格になることがむずかしいのである。

ともかく自分のあった人間のことを書いたが人格障害者になっていた、すでに60近くでも年数を重ねてもかえって人格が悪くなっていて狂気化していた
それは子供時代しか見ていないからわからなかったがいろいろ人生の中であり異常化して人格障害になっていた、ただそれは外から見てわからないものである。
でもどこかでその異常性が露見する
人間はまともバランスをとれた人格をもつこと自体そもそも一番むずかしいだろう。
それは学問しても作れない、人生経験の中でしか作れないからである。

そもそも人間はこの人は極端だけど人格障害者が多くないか?
人格障害とは何かかたよってしまうことなのである。自分だって何らか人格障害をもつ
性格が内向きだからそれが極端になると社会とも人とも交わらないとなる
ひきこもりになるのである。実際自分は三十年間くらい社会と交わらなかったそうなる
それは家庭環境が恵まれたからそうなったのである。
普通だったら働かざるを得ない勤めざるをえないからである。

いづれにしろ人間の一番の危険は奢ることにある,だから若いときそういう立場にいると危険である。若いとき高い地位につくのは奢りとなり危険である。
また頭がいいと奢ることは危険である。事業に失敗した人は別に高校出くらいだからたいしたことはなくても理系であり資格をもっていたから自分は経営してもできると思っていたのである。ところが理系として技術者としては優れていても会社の経営となると全く別な能力が必要になっていたのである。
でも奢りがあり自分がなんでもできると思い事業に失敗した
そして人格的にもゆがんだものになっていった

確かなことは若いときは失敗したほうがいいし挫折した方がいいし下積みで苦労した方がいいということである。若いとき有名になったり高い地位につくことを望む
それが奢りになり人格障害になってゆく、自分は三十年間隠者になっていたけどそれで良かったともなる、ただその結果としてマイナス面があり介護とかなり苦労したとなる
人格形成というときそれだけいろいろな要素が働くからむずかしいとなる
神は砕かれた魂を望むというときそうである。若いときは一度でも徹底的に打ちのめされた方がいいのである。まず成功しすぎたりあまりにも恵まれすぎると人格が形成されない奢りになるのである。

人格障害というときこの世の中、偉い人と言われる人にも多くないか?
政治家でも弁護士でも医者でも理系の人でも人格から見れば異常的になっていないか?
医者はどうしても今では一番もちあげられるから傲慢になりやすいだろう。
看護師などもそうである。常に弱者を相手にしているから傲慢になってゆく。
すると必ず患者を見下すようになる、謙虚な心はもてないのである。
ただ底辺層でも絶えずおとしめられていると心がゆがむ、だからどっちにしろ人格形成がうまくゆくのがむずかしいのである。

世界は病院である


この世は狂気にいたり滅ぶ

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2017年06月08日

童話-山道の藤の花(平和な時の飯館村へ)


 山道の藤の花(平和な時の飯館村へ)


その山の道は通って行く人は本当に少ないのでありました。この坂を越えれば山の村はありましたが人が行くのは一日何人といほど少ないのでした。

風にぷらりぷらぷら藤の花
この山の道行く人まれや
一日ぷうらりぷらり藤の花

その藤の花に誰かが話しかけてきました。
「藤の花さん、藤の花さん、今日は誰がこの山道通りましたか」
「ええ だれですか、ああ お月さんですか あなたがいたのですね」
「いましたよ、いましたよ、・・・・」
「誰が通っていったですって・・・誰が通ったか・・・まあ 何人かは
通りましたよ、覚えていませんよ 私は関所の役人でもないですから」
「まあ まあ そう怒らずに 誰が通ってもかまいませんよ」
「そうですよ、あなたも無用の暇な方ですね」
「あなたも そうして風に吹かれてぷうらりぷらり 暇な方」
「おたがいさまですね でもこの道を行く人は少ないにしろ毎日働いている人ですよ、ごくろうさんというくらいいう気持ちがあってもいいのでは・・・」
「まあまあ よくいいますね あなたのようなこの世とはまるっきり関係なくぽっかり浮かんでなんにもしないでこの世をながめているばかりの・・」
「まあ そうしたらおたがい重苦しいものになりますよ おたがい責めるのはよしましょうや」」
 その時一羽の黄色い蝶がその藤の花にとんできてまつわりました。
「蝶さん どこへ行くんですか」
「どこということはない、山越えた向こうの村にでも」
「山の向こうに村があるんですか」
「ええ ありますとも 幸いの村がね、山のあなたに幸いが住むという村がね」
「なるほどね、山の向こうにも村がありますか、それはいい、行ってらしゃい」
「行ってきます」

黄色い小さな蝶は一瞬まぶしく光り藤の花にまつわりまた風に流されて山の向こうの村に飛んで行きました。そして藤の花やっぱりのんびりと風にふかれて垂れているだけでした。

風にぷらりぷらぷら藤の花
この山の道行く人まれや
一日ぷうらりぷらり藤の花

お月さんがぽっかり光りさみしい山の道は今日も行く人も本当に少なく暮れるてゆきました。そして蛙が鳴いていました。

「山の向こうにも村がある、ケロケロケロ
 山の向こうでも仲間が ケロケロケロ
 山の向こうの村にも行ってみようや ケロケロケロ」

その蛙の鳴く声は向こうの村にもひびいていったようです。
そして夜になり月が明るく山の道を照らしていました。そしてお月さんは輝き出したお星さんにささやきました。

「この道を確かに人が今日通りましたね、くっきりとその人の影が残影としてこの淋しい山道を行くのが見えます」
「ええ、確かに人の影がゆっくりと行くのが見えます」
その人影はいくつかの坂をこえ曲がる道を行くのでした。そしてなぜか分かれ道でその人影は歩みを止めました。
「どっちの道をゆくかな 右か左か・右は小宮 左は・・・・」
そこは淋しい山の村の別れ道でした。人の影はさらに山の道を移動して行きます。
「ここは二枚橋、家はニ三軒・・・・・」
その人影は独り言をいいつつさらに淋しい山道を移動してゆきます。月はこうこうと明るくその先を照らし出していましたので道に迷うことはありませんでした。



これは前のホームページに書いた童話だった、忘れていた、これは震災前のことであり飯館村が平和なときだったのである。
それがもうそういう感覚はなくなった、別れ道でももう人は住んでないのである。
だからこういう感覚は今はないのである。
やはりそこに誰かが住んでいるときこういう童話もできたということなのかもしれない
たいしていい童話とも言えないが飯館村が平和なときに書けたものだともなる
そういうことがなくなったからである。
栃窪から助の観音を通り上萱(うえがや)に出て八木沢峠に出る塩の道である。
その途中に山藤が山の斜面に一面に咲いていたのである。

これは津浪で被害にあった所でもそうである。村自体が消失したからその村があった街があった平和な時は失われたのである。
つまり平和な時代と今の時代とは違ったものとなったのである。
江戸時代から明治維新後が変わってしまったように一時代が終わり新しい時代ともなったとなる、または古い時代のものは消失してしまった、でもそこに新しい村があるのかとなるとまたわからない、それでも飯館村には住む人がいて明かりがともるとき
なんかほっとするというか昔の村に帰るのかともなる
でも実際は昔の村に帰ることはできない、牛も飼えないし農業もなかなかできないとかソーラパネル工場になったとか変わってしまったからである。

第一ケロケロと鳴く蛙の声が聞こえない、それは田んぼがないからである。
田んぼは無惨に土が削り取られているからだ、この辺でも最初は田んぼがないから蛙の声が聞こえなかった、その後徐々に田んぼが増えて蛙の声が聞こえるようになったのである

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2017年06月07日

ゴミ集積場のトラブル (これも民主主義の自治が関係していた)


ゴミ集積場のトラブル

これも民主主義の自治が関係していた


隣接地がゴミ集積所になっていることを分かっていて土地を購入しましたが、想定し得ない近隣の住民が増えたことで、ゴミの量が圧倒的に増えました。」「仮にこちらが「もう、自宅前はゴミ集積所としては提供しない!」「清掃局は戸別回収に応じるを言っている!」と近隣へ主張した後でも従前の場所にごみを捨て続けられたら、不法投棄で訴える事は出来ますか?」といった相談が見られます。離婚・男女問題分野に「近隣 ゴミ集積所」に関連する相談が多く寄せられています。


10年前、土地の一角にコンクリートのゴミ置き場(不動産会社所有)が隣接している家を中古で買いました。当時、ゴミ置き場があるから安かったという事はなかったです。今までは、収集日にカラス対策として網を被せていましたが、最近ゴミを捨てている近所の方達が、そこに固定式のゴミ箱を置きたいと言いに来ました。景観や不法投棄の心配から反対していました


においの問題はゴミ集積所までの距離と言うより、風向きがかなり影響すると思われます。
幸いうちのゴミ集積所は、まれにですがカラス等でゴミがばら撒かれても、近所の人が率先して片付けをしてくれるので虫とかの被害もありません。


「自ら処分しない一般廃棄物については、その一般廃棄物処理計画に従い当該一般廃棄物を適正に分別し、保管する等市町村が行う一般廃棄物の収集、運搬及び処分に協力しなければならない。」

もし何の法律も条例もなければあなたはあなたのお住まいの市や町のどこのゴミステーションに持ち込もうがあなたの自由になってしまいますね。でもそれは許されませんよね。と言うことは何らかの法律か条令が存在していると考えるのが妥当ではないでしょうか。


自分の家の前がネットをかぶせたゴミがカラスとか猫に食い荒されて道路一面に広がった自分の家の前なのでそのつまにしておけず掃除した、車も震災以後は通る場所になったので困る それが度々そうなっているから困る
このゴミ集積場の問題はなんかめんどうだった

●利用している人が明確ではない

●組が四つくらいに別れている

●設置する場所が問題

●市では金の援助はするがあとは地域で決めろという

ここのゴミ集積場は誰が利用しているか明確ではない、組の人が数人はしているが他の組もしているしそれが三つ四つくらいの組に分かれている
車で遠くから捨てに来る人もいる、その人は組の人で遠くに移った人である。
だから組の問題でもない、近隣の問題なのである。
それよりゴミを捨てる人の問題である。利用者の問題である。
でもその人たちが誰かわからないのである。

そしてなぜここにゴミが増えたかとなると近くの空家に外から来た労務者が住むようになったからである。九人も住んでいるという、となるとゴミの量も増えたのである。
これもこの辺がまだ工事関係者入ってくることの問題だった

市の環境課に相談したが設置する場所とかはゴミを捨てる人たちで決めてほしい、その場所に問題がないなら費用の九割は支払うという、でもその設置場所が問題なのである。
街中ではそういう場所がなかなかない、それで網をかぶせるだけとなる
するとカラスとか猫に荒らされるのである。

道に設置しようとしたらそれも所有者がいるとか人に迷惑になるとかで問題だった
道でも通行権はあるとかの法律も学んだ
このゴミ問題はそれを利用する人たちの自治が要求されているのである。
住民の自治がないと市の方では金は出すがなにもしないとなるからだ
これこそまさに自治が要求されるから民主主義だとなるのかもしれない。
でも自治となると住民の合意になるからその手続きもめんどうだし誰かまとめ役が必要になる、自治といってもみんな勝手なことを言っていたらまとまらないからである。

つまりゴミを捨てる人に責任がある、その責任を果たす必要がある。ゴミ捨てる一人一人に責任がある、その責任を自覚することからはじめねばならない
それは確かに民主主義になる、一票が平等に与えられているがその権利はあるが責任も生じているのである。
ここではそれが具体的な問題として現れているのだ
だからゴミを捨てる人を特定しなければならない、なぜならその人たちが利用しているから責任が生じているのである。

なぜこれほどゴミ集積場でもめているのかとなると明確なルール、法律がないからであるまたそれも決めにくいからだろう。そこには様々なその場その場の問題が生まれているからである。だからルールが作りにくい、するとゴミを捨てる人たちでルールを作り監視してくれとなる
でも組という明確な組織もないからめんどうになる
何かここにも法律問題とか政治とか民主主義の問題がある
政治というと国政になるが卑近なところにも政治があり民主主義がある。
そこで学ぶことがかえってある、法律も具体的な問題の中で身につくしわかりやすいのである。
自分が理論好きである。だから法律も勉強すれば興味をもったかもしれない
社会の問題もこれも学問としてあるからだ
具体的な社会の中で活きる学問があるからだ

民主主義はともかく自分たちの利益、権利を主張することに傾きすぎた
ゴミを捨てるとしても何かを利用する権利があるとしてもそこに責任が生まれる
それはささいなことでもそうである。
漁業権にしても海を東電に売り渡す権利があるのかと書いたがそれだけの権利が生じるとなると責任も問われることになった、だから今になると漁業者への反発が大きくなったのである。今までは知らないし何か被害がないから感じていなかったのである。

責任というときだから国政を担当するとなるとその権限も大きくなると権利も大きいと責任もそれに比例して重くなっているのである。
何か権利があるというとき必ず責任が付随している、その責任を誰が負うのかとなる
それは原発事故でも問われてきたのである。




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2017年05月20日

なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか? (科学的、経済的、政治的理由があった)


なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか?


科学的、経済的、政治的理由があった



●科学的理由

●経済的理由

●政治的理由


今回の原発事故ではこの三つが関係していた、だから科学的なものを原子力とか核を知らないとなかなか追求できないものだった、その壁が大きいから素人は立ち入れることができなくなった、お前は原子力のことがわかるのかとなれば自分は科学に弱いからお手上げになる。
それで専門家集団に牛耳られたでしまったのである。

例えば科学的理由というとき原発自体がそもそもが科学者の集まりで作られたから科学的理由を追求する集団だった、だから本当はそうして合理的科学的に原発を建設するべきだった、ところがそこに経済的理由とか政治的理由があってできなかった
経済的圧力と政治的圧力があり科学的合理的にすることができなかった

もともと高い所に原発を建てたのにそれをわざわざ削って低くして電源の近いところに建てたのは経済的理由である。それだと安上がりになるからである。
会社だったらそうして利潤追求だからなるべく安く仕上げようとするからだ。
そこで安全よりはコストをおさえる方にした、それで清水社長はコストカッターとしてのしあがったというときもそうである。
コストをかけないで作り運営して利潤をあげるのが会社だからである。

そして経済的理由というときなぜ三〇キロ圏内で区切って避難させて補償金を支払ったのか?それは科学的理由があってそうしたのではない、経済的理由だったのである。
なぜなら福島市や郡山市の方が浜通りの海岸沿いより放射線量が高い、すると科学的には放射線量が高い所に補償金を支払わなければならない、それが福島市とか郡山市とかなると人口が多いからできないから三〇キロ圏内で区切って支払うことに政府で決めたからそうなった。
それは科学的理由で決められたのではなかった。経済的理由だったのである。

何かこの三つはあらゆることにからんでくる。北朝鮮のミサイルにしてもそこには科学的なものと経済的なものと政治的なものがからんでいる
原発も政治的理由としてはアメリカが大きな力をもっていて影響した、日本に原発を最初に売ったのもそうである、それは古い型のものであり危険だった、アメリカにしてみればそれでもうける経済的理由があったとなる
それから政治的理由としてはアメリカの核戦略がありそれはフランスとかとも協力して成されるものだから日本はその一翼をになわされたともなる
そういう世界政治とも関係して原発は日本に作られたのである。

ともかくもし科学的理由だけを追求して原発でも建てられれば問題なかった
何かそこに原発は経済的理由と政治的理由があり作られた、それによってゆがめられたともなる
科学は悪いものではない、技術が悪いものではない、ただ核兵器とかなると悪く利用されるのである。
科学は純粋に科学ではありえない、そこに経済的理由、政治的が介入してゆがめられるのである。科学者に戦争の意図がないとしてもそれが政治によって戦争に利用される
経済的理由で軍需企業が戦争をしかけるとかともなる、それは経済的理由なのである。
薬などにしても世界的会社が病気がなくなったら困るからガンを直さないんだとかとも言われる、病気がなくなる、病気がへる、ガンがなくなるとしたら薬会社はつぶれるからだ薬はルネサンスの起きたフィレンツのメディチ家が医者や薬の販売で財を築いたというときもともとそれがもうかるものだったからである。薬を売ることは今でもそうだが利益が大きいからである。薬九層倍とはそのことである。

認知症になったから家族をみてもらったが脳の写真をレントゲンでとっても実際は何もわからないものだった
第一脳の写真を詳細にとれるのは福島県には二台くらいしかない、それより脳の写真映像をみてもわからないのが今の認知症の治療の現実なのである。それで三万かかったとすると保険がきいているから五倍くらいの収入が病院に入っている
それは何ら効果のないものでもそうなっていたのてある、医療には膨大な無駄金が使われている
保険から支払われることはまた自分だけではない、国民全員がそうした無駄な金を医療では使われているのである。

何かわからないにてもガンとは実際直せるんだという人がいる、また癌を尿から簡単に発見する技術も開発されたとかある、そういうふうに癌が簡単に見つけられ金もかからないとしたら医療関係者はもうからなくなるから経済的に苦しくなるし会社も倒産しかねないのである。
科学的に病気を治すことを追求するの科学者の役目である、一方で経済的理由でそうなると困るということが起きる、すると癌は直らない方がいいとまでなる
ただ癌を直るとしても馬鹿高い薬の値段にする、そこで科学的に純粋に何でも追求できないのである。そこに経済的理由や政治的理由でできなくなる

科学的合理的に追求すれば三〇キロ圏内で区切る必要がなかった、避難させることもなかった、そのためにこの辺では混乱させられたからである。
それは科学的理由ではない、経済的政治的理由だったのである。
それでこの辺は小高が避難させられて荒廃させられたし補償金で南相馬市は分断されたのである。それは政治的科学的理由のためだったのである。
それはとりかえしのつかないことになったのである。
もう小高は元のように回復できなくなったからである。
そうさせたのは政治的理由と経済的理由であり科学的理由ではなかったのである。

科学的理由というか真理というかそういうものを人類は一方で追求してきた
それは政治的なものと経済的なものと関係はない、地球が太陽の回りを回る地動説は
科学的真理である。それを主張したらカトリック教団からガリレオは批判されて否定された、その時天動説が宗教から定説とされていたからである。
それでそれは神の信仰に反するものだとまでされたのである。
その時宗教というのは政治でもあり権力をもっているから否定されたのである。
宗教的理由というのも歴史的には大きな力をもっていたのである。
宗教というのも何かというとき、それも一つの真理である、不変的真理である。
それは心の内面の問題であり神の実在を信じるものであり政治的なものと経済的なものとは違ったものである。

でも宗教でも政治的理由とか経済的理由がかかわってくる、まずこの二つの圧力が大きいからこれから脱することはできない、それで幸福の科学とかあってもそれはなになのか?
政治的経済的な圧力から離れることはできない,カルト宗教団体はすべて政治的経済的なものと一体化するからカルトなのである。それを如実に示しているのか創価である。
政治経済と完全に一体化しているからである。
日本の戦争にしても天皇教となり宗教と一体化した、でもそれは政治的圧力でそうなったともなる、だから政治、経済、科学、宗教・・・これらは離れられない一体のものとしてこの世にはある。
結果的に今回のように政治経済的圧力がありゆがめらた結果となり甚大な被害を受けたのである。戦争だって現代では宗教と政治と経済と科学が一体となって起されるものである実際に歴史的そうして戦争があった。戦争するにしても勝ちを神仏に祈っているからである。宗教と戦争は一体化していたのである。十字軍もイスラムがその時先進国だから富を奪うためであったとされる、宗教的理由の背後に経済的理由があったとなる
そういうことは人間の歴史をふりかえればいくらでもあるとなる














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2017年04月24日

原発事故と山尾三省 (春の日に鶏が庭を歩く(詩)


原発事故と山尾三省

(春の日に鶏が庭を歩く(詩)

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春の日に鶏は庭を歩く

鶏(にわとり)が庭を歩いている
最近そうした風景を見ていない
鶏は工場のような
ケージの中で卵を産む機械とされる
そして肉はブロイラーにされる
その肉は実は危険なものとなる
鶏は広い庭を歩いている
近くに牛がモウと鳴く
清水が湧く所に清水と地名がついている
のどかな春の日である
この辺には古墳が多い
家の庭にも古墳がある
これらの古墳に春の日がさしている
ここに眠れる先祖は幸いなるかな
犬が春草に鼻をおしつけ匂いをかぎ散歩する
見慣れた光景に実は貴重なものがあった
その貴重なものを貴重なものとしない
鶏が庭を歩いている
その姿が自然であり心がなごむ
春の雲がほっかりと流れて
気ままに自転車でホタリングする
しかしのどかな風景は原発事故で失われた

鶏は庭の鳥だった、あれを見てはっきりわかった。それを見たときなんともいえないものを感じた、そういう姿を見ていないからである。それが近くで見れたので余計にそうなった、こんな光景は当り前であり普通はなんとも思わない
しかし今や鶏でも庭を歩いているのを見ないからそう見えたのである。
その時鶏は庭鳥として生き生きして生きていた、本来の庭鳥になっていた
これは何か人間が江戸時代の浮世絵で歩いて旅している
その歩くということは人間の本来の姿としてある。それが車社会でなくなった
だから歩くこと自体が人間を回復することになっているのだ

鶏は今悲惨である。卵を産む機械であり肉を生産する機械である。そこに人間にとっていいものではない、やはりそこに害あるものが作られている、今の食糧にはそういうことがある。鶏が自然な姿ではないよう人間そのものも自然な姿ではないのが現代文明である。車に乗っている人間は人間の自然な姿ではない、機械の一部に化しているのだ
それはあらゆる面でそうなっている、鉄道でも車より人間的でも電車という機械の一部になってしまうのはまねがれないのである。
もし江戸時代のようだったら人間はみな歩いている、だから人と人がそこで交わり話したりする、車は通りすぎゆくだけである。そうした車の洪水のなかで暮らしているのは本当は異常なことではないか?ただその異常性を鶏が庭を歩いているのが自然なように気づかないのである。

自然の中で動物が生きることが自然なことでありそれを見たとき人間も感動する。動物園の動物を見ても感動はしない、野生の動物をみたときそれが本当の動物の姿である。
人間はそういうことすら気づかないし文明の中で麻痺してしまったのである。
異常なことが異常に見えないのである。第一東京のような所で生活できること自体が異常だからできるとしかいいようがない、そこには自然はないからである。
人間が生きているのではない、機械がロボットになった人間が生きているともなる

山尾三省はそういう都会人だったが屋久島に来て自然と一体となる生活をした。
それは実際は過酷だった、だから妻は早くしんだし本人も60代で死んだのである。
第一パンを食うのが贅沢だとした生活では栄養失調にもなるからだ
そこには無理があった、だから貧乏生活を売りにしている芸人のようにも見られたのである。一面そういことがあった無理な生活だったのである。

現実に農業というけどこれはあまりにも厳しいのである。知っている人が趣味のようなわずかの畑をしているがそこで聞くのはただ苦労だけなのである。
虫にやられた、鳥に食われた、肥料に金がかかる、種に金がかかる、隣の畑の人がじろっと見ていて嫌だとか、そこに聞く話は苦労だけである。
それでまともにとれた野菜もないのである。しかし金はかかっている、ネギ二三本もらって何ももらえないのである。ただ苦労だけを聞かされているだけである。
そんなら買った方がつくづくいいと思うのも矛盾なのである。

山尾三省は都会人であり都会から田舎に来て頭の中での理想を実践したのである。
だからもともと農民だった人とは違う、土着的な農民とは違うのである。
ただ不思議なのは核兵器に反対するのはわかるが原子力発電を拒否する反対することとしてアンチテーゼとして農業をしていたのである。
普通原子力発電まではあまり反対しない、核兵器は反対してもしないのである。
例えば広島でも核兵器には反対しても原子力発電には反対していないのである。

畑には大根が太っている
その大根をひきぬいて大根おろしを作る

つわぶきの新芽がのびている
その新芽をひきぬき集めて食べる
やっと春になった
にこにこしながら食べる
こんなおいしいものは
この世にはまたとない

これは地のものの文化であり文明であり
核兵器を作る人たちや原子力発電所を作る人たちへの、捧げものではない

このように原子力発電所に対して拒絶して抵抗して農民になったのである。
ところが農業の現実はそうんなものではない、前にも書いたけど親が農業していた人が
農業だけはするなと親に殴られたということを聞いた、その子供は原発で働くようになったのである。そして避難区域になった小高にもどっているがそこは帰ったのは老人がほとんどなのである。
その他大原の人は代々の農家だったけど子供は跡は継がない、今はそこは空家になっている、農業の現実は過酷なのである。
だから今になるとみんな高齢化社会になり跡を継ぐ人などまれなのである。
農業は何か代々跡を継いでやるものでありそれに適している
なぜなら土作りとかは簡単にはできない、代々に土を作りをして土が肥えてくるということもある。そういうノウハウは農家で生活していれば身につくこともあるからだ

いづれにしろ人間は矛盾を生きている、自分自身も田舎で暮らしていて投資信託などしてグローバル化した世界で金儲けしようとしているのもそうである。
お前も山尾三省のようになれとか言われることは確かである。
でも自分は山尾三省のようにはなりたくないしそういうことも望んでいないのである。
ある程度の現代の生活を享受したいとなる、パンも食べられない生活はもう現代では偏屈者としかならないし誰もまねもしないからである。
それをみんなに要求するのは無理だとなる
ただ原発事故以後そういう反省が一般の人にも生まれたのである。

この辺の人を見ると本当に貪欲になっていたのである。漁業者は原発の補償金で御殿のような家を建てていたとか他より田舎では贅沢していた、田舎では一人一台車をもっていてそれもいい車をもっているのである。
そして家を建てて借金をしている人も多い、借金して自分は事業して成功したとしている人もいてその人に自分が借金を要求されて苦しんだのである。
そのことをプログで書いてきた、こういう贅沢を望むものが原発を作らせたともいえる。
別にパンなどは原発がなくても食べられる生活はこの辺でできた、山尾三省のような生活は異常であり作られた演技のように見えるのもそのためである。
ただそこに原発事故があり見直されたのである。
自分の求めたものとも共通しているからだ。

ともかく一番自分で不思議だと思ったのは鳥が庭を歩いている姿だった
それが何とも言えないもの、自然でありそれが天国の庭を歩いている鶏に見えたのであるそれはおおげさかもしれなんが何かそれほど人間は自然なものから離れてしまったとういことかもしれない、自然なもののが何かわからなくなった
そして人工的なもの都会でもそこに暮らすことが普通になりその異常性に気づかなくなった、原発でもなんでもいい金にあればいいじゃないかしかない、そのために漁業権をも売り渡すしなんでもするとまでなっていたのである。
借金してまで贅沢しているのと同じである。借金しているのは昔とは贅沢するためにそうしているのが多いからである。
そういう異常性なものが普通となり異常と正常の区別すらつかなくなっているが現代文明に暮らしている人たちなのである。

だから人間は今自然な生とは何か知らねばならない、とりもどさなければならない、医療でもチューブ人間になって活かされたりするのは不自然なのである。
自然な死がそこで何かを知る必要がある、人間の本当の自然な姿とはどういうものなのか知る必要がある、その姿を見たら感動する、それは歩く姿を見てそれに感動しているのと同じなのである。歩くということは人間の自然な姿として太古からあったからである。
それすらない文明社会はなんなのだとなるからである。


山尾三省の詩を読む (原発事故で見直されたその生活)
posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年02月18日

幸福の科学騒動 清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


幸福の科学騒動

清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


今回の騒動はなになのか?最初に注目したのが清水富美加の親が借金していたことである。

今回の騒動を通して、
大川隆法および教団が何を得ようと期待したのか?
どういう筋書き・思惑で騒動を起そうとしたのか?

このサイトは幸福の科学に詳しい

カルト宗教団体は一体何か目的なのか?それは宗教ではない、宗教の悟りとか救いとは無縁である。会員を増やすことをひたらすら追求する、それは何のためなのか?
その数と金とで権力をもつためである。それは創価がまさにそうであり幸福の科学も同じことを追求してきたのである。だから選挙にも会員を出した。
政治化したのである。政治は公権力を得ることでありそれでもって会員を増やすことに通じるのは創価を見ればわかる。

清水富美加は何かそうしたものに利用される、親もまたその原因になっている。
なぜなら親が事業に失敗したとういことで借金していたとなるとそうである。
事業の失敗の借金は大きいからである。そういう人を知っているから怖いと思った。
自分が病気のときに家族が苦しんでいるときに借金を要求してきた、脅迫してきたのである。

借金する→モラルの崩壊→犯罪

必ずこれが起きてくる、これは推理ドラマの定番なのである。まず犯罪の動機をみる、恨みなどがあるが借金しているかどうかが一番重要なのである。
借金している人はもうモラルが崩壊しているから犯罪に一番結びつきやすいのである。
要するに借金している人は犯罪予備軍であり犯罪者に近いとなるのだ。

江戸時代なら美人だったら借金のカタに遊女に売られた、不細工だと紙漉きとかの重労働をさせられた。それもまた過酷な現実だったのである。
借金をしたらパチンコ屋に働いているとかそのことも同じである。
もう働く場所を選んでいられない、ただ金になればいいとかないからモラルは崩壊しているのである。そういう人が自分が苦しいとき来たから恐怖だった。
自分は殺されるのではないかとも思ったからである。

清水富美加は親が借金していることからおかしくなり迷路に入ってゆきカルトに入り闇の世界にひきこまれたともなる。カルトとは大きな闇の世界である。そのカルトを作り出しているのは人間の闇が深いからである。
事業に失敗して借金したというときそこに深い闇が生れる、借金を返すために闇のカルトにひきこまれる、何か不幸があると障害者などにはカルト教団が創価でも何でもかかわってくる、それらは餌食になりやすいのである。
自分がそういうことを経験したから怖いと思った。
「あなたの不幸は信仰しないと解消しませんよ、会員になれば解決します」とか言われると藁をもつかむような精神状態になっているからひきこまれるのである。
またカルトはそういう人が一番会員になりやすいことを知っていて近づいてくる
その窮状を救うなどという心はない、会員にして勢力拡大をもくやむだけである

宗教というとき比叡山がそこは一つの国家だったのである。近江の琵琶湖の交通で税金をとっていたし職人であれ何であれその配下にあり従わせていたのである。
そこは治外法権であり一つの国家だったのである。だからそこで裁判も成されていた、今のような国家が中世にはなかったのである。
たから信長が比叡山を焼き討ちにしたのはそこが治外法権の国家であり山僧がいて武装もしていたから権力を得るためには戦わざるをえなかったのである。
第一城を建てるにしても職人が必要だがそれを掌握していたのは寺だったからである。
寺は個人が改心して求道して出家するような場所でもなかった。
そこは一つの大きな国家だったとするときそこで経済活動でも金貸しでも何でも世俗的なことをしていた場所だったとなる
そしてそれが不思議に不可侵の神聖な犯さざる場となっていたから税金をかけられないのは今のカルト教団と同じである。神や仏の所有地となっていたのだからそれに税金はかけられないのは今も同じなのである。だからそれを悪用することにもなる
そういう歴史の継続があることが「寺社勢力の中世」伊藤正敏で読んで面白かった。これは相当に考察する価値がある。

いづれにしろカルトとは何か、今の宗教は団体化した宗教はカルトである。本来の宗教とは何の関係もない、そこに悟りとか救いを求めるのは暴力団に入って悟りを求めるのと同じである。
なぜ暴力団員になるのか?それは犯罪者がいてアウトローになるからそういう場所に入る
そういう機能が寺にもあったという、そこは治外法権であり寺には武装した僧兵がいたからである。
戦国時代に侍が城をもったりする前に寺が城郭の役割を果たしていたのである。
僧侶が武士になったという説も興味深いのである。僧侶は軟弱な人たちではない、僧兵のように騎士団のような強者がいたのである。
侍の前進が僧侶、僧兵だったという説も確かにあると思う。
要するに中世でも国家などは存在しない、比叡山のような所が身の安全とか最低の生きる術を与える食料でも与えられる場所だった。

そういう寺がありやはり現代のカルト宗教に通じるものがある。底辺層なら生活保護を与えるとか何かしら権力をもっていて斡旋してやる、それは宗教とは違う、でも現実には現世利益となるから会員として勢力拡大になるのである。
そういう底辺層は何か高度の悟りとか救いなど求めていない、日々の生活に困窮するからそういう場に入り生きようとするのである。
それは共産主義政党でも同じである。そういう底辺層は常に豊かな現代でもいる、その人たちは損な立場にあるからそうなる
ただ宗教が怖いのはそういうふうに困窮しても安易に入るとどうなるのか?
結局地獄に落ちるとか罰当たるとかそういうものも引き受けるのである
結果的にはかえって地獄だと罰しか与えられないのである。その恐怖におびえるだけだとなる、それはエホバなどでも何でもそうである。宗派に関係ない、現代の宗教はみんな
カルトだと思う、宗教とは地獄を与えられることでもないし罰を与えることでもない
神の祝福を与えられることである。それはカルトでは地獄とか罰を引き受けるだけだとなるからたたらぬ神にさわりなしとなるのである。

ただ人間は何かしらの不幸をまねがれない,でもその不幸がすべて悪いものなのか?
そういう不幸も人間には必要なのである。例えば事業に失敗したからといってすべてが悪いとういものでもない、かえって失敗した方がいいかもしれない
なぜなら俺は頭がいいとかいう人が成功したと世間に自慢していてそれも未だにそうしている、それも借金していそうしている、むしろ別に事業に失敗したからといって人間失格になるわけでもない、俺は借金までして成功しているとしてこと自体が異常なのである。何かそういう奢りが神によって砕かれるべきなのである。
原発事故だってそうだろう、頭のいい人たちが自然の驚異の前にその傲慢さが砕かれたのである。自分たちは頭がいい、それは神のようにすらなっていたから神によって砕かれたのである。

いづれにしろカルトは人間の闇が作り出すからこれからも消えない、人間の闇とは上から作り出すわけでもない、人間そのものが闇をいだいているから闇の団体が作り出されるのである。人間個々人の闇があるからそれが集団化して大きな闇となる
ヒットラーが芸術家になりたっかのになれずに劣等感をいだき政治家になった。
オウムの麻原も目が見えないので劣等感をもったし池田大作も大学も出ないので劣等感をもち世界から勲章を集め大学の学位を政治力と権力でとる
またそれに従っている大衆も闇があるからそういう闇なるサタンに従うのである。
結局こうしてこの世がサタンに支配されるのである。

清水富美加はそうして闇の迷路に入ってしまった犠牲者だともなる、現代は複雑だから闇の迷路に入り安いのである。芸能人などもほとんどカルトのプロパガンダとして利用されるし利用されている、芸能人は芸能をやればいいのであって政治とかにかかわるべきではないと思う、民主主義だったら誰でも政治にかかわるとしても芸能人はプロパガンダに利用されるから危険なのである。大衆洗脳のために芸能人がいるのである。

宗教を見る場合は自分は歴史的に比叡山のようにそこが一つの国家となっていたように信仰とは関係ない俗社会の場だとしても何か奈良時代だと鎮護仏教文化があり平安時代でも貴族の仏教でも文化をつくり鎌倉時代など中世でも武士の仏教文化を作っている
江戸時代からは寺は幕府の役所になっただけである、戸籍係のようになっただけである。だから負の部分があっても中世までは仏教はそれなりに活きていた面があったとみる。
禅寺では貧乏人に薪がないからは寺の一部を壊して貧民に与えたとかある、何かそういうのが宗教者だったのかもしれない、
自らそうした私腹を肥やすようなことをしていたらいくらそこが国家でも成り立たないということはあるからだ

仏教というとき文化的な面から見るとわかりやすい、江戸時代以降はふうた仏教文化は生れていないからである。
中世が僧侶の国家であり文化であったが江戸時代はその僧侶が武士となった武士の文化となったからである。
まずカルト宗教団体から文化は生れない、個人的にも芸術家も生れない、それを見てもわかるのである。そこは利権しかない、利益追求しかない場なのである。
あとは地獄に落ちるとか罰あたるとかしか受けられない場所なのである。
現実にあれだけ数が大けれは不幸な人が山ほどいる、なぜそんなに不幸なのかと現象をもっとも重んじるのが宗教だから不思議だとなる

とはいえ不幸は誰にでもある、不幸はまねがれないのである。そもそも病気にならない人がいないからである。自分も家族や自分の病気でさんざんな目にあったことを書いてきたそれは別にカルト教団でも同じである。かえって自分より過酷な不幸におちいっている人は山ほどいるのである。創価に入って子供が若くして死んだとか交通事故にあったとか親も死んで今は家に誰も住んでいないとか無数に不幸がある。
それは他でも普通にあることである。それは自分にもあった。親が認知症になったとかなるが認知症になるのはもうこれから膨大にふえてくる、ではカルト教団に入っていたらまねがれるのかとなったらむしろ不幸はカルト教団の方が多いのである。
統計とればまちがいないてのである。なぜならそういう人たちもともと入っているからそうなるのである。貧すれば鈍するとなっているからである。

要するカルト教団に入る清水富美加のように闇の迷路に入ってゆく、そしてぬけだせなくなる、それも親が悪いともなる、なぜなら親の因果が子に報いである。
親がカルト教団に入っていればそのカルマを受け継ぐことになるからだ。
この辺では原発事故で住めなくなったように親が先祖のためにそうさせられたのである。ただすでに自分などにも責任はあったとふりかえればなる
この世の中はカルマから逃れられない、カルト教団に入ったことは親でも子にその因果が報いとなる、カルマを作り出したのが親である、先祖であるともなる









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2017年01月31日

世界歴史からふりかえる (アメリカのトランプ大統領の移民排斥はなぜ?)


世界歴史からふりかえる


(アメリカのトランプ大統領の移民排斥はなぜ?)


移民問題は歴史的に世界で起きていた。大規模な民族移動がありゲルマン人の移動などが世界を変えた、歴史を変えた、ゲルマン人の移動でローマは滅びた
世界史は民族の興亡である。戦争では負けた民族が奴隷になる。
スラブ民族とはSlave(奴隷)のことである。奴隷化された民族のことである。
その辺は確かにヨーロッパでも遅れた地域でありそこからEUに労働者として移民となり移動してくる、より豊かな国に人は移動するのは今も昔も同じである。
世界史では強力な民族しか生き残れないのである。
異民族の戦いでは負ければ皆殺しになる、ただ奴隷にされたというときそれは人権的に進歩したのである。なぜなら皆殺しよりはいいということになるからだ。
世界史ではこうした民族間の弱肉強食が普通だったのである。
だから世界史を見るときは日本史を見るのとは違った視点が必要になる。


トランプの移民排斥がなぜ起きたのか、それも歴史の繰り返しだったのである。
メキシコに国境の壁を築くというとき万里長城を思い浮かべる、遊牧民が豊かな農耕民の中国に食料をもとめて侵入してくるからあの壁ができた。
メキシコ人も貧乏だから豊かなアメリカを目指して国境を越える、そこは陸続きだからとめることができないから壁を作る、万里長城を作るとなる
それは歴史の繰り返しでありトランプ大統領の過激な政策もそうである。
アメリカも建国して200年とか時間が過ぎれば何でも無制限に移民を受け入れる時代ではなくなっていた。
なぜトランプ大統領になったかというと移民の国でも元から長く住んでいた人に権利がありその人たちが中核となるべきだ、エスタブリッシュになるべきなのにその白人層が移民により仕事まで奪われて地位も脱落して行くことで不満が募りトランプ大統領がその不満な旧来の白人層に利益を還元するということで当選したからだ。
それだけではない、アメリカに先に移民して国籍を取得した移民もまたトランプ大統領の支持者だった、新たな移民が次々に入ってくれば低賃金競争にさらされるからである。

アメリカという国家は何なのか?アメリカの建国は旧来の白人層が作ったものでありその層を中心にして国があるべきだとなる、そういう国が何なのか、その混乱が起きている
日本だとそういう混乱があったのは奈良時代までである。
その時までいろんな民族が混交していたし国作りでは韓国系統が大きな役割を果たした。それで何か韓国系統の地名が日本に残されている、地名は一番古く住み着いたものが残している、日本では蝦夷であり蝦夷がもともとの原住民だった、そこに仏教が入り蘇我氏などが日本の古来の神道系の物部氏と対立したが仏教系が勝利して日本を統一したのであるそれはアメリカではインディアンがいたがそれは移民によって虐殺された
ただ地名がインディアンの地名になっているのは蝦夷とにていたのである。

アメリカとは何か、アメリカ人とは何なんだとということが今問われている
アメリカファーストでありそのアメリカ人は誰なのか?旧来からいた白人層だとなる
もはや無制限に移民を入れることはそうした旧来の白人層とかのアイディンティティも破壊される、ヒスパニックが10パーセントも入ってきて言葉も通じない、その人たちとは文化も共有できないとか軋轢が大きくなる
でもまたアメリカにそうした強固なアイディンティティがある国家なのかというのもある他の国はそれなりの歴史があるから同じ言語でありアイディンティティをもった国である韓国だって小さいとして言葉があり歴史があるからである。
アメリカはそういう歴史によって形成されていない、多くの民族の意味の寄せ集めの国だとなる。だから今までは自由、博愛、平等とか民主主義の理念に国家を統一してそれを世界にも適応しようとした。
でも世界でその自由、博愛、平等の理念がゆきづまりヨーロッパでも崩壊した
結果的にナショナリズムに回帰するようになってゆく

そもそも国とは何かという問題も問われている、日本だったら歴史が長いからその自然とのアイディンティティもその長い歴史で形成してきた、アメリカにはそういう自然とのアイディンティティも作れる歴史がないのである。
理念国家はマルキシズムのソビエト連邦も崩壊したようにアメリカの民主主義という理念国家もゆきづまり崩壊してゆく、それは強固な国としてのアイディンティティをもち得ないのである。
日本では島国ということで陸続きの世界とは違って独自のアイディンティティを長い時間の中で形成できたまれな例外的な国だったのである。
陸続きだとこうはならなかった。多民族に侵略されて全く違った歴史にもなった。
それはモンゴルが攻めてきたときにそういう危機があった。
でもそれも海が障壁となりできなかったのである。

今アメリカの移民排斥はアメリカの国自体が問われている、それは世界の歴史で起きてきたことだからである。
中国でも統一国家を作ってきた、その中核になったのは漢民族であり今もそうである。
でも中国でも多民族国家である。アメリカとにている所はある。
でも中国人には中国人のアイディンティティが歴史の中で形成されてきたからアメリカとは違っている、アメリカは若い国なのである。
だから何をもって国を統一するかがまだ不安定なのである。

経済のグローバル化世界市場主義とか民主主義などが今や崩壊しつつある。
世界はそういうものでまとめられない、アメリカ自身が世界市場化で一番得していると思っていたが損したとトランプがTPPでも拒否しているのは意外だったのである。
そういう経済だけの自由とか世界市場はゆきづまる
人間は経済だけでは生きていないからである。
ヒト、モノが自由に流通するというのは無理だったのである。
それぞれの国には歴史があり文化があるからである。
日本では中国から宦官制度とか受け入れない、取捨選択して外国文化を受け入れている
そして日本的な風土と文化として融合させたのである。
その一番いい例が漢字を日本的な文化に融合させたことなのである。

日本では奈良時代までは優秀な人とか技術者とかは韓国などから受け入れとしても後は人は受け入れていない、後は人は入れないで物だけは江戸時代でも出島とかから受け入れた文化でもそういう出島から受け入れた、全く鎖国してなにも入れないというわけではなかった。アメリカは無制限に受け入れているのは違っていたのである。
アメリカにも明治維新と同じ外国人排斥の攘夷運動が起きている、それは必ず歴史では起きていたのである。
200年の歴史でもそういう回帰が起きてくる、でもアメリカの場合は歴史が短いからその攘夷運動でも国の核になるものがアイディンティティが強固ではない、そこに混乱が生れる、様々な移民が内部で内乱状態にならないとも限らない、それはどこの国でも長い歴史の国では起きていたのである。



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2017年01月21日

トランプ大統領の就任式の演説の失望 (世界の盟主としてのアメリカがなかったため)


トランプ大統領の就任式の演説の失望

(世界の盟主としてのアメリカがなかったため)


中国には登録商標を勝手に登録されてトランプ企業の名前やロゴが使えないから恨みがある。 娘のイバンカも痛い目にあい、北京に出した自身のブランドの宝石店も景気低迷と偽物続出であえなく潰れた。 


トランプ大統領は経済ナショナリストというときビジネスの経験で国を運営しようとしている、この情報はビジネスで私的な恨みを中国に日本にもいだいている。
自分の会社をもうけさせてくれなかったとして私怨がある。
もうそんなことで国を運営されたらアメリカ自体もまた世界でも困ったことになるだろう
娘のイバンカも中国で会社運営がうまくいかずつぶれたとかなると家族ぐるみで中国に恨みがあるのかとなる、アメリカの富が外国に奪われているというとき自分の会社がもうけられないのは中国や日本のせいだとなりそれが国家に適用されたらどうなるのか?
トランプファミリーが国家になってしまったらどうなるのか?

トランプにはそもそも国家観とか何もない、国家はビジネスのためにあるというだけになる。ただもうければいいんだというビジネスのために国家があるんだとなったらどうなるのか?
国家はそもそも何のためにあるのか?ただもうけるためにあるのか?
阿部首相でも企業のセールスマンとして世界を渡り歩いているのかともなる。
企業社会になれば原発事故の東電でもわかったように政治家はそうした大企業に天下りして甘い汁を吸えばいいとなってしまう。
国家は私益のためにあり企業は国家を利用して私益を追求する、ただどっちにしろ国家でも企業でも私的利益を追求するものとして共同するというだけになる

アメリカでもそれだけでは世界に通用しないから民主主義を普及するためだとか人権を主張していた。それは表向きのもので裏ではアメリカが中国などに対して圧力をかけるものとしてそうしていた。
ただ世界に通用するために普遍的なものが理念が必要になる、それで共産主義がマルクス主義が共通の理念として労働者よ団結せよとなってソビエト連邦とか中国共産党国家が生れた。
フランスだと博愛、平等、自由がありそれもアメリカでも理念として採用された。
しかしソビエト連邦も崩壊したし中国共産党も一党独裁となり貧富の格差社会になった。フランス革命の理念もEUも移民で混乱してイギリスが離脱するとか失敗した。
グローバル経済も世界的試みとしてあったがそれも軋轢が増して貧富の差が世界的に拡大して反発がありナショナリズムに回帰してゆく流れが世界的に起きている。

そもそも自国が第一だというのは当然なのである。どんな国家でも自国を犠牲にして他国に尽くしたりしない、国家というとき経済的なものだけではなく国家を形成すること自体歴史があり犠牲があったのである。
アメリカでも南北戦争がありそこでアメリカが統一されて初代大統領がリンカーンになっているのだ。日本でも古代には邪馬台国があり百余国が争っていたとある。
国を統一することには内戦があり必ず犠牲がある。
その犠牲がある故に国家は形成されているということをその歴史があるということが国家なのである。

最近西部劇をまた見ているが興味深い、ある州が州になっていない、そこは治安が悪く保安官が数十名しかいないので悪人をつかえまて裁判することもできない、それで判事が苦労している、その判事はこの州は準州であり州に昇格させたいために必死になっていると保安官に訴える、つまりstateとなっていない、州が一つの国家とするとき国家がないのだから準州でありそこは法も通用しない無法地帯ともなっていた。
地図をみると明らかなのである。それは西部開拓の地域になっているからだ。
準州だと大統領の選挙権がもてなかったのである。そういう時代もアメリカにはあったのである。
そういう過程が歴史があってアメリカも一つになっていった、アメリカも広いから一つの国家としてまとめること自体苦労してきた歴史がある。
準州というのがこれだけあったということはそれだけ無法地帯が広がっていたのである。だから法の下に治めること自体がアメリカでは苦労していたのである。
そういう無法地帯に西部開拓時代に移民が入ってきていたのである。

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アメリカの準州だった所

大国になると国をまとめること自体が最大の難関となる,それは中国でもロシアでも前のソビエト連邦が失敗したように同じなのである。
中国が分断されるということはしきりに言われるがアメリカも分断される危機になっている
アメリカは西部開拓以来、西へ西へと驀進してきたのである。そして太平洋に出てアジアにでて日本と出会い戦争になった。アメリカは何かそうして外に出る力が強い国だった。フロンティア精神が旺盛でありそれが世界もその対象となったのである。
でもまた内向きになるというのもナショナリズムに回帰するのもわかる。
別にアメリカなどは一国で資源もあるし石油もシェールガスとかあるし困らないのである一国で成り立つ経済なのである。かえってTPPがアメリカに不利だと気づいたのである。
アメリカは世界から孤立しても鎖国しても困ることはないのである。
日本は資源がないから困るがアメリカは鎖国しても困らないのである。
何か売るにしても売るものは兵器だとかなるとそんなことで世界経済で利するとなると世界でも迷惑だとなってしまう。

ともかくグローバル経済は何か根本的に人間的に見て無理だったのである。
それは各国の文化すら破壊する、日本から車を買うのだからアメリカの農産物を牛肉でもオレンジでも買いとかなる、牛肉などそんなに日本人は食べる習慣もなかったし食べなくても良かったのである。食も文化であり日本の文化は縄文時代から海産物と米で作られてきたからその文化をグローバル経済で破壊されてきた。
つまりグローバル経済は制限されたものとしてそれぞれの国の歴史とか文化を破壊させない程度にすればいいのであり文化を破壊してまでする必要はないのである。
そういうことに世界で気づいたということがありナショナリズムに回帰するのである。

ただトランプにはそうした国の歴史とか文化とかを語るものはなにももっていない、思想がない、あるのはビジネスとして利用する利用される国家観しかない、ただ国家としての理想も語れない時代にもなっているのかもしれない、メキシコの移民に浸食されてアメリカの歴史とアイディンティティが壊されてゆく危機を白人の中産階級が危機感をもった。現実にトランプ大統領の就任式にはその白人しかいなかったのである。
そこはマスコミで報道していたから良く見ていたと思う。

いづれにしろアメリカは国内のことで精一杯になり外に世界のことにかかわれなくなっているのが本音だろう。
アメリカ自体の国家観とか国造りをどうするのか問われているからである。
内戦が起きるとかカリフォルニアが独立するとかもそうである。
自国が分断の危機にさらされていたら外国のことにかかわる余裕がなくなっているのだ。だから高邁な理想など語れない、ただアメリカが得するビジネスとしての国家観しかトランプにはないとなる

でもアメリカ大統領となるとローマ帝国の皇帝を選ぶような感覚になる。日本もその属州のようなものになっている。世界でもアメリカがローマ帝国としてありその州のようになっている感覚がある、だからそういう大帝国の皇帝となるともっと理想を語ってほしいともなるがその余裕もないからアメリカはもう世界の盟主でもなくなっているのかもしれない、まずアメリカ自体が極端な格差社会でありたからこそカリフォルニアが豊かだから独立するとまでなる。カリフォルニアも一国となっても資源的にも食料でも自給できるから困らないからそうなる。かえって準州並の州とは一緒になりたくないとまでなっている。その格差を解消しないことにはアメリカ自体が統一されず壊れてゆく
それは南北戦争時代と同じだとなる。
黒人奴隷が移民であり移民排斥は黒人奴隷解放を拒否する南部だとなり北部と戦争になったとのとにている。

ともかくアメリカにはローマ帝国のような世界の盟主としての期待があった。それも国内問題の方が優先されるとかローマ帝国が没落してゆくようなものと似た状態が起きているのかもしれない,だからトランプ大統領の就任式でも演説でも世界が失望したというのはわかる。ビジネスのことしかないというのが何か淋しいとなる。
ただオバマ大統領はただ理想を語っただけで何もできなかった、それも批判されているから何か実行力があることは期待されている、でも何かアメリカの大統領はアメリカだけの大統領ではないと見ていたから物足りないものを感じたのである。
評価できるのはマスコミからあれだけ無視されても大統領になったことが功績だったともなる。マスコミの没落させた大統領として自分も評価しているのである。
ヒラリーが大統領になることもまたアメリカ国民は嫌がっていたということである。
それは一部の金持ちのための政治になるから嫌がっていたのである。
ただトランプにしても大金持ちなのだからこれからはどうなるかわからない、結局また失望したとなるかもしれない、なぜならトランプが選んだ指導者はみんな大金持ちだからである。そうなると格差社会を批判していたのにそうした没落した中産階級の白人には嫌がられるだろう。それでトランプ大統領はこれから波瀾であり長持ちしないというのはそうなのだろう。

今年は酉年であり酉は夜明けを告げる酉である、だから変化が起きる、新しいことが起きる

酉年に夜明け告げる鶏の鳴く古きは壊れ未来を望む

それもあるが温故知新ということもある。やはり必ず歴史は元にもどりまた前進する。
維新とは復古でありもともとあったものが新しく復古する維新するのである。

また酉という字自体、象形文字で首の長い酒器を表している。ついでに言えば酒という文字は、「酉」の中に入っている液体だから酒である。この2つのことから、古代中国において、「酉」は収穫した実から酒を作り、利を得ることという解釈が生まれたのである。

何か酉年は商売と関係している、酉の市というのもそうである。
商売というときトランプ大統領はビジネスしかないからあっているのかとなる
これもあくまでもそれぞれの解釈なのである。
自分にとっては今年はいい年になる感覚がある、十年間介護とかで苦労したからである。自分の収穫は自分の作品をまとめることである。
それはインターネット上で本作りなど整理することである。
そういう時間が生れたことが自分にとってはいいことになる



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2016年12月30日

今年起きたことで反省すべきこと (マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)


今年起きたことで反省すべきこと

(マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)

イギリスのEU離脱でも意外だったとみんなが言う、そのみんなとは誰のことなのか?
それはマスコミでそう言っていたからみんなが言っているとなっていたのである。
第一なかなか一般の人が外国の事情に詳しくないからマスコミで報道すればイギリスの
EU離脱はないと見るのである。

トランプの勝利でもそうだった、最初は泡沫候補と言われていたから良く都知事などでもそういう人が発明王のなんとかとか出てきては消えてゆくだけである。
そんな人なのかなと一般の人はみる、特に外国のことだから余計にそうなるのである。

でもこういうことは別に日本でも常に起きていたことなのである。
それはここで追求してきた原発の安全神話がマスコミと一体化して作られていたとういことである。多額の宣伝費をみんなもらっていたから東電の批判も原発の批判はどこもしていない、結果的には事故などおこるわけがないとなっていた。
それはマスコミと権力が一体となり作られたものであった
それがもろくも崩れ去ったのである。

だからマスコミの報道で世論が形成されたように見える、でもマスコミはまずマスコミで自社で判断しているのである。つまりイギリスはEUを離脱しないと判断している
何か正確な情報でまたは正確な世論調査でもない、マスコミで判断して報道している
この辺のことで原発避難者のことを自分は批判したがそれはNHKでまず避難者側につくということで番組を編集していたのである。
補償金で地元でも不満な人たちがいても避難者側についてかえってそういう不満を言う人を放送の中で批判させていたのである。
ただなかなかわかりにくいものがあり気づかないとういこともあった。
自分は地元だから変だなとしてプログに書いたのである。

要するにその土地の実情というのは外から見るとわかりにくいのである。そのことから全国に放送するときなんだ原発避難者が仕事を求めたのに断ったり仲間に入れないとか冷たいとみんな見る、不満に思っている人には何も言わせないからである。
だからマスコミでも報道は中立というのはありえないのである。
なぜならマスコミ自体がまず方針を決めてどっちの味方になるか決めて取材をして放送しているのである。

イラク戦争でも石油まみれの海鳥を写して世界中に放映した結果、イラクはひどいと世界で思うようになった。それはやらせでありその報道は事実でもなかった
アメリカのプロパガンダでありそのために海鳥が使われたのである。
そういう放送が意外と多いのである。自分たちの有利なようにプロパガンダとして海鳥が使われたように人間すら使われる、現実にシリアの戦争でもどれだけフランスでも飛行機で爆撃して子供まで死なせているかなどは報道しないという批判があった。
戦争なんだからフランス自国でも殺されてもしかたないという意見の人もいたのである。つまり放送は中立はなく常に一方的になるのである。
世界だとアメリカ寄りになるしヨーロッパ寄りになる、ロシア寄りにはならないのである中立の報道などないのである。

本当になぜ泡沫候補のトランプが大統領になったのか信じられないとなる
そうさせたのはマスコミだったのである。アメリカ国民の実情は違っていた。
その実情をみていた人はわずかだがトランプが大統領になることを予言していた。
でもアメリカの実情はどうなんだというとき外国だとわかりにくいのである。

いづれにしろ為替でも急に年末に上がったりしたのも予想しえなかった。トランプが大統領になれば円高になるとか株が下がるとか言われていた。
クリントンならそうはならないとクリトンの価値を予想していた。
ところがそうすでにマスコミがクリントンに大統領になってほしいからクリントン有利と報道していたのである。
「トランプ」あれは何なのだとか外から見るとなっていた。
そう思わせたのはマスコミの報道だった。
ただ今回はSNSのインターネットが底辺層にも普及してその影響があったとも言われる
でも英語など普通は読めないからその実情を知ることは容易ではない
たから外国だと余計にマスコミのかたよった報道を信じることになる

原発の安全神話もそうである。まず原発は安全だということしか報道しないようになっていたのである。それは権力と一体化してなっていたから一般の人も安全だと思い込まされていたのである。日本の技術は優秀だからチェルノブエリのようにはならないとかそういう安全神話を信じさせられていたのである。
だから原発が危険だという情報は極力出てこなかったのである。それはタブー化していたともなる、まず報道できないのである。

ともかく報道でも何を信じて何をみるべきかわからないのである。
情報がマスコミでかたよっているからそのかたよった情報の量が多いから自ずと今回はトランプでもそんな人がなぜ大統領になったのかという驚きになる。
要するにアメリカ国民も多様でありその多様なものをは報道しえない、マスコミの意向でクリントンが大統領になってほしいからその側について報道していたのである。

この辺でも実際は津波の被害者もいるし原発の被害でも避難民と化した人とそうでない人の左が大きいのである。まず補償金にすると格段の差があるから不満になったのである。そういう複雑な事情は外からわかりにくいのである。
だからNHKではそうした複雑な事情を報道するよりまず避難者側についた報道することを決めて取材していたのである。

トランプの勝利でもマスコミの報道する側の意向でトランプなどとるにたらない人だとされていたのである。それは原発神話と同じである。
事故なんか起こりえよがない、そんなことを言う奴は許せないとまでなっていた。
原発で働いている人は上の人から常に安全だと言わせられていたし地元の人にもそう言っていた。だから原発で働く人が多いのだから地元でも安全ではないとは言えなくなっていたのである。そんなことを言うと地元で村八分にもなりいずらくなっていた。
原発で給料をもらっているのだからどうしても東電側につくからである。

だから報道にはマスコミの意向であり国民の意向が世論がどうかはわからなかった。
いかにもマスコミが世論のようになっていたからである。それは操作されたものであり国民は別な意向をもっていてそれが現実の選挙の結果となったのである。
それでマスコミの報道でも一旦疑問にもつということが必要になる。
様々な見方や知識が判断するには必要になる

でも情報量が多いと人間は今度は判断するできなくなる
インターネットのように無限に情報が噴出するともうとても読めないのである。
ジャムでも種類が何十種類とあるとどれを選んでいいかわからず買う人がへるという。
もしその中の5つつくらから選べとなるとき買う人が増えたという
種類が多すぎると買うことすらできなくなるのだ。
スーパーでは種類が多いと本当に買うのに一苦労するのである。
だから情報にどう対処するのかは本当にむずかしい。
それで結局一方的洗脳によるナチスとかカルト宗教団体などが世間を席巻する。
題目や念仏を唱えればいいというのが一番簡単だからである。
ハイルーットラーが一番わかりやすいからそれによって煽動されて国まで滅亡するとまでなる。

情報というのは噂話でもそれが大きな影響を及ぼす時があるから怖いのである。
流言蜚語も怖いのである。情報の取り扱いを誤るとそれが致命的にもなる。
それは国単位だけでなく個々人の単位でも起きている、様々な情報の嘘に惑わされる
でも国際情勢とかなると自分だけで判断するのは本当にむずかしい、専門家でもはずれている。そうなると何に頼り判断すればいいのかとなってしまうのである。
ただ全面的にマスコミとか人の言うことでも信じないということが防衛になるかもしれない、ネットでは常にマスコミで報道したことをそんなことはないと否定するのが多い、事実でもないということを言うのである。
するとそうなのかなと考える、それだけでも何か一方的にマスコミとかの他の判断に頼らないことにはなるのである。
でも今回のトランプの勝利というのは誰も予想しえなかったというときいかに専門家ですらわからないのだから一般の人が知ることはできなかった。
裁判でもそうだが双方の言い分を良く聞くということが大事になる。
そしてわからないことは簡単に判断しないことだともなる。
簡単に白黒をつけるとういことが危険だとなることは確かであったのだ。





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2016年12月24日

鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


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原町の雲雀が原の復興団地
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鹿島の復興住宅



シシドスーパーの隣の一軒家風の復興住宅に入る人がいたので聞いてみた。
二本松市から移る浪江の人だった。浪江の室原だとういう。
室原ではすぐ近くが閉鎖された地域だというから相当に放射線量が高い
その人も原発で働いていたのである。
浪江は三分の一は原発で働いていたしその関連で働く人も多かった。

「ここは一人では入れないと思った、何人か家族が入ると思っていましたが」
「自分の母親は死んだんです、今は自分一人です」
「すると母親が生きている時ここを申し込んだ」
「ここは抽選なんですよ、それでも空きが出るみたいです」
「空きが出るということはやはり家を建てた人がいるとか」
「そうです、県では計画を建てて復興住宅を建てたんですが事情がそれぞれ変わってんですよ」
「空きがでるということはもったいないな」
「こっちはあったかいからいい、二本松は寒い」
「ここは気候はいいですからみんな帰りたいですよ、浪江の人とは良く会うな」

その人は二本松で母親と一緒に暮らしていたが最近死んで一人になった。境遇が自分とにている。兄弟もいないらしい。あそこは一人で住めないと思ったがそういう事情があったその人も病気をもっているらしく医者のことを心配していた。
何でも避難のどさくさで死んだ人もいるらしい、病気になった人もいるらしい。関連死が結構あったことは確かである。
どうも六〇代なのかその辺りはみんな何か病気になる世代なのである。重い病気になる人もいる。だからあの人はもう浪江に帰らないと言っていた。
小高でもそうだがそういう人が多いのである。浪江にも復興住宅を建てたが帰る人は少ないのは小高と同じである。
ただ町の計画としては廃炉事業として長くつづくから宿泊所を街に作る、五〇〇〇人規模の街を作るというのを聞いた。
室原だったらもう住めない、イノシシに荒らされているというのはどこでも同じである。
浪江では二本松にはコンクリートの役所を建てたという。二本松市に浪江の町を作るという計画もあったがうまくいかないらしい。やはりそれは無理だったのだろう。
浪江も小高のように復興は容易ではない、町自体が崩壊の危機にさらされている
それで街の役人がもう勤務が忙しくて辛いやめたいという人もでてきている、外からの応援も減ったからである。
何かこうなると町を維持するための瀬戸際の戦いを強いられているとなる
でも若い人は新しく外に家を建てた人は帰らないとか小高と同じである。
だから復興することは本当にむずかしいと思う

ただ浪江と小高の事情はまた違っている、小高は復興するというとき南相馬市民であるから違っている、その点原町でも鹿島でも移り住むのは容易なのである。
そして小高に厳しく自分があたるのは南相馬市民として復興してもらわないと困るからそうなる。南相馬市の負担になってくるから市長も今は小高の人で復興してくれと言っている。
個々にかわいそうな人はいてもやはりいつまでもかわいそうだ被害者だとしたら復興などできない、それよりすでに小高から出て家を建てたり仕事を持ったりした人は小高とはもう関係ないのである。だからその人たちをかわいそうだから援助しなければならないと今も言っているのは納得いかないと自分はなったし市長もそう言っている。
そんならお前も南相馬市民だからお前が住めともなると言われるかもしれない。
それも一つの方法かも知れない、市営住宅に住んでいる人が小高に住めばいいかもしれない、空家があれだけあるから広い家に住めるからである。
ただ市営住宅に住む人は貧乏だからむずかしいことがある。固定資産税だって払えないとなるからだ。それなら税金を免除しても住んでもらうとかの手はあるかもしれない。

その人は来年一月までは移り住むという。あの人は浪江には帰れない、第一病気だから医者が近くにいないと困るからである。
六〇代以上になるとそういう人が増えてくる、だから小高でも浪江でも帰る人がそうした老人が多いとしたらなかなか復興はむずかしいとなる
ともかく原町では相当な数である。鹿島の復興住宅も五〇棟ある。
でもあれだけの復興団地ができても結構空きがでてくる、それは当初の予定では入る人がいたが帰らないとかで他に家を建てて別に暮らしがはじまっているからである。
そういう人が帰らない、そういう人たちは若い人が多いから若い人は帰ってこないから老人が取り残されてしまうのである。
でもあそこに移って来た人も年金をもらえるのか、補償金は再来年で打ち切られる、その後どうするんだろうとなる、そこも大きな問題となってくる
それは小高でも起きたことなのである。ギャンブルして金なくなったから貸してくれと福祉に相談に来た人もいたという。そういう人もいて自分は批判してきた。
ただ鹿島では小高の人を批判してきたが浪江の人はどうなるのか、やはりなにかしら摩擦が起きてくるかもしれない、これはまた別な事情があり変わってくる
こうして原発事故は福島県全体をまきこみそして全国をまで大きな影響を及ぼしたのである。
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2016年12月13日

明治以降エリート養成に失敗した日本 (なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)


明治以降エリート養成に失敗した日本


(なぜ一流大学で残酷なレイプ事件が起きるのか?)

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(週刊現代)

この事件を起こした学生は優秀である。頭だけではない、体力的にも優秀であり家柄も良かった。医学部となれば誰でも一目をおく、医学部は現代では最高のエリートなのである文系だったらどこの大学でも東大だってさほどでないとみれる
でも医学部は違っている。医学部は日本の最高の頭脳集団だと見られているのが現代である。

ではなぜそこでこんな事件が起きるのか?
根本的な問題としては別にこうしたエリートでなくても若いときは奔放なエネルギーが爆発するから若気の至りとして普通にある。だから特別なことでもないとなる
この人たちは体育系に所属していた,すでに頭脳も優秀であり体力もある若者だったのである。
だから自分などは頭脳もだめだ体力もないからうらやましいとなる。
そうなれば女性にもてるということがある。向こうからよってくる女性がいくらでもいるとなる
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こういうふうになり傲慢となってくる、三流大学だったりしたら女性もよってこないだろう。頭が良くて体力がありスポーツマンであり医学部であり将来医者となるとしたら最高だとなるのが現代である。
なぜこういう人がいるのか劣等生とか自分などは理解できないのである。
学力とか体力とかは生まれつきなものがあるとなる。そういう人はさほど努力しなくくても勉強できるのかもしれない、だから劣等生には理解できないのである。

でもなぜこういう若者がこんな事件を犯したのか?それは若気の至りであり特殊なことではなかったのか?
ただこうして優秀な人の問題は必ずうぬぼれる、傲慢になることなのである。
それを何度も指摘してきた。傲慢になることは一個人でもそうだが国家などでもそうである。「奢る平家久しからず」というふうにその傲慢が必ず滅びに通じいるのである。

だから若いときからそうして優秀だと非常に危険なものになってゆく、自分もふりかえると三流大学にしろ田舎ではまず一クラスから四五人しか大学には行けない、自分が行けたのは頭がいいからではなくただ経済的にめぐまれていたからにすぎない、それでも何か傲慢になる。その時代第一集団就職の時代であり金の卵としてクラスの三分の一くらいがそうなっていたのである。その差が大きかったのである。

ただ自分の場合は大学出ても就職もしない特殊なものになった。大学でてもエリートでもなんでもない、放浪したりして底辺労働者になっていたのである。
そうなるととても大学卒などというものではない、底辺労働者にすぎなかった。ホームレスのような時もあったのである。だからうぬぼれることはなくなった。
でももしその時大学出て恵まれた会社であれ公務員であれそういうものになっていたうぬぼれたものになったかもしれない。

だからこういう事件を犯す若者の危険はうぬぼれることにあったのである。
まず若いときに金がありあまっていたりうぬぼれたりする、高い地位についたりすることほど危険なことはない、若いときは望んでも苦労せよというのはそのためである。
ところがこうして優秀な若者はすでにうぬぼれたものとなっている。
人を見下すようになっている、そういう若者がやがて最も尊敬される医者になることは怖いことになる

なぜ医者とか看護師とかがすべてではいないにしろ嫌がられるのか?
今の時代は特別尊敬されるからだろう。
また病人になったとき弱者となったとき何か同情心に欠けてはいないか?
つまり傲慢だということはいくら頭が良くても謙虚さがなく同情心に欠けるからである。でも病人とか弱者を相手にするときは同情心は欠かせないのである。
そういうものがないとしたらいくら技術的知識的に優秀でも怖いとなる
だから自分は病院が怖いとなる、もう苦しいけど病院には行きたくないとかその前に死んだ方がいいとまで思うようになったのである。
それは病院だけではない社会全般に言えることである。
なぜこれほどブラック会社が多いのか?人を人としても見ていない、働くロボットとしか見ていないからかもしれない
そういう非情のシステムの中で働いているのが現代なのである。

つまり医者になる人は今や優秀でもそういう若者が多いとなるから困るのである。
若いとき何でも下積みで苦しみ下々のことをわかる人が上に立つの理想なのである。
結局日本はエリート養成に失敗したである。
それは江戸時代から明治になったとき起こったのでありそこに原因があった。
江戸時代はエリートは侍だったけどその人たちは高いモラルをもっていた人たちだった。
そして江戸時代は不思議なのは寺子屋の先生でもその人柄がいい人とかで決めていたのである。知識とかではなかったのである。医は仁術というのもそうであり医者はその腕よりモラル的なものを重視していたのである。
だから医者は人情に厚い人が多く例え技術がなくてもそれでいいとしていたのである。

今は全く逆なのである。民衆が望んでいることはそういうことではない、教育だったら先生だったら例えば英語がどれくらいできるのか、数学がどれくらいできるのか、専門知識がどれくらいあるのか、そういうことしか見ていない、人柄とかモラルは関係ないのである。
だから江戸時代というのは不思議だと思う、それはあらゆる分野でそうである。
江戸時代の方が入会権であれなんであれ私有という概念がない、共有しかないのである。明治になって私有権が異常なほどに主張するようになったのはそれが認められたからなのである。それが自然破壊とか原発問題にも起きていたことを指摘した。

江戸時代が遅れた時代とされるけど明治になって西欧文明が入ってきたとき日本にあったもの、いいものが失ったことを今考えねばならない、そして第二次世界大戦でも日本がアジアに進出したのは吉田松陰であれ西郷隆盛であり征韓論者でありアジア進出者、侵略を公言していたのである。
現代の問題の根はさかのぼれば明治維新にあったとなる
それで福沢諭吉は学問を出世の手段とした。東大出が法曹界だ支配するようになったり官僚支配の構図も明治にできたのである。その時江戸時代の侍はいなくなっていたのであるそのことが現代の腐敗の原因だったのである。侍はモラルを一番重視していた人たちである。
だから改革というとき江戸時代を見直す作業が必要になるのである。
内村鑑三は西欧文明はキリスト教文明だからキリスト教を導入しないと日本は滅びるということを予言していたのである。
江戸時代は儒教であれモラルを最優先した時代だったとしても社会がモラル的には安定していたとなる

日本は明らかに明治維新からエリート養成に失敗したのである。それが戦争の敗北とかに通じていた。それは現代もその構図は変わっていない、教育でも医学でも科学でもモラル喪失の時代を生きているのである。
もちろん支配階級がそうなのだから下々も当然モラルなどなくなっている、人情もない世界になったいる
だからこれからの問題としてエリート養成の問題がある。その改革をどうするのか?
それが大きな課題なのである。
タグ:レイプ事件
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2016年12月12日

鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい (南相馬市市役所に相談したが・・・)


鹿島駅の入り口の戸が重く開閉しにくい

(南相馬市市役所に相談したが・・・)

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錆び付いて重い 

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鉄塔が建ち八重桜は切られて残念



最近毎日鹿島駅に行って外からの人と話したりしていたので駅のことが気になった。
今日は十人くらいかJRの水戸管理局の人たちが来てみていた。
もったいないのは八重桜の木をみんな切ってしまったことである
鉄塔を建てたため切った。やはり駅はやはり街の象徴としてあった。

その入り口の戸は相当に古くなっている、さび付いていて重いのである。
冬だと寒いからいちいち開けたり閉めないといけない、改札口はあいていても入り口も開けていたら寒いからである。
それでそれが開けたり閉めたりするとき重いからやっかいになる
それは利用する人がみんな思っていることである。

今回仙台まで開通することでいろいろ新しく整備したからそのことで聞いてみた。
一応聞きはしたが別にそれで直すとか上の人に言いますとかは言わない
それで市の方に相談した。そこはJRの管理になるので市の方でもどうにもならないですとか言った。
それもおかしいと思った。なぜならみんな市民が困っていることだから市の方でもなんらか対策があってもいいと思ったからである。
これは自分一人が思っていることではないみんな不便を感じていることなのである。
それは市民の要望なのである。

ただJRの土地でありJRのものだから市ではなにもできない、市民も何もできないとなったらこの世の中どうなるのか?
JRでも公共機関であり民営でも公共のものである。そういうことは会社なら必ずある。
会社ならなんでも勝手にしていいとはならないのである。
反面そういうふうに公共的なものとなると利用する方も維持することに尽力する必要が出てくる、なぜなら民営となると利益が出ないならやれないからである。
「迷惑にはなるでしょうが予算がないんです」とかなればどうにもならなくなる
前は国鉄であり国で運営していたから違っていた今は利益を出ないことはしない。
だから北海道の鉄道は運営できないので廃止になってゆく、そういうふうに利用する方も考えることになる

明治以降はかえってこうしてみんな民営になり私有権が認められ主張するようになった。それは過剰なほどそうなった。それで補償金がもらいたくて自分の家の前の海は自分のものだ、私有権があるとまでなって主張したのである。
海は誰のものだとなればそれは本当に漁業する人たちのものだけなのか?
それで民間で勝手に魚釣りをできないと不満を言う人がいた
資源を守るためだと大義名分はそうでも原発事故でそうではなかったからである。
船主などが漁業権を東電に売り渡していたのである。
海を売ることができるのか?海は漁業権をもっているもの達のものなのか?

そういうことは原発事故ではいろいろあった。
極端な話が原発を建てた土地の所有者と県の許可で原発が建てられたことになる
その土地は俺のものだから何も言うなとまでなってししまいこんな大惨事になる
そして双葉町でも大熊町でも富岡町でもそんな狭い範囲で勝手に決められていいのかとなった。
現実に今やそういう人たちが避難して立派な家を建てることに回りの人が不満になったのである。原発はとてもそんな狭い範囲の人たちで決められるものではなかったのである。
土地とか山でも森でも大地でも海でも公共的なものでありなかなか一所有者のものとなりにくいのである。海だって大地だって山だって森だって自然は一つのものとしてつながっているからである。
飯館村で自分の土地を除染するより売りたいというときもし売ったらそこが放射性物質の処理場にされると今度は回りに影響する
現実に放射性物質を入れたフレコンバックが破れて流れだしたら南相馬市にも流れてくるのである。真野ダムでもそうである。

海にしてもあれだけ汚染されたのである。そして東電の前の海は誰も立ち入ることはできない、漁業権を組合で売ったからである。東電の私有地になったのである。
何か私有地というのは明治以降増えたのである。
猪苗代湖でも一部私有地になりバンガローなどが建っている、迷って入ったらしかられたそういうふうに自然を私有することができるものなのか?
それで山でも無数に分割して私有化された結果として土砂災害でもふせぎようがなくなる俺の山だから勝手に木は伐っていいとかなるとそこから土砂災害が起き安くなる。
森も山も全体だからである。

いづれにしろ鹿島駅でもJRの所有地だから全部勝手にしていいとはならないだろう。
街の景観としても維持する必要もあるし街全体の問題なのである。
それはあらゆるところで言えることである、私有権をあらゆることに認めると公共性が失われる、そして公共性のないものはこの世にない、一軒の家をもってもそこには自分のものだけとは言えない,それが空家化するとわかる、周辺に影響するのである。
何かそういう公共的志向がかえって明治になって民主主義化して失われたというのも逆説である。
原発でも何かそういうふうに漁業者でもただ利益しか追求しないで私有化して海を東電にうりわたした。巨大な会社に海が買われてしまったのである。
そういうことはグローバル化して世界で起きた、巨大な多国籍企業に森でも自然でも買われるのである。
第一そもそもが東電によって政府によって双葉町とか大熊町とか富岡町は町ごとが買われてしまっていたのである。それほど東電が大きな会社であり政府もかかわっていたからそうなった。

公共的なもの自分の住んでいる市町村に関心をもつのは日々の生活にかかわるからである毎日駅に行くとして戸を開閉するのに難儀するとなると嫌だとなるからだ
ただこういう身近なものは気づきやすいが大きなものにると原発とかなると立ち入ることも何もできない、その回りに住んでいても何もできない、ちょっとのぞくこともできないその回りに住んでいても一番危険地帯に住んでいても住んでる人は何もできなかったのである。



1898年(明治31年)4月3日 - 日本鉄道の駅として開業。

乗車人員推移
年度一日平均乗車人員
2000 596
2001 564
2002 530
2003 522
2004 524
2005 484
2006 461
2007 434
2008 430
2009 405
2010 378
2011
2012 293
2013 313
2014 299
2015 318

鹿島駅は開業当時からの古い駅舎らしい。だから相当に古くなっている
乗降客を見ると2000年に600人であり震災前の2010年にすでに378まで減っていた。
震災後は半分になっていた。
でも2015年には318になっているし仙台まで開通するとなると増えるかもしれない、
津波原発事故以後外から来ている人が結構いたからである。

岩手県の区界(くざかい)は一日の乗降客が一人しかいない、あそこは雪に埋もれていて岩手県の境だった

一日の乗降客が300人はまだ多い方である。でも鹿島駅でそんなに乗降客がいるようには見えない、なんか10人程度しか乗り降りしていないからだた。
ただここは300人以下にはならなんかもしれない、10人とか20人となると厳しいとなる。

posted by 老鶯 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年12月07日

アメリカの国の成り立ち (トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


アメリカの国の成り立ち

(トランプがメキシコに壁を作るは万里長城とにている)


牧場経営というのは 
治外法権の行使なんだよ 

移動保安官がいつ来るか分からないから 
俺たちが法律だ!みたいな意識が醸成される 

理性よりも恐怖が支配的なのが北部13州 


アメリカというとき国の成り立ちが他の国とはまるで違う、なぜ未だに銃にこだわり個々人が銃をもっているのか?
それがその国の成り立ちでそうなっている。
それは西部劇にあるようにアリリカは「荒野のガンマン」だったのである。
荒寥とした西部の広大な土地に牧場をもつとしてもそこには守る人がいない
それで良く西部劇で保安官がいてもそれだけでは守り得ないから住民が一体となって敵と戦うのである。そこには守る警察組織もなかったのである。
それで広大な牧場をもっていても自営するほかない
そしてそこに入ってくるのは見知らぬ人であり常に警戒していなければならない、常に銃を携帯して油断できない、これがアメリカ人のアイディンティティを作っている
日本だったら相当に古い時代から村があり何かそこで守られているものがあり治外法権の場がほとんどなかったろう。
侍は確かに刀をもっていたとしてもそれは一部であり全員ではなかった。
アメリカでは全員が銃をもっていないと暮らしていけない社会だった。
こういう社会に生きることは絶えず恐怖の中に生きていることになる
そして移民社会であり見知らぬ人が絶えず移民として流入してくればその人たちも信用できない敵と化しやすいのである。

そしてなぜメキシコ国境に移民が入らないようにするため壁を築くというトランプの主張がでてきたのか?
それはメキシコから流入する労働者が増大してアメリカの白人のアイディンティティとかが破壊される、オハイオの女性はメキシコ人と接してすスペイン語をしゃべるのに苦慮しているという。英語も通じない人たちが膨大に流入してきている
何か人間の共同の核として言葉がある。その言葉が通じないとなると意志疎通が困難になる。そこに誤解が生まれ争いになりやすい。
国はやはり日本でもどこでもそうだが建国した指導的階層が最初はいる。
それは別に階級制として支配したとかならない、そういうエリートがいないから国も作れないしありえないからだ。
だからアメリカの最初の建国者は英国系であり英語を話す人たちだったとなる。
そういうもともとの開拓者として入ってきた白人が今やメキシコから入ってくるヒスパニックの人たちに浸食されてゆく

だからトランプがメキシコに壁を作るというときそういう危機感が生まれたからである。中国でも古い時代から万里長城を築いたように絶えず異民族の侵入になやまされてきたからこそである。
それは地理的に陸続きだということが大きな影響をもたらした。
それがアメリカで今起きているのである。
最大の課題は陸続きのメキシコとか南米諸国との関係でありそこにアメリカのエネルギーはこれからそそがれてゆくからそういう時代だからトランプが生まれた必然性がある

メキシコ人の帰化率はすべての移民集団のなかで最も低い、ハンティトンは国家は「記憶された共同体」だと延べている、メキシコ系アメリカ人はアメリカの人口の12・5パーセントをしめその大部分が南西部のメキシコに隣接する地域に集中している
彼らはアメリカ史上はじめて国民の歴史的記憶を修正しつつある。
「地政学の逆襲ーロバート、D・カブラン)

個々人でも人間が最後は記憶になる。記憶されたことが人生なのである。それは国とか民族になっても同じである。過去の記憶を共有することが共同体でありそれが国家であり民族である。日本人だったら二千年の歴史があり記憶を共有している共同体だとなる。
それは最近近くで死んだ三人の大正生まれの女性のことをうを語った。
自分の母親もいて三人はいつも自分の店にきたりしていたのである。
それで最近同級の息子が残されて供養に行った。そこに記憶を共有するものとしての連帯を感じたのである。
つまり村というものも一代ではなりたたない、何代も積み重ねてきた歴史がある
そういう共同性が失われたとき、原発事故のようにその土地に住めなくなったときどうなるのか?それはアイディンティティの喪失になり精神的に意外と深刻なのである。

例えばシリアとかでも難民化して他国に移住するときそこでアイディンティティをもつことは時間がかかる、第一もうそういうアイディンティティをもつことを拒否してイスラム社会のアイディンティティにこだわりその国の歴史を無視する
それは今アメリカのメキシコ人がそうなっているからアメリカでは万里長城を築くとトランプが言っているのだ

地政学的な見方としてはアメリカは有利だった、陸続きではない、島国のようになっていて陸続きの中国とか他の国とは違い対立をまねがれていたのである。
現実にロシアがあるとしてヨーロッパは陸続きなるが故に古来から異民族の侵入になやまされてきたのである。その継続としてロシアがある。
そういう地政学的なものからは人間は逃れられない宿命になっているのだ。
人間はものを考えるときでも自分の住んでいる場所がそこが田舎であっても中心として考えるのである。
福島県でも会津と中通りと浜通りとあるとき会津は会津一国として昔からあっり考える
歴史を理解するのには地理の理解が欠かせないのである。
だからあらゆる学問の基礎に地理がある。それで地歴となったのである。

自分が日本はくまなく旅したが外国はしたのはしたがとても外国となると地球となると広すぎるからできなかった。地球を知るとなるとこれは時間がかかる、とても百年くらい生きてもわんかりえようがないのである。
川を知らないと外国は理解できないと書いたがまさにそれが地理だからである。
アメリカは地理的に有利な立場に今まではあった。
陸続きで他国からの侵入がないということである。それが今メキシコからの移民で苦しんでいる、それは陸続きの大国が歴史的に経験してきたことである。
それが万里長城を作ったからである。その歴史の再来がトランプの壁を作るということであり歴史はくりかえすということにもなる
posted by 老鶯 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層