2020年01月14日

ゴーンの別な見方もあるーマスメデアにより一方的見方の危険 (日本にも商法はあり良いものを明治から捨てた)


ゴーンの別な見方もあるーマスメデアにより一方的見方の危険

(日本にも商法はあり良いものを明治から捨てた)

カルロス・ゴーン海外逃亡事件を解説します

世の中のことはいろいろな見方がある、マスメデアは一方的見方しかしない、
なぜかそして必ず感情的にあおることになりやすいのである
コーンはまず悪い奴だとレッテルはる
第一テレビに出しただけでその影響が大きいのである
映像だからその印象が大きすぎる、すると考える暇がない
第一印象の映像のインパクトが強烈だからそれで判断してしまうのである
それが何百万人が見るから何百万人がテレビの映像だけから判断するから
そこに偏った見方になる
そしてそれでまずバッシングするようになる

常にあいつは悪い奴だ

その前提から始まっている、そして国民がバッシングする、私刑にリンチにする
その印象操作がテレビでは抜群なのである
だからテレビは一方的メデアであることが問題なのである
それだからこそマスメデアは第3の権力になったのである

武田邦彦氏の言うように司法でもそうだと思う、警察でもそうである
何か検察でも司法でも日本には裁判がない、一方的権力の押しつけで決まる
日本には裁判がないという時原発でもこれほどの事故を起こしても誰も罰せられないことでもわかる
東電とかに検察でも天下りしているとか出世がかかっているとかで検察自体が歪められている、賄賂はないにしてもやはり権力機構の中で自らの利益を出世を計るために公平な裁判はないとしている

私自身も今回は感情的になったのはなぜそんな巨額の金が得られるのか?

そのこと自体が理解できないから庶民として責めることになる
それは武田邦彦氏も前に言っていることであり一方でこんな巨額の金自体得ていることが搾取だともなる、裁判の前にそれ自体が納得できなかったのである

武田邦彦氏は日本の司法は99パーセント有罪だから裁判はないとしている
それは商法が悪いのだとしている、江戸時代の商法の方がまともだった
日本にもそうした商法があり慣習がありそれが活きていた
そして日本では従業員のために会社があり株主のためにではないと度々主張している
だから欧米型の資本主義の経済は必ずしも日本にとっても世界にとってもいいものではないのである

その原因は明治維新の時、日本のいいものを取り入れなかったからである
何か今になってつくづく明治維新で江戸時代からあったいいものが失われた
ただただ欧米がいいものとして日本が昔からあったものを否定してしまったのである
それはそうした経済でもそうだし法律でもそうだし医学でもそうだったのである

全国に数多くの蘭医学塾があったのに医学部へ昇格することを許されなかった
当然日本独自の徒弟制度による教育システムも許されず医療ギルドが決定した方式で
「医師資格」と「医学教育」導入した
それだけでなく江戸の医療を支えてきた漢方医、鍼灸はあん摩はすべて西洋医学より格下とされいや奴隷であって正規の医療ではないと位置づけた
(人殺し医療ーベンジャミンフルホード)

医学でもいいものがあったがそれも否定してただただ欧米流のものをいいものとして優先させて国造りしてきたのである
一方で変なのは政治になる古代の天皇制を復活したことであり矛盾していたのである
ただそれだけ明治維新となると全面的改革になったから混乱したものとなったのである

銀行でも最近地銀とかが窮地にたたされている、すると江戸時代にあった無尽を見直して取り入れて立て直す参考にすべきだとか金融関係の人が言うのもそうである
銀行は何なのか?それも江戸時代に銀行の前進になるものがあった
江戸時代がなんでも遅れたものとして見捨てられたのである
そこで今資本主義でも金融でも司法でもそうしたものは江戸時代にあったとしている
そのことを日本では習うことがなくなった結果なのである
この損失がどれだけこ大きいものだったか日本人は自覚していないのである
また自覚させられななかったのである
つまり江戸時代は劣ったものでありこれをみんりて捨てて西洋流のものがいいということになり日本がにあったよきものを捨ててしまった
するともうその捨ててしまたっものは不明となり回復不可能になったのである

それで私が日本の歴史をふりかえり国風文化の復活を唱えるのもそうである
モラル的にも日本的なものがありそれが侍にあったとするのもそうである
そういうものは江戸時代から明治になったとき日本人は遅れたものとして捨て去ったから不明になったのである
そしてアメリカに戦争に負けて今度は戦前にあった日本的ないいものも捨て去りアメリカ一辺倒になった、物質主義であり金だけを価値とする社会にしたし会社だと株主だけを優先するとかになった
日本というのはそうして変わり身が早い、一面もともとあった日本の歴史とか伝統でも大切にしない、簡単に捨て去るという傾向がある
そういう国民気質は自然災害がこれだけ大きな国だからかもしれない
津波のように今まであったものが村でも全部一瞬にして消失したり火事でみんな焼野原になったり台風で家が流されたりとつくづくそういう自然災害が日本人の心に影響する
何か継続するものがない、災害でみんな一瞬にして消失するという経験からそうなったのかとも思う

ともかくインタ−ネットでyoutubeでも多面的に考察できるようになったのはいいことである、テレビとか新聞でもマスメデアは一方的メデアであり発言もできないからである
ともかく何でも自分なり考えて発言してみることである
それが民主主義に通じている、テレビだけを見るのは本当に危険だった
それはテレビ局によって主導権をにぎられ洗脳されるからである
そこで一番目立ち主導しているのは司会役なのである
そしてなにかまず映像だから女性だとかならず容姿を見る、あんなブスを出すなとかともなる、その人の印象が顔から判断してしまうのである
これが声とか文字だけだったらそうはならないのである

いづれにしろ事件でも何でも何かを判断することはむずかしい
いろいろな意見を言う人がいるがそのことについての知識を深めることだいうのもそうである、いろいろな見方があり一つではないがマスメデアだと一つになってしまう
そうして第一印象で判断すると間違うことがあるしできない
だいたい一つの事件でもその背後関係を知るには膨大な情報がこれまでのいきさつとがありそれを知ることができないからである
だからあいつが悪いとか即座に判断するマスメデアは危険なのである

自分自身はゴーンをなぜそんな巨額な金を得ることができたのか?
そのことが一番関心かありそれで悪者にしたのだし今でもそう思っている
そんな金を一個人が得られること自体納得できないからである
でもそこにはいろいろな見方がありそれを知るべきだということである
ただそうなると相当な暇人でないとできないのである
だからニュ―スでも他人の判断にまかせる、本人は考えないのである
一つの事件でも問題でもそれを追及するだけで一人では時間がとられすぎる
だから表面的なことだけ見て判断する
それよりそうなら簡単には判断してはいけないとなるし裁いてはいけないともなる
そういうふうに見ないとただマスメデアの言うがままになり危険になる

posted by 老鶯 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月11日

国際法が成りたたない (グロ−バル社会の限界ーゴーンは罰せられない)


国際法が成りたたない

(グロ−バル社会の限界ーゴーンは罰せられない)


ゴーンが日本を逃れた、それが莫大な金があってできた
そしてレバノンでその正当性を世界に向かって主張する
何も悪いことはしていない、悪いのは日本の司法関係者だとしている
そして治外法権の国に逃れそれで罰することもなにもできなくなる
そしてゴーンは二重国籍者でありフランス人なのか?レバノン人なのかわからない
そしてまたレバノンという国が国としても小国であり国とうし通用するのかも疑問であるそういう小国はゴーンのような金持ちは歓迎だとなる
結局盗賊なのだけど金があるから英雄となり次の大統領候補だとまでなっている

国際法が成り立たないという時、もう法律は通用しない
国際社会では国内で通用する法律が適応されないのである
だから外国で悪いことしても他国に逃れれば罰せられないとなる
そこに法律の限界がある

そして後に何が残るのかー何が世界で通用するのか?

それは力だけだとなる

つまり力が世界の法である、法律といっても強制力がなかったら意味がない
それでトランプ大統領がイランの司令官を殺害したのはテロだとう人もいる
それは正当な理由がない、大統領が殺害命令を出せば誰でも殺せるとなるからだという
アメリカは軍事力があり一番力をもっているからやり放題だともなっていた
イラクなど何も理由もなく一方的に攻めて壊してしまった

中国のウィグル族の迫害にしても中国が強大な力をもっているからとめることもできないチベット族でもそうである、チベット族がネパールに逃れて暮らしていた人たちがいた
そういうことにアメリカさえ今まで何も言わなかった
最近になって中国と貿易で対立するようになり言うようになったのである
でも国際法が成り立たないから強制力がないから世界で通用するのは力だとなる

現代の問題は法律であれ経済であれ政治であれグロ−バル化によって起きている
これだけ世界が複雑に交じり合った世界で起きている
経済でも絶えず陰謀論になるのはそのためである
誰かがグロ−バル化しした社会を支配している、それが必ずイルミナティだとロスチャイルドだとかユダヤ人だとか必ずなっている
でもそれで全部証明されるわ下でないのである
ただそれだけ複雑化しているからそう言うと何かそうなのかとなる

ただカジノとかにはラスベガスのカジノ王というか出資者がユダヤ人だとやはりそうなのかとかなる、そういうことはわかりにくいのである
カジノの問題もグロ−バル化国際化から起きてきている
カジノは何かうしろめたい金がそこで流通する、大金持ちのマネロンダリングの場だから問題なのだと指摘する
ギャンブルが正当化されてそこで金が合法的に流れてゆく
その手段としてカジノがある、だからカジノとはタックスヘイブンとかと同じだとなる
うしろめたい金が莫大な金がそこでカジノを通じて闇に流れる
その金は国でも把握できないとなるからだ

つまり国際法がない、そこで悪いことをしても罰せられない、特に小国がいいのである
キプロスとかでもロシア人の金が流入していたのである
それで一時預金封鎖になったとかある、ロシア人でも金をおろせなくなったのである
グロ−バル化は国際法がないのだから巨悪がまかりとおる
ゴーンにしてもそうである、金があるとして豪語している
金が現代の最大の力だからそうなる、金には国境がなくなっているからそうなる
アフリカの果てまでドルが通用するとなるとドルで世界が支配されることはアメリカによって支配されることなのである
だから中国でも他でもヨ−ロッパでもEUでも反発するのは当然なのである
それを許さないとしてアメリカが力でねじふせる、通用させる、ドルの基軸通貨を守るために戦争までになる
そこに国際的公平性はないのである、ただアメリカの利益が優先されるだけだとなる

そもそもアメリカの政府の重要な役職にゴールドマンサックスの人がなりウオール街と結託する、そして日本がゆうちょでも地銀でも農林中金の金がもうからない投資信託を買わされている、そういうことができるのはアメリカという国が背後にあってできることである、なぜなら日本は植民地だからである
なぜ植民地かというと北方領土が日本に返還されないかと言うとアメリカ軍が返還しても駐留することができる安保条約があるからだいう
それを知れば確かにロシアにして返還はできない
喉元にアメリカ軍が駐留される、それに対して日本は何もできない

つまりグロ−バル化して世界が公平に運営されるわけではない
かえって力あるものが世界から莫大な利益を得る、現実はグロ−バル経済でも帝国主義と変わりないとなる、実際は日本でも植民地化されている
奴隷というふうに目に見えていないが戦争に負ければ力の強いものの奴隷になるだけだとなる
現実の世界はグロ−バルになれば力が法であり法律はない、無法地帯だとなる
だからトランプがイランの司令官に殺害命令を出せば理由もなくできる
それが国際政治だとなる、国際法はそもそも通用しないからだ

国を越えた法律はない、力が法律だとなる、そして現代は金で何でも買うことができる
国さえ買うことができる、レバノンは小国でありゴーンのような大金持ちになれば他国から盗んだものでもかまわない、英雄となる、盗賊が国と国の関係ではほめられることにもなる、ではゴーンを罰するにはをどうするのか?
何らかの圧力をかけるほかない、それは外交になるとやはり力があるものに頼まねばならない、アメリカとかだったら外交で力があるから罰することができるともなる
つまりグロ−バル化社会は無法地帯なのである
力が法律であり正義であり富も力ある者に収奪されるのである

結局ここに人間社会の限界がある、人類に公正な法律はないし公正に治める者がいない

シオンは裁きをとおして贖われ
悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。
背く者と罪人は共に打ち砕かれ
主を捨てる者は断たれる。
(イザヤ-27−28節)

神にしか世界を公平に裁くことはできないのである、最後の日に公平な裁きが全世界に民族に下るのである



posted by 老鶯 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月09日

中東はイスラム世界はなぜ衰退したのか? (政教一致が原因だったーヨ−ロッパは政教分離で発展した)


中東はイスラム世界はなぜ衰退したのか?

(政教一致が原因だったーヨ−ロッパは政教分離で発展した)

中東というのはなぜわかりにくいのか?
それはイスラム教の国だからである
政教一致の国だからである

ヨ−ロッパの中世がカトリックの政治支配で暗黒の中世となったように
イスラム世界もそうなのである
イスラム世界は政教一致だからである

●カトリックと政治の一体化

●イスラム教と政治の一体化

●日本の天皇(国家神道)と一体化(明治維新ー大東亜戦争)

●共産主義(マルキシズムイデオロギー)と政治の一体化

宗教の面から世界を政治をみると何かここに法則がある
カトリックの政治支配からまねがれるためにルターの宗教改革があった
そこでヨ−ロッパもカトリックとプロテスタント派に分かれたのである
中世まではカトリック指導だった、その後はプロテスタント指導になった
ドイツとか北欧がイギリスが世界の主流となった
カトリックはラテン系統であり今の地中海沿岸のイタリアとかフランスとかスペインである、温暖な気候の国々である
経済発展したのはプロテスタン系であり寒い国だった
このイギリスを中心として派生したのがアメリカだった
カトリック系ではなくプロテスタント系だった
カトリック系はなぜか温暖な国々に広がった、南米はやはりスペインとかに征服されてカトリックになったのでありフィリピンもそうだった
そこは経済的に発展しないということで共通している

このように意外と宗教と政治は一体化している、そもそもマックスウェバーがプロテスタントが資本主義の基を作った、修道院で作ったというときもそうである
最初は道徳的なものがキリスト教の精神のもとに資本主義が生まれたとういう説である
経済と宗教と道徳が密接に結びついて資本主義が始まった説である
だからイスラムでは政教一致になるときイスラム世界独自の世界があり資本主義が受け入れられなかったのか?民主主義の基本である政教分離が受け入れられなかったのか?
何かそういう宗教がイスラム世界に宗教と関係している
そして王族が政治を支配しているとか近代化できなかった
石油の莫大な富も王族がにぎり王族とか部族支配なのである
アフガニスタンでも部族の争いがあり何か中村哲氏もそうした争いにまきこまれて殺された、そこはまだ部族世界だったのである、それはアフリカでもそうである

イスラム世界はオスマントルコでもそうだけで江戸時代の大奥のようなハーレムとかを作っていた、それも退廃した世界だった、それはイスラム教は一夫多妻を認めていたからそうなっていた
何か国際政治でも世界史でも宗教が意外と関係している、中東での最大の問題が宗派争いであることはカトリックとプロテスタンと同じである
それで分裂するから中東は一つになれないのである
明らかなことは政教一致であるとその国は経済的にも発展できないという法則がある
やがて行き詰まり国が衰退してゆく
ただ国が興亡したり衰退したりするのは他にも原因があるからそれだけとは言えない
ただ歴史をみればそういうことは確実にある

日本にしろ天皇を中心として国家神道化してそれが戦争に突入する原因ともなった
政教一致になったことは確かなのである
天皇は現人神(あらひとかみ)であり御真影として崇拝されていたからである
戦争が苛烈になったのは日本は神の国であり負けないということで妥協がなくなったからである、それは殉教と同じである
だから靖国神社に英霊とされて祀られているのである

中国だって宗教と関係ないようにみえても共産主義(マルキシズム)が宗教化していたのである、日本でも戦前から安保闘争あたりまでマルキシズムが宗教のようになって学者は崇拝していた、それでカンボジアでも二百万人が死んだしソ連でも一千万以上が死んだとか中国でも粛清されたとかなっている
それは宗教であるが権力闘争となり悲惨な結果となったのである
もちろん民主主義とか資本主義でも今やゆきづまっている
格差が数パーセントの国際資本家に世界の富が収奪されているということでもそうである
ただなぜ中東があのように紛争が絶えないのか?
それは政教一致とかが関係しているのである、宗教のくびきから解放されないからである政治と宗教が一体化するときどこでもそれは権力と一体化するから必ず権力闘争が起きて来る、それが宗教がかかわると熾烈になるのである
妥協できなくなるのである、今でも創価とか他でも政治とカルト宗教が一体化すると
常に逆らうものは地獄に落ちるとか呪詛したりする
それはイスラム世界、中東でも同じなのかもしれない

ともかくアメリカとイランの対立もそうした文明の対立とか宗教の対立もその底にある
政治(権力)が一体化すればどこでもそうなりやすいのである
宗教団体が政権をとったら御利益として大臣の地位とか社会の地位ある場につけることができる、それが御利益になる、逆に宗教団体に入らないものは世俗のそうした役得を得られない、かえって地獄に落ちろとか粛清されるのである
だから共産主義でもマルキシズムでもそれが宗教と化して悲惨な結果を生んだともなる
それは宗教自体が原因ではない、宗教を利用して権力化した結果なのである
だから宗教と政治は分離すべきだとして政教分離が法律になったのである

もともとキリストでも「心の中に天国はある」というとき政治とか社会を変えることを優先していなかったのである、仏教でもそうである
第一釈迦でもキリストでも家すらなかったからである
そういう人を見習えペというとき世俗の権力とかかかわらないことは確かなのである
イスラム世界は政教一致だから世俗と一体化するのである
それはそれなりの文明ということもあるがそこで社会が国が停滞するということもある
逆に中国はあまり宗教の縛りがないから共産主義のマルキシズムを基にしても経済発展したきかとなる
でも共産主義をイデオロギーにしているとやはりイスラム教世界のように政治と一体化しているからこれもどこかで行き詰まるともなる

ともかく宗教から中東を見ると世界史を見ることも必要である



posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年01月07日

「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない 2020-1月7日ーmsnのニュース記事よりーその批判‐記事の下に窪田順生と記してある


「ほら、日本ってめちゃくちゃでしょ」 ゴーン氏の逆襲をナメてはいけない

2020-1月7日ーmsnのニュース記事よりーその批判‐記事の下に窪田順生と記してある

これはゴーンを擁護一方である、何かおかしいなと読んだ
日本の司法も国際的に通用しないとかいろいろゴーンに有利なことばかり言っている
私はビジネスのことはわからないにしても常識的に判断して庶民から判断して
この人のことを擁護することが理解できない

15億が保釈金だとか逃亡するにプロの警備員を雇っていたとか一体どれだけの金をもっていたのだろうか?百億なのかなんのかとなる
その金を使って今度はレバノンの政界とか有力者にも影響力もつ
この人は何なのだろうと庶民には理解不可能なのである
それがビジネスではありうるのかとなる

レバノンはその巨額の金で買収されたのかとなる
逃亡するにも莫大な金を使っているのである
この人はゴーンは金で何でもできる、金で逃れられるとしてそういうことをした
普通ならもう何もできないからだ

そもそも司法がどうのこうのと言う前になぜそんな巨額の金を得られたのか?

そのことの方が庶民から見ればわからないし問題なのである
それは今のグローバル経済で数パーセントの大金持ちが国際資本家が奪っているという問題と共通していないか?
そういう経済の仕組み自体が納得できない、庶民の常識的な見方ではそうなる
第一その人は王様でもなんでもないだろう
王様ならその国の外交などがありそれなりに経費が必要になるし認める
でも一体一私人で会社の経営者がそんな巨額な金を得るのかそのこと自体が理解できないのである,それこそ世界的に広がった格差の問題なのである

とても常識的に庶民から見れば一会社の人がそんな巨額な金を得ること自体が問題だったと思わないだろうか?
盗賊国家のことを書いたがこの人はそういう盗賊でそれが国ではなく多国籍企業だったという違いではないか?
つまり今は多国籍企業は国を越えて巨額な金を得るシステムがあるということを証明しているのである

この人は首切りしたことは評価できるとか支持する人がいる
でもそんな巨額の金を操作してグローバルに日本からトルコからフランスに行きレバノンに到達した
もちろん司法の問題もあるが郷に入ったら郷に従いという諺もある
つまり不合理でも納得できなくてもその国には一応法律がありそれに従えということなのである
もちろん日本の司法が不備であることもある、でも裁判は手続きにのっとてする
抗弁することもできる、でもその前にそんな金に物言わせて逃亡すること自体が許されるのだろうか?


日本で就労経験のある外国人2788人に職場での外国人差別について尋ねたところ、トップの「外国人であることを理由に就職を断られた」(25%)に次いで多かったのは、「同じ仕事をしているのに、賃金が日本人より低かった」(19.6%)となっている。こういう日本への不満は、祖国へ戻った人などのクチコミでじわじわ広がっている。それがゴーン氏の”ジャパンバッシング”で一気に火がつく恐れがあるのだ。

こんなこととゴーンと比べることができるだろうか?
何百億円も稼ぐ人と日本の平均賃金以下で働く人と比べることできるのだろうか?
何かこの記事を書いた人はゴーンを全面的に認めている

私はビジネスを国際的ビジネスをわからないにしてももう常識をはずれている
そこからもう思考できなくなる

なぜ何百億円も一個人が会社から得られたのか?

このことが全く理解できないとなる、それはアメリカでも会社の社長にそういう人がいた恐ろしいほどの格差社会になっている
そんな社会自体が異常だと見るのである
だからこそ世界中でデモが起きて格差社会に反発する人がでてきている
それは革命にもなりうるような状態になっているのだ

こんなことを書くのはインタ−ネット上だと必ず反論が言えるからなのだ
ただ対話はない、第一この記者が書いたものを読んだとしても普通だったら何も言えないからである
インタ−ネットだとプログでも気軽に書ける言えるのである
だから私は時々ニュースをとりあげてその批評を読み批判したりしているのである
つまりインタ−ネットは前からそうだったが対話的メデアなのである
それはパソコン通信時代からそうだったのである
今までのメデアはマスメデアであり一方的だったのである
それはテレビでも新聞でも何でもそうだったのである

インタ−ネットになると誰でも反論したり批評したり言えるのである
ただ対話にはならない、なぜなら相手が一方的に書いて終わりになるからだ
それでもこうして疑問や反論はできる
そういうことがこの世には多いのである
いろいろな人によって立場によって見方が違ってくるからだ
今回のこの記事の解説は何か納得できなかった

庶民からするとそんな桁外れの金持ち自体が何か罰せられたりしたら気分いいとかなるだけである
その金の差が天と地も離れているからである
それ自体その人は盗賊なのである、だからこの記事でゴーンを擁護しているような記事を書いている人自体に疑問をもったのである

大企業から何百億盗む→英雄

人を見たら泥棒と思え (国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)

引用先(短縮できない)msnのニュース記事である

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2019年12月23日

私の十大ニュース(2019)


私の十大ニュース(2019)

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YPJ-XC(ヤマハ)
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星自転車屋では客の対応がいい、商売できる
普通他の店で買うと修理はしない
でもここでは引き受ける
原町の自転車屋ではあからさまにお前は来るなと言われたからだ
そういう人は自転車屋の商売には向いていない
一回は買ったのだからそこまで言うのには驚いた
ただやはり自転車は後で世話になるからどうしてもそうなりやすい
ただここではロードを買うのは向いていないかもしれない
相馬市とかで若い人が買っていたからである
ただ鹿島で一軒しかないのだから貴重なのである
ただここだって病気しているからいつなくなるかわからないのである
そうすると相当に困ったことになる




●ヤマハの電動自転車のJPJ-XCを一年間乗り行動範囲が広がった

●自転車で夜にライトがなく側溝に転んで傷

●カードなくして損したと思って赤になったのに自転車で横断して危険

●台風で家の中まで水が入った(近くで台風の被害)

●丸森の台風被害が大きかった 

●大熊双葉だけではない浪江とか小高とか飯館村はもう復興できない?

●仙台に一回しか行かなかった

●ゆうちょや地銀や銀行への不安がつのる

●家の中を電動のこぎりを買って改造した

●駅で高校生の見守り役で案内もあまりしなくなった


結局今年は自分にとって何か大きなことはなかった、あったとすれば新しく買ってヤマハのJPJ-XCにまつわることだった
これだけ本当に乗りやすく楽に遠くへ行けるので助かった
そもそも走り自体が軽快になっているから楽なのである
車がないからどうしても遠くに行くには自転車になる
今までの自転車だと体力がなくなっているから苦しい
でもこの電動自転車は楽に走れるから老人向きだったのである
だからマウンテンバイクなのに老人向きだったことが意外だったのである
だからこれは老人にすすめられる自転車なのである
ただこの自転車の最大の問題は荷物がのせられないのである
すると買い物で困るのである、スタンドもないことも困る
この二つでは困ったのである

ともかくみんな車が常に大事なのように車無くして生活できないように自分にとって自転車なくしては暮らせないから自転車がこのように大事になる
何十年前とかに新しい自転車に乗ってブレーキがきかず頭を打ち付けた
その時前歯が二三本折れた、この事故でぱ頭を打ったから死ぬこともあった
だから車もそうだが意外と自転車は危険なのである
側溝で転んだのも頭をうつと危険になっていた
車でもそうだが自転車でも死ぬのである                              

そして年末に自転車では危険な目にあった、赤信号なのに国道を渡ろうとしてトラックが来て止まったのである、年末はいろいろあると危険にもなる
これだけ車社会なのだから自転車もその中に巻き込まれるのである
ただ一回だけ大けがしたがその後は起きていない
実は自転車では二回死ぬ目にあっている
坂を下る時ブレーキがきかなくなった
その時一瞬足をついて自転車と一緒に転んだからよかった
そのまま坂を下ると急な坂を下り塀にぶつかり死んでいたかもしれない
それから25万のヤマはの電動ロードは何の役にも立たなかった
ほとんど利用せずに終わった
そしてこれも一回ブレーキがきかず転んだ
その時そこも坂でありそのまま下ると死の危険があったとなる
だから自転車だと安全なようで危険なことが結構あった
でも自分の一生は自転車とともにあったともなる

あとはたいしたことはなかったが台風は自分の家でも被害があった
家の中に水がかなり入ってきて水浸しになった
下に置いたものが水にぬれた、膝くらいまで水につかった
私の家は街で一番低い場所にあり水が入ってくる
二回も洪水の被害があった家なのである
水に苦しむ家であり土地なのである
ただ今回はこの辺でも洪水の被害があった
相馬市でも原町区の高倉でもダムの放流で被害があった
相馬市は千軒くらい床上浸水とかあったから意外と広範囲に被害があった 

仙台に一回行かなかったということもこれまではなかった
必ず一か月に一回くらいは行っていたのである
だからこんなに仙台に行かないことはなかった
それは何で本でも古本でも通販で買えるということがあった
そこであえて仙台に本を買いに行く必要がなくなったのである
また今年は仙台にも行かない、近間しか行かなかった
これもめずらしいとなる
家に閉じこもってプログを書いたり創作の仕事をしたりするのが主になった
いろいろまとめることがあるが整理できないのである
冊子とか本にしようとしているのだがこれもなかなかうまくいかない
めんどうになるのだ、でもそれが今や仕事である
実際はインタ−ネットだと出版から放送から配布まで全部一人でできるししている
それを紙で印刷したり書店に置いてもらったりしていたら一人ではとてもできない
そもそも出版とか書店に置くことはできない
だから本当は一人でこれだけしていることは今までならありえなかったのである

ともかく家事もあるし全部一人でやっているから忙しいのである
まず忙殺されるのである、家事でもまず料理にこったら何もできなくなる
料理はそれだけ手間だし専門的な技術が必要なのである
家は自分で改造した、自分なりに今は改造できる、ただ簡単な棚を作るくらいである
助かったのはユニットバスを百万で仙台の優創建という会社で作ってもらったことだったこれだけは得だった、風呂はやはり癒しになるし体にもいいのである
ただ私はあまり風呂に入らないのである、一週間に二回くらいになる

あとは金のことで銀行のことが心配になったのである
youtubeを見てもいいことを予測している人はいない
地銀でも半分はつぶれるとか預金封鎖があるとか株は暴落するとかいいことを言っている人はいないのである
だからJ-REITを売った、損はしなかったので良かった
でもその後どうしていいかわからない、備えることもできないのである
まあ、億とかの金はないからそれを心配してもどうしようもないとなる
今金持っている人は戦々恐々としいるだろう
まず預金封鎖になったらもう国に金は没収されるからこれは怖いことである
ただ金のない人は心配しなくていいとなるが日々金に追われているのである

傷浅く危険まねがれ年終わる

まだ年終るというけどまだ一週間とかある、この間にも何かあるかもしれない
つまり人間は一寸先は闇だとなっているのだ
それは津波や原発事故や家族の認知症やら介護やら自分の病気になってからそうなったのである、こんなに災いがつづくものかと苦しんできたからである

駅でぱ高校生の見守り役が常駐するようになって案内はあまりしなかった、仕事もなくなったとなる
来年は常磐線がいわきまで開通するからそれはかなりの復興になる
あとは避難区域なにった所はもう復興しないと見る
若い人は帰ってこないし飯館村でも小高でも浪江はさらに悪い状態でありそうした老人だけいる所に金をつぎこんでも無駄だという意見に同調するようになった
最初は復興してもらいたかったけどそれも今になると無理だとなる
私の場合は飯館村があんなふうになったのがショックだった
そこは何か森に包まれた癒しの場だったからである、双葉とか大熊にあまり何かそうしたものを感じなかった
飯館村はあんなになったのはショックである
そこで失われ精神的なものは余りにも大きかったのである
そこに住んでいなくても一つの貴重なアイディンティティの場が失われたのである

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2019年12月12日

中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか? (ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


中村哲氏の殺害事件の原因は何だったのか?

(ボランティアは重大な責任ある仕事はしにくい―安全は確保されてする)


独善的になる

社会の一部に対する努力が社会の他の部分の利益や必要を妨害してはならない
社会の一つの年齢層、一つの職業、一つの部分の利益と必要ばかりを考えて
他の部分を無視してはならない
(希望と信頼に生きるーウィリアム・バークレーの一日一章)


中村哲氏が殺されたことはあまりにも衝撃的だった
だからこれは何なのだろうとなると相当にそこにかかわっていない理解できない
だから外から軽々には語れないのである
何かよほど込み入った状況があったとなる

援助するにのだからボランティアだから何でも受け入れらてほめられるとは限らない
何かボランティアというだけでその人は善人でありほめられるべきだなる
でも不思議なのは別に金をもらって働く人もほめられるべきなのである!
なぜならそういう人でも危険な仕事を命がけでしている人も普通にいるからだ
それがボランティアになったからとそれでその人が特別な人とはならないのである
だからむしろボランティアには金を支給した方がいいとなる
ボランティアの問題は無料であり無償であること故に問題が起きることが多いからである

無料ということ無償ということは→無責任なこと

こうなっている、社会で働く人は金をもらっているけど責任が課せられている
ボランティアには責任がないとなるといい加減だとなる
援助は継続的にしなければ効果がないというときもそうである
その時々で気まぐれではなく継続的なことが必要なのである

ただなぜこのボランティアが問題になるのか?
援助するにしてもそれがむずかしいからである
困った人がいるからとしてその人だけに金をやったり援助すると周りの人たちがねたんだりする
ある派閥だけに団体だけに援助すれば他の団体からねたまれて批判される
つまり公平であることが最高にむずかしいということである
障害者は一千万人いるとか数が多い、すると一人を援助することではなくそれだけの数を援助することが必要になる
でもそんなこと個人ではできないのである、しかたし地域にしてもそういう人達が多いから一人だけを対象にはできない
貧困問題にしてもそうである、一人だけを助けるとしてもその他の人たちはどうなるのかとなる
そして必ず一人を援助すると回りであいつは得しているとして周りに行ったり役所に言う人がいる
だから援助すること自体が何かめんどうなのである
それでしたくないともなる、めんどうだからかえってしない方がいいと実際に自分は思った
ただ自分の場合は何もできないのだからそういう前にそんなことも言えないとなっていた

現実に援助物資を送ってもその国の上層部の人たちのみに回り下層には回らないということが良くある、するとその援助はなんなのためだったのかともなる
今回の中村哲氏の事件も灌漑用の水路を作ったりしてそこに水利権が生まれて争いになった、何か一方に組みするようになった
それが原因だったとされる、利権争いが起きて巻き込まれた

でも明らかに中村哲氏に深い恨みをもった人の犯行だった

中村哲氏本人を狙って殺すことが目的だった、まだ死んでいないのかとしてそこでまた銃撃してきたからである
これも残酷でありそこまでするのかとなる
いくら恨みがあるにしてもそこまでするのかとなるとその事情はもう理解できない

中村哲氏は医者らしく医療のみの援助をしていればこうはならなかった?

灌漑事業に手をだしたためにこうなった

そこで水利権とにかかわり公平さを欠くようになった
でも中村氏は医療だけではこの悲惨な状況を解決しえないとしてそうなったのである
それが悪いとも思えないのである
ただ援助というのが何でも受け入れられていいものかとなるとむずかしい
駅の案内でも教えられることが嫌がる人が普通にいるからだ
私のしたことはほとんどとるにたらないことである
だから責任もなにもない、それで何をしているんだと警察に通報されて職務質問された
それも今思うとそんなものだったと思う
駅長にもとがめられたし何らそこでほめられることはなかった
ただうざいとされただけである
でも案内してありがとうと言われたことは意外だったのである
そもそもそんなことでありがとうと言われるとは思わなかったからだ
つまり自分には社会的経験が不足していてそういうことすらわからなかったとなる
ここにニートとか引きこもりの問題があったのだ

いづれにしろ今回の中村哲氏の事件は何を語っているのか?
ボランティアとか援助がそれが無償でも必ずしも受け入れられない
それが誤るとかえって反発される
ただ正直本当にそこまでして残酷に殺されるということは理解できない
つまりアフガニスタンの状況が理解できないということである
そこは想像を絶する場であり平和にのんびり暮らしている人には理解できない場だとなるそういう場にのりこんで働くこと自体が勇気あることだとなる

どうしても失敗したのは確かに灌漑事業が必要でもそうなるとそれはまた別な方法でしなければならなかった

その援助がどういうふうにその地域社会に影響するのか?それが問題だった
もしかしたら独善的になっていたのかもしれない、ボランティアでも何か俺はいいことしているんだとしてそれが独善的になりいいことしているんだから認められるべきだとしてかえってそれが嫌われることもある
灌漑事業は別な方法でするべきだったのかとなる

でも前に医者が一人死んでいる、その人はそういう灌漑事業と関係していたのか?
ただ医療に従事しただけで殺されたのか?
その詳しい事情はわからない、とにかくペシャワール会ではその時なぜ殺されたかの?。それを検討して中止すべきだったのかとなる
援助するにしても中村哲氏一人では独善的にしてもできない
結果的にガードマンが6人も死んだからである
その人たちの協力があってできる、一人ではできない、するとそんな危険な所に行くべきではないとなる、自分一人で死んだならそれで良かったのかもしれない
6人もまきぞいになり犠牲になっことは重大だった

なぜなら中村哲氏に深い恨みをもった人たちが殺害した

ガードマンはまきぞいになり犠牲になったことは確かである
それは中村哲氏が独善になったからかもしれないとなる

なにかボランティアはあまり責任の重いことはするのが問題がある
それだけの責任が生じるとういことはとてもボランティアではできないからだ
だからボランティアの領域を越えたものだった       

実は最近、アフガン社会に根差した活動をしてきた中村医師を取り巻く状況に、ある変化が起きていた。2018年2月にアフガン政府から勲章を、今年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与されたのだ。私はそのことが、中村医師が卑劣な犯行の“ターゲット”になった遠因ではないかと考えている。

あまりにも目立ち過ぎて標的になった、ガニ大統領に反発する集団がそれで中村医師を標的にした
だから目立つことも危険だと思った、現地の人を前に立て後方支援ならいいが率先して前に立ったということもあるのか?
でもそうしなければ灌漑事業などできない、だから政府支援でJICAで灌漑事業するべきだというのもわかる 
個人的には無理だということである、そんな危険な場所に行くには自衛隊も護衛として必要だとなる
それで中村哲氏を批判する人は9条信者だったが自分の命も守れなかった、9条信者でも結果的にガードマンを6人も道連れにして犠牲にしたとか批判している、これも一理あるとなる

とにかく何か援助するにしてもむずかしい、野良猫がかわいそうだとしても猫を飼うこと自体容易ではない、また野良猫に餌をやると増えてきて困るのである
だから地域で飼うことが必要だとしている、地域で野良猫をめんどうみる
それは去勢して増やさないようにする
それも協力ができてのことである、そうしないと迷惑になる
現実に一匹の猫を私は殺して始末したからである
猫の問題は増えすぎることなのである
結局かわいそうだと思っても殺すことに逆になったのである
そういう矛盾とかがある、それが中村哲氏にも起きたのかもしれない
ただこの事情はアフガニスタンを理解しなければわからないことである
だからそこまで行動した人を軽々には批判できないのである

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2019年12月09日

ボランティアの最大問題は責任問題? (中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


ボランティアの最大問題は責任問題?

(中村哲氏に日本政府は警告していた、受け入れ側にも責任があった)


退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。

 もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょう

 車を乗り合いにしないといけなかったり(人を乗せての事故は怖い)
子供のプールの監視も、何かあったら監視の責任らしく、「ずる休みした人勝ちじゃん!」と思ったり。

 ボランティアの者に子供任せる保護者の方のなかにも、なんと無責任なことか!と思う家庭があります。


 まるで学徒動員…日本五輪委員会の嘘が招いた過酷ボランティア

 。無償ボランティアが貴重な経験とは聞いて呆れる。強制であろうがなかろうが、”タダ働き”というボランティアそのものが罪なのだ。

 役員の報酬が悪なら、無償ボランティアの精神も結局は悪なのだ。つまり、タダほど高く付くものはない。


ボランティアはなぜいろいろ問題になるのか?
ここでは危険があるからその危険の保証をどうするのかが問題になる
またボランティアを頼む人にも問題がある

ボランティアはなにかあいまいな無責任が問題

それは頼む方でも頼まれる方でもそうである、人間社会は必ず責任が問われる
だから駅で案内のボランティアしていたがそれも受け入れ体制もないのに勝手にしていたら怪しい奴だと誰か見ていて警察に通報されてみんなの前で職務質問されただけだった
でも自分の場合はなんの危険もないしわずか数十分の案内していただけである
それは無人駅になって駅に立ち寄ったら自然とそうなったのである
今はほとんどしていないけど私は駅でどんな人がくるのか興味をもった
それで話したりしていて後はたまに案内していた

でも相手が必ずしも案内を受け入れるとは限らないから声をかけるのをはばかるときがあった、そのかねあいがむずかしかった
結局案内できたときありがとうと言われただけである
それを認めている人はいない、あの人何しているのというくらいである
だから怪しいとして警察に通報されて職務質問されたのである

人間の社会は何か本当に責任問題が大きいのである、誰が責任をとるのか?
それは原発事故のような巨大事故でもそうである
原発を作るのはいい、でも事故になったら誰が責任をとるのか?
結局誰も責任をとらなかったのである、それは戦争するのもいい、でもこれも300万人死んでも実際は責任をとっていない
でも人間は必ず誰かが責任をとらされるのである
戦争では国民が300万人死んで責任をとらされた、原発で故郷に住めなくなるという責任をとらされた、地銀の人が私はプロですからまかせてくださいと投資信託を頼んだら
損しても絶対に責任はとらない
手数料は確実にもらいあとは顧客のことはあなたの責任ですとなる
つまり責任は銀行ではとらない、頼んだ人がとらされるのである
それは原発でも同じである、安全神話を作り絶対に事故は起きないとしていた
でも事故になっても責任は誰もとらなかったのである
でも地元の住民は責任をとらされたのである

おそらくボランティアの最大問題は責任問題なのかもしれない
それは危険な場合がある、千葉県で屋根にシートを張るにしてもそこに危険がある
子供の世話ですら危険がある、何か事故があったらボランティアがとらされることがあるでも頼んだ親も無責任だとしている

ボランティアをする方にもされる方にも問題がある

そのボランティアで深刻なことが起きたのが中村哲氏が殺されたことである
政府ではテロ組織が狙っているから危険だと警告して行くなと言っていてもあえて行った結果的に殺された、それもガードマンを6人とか道ずれにしたのである

この責任は誰にあるのか?

中村哲氏の行動はただ賛美されるだけであった
でも今回は何かそれだけではない、ボランティアの問題が浮き彫りにされたのである

まずそうした紛争地域にはボランティアが入れるような地帯ではない

つまり受け入れ体制がないのである、中村哲氏はアフガニスタンの英雄とまでされていたからあんなことが起きないと思っていた
でもすでに仲間の若い医師が殺されていたのである
そして政府ではテロ組織の危険を忠告していたがあえて行った
そしてガードマンを6人も道連れにして死んだのである
やはりここにはどうしても手落ちがあった、中村哲氏の責任が問われることにもなった
その功績はあったとしても何かボランティアの問題が浮き彫りにされた事件だった

ボランティアは何か軽いものならいいような気がする
それだって子供の世話だって何かあったら責任が問われるから簡単にできない
私のした駅の案内など何も危険がない、でもそうなると誰も認めない
あの人何しているというだけになる、でもただそうでも何かどんな人が来ているのか話すことで情報を得る、それが目的としてもあったからいいとなる

ボランティアはいかにも何でもいいように見えてそうでもない
だから何かつくづく昔の諺はここでも活きてくる

ただほど高いものはない

人間は無料ですることがかえって高くつくとなる、それはオリンピックのボランティアでもそうだとしている、熱中症の危険があるとしているからだ
だから金を払うべきだとしている
人間のむずかしさはただ無料でしているからほめられるとかにならない
そこに責任が問われるから簡単に何でもボランティアがいいとはならないのである

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これは何を意味しているのか?

駅の業務をしないとこれほどまで書いているのか?
それはJRでは責任を問われることを恐れている、駅の業務を頼むとJRの責任になるからだだから高校生の見守り役に限定してNPOをに頼んでいる
その金はJRでは払わない、市の方で払っているのである
でもなにかしら駅の業務が駅員いれば聞かれたりするし何か案内があったりする
それで盲人が一人通っているから案内をすることを言ったらその人はしたのである
別にそれは危険ではないのである

とにかくボランティアで最大の問題は責任問題なのである

一体中村哲氏が殺された責任をどうするのか、誰がとるのか?

ガードマンが6人殺された責任は誰がとるのか?

政府がとるのか?

何かそれが問われる、ボランティアだと別に政府でも責任をとらないということも問題になる、でも政府にしてもアフガニスタン側でも責任があった
アフガニスタン政府でも危険だらか断るということも必要だったとなる
でも日本政府はテロ情報を伝えていて警告していたから日本政府には責任はなかったとなる
こういうことは前も危険地帯に行って殺された人がいたから問題になっていたのである
ただこんなふうに問うと人間は何もできなくなる
現実に今や子供に声をかけもできない時代である
みんな怪しいとされる時代だというのもそうである、それだけ人間の信頼関係が喪失した時代だから

ボランティア自体が盛んなようで実行することはむずかしくなっている
それはあらゆることで責任が問われるからだとなる
そうなると何もしないのが無難だとなってしまうのである
この駅の高校生の見守り役のように仕事を限定してあとは何もしない
それより何もしないことがかえって安全であり責任も問われないからいいとなる
そういう何か窮屈なものにもなってしまうのである
とにかく人間は人を何かしら責めたい、その非を責めたいのである
マスコミ自体が常にそうして人を責めている、それが仕事なのである
でもそんな資格があるのかとなると無責任だからそうしている

ただ人の口に戸はたてられない

必ずなにかにと言う人はいる、そういう人たちはとにかく相手の非を責めることが快感なのである
そして良き行動でも難癖つける、それは自分にもある
そういう人はケチつけるだけで何もしないのである





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2019年12月07日

中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた (マスコミの一方的報道も危険)


中村哲氏の殺害と原発事故周辺の事情とはにていた

(マスコミの一方的報道も危険)

この事件を見ても人間に起きることがいかに複雑なのかわかる
例えば毎日起きている事件でもニュースでも本当は複雑怪奇になる
その事情に通じることは事件が起きたらとしてもわかりえようがないのだ
だからマスコミでもただ事実を報道することはいいとして
何かわかったような解説はしない方がいいともなる

何かマスコミは必ず裁判官のように価値づけして格付けして事の善悪を判断する
それが何百万とか一千万単位で見ていたらそれをそのまま脳裏に刻まれる
何も考えないとそのままマスコミに誘導されてそのまま受け取るのである

マスコミの危険性はそうして一方的に報道することである
何をどのように報道するかをまず決めて報道する
そこでNHKの幹部が決める

原発避難者側にまずつくということでこの辺でも放送した
原発避難者様としてあつかった、ある意味で原発避難者に逆らうことは非人間だとまで言われた、そうしむけたのはマスコミである、NHKでもそうである
でもそこには複雑な事情があった
津浪の被害者も同じ場所に仮設に入っていたけど補償金がもらえなかった
そこで補償金を高くもらった津波避難者とは口をきかなかったとも言っていた

でもNHKではまず方針を決めていたのである
それで飯館村の人がトマト農家に採用してくれというとき断った
その時、NHKの放送を見ている人は全国の人でもどう思ったのか?
なんという冷たい農家だと見たのである
でも別に冷たくも何もなかった
津波の被害者は補償金ももらえないから苦しかったから当然だったのである
でもそこでNHKによってそのテレビを見る人は頭にすりこまれたのである
それがもしネットのように何も津波の被害者が優先するのは当然ではないですか
そういうコメントもあったらまた別だがマスコミは一方的なのである
その価値判断を優劣とか善悪をマスコミが決めているのである
ここにマスコミの危険があった、それは一千万との人間見ているからそれによって
その見ている人もそのように見るからである

だからなぜ中村哲氏があれほど命がけで貢献したのにアフガニスタンで殺されたのか?
それは中村氏本人を狙って銃撃していたのである
その解説がここでしていた
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不毛の砂漠で灌漑事業して作物がとれるようになった
そこでその利益配分をなのかで土地のものが争うようになったという
それがこの辺の事情と似ていたのである
中村哲氏が外部の者でありそれも外国人である
その人が善意でしたことは受け入れられると思った
だから実際に地元の人に英雄のように讃えられていた

ではなぜ狙われて殺されたのか?

これが本当に外部からするとわかりにくくなるのである
そこにボランティアでもそうだが複雑なものが地元の事情があった
ただこれは本当に外部からでは理解できないものである
ただ作物が取れるようになりそれでかえって争いになったというのも何かそこにアフガニスタン特有の貧困からそんなふうになった
それだけ貧乏だとなると少しの利益でも争うことになる
それは遺産相続でもわずかでも争っている時代になっているのとにている

とにかく人間の世界は善意がそのまま何でも受け入れられることはない
かえって反発する人も内部の事情でそうなる
だから外部の人がいくら善意でもかかわることは慎重さが要求される
マスコミにはそういう慎重さが欠けているのである
その影響力が大きすぎたのである

マスコミは価値づけとか格付けとか善悪とかを判断するべきではない

事実を報道するのはいいとして何かそれを意図的に操作している
だから番組を作る前に方針を事前に幹部で決めているのである
ただそれがわからないように巧妙にしている場合がある
つまりマスコミは何らか必ずマスコミの報道方針を決めていて報道しているのである

今回の事件は果たしてそんな危険な複雑な場所に善意であれ援助するということが正しかったのか?
それが判断しにくい、それはなぜこんな目に合わねばならなかったのかということであるそれは自分自身が駅でボランティアしていて怪しいとして警察に通報されて人前で職務質問されたことである
それであいつは怪しいとなりそこで駅にいることもできなくなったこととにている
自分のしていることはそんなものであったし中村哲氏の命がけの貢献とはまるで違っていた
ただ善意がすべて受け入れられるとは限らないことである
それが人間の世界なのである
だからなぜキリストが十字架になったのかもそういうことがある
愛を実行してもそれは受け入れられないことがあるし何でもいいことが受け入れられる
訳ではないのである

家の中を見ると、土間に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました
ごん狐ー新美南吉  

善意でししていたことだったが殺されてしまった
そういう悲劇を中村哲氏の事件で感じた
善意は必ずしも通らないしその逆にもなる、それが悲劇となる
何かそういうことがここにもあった、地元の複雑な知りえない事情があった
それほどもしかしたら深刻な貧困があり争いがあり荒れ果てた世界がアフガニスタンなのかとなる
絶望的地獄になっているのかもしれない、ただ日本では安逸に暮らしている時そうした
深刻な事情を察することができないのである
本当になぜそんなことをとこれは簡単に理解できないからである

今回の問題もいろいろ考えさせられる事件だった
それはこういうことを地元で経験したから外国でも同じようなことが起きるのかと思った
ただまずアフガニスタンとかシリアとかのことを理解することは不可能である
そこは奇奇怪怪な世界であり理解不可能になってしまうのである
だからそういうところに安易に入り何かをしようとすることは善意でもできない
善意が善意として通るような世界ではない
そのために敵に味方したとか殺されることもある
それだけ人間社会は複雑なのである
善意が善意としてそのまま通るような世界ではないのである
だからといって中村哲氏を批判するというのではない
そういうことを批判はできない

ただなぜ地元の人に殺されねばならなかったのか・・・・

これが本当に理解できない、そのことがやはりここがどれだけ複雑で深刻な事情をかかえているかわかる
そういうことを示した事件ではなかったか?
お前らは俺たちの本当の窮状を知っているのか?
そういうことを示した事件だったのかもはしれない、そんなことをとてもアフガニスタンの内部から起きるとは思えなかったからである
それは謎であるが自分の経験と照らし合わせてもそういうことが推理できるのである



 今回の件に関してはアフガン当局も日本政府も事前に“襲撃計画”を把握しており、
それを本人に伝達して注意喚起をしている訳だからね。
紛争地域で偶然に出会して襲撃を受けるのとでは、全く意味が違うんだよ。
だから、犬死とは言わないが… って書いたんだよ。
謂わば、周りが身の危険を案じ、忠告をしてくれている訳だから
理解をしていれば、死ななくて済んだ。

とあるイスラム学者が言ってたけどアラブの争いは基本的に水なんだと

この人がお花畑の9条信者じゃなくてもう少しリアリストだったら、

周囲にいたボディガードも死ななくて良かったかもな。
いくら仕事とはいえアフガン側の犠牲者の家族とかマジでかわいそうだよな。

こういう見方もあるのはわかる
水の利権争いは砂漠では一番深刻になる

そしてここで中村哲氏の死を大々的に日本では報道しているが
そこで巻き添えをくって死んだ5人とかはどうなるのか?
無謀な行動で六人を死に追いやった
ということは中村哲氏は軍隊なら上官だった
その部下のことをきづかな分ければならない
もし襲われたら部下も死ぬからである

自分自身だけではない、その人たちの命もあづかっていたとなる
そこで独りよがりな行動はつつしむべきだったとなるのか

だから独りよがりの行動が周りにも犠牲者を出した
もし一人だけで死んだらそうは言われなかった
ただ危険の中で行動して来たのだからそれに慣れていたのかもしれない
でもやっぱり慎重さを欠いていたのか?

俺はアフガン人にはアフガンでぱ襲われない

そういう自身が今までの活動で生まれていたのか?

そういう奢りが油断がまねいた事件だったのか?

これはいろいろと議論をになる事件だった






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2019年12月06日

中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか? (ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

  
中村哲氏はなぜそこまで行動できたのか?

(ボランティアの行動とその動機、心の謎ー時にかなった死だった)

今回の中村哲氏の死にしてもそうである
まずその行動に注目している、アフガニスタンでなぜそんなに尽くすのか?
それは度がはずれている
なぜならすでに若い医師は死んでいるからである、殺されているからである
すると普通だったらその時点で危険だからとやめるのが普通である
ペシャワール会でももうこれではやれないとなり協議してやめるようになるのが普通である、そこまでアフガニスタンで働く必要があるのかとなるからだ
日本人の命をそれも医者の命を犠牲にしてまで尽くす理由があるのか?
何かそれが問題になったはずであり議論もしたのだろうがその後も続行したのである
それはペシャワール会の意志として一致して続行したのである

そこまでして続行する理由があったのか?

その行動からみれば感嘆することであり称賛されることである
ただすでに日本人が一人殺されている、そして中村哲氏だけでなくガードマンとかも六人とか射殺されている、その人たちはただガードマンとして金で雇われた人かもしれない
その人たちはアフガン二スタン人でもただ金のために働いたとなる
そういう場では生活が苦しいのだから金になればなんでもやるとなる
第一大麻を作っていたというのは貧しく売るものがないからそうなった
それからイスラム国のテロになったのは若い人でまともに働く場所がないから兵士となり金をもらうとなっていた
テロが生まれるのはそうした貧乏が原因になっている
それで中村哲氏がそういう人達のために水路をひいて自らその工事にたずさわっていた
医者だけでなく土木工事も指導していたとなる

ただその一人の行動は一人だけではできないから回りをまきこんでゆく、日本人でも寄付したり応援している、アフガニスタンでも犠牲者が出たのである
だからそこまでやるべきなのか?
それが疑問として残った、別にそういうことが悪いというのではない
つまりその動機とか理由がわからないのでそうなる

それは三島由紀夫の死でもそうだった
なぜそんな過激な行動をして自ら自死したのか?それが良くわからなかった
ただあの時三島由紀夫は老いることの恐怖を語っていた
それで肉体を鍛えてボデービルダーのような肉体を見せていた
そして老いる前に死にたいと思っていたことは間違えない
老いるということに耐えられなかった

つまりそれが自ら死ぬという決断になった

でもそんな理由であんな事件を起こして巻き込まれるのは大迷惑だとなる
外に向かっては確かに右翼で日本を守るべきだとか言うが現実問題として老いることの恐怖がありまた最後に有終の美を飾りたいということがあった
それは利己的な動機だったとなる、そんな個人的理由で華々しく死にたいということで
そんなことをするとなると大迷惑だとなる
だから彼に関しては独りよがりな行動であり評価できない
それがどんなに過激な行動でも評価できないのである

ただ正直人間は老人になるとわかる、そういう心境になるのである
もう生きる時間も限られている、そして病気で寝たきりとかになったら怖いとか介護状態になるのが怖いとかなる
その前に元気なうちに華々しく死んで生を全うしたと思う
ただそういう動機は社会にとって迷惑だとなる
それなら自殺がいいとなる、それが社会をまきこんでその死を日本の愛国心からであり
日本の国のために犠牲になったとはならない
何かだから独りよがりでありみんな演技だったのかと見たのである
それは三島由紀夫はテレビにしょっちゅうでていた有名人だったから余計にそう見えたのである、盾の会とかも演技なのかとも見ていた
何か滑稽で笑っている人が多かったのである
でもオウムでもそういうことがあった、何か漫画などで宣伝していたから何かあんなに怖いものだとは誰も最初の内は見ていなかったのである
でも殺人集団だったのである、そして優秀な理系の若者が浅原にだまされたとして叫び死刑になったのも重い事実だったのである

人間はなぜあんな行動したのだろうか?

それを問うときそれがわかりにくいのである、だから常にボランティアが偽善だと糾弾されている、それは何か純粋ではなく何か意図があるとかなる
それは善意であってもあからさまに表に現れてそれをまた強制するように見えるからかもしれない、なんだ善人ぶってとかなる
現実問題としてボランティアより自衛隊とかの方が金をもらっていても奉仕しているし役にたっている、震災で一番役に立ったのは自衛隊だったとみんな言っている
ボランティアはあくまでも脇役なのである
でも自衛隊を賛美する人はいないのである、税金もらっているんだからこんなときくらい働けよとか言われるだけである
おそらく戦争になったら真っ先になって死んでこいとか言われる、それが当然でありお前らの仕事なんだよなとる、今でそめういうことを言っているからだ

これと同じようになぜ中村哲氏でも自衛隊のように他国で援助している場合もある
でも自衛隊の人はその国の人に感謝されたり日本人からも称賛されないのである
それが税金で食っている、お前らの仕事なんだよで終わりである
だからなぜボランティアだけがそんなに称賛されるのか?
それで嫌われるということがある、、善人ぶってたいしたこともしないのにほめられたいのかとなる

ただ中村哲氏とかペシャワール会はすでに若い医師が一人殺されていたからボランティアにしても厳しいものだったのである
ボランティアでも命がけになったらやるのか?
第一建築現場とかでは仕事は命がけにもなる、そんなところで仕事できるのかとなる
安全な仕事の補助はできてもそういう危険な仕事は普通はできないのである

そしてなぜあのように称賛されたかというと外国で仕事したからである
日本でもいくらでも困っている人が苦しんでいる人がいるが日本でボランティアしても
称賛されることはない、だからノーベル賞をもらえる人だとなっていたのである
いろいろな賞をもらっていたのである
だから日本でボランティアしていたらそんなことはなにもないのである
だからこそ外国でボランティアをしたのかともなる

こんなふうに考えるのはその行動はあまりにも目立つものでありそんなことまでしてやれるのかという疑問になったからである
その人の心は動機がどういうことでそんなことまでできたのかと問うようになる
人間は行動は目立つし見えるからそれに衝撃を受ける
でもその人の心は見えないのである、だから心とか思想とかはどうだったのか?
それを理解することができない、ただそれだけの行動したということで称賛されるのである

いづれにしろ中村哲氏の行動はボランティアとかでもない、もう医者としてもそうだしプロとしての活動である、現実に医者が一人殺されてやめることもできたのに継続していたそれはもう国連の一員のように仕事として働いていたともみる
ただそうなると保証が必要になる、ボランティアも危険があるから保険に入ることが義務化されている
政府でも外国に阿部首相は特に援助している、それも莫大な金になっていた
それは政府主導でありそれは国民の税金なのである
それでダークネスでは貧乏人に援助する必要はない、税金を払っているのだからそこで
支援しているのだから何か援助する必要はないとしている

いづれにしろボランティアというのが何なのだろうというとき

俺たちは善意の人間であり俺たちはほめられるべきだ

ますこうなってはじめている、何も金を払って仕事するならそんな気持ちにならないのである、家建てるとか土木工事をするにしてもそれは金をもらってしていから誰も危険な仕事でも称賛したりしないのである
別に何も特別なことなどしていないのである、社会では金を払って終わりでありそれ以上のことを求めないのである
でもボランティアは最初から善人として認め称賛されるべきだとなっているのである
ボランティアでも社会が認めない限りまず続けることもできない
現実に自分の駅での経験ではそうだった、怪しい奴として警察に通報されただけなのである
そんな仕事であれそこまでされたら継続できないのである
あいつは何をしているんだ、必要ないことをしているとなったら続かないのである
それも中村哲氏のように命がけとはならない
そこに何かボランティアのむずかしさがある 
中村哲氏の場合はボランティアの域を越えていた  
ただ賞をあれだけもらい天皇とも合いとか並外れて認められたということは大きかった
そういうことがないならそんな命がけのことはできないのである
それだけの大きな仕事をしていたからそうなった
それが生きがいにもなったのである

だから危険な場所にあえて若者は行って殺されたりとか戦争に憧れるとかある
死地に生を求める、またその人生を命を有意義なものにしたいとして
73歳までも過酷な現場で働いたとなる
それが生きがいになっていたのかもしれない
高齢化の深刻な問題として金の問題もあるが生きがいの喪失がある
老人は無用だとか邪魔だから早く死んでくれとか現代では普通にある
それだけ老人が増えすぎたからである
それで死ねない人間が増えたのである、延命治療とかもそうである
そんなことに労力を医者でも費やす方でも嫌なものになるだろう
でもアフガニスタンで中村哲氏のように働けばアフガンの星となりたたえられるしその生が輝かしいものとなる、そうなるとそういう生を求めて選んだ死んだのかとなる

ともかく同じ年代なのでこんなことを考える
老人は死が身近だからである
では退職したからすぐにそんなものを見つけられないのである
中村哲氏の場合は継続してやっていたからそれができたとなる
第一73歳から始めたからできないからである
つまりそういう継続の中でできた行動だったとなる
だから不自然さはあまりないのである、そう望んでいて望み通りの死となったのではとないか?とすると何か後悔とかもなかったとなる
それはかなった死だったともなる
何かそういう死をなかなか今はできない、だらだらと長生きして後は介護でめんどうをかけ延命治療してようやく死ぬとかなっているからだ
そういう面から見れば時にかなった死だったともみる
そうなったのはそういう人生を送ってきたからだとなる

旅ばかりしていた自分などは旅で死ぬのがいいとかなる

ただ現代はそうして死ねる人はまれになっている、何か不本意に生かされる
もう生きなくてもいいのに生かされる、そういう死をニーチェは批判していた
                                                                        
時にかなって生きなかった者がどうして時に適って死ぬことができよう

われわれはもうあまりに疲れて、死ぬことさえできない、それでわれわれは目覚めたままで生きつづける
ー墓穴のなかでーツアストラ

現代の死はそうなっている、高齢化の膨大な死がそうなのである
本当に病院に入ったら入院したら死ぬことすらできなくなる、延命治療でそうなる
それを治療する医者よりアフガンの星となる医者の方がいいとなったことは確かである
ともかく高齢化社会というのは金もあるがこの生きがいが大事である
そして認知症になる原因が社会的役割の喪失が原因していることを書いた
家でも無用となり何も生きがいもなく脳も働かず痴呆化してくる
それも怖いのである、それが生きながらの死のようになるのがまた多いのである
でも継続したことができるが新たなことを退職したからとして簡単にできないのである
だから長生きはマイナス面として生き地獄のようにもなる時代なのである






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2019年12月05日

中村哲、アフガンで死すー「死地に生を求める人だったのか」 (アフガンの星となる?)


 中村哲、アフガンで死すー「死地に生を求める人だったのか」

 (アフガンの星となる?) 


 この人についてはわからないので語れない、でもこれだけのことをできたのはなぜなのか?
 よほどの動機がないと普通はできない、でも語っていることでぱパキスタンで貧民の医療活動をしていてそこから成り行きでそこまでなったらしい。
 だから何か強力な動機があるというものはなかったのかもしれない

でも感心するのは73歳で砂漠の暑いところで活動していたことである
73歳になったら苦しい、私は情けないけど海外経験がないからもう介護を十年とかしたら気力なくなったからだ
だからこの人の行動を見たら超人的にすら思える
なぜこんなことまで命が危険な所まで行って活動できたのだろうか?
その動機は何だったのだろうか?
それを知りたくても知り得ないからいろいろ言えない

そういうのは中村哲氏はアフガンで死にたいと自ら言って死んだからだ
そこまでアフガンへの思入れが生まれたのだろうか?
その動機がイマイチわからないのである
例えばあまり行動を評価するなということが宗教では言われる
なぜなら神はその心を見ているというとき実際の行動より心を重んじているからである

人間には善を成すにしても偽善的に必ずなっているのである
だからこその善の成したことを誇ったりしない、隠せとなる
ボランティアが問題になるのはそこにある
俺は善を成していると行動でも見せる、それで称賛される、称賛してもらいたいともなるからだ

この人は立派な人と言われてるが
日本にも困っている人はたくさんいるのに
何でよその国まで行って余計なお節介してるのかわからん
それほど立派なことなんだろうか? 

今はどんな人でもどんな立派なことをしても必ず難癖がつけられる
何でも一言でも言えるからである、つまりキケルゴールの言うように水平化するのであるもう生きている限り必ず批判がある、それは抑えることはできないのである
ネット時代になるとますますそうなった、youtubeで若い人が一言言って得意になっている
何か内容無くても批判したりして注目をあびようとしているのである

この批判となるとやはりなぜそんな危険な所に行くのか
身近でも困っている人はいくらでもいる

それは注目されたいためなのか?

イラク戦争まえにイラクとかに行って首切られて無惨に殺された人もそうだった
その人については批判しかなかった、なんでそんな危険な所に行くのだと自己責任だ迷惑だとして批判されるだけだったのである

でも中村哲氏の場合はこれとは全然違う、称賛のみがあるとなる
だからそこに疑問を感じている人がいないかとネットを調べたがあまりなかった
前にどこかで死んだ都筑詠一氏がやはり批判していたようだが死んでログも残らずわからなくなった

人間が行動するときどういう動機でしているのか?
それを追及して来た、仕事でもどういう動機でしているのか?
結局金だけなのが多いからそれが世の中の現実である、金を得ればあとは何でもいいとまでなっているのが今の社会である
でも中村哲氏はそうではない、なぜなら死ぬ危険をがあったからである
前にもペシャワール会の若い医者が死んでいるのである
すでに犠牲者が出ていたのである、それでもアフガンに支援に行っていたのである
すると命がけの仕事なのである

それはよほどのミッションがないとできない、使命感がないとできない
ただその行動に目を奪われる、ではどういう動機でそこまでできたのか?
それが謎なのである
ただアフガンでは英雄的存在であり讃えられる、でもそんな人をなぜアフガン人なのか殺したのかとなるのも解せないのである
そうしたらアフガン人全員に恨みに思われるからいいことがないからである
そして同行の六人とかも死んだことも犠牲になったとなる
犠牲に巻き込んだのかとなる、なぜなら外国人を標的にしたみたいだからである

ただアフガン人からすると

アフガンの星となり永遠に輝く
その命はアフガンに捧げられたり
その日本人は長く記憶にとどめられる
医者の鏡なれや、日本人の誇りでもある

なんかそうなふうにもなる
ただ一人の人間を知ることは容易ではない、だから知らないで人を語ることは危険である行動ばかり見ていてその動機を知らないと危険である

例えば三島由紀夫の行動は衝撃的であった、でもそれが本当に評価できるのか?
その動機は何であったのかわかりにくい、三島由紀夫は老いることを異常に恐れていた
それて肉体を異常に鍛えていた、自分も若い時体が弱いからそういうことをしていた
彼の行動を目立ち衝撃的だけど本当にどういう動機で行動を起こしたのかわかりにくい
だから人間は行動だけから判断できるのか?
でも人間は行動に目を奪われるのである

ただ人生は本当は行動した方がなんであれ勝ちだと思った
自分は何か旅したが外国を50歳でバックパッカーになり行動したことがひどい目にあったが良かったとなる、なぜなら今になるとできないからだ
親の介護になってからできなくなったのである
そしてその気力もなくなったから中村哲氏のような行動力には感嘆したのである

とにかくなにかにやと理屈とか言って行動しない人は後で損する、なぜなら肝心の行動ができなくなるからだ、だから間違っていても行動していた方がいいとなる
というのは人間の行動は経験は個人的にはわずかしかできないのである
そうして結局超緒していたら何もせずに終わったとなってしまうことが怖いのである
もう老人になると体力もなくなるし気力もなくなる、でも若い時には絶対にもどることができないからである
すると何であれ行動した方が勝ちだったとなるのである

ただ人間の評価とか判断は本当にに難しい
特に行動を評価することが一番むずかしい、例えば芸術作品だと絵画にしろ小説にしろ詩にしろその人の作った作品で評価できる、でも行動はどうしてそういう行動になったのかとか動機がわかりにくいし評価することがむずかしいのである
それで歴史上の人物でも評価が分かれるのである  

死の風に吹かれて (ハンス カロッサ)

鎮火半ばの煙の前に
兵隊たちは立ち尽くし
農婦は納屋の戸を開けて
耳に手をあてて外を窺う

窓は鳴り壁は震う
我らの立場いかなるか
今や君らにも知られよう
死の風に吹かれれば
おと 命の力いかばかりか増さむ!

理解されなかった存在の
あらゆる時が、聖なる愉悦 聖なる傷とともに
力強く輝き出るーーー
友よ 我らに役立つのはただ一つの事

われらは夢見つつ始めたことを
目覚めつつ築き上げねばならぬ
その勤め大いなれば
恐れが我らの勇気を殺(そ)ぐことなし


何かこの詩が中村哲氏にささげるのにふさわしい
なぜならハンス カロッサは戦場で働いた医者だったからである
それでそういう深刻な経験から詩を書いたからひびくものがある

つまり中村哲氏も死の風に吹かれればといいう状態で活動していた
それも73歳でも砂漠の不毛の地帯で働いていた、それも命をかけて働いていたとなる
ただそれだからこそ命の大切をその過酷な世界で感じることがある

今の日本はそうした惰弱な安悦をむさぼる社会である、でも日本でも戦争の時は若者はそうした生きる死ぬかのなかで戦場の露と消えたのである
だからかえって戦場に命のかがやきが瞬間的にも強烈に輝くことがあった
その負傷した傷でも聖なる愉悦ともなるということは逆説である
それだけ大いなるものに命を捧げる時そうなったのである

「死地に生を求める 」  

窮地に追い込まれたからこそ、そこに生きる意義を見つけ、経営者として本来やるべきことは何だろうか?と考える、

今はただ個々人の利益を追求するだけの社会である、あらゆることに金しかない
金を得て贅沢して安悦をむさぼるしかないのである
そこにかえって生が輝きを失っているのも逆説である
だから中村哲氏の死はそうして安悦をむさぼる死ではなく、輝ける死ともなった
そしてアフガンの星となり永遠に輝くとなる
ただその動機はイマイチまだわからないから称賛するのはまだ憚れるということがある
前らその人物に傾倒して追っていれば書けるがわからないからそこに正当な評価ができないのである

いづれにしろ現代は原発事故でもそうだった、ただみんな安易な道を求めている
だから多額の補償金をもらったら若い人は故郷を捨てた
そこで苦しむことが嫌だからである、他に移って楽に暮らしたいしかなかったのである
苦難の道をともに行くことはなかった、そして街は廃墟化したともなる
別な見方があるにしろ現代は何かそうして苦難をさける
日本人は戦後は特にそうだった、ただ経済の追求であり安楽の追求であった
だから中村哲氏は何なのだろうと理解できなくなったのである
そこまでなぜするのだとなるからだ、でもこの詩のような感覚があったのかもしれない
そこに生きがいを見出していたのかもしれない、また称賛されることもありあえて医者ということを活かしてそうしたとなる
実際73歳でもとにかくそんな過酷の世界に行くことは尋常な精神では行けないと思うからだ、自分の場合はとても行けないと思ったからだ










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2019年11月29日

カンボジアは中国人の植民地になった (それは十年前以上にも予測されていたー私の経験から)


カンボジアは中国人の植民地になった

(それは十年前以上にも予測されていたー私の経験から)

中国人の「ギャンブル」「詐欺」産業が集中するカンボジアのシアヌークビルに潜入したhttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191129-00016196-bunshun-int&p=1 

アンコールワットに行くなら覚悟したほうがいい。完全に「中国人の観光地」となり全然楽しめない。


これに共感したのは観光のバイクを経営していたのが中国人だった
そのバイクはホンダのものだった
5ドルとかで貸ししているとかバイクを地元でそろえられないから資本がないから中国人がバイクを貸してカンボジア人を雇っている
その時、ビジネスなど知らない自分ですらバイクを十台くらい買って貸せば経営者になるなと思った
つまり資本があればできる、でもその資本が金がカンボジア人にはない、それで中国人がバイクをそろえて貸して経営者になっている

それを見たとき私は外国旅行したのが50歳以後で遅かった
でもその時実感したのだ

中国人に支配されてしまうと・・・・・

それが現実化したのである、その後十年以上も過ぎるとめざましく中国が発展したからである、新幹線まで走っているのは信じられないとなる
その時鉄道では車両に中国人が家畜のように詰め込まれていたのである
現実に鞭で打たれていたというからまさに家畜扱いである
その時から出稼ぎ者が大量に移動していたからである

カンボジアは相当に貧しい、私自身関係していないが女性が5ドルで買えるとか言っていた、5ドルというと500円から600円だとなる
そんな値段なのである、カンボジアはそれだけ安いし後進国になる
内戦で二百万死んだとか骸骨が積み上げられた博物館もあった
そういうことで疲弊していたからである

こういう場所に次に中国人のカジノが作られる、それだけ金持ちも増えているから中国人が進出してくる、カンボジアなどは簡単に中国人に席巻されてしまう
何か奇妙なのはアンコールワットの壁画に中国人の兵士が描かれていた
するとカンボジア時代に栄えたとき中国人もここに来ていたとなる
タイとか周辺の国もここに集まり栄えたときがあった
でもカンボジアではアンコールワットだけが過去の栄光を伝えて森に埋もれてしまっていたのである

メコン川、トンレサップ川とバサック川の合流する地点に“ダイアモンド・アイランド”と呼ばれるコーピッチ地区があるが、ここは完全に“チャイナ・アイランド”。商業施設、ホテル、マンション、高級住宅など、ほぼすべてが中国資本により開発され、街中には簡体字があふれている。
 また、トンレサップ川対岸のチョロイチャンバー地区も高層ビル建設が進んでいるが、これもほとんどが中国資本が建てている。

アンコールワットは中国人が席巻しているというとき私が感じたことと同じになった
日本橋というのを日本で作ったがそれも中国橋が新しくできて目立たなくなったとかあるカンボジアには変な日本人の中高年がたむろししていた
何かそこで仕事を見つけようとしていたらしい、またそこが後進国でまだその時日本円が強かったとかあり優位にたつからそこに何しているのかわからないけどいたのである
日本では仕事ができない人がそこで何かしようとしていたのかもしれない

しかしそんな時代は終わった、そんなところで日本人は何もできない、中国人に席巻されてそこはもう中国人の街になり形見が狭くなるというのもわかる
カンボジアだったら優位になり日本人として友好もありうるが今はない
中国人の下でしか付き合えなくなったのである
日本は後進国になったとかなるとカンボジアまでいかなくても同じように中国人とかにいろいろおもてなしされる側になる
それもつくづくカルマだった、日本人が海外で威張っていた、それもできない、今度日本人が俺たちをもてなす番だとされる
それがグロ−バル社会の弱肉強食の世界なのである
経済でも技術でも負ければグロ−バル化の経済ではそうなるのである

2人が裁判で語った犯行動機や事件の詳細は次の通りだ 。中茎被告は銀行に借金があり、お金に困っていた。石田被告は借金はなかったが、「これから先何があるかわからないので、お金が欲しかった 」と話した

カンボジアのタクシー運転手殺害で、日本人の男2人を逮捕・起訴

これも信じられない、カンボジアで月収3万だというとき一応アルバイトでも20万収入があったという、だからなぜ殺すことになったのか?
殺す気でなくても暴れたので殺したとしているが強盗までするとは信じられないとなる
ただ日本の若者自体が貧乏になったというときこれもありえるのかと思った
かつての日本人ではない、貧乏な日本人であり海外で遊べる日本人でなくなっている
かえってインバウンドでは東南アジアからでも中国からでも大挙日本に観光に来て日本人がもてなす時代である

それにしてもこれほどまでに日本が落ちぶれたのか?

それを感じざるを得ない、中国は破竹の勢いであり日本は衰退の一途をたどるのかとなるただ反面中国も経済的には衰退局面に入り破局するとか言う人も多い
それは日本ともにている

いづれにしろカンボジアという国はもうカンボジアではない、首相からして中国の傀儡政権である、そして汚職にまみれている、金にまみれているという
ただこのことは日本にも波及してくる恐怖がある
アメリカ軍が撤退した時中国人が日本に戦争ではないにしろ中国人の金で様々なものが買われる、今は土地が買われている、水資源がねらわれている
アメリカと中国が対立してもアメリカ自体の力をも弱っている
だから日本がウイグル弾圧とかまたカンボジアのように中国人の植民地のようにされる恐怖がある、中国は日本から近いから大挙して中国人が移動できるからである
それは庶民レベルでできるし一部はそうなっている

だから何か不思議なのだけど日本が連帯するのは東南アジアとかインドだというときそれは巨大な中国に対抗するにはそれしかないからである
日本は中国とは戦争するべきではなかった、ただ東南アジアを占領してインドとも協力して戦ったように太平洋戦争の繰り返しなのかとなる
そういきう地理にあるともなる

とにかく旅行は介護になってから国内でもしていないし海外でもできなくなった
だから50歳でも海外旅行していなかったら自分はできなくなっていた
つまりこのように何かすべきときしないと後はできなくなる
体力もなくなるし気力もなくなったからである
だから何かすべきことはしておかないと後で後悔することになる
結局人間は何であれ失敗しても行動した方が得だとなる
なぜなら行動でも病気になったり何か介護とかなったりと不測の事が起きてできなくなるのである
海外旅行してなんとか国際性がわずかに身についたということで笑われるようなことを書かずにすんだ、今の時代海外旅行とか海外を知らないと知識人にはなれない
それでカンボジアのことを思い出したのである
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2019年11月20日

近間の最近の様子 (相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)


近間の最近の様子

(相馬市南相馬市新地の議員の年齢ーロボット工場のロボットの草刈機)

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最近新地と相馬市で議会選挙があった、そこで気になったのが年齢だった
50代だと若い、でも新地が平均年齢が61であり相馬市も同じ61だった
南相馬市は55だから若いとはなるが同じようなものである
50代だと若いのである 40代だと相馬市に二人とか南相馬市に二人とかなる
新地では57歳が一番若いからみんな60代以上だとなる
ただ72歳が上限でありその上はいない
やはりその辺が議員になる限界なのか?ただ72歳で当選した人が次もでればそれ以上の年齢の人になる
ここにも高齢化の現象が現れている
もう議員になる成り手がいないというのも言われる、限界集落では住民が直接参加して予算を決めるとかなり議員は廃止した
まだこの辺はそれなりの人口があるから議員もいるとなる

ただこういうふうに60代以上でしめられるとそこでは若い世代の要望とかが反映されないとかなる、市町村の将来を担う人は若い人になる時こういうふうに議員も老人ばかりだとどうなるのか?
だいたい60以上になると終活とか墓とかどう死ぬかなど考える
そういう老人は将来の市町村でも担うというのに向いていないともなるかもしれない
ただいろいろ地元には詳しいので経験があるので政治を担当するということもある

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鹿島区のログハウス風の仮設住宅は壊された、万葉の塔なども壊された
何かあれはもったいなかった、何か利用じてきたらとも思った
ただまだまだ大きな仮設がありそれは壊されていない、それだけ仮設が多かったのであるこれも一つの区切りである

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次に萱浜のロボット工場は広い、あれだけの広さを他に何に利用するのかと思う
あそこは全く変わり果てて前の面影はなくなった
ソーラーパネルもしきつめられている
それで今回の台風で水につかったのかとも思った
烏崎の港の前のソーラーパネルは水につかった
あそこがあんなに湖のようになるとは思わなかった、あそこは一番低いから水がたまったのである

ただ萱浜でも低い場所にあると見た、被害はなかったのか?
電源装置を見る人が何人もいた、あの電源装置が水につかったために右田浜の風力発電の風車は今もとまっているのである
あの電源装置はもっと高い所に置くべきだったとはなる
それは原発でも電源装置で大失敗したのである
地下に置いた結果、津波で水につかり使いなくなったからだ
つまり電気は水に弱いのである、だからそこを考慮すべきだったが後の祭りだった
ソーラーパネルも安全ではない、緊急時には弱いのかもしれない
その時電気は供給できなくなる

ロボット工場の草刈りのロボットは面白かった
あのように一日動いて草を刈ってくれると助かる
何しろ草刈りは田舎では日常的な仕事なのである
その手間が労力が毎日のようにしているから大きいのである

ただこのロボットの不得意なことは斜面は草刈できない、ここは平坦な地だからできているが斜面だとできない
それは田植の機械でも縁(へり)はできない、四角な面とか平坦な地とか機械が得意だけど何かそうではない土地は苦手になる
それで中国でもコンバインで麦刈りをするがそれは人間の手でやるより千倍とかの効率になる
でも依然としてコンバインの入れない土地がありそこは依然として出稼ぎ者が手で麦を刈っていたのである
だから機械が得意なのもあるが苦手なものもありそこは人間でしかできないのである
それはAIにも言える、莫大なビックデーターを処理することとかそういうものは得意でも全部ではないのである
そこに必ず人間がしなければならないものが残る
だから人間の仕事が全部なくなることはありえないのである
ともかくこの辺は津波原発事故以後激変した
その変化がまだつづいている、あのロボット工場はあれだけの広い土地が津波で使いものにならなくなったからできたとはなる







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2019年11月17日

洪水で注目された中小河川 (川を考えるー川とともに人間の生活があった)


洪水で注目された中小河川

(川を考えるー川とともに人間の生活があった)

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地理的一体感をもつ領域

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クリック拡大−南相馬市の河川


今回の台風で注目されたのは中小河川である、田んぼの中を流れている小川でも氾濫して砂がでてきたというのも不思議である
そんなところにも砂があったのかとなる、山からも砂礫となり砂が出て来た
普通は砂をみかけないのである、大きな川には砂州とかあるら砂はあっても小さい河川だと砂が見えないのである

そしてそもそも砂がどうしてできたたきろうかとなる
それは岩がいろいろ作用を経て砂になる、岩が風化して石になりやがて砂になってゆく
でもそれをイメージすると岩がそうして石になり砂になってゆく過程はその時間は億年とかなる、その時間のスケールが長いからイメージできなくなる

その砂から植物などの有機物が苔などが交じり土となる、その過程にも時間がかかる
海岸の砂浜は川が運んできた砂でできている、つまり山にも土にも大量の砂が含んでいるそれが川の水が運んでくる、そうして扇状地ができる
そこは人間にとって暮らし安い場所だから人口が密集するのである

川で今回注目されたのは無数の中小河川だった、それがあふれて被害になったのである
丸森でも阿武隈川は決壊していない、そこに流れている中小河川の堤防が決壊して被害になった、それから大量の土砂が山から流れて来たのである
だから日本の国土には無数の川があり特に中小河川がある
それが山が多いからそこに水が蓄えられて川となり流れてくる

そしてその川にそって田んぼができる、水が川から供給できるからである
つまり川が田んぼを作り村や街を作る、ただ日本の川は大陸の川のようち長大ではないから輸送には使われない、ヨ−ロッパの都市は河によって作られた
川が輸送のためにあり荷物が運ばれるから商業都市ができてその都市と都市が川で結ばれていたのである

日本の特徴は今回の台風の洪水でわかったように無数の中小河川がクローズアップされたことである、だからそんな中小河川が危険だと自覚していなかったのである
真野川は二回大きな洪水になった、堤防が決壊して二回氾濫した
それで私の家は街で一番低い場所にあるので二回を床上浸水の被害になった
その後川幅を広くして堤防を強化したので氾濫しなくなった
でも今回は危険な状態だったのである

洪水はダムでは防げない、高の倉ダムはすぐに満杯になり放流した結果、被害になった
緊急放流して8人死んだ所もあった
また溜池も決壊して被害がでる、つまり溜池でも満杯になり決壊すると被害になる
それはダムと同じだからである
人間は自然の力を制御できない、それは津波でも証明された

原発事故でもそうだった、津波でも東電では十数メートルの津波が来ることを予想していた、でもその対策ができなかったのは人間側の都合だった
コストがかかるとかいろいろ考えてできなかった、そんな人間側の都合など自然は考慮しないのである、そこに人間の力の限界がある

人間は自然を計ることはできない、計られ存在である
いろいろ計ってみてもそれがうまくいかないのである、原発にしても本当にそれを運営するには超人間的なスーパーマンにしか運営できない、そういう人がいれば運営できる
いろんな専門家が集まっても政治家でも官僚でも科学者でも学者が集まってもできなかった
そしてそこには必ず金の問題があり金をかけたくないとなり津浪対策もしなかったのである、それは人間側の都合でありそんなことを自然は見ていない
そこに容赦なく自然の力が襲いかかってくる

結局洪水を防ぐにも多角的な対策が必要になる、ダムがあるから安全ではないしかえって緊急放流で危険になった、堤防の強化も必要だとか避難を速やかにする対策とかいろいろある、何かそうして総合的に見ることが大事なのである
ただ人間社会は総合的に見ることが苦手なのである
第一もう人間社会自体総合的に見れる人はいない、それはスーパーマンしかいない
それで対策不可能になっているのだ

郷土史というときこれも何か人間の歴史だけではないその土地の歴史を知ることでもあるただ郷土史というより私の探求していることは郷土学だとなる
これは総合的な学問だということを知った
地質学でもなんでもあらゆることが関係していたのである
一科目ではない、あらゆるものがかかわるものが郷土学だったのである
だからとても一人では追及できないものだった、そこに限界があった
私は科学的知識が欠けていたから余計にそうなったのである

まず身近な川を知るにしても川は一つのものとして下流からでも上流へとさかのぼらねばならない、すると全体としての川を知ることになるがこれも大変なのである
常に人間は断片として地理でも土地でも社会でも見ている
川全体を見れないのである、ても川でも地理でも全体を見ることが必要なのである
土地はつづいていて全体としてあるからだ
だから飯館村で放射性物質のフレコンバックが雨で流れだしたという時それは南相馬市に流れて来る、飯館村の放射性物質は真野ダムにたまり南相馬市にも流れて来る
他にも川がありそれを伝って流れてくるのである
だから別々のものとして市町村でも区切られないのである
そういうふうに断片的に部分的にのみ自然でも社会でもみるとそこに必ず問題が起きて来る、ただ人間は総合的に全体的に見れない、視野が常に狭いのである
そこで問題を解決できないのである

とにかく川というとき大きな川には注目している、小さな川には注目していないかった
でも地図を見ればわかる無数に中小河川がまるで血管のように流れている
その中小河川にそって田んぼができている
そういう風土として日本があった、川でもそうだが大きなものは注目するが小さいものは注目しない、でも小さい川も自然の体としてみるとき毛細血管のようにあり自然の中で機能していた、そういうふうに人間は自然でも全体を見れないのである
自然は全体でありなんでも全体として作用してくるのである
体でも一部分が病気になることは全体が悪くなり一部分が悪くなる
人間はトータルな思考ができない、それが人間の弱点でありそれで失敗する
原発事故だって誰もその全体を知るものはなかった、原発とは一見自然と関係していないようで関係していた、津波でも安全対策として必要だった
それを東電では予想していたのに対策しなかっただけなのである

現代は複雑化して専門化して全体を見る力がなくなった、郷土学というときそれは全体を見る学問だった、一地域でも相馬藩としても広いからである
全体をみたとき地域的に見たとき何か相馬藩は歴史的にも伊達藩と対立したが宮城県の方と地域的にはつながりが深い、阿武隈高原にさえぎられて福島市とかは視界に入らないからである
それと海を通じて宮城県とつながることが津波の被害でわかったのである

海底谷は日本の周辺にたくさんありますが、 じつは東北地方にだけは大きな海底谷を見つけることができません。
陸上には断層も多いのにまるで海底が調査できなかった時代の地形図のように川は海岸線で終わっているのです、これはいったいどういうことでしょう
その理由は東北地方の沖では絶えず海溝型の大きな地震が起こってるためです
地震が発生すると斜面にたまった堆積物が不安定になり地滑りや斜面崩壊などが起こります、そのため大量の堆積物が陸上から流れ込んできて海底の断層を埋め尽くしていまい、海底谷が見られないので

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藤岡換太郎. 川はどうしてできるのか 地形のミステリーツアーへようこそ (ブルーバックス)

このスケールも時間的に空間的にも億年とか地球の大陸が分離する前の川が海に残っているとかなり川のドラマを語っている
ここで注目したのがいかに東北地方とか三陸辺りとかがもともと地震の巣になっていた
そういう危険な場所だったのである、ただこうしたとてつもない地質学的スケールとなると人間は見れなくなる
ただ津波でそういう危険な場所だったということを自覚させられたのである
だから川と海も分離したものではなく地球は一つの総合体だということを知るべきなのである
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2019年11月15日

南相馬市原町区高倉の台風の被害 (川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


南相馬市原町区高倉の台風の被害

(川の流れと土手の関係ー土手が強固だと守れる)


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片倉から馬事公苑に行く高台のソーラーパネル

なぜこんなふうに曲がったのか?

風で曲げられたのか?

水には濡れていないから直せくるけどこれも台風の被害だったとはなる

横川ダム

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大量の土砂が流れだしていた

高倉の被害

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 牛舎がある所が一番被害があった

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小さい橋はいくつか破壊された 
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奥の一軒家への道


水無川を下る

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水の流れが強く当たる場だったのか

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  土手が破壊されて住宅地に水があふれた



横川ダムから高倉の方へ回った、横川ダムでも回りの細い流れから土砂が大量に流れ落ちていた、自転車だから行くことができた
丸森でも被害が大きかったのは今回行けなかったが川の上流でありそこに大量の土砂が流れて来たのである、今回はいたるところ中小の川があふれて土砂が砂とか石でも流れたのである、その被害が大きかった
おそらく一時に大量の雨がふって土砂が流れた

高倉の水無川は二か所ほど決壊していた、上流の決壊は写真ではわからないが
実際に見た感じでは橋の所に流れがぶつかり圧力が増して決壊した
橋の下には土手の下に家があったが辛うじて助かった
その土手は広く厚かったのである
流れもまっすぐだった、その下になると土手は低くなり橋の所で決壊した

橋の所で決壊しやすいのか、橋で水がさえぎられるからなのか?
ただ上流の橋は橋の下になっていた
ただ流れが関係して土手が壊れた

だから確かに土手がしっかりしていないと破壊される
下流では一段と土手は低くなっていたのである
そこから水があふれて住宅地に浸水したようである

高倉ではダムを放流したことで被害になった、住民はそれを知らなかったとなって問題になった、緊急だからダムの放流は危険である
ダムというのも洪水を防げない、小さいダムはそんなに水をためる能力がないからだ
それでダムの放流で死んだ人もいたようだ

今回は中小河川が意外と危険だった、ほとんどあふれて田んぼにも土砂が流れたのであるこの高倉から水無川は新田川に流れ合流する地点で新田川の土手をあふれて4カ所くらい越水して半分土手が削られた、その土手は厚い広い土手ではなかった
またコンクリートで表面を強化していなかった
高倉の土手はコンクリートで強化していた

いづれにしろ今回の台風の被害は意外だった、これほどの雨がふり被害になるとは思わなかった、それは中小河川でも大量の土砂を石ころでも流した結果だった
木も倒して根こそぎ流したのである、それはまさに山津波というものだった
津浪でも木も根こそぎ流されたからである

横川ダムの道は一部破壊されて通行止めになっている
でも車が通っていた、道路を管理する車だろう
自転車だと別に道が悪くても行ける、マウテンバイクだと悪路でも行ける
とにかく自然も草と花とかも根こそぎ流された
これも回復するのに時間がかかる
自然はある時猛威をふるい流れを変えてしまう

ただ津波を経験すると丸森に行っても何かたいした被害でないと見てしまう
津浪だと家ごとなくなり人も二万人近く死んだとか村ごと消滅したとか被害が桁違いだったからである
だから津波の被害と比べると小さく見えてしまうのである





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2019年11月12日

天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる (戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)


天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる

(戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)

ドイツが戦後東西に分断された、それはソビエト連邦とアメリカによって分断された
それかベルリンの壁がとりはらわれて統一しても西と東はやはり依然として差別があり
統一されていないという、そして東の不満分子が移民の待遇より悪いとして政治的に働きかける、西ドイツのエスタブリッシュメントは依然として西側にあり変わらないからである
この東西の分裂、国が分裂することがいかに深刻なものになるかを証明している
それで日本もソビエト連邦とアメリカによって分断統治される計画があった
東は北海道をまずとりソビエト連邦が統治する計画である
西はアメリカが統治してドイツのように分断統治する計画があった

そうなるとドイツのような悲劇になった、ベトナムでもそうだし国が分断されることのく影響は甚大である、それは韓国と北朝鮮でも見ればわかる
一旦分断されとなかなか統一することが困難になる
ドイツのように統一してもその国民の間に亀裂が入ったままであり修復できないようになる

それで日本でも南北朝の争いで天皇が二人になったときその国を分断したことがいかに
国を乱れさせたか、それは本当に地方でもどんな田舎でも南北朝で争っていた歴史の傷跡が残されている、それだけ国が分裂することは影響が大きいのである
明治維新の時もその危機があった、国が二分して争う、そしてそこに外国勢力が入ってくるとさらにその分断は深まり収拾がつかなくなる
会津でもプロイセンと今のドイツ同盟して薩摩長州と戦おうとしていたことでもわかる
そこに外国勢力が入ると分断はさらに深刻化して修復できなくなる

日本には政治的に武力で制圧し統一するというより禅譲ということをする
それは国譲りの神話でもそうである、出雲国は強大だったが大和に国譲りした
それは日本では武力で統一するよりそうして平和的に治めるというのが文化だったのである、それで敵味方塚がある、明治維新の戦いで薩摩長州軍と戦っても福岡県の人の墓があったりする、東北では負けて悲惨でも敵方の侍を葬って墓まで作っているのである
そういう文化は大陸にはない、敵は墓からも暴き出して罰しているのが中国である
そこに融和するということはないのである
徹底して敵を打ちのめして二度と反抗できないようにするのが大陸国家である
それだけ異民族同士が争う時容赦のない争いになる
日本はもともと和をもっけ尊しとすべきというようにそういう徹底した争いはしない国なのである

天皇を考える時にどうしても日本をまとめて統治しえるものは誰なのか?
それは天皇がその役を担ってきた
江戸時代は鎖国300年で対外的に交渉しない時代だから天皇の力も弱いものだった
でもいざ外国が日本に襲ってくると天皇が持ちげられて国のシンボルとなる
民主主義だったら選挙に選ばれたものが大統領が国の王になる
でもあくまでも国民に選ばれたものであり天皇とか違う
なぜなら選挙に敗ればただの人になってしまうからである
天皇は絶対にただの人にはならない存在だったのである

民主主義にすればアメリカでもヨ−ロッパでも天皇のような存在はない、国王がいても国権を施行したりできない存在になった
日本でも同じなのだが何か日本の天皇はまた別である
以前として国権にかかわっているという学者もいるしそう思っている人もいる
ただの飾りとも違う、だから何か危急の時があると明治や戦争のときのように担ぎだされる
天皇に国権を行使する権限はないとして法律で定めていてもそこが明確ではない
戦前は明確に統帥権があったから問題だったのである

ただ天皇がこれからこれだけグロ−バル化した世界で通用するのか?
ヨ−ロッパのような飾りとしての王室ならいいが以前として国権にかかわるものとてしありつづけるのか?
それを国民が支持するのか?また国民が支持するから天皇はあるべきなのか?
なぜなら天皇は民主主義で多数決で決められるものではないからである
大統領は選挙で国民が決めることができるが天皇はできないのである

要するに人間社会には権力と権威がありそれは別物である
天皇は権威であり権力ではない、その権威の由来は何なのか?
それは長い日本の歴史の中で作られて来たものであり簡単には説明できない
ただ宗教となると天皇は現人神(あらひとかみ)となり神格化された経緯がある
天皇が神だとすることは天皇の絶対化なのである、誰も神には逆らうことはできない
だから天皇の命令は絶対でありそれに逆らうものは死刑にもなる、不敬罪として罰せられるのである
また天皇即位に対して大赦があるのも法を越えたものとして絶対的なものとして天皇がある
それは祭政一致でありまた政教分離ではないから問題だともなる
ただ天皇は権威であっ権力ではない、では権力をもっているもの権力を行使できるものは何なのか
軍隊に警察に命令して現実に動かせるものは何なのか?
三権の長も天皇の下にその許可を得てその地位につく、戦前は統帥権があり軍隊に命令することができた

日蓮の王仏冥合論では王とは権力を命令することができる実験をもつものであり裁判もできる
それでオスマン帝国の王は部下を死刑にもできたのである、それは王の一存でできたのである
だから創価は権力をにぎるとどうなるのか?
政教一致となり政治権力を行使できる、それに宗教が一体化するから誰も逆らえなくなる
つまり宗教は絶対なのだから権力をもつ王と宗教が一体化したら絶大なものとなる
もう反対はできない、宗教的権威は絶対なのだからそれに逆らうことはできなくなる
でも政治にもいろいろありそれにいちいち宗教で解決はできない
その矛盾がイスラム教で証明されている

神に逆らうのか
アラーに逆らうのか
仏に逆らうのか

宗教となると反対できなくなる、それで宗教団体の人たちが一団となって罰当たるとか攻撃してくる
それは何か共産主義と同じである、そこでは批判は許されないからである
全体主義であり自由な議論も討論も許されないのである、イデオロギーが絶対にもなるからである
政教分離できないから政治と宗教が一体化しているからそれでヨ−ロッパのように近代化ができなかったのである
つまり民主主義でも法治国家でも資本主義でもそうした体制は政教一致に反するシステムなのである
経済活動でも経営が失敗すれば宗教的にみると罰当たったとかなり成功すれば仏の功徳であり神や仏のおかげだとなる
だから戦争でも天皇が現人神(あらひとかみ)となれば別に戦争は戦争する前から勝つものとして行われたことになる
日本は負けないと決まったものとして戦争を行うから日本民族が絶滅するまで一億玉砕まで戦わなければならなくなる

つまり宗教であり信仰なのだから殉教と同じだとなる
今靖国に祀られている英霊は日本の国に殉じた殉教者だとなる
それはイスラム教の国とにているとなる
戦争では人を殺すことが肯定される、それも国によって推進される、戦争でぱ人を多く殺した人が英雄になるからである
だからそれ自体が矛盾なのである、「人を殺すな」というのが宗教では鉄則なのである
でもイスラム教でもキリスト教でも仏教ですら国と国が戦争になると人を殺すことが積極的に容認される矛盾がある

ではなぜ政教分離に創価だけではなく他の宗教団体でも反対するのか?
それは税金をかけられることで利害が一致しているから反対しているのである、それは神道派でも神社でも仏教でも寺でもそうであるそこで利害が共通しているから争っていてもここでは利害が一致するから税金をかけられないように共同しているのである
つまり人間は利害をはなれて利権を離れて存在し得ないのである
例えば今香港で自由の権利が奪われるとして中国政府に反対して若者が死んでもいる
でも中国と仲良くして金もうけている人たちも多い、すると何を求めてあれだけ過激な行動をしているのか?
それは民主主義の下で育った若者が自由を守りたくて命がけで戦っているとなるのか?
もし利権とか利害を考えればそんな馬鹿なことはしない、中国側に着いた方が無難だとなるからだ
そこでも国は分断されている

常に国家でも自治体でも家族でもなにかあると分断の危機に直面する、そこで苦慮する
小津安二郎の映画『小早川家の秋』で、中村鴈治郎の演じた道楽者のお父さんの葬儀の席で、娘が「たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや」と呟く印象的な場面があります。

天皇制はあったほうがいいのでしょうか?──内田樹

これも一つの面白い見方だとなる、つまり家族でも何の力もないような人でも

たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや

天皇もそういう役割があった、天皇は家族でも国家でもその要となり中をとりもつものとしてあった
ただ国家となると一体国家とは何か国家とはどうあるべきなのか?
それを考えるようになると非常にむずかしいものとなる
ただ人間は必ずなんらか国家に属しないではありえない、無国籍がいいとかいう人がいても外国に出るとなるとそんな人はいないのである、そして誰も無国籍となると守ってくれない、殺されても無国籍だから放置される
外国に出れば国に責任が生まれているからだ、国家に属していない人は誰も守る人がいなくなる
国家とは大きな共同体であり運命共同体であり生死をかけたものとして守らないと生存できなくさえなる
それでまた在日韓国人とか移民でもそういう人たちはただ経済的利益を得るために来ているのであり戦争とかなれば命がかかわると故国に帰るし在日だと日本に内部にいて敵対行為をして日本を不利にするとなるからそれを盛んに言う人がいる

ただ民主主義国家では国民が天皇がいらないとなれば廃止されるのか?
そねれを選挙で決められるのか?
その議論も深刻なものとなり国を二分するから危険なものとなってゆく、ただ天皇はいらないという国民がやはり多数になっていけば自ずと廃止されるようになる、それは天皇が決めるのではなく国民が決めるとなる
ただその国民の危険性はポピュリズムとなり大衆化したナチスのようなファシズムになる、カルト教団がそうである
カルト教団は政教一致だからである、宗教的狂信主義者となってゆく、そういう危険性が創価などにあった
オウムは極端でもやはり同じだった、宗教と一体化して権力を操作しようとしていたからである
だから政教一致は危険なのである、天皇もそういうものとてし権力側に利用された歴史があるからそこが問題なのである
でも大統領制になってもやはり日本でも分断される、その分断されることがやはり国家にとって最大の問題なのである





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2019年11月10日

天皇は維持できるのか? (日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)


天皇は維持できるのか?

(日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)

国民国家というものは、「歴史の法則」などによって、必然的に生まれてきたものではないんですね。
 北アメリカと西ヨーロッパに続けざまに起こった二つの革命によって、偶然に生まれた政治形態です。それが、世界中に広まったのは、国民国家の方が戦争に強い、という理由があって、国民国家にならなければ、生き残れなかっただけのことです。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=27808
 
 江戸時代には誰も日本国民と意識しない、領民でありその藩の藩主に殿様が君主だった
不思議なのは地方では天皇をどう意識していたのか?
天皇がどういう存在だったのか?ほとんど意識していなかったのではないか?
ただ無数の社が神社があるからそこでは祈り祭りが行われていた
でもそこから天皇を意識することはなかったろう

天皇を意識するようになったのは明治以降なのである
地方の神社でも国家神道化して天皇を意識させられたのである
江戸時代は寺の方が幕府の御用商人とか御用学者とか優遇されていた
寺は人別長とかあり戸籍係であり役所と同じだったのである
公務員的性格があった
その寺が明治維新で廃仏毀釈となり神社が優遇されるようになった
つまり神社側が江戸時代は不遇だからうらみをもっていてそうなったとかある
つまり宗教というのも利害で動いているのである
カルト宗教団体でもほとんど御利益宗教である
何か利益があるからとそうして団体に入り利益や利権を得ようとする
それは仏教側でも神社側でも同じだったのであ

明治以降は天皇が異常なほどに権威となり権力ももつようになったからである
天皇の神道が国家神道になったのである
これは民主主義とか人権主義とか近代国家となるものとは違ったものとして日本国家が成立したのである
それはヨ−ロッパなどの外国と対抗するために日本独自のものがあり天皇がそこで国をまとめてヨ−ロッパの列強に対抗しようとしたのである
つまり明治維新から太平洋戦争は日本の歴史として連続したものだった
だから太平洋戦争は明治維新を知らないとわからない、太平洋戦争の原因は明治維新にあったからである
欧米列強の植民地化の抵抗として明治維新もあったからである

だから国民国家というのは日本でも天皇を君主としても同じだった
なぜなら国民国家にならなければ対外的に対抗できないからである
日本には侍がいたのだから別に幕府だけでも外国と欧米列強と対抗できたのではないか?それだけではできないから国民国家になることが強いられたのである
それで西南戦争で侍の存在を継続を主張して戦ったのが明治政府が編成した国民軍だったのである
その時薩摩長州と戦って負けて辛酸をなめた会津の侍も国民軍として参加していたのである、そしてその国民軍として編成された侍でない人たちが侍集団に勝ったのが西南戦争だったのである 

侍だけではとてももう対外的にも対抗できないし日本国内でも平民が集結した国民軍が侍集団に勝った、その時日本は軍隊でも国民国家になったのであ
国家とか国民とかはそうして対外的に一致団結して戦うために生まれたのである
それはヨ−ロッパとかでも同じだったのである
東南アジアがヨ−ロッパの列強によって植民地化されたのは日本のように一致団結して国民国家として対抗できなかったからである
それは中国でも同じである、中国は共産党が指導して国民国家にして中華人民共和国が生まれたのである

明治以降の天皇は対外的にヨ−ロッパ列強と対抗するために日本独自のものとして復活したのである
天皇は日本国民を統合する力として強力に働きそれは太平洋戦争まで継続してアメリカに負けてその日本国民の天皇の霊力というか神聖性は崩壊したのである
現人神(あらひとかみ)信仰は戦争に負けて神通力を失ったのである
そして政治は政教分離になったが依然として日本では天皇は残ったのである

戦後は天皇の神聖性は失われた、天皇と平民とは同等だという感覚にもなっている
平成天皇が膝間ついて国民をねぎらっている姿がそうである
もう誰かが特別神聖で偉いとか世界的にもなくなったのである
どこでも王室でも皇室でも特別な存在と見ていない、国の飾りのようなものになっている今回天皇になった令和の天皇でもそうである
どうしてあの人が天皇なの?そう感じる、何か特別なものをそこに尊敬すべき敬うべきものを本当に感じているのだろうか?
ただ天皇家に生まれただけでどこが偉いのだろうかとなる?

明治維新からは権力で天皇の権威は押し付けられていたのである
日本の歴史が中心となる皇国史観になるのも世界でぱ特殊なのである
だからグロ−バル化したとは何か違和感を感じるのである
その統治形態は日本独自のものだから維持すべきだということもわかる
その危険性はやはり宗教がかかわっているからかもしれない、宗教という権威がかかわると政教一致となりそれが危険になる

創価だと教義自体が王仏冥合であり仏教と政治が一体化する、完全に政教一致であり
それで何かというと政治でも経済でも罰あたるとか地獄に落ちるとか言うのである
それは脅しにもなる、それが権力をもつとどうなるのか?
それが戦前のように天皇を現人神(あらひとかみ)御真影として拝礼してそれに逆らうものは特高がきて刑務所に送られるのである
宗教と権力が一体化するとそうなるから政教分離が生まれたのである

でも日本では国家を統合するものとして天皇が存在し続けた
そこには意味があった、対外的にヨ−ロッパ列強と戦うためには国が一つとならねばできない、内戦していたらそこにかならずつけ入れられて国力がそがれて植民地化される
分断されて支配されることになる、そのことが最大の恐怖なのである

つまり例えばアメリカ軍が撤退すると強大な中国が侵入してくる
ロシアも侵入してくる、そして日本が分断されることが一番怖いのである
その分断されたのが韓国でありシリアとかの惨状なのである
そうして弱体化した国は世界の草刈場になり国自体がシリアのようにめちゃくちゃになりそうなると国民自体がもう悲惨なことになる
そういう恐怖がまた実際に迫っている
それがこれからの最大の恐怖である、それを若い世代は真剣に考えねばならない
日本はだから統合して外国に対抗できる力を持つべきだとなる
そうしないと日本が韓国化してシリア化することが恐怖なのである

天皇は日本の歴史ではそういう政治的中心として役割があった
だから天皇が二人になった南北朝では本当に地方の田舎のすみずみまでその傷痕を残して語られている、それだけ内戦化することは国自体を疲弊させるのである
そもそも私の住んでいる地区ももともと南朝であり国府だった霊山城が燃えて落ち延びて来た子孫が住んで作られた町だったのである
だから天皇が日本にいなくなったらそうした内戦状態になり終始がつかなくなり国自体が滅びて外国の支配下に入る
ただその外国と対抗することで極端化したのが天皇制があったためだと反面なっていたのである

要するに天皇という問題だけではない、日本がこれからアメリカ軍が撤退して日本だけで独立維持して中国とかロシアとに対抗できるのか?
そのことがこれからの最大の問題になる、それは明治の時から富国強兵になったのはヨ−ロッパ列強と対抗するためだったからである
もし国内で分断したら日本は植民地化されて外国に支配されていたのである
そういう歴史がカルマとして再び日本はそういう立場にたたされる
日本の国は中国やアメリカのような大国でもない、また韓国とか他の東南アジアのように小国でもないのである、そこに日本が中国に対抗できる、ロシアにも対抗できる
戦争の時はアメリカにも対抗できるとなったのである
それは身の程知らずになった原因でもある

でもどうしたらアメリカ軍が撤退したらどうするのか?
それは今や遠いことではない、何年後かもしれないのである
そういう変化の時代に来ている、ただ日本国の実情はそういう対外的な厳しさに対抗できない、何か国全体が衰退しているというか経済力だけではない、軍事力だけではない
何かモラル的にもその強固さを失っている
明治維新の成功は何だったのか?
それも世界の不思議だとなる、それはその中核に日本の侍がいたからだともなる
明治維新を成したのは庶民ではない、侍だったからである
侍というのが志士となりまた明治政府でも敗れた側も侍でありその人たちが新しい日本国家を作ったのである
ただ国民国家となったとき日本はすでに侍はいなくなっていた
明治だと内村鑑三とか侍出身であり武士道とキリスト教の一致があった
何かそうして日本的なものとしてキリスト教も受け入れられてきたのである

いづれにしろ天皇制は維持できるのか?
それはむずかしくなっている、でもそれでは大統領制で日本は治められるのか?
それもかなり混乱してくる、
結局キケルゴールの言うように近代とはあらゆるものが水平化するから同列化するから
これまでの王様でも天皇でもそうしたものによる統治はむずかしくなる
要するになぜあの人が天皇で偉いのとなる
あの人はただの人間にすぎないとなるからである、つまり人間の平等化の力は凄まじいものがあるからだ、そしてそれが悪い方になるとポピュリズムとなりファシズムともなったのが近代国家だったのである
そういう矛盾が現れてナチスでも現れたのが20世紀だったのである
国民国家がかえって熾烈な戦争となり何千万とか死んだのである   
国民国家もまた悪い面としても働いたのである

ただアメリカ軍が撤退するというのは極めて厳しい現実であり日本はそれにをと対処するかは強いられる、決断を迫られる、そういう大きな変化の時代に直面している
それと天皇が維持できるのかできないのかもリンクしているのである
これからの日本は相当厳しい選択とかが迫られる、大きな時代の変革か迫られる
そのために津波とか洪水とか天変地異が起きているのである




posted by 老鶯 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月08日

テレビは映像で錯覚させる (丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)


テレビは映像で錯覚させる

(丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)
breakingpoint1.jpg
この映像を見たとき被害が大きいなと見た

確かにここが堤防が決壊した場所だからこれは本当だった

でもそれほどの高さに水は来ていない

この映像からそう見えるの  である

阿武隈川の橋を渡った向かい側の舘矢間とかは被害が少なかった

ただ映像でその辺も被害があるように見えたのである

阿武隈川は決壊しなければそこもそんなに被害にはならなかった


breakingpoint2.jpg

breakingpoint3.jpg
この支流が決壊したのでこのへん一帯か一番被害が大きかった

でも阿武隈川の堤防は決壊していない

支流の水があふれて被害になった


wideriver1.jpg

wideriver4.jpg

wideriver2.jpg
阿武隈川の河川敷は広い

こうしてここから広くなっているからここをあふれることがなかった

堤防が決壊しなかったから被害が少なかった


wideriver3.jpg

この高さは怖い、その水の量を見たら恐怖だったろう


金山地区の被害
kanayamariver11.jpg

kanayama2.jpg
雉尾川の金山地区のここが一番長く堤防が壊れていた

kanayama3.jpg
ここは老人ホーム



テレビで見たとき全体が広範囲に水浸しになっていた
でも今日行って実際に見たら第一川に近い斎離屋敷の通りは浸水してもわずかだった
だから観光案内所は開いていて普通に観光できる
何かテレピで見て被害が大きく見えたからただ見に行くことに気がひけた
でもそういうことはなかった平常に近い
ただそれは一か月くらいすぎたから片付けもほぼ終わったからかもしれない
ボランティアの人はまだ来ていた
トラックが多く通るから気をつけろというがそれも少なかった
この辺ではトラックが増えて危険だったがそういうこともなかった
おそらく意外と早く片付いてのである

今回の被害は丸森の支流は結構大きいからそれがいくつか氾濫して水をかぶった
でもそれもそれほどのものとは見えなかった
まず床上浸水した家屋は少ないように見えた、死んだ人は土砂崩れである
それはなぜかというと阿武隈川は決壊しなかったからである
でもその水の量は多いから水が堤防に押し寄せたから怖かったことは確かである
上流の川幅が狭い所ではかなりあふれた被害があったようだ

それでも川幅が広くなるところで堤防が決壊していないのでその水は町の方にあふれなかったのである
私は堤防が決壊してあふれたのだと見た、テレビではそういうふうに見えたのである
つくづくテレビは錯覚させる
丸森町の役所が水浸しになったのは阿武隈川は決壊してなったのではない
支流の堤防が決壊して水があふれて水浸しになったのである
それは支流が合流する地点で堤防が決壊したからである
丸森町の支流は大きいからそれがあふれた結果あのように水浸しになったのである

ともかくテレビは現実ではないというとき本当にそうだと思った
これは大災害だなと見た、だからただ写真をとるだけに行くのが気がひけたのである
前は津波のことでしかられたことがあったから気がひけた
でも丸森町の被害は津波からすれば千分の一万分の一とかになる
津浪の被害には比べようがない、家も壊れていないし床上浸水でもそれほど多くはないみたいだ
ただ片づけはほぼ終了しているから一か月過ぎているからわからない
ただ一か月くらいでほぼ片付け終わり終息しているということでもその被害はさほどではなかったと思う

ただこうして大したことかないとなるとボランティアも集まらないと寄付金も集まらないとかなるかもしれない、私も寄付しようとしたがたいしたことないなと思ってそれほどそういう気分になれなくなった
何か打ちのめされたようになっているのかと思ったからである
まず津波と原発の被害と比べると比べることもできない
その差が大きかった
とにかくテレビは錯覚させる、また何か被害があるとそこの場の事情がわからなくなる
それでテレビとか報道に頼らざるを得ない
でもそこに報道の危険があった、非常に誤解しやすいのである

小さいことが大きく見えたり本当は重大な大きいことが無視されたり小さく報道されたりする、それはテレビ局で報道側がそうさせるのである
するとそうして見せられたもので判断するから錯覚して誤解するのである
でも現実のそうした場に実際に踏み入れることはできないからテレビ局の報道が力をもつのである

だから何か災害でも事件があったらその場に行くことが大事になる
何かが起きることは場所と密接に結びついている
だからtake place(起きる)とは場所が問題になるのである
でもその場所をテレビだけからは知ることができないから誤解が必ず生まれる
世界で起きる外国で起きる事件はさらに理解できない
そこに誤解が生まれる、これは大問題なのである
そうしてテレビに写されたもので判断するほかないからである
それでイラクの海鳥が油まみれになった映像で世界中がイラクに対して怒ったということでアメリカが有利になった
でもそれは海鳥一羽だけでありそれは油をぬられていたのである
でもその一羽の海鳥をテレビに写されただけで世界中がその映像でイラクに怒ったのである

ともかく丸森は近いからまだ現実を確かめることができた
遠くなるともう確かめることもできない、だからテレビとかの映像で写真で判断する他ないのである
だからテレビでも写真でも本物とは違う、それはあくまでも一部分だからである
でも必ずそれで錯覚して誤解して見るのである
でもその現場に行くことができないのだから確かめようがないからどうにもならないのである

今回の私の失敗はてっきり阿武隈川の堤防が決壊したと思ったこと

このことがすでにテレビの映像を見たとき思いこんでいたのである
阿武隈川の他では堤防が決壊した所があったから丸森も堤防が決壊したのだと思い込んでいたのである
そういうふうに思い込みと何かあり誤解生まれる
だから真実を知るということは容易ではないのである

水ひきて阿武隈川のその岸辺鴨の憩いて我が見て帰る

それほどの被害でなくて何かほっとしたとなる

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2019年11月07日

首里城炎上消失 (変転極まりないこの世―末世の詩)


首里城炎上消失

(変転極まりないこの世―末世の詩)

一瞬にして首里城は炎上して消失した
その宝物もなすすべくもなく消える
そのようなことがかつてある
城が燃える、そして主君は切腹して果てる
大阪城が燃える、無念に淀君は死ぬ
紅蓮の炎の中に死ぬ
津浪にのまれて一瞬にして街が村が消失する
その恐怖も生々しい
それは未だに悪夢である
ある時赤紙が来て戦地に若き女性が送られる
それは地獄に送られたのだ
従軍看護婦として地獄を生きる
戦後紙幣は紙切れになった
事故で死んだ夫の残した金が紙切れになった
でもわずかに買った土地が財産になった
このように急激に運命が襲ってくる
変転極まりない人生を経験する
津浪や台風が容赦なく襲い飲み込む
常に突然に襲い無と化してしまう
この世の財宝はかくして火に燃えて消失し
水にのまれて消える
アトランティス文明も大海に沈む
この世に永遠の都はない
つかのまの繁栄であり火に燃えて消え水にのまれる
それがこの世の変わらぬ習い
あなたの命は明日はないかもしれぬ
すでに青春は遠の昔となり白髪の老人となる
残る命を数えているだけになる
そのように激しい変遷にさらされている無情の世
台風で古木も倒れその後に荒れた河原の土手の道
風が吹き荒れ木の葉が吹き散る
もうまもなく冬だ
脳梗塞で一命をとりとめた同級生が脇にいる 
津浪で家も村もなくなった人がいる
私の家族もみんな死んだ
ただ悄然として一人故郷に残る
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
そのように人に安住はない
死がすぐにあなたをこの世から引き離す
あなた自身が火葬にされて骨となり灰となる
常に世は無常の世界
人もまた無情である、昨日の友は今日の敵
信頼に値する友はない
野獣のように金のために襲ってくる
他者は金を得るためのものでしかない
財産があれば肉親でも財産を狙う
金のために原発でもいい
そして故郷に住めなくなった
ただそこは荒地となり草ぼうぼう
人は復興もなにもない、老人だけが残されて悄然としている
親を残して子の世代は去った
戦争の業火、300百万人が死ぬ
原爆の生き地獄、その苛烈な現実にうちのめされる
この世は火宅の世、変わらぬ地獄なのだ
この世のどこにも安住の地はない
安住の地は天にしかない
この世は滅びの世であり永遠はない
束の間の夢であり悪夢でありすべて無常のなかにある
首里城を作る職人の労苦も一瞬にして消える
未だ津波の恐怖が覚めやらないのに次々に変化する世
墓場の中にしか安住はないのか?
人の縁も簡単に切れる
人は頼りにならない、ただ己のことしかない
結局ただ風に散る木の葉のように人は翻弄されるだけ
後は死があるのみ

なぜこんなに津波から原発事故以後災難の時代になったのだろうか?
それは歴史をふりえれば世の中は常にそういう無常の世だたのである
常に時代は変化している、そうして翻弄されてきたのが人間だったのである
それは家族でもそうである、それぞれが運命に翻弄されていた
姉は赤紙がきてすぐに従軍看護婦としてシンガポールに送られて4年地獄を経験した
つまりそれは突然なのである

そういうことが自然災害でもあり津浪でも原発事故でも起きた
母は東京に女中に出て夫が工場で事故死した
そこで運命が180度変わってしまったのである
人間は運命を決めるのではない、運命は自然であれ大きな制御できないものによって決められ翻弄されているだけなのである
津浪でも台風の洪水でもそうだった、いくら堤防を作っても自然の力を制御できないのである

首里城が炎上して一日で消えるというのもそうである
そういうことは別に戦国時代でなくても戦争で焼野原になったときそうなのである
この世にあるもので永遠のものはない、だから人間は火と水で滅びるというときまさにそうだった
津浪ほどそれを知らしめたものはない、それは人知を越えた余りにも空恐ろしいものだったからである
この世にはそうした予想もつかない恐ろしいことが起きることを知った
黙示録の世界が来る、まず津波とか原発事故ではそういうことを感じた
原発事故でも原爆と同じように住めなくなるのだからもう住んでいられなくなるのだから同じなのである、それは自然ではない人間によって作り出されたもので滅びるとういことである
その前で人は悄然として茫然としているだけだとなる
そしてこの辺では復興などない、ただ補償金を求めて騒ぐだけであり後は何もない
若い世代は脱出していない老人だけが取り残されたのである

何か世の終わりであり末世であり災難が連続して起きる
今度は経済が壊滅的な状態になるかも知れない、紙幣が終戦と同時に紙切れなったようにそうなるかもしれない、アメリカは裕福に見えてもその日の食べ物も得られない人は相当数いるという、そして大金持ちは助けないという
そういう社会が安定するわけがない、何か不満が爆発して社会が乱れる
自然災害だけではない、そうした社会の乱れ人間のモラルの崩壊が起きてきて
そこに大きな自然災害が連続して襲ってくくる
そういう末世なのである、だから東京オリンピックなどもうできない
停止すべきである、そんなものに浮かれているときではない
東京が壊滅するような災害が起きるかもしれないからだ
そういう危機に備えるべきだとなる、台風の被害に予算を回すべきだとなる


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2019年11月02日

天変地異がなぜつづけて起きるのか? (悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


天変地異がなぜつづけて起きるのか?

(悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


日本の「異常な長雨」は人類存亡に関わる「氷河期の予兆」か
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/171108/lif17110811140005-n3.html

 人心は荒廃し、天変地異激しく、政状は混乱の極に達している世相に対して、提言した。
 世皆、正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還らず。是を以って魔来り、鬼来って災起り難来る( 立正安国論)


 
温暖化にしろ寒冷化にしろ地球自体が気候変動期に入っていることは間違えない
科学の時代だから科学的にこうしたことを説明できるとなるが科学者自体が明確に説明できないことに人間の限界がある
温暖化を言う科学者もいれば氷河期に入る前の予兆だという科学者もいる
科学者も万能ではないから気候がどうなるか解明できないのである

でもこれほど天変地異が起きるのはなぜなのか?

そこに宗教だと人心の荒廃のためだとなる、今回の津波でも原発事故でも追及して来たけど津波が人間の悪を明らかにした、洗い出したということがある
「安全神話」を作ったのは今の支配層だったからである
政治家、官僚、科学者、マスコミ、・・・・全部がそうだった、地元の人たちも金を得るとして積極的に誘致したのだからやはり共犯者だった
しかしそういうものは見えなかったのである
つまり人悉く悪に帰す状態になっていたのである

例えば船主とかが多額の補償金をもらっていたことも地元でも知らなかったのである
そういうことも暴き出されたのである
悪というものは見えない隠されているだから闇の支配者がいて世界を支配しているというのもわかるのである
金融なども複雑なグロ−バル経済になって見えない、悪は見えないのである
だからこそその見えないことをいいことに数パーセントの人達に世界の富が収奪されているとか言われるのもそのためである

科学というのも公正なものではない、御用学者がいて都合のいいように原発を擁護していたからである、もし科学者は科学に忠実であればいいがそうはならない
科学者でも科学は普通はわからないから原子力のことなどわからないからいくらでも庶民をだますことができるからである、その危険を隠すことができるからである

人間にも天使にも偽善を見破ることはできない、
つまりこの偽善こそ神のみを除く誰にも見えず、神の黙認によって天と地を横行闊歩する唯一の悪だからだーミルトン(失楽園)

この世の偽善はわからない、見えない、それは金融関係で株とかで他の証券とかでもそうなる、それは複雑すぎて見えなくなっているのだ
そこに巨大な悪が隠されている、銀行自体がそういう悪の手先だと言う人もいる
資本主義社会では銀行が金をにぎり支配するからそうなる
もちろん社会主義では独裁政権となり中国のように金を握るのである
中国のような共産主義はかえって悪が露骨に見える、だから庶民も反発していづれ革命が起きて支配層は殺されるとまでなる
資本主義はそうして富を不正に独占する者が見えないのである

だから天変地異とは何か人間の悪を暴き出すものがあった、それは原発事故のことで延々と書いてきた、今度はまた飯館村が原発で無惨な姿になり次にそのとなりの丸森町が洪水で大被害になった、それはなぜなのだろうとなる
別にこの辺は原発とも関係していなかったからである

確かなことは天変地異は人間の力を越えたものとして現れる、いくらこれだけ科学技術が進んでもそれに抗しきれないのである、そこに政治の不備があったり備えきれないからまた犠牲者が出る、それが最近は連続して起きているから何なのだろうとなる
もうこの辺では嫌になる勘弁してくれとまでなる
災害に疲れたのである、丸森はいいところだなと春に行ってそのことを書いた
それがあんな大被害になったことにショックだった

もうボランティアも集まらないというとき東日本大震災を経験してその時ボランティアは来たが、またなのとなれば疲れてしまう
自分自身でも何かもいいがけんにしてくれ、疲れたとなる
こうして災害が起きる平和の営みができなくなる
こんなとき俳句とか短歌を作っていられるのか?
ボランティアになり泥をかぎだせとかなるからだ、それは津波の時もそうだった、ただその時は自分自身が自分の病気と介護で苦しんでいたから自分の苦しみげ精一杯でありそうした余裕がなかったのである

いづれにしろ天変地異は人間の見えない悪を暴き出すことは確かである
それは小川に砂が見えなかったがその小川から砂がでてきて田んぼを砂地にしたこととにている、日ごろ見えないものが天変地異で現れてくるのである
防災の不備も現れるし政治の不満も起きて来る

なぜオリンピックなど金を使っているのだ

もっと防災の方に力を入れろとかなる、マラソンを北海道にするとかどうかなどもうオリンピックは返上しろとなる
こういうときはどうしてもスポーツでも芸能でも芸術関係に力を入れるより今苦しい人たちを助けるべきだとなるからだ
それは必ずしもいいことではない面はある
なぜならこんなとき俳句とか短歌とかのんびり作っていられなとかなるのは異常なのである、それは正常な人間の営みができなくなっていることなのである
飢饉と同じでありもう文化的な生活ができない、ただ食べるために生きて入るだけだとなってしまうのである

ともかく正直これだけ連続して大被害になると疲れる、だから丸森でも行って楽しもうとか自然を鑑賞しようとか思っていたができない、その被害が大きすぎた、津波とにていたからだ、これも連続して起きたからこそそうなった
第一あれだけの津波や原発事故の被害がありまたそれと劣らぬ大被害があることは何なのだろうとなる、それもすぐ近くで連続して起きているのである
だからこの辺は呪われている地なのかとまで思うようになる

世が乱れたとき天変地異が起きる、江戸時代が比較的平穏だったのは戦争とかもない
かえって開国して明治以降に日露戦争があり太平洋戦争があり莫大な死者を出した
つまりグロ−バル化は経済的にいいようでその反面世界戦争にも向かう危険なものなのである、かえって軋轢が強くなり国同士が争うようになる
それが世界的になり世界戦争となる

いづれにしろこの辺は災害で疲弊した、東日本震災から津波と原発事故から8年以上すぎてやや平穏をとりもどどしてきたなと思っていたらまた大きな災害となったからだ
ただ相馬市でもそれほどではないように見える、丸森の被害が大きかったのである
それは飯館村の隣でありそれが何故なのだろうとなる
そこは私が詩にもしたように秘境の場だったからである
それが無惨なものになったことがショックになったのである

平らけき道失へる世の中を揺り改めむ天地(あめつち)の業(わざ)  望東尼

まさに揺り改めむというとき天変地異はそういう働きをする、とすると大きく改める時代を変える時だとなる
とても人間だけの力でぱ変えられない、原発だって津波がなかったらそのままでありそして壊滅的になって日本が亡んでいたかもしれない、その警告として原発事故があった、神からの戒めとしてあったともみれる
東京だってもう遷都などできないとなっているが大きな天変地異とか地震とか来れば決断できる
そうしなければもう生きていけないとまでなるからだ
人間そこまで追い詰められなければ思い切ったことはできないからである






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2019年11月01日

砂とつく地名の考察 (相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


砂とつく地名の考察

(相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


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小山田の上ー小川が氾濫して砂畑になっていた



谷川氏に具体的に危険な地名と、その理由を明かしてもらおう。
「例えば、江東区には北砂、南砂という町がありますが、白砂青松(海岸の美しい景観の形容)というくらいで、地名に『砂』とつくのは海辺に近い軟弱な低地であることを示します。

 また、江東区の『大島』や『越中島』などの“島地名”も低い地域を指します。

 岩石から削られた砂は、純粋に鉱物から構成されています。そこにバクテリア、地衣類、コケ類などが定住します。次に死んだ生物の分解によって、有機物と腐植物がたまってきます。その後、水や空気などの働きによって、鉱物質と有機物の複雑な混合物ができます。これが土壌、つまり土なのです
 https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0298/
 
地球はもともと岩石から作られていた、その岩石は噴火などによって地中から溶岩となって噴出されてきた、その岩が砕けて砂になりその砂にいろいろな有機物が交じり土となった

今回の洪水では小河川がほとんど氾濫した、普通はそうした小河川には砂が見えないのである、だからその小河川があふれて砂がでてきた
どうしてここに砂があったのかとなる、砂はどこにでもある
土と見えても砂がある、なぜなら岩石が砕かれて砂になり次に生物の基になるものが交じり有機物となり土となったからである、土の基は砂であり岩だったのである

地名になるとまず砂とつく地名はいたるところにある、砂田とかなればもともと砂があった所である、河岸地帯だったらそこに必ず砂地になっている
地球には膨大な砂がある、砂畑もあり砂がいかに多いかはもともと土の基は砂であり砂がどこでもでてくる、海岸地帯だけではないのである

相馬市と小高に砂子田はゆなこだと呼んでいる

ゆな →いのー。砂。砂利。岩手県下閉伊那。[考]南島八重山で、砂をイノー、石垣島で州をユーニという。千葉県武郡で、浜の砂をイナゴ、島根県松江で、砂浜をイナハマという。それらとの関係。熊本で火山灰をヨナというのとも関係あるか。 →よな。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2016/03/post-0235.html

ゆなーよなーよねーえなーは何か一つのものから派生した同類の言葉である

与那国島とか恵那とか米子(よなご)とか共通の地名としてある、これも何か不思議である、砂(すな)の別名なのだろうか?古い日本語では砂をゆなとかよねとかよなとか呼んでいたのか?それだけ第一砂はどこにでもあり当然それにまつわる地名は多いとなるからである、与那国(よなくに)島が砂の島だというのはわかる
でも恵那(えな)となると山国なのである、でも山国にも砂はある、川があれば砂があるしどこにでも砂はあるから砂に由来して地名もあるとなる

そして今回の相馬市の宇多川の堤防決壊で一番被害が大きかったのは北飯淵である
そこはもともと淵とあり宇多川の淵である、そこは宇多川でも細い流れから急に広々とした河川敷になっている
あの辺一帯はもともと広い川の扇状地のようになっていた
川の一部だったのである、そういう地帯が日本には多い
だから地名が原初の状態から名付けられていて飯淵となるともともと川の淵であり危険だったとなる、そういう地名は日本はいくらでもある

地理を見る時土地の高低がわかりにくい、地図を見ても土地の高低はわからない
鹿島区だと海老は高いから津浪には安全だと思っていたが被害が大きく村は消失した
右田はさらに低い場所であり烏崎から大内と小島田は低い土地である
それでソーラーパネルのあり烏崎から大内の所は水がたまり使えくなった
そんなに水が流れてたまったのかというのが不思議だったけどそこは低い土地だから水がたまったのである、広い沼のようにもなったからだ

烏崎から大内から小島田から塩崎はもともと海であり低い土地だった、それは津波で証明された、塩崎の船着はもともと本当に入江となって船着場だったからである
小島田はそうした入江に島となっていたような土地だったのである

とにかく日本は土地がないから平坦な土地が少ないから海の方へと土地を埋め立てて田んぼにしたりして住むようになった、だから危険地帯が多い
江戸とは江の入口という意味だという、もともと入江だった所に住むようになった
当然そこは入江だったのだから低い土地であり土浦とか浦和でももともと浦だった
そういう場所は津波とか洪水になると危険な場所だったのである
日本には他にも山崩れとか危険な地帯が多すぎるから常に自然災害になり苦しんできた国だったのである
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2019年10月30日

なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか? (福島県は呪われているのか?)


 なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか?

 (福島県は呪われているのか?)

自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
 
 如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
 母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
 今はないリスボンの悪徳は、
 享楽に耽っているロンドンより、
 パリよりも大きいというのか。
 リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
リスボンの大地震ではもう海外に進出する気概すらなくなりポルトガルは衰退したのである、それほどの打撃だったのである
だからなぜリスボンだけにそんな大災害が起きたのか?
そういう疑問が起きるのはわかる

なぜ福島県にこんなに災害がつづけて起きるのか?

まず巨大津波が襲い原発事故になった、そしたら原発事故で住めなくなった双葉、大熊、などの人たちが大量にいわき市に移住していわき市にもともと住んだ人たちともめた
なぜなら原発避難者は多額の補償金をもらったから家を建てることができた
でももともと住んだ人たちはかえって土地の値段が上がったりして家が欲しくても建てることができない、それで不満になりもめた

そししてまたなぜなのだうか?いわき市も今度は台風被害で苦しんでいる
それからノロウィルスがでてまた恐怖になる
いわき市には双葉や大熊や浪江でも原発避難者が相当数移住している
そこにまた台風の被害があった、津波の被害者もいた
これは何なのだろうとなる

相馬市とか南相馬市とかさらに石巻とかまで太平洋岸では津波の被害で2万人近く死んだというのは8年前くらいである、そして今度は台風の水害でこの辺は苦しんでいる
相馬市となると松川浦とか海岸が大被害になった記憶はまだ生々しい
次に今度は相馬市内とか宇多川と小泉川が決壊して床上浸水になったところが結構ある
これも何なのだろうとなる

そして山を越えた丸森の被害が津波の被害とにていたのである
角田までの河岸が浸水した、また山崩れで死んだ人もいる
そして丸森町の隣が原発事故で被害が大きかった村だった
そこは田んぼの表面の土が削られて放射性物質のフレコンバッグが積まれた無惨な村になっている
私は飯館村とか丸森町は特別風光明媚な土地として見ていた
それがあんなに無惨な姿になるのは何なのだろうとなる

何か相馬総合病院の病室に一緒だったのは松川浦で津波の被害にあった人と新地で家まで失った津波の被害者とそれから丸森町の金山に住んでいる人だったのである
その人たちがみんな津波や今回の台風の被害者になった

なぜこんなに災害がつづくのか?

原発事故の原因は津波とか地震と関係していても人災ともみる
10数メートルの津波が来ると東電の頼んだ学者が警告していたのに無視してその備えもしないので電源が喪失して爆発してメルトダウンになった
原発に関しては技術的な側面もあるがモラル的な側面もあったし何か人間側に原因が求められる、だからこそその不備が訴えられる

そもそも原発は神に敵対するものでありそれが呪いとなった

それはゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたプロメテウスだった
それとにてやはり人間に与えられた神の罰なのか?
何かそういうものを感じてしまう、そのためにこの辺一帯は呪われた場所になったのか?丸森町は飯館村の隣でありなぜそこがまたあんなにひどい被害を受けたのかも不可解だとなる
飯館村と丸森町は原発とは関係ないのである、だからそれも不可解だとなる
福島県の中通りは阿武隈川に沿った市町村の被害が大きかった
それは原発事故のときも放射性物質が意外と風にのって飛散して汚染された場所だったのである

ただ不思議なのは福島県は広いから会津地方は今回はそれほど影響はなかった
それも不思議だともなってしまう
だからなぜリスボンが壊滅的被害なのにパリは踊っていると恨むようになったのである
ただ日本はこうして定期的に自然災害に見舞われる国である
だから歴史的にもそうでありカルマだとなる、でもなぜ飯館村とか丸森町とかまで悲惨なことになったのか?
そこで何か悪いことをしたのか?そういうことは別にないのである

そしてなぜ自分の一身上の禍を書いてきたけどそれもなぜだったのか?
それは自分自身のカルマの清算として過酷なことを強いられたとはなる
でもまた回りでもこうして次々に災難に見舞われるのか?

この辺はソドム、ゴムラになったのか?

つまり災いの地であり神に滅ぼされるから神の民は逃げるほかなかった
現実に一瞬にして滅ぼされたからである
何かそうしてこの辺には深刻なものを感じてしまうのである
リスボン大地震では国家自体がその後衰退した、海外に進出する気概さえ失われた
それだけリスボン地震は人々の心をくじいてしまったのである

今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
 まさに飯館村とか丸森はそういうことはない、享楽にふけるような金持ちはいない
都会とは違うからである、ではそういう場所になぜこうして自然災害がふりかかってきたのか?それは津波でも問うてきた
ただ津波の場合は原発と関係して複雑なものとなる
原発をもたらしたのは政府とか東電だけではない地元の人たち積極的にかかわった共犯者のようにもなっていたからである
原発から大きな利得を得ていたからである、それはモラル的には責められるべきものだったと今ではなる

その後もモラル的にこの辺は荒廃してしまったのである
補償金を得ることしか頭になくなった、そして補償金で争い飯館村でも分裂したし南相馬市でもそうである、そこには暗黒が生まれた
暴力団が東電から何億という金を補償金として不正にもらっていたとか腐敗があった
それは高浜町でもあり原発はモラルの腐敗を生むのである
その原因は巨額な金がそこに動くからである、飯館村などで何億円もらったとかなると完全に日常感覚から離れて狂ってしまったのである
までいな村などとはまるで違った世界になってしまったのである

例えば南相馬市では小高と鹿島区は補償金のことでもめて分裂した
でも小高の人は原発避難者が何をしていたか?
その補償金で毎日ギャンブルでありフィリンピン女性に仙台をで店を出させて補償金をなくしたとか嘆いているという人がいた
何か多額の補償金で身を持ち崩した人がそれなりにいたのである
それで小高の人を非難するとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる
なぜ鹿島の人は苦しい時同情もしないのかとなったのである

でもこの辺は津波原発事故以後にかわいそうな人たちとなり同情されるべき補償されるべきだとなったのである
それは被害者意識でこりかたまり韓国とか沖縄と同じくなっていたのである
何かあれば原発のせいだとなって終わりなのである
凍み天が倒産したとしてもそれも原発のせいだとしているがあれは誰でも作れるものだと女の人が言っていた、何か特別なものではなかったのである

結局水俣病でもそうだったように補償金だけをもらうために病気を偽装していたりとありそれで補償金でだめなにったとその当人が言っているからここも同じだったのである
そうしたことは必ず子孫にも影響する、何かあったら東電が悪いとかなる
そして補償金をもっともらう、被害者としてありつづけることだとなる
そういんう心性がこの辺のエトス(共有する心情)となってしまったのである

ただそれがあるにしても丸森町があんなに悲惨な状態になることは何なのだろうとなる
それも不可解なのである、

飯館村とか丸森町が何か悪いことをしたのか?

享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
 
これと同じなのである、むしろ東京に災いが来るのが理にあっている
東京の問題が地方にもちこまれたからである
原発は東京に作るべきなのは安全を計り福島にもってきて犠牲にしたからである
だから次の大災害は東京に来る、ただ台風の被害は最小限にとどまった
でも次はもう逃れられない大災害が来る
その前兆として福島とか宮城県の大災害だったのである

享楽に耽っている東京より、
福島県(宮城県)が大きいというのか。

どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである


災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf


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阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)


阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)

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信達平野の歴史をなぞると際限ないが、伏黒、二の袋、木幡の三村を、西根郷から東根郷に移すほどの大氾濫のあった天文9(1540)の大洪水、信夫山の南側を流れていた
松川の流路を変えた寛永14年(1637)の洪水
福島城の三の丸まで冠水した享保8年(1723)の洪水・・・・
明治になっても数年の一度は洪水があった

洪水になると洪水は河道からあふれて氾濫原を作る
水は河原の外に出ると流速は急速に弱まり水の運搬力も衰え運んでいた土砂をそこに沈積させる
すると川沿いに海鼠餅のような棒状の微高地ができる
古くはこの上に集落が発生した

福島市鳥谷野、腰浜(腰浜廃寺や郡衙があった)
伊達市の前川原、原島、箱崎(石田時成の築いた箱崎大舘は自然堤防の上にあり川跡湖の舘堀として利用していた)
阿武隈川沿いに延々とつづく集落はこの自然堤防の上に生まれたのである
その周りは湿地帯でありそこが耕地として利用された

阿武隈川の風景 高橋貞夫


阿武隈川は大きな川だからこそその流域も広くなる、堤防がないときは自然堤防ができてその上に大館のような館ができた、その周りの川の湿地帯が田圃とかになった、それは海岸が前は湿地帯でありそこを埋め立てて田んぼにしたのとにている
そして阿武隈川に古川とあるときそれは阿武隈川の一部であり流路が変わりそこに昔の古川が残った
それで川原とつく地名がその周辺に残っている、でもそれが広いので驚くのである
それは阿武隈川は大きいからそうなる

つまり地理を見る時必ず原初の状態から見なければならないのである
その地の利によって歴史が形成されてゆくからである、だから土砂が積まれてその上に舘が作られたということもなかなかこの辺ではイメージできない、なぜなら浜通りには大きな川がないからである
川を知るという時、上流から下流から全部知ることは容易ではない、阿武隈川となると大きいから余計にそうなる

なぜ今回こんなに阿武隈川で被害があったのか?
それは今だけではないここは川のカルマがあった場所だったからだとなる
カルマとはその地形が造りだしてそれがカルマとなり繰り返して現れることである
人間だと必ず苦しみとなって現れるのがカルマである
だから阿武隈川は何回も氾濫してきたのだからそれは特別なこと一回限りのこどではなかったのである

阿武隈川のように大きいとその影響が大きい、その流域も広いのである、それで阿武隈川に古川が残っているがそれは阿武隈川の一部だった、それがいまにも残っていてその流域に川原とつく地名が残っている
歴史はその川から作れていた、そこに土砂が流れて積まれて微高地になり館が作られて人が住んだとなる
そしてその周りが湿地帯であり埋め立てて田んぼにしたりしたのである
川で洪水があってもそこは生活にいい場所となっていたのである



阿武隈川水系の流域及び河川の概要(国土交通省ー河川局)
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/
shouiinkai/kihonhoushin/031128/pdf/e4-1.pdf

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  舘矢間とは丸森町である、ここの流量が多いのは下流域になり阿武隈川の水が集まるからである
  丸森町に阿武隈川の水量が集まり角田まで広く浸水した
  他にも土砂が裏山から流れて来たとかあった

  この地図で注目すべきは福島市と伊達市と丸森町と角田市の流域の土地が低くなっていることである
  でも福島市に被害がないのはなぜか?岩沼市と同じように河川改修して堤防を強化したためか?
  何か理由はある



阿武隈川は、上流域の白河盆地を過ぎた付近から北向きに流れを変え台風の進路と同じ方向となるため、台風の北上と流出量の増加が重なり、狭窄部による影響と相まって洪水の発生しやすい地形となっていることから過去たびたび甚大な洪水被害を受けてきた。阿武隈川の洪水に関する最古の記録は「カンジュウシの洪水」と言い伝えられてきた平安時代(寛治かんじ4年)の洪水がある。狭窄部においては、古くは天和てんな二年(1682年)から水害の記録が残っている。


各平野部内では変流・乱流を極め、洪水のたびに流路が変わるような状態で、河道の屈曲が甚だしい。特に郡山地区や福島地区の氾濫原は、再々度にわたる大氾濫で形成されている。福島北部から梁川にかけての氾濫原は、広いところで 6km に達する幅を持ち、その中には無数の旧川跡をたどることができる。

この論文は読み応えがある、詳しく阿武隈川を分析している、ただ今回は岩沼では被害がない、岩沼でぱ過去に二回くらい堤防が決壊して浸水している、今回はなぜ被害がなかったのか?おそらく河川改修と堤防の強化が行われた結果なのかとなる
岩沼の堤防は大きいし高いからそうなのかと思った、そこを歩いたことがあるからだ
堤防が貧弱だと決壊しやすいのである、相馬市の宇多川の堤防が決壊したのは明治に改修されたとあってもその後なかったのかもしれない、道を作ったとかあるが堤防そのものは改修していないのかもしれない、それで決壊したとなる

とにかく阿武隈川は長く広いのである、だから流域も広い、6キロもあるとすると広い、だから一旦洪水になったら今回のように広い範囲が被害になる、川を流れる水の量も膨大だからである
学問の基本が地理だという時、その地理を風土をどう理解するのかむずかしいものとなる
阿武隈川が中通りで台風の通り道になりやすいというとき今回二つの台風がそうだったのである
中通りの阿武隈川にそって上ってきて被害になったのである、そういうふうに台風の進路も規則的になる場合がある
それで被害が大きくなったのである

この論文で注目したのが地図を見たら土地の高低がマークしていて福島市ー伊達市ー角田と土地が低くなっていた
そして丸森町でも角田市と同じく低い土地になっている
するとこの辺が水がたまりやすい、水があふれると低地に集まり安いのである
それで湖のうよになってしまうのである、だから福島盆地が湖だったというとき阿武隈川が氾濫して湖のようになったからだとなる
縄文人は川の周辺に住んでいない、山の方の高い場所に住んでいた
これだけ阿武隈川が氾濫するとなると住めなかったとなる、津波でも縄文人が住んだ場所は津波の来ない場所だった
ただ大きな川になるとその辺が良くわからなくなる

いづれにしろこれだけ大きな川となると河川改修でも堤防を作るのに国家百年の計とかなる
日本はこうして自然災害の戦いを強いられた国だったのである、それは津波でその怖さを知らしめられた
また今回の台風でもそうだったのである、私の家は街で一番低い土地にあり堀からあふれて玄関から中が水浸しになった
水がここに集まるのである、川で行く川の水は絶えずして本の水にあらずである
川の流れも変わり古川とあるのはその名残りである、川も日本の国土が変化しやすい象徴としてあった
日本の風土のカルマとしてあったことを今回の台風は知らしめたのである

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2019年10月28日

相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2) (小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2)

(小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の道の駅から日立木の入口の川から相馬市街へ行く道の川の氾濫

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これは台風21号の被害である

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これも台風21号の被害

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小泉川の氾濫

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これも台風21号の被害

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宇多川堤防の決壊(台風19号の被害)

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かなり大きく決壊した

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水につかった所

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明治時代に河川改修した宇多川の記念碑

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これは昭和45年に道を直したとある

堤防を改修したのとは違うのだろう

でも明治に土手を作ったとか改修したとかなると古いもである

その頃から堤防は作り改修していたのである


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宇多川が決壊して小泉川があふれて両方から水が来たから被害が大きくなった
津浪の時その水の流れ方が一方的ではない、水は複雑な流れ方をするのである
だから小河川が意外と危険だと今回は知ったのである
堤防も低いからどうしてもあふれやすいのである

台風21号でも水があふれたらしい、でも両方から水があふれたというのは台風21号の時である

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下流の和田地区で小泉川が氾濫した

それは台風21号であり台風号の方が被害が大きくなった
水位高くなったところがある
台風19号と21号の二重に被害があった人もいた
そして小泉川の氾濫では21号の方の被害が大きかった
宇多川は21号では氾濫していない

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相馬市の道の駅によったがその隣のセブンエレブンからさらに六号線の道路へと水があふれた
その水が日下石川の水だった、ええ、あんな小さな水がこんなにあふれたのと驚いた
次に日立木に家並みに入る所にも小さな川がある、そこもあふれた

次に相馬市の鉄道を横ぎる手前の小川でもあふれた、床上まで浸水した所もあった
あんなところで床上浸水になったという驚きである

そして小泉川はこの三つより大きいのである、でもたいした川でなかったと思ったが
この川は前の三つより大きいからかなり被害があった
今回の洪水の特徴は小河川の氾濫にあった
宇多川が決壊して小泉川があふれたから両方から水が来たのである
結果的に広範囲に浸水した

一番被害の大きかった北飯淵も両方から水があふれて被害になった
相馬東高校があるがそこも床上浸水になったのである
宇多川は一部決壊したことでその水が北飯淵に流れたからそこが床上浸水になった所が多い、駅の方に水が流れたという時、どういうことになったのか?

とにかく決壊した部分から大量の水が流れたのである
小泉川の岸辺で増子議員とあった、国土交通省の人と話していた、その人たちは姫路から来ていたのである
なんでも激甚災害にするとか言っていた、金は出すとか言っていた
議員にはあったことがないから意外だった、そこに菓子屋の船橋屋がいた
後援会長しているとかで案内していた

そして堤防のことで国土交通省の人と話したが宇多川の決壊した堤防は明治に河川改修したとかの碑があったと古いから決壊したのかと聞いたらそうではないという
明治でも粘土とか使いかえって頑丈にしていたという
そういうものかとも思った、現代の方が格段に技術が進んでいると思ったが明治でも頑丈な堤防を作っていたことに驚く
信玄堤は今でも通用しているからそういうこともあっても不思議ではない

つまり昔作ったものがすべて現代より劣っているともならない
第一エジプトのピラミッドは非常に優れた建築物であり現代では作れないことでもわかるどうして計算して作ったのか解明できないのである
だから技術が後退するということもあるのかもしれない
日本建築でも法隆寺とかは優れたものだからである

今日は宇多川の北飯淵とかは行ったことがなかった
その辺をはじめて見てその土地を知ることになる
ただ相馬東高校があそこに建てたの河岸であり広い土地があったからである
あれは長野市の新幹線車両基地も市街から離れた元は湿地帯のような所に作ったのと同じである
広い土地がないからあそこに作ったのである、相馬東高校は相馬女子高校が基になっている
その校舎は市街にある

何かこうして津波の時もそうだが洪水とかあるとその土地の知らないことを知ることになる、郷土史として理解を深めることになる
ただ被害にあっているのだから物見遊山では嫌がられる
ただ津波の被害とは違ってそれほどにも見えないから今回は気楽にともならないが書けるもう丸森町は津浪と同じでありそこには当分行けない
ただどういう状態かどうしてそうなったのか知りたいとはなるが当分は無理である
とにかく今回の洪水は小河川が意外と怖い曲者だと知った
そうした小河川は土手がないからあふれやすいのである
それが盲点となって被害になったのである

posted by 老鶯 at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月26日

新田川の越水、また一部決壊の場所 (支流が交わる場所の危険)


新田川の越水、また一部決壊の場所

(支流が交わる場所の危険)

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台風19号で西殿に水があふれる

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小川橋より水無川を見る



小島田から六号線の塩崎方面

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小さな川でも水があふれる 鹿島区で低い場だから水集まり安い


西殿で新田川と水無川が交わる場所の所の堤防が連続して三か所くらい越水して土手が削られていた
あそこが今回一番危険だった、この写真は台風19号のものであり台風21号とは違っている
でもこの水無川の上流が高の倉ダムでありそれが昨日は放流したのである
それで避難指示がでた、高の倉ダムは小さなダムでありあふれやすい

相馬市の宇多川の上流の松が房ダムも小さいから満水になりやすい
そういうダムは大雨になると放流するからそれで被害にあったところがある
ダムは必ずしも治水にいいともならないのである

今回わかったことは西殿の水無川と新田川の交わるところが危険でありその土手を頑丈にする必要が迫られた、ここの土手は相当に頑丈にしないと危険である
何か今回は小さな細い川でも支流でも危険なことがわかった
小川町とあり小川橋とある水無川でも土手すれすれに水が流れた
あれもあふれたら家が密集している街内になるから危険だった

ただ真野川は今回はそれほど増水していないのに避難指示になったのは過剰防衛になった避難を警告するにしても広い範囲だと対処できない
今回は新田川と水無川が危険だった
だから高の倉ダムを放流するというとき周辺では避難すべきだとなったが真野川は避難指示を出すような状態ではなかったのである

いづれにしろダムだけで洪水は防げない、かえって大雨ですぐ満水になり放流するとなるとかえって危険にもなる
日本はつくづく水害の国だった、津波でもそうだし洪水もそうだし海に囲まれているし
水が山から急流となって土砂を運んだり山崩れが必ずある風土であり地形だったのである

posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月25日

南相馬市真野川流域に避難指示! (自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)




南相馬市真野川流域に避難指示!

(自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)

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南相馬市でも広い、川もいくつもある、せめて新田川とか真野川とか大きな川の状態を知らせるべき
地点で地点で避難するかどかは違ってくる
夜は避難しにくいから大きな範囲で避難指示を出されると困る
新田川は決壊箇所があるから真野川より危険なことは確かである

南相馬市の高の倉ダムが放流開始 流域の周辺自治体からの情報に注意

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新田川に高の倉ダムから水無川へ流れる

その水が西殿の越水した新田川の堤防の所に流れる
これは危険かもしれない
まだ修復されていないからだ
決壊した堤防もあったからだ

福島 南相馬の新田川が氾濫危険水位に

福島県と福島地方気象台によりますと、南相馬市を流れる新田川は、午後8時ごろ、洪水のおそれがある「氾濫危険水位」に達しました。

県と気象台は南相馬市の流域では、堤防が決壊して氾濫したり、浸水するおそれがあるとして、午後8時20分に「氾濫危険情報」を出して適切な防災行動をとるよう呼びかけています。





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消防車が真野川流域に避難指示がでたと回っている
自分の家の玄関から水が入り込んできて床下浸水になった
ここは街で一番低いから水が集まる

ただ真野川が水嵩がましたとは思えない
消防車もその危険は言っていない
ただ暗いから水は見にくいと思った

水につかって歩いた、水が堀からかあふれて自分の家に流れ込んでいる
ただ雨は小降りになっている
だから真野川は決壊とか越水しない限り床上浸水にはならない

でもなぜここで避難指示を出したのか?

避難勧告ならわかるが指示となれば強制的に避難しなければなくなる
ただ消防車では二階に避難して安全を計ってくださいとは言っている
前は近くの土手が越水して床上浸水になった、だか真野川が越水したりしなければ
床上浸水にはならない、だから台風19号で決壊した所は危険になっている

雨は小降りになっているから床下浸水で終わるだろう
真野川は越水していないしこの辺では崩れてもいないから安心はしている
ただ夜は様子がわからないから危険だと思った
避難する途中で危険な目にあう、だから夜は簡単に避難できないのである

玄関から入った水はひいた

一時的なものだった、台風19でも水は入ってきた
でも今回と同じだった

ここは被害はないだろう

22時51分アップ


posted by 老鶯 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然は人間の力で制御できない (行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)


自然は人間の力で制御できない

(行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり
(方丈記ー鴎長明)

日本の風土はこれだったのである、本の水にあらずというとき水ほど千変万化なものがないのである
だから水は制御できないものだったのである

戦後の河川事業は、自然としての河川の自由を奪い過ぎた、河川は本来ときには手足を伸ばしして氾濫したいという強い意志を持っている、放水路は洪水を無理やりに一つの河道におしこめず、洪水のエネルギーを分散させることによって川の自由を保証しているのである
遊水地も同じく河道に閉じ込める不自由から洪水の一部ただ一時的にゆっくり遊べる自由を河川に与えているのである(川と国土の危機ー高橋治)

人間が作る文明というのは常に自然に逆らうものだった、自然を利用するにしろ人工化する、津波でもそうだったけどもともと人間が住むべきでない所に家が密集しすぎたのである、伊勢湾台風で5000人死んだのも名古屋が都市化が拡大化して被害になった
今回の千曲川の氾濫でもそうだった、長野市でも千曲川沿いに家が密集したのである
そこは湿地帯とかになっていた所である
そこがリンゴの果樹園になったとき本来は千曲川の流域でありそういうものはなかった
リンゴを作ることで人が住むようになった

自然に対処する時、人間は自然を制御しようとする、川なら川の道を作りあふれないように土手を作る、そして土手を頑丈にすればいいとかまた水の流れをせき止めるダムを作ればいいとなる
ところがそれで水は制御できない、水は本当に津波をみればわかるように空恐ろしいものだったのである、そのエネルギーは想像を越えたものとして襲ってきたのである
人間は文明が発達すると自然を征服できる、制御できるという思想になる
それが結局これほど文明が発達してもできなかった
こんかいの洪水でもろくも崩れさったのである

そして治水というとき堤防とかダムに注目するが水の勢いは制御できない、とめられないという視点から水を治めるということに力を注がないのである
信玄堤そういうことではない、水の力を弱める自然に逆らわない手段をとって今でも効果がありつづけていることでもわかる
水は堤防とかダムだけでは治めきれない、自然の力がありそれを治めようとしてできない水は本当に自由なのである、どんな隙間にも入ってゆくし変幻自在なのである
だからそれを人工的に制御する思想が間違っているとなる

川でも海でもそうだったようにそれは自然であるからとても人間の力でぱ制御できないものとして対策するのがいいとなる
いくら水に対抗してもどこかに穴がありそこから自由な水は流れ込み制御できない
自然の力と大きさに負けしまうのである
何か常に人為的な人工的なものを嘲笑うかのように必ず破られて被害にあうのである

まず水を川を制御するにはとても堤防とかダムだけに頼ってはできない、ダムでも制限を越えると放流せねばならずかえってそうして被害になった
ダムだけに頼るのは危険である、ダムは万能ではないのである
そもそも脱ダムの思想が悪いわけではなかった
川をせき止めることは自然なことではない、自然に逆らうことだからである
そこになんらか自然に影響して人間に影響してくるのである

文明はもともと自然に逆らうことである、そこからして様々な問題が生まれて来た
その延長として核があり原発があった
人為的に核を操作することも自然に逆らうことであり科学者自体そんなことすべきでなかったと反省している、それはだいそれたことだったのである
それでとりかえしのつかないことになったのである
だから遺伝子操作などもどうなるかわからない危険が潜んでいるのだ
もし人間は神のように万能ならできるがそうでないから危険なのである
人間は万能でないから必ず必ず人工的なものでも事故が起きる、もし万能なら核を操作してもいいがそうでないから破滅的な事故になったのである

今回の洪水でも川だけみていてもわからない、山を見たり様々な視点が必要になるが人間は全体を見れないから常に過ちを犯すのである
専門家がいたして一部しか見れない、かえって専門家が危険なのは一部だけにこだわるからである、俯瞰して全体を見れる人はいないのである
長野市の新幹線の車両基地で車両が使えなくなって大損害を出したのもそうである
なぜ事前に地元の人とかもっと科学者とかに意見を聞かなかったのか?
それは原発の立地問題でも同じだったのである
ただ科学者が無能かというとそうではない、優秀だった、十数メートルの津波が来るから危険だと警告していたからである

車両基地はハザードマップで危険地帯であり洪水の危険がある地帯だったことでもそうである、しかしそれをJRの幹部は考慮しなかっただけなのである
ただそこがそうでも事前に避難させることは簡単だったのである
相馬市の松川浦ではあれだけの被害があったのに船にはほとんど被害がなかった
なぜなら津波が来たら沖に船を出せと言われていたからである
それはどこでも港では衆知していたのである

ただ本当に自然は人間の盲点をついてくると思った、自然に人間は完全に対処などできないのである、自然は全体であり人間を越えたものだからである
そこに人間側のいろいろな問題があり対処できないのである
そこには科学的技術だけではない、理系だけではない、人間側の経済問題とかコストとか金がかかわり歪められるのである、だから社会問題として災害があるというのもわかる
理系と文系とか越えたものとして自然災害があり対処しなければならなくなっていたのである

自然は常に変化して本の水ではない、本の川でもない、本の海でもない、本の山でもない変化しないよう見えても常に生き物だから活動して変化しているのである
百年単位でもそうだし千年単位万年単位で億年単位で人間は変わるのである
人間はいくら百年生きていてもじかに経験することは短いのである
そして何か30年くらいすぎる忘れるのである
30年前くらいにに私の家で床上浸水があった、その30年前以上でもその時は私の家は街で一番低い所にあり家が流されるほどの被害があった
でもそういうことが忘れてしまう、だから災害は忘れたころにやってくるというのが名言になっているのである

とにかく日本人の思想というか感覚はこうして絶えまなく自然災害があり被害があることから起きてきたのだなとつくづく思った、これほど自然災害にいためつけられる国はポかにないと思った、家が常に流されたり土砂崩れで壊されたり地震で壊されたり津波で流されてなくなる国だったのである
それで一番恐怖だったのは津波だったのである、一軒の家ではない、村自体が消失してしまったからである、だから空恐ろしいものだった
その後も洪水でこんなに被害があった、福島県は呪われているのかとも思う
ただ不思議なのは会津の方に被害がないのである
中通りと浜通りは津波と原発と洪水の三重苦になっている、これもどうしてなのだろうとなる、何かカルマがなるのか?ただの自然現象なのか?
何かそれだけではないものを感じてしまう、それはあまりに自然災害でも人間側に責任があるのかとも見るからである

水の流れは絶えずしていというとき水は流動してとまらないものである、一時的ダムに貯めたとしてもそこにいつまでも収まっていいない、必ず水は自由をもとめてあふれ出してくるのである、溜池でもあふれて被害があったからである
水をためることはこれも自然ではない、自然に逆らう行為だからである
つまり水は自由に流れさせて治めるのがいいというのもそのためである
実際に溜池を巨大化したのかダムだからである
ただ被害となれば溜池の方が少ないのである、水の量が少ないからである
ダムは大きいからいいようでも限界を越えて放流する時、被害があったように危険になるだから水の流れをそもそもとめることができないのである
そして水は本の水ではないのである、川も本の川ではない、自然は長い年月で見れば常に変化しているのである、自然自体が変化の故に今の姿がありまた変わるものとしてある
結局この世に固定しているものはない、動かない山でも岩でも変化する
地震があり津浪があり岩でも流されるし山でも噴火して形を変えるし変わらないものがないとなる、それが日本では極端なものとして現れる風土だったのである

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ここがわかりやすい、反論があるにしても実際に知事をしていたから語られるのである
何かこの人は小説家だから科学技術とか土木事業とかにかかわる
知事とかまた市長とか町長でも全体を見る人なのである
だから専門家とも違う、全体を見て指揮する人なのである、だからそういう地位につくことは責任もあるし
何かビジョンをもつとかにもなる、だから知事とか市町村長でも具体的に地域に実行力がある
だからここでも全体を見る作業のである、それが知事の仕事だったのである
それでこれだけ説明できるのである、ここに反論があってもやはりこうして独自で十分に言いたいことが言えるのがインタ−ネットだからいいのである、理解がマスコミに出るときより深まるのである

posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月23日

新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊 (支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


新田川が10ケ所くらい堤防が崩壊

(支流の水無川が交わり西殿橋近くが一番土手崩壊して水があふれる)


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太原

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工事中だった、橋が流されたのか?

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太原の橋の近く


西殿付近が被害が大きかった

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越水して土手が削られたのは他で見た
ここから土手自体が決壊してゆくと大量の水が流れ洪水になるから危険になる
半分は削られたから危険だった


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竹藪を越えて土手が崩壊している不思議

竹藪は河岸に飢えるのは水の流れをとめるためである
一応流れはある程度とめられているのか?
竹も根こそぎ流されたものもある


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近くに変電所がありこれも水につかったら危険だった
停電になる、他でも電気系統が水につかって停電になった

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鉄道の脇のここが崩れて水があふれれた
ここは越水というのではなく決壊に近かったのだろう
それで川岸の家が床上浸水になった


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支流の水無川が本流に流れて水の勢いをました

結果的に向かい側の土手が越水したり一部決壊した

ここの土手は頑丈に見えなかった、幅も狭い感じだった


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支流は水無川である

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ここの土手は頑丈なのか崩れないし越水もしていない
どちらかというと今回崩れたのは右側だった
その理由も何なのか?
水の流れの圧力の関係なのか?


新田川の被害が意外と大きかった、堤防の越水が多いが1か所は鉄道の通る場所は決壊してそこで床上浸水まであった
ただそこだけが決壊したので被害はあまりなかった
他で大きく決壊したら被害が大きくなった
越水の場所が多かった、越水と決壊では相当な差がある
千曲川のような大きな河が決壊したから長野市で大きな被害になった
ただ越水しても土手が削られるからそこから決壊になもなる

それから西殿橋の近くが堤防が3か所くらい越水と決壊があったのは支流の水無川が合流してそれで水の水量と流水の圧力が増して3か所くらい堤防の越水と決壊があった
西殿の土手の家は床上浸水にまでなった
あそこが一番の被害になった、ただ相馬市よりずっと被害が少ない
相馬市は広範に市街が水につかったからだ

今回の水害は意外と水が出たということである、そしてなぜ越水と決壊が起きたのか?
それは水の流れとか支流合流するところで被害になったようである
その支流が鹿島区の水無川と同じように原町でも水無川だったのである
鹿島の水無川でもあふれたように被害があったように水無川となっていても雨が大量にふると水があふれる、ただここの水無川はいつも流れているように見えた
原町区でも支流がいくつかある、この支流が曲者だったのである

ただ感じたことは意外と土手の強度が弱い、新田川はコンクリ―トの土手が少ない
日本の川はまだ土手の強度が弱いのだろう、川は長いからそのすべての土手の強度を強くすることは相当な手間と金がかかるからまだまだ土手は弱いと思った

川でもやはり部分を見てもわからない、川も全体を見たり流水をみる
曲がっていると流水に影響する、それで土手に圧力がかかる場所が崩れたりする
そして支流も関係していたのである、これが盲点だったのである
                                                              
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる  よみ人知らず

この飛鳥川は細い川なのである、支流なのである、小川の感じだった、軽くまたげる川である
水無川より細い小川の感じなのである、だから石橋わたるという万葉集の歌でもそうである
石を踏んでわたれるほどの細い川だったのである
でも意外とこうした細い支流でも日本では水があふれて怖いという面があった
何かこうしした支流とかまた水が必ずしも本流の川だけではない影響があって大被害になった
ただ新田川の流れも変わったからこういうことは言える

とにかく日本の国土はある時激変するのである、それが津波だったのである
村ごと消失する恐怖である、水の恐怖である、今回もそれが示されたのである


posted by 老鶯 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の弱点は全体を見れないこと (今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)


人間の弱点は全体を見れないこと

(今回の川の氾濫でも一部分しか見ていず被害に・・)

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阿武隈川が氾濫して本宮町が被害になった、逃げないで被害にあった人もいる
その人たちが言うのには雨はたいして降っていなかったから逃げなかったという
でも実際は本宮町では雨が小降りになっていたが阿武隈川は増水していたのである

それはなぜかというと阿武隈川は長い川である、すると雨が阿武隈川の流域として山からも支流からも雨がふって集まる、ここではたいして雨がふらないなと見ていても実際は
全体を見れば降っていたのである
自分の住んでいる所でもそうだった、たいした雨に感じられなかったが実際は水が川に
相当に出ていてあふればかりだったのである
それは山に降ったからそうなった

人間はこうして自分の住んでいる一部分しか認識できないのである
人間はあらゆることで部分しか認識できない、人間社会自体が無数のパーツとしてあり
誰も社会全体しか見ていないのである
体でも全体を見れる医者がいないのである
様々な科に分かれていて全体を診れない、でも病気は一部分の臓器だけが悪いというのではない、全体が関係して病気になる、全体的の体が関係してなることがある
だから部分だけをみてもわからないことがある

何でもそうだけどまず全体を見れる人はいないなのである
原発にしてもこれも複雑だから第一吉田所長自体が復水器とかさえ大事なものを知らなかったのである

私はそっちの方の専門家ではない

たいがいみんなそうなっているのである、つまり原発のような複雑なものをそこに勤めている人でも上の人でも知ることはできない
でも本当はその原発の全体を知る人こそが必要だったのである
そうしなければ危険に対処できないからである

土盛りしてわざわざ高くした所に原発を作ろうとしたのに削ってしまった
それは電源装置の関係で削った方がいいとかコストの関係でそう決めた
そういうことをどうして決定したのかわかならい
それは何か全体を見る人が見れる人がいないからである

今回の北陸新幹線の車両が千曲川の氾濫で水にひたり使えなくなって大損失になったのもそうである
それもまず車両基地は広い場所が必要だから市街から離れた湿地帯のような所に作った
それはそれだけの土地を買いしめることができなかったからである
そこがもともと湿地帯のような所だということは危ない場所だったのかもしれない
そして千曲川から二キロ離れているから洪水のことを頭にも浮かばなかったとなる
これも全体を俯瞰的に見れないから安心していたとなる

人間は全体を俯瞰的に見るのが苦手なのである、常に一部分しか見ていない、仕事でも一部分をしているだけである、あらゆる仕事が専門家するというときも一部分の専門家であり全体を知る人はいないのである
すると全体をみる統率する人がいないから大事故につながる
結局そんな全体を統率できるのは全能の神しかないともなる

そして郷土史というときこれは狭い範囲の世界とか学問とか思っている
とこやが郷土を知るというときこれも地形から何から全体を知る学問だった
だから地質学と地形とか理系的なことでも必要になる
だから一人では手に負えないものとなっている
郷土という全体をみることはできないとなる、ましてやさらに地域が広がるとみれなくなる
第一地球は一つであり部分ではない、一つの統一体としてある
それを統率できるのは知り得るのは神しかないということである
人間の仕事は一部分の仕事にしかならないのである
それはどんな優秀な人でも一部分の専門家にしかなれないのである

そして人間は全体を見れないということでこうして常に災害にあったり社会でも原発のような事故になったりする
そもそも原発を作った時その地域の全体を見て作っていない
原発が事故になったらこうしてその地域全体が放射性物質によって汚染されることを見ないのである
私の住んでいる場所は30キロ離れているから関係なとか見ていた
でも福島市とかまで40キロとか50キロとかさらに離れていても放射能に汚染されたのである、全体にそれだけ影響することを見ている人はいなかったのである

だから人間の学問とかでも必ず限界がある、技術でも限界がある
必ず想定外で自然災害が起こる、それも自然全体のことがわからないからである
想定外のことが起きることはいくら備えてもそうなっている
人間は全体を知り得ないからそうなっている
ある部分を直しても全体が関係しているからやはりまた同じように災害を防げないとなるそこに人間は万能ではないし力の限界を感じる

ではどうすべきなのか?
原発など人間は操作できない代物だから危険だからやめるほかないとなる
もし操作できるものならいいが人間にはできないということであった
別に原発がなくても暮らしていけるから安全な範囲で人間は生きるべきだとなる
そこに多少の不便があってもがまんして生きる、だってそうして何千年も生きてきたのが人間だからである

土木工事でも完璧にはいくら努力してもならない、必ずどこかに穴がありそれで失敗している、それは全体的にどうなるか見れないからである
今回の洪水でも支流が氾濫して影響して被害が拡大したことも想定外だとかなる
つまり本流ばかり見ていて支流を見ていない、また水がどういうふうに全体に作用するから見ていないのである、津浪でもそうだった、地形が深く関係していたのである
前に台地のようなものがあると小高い山があると津波はさえぎられて勢いは弱くなり
海の近くでも助かっている人がいたのである
だから防波堤より台地を作ることが効果的となってそうするようになった

日本は何か地形が複雑である、山あり川あり海ありと複雑な地形である
その全体を俯瞰して見れる人はいないとなる
そこで自然災害を防げないのである、それはこれだけ科学技術が発達しても防げないのである、それが日本の宿命でありカルマだともなっている
その恩恵もあるのだが自然災害を防げないというのもカルマなのである

いづれにしろ人間は地球でも宇宙でも全体を見ることはできない、そこから人間の様々な問題が起きて来る、全体を見れるのは統率できるのは神しかいないからである
そこに人間の限界があり災害を防げないのである

posted by 老鶯 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月22日

天皇即位の礼(天皇とは何なのか)


天皇即位の礼(天皇とは何なのか)



天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  


今回の洪水の災害について書いた、これが何か天皇が何かについても語っていた
地震が起こしたのは天皇にあったと自ら言明している
ということは天皇が地震を起こすことができるのか?
そんなだいそれた存在なのかということに逆になる
確かに今でも災害があると天皇が必ず見舞いにくる、でもその災害の責任が天皇にあるとはならない、誰もそう思わない、でもこの時代は天皇は神のような存在だから天災でも
天皇の責任だとまでなっていたのである

天皇の歴史をふりかえると最初は神格化されていた

大君は神にしませば雲隠る雷山(いかづちやま)に宮敷(みやし)きいます」

大君は神にしませば天雲の宙の上に慮りせるかも 

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟山すかも (柿本人麻呂)

自然すら天皇に仕えていたとなる、それだけ天皇の権威は強力なものとしてあった
その時自然の方が脅威なのだがそれが天皇と一体化されたということもある

その後は天皇はそうした神格化されたものではなく権力者が人民を支配するために使われるようになった、神輿のようにされたのが天皇である
国を治めるにはなんらか武力だけではない、神聖なものが権威が必要だからである

ただ不思議なのは天皇自体には古代では自然まで支配する神格化があったがその後は何か直接権力をもって支配することはなかった
外国だと王は神格化されたりまた絶大な権力をもって支配した
でも日本の天皇は権力を直接操作することがなかった、天皇の命令で国家を動かせるものはなかった
ただ神輿として持ち上げられるものだったのである
壬申の乱でも天皇の兄弟が二つに分かれて戦ったし南北朝の戦いでもそうである
ただ日本では天皇が二人になって分裂するとき国も分裂する
南北朝の争いをみればわかる、それを調べれば日本の隅々までその傷痕が残されている
私の町自体の成り立ちが南朝の落武者の子孫だったのである

それ以後戦国時代になると天皇をめぐる争いにはなっていない、江戸時代になると天皇は文化的存在に過ぎなくなった、日本の文化的伝統を守るものとして京都の御所に幽閉されたみたくなっていたのである、そして貧乏で短歌をよんで売って生活していたという
それがなぜ明治になって逆に古代のように神格化されるようになったのか?
それは西欧列強に対抗するものとして何らか精神的権威が必要とした
尊王攘夷運動が起きた、尊王とは天皇を神として王として崇めることである
そして神道は国家神道になった、それが太平洋戦争まで継続されたのである
明治以降の天皇はその前の天皇とはまるで違ったものとなったのである

そして奇妙なのは天皇がそれだけもちあげられると廃仏毀釈運動が起きて仏像が壊されたのである、その壊された仏像は今でも残っているのである
その原因が徳川時代は寺が仏教が優遇されていた、寺は幕府の役所の一部になっていたのである、そのとき神社はないがしろにされていたという不満が廃仏毀釈になったとされるそれは宗教の権力争いでもあったのだ、宗教も実際は権力と結びつく
時の権力に優遇されれば暮らしも良くなる、江戸時代には宗教は死んでいたのである
それが今でもつづいているのが葬式仏教とかである、檀家宗教とかである
それは江戸時代のつづきとしての宗教なのである

日本の近代化は天皇を神格化した成されたから何か歪つなのである
そこに無理があった、その結果として太平洋戦争まで天皇が現人神(あらひとかみ)とされて崇められて敗戦になったのである
つまり天皇は神では日本は神の国であり神国だから負けないという戦争になったのである

「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」

こう天皇が反省すると昭和天皇は戦争の責任があるのだから退位するべきだったのである南北朝の戦いの時光厳天皇は反省して退位して隠居して暮らして死んだことを死んだ都築詠一氏はほめていた、そしてなぜあれほど昭和天皇を右なのに批判していたのか?
それは戦争の責任をとらなかったからである
また三島由紀夫が天皇が人間宣言したとき天皇は神であるべきとしたのも不満であった
日本の歴史は天皇をめぐる歴史だったとことがここに現れている
それは古代からの祭政一致が復古の形で現れたからである

そして西欧化するとき政教分離の思想が法律として定められていたのに憲法ではそうはならなかった、天皇の統帥権とかが認められていた
明治維新は西欧化は様々な矛盾があった、それが日本の特殊性だったのである
自然災害でも天皇の責任とされたように神格化された王はそうなる
政教一致だと創価でも選挙は仏法最大の戦いであり仏が味方するのだが必ず常勝するとなる、一票とるために祈り戦うのが創価である
それは権力をとるための戦争と同じなのである、日蓮の思想に王仏冥合という思想がありその実践が選挙なのである
完全な政教一致であり政教分離の憲法に違反しているのである

だから何かあれば罰当たるとか地獄に落ちるとか世俗生活にあてはめるのである
それは経済生活でも病気でも不幸でも政治でもあらゆるものがそうなる
そこに合理的に解釈しないのである
戦争でも天皇が神格化されるともう合理的に戦争を見れない、負けていてもどれだけ人が死んでも日本は神国だから勝つとなり戦争をやめることができない
本当に一億総玉砕まですすむところだったのである、それが原爆でとめられたとまでなる日本の戦争の原因は日本側だけにあったのではない、アメリカ側にもあったから合理的に正当化されても天皇をもちだすと天皇は神だからとなりそんな合理的説明は不用だとなってしまうのである
政教一致になると批判許されない、それは宗教と権力がむすびつくから今の政権でも批判すれば神仏を批判するのかとなり逮捕される、警察権力とも検察も宗教の権威に逆らえないからそうなる

天皇とは何なのか?それより近代化してさらに太平洋戦争に大敗北して3百万人も犠牲が出たのになぜ天皇が継続されているのか?
それは国民が天皇を必要としているからだとなる、天皇を維持したいからだとなる
戦争でも天皇の責任とはしていないからだ、天皇は直接権力ふるうことはない、天皇は常に神輿であり権力者にもちあげられる存在である
すると戦争が負けたとしてもまた何か不備があったとしても天皇自体の責任ではないとなる、責任はその部下にあるとなり天皇自体にはないとなる
だからこそ天皇が近代になりまた現代でも継続されているとなる
天皇には何ら責任はないとなってしまう、それが不満で昭和天皇を攻め続けたのが都築詠一氏だったのである、それが最右翼なので理解しかねるところがあった

日本で天皇が継続されたのは島国だったからである、大陸のような国家だったらどうしても外国から攻められたりして必ず影響を受けて国自体が変化してしまう
日本では外国から攻められたことはモンゴルの時しかない、それが明治維新になって西欧化したのである、でも天皇は継続された、それも前よりも強固な天皇の権威で近代化した矛盾があった
ただ日本の歴史では天皇で国家が統一されてまとまるが分裂するとき南北朝時代のように国が乱れに乱れるのである、そこに天皇の効用があるとなる
ただ戦争中は天皇の権威と権力が結びついて戦争になった
つまり権威と権力は別物であるべきなのである、だから戦後は象徴天皇制になった
ただなぜ政教分離が日本で実行されないかというと神社側とか仏教側でも税金の問題があるから協同して反対しているのである
営利活動ではない宗教活動には税金がかからないからである
要するに金がからんでいるから宗教というのも経済が優先されるとなる
日々の暮らしにひびくから反対しているのである

もう天皇は祭司としての役目はない、なぜなら皇居内で田植えとか養蚕をしているがそれは農業中心の社会だと何か意味があった、これだけ工業化するとそういうことは意味を見出されなくなる、すると大嘗祭とか豊作を祈るとかの行事も意味なくなる
なぜなら世界と伍してゆくには工業化であり今なら情報社会でありIT化だとかなる
現実に原発でも農業でやっていけないから地元で積極的に誘致したとなるからだ
その東電の株を天皇ももっていたというからこれも矛盾しているのである
東電の株の方が大事となっていたのである

とにかく国家の統合形態として権威と権力を分離することは優れていたというのは確かである、権力は必ず絶対的に腐敗するというより権力を持つと人間は腐敗する
それは中国をみればわかる、人間は権力をもつと悪魔にも変身する
権力と宗教が一体化したカトリックでもそうである
権力の魅力があまりにも大きいからである、それは金に支配されている現実をみればわかる、今は金が最大の権力になっている、それで常にロスチャイルドがどうのこうのとか陰謀論になるのである

ラグビーで外国人と一緒に君が代を歌う時何か感動する者があった
君が代の歌はともかくこの音楽がなんともいいのである、何か極めて日本的なのである
他の国家は何かそうした国を感じないのである、そもそも今回出場した国は大英帝国に支配された国でありそれが独立した国と思えないのである、南アフリカでもニュージランドでもそうである、オールブラックは原住民が入ったいたとしてもイギリスに支配された国である、ただスコットランドとかあると薊(あざみ)の伝説があるように国の歴史をもっている
イギリス自体は古い歴史をもっている、でも他の国はそういう歴史をもっていないのである
日本は二千年とかの歴史がある、ずっと独立国としてあった国なのである、そしてヨ−ロッパの列強の植民地にもならなかった国であるからそこには誇りをもっていいとなる

とにかく自分は石とか岩とか詩のテーマにしてきた、だから君が代はその岩を音楽化したものをう感じる
なんとも深く内面にひびく深い思想性を感じる、「静けさや岩にしみいる蝉の声- 芭蕉」にも通じるものがある
何か心の中に深くしみいってくる、日本の大地から静かに湧きあがってくる力を感じる
土着的な力を感じる、音楽には疎いが何か音楽は一つの光景を浮かべる時がある、リズムもあるのだがクラシックだと山と海とか大地とか森とかをイメージするのである、君が代には国歌として土着的なものを感じるから優れていると思う
そういう音楽はやはりその土地から歴史的伝統から生まれる、それが文化だとなる
天皇はそうした日本の歴史的文化的伝統の存在である、それは権力と違ったものとして日本に継続されつづけてきたともなる

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次の代即位の礼や金木犀

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宮殿正殿の松の間に高御座に鳳凰があり金色に輝いていた、
黄金の高御座である、ちょうど今咲いている金木犀のイメージになっていた
つまり新しい時代を担うことになるが経済の時代から文化の時代になる
金木犀のように文化が華咲く時代になる
令和とはそういう時代になる 

何か日本の儀式でも命日とかが花でもって記念される
きにち【忌日】というのがありその人を記念する
ただ名前がきにち【忌日】とされるのは俳句界ではある、母は苦労したから冬紅葉忌としたとのである、冬紅葉になると母を思い出すからである
何かその人にふさわしい花とか何かあり忌日としている

今回は金木犀が今咲いているからふさわしいと見た

それから虹がたったということも縁起がいい、この時に立つことが不思議だとなる
やはり天皇の即位の礼は日本の美とか伝統を示している

次の代即位の礼や秋の虹

虹がこの時かかったというのも縁起がいいとなる、雨が降っていてそれが即位の礼の時
雨がやんだ、何か吉兆だともなる、秋の虹ということにあわしいともなる
秋の虹だと何か落ちついた感覚になるからだ

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2019年10月21日

自然災害がつづくのは天罰なのか? (なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)


自然災害がつづくのは天罰なのか?

(なぜ福島県はこの辺は連続的に災害に合うのか?)

天譴論とは,「天が人間を罰するために災害を起こすという思想」(14)であり,「もともとは,災害(地震)を『王道に背いた為政者に対する天の警告』とみなす思想であった」(15)というものである.天平 6年(734年),大阪で大地震が発生し多くの犠牲者がでたが,その時の天皇である聖武天皇は,「朕が訓導の不明に由り,民多く罪に入る.責は予一人に在り,兆庶に関かるに非ず」(続日本書紀)と述べ,地震が起きた責任は自分にあるとし,大赦をしている  

全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『 金枝篇』 J.G.フレイザー

なぜこうしてこの辺では甚大な災害に見舞われているのか?
これをいろいろ追求してきた、他の人も追求している
科学がいくら発達しても不可解になるからだ
それで天罰論が生まれてくる、自分自身もその説をとって発言してきた面があった
ただ今は科学時代だから科学的考察が不可欠なのである

でも何かその原因を科学的なことではなく政治とか社会とか人心の乱れとかがあり大きな自然災害が起きてくるとすることが昔から言われて来たし今でも言われるのはなぜなのか?
それは現実にそういうことがあるではないか?

なぜ公明党の国土交通大臣が西日本豪雨で苦しんているときカジノ法案のために時間をかけていた、その方に熱心だったというときもそうである
そうした政治の不備があり自然災害に見舞われる
その原因は政府にあり国土交通省にあるともされる、それは天皇に責任があるとか王に責任があるとされ殺されたり世界でも災難がつづくと神に犠牲を生贄を献げていた
またノアの洪水は人の心が悪くなって神が起こしたとされるから宗教的見地からみて起きたとなる
だから中国でも治水が最重要課題でありそれがうまくいかないと王朝は交代する
自然災害でも時の政府の責任にされるのである

現実そういう面は確かにある、なぜ公明党の国土交通大臣がカジノ法案を通すために力をいれているのか?それは創価の会員も特に婦人部は反対している
ギャンブルの夫がいて苦しんでいる人がそこには多いからである
だから創価では盛んに仏罰を言うけど自ら仏罰を招いているのではないかとまでなる
そもそもそうした団体が仏罰など言えるのか?
そこにいる人たちがどういう人達か見ればわかるだろう、普通の俗人のそれも何か社会的に人の世話になるような人たちが多いからである
日蓮が仏罰を言うなら予言者が言うならわかるがそういう俗世にまみれた人たちが仏罰など言えるだろうか?
むしろそこにはかえって仏罰が起きてくるのではないか?

ただそんなことを言うのは公明党が政教一致だからそういうのである
別に政教分離だったらそういうことは言わない、やはりただ政治の不備だとして責めるだけである、そこに神仏はかかわらないのである
なぜ天皇が災害の責任を負ったのか?
それは天皇は祭司であり日本の国を守るものであり宗教的なものがあったからである
祭政一致だからそうなった
政治とは政(まつりごと)どありもともと政教一致であり祭政一致だからそうなったのである

本当になぜ福島県でこの辺でこんなに災害が連続して起きているのか不可解になる
その原因は原発などを作ったからでありそれも天罰だったとなる
神がそんな危険なものを作るなということで罰を与えたのかとなる
それは神話をさかのぼればギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたことまでさかのぼる
それは神から盗むことからはじまっていたからである
何らかで人間の技術は神から盗むことに由来しているのである
太陽光発電も風力発電でも一見自然のエネルギーのようでもそうではないと武田邦彦氏が科学者が言っているのだからそうなのかと思った

だから必ず人間の技術は自然破壊に通じているのである
水力発電でもそうだと言っているからこういうことはもう人間が生きはじめてから起きていることだと思った
石器にしても必ず殺戮のために使われたしいい面と悪い面に働くことがあった
原発にしても原理は同じである、石器と同じなのである
人間の技はいい面と悪い面に働くことでぱ同じである
だから技(わざ)は災い(わざわい)に通じていたのである、日本ですらそういう意識があって言葉が生まれていたのである

なぜ自然災害がこんなに起きるのか?それもどうしてこの辺に連続的に起きるのか?
原発事故では飯館村が被害が大きかった、津波の被害があり次に丸森町があんなに洪水で被害になるとは思いもよらなかった
相馬総合病院に入院ししてた時、新地の人と松川浦の人がいて丸森の人がいた
新地の人と松川浦の人は津波の被害にあっていた、新地の人は一番被害が大きかった
そして今度は丸森の人は金山だったがそこも被害にあったのかとなる
福島県でも郡山市の方まで被害があった
それは何なのだろうとなる、飯館村は原発で大被害になり隣の丸森町が大被害になる
相馬市でも津波の被害が甚大だった、今回の宇多川でも洪水になった
六号線の東側の飯淵とかが被害が大きかった、ただその他は床下浸水でさほどの被害があるとは見えなかった

何か日本全体でもこういうときは天罰論が言われるのもわかる
何か仏教でも末世だとか言われるのはそのためである、日蓮はその末世に生まれて仏法を説いたからである、その時モンゴルも攻めてきたからである
内憂外患の時代の動乱の時代だったからである
今も日本はそれににている、内憂というとき経済が落ち込んでもう日本は貧困国家であり後進国になったというときもそうである
何か大きな改革をしないかぎりもう日本はどん底に陥ってゆく
そのためにこんなに大災害が連続して起きているのか?
それは日本の改革をうながすためなのか?

例えばオリンピックとかカジノなどに勢力を費やすな、金を使うな

原発は日本では危険だからやめろ

経済もグロ−バル経済とかは日本の文化を破壊するからほどほどにしろ

・・・・・・・・・・・・・

何かそういうことを警告として自然災害が起きているのかともなる
そして東京一極集中をやめろ、遷都をもう一度考えろとかなる
日本は古代には頻繁に遷都していたのはその場所が穢れてくるから別な土地に都を移したのである
ただ東京は余りにも巨大になりすぎてできなくなった
だから東京に大きな災害が起きない限り真剣に遷都を考えないのである

次に東京に大災害が来る!

これは天罰論ではなく科学的にもう確実なのである、ただその時はじめて日本改造が起きる、改革が起きる、そうならないかぎり遷都はできないからである
それより東京が一千万人とか集中している弊害が大きいのである
だからこそ東電では電気がたりないと福島に原発を作ったりするからである
東京から災いがもたらされることが多いからである

とにかく天罰論というとき人間は自然の事象でも科学的に合理的に解き明かせないからである、それだけ複雑すぎるからである
確かに人心の乱れからこうした自然災害も起きていることもありうる
それは個人的に自分に起きてきたことでもそうである
そのことを延々とプログで書いてきた、日本の人心は上から下から乱れきっている
ただ金を求めるだけであり後はなにもない、人が苦しんでいてもこの時チャンスだとして金を求めてくるだけである
絆のことを言われたがその絆は外との絆であり内部では絆がなくなっていたのである
原発は電気は必要でもそれが深く人間の欲と結びついてできたものだった
その後も補償金でもめてこの辺は分裂したのである

そしてなぜ福島が連続して災害にあうのか?

これも不可解なのである、なぜ郡山市まで被害があったのか?
あそこには銀行の本店がある、そこの人が投資信託をすすめられた、それは詐欺まがいものだった、それも今回の災害と関係しているのかとまでなる
何か本当に自分の一身上に起きたことはただ人は金儲けの対象でしかないことだった
事業に失敗した人は借金に苦しんでいるから弱った時借金を要求してくる
自分の困ったことなど何の関係もない、ただ金を欲しいというだけである
それはみんなそうである、人間の情すら今や社会から喪失しているのである
だからそうした人間の心が冷たくなったときノアの洪水が起きたとしている
自然災害が仏教でも神道でも神からの仏からの罰だとしている

おりしもなぜこの時期に新しき天皇即位があるのか?

洪水被害で延期された、何か天皇即位を祝う気持ちになれるのか?
つまり天皇が自然災害で日本ではその責任をとってやめたということが過去にあったからである、だからこれも時期が悪かったなとつぐづく思うし国民がとてもみんなで祝うという気分になれないのである




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2019年10月20日

鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった (真野川もあふれる水位になっていた)


鹿島区の水無河原があふれる被害―支流が怖いものだった

(真野川もあふれる水位になっていた)


真野川

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水が来た所の草は色が変わっている
ぎりぎりまで水がきていた

ここは西町であり街の上である、ここがあふれたら危険だった


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ぎりぎりまで水が来ていた

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流れが変わり砂利が運ばれて様子が変わった
ここは草ぼうぼうだったが草がなくなっていた


水無河原

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ここの流れも変わった

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ここが被害だった、このコンクリートが壊れることは
相当な水量であり水の勢いがあった
下の方の一軒の家は水が来たみたいだ
でもそれほどの被害ではなかった
この水無川があふれるとは思いもよらなかったろう

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こんなに水が流れている水無川は見たことがない
台風のときはあふれるように流れた
だからここでも土手を水が越える危険があった
砂地になったのはそのためである



南相馬市鹿島区の水無河原は普通は流れていない、地下にしみこむ、でも橲原(じさばら)の方の流れはいつも流れているしそれなりの川なのである
ただこの川で今回水が下流であふれた、一部コンクリートの土手が壊された
そこに家が一軒があり多少が水が来たみたいだ

この辺では真野川の上流でも一部被害があったとか新田川の上流の大原の大谷(おおがい)では明らかに被害が報告されている、水があふれたのである

今回の台風19号は意外と雨がふったことがこれでもわかる
支流に雨が相当にふった、だから丸森町では支流があふれて被害になったのである
丸森町には支流がそれなりに大きく被害になった
洪水は支流が関係して他でも多摩川辺りでもあふれて被害があった
だから支流が怖いのだと今回の台風で認識した

まずこの水無河原がこんなに水が出たということ自体驚きだった
いつも水は流れないし川の感じがしていなかったからである
でも水は日ごろはたいして流れていなくてもこのように水が流れるのである

そして真野川自体が危険水位になっていた
上の土手はすれすれであふれる状態になっていた
これも危険だった、避難した人はいた
真野川は二回洪水の被害がある、それで一番被害になっていたのが自分の家だったのである、なぜなら街で一番低い所にあったからである
その後河川改修して水害にはならなくった
でも今回は相当に危険だったのである、だから被害がこれだけあったことを納得した

家にいてそれほどの雨とも思わなかった、でも山には相当雨が雨がふることがある
その雨が集まり支流に流れ込んであふれたのである
またバックウオーターになり支流からあふれたのである

水道を今日水が出ている、水道が出ないのも苦しいと思った
なんでも水を使うからである、今日は風呂に入れるから楽である
この辺はさほど被害がなかったから良かった
でも丸森町の被害は大きかった、あんなになるとは想像もしなかった
とにかく日本は災害の国だとこれほど思い知らされたことはなない
治水が政治の基本にある、それは津波とかでもそうだし高潮でも同じなのである
つまり日本は水害の国だったのである
海に囲まれているし山に囲まれているから雨がふったら水が急流とかして襲ってくる国だったのである

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2019年10月19日

自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか? (公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)


自然災害の連続は日本に易姓革命を要求しているのか?

(公明党の国土交通大臣は災いをもたらしている?)



 西日本豪雨災害の死者が200名を超えても、カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)の「売国的対応」が際立っている。

 米国益第一の下僕のような安倍総理(政権)と足並みを揃え、トランプ大統領の大口献金者でカジノ王こと「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長らが儲かる法案成立(海外カジノ業者への賭博解禁)を最優先、日本国民の生命財産を守る本来の職務遂行を二の次にしているからだ

  職務怠慢にしか見えない石井大臣が真っ先に視察、歴代自民党政権下で国交省が進めてきた河川政策の誤りを認め、方針変更を決断すべき現場がある。堤防が決壊、一帯が水没して死者50人(14日段階)を出した岡山県倉敷市真備地区のことだ
  


 堤防を補強する方がダム建設よりもお金がかからない!国交省の緊急点検で強化が必要とされた約2200キロのうち工事が終了したのは半分にも満たない!?



中国でも易姓革命があり治水が国を治める要としてあった、それに失敗すると政府は転覆される
それが今回適応されるのか?津波の時はなんでこんな被害になったのか天まで恨んだ人がいたのがわかる、自然は無情なのかと思った
現実にこれだけの被害があってもその後に満月が出て輝いていた
全く地上のことなど知らないように満月が輝いていた
だから自然は人間のことに無関心なのかともみる、自然は非情だと見る

相馬市に真備の役所の人なのか応援にいち早くきていた、それは相馬市で水害の時応援に行っていたからいち早く恩返しに来たのである
西日本豪雨では200人も死んだ、今回は約百人である
西日本というと遠いのでそれほど関心がなかったご今度はまた身近で災害の被害が起きた丸森町は隣という感覚であり洪水の被害が大きかった
秋になったらまた行こうと思ったか行けなくなった
あのようになるともう観光という訳にはいかなくなるからだ

テレビで放送していたが東京の被害が少なかったのは東京は江戸時代から荒川など治水の工事をしつづけてきて今までもしてきた、その成果だという人がいた
そして東京中心にした政策がとられていた、治水に関して東京には手厚く地方には予算を回さないとなる
ただ阿武隈川がの護岸工事に800億円もすでに使っているのである
だから全然しないというのではない、それなりにしていたのである
でも今回もそれ以上の雨がふり想定を越えたとなり被害が拡大した

こういうとき何か被害を受けた人は恨む、それで政府も恨む、天を恨むことができないから政府を恨むことになる、確かに政府が悪いとなる面もあったからだ
原発事故の時はなぜ福島に作り事故になったのかを問うてきた
東京に作るのが一番合理的であり安全だったのである

それは一重に東京の安全を守るためだった                  

今回も東京の治水には万全を尽くして地方はなおざりにされた

東京中心の政治に歪みをもたらしている、例えば東京に住んでいる人たちは地方の重要性を感じなくなった、グロ−バル経済で食料は米すら輸入できる、それもうまい米作りが外国でもできるようになったからだ、するとグロ−バル経済では必ず外国との計りにかけるから別に米でも食料でも外国の方が安くていいとなる
また丸森などは木材の供給地として栄えたがそれも外材になりいらないとなる
東京では困らないとなる、戦後まもなくは地方は資源の供給地だった
木材でも石材でも食料でも地方が供給していた
それで森林鉄道が網の目のように張り巡らされて東京に運んでいたのである
それがグロ−バル経済になったとき消失したのである

それで東京では安全を計り地方に原発を作る、それが福島であり事故になり住めなくなった、地方は核の廃棄場にするとかもなる、地方に何か効用があるのか?
そう考えるのは東京中心のグロ−バル経済なのである
そして治水にしても東京中心であり地方には金をかけないとなる
もし地方が前のようにグロ−バル経済でなければ尊重された、地方の経済的効用がなくなったから地方は原発を誘致するとか核の廃棄場しか効用がないと東京中心の経済だと見てしまうのである

地方の工場と会社は東京の人が社長になっていて地元には住んでいない
そうして地元に住んでいない人はその土地に関心がなくなる
ただ利益をもたらすものとしてしか考えない
それは東電でもそうだった、幹部は東京に住んでいるから地元のことは関心がない
ただ東京の安全を計るために原発を福島に建てたのである
もし東京に住んでいれば原発の危険に敏感になるのである
東北電力ではそれで女川原発を津波が来ると15メートルの高台に建てて辛うじて助かったのである

日本の国土は今歪つになっている、国土交通省でも東京中心の政策が進められる
常に東京を守ることが最大の課題なのである、なぜなら重要人物というか政府でも役人でも東京に住んでいるからそこに住む場所が危険にできないのである
地方だったら別にいいとなる、それが人間の習性である
外国でも離れていればそこがどうなろうとあまり関心がないのである

そして原発事故の時は東京に住んでいる幹部と福島原発の吉田所長との意思疎通ができず何もできずに大被害になったのである
離れているからいくら通信技術が発達してもうまくいかなかったのである

だから

東電の幹部は社員でも原発周辺に住むべきだった

そうなれば無責任になれない、安全に万全を尽くすとなるからだ、自分たちが被害を直接受けるとなるからそうなる、その姿勢が全く違ったものとなることがありえたのである
離れているから別に事故になっても東京にいれば安全だとなると安全意識も薄れるのである

自然災害でもそれが政治と関係している、それでここで国土交通省の公明党の大臣を批判するのもわかる、公明党もその創価でも利権団体であり利権中心にしか何でも考えない
そして創価というのは戦後精神的支柱を失った人たちが団地とかに集まり宗教によるコミとニュティを作ってきたのである
地方から出てきて精神的拠り所をなくした人たちが集まったのである
それは宗教でもない、互助団体のようなものだったのだろう
そこでは一切むずかしいことは言わない、一切は許される、宗教の罪だとなんだとかその人がどんな人だろうが一切問わない、どんな性格が悪くても関係ない
ただ一票になればいいだけである、御利益と権力追求しかないのである

だからこれも東京から生まれた宗教でありそれが地方に拡散したのである
つまり悪いものは東京から拡散されてくるのである
東京の歪みが全国に地方に歪みをもたらしているのだ
カジノ問題でもそうである、そういうものも東京とか大都会からやがて地方に拡散されるもちろん金のために積極的地方で誘致しようとするときも原発とにているのだ
その後どうなるのかなど地元の人も考えない、金になればいいというだけである

カジノ実施法案で国会審議に張り付いている石井啓一国交大臣(公明党)

こんなことしているから日本に災害が起きて来る、創価の会員がこれに賛成しているのも解せないのである
これもここがいかに暗黒をかかえているかわかる

自然災害には何かその国の政治の歪みがあってもたらされるともなる
日本の国土は今や原発で汚染されたり洪水になるのも何か歪んでいるからである
それを正すものがない、本当は東京中心の政治をやめるべきである
東京が国土を歪めているのだ、それは宗教なら田舎とか岩窟から生まれたりしている
それは清浄な自然を修行の場として生まれているが都会の宗教はカルトになる
政治でも経済でもなんでも東京中心に成されることが日本の国土を歪めているのである

第一オリンピックなど必要ないのにその意味もないのに国民の大半がオリンピックなどに関心がない、東京オリンピックには関心がありその時は意味もあったのである
今はオリンピックをなぜ東京でしなければならないのか?
それは東京のためなのか?地方では関係ないことなのである
何んでも東京中心になる、復興にしても除染にしても7兆円とかの金が東京のゼネコンに流れたのである、そのゼネコンから今度は今の自民党に還流した、自民党の寄付金として流れたのである、それは高浜町と同じ構図だったのである

なぜこれほど災害がつづくのだろうか?
それは国政にも関係している、もちろん日本の国全体にも関係している
何か日本自体が歪んでいる、日本人の心自体も何か汚染されて歪んでいる
それが自然災害を呼び込んでいるのかもしれない、日本の国土の正しい在り方が問われている
だから国土交通省の大臣が公明党になっていることも原因だとまでなる
それは自民党が利権の配分としてその地位につかせたからである
そして大成建設と創価は密接なつながりがある、創価関係の工事を請け負ってきたからである、つまり利権で御利益で常に結びつく、宗教信仰など一切関係ないのである
巨大な利権団体でありその利権団体と利益で結びつくのが社会なのである
除染にしても莫大な金がゼネコンにこの辺ではもっていかれたのである

日本は今やあらゆるもので再構築が迫られている、そのために天変地異が容赦なく襲いかかってくるのである
日本自体の国土でも大改造が必要になっているのである
中央と東京と地方の歪みとかもそうである、そういうことが原因して今回の洪水もあったすべてではないにしろ第一こんなに連続して自然災害が起きるのか?
日本がそういう国だとしても異常になる
日本国土の歪みが日本人自体の心にも起きていてそれが災害を起こしているのかもしれない、何か現象として現れているのかもしれない
その一因が公明党の大臣が国土交通省の大臣になっていることにもありえるのである
ただ自民党に変わる野党がないということも日本の危機なのである 

何かずるずると安倍政権のみに頼るしかない、そして遂に日本はあるゆることでどん底に陥ってゆく、経済も破綻して日本が犯罪者社会になる
そういうことが自分も経験したからもう日本人がとても昔のような義理人情すらない
非情化している、ただ相手から奪えばいいしかないのである
だから弱者化したとき本当に怖いものとなる、自分自身がそういう目にあってきたからである、相手のことなど全く考えない、今相手が弱っているから金をとるチャンスだとしかならなかった、現実にそして大金を失ったり責められた殺され恐怖にもなったからである今は確かに末世なのである、こういう時はあらゆるものが乱れる
天地も乱れるから天変地異も連続して起こる
その末世をもたらしているのが宗教政党なのかとなる、日本に罰あてるのは宗教政党の公明党なのかまでなる
災害の恨みがそういう発言までさせたともなる
だから易姓革命が必要になってくる、そういう時代の大変化期に来ているのである
そこで起きることは自然災害だけではない、経済の混乱が確実に起きて来る
地獄的社会になる、その後にようやくまた新たな日本が再生されるとなる
そういう痛みをともなってはじめて明治維新のように日本の再生がありうるのである

東京から害悪が拡散される!

グローバル経済が日本の国土を破壊した

そして心も破壊された

私は右でも左でもない、日本の国土を愛すものであり日本の本来の姿をとりもどすことを願う者である、日本のアイディンティティが根本から破壊されている
なぜ東北がこれほど被害になっているのか?
何かそこにもこれほどの災害がつづく原因がある
東北は歴史的に日本の後進国としてありそれが継続しているからである
日本の再生は東北から始まるのかもしれない、もう東京や西ではない
東北から日本の再生が始まることが津浪とか洪水にしても天変地異が起きている原因なのかとなる

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2019年10月18日

阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ? (ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)


阿武隈川氾濫の丸森町の被害はなぜ?

(ここも地形が関係していたのー扇状地帯だった)

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marumoridamage1.jpg


宮城 丸森町 浸水原因は阿武隈川へ流れ込む支流の氾濫か


阿武隈川の流域の概要


今回の丸森町の台風19号の被害は大きかった、そしてまたここでもなぜこんな大きな被害になったのだろうかとなる
津浪でもなぜ津波が来てあのような甚大な被害があった
それで地形のこととかを考察した

津浪になった所はもともと海だった

千曲川でも洪水になった所は川だった、流域であり扇状地だった

阿武隈川の扇状地にできたのが丸森町だった

地図をみて今回の被害の写真をみると丁度阿武隈川が山間から平地に出る所だから扇状地になる場所だったのである
だからこれもそもそもなぜそういう危険な場所に住むようになったのか?

もともとこうした平地は川の扇状地だから住めない、海岸地帯がもともと海になっていたり湿地帯になっていたのと同じである
原初の状態を見ることから歴史がはじまる、災害があるとき必ずその土地の原初の状態を知らねばならない

なぜこれほど広範囲に被害になったのか?
それは阿武隈川が大きい川でありそれが扇状地となるのも広いからそうなった
金山城がある麓の金山にも水が来ているように見える
それは今回は支流が氾濫してそれが広い範囲の被害になったというのもわかる
阿武隈川の本流が水かさをまして支流の水が流れなくなり逆流してブックウオーターになりあふれて被害が拡大した
それは盛んに倉敷の真備町とかでも言われたし今回もそのバックウオーターで被害が拡大した

そして丸森町の斎理屋敷のある中心部から近くに支流が三つくらいあった、金山の方面にも支流があった、その支流があふれた結果が被害が拡大した
とにかく扇状地というのは平坦な地であり丸森のように山が多いとそこが貴重な場所になる、そこで開拓して米を作るようになる
それは海岸地帯を干拓して米を作るために田にしたのと共通している
津浪ではそうした開拓した地域が津波で元の海になったからだ
今回の洪水でも阿武隈川の扇状地帯がもとの川の流域になったのかとなる

ともかく阿武隈川は大きな長い川だから洪水の被害は常にあった
ただ何か被害がないと見ているのは日本人は災害が多すぎて忘れているのである
災害でも10年とか過ぎると忘れることがあるからだ

とにかくその土地をみるとき必ず原初の状態を見ることから始めねばならない
そこから郷土史でも歴史でもありうる
なぜ初めにあったのはその土地でありその地形とか地勢でありそれは今も変わらないからである、ところがそこに住んでいる人たちはそれを意識しなくなるのである
そこがもともと海だったとか川だったとか意識しなくなる
そこで災害に備えられないのである

バックウオーター現象はわかっていた、でもその支流地帯にも人は家を建てている
街を形成している、支流は小さいから安全のようにも見ている
それが今回のうように大きな被害になる

丸森という名前が丸山城がきている、その丸と森が合体して丸森町になった
その丸山城も小高い山の上にあり金山城も小高い山の上にある
その麓に家臣が住んだ跡がある
そこは相馬藩が一時城主ともなっていたのである、後は伊達藩になった
舘矢間(たてやま)という地名でもやはり舘とは館であり小高い山の上に舘があった地域なのかとなる、舘山なのである
だから丸森町は相馬藩と地形的にもつづいているから関心があった
阿武隈川と蔵王を見えるし森が深いから地形的に魅力を感じていた
それで秋になったからまた自転車で行こうとしていたのにこんなことになることに愕然とした

丸森町は宮城県だけど半分相馬藩のつづきであり宮城県の伊達藩でもそうなる
新地は実際は伊達藩でありその後に福島県に廃藩置県で組み入れられた
でも相馬郡になっていて福島県に入ったのである
そういう境界の地域であり丸森町も似ていたのである
ただ地形的に山にさえぎられているから飯館村のように別世界に感じる
日本の地形が山が多いから「山のかなたに幸いがある」となる国なのである

いづれにしろ丸森町は関心があり身近であるから何か応援したいとなる
全国になると何か身近でないからそういう気分になれないが丸森町は身近なのである
ただ何かするにしても寄付するくらいしかないだろう
今回もこんな大きな被害になるとは思いもよらなかった
平成は全く平成ではなかった、令和になってもやはり災害が続いている
これだけ文明が発達しても災害を防げないのはなぜだろうとなる
かえって人は無造作に危険な場所に大勢住むようになった
堤防を作れば安全だとか人工物で防ぐようにしたがそれを上回る自然の力で災害がつづいているのである
人間はいくら文明化して自然の大きな力を制御できないである


posted by 老鶯 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月17日

文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす (原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)


文明化は必ず自然に影響して災害をもたらす

(原発からダムから松林から杉林の人工林でも同じ)



昔は輪中という知恵があったからね。
街の中に小さい堤防が点在していて、被害範囲を限定する。
今は堤防で全ての被害を防ごうと強大化してるけど、いざそれが決壊すると大被害になる。

現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります

大雨が予想されるのに今回もダムの事前放水は行われていない。
もし、行われていればこれほどの被害はなかっただろう


現状の緊急放流は下流に洪水を起こす危険性が高い殺人放流となっています。そこで台風等で大雨が予想された段階で放流しダムを空にして大雨が降りだしたら放流を止めてダムに大雨を貯水する。こうすると大雨の防災になります。八ッ場ダムの好例があります。

水害に有効なのは『山』の手入れでしょう。杉や檜が無造作に植林放置されている『山』を生かし、雨水をタップリ貯蔵できる自然環境を回復させる事が急務と考えます。

信玄堤防を作るのが良いと思います。
水流を「いなす」「すかす」思想です。

河川の堤防が土を盛ってるだけなんて、小さい時からいつ崩壊してもおかしくないと思っていました。
子供でも無理とわかるのに、このような工事しか出来ないのでしょうか?
コンクリートだったら、どれだけの人命と財産を守れた事か!

「ダムがあっても下流に浸水被害が生じた」これってダムが有っても無駄って白状してるよね。税金むだー。土建屋おいしー。

針葉樹を植樹したのは金のため。
広葉樹を植え、山自体の保水力を確保するなど、自然と共存する方法を考えていただきたい。。

今回台風19号の河川氾濫の被害は津波の被害にもにていた

人間は自然に逆らって文明化して自然から復讐される!

このことを書いてきた、津波でもこの辺では八沢浦とかはもともと海であり入江だった、それを明治以降城勤めの侍が職を失って開拓して米作りした田んぼにしたところだったのである
そこがもともと海だったから海になっただけなのである
自然には悪意がなくまさに自然の作用なのである
それで塩崎の船着のすぐ近くまで津波が鉄道の下のトンネルを越えておしよせた
そこも奈良時代辺りは海だったのである
本当にもともと海だった所に正確に津波がおしよせて元の状態に戻ったというのも驚きだった
自然には自然の回復作用があるのだと見た

今回の台風でもそうである、ソーラーパネルがある烏崎周辺の土地は特別低い場所であり津波でも証明された
あそこに水があふれたの不思議だったが特別低い土地だから水があふれた、ただ水はけも悪くなっていたのかもしれない
津浪の後に海岸の護岸工事をしたからである
でもそこに大内村の人たちが袋村を作った、開拓して作った、そこは真野川の河口の岸でもあり一番土地が低く場所が悪い所だったのである、それで村が成り立たず廃村になった
そこを開拓したのは人間側のやむにやまれぬ事情がありそうなった
つまり人間は人口が増えるとどうしてもそうしたもともと稲作に適していない場所でも利用しようとする
それは右田などもそうだった、そこは海であり海を干拓した土地である
江戸時代でもそうだった、海老は高い地域だから弥生時代から住んでいた、最近その突端に海に面した所に古墳が発見されたことでもわかる
そして意外だったのは右田の松原は松が太いしいい松原だった、これも江戸時代にできたらしいとなると古いから成長してそうなったそこに夏に松影で海風が吹いてくるので涼しい、夏は天然のクーラーとなり私はいつも休んでいたのである
釣りをする人たちもいつもいた

それはのどかな風景だった、その松が根こそぎ津波で流されたときはショックだった
そして松は津波に弱かったのである、「根がまっすぐで深く、その土地にあった常緑広葉樹林がいい、高木と低木のまじった多層群落の林が強い」言う時そうなる
自然林はもともとそういうものだったからである
つまり松原は江戸時代以降稲作のために海側を干拓した、それで塩害をふせぐために松原にしたのである
それは人工林だったのであり自然林ではなかった
つまり人間は自然を改造して住む領域を拡大して人口を増やしてきた
縄文時代だったらそういう自然を改造する技術も力もないから結果的には安全な場所に住んでいたのである
今回の千曲川の氾濫でもそうである、川は広い流域が川であり今流れている堤防に囲んだ川であり人工化した川なのである、それでその堤防が破壊されれば元の広い流域の扇状地の川にもどったのである 

農業はそもそも自然と深くかかわり自然を利用するにしてもやはり文明化である
焼畑からして農業の文明化なのである、森の木々を焼いてその灰を肥料とする
そこで森が失われるからである
そして森にしても杉林は自然の木ではない、多様な樹々があるのが森である
杉林の森になったのはそれを資材として木材として家を建てるためにとか利用するためにそうなった人工林化したのである
だから森には保水作用があるというとき杉とかにはあまりない
ブナの木などがいいのである、でもブナの森はもともとどこにでもあったがなくなった
この辺の森で小山田の奥にブナという地名がありここでももともとブナがあった

中国語で「山毛欅」とは本種ではなく、中国ブナの一種を指す。ブナは近年作られた和製漢字で、一般に(日本)ブナの意味に使われている。

buna111.JPG

なぜぶなの木が無となっているのか?それは最近できた和製語というときブナの木が杉や檜や他の木と比べて無用化されたからであるでも杉の木の森は人工林でありぶなの木の森は自然林である、だからブナは保水力がある
それで洪水から守る役割もある、そのブナがなくなったことで森の保水力がなくなり洪水が起きやすいとなる
森だ今では木材が外材になり守る人がいなくなり荒廃して洪水が起きやすくなったというのもそのためである

何か必ず文明化することは自然破壊になる、自然を改良するということが文明化なのだがまた自然破壊にもなりそれが必ず災害になっている
今回の河川氾濫もそうである
もともと川だった所に人が密集して住んで被害にあっているからである
それで縄文時代はもしかしたら一番災害に強い時代だったという皮肉が成り立つかもしれない、危険な場所には住めないからである、住む力がなかったともなる
自然に適合して住むほかなかったからである

それで津波の起きるような場所に住まないし川岸に住んでも扇状地とかなっていて住めないとなる、だから川から離れて住んだのかとなる
でも川の水は利用していたとなる
これほど日本で災害が多いのかとなると日本はそういう風土だということもある
そういう地形だということもある、土地がないから危険な山の下に住んで崖崩れで土砂災害が必ずあるのもそうである、そういう危険な場所に住まざるを得ないからそうなる
それが日本人のカルマとなっている

それでなんか教訓として面白いというか日本人はわかっていたのである

娘をもっていても、海辺通りのへの縁組は無用
高潮に襲われる海岸地へは娘は絶対に嫁がせないという意味
(天災から日本史を読みなおす-磯田道史)

これも海岸地帯は実際に南相馬市鹿島区海老村の隣の八沢浦の湊村で東日本震災の津波の前に高潮に襲われて水浸しになっていたのである
それが海岸のすぐ側だったからである、そして湊村は消滅したのである
40軒くらいあったが村自体津波で消失した、他にも津波でぱ村自体が消滅する
海老村とか烏崎村も消滅したのである
そして歴史的にも磯部村では佐藤氏が治めていたがやはり高潮の被害があり今の日立木の道の駅ある鬼越館に移住したのである
そのあとに400年前にも慶長津波が来ていたのである
相馬藩では700人溺死という記録があるからだ

だから今になると湊村で高潮の被害にあったときここは危険だとして移れば良かったと思った、でもなかなか移住することはできないのである、そこでの暮らしがあったりすると余計にそうである、それで三陸では明治でも一万人とか死んだ津波被害があってもやはり同じように港がある場所にもどって漁業で暮らしていたのである
それは便利だからどうしてもそうなる、生活第一になり津浪でそれだけ被害があってもそうなったのである

とにかくこの辺では相馬市の市街が洪水の被害になった、でもたいしことはなかった
その隣ともなる丸森町が今度が洪水で大被害になった
あそこには山の上に大ソーラーパネルがありあれがどうなったのか心配になる
ソーラーパネルも森の保水力を低下させるし水が麓に急速に流れさせる
だから森の斜面をソーラーパネルにするのは危険である、でもあそこはもともとゴルフ場だったというとき木はなかったから
それも危険だったのかともなる、ゴルフ場もまた森の木を切ったからである
また今回の丸森町の被害は阿武隈川の氾濫ではなく支流の氾濫でありまた後ろの山から水が流れ出して被害になったとか言っている
だから洪水の起こる原因も複雑である
今回はやはり宇多川は氾濫したのは松が房ダムの放流が関係していたのか?
また大潮で水はけが悪くてそうなったのか、複合的原因があり災害が必ず起きる
人間の事件でも一つ原因ではない、複合的原因として起きているからである
丸森町は景観がいいのである、それで詩にしたもした
森が深いしまた山があり蔵王が見えるし阿武隈川が流れている
だから景観的には魅力ある場所であるが高齢化が進んだ村でもある
それて今回の被害でかたづけるにしても苦しいと言っていることもわかる
今回の台風19号の被害もいろいろ考えさせられることが多かったとつくつぐ思った





posted by 老鶯 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月16日

相馬市宇多川氾濫の被害 (広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない)


相馬市宇多川氾濫の被害

(広範囲に水につかったーでも被害は大きく見えない) 

台風19号 JR相馬駅周辺が冠水(提供)

南相馬市鹿島区に来た給水車

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病院に給水

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滋賀県湖南市より


宇多川上流山上地区




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道路を越えて越水

相馬市街の宇多川

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ここが一番被害が大きい、ここが決壊すると危険だった

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水が越えて市街に流れた

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相馬駅前まで水が来た
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鉄道の東側が駅の東側の方が被害が大きかった
でも泥があるくらいでそんな大きな被害に見えなかった

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広範囲に水につかったことが今回の被害


相馬市の日立木の道の駅は閉鎖

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これは緊急用として前からあったのか?
土台がすでに作られていたからだ
こういうものが気づかない




相馬市は堤防が決壊したというのではない、堤防を越えてきた

市の上の流れの堤防は水に激しく削られて決壊寸前だった
電柱もなぎたおされていた
あそこが決壊するとさらに市街大量に水が流れたから危険だったのかもしれない

最初youtubeで見た相馬市の洪水の動画が駅まで水につかっていたというとき
相馬市がそんなになるのかと驚いた
かなり高い水位にも見えた
今回はyoutubeで写された動画が貴重だった
こういうとき映像は訴える、どういう状態なのか一目でわかるからだ

それを見て確かめに今日行ったのである
山上の方はかなり水があふれたがあそこには家なく家の被害は見えなかった
ただかなりの勢いで水が道路にあふれた、橋は二つ破壊された
合計三つの橋が壊されたのを見た、それは頑丈な橋ではなかった

道で話していた人は俺の家は床上になるところだった、でも畳まで上がらなかったので助かったと言っていた、おそらく床上まで水に浸ったのはまれかもしれない
床下がほとんどだったかもしれない、今日街の中を見ても何か大きな被害には見えなかった、家が壊れているのは一軒もないということもある
ただ泥がありそれをかたづけている人がいた
それにしても被害は何かほとんど感じない街の様子だった
ただそれでも被害を感じている人はいるだろう

一番困ったのが断水である、これは相馬市と鹿島区は同じ水源であり断水している
原町は一部地下水を利用している、だから全部が断水にはならない
鹿島は全部断水になっている
だから相馬市ではどこでもトイレは使えない
道の駅は閉鎖されたが臨時のトイレなのか置いてあった
トイレに困る人がいた、女性もいたからである

でもイオンスーパーは普通に開いている、その中の食堂も平常通りである
そこで水を飲めたのが良かった
だからトイレと断水をのぞいてそれほど深刻な被害は感じられなかった

城跡で岡山県の倉敷市の真備から来た援助の人と出会った
真備のことは洪水の被害で何回も放送したから覚えていた
なぜ来たかというとその洪水の被害のとき相馬市から来てもらったからだと言っていた

不思議なのは和歌山県の海南市と今日はどういうわけか滋賀県の湖南市から給水車が来ていた
湖南となるとどの辺なのか?湖西はなじみがある、方角がわからなくなる
湖東は関ケ原の方であり太陽が昇る方向なのである

とにかく実際に見てそれほどの被害は感じられなかった
それでも被害があった人はそうとは思っていないとうことはある
結局人間は見た目で判断する
津浪のような被害だったら一目見ただけでショックになる
言葉が出ないとまでなる、今回はそんな感じはしなかった
床上にならないからいろいろな物も出していない
家の前に出されて積まれていない、何か平穏な感じがした
街自体が汚れてもいない、多少泥があるなという感じだった
それで何か自分も平常通りだったとなる

ただ相馬市街が広範囲に水につかった、これが被害だったとなる
相馬駅の鉄道の東側から水が逆流してきたから線路の東側が被害が大きかったというので行ってみた、確かに泥が多少多いなとは感じた、でもそれほどの被害でもないとも感じたあとは普通だからである、おそらく床上にならないから物を外に出していないからだともなる

ただ気になったのは宇多川上流の松が房ダムが放流した結果が洪水になったとも言う人がいた、その辺のことが気になった
今回の洪水でもダムの放流を問題にしていたからここでもそういうことがあったのかと思った、洪水とかなるとダムがどういう働きをするのか問題になる
松が房ダムは小さいダムである、真野川のダムは大きいダムである
だからすぐに水が満杯になって放流したのかもしれない、そして相馬市街を流れる時そこは狭いのである、その狭いことで水があふれたのかもしれない
でも鉄道や六号線を横切ると川は広くなっているから水はけが悪いとはならない
ただ海が大潮で水はけが悪かったと駅前のタクシー運転手は言っていた
そのことは今回の台風19号では他でも言われていた

●大潮で水はけが悪かった

●ダムの放流で急に水嵩が増した

●川幅が狭くそこで水があふれた

これくらいが原因になる、ダムの放流で警告があったという、だからダムの放流が今回は問題になった、とにかく思った以上の水が出たのである  


▽水沼ダム(同県北茨城市)▽城山ダム(神奈川県相模原市)▽塩原ダム(栃木県那須塩原市)−の5カ所。緊急放流との関係は不明だが、水沼ダムの下流域にある茨城県北茨城市の大北川で越水が確認された。

緊急放流は大雨でダムの貯水量が急激に上がり、事前に行っている洪水調節が間に合わない場合、決壊してあふれ出すのを防ぐために流入量と同量を放流する緊急措置で「例外中の例外」とされる。昨年7月の西日本豪雨では6府県の8カ所で実施された。

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今回の河川氾濫洪水も津波と同じか? (自然の大きな力を忘れている)


今回の河川氾濫洪水も津波と同じか?

(自然の大きな力を忘れている)

大津波が来る前に仙台の若林区では
海へ向かって新興住宅地が拡大していた
そこは津波が来るから危ないと警告した
すると不動産業者が土地の値段が下がるから言うな
と怒り抗議して来た
そして大被害になった
人々の命があまた失われた
人間は日々10円百円のコストに厳しい
金のために日々追われている
その時大きなものを見失う
ある時自然は己を容赦なく主張する
人間の日々のコストなど無頓着
「ここは海だった」
だから海にしただけだとなる
「ここは川だった」
だから川にした
もともと川は広い流域が川だったから
そこに人間は家を密集させて洪水になった
自然はある時千年単位でも
元々った己が姿を取り戻す
その時人間の日々のコストのことを考慮しない
そういうことが眼中にない
そこに人間の危険がある
大いなる自然の計らいを見ることも知ることもできない
人間は日々目前の利益にあくせくしているだけ
毎日十円百円の勘定をしているだけ
わずかの金で一喜一憂しているだけ
原発事故もそうして起きた
ただみんな目の前に利益のみを追っていた
上から下から地元からみんなそうだった
大いなる自然の神の計らいを知る術もない
それで科学者が十数メートルの津波が来ると警告した
その時東電の幹部は防波堤を作るのに金がかかると無視した
金がかかるから金を惜しんで無視した・・・
人間は大いなる自然の前に無力だということを
自然災害で常に感じる
でもまた忘れて日々の利益に追われるだけ・・・


人間は今回の様な河川の氾濫でもそうだった、津波の時もやはりスケールが違っていたが同じようなことが起きていた
仙台の若林区には郊外となり家が密集して建ったところである、海が近いということで景色もいいからである、だから住宅地として不動産会社が売り出すには良かった
それで科学者がそこは津波が来るから危険だと警告した時、不動産会社の人が怒り抗議した、商売の邪魔するのかとか怒って抗議したのである

何かこういうことが自然災害でも津波でも洪水でも共通している
自然は凶暴な面をもっている、でも津波でも洪水でもそれは自然の作用だということがある
なぜなら津波でももともと海だった所を海にしたということがあるからだ
この辺の八沢浦はもともと海だった所を開拓して田んぼにした所だからである
だから八沢浦が元の入江にもどったというとき本当に驚きだった

そして今回の洪水でもそうである、千曲川も長野市辺りも広い扇状地でありもともと川の流域だった、そこが氾濫原と呼ばれていたことでもわかる、氾濫が常に起きていたのである、堤防を作ったとしてもそれでおさえきれず元の川にもどされたとなる
だから自然災害を無くすためには本当はもともと海だった所とか川だった所に住まないことなのである
でも人口が増えて宅地開発をしてきたのが戦後である、だから危険な場所に人が密集して住むようになったのである
それで新幹線の車両基地から千曲川が見えなくなっていた
川は遠いとなり安全だとなって被害になったのである

人間はとにかく自然の大きな作用とか計らいを見たり知ることができない
自然を空間軸でも時間軸でも俯瞰的に長期的に見れないのである
それが弱点となって常に自然災害にあうのである
何か不思議なのは私は大きな金をもったことがない
でも例えば一億円とか持つと人間はどうなるのか?
日々百円を計算して買い物している人はそれが習慣になる
だからその一億円という金を計算できない、10万くらいまではなんとか計算できる
でも一億円となると計算できない、それで数百万損しても感じないとまでなる

つまり人間の生活でも国の予算など天文学的になるから計算できない
そこに大きな無駄が生じているのである
そこでグロ−バル経済のことなども株のことなど計算できない、わからないのである
第一地銀の人なども株のことも投資信託のことも全くの素人だったし知らなかったからである、そんな人に任せること自体が間違っていた
そもそも株とか投資信託でも知っている人がいるのか?
グロ−バル経済の証券市場が実はギャンブルになっているのもそのためである
誰もその巨大な天文学的な金のやりとりを知りうる人はいなとなるからだ
百円とか千円とか十万くらいまではなんとか計算できる、私の場合はもともとそんな金を使ったことがないから百万くらいになると勘定できなくなる

人間とは自然から比べるとこうして失敗する時自然は人間にとって計りえないものだからである、むしろ自然から神から計られているのが人間である
神の目から見たときなぜあんなに危険な場所に家を集中させるのだとみる
でもそんなことを考慮しない、自然はそこはもともと海だったとなれば海にする
もともと川だったとすれば川にするのである
それは人間を越えた大きな力でそうする、人間にはそれに備えても備えきれないのであるだから危険な場所には住まないということが自然災害から逃れる最大の安全策だとなってしまう、でも現実は人間はそういう危険を無視して住んでいて災害にあうのである
それは結局人間の責任であり自然の責任、神の責任ではないともなる
人間は自然の大きな力はわからないにしても危険な場所はわかっているからである
それはハザードマップで指定されているからだ、それがすべてわかっていないにしろほぼ低地は洪水の被害になるのである

ともかく相馬市になると津波の大被害があり次は川の氾濫がありとなんでこんなに被害があるのか?痛めつけられるのかわからないともなる
宇多川の岸辺で話していたのは数日前だったのである
そこは放射線でも鹿島と変わりないのに補償金もらえなっかたとか話した
宇多川はあまり水が流れない、狭い川である
そこが川岸が削られて市街にまで水があふれたのも驚きである
駅の方まで水があふれたというと相当広い範囲で水があふれた
これも数日前は川を見ても水もちょろちょろ流れているだけでありこんなことになるとは思いもよらなかったとなる 

自然は日本は特に急変する、水が山にふり急変する、増水して滝のように水が流れて来る外国の大陸の川でも洪水はある、でも洪水があっても急激ではなく、水浸しになるのも徐々になるという、でも水がなかなか退かないので困るという
大陸の川と日本の川は違ってる、日本は急激な変化に何でも見舞われる
地震、津波や台風でもそうである、そして四季があるのもそうである
だからそこに常に変化があり緊張感が生まれる風土だとなっている
そして次々に災害に襲われるからまた忘れるのも早いのである

posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月15日

これほど河川氾濫で被害がおきたのか? (現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)


これほど河川氾濫で被害がおきたのか?

(現代文明人は広い視野で見れない―千曲川の氾濫の原因)    

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真野川でもその流域は広い
特に河口になると広くなる
今回ソーラーパネルが水浸しになったところは川だったとなる



長野盆地を南北に流れるこの川の流域には扇状地が多く、それらは古代・中世から開発されていて、流水量の多い河川の扇状地ほど水田率が高く、生産力も高いそうです

盛んにテレビで川は今川が流れている所が川ではないと言っていた
川は土手にさえぎられたその中川が川ではない
川は土手からさらに広い場所が川だったところなのである
だから驚いたのは新幹線の車両基地が千曲川から二キロも離れていたのに水につかった
そんなに広く水につかったのかという驚きである
だからJRで二キロも川から離れているから安全だと思っていた
車両を避難させなかったのである

川はもう見えない、遠いから考慮すらしなかったともなる
そこに人間の視野の狭さが常に生まれる
それは前に書いたけど何でも空間軸と時間軸で物事は起きる
人間のその空間軸でも狭い所しか見えないのである、見ていないのである
第一川自体が長い、すると川の全容を知る人はいないとなる
地図でたどれば長いとなるが高低とかはわからない
今回は平野部の平地で堤防が決壊したのである

川という時、今川が流れている所が川ではない、その幅が広いのである
その広い領域が川なのである、だから流域というときもその範囲は広いのである
要するに人間の弱点は特に現代でもトータルに広範囲に見ないのである
それはなんでもそうである、広い視野で見ないし見れないのである
ある一部分だけを見ている、長い川全体をその流域まで広くみる人はいないのである
それは何でもそうである、ある一部分だけを見て全体が見えないのである
その部分的思考から大きな間違いを犯しているのである

そして全体を人間は見ることはできない、地球全体など見れる人がいないのである
でも地球全体が相互に関係しているのである
それで郷土史というとき実は広い範囲を総合的に見る学問である
一見郷土というと狭い範囲に見える、しかしその郷土でも相馬藩でも広い地域なのであるなぜならそこを地質学から地理から様々な分野から見るととても知り得ないものになるからだ

おそらく日本人の弱点は日本の地理から風土からも来ているのかもしれない
山が多いから遠くを見る視野がさえぎられる、山の向こう側はみえなくなってしまう
すると川があって山々がありそこに相当な雨がふった
でも山の向こう側になると見えないから意識しにくくなるのである
この辺だと阿武隈高原があり中通りがあるから浜通りだとその阿武隈高原にさえぎられて中通りとか意識しにくいのである
空間的に認識しにくいのである、むしろ仙台方面は平地だから意識しやすいとなる
日本人が俯瞰的に全体を見れないのは常に山にさえぎられているからである

そして山々に急激に今回のように雨がふりそそぎ川が急に増水してそれが早いから対応できないのである
そして千曲川とは千も曲がる川となっている
そこで川幅が急に狭くなる部分がありそこも水があふれたのである
川は川幅が広く真っすぐだと流れやすいから洪水になりにくいのである
私の近くの真野川は河川改修して川幅を広くしてまっすぐにしたから洪水になっていない30年以上なっていない、でも今回はかなり危険水域まで水が増えたのである
それで夜に避難した人がいた

最近ハザードマップは良くできている、川岸の低い土地は洪水になりやすいとして指定されていた、つまり低い場所に水が流れてたまる
私の家も二度水害で苦しんだのは街で一番低い場所に家があったからである
今回烏崎のソーラーパネルが水浸しになったのもそこが鹿島区では一番低い場所だったのである
だから大内村の人たちが開拓して袋村を作ったが廃村になった
そこにソーラーパネルが作られて水浸しになったのである
だからそこがもともとどういう土地なのか知るべきなのである
ただソーラーパネルとなるとなかなか日本では土地がないから
そうして悪い土地に作るとなる、津波被害放置された土地であり広いからソーラーパネルにした事情がある
でもそこは危険な場所でもあったとなる

とにかく日本では自然災害が起きるたびに必ずどこかに穴がありそれを災害の後に言うことになる、それだけ日本の自然は複雑でありそれに備えることが容易でない土地柄なのである
だから空間軸でも時間軸でも全体的にも把握できないのが日本なのである
そして最近は千年に一度の自然災害が起きているというときもそうである
自然災害が起きやすくなっている、でもそれに備えるのがむずかしい
ただ最ハザードマップは良くできている、低い土地がありそこは洪水の起きやすい場所なのである、丸森町でもそうだった
そういう低い場所に安易に家を立てすぎたのが日本だったのである

自分の家が街で一番低い場所にあるのはもともとの農家でもない、土地もない、商売のために土地を買ったがそれが悪い土地でも買わざるを得なかったからである
だから土地のあ悪い場所に住んでいる人はもともとから長く代々住んでいる人ではないとなる
それはどこでもそうである、戦後戦争の引揚者が開墾した土地もそうである
相馬藩では天明の飢饉の時、越中などの人が入ってきた土地もいい土地ではなかったのである
もともと住んでいる人の土地はいい土地である、前田とかつく地名はいい土地である
そこが村の中心になりやすいいい場所なのである

いづれにしろまず自分の住んでいる場所を知らないとこうしていつも災害にあって難儀する、死んだりもするから怖い、そういう危機感を日本では他の国より持たないと命の危険になる、でも戦後とかみだりに無防備に土地が使われた
家が建ちすぎたのである、それで仙台の若林区で津浪の被害が大きかったが
そこに津波が来ると学者が言った時、不動産会社が土地の値段が下がるとそんなことを言うなと言っていたのである
日本ではそれだけ土地がない、安全な土地に欠けていることは確かである   




犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化

市川 健夫. 信州学ライブラリー@ 犀川と千曲川流域の多様な暮らしと文化  Kindle 版. 

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新幹線の車両基地まで2キロありその前に家が密集して千曲川は全く見えない
するとそこまで千曲川があふれて水が来るとはおもいもよらなかったとなる
でも川というものがとをいものか、歴史を調べればそうではなかった
もともと千曲川は「氾濫原」があるように度々氾濫する川でありその範囲も広くなっていたのである
だから今密集して住んでいる所には人は住んでいなかったのである


千曲川は千曲市に入ると緩流となり、 長野盆地 に入っ た 千曲川は大きく蛇行し両岸に幅の広い自然堤防を つくるようになる。 
この自然堤防と山麓線、 もしくは扇状地・崖錐との間に後背低湿地( 氾濫原)が存在し、 肥沃な水田地帯になって いる。  

 千曲市を流れる千曲川の河川敷は五〇〇メートル内外であるが、 犀川が合流してからは 河川敷が拡大 し、小布 施 橋( 九 六 〇 メートル)あたりでは 一 キロメートルにも達する。 信濃川の河口付近でもかつて一キロメートルほどあった 河川敷は、大河津分水 ができてから 縮小 し、 現在 万代橋の長さは三〇九メートルなっている。

この自然堤防と山地と扇状地との間に、 屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった。 

千曲川は広い扇状地帯である、河川敷ももともと広かった    

屋代田圃と呼ばれる氾濫原がある。 東西三キロメートル、 南北二キロメートルの沖積地には、 最近西部に住宅地ができたが、 これまで低湿地のため集落はまったくなかった

このように三キロとか二キロとかあった、それで長野市の穂保の堤防が決壊して水があふれて新幹線の車両基地まで水が流れて水につかった
そこまでは2キロあった、だからそこからは川が見えない、その車両を避難させなかったのはまさかそこまで水が来ると思っていなかった
思いもよらなかったのである

新幹線車両基地から前が家が密集していて千曲川はまず見えないのである
こういうふうに視界がさえぎられると危険を感じくなるのである
津浪でも家が密集していると海が見えない、もし海を見ていると津波がおしよせてくるのが見える場合があり見えたら逃げるということもある
現実に津波が来たのを見て逃げて助かった人がいたのである、もともと家がないところに家が密集しているということで川が遠く感じたのである

そこに氾濫原というように度々千曲川は氾濫していたのである、川は今流れているのが川ではない、広い領域が川なのである
それが家がたてこんだりして錯覚するようになる、そこはもともと川だと思えくなるのである
津浪でも前に家が密集していると海が見えなくなる、すると海が遠いのかともなるのだ
ただ海を家の前で見ていても逃げない人もいたからそれはわからない

人間は文明が発達して人工化したとき自然を狭く見ている、川でもそうである、川はもともと扇状地だったから広いのである
だから最近他でも洪水の被害があったけど必ずしも温暖化とか台風が大きくなったからではない

人間は住むべきではない土地に密集して住むようになった !

これが被害を拡大している原因である、他にもあるにしてもこれが大きな原因ともなっていることは確かである

地理はわかりにくい、特に山はわかりにくい、すると川から見るとわかりやすくなる、特に長い川だと千曲川でも江戸時代とか菜の花畑が広がり菜種油とかを千曲川で江戸まで運んだとかあり交通路になっていた、それは最上川では特にそうなっていた
川から地理を見ると地理もわかりやすくなる
川を一つのものとしてたどるとわかりやすくなる、山は無数にあるからわかりにくいのである









posted by 老鶯 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害 (みんな使い物にならない、交換するほかない)


南相馬市鹿島区の烏崎のソーラーパネルが水につかり大被害

(みんな使い物にならない、交換するほかない)

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南相馬市鹿島区烏崎方面で水があふれる

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水はソーラーパネルの本体までかぶったのがある

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ここの水路は流れない堀だった
途中で流れくなくなっていた
反対側の堀は流れていた
でもここは流れないから水がたまりあふれてソーラーパネルに流れた
ただこの辺一帯は低いから水浸しになっていた
それがかなり高い所まで水浸しになっていた
だからソーラーパネル本体まで水に浸ったのもある

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youtubeで南相馬市鹿島区の烏崎方面が水浸しになっていたのを放送していた
こんなになったのかと動画を見て驚いた
真野川が河口で氾濫したのかと見た
相当な水の量に見えたからである

それで今日の朝に行ってみたら見回りの会社の人が来ていた
そしたらもう使い物にならない、全部交換するほかないという
電気は水には弱い、全部水にかぶったのかどうかわからないが明らかにソーラーパネル
の本体にも水をかぶった
それは動画をみればわかる
保険をかけているからいいとかも言っていた
それにしても大損害である
ソーラーパネルも意外と安全ではない、自然災害に弱いのである
風の影響は受けていなかったが水に弱かった
丸森の被害が大きかったがあの山の上の大ソーラーパネルはどうなったのか?

そして風力発電もとまった、風車が回っていない
電源調節の施設も水につかって機能しなくなったという
つまりソーラーパネルとか風力発電は緊急時に弱い、発電できなくなる
そもそも発電するのは電力会社でしていてそれが動いていてその補助としてソーラーパネルも風力発電もある
だから緊急時の発電に役に立たないのである
ソーラーパネルでも風力発電もいろいろ問題があることを指摘されている
まずコストがかかる、税金で上積みして電力の費用を国民が払っているからだ
だからコスト的にはかえって自然エネルギーでは損しているのである
そして緊急時には役立たないのである

ただここでなぜ真野川が決壊していないのにこんなに水があふれたのか?
それはここがこの地域では特に低い場所だったのである
それで一時大内村の人たちが開拓して袋村を作ったがその袋村はなくなった
土地が悪い場所だったのである
ここは低い土地だから津波の時にも塩崎まで津波が押し寄せたのである
右田も低い場所だったがここはもっと低い場所だったのである
今回右田の方こんなに水浸しにはなっていないだろう
第一こんなにここに水があふれることは意外だった

その堀をみるとそこは水が流れない堀だった
これも意外だった、想定外だった
なぜなら向かい側の堀はあふれていない、水が流れていたのである
水が流れない堀に集まりあふれたのである

とにかく必ず災害でぱ想定外のことが起きる、今回の台風でも各地で起きたのである

群馬で突風被害相次ぐ 太陽光パネル600枚が・・・(15/06/16)

風で吹き飛ばされるソーラーパネル被害も結構あった
今回もどこかであったのか?
ここは水の被害だった


posted by 老鶯 at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

                  
南相馬市―相馬市で断水(水道管破裂したため)

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南相馬市の鹿島区の海側でも大内辺りでも田んぼが水浸しになっていた
それが動画で見れた、真野川の河口からあふれたのか、工事中でもあったからか

相馬市は駅前まで水が流れていた、水浸しになっていた映像がでていた
市街まで宇多川から水があふれて流れていた
今回は相馬市街の被害が大きい 

今週末まで復旧にかかる

とにかく断水は今週末までつづく、ということは約一週間は結構長いかもしれない
ただ電気はとまらないし店も開いているししのげる

でも水がないことは困る、トイレとかが困るが自分の家は風呂の水を流していなかった
だからその水をトイレに利用する

水は食器を洗ったりとかいろいろ使うから困る
そもそも水を入れる容器がない、ボリタンクとか店ではなくなっているからだ
それでも津波原発の被害よりは楽である
だからそれほどあわてる必要はないと思った

市街にこんなに水が流れたことは驚き

これは後片付けとか大変になる、鹿島区は街中は被害がない
でも夜に真野川の水嵩が増して避難した人がいた
結構危険水域になっていたのである
ただ真野川は河川改修してから洪水はなくなっていたので安心していた

今回は夜に雨が降り増水したのでわからないことがあった、それで被害になった
夜は昼より危険になる、見えないから危険なのである 


posted by 老鶯 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月14日

断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る (和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)


断水で給水車が南相馬市鹿島区に来る

(和歌山県と会津と東京からすでに来ていた)

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南相馬市鹿島区生涯学習センター
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南相馬市は一台来た 和歌山県海南市が来たのには驚く
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会津からも来た

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老人ホーム

東京都稲城市

いや早い、和歌山県海南市の水道事業部から今日給水車が来ていたのには驚いた
こんなに遠くから早く来るのに驚いた
こういう点では今の時代は交通が発達しているから早い

それから会津からも来ていたし東京からも来ていた
東京は老人施設のタンクに水を供給していた

ただ給水車のタンクは小さいから一時間しかもたない!

それでまた運んでくる、次々に並べばすぐになくなる!

でも一時間でなくなってまた運ぶからなくなることはない

これはいつまでつづくのか心配だ

スーパーには物がなくなっている、水はない、でも前のように空になることはない
パンなどはなくなっている、問題はどれくらいの期間で復旧するかである
こういうとき井戸の水があれば助かる、だから緊急の時はそうしたものも絶やさないことが必要になる
posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要 (千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)


自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要

(千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)

「千曲川の源流がある山間部に大量の雨が降った。過去にも水害が起きたが、200年に一度ぐらいの規模だ」

 海に面していない長野県は年間の降水量は全国的に見て少なく、内陸の盆地は特に雨が少ないことで知られる。静岡大防災総合センターの牛山素行教授は「普段は雨が少ない地域で豪雨が降ると、絶対量は少なくても、災害発生のリスクは高まる」と指摘する。

自然災害はまず地形とか長い間の機関で見ないとわからない、ここに洪水がなかった
ここでは雨が少ない、だから洪水はない

それは津波でも起きたことだったのである、今回の大津波は石巻から福島県の海岸地域では400年の間津波が来なかったのである
そうするとここは津波が来ないと確信までになり老人でも逃げないで多数死んだ
つまり老人はいくら100年生きていても200年単位になるともう記憶もなにもなくなるからだ
そういう長期的視野で見るのが人間は苦手である
時間軸になると歴史となるとわかりにくいのはそのためなのである
せいぜい祖父母の代まではリアルに意識する

まず明治があり大正があり昭和がある、でもさらに平成があり令和になる
もうこうなってくるとわからなくなる場合がある
平成と昭和の相違は何なのとかなる、その順序までわからなくなる
江戸時代では年号を見てもそうして順序を逆にして見る
そこでどういう時代なのかわからなくなるからだ
でも祖父母の代まではこの順序を間違えることはないのである

津浪でも地形が本当に影響した、すぐ前は海なのに前に丘があったところは津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいる、それは丘で津波がさえぎられたからである
津浪に効果的なのは津波の勢いをそぐ台地があることだったのである
何もないところは奥まで津波の勢いがとまらず被害が大きくなったのである

人間の弱点は長期的視野で見れない!

住んでいる地理的空間認識ができない!

これが人間の弱点だったのである、時間軸と空間軸に人間が生きるとしても意外と自分の住んでいる場所の地理的空間的認識ができないのである
千曲川でも上流地点の山で降ったというときもそうである
長野県となると山が多い、するとまたそういう広い空間認識に欠ける
それから長年の経験で雨が少ないというとき洪水はないという確信までになる
それは津波が来ないということと同じなのである
自然は長期的に見ると変化する、今来ている台風も昔の台風とは違っている
そして200年単位で変化することに人間は対応できないのである

だから地理的空間認識と時間軸の認識を高めることが常時必要になる
まず日本の地理は地形は複雑なのである、この地理を地図を見てもわからない
土地の高低とか高さとか広範囲な地理の認識はできない
そこがまた弱点なのである、人間は鳥の目を鳥瞰図を持ちえないのである
生活している範囲も狭い、だから今回でも千曲川の上流地点の山々を意識することはむずかしい、それが弱点となって常に災害に弱いのである

そもそもその土地の地形とか地理は長い間の変化で作られている
地質学となると千万年とかも単位となる
それを知ることは容易でなくなる、でもそこまでさかのぼらないと地理とか地形とかはわからないのである、そこに何が起きるかはそうした地理とか地形とか地勢を見なければならないからである

私は日本中を旅したからそういう地理とか地形とか地勢に興味をもった、ただ科学的にはわからない、でも人間の認識の基本は空間軸の地理と時間軸の歴史である
それがこの世界を自然でも認識する軸になる
それは政治とか様々な事象でも基本になるのである、学問でもそうである
地理を知らなければ基本的に世界を知ることは不可能なのである
政治的なことでも朝鮮半島が朝鮮半島として古代からあり統一しにくいのは大陸からの影響でそうなる、そして日本からの影響でもそうなる、挟まれてそうなっている
つまり地理とか地形とか地勢は人間の宿命でありカルマなのである
だからそのカルマを知るべきなのである

人間個々人の運命すらカルマがかかわっていることを考察してきた
そこに何かしらの因果あり苦しみとなって現れるのである
そのカルマから人は逃れることができない、必ず苦しみとなって現象化するのともにているのである
ただカルマというのは何か悪いことしたからと言ってすぐにその結果は現れないのである若い時の若気の至りは老人になっていから悔いることになり苦しみとなって必ず現れる
カルマとは何か因果を作ることだからである
それが苦しみとなって現象化するのがカルマなのである

原発などもすでに40年前とかに戦後まもなくとか正力松太郎によってアメリカから導入されたとき因果を作っていたのである
その時すでに原発事故の因果を作って現象化して苦しみとなったのである
何かそうした因果は自然の場合は長期的視野でみないとわからない
百年でもたりないしかし二百年になるともう祖父母の代でもないからリアルにイメージできなくなる、そして大災害が津波のように起こるのである
でも人間は千年単位となるともう時間軸で見れなくなる
それが弱点となりまた災害に合うカルマから逃れられないのである

いづれにしろ科学とか学問は空間軸と時間軸での考察を深めて警告することだともなる
それは津波でもできた、一応相馬藩政記は相馬藩ではありそれは記録として重宝されている、殿様が代替わりしていないからである、そこで一貫した記録として残った
そして「生波(いくなみ)=津浪で700人溺死と記されていた
でもそれは津波になってから発見された、もしその前にこのことを指摘する人がいたら
学者として社会にいかに貢献したかとなる
それから東電でも10数メートルの津波が来ると警告していた
これは信用されるものだったのである、この二つのことがこの辺で広く知らされて注意を喚起していたら逃げて助かった人がかなりいたとなる
それが知らされなかったことが大きな問題だったからである


posted by 老鶯 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本がラグビ−でスコットランドに勝利 (ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)


日本がラグビ−でスコットランドに勝利

(ラグビ-は大帝国の歴史そのものだった-スポーツを文化として見る)



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スコットランドの花はあざみ


8世紀、スコットランドはバイキングからの侵略を受けました。
スコットランド軍を攻撃しようと、闇に紛れて上陸した兵士たち。
けれど、足音を消す為に裸足になっていたため、棘のあるアザミを踏んだ兵士が、
あまりの痛さに大声をあげてしまいました。
スコットランド軍は敵に気づき、それをきっかけに大勝利しました。
この伝説にちなんで、アザミは国を救った花として、
スコットランドの国花となり国民に愛されています。

あざみが国を守ったという伝説からそれがスコットランドの国家になった
イングランドはバラの花である、薔薇というヨ−ロッパの聖堂に薔薇窓があり薔薇に対して思い入れが強い、薔薇は匂いがあることでもヨ−ロッパ人には好かれる

「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」
また、「いばら(茨)」は「うばら」「うまら」「むばら」とも読んだようで「うばらき」説もある。

これともにている、それでこの辺で薔薇坂とかありそれは飯館村へ上る八木沢峠の下にある
そこで不思議だったのはそこの農家が牛を飼っていた、でも原発事故で廃屋となった
田んぼだったところに入ると茨でありそれにひっかかって痛かった
それは野薔薇のツルの棘だったのである
茨城とはそういう意味があり名前になった
これはスコットランドを守った薊(あざみ)とは正反対である
ただその経験からそういうことがあったということを実感した
そこにカモシカが出てきたことにも驚いた
そういうふうに人が住まなくなるとイノシシとか猿とかカモシカであれ原初の自然の状態にもどる、だからその光景もこの辺では海の方でも津浪で湿地帯に帰り不思議だった
一時北海道の湿地帯になったのである

今回スコットランドと日本がラグビーで戦い日本が勝った、その戦いはぎりぎりだった
白熱した戦いだった
ラクビーは肉弾戦である、だからフイゼカルで勝ったとか肉体で勝ったとか常に言うのである、本当に強靭な肉体のぶつかりあいなのである

ただスポーツというとき日本でも武道がそうであるように歴史があり文化なのである
私はそういう文化的なものに外国でも興味をもっている
ただロンドンには行ったがスコットランドには行かなかったのが残念だった
そしてラグビーが圧倒的にイギリスが強い、それも必ずスコットランドでもアイルランドでもウェールズでもイングランドでも四つの州から出ている
それでイギリスはunited kingdomなのである
スコットランドとイングランドは熾烈に戦ってきた、だからイングランドと戦うときはラグビーでも熱くなる、それはアイルランドでもイングランドと争ってきたから熱くなる

イギリスという国に興味をもつのは七つの海を支配した歴史があり英語をみんな習っているし英語が一番世界で通用するからである
英語を習えばやはりイギリスに興味をもつからイギリスは過去の栄光を英語に残しているともなる
英詩なんかもわからないなりに詩を作っているから私は読んでいる
                                                               
我は彼らが父祖の国
我が内に力ぞ宿る
我が子らを連れて帰らむ
月日充ちなば

彼らが頭上、新たに買いし
古き立木の枝の間に
我は秘呪を織りなして
彼らが膝に惹きよせむ

(キップリング)

キップリングの詩の訳の解説) 

この詩はなかなか深い詩である、まず祖国イギリスにアイディンティティがありその土地に根ざした詩である
でも父祖の国というときそれがイギリスでありアジアに来て主に東南アジアに侵略してそのうよに思うのはおかしいと思った
なぜなら父祖の国というときビルマ(ミュンマー)であれマレーシアであれネパールでも父祖の国はイギリスではないからだ
ただネパールでも登山してトレッキングしてそのガイドが英語をしゃべっていたのである
だから英語は一番アジアでも通じる、中国人でも英語で話すからである

ラグビー世界戦になるとこうして世界と文化的にもかかわる、ただラグビーはイギリスを中心とした競技である
そこが根本的に違っているのだ、だからこそイギリスから四つもの州から必ず出る
オリンピックだったらそんなことないからである、みんな国の代表だからである
ただオリンピックもギリシャから始まり世界に普及した、するとギリシャが関係してくるのかというと何かそれもあまり感じなくなっている、ただオリンピアという場所がありそこが発祥の地なのである
そこに訪ねたことがある、そこに競技場があったとしてもそれは本当に小さいなのである
野原の競技場なのである、野の花が咲いて小さな競技場があった

だからこそヒヤシンスの神話が生まれたりしたことがその場に立てば理解する、それこそ自然の中の祭典だったとなる
そして肉体を鍛錬した体育館の跡がある、それも石の柱の跡があり大きなものだった
そんな昔に体育館があったということが不思議に思う、石の柱が残っていてそれは大きいからである
ギリシャとなると今のオリンピックとは違っている、何かそれは詩的なものにもなっている
だから神話になり伝説になり残っている、その観客席の石の座席に座った時何ともいえぬ感懐を味わった
石の座席がとにかく本当に古いが良く残っていると思ったからである
二千年前以上の石の座席なのである、そこで二千年前に帰るのである

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オリンピアの狭い競技場

いづれにしろスポーツというときそれがただ肉体をフィジカルだけの戦いならつまらないと思う
そこに歴史と文化があり詩的なもの美的なもの文化があるというときそれは別なのである
でもオリンピックにはもうない、商業主義でありただ一秒でも早く走るとかの作られたショーなのである
だからテレビ局で主催して視聴率をあげるものでありまたは必ず企業の宣伝として選手は使われるのである
要するにスポーツも現代文明を反映したものとしてある、つまり何でも現実社会の反映だからそうなる
マヤ文明でも走る競争が行われていた
それは神に献げるものであり若い人が強い人が勝者となり神に犠牲として献げられたのである
つまり犠牲として生贄として神に献げられたのである
これも神に献じるのは年取ったものではない、若い力にあふれたものが神によみされた献げられるべきものだという思想と信仰があったからである
みんな老人が信仰にふさわしいように思っているが違う、神を知ることは聖書でも青春時代に最も力にあふれたとき知らないと知ることができないのである、だからこれは世界で共通していたとなる

スポーツでも何かこうして歴史と文化を背負っていればそれは単なるフィゼカルだけではない、肉体だけではないものになる
それでこそ人間に値するものだとなる
なぜかスコットランドは寒い国だから東北とにていると思ってそのことを前に書いた
東北も一つの国となるとスコットランドににているからだ、ただそうならなかった、でもイギリスという国がなぜ島国なのに四つに分かれて別々の歴史と文化を持ち続けているのか理解しにくいのである
とにかく日本がスコットランドにラグビーで勝ったことは歴史的なことであり記念すべきことである
ただ半分は外人部隊である、でもそれも日本の未来を暗示しているのかもしれない
多国籍軍になって世界と戦えるということになるからだ、それはアメリカの頭脳は多国籍軍だからITで世界をリードしたからである
優秀な移民だったら歓迎なのである、でも単純労働者になると別だとなる
ラグビーでは優秀な人を選別して日本軍にしたから強くなったからである 

とにかくラグビーだけはかつて七つの海を支配した大英帝国の栄光を物語るものなのである
ラグビーに強い国はかつて大英帝国の領土となったところだからである
だから四つの州がイギリスからでてそれが常に上位に来ていることでわかる、でもその一角をスコットランドを負かした、崩したのが日本だった、でもそれは半分が外国籍のものが入ってできたことだったのである  

七八輪今日もこの道秋薊

これは写生俳句である、七八輪がいつも一体となり道の辺に咲いている、ただそれだけだがそこにスコットランドのように一体感がある、写生俳句には何か物自体を示してそれで何かを語らせるからである 


blued flowers of scotland (abstract painting) 


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2019年10月13日

南相馬市水道断水のパニック (水がどこにもなかった―ボリタンクなどもなくなっていた)


南相馬市断水のパニック

(水がどこにもなかった―ボリタンクなどもなくなっていた)

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真野川の岸辺の土手の桜の木が倒れていた、何かこれも古くなっていたんでいた木だった


相馬地方広域水道企業団によると、台風19号により真野ダムからの導水管の破損・流失と水源地の水没が生じ、鹿島区内全域が断水となっています。
復旧の見込みは未定とのことです。

今後、給水車による給水を予定しているそうですので、詳細が分かり次第お知らせします
台風19号による新田川の氾濫の影響で、原町区の水道の水源地が水没したことから、一部区域で断水が生じています。

水道が断水になるというので水を買いにいったがどこにもなかった
水をためるタンクもなかった
水は今水道の水が出ているからそれをためればいいがそのためるものがない
これは備えていないから弱点だった
給水車とかきて水を配る時それをためるタンクなどがないと困る
それが売れ切れでないからだ

津浪のときは自分の地区には電気もきていたし水道もとまらなかった
でも一週間以上すぎて米がなくなったので古米が配給されたとき助かった
そして二週間目で隣の相馬市で買い物できた
ただそのときガソリンがなくなり車は利用するのは大変だった
自転車では行けたのである、つまりこういうとき自転車とか役立つ
ただ電動自転車だと電気がとまるとこまるし荷台がないのだとも困る

電動自転車も電気に頼っているからそうなる
人力の自転車が緊急時には役にたつのである
なにもなくなっても水道がとめられても裏山の清水があればまた木があってそれを燃料にして米をたいてしのいだ三陸地方の人もいた
道路は完全に寸断されたからだ

今回はこの辺では道路は寸断されていないから物は入ってくる
ただ水はなくなっていた、でも注文はしたという、でもこれもみんな買うからなくなるのである
コンビニは閉店していた、こういうときいくら金があっても役に立たない
水がない、水をくださいと言ってもないからだ
近くの知っている人は井戸水をもらえるとか言っていた
こういうとき井戸水でも役にたつ、だから都会でも今は井戸水を使わないから緊急の時困る、江戸でも井戸水を利用していれば水がなくなることはないからだ

とにかくこういうときパニックになる、買いだめする、それが問題なのである
一斉に買いだめすれば物がなくなる、それでパニックになる
ジュース類が売っていてもそれが水の代わりにはならないのである
だから水が大事だと思った、電気はとまらないから使える
でも水がなかったら米を洗ったり料理するにも困るのである
水は生活の基本なのである、だからこの辺で水と空気が放射性物質で汚染されたとき住めなくなったのである                                           

人間は普通は水のありがたさを感じないのである、それは日本だとふんだんにある、ありすぎて台風とかで洪水になるとか水の貴重さを感じないのである
今回は水道の施設の一部が破壊されたとかありそれで水道が断水になる
ただ今は出でいるからこれをためることができる、でもためるタンクはも売っていない
みんな一斉に買うからなくなってしまったのである
だから緊急用水をためるボリタンクでもなんでも用意しておく必要がある
これも今回の教訓だった 

この断水がどのくらいつづくのか?

それが問題である、それがわからない、原町の方は復旧が早いとある
でも何日かかるのかわからない、これも困ったことである
どれだけ備えていいかわからないからである
ただ道路は遮断されていないから物は入ってくる、でもパンがなくなったりしている
水が入ってきてもすぐに売れ切れる

ただ助かったのはツルハが二つあるが一つは無料で水を提供している
一軒は断水していた、一軒はしていない
それからシシドスーパーでは50円で二リットルくらいの水が買っていたがこれも止まっていなかった、ただ断水したらどうなるのか?それが不安なのである
あまり買いだめしても失敗する
二三日ならいいが一週間とか伸びたら困る、給水車がきてもタンクがなくてためることができないのである

何か災害でぱ必ず思わぬことが起こりパニックになるのである
備えていても備えきれないのである
ただ今回は道路が遮断されていないから車ある人は遠くに行って買い物もできる
それが前とは違っている、でも電車は今日は全休だった
そうなると車がないと遠くには行けなくなる、水とかは重いから遠くに行って買っても買えないのも困る
ガソリンは供給できるから車がある人はそんなに心配ないかもしれない
でもずいぶん買い占めたのである



・トイレの水が流せない
・お風呂に入れない
・顔を洗えない、化粧を落とせない
・歯を磨くことができない
・トイレや片づけ後に手を洗えない
・洗濯ができない
・料理ができない

飲み水は、家族がストックしていたペットボトルの水をもらって大事に大事にちびちびと。

コンビニやスーパーのほとんどは閉まったままだし、開いているお店も、水はもちろん、弁当・パン類、ジュース、お菓子類まで棚はすっからかん。自動販売機もどこも売り切れマークです。

近くの小学校に給水車が来ているよ!と聞いて行ってみても、大行列ができていて途中で給水ストップとなってしまいました。

途方に暮れていたら、知人らより「湧水をくみにいくけれど、いる?」「うちは井戸水の出よるけん、届けるばい」との連絡が。

熊本地震でこうなったのもわかる、これと同じようなことが起きている
水道の断水の影響は大きい、熊本地震よりここはいいとしても早く復旧しないと
苦しくなる、これもまたはじめての経験だった
津浪のときは電気はとまらないし水道もとまらなかったからだ
水道がとまることを経験していなかったからだ


posted by 老鶯 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

台風19号の南相馬市の真野川の増水写真 (コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)


台風19号の南相馬市の真野川の増水写真

(コンクリート用水路の影響もあるのか?意外と水が出て危険だった)

真野川の増水
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夜は危険な水位になっていた
やはりこういうときは夜も警戒する必要があった
二階で寝ていたら下が雨漏りで水浸しになり風がふきこんで物が散乱していた
これも失敗だった、下に寝ていたらかたづけたからである
河川改修前だったら洪水になっていたかもしれない
だから意外と水が急速に増水していたのである


丸森町の阿武隈川は氾濫した

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結構水出ていた、最高位は危険な状態にもなった
朝は退いていたからだ
山の方が相当に降った

ただ最近なぜ増水するのか、洪水になりやすいのか?
これはわからないにしても支流がコンクリートの堀になっているから急速に本流に水が集まるのかもしれない
これは河川を研究している人が言っているかもしれない
コンクリートの堀は急速に水が集まり流れやすいそれが本流に集まる
何かこの辺も洪水になり安くなっているかもしれない
あらゆるところがコンクリートの堀になっている
もし前のように土の小川のようになっていれば田んぼの方に水があふれたりしてして
そこが貯水池になったりする、すると本流にはそんなに水が集まらないとなる
ただこれは素人の見方であるから本当のことはわからない
これを研究している学者はいるだろう 

側溝や排水路は、上流で発生した大雨で一瞬にして牙をむきます。上流の水が水路に集中していっきに流れ下ってきます。それがコンクリートで覆われている人工の水路の怖さです。

これは子供などがこういう急激な増水で流されやすい、死んだりする
良くニュースでも大人でも老人でも流されて死んだりしている

田んぼダム

周辺の土地が森林から宅地に開発されたりして、地面に雨がしみ込みにくくなると、降った雨のほとんどが短時間に川に集中することになり、洪水が起こりやすくなることがわかっています。


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新潟県は湿地帯であり潟にできた県、新潟はその名の通りだった

豪雨水害ー水はこうしてあふれる(NHK)


これは新潟県の土地の高低の図である、新潟県は潟(かた)の県だったのである
低い土地が多いことでわかる、つまり潟を開拓して田んぼにした県だとなる
その土地の由来が今も同じなのである、土地自体は変わらないからである
ただ森に水の貯水機能がありとか田んぼにありとか何かそうした機能が失われると増水しやすくなる
河川改修で洪水が起こりにくくなってもそうしてまた別なことでかえって便利にした結果自然を改造するとまたそれが自然災害になる

真野川は二回目の水害の被害があってから河川改修した、それから30年以上はたっている
それで自分の家は街で一番低い場所にあるから二回も床上浸水にあった
今回は原町の方で新田川があふれて浸水したという
あそこも街と川岸の高低差が大きいのである
川の側でいいように見えても悪い場所だった
川岸は相当に低い場所になっているからだ
だからあそこに家を建てることは危険だった
そうなるとあのような土地は土地の値段が安くなっていもいいとなる

川というのは川幅とか曲がりが関係して洪水になる
川幅が広くまっすぐだと水が流れやすくなるからだ
また曲がると水が勢いよくぶつかり圧力で決壊しやすくなるかもしれない

本流から支流へ逆流して洪水になる

ともかく日本は災害の国である、だから災害がどこで起きるかわからない
それで日頃から災害について備えしたり知らねばならなかったのである
この辺は津浪の被害で思い知らされたのである
でも今回は8000人死ぬとかニュースでインタ−ネットで報道していたようにはならなかった、確かに数十人(30名内)くらいは死者がでるかもしれない
でも8000人はありえなかったのである

そういう報道するのも無責任だった、何か報道するメデアはマスコミでも無責任なのである
なぜならその報道したことについて賠償請求とか責任が追及されないからである
他だと建物たてる人などは実際に賠償請求されるから簡単にそんなこと言えないのである責任がないと真剣にもならないかち適当にフェクニュースでもマスコミは流すし今はインタ−ネットでも個人でも流すのである
第一8000人死ぬとか簡単に言えないのである
被害があるとしてもそういうことはフェクニュースになるのである
ただ現実に思った以上に雨がふったことは確かである

この辺では阿武隈川が丸森町であふれた、原町の新田川でもあふれて浸水したらしい
だから意外に身近なの所で被害があったことは確かである

南相馬市でも死者

福島県南相馬市によると、13日午前0時40分頃、同市小高区の県道交差点で、台風への対応を終えて車で帰宅していた市職員の男性(25)から「車が道路の冠水地帯に水没した。車からは脱出した」と職場に電話があった。しかし、男性は帰宅せず、県警南相馬署や消防などで捜索したところ、同日午前5時35分頃、付近で男性とみられる遺体が見つかった。同署で身元確認を進めている。

posted by 老鶯 at 12:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月12日

人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない (文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)


人間は自分の住んでいる場所の危険の自覚がない

(文明化してかえって危険に対する直感力が欠如していた)

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家がなんでこんなに密集しているのか?
何か不自然だ、こんなに家が密集していいのか?

そういうふうにここを通った時感じた、それは人間の直感力だった
それは人間だったら誰でももっているものだったのだろう
そこの津波の被害が一番大きかった、死んだ人も石巻では一番多かった
ただそこに住んでいる人自体がそうした危険とかの直感力がなくなっていたのだと思う
三陸では津波が明治にあって一万人死んだとかあるが
ここではやはりなかったからである


千葉県がなぜ台風に連続して襲われ被害があるのか?
それは地形をみると太平洋に半島のように突き出していて風が強く当たる感じになる
だから館山に来たとき風が強かった
それは一回だけ行っても記憶に残っている
館山だとさらに半島の突端だからである

そして意外と東京は湾が深く入っていて津波でも弱められるから大きな津浪の被害が過去にもなかったようである
津浪が危険がなのは湾とかがなく直接海に面した所なのである
そこは前にさえぎるものがないから危険だったのである

地の利というのはどこでもある、だから私は旅をして地理に興味をもったのである
災害でも歴史でも地理から離れて人間は考えられないからである
ただ地理とか風土は本当にわかりにくい、地図を見ただけでもわからない
土地の高低とかいろいろ複雑に構成されているからわからないのである

原発でもなぜ福島原発でも最初にすでに地震で配管などが壊れて原子炉も傷ついたとか言われる、つまり地震ですでに破壊されて次に津波で致命的結果となったのである
そういう日本の風土に合わないものをなぜ作ったのか?
それが一番の問題だったのである
ただ東京湾は津波に強いから原発は東京に作るべきだったのは本当である
これだったら東京の人は反対しても国民は納得した
つまり東京に作るくらいだから安全だとなるからだ
安全対策は万全だと見るからだ、福島は離れているから東京の人は事故になっても影響がないとなるからだ

人間は日本の歴史が長いとしても依然としてどこが危険なのかその地元に住んでいる人がわからないのである
南相馬市の鹿島区の海老村の崖の上の高台は直接海に面しているのにそこが避難所に指定されていて30人くらい死んだ
これも全く津波のことがわからないからそうなっていたのである
なぜなら海老だったら別にちょっと50メートルでも歩けば助かる地域だったからであるそれも車の渋滞などもない、村なのだからない、それなのにわざわざ一番危険地帯が避難所とされてそこに逃げて死んだのである
津浪に関してはこの辺では何も知らないからそうなったのである
400年前に津波で被害があってもそんなこと学者すら知らなかったのである
だからこの辺は津波が来ないと確信して老人でも多数死んだのである

今回の台風では高潮のことが言われる、海老村でも八沢浦の方で津波の前に高潮の被害があった、海岸では高潮の被害が常に起きている、それで磯部では400年以上前にその土地の支配者が館を移していたのである
それは慶長津波の前だった、人間はこのように危険な場所には住まないのがいい
でも日本は狭い土地だから危険な場所に海で山でも住んでいる
海側の場合は魚をとるから港が海岸にあった方がいいとなり明治の三陸の津波で一万人死んでも海の近くに住んでいたのである
そういう危険な所に住み続けていてまた津波で大きな被害になったのである

とにかく日本は災害の国である、災害から逃れられないのである
地震、津波、台風、・・・から逃れられない、最近では家は地震で壊れないように作られている、でもかえって今度は台風に弱いとかなっていた
でも河川改修しているから洪水は起こりにくくなっている
私の家は二回水害に見舞われたからである
河川改修してから起きていないのである

日本人が自分の住んでいる場所のことがわからない、地理のことがわからない
一番今になって感じたことは石巻の海岸の所で日和山の下の所に家が密集していたのである
そこが津波で根こそぎ破壊されたことはショックだった
そこを通った時なぜこんなに家が密集しているのかと見た
何か直観的に危険なものを感じた
でも津波のことなどそこでも考えることもイメージすることもなかったのである
その土地からイメージする力が弱まっているのかもしれない
肝心の自分の住んでいる土地のことがわからなくなっているからだ
それはメデアの影響もある、なんでも危険でもメデアが知らされてくれると思うようになったからである
自分の住んでいる場所すら何か無頓着になっている 

その点縄文人の方が自然に対して直観的に敏感であり備えていたかもしれない
つまり科学が発達しなくても自然と密着して暮らしていたから敏感になる
現代文明人はあらゆることを科学とか技術とかメデアの情報に頼る
すると自分自身の住んでいる場所もそういうものに頼る
そして直感力が働かなくなったのである
大阪の方で東日本震災で地震があったとき震度いくらとかメデアでマスコミで報道した
でも実際はそれ以上に大きく感じたからその人間の直感力の方が正しかったのである

直感力が欠けた現代文明人に危険がある

海老村でも崖の上の危険な場所に行ったのは自治体で指定されたからである
それも危険だったのである、むしろ瞬間的に直感力が働けば助かったとなる
海に面している所を危険だという直感力が欠如していたのである
だから第六感とかいうのも大事になる
瞬時に判断しなければならないから直感力に頼ることが安全に通じる
それは動物の本能と同じである、動物は危険を本能的に察して逃げるからである
人間にもそういうものが備わっているのだけどそれがあまりにも科学技術とかが発達して機械に頼り道具に頼りまた今度は政治的には自治体とかに頼りすぎた結果だともなる

自治体の判断に頼り専門家に頼り機械に頼りメデアにマスコミに頼り・・・

結局すべて他人まかせであり自分自身で何でも判断できなくなってしまっている
そこに自分の住んでいる場所でも知らないから判断できないとなった
とにかく日本は自然災害が多い国である、だからその備えをするべきなのだが文明化するとかえってできなくなる、そして停電でわかるように電気に頼っていると電気が止まるとなにもできなくなる、米もたけなくなるのである
それで三陸とかで津波被害にあった所では裏山の清水を飲み米を木を切って燃やしてしのいで助かったのである、交通路が遮断されたからそうして生き残ったとなる
それがもう東京とか大都会ではできないから大惨事になる
文明というのはかえって自然災害に脆弱化していたのである

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2019年10月11日

台風19号の予想は大げさになっている? (過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)


台風19号の予想は大げさになっている?

(過去の自分の経験などの台風被害をふりかえる)

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過去最強クラスの台風19号は、12日、非常に強い勢力を維持したまま、関東や東海に上陸する恐れが高まっている。気象庁は、11日午前、緊急会見し、1200人以上の死者・行方不明者を出した台風に匹敵する被害が出る恐れがあるとして、極めて強い危機感を示した

1958年(狩野川)9月に、狩野川台風(22号)が来襲した。
1959年(宮古島|伊勢湾)9月に、宮古島台風(14号)、伊勢湾台風(15号)が相次いで来襲した。

1986年(昭和61年)8月5日から6日にかけて、台風10号から変わった温帯低気圧が房総半島を通過した。低気圧の動きがゆっくりだったことから、湿った空気が長時間にわたって流れ込み続け、茨城県、栃木県、福島県、宮城県を中心に2日間の降水量が所によって400mmを超える記録的な大雨となり、各地で河川の氾濫が相次いだ。

台風で自分の家はにかい床上まで浸水した、伊勢湾台風の時は家が平屋でトタン屋根であり流されるところだった
角に電柱がありそこに流れた木材がぶつかりとまりかろうじて家が残ったのである
私の家は街中で一番低い場所にあり水がたまる場所だったのである

1986年の台風なのか?その時は裏の堤防が決壊して床上になった
伊勢湾台風の時はもう家が流される寸前だったがその時は床上浸水でも川下の堤防が切れた水があふれたのであり上流から流れることはなかった
伊勢湾台風の時は上流の堤防が切れたので道路を滝のように水が流れてきたからひどかった
ただ同級生が言うには伊勢湾台風ではなくその一年前の狩野川台風だったともいう
何か過去はこうしてそんなに前でなくても順序もわからなくなる

古老として武田邦彦氏が台風のことを語っていた
その当時はとにかく家はヤハであり掘っ建て小屋のようなもので頑丈でなかったことは言える、だから風にも弱かった
私の家はトタン屋根であり常に雨漏りしていた家で雨が降ると洗面器だらけになっていたその経験から二階建ての頑丈な家を建てたのである
そしてその時自転車が水害で壊れてあったのを見たとき泣いた
その時から自分は自転車に思い入れがあり好きだったともなる
ただその時の自転車はいいものではなかった、大人用であり子供用の自転車はなかった

日本は地震とか台風被害があり今回のような津波もある、災害の国なのである
そういうカルマを持っている国なのである
ただ今回の台風情報では武田邦彦氏は大げさだとも言っている
つまり家はそういう時代からすると格段に改良されて頑丈になっているからである

そして河川改修も大規模に全国的にしている、この前広島だったか川が氾濫したのは河川改修をしていなかったからだった
二回川が氾濫しただその後大規模な河川改修をした結果その後大きな水害はなくなったのである、だから台風には備えることができているとはなる

それでなぜこんな大げさな警告を気象庁で出しているのか?
それは気象庁を危険を警告するから大事なものだということを知らせるためだとしているそこに税金を使わせるためだとしている
それも一理あるのか?何かなんでも今は金で動くからである
ただどうなるかはきてみなければわからないがそれなりの備えが家でも今できているから大きな被害になるとは思えないのである
それは実際はわからないにしても何か大げさになっているような気がする

しかし一方で津波に関しては無警戒だったとなる
それは400年に一回とかなるともう忘れているからだ
日本人がなぜ忘れやすいのか?
それは次々に台風でも地震でもくるし季節の変化も激しい
それをいちいち気にしてもいられない、それで忘れてしまうのである
台風一過台風一禍)の青空になる
もう400年前の津波となると記録すらなく全く忘れてしまったのである
そこでこの辺では津波は来ないという確信にまでなっていたのである
それで老人は逃げずに多数死んだのである

ただ台風に関してはしょっちゅう来ているから備えることもできる
過去の台風でもまだ記憶にある、経験した人が多いのである
ただ狩野川台風とか伊勢湾台風は相当前だからわからなくなる
5000人くらい死んだとなるとその規模が違っていた
ただその後はそうした大きな死者の出る台風被害はないのである
そこが台風に備えができたということになる
ただ東京のような所に来たとき予測し得ないことが起きる
台風に弱いところがでてきて被害になるかもしれない、でもいくら風が強くてもトタン屋根の家とかはないのだから掘っ建て子屋のようなものは今はない
すると風で飛ばされる飛ばされることはないだろう
一部はあるにしても全体的にはない、それで千葉では屋根の瓦があれだけ飛ばされたからそういう被害があるのかもしれない。

ただ気象庁の警告は大げさに感じたというのはわかる
ただもしそういうふうに警告しないと被害が大きくなると責められるから大き目に警告しているのかもしれない、それは津波で経験しているからである
最初に3メートルの津波だと言っていたのに次にすぐに10メートルの津波だというときもうその大きな津波が街を襲っていたのである
最初から10メートルと言っていれば驚いた早く逃げた人がいたかもしれないからだ

とにかく千人も死ぬとかの台風は狩野川台風とか伊勢湾台風以来起きていない
そのときは日本が相当に貧乏な時であり家自体が掘っ建て小屋のようなものが多かったからである、そして江戸時代のように火事が多い時は長屋住まいであり物を家にはない
だかち身一つで逃げることが備えだったのである
だからこれもその当時の災害に対する備えだったのである
津波などでももう何ももっていいけない、身一つで逃げるほかなかったのである
そして身一つ逃げて助かったと避難所に来た人がいた
命が助かって良かったとしている、これもショックだが津波も防ぎようがないものだったのである
家に今はいろんなものがあるとそれに執着するから早く逃げられないすると死んでしまうとなる

まず日本は災害の国だったことを本当に津波で自覚させられた
ただ津波は400年に一回に巨大なものが来るとして備えることができなかったのである台風はしょちゅうきているから備えることができるししてきた
その予測でもそれほどはずれないのである
でも狩野川台風並が来て死者が千人以上出るようなことはない
でも警戒することにはこしたことがないとはなる
でもあまりにも警戒過ぎるのも問題という指摘はやはり当たっていると思う 

台風被害があっても狩野川台風並みであり死者が千人出るのかとなると恐怖になるからだそういう報道の仕方に科学者の立場から批判するのはわかる
武田邦彦氏の強みは科学者であることなのだ
テレビ放送局は科学の専門家がいないのである
ただyoutubeとなるとすぐに緊急の時放送てきないことがある
個人的には放送するにも動画だとしにくい、それで早いのはテレビだとなる
でもテキストだったらプログでもこのように放送できるのである
ただこういうときテキストとかはあまり読まない、そこにyoutubeの動画がテレビ放送になっている強みがある、だから視聴率をとるにはyoutubeだとなる

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死者8000人

こんなに危険なのか? これを見たら恐怖になる…結果は・・・・
こういう記事を警報をだしていいのか?

はずれたらどうするのか? やはり大きく見積もった方がいいからなのか?





posted by 老鶯 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月07日

明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した (江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治になり天皇が前面に出て年号が重みを増した

(江戸時代は地方の祭りとか祭日が重要だった)


明治というのはかえって天皇復古の時代になった、それはまず徳川幕府に変わる思想として尊王攘夷からはじまったからである
天皇中心の政(まつりごと)の復活を旗印として明治維新があり新時代があったからである
西欧化というときそういうことはありえない、でも日本の特殊な歴史でそうなった
江戸時代は天皇は飾りであり京都にいて貧乏だったのである
歌を作ってそれを売っていたとか貧乏だったのである
つまりそれほど天皇は重んじられてないなかった、でも依然として天皇は活きていた
勅使とか天皇は幕府でも一応重んじていた、だから年号もあった、年号は天皇が決めるものだからである
でも現実生活では江戸時代は地域が中心の社会であり地方では歴では村々の祭たがあり祭日が重要だった

つまり明治になると西欧列強に対して立ち向かうために強力な中央主権国家が必要になった、富国強兵が国民総意になった、その国民をまとめるために天皇が大きな役割を果たしたのである
だから何か革命としても復古であり時代が逆戻りしたともなる
そこに日本の近代化の大きな矛盾があったのである
でもそうだからこそ日本はまとまることができたとなる、日本では天皇が依然として大きな役割を果たす力をもっていたのである
それは南北朝時代に二人の天皇になり別れたとき全国隅々が二つに分裂して熾烈な争いになった、そのことでも天皇が二人になることは日本では深刻な分裂になった
天皇が国をまとめていたからそうなった、そこにまた日本の力となるものがあった
それはまた悪い面として働くものにもなった、戦争ではそういう面があった

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このように天皇中心の歴になったのが明治である、紀元節とか何か古代に返りなじみがないとなる
ただ明治というのは大きな時代を作った、だから明治となると日本の歴史でも特異な位置をしめることになった
でもその後の大正とか昭和となると明治のような評価がない、大正デカダンスとかなり退廃的なものを感じる
ただ大正は15年だとする短い、そこに何かしらの時代を見れるのかとなる

でも私の父親は明治生まれであり母は大正生まれであり姉も大正生まれである
だから大正時代に親しみをもっている
つまり人間は祖父母の時代までは具体的にその時代を知る、でも江戸時代となると年号があり時代があってもわからなくなる
それで郷土史を調べていて墓とか古い碑をみる、そこに年号を見るのだが時代を逆に見たりする、いろいろな年号があってもそれを時系列で見れないのである
そんなことは明治以降だったらありえないのである
大正が明治の先に来たりまた昭和が明治の前に見ることはありえない
でも江戸時代だと時代を時系列で見れなくなっているのだ

とにかく明治は日本の歴史では大きな重要な時代である、それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」というのが国民に知られるようになったのはそのためである
明治は日本にとって特別な時代だったのである
その後の大正とか昭和になると何かそういう感覚がなくなる
複雑なのは昭和となると戦争の時代の戦前と戦後に分かれて全然違った時代になったことである

昭和生まれでも戦後生まれと戦前生まれは全然違ったものとなっている
教育からして全然違っていた、それで戦前生まれでも小学生だったと人でも戦前の教育を受けている人は違っている
その世代の差が大きいのである、軍国主義教育でもそれを評価している人もいるからである、戦後は常に戦争は否定されてきた、でもその時代を生きた人は違っていたのである
何かその時代をいいものとして回顧もしているのである
だから戦前と戦後生まれの世代の差は大きいのである
つまり戦前生まれと戦後生まれは人間がそもそも大きく変化したのである

そして団塊の世代は貧乏時代を脱して高度成長時代を経験したのである
何度も言っているように燃料は炭であり何もない所から出発して三種の神器のテレビ、洗濯機、冷蔵庫とかをもつようになったのである
その熱狂は凄まじいものだったのである、テレビにかじりついて毎日見ていた
最初はテレビのある所に人が群れ集まったのである
まさにテレビ時代だったのである、テレビに映るというだけで驚異となっていたのである番組がなんであれそこに映像として映ることで人は魅了されたのである
だからテレビに映るだけで有名人になり選挙に当選した
芸能人がテレビに映って知られているからその人がどうであれ当選できたのである
青島東京都知事になったのもそうである、何の選挙運動しなくても知事になれたのであるそれはテレビで有名になったからである
でも一方で有名なラジオ時代のアナウンサーは姿を消したのである
なぜならテレビ時代は顔とか姿を見るから声だけの人は受けないからである
だからテレビ時代はアナウンサーが脚光をあびたとなる、スターになったとなる

いづれにしろ年号がこれだけグロ−バル化しても日本では採用されているのもそれが通用するのかとなる、また年号自体生き残れるのかともなる
年号というとき昭和からすでに平成になり30年過ぎた、そして令和になった
では昭和はどういう時代だったのか?
それは高度成長時代でありジャパンアズナンバーワンの時代で高揚した時代だったとなる平成はどうかというとその高度成長から失われた30年という経済的には停滞した時代である
そこに氷河期世代とか何か不遇な世代が生まれたのである
その人たちは40歳くらいになり不満を募らせている
人間は世代の差が大きい、5年ちがっても10年ちがってもなかなか理解できなくなる場合がある
高度成長時代を知らない者は絶えず日本が低迷している時代を生きて来たから日本自体がとてもジャパンアズナンバーワンとかの感覚はない
貧困にあえぐだけの国であり日本を脱出したいとまでなっているからだ

とにかく平成から令和というとき令和はさらに日本経済が低迷する
そして少子高齢化で貧困化して最悪の状態になり格差社会となり不満をつのらせたアンダークラスなどが暴動を起こすというときそれもありうると思った
日本の経済見通しで明るい見通しをしているものはほとんどいないからである
アベノミックスなどは官製の政策であり官製のものでしかない
むしろ非常な危険な暴動まで起きる時代に令和はなる
何か令和というのは冷たいという感覚になりまさに冷たい和であり明るいものをイメージしないのである、万葉集から引用したというがそういう春の感覚はまるでないのである
平成というのも実際は平であり伸びないということである
低成ともなっていたのである、そういう失われた30年が平成だったのである
そして令和はもっと悪い冷たい時代なのである、日本がさらに冷えてゆく時代なのである
なぜ自分自身でも60以上になって介護とかその他いろいろ苦しんだのか?
大金は盗まれるとか、介護で助けられると思った人は事業に失敗して借金で追い詰められていてそれで借金を要求されるとか地銀では投資信託で損するとかいいことがなかった
銀行自体もう投資先がないもうける先がないから確実に手数料がとれる投資信託をすすめる、それは客はもうからないものだったのである
ただ金をあづけていれば利子が7パーセントついた高度成長時代とはあまりにも違っていたのである、銀行に金をあづけるともう利子をとられる、投資信託などをすすめられて金を奪われる時代になったのである、その相違も大きい
日本はすでに後進国でありますます貧困化してゆく、そしてその先に見えるのが不満をおさえられなくなり暴動化してゆく、そういう危険な時代が令和だとなる

ただそうはいってもなんらか一筋の光明をみつけてゆくのが人間である
いつの時代も常にすべてがいい時代などなかったからである、戦争時代から比べれば良かったともなるからである、そこで有能な青年が死んでいったからである
だからどういう時代に生まれるでその人の運命も左右されることは確かである
でも時代を親を選ぶことはできない、それが運命なのである
明治維新でもやはり時代を切り開くということがありその時代を作るのはこれからの人だとなる、でもヨ−ロッパが衰退したのはポルトガルで地震があり壊滅的被害がありそれ以後、冒険的精神が失われたという、そういう何か進取の精神とかも時代を作るのに影響している、今の若者にそういう精神がないというときこれもまた日本が衰退してゆくものとなる              

ただ令和というのは内面性を深める哲学とか宗教とか芸術とか何かそうした文化的なもの国風文化が興隆する時代となるかもしれない、成熟した文化の時代になる
経済は衰退しても文化的にはそれだけ蓄積したものがあり華開くとなる
それが自分自身が旅をしつづけてまた蓄積したものが華開いているということがそうである、そして少子高齢化は負の部分が多いのだが長寿というのはそれだけ長く生きるから
文化的なこと知識の分野とか芸術の分野とかでは有利である
ともかく人間は学問するにも芸術を究めるにも時間がかかるからだ
だから自分の場合ようやくこの年になっていいものが詩でも俳句短歌でもできているなと実感する、そして何かいろいろなものを深く鑑賞てきる、批評家に向いてくると思った
ますなかなかそもそも文学でも理解することがむずかしいからである
本を読んでいても理解していなかったからである
そういう面では成熟した文化の時代になるのが令和だとなりこの年号が何かふさわしい感じもするのである   



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2019年09月16日

千葉県の館山とかは風が強い場所だった (日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)


千葉県の館山とかは風が強い場所だった

(日本は災害が多いからその場所の特性を知るべき)

海にぐるっと囲まれた館山・南房総は「風」が生活と深く結びついています。
例えば洗濯。
私の家は海まで徒歩10分ほどの場所にあるのですが
天気予報は太陽が出るか出ないかの他に、風予報もチェックしなくてはいけません。
晴れていても風が強くて外に干せない日が頻繁にあり、
夏は海風だと乾きが良くないため風向きも気にしたり。
冬は西風が強く、夏の台風時期じゃなくても風がうるさくて眠れない日があります。

テレビの天気予報の特集で見たのですが、強風のトップ3は
羽田・千葉・銚子でした。順番はちょっとわすれました。
羽田と千葉は赤城おろしで銚子は筑波おろしだそうです。
かなり離れているのに影響があるんですね。ビックリしました。
私は千葉在住ですが、本当に風が強いです。

浜金谷はもともと倉波という村名をもっいたが、この大鏡鉄の発見により金谷村になったそこには大鏡鉄がこの地域に与えた衝撃の大きさをみることができる
大鏡鉄が「地獄の釜」を封じ込める「釜の蓋」だという根強い信仰においても
真里谷氏や金谷集団といった過去の人々に対する鎮魂の意味がこめられている

金谷神社大鏡鉄の由来について(井上孝夫)

館山に行ったとき強風だった、そこの岬の国民宿舎に泊まった
風がぼうぼう吹いていたがそこにやっと泊まれた
それで今回台風の被害にあったということでその時のことを思い出した
ここはそもそも風が強く吹く場所だったのである

何かニュースで災害のことなど報告されるとその土地をイメージする
でもそこに一回も行ったことがないと土地勘がないからイメージできない
例えば日高線とかあるがそこも高波で線路が破壊されて復旧していない
そこは様似(さまに)という所が終点であり何かもう廃線になるような線だった
そこに行ったのは様似は低い山がありそこが高山植物の宝庫になっていたからである
でもその終点の駅では酔っ払いが寝ていたというのがあってもう廃線になるような線だった、そういうのが北海道には多い、だからあそこはもう復旧できないともみた
もともと廃線になるような人が乗らない線だったからである
そういうニュースがあったとき一回行っていればイメージしやすいのである

今回の館山とか富津市でも一回行ったことがある、ただそれが余りにも遠い日になったから記憶もあいまいとなりほぼ消失したともなる
ただ風の強い日に館山の国民宿舎に泊まったということは覚えているのである
それはあまりにも風が強いからだったのである
そうして今回台風で風の被害を受けた
それが私の旅の記憶と通じるのである

何か災害でも場所と深く関係している、歴史でも場所と関係している
だからこそtake placeが起きるとなる、placeと災害でもなんでも深く関係しているのである、だからその場所を踏んでいないとテレビの画面だけではわかりにくいのである
例えば津波だと地形が深く関係していた、八沢浦とかはすぐ前が海なのに前に丘が連なってあったから津浪の波が来たのを見て裏山に逃げて命が助かった人がいた
それは裏山が家の後ろにあったからそうなったし前に丘があったから助かったのである
津浪対策で有効なのはそうして津波がおしよせるのを防ぐ高台とか丘とかがあることだったのである、それがないともの凄い圧力で押し寄せる
それで何も障害がないと遠くまで津波が押し寄せて萱浜の老人施設では相当数死んだのである

浜金谷や金谷町があるときそこは三浦半島から渡ってこれる場所であり交通の要所であった、それで大鏡が海中から発見された、それが伝説となって村の名前まで変わった
その金谷村にも泊まったことがあった、そこには鋸山があり日本寺の大仏がある
その辺の鐘とかこの伝説に関係していたという
その大鏡でも暴風のなかに嵐の中で発見されたというとき何か今回の台風と通じているものがある、そこは風が強く吹く場所だったのである
そういう場所に台風が来たのだから余計に強い風が吹き付けたとなる

とにかく何かを知るためには場所を知ることが大事である
人を知るのにもそうである、その人の住んでいる場所がどういう場所かを知る
そこからその人と語るとなる、すると通じるものが生まれる
日本は狭い国だけど海とか山が複雑に織りなす風土である
するとそこで多様なものが生まれる、また災害もその地形が多様であり複雑だからその土地特有のカルマをもっていて災害が起きる
それで地名には災害が起きることを示唆していると言われる
ただ地名となると複雑だからそれを読みとくことはむずかしい

ただ日本は本当に自然災害が多い国だった、津波でもなぜそういう国なのにこの辺では津波は来ないという確信までになっていたのか?
それは400年前に津波の被害があったとしても全く忘れていたのである
津浪となればその時間のスケールが違う、千年くらいの間隔で巨大な津波が来る
そうなると警戒しないのである、400年くらいでも確実に巨大な地震が津波が来る

南相馬市の八沢浦の湊に40軒くらい家があった、そこは津波の前に高波で被害があったその時危機感を感じて引っ越していれば今回のような津波の被害にあわなかった、そこは全滅になり村が消滅したからだ
高波と津波は違うがやはり海岸は危険な場所だったのである
それで相馬市の磯部で佐藤氏は高波の被害があり今の六号線の鬼越館に移った
それは慶長津波の前だったがそれほど前というほどでもないから謎である
そして今回の津波で磯部は全滅したから悲惨だった、それはあまりにも空恐ろしいものだったのである
何かそうした危険を察知しないと日本はどこでも災害が起きる国だったのである
それで防災相を造るべきだというのもわかる
日本はどこでもそうした災害が起きるカルマをもっていたのである
だから原発など絶対作るべきものではなかった、日本の風土には全く合わないものだったのである、これだけ地震があり災害が多い国に造るべきではなかったのである

そしてアメリカでは竜巻があるから地下に電源を作った   
それをまねてアメリカの指示なのか日本でも地下に電源を作ったのである
これは全く日本の風土を考慮しないで作ったものだったのである
アメリカと日本の地理と風土はまるで違っている
その風土を場所を考慮しないということがどれだけ危険か知るべきである
それは社会全般にあてはまる、日本の風土と地理とか歴史の特質を知ってこそ科学技術でもありうる、それを無視してはありえないのである
だから政治的に独立していないとアメリカに押し付けられて原発でも大事故になり日本に住めなくなるというまでになる恐怖だったのである
独立していないということは他国によって風土も歴史も無視して強制されるから危険なのである、外国ではそこまで考慮しないからである
そこでグロ−バル化経済は危険がある、やはり国というのは風土地理があり長い歴史で形成されているからそれを無視すると国土そのものを守れなくなるから怖いものとなったのである
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2019年09月11日

千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年09月07日

U18 日本の敗戦の原因 (そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)


U18 日本の敗戦の原因

(そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)



U18の日本の敗戦の原因は何だったのか?

●人選(守備のいい選手を選ばなかった)

●相手のチームのことがわからず対処できなかった

●金属バットから木製のバットの切り替えができなかった

●合成チームであり団結できなかった

●アウィで韓国料理とかが合わず元気が出なかった

●監督の采配はまずかった、64歳で年齢的に合わなかった

●佐々木投手のアクシデントがひびいた

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は何か高校野球かずっと見ていたからサッカーよりわかるから今回も見た
野球は見ていて面白い、それは野球というのも自分はしたことがなくても理解できるからである、プロ野球はずっと見なくなったが高校野球は面白いとして見ている
それで今回も国際試合ということで見ていた
それなりに面白かった
ただ国際試合の特有の問題が生じたり日本の敗戦は複合的原因で負けた
何かこうしたゲームでも複合的原因であり一つの原因ではない

相手のチームのことがわからず対処できなかった

これも韓国戦で失敗した、投手が誰かわからずに勝手に日本の方で決めてはずれて失敗した、対策できなかった、つまり敵を知り己を知れば百戦危うからずであった
これは日本軍でもそうだった、太平洋戦争ではアメリカがどういう国かわからずに戦争に突入したからである、アメリカのこと良く調べもしないで真珠湾で戦争に突入した
結果的に大敗北になった、情報戦で負けていたのである、暗号でもアメリカに見抜かれていた

人選では守備の乱れが大きかった、その守備の乱れで韓国戦では敗れたし台湾戦でも守備の乱れがあった、そもそももともと守る場所が違っていた選手が多かったからエラーになった、それから寄せ集め選手だから連携がうまくとれてかったのである
これももともと一つのチームでやるのとは違っていたのである
何か守備がチグハグだったのである

また金属バッドから木製のバッドの切り替えがうまくできていなかった
これも大きな敗因だった、他のチームはみんな木製バッド慣れていたからである
つまりバッドは道具であり武器だった
その武器が違っていて武器がうまく使えなくて敗れたとなる
それは日本でも飛行機とか戦艦とかをうまく使えないで敗れたのとにている
武器を道具をどするかでという問題があって敗れた
ただこれは前からわかっていたことなのである
ただそうした準備不足があることがわかっていても解決しなかった

それから監督も下手だった、采配がまずかった、人選自体がまずかったという人もいる
韓国戦ではハイブレークで采配が下手で失敗して負けた
投手を選ぶのでも失敗した
それから肝心の佐々木投手が宝の持ち腐れとして終わった
それは太平洋戦争で戦艦大和とかが何の役にもたたず海の藻屑と消えたのとにている
戦いには必ず思わぬアクシデントがつきものなのである
そこには運不運もあった、審判の判定にも疑問があった
そして韓国の料理が口に合わず選手が不満でありやせたというのも影響した
アウィでそうなったのである、それも準備不足だとして批判する人がいる
アウィの戦いは厳しくなるということである

こういうことは何か戦争とかでも戦いでは必ずある、だからゲームでも予測つかないことがありそれが勝敗を決める、第一天候も相当に影響したからである
どしゃぶりの雨にも何度もあった、台湾戦は途中で試合が中断して負けたからだ
天候で負けたともなるからだ

何かこうしてスポーツでも勝敗を決めるのは複合的様々な要素がからんでいる
野球はこうして理解できるから面白い、それはずっと野球を見て来たからである
サッカーはもう理解できないのである
ただゴールしたときだけわかる競技だからつまらない
野球には何か人間臭いかけひきがいろいろありその勝敗は複合的なのである
特に高校野球とかなるとそうである、エラーがあるのもそうである
戦争だって何か原発事故だってエラーなのである
そのエラーが致命的になったのである
今回の勝敗もエラーで決まったとなる
つまり攻撃は目立つが守りも防御も大事なのだけど自衛隊とかはあまり重要に見られない守りは目立たないのである、ミサイルでも打つとなると目立つが守りは目立たないのである、だから守っているだけの自衛隊は目立たないのである

ともかく日本は野球は強いと見ていた、第一韓国で70校くらいしか野球のチームをもっていないのに日本だと3000校だとかその差が大きいのに韓国に敗れ台湾に敗れたのはなぜなのか?
そこに批判が集中している、日本はもともと弱いとなっている
それは数の問題ではなく、精鋭が育てば別に強くなるという証明でもある
いくら数がいても優秀な人が育たない限り強くならないのである
だから少子化でも精鋭主義で優秀な人を育てれば世界のグロ−バル競争にでも勝つということがありうる、それは数の勝負ではない質の勝負になるからである
中国でも数が日本より十倍以上でも日本でも少数精鋭主義で対抗できるかもしれない
知能とかの争いになると対抗できるかもしれないのである
今回のU18から見えるものはこのようにあったから面白いと見た
ただ日本はもう決勝に出れないからもう見たくないともなったのである

結局運不運も勝負の内、運不運も人生

こんなふうになる、審判の問題もあったがこれもまた勝負のうちであったともなる
この世に公正な審判がない、人間が判定するからである
人間の判定自体必ず過ちがある、むしろ機械にしてもらった方が正確だとなるが最後に決めるのは人間なのである
動画の映像で判断してもそうだった、つまり野球というゲームでもそこに人間社会を見ているのである
実際にオーストラリアにも日本が負けたのだから日本自体の実力がなかったと見られるようになった
これだけ野球が盛んなのに情けないとなる
posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層