2021年06月16日

原発事故とオリンピックの相似 (巨大利権構造の巨悪が暴かれる)


原発事故とオリンピックの相似

(巨大利権構造の巨悪が暴かれる)

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https://www.youtube.com/watch?v=oroJ0FvwqNE

このオリンピックも巨大利権でありIOCがオリンピック貴族となっていた
莫大な利権がありコーツ代表が来日して接待される
今回のコロナウィルス騒ぎの中でその悪が可視化されて暴露された

なぜ日本がこんなにコロナウィルスで苦しんでいるのに接待するのか

高級ホテルに泊まらせて酒まで提供する

そこで仲間でどんちゅん騒ぎさせるのかとも言われる

なぜかこうしてオリッピックの委員が実は江戸時代の悪代官とか悪徳商人とか悪徳役人としてクローズアップされた
何か平和の祭典とかの美名の元で行われるオリンピックが汚れたものとしてイメージされるようになった

オリンピックとはこんなに汚いものだったのか?

そういうイメージが定着してもう熱狂することもなくなるかもしれない
これも金まみれであり利権オリンピックだったのである
それが国内だけではない、グロ−バル社会の中で行われたものだからまた違っていた
グロ−バル化もまた実際は巨大な悪をうみだしている、わずかの人たちが主にアメリカになるが国内でも数パーセントの人たちが富を独占している超格差社会になっている
ただそれは世界的にその悪は見えない、でもオリンピックのようにあからさまに暴露される時期が来ているのかもしれない、つまり悪は隠し続けることはできない
いつか必ず現れて白日の下にさらされる

ただこれは原発事故ともにていた、これも巨大な利権でありそこにやはり官僚が御用学者がマスコミが地元の利権者がと…群がったからである
そこには海上自衛隊との幹部とかでも天下りしているのである
マスコミというときそれはすべてのマスコミが加担して原発推進になっていたのだ
なぜなら朝日新聞の幹部が東電に中国に招待し接待されている時事故が起きたからであるこの構図はオリンピックでも同じだった
オリンピックはマスコミのテレビ放送の巨大利権となり電通などがもうかる
また放映権でも何百億とかなりその収入はオリンピック貴族に入る
その金は巨額なものとなる、その金によって人は眼がくらむ
それでこの辺の漁業組合とか船主とかは特別事故前も補償金をもらっていて原発御殿が建っていたといわれる、それで今になると地元の人は相当に反発している
また事故後は今度は除染費用に数兆円の金が費やされた
それで清水建設の下請けとなった相双リテックの幹部に数十億の金がまわり山分けされたそして社長は野球好きでありタニマチとなり銀座で豪遊してその金をばらまいたという
これも極端な悪として暴露された

でもマスコミは追求しない、政経東北でも裏表紙で相双リテックの宣伝をしている
なぜそうなっているのか、それはやはりそれでけの原発マネーが宣伝費として回ってゆくから追求しないとなる
また福島民報などは出資者が県が半分でありあと創価の聖教新聞を刷っている
それが大きな収入とてっているから何か悪を追求することなどないのである
原発のことで追求したこともないだろう
また創価でもただ利権にあづかるカルト団体であり潮の雑誌では雑誌では二番目に原発を推進する宣伝をしていたのである
他にも出版物を出しているがそこで大事なことは宣伝を出す会社を探して宣伝費をとることなのである、創価などは宗教などともまた全く関係ない
ただ利権を御利益を日々求めて祈っているだけである

ともかくこの世は何かきれいごとを言う時、その裏に汚いものが隠されている
宗教を看板にしていてもその内実は全く違う、利権を求め金儲けを求めているだけだとなる、それは信長の時代でもそうでありだからこそ信長が僧侶を敵視して大量殺戮までになった、寺というと宗教だから清い場所とみていてもそこも利権の場となり汚れていたのである
なぜこうして人間社会をみるとどこも汚れてしまうのだろうか?
美名の下にも必ず汚れたものがある、そしていつかそれが暴露される
そはは今や日本だけではない、グロ−バル化しているから悪は世界的なものとなり巨悪となる、でもオリンピックのようにいつか暴露される
もうこれだけ汚れたオリッピックなどする必要もない
人の命まで無視して日本などどうなろうと関係ない、金になればいいとなる
日本はそのために犠牲になれとまでなっている
そもそもオリンピック自体もうやめるべきだと思う
何の人類的意義などなくなった、ただ利権者の金儲けの手段にすぎない、0.1秒を早くなったとか競っても馬鹿げているとなる

原発事故は人間のモラルと関係ないようでただ科学技術の問題のように見えてやはりモラルが関係していた、既得権者が濡れ手で粟の暴利を得てそのために地域では住むことすらできなくなった、地元の責任もあったが地元では住めなくなるとういう責任をとらされたでも誰一人東電でも天下りとかした既得権者も責任をとっていないのである
オリンピックも今回のコロナウィルス騒ぎでその巨悪が可視化された
まるで時代劇のお偉い方が人を殺して犠牲にして芸者を読んでどんちゃん騒ぎしている
それは極端な悪としてドラマでは見せる、だから悪がわかりやすい
でも現実は巨悪は隠されるのである、ただ今回はまさに日本がコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピック貴族がそうしているから悪が極端なものとしてクローズアップされたのである

このyoutubeではかえってマスコミよりわかりやすく説明している
こういうことをマスコミでは報道しない、なぜなのか?
それは既得権者でありマスコミでも利権化して金になればいいしかないからである
また報道するのに新聞なら一軒一軒配るとか膨大な金がかかるためである
不思議なのはyoutubeで報道すれば一個人でもできてしまうのである
だから新聞は読むなとかテレビは見るなというときマスコミでは真実が報道されないからである、何かきれいごとだけ報道される、それが今一個人でも報道できるとなりインタ−ネットで情報環境が変わった
そこに真実が報道されているのだ、ただこれだけ報道量が増えるともうマスコミの報道を見ないともなる、取捨選択される一つとしかマスコミでもなる
つまりyoutubeの一チャンネルとなってしまう恐怖である
国民全員がマスコミのテレビに注視する時代は終わったとなる
私は地元の人に嫌がられても真実を報道している、その悪の面でも報道している
そんなことができるのは結局金がかからないからである、手間はかかっても報道することが無料だからできているのである




posted by 老鶯 at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月08日

戦争、津波、原発事故、オリンピックの失敗 (先が読めずに大失敗、大損)


戦争、津波、原発事故、オリンピックの失敗

(先が読めずに大失敗、大損)

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オリンピックのことでもめているけどそもそもなぜ戦争でも津浪でも原発事故でもそうだったけど大失敗大損失となったのか?
この原因が明確なのは先が読めないことだった、戦争するにしても誰も大敗北になるとしてはじめたのではない、勝つと思って始めたのである
それが300万人の死亡となり大損害になった
これも先が読めないからである、そもそも人間の失敗の要因が先が読めないことにある
思わぬことが起り大損害となる

ただそれを始める時点ではそんな大損害になることは予想しないのである
戦争などは相当に危険なものであり殺し合いなのだから戦争を始めたら大勢の人が死ぬということは予想できる、でも日本では奢りもありアメリカと戦争を始めた
結果として300万人も死んだ、それは全く予想外のことだった
もしそういうことを予想したら戦争など始められなかった
でも戦争を始めたときはこんな結果になるなど誰も思っていないのである

結局これらのことで失敗して大損害になったのは先が読めないということである
オリンピックを決めた時は国民は喜んでいたし賛成していた
原発でも実際は金に成る言うことで積極的に誘致されたのである
それは故郷に住めなくなるとまで予想できない、ありえないと思っていたからである
津浪でもあんな大津波が来るとは予想していない
すべて予想できないことで大損害になった

でも津波とか原発事故でも科学者は十数メートルの津浪が来ると東電に警告していた
でも東電は耳を傾けず大損害になった、とりかえしのつかないことになった
ただ本当に戦争であれ津波であれ原発事故であれそれを決めた時はそういうことを予想しないで始まったのである
それで大事なことは先を読んで実行することなのだがそれが人間にはできないのである
ただ科学者は十数メートルの津浪が来るということを科学的に予想して警告していたのである、でもそれに耳を傾けないで何の対策もしなかったのである
それにはコストがかかるとかの問題が常にあり備えることがなかった
今になってやっと防波堤を作ったのである

何か始める決断して始める時、つくづく人間は十分な検討などしない
金になるからいいじゃないかしかないのである、原発でもそうでありオリンピックでもそうである

それをしていいのかどうか十分に検討もしない!

戦争となれば相当な国民的議論も必要だがそれもしない、原発でもそれを誘致するにも地元ですらしない、ただ上からの命令で土地所有者と漁業権者と県の許可で簡単に作られたのである

戦争になったら3百万人死にますよ

アメリカは核兵器をもっているから一瞬で大量殺戮されますよ

もし事故になったらふるさとに住めなくなりますよ

これらのことが起りうるとしていれば国民でも賛成はしない、でも国民的議論にもならない、上からあおられてマスコミが賛同して戦争に突入したのである
それをあおったのは朝日新聞だったとされる
原発でもそうだがマスコミは巨大な権力に使われるものであり権力に対抗することをしない、それは今でもそうである
原発事故が起きた時マスコミの幹部が東電によって招待されていたときだった
朝日新聞の幹部も招待されていたのである
そうして電事連からでも800億円とかの金がマスコミに流れていたのである

こういうことはオリッピックでも言えるのである、IOCとかその利権にあづかる
それでバッハ会長がぼったくり会長だと世界から批判をあびた
巨大な利権金儲けとなったがオリンピックになったのである
ただオリンピックでも失敗したのは先を読めないことだった
コロナウィルスを予測した人は世界で一人もいない、過去にウィルスの流行があったとしても忘れていたとなる、それは津波でもそうだった
でも津波については科学者が警告していたのである
仙台の若林とかの地区で津波が来ると大被害になるとか警告していた
でも不動産会社の人にそんなことを言うな土地の値段が下がるとか言われて言えなくなった、そういうふうに常に経済的利益がかかわり危険を言うなとなる

だから大事業を始めるときは相当に全員で検討する必要がある
なぜならその時点では何も問題ないとしても後から大きな問題となることがある
原発などはそうだった、オリッピックだとそこまで大きな問題となるとは思えなかった
でもオリッピックが本当に日本でその時必要なのものかどうかまたオリッピック自体の意義を深く検討するとかしなかった
つまり何か大事業を始める時、それが本当に必要なかどうか深く国民的にも議論などしないのである
国民の税金をつぎこむにしても国民自体で議論することすらないのである

●国民的な合意にいたるものとして意義を深く検討する

●十分な危険のありうることを知ってはじめる

戦争にしてもオリッピックでもそもそもそこにどういうい意義があるのか検討もしない
上の命令に従うだけだとなる
原発の場合はただ利益になるかしかない、利益になるからいいとしかない
ほとんど検討されないのである
だから大事業を始めるときは相当に慎重にしないと大損害になる

戦争をしない

原発を作らない

オリンピックをしない

かえてこの決断の方が否定されてむずかしいということも知るべきである
勇ましく戦争しろとか利益になるから原発を作れとかオリンピックでインバウンドで観光客が外国からいいとか肯定的なことのみが語られる
大事業をはじめるときはそうである、でもそこにもリスクがあることを知るべきだった

ただ人間の弱点は先が読めないとういことである

それが株でもそうである、なぜ今になってこんなに株が上がったのかというのも予想外だった、それで失敗したとなる
人生そのものも先が読めないからあとで後悔して失敗する、時間がこんなに貴重なものだったのかとかは先が短い老人になって気づく
何が大事なのものか気付けないのである
だからたいがい老人になって人生は意外だったとなるのである
つまり予定通りにならないのが人生でありまた社会なのである
予想することをほどむずかしいことはない、もしそれができたら株でも億万長者になっている、機関投資家でも先が読めないから大損するのである

それで聖書が予言の書というとき予言をする人が予言者の言を記録したものだともなっている、ノワの箱舟でもそうである、大洪水が来るとかいうことをノアが神からの宣託があり聞いた、それで箱舟を作りはじめた
それを信じる人はいなかった、だから笑いものになっていたのである
でもそれを笑っていた人たちは水にのみこまれ死んだのである
その予言者が現代では科学者ともなったのである

ともかく大事業をはじめるとき人間は深く検討しない、そんなことやめろということがかえってできなくなる、そして戦争のように暴走して300百万人が死んだのである
何かをしろという何かをするなということが人間にとってむずかしいことなのである
何かをするというときみんな興奮して賛同する
でも何かをするなというとき弱気だとかなり責められる
でも人間は何かを検討するとか考えるとかなると行動できなくなる

あるべきかあらざるべきか

やるべきかやらざるべきか

こうしているとただ逡巡して行動に移す決断ができなくなる、これは個人的なものであるが個人と大事業をみんなでするのは違ったものである
大事業の場合は国民的なものになる、だから本当は国民的なもの全員がかかわり大被害にもなるとしたら相当に慎重にならざるえあいなのである
でも重大な大事業でも深く検討すらなくはじめられて後で大損害になる

本当に戦争をするべきなのかするべきでないのか

本当に原発を作るべきなのか作らないのか

オリッピックをするべきなのかしないのか

こうしてよくよく検討したとき簡単に大事業はすすめられない、でも意外と300万人が死ぬとかも予想しないて原発事故でもこんな大被害になることも考慮しないで大損害になるオリッピックでもそうである、この場合は肯定が多く否定は少ない
それでも今になってこんなに騒いでいる、オリッピックをやめた方がいいとしているのに今の政府は自民党では決行しようとしている
それはオリッピックを誘致するときよくよく検討もしない結果なのである
ただ経済的利益を優先するだけだからである、それは原発でも同じだったのである
それで今になって大損害になると騒いでいるのである

今になるとすでに遅いともなっている、やめられなくなっていたのである
だから大事業をはじめるときは始める時が大事でありそこでの決定があとあと尾をひく
やめれなくなるのである
だから余程大事業をはじめるときはみんなで深く検討しないと後の祭りだとなる
今になってはやめることもできないとなっていたからである
でも実際は大事業でもはじめるときはあまり検討もしない議論もしないのである
その時やめろとかしない方がいいという声はおさえられる
どうしても経済的利益を優先するからそうなる、でもそれが経済的大損害だけではない
原発なら故郷に住めなくなるという致命的な大損失にもなるのである


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2021年06月07日

金まみれのオリンピック(日本の経理部長が自殺)


金まみれのオリンピック(日本の経理部長が自殺)

オリンピックも金まみれになり本来の趣旨とはかけ離れたものになった
世界平和の祭典でなく金まみれの汚れた祭典になった
そこに莫大な金が動く、するとその金を目当てに欲深い人たちが群がる
そもそもオリンピックを主催するIOCの会長がぼったくり会長と世界から批判されたことでもわかる
オリンピック利権になりオリンピック貴族になっていたのである

巨額な金が動くときそこに良く深い人たちが群がる、それは原発マネーとも似ていた
それで相双リテックの幹部に巨額の金が回り何十億という金を幹部で山分けしていたのである、それでタニマチとなって野球にその金を使っていた
何かスポーツとかでも裏で金が動き汚される
どうしても金によってあらゆるものが汚される、宗教さえ金によって汚される
第一賽銭箱などをもうけてそれで金を投げて何か神様から良くしてもらうということ自体間違っている、ただ祭りとかは長い伝統があるから何か意味あるものはある
神様にわずかの賽銭を与えても何も得られない
その金は神社の神主のものとなるだけである

何かオリッピックには崇高な理念があるとして宣伝されてきた、でもそんなものはなくなっている、巨額の金が動きその金に群がる人たちのものだということである
純粋にスポーツで何か人間の理想を追求するものでもない
ただアスリートとか選手は幹部とかオリッピックで金も得る人たちの道具なのである
そこに人類的意義などないのである、百メートルでわずかに早くなったとして何の意義があるのかとなる、明らかにもう限界が来ている
それで一秒ではなくそれより短い単位で優劣を決める、そんなことして何か意義があるのかとなる

何かオリンピックは金まみれになったとき、すでに役目を終えた、アスリートは選手は金儲けに使われるピエロだともなる、そういうふうに見られることがアスリートの本来の
姿ではないだろう、でもアスリート自体が金のためにしているということもある
プロ選手と同じ感覚になる、第一そうして訓練しないととても勝てないからである
それも金のためだとか有名になり金を得るためだとかなる

何かグロ−バル化して巨大化すると巨額の金が動くとなるとそのこと自体が金まみれになり本来の趣旨から離れてしまう
参加することに意義があるとかはもうない、選手を道具にして見世物にして裏で金儲けのために幹部たちがやっている、そこに国もかかわってくる
政治の道具になったりする、だからローマのコロッセオで剣闘士が戦う見世物ともなる
別にプロならそういうふうに割り切ってやっているのだから批判はできない
ただオリッピックには何かきれいごとがありそれで平和の祭典とかされていることに問題があったのだ

東京オリッピックの時は日本が戦後復興したことを世界に示すために意義があったとなる
その後はオリッピックはもう意義を失ったいたのである
金まみれの利権のためのものでありその道具とされたのが選手達だとなる
テレビの放映権が莫大であり会社の宣伝費用も入る、それでオリッピック貴族が生まれた原発でも何億という金をもらっていた人と同じである
原発も金のなる木でありオリッピックも同じだったのである
つまり金まみれになり汚れたものとなってしまった
崇高なものは何もない、ただ利権を金を得るためのものであり選手はその道具となっているだけである、国の威信がかかっているというときも政治の道具として使われたとなる

それでしきりに菅首相とかが苦しい政権運営が強いられているからまた裏金のことで追求されるからそれを隠すために強行するのだというのもわかる
政治家の勝手な都合で強行されるとなると迷惑であり国民にとってもそれでコロナウィルス拡散したり外国人が来て拡散したりする、ただ混乱が目に見えている
それでもなぜ強行するのか?政治家の都合でするのが許されるのかとなる

とにかく人間社会は金で汚される、神聖なものも金で汚される、遺産相続でも骨肉の争いとなる、またハエエナのように死体をむさぼるとまでなる
そういうことを経験したから金によって人間が変わる、金だけが目的となりその屍をむさぼるとまでなる醜さが現れる
死者を弔うということすらなくなる、それは表面だけであり欲しいのは金であり財産だとなってしまうのが人間なのである

オリッピックもそういうものであり自殺者まで出しているのだからもう汚れたオリッピックであり金まみれの利権オリッピックであり本来の趣旨はもうない
何かギリシャではじまったオリッピックは神聖な神に奉納するという側面があった
だからオリンピアに行くと神殿の柱となった石が残っている、それが大きいのである
だからそこに立っていた神殿でも建物でも相当に威厳があるものだったとなる
だからその時代のオリッピックはその社会にとって意義があるものだったのである
それがグロ−バル化して世界のオリッピックとなったときそうした意義は失われた
ただ金まみれのものとして選手が利用されるだけともなった
だからオリンピックはもう今までの様には見ない、何か金まみれの汚れたものであり
一種の選手を使ったショーでありそれで得するのは利権にあづかる人たちだったということが見えてきたからである、また政治家に利用されて悪を隠蔽するためにも使われともなった、だから今までのようにはとても見れないとなったのである



posted by 老鶯 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月06日

中国の影響が大きくなる 中国が科学技術で急速に日本に追いついた理由


中国の影響が大きくなる

中国が科学技術で急速に日本に追いついた理由

広角レンズがついているのと軽いのである

デジカメ デジタルカメラ コンパクト 4K 4800万画素 ビデオカメラ 3インチ180度反転スクリーン ウェブカメラ機能 自撮りカメラ 16Xデジタルズーム

FUNSHION ビデオカメラ 2.7K YOUTUBEカメラ ハンディーカメラ カムコーダー 1080P&60FPS 4200万画素数

funsionとは中国の会社である、その会社のカメラを一万で買った
大きいから広角のレンズであり広角に撮れるのがいい、だから意外だった

これが軽いのが良かった!

大きいけれど軽いのである、これだけ大きいと普通重くなる、だから今持っている日本製のソニーの一眼レフのカメラは重くて困っていた
なぜなら写真撮るとなると車がないから自転車だと荷台もない自転車だから困る
気付いたことはこの軽いとういことがカメラでも重要な要素であることにこのカメラをもって気づいた
だから一万でこんな持ちやすいカメラを中国でも作っているうといことで驚いた
中国製は安いけどいいものがないという印象だったからである
一万でこれだけのものを中国でカメラを作っていることに驚いた

何か最近中国の影響がどこでも感じられる、それはグロ−バルにそうなったのである
田舎が関係ないかというとやはり中国人が最近近くの空家に何人が同居しているのがわかった、ただなぜ日本に来ているのか、中国でもう働いた方が金になる時代だと思っていたからである
ベトナム人も何人か一万の町に来ている、それからネパール人の女性はFUKUSOに裁縫工場に来ていた
駅でベトナム人労働者を斡旋していたのは仲介していたのは中国人だった
中国人の女性もFUKUSOで働いていた、それはハルピンとかである、元の満州とかである
そこなら隣だともなるから近い、飛行機で三時間くらいだから中国は実際はかなり身近なのである、ということは中国人は人そのものが気軽に日本に来る距離にもある
グロ−バル化した世界ではモノだけではない、人間も流入してくる
中国人の女性と結婚した人も知っている、その女性もハルピンとかである

もちろん中国人と仕事している人もかなりの数になる
それで大阪の人が中国は一発あてる売れる量が多いからもうけも大きいと言っていた
中国から船で帰る時、同船したのは他に神戸の人で中国語がしゃべるれ人だった
それからモンゴルに一年間羊を飼うことを学ぶために一緒に暮らした人だった
その人は冬は厳しいので一回りやせると言っていた
その人は北海道で羊を飼う仕事をしていた、NHKのテレビにも出ていた
その人は大学の畜産学部をででいてそういう仕事につこうとしていた
結婚する女性も同じ大学なのか一緒だった

ともかく現実問題として中国でかかわる人が増えている、小高の人が中国人の女性と結婚していた、また小高出身で中国人と商売している人を紹介した
千葉県に住んでいる、こういうふうに中国とのかかわる人が日本で増えたのである
アメリカとかかわるとしても遠いからアメリカに行きまたアメリカから日本に来る人は限られている、軍人が一番多いとなる
それで在日の人でアメリカ国籍をもっている人がアメリカ軍の人と接してアメリカを語る何かこうなると本当に今誰しも片田舎で否応なくグローバル化しているのが現実である
おそらく外国人の男性は原発関係の仕事をしているかもしれない、そこは金になるからだ
中国の影響は日本だと密接になる、

コンパクトフラッシュ、SDカード、メモリースティック Proなど、フラッシュメモリー業界において数々の特許を生み出した。

同社のNAND型フラッシュメモリの製造は東芝(当時)と共同で投資を行った、三重県四日市市の「キオクシア 四日市工場」で行っており、パッケージングを中国・上海の自社工場で行っている

このカメラがTFというカードを使えとあり注文した、これはサンデスクの製品だったのか何かわからないかここの会社のものでありアマゾンに注文して買った
そこのコールセンターは中国人の女性だった、Dellのパソコンを買うとき相談したのもコールセンターの女性は中国人だった、その人は本当に日本人と同じくしゃべるのである、かなり専門的な相談にものれるから案内している
何が中国人とどこでも接することになる
要するにパソコンとかカメラでもグロ−バル化して作っているからそうなる
アメリカの技術から日本の技術でも入り中国で技術が進化して安上りに作る
工業化はグロ−バル化社会で発展してゆく
だからもう日本と中国の技術の差はなくなり中国がアメリカでも日本でも猛烈に追って追いついてきたのである

本当に十数年前とか中国に行った時から比べると驚きである、なぜならその時は物価は中国では十分の一とかになっていた、ただ三回目では北京とかでは高くなっていた
もう中国の上海とか北京とかなると日本と物価の差はなくなった
また日本に観光客が増えたのは日本が物価が安いからである、外国では物価が高くなっていたからである、つまりかつて日本が外国の物価が安いと海外旅行した同じように物価の安い日本に観光に来るとなったのである
そして高級品の店に入るのは外国人だとなってしまったのである
日本人は夜の部でスーパーの食品が安くなるときねらって日本人が買いにくるというのもそうである、高い買い物は外国人がするようになったのである
その中に爆買いした中国の金持ちがいたとなる

ともかくこんなに急速に中国が変わる進歩することは驚きである、交通が発達したグロ−バル化では急速に発展した国に追いつく、ヨ−ロッパから船で一月かけて来るような時代ではないからである
そして中国の怖いのは人が流入して日本にもすみつく、北海道で土地が買われてそこにもに中国人が住みつくということがある、そしてやがて中国の領土にする布石だという人もいる、それが中国人の他国をのっとるやり方だとしている

中国で恐ろしいのは人口があれだけ多いから移動するエネルギーがものすごいのである
蝗のように移動して食い荒らすということともにている
地方の農民は家畜のように貨車に積み込まれる家畜だったとしている
なぜなら車掌は鞭をもっていてつめこんだからである
その人口の多さと移動するエネルギーがすさまじいのである、それを盲流というのもわかる、それが巨大なエネルギーとなって中国大陸を席巻するからである

日本は今やこうして中国がかつての中国ではない、新幹線も走っている科学技術大国にもなる,その時日本はまさに龍となった中国に飲み込まれるともなる
それで中国の一省にもなるという人がいるのもわかる
アメリカの一つの州が戦後日本だと言われた、でもアメリカ人が大挙して日本に住むとういことがない、遠いから間接的影響にもなっていた
中国の影響は中国人とも密接に交わるし直接的だから違ったものになる
つまり中国人優位の日本社会になりうるということである
ウィグルのようにもなりうる、そういう大きな時代の変化が急速に来たとなる

右翼だと中国を敵視して排斥する、攘夷となるが明治維新の時代とは違う、その時の中国はアヘン戦争とかで疲弊していたのである、西欧列強のアメリカの植民地になっていたのである、だから全然違った時代になっている
そこを見誤ると日本は苦しい立場になる、ただ日本というのは中国の巨大化とアメリカの衰退とまたロシアの強権な態度で迫ることとか小国化するとき大国の狭間でかじとりを強いられる
最大の脅威は今やアメリカとかではない、中国になったのである
武漢ウィルスとか中国発のウィルスがコロナウィルスだというときもそうである
何でも中国発となりそれが脅威となってゆくのである

三日見ぬ間の桜かな

これがまさに中国だった
posted by 老鶯 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年05月31日

丸森に見るソーラーパネルの危険 (山ごとソーラーパネルになっていた)


丸森に見るソーラーパネルの危険

(山ごとソーラーパネルになっていた)

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山が全部ソーラーパネルになっていた
これは危険である

丸森のメガソーラー建設計画 山林開発に広がる反対論
https://kahoku.news/articles/20210117khn000020.html



鉛などの有害物質を含んだゴミがそれとは知らずに近所に捨てられている――。
総務省は9月、少しぞっとする内容の報告書を公表しました。名指しされたのは太陽光発電用のパネルです。

太陽光パネルは電極やシリコンを何層も強固に接着してできています。分離してリサイクルするのが難しく、20〜30年の寿命を迎えると産業廃棄物の処分場に埋め立てられるのが現状です。
総務省によると、パネルに含まれる鉛やセレンなどの有害物質の情報を処分場に提供していない業者は調査対象の8割に上ったそうです。
https://plaza.rakuten.co.jp/guidedog/diary/201712260001/

平野部に建設するのが理想ですが、日本では土地が限られてしまっているので、そういった場合には森林を伐採して、そこにソーラーパネルを設置する事も多々あります。

人工的に斜面を作ったエリアを法面(のりめん)と呼びますが、「雨が降った際の水路の設計」「植生マットの貼り付け」「根まで伐採しない」等を通常行います。

これらをしないと土砂災害の原因となります。
対策をしていても土砂崩れのリスクは高いものとなってしまいますし。

実は、斜面の草や木の根っこが雨を吸い取り、また 根っこ大きくなるので、地盤が安定するのです。

ソーラーパネルを設置する場合には、どうしても伐採しないといけないので、地盤が緩くなるリスクが高まってしまうのです。

排水溝も作らなければ、土が流されてさらに崩壊します。
https://taiyoukouhatudenrogu.com/dosyakuzure/



丸森で相馬市の宇多川をさかのぼって入ってきた所の山がまるごとソーラーパネルになっていた
山で斜面とか一部なのだが山がまるごとソーラーパネルになっている
そういうものはあまり見たことがない、丸森はソーラーパネルが多いのかもしれない
人間が人工的に作るものは人間の営みはもともと自然破壊なくしてありえなかった
焼畑なども神鳴りなどで発火して森が燃える、するとその灰が肥料になり作物が育ちやすくなる
そういう自然の作用を見て焼畑が最初の農業として広がった
飯館村の佐須は焼畑の意味であり全国にそうした地名が多い
これも大規模になれば森を破壊するのだから自然破壊につながる
農業すら自然破壊だった、森を破壊して田んぼにしたからである
それでこの辺で津波の時、松原が根こそぎ失われた、それは江戸時代からあったもので
幹が太いものだったのである、だからもったいないと見た
でも松原が純粋自然のものではなく人工的な人為的なものとして作られていた
稲作のために塩害から防ぐものとして松原が作られていた

そして自然ではないということは不自然だから松原は津波で全部流されたとなる
なぜなら自然林となると混合林であり一種類の木だけがある森はないからだ
それで津波の後で松原は実際は津波に弱いことがわかった
根を強く張らないからである、また砂地のような所だと地盤が弱いということもある
松原は人工林であり自然林ではなかった
また杉林も人工林であり自然林ではない、木材として利用するためにいいから人工的に植林して作りだしたものである
それでもともと自然林であったものが破壊された
何かこの辺の森でもぶな坂とかありブナの木があった

ブナの果実は多くの哺乳類の餌として重要であり、中世ヨーロッパではブナ林で養豚が行われていた[6]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8A

bunaki1122.jpg
ブナは腐りやすく分のない木の意味

ぶなは分の無い木、役に立たない木の意味で和製漢字

ブナは木材としては役に立たないから人間側で無駄なものとされてこの漢字が生まれた
でも自然で無駄なものはありえないのである
それはあくまでも人間側からの見方でしかなかった
現実に果実は熊でも他のものでも役に立っている
ただ木材としては用途がないので無駄なものとされたのである
そういうふうに人間側からの見方だけになると自然の連環を生態系を壊すことになり
危険なものとなる
それが津波で松原が根こそぎ全部破壊されたりする、つまりもし混成林だったら津波を多少防げたとうこともある
津浪に強かったのは竹だった、なぜなら竹は根が強く張るから根こそぎ流れることがないからである、それで助かったという所もあった

とにかくあのように山ごとソーラーパネルにすることは危険である
木がないことは保水能力もなくなる、木は根を張り山に水を貯える
それで雨がなく乾燥していたとき山に入ったらきれいな水が山の奥で流れていたとき感動した、山にはいくら雨が降らず干ばつのようになっても水が流れていたことに感動した
山には保水能力がある、それを山ごとソーラーパネルにしたら保水能力もなくなり
なんらか田んぼとか農業にも影響してくる

ただなぜこれほど全国的にソーラーパネル化しているのか?
それは農業が田んぼなどが耕作放棄地になっているからである
零細な農業などが後継ぎがないとして継続されず放置される
この辺では原発事故以後耕作放棄地が多くなった、もともと跡継ぎなどがいなとか割にあわないとかで放置されるようになっていた、そしてそれに原発事故が拍車をかけたのである
そして田んぼは耕地整理で広くしている、すると余計に小さい田んぼは放置される
そこかソーラーパネルになりやすいのである

丸森でもソーラーパネルが増えたのは木材として利用されないからである
江戸時代などは米沢藩と伊達藩と相馬藩で三つ巴で木材をめぐって熾烈な争いがあった場として知られている、それだけ森が広く木材が豊富にとれる場所だったからである
今でも森が深いのである、それで森に迷い入り出れなくなった恐怖を経験した
ただ最近ウッドショックとかなり外材が入らなくなり家が建てられないとか騒いでいる
そして日本の木材が高騰しているとかなる
そうなると丸森とかでもまた他でも日本の森が見直されるとなる
つまりグロ−バル経済の危険は何かあると輸入できなくなることなのである
だから経済の基本は地産地消なのである、もちろん全部とはならないけど基本はそうしないと何かあると外部から入ってこなくなる、特に外国が相手だとそうなりやすいのであるだから過度なグロ−バル化は見直すべきなのである
何かコロナウィルスとかはそういう過度なグロ−バル経済による自然破壊とも影響している、生態系に反するものとして人間が暴力的に機械でも熱帯の森でも破壊する
そうしてそういう生態系の破壊からコロナウィルスのようなものが出て来る
それでそうした自然破壊に歯止をかけるためにコロナウィルスが神がばらまいたのかともみるのである



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2021年05月29日

人間評価の基準は何なのか (佐藤優を推奨した鈴木傾城の疑問、有力者の背後に組織団体がある)


人間評価の基準は何なのか

(佐藤優を推奨した鈴木傾城の疑問、有力者の背後に組織団体がある)

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前に佐藤優を創価のプロパガンダとして批判した
それがなぜヒットラーを批判できるのか,ナチズムを批判できるのか?
また毎日読んでいるダークネスの鈴木傾城もこの本を推奨しているので失望した
ただこの人の言っていることはまともであり人気があるのもわかる
毎日読むプログはないから読み応えがある
純粋の右翼である、右翼の大物に傾倒しているのもわかる

でも今日のプログでこの本を推奨していることには疑問だったしなぜなのだろうと思った人間は結局どうして人を評価したり判断したりするのか?
どういう基準で判断するのか、個々人はどうして判断するのか?
大勢の人はそもそも何かの判断基準をもっているのだろうか?
また何をもって判断基準にしているのか?

ナチズムとかがなぜ生れたのか?

そもそも個々人は判断基準をもたない、数が多いということが正義になった
だから民主主義から選挙から正当な手続きをえてナチスが生まれて支配されたのである
なぜなら今でも民主主義とは数になってしまったからである
数が多いことが正義でありすべてになったからである

そうなると創価のように何が何でも数を集めることに奔走する
数を集める選挙がすべてになる、一番早く選挙運動するのが公明党である
もう二年前から選挙運動であり日々の活動が信仰でも一票を獲得するための選挙運動なのである
現実に座談会では池田大作先生のためと座談会に集まりみんなで祈り選挙に勝つことを祈願する、それが日々の活動なのである、池田大作はヒットラーと似ている
そこで活動する人はナチスのヒットラーユーゲントともなる
そして会員が何百万いるといっても全く活動しない、座談会にも出ない人がまた百万以上とか膨大なのである、それが幽霊会員でありその幽霊会員を票に結びつけるのがまた幹部の日々の活動なのである

すべては選挙に勝つため!

これしかないのである、信仰とか内面の問題など全く考慮しない、そんなことしていたら票など集まらないからである、あとはすべて御利益なのである
利益になればいいという御利益利権団体になる
つまり創価こそナチスであり池田大作はまぎれもなくヒットラーなのである
その創価のプロパガンダになっているのが佐藤優であり池田大作の礼賛の分厚い本を出している
そういう本を出せるのも背後に創価があって指示されるからだ
会員が買ってくれるからである

何か人間を評価するときどういうことで基準にして評価しているのか?

これが問題である、まず一人の人間を評価すること自体困難を極める
その人がどういう人なのか知ることがむずかしいからである
ただ基準になるのはある団体に組織に所属していることで人間を分類することである
左翼団体もあり右翼系団体もあり宗教団体もありそれでその人を判断の基準にする
鈴木傾城は右翼でありすると右翼団体があり右翼団体としてみる
その発言も右翼団体をもちあげるものとなる
ただそうして左翼であれ右翼であれ団体に所属しても個々人はまた違ったものになるが
一つの色に染める、人間は何の団体組織に所属しているかでみる
会社員だとどういう会社に属しているからでその人間をみる

津田大介とかは左翼でありこの人が推奨されるのは左翼の団体に所属する人たちだとなるまたこの左翼系統は在日と連携しているともなる
在日ネットワークがありこれが良くわからないにしても強固の団体のようである
なぜなら在日と言っても日本人と同じだから日本語も日本人と同じ話しているのだから
日本人なのである、だから在日の人には本を出している人とか大学教授とかマスコミとか主要な分野で力をもっているのである
NHKも在日に支配されているかともいわれる、だから在日というのは裏で操作できる実力者集団とかとされる、ただこれも明確には見えない
とにかくこの在日の人では相当に優秀な人も多いのである
個人的にもそうである、アメリカ国籍をもっていて在日の人がいる
これも私には理解できなかった、こういう人は俳優でもいたし結構いるのかもしれない

ではなぜそうなったのか?

日本人でありたくないということがあったのかもしれない、それでアメリカ国籍にして日本人として生活しているとなる
例えば在日ネットワークがかなり社会的圧力団体になっているのはこの辺で小説家として柳美里とか小高に生活している
その人がアメリカの賞をもらったりまた芥川賞とか直木賞とかもらったりする
そして南相馬市の市役所にその賞をもらったことで南相馬市として名誉あることとして
そのことを宣伝している

でもなぜ公の役所でそういうことができるのか?

これも疑問なのである、何かあると小高の人でも動員されると嫌がっていた人もいた
他に原発を訴える詩人とかいてもそれは左翼系統で支持されたりまた何か原発事故を利用して有名になろうとしていた、アメリカとかフランスとかから賞をもらったというときそれはその作品とかとは関係ない、政治的配慮でもらったのである
原発が一番あるのはフランスでありまたアメリカでもある
するとフランスとかアメリカが批判の対象にもなる、でも批判はしない
その責任は追及しない、ただ自分が有名になればいいだけなのである

つまり何か強制されているというのは在日ネットワークが背後にあったりそれで人々はそれに従わざるを得ないということである
ただ正直その人の本は読んでいないから評価できない
つまり公的なことでもそうした団体組織に動かされるのである、そういうふうに佐藤優とか津田大介とかが個人ではない、背後に団体があってそれでその代表として大きな力をもつことになる、たいがいその人の評価は背後の団体で決まっているのである
またその背後にそうした団体組織がなければ発言すらできない
それで武田邦彦氏が原発に反対すると右翼系の組織から排除されると言っていた
というのはあれだけ右の発言をしているのに原発反対だとその仲間になれないとしているからだ、ということはその人は個人として発言しているからそうなるのである
ただ個人として発言すると拒否されて公的な場所から排除されるのである

つまり人間の評価の基準は背後の組織団体があって決まっている

こうみるしかない、それが左翼であれまた右翼であれ創価であれ在日であれ他の宗教団体であれその団体の支援があり個人も主張できるとなる
私は右翼でも左翼でもないのである、右翼的発言もあるし左翼的な発言もある
でもどちらの応援もないし所属してもいないのである

とにかくそもそもナチスというのは今世紀最大の問題でありまた日本の戦争でもなぜ三百万人も死なねばならなかったのか、それが20世紀の最大の問題であった
それはグロ−バルに起きたことであり社会が世界で均一化した結果でもある
だいたい世界的にみんな同じような生活をするようになったからである
例えば戦争でもこれほど大量殺戮化したのは日本がだったら武士とかヨ−ロッパでも貴族とかが戦士となりその選ばれた戦士の戦いだから限られていたのである
それが国民全員が戦士となったのが国民国家となって戦ったのが20世紀のグロ−バル化社会だったのである

当然なそうなると国民全部が戦士として戦うか何千万と世界で死んだのである
またナチスが生まれたのはそうした社会になってそうなったのである
大衆化社会とかゲッベルスの宣伝とかその時はテレビもないのにラジオがナチスを作りだしたというのもそうである
今ではテレビが力ももち大衆洗脳装置となっているとかなる
そういう情報社会になり一見みんな誰でも自由な発言をできるようで実際は個人ではできない、背後に組織団体があってその代表として発言しているのである
第一マスコミでもそうである、誰でも発言は勝手にできない、その人選はテレビ局がしている、また番組をNHKでもNHKの意志があり編集している
必ずマスコミでも何の意志もない発言はしない、それはNHKの幹部が方針を決めるのである
中立なようでそうではない、また報道するものとな報道しないものを選択しているからである

ともかく何かを評価の基準にするのか、それは例えばNHKに出るだけですでにその人は大きな力をもち評価される、その評価はNHKによって決まるともなっているのだ
私の評価基準は創価の内部を知っているから創価をもちあげる人は評価しない
それは背後に団体があり組織があり発言しているからである
田原総一朗なども創価をもちあげる、それはその団体の一員とも化しているのである

いづれにしろ大衆装置として新聞があったりテレビがあったりマスコミが力を持った
インタ−ネットになると確かに個々人が発言しているがこれも背後にある組織団体が左右するともなる
だから名古屋の知事のリコール問題もそうした右翼と左翼のしのぎあいであった
組織団体同士の戦いでありそこに不正があったとなる、その組織団体の代表たちの戦いでありその代表に津田大介とかあったとなる
とにかく知識人には問題が多いのである、それは結局その個人というのはない、背後に組織団体がありそれに利用されているとことあるからだ、数が多いといことが正義でありそれが民主主義を歪めてそこからナチスが生まれたからである
だからむしろ多数は信じるなともなる、原発事故でもそうだったのである、それで「安全神話」まで作られた
権力とか多数で物事が決められるとき危険なものになる、民主主義が多数がすべてを決めるから最も全体主義にもなりすいものだったである

小竹海広、伊藤春香、津田大介やらをなんとかしろ


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2021年05月26日

空家化少子高齢化で日本は縮小化して空洞化 (自分の家の10メートル以内の家の状況)


空家化少子高齢化で日本は縮小化して空洞化

(自分の家の10メートル以内の家の状況)
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近くの子どもの時から知っている人が死んだ、その人は評判が悪い人で相手にする人がいなかった
最近姿を見ないと言っていた、犬を飼っていたが犬もいなくなっていた
生活保護で子供いないし親戚関係もなくなっていたと思う
なぜなら若い時その息子は自殺したからだ
その原因が親にあるとしていた、とにかくみんなから嫌われていた人間だった
ただその死んだ人の親はいい人だったのである
本当に今ではまれな馬鹿正直な人だったのである
それで自分の家族が認知症になった時助けてくれたのである
そのことは良くわからなかったが後でわかったのである
その親はいい人だったとみんな言っていたのである
本当に今の時代には金だけを追う時代では本当に見かけないおそらく旧時代の人だったとなる、ただ別に大正生まれでもみんな今は金だけになった
その人はなぜか違っていたのである、だからそんな人がもういないと見ていた

その人が死んだのいつだったのか、組に入っていても連絡もない
葬式も通夜もないのだろう、前にその人の妻というか同居していた女性がいた
その女性は仙台辺りから連れてきた女性だった
その女性は階段から落ちて死んだのである、これもなんか変だともみた
人間はそんな簡単に死ぬのか見たからだ
それで変なうわさもたった、とにかくその人は嫌われていたし貧乏である
ただ農家であり広い敷地がある、でもその土地でも自分のものでないらしい
だからあばら家みたいな家に一人で住んでいた
でも子供の頃から知っている人でありびっくりした、一時は一か月くらい入院していた
退院して一か月前とか見かけていた
それが死んだというので驚いたのである

死に方としては良かったなと思う、何か介護されずに簡単に死んだからである
おそらく延命治療などしなかったのだろう
あとは福祉で市の方で始末してくれたとなる、何か葬式もしないのかとなる
その人の奇妙なのは金がなくて6万貸したことがある
墓も私の同じ墓地にある、その墓をみたら死んだ親の名前が墓に記されていないのだ
それは金がないから墓に親の名前も記されていないかったのである
これも奇妙である、つまり名前も記されていない墓となればそれがその人の墓と言えるのかとなるからだ
こうして親不孝な人だったのである

この人が死んで隣の人と話ししていたら20年以上住んでいた人の家が空家になっていたことにきづいた、引っ越したという、ただすぐ近くに新しい家を建てたからだ
でも二十年以上住んでいた人が急に空家になったのも驚いた
その家は同じ組だった、話ししたこともないが空家になったということが驚きだった
その家の庭は広く家賃は四万だと聞いた、とにかく庭が広いとみていた
でもあまり庭は手入れしていないからもったいないともみていた

そして図にしたように自分の家の回りが連続して空家化していた
引っ越した家の隣が前から空家であり持ち主はいるが誰も住んでいない、壊れそうな空家である、次に隣の家の人がみんな死んで更地となっている
その隣はまた親と息子が死んで空家となった、何かわからないが息子は若くして死んだ
その後に親が死んだのである
そしてその裏の農家だった人が死んだ、そこは農作業していた庭が広い、だからその一帯の家を壊すと広い空き地になる、駐車場にとかするのにはいいとなる
公園にすらできるとなる

これで考えたことが最近隣の78歳の女性の人が死んだ、その夫も今は病気である
孫が買い物などに一緒に行っている、でも息子がいて嫁がいるがかまわない、前から同居しても別々の暮らしだったからである
死んだ女性とは自分の庭に咲いている花のことなどで話ししていたことがあった
何か突然死んだので驚いたのである
とにかく何か今は介護時代だからそう簡単には死なない死ねない時代である
それがこうして簡単に死ぬ人もいる
その人はとにかく嫌われいたし介護する人もいないからそうして簡単に死んだことは救われたともなる、人間はそんなに簡単に死ぬ人もいる
死に方としては良かったなとつくづく自分は思う

こうして自分の回りの状況は日本の縮図である

何か自分の隣近所を見ただけでこれが日本の縮図だと思った
空家が全国で800万になるとか少子高齢化とか一人暮らしの増加とかがそうである
組には一人も子供がいない、子供が遊ぶのも見かけない、老人が増え少子高齢化であり
空家が増えて耕作放棄地が増えて介護する人が増えて次々に同期の人も死んでゆくとなる同じ世代の人が次々に死んでゆくともなる
とにかくこの年になると死が現実化しては身近になる
あの人も死んだ、次は誰なのかとなる、自分の番だということが切実になる
それより原発避難区域が極端であり空家だらけとなる
そして5000万で建てた新築の家も誰も買わないともなる

人間が死ぬとういとき死んだ時は誰でもその人がなんであれ思うことがある
この人はどうだったかとかなる、それにしても人間の死で常に思うことはあっけないとういことである、死んでしまうと呆気ないということが常に感じる
ころっと死んで消えてゆくことである
こんなに簡単に人間が死ぬのかと常に思うからである

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2021年05月23日

原子力村、オリンピック村、感染症(医師会)村の利権構造 (人間は利権利益から離れられないから公正に判断できない)


原子力村、オリンピック村、感染症(医師会)村の利権構造

(人間は利権利益から離れられないから公正に判断できない)
                                              

原子力村が利権化して安全神話を作り事故になった
その利権構造は官僚、政治家、学者、マスコミそして地元の利権者となり強固なものとして逆らえないものになった
それは権力で作られた安全神話であり結局安全神話が作られてかえって安全がおろそかになった
日本の技術は優秀だから日本では事故は起こらないとか日本人優秀論がありそれで何か
自己過信に陥る
それは太平洋戦争でもあり不敗神話とかになる、それは創価でも選挙の不敗神話が作られた、仏の加護があるのだから仏法で勝利するとなる
また国全体になると天皇が神となり日本は神に加護された国だから負けないとなる
そこに宗教がかかわるとそうなりやすいのである

「安全神話」「不敗神話」が作られるとかえって安全はおろそかにされる、科学者が合理的に科学的にも安全を追求しなくなるのである
なぜなら危険を誰も指摘しなくなる、内部からも指摘できなくなる
絶対安全などありえないとして安全を追求できなくなる
ただ10数メートルの津浪が来ると科学者集団が東電に警告していた
それも報道されたのか?それに備えることもしなかった
今時代は科学技術の時代だからやはり科学者は危険を一番追求できると思った
つまり科学者でも優秀な集団はいたのである
ただそういうことを指摘しても上層部は何の備えもしない、したくなかった
なぜなら金がかかる、コストがかかるということでしない
そして「安全神話」を作っていれば要するに何もしなくても金をかけなくてもいいとなるこれこそ便利なものはなかったとなる

そしてそこに自衛隊から警察から官僚が天下りして利権を得る
マスコミもそれにのっかり利権を得る、危険を追求することもなかった
地元では金になればいいしかなかった、だから飯館村ですら原発で働いていたのである
そこで普通の3倍の賃金がもらえたからである、そうなるとみんな働きたいし東電のおかげだともなってしまったのである

このことはオリンピックでも同じであり、コロナウィルスでも同じだったのである
そこで強固な利権の村が形成されてその利権を得る人たちがいてオリンピックはやめられないのである、やめると大損失になるからである
オリッピックは平和の祭典でもなんでもない、一部の利権を得る人たちためのものだともなる、それは原発でもそういうことがありまたコロナウィルスでもそれと同じことが起きている
医師会があるとしてそれは強力な利権団体でありお医者様には庶民でも逆らえないことを身をもって知っている
命をあづけるから怖いとなり強力な利権団体にもなる
民主主義でもこうして現代は利権団体民主主義なのである
個人など何の力もないのである

それは宗教でもそうである、創価はわかりやすい御利益を求める利権団体である
でもその他の宗教団体も同じなのである、神道でも仏教でもその他の宗教団体も利権団体なのである、なぜならそれだけの数を集めれば政府に要求できる
そして利権を得ることができる、宗教団体が一致して税金をかけることで一致協力していることでもわかる
比叡山の宗徒が琵琶湖の舟運で関税を税金をかけたりしたのもそうである
比叡山でもそこは僧兵がいて強力な利権団体としてあったからである

ただこうしてみんな利権ばかり追求するものとなったとき今回の様なコロナウィルスとかなると医者でも看護師でもそんな危険なものにかかわりたくないとかもう看護師でもやめたいとなる、何か一致してコロナウィルスに立ち向かうということもない
それぞれの団体が利権だけを追求するからである
そしてベッド数が外国より10倍以上とかあっても何もできない、戦争なら武器があってもそれが利用できないのである

民主主義は意外と危機に弱いということがコロナウィルスで判明したのである
つまり船頭多くして船山に上るとかなるのが民主主義なのである
こういうときは誰か強力な指導力を発揮する人が先頭にたって指示する
それが民主主義ではできない、何か話し合いだとか合意をとるとか議論するとかしているうち感染が拡大して手がつけられなくなるともなる
だから中国が感染を止めて普通の生活に戻っているということは不思議なのである
それが全面的に信じられない、中国のまねすることはいいことではないというのもわかるでも民主主義は危機には弱いことは判明したのである
平和な時は別にいろいろ手間がかかっても議論して合意を得ることは否定できない
法律を守るというのもそうである、でもこうして危機に直面すると民主主義はただ混乱状態になりそうしてもう誰も指導できなくなり被害が拡大して国が崩壊するとまである

いくら議論して合意にいたるとかしても解決がないのである
だからもう民主主義というのも実際はすべていいものでもなく悪くも作用したとなる
みんなめいめい組織団体でも利権を得るためにあれば合意などしない
結局人間の問題は利権であり利益でありこれから離れないから何か公平にならないし真実でも見えなくなる、「安全神話」もこうして強力な原子力村が作られて大事故になったからである
もしオリッピックでもその意義だけを追求していれば成すべきものとしてありうる
でも一部の利権者のためのオリッピックになったからやめろとなる
バッハ会長がぼったくり会長だと批判されるのもそうである

とにかく原発事故でもオリッピックでもコロナウィルスでも共通したものがある
人間は利権から利益から離れられないからそれで真実が見えなくなる
見えなくさせられる、科学でも歪められるし法律があっても歪められる、宗教も歪められる、ただ利権を御利益を得るためのものとなる
神は偏り見ないというとき人間の利権と利益にかかわらないからできる
だから利益とか利権にかかわらないなら人間でも公平に見れるとなる
ただ実社会に生きることは必ず利益とか利権とかかわるからそれは至難だとなる
それはマスコミとか見ればわかる、宣伝費で成り立っているのだから金を出す会社には団体には逆らえないとなるからだ


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2021年05月19日

金の流れで悪が見えるー河井案里議員の金の出どころ


金の流れで悪が見えるー河井案里議員の金の出どころ

自民党の二階俊博幹事長は17日の記者会見で、党本部が2019年参院選で河井案里氏の陣営に供給した1億5千万円の活動費について「私は関与していない」と述べた。

岸田文雄前政調会長は12日、党執行部が国民に「政治とカネ」の問題を丁寧に説明するよう二階氏に申し入れた。岸田氏は13日の派閥総会で「『書類を確認して説明責任を果たしてほしい』と二階氏に申し上げた」と語った

金がどうして得たのか?明らかに一憶5000万円の金がふりこまれて使った
ではその金をふりこんだ相手は誰なのか?
それが二階氏とか選挙対策長だった甘利氏とか言われる
なぜなら誰かがふりこまないかぎりその金はない、誰かの命令で振り込まれたとなる
つまりその振り込んだ人をつきとめるとその人も共犯者だとなる
選挙に勝たせるために軍資金として金を与えたとなるからだ
それをみんな否定している、でも金の流れから犯人がつきとめられる
推理ドラマでも金の出どころとか金の流れをつかむ、それが証拠になる

金がどのようにして得てどのうように使われたのか?

何か銀行とかの金融業の役割りはそうして金の流れを記録して証拠にする場なのかともなる、確実に金の流れが記録されているから偽ることができないからだ
ただタンス預金とかから流れているとわからなくなる
それで政府では困る、マイナンバー制を政府がすすめるのはこうして金の流れをつかむためである、そして税金をかけるためだとなる

なぜ金をもっているのかと自分が言われた、働いていないし稼いだことがないのに金をもっているのかとなるからだ
その出どころは遺産を相続したからである、それは自分自身が働いて稼いだものではないそういう金も普通にある、でもある人が金があるというときどうして金を得たのかとなる金額が大きくなると問題になる、それで銀行で大金を貯金したとき家族が問われた
本当はそういう金は銀行で秘密ともなる
でも大金になると盗んだとかもあり銀行でも問うことができるのかとなる
警察で操作する時、犯罪であればそれを知ることができる、どうしてそんな大金が入ったのかとなるからだ
銀行とか金融機関はそうして金の流れを記録する機能がある
また紙幣に番号が記してあって盗まれた金だとそこからわかることがある  

いくら私は金を出していないとしてもいづれ金をだした人が判明するのではないか?

その鍵は銀行になるのかとなる、一憶5000万の金を支払った記録は銀行に残っているだろう、それとも闇の金なのか、ともかくそれだけの金が誰かが支払ったことは確かなのである、それを支払ったのは自民党しかないのである
だから機密費から支払われたともされる、それは秘密の金だからわからないともなる

とにかく人は金を一番気にしている、自分でもまた他人の金でも気にしている
いくら金をもっているのか気にしている
ただ普通に働いていれば金の入るのは限られている、ただ特別な場合にこの辺だと原発事故で多額の億の金が入った人がかなりいた、それでいい車を買ったりしてひんしゅくをかった、でも事故のためにもらったものだから正当性はあった
何か正当性がない金だと回りがうるさくなるのだ
船主とか漁業組合の過分な東電から補償された金とか相双リテックなどの除染費用は過分すぎたからそれは犯罪ともされて逮捕されたのである
その金の出どころは国民の税金でありまた地域でも配分されるものだけど一人じめしたとなるからだ

金がどういうふうに流れたのか、それを追ってゆくと悪があばきだされる
つまり人間社会は金によって支配されるという側面があるからだ
それでドルを発行できるFRBとかが世界を支配してそれを作ったロスチャイルドとかロックフェラーとかが世界を支配しているという陰謀論になる
中国で覇権国になるために独自の人民元をデジタ通貨にしようとするのはそのためであるローマ帝国でもオスマン帝国でも地方の長官とかに覇権されたときその土地を支配した
人が王になりやはり独自の貨幣を発行したのである、それにはその人の顔が彫られた貨幣だったのである、貨幣とはこうして支配するものとしてあった
貨幣を紙幣を発行できるものが支配者となる
でも中央の皇帝から反逆者として討伐されたのである

だから悪を暴くとき金の流れを見ろということになる
それがわかりやいからである、今になって自民党の幹部は誰もその金を払っていないとしている、でも確かに誰かが払っていたのである
それを逃れることはできない、何かこれはわかりやすいのである
でも普通は金の流れがわからないのが多い、闇のルートとかに隠される
グロ−バル経済になるともう天文学的数字の金がどう流れているのか見えなくなる
それが問題なのである、金の流れが可視化されれば悪も見えやすいのである
それができないので陰謀論になり悪は闇の中に隠されるのである
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2021年05月18日

民主主義、共産主義、全体主義の相違 (民主主義の弱点がコロナウィルスで現れる―民主主義は崩壊の危機)


民主主義、共産主義、全体主義の相違

(民主主義の弱点がコロナウィルスで現れる―民主主義は崩壊の危機)


何か最近コロナウィルスでもそうだが民主主義より中国とかの共産主義一党独裁とかの方が指導力を発揮して自由主義の民主主義が指導力が発揮できないとして中国のような共産主義が一党独裁の方が優れているとも言う人がいる

それはなぜなのか?  

民主主義というのは一番いい政治体制だということを世界でのスタンダードとしてあったでももともと民主主義の欠点は言われてきた

君主制 ⇒ 一人の王様が国を支配⇒独裁制
貴族制 ⇒ 少数の特権階級の人が国を支配⇒寡頭性
民主制 ⇒ みんなで国を運営⇒衆愚性

この三つがありそれぞれぞれにいい面と悪い面がある、今民主制が悪く感じる機能していない、それは衆愚性になっいているからだ、ポピュリズムになっている
田中首相が政治は金と数だと言ったのもそうである
人間はもう数であり統計的数字として扱われるだけである
すべては数によって決まる、それが極端化するとファシズムになる
その最悪の例がナチスだったのである、民主制は大衆ファシズムになりやすいのである

民主制とかいうとき何かギリシャの民主制が基になったとしているが現実はそういう民主制とはもうまるで違ったものになっている
その理由は数が多いからである、ギリシャの民主制は一万くらいのポリスで行われたものである、そこでは一人一人の票の重みが違っていたし責任も違っていたのである
その一票は軽いものではない、一人一人が市民として責任を負っていた
ただここでも問題があり奴隷がかなりの数をしめていてその人たちに一票をもっていなかったのである

今は数だけが問題になるときもう一票など価値がないとみんな知っている
だから投票しても無駄だとなる、すでにその数を集める組織とか団体があって決まっていて一票など何の価値もないのである
だから投票率が50パーセントになっている、組織や団体に利権団体に属していない人は棄権する、でも組織団体に所属して利権化している人は投票するのである
それで創価などは必ず会員は投票する、組織の力で投票させる、会員が何百万人もいてもそれが票につながらないからである

だからすでに選挙の二年前から幹部は票にするために一軒一軒回っている
それが御利益宗教として利権と結びついてそうなっている
完全に政教一致なのである
その危険はナチスのような大衆ファシズムになることである、数が頭数が権力を得ることでそうなる
ヒットラーは選挙で選ばれたのであり暴力ではなかったからだ
創価も革命を目指していてそれも平和的手段で選挙で権力奪取を目指している
ただ一面これは暴力ではないから合法だともなる、でも政教分離に違反していることは確かなのである、自民党は創価の票を得たいからそうなる
とにかく選挙が迫って来た時、いち早くポスターを張ったり立てるのが公明党である
現実にすでに選挙活動のためにポスターを立てているいからである
すべて祈ることも選挙のためにあるのが創価だからである
座談会があったとしてもそれはキリスト教会のような祈りのためではないのである

ただこうした団体が生まれて許容されているのも信仰の自由があるからだとなる
この自由もまた民主主義を歪めているのだ、あらゆることが自由だとなる弊害がまた生まれているのである、人間にあらゆる自由はありえないのである
その自由がコロナウィルスで制限されたのももしかしたら神からの戒めなのかともみる

関所とか国境があるのは何かそれもコロナウィルスでは必要だったと気づいた
そういうふうに国境を作り関所で水際作戦をすれば防げるとなるからだ
それでも江戸時代のコレラ流行でも長崎からウィルスが入り全国に広まった
江戸時代でも防げなかったのだから現代ではもう不可能である
台湾では一時防いだがパイロットから感染してまた広まったということでもわかる
またビジネス関係でも入国を許しているからそこからも広まる
防ぎようがないのである

そしてもう一つこうしてヒト、モノが自由に移動するグロ−バル化社会の問題は国々の文化を破壊するのである、だからこそ世界的投資家がジムロジャースのような人が英語にしろとか日本語がなくなるとか言うのである
その国々の文化より世界言語として英語にしろとなる、言語でも紙幣でも本当はグロ−バル化で世界を支配する手段なのである
なぜならアメリカから中国に覇権が移ると中国語を覚えろと本人が言っている
基軸通貨が人民元になり共通の言語は中国語になる
でも日本の場合漢字を採用したのは日本が文明的に遅れていて漢字を必要としたからである、漢字でしか現せないものがありそうなった

ところが明治維新では日本人は西洋化するとき漢字で訳したのである、その概念でも漢字で現したのである、その漢字で現した西洋の文明を今度は中国が逆輸入したのである
つまり言語とは先進文明から学ぶものがあるときそれを受け入れるのである
アイヌとの言語が滅びたのは少数民族のものであり文明を受け入れる力がなかったからである

ヨ−ロッパの言語はギリシャ文明を基にしてラテン語とかフランス語とかドイツ語とかに共通したものがありその言語体系の中で一つの西洋文明を形成したことが明確なのである日本だと孤立語になっている、ただ漢字と日本語は一体化して文明化したのである
そしてなぜ日本だけが植民地にされなかったのか、アジアでなぜ対抗できたのか?
軍事力だってない、黒船が来てその技術力の差をみせつけられた
でも開国してアジアで唯一植民地化されなかった国でありアジアで西欧化した唯一の国だったのである
それは言語でも漢字を取り入れて自家(じか)薬籠中(やくろうちゅう)の物にしたように日本が何かそういう柔軟性がありヨ−ロッパとも伍するものがあったからだとなる

ともかくなぜ民主主義が危機にひんしているのか?
それはもともと民主制は衆愚政治になり現代なら大衆ファシズムになる要素があったからである、それは数の政治であり選挙でも優れた人を選ぶとかではない、ただ数を集めればいいとしかないのである
その典型的なものが創価なのである、そこで人は問わない、一票を集めろしかないのである、そこでまとまった数になると権力化する、誰も逆らえなくなりナチスのようになってゆく、それは現代大衆社会がかかえて弊害なのである

何かコロナウィルスでも上級国民のていたらくを知り指導できないことを知りエリートが堕落しているとか責める人がいる
でもそもそも現代の指導者はその愚民化した大衆が選んだものだから当然そうなる
学校教育でもいかにいい地位について得をして楽をするかを教えるだけである
それが学問の勉強の目的であり受験戦争となったのである
福沢諭吉の学問のすすめのように学問で立身出世することが目的化していた
江戸時代の侍はエリートでりエリート教育をしたというとき民衆を指導するものとして模範になるということがあったが現代はない、明治維新後はそういうエリートは消失したのである 

だから官僚でも政治家でも指導者となる上級国民が自分たちの得することはする
民衆のことなど考慮しないともなる、その原因は第一誰も官僚でも政治家でも尊敬していることなどない、あいつら利権を得て得する、それがうらやましいとなる
政治家になるのは大衆とは票を得て利用するだけのものだともなる
選挙の時は頭を下げてもあとは自分たちの利権と利益しか頭にないともなる
そういうことで民主主義はモラル的にも堕落してパンとサーカスになり機能しなくなたったのである
船頭多くして船山に上るとなった、コロナウィルスでももう現代のエリートと言われる唯一お医者様として尊敬される人でも指導力を発揮できない
医者でも結局医は仁術より医は算術になったのである
だかコロナウィルスの危機でも自分の保身に走る、金にならないとか危険なことはしないとかもう看護師でもやめるとなる

こうしているともう終始がつかなくなり国が崩壊するともなる
だから今度は貴族制とか君主制を望むようになる、今はそういうことが望まれている
人間社会にはどうしても地の塩となるべき一定数が必要なのである
それが消失するとき愚民化して大衆ファシズムになり国が崩壊してゆく
第一中国がコロナウィルスを抑えることに成功したのは一党独裁の君主制になっていたからだとされる、そもそも中国は十何億もの人間を治めることはそれしかできない
それで中国の歴史は皇帝が君主がいて膨大な民を支配してきたのである
民主制になったらもう混乱するだけでとなる
何か民主制とはギリシャのような一万くらいのポリスで機能するものであり数が莫大になるともう機能しない制度でもあったともなる
また人間が国として意識するアイディンティティをもてるのは狭い範囲である
日本だったら小国という地名が各地にあるようにそういう狭い範囲だと国として意識される、それが一億人の国とかなるともう同胞とかとして意識することも不可能になる
ただ人間は数として処理されるだけなのである
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2021年05月06日

数字に呪縛される現代文明 (放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)


数字に呪縛される現代文明

(放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)

健康診断の結果の数字で一喜一憂致しますが、存じ上げているお医者様に伺いますと、大きく変動がなければ少しの誤差はむしろ気にしない方が健康に良いそうです。


科学時代とかグロ−バル化とか広域社会とか何か社会の規模がこれだけ大きくなると常に数字が問題になる、人間はもう一人一人の人間などどうでもいい、頭数が問題であり人間は数字であり番号になる、それで議員すら病院で番号で呼ばれたと怒った
その政治自体が数で決まる、議員になるにも選挙でありどれだけ数を集めるかが最優先課題になる
それで田中首相は政治は金と数だと言ったのである
現実にそうなっているからである、その数はどんな人ても一票であり価値は平等である
一人が十票などもたないからである
その数の一人一人の中味など問わない、どんな人間でもいい同じ一票の価値だからである
現代社会はこうして常に数だけが問題になっている
だから一人など個人など政治家は相手にしない、いかにまとまった票を得るかが問題になる

宗教すら数である、何百万人を集めているカルト団体であるが社会で圧力となり権力となる
だから日夜祈り票を集めそれでさらに権力を増大させることを目的とするのが創価であれ他の宗教団体でも同じなのである
権力を得るために毎日祈り活動しているのである、そして毎日票を会員の数を数えるのが仕事なのである
つまり民主主義とは常に数で決まるからである
ただ選挙でも不正があり実際の選挙の勝ち負けは決まっているという人もいる
日本でもムサシという選挙を請け負う会社が操作しているという
だから実は数字も巧妙に操作されているから数字だけでは真実は見えないのである

民主主義が何か最高のものとして信奉するがアメリカでも選挙に不正があると騒いだ
確かにそれもありうる、実際は不透明なのである、だから何でも数だけで決めるのには限界があることがアメリカの大統領選挙で判明した
日本でも同じことが行われているという、それを請け負う会社がムサシとかがいてそうしているという、そこはマスコミで報道されないという
だからなぜ一パーセントの投票くらいで当選確実になるというのも不思議だとなる
実際はそういう報告がムサシとかの会社から報告されるからそうなる

とにかく現代は数字の世界てある、だからシュペングラーが数学から文明を解析した
数字というのがこれぼと幅をきかした時代はない、数学なしでは何も語れない時代だともなる、そうなると数学ができないものは相当に不利になる
貨幣というのも株でも常に数字が問題になる、グラフとかも数学の分野なのである
それで絶えずチャートのグラフを株をやる人は見ているのである
グロ−バル経済となるとその実体は誰もわからない、ただ数字として解析して読んで投資しているのである

そうなると逆に人間は数字にふりまわされ数字に一喜一憂するようになる
それはこの辺の原発事故で嫌というほど経験した
毎日放射線量を計る、それは機械で誰でも計れる、放射線は見えないのだから数字だけが目安となるからだ、数字によって恐怖して数字によって安堵する
でもこの数字も操作できる、モニタリングボストの放射線量は正確ではなかった
その下を掘って土をとったいたから低くなっていたのである
私がその近くの周りを計ったら倍あったからである
それをしていたのは飯館村などでは大成建設だったようである
他にもゼネコンが除染を請け負っていたからしていたとなる
まずモニタリングポストの放射線量はあてにならない
倍以上があると見ていた方がいい、飯館村では特にそうである、なぜなら特に飯館村では放射線量が高かったからである
ただ放射線量の場合素人でも機械があれば計れたから政府の権力でもごまかせないということがあった、素人の文系でも放射線量は計ることができたからである

とにかくこのように放射線量は素人で計れた、そして常に数字に左右され数字で恐怖して数字で安堵していたのである
武田邦彦氏は一ミリシーベルト男と揶揄されたのもそれを象徴している
コロナウィルスでも数字に左右され一喜一憂している
毎日何人感染したとかテレビで放送される、その数に釘づけになる
そしてわずかでも少ないとなにかほっとした感じになる
まるで数字の魔術にかかったようになる、千人越えたら大変だとかみんな見ている
そして数字にこだわると数学者が原発事故は確率論で百万年に一回しか起こらないと割り出したと言っていた、これも専門家が異常化することの見本だった
やはり確率論で対策しないと40万人死ぬと言った専門の学者もそうだった
かえって専門家はそういうことを平気で言うから専門馬鹿と言われる

ただここで疑問なのはどれだけの数を検査して本当にその数が恐怖すべきなのかその中味が良くわからないのである、ここでも放射線量のように政府で操作しているのではないかという疑問があるからだ、そんなに正確に割り出しているのか、その中味のことは良くわからない、ただ数字はわかりやすいからその数字の魔術にとらわれる
感染者でも百とか二百とか三百の差があったとしてそれがどれほど危険なのかもわからない、でも数字はすべての指標となる、それは経済とかでもそうである
数字を指標として見るからそうなる、個々の問題ではない、全体を見る時は必ず数字でみる、統計でみる、体でも血圧でも数字でみる、でも個々人で差があり数字がすべてではないとしている、多少高くでもその人にとってはかえって正常の標しだという医者もいる
つまり個々人で差があるから平均はありえないのである
数字で平均で見ることもまた実体からはなれたものになる

田舎だと確かに数が増えれば恐怖である、でもすぐ近くで感染者が出たとういことが恐怖になる、その家の窓ガラスが壊されて住めなくなって引っ越したとされるからだ
数の問題もあるが具体的に近くに一人でも感染者が出るのが恐怖になる
そこに具体性があり恐怖となる、東京のような大都会だと千人出たとしてもあれだけ数が多いのだから恐怖が希釈される、田舎だと隣に出たというとき一人でも恐怖になる
東京辺りだと一千万人もいるのだから誰が感染しているかもわからない
それで身近に感染した人がいないから恐怖を覚えないというのもわかる
やはり身近な人が感染すると恐怖を覚える、いくらテレビで千人感染したと放送しても
必ずしも具体的な恐怖とならないのである

ただ数字というとき津波の時がそうだった
テレビでNHKでも最初数メートルの津浪が来ると放送した
数メートルかそんなのたいしたことがない直感的に思った
でもそれは津波のことが知らなかったからである、そのあとに十メートルの津浪が来るという時驚いたのである、その時数字を知ることが生死を分けたともなる
なぜなら最初から津波のことを知っていたら数メートルでも危険となり避難したからだ
数メートルと最初に放送した時そんなものか逃げない人がいたからだ
その時危機感がなく逃げ遅れて死んだ人がかなりいたからである

こうしてとにかく数字に惑わされ数字に惑わされてきた、コロナウィルスでも同じだった毎日感染者の数字に一喜一憂している、でも数字と実体が乖離している場合がある
どこまで恐怖していいのか数字に惑わされて本当のことがわからなくなる
それはやはりコロナウィルスが未知だからそうなる
放射線でもそれも未知でありどこまで人間に影響するか明確ではなかったからどう判断していいかわからなかったから混乱した、今でもそうである
放射線被害は十年後二十年後ガンになるとか遺伝子が破壊されて子供に奇形が生まれるとか恐怖した、それで若い女性は脱出して帰らなくなったともなる

宗教でも罰あたるとか地獄に落ちるとかで呪縛される
現代は科学技術の社会だから数字に呪縛されている、数字が信仰されているともなる
ただそこにも落とし穴がある、すべてを数字では計れないのである
また数字は容易に操作されるからその実態を見えなくさせる
そしてだまされる、それは放射線量で原発事故でもそういうことがあったからである
数字は目安にはなっても絶対ではない、だから数字を絶対化することは危険なのである
でも現代はそうなりやすいのである、あらゆるものが数字を目安にして動くとなるとそうなる、そういうことがファシズムにもナチスのような全体主義になる
何故なら人間は一人一人血の通った別個のものではなく、ただ数字として計られる
その時人間は抽象的数字となり処理される
結果的にガス室に送られた人々はただ数字として処理されたともなる

人間を数字化したときすでに非人間化社会となっていたともなる
抽象的なものとして人間をみるようになったからである
社会が拡大してさらにグロ−バル化すればもう人間が直接接する世界ではない
ただ数として世界をみる、そこにもう人間は見えない、見えるのはモノと数だけだとなってしまう、精神と物はここで乖離する
だから人間を回復するとなるとそのサイズが問題になる
国(くに)というときそもそも日本とかの大きな国ではない、小さな国である
里とか村単位くらいの国があったとなる、小国がそうである
そういう狭い地域が国として意識された場だったとなる

そこでは一人一人が個々が見えて国を造っていたとなる
老子の小国寡民もそうである、大きな国が理想の国とはなりえないと見ていたからである数で計られるようなことがなかった、一人一人の顔があり密接に結び合った社会である
そういう場所が本来の国だったともなる
そして物量とか人の数とかからは文化は生まれない、その国から国土から文化は生まれるそれで飯館村とか丸森町とかなるとそこが一つの国として意識しやすいのである
日本の場合山が多くて森も多いからそういう場所で一つの国となり小国であり隠されていたともなる、そこは自給自足で成り立ち自立していたとなる
そういう所だと数としてみることはない、一本一本の木でも石でも数としてあるのではない、みんな形も違っているとか個性がある木とか石になる

今日も感染者東京で600人だとか安心する、でも完全に安心の数ではないとか指摘される
だから本当にこうして毎日感染者の数で一喜一憂することが正しいのか疑問なのである
検査数だって外国のようにしていないしその実体は不明なのである
つまりこの数ももしかしたら操作されている、そして数に呪縛される
結局人間の感覚はやはりじかに友達でも会社でもどこでもいいから身近に感染者と接したという時実感する、数とかでは実感しないのである
これは放射線量のように素人でもじかに計れないことが問題なのである
そうなると調べようがないから常に数で不安になる、放射線でも見えない敵と戦っていたコロナウィルスも見えない敵でありこれと戦っている、でも数がすべてでないし数に呪縛されるのは問題である、でも死者の数とかは確実な目安になる
でもこの死者もコロナウィルスで死んだと限らない、別な病気でもコロナウィルスで死んだとされるからである、こうして不可解なものとなり不安だけが増幅するのである

ダビデが兵隊の数とか人口調査をした結果神から罰せられた
その罰が疫病だったのである、

 ダビデが選んだのは第三の罰、三日間の疫病でした。これは三つの内で一番期間が短いから、いちばん軽い罰をダビデは選んだのだ、とは言えません。疫病で死んだ人は七万人に及んだと15節にあります。期間は短くとも、これは相当に過酷な罰なのです。ダビデが敢えてそれを選んだ理由は、

ここに疫病が人口調査と兵隊の数を数えた罰としたことが書かれている
そして神に祈って疫病が消えたとされる
だからコロナウィルスも神からの罰だったのかともなる
七万人死んだということは人口比率にすると相当な恐怖である
小国で七万人となると七十万人とかになるかもしれない
また原発事故も神からの罰として起きたのかともなる
この疫病は特定の国ではない、人類的災禍であり人類に課せられた罰なのかともなる
何か津波であれ原発事故であれコロナウィルスであれ私の一身上に起きた災いも神からの罰だったのかともなる
カルマだったことは確かである、ただカルマはどんな家にもあり個々人にもあるから必ずカルマの清算を強いられる

確かなことは原発利権者への罰、オリンピックの中止はその利権者の罰、何か神が罰としてそうしたのかとなる
これらは深く利権がかかわりオリッピックでも国民が望んでいないのに利権者がいて強行される面があるからだ、オリッピックが中止になれば莫大な投資が無駄になるとして強行を望むものがいるからだとなる
要するにこの世のことは何か人間だけではできない、何らか神がかかわってそうなっているのかともなる
その神意に天意に逆らうことはできないとなる
コロナウィルスが未知で変異ウィルスとかでインドから拡散する、科学者も実際は未知だからわからないのである
ワクチンが絶対なものでもないことは確かである、それは即製されたもので必ずしも全部有効ではないからである
この世のことはべて科学でも解明されていない、未知なこがりその未知なことは永遠に未知なのである
だから神のみぞ知るとなるのである






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2021年05月05日

福島県のコロナウィルスの感染者数を見る (コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)


福島県のコロナウィルスの感染者数を見る

(コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)

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だいたい人口に比例している、これも数学の法則のようになっている
最初は会津若松市は感染しなかった、でも郡山市や福島市が感染者がふえてだんだん増えるようになった、だから伝染病と人の交流の多寡と関係していることは確かでありそれで計算することが予測することができる
ただ人口の割合で変わってくる、人口が少なければ比率的には少なくる
だから当然東京とか大阪とか大都市は比率的に数が多くなる
何かここに錯覚がある、東京大阪など大都市は多くなるのは当然だからである

江戸時代にコレラが流行したのは福島県では会津若松中心だった
それは北前船とかで新潟とも交流があり人が来ていたからである
つまり江戸時代の中心は福島県になると会津若松だったということなのである
今の福島市などではなかったのである
それは明治以降に県庁を福島市に置いたからである

とにかくウィルスは人が移動して伝染するのが基本である
だから人の流れをとめることがおさえることになる、でも現代だとこれだけヒトでもモノでもグロ−バルに移動するから抑えることが最高にむずかしくなった
何か必ずいいと思うことが悪いことにもなるのが人間社会である
全面的にいいとなることがないのである
科学技術は便利でいいとしてもそれも必ず交通事故とか原発事故とかかになり悪いものとして作用する

だから江戸時代が世界に閉ざしたとしても国内でも関所があって移動の自由がなかったとしても伝染病を防ぐにはいいものだったとまでなり見直されるのが不思議だとなる
そういう時代でもやはり長崎からコレラが入って全国に伝染したのだから止めようがないということである
もし長崎で厳しい水際作戦をしていたら止められたともなる
インドの怖い変異ウィルスで日本人が二人死んだということも怖いことである
東南アジアにもインド型の変異ウィルスが増えてきているのも不安になる

コロナウィルスに対処する方法はワクチンと後はヒト、モノの移動を制限する止めることなのである、これが現代では一番むずかしいとなる
いいと思えたものが一番悪いものとして作用したのである
関所があったらそこで調べてヒト,モノの流れを止めることができる
でもそれが現代ではできない、明治になって鉄道ができて関所がなくなったこと自由に藩の外と行き来することができるようになった
侍がいなくなったという変化もあったがこうした交通の発達が社会を大きく変えたとされる、こうして交通が発達すれば全国を自由に行き来できてそれで日本国民という意識が生まれたとされるからだ

要するに外との交流があるとして必ずいいものと悪いものがありそれも入ってくる
伝染病だけではない、グロ−バル化がいいようでも悪いものも相当に入ってきたのである日本の食生活を壊すような食べ物でも入ってきて日本人には少なかった病気がガンなどが増えたりしている、他に肉食を盛んになり何かそのために今までは少なかった病気がふえる
必ず外との交流があっても悪いものも入ってくる、これが問題なのでありコロナウィルスで意識された
だからグロ−バル化というのは全面的にいいものではなかったのである

そういうことで日本の場合は海に囲まれていてそれが障壁となり悪いものが入るのを防ぎいいものだけを取り入れる、取捨選択かできた
でもウィルスは長崎は外国に開放していたからそこからコレラが入ってきたのである
中国経由とかで入ってきたとなる
これは福島県内でも昭和村の人が感染したのは福島市とかで会合があって感染したとしている
昭和村は相当な奥地だからである、こうしてヒト,モノの交流があり感染する
江戸時代のコレラでは会津若松市が中心に増えただ桧枝岐は交通が閉ざされていた秘境だったから感染しなかった、つまり交通がない閉ざされた所ということが有利になった逆説があるのだ
南相馬市ですぐ近くで感染したのがすぐ近くの人が東京のライブハウスに行き感染した
それから最近近くの保育所でも感染したと聞いた
だから身近に迫ったきているとか不安にはなる
ただ日本は外国からすると人口比率からすると0・1%にもならない、0・001とか低いのである

何か江戸時代辺りだと自給自足の社会であり村々の交流さえまれだった
それで隣の村から麦つきに働きに来ていた人が大蛇だったとかの伝説が残る
それは人が村々でも行き来しないから隣の村でもそうして異様な人とまでになる
飯館村でも大倉村と佐須村が明治になっても合併しなかったのは民情が違うからだとしている、民情はなにかわからないが互いに情が通じない、習慣でも違うとかあったのだろう日本とはそういう社会だったのである、閉鎖的社会だったのである
そもそも村でさえそうならば国同士がわかりあうのがどれほど大変なのかわかる
民情というがあらゆるものが違ってくるからだ
それがウィルスとかの伝染病には守るのにはいいとはなっていた
でもやはり伝染病は常にあり被害が大きかったとなる
これも人類的災禍だとなる、ウィルスは既知なものとして現れるのではない
何か新しい新種のウィルスが現れるからとまどう、科学者でも解明できないものとして現れる、ワクチンを作ったとしてもそれがどこまで有効なのかもわからない
副作用もあり不安になる

いづれにしろこんなに災難が次々にふりかかるのは何なのだろうとなる
時代が大きく変わる時、易姓革命が起きる、それは天意であり神意であるともなる
モーゼの出エジプトの時も疫病のような災難が起きてファラオはお手あげになり国から出て行くことを許したとなる
サバクトビバッタとかの被害もありこうがいも起きていた、それが今も起きている
それは世界的にも大きな変化の兆しとして起きている

いづれにしろ人間は未知なものには弱い、それが不安をもたらす、それに対応するのは科学だとまたなる、ワクチンだとなる
でも原発事故となると放射線の危険性はわかったいたのである
全く未知ではない、その危険性もわかっていた、でもそのわかっていた危険に対処しなかった、確かに津波は想定外でもそれも科学者が十数メートルの津浪か来ると警告していたのである、その警告を無視した、だからその責任が人間になるとして問われた
今回のウィルスは未知だからその責任は問えない、ただこれも人間が故意に作ったものだという人もありわからないのである
そして様々なことを言う人たちがいる、それでまた混乱するのである
ただなぜこんなに次々と災難が来るのかそれが不可解なのである

ユーフラテス川のほとりに繋がれていた四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。
全世界の人口の三分の一が殺されるというと、驚いてしまう。

1802年 10億人、1927年20億人、1961年 30億人、1974年40億人、1987年50億人、1998年60億人となっている。50億人から60億人になるのに11年間、60億人から70億人になるのに13年間となっている。そして、将来の増加予測としては、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達すると見ている
http://j-strategy.com/series/tf2/1566

ヨハネの黙示録に人口の三分の一が殺されるというのが気になる
つまり現在の人口は増えすぎて三分の一に減らされるのが適正人口なのである
日本の人口は江戸時代で3000万であり明治以降に4倍にも増えた
これは歴史上ありえない増え方でありそれはグロ−バルに起きたことである
インドとか中国は国土が広くても人口が多すぎる
2000年前に中国の老子が小国寡民を言っていたがその時は一億人くらいしかいなかった
それでも人口が多いと感じていた、だから今の人口は本当に異常でありその人口の多さが環境破壊とか資源をとりつくすとかの問題に発展する
もう一つは大都市の問題である、そこに一千万とかインドのニューデリーでも二千万人もいるというときその過密がウィルスの伝染を防げなくしている
大都会がウィルスに弱かったのである、だから東京でも大阪でも大都市から拡散する
福島県でも都市から拡散しているからだ
大正時代の東京の人口は百万だったのである、その規模なら問題なかったのである

この人口を減らすのは戦争とか疫病とかがあるともなる、でも簡単に人口は減らせない
だからこそコロナウィルスで人口減があるのかとなる
これはまた陰謀論にもなる、人口を減らすためにマイクロソフトのビルゲイツがたくらんだとか言う人もいるからだ
ただそれが簡単に陰謀論で片付けられないのは実際に人口が増えすぎてそれが地球で重荷になり災いをもたらすことは確かなのである
だからそれは自然の摂理でそうなったのかともみる
ただコロナウィルスの正体は未知でありそんな凶暴なものになるのか疑問はある
ただインドで猛威をふるっているから不安になる

ともかく福島県でも近くの保育所で感染したとか聞く、原町の介護施設のツクイでも感染者を出している、新田川の六号線の橋を渡った所にあるとか身近になり不安になる、田舎だと感染者とか近くに出るとすぐわかる、それで警戒が強くなるし不安も大きくなる、そういう点では抑えやすいともなる、何か外に出ること自体怖くなるからである
すぐ身近に感染しているとなれば田舎では都会より警戒するし敏感になるからだ
福島県は結構増えているのだ、宮城県は一時増えたが抑えているのはなぜかとなる
福島県は依然として増えているのが気にかかる
市町村の人口に比例して感染者は増える、これだけは確かである
だからある程度感染者の数は正確に割り出せる、統計的に比率として予想できる
ただやっかいなのはインドとかで発生した変異ウィルスである
それは今東南アジアに拡散しているとなるとやはり日本にも影響してくるしすでに影響しているとなり不安になるのである
posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年05月03日

輸入ができない木材不足で家が建てられない (グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


輸入ができない木材不足で家が建てられない

(グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


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[緊急]ウッドショック!!家が建てられなくなる?!
https://www.youtube.com/watch?v=Qy7F4xOZT4A

ここのyoutubeは興味深い、アメリカで木材需要が高まり輸出しない、国内優先になった家が建てられないということはその家を建てることで仕事をしている多数の職人たちの仕事が失うとういことである、それも大きな問題になる
では国内の森林が豊富なのだからそれを利用すればいいと思うが国内の森林は放置されて利用されないから簡単に供給できない
運ぶ道も放置されて整備されていない、枝打ちもしていないから荒れているとかなる
それを準備するには数年かかるとしている
それよりそこに人材を集めて木材をとれるようにするのは相当な労力と時間がかかる

だから私の住んでいる森に入ったら確かに前はそこは林道があり木材をとっていたのである、なにしろこれだけの森林が日本にありその木材はみんな日本でとれていた
それより地域の家は地元でとれる木材を利用していたのである
だから私の家は親でも橲原とかからとった材料で作ったと自慢していた
それはどこでもそうである、地元でとれた木材で家を建てていたのである
建てるのも地元の大工さんが建てていた、それも何カ月もかけて建てていたのである

今はハウス会社はプラモデルを組み立てるように二週間くらいで組み立てて建てる
地元の木材など使わない、地元の大工さんもかかわらないとなる
これもなんかおかしいと前から私は指摘してきた
グロ−バル経済というのは一見いいように見える、でもそれが何か不自然なのである
本来地元にあるものが利用されないということが不自然なのである
何かもったいないと思うからだ、それはグロ−バルな価格競争で負けたから地元の国内の木材を活用しない、でも今になってもう外材が高くて買えない、家も建てられないと窮状を訴えている

こうして不思議なのはコロナウィルスでもそうである
グロ−バル経済に歯止がかかり自由なモノとヒトとの交流もできなくなった
そしてこれまでのグロ−バル経済が変わる、人の自由な行き来でも物流でも止められる

「SDGs(エスディージーズ)」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です

このことが盛んに言われるようになった、木材でも外材が入らないということで持続可能に木材でも地元で育てねばならいともなる
もともと日本では木材などは持続可能なものとして育てて来た
第一木が育つには50年とかかかる、そうなると本当に持続可能にするには一代では実りが得られないのである、自然の時間にあわせるほかないのである
それで江戸時代とかなる何代も家がつづいていた
そうしなければ家業でも成り立たないからである
現代のように目まぐるしく変わらない世界であり気の長い人間であり社会になっていた
現代は凄まじい変化のなかで生きている、すると何か落ち着いたものがない
そこでうつ病になる人が多いというのもわかる
長い先が見れないのである、その時その時で時間が消費される、長い先を見れないのである

だから当然国家百年の計などできない、今の時間だけがすべてだとなってしまうのであるこれは人間の人格形成にも相当に影響する、なぜなら常に即製するもの、インスタントなものを作る、じっくり時間をかけて物つくりしないのである
もともと自然を相手にする農業でも例えば双葉の梨農家だったかそこでうまい梨を作るのに十年かかったとか言っていた、そういうふうに農業自体が自然相手だから自然の時間をに合わせる、種を蒔いたからとすぐに作物は育たないからである
そこに待つ時間がある、何かそこで農民は忍耐が養われるともなる
現代の人間が何か軽薄なのは常にインスタントに即製するものを求める
じっくり長い目でとりくむことはしないのである
そういうことは人間自体即製させることにも通じている
人間自体がそもそも即製できない、長い時間が何でもかかる
知識にしても即製で身につかないのである、長い時間かけて積み重ねてあることに詳しくなる、即製的に知識も身につかないのである

豊かになるにしても一代では無理である、ある家が豊かになりその家から才能ある人が出るというのも一代では成らない、例えそこに才能がある人がいてもそういう環境に育たないと才能は開発できないのである
一代目が財を築いて二代目が芸術家が生まれたりする、最初は働きづめで一代目が創業して財を築く、二代目はその財を基に才能を伸ばすということがある
家でもそういう積み重ねがあって豊かになる
だから格差のことを盛んに言うけどどうしても格差はある、なぜなら親が財を築いてその二代目三代目がその財を基に才能などを伸ばすことができるからだ

現代だと団塊の世代は戦後の焼け野原から始まった、その時はみんな貧乏であり平等だったのである
でも高度成長時代があり豊かになった人たちがいた、そこから何か二代目はその財を基に才能でも伸ばす余裕が生まれたとなる
自分の親は大正生まれであり戦前から貧困であり何か余裕ないものとして生きた
他の人でも何かその家はケチだというときまともに食うものもなくて育ったためにケチになってしまったようだ
自分にしても何か大きな金が使えないのである
旅するにしてもいつも安宿を探していたり贅沢などしたことがないからである
こういうことは貧乏性となり大きな金を使えなくさせる、それでどうしてもみみっちい性格になると思った、そういう環境が人間形成に影響する

ともかくグロ−バル経済というのはそれがすべて悪いとはならないにしても行き過ぎたものとなっていた、自国でとれるものも利用しない、日本が森林が豊富であり木材もあったそれを利用しないで外材に頼る、いくら安いからといって日本の宝があっても宝の持ち腐れにしていたのである、これは本当におかしいと前々から思っていたのである
その矛盾が今露わになり困ることになる
そういうことは予想されていた、何か不自然であり理にも合わないものだったからであるコロナウィルスでも何か行きすぎたグロ−バル経済への社会への警告だったともなる
戒めとして現れたのかともなる
グロ−バル経済の問題はそのコミニュティとか社会とかまで壊すことが大問題だったのである、それは経済だけの問題ではない、モラルまで崩壊させることであった
そういうことはこの辺の原発事故でも起きた
町や村が崩壊ししてコミニュティも家族までばらばらになってしまったからである
過度に科学技術が信仰のように頼ることも危険であり見なおすことが強いられる

とにかく「SDGs(エスディージーズ)」が世界の共通目的となったことは世界の人たちもそういうことを共通のものとして認識したからだとなる
歴史をふりかえれば日本で鎖国していた、その時代は自給自足であり日本にあるものでまかなうほかなかった、だから貧乏だったということもある
でも不思議なのはその時は別に韓国とも中国とも干渉もしないから争うこともなかったのである、ただ欧米が進出して明治維新となりそこから変質してしまった
その原因は日本にあるより欧米の進出にあった、それに対抗して日本でもアジア進出になったからである
日本がはじめて世界の歴史にまきこまれてそうなったとなる

ただ江戸時代でも貿易は長崎の出島からしてたし全く閉ざしていたわけではない
そういう取捨選択する貿易の方がかえっていい面があった
なぜなら日本にあったもの日本に適したもの入れるとういことである
外国でも日本化して受け入れるとういことである
それは仏教でもそうだし日本化して受け入れるその国のものとなる
キリスト教でも内村鑑三の武士道を基にして受け入れたというのもそうである
それは日本的キリスト教になっていたのである
グロ−バル化とは外国と同じになることではないのである
欧米でもアメリカでも悪いことは見習わないことである

それが戦後戦争に負けてから余計にそういうことがなくなりアメリカ崇拝となりアメリカの金だけが唯一の価値とした社会に変質した
それがこれだけのモラルの荒廃を生んだ社会となったともなる
もう日本人は義理人情すらない、金しか見えない強欲人間しかいなくなったのである
原発事故でも実際は地元でも金になればいいしかなかったのである
限りない欲望の象徴として原発があった、そこに人々が群がった
それは官僚や政治家でもマスコミでもそうだったのである
その原動力は金になるということしかなかったのである
それが悲惨な結果となった、ただそれも地元でも反省していないしなぜそうなったのかも考えないのである、ただ結果として復興しない、家族はばらばらになり若い世代は帰ってこないとなったのである
グロ−バル経済でも何かモラルなどない、強欲資本主義になり金しか見えない社会になり人間になってしまったということである
金はアメリカの数パーセントの人たちに収奪され集められているのだ
そういう世界的歪みをもたらしたのがグロ−バル経済だったのである




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2021年05月01日

コロナウィルスが現代文明を宗教も変える (東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)


コロナウィルスが現代文明を宗教も変える

(東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)

新型コロナは“神が与えた罰”? せめぎあう科学と宗教
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200507/k10012419091000.html

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これが感染しやすいとしていたがかえってしなかった
むしろコロナウィルスに感染しない部類の人種だったのである
ただ遺伝子に共通性がありそうなったことは確かだった

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コロナウィルスの影響はグロ−バル化しているからグロ−バルに影響した
ともかくウィルスの伝染病を防ぐ手段は人と人の接触をなるべく避けることが最良の手段なのである
でもグロ−バル化するということは世界中に人が密に接触することになる
だから日本がでも今度はインドの悪性の変異株が入ってくるとか警戒している
それは世界中の人が交わる社会だとさけようがないからだ
オリッピックでも一人の感染したインド人が入ってきたら広がるとしている

ただ不思議なのは明らかにアジア系統特に東アジアでは抗体をもっているとされ感染者も死者数も増えないのである、これはこれから増えるのかもしれない、日本ではその兆候が見えてきている
ただ中国でも増えなかったのは不思議である、中国はあれだけ人口があって衛生環境も悪いからだ、何か汚れに無関心なのである
黄砂がとんできたりして常に汚れるのが日常化しているかもしれない
その点私はなぜ10数年前とか中国が発展しない後進国の時代に旅行した
その時なぜ犯罪にあわなかったのか?
それでも二回くらいカメラをとられたとかひどい目にあった
でも比較的中国で危険な目にあわなかったのは汚れていて中国人にしか見えなかったのである
街を歩いていても中国人と日本人の区別がつかないのである
だから夜とかアメリカとかで日本人はチャイニーズとなる、中国人に見られるのである

どうも人種的にはここの図のように東アジアは同じ系統なのだろう
それで最初に同じ遺伝子から成っているから感染しやすいとと神王テレビで分析した
それははずれた、むしろこの遺伝子をもっている人種はコロナウィルスにはかかりにくかったのである
ただ共通の遺伝子をもっていてそれがコロナウィルスに抗体があったと結果的には証明されるともなる

何かこのコロナウィルスの不思議は欧米にアーリアン人種系統に被害が大きかった
今インドで猛烈に感染者と死者数を増やしている
インドはドラビダ族とかアジア系統がいてもアーリアン人が白人が入ってきて彫りの深いヨ−ロッパ人の体と顔をしている
だから人種的には欧米系であり言葉でも印欧語族を形成している
主語の次に動詞がくる語形である、そしてまたわからないがアイヌ語にもhave動詞のようなものがある、この haveの意味は広範囲であり独特である
羊を飼うということが基になって育てるとかいろいろな意味がある
そしてアイヌは縄文人とか蝦夷とか言うが違っている
顔の彫りがやはり欧米人のように深いのである、だから大陸伝いに日本に入ってきたヨ−ロッパ系統だともなる
ただ人種が交わり混交したから日本人的な顔もいる
一般に漢族でもアジア人でものっぺりした顔で彫が深くないのである
だから何かこういう顔は彫刻に向いていないともなる
だからギリシャ人はアーリアン人系統であり彫が深く彫刻に向いていたからギリシャで彫刻が発達したともなる

いづれにしろなぜインドに猛烈に増えてきたのか?死者も増えているのか?
インドは衛生状態が悪い、中国も悪いがインドはさらに悪い
そういう環境もあるがやはり欧米系の人種の遺伝子が影響しているのではないかというのは合理的である
そして密集することがウイルスを蔓延させる、ところが宗教でも密集して礼拝する
これは本来の宗教とは違ったものである
とにかくユダヤ教でもイスラエルで伝統的な宗教行事で集まることが禁止されたとかあるアジアでは韓国のキリスト教系統が集団で礼拝してそこから感染が増えた
それでその教祖が国民に謝ったのである
それが今インドでも起きている、ヒンズー教の祭りで人が集まるからそこから蔓延したとされるからだ

イスラム教でもモスクで集団で礼拝するから伝染する
何かこうして宗教が集団化することは本来の宗教に反する行為だともなる
神は集団に語らない、個人を通してしか現れない、最初はアブラハムという個人に神が現れた、あくまでも個人を通して神が現れた、その人が予言者になった
それはイスラム教でもモハメッドが洞窟で神から啓示を受けた
仏教でもシャカは洞窟で一人悟りを開いたのである
だから宗教が集団化したり組織化したり団体化して集まることは本来の宗教ではない
キリストも二人三人いる所に私がいる・・と言った時たった二人三人なのである

だから現代の宗教は何か本来の宗教とは違ったものになった
集団示威行動することなど宗教ではありえないことだったのである
だから宗教もファシズム化する、ナチスと同じようになる
何百万人の信者が示威行動すれば恐怖である、それは神とか仏とか関係ない
その集団的示威行動によって社会に恐怖を与えて権力を得るためなのである
それで創価では都議会選挙で東京以外から応援を頼めないとして困っているというのもそうである、何か週刊誌ではいろいろ場所、理容院とかでもまわり投票を頼むとしているからである
創価は24時間360日選挙運動のためにある、それが権力を得ることに通じているからである
何に祈っているのかとなると権力を得るために日々祈っていると同じなのである
一人でも票を得れば権力を拡大することになるからだ

そういうことまで戒められたということはコロナウィルスが必ずしも悪いことばりに作用したともならない、何か現代文明自体への戒めともなっている
第一人間が一千万も集中している密になっていることは異常なことである
そこではとても人と人の接触を無くすことなどできないからだ
そういう文明都市こそもう限界であり分散して暮らすことをコロナウィルスで強いられことは悪いことではない、まず東京遷都が言われたがこれも簡単にはできない
よほどのことがないとできない、強制されなければできない
だから遷都の話しなど聞かなくなったのである

このコロナウィルスは現代文明に対する警告でもあったかもしれない、何かそういう作用が現実にあったからである
グロ−バル化社会とか経済はいい面もあっても悪い面も目立つようになり社会が変質してしまった、一見いいようでも何か本来の人間生活を逸脱したものにもなっていた
本来人間はやはりその土地に根付いてその土地にあるもので生活するのが自然の理にかなっているからだ、ただそれがグロ−バル化したということの影響が大きかった
日本にこれだけ森林があっても外材で活用されないとかあり不自然になったのである

コロナウィルス⇒ (地域性)(人種ー遺伝子)(文化)

こうして総合的にかかわるものだった、とにかくグロ−バル化を一時とめた
またオリッピックなどは一握りの利権者のためのものであり国民は賛同していなかった
それをこれまでこだわるのは後にひけない、利権集団がいてそうなる
大損失になるとしているからだ、電通とかマスコミでもそうである
それは原発でもマスコミは巨額の宣伝費を東電とか電事組合とから800億円とか流れていた、それで危険を報道しなかったのである
これは天の意志だ神意として停止させられたともなる
それは悪いことではない、人間は天の意志に神の意志に逆らうことはできない
何か津波でもコロナウィルスでも天意として神意として起きたともみる
それに人間は逆らうことはできない、いくら科学が発達してもワクチンができたとしてもそれで全部解決しないということもありうる

要するに現代文明社会を変えねばならない、それが神から強制されているのかもしれないコロナウィルス後の社会が世界が悪い方向にばかりゆくとは限らない
かえって行き過ぎたグロ−バル化の弊害を是正して新たな社会を構築するようになる
そういうことは人間の力ではできない、それでコロナウィルスが謎になる
恐竜が滅びたのは神意だった、それは神の意にそわないものだったから神が滅ぼしたのである、それと同じようなことが現代文明にもいえる
神の意にそなわないからコロナウィルスによって世界を変えさせるともなる


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2021年04月25日

金の流れで具体的に悪が可視化される (原発マネーの流れやその他でも・・・)

金の流れで具体的に悪が可視化される

(原発マネーの流れやその他でも・・・)

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社会を見る時、いろいろ方法があっても金の流れからみるのがわかりやすいのである
それで犯罪の操作でも金の流れをつかめとなる、どうしてその金を得て銀行にあづけたのかとかなる、それで強制的に銀行でも警察は調べることができる
ただ大金持ちになるとタックスヘイブンとかで金の流れをつかませない方法がある
そういう明るみに出したくない金がスイスの銀行とかに預けられいるというのもそうである
ただ普通は金というのはどういう金なのかわからないのである
ただ金がどういうふに入ってどういうふうに使われたかを知ると何か見えて来る
だから金の流れの可視化が必要になる、それは感染症を防ぐ時、感染した人が誰と接触したかを知るのと似ている
感染経路を追って感染しないように注意するとなる

相双リテックを例にすると

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こんなふうになる、清水建設を経由して相双リテックに流れた、その収入は主に社長とか幹部に流れた、それも億単位というから驚く
その金が今度は野球関係に流れた、タニマチとかありそこで銀座とかで遊興費として使われたとかある

そもそもなぜ野球と除染費用が関係あるのかと週刊誌で問うのもわかる
それでこれは何かオリンピックとも似ている
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なぜオリンピックがやめられないのか?

それには利権が深くかかわっている

何百億とかすでに施設でも関係者でも金を払っている、投資している
電通など介して巨額の金をすでにオリンピックに投資している
するとその投資費用を回収しなければならない、オリッピックを中止したら回収できない丸損になる、そんなことできない、だから政府に圧力をかけてやめないようにしている
なぜオリッピックがやめられないのかというとき何千億というまた巨額の金を投資している、そういう人達がいて会社も存在するからやめられない、オリッピックの意義とかなんとかはすでに関係ない、金の問題だけなのである

メルケル首相の脱原発宣言が出された直後、フランクフルトにある原発製造元,スウェーデンのバッテンフォール社がISDN条項を使ってドイツ政府を訴えたのだ
ドイツ政府の脱原発政策によってうちの原発が稼働停止されたら我々が投資した資金や
そこから得られたはずいの利益がパーになってしまうじゃないか

ISDNとは自由な貿易とか政府の干渉させないとかの条項なのだろう
これもオリッピックとにている、せっかく投資しても金を使ってもその見返りもなく利益がゼロとなるとどうしてくれるんだとなりドイツ政府まで訴えるとなる
会社にとって都合のいい法律だともなる

このように金の流れをみるとわかりやすいのである

福島民報でもそうである、創価から聖教新聞をたのまれて刷り金は創価から出る
すると何かそこで創価の批判はできない口止め料になっている
他の大新聞でも毎日新聞とかでもそうである、それは大企業の悪口を言わせないようにするのとにている、そういう大きな権力を持つ組織団体はそうしてマスコミに批判させないように抑える
それで相双リテックでも東北政経の雑誌の裏表紙に堂々と会社を知らしめている
このようにマスコミはもともと会社の宣伝費用で成り立っているとするとそういうものでありプロパガンダの役割りをしていた
だから東電を批判などしない、危険を知らせたりもしない、福島民報では県の出資が50%にも及ぶとしたらもう報道の自主性は奪われてしまっていたのだ
原発は県主導で行われていたからだ、だからその福島民報を所有している株主に逆らうことなどできないのである
そういうことが原発事故をまねいた一因にもなっていたのである

とにかくアメリカの政治は金で買われている、アメリカで金で買えないものがないというときそういう社会がアメリカであった
ウオール街の金が湯水のように政界に流れその見返りが確実にあるからそれをつづける
金で当選できるのがアメリカである、日本も戦後アメリカをまねたのだから当然金がすべての社会になっているということは同じなのである
多少アメリカのように極端ではないというだけかもしれないのだ

マスコミとかは既得権をもった権力ある集団組織と同じである、仲間である
だから批判しないのである、マスコミ同士でも批判しあわないのである
他社を批判しない、そこに何か暗黙の了解があり仲間意識がある
だから朝日新聞までが原発事故が起きた時東電から中国に招待されていたのである
それは報道するには巨大な装置が必要であり金が必要になるからだ
ただ報道というのを自分がしてみてわかることは意外は小規模でも実際できるのだと思った
だから個人がテレビ局になったyoutubeが生まれたのもわかる
それはそんなに金がかかるものではないからだ、でも手間は省けない、それで暇な人しかできないということはある

また取材も手間と金がかかることがあり簡単にできない、だからどうしてもそこにプロが必要になる、でも今までのマスコミ中心ではなく、個人的にも取材できるようになれば
報道の自由が促進する、ただ何かを知るにはまた権力が必要なのである
一個人だと相手にもされないからだ
三権分立があっても報道の分立はない、報道が民主主義になると需要になる
知らされなければ判断しようがない、しかし報道ということでは自由がない
NHKは権力をもっているがそこでも公正な報道をしていない、つまり報道の面では民主主義が機能していないのである
特に日本の報道の自由度は先進国と思えないほど低いのである
そこから今回のような原発事故の大きな原因にもなっていたのである

相双リテックの除染マネーの悪
もともと心が腐敗して福島県と地元が起こしたのが原発事故だった)
http://musubu.sblo.jp/article/188495224.html
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2021年04月05日

菅首相の家族のカルマ (それは国家にも反映されるから問題)


菅首相の家族のカルマ

(それは国家にも反映されるから問題)

日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”

叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。

 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる。(文中一部敬称略)

 『週刊現代』2021年4月3日号より

菅義偉の家のカルマがありこうなった、そのカルマが菅義偉が首相になったことで公となり国家にまで影響した、それが個々の家のカルマと違っていた
国家にまで影響したから国民にも影響したとなる
それだけ首相ともなると大きな責任が生じるからである
それで秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚が問題になった
小室圭という家系のカルマが天皇家に影響してくるからだ
好き同士でいいとかならなない問題があった、それ真子様の父親は今の妻と結婚する時自由恋愛を言っていた、それがまたカルマとなっていたのだ
父親が自由恋愛で結婚したのにその娘が自由恋愛で結婚するなということができないからだ、つまりそれも身から出た錆でありカルマだったとなる

何か人間はカルマを軽くみている、でもカルマは相当に怖いものなのである
ただカルマというときどんな家にもカルマがある、プラスとマイナスのカルマがある
自分自身でもなぜこんなに介護で苦しんだとなれば家のマイナスのカルマの結果としてそうなったと思う
家のカルマは長男と長女が一身にそのカルマを負うことになるからだ

家にはまた家風がありクセがあるというのもそうだろう
何かその家はケチな家風なのである、そのケチさはどうして生まれたのか?
それはやはり極端な貧困を親が経験してもうケチが極端になり何か人に与えることでもケチであり計算してする
そんな人が自分の介護している時に来たから最悪だったのである
それもやはり自分のカルマともなっていた、そんな家が商売して成功するだろうか?
もう一円でも損したくない人に与えたくないという家族だからである
ただその家に婿入りのようになったので夫はもともとそういう性質ではなくその家風に悪いクセを受け継いだともなる

そういう私の母の実家は不和分裂の家だった、だからその後に残された人も付き合いもなかったが簡単に分裂して絶交にもなった、それはすでにそうなっていたのだから当然だったともなる
何かそうしたカルマがあって簡単に切れたりしたのである
なにかしらこうして家でもカルマを背負っていてそれがいつか表面化する
なかなか表に現れないとわからないが60以降になると確実に現れる
苦しみとなって現れる、その清算が強いられるのである
そこにカルマの怖さがあるが苦しみとならない限り意識できないのである

カルマとは親とか先祖の借金なのかもしれない、借金だと具体的にカルマを意識しやすいのである、金は具体的カルマとなって示されるからである
ただ天皇でも王様とかは権力争いとかで血にぬらさた歴史をもっている
だからそのカルマは大きなのもともなり呪いともなる、何か必ずその権力を得るには人を殺したり犠牲が出るからである
毛沢東が文化大革命で敵対者を千万も殺したとかなりその呪いが支配者には必ずあった
だから地位ある者は大きなカルマを背負うことになる

人間は個々の家でもそうだが歴史とはこのカルマを積むことでありそのカルマを次代のものが背負わされることにもなる、ただそこにマイナスとプラスのカルマがある
日本の戦争で三百万人も死んだとしても戦後焼野原になっても日本はかえって高度成長したというのもそうである、かえって旧体制が既得権者が一掃されて焼野原から一から出直すことができたからそうなった
革命とは必ず既得権者を一掃することになるからだ、ビルマでもやはり軍人が大きな既得権者となっていたからその既得権者を倒すためには相当な血を流すことになる

歴史にもカルマの法則があてはまる、アメリカが衰退するというとき国には必ず栄枯盛衰がありアメリカという国にもカルマがありそれが苦しみとなって現れる
国が分裂して内乱状態になるとかなり衰退してゆく
アメリカは確かに日本に勝ったとしてもそれもカルマとなっていたのである
原爆を落とすようなことをしたことは本当に大きな人類的カルマを背負うことなになったのである
だから一番核に怯えているのはアメリカなのである、カルマとなれば本当にアメリカに核が撃ち込まれかもしれないからだ
それで小国の北朝鮮でも中国でもロシアでも恐れるのである
原爆を日本に落としたことでそれがカルマとなり現実化することを恐れているのである
カルマとは自分のしたことが自分にはねかえることだからである

首相ともなればそうした私的なことでも問題になる
それが国民全体にも影響する、不肖の息子がいてそこから電波利権の不正が起きていたからである、私的な家の問題が公的なものに影響してそうなった
ただどんな家でもそうしたカルマを背負っている、だからなかなか批判することもできない、ただ家のカルマが国のカルマともなることが問題なのである
ただこの世の権力ある地位につくこと自体が常に闇となるものがある
権力を得るために何か後ろめたいことをしているともなる
だから政治家という職業自体が何か胡散臭いものになる
そこはどこの国でも同じであり権力をめぐる争いが歴史でもあったからである
そこに必ず血が流され犠牲者がいて権力を得ているからそうなる
そういうカルマをくりかえしてきたのが人間だかららである
歴史もまたカルマをいるからである

posted by 老鶯 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月28日

需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代 (オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代

(オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


金余りで金の行き場がなく株が上がっている、またコロナウィルスの不安で貯金が増えている、普通だったら資本主義は金が余っていれば投資とかにまわる、設備投資とかにまわる、何かを開発することにも回る
ただ金を貯えても全体的に経済は成長しないし停滞してゆく
でも成熟した資本主義になると金余りになりバブルにもなる
余った金が投資先がないとバブルになる、今絵画が高く買われている時そうである
そういうことが前にもあったからだ
それはあくまでも投資ではなく投機となる
投資とは何かを育てることである、会社を成長させることである
技術を開発したり何か社会に役立つもの社会の需要に答えることである

でも今需要がなくなっているというときオリンピックでもそうだけど実際は国民の大方は望んでいない、特にコロナウィルスでやるべきで無いと見ている
何か国民がオリンピックしたいということで盛り上がらないのである
東京オリンピックは日本が戦後立ち直ったということでそれを世界に示すことで盛り上がった、そういうものが今はない
またリニアでもそれが新幹線のようにこれも国民が必要としているのか疑問である
新幹線で十分でありもっと早くすればいいとかなる
つまりそれほど需要がないのである、するとそこに国家予算並み馬鹿高い金を使うのは
無駄だともなる
かつての公共事業でもそうである、それは地方に仕事を与えるものであり土建業者が必要としていたのであり国民がそうとはなっていなかった
オリンピックでもリニアでも一部の利権団体や会社が必要としている
オリンピックなら電通とか電波利権をもっている会社が必要としている
コロナウィルスでこれだけ開催が困難なのにあえてしようとしているのはそういう利権団体が要求するからだとなる

原発でもそれが本当に必要なのかどうかわからなかった、ただこれも必要なのかというより何かアメリカの意向とか背後に利権がありそのために金が入るものがあり推進された
それは地元でもあった、実際に官僚でも政治家でもマスコミでも利権とかかわるものが
原発だったから推進されてきたとなる
電気がたりないというのも真実ではなかった、ただ電気の需要があることは確かでも別に他のもので石炭でも石油でもガスでも賄えることがあった
そもそもそんな危険なものを作ることを国民が本当に望んだかどうかはわからないのである

この辺の除染にしてもこれは誰のためなのか?6兆円とかがつぎこまれたがその効果があったのかとなるとわからない、その金は地元に回らずゼネコンに回った
地元でも暴利をむさぼった土建会社が逮捕されたりした
利権になる金になるというときそこに人がむらがりその利権を得るためだけに行動する
それが現代の利権団体民主主義である、それが本当に必要なものかどうかは深く検討されなけいのである
高度成長時代は道でも建物でもなんでもインフラが整備されていないから需要があり国民が望んだことだからそれは無駄なものではなかった

でも今は何か需要がないのに需要があると作り出してそこに莫大な金がつぎこまれる
ソーラーパネルにしてもそうである、一か月千円も電気料が上がるのはソーラーパネルは別に市場の原理で作られていない、税金がうわのせされて作られている
だからかえってそれは高くつくし景観も破壊されている
これも国民が本当に望むもなのかどうかわからない、ただそこで仕事をもたらすから地元ではいいとなったりまた空いた土地が耕作放棄地が増えたからそこで土地を活かすということでしているともなる
その需要はそうした利権に金になるものが必要だともなる

何か現代社会は文明は無駄なものを作りだすのである、そのエネルギーが膨大なものになる、過剰化社会になる、情報でもそうである、もう日々負いきれない天文学的な情報がインタ−ネットでもありそれに追われる
でも人間はそんな莫大な情報を消化できないのである
ただ問題は需要があり供給がある、経済はそれで回っている
コロナウィルスでテレワークとなれば家に籠るとなればそれに対しての需要が増えたから売れるものがある
需要というのは時代の変化によって変わってゆく、何か異変があっても変わってゆく
高度成長時代はみんな貧しいしモノもないから膨大な重要が生まれ校と成長したのであるその時はみんな必要だから需要があり供給もあって高度成長時代を築いたのである

でも何かバブルから30年とか失われ時代があり需要と供給が変化した
必要ないもののために需要もないのに作り出して湯水のように金を使う
それは確かにケインズ理論があるからそれが必要なこともある
でも本当に必要なものがあり需要があるところに金が回らないということもある
アンダークラスが一千万人とかいる時代にはそういう人達は食べることにも事欠いているそして通信費は連絡のために必需品となりそこに金がかかるから食費を節約しているという、それから月末になると必ず電気、水道,ガスが止められる人が多いのである
一方で莫大な金が無駄なことに費やされていることがある
この辺で原発事故の補償金でももめたが30キロからはずれても同じ市内なら簡単にそうして金はまわせて争うこともなかったのである
そういうことが怨恨となって絆とかも内部ではなくなった
それは南相馬市だけではない、放射線量で区切って補償金を払ったから他でも骨肉の遺産争いのようになった

つまり今の世の中は肝心なことに金を使われない、モノ余りでも金余りでもそれがもうアンダークラスに回らない、その格差もさらに大きくなる
そうして国としての一体感もなくなってきている
それで犯罪も増えてきて治安も悪くなる、北朝鮮では貧困化して・・でも残酷な犯罪が頻発しているということもそうである
つまり今の需要はオリンピックとかリニアとかではない、原発でもなかった
なんらか最低辺層を押し上げる経済政策が必要だとなる、そこに一番需要かあるからだ

まずすべての技術開発も必要はない、空飛ぶ車なども必要ない、なぜなら空すら今のように車でも飛んで騒音となったり第一空を車が飛んでいたら落ち着かないだろう
それは明らかにまた公害にもなる、静かな環境を破壊するものとなる
つまりすべての技術開発は必要がない、何かすべて技術開発はバラ色の世界を作るとイメージさせる、それは実際は実現しないとしても実現するように妄想させるのが科学技術社会なのである
それで老子の思想に共鳴する、必要でないものを作りすぎることを2000年前に言っていたからである、鍬さえいらないともてたからである
その道具によって損なわれるものがあったからである、それはすでに2000年前に指摘されたことだったのである
そして無用の用を説いたこともそうである、無用の木の例えでもそうである
何か本当にただ無駄なことに莫大なエネルギー費やすだけならいい、それが公害となり人間を苦しめるものとなるから問題なのである


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2021年03月26日

歌会始めが行われる (桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)


歌会始めが行われる

(桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)

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この衣服は美が演出されている 橙色が映えるように演出されている?

天皇陛下

人々の願ひと努力が実を結び平(たひ)らけき世の到(いた)るを祈る


平けき世を願うと天皇の御歌ひびきぬ花も咲きしも

御殿(みあらかに)歌会始めうち集い新たな芽吹き年は変わりぬ

御殿(みあらか)に天皇言祝ぐ花の咲き紫の屏風映えにけるかな

休みしし御殿の内天皇の平和を願ふ花の影かな


「やすみしし わご大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 荒栲(あらたへ)の 藤原がうへに 食(を)す国(くに)を 見(め)し給はむと 都宮(みあらか)は 高知らさむと 神(かむ)ながら 思ほすなべに 

みあらかの意味はあらわれる、あきらかにするとかでありその場が御殿(みあらか)になった
天皇とはすべる統治る人であるスメラギその意味である

歌会始めは一月に行われる行事だったがコロナウィルスで三月になった
でも皇居に桜がはやくも咲いていた、今年は桜の咲くのが早い東京ではすでに満開である皇居の行事は一つの日本の文化の継承の場である
だから歌会始めの歴史も古いのである
天皇があって日本の歴史があるごとく古いとなる

何か天皇家というのは日本の文化の継承者でありそれを担っている
それで映された映像を見ると背後の紫の屏風はまさに高貴なるものの色である
それからもしかしたら天皇と后の服の色は演出されているのかもしれない
ただあの赤は真っ赤とも違うこれも高貴な赤なのか?
橙色の一種なのか、二人の赤は違っている
でも色彩的に絵のように映えている、美が演出されているとも見る
つまり御殿(みあらか)にふさわしいものとして演出されたとも見る
あの御召し物の色は何か違っているからだ

とにかく短歌は日本古来の伝統の文化であり皇室と密接に結びついている
短歌は朗々と歌うものだった、それが歌会始めで再現される
俳句だと歌うということはないからだ
新しい天皇が即位したときも皇居に秋の虹がかかった
それも不思議だったし皇居は一つの日本的な美的な場としてある
ただこれも京都の方が歴史があるし映える
もともと江戸城内はそういう場ではなかったからである
だから天皇は京都に住むのがふさわしいのである
政治的象徴としてもあるが日本の文化的象徴としてもあるからそうなると京都がふさわしいのである

今や天皇制がつづくのかどうかが言われる、時代にあわないともなる
明治維新で天皇をもちあげて薩摩長州が官軍となり明治政府を作ったことである
靖国神社にしても薩摩長州の官軍を祭っているのであり西郷隆盛は祀られていない
会津でも祀られていない、賊軍になったからである
それがまた継続していて太平洋戦争で死んだ英霊を祭っている
これも何かそぐわないのである、日本が世界史に参入したのが明治以降である
そうなると日本の神が天皇が世界の普遍性と合わなかったのである
また元号でも意味あるとしても世界化グローバル化すると合わなくなる
何事も世界史の中で位置づけられ価値づけられる時代になったからである
ただ短歌を作っているとその総元締めは天皇家だともなる
私自身も短歌を作っているからそれで文化の継承として日本の伝統を受け継ぐ者としてあることを自覚するのである

でも時代が変わるということはさけられない
これまで戦前までは農業が中心となっているからお題でも

田家煙
田家雪
田家朝
漁村曙
農村新年  

農村のことをテーマにしていた、今ならそういうことはない、東京には第一田家など診ないからである、ビルと人家に埋め尽くされているからである
そこには田んぼも畑もないからである
天皇とはやがて日本の文化的象徴としては残るが政治的象徴としては消えてゆくのではないか?グロ−バル化したとき合わなくなったのである 
元号だって何か合わない、元号の意味が何か現代に合わないのである
たた美的なものとしては伝統としては残る
何か日本の絵巻物のような歴史を再現しているからである

歌とは訴えるの意味であり歌を通じて庶民でも訴えていたのである、それは万葉集の時代までであった
平安時代になると貴族の歌にな庶民の歌は消えた、訴えることがなくなったともなる
だから万葉集の意義は大きいとなるが古今集は貴族の歌を集めたモでありもうそこには階級化して庶民は訴えることもできなくなったということになる

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2021年03月23日

鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す (そこは車が増えて接触事故が多い)


鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す

(そこは車が増えて接触事故が多い)


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小学校への地下道

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予定されていた道


すぐ近くの鹿島駅からの鹿島小学校へ行く踏切は狭く車が震災以後多くなり何回か接触事故を見たし自転車でぶつかるのもみた、やっとすれ違う幅しかないからだ
それで土木課の人が来てそこを見ていた
それで私は説明した

なぜすぐ近くにトンネルを造る工事をしたのに止めたのか?

そこは30年前とかこの辺か区画整理して住宅地とした場所だった、新しく家が建ちそれでまっすぐな道を作りトンネルを作る予定だったのである
でもそのトンネルは作られなかった、その理由はわからない
その時は今のように車が通らなかった
最近必ず小学校へ子供を車にのせてここを通る、それも震災以後鹿島に住んだ人が増えたからである、踏切に行く真っすぐな道はほとんど車が通らなかった

そしてそれは昼間でも通っている、土木課の人は昼間に来て見ていたからである
ひっきりなしに車か通っていた
何か土木課の人はその踏切の道路を広げればいいとか言っていた
確かにそれなら簡単かもしれない、でもJRがすることになるから交渉が必要になる
この工事が楽だとしてもやはり相当な金がかかるからだ

ただ鉄道の問題は鉄道だけの問題ではない、街全体とかかわっている
それで駅の外の立派なトイレは市で設置したものである
それを毎日障害者グループのアサガオの人が掃除している
そその費用も市で払っている、それから高校生の見守り役を駅に配置したがこれも市で金を払っている、でも駅の業務はしないということでJRと交渉して契約して決めたのであるまた駅の掃除は商工会でもしている、それはJRで金を払っているのである

このように市とJRは協力しないとできないのである、ただここでは自転車と車が接触してぶつかったりまた車同士が混んでぶつかったのを見ている
大きな事故にはならないがそういう事故は起きやすいのである

そしてそこから六号線に出る地下通路は都会並みに立派であり実際利用しているのは通学する小学生だけなのである
わざわざ地下通路を行かないで自転車でも横断道路で信号待ちしているからである
だから前からあれは無駄だと思った、何も高架橋でも作れば安くできた
あれは相当な金を使った大工事だったからである

何か公共事業には前から言われていたが無駄が多い、それは市民にとって必要なものだからしているとは限らない、建設土木会社に仕事を与えるためにしているというのもある
それで無駄でもそうするのである
オリンピックでもゼネコンのために仕事を与えるためともなり除染の莫大な費用も除染が必ずしも必要でもなくても6兆円とか途方もない金が使われたのである
それがとても全部有効だったとは思えないのである
そこで地元でも暴利をむさぼる会社がいて逮捕までされたのである
それからリニアなども今やそういうものが本当に必要なのかとどうかもわからない
それより原発だってそうである、それが本当に必要なものかどうかわからないものだったのである

結局高度成長のときは道路でも建物でもインフラ整備が不可欠だったのである
それが過剰になった結果仕事がなくなり地方に公共事業を与えるともなった
そこで大きな無駄が生まれたのである、過剰投資が生まれた
そしてそういう無駄なものに金を使う結果となり金が有効に回らなくなったのである
ただこういうことは本当に地元でないとわからない
南相馬市だったて広いのだからその狭い地域で暮らしているからそこに住んでいる人しかわからないことなのである

ただ車を利用する人はここは狭くて混んで嫌だなという自覚はする
でも利用しない人はわからないのである、こういうことが本当に多い
鉄道の駅が無人駅化する、でもそれに抗議もしないのは利用する人が少ないからである
車ばかり利用して電車の乗り方さえわからなくなった人が多いからである
そうなると別に無人駅化しても関係ないとなり無関心だからそうなる
またそれだけの費用をJRでは乗客が減ってかけられないからそうなる
ただ鉄道は鉄道だけではない全体とかかわるからこういう問題が起きて来る



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2021年03月19日

医者と貧乏な患者の対話 (コロナウィルスの解決のヒント)


医者と貧乏な患者の対話

(コロナウィルスの解決のヒント)


私は医者に行くと栄養とれと良く言われんです

今回も何かふらふらして貧血気味なんです

鉄分が不足しているから栄養とりなさい

そうしきりいわれるんです

でも金がないから栄養とれないんです

果物を食べろと言っても果物は高いから食べられないんんです


コロナウィルスでは医者や科学者や専門家が危険だ危険だというけど
でも毎日生活する人にとっては店を閉めたりしたら食べて行けなくなる
専門家が科学者が危険だとしても生活のために店をしめる訳にはいかないです

ここでも医者は栄養とれといってもその栄養をとる金を与えてくれないのです
医者はその人の経済状態を見ないのです
体だけをみているだけです、その生活をどうしているのかは見ないのです

金がなくて栄養がとれないのです、その金を医者与えてくれない、むしろ金を与えねばならない、だからこれは医者だけでは解決しない問題なのです

コロナウィルスの危険を優先か

日々食べるための生活が優先か

この二つのことで迷っている、医者は栄養をとれというけどその栄養をとる金がない
でも医者は金を与えてはくれないのです
ここに医者だけでは病気を治せないということにもなる

コロナウィルスが先か、経済が先か

栄養をとれというけどまず経済が成り立たないと金がないと体も治せない、もたないのである
栄養をとることによって免疫力がつく、医者にみてもらってワクチンとか感染対策してもやはり栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なんです
ところがその肝心の抵抗力をつける、免疫力をつける金がないのです
その金は医者は払ってくれないのです

コロナウィルスを怖いにしても日々の生活で栄養がとれないほど貧乏だとそのことでコロナウィルスに抵抗力をもてない、免疫力をもてないことが問題なのだとなる
ワクチンでもきくどうかほからない、それより栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なのです
今日本では貧困化その肝心の栄養をとれない人が多くなっている
するとコロナウィルスのワクチンより貧乏になっているために栄養がとれず抵抗力が免疫力がつけられない方が問題となるのです

日本人が貧困化していることこれがコロナウィルスにしろ何にしろ抵抗力がなくなり日本全体が弱体化してゆくこになっている、実際そうなっている
だからコロナウィルスの問題はそれ自体をなくすことより抵抗力をつける栄養をとる金の問題の方が大きいともなる
そもそも栄養がとれなかったらコロナウィルスにも負けてしまうからです
日本の貧困化の方がコロナウィルス問題より深刻な問題だとなるのです

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2021年03月15日

科学技術と社会政治の問題 (原発事故とコロナウィルスの対処の類似)


科学技術と社会政治の問題

(原発事故とコロナウィルスの対処の類似)

コロナウィルスで起きていることは原発事故とも似ていた
それは科学技術社会で起きたことだから共通性がある
違っていたのは放射線は放射性物質から出てきてそれは人間が人工的に作りだした毒だった、ウィルスは人工的に作ったという説もあるが自然界から生まれたものであり
それで人類はこのウィルスと共存しなければならないとしている
異物だからと排除できないとしている

原発事故でもその対応がいろいろ言われた、まず科学者が専門家がしきる、政治家はそれに従うとなる構図になる、だから30キロ圏内は避難させたのである
そして30キロ内は手厚い補償があった、今でも医療費が無料でありそれもあと4カ月くらい延長されたのである
補償金でも30キロ内は三倍もらった、30キロからはずれるともらえないのである
それで南相馬市では鹿島区はもらったにしても少なかった
医療費は半年で打ち切られたのである
高速も最近無料にしたが遅かったとなる

なぜ30キロで区切ったかというとそこまでは補償しますよという政府が決めたからであるそれは政府によって都合のいいものだったからである
30キロ内は補償してもあとは補償しなくてもいいからである
コロナウィルスでも飲食店では一日六万とか保障してレクサスを買ったとかあるからここと同じだったのである、商店街全体の被害があったのに飲食店だけ優遇されたとなるからだ、必ずこうして不公平になってくる
それで全体が分断されてしまうのである

科学者(専門家)の判断は絶対ではない

何か科学者がすべてを知っているように科学技術社会ではなってしまう
それでお医者様を神のようにあがめるとまでなる、でも医者自体が人間の体を全部知っているわけでもない、本質的には治せないという優秀な医者も言っている
だから放射線被害にしてもどこまで影響があるのかわからないということがあった
ただ危険を言うのはあとで被害が出てた時、病気が出たとき責任を言われるからだともなる
今回のコロナウィルスでも危険だとしていれば後で被害が大きくなっても責任を問われないということがある
それで厳しく言うということがある、責任を問われるのが嫌だからそうしている

ただ30キロ内を避難させたのは最終的には科学者(専門家)ではない、政治的判断したのは政治家なのである、今回でも専門家の意見を聞いても判断できるのは政治家である
その判断が定まらないのはコロナウィルスがどういうものでどう対処していいかわからないからそうなる、未知なものだからそうなる
コロナウィルスは専門家がいろいろ言っても実際は専門家すらわからないのである
そのわからないものにどう対処していいかわからないとなる
ワクチンさえ実際はきかない、きいたことも過去にないという学者もいるからだ
放射線被害もどう出るかわからないものである
その判断が十年後とか二十年後とか三十年後にガンになるとか言われてもそれもわからないのである

ただ共通しているのはコロナウィルスの過剰な恐怖によって社会が崩壊するという危険である、すでに自殺者が増えているとか困窮者が増えているとかになる
それは原発事故でも起きた、町や村が崩壊したからである、それは過剰な放射線被害を恐れたからだともなる
なぜなら小高区など避難区域になったがここはそれほど放射線量が高くなかったのであるだからここを避難させたのは失敗だったともみる
避難させて仮設住宅に移り住んだときそれが3年以内くらいなら復興できたかもしれないそれが5年になり長くなった、他ではさらに長くなった結果町に村に帰る人が激減した
多額の補償金をもらった結果としてかえってそれが外に出る決意させることになった
その金で仙台市とかに移り住んだ人が結構いるし仙台市は津浪の被害者でも移り住む人が多かった、それは前から仙台市に住みたいという人が多かったからこのさいと移り住んだのである、それで仙台市が一人勝ちになったとされる

南相馬市で小高区は避難させるべきでなかった、放射線被害を過度に恐れてそうなったのである、それは科学者(専門家)が30キロ内は危険だとして言っていたが現実に小高区は放射線量は低かったのであり被害になるとも見えなかったのである
結果的に町に帰る人は老人だけであり復興はなくなった
次代をになうものがいないからそういう町の未来があるのかとなる

つまりこの原発事故の教訓を知りコロナウィルスにも対処すべきだとなる

科学者(専門家)がすべてを知るわけではない!

科学者にすべての判断をゆだねるべきではない

ただ政治家にしてもその折り合いをどうつけるかがむずかしい
でもあまりにも恐れる結果として原発事故の場合は町や村が崩壊した
その被害の方が甚大だったともなる、多少放射線被害の人がでていても町や村を維持することが大事だったともなる
社会生活ができなくなるような厳しい措置をした結果として自治体が崩壊する被害の方が大きいとなる
ただ今回は日本だけではない、世界中だから逃れる場所はない、避難もできないから都市封鎖になる、その相違があるにしても科学者(専門家)が全面にでて政治家がどう判断するのか折り合いをつけるのかで悩む
ただ科学者(専門家)の判断がすべてではない、コロナウィルスについては未知でありわからないからである、科学者自体が憶測で言っているともるからだ
ワクチンでも歴史的に考察して効かないという学者もいるかだ
だから原発事故の教訓として社会を自治体を崩壊させるようなことは避けるべきだとなるただこの判断は本当にむずかしい、あとでコロナウィルスが蔓延したら責任を問われるからである、ただ原発事故が教訓になることは確かである


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2021年03月06日

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も (原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)


1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

(原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)

元の商店街関係者からは、飲食店には手厚い補償がなされるのに、衣料品店や雑貨店への補償がないのはおかしいと声が上がり、にわかにバブルに湧く飲食店経営者に「商店街の運営費用を渡せ」という主張する人もいる。飲食店主とそれ以外の商店主の間に軋轢が発生し、長く続いてきた人間関係が崩壊したという例もある

飲食店は良い思いをしてきたと攻撃される可能性もあるし、商店街では白い目で見られるかもしれない。以前のように堂々と元気に営業できるのか、

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

これも原発事故でこの辺が補償金でもめたのと同じだった
本当に30キロ以内は政府の補償が手厚かったのである
10年間医療費無料、高速無料だった、でも同じ相馬市でも鹿島区は30キロからはずれた地域では半年で医療費無料はなくなり高速はもともと無料でなかった
そして10年過ぎても医療費無料が延長されるとか聞いた
このために南相馬市は分断された、ただ補償金ではどこでももめたのである
必ず多くもらえる人たちとそうでない人たちがいるからだ
それで親戚同士でも口を利かなくなったというのも聞いた

つまりコロナウィルスでもこうして補償金によって商店街でも一体感がなくなり分断されるのである
飲食店だけが被害ではない、それに関連する業者も被害を受けている
なせ飲食店にだけ手厚いのかとなる
そのあとでも心が分断されて協力できないとまでなっている
原発事故の補償金ではそうなった、市町村が分断されてしまったのである

そして必ずしも補償金がいい方向に働かないのである

飲食店はいい思いした

こういうことがその後の生活にかなり影響する、一日6万もらった人と全然もらえない人の差が大きすぎるからである、この辺でも30キロ内は手厚い、でもそれ意外わずかでありもう同じ放射線量でも全然もらえない地域もある
そのために一体感が消失する、だから人間社会はなんでも金で解決できるとはならない

何かとにかくこのコロナウィルスの不思議は原発事故と同じようなことが起きていることである

放射能がうつるから来るな!

こういういじめが原発事故の避難者にあった、今回も東京からコロナウィルスがうつるから来るなとなった
これもカルマなのかとなる、カルマとは人にした行為がまた同じ行為となって返ってくるということである
人を苦しめたものはやはり同じ苦しみを受ける、それがコロナウィルスでも起きている
特に東京中心に起きている

だから個々人にもカルマがあり社会自体にもカルマの法則があてはまる
人間は繰り返し感染症では苦しんできた歴史があり津浪でもそうである
それで昔の人の苦しみを身をもって知るようになる
そして補償金でももらえる人はもらえない人のことを思わないのである
何かその補償金でレクサスを買ってまた家族で旅行とか遊んでいるというのもそうであるそれはこの辺でも補償金でそういうことが起きたからである
それで車を傷つけられたとか聞いたからである
周りの人がどう思っているか考慮しないのである

そして原発避難者は外部からかわいそうだと援助がつづいたのである
仮設住宅には毎日ボランティアが来ていた、でも周りの人は関係ないのである
原発避難者様になってしまったのである
すると俺たちは被害者であり援助されるべきだとなる、同じ市内でも特別なものとして扱われる、つまり俺たちは何もしなくても助けられるべきだとなり自助努力をしなくなるということもあった、ただ遊んでいた人いたからである

とにかくコロナウィルスが終息してもその後遺症はこうして残る
何かみんな苦しんだから一致協力するということもないのである
かえって協力できなくなさせたのが補償金でもあった
だからこの世の中のことがすべて金で解決するということはない
かえって金によって人の心は分断される、兄弟でも遺産争いとなり骨肉の争いとなる
だからもしかしたら安易に金を与えるということは問題なのかもしれない
実際に原発避難区域では多額の補償金をもらった結果若い世代はみんな外にでて家を建て帰ってこなくなったからである
それはそれだけの補償金をもらったためにそうなったからである
そうしてしそれはもう修復できなくなったからである

いづれにしろ人間公平に対処することはできない、必ず不平等になり不満な人がでてくるそれで一体感が消失して心でも分断される、すべて金で解決しようとしてもできない
そこに人間の心の問題がありできない

ただみんなで商店街で協力して助け合い乗り切ろう

こういう気持ちになるとまた違ったものになっていた
それは原発事故の被害地域でもそうだったのである、補償金でかえって人間の心はばらばらになり家族もばらばらになった、それでインフラとかは整備したが肝心の人間の心は分断されてずたずたにされて復興できなくなったのである

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2021年02月21日

文系大学学部廃止論はなぜ (原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


文系大学学部廃止論はなぜ

(原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


コロナ禍で加速する「理系専門家の教祖化」にダマされてはいけない
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffec6ff44a23a7b952ea6d33e3017bce6c47602b


原発事故でもそうだった、放射線量が常に言われた、それは数字なのである
それで武田邦彦氏が年間一ミリシーベルを主張したとき一ミリシーベル男として批判された、つまりすべてが数字で計られる世界が理系である、だから数学がその基礎にある
コロナウィルスではやはり感染者数が毎日発表されてその数字に一喜一哀する
これは共通している、感染者数とかですべてが判断される世界では共通している
でもその数字がごまかされていることもあった
モニタリングポストの放射線量は低くされていた、その下の土を掘って捨てて設置されていた、だからその周りを計ると倍とかなっていた
それは自分で計ったからわかった、自分は文系だけど放射線量を計る機械があり理系でなくても計ることができたのである

文明が生まれたのは数量化すること数値化することである、それで麦の生産高を計る書記が神の様な力をもつようになった、それは官僚が今ではそうである
国の仕事は税金をとりそれを配分することである、それで財務省が一番力をもっている
学者でも予算を出すのはその財務省なのである
その研究が有効なのか価値があるのかを判定するのは研究者ではなく政府てあり官僚なのである
だから科学者が力をもっているようでも実際はその上に政府とか官僚とかがいる
するとその人たちは文系が比較的多い、すると理系より文系が上になるのかとなる

何か似ているのはいろいろな物つくりとか何か作り出すものが理系だとする
でもその理系が経営者として適しているかというと必ずしも適していない
経営者となると社会全体を相手にするし人を雇いモチベーションを与えるとか何かモラルとかとも関係して来る
経営者になるとまた人間そのものも問題にされる、人を使うことは機械やロボットを使うのと違うから複雑になる、それで会社でも必ず派閥争いがある
それは政治の世界でもそうである、つまり何か泥臭い人間の世界である
物を分析したり機械をロボットを作ったりするのとは違った生々しい人間の戦いがある

その人は理系である、一級の免許も持っている、でも技術者として雇われるているときは問題なかった、優秀とされた
でも経営者になったとき事業に失敗した、経営者になることは機械とかばかりに接しているのとも違う、様々な人と交渉したり営業をすることにもなる
それはまた商売にもなる、でもその人は営業とか商売の面で失敗したとなる
それは技術者というだけではない、人間相手でありそれでうまくいかなくなった
他の人でも社長になった人が仲間に裏切られて事業に失敗して原発事故の作業員としてここに来た、そういう人が事業に失敗したような人が原発事故以後かなり来ていたのである経営者になるとそうして人をまとめるということもしないとうまくいかない
利益配分などでももめる、それは戦国時代の殿様とかにもあてはまる
人を指導するとかなると機械だけに接しているのとは相当に違った世界だからである
それで経営者は文系も多いとなるし政治家でも文系が多い

何かどうしても上に立つ人でもただ自分の利益と出世とか地位とかばかり求める人に人はついてゆくのか?それが疑問なのである
その人は経営者だけど他人のために荷物一つを持つことも嫌がっていた
その人はただ経営者となり社長となり偉いとして世間に示すことで経営をはじめたともなる、自分は技術者として優秀だからはじめたが経営者になることは違ったものだった
経営者とは社会のためになることを必要なことを見出して援助することにもなる
そういう謙虚な心も必要である、経営者の人間性も問われる
あんな社長とは一緒にやっていられないというときそうである
その人間性まで問われているのである
雇い人を奴隷のように思っている人がはたして経営者になれるのかとなる
ただそういうことを実行すると雇う人が雇われる人と変わりなくなる
自分自身がそうなったことでもわかる、雇われる人が次々に要求して来る
そうなると自分自身が雇われるていると同じになる

そもそもなぜシャカであれキリストであれ社会の指導者になったのか?

その人は何か理系の専門家だったのか、その人たちがなぜ社会を導くものとしてありえたのか、それはモラルの模範としてあったからだとなる
何か理系として技術者として優れていたからではない、モラルの模範としてありそれが社会を導くものとして歴史的に重要なものとしたのである
モーゼの十戒とかでもそうである、それは法律にもなった
だから法学部とかが検察とか他でも上に立つのが現代だとなる
社会の規範として重んじられたのである

江戸時代はその模範となっていたのが侍だったとしている
でも侍は貧乏だった、庶民と変わらず貧乏だったのである、でも敬われていたのはモラルを示す模範としてあったからである
モラルの模範となる人は自己の欲ばかり追及する人では困るのである
それでシャカは洞窟で悟りを開き何ももっていない、家も家族もなかったのである
キリストも同じである、枕することなしであり寝る場所すらなかったのである
でもそういう人を社会の模範としたのは人間にとってモラルが一番大事だからそうなったそれでヨ−ロッパの大学では神学部と法学部と医学部しかなかった
そこから大学がはじまった、神学部はまさに宗教でありモラルである
法学部もモラルと深く関係している、医学部は今の理系だとなる

原発事故がなぜ起きたかを追求して来たけどそこにもモラルが関係していた
そもそも嘘ついていたからである、「安全神話」などありえないのに権力によって作られたからだ、嘘ついていたということである
もしそれでも安全のために尽力していたらいいとなるが安全のためのコストを省くために安全神話を作った、事故が起こらないとなれば安全のために努力する必要もないからだ
現実にはコストをかけないためにそうしたのである

一旦高い場所に作るのもわざわざ削って低くして作った

十数メートルの津波が来ると科学者が警告していたのに備えなかった

それはコストがかかるからしなかったのである、もしそういう安全の備えをしていたら
責められない、でもただ「安全神話」を作り肝心の安全計ることはせずコストを減らして利益をあげるためにそうしていたのである
不可抗力だとするが津波でも備えなかった、それは金がかかるからしなかったのである
そういう備えもしないのにただ「安全神話」のみ主張されたのである
そして一挙に崩壊したのである
日本のように地震が頻発するような国土に必要なのかとかも議論されない
アメリカでは西海岸には最初原発は作らなかった、地震があり東の方に作っていたのである、アメリカには竜巻がありそれで電源を地下に設置した
それを日本でまねたのも日本がの風土を地震や津波を考慮しなかったからである
でも科学者が十数年後に津波か来ると警告していた、でもまもらなかったのである
それは一見技術的問題のようにで理系の技術者の問題のようで根本的にモラルの問題だった、嘘をつくなという簡単なことを守れ無かったのである
それが御用学者は百万年に一回くらいしか起こる確率がないと言っていたのもそうである専門家がコロナウィルスでも40万人が死ぬとか科学的合理的でない判断をする

核の問題でもそもそも核が人間に必要なのもかどうか?
それが議論されただろうか、そんな危険なものそのものを作るべきではないということも主張されても良かった、でも科学技術は何であれ是認されるのである
そんな危険なものを作ってそれが武器になったらどうするのか
それが広島長崎の原爆となり現実化したからである

そして武田邦彦氏が言うには機械とか物質の研究ばかりしている人は頭が冷たくなるという、それもやはり本人が理系の研究者であり学者だからそう感じたからだろう
つまり人間の情を失うから頭が冷たくなるとなる、もし感情が豊かで愛とか情愛でもそうはならない、心が良心にはじなければそうはならないのである
そして現代は知、情、意があるとき知が巨大化して頭でっかちになり情が喪失した時代である、機械マニアのような人もは必要である
ただそうなると情を失う冷たい人間になる、人間を人間とみない、物体とみて医者なら研究材料にさえみる、現実にそういうことがあったからだ
それで昔せ馬で曲がり屋とかで家の中で飼って一緒に暮らしていた
動物と接することは情が育まれる、機械と違って動物には情が通じるからである
だからペットブームにもなる、現代の社会が情が枯渇しているからそうなったのである

機械化ロボット化数字化がグロ−バルになる、無人駅も増える、何でも機械化ロボット化数字化数値化して計られる、そこにはもう生きた血の通う人間はいなくなる
病院でも機械に囲まれロボットに囲まれて情なき世界で死んでゆく
一つの物体数字として処理される、非人間的世界である、そういう社会がナチスを産んだというのもわかる、人間が人間ともならない、ただ大衆であり群衆であり数字となる

病院で議員すら番号で呼ばれたということに怒ったというのもわかる
つまり人間はもう数字であり番号なのである、選挙なども非人間的なものでありただ数として人間を処理しているだけである、数がどれだけ集めるかが問題になるだけである
それは規模が大きくなりすぎたからそうなる、ギリシャのボリスはせいぜい一万であり
直接投票である、その規模があまりにも違っているのである
だからもう選挙自体機能していないのである

ロボットに機械には情がもてない!

これが致命的なのである、ロボットには感情がもてない、
感情がもてないというとき限りなく悪魔のようにも人間の大量殺戮にもなる
またロボットには愛情ももてないし良心もてないし善悪もない、だからロボットがAIにでも支配されると
冷酷に人間を殺戮することにもなる、そこで良心の呵責とかも感じないからである
そういう恐ろしいSFのような世界が生まれるかもしれない、そして人類は滅亡するとかもありうるのである、科学技術にはそうした恐ろしい危険なものも潜んでいるのである

不思議なのは認知症の人が人間でなくなったのが知能が低下して馬鹿になって人間でなくなったのか?
そのことを介護して考えた、でも感情はある、悲しいかうれしいとか感じる、そして愛も感じる
介護する人が冷たい人とかも感じる、だから感情的なものは通じている、すると知的に低下したが感情は正常であるから人間だとも見るようになょた、そして最後はそのことをわかっていて感謝して死んだのである

明治以降富国強兵で武器を作るために理系が優遇されて研究所ができて国の予算がを与えられた、戦後は高度成長時代になりやはり理系中心主義となった
グロ−バル化で技術競争に勝たねば日本は凋落するということでそうなった
それで文系大学廃止論がでてきたのである
戦争でも理系の学生は学徒動員されなかった、それと同じように文系廃止論がでている
確かに文系は遊びだというのも本当である、別に大学に行かなくても文系だったら勉強できるからである、だからそこに金を投入するのは無駄だとなる

でもコンピュターとかインタ−ネットにITに技術が変化した、これは何か今までのバードな機械とは違うのである、人間の知的なもの頭脳とか関係してくる今までにない技術である、機械翻訳でもそうなように人間の知的な頭脳的なものをアシストして人間の頭脳の代わりをしてくれるのである、こういうものは今までありえないものだった
それでAIの開発が進むと本当に人間の頭脳にもなる、それも人間より優秀なものともなる膨大な情報処理ができるからだ、それで将棋でも膨大な譜面を記憶して対抗できるから
プロの棋士に勝ったのである、でもAIが万能というと万能にはならない
その癖を読み取り弱点を見出して引き分けにしたという、つまり人間の知で対抗できたともなる

ITの世界はハードな物つくりとかの世界とは違う、人間の頭脳とも心とも関係して来る
だからこれは必ずしも理系のものではない、物つくりは機械は理系のものである
でもコンピュターとかインタ−ネットは理系だけのものではない、プログラムを作るのはそうかもしれないがそれを利用するのは文系とも深く関係している
それで私自身がインタ−ネットでまたソフトで膨大な写真とかを変形して作っている抽象画がそうなのである、全然絵の才能がないのに創作しているという不思議である
またコンピュターを使って小説まで作ったというのもそうである

なぜそれができるのかというと膨大な情報にアクセスしてそれを組み立てると創作品になるからだ、私自身が抽象画を作っているのとも似ている
知識でももう天文学のような知識にグロ−バルに拡大した
するとその膨大な知識から結びつけるとか編集するとかするとそれがまた独自の創作品のようになるのである
ただコンピュターが俳句とか短歌を作れないということはやはりコンピュターの限界だとなる
何か科学技術には無限の可能性があり宗教にもなったのが現代である
ただそうみせかけるのでありそうはならないのである、むしろどこかで原発事故とかなにか大きな挫折がくる
それが核戦争のように人類絶滅ともなりうる恐ろしいものである、そういう警告もあり科学技術万能理系のみ必要だというのは問題がある

bunkeiuni1.jpg
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2021年02月10日

医療・介護などで問題が噴出する「2025年問題」


医療・介護などで問題が噴出する「2025年問題」

2025年は後期高齢者(75歳以上)が急増するターニングポイント
「2025年問題」とは、戦後すぐの第一次ベビーブーム(1947年〜1949年)の時に生まれた、いわゆる"団塊の世代"が後期高齢者(75歳)の年齢に達し、医療や介護などの社会保障費の急増が懸念される問題を指します。

1947年から1949年に生まれた第一次ベビーブーム世代が、2015年の段階で65歳を超えている日本。この3年間に生まれたいわゆる団塊の世代と言われる約800万人の人々が、徐々に介護サービスを必要としてきています。

現に、要介護・要支援認定者数は2000年には218万人だったのが2017年には622万人と、ここ十数年で約3倍になっています。団塊の世代の高齢化によって、介護を必要とする高齢者が、今後さらに増加することは必至。


これも相当に深刻になる、実例では父親が介護になり南相馬市では今介護士が不足してみれない、それで青森の施設に送られている、青森では仕事がないので引き受けている
でせそこでも後から備品とかの請求が来て金は要求されている
それを払っているのが40代後半の独身の息子である
その息子が今は病気になり一か月入院したりしている、建築関係の肉体労働者である
その母親は70才でも金もなく体が弱っている、普通の人より弱っている
その母親も金がない、その負担が息子にかかっている
もう一人息子がいてもその人は縁切り状態になっていてかかわらないのである
おそらく母親でも金をせびられたり負担になるからかかわらないようにした

この状態は自分自身で体験したのと似ていると思った
私も二人の親の介護状態になり助けもなく一人で苦しんできたからである
それを延々とプログに書いてきた
ただ金銭的には問題がなかった、この例では金銭的にも苦しんでいるのだ
ただ介護というのは家族でするとなると金だけではできない
特に認知症になると他人が介護することはむずかしくなる
この息子はすでに2025年問題の実例なのである
それも二人の親をめんどうみなければならなくなる
でも実際はしていない、仕事をしなければならないから多少青森の施設に仕送りしているだけである、でもその仕送りだけでも余裕がないから負担なのである
そして母親は病気ではないにしろ普通より老化して体が弱っているし金もないのである

何かこのように親二人が介護になったり金がないとか援助して負担になってくる
それが2025年問題でありすでにその兆候は現れている
だからこれは2025年になったら悲惨な人が出て来る
現実に南相馬市でも認知症の母親を介護していた50代の人がオムツとりかえるとき母親が騒ぐので殺した
おそらくその息子一人が介護することになってそうなった
それより問題は親二人を同時に介護するようになることである
それを自分自身もなるところだった、そしてその介護する人が病気になることもある
それが自分自身で経験して恐怖だった
その時誰も助けない、回りでは今はかかわらない、逆に苦しむのを見て楽しむとまでなる今田舎だって人情などなくなっている、またそういう家族とはかかわりたくないのである田舎ではかえって人間の悪質性が露骨にでてくるのである

いづれにしろ子供が親を捨てる、家族遺棄社会になるという本を出した人もいる
この実例では一人の息子は関係しないから親を捨てている
でもそうしたとしても一人の息子に負担がかかりまた他の人がめんどうみるともなる
だから家族でもそういう人はもう家族でもない、他人に世話をまかせたともなるからだ
それも無責任だとなる、もう親はめんどうみれない、死んでもいいとまでなっているのだでも放置してゆくわけにいかないから誰かが福祉でもめんどうみざるをえないのである
こうなると家族とは何なのかともなる、もうそこでは家族は他人になっているのだ
その人にとっては楽でも他の人が負担させられている、これも無責任だともなる
「私は親のめんどうはみない、死んでもかまわない、誰かめんどうみてくれ」となっている

いづれにしろそれだけ介護の負担が大きいからそうなる
介護殺人がこれからも増えるのはそのためである
それは一部のものだけではない、社会的問題でもある、これだけ介護する人が増えれば社会を圧迫する、財政的にも厳しくなる
現実になっている、生活保護でも福祉関係へ予算を配分できない、それだけの余裕がすでに国にもないし自治体にもない、日本自体が貧困化しているからだ
そこで二重三重に負担になり援助されない人が増えて来る
そうなるとどうなるのか?老人は捨てられるとなる
姥捨て山ではないが実の息子すら親を捨てている、でも誰か他人がめんどうみざるをえないのである
また老人の単身者の数も多い、自分もふくめそういう人も助けがないとなる
高齢化社会というのは確かに個々人ではすべて悪いものとはならない
長生きすればそれだけ人生でやれることが多くなる、ライフワークを持っている人は専門分野を追求できる時間が長いからそれなりのものを成せるとはなる
でもどちらかというと暗黒面が大きいのである

ともかく夫婦でもどちらかが死ぬと一人になる、隣では突然に妻が死んで夫が取り残された、その夫も心臓の病気であり機械を入れている、これまで妻が世話していたのを自分でしなければならない、その人は家族と一緒に住んでいても食事も別にしていたからだ
こうしてまた家族と住んでいても老人が孤立している場合もある
何か今は家族がこうして別々になる傾向がある
でも介護状態になれば家族がめんどうみなければならなくなる、そういう状態で介護がやれるのかともなる

いづれにしろ2025年問題は深刻である、すでにその兆候はいたるところに現れている
となると2025年になったらさらにひどい状態になることは目に見えている
それは個々人の問題でもあるが国とか市町村の問題でもある
そういう人を放置しておくにもいかない、でも財政的にも厳しい、生活保護でも医療だけが払われているとかもある、菅首相が生活保護があるというけどそれが最後のセーフティネットにもなっていない、生活保護を受けても餓死にもなりうると見た
最低限する支給されていないからである
それだけ国でも市町村でも財政的に苦しいから福祉に回らないのである

日本自体が東北大震災や原発事故や今度はコロナウィルス渦とか災難に見舞われる
それで財政的に苦しくなるのだからさらに福祉の予算は減らされる
つまりもしかしたら餓死に追い詰められる人が増えるということすらある
そういう直前の人がすでにいるとなる、二重三重の苦難と負担が強いれらる時代である
それはすでに自分自身が経験してきたことなのである





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2021年02月09日

オリンピックがなぜやめられないのか? (原発もなぜやめられないのかー利権団体のため)


オリンピックがなぜやめられないのか?

(原発もなぜやめられないのかー利権団体のため)

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中止による経済損失:約4兆5,151億円

なかなか大きい数字ですね。

これだけのビッグマネーが動くわけですから、オリンピック誘致も必死ですし中止の回避も必死になるというわけですね。

オリンピックでビッグビジネスをつかむはずだった電通は、そのためにすでに大きな投資をしているそうです。
https://www.inakodo.com/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%
83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E4%B8%AD%E6%AD%A2/

オリンピックがなぜやめられないのか、それは莫大な投資をしている、その施設でもゼネコンが請け負ってそこから利益となっていたのでゼネコンはオリンピック推進になっていた

そもそもオリッピックをやる意義が今はあるのか?

オリンピックする意義はすでになくなっている、世界平和のためだというけど現実は商業主義オリッピックであり世界的なショーを演出してそれでもうける企業があるからやれとなる、アメリカに住んだ人が意外とアメリカでオリンピックをしていたとき、ほとんどの人は関心がなかったという
何か世界的行事のように見えて今は関心がそんなにないのである
関心をもっているのはオリンピックで利益を得る企業とかスポンサーなのである
だから電通がオリンピック中止で倒産するとか騒がれる
マスコミ関係ではテレビ局などでは視聴率をとるために開催しろとなる
それは利権のためなのである

この世の中は利益で動く、金で動く、何か意義ありその意義を追求することはない
まず利権だ、金だとなる、だから別に必要ないものでも金になればやれとなる
それはオリンピックだけではない、原発でもそうだった
本当は原発がなくてもエネルギーはたりている、でもその原発を作る理由はそういう必要性より政治的軍事的思惑があり作られた
またそれが巨大な利益を生む、利権を生むから作られた

まず電事連とかあればそこからマスコミに800億円もの宣伝費が出ていたのである
厥か新聞社とかテレビ局とかに回っていた、原発は巨大な利権になっていた
それは地元でもそうである、原発で恩恵があったから積極的に誘致したのである
利権にかかわると利益になるということでみんな反対しない
ただでは国民全部がそうかとなると違う、利益に利権になる人が賛成するのであり
全部がそうではない、オリンピックが国民全部が賛成しているわけではない
むしろオリンピックなどやるべきではないという人もかなりいたのである
でも利権にかかわる人がいてその人たちがすすめるからそれで押されて実行される

要するに民主主義といっても利権民主主義であり大きな組織団体が利権を得るために動く最初はゼネコンの利権とかあり推し進められる
景気を良くするためにといいうことも宣伝されるがその景気にあづかるのは一部の利権団体なのである
その一部の利権団体が政治を動かすのである
まずそうして票でも人数でも金でも集まらないと民主主義でも何の効力も発揮しないからである、ただそれが社会を歪めるのである

原発には東電に官僚でも海上保安庁から検察から警察からあらゆる特権階級が上級国民が天下りしていた、そこは官僚の利権ともなっていたのである
原発は必ずしも国民全部が賛成しているというものではない
でも電事連でも賛成しているし利権団体が推進したから反対できないのである
それが「安全神話」を作り事故になったのである
原発で働く人が電気工事関係でも千人とかいたとなるから地元の恩恵も大きかったのである、それで何か不具合があるのを知っていたが上の人に言うこともできなかったと言っている、仕事を受注できなくなるからだという、つまり東電の権力は絶大だったのである

森会長がオリンピックをやめない、やめられないのはオリンピック関係の職員でも5000人とかいるとういう、するとその人たちにとってもオリンピックが中止されることは飯の食い上げになる、それでその組織では森会長を批判していないのである
やはりそこで金をもらっているとなると組織の利権を擁護することになるからだ

ともかく人間は利益をあげることで日々成り立っている
それから逃れることができない、でもそのことが社会を歪める、本来の意義が見失われてただ金を得ればいい利益を得ればいいしかなくなる
そうしていると原発事故のようなものも起きてくる
コロナウィルスでもそんなものよりオリンピックで利益を上げるべきだともなる
つまり原発が危険でもやれと地元でも賛成したようになる
ただ今はオリンピック中止すべきだという世論になっている
これはマスコミが言っているのではない、国民の意志なのである
でもそれを曲げてもある特定の利権のためにオリンピックをしたいとなる
その背後には5000人の職員とかそれにかかわる人たちの利権があるからである
そっちの方が優先される
go to トラベルも強行されたのは観光業者と二階堂氏とかのつながりがありそうなったともされる、政治と利権団体が常に結びつくからである
それが政治も歪める

だから何かを公平に見るには利益から利権から離れる必要がある
それがマスコミでも放送に莫大な費用がかかるからできない
電事連からでも莫大な宣伝費をもらっていたら原発の危険性を言わなかったからだ
そして福島民報などは出資するのが県であり半分もしている
あとは聖教新聞を刷っていたりとそれだけの費用がまかないないからそうなっている
そこでそうした権力利権団体の悪を追求できなくなる
結局はマスコミ自体が長いものに巻かれとなっているだけである
ただそういうことが原発事故になったことを反省すべきである
でも実際は依然として利権団体民主主義でありそれが社会を歪める
右は原発推進なのである、それも納得いかないのである
それも右が利権と結びついている、だから事故前から原発推進だった
また右は核武装を主張しているからそのために原発を核武装するために必要としていることもある、もちろん左でも利権と結びつく、朝日新聞が中国と結びついているとか信用されない、中国を批判できないのである

ただ公正さを追求することは人間には不可能だともなる
神は偏り見ないというとき神のみが公正に裁くことができる
それはなぜかというとき神はいかなる利益とか利権とかかかわらないからである
だから公正に見られるのである、人間にはそれができないのである
それで隠者が報道に記者に向いているというのもそうなのかともなる
つまり世間では利益で何らか結びつきそれで忖度して公正に見れなくなるからである
世間の付き合いはみんな利益で結びついているからである
だからどうしてもその利益に利権にあづかろうとする、権力がある人に金がある人は寄ってくる、それでこの世が常におかしくなり歪められているのである
シオンに公正が実現するというとき公正に裁くことのできるのは神しかいていとなるからである
神は偏り見ないというとき人の利益とか利権とかかわらないからできることなのである
つまり無私な人が偏り見ないとなる、なんらか下心があるとなると公正に見れないからである



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2021年02月07日

みんな原発のせいだ、東電のせいだ (コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)


みんな原発のせいだ、東電のせいだ

(コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)

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週間ポスト2月12日号


自分の努力不足を棚に上げていないか
彼はコロナ前から成績が悪かった


コロナウィルス騒動と原発事故の共通性があることを追求して来た
これもだから不思議である
東京に避難した人が

放射能がうつるから来るな!

こう言われて子供がいじめられたのもそうである
今度は逆に

コロナウィルスがうつるから東京から来るな!

こうなったのである、人間にはカルマの法則がありあてはまる

この記事のように今はなんでもコロナのせいにされる、それを口実にすると通りやすいからである
原発事故でも故郷から若い人が多額の補償金をもらって出て行った
それも放射線被害がありそんな危険なところに住んでいられないということで誰も批判はできないのである
つまり何も言えなくなってしまうのである
何か言えば必ず放射線被害とか言うしそれで言えなくなる
そして何かというと被害者意識になりお前らなんで努力しないだというとお前は情もなにもない人間なのかとかなり批判される
そしてNHKでも原発避難者と津波被害者がいたが原発避難者側についた報道でも誤解を生んだ、その対立を激化させたのである

例えばもともと第一次産業は農林漁業は衰退していた、それで跡継ぎもいないとかなっていた、再三言うけど近くの漁港で漁師が何か生活が苦しいとか言ってプログで訴えていたでも今考えるとそういうことはなかった、その人はわからないにしろ事故前から相当な補償金をもらっていたから別に魚がとれなくてもやっていけたのである
その時はわからないから漁業は苦しいんだなと見ていて同情していたのである
凍み天の菓子店なども原発事故のせいで倒産したとかしているがもともとその商品はそれほどのものではなかった、商品自体に問題があって倒産したのである
これもなんでも原発事故のせいだとする

他でももともとだめになっていたのだがそれが全原発事故のせいにされる

俺たちは被害者なんだ、だから援助されるべきだ

こういう主張になる、もっと自分たちで努力するものがあるのではないかという前に被害者だから援助されるべきだ、もっと補償金をよこせとなる
つまり自らの努力を放棄して悪く言えばたかりにもなる
でも放射線の被害を言われればお前地元で良くそんなこと言えるなとバッシングされる
だからこうなると本当にめんどうになる、それで韓国とかは常に戦争の被害を言うから
付き合えないとなる、被害者と加害者であり被害者は加害者を許すことがないからである現代では被害者がかえって大きな力をもつようになる

コロナでも同じ事が起きていることが不思議なのである
様々なことで共通点がある、コロナで飲食店や旅行会社に補償金を出したこともそうである、そこでもやはり不公平があり不満が生まれる
一日六万補償されて売り上げよりもらって喜んでいた人もいる
南相馬市でも30キロ以内は30キロからはずれた人たちより三倍はもらっていたのである

高速でも医療費も十年間無料だった!

30キロはずれたら同じ南相馬内でも医療費は半年で補償されなかった!

高速でもそうであり最近やっと無料にしたがもう終わりだとなる

なぜこれほどの差が出たのか納得できないのである、コロナでもやはりこうして補償に差がでたのである、全部公平に払われることはないのである
それだけ公平になることがむずかしいとなる、必ず不公平になり不満な人が出て来る
だから補償金というのは良くも悪くも働く、それはなんでもそうだが金の問題になるととにかくうるさくなる、そこで不満が残る人があり怨恨にもなる

結局水俣病でも補償金問題でもめて復興もできなくなった、公害になったら終わりだと当事者が述懐している
過度な被害者意識をもつとそれが今度は一代でも終らない、親が子に必ず何かうまくいかないと原発事故のせいだとなる、この辺ではそういう被害者意識をもつ地帯になった
いくら努力しても無駄だとかなる、それより政府からでも東電に訴えてもっと補償金とか援助してもらうべきだとなる、つまり自ら努力することを怠る地帯となるのである

それが韓国にも沖縄にもある
自分たちで努力しろとか言っても被害者意識にこりかたまるとそうはならない
自分たちには責任がない、東電や政府が悪いとなる
それは確かにあっても自分たちで何にも努力もしないというのは無責任だとなる
地元の住民も納得して原発を誘致したからである
その責任があり東電を責められないという人も相当数いる、そこで働き贅沢できたともなるからだ、でもその責任を自覚している人は少ないのである

コロナウィルスと津波とか原発事故の相違は津波と原発事故は一部分である、広いにしても日本全国ではない、コロナウィルスは全国であり世界の被害になったことである
だから一部分を復興してかたずけるわけにはいかない、世界中が被害者になったからである
ただ全部原発事故のせいだとかコロナウィルスのせいだとかなるのは問題である
それを口実にして自ら努力を怠る理由になるからだ
だから原発事故地帯は若い世代が避難して復興できない、でももう戻らない
他の土地で家も建てたり生活がありもう帰れなくなったのである
十年も過ぎたらもう帰れない、そうして荒廃したままになる
残されたのは老人だけだとなる、でも若い世代にも責任がないのか?
やはりなんらか責任があってもそれはみんな原発事故のせいだとして放棄できたのである






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2021年02月02日

ピーターの法則ー昇進すると無能化する (階層社会で菅首相もそうだったのか?)


ピーターの法則ー昇進すると無能化する

(階層社会で菅首相もそうだったのか?)

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菅首相も官房長官としては有能だったが最高位の首相になったとき
無能化したのだろうか?
官房長官で有能でも首相となるとその能力は全く別物ともなる
するとピーターの法則があてはまる
階層社会で昇進したともなるからだ、何か人選でも官房長官だから次は首相だとなった
その人選の仕方は階層社会のものであった
政党でも今は階層社会でありそれに適応したものが昇進してゆく
必ずしも能力とは関係ないとなる

人間は能力でもあらゆることにたけた人間はいない、一部分として優秀なだけなのであるだから昇進すると仕事の内容が変わり無能化する
教育でも教えることが上手な教師が校長になって優秀とはならない、でも教師で優秀なものは昇進して校長になりやすい、階層社会ではそうなる
そして無能化するとなる、つまり教えることが上手な教師はその方面の能力を活かしていた方がよいのである、そういう教師はある科目をいかに学ぶかという本を出したりするのがいいとなる、校長とか教育長とかは別な仕事てあり能力も別なものが要求されるからである

正直そういう人は教育というとき親との付き合いとか様々な付き合いとかを無視して
いかにうまく教えるかに集中すすべきでありそれは研究者のようになる
でもそこに人事とか付き合いとかいろいろありそれは苦手となり親から評判が良くないともなる、要するに研究者に向いている人は研究一筋な方がいいとなる
そこに様々な余計な人付き合いとかに労力をかけるべきではないとなる

技術者として優秀だった人間が独立して事業をはじめて失敗した
それは本当に無謀だったのである、なぜそんなことをはじめたのか?
技術者として非常に優秀な人だから回りから優秀だとされてきたから事業を始めても成功すると確信していたのである
でもその人は経営者になる相談すらしなかったろう、事業を起こす前ら成功者になると確信していたのである、それで失敗した

人間の特徴はあることに優秀でも他のことになると優秀でなくなる
機械マニアのような人は機械については詳しい、でも社交的なことになると人付き合いができない、変人だとかなる、でも日本が製造業でのしあがったときそういう若者は機械に熱中していた方がいいとしている
英語など必要ない、機械に詳しくなればいいとしている
そういう人が何か別なもので能力を活かすことができないからだ
そういう人はまた経営者には向いていないとなる

とにかく人間が無能化するというとき本当にこの辺で起きた原発事故がそうだった
これの原因を追及してきたけどこれも基本的には人間の無能化から起きた
その内容は相当にずさんなものだったのである
津浪が来たから起きたというのでもない、内部の人が配管などが老朽化して壊れるということを指摘していた、でも上の人は取り合わなかった
不備があってもとりあわなかった、そういう危険なことが指摘されてもとりあわなかった

そして結局「安全神話」だけ権力化して強調されたのである
その安全神話の内容がいかにずさんなものだったか、それは津波が来たから事故になったのではない、その前に事故なる原因が山積みされていたのである
でも権力があり「安全神話」だけが強調されたのである
これも人間の無能化の結果である、
その無能人間の集団が「安全神話」を作ったのだから事故は起こるべくして起こったとなる、その中に有能な人間がいても階層社会の中で無視されたとなる
提言しても取り上げられないとかなっていたのである

ただ原発事故でもコロナウィルスでもいかに総合的に判断できるトップが大事かが問われた、普通の時は別に階層社会でもそれなりに仕事はできる
でも原発とかコロナウィルスとなるとそれは総合的な問題として解決しなければならないものとなる、その時それに対処できないのである
一つの限界は理系と文系があり理系だけだととんでもない専門家がでてきて40万人が死ぬとかいう人もでてくる、それが社会にどういう影響するかを考慮しない
そういう専門馬鹿が生まれのも現代社会である
一方文系になるとこれもまた理系的知識がないから対処が謝る
どうしてもgo to トラベルが感染が拡大しているとき政策としてはまずかったとなる

ただ科学者でもコロナウィルスは普通の風邪でありインフレインザと同じでありなぜこんなに騒いでいるのだという見解もある、経済を重んじないと自殺者の方が増えるとしている、ここでも危険をあおる科学者とそうでない科学者が専門家がいて混乱する
だからそうして様々な分野の意見を取り入れて首相がトップが判断するとなると容易ではない、それで判断を誤るのである
右に行けという人と左に行けという人がいて判断する人が誤るとなる
その判断の過ちが致命傷ともなる、それは戦争となり3百万にも死んだとかなるからだ
また原発事故では故郷に住めなくなったからである
原発は実際は相当なずさんなものであり安全などもともとないし考慮もされていなかったのである、そういう危険なもの平気で作っていたのである

いづれにしろ人間社会はバベルの塔でありそれが崩れて混乱する、分断される
それが科学でも起きる、原発はまさにバベルの塔でありコロナウィルスでもそうである
何か未知なことが起こりそこで混乱して人間社会がばらばらになる
それは原発事故でもそうである、家族が分断されてばらばらに住み故郷には老人だけが取り残されたからである

人間の宿命として人間の無能化がある、神のみが全能であり治めることができる
人間にはできない、そこで混乱が起きてそれを治めることがてきない
コロナウィルスでもそうである、未知のものでありこれにどう対処していいか混乱してわからなくなる
ただ人間社会の問題としてピーターの法則があてはまる、階層社会で昇進してきたものが首相というトップにたったとき無能化する
その人が指導者として適切なものとして選ばれた訳でもない、階層社会の中で昇進した結果として首相までのぼりつめた、でものぼりつめた地位で無能化したともなる
つまり階層社会は普通の時なら機能するが緊急事態には機能しなくなる
弱いのである、民主主義でもそうである、緊急事態にみんなで相談したからとそれで解決するわけではない、かえって即断しなければならないのにぐずぐずして会議ばかり開いて議論てもらちがあかないとなる
何かそういうことがコロナウィルスでも起きている
ただ結局人間は無能化して滅びるというのも感じる
結局人間の力では世界を治められないいうことになるからだ



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2021年02月01日

コロナウィルスと原発の相似-天災は忘れた頃にやってくる)) (何を優先するかが問題)


コロナウィルスと原発の相似ー天災は忘れた頃にやってくる)

(何を優先するかが問題)

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歴史は利権と関係していない


コロナウィルスでいろいろ言われるが何か原発事故の時と似ていると思った
その理由は現代では必ず科学がかかわるから同じような問題が起きる
毎日感染者の数で怯えているのは放射線量で怯えていたのと似ている
それで科学者が一ミリシーベルトを越えてはならないと警告した
その人は武田邦彦氏であった
でも今回は逆にコロナウィルスはインフレインザの一種であり過度に恐れるなと何度も言っている
だからなぜ原発の時は厳しい基準を出したのに今回はそうではないのか理解しにくいところがあった
やはり共通の問題として科学がかかわっていたことは確かである
そこで科学の専門家が前面に出るとなった、でもその人も御用学者であり政府にとって都合のいいことしか言わない人となり批判された
そして政治的判断があり経済的判断がある、それも共通している
政治は経済と一体であり政経学部があるのもそのためである

ただ科学的判断でも間違うことがある、放射線被害についても良くわからないからだ
それは今回のコロナウィルスでも同じである、科学的判断がすべてに優先されるとはならない、それは放射線の被害がどうでるか未知だからである
コロナウィルスはさらに未知なものとして出現したから正確に科学的判断ができないのである、専門家でもできないのだから素人はさらにできないのである

でも政治家はなんらか決断しなければならない、それで経済優先でGO TO トラベルになったのである、ここには二階氏と観光業者の利権がからみそうなったとしている
原発でもいろいろな利権がかかわっていた、原発は金の鳴る木だったからである
そこに利権を得ようとして群がったのである、地元の人でもそうである
だから地元の人は東電を批判しにくいと言っている

原発事故では補償金でもめた、それで南相馬市は分断された他でも分断された
それは利権となり経済問題であった、政治の役割りは政府の役割りは具体的にいくら金を出すかということを決めることだという
そのために予算を組み配分するのが仕事だとしている、他は何かできないとしている
でもその金を配るにしても必ず不公平が生れてもめる
コロナウィルスでももめた、補償金を過分にもらった人もいるしもらえない人がでてくるからだ、それも原発事故と似ていた

ただコロナウィルスと原発事故の大きな相違は必ずしも政府が政治が優位にたっていない専門家の科学者の言い分を尊重しなければならない、原発で政治の力で専門家の言い分はおさえつけられた面がある、だから御用学者が発言したのである
政府のいいなりになり危険を無視した発言をしたのである
もともと原発は政治の意向で作られた面が大きかったからである
それはアメリカの押し付けがありそれぶ古い型のマーク1の原子炉を買った、買わせられたのである
今回のコロナウィルスでもアメリカとかイギリスのワクチンを買うというときそこに利権がかかわる、莫大な金が動くからである

ただコロナウィルスでも原発事故でも意外と見逃されていたのが歴史だったのである
原発事故では津波が関係していて津波の歴史が注目された
相馬藩政記にも津波で700人溺死というのが記録されたが誰も注目していなかった
でも津波の後に発見されたのである
だから400年前に慶長津波がありここでも大きな被害があった
でもこの辺では津波が来ないとしていたのである
その歴史に注目していないからそうなった

でも東電では地震の専門家に依頼して津波のことを調べていたのである
それで十数メートルの津波が来ると警告していた
でも東電ではそれに従わなかった、何の対策もしなかった、コストがかかるとしなかったのである
そして今になって防潮堤を作ったのである
原発ではいろいろ安全対策が不備だったのである、それはコストがかかるからそうなったそれが致命傷になったのである

ただ歴史的なこととして津波も起きていたしコロナウィルスとか伝染病は人間の歴史が始まってい以来深刻な被害を与えていたことは知られていた
ただその歴史も津波のように忘れていたのである
だから災害は忘れた頃にやってくるというのは伝染病でも同じだったのである
カルマとして繰り返しているからである
それで歴史は大事なものとして認識された、郷土史なども歴史なのだが好事家がするようなもので重要な命にかかわるものとして見られていない
でも歴史だからそこに命にかかわることもあったと気づいたのである

歴史は繰り返すというのはまさに現実として津波でもコロナウィルスでも自覚させられたのである、それに備えることも大事だった
でも日本では備えられていなかったのである
かえって外国の方が備えられていた、それは公立病院が8割とかであり政府の命令で動かしやすかったからである
でも日本は公立が二割であり開業医が8割であり政府の命令で一括して動かせなかった
それで医療崩壊が騒がれたのである
開業医の団体が医師会でありここにはやはり利権が働き迅速に動けなかった
意外と開業医は伝染病にはせ役立たなかった
病院の勤務医が懸命に働いたとなる、開業医は何か跡継ぎ問題があり世襲になる
そして利権になるのは政治とも似ている
つま0り利権化するときそれが国民にとってはいいことにならないのである
利権のみを受け継ぐとかなり肝心の医療はないがしろにされるかさらである
それが今回のコロナウィルスでも見えてきたのである  

コロナウィルスでも原発でも利権がかかわっていた、政治家であれ科学の専門家であれ様々な団体、マスコミなどでもそうである、不可分に利権とかかわって歪めるということがあった
でも歴史的判断になるとそういうことはない、それは過去にあった事実であり客観的に見るだけでありそこに利権は働かないから公正なものになる
何かこの歴史的なものが見逃されていた、歴史の重要性を津波とかコロナウィルスでも見逃されていたのである
それは人間はとにかく忘れやすいからである、伝染病でも周期的に起きていて大きな被害をだしたのは百年前のスペイン風とかでもあった
でも忘れていた、ましてや400年前の慶長津波のことは忘れられていたのである
ここに人間の弱点がある、大被害になったものでも忘れるということである
それでまたカルマとなり被害があり苦しむとなる
それで天災は忘れた頃に災害かやってくるとなる

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2021年01月29日

山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」 チームのほうが誘惑に弱くなる―大衆民主主義は全体主義になる


山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」

チームのほうが誘惑に弱くなる―大衆民主主義は全体主義になる

ところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67554?page=6

チーム化することは団体化することである、人間は団体化すると個人の責任感とか希薄になる、そして団体組織化することは力を持つことであり権力を持つことである

なぜ民主主義が危機になっているのか?

要するに議員を選ぶにしても何にするにしてもすべて数で決まるからである
その数を集めることがすべてでありそこに正義も不正義もなくなる
数が多い方が正義なのであり何であれ数が多いことで決まる

カルト教団であれ選挙の時は利権団体の票が優先されるにはまとまった票が得られるからである、個人の一票など意味ないしあらゆることで個人は無視されるのが民主主義だともなり危機になる、アメリカの大統領でももう選挙に不正があったとして暴力になる
数の多さで決めることにみんな疑問を持つようになったからである

そしてナチスは民主主義の選挙から生まれたのである、とにかく数を集めれば票を集めればその正当性が得られるからだ、そして全体主義になった
もう全員がハイルーヒットラーになったら誰も逆らえない、止めることもできなくなったのである
そこに民主主義とか選挙でも決して正しい判断をするものではないことがわかる

赤信号みんなで渡れば怖くない

まさにこれである、巨大な数となり集団となるのが大衆民主主義なのである
それはギリシアのボリスの一万とかの民主制とはまるで違ったものになる
それでまたナチスはラジオから生まれたという説がある
人間が集まるとなると限度がある、でもラジオだと何百万人にも向かって訴えることができる、それが今ならテレビであり戦前は新聞で朝日新聞が戦争をあおったとなる

現代の大衆民主主義がそうした危険がつきまとっている
数がすべてになりその真意など関係ない、善悪も関係ない、数が多いことがすべてであり正義なのである、要するに数が権力化するということである
それが創価でも他のカルト教団でも宗教がからんでくると余計にそうなる
逆らう者は罰当たるとか地獄に落ちるとか何百万人の人の念がそうなるから怖いのであるそれはカトリックなどでも異端者が火あぶりにしたのと似ている
宗教の歴史の暗黒が見主主義で再現されるのである
そういう歴史があるから政教分離の法律が生まれたのである

数が多いことが正しいのではない、数が権力である、こうなっていることが怖いのであるでも民主主義はすべて数で決まる票の数で決まるとしたらそうなるのである
確かに暴力で決めるのではないからいいとなる、民主主義とは完全な制度でもないのだから暴力で決めるよりはいいとなる
でも数の多さで決める時、それは全体主義になる、そしてナチスのようになり最悪となるのである、それは歴史が証明している
共産主義もまた全体主義であり反対者は粛清されて何千万が殺されたとしている
共産主義はあからさまに反対する者は許さない、死刑にされる
民主主義は反対する者があってもまた数がすべてなのだからいづれは全体主義になる
それがナチスであった、それは数がすべてだということによっていたのである

数が多いということは責任が分担される、一票の責任は選挙では十万分の一くらになるから誰に投票しようが責任などないのである
もし一人十票とかなれば責任が生じる、でも実際は投票するのに責任を感じる人はほとんどいないのである
一万くらいのボリスだったら直接選挙であり一人一人が責任を感じていた、でも大衆民主主義では誰を選ぶにしろ責任など感じないのである

責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていた

こんなことが科学の分野でも起きていた、でも科学の分野なら科学こそ真理なのだから科学の真理に反することはいくらチームになってもできないはずである
それでもチームになると責任感が薄れてしまう、チーム化する団体化する組織化することはすでに権力化することである
すると正しいか正しくないかより権力が力を優先されて決められるのである
それによって大きな過ちが生まれる、チームでみんなでしていることが決めたことが正しいとなるからだ

原発事故でもそういうことがあった、地域の住民は金になればいいとしかない、すると危険だからやめた方がいいという人は一人もいなかったとなる
なぜならみんな金が欲しいからそれに逆らうことはできなかったからだ
反対したらその地域に住むことすらできなくなっていたのである
でも事故が起きて逆に住民が故郷に住めなくなったのである
この教訓は大事である、ナチスでも国を逃れた人がかなりいたからである
反対したらその国にすら住めなくなった、回りが一時創価の会員だらけになったらこれも全体主義になりそれに逆らう者は住めなくなる
そういうことが起こることがありえたのである、他でも数があらゆることで優先される
マスコミでも視聴率を稼ぐことが最大の目的である
それで宣伝費で稼ぐ、みんなが見ないことには宣伝できないからである

民主主義とは何かとなればもう大衆民主主義であり数がすべてであり数ですべてが決められる、そうなると理由などない、数さえ集めればなんでもできる正しいとなり逆にナチスになり全体主義になる、少数者は完全に無視される
それはインタ−ネットでも起きている、いかに視聴率をとるかがyoutubeなどでも最大の問題になる、とにかく見る人が多ければ影響力も大きくなりやはりテレビのように宣伝費が入るからだ
だからインタ−ネットでも営利が入ってきて視聴率優先になったのである
つまりマスコミ化してきたのである

田中首相が数と金が政治だと言ったのもそうである、選挙は数で決まりまた金をばらまいて票を得るからそうなっていたのである
現実民主主義でもそうなのである、政治とは数と金なのである
それは大衆民主主義ではそうならざるをえない、膨大な数によって決まるからである
そこで正しいとか正しくないとかは追求されないのである
そこでマスコミがテレビが馬鹿な大衆相手に導く、大衆にはむずかしい理屈など言っても無駄だとなりハイルヒットラーになった
つまりいかに大衆を操作するかがマスコミの問題でありそれで視聴率をとり宣伝費をもらうということだけが目的となる
大衆民主主義は容易に全体主義になる、それは数がすべての世界だからそうなる

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2021年01月28日

福島県のコロナウィルスの感染経路 (交通と密接に関係)


福島県のコロナウィルスの感染経路

(交通と密接に関係)


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コロナウィルスは交通と密接に関係して拡散する
東京のような大都市から拡散することは明確である
東京周辺が茨城県でも栃木県でも群馬県でも関東圏であり関八州の地域でもあり感染者が多い、何か栃木県が東京から離れて辺鄙な山の奥に見えても
那須高原とか平地もありそれで感染者が増えた
それは東京圏の中にあり増えた

ただなぜ南会津町とか下郷が増えたのか?

その感染経路はどうなっていたのか?

それは前に江戸時代のコレラの流行は会津若松市中心に拡散した、でも田島とかあるがそこに栃木県に出る街道があり大内村の宿場が有名である
でも今回南会津町の田島の病院でクラスターがありここが増加した
その感染経路は不明である、問題は栃木県が関東圏にありその栃木県から入ってきたのかどうかである
江戸時代のコレラでは北前船とかで新潟から阿賀野川の交通があり増えた
また白河街道などもあり会津若松中心に拡散したのである
ただ桧枝岐とかは交通がまれであり秘境であり感染しなかった
この時は会津若松中心になって栃木県の田島の方に拡散したのである

つまりウィルスは交通と密接に関係している
人口とも密接に関係している、人から人にうつるのが基本だから人と人の交流が多い所から拡散する
東京圏は関八州地域であり茨城県とか栃木県とか群馬県でもありそこは増えたからである現代は交通が止められない、密になるなと言っても東京とかはもうできない
そうしたら仕事もなにもできなくなる
だから現代文明は便利なのだけどウィルスには弱かったのである
江戸時代の様な交通が不便な時代でもウィルスを拡散することが止められなかった
ましてやその何百倍なのか何千倍なのか何万倍のか、これだけ人口が増えて密になる社会はウィルスの拡散を止めることができない社会である

ただ明らかに人口密集地帯の大都会から拡散してゆく、福島県でも南会津町とか昭和村は会津若松市より離れた僻地なのである、昭和村にも感染者が出たのは福島市で会合があったということで感染した
福島県の中通りは新幹線も通っているから福島県と宮城県が感染者が増える
特に仙台市からは増える、秋田県とか青森県でも仙台市で感染した人が移動して感染したのである、でも岩手県とか秋田県とか青森県は少ないのである

何かこのように交通の便利さに比例して感染者が増えるし不便なところはそうでもない
奈良とかみると大坂に近いから増えていると見るがそうでもない
でも滋賀県となると増えているのは交通の便がいいからである
意外と奈良は大坂とか京都とから離れた地域になっている
だから奈良は遅れた地域だとされた、中心地が大阪や京都に移ったからである
それで奈良は田舎だとか言われていたのである

相馬地域になると仙台との交通が鉄道を通じてもあるし仙台市から拡散してくると見たが意外とそうでもない、むしろ南相馬市では東京のライブハウスに行った人から移ったのである、その人がすぐ近くの人だったのである、その人は今住んでいないという
ガラス窓を壊されたとか言われた
今でも東京から仕事に来た人から感染している、東京から来る人が危険なのである
大都会から来る人が危険になる、人口密集地帯から来る人が危険になる

いづれにしろ何事でも地理が基本になる、地理を知らないとこうしたウィルスでもどういうふうになっているのかわからない、特に交通と密接に関係しているから地理を知ることが基本になる
私は福島県なら隈なく行っている、それも自転車で行っている
昭和村とかにも行ったし舘岩村から栃木県の方の那須野にも行った
だから地理的にわかる、でも群馬県となるとわかりにくい、日本がの地理が地形がわかりにくいのは山が多すぎるからである、山に閉ざされてわからなくなる
だから日本の地理を知ることは容易ではない、福島県でもわかりくいのである
特に会津はわかりにくい、山国だからわかりにくいのである

ウィルスに対処する方法は

●交通をとめる、人の交流をとめる

●密になる場所をさける

●ワクチン

●みんなで抗体を作る

これくらいしか方法がないとなる、交通を止めるとか人の交流をとめるとか、密になる場所をさけるのが現代では一番苦手でありむずかしい、東京のような所では不可能になってしまう、そうしたら経済活動がとまり生活できなくなる
だからgo to トラベルとかありえない政策だったのである
ウィルスを拡散するだけだった、ただ観光関係で苦しいからともなり受け入れた
それもやはりウイルスに対処する方法を間違ったともなる

ただ若い世代で都市封鎖などしたら暴動が起きた、もう限界だとなっている
とても長くは続けられない、問題はコロナウィルスはまだ未知なのものだから対処方法がないとなる
ただ死んでゆくのは基礎疾患があり高齢者が死ぬのだから寿命がちょっと早まっただけだともみられる、それで若い世代には深刻にならないのである
これまでの感染病は若い人も容赦なく平等に死んだから怖かったのである
それが今回のコロナウィルスの特徴なのである

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)
posted by 老鶯 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月27日

菅政権はもう終わり「次の総理は誰か」という大問題 (ピーターの法則があてはまる)


菅政権はもう終わり「次の総理は誰か」という大問題
(ピーターの法則があてはまる)

菅は菅で「総理になると、官房長官の時より情報が入らなくなった気がする」とぼやいている。それは菅が耳に痛いことを言う人間を遠ざけているからなのだが、自覚がない。

 こうした菅の現状を象徴する事件があった。来年度予算案の折衝で、菅が諸々の判断を副総理・財務相の麻生太郎に任せきりにしたため、麻生が「総理なんだから自分で考えろ」とキレたのだ。


 ある人材はその組織内で昇進できる限界点に達する。人は昇進を続けてやがて無能になるが、必ずしも高い地位がより難しい仕事であるという意味ではない。単純に、以前優秀であった仕事と仕事内容が異なるだけである。要求される技術をその人材が持ちあわせていないだけである。

たとえば、工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。
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 「ピーターの法則 」という本を大分前に読んだ、ただこれもその意味がわからずただ買ったというだけだった、会社員にもなっていないから理解できなかった
でもいろいろな失敗例を見て人間はそういうものだと知った
菅首相は官房長官の時は優秀だった、首相にのぼりつめたとき無能とは言えないまでも
行き詰まった、やること成すことがうまくいかない、首相の立場とか官房長官の立場が違っているからそうなる、実際はその相違は大きいのである
人間は俳優でも脇役で演技力を発揮するものがいる、でも主役に向いていないとかある
演劇の世界でもそうなのだから現実社会でもそうである
おそらく菅首相は補佐役、脇役として優秀だったのかもしれない、それが主役になったとき無能化したとなる、ただこれは時代の作用もある、こんなコロナウィルス騒動の時舵取りできる人がいるのかとなるからだ、そこは同情するとなる

私の交際範囲とかは狭いしこうして何か批判することはむずかしい
そもそも人間の直接付き合う範囲は狭い、すると視野狭窄になる
ただ実例となると私の母の実家の父親は警察署長だったのである
だから警察官としては最高位にのぼりつめた人だったのである
でも退職して機織り工場を経営して失敗して一家離散のようになった
その人は自分は警察署長までなったのだから優秀だと思って工場をはじめたのである
でもそれは畑違いであり失敗した、無能になったということである

もう一人は一級の免許をもっていて会社を立ち上げて経営者になったが失敗した
その人は技術者として優秀でありそれでみんなから周りから優秀な人とされていたのである、だから自分は優秀だということで会社経営しても成功すると思い込んだのである
でも会社経営となると本当にこれは大変なことであり並みの人間ではとてもできないものだった、だから20人に1人くらいしか会社経営は成功していないのである
死者累々としているのが経営の世界なのである
そしてその家にも問題があった、会社勤めなら家はあまり関係していない、会社に従い仕事していればいいだけである

でも一旦会社経営になると家族まで関係してくる、その家はまず会社経営に向いていない家族だったのである、それで経営者になるなら商売人の妻をもらいというのは経営は商売にもなるからそうなる、その妻は全くそういう人ではない、会社員の妻ならいいが経営者の妻には向いていなかったのである、そして家族自体も向いていなかったのである
でも強行したのは会社勤めしていたときは技術者としては優秀だから会社経営でも成功すると確信したのである

人間は結局あることについては優秀だが分野が変わったりすると無能化する
オールランドにあらゆることについて優秀な人はいないのである
それよりあることについて優秀だとか才能があるということは他のことは無能だとなっているのだ、全能な人間などいないからである
正直菅首相に同情するのはこんなコロナウィルスに対処することが誰ができるのかとなる最初からgo to トラベルは失敗だったともなるが経済優先ということでそうした
経済を優先させるべきだという人もそれなりにいたからその判断に迷うのである

確かなことは官房長官の役割りと首相の役割りは全く違ったものであり麻生氏に自分で判断しろといわれたのもそうである、首相は自分で判断する、報告するのとは違うからである、その責任も全然違ったものになる、そこでこういう緊急事態に対処できなくなる
いづれにしろ人間はあることには優秀でも他のことになるとたちまち無能になる
学者が経済でも通暁しているかとなると経営者になっても成功するかとなればしない
現実の会社の経営となれば全く違ったものであり理論通りにならないからである
理論と現実は違っている、理論は理想である、でも理想は現実社会で実現しない
マルキシズムがそうだったようにそれはあくまでも理論であり現実社会に適応できないものだったのである、理論と現実の乖離がありそれで粛清の嵐となり何千万が殺されたとかの悲劇になったのである、かえって熾烈な権力争いになってそうなった
そこに人間の業があり理論通りに理想が実現しないのである

私自身でも理論とか理想を語るけど現実社会では通用しない、学者タイプでありでも現実に会社を経営者とにはなれない、何か理論的に批評したりするのに向いているのである
ともかく一般的にはあることに優秀でもすべてに優秀な人はいないからピーターの法則があてはまる、菅首相も首相になったら無能化したともなる
ただこんなときに誰がやってもうまくいくとは思えないのである
要するにコロナウィルスが未知なものだからである、未知なものに対応することはできない、そこで世界全体が混乱しているのである
posted by 老鶯 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月24日

利権団体による「安全神話」の崩壊と類似 (民主主義の弱点がコロナウィルスでも現れた)


利権団体による「安全神話」の崩壊と類似

(民主主義の弱点がコロナウィルスでも現れた)

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参加国の元首や大使たちがかけひきに終始しているのを、フランスの代表タレーランが皮肉を込めて言った言葉です。(会議は踊る)

民主主義の弱点がコロナウィルスでもそうだがアメリカの大統領選挙でも現れた
多数決で決めることに限界が来た、多数決で決められない、多数決が最善のものではないでもその反対に全体主義があり独裁がある
それは共産主義にもある、それは北朝鮮のように独裁になる
トップの命令が絶対となり裁判もなく簡単に死刑にされる
法というのも通用しないのである

でも今民主主義も混乱している時、これも弱点がありその弱点が顕著になり混乱している民主主義といっても実際は利権団体民主主義なのである
実際は一票など何の力もないのである
だからまとまった票を得る組織団体が利権団体となる
その利権団体も様々である、それは原発事故で判明した
原発は巨大な利益を生むものだったからである
そこにあらゆるものがその利益を得ようとして「安全神話」を作ったのである

官僚でも検察でも警察でも海上保安庁とかでも東電に天下りしていたからである
官僚でも利権団体ともなる、例えば東電だけではない電気に関係する電事連とかなると
大きな力をもっている、ここは原発推進なのであり電器関係者がそこで働き給料を得ているから原発に反対しないのである

その電事連から莫大な800億とかの宣伝費がマスコミに出ていたのである
そのマスコミもまた利権団体である、それだけの宣伝費がマスコミに回っていたら原発の危険を指摘したりしないのである
ただ地元も利権に関係しなかったかというと漁業組合は事故前も多額の補償金をもらっていたのである、漁業組合も利権団体であり利権団体という時農協も利権団体である
民主主義とはこうして様々な利権団体がその利権を主張する
個々人の一票など実際は相手にしていない、宗教団体でもそれが利権団体となる
様々な宗教の利権団体がある、神道でも仏教でもある
創価は一番具体的に政治団体化しているからまとめて票をもっているから自民党と一体化して利権にあづかる

こうして利権団体化するとき何が起きてくるのか?

利益だけを追求する、各自の利権団体も自分たちだけの利権を追求する社会である
個人などなんの力もないのである、だから選挙に利権団体に属さない人は行かない
行っても無駄だからである、利権団体の票によって決まるからである
だから政府でも利権団体に忖度するが個々人には忖度しない
現実は50パーセントしか投票していないことでもわかる

コロナウィルスでもなぜ混乱しているのか?

医療崩壊が医師会から言われる、でも日本では十分に備えられているという人もいる
そこにも利権団体化して医師会の利益を守るために何か対応できない
医師会とは開業医の団体であり勤務医とは違う、勤務医は今現場で苦しんでいる
月給も安いとある、でも開業医が八割というときコロナウィルスに対応できなくなっている,コロナウィルスを受け入れることができないのは小規模でありまたかえって受け入れると感染すると患者が減って経営が苦しくなるとかあるからだ
ヨ−ロッパでも中国でもその点医師の八割は逆に公的機関の病院に勤めている
すると政府からの命令に従い安いから10倍も100倍もの感染者とか死者数がいても医療崩壊していないのである

ともかく民主主義が限界に来ている、確かにみんなが自由に意見を言うのはいいことである、でも何か今回の様な緊急事態であらゆる人が利権団体が自分たちの利益のみで主張していたらまとめることはできない、それで中国は独裁政治だというとき一挙に都市封鎖とかしたり強行できる
でもみんな意見をいちいち聞いていたらもう決めることもできない
そのうち何の対策もなく傷口を広げるごけだともなる

船頭多くして船山に上る

変な方向に行ってしまう、それがコロナウィルスでも起きている、あらゆる人が団体が利益のために主張する
でもみんな公平にはならないし決めらず変な方向に行ってしまうとなる

信長の桶狭間のように敵の大群が押し寄せてきている時、みんな家来が言いたいことを言ってそれを聞いていたら決められない、そんなことしているとき大群が攻め入ってくる
そこで信長が決断して敵の大群に攻め入り勝利したのである

そして民主主義はまた多数決だから多数こそ正義になる、すると数を集めることが第一になる、それがどうなるのか?民主主義⇒ファシズムになる皮肉がある
ナチスは民主主義から生まれたからである、暴力ではなく選挙で選ばれたのである
それは数を集めればそういう独裁者でも選ばれるのが民主主義だからである
だからファシズム団体が養成されやすいのもは民主主義だとなる
第一ギリシャのボリスから始まった民主制はその規模でも一万の都市とか小さいのであり直接投票だったのである、今やその規模が大きすぎるから一票の重みもない
たごまとまった利権団体の票を得ることが選挙でありそれで決まる

でもなぜ個々の利益団体が利益ばかり追求していると肝心なことが安全などが無視されて原発事故になった
コロナウィルスでも同じようなことが起きている、今回目立ったのは医師会などの利権団体でありそれが歪めている、医師会は強力な利権団体であり政府でも忖度するからであるGO TO トラベルにしても二階堂氏の背後に観光業者が利権団体化していてそれで強行されたとされるのもはそうである

つまりいろいろな利権団体に忖度して物事が決まる、するとその利権団体だけが得するが他の人はのことは国民全体からすれば不公平になる
でも政府では国民全体を考慮して決めねばならない立場にある
だからそれぞれの利権団体の主張を聞いていたら公平な判断はできなくなる
そうしてしいろいろな利権団体が自分たちの利権を追求して会議をしても
会議が踊るされどすすまず・・・になる
会社でも会議は無駄だというときもそうなのだろう、いちいちそれぞれの言い分を聞いても社長が決断しなければすすまないともなるからだ

ともかく民主主義の弱点が現れてきた、それはアメリカの大統領選挙の混乱でもそうである、民主主義が信じられなくなっている、投票とか多数決を信じなくなっている
だからアメリカは分裂して南北戦争にもなる、分断してまとめられないとなる
かえって民主主義の宿命として現代なら大衆主義となりファシズムに向かうのがナチスのように証明されている

でも緊急事態では民主主義ではそれぞれの利権団体であれいろいろ自分たちのり利益のために主張していたらまとめられない、そのうちに傷口が広がり手遅れとなってしまうのである、そこで即断しなければならない、でもそれが民主主義ではできないのである
それで致命的になる、中国では情報でも公開しているし即断して都市封鎖して抑えた
そういう体制だったからできた、共産主義がいいというのではなく民主主義にも弱点があり緊急事態になると民主主義はそれぞれの言い分とか利権を追求すれば混乱してまとめられないということである



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2021年01月20日

世界混乱の時代‐グロ−バル経済は終わりになる (コロナ危機で大きく衰退する「先進国の末路」)


世界混乱の時代‐グロ−バル経済は終わりになる

(コロナ危機で大きく衰退する「先進国の末路」)


●民主主義の崩壊

●資本主義の崩壊

●ヨ−ロッパ、アメリカの衰退

●東西文明の転換点


今何が起きているのか?

大きな文明の変換点に来ている、それがコロナウィルスで加速された
20世紀とかは欧米文明の西側文明の東側文明の支配であった
それはすでに大航海時代から始まっていた
アメリカ大陸とか南米へのヨ−ロッパの侵略があり世界は欧米に支配された世紀だった
アジアでも植民地化された時代だった、ベトナムはフランスであり東南アジアはイギリスであり太平洋戦争はまず昭南島といわれたシンガポールとかイギリスの赤十字病院があったマレーシアのジョホールバルを日本軍が奪い占領した
その時ヨ−ロッパの侵略が日本によって止められ逆転したのである
その時まだアメリカは参戦していなかった、ドイツでもイギリスと戦争になりアメリカが援護するようになりアメリカが世界の覇権国となった
つまりアメリカの世紀になったのが20世紀だった

そして世界史からみるとアメリカは確かに日本に戦争で勝ったが今や衰退国家となりつつある、その現象として大統領選挙とかの混乱があり民主主義も機能しなくなっている
また資本主義も行き詰まっている、資本主義は大航海時代から船に投資することではじまった、船の株主となり船が荷物を積んでも無事帰ると大儲けができた
それでオランダが栄えたのである
また広大な未開のアメリカがありそこにイギリスがまず入り支配した
そこは資源が豊かだった、石油があり資源がある、その石油でロックフェラーとかがロスチャイルドとかが莫大な富を得て陰のアメリカの支配者ともなった

石油はあらゆる経済活動の基になった、なぜなら石油がない時、

アメリカではろうそくの原料や灯火用の燃料として鯨油が用いられており、消費量は年々増加していた。その需要を満たすため、鯨油の採取を目的とする捕鯨業が栄えていたのである。

1859年8月、ペンシルバニア州で穿孔法による初の油井が掘削され、翌60年には生産量50万バレルに達する。これは当時世界一の産油国だったルーマニアの50倍の生産量であった。石油から精製される灯油は、質量ともに鯨油を上回っていた

アメリカが強国になった一つが石油だったのである、産業革命にしても機関車を作っても燃料がないと動かない、でもイギリスには豊富な石炭がありそれで機関車を動かすことができた、石油の前は石炭が大きなエネルギー源だったのである
それが石油に変わったときアメリカには石油がありそれで強国となった
そもそも石油がないと飛行機すら飛ばせない、戦争中はゼロ戦でも石油が片道しか飛ばせないくらいしかなかった、つまり燃料がなかったのである
だから戦争する前に燃料になる石油がなくて負けていたともなる
経済封鎖されたときアメリカから石油も入らなくなっていたからである
つまりエネルギー問題が今でも重要なようにその時もそうだったのである
中東が世界で重要になったのはやはり石油のためだったのである

欧米が衰退する時、それに拍車をかけるようにコロナウィルスが蔓延して欧米の被害が大きい、それはなぜなのか、つまりもともと衰退しつつあった欧米にさらに弱体化させるものとして働いた
アメリカは衰退しない、株もあがるからアメリカに投資すべきだという投資家もいる
でも世界史の流れからみればアメリカは衰退してゆく
それが今様々な現象として現れている
そういう世界史の大きな転換期に起きている現象である

その根底にある民主主義とか資本主義が崩壊しつつある、それが選挙でも機能しなくなっている、それは民主主義を標榜する他の国でも起きる、日本だって投票率が50パーセントとかなり利権団体主義であり言論の自由度も世界で二十番目とか低いのである
言論は統制されている、政府は情報を公開しない、それが原発事故に結びついた
コロナウィルスでも本当の情報は公開しないから科学者でも判断できないとしている
科学者はデーターから客観的に判断する、でも公開されない秘密にされているからできないとしている、すると何かマスコミでは過剰に恐怖をあおり視聴率を稼ぐだけとかなる
そこで誤った方向に国民を導くとなる
原発事故のように国民が犠牲にされることにもなる
何が本当なのかわからないからである

欧米が衰退してもう世界にリーダーシップも発揮できない、民主主義も資本主義も崩壊しつつある、世界金融資本とかの陰の支配者も世界を操作できない、支配できない
もうドルが世界基軸でなくなり金融システム自体も機能しなくなり崩壊するという危機にもなっている
つまりグロ−バル経済自体がもう崩壊しつつある、金融システムもこれも欧米による世界支配のシステムだったからである、その背後にはロックフェラーとかロスチャイルドがいたとなる、でもその支配もできなくなりつつある
大きな世界的なシステムの崩壊が起きつつある

ただ次なる世界がどうなるのか?

その前に世界が混乱して第三次世界大戦とかが起きることもありうる
そういう崩壊現象が起きている
確かなことは欧米支配の世界が終わりつつある、これだけは確かである
次なる世界はその混乱からやがて見えて来る
そうなると中国支配になるのかともなる、言えることは欧米支配は終わり西の時代は終わり東の時代に移行する、そういう時代の中で混乱している

日本は東西文明の橋渡し役とされる、東と西の文明を融和させる地理にあり使命をもたされていた、それが明治維新で成された、でもアメリカに戦争に負けて挫折した
そして中国が台頭してきた、では中国が指導国となるのか?
中国は社会主義国であり一党独裁でありその政治体制は世界で世界を導くことはできないでも新しい政治体制とか経済システムとかが作られるのは簡単にいかない
何かアナキーのような状態になる、それをついてまた独裁政治とかナチスのようなファシズムにもなる、世界史もカルマであり過去の悪夢が別な形で世界を席巻することもありうる
世界が混乱してアナキーになりそこで暴力が前面に出てきて民主主義は崩壊する
それが今アメリカに起きている
もう選挙で決められない、政権交代ができない、最後は暴力で決着するとなるからだ

ただ民主主義に代わるもの資本主義に代わるもの世界金融システムに代わるものは何なのか、そうした世界的改革となると新しいものを簡単に構築できない
その前にアナキーとなり世界大混乱となり第三次世界大戦にもなる
でもそういう混乱の時代であり先が見えない時代になっている



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2021年01月16日

危機に政府でも備えていなかった―原発事故でも同じ (さらば厚労省ー村重直子を読む)


危機に政府でも備えていなかった―原発事故でも同じ

(さらば厚労省ー村重直子を読む) 

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さらば厚労省 それでもあなたは役人に生命を預けますか?


コロナウィルスと原発事故の共通性を追求して来た、この本を読んでわかった
インフレインザですでに経験済みだったのである
その経験から改革も成されず備えないからコロナウィルスでも対応できない状態になったその責任は厚労省の技官にあるとしている
厚労省の責任であり医師の側からの発言している

危険に備えられなかった!

備えることはできたが政府では官僚でもしなかった!

これが共通した原因になる、専門家がいる、原発でも十数メートルの津浪が来ると科学者が専門家集団が警告したがそれに備えることを東電でも政府でもしなかった
保安院は何の役割も果たさなかった、不安院とされた
この本でも医師としての経験がありアメリカでの経験もある人がそのことを指摘しているいろいろ提案してもそれが実行されなかった
そのことが今の危機に対応できない原因を作りだしていたのである
インフレインザで今の事態が予測できていた、そしてその通りになったのである

●医師不足

●看護師不足

●ウィルス専門病棟の必要

●勤務医と開業医の分化の問題

本当に今そのことが問われている、でもすでに専門家は現場で働く医師はそのことがわかっていた
それは原発事故になる前に配管が老朽化して危険だとか現場の人が指摘していた
でもそのことに危機感をもって対処しなかったのである
だからこれも人災の面があった、確かに津波とか地震が原因であり不可抗力だったというがそもそもその危機にほとんど備えてないなかったのである
だから爆発した時、浪江町民は一番危険な山の奥の津島に町長の命令で避難したのである
この本ではすでに今起きていることを予測している、専門家で現場で働いていた人が厚労省の技官によって官僚によって制約されてやりたいことがやれなかったと言っている
それは厚労省の官僚が技官が現場の医者より上にあり命令する人だからそうなったとしている、その権限が大きいからそうなったとしている
それで心ある医者は国民のために患者のために尽くそうとしているかるが適わなかったとしている

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今の現状をすでに予測していた、それはわかっていたことなのである
でもその危機に対して備えていないだけだった、それを怠ったのは誰なのか?
それは政府であり厚労省である、この本ではどういうわけか舛添氏が厚労省の大臣の時に改革が行われたとか評価している、でもなぜあれほどバッシングされてやめさせられたのか?それも一方的だったのかともなるがその辺は私にはわからない

とにかく原発事故でも政府の責任が重かった、危機に対して対策をしなかった
政府の仕事は国民の安全を計ることである、だから軍事でも原発でも医療でも危機に備えることがその主な仕事なのである
ただそれが成されていなかった、その理由は利権とか省益とか官僚の無策でありそれが国民に甚大な被害をもたらしたのである

原発事故だって危機に備える予行演習はできたのである、それをしなかった、ただ「安全神話」を作りあとは何もしなかったのである
本当にずさんだったのである、官僚は利権になればいいとしかなかった
それはコロナウィルスでも似たようなことだったのである
ただウィルスとかはインフレインザでも経験ずみであり対策できた
それをコロナウィルスが蔓延しはじめた去年からわかっていたのにしなかった
そして今になって陽性者が増えて混乱しているのである

何か現代の問題は複雑になり誰も統一的に指導できない、それはアメリカの大統領選挙でもわかる、民主主義が壊れてしまったということでもそうである
ナチスでも正式な選挙でナチスが力をもった、暴力ではなかった
民主主義はまたファシズムになりやすいのである、創価の様なカルト教団に影響されているのもそうである       
なぜファシズムになるのか?

統一して治めることができなくなる、そこで強力なヘッドが望まれて一党独裁とかファシズムになる
ただまた強力なヘッドがいないことで混乱して治めることができない
コロナウィルスを抑えるのに成功したのはニュージランドとか台湾とか小国で島国でありそこはガバナンスが行き届くからできたのである
イギリスは海峡があってもヨ−ロッパと陸続きのようになっているから抑えることができなかった

船頭多くして船山に上る

民主主義の弱点はここにあった、みんな船頭なのである、言いたいことを言う、でもそんなことをしているうち変な方向に行ってしまうのである
だから強力なヘッドがいなと導けないとなる、でも民主主義ではできない、それで民主主義もアメリカで崩壊しているとなる

ともかく現代社会は科学社会であり科学のことで混乱して来る、専門家でも実際はコロナウィルスについてわからない、インフレインザでもわからないとしている
わかっているのは天然痘とか結核くらいだとしている
だから専門家でも様々な意見がありまた厚労省ではデーターを出さないから専門家でも判断できないとしている  

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武田邦彦氏もそのことを言っている、データーが見れないので判断しようがないとしている、つまり秘密主義でありデーターを隠している
それは原発でも内部のことを知ることはできなかったと同じである
そしてマスコミはそもそも情報を得るために政府機関に忖度するだけで本当のことを知らせないのである、利権を得るためにそうしている
そのことで原発事故でもそうだったしコロナウィルスでもただ危険をあおるだけであり
視聴率をかせぎ宣伝する会社から金をもらうだけだとしている

つまり本当にコロナウィルスという敵にみんなで協力して立ち向かうということができない、個々の団体が利権を優先して肝心の安全とか無視される、安全より利権が先だとなるそうなるとコロナウィルスでも統一して一致協力して立ち向かうことができない
そして大惨事にもなる、ただこの対処方法は普通の風邪であり二類からはずす、それで十分だという意見もある
ある程度感染することは防げない、だから恐れ過ぎることは良くない
ただコロナウィルスを受け入れる専門病棟とか医師とか看護師を用意しておく、それは必要だとしている
その医師でも看護師でも用意できていなかった、減らしていたし看護師でも免許もっている人でも半分が看護師になっていないという,アメリカではその医師や看護師は十分にいる、備えられている、そこが違っていた
だから医療崩壊があれだけ感染者と死者が多くても医療崩壊していないのである
いかに日本が脆弱な医療体制だったか、感染症には備えていなかったか見せつけられたのである

posted by 老鶯 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月15日

コロナウィルスを防ぐ方法がない (交通が止められない社会だから)


コロナウィルスを防ぐ方法がない

(交通が止められない社会だから)

長崎大学熱帯医学研究所  森田公一 所長 

「こういうふうにばらばらに違ったところに出てきていますね。こういうデータからは患者はその都度、東京あるいは大阪あたり。そのときに流行していたところからウイルスを長崎に持ち込んで感染した、持ち込まれて感染したという状況を示している」

県内では、2020年10月まではウイルスの系統が感染者ごとに異なっていました。

つまり、第2波のときは「市中感染」や「地域内での流行」はなかったことを意味しています


東京あるいは大阪あたり。そのときに流行していたところからウイルスを長崎に持ち込んで感染した

ウィルスは人から人へうつるのが基本である、だから人の流れを止めない限り伝染を止めることができない
南相馬市でも最初東京のライブハウスに行った人からうつった
それは自分の家から500メートルくらいのところだったのである
他にも東京から仕事に来た人が入ってきて伝染したとかある
なぜ昭和村とかの辺鄙な所で感染者が出たのか?
それは福島市辺りで会合とかあり飲み食いがあり感染した
第一もし昭和村とか辺鄙な村を出ずに生活していたから感染しようがないのである
これだけ人が自由に往き来している時代にどんな辺鄙な所でもその行き来を止めることは不可能な時代なのである

第2波のときは「市中感染」や「地域内での流行」はなかった

一地域で感染するのではなく遠くからもちこまれるのがウィルスだということを示している、だから人の行き来を止めることが最大のウィルスに対しての防衛だとなる
それで中国の村では村に入れないようにしたというのもわかる
それしか方法かないのである、あとはワクチンになるがこれもすぐにはできない

でも現代で交通を止めることは不可能になっている、江戸時代の何千倍なのか何万倍なのかもう人の流れを止められないのである
そうして経済活動を止めると今度は生活がなりたたなくなる、そのために犠牲になる人もててくる 

例え一千万の東京をロックダウン、閉鎖しても物流は止められない、そうしたら死ぬことにもなる、その物を運ぶの機械ではない、人間が運ぶ、するとその人間から伝染するのである,ヤクルトですら配達を停止するというのはそのためである
この辺ではドローンで配達する実験が行われている、それは震災以後ロボット工場ができたからである、それなら安全だとなる

確かなことは市中感染」や「地域内での流行」はなかった、外からウィルスはもたらされる、江戸時代のコレラは長崎から入ってきて全国に広がった
今回は長崎は逆に辺鄙な地域となり外からウィルスがもたらされたのである

ともかく江戸時代のコレラでも会津若松から拡散した、伝染しなかったのは桧枝岐だけだったとなる、それだけウィルスの伝染を止めることはむずかしかったのである
それで対策として老人は危険だから家に籠っていろというのもわかる
それを徹底すれば被害が少なくなる、でもそうなると認知症が悪化するとか運動不足になるとかで心配する
でも江戸時代とか戦前ですら村から出ないで一生を終わった人がいたのである
村自体が自給自足を基本としていてそういう生活ができた
今はそういう生活は不可能である、すると対策はワクチンだけなのかとなる
ただある程度感染者が増えて抗体ができるとおさまる、それを実行した国はスエーデンとかでありそれも失敗したとしている

いづれにしろ経済活動を止めることはできない、すると伝染も抑えられない
何かいい方法があるのか?・・・・・ないとなってしまうのである
だから科学者でも伝染は防げない、これは普通の風邪でありみんながかかり抗体をもったとき収まると言っている、それしか方法がないのかとなる
だからといってそんいなふうにはできないから何らか対策をしようとする
でも自粛させても一時的でありまた感染者が増えてくる 

結局厚生省の技官が言っているように

●老人は60歳以上とかは家に籠って外に出ない

●医療を体制を整えて防衛する

それくらいしか方法がないとなる、あとはワクチンだとなる
つまりなんらか効果的な方法がないのである

それで科学者は個々人が免疫もつことだとなる、栄養をとり休養をとり免疫力を高めておくべきだとなる、それくらいしか方法がないからである



posted by 老鶯 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月14日

東京がロックダウンできない理由 (原発事故とコロナウィルスの共通点)


東京がロックダウンできない理由

(原発事故とコロナウィルスの共通点)


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この意見は的を得ているかもしれない、なぜ東京がロックダウンができないのか?
それ自体の是非はあるししなくてもいいというのもわかる
でもできない理由は確かに東京に住んでいる人が賛成しないからである
つまり人間はその住んでいる場所から発想する、住んでいれば環境でも経済でも何でも直接影響する
もし住んでいないければ他人ごとになる
つまりそこに住んでいる人と住んでいな人の大きいのである
別に住んでいなければ旅人であればそこに住んでいるのとは違う
いい景色を見て醜いものを見ないでも通り過ぎるだけだからいいとなる
でも一旦そこに住むとなるとまるで変ったものになる
田舎の醜悪さが人でも嫌というほど感じるようになる
でも一旦住んだら逃れられないのである
毎日変な隣人がいてもそこから逃れなれなくなる

原発事故でもそこに住んでいる人と住んでいない人の差が大きい、それは福島県内でもそうだった、自分自身でも30キロ離れているから原発に関心がなかったのである
でも浪江とかだと原発の煙突とか見えた、だから危機感を感じる
あそでで事故起きたらどうなるのかと理屈ではなく直感的に感じる
でも30キロ以上とか離れていると関心がないということがあった
だから放射性物質が東風に流されて飯館村と福島市まで流れて被害が結構大きいことに驚いたのである

そもそも原発は東京の人が危険だと東京に作れないから福島の浜通りに作ったのである
それでもともと東京に作るのがいいと本を出した人もすでにいたか無視された
それが正論だったのである、それは東京に住んでいればその人たちが直接恐怖を感じるからである
東京には知識人でも技術者でも科学者でも一級の人もいる
また今は左関係者は原発に反対する、そうなるととても東京には作れないのである
それで福島県でも双葉とか大熊の地域は経済的にも遅れているからと狙いを定めて作ったのである
これが今の南相馬市とかなると原町は5万くらいの都市だから作りにくいということもあった、ただ東北電力で小高に原発を作るところだった
それはすでに工事が開始されるところだったのである
でも事故が起きて中止されたのである、その小高だと前の原町市でも隣の鹿島でもまた相馬市ですら30キロ圏内にも入ることになったのである

このコロナウィルスは大都市から拡散する、名古屋市でも大阪でも福岡でもそうである
それで一番影響の大きいのが東京なのである
だから東京の問題だけではない、大都市だけの問題だけではない、その周辺も影響する
東京にその周辺に人口が一千万以上密集するからそこを止めないと拡散する

つまり東京が大都市が元凶だとなる

それで東京に原発事故で避難した人たちが放射能がうつるから来るなとか子供がいじめられたりした
それと同じことが起きている

コロナウィルスをうつるから東京から来るな!

これも本当にカルマなのかと思う、カルマは必ず人間にある
東京は東京だけが良ければいいとなる、だから原発は東京に作るのが正論だった
また津波でも入江があり大きなものが来ないというとき安全だったともなる
ただ地震があり危険なことは危険である
でも津波はそれほど危険なものとはならない地形なのである

いづれにしろ東京をロックダウンして一度徹底的に検査して外に伝染させないようにする東京内でその周辺で収める、それが全国的にもウィルスを拡散させない方法だという
ただそれが東京に住んでいる人たちの反対でできない
結果として周辺に拡散が止められないとなる
そこに巨大化して東京とか大都市の問題があった、人間が密集しすぎたのである
そのこと自体が不自然となりコロナウィルスを抑えることができなくなった
首都移転なども騒がれたがそれも消えた

そもそも大都市そのものが災いだということもある
東京を見たらとてもそこが正常な世界に見えない、そこから災いが生まれ拡散される運命にあったとなる
密集すると火事でも延焼して止められないから大被害になる、そもそも密集することは
地震でも火事でも災害には弱いとなる、ただ便利さを求めると人は密集する
結局津波の被害にあった港は危険だったけどまた便利だからそこに集まり住むようになった、本来は村のように一軒一軒分散して住むのが自然だったともなる

東京がロックダウンできないというときその規模が大きいから経済的影響は全国に及ぶ
東京だけではない、周辺地域とも結びついているからそうなる
それはグロ−バル経済でもそうでありまた広域社会でも影響が拡散する
人の流れでも物流でも止められないのである
ただ東京に住んでいる人はやはり東京から発想する、それはみんなそうである
でも東京は巨大だから東京の影響をその周辺で受ける
それが原発事故となりコロナウィルスが止められない理由にもなる

最初南相馬市でもコロナウィルスを伝染させたのは東京のライブハウスに行った人でありその後も東京から働きに来ていたとかの人だった
東京からコロナウィルスは拡散したのである、そして郡山市とか福島市とか人口の多い都市から拡散してゆく、ウィルスはそういうふうに人から人へ伝染するのだから人の流れをとめないと止められないのである
でもそれが最もしにくいのが現代社会なのである、それは人が密集して住んでいる
密集して仕事しているとか人が集まることが危険になる
だから社会そのものを見直すものとなった

そうは言ってもも江戸時代すらコレラの流行を止めることができなかった
福島県では会津若松市から拡散した、そして伝染しなかったのは桧枝岐だったのである
そこは秘境であり交流がほとんどない地域だった
その代りソバが主食でありヤモリの燻製などを食べていたのである
そうして人の交流がなければウィルスは伝染しないのである
それが江戸時代でも不可能であったということは現代では防ぎようがないとなる

つまり交通が発達して世界の人々が自由に交わるということがマイナスに働いたものとなった
これも何か神からの戒めとして作用しているのかとなる
そもそもウィルスは風土病であり交通でも発達しなければ一地域にしか流行しないものだったからである
それは生態系の防衛であり生態系を維持するためにウィルスが出てきて伝染したのかとなる、生態系を壊すということでは原発事故でも同じだった
空気とか水と土を汚染されたら住めなくなったからである



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2021年01月13日

医者(医師会)はコロナから逃げるな! (厚生省元技官がテレビで言う)


医者(医師会)はコロナから逃げるな!

(厚生省元技官がテレビで言う)

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現状について木村医師は「これは戦争のような、いわば国家の危機だ。政府がバッと動いて抑えなければならない
“緊急事態”であるにも関わらず、結局は全ての対応、対策が地方自治体任せになっている。
木村医師(厚労省元技官)


テレビで医師会会長が医療崩壊がすでに起きている、また次は医療壊滅になると会見で言った、医療崩壊とはまだ余裕があるが医療壊滅となるとコロナウィルス意外の人も救急でも診れなくなるという
それに対して医者は逃げるなとか看護師も逃げるなと言った
ここには金の問題とか日本では民間が多いとか医療システムの問題がある
日本では民間病院が8割であり外国では逆に8割が公営の病院である
だから日本の感染者の何十倍がでても医療崩壊していなのである

だから民間の病院の開業医でもコロナウィルスにつぎこめという、金の問題があるがそれは国で支援する、その予算はあるとしている
でもここで起きている問題は何なのか?

医者でも看護師でもコロナウィルスを嫌がっている

感染したくない、だからやらない

いくら金をもらってもやらない

それを強制することはできない、現実に月50万払うとしても看護師はやめたとか集まらないのである
すると金だけでも解決しない問題がここにある
ただ医者は看護師と比べるとコロナウィルスに対して防護している
でも直接接する看護師の方が危険だとしている、それで不満になった

今起きている問題は金の問題があってもシステムの問題があっても心の問題が問われているのかもしれない、自由社会ではやりたくないことはやらないと言えるししなくてもいいとなるからだ

でも警官でも消防士でも自衛隊でも危険だからやらないとは言えないなのである
それが仕事てありそれで税金をもらっているからである
医者とか看護師とか警官とか消防士とか自衛隊とか何かこの人たちの仕事は緊急な事態に対処する仕事である
つまり市民の安全を守る仕事である、それは医療従事者も医者とか看護師もそういう仕事でもあった

ただそれが自覚されていなかった、国全体として国の安全を守る、公益的な仕事だった
それが自覚されなかったのはそういう事態に直面したことがなかったからである
個々の病院で開業医で働いていればそういうことが自覚されない
個々人に対応して働くという感覚にしかならない
でもコロナウィルスに対応するには国家的な防衛ともなる
だから個々の対応とは違ったものになる
消防士が火事になって危険だからと断ることはできない、でも医者の場合は救急車で患者が運ばれれば対応する、何かやはり市民の安全を守るものとして機能している面はあった医者とか看護師は国家公務員のような公益的仕事の機能があった
それで外国では病院でも医者でも公務員のようになっていて政府が支持できたのである
民間だと政府で公務員出もないのだから指示しにくいから対応できない

でも国家的危機になるとそれですまされなくなった、私の姉は従軍看護婦として赤紙一枚で戦地に送られて地獄のような所で働かされた
赤痢になったとかあり相当に苦しんだ、それで死ぬ間際までうなされたようにその戦争のことを話しして死んだのである
その苦しみのことを忘れることができなかったのである、人間は楽しいことは何か忘れるが苦しんだこと苦しめられたことは忘れない、それでいつまでも根にもつ人がいる

日本は戦後何か平和であり平和ボケして国家的危機を経験していない
それが津浪や原発事故でもたて続けに危機を経験したのである
国家総動員のようなことを経験した、コロナウィルスもまた国家的危機であり国家総動員のようにしないと対応できないともなる
ただコロナウィルスはただの風邪でありそんなに騒ぐ必要はないという意見もある
そんな大げさなのではない、それより経済を優先させる、その方が国家崩壊までになるというのもそうなのかともみる

ただまず医療体制を整えるというのは確かだろう、最悪に備えるということも必要だろう経済を優先するにしても医療体制を整えて備える、それは厚生省の女性の技官も言っていた、そこが肝心だとしている
自粛とかの前にまず医療体制を整える、備えるそれが先だとしている
それをしないで自粛とかしても感染者の増加を防げないこともあるから備えろと言っている

それは原発事故でも10数メートルの津浪が来ると専門家が警告したのに備えなかったことで大惨事になったのと似ている
安全に備えるのは無駄に見える、金と労力の無駄に見える
でも一旦事故になったりすると今回のように莫大な損失が生まれる
その安全を計るのが国家の政府の役目だとなる
そういう視点が戦後の平和のために失われていたのである
国家が一丸になって対処するということがなくなった結果として緊急事態に対応できないともなったのである
国家は常に戦後否定されるものとしてあったからである




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2021年01月12日

コロナウィルスが宗教団体にも影響した不思議 (会合ができない、集団的示威行動ができない)


コロナウィルスが宗教団体にも影響した不思議

(会合ができない、集団的示威行動ができない) 

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コロナウィルスの影響がこれほど広範囲になったことは驚きである
意外と宗教関係にも影響した、とにかく人が集まることが感染するということでさけられる、すると初詣とかもしにくい、人が密集するからである
最初韓国でキリスト教系のカルト団体が合同結婚式で感染してその教祖が謝った
そもそも結婚式と宗教はもともと関係していない、なぜなら本当は宗教は結婚を否定しているからである、妻帯を仏教でもキリスト教でも否定しているからである

そもそも宗教は集団で示威行動するということはない、修道院にこもるとか洞窟にこもるとかで修行していたのでありそんな数を集めて社会にデモストレーションしたりしない
また金集めとかももともとしていない、シャカはお布施で何とか生きて修行していた
キリストになれば枕するところなしであり家もなにもない、実際は浮浪者のようでもあった、そこに金が集まるとかもない、そもそも集団で示威行動したり金を集めることはしない、それがカトリックになったときローマ帝国に公認されたときカトリックが社会を支配するようにてった時、キリスト教は別なものに変化した
教皇権が王権より上にありその公認がないと力をもてないとなる
それは天皇とも似ている、武士が実際の権力をもっていてもその上に権威として天皇がいて天皇の公認がないと力をもてないとなる

でもカトリックになると実質的に土地を所有したり権威だけではない強大な権力をもつようになった、そこで政教一致であり二重の権力をもつことになった
一般民衆は宗教により恐れさせられる、恐怖心を与えられる、地獄に落ちるとか罰当たるとかを恐れる、それで免罪符が売られたのである
それは日本でも仏教もそうだった、比叡山に僧兵がいして守っていた
琵琶湖の水運でも税を比叡山の僧侶がとっていた
仏教団体が世俗の生活に入り込み支配して税金をとっていたのである
それで信長が反発して焼き討ちして僧侶を殺戮した、それだけそこは宗教というより一つの強大な利権をもつ城と同じだったのである
大坂の真宗の団体でも城であり武士に対抗したのである

だから何か宗教の歴史はわかりにくいが日本でも似たような歴史があったとなる
つまり宗教が世俗化して権力化することがありそれはカトリックの歴史でもあった
それに反発したのがプロテスタントとなったのである
そしてカトリックのバチカンは独立した国となった経緯はもともとイタリア全土がカトリックの土地でありそれで困るとして一部を国として独立させたとある
それだけカトリックが土地をもち権力をもっていたとなる
それで今バチカンの闇が言われる、銀行ももっていてそこで闇の金が流れているとかなるそもそもそうなるのは巨額の金が集まるからそこからしておかしくなっている
宗教に金が集まるとなるとその金を利用したい人が寄ってくる
権力を得たいという人が寄ってくる
第一シャカとかは乞食でありキリストにも何の所有もない、枕する所もない浮浪者と同じだった、そんな人にそもそも金目当てで寄ってくる人はいないのである

ともかく宗教でも金があるとか権力あるとそれを目当てに人は寄ってくる
だから宗教では金を持つとか権力をもつことはかえって危険になる
家族でも遺産争いになり骨肉の争いとなる、人は金には権力には寄ってくる
毎日金にならないかなるものがないかと思っているからである
それ意外人間は関心がないのである、だから宗教でも同じである、欲があり欲を満たしてくれるものに寄ってくるのである
だから普通だったら宗教は欲を否定するのだから寄ってこない、さける、それが何百万と集められるのは宗教とは全く別な目的で集まっているからである

だから宗教の歴史も人間の歴史だから世界で共通したものがある
宗教でも必ず俗化して社会化してそこで普通の世間と同じものとなる
創価がその典型である、現実に信濃町がバチカンになっている、その辺の土地が買収されて不可侵の領域にされているというのもわかる
強大な権力を有しているからである、そして宗教に帰依するというより権力に帰依するのである、それはカトリックと同じである、莫大な金が入る、それで権力を強化して民衆を支配して社会に数で示威行動を示して恐れさせる
そこに入る人も世俗的野心家とか様々な人が入り乱れる
その目的は権力を得るためである、世俗的な権力を得て地位でも金をでも得たいということでそうなる
だから24時間毎日毎年選挙活動に明け暮れている、座談会とは票を集める場であり信仰の場ではない、すべての目的は選挙に勝つためにある
第一そんな何百万の数になればいちいち個々人の事情に答えられないのである
だから目的は一つ選挙に勝つことが仏法の勝利だとなる、あとのことはどうでもいいのである

それが座談会でも開けないということは票も得られないとなる、これは痛手だとなる
また金も集まらないとなるとこれも痛手である、つまり権力を維持する拡大することができくなるからだ、だから致命的にもなる
本来の宗教だったら別に金が集まらなくても数が集まらなくても宗教は信仰はありえる
せいぜい二三人集まるところにキリストはいるとかなっていたからである
宗教はそもそも示威行動はしない、だからイスラム教となるとあれだけの人が集まるというのも解せないとなる、それもコロナウィルスで禁じられたのである

コロナウィルスの不思議はヨ−ロッパでペストが流行した時、カトリックとかの神父とかも相当死んだ、今回でも死んでいる、それでキリスト教が衰退してルネサンスが起こる起因となったということもある
また宗教一辺倒だったことから科学的に合理的にウィルスに対処することが生まれた
つまり科学が発達してきた一因になったという、そういう変化を起こしたのもウィルスだったのである、つまり社会を変えてしまったのである
そもそも津波でもそうだが原発を砕いた、それも自然の作用であり神の力だったともなる人間の力を越えたものによって打ち砕かれたのである
そこで人間が作った「安全神話」は崩壊した、なぜならそれはあくまでも人間が作ったものでありそれで破壊されたのである

つまりこのコロナウィルスは何なのか未知である、でもペストでもそうだったように大きく時代を変える作用がある、それだけの影響があるということである
だから宗教とかまで広範囲にその影響があり驚くのである  


マザー・テレサと人身売買を結ぶバチカン銀行の闇”とは?

【カトリックの隠したい闇】ローマ教皇も認めたペドフィリア問題


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2021年01月11日

ワンルームで在宅勤務、もう限界! 一人暮らしの若者たちの悲鳴 (アフターコロナの暮らし)


ワンルームで在宅勤務、もう限界! 一人暮らしの若者たちの悲鳴
(アフターコロナの暮らし)

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これは同情する、テレワークとなると家が仕事場になる、でも日本では借りる部屋でも狭すぎるのである
知的仕事をするには家が仕事場にするには広い家が必要である
広い家だと仕事場としての部屋、台所、食事する場、居間とかと分れて必要なのである
それから寝室も別に必要である
知的仕事にはさらに書庫とか私設図書館があるといい、ネットで調べものができるが専門的になると良質なものは本で貯えられているからである

私は今まで家族三人で暮らしていた、今は一人である、だから大きな家に一人住んでいるから部屋も七つくらいありそれが全部自分一人で使っている
それで感じたことは家というのは部屋ごとに役割りと機能があると思った
台所は食事を用意するためにありまた居間はくつろぐ場所としてある
そして部屋が変わると気分が変わるのである
ワンルームではそれができない、狭い部屋に閉じ込められて牢獄に入ったような気分になる、すると仕事もはかどらないとなる

今私は今は八畳間があり寝室も八畳間でありか広い、仕事しているパソコンがある部屋は狭いがそれはそれなりに機能している
つまりそれぞれの部屋の用途が違っていて機能している
居間にいるときは何かくつろぐ時である、寝室は眠る場所であり広いからゆったりとして眠りに入れる
そして眠る前に必ず本を読んだり書き物したりもする、その空間が何か本を読むことに適していた、そこで何度も同じ本を読んでいると頭に記憶されやすいことが分かった
それは広い部屋がそういうふう雰囲気を作りイメージが湧きやすいようになっていたのである

そして書庫もありそこでアトランダムに本をとりだして読むと前読んだ本でも引用して今では活用している、つまり仕事場になるとこうして部屋の機能がありそに応じて雰囲気も違っていて気分転換になる
気分が自ずとその部屋によって変わるのである、だから今になると自分はつくづく贅沢していると思った、前は家族三人だったからこういうことがなかったのである
割と狭い部屋にいたからである、家族がみんな死んだ結果大きな家を一人で利用するようになりこうなったのである

家で仕事するとなると家にいる時間が長くなるどうしても家の中で暮らすのだから家が大事になる、また老人はあまり外出しないから家に長くいるから家が大事になると思った
今や旅行でも十年以上していないからである
ずっと家にいてこうして書き物したり創作しているからである
画家だったらアトリエが必要なように仕事するにしても仕事場がないとそういう部屋がないと仕事もすすまないのである
だからこれは大きな問題である、東京のような賃貸の部屋ではそうした大きな家とを借りたり部屋をもてないからだ

ただ田舎だと空家とか多く家一軒を安く借りられる、広い庭つきでも借りられる
隣では二階建てで広い庭があり四万で借りている
その庭は特別広いのである、そういう空家となっているのが田舎では多いのである
だから田舎だとテレワークでもできる家に住むことができる
ただ東京から遠くなるから問題が生まれる、簡単に東京に出ることはできないからだ
それでも郡山市辺りだと新幹線で一時間だともなる
すると私が仙台市に行くより近いともなるのである

とにかくアフターコロナではこうして家で仕事するとなると大きな家が必要になる
もし家族がいたら妻や子供の部屋も必要になる、そうすると大きな家で部屋も七つくらい必要になる、そうなると東京辺りだとそんな家に住むのはむずかしくなる
でも田舎だとそういう家に住むことができる
でも実際は東京周辺に移り住む人が多いというのもわかる、やはり余り東京から会社から離れると仕事しにくいことがあるからとなる

アフターコロナで暮らしが生活形態が変わる、コロナウィルスが終息しても変わりないという時家が大事になる
家が高価だからローンで買うことは馬鹿げている、家は消費すべきものだと言うのもわかる、それは高すぎるからそうなっていたのである
むしろ地方だと田舎だと安くなる、ますます空家でも増える、それでリホームして住める東京から離れて住んでも仕事ができるとなると地方の活性化にもなる
少子高齢化で地方は衰退してゆくからである、東京から分散して住むことは地方を活性化するとなる

ただそれでも地方といっても地方都市に人が集まる、東北だったら仙台市とかである
そういう都会に人が集中することは止められない、震災以後、原発事故以後、仙台市に人が移り集まったようになる
どうしても現代はそうなりやすい、便利な場所に住みたいとなる
でも都会で広い家をもつことはむずかしいのである
地方分散移住にしてもやはり東京から千葉とか神奈川とか埼玉になっている
そこはすでに東京圏だからである、通勤圏内だからである

コロナウィルスがこうして生活形態まで変えてしまうのは驚きである
それも世界的に変わる、それがすべて悪いとはならない、かえって人が分散して住みよい社会ともなる、東京一極集中が止まるともなるからだ
会社に通わずに家で仕事できることは大きな変化になる
ただその用意ができていてなから戸惑うとなっている


読書の方法はまず記憶させること
(場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)
posted by 老鶯 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月09日

何でも代替えできる社会の脆弱性 (自粛とステイホームがもはや「正義」ではないこれだけの理由)


何でも代替えできる社会の脆弱性

(自粛とステイホームがもはや「正義」ではないこれだけの理由)

「この店で」食事をしたい、お酒を飲みたい、家族や友人と笑いあいたいと思える場所を持っている人なら、流行が収束してもそれらの場所がなくなっていては意味がないので、多少なりとも問題意識をもつだろう。そして、世論に流されたり、政府や専門家を盲信したりするのではなく、自分で情報を集めて考えようとするだろう。

 逆に、暮らしの中で意味なんか求めない、目の前に「存在するもの」ならひとしなみに等価で、その範囲からランダムに選ぶだけだという投げやりな姿勢で生きていれば、どうせすべてが代替可能なのだから、どうなってもいいものに見えてくる

この見方は参考になる、原発事故でもこのことを私は指摘した
故郷となればその場所の重みはこれとはまるで違って重いものである
それが確かに放射線が怖いというのはわかるしそんな所に住めないというのもわかる
その恐怖もわかるから外から批判しにくい、でも故郷となればそこに江戸時代から家を継いで住んでいる人がいる、それで野馬追い祭りにもでる
そういうふうにその場所には何か金では替えられないものがある、価値がある

でも現代ではそうしてある場所の価値を意識しない、どこでも変わりないとなる
故郷でも便利な場所に一億円もらったら移りたいとか若い人が事故前にも言っていた
都会になると家は買う必要がない、一時的に滞在するものであり消費するものにそんな金を使う必要がないとなる、その人は土地とか家のもっている価値がわからないのである
都会ではそうなりやすい、一つの土地に縛られると商売は成功しないというのもそうである、それが地方と田舎の相違だともなる

この世に代替えできないものがある

家族とかでもは代替えできない、故郷とか土地とかでも代替え可能なのかとなる
人間の一生は短い、一生の経験は限られている、そんなに簡単に家族を変えたり住む場所を替えたりできないのである
何代にもわたってその土地に住みそこがアイディンティティの場所になっている
それを簡単に替えられるだろうか?
ただ便利さを追求すれば便利に住めさえすればいいとなれば替えられる
そうなると一億円もらったら便利な都会に住めばいいとなる

ただ正直現代社会はヒト、モノが自由に世界的にグローバルに往き来する
そういう社会になっているとき、ある一か所に住むということは時代に合わないともなるヒトすら外国人労働者のように金を求めて移動する
ただその人たちは一時的に金のために移動しているのである
移民とは違う、移民となればずっと一生その国に住むのだから違ってくる
ただ一時的に金のために来て帰ってゆくとなるとその国と深くかかわることはない
ある程度稼いだら故国に帰るとなる
つまりそこが生き死にの場所になっていないのである

現代社会は何かただ部品のように継ぎ合わせしている社会である
何でも代替えできるとなる、故郷自体が代替えできるともなる、別な場所に移ればいいとかなる、地方でも田舎でも人と人のつながりも消失している
そもそも広域化とかグロ−バル化ということはモノでも自由に入ってくる、木材でも外国から入ってくるとかなると地域の経済自体がグロ−バル化の中に組みこまれているからだということは地域で生きているという感覚も消失する
地域にあるものは大事に思えないのである
米が不作だとなっても他からいくらでも入ってくるとか外国から入ってくるとかなる
国自体でもそうなってしまう、でも昔だっから近くで米がとれていとか物が不足したら飢饉になっていた、外から入ってこないからである
すると地域のつながりも強固なものになる、外部に頼れないからである
限られた小さな地域でまかなうほかないからである

別に広域化でもグロ−バル化でもいい方面にも作用するから否定はできない
でもそれが日常になり当たり前になったとき何かを失っていたのである

暮らしの中で意味なんか求めない、目の前に「存在するもの」ならひとしなみに等価で、その範囲からランダムに選ぶだけだという投げやりな姿勢で生きていれば、どうせすべてが代替可能なのだから、どうなってもいいものに見えてくる  

暮らしの中で意味なんか求めない

まさにこれである、意味より金だとなっている、便利さだとなっている
そこにあるものは代替え可能でありあってもなくてもいいものである
それだけの価値しかない、故郷さえそうなのである
だから突然故郷でも消失してゴーストタウンになった、それは事情がまた違うにしろそういうことで共通した面があることを考察した

そんな簡単に町や村が壊れて消失するのか?

この驚きだったのである、津波でそうなったのはしょうがないとなるが原発事故でそうなったことの驚きである、何代にもわたって歴史的に築かれた街や村が消失する
そんなことがありうるのかということだった
そして確かに補償金で他に家を建てて住んだから被害もなかったともなる
でも何かそこで失われたものを意識する、それは金に替えられない代替えできないものである、その価値は日常的には意識できないものである
金に替えられないものだからである、家族と暮らした思い出とか人とのつながりとかその土地で生きた記憶とかである、だから老人は残って住み続けている                
そこで生きたということが人生にもなっているからである
ただ若い人だと故郷にこだわらない、かえって便利な場所に移りたいということがあり出で行ったのである、そして瀬う帰ってこないのである
そこに世代の分断が生まれたのである

つまりその場所がかけがいの無い場所として意識することがない、そういう場所がない
だからどこにでも移り住めばいいとなる
その飲食店でもなくなっても何も感じない、そもそもそこなくてはならないものがないのである、常に代替えできるものとしてあるとしたらそうなる
一種のモノのようになっている、モノは代替えできる、でも人間はそもそも代替えできない、家族が代替えできないように人間そのものは代替えできない
でも今の社会は常に労働者でも代替えできるものとして時給いくらとか雇われてまた首にして部品のように人間を使っていたのである

何かコロナウィルスがそういうこと今まで見えなかったことを考えるようになったというのも不思議である、何か今までの便利な暮らしでも見直すようになった
それは何かヒト、モノが自由に行き来することに疑問をもたせたのである
コロナウィルスで自由に行き来するのを止められたからである
するとそれに対応する社会が求められる、それは今までは違った社会である
何でも代替え可能となる、人間の商品化とか部品化とかではない、何か精神的なつながりもある社会である

ただそれが江戸時代とか昔に戻るということではないしできない、ただ何かあまりにもグロ−バル化でも行き過ぎた結果として社会の紐帯も失われたとなる
もちろんそれらをすべて悪いものとして否定はできない
それが行きすぎた結果としてなったのだともみる
ともかく世界がグロ−バルに交わるということはすべていいものとして働かなかったのである、戦争で何千万人も死んだのもそうである
経済のグロ−バル化は経済の対立を必ず生み経済封鎖が行われる
そこで戦争になるからだ、日本の戦争もそうだったのである

商業とか貿易はいいものであっても必ず利益を得るための争そいとなりそれが戦争にもなってきたのが人間社会だったのである
イギリスが七つの海を支配したという時、その起こりは海賊だったというのもそうである軍事と商業は結びつくのである、自国の利益が優先されるから戦争にもなる
それで老子の小国寡民の思想が生まれたのである
広く人が交わるといい面があったとしても必ず争いになるからである
それで江戸時代は別に朝鮮とか中国と友好的であり争いもなかったのである
日本がの戦争でも実際はグロ−バル化して必然的に起きたことである
第二次世界大戦がまさにそうである、世界が広くグロ−バルに交わるとそこに衝突して戦争が起きたからである 

いづれにしろこのコロナウィルスはいろいろと社会まで見直すことになったという不思議がある、だからこれは天からの神からの戒めとして起きてきたのかともみる
そもそも入ってはならない、聖域にもづかづか開発して入っていった結果としてウィルスが防衛反応として攻撃してきたのかともみるからである



何かインタ−ネットとは対話的メデアである、それが今までのメデアとは違う
それは誰でも答えることができるからだとなる
新聞とかテレビとかで誰かが一方的に意見をいいそれを聞いているだけだったからであるでもインタ−ネットだと誰かの意見でもそれに答えることができる
対話的メデアなのである、だからただ読んでいるのではなく答える作業をするとより深く記事を読めるのである、そういう作業が必要なのである






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2021年01月07日

緊急事態ではまず金だけでは対処できない (原発事故もあらゆる利権団体の利を優先して起きた)


緊急事態ではまず金だけでは対処できない

(原発事故もあらゆる利権団体の利を優先して起きた)


安倍前首相は繰り返し、PCR検査体制を強化すると公言してきた。厚労省は一体、何をしてきたのだろうか。厚労省は、今こそ、民間主導の検査体制の確立を支援すべきだが、実態は反対だ。


本当に大変ならば、パンデミックの影響で患者が減っている医師が応援に駆け付けるべきである。感染専門医でなくても、基本的な医療知識のある医師や看護師の方が、一般ボランティアよりもはるかに役に立つはずである。

  それすらを行わないというのは、「医療関係者の傲慢・怠惰」でなければ、「実はウイルスの影響は大したことはない」のに、医療関連費用の利権獲得のために「恐怖を植え付けようとしている」からと考えざるを得ない。


 
 原発事故のことでも追及したけどあらゆるものが利権団体化してそれが歪める
民主主義とは利権団体民主主義なのである、個々人はまとまった票にならないから無視される、それで個々人は選挙に行かない、現実は5割の投票率しかない
でも利権団体に入っていれば必ず行く、それが創価などでもカルト宗教団体など宗教すら利権団体でありまとまった票をとれると手を組む
宗教は大きな利権団体なのである、御利益を与えるのではなく御利益をもらうのである
賽銭を入れて何か御利益をくださいと祈る、その御利益は神社側にゆく、肝心の御利益を願う人にはいかないのである、現実に神主がその賽銭を盗んだというのもそうである
何かここに日本人の信仰のおかしさがある
創価などでもそうである、24時間年中選挙態勢である、一票とることが信心なのである池田先生のためだとして会合して祈る、それは明らかに政教一致なのだけど許されている結局ここでも幹部とかに金が回る仕組みになっている
別にそれは共産党とかでも同じである、幹部に金がまわり贅沢しているとかなる
それは中国を見ればわかる

原発事故の原因がなんであったのか?

それが10年間地元のことだから追求して来た、合理的に追及してきて見えたきたのは
様々な利権団体が巨額の金のなる原発に群がり利益を得ようとしていたことである
本当にそれは検察とか警察とか自衛隊とか官僚でもあらゆる公的なものでも利権化して天下りしていたとかなる
地元でも漁業組合は利権団体化して事故前も多額の補償金をもらっていたのである
事故があっても金に困ることはない、補償金が他よりもらえるからである
それで立派な家を豪邸でも建てたのは船主だったのである
また原発からは町長とか議員とかにも金が回っていたともなる
なぜなら富岡町長の五億円入っている金庫が津波で流されたから探してくれというのもそうである、そんな金がどこから来たのかともなるからだ

利権団体というとき電事連は大きな資金が豊富な団体である、ここから800億円とかがマスコミの宣伝費として出ていたのである
だからマスコミは原発の危険性を追求しなかったのである、原発の利権は本当に国家予算なみの巨額なものだったのである
国家予算並みにもなる、すると官僚でもその利権を得ようとして危険性は無視されたのである、もちろん地元でも原発で働くと普通の三倍の賃金になるとか働いていた人が多かったのである、だから事故後も東電を批判しにくいと言っていたのである

このことはコロナウィルスでも同じように働いている

なぜ最初から大がかりに陽性なのか検査をしなかったのか?
それはできないということではなかった、民間で千円くらいで今できているからである
検査できないのではなく検査させなかったのである
それは厚労省の省益とか関係してしなかった、それも利権だったとなる

でも緊急事態には利権のことを言っていられなくなる、コロナウィルスでもバタバタ死んだりしているときまずは金を出せ利権だと言っていられない、そうすると国民が死んでゆくからである
そのことは自分自身が経験した、自分が介護で一人苦しんでいる時、苦しんでいる自分のことなど関係なく金を要求して来る、まず金をだせそしたら助けてやるとなる
その人は事業に失敗して借金していたからそうなったのである
私には金はあった、それは後で親が死んでわかったことである
だから助けてくれれば後で払うということがあった
また盗まれもしたがそれも助けてくれたら後で感謝して金でも払うことがあった
でもまず金をだせ、そしたら助けてやるとなっていたのである
それは脅迫だったのである

それと同じようなことが今起きているのかもしれない
医師会ではまず金をだせそしたら何とか対策を考える、まずは金だとなる
もちろん金は必要だし払う、でも緊急の時はそれより目の前の苦しんでいる人を助けることが先決なのであてる
まず金だ、それから考えるとなっていたら助かる人も助けられないのである
それはあらゆる利権団体でそうなっている
そうしてまず金を出せとなるとき身動きとれなくなる
緊急事態でも対応できない、金を出さなければ動かないとしたらそうなる

緊急事態ではまず目の前の人を助ける、それで金のことを後にするとならなければ助けられないのである
戦争中が赤紙一枚で招集されて戦地に送られた、従軍看護婦も突然赤紙一枚きて地獄の戦地に送られた、それに文句も言えなかったのである
それは戦争という緊急事態であり国の存亡がかかわっていたからである
そんなとき金だ利権だと言っていられなかったのである

今コロナウィルスで起きていることは戦時中にもなっている
学生も看護しろとかなるとき何か学徒動員を思いだした、兵士になるものがいなくなりそうなった、でも学生でも自由意志であり強制できないから行かないのである
強制できないからそうなっている、でも何か強制しなければならないときもある
自由社会とかの弱点もででいる、なぜなら中国では強制できるから日本より対処できたとしている、徹底的に最初からPCR検査して陽性者をあぶりだしたのもそうである
それは強制できるか社会だからそうできたのである

パンデミックの影響で患者が減っている医師が応援に駆け付けるべきである。感染専門医でなくても、基本的な医療知識のある医師や看護師の方が、一般ボランティアよりもはるかに役に立つはずである。

これは賛成である、医師や看護師が不足していないからである


ともかく緊急事態と平時の対応は違ったものとなる、平時だったら自由意志でいいのである、でも緊急事態になると自由意志を言っていたらバタバタと人が死んでも医者でも看護師でもかまわない、危険だからかかわりたくないとか金をもらわないと動かないとなったらどうなるのか?国自体が崩壊してゆくともなる
ただ緊急事態といってもそうした危機感もない、戦争とも違うからである
たいしたことがないとかなっているしそうかもしれない
これは医療体制の問題だというとき医療を一致して対処する、民間の病院でも緊急なのだからコロナウィルス対策として回すとかすることが言われる
それが医師会とか何か厚労省の省益とかでできないことが問題なことは確かなのである

まず医療体制をしっかりしたものとする

そこが医師会とかの利権とか厚労省の省益とかなにか利権でできないとすることが最大の問題なのである

なぜ原発事故が起きたのか?

それを追求してきたがこうした利権団体が国家予算並みの巨額の利権に群がったからである、そのために原子力村が形成されて強力な安全神話は作られた
それはあらゆる利権団体が作り上げたものだったのである
それと同じようなことがコロナウィルスでも起きているのである
つまり危機に対応するにはまず利権だとか金だとか言っていられないのである
そんなことをばかり考えていたら目の前で人が死んでゆくからである
ただそこまでの危機感を国民が感じていない、そこまで危機感をあおるのはやめるべきだということもわかる 

外国とは違うからだとなる、でも医療体制が日本ではウィルスには脆弱だったのである
民間主導でかえってできないものになっていた
その医療体制を見直して備えるべきだというのは確かである
でもそれは遅かったともなっている、緊急事態には速攻が必要になる
じたばたしている内に被害が拡大する、急襲されて全滅するとかまでなる
人間は急激に起きることに弱いのである、そこが弱点なのである
だから民主主義とかみんなの合意とかを計っていたら対応できないのである

それでかえって中国では対応が早かったともなったのである
上からの強制できる社会だからである、それがいいとはならないにしても緊急事態には強力に上からの統制と命令ができるからコロナウィルスには対応できたとなる 
武漢でコロナウィルス対応のプレハブの病床を大量に一挙に作ったのには驚いたからである、日本ではそういうことがしにくいのである、強制できないからそうなる
特措法の法律を決めるとか手続きも必要になるとかめんどうになる
そうしているうちに被害が拡大して手遅れともなる
特に現代社会は複雑に分化しているから統制して命令することがむずかいしからそうなるそれぞれの利権を言っていたら緊急事態に対応できないのである



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2021年01月06日

観光に頼ることの危険(コロナウィルスで判明‐グロ−バル化の弊害)


観光に頼ることの危険(コロナウィルスで判明‐グロ−バル化の弊害)


日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍

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現代は観光の時代である、グロ−バル化したら世界が観光になった
特に日本は経済が停滞して観光で立て直そうとした
日本が今まで外国人が観光に来なかったのは物価が高いためだった
今は日本は物価が世界と比べて割安になっているのだ
それはヨ−ロッパでもアメリカでも賃金は上がっている、日本だけが上がらないのである日本は韓国より経済が停滞しているのである

でも観光がコロナウィルスで大打撃になった、例えばグアム島は観光で成り立つから
コロナウィルスが蔓延するともう観光が成り立たなくなり危機になる
スペインでも観光業のしめる割合が高いから苦しいと報告している
ギリシャなどはもう観光が頼りである、コロナウィルス前から国が破産するとして騒いでいたから苦しくなる
ギリシャで不思議だったの一面が菜の花であり遺跡も菜の花で埋まっていたことである
そこに羊とかロバがいる、そこは過去の国であり遺跡の国であり産業はないのである
そういう観光頼りの国は苦しくなる

私は人生が旅ともなっていたから旅とか観光に興味がある
ただ旅と観光は違っていると指摘した、旅は今はできないし旅人はいない
観光とは保養でもありギリシャはヨ−ロッパの保養地となっていた
何ら産業がないからそうなっていたのである

このコロナウィルスの影響は世界的であり何を問うたのか?

それはヒト、モノが自由に行き来する、グロ−バル化でも行き来する世界が止められたことである
でももともとこんなに世界を行き来する社会は今までなかったのである
グアム島でももともとそこで観光業などないのである、その島で獲れるもので生活していたのである、それは貧しくてもそうである
それはみんなそうだった、日本だったら江戸時代なら村ごとに自給自足の生活だった
燃料は炭であり回りにあるもので間に合わせていたのである
それしか生活の方法がないからである
外から何かを仕入れるということはまれだったのである

それで不思議なのは山の生活が貧しいというけど飢饉の時は山に逃げるとかあり山に食料があったとなる、また山では稲作だけに頼らないから稗とか粟とか食料になるものがあった、山菜などもありそれでしのいだとなる
米だけを作ると米が不作になると飢饉になった、外国でも後進国ではコーヒーだけに頼るとコーヒーが安くなると生活が苦しくなり餓えるということもある
畑で他の食料を作っていないからそうなる
つまりある地域でバランス良く食料を作っていればそうならないのである
でも商品作物としてコーヒーばかり作っていることは危険なのである
東北でも米が商品作物となり江戸に船で運びそれで飢饉になったとしている
つまり地域でもバランス良く食料を自給していることが必要なのである
何かにかたよると危険になる
第一日本だって工業製品ばかりに頼っているとそれが売れなくなると日本国内に食料を用意していないと外国から買えなくなる

とにかくウィルスは江戸時代でもコレラでも長崎から入り会津まで流行した
交通が不便な時代でも流行したのだからその百倍なのか人が行き来すればもう感染を防げないのである、つまりグロ−バル化とか広域化とかはウィルスには一番弱かったのである福島県では桧枝岐が秘境でありそこがコレラに感染しなかった
そこは米を食べられず蕎麦が主食だった、そしてヤモリの燻製とかを食べていたのであるそういう自給自足経済で隔絶された所はウィルスに感染しないとなっていた
でも現代はどんな場所でも秘境でももうヒトが行くし物流もさけられない、するとどうしても感染してゆくのである
だから人間社会ではいいと思うものが悪いものと作用する、それは常にそうである
石器でも道具でも鉄でも核兵器でも便利なものを作っても大量殺戮兵器となったようにいいものも悪いものとして利用されるのである

ともかくコロナウィルスで見直されるのはグロ−バル経済とか広域経済が必ずしもいいものとはならないことだったのである
もちろん江戸時代にもどれとかにはなれない、でも何か経済でも国内とかでもバランスがいいものとして国土を利用するとかある、自給度を高めるとかある
外国からの輸入にばかり頼ることは危険なのである
外国と交流もできなくなるということがあることを知ったからである
そして中国が発生源であり今でも中国は危険なのである
別なウィルスが発見されたともしているからである

そもそもこのウィルスは何なのか?

これは自然の防衛作用でないか?つまり人間が踏み入ってはならない聖域のような場所でもずかずか入ってゆく、機械で開発してゆく、その暴力的な自然の侵入に対してそのサンクチャリーで防衛反応としてウィルスを出して入らないように防衛する
だからこそウィルスは風土病とされたのである、その土地土地から生まれるのであり
もし交通が発達しなければ拡散されないのである
でもコレラにしても長崎から江戸時代に入ってきて拡散した
そんな時代でもそうなのだから現代はその何万倍なのかわからないけど交流がありもう防ぎようがないのである

要するに人間はタブーを破ってきた歴史がある、もともと神が智慧の実のリンゴを食べるなとか警告していたのに食べた、それでアダムは楽園を追放されたのである
何かタブーを犯すことで災いが生まれた、他にもプロメテウスが火を盗んだという時もそうである、それでゼウスに過酷な罰が与えられた
その人とは原子力でもあったのだ、核を破壊するということはタブーだかそれも破られてこの辺は大惨事になったのである

そしてグロ−バル化の結果として国と国は熾烈な戦争になり何千万も死んだ
だからグロ−バル化はみんないいものとして作用しないのである
江戸時代なら別に韓国とも中国とも争うこともなかったのである
でも今は経済で交流しても敵対する、中国の侵略に怯えるようになったのである
そしてグロ−バル化がいいようでも必ず敵対化して覇権争いになり「経済封鎖」をする
そこから戦争にもなる、日本でもアメリカから経済封鎖されて戦争になったとかある
経済のグロ−バル化がすべていいものとして働かないのである

だから二千年前に老子が説いた小国寡民とか文明否定の思想が実は平和の思想だったともなる,鍬とかまで否定したからである、つまり一見世界的に交わることはいいことだとなる、それが極端に推し進められたの現代である
それがコロナウィルスで止められた、それはもしかしたら神からの作用であり戒めのためだったのかとまでなる
世界を変えねばならないとまでなってしまったからである
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2021年01月05日

大衆は誰かの言っていることを言っているだけ (自分で判断できないーマスコミ、専門家、武田邦彦氏に従うとかなる)


大衆は誰かの言っていることを言っているだけ

(自分で判断できないーマスコミ、専門家、武田邦彦氏に従うとかなる)

小池百合子東京都知事らから再発令の検討を要請された2日後に表明する展開となったことに対し、自民党幹部は「小池氏のパフォーマンスに押し切られたように見える」と指摘

日本人はなぜ野蛮になったのか?──警察権力と女帝・小池都知事の政治【武田邦彦】

このことは武田邦彦氏が盛んに小池百合子氏を批判していた、小池氏の政治はパフォーマンスの政治だとして批判している、常に独断的に禁煙しろとか服装まで口をだしてクールビズだとか恰好いいことを言って命令して実施する
コロナウィルスでも新宿の歓楽街を標的にしたのもそうだという
そこを嫌っているからそうしたとしている
このパフォーマンスは大衆にわかりやすいから受けた、それで知事にもなったし一時緑の党を作り国政を左右しようともした
それは小泉首相もそうだったのである、大衆にわかりやすいように何かフレーズを短いコメントをテレビの前で言い受ける
その内容を深く考える大衆はいないのである
大衆の支持をどうしたら受けるかを常に考えてそうしている

それで国民は馬鹿と指導者は見ているとか言われる、それはマスコミでもテレビでもそうである、馬鹿な大衆を相手にして視聴率をとり自分たちが支配するのだとなる
だからNHKでもこう言ったとかテレビでこう言っているとかが大衆になる
その人は何か意見を言うのだけど主張するのだけどテレビしか見ていないからテレビでこう言っているということをしきりに言うのである
特にNHKがこう言っていることは国民がみんなそう思っているとまでなっている
世論とはマスコミが作り一番影響力があるのがNHKなのである

そもそもなぜそうなるのか?例えば原発にしても科学がわからないからである
それは専門家しかわからないものとなっているからそうなる
科学の時代になるとき科学を知らない者は発言もできない、だから常にその本人の意見などないのである、誰かがどういったとかテレビでこう言っているとかNHKでこう言っている、専門家がこう言っているというこを鵜呑みにしてオウムのように言っているだけである
要するに大衆に何らか独自に意見を言う知識も何もないからそうなる

私自身も原発事故で発言して来たのでもそうだった、科学知識がないし文系だから核についてわからないから追求できないのである
ただ地元だからもう10年間も追求してきたからそれで何か玄人並みになったなと自分自身で意識するようになった、科学の知識がなくても地元の問題だからその原因とかが見えてきたのである、ただ正直他で起きることは理解できないことが多いのである
だから実際はマスコミでテレビでこう言っているNHKでこう言っているとかをオウムのように繰り返ししているだけである、その本人の独自の見識をもって言える人はまれなのである、特にこれだけ複雑で科学の時代になるとそうなる

それでなぜ武田邦彦氏がオピニオンリーダーになっているのか?

それは科学の知識があるそれもかなりの高度な知識があるからなのである
科学全般に対して一流の知識があるから他の科学者でも医者でも対等に話せる
そういう人はなかなかいない、文系の知識もあるから総合的に判断できる

すると今度は武田邦彦氏がこう言っているからこうだとなる、科学的に無知な自分もそうである、科学的なことがわからないからである
でも専門家でも同じ意見ではない、二つに分かれることがある、コロナウィルスは危険だとそうでもない、インフレインザと比べればたいしたことがないとかなる
過度に恐れることはかえって経済を止めて自殺者が出るからやめるべきだとなる
それは放射線の被害でもそうだった、どこまで恐れていいのかわからなかったのである
ただ80才くらいの老人はどうせ死ぬんだからと飯館村でも汚染されたキノコを食べていたし海産物を食べていた人もいたのである
老人には関係ないとして食べていたのである
だからコロナウィルスでも60才以下とかなるとか重症化しない、例外的にいてもそうである、基礎疾患がなければ恐れることはないとなる
すると自粛とかするのはかえって経済を止めるからその影響の方が大きいとなるからやめるべきだとなる 

大衆は誰かがこう言っているからこうすべきだとしかない、科学の専門知識がないからである,放射線被害でもそうだったがコロナウィルスでもはそうである
いろいろ専門家が言ってもわからないし専門家自体も今はわからないものだからである
するとどうして判断するのか?
小池百合子東京都知事を危険をあおりパフォーマンス政治家で大衆を引きつける
それで経済的打撃を受けても知らないとまでなる
でも小池百合子の主導で自民党の菅首相が自粛をさせることにした
それが自民党主導でないのでまずかったと反省もしている

ただ素人でも何にもわからないのか?そこが問題になる
私自身は科学の知識もない、文系だからわからない、でも地元で原発事故が起きたことであり十年を追及して来た結果、その原因が見えてきたとなる
それは地元だからであり時間をかけて追及して来たからである
だからコロナウィルスはまた別なの問題だから違ったものとなる
確かなことはコロナウィルスでも必ず誰かが言っているからこうだとしかないのである
そして自分自身でも何を根拠にしているかとなる武田邦彦氏がこう言っているからとかしかなくなる
でもそうは言ってもいろいろな意見を見識を参考にして考えるようになると違うのであるそこに徐々に研究者のようになり独自の見解を生みそれで独自のものを出すようにもなるのである  
それで編集という作業が創造的なものがあるということにもなる
多様な見識や意見を総合的にみて編集すると何か見えてくるものがある

民主主義社会ではあらゆる人が何かを言うことができる、ところがほんどんどは誰かが言ったことを言っているだけなのである
その人独自のものはないのである、だから最終的に民主主義でもヒットラーのようにナチスとなり全体主義となりファシズムになる、要するに独自の意見見識など関係ない
数がすべてだとなる、それが大衆社会の実体なのである
そこでまともな見識意見をもっていても通じないのである
だからこそ中味のない政治家でも通用する

「小池氏のパフォーマンスに押し切られたように見える」

まさにこれである、小泉首相の時もそうだっから二三言フレーズを言い人気になったからである、それは大衆社会だからこそそうなっている
大衆は独自の見識意見などないからである
それでカルト教団でも数を集めればいいしかない、一票になればいいしかないのである
それはナチスと同じなのである、それはどうにもならないともなる
なぜなら大衆の勢力が圧倒的でありそれに従わせられる、数に従わさせられる
いくら高度な正しい意見でも通らないのである
そしてマスコミではテレビではこうした大衆を相手にして視聴率を稼ぐ、その大衆に合わせるからさらに悪い方向に向かいファシズムにもなる 
多数こそが見識も意見もなくても正義なのである
そしてまともな人間は異端児となりアウトサイダーとなり排斥されるということになる

大衆が一番理解するのは利益になること金になることである、それだったらすぐに理解する、だから原発が金になることで地元でも熱狂したのである
むずかしいことはどうでもいい、金になればいいしかなかったのである
それが大惨事になったのである
大衆は御利益を追求しているだけである、真実を追求したり真理を追求したりしないのである、そこにこそ最大の問題がある、でもそれは変えられない、それでギリシャで哲人が支配する国家を目指したのである
でも理想の社会とか国家はこの世に作れない、それは神が作るものであり天国にしかないとなっているのである
この世は常にバベルの塔の崩壊と混乱で終わっているのである
原発事故でもコロナウィルスでも同じだったのである



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2020年12月31日

時代の大きな変化が来るー2020年も終わる (柘榴坂の仇討-浅田次郎を見て)


時代の大きな変化が来るー2020年も終わる

(柘榴坂の仇討-浅田次郎を見て)

『柘榴坂の仇討』(ざくろざかのあだうち)ー浅田次郎

昨日のテレビ放送でこれを見た、仇討ちがテーマだったが明治になっても主君を殺した
井伊直弼を殺した人物を探していた、10年くらい追い続けていた
その人物を探し当てたがその仇討の相手も身を隠すようにして生きていた
両親も死んだとか苦しい生活を続けていた、それは仇討する方も妻に苦労をかけていた
その仇討される方も苦労していた
そして仇討をあきらめた、時代が変わったからである
井伊直弼を殺そうとした人たちも実は国を思っての行動だった
同じように国を思っていたのだか行き違いがあったというだけであるとした
それで仇討の相手を許した
それから仇討廃止令が出たのである

このことは何を物語っているのか?
時代が変わるとそれまでの武士として生きたことが否定される、通用しなくなる
モラルでもそうである、武士道があったとしても第一城とか主君がいなくなったら
誰に忠義になるのかとなる、もう城も主君もいないからである
武士道とは主君に忠義を尽くすことでありその肝心の主君がいないのだから武士道も通用しなくなる、その変化が余りにも大きいものだった
これだけの時代の変化は明治維新と太平洋戦争の敗戦とかしかなかった

それから日本がアメリカとの戦争に負けた時も大きな変化だった、焼野原になり日本は最悪の状態だった、その時も大きな変化であり時代が変わった
それで小野田少尉とかが密林で戦争状態のままになりジャングルで戦闘していたのには驚いた、時代が変わったのを知らなかったのである
それでやはり侍が侍でなくなった明治と同じようなことになった
戦争中の時代から別な世界に来てしまったとなる
国家最優先の時代から日本がまるで外国のようにもなっていたのである

時代が変わるということは価値観が変わる、武士道が通用したのはそういう主君に仕えるとか城とかがあり通用していたのである
それが主君も城もないのだから一体誰に忠義なのとかなる
その代りとなったのだ天皇だったともなる、天皇への忠義が国家への忠義ともなったとのである
戦後は確かに天皇は存在して天皇に忠義を尽くすとかない、天皇はもう神でもなくなったからである、それも戦後の変わった大きなことだった

とにかく時代が変わるとき職業でも変わる、侍は侍として禄をもらっていたがもらえないすると何らかの職業につく必要になった、それで北海道に開拓に入り農民として暮らすようになった人たちがいる、伊達藩の亘理がそうである、伊達藩の家臣でありその人たちが伊達市を作ったからである
他にも八沢浦辺りでも明治に浦が開拓されて侍が農業をはじめたとかある
なんらかの新しい職業につくことになり「武士の商法」とかにもなったのである

時代が変わる時、職業も変わる、その変化も大きいのである
戦後は高度成長になったのは電器製品が世界に売れたからである
それは農業から工業への変換でありそれが時代を築いた
なぜなら戦後の引揚者が開墾に入ったのは仕事がなかったからである
それで土地の悪い所を開墾して農業をはじめた場所がいたるところにある
でも半分は過酷であり棲むことできず撤退したのである
その人たちは工場などに勤めるようになったともみる
東京が急成長して中小企業がを増大したからである
そこで人手不足となり地方の中卒が金の卵として働いたのである

こうして時代が変わる、これから日本がどうなるのか?
それは高度成長時代からバブルになり30年成長がなく経済は停滞した
30年で改善されなかったのである、そして今日本は貧困化している
非正規とかアンダークラスが一千万以上とか貧困化しているのである
今度はコロナウィルスでさらに窮地にたたされる
だから会社員の時代が終わったとかAIで仕事が奪われるとか銀行員はいらないとかなる
時代が変わる時、職業も変わる、ベースとしてエッセンシャルなものは農業などは変わらない、その他は変わってゆく、
だから会社員とか公務員とか銀行員とかでもそうである
終身雇用などなくなる、会社が存続できなくなるからだ
それは侍が仕事を失ったと同じなのである

そしてAIとか機械化ロボット化で仕事がなくなる、それでみんなアーティストになれとかいうのは時代の変化でそうなったのである
団塊の世代は猛烈会社員として企業戦士として働いた、でも今になってそんなことを言うのは何なのだろうとなる
遊びが仕事なか馬鹿言うなともなる、でも時代が変わるということは価値観が変わることなのである
それは明治で侍が仕事を失い侍がいなくなったのとにている
侍中心の社会がなくなったからである

そういう変化に今見舞われている、すると奇妙なことはそんな遊びのようなことが仕事になるのか?ふざけんなとか古い人にはなるのである
それは明治で侍が庶民となったりアメリカとの戦争に負けて国家が第一であった社会とまるで違ったものとなったのとにている
現代では国家というのは常に否定されてきた、日本では戦争に負けて特にそうなったのである、だから国家が一体となり一つの目的に向かって何かを成し遂げようとかはない
みんな個々人が金のために働いているだけなのである
それでコロナウィルスとかの危機になると対処できなくなっているのだ
国家の危機になれば戦争中のようにまた社会を変えねばならなくなるからである

今年も今日で終わりだけど来年は本当に大きな変化の年となる
戦後70年でありそれは明治から70年で太平洋戦争になったように時代が大きく変わる
だから今まで恵まれていた銀行員とか会社員とか公務員すらわからない
安泰とはならないのである、それは明治に侍が失業したようなことが起きて来る
またコロナウィルスでも時代が変わる、グロ−バル化とにも歯止めがかけられたし
必ずしも世界をヒト、モノが自由に行き来することがいい面だけはなかったことを知らしめられたからである

経済的に世界が結ばれるというより必ず争いも生じるのが人間社会である
経済封鎖とういのもそうである、アメリカに経済封鎖されて日本は戦争に突入したとかあり経済の自由なグロ−バル化はそうした政治的なものから逃れられない
国家の枠を越えることはできない、第二次世界大戦のようにもなる
グロ−バル化の負の部分が増大したのである、それにコロナウィルスが歯止をかけたとなる一年だったともなる
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2020年12月30日

駅の“無人化”全国で広がる 利用者多い首都圏でも (無人駅のボランティアしたことをふりかえる)


駅の“無人化”全国で広がる 利用者多い首都圏でも 

(無人駅のボランティアしたことをふりかえる)

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人口減少に加え、新型コロナウイルスの影響で鉄道会社の業績が悪化する中、駅の“無人化”は全国でさらに進む可能性があります。

国土交通省によりますと、一日中、駅員がいない「無人駅」はことし3月末の時点で、全国に9465ある鉄道の駅のうち、48.2%にあたる4564駅にのぼります。

原告の1人で大分市に住む五反田法行さんは「無人駅だと万が一、ホームから転落しても誰がすぐに助けてくれるのかわからない。今回は裁判という形になってしまったが、可能なかぎり互いが話し合っていける場をつくっていきたい」と話しています。

無人駅にかかわって思ったことは無人駅になるとそれは誰も管理するものがいないから
勝手にされる、ちょうど空家のようにそこに勝手に利用したり荒らされたりする
それが日立木駅で起きた、あそこは本当に駅前でも店もなにもなく閑散としている
乗り降りするのは二人くらいなのである
そこで待合室の一部が壊されたり落書きされたりした
普通は待合室まであれほどひどいことはしない、そうなったのは駅前に人の気配も感じられないともなるからだ
つまり無人化するということは人目がないということになるからだ

それで私がボランティアになったのは最初どうして電車に乗るのかわからない人が地元でもいたからである、それで昼間の買い物帰りに寄っていたので教えたのである
他にも電光掲示板とかでもわからない人がいたのである
今でも外から来た人はわからない、地元でも一度も電車を利用しない人がいてわからない人がいたのである
それだけ鉄道は利用しなくなったのである

とにかく無人だということはこうして奇妙だけど勝手にされる、それをとがめる人もいないからである、例えば無人の荒野ではそうなる、そこに家を建てても何も言われないともなる、誰が所有者だかもわからない、すると誰の許可もなしに家を建て住むこともできるそして占有権というのがあり誰かわからない土地は最初に住んだ人が権利があるとなる
そして誰も利用しない荒れた土地はそれを利用しないとなるといつまでも所有権だけがあるのは理に合わない、誰かが利用して土地も活きるからだ
つまり利用しない土地の所有者は権利がないとなる、それで戦後は地主が土地を小作に貸していたが戦後は実際に土地を利用して耕作する人に与えられたのである

無人駅にも何かそうしたことと似ている面があると思った
誰も管理していない、すると何か勝手にする人もでてくる、それが自分だったのである
でも実際は無人駅でも勝手にしてはならないものだったのである
それで結局常に駅長とかににらまれてそんなことするなとなった
ゴミを投げる場所がホーム内にあり聞かれたので教えた、時々それでホームの中に勝手に入っていた
ところが監視カメラがありそれで監視して入るなと言われたのである

それから駅関係者だけではない、駅を利用する人にも言われた
お前は何をしているんだ、そんなことする必要はないと怒ってきた女性がいたのである
それは電車が風で遅れた時、困った人がいたので案内していたからだ
つまり無人駅で自分は何一つ認められたことは内、でも乗客は案内したときありがとうと言っていたのである
特に遠くから来た人はそう言っていたのである

そして誰かが検察に通告したのである、そして丁度イベントがあり人が集まる時
みんなの前で職務質問されたのである、あやしい奴だとしてそうされたのである
結局無人駅の問題はそこに案内するにしても勝手にできないものだった
JRの許可が必要でありまた乗客でもそうである、その人たちが認めないとしたらただの怪しい人になるだけである
ただ自分の場合は駅でいろいろな人と会い情報を仕入れことでもあった、そして意外と駅が外との情報を知る場所であることを知った

在る時、中学生が来てその人は間違って来た、それで腹減ったということで前の菓子屋から菓子を飼って与えた、まずこういうことはAIになってはできない
人情とか機械にはないからである、機械の限界は情がロボットでももてない、愛など持ち得ようがないことである、だから機械とロボットだけの社会になったら索漠としたものとなる、人間の情が通わない社会になるからだ

何か鉄道が交通の要になっていたときは駅は人情がある人間的な場所だった
今でもそうである、それは人を送ったり迎えたりするからである
そこに出会いと別れがあり自ずと人情がしみこんだものとして駅があった
電車とかは何か人間的なものがある、それは車とかバスとかは違っている
それは高速道路のSAがあるがそこに行っても鉄道の駅とはまるで違ったものである
そこに出会いとか別れというものを感じないのである
ただみんいな一時的に寄って食事したりトイレを利用したり買い物をするが何か鉄道の駅のようなものを感じない、利便的なものしか感じないのである 

上野駅「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」石川啄木

鉄道には何か人間的なものがしみこんでいた、そういう場所だったのである

こういうふうに上野駅ですら明治では訛りを聞けるとして行っていたのである
そこには人間的なものがかもしだす場だったのである
そういう雰囲気は今やなくなった、利便性だけが追及される場になる
そして鉄道を利用する人が減るばかりである、だから本当に電車に乗る方法すら知らない人が普通にいたのである
それだけ車社会になっているからもう北海道だと鉄道はなくなるとまでなる
道東になるとそうである、まるで歯がぬけるうに路線が廃止されているからだ
将来はもう北海道から鉄道のほとんどが消えるとなる

無人駅で人情もなくなるというとき障害者などは無視されるのもそうである
盲人の人が通っていたがその人はわざわざ隣の駅に連絡して来てもらったりしていた
盲人は危険にもなるから無人化に反対している
でも障害者のために存続もできない、コストの面でそうなる、そこで人情もなにもない
索漠とした風景になるのが現代なのである

ただ模擬駅員として一時的にもできたのは良い経験だった
なぜならまず職業は簡単に経験できない、それで社会のことがわからないのである
いくら本を読んでも知識があっても本当に経験しないと実際はわからないことが多すぎるからだ、でも何か経験することは本当にできない、だいたい学校を卒業していくつかの職業を経験してもそれは極限られたものなのである
でも社会は実際は職業を経験した時実感してわかることが多い
でもそれができないのである、だから社会をでも他人でも理解できなとなっているのが現代である、現代は余りにも多様な職業に従事ている社会だからである

だからいろいろあったが経験したということでは良かったのである
結局人生とは何を経験したかなのである、経験からしか人生を語ることはできない
だからアメリカで十五年も仕事したとかの経験となると外国を肌で知っているから違っているのである
自分は鉄道の旅が長いし鉄道好きである、だから一時的であれ駅員のまねごとしたのは良かったのである、まずそういうことができないからだ
人生とは経験したことでありそれを語るのが人生だとなるからだ
その人の一生とは何かを経験したことなのである
だから引きこもりも実は経験なのである、引きこもりもマイナスとだけ働くとは限らないのである、私は30年間引きこもりだったけどそこで修行僧のようになり禅僧のようになり自然と同一化することをしてきた、木や石とかと一体化かすることをしてきたのである
それはなかなか社会で勤めていたりしたらできないことなのである
それは家族に恵まれてそうすることができたとなっていたのである

ただ正直駅にこんなにいろいろなことがあるとは思わなったのである
そのことでわかるように駅でも駅員になればそれがわかるのである
それは経験しない限りわからない、ただ乗客となっているだけではわからないのである
医者と患者がいるが医者のことをその気持ちでも医者になってみないとわからない
また医者でも患者になってみないと患者のことがわからないともなる
先生でも先生になってみないとわからない、だから教育実習とか大事になる
なぜならその時子供と直接に接するからである
その体験が大事なのである、それも自分にはできなかった
確かに一時期したことがあるがそれも失敗だった、つまり経験を積むことができなかったのである
どう子供に教えるとかは実際に子供と接しているなかで上達するからである

とにかく今年も終わりである、結局確かに満月だったのだがその満月に暗雲が流れていたそして晴れなかった、まさにそういう感覚で今年は終わる、コロナウィルスが晴れないのである

満月に暗雲流れ年終わる





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私的なものか優先されて公的なもの働かない社会 (コロナウィルスでも社会は利権化して分断される)


私的なものか優先されて公的なもの働かない社会

(コロナウィルスでも社会は利権化して分断される)

コロナウィルスでも私的なものと公的なものでもめている、日本の病院が民間が8割とか多いから統制が効かない、それでコロナウィルスでも民間がそれだけ多いのだから
政府の命令で統一できない、現実にコロナウィルスで開業医とかは暇になり看護師も暇になんている、一方で感染症に向ける人材の不足とか施設の整備とかはできていない
用意されていなかったのである
つまり感染症対策は政府の強力な指導がないと防げないものだった
そこで民間が主な医療体制では対処できなかったとなる

例えば戦時中なら従軍看護婦は赤紙一枚で過酷な戦場に送られた、でもそうしたことを現代ではできない、看護師自体が50万月給を払うとしても嫌だとしてやらない
感染するのが嫌だとなる、戦時中ならもうみんな命がけでありそんなことを言えない
強制なのである、現代の自由社会はとにかく何かを強制することがしにくいのである
あくまでも自由意志であり強制できないシステムになっている
だから医者でも看護師でも私はそんな危険な仕事はしたくないとなればしないのである
それが許される社会である

でも警官でも自衛隊でも消防士でも危険な場所に働かざるを得ない、緊急事態があれば命の危険があっても行かざるをえない、それが仕事だからである
仕事という時大工さんとかでも高い所で仕事するから危険なのである
でも別にそういう仕事だとしてしている、特別高く給料をもらうということでもなくそうしている、自衛隊でも一旦戦争になったら戦地に行きそこで死んでもしかたないとなる
そういう契約で税金をもらっているからである
私は戦争になったら死ぬのは嫌だから行きませんとは言えないのである
ではなぜこれまで税金を国民が払っていたのかとなるからだ

これは医者とか看護師にも言えるかもしれない、保険料をもらうことは税金にもなる
そして医者とかは現代社会で唯一尊敬されている特別の職業なのである
医者だけはお医者様となり高給取りだけではない尊敬されていることである
今は先生でも尊敬されない、僧侶とかでも尊敬されない、それだけの社会的に特別の存在になっているのは医者だけである、他に…様などという職業はないのである
国会議員ですら尊敬されない、選挙の時はどんな人にも頭を下げねばならない
そして議員自体が何か胡散臭いものとして見られている

おそらく看護師などは医者と比べると給料も安い、三倍くらい違う、そうなると看護師の場合はしたくないとなる、金より危険だからしたくないとなる
それは自由意志で決まるからである、それで使命感だけではできないとなる
日本が戦争の時は命がけであり死ぬのが当たり前でもありまた上の命令に逆らうことはできなかった、特攻隊などでもそうである
それで20代となれば実際は死にたくないとなっていたのである
その無念を短歌に残して死んだ若者がいる、ただその時は国家の方が優先課題だから私的なものは無視されたのである

何か自由意志の社会になると何か危険があっても対応できないともなる
私はそな危険な仕事がしたくないとかなればやめるのも自由だとなるからだ
それで看護師はやめているのである、要するになぜそんな危険な仕事をしなければならないのか?その動機がないとなるからだ
そして医者は完全防備していて治療にあたっているが看護師はより患者により直接に接するから危険だとしている、それで余計したくないとなる
看護師が感染して死んでも国家のために死んだ貢献したとかにもならない、戦争で死んだ人は英霊として祀られたとなるがそうもならないからだ
つまりそれだけ危険を犯す動機がないからしたくないのである

自由意志社会は誰も強制できない

でもは実際は金を得たくて危険な場所でも働いている、その働く目的が金になっている
だから金をもらえれば働くということがある、でも看護師もそんな危険な場所で働きたくないなら働かなくてもいいとなる
つまり強制できないのである、そうなるともう感染症の患者を診る人もいなくなるともなる、なぜなら自由意志社会ならそうなるのである

でもそうして自由社会なになるとみんな危険だからしたくないとなると社会はどうなるのだろうか?
戦争の時死ぬのは嫌だからみんな戦線離脱したら敵が攻めてきて国は崩壊する
その敵とは今コロナウィルスにもなっている
ただこれは戦争の様な危機感がもてない、たいしたことない、死ぬべき老人が死んでいるだけだともみている、老人が多いんだから死んでもいいとかもみている
つまり国民でも危機感をもてないのである
ただそうして医療崩壊するとコロナウィルスの患者だけではない、他の病気も治療できなくなり死ぬ人が増えてくる

また一方でコロナウィルスにばかり労力をさくと経済活動が停滞してそれで自殺者が増えるのも問題だとなる、その方が深刻だとなるからコロナウィルスはただの風邪だから二類感染症からはずすべきだというのもわかる
要するにコロナウィルスの正体がわからない、それで対策もたてられない
わかっているのは基礎疾患を持つ人は50代の議員が死んだように死ぬことがある
あとは60歳以上が死ぬ確立が多くなる、80になるとさらに多くなる、それは別に死ぬ時期だから騒ぐほどのことではないとなる

何かこの問題でも私的なものと公的なものがあり私的な自由意志社会になったとき公的なものが喪失する、そこに問題の根があるともなる
私的なものとしては金を得るためであり医療崩壊が起きると騒いでいるのは医師会であれ何か政府から金を出させるためだというときそれは利権になる
現代は様々な利権団体がありそれも私的な利権団体でありそれが何であれ圧力をかける
例えば原発で800億円の宣伝費を出していたのは電事連なのである
マスコミはそれで利益を得る、そもそもマスコミ自体が利権団体であり利権と結びつく
だから原発に反対することもないし危険を言わなかったのである
「安全神話」に加担していた利権団体なのである
現代社会はあらゆるものが利権団体化している、カルト教団でも利権団体に過ぎない
だから宗派が違っても税金をとられことでは団結するのである
利害が一致すれば団結するのが現代の民主主義社会だとなる

こうして団体組織でも利権団体化してその組織団体の利益を追及すると時社会が硬直化して何もできなくなる、まずは金をよこせ、それなら働くとかなりまた危険なことはさせるなともなる、危険なことはしたくないからやめるともなる
そうするときコロナウィルスという敵に対処できなくなる
つまりみんな危険なことはしたくないとなるとき戦争ならみんなが戦線離脱したら敵が攻め入ってきて国が亡びるともなる
ただそれもそれだけの危機感がもていなからだともなる
コロナウィルスに全国民が過度に畏れ騒ぐ必要がないということでもある 

その判断をどうするかということになる、それは専門家でも決められないのである
第一専門家もコロナウィルスについてわかっていないからである
わかっていることは基礎疾患を持つ人は50代でも死ぬ、あとは年齢があがれば老人は感染して死ぬ確立が増大するということである
だからそれは自然なことであり寿命だからそれほど危険なものではない、そういうふうに判断すれば二類からはずすべきだともなる
そうしてインフレインザの対策で十分だとなる、ただコロナウィルスの正体がわからないので混乱している、それで恐れる人は過剰に恐れるし恐れない人は恐れない、普通の生活を止めるなとなっている

マスコミは数字でおそれさせる、でもその内容はわからない、コロナウィルスが5つあっても感染者だとかなる、それは陽性者になる、感染者の症状がとうなっているかわからないのである、それで判断しようがないと科学者が言っている
要するに政府でどう判断するのか?その方向がわからないから混乱している
方向を決めないとますます混乱するだけになる


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2020年12月27日

コロナウィルスは過度に恐れ過ぎているのか? (武田邦彦氏の意見の方が正しいのか?)


コロナウィルスは過度に恐れ過ぎているのか?

(武田邦彦氏の意見の方が正しいのか?)


武田邦彦】奴らにブチギレた!これはもう医療崩壊というか日本が崩壊している!

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この図ではインフレインザが今年は極端に減っている、でもこの図をテレビでは出さない
確かにこの図を比較してテレビでは出さない



コロナウィルスのことがなぜわかりにくいのか?
それは原発事故でもそうだった、放射線とか核とかわからないからである
すると意見が二に分かれた、微量の放射線はかえって体にいいとかいう科学者もいた
その人は御用学者だった、また危険を過度に言う人もいた
それで地元でも混乱させられた
浪江の人たちは何の政府の支持もなく最も放射線が高い山の方の津島に逃げたのである
ところがその中に東電の社員がいて街の方に逃げた方がいいとしてそれに従った人たちがいたのである、街の方が海側の方が安全だったのである

安全な方向へ誘導した人がいた!

すると今回のことでも一体安全と危険をどう分けるのか?
何が危険で安全なのか素人にはわからない、また専門家でもいう人は同じように二つに分かれる、ただこれはただの風邪だという学者もネットにいる
週刊誌などでもそういう意見をだしている、過度に恐れ過ぎている
それで社会を混乱させて経済活動を止めるのが問題としている

このコロナウィルスも科学の問題になるから科学者でないと専門家でないとわからない
それで国民は右往左往するだけでとなる

ただ原発事故の時はどうして原発が安全神話を作ったのはそれが原発によって莫大な利益が利権が得られるからであることは明白だった
金の成る木でありあらゆる人が群がった、それがこれまでも再三指摘してきたように政治家も官僚もマスコミもまた地元でもその金に群がったのである
例えば官僚というときその中には検察官僚もいたし自衛隊とか警察も入っていたのであるその人たちが天下りしていたのである
そして全マスコミが東電の「安全神話」に加担していたのである
爆発した時、中国にその全マスコミの幹部が東電に招待されていたからである
原発では利益関係がわかりやすかったのである、みんな利権となり金になるということで安全神話に加担したのである、地元の人たちも利益になるから積極的に誘致したのである
だから何か今になるとその構図はわかりやすいのである
でもこのコロナウィルスは何なのかその構図がわかりにくい、利権とか利益からコロナウィルスが過度に危険を言うのか、何かそれでメリットがあるのか、また誰かが利権になり利益になるのか、それが良く見えないのである
利益になる利権になるというとき確かにワクチン製造会社とか薬剤関係の会社が利益になり利権になるから危険を言わせるとなる
マスコミも視聴率を稼ぐため宣伝費を出してくれるスポンサーのために危険を過度に報道する、それは利権、利益のためであるとなる

それは原発でもそうだった、電事連が宣伝費として800億円をマスコミに出していたというからその利益は莫大なものとなっていた
それもわかりやすいのである、でもなかなかコロナウィルスの過度の危険を言うのは誰がもうかるのか、利権となり利益となるのか良く見えないのである
現実は医療崩壊にしても開業医とかが患者が減りかえって損している
誰か特別利益になる人が組織が団体がいるのかとなる
政府にしても金を出すのだから出したくない、利益にはならないのである

厚労省が二類にしているのはそれを取り下げない事情は厚労省独自の省庁のエゴでそうしているという、それは何らか利権と関係しているのかとなる
でも全体的に見て誰が得するのか利益になるのか明確に見えないのである  
推理小説とかドラマだと必ず利益になる、ある人を殺して得になる人が犯人としてあげられる、その人が動機をもつからである
でもコロナウィルスで利益を得るのは誰なのか?
ワクチンを作れば薬剤会社でありマスコミは脅して恐怖を与えればみんな見るから視聴率が上がり宣伝効果もあがるとなる
それで巧妙にテレビ放送で危険を言いそこに消毒剤の宣伝が入っていた、それはみんなが怖がっているから効果的だったのである
でもその他誰が利益を得るのか?それが原発のように見えないのである

ただGAFAというインタ−ネットの大会社がさらに利益をあげた、するとこれはこの会社の人たちの陰謀なのか?それを言う人もいたね武田邦彦氏も言っていた
利益を一番あげたのは得たのはGAFAだからである
社会自体がテレワークとかになりますますGAFAに頼るようなったからである
その他で利益を得たの製薬会社だけどまだ安全性が確認さていないのでそれで大儲けするということるでにはならないだろう

ただ確かなことは危険ではないと言うことは政治家とか官僚とか上からの圧力があり言えないことは確かである、ただ別に今回は週刊誌でも言っているしネットなら言っている
結構こんなに騒ぐ必要はないととしているのだ、だから原発の「安全神話」とはまるで違ったものである、原発でと強力な権力の言論統制があり危険だと言えなかったからであるそれで地元の東電の下請け会社の人も安全だと言っていたのである
言わせられていたのである

武田邦彦氏の言うようにただいじめるだけに危険を言うというのも納得できない
そんなことして何になるのか?政府にしてもそれで利益があるのかとなればない、支持率も下がっている、なんとか危険を除きたいということでありgo to トラベルを推進したのである、経済を止めないようにしたのである
だからコロナウィルスの問題は不可解なのである、もちろんこれが未知のものだからどうなるかわからないということがある、専門家もわからない
するともし拡大したらなんで止めるようにもっと強力な政策を示さなかったのか実行しなかったのかと責められる、だから私たちは安全になるように努力しましたとしてそうしているのか?それも良くわからないのである

ただ言えることは原発事故で爆発した時、東電の社員は放射線のことを知っていた
だから一番危険な津島に浪江の人たちが逃げるとき、街の方に引き返したのである

つまり誰かが一人でも正しいことを知っていた、その人に従ったら被害にあわなかった

ではその人は誰になるのか?武田邦彦氏になるのかとなる
その人を信じて行動すればいいのかとなる、ただ別にみんなコロナウィルスを恐れてはいない、50以下の人は恐れていない、だから感染者が止められないのである
とにかくコロナウィルスの問題は感染者の数で一喜一憂して過度に恐れたり安心したりするとなる、でも実際にその数に問題がありそれですべてが決まるわけではない
ただその数に恐怖する、それは放射線量でこの辺が混乱させられたと似ているのである

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2020年12月26日

嫁となることの意味―天皇家の結婚問題 (家の女となり家を継ぐこと)


嫁となることの意味―天皇家の結婚問題

(家の女となり家を継ぐこと) 

「秋篠宮家の“自由を重んじる家風”が槍玉にあげられているのです。そもそも皇嗣殿下は30年ほど前、皇室で初めての“自由恋愛”で紀子さまと結ばれた。自らの経験を振り返ると、眞子さまを強く説得できなかったのかもしれません。妹の佳子さまが大学卒業の際、『姉の希望が叶う形に』と結婚を後押しする文書を出したことも火に油を注ぎました」(宮内庁担当記者)

嫁という字に意味がある、嫁と女であり女と家が一体化することである
つまり嫁となることは男女が恋愛して愛しあうということとかではない
嫁ぐとは嫁いだ先の家と一体化することである
そして家には歴史がある、建築としてモノとして作られたものがありまたその家で営まれる時間があって家がある
それぞれの家に歴史がある

それで勘違いしているのは嫁ぐということは家に嫁ぐのであり結婚相手の男性とはならない、家という歴史とまたその家族とも親戚とも縁を結びその一員になることである
そこで天皇家とかなると簡単に好きだからとかで相手を選び結婚できない
つまり家と家の結婚となるからだ、もともと日本では家と家の結婚であり…家と・・・家の結婚だったのである
その方が離婚も少なかったというのは家と家の結婚だったからである

天皇家ともなるとどうしても相手の家を選ばざるを得ないのである、自由恋愛ではできない、家と家の結婚になるからだ、そして必ず怖いのは家にはどんな家でも何らかカルマを積んでいる、いいカルマもあるし悪いカルマもある
それを必ず受けるから今の時点だけでも選べないのである、結婚は離婚とならない限り未来につづくからである
そして60以降積もり積もったカルマが苦しみとなって現れるのである
それはカルマの法則である

天皇家に嫁ぐとなればまず私的なものはエゴは許されないともなる、自由恋愛とかありえないのである、なぜなら天皇家とは国の家だからである
そこが乱れると国家が乱れるとまでなるからである
だから私的な感情が出せないともなる、天皇家とは公(おおやけ)であり公共的なものとしてあるからだ、プライベートなものが許されない存在だともなる

何か本当にカルマは怖い、何かしら家が乱れる時カルマが関係している
カルマが必ず現れて苦しむとなる、考えてみると秋篠宮自体が自由恋愛結婚だった
そしたら今になってそのカルマが現れたとなる
自らがそうして結婚したのに子供にそうするなと言えないとかなり苦悩しているのであるそれが別に庶民だったらかまわなかったのである
つまり自分たちの特別な存在を無視したことがカルマとなって現れたのである

ただその家のカルマを一身に背負うのは長男と長女である
これはもう逃れられないのである、いいにしろ悪いにしろそうなる
一見恵まれているようでもそうでもない、それだけ責任が課せられていることでもあるからだ

カルマを考える時、なぜあの人はおかしくなったのか、曲がった人になったのか?
それを考えるとその人は男性でも女性の家に婿養子に入った感覚になっていた
それでその家の家風に染まったためなのかとも見る
それぞれの家に家風がありそれに自ずと染まってしまうのである
もちろんいい家風に染まるということもある、でも悪い家風にも染まるのである
結果的に悪い家風に染まり事業にも失敗したのかともみる
事業というのは一人ではできない、家族全員が関係してくるからである
すると家風も関係してくるからである

ともかく家の謎は深い、家は一時的に消費してしまうようなものではない
家と土地はまた深く結びついている、家は高い買い物であり家は買わない方がいいというのもある、都会ではそうなりやすい、都会にはそうして土着的志向がないからである
ただ家とは一時的に飲食して寝るだけの空間になってしまう
でも家はそれだけの存在ではない、人間が生きる根源的な場所ともなる
だから死んでも嫁いだ女性が生き続けているということで母のことを思い出して書いたのである   

いづれにしろ天皇家となると日本人の始祖ともなりその歴史が考えられないほど長い
となると普通の人ではイメージもできないものとして家が継続されたのである
それより国家が天皇家に継続されたともなる
天皇家は日本がの歴史そのものでもある、そうなるとそういう家をイメージすることができなくなる、その重みは普通の家とはあまりにも違ったものだからである
だから普通の感覚では計り知れないものがあり法律的にもそうだしそこで天皇家でも日本国民の一人であり同じように扱うべきだとはならないのである 

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死んだ母のなお家にいる不思議


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2020年12月25日

コロナウィルスでなぜ医療崩壊が起きるというのか? (医者は患者を思わない、政治家は国民を思わない、ただ利権(金だけ)


コロナウィルスでなぜ医療崩壊が起きるというのか?

(医者は患者を思わない、政治家は国民を思わない、ただ利権(金だけ)

今何がコロナウィルスで混乱しているのか?   
       

医療崩壊というが医者はそもそも患者のことを思わない、金を出さなければ動かない

政治家は国民のことを思わない、票と利権である

マスコミは視聴率ええるためにあおる、やはり宣伝費をもらうためにそうなる
                                                                            
今の社会は利権と金でがんじからめにくなっている、金が出ないと動かないのでる
医者でも常に金をまず考える、金を出してくれそうしたら動く
医師会とかでもそうだろう

どういうことかというと患者が来る、金がない患者はお断り診ないとまでなる
患者より先に金のことを考える、でも医は仁術というように苦しんでいる人がいれば金の前に治療するのが優先される 、それもないのである

今の時代どうなっているかというと苦しんでいる人がいる、その苦しんでいる人を助けることはしない、その前にその苦しんでいる人からいくら金をとれるのかとか苦しんでいるから弱っているから今が金をとるチャンスだとなる
金を出したら多少助けてやるとかなる、頭の中は金しかないのである
それはみんなそうである、まず金になるのかとかしか人を見ないのである
その人が苦しんでいてもそうなのである   

いろいろ複雑なことはあるにしろ現実の社会がそうなっているのである
それは自分自身が親の介護と自分の病気で痛いほど知ったからである
自分が苦しんでいる時、自分の家に来た人は金しか考えないのである
それで大金は盗まれたとかまた借金で苦しんでいる人から脅迫もされたとかなる
人間の悪質性は何かこうして苦しむ時とか混乱してくる時起きて来る
震災でも火事場泥棒とかいたしそういうことを自分の家でも経験した
もしかしたら医者とか医師会とかは火事場泥棒にもなっているのかもしれない
それは言いすぎでも金をもらわなければ動かないということになっているのこれまでの現実だからである 

人間社会には何かもう戦争の時のように損得で考えられない事態が起きる
でもそういう時でも人間のエゴとか悪辣性はかえって表にでてくる
相手が苦しんでいる時とか弱くなったとき責めやすいからである
他人の苦しみは蜜の味とも菜、コロナウィルスで職を失ったとか倒産したとかどん底に落ちる人がいると思えば依然として株が上がって笑っている人たちがいるのもそうである
他人の苦しみなど関係ないとなっているからだ

ところが緊急事態のときは例えば水が飲みたいというとき金をだしたらやるとかにならない、とにかく水を飲ませようとするだろう、でも金を出したら水を与えてやるとかにもなっているのだ
それほど金の社会になっている、親子でも金の関係になる、そして金の切れ目が縁の切れ目となる、人間を金としか見れないのである
それがあったとしても金だけを求めて解決しないことがある
何より先にまず助けねばならないときがある、金のことは後だということがある
でも現実は緊急事態でも金が先だともなる
今は緊急事態である、だから金がどうのとか政府が金をだせとか要求できない面がある
それよりまず患者を助けるとか何か手を打つ必要がある
でも金をもらわなければ動かないというのが現実なのである

人を見たら金と思へとまでなっている、こいつからいくら金が出るのか得られるのかしかないのである、それで親でも死んだら何もしてくれない、金にならないとかなり墓参りすらしないんとなる、事情があるにしろそういうことがある
死者を供養しても一文にもならないからである
でも金ぬきで人間はやらねばならないことがある、それが現代ではできないのである
そういう社会にシステムになっているからである
過酷な資本主義社会のシステムになっているからである

だからこういう社会は意外と緊急事態に弱いのである、震災の時は絆が盛んに言われたけどそれで社会が変わった訳ではない、コロナウィルスだって本当は絆が必要になる
互いに助け合うことが求められている、それは医者だからどうだとか政治家がどうだとかではない、みんなで助け合うということが危機を乗り越えるものとなる
それが現代社会ではできなくなっている、戦争は悪いにしろ国家一眼となって命をかけて協力しあったのが戦争でもあった
私の姉でもで従軍看護婦とかでもそうである、それは命がけでも懸命に看護していた
そういうとき金がどうのこうのとかはない、ただ命がけでみんな必死になり戦っていたのである、要するにそういう緊急事態でも無私が求められていたともなる
犠牲になっても国のために戦うということが求められていたのである
戦後は全くそういうことをないし経験していないのである

ただエゴと金だけを求める社会になった、金の関係しない人間関係がないのである
別に金のやりとりが金がすべて悪いとはならない、それは人間生活に不可欠である
でも金だけではどうにもならない、無私になって尽くすことも要求される
それが医者でも誰にもできなくなっている
そういきう社会に生きるのが日常になったときまた緊急事態になってもやはり誰も金無しでは動かない、ただ看護師でもコロナウィルスに感染したくないとなり高給にしても来ない、つまり緊急事態では命がかかってくれば金でも動かないということにもなる

とにかく政府も政治家も利権である、金である、医者でも医は算術である
そうしして緊急事態に対処できない、国民のことを思へと言っても目前の利権とか金に心を奪われる、それで平気で多人数でパーティとかしているのである
政治家自体がコロナウィルスで危機感もないのである
そうしたら国民も危機感がないとなる
もちろんこれはただの風邪だから大騒ぎすること自体間違っているという科学者もいる
それならそれで何か政府でその方針を定めて国民に言うべきだとなる
でもおかしいのは厚労省は感染症を二類からはずさない、それは結核で苦しんできた経験があり厚労省の身勝手でインフレインザ並みにしないという
厚労省も官僚も自分たちのことしか考えないというなる、自分たちの属する省庁のことが国民より優先されるとなる

それは原発事故でもそうだった、すべてそこに利権とエゴがからみ崩壊したのである
東電の天下り先として官僚があり検察でも海上保安庁でも警察でもそうだった
マスコミでも自分たちの利権として東電を原発の危険性を追及しなかった
それで原発が爆発した時、朝日新聞からマスコミの幹部が中国に招待されていたときだったのである
もちろん地元でも巨大な利権となりそれで危険は無視されたのである
ただコロナウィルスではある地域が利権になることはない、それが違っている
でも何かやはり利権第一であり金でありそれに縛られて身動きできなくなっているともみる
ただ今の時代に医者でも看護師でも犠牲になれとは言えない、お前がやれとまでなるからた、でも医者というのは特別尊敬されている唯一の職業だし金も入る地位にある
それは緊急時にも命をかけてでも働くといかことでそうなっていたともみる
実際に消防士でも火事になれば危険でも火事場に行く、そして自衛隊でも戦争になれば戦場に送られる、そういう契約である、そうしなかったらなぜ税金を払っていたのかとなるからである

いづれにしろコロナウィルスでも収支がつかないというとき現代社会そのものの問題として現れたともなる、原発事故でも収支がつかなくなった、10年過ぎてもそうである
核のデブリとかも取りだせない、避難区域には人は帰らないとか復興はしていないからだその原因も利権のみで金のみで動いた人々の結果としてそうなったともなる
それが最悪の状態になりとりかえしのつかないことになったのである
コロナウィルスでも似たものがある、なにやこうやしているうちに利権でしか金でしか動かないという時、何か致命的な最悪の結果となってしまうかもしれない
ただ実際はただの風邪だとして終わるとなれば杞憂だとはなる
てもその結果はどうなるのか誰も先がわからないのである
確かなことは日本でこんな簡単に医療崩壊するということであった
それが最も納得しがたいことであった、なんら危機には備えてなかったということにもなる、日本は危機に弱い、人間は危機に弱い、何か未知なもの急激に襲われるものに弱いのである、その時今回のように社会は混乱状態になるのである




posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年12月23日

福島市がコロナウィルスで危険状態に (ヤクルトの配達中止)


福島市がコロナウィルスで危険状態に

(ヤクルトの配達中止)

ヤクルトでコロナウィルスで二週間くらいか配達中止になるということを言った
それを連地区してきた、それは福島市にヤクルトの工場があるかららしい
福島市はクラスターが出て危険な状態になっている、医療崩壊を言っている

福島県はとうしても中通りが往来が多いから当然郡山市がまず増加した
そこは交通の要だからである、最初会津の方は感染者が出なかった
でも出るようになった、奥地の昭和村でも感染者が出た
おそらく福島市とかの会合とかに出たらしい、だから会津でも人の往来があるから感染を止められないのである

不思議なのは浜通りである、いわき市はそれなりに増えている
でも南相馬市となると増えていない、感染した人は東京から仕事に来た人であり東京から来た人がもたらしている
最初すぐ近くで感染者が出たのは東京のライブハウスに行って感染したのである
その人の家は今は住んでいないという、別に家がありそっちに移ったという
ガラスが割られたとか聞いた

ただわからないのはここは福島市より仙台市と往来が多い、でも仙台市に通っている人もいる、例えば大学生は仙台に通う、それで東北福祉大学の学生がテレワークしていると聞いた、仙台市は一番感染者が東北では多い、すると南相馬市とかにも影響するはずだが
仙台市経由で感染したというのを聞かないのである
それも良くわからない、私はまたカメラのことで仙台市に行くことになったが行きたくないのである、なんらかで感染する割合が高くなるからだ
そして70以上だと不安になる、老人は外出するなというからだ

私はここ十年は旅もしないに仙台市にすら一年に二回とかくらいしか行っていないのである、何かこういう時は外出しにくいのである、近くならいいが遠くなると不安になる
ただ南相馬市は最初感染者が出たが最近も一人とか出たが増えていないので助かる

とにかくこのコロナウィルスは人から人へ感染する、人の往来を止めない限り感染を防ぐことは不可能である、それが現代では一番むずかしいのである
なぜなら江戸時代のコレラでも感染が止められなかった、それも長崎からであり北前船が新潟に入り阿賀野川を通じて会津若松氏に入ってきたからだ
そして栃木県への街道の田島の方へ感染したからだ
会津若松中心に感染が広がったのである、だから人の往来が多い所は必然的に感染者が多くなる
今なら大都市中心に感染が広がる、幸い相馬地域は福島市とは地理的に阿武隈高原でさえぎられ交流が薄い、でも同じ福島県だからつながりがある
でもは電車が通る仙台市の方が往来が多い、だから最初から私は仙台市が増えると思い警戒していたのである
でもどういうわけか仙台市径路で相馬地域に感染してないみたいが
南相馬市は東京から来た人から感染した   

ともかくウィルスはある地域で感染者が多いと不安になる、田舎だと敏感になるからだ
でも少なければ安心だとなる、その辺の感覚が都会とは違う
東京とかなると防ぎようがない、人の往来や交わりを止めることができないからである
交通の発達とか常に遠くの人と交わる広域社会とグロ−バル化の負の面がコロナウィルスで現れたのである
何かすべてのことが良く作用しないのが人間社会である
江戸時代などは確かに貧乏でも朝鮮半島とか中国でもあまりかかわらないから争うこともなかったのである、脅威でもなかった
中国が攻めてくるなどと思った人はいなかったのである
でもグロ−バル化すると常に外国が脅威となる、交流もあっていい面があっても必ずしも友好的にならないのである、だから何でもいい面と悪い面がでてくるのが人間社会だとつくづく思う

posted by 老鶯 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層