2022年06月03日

ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた (トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)


ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた

(トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)

ヨーロッパ諸国が現実逃避ともいえるほど機関銃を忌避したのには理由がある。
南北戦争や日露戦争の結果は当然知っていた、機関銃によりたくさんの人たちが感慨もなく死んだと。
つまり敵軍を崩し大勢の人間を殺すのに必要だったことは、
勇気あるリーダーが率いる決死の騎兵突撃かけるでも、
傑出した英雄が敵兵を何人も斬り伏せるでもなく、
ただの一般歩兵がクランクを回すだけの作業であった。

それは人間と人間がぶつかり合う戦争は終焉し、機械が戦う戦争へと変遷しつつあることを意味し・・・


戦争は常にあったが20世紀になると戦争は機械と機械の戦争になりそこに人間が欠落する人が面と向かって戦う時例え殺し合いでも人間の情が働く、それで平家物語でも一つの
人間の物語として記された、そこには例え殺すにしても人間の情が働き、相手が少年のような人がいてかわいそうがとかなる、また戦争は殺し合いとしても一対一で戦うと自ずとそこに人間的なものが働く、ただ相手を殺戮するだけの者ではない
何か卑怯なことはしないとか勝ち負けがあっても人間的なものが働きそこから武士道が生まれた、そこには刀が武器としてあっても人間対人間の戦いであり現代の大量殺戮戦争ではないからだ、つまり何でもそうだが人間が作りだす道具は平和時にいいものとして働くでも戦争となるとその道具が武器になる、斧だったら木を切るものとしてあっても戦争になれば無慈悲に人を殺す道具と化すのである
それは原発でもそうだった、核兵器ともなり日本はその被害を受けた、一方で平和利用として原発があったがこれも事故でこの辺は悲惨な結果となった

何か今回のウクライナ戦争は武器のショーのようになった、それが現実の戦争でどれだけ力を発揮できるかとなりリアルであり世界中の国が注目したのである
それで先日のテレビで武器について解説していたのが興味深かった
武器産業が活気づいたのである、そして武器を一番売っているのはアメリカなのである
アメリカの武器が技術的に優れていることが判明した
ロシア制は旧式であり今になると使えないことが明らかに見えた、するとロシアでは武器輸出していてももう買わないとなる、それが実践の場で実証されたからである

それで意外とトルコのドローンが効果を発揮して注目された、それで注文が増えた
そしてトルコのエルドワン大統領がロシアのプーチン大統領と直接合い停戦に向けた交渉をしようとなった
でもわからないのはエルドワンがトルコのリラ暴落とかで経済的に苦しい時、このドローンが売れて立ち直るとかなり喜んでいるのも納得がいかない
また今度はそのドローンの効果を見たロシアが買いたいとなり売るともしている
つまりトルコではただ経済的利益をみて仲裁しようとしている
それも納得がいかない、戦争ももうける商売として見ている、それはアメリカでも同じである、アメリカの主要産業として軍産複合体があり武器を輸出することで成立っている
その武器が売れるのは戦争の時だとなるからだ
だから戦争がないことは経済的に追い詰められる、そこで戦争を自らおこすのがアメリカだとも言われる、そこに職業の業(カルマ)が働く、金になるためには戦争でも必要だとなるからだ
トルコにしてもエルドワン大統領にしてもそもそも自らの国の金儲けのために仲裁するということができるのだろうか?そんな不純な動機で平和をもたらされるのか?

真に平和を願うならいいが戦争があってこそ自国の武器が売れる、そうなるともっと戦争してくれともなる、そういうことがアメリカでもあるのだ
だから仲裁するということが矛盾してくる、なぜなら戦争があってこそ自国の武器が売れるからである、そんな人が仲裁できるのか?
つまりウクライナにもロシアにも同じドローンを売ろうとしているのである
仲裁ではなく商売として戦争を見ていてもうけようとしている人が平和をもたらされるのか?それが納得できないのである

だからそもそも武器を作り武器で儲けることは倫理的に問題なのである
アメリカは人権とか盛んに言うけど一番の武器輸出国でありそれでもうけている国であるそしたらそんな国が人権とかなんとか言うことができるのか?
アメリカもだから常に表向きは善人ぶるが実際は悪人だとなってしまうのである
何か人間はジキルとハイドなのである
カルト宗教団体などでもそうである、表向きは宗教を看板にしていても実際は政治と深くかかわり勢力を拡大して権力争奪を計る、善人の顔して実は利権を得る金を得るための
手段として宗教があるとまでなる

だから人間は本当に信じられないとなる、アメリカはやたら正義をふりかざすけど実際は戦争国家でもありそれで武器を売る、これを見ればわかる、実際言うことと現実にしていることは違っているからである
人間はこうして常に二面性があり特にアングロサクソン系はその傾向が強いとしている
平気で人をだます、インディアンは素朴な人達だったか平気でだまして土地をとりあげたとか言われるのもそのためである
どうしても国単位になると善悪など関係ない、国の利益が優先される
だから善人ぶるのは偽善なのである、国単位では善悪はない、ただ国優先の利益があるだけだとなる、だからウクライナでもトルコのエルドワン大統領でも武器を売ってもうければいいとなる、そんな人が国が仲裁できるのだろうか?

ともかく武器から戦争を見るとわかりやすい、戦争の勝敗は武器によって決まる
中国の野郎自大国が漢に敗れたのは武器の相違であった、野郎自大国と銅の刀であり
漢は鉄の刀でありそれで敗れたからである
信長は鉄砲で武田の騎馬軍団を破ったとかあるからだ
そして武器でも古い武器が在庫一掃されるとか武器生産する国ではアメリカでも喜んでいる、アメリカの南北戦争でも古い旧式の型落ちの銃が日本に輸出されて明治維新で使われたのである
今回も型落ちの武器が使われる、そしてロシアの武器は旧式であり効果がないとして売れないとなる
この型落ちの旧式のものは実は原発でもあったのだ
アメリカの古いもの、マーク1が日本に輸出されていたのである、それは危険なものだったのである、でもアメリカではもうけるために日本にうりつけたのである

戦争をなくしたいとしてもなかなかできない、その問題の一つとして武器がありその武器が核にまでなった、それで核戦争で人類が滅びるという恐怖がウクライナ戦争でロシアによって引き起こされる恐怖だったのである
それだけ武器というものが戦争に果たす役割が極限まで達したからである
それを抑えることもできない、平和を実現するにはまず武器をなくすことだからである
でもアメリカは銃社会であり銃をなくすことができない、そのために小学生が乱射事件で数十人とか死んだ、アメリカ自体が武器をなくすことができない、それがアメリカの業(カルマ)だとなる
他国にも武器を売るが自国でも武器で銃で苦しんでいるからだ


いづれにしろ戦争をなくすことができないというときその大きな問題として武器をなくすことができないことである、武器でもうけること自体悪なのである
でもアメリカは軍産複合体が大きな産業となっているように戦争がないと商売が成り立たない、そこに矛盾がある、だからアメリカが人権を言うのも理解できない
戦争こそ最も人権を無視したものとなるからだ、それはロシアでも残虐なことが行われるそれは普通なら死刑にもなる大犯罪である、でも戦争ではそういう大犯罪を無視される
人を殺すことが是認されるのだから後は何でもありとなる
だから戦争では人間の悪が欲望が野放しになる、ロシアがウクライナからいろいろなものを強奪したりレイプしたり悪が何でもあるとなる
だから戦争こそが最も悪が是認されてむきだしになりそれでもとがめられない最悪なものとなる、だから戦争だけは止めねばならないものだがそれができない
その理由の一つに武器があるためだとなる、アメリカでも銃規制ができないことが自ら証明しているのでありそれで苦しんでいるのはアメリカのとカルマだとなる

戦争のことが話題になり軍人がでしゃばる時いいことはない、結局自衛隊が何のためにあるのかというとき不祥の器としてるとき別にそれで良かったのである
自衛隊が軍隊が全面に出てくる時は日本の戦争したようにいいことはない
軍人が一番威張っていたの戦争の時であり反発されていたのである
そして近代の戦争は機械の戦争であり国同士の熾烈な全員戦争でありそれで一千万人とか死んだとかなる、そこに歯止がきかくなっている
そして最後は核戦争で滅びるとまでなる、その恐怖を現実化しようとしたのがウクライナ戦争でもあった、それで一地域の紛争とは違ったものとして注目されたのである

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2022年06月01日

空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史 (一軒一軒が語る郷土の歴史)


空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史

(一軒一軒が語る郷土の歴史)

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空家なる大石二つ冬の暮

この家の庭は最近掃除した、でも屋根瓦は直していない
庭は家族が来て掃除したが屋根瓦は直すとなると金もかかる
そして直す職人でもまだたりない、それで放置されているのだろう
ただこうしてまだ持ち主がいて見ている人はいい
全く放置された空家は問題である

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これは空家ではない、兜屋根であり養蚕していた家である
こういう家が田舎にはまだ多い
この屋根は明確に養蚕した家の造りである
何かこういうのは歴史的遺産ともなる家だとなる
ただここはまだ人が住んでいる、飯館村だと住んでいないこうした家が多い




空家となる庭の石

隣なる家は空家となりぬ
庭に大きなる石あり
礎となる石なれや
冬の日さして静か
洗濯物干す女あり
静粛な妻にあれ
街の一隅に十数年住む
今はなしもなお近くに住む
貸家なれども二十数年ここに住む
子供らここに育ち離れる
我が一人今庭に入り偲ぶ
塀にボケの花咲き
その花を手折り我が部屋にさしぬ
一つの家にそれぞれの歴史あり
隠されし処、空家の庭
堅く大きな石の組まれて庭あり
石のテーブルありて家族の憩う
そこに一人一人の顔も浮かばむ
ここにも人の営みありて歳月を刻む
また一つ空家の庭に大きな岩二つ
どっしりとありて動かず
ここに暮らせし人は誰やいづこに
冬の日に我が訪ねて偲ぶもあわれ

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値ー詩)
http://musubu.sblo.jp/article/189114900.html

今空家が大きな問題となっている、一千万軒が空家なるとか空家だらけになる
原発避難区域は空家だらけである、もう町が空家の町となっている
それで5000万近く誤って金を支給した若い人は空家バンクで移住した人だったのである
無職だとなっていた、何か空家利用でも良く利用されるとは限らない
こういう人も入ってくる、町では何とか空家を利用して町に住んでくれとなったそうなったのだろう、それもわかる、ともかくそれだけ空家が多いのである
これからますます空家が増えてくるのである
それで古民家を修復して活かそうとする人も出て来る

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

ここではそうである、古い物を活かそうとしている、それは思想的にも共感する
この空家問題は実際は大きな現代の日本のテーマなのである
それは少子高齢化でもそうなった、後継ぎがいずその家を継ぐものもいなくなりそうなる墓仕舞いが言われるのも跡継がいなくなり墓を守る人がいなくなるからそうなる

どうしても原発避難区域になった浪江とか小高とか飯館村などは空家だらけでありそれが元のように回復するとは見えないのである、第一若い人が流出したからである
老人ばかり取り残されてそれで復興することはできない
だから空家問題は深刻なのである

例えば詩にしたように一つの家でもそれは地域の歴史を刻んでいる、郷土史にもなる
ただ江戸時代から続いているような家はそれ自体が地域の歴史となる
この辺だと野馬追いにでる家は江戸時代からつづいた家だからである
それは家が継続しているからそうなる
でも隣の家にしても二十数年貸家でもそこに住んでいたのである
ただ別にその家とは関係しない、話したこともわずかである
それでも子供がそこで育ちいつも見ていたのは庭である

大きな石がありそこで妻が洗濯物を干していた、その女性は控えめな女性で顔すらまともに見たこともないのである、だからほとんど交渉がなかった
でも確かにそこに二十数年住んでいたのである
ただ空家になっても近くに新しい家を建てたからである、もう遠くに行って放置している空家とは違っていた、今回の地震でも壊れたりしたが持ち主が修理した
でも放置されてある家もある、それはもうそこに住まない家だともみる
なぜなら東京に息子は住んで両親も死んだからである、するとこことはかかわりもなくなったからである、だからその家は金持ちでそれなりに立派なのだけど住む人がいないとなる、それで地震で壊れた所を直していないのである

ともかく空家化する日本、空洞化する日本ともなる、この辺だと津波で村自体が消失したそこは何も残っていない、空家は一応庭でも家でも残っているからこうして偲ぶことができるでも全部消えたら何も残らない、でもそこに一つの家でも刻んだ歳月がありそれを偲ぶということがある、それは家でも庭だけでも残っていると偲ぶとなる
それは城があったとかでも石垣があって偲ぶのと似ている、相馬藩の城があったとしても石垣しか残っていないから偲ぶとしてもむずかしいとなる
何か昔を偲ぶというとき何か残っていて偲ぶとなるからだ
その点ヨ−ロッパの歴史などは古いし2000年前でも石として残っているから歴史を偲ぶ
ローマの遺跡などがそうである、石は残るからである

ともかく津波であれ原発事故であれ避難して一つ一つの家の歴史でも失われたのがこの辺である、家があれば偲べるが取り壊された家もある
するともう他者から見れば何も偲べないとなる、何か空家でも家があるとここに家があって暮らしがあったのだと見る、でも家もなくなると偲ぶこともないのである
何か記念碑のように家が残っているともみる

家二愛着があるのはやはりそこで暮らした歳月がありただの箱とは違う、そこで暮らした家族の歳月がありそれで家に愛着が生まれるのである、だから老人は原発事故で避難しても故郷の家に帰りたいとなるのである、そこで暮らした歳月がそうさせるのである
やはり人間は歳月の重みというのがある、どこで長く暮らしたのか誰と長く暮らしたのかが重みとなる、なぜなら人間の生きる時間は短いからである
その中で親密になれる時間を持つ人は限られているのである

だから熟年離婚とかなると損だとなる、なぜならもう共に生きる時間が限られているからだ、そこで親密になる時間がもう限られているているからだ
つまり人間で意外と貴重なのは金があるにしても時間だとなっていたのである
誰と人生の時間を長く過ごすかということも大事になる
そしてその人も限られている、家族だったら四五人とかなるだろう、その他の人は親密になれない、それは人間は時間が限られているからである
だから何人もと親しくはなれない、その時間がないのである
そして人はたちまちこの世から消えるのである

いづれにしろ空家となると本当に淋しく感じる、そこでは庭の石でも人間化していたのである、人間の暮らしがあって石も一体化して活きていたことを感じる
それが自然のままだったらそうはならない、一旦人が住んだらそうなる
人の情が石にも樹にものりうつっていたともなる、だから物とは単なる物ではない
物が憑くとなり人間の心がのりうつったものにもなるのである
だから人が消えるとそこに残された物は余計に淋しいものとなるのである
posted by 天華 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月28日

大陸は人種が混交し混血した (ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


大陸は人種が混交し混血した

(ウクライナとかの戦争の原因の背景ー遊牧民を理解しないとわからない)


 混交して混血する大陸の民族

 なぜウクライナの大統領ゼレンスキーがユダヤ人なのか
 プーチンの顔にモンゴルータタールの血が交じる
 モンゴルはウクライナまで攻めて来た
 その猛威にヨ−ロッパは震撼する
 タタールの軛ははロシアの起り
 トルコは突厥でありモンゴルと近接する
 遊牧民は中央アジアに跋扈して領土を拡大する
 羊を追い大騎馬軍を率いて大陸を進軍する
 インドの原住民はドラビダ族
 そこにアーリア人の侵入あり
 その彫の深い顔はギリシャ彫刻のよう
 仏像はアレキサンダーがもたらしたヘレニズム文化の所産
 スリランカの男性は顔だちが白人
 名前はフェルナンドにしてポルトガル人の王の名なり
 大航海時代にヨ−ロッパ人の侵入あり支配される
 中央アジアに東西の対立
 様々な民族が部族が混交して鬩ぎ合う場
 血を流し争いまた混血してきた歴史
 それはウクライナでも再現する
 兄弟とするウクライナでもせめぎ合い争う
 中国の始皇帝は白人らしい
 遊牧民、騎馬民族の末裔なれ
 始皇帝陵兵馬俑の大軍団の威容
 それが中国の地下に眠っていた
 遊牧民は広大な草原を砂漠を移動する
 そこで異民族と出合い熾烈な戦いとなる
 その興亡は繰り返される
 スラブ民族はスラブは奴隷の意味と
 ローマ帝国の辺境となる地域は 野蛮人とされ
 文化なき世界とされゲルマン人もライン川で区切られる
 スラブとはヨ−ロッパの源流から外れた劣った民族
 でもフランスのナポレオンとドイツのナチスであれ
 ロシアに攻め入り寒さに敗れて撤退する
 その犠牲者は一千万人以上ともされる
 ナチズムはアーリア人の優秀さを主張してジェノサイドする
 ユダヤ人は固陋にその血を守り神の民として遺民とてし残される
 民族と民族の熾烈な妥協なき争闘の歴史
 ゲルマン人の荒々しい血がローマに侵入して滅ぼす
 スラブ民族主義が西のヨ−ロッパに挑む
 東欧諸国の成り立ちはいかにここも遊牧民に由来する
 地球は陸の国より歴史が始まる
 大陸、砂漠、草原が始源となり世界史は形成される
 アラーの神は砂漠の神でキリスト教も同じ
 アブラハムを共通の祖として一神教なり
 日本は極東の島国にしてその歴史よりはずれる
 島国で敵味方塚あり敵をも戦い終われば供養する
 大陸は民族絶滅ジェノサイドになる
 他国に侵略して支配されざりし島国日本
 しかし今グローバル化は進展して孤立はならじ
 鎖国はもう成りたたじ世界大戦に巻き込まれる
 日本民族の存続すら危ういともなる
 世界はまた動乱の時代となり
 日本は深刻にその行く末が問われる


●日本人のアイディンティティは村

戦争の原因という時、日本国内なら村同士の争いである、入会権がありその争いで大名がかかわり戦国時代になったという分析もある
また水争いもあり村同士が争う、日本だったらそうした地域間、村の争そいになる
そして日本で一番怖いのは村八分なのである
そうなると村で暮らしていけないからである、最近地方に田舎に東京から移住する人達が増える、特に退職した人など田舎でのんびり暮したいとなる
でも日本だと人間関係でむずかしいのは村が生活の基本にありそれでうまく適合できないのである、ある人は回りに親戚がいて誰が家に入ってくるかも監視されている
そこに女性が入ってきたらすぐに話題になる
田舎では誰も見ていないようで常時監視状態にある
それで都会から来た人は同じ移住者の住む別荘地帯に住んで楽になったとしている
日本人のアイディンティティは村にある、狭い村にある
それで日本人の姓は必ず村に由来している、これだけ姓が多いのも日本にある村の地域名が姓になっているから多いのである

でも大陸では違っている、一地域名が狭い村の地名が姓になることはないのである
あくまでも血統であり血統集団が一族でまとまる、だからその姓はハウスブルクとあればそれが国の名にまでなる、確かに日本でも平氏源氏は血統としてまとまる集団である
それは地域名ではない、でも多数の姓は村の地名に由来している
そして日本人が理解できないのは大陸の遊牧民なのである、羊を飼い広大な地域を移動する遊牧民のことが身近に接しないから理解できないのである
その人たちは住んでいる土地をアイディンティティとしない、羊を追って草を求めて広大な地帯を移動するからである、するとどうして一体感を持つのかとなると血統だとなる
日本だと村で一体感をもち先祖は山にいて村を見守り春になると田植えの時期に先祖が山からおりてくるという感覚は遊牧民にはないのである
それは広大な地域を移動しているからである、だから別に村八分になってもその村自体もない、ここが嫌なら別な地域に移ればいいとなるだけなのである

●大陸は民族同士が混血する文化も混血する

そして大陸で理解しにくいのは国の成り立ちである、それはその土地もあるか人種が深く関係している、人種と一族である、それは必ずしも土地に所属しているのではない
人種としても民族としても顔だちとかも違っていて区別される、さらに言語も違っていて区別される、だから不思議なのは一体ロシア人とウクライナ人を一見見て区別できるのか普通はできないと見る、それで外国に日本人が行くと必ず中国人に見られるのと似ているまず中国人と韓国人と日本人の区別は顔をみただけでは区別できないからである
でもプーチンの顔はタタール人の血がモンゴルの血が入っている
スラブ民族というが大陸では人種が必ず混血しているのである,ゲルマン人でもスラブ系の民族が住んでいたとかある
ヨ−ロッパの歴史はローマ帝国の継続としての西側とかゲルマン人とかスラブ系の遊牧民の対立がありそれが今日まで継続している,ウクライナでも一時モンゴルが攻め入りモンゴルと混血した、ロシアがタタールの頸(くびき)となったときもそうである
なにかプーチンの顔はモンゴル系統が入っているように見える
モンゴル系統というときアジア系統の血が入っている、つまり人種的には白人系統とアジア系統の混血でありスラブ民族のオリジナルは別にあるとしても広域的にはそうなる
ゼレンスキー大統領がユダヤ人だというきこれもわかりにくい、ロシアとかウクライナのユダヤ人はまた違っている、ユダヤ人の血を受け継いだものとも違う
ユダヤ教を信奉するものがユダヤ人だともなる、だからユダヤ人といってもいろいろあるとなる、人種では人間は分類できないのである

人種としてはゲルマン人とかアングロサクソンは強力な民族でありイギリスとかその延長のアメリカ人がそうでありそれが世界支配をしたとなる、それはゲルマン人と北方人が主流となったものである、ともかく大陸だと多様な人種があり民族がある、何か世界の人種をアフリカの黒人からペルーとかメキシコとか南米から一列に並べてみたら不思議になるそこでは必ず混血民族がいる、つまりAという遺伝子がありBという遺伝子がありその中間に混血してABという遺伝子の結合があるとなる、それがプーチンの顔にある,スラブ人の顔だともなる、大陸では国境は明確に定められない、地続きなのだからそうなる
すると民族間でも交わり混血になる、そして人間は混血すると異種の人種と交わる時
それが刺激となり種が強化されるようである、だから混血すると美人が生まれるとされるつまり大陸では人種でもそうだが混血する、ヨ−ロッパの文明がイスラム文明を取り入れて発展したというのもそうである、文化も混血するのである
ヨ−ロッパの言語も混血していることが明確である

●人種よりも言語の相違が理解できなものとなる

スラヴ全体に関する様々な学問をスラヴ学という。その語源となったスラヴ語本来の「スラヴ・スロボ」は、「言語」「言葉」を意味するもの[注釈 2]である[要出典]。近隣の(非スラブ人)の人々は、スラブ人によって "nemets" と呼ばれ、これは「ミュート」「話すことができない」という意味である。

人種の前に人間は言語によって区別される、言葉が通じないともう意志疎通もできないからである、そもそもなぜこれほど多様な言語が人間にはあるのか?
それはバベルの塔の崩壊で意志疎通ができなくなった、様々な言葉で話すようになり意志疎通ができなくなったことに由来している
つまり言語が通じないことは意志疎通できなくしたのである
人種の相違より言語の相違が需要だから神は言語によって人間を分断して罰したとなる
ただ言語でも印欧語は大陸の共通言語として認識された、だから何かしら似ているから
言語でも理解されやすい、文法も同じだから構造的にも理解しやすいのである
スラブ語にしてもヨ−ロッパとの共通性があり理解しやすいのかもしれない、なぜヨ−ロッパとかロシア辺りでも英語を話す人が多いのか、それは何か共通した言語の基礎があるからだとなる、ウクライナ人でインタービューされる人がたいがい英語を話しているからだともかく人間を人種で分けるとういことがあるが言語で分けるというのもある
言葉が違うともう人間は意志疎通できないからである
それでギリシャでは言葉を通じない人をバルバロスとしてた野蛮人としたことでもわかる

バルバロスは、「聞きづらい言葉を話す者」または「醜い言語を話す者」の意で、バルカン半島東部(ギリシアの北東)のトラキア地方に住むトラキア人や、ペルシア人のことである。由来としてはギリシア人から異民族の言葉は「バルバルバル」と聞こえたからといわれている

人間は人種だけではない言葉の相違で分けられる、言葉が通じなければ野蛮人ともされるのである、だから言葉は人間にとって人種よりも大事なアイディンティティを形成するものとなる、別に人種が違っても流暢に日本語を話せるとその人は日本人のようにも思えるからである、そこで中国でも多様な民族がいて一つにまとまらない、あれだけの人口と民族をまとめることは至難である、そこで中国では常に民族ごとに分かれて国が形成される

●中国は漢字で意志疎通し文明を作った

 胡(日本語の訓みは「えびす」)とは漢民族から見て北方民族(北方にいる異民族)を主とした異民族のことで、中国史では、匈奴・羯・鮮卑・l・羌の五つの民族を言いう。彼らの多くは騎馬遊牧民であった。厳密に言えばこのうちのl・は北方民族とは言わず、

中国は常に多様な民族が混交して争い統一しては分裂してきた、それで言語も違っているその統一するために漢字が生まれたとなる、まず人間は言葉は音が基本であり文字は後から生まれた、幼児でも母親のしゃべる音から言葉を習得する、でもこの音はその時ネティブとして自然に頭に入るのだが大人になるとそれができなくなる
だから外国語を学ぶとき音より文字から学ぶとなり日本では翻訳文化になったのである
中国でも読み下し文とか文字から漢字から学んだのである
直接中国人とは話すことがないからそうなった、それで日本がヨ−ロッパから学んだ時も翻訳文化になったのである、実際中国人と意志疎通するときは漢字を書く、すると通じやすい、でもその音は聞き取りにくくしゃべることもできないのである
だから大きな国を統一するには共通の言語が欠かせないのである
これは人種の壁より大きいともなるから人種にこだわるのは問題だとなる

大陸の歴史をみれば必ず民族間の抗争がありジェノサイドがある、それだけ多様な民族が大陸には存在したからである、何故ロシアとウクライナが兄弟のような同一民族だとするとき争うのかとなる、言語も共通したものが多いだろう、言語でも文化でも宗教でも人種でも共通しているのである、それでロシアがかえってオリジンの国としてこだわる
つまりウクライナとロシアはもともと同一民族であり一体だとなる
それで欧米側に西側に所属することを許さないとなった
ヨ−ロッパとかはロシアでも言語的にヨ−ロッパと共通性がある、ロシア語はギリシャ語が基になっている、音は別にして文字はギリシャ語が基になっている
宗教でもギリシゃ正教が波及して変形したものだからである

●日本語は孤立語であり島国として閉鎖された国

日本はなぜ大陸の歴史や地理を理解しにくいのか?

それは日本人が極東の島国として一つの孤立していたからである、でも仏教とかは取り入れたのである、その孤立したことでわかるのは日本語の由来が未だにわからない
どことも共通性がない言葉なのである、アジアに探してもそうでありそれで中東に由来を求めたりする、ユダヤ人の言葉と似ているとかシュメール語に由来していとかにもなる
でも依然としてその由来が不明な謎の言葉なのである、そのことが日本が大陸から隔離された孤立した文明だったということの証明なのである、まず大陸だったら鎖国など絶対にできない、陸つづきなのだから常に異民族が侵入して来る

大規模な民族の移動もあるからだ、第一ウクライナで何百万人も移動したということが驚きになるからだ、日本では海に囲まれているからそういうことができないからである
だから日本には人種的なも問題もないし言語が違うということもないから一体感をもてたとなる、でも混血しないから人種的には弱体化したともなる
アメリカとかなると人種差別がある、日本にはない、でもその反面様々な民族が人種が混血することは種が強化されて文化でも新たなものが作り出される

そもそもなぜ戦争になるのか?

その原因は複雑であり多様である、だからなぜ兄弟でもあるとするロシアとウクライナが過酷な戦争になるのか?そのことが理解できない、同じ民族なら言語も共通しているなら争うことがないと思うからだ、ただ西側の関係でそうなったという、それも言える

エゴだけで引き起こされるわけではない。むしろ、危機意識が高く、犠牲的な精神の高い者によって引き起こされる場合の方が多い。戦争の原因は、観念論者が言えような独裁者の夢想や野心と言うより、人民の切実な問題が、隠されている事の方が多いのである。

第三の経済

独裁者の夢想や野心と言うよりというときプーチンの夢想や野心からウクライナ戦争が始まったというのはやはり違っているだろう、そこには複雑な背景がある
でもウクライナでも国を守る犠牲的な精神が発揮されて抵抗した、またロシア側ではロシア人が住んでいる地域はロシアのものだということで戦争になった
そこに国同士のエゴだけではない、ただ犠牲的精神が高い方は士気があるのはウクライナだったともなる,ロシアにはそれがないとされた、ただ両国が和解できない何かがあったとなる、それを知ることは日本という閉鎖された島国ではわかりにくいのである

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2022年05月25日

日本の自衛隊員の不足と高齢化 (もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


日本の自衛隊員の不足と高齢化

(もともと兵士はいらないもの、軍は表に出てはならないものー兵者不祥之器(老子)


驚かされるのは、自衛隊を辞めた後などに予備役として登録する「予備自衛官」の採用年齢(退職時に士長以下)を37歳未満から55歳未満へ、また第一線部隊と同じ任務に就く、同じく予備役の「即応予備自衛官」の採用年齢(同)を32歳未満から50歳未満へと、ともに18歳も一気に引き上げたことだ。

定員割れを解消しようと毎年22億円ものカネを募集経費に充て、47都道府県に募集担当者を配置し、高校を回ってリクルート活動を展開。募集ビデオの電車内放映、新聞広告なども積極的に活用している。

50代でも予備自衛官に…自衛隊、止まらぬ「高齢化」の実態
平均年齢は米陸軍より7歳上
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58170?imp=0

自衛隊の募集原ノ町駅前でしていた、そこで呼び止めたのが中学生だった、体つきが大人に見えたのだろう、人が集まらない、少子高齢化が自衛隊にも影響している
だからそもそも日本で戦争などできるのかという疑問である
それは中国でも一人っ子政策とか高齢化もしてくる
そういう中国でも戦争できるのかとなる、ロシアではまだまだ国民の年齢が若いのであるすると戦争のようなことでも命令すればできるとなりウクライナに侵攻したのかとなる
戦争はやはり若い人ならできるが年齢が上になるとできない、それだけ過酷だからである
日本はほんの一部を除いて戦争できるのかとなると疑問なのである
豊かな暮らしにもなれた人達でありそういう人達が戦争できるのか?
どうも戦前は東北辺りは貧困に苦しむ人達が多かった、それで戦争でも行けば食べることはできるとかなる、つまり貧乏ということは戦争でもましだともなる
それで東北人の部隊が強く関西辺りの大阪とか都市民は弱かったとなるときやはり都市民は贅沢になれ軟弱になっていた、何か戦前の人たちは粗食でも忍耐強いとか軍隊でも通用していたのかもしれない、今の人たちは贅沢を覚えた人達であり過酷な戦争ができるのかローマ帝国でも都市化して贅沢を覚え軟弱化してゲルマン人の侵入で滅びた
ローマ人はもともと農民であり素朴な人達だったが都市化して贅沢を覚え軟弱化したのである

現代文明の贅沢を享受した人たちはアメリカでも中国でも戦争することは厳しくなっているのではないか?ただアメリカは確かに戦争経験している、中国は経験していない
すると意外と台湾有事でもロシアのように弱いことが露呈するかもしれない
ただ今の戦争はミサイルが飛んでくるから体力より技術力だとなる、でも戦争というのはとても40歳以上とかなると体力的にもたない、ウクライナで戦争になったのはやはりロシアが若い人が多い国だからかもしれない、血気盛んだからかもしれない
日本人は戦前のような粗食に耐えて戦争するようになっていない
贅沢になれてとても戦争するような体力も気力もないように見える

ともかくウクライナのような大規模な大きな国と国の戦争は起きないと見ていた
だからロシアの侵攻は意外だった、でもロシアという国がまだ他と違って若い世代が多く野蛮性があり戦争を起こす国だったのかとなる、ウクライナにしてもやはりもともとロシアなのである、ということは共通したものがあり激しい戦争になったのかとなる
ウクライナはわからないにしてもやはり同じロシア人でもあり共通しているのかともなる
なぜ戦争になるのか?

その理由が定かではない、老子の思想だと兵そのものを否定している、いらないとしている

軍隊というものは不吉な道具であり、多くの人がこれを嫌うものだ。だから「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない。人の上に立つ人々は、通常は左の席を上座とするのに軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な道具であるので、人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ。勝利を善い事だとしてはいけない。勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い。

軍隊とかはもともとそういうものである、だから軍隊が社会で軍人が社会の枢要な地位にあるときはその社会はいい社会ではない、平和な社会ではない、軍事力の増強とかばかり語られるのはいい社会ではない、それはアメリカの軍産複合体では武器を作っていて売らねばならない、するとどうしても戦争が必要でありアメリカは戦争をしかけるとなる
ただそういうことはあからさまに語られないからわからなくなる
ウクライナの戦争にしてもアメリカが画策して対立をあおりロシアと戦争になったという人もいる

中国の思想はあれだけ歴史が長いのだから様々な人間の実験の場であり教訓を残している私が一番魅かれるのは老荘思想である、荘子でも身体障害者は戦争があっても兵士にならずにすんだとか言ってそのことを肯定している
こういう考えは普通はない、国のために戦いとか家族のために戦いとか戦争することが
人の勤めだとまでなる、日本でも戦争するために身体検査をされていた

合格し即入営となる可能性の高い者の判定区分を「甲種」というが、甲種合格の目安は身長152センチ以上・身体頑健だった。始まった当初の明治時代では合格率がかなり低く、10人に1人か2人が甲種とされる程度だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E6%A4%9C%E6%9F%BB

戦争は本当は誰もしたくないものである、人を殺すことになるからしたくない、また自らも死ぬのだからしたくない、それが正常な感覚なのである
それでわざわざ不健康を装い自ら病気にもして兵役をまねがれた人もいたのである
その人達は非国民となっていた、でも今ロシアの戦争でも死にたくないとして若い兵士が自らの体を傷つけて戦いをやめるうにする、命が助かるためにそうしている
ロシアにはロシアの大義名分があっても人間は死にたくないからである
その大義名分にしても良く理由がわからないから何で死ぬのかとなりそうなった

軍隊は不吉な道具である、

勝利を善い事だとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られる筈が無い

アメリカは常に戦争してきた、軍産複合体があり武器を売るためにもしてきた
ウクライナでもアメリカが仕掛けた戦争だという人もいる、その犠牲になっているのがウクライナ人だという人もいる、ロシアでもそうである

人の上に立つ様な人々が本来使うものではないのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事だ

軍人が尊敬される注目されるたとは良くない、戦時中は軍人が威張っていたというときそうである、そういう社会はいい社会ではない、軍人が目立つ社会は平和な社会ではない
だから北朝鮮はいい社会ではない、また軍事バレードで軍事力をみせびらかすことはいい国家ではない、軍人が尊敬される注目されることはいいことではないのである
その時はまさに戦争がありそのために注目され敬われる、敬わされるともなるからだ
だから何か墓まで今でも軍人の位が記されて上等兵とかなんとか記されている
その時代はそう墓に記すことで国の誇りになっていたのである
それが今になるとそんな軍人の位に何が意味があったのかとなる、誰も注目していなのである

兵者不祥之器

戦争にたづさわる軍人は目立たない、なるべく表に出ない方がいい社会だとなる
最近軍人がウクライナ戦争ででしゃばるのはいいことではないのである
結局日本の自衛隊のような状態がいいのかもしれない、自衛隊は目だってならない存在であり誇示してはいけない存在である、だから若い人はそれを知っているから自衛隊に入りたくないのである、優秀な人でも貧乏だから給料すらもらえるから防衛大学に入るとなるつまり戦争を目的とする自衛隊員になるためではない、むしろ自衛隊は災害派遣で功績があり認められている、この辺の津波震災でも一番働いたのは自衛隊だとして感謝しているからである、それだけ装備があり訓練していたからである

ロシアのウクライナ侵攻で何か軍事力強化になり戦争準備体制のようになっている
それは中国の台湾有事で現実味を帯びている、実際に台湾の国境の島、与那国島でも自衛隊の基地化する、台湾有事に沖縄の島で準備しているのである
こうして中国が攻めてくると準備することはもう戦争状態にすでなっているのかもしれない、それもウクライナでロシアが侵攻したことで容認されるようになっている
これも危険なことではないか?もちろん北朝鮮の脅威もある
何か一発触発の状態のようにもなっている、中国とも北朝鮮とも戦争になる
それは中国がそうしようとしているのだからやむえないという感覚になる

でも過剰に反応することも危険だともみる、ただもう自衛隊でも全面に出て戦いとかなる雰囲気にもなる、日本を守のは日本しかない、アメリカは守らないとしたとき誰が守るのかとなる、だから次のウクライナは日本だと言われるのである
それが危険な方向に向かうことになる、日本に攻めてこないのにもう中国が攻めてくるとして準備することはすでに戦争状態なのではないか?
そしてアメリカは中国とは戦わず台湾でも台湾人最前線で戦わさせられる、そのためにアメリカでは武器を売る、日本でもそうなる、アメリカは最前線では戦わない、後ろからの援助であり自ら血を流すことはしない、だからこそ中国も抑制すべきなのだがしない
要するにウクライナのように日本と中国が正面で戦い犠牲者がでる
アメリカは武器を送るだけだとなるかもしれない、そこで利益を得るのはアメリカだともなる

どうしたら戦争にならずにすむのか?

そのことを互いに模索して犠牲をなくすることにする、それが政治なのだけどできない
いづれにしろ不祥の兵がそうでくなるとき危険になる、本当は戦争するなら米中だけでしてもらいたとなる、日本は高見の見物をするとなればいい、でも必ず日本にはアメリカの基地があるのだから中国にでも北朝鮮でも攻撃される、それもミサイルの射程距離にありうちこまれ、アメリカは避難してアメリカに帰れば安全だとなるのである
ともかく日本はこうして危険な状態にある、別に自衛隊に人など集まらなくてもいいのである、でも軍事力増強を言う時、軍備でも増大してゆくし兵力も増強するとなる
それがいい兆候ではないことは確かなのである

ともかく老子の思想に共感するのは無用の用とか人間はいらないものを作りすぎた、
いらない仕事を作りすぎた、軍隊はない方がいいし医者でも警察でもそれがなければいいものである、つまり病気でも犯罪でもなければそういう職業は必要ないのである
だから天国では病気もないし犯罪もないし戦争もないからそういう職業は必要ないのである、第一武器を作っていて売れなければ困るから戦争してくれとなるのは異常なのであるだから職業は業〈カルマ)になる面があった、食べるためには麻薬でも栽培して売るほかないとかにもなる、そして今物余りになり要らないものでも買ってくれとなる
それで40代くらいの人の考え方は変わった、ニートとかも容認する人とか働くことに積極的な意味を見いだせない人が増えている、それも物を大量に作って売れないもの余りになったからだともなる、老子が言うのはいらいなものが多すぎる、またいらないものが災いをもたらすことである、それで武器を否定するのがわかるが農民が鎌とか鍬とか道具をもつまで否定したのである、それが二千年前だったから驚く、それは現代文明を見越していたということの驚きなのである

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2022年05月24日

プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に (日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)


プーチン大統領「老兵&障害者」まで戦場投入の非情…ロシアの兵士不足が深刻に

(日本と同じようにロシアは敗戦濃厚に)



日本でも太平洋戦争で終わりに近づくと兵士不足になった
それで40才くらいの人も相馬市の松川浦から徴兵された、また少年兵でも18歳の人も志願兵として募集された、その人はどうも中国人を殺したようだが口を噤んだ
それは上官の命令でしたらしい、逆らえずした、ただこうした生々しいことは語りにくいおそらく戦争とは必然的にこうした残虐なことが起きる
それは経験しない人しかわからないのである
でも今ウクライナで起きることは日本の敗戦が濃くなり兵士不足になり少年兵でも年配の人でも兵士として募集されて戦わされたとなる

それでその40才の人は子供もちだから戦地で子供のことに同情していたのである
そういう短歌を残していたのである

幼児に罪のなければと携帯のパンかみくだき吾はあたえぬ

短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男) 
一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集

だからロシアは実際は負けている、日本でもアメリカの戦争で武器でも組織力でも士気でも負けていた、上官と下士官はいがみあい団結もしていなかったのである
日本は団結する一億人が火の玉になって一致団結するように見えていても実情はそうではなかった
やはり戦争というのは何か共通したものがある、兵士不足になり補充できない、
また武器の優劣でも勝敗が決められる、ロシア軍の兵器は時代遅れになっていた
ハイテクでも遅れていたのである、それじ情報戦でも遅れをとった
それが日本の戦争でも同じだったのである、アメリカ軍は航空戦で優位にたち兵站でも優れていた、経済力があり物量でも優っていた、そして意外とアメリカ軍は士気も高かった上官と下士官は争うことなち一致団結していた
つまり日本は野郎自大国になっていたのである、漢が鉄器で攻めてきて漢を馬鹿にしていたが銅の武器で戦ったが敗れたのである

それは真珠湾攻撃でそうなったともみる、アメリカはキリストのように右の頬を殴られたら左の頬をだせではない、一回殴られたら千回殴り徹底的に打ちのめすのである
それはイラクの3.11のテロ戦争でもそうである、それがアフガニスタンにも及んだのである
アメリカの問題は戦争で国土が焼野原になることを経験していないのである
遠い位置から他国を攻撃する、徹底的に攻撃してうちのめすのである
だから本当の戦争の悲惨さを国民的レベルで経験していないのである
その点ロシアはドイツのナチスで一千万人以上とか死んだ、まさに国家総動員で戦った歴史がある、だからそれを言うのもわかる

ただなぜロシアが技術的にも遅れていたのか、それはソ連が崩壊した後に欧米の技術などを積極的に入れなかったからかもしれない、ロシアは中国のように経済成長しなかったのである、だから最先端の宇宙技術があったのにその後は停滞して遅れをとった
だからロシアが大きな北朝鮮だというと核兵器だけを自慢する国だったとも見られたのがわかる、戦争でそれがあからさまになったのである、ある意味で意外であり世界でも驚いたとなる、逆にロシアが野郎自大国にもなっていた不思議である
戦争は総力戦だからその国の国力をあかさまに示してしまうということを見た
だから確かに中国は脅威なのだが台湾有事でもどうなるかわからない、圧倒的に軍事力に差があっても実際に戦争になればわからないということである
でもドイツでも日本でも敗戦国なのだから戦争はしたくない、アメリカと中国がやれとなるが巻き込まれるのである

次のウクライナが日本だ!

こういうとき米中対立が激化すれば台湾有事で日本がウクライナにもなるからだ
日本でもドイツでも戦争にはこりごりだとなっている、だからとても日本で戦争する気力があるのかとなるとそういう気分になれない、だからアメリカが戦争しろ最前線で戦いというとき何か矛盾しているのである、アメリカが戦争に勝ったのだから最前線で戦いとなるからだ、勝者になるのはいいとして勝者には責任が生じていたのである
負けた国は従うほかない、でも勝者こそ最前線で戦いとなる
アメリカは自国の人間を犠牲にしてまで戦わないというのも変なのである

そもそも日本を占領しているのは何のためなのか?

中国でも攻めてきたら日本は守らない、撤退する、自国民を犠牲にできないという
ではなぜアメリカ軍の基地があるのか?何のためにあるのか、日本は依然としてアメリカの占領国なのである、日本が戦いというより占領しているアメリカ軍戦いとなる
それが勝者の責任なのである、勝者というのはそれだけの責任が課せられている
勝ったら何をしてもいいとはならないのである

そもそもアメリカは日本と何のために戦ったのか?

真珠湾の恨みを果たすためなのか?これも良くわからないのである、その時中国は敵ではなかった、むしろ日本軍と戦う同盟国ともなっていたのである
戦争はなぜ起きるのか、それも不可解なのである
そしてロシアの恐怖はプーチンの恐怖は一人の狂気の独裁者が核のボタンを握り人類を滅亡させるという不条理である、こんなことがあっていいのかということがウクライナ戦争で現実にあり世界が震撼したのである
この世とは何か明確な理由があって戦争があるのとも違う、人間は何か不条理があり明確に理由があり説明されるわけではない、数学の公式のようにはならないのである
ただ正義を装ったり人道を装ったりするのである,アメリカのしてきたことをみれば人道を言えるのかとなる、中国でもウクライナ戦争で人道から批判しているからこれも勝手だとなる

いづれにしろロシアは意外と弱い国だった、領土は馬鹿でかいにしても国力は弱体化していたのである、だからこのまま戦争をつづけられるのかとなる
背後から応援する国もいないし経済的にも戦争を続けられないともなる
日本でも戦争に負けるとき同じような状態に陥っていたからである
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2022年05月22日

2045年に人口が約半減する市や町 (漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)


2045年に人口が約半減する市や町

(漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)

2045popuration.jpg

ここでは漁業の衰退で人口減少になる町が多いとしている

「上を見て歩かないと瓦が怖い」…5軒に1軒が空き家になった町
愛知県・知多半島の先端に位置する漁業の町、南知多町の師崎(もろざき)地区。

漁業の町の衰退が増加の一途、漁業の衰退がそれだけ深刻ということ

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2013年に477.4万トンだった水産業生産量は、2017年には430.4万トンで、4年間に9.8%減少した。ピークだった1984年の1282万トンと比べると約3分の1で、国別では世界第1位から第7位に後退した。

漁業従事者は、全体的に50代以上の高齢層が多いと分かります。一般企業だったら定年退職しているケースも多い60代・70代が特に多い傾向です。
https://saiyo-kakaricho.com/wp/laborshortage_fishingindustry/


人口は45年まで約半減になる市や町の原因が一次産業、特に漁業になっていた、後は北海道だと炭鉱が消滅して極端に減った、そもそも鉄道でも石炭を運ぶものとして作られたのである、常磐線でも常磐炭鉱であり福島県では意外とそこで働く人がいた
安達からもいた、安達は紙漉きが50軒ほどあったとかそれが農業の副業になっていた
だから紙漉きというのは農業としてありまた養蚕は地方の主産業だったのである
だから今でも兜作りの屋根の養蚕をした家が残っている
なぜ炭鉱がこれほど多かったのかというとまず石油は地方の生活で使っていない
学校のストーブもコークスという石炭であった、あとは家では炭が燃料だった
私の家が街中にあっても囲炉裏があったのである、炭小屋とかもあった
戦後十年の生活は本当に江戸時代のつづきであった、だから江戸時代がどういうものだったかある程度イメージできる、銭湯が多いのは家に風呂があった家は少ないからである
銭湯は戦後から必ず街にはあったのである
そして電気は使っていない、裸電球一つがあったとかなる、飯台一つしかなくその生活はほとんど同じだったのである
その時かえって豊かだったのは農家だった、なぜなら農家では納豆まで作っていて自給自足していたからである、そして裏山に林があってその木材を燃料に利用したりできたからである、街で暮らすことは私の家だと水すらなく近くの井戸がある家で水をもらっていたのである、農家には必ず井戸があるから水に不自由しなかったのである

とにかく戦後十年の子供時代の生活は江戸時代だった、なぜなら裏に小川が流れていてそこで洗濯していたからである、これも今になると考えられないのである

おじいさんは柴刈りにおばあさんは川で洗濯

これと同じだったのである

昭和の初期 はこのような 木熊 とよばれる 薪棚 が 山間部 にたくさん作られた。山で仕事 して 薪棚を積む 。木熊を組む という表現をうちの父もよく使っていた。 山でおよそ2年分の 燃料を備蓄 していた。家の中で 家族が病気になったり しても 燃料 だけは確保しておくという 昔の人の知恵 がそこにあり、燃料が確保できているという 安心感 が 生活の中に重要だった に違いない。
https://hakutan.net/2017/10/08/%E6%9C%A8%E7%86%8A-%E6%9F%B4%E5%88%88%E3%82%8A/

金を貯えて置くより実際こっちの方が安心だとなる、なぜなら最近紙幣は紙きれになるとか預金封鎖があるとかそんな話しかないからである
すると安心を得るには燃料でも薪でも貯えていたら安心だとなる、つまり自給自足の昔の農家の方が安心だとまでなる、それで都会の金持ちでも田舎で土地をもって野菜でも作って置けとか言うのもわかる、紙幣は紙屑になる恐怖があるからだ
日本の貧困化でそういう不安が現実化しているからである

ともかく昔の生活をふりかえると子供時代でも何か手間がかかり休む暇もないとなる
ほとんど人間の手でしているからそうなる、田植えでも稲刈りでもそうだった
農業でも漁業でも一軒の家でもできないから村全体で共同で仕事をしていたからそこで農民は結束していたとなる
家事でも東京の中産階級ですら二人も女中を雇っていた、私の母は東京で女中していたのである、女中はその頃女性の勤め先として普通にあったのである、後は糸取りであり養蚕がありその糸を取り出す仕事を原町紡績でしていたのである
戦前の仕事となるとかなり限られていた、ただ糸取りでも女性が現金収入になったから必ずしも苦しいともならない、第一現金収入になるものがなかなかなかった時代だからである

人間の生活は生活から見れば意外と共通している、なぜならあのパリのセーヌ川で女性が大勢選択している絵を見た、田舎ならわかるがあの大都会でセーヌ河で洗濯していたのである、だから洗濯というのは一仕事であり家事でも電化されていないからその労力も大変なものだった、何かそれは世界的に同じなのである
インドの街中では不思議だった、やはり炭が積まれていて牛が歩きその糞が干されていたそれは燃料にするためである、でも子どもが白黒のテレビを見ていたとかある
それは十数年前のことである、そういう生活は日本の戦後と似ている、なぜならテレビは戦後十二、三年後に家庭で見るようになったからである
テレビの出現は衝撃的だったのである、それでラオスとかでテレビが欲しくて子供を街に売って売春させていたとか放送された、それだけテレビの価値は高かったのである

石油もない電気もなくても人々は縄文時代から生活できていたのである、もちろん今と比べると余りにも足りないものがあっても一応生活してきたのである
だから電気水道ガスが毎月止められるという時、そもそもそういうものは自給自足だから石油でも水道でもガスがなくても生活は貧乏でもできていたのである
つまりそれで生活できないことはない死ぬことはないのである
それは世界でも共通していた、どこかの国で特別豊かな今のような生活などしていないのである、ただ仕事が養蚕がありそれが輸出品となっていてそれで外貨を稼いでいた
養蚕は農業だから田舎でもできたのである、工業製品を作るのとは違っていたからである養蚕業でもうけた人が銀行も作ったりしたのである

ただ魚というとき鮭とかはかなり食べていた、サンマとかも食べていた、石鰈は地元でとれていたが贅沢品であり大晦日とかに食べるだけだったとなる
だから普通は石鰈は食べていない、それだけ高価なものであり今度は東京の方に売ったとかなっていた
でも漁業が衰退して人口が半減する市や町がある、漁業というのは衰退産業になった
一次産業は農業でも林業でもそうである、魚でも外国から入ってくるし外材にもなり第一次産業は日本では衰退産業になった
こういう事情でこの辺は原発は金になるということで積極的に誘致された
双葉とか大熊辺りは原町市とか相馬市とから離れて働く場所がなく出稼ぎ地帯で地元で生活したいとなり原発が誘致されたのである

それでこの辺で烏崎などは小さな港だけど漁村だけど東北電力の火力発電所が建つ時
多額の補償金が出て呉服店では旅行に招待して高い着物が売れていたのである
そしてヨ−ロッパ旅行をした人がいたのに驚いた
その時飛行機代が馬鹿高い時だったからである、50万とかもする時代があったからだ
だからその時憧れがあったが私は行けないと思っていたのである
その後も今度は原発ができて浜通りでは船主中心に手厚い補償金が出たのである
もう漁業が衰退産業になっているとき漁師はどうなったのか?
実は東電の社員と同じになっていたのである、その収入源は東電の補償金で十分であり原発御殿が建っている周りから羨ましがられていたのである
黄金の襖を東京に注文して作っていたとかその金が大きいからそうなった
原発はこうして金の成る木だった、それもその金が大きいのである
その後も相双リテックなどでは除染で幹部が何十億という金が入って銀座で豪遊していたとかなる,原発マネーで狂ってしまったのがこの辺だったのである

だから全国的にこのyoutubeで紹介された人口が半減する市や町は漁業の衰退が原因だとしている、つまり漁業だけではもう成り立たなくなっていたからだとなる
そして福島県の漁業は浜通りでも宮城県からすると水揚げ高が生産量が十分の一とか少ない零細産業になっていた、石巻の高橋英吉のような人が漁夫像とか彫刻化したのは
やはり戦前であり何かしら江戸時代からつづいていた漁業があり漁師が身近にいて作れたのかとも見る、石巻はそれだけ漁業がここより規模が大きいものだったからである
あの漁師像は機械化した漁業とも違う、本当に海にじかに向かう人間のたくましさを表現したものだからである、遠洋漁業とも違うからである
ともかくこの辺の漁業はそもそも零細であり全体でもとるにたらないものになっていた
それは農業でもそうである、全体の生産高からする十分の一にも満たないものだったのである、それは農業ですらそうなのだから漁業になるとそれより十分の一も少ないとなる
ということで実際は原発が作られたとき漁民は東電の社員になっていたのである
十分補償金で生活に困らないからである、それが矛盾だったのである
ただ高橋英吉が彫刻化した漁師像はすでになくなっていた、でも本来の漁師はかくあるべきだということを示していたのである

ただ現実を見れば漁業では生活できないとなっていた、そうであっても漁業でも農業でも江戸時代から生活があり生業となって継続されてきたことも確かである
だからもう生活できないとしていることも疑問になるのである
つまり人間は電気でもガスもなくても生活できていたのである
でも松川浦でもそこは漁船が多いにしても風景は火力発電所と最近はガスタンクがあり
松川浦からガスを東北地方に回す基地ともなっている、そっちの方の産業が主体になっている、エネルギー産業が主体になっているのである
問題は一次産業というのは農業でも土と深く関係しているし林業でも漁業でも放射性物質の汚染が致命的な損害になった、放射性物質は空気まで汚したのだから住めなくもなった第一次産業は衰退産業となった、前から農業でも金にならないとなり跡継ぎもいなとかなっていた、それで農業していた農家の子供は農業なんかやるなと父親に殴られたという
その子供は原発とか建築現場で働いたとなる、そして原発事故になったのである

日本では沿岸漁業から遠洋漁業になっていた、戦前でも高橋英吉は遠洋漁業の船に乗っていたのである、でも遠洋漁業すら日本では衰退していた、そういう時代に追い打ちをかけるように津波が襲ったのである、そこで壊滅的被害が原発によってもたらされたとなる
でももともと漁業は衰退産業であり福島県とかなればその生産量は宮城県の十分の一にしかなっていないから経済的損失としてはそれほどでもなかったのかとなる
ただ農業となると土が汚染されたから被害が大きく長引いた、でも十年過ぎて回復はしてきたとなる
漁業だと養殖に活路を見出すとか模索はつづけられている、そしてなぜ大卒で遠洋漁船員になるのかとなるとやはり人手不足であり待遇も良くして若い人を呼び込むためだともなる、それは奨学金の借金があるらあえて苦しくても金になるからと申し込んだともみる

ともかく日本は海の幸山の幸の国である、漁労民族でもあった、でもそれが消失した
漁師とか山で暮らすにしても林業とかが衰退したのである
だから日本の風土から培われた文化でも消失する、祭りも消失する、もう受け継ぐ人もいなくなる、後継ぎがいなくなる、漁師でも50歳以上の人が多いとか跡継ぎもないということが深刻なのである、それで人口が2040年には半減するとなる
でも戦前のように細々とでも生活は継続される、消滅することはないだろう
江戸時代から一応生活はできていたから継続はされるだろう、でも消滅する市町村もでてくる、炭鉱で栄えた町は消滅するのはそれだけ炭鉱が産業として大きいものだったからである、それは原発とも似ている、原発事故でこの辺では町や村が消滅する危機にもなったただ相馬市とか南相馬市はそれなりの経済規模があるから継続するが避難区域になった所は継続することが困難になる

それにしても人口が半減する市町村が増えると日本はどうなるのか?

空家が一千万軒とか少子高齢化とかさまざまなことで衝撃が大きい、経済規模が縮小することは恐怖にもなる、その影響は大きなものとなる、国自体の衰退にもなる
その時何が起るのか?それは未知である、歴史を見れば飢饉で相馬藩で三分の一とか人口が減ったとかあったが越中からの移民とかで穴埋めできた
でもこれが日本全国規模で起きるのでスケールがまるで違う、日本が衰退するというより空家化して空洞化してゆく恐怖である、国力も弱体化してゆくと防衛の問題もある
でも十年先に二〇年先に現実化する、ただ老人は今度は死んでゆく
それで無責任になるがどうでもいいとかなってしまうのである
死んだ後のことまで考えられないとなるのである



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遠洋漁業と沿岸漁業 (グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)


遠洋漁業と沿岸漁業

(グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)

●遠洋漁業とグロ−バル経済は似ている

この遠洋漁業が不自然を感じたのはグロ−バル経済と似ていたからなのか?
マグロを獲るために世界の海でとるということは資源を沿岸だけではない遠くに求める
それはグロ−バル化経済でもそうだからである
国境を越えて大企業が利益だけをみて世界に進出する
だから世界の海でも魚の資源も世界で獲り合うとなると魚でもサンマでもとれなくなる
魚資源の争奪戦が世界で行う、だから沿岸業業だけだったら土着的になるが
遠洋漁業だとその日々生きてる暮らしから離れる
第一一年間も船上で暮らすことは非人間的なのである、だからそこでは精神的にも荒廃する、家族もいない土地とのつながりもない、土着的ではない
沿岸漁業だったら土着的であり人間的なのである
でもマグロを獲るにしても沿岸漁業だと限界がある、だから遠洋漁業になった
でもそこに非人間的なものが生まれた

そしてその土地とのつながりもなくなる、山と海の暮らしは結びついていた
鯨をとったとしてもその一部を山に住んている人と分けて食べた
それが祭りともなる、陸でつながった村同士が神が与えた魚の恵みを分かち合うとういことである、でもグロ−バル経済になると利益中心主義でありこうした伝統的民俗学的な風習は無視される、そんな民俗的な風習などをとでもいいとかなったのが科学技術主義優先の社会である、でもそれが何か人間だけではこの大自然に対処できないものがありそうした風習も生れた、それが時代遅れとか一概に言えないものがある
とにかく人間は大自然を畏れた、その畏れがあり神に乞うという許しを得るという祭りが行われた、でも科学技術社会になるとそういうものが前近代的なもの非合理なものとして排斥されるようになった

でも科学技術でも万能ではない、未知なものが依然として多い、もちろん科学技術を無視しろとかではない、効用がないとかではない、ただ人間には限界があり万能の神のようになれない、それで自然であれ神であれ畏れを持つことは正しい態度である
現実に万能の神は存在する、人間を作った生物を地球を宇宙を想像した神は存在する
もちろんその神をまともに見ることはない、もしまともに見たら死んでしまうとなる
その神は決して見ることはできない、でも永遠の命を与える神は確かに存在する
神は無から有を創造できるのである、人間は無から何も創造できない、生命を新しく創造することはできない、ただ神の創ったものをあれやこれろと分析して神の創られた声明を基にして多少変化させることはできる、でも根本的に生命を新しく創りだすことはできない

それはどういうことかというと例えこの地球が滅びたとしても宇宙すら滅びたとしても再創造できるしまた新しい生命体を創造できる、つまり新しい天と地を創造できるのであるだから例え地球が滅びてもまた新しい生命体は創造できるのである
人間はどんなに科学技術が発達したとしても新しい生命体を作ることは不可能なのである科学技術でもそれは戦争のために使われる、ウクライナ戦争を見ればわかるまるで兵器のショーのようになっている、現実の戦争で殺し合いで兵器の優劣を競い今度はその兵器を売り込むとなる、ロシア兵器は現実の戦争の場で役にたたないと見られた、
結果としてロシアの兵器はこれから売れないとなもなったのである

●土着的なことがアイディンティティの基礎

民俗学的なものとか郷土史とか伝説とかはあまりに重要視さされなかった
原発だったら科学技術の塊りであり文系的なものは除外されていた
でも本当に科学技術集団が起こしたのが原発事故だったのである
それは原発が神への畏れを自然への恐れもなくて作られたものだからであった
そもそも核を破壊して強力な爆発を起こさせるとういこと自体が不遜なことであり
それは神を畏れないものとして危険だとも科学者が言っていた、何か科学には危険なものがつきまとっていたのである、それで中世になると魔法使いのように胡散臭いものとして見られていたのである、科学技術には危険なものがあったからである
何か神の領域にずかずか入ってくる危険性があった、遺伝子組み換えとかでも危険がある勝手にそういうものを人間の手で操作していいものかとなるからだ

とにかく遠洋漁業というのは何か土着的なものではなくなり土地からも遊離したものとなる、そこではただ魚をとるためにだけあり沿岸漁業のように人間の暮らしがあると見えない、沿岸漁業だと陸地とも一体化して離れずにあった、家族全員での生活の場として港もあったとなる
だから私が漁師として讃歌した詩は土着的漁師の姿である、それは海に面しているが陸地とも深くつながり家族ともつながっている人間なのである
遠洋漁業だとその土地土地から遊離したものとなる、だから船上で男だけで一年間も暮らす場は異常化するのである、異常な空間となるのである
なぜなら家族の元にも一年間も帰らないからである、そういう生活は荒れたものとなる
いくら金が他により高くなっても精神的には荒廃するともなる
それは何かグロ−バル経済と似ているのである、グロ−バル経済でもその土地土地から遊離して世界を市場として利益だけを目的に会社は機能するからである
だからアメリカの大企業でも突然森林でも木材をとるために売るために伐採してそこに住んでいたオランウータンの棲む森を奪ってすめなくしたということがある
それは日本の企業でもしているのである
要するにグロ−バル大企業は利益しかみない、そこに生態系がありそれに基づいて生活していたものを根こそぎ奪って利益しか考えない、それが世界を荒廃させたのである

●グロ−バル化は覇権争いであり通貨でも支配のためにある

そしてグロ−バル経済の労働は非人間化する、一年間も船に閉じ込められて労働するのは普通ではないからだ、そういうことをさせるのがグロ−バル化した経済のためである
他にも巨大企業が後進国の人達を安い給料で雇いそれで利益を出す搾取がある
グロ−バル経済とは結局公平なものではない、すべて覇権国が搾取する仕組みだともなるそもそもそれはアメリカだけではない今度は中国が覇権国になれば中国の元が紙幣がドルの代わりになるというときもそうである、つまり通貨でもその時々の覇権国が支配するためのものなのである
ローマ帝国時代はローマの通貨が通用しているしイギリスが覇権国の時はボンドが世界の基軸通貨となりエジプトではボンドなのである、中国でも宋の時代には宋の通貨が日本まで流通したとなる

宋銭は、金や西夏、日本、東南アジア諸国でも使用され、遠くは、ペルシアやアフリカ方面にもおよび、ほぼ全アジアで流通したため、当時の経済状況に多大な影響をおよぼした。これは当時の中国王朝の政治力を物語る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%8A%AD

アフリカまでも宋銭が流通したことはまさに今中国が一帯一路でしていることと同じである、歴史の繰り返しなのである、結局こうして世界が中国が覇権国になれば支配されて中国の通貨がドルに代わる基軸通貨となるのである
ここでも今度は中国にアフリカが搾取されているとか反発されるのである
グロ−バル経済はすべていいものとはならない、覇権国が世界を搾取する構造ともなる
グロ−バル経済はそもそも非人間的なものになる、人間的感覚を越えたものであり道徳無き経済ともなっている、その規模が余りにも大きいから世界的に搾取されているとしてもわからない、結果的にわからないから陰謀論になるのである
これだけ大きくなると人間的感覚でもう知ることもできないからである
だから資本主義でも株式でもそこで何か行われているのか見えないし知ることも不可能なのである、それで実際は一部の特権者が株を操作して暴利を得ているとされる
それはそんな巨大なスケールの経済を知ることもできないからである

いづれにしろ現代の経済はグロ−バル化して土着的なものから離れてしまった
それが非人間的なものとなり人間的なものを無視する、だからそこではただ魚をどれだけ大量にとるかと利益中心主義になる、魚でも農産物でも何か生き物を扱うからそこに自然の畏敬のようなものを失った、祭りも失った、ただがつがつと魚を多くとりもうければいいとかしかない、それはわかるにしても今度は原発のために東電に漁業権を売るとかになる、本来の漁師の仕事は金にならないからとなりそうなった
そうして土着的なものは無視されただ利益追求だけになったのが現代の経済なのである
そこに必ず世界的搾取がありそれは巨大なグロ−バル経済の中で見えない、そこで常に陰謀論になる世界である
道徳無き経済というときもう人間的範囲のヒューマンなものからかけ離れた経済だから当然そうなるのである
要するに物と心が分離する世界である、そもそもマグロにしても物があってもこのようにそのマグロが食卓に提供されるのか、そんなことはもうわからない、つまり他の商品でもどうして作られて提供されているのかわからない、ただ値段を見るだけだとなっているからだ

●物と心の分離した道徳無き経済がグロ−バル化の問題

例えば物と心が一体化しているというとき提供される物に心がついているとかなる
家族で母親が出す料理には母親の愛情がこもっているとかなる
物は単なる物ではない、商品は単なる商品ではない、人間の心がこもったものとして提供される、それが物と心が分離してしまうのが世界市場化したグロ−バル化だともなる
狭い範囲だったらそうはならないと思うからである、誰が作ったとかまで村とかの範囲だったらわかるからである、そしてその物を作る人を見て知っているともなるからだ
世界経済になったらそういうことは全く見えない世界である

それで働く(「傍(はた)」という字は、「そば」とか「かたわら」という読み方もあります。「いつもあなたの傍(そば)にいるよ」とか、「傍(かたわ)らであなたを支えます!」を楽にする)から来ている、いつも苦労して働いている人を見ているから楽にしてやりたいということで働くという言葉が生まれたことでもわかる

つまり働く人を身近にみていてこういう言葉が生まれた、今や世界の果てからでも物が入ってくる、でもそこで働いている人など全く見えないのである
マグロ獲るにしても遠洋漁業となると見えないのである、だから傍を楽にするなどということはありえないのである、そこでどなんに過酷な働き方をしていようが見えないからである、でも沿岸漁業だと一応働く人は家族とも一体となっていて見えるのである
それで漁師は彫刻になったり自分の詩にもなる、それはやはり土着的なものになっているから身近に見えるから心が働くのである、世界の裏側の人はいくら働いていても全く見えないのである,グロ−バル経済になるとそういうことが普通になるからいくら物が入ってきてもそこに心がこめられないのである、心と物が分離して物だけが入ってくる世界なのである、そもそも心とはココから来ている、こことは狭い場所なのである

ここを離れたら心はなくなるとなる、つまり人間の心はそこに住んでいる場所と一体化する、ここを離れると心も離れてしまうのである
だから国というとき実際は相当に狭い世界だったのである、小国とか日本に多い地名がそれを物語っている、狭い所が国となる小国となりその小世界が国となっていたとなる
そういう狭い場所で心と土地とがアイディンティティ化して一体化したとなる
グロ−バル経済となるとその物と心が分離したものとなる
だから世界的経済となっても国と国は対立して戦争になる
グロ−バル化した経済でも別に心が通じあうことはない、むしろ対立して戦争にもなるしなっている、物が世界の果てから入ってきても別に心が通じ合うこともないのである
それで第一次世界大戦があり第二次世界大戦があり莫大な人が死んだのである
対立がグロ−バル化でさらに激化してそうなった、互いに理解しえないからそうなったのである

●万葉集は心と物が土地とも一体化して歌われている

万葉集の世界はそうした世界とは違っている、心と物が一体化した世界である

君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ(1839)

我(あ)がためと織女(たなばたつめ)のそのやどに織る白たへは織りてけむかも

君に逢はず久しき時ゆ織る服(はた)の白たへ衣(ころも)垢(あか)つくまでに

我がためとか君がためにとかのために働きまた服を織っている、つまりそこに心がこめられているのである、それはあくまでも特定の人のためであり不特定多数のものではない
現代は不特定多数の人のために働いている、それもグロ−バル化すれば世界の人のためにともなる、でも逢ったこともない人のために働くということは心が通わないのである
万葉集だと必ずこのように心がじかに通う世界が歌われている
また枕詞がありそれはその土地と深く結びついている、だから人間的になる
それが現代の感覚とは違っている、心と物は一体なのである

●グロ−バリゼーションでかえって世界の対立が激化した

要するに道徳無き経済であり心が通じない経済であり経済の意味の経世済民もない経済である、ただ巨大企業が世界を搾取する経済だともなる、その富は覇権国にそれもまた一部の人達に巻き上げられるとかなる、ただそれは見えないから陰謀論になるのである
そしてウクライナ戦争でもわかるようにあれは武器を売りつけるための軍産複合体がしかけたのかともみる、なぜなら武器の優劣を現実の戦争の場でみせつける
するとロシア制の武器は劣っているから買わないとなるからだ、武器の優劣が明確になったからである、そのために多大な人間が犠牲になっているのである
グロ−バル化すれば世界的対立が激化して最終的にハルマゲドンとなり人類滅亡にもなる平和が来るわけでもないのである、ただ世界がグロ−バル経済で豊かになればいいが
戦争にもなるのがグロ−バル化なのである,グロ−バル化を推し進めると最終的に覇権争いで世界大戦となり人類滅亡となる

世界平和にしても武器を捨てない限り平和はない、核兵器を捨てないかぎり平和はない
それがいつか必ず使われるからだ、だから本当にロシアのプーチンが核を使うと脅したことでもわかる、核を持てば大国になれともなり北朝鮮は核兵器を持つためになりふりかまわないとなる、そしてアメリカは戦争国家であり武器を作り売る国家でもある
アメリカはまた国土が戦場になり焼野原になったことがないのである
ロシアでも第二次世界大戦で一千万以上死んだとかありドイツでも日本でも焼野原にされた、そういう経験がない国がアメリカなのである、だから戦争の本当の悲惨さを実感できないのである、だからどうしても人道がどうだとかなんとか正義とか言うのはなぜ言えるのかとなる、もちろんロシアの弁護するわけでもない、ロシアには非がある、でもアメリカのしてきたことを見れば人道がアメリカにあるとは言えないし正義でもないのである

なぜ中国とか韓国北朝鮮とか日本と対立するのか?
それもグロ−バル化の結果だった、なぜなら江戸時代なら中国であれ韓国でも友好的だったからである、それが日本の侵略のせいだともされるがそれは欧米の侵略が先でそうなったのである、なぜアメリカと日本が戦争する理由があったのか、アジアに侵略したのまずヨ−ロッパであり次にアメリカだったとなる
結局人間がグロ−バルに交わることはまたグロ−バルに対立することだったのである
グロ−バリゼーションは平和をもたらすわけではなかった、覇権国が世界の富を収奪するシステムでもあったとなる、だからこそその覇権をめぐって戦争になる
ウクライナ戦争でもそういう側面があり人道的に問題だけではかたづけられない複雑なものがある,アメリカとロシアの覇権争いにも起因して起きているからだ



豊穣の海と漁師

朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな

http://musubu.sblo.jp/article/189548693.html

石巻の高橋英吉の漁師像は土着的なものだろう、でも高橋英吉は遠洋漁業に実際に船に乗って行っている、そこで漁師の姿に接して彫刻にした
でもその像は海に面して沿岸漁業に従事していた漁師を手本にしたのだろう
沿岸漁業と遠洋漁業は違っている、沿岸漁業は土着的になるからだ

fisherman222.jpgfisherman1.jpg


無駄な贅肉がない肉体美なのである

神和(かんなぎ)神から荒ぶる神と化した海 
(津波は神の祟りなのかー海への祭りが消失していた)

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2022年05月21日

マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も (時代で変わる就職事情)


マグロ漁船員、大卒の志望者増 3Kイメージ変化 「奨学金返済したい」の声も

(時代で変わる就職事情)



それは、普段私たちが何気なく食べているツナ缶の背景で行われているのです。
主人公は、ミャンマー、インドネシア、タイ、ベトナム、台湾などの海が近い国々で、仕事を探している普通の若者たちです。
良い条件で稼げる仕事があると話を持ちかけられた若者たちは、生計を立てるために愛しい家族をあとに残して船に乗り込んでゆきます。
そこで待っていたのは、食事も十分に与えられず、睡眠時間も少なく長時間こき使われる奴隷のような日々。
支払われる給料は契約よりもはるかに安く、タダ同然のこともあります。

防寒着もなく魚を保存するための冷凍庫で長時間作業したために、凍傷になってしまう人も少なくありません。

目を背けてはいけない、太平洋マグロ漁船で働く人々のありえない話。


船内では、借金などで生活が困窮してマグロ漁船で働かざるを得なくなったアウトロー系の人達や、ろくに日本語を話せない外国人の人達が多い傾向にあるので、人間関係で辛い思いをすることが非常に多くなる

マグロ漁の航海中の、「はるか沖合のうえで、四方を見渡してもどこにも陸が見えない」という状況は、
恐くなったり嫌になっても決して陸へ逃げ出せないので、独特の強い圧迫感と恐怖感をひんぱんに覚えることになる

1年間は国へ帰れない、遠洋マグロ漁の4つの超ブラック要素



どうして大卒でマグロ漁船員を志したのか?
生きがいを見出したいとかあるが奨学金返済のためだとか理由はある
でもそもそも大卒だったらそんな過酷な仕事につくのか?
これも仕事の環境が改善されたとか現代の事情がある
それにしても一年間も船の上で暮らすとなると相当に過酷なことが予想される
でもあえて挑戦するというのはやはり借金のためなのか?
ただ世界を回りたいという憧れが青年にはある、そしてなかなか魅力的な仕事につけないとか文系Fランだといい仕事につけないということもある
テレビの放送で船乗りがギリシャによってそこの料理を覚えたとういことを知った
やはり世界を回るからそういうこともあり船乗りの仕事は他とは違っている
そういうことに憧れるとしても現実は厳しい

おそらく今の時代の事情もある、団塊の世代だと三流大学でも一応就職できていたようである、高度成長時代だから人手不足の時代であり吸収されたのである
今は大学には入るのが50パーセントとかなる大学出てふさわしい仕事に就けない
そもそも文系の大学は価値がない、廃止しろというのもわかる
大学は遊びの場であり遊びを覚える場だったともなるからである
だから奨学金の借金を返すためにそうなったのか事情はわからない
一流大学の人もいるがそれも良く事情がわからない、実際は文系のFランなどで就職先がなくてそうなったのか?
どんな仕事か一応調べれば過酷なことがわかるからどうしても理解できいところがある

ただ漁師というとき沿岸漁師なら松川浦の人の話を聞いた、その人は小柄なのである
こんな人が漁師できるのかと疑った、でも身が軽いから船に乗っても適応できたとしている、確かに船が揺れるのだから身が軽くないと危険にもなる
ただ一般的に漁師とか建築関係だと体が丈夫でないとできない
知っている大工さんは体がまるで柔道の有段者のようにがっちりしているし体自体が違っているのでうらやましいとなる、それは全く生まれつきのものである
確かにそういう仕事をしていればそういう体付きになるにしてもその人の素質が大きい
だからブルカラーとか肉体労働となるとみんなが適応できるわけではない
それで自分自身の失敗はそういうことがわからないから勉強もしなかった
勉強嫌いになっていたのが失敗だった、なぜなら自分自身は体力がないからである
それに気づいていたら勉強していたとなる
つまり自分自身のことがわからないでどうしたらいいかわからないから後で苦労することになる

結果的には自分の場合、底辺労働者になった、肉体労働とか流れ作業の仕事とかしかなかった、でもマグロ漁船員は相当に過酷なことをしりえる、ちょっと調べれば簡単になれるものとは思えない、奴隷のようにされている外国人もいた
借金でそういう仕事につかざるええないとなった
そして一年間も船の上で男だけで生活していたらどういう感じになるのか?
それも理解できない、ただマグロ漁で冷凍室で働かせられて凍傷になったことはわかる
この冷凍庫の中がマイナス20度くらいになる、だからこういう所で働くと凍傷にもなり確実に体を壊すことになる、自分も経験しているからだ、ここが一番過酷だったし建築現場でも死に目にあった、こういうことを知っていればもっと勉強して事務とかでも楽な仕事につけば良かったとなる、ただ私は幸いに引きこもりになっても親に恵まれてそういう仕事を続ける必要がなかったので特別親には感謝しているし今でも供養している

ともかく時代によって就職事情も変わる、どこに就職したら迷うだろう、今になると銀行は地方ではエリートだったが今では違う、証券会社の子会社のようになっている
もう銀行は地方でも用のないものともなってしまった、だからつぶれともされる
それで銀行員をやめて農業をやるようになったという人も出でいる
それは架空のような金のやりとりとか仕事の充実感を得られないとしてそうなった
だから必ずしもマグロ漁船員になることが悪いとも言えない、悪い仕事とも言えない
仕事としての充実感はむしろあるとなる、でもそれも経験すれば過酷だとなる
まず相当な体力が必要だからみんなやれると思えないのである

とにかく文系の大学は就職に困る、なんらスキルを身につけていない、弁護士とか一部は別にしてもそうである、もし医学部とかなると即医者になるのだから安定した就職先は確定している、文系というのはそういうことはなくただ遊びの場であり期間だったとなる
英語でもぺらぺらになるようだといいのだがそれもない、英語を喋れれば外国人でも話せたり意志疎通できれば仕事になりえる、ドイツ人の技師を東北電力に案内していた人を駅で見たからである
それがないとしたら何か実社会で役立つことをあまり教えられないのである、そして今やFランとかなればマグロ漁船員になるというのも理解できる、でもそれでも過酷だとなる
社会の仕事が現代では親の仕事すら会社員だと何をしているかもわからないだろう
農業とか漁師とか大工とかでも身近で見ているからわかりやすいのである
だから親の跡を継ぐということが自然にできる、でも金にならないとかで継ぐのが嫌だとなったのである

遠洋漁業となるとやはり沿岸漁業とは違って厳しい、なぜなら沿岸漁業なら家がありそこに帰れば家族が待っているからである、そしてに三日過ぎた魚を食べていないとか言っていた、とれたての新鮮な魚しか食べない、それが漁師の贅沢なのである
だから漁師がすべて辛いとかもならない、機械化もしているしそれほど力仕事をしないかもしれない、でも遠洋漁業はまた別なのである
それにしても今はいくらでも贅沢して魚を食べているにしてもその魚をとっている人がどういう苦労しているかなどわからない、それはあらゆるものがそうである
ただ値段を見てるだけなのである、だからそんなに苦労してとったものでもそのとった人のことなど考えないのである、それで命がけのみうにして獲って来た魚を食べる時別に
獲った人の苦労なとわからないし感謝などもしないのである
苦労して獲ってきた魚をありがとうなど言わないのである

仕事にしても現代の事情が反映される、正直文系の大学は価値がない、すると就職先もいいところはない、すると遠洋マグロ漁船員でもいいように見えてしまうのかもしれない、でもそういうことを調べればわかるはずだからどうしても理解でとないともなる
ただもう銀行員でも農業するとかする時代だから就職事情も変わる、まず文系の大学は価値はない、その数も多い、となるとどこに就職するのかとなる
体力に自信があればそういう仕事でもいいとなる、給料だって安くなっているから高いとなればやる人もででくるのだろうとなる
ただ正直仕事はやってみないと理解できない、なぜマイナス20度の冷凍室で働いたのか仕事がわからないのとしょうがないのでそんな所に自分は行ったとなる
現実に働いて見てもう続けられないともなるだろう
その過酷さを身をもって知ればそうなるのである、ただ何かいいように見えてしまっているのかもしれない、給料も高いからとかなっているからかもしれない、それだけ日本が貧困化しているからそういう仕事でもいいように見えてしまうという事情があるのかもしれない、就職にも時代の影響がありそうなったとのかとも見る

ただ遠洋漁業と沿岸漁業はかなり違っている、沿岸漁業は土着的である、生活する根城を土地にもっていて畑で野菜作りしいたりもする、半農半漁もある、だから土地と密着している、だからこそ原発事故で海が汚染されたとき問題になったのである
遠洋漁業なら世界の海でとるのだから一つの場に固定されないからいいいのである
でもそうなると土着的仕事ではなくなる、それはグロ−バル化した仕事ととも似ている、そんな遠洋漁業など江戸時代とかにはなかったからである、結局江戸時代から明治から戦前までは土着的仕事が大半だったろう
その土地土地に密着して生活していたのである魚でも沿岸でとれるものしか食べていない、それで不思議なのは江戸っ子がカツオを食べていてもマグロはとれていても捨てていたというのも信じられないとなる

だから時代によってこうして価値あるものでも価値ないとされていたのである
仕事でも時代が変わると価値がなくなり新たな仕事が生まれて価値が生まれる、こうして仕事でも時代で変わり一定しないのである、それで大卒でもマグロ漁船員にもなるということはありうる、農業も見直されて大卒でもするようにもなる
農業は畜産でももともと大卒でも親の跡を継いでいた
桜井市長とか飯館村の菅野村長とか大学の畜産科を出ているから地方だきと依然として農業社会とも見れるからそういうことがありうる、でも地方でも農業とか漁業とか林業は衰退したのである、だからこそ原発が建てられたのである
そしてどういう職業につくかは時代によって変わる、この辺では原発で働く人が多かったのである
なにしろ他に三倍くらい給料が高かったからである、でもそれも原発事故で終わりになったのである

posted by 天華 at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年05月02日

知床観光船の事故と原発事故の共通性 (仕事が土着的なものから離れた現代の危険)


知床観光船の事故と原発事故の共通性

(仕事が土着的なものから離れた現代の危険)

●知床観光船事故と原発事故の共通性

知床観光船の事故と原発事故に多くの共通性があった

●地形とか海流とか天候とかが深く関係していた

●経営者や船長が外部のものだった

●安全管理を国土交通省でも怠った

●地元の人達とのコミニュケーションの不足があった

今回の知床観光船事故は原発事故を追求して多くの共通したものがあったことに気づいた事故になった原因が一致するものが多かった

地形とか海流とか天候とかが深く関係していた

知床の海流とか地形でも複雑でありそこは危険な場所だった、海流でもそれは地元の漁師でしかわからないものがあった
そして意外と風が関係していた、北西の風だと直接船にふきつけるから波も高くなるから危険だと言っていた、でも知床半島でさえぎる風だと船体に直接吹きつけないから安全だという説明が地元の人からあった
この風向きはなかなか地元の人でないとわからない、風の方向はわかりにくいからだ
でも地元の漁師だったらもうそこで生業として仕事しているから直感的にわかるのであるたいがい生業として農業でも第一次産業にかかわる人は密接にその土地の風土と結びついて暮らしている、それは科学知識というより日々の仕事なのかで自ずと身に着く知識であり知恵である、自ずと土着的になる
その土地にrootrdnessでありconstantに接する土着して仕事をしているからである
その土地と人間は不可分に密接に結びついているからである
それでこの辺では東風が3月頃から海から吹いてくるのである、不運だったのはその東風が吹いた時、原発の爆発がありその風によって放射能の塊り飯館村から福島市の方に流れたのである
でもすぐ近くの浪江の請戸だと放射性物質は海に流れたからあんなに近くても0.5マイクロシーベルトだったのである

●地元の人達とのコミニュケーション不足

そしてなぜ爆発した時、山の奥の津島に町民を浪江町長が逃げさせたのか?
それは放射性物質がどういうものが知らなかったからである
でも東電の社員の一人は知っていて山の方に向かって逃げていたが海に近い街の方に戻った方がいいとして街の方に引き返したのである
つまり東電の人は専門家だから知っていた、でもそこに原発があるのに東電では地元の人達との深いコミニュケーションがなかったのである
それはなぜかとなれば政府と東電指導で地元の人たちは自治体ではその町長より上に立つものであり命令に従う方だったからである
それは県でもそうである、政府から命令を県で受けて各自治体に命令を下す、それに逆らうことはできなかったのである

肝心のそこに住んでいる自治体の公務員とか住民との十分なコミニュケーションがなかったのである
それより政府と東電が大きな権力をもち「安全神話」を作って危険を知らせないようにしたのである
その管理も実際は政府でも幹部でもなおざりにしていた、なぜなら原発とかは一般人にはわかりにくいから御用学者でも雇いいくらでもごまかせたからである
そして政府でも危険があるのにそれを教えないし管理もずさんだったのである
そこで働く電気関係者が千人いたとか言われるが何か配管とかに問題があっても指摘してもとりあげない、それよりそれを言うと地元の電気関係者でも仕事がもらえないとなって言えなかったのである、何しろ政府でも東電も一体となった巨大な権力を持つものとなっていたからである
今回も前にも事故三回も起こしていたが国土交通省でそのままであり対処しなかった
政府は安全対策で常に問われる、ただなぜこの会社に警告しなかったのかわからない

そして東電には司法関係者から警察官僚から海上自衛隊から天下りしていた官僚が相当数いた、その人達は多額の金をもらっても事故の責任を何にもとらないのである
東電でも政府でも何か事故の責任をとった人は今回はいないのである
これに反発する人もいないというのもわからないのである
地元の人たちももっと何か追求して批判するべきだがしていない、それは結局地元の人たちもその利権にあづかり補償金をもらっていたからしないともなる
地元の報道関係も追求しないんのはやはり宣伝費として金をもらっていたからである
政経東北でも相双リテックから宣伝費をもらって表紙でも宣伝していたのは何なのだろうと思った、結局福島県の報道機関はその危険性を追求していない、第一電事連から800億円の金が報道機関にマスコミ支払われていたというのだから驚く
つまり庶民の想像を絶した金が動いていたのである
それは事故後に判明したのである
そして官僚の安全管理も名ばかりであり「不安院」だとして揶揄されて批判された
安全について何もしなかったとなる
ただ金だけをはもらっていたのである、実質は何の安全管理などしていなかったのである
地元の人達とのコミニュケーションの不足があった

原発は地元の人たちとコミニュケーションなどしない、政府の権力東電によって一方的におしつけられたのである、ただその見返りとして金を湯水のようにばらまいたので地元の人も許可したとなる、だから地元の人も金ばかり求めていたことで責任はある
それで事故後もあまり政府でも東電でも批判できないということはあった

●科学技術と土着性

こうしたことも知床観光船でも起きていたのである
土着性とかなると何か古いとなる、そんなものを現代に持ち出すのは時代遅れだとかなるでも人間はそもそも生物の一種なのだから土着的なものから大地から風土から離れてありえないのである
人間の基本的な生は土着的なものとして営まれる、その土地から実りがありそれで生きるのが基本としてある、それが工業化科学社会になったとき無視されたことがある
その土着的なものより科学的技術が優先される、土着的なものとは生態系に準じて生活することである
でもそうした土着性は広域化グロ−バル化社会で無視されていた
現代のグロ−バル化社会はいいように見える、でもそこにいろいろな人間の根本的な生存権すら脅かすものがあったのである
だから最近ウクライナ戦争で麦が輸入できない、円安で高くなるから米を食べろというときでもそうである、地元で日本でとれるもので賄うことが基本にある
それで米を食べろ利用しろと言われるのもやはりそれがまともな生活だからとなる

電力でも東北電力となると土着的になる、東北を根城として仕事するからそうなる
それで東北電力の副社長がこの辺は津浪があるからと女川の原発を作る時、10mをあえて高くして作った、その結果津波から辛うじてまねがれた、でもすれすれだったのであるこれはやはり東北に住んでいるからこそできたことである
三陸では明治になっても大津波があり一万人とか死んでいるからである
そういう場所に隣接していたからこそ身近なものとして危険を感じてそうなった
でも相馬地域とかなると400年間大きな津浪がないから警戒していなかったのであるそして相馬藩政期に二行だけ生波(いくなみ)−津波で700人溺死と記録されていた
それも学者すら知らなかったのである、ただ津波の後に発見したのである
だから郷土史などあまり重要視されない、物好きな人がしているとかなる
でも実際は原発事故でも郷土史というのは深く関係していたのである
郷土史とは最も土着的な仕事なのである

そして報道にしても土着的でないとできない、それは福島県でも広すぎるのである
海側と会津とか山国となるとまるで違った風土だからである
すると報道でも福島県でも広いから全部をカバーできないのである
常にコンスタントにrootednessになるのは限られた地域になるのである
だからそうして一地域でも深くコンスタントに地域と密着して生活していないと報道もできないとなる
そもそも文化でもcultureがcultivateであその土地に根付いて耕すものとして生まれる食糧でもそうである、その土地と常にコンスタントに密着して生活していてその土地独自の文化が生まれるのである、それは様々な土地のものが野菜でも名付けられる
その味はその土地独特のものとしてありそれが土地の魅力となる

●グロ−バリゼーションも土着性を喪失させた

ともかく知床観光船事故ではこうして原発事故を起こした原因が共通している
現代の盲点は仕事に土着性がなくなったことである
何か材料でも家の木材でも外国から輸入する、ウクライナからも木材を輸入していたということで入らなくなり家を建てるにも値段が高くなって建てられないとかなる
外国からはこうしていくらグロ−バル化していても輸送ができないとか高くつくとか
常時安心して入ってくるとは限らないのである
だからあくまでも自給自足を基本にしてそれにつけ加えるものとして輸入もあるのが安全だとなるのである

そして知床観光船では社長も外部の人とか船長も外部の人だったとかなる
その船も瀬戸内海仕様のもので知床の海には合っていないものだったとかなる
つまりその土地の風土とかにそぐわないものとして作られたものを使っていたとなる
原発にしても日本では地震が多いから風土に合わないものであった
それでアメリカで竜巻が多いから原発の電源を地下にもってきていた
それを日本でまねたのが失敗だった、日本では竜巻の被害はまれである、むしろ地震の国であり津波でも起きるからその備えが必要だったのである
ただ科学者は津波が来るから備えろと警告はしていた、でも東電は聴かなかったのである
それはコストがかかるからである

つまりどうしても安全よりコストとなるのが経営である、今回もそれで失敗したのである天候を無視して利益をあげるために危険を無視した結果として大事故になったのである
ただ安全となると経営では利益をあげなければならないから無視されやすい
それでそこに国がかかわる、でも国土交通省でも認可が甘かったとなる
原発でも危険は無視されて政府の安全を計る官僚は天下りして金をもらうだけであり何もしなかったのである、だからその金は返還すべきだとなる、でもそのことを言う人もいないのである、マスコミでも追及しないのである、それはマスコミ自体が東電から多額の宣伝費をもらっていたからでとる、朝日新聞すらそうてある
つまり東電の原発の危険性を追求した報道はなかったとなる

いづれにしろ現代社会から土着性が失われた、それがまた大きな問題でありそこから大きなとりかえしのつかない事故にもなる、グロ−バリゼーションとは地域地域の土着的な生活を破壊するものでもある、巨大な企業でも森を破壊して生態系でも一挙に破壊したりする、それができる時代だから根こそぎ自然が破壊されてしまう
経済ばかり優先されるのも問題なのである、人間の生きる意味とかは土着的なものとして追及されその土地土地にアイディンティティ化して生きる意味を持つとなる
それを詩などで追求して来たのが自分だったとなる
第一東京とか大都会ではもう土着性は何もない、ビルの狭間でそこに土はそもそもないからである、そこで志向されるのはなにかとなる、大地とか自然から遊離した人工的空間で生きているから人間はもう自然を意識できないのである
そのこと自体が何か大きな災害をもたらす潜在要因となっている
つまり東京で大地震があり津浪があったり何か都会自体を崩壊させるようなものが起きる不安がある、そして現実に大災害が来たらもう水も飲めないとか食料すら得られないという恐怖がある、外国からもその時食料でも入ってこないからである
だから東京の金持ちでも田舎で野菜を作っておけとかなるのである
食糧は必ずしも外国から入るとは限らない、円安になり馬鹿高くなるとか戦争とかあると入って来なくなるのである、それが意識されないことが危険なのである


桂田社長が観光船仲間の会長をしていたとか報道があった
これも地元ではなく外から来た人が会長とかなっていた
それも問題だったのかもしれない、東電でも東京であり外から来た人達が運営していたからである
それで支持は東京から幹部がしていたのである

三回も事故を起こしていたのだから行政処分もあっていいという発言があった
危険な会社として公表すべきだったとも議論があった
国土交通省で安全の管理をきちんとしていなかったと批判があった
これも原発と共通している、でも小さな会社だからここから何が見返りがあるとは思えない
ただ小型船舶は厳しく規制されない、それで猪苗代湖でクルーザーで子供が事故にあい死んだ
小型になると規制がゆるいからそうなった






posted by 天華 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月30日

南相馬市相馬市の地震の被害写真 (まだ屋根などが修復できない家が多い)


南相馬市相馬市の地震の被害写真

(まだ屋根などが修復できない家が多い)



南相馬市小山田地区

kuradamage1.jpg

これ中は土壁である、表面の壁がはがれた



toomplace1.jpg

tombplace2222.jpg
ここの墓地は斜面だから被害が大きかった
なぜなら街中の近くの平地の墓地では墓が倒れていないからだ
私の家の墓はその街中にあるから倒れていないのである



日立木の小川

breigedamage2.jpg
橋の下の方の支えの石だろうか?
かなり重いものがはずれたのである、これだけのものが動くということは
相当な衝撃だったのである、橋自体が壊れたものもある

roadstationsoma1.jpg
相馬の道の駅の被害が意外と大きかった
中の商品は全部撤去されて廃業になる

somastcar1.jpg
政経東北4月号

相馬市の道の駅は中の商品は全部撤去されている
ここは営業をんつ始めるのか?

政経東北に売り上げが年々落ちていると記事があった
ここは立地として街から離れていることが問題だったのかもしれない
道の駅でも原町だと街とつながってるから便利になるからだ
相乗効果じある、ここは田んぼの中に一つだけ孤立してある感じになる
景色はいいにしても他に店もなにもいから相乗効果はないのである

売り上げも来訪者も震災以後からコロナウィルス騒ぎでへりづつけていた
意外と福島中央道ができて寄る車の数が相当数減った
それで福島中央道のインターチェンジの方に道の駅を作っていればと書いてあった
現代は車社会だから車の影響が大きいのである
鉄道でもそれで廃れたからである
常磐高速の鹿島区のSAに比べればわかるその人の数は百倍なのか千倍なのか
人の出入りが全然違うからである
結局営業できなくなりやめるとしている

鹿島区屋形地区

kurastonedd444.jpg
このように石を積んだ塀は地震に弱い
石の蔵でもみんな一部壊れていた、ただ十分の一とか一部である
でも石積みの家は地震に弱い
でも市営住宅のコンクリートの古い家は壊れていない
50年以上とかすぎているのである
かなり老朽化しているのに全然壊れていない

なぜなのか?

鉄筋が中に入っているからかもしれない
ただこのようにい石積みは地震に弱いことがわかった


kura5555.jpg

石の蔵は意外と多かった


今回の地震の被害が意外と多かった、屋根の瓦が破壊されたのが多い、家の中はわからないが障子などはぼろぼろになっている、自分の家でもそうである
まだかたづけられないのである、本が散乱しているし戸なども壊れている
障子も一部だめになった、でも一回知っている大工さんが来たが来ない
数が多いから地元の人だけでは手が回らない、それで仙台からタクシーで来た人が何人かいた、仕事をするために来たのだろう、6000円くらいで来れたのは何か仕事関係で安くなったのだろう

石の蔵はたいがい壊れている、一部であるにしても壊れている
あれだけの地震なのだから石積みは地震には弱い、レンガも弱い、中国とか他でもレンガの家が多いから震度5くらいでも壊れる
日本がでは地震が多いから家の強度は高い、でも今回の地震では屋根の瓦とかグシはずれたりこわれた
数が多いから当分修復はできない、職人の手が回らないかである
posted by 天華 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月28日

地震で屋根とか壊れた空家の問題 (空家を放置できない、責任がある)


地震で屋根とか壊れた空家の問題

(空家を放置できない、責任がある)
house123.jpg
ここは20年なのか相当長い間空家だった
でも外見は痛んでいなかった
今回の地震で相当傷んだ、でも直さないと梅雨とかなりさらにいたんでくる
今直す家が多いので順番待ちとなっている、ただこれだけ損傷すると直すのに金がかかる
他でも空家になっているで地震で損傷した家を三軒見ている
その家の所有者でも住まないとすると直してどうするのかとなる



今回の地震でこの辺では相当数屋根の瓦などが壊れた、それで未だにブルーシートの家がある、その中に近くでも瓦屋根が壊れてそのままになっている
その家の不思議は20年なのかとにかく長く空家なのである
見た目は空家でも普通に見える、知らない人だと人が住んでいるように見える
でも毎日見ていると今回の被害が大きかった
壊れて下に散乱した瓦はかたづけたが屋根の瓦はそのままである
それで困るのは雨になると雨漏りして相当に家自体がいたむ
でも空家だから放置しているともなる、ただ今屋根を直すにしても順番待ちだから簡単にはできない、その内梅雨になったりしたら雨漏りしたら困ると見た

空家というのは何かただ放置しておけばいいというものではない
もう一つの空家は東京に住んでいる息子が最近死んだのである、金持ちの家であり立派な家であり庭もいい、でも放置してある、利用するようにも見えないのである
だからもったいないと見る、誰も利用しないでただ放置されている
このまま放置されたまま直さないでいると荒れて来る、すると回りにも影響する
第一原発事故の避難区域になったところは空家だらけなのである
だからこれもどうするのかとなる、利用する人がいないのである

空家の問題はただ別に放置していればいいとならない、ただどういう理由で放置されているのかわからない、何か理由があって将来に利用することがありそのままにしているのかもしれない、でもいつまでも空家になっていることは迷惑にもなり危険にもなる
こうして放置された空家は別にそのまま放置していいともならない
でも利用する人はいない、そして人間は何でも必ず責任をもたされるている
その土地に住み家を建てるだけで責任をもたされていたのである
だから空家でも放置されていると回りで迷惑にもなる
責任をもってなんとかしてくれとなる、でも第三者勝手に利用することもできない
そこに権利があるからだ、でも権利を持つことは責任を持たされていることなのだ
だから利用しないならなんとかしてくれとなる、責任をとってくれとなる

ただ空家でも所有していると今回の地震で壊れても住んでいないとか住む予定もないとしたら金かけるのも無駄だともみる、もしかしたら百万とかでもかかるからである
住むこともないのにそうして空家に金をかけて維持することが嫌になるだろう
でも放置されたままでは困るとなる
それは耕作放棄地でもそうである、草ぼうぼうのままの土地をもっていてどうするのだとなる、それは回りでも困るとなる、つまり土地でも家でもそれを所有しているだけで責任がある、この辺では原発事故があり住んでいるだけで住民の責任が問われたのである

権利があるということは必ず責任がともなう、権利を主張するのはいい、でも必ず責任がともなっている、民主主義になったら常に権利を主張する
権利は利権にもなる、でも必ずの権利には責任がともなっていたのである
漁業権でもそれは権利であった、でもそれを東電に売って多額の補償金を事故前にももらっていた、それが責任になっていたのである
海は俺たちのものだという権利を言うのはいい、ではその権利は何のために与えられていたのか、資源の保護とかであり漁業の維持のためだった
でも東電から多額の補償金をもらったということは東電で海を汚して魚とれなくなっても文句を言うなという金だったのである
つまり金には必ず責任がともなっていたのである、金は具体的だからわかりやすいのである

一見何かを所有したり権利があるというとき得なことばかりだと思う
でも必ず責任がともなっている、あらゆることに特権があり上級人間になりかいとなる
官僚とかなると天下りで多額の金が入ってくるとかある
それは東電でもあった、でもその人たちは事故の責任があったのだ
だから責任をとって東電からもらった金は返還すべきだとなる
事故の責任があったからだ、安全を計る責任があったからだ
でも原発事故では幹部でも天下り官僚でも一切責任をとっていないのである
つまりあらゆる権利には責任がともなっているのである
権利を得たい得だけをしたいとしてもそこには責任が課せられている
長男が親の財産を前は受け継ぐ権利があったが長男には家を守る責任が課せられていたし親の世話をしたりと長男には長男の責任が課せられていた
何か特権があるとしても責任が重いものとなる

それで侍は権利があったとしても上に立つものとしてあっても責任が重かった
だから責任をとらされて切腹させられた、それが嫌だから庶民は侍になりたくなかったのである、ただ民主主義社会になると誰も責任を感じない、ただ得すればいい権利を主張するようになった、それが大衆民主主義の問題になる
誰も責任が自覚できない、投票するにしてもせいぜい百万分の一の責任しかない
するともう何の責任もないとなる、もし一人の票が十票とかなっていたら責任を感じる
要するに現代の問題は誰も責任を感じない社会である
権利は利権は主張するが責任はとらないという社会である
でも人間は必ず責任をとらされるようになっている
住んでいるだけとらされる、それが原発事故で故郷に住めなくなって理解したのである

大衆民主主義でもやはり一人一人に必ず責任がとらされる、数が多いからとしてすべてを数で決めたとしてもその結果は一人一人に責任となってはねかえってくる
無責任社会などありえないのである、責任は必ずなんでもとらされる
その責任が余りにも重いものともなる、戦争に熱狂したときでも3百万にが死ぬという責任を国民はとらされたのである
今回の知床観光船の事故でもそうである、26人が死んだとなるとその責任は余りにも重すぎたのである、となれば前からそういう責任を自覚する対策が必要だった
それで法律では必ず免責事項をことこまかに書いている
私たちには会社でも責任をとりませんと書いてあるのである
そういう責任を自覚してするのならいいが責任の自覚がなくただ付和雷同して大勢に従うということはあとで責任をとらされて痛い目にあうことになる
その責任の自覚がないことが問題なのである

いづれにしろ空家問題は深刻である、ただ放置されるままにしておけない、それは危険にもなる、火事とかにもなりやすい、管理する人がいないからである
つまり空家にしていても所有者の責任がつきまとっているのである
ただ一方で新築の家を建てるのが増えている、空家は利用されない
でも膨大な空家は利用されず放置されることと逆である
ともかく今回の地震でも空家のことを考えさせられた
それだけ空家が目につくし何とかしてくれともなっているのである
posted by 天華 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月26日

知床観光船の社長は借金して余裕がなかった (モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)


知床観光船の社長は借金して余裕がなかった

(モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)

事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。他の会社は元漁師や経験者が経営に携わっているのに、知識も経験もない桂田さんが、なんで観光船なんかに手を出したのか、疑問に思っていた。

借金していたということでこうなった、借金に追われていてもう安全をみれなかった
なんとか金にしようとなった、こういうことが本当に多いのである
余裕がないことがこういう結果になる
一回二回くらい危険なんだから無理して出なくても良かった
そもそも借金から犯罪になるのが推理ドラマの定番なのである
借金していることが犯罪の動機になっていることが多いのである
だから借金しているかどうか調べるのである

ただ本当に事業している人でも失敗して借金している人が多いのである
この人は借金に借金を重ねていたのである、それでけ余裕がないからこういう事故が起きた、借金はそれだけ怖いのである、なんとか返すとなり犯罪にもなるからだ
だから事業でも経営となると資金が必要だけど借金して始めるとなると危険にもなる
ただ見通しがあればいいがそれがなかったりしたらやめるべきだとなる
でも自分はやれると思って事業を始めるのだからそれを止めることもできない
実際事業で成功するのは20人一人とかしかいないのである
それだけの確率でしか成功しない、すると簡単に事業はできないとなる

こうして借金のとばっちりを受けて20数人も死んだということである
だから借金は怖いのである、事業とか経営となると額が大きいから危険になる
簡単に返せない額だからである、小さい額でも借金に追われて苦しんでいる人はいる
でもそれはたいした額ではない、それでもヤクザ風の人が来て絶えず脅されたりしていたのである
私の家で店を始める時、5万だったのか今ならその十倍の金になっていたかもしれない
ただ戦後まもなくで小さな店であっても一応金がかかったから銀行から借りようとしたが銀行では貸してくれなかったのである
ただその時は何もない時代であらゆる小店でも下請けの町工場でももうかった事業に成功していたのである、そういう時代だったら銀行で金を貸しても良かったが銀行はなかなか担保がないと貸さないのである

ともかくこの事故の原因はこんな借金に追われているような社長だから起きた
他にいろいろ理由があると思ったがこれはもう社長の責任であり他にはない
情状酌量の余地もない、でも乗客はそんな事情など知らないのである
だから不運ともなる、仲間の業者も危険だから出ない方がいいというのあえて船をだしたのは借金のためだったのである

ともかく事業者でも経営者でも今回だったら船の操作のことや天候や地形や海流のことなどを知る人がやるべきだと書いたがそれ以前の問題だったのである

モラルが喪失した人が経営者になっていた!

このことが最大の問題だったのである、何か技術関係だと理系であり技術者として優れていればいいとなる、でも何か経営者というのはモラルが関係している
そんなものどうでもいいとみる人もいる、文系なんか科学のこと技術のことを知らないのだから何も言うなということにもなる
でも経営となるとモラルが関係してくる、原発事故の原因はそもそも嘘をついていたり
御用学者でも技術者でも本当のことを知らせないという単純なモラルが喪失していて
事故になったということもある、嘘でも隠していて「安全神話」を作っていたのである
モラルはむずかしいことではない

嘘をつくな!

ただそれだけのことであるがこれがどれだけむずかしいか、守れないか?いろいろな営業でも立場でも嘘つかずに仕事ができないということがある
でもそれが恐ろしい結果にもなる、だから経営者となるとモラルが関係している
それから会社の社長がトイレ掃除していたというときもそれなりの理由がある
そんなことする必要がないという優秀な技術者とかいる
でも人間は謙虚な心が必要でありただ社長だから威張っているだけでは勤まらないともみる、こういうことで経営には宗教も関係するともなる

その人はまず人に対して何もする気がない、ただ威張っていたいということで事業を始めた、自分は優秀なんだということを示したいということで始めたようだ
だから人のためには何もしたくない、現実に自分でも苦しんでいる人でも自ら荷物一つも持ちたくない人だったのである
そんなこと社員でもすればいいとなるがそういう人のために何もしたくない、助けたくないという人が社長になれるのかとなる
ただ技術的に優れているとかだけで理系で経営者になれるとも思えないのである
原発を運営していた幹部は嘘をついていた、「安全神話」を作り嘘をついていた
危険なことを言わなかったことが問題だったのである
そうなれば何も安全を計ることはない、努力する必要もないからである
ただ拝んでいれば安全だともなるからである、「安全、安全」と唱えていれば安全だとなってしまうからでなしる、それは科学者にふさわしくないものだったのである

この知床の観光船事故は全くモラルの欠如が原因だった、他のことは関係なかったのである
こうして全くモラルに欠如した人でも経営者になれるということが問題だったのである
でも何かこうした観光業者の社長でもこの人はどんな人なのかモラルのことなど問わないのである、技術的なことは問題にするがモラルは問題にしないのである
そして借金のことも問題にしない、いちいち調べたりしないとなる
でも借金していてその人がどんな人か回りの人は知っていたのである
そういう人でも社長になれたということが問題なのである
ただモラルなど関係ない、社長は利益をあげる人ができる人で出世するとなる
それで東電の社長はコストカッターとしてのし上がり社長になっていたのである
その人のモラルがどうのこうなど回りでも問わないのである
つまり利益が上がればいいとしかないのである
それはどこでも会社でもみんなそうだとなる、それが資本主義社会だとなる
だからモラルなき経済でありそれが社会を荒廃させてまた危険にもなる

グロ−バル経済ももともとモラルはない、それは覇権国がアメリカでも世界から富を収奪するシステムである、それでわからないにしてもデーブステートが支配して世界から富を吸い上げられるとしている
何か資本主義がマックスウェバーのキリスト教の修道院からはじまり他者への奉仕のために資本蓄積するということが資本主義の起りだったということでもそうである
何かそこにはモラルがはじまっていた、でもそれが強欲資本主義とか金融資本主義とかに変貌したのである
このモラルなき経済になったとき退廃が生れやがて今回の事故でもそうだが自ら崩壊してゆくともなる
そもそもウクライナ戦争でもアメリカの軍産複合体が戦争を起こしたとか言う時でもそうである、戦争で武器を使うから売れてもうかる、戦争によってもうかる会社というのは
全くモラルなどないのである、アメリカで人道を盛んに言うけどアメリカにモラルなどないのである、もちろんロシアにもモラルはない、人道もない、でもアメリカにもないのである

いづれにしろいろいろな事故の原因を探ると技術的なことやいろいろあるが人間のモラルの荒廃がある、この事故は明らかに社長にはモラルはなくなっていた
借金に追われて客の安全などどうでもいいとまでなっていた
これも恐ろしいことである、そんな人でも社長になれるからである、社長にモラルなど要求しないからである、別にヤクザでも社長になれるともなる
その社長に徳とかモラルなど要求しないのである、どれだけ利益をあげるかもうける人なのかで選ばれるだけだとなるからだ
モラルというときそもそも学校ではただ知識だけを教えられる、受験競争では試験の点数が良ければいい、そして受験戦争に勝った人が指導者になれる
東大が出たら上級官僚になれていい暮らしができるとかしかないのである
全くそこにモラルが消失しているのである、すると利益になればいいということでモラルがないのだからいろいろ問題が起きてくるのである
戦後の社会はアメリカに習い、ギブミーチョコレートから始まった
チョコレートをもらい食べられればいいしかなくなった、そして金をどれだけとれるかで優劣が決まる社会になったのである

明治時代になぜ優秀な人物が出たのか?それは江戸時代の武家の出が多かった、その侍は武士道を身をもって学びモラルを身につけた人である、知識だけの人ではなかった、そういう教育が藩校だけではない、その社会全体で育んでいたのである
だから内村鑑三のような人物がでた、それは侍の家の出でありモラルを生活の中で身につけていたからである
今の社会では戦後ではそうして日本のモラル自体が消失した、ただアメリカに習い利益だけを金だけを追求する社会になったのである、金儲ける人が一番偉いとなったのである、得とか全然重んじない、医者でも医は仁術となっていた
でも医でも教育でもなんでも金が第一であり利益を第一となった社会なのである
そういう社会は獣社会ではないか、もうモラルなき経済であり金をどれだけ稼ぐかですべてが決まるからである

モラルを一番重んじる宗教自体が戦後が新興宗教が興隆したのも全くモラルなどない
創価をはじめとして御利益追求権力追求しかなくなっていたのである
それは会社でも事業でもどれだけ利益をあげるかですべてが決まる社会である
すべての欲望が是認されかえってもっと欲を持てぎらぎらした欲をもてと指導しているのである、これも異常なのだが異常とも思わない、それほどモラルが荒廃してしまった社会になっていたのであるつ
だから原発事故でも追求してきたが今回の事故でもそうだった、ただこれはわかりやすい小さな会社のことだからわかりやすいのである、その悪がまざまざと見えたからである
でも大きな会社になるともう悪があってもわかりにくいのである
それがグロ−バル社会になるとますますわからない、悪は見ることはできない、それで隠されたデーブステートが世界を支配していると言われるようになる
それは見えないからそうなる、見えない暗い場所に悪は住みつきやすいのである

人間の失敗の原因 
(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)

借金していたから余裕がなかった!それが事故の原因



posted by 天華 at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人間の失敗の原因 (知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)


人間の失敗の原因

(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

●人間の奢り

●安全より金儲け

●土着的な生活からの乖離


何か人間に起きて来る問題には法則がある、法則とはカルマでもある
つまり同じ事が繰り返されることである
その大きな要因に人間の奢りがある、それは自然災害でも戦争でもあらゆることで人間の奢りが原因して起きる
それは法則のようにあてはまる、だから何かが起きたとして原因を探ると奢りがあったとなる、そしておごれるもの久しからずとなる
人間はいかに繁栄を極めていても奢りやがて帝国でも大国でも没落してゆく
それは歴史をみればみんなそうである、大国の興亡があり今は衰退している
だからアメリカがいつまでも大国でありえないのである
もう衰退が始まっているのかもしれない、ただ人間の弱点は短期的視点でしか見れないからわからないのである

ただ確かなことは人間には必ず奢りがでてきて失敗する、夜郎自大国は漢がたいしたことはないとみくびった、でも自分たちの国には鉄器はなく青銅器てありそれで敗れたのである、これは日本でもアメリカなどたいしたことがないとみくびった結果として大敗北となった、日本ではアメリカのことを一般国民は知らなかったからである
ところがアメリカでは日本のことを相当に研究して熟知していたのである
日本はその時夜郎自大国になっていたのである
またいくら大国でもすべてが思う通りになるとは限らない、それがベトナム戦争だった
ベトナム戦争ではなぜあれほどアメリカが爆撃しても負けなかったのか?
それは土着的であり地理を知り尽くしていて地下にもぐり食べ物はイモでしのいだとかある、熱帯ではイモが主食ともなり育ちやすいのである
だから日本がでも救荒食物としてサツマイモ取り入れたのである
米だけでぱたりないからである、確かにサツマイモだと米代わりにもなるのである

ウクライナ戦争でもなぜ大国のロシアに負けないのか、それは大国ロシアの奢りがあったウクライナを小国として軽くみた、なめてかかった、でも思わぬ反撃にあって苦しんでいる、そして背後にアメリカとかNATOがいるのにそれも重く考えなかった
そして意外とロシア軍の兵器が旧式でその軍隊も強力なものではなかった
「天の時、地の利、人の和」がやはり通用していたのである
ウクライナは地の利に通じていた、ロシアはそれがない、また人の和でもウクライナには人の和があり自分たちの国を守ろうとする土着的意思かあった、愛国心があった
ロシアにはそうしたものがない、それで士気があがらない、それはベトナム戦争でも同じ事があったのだ、ベトナム人は地理に通じていたし愛国心がありそれでアメリカでも負けた、だからどんなに大国でも必ずしも大国がすべて有利だとはならないのである

そしてこれは戦争のことだが知床観光船の事故でも同じ事が言えたのだ
その観光船を運航していたのは地元の人ではなかった、全国からの寄せ集めだったのである、そしていかにその地形が複雑だったかである、海流も関係していて危険な場所だったのである、それは地元の漁師は熟知していた、また風も関係していた
なぜ転覆したかというと北西の風が強くそれを受けたのも原因だとしている
別な方向の風だったらそうはならなかったとしている
風とか海流とか地形とか複雑にからんで事故になったのである

そのことはこの辺の原発事故でも言えた、そもそも日本で地震が多いから原発には向いていない地形だったのである、津波もあるし原発には向いていない国土だったのである
それでアメリカでは西海岸には原発を作らず東の方に作っていたのである
また竜巻があるので電源を地下も設置していた、でも日本では地下に接することはかえって危険でありそのために津波で浸水して電源がとまり原子炉を冷却できずに大事故になった
これも地の利があり土着的なものとして生活していない人達が作ったためにそうなった
なぜなら東北電力の副社長は三陸の津波のことを知っていて低い土地に作ろうとしたが
10メートルとか高くしろとして作ったのでぎりぎりで助かったのである
それは女川とかは三陸に近いからそういう意識が生まれていたのである
つまり土着的生活をしていればそういうことを意識するからである

とにかく意外と地形とその風土とか天候とかは住んでみないとわかりにくいのである
どういう風が吹くとかもわかりにくい、浜通りだと3月頃に海から東風(こち)が吹く
原発が爆発した時その東風が吹いて山の方に吹いて飯館村が一番被害があった
それは不運だったのである、海の方に吹いていればあんな被害にはならなかったのであるだから一次産業とかなると風土と密接に関係している
農業とか漁業とか林業でもその土地の風土と深く関係している
すると工業にしてもそういうその土地特有の風土とか地形とか海流にでも通じていないと危険になる、それが見逃されて大事故になったのである

またもう一つの原因としして安全より金を稼ぐことが優先される、東電の社長はコスト削減で成果があり社長になったとされている
どうしても経営だと儲けが優先される、今回の知床観光船でもそうだったらしい
社長が危険でも金儲けを優先して船をあえてださせた、それは原発事故とも似ている
それは人間一般に共通している、つまり失敗の原因は共通したものがありカルマとして起こる
奢りが失敗の原因だというとき事業で失敗した人も技術者としては優れていても経営者になったときうまくいかず失敗したとなる、俺は優秀だという奢りがあり失敗したとなる
人間は本当は自然のことでもなんでも知り尽くすことはできない、それは万能の神しかしりえない、そしてウィルスでも未知のことが起きてきて対処できない
でも科学万能社会になると科学でなんでもできると過信するようになる
そして科学者が技術者が神官となったのが現代である
そうして「安全神話」が作られたのである、そして日本の技術は優秀だから安全だとしていたのである、事故は起きないという確信までになっていたのである
それも打ち砕かれたのである

ともかく安全を無視するときでも何でも人間には責任が課せられている
それで今回のような知床観光船事故でも20数名が死んだというときその責任は余りにも重すぎたから恐怖である、そんな責任を負えるのかとなる
もう死んでお詫びするほかないとなまでなる、金銭的にも賠償は無理になるからだ
原発事故の被害も故郷に住めなくなるとか甚大だった、でもその責任が上の人はとっていない、誰もとっていないのである、天下りした官僚も大きな金をもらっていても
責任をとっていない、金だけはもらえますとなっているだけなのである

つくづく庶民が侍になりたくなかったというとき責任をとらされるからである
切腹させられるからである、それだけ重い責任をになえないとして侍になりたくなかったのである、でも今だと金だけはもらいます、責任はとりませんとなっているのである
そうはいっても戦争の結果でも3百万人死んだとか原発事故でも観光船でも20数名が死んだということでその責任は余りにも重すぎるものとなったのである
プーチン戦争の暴挙でもロシア兵が相当数死にウクライナ人も甚大な被害を受けた、その責任は誰がとるのかとなる
プーチンは敗戦ならもうロシアから追放か死刑にもなるだろう、それだけの人命であれ失ったのだから当然だともなる
つまりそれだけの責任を引き受けざるをえないのである
上にたつことはそれだけの責任を引き受けることだからいいようでも庶民が侍になりたくないという気持ちがわかる
責任が余りにも重すぎるからである

posted by 天華 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月25日

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)


知床観光船事故はなぜ起きた

(余裕がないことが事故につながる)


事故の修理をしておらず船の先端に亀裂がある

・他社が運行しない期間ですら運航

・事故当日は同業者に全力で止められるも出航

・波浪注意報が出ているのに全コース強行

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ
この観光船だって8000円の料金が高いというやつがたくさんいるけど、
船の維持管理費や人件費を考えたら1万円でも安いくらい

なぜそもそも無理して船をだしたのか、回りから警告されてもあえて出したのか?

この原因は余裕がないことではなかった?、その余裕とは金の問題だったかもしれない、コロナウィルスとかで観光客が減ったとかあり無理しても稼ぐ必要があったためなのか?
というのは私はここのウトロの民宿で経営が苦しいことをその女主人から延々と聞かされたからである、それも20、30年前とかなるかもしれない、夫の主人が何か遊んでいるとか愚痴を延々と言っていたのである
つまり観光でもやはり客が来なければやっていけないとなる、そこには大きなホテルもあるらそっちの方に泊まる人がいたのかもしれない

とても運航が無理でもあえて船をだしのか、その理由は金を稼ぐということで強いられたのかとなる
もし収入がある程度あり余裕があれば今日は危険だから出さないという判断にもなる
ただ客がどうしても行きたいということもある
なぜならせっかく遠くまで来て観光もできずに帰るとなるとかなり損した気分になるからである
何か時間をかけ金をかけて苦労して来たんだからお目当ての観光ができないと損したとなる、そういうことは観光にある

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ

これは言える、金銭的に安くしようとすると観光客にも金の余裕がないからである
なるべく安く観光しようとする泊まろうとするすると当然安全面でもおろそかになる

それなりに金がかかるのだからしかたがないとかならないのである
ところが金に余裕がある人は安くしようとはしない、それだけの仕事なのだから払ってもいいとなる
一二割高くなってもいいとかなる
そういう自分も金がなかったからこういう考えにはならない、余裕がなかったからだ
ただ金銭的に余裕ができたときそういう考えになったのである
だから金の影響はつくづく大きいと思った、金に余裕がない人が多い社会は危険がますのである

人間が余裕がないことがこうした事故にもつながる人間が余裕がないことが常に危険な状態になる
なんとか稼げないとどうにもならない、危険でも客をのせて金を稼がねばならないと思ったのかもしれない、それは別にあらゆる職業でとにかく金を稼ぐために不法なことでも
無理なことでする傾向がある
まず人を助ける時余裕がない人は助けることができない
借金で首が回らない人が病気とか苦しい時来た時とうなるのか、その人の頭の中は借金で一杯なのである、人のことを気遣う余裕がないのである
そうして自分は介護とか自分の病気でそんな余裕がない人がきて死ぬ目にあったからだ
人間は余裕がないと強迫観念になり判断を誤る、戦争だって日本の戦争にしろもう経済封鎖で追い詰められてアメリカと戦争するほかないとなる、余裕が全くなくなり真珠湾攻撃になったのである、経済的に余裕があればそうならなかったかもしれないからだ

何でも余裕がないことは判断を誤らせるのだ、金に余裕がないとやはり余裕がないから
金をなんとか稼がねばならないとなる、また営業でもノルマが課せられてそれを達成しろと上から言われて余裕がないからもう客の身になって考えることもできないのである
会社に余裕がなくなればとにかく稼がねばならないともなる
そのことでかえって人間は失敗することになるが余裕がないからそんなことを言っていられないとなる
だから意外と余裕は大事だなとなる、それで貯金があれば余裕が生まれる
貯金がないといつも追われていて余裕がないから相手のことを思いやることなどできないのである
つまり人を思いやるには余裕が必要なのである
だから余裕ない人に金でもなんでも相談しても無駄だとなりむしろ危険だとなる

日本は貧困化してくると余裕がない人が増大する、するとみんな余裕がないからギスギスした社会になる、すでになっている、もう物価高だとか電気代からガス代あがるとかなり経済的に余裕がない、そういう人と接しいるともうこっちも苦しくなり余裕がなくなる
何か交通事故でも起きる時急いで時間の余裕がないとかのときなりやすいともなる
それは時間であれ金であれ追われているからそうなる
勉強でも常に脅迫的に強制されてしても身につかない、余裕があってその人なりに勉強すれば身につくとなる

ともかく金でも時間でも余裕がないことは危険である、観光だと金もそうだが時間に追われるのである、ゆっくり見たいとしてもできない、またせっかく遠くから来たのだから
見たいともなる、また観光業者でも金を稼がねばならないとなり無理をする
そして事故になる、現代社会は金であれ時間であれ常に追われている
観光でもじっくり見ることもできない、時間に追われるからである
そうして急ぐ旅は心に記憶されないのである、記憶されないということはせっかく遠くまで行ったとしても行かなかったと同じになってしまうのである

だから何度も行っているように記憶する旅をしろとなる
なぜならせっかく旅しても記憶していないと行ったことにもならないからである
現実近くでも行った所を全く記憶していなかった、だから初めて行ったと同じだった
あんな坂があったとは全く記憶になかった、こうして全く記憶に残らないことがある
得に外国旅行はそうなりやすい、だからせっかく行ってもどこに行ったかも記憶に残らない、記憶は月日が過ぎるとますますあいまいになってゆくからである

私の場合は北海道は十回とか行っているからウトロにも行ったとか思い出す
あの岩も見ている、あそこから船がでて事故になったのかと見る
知床半島には冬にも行った、その時だったのか民宿に泊まった、食事をしたとかなる
いづれにしろ二十、三十年も過ぎると記憶があいまいになる
ぼんやりと霧がかかったようになる、特に旅になると外国だったら一回しか行けないとかなりますますその記憶は消失してゆき思い出せなくなるのである

何か観光でも危険がある、知らない所でなれていない所だと事故になりやすい
ただ常に人間社会には生きるのに危険がある、家にいても地震があるし水害にもあったし安全はない、危険と突然襲いかかってくる、津波などは逃げる余裕もなにもないただ咄嗟に逃げる他ないのである
ただ余裕がないことが事故に成り安いことは確かである
余裕が無いから判断を誤るのである、じっくり考えることもできないからその人なりの勉強ができない身につかないとなる
ただ観光でも遊びでもそこには危険がある、でも今回はプロが案内したのであり危険はわかっていたのに船を出したのだから観光客に責任はない
でも金を稼がねばならないという余裕のなさがそうさせたとなればやはり余裕がないということが人間にとって危険なものになる
現代はこうして金でも時間でも余裕がない人が多いからそれが危険になる

posted by 天華 at 06:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月23日

ロシア総主教が核兵器を祝福する異常 (組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)


ロシア総主教が核兵器を祝福する異常

(組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)

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ロシア正教トップが元KGB? 侵攻と信仰の”ただならぬ”仲
https://www.youtube.com/watch?v=YdCikK71lpM&ab_channel=TBSNEWSDIGPoweredby

今回のウクライナ戦争はいろいろな問題を提起した、何か盛んに武器のショーにもなっている、ロシア軍の弱さは旧式の武器を使っていたとかそれでこれでは使えないとかロシア製の武器を買っていたインドとか中国は不安になった
またドルが使いないとかスウィフトで金の流れがとめられたとかもあった
それは基軸通貨のドルに対する反発としても現れた
そして今回はロシア正教の問題がクローズアップされた
それが余りにも信じられないものだった
核兵器をキリル総主教が祝福している、プーチンと一体化してウクライナ侵攻を奨励している
それがどうしてそうなったのかというとソ連時代にロシア正教が弾圧されて存続できないような状態になったからである、そのことから国家なくして宗教もないとしてそうなったという
それにしても宗教が平和を一番大事にするのに核兵器を祝福するというのが信じられないとなる
ただ核兵器が信仰の対象となる映画を見た、だから想像上ではそういうことがありえた
核兵器が国を守るものとなるからそうなったのである

いづれにしろ宗教というのはもともとローマ帝国に取り入れられてから政治化して本来の宗教というのはなくなった、キリスト教が政治的に利用されるようになった
カトリックと政治的だからこういうことがありうるのかともなる
ただロシアというのは謎が多い、何か西側の文明から見るとまだ前近代的なものが残っている、政教一致というのもそれらは前近代的なものとして継続されてきたからである
フランス革命の大きな命題が政教分離にあったというこもある
日本の太平洋戦争も天皇を神とする政教一致がありそこで戦後は政教分離になったのである

その弊害として戦後は新興宗教が興隆した、それがカルト教団である、創価がその最たるものであり政治化して選挙宗教となり権力収奪を目的とするものとなった
本来の個々の心にその信仰心をおくものとは違う、集団組織化してこの世の権力をにぎりこの世を支配するということで360日選挙運動している
そして自民党でも創価の票を入らないと落選する人が相当数いると恐れているのである
そうしてその票でもって権力を左右する、それが政教一致になっているのは一票を入れることが信仰になっているからだ、御利益となるのは経済的理由でありまた成仏するとかになり選挙に勝つことは仏法の勝利として常勝だとなり団結するのである
それは全く政教一致で法律違反なのだけど自民党は票が欲しくて容認しているのである

これと同じようにロシアも政教一致なのである、ただそれが度はずれているから理解しかねるとなる、核兵器を祝福して戦争も奨励しているからだ
ただ天皇を神として戦争した日本でもそういうことがあったからそれは世界史でもあったそもそも宗教が戦争と関係しないとなっていない、もともと旧約では聖戦として預言者が指揮して勝った記録である
中世になっても十字軍でもキリスト教の武装集団だしイスラムでも武力と関係して生まれている、日本だとそもそも僧侶集団が城のようなものを作っていた
それは一向宗ではそうだった、それで僧が武士になったというとき歴史は連続しているからである、僧兵ともなるのである
だから僧が権力を得るために武装集団になっても不思議ではないのである
戦争ともなれば武器をもって戦う集団なのである、また利権集団だからこそ比叡山が城のようになっていて琵琶湖の船運から税をとっていたとかなり信長が攻めたのである
だから組織化集団化した宗教は本来の宗教とははずれた世俗的権力的宗教になったのである、そこを誤解するのである
それでオウムは極端な武装集団として政権を奪取しようとしたのである、創価もまた武装化しなくてもやはり目的は同じである

つまりロシアには何か前近代的なものがツアリーとかの支配がありその歴史がプーチンに受け継がれている、政教一致がある、近代化とは政教分離したことが大きな変化だったからである、西側でもカトリックの政治化があり支配した歴史があったからだ
それでプーチン皇帝であり習近平皇帝になる、その皇帝とロシア正教の総主教のキリルが一体化している、だから宗教とは何なのだろうとなる
宗教とは戦争を奨励して人類を滅亡させる核戦争する奨励していることの不可解なのである
ただ宗教団体組織となるとそれは宗教というより巨大な権力でありその権力でもって世界を支配することを目的化している、ますキリストとかシャカとか寝る所もない、岩窟で悟りを開いたとかとは全く関係ないこの世の力とを栄華を宗教で求めるとなるからこの世はわからなくなるのである、だから組織化集団化した宗教は宗教ではない、この世の権力を得ることが目的だから世俗の政治と同じなのである
だか。らどうして宗教を看板にしているのかわからないのである
そこが暴力団の看板でもかかげていればわかりやすい、宗教の看板をかかげていることは実際は全く正反対のものなのである

武器こそ核こそ力だ
金こそ力だ
数こそ力だ

宗教団体は神仏であれ信じていない、この世の力を得てこの世を治めることしかない
だから神仏に祈ることが矛盾なのである、神仏からみてそれは何なのとなってしまう
でも現実はその核兵器を持つことでそれを力として金を力としてあとは数を力として
支配しようとする、それはサタンの仕業ではないか?
根本的に矛盾したものになる、一方でジキルの顔をして善人の顔をして実際はハイドでありその両面があり矛盾してくる、偽善者になってしまうのである
別に暴力団ですとか看板を出していればそういうことはない
またあらゆる欲望を満たすためにしている営利団体ですとかなっていれば問題ないのである、どうしても自己矛盾になってくる、でも大衆洗脳団体だからそんな疑問すら大方は考えないかもしれない、別に金になればいいとか仲間がこんなに多いのだから力になるだろうとかしかない、後はやめると罰当たるとかなんとかあり実際祝福よりそういう恐怖が与えられるだけなのである

いづれにしろロシアという国はわかりにくい、もちろん外国はみんなわかりにくい
でもおそらく日本人は西側からしかアメリカ側からしか世界を見ないから理解しにくいとなる、西側のアメリカは戦争国家でありベトナム戦争であれイラク戦争であり人道に反する大量殺戮をしてきたからだ、だからそういう国がロシアを一方的に人道で責められるのか?日本の戦争でも原爆を落としたからである、そんな国が人道を言えるのかともなる
専制国家と民主自由国家の戦いだとしているが人道に反することが戦争でありそれは否定されるべきだとなる、民主自由の前に人道があることになる
その人道を無視してきたのがアメリカなのである、人道とか人権を旗印にしてもやはりアメリカもそんなこと無視して世界を支配したいという権力を追及する国なのである

ともかくロシアという国はわかりにくい、それは情報でも閉鎖しているし観光旅行でも制限されているからロシア人と接している人も少ない、交流がないためでもある
ただ核兵器で脅したり核兵器をロシア正教の総主教が祝福したりとその異様さは何なのかとなる、そこに一人のプーチン皇帝が君臨して独裁者がいて核兵器で脅して来る
それは核兵器で脅すテロと同じでありテロ国家にもなる
ブーチンは最後に核と一緒に世界を滅ぼすとまでなっている、こんなことがありうるのか?一人の人間によって人類は滅亡することがありうるのかとなる

ただ武器とはそういものであり核戦争で人間が滅びるのが人間のカルマともなる
最終戦争となりハルマゲドンで滅びるのである、それが聖書でも予言されていたから本当にそれが起きるのかとなり恐怖した
明らかにエゼキル書の予言ではロシアがゴグでありそれはアジアのことであり中国もふくまれるとなるからだ、つまりロシアと中国連合とアメリカを中心とした西側連合の最終戦争の場がウクライナになるという恐怖を世界に与えたのである
だから今までの地域紛争とは違う、世界最終戦争の場になるとして恐怖したのである
日本でもロシアが北海道を攻めてくるという宣言したことでもそうである
全世界が震撼したのであり日本も例外ではない、ただ正直ロシアとは何かというとき理解できないのである

ただウクライナ人がシベリアに前もつれていかれて強制労働されたとかある
そして今回の戦争でも強制的にシベリアに連れていかれる
それは日本軍でも経験していて34万にも死んだという説もある、これもカルマの繰り返しだとなる、だからロシアでは強制労働あり歴史をくりかえしているのである



オウム真理教の痕跡をクリミアで見た。今もロシアに残る麻原彰晃の幻影
https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/aum-shinrikyo-in-russia_a_23479379/

こんなことがあった、オウムはまさに武装集団化していた宗教団体である
それでロシアに接触したのは武器を手に入れるためだった
オウムも宗教であるが信じられないものだった、それがロシア正教でもオウムと似ているとなるから何か人間には世界でも共通したものがあると思った
posted by 天華 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月19日

飯館村の佐須から高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ) 飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと

(車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須で何か警備の人が10人くらいいたのか、チューリップの丘にして見せるために警備の人が整理していた、でもチャーリップは、三列くらいしかさ咲いていないから
無料であった、実際は大人だと八百円とる、60種くらい咲くから見物ではあるが
高いようにも思う
その人たちはどういう団体がわからないが有志の医者の会のことを言っていた
ワクチンは危険だからと医者が警告している、特に子供には危険だとしている
その人たちはどうも原発を廃止しろという方ではない、原発は必要だとしている
その理由が別に死人がでていないからだという、だから被害がないとしている
それも変だがやはり放射線の被害はあるから警戒している
ワクチンの被害は良くわからないからかえって副作用があるから危険だと警告している
ともかくボランティアでも地震被害でかけつけたDRTもそうだが組織化していないとできない、その人たちも大きなジープをもった人が来たり何か組織化して働いていたからである
地元の人ではない人達であった

それから佐須を出て霊山の道に出て下ってゆきそこで2時過ぎていて腹減ったので
食堂がないかと聞いた、それとすぐ近くに一軒あった
その食堂で聞いた、高速ができて車が通らないから客が少ないでしょうと・・
そしたら相当に影響している、客が少なくなった
夏は海の方へ行く車で一杯で繁盛していたという、車が通らないことは現代では本当に影響する、シャッター通りも車の影響でそうなったからである
日曜日だったので車は多少通っていた、でも霊山の相馬の方へ行く方はほとんど車が通らないのである
だからサイクリング道路にはいいと思った、現実にロードで上ってゆく人がいた
石戸村では車が出れる道を作るように要求はしたができなかった

何が人間を社会をかえたかというと車ほど社会でも人間でも変えたものはない
それは人間の人格まで変えたし社会そのものを変えたのである
つまり車に適応した社会になったからである
そこに人間的な情は喪失したのである

とにかく夜になって真っ暗な道を帰ってきたが一台の車にも出合わなかったらか安全だった、自転車は夜は危険だからである
でも夜は結構冷えたのである、そこで山上の方にきてコンビニに入りコーヒーとパンを食べた
冷えたのでその中でコーヒーを飲みパンを食べていたらここでは食べないでくださいとして外で食べることになった
何かここでもコンビニでもスーパーでも相手の事情など考えない
すっど自転車で走って来たので結構冷えたのですとか言っても何にも通じない
しかし車だとそんなこと関係ないからである、車の中で食べればいいだけである
つまり前々から言っているように車というのは便利でも人間の情を奪ったのである
歩く旅だったら相当に疲れているから宿に入ればまず足を洗うとかする
そして疲れたでしょうとかねぎらいの言葉がある、そうなるのはそれだけ疲れているし旅することが苦しいからである、そこで相手のことを自ずと思うようになる
でも今は車だと疲れているとか考慮しないのである

それで阿武隈山中を旅してそこは昔の店であり万事屋のようなものが残っていた
そこでは御飯と味噌汁とを御馳走したのである
そんなことをこれでけ旅しても経験したことがないのである
それは山の中で昔が残っていたのでそうなったとみる
コンビニだったら店員と話ししたりもしない、コンビニの店員は昔の店とは違う
昔の店は何か人間的なものがあったとなる、そこで何か話したりできる
コンビニで一番気にしているのは盗まれることである、わずかのもの百円二百円でも盗まれるからである
それで疑われて二回ひどい目にあった、それは間違ったものでも犯人扱いされてひどい目にあった
それは店にしても通りすがりの人であり信用していないということである
でももの凄い剣幕で責めてきたのには驚いた
ただコンビニでも客は客ではない、通りすがりの人だからそうできるのである

そこに別に信頼関係などないからである、また一人などどうでもいいからである、店の経営には全く関係ないからである
人間の関係は今やこのように希薄化してそうなっている
でも奇妙なことはなじみになってゆくとコンビニでも親しみを感じる、すると何かそこでは盗んだりできないとなる
ローソンでは手渡しでコーヒーを渡すのは人間的でありたいということでそうなった
それもまた逆な意味で経営としていいのかもしれない、つまり温かい人間の手で渡されるから人間的な情が伝わるともなるからである何でも効率的で機能的で合理的だからいいとは人間には当てはまらないのである

要するに現代の車社会でも人間は必要ないのである
だからコンビニでも店員はもういらない、自動販売機が置かれるだけになる
人間はコストだとなっているからだ、それは鉄道の駅でも無人化するのもそうである
人間は一番のコストだからいらないとなるのだ
その時駅には人間的なものがなくなる、何か高速のSAと駅の相違は駅だと電車を待っていた電車が遅れたり何かかにかわからない困ることがありそれで聞かれることがあった
一番聞かれたのは下りなのか上りなのかそのホームがわからないのである
それが意外だったが私自身も他の駅に行ってホームが上りなのか下りなのかわからなかったからだ
また駅をでると道を聞かれたりする、SAではそういうこともないのである

やがてあらゆる場所に人間そのものが消える、無人化して案内するのはロボットになる
人間はコストだからいらないとなる、でもそこで失われるものがある
人間でしかできないことがある、それは人間の情だということである
これは機械にはロボットには持てないのである
例えば中学生が受験で間違って駅におりた、ひどく腹減っていたのである
それで近くに菓子屋があったので菓子を与えたのである
何かこういうことは人間にしかできないのである
そういう人間の情が失われたのが現代である、確かに車は便利だし不可欠である
そこで失われたものがあるということを知るべきである

これは人間社会のいたるところでそうなっている、病院でも機械に診てもらうのか人間の医者に診てもらうのかわからなくなる、AIの方が優秀だともなるからだ
でもそこで人間の情がない、機械とロボットに囲まれて息を引き取るともなりかねないのである、孤独死なども増えるのはやはり情が失ってきた社会だからそうなる
江戸時代辺りは医が仁術というとき病気は直せないものとしてあった
ただ患者が来たら情をもって接していたのである
外でも人間は情でもって接ししていた、また農家では曲がり屋で馬小屋と一体化して
家族のようになっていた、すると馬と結婚した娘がいたというのもわかる
動物だと必ず情で接するからである、情が育まれるのである
その代わりになったのがペットだということがわかる
人間は情なしで愛なしで生きられないからである

ただ便利さでも何でも何かを得れば必ず何かを失うのが人間である
何かを失えばまた何かを得るようになっている
だから人間社会が便利になり進歩したとしても失ったものがある
ただそれを自覚しない、車社会になれば車に適応したものとなり人間の情など全く無視されるのである、そこに殺伐とした社会が生まれる
ともかくコンビニの店員は客を人間のように見ていない
通りすがりのものであり人間に見ていない、次から次と遠くからの人が来るのだからそうなるそしてまた逆に客でも店員を人間に見ていない、ロボットのようにみているだけである、だからこそコンビニでも無人化して人間はいなくなる

鉄道の駅が無人化すると同じなのである、鉄道会社でも乗客を人間と見ていない
ただ物体を駅から駅に安全に正確に運ぶことには努力するが仕事になるのがそのほかのサービスはしない、だから駅員はコストでありロボットで十分であり無人化する
何でもこうして人間はコストであり無人化するのである
その時情もない殺伐とした社会になる、その影響が怖いのは人間から情が失われて何になるのか?人間社会が非情化して殺伐として人を人とも見ないものとなる
それは怖いものでもある、戦争でも直接人を殺すというよりコンピュター操作で遠くの物を殺すとなると見えないのだから人間を殺すという罪悪感もなくなる
そうなった社会はどうなるのか?それは恐ろしい社会にもなる
ただそんなことをいちいち人間は考慮しない、便利になればいいしかないのである

だからこそやはり人間を人間とみれなくなったからナチスとかでも大量に人間をガス室送りとかなったり全体主義となり人間は物のように殺されてゆくともなる
事務員はただ殺されてゆく人間を数字のようにしか認識できない
人間が情でもって通じ合わない社会で生きていればそうなるのである
あらゆる場所で情が喪失して人間は人間としてみれない、そうなる社会も怖いとなる
そもそも宗教が情を重んじる、情とは愛のことでもある、そのことを一番重んじたのである
でも現代社会では情は喪失した、確かにそれで得るものがあったが失ったものがある
それが情であり愛だったともなる、それが人間に一番大事だとキリストでもシャカでも説いたものが喪失したらどうなるのか?
それを良く考える人はいないのである
wakuchinnn1.jpg

【出遅れ!】分科会の報告が遅い!すでに「有志医師の会」は動いていました・・動きの速さが違いすぎて驚く
https://onl.sc/rGsMEh4
posted by 天華 at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月15日

人間はなぜ戦争になるのか?(2) (民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)


人間はなぜ戦争になるのか?(2)

(民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)



東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響(特にビザンティン文化)を受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。
83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91?msclkid=42af0c18bc9511ecba2156743546f636

人間が集団的に対立するのはなぜなのか?
日本だったら人種間での対立はない、日本に住んでいればみんな日本人だからである
でも大陸になると民族でも人種でも多様であり対立が生まれる
それは人間の歴史が始まって以来あった
日本がでは民族とか人種とかあまり意識しない、日本に住んでいればみんな日本人だからである、でも一旦外国に出ると常に日本人だということを意識せざるをえないのである
そして民族とは何かとなるとその定義はむずかしいのである

日本人の基本的アイディンティティは村という狭い地域で作られていた、その歴史も長いのである、その村の範囲も狭いし500人くらいの規模だろう、そこで閉鎖的に暮らしていたのである、日本人にとって外の人は異人であり警戒されていた
第一なかなか村の中に入り込めない、江戸時代ならみんな村に入ってきたよそ者はすぐにわかり警戒して監視する、だから日本人の国意識は村が基本になっている
国(くに)と国家は違っている、

国(くに)とは地理的にも一つの世界観が形成される範囲である
例えば会津だと古代から一つの国(くに)として意識されていた

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

その国の範囲がどれくらいの範囲になるのかわからないが確かにそこは国として意識されていた、それで最初の国は大和朝廷から奈良の都から国造(くにのみやっこ)が官人が覇権されたの国として意識された、その範囲が国だった、それは狭い範囲である
だから会津でも実際は狭い範囲でありそれがやがて拡大されて会津全体の広い領域となった、ここだと浮田国造が置かれた地域が大和朝廷から認定された国だったとなる

国というときもともとこのように狭い範囲で意識していたものである
すると国というのは無数にあることになる、その数が多い、日本国家として意識することでも日本は江戸時代までしていない、藩が国であり藩の外は外国にもなる
現実に藩内でしか通用しない貨幣があり藩の外にでるときは 両替する必要があった日本はそもそも狭い範囲で村で自給自足していて村の外とは交わらなかった
だからこの辺の伝説で麦踏みの仕事を手伝った人が隣の村の人でも蛇だったとかなる
つまり今なら外人をそうみるのとにている、でも不思議なのは言葉は通じていた
第一隣村でも人が交わらないというのは相当に閉鎖されて暮らしていたとなる

それで飯館村の大倉村と佐須村は明治以降も民情が違うので合併しないとかなっていた
この民情とかがわからないが意外と今でも日本人は村意識が根強く残っている
よそ者を警戒して受け入れないということがある
第一大倉村と佐須村は5、6キロくらいしか離れていないのである
自転車で行くとそれなりに遠さは感じるがそれにしても村と村は交流せず暮らしていたとなる、またそうして孤立していても暮らせていたともなる
今なら外国から物が入らないと大騒ぎになっているのにそうして村だけで自立して自給自足して暮らしていたのが不思議だとなる、もう今の生活から比べればいろいろなものが足りないのである、医者もいないし何かもない、この辺ではむずかしい病気になると仙台の方の医者に行く、仙台市にはいい病院があり医者がいるからである
江戸時代はもう簡単にいい医者にかかれない、とにかく江戸時代は眼の病気が多かった
それで座頭とかも多かった、それは栄養不足から来ていたらしい、それで眼の病気を直したいとして村の外にでて関所を出て看てもらうとした人が記録に残っている

ともかく日本でいう国というのはこのうよに村が基本となって狭いのである
そして小国という地名が多いのは狭い範囲でも自給自足していてそこを国とか感じていたから地名化したのである
そして日本人のアイディンティティはどの村に所属しているからがアイディンティティになる、人種とか関係ない、民族とか関係ないのである、どこどこの村に住んでいるということが今の国籍になる、そしてお国訛りがありそれで分けることになる
それで日本人の姓はたいがいどこかの村の名前が姓になっている
必ず姓をたどると村の名前があり地名がありそこから出て来たのが姓である
でも外国だと大陸だと姓は土地とは関係ない、血縁である、先祖が誰であるかでありそれで一族がある、一族意識は血族であり先祖を同じくするものである
だから外国人の大陸では誰の先祖なのかということが大事になる
それは中国でも同じである、中国で重んじるのは姓を同じくする一族なのである
韓国でもそうである、姓を同じくするの人たちは同族となり連帯を持つのである

日本でも村だけではない、源氏平家という大きな氏族が生まれると大きな氏族に属して
姓を同じくして一族意識をもつ、でも日本は基本的に村で生活を共に々するもののつながりは強いのである、小さい村だと家族のようにもなっていたのである
それで一家族の子供でも村の子供となり名付け親とかいろいろ実質的にも村の子供となると家族のように扱ったとなる
でも日本がでは姓よりどの村に所属しているかが大事である
そこが大陸とは相当に違っているから大陸の歴史を理解しにくいのである

そもそもウクライナ人とロシア人を区別するものはなになのか、顔を見ても区別できないだろう、なぜウクライナという国が成立したのか?それもわかりにくいのである
そして日本だったら島国だからいつも領土は海に囲まれて変化しないのである
でもヨ−ロッパとか東欧とかイスラム国でも常に領土は拡張したり縮小したり一定ではないのである、そしてなぜ東欧諸国にいろいろな国があるのか理解できないのである
なぜあのように小国がロシアとの間にあるのか理解できない
ドイツだと強力なゲルマン人がいて一つの民族国家を形成していることはわかる
フランスでもそうだしイギリスでもそうである、アングロサクソンとかの人種である
その人たちは体も大きくモンゴル人のようなアジア系とは違う、そしてスラブ人となるとこれはアジア系とヨ−ロッパ系の混血なのかとなる

ともかく大陸国家は様々な民族が人種がか混交している、だから聖書でもこの世にいることは異邦人だということになる、常に異民族が混交して同一民族となりえないからであるそして大陸は遊牧民族であり移動する、今回のウクライナ戦争でも何百万人が移動した
そういうことが大陸では陸続きだから常に起きてきたのである
それが動乱となり戦争ともなる、だから国家の消長が常にありウクライナがボーランドであったときもある、今の領土が日本がのように島国で古代から同じということがなかったのである、そこに勢力が変わり領土も拡張したり縮小したりしてきたの歴史である
こういう歴史が日本がとは相当に違うから理解しにくいのである
日本人は一民族でありみんな日本人だとなる、でも大陸では様々な人種が民族がいて争っていたのである
そして民族を抹殺するジェノサイドでも起きていた、それは旧約聖書でも神の民であるユダヤ民族に逆らう者に対してジェノサイドがあった
また中国人でも民族が混交している、胡人というのはイスラム系であり胡国という国が生まれた、また中国では戦争になったら敵国の者は墓からも暴きだしても罰している
でも日本では敵国の人でも争っても敵味方塚として丁重に葬っているのである
墓が残されているのである、それは薩長軍が東北に攻めてきて争ったが九州の侍でも敵味方塚に葬られている、こういうことは中国にないから驚いているのである

漢字文化圏には古来より「胡」という姓が存在し、霊太后の父胡国珍、北宋の儒者胡安国中国共産党総書記の胡錦濤、ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)などがいる。

その起源は、華人に同化した異民族出身の者が漢風の姓を付けたのが始まりとも言われるが、通志の氏族略が伝えるところによると、春秋時代の陳の初代君主胡公に由来し、陳の滅亡後に陳の遺民が名乗ったのが始まりと書かれている。

百家姓において、「胡」の姓は十三大姓の一つに数えられている。

ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)がそうなのか、ベトナムでは漢字を使ったいた時代があるから中華文明圏内にあったともなる
胡人とは今のウィグルとかのイスラム系でもある、その人達が胡人であり胡の国となった、、姓はその胡の国に由来している
姓が同一民族となるから大陸国家では多様な民族がいて姓が同じだと一族意識が生まれるのである

いづれにしろウクライナ戦争のことを理解することは本当にむずかしい
そもそもこの戦争の発端はウクライナの東部地域のロシア人とウクライナ人の争そいにあった、でもそもそもロシア人とウクライナ人の相違は何なのかというと理解できないのである、ロシア人とウクライナ人を区別できるのかとなるからだ
日本人と韓国人と中国人を区別できるのかとも似ている、だから必ずしも民族だけがアイディンティティにはならないのである
そもそも国家というのは何かというとき大陸国家だと一民族が国家とはならない
アメリカでも見ればわかる、人種が混交しているから民族国家ではない、それでその国家をまとめる原理は何なのかとなると日本がのように一民族国家としてまとめられない
それで人種差別がありそれをまとめるのに苦労するのである

東欧となるとまた宗教でもわかりにくい、カトリックからプロテスタントからギリシャ正教からロシア正教とか別れてきたからわかりにくい、イスラムでも「スンニ (スンナ)派」と「シーア派」とかなぜ争うのかもわかりにくい、宗教も根深い対立の原因となる
ロシア人とウクライナ人が兄弟のようなものだとかルーツを同じするものだとか言うのになぜこんなに激しい戦争をするのかもわかりにくい、同族でこんな残酷な戦争するのかとなるからだ、ただ大陸国家では民族の抗争が延々とつづいてきた、その延長としてウクライナとロシアの争いがあるとなる
この争いの発端は東部地域のドンパスとかにありそこで実際に抗争が小規模の争いがあり殺し合いもしてきた、それが大きく発展したのが今の戦争なのである
その火種となるのものが拡大し拡散したのである、だから何か事件があるとき時系列で見ないとわからない、何事も突発的に起こらない、積み重ねられた時系列の歴史を見ないと理解できないのである
それでプーチンにもロシアにも言い分があったということは理解できる

そもそもなぜあんなに東欧に小国家があるのか?

それ自体が歴史的にもわかりにくい、ルーマニアがローマニアでありローマの延長としてあり東西にローマ帝国が分離して生まれ国だとなる
ヨ−ロッパとは何かとなればローマ帝国を形成した地域が基本として作られたものだとなる、その前はフランスでもドイツでも蛮族とされていたからである
そしてキリスト教が東方に広がってもロシア正教とかまた別なものである
そこにはモンゴルの血も交じっている、プーチンの顔がモンゴル人の顔にも似ている
そしてウクライナ戦争でも歴史が繰り返すということで歴史を実感する
タタールの軛(くびき)のことをロシアが中国の属国になるとか言う時なるほどと思った歴史は繰り返すである、ロシアはウクライナ戦争以後小国化して中国の配下になると言う時、確かにタタールの軛の再来だともなるからだ
常に大陸国家には消長がある、領土でも固定してみれないのである、日本のように島国として古代から変わらない領土を維持するのは世界でも珍しいのである
歴史とは何か?それはこのように長大なものでありその継続なのである
だからウクライナ戦争もこの長大な人類の歴史の中で繰り返されてきたれのとして起こったのであるつまり歴史とはエンドレスの物語なのである、だからこそ歴史は繰り返すとなるのである、人間個々人でもカルマは繰り返すとなるのである
そして人間はこうして誰しも長大な歴史の一コマを生きているとなるのである
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2022年04月14日

戦争はなぜなくならないのか? (職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)


戦争はなぜなくならないのか?

(職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)

 「一国の戦争能力がどの程度にあるかと云うことを判定する一つの基礎でありまして、其の国がどの程度に自給自足が出来るのかと云うことが、其の国の戦争力を判定する一の重要なる要素に相成って参る訳でございます」(東亜経済懇談会第一回大会報告書)

 日本食レストラン営む日本人に聞く現状「ロシアは経済危機を何度も経験...正直これくらいのは慣れている」』(MBS NEWS 4月12日)でも紹介されているように、モスクワは穏やかなものだ。グッチなどの西側のブランドが休業しているだけで、スーパーにはものがあふれて、人々も特に困った様子もない。

 自衛隊はずっと「定員割れ」が続いている。さすがにこればっかりは「外国人労働者を増やせば解決」というわけにはいかないので、入隊できる年齢を引き上げてなんとかしのいでいるが、これから深刻な“国防力不足”が到来することは間違いない

  
 日本が侵攻されたら「敗戦濃厚」な理由、核武装・防衛費増より大事なのは?

●グロ−バル経済の問題(アメリカ一局の金融支配)

●エネルギー問題、食糧問題

●防衛問題

ウクライナ戦争の問題は何か具体的に問題を提起した、ここにロシア正教もからんでくるとなると複雑である、つまりキエフはロシア正教の下位に属するとか序列があり
西側の支配に入らないことを望んでいる、宗派争いがある
そしてそのトップだプーチンを支持しているのである
宗教家が戦争を支持するのかとなる、一部は司教でも反対して制裁されたとかなる

戦争で問題になるのは武器とか兵隊の数とか主要問題のようでそれだけでは戦いない
兵站がロジステックが大事だというときそうである
戦争とは国をあげての総力戦になる、腹が減っては戦いなとなるからだ
またかエネルギー問題も重要である
戦争するにしても必ず燃料に石油を使う、それで聞いた話では特攻隊はゼロ戦でも燃料がなく片道しか飛ぶことができないものだった
だからもう帰ることもできないので戦艦につっこんで死んでいったという

ロシアがなぜ戦いるのかとなると石油天然ガスがあり食糧があり自給自足できる
これが強みなのである、日本はエネルギーもないし食糧も自給自足していない
様々な物でも外国に頼っているのである、それで日本がロシアのようには戦いないとしている
日本の戦争もこうして物量作戦ができずに兵站で補給ができないので敗れたとしている
「勝つまでは欲しがりません」では勝てなかったのである
また航空機の時代に竹槍で戦おうとしたのだから相当に時代遅れだったのである

●人間の職業は業(カルマ)であり武器を売らないと失業するから戦争をする

ロシアでも中国でも広大な穀倉地帯がある、食糧は供給できる、日本はエネルギーもないし食糧もまかないないとしたら戦いない、兵士すら不足している、若い人で成り手がないそれで原町駅前で中学生まで自衛隊の人が勧誘していた、何か見分けがつかないでそうなったらしい、誰も自衛隊になど入りたくない、仕事としてあまり評価されないからである何か自衛隊とか医療関係でも警察でもそういう仕事は必ずしもいいとは限らない
なぜなら兵隊となると戦争が仕事であり戦争になると重要なものとなる
価値があがる、戦争がないと何しているのかとなる、ただ飯食っているのかとも見られるただ災害の時一番働いたのは自衛隊である、橋を架けたりいろいろ武器で戦わなくてもできるからである、それで三人が過労で死んでいる

今回のウクライナ戦争でも言われるのはアメリカの軍産複合体が戦争させたとか言われるなぜなら戦争にならないと武器を生産しても消化されない、売れないからである
それで盛んに旧式の戦車とか武器でもウクライナ戦争で使われた
戦争の時は必ず旧式の武器でも売れるのである、明治維新の時もアメリカの南北戦争の時の旧式な武器が鉄砲などが使われたとしている
つまり旧式な武器でも戦争にるなると必要になり使われるということである

ともかく怖いのは職業は業なのである、それで現実に消防士が仕事がないとして放火した事件があったのだ、火事になれば仕事があるが火事がなければ仕事がない、だから職業は業であり怖いものをもっているのだ
警察でも悪人がいて犯罪がないと用がないとなるからだ
医者でも病人がいないと商売にならないともなる、これらの職業は何か本当に人間の業だともなる、これらの仕事は暇なときの方が平和でいいのである
これらの仕事が増えて重要になるとき社会は不穏になって平和でないということである
だから自衛隊で隊員が集まらないというときそういう仕事はやはり社会で重要ではない
そういうことはやはりいい社会であり時代だとなる
戦争は人が殺し合うのだから最悪なのである、あらゆるものが破壊され何か建設的なものがなくなる、残虐行為も野放しになり人間が野獣化する
人を多く殺した人が英雄にもなるのだからそうなる

ただなぜ人間社会から戦争がなくならないのか?

つまり原因はいろいろあるにしても人間の業があり戦争がなくならない
それは武器を作り売る人達がいて戦争がないと大量に失業するとアメリカでは言われるからだ、アメリカの主要な産業が武器を作ることでありロシアでも武器を輸出しているからだ、そこで戦争をウクライナにでも入り画策したというのも理解できる
大量の武器が必要になりドイツでも高い爆撃機を買うことになり防衛費も増大したことでもわかる、つまりアメリカの軍産複合体にとって戦争になると在庫一掃にもなり売れるからだ、でも戦争は人を殺し合うのだから何であれ最悪なのである
武器を売ることは戦争を奨励することにもなるからだ
武器の開発はいいものではない、それは人殺しをどれだけ効率的にするかということを開発するともなるからだ
病気だったら医者でも懸命に直すために働いている、それは悪いとはならないのである
そもそも剣をもつ者は剣で滅びるというのは武器を作るものは宗教では否定されるのである

戦争がなぜなくならないのか?その大きな原因が武器を作る人達がいてそれを売らねば生活できない人達がいるからだ、またアヘンとか栽培するのはそれでしか生活できない人達がいるからだとなる、アメリカがなぜ戦争をしてきたのか?
それは軍産複合体があり武器を売らねば生活できない人が相当すいるからだとなる
消防士がわざわざ放火して火事を起こしたようにウクライナでも画策したとされる
それは消防士が放火するのとにている
また昨今のウィルス騒ぎでもそうである、ウィルスが世界に蔓延すればワクチンを作る製薬会社が大儲けするから陰謀論になる
病気を人工的にウィルスは作りだしてばらまけばそこで製薬会社が大儲けするとなる
そういうことが確かにある、医者は今では商売でありいらない薬まで飲ませるからであるそしてしなくてもいい手術までされたりるすと医者も怖いとなるのである

●江戸時代でも丸森の森林資源をめぐり三つ巴の争そい

なぜ戦争がなくならないのかと問う時、なぜ日本では戦国時代が終わった時、戦争がなくなったのかということも問いになる
なぜ三百年も戦争がなかったのか?こんなこと世界ではありえないのである
それは大陸国家と事情が違うというのもある、でもなぜ日本ではこうして平和が300年もつづいたのかとなる
では多数の藩があってもその藩同士が必ずしも協力しあったということもないのである
なぜなら相馬藩と伊達藩があっても相馬藩内の飯館村が飢饉の時、伊達藩では応援していないのである、今なら外国まで災害とかあると応援している
でも江戸時代は藩が違えば応援しない、でも相馬藩内では飯館村に援助していたのである戦国時代が終わっても依然として敵国という意識があった
また藩は別々の国であり援助したりしなかったともなる
経済的には藩が違えば別々であり今のように世界までグロ−バル化して経済でも一体化しないのである

なぜ戦争が起きるのかとなるとやはり経済的問題があり利権化して争う
それを象徴していたのが丸森の森林資源をめぐって伊達藩と米沢藩と伊達藩が三つ巴で争ったのである、それは有名である、丸森は森林資源が豊だったからである
この資源をめぐる争いは世界でも石油とか天然ガスとかで起きている
ロシアは石油でも石炭でもガスでも豊かだからである
それがロシアの強みになっている、それでロシアはあれだけ世界から責められても対抗できるとなる、日本では資源がないからできないとなる
レバノンで石油が高くなり森の木を伐採していることが問題になっている
やはり追い詰められるとこうなる、自国内にあるものでまかなう他なくなる
日本でもエネルギーは木材であり炭だったからである
そういう生活は戦後でも十年くらいはそういう生活だったのである
石油などわずかしか使っていない、ガスも使っていない、石炭がエネルギーであり
蒸気機関車の燃料は石炭だったとなるからだ
そもそも山の入会権をめぐって村同士の争いがありそこに大名が加担して戦国時代になったとも言われる

●大盗も英雄となり戦争でも残酷な殺人者が英雄になる

戦争になるのは戦国時代でも相手国の持っているものを自分の国のものにしたいということがある、日本では資源がないようでも土地が資源になる、土地があれば米でも作れて強国にできるからである、だから土地の争いが戦争の原因になる、これは個々人でも土地の争そいがある、経済的利権争いがある、土地の争いはどこでも常にある
基本的に国の争いも土地を得るための争そいになる
ウクライナは広大な土地があり穀倉地帯である、それでロシアがそこを欲しがった
それでウクライナでとれた食糧を麦などロシアがとってウクライナでは

「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人[9]から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した

まさに食糧の収奪があからさまに行われた、こういう歴史があるからウクライナはロシアに従属したくないとなっている
要するに国同士になると強い国が弱い国から強制的に武力で奪う、国が強盗になる
それは不思議に是認される、大盗になるとそれはとがめられなくなる
なんらか大きな権力を力をもつ者は盗んでもとがめられないのである
また為政者でも国民から富を収奪していてもとがめられない、つまり大盗だともなるのである、天下りとかがそうである
現実に中国では本当に盗賊の頭が皇帝までなったからである
本当にグロ−バル経済でも大盗となればとかめられない、だからこそアメリカでも世界の覇権を握り手放さないとなる

つまりこの世では小盗は常に厳しく罰せられるけど大盗は罰せられないのである
かえって讃えられ英雄化されるのである
シリアで残酷に殺したロシアの将軍は英雄であり総指揮官になったのもそうである
殺人鬼であっても戦争では英雄になるのである
だからみんな大盗になりたいのである、権力を握りたいのである
それは国内でもそうである、それは共産主義でもそうである、その幹部は国民から富を収奪する大盗にもなる、中国でもものすごい富が幹部になると利権をもち得られるからである
いづれにしろなぜロシアがウクライナに侵攻して戦争になったのか、それはアメリカの覇権に挑戦したともなる、ウクライナはもともとロシアのものだとして侵攻した
そこには利権がある、穀倉地帯でありそこを手に入れればロシアがまた強国になるからであるそして今度は北海道も因縁つけてロシアのもともとの領土だとか言う
それでウクライナは遠い国でもロシアは隣国であり恐怖になったのである

●世界がグロ−バル化して第一次第二次世界大戦になった

別にグロ−バル化でも貿易でも悪いものではない、でもなぜ世界で広く交わるようになったとき第一次世界大戦となり第二次世界大戦となったのか?
明治維新があり日本でも開国して世界と広く交わった時、3百万人も死ぬような戦争になったのか?、それはグロ−バル化して広く世界と交わる結果そうなった
経済的平和的な面だけで交わればいいのだがそこで対立が生じて争いになったのである
つまりグロ−バル化とは世界の富をアメリカなり覇権国が収奪するシステムなのである
だから当然それに反発する国がでてくる、それが最初は覇権を争った米ソ対立を産んた
次に米中の対立になったのでしなる
グロ−バル経済は平和的なものとして交流するとはならない、そこで覇権国になったものに富が収奪されるシステムなのである
そこに公平な自由競争とか市場とかはない、一見あるようにみえてその富は覇権国に集まるようになる、それでドルが世界の基軸通貨となる
紙切れのドルをいくらでも刷って世界の物が買えるとなる、石油でもドルでしか買えないというのはおかしいともなる

ただではアメリカだけを批判していいかとなるとならない、今度は中国が覇権国になったら日本は完全に従属国になり中国人に支配される、なぜなら中国人は日本に住むようになるからだ、もう中国の一部と日本はなってしまうのである
要するにアメリカが世界木警察になったように世界の平和を保つにはそれだけの力をもった国が必要だともなる、なぜなら小国分立していたら争いがやまないからである
だから米ソ冷戦でも世界が二分化されても力の均衡があるとき平和が保たれる
その均衡が破られると世界がまた四分五裂の争そいになる
それで三国志がまさにそういう世界だった、三国に力が分散したとき力が均衡したとき
平和が保たれるとかなる教訓だったのである

結局貿易だけならいいがそうはならない、必ず対立が生れ争いになるのが人間のカルマなのである

理想はやはりともに貿易でも栄えることである

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

戦国時代は争っていても江戸時代になり平和になると互いに栄えることを志向した
何か互いに国同士でもたりないんものがありそれを補い共に栄えるのが理想だとなる
なぜそうならないのか、それが一方が一方的に富を収奪しようとするからである
つまり覇権争いは利権争いなのである、双方に利するものがあっても自分の国だけが
覇権をにぎり世界を支配したいということがあり世界から戦争がなくならないのである

個々人でも俺はお前より上だとか俺が優秀だとか常にこだわっている
国同士でも変わらないのである、強い国に従いとなるからだ
なぜそもそも人間に平和がないかとなるとキリストのように下僕になりなさいということができないからである
ただ力でもって支配して上に立とうとするからである、結局人間はそうしてカルマを繰り返しているとなる、それはこの世の終わりまでつづく
最後に神が治めない限り平和はない、それはこの世が滅びてからだとなる
それはいづれ近いうちに来る、そういう時期に来ている
グロ−バル化経済でもそこに公平とかないのである、だから行き詰まり反抗する国が出てきてもおかしくないのである、もちろんロシアがいいとかはならない
ロシア自体がまた覇権を握りたいという野望の国だからである
そこで最終戦争がハルマゲドンが起きてもおかしくないとなる
そして人類滅亡してそのあとに神の国が来るとなる、それが希望だとなる








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2022年04月10日

人間に起きることはカルマが関係している (個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)


人間に起きることはカルマが関係している

(個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)

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シーシュポスの岩


カルマというとき個々人でもあるし家族単位でもある狭い地域でもある
大きくは国家レベルでもある
なぜ今自分自身がカルマと自覚したのは家族でも母でも全部死んでから家事でも全部自分一人ですることになったことである
私は60歳まで家事でも全部家族がしてくれたのである、だからいつも料理は出されていたし家事はする必要なかったのである
でも私自身はそれが当たり前だと思っていたのである
それは特別恵まれた結果としてそうなっていたのである

今自分が必ず自分自身一人で料理を作り食べている、その時どうしてもたりないものがあり台所まで食事の途中でも立ってゆくするとゆっくり食事ができないのである
それで今まで母でも食事を作りだしてくれていたことは特別恵まれた結果だと思うようになった
そして母は店をしていたときお客さんが食事中に来て必ず立っていた
ゆっくり食事できないし自分自身もそのことが嫌だったのである
食事のときくらいゆっくり家族で食事したいとなるからだ

ただそのことが母のことが自分自身のカルマとなっていたのである
それは食事中に必ず立ってたりないものを運ぶことになったからである
つまりゆっくり食事ができないともなっているからだ
母は私の家では女中のように働くだけだったのである
若い時は現実に東京の方に行って女中をしていたからである
それで花でも何か興味もなく働く詰めの一生だったとなる

人間はつくづくこうして誰でもカルマを背負っているしそれが現実となり苦しみとなってそのカルマを自覚するのである
これは本当に自分自身のカルマだった、また母が後妻に来て自分の家で連れ子の兄は良くされなかった、ただでは自分自身が全部それでよかったかとなると最後に家族の介護で死ぬほど苦しんだのである
それもカルマだったのである、その時誰も頼ることもできなくなっていたからである
それで親の介護のとき一倍お前はかわいがられたのだから介護しろと兄弟に言われるというのもわかる、カルマとはそういうことなのである、
兄弟でも親から平等に愛されると限らないからである

カルマの不思議はその家族は両親があっても父親が若い時から病気であり障害者のようになっていた、それで母は大変な苦労をしていた
でもその娘が結婚した相手は技術者で頭が良くて給料も良かったのである
でもそれが最後に実際は事業に失敗していたのである
すると娘も夫の事業の失敗で借金とかで苦しむ、つまりここでもカルマが苦しみとなって現れたのである
そういうことが身近でこれは何なのだろうとなるとカルマだと実感する

ただ全部があてはまることはない、その家の両親は本当にいい人だったのである
正直実直だったのである、でも息子は全く出鱈目であり誰からも嫌がられていた
最近死んだ、そして誰も惜しんでくれる人はいない
なぜなら息子がいても自殺していたからである、でもなぜそうなったのか?
その両親がそんなにいい人でもそうなるからその理由がわからないとなる
他にも創価でも他の宗教団体でもそういう人をまじかで見ているとわかるだろう
近くで若いの息子が病気で早死にして母親もすぐに死んだとかある
そういう不幸な人は別に宗教団体でもいくらでもいるし実際に見ているのである
呪われてたたられているのかと思う人がいくらでもいるのである

カルマは集団で解決しない、なぜなら個々人でも家族でも負っているカルマは違っている全部同じカルマではないし、それはそれぞれが負い苦しむことで解消するからだ
みんなであなたのカルマを解消してあげますよとか言ってもできないのである
カルマは個々人苦しみ自覚して解消するからである
つまり個々人が負っているのでありそれは他の人が代わってそのカルマを負い解消できないからできないからである
むしろ集団に入ると集団がもったカルマで負わされることにもなるのだ
何かいいことばかり期待して入るとそうなるのである
つまりそうした宗教団体でもカルマを団体的に背負っているから集積されるからそうなる

カルマは苦しまない限り解消しない、また苦しまないと自覚できないのである
だから自分のようになぜ食事もゆっくりできないのだろうと考えた
そしたら母がまさにそうして働き尽くしていたことをふりかえりこれはカルマだと自覚したのである
おそらくどんな家でも家族でもカルマを背負っている、今いいように見えてもカルマは必ず苦しみとなって現れる、そして長男長女がその苦しみを負うことになる
家族のカルマを一身に背負うのは長男長女になるからだ

結局人間は誰しもカルマから逃れられない、逃れようとして宗教団体に入ってもカルマから逃れられない、カルマを解消するには自ら苦しみまた他者に善行をほどこすとかするほかないのである
カルマは個々人でも家族でもそうだが国家でもカルマを背負っている
なぜロシアが日本でも良く思わないかというと戦争の時、どさくさまぎれに北方四島とかを奪ったりシベリアは抑留とかありロシアは日本と戦争しなくても漁夫の利を得た
そういうことでロシアは言い分があっても日本は今回の戦争でもロシアの悪辣さを非情さを批判する、それは確かに一方的な見方でも結局過去にしてきたロシアの悪行があり
カルマがありそれで良く見ないのである

ただアメリカに原爆落とされて日本は悲惨なものとなった、ではなぜアメリカを恨まないのかとなる、それはおそらくアメリカ人は戦争の後でも日本を経済的援助したり良くしたりしたからかもしれない、そしてその時はアメリカ人も相当に死んで血を流している
ロシア人は争わずして死ぬこともなくただいいとこどりになっただけだからである
でもそういうことがカルマになって過去の行為(カルマ)があり日本人はロシアを良く見ないのである
だから歴史でも国家レベルでもカルマが関係しているのである
昔はあいつはあいうことをした、あいつは悪い奴だとなり過去のことが尾を引いている
それは個々人レベルでも国家レベルでもそうである
でも国花レベルになると人道とか関係なくなり力で他国の土地を奪っても英雄になったりする、プーチンでも英雄になる、人殺しでも正当化されるのである
それで権力者とは大盗だというのもわかる、中国では現実にそうだったからである
盗賊が皇帝に実際になっていたからである

いづれにしろ人間のカルマは苦しまないとそもそも自覚できない、でも苦しむことで自覚して苦しむことによってカルマが解消するとなる
でもシジフォスの神話のように転がり落ちてくる岩を延々と持ち上げてもまた落ちてきて延々と持ち上げては転がり落ちて持ち上げる、それもカルマなのである
それは怠けていた結果として何か有益なこともしなかったのでそれでそうしたカルマを負わされたともなる、そしてそれが尽きることなくつづけさせられる
カルマが簡単に解消しないのである
人間はこうして何らかみんな罪業をカルマを負っていてそのことで苦しむ
この辺の原発事故もカルマであり放射性物質のプルトニウムが毒となり二万年消えないというときそうである、故郷にも住めなくなったのである
これこそがまさにカルマでありカルマは簡単に解消しないのである

カルマというとき戦争というのも人間からなくならない、それはウクライナ戦争でわかった、現代にあれだけの殺戮が破壊が行われるのをまざまざと見たからだ
実際にベトナム戦争からイラク戦争からアフガニスタン戦争からと戦争は継続されていたのである、だから人類から戦争がなくなることがない、それが証明されたのである
戦争も人間のカルマなのである、人類がつづくかぎり戦争は終わらない、終わるとしたら核戦争がありハルマゲドンがあり人類滅亡してカルマが解消するのである
それが人間の現実なのである





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2022年04月07日

日本人の貧困化の深刻 (日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)


日本人の貧困化の深刻

(日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)

 大阪市淀川区三津屋中3の住宅でベトナム国籍の女性の遺体が見つかった事件で、大阪府警は6日、首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手、山口利家(としや)容疑者(59)を強盗殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した。山口容疑者は自宅の階下の弁当店で働いていた女性を誘い出したとされ、「生活が苦しくなり金を奪おうと思った。抵抗されて首を絞めた」と容疑を認めているという。


 こんなことありうるのか?
ベトナム人とか貧乏だろう、そんな貧乏人が貧乏人を襲う時代なのか?
首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手とあり切羽詰まっていかたのかもしれない、それにしても日本にはもう追い詰められた人が相当数いる
そういう追い詰められた人に出合うことは不運であり危険である
田舎ても自分もそういう目にあった、もう年金でも普通に節約しても暮らしていけるだけもらえない人がいる、どうも一人暮らしの中高年の女性がそうなっている人が多い
なぜなら女性はまともに年金などもらっている人が少ない
誰でもできる仕事でありそうしたサービス業がコロナウィルスとかで職がなくなった人が多い、もともとぎりぎりの生活をしていた人がこういう時は生活もできなくなる
また物価高になるとそういうぎりぎりの生活の人にさらに負担になるのである
生活保護を受ければいいというがそれも簡単にできない、確かにもらっても年金がわずかでももらうと一万だとか医療費でも必ず負担がある
一万援助するがあと一万は払えとかなっているのである
満額が援助されないのである

とにかく追い詰められた人間が増えてくると安閑として暮らしていけなくなる
回りでそうなるのである、そういう人は危険な存在になるからだ
だからわずかの金でも奪い殺してしまうとまでなるこら怖いのである
日本人が金に困ってベトナム人襲うというのも日本人の困窮者が増えてゆく兆候である、昼職ぬきで働いているとか困窮する人が増えて来る
それで本当に今度は日本人が中国でも金持ちの国に出稼ぎに行く時代になるというのも
ありうる、日本はそもそも賃金が上がらないし物価も高くなってくる
年金は減らされる、増えるのは老人と病人ばかりなのである
その医療費でももう賄えなくなる、そこで親でも子は捨てる時代になる、介護の負担はできないとなる、それは金銭的に労力でもそうである
介護の負担の労力は大きいからである、金があっても労力の負担は大きいのである

生活保護は犯罪を犯させないものとして最低限支給するものだという、でもその最低限も支給されない、するとどうなるのか?犯罪に走るとか危険なものになってゆく
回りにそういう人達が増えて来ると治安が悪くなる、そういう人達と出合う確率も増えてゆくのである、何かこれから食料不足になり食事は戦前のようにもなると言う人もいる
私の母親は味噌汁と沢庵と何かわからないが一汁一菜とかで紡績工場で働いていた
痩せていたのに良く働いていたと思う
何か最近本当の貧困のことがわからなくなっている、それは贅沢になれてしまったからだろう、人間は一旦贅沢になれると生活の質を落とせなくなるのだ
うまい米を食べているとまずい米は食べたくない、それでいい米はいくらでもスーパーに入ってくるからそれを買うことになるのである
地元でとれた米があってもうまくないなら食べないのである
でもいざ食べるものもなくなると震災の時古米でも配られてそれでしのぐことができたのである

この事件は日本でもこの世の末だともなる、ここまで落ちたのかとなる
日本人がベトナム人にわずかの借金を要求して断れて殺してしまうというのは信じられないとなるからだ、それほど切羽詰まっていたとなる、そもそも弁当屋で働いているベトナム人自体が貧乏なのである、そんな人にまで襲って殺すというのが信じられないとなる
こういう事件が起きることは日本がいかに貧困化しているかを示している
この人には病気になったとか事情があるにしろこういうふうに追い詰められた人達が増えて来る、すると治安が悪くなる、つまり餓えた動物でもうろうろしているような感覚になるのである、その餓えた動物がいつ襲ってくるかわからないということになり安閑に暮らせないとなる
自分でも事業に失敗した人が借金を要求するとか一人暮らしの60くらいの女性が金を奪うとかもう毎月電気ガス水道が止められる人がいるとか田舎でもそうなのである
ただそういう人と出合いないと日本の貧困化は実感できなかもしれない、でもさらに貧困化してくれば誰でも身近に出合うともなる

そしてウクライナ戦争で世界でも物価があがり食料不足になり電気がとまるとかペルーでも暴動が起きたしスリランカでも暴動が起きる
肥料不足が農業にとっては致命的になる、それは日本でも同じなのである
米騒動とかが前に起きたがそれこと同じようなことが起きて来る、不穏な世界になってゆく、追い詰められた人間は一番怖いのである、そういう人は善も悪もない、餓えた動物であり相手を殺してまで食べなければ生きていけないとなるからだ
まず麦が高くなることは食料にとっての影響が大きい、うどんでも麦だというときあらゆるものに影響する、麺類は麦だとするとそうなる
ただそうなると米の需要が増える、ということは農業にとってはいいことかもしれない、でも今農業の成り手が少ないからすぐに増産はできないのである

何かグレートリセットとかあらゆる方面で大きな変化が起きて来る
その大きな切っ掛けはウクライナ戦争でも前からそういうことは言われてきて現実化してきたのである
怖いのは日本が第二のウクライナになるかもしれないことである
今度は中国とアメリカの狭間でウクライナのようになる、そこにロシアもかかわてくる
そしてそういう混乱して来ると悪鬼が侵入して来る
家が乱れたときそうなると書いたようにである
なぜアゾフ隊とか何かテロ組織とか外人部隊が入ってきてそこで荒らされるのである

国が乱れ荒れる時、そういう悪鬼が入り安くなる
だから日蓮のような日本の危機がやってくる、すでに来ている
こういうときまた大きな自然災害も起きて来る、人心が乱れるとそれに呼応して自然も乱れるのである
なぜこれほどの災害が起きて来るのか?
70年生きていてもすでに三回の大地震を経験している、ここ十年の間にである
でもこんな地震をここで経験していないのである、ただ70周期で社会が大きく変わる
そういうとき自然も乱れるのである、だからまた大地震が日本のどこかで起きる
それにしてもなぜ自分の住んでいる所でこれほど地震が起きているのか
それもとなりの街は今回それほどの被害ではなかった、自分の住んでいる所が被害が大きかったのである
それでこに住んでいられなくなるのとまで見てしまうのである

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2022年04月06日

ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか? (ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか?

(ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ukuraina111.JPG
ルーベン" ジスベルト現地ルポ マリウポリからライブ速訳

ここは詳しい、スペインに住んでいるからスペインの人がドンバス地域に入った報告は信憑性がある
ウクライナ人が市民を盾にしてロシア人を殺している、ロシア人をロシア人を殺すわけがない
殺しているのはジェノサイドしているのはウクライナ人のネオナチだというのは本当なのだろう
ともかく一方的な情報ばかりに接していると危険である
そして余りにもウクライナでも複雑な事情があったのである
だからロシアだけ責めるのは危険である


日本が国に二大敵国あり、その第一はロシアなり、ロシアは併呑(へいどん)主義をもって外より我らを破壊せんとす、その第二は米国なり、その物質主義によって我は腐食せんとす、、我らの軍人は剣をもって第一の敵を撃退せり、我らの宗教家は信仰をもって第二の敵を排斥せざるべからず(内村鑑三)

そもそもなぜロシアでもアメリカでも中国でも信用できないのか?
その過去の行為(カルマ)があり信用できない、ロシアでも戦争でシベリア抑留とかあり北方四島をどさくさにまぎれて奪った
ロシアとは平和条約を結んでいた日本がロシアを攻めたかげはないのに一方的にどさくさにまぎれて悪行のしたいほうだいだったとなる
弱体化したところで攻めてきたのである
そういうことがあるからどうしても信用できないとなる、併呑(へいどん)主義というときロシアは北方四島まで奪う権利もなかったのに戦争のどさくさに紛れてそうしたのである

そしてアメリカがどうなのかというとこれも過去の行為をみればわかる
アメリカとは戦争国家なのである、何かいいがかりをつけて戦争する、ベトナム戦争でもイラク戦争でもそうだったのである、それは人道に反するものであり何の根拠もないのに生物化学兵器がなかったのにイラクを攻めて大量の人を殺したのである
ベトナム戦争でもイラク戦争でも人道に反することを大規模にアメリカはしてきた
そして日本の戦争でも原爆を落とした、これは人類的罪であり最大の人道違反だった
こうしたことがあっても過去のことを反省もしないのである
あたかも正義の鉄槌を加えてやったとかなっている

何か欧米系は特にアメリカは正義面をする、アメリカの原住民からインディアンから土地を奪ったときもそうである、契約でだましたというときそうである
食料がないからとインディアンが援助してもそれを恩義とも感じなかったという
アメリカが正義とか人道を言う時こういうことが過去にあったから信じられないとなる
それは口先だけのことであり平気で嘘を言うとなる
表と裏の顔が違っているのである、その相違が極端なのである

内村鑑三はアメリカに留学してアメリカは金がすべてだとして嫌った、また外国人の宣教師も嫌った、日本独自の文化と歴史に根付いたものからキリスト教を取り入れた
それが武士道を基にしたのもであった
もちろん日本にも過去の戦争で責められるべきことはあった
でもそれではアメリカが正義のために戦争したのかとなると違う
また東京裁判などで裁かれるかとなれば違う、アメリカは人類的人道的最大のカルマを作った、それが原爆なのである、そういう国が他国を責められるのか、人道を言えるのかとなる
そして日本でもドイツでも戦争の報いは焼野原となってあった、でもアメリカは離れているから国土が焼野原になるようなことを経験していないのである、ただ勝った方が正義だとなっているだけなのである

今回のウクライナ戦争でもロシアの併呑主義であり許されないことである
でも西側の報道をうのみにしていいのだろうか?
ジェノサイドがあったというが本当だろうか、その映像がウクライナ側によって作られたものであるという報告もある
それは確かにそうだったのである、妊婦が運び出されて死んだ映像と思ったらその妊婦は生きていたのもそうである
また真偽が明確ではないにしろブチャの民間人のジェノサイドは嘘だということを報告している記者もいる
これは相当に重大なのことである、殺したのはウクライナ側のアゾフ隊だという
そんなことがあるのかとなるがその明確な証拠はないのである
もしそんなことをししているとしたら大問題だとなる
だから西側とかアメリカからの報道でも信じられないのである
イラクでも油まみれ海鳥の映像で世界中をだましたからである
イラクは悪い奴だフセインは大悪党だとして攻めたからである
アメリカの言う大悪党はアメリカの都合のいいように作られたものなのでてある

結局報道では真実が報道されると限らない、映像は何かすべて真実に見える
するとそれが証拠であり訴える、現実にあれだけ悲惨な映像を映されればそうなる
ただ人がどれだけ殺されたのかどういうふうに殺されたのかはわからないのである
だから調査が必要だとしている
ともかくロシアが悪いことはわか、でも一方的に報道を信じることも相当に危険である
テレビばかり見ているとロシアが悪い、悪いしかないのである
でもネットだとその反対のことも報道している、すると何が事実であり本当なのかと考える

ただ映像の時代になると映像の力が本当に大きいのである、映像は信じやすいのである
そこに嘘がないと見るのである、言葉だったら嘘だとなっても映像は偽れないと見るからだ、都市が爆撃された映像は嘘ではない、ただそこで人間がどういうふうになっていたのか、死んだのかなどは明確ではない、でもあれだけの映像を見せつけられるとそれが嘘だとは思えないのである
ただブチャで民間人を殺したのアゾフ隊だとかウクライナ側だったとなれば大問題であるまずそんなことができるのかとなるからだ
でもそれをスペインの記者が報告している、それが全く嘘とは見えないのである
それでその記者は命を狙われているという

つまり何かを中立的に見る時当時者より第三者でないと中立的には見れない
喧嘩している時でもそうである、どっちかに加担すると中立になれない
それで失敗したのは家族がもめていて娘が親にひどい目にあっていると思っていたら
全然違っていた、娘の方が信じられないひどい娘でありいじめられていたともなる
そして親はひどい娘だと自分に言い残して死んだのである
それがわからなかったのは付き合いもなくなっていて情報不足になっていたからである
こうして喧嘩でもどっちが悪いかなど簡単に分からないのである
それは情報が不足しているからそうなる、そしてどういう経過でそうなったのかも時間軸で見れないからわからないのである

私はロシアを弁護しているのではない、一体真実がどこにあるのかということである
ロシアが悪いことはわかる、でもアメリカが西側が正義なのかとなるとこれもわからないのである、結局こうして大国の狭間で犠牲になるのは小国だとなる
外国勢力が入ってきてずたずたにされる、一見独立のためだとかいってもそこには外国勢力が入ってきて二分されるのである
日本の明治維新でも外国勢力が入ってきて二分されることはありえた
でも日本はヨ−ロッパの植民地にはならなかった唯一の国だったのである
中国さえヨ−ロッパの植民地になったからである
ただ日本はアメリカに負けたアメリカの従属国になったのである

民主とか自由がその国とってすべて良く働くとは限らない、その国々の歴史的文化的価値観がある、それは否定できないのである、だからロシア的価値観が何かわからないにして国々にはその国なりの価値観がある、日本だっから武士道がったとなる
ただ外国勢力が入ってきてそういう価値観が全部否定される、ただ民主とか自由とかではモラルとか価値観を形成されない、結局国が二分されてばらばらになり外国勢力に分断されるだけだったともなる

ともかく現代は情報社会だから報道合戦にもなる、通信を駆使して有利にする
それで報道で欧米側が優ったとなる、ウクライナでも通信で報道で優っていたとなる
ロシアは悪役にされプーチンが大悪党にされた
でもアメリカでも悪人だったのである、でも正義面するのである
ただアメリカは遠く離れているから領土を盗るということはない
ロシアとか中国の問題は必ず領土拡張して他国に侵略するのである
いづれにしろ大盗になるとそれが善人化され英雄化される
国を盗むのものは英雄であり善人になるのである
報道は事実を報道するわけでもない、まずロシアが悪い、プーチンだ悪いとてけ報道する姿勢かある

例えばこの辺で原発事故があり補償金問題でもめた
原発避難者と津波の被害者が仮設にともに住んだ、そこでもめたのは原発避難者は多額の補償金をもらったが津波の被害者はもらえなかった
でもNHKでは放送の方針として原発避難者につくように決めたのである
だから原発避難者の方がかわいそうだと応援して放送したのである
それを後で訂正したのである
報道とはこうしてテレビ局でも方針を決めてする、テレビ局の意向によって決まるのである、ウクライナの戦争でも常に西側に欧米側につき放送しているのである
やはりそこを見ないと真実が何なのかもわからなくなるのである


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2022年04月02日

ソビエト連邦崩壊からアメリカのグロ−バル化になった (自由市場競争とはアメリカの金儲けのシステムであった)

ソビエト連邦崩壊からアメリカのグロ−バル化になった

(自由市場競争とはアメリカの金儲けのシステムであった)

なぜロシアのウクライナ侵攻があったのか?そのことは時間軸で考えないとわからない
プーチンの狂気だともなるがそこにはソビエト連邦崩壊が深く関係していたのである
米ソ冷戦があった、それからソビエト連邦が崩壊した
そのことを忘れていた、世界でもロシアとかが注目されなかった
注目されるようになったのは目覚ましく経済発展した中国だったのである
ロシアのことは経済的に話題にならなかった、経済的には韓国並みのGDPであり世界には影響ないものになっていたのである
ただ米ソ冷戦時代の遺物として核兵器をもっていたのでそこだけが常に危険だとして注目されていたのである、だから今回もロシアは大きな北朝鮮になるということになった

グロ−バル化とは自由競争市場主義となるがそれは結局アメリカに有利になるアメリカに富が集中するシステムであった、そこで確かに日本でも高度成長時代になり恩恵はあったでも世界市場は一国にとどまらない、世界が市場だから今度は簡単に別な国に市場が移り日本は取り残されたのである、ただそうしてアメリカは常に繁栄するシステムがグロ−バリゼーションなのである
それを象徴しているのがドルが世界の基軸通貨になっていることである
ドルを刷ることによって世界からの富を収奪するシステムがグロ−バリゼーションである

1991年のソ連の崩壊で、われわれはアメリカの万能の思いもかけぬ別世界に迷い込んだ
アメリカのアメリカのためのアメリカの世界が今や人類の目的になってしまった
ソ連の崩壊で世界はアメリカのために存在するものになった

(日本には日本の経済があるー菊池哲郎)

だからソ連崩壊とは世界が大きく転化した時代であった、ただソ連が弱小国になったとき忘れていたのである
それでもう一度ソビエト連邦再興を計ったのが今回のロシアのウクライナ侵攻だったのである、ただそこにはアメリカだけではないヨ−ロッパの問題でもありアメリカのドルに対抗してEUが生れて通貨でもEUの通貨が生まれた、だから世界は二極化から三極化してきた、今度はロシアがルーブルで石油でもガスでも買いというときそうである
一応EUでも買えることにした、通貨というのは世界支配の道具ともなるからだ
それでドルが世界の基軸通貨になっているときアメリカが世界を支配しているとなっていたのである、そもそもドル紙幣などいくらでも刷れる、それがアメリカの富になっていっていたのである

要するに時間軸でみればプーチンのウクライナ侵略も無謀だとかなるがそれなりの理由はあったとなる、戦争は肯定されないにしてもそれにも理由はあったとなる
アメリカ支配に対抗するものとして今回のウクライナ侵攻もあったとなる
ただすでにロシアはソビエト連邦から比べると格段に力の相違がある
とてももう欧米に伍する力はない、ただ核兵器だけで対抗しようとしたのである
アメリカのグロ−バル化でも別に豊かになればアメリカに反抗しない、富の配分があれば反抗しない、その例が中国である、でも中国はもうアメリカと対等になったときアメリカの力がそがれてアメリカに富が集中することができなくなる
アメリカはただ日本であれどこの国であれ自由競争市場で公平を装うが現実は違っているアメリカに対抗するとアメリカは日本製品をボイコットしたりしたことがある
それは高度成長時代だったのである、アメリカが常に優先されるのがグロ−バル化なのである、ただどこの国でも自国優先である、アメリカの自国優先は世界の富を収奪する自国優先なのである、第一アメリカだったら天然資源でも石油でもガスでも食料でも果物でも自給自足できる、他国に頼る必要がないのである

いづれにしろ今回のウクライナ侵攻は世界の転機にもなる
それはソビエト連邦の復活ではなく、かえってロシアはさらに小国化する、そして中国がアメリカと対抗する国となる、ロシアは中国の属国化するようにもなる
米中対立の時代でありその中でグロ−バル経済も変わる
基軸通貨のドルの時代も終わる、それがルーブルで石油でもガスでも買いということになった、中国でもドルに代わる通貨を作ろうとしていたからである
アメリカのグロ−バル化は世界からの富の収奪でありそれも終わりつつある
アメリカはアフガニスタンからも手を引いたように日本からでも手をひく、中国と戦争とかなっても自ら血を流すことはしない、基地があるとしても撤退することがありうる
アメリカも弱体化しているからである、そしてアメリカァ―ストとトランプが言ったようにそうなると日本からも手を引く、そういう時代の大きな変化の中にあり日本がどうするのかとなる、もう米ソ冷戦時代のようにアメリカは日本を守らない、すると巨大化した中国と人はどう対応するのかが大問題になる
そういう時代の大きな変化が戦後70年でやってきたということである

グロ−バル経済の問題は物と心の分離にもなった、余りにも巨大化した経済はもう物が世界的に流通しても心が通わないのである
第一経済という言葉がエコノミーが家政から始まっていた
つまり家政が経済だというときそこに心が通うものとなる
日本語で物とはただのものではない、モノと心は一体のものとしてあった
モノが憑くとかがそうである、物と心は切り離せないものとしてあった
それが東洋的思想であり物と心が分離するのは西洋的思考だともなる
グロ−バル経済にはモラルがない倫理がないというときもそうである
それでナショナルなものドメステックなものに回帰する
西洋でもアイディンティティというとき物と心が一体化することである
とてもグロ−バル経済というとき全く物と心は分離した世界なのである
それはまた自然とも分離した世界ともなる

本来は人間も生物だから生態系にのっとり生きてまた自然とアイディンティティ化することに生の充実を感じるのである
山とか木とか森とか石とかと心がアイディンティティ化することその土地土地の自然とアイディンティティ化することが文化になる
だからそもそもその土地土地にとれるもので基本的に暮らすことが自然なのである
もちろん貿易とか商業は必要だけどそこには限界があり境界がある商業になる
その境界とか国境とかが見直されたのはコロナウィルスである
これはグロ−バル化した結果として防ぎようがないものとなったからだ
これもサンクチャリーとかがあり本来は聖な領域がありそこでも人間がづかづかと入りこんだ結果としてタブーを破った結果としてウィルスがもたらされたともなる

つまり極端なグロ−バル化は生態系を破壊することにもなったのである
ま0た科学技術でも原発のように生態系を壊した結果として人が住めなくなったのであ
人間は生態系を離れて生活できないのである
ともかくグロ−バル化はアメリカ支配のシステムでありそれは終わりつつある
ロシアのウクライナ侵攻を認めるというのではなくアメリカ支配のシステムの崩壊が起きたのかともみる
ただロシアは弱小化する、中国がさらに巨大化する、それもまた問題なのでなのである

posted by 天華 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月01日

人間は時間軸で見ないとわからない (ロシアはソ連崩壊からたどるー中国に併合される)


人間は時間軸で見ないとわからない

(ロシアはソ連崩壊からたどるー中国に併合される)

なぜプーチンが突然ウクライナに侵攻したのかわからなかった
狂気になっのかと一時思ったし西側でもそう見えた
それは時間軸でソ連が崩壊した後のことが無関心になりわからなくなっていたからだ
今日は時間軸でどうなったのかテレビで放送していたからそうかと納得することがあったなぜならロシアの大学に1019年頃大学に留学していた人がその頃外貨が稼げなくて
日本とかヨ−ロッパからでも学生を呼んでいたという
その時授業料でも安い、それで日本の円も高い時だったから外国人でも入れていたというその大学はロシアの東大のような大学で全員KGBに入る大学だという
東大だと法学部だと上級官僚になる大学だったという

日本では大学ではないが後進国の若者を日本語学校に入れて授業料をとるとかある
でもその人たちは日本で働き円を得て親にまた家族に仕送りしたりしている
これはロシアとは違っているにしろやはり円がまだ価値があるから為替格差でグロ−バル化するとそうなる
日本の企業でも日本人は日本で雇うと高くなるから安い国で仕事をさせる国を選ぶ
これがグロ−バル化社会である

ロシアでは資本主義と民主主義を同時にソ連が崩壊した後入れた、中国は資本主義を入れても政治には民主主義は入れていない、そして中国でぱ経済の面では資本主義化して成功した、豊かになった、でもロシアではそうならなかった
そもそも株式会社としても株を持つことがどういうことかもわからなかったという
社会主義から資本主義の変化で会社は国有企業であり資本主義は民営になる
それがうまく移ることができず極一部の富豪が生まれたが全般的に豊かになれなかった
中国は人口が多い割には豊かになった、だからロシアのGDPは韓国より低いのである
中国とは十倍もの差がある、つまりロシアは小国化していたのである
ただ核兵器を持っているから軍事力で大国を維持していた
それしか誇れるものがなくなっていた、だから大きな北朝鮮だというのもわかる

ソビエト連邦崩壊というのはロシアにとって相当な衝撃だったのである
そうなると西側の資本主義とか民主主義を入れても国は豊かになれない
アメリカと並ぶ大国だったのに小国化して貧乏になった、そのことでプライドも持つことができなくなっていた、プーチンはKGBにいてソ連崩壊のことを肌で知っているから
かつてのソビエト連邦のことを知っているからその時代を再興させたいという気持ちが強かった
そういうことが心の中で鬱積していてそれがウクライナ侵攻になった
そこで武器となるのは石油とか天然ガスとかの資源である、あとは核兵器だとなったのである、でも強い軍隊があると思ったら旧式の武器でありウクライナに入ってきた最新式の武器とは違っていて苦戦したとか統制がとれないとか士気がないとかで一挙に制圧することができなかった
つまりロシアにはそれだけの国力がいろいろな面で消失していたのである
ただ核兵器があるからそれを脅しに使うとういことが世界に恐怖を与えたのである

こういうふうに時間軸で見るとプーチンの突然のウクライナ侵攻となった気持もわかる

ソビエト連邦ではアメリカに並ぶ大国だった

今は何なのだ、こんな国ではなかった

もう一度ソビエト連邦を再興させるのだ

こんな気持ちになることもわかる、でも現実はロシアは国民がそうして一体ともなっていない、プーチンに従わない、軍事力も思ったほどではなかった
それで指導部でも統一されずプーチンから離反してゆく
そしてプーチンは暗殺されるとかなる
つまりソ連が崩壊して資本主義と民主主義を同時に入れてもそれがうまくいかなかった
そこで西側を恨むことにもなった、でも中国は資本主義を入れて民主主義を拒否しても
豊になったから成功したとなる、それで西側をアメリカを恨むということはなかった
ただアメリカと並ぶ国となったのでアメリカから睨まれる敵対するともなったのである

結局人間は空間軸で起きることはある程度わかる、ウクライナはロシアにとって西側との緩衝地帯であり防衛上重要な欠かせない国だとはわかる
でも時間軸になるとどうなっているのかわかりにくいからそこに誤解が生まれる
でも時間軸でソ連が崩壊してどうなっていったのかわかるとそういうことだったのかとなる
ロシアはソ連が崩壊して資本主義と民主主義を入れても豊かになれなかったのである
国力でも弱体化したしとても西側にアメリカと伍する国ではなくなっていた
ただ核兵器の国でありそれが誇るものとなっていた
だから大きな北朝鮮であり戦争が終わればそうなる、さらに小国化して国さえ維持できるかわからなくなる

そういうことでウクライナ侵攻はソビエト連邦再興ということはありえない
大きな失敗だったともなる、拡張する力などなくなっていたのである
だから戦争してかえって自壊するとなる
時間軸でみるとそういうことなのかと納得する、でも人間は時間軸で見るのが苦手なのである
何か普通に事件が起きてもそれがどうしてなのかそのことが時間軸で見れないから誤解するし理解できないのである
どういう経過をたどってそうなったのかを知ることが時間軸で知ることがむずかしいからそうなる

ともかくこの戦争でさらに疲弊して国を維持できるのかとまでなる
ソビエト連邦の再興などないのである、中国の属国みたいになるかもしれない
現実にこの戦争で頼るのは中国でありそうなりつつある
するとますます中国は大国化してゆく脅威となる
結果としてロシアはハバロスクとかウラジオストックとかサハリンとかを維持できなくなる

1991年にソ連が崩壊すると,ロシアの極東地域は政府からの補助金が見込めなくなったつまり生きるための安価な輸送がコストが消えたことになる
そのためにこの地域全体が餓えに直面した
当時からはハバロフスク州政府は地域住民がソ連の法律を破って,スクラップの金属、
あまったセメント、その他あらゆるものを中国人に売り、その代わりに食料や服を手に入れることに目をつぶっていた
そしてロシア人は中国人に感謝することもない、ただ怒っていたという
中国人は物理的に極東を征服する必要はないでしょう
私たちを経済的奴隷にしているのですから
「奴隷国家の完成、政、官、ヤクザ支配は強化されている」ベンジャミンフルホード

この本は日本のことを書いたのだがロシアはまたこうして国家自体がこういう状態なのである、ただあらゆる国家にはそれぞれ問題がある、アメリカにもあるしどこにでもある
でもロシアはもう国家を維持できないような状態に経済的にもっていたのである
ただロシアの脅威は核兵器国だから世界が恐怖したのである
それしか誇るものがないとなっていた、だから大きな北朝鮮だとしている
ロシアより驚異なのは中国なのである、北方四島とかサハリンでもロシアは維持できなくなる、そこに入ってくるのが中国なのである
第一輸送するにしてもモスクワとから離れて過ぎているからである
むしろ地政学的には中国に属しているのである

私はハバロフスクから中国に出て満州里に出た、そしたら十数年前でもいい車をトヨタの車をもっていた人がいたのである、すでにその頃から中国人でも豊かになれる人がいたのである、満州とかシベリアとなると酷寒の地である
また南相馬市ではロシアに中古車を売る会社がある、ロシアでは日本の中古車が人気なのである、でもその生活は中国からすると相当に遅れてしまったのである
だから中国に実質的には吸収されていて将来もそうなる
経済規模でも十倍も違うからである、技術革新もできているからである

こうしてウクライナのロシアの侵攻はアジアの極東の日本まで関係していたのである
それで北方四島でミサイル実験が行われたとか核を日本に打ち込むとか恐怖を与えたのである
ただロシアの内情はこのように中国と比べるともう内部崩壊のような状態になっていた
だからとてもソビエト連邦の再興などないしむしろロシアという国自体の消滅するのかともみる,ウクライナからでも逆襲されているからである
ロシアはこの戦争でかえって疲弊して国力はさらに減退して弱小国になり中国に併合されるのかとまでなる、それが現実的見方だとなる
ロシアとなると日露戦争もあり函館にはロシア人の墓がありニコライ堂とかロシア正教の教会もある
外人墓地にはロシア人の墓もある
日本とはモスクワは遠いにして隣国なのである、ただ将来的には中国の属国化してゆくだろう
それがウクライナの侵攻でその衰退に拍車をかけたともなる、未来はわからないにしてもそういう予測が一般的になる
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2022年03月29日

南相馬市地震被害にDRT−ボランティア支援団体が来る (プロ集団で無料で瓦を直していた)


南相馬市地震被害にDRT−ボランティア支援団体が来る

(プロ集団で無料で瓦を直していた)

earthroof111.jpg
ブルーシーとは無料で配られた

これで被害にあった家がわかり結構多かったことが判明した
鹿島区は相馬市とか原町区より被害があったと言う


earthquake2.jpg


earthq3.jpg
DRTでは重機ももっているから本格的である

earthq44.jpg

社会福祉協議会(鹿島区)

DRTの活動の写真
https://www.facebook.com/drtjapan/


瓦屋根を直している人がいた、車はDRTというボランティアの支援団体である
屋根にあがったりするのは危険である
でもプロであり経験者だからできる
それも無料でしているというからそんなことできるのかと思った
でも寄付金でしているという、こういうときは地元の業者だけではできない
仕事が急激に増えるからだ、だから助かるとなる

この人達は社会福祉協議会(鹿島地区)と協力してやっている
軽トラと赤十字の車があった、軽トラで地震で出たゴミを運んでくれる
頼めば運んでくれる、社会福祉協議会に行って頼めばできる

今回はやはり屋根が壊れた、ブルーシートをかぶせたのでわかった
このブルーシートをとりつけるのにも危険である
それをプロの人にしてもらえは助かる
この人達は素人ではない、プロ集団だからできるのである
ボランティアはなかなか簡単にできないのである
でもこんな危険なことを無料でしている団体もあるのかと思った
ケガしたりしたら頼まれた人は金はらったりしていなからである
そして重機ももってきていたから本格的なのである

今回の地震の被害は2011の東日本震災より揺れは強かった
でも地震だけならそれほどの被害にはならない、津波になると大被害になる
でももし夜で火事になったりしたら怖いと思った
私の家も階段の一部が壊れたので危険なので困る
他にもガラスが割れたとかあった、屋根の瓦は東日本震災で壊れたが今回は私が見た限りでぱ壊れていない、それで助かったとなる
いわき市から来た業者がいて70万かかったからである
その時は原発事故関係で補償金をもらったから良かった
今回はこの辺では補償金は出ないから自腹で直すほかない、でも無料でボランティアが直してくれたら助かるとなる、これは瓦を全部入れ替えることなどはできないだろう
あくまでもボランティアだからである

ブロック塀も倒れたが鉄筋が入っていなかったからか
鉄筋でも錆びたりして地震に弱くなるという、そういうこともあるのかと思った
その人たちはプロだからわかる
でもなぜコンクリートの市営住宅は壊れたのを見ない、ひび割れたのも見ない
ねれはもう50年以上の老朽化したものである、でも全然壊れていない
内部でもひびが入ってもいないという、それがなぜなのかわからない
ともかくこういうときは地震に強い家がいいとなる


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2022年03月28日

ロシア人気質とは(その風土―広大な森がある) (変わらぬ皇帝支配と農奴の国ーウクライナの領土争いの継続)


ロシア人気質とは(その風土―広大な森がある)

(変わらぬ皇帝支配と農奴の国ーウクライナの領土争いの継続)

●ロシア人の気質を語るもの

1、非常に疑心暗鬼が強く、めったに人を信用しない。
2、非常に押しが強く、妥協しない。
3、自分の損得を考え、得になるとわかったときだけ妥協する。

トルストイの「戦争と平和」の中に次のようなくだりがある。
「フェンシングのあらゆる法則にしたがって、剣で決闘をいどんだ二人の人間がいたとしよう。フェンシングはかなり長い間つづいた。不意に、たたかっていた者のひとりが、傷を受けたのを知って、これは冗談ではなく、命にかかわることだとさとり、剣を捨てると、ありあわせの棍棒をつかみ、それを振りまわしだした。・・・・フェンシングの規則にのっとって勝負を要求したのはフランス人だった。剣を捨てて、棍棒を振りあげた相手はロシア人だった。フェンシングの規則にしたがってすべてを説明しようとした人々は、この事件について書いた歴史家であった。」

この話の中にロシア的原理がある

(ロシアを理解するために)ロシア人気質とロシア的原理

ロシア人の気質とかわかりにくい、そもそもいろいろな民族のの気質があるとしてもわかりにくい、ただなぜプーチンがとった暴挙と思えるものがロシア人気質に由来しているのかとなる、欧米だと一応ルールを重んじる、ロシア人も一応ルールに従うのだがそれを極端にして破る

フェンシングの規則にのっとって勝負を要求したのはフランス人だった。剣を捨てて、棍棒を振りあげた相手はロシア人だった。

これは何かいろいろウクライナで西側と交渉はルールに従いしていたのだが突然暴挙になった、もう話し合いとかでは拉致があかないとなり暴力に走った、棍棒でなぐりはじめたとなる
ロシア人はモンゴル系統の遊牧民で気質が荒いともなる、野蛮性がある
中国人の気質とも違う、中国人には長い歴史があり一応文明化された国でありそれを誇っていた、でもロシア人は一見アジア的専制国家として似ているが違う
肉体の強さを誇示するとかプーチンのようなパーフォマンスを普通はしないからだ
そこに未だ野蛮性がある、文明化されていないとなる
中国人だと礼を重んじたのとは違っている、野蛮性をむき出しにする
遊牧民のモンゴルと似ているとしている、それはもともとモンゴルの支配下にあり混血もしているからである、モンゴル人の血をひいているからである
野蛮であるということは動物的であるともなる、だから肉体を誇示するのである
強い人が好まれるということである

●ロシアの風土が作る気質

そもそも温暖な地域ならその生活も温和になる、熱帯の地域とかでは食料でも果物などでも無料で得られるとかなり温和になる、でも寒帯地域とか砂漠地域とかでは何か人間は荒々しくなるのかもしれない、そこは食料に恵まれた地域とは違って風土が厳しいからである、そこは北海道より寒い地域でありその寒さが防壁になり西側のフランスのナポレオンでもドイツのナチスでもモスクワまで攻めてきても陥落できなかった
寒さで撤退せざるをえなかったのである
つまり雪と氷に閉ざされた世界となりそれが防壁となって攻め入ることはができなかったのである
四大文明でもやはり温暖な地域に発生しているからロシアのような極寒の地では野蛮性が失われていなかったとなる
ウクライナでもキエフの近くに大森林がありチェルノブエリブエリも近かったが事故後に放置されて人はいなくなり森林に埋もれた
原始の森林が覆っていたのである、そこにヘラジカや狼がまた棲息するようになった
そういう原始的環境が残っている場所だったとなる

ソ連が崩壊した直後の生活は、聞いただけで想像を絶するものでした。政治・経済のシステムがゼロスタートっていうのは本当に大変なことなんだ…と。

「外気温マイナス20度の冬に家の中に暖房がなくてありったけの服を着込んで寝ていた」「本当に食べるものがなかった。その辺に生えている草とかを調理して忍んだ」

特に問題になったのが失業。

ソ連時代はみんなに仕事が割り当てられていて、仕事を探さないといけないなんてことはなかった。

 それが、仕事を探しても仕事がない。
仕事がないということは、家族を養えない。
多くの男性にとって大きな精神的ダメージ
お酒の力を借りないとダメになってしまう男性がでてくる
&ロシアのお酒は強い(ウォッカはアルコール度数40以上)
アルコール中毒になる
ソ連が崩壊し、

結婚するも離婚するのも自分の自由
シングルマザーも同棲も問題ない
価値観が違う人と一緒に居続ける必要はない酔っぱらって自分を制御できなくなり家庭内暴力・浮気・不倫が始まる


ソ連崩壊のことなど忘れていたけどこれはソ連社会を全く変えてしまった
これはロシア人の社会を根本的に変えてしまった、アメリカに伍するというプライドも打ち砕かれて実際は三等国になっていた、でもソ連時代のことが忘れられないとしている
それにしても離婚率八〇パーセントというのは異常である
つまり国も崩壊して家庭崩壊になっていたのだ

●ロシアの風土(広大な森がある)

何かプーチンのウクライナ侵攻の裏に何があるのか、それが突然のことで理解しにくかった、これは毎日日本でも事件があるけどどうしてそんな事件を起こしたのかをすぐには理解できない、個々の家庭事情があり理解できないのである
つまり事件は空間軸と時間軸で起きる、その時間軸で形成されたもの、それが大きな国の歴史ともかかわってくると余計にわかりにくくなる
そもそも民族の気質など簡単にわからない、ただそれぞれの民族で共通の性格が行動でもパターンがあるとはいえる
まずわかりにくいのはロシアでもその風土であり大陸だと広すぎて感覚的に日本と余りに違うから理解できなくなる、距離の感覚が違うのである

キエフがテレビで見たけどその背後に大きな森林が見えた、すると大都会の近くに大森林があるのかと見た、それは日本でない光景である、日本では森という時小さいからであるなぜそうした大森林があるのかとなると平坦の地がどこまでもつづくからである
それはヨ−ロッパでもそうでありドイツでは広大な森がありそれが行き来を阻んで国境ともなっていたのである
相馬藩だと夜ノ森は余の森であり相馬藩主がなづけた、そこは磐城藩との境目であり余の森として地名化した、そこは森が覆っていて境界になっていたのである
日本でも森が広く境界になっていた、そこが原発が作られた双葉町なのである

私は一応ロシアに行ったことがある、ただウラジオストックからシベリアの方であり中心のモスクワには行っていない、そこで電車からアムール川をみたときは感動した
広大な川ではありそれが運河のようではなく激しく広い川が流れていたのである
あれだけ大きな河は日本にはないから感動したのである

ウクライナは、国土面積 6037万ヘクタールのうち 976万ヘクタールが森林で、森林率は 16.5%。この数字だけを見れば、森林は少なそうに感じるが、雄大なカラパチア山脈が西部を縦断している。ウクライナで山と言えばカルパチアなのである。そしてここは、アカマツやトウヒなどの針葉樹林とナラなど広葉樹林に覆われた森林地帯だ。

森林地帯に兵士が隠れているというときそこは広いからである
チェルノブイリもキエフから一〇〇キロくらいとか近い、そこは事故で森に埋もれてしまった、そこに狼とかヘラジカが棲むようになったのである

 実はウクライナで起きている戦闘の報道を目にしていると、背景などに森林が映っている

これはそうである、広い森があると見ていた、テレビでは実感がわかないが相当に広い森が平地に広がっているのである、ここからも日本へ木材が輸入されていたのである

●ロシアの皇帝と農奴の歴史(詩)

とにかく世界は広い、まず地理からしてわからない、だから常に誤解が生まれる


種族を異にする人の誇らしげな眼は
理解もせず、また気づきもすまい
お前の温順な飾らぬ姿のなにか
ひそやかに光りほのかに見えるものを
(最後の愛ーチュッチュッツ)

ひとがひとを毒の樹へ送る
権力あるものの目くばせをもって
人はかしこみ急ぎ
夜の明けに毒はもたらされる

男はついに力尽き
小屋の筵にに横たわる
並ぶものない皇帝の足元に
あわれな奴隷は息絶える

皇帝が毒に浸すのは
日だろ手慣れたいくさの矢じり
異国の民は次々と
射こまれゆく破滅の征矢(そや)
(黄金と剣とープーシキン)

この二つの詩では

種族を異にする人の誇らしげな眼は

異国の民は次々と
射こまれゆく破滅の征矢(そや)

異民族を常に意識する、ロシア人がいてウクライナ人がいるように
ともかく大陸国家だと多様な民族の坩堝になるからだ、それが欧米の歴史である
その前に中東の歴史でもそうである、多民族が争いつづけた歴史がある
だから常に異民族を意識するのである、それじ人種差別がありジェノサイドも起きて来るそれが大陸国家の歴史だったのである
アメリカでも人種の坩堝であり人種差別が消えないのである
日本人は特殊なのである、日本に住めばみんな日本人であり異民族などいないからだ
アイヌとかは異民族として江戸時代まで意識されたが同化された
日本人に異民族はいない、ただ在日などが朝鮮人として違うとなるがそれも日本語を話すし見分けがつかないのである
だからロシア人とウクライナ人がどう違うのかわからない、ただローマ帝国の辺境としてルーマ二アがある、ローマ二アでもあるからだ
つまりロシアはヨ−ロッパの辺境であり野蛮な国としてあったのだ
それはモンゴル系統でもありゲルマン人とかラテン人種とは違っていたのだ

いづれにしろロシアの歴史は農奴の歴史でもある、絶大な力をもつ皇帝がいてその下に無数の農奴が苦しんでいたのである、

並ぶものない皇帝の足元に
あわれな奴隷は息絶える

まさにこれである、プーチンは皇帝である、豪華な宮殿に住んでいて贅の限り尽くしている皇帝である、でも下々は依然として農奴なのである
ウクライナでもスターリン時代に農奴にされて食料が収奪されて何百万人も飢え死にしていたのである、それは皇帝時代と変わりないとなる

ソ連の政権が「ウクライナ人の問題」を解決するために、ウクライナ人が住む地域において人工的な大飢饉を促した。1933年に「ヨーロッパの穀倉」といわれたウクライナではホロドモールによって数百万人が餓死した。



1918年からはポーランド・ソビエト戦争と呼ばれる戦争が始められたが、その主戦場となったのはウクライナ地方であり、第一次世界大戦時の連合国各国派遣軍やドイツ帝国軍なども加わって激しい戦闘が繰り返された。

主要な国家としては、中部ウクライナから東ウクライナにかけてウクライナ人民共和国、西ウクライナに西ウクライナ人民共和国が成立した。

常に領地争いがありウクライナは西と東に分断されていたのである
だから今起きていることは歴史の継続でありカルマの継続だとなる
ウクライナと西と東は統一されない、常に分断されてきたのである
その歴史が継続されてロシアのウクライナ侵攻が繰り返されたのである

 神の聖者よ
 この世は霧にとざされている
 ロシアのために祈ってください
 こわれた船のようなロシアのために
 嵐の中を走りながら
 もうずっと前からみしみしいっている
 聖なるルーシが
 底に沈んでよいものだろうか
 すべてが失われてしまわないうちに
 わたしたちを助けてください

 現代ロシアの宗教詩

 これが今のロシア人の気持ちなのか、プーチンが夢見るロシアの再興なのか
 ソビエト連邦を最高する夢を見てウクライナに侵攻したのかとなる
 それはプーチンだけではない、ロシア人の夢なのかとなる
 だからプーチンが独裁者でも共感しているのかとなる

●戦争は若い人も死に深刻な問いをなげかける

戦死者の問いかけるもの

ロシア人の若き兵士の死して贖(あがなう)うものはなにか
ウクライナ人の死して贖うものはなにか
日本人の死して贖いしものは何か
その死の意味のありやなしや
戦争は深刻な問いをなげかける
プーチン皇帝はその死をになえるのか?
一人の独裁者はその責任をになえるのか?
独裁者のために若き命を献げられるのか
戦争葉深刻な問いをなげかける
その痛ましい民間人の子供の死に面しても
むしろ戦争を拒否して死ぬとすれば
そこにかえって大きな意味がある
人はみな無益に死にたくない
それぞれのかけがいの命を無意味にしたくない
しかし人の世から戦争はなくならない
そして無数の死は忘れられてゆく・・・・・

戦争とは敵でも味方でも若くても死ぬから深刻なのである、ただ人間の歴史は戦争の歴史でもあった、日本国内でもそうだし世界となると常に戦争があった
ただウクライナの戦争は今までも小規模の戦争と違っているから驚いた
世界第三次戦争とか核戦争とかまで発展するとしたら恐怖である
そういう恐怖を与えた戦争だから世界の関心が集まったのである

posted by 天華 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月27日

日蓮の立正安国論の時代と似ている現代 (家が乱れ国が乱れると鬼神が入ってくる-ウクライナが鬼神の住処となる)


日蓮の立正安国論の時代と似ている現代

(家が乱れ国が乱れると鬼神が入ってくる-ウクライナが鬼神の住処となる)


立正安国論にある「国を失い、家が滅んでしまえば、どこへ逃げることができるだろうかあなたは自身の安全を願うならば、まず四表の静謐(=社会全体の安穏)を祈ることが必要ではないか」

『仁王経』には『国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。鬼神が騒ぐために、多くの民が乱れる。さらに外国が侵略して来る。天変地異も起こり、国の中も悪い賊が人々を苦しめる』とあり


日蓮の立正安国論の時代と似ている現在
(家が乱れるのと国が乱れることは似ている)


世界各国のネオナチがウクライナに結集!【及川幸久


家が乱れると本当に悪鬼が入ってくる、それを嫌というほど自分は経験した
金に困窮した人がこれはチャンスだと入ってきたのである
一切の同情などない、求めるのは金だけだけだったのである、それで大金を盗まれたとかなるそれは地獄だったのである

国が乱れる時は、鬼神が騒ぐ。

家が乱れるとき、鬼神が騒ぐ

さらに外国が侵略して来る。天変地異も起こり、国の中も悪い賊が人々を苦しめる

その後天変地異がこの辺では起きた、地震があり津浪があり水害があり先日も大地震があった
だからこれは何なのだろうとずっと考えてきた、家の乱れ⇒国の乱れともなる

これが起きているのはウクライナである、そこに外国のテロ組織が好機として入ってくるISISが入りそこは国としての統一が喪失したから新しい国を作り指導者になろうとしてるつまり国を乗っ取ることを画策して入ってくる
それは一身上でも家が乱れて自分も経験している
家でも国でも弱体化するとそうした悪鬼が入ってくるチャンスとなる

鬼神が騒ぐ

ISISなどが鬼神でありまた借金とか金に困窮した人達がこれは幸いだ好機だとして入ってくるのである、だから国が混乱して弱体化することは怖いことなのである
それは一時シリアで起きた、トルコのイスタンブールにいた人がシリアの人は素朴だと
盛んに言っていたけど国が乱れて外国勢力が入りめちゃくちゃになったのである
それが今ウクライナで起きている、そういうとき好機になり鬼神が入ってくる
実はその前からアメリカのネオコンとか外国勢力が入っていた工作していたのである
そういう国は真に独立した国ではない、そしてそうした有象無象の外国勢力が入ってきて国自体が乗っ取られこるともなる

これが日本と関係ないかというとある、それはアメリカの力が衰退してもう日本でも守れないし世界よりアメリカファーストになったからである
そうすると中国は台湾に侵攻する、アメリカは何もしない、そして沖縄に侵攻する
アメリカは撤退するかもしれない、アフガニスタンのようにアメリカはかかわらないとなる、そしてウクライナを応援した日本をあからさまにロシアが敵対するようになった
するとロシアが北海道に侵攻してくる、そして日本は分断される
そういう恐怖が現実化することがロシアのウクライナ侵攻で見えてきたのである
ただ逆にロシアが衰退して小国化すると北方四島とかサハリンとかを取り戻すことができる好機ともなる、こうして世界情勢はでき変化している

ともかく世界情勢は複雑怪奇だとつくづく思う、簡単に善悪で分けることはできない
アメリカが善でロシアが悪ともならない、やはり70年周期世界が大きく変わる
それが今なのである、だから何が起きるわからない、
確かにウクライナで戦争で死んでゆく苦しめられる人達はかわいそうだとなる
でも一方に加担するとその戦乱に巻き込まれて日本も傷を負うことになる
日本に言えることは日本が外国勢力によって分断されてばらばらにならないようにすることである、ただそれも相当にむずかしい、何をもって一つとなるのか?
明治維新では天皇で一つにしたがそこに功罪があったが今は天皇で一つにまとめられるのか?それもむずかしいだろう
そしたら何をもって一つになりうるのか、それができないとシリアとかウクライナのようになる恐怖である

そして今日本が失われた30年があり衰退しつづけている、もう先進国でないともなっている、つまり弱体化するとそこに悪鬼が入り安くなるのである
また日本の伝統的なものも失われている、明治まであった武士道などもう全くわからないしない、モラルなき国家になった、ただ金を求める金がすべてとなった社会である
それはアメリカに習ったから当然そうなったのである
そういう国で愛国心などもない、日蓮宗の創価などあってもそこも御利益宗教であり
ただただひたすら金を御利益を求めているだけである、そのために祈るだけなのである
根本的に宗教団体はカルトである、だから自民党が創価と一体化しているのは危険である幸福の科学もカルトである、だから信用していない、でも世界情勢に詳しい人がいるから見ているだけである

とにかくウクライナ戦争は他人事ではない、次は日本がウクライナ化する恐怖がある
そういう立場になっているからだ、でも日本を一つにまとめる強力なものがない
そこで鬼神が入ってきて分断されてウクライナのようにずたずたにされる
だからこのことをよほど真剣に考えないと日本もウクライナのようになる
posted by 天華 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月26日

デープステートとは何なのか? (この世の権力を求めるものはすべてデーブステートにもなる)


デープステートとは何なのか?

(この世の権力を求めるものはすべてデーブステートにもなる)

FRB111.jpg

積極的干渉主義、国際協調主義、自由・民主化の美名を用い、ネオコンは世界中で戦争を積極的に仕掛けた。アラブの春、東欧カラー革命、イラク戦争への不正な関与も疑われている。

戦争には莫大な費用が必要だ。軍産複合体が戦争を発生させることで、軍需産業株式が高騰し、株主である国際金融資本(ディープステート)が大儲けするというわけだ。
https://hotnews8.net/society/deep-state/neocon

●プーチンが大悪人にされるのはなぜ

なぜデーブステートとかなるとわかりにくいのか?
もちろんわかりにくいからデーブであり闇に隠されて正体を現さないとなる
江戸時代の時代劇だと黒幕であり代官とか上の人である
ただ江戸時代辺りだと時代劇だといくら黒幕だとしてもたいがい役人であり分りやすいのである
でも現代になると善と悪など明確にわからない、誰が善人なのか悪人なのかなどわからない、むしろ悪人が大善人となり善人が悪人になっているのが普通である
だから本当の宗教家は自分は大悪人だと言っている、親鸞でもパウロでもそうである
この世の大善人は俺は善人だとして崇められることを望んでいる
その人は大悪人だったりする、つまりこの世では善悪が明確にわからないのである

だからプーチンが大悪人にされているけどアメリカだって日本との戦争であれベトナム戦争であれ善人役はアメリカになる、特にイラク戦争では化学兵器などなかったのに嘘をついて圧倒的な兵力でイラク人を虐殺したとなる
その時フセインは大悪人になっていたのである
でもアメリカが善人でもなかった、むしろ悪人だったともなる
プーチンが今度は大悪人にされている、人道に反するとして世界に訴える
でもアメリカも人道に反する戦争をしてきたのである、日本でぱ原爆まで落とされたのである、その時日本は悪人であり殲滅すべきだとアメリカではなったのである
現実にそうしたのがアメリカだった
でもなぜアジアのことにアメリカがかかわるのかともなる
アジアは欧米列強に植民地化されてきた、富が収奪されてきたのである

●国際銀行家とデーブステート

でもアメリカ国家の上に政府を操作できる権力を持つ人たちがいる、それがデーブステートだという、でもその人達が明確な集団組織を形成しているわけではない
その人たちは金融で権力を持つユダや人集団とロスチャイルとロックフェラーなどの大財閥であり国際銀行家となるとドル発行権があり国に金を貸して利子をとっているとしている
それはFRBだという、第一国に金を貸すということはどういうことなのか?
一民間銀行が国家に金を貸す、その金は実はただ紙をする紙幣をドルを刷る権限を持っているからだとしている
つまり紙幣をするだけでありそれで国家に金を貸して利子で暴利を得るというのも不可解だとなる
ただ人間を支配するのでわかりやすいのは金と武力である
人は金で支配できる、貧乏な人でも金をくれれば従うのである
あは暴力で従わせる、権力の最もわかりやすい例は警察と軍隊である
これは暴力装置であり人を強制できるものだからである
デーブステートに金はあっても金で操作できても軍事力はない、ただ軍産複合体があり武器を製造しして戦争でもうけるということがある
アメリカはその力を持っている、だから世界の覇権国になれた

あと権力で強力なのは技術力である科学技術力になる、ウクライナ戦争でもロシアは旧式の武器であり技術的に劣っていたのである、それで苦戦が強いられている
また野郎自大国というのが中国にあり漢に敗れた、その原因が野郎自大国では青銅の武器だったから鉄器をもっていた漢帝国に敗れたのである
それがウクライナで起きている、ロシアの大軍をもってしても勝てない、それは旧式の武器であり通信でも旧式であり傍受されて指揮官が何人か殺された
また士気が高くないということでも負けている
権力という時こうして科学技術力も大きなものとなっている、それで勝敗は決まるとなる

●軍産複合体がデーブステートの主役?

でもデーブステートは

国防総省、軍需産業、CIAの関係をウールジーという、たった一人の人物から見てとれるのだ。

米国だけではない。ヨーロッパも同じ構造だ。米、露、中に次ぐ武器輸出国、フランスはオランド政権の戦略のもと、ISとの戦いの激化に乗じて巨利を得た
https://www.mag2.com/p/news/127888/3

軍産複合体がデーブステートだというときわかりやすい、ここは武器を大量に作る会社でありそこに働く人員も多い、アメリカでは武器が売れないと大量の失業者が出るとしている、だから武器を売るためには戦争が必要だとなる
そこで戦争を起こそうとしているという、アメリカが戦争国家だというときこういう背景がある、それはロシアでもそうである、フランスでもそうだとなる

デーブステートとして明確に見える組織集団は軍産複合体となる
それから金を操作できるドルの発行権をもっている国際銀行家である、それがロスチャイルドやロックフェラーだとしている、それらが一体となったのが国家を超えたデーブステートだとなる
また権力という時、いろいろある、メデアも現代では第三の権力となった
このメデアを支配するのがユダや人系統だとしている、でも全部のメデアを支配しているわけではない、情報がインタ−ネット化したらとてテレビ局六局を抑えればいいとはならない、情報社会でマスコミの力は相当に減退した

ともかくデーブステートと言ってもそれだ明確に見えないとした認識でもできないのである、ただ個人でもその背後に組織団体がありそれで個人も力を持つ、まず純粋な個人で力を持つことはほとんどない、その背後に必ず何らかの組織団体があってそれで個人がその後押しで有名になる、その組織団体は別にデーブステートでもない、権力を得ることを目的としている組織団体である、それは創価とか共産党でも明確に組織団体化しているからわかりやすい、その手段は選挙で票を得て権力を得るために365日毎日祈り活動しているのである
それは隠れてはいない、ただ創価でもあらゆる所に権力をえるために働きかける
マスコミなら福島民報で聖教新聞を刷らせて金銭的に援助する
他にも新聞社では経営が苦しいとなると聖教新聞を刷らせるとなる
また芸術関係だと音楽なら民音とかあり俳優をプロパガンダとして使う、また知識人でもプロパガンダにして本だしたら会員が買うとなり金銭的に応援するのである

●個人の背後にある組織団体がデーブステート

だから権力というときやはり金が現代では最大の権力だからその金の流れをみればその背後のものが見えるとなる、誰も個人など相手にしないからである
在日関係でもここも実際は組織団体化していて作家とでも俳優でも芸術家でもプロパガンダに使うのである、それは大衆を操作するにはこうした芸能関係が力を持つからである
これらは隠れてなされていない、わからないものもあるが背後に組織集団があることはわかっているからである
デーブステートというと何か霧につつまれているが国家を動かすほどの権力をもったものだとなるとしても明確に見えない
見えているのドル紙幣発行権をもっているFRBとか軍産複合体とかである
その他ユダヤ金融資本家だとかなる、でもユダヤ人にもいろいろいる、それらが一つではないのである、するとそれらが一体化して権力集団組織になるのかとなる
組織集団化しなければとても国家を動かすほどの権力はもていないと見るからだ

コリントの信徒への手紙 二・11章14〜15節より

『だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです(=サタンはだましのプロであり、人に対して悪を善であると思いこませることにも長(た)けています)。だから、サタンに仕える者たちが(=サタンをあがめる者たち、また権力や富につられ、サタンにしたがう者たちが)、義に(=まことの神に)仕える者を装うことなど、大したことではありません(=よくあることなのです)』

これはアメリカの戦争でもそうである、人道とか善とか民主とか自由を盛んに言うが現実は違う、光の天使を装っているだけである
カルト宗教団体も実際はサタンに操作された集団である、権力と富とこの世の栄華を求めているだけだからである、ただ仏教とかキリスト教でも看板にしてだましているとなる
現実はサタンに操作されているこの世の力をあくことなく求めているだけだとなる
要するにこの世とはもともとサタンこそこの世の主であり支配される場所である
だから預言者でも本当の信仰者は枕する所なしの世界なのである
不思議なのはあれだけ立派な大聖堂があっても肝心のその主人たるべきキリストがまた現れたら入ることもできないのである、その宗祖がでは何百万の集団の中に現れたらかえって迫害されるのである
それはこの世が依然として欲の世界であり権力を求める社会でありサタンに支配されているからである

●ウクライナ戦争をしかけたデーブステート?

ウクライナ戦争にしてもウクライナで暗躍していた人たちにアメリカ人のデーブステートがいたというときもそうである、デーブステートによって戦争が起こされるとしている
そのデーブステートととはここでは軍産複合体だとなる
戦争となると武器でも売れるからである、戦争を起こす工作をして武器を売りつけるとなる
何か軍産複合体でもその存在そのものが罪深いともなる、業を持っているとなる
職業の業(カルマ)なのである、コロナウィルスでも実際は薬剤会社にとって巨利を得るものとなった、だから薬剤会社がばらまいたのかとまでなる
その関係者が株でも投資している人たちが秘密裏に工作してばらまいたのかとなる
それでコロナウィルス騒ぎは異常でありそんなに騒ぐべきものだったかのかともなる
恐怖をあおりすぎたのではないかともされる、それでもうけたのは薬剤会社だからである要するに推理ドラマでも誰か犯人かとなるとき一番もうけた人が金が入った人、得した人が怪しいとなるのとにているのである

つまりあらゆる組織団体は何らか利権と利益と結びついている
宗教団体でもそうなのである、巨大な利権団体であり利権と利益を得るために活動しているからだ、デーブステートは明確に組織団体として形成されていないからわかりにくいのである、そういうものは実際はないともなる
あるのは何かしら利益を得るものを見ることである
FRBとかドル紙幣発行権があるとか軍産複合体とかネオコンとか宗教団体とかを見ることである、見えないものをいくら攻撃しても攻撃しようがないからである

ただ人間の最大の問題は欲から逃れられない、その欲故にサタンに人間は操作されるとなる、別に欲がなかったらデーブステートであり生まれない、そのために聖書ではみどり子に治めさせよとなっている、それは欲がないからサタンに操作されないからである

とにかくロシアがなぜ失敗したのか?それはウクライナ全土を一挙に支配しようとしたことであるロシア人が多い実質ロシア人の国となっていた地域を支配を目指せば良かった
なぜなら今度はウクライナ全土をとると西側が脅威になるからだ
ということはドニエプル川を挟んで西と東に分かれた国にすればよかったのかとなる
それは北朝鮮と韓国と同じようになる、それが地政学的解決方法だともなる
これに納得しないとしても全土を一挙に得ようとすることは無理だったのである
だから今支配地域をロシア人住民が多い地域を重点にして支配しようとしている
戦略を変えたのである、ただその失敗の被害は大きすぎたのである
いづれに一方的見方は良くない、インタ−ネットだとマスコミとは違った見方が出ているから参考になる、すべてロシアが悪いというのは問題なのである
別にロシアに味方するわけでもない、公正に見ようとしているだけである
だから日本が一方的にウクライナに加担すると危険になる
要するに日本は深いりするべきではない、人道的に許せないとしたらアメリカだって許せないとなる、それをブーチンが指摘するのはわかる
ただこれせロシアの戦略の失敗だったのである、そして北方四島で軍事訓練とかしている日本を脅す、そういうことでも日本はロシアには警戒することになるしもう友好的関係の修復はできなくなったのである、その失敗の償いは大きなものとなったのである
ロシアは消滅するかもしれないということである

posted by 天華 at 17:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月25日

ウクライナの戦争が提起したもの (コロナウィルスは生物兵器、国際銀行家の支配の抵抗)


ウクライナの戦争が提起したもの

(コロナウィルスは生物兵器、国際銀行家の支配の抵抗)

全部わかった!国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ ( 安部 芳裕)
(アマゾンで売っている)


 バクスターのウクライナ研究所がワクチンに偽装した生別兵器を製造している
 このワクチンは免疫システムを弱める意図を持った添加物が含まれている
 1918年のスペイン風邪パンデミックの原因となり多数の死者を出したウィルスから
 RNAを複製して作られた

 さらにウクライナでは2009からスーパーインフレインザと呼ばれる肺を破壊する
 タイプのインフレインザが大発生しています
 11月18日にはウクライナで、死者328人と急速に拡大して近隣のボーランド,
 ベラルーシ、ハンガリーなどに広がりを見せている

 このスーパーインフレインザはスペイン風邪に類似してをり38度Cを上回る熱が出て
 呼吸器障害となり死亡する

 地政学的戦略としてのアフガン侵攻「リムランドを支配するものはユーラシアを支配

 このリムランド理論にそってブレジンスキーが指揮して、CIAが工作して2000年ころから中東欧や中央アジアの旧共産圏諸国でカラー革命,グルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命,キリギスのチューリップ革命などが引き起こされる

 ウィルソン大統領はFRB設立を大後悔

 国家がFRBから金を借りて国家が国民がその利子を払う仕組み、10億貸したら国家が国民が利子を払うがFRBは金なくてもそれができる

 アメリカは金の準備量をはるかに超えたドルを発行して世界中にばらまいたために
 金との交換を保証できなくなりました
 そしてドルとの交換停止を発表しました
 こうしてお金の裏付けとなるものがなくなったのです

2008年6月時点でデリバティブの総計は約684兆ドルまでふくれあがりこれは全国家のGDPの十倍をはるかに超えた金額です
この実物経済から離れた巨大にふくれあがった投機マネーが1990年以降世界各国で金融危機を引き起こすことになった

2006年にロシアのプーチン大統領がルーブルを世界通貨にするとしてルーブルによる石油取引を開始しました
もし基軸通貨のドルが通用しなくなればアメリカは国家破産します

通貨とクレジットの管理が政府に返還され最も際立った神聖な責任としして認められるまで議会主権と民主主義について話すことは無効で無益である
一旦国がクレジットの管理を手放したら国の法律を誰が作るとかは問題ではない
一度高利貸しの手に入ってしまったらどんな国も破壊されるだろう
マッケンジーキング、(カナダ首相)

政府貨幣を発行したリンカーンとケネディは暗殺された

この本で注目したのは今のウクライナの戦争がすでにその前から起きていた問題がウクライナで爆発したとなる

プーチンがウクライナに生物兵器研究所があるとか言ったのは嘘ではない、

さらにウクライナでは2009からスーパーインフレインザと呼ばれる肺を破壊する
 タイプのインフレインザが大発生しています


 これはコロナウィルスではないか?コロナウィルスの謎はこれは自然界から生まれたものではなく人工的に作られたものではある可能性が高い
それが中国の武漢の生物研究所で作られたアメリカでしいてるがこれも疑問になる
なぜならアメリカがすでにコロナウィルスと類似のものを研究所で作っていた
それがウクライナにもあったのだ、するとプーチンの言うことは全く作り話ではないとなる、これまでのウィルスは自然界から生まれたものだが今回のコロナウィルスは人工的に研究所で作られたものであり肺に感染して呼吸器障害が起きることで共通しているからだではそれが中国の武漢で作られたと言うがアメリカ人も武漢の研究所にいたのである
そして各地に生物研究所がありウィルスを研究してそこからもれたともなる
ウクライナではそうであったのだ

●ウクライナに生物研究所でウィルスを作って生物兵器にしようとしている

●FRBからの金融支配から金本位制にルーブルで石油代金でも取引できるようにする

この二つは事実であり作り話でもない、それは前ら主張していたのである
それでプーチンがアメリカにデーブステートと戦っていると言う人がいたが理解できなかったがこの本を読んでなるほどと思った
そういう事実が確かにあったのである
つまりアメリカ支配とその裏側の金融支配が民間銀行の世界支配があった
だからこそドル基軸通貨に対抗してルーブルで買いとなる、それは中国でもドル基軸通貨ではない世界共通の通貨を発行しよとうしている
そして現代の株とか投資とかはマネーゲームでありもともともはや金は何の裏付けもない黄金と交換することもできない、ただ架空の裏付けのない金が紙として刷られている
そしてそれが一民間銀行でその権限を握っている
本来は国家が貨幣発行権がありそんな一民間銀行が紙幣発行権ドル発行権を握っていることはありえないのである
そうなるとプーチンの言っていることにも理があるとなる
ただどうみてもなぜあんなに残虐なことをしているのかとなり誰もプーチンに反感をもつロシアに反感をもつ、そこには理由があっても無理やり暴力で治めようとしたのが世界の反感をかったのである、テレビの映像を見たら誰もプーチンを良しとはしないからだ

ただ世界支配のシステムを破壊することに挑戦したことは確かである
単なる無謀とかではなかった、それはロシアだけではない、西側でも日本は必ずしも完全に西側陣営とかではないからだ
いづれにしろアメリカでもデーブステートでももう世界を支配できない、そのシステムは内部から崩壊しつつあった、それが今度は世界恐慌となってくる
実物経済とはかけ離れたマネーゲームになっていてそれが破綻するのである
グロ−バル経済とは一民間の銀行が世界を支配するようになってそこに巨額の利益を得る仕組みだったのである
それが崩壊して国々が中心の経済になりブロック経済にドメステック経済になる
グロ−バル経済の矛盾から内部崩壊する、それは世界の富は一民間銀行が収奪するシステムでありアメリカが世界を支配するものだった
その大転換期が来た、それがウクライナの戦争ともなって現象化したとなる
つまりアメリカの世界支配が終わりドルの基軸通貨も終わることを示している


ともかく時代の大転換になると混乱が生まれる、その一つがウクライナの戦争でありこれからもそうした大きなことが起きて来る、そしてグロ−バル化経済は終わらないにしても縮小化する、それぞれが国内経済中心になる、第一麦とかでも輸出禁止にしているからだ食料自体国内で確保しないと飢饉になってしまうのである
だから日本がこれかさどうすればいいのか、米中であれロシアであれその狭間でその舵取りがむずかしくなる、西側にのみ加担していてもだめだし中国にも加担しすぎると痛めにあうとなる、ロシアでもそうである
ただ国内経済中心になる、ロシアでもあれだけ強気なのは資源があるからなのだ
日本には資源がないエネルギーもないからそれがこれからの問題になる 


何かデーブステートとか陰謀論はわかりにくくなる、でもこの本は確かに的をえている
この本で注目したのがウクライナのことが引用されている
生物兵器でウィルスを人工的に作っていた、それが肺の疾患になることはコロナウィルスとは人工的に作られたものだとなる、その一つにウクライナも関係していたのである
プーチンが10年前にでもすでにルーブルで石油を買いというとき前から西側の金融支配を崩そうとしていたのである、それはウクライナ戦争前からそういうことをしようとしていたのである
それは西側でなくても今の金融システムはおかしいとして国家を運営する大統領でも言っていた、そのためにリンカーンとかケネディが暗殺されたとしている
でも国家より権力を持つものがあるのかというと疑問になる
国家の後ろ盾がなければそんなことできないと思うからである
posted by 天華 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月22日

最近の南相馬市ニュース(孤独死)


最近の南相馬市ニュース(孤独死)

●真野川の川岸のサイクリングロード完成

●原発から30キロ内医療費無料さらに一年延長
  (鹿島区はのぞく)

●陶器店の品物が地震で壊されて店を閉める
  
●私営住宅で孤独死一人

真野川にの河岸のサイクリングロードは今の市長が鹿島区のために作った
それは30キロ内の原町区と小高区区は十年医療費が無料であり鹿島区は30キロからはずれているから半年で医療費無料は終わった
この差が大きかった、高速道路無料が十年とかつづいた
鹿島区は最近無料になったが短かった
こうした差別があり真野川の岸にサイクリングロードを作ったと市長の意向が働いてそうなった
ただ医療費無料というのは大きい、高齢者が多いから貧困家庭になると医療費が負担になるからである、生活保護は何でも無料と見るが必ず二三割負担がある
全部無料ではないのである
30キロ内は政府の政策で特別優遇された、補償金でも30キロ外になると同じ南相馬市でも三倍の差があった、また相馬市となると六万しかもらいなかったのである

近くの市営住宅で80歳近い人が孤独死した
それも二ケ月間同じ市営住宅の人でも気づかなかったという
電気がついていたからいるのかと見ていたという
匂いがあったのではないかと言うが冬で匂いはしなかったという
それがどうして二か月間も死んだことすらわからなかったのか不思議である
冬だから腐敗もしなかったのかとなる
その人はあいつさもしない人であり付き合いがなかった
でも近くに兄弟二人くらいいたのである、でも付き合いがなかったとなる

この死が象徴しているのはたとえ兄弟がいたとしても見捨てられていたとなる
回りでも付き合いがないからわからなくなっていた
その人は別に生活保護でもなかった、生活保護だと市役所と連絡をとりあっているからこういうことはありえないのである
そして死んだら無縁仏としても葬ってくれるのである
今は隣近所でも付き合いが希薄であり田舎でも孤独死になる
市営住宅というと恵まれない人が助けあって生活しているとも見るがそうでもない
互いに無関心になっていることもある
この人の人生はなんであったのか?
何か語るものがあるのか、一人の平凡な人の死でもやはり何か語るものがある
その一人一人が語るものがあるが全くわからない

江戸時代の長屋だと人情長屋とかなるが今はそんなことがない
そこで一人の迷惑な老女がいて苦しめられている、話すこともなく嫌がらせばかりしているのである、何か話ししたりもしないという、そして警察を呼んだりして質が悪いのである
そこはコンクリートの古い市営住宅で50年くらいすぎているから壊すことにもなる
でも今回の地震ではひび割れとかなかったみたいだ

一方で石の倉がある古い農家に嫁いだ人に聞くとその石の蔵が地震でずれたとか破壊があったという、普通蔵を見ると壁であるが石の蔵もある
田舎で蔵がある家は古いのである、蔵は自慢のシンボルでもある
それで喜多方では蔵の市になっているが蔵が成功したシンボルだから立派なものを建てていたのである、街中でも蔵のある家はある、蔵があることはやはり裕福だったと見るのである

テレビでは地震で相馬焼きの店の品物が壊れた、その陶器には高価なものもあり大損になり店をしめるほかないと言っていた
この茶碗と壺が壊れたのは痛い、自分でもフラワーアレンジメントをしていてガラスの壺とかを蒐集していた、また陶器でも茶碗でも壊れたのである
地震の被害で目立ったのはやはり屋根瓦が壊れたことである
この辺は地震に備えていないとまずいと思った、高価な陶器とかなるとやはり地震でも壊れないようにすることが大事になる、でも店だとそういうことをしずらいとなる

ともかく今回の地震の後遺症がある、何かまだ揺れている感覚になる
それで敏感な人は眠れなくもなる、それほどの衝撃だったのである
東日本大震災のつづきがまだあったとなる、
そして今日は寒く真冬であり雪がふった、何か変わり安い天候なのである







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2022年03月21日

コロナウィルスと戦争と次に来るのは飢饉 (グロ−バル化は終わりーそれぞれの風土や歴史からの国造りへ)


コロナウィルスと戦争と次に来るのは飢饉

(グロ−バル化は終わりーそれぞれの風土や歴史からの国造りへ)

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戦争が起きた、これはウクライナ戦争の前にこの図を作っていた
次は飢饉となるのか?

戦争の次は津軽藩は米がない飢餓状態のとき、確か京都の商人に米を供出せざるを得なかった。飢えて死にそうな人々の目の前を、大量の米が京坂へと運ばれていった。

木の実や雑穀食は貧しさの象徴ではなく、救荒戦略から見ると、適応性・融通性があり、持続可能性を持った生きる知恵の表れだった。

この時代、米が不足したからといって、隣の藩からちょっと借りるというわけにはいかない。隣の藩は現在の外国みたいなもので、「留め米」といわれ、勝手に融通させることが出来ない。たぶん一度大阪の堂島に集めないと流通システムが崩壊するのだろう。隣藩に米が余っていても禁止だ

平成大飢饉(どこか油断してないか)?


次に来るのは戦争だとして書いていた、その後に飢饉が来るとも書いた
戦争はウクライナで起きた、次に来るのは飢饉だとなる、そしてグロ−バル経済は終わる
飢饉は別に必ずしも食料がないから起きるということでもない、全体のシステムが破壊される、流通しなくなったり金融の影響もあり全体的なものが影響してなる
東北の飢饉は米が商品作物としてあった、だから江戸に米をまず送ることで成りたっていた、米は商品作物でありそれでまず江戸に送ることが優先されたのと他の食糧を作らずに米を売るために作っていた、それで米があっても飢饉になったのである
そういうことはグロ−バル経済でも起きていた
コーヒーを商品作物として売っている貧しい国ではコーヒーの値段が安くなると困る
他の作物は作らずにコーヒーばかりになって食べるものがなくなるとなり飢饉になる
こういうことは前にも起きていて経済にもカルマの法則が成り立つとなる

江戸時代は藩が違えば隣の援助したりしない、だから飯館村が飢饉になったとき藩内ではいろいろと援助をしたが伊達藩では援助しないのである
グロ−バル経済でもやはり自国第一となり食料に困れば輸出禁止になる
今がすでになっている、それで様々なことで物が不足して困窮して来る
社会のシステムの問題としても飢饉は起きる、世界に食料がある国があっても分配されなくなるのである
つまり日本国内でも江戸時代でも同じ要因で飢饉が起きて来る
米がないというわけでもない、食料がないというわけでもない、それを流通させるシステムが崩壊すると飢饉になる
グロ−バル経済だと世界的飢饉にもなる、世界中が経済でも結ばれているからそうなる
だから一旦今回のように戦争とかなると世界的に食料でも物資でも回らなくなる
ウクライナとかロシアとかは小麦の生産地であり石油でも天然ガスの生産地でもあるからだ

グロ−バル化というのはイギリスが覇権国となり第一次グロ−バル化が起きた
その時ボンドがケ世界の基軸通貨となった、今でもエジプトポンドとか通用している
イギリスが七つの海を支配したからだ、それがドイツとか勃興してイギリスの覇権国は終わった、第二次グロ−バル化の覇権国はアメリカになった
その時世界の基軸通貨はドルになった
そのアメリカの覇権が揺らいでいる、中国が台頭してきたからである
ロシアのウクライナ戦争侵略はこうしたグロ−バル化の終わりを現しているという
なぜならロシアはグロ−バル化の覇権国のドルを金融支配を終わらせるからだという
金本位制に戻ろうとしているのもそうである、金融システムをグロ−バル化では覇権国が握る、ただ世界の中央銀行は紙幣発行権はアメリカにあるのではなく民間なのである
それを一手に握っているのがデーブステートとかなる
それが何なのかとなるとわかりにくい、陰謀論になる

隣の藩は現在の外国みたいなもので、「留め米」といわれ、勝手に融通させることが出来ない。たぶん一度大阪の堂島に集めないと流通システムが崩壊するのだろう。

これはグロ−バル化では紙幣を発行できる中央銀行が握っているとなる
国家では発行できないということになるからだ
アメリカではなく一民間の銀行がそれができることが問題だとなる
いづれにしろグロ−バル化経済は終わり別な流通システムが作られることになる
グレートリセットとか言われるのもそうである

何か自然災害とか飢饉でも社会を変える、江戸時代の化政時代に贅沢になり大食い競争があり贅沢化したとかここで書いてある、享楽的になっていた
そういう贅沢を戒めるものとして自然災害でも飢饉でも起きる
そういうことを経験すると食料の大事さもわかり地域でも飢饉に備えることを意識する
それが郷倉とかだったかもしれない、飢饉のためでも食料を米などを貯えていたからである、3・11の震災ではこの辺では古米が配られて助かったからである
放射能汚染で流通が途絶えたからである、
原発事故でも必ずも津波とた技術的問題だけではない、複合的要因で起きた
そこにはそれを操作されるモラルの荒廃とか地元のモラルの荒廃も関係していたのである要するにあまりにも金を求めすぎたということがある

いづれにしろもう現代では飢饉など来ないとみる、でも飢饉は食料があってもなる
経済のシステムで飢饉になる、グロ−バル化では世界のシステムが一旦壊れたら今回のように戦争でも起きれば流通システムとか金融システムが破壊されるから飢饉にもなる
ロシアにウクライナに小麦があっても流通しなくなるからだ
でも日本だったらパンより米があるから飢饉にならないともみる
要するに国内経済で食糧を確保しておくべきだとなる

コロナウィルスとかの騒ぎで意識されたことはグロ−バル化というのは必ずしもすべていいものにはならなかった、その矛盾がここになって噴き出してきたとなる
何か国境の大事さも意識された、国境などない方がいいというが国境がなければウイルスの感染を止めることができない、だからグロ−バル化に歯止がかかったのである
やはり基本的な食料は国内で地域内でも確保している必要がある
グロ−バル化というとき文化交流などはいいがあらゆるものの交流は無理だったのであるなぜなら国でも地域でも歴史的に風土や地理から長い時間で作られて来たのでありそれを壊すことは自然にも反することになる
第一コロナウィルスでも一挙に世界に拡散したのはグロ−バル化したからなのである
そこには時間差もなく同時間で起きたからである

こうして日本でもグロ−バル化より国内を重視した経済となり世界でも経済はブロック化する、そしてそれぞれの風土歴史にマッチした社会を作り直すことになる
文化的には日本だったら国風文化にもなる
それぞれの国でも地域でも自由な流通より閉ざされたものとなる
でもその閉ざされた中で新たなもの、歴史的継続の更新する世界が文化も生れるとなる
それは江戸時代の回帰ともなる、ただ同じにはならないのが歴史である
つまり戦後70年で焼野原になってから70年で大きな変革の時代になったのである
世界的にでもそうである、グローバル化は終わりブロック経済になりそこでその土地土地に見合った社会を文化を作る時代だとなる
posted by 天華 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月19日

南相馬市の地震の被害 (屋根が壊れたのが見られた)


南相馬市の地震の被害

(屋根が壊れたのが見られた)

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鹿島御子神社の被害は大きい

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この家が一番被害が大きい
でも隣の瓦はそれほど壊れていないのである
揺れ方によって被害がみんな違ってくる


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瓦が落ちるから家で出る時は危険
あわてて家を出ると瓦が落ちてくる

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ここの被害は大きい、古い家なのか理由はわからない




3・11では屋根でもほとんど壊れた、それで自分の家でもいわき市から来た業者の人に直してもらった、70万円とかかかわった
今回の地震は3・11より強かったとみんな言うし自分もそうと思った
でも屋根の瓦は直したから何か大工さん盛り上がった所があると言ったがそうは見えないでも被害として明らかなのは屋根の瓦の被害とブロックの塀が壊れたことだった

ただ家々で被害の状況が違っていた、電気レンジが飛んだとか電気釜が飛んだとかもあったとかそこでは相当にゆれた
私の家で電気レンジは落ちていない、これは相当重いそこでは揺れが激しかったのかとなる
今回の一番の被害は屋根瓦が壊れたことである、でも3・11よりは相当に少ない
やはり屋根瓦でも3・11の時直したからだろう
そしてもう地震では壊れない屋根にもなっている

鹿島区では鹿島御子神社の被害は大きかった、鳥居が崩れたとかなった
でもその他は屋根の被害とブロック塀が倒れたとかの被害である
ただ家の中はわからない、家によって違っている、ガラスが今回は結構割れたようだ
私の家でも割れた、3・11と被害が違っている
結局揺れ方が違うと被害も違ってくるし場所によっても違ってくる

ともかく自然災害で一番困るのは電気がとまる、水がない、食料がないことである
でも電気は回復したし水も出るようになった、だから思った以上大きな被害とはならなかった
結局3・11でも地震だけの被害だったらたいしたことがなかった、津波の被害が最も恐ろしいものだったのである

ただ今回の地震は3・11より強かったし長く揺れたから揺れとしては怖かった
だから地震の時は動けなくなる、危険だからじっとしている、また布団とかかぶりじっとしている、でも二階は危険である
二階から降りようとしたら階段の一部が壊れたからそれでつまづいて大けがすることになった、それも暗いから危険なのである
地震は暗いと本当に危険である、壊れたガラスでも踏んだりするし階段が壊れていたりするからそこで大けがになりやすいのである
夜は本当に危険である、その時スマホのライトを使ったが電源が切れるところだった
充電していなかったからだ、また近くにないと困る
いつも持って歩きすぐに取り出せるようにしないとまずい
でもニュースは二日くらい切れて放送されなかったのである、やはり通信が切れることがあるから困る

近くの人は世話している人がいてその人は病気である、すると朝の三時頃起こされて行ったという、娘は相馬市の方ですぐには来れない、やはりこういうときは近くが大事になるもしも道路でも壊れると来れなくなるからだ
原発事故では遠くから物が運ばれなかった
だから二週間くらいは苦しかった、たまたま私は米があり電気が通っていたし水道の水も出ていたのでしのいだ、米がなくなったとき古米をこの辺では配った
これで助かったのである、人間はなかなか貯えて置けないのだ

それでその時もらった水があったのだ

それを使わずに忘れていた、賞味期限はあと一年だった
なにかこうして10年も過ぎる忘れることがある、それで準備もしないのである
点検しておくことも大事である
電気と水と最低限の食料は必要である、それで一週間くらい持ては復旧するとなる
助けを待つとなる、ただそうなると水にしても食料にしても結構な量になるのが問題なのである
posted by 天華 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月18日

福島県や東北沿岸部には住めない (呪われた地域なのかーモラルが荒廃した場所でもあった)


福島県や東北沿岸部には住めない

(呪われた地域なのかーモラルが荒廃した場所でもあった)



本当に気の毒だとは思うんだけど、多額の原発利権に預かってきた住民だってことは忘れないで欲しい
みなさんはヌクヌクと生活していたんです
そういう生き方を是としていたんだから
そういう環境から抜け出そうと決意できるかどうか、試されていると考えてくださいね

なんか東日本大震災の時に地元の神様を怒らせたと思うくらい地震多いよなここ
祟り神とかこの辺祀られてるかな

地震来るし寒いし仕事もないし
汚染されてる農産物を量産し続けてるし
復興事業はヤクザの資金源だし
住み続けてること自体が日本中の迷惑だってわからないのかな?

奈良とか京都とか古都は少ないイメージあるな
昔の人はやっぱり凄いと思うわ
大阪も大きい地震たまにくるけど被害は少ないイメージ

移住しろや。もうそこは人が住めるような土地やないんや。



こんなに地震が災害がつづくのだろうか?
東北は福島は呪われている、それはもしかしたら原発を作ったことにあったのか?
それは神に逆らうもの、原発自体、核が神からみればあってはならないものであったからか、そこから神が呪う地となり災難がつづいているのか?
またモラル的にも悪徳の地のソドム,ゴムラが滅ぼされたように神の怒りをかう地帯になったのか?
そう思うのはこんなに震災から11年後にもあの時より強い地震が来たことである
ここに住んでいてこんな大きな地震が10年くらい後に来たのを記憶していないのである

それより水害が二回あって自分の家は床上浸水になった、それは自分の家が街で一番低い土地にあったからである、この前も下水から水があふれて水が家に入ってきたのである
でも河川改修してからは川から水があふれないから洪水にならないから街自体には被害がなくなったのである
ということは自然災害でも人間の力でさけられるものがある

でも地震はさけることができない!

だからこれを防備することはできない、大震の家を作ることだがそれにも限度があるだろう、今はこの辺は断水している、これは3・11ではなかった
今回は停電にもなったし断水にもなった、3・11では私の住んでいる場所ではなかった他の場所ではあった、家は耐震にしてもインフラはみんなできないだろう
水道が断水したのは水道管が一部破壊されたのか?やはり地震の被害はさけられない
新幹線でも線路を支えるコンクリートの柱が被害があり直すのに半年かかるとかなった
でも高速道路は一日で修復したのである
つまり鉄道は意外と災害の影響がある、この前は長野県で千曲川があふれて新幹線車両が水につかったこともある、あの被害も大きかった

ともかく日本はどこに住んでも自然災害がある、また天候の影響もある
雪国だと住む気がしない、寒い地域は嫌だとなる、福島県浜通りは天候的には住みやすいただ正直だけ災難があると住みたくないという人達も出て来る
なんか呪われた土地なのかという感覚にもなる

そして福島県はこの辺は意外とモラルが荒廃していた地域でもあったとも思う
それは原発利権に群がり事故後も除染があり相双リテックが巨額の金を幹部で山分けしていたということでもそうである、そのことでこの辺はマスコミでも腐敗しているのである原発でも批判しないしただ金をもらえばいいしかなかったのである
何か復興といってもそれは補償金をもらうことが目的になった
それよりこんなに地震が起きる所に住まずに他に移った人達の判断か正しかったともなるただ老人はもう他に移ることがむずかしい、若い人は早くから見切りをつけて移住した
ということはその判断が正しかったのかともなる
残された仕事は廃炉の仕事だとなると未来がないともなるからだ

ただ移住してもその移住先で同じように地震にあったという人もいる
だから日本だったらどこにでも地震がありさけられない
ただ比較的地震が少ない場所がありそこを選び移住する、でも簡単に日本では移住しにくい、まず老人になるとなれ親しんだ場所がいいとなるからだ
でもここが何か呪われている場所だとは感じる
それは自分自身のことでもなぜこんなに災難が続くのかとなるからだ
家族の一人が認知症になってから家族の崩壊ともなり犯罪にあうは自分は病気になるは
病院では虐待されるは悪いことしかなかった、それも自分のカルマだった
でもこの辺は何かおかしい、こんなに自然災害でもつづくことは異常だと思う
その原因がモラルの荒廃にもあったのかと思う
原発事故にしてもそれが科学的技術の問題だけではない「安全神話」を作った既得権者のモラルの荒廃にあったからだ、権力を持つものの奢りにもあったからだ
そのことは追求して来た

いづれにしろウクライナでも苦しい生活になっているが断水していることなどで何か他所事にも感じられないものがあった、また大きな地震がくるのか爆撃があるのかともなる
それで安心して眠れないともなる
日本は常に地震とか津浪とか水害とかありどこにも安住の地はいなともなる
だからこの世とは火宅の世であり地獄は一定なりの地である、それがこの世に生きることだったのである
ただ正直この辺は本当に安心して住める場所ではないのかもしれない
危険を察知して移住した方がいいともなる、それが問題にしても何か呪われている地なのかという感覚になる、もう住めないという感覚にもなる
それだけ災難がつづいているのである
磯部では慶長津波の前に高波があり今の相馬市の道の駅の所に鬼越館に佐藤氏が移動したその後に慶長津波があった、だから近くでも危険があったら移動することが助かることである、八沢浦でも湊村があったがそこで高波があり被害があった
その時移動していれは津波の被害にならなかった、それより海に面した場所はどこも危険な場所だったのである

となると移住した人を責められないともなる、そんな場所に住めるかとなるからだ
でもどこに住んでも完全な安全はない、外国だと地震が少ない場所がある
ヨ−ロッパは比較的地震が少ない、ニュースでも大きな地震のことは聞かない
イギリスとかでも聞いたことがない、また韓国でも北朝鮮でも大きな地震が起らない
やはり大陸で地盤が安定しているからだろう、日本はそもそもプレートの衝突する場にあり特に東北から北海道沿岸がそうでありそれは科学的なものでありそれが原因となって
地震が絶えずある場所だったのである
だからそんな場所に原発を作ったこと自体が呪われた場所にしたのである
それは明らかに人間側の責任であり安全神話などを作った支配者層に問題があったのである、またそれに従った地元の人達にもあったことは確かである

ただ大陸でぱ絶えずウクライナとロシアのように戦乱がありヨ−ロッパでもあり苦しんできた、戦争が多い国だったのである、結局どこであれ

  人間に安住の地はないー枕する所なし

普通の人でもこの世に安住の地はないとなるのが結論である


この辺はまだまだ地震がつづく・・・・

福島、あの揺れ再び 「どうして何度も何度もひどい目に…」 


posted by 天華 at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月17日

南相馬市地震の被害 (3月11日の震災より揺れが強かった)


南相馬市地震の被害

(3月11日の震災より揺れが強かった)

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姉の遺影が落ちなかった、母の遺影は下に落ちた

だるまが落ちなかった不思議

あれだけの揺れだから落ちるのが普通である

姉はなにだるまと似ていた、それで家を守ったのかともなる

何か自然災害でも不思議なの現象が起きる



今回の地震の特徴は丁度寝るとき起きた、夜だったことである
すると今回は二階にいたから怖かった、つまり動けなくなるからだ
またこういう時、火の問題もある、危ないと思っても動けなくなる
でもストーブは使っていなかった、でも夜に火事なったら怖いと思った
地震の怖さは一瞬動けなくなることである

物が落ちたのは3.11き時よりひどかった、地震の揺れが強かったのである
それは何か二回つづけて大きな地震が来たこともありものが落ちる度合いは多かった
タンスとかもほとんど倒れた

そして一番怖かったことは電気が止まったこと

だから真っ暗になった懐中電灯でもないと身動きとれない、またスマホでも充電が半分しかしていなかった、そしてスマホでもyahooニュースとかつながらなかった
するとほとんど情報を得られないとなる、夜の地震は怖いのである
パニックになりやすいのである

朝になって回りを見て歩いた、それほど外から被害はない、ただ一部瓦が落ちた家があるそれは古い家かもしれない、私の家の瓦は3・11の震災以後直したのである
でも今日知っている大工さんが来たら瓦が盛り上がっているとか見た
で素人にはわからないのである、一部玄関の戸が歪んだので直してもらった
ただ3・11の時は瓦はほとんどの家で壊れたのである
今回はそうではなかった、壊れる部分が違っていた
でも今回の方が揺れは強かったのである

電気が9時ころまでとまっていた、3.11の時は自分の家は電気が通っていたので米とか
ノリとかあったので二週間くらいしのいだ

今回は物流は止まっていなかった

車は普通と同じく通っていたので物流はあると思った
でもスーパーとかはしまっていた、コンビニには並んでいた
そこでパンとか御菓子とかおにぎりを買った
そしてコンビニでは電気がついていたので電気がすでに回復していた
それを見て安心した

電気が無ければ煮炊きもできない、米があっても食べられないのである
3.11では電気が通っていた、でも他の地区では電気と水道が止まったのである
鹿島区の水道の水は飲むなということがテレビに出ていた
何か支障がありそうなった、でも水にしろ今回は一部確かに道路はひび割れとなかったが普通に車は通っている、3・11ではガソリンがなくなり車が長蛇の列となった
今回は物流はあるなと思い安心した
でもコンビニでは並んで買いためしていた

今回はやはり電気が止まることがどれだけ怖いことかである
いくら食料があってもあたためることもできない米があっても炊くこともできない
それで三陸の方では裏山の清水を使い木を切って燃やして米をたいていたのである
こういうときは原始的な生活してしいる人がかえって強いともなる

つまり現代は電気が止まったらお手上げになる

スマホでも充電できないから情報も入らないしテレビも見れなかったら何が起きているかもわからない、意外とスマホは使いなとも思った

今回で助かったのは物流はある

3・11では物流がなくなったことが一番の問題だったのである
現代ではグロ−バル化して広域化しているから物流が途絶えると一番困るのである
それはコロナウィルスでもそうだったのである、半導体などが不足して機械が作れなくなったからである、何でも半導体を使っている時代だからである

パソコンは今回も机から落ちたが別に普通に使えている、でもこれも怖いのは座る高い
机だと下に落ちたら使えなくなるだろう、それも怖いのである
通信にしてもスマホは意外と地震では通信の鉄塔が壊れるから通じなくなったのだろう
電気を供給する鉄塔が津波で壊れたのを見た、でもこの辺では電気は通っていたのである
ただ今回3・11よりは回復が早い、結局地震だけの被害だったらたいしたことがないとなる、津波が一番日本では怖いのである
ただ神戸の地震は都市型でありそこで大地震になったら被害が大きくなる
その被害を大きくするのが火災なのである、関東大震災でも火災であり夜になると火災が起きやすいのである、でも今回は火災がこの辺では見れなかった
どうもこの辺で一番被害があったのは相馬市であり南相馬市でも原町区と鹿島区は違ったみたいだ、地震は同じ地域でも被害が違っている

ともかく災難はつづいている、何かこの辺はおかしい、こんなに災難がつづくのかとなるからだ、原発に被害はないようだがこれも怖いと思った
戦争になればウクライナのように狙われる、そして脅されるからだ
これだけ地震がある国で原発は向かいないものだったのである
ただ正直電気がないとお手あげだとなるから電気をどうするかとなる
また食料があっても燃料がないと煮炊きもできないから備える必要がある
やはり携帯のガスコンロなども必要になる、電気が止まったらお手上げになる


 寅年はやはり災難の歳だった!
posted by 天華 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月16日

ウクライナとロシアの戦争が問うもの (人間は生死がかかれば真剣になるー国を守ることでも)


ウクライナとロシアの戦争が問うもの

(人間は生死がかかれば真剣になるー国を守ることでも)

戦争という時、ウクライナでもロシアでも必ず兵士が死んでいる、それも若い人が死ぬ
それで日本がの戦争でも特攻隊かあり悲惨だった
何のために死んでゆくのかと自問する、それも急激に起こるから良く考えることもできず戦地に行かされて死ぬ
だからロシア兵でも何で死ぬんだと言って戦争自体に乗り気にならない、

 この暗い時代で良かったことは、ウクライナの指導者達が世界に人々のために戦う手本を見せたことだ

 世界はウクライナの立派な行動を見ている。ウクライナに栄光あれ!

戦争はそもそも戦う国の人々が必ずどっちも死ぬ、するとどっちにしろなぜ死ぬのかと
その戦いの意味、死ぬ意味を問うことになる、それが生死がかかわるから深刻なものになる、それは太平洋戦争で日本でも起きたのだ

七たびも生まれかはりて守らばやわが美しき大和島根を  山本卓美(21)

いろいろな辞世の歌が残された、それがつたないとしても20代で死ぬのだから切々としたものとなる、その年では誰も死にたくないからである
今回の戦争でもウクライナでもロシアでも何で死ぬのかとなる
それを比べるとウクライナの人達は国土を守るということで必死になる意志があり士気がある
ロシア兵は何も知らないで訓練のために連れてこられたとかなりウクライナ人に歓迎されると思って来たのが全く違っていて何のためなのかと自問するようになった

だからこんな戦争は無駄だ、無駄死にとなるから双方でやめろとなる
その問いが深刻になるのは若い兵士でも死ぬからである、そしてウクライナ人とロシア人は親戚同だとかもともと一つの国の人達だとなり余計になぜ殺し合うのかわからないとなる

そもそも戦争とはなぜするのか?

これ自体がわからないともなる、でも戦争は人が大量に死ぬのだから何か重い意味があってこそ死ねるとなる、でも戦争にそんなに重い意味があるのかどうかわからない
ただウクライナは自分の国土を守るとなるから重い意味があり国のために死ぬことは本望だという人が多いとなる
それで士気が高いのウクライナでありロシアはそうでもない、だから士気ではウクライナが優っているから簡単に占領できなかったとなる

この戦争のもう一つの見方はウクライナが世界にロシアの理不尽な侵攻を許してはならないと訴えていることである
自国の領土として世界的にも認められたものを侵略することは国際的法的にも許されないとししてロシアの力で治めようとすることに反発する
すると戦争でも何らかの正当性があってできる、その正当性に反した戦争は許されないとなる、そこでロシアの横暴は世界から西側を中心として批判されることになった
もう一つは人道的ではないとして批判された
何か人道に反するという時戦争自体が残虐だから人道に反している、戦争をしないことこそ人道を守ることである
だから思うに戦争自体が否定されるべきであり何か理があり正義があったとしても人を殺してはならないともなる

でも国同士で右の頬を打たれたら左の頬をだしなさいとうことは簡単に実行できない
それより倍返しで相手をうちのめすというのが人間である
それは国同士でもそうなのである、アメリカなどは別に正義でもなんでもない
右の頬を打ったら百倍で左の頬を打つ国なのである
真珠湾攻撃とか3.11のビル爆破のイスラムのテロでもそうだった
日本の真珠湾攻撃は原爆を落とすことで終わったからである
その後もアメリカはベトナム戦争とかイラク戦争とかアフガニスタンでも戦争をつづけてきた、それもイラクでは化学兵器があるとかいいがかりをつけて戦争してきた
だからアメリカが東京裁判で日本を裁くことなどできないのである
アメリカ自体も裁かれるものであったからだ
第一アジアのことになぜアメリカが口を出すのかともなる、またなぜヨ−ロッパ列強がアジアとか南米でも植民地化したのかとなるからだ
そもそもそんな権利があるのかとなるのである、別にそこに何の正義などないのである

何かアメリカの論理は民主と自由を旗印にする、民主と自由の国と独裁国家と専制国家の争そいだとしている、その民主でも自由でもアメリカにとって都合のいいものだからそれを理屈にしている
だから忘れていたがシリア紛争で一人の女性が何も仕事もないとかで売春するほかないと泣いていたことが印象に残ったのである
その女性は民主と自由とかアメリカにのせられてシリアせ悲惨な結果になったと泣いていたのである
つまり戦争とは人を殺すことであり人が死ぬことでありそれに正当性を見出すこと自体
むずかしいのである、だから人を殺すなというのが宗教の戒律にもなる
確かにそれなりの理由がつけられる、でも人を殺すことはやはり罪だとなる
ただ正当防衛はありそれは許される、しかし平時の争いでは今度は正当防衛が過剰防衛になることもある、そして相手を逆に殺すともなる

今回はウクライナが侵略者から守る正当防衛ということで義があるとして戦っている
それに同調しろとなるがその争いが双方の不可分の歴史があり簡単に肩入れできないということもある
まずロシアが大量に民間人でも殺しているから許せないとはなる
ロシアはもともとそういう悪辣な国だったということが日本の戦争でもトラウマとなっているからだ、北方領土はそもそも日本の物なのに戦争のどさくさで奪ってしまったからだそういうことでロシアにはいい印象をもっていないのである
でも民主と自由を旗印として戦争をすることに義があるかとなるとわからない
それはアメリカの西側の都合のいい解釈だともなる、なぜならシリアでは民主自由とかで分断されて悲惨な結果になったからである
そもそせ民主自由だからとそれに従わない者は殺していいとはならないからだ

世界はウクライナの立派な行動を見ている。ウクライナに栄光あれ!

こういうふうに単純にウクライナに同調して日本も戦いとはなりにくい、もちろんロシアが侵略したのだから悪いとはなる、でもだからそれが世界共通のものとして

ウクライナとともに世界がロシアと戦い!

こうなりうるのか?それは簡単にはいかない、そうしてもしウクライナで参戦して死ぬとかなるとどうなるのか?それだけの意義があるのかとなるからだ
ロシアはプーチンの独裁でありそれが嫌ならロシア国民が立ち上がり倒すべきだとなる
そして他国までロシアに従いとは言えない、それを軍事力で従わせることはできない
ウクライナはウクライナ人が選ぶべきことだとなる
だからこの紛争は世界的な問題となった、世界第三次戦争にもなる恐怖せを覚えた
プーチンが核で脅したことが怖かった、それは世界で戒めるべきものでありあってはならないことをタブーを破ったからである

結局国は誰のものなか?一人のプーチンの独裁者のものなのか?

または特権階級の既得権者のものなのか?

それでエリート層はロシアを脱出している、もうロシアを国を見捨てるとなる
そういう国はもういくら独裁者が強制しても維持できなくなる
国自体は独裁者や特権階級で維持できるものではないからだ
だからどうしてもロシアという国自体が崩壊してゆくように見える、また小国化してやがて中国の属国のようになるかもしれない、結局人間は力だけでは軍事力だけでは国を保てない、軍事力で拡大してもできない、それでロシアは大きな北朝鮮になるというのもわかる、北朝鮮はミサイルを自慢するだけでありその国ではまともに食べることもできない
ロシアも誇るものは核だけだからそうなる、あとはエネルギーだけである

とにかくこのウクライナとロシアの戦争はいろいろと考えさせられた
国とは何かとかいろいろ考えさせられた、それも人が大量に死ぬのだから深刻な問いとなったのである
人間は生きるか死ぬかになれば真剣になるがそうでなければただ空理空論になる
外野から面白がっているだけだとなる



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2022年03月14日

プーチンの失敗-ヒットラーを産んだもの (独裁権力による偏る情報知識→異常化)


 プーチンの失敗-ヒットラーを産んだもの

 (独裁権力による偏る情報知識→異常化)

 人間は個々人でも何らか偏り異常化する、そのことを自分のことや家族のことでも書いた、自分自身の家族の異常性に気づかなかった
意外と自分だけではない、一番身近な家族の異常性に気づいていなかったのである
個々人でも家族でも異常性を知るには他者の家族を知ることである
でも家族の交流が限られているからなかなかできない、家族とは閉鎖された空間なのである、家族の中で事件が起きるのは閉鎖されているからである
なかなか他者が入っていけない閉鎖された場所だからである

この閉鎖された空間では場所では別に家族だけではない、大きな国でも起きる
ロシアという国は大きいし前の情報でも閉鎖された自由もない社会で起きたものだと思った、でも大統領でも選挙で一応選ばれていたのである
でも独裁者となり今回のウクライナ侵攻もむずかの取り巻きの人達で決断された
つまりプーチン大統領には極少数のへつらう従う人しかいず不利な情報は入らなかった
また諫める人もいない、それをすれば粛清され殺されるともなるからだ
閉鎖的空間での独裁であり他者の言に耳を傾けない、独断になってしまうのである
政治が密室化して異常化していたのである

この密室化が危険なのである、家族でもそこは密室的空間なのである
他者が容易に入り込めない空間なのである、そこに異常性が生まれる
それは特定の団体でもそうである、カルト教団なとでもそうである
そこは社会から隔離された密室的空間であり異常であっても異常とならない
むしろその異常性を指摘すれば責められ排除される
そしてこうした閉鎖的密室化した集団でも異常であっても社会を席巻する
それがナチスだったのである、なぜならこうした集団でも選挙で民主主義から生まれたからである

民主主義政権が異常化しないかというとそうでもないのである
なぜなら大衆民主主義は数が正義であり権力となるからである
選挙に勝たなければ権力は得られない、それを得るためにはとにかく数を集めることだとなるからだ、それが結局はファシズムになるのである
現代文明社会はもう無数のパーツに分かれて分断された社会である
職業にしても無数にあり田舎すら隣で何をしているのかわからないのである
こういう社会ではかえってハイルヒットラーが生まれやすいのである
何か繋がりが得られない社会だからである、震災でも絆が言われたのもそういうことがあった

ヒットラーを産んだものは何なのか?

プーチンを産んだものは何なのか?

プーチンが全部悪いとなるがそれよりそういうプーチンの独裁を産んだものはなになのか?それを考えるべきだとなる
それは閉鎖された空間で異常化したともなる、回りの取り巻きでもそれを助長した
粛清されるのが怖いとかなりますます助長した
また20年間も独裁者としてありえる社会でもあった、権力の交代がないのが中国でもそうだしロシアでもそうである、もともと共産主義国家とか大帝国になると簡単にトップは交代できない、だからロシアでも中国でも習近平が終身で国のトップになりつづける
アメリカでも民主主義が限界にきていても民主党と共和党は必ず政権交代する仕組みなのである、すると独裁制は生まれるにくいとなる
権力を持つことは権力は絶対に腐敗するというようになるから交代が必要なのである
日本でも政権交代がない、自民党一党独裁なのである、そこに民主主義の根本となるのものが機能していなのである

いづれにしろ人間は何らかで必ず異常性が育まれる、引きこもりなどでも自分自身が経験しているから異常性が育まれる、でも社会自体でもどんな団体でも閉鎖されているから
そこで異常性が育まれる、カルト教団などがいい例である
それが異常だとしてもそこにいれば異常とならない、むしろ外部の者が異常だとなるのである、ただ異常だとしてもその異常性に気づかない、そうして放置されているとそれが社会に大きな害悪をもたらす、一人の人間の妄想でも権力を握り閉鎖的空間で異常性が育まれる、それがプーチンだったとのかとなる
これもいろいろな見方があるにしてもロシア帝国の復活だとかソビエト連邦の復活だとかでもそれは今になると妄想だともなる
プーチンは現実的な人間だと見られていたがいつのまにか閉鎖的空間で異常化したのかともみる、回りで情報でも正確なものが入らない、なぜなら独裁者は権力を持っているから怖くて正確な情報でも伝えられないとなる
その内正確な状況も見えなくなり独走するとなる

人間はそもそも自分自身がわからないのである、他者を鏡として自分がわかるのである
自分が異常だということも気づかないのである
それは大きな国単位でもそうなのである、別な国と比べて自国がわかる
日本はもともと海に囲まれて閉鎖的空間に生活して来たからやはり異常性が育まれた
もしかしたら万世一系の天皇とかでも日本が島国であり生まれたものでありそれも異常性なのかもしれない、それで現人神(あらひとかみ)として神国だとなり戦争があったともなる
つまり天皇というのも日本という国から生まれた特殊なものでありそれが異常化することもありうる

人間の異常性は意外と普通は気づかない、回りでも気づかない、でも必ず事件とかなり表に現れると何なのだとなるのである
その異常性が国単位でも起きる、プーチンが核で脅してきたのがそうである
そんなことがありうるのかと驚いた、ロシアのような国ではありえないと思ったからである、それでロシアとは何なのだとなった
もともと皇帝が支配するもので自由な発言とか許されない国であった
それは中国でも同じである、ただ民主主義社会でもやはりそこに異常性が育まれそれがナチスとなり社会を異常化するのである
それは文明自体が異常でありもう人々のつながりなどない無数のパーツの集合体であり
もう治めることが不可能になっているからだともなる

社会の異常性、集団の異常性、家族の異常性、個人の異常性 
(人間は異常性に気づかない―家族もエゴである)

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2022年03月13日

ウクライナのロシアの侵攻で見えてきたこと (ロシアも中国もアジア的専制国家ープーチンも習近平も皇帝)


ウクライナのロシアの侵攻で見えてきたこと

(ロシアも中国もアジア的専制国家ープーチンも習近平も皇帝)

●戦争を現代に見ることの驚き

戦争とは何なのか?それが具体的にわからない、これまであったのは地域紛争のようなものだった、ただ背後には必ずアメリカとかロシアとかがいて冷戦がありその狭間で小国が代理戦争の場になっていた、今度も欧米とロシアの対立の場としてウクライナがあった
でもロシアが大軍を出して直接制圧にかかった
現代にこんな大規模な戦争が起きると思わなかった、それで戦争マニアとか武器マニアとかが騒ぐようになる、また軍事関係者社がコメンテーターとして呼ばれる
こういうことはいいことではない、戦争になるとそれにかかわるものが専門家でも話題になる、社会が戦争一色になり他のことがないがしろにされるのも困るのである
震災から11年とがこの辺で原発事故のことなど取り上げてもウクライナに注目される
それは映像が衝撃的だからでもある、人間は別に自分が被害に合わなければテレビで映画のように見る、これは本当に現実だからその衝撃も大きいし迫力が違っていた
戦争の生放送になる

確かに戦争という時ベトナム戦争がありイラク戦争は大規模なものであった
また別に日本の太平洋戦争でも70年前のことでありそんなに遠い昔ではない、ただ当時の戦争を経験した人はわずかになった、だから直接戦争の話を聞くことはできなくなりつつある
特攻隊の話を近くの人から聞いた、ゼロ戦で出撃しても片道飛行しか飛べないものだったという、なぜなら石油がなくなっていたからである、燃料がなくて片道しか飛べないから死ぬ覚悟で出撃したとなる、何か日本がアメリカに戦争に追い込まれたのは経済封鎖があり石油が入らないからだともされている、今回の戦争でもロシアが兵站がロジステックが大事であり燃料の石油とか食料でも入ってこないから進めないとか言っていた
大軍となると兵站がロジステックが大事になる、その補給能力が大事になる
日本の戦争でもそのロジステックが補給能力がなくアメリカの物量作戦に敗れたともしている

ただ戦争にしてもいろいろな場合がありみんな違っている、人間社会は同じことを繰り返している、カルマを繰り返している、でも同じようでもみんな違ったモノにもなっている
今回のウクライナ戦争でもそうである、この戦争がどうして起きたかとなるとそれも時間軸で歴史で見るとむずかしいとなる、空間軸ではロシアでは脅威になるから攻めたというのはわかる、でも時間軸で歴史的にウクライナとは何なのかわかりにくいのである
それなりの理由があってもわかりにくいのである
時間軸で見ることはむずかしいのである、何か起きる時、場所はわかるにしても時間軸で起きていることがわからない、だから個々人でも家族単位で事件が起きるが時間軸で見れないから簡単に理解できないのである、そこには複雑な家庭の事情があったりして理解できないのである、それで簡単にそれを責めたり批判もできないとなる

この戦争にしても実際はそうなのだがどうしても映像の影響が大きい、衝撃であり
なんでロシアはこんなことをするのだと世界でなったのである
だからロシアは世界を敵に回したともなる、今はメデアにしてもスマートホンをみんな持っている、するとたちまち拡散されるのである、隠せないのである
そうなると今までの戦争と違ってそれが人道に反するとか無差別攻撃とか映像で見ると世界から批判される、理由があっても不利だとも見た
ロシアはあんな野蛮な国でありこんな国とは付き合えないなとなる
日本でもこのために相当な警戒心を持つようになった、北方領土なとそもそもロシアは返すつもりはなく、ただ金をもらいたいためにそんなことを匂わせて金をもらうことが目的だったのである、阿部首相はそのために3000億円援助して今批判されている
つまり満々と騙されたのである

●ロシアという国の成立ち

ロシアという国は何なのか?

ヨーロッパが先進的、アジアが後進的であるという世界認識を根底に形成された社会構造で神格化された専制君主による絶対的支配を特徴とし、中国の歴代王朝を始め古代オリエントやインド、日本における律令制に至るまでアジア社会においては広く存在する社会構造であるとされている。もともとはアリストテレスが自著『政治学』において王制の一つの例として奴隷制を受容したアジアにおいて行われている法による支配を中心とした世襲制の王制を挙げた事に由来する物でギリシアに始まる古代民主制の対極的な概念として漠然と掲げられていただけであったが、18世紀になるとシャルル・ド・モンテスキューが『法の精神』において政体を民主制、君主制及び専制主義の三つに区分した際にこれについて言及し、専制主義下では国民は政治的にまったく無権利な状態であると指摘した上でこれを政治的奴隷制と呼んだ

中国はアジア的専制国家としてあった、それで一将成って万骨枯るーの社会である
皇帝がいてあとは下々のものは何も言えない奴隷だとなる、ただこれは別にヨ−ロッパでもそうであり民主制があったのはギリシャのポリスだがそれは一万くらいの人口しかなかったからありえた、その後の国家は巨大化したから皇帝が治める民主自由などない社会である、それが一般的であり王が絶対的権力を持つ社会である
アジアだけではないそういう政治体制が一般的だったのである

ただアジアとなるとそれが顕著であり苛烈だったとなる、何か中国でもそうだが王宮がありそれが巨大でありそこには政治の世界であり暗いもの陰鬱なものを感じる
中国ではあれだけ巨大な国家なのだからそれを治めるには強権国家でなければ治めることもできない、十億人をどうして治めるのだとなるからである
始皇帝陵にしてもそれは大きな自然の山かと思ったら墓だったとなる
スケールが違ったものになる、日本の古墳とかとは規模が違うのである
そして地下宮殿があり地下まで王が支配して生きることを望んでいたとなる

ロシアの皇帝がプーチンなのである、プーチンが作った宮殿があることでもわかる
ロシアの人民は貧乏でも王は贅の限り尽くしている、それは中国の皇帝と似ているのだ
そして皇帝だから反対するものは許さないのである、強制収容所行きとなる
強権政治なのである、そういう体制といのうは社会主義になっても変わらなかった
何か書記が死んだ時まるで神のようにして祀られて葬儀になった
神格化されたのもまるでエジプトなのかとも見た、社会主義国では政治のトップなどが
神格化されるのである、偶像化されるのである
何かあれを見て人間は変わらないものがあると見た、共産主義国家とは全体主義だから
反対を許さない、そして宗教だと反対は政治でも許されない、つまり政教一致国家なのである、マルクス主義が宗教でもありそうなったのである
そういうことは創価とかでもあり政治と宗教が一体化したときそこに神格化された偶像が生まれる、政教一致体制はイスラム国家では歴史的にそうなっているから違和感がないのである

●政教一致の全体主義国家の危険ー共産主義国家は中国でも同じ

つまり全体主義だとそうなりやすいのである、でも民主主義でも全体主義になりやすい
大衆民主主義となり数がすべてだとなり数が権力化するからである
政治の問題は権力をどう操作するかにある、それが最高に難しいから政治は混乱していつまでも人間を治めることはできないのである、それで神が治める神の国はこの世に形成されないとなる
日本の天皇制だって戦時中には政教一致でありそうなっていた、そのために政教分離が生まれた、でも創価は明らかに政教一致でも自民党と一体化している、そこに危険性がある現代は民主とか自由が叫ばれても何しろ数で決まるから一万くらいのポリスに適応された民主制などなりたたない、百万票を集めなければ選挙に勝てないのだから結局数の問題だとなり大衆ファシズムに成り安いのである

つまりロシアのプーチンを生んだものは何か?

それがロシアという歴史と伝統とかから生まれて来た、中国で共産主義が適合したのは
アジア的専制国家が歴史的にありそれが現代にも適応したとなる
また民主自由国家でもアメリカでももう投票でも不正があるとして成立しなくなっているそれは何しろ膨大な数で決まる政治だからである、民主主義とはギリシャのポリスの一万くらいで機能したものなのである、その後は国家が巨大化しているのだから成立しないとなる
プーチンがなぜあれほどの権力をもっているのか、それで怖かったのは核を使うと脅されたことである一人の暴君であれなんであれそこまでの権力を持つことの恐怖だった
そしてプーチンが死ぬと自動的に核が作動して発射されるとうことも恐怖である
まるで映画の世界が現実化したのである、ウクライナの戦争にしてもそうである

映画が現実化しているのである、ただ現実と映画は違う、多くの人の血が流され現実に死んでいる、その重みが違う、ロシアの若い兵士も死んでいる、するとなぜ死ななければならないのかとなる、プーチンの命令によって死ぬ、そこに何か自らの意志もなければ思想もないのである、これは日本の特攻隊とか学徒出陣とかでも起きた
何のための戦争だともなった、だから戦争自体が人間のカルマなのである
カルマは必ず苦しみとなって現れその時戦争とは何かなのかと苦しみで理解するのであるただ客観的に映画のように見ていると興奮する、これが現実なのかとみる
でもこれは日本も遠い世界のこととして終わらない、ロシアが本当に日本を核で攻撃する恐怖になったからである、そして国民が身構えることになっいたのである
それで核を持つかなどさえ真剣に議論されるまでなった、それだけの恐怖を感じたのである

でもプーチンの目論見がはずれたというときロシアの軍隊はウクライナの十倍あるにしても自発的意志に欠けている、ウクライナには国土を守るという自発的意志がある
土着的意志がある、それはベトナムでアメリカが兄弟でも征服できなかったということと似ている、ウクライナはもともとロシアだとしてもウクライナは民主と自由を経験している、そして何よりもやはり国家意識かあり土着的意志がある
ロシアにはそれがないのだ、プーチン皇帝にただ従うだけの奴隷である、自発的意志で戦うということはない、その兵隊も烏合の衆ともなるかもしれない、人間はそもそも強制はできない、自発的意志がないとつづかない、それで仕事でも30以上になると自発的意志で仕事でもしないとつづかないというのがそうである
勉強でも自発的意志がないとできない、試験のための勉強とかはつづかないのである
アジア的専制国家では自発的意志が欠けているともなる、民主主義とか資本主義とかはやはり自発性がありそれが共産主義とは違った精神があり発展したのかとなる
ただ大衆民主主義とか資本主義でももう現代は行き詰まっている限界になっているのである

いづれにしろ皇帝プーチンは前時代的産物でありロシアはこれ以後さらに衰退して小国化するように見える、北朝鮮の巨大化したものとして終わるとなる
ただ核兵器だけが自慢でありそれに頼る国だったことがこの戦争で露骨に現れた
でもエネルギー大国だということは北朝鮮とは違っていただけでㇽ
だからロシアをまともな国として相手にする国はなくなる
中国は相手にしても中国はロシアの小国化で属国化するのかもしれない、ロシアはもう世界から見放されたともなる、ただ何か最後のあがきだったのかもしれない
プーチンは69歳でありそれで最後の賭けに出た、こうして69ともなれば自分もわかるが
何か何か成すにも時間がないのである、時間的にも追い詰められている
もう後がない、一発大きいことをして死ぬかともなるのである
これが老人の心境なのである、何か大きなことを最後にして歴史に名を残すとかなる
そういう老人特有の心理からもウクライナ侵攻を決意したのかもしれない
ロシアはこの戦争とともにさらに衰退して小国化する、つまり大きな北朝鮮になるということである

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2022年03月12日

グロ−バル化は終わり、ブロック化する世界 (日本の江戸時代の鎖国化する世界になる?)


グロ−バル化は終わり、ブロック化する世界

(日本の江戸時代の鎖国化する世界になる?)

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プーチンが失脚するまでロシアの国力を損耗させ続けるために、
世界がウクライナを支える構図を作り上げた。
まあ、プーチンが絶対に退かないという根拠があっての布陣だろうが、
その根拠の詳細は理解できない。
目的はロシアの力を吸い上げ無力化する事。
それまではウクライナに世界から戦力がいくらでも補充され続ける。
チェルノブイリや原発の被害は、プーチンを狂人とするための過剰報道で、
実は被害の出ない所にわざと着弾させた自演かもしれない。
プーチンの肩を持つ気は無いし、退陣すべきと考えるが、
メディアからは絶対正義と絶対悪の対決のような印象を叩き込まれているようで、
それがなんとも気持ち悪い。

ロシア産業貿易省は2022年3月4日、国内の肥料メーカーに輸出を一時的に停止するよう勧告した。ホルセザー氏は「世界人口の約半数が肥料のおかげで食料を得ている。もし一部の農作物で圃場から肥料がなくなったら、収穫量は半減するだろう」との見通しを示し、「もはや世界的な食糧危機が起こるか否かではなく、これがどれくらい大きくなるかだ」と警鐘を鳴らしている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ea358fdb7ece364f3a264a6b7b6c3c717c701f78


ウクライナのことなど関心なかった、だからすぐに理解しようとしてもできない
ただテレビ報道のインパクトが強すぎた、ロシアに攻撃された無惨なウクライナを見たらなぜロシアはそこまでやるのかと感情的怒りになる
ただそれがアメリカの場合、前もテレビ映像で油まみれの海鳥でイラクがひどいとか世界をだましたから信用できないのだ
ロシア側の言い分はあることはある、ただ余りにも映像の影響が大きいのである
何か本当にテレビの映像は強烈なのである、戦車がテレビに映し出されるその砲弾がこちらに向いて撃たれ感じになる、もうこれが新聞のような文字だったら遠い世界のこととしてあまり感じないのである
だからこそマクルハーンは報道により世界が村になると言った
遠い地球の裏側で起きたことも隣の村で起きた同じ感じになる、そしてテレビの前に釘づけになる、その影響が大きすぎるのである

何でそんなひどいことをするんだと感情的になり怒りになる、でもアメリカでもベトナムでもイラクでもアフガニスタンでもいいがりつけて無差別爆撃して殺している
ロシアのようには責められないのである、今回はウクライナとロシアの戦争にはかかわらないとしている、つまりアメリカは常に地政学的には遠くにあって巻き込まれることがないのである、大陸だと常に戦争に巻き込まれる地理にある
そもそも隣の国と接しているのだから何かあると衝突があると戦争にもなる
そしてウクライナから何百万人が避難するというときそれが民族移動ともなり混乱して来たのがヨ−ロッパでも中央アジアや砂漠地帯や中国でもそうである
日本は島国でありそういう歴史が無いからその過酷さを理解できないのである
日本人の争いはせいぜい内輪もめである
だから中国人が敵味方塚のことが理解できない、中国人は死んでも許さない、墓を暴いても罰しているからである、復讐しているからである
それがジェノサイドもある、それだけ異民族同士の争そいが過酷なのである

ただ不思議なのはロシアはドイツとかフランスとはそれほど対立していない
アメリカとイギリスをひどく敵視している、それはアングロサクソンでありそこで騙されたとか裏切られたとかで根にもって恨んでいる
ウクライナでも実際にそういうことがありロシア人が殺されていた、それでロシア側はナチだとして恨んで攻撃してきた、大陸国家だと様々な民族がいて争いが熾烈なのである
そもそもスラブ民族とはSLAVEが語源とするとき奴隷だったとなる
絶えず戦争があり負けたら奴隷にされるのである、それが大陸国家なのである
日本はそうした大陸国家からは離れて海に囲まれているから平和な国だったのである
それが大陸の戦争に巻き込まれたのである,日露戦争があり第一次世界大戦があり第二次世界大戦があった、第一次世界大戦は遠いから傍観的立場でいられた
現代は世界が交通の発達で通信でも狭くなっているから常に隣の村として身近に意識するのである、武器にしてもミサイルがいつ飛んでくるかもしれないから、戦々恐々としていなければならないのだ

次は本当に第三次世界大戦なのかもしれない、こうなれば核戦争になり人類滅亡の戦争となる、ロシアが核を使うと言ったことがそうである
それに世界が震撼としたからである、だから世界最終戦争の恐怖となったのである
ハルマゲドンになるのかと恐怖したのである
とにかく私個人でも家族に起きたことでも津波ー原発事故ーコロナウィルスーウクライナ戦争ー・・・と次々に起きる災難は何なのか、次は飢饉になる
もうそれが予想されているから食料のことをしきり言われるのである

ただロシアは悪でもアメリカも中国も悪なのである、なぜかとなると強い者は権力を持つ者はその権力故に悪を成すことがてきるからだ、それでそもそも人間は権力を持つべきではないとなる、でも人間は権力を追求していたのである
権力を持ちそれで支配者になりたいという強い欲望があり戦争になった
ロシアはアメリカを相当に恨んでいる、その怨念がまた過酷な戦争へと進む動機となる民族と民族の怨念が大陸国家では凄いとなる
だからこそジェノサイドが起きる、民族絶滅戦争にもなる

ともかく次に起きるのは飢饉である、その危機が迫っている、肥料が入らなくなることもそうである、農業で肝心なのは肥料だからである、どれだけ肥料で苦労して来たかが
農業の歴史だからである,肥料なくして農業はありえていからである
だから食料を備蓄しているという人が出たことは飢饉が迫っているともなる
日本は今まるで戦時体制に入る感覚にもなっている、それは台湾有事とか今回のロシアのことでその危機感が本当にリアルなものとなり日本防衛どうするのかとなったからだ
アメリカは中国が攻めて来たら日本を助けない、アメリカは自国に還ればいいだけである自国の人が死ぬような戦争はしない、アメリカは世界木警察官をやめたとか自国だけのことを考慮するように転換したからである
すると日本が頼れる者はなくなる、するとウクライナと同じになるのか?
何かそういう危機感が日本に生まれた、だからタブーである核を持てとかなるのも怖い
それは結局核戦争で人類が滅びるということに加担することにもなる
核でしか守れないとなるのも怖いのである
ただ剣を持つ者は剣で滅びるー核を持つ者は核で滅びるとなる

どうしても悪い者はロシアだけではない、アメリカと中国という大国なのである
この大国がありそれで小国はその狭間で苦しめられるのである
ただこれからの世界はグロ−バル化は終わりブロック化する、経済でも国自体が鎖国ではないがブロック化する、内なる世界に閉ざすようになる
貿易はなくならないにしても今までのようなグロ−バル化はなくなる
そのためにドルが世界基軸通貨とか世界株式会社とかはなくなるのではないか?
資本主義自体が限界に来ていたからブロック経済になりその中で人間の関心は経済ではなく内なる心の世界の向けられる時代になる
地域地域の国家国家でもブロック化して内面化してその国の歴史と伝統的なものが復活する,グロ−バル経済はかなり縮小化する、そしてまずロシアは小国化する
次に中国でも中国内で分裂して三国志のようになる、アメリカは世界の警察官にはならないし自国優先になる、つまり世界はブロック化して互いに距離を置くことが平和のためにいいとなるのである、三国志のように力の均衡がないと平和が成り立たないのである

内へ内へと石は堅く閉ざす
石と石は強く結び合い
内に密に石はは堅固な砦を築く
大地に木は根付く
強く強く根を張り動かない
それらは攻撃せずに
不壊の砦を守護する

木とか石は争わない、植物は争わない、農業を基盤にしたものが文明を作った
これから内なるものの探求であり外へ外へと向かったグロ−バル化は終わったのである
世界でもそうである、コロナウィルスでも意外とヒト、モノが自由に移動することが必ずしもいいものとはならなかったのである
そこに対立が激化して戦争にもなる、となればそれぞれのもともと固有の領土に合って調和を図る方がいいとなったのである
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2022年03月10日

ウクライナのロシア侵攻は第三次世界大戦の恐怖となった (核によに世界終末戦争の恐怖となった―それは福島原発事故から始まった)


ウクライナのロシア侵攻は第三次世界大戦の恐怖となった

(核によに世界終末戦争の恐怖となった―それは福島原発事故から始まった)

なぜ今回のロシアのウクライナ侵攻が怖かったのか、戦争と原発攻撃とか核戦争の恐怖となったからだ
それも一人の狂気的人間に何千発の核が一体として結びついていた
なぜならプーチンが死ぬと自動的に核が発射される装置となっているという
それも怖い、核がテロ組織に渡ったら脅されるから怖いとか言っていた
そのテロとなるのがロシアという国家の独裁者なのである
この一人の狂気的独裁者に人類の運命が握られるとまでなる、核と心中する覚悟があり
それで脅している、核が人質になっていたのである
原発攻撃したとかもそうであり原発は武器になることを示したのである


シリアでも実際は苛烈な戦争がありロシアと欧米がかかわり戦っていた
それも悲惨だった、シリアはばらばらにされて苦しんだ、民主と自由とかアラブの春とかのデモが政権転覆を計った、その背後に欧米とロシアの対立構図があった
それはウクライナの争そいでもあったのだ、欧米が直接戦闘に加わらなくても応援しているからだ
そしてここから第三次世界大戦となる恐怖を感じた、日本もロシアと接している国だからである,日本も核がロシアから飛んでくるのではないかという恐怖になった
それが今までのようではない現実問題として身近に迫ったのである

そして第三次戦争がここで始るように見えたのはこれはロシアとか欧米だけではない、
中国をも巻き込むから世界第三次戦争の恐怖を感じたのである
第二次世界大戦は中国は弱小化していたから全面に出ない、でも今回は大国になりロシアは中国を頼っていたのである、するとヨ−ロッパとアメリカと中国が対立すれば世界第三次戦争になる、それも核戦争にもなるから世界最終戦ハルマゲドンの恐怖になったのである

主なる神は言われる、わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。すべての人のつるぎは、その兄弟に向けられる。
エゼキル書

ゴグという場所がウクライナに合っているのだ、イスラエルからも遠くないからである
その当時の地理としてゴグというときロシアがありその背後の広大な地域もアジアもさしていたのだろう、そこから世界最終戦争がはじまり人類滅亡にいたる
それで符号するのがイスラエルが二千年後に建国されたことである
これも何か大きな験しでありそれが実は世界終末戦争にもなる
何か重大なことが起きる時験しが現れる
じつは福島原発爆発がウクライナの原発と結びつきその原発の電源がとまったとか他の大きな原発も攻撃されたとかあったときこれも福島の原発事故と連動して起きたのかとも思った,チェルノブイリが人類最初の大規模な原発事故だったからである
それで福島との因縁が生れた、確かにシリアでのロシアと欧米の戦いも実際は悲惨だったでもその時は核のことは問題になかった、そして忘れていたのである

ともかくウクライナへのロシアの侵攻は世界が震撼としたのである
今でも日本に核がロシアから飛んでくるということが真面目に語られるようになったからである、北方領土問題もも日本がかかえている、でもロシアとの関係はもうなかなか修復できないだろう、その前にプーチン政権が倒れる確率が高い、そしてロシアはさらに
国が衰退して縮小してもう小国になってうまうかもしれない、欧米側に吸収されるかもしれない、それだけの大きな変化をもたらしたのである

何か福島原発事故を契機に世界終末が来るような感覚にもなった
戦争が起り原発が破壊されて放射性物質が拡散してゆき人間が住めなくなる
そういう悪夢をこの辺でぱ経験したからだ、それ以上にウクライナでは戦争で破壊されて人が殺された、これは何なのだろうとなる、これは確かに「わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。」
これを感じたのである、ここから世界最終戦争がはじまり核戦争によるハルマゲドンとなり人類滅亡する恐怖である、それが神が予定したことでそのウクライナがゴグのように思えたのである

つまり最後の審判の時がウクライナからゴグから始まり世界全体にわたる
その時イスラエルが二千年ぶりに建国されたのだからそこに再び神が現れ世界を裁く
シオンに神の公平な裁きが行われる、それが符号するから聖書は預言の書だからそうなのかとなる
確かなことは福島の原発事故が始まりでありそれがウクライナの原発攻撃とかなってきた原発はこうして平和利用だけに終わらない、人類を滅ぼす武器として認識すべきものなのである

いくら平和利用といっても一旦争いとなり戦争となれば今回のように使われるかねないのである、なぜならロシアが追い詰められたら一人の狂気的的独裁者によって核のボタンが押される、プーチンが死んだら自動的に何千発の核が発射されるとした余りにも恐ろしいとなる、一人の狂気的独裁者によって人類が道連れにして滅ぼされるとまでなる
それはイスラムのテロの爆弾を体に巻き付けて自爆する人と似ているのだ
核を最後の頼みとして攻めてくる、脅迫してくる、その前にアメリカでもどうにもならないとまでなる、内部でも止めることもできない、だから原発とか核はない方がいいのである、核を持つことは世界で禁止すべきなのである
剣を持つ者は剣で滅びるー核を持つ者は核で滅びるになる
人間は人間を治められない、とんでもない一狂気的人間によって人類が滅ぼされるとなるそんなことが々人間には起りえるのである、(きちがいに刃物)でもある
核そのものが人間には扱えないものだった、政治でもどんな人間が権力をもつかわからない、狂気的な独裁者でも権力を握る、すると誰もとめられくなっていたのである
暗殺意外方法がなくなっていたのである

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2022年03月08日

なぜ無謀なことが起きるのか?(権力の怖さ) (ロシアの独裁政権や日本の戦争、事業の失敗)


なぜ無謀なことが起きるのか?(権力の怖さ)

(ロシアの独裁政権や日本の戦争、事業の失敗)

ロシアのプーチンがなぜウクライナ全土まで征服しようとしたのか?
その理屈はある、でもそれは無謀だった
それが実行されたのは経緯を見ればわかる
クリミア半島の領土戦争で成功していたことである、その時プーチンの支持率があがった今度も支持されると思っていたのである

●成功がある

●傲慢になる

●誰も側近でもとめられない独裁政権

これが近くの事業を起こした人に似ていたのである
その人は理系で技術者として一級の免許をもっていて優秀だった
それで事業をはじめた、それも一人で始めたのである
その事業はハウス関係で全国展開したのである
そんなことで一人でできるのか?
それ自体無謀だったのである、でも家族とかはビジネスのことなど何もわからない

その無謀な計画を止める人がいなかった!

そして失敗して多額の借金をかかえてしまった、そのことで自分も関係していたので苦しい時そんなことを持ち込まれても何もできない、自分自身が四苦八苦していたからである
何かこれがロシアのプーチンと似ていたのである、クリミアで成功した、次は全国制覇だウクライナ全土の征服だとなったのである
もし一部のルガンスクとかロシア人が迫害された地域を奪うというならわかるしクリミア半島でもわかる、だから成功したのである
ただクリミア半島で成功したことがさらにウクライナ全土を奪うとなりそれが無謀になった
これは日本の戦争と似ているともなる、戦線が無限のように拡大してしまったのである
台湾とか朝鮮半島くらいで収めていれば300万人も死ぬような戦争にはならなかった

ただこの無謀さは別に個々人でもある、若い時はみんな無謀である、何か危険をかえりみない、それはそれで許される面はある、でも国家の代表には許されない
でもそれはドイツのナチスでもあったし日本でもあったのである
だからこういうことは別に特殊なことではない、過去にもあったし今もあるとなる
それが民主主義でもある、別にナチスでも民主主義で生まれたからである
大衆民主主義はファシズムになりやすいのである、なぜならただ数が多いことが正義となり数が権力となるからである

要するに人間社会の最大の問題がどうして権力を抑えるか?

権力の横暴を抑えるか?

これが大問題なのである、権力を持つ者をだれにするのか、どうするのかが大問題なのである
なぜなら今回のウクライナ侵略でもプーチン一人の独裁者で決められたからである
そして核で脅してきた、これも恐ろしいと思った、そんなことができたのは独裁者が権力を握ったからである、すると狂気的な一人の人間が核のボタンを押して人類滅亡となる恐怖をもったのである

今回のことで権力がどういうものかあからさまに見えた
権力とは軍事力であり警察力である、この権力を握ったものが本当の権力者である
つまり軍隊に命令できる者が権力者である
そして若い兵士が何かわからないままに戦場で死んでいったりする、それも残酷だとなるそういうことは過去の戦争でもあった、日本でもあった
私の姉は従軍看護婦であり赤紙一枚で呼びだされて有無を言わさずシンガポールの向かいのジョホールバルで四年間働いてた、そこは地獄だったのである
突然地獄に落とされたともなるのだ、ロシアの若い兵士も訓練のために行かされたとしているのと似ている、そこは地獄の々戦場であり死んでいる人もいる
だからウクライナのロシアの侵攻をみても人間は依然として愚かなことを繰り返してカルマをくりかえしていると見た

人間の問題をどうしたら権力を操作できるのか?それが大問題だから三権分立ができた
でもそれも実際は効果的ともならない、それで私は原発事故で追求してきたのはその権力のことなのである、安全神話はあらゆる権力が一体になり作られてできたものだからである、検察でも例外ではない、そのことは検察とか海上保安庁とか警察とかまで天下り先として東電から多額の金をもらっていたからである
そして検察でももう裁判になったらほぼ100パーセント近く有罪になるというときもう検察は強制的にでも有罪にする力があるから怖いとなる
検察が公平とはならないのである、そして検察はアメリカの言うことには逆らえない
原発でもアメリカの要請があり作られた側面がある、つまり権力というとき日本だけではないさらに背後に大きな権力がある、それがアメリカだとなり中国にもなる
だからウクライナでもその背後に大きな権力がある、ヨ−ロッパのNATOでありアメリカの軍事専門家がウクライナで前から軍事訓練をしていた、だからロシアに抵抗できるとしている

要するに人間は権力そのものを操作できない、でも権力をもちたいとなる
その権力の最大なものが軍事力であり警察でありこれは暴力であるが検察とか裁判にしても公平ではない、やはりそれも権力でありそれも公平ではない、そもそも東電に天下りして利益を得ていたのだからそこからてもう公平ではない
またカルト教団なども権力を追求している、オウムでも王国をつくるために武器をサリンでも作っていた、それが何か狂気にも見えたがロシアのプーチンでも麻原にも見えたのである、核で脅してきたからである、つまり国家レベルでもオウムになっていたと指摘された、原発が国家レベルでオウム化していたのである
カルト教団でもただ人数を集め大衆化して権力を追求している、創価では365日選挙一色でありそのために祈っている、これもオウムと似ているのである

権力という時軍事力や暴力だけではない、現代なら大衆民主主義であり金と数が政治だというとき権力だとなる、その権力を人間は操作できない
マスコミも権力を作る大きな組織である、でもこれも原発でわかったように全部朝日新聞でも原発推進となっていた、なぜなら宣伝費で成り立っているからだ
福島県の「政経東北」でも地元の問題を追求しているように見えたが除染マネー何十億を山分けしていた、その裏表紙全面で相双リテックの宣伝としてのせていた
としたらそもそもいろいろ悪を追求しているがそんなことができるのかとなる
そこで信頼が失墜しているともならないのか?ただそういうことに読者も怒りもしないのである

まずマスコミも権力側につく、宣伝費をもらうためにそうする、福島民報でも創価の聖教新聞を刷っているから批判はしない、つまり報道は権力ある者にによって操作されているのである、そうして戦争になり300万人が死んだり原発事故が起きたりする
それが国民とか大衆でも関係ないかとなると必ず誰かが責任をとらされるようにこの世はなっているのである、権力がどうだこうだと言ってもその責任は必ず誰かかがとらされるそんなこと知らないよとか関係ないよとか言ってもとらされる
それがナチスの戦争だったり日本の戦争だったり原発事故で故郷に住めなくなったりとか必ず責任をとらされるのである、今回でもプーチンが悪いとしてもその権力と戦わないと若者の兵士が無惨に死んでいるのである
その責任は誰がとるのかとなる、権力者はとれとなるがとらない、ただ権力者の犠牲になるだけだとなる

だから聖書でみどり子に治めさせよとか老子の無権力の思想が生れた
つまり権力を求めること自体が権力者になることがふさわしいものではない、何も欲もない人がその地位にあれば問題は起きないともなるがそれは不可能だとなる
結局この世を治めることはできない、理想はこの世で実現しない、この世とは常にバベル(混乱)なのだ、そうして無謀なことが起り無惨に無益に人が死んでゆく世界である
そのく繰り返しなのである

posted by 天華 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月07日

人間は経験実感が大事 (ウクライナや外国や地理でも同じ・・一次情報は得られない)


人間は経験実感が大事

(ウクライナや外国や地理でも同じ・・一次情報は得られない)


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長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93023?page=6

外国という時どうして実感するかが大事である、その基本にあるのが風土である地理であり地形とかなのである、これを実感することが本当にむずかしい
今日テレビで若い女性が北欧は寒い、日本では体験できない寒さだった
そう言ったのは実感だった、経験だった、そのことから暖房が大事でありロシアの天然
ガスとか石油が重要なものとなる、その寒さに耐えるには暖房が欠かせないのである
韓国も大陸のつづきてあり寒い地域である、だからオンドルが作られた
それは古代に渡来した人がオンドルを作っていたが日本では定着しなかった
西日本だとあたたかいから必要ないともなった

こうして何か学問とかむずかしいことではなく普通の人でもちょっと体験したことから
実感したことから何かを知る、まず地理とか風土とかは体験しない限りわからないのである
その国の文化でも俳句を知るには日本に一年間住んでみないと理解できないのである
だからアメリカとか中国とかロシアとなるとその地理が基本的に実感として理解できないのである、それはちょっと旅したくらいではわからないのである
映像でもテレビを見てもわからない、その空間を実感することはできないからだ
山でも実際は上ってみないとその山を実感できない、山の厳しさとか美は上ってみないとわからない、写真とか動画とか映像でもわからない、北欧は寒いというときそこで風とか温度とか天候を感じないからである

例えば身近でも実感しないとわからない、私は飯館村にどれだけ自転車で行ったかわからない、そこに行くには八木沢峠とか大倉の方から入るにしても七曲の坂がありその坂を上るのが苦労なのである、でもその坂を峠を越えて飯館村についたとき上りきったとき達成感がある、飯館村は標高が600メートルくらいあり夏は涼しく冬は寒いのである
こうして近くでも実感することがむずかしいのである
地理とか風土からしてその基本的なことが実感しにくいのである
だから本を読んでも外国はわからない、百聞は一見にしかずとなる
北欧に行って寒さを感じたらロシアの天然ガスは必要でありそれを断たれることは辛いとなる、そこから外国の理解が深まるのである
それで外国に留学したりビジネスしりして直接外国人と接している人は本を読んでいる学者より外国を知っているのである

ウクライナとかロシアの紛争にしてもまず理解することがむずかしい
地理的風土的なことが実感できない、どうしてチェルノブエリ原発がキエフから百キロの地点にあった、それは福島原発だったら仙台市あたりの距離だったのである
ただそこは森が広がり事故の後は住民は去り元の原始の森とか原野に還ったのである
この辺とは違った風景なのである、そして森に埋もれて原野にはヘラジカとか狼が還ってきたのである、つまりそうした原野のようなものが残っている地帯だったとなる
だから住民は一時的に原発があり団地を造り働いていた、ただ農業する人もいたが放置して森に埋もれてしまったとなる
福島原発ではもともとそこには町があり村があった地域であり古代からでも人が住んでいたのである、だからそこを捨てて別な地域に移住することが簡単にできない
移住する広い土地もないからできない、明治以降に侍は職を失ったが北海道に移住して
農業をした、そこを開墾するには相当な苦労があった、機械もないからである
それを北海道の人に聞いたのである程度実感する

人間にとって大事なのは経験と実感である、外国に行かないで本ばかり読んでいても実感がないから一回でも外国に行った人の方が実は外国を知っているとなる
私は50歳で外国に行ったから遅かったとなる
イスタンブールまで行ったけど黒海まで行かなかったのが失敗した
ただウクライナに友達がいるとして行った人がいた
ウクライナでも今日高橋洋一チャンネルで言っていた、ロシアの専門家も今回のウクライナ侵攻は予測できなかった、学者でも実は一次情報に接していないという
一次情報とはロシアの人達から直接聞くことだとしている
それができないと実感として理解できない、たいがい二次情報なのである
アメリカの機関でありそこから情報を分析して伝えているとかが多い、直接接して聞いたりした人ではない、すると実感したものではないからわからないとしている
それで感が大事だとしている

一次情報が知り得ない

感が大事である

でもプーチンに直接接した人はいないのだから誰も本当のことは理解できないとしているウクライナの本当のことは放送でもわからない、あくまでもその本人が聞けないし二次情報になるからである、それはマスコミでも二次情報なのである
一次情報となるともしその地元の人から聞くとしたら語学が地元の人と同じくらい話せないと得られない、実感できないのである
そこで私はイスタンブールで名古屋の人がシリアの人は素朴でいいと何度も言っていたのでその人の実感で言ったいたので感じるものがあった
ロシアの社会主義国家でも別に紛争がないときには人々は平和に暮らしていて素朴な人達だったのである、だからそういう場所で外国勢力が入り分断されたことが不幸にしたのである、西側の民主とか自由の運動は実際はアメリカ側の工作でありシリア人が自ら求めたものでもない、第一アメリカ側の工作員が入っていたともなるからだ
デモを扇動していたのは西側でありアメリカ人だったともなる

このように外国を理解するのは実感が得られないから誤解することになる
またプーチンが悪いとただ一方的になるのである、ロシアとかの情報は入らない
報道でも西側からしか入らない、専門の学者ですらわからないものが素人がわるはずがないとなる
とにかく人間はグロ−バル化して外国の理解が不可欠になった
でもそれが最高にむずかしいのである、その基本として地理とか風土がわかないからだ
感が大事というときやはり直感というものがありそういうものに頼る方が意外とあたるとなる
地震でも震度何度とか良く放送するけど数字だけでは表せないものがある
実際は震度いくらといってもそれより大きく実感として感じることがあるからだ
そこで直感を感じてすぐに避難した人は助かった、動物はこうしした本能的に感が鋭いから安全を計る
機械とかばかり頼っていると失敗する、人間の間の方が大事だともなる

特にロシアは自由に旅行もできないから一般のレベルでも未知の世界になっている
私はロシアに一回行ったがそれも良くわからなかった、ただアムール川を見たときは大きい河だと印象に残った、それは日本で見かけない大きな河である
その河と運河のような河ではなく激しく流れている河だったのである
これも実感したからわかったことなのである

中国でも広すぎて三回行ってもわからない国である

万輪の木槿や中国の鉄路かな

どこまでも木槿が延々と咲いていたことを思い出す、途切れることなく咲いていた、そういう風景は大陸的であり中国的だとなる
俳句でも子規の写生論だと実際にそのまま見たことを俳句にすることである、それは実感を基にしているからだ

とにかく実感するというとき宇宙旅行でもそうである、地球を宇宙から見たときどう思うかとなる、それで科学者より詩人とか画家とか芸術家を乗せてみるべきだというのもわかる、つまり芸術家の感性でどう感じるかということである
そこで世界観も変わる、でもこの実感をえることは経験しない限り得られないのである
ということは人間が経験したり実感できる範囲は非常に狭いということである
例えば福島県でも浜通りと中通りと会津では気候も風土も地理も違ってる
浜通りだといつも阿武隈山脈高原にさえぎられて中通りの方が見えない、会津はかけ離れた感じになり地理的一体感がもてないのである
会津だと二千メートル級の山がひしめいている、この辺で高くても400メートルだからものたりないのである、ただ蔵王は見えるのである

いづれにしろ人間は一次情報が直接聞いたりして感じることが大事になる
人間は接しいるのはたいがいテレビでも何でも二次情報なのである
そこで誤解が生れるのである、直接生の情報に接することができないからだ
それは専門の学者でもアメリカが調べたとか二次情報を分析しているだけだというときもそうである、だから誰も専門の学者でも今回のロシアのウクライナ侵攻は予想しなかったと言っているのである

posted by 天華 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月05日

地政学の逆襲ーロバート・D・カプランを読む (地理の宿命から逃れらない、ウクライナの地理ーロシアには欠かせない土地)


地政学の逆襲ーロバート・D・カプランを読む

(地理の宿命から逃れらない、ウクライナの地理ーロシアには欠かせない土地)

ランドパアーの継承であるドイツとロシアは、シーパアーの継承者たるイギリスとアメリカに比べて何世紀に渡ってより地理的な観点からものごとをとらえてきた
モンゴルの黄金軍団がもたらした荒廃を決して忘れることがなかったロシアにとって
「拡大なくしては侵略されるのみ」を意味する言葉だった

領土はいくらあってもたりなかった、ロシアが冷戦中に東ヨ−ロッパからなる衛星国を必要と下、また旧ソ連邦を再構成しようとして軍事力を使用して破壊工作を行い、エネルギーパイプラインを張り巡らせたのはすべて深い不安の表れだった

地理の非情さとその結果として起る空間をめぐる闘争から逃れることができない
「国際社会は・・・法と秩序を守る中央権力のない社会である

力の追求は道徳的価値を実現するために行われるのではない、力の獲得を容易にするために道徳的価値が用いられるのだ(スパイクマン)

地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン

地理から地政学から世界をみるので興味をもった、人間は地理にその住んでいる場所に一番影響する、その住んでいる場所がどうしても世界の中心になる
そこで他の人も多様な世界に住んでいるのだから誤解が生まれる、日本のような島国に住んでいる人達と全くどこまでも平原とか草原とか森林とかがつづく世界ではまるで違ったものになるからだ
日本ではそうした大陸的な地理を根本的に理解できないのである
第一そういう景観などないから理解できない、長大な河でも草原でも砂漠で森林でも理解できない、森林は日本には多いではないかというがロシアとかウクライナでもその森林のスケールが違っている、平地に延々と森林がつづいているのだ
その森林がゲルマンの森となり樅の木の森となり原風景を作っている
その森が中世では覆っていて境界となる、つまり自然が境界となるのである

ウクライナのキエフから80キロくらいにチェノブエリ原発があった
すると意外と近いなと見た、そこは森林におおわれた地域として映されていた
そして原発は放置されて住民は去り元の原始の森林に覆われた
そこにヘラシカとか狼とかが棲むようになった、それはこの辺の原発事故でもイノシシとか猿が森から山からでてきて人のいない家を荒らしたりして荒廃したのとにている
でもヘラシカとか狼がいるということはその辺はまだ原始的環境が残っているのかとなるそれも余りにも広いからイメージもできないのである

この本は地理として世界をみる、人間は地理から逃れられない、宿命としてある
その地理によって国々が自ずと作られるし文明を作られるというのもわかる
世界四大文明が地理でも作られたという時、そこはエジプト文明なら砂漠が防壁となり
多民族の侵入を拒んだ、インダス文明でもインドもヒンドスタン山脈が境界となり異民族の侵入を拒んだ、中国も遊牧民地帯の熾烈な民族の混交する争いの力離れて平和であり
それで文明が生れたとしている、そこには平和があり平和の営みが続けられた結果として文明が成熟する要件を備えていたとしている
遊牧民地帯は消長が激しいのである、国が拡大してもまた別な国が拡大して支配される
そういう地理的興亡の世界である、常に他国が攻められるという地続きの恐怖の中に生きているとなる、だから中国の万里長城が作られたのである
文明とは遊牧民のような移動する民ではない、農業として定着する人達が文明を作ったのである

この世界史から今のウクライナを見る時、ロシアがなぜあのような無謀とも思える行動に出たのか?

それはそういう地理的宿命としてカルマとしてウクライナがあったことなのである
黒海のクリミア半島は海へ出る唯一の土地だからしこを死守して奪ったのである
そしてウクライナをロシアに併合することはロシア帝国再現に不可欠だったのである
そして安全のために不可欠な土地だからあそこまで強行して西側に奪われることを嫌がりあのような無謀をとも思える侵略に踏み切った
それは実際に歴史をみればナポレオンであれナチスドイツであれロシアに攻めて来たからである、そこで一千万単位で死んでいる、それがトラウマとなって恐怖するのもわかる
つまりウクライナはロシアにとって地理的死守するものとしてあったのだ
これは地理の宿命としてあった、地理はこうして人間が地球に住み始めてから影響している、そして地理は変わらないのである、地史的には何十億単位では変わるにしても人間の歴史がはじまってからは基本的に地理は変わらないのである
だから繰り返しそれが業(カルマ)となり争いが地理を巡って終わらないとなる

力の追求は道徳的価値を実現するために行われるのではない、力の獲得を容易にするために道徳的価値が用いられるのだ
(スパイクマン)

道徳的価値をアメリカなどは民主と自由を絶対的善のように言うが実際はそれを口実にアラブの春でもオレンジ革命でもシリアでも扇動してアメリカの覇権を拡大することになる人道的なことを言ってもそうである、もし人道を言うならなぜ日本に原爆を落とせるのかとなるからだ、これこそ人道的道徳的価値の全否定だったからである
ただアメリカの覇権拡大のための戦争だったのである
ロシア側からみれば西側がヨ−ロッパ側がNATOが拡大されることは恐怖なのである
それは歴史的にもそうだったから恐怖になっているのだ
日本だって今や中国が攻めてくる恐怖になっている、ロシアはだからウクライナを併合して西側にNATOに対抗しようとした、アメリカにしても西側にしてもウクライナで工作していた、つまり道徳的価値とか民主とか自由を自分たちの覇権を拡大することのために利用されることがある、もし本当に道徳的価値を人道を言うなら自分たちの国でそれを実行するのかとなるとしないのである

だから最終的人間は人道的な外交とかない、弱肉強食であり中国でもロシアでも日本は何も言うなと脅迫している、小国は何も言うなとなる、でも小国でも道徳的価値とか人道的なことを主張できるのである、でも小国は大国に従いとなる、それがいかに理不尽でもそうなっているのである、だからロシアの強行はひどいとなるがアメリカでもベトナムとかイラクで人道を無視して戦争していたのである
だからロシアばかりを責められないが何かアメリカは道徳的価値を民主とか自由で主張しているから従いとなる
ただ正直ロシアは太平洋戦争でシベリア抑留とか北方四島がとられたかありいい国に見えないのである、自分自身もロシアに好感は持てないのである
ただ冷静にみればアメリカだって道徳的人道的な価値を追求しているわけではない、ただ口実として覇権の拡大を目指しているだけなのである

ただ現代であれだけ無謀なことが暴力が全面に出たことに驚いたのである
核までもちだしたことは許せないとなるしこれは世界世論として責められるべきである
今回は本当に核の脅威を現実のものとして感じた
原発は平和利用だけではない、テロ組織の脅しとして使われるという時本当にロシアのような大国でもあからさまに宣言したら恐怖だったのである
だいづれは核があるかぎり核は利用される、そして世界最終戦争になりハルマゲドンになり人類は滅びる、それで聖書のエゼキル書のゴグがロシアなのかとなった
聖書は預言の書であり予定の書である、だから二千年後でも予言するということがあったそれが現実化して核の原発でも攻撃する世界最終戦争の恐怖にもなったのである

いづれにしろ確かに現代でも地理の制限は活きている、でもミサイルとか飛行機とか宇宙からでも情報戦が行われる時代である
その情報戦からするとテレビにインタ−ネットでも映される映像の衝撃が大きいのであるするとなんでこんなひどいことをするんだと感情的になりロシアへの怒りになる
いろいろ複雑な背景があってもその映像を見たらロシアは許せないとなるのである
だから情報化時代の映像はやはり道徳的なこと人道的なことに反することは簡単にできないとみた、原発まで攻撃することには驚いたからである
いろいろ理由があっても結果的にはロシアは世界の世論からみると不利である
その理由が正当であってもあれだけの暴挙と人道を無視した行為は受け入れられない
それが情報化した世界であり一方的な力の論理が通用しなくなる

そしてどうしても地政学が変わらずあるとしてもそれを乗り越えてきたのが現代の科学技術文明である、通信とかが発達して同時間で世界に知れ渡る
隠して隠しきれないのである、そのことでプーチンは相当に不利になる
いくら正当性を主張しても受け入れられないのである
無差別にでも国民を攻撃してくる映像を見たらいくら人道とは関係なのが国家間の紛争だとしても世界に影響するのが情報化社会である
明らかなことは地理的障壁に制約された時代は依然としてあるとしてもその障壁も通用しなくなる
ただ日本の場合だと中国は隣でありロシアも隣国であり近接しているから地理の影響を受ける、アメリカはもともと地理的障壁が海であり他国が直接攻める脅威はないのである
だから緊迫感に欠けるのである、別に自国を守ればいいとなる、他国は侵入してこないからである、日本はそうはいかない、相当な緊迫感をもたざるをえない国なのである

海に閉ざされる
山々に閉ざされる
森に閉ざされる
砂漠に閉ざされる
河は国を分けるライバル
草原は閉ざすものがない
遊牧民は自由に往き来する
中国とヨ−ロッパは遊牧民地帯の辺境
その押し寄せる凶暴な民族
モンゴルはヨ−ロッパまで進撃する
中国は万里長城を造り
その対抗で中国もヨ−ロッパも作られた
中央アジアは常に動乱の地
ウクライナは西と東のせめぎ合う広大な土地
歴史は地歴でありカルマとなる
この闘争の前に人道は無視される
人類のカルマは繰り返す
力の論理が貫徹される非情の世界
それがウクライナで再現された


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2022年03月04日

欧米側からしか見ない世界の紛争など (ロシアがあれほど強行にウクライナを攻めているのか?)


欧米側からしか見ない世界の紛争など

(ロシアがあれほど強行にウクライナを攻めているのか?)


どうみてもプーチンは悪い奴だ非情だ、正常じゃないとかなる
それが映像のインパクトが強すぎるためである
子供が死んだとかビルが破壊されるとかその映像が強烈すぎる
するとどうしてもなぜこんなことをロシアはするのだ、プーチンはなぜこんにしてまで破壊して殺戮するのだという印象になる

だから人間は確かに不満があったり恨みがあったり憤りもある
でもそのことを全面に出して暴力になるとまた違ったものになる
その仕返しの暴力が強烈な印象となりいくらそういうことが恨まれて同然だとかあっても賛同しにくくなる
とにかくウクライナのロシアの攻撃を見たらロシアが悪い、プーチンが悪いとしか見ないのである、それなりの正当性があってもそうしか見れないのである

実はウクライナにおける反政府デモというものは、私が2008年まで3年間、日本のウクライナ大使をやっておりましたけれども、その時に経験した色々なウクライナの政治状況と比べて、明らかに異なる点があったんですね。それはどういう事かというと、非常に暴力的なデモであったということなんです。暴力的なデモであったという、その一つの原因はですね、2013年から2014年にかけてかなり力を得てきた右派勢力というのがあるんですね。この右派過激派勢力が、いわゆる民主化と称するデモ、反ヤヌコビッチ大統領デモに参加してきたということですね。それでデモが相当暴力化したという事情がありました。

馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

ただここでも時系列でみればそれなりの理由があっことを理解する
これは一連のアラブの春とかオレンジ革命とか民主と自由の戦いとして起きたものの継続だったのである、でもその結果として起きたことはその国民が悲惨なものになっただけである、特にシリアでは国が戦場になりバラバラになり破綻した
その時テレビで女性が売春婦になって金を稼ぐほかなかったと嘆いていた
それで民主とか自由の運動にのせられたのだとか言っていた
それはアメリカが入ってそう仕向けたのである、ネオコンとかが工作していたのである
内戦状態になりシリアでは難民化した、民主とか自由を得るということがいかにも正当化されたが実際はアメリカとヨ−ロッパとかロシアとかの争そい場として国が荒廃してしまったのである

それでイスタンブールにいたとき名古屋の人がシリアに行ったのである
そこで盛んにシリアの人は素朴でいいと感心していたのである
その時シリアはロシア指導の社会主義国家だったのである、その時別に人々は平穏に暮らしていたのである、それは別にそのままで良かった
民主とか自由の革命など必要なかったのである、別に圧制でもなかった
そこに争いをもたらしたのがアメリカとかヨ−ロッパの勢力だったとなる

何か自由と民主とかいうとそれが絶対的善のように見える、でも必ずしもそうではない
それが外国の勢力争いに利用されるときはそうではない、その国の人自らが要求するならいいが外国勢力が入ってくるとそうではなくなる
ウクライナでもクリミアでロシア系の人々が迫害されるとかあった
そこでアメリカのネオコンとかジョージソロスとか投資家とかが入ってきて国内を二分させる争いに加担したのである
なぜならそれまでは反目があっても殺し合いまでにはなっていなかった
それなりり融和して暮らしていたからである
そうして殺し合うまでになったのはアメリカとかの工作員が入ってきて分断したからだとここでは説明している
それが見えたのはやはり日本の大使としてウクライナに駐在していたからわかる
外国のことは結局そこに暮らした人が実感としてわかるのである

私は外国のことなど50まで行ったこともないし知らなかった
外国を旅して多少知ったというだけである、ただ生の情報というか人から直接聞く情報は確かなものがある、シリアの人達が素朴だったというときラオスの人達も素朴だったと外国人が言っていた
この素朴だったということは貧乏でもそう感じるものがあった
それは日本が明治に外国人と接してそのイギリス人がこのように素朴な人達に我々の文明を入れることが本当に幸せにするのかと自問したことと似ている
日本人も外国人が来て欧米化した時、日本的良いものが失われたからである
欧米の文化が文明がすべていいものではない、日本の良さもあったがそれを否定したことが問題だったのである
明治から戦後は戦争に敗れてアメリカ化したことも問題だった
そしてすべてアメリカ的価値観になった、金しか求めるものがなくなって日本は人情すらなくなった、すべてが金であり金しか価値を見ない日本人になったのである
それはアメリカ人と同じになったとなる、日本人がもっていた良さは消失したのである

もちろん日本人がなんでもいいとかならない、でも欧米人のもたらすものが何でもいいとはならない、それを日本人がもっていた良いものを否定して欧米人が持っているものが何でもいいとしたことが失敗だったのである
だから内村鑑三などはキリスト教を受け入れるにしても日本的伝統の武士道を重んじたキリスト教ともなった、外国の宣教師に学ぶべきではないと言っていたのである
欧米人がもたらすものがすべていいものとはならないのである
確かに民主とか自由はいいものであり必要である
でもそれは日本人自身が消化するものであり欧米人に押し付けられるものではないのである、結局アラブの春とかシリアの悲惨さは実際は欧米とかロシアとか外国勢力に分断されて攪乱されるだけのものになった、そこで国は分裂して難民化して悲惨な結果になったからである

このことは日本を肝に命じていた方がいい、日本も外国勢力が入り二分三分化されて国がばらばらになりシリアのような悲惨な結果になるかもしれないからだ
日本はアメリカでも中国でもロシアでも入ってきてシリアのようになるかもしれない
そういう世界の圧力がかかる場になっている、その時国が二分三分して分裂することが
悲惨なたとになるのである
明治維新ではそういう分裂の危機があったが一応内乱もあっだがまとまったことで悲惨な結果にはならなかった、でもアメリカに負けけ弱小国になったとき日本は大国化した中国の隣でありロシアも隣国でありそういう分裂の危機が高まっているのだ
だから日本人自体がそうならないようにまとまることが第一となる
そのことを余程心がけていないとシリアであれウクライナであれ悲惨なことにるなことが目に見えている、ただ日本がそういう位置にある
そういうふうになることがありうる国となっているのだ、ただ日本がまとまれば強さを発揮する、日本はそもそもそういうふうにまとまると強い国だからである
それが悪い方にまとまったのが太平洋戦争だったのである
一億総玉砕とかなったのである、でも良い方にまとまれば外国勢力に分断されないものとなる、それがこれからの肝心なことになる







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2022年03月03日

聖書のエゼキル書のゴグとはロシアのことなのか? (災難も神によって起こされているのか?終わりの日が近いのか?)


聖書のエゼキル書のゴグとはロシアのことなのか?

(災難も神によって起こされているのか?終わりの日が近いのか?)

21 主なる神は言われる、わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。すべての人のつるぎは、その兄弟に向けられる。エゼキル書

ゴグはロシアなのか?一人の独裁者プーチンによって世界中が核で脅されて震えた
ロシアとウクライナと兄弟だというときその剣は兄弟に向けられるというときそのことなのか?
兄弟同士でも血で血を争う戦争になるすべての恐れを呼びよせるというのはプーチンが
核兵器を使うと本気で脅迫してきたことである
その世界中の人々が恐れたからである、兄弟同士が戦う、それがウクライナの状態である同じ民族であり親戚も多いというときそうである

ロシアのウクライナ侵攻で日本でも核を持つべきだということが現実的問題として検討すべきだというのもそうである、もうそうしなければ国土を守れないと訴える
それをロシアが世界に見せつけたのである
中国でも日本に対して強い国に弱い国は何も言うな黙っていろとかあからさま言う
つまり台湾に攻めても日本は何も言うなとかロシアでも日本は何も言うなとか脅迫しているのである

何か大国の傲慢が全面的に出てきて小国は何もいうな黙っていろとなる
そういう大国の傲慢が全面に出て来た時代になった
ロシアとソビエト連邦とアメリカの冷戦時代が終わったが今度はロシアと中国とNATOとアメリカの対立が先鋭化してきたのである

なぜプーチンがこれだけの強行をしたのか?

それは誰もわからないという、そんな一人の狂気的人間が人類滅亡を担うのか?
それも不可解である、もしかしたらサタンがプーチンに憑りついてこの恐れを全世界に呼びよせたのか?
一人の狂気的人間によって人類が滅亡の危機にさらされる
それは核兵器を握り操作することができるからそうなる
核兵器はと使わないとはならない、武器を貯えること自体いつかその武器を使うことになる、だから今回プーチンが苦しくなれば苦し紛れに使用する
戦術核とかいってもそれがエスカレートするから怖いのである
血で血で争う見境もなくなるのが戦争である、だから核兵器でも何でも使うようになる
つまり核自体が原発でも核兵器に転用できるものだから平和利用だけにはならないのである
殺人するときかっとなったとき近くにあるもので石でも何でも使用するようになるからである

とにかくプーチンが核を使うからとNATOとかアメリカでも脅したことは単なる脅しではない、それが世界をふるいがらせたのである、そこまで言うのかやるのかと世界中が恐れたことは確かである
それで第三次世界大戦となり核戦争となり人類滅亡へ向かう序章とも見えたのである
これは局地紛争とかではない、世界全面戦争の危険をはらんだものだったか恐怖したのである、これまでは極致戦争であり大国でもあからさまに核を使うなど言わなかったのである

わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく。わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。

 おまえはわたしの民イスラエルを攻めに上り、地をおおう雲のようになる。終わりの日に、そのことは起こる。ゴグよ、わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがおまえを使って、国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らがわたしを知るためだ。

わたしはプーチンにわたの地を攻めさせる、わたしはプーチンを使って国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らが私を知るためだ

すると神がロシアをプーチンを使ってそうさせる、それが今のウクライナ侵攻なのか?
なぜこれほどの戦争をしかけたのか?それが理解できないのである
神は何か幸福をもたらすだけではない、災いをもたらすのも神なのである
ただそれが神になれば明確な意図があってそうしている
モーゼの出エジプトでもそうであるエジプトから脱出するために神がそうさせたのであるそこで様々な災いがもたらされたのである

だからつくづく私の個人的に経験したことでもこの辺でも津浪があり原発があり疫病があり今度は遠いにしろ核で脅す戦争に恐怖に震えたのである
そこから第三次世界大戦になる恐怖になった
この恐怖はベトナム戦争とかイラク戦争とアフガニスタンのテロ戦争とも違う
ロシアという核大国が起こした戦争だから世界が恐怖になったのである
それでこれが何か聖書に書いてある前兆として験しとして現れたのかとみる
なぜこれほど次々に災難がつづくのか?それがこうして偶然に起きているのではなくて
神の意図があって起きている、終末の時の様相を示している
いろいなな見方があるにしろプーチンの独裁者が大きな災難をもたらしたのかということである、災難にも神の意図が働いているのかとなる

わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく

疫病も神の裁きの一つなのか?流血とは戦争で今死んでいる人達のことでもある
なぜこうして次々に災難が起きてくるのか?
人類の最期に裁きがある、個々人も全人類も国々も裁かれるとかなるからだ
終末にはそういうことが起きるのか?そういう恐れをもたらしたことは確かなのである
それが全世界にもたらされたことは確かなのである

二千年後にイスラエルが再建されたということは何か大きな意味がある
そのために何かこうした大災難も起きているのかとなる
どうして次々に災難が起きてくるのか解せないからである










posted by 天華 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月02日

人間は時間軸で見るのが苦手


人間は時間軸で見るのが苦手

(プーチンが過去にこだわって戦争を起こした―ロシア帝国ソビエト連邦の再興)


何か事件が突然に起きる、するとなんなのだろうとすぐに理解できない
それは空間軸と時間軸で事件でも物事は起きて来る
そして人間は時間軸で起きることがすぐに理解できないのである
事件とか何か起きることは必ず時系列で見ないとわからない
それは日常のささいなことでも事件があるが事件が起きた時しか見ないので理解できないでもその前にいろいろ家族であれもめていたし何か事件を起こすような状態になっていたそういうことは他人にはわからないのである

つくづくこの辺で起きたこともそうだった、突然信じられない津波が襲った
ではそれが全くこれまでなかったことかというとそうではない、400年前に相馬藩政記録に生波(いくなみ)で700人溺死と記されていたのである
それはたった二行だったのである、だから学者も津波の後に発見したのである
つまり人間はこうしてとにかく忘れやすいのである
その時代に津波という言葉はなかった、でもその400年前の慶長津波から津波という言葉が生まれたのである

これは400年前だから忘れられても不思議ではないとなる、でも人間は個々人でも忘れやすいのである、第一戦争のことでも忘れやすい、300百万人も死んだのにそれも70年とかすぎると何か非現実化してくる、そんなことあったのとなってしまうのである
でも戦争を経験した人は忘れないのである
私の姉は従軍看護婦でジョホールバル(マレーシア)で4年間過ごしたことが過酷だったので死ぬまでそのことを語っていた
つまり若い時経験した過酷なことは忘れないのである
それぶプーチンもソ連が崩壊するときドイツにいてKGBで働いて非難されて追放されたことが忘れらなかったとなる、それがトラウマとなり大統領になった時そういう経験から
権力を握った時行動するとなる

エカテリーナ2世はヨーロッパにおけるロシアの国際的影響力の拡大を目指し、成功裏に戦争を勝ち進めた。エカテリーナはロシアの皇帝の中で初めて、それまでトルコの領土であったクリミアをロシアに併合した。またポーランドがロシア、オーストリア、プロイセンの間で分割された後、ロシアは現在のウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ラトビアなどの領地も獲得した。

プーチンがこの時代の再興を夢見てウクライナに侵攻した、それは時間軸ではプーチンが生きている時代ではない、でも歴史的にこのロシア帝国の復活を目指してウクライナに侵攻したとなる

つまり人間の行動の動機とかはその人が生きた時代だけではない、歴史的時間軸時系列で起きて来る、その時間軸、時系列で見るのが人間は苦手なのである
例えば個々人でもその人と合って話する時、空間軸で逢っても時間軸でその人をみることは簡単にできない、一応就職する時履歴書をみて判断がされる
それが時間軸で時系列でその人を見る、判断することになる
でも実際にその人がどういう経験をしたとかは個々人で違っているから判断しにくいのである
カルト教団に入っているような人は子供から洗脳されて他のことが全く見えなくなる
そういうふうにすでに人間が作られてしまいそこから出ることがもうできなくなっている人間はまた育った環境も場所も違うから時系列で見ることが簡単にできないから他者を理解しにくいのである

でも大事なのは時間軸で時系列で見ること

人間に欠けているのは時間軸時系列で見ることが苦手であり簡単にできないから何でも理解しない他者でも理解できないのである
そこに常に大きな失敗の元となっているのだ、そして人間は忘れやすい、70年の人生があったとして50年前となるともうそこで親しく合っていた人でも実在したのかどうかわも怪しくなるほど人間は忘れやすい、その人は子供の時5年間一つ屋根の下で暮らしていた、でもそんな人いなかったというのには驚いた
たいがい子供のころのことを覚えている人が多い、それが全く覚えていない、記憶にないというのもそうである

それで国会議員が弁明するとき〔記憶にありません〕となる
実際人間ほど忘れやすいものはない、実際に生きて経験したとでも50年も過ぎるとそんな人と合ったのそんな人がいたのかとなる、現実に人間は死ぬとたちまち非現実的存在となりそんな人がいたのとなってしまうのである
それはすでに現役をしりぞいた人が退職した人は会社中心に生きてきてそれがなくなり仕事もしていないとその人を覚えている人もいなくなり存在感がなくなり地域でも何もしないと存在が希薄化しているのかいないのかもわからなくなる
そうしているうちに認知症になったりするのが怖いのである

ウクライナのロシアの侵攻も時間軸で時系列で見ると突飛なことでもない、なぜならウクライナであれボーランドであれそこではロシアが支配していたからである
エカテリーナ女帝の時代に支配されていたのである、それが300年だとすると長いからである、だからその時代の復興をプーチンが夢見てウクライナに侵攻した
またナチスと戦ってヨ−ロッパを作ったのはロシアだったとかなる
そうして人間は70年の人生でも過去は忘れるのだが忘れないことがありこだわり生れそれが原因となり行動に移すとなる
ただそういう過去に自分自身が生きていない過去にこだわるとしても実際時代が変わるとそういう過去はもう戻らないし過去はまた錯覚しやすいのである
現代を生きていれば現代からしか歴史を見れないからである、それで常に過去は美化されやすいのである、要するに歴史でも過去になるとただその人のいいようにイメージすることになる、その時どんなに過酷なことがあってもそういうことは過去のことであり自分自身にはその苦しみを受けることがないからである

だから今の時代に前時代的な武力による全面戦争が起こることが理解できない
極致戦争なら理解できるがロシア全軍がウクライナのような国全体を侵略することが理解できないのである、それば核をもちだすということも異常に見えるのである
そのことで世界がまず戸惑ってしまったのである
こんなことあるのとなったのである、ただ情報社会となるからんくら情報を抑えようとしてもできない、どこかからネットを通じてとか情報が入ってくる
それが歯止めになる、ロシアは市民までまきこんでひどいことをするなというのが世界的な感想になり憤りを覚える、それはロシアにとってプーチンにとってかなり不利なことである、まず核で脅すこと自体がロシアは何なのだという驚きがある
常軌を逸しているとかなる,プーチンはナチスとロシアは戦ったとしているがプーチン自体がナチスのヒットラーの独裁者になっているように見えるのだ
そうはいっても軍事力が相手を支配する道具となる、その中に核兵器がある
それで西側も簡単に阻止でないのである

ただタブーとされた核兵器を持ちだしたことはこれは世界で受け入れられない、それが理解できないのである
核の怖さは小国だとウクライナでも核保有国だったが核をもたないことにした
その代りウクライナを守ってくれるという条約があった、それも反故にされた
核の問題のおかしいのは大国だけがいくらでも核をもっていい、一部使用してもいいとかなる、それで前のソ連でもそうだったしロシアでもそうなる
その核兵器を持ったものが今回のように核で脅して実際に使おうとしている
もしただ抑止力としてあるならいいが実際に戦術核でも使うおうとしている
どうしてそんな権利があるのだろうかとなる

大国ならいくら核をもってもいい、止めることはアメリカでもできない、そんなことが理不尽なことは誰でもわかる、だからこそ今回のように核兵器でも使うと脅されたのであるそうならロシアであれ核を持つべきではないとなる、アメリカでも大国でもそうである
核も持つこと自体禁止すべきだとなる、そして原発も今回のウクライナへのロシアの侵攻でわかったように原発自体が武器になる、そこを攻撃されたらこの辺の原発事故のようになる、それも怖いのである、そのためにそもそも原発自体が大きな潜在的危険をかかえているから廃止すべきものなのである、それは平和利用にはならないのである
剣をもつ者は剣で滅びるというとき原発を持つものは原発で滅びるとなるのである

このウクライナへのロシアの侵攻は世界的な影響が大きいものだった、アフガニスタンとかイラクとかあったけどそれは極致的な紛争でもあった
このウクライナのロシアの侵攻はヨ−ロッパ全体に世界的な影響があり第三次世界大戦から核戦争により人類滅亡まで予感されたのである
それだけ衝撃的なことでありそれでなぜこんなことまで現代でロシアがしたのかということになった、それは一人の独裁者で成しえたのか?狂気的になり成しえたのか?
それが止められなかったのか?そして一人の狂気的独裁者によって地球は核戦争で滅亡するともなる恐怖を与えたのである、独裁政権の恐ろしさ示したのである


posted by 天華 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月01日

ウクライナでも空間軸と時間軸で見る (歴史は地歴であり空間軸と時間軸で見ることが必須)


ウクライナでも空間軸と時間軸で見る

(歴史は地歴であり空間軸と時間軸で見ることが必須)

なぜ何か世界であれ事件が起きるそれが急激に起こったようになり簡単に理解できないしそこで誤解が生じる
何か事件でも必ず時間軸時系列と空間軸で起きている
起きるはtake placeなのだがまた時間軸で時系列でみることも欠かせない
なぜならウクライナでもクリミア戦争があり国境を接した所でロシア系の住人と争ってきた歴史があった、だから今回のロシアの侵略は時系列でみれば突然起きたことではない
プーチンが異常化して狂気化して全面戦争になったのかといえばそうでもない
ロシア側から見れば必ずしも突飛なことでもない、欧米側からしか見ないからそうなる
EUが約束を破ったことに怒って今回のプーチンのウクライナ侵略があった
つまり何かしら理由があり全く横暴なものでもないともみる

ただウクライナの一部の割譲とかで止まるものだと思っていたがウクライナ全土の掌握して支配することにはならないと西側では思っていたのである
何か事件が起きたというとき最初に場所をに注目する
でも時系列でみるのはそこに常日頃から関心をもっていないとわからないのだ
だから突発的に起り何なのだろうとなり誤解が生まれるのである

人間に起きることは必ず個々人でも何でも空間軸と時間軸で起きているのである
でも空間軸だとどこに起きたということでわかりやすい、でも時間軸で時系列でみるとわかりにくくなる、歴史がわかりにくいのは時系列でみるからである
空間軸だけだったらその場所は地球上から消えたわけでないし空間は人間の歴史が経験されたときから同じように残っているからだ
今でも別に歴史的事件があった場所に何千年前でもその場を踏むことはできる
ただ時系列で起きたことだからそれを理解することが至難になる

それは人間個人でもそうなのである、人間でも必ず生まれた場所とか育った場所とか空間軸が関係している、でも子供の時から育った時間がありその時間の中で人間は形成される親子でも一緒に育たなければ親密さも生れないし親ともならないのである
時間の中で親密さでも愛でも育まれるからである
だから子供の時親と一緒に育たなければ親として認識できなくなる
猫でも犬と育つと犬が親にもなってしまうのである
そして時間でも歴史となるとその時間が長くなる、千年とか二千年とかで見るのも歴史だからである、だから歴史を理解することはむずかしいのである
ただ空間軸で見る時何千年前であれその場は消えたわけではない、今も存在している
でもそこで起きたこと歴史を理解することは簡単にできないのである

まず世界を理解するというとき空間軸にしても広すぎる、ロシアとか中国とかアメリカの広さを空間軸を理解することは簡単にできない、日本とは違った広さだからである
すると空間軸でも理解することもむずかしくまた時間軸だとそれ以上に理解することがむずかしくなる
テレビとかインタ−ネットとか情報社会になっても実際の空間とかは理解できない
そこで誤解が必ず生まれる、それがアメリカのイラク戦争で油まみれになった海鳥の写真だったのである、それは作られた映像だったが世界中の人がこれはひどいと怒りになったでも回りの貞享を映していないからわからなかった、テレビの映像はあくまでもテレビという小さな画面に全体を切り取って映したものであり現実とは違っているのだ

何か時間軸で見るという時、フラワーアレンジメントをして気づくことがあった
花を毎日見ているとその花がやがて心に映ってくる、でも最初は映らない、あまり反映しない、でも毎日見ている内に目立つ花だけではない、何か目立たない花でも見るようになり注目するようになる、だから花を見るという時も時間が必要だとつくづく理解した

我が家の広き間にしも赤き百合匂い放ちてその香の充ちぬ

今日も見る壺に挿す花その色の心に深く映しけるかな

時間の中でそれぞれの花が心に映る、でもそれには時間が必要なのである
毎日見ていると自ずと心に映って記憶に残るとなる
そして人間の生きる時間は限られている、それで熟年離婚などは損だと思う
なぜなら新しくまた結婚して親しく理解しあい愛する時間がなくなっているからだ
時間はそんなに与えられていない、また新しく始めることは人間関係でもむずかしいとなる、人間は親しくなるとか信頼するにも時間が必要なのである
そのためにお手伝いさんとかでも十年働いていたら信用できるとなる
そうして何でも時間がかかる、その時間が人間には限られているのである

これは一つの国を形成するのでもそうである、何千年とかで一つの国ができるとういときそこにはそれだけ時間をかけて一つの国となったということである
一つの国としてのアイディンティティが形成されたとなるのである
その時間軸で形成されたものが理解がむずかしいのである
ウクライナという国はどうして形成されたのか?それがわからないと誤解することになるキエフ公国がありロシアのルーツの国だとしているときもそうである
時間軸で形成されたものがありそれが簡単に理解できないのである
なぜウクライナはロシアと兄弟のようなものだというときもそうである
そのアイディンティティを知ることが簡単にできないのである

ロシア側からみればEUが東欧に拡大したことNATOに支配されたことが不満だというとき
スラブ民族としての歴史があり一体感があるのになぜNATOにつくのかともなる
そもそもヨ−ロッパとは何なのか?東欧といってもそれがヨ−ロッパなのかとなる
そこに民族とか文化とか宗教の相違がありそれはロシアと共通しているというときそうである、ただこれをどうして分けるのかとなるとむずかしくなる
地理的空間的にはライン河がラテン系のローマ帝国の境となりウクライナだとドニエプル河を挟んで西部が西側よりであり東部はロシア寄りだと空間軸では意識されるのである

posted by 天華 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年02月28日

プーチンが核で脅す危険-ウクライナのへの侵略 (民主国家と専制国家との世界的対立)


プーチンが核で脅す危険-ウクライナのへの侵略

(民主国家と専制国家との世界的対立)

●核兵器を使うと脅すプーチンの怖さ

プーチンが核兵器を使うとか言うことが怖いと思った、それは今までタブーでもあった
でもこれは核兵器でも持っていれば当然そうなる
原発でも最初に選挙した、原発を爆破して放射性物質をふりまくとか戦争の武器として使われるからだ
核兵器と原発を別物として見ていたがそうともならない、平和利用とかでもなくなる
それは恐ろしい核兵器を作るものとしてもあるからだ
だから日本でも原発をやめられないのは核兵器として利用するためだということがありやめられない、それは隠されているが政府の本音としてある
またアメリカの要請でもそうなっている

プーチンのウクライナ侵攻でわかったことは独裁者の危険でありまた独裁者が核で脅す
テロをしかけているともなる、それは前から言われていたのだ
原発でも核施設でもイスラム関係のテロ集団に乗っ取られるて脅迫されるようになるとか言われて来た、それをプーチンがしている、独裁者はこうして危険なのである
一人の独裁者が最も危険な核兵器を使う、核のボタンを押すことになる
そしたら人類滅亡になる、それがたった一人の独裁者でそうさせられてしまう恐怖である独裁国家の危険がそこにある、共産主義国家の危険がそこにある
中国でも習近平独裁国家となりそうなる可能性がある
つまり誰も歯止めをかけられない、独裁者が権力を握り歯止めをかけられない
そしてナチスのようになってしまう恐怖である
それで公然と民主主義国家に対してプーチンはあからさまな敵意をもつ、民主主義国家との戦いだとしている

いづれにしろ核そのものが人間にとって危険なのである
なぜなら核を使わないとしているがそれが守られなくなることがある
だから今回でもプ―チンが追い詰められれば核を使うと宣言したのである
核を持っていることがそもそもそう言わせる
人間は喧嘩するとき近くに武器になるようなものが石であれ何であれあればそれを使って殺すようにもなる、感情的に抑えられなくなりエスカレートしてゆく
そして核兵器でも使うことになる、このことが怖いのである
独裁者国家だったら一人の人間によって決められる
きちがいに刃物だとかなってしまう、そうして人類滅亡にもなることの怖さである
そもそもそんな危険なものがあること自体がそういう危険を誘発しているのだ
原発でも武器になることが今回のことでもあったからそうなる

●民主主義と共産主義、全体主義、独裁国家との対立

確かに民主主義でも今やそれも様々な問題が噴出してアメリカ自体でももう民主主義ではやっていけないとかなっている、国が二つに分裂するとかもなっている
選挙でも不正だとかなっている、だから民主主義でも行き詰まっているのだ
ただ独裁国家だと簡単に政権を倒せない、一人の独裁者の暴走をとめられないのである
反対したロシアの恐怖はシベリアの強制収容所行きだと前からあったからである
そもそもロシアとか中国は独裁者の支配政治であり反対を許されないのである
それは古代からでも一将功なり骨枯るという世界である
強大な強権国家となり反対を許さない、独裁者は反対するするもの逆らうものを許さないのである、それで民主主義化すると反対が公然と起きるから敵対するとなる

そしてなぜか古代からの政治体制はペルシャ帝国とか相当に古いものでも政教一致であるイスラム系の国家は今でも政教一致である、政治体制としては反対を許さない独裁になりやすいのである
政教一致になると日本がだって国家神道になり村の小さな社まで国威高揚とか戦争の勝利を願った字が刻まれていた、それは本来の社の意義とは違っていたのである
なぜなら武力とは関係ないからである、豊作を祈るものとしてとかあったからである

民主主義国家と独裁国家の対立だというときペルシャとギリシャの戦争でも言われたのである、ギリシャは民主制のボリスの国家でありペルシャは帝国主義の独裁国家であった、王が神のごとくになる政教一致の国家である
ギリシャの民主制は世界的に世界史でもない、大陸国家ではすべてアジア的専制国家であり独裁者が全権をにぎり支配する体制だとなる
民主制と独裁国家は対立するというときそれは政教分離をしている国とに分けることにもなる

イスラム系は政教一致であり不可分に宗教と結びついている
でも欧米系は政教分離であり世界の体制が二つに分かれるともなる
すると思想的に体制的に二つに分かれた国の対決なのかともみる
自由主義陣営と共産主義陣営の両極の戦いだともみる
ソ連があったときはそうだった、でもそこに中国という大国が現れて中国、ロシアと中東の一部とかと二極に分かれる、イランなどはそうである
そこで世界大三次戦争の構図が新たに生まれる、でもそれが核戦争となり人類滅亡の最終戦争にハルマゲドンにもなる
そういう危機を感じたのがプーチンの核で脅すことにあったのだ
つまりウクライナだけではない、核兵器を持ち出せば第三次世界大戦となり核戦争によって人類滅亡になる

欧米系は政教分離であり世界の体制が二つに分かれるともなる
すると思想的に体制的に二つに分かれた国の対決なのかともみる
自由主義陣営と共産主義陣営の両極の戦いだともみる
ソ連があったときはそうだった、でもそこに中国という大国が現れて中国、ロシアと中東の一部とかと二極に分かれる、イランなどはそうである
そこで世界大三次戦争の構図が新たに生まれる、でもそれが核戦争となり人類滅亡の最終戦争にハルマゲドンにもなる
そういう危機を感じたのがプーチンの核で脅すことにあったのだ
つまりウクライナだけではない、核兵器を持ち出せば第三次世界大戦となり核戦争によって人類滅亡になる

●大統領とか市長とか重責を担う者について

今回のロシアのウクライナ侵攻はいろいろとまた考えさせられた
ウクライナのゼレンスキー大統領が役者だったということ喜劇俳優だったこともそうである、そんな人が大統領にもなれるのか?
やはりそこで顔が売れと人気者になり大統領になれた、これも大衆民主主義の結果であった、でもキエフから自分自身も家族も逃げないとして評価されている
それで原発事故の時南相馬市長が爆発した時北海道の方に逃げたとか噂になった
それは結局不明である、原町区の人はそういうことを言っていないからである
でも生命の危険があるときアフガニスタンでもガ二大統領がいち早く逃げたとか非難された、このように大統領とかなるとその責任は重大になる

市長でもそうである、だからそういう重要な地位にある人は本当はよほどの覚悟がないとできないともみる、地位が得られとか権力を得られるとか金になるとかて簡単になれるものではない、そもそもそういう意識がない、生命の危険もあり犠牲にもされる
だから庶民は侍になりたくなかった、責任を問われて切腹させられるから嫌だったというのがわかる
ということはそれだけ責任を感じてやるならばいいとなる、別に俳優でもいいとなる
でもただ権力が欲しいとか金が欲しいとか楽したいとかの動機でもなる
それが今回のことでそんなものではない、命の危険があり犠牲にもされるとなる
とにかく一転してこんな厳しいことに直面することは予想外だったろう
ただこの危機を乗り越えれば英雄ともなり歴史に名を残すともなる
ただ政治経験が全くないことで問われるている、前から交渉してロシアに気配りするべきだったとしている

とにかく人間はそもそも経験しないとあらゆることがわからない、ささいなこともわからない、本を読んでもわからないからである、実際にその立場にたってみないと理解できないのである、それで若い人でも重要な地位についてやらせてみれば経験を積めばやれるともなる、意外な能力を発揮する人もいるとなる
だからこれほどの経験をするということはもし乗り切れば本当に大統領となったともなるただ政治の世界はこれも国際関係でも何が起きるかわからない世界である
一歩誤ると市民でも国民でもどん底に地獄に落とすことになる
それが日本の戦争でも3百万人死んだとかなる、上に立つ人の責任が余りにも重大なのである、だからむしろそんな重大な責任は果たせないと辞退するともなる
でも権力が欲しいということで熾烈に争っている、そういう覚悟あるならいいがただ権力が欲しいというだけで争っているのが問題なのである
本有途に一身をささげて犠牲になることを強いられる立場になるということである
上に立って威張っているだけでありえないのである

●プーチンも高齢でも権力交代ができないことが問題

どうしてこの辺で津波による大惨事があり原発の放射線被害ありとコロナウィルスと災難がつづいている
戦争が起きてその次は飢饉が来ると時事問題の深層に書いた
それが本当に現実になる恐怖である、そして核の最終戦争になり人類滅亡にもなるのかとなる、こんなに災難かつづくことは尋常ではない、現代というのはそういう時期なのかもしれない、人類が世界が終末に来ている
その時ハルマゲドンであり人類滅亡のような大災難が世界に起きる
これほど災難がつづくことが理解できないから

そしてなぜプーチンの歳とかも影響している、フランスのマクロン大統領が会見したら
前より頑固に意固地になっているという
またパーキソン病とかではないとかも疑われている
老人の特徴として何か過去にこだわるのである、プーチンの経歴をみると冷戦時代、ベルリンの壁が崩壊していたときKGBで仕事していてそれでドイツから非難されて追われた
ソ連が崩壊したときのことがトラウマになっているという
過去のソ連の栄光を取り戻したいとしている
老人は過去はどうだったとか過去に何があってこうだったとかこだわるのである
そして現在の事態の変化に適合できなくなるのである
だから老人は政治には向いていないかもしれない、老人でも向いているのは芸術とか思想とか内面的なものに批評することなどに向いている
なぜなら経験しているから批評に向いている、政治評論家として向いているともなる

でも独裁政治だと引退したり権力から離れないのである
政権交代も民主主義でないとできない、それが問題なのである
ただ一方で老人は権力を手放すと相手にされない、権力を持っていると接する態度も違ってくる、それで老人は権力に執着して固執する
でも奇妙なのは権力でもそうだが仕事でも現役から退くと認知症になりやすいのである
社会から無用化すると役割も生きがいもなく認知症になりやすいのである
悪役でも何か現役で役割をもっていると生きがいになり認知症になりにくいのである
でもそれは社会にとって迷惑だともなる、その兼ね合いが問題になる
政治とかなるとそのことで被害を受けることが甚大になる
判断力も鈍った老人が権力を持っていることが国民でも世界でも大被害を受ける
これはアメリカのバイデン大統領でも何か歩く姿がヨタヨタしているようにも見える
この高齢化の問題は世界的なのである、やはり政治となると臨機応変に対処できない
頑固になり意固地になりそれが世界的大迷惑と大被害になるものも怖いと見た

war3.jpg

大災難の時代ー戦争と飢饉が次に起きる
http://musubu.sblo.jp/article/187676033.html

posted by 天華 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年02月27日

ウクライナの歴史ー国境からみる世界史 (遊牧民を知らないと理解できない)


ウクライナの歴史ー国境からみる世界史

(遊牧民を知らないと理解できない)

●境界から国境から見る歴史

2014年4月1日までに約3,000人の住民がクリミア半島から逃れたとされ、その80%はクリミア・タタール人だったとされる

現在クリミア・タタール、ヴォルガ・タタール、シベリア・タタールと呼ばれるような民族が形成されていった。タタールの中には、ロシアやルーマニアに移住して、キリスト教を受け入れて現地に同化する者も多く現われており

歴史で大事なのは国境なのである、なぜ国境ができたのかを知る必要がある

●自然地理的境界

●歴史的民族的境界

●行政的境界


自然地理的境界というときわかりやすい、基本的には自然の境界だからである
山とか海とか河が境界になる、それは地理的なものとして認識しやすいのである
そしてこれは地球ができたときからあり変わらないのである
地理を人間の力では変えられないのである、山を削って平にするとか川を埋めるとか海をなくすことができないからである
だからそれは人間の歴史が始まる前からあったのである
例えば自分の住んでいる所は福島県の浜通りでありどうしても山脈にさえぎられているから福島県といっても一体感を感じないのである
議員選挙区でも同じでも福島市とは山で遮られてそこは見えないのである

第一福島県とは明治以降の人工的に行政区域として作られた、廃藩置県がもともとの自然境界を無視して作られたのである
だから福島県というと地理的一体感がないのである
会津となると地理的にも歴史的にも古代から別個の大きな国だったのである
そうしてそもそも地形とか変わらないから会津は福島県でも気候的にも雪国であり山に囲まれていて別個の大きな一つの国だとなる
だから阿武隈山脈が高原が実際は依然として境となり障壁となってて一体感が福島県では感じないのである、これは自然を変えられないからどうにもならないのである

この自然境界から世界をみればヨ−ロッパだとフランスとスペインの境はピレネー山脈でありライン河はラテン民族のローマ帝国の進出をゲルマン民族がとめた河だとなる
ゲルマン民族は強固なアイディンティティを形成した民族である
だから今回でも自然的境界からみればウクライナだとドニエプル河をはさんで境界となり別個の国があっとなる、それでドニエプル河を挟んでロシアが東部を支配して西部をヨ−ロッパ側が支配するともなる、そうみればわかりやすいのである

●ウクライナとロシアの国境

でもなぜウクライナとロシアの国境があるのか?

これがわかりにくい、ロシア系とウクライナ系で民族抗争があり紛争になり人もかなり死んでいるのである、だからどうしてその国境が作られたのか?それを知るべきだとなる
確かなことはロシアであれトルコであれタタール人の末裔だとなる
トルコは突厥でありタタールはもともと韃靼人(だったん)人である
東欧系はモンゴルなど平原とか砂漠とか広大な遊牧民の地域から移住してきたのである
羊を飼い馬の操作にたけた民族である、だからこそ移動しやすいから天幕を張り家自体が移動するからヨ−ロッパにも押し寄せて来たとなる
そこで複雑な国家形成となった、東欧の諸国なの成立ちはこうした中央アジアからモンゴルから移動してきた末裔だとなる

一般にはスラブ民族だとしている
民族的にはゲルマン民族のドイツとスラブ民族は別である、またフランスはラテン系民族だとなる、そしてドイツとイギリスはアングロサクソンである
それで宗教でもラテン系のカトリックと後にプロテスタントに分かれたのである
要するに西欧と東欧は歴史的にも民族的にも違っていたのである
だからロシアは東欧は民族的に同一であり歴史を共有しているともなる
ウクライナ人がロシア人とは兄弟関係にあるというのもそうである
ただ同じ民族だとしてもそれでアイディンティティが作れるとはならない
宗教でアイディンティティを作ってきた歴史がある、民族といってもそれも複雑だからである、日本民族でもさまざまな民族がこの列島に移住して形成されたからもう民族のことなどわからないのである

ただ地理的なものから自然の境界からみると国はわかりやすいのである、そのために国境が重要になるのである、日本に国境意識が希薄なのは海が自然境界となっていたからである大陸だとそうした境界がないから万里長城ができたのである
それも山の尾根にそって作られていた、すると山からでもモンゴルの遊牧民が侵入して来たとなる、確かなことは遊牧民は常に移動するから戦争にはたけていた
ゲルが天幕がそのまま移動するのだから移動しやすいからそれが軍隊ともなるからである
ただ移動するときやはり山とか河とか天候でも障害となる、それでロシアは今は雪で凍っているから戦車が通れるが溶けるとぬかまみになり戦車が移動できない
だから冬にナポレオンでもナチスドイツでもロシアに攻めたが雪と寒さで撤退したのである、気候が影響してそうなったのである、地理とか気候は変えられない、それが人間の歴史を作ってきたともなる

とにかく中央アジアとか平原とか砂漠地帯とかは遊牧民の世界でありそこで常に民族抗争があり帝国が生まれては消えていったのである
その境界でも変わりやすいのが遊牧民地帯なのである、日本では魏志倭人伝に日本には
馬、羊なしと記されていた、それが日本の特徴だったのである
中国から来た人がそのことに一番感じたのは常に羊とか馬とともに暮らす人達から見たら奇異に映ったからである
日本は世界でもめずらしい漁労民族でもあったからだ、海の幸の民族たったともなるからだ

●コロナウィルスでも今世界でも国境が境が見直された

コロナウィルスでもそうだったが意外とこの国境が問題になった
グロ−バル化して国境はかえって邪魔なもののようにされていた、でも感染病では国境で水際作戦をするとか江戸時代の関所すらそれは邪魔なものではなく人間の歴史で必要なものとして認識されたのである
関所だと不便になるから無駄だとなるのではない、やはり何か歴史的に作られたものには何でも意味があったとなる、だから世界から国境をとりのぞけとか国境はいらないとかにはならない、むしろ人間は国境があってこそ自分たちのアイディンティティを作るやすいのである、そこで一体感が生れ独自の文化でも形成されやすいのである
そもそも文化とは地理とか土地の多様性から生まれるからである、それで文化はcultureはcultivate(耕す)から来ているのである
いろいろな農産物でも天候とか自然の地理とか土地の状態で違ってくる
ワインでも葡萄でも湖とか河の光りの反射が影響してうまいものができるとかもある
農産物はどうしても土地とか天候の影響を受けやすいからそうなる
それで多様性が生まれるのである

本来、栄養をたっぷりと必要とするような植物が多いなか、ブドウはさほど栄養を極端に必要としないのです。さらに、逆に栄養過多、窒素過多となると出来の悪いブドウが生まれます。

ミネラリティを感じる土壌、といわれているのが石灰質土壌です。

炭酸カルシウムが含まれた土壌であり、大変水はけが良いと言われていますが、保水性もあるために高品質なブドウを作ることができます。

ヨ−ロッパの水にはミネラルが多いとか石灰質だとかされる、つまりワイン文化が生まれたのはそうした適した土地が原因していたのである

ブドウの着色および果実品質向上のためには,着房数を通常より少なくするなどの対応策が必要で,収量を減らさざるをえない状況となっています。
そこで,生産者の収益性の改善を図るために,地表面に光反射シートを敷いて棚下を明るくし,品質および収量を改善する光反射マルチ栽培の技術を開発してきました。

これは人工的に光りの反射を作っているから天然の光りではない、でも光りが影響している、もちろんいろいろな風と日照とかも影響するのである
つまりワイン文化が生まれたのはまさに土壌が適していたからだとなる
日本で日本酒が生まれたのもそうである、農産物は必ず自然の影響を受けるからである
また世界の歴史でも必ず地理の影響を自然の影響を受けているのである
国境はだから大事なのである、自然が境界となり文化が作られ国が作れてきたからであるただ世界となるとその地理が天候でも簡単にわからないのである
ウクライナは比較的暖かい地域であり黒海に地中海に出る港がありそこをロシアが必要としたことは分る、そこが地理的要衝となったからである
またウクライナは山がなく平坦な地域であり日本の1・6倍あるとしても平坦な地域がほとんどなのだからその広さを理解しにくくなる、だから穀倉地帯となりその量は世界も輸出するから影響がある、とにかく日本では広大な大陸の地理が理解できないことがアキレスアキレス腱になっているのだ
結局地理は地図を見ただけでぱわからない、実感できないからである


●境界があって育まれる文化のアイディンティティ

鉄の境界の中にあって
苦しみつつ掟を勝ちとったものは
ヘルペスの娘たちの開花のように
すみやかに移ろわぬ善へと、成熟ししてゆくでしょう

定めた居住区の
境界の範囲の内を
彼は喜んで見て回り
そして休息する、つつましく幸福を味わいながら
(ヘルダーリン詩集より)

鉄の境界というときその境界を死守して国を守ることに通じている
ウクライナでも自国を守という時、その国境を守るということである
そこで国の歴史がアイディンティティが作られてゆく
そこに国を守る戦いがありそうして国の歴史が形成される
ただ人工的強制的圧政的に作られた境界は境界ではない
大陸だとだとその境界がわかりにくいのである
国というとき会津とかだと認識しやすい、また飯館村とかでも小さくても一つの国のように意識しやすい、盆地だと山に囲まれているからもともと日本ではそこが国のまほろばになっていた、それが奈良だったのである
国の中心がどこかなのかも問題になる、ウクライナならキエフである、キエフ公国があったからだ、今のウクライナはまた違った国である、そこでロシア人が多い地域がなぜ国境になったのか、それがわかりにくいのである

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2022年02月26日

ロシアのヨ−ロッパへの不満ー昨日の友は今日の敵 (ロシアは1500万人くらい死んで犠牲になった)


ロシアのヨ−ロッパへの不満ー昨日の友は今日の敵

(ロシアは1500万人くらい死んで犠牲になった)


なぜ諺が活きているのか、それは人間の本質が変わらないからである
どんなに科学技術が進歩したからと言って人間の心は変わらない、本質的に変わらない
そのあくなき欲がなくならないわげでもない、だから諺は普遍的な真理ともなる
国際関係でもそうである、ロシアが今のヨ−ロッパを作ったというきナチスドイツと協同して戦ったことがありその時は友だったのである、それがアメリカとソ連の冷戦となり
消失した、でもロシアにすれば今のヨ−ロッパの秩序を作ったのは私たちだとしている
それがG7にも入れてもらえないとか不満になっていた
それは日本だってそうである、鬼畜米英とか戦争になっていたのに昨日の敵は今日の友ともなっていたのである、こうして人間はその時々の情勢で変わってしまうのである
中国だってあれほど日中友好を言っていたのに今や中国が巨大化すると尖閣でも台湾でも自国の領土といい日本は黙っていろとなる

日中友好のときは中国は弱小国だったし日本は先進国で大国にもなっていた
それが逆転したとき昨日の友は今日の敵だとなってしまう
これが人間の真実であり人間の友好関係などもろいのである

「中国では井戸を掘ってくれた人を
 大切にします。

  1972年の日中国交正常化は、
  田中先生のご尽力によるものでした。

こんな時代もあったがまるで今は違う、ウクライナに侵攻したロシアをみて日本が制裁したら強い国には逆らうなとか言っている
つまり過去に日本が援助したことなども感謝もしないなのである
「昨日の友は今日の敵」なのである
そういう繰り返しがカルマが人間であり国際関係でもあったのだ
特に国際関係になると三国志の世界でもある、他国は信用できないのである
だから相手の国の国力をそぐことをしていた
相手に力をつけさせないのである、参勤交代にしても日本を治めるのに大名の力をそぐためにしていとなる
ある一藩だけが大きくなることは危険になる、反乱を起こされたりしたら危険になる

ロシアにしてみれば第二次世界大戦ではアメリカとも協力して多大な人数の犠牲をはらったのになぜか冷たいとみるようになった
ただ冷戦の結果としてそうなった
ともかく条約とか交わしても破られるし実行されない、誓っても誓いは破られる
これが人間の現実である、そういう人間の業みたいなものが変わらないから同じことを繰り返しているのだ
歴史は繰り返すというとき人間が本質的に変わらないからそうなる
カルマを繰り返すのである、カルマとは繰り返すこだからである
それは人間個々人にも必ずあてはまる、延々と同じことを繰り返しているのである
誓いを破らいなのは契約を破らないのは神しかいないとなるのだ
だから誓うなというとき人間は誓っても守れないからである

ただ今回はNATOにウクライナは加盟していないし条約も結んでいないから軍隊を送らないとしている、条約は大事だとしている、でも条約はすべてではない、破られる
だから安保条約にしても日本が本当に中国でも攻めて来たら守るのかとなるとわからない信用できないのである、要するに自国は自国で守らない限り守れないということである
だから核を持てとか戦争の準備をしろとかではない、戦後は防衛は全部アメリカまかせになったことが問題である、そこで軍備に力をそそぐことがなかったから経済的には高度成長があり豊かになったのである

結局国際関係は戦国時代と変わりない、弱肉強食の世界なのである、弱者化すれも襲ってくるし強くなれば弱者を襲ってくる
これが人間の本質なのである、それは個々人でもそうである、相手が弱ってくると攻めてくる、それで自分の家でそうなったことを延々と書いてきた
あらゆる人から攻められるだけだったからである

諺(ことわぜ)というとき金の切れ目が縁の切れ目でもそうである
たれも嫌というほど味わった、たいした縁でもないがそうして全部切れたとなる
金があるうちは関係しても金がなくなるととたんに寄り付かなくなったりする
まず金を払いそうしたら多少助けてやるとかになっている
最初から相手が弱ったら金をまずよこせとなる、相手も借金していたからそうなった

今回のロシアのウクライナ侵攻はいろいろ考えさせられた
戦国時代の再現でもあった、ゼレンスキー大統領が私は家族も自分もキエフにとどまり戦うというときもそうである
戦国時代なら城に籠城して戦う、そしてロシア側にすると大統領の首をとりそれで今度はロシアの傀儡政権を作る、戦国時代の再現のように見えた
だから大統領は殿様であり相当な覚悟を必要な地位にある、何か権力を得て贅沢をするとかではない、犠牲にもなる立場にある、それで何か原発事故で当時の南相馬市の市長が逃げたとか話題になった、これは嘘だったらしい
ゼレンスキーはキエフにとどまるということを声明した、それだけの覚悟を見せた
こういうとき何か真価が試されて発揮されることがある
ただ情勢はこういうとき刻々変わるから理解するのがむずかしいのである

これは台湾有事とか尖閣占領とかとも関係している、アメリカはどこまで中国と戦う決意があるというのがわからないのである
中国は日本に対してウクライナを見て制裁などするな黙っていなとなる、強い国には手を出すな黙っていろと言っている、恐喝しているのである
日中友好の時代とはまるで変ったしまったのである
強者になったとき変わってしまったのである、だから人間でもこうして変わるから信用できないとなる

いづれにしろなぜこのロシアの侵攻が恐怖だったのは何千発の核があるとか脅したことである、だから核というのは怖いのである、それを実行したら人類滅亡だからである
それでまた戦争ができないようもなった、でも小競り合いでもしているときなんかの調子で核を使いそれが拡大すると怖い、戦術核とか言っているから一部核を使用するとまでなっているからだ、核兵器と原発も武器になる、放射性物質をばらまくぞとなると武器になる、つまり人間は戦争では何でも武器にしたからである
モンゴルではペストが広がったとき、ペストに感染した人間を城にほうりこんだ
どんなことでもするのが戦争になる、歯止めがきかなくなる
核を持っていること自体大きなリスクでありそれで人類滅亡の恐怖におののくことになる

グロ−バル社会になるとどこかで紛争があると世界全体に影響する
即座に報道されて恐怖する、それが戦前とかの相違であり情報社会の中で起きるから実況中継もある、それを面白がる人もいる、そのことで自制することもある、つまり世界世論がインタ−ネットで形成されやすい、それも見方がいろいろあるにしてもあまり残虐なことがわかると世界世論が形成され責められ不利になることがある
それが情報社会のいい点ではある、でもロシアで情報統制されるし中国でもされる
民主主義国家でないとそうなる、だから政権を倒すことは簡単にできない
暗殺とか暴力になってしまうだろう、それが内乱にも発展する
内乱になると外国勢力が入り込み複雑化してくる、そして犠牲も増える

ただこれが見過ごせないのはグロ−バル化で直接日本にも関係してくることである
実際ロシアは北方領土問題とか隣国でもあり直接関係する国なのである
日本の方に向いていた兵をウクライナに集めたというのもそうである
ロシアは領土が広いから支配するのもむずかしいとはなる
中国人がすでにロシア領内に入り込んで商売して中国人の国のようになっているというのもそうである、そしてシベリアのような寒い地域には住みたくないとなり人口は増えないのである
結局ナポレオンでもナチスドイツでもモスクワまで攻めても負けた
寒さに負けたともなる、寒さが障壁となっていたのである、日本は海が障壁となっていた地政学的にロシアは寒さで苦しめられていたが防衛では有利になっていた
気候でもやはり戦争には常に関係して勝敗が決められるのである
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2022年02月25日

ウクライナのチェルノブエリがロシアが占領 (東欧という複雑な地域の歴史)


ウクライナのチェルノブエリがロシアが占領

(東欧という複雑な地域の歴史)

チェルノブエリがキエフの近くだった、100キロくらいの距離だったのは意外だった
みんなもその場所が意外と認識していなかった
私の住んでいる場所は丁度原発事故を起こした双葉とかから30キロであり仙台市は70キロくらいである、するとチェルノブエリは仙台市くらいの距離にあった
ロシアというと広いからキエフはそんな近くにあったのかと驚く
こうして常にその場の認識ができない、まして世界となるととてつもなく広いから世界を認識できないし誤解がここから生まれやすいのである

そもそもそんな近くでチェルノブエリがあったということは危険な場所にあった
とういうのは映像で見たらそこは広い大陸だから近くにキエフのような大都市があることを認識していなかった、遠くに離れた原野のような所にあるとみていた
だから人々事故後にそこを捨てて他の場所にみんな一斉に移動して誰も住まなくなって
廃墟化した、テレビの映像ではキエフが近くにあるということを報道していない
つまりテレビだけの報道では全容を知り得ないのである
そこから常に世界的事件があったとしても誤解が生まれているのだ
それは日本だってそうである、その場所のことが実感できないからである

それで地理を認識する時大陸なら川を中心にみる、どこまでも平坦な地だったら境となるものがない、するとどうしても大陸の河は大きいから境界になるのである
今回でもドニエプル河の西部と東部があり東部はロシアが支配して西部はヨ−ロッパが支配して分断されるというのもそのためである
キエフの位置はベラルーシに隣接していた,ベラルーシとかなるとなじみがない
ルーシとはロシアのことである、ここもモンゴルと関係して複雑な民族構成になった
そこにユダや人が多く問題になった、何かユダヤ人が勢力があるのがなかなか理解しにくいのである
何しろ様々な民族が混交している大陸でありその民族の興亡が激しいのである
それは何かこうして戦乱があると大量の移民が生まれる、そこで大きな変化に見舞われるのが大陸なのである

歴史的にも、地理的にもウクライナは、ロシア=スラブという環境の中で生きていくしかないだろう

大国ロシアから見れば不思議な話だが、ロシアはつねに西に位置するスウェーデンやポーランドの侵入を恐れてきた。とりわけカトリックの宗教騎士団の侵攻である。ロシアは正教会であり、13世紀のアレクサンドル・ネフスキーの名前はカトリックの侵入を阻止した人物としてロシアの歴史に刻まれている

ウクライナにとって不幸なことは、エネルギー資源を含め最も豊かなのが、この東部であることである。だからウクライナはこれらの地域の分離独立を認めることはできない。

ウクライナを流れるドニエプル川そしてドネツ川(ドン川)が、ロシアへつながっていることだ。北の海しか持たないロシアの重要な輸送路は、黒海である。黒海に入った船はロシアに向かってこれらの川を上る。これと良く似た不幸な地理的地域がドナウ川流域だ。ドナウ川はルーマニア、ブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロバキア、オーストリア、ドイツ(流域を含めるとウクライナも通る)を流れる。これらの国は、一蓮托生であり、勝手な行動を取ると紛争に発展する。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20220225-00514936-toyo-column

つまりこうして大陸では大きな河が地政学を構成しているのだ
riverとはライバルのことでありそれが河が地政学になり歴史を作ってきたからである
こうした歴史があり歴史は繰り返すとなる、川がカルマを作っているのである

ロシア南部のルテニア地方に生まれ、1520年頃、この地を略奪に来たタタール人によって奴隷となります。イスタンブールへ連れていかれ、裸で競りにかけられました。

ヒュッレムはそのなかでもひときわ目立つ美貌を持っていて、彼女を買ったのが、なんとオスマン帝国の大宰相パルガル・イブラヒム・パシャだったのです。

「スマン帝国外伝 愛と欲望のハレム」ここに連れてこられたのがヒュツレムだった
ルテ二アとはルテニアの国民としての意味のルテニア人は、ウクライナ南西部の民族ルテニア人(ルシン人)のみを表す呼称とは異なり、広義の『ルテニア人』である。
ルテニアには歴史的背景からユダヤ人が多く、その多くがルテニアの経済を支えている。
様々な民族が混交しているからわかりにくくなる、ユダヤ人は常に迫害されてきた

その中で「ユダヤ人が井戸に毒を盛ったから死んだんだ」とするユダヤ人説があります。ユダヤ人にはこのペストの犠牲者が少なかったからです。

「ユダヤ人の歴史 迫害の克服と信仰の保持 」 黒川知文先生(ユダヤ教編)
https://www.circam.jp/essay/detail2/id=4812

1923年(大正12年)の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である

これと同じだった、だから人間に起ることは世界でも共通していると思った
ただ世界となるとわかりにくくなる、特に宗教がわかりにくいのである
同じキリスト教でもカトリックとプロテスタントとロシア正教会とかさまざまな分派があるからわかりにくくなる
ただ人間には世界でも共通していことが起きる、それはやはり人間だからだとなる
つまりロシア人もスラブ人でありスラブとしてのアイディンティティを持っているとなるそのためにウクライナと旧ソ連にこだわる理由がある、イスラエルのユダヤ人はこの東欧とかロシアのユダヤ人が主だとしている

ヨ−ロッパとは何かというとき民族的にはラテン系がイタリアとかスペインとかフランスでありプロテスタントがアングロサクソンでありドイツとかイギリスとか北欧になる
東欧はロシア正教会はギリシャ正教会の分派だとなる、それでスラブ民族主義としてアイディンティティがあるとなる
世界で主流となったのはアメリカに移住してたアングロサクソン系だとなる
アグロサクソンが資本主義を作ったともなるからだ

このロシアのウクライナ侵攻でもこうして地政学と歴史のカルマが必ず関係して来る
今だけを見てもわからない、また地理を知らないと理解できないのである
何か起こる時take placeであり場所が問題になるからだ

ともかくチェルノブエリの原発事故と福島の原発事故があり福島大学でウクライナの学者が共同研究していたのが中止させられたかとありこの辺とも因縁が生まれた
そしてなぜ津波から原発事故からコロナウィルス騒動と次々に災難が起きるのか?
そしてこの原発は争乱が起きると危険になる、原発自体が武器にもなる
原発を壊して被爆させるぞと脅されるのが嫌だからロシアではいち早く占拠したとなる
またプーチンが核兵器で脅してきたのもいかに核というのが脅しだけではないか本当にいつ使われるかわからない恐怖がある
また原発は戦争になるとねらむれる、テロも原発で起きるとか言われた、それだけ危険なものなのである
武器というのはやはり持っていれば使うということになりかねない、銃をもてあそんでいたら銃を本当に使って殺人になったという映画を見た
核兵器は持っているだけで危険なものなのである
それで核戦争になるのかという恐怖にもなった、そして人類滅亡になるかという恐怖にもなる、何か一連の災難は終末現象なのかとも見てしまうのである

またプーチンとか習近平とか独裁者は全体主義は一人の人間によって暴走する
その権力を止めるものがない、結局暗殺とかしか方法がないとなる
その権力を止める者がいなくなる、恐怖政治であり倒すにして殺されるという覚悟が必要なるからだ、プーチン皇帝であり習近平皇帝になる、その権力をはく奪することができなくなる、選挙もないし政権は継続されるからだ
民主主義は権力交代がありそれで機能する、でも共産主義にはないのである

いづれにしろヨ−ロッパとロシアの狭間にあって東欧という地域は複雑でありここから問題が起きやすい、それは時系列て歴史でもそうであり地政学でもそうなのである
トルコのイスタンブールでウクライナに友人がいるとして行った人がいた
トルコは黒海にも面しているから近いのである、そこでオスマントルコが東欧地域を一時支配したとなるのだ




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2022年02月23日

ウクライナでもドニエプル河を挟んで対立がある (その地理と歴史を知らないと理解できない‐ロシアはモンゴル系統)


ウクライナでもドニエプル河を挟んで対立がある

(その地理と歴史を知らないと理解できない‐ロシアはモンゴル系統)


ucraina1.jpg




中央を流れるドニエプル川の東側は親露派のロシア人、西側は親欧派のウクライナ人、
まさにここで東西が分断されている。

こうしてノヴゴロドを含む全ルーシはモンゴル帝国の支配下に組み入れられ、ルーシの人びとはモンゴルへの貢納を強制された[1このモンゴル=タタールによる支配のことをロシア史では「タタールのくびき」と呼んでいる

13世紀、徹底的な破壊と殺戮でヨーロッパを恐怖のどん底に陥れたモンゴル帝国の襲来でキエフ大公国は滅亡、以後200年にわたってモンゴルの支配下となった。
キエフは荒廃し、住みついた無法者などが後のコサック騎兵となる。

代わりに中心地はモスクワとなってモスクワ大公国(後のロシア)が成立、ドニエプル川の東側を領土とした。
西方ではポーランド王国が勢力を拡大、ドニエプル川の西側はポーランド領となった。

ルーツを同じくする兄弟とも言えるロシアとウクライナだが、モンゴル支配後から別の道を歩むことになる。
ロシアはキリスト教正教会にモンゴルの文化が加わり、武力による独裁政治(政教一致)を強めたのに対して、ウクライナはポーランドの支配下でカトリックの影響を受けて欧米の民主主義(政教分離)に寄るようになった。

自転車旅行の日本人の報告
https://note.com/asajiryo/n/nf7d74c4a062f

ロシアのモスクワ大公国では宮廷内の貴族の1/3はモンゴル人の末裔だったそうです。そのように見るとロシアは、蒼き狼が言うように「モンゴルの血を受け継いだモンゴル継承国家である」為か、西欧に対するより東北アジアに対して深いシンパシーを持っているようです。

「カール・マルクスはこう言っています。『タタールの軛(くびき)によって傑出したモスクワ国は、モンゴルの奴隷制の血生臭い汚辱がモスクワ国の揺り籠(ゆりかご)と成った。現代のロシアはモスクワ国の変身に過ぎ無い』と」と言っています。

ロシアはモンゴルの継承国家です(2)
https://ameblo.jp/hironk2005/entry-10852570966.html




なぜウクライナでも一つの国なのか?これがわかりにくいのだ
平坦な大陸国家の境界というときライン川のような川になることが多い
ウクライナでもドニエプル川がありこれが境界となっている
モンゴルがここまで攻めてきた、そしてモンゴルの遺産として独裁政治(政教一致)を強めた、ウクライナはカトリックの影響で政教分離になった
カトリックは政教一致のはずだがおそらくそれは中世とかでありその後のことだろう
独裁政治というとき今もロシアはプーチンの独裁政治であり継続している
またアジアは中国も独裁政治なのである

確かなことはドニエプル川を挟んで違った歴史を刻んだごとである
それはライン川でローマ帝国とゲルマン民族の国が分れたことでもわかる
ローマ帝国はライン河にはばまれて入れなかったのである
つまり地政学的には大陸では河が国境になりやすいのである
平坦な平地がどこまでもつづくときそれを分けるのは河だとなるからだ

歴史とか文化を見るとき国境をみるのが大事である
国境が作られたのは自然境界と政治境界、行政境界があるが自然境界が基本にある
だから地理を知る必要がある、その地理が簡単にわからないから世界史とか世界のことが理解できないのである
まず世界を理解する基本は地理なのである

不思議だったのはロシア語を話していてもそれでもウクライナ人であり言葉は影響しないとか言っていた、確かにウクライナ語にしても方言のようなものである
ドニエプル川 (ドニエプルがわ、 ウクライナ語: ДнVпроドニプロー ; ベラルーシ語: Дняпроドニャプロー ; ロシア語: Днепрドニェープル )
発音で共通しているから方言と同じである
日本だったら言葉が違っていると日本人なのかとなるがウクライナではないことがこれでわかる、方言のようなものだから通じるのである

ともかくロシアとは何かわかりにくい、ロシアがモンゴルの末裔だとするとアジア人でありヨ−ロッパとはルーツを異にする、文化の相違もあるとなる
ロシアでは知識人が尊敬されず肉体が強い者が誇れる者となるとしている
だからプーチンでも筋肉隆々な肉体をみせびらかしていた、柔道もしていたのである
そういう価値観はまだ野蛮性がある国なのかとなる

なぜヨ−ロッパとロシアが対立するのか?

その原因がロシアはもともとアジアであり文化も違っていたからなのか?
アジアというときトルコは突厥でありアジアから中国周辺から移動してきた遊牧民なのである、トルコとなる何か日本人と似ていた顔の人がいたので親しみやすかったのである
あの辺になるといろいろな人種がまざりあってわからなくなる
ただロシアが実際はルーツがアジア人でありアジアの方にルーツをもっているからヨ−ロッパと対立しているのかともなる
不思議なのは日本人もアジアであるが唯一西洋化した国なのである
ロシアとか中国は西洋化していないのである、独裁国家でも共通しているからだ
すると日本がG7で欧米についているのも不自然だともなる
でも確かに日本は欧米についていても違和感を感じているだろう
キリスト教国でもないし民族のルーツでもヨ−ロッパとは違っているからだ

いづれにしろこの紛争の影響は福島県だと福島大学でチェノブエリがありウクライナ人の学者も共同で研究していた、それができなくなったとしている
トルコのイスタンブールに行ったときなぜかウクライナに友人がいるからと行った人がいた、日本人でもこうして世界でも身近なになっているのだ
ただなぜロシアはヨ−ロッパと対立するのか戦争も過去にあったが寒さで敗北した
それはやはり歴史的に文化でも共通性がないから対立するのかとなる
でも勘違いしているのはロシアがヨ−ロッパと近いようにもみえる
でもヨ−ロッパとアジアの中間的位置にもある
ヨ−ロッパから分化した延長のようにも見えるがモンゴルに征服されて実際はアジア系統だとなる
対立の根となるものがありそれが理解しにくいのである


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