2021年12月01日

歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 (福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化

(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

旅も交通の変化で変わる、しかし旅が行程にあり道草にあり宿にあった
とにかく歩く⇒自転車⇒バイク⇒電車⇒車⇒飛行機と変わる時見える風景も違うのである旅という時江戸時代まで歩くことだったのである
宿というときあくまでも歩く旅の行程で休む場所であり旅の行程の中に必然的にあった
宿がなかったらとても歩く旅はつづけられない
だからホテルとはホスピタルから病院の語源になっている
つまりトラベルというとき苦労を意味している、旅とは難儀なことだったからそうなったまず歩く旅だったら苦しいからそうなる、それで宿に着いたら足を洗うというのはそれだけ汚れているし疲れているからである

江戸時代に街灯などなく、江戸のような街中でもかなり暗く、町はずれにもなれば足元も見えないほど真っ暗。
というわけで旅人は「7ツ立ち」といって夜明けの少し前に旅立ち、夕方前に宿場に入って宿を探した。

何か江戸時代でも誤解するのは現代からイメージするからそうなる
街灯がないとか暗いというのもそうである、その感覚がわからない
もう夜になった怖い世界である、歩くこともできない、すると早めに歩き出して宿に着くことを心掛けなければならない、そういう当たり前のことがわからなくなったのである
一日40キロ歩いたというのも信じられないともなる
城下町の相馬市から原町までくらいなら30キロにもならない、でも原町は宿場町であった、浪江とか双葉の方でも宿があった、参勤交代とかあり必要だった
ただそれが地域の農民の負担になっていた、無償の労働でもあったからだ

現代では交通が発達して歩く旅がない、だから歩く旅がどういうものかわからなくなったそれは電車から車社会になったとき何か電車というのがノスタルジックなものとして実用があっても見るようになった、何かなつかしいとなる
そして駅が人の出合いと別れの場所であり人生の織りなす一つの活きた場所だった
人間臭い場所だったのである、今やそういうのも薄れ駅は無人化してゆく
田舎駅だとぽつんと一人くらいしか待っていない
そこで駅員がいなくなり自動化したときたまたまボランティアで駅のまねをしたことが貴重だった、人間はともかく何でも経験することが貴重だった、なぜなら人間は経験することがわずかだからである、いろいろなことを経験できないからである

それで福島中央道ができたとき今までの道を車も全く通らない、人も通らない、これは何なのだろう不思議だった
つまり福島中央道ができたとき旧道化したのである、その道沿いの店はすたれた
何か廃屋が目立った、でもサイクリングするにはいいしサイクリングロードになったのかとも見た、そこはもともと家は少ない所であった、でも車はそれなりに通っていた
今の福島中央道を見るとひっきりなしに車が通っているからだ
交通量が増えたのかもしれない、最速三〇分というのは早い、前はバスが通っていたが
大分前にバスは廃止された、でも玉野村では一日数回くらい子供のせたバスが走っているそしてバス停がありそれが過去の遺物のように残っている

相馬市から霊山を通り霊山町の小国の方に行った、その道が旧道化して不思議だった
この辺では前の街道の旧道でも結構車が通っている、でもあそこは車が通らない
ただ原発事故で牛を飼って牛乳を作っていた農家が放射能汚染でやっていけないと自殺した場所でもあった、今はソーラーパネルが問題であり反対している
実際に玉野村へ行く宇多川を上って丸森の方に行く川の上の山はまるごとソーラーパネルになっているのに驚いた、あれだと木がないか保水力がないから川の水が増すことになるただ人家がないから目立たないから気付かない人もいる
森の木材が利用されないからあのようになった、江戸時代は木材の利用で相馬藩と米沢藩と伊達藩でその木材資源をめぐって熾烈な争いがあった
それだけ木材資源が豊富な場所だったのである

いづれにしろ相馬市から宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山の方に行き霊山町に出る
道は旅するにはサイクリングするにはいい道だったと思う
八木平とか犬飼というバス停が霊山町の方にあった、これは安曇族の系統のものであり
霊山町の方まで移住して住んだのである、途中隠されるように山津見神社があったからだもちろん本元は飯館村の佐須村の山津見神社だから近いのだから霊山町の方まで移って行ったということはイメージできる、でもその海洋民の安曇族のことを誰も調べていないし語られていないのである、それも何か奇妙なのである
まず原町区には特に綿津見神社がやたら多いからである、でもその謂れもは語られていないのである、これも郷土史を調べていて奇妙でありおかしいことだと見たのである
八木沢とうげというのも八木氏の姓に由来している、この一族も安曇族の同族であり系統だったのである、だから意外だったのである

現代では旅はなくなり保養観光になった、常に宿で保養するとなると食べることに関心がありあとは温泉につかり日ごろの疲れをいやすということでもともとトラベルという苦労する旅はなくなった、第一数日では歩く旅は不可能である、一日歩いても疲れるからである、それを歩きつづけるとなると本当に苦行になるからだ
ただ江戸時代とかの宿場町は観光ではなく物を運ぶ中継点としての役割があった

最も重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index2/a0201.htm

要するに宿場とは当時の生活で欠かせないものだったのである、それは物見遊山で旅するのとは違っていたのである、もともと電車でも北海道などでは他でも石炭を運ぶものとして作られていたからである、常磐炭田などでもそうである、常磐線は東京に石炭を運ぶものとして作られていた、今になると東電が原発を作り送電線で東京に電気を送るというふうに変わったのである、やはり東京が百万都市であり消費の場になるから地方から資材を運んでいたからである

最近温泉街が飯坂でも会津東山温泉でも廃墟化した映像をyoutubeで見て驚いた
有名な温泉街が廃墟化している、それもビルのホテルが建ち高度成長時代に会社の団体旅行でにぎわった一時代が終わったことを象徴していた
何か高度成長時代の名残として団地も廃墟化している、そして日本で全国でこれから空家が二千万軒になるというのもいかに空家が増えて日本が衰退してゆくことがそれで象徴されているのだ
仙台市の人口は増えているがそれでも宮城県で六五歳の人口が三分の一とか多いし意外と丸森は12パーセントくらい人口が減っている、山の中にやはり空家が目立った
丸森は鉄道でも仙台市に行くのが乗り換えがあったり不便なのである
ただ自然には恵まれているから好きである、でも過疎化しているのである
また南相馬市で人口が増えたとしてもそれは浪江町とか双葉町とかからの原発事故関係の移住者が多いからである、地域全体を見れば人口は減り衰退しているのである
飯館村などは廃墟の村と化しているしそういうことでも相馬藩とされた地域全体では相当に衰退してしまったのである
これまで財政的に援助があったが十年過ぎてその援助もなくなった、すると財政的に相当に厳しくなる、福祉関係の予算でも相当にけずられるのである

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)
http://musubu.sblo.jp/article/189154950.html

なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編)
( 八木沢峠ー八木平ー犬養(犬飼)(いぬかい)は姓名であり安曇氏と同族だった)
http://musubu.sblo.jp/?1575552281


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2021年11月29日

グローバル経済はウィルスに弱かった (これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)


グローバル経済はウィルスに弱かった

(これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)

グロ−バル経済とはいいものだと世界で思っていた、だからこれだけグロ−バル化した
それも頂点に達したような時にコロナウィルスが蔓延してまた南アフリカからオミクロンという変異した株が現れた
それはすでにヨ−ロッパに拡散された、それはなぜかというとヨ−ロッパの植民地がアフリカでありそこで人との交流もある、また移民が来るという時もともとイギリスの植民地だった所は英語とかが話せる、またフランスの植民地でもフランス語が話せる
それでネパールのガイドが英語を話せることに驚いた

グルカ兵はイギリス軍に正式雇用されることになり、20世紀になればイギリス軍と共に世界各地の戦場を巡るようになります。
世界最新鋭の大英帝国軍式の武装を使いこなす、最高の狙撃手たちによる傭兵部隊の誕生です。
1911年にはイギリス軍における最高勲章である、ロイヤルビクトリアクロスを受賞できるようになります。
グルカ兵はビルマ、アフガニスタン、インド戦線、キプロス、ロシアとの紛争、中国との紛争、チベットの紛争を戦い抜いたのです。

第一次世界大戦では20万人以上のグルカ兵が従軍し、2万人の戦死者、そして2000を超える優秀狙撃手勲章を授与されます。
第二次世界大戦では25万人の従軍、32000人の死者、2734もの勲章受章者は輩出したのです。
なお、日本軍ともグルカ兵部隊は衝突しており、日本側がほぼ全滅する「史上最悪の作戦」として名高いインパール作戦でも戦っています。

インパール作戦においては、タル・バハダ・パンというグルカ兵が自分の部隊がほぼ全滅状態となりながらも孤軍奮闘して暴れまわったのです。

このグルカ兵はイギリスと一体となり傭兵として戦った、イギリスと一体というとき英語がしゃべれる人がいたとういことである
なぜこんなに強かったのか?それは山岳民族であり不便な所で粗末な食でも生活する環境にあったからだともなる、そしてネパールでは今でも出稼ぎ者が多い、今はネパールの女性が私の田舎でも働いていた
まともに食べられない所だから金が欲しいとなり出稼ぎ者になりその一つとして傭兵になったのである、兵隊になるという時、アメリカだと黒人とか移民が率先して兵隊になる
そこでのしあがるために危険でもなっているのと同じである
仕事がない金がないという時軍隊に入るというのが仕事になるからだ

東南アデアはイギリスの植民地化されていた、私の姉はマレー半島のシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で四年間従軍看護婦として働いていた
その病院もイギリスの所属のものだったのである

こうして南アフリカももともとイギリスの植民地であるから英語が話せる黒人がいてイギリスに入ってくる、植民地化した所から宗主国に入ってくる
それもカルマだったともなる、大英帝国がありそれがアフリカでもアジアでも植民地化したことで英語は普及したのである
そういうふうにグロ−バル化とはすでに明治時代以降その前に大航海時代から始まっていたのである、その結果としてウィルスも蔓延したのである
たたその時代は船で世界を移動していたときがあった、すると世界同時にウィルスが拡散されることはなかった
今や飛行機の時代になると世界が同時間に結ばれてウィルスは同時間に拡散されるのである、だからグロ−バル化はウィルスにつくづく弱かったのである

何かこれもカルマなのかと思う、モンゴルはヨ−ロッパまで攻めてネズミを通してペストをばらまいてモンゴル兵自体もペストに感染して撤退した
ウィルスはグロ−バル化して世界が民族が交わる時拡散されるのである
それと交通の発達によって加速されるのである
現代は過剰にグロ−バル化した、その弊害がそちこちに現れているのだ
その最たるものがコロナウィルスでありまた新種のオミクロン株だとなる
現代だとグロ−バル化と交通の発達で世界同時間に拡散されてしまうのである
ヨ−ロッパのドイツの例を書いたが回りが外国にいくつもの国に囲まれている
だからその国境線も長いから防ぎようがないのである

私が電車に乗ってヨ−ロッパを旅していたら

いつの間に国境を越えていた!

車掌が切符みせろというとき国境を越えていたのである
その時まだユーロ―の時代ではない、そのように知らないうちに国境を越えているような社会がヨ−ロッパなのである
それで他国からドイツに通勤している人がいる、そうしたらウィルスの拡散を防ぎようがない、それでドイツはあんなに増えている大きな原因だとなる
島国は日本でも水際作戦ができるがドイツとかではできないのである

岸田首相が世界中の人の入国を拒否した、閉鎖したのは評価する人が多い
それは江戸時代の鎖国にもどれとか外国人はこの際追い出せとか入れるなとか言う
鎖国となるとあまり評価されないが鎖国がすべて悪く作用したとはならない
なぜならその時朝鮮とも中国とも友好的だったからである
それがヨ−ロッパ人が白人がアジアに入って植民地化したとき世界戦争となり分断されてしまったからである

何かグロ−バル化というのはすべていいものとして作用しないことがわかったのである
グロ−バル化とは世界戦争になったことであり衝突が激化することでもある
むしろ鎖国の時は日本は戦争に負けて三百万人も死ぬというようなことがなくてすんだ
グロ−バル化は常に世界が交わりいいことのように思われて推進された
でもそこでも必ず対立が生まれて戦争にもなり多大な犠牲を強いられたのである
確かにグロ−バル化のいい面はあった、貿易とか否定するわけではない
でもそれが度を越したものとなり負の面が増大したのである

そういうことから老子の小国寡民の思想がこうしたグロ−バル化のアンチテーゼとしてすでに二千年前に生まれていたのである、そこに深い示唆があったのである
ただその時中国人の人口は一億人くらいだった、今や十四億にもるなとき二千年前とは比べようがない、一億というとき日本の今の人口である
中国大陸のような広い国でもそこに一億人ということは小国寡民だったのである
だから今の世界はもう人間でもなんでも限界なのである
もうこれ以上経済発展とか人口とか増やせないのである、地球環境が破壊され SDGs(接続可能な社会)になれないのである
グロ−バル化の弊害の方が大きくなってきたのである

そういう時にコロナウィルスが現れたのはもしかしたら神意でありまた易姓革命をうながしているのかもしれない、津波にしても原発が破壊されたのも神意かもしれない
なぜならこのまま原発を作り続けていたら日本自体が崩壊することもありえたからである現実に吉田所長は東北には人が住めなくなると言ったからである
日本に人が住めなくなるということもありえたのである

人間は科学技術で何でもわかったように見える、でも実際はわからないこと未知なことがまだまだある、ウィルスの専門学者が全く何もわかっていないことに驚いた
なぜコロナウィルスが急激に増えてまた減ったのかもその原因も全くわからない
そしたら素人並みだとなる、それは地震学者とも同じだったのである
また経済予測でも株でもわからない、それはグロ−バル化の結果余りにも巨大化してもう全体がどうなっているかなどわかる人がいないからである
それで突然株が暴落したりするのは天災と同じなのである

人間は認識できる範囲は実際は相当に狭い範囲しかできない、自然でも福島県ですらできない、浜通りとかはなんとかできる、相馬藩くらいの規模なら地理でも自然でも一体化できる、アイディンティティ化できる、でも福島県でも広いから会津とは山国であり浜通りとは全然違った風土とり地理にあるから理解できないとなる
いくら一回くらい世界旅行しても世界の地理など知りえようがないのである
人間は現実に実感として理解できるのは狭い範囲なのである、だからどうしてもアメリカとか中国とかは広すぎて理解できないのである本当にグランドキャニオンなどを見たらここが地球なのか別な惑星に来た感じになったからである

いくらグロ−バル化しても世界が情報化しても世界を理解できない
そこに必ず誤解が生まれそこで対立が生まれる、だからグロ−バル化したら世界の人々が理解しあう世界的平和の社会が生まれるということはないのである
むしろ対立が激化して戦争になるしなったのである
例えばこの辺では飯館村の大倉村と佐須村はその距離にしても数キロとかなる、6,7キロくらいしか離れていないかもしれない、それでも民情が違うとして合併しなかったのであるつまり隣村ですら合併することがむずかしいとなる、世界になったらいかに理解しあうことが至難なのかわかるのである、その理解しえないことから戦争が絶え間なく起きてきたのが人間社会だったのである

いづれにしろ国境にしろ関所にしろそういうものが邪魔だとして廃止しろとなっていたがグロ−バル化の邪魔だとなっていたがそれも人間社会にとって有効なものとしてコロナウィルス騒動で認識されたのである、どうしても何か必ず悪いものも入ってくる
そのために福は内、鬼は外になっていたのである、必ず鬼でも入ってくる、それが今回はコロナウィルスだったのである、ただこの鬼は他にもある、中国人であれ今度は日本を侵略するこめに入ってくる、支配するために入ってくる鬼に化するのである
グロ−バル化とはそういう怖い面があったことを認識した、だからコロナウィルスの不思議は神意なのかとも見たのである
神からグロ−バル化を制御する作用だったのかともみたのである

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2021年11月26日

ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか? (国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)


ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか?

(国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)

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新型コロナワクチン接種が進むドイツで1日5万人の感染発生 
5つの原因と日本人が知っておくこと
https://www.youtube.com/watch?v=89bWaba8VDY

近隣国で感染者増えるとその人達が国境を越えて入ってくるから増える
また近隣国でワクチンをしない人が多いから増えるともなる
つまり一国だけでは国境線はいくつも接していて長いから入国することを防げないのである、そこに大陸の国の問題がある、管理しきれないとういことである




なぜヨ−ロッパとかでコロナウィルスの感染者が増加して死者も増えているのか?
この理由は何なのか?それは一つではない、複合的理由がある
ただその一つとして大陸のヨ−ロッパの国境線が長いことである
それを指摘している医者のyoutubeは納得がいく
なぜなら国境線が長いから必ずどこからか別な国から入りやすいからである
それを止めることができない、日本のように台湾でもニュージランドでも水際作戦で入国者をとめるようにできない、そこで日本がこんなに感染者をおさえられたのかとなる

疫病は必ず人から人へうつる、するとどうしても人が密集して移動する都市部は感染者がふえる、それはまた交通と関係していた
日本だと長崎から入り北前船で新潟に入り阿賀野川が交通となって今の会津の城のある
会津若松に感染が広がったからである
そして桧枝岐は交通で隔離されて秘境となり感染者はなかったのである

大陸だと国境線があってもないと同じである、それで異民族の遊牧民のモンゴルとか侵入しないように万里長城を作った、都市は城壁で囲んでいた、国という時そうした城壁で囲んだ中が国であった、そこから出ると安全は保障できなかったのである
大陸では国境線があったとしても破られる、異民族が侵入してくる
それが戦争ともなり時代が変わる、様々な民族が常に移動して興亡を繰り返しているのはそのためである、つまり国境線がないに等しいし移動することが戦争にもなる
今でも大量の移民がおしよせるとそういう状態になる、もう侵入を防ぐために殺すほかないとなる、いくら人道が人権を重んじろとういっても移民によって国家が成り立たなくなり破壊されてしまう

ただなぜヨ−ロッパであんなにまだコロナウィルスが増えて死者も増えているのか?
その理由も明確にはわからない、国境はやはりどうしても越えられる、そこで人から人へうつるのだからとめられないとなっているのか?
だからEUでは国境をなくして自由に出入りするようにしたがそれが裏目に出た
人間にとって関所とか国境とかは必要だったともなる
それは疫病に対しては有効だった、江戸時代が関所だらけだったというときそれがすべて悪いものではなく疫病に対しては有効だったとなる
だから一見モノでも人でも事由に行き来するのがいいというグロ−バル化も裏目になった最近ではグロ−バル化の負の面が大きくなっていたのである
要するに人間社会では必ず何事いい面と悪い面プラスとマイナスが生れる
全部いい方向に働かないのである

人間が住むということもそれぞれの地理とか風土にあったものとして長い時間をかけて作っている、第一ウィルスはもともとそうして人間が交流しなければある一地域に閉じ込められていて広がらなかった
なぜならモンゴル帝国がネズミを媒介としてペストをヨ−ロッパに広めたとかありモンゴル自体疫病が流行してもうヨ−ロッパから撤退したとされる
それぞれの風土とか生態系が必ず影響している
その生態系を無視すると災いが生まれる、原発もそうだった、アメリカでは西海岸には地震が多いから作らなかった、そして東側に作ったのだがそこで竜巻があり地下に電源を置いた、でもそれを日本でまねて地下に電源を置いて津波で電源喪失になり大惨事になったつまり生態系とか風土を考慮しないからそうなったのである
なんらか技術も生態系と融合しないと危険だとなっていたのである
つまり数学の公式のようなものが世界に通用するとはならない、生態系風土が違っているからそうなる

国境線というのは何か人為的な人工的なものもあるが地理的な境界線にもなっている
福島県でも阿武隈山脈高原で中通りとさえぎられている、その壁は太古から変わらないのである、そのために中通りと福島市とかと一体感をもちにくいのである
むしろ仙台市の方が一体感を地理的にはもつのである
だから選挙区でも福島市と一体になっていても一体感を感じないのである

ともかくコロナウィルスは疫病として医学の問題でもあったがいろいろな問題を提起した地理とかも深く関係していた、この世に起きることは総合的なものとして起きる
原発事故だって放射線だけではないありとあらゆることが問題になったのである
そのことを私は追求してきたのである、理系が主なのものではなく文系でも深く関係していたのである、文系の力も必要だったのである
コロナウィルスでもそうだった、第一専門家が何か感染者がなぜ増えたのかとかなぜ急激に減ったのかとか皆目わからなかったというのもそうである
こんなに専門家がわからないのかと現代の科学がそんなものだったのかとも見た
だから専門家でも頼りないらないものだとつくづく思った
地震の予知でもそうである、それはただ素人とたいして変わらないものだったのである
何でもわかっているように見えてもわからないことが未だに多いというこ

地理とか風土とかに私が関心があり原発事故でもコロナウィルスでも深く関係していた
この世に起きることは総合的なものであり理系だけでは解決しないということである
まず地理とか地形とか風土とか天候が境界線になる
それは自然の定めたものであり変えることはできない、大陸だと川が境界線になった
ライン河がそうである、そこを渡ることが簡単ではないから境界線になって別の国として発展したのである、自然条件によって境界線ができるのは地理と風土が影響するからである

何か古代史でも地理とか風土が境界線になる、それでこの辺を歌った万葉集の真野の草原(かやはら)の歌がどうも風土的天候的境界線だったからだと思うようになった
なぜなら車輪梅の自生地となっている南限の地としてあったて天気でも地形でもそういう地理と風土がありここが大和王権から見ると南限の地でありその奥は未開の地とされたということもあるからだ、それはローマ帝国にとってライン河が境界線となりそこを越えることができなかった、ゲルマン人の住んでいる地域でありそこに強固な国がすでに作られていたからである

とにかく世界には何か国ができるとき地理とか風土とか深く関係している
それを無視することはできない、でもグロ−バル化ではそうした生態系とか風土とかを無視する傾向がある、経済的なものを利益を優先して無視する、そこに問題が起きる
だから日本でも中国人がはじめて日本に来たとき注目したのが魏志倭人伝で牛馬羊がいないということだったのである、まさにここに日本の風土と地理の特徴があったとなる
日本は海産物を食料とする特殊な地理と風土にあったからである
走して海に囲まれて縄文時代から一万とか暮らしてきた民族でありアイディンティティを形成して来た国なのである

だからそういうふうに長い年月で地理と風土から形成されたものがありそれが文化でありそれを無視して人間はありえないのである
だからこそグロ−バル化すること経済的に世界を均一に見ること均一にすることは問題なのである、文化は多様性だからである、ウィルスにしても風土と地理と関係していて
生態系と関係していてある一地域に限定されて発生する
それが交通が発達したりすると伝染してゆくとなる
グロ−バル化すると余計にそうなる、そうしてアメリカ大陸でも南アメリカでインカでもマヤでも伝染病で多数しんだとかある、インディアンでもそうである
それで地理とか風土とか生態系と境界線とかを無視することは危険なのである
それが閉鎖的だともなるがその利点もあった
グロ−バル化の負の面が増大してコロナウィルスで歯止がかかったということはやはりそこに自然の作用がありそうしたとなるのである




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2021年11月12日

福島中央道(相馬市―福島市)開通で寂びれた道 (中村街道からの変化の歴史)


福島中央道(相馬市―福島市)開通で寂びれた道

(中村街道からの変化の歴史)

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昭和3年編纂の「福島縣道路改盤沿革概要」によると、相馬中村街道は明治12年に信夫郡瀬ノ上村から伊達郡保原村と掛田村を経て相馬郡中村に繋がるルートとされ、同年をもって縣道2等線に仮指定をしている。
 これは当時、信夫郡の経済的中心が福島ではなく伊達/保原にあり、街道は江戸時代に福島城(現在の県庁)発、十万劫を経由するルートから変更されていたからである。
 http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-4/026.QR115-SomaNakamura/QR115-Somanakamura.htm
 
福島中央道(相馬ー福島市)ができた、そこで感じたのは今までの道が完全に旧道化した
それも車が一日数台とかの単位でしか通らない、これは何なのだろうと奇妙だった
だからなぜか廃屋とか空家が多いと見た、ただもともとあの辺の道沿いには家が少なかったし店もなかった、だからもともと家がないのだから福島中央道ができて寂れたということではない、でも今の福島中央道の高い所を走る車を見ているとひっきりなしに車が通っている、すると前は相当にやはり車が通っていたのだ
ただ今の時代車社会だから相馬市領域となると山上辺りではまだ家がありそれで家があれば必ず車をもっているから車が少なくなっても通るのである

でも玉野村から霊山の方にはほとんど車が通らない、こうなると自転車で走るのには快適である、まるでサイクリング道路になってしまった
旧道化しても六号線ができたから相馬市の城下町から浜街道を車を通らなくなることはない、結構通っている、家があれば車を利用するから車は通るのである
しかし玉野村から霊山まではほとんど車が通らない、だから何か不思議だった
そこで玉野村までとかバス停があり何かそれが道の記念にあるように見えた
そこに地名が記されているから興味をもった、まるでその土地の地名を示すようにあったからである

ここで思ったことは道の影響が大きいということである
交通とか道が変わると急激に変化する、ある街でも栄えていても急激に衰退する
そういうことは歴史上常に経験して来た
北前船とかでも鉄道ができたとき衰退して歴史になった
鉄道でも車時代になったとき衰退した、車を乗る人はそもそも鉄道を利用しないから鉄道の乗り方すらわからなくなっているのだ
そして駅で80くらいの人にあうと車の免許を返納したとかいう人がいた
そこで鉄道を利用するようになったともなる
また怪我したトラック運転手は自転車に乗るようになり坂元とか結構遠くまでサイクリングしている
ともかく今の社会が車の影響がどれだけ大きいかわかる、もう車に乗らない人は社会に適合できない落伍者だとまでなる、確かに車を持たない人をそう見ているのである
車にも乗れないのかとなるからである、確か車に乗らない人はニートとか無職の人が若者でも多いのである、だから社会の落伍者に見えるのである

ともかく相馬市から福島市方面の街道はもともと中村街道でありそれは福島市の方に行くものではなかったのが意外だった
ただ玉野村から中村街道の細道がありその道の辺に古い碑がありそこでその道が相当に古いとわかる、トンネルもある
そして玉野村は伊達と相馬の境である

伊達と相馬の境の桜

花は相馬にみは伊達に

とあるごとく境なのである、それでそこに若木神社があるのは理解できる
境を越えて入ってくる者を警戒した、疫病がもたらされるからである
この若木神社自体が相馬藩で見かけない、この玉野村にあることはもともと境だったから理解できる、ただ江戸時代の中心が伊達や保原だったことが意外である
福島市は廃藩置県で県庁があり福島県の中心になったのである
それまでは中心ではなかったのである、ただ保原とかなじみがないからこの辺は調べないとわからないのである

人間社会で交通の変化の影響は大きい、何か繁盛した場所を見るとその当時の交通の要にあったとかなる、場所が良いだけで繁盛する、それは道路と交通の影響でそうなる
ただ前からあったソフト屋は繁盛している
中央道ができても必ず寄る人がいる、それは多種類のソフトを作っていてうまいからである、みんなそれを知っているから道路の影響がなかったのである
またあの辺にはもう一軒の店もないのも影響している
ただ相馬ー福島間が45キロとなると最速30分で行けるという人もいたから早いと思った
だから途中にSAとか常磐高速のようにないのである
直通で通りぬけてゆくのである、するともともと家が少なかったにしろ店とかはもう車も通らないということでやめたともなる
町や村でも高い道路を走るので関係なくなるからだ
常磐高速でも鹿島区にSAがあってもそこにしか人は集まらない、街の方には来ないのである、そこがいくらにぎわっていても街とは関係ないのである
鉄道だったら駅前通りができたがそういうことにはならないのが車社会なのである

とにかく今回宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山まで行ったがそこが何か現在の生活が途切れて歴史の道になった感じをもった
人間はこうして交通とかの変化で昔になりそこが遺跡のようにもなる
現実の生活で活きていたものが過去のものになってゆく、そして歴史として偲ぶともなるあそこが車がほとんど通らないし行く人もいなのである
バイクが何台かとか行くだけである、だからその差が大きいと思った
江戸時代の中村街道から今度はこの道が旧街道になってしまった
ただもともと家が少ないから町とか村自体に人がいなくなるということではない
でも急激にそうなったので不思議な感覚になったのである

旧道をよぎり飛び消ゆ秋の蝶

旧道に散れる木の葉や旅路行く

旧道を来て出合いや秋の暮

秋日さし二本の松や旧道をたどりて偲びあわれ深まる


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)
http://musubu.sblo.jp/article/189129346.html
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2021年11月09日

日蓮の時代と同じ七難八苦の時代へ (中国とロシアが南から北から攻めてくる―日本存亡の危機)


日蓮の時代と同じ七難八苦の時代へ

(中国とロシアが南から北から攻めてくる―日本存亡の危機)

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他国からの侵略〈他国侵逼難(たこくしんぴつなん)〉と国内紛争〈自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)〉の二つだけは未だ起きていないからです。このままいけば、この二つもきっと起きてしまうでしょう」と警告します。なお、この警告は後に文永十一年〈1274〉年に起きたモンゴル軍の襲来「元寇」と、文永九年〈1272〉に起きた北条氏一門の内紛「二月騒動」によって的中することになります。

小の三災に穀貴(こっき)・兵革(ひょうかく)・疫病(えきびょう)があります。穀貴とは、五穀の価が異常に高騰(こうとう)する物価騰貴のことであり、兵革は戦争、疫病は伝染病や流行病などをいいます。

今は日蓮の時代と似ている、おそらく東日本大震災とか原発事故とかがその前兆として起きた、次に日本経済が衰退して穀貴(こっき)が起きる、最悪になれば飢饉になる
現実に円安になり食料を外国に頼ることができなくなり日本に入らなくなる
それで日本は今や中国に貧乏国となり買い負けて買えないのである
中国がアメリカと争っているようで依然として互いに貿易はして利することをしているのである、利するとなれば日本は今や小国だから中国を相手にしていた方がいいとなるからだ

そしてアメリカが日本を守ってくれるかというとそうはならない、アメリカ自体が衰退しているしアフガニスタンで撤退したようにアメリカは日本を守らない
だからこそ中国は強気であり台湾進攻は時間の問題だとなる
台湾の次は沖縄占領を目指している、また津軽海峡を中国とロシアの海軍の船が航行したようにロシアは北海道を占領する、つまり中国とロシアは日本を占領することを狙っているからだ、アメリカを警戒して今までは露骨には侵攻してこなかったが今やアメリカが弱体化したとなり日本占領を狙っている

日本はあらゆることで今危機になっている、自然災害でもそうだし疫病でもそうだし次々と災難が起きてくる、七難八苦の時代となる
こういう時挙国一致の内閣とか政府とか作らないと日本は中国とロシアに占領される
現実にソ連(ロシア)が北海道を占領するために日本軍が戦って守ったという事実があった

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ソ連軍は北方領土を次々と侵食して行ったが、北海道本島にはすでにアメリカ軍が進駐しており、ソ連による北海道割譲の野望は砕かれた。当初の計画通り、占守島が1日で占領されていたら、北海道もソ連の手に落ちていたことは間違いない。

島を死守し、民間人を保護し、祖国を守って戦い抜いた男達は、戦闘終了後も帰国できるはずが連行され、極寒のシベリアで奴隷労働に従事し、多くが命を落とした。(ちなみにこの明らかな国際法違反の拉致虐待犯罪による被害者は200万、死者40万とされている。)
http://www.suzaku-s.net/2007/07/shumushu.html
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つまり日本の敗戦で本当に北海道はロシアに占領されるところだったのである
そこで戦った人達がいたということは大きな功績だったと認識した
戦わなければ北海道はロシアに占領されていたのである

日本はこうして七難八苦が来て混乱して苦難の時代になる、それは明治維新の時がそうであり70年過ぎて太平洋戦争で焼野原になったときがそうでありそしてまた70年過ぎて大混乱の時代になる、
こうなった原因が日本から善神が去ったとか悪心が満ちるとかがあり法華経を信じろと説いた、今もそうである、日本人にはもう日本人の本来の心など喪失した
金しか求めない守銭奴しかいない、それは政治でも経済でも教育でもあらゆる分野で金をしか求めない、日本人の義理人情などとっくになくなっている
日本人は情も義理もなくただ金を求めているだけである

相手が弱ったとき好機だとなり相手が苦しんでいることで喜び攻めて金を得ようとするだけである、そういう非情を介護と自らの病気で嫌というほど味わった
それも金に余裕がなくなり相手のことを思う余裕もなくなったからだともなる
日本が貧困化してくるとそうして相手のことより自分のことだとなる、飢饉のようになったら食料でもなんでも奪い合いになり金持ちは鉄条網を作り守るほかなくなる
一部はなっている、中産階級が没落して極一部の富裕層と社会が分離されると国力がさらに衰退する、今でも既得権者が批判されるからである、つまり既得権者のために極一部の富裕層のために戦うのかとなるからである
そこに分断が起きて国内でも二分して争うことになり内乱状態になりそうなると外国勢が巨大化した中国がロシアがその機に乗じて攻めてくる
アメリカはアフガニスタンのように外国にかかわらず引きこもるようになる
この世は弱肉強食となりまさに日蓮の危機の時代にある

日蓮がどうのこうのと言ってもカルト教団などなんの頼りにもならない、御利益しか求めない、金しか求めないからである、その人たちが国のために犠牲になることなどしない
第一政治家はあてにならない、自分達の既得権を得るために地位についているのであり
日本のために働くなどないのである、第一創価公明は中国と親密だから中国に日本を売り渡す、それは確約している、そして中国様の配下となり地位を得て得することしか考えていない、そもそもそうして権力と地位を得たいために権力争奪のために祈って日々選挙態勢であり運動しているからである
そういう団体と自民党が組んでいて創価頼りであり自主性もない、創価公明とは中国党なのである、中国の手先であり日本を中国に売り渡して自分たち特権を得ようとしているのである、そんな政党と組んでいる自民党は危険である
中国が攻めてきたときどうするのか?もう内部に手先がいて降伏して国を売りわたすとなる、創価公明は中国の命令で動く一部隊だからである

他国からの侵略〈他国侵逼難(たこくしんぴつなん)〉と国内紛争〈自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)

国内紛争も熾烈になる、そうして内乱状態になるとそこで外国から中国にロシアにつけいれられる、中国とロシアの軍の船が津軽海峡を通ったということはすでに両国は日本を占領を狙っているとなる
それはアメリカが弱体化したからだとなる、その隙にそうして日本を狙って我がものにしようとしているのである

日本は今や外国から攻められるというだけではない、内部でももう経済的にもあらゆることで衰退して疲弊している、また挙国一致にするにしてもそういうことも戦前とは違うから戦後は平和であり利益優先だから金だけを求めて働いてきたから第一国のために働くということを否定してきたのである、ただすべて自己の利益のためにしか働かないようになった、それは原発事故でも補償金をもらったら他にみんな移住してもぬけの殻のように故郷がなったからである、ただその時求めたのが補償金であり金だけだったのである
何か金より大事なものがあってよかったと思うがそれもなかった
故郷の価値とは何か金だけで計れないものがあったと思うが現実は金だとなり故郷は簡単に捨てられたとなる、ただ放射線被害があるからそれは正当化されたのである

要するに日本もこうして金を求めるだけの社会だから日本も簡単に日本人が捨てるのではないか?
現実にひろゆきとかなんとか若者などはそういう意識に育った、戦後の団塊の世代でもそうである、唯一の価値が金となっていた時代だからである
外国に移住すればいいとかなるだけである、日本を逃げろ脱出しろとしている、日本などどうでもいい外国へ逃げろとしているからだ、そういう人はもう日本に住むべきではないとも思う
外国暮らし人は外国に暮らすことが抵抗がないからである,グロ−バル化ということはそういうことをかえって奨励した社会だからである

つまりこの辺のように原発事故で簡単に故郷を捨てたように日本もまた捨てるのではないか?創価公明のように中国様に売り渡すことがありまた日本人が自国を守る意識がない
そういう教育も受けていない、ただ自分自身の利益追求だけをしてきたのが戦後だからである、日本人はそもそも国という意識すら失っているのではないか?
国のためにとなったのは戦前であり過剰にまでなった、それが戦後は過剰に自己の利益のために働くとかしかなくなったからだ、それが極端だったのである
だからそういう意識が喪失したときどうして国が守れるのかとなる、そういう国とかを否定してきたのが戦後の日本だったからである
でもこうして危機になるとき日本を守るということができるのか?
結局中国ロシアに国土が占領されてその隷属下になるのか?それが問われている

今必要なのは戦前と違った愛国心なのかもしれない、愛国心でもいい愛国心と悪い愛国心がある、自分の利益のために既得権とかのために戦う愛国心と純粋な愛国心がある
それはどこの国でももっている、でも共産主義はこの愛国心を否定する、でもこの愛国心は基本的な人間のアイディンティティである、それを否定したらそもそも国が維持できないのである、だから中国でもロシアでも愛国心がありそれを鼓舞するのである
日本はアメリカに負けて占領されてから愛国心すら奪われて精神的にも従属するようになったのである、でもアメリカが弱体化して中国がロシアが脅威となるとき自国で守らなければならなくなった

ただ日本は少子高齢化であり経済も衰退しているしそれも足かせとなって国を守る気概とかも喪失している、それも危機になっている
これは中国でも高齢化社会になっている一人っ子政策で戦争となると尻込みするかもしれない、中国でもやはり大国でも個々人は軟弱している
ただ中国は台湾を支配すれば次は日本だとなる、その脅威は具体的に迫っていることは確かである
こうはいっても自分自身がもう年齢的に苦しい、むしろそうした苦難を担うよりその前に死んだ方いいとまでなる、どうしても老人は保守的になる
ただ明らかにこれからの人は苦難を強いられる、戦争経験した人の様な苦難を強いられるそれに耐えて乗り切れるのか、いづれにしろ日本存亡の危機が迫っているともなる
政治にしても大きく変革が望まれる、その兆候として維新が躍進したことは政変のきっかけとはなる、動乱の時代になってきたのである

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2021年11月08日

創価とナチスは文明病でありファシズムになる (自公政権は崩壊すべきー創価の票も減りもう頼れなくなる)


創価とナチスは文明病でありファシズムになる

(自公政権は崩壊すべきー創価の票も減りもう頼れなくなる)

●この世の王となり支配することが目的

創価とは何なのか?
それを知るにはナチスを知りまた現代文明の病理を知らなければならない
これは文明から生まれた病理的現象であり宗教とかの依然の問題だからである
そもそも宗教というときどういうふうにして生まれたかわかる
その始祖は都会から生まれていない、キリストでもエレサレムの神殿で商売している人を神聖な場所を汚すなど怒ったからである
シャカは洞窟で悟りを開いたしモハメッドでもイスラム教の始祖も洞窟で啓示を受けた
つまり現代文明の大都会とかとはかけ離れた場所に本来の宗教があった
日本だったら山伏とか山岳宗教がありそれで六根清浄とか修行したのである

現代の宗教はそうした本来宗教が目指したものとまるで違っている
文明の大都会を拠点として生れたものでありそこに宗教性がなく経済と政治と科学技術の宗教である、そこに一人瞑想したり自然と通じ合うことなどはない
宗教もビジネスであり政治であり俗的なものとしての欲望の追求である
結局ハイルヒットラーとナチスでもありハイル池田大作となったのが池田大作である
そういうものがなぜ生れたのかというと文明という異常なものを母胎として必然的に生まれたのである、オウムでもまさにそうだった、現代文明の中から必然的に生まれたカルトだったのである

キリストが試された

「更に悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」。

この世の王になることを拒否したのである
でも今の宗教は団体はこの世の王になることを望んでいるのである
ただ宗教はそのために利用されているだけである、完全にサタンに乗っ取られた宗教なのである、それはローマ帝国でもカトリックが政治組織化して本来の宗教でなくなったのと同じである
この世の王となり権力を手中にしたいということである、もちろん創価でも他の宗教団体でもいろいろな人がいる、ただ確実に組織団体の目的が宗教の悟りとか救いと関係ないのである、この世の権力を手中にしてこの世の栄華を求めているのである
だから目的は権力奪取と公然として言っているしそのために選挙活動が最大の運動でありすでに選挙態勢組織としてあり毎日が365日が選挙活動のためにある
つまり常時選挙運動しているのが創価なのである、それが信心でありとしているからカルトなのである

●団地の宗教と言われた創価の成り立ち

大都会とは狂乱と混乱でありもうばらばらの世界である、そこでなんとか組織に入って辛うじて繋がりを求める、なぜなら創価とかは戦後の焼け野原からまた東京に地方から集まった人達が作ったコミニュティでありそれで団地の宗教と言われたのである
団地には地方から出て来た人達が集まり何か田舎のようによりどころがない
田舎から地方から切り離された人達が団地に住んだのである、そこで仲間を形成したのが創価である、座談会という形式がそうである、そこで仲間意識を高めたのである
だから洞窟とはか山岳で悟り開くとか本来の宗教とはまるで違ったものである
東京とかの大都会が産みだしたものでありそれは仏教などと全く関係ないのである
何か地方から田舎から出て来た人たちが都会に出てきて不安になりそれで仲間を作る手段として宗教があった、それが団地の宗教であり選挙の宗教となったのである

どういうわけか国土交通大臣が公明党になっているけどここは大きな利権になる
公共事業でも配分するからである、それで団地には大成建設の人が住んでいた
そこで会合をしていた、大成建設と創価は深いつながりがある
それは富士山に正本堂を建てるとき請け負ったからである、そこで深い繋がりが生まれ
大成建設は創価のシンパとなり選挙運動もしていたのである
創価大学では必ず大成建設に就職する人がある、その枠を与えられているからだ
それはこうしてつながりが深いからそうなっているのである
また大銀行でも巨額の金を預けるからそこから銀行に対しても力を持つのであく
創価とはこうして巨大な権力機構集団でありそれで一番の運動の目的が選挙のなである
なぜなら選挙は一番権力と結びつくからである
自民党は創価の会員の票を得られなとと落選する人が半分くらいいるというのもそうである、つまりまとまった票を操作できるからそうなる
自民党を下支えしているのは創価の票だとなる、ただ最近は衰退しているし主役だった人達が高齢化して老人会の集まりのようだというとき最盛期はとっくに終わった
ただ辛うじて現状維持するのが精一杯だとなる

●創価でもナチスでもでもカルト教団は文明の病理現象

ともかくナチスがなぜ生れたのかと問うとこれも何か解明されていないのである
それは文明的病理現象であり文明故に生まれたものとしてピカートが解明した
それと似ているのが現代のカルト教団なのである、それは創価に限らない現代の宗教はカルトであり文明の病理的現象なのである
だから創価で精神障害になっている人が多いというときもそうである
ただこれは創価に限ったことではない、そもそも東京とかに住んで精神の正常が保たれるのか?そこからしてすでに異常なものが生まれる素地がありそれがなくなり第二第三のナチスであれ創価でも生まれるし現実に第二の創価なのか顕正会とか生まれているからだ
日蓮宗にはファナティクなもの狂信になりやすいものがあるからだ

世界でもそうだが大都会現象というのは世界的現象であり文明的現象である
そこが人間の住むところなのか?そういう場所で精神の正常が保たれるのか?
それが不可能になる、グロ−バル経済にしてももうそれは人間的なものをはるかに越えている知りえようがない世界である、そいんな天文学的な数字の金を扱っていてそれがまともな経済なのかとなるからだ
だからそれもある時世界恐慌とかなり世界的に崩壊する、とても維持できないのである
そこに株でも公正になりえない世界だからである、それで絶えず陰謀論になってしまうのである、陰謀論になるのはもう世界と社会でもとても見えないからである
誰一人としてそれを理解する者はいない、株でもそれは世界のカジノになっている
数字を操作するギャンブルとなる、そこで世界的な搾取があり極一部のものに金は吸い上げられているのである

人間が肌感覚で理解できる世界は狭いのである、まず東京とかを見渡して目まいを感じないか、こんな所に人が住めるのか、ここは一体どこなのだ、どこかの別な惑星に来たのかともなる、とてもそこが人間の住む世界でありえない、だから良くそんな場所に住んでいられると思う

そういう大都会に住んでいられること自体異常である

つまり東京のような大都会に住んでいること自体がすでに異常なのである、とても正常は保てない、ということはなんらか異常なものが必然的に生まれて来る
それがカルト宗教団体でありオウムであり創価でありナチスであり統一教会とかでもありすへて文明の異常から生れた団体である
そこで目指しているのは何かとなればこの世の権力を得ることで共通している
ただ数と金を追求して権力を得てこの世の王となることである

●私が追及してきたのは自然と一体化するアイディンティティ化すること

自分は東京に住んでいてそういう世界の異常空間から離脱して田舎に帰り住んで自然との合一をアイディンティティ化を試みてきた
自然と合一するというとき文明でも古代文明はそういうことがあった
エジプト文明でもマヤ文明でも古代文明は自然と合一するアイディンティティ化するものがあった、現代文明は自然と遊離した乖離した文明である
だから生態系と結びつかない、生態系と分離するのである、東京の中に第一生態系を感じるものがないからである、完全にビルとか家で埋め尽くされて自然を感じるものがないからである、人間が全く人工化した空間に適合できること自体が人間が異常化しているのである

そして原発事故でもなぜ起きたのか?それは本来は東京に作るべきものだったのである
なぜなら送電線でもコストがかかるからである
でも東京では危険だからとして福島に作ったのである、ここからして専門家や技術者は
事故を想定していたのであり危険なものであるから福島に作ったのである
それほど安全を言うなら東京に作った方が安上がりにもなったからである
原発も巨大都市東京があって産みだされたものだともなる
東京から巨大な災いが生まれてくるのである、それはもう人間的なものをはるかに越えたモンスター都市でありそれが災いを産むのである
ナチスであれオウムであれ創価であれ他のカルト宗教団体でもそういう大都会の異常の中から必然的に生まれてきたのである

東京から離れていても東京という巨大都市は回りに影響する
それが原発事故になったしコロナウィルスの時も東京が震源地となり地方に拡散されるという恐怖があった、それで福島から放射線被害を逃れた人たちが放射能がうつるから来るなと言われたのもそうである、そして逆に今度はコロナウィルスがうつるから東京の人は来るなとなったのである、これもカルマだったとなる
実際に東京という異常な大都会から回りに地方でも影響する
東京は災いの都市となるのである、それは一千万の人口をかかえているのだからその圧力が周りに起きる、回りも地方も災いに巻き込まれるのだ
その一つは福島に作られた東電の原発だったし創価とかでも東京から地方に拡散された
何か悪いものが核散されるのである、そもそも宗教は都会から生まれていないからである
私は東京を脱出してその正反対のものを追求して来た、自然との合一でありアイディンティティ化である、山や木や石と一体化することであり詩にしてきたのである

ただその東京のようなモンスター都会があってそれが飯館村を崩壊させたともなる
原発を産みだしたのはやはり大都会であり東京でもあったからだ
ただ価値観としては現代文明の一員として同じだったのである
みんな電気がなくて生きられるか、車がなくて生きられるのか、石油がなくて生きられるのか・・・・こういう意識は田舎の方が地方の方が強いからである
だから車でもいい車が欲しいとなるし電気なしで暮らせるとかなるかもっと贅沢したいとなっているのである、それが原発は金を産みだすから金のなる木だからそこで利益を得よとすることで眼の色を変えて誘致したのである
それで東京と地方のこの田舎でも同じ文明人でありその求めるものは同じだったのである

でも自分の場合、別に電気でも使っているし現代文明の生活をしている
ただ違ってるのは車はもっていない、だから文明的生活からここだけははずれている
あとは文明的生活をしているとなる、それでも精神的なものとしては文明を拒否して
自然との合一を求めてきたのである、そういう場所として田舎があり地方があったとなるともかく現代は文明は異常であり正常が保てない、実際は東京などは狂乱状態にあるともみる、そこで平静は保てないとなる
そして腐乱している、モラルも荒廃している、美もそこにないのである
そういう場所で宗教など全くありえないのである、宗教がある場所はもともと山岳とか清浄な場所にあったからである



posted by 老鶯 at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年11月05日

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値)


日本の空家が2000万軒に

(空家の隠された庭の価値)

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隠された庭

御影石の一つのテーブル
秋日さして組まれた石の庭
ここに隠されて残りぬ
ここに家族は集い休みぬ
何を語りしか暮らしのあり
名残りに咲きぬ花々や
蝶の舞い来たりて遊ぶ
今住む人なく隠されありぬ
田舎町の一隅の空家の庭
そこに座りて他者の生を偲ぶ
またこの町を偲ぶ
ただ隠されて知ることなしも
かくしてこの世に隠されて
価値あるものの見いだされざるもの
無数にありて知らざりしかな

石のテーブル

一つの御影石のテーブル
そこに集いし幾人か何語る
秋の日さして我も座しぬ
この庭を常に見て家族あり
信頼と愛はここに育まれぬ
石と石は堅く組まれて結ぶ
名残りに花々は咲きてあわれ
一つ一つの家が町を構成する
その一つの家をここに知る
ただ今になりそれを知る
かく身近にも知られざるもの
あまたありて人は気付かず
その価値にも気づかぬ
過去の価値あり今の価値あり
無数の価値はただ発見されずある
人は金にならぬものは価値なしと
その目はただ利益のみ求めるばかり
そして価値あるものは見出されず
忘却されてありしかな





この庭は本当に不思議だった、それがすぐ近くにあったのである
それに気づかなかったのは全く外から見えなかったからである
また人が住んでいるようにも見えたからである
空家とも気づかなかったのである
庭にはいろいろあり違っているから価値がある
京都だったら庭を見ることが観光にもなっているからだ
ただ庭はわかりにくい、それは中に入ってみないとわからないからである
外から見てはわからなことがある、この庭はいい庭だとみても外からだとわかないし塀とかに囲まれていても見えないからわからないのである
ただ私は石が好きだから庭を見るのである

とにかく空家がどこでも増えている、第一この辺では町自体が空家化したのである
原発避難区域は今でも空家の町となっている、これも衝撃である
外から来た人達は興味本位に空家を見にくる、でも一軒一軒の家が空家化するときなにがそこる喪失感を感じる、

つまり人間は何でも失って見てその価値を知る

人間は人間でも生きている時はその人の価値がわからない、親でもわからない、死んだ時その価値を知る、かけがえのないものとしての価値を知る
それを自分でも親でも全部死んで知ったのである、誰も頼るべき信じるものがなくなったと知ったのである
ただ町自体が街か通りでも廃墟化するゴーストタウンになることはイメージすらできなかった、それがこの辺では本当に町や通りでも村でもゴーストタウンになった現実である
それが空想ではなく現実として起きて今でもそうなっているのである

この空家にしても戦後だったら必ず誰かが利用していた、それだけ人口が多かったからである、こうして誰も利用しない空家などありえなかった
でも今や全国で800万軒の空家があるし増える
それより市町村が空家化してくる恐怖である、家にしても一軒一軒何かしら価値があるとするとその価値が失われることにもなる

驚いたのは福島県の会津の東山温泉でも飯館温泉街でも空家化していたことである
それは全国でもそうであり温泉街はコロナウィルスでも外国人が来なくなり廃墟化した
大きなホテルなどもそうである、それは高度成長時代とか会社の団体旅行が盛んな時に建てられたのである、それも今やただ繁栄の跡が廃墟化とする
それも歴史的文化的価値あるものとして遺跡のように残されるならいいか温泉街はそうともならい、ただ廃墟趣味の人はが回るだけだとなる

空き家が地域で問題視される1つ目の理由は、空き家が増えているということです。2013年の総務省調査によると全国の空き家数は約820万戸、全住宅の7戸に1戸が空き家という状況になっています。これが、2033年頃には空き家数2,150万戸、なんと全住宅の3戸に1戸が空き家になってしまうという民間予測となっています。

ある道路の利用家族数が100家族から50家族まで半減してしまった場合、1家族あたりの道路維持の負担は倍となってしまい、他にも、スーパーや銀行、クリニックなど、生活に欠かせない施設の撤退も起きてしまい、空き家の増加はその地域の魅力を低下させてしまう原因となってしまいます。
https://www.akiya-akichi.or.jp/what/troubles/

その他空家放置しておくとネズミや獣でも入りこんできて荒らされる、それが近隣の迷惑にもなる、家は痛んでいるのでそれが通りにあるとイメージが悪くなる
空家が多くなることは街でも村でもイメージが景観にも影響してくる
ただ空家を利用するにも結局高齢化社会でますます老人は維持できなくなり放置する
もし人口が増えている時だったら誰かが利用していたのである

原発避難区域などは若い世代が流出して帰らないから老人だけだからそんな町や村が維持できるのかとみる、だから日本全国でも少子高齢化かは日本の衰退させる
でも世界的に人口は減少する、これ以上地球の人口は増やせない、だから人口減少自体は高齢化は世界的なものなのである、中国自体もこれからそうなるからだ

とにかく一軒一軒に何かしら価値があったときその価値が失われてゆくことである
その価値の喪失はこうして一軒一軒廃墟化したときしみじみと感じたのである
ただ庭が残っていたことでそこが価値あったなと自分は見たのである
それは何か歴史的文化的価値になったとのかとも見る
ただそこまで価値が認められるのかとなると空家がこれだけ増えれば壊されるから残らないともなる




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2021年11月02日

人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ? (一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ?

(一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


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今回の選挙で立憲と共産党が組んで議席数を減らした、予想もはずれた
これは何なのだろうと思った、これだけ自民に批判があってもそうなったことはなぜなのだろうか?
それは共産党と組んだことが立憲の失敗だったとなる
共産党が意外と不満があっても人気がなかったのである
それにしても小選挙区は二者択一だから自民党に不満な人は立憲に入れるほかないから
議席を減らしたとういことはそこに何か根本的な問題があって負けたのかとなる

その原因を追究してゆくと共産主義とかイデオロギー政党とか創価公明のようにな宗教政党には問題がある、創価公明は自民党とくっついて何とか党勢を維持しているがそれも
投票率の低さでもっているようなものだから組織票に有利になっているから持っている
でも相当に支持する人たちは減っている
ただ必ず底辺層がいてその人たちの不満のはけ口としてある
支持層が公明と共産党では同じだからである
本当に底辺層の住宅街では共産党と創価に入っている、おそらくどちらかに入らないと住んでもいられないとなっている
どちらかの仲間になっているからである、でも何かそうして底辺層だけが集まると豊かになれないこともある、むしろもしかしたら金持ちの家で働きたり金持と付き合うとその恵みが回ってくることもあり得る、その土地で豊かになることは何かしら富を産みだすものがありそれが地域に回ってくるといかことがあるからだ

人間には確かに宿命がある、例えば生まれる国とか地域とかを選ぶことはできない、生まれる親を選ぶこともできない、また資質とかも受け継ぐからこれも変えられない
それは宿命だとなる、でも宿命がすべてなのかとなるとそうでもない
勉強するにも環境が大きく影響する、勉強する環境がなかったらいくら資質があっても才能を伸ばすことができないのである
まず私の子どもの頃は家に一冊の本もなく子供部屋もなく家で学習する環境が何もなかった、読んでいたのは貸本の漫画だけだったのである
こういう環境では自主的に何か興味をもって勉強することはできない
勉強するというとき自分の興味と自主学習することで伸びるからである

その後も地方ではまず本が売っていないのである、専門書は売っていない、すると仙台市まで行かざるをえないのである、そのハンディも大きいものだった
独学するにもできない環境だったのである、でも今の時代なら本などいくらでも読めるしインタ−ネットのyoutubeだけでも相当に学べる、大学の先生より優秀な先生から学べるとなるから有利である、だから時代が違ってもこうして差が生まれている
学校に行けた方が増しだということもある、大正生れとかなると子守りさせられて字さえ学ぶことがてきないという人もいた
ネパールの山の中では学用品がない、それでボールペンも無いかちくれとなっていた
その差もまた大きいのである、そういう場所で医者になりたいという人がいるのは医者がいないから病気になっても治療できないからである
でもそういう場所で医者になることは容易ではない、学習する環境がないからである

それは個々人の宿命ではなく全体の宿命でありどうにもならない
また個々人の家族でも恵まれた家族とそうでないものがありその家族もまたみんな違っているのである、だからなぜそうなってんいるのか?宿命だとなってしまう
ただその学べる環境は平等に整えてやるということは必要なのである
それでも資質がありそれは変えることはできない、宿命としてあるものを変えることはできない、そういう宿命とかどういう家族に生まれるかなどは謎であり解決しない
でも家族には家系には何か運命があり謎があり不可解だとなる

そもそも聖書とかでは神の選びがありそれは変えることはできない、神はある特定の人を選び神がその人を導いたのである、その選ぶということは神がするものであり人間側にはその決定権はないのである、そもそもイスラエルが神に選ばれた民族だというとき一個人を選んでその家族を選んだのである
それがアブラハムになり万民への神の祝福となる基となったのである

ではもともとあらかじめ神の選びは決められるとしたら何をするのも無駄だとなるかのかそういうことはキリストが現れて以来なくなった
万民への神の祝福として神が現れるようになった、だから誰でも求めなさいとなり求めれば神の祝福を受ける、神から永遠の命をさずかるとなった
その選びは国とか人種とか関係ないのである、求めることとまた魂が砕かれるとか試練を得れば誰でも得られるものになった、でもそういう試練を得なければ得られない
どんな裕福の家庭に生まれてもかえって得られないし恵まれた家族でもすべてがいいとはならない、かえって放蕩したりして身を持ち崩す人もいるからだ
裕福な恵まれた家族ても道をはずしやすいこともある
キリストが金持が最も天国に入りにくいと言って金持ちの家を去ったのでもそうである

いづれにしろ人間は平等ではない、また平等を求めると不平等になる
そこに共産主義が平等を求めて不平等になった原因がある、何かみんな平等でないといけないとして強制されたのである、結果的に大殺戮になった、それは人間がどういうものかを見ることを誤ったのである、人間にはそれぞれに宿命がある、でもその宿命がすべてを決めることにはならない、みんなその宿命は同じではない、だからその宿命を同じにしようとすることは過ちだとなる
淡路島でタマネギが甘く特産物になっているのはそこにその土地の様々な作用でそうなった、その土地の宿命があり甘いタマネギが作られるようになった、土地の影響とか風の影響とかその風土が影響して特産物が生まれたのである
そういうことは人間の力ではどうにもならない、宿命としてあり他ではまねることができなともなる

だから宿命とは変えることができない、でも宿命がすべてとはならない、第一環境でも時代時代によって違ってくる、環境が改善されるとそこで宿命も変わり才能でも活かされるとなる、戦争中に生まれて死んだ人は優秀な人がいてもその才能は活かすことができなかったからである、そうしていくら才能があっても活かせない人は無数にいたのである
人間の才能にしてもある家族からそういう人が出るとしてもそれはその家で積み重ねたものがあり環境が改善されて才能でも活かされたとなる
第一家に楽器もないピアノもないとしたら音楽の才能があっても活かせないからである

人間はともかく平等を追求すると不平等になる、それが共産主義の過ちだった
一律に人間を同じもののように見ることはできない、宿命も違っているからできない
もしそうして強制的に同じものにするときカンボジアであれ大量殺戮になったのである
ただ人間にできることは富の不公平があればやはりそれは同じようにする
学習する環境や教育費は無料で提供するとかする、そうすれば不平等はなくせる
でもそうしてみんな平等にすることはできない、その資質でも違っているからそれを同じようにすることはできない、その人の興味をも違っているから平等にできないのである

そもそも人間の運命は不可解なのである、例えば誰でも危険な目にあう、あの時死んでいたとかふりかえる、それは幸運だとかなる、つまり何かしら運不運の作用がありそこに神が関与していたのかともなる、それも謎なのである
神が人間の運命に関与することはありうる、それが聖書の歴史てありだから奇跡が欠かせないものとしてあった、奇跡なしでありえないからである
聖書の時代は一つの民族集団に奇跡が働きイスラエルに導いたとなる
神が導いたのである、つまり人間の力ではない神が導いたのである

でも共産主義となると人間の力で平等にして導けるとなった、だからそこに無理があり大量殺戮にもなった、だから人間の運命は簡単に平等化できなものがある
それは余りにも複雑でありそれぞれの家の運命も宿命も一様でなく平等ではないからである、そういうことは共産主義とかで平等にできないのである
それを平等にしようとするとき無理があり大量殺戮になったのである

何か不思議なのは運はめぐってゆく、俺は不幸ばかりだったなという人がいて運命を呪う人がいる、でもいつか運がめぐってきて楽になるということもある
それは人めぐり合わせでもそうである、不運だった人がいい人にめぐりあって幸運になったとかある
宗教とか共産党でもその巡り合わせを強制的にすることが問題になる
不幸な人たちを集めてみんな平等に幸福にしようとすることで失敗する
そこで成功しているのは不幸な人達を集めて勢力化して権力化して幹部は利益を得て豊かになる、でもその人を支持している人達は依然として不幸なのである

ともかく創価でも共産でもそうして運命を平等にしようとすることがある
でもそれがなかなかできない、近くの創価には入った家ではなぜか息子が若くして病気で死んですぐに母親も死んだのである、別に創価に入れた人は経済的にも家族でも恵まれている、ではなぜそんなに不幸になったのか?それが不可解なのである
別に創価に入ってもそういう人はいくらでもいる
何か必ず家の周りに自殺した人が何人かいる、それは自分の回りだけではない、聞いて見ると必ずある村であれ地域であり自殺した人が何人か平均的にいるのである
だから不幸になる人は必ず平均的にいるということになる
それはなぜなのか?その理由が良くわからないのである
ただあらゆる人は不運になる、自分自身も親二人の介護と自分の病気で死ぬ思いしたからである、その時母親は自殺するところだった、苦しくてそうなったのである
そういうことはあらゆる人にめぐってくる、それは宗教団体に入ってもそうである
ヨブのような苦しみは実は神が試練として苦しみを与えたとなるからだ

いづれにしろ人間の運命はどうしても説明がつかない不可解なものがある
一様にはできないし数学の公式のように解決ができない
運不運もありそれもなぜかわからないのである、だから人間を一様に数字のように見ることはできないのである、共産主義は人間を一様にみて失敗したのである
また宗教団体でもそこに入ったからといって解決しない、かえって不幸になる人も多いのである、その確率の方が高い、それはそうして宗教を利用して信者を利用して幹部は権力を得るとういことがあるからだ

そのためにそうした団体に入ることは危険である、ただ利用されるだけだとなるからだ
一生をみれば長い目で見れば人間は運不運は必ずある、ただ運はかならずめぐる
恵みとはめぐることだからである、だから一生不運な人はいないと思う
苦しくても生きていれば運がめぐってくることはありうる
それは強制的に平等にはできないのである、というのはその家族でも祖父母とか親がいてそのお陰で子供の運命も変わるからである、だから一代ではそうした運不運は解決しない親の代で苦してもその次の代で実りがあるとなる

すると親は次の代のために子供のために犠牲になるともなる、何か犠牲になるということも常にこの世にはある、何ら才能も開発できず若くして病気で肺病で死んだとかいくらでも歴史にはあるからだ、そういう犠牲の上に今の人があり何か才能でも開花するとなる
栄える国でも必ず栄はめぐっている、世界史でも国々でも栄える国がありその国の栄も終わり次にまた別な国に地域に栄はめぐってくる、中国が貧困だったのにあんなに栄える国になったことも驚きだからである、そういうことは世界史では常にある
恵みは栄は一か所に家でもとどまらないのである、移ってゆく、めぐってゆくから恵みなのである
地域でもどこかの家が豊かになることは何か理由がある、その地域の特産物がとれるというときそうである、ただこの辺で原発は一時豊かにしたが反転して故郷にも住めなくなり悲惨なものになった、豊かにするものを間違えたからだとなる
何が栄となるのかその選定が誤ったとなる

とにかく運命とか宿命を強制的に平等にすることは間違っていた
だから共産主義は失敗したしカルト宗教団体もそうした不幸な人たちを利用して幹部だけが得するシステムも間違っているとなる、中国では幹部が莫大な富を得ているのもそうである、全く平等とはかけ離れたものになっているからだ
そういうふうに組織的に強制的な改革でありそれが元来無理なのである
だからこそ共産主義やカルト教団はそうした不幸な人たちを利用して幹部が得するシステムだとなる、もし本来の宗教ならそういう不幸な人達に奉仕するとなり自分は贅沢をしないからである、そういう不幸な人たちを利用して得をするというのがカルト教団であり
共産主義者だとなる

ただ悲しむ者は幸いであるというとき何なのか?

この世で苦しみ悲しみを知ってこそ人間となり同情心が生まれる、何も苦しみ悲しまない人は人間のことを知らないから人を導いたりできないとなる
でも組織的に平等を目指す人たちは自分達だけは幹部になってそういう不幸な人たちを利用して贅沢することなのである、だから平等を言っても自分たちは平等でありたくない
特権階級でありたい上級国民でありたいとなっている
それが詐欺的なものだけど気づかないから利用されているだけだとなる
そういうことをわかってきたから共産党が伸びないとかカルト教団も伸びないとなる
ただ一定数はそういう不幸な人達がいて利用されるとなる
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2021年11月01日

衆議院選挙終わる―投票率が低いのと立憲が伸びなかったのは意外 (二大政党の方がいい、創価公明と共産党は嫌われる)


衆議院選挙終わる―投票率が低いのと立憲が伸びなかったのは意外

(二大政党の方がいい、創価公明と共産党は嫌われる)


選挙に行ったけど自分の場合は自民に不満だから入れないのが普通である
公明党と組んでいるのも嫌だから入れない、そして今回はオリッピックなどを強行したことに不満だった、税金の無駄使いだと思った、それで別に立憲など共産党などは入れないそもそも共産党は自由がないので嫌だからである
また創価公明党だって確実に言論の自由などなくなる、マルクス主義と同じだからであるイデオロギー政党だからである
創価公明は完全に政教一致である、王仏冥合の思想は王は政治であり仏は信仰であり宗教が一致させることだからである、それは鎌倉時代に生まれたものであり今の時代に適合させることはできない

ではなぜ一定数の人が必ず選挙に行くのかとなるとこの思想があり信仰のために選挙に行く、一つの信仰として行為として位置づけられているしまた強制もされている
座談会とは選挙のためのものであり信仰だけのものではない、なぜなら選挙活動と信仰活動が一致しているからである
それで座談会では実際の活動は選挙活動である、なぜならそこで池田大作先生の指揮のもとに池田大作先生のためにと祈り選挙活動していざ出陣となり票をとりにゆく、それが信仰の戦いであり福運を得るためにするのである
結局の御利益を得るのは幹部だけである、あとは駒として使われるだけである
その幹部は家で立派だしいい暮らしができて御利益があるとなる
それは共産党でも同じなのである、幹部はいい暮らしをして御利益があるとなる
党員でも新聞を配達するにも無料だとかなる、結局下の者になると搾取されるだけだという矛盾がある
ただ創価の場合700万票があってもその内百万票なのか、また200万なのか300万なのか幽霊会員である、座談会に行かないしただ名簿にあるだけの会員である
その幽霊会員を票に結びつけるのが幹部の仕事なのである

ただなぜ会員が票でもまだ減っても入るのかとなるとそれは宗教の呪縛かあり減らないとなる、ただ最近は減り続けていてもうだんだん維持できなくなる
老人会のようにもなっているとなり主役となっていた人達が高齢化しているからだ
だから創価でも共産党でも下降してゆくだけである、共産党でもマルクス主義に酔った世代は学生運動した世代はもう75才とかなる
その熱気はさめた、だから意外と立憲と共産党が組んでも票がかえって減ったことに驚いたのである

マルクス主義の共産主義のイデオロギーは実験の結果失敗したのである
一党独裁となり全体主義となりファシズムともなった、それでカンボジアで3百万人が殺戮たとか頭蓋骨の山が築かれた博物館がある
これも空恐ろしいと思った、それはある意味でイデオロギーを絶対化することの危険があった、それは宗教とも似ていたのである、宗教となると絶対になるから逆らえなくなるからだ、なぜなら創価でも敵対する者は仏罰が当たるとして何百万人が罰当たると攻撃してくるから怖いのである

それが全体主義になるから怖いのである、そして罰当たるとかなりやめることができない人も多いのである、そういうことはカトリックとかにもあり宗教の歴史でもありカトリックからプロテスタントが生まれ熾烈な血で血を争うようにもなった
つまり宗教とかイデオロギーには妥協がないのである、日本の戦争でも天皇が神となり日本が神国だから負けないというのと同じだったのである
神には勝てない、逆らえないとなるからだ
宗教が妥協がない争いとなりイスラム教でもシーア派とスンニ派が熾烈な争いとなっていることでもわかる、それはカトリックとプロテスタントの争そいともに似ている
でも立憲と共産党が組んで議員数でも票数でも減ったことは意外だった
何か普通の人でもそうした共産主義とか宗教でも嫌う人が多いということである
そもそも宗教は強制するべきものではないからである

維新が伸びたということはやはり自民の批判票が立憲共産に入らず維新に入った
ということは自民が二つに割れてアメリカのような二大政党になることがいいとなる
河野とか菅とか石破とかが別な政党を作るとかなると自民が二つに割れて二大政党になった方がわかりやすいとなる、だから今回の選挙でわかったことはイデオロギー政党はもう成り立たない、そこにみんなアレルギーがある、それは創価公明でもそうである
だから自民党は公明より維新と組むようになる、それが今回の選挙の結果だったともなるただ正直この政党についてもどこに誰に投票していいかわかりにくいのである

小選挙区と比例区でも人物は関係なくなった、政党で決めるから人物を選ぶこともできない、何かすでに選択技は白か黒とか二つしかないのである
ただ批判票としては立憲とか共産ではもう成り立たない、だから維新が批判票を得て伸びたと浮動票を得たともなる、つまり立憲共産は減ってゆき自民が二つ分かれてアメリカの二大政党に近づくようになる、それが見えてきたというのが今回の選挙で見えて来たとはなる

いづれにしろ政治で社会は変わらない、みんなそうみているから意外と不満票があっても批判票があっても自民がは依然としてたいして議席も減らさなかった
ただ維新にしても何なのか理解できないのである、そもそも政党にしても理解しにくい
この理解しにくいということでも投票率が上がらないこともある
つまり理解できないからどこに投票していいかわからないからである
政策論争でもわかりやすければ投票しやすいのである、四つも五つも政党があるとまたわかりにくなる、だからアメリカのように二大政党の方がわかりやすいとなる
つまり民主主義の基本が権力の集中ではなく分散であり既得権にならないようにすることだから政権は定期的に交代することが必要なのである、いつまでも自民党が権力を持つことは権力は絶対的に腐敗するとなるからだ
それが日本ではなく創価公明のような宗教政党と一体化して自民党政権は歪びつなのである
それもただ政権を維持するためにそうしているだけなのである


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2021年10月30日

大衆民主主義は無責任体制―責任が自覚できない (でも必ず責任はとらされる、戦争でも原発でも)


大衆民主主義は無責任体制―責任が自覚できない

(でも必ず責任はとらされる、戦争でも原発でも)

民主主義の欠点はいろいろある、その最大のものが責任をとる選ばれた人ではない
選んだ方の人達である、常に言われるのは政治のレベルは選んだ人達のレベルによって決まる、愚民であれば愚民にふさわしい人たちが選ばれる
いくら選挙でふさわしい能力ある人を選ぶにも選ぶ方の人達がレベルが低くければそれにふさわしい人しか選ばれないとなる
結局数が多ければ選ばれるということ自体、大衆によって数によって決まるのだからその大衆に合わせた人が選ばれるとなる
民主主義はもう数がすべてだからファシズムとポピュリズムくなりやすいのである
ナチスは合法的に選挙で権力を得たからである

またそういう大衆であれ選ぶにしても一票でも百万分の一であり責任などない
もし一人十票を与えられたら責任をかんじるの、である、自分の十票は何か大きく政治でも左右するとなれば責任感じる
第一民主主義社会とか平等を追求する社会はまた無責任社会なのである
百万分の一しか責任がないとすればもう誰でも無責任になる
どうせ自分の一票など何の影響もないとなるからだ

要するに大衆民主主義とは全員が無責任体制だとなる
選ぶ方も選ばれる方も無責任なのである、一方で貴族社会でも日本の侍社会でも一部の人が特権を与えれている代わりに責任が重大になる
なぜ侍が切腹など過酷なことを自ら強いたのか?それだけ責任があり責任をとらされた
とった結果だとなる
それを常に自覚させられているからそんな重い責任をとったとなる

でも民主主義で責任をとるのは選んだ方でも選ばれた方でもない
選ばれた方でも選んだ奴が悪いんだとなり選ぶ方もどうせ百万分の一しか価値がないとなれば無責任になる、選挙に行ったとしても一人など何の価値もないとなるからだ
つまり大衆民主主義きと無責任体制だとなる
誰も責任を自覚しないしとらないのである
この責任を自覚しないということはいい加減でいいとなる
何をするにしても無責任にもなる、どっちにしろ責任がたいして問われないシステムだからである

でも恐ろしいのは人間は必ず責任を問われる、責任を負わされるのである
原発事故をみればわかる、不思議なのは事故を起こした双葉とか大熊からの距離に比例して責任をとらされたのである、、飯館村は例外としてそうなった
それは政府でそうしたのであるが距離に比例して住めなくなったり補償金でも決められたのである、住民は故郷に住めなくなった言うことで責任を取らされた
確かに補償金はもらったが故郷に住めなくなったことで責任はとらされたのである

でも事故を起こした東電の幹部であれ天下りした官僚てあれ多額な金を東電からもらっていても責任はとらない、これだけの被害があっても責任をとった人がいないという不思議である、それは検察自体が責任者でもあったがその検察は東電とか政府の責任をあいまいにしていたのである、検察自体が責任者であったがその責任を問うことがなかったのである
東電では事故になる前から危険なことは承知していた、配管等が老朽化しているから改善してくれとか内部の人が訴えても無視していたし10数メートルの津浪が来るから備えておけと科学者集団が警告していても無視した、コストがかかるから無視したのである
そして今頃になって防潮堤を作ったのである
こうして誰も責任をとらないというときどうなるのか?。
何があってもミスがあっても責任をとることはない、原発を運営する人達はそれなら安心だとかなり警戒を怠ることになる
現実原発で原子力村によって「安全神話」が作られた

それがもし重い責任を課せられていたら東電でも原発などやりたくないとなるからだ
ミスしたら事故起こしたら切腹だとなったらもう怖くてできないとなるからだ
でもそのくらいの責任が原発運営にはあったが無視された
そして事故後は誰も責任をとらない、ただ天下りしか官僚でも責任があったが誰一人としてとらなかった、金だけはもらうとなっていたのである
金を返すべきだと思うがそんなことも話題にもならない
なぜなら検察自体がそんなことを問わないからである、検察自体がグルだったともなるからだ

要するに無責任体制で重大なことをしていたのである、民主主義も選ぶ人も選ばれる人も無責任なのである、別に責任は必ずしも問われない、責任を問われるのは選んだ人達だとなっているのが民主主義だからである
それは一票でも百万分の一となれば誰でも責任などないのである
そんな一票など何の力にならないと見て無責任となる、何か真剣にかかわることもないのである

その点医者などは命をあずかる手術でも危険だから相当に責任を感じてしている
でも政治となると民主主義では無責任体制で選ぶ人も選ばれる人も無責任になる
それは結局国の運営でもみんな無責任になっている、国を一個人でも支えている責任があるなど感じないのである、一億人いたら一億分の一しか責任がないとなれは結局無責任であり一人は何の影響もないとして無関心になるのである

ただ必ず責任は誰かがとらされる

それは戦争でもそうだった、それを決めて実行した人達は幹部でも国民でも3百万人が死ぬという恐ろしい責任をとらされたのである
つまり必ず何かを決めて実行すれば責任をとらされる、戦争を決めて命令した人達は責任をとらない人たちがいても国民はとらされた
原発事故でもやはり故郷に住めなくなったという責任はとらされた
これは金では代えられないものであり重い責任をとらされた
でも肝心の原発を作り運営した東電の幹部でも政府関係者でも天下りした官僚でも検察と警察関係でもいたが責任はとっていない、金をもらったいても返還もしないのである

結局民主主義の問題はこうしてみんな無責任になり重大なことでも無責任になり何ら責任もとらないことにある、無責任体制になっている、それが恐ろしいともなる
なぜならそうした無責任体制で何でも決めて実行してゆくとなると結果的に戦争で国民が三百万人も死ぬともなりかねないからである
ただそういう重い責任を感じてするならいい、ただみんな無責任で実行することは恐ろしい結果になる

なぜなら必ず行為(カルマ)には責任をともなう

何かを決めて実行することは必ず責任をともなうしとらされる
だから人間の個々人の行為には責任があり責任をとらされるとなる、それがカルマだとなる、それは重いものとなる
そして現代だと金は具体的な責任となっていたのである
それでそのことを追求して来た、船主でも事故前に多額の補償金をもらっていたことが
判明したからである、その時は別にもらえる金はもらえばいいとかくらいにしか思っていなかったがが事故になってなぜそんな金を事故前からもらっていたのだと責められるようになったからである

つまり現代では金が具体的な責任となっていたのである
金を得ることが責任なのである、金をもらったら確実に責任がともなう
またその額によっても責任の重さが違ってくる、十万よりは百万もらえば責任が重くなるそれで江戸時代は十両盗むと死刑になっていたのである
その額によって計られていたのである
現代では責任は金で計られている、それが具体的な責任として見えるからである
あなたはいくらもらいましたね、ではその分の責任をとってもらえますとなるからであるだから金は本当に責任なのである、遺産でも多くもらいたいとしても多くもらえば責任が生じるのである、額によっても責任の大小が生じる
でもその責任を感じることなく金をもらえばいいとなっているのが現実なのである
でもこうして後で怖いことが起きてくる

いづれにしろ大衆民主主義は誰も責任を自覚しないしとらない

でも必ず責任はとらされる

選ぶ方にしても責任はとらされる、ただその責任は一票は百万分の一だとしら責任は自覚できない、そこに大衆民主主義の大きな問題がある
まず責任をとるというとき責任をとらされることは恐怖である
だから神が裁くなというとき人には裁く権限がないからである、何が罪なのかもわからないからである、要するに人間は人間を裁けない、裁けるのは神だけだとなる
国々の戦争でもそうである、勝ち負けがあったとしても誰も裁けないのである
裁きうるものがあるとしたら神しかないとなる
人間なら裁く方が今度は裁かれることになるからだ、だから東京裁判などは不公平だったのである

ただ人間社会で起きることには必ず責任が課せられて責任を取らされることである
大衆民主主義でもみんな無責任になっていてもその責任はファシズムとなりナチスのようにもなる、それは政治に無関心だったとかされている
何かわからないままに無関心でいた結果いつのまにかナチスが台頭して席巻したとされる日本の戦争でもそうだったとなる
無関心でいることが無責任で見ていた結果ナチスが社会を席巻してしまったのである
原発事故でもやはり鐘になればいいやとかでみんな地元でも無責任になっていたから起きたともなる、もっと厳しく監視してしいればこうはならなかったともなるからだ
でもそれも後の祭りだとなる

ただ確かなことは無責任社会でも必ず責任はとらされる

この責任から逃れることができないのである、それは個々人でもそうであり国民でもそうである、だから責任を自覚できない大衆民主主義は危険だともなる
どうせ一票など何の力にもならない、責任はないとなりみんな無責任になってしまうからである、ここに大衆民主主義の危険がある、でもどういう体制がいいのかとなるとむずかしいとなる、常に平等を追求してきたのが現代でありその平等を追求することは不平等になっていたのである
でも民主主義は限界に来ている、結局原発事故でも誰も責任をとらなかったように無責任体制だからである、でも必ず誰かが責任をとらされるのである
政治のミスは戦争で三百万人死ぬとかまた他でもオリッピックの失敗でも莫大な金を使い施設でも維持するの金がかかりつづけるとかその失敗のつけは国民が払うのである
政治の失敗は国民の命にもかかわってくる
ただ大衆民主主義は責任が自覚できない、無責任体制なのである

ただ一個人が発言できる、インタ−ネットとかになると何か個人でも意見が言えるからそこから多少責任を感じる
読者が多ければ多いほど責任を多少感じる、だからマスコミだったらその責任は重いものだったのである
そこで報道することが国を左右するとまでなっていたからである
インタ−ネットでも発言する人は無数の匿名の人達がいて無責任になっていたからである
ただ最近は実名で発言するしyoutubeだと顔を出しているから責任が明確になる
でもインタ−ネットになると発言する人も無数にいるし匿名だったり無責任になる
そして読まれることはわずかだから発言してもそれほど影響がないとなり無責任にもなる
つまりインタ−ネットでも大衆インタ−ネットになり発言できてもそれが影響することはわずかであり責任を感じないともなる
全く読まれないとういことも普通にあるからだ
インタ−ネットも大衆化した結果無責任になる、要するに数が増えるとみんな無責任になるということである
それが大衆民主主義の大きな問題なのである


posted by 老鶯 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

平等を追求すると不平等になる (一人一票でもその平等故に選挙しても無駄だとなる)


平等を追求すると不平等になる

(一人一票でもその平等故に選挙しても無駄だとなる)

【マルクス主義】は、不平等だったり差別を生んだりする「原因」をひっくり返して、その「結果」まで平等にしようとして、【最終的には失敗 】しました。…


アメリカの国の建国は自由と平等である、デモクラシーというのもそうである
その思想はホイットマンの詩にある、そもそも時間軸で形成されたものがないから王侯もないし広大な新大陸に独立自由の人間は一人立つということになった
そこではもともと時間軸で形成されたものがないのだからみんな対等になる
貴族もいなければ王侯もいないのである
初代大統領のリンカーンが丸太小屋から出て来た庶民の一人だったことでもわかる
こういうことは時間軸で形成された社会ではありえないのである

そもそも時間軸で形成されて来たというとき家族を見ればわかる、父親がいて母親がいて子供がいる、すでに父親と母親の人生とか積み重ねてきたものがあり時間軸で形成されたものがありそれが子供の資産になり影響しているのである
親ガチャというとき、親の影響が余りにも人間にとって大きいからそうなる
まともな親がいなかったらどうしてもまともに育てられないことがある
人間の差はここから生まれていることは確かである
そうなると人間は一代では何かを成し遂げることもできないとなる

何か財産を形成するにも一代では無理だとなる、そこに積み重ねが必要になるからだ
では不平等を作っているのは何かだとなる、選挙でも盛んに自民党の世襲議員のことが言われる、別に有能でもないのに親の跡を継ぐことで当選する、地盤を引き継ぎ当選する
それは不公平だとなる、不平等だとなる
だから自民党はそういう政党であり改革もできないとなる
既得権者というのもそうである、一旦既得権者になるとその権利を維持したいとなるからだ、そのためにヨ−ロッパでは貴族社会が維持されてきたのである
その不平等を無くすには革命が必要だとなり共産主義が生まれた

でもなぜかこの平等を追求すると不平等になるというのが人間社会なのである
平等ということはみんな同じになることである、人間がそれぞれの個性と能力があるがそれを無視してみんな同じにする、そのこと自体信じられないほどの不平等なのである
例えば花があっても色や形が違っていても同じ形に色にして平等にしろとなる
変な話だけと高い山があるとする、すると山はみんな同じ高さの山にすべきだ平等にすべきだとしたらどうなるのか?そうしたらこの世界はつまらないものとなる

この世の中味気ないものになる、なぜ共産主義が失敗したのか?
それは何か人間というものがそんな数学のように簡単に割り切れないものだからである
数学になると何か人間を数とみて平等化できる、統計的数字として集計するからである
選挙でもそうである、みんな一票でありその人のことなど見ないから平等だとなる
ある人が十票もったりできないみんな一票であり平等だとなる
経済的にも十人物を買うのと一人買うのでは違う、みんな十人に売ることを望むのと同じである
10人でもまとまれば社会では動く、ボランティアも十人くらい集めるとできる
でも一人だと誰も相手にしないのである

要するに何か人間は特別優れているとか能力があるとかは許さない、みんな同じであり平等であるべきだとなる、でも本質的に人間はみんな違っている、だから平等を追求すると不平等になる、走る競争でも必ず早いものと遅い人がでてくる
だから学校ではもうそういう競争は差別であり不平等だから競争させないとなる
順位をつけることはするべきではないとなる
それはあらゆることにあてはめる、でもなぜ社会から不平等がなくせないのか?
共産主義でも平等を追求したのに共産党の幹部には兆円もの金が集まり信じられない格差社会になっている、それは平等を追求した結果でもそうなったのである
それは能力と関係ないのである、特別能力がある人が収入を得るとなればある程度は容認する、ジョブスとかコンピュターを発明したとか特別な能力をもった人は別に収入に差があっても容認されるのである
アメリカではそういうことを能力での不平等は嫌う、能力があれば実際は黒人だろうが収入でも多くなる、でもアメリカでは黒人差別が依然としてある
それもただ黒人に生まれただけで就職でも差別されるとき不平等だとなる
そういうことも依然として解決していないのである

そもそも人間の不平等が不可解なのである、謎なのである、だからどうしても運命論にもなる、futuen(財産)が運だとなっているものそうである、人間には運が作用して財産でも得る、それはその人の能力とも関係ないことがある
高度成長時代は小さな店でも工場でも繁栄したのはその人の能力とも関係ない、そういう時代でありみんな成功しやすかったのである
私の家が小さな店を始めて一時繁盛したのもそうである
私の家族に商才もなかったのにたまたまその頃車もない時代であり角にあったということで場所が良くて繁盛した、商売というのは今でも場所が深く関係している
繁盛する場所がありその場所が良くないと繁盛しないことがある

いづれにしろそれも運だった、ただそういう場所でも街で一番低い場所にあり二回も水害にあい床上浸水になった、最近でも水があふれて家の中に入ってきたのである
だから商売では場所が良くまた水害には弱い悪い場所である
そうなると売る時でも売れない、低い場所というのは変わっていないからである
だからこの場所の作用はいろいろある、その土地の特産物になるのはその土地と深く関係しているからである、そこにいろいろな自然作用があり特産物が生まれている
それは人間の力ではどうにもならないのである

だから平等不平等というときあらゆることにあり家族であれそれぞれの国であり国の中の住んでいる場所でも影響して違ってくる、それを不平等だから平等にしろと言ってもできないのである、ただ例えそうして場所が悪くても豊かになる方法は技術的にあり豊かにすることはできる、だから何らか人間はまた努力によって豊かにもなれる
この辺でうまい梨を作るのに十年かかったというときもそうである
試行錯誤してそうなったのである、そして次の代でもその梨作りを親から習って作ればその家は豊かになる
農家という時こうして土地を受け継ぐだけではない、農業のノウハウを受け継ぐことで豊かになれる、意外とこのノウハウが問題なのである

いづれにしろ平等不平等というとき人間の場合複雑である、何でも平等にしろというときただ金持ちを羨むのも問題になる、全く努力もしないで成功した金持ちをうらやむ人も普通にいるからだ、確かに家族の愛でも兄弟の間でも不平等がある、そこでもめる
遺産相続でもめたりする、介護をして苦しんだ人にかえって財産を分けられなかったとういうのも問題になる、また兄弟で平等に分割する時代になると住む家でも土地でも分割しろとなり問題になる、長男が相続するという時、親のめんどうをみて家を継ぐものとして優遇されていたとなるからだ、でもそれがなくなると兄弟で平等に分けるというときそこでもかえって不平等になるのである

平等を追求すると不平等になったというとき共産主義が失敗したのはそのためである
人間を一律に見てしまう、まるで数字のように見てしまう、人間の運命という謎を無視してそうしてしまうのである、それが失敗したのは人間が一律に見れないものを持っているでも貴族社会が否定されたのは生まれつきで人生が決まることでそうなった
生れた家ですべてが決まるということは不平等だとなり革命になったのである
ただ人間は必ず親の影響が大きいから親ガチャが問題になる
でもその解決は簡単ではない、平等を追求すると不平等にかえってなるからである
例えばそうして兄弟でも不平等でもその人の努力しだいで豊かになれることもある
すると次の子どもの世代で親の跡を継いで豊かになってゆく、そういう時間軸で人間を見ずに一挙に平等にすることは危険なのである

要するに現代は平等を追求して不平等になったということが社会で顕著になっている
民主主義には確かに平等を追求するのだが選挙でもみんな一票であり平等である
でもそれが不平等にもなっている、みんながすべて一票となるとき平等だが不平等にもなる、なぜなら社会の貢献度とか能力とか個々人でもみんな違っているからである
だからある人が十票をもってもいいともみる、それだけ社会に貢献しているとなればそうである、でもそれもめんどうだから平等志向になる
給付金でも一律十万とか支給することの方が楽だからである、そこで金持ちはいらないとしてもそれを調査したりするのが手間になりかえって金がかかったりするからである

とにかく選挙でもみんなあきらめている、どうせ変わらないという時一票を入れたからと何も変わらないとわかっているからである
でももしある人が十票でも与えられていたらそうはならないのである
だから自分にしても選挙に関心がない、どうせ一票など何の力もないと見るからである
現実に自分の一票など関係なく開票前にすでに大勢が決まっていることでもわかる
もし十票だとすると確実にそういう人は選挙に行くのである
民主主義も今や数だけで決まるからそれはファシズムになりやすい、数を集めればいいとなり創価公明党でも政教分離に反していても数を集めればそれが権力を得るものとなるからだ、だからナチスは民主主義で選挙で政党に選ばれたのである

つまり民主主義はどうしても現代では全体主義になりやすい仕組みなのである
一票の価値は何百万の一にすぎないからである
そうしたら権力を得たいものは一票など問題にしないからである、数を集められる組織団体があってそこと協力して権力を持つということになるからだ
だから民主主義も限界に来ているとなる、でも新たなものがありうるのかとなるとそれも政治ではむずかしいし平等を前提にするからできないとなる
ただ平等を追求してゆくと不平等になりそれがかえって社会を歪めるようになったことは確かである

ただ人間は金銭的には平等を志向するべきである、社長でも社員より十倍もらうといくら能力があってもそれは不平等になる、平等にすべきものとそうでないものがある
グロ−バル化経済の不平等も是正すべきである、システムで莫大な利益を得る一握りの人がいるがそんな社会からはモラルもなにもなくなる、ギャンブルで富を一人じめているからである
ただ何でも平等にすることは結局不平等になる、それを証明したのが共産主義でありまそれは全体主義になり民主主義とはもう全体主義になりやすいのである
それはすべて数で決めているからそうなるのである
こうして選挙にも行っても何も変わらないとか無力感を抱く、そうなることはすでに民主主義が機能しなくなっている
結局この世から不平等をなくすことができない、それがこの世に生きる宿命だとなる
人間の力では変えられないとまでなる
そもそも美人に生まれて得だったとかなぜ不細工に自分が生まれのだと問うても無駄になる、その運命を甘受するほかないからである
何かしら人間には不平等があり解決しないのである

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2021年10月26日

日本の貧困化の深刻 (政治には期待できないー選択する政党もない)


日本の貧困化の深刻

(政治には期待できないー選択する政党もない)

今回の選挙の争点は何かと言えば日本の貧困化の深刻化である
第一給料が賃金が30年も上がっていないということが異常である
物価が上がらなくて一応なんとかやっていけたがぎりぎりである
本当に日本は貧困化して余裕がなくなった、貯金している人も本当に少ない
そして貯金しても利子がつかない、逆に通帳を作るたげで金がとられる
だから地銀でも銀行の価値は下落したし銀行員はエリートだったけど投資信託とか株を売る証券会社が指導するものと変わった

そして今度は円安で物価があがる、でも円安になってもそのメリットがないという
なぜなら日本で売るものがないからである、電気製品は韓国製と中国製になったからである、現実に大手メーカーの地位は落ちて買収されるとか世界で活躍する大企業がないのである
日本は賃金が上がらない、物価が安い国だから外国から観光客が押し寄せてきたのである何も売るものがなくなり観光で外貨を稼ぐほかないとなったからである



【悲報】日本さん、…貧困化で「車の運転免許が取れない」人が激増。日本さん「車買えない」「自動車免許取れない」… (1002)

高校生の親というと40代がメインだと思いますが、子供の制服代を出せないところまで貧困化が進みましたか… (17)

日本、ガチで貧困化 体重が低下していく子供が急増 成長期である子供の体重低下は異例 (349)

そりゃここ10年で子供食堂だとかフードバンクだとかが社会に定着するレベルになってんだぞ


まともに食えない時代になっている、子供だけではない大人でも老人でもそうなっている人がいる、10円20円を節約している人がいる、果物は買えない、まともに栄養がとれない、生活保護でも医療費などは無料にしても後はもらえない人もいる
国民年金は4万から6万とか少ないのでやっていけない、その人は実際はもう生活ができない、援助してくれる親族もいない、ただ息子がいたとしても援助できない
生活保護があるからいいとしているがこれから生活保護すら7万だとかもう生活できない
そういう社会で何が起きるのか?

有名な投資家が日本はアメリカと同じような犯罪国家になる、巷に食えない人々があふれる,ホームレスも増える、食料不足になり奪い合いにするらなる
円安で外国から入る食料が買えなくなるからだ、ただ北朝鮮のようにはならないだろう
米が余っているから米くらいは食べられるとなる、でもオカズを食べることは苦しくなるそうなると江戸時代に逆戻りだとなる

自民党は富の分配を言っているが全体が成長しないと分配でも福祉でも回らない
でもぎりぎりになると持っている人が持たざる人に分配しないと暴動が起きるとなる
金持が襲われるのである、日本は今そういう状況にある
今度の選挙の争点は何なのかはやはりこの日本の貧困化をどうするのかということになるこれは簡単に政治では解決しない、円安でも日本で売るものがないから前のように効果がない、唯一自動車産業があってもEV化に追いついていない、何かあらゆる面で日本はおちぶれてゆくことの恐怖である

これは自公政権でも野党でも簡単に解決できない、選挙目当てで給付金を出すとかいいことを言っても根本的な解決にはならない、一場のしのぎにしかならない
自民党政策の失敗は一部の特権者のために五輪を強行したことである
インパウンドもコロナウィルスで駄目になったのも痛かった、もしインパウンドで金が回ればそれほど言われなかった、だからなぜオリッピックを強行したのかわからない
そこで残ったのは競技場など使い物にならない施設であり維持するのにまた莫大な金がかかる、こうした無駄が菅政権の残したものだったのである

では野党で日本の貧困化を解消できるかとなるとできない、そんな即効力あるものがないからだ、日本の貧困化をなくすには長期的な視点が教育の充実とかが必要になるからだ
技術力を高めることでもそうである、ただ科学技術立国は中国に追い抜かれてなれない
そして日本に残るのは何なのか、後進国のように観光とか最悪なのはカジノの誘致とかでありこれには公明党もかかわっていたのである
ギャンブルを奨めているのだから信じられないとなる

創価公明党は御利益ならなんでもいい、そのために毎日祈っているのだから抵抗感がないただ婦人部ではギャンブルで夫に苦しめられているから反対する人が多い、でもそれも無視される
こうして日本に選択する政党がない、第3の政党もでてこない、政治全体が駄目なのである、こうして負の面だけが目立つものとなり何か有効な解決策もない
そして日本はどんどん落ちぶれてゆく、その先に何があるのか?
日本の荒廃と衰退であり少子高齢化で空家が800万軒とかになり地方自治体がくずれてゆくとか原発事故の避難区域のようにゴーストタウンになることの恐怖である
何かこの辺の状態が日本の未来なのかと見てしまうのである

こういう危機の時は民主主義はかえって効果を発しない、コロナウィルスでも後手後手に回ったからである、強力指導者の下に一致協力して建て直すことが望まれる
挙国一致内閣が必要になる、民主主義国家は危機に弱いことがわかったからである
でもそうなると戦前のようになファシズム体制にもなる
その舵取りがむずかしい、でも危機に対処するには君主制がいいとなる
ただそれも失敗すると戦前のように戦争とかに暴走するようになる
その歯止がなくなる、ただこの日本の貧困化はますます深刻になり日本の危機になる
これだけは確かなのである

少子高齢化も深刻である、回りには老人だけ増えてくる、近くの三人の女性は一人は腰が痛いとが立つのに苦しい、一人は猫背になっている、一人は恰好がやっと立っている感じである、75以下でそうなっている、そして8050問題は深刻である
そういう親が増えているからである、誰かが介護するようになる、その負担が大きいのである、日本はこうして三重苦になり明るい未来が見いだせないのである
だから政治にも期待できない、日本の貧困化は政治で解決しないからだ
こうして民主主義も機能しなくなり貧困化がさらに深刻になると暴動が起きてくるかもしれない、それほど追い詰められているともなる
要するに選挙でも変わらないとなるとそうなるかもしれない恐怖になる
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2021年10月19日

習近平がなぜトップになれたのか?天皇と同じだったー天皇の是非 (優秀でもない、権力基盤もないのにトップになった)


習近平がなぜトップになれたのか?天皇と同じだったー天皇の是非

(優秀でもない、権力基盤もないのにトップになった)

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妙佛 DEEP MAX
https://www.youtube.com/watch?v=_SMauomrHZY


この意見は面白い、実は共産党内部で有力な首相候補がいたが排斥された
その人は優秀なのでまた実力者なのでその人になれると他の人が這いあがれない、上に上がれないとみたから押されなかった
習近平の評判はそういう人ではなかった、何か平凡な人でありそんな人がトップになると思えなかったとも言う
また権力基盤がないのに首相になった

それはなぜなのか?

人間は出世争いでも有力な人がいればその人が上に立ち他の人は上に上がれない
出世できなくなる、でも平凡な人がなればいづれその人を倒して上に上がれるとみる
また実力者だと権力基盤をもっているとそういう人もトップになったらもう対抗できないともみる、そのトップを倒すには実力行使となり暴力にもなる
これも何か人間の心理である
あまりに有能な人間はどうしても回りの平凡な人達にとっては危険人物になる
そういう強力な人がいたらとても平凡な人たちは上に上がれないからである

何かこれは日本の天皇とも似ている
日本の天皇はなぜ国家のトップで常にありえたのか?

それは別に何か特別な能力があったとか権力があったとかではない
むしろ権力もないし軍隊を持っているわけでもない、なんでトップにいるのかわからないのである
つまりそうして権力ももたない、派閥にも属していないからトップになっているのであるもし特定の派閥とか権力集団に属していたらやはりトップにいることはむずかしくなる
公平でありえなくなるからだ

それで天皇には姓がないのである、姓があれば・・・一族となるからである
藤原であれ源氏であれ平家であれその一族に属するとなる
姓がなければどこの一族にも属さないとなり公平だとなる
どこかの一族に支配されることもないのである

天皇は何の権力ももっていない、だから継続できた

こうなるのである、権力ももっていない、ただ何の能力もないとしてもその地位を継続できた、もし強力な権力を持っていたら別な権力集団にとってかわられて天皇というのはこの世から消えていたとなるからだ

天皇は何ももっていなくても一つの神輿だった、明治維新だった薩長軍がかつぎあげた神輿であり敵対する者は賊軍にされたのである
そして靖国神社には西南戦争で賊軍になった西郷隆盛すら依然として賊軍であり祀られていない、官軍のみが祭られている墓地がある
これも今になると不公平に感じるのである
天皇といってもそうして権力争いにかかわるから汚れたものになる

ただ自らは権力を行使しないできない、だからこそその地位を維持できたとなっているのだ、それはあくまで神輿であり実際に権力をもち権力を行使できるのは天皇を持ち上げた権力集団なのである、だから権力集団は錦の御旗を得るために天皇をとりこもうとするのである
天皇とは権力ではない、権力をもった王様ではない、神輿なのである
でも日本の歴史では天皇が二人いて古代でも壬申の乱とか南北戦争でも熾烈な争いがあった、南北朝の争いは本当に全国隅々まで争いが拡大して国家を二分して争いがつづいたのである、その影響は明治になってもつづいた、今の天皇は南朝系譜であるということでもそうである、明治になっても南北朝の争いが継続していたのである
天皇の役割はこうして日本国内で争いがあるときそれを治める役割があった
だから天皇が二人になったとき熾烈な争いとなったのである

天皇はもういらないということや天皇は何であるのかとかになって真子様の結婚問題で騒動になる、なんで税金で維持しなければならないのかとなる
また昭和天皇は戦争犯罪人だったとかもなる、天皇の権威は戦争に負けて失墜して現人神の権威も失ったとなったとなるからだ
日本が世界史の仲間入りしたとき世界の中で天皇が問われるようになったのである
これまでは国内問題であり世界の問題にはならなかったからである

習近平が平凡な人だったなのになぜ首相までのぼりつめたのか?

このことは天皇と通じたものがある、天皇には何か特別なの能力があるのか実際はなかったともみる、ただ何も力をもたない故にかえって担ぎ上げられるものとなった
もし権力をもっていたらまたある一族に属していたら天皇も戦争になれば殺されともなるからだ、天皇は殺されることはなかった
ただ日本が太平洋戦争になる国内だけのことではないからアメリカによって戦犯とされ処刑されることがあったのだ、それをアメリカでは日本の統治のためにしなかったのである日本を統治するためには天皇は必要だと判断したからである

奇妙なのは天皇とは何の能力もない権力も力もないからこそ継続されたともなる
ただ古代だと何か神の様な能力が奇跡でも行うようなものにも見られていた
でもその後はただの神輿になっていたのである

人間社会はどうして治めることができるのか?

これは必ずしも強力な権力をもっているものが治めることともならない
ただ力をで治めようとすれば必ず反発があり権力争いになり熾烈な戦争になり殺し合いになるからだ、そこでなんらか仲裁機能となるものが必要なのである
それが日本では天皇だったともみる

わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる イザヤ

なぜこんなことが聖書に記されているのか、これも不思議だとなる
みどりごとは赤子なのである、赤子は何んの力もないものである
だからこそ治められるという逆説である
そしてなぜそうなるかのというと肝心なのはみとりごは赤子は何の欲もないことである
そのために治められるとなるのである、自ら欲をもったら治められない
中国皇帝のように強欲であり人民を奴隷にして酒池肉林とか贅沢の限りを尽くす
そんな人はまた必ず反発が大きくなるから必ず王朝は倒される、治められないのである
そういうことで常に王朝は変わってゆく、長くは維持できないのである
でも天皇はそういう権力をもたないからこれまで維持できてきたのである
つまりトップに立つ人は権力を行使したりする人ではなく欲のないみどりこでも赤子でもいいとなる、その方が治められるとなる
そうでないと外国のように常に王が権力をもっているから対抗する集団がでてきて王朝は絶えず交代することになるからだ

これも政治的知恵であり日本がそれで熾烈な内戦が生じなかった理由だったとなる
また島国だから外国勢力が攻めてこないから天皇制も維持できたのである
大陸だったら異民族が絶えず侵攻してくるから天皇だって維持できなくなる
天皇だって殺されるということである
ただ今天皇はいらないとかなるのも世界の中で日本でも対処するようになるからそうなるでも今度は大統領制になったらこれも日本にとっていいのかどうかわからない
韓国のように他の国のように熾烈な内戦にもなる

つまり韓国のように露骨に権力争いになり前の大統領は逮捕されたりする
権力と権力が歯止めなく露骨にぶつかりあうらそうなる
天皇はそういう権力争いを和らげる仲裁する働きがあったことは確かである
それは一つの国を統治する知恵だったことは確かなのである
それでも世界の中でどうなのかとなるとまた天皇の維持はむずかしくなっている
第一遺伝子がどうのこうのとかが大事なのかというのも疑問になる
なぜなら明治天皇は血のつながりもないどこからかわからないが作られた天皇だとされているからである、そういう血のつながりより天皇というのは統治の機能として必要としていたともみる

松田源治文部大臣は、天皇は国家の主体なのか、天皇は国家の機関なのかという論議は、学者の議論にまかせておくことが相当(妥当)ではないか、と答弁していた。岡田啓介首相も文相と同様に、学説の問題は学者に委ねるべきだと答弁した。菊池議員はこの前年にも足利尊氏を評価する記事を10年以上前の同人誌に書いた中島久万吉商工大臣を「日本の国体を弁えない」と非難して辞任に追い込んでいる。

菊池議員はそもそも、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の末裔だとして貴族になった身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体の国本社とも関係があった。
単なる機関なのかということで問題になった、

天皇機関説では、「天皇」は国家に属する一機関と考えるわけです。
一機関というのは、例えば、警察が国民の安全を守る一国家機関である、というように、何かの役割を持った組織といったような捉え方です。

昭和天皇は天皇機関説を支持した、なぜなら一機関組織として天皇があり天皇が全責任をとすることはない、天皇は全権をもち命令することはないとしている
でも統帥権があり全権が明治にはあった、でもそうなれば戦争責任は全部天皇が負うことなるのである、天皇が神であり戦争に負けたからアメリカによって死刑にもされことになった、だからこそ天皇機関説を支持したのである

菊池議員はそもそも、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の末裔だとして貴族になった身で、
天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり

これも不思議なのは野馬追いに自分の町から野馬追いに出る武者がいる
それが菊地氏なのである、その旗印は菊の紋なのである天皇の紋であり南朝なのである
南朝は霊山城で滅びてここに逃れてきたのである、その末裔が野馬追行列に出ているのである、そもそも南蘇馬氏とか相馬氏に南朝の落ち延びた人達がいた
鹿島区となるとその南朝の落武者の末裔が多いのである

すり替え後の明治天皇は大室寅之祐(おおむろとらのすけ)という人物である」
と、言っています。
この大村寅之祐という人は南朝の
血筋だそうです

遺伝子にやけにこだわるけどこういうこともありうる、ただこのすり替え天皇は運動にもたけていて優秀だった
短歌もうまかったのである

正直もう天皇というのが維持できるのかという瀬戸際にきているのかもしれない
それが真子様の結婚騒動に現れたのである、天皇機関説をとれば?遺伝子とかは問題ではない、誰でも天皇になれるともなる、有能でなくてもなれる
だからこそみどりごに赤子に治めさせよとなったのである
それが統治する知恵となったのである、ただそれに反発したのが右翼だとなる
ただこの右翼にしても都築詠一氏は死んだけど昭和天皇を戦争のことで何度も批判してきたのである、戦争責任をとらなかったからである、だから右翼でもいろいろあって複雑なのである


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明治維新で北朝ではなく南朝を継続した (野馬追いに出ている南朝の旗)
http://musubu.sblo.jp/article/187080077.html
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2021年10月17日

引きこもりだった自分の人生 (文明が異常でありそのレジスタンスに生きた アウトサイダー)


引きこもりだった自分の人生

(文明が異常でありそのレジスタンスに生きた アウトサイダー)

無職の男性に向けられる社会の目の厳しさがあげられます。彼らには、不審者や無能力者を見るような、偏見的差別を含んだ視線が送られがちなのです。そして、この傾向は、地方圏ほど顕著だと考えられます。

藤里町は白神山地のふもとの人口3800人の小さな町。町の社会福祉協議会の人たちが先頭に立ち、自治会や民生委員、PTAなどのネットワークを活用して、一軒ずつしらみつぶしにまわって調査をしたというから驚きですし、頭が下がる思いです。

その結果、ひきこもりの方の率が人口全体の8.74%にものぼることがわかりました。65歳以上の高齢者が人口の4割を超えている町で、11人に1人がひきこもっていたのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e5ecfd06702fa48f248f5127088ad5f6823011e?page=1

これは意外である、こんなにいるのかというとき私も無職であり引きこもり人生だった
だから異様だったともなるが自分自身そのことについて気づいていなかった
というのは自分は女の親が二人いて責められることもなかったからだ
この特殊な環境が別に引きこもりでもいいものとして遂に人生が引きこもり人生になってしまった、ただ私は旅することが仕事となり家に外に出ず引きこもっていたのは違っていた
ただ家庭環境で特殊なものになっていたが気づかなかったのである
普通だったら親から責められて殺された人もいるからだ

とにかく私はそういう引きこもりの人と良く逢うのである、それで田舎でも必ずそういう人が今ではいるのである、そういう人はまた田舎だと目立つのである
今は昼間に人がぶらぶらしているのは見かけない、みんな会社員だから勤めているからだろう、だから昼間ぶらぶらしている人は田舎だと目立つのである
でも驚きなのは藤里町とかで人口3800人の町にそんなに引きこもりがいるのかとなるこれだけ今や引きこもりが常態化している
団塊の世代などそんな人極々まれでありそんな人いたのかとなるが今ならこうして引きこもりが普通にいる時代になったのである

田舎で引きこもりになりやすいのは確かに仕事がないのである
都会だと多様な仕事があるが田舎にはもう知的な仕事は限られている
公務員とか農協とか銀行とかが知的な仕事であり事務である、あとはなかなかないからである、あとは建築工事関係とか肉体労働になる
都会と違ってそれが引きこもりになりやすい、都会だと何かしら仕事があり少ないというのはそのことなのだろう
大学を出てても何か知的な仕事にありつくことがないのである

ただ引きこもりは実は危険なものかもしれない、社会からはずれたものでありそれはアウトサイダーになる、でもその人たちは天才芸術家だったり何か特別な人であり今の日常化した引きこもりとは違っていた、その人たちは歴史に名を残す人だったのである
でもゴッホでもニーチェでもヘルダーリンでも狂気となり閉じこもってしまったのであるつまりこういう危険性がアウトサイダーになるとある
社会で仕事をもって働くことはやはりそこで社会性が身につくがそういう機会がなくなる
ただ自分の場合は特殊な家庭環境で自ずと仕事が嫌いで会社員とか団体生活もできないのでそうなったのである、そこでただ自分の好きなことを追求したのである
だからこういうことはみんながなりえないことだった
でも今になるとそうした特殊な人が普通にもなったということである
数が多ければそれが正常であり普通になる、ナチスでも全員がナチスになればそうでない人は異常となり殺されることにもなったと同じである
カルト教団も異常なのだけど数が多いから正常となり批判する者が異常とされるからである、この世の中何が異常か正常化わからないのである
キリストが十字架になったのはそのためである、神の子が現実に現れたとき誰もそれを認めなかったからだ、つまり神の子からみたこの世が異常でありそれを叱責したら十字架にかけられて殺されたとういことである

また社会でも会社でも適合している人達は自ら社畜というように自ら奴隷化しているからそれも異常でありその異常性を社会ではかえって正常としているのである
そしたら引きこもりとは必ずしもマイナス面ばかりではない、実はもしかしたら現代文明社会のレジスタンスとしての生き方かもしれない、でもまたそれは社会の敗残者であり
何の役にもたたない穀つぶしともなる
アウトサイダーになった人たちは特別に優れた天才である

ニーチェとかミラーとか上野霄里氏とかがそうである、その人たちは余りにも個性がありぬきんでた人だから文明の組織化団体化した一員となることに耐えられなかったとなる
ただ今の引きこもりそういう高いレベルのものではない
むしろ人間的に欠陥があり職にもつけないもともとそうした特別な天才とかとは比べようがないものである、なぜならアウトサイダーが人類でも極まれな人達であり歴史に残る人物となっているからである、そもそも歴史で宗教とか思想とか芸術家となるとアウトサイダーだからである、それは今の引きこもりとは比べようがないとなる

私の場合は無職の人生であり旅の人生であった、何をしていたかというと自然を見て自然と一体化することをしてきた、自然と一体化することは沈黙することが常習にすることである、なぜなら山でも木でも石でも沈黙しているからである
でもそれは社会生活からすれば異常となる、それが実際できる場所は禅宗とかで座禅を組み瞑想しているとかなる、でもそれは社会では許されない、寺に籠もることでできる
自分の場合は家にいてもそうしていたのである、それでとがめられることもなかったのである
そこで詩作したり学問したり一人でしていたのである
それが70過ぎて実るようになった、発表ししていないが百遍以上の詩を書いているからだつまり自然と合一するには社会生活しているとうまくいかないとなる
農民とかなる自ずと生活が自然に依拠するからできるが肉体労働になるからそれも知的な仕事となるとなかなかできないとなる

ただ自分は農業しなくてもただ観察することはしていたのである
自分は自然の観察者だったのである、そして自然と比べると文明社会はかえって歪(いびつ)であり異常だと気づく、文明には根本的に美がないロゴスも自然の秩序もない
東京を見ればわかるただ醜悪な怪物都市なのである
そんなものを讃歌できるだろうか?そんなところが人間の住む場所なのだろうか?
そうした中で生活している人間そのものが異常なのである
そのためにそこから異常な人達が生まれてくる、カルト教団とかがそうだった
ナチスもそういうものだった、文明からそうした異常なものが生まれて大惨事になったのである

とはいえ田舎の人達が素朴だとかない、醜悪なことは変わりない、でもその暮らしを神が隠したという時、自然の中につつまれ隠されることで良かったのである
人が顔を出す時蛇のように見えるからである
ただ自然の中に黙して隠されつつまれているとき讃美するものとなっていたのである
ただ原発事故以後は人間の醜悪さが露骨に現れて嫌悪するようになった
自然の美すら田舎の人達に関係ないのである、ただ補償金をもらうために争い利権の場のようになったことでもわかる
田舎に住んで住んでいてもその美とかに関係ない、求めているのはやはり金であり
別に田舎の自然とは関係ない、だから多額の補償金をもらったとき仙台市とかに出て行ったのである、故郷とかに好きで住んでいたわけでもないからである

とにかく文明とはもはや怪物であり誰も制御できないものであり異常なのである、そこに生活している人も異常だとなる、、その行きつく先はバベルであり混乱なのである
そしてバベルの塔のように崩壊する、原発事故でもそういう文明の所産であり文明崩壊のようなことがここで現実に起きたのである
原発とか核は文明の最高の産物でありそれが無惨にも崩壊してしまったからである
それも自然のある田舎で起きたのである、そして空気も水も土も汚染されて住めなくなったのである
その原因は大きくみれば文明そのものにあったとなる、文明から起こるべくして起こったとなるのである

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2021年10月16日

田舎で凶悪犯罪が増える-安心院町の事件 (日本が貧乏になり犯罪が増えてアメリカのようになる?)


田舎で凶悪犯罪が増える-安心院町の事件

(日本が貧乏になり犯罪が増えてアメリカのようになる?)

大分県宇佐市安心院(あじむ)町荘の民家で昨年2月、住人の郵便配達員山名博之さん(当時51歳)と母親の高子さん(当時79歳)が殺害された事件で、同県警は15日、大分市緑が丘1、会社員佐藤翔一容疑者(36)を強盗殺人容疑で逮捕した。

 発表によると、佐藤容疑者は昨年2月2日、山名さん方で、刃物のようなもので2人の首を突き刺すなどして殺害し、現金数万円を奪った疑い。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7ebc51a9f9f37e1f930fdde2516dedb3bb6ea61

農村の民家に泊まり、食卓を共にし、
田舎のあるがままの生活を体験する「農泊」。
安心院は「農泊発祥の地」です。
https://www.ajimu-ngt.jp/

数万で二人も殺すということが信じれない、これは何なのだろう
それも田舎町なのである 安心院(あじむ)とは安心できる町だともなる
最近凶悪な犯罪が増えているというときなぜだろうとなる
これも金が欲しくての犯罪である、ただ会社員なのだからそれもわからない

ただ今田舎でも金のない人が増えている、金がなく追い詰められている人がいる
この人もそうだったのか、でもこれほどの凶悪な犯罪になるのが理解できない
それでもわかることはこうした犯罪は起こり安いのは泥棒でも顔を見られると襲ってくる泥棒でも捕まることに恐怖しているからそうなる
だから家の中でばったりでも犯人と出くわしたら危険だとなる
また犯人を捕まえようとしたら争うなとも警察の経験者が言う
つまり泥棒の方が真剣であり顔を見られることなどで凶悪な犯行になる

そういうことで自分の家にも泥棒が入ったのである
なにかがたがたしていた、でも自分は寝ていた、その泥棒とは顔を合せなかったのが良かった、金はなく盗られたものもなかった、金庫は空けられていたが金はなかった
ただ前にはかえって家を手伝ってもらった人に留守の時大金を盗まれた
たまたま金を下ろしていたのを盗まれた

なぜ今田舎でも凶悪な犯罪が起きているのか?

それはみんな生活が苦しい金がないからである、これは明確なのである
老人でも年金で生活できない、10万ももらっていない人がいる
厚生年金でも平均15万くらいだとぎりぎりだとなる
それくらい今は老後生活でも悠々自適の人は少ないのである
それで老人の犯罪を増えているのがわかる
こうして追い詰められている人間は善悪の問題もてくなる
目前の金が欲しいというだけで凶悪な犯罪にもなる
田舎でなぜ起きるかというときこれも田舎でも生活が苦しいからである
田舎がのんびりしているとか素朴などない、やはり今の時代は金がなければ余裕が生まれないのである

田舎は金がかからないということはない、物価でも東京より高いということもあるし必ず一人一台車を持っている、その金も馬鹿にできないのである
また毎日十円でも節約するために安いものを買うことに苦心している人もいる
その人はもう生活できない状態である、だから果物でも高いと食べていない
体も普通の人より老いて悪くなっている、だから今度は薬代とか病院代とかかかる
本当だったら医者にかかることもできないのだが援助があり辛うじて行っている
知っている人はまた糖尿病で退院しては入院してやはり金がかかっている
保険があっても金がかかることが結構ある

でもこの事件でわからないのは年齢的に若いし会社員でもあり無職でもない
だからなぜ数万でこんな凶悪犯罪を犯したことが理解できない
ただそれは事のなりゆきでそうなったのかもしれない、そんなつもりがなくても事の成り行きでそうなったのかともみるが理解しにくい
数万で二人殺して死刑になるとなれば馬鹿らしいともなり理解不可能だとなるからだ
数万のために死刑になることは理解不可能だとなる

もう田舎が安心だということはない、安心院とかあるが安心はない
田舎でも金がなければ生きていけない、この辺では原発事故があり多額の補償金がもらえるとなり眼の色を変えてその金で地域も分断された
地域の復興がどうのこうのとなったけど実際は金をくれ、もっとくれしかなくなったのである、そして暇になり仮設に入った人達はパチンコとかギャンブルだったのである
あとは補償金くれしかなくなった、故郷とは補償金をもらう場所としての利権の場ともなったのである

自分が病気にもなり二人の親の介護で苦しんでも今度は金をとるチャンスとなるだけだった、借金している人が来たりしてある人に大金を盗まれたりさんざんな目にあった
もはや田舎とか関係ない、金がすべての時代になっている
第一こんな凶悪な事件が起きること自体信じられないとなるからだ
それはこの事件ではわからないが金に追い詰められている人が増えたことである
もうぎりぎりの生活であり食べることもままならないとしたら何か善悪とか関係なくなるだから追い詰められた人間は一番怖いとなる
でもこの会社員がそんなに追い詰められていたのかとなると理解できないとなる

でもこれからの日本は犯罪が増えてゆくことは確かである
もう老後でも食べることもままならないとなればそうなってゆく
だから物騒な時代になったのである、田舎でも安心院にはならない、安心できないのである、ただ犯罪を犯した人はもともとそこの町に住んでいた人ではないみたいだ
ただそれにしても怖い時代になっている
その原因はみんな金に困り余裕がなくなっていることなのだ

すると田舎の金持ちでもまた都会の金持ちでも危険になってくる
高い塀を作り鉄条網まで備えている家があるということもわかる
外国ではアメリカなどはそうして守らないと住んでいられない、日本だってそうなってゆくかもしれない、そういう前兆が出てきているのかもしれない

日本が貧乏になることはどうしても犯罪が増えてくるのである
格差社会でもそうである、そうなると金持ちでも安心して暮らしていけなくなるのであるアメリカの投資家が日本でも犯罪が増えてアメリカのようになると警告している
アメリカに習った日本は何でもアメリカと似てくるのである
日本の良さは豊かになっていた時代がなくなると犯罪国家にもなる
そういう兆候がすでに現れている、それが田舎とか都会とか関係なくなっているのであるすべてが金だというときそうなってゆく社会だからである
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2021年10月08日

洞窟暮らしの流行 (文明の生活に疲れた現代人は生物的本能に目覚める―時代による時間感覚の相違)


洞窟暮らしの流行

(文明の生活に疲れた現代人は生物的本能に目覚める―時代による時間感覚の相違)

 元来、急ぐのが苦手で、冬でもシエスタ(午睡)をし、午後はほとんど働かないこの国の人たちにとって、スピード、効率、便利さといった、生産性を最優先する生き方に、多くの者が疲れている。


「洞窟暮らし」を求める欧米人が、近年増えているのはなぜか

コロナウィルスで巣籠り生活になった、それは洞窟暮らしと似てもいる
洞窟は外の世界を遮断してシャカとか瞑想した、そういうことは禅宗にあった
だから私は禅宗にひかれる、座禅とかそれをしてきたのが引きこもりの自分だったからである
どうしても人付き合いが苦手でそうなった、そうして30年間も家にいたのが自分だったからである、そして異常化したことは確かである
だからこういう生活がすべていいとはならないのである

ただ人間というのは生物なのであり生物の本能がある、これから逃れられない、いくら文明的生活をしていても深い内面で生物の本能が働く、動物はどうしても危険から逃れるために洞窟とかに隠れる、そこで安心するのである
安心して眠れるとなる、そういう生物としての本能は人間にもあるからだ

別に洞窟に入らなくても家という機能は洞窟のようになっている
四方を壁で区切り外を遮断してそこで安心をえて一人の時間を得る
外との交流を断ち一人の時間で安らぐとなる、家は洞窟の一種なのである
こういう傾向が世界的に出てきているのは文明生活に疲れているということである
夜さえ煌々と電気で明るい世界も生物的にはありえないしそこで夜の休息がなくなる
「眠らない都市」というのがそうである
やはり夜には夜の世界がありそこで人間は昼の明るい世界から沈思黙考する夜の世界に入る、夜は想像力を自ずとかきたてる、だから詩とかの創作にいいのである

おそらく文明的生活ももう限界にきていた、大衆的群衆的生活に人は疲れる
機械的数字的効率的生活に疲れる、そういうとき洞窟に籠もり外の世界と遮断した所で
安らぎを得る、安心を得る、田舎自体が実は都会から離れて喧噪から離れた世界であり
生物的には安らぎを得る世界である、ただ田舎の人間が素朴とか今はなっていない
農業とか従事するのが一割にも満たない田舎でもみんな会社員だからである
ただ田舎は生物的には本能的には安らぐ世界である
一種の文明から隔離された世界である、洞窟も隔離された世界である
何かそういう場所に魅力を感じるのは文明的世界に疲れているということである

私はもともとそうして田舎で自然と一体化するアイディンティティすることをしてきた
それを詩にしたりしていたのである、山とか石と木とかと一体化することをしてきた
山とか石と岩と木となると常に感じるのは時間の感覚が違う、文明は絶えず時計によりせかされ計られて休みがない、でも自然の時間の感覚は実際はとてつもなく長い
千年単位とかで長い、悠久の世界である
この悠久の自然と一体化すると長い時間が必要なのである、とても即製的に理解できるものではないのである
ただ文明的時間は短すぎる、今の時間に瞬間的時間に費やされて終わる
時間の感覚が短いゆえに今の時に瞬間にでも消耗されるし刹那的になる

生態系というか植物的時間でも長い、木の成長に50年かかるとかになるも長い
そうなると一代では木が成長できないから次の代で利用するとなる
その果実は次の代まで待たねばならない、何か野菜とかでも必ずすぐに成長しないのである,二十日大根とか四十日大根とかあり種を蒔いてもすぐに成長しない
必ず待つ時間がある、文明人はこの待つ時間が無駄な時間とする
だからとても50年もかかり木の成長を見る育てるということはもう時間としては計れない時間になる
時間の感覚は江戸時代とかと明治でも大正でも昭和でも感覚的に違っている
江戸時代の時間は一分ごとに区分して計るような時間ではない、おおざっぱである

江戸時代に於ける時刻制度には、不定時法が使われていました。不定時法とは、一日を夜明けと日暮れを基準にして昼と夜に分けてそれぞれ6等分し、その長さを一刻(いっとき)と呼んでいました。一日のうちでも昼と夜の一刻の長さは異なり、


おおざっぱな時間であり日の入りと日没が基本だから時計になっていたのは太陽だともなる
そうなると何時から何時までとかきっかりと働く時間が決まっていたともならない
時間感覚でも適当になる、現代だったら電車とか乗るのに一分でも遅れると乗り遅れるとかなるのとは違う悠長なのである
現代では待つ時間が失われている、電車だと今でも必ず待つ時間がある
その待つ時間が人間的なものを作りだしていたのである
人が来るのを待つとか人を見送る時間とか駅で出会い別れを惜しむ時間があった
だから汽車とか電車の時代は駅は人間的な場所だったのである
必ず待つ時間があったからである
それより戦後まもなくは家でも柱時計でありこの時間感覚も今とは違ってかなり遅く感じられる時間だったのである、チクタクチクタクという機械の音であれ何かその時間間隔は遅いのである

冬に外に風が唸り吹く
粗末な家の柱時計
振り子にチクタク機械が刻む音
その音だけがひびいて
時を打つ機械の音がひびく
ボーンボーンと心の底にひびく
何時なのか何回鳴ったか確認する
そして田舎の家は眠りにつく
その頃車も通らない
田舎の道は舗装されず
貧弱な街灯がともっていた
家には裸電球一つしかなかった

ここに柱時計の音と時を打つ音が聞ける

この時はまだ機械でも人間的だったと思う、デジタルになると時間の感覚が数字てあり違ってくる,アナログの時間は砂時計とかあり時間の感覚が遅いのである
現代はともかく時間に追われるのである、それも一秒間隔にもなる
だからみんな疲れるのである、江戸時代に外国人が日本人がいい顔しているというとき
それは時代が作りだしていたのである、日本人がみんな別に善人でもなかった
ただ今のように不正する人は少なかった、貧乏でも少なかった
今は銀行でも会社でも何か不正する、金に追われている、そういう時代の相違があり
江戸時代の人達はのんびりしていてそういう顔になっていたのである

もとは1923年(大正12年)4月29日から『報知新聞』の「日曜漫画」欄[2]で不定期に連載されていた『呑気なとうさん』という題名の8コマ漫画(同年5月27日号から『のんきな父さん』と題名を改め、同年の10月28日号から6コマ漫画へと変更した

こんなものがでるのも時代だったのである、今のとうさんはみんなうつ病的になりみんな時間であれ金であれ追われている、だから人間の幸不幸は簡単に計れないのだ
何か現代生活は科学技術で進歩したからいいとなるがそれで幸福になったかというとまた失われものがある、ただ昔がすべてはいいとはならない、でもでは昔がすべて不幸だったともならないのである

いづれにしろ老人になると回顧することが仕事になる、子供の頃は特に戦前から江戸時代のつづきでありこの経験は貴重だった、竈があり炭が燃料であった、街でも炭を使い囲炉裏だったのである、これもだから振りかえると不思議になる
その時水道もなく近くの井戸水をもらって暮らしていたのである
今は貧乏になったとき毎月電気水道ガス、携帯が必要でありそれを払えない人がいる
今の貧乏はここでわかる、でも戦後十年だったら糞尿は農家の人が肥料としてもっていったしそういうものにかからなかったのである

今日本が貧乏になるときそういう暮らしがあったこともふりかえるのにはいい
そもそも今や日本ではそういう文明的な生活すらできないような人が増えているからだ
すると電気や水道やガスがなくても人間は暮らせていたということをふりかえる
実際は電気水道ガスとか使っているのはここ五十年くらいでありその前はみんな炭が燃料であり水道もガスもないのである、現代文明生活は日本だったら50、60年くらいのなのである、だから別に電気ガス水道がなくても人間は死なないし暮らせるのである
でも今は電気水道ガス水道を止められると死ぬことにもなる
水がなくては生きられないし電気でもガスがないと生きられないからである

電気にしてもどうして作られているかというと原始的なものである
石炭とか石油を燃やすことで電気が作られるからだ、それは化石燃料に頼っている
ただ原発はそうしたものと違って電気を作りだしていた
燃料としたら炭は木材から作るから持続的なものとてサスティブルなものとして使える
枯渇することがないからである、絶えず植林していけばそうである
ただ文明が栄えると森も喪失した場所が多い、かつて森であったところが砂漠化したのが中央アジアなどの砂漠地帯だとされているからだ
電気水道ガスとか文明の根幹を成す、これがなくなれば文明は持続できない
それで中国とかで石炭がなくて大停電になったとかなり文明機能が麻痺するのである
日本の戦争も石油を断たれた経済封鎖から起ったとされるのも燃料が生命線になる
後は水なのである
そのために三陸だったか津波被害で裏山で清水をくみ裏の山の木を燃料にして命をつないだというのがそうである
つまり原始的生活ができれば実は人間は持続的に貧乏でも生きられるということなのである、一応電気がなくても生きてきたのが人間なのである

いづれにしろ20世紀とかグロ−バル経済に工業化した結果として地球的環境問題にもなり地球は限界がきた、このままでは地球の生態系は破壊され生きられなくなるとかにもなるコロナウィルスでも何かそういう人間の警告として生まれたのかもしれない
すでにアフリカでも人口は増えないとなり地球人口は限界に来たからこれ以上の経済成長はグロ−バル経済でも望めないのである
それで資本主義というシステムも限界に来ているのである
資本主義には大航海時代とかアメリカ大陸の移民とか大規模なフロンティアが必要なのである、しかしもうそれもなくなった、だからグロ−バル経済も資本主義も成り立たなくなってきた、もう経済成長は望めないのである

そしたらそれに適した社会に変えるほかないということである
ただそれで人間が滅びることはありえないのである、なぜならこんなにエネルギーを消費しているのはここ百年くらいだからである
文明が滅びるのは文明的生活が拡大増長して滅びるとなる
食糧が全くとれなくなったりはしないからである
文明は滅びても人間は地球の生態系が維持されていれば滅びないのである
神が滅ぼさない限り滅びないのである
するとそういうことより神が人間はことごとくその心が悪に充ちているからとノワの洪水のようにして滅ぼされる方が怖いともなるのである
地球を滅ぼすことができるのは人間ではなく神だともなるからだ
そういうふうに考える人はまれである、科学的なものとして考えるからである
ただ科学を越えた所に全能の神がいることも肝に命じねばならないのである

千年の大木

大地に深く根を張り動かざれ
千年の大木のごとく
内に年輪を刻みて長く
内に力の充つるもの
自然は焦ることはない
千年黙して動かざれ
大岩の如くに黙して
汝は成さずしてただ待て
かくてあれば自ずと
神の御意なる世界は顕れる
かくあればその周りに花々は咲き満ち
神がパラダイスを作りたもう
そこに忌まわしきものは消えて
天使の遊ぶ庭ともなれ
千年の大木のごとくあれ
悠久の時を刻みて
千年の大木のごとく倒れむ
その後百年の余韻は残らむ
森の主のごとく倒れむ
大きく深く息をして
悠久の時に生きむ
汝はこの世とかかわるな
世はいつまでも世なり
その様は変わらず
カルマは延々と繰り返す
賢者は洞窟に隠れ住むが習い
不浄を拒み一人楽しむ
実りは百年後にあらむ
実りをあせるなかれ
今にのみ消尽されるなかれ
宇宙の地球の時間を知れ
その悠久の時に事は成るべし
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2021年09月25日

感染症の歴史をふりかえる (人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会)


感染症の歴史をふりかえる

(人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会

6世紀〜 天然痘の日本定着。もともと日本には無かった病気だが、中国・朝鮮半島との交流が盛んになり日本に上陸した。以後治療法が確立され、全国に普及する19世紀半ばまで猛威をふるう。

平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。

そして江戸時代の末期にはコレラが蔓延。
これも外国船から人や物と一緒に上陸し、大阪や京都、江戸にも広がって行き、多くの犠牲者を出すことになります。
1853〜1860年にはペリーらが来航し、江戸幕府に開国を要求。
黒船騒動が起こります。
コレラ(罹ると短時間で亡くなる為、コロリとも言われた)のような恐ろしい病気も振りまいていく。日本はシベリア出兵を行うなどし、第一次世界大戦に関わりを持ちます。
それはスペイン風邪を受け入れることも意味していました。
ヨーロッパを中心に広がったこの疫病は、同盟国、敵国を問わずに感染者を増やしていきました。
どの国も戦線を維持することさえ難しいほどになり、戦争終結の契機へとなったと言われています。
日本では大正7年5月から9年の5月までの間、合計3回の流行(第三波)がありました。

東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[17]。天然痘や麻疹は西から東に運ばれ、ペストは東から西へともたらされた[17]。こうした感染症に対し、人びとは免疫をもたなかったので、東西でパンデミックが生じ、多くの人命が失われた

シルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは、大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが、2世紀以降、時を同じうして感染症の大流行が発生し、人口が激減し、帝国の分裂と混乱を招いた[17]。11世紀以降繰り返された十字軍遠征、また、それによって活発化した交易もまた、ヨーロッパ大陸にペスト菌による感染症拡大をもたらしたと考えられる]。13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国では、シルクロードの大部分が支配下に置かれることとなり、ユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが、感染症もまた東西に拡散されることとなったのである。

コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス、黄熱などが、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされた

免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した

1331年の元の時代に大流行が発生し、1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模(推定)の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリア、パレスティナに拡大し、エジプト、さらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]。特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ、人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる

ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡したといわれる。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったという試算もある[

梅毒は、元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったため「ナポリ病」と称することも多い。

アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。



感染症は人と交わることによって感染する、するともし人と人が交わらなければ感染しない、人が病原体を運ぶのであり人が移動しなければ感染しない
古代に天然痘でも朝鮮半島からもたらされたというきそうである
朝鮮半島とは一番日本は交流があったからである

江戸時代の末期にコレラが流行したのも長崎に外国人が入ってきて流行した
江戸時代でも鎖国していても長崎の出島から外国人が入り貿易していたからである
このコレラは北前船で新潟まで来て阿賀野川を通じて城のある会津若松まで広がった
江戸時代でも結局外国からウィルスが侵入して日本に広がったのである

スペイン風邪でもそうである、世界第一次戦争があり広く人々が国を越えて交わる結果として広がった
何か隣の人は戦争で東南アジアとかに行き梅毒にかかったらしい
それで変になった、土地の女性と性交したとかあったのかもしれない、戦争は感染症を拡散されるのである
日本軍は東南アジアの熱帯で感染症にかかり相当死んだ
従軍看護婦だった姉もマレーシアのジョホールバルで腸チフスになり苦しんだ
熱帯は感染症にかかりやすいのである

世界史的にも巨大帝国がローマでも中国でも東西が交わると感染症が世界的に拡散する
モンゴル帝国は西側の国を攻めるとき感染した死者の死体を城壁に投げ入れて感染を広げた、つまり感染者を武器としてまで使っていたのである
戦争でも国境を越えて人と人が交わるから感染症が広がる

大航海時代でも南米にウィルスがもたらされて原住民であれ免疫がないので感染して多数が死んだ
これらを見れば人間がそれぞれの国だけで生活していれば感染症は拡散しない
でも人間の歴史は必ず領土拡大してゆくからそこで他国と交わり人とも交わるから必然的に感染症も拡散される運命にあった

グロ−バル化することは必然的に感染症を拡散させることだった
つまり必ず何でもプラスの面があってもマイナスの面が生まれて来る
それが感染症だったのである、おそらく生態系の維持というときある一定の地域で範囲内で機能している、だからそこで感染症は風土病と言われた
ある地域の生態系から生まれるからである、その風土病でも人から人にうつるのだからある一定の地域内で暮らしていれば拡散されないのである

現代のグロ−バル化は頂点に達した、世界中の人達がこれほど交流して交わる世界はなかったからだ、それは一部の人でない、あらゆる人が世界で交わる社会になった
だから最初にイタリアで被害が大きかったのは中国人の労働者がイタリアに多かったからである、そして日本の感染は観光で中国人を入れるのを早い時期に止めなかったためだとしている
ただこれだけグロ−バル化しているともう感染は世界的にたちまち拡散されて止められないということになった
つまりグロ−バル化の負の面が感染症で露骨になったのである
それでも人間の交流を止めることはできなかった、世界史でも世界との交流は感染症があっても止められなかったからである
ただグロ−バル化の負の面が最近は目立つようになった
世界経済でもグロ−バル化すると必ずまた反面に対立が激化してくる、それが米中対立でありまた世界戦争の恐怖になる

感染症は人の交流を止めることになる、それもまた大きな視野でみれば人間にとって必要だから感染症かあるのかともみる
外国と交わることがすべていいようでも必ずしもそれが平和的な交わりではなく必ず対立激化して戦争になっていたからである
異質の文明が出会うことは必ず苛烈な覇権争いになり戦争になっていたからである
その犠牲も莫大だったのである
それで老子の「小国寡民」の思想が生まれた、いわば小さな村で外と交わらないで平和に暮らすということである、それはグロ−バル化は人と広く交わることはまた対立激化して戦争になって犠牲が多かったからである
グロ−バル化はすべていいものとして作用しないからである

現代ではもうフロンティアもない、アメリカ大陸とか南米とかフロンティアはなくなったそして地球の人口でもアフリカでさえふえない、少子高齢化するのは世界的なものなのである、つまり世界の人口はこれからは増えない、もう地球で人口が増えても養えなくなっている、限界現象が起きているからである
持続可能な世界を作るにはもうグロ−バル化して貿易を盛んにするとか資源を多国籍企業が食いつくしてゆくとかしたら森林ても喪失して持続可能な社会はなくなってゆく
江戸時代の様な自給自足のリサイクルな循環型持続可能型の社会がこれからの人間の在り方なのである
コロナウィルスもグロ−バル化を抑制するものとなったから今までの世界と社会を見直すものとなった、世界が無限に拡大するとかはない、縮小化するダウンサイジングした社会となる

つまり日本の江戸時代のリサイクル社会とか茶室とかのシンプルなわび、さびとかの日本文化を見習う社会にもなる、大陸の無限に拡張拡散拡大する世界は限界に来たからであるそれをつづければ世界第三次戦争で人類は滅びることになる
何か拡散拡大ではない、抑制して制約する限界をもうける社会である
内なる世界に向かう、内なる精神性の世界を追求するようになる
それは宗教とか哲学とか芸術の世界の探求にもなる、ただカルト宗教は内なる世界より外なる世界を求めて会員を増やことが目的だから違っている
禅宗のように座禅して内なる世界を究めるともなる

また物量とか量で計る世界ではなく、意味を求める社会になる、哲学的な社会になる
それはオリッピックが一部の金儲けのためのものであったし意味がなくなったことでもわかる、いくら金をかけても何か意味ないことはもうつづけられないのである
だから宗教や哲学の時代になる、そういう変化は今回のコロナウィルスでも起きたということである、巣籠り生活とかでもそうだったしテレワークでもそうだったからである
コンピュター時代になるけどこれは今までの重厚長大な技術とは違う、人間の知能と深く関係している、人間の知能開発の道具でありまたそれは精神とも結びつくのである
AIとかもそうでありそれは今までの機械と道具と違って人間の知能と精神に結びつく
それは時代を象徴するものでありそこに変化がありそれに適合することで時代が変わってゆく
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2021年09月17日

猪苗代湖のボートの事故を起こした会社はいわき市の人 (震災原発事故でもうけた足場会社の人だった)


猪苗代湖のボートの事故を起こした会社はいわき市の人

(震災原発事故でもうけた足場会社の人だった)


株式会社 佐藤剛建
代表 佐藤 剛
所在地 本社 福島県いわき市泉ヶ丘2-43-10
東京支店 東京都墨田区八広1-26-16-1301
業務:建設現場における足場の工事業(足場資材の販売と買取)

福島県いわき市と言えば、東日本大震災でも被害の大きかった地域の一つです。佐藤剛の会社は土木関係で、被災後の建築ラッシュで相当な需要があったと予想されます。佐藤剛が震災当時に既に会社の代表を勤めていたかは現在調査中ですが

東京の人だと思ったけど福島県いわき市の人だった、ここで気になったのがこの会社が津波とか震災で原発事故関係の仕事でももうけたのかである
まずこの辺では土木建築関係では相当にもうかったからである
近くのクレーンの貸し出し会社は新しく土地を買い機械も買い大規模になった
他でも建築土木関係には相当に事業の規模を拡大した
実際いわき市から瓦屋根を直してもらった、その時軒並み屋根が破壊されたからわざわざいわき市から来ても仕事が山ほどあったのである
だからこれも相当にもうけたとなる
この辺で原発が建つときその工事で財を成した人もいる、原発は金の成る木だったのである
だからみんな群がったのである

それから原発事故関係でも仕事が増えた、この人は足場組み立ての仕事であるがこれは
相当にもうかる仕事だいう、何しろ本当にこの辺は十年くらい土木工事や建築の仕事が膨大に増えた、だからこれで事業規模を拡大した会社が多い
また原発事故の除染とかでも仕事があり6兆円なのか莫大な金が使われた
そしてその補償金も多額でありそれでみんな金に狂ったともなる
噂にしても何億円補償金もらったとか聴く、実際に浪江の仮設に入っていた人が家族も多いから一か月に百万以上入っていると言っていた

その人は請戸の港で漁師であり働いていた、船主とかなるその額は大きくなる
なぜなら原発事故前でも原発御殿が建つほどに補償金をもらっていたからである
だからたいがい新しく立派な家は船主の家だとわかる
庭でも立派な石があり一千万単位とかの庭だからである
つまり家でも庭でも今では車を見ればその人の生活がどのくらいのレベルかわかるのである、貯金とかはわからないにしてもそれらを見ればわかる
相馬市の病院で一緒だったと人は請戸の人だった、その人は豪語していた
新しい家を建てると言っていた、それもやはり豪邸になる
津浪とか原発事故の被害でも補償金が多額だからできるのである

またいわき市には原発事故の避難区域になった住民が大量に移住した
二万人くらい移ったとされその人達が補償金で次々に新築の家を建てたから地元の人たちに反感を買い車を壊されたりいたずらされたりと嫌がらせさせられた
それだけいわき市はパニックのようになった、二万人も移ればそうなる
それは難民とかではない、ぜいたくな金のある難民なのである
今の世の中すべて金である、元から住んでいても金がなければ何の力もないのである
俺は金あるぜとなれば金のないもともと住んでいた住民より力あり偉いとなるからだ
現実に毎月電気ガス水道費が払えない人がいてそういう人は生きた心地もしないとなるからだ

ともかくこの事件に関心を持ったのは身近でありいろいろ自分の追求してきたことと関係していた、この辺は多額の補償金が入り金銭感覚が狂った人が多いからである
ただレクサスとか高級な車を買う人が増えたが高価なボートを買う人はいない
ボートにもいろいろあり大型だと何千万になる、金持つとまず豪邸を建て高級の車を買い高価なボートを買う、あとはこの人は食道楽になっていた
何か趣味がなければそうなる、例えばカメラが趣味だったら最高級品のプロのカメラを買うだろう、でもそういう趣味は高級だから芸術ともなり人に見せるものともなるからいいとなる、私自身はそうした金が入れば庭作りしたいとなる
私は石が好きだからである、一大庭園を造りたいとなる
ただこういう人は趣味がないからその外食い道楽とかボートとか車とかに費やして終る
高級品の車を何台も買っていたからである

そもそも静かな透明な猪苗代湖とか他でも水上バイクなど騒音が激しく嫌だとなる
でもただそういう所でもぶっ飛ばして快感を得る、それは車だってそうである
スピードを出して快感を得る、そういう社会でもある
だから車の騒音もうるさいと思わない、人間の感覚が鈍化したのである
その延長として水上バイクで今度は湖をぶっ飛ばして快感を得るとなる
本来は透明な湖面を乱さずに自然の美に浸るのがいいとなるがそれがない
そういう人たちは自然の美とは関係ないのである
それで自然の美には無感覚であり騒音を撒き散らしても何にも感じないのである
またそれを受け入れる人も金になるから仕方がないとなる
それは何でも金を第一する社会だからそうなった、要するに金があれば何でも通るとなる社会だからである

資本主義社会はどうしても金が最大の価値になる、金を持つ人が一番価値あるものとなるその金をもったら何に使うと勝手だとなる社会である
だから原発が金になるとなれば危険など見ない、原発を作る方でも地元でも有力者でも金をばらまけば手なづけられるとみる、実際にそうなっていたからである
故郷があるとしても毎月電気ガス水道代も払えないとした金をもらって故郷を出て暮らしたいとなる、これは故郷が愛郷心を持てと言っても無理である

ただこの人がこんな残酷な事故を起こしたのはやはり直接原発事故とかとは関係ないようで周り回って関係していたのかもしれない、思わぬ金が入りそれでその金を使ってボートを買い事故になった、金の使い方でそんな事故を起こしたとなる
他の人でも多額の補償金が何億円も入ってその金が変な方向に流れてしまったとういことがある、結局故郷の復興とかには使われずにその金で他で贅沢した方がいいとなった
だからみんな他に移り地元に残ったのは老人であり復興はしなくなった
それも結局そういう社会にありもともと土地に根づいて暮らす農民との社会ではなくなったからである

だから浪江の電気工事していた人は回りは草ぼうぼうで田畑がなくなっても補償金もらって良かったとか言っていた、つまり農業でも別に米でもなんでも外部から入ってくるからそれを金で買えばいいのだからそうなる、地元の米を食べる必要は無いからである
もし米でも外部から入らずに買えないとなれば今度は外に移住すればいいとなるだけである、だから今は地元に固執しないのである
この足場会社の人もミャンマーに会社を作り逃げようとしていた、グロ−バル化もしていたのである

こうして何か原発事故から波及したものがあり福島県は荒廃したとなる
金になった人がいてその人は金にあかせて贅沢する、相双リテックなども除染で幹部に何億円も入り分け合った、その金で銀座で豪遊して野球のタニマチになった
この人は若い時大谷翔平と関係していた、野球好きだったのである
要するにスポーツ好きだったとなる、
いづれにしろこの事故にしても何か震災と原発事故とも回り回って関係していたということで
考えさせられたのである
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2021年09月16日

真子様の結婚相手選びの失敗 (皇室は京都に住み伝統を守るべきだった)


真子様の結婚相手選びの失敗

(皇室は京都に住み伝統を守るべきだった)


明治以降に天皇が極端に持ち上げられて政教一致になったことが後に太平洋戦争で300万人も死ぬ要因になった、神道も国家神道になりこれまでの天皇の扱いと違うようになった、そして昭和天皇の人間宣言で平民と結婚したことで皇室の堕落が始まった
そのなったのはもともと京都に住むのがふさわしいのに東京に住んだことである

江戸時代までは大坂は商都となり京都は天皇が住む場所であり江戸は政治を司り権力の場であった、その住み分けができていて日本という国は調和していたとなる
大坂は商都でありか商売であり京都は長い日本の歴史の伝統を受け継ぐものだった
京都はまた工芸と芸術とか受け継ぐ役割がありだからこそ天皇が住む場所としてふさわしかったのである
人間はとにかくその場の影響を受けやすいのである、大阪に住むと何か商人気質になる
その言葉からして違っている、「もうかりまっか」とか大阪では挨拶自体が商売のことになる、京都は「おいでやすとか貴族の言葉使いになる
そういうことで気質すら住む場所によって違ってくる
何か変なのは仙台弁で必ず語尾にだっちゃだっちゃがつくのである
このだっちゃが何かあけすけというか押しが強いという感じになる
仙台は東北でも伊達政宗が出て異質な場所であり商人の住む場所にもなっていた

東北という時たいがい朴訥な農民気質だからである
東北人は一般的に商人に向いていない、農民気質であり職人気質でもる
真面目であり融通が利かないということがある
その言葉からしてそうなのである、語尾に普通はだべいとかんだとかずうずうう弁になるからだ
それで奇妙なのは宮城県になる丸森は相馬市の隣になるがその人がんだちゃと言っていたことであるんだとは東北弁で語尾につける、んだーだっちゃが合成語になりんだちゃになった、一時丸森の金山城は相馬藩の城でもあった、その麓に住んでいる人が相馬市の病院で一緒だったので私はその言葉を聞いて感じたのである
だっちゃんだでは相当感じが違う、だっちゃは何か押しが強い感じになる、ずーずー弁は内にこもる感覚だからである

とにかく人間はその住んでいる場所の影響を一番受ける、おそらく鄙の人も京都に住んだら雅(みやび)を知るし身につくともなる
京都には独特の場であり千年の都だからそこから自ずとしみだしてくるものがある
それがやはり歴史なのだろう、度々言うが相馬市は相馬藩六万石の城下町である
でも城もないし何が城下町なのかわからない、でも何かそこから城下町の雰囲気がある
高いビルもないこともあり城下町になる、ただ外部から来てもわかりにくいのである
その場の雰囲気はなかなかわかりにくい、住んでいる人でないとわかりにくいのである

天皇は今の江戸城のある場所に住むのにふさわしくなかったのである
もともと千年の都の京都に住むことによってその価値をもちえたのである
江戸はもともと政治の場、権力の場所であったからだ
結果的には天皇が祭り上げられて現人神(あらひとかみ)になり日本の神になり300万人が死んで犠牲になったのである
天皇は確かに権力を持たない、軍隊を持たない、でも権力と一体化するから政教一致になるから危険なものでもあった、国家神道ともともとの神道は違っていた
神道には日本人の精神があり文化であるが国家神道は違っていたのである
それでキリスト教徒の手島郁郎が神道を持ち上げていた、宗教でも権力とかかわらずに
あれば仏教でも学ぶことがある、それが権力と一体となるとき危険なものになる

今天皇が問題になる時明治になって神聖化されて国家神道の主催者になったことである権力に軍事に直接かかわるようになったことである
それで山の奥の村であれ小社でも戦争の勝利のために祈っていた、祈らされたのである
それはあらゆる神社が国家神道に組み込まれたからである
もともと天皇とは関係ない、その土地の守り神のようなものでも国家神道になり天皇とかかわり戦争への勝利を祈るものとされたのである
それが世界でも通用させようとしたことが失敗だった、政教一致になったことが失敗だった

大倉村の山津見神社

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国威宣揚
皇軍武運長久

百人にも満たない小村でもこうして戦争に狩りだされたのである
その証拠としてこうして全国の神社に残されている
ただこれを歴史的評価する人もいるだろう、反発する人もいる
ただこうして刻まれた文字は消えない、また別に消してしまいならない
それは歴史の証しでもある、国家神道と本来の神道は違っている
日本の純粋な神道は日本の自然との合一から生まれた、それが日本語にも残されているからである、日本語が神道を示すものだともなる、それは国家神道とか権力と一体化したものとも違う民族の文化だともなるからだ

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実
(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)
http://musubu.sblo.jp/article/186477520.html

天皇は日本の歴史伝統文化の象徴であり権力を自らもって支配するものではなかったからである
だからこそ平安京以来日本の歴史文化の中心の京都に住むべきだったのである
そして明治になり東京に移りそバックグランドから切り離されたことが問題なのである
第一江戸城があったところに御所があるということが何かそぐわないからである
これが京都なら御所がもともとあり日本の歴史文化伝統と一体化するのである

そういう根本的なことが背景にありそれを無視したから諸々の問題が起きて来る
江戸には東京にはふさわしくないのである
そして平民と結婚して平民化したことが天皇の尊厳を失うことにもなった
自由恋愛とか自由が欲しいとなり今の真子様の結婚問題になった
何かそうなると皇室の尊厳が損なわれて失い国民も愛想がつきるともなる
そもそも皇室の尊敬が国民でもなくなっているのではないか?
昭和天皇までは国民にあれだけ戦争で犠牲になってもあったともみる

でも今は何か天皇に何か特別のものを感じにくいのである
変なのだけど近くに今の天皇と顔が似た人がいる、その人は庶民であり天皇になっても
同じではないかとも見てしまうのである
とにかく人間は聖人であれなんであれキリストであれなんだ同じ人間じゃないかとみる
だからいづれはどんな人も卑しめられる、神が肉体を身に着けて現れてもそうだった
なんだ俺らと同じ人間じゃないかとなる、だから特別尊敬などしないのである
そうなるともう皇室も維持できなくなるかもしれない、まず国民自体が尊敬もしないからである、皇室も自由恋愛だ、何か自由が欲しいとなれば平民と同じ権利があるとかなればそうなる

確かに天皇は軍隊をもたないし財力もない、権力がない、でも権威でありその権威にひれ伏すことで日本の政治は運営されてきた、それは他の国とは違う日本の知恵だったとはなる、でも天皇がこれから維持できかどうかわからなくなっている
まず国民が天皇を尊敬するとかが希薄化している、明治生まれとか戦前生まれの人は戦争があってやはり天皇への敬愛かあった、それは権力に強制されたというのでもなく尊敬があった、そもそも日本の歴史が皇国史観になっているということでもそうである
天皇なくして日本の歴史がなくなるからである、それだけの重みを持ち続けたのである
ただ明治から戦前から戦争がありさらに昭和天皇から今上天皇から今の天皇になりその存続も危ういものとなる、そこに今の男系から女系天皇でもいいとかの議論になる

いづれにしろ天皇は京都に住んでこそ天皇の意味がありその価値を継続できていた
それが東京に移り住み失われた、そのバックグランドは徳川家康が支配した江戸にさらに東京にはなかったからである、その歴史的文化的価値をもつのは京都だっからである
だから歴史もその場から離れてありえないのである、千年の都から東京に移っんた時その価値を失ったともなるのである
昭和天皇が軍神ともなったが短歌がうまかったことである、やはり伝統を受け継いでいた
その後は短歌がうまい人が皇室に出ていないのである、俳句と皇室は結びにくいが短歌は古代から日本の文化となっているから
歌会始めがあるように天皇と結びつくのである

貴人(あてびと)に枝垂桜や雅(みやび)かな

貴人住む京をめぐりて春深む

春の日や鄙も雅に染まるかな

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2021年09月15日

猪苗代湖8歳死亡ボート巻き込み事故 会社役員の男逮捕 両足切断の母親 (水上バイクのうるさかった場所ー観光公害にもなっていた)


猪苗代湖8歳死亡ボート巻き込み事故 会社役員の男逮捕 両足切断の母親

(水上バイクのうるさかった場所ー観光公害にもなっていた)

https://bit.ly/3tJkAs8

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猪苗代の名のおこりは磐椅明神が昔、野猪に苗代を耕作させたのでそう呼ぶようになったという説や、イナワシロはアイヌ語だという説などがありますが、定説はありません。
しかし、稲作農業と深い関わりがあったことだけは確かです。

この由来かすると農業が関係していた、野口秀男が生まれた貧しい地域である
猪苗代湖は魚がとれない、だから回りで農業をする稲作をしていた
一時は船で米を運んだとかある、でも猪苗代湖が琵琶湖のように交通が盛んで鮎までとれたのとは違っている、ただ猪苗代湖という地名には何か生活感覚があって名付けられた

ただ猪苗代湖は今は観光の地であり何か生活を感じるものはない、でも周りは田んぼだからやはりそこに生活がある
私は船津浜だろう、そこから真正面に磐梯山が見えて松林があり眺めのいい場所である
その辺から水上ボートが出て水上バイクで遊んでいた両親と8歳の子供が事故にあい死んだ、母親も両足切断したとかその映像を見たとき残酷だと見た
なんでこんな目に合わねばならないのかと思う端から見ていてもその映像だけではっきりわかる、アフガニスタンでは両足を地雷で切断した映像を見たときもショックだった
なぜならこれからもその足は戻らない、障害者として生活してゆくことを想像したら
あまりにも残酷だとなる、幼い命も返ってこないのである

私がなぜこの事故に注目したかというと私がここを自転車で通った時、そこは風光明媚で静かな場所だった、でも水上バイクの音だけがうなりひびいていたのである
それで今も頭の中にその音が残っている、なぜなら静かな場所で人家もまれでありただそこには水上バイクの音だけが騒音となってひびいていたからである
何か水上バイクは音が激しいのである、それは騒音公害ともなるが人家がほとんど見えなかったから騒ぐ人もいなかったのだろう
それより観光で成立つのだから金にならないと困る、それで水上ボートとか水上バイクとかで事故になった
十人乗りの大型のボートでありそれでボートがまきこまれ悲惨な事故になった
その十人乗りのボートの所有者は東京の人であり会社の役員でタワーマンションに住んでいて家賃は30万くらいするという

何か私は旅が仕事のようになっていたから観光というのに関心がある
今の観光は何かこれも金だけが目的となり金になる人は歓迎する
そのためにはそうした金を落とす仕組みを作らねばならない、それでそのために水上ボートとか大型の船でも航行させる
そこにはもう猪苗代湖という名の素朴な感じもないのである
もちろん野口秀男の生家とかあってもその面影は喪失している
そこは観光の場であり観光無くしてありえなくなったからである

ただ船津とか湖南の福良とかはいい場所である、福良に行った時は町の通りに茅葺の家があった、福良は白河街道の宿場町でありそこは昔の面影をとどめている
そこの蔵の宿に泊まったことが思い出となっている、そこは昔も偲べるし風景もいい場所なのである、観光化もしていない、猪苗代湖の他は鉄道が通っている沿線とか観光化している、ただ福良の方にはあまり行かずに会津の方に鉄道でも行けるからこっちは取り残された感覚になる、でもそういう場所がかえって風情がありいいとなる

我が泊まる福良に菖蒲蔵の宿


なぜ観光でも今はそうした風情とかが壊されるのか?

それは過度な観光化のためだった、そこで優先されるのは大勢の人が来ることであり
金を落とす人である、金のあるかなしかで待遇はまるで違ったものになる
自転車旅行者など宿でも歓迎されない、何かはぐれものであり危険だともなる
犯罪者のようにも見られる、そしてすべては金が優先されるのはどこでも同じである
観光も過度になると京都すら風情がなくなる、外国人でうめつくされ風情もなくなる
ホテルでもビルとか建ち過ぎると古都の風情が壊される
何か京都でも観光公害を言っていたが金になるから黙認される
でもコロナウィルスで観光客激減したことには驚いた、でも閑散として元の古都の風情がもどったともなるのも皮肉である
要するに観光は過度になり観光公害にもなっていたのである

そしてホテルでも旅館でも金持ちは優遇される、一泊3万とかの宿がありそこで金持ちは保養する、旅人をもてなすのではない、そこでかまいものを食べて保養するのである
だから旅人はもういないとなるし旅している人は胡散臭いともなる
背広を着ていかにも会社の重役のような金持ちは歓迎されるのである
江戸時代ならみんな宿でも平等だった、平等のもてなしをしていた
それはみんな金持ちではない、相宿になったりしていたからである
江戸時代は歩く旅だから宿についたらみんな相当に疲れている、それで足を洗うというのはわかる、汚れてもいるからだ
今は汚い恰好していたら泊まることもできないとなる
自転車旅行者はテント必須でありそこで泊まるほかないとなるからだ
要するに現代では旅人はいない、保養があっても旅人はいないのである
車だと旅というよりどれだけ早く目的地に着くがであり途中は省かれるからだ
むしろ旅は途中にあるとなるからだ

何かコロナウィルスでも観光がだめになった、インバウンドも駄目になった
これも急激に起きたのである、観光公害を言われていたが本当にぱったりと外国人でも来なくなったのである、その負の面も大きいがやはり観光公害となるほど問題が起きていたすると観光業も見直すものとなった
猪苗代湖でも水上バイクの騒音とか十人乗りの大型ボートとかそれが適していたものなのか、東京の金持ちの都会での生活の圧迫からの解放であり娯楽として提供する
それで風情は壊されるとなる、それはどこでもそうなっていたのである

なぜなら観光のためにそもそも市町村があるのではない、そこに暮らしがありその付けたしとして観光があり観光は主役ではないのである
観光のために市町村があるとなれば本末転倒にもなる、もともとその地域での暮らしがあって観光はそれにつけ加えるものとしてあったからである
観光のために市町村があるとしたら観光公害にもなるのである
京都ではそうなった、でも相馬市は城下町であり何かどこが城下町かもわからない
訪れる人も少ない、でも何か常に風情があり感じるものがあり俳句とか短歌になった
それは高いビルとかなく公共の建物でも入母屋作りに統一されているからだとなる
ただ外部から来た人かそこが城下町なのだということは気付かないともなる

ともかくあの辺を回って船津であれ水上バイクの音が今でも耳に残っている
それは観光公害だったのである、それは日本全国でもそうだし世界でも観光社会になったときそうなっている、何か風情が失われているのだ
それよりさうした悲惨な事故まで起きている、第一大型の水上ボートなどが必要なのかという問題もある、猪苗代湖はあまり大きくないからである、そういうものが走ること自体似合わないともなる

でも資本主義社会というか常に金が優先されるからそのために風情より金だとなり金持ちの娯楽を提供するためにそうなるのである
その金持ちも何か茶を楽しむとか文化をたしなまない、作りださない人達であり成金趣味とかなる、そこで問題なのは旅した印象として水上バイクの爆音のみが心に残っているともなりかねないのである、ただそういうことは地元の人でも考えない
やはり金だとなり原発でも金になるから積極的に誘致されたしみんなそうである
金によってみんな肝心なものが無視され汚されてゆく、アフガニスタンも200兆円もつぎ込んで無駄になったのもそうである、それは賄賂となり一部の都会民を豊かにしただけだったとかなるからだ

語られぬ 湯殿にぬらす 袂(たもと)かな 芭蕉

晩菊やここにもあれや湯殿の碑

湯殿山の近くのホテルで自転車で泊まった、そしたらそこで一部屋を用意して泊めてくれたのである,ホテルではありえないことである、そこは団体が泊まる、湯殿参りの団体が泊まるホテルだからである、そこのお上が泊めてくれたのである
つまりお上にはそれだけの裁量がありお上によってそのホテルの評判もあがるとなる

東北に湯殿の碑が本当に多い、いたるところに江戸時代の湯殿の碑があり湯殿に冬など農作業が終わったとき講がありみんなで疲れをいやしたのである
その時は金持ちを特別待遇するとかない、みんな平等だったのである
何かこの湯殿の俳句は東北的なのである、素朴な東北かあった時代に似合った俳句なのである

みちのくの湯殿でゆっくり疲れをいやしてください

そうなるからである、ただ今はそういう場所よりみんな観光の場所になったのである
それがまた観光公害にもなったのである

猪苗代湖一周サイクリング
https://bicycle-eyes.com/course/cycling438.html

こういう観光だったらいい、猪苗代湖は湖面を乱さない方がいい、透明度も高い湖であるからだ
何かやたら金をかけた豪華なホテルなどより湖南の蔵の宿とかに泊まれば風情があるとなる
だから湖南か福良から会津に行く白河街道は歴史の道であり推奨できるのである
ただ車だと早すぎて風情もなくなる、あの辺はまだ昔の面影が残っている
旧街道は歴史の道であり昔の面影が残っているのである

水上バイク事故で男女3人死亡 「すごい速さで走っていた」 兵庫・淡路島の海上

水上バイクは危険だし騒音が激しいから規制すべきだ
posted by 老鶯 at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

上級国民は国会議員はワクチンを打っていない (医者も打っていない????????)


上級国民は国会議員はワクチンを打っていない

(医者も打っていない????????)

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https://www.youtube.com/watch?v=AS7H_RBGGhk

このyoutubeも不思議である

●国会議員はワクチンを打たなくてもいいという法律を作った

●医療従事者は倍にも水増ししてワクチンを打ったと報告している

 でも肝心の医者は打っていない
 
このyoutubeは何なのだろうと見た、国会議員でワクチンを打たなくてもいいという法律まで作った

なぜそんな法律を作ったのか?

ワクチンが危険なためなのか、それしか考えられない、国会ではクラスターが起きていない、ワクチンを打たないのにクラスターが起きていない

ワクチンを打っていないからクラスターが起きていない!

これも奇妙である、医者も打っていないとなると特権階級は危険だから打たないのか?
その真意は謎だけどこのニュースはどこでも報道していない
だから相当に価値がある

とういうのは自分自身がワクチンを打っていないから不安になっているらだ
どうしてもワクチンを打たないでいた人が死んだという報告も外国でも日本でも多くなっているからだ
そういう情報にのみ接していればやはりワクチンは打たなければならないかとなってしまうからである
でもそこにも情報操作があるのかもしれない

ワクチンを強制的に打たせる

でも上級国民や医者は打たない

ただそれはわからないようにしている

何か原発事故でも真実は隠されていた、政府とか官僚とか御用学者とか専門家とかマスコミで原子力村を作り危険はないき「安全神話」が作られたのである
だから政府でも官僚でも学者でも専門家でも信じられないとなってしまった
政府でも嘘をつくし国民をだますのである
このワクチンでもそういうことがるのだろうか?これは謎である
ただこういう報道は見かけないから貴重だとなる
どうしてもマスコミでもネットでも全体的にはワクチンを接種しろという報道が大半だからである,ワクチンを打たない人はかなりの少数派になっているからだ

ただ知っている人は全身が痛くなり二回も入院した、立つのがやっとになっていた
だから三回目はしないという、ワクチンを七回すると確実に死ぬという発言もあり
やはりワクチンはそれだけ危険性がある
たでからみんな不安もなく平気で打っているのも何なのだろうともみる
ただ大勢はワクチンを打てとなり打たない者は非国民までなる勢いだから怖い
私は人と一人しか接していないし今は県外にも出ない、旅行もしない
近間を回りスーパーで買い物するくらいである
田舎だと都会のように混雑しない、デスタンスがとれる、だから感染しないとみている
ただそれも自分がそう思っているだけだともなりわからないのである

もしてこうして国会議員とか医者でもワクチンを打ってないとすると相当に危険でないかむしろ安全ならそういう特権階級の人が率先して打っていると見るからである
この報道は何か嘘とも思えない、なぜなら本当にそういう法律が作られたことは事実だからである、だからワクチンに対する判断はわからない
間違いなく確率的にかなりの人が副作用がありそれが重くなることはありうる
またワクチンを打ったからと感染しないわけでもない
だからここで言っていることは他では言っていないので何なのだろうと注目した
ワクチン陰謀論もあるがもしこうなっていたらそれもありうるのかともなる
上級国民と医者が打っていないとしたらそれもありうるのかとなるからだ

確かなことはワクチンが完全に安全を保証するものではないし効果もわからないのである
それなのになぜこれほど強制までされるのか?
それも世界的にである、それで利益を得るのは薬剤会社である、ただこれは専門家でも明確に判断できていないのである
だから強制していいものなのか、そして国家議員や医者が打たないとしたら何なのだろうとなる
下々の者は実験材料でもいいやとなっているのだろうか?
とにかくこのコロナウィルスというのは何なのか本当に不可解なのである
posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年09月14日

原発事故とアフガニスタンの類似 (いくら金をつぎ込んでも無駄だった)


原発事故とアフガニスタンの類似

(いくら金をつぎ込んでも無駄だった)

アフガニスタンでカブールで政府の要人の大邸宅が作られていた、それはまるで宮殿のようにもなっていたかもしれない、貧しい国でそんな大邸宅を作れるのかとなる
それを聞いた時、これは原発事故と似ていたなと見た
漁業組合とか船主に原発事故前も漁業関係者に特に船主に金が流れて原発御殿が建っていたという、漁業権を売ることはそれだけの金が入ったということである
他にも相当な金が流れた、それで大熊町長の五億円入った金庫が津波で流されて見つけ欲しいとかなった、それは嘘ではないだろう
つまり地元の要人にはそれだけの金が流れたということである
原発はそういうふうに湯水のように金が有力者に流れたのである

関西電力の八木誠会長(69)や岩根茂樹社長(66)、豊松秀己元副社長(65)を含む役員ら6人が2017年までの7年間に、関電高浜原発が立地する福井県高浜町の元助役(今年3月に90歳で死亡)から、計約1億8千万円の資金を受け取っていたことが、金沢国税局の税務調査で分かった
元助役は、受け取った約3億円を所得として申告していなかったため、金沢国税局は申告漏れを指摘し、追徴課税した。

この人も豪壮な邸宅を建てていたのである、他にも原発関係で金が流れた所があったろう実際その後の除染でも何兆円にもなりそれで地元の相双リテックの幹部に何億円とか分け前があったことが詩り摘発された
その金は野球好きでりタニマチになって銀座とかで豪遊していたとかなる
またオリッピックではIOC会長のバッハは国賓並みの待遇であり一泊300万とかの部屋に泊まったとか批判された、ぼったくり会長と呼ばれ批判された
なぜこんな金が出てくのか?庶民には理解しかねる
それでオリッピックが何か世界で有意義なものかとなるとそれも問われた
だから今回のオリッピックで誰が国民が反対なのにしたいのかがわかりさめた
裏で巨大な利権となりその金を得るために国でもやらざるをえなかったのである

それも無駄金だったのかともなく、残された競技場の利用者もなく金がかかり維持できないともなる
つくづく何か公共事業というのは莫大な無駄があると思った
そんいな巨額の金をつぎこんでオリッピックなどに意義があったのかとなる
ただ観光客が外国から来れば観光業とかホテルとかではもうかったとはなる
それもなかったのだからただ一部の利権者、電通とか工事を請け負ったゼネコンに金が流れたただけだともなった、そのカラクリが可視化されてわかりやすかったのである

ただ原発はオリッピックとはまた違っている、原発の電気は現代生活で不可欠のものだからである、だから電気自体を否定はできない、オリッピックなら別にやらなくても困らないとなるからだ
ただ原発も莫大な金が使われた、国の税金も使われた、それは共通しているのである
それだけの金をつぎこんで何か効果が意義があったのかとなるとそうとはならなかった
一部のものに補償金でも流れ消費されてまず復興のためには何にもなっていないのであるそれより補償金をもらった人たちはその金で故郷から流出して帰らなくなったのである
いくら金をつぎ込んでも復興にはならなかったのである
むしろ金を湯水のようにつぎ込んだ結果としてもう地元を復興させるより補償金をもらって外で暮らした方がいいとなった

それで近くでは南相馬市なら小高の人は原町にとか浪江でも復興団地に移り住んだ
つまり浪江でも小高でもそこに取り残されたのは老人だったとなる
飯館村でも何十億もの金をつぎ込んで立派な学校を作ったが生徒は6人だったとかそれも他の町から通っていて親は住んでいないとなる
いくら金をつぎこんでも復興とはなっていない、かえってそれだけの金をつぎこんだ結果として復興できなくなったということもある
なぜなら補償金もらったら別な市町村に移り住んだからである、そこでもいち早く立派な家を建てたとなるからだ、そして事故前からも補償金は特別もらえるから生活に困らないのである

これとアフガニスタンが何か似ているのとかなる
原発御殿が建ちカブールにはアメリカから二十年間で200兆円とかの金を湯水のようにつぎ込まれた、でもそれも水泡に帰したともなる
カーブルとか都市部ではそうしてつぎ込まれた金が賄賂となり私腹を肥やすものとなっていたのである、何かこれも原発の補償金と似ていたのである
アフガニスタンでもそんな巨額の金をつぎ込んでもアフガニスタンが良くなったことはなかった、都市部はそれなりに自由な生活ができたが農村部は貧しい生活のままだった
つまり都市部の利権者が賄賂を得て大邸宅を建てていたのである

つまりそうして200兆円とかの金をつぎこんでもアフガニスタンは豊かになったわけではない、一部のものに利権者に流れただけだとなる
国民は貧困であり満足に食べ物すら得られない状態も改善しなかったのである
だからいくら金をつぎ込んだとしてもそれが何か実りをもたらとはならないのだとわかるかえっその金が仇になりその金をもらって楽しようとなったり自分だけが豊かになればいいとなる、厥て国全体は良くなったりしないのである
だから金は諸刃の剣である、使い方によって良くもなり最悪にもなる
金ですべて解決できない、アフガニスタンでもやはりそこに住んでいる人達の意識とか心も関係してくる、ただ金を与えても良くなるとは限らない、悪くなることもある
補償金がもらえばいい、後は遊んで暮らせばいいとかなる
現実に避難者はそうなっている、働く意欲ない、補償金で暮らせばいいとかなる
特に老人だとそうなりやすいのである

アフガニスタンでは50万人の難民が出るとなるとそもそも自国に住めない住みたくないとなれば国造りなどできないともなる、それだけ荒廃しているとなる
不思議なのは日本でも焼野原になって都市が壊滅状態になっても復興した
その復興を示したのが前の東京オリッピックであった、その時はオリッピックに意義があったのである
ドイツでも復興した、それはやはりもともと国力があり復興する力があったからできたとなる、工業力も双方にあったからである、技術力もあったからである
その辺がアフガニスタンとかとは違っていた
でもその時別に金をつぎ込んだわけでもない、金もないからである
みんな懸命に働き自国で復興したとなる、アメリカの援助があってもそれだけではない
日本人自身で復興する力が精神的にもあり幸運もあって復興したのである
今は中国が貧困国家だが世界第二の国になった、これも復興したのである

その原因はやはり工業力、技術力が日本でもドイツにあったからだともなる
農業だけでは復興できないからである、中国も復興できたのは工業力であり技術力だったアジアではもはや日本を抜いて工業先進国でありIT先進国になったからである
イスラム世界には工業力がない技術力がないことで停滞しているともみる
これはいくら金をつぎ込んでも工業力とか技術力がつくとは思えない
イスラム世界ではそういう人が育たないとかある、そのために後れをとったとも見る
他にも原因があるとして可視化できるのは工業力と技術力だとなる
つまりいくら石油がとれてもそれを精製する力もないし工業製品を製造する力がないので後進国になってしまったとなる

イスラム世界では石油がとれるのだから金がある、でもその金をいくらつぎ込んでも工業国とか技術を取り入れることもできないのである
だから石油マネーで金を湯水のようにつぎ込んでも自国で車も作りだせないのである
結局他国から買うだけになるから本当は豊かになれないということがある
金だけでなんでもできるとはならない、確かに技術力とかも左右するが精神的なもの
自らの国を良くするという自発的なものがないと豊かにできない
それがイスラム世界にはないから遅れをとった

アフガニスタンなどでもそうである、阿片の栽培でそれを資金源にするほかないとなると豊かにはなれない、そして外国人が来て援助していくら金をつぎ込んでも豊かになれなかった、それは一部の特権者に流れてその人たちが大邸宅を建てた
それも賄賂の金だったとなる、そしていくらアメリカでも金とか武器とか労力を費やしても賄賂をもらい大邸宅を建てて私的なものとして使う、国民のために使うこともなかったのである、だからタリバンが攻めてきても戦うこともない
愛国心もなかったとのかとなる、ベトナムなどとはずいぶん違っている
総力でアメリカと戦い勝ったともなるからである

いくら外部から外国の援助があってもアフガニスタンでは豊かになれなかった
日本だって7000億円も援助していたというから驚きである
でもその金を無駄だになった、すると一体何のためにそんな金を使っていたのかとなる
それも無駄金であり無駄な労力だったのかともなる
別にアフガニスタン国民に感謝されるわけでもないとなるからだ
結局外からいくら援助してもその国の人達がやる気がないのなら何をやってもできない
ここは私たちの国でありなんとか私たちの力で豊かにするという心意気がないとできない金を湯水のようにそそぎこんでも成果が得られないのである

事情は違うが津浪でも原発事故でもそうういことがあり人間は金で何でもできるとはならないと思った、でも現実は金を得ればいいとなる、そしてもっと金をくれとなりただその金で今度は地元を離れて他の便利な場所に移り住み生活するとなったのである
金のために復興できなくなるということもあった
だからすべてが金では解決しない、そればどこでも同じなのだけど金の魅力に負けて金に心もなにもかも奪われてしまうのが現実なのである


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宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した (隠蔽されニュースにならないものがある)


宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した

(隠蔽されニュースにならないものがある)



免疫学の第一人者とされコロナワクチン絶対安全派・絶対推奨派
に転向した宮坂昌之阪大名誉教授の長男(45歳)がワクチン接種後にクモ膜下出血で急逝した
事実をテレビ・新聞が報道しないことだ。

グーグル検索では削除されていて情報は出てきませんが、アメブロでも取り上げておられる方がいらっしゃるようです。

厚生労働省が公表したデータによれば、接種を開始した2月17日から6月4日までに、196人(女性104人、男性92人)が接種後に亡くなっていた。6月16日現在、ワクチンを1回以上接種した人の累計数は2003万1055人だから、およそ10万人に1人の割合だ。私たちはこの数字をどう受け止めるべきなのだろうか。



ワクチンがもうアメリカとかでも強制的になっている、職域で強制的になっている
ワクチンパスポートも必要になる、それで抗議している人もいる
ワクチンの効果もまだ良くからない、三回して感染したとかもある
情報が混乱しているから判断に迷う
何か私がしないのは家庭の事情である、前は看護婦をした人が家族にいたらすすめられいたろう、また一人だと自分の体に無頓着になりルーズになる
普通家族がいると過剰に心配するからである、家族がいないと誰も心配もしない
それで家族を介護中に誰も体を失敗してくれないから死ぬところだった
腎不全になり医者に行ったときすぐ入院して一命をとりとめた
家族がいないということは早めに死ぬということがあるのはそのためである
体ででも心配する人がいないからだ

ただこの人は家族がいてそれも有名な専門家の感染症の学者がいてすすめられて死んだ
これも何なのだろうと思う、息子が高血圧とか知っていただろう、ということはワクチンを打つことに抵抗があった、最初はワクチン拒否だったが変わった
つまりこうして有名な専門家でも実はコロナウィルスのことがわからないからこうなる
それが今の状態を示している
でも確率的にワクチンをした方が重症化しなとかでている、死んだ人もいるが10万人に1人となるとどう判断すべきなのか?接種後になくなった人の数が5カ月間で196人は多いのか、高齢者も多いが50代でも40代でも死んでいる
これもどう判断していいのかわからないのである

ともかくこの人は家族が専門家だからすすめられた、それがかえって徒になったのであるもともとワクチン拒否派だったのだからそれを貫けば息子は死なずにすすんだともなる
こうして専門家自体が判断が変わったりワクチンを打たせてしなせたとかなる
そうなると素人で判断するのは至難である、ただ統計的には確率的には奨めてもいいというものなのか?それもわからないのである
ただ大勢はもうワクチンを全員打てとなり強制化している、それで抗議のデモが外国で起きている

ただ注意すべきはこの専門家の学者の息子がワクチンを打って死んだということが報道されないことなのである、これは明らかにニュースになるものでもしない
ということは何か隠蔽させる力が働いているのかとかんぐる
これは今なら重大ニュースだからである、こうして何か隠蔽されマスコミでは報道しないことがあるから困るのである
とにかく原発事故でも政府は権力によって重大なことでも隠蔽する
それで被害を受けるのが国民なのである、また地元の住民だったのである

ただ職域で人と接する仕事はワクチンをうたざるをえないだろう、でもたいがい人と接する仕事が多い、テレワークで家にこもって仕事できる人は選ばれた人だろう
私自身がテレワークであり自宅から出ずにプログを毎日書いている
だから人と接しないから安全だと自分自身で見ている、県外にも出ない、もともと人と接しない引きこもりだからそれが幸いしているというのも皮肉である
この世の中つくづく何が幸いするかもわからないのである

とにかく一人接する人はワクチン接種後、体全体が筋肉でも痛み立てなくなり二回入院した、だから副作用がある人を身近に見たのでやはり相当に副作用があるのかともみる
その人は70過ぎている、身近にそういう人がいると警戒する
ただ南相馬市では一人二人とか感染者が出ているが十人とか単位ではでていない
いわき市は増えた、ただいわき市とは電車が通っていても行き来が少ない、ここでは仙台市との交流が多いからである、だからいわき市からうつるというのも考えにくい
工事関係者もかなり少なくなったからである

このコロナウィルスは人から人に感染する、だから人と接しないようにするのが感染防止することになる、でも今の時代これだけ交通が発達して人流があるとき止められないのである、とめると生活できなくなり自殺者がふえるし増えている
そのジレンマに陥っているのだ、だからどこまで制限すべきなのか迷うのである
これがせいぜい二年くらいで終わるのならいいがさらに続くとなるともうできないとなるただと都会と田舎では感覚的に違う、田舎だと一人でも警戒するからである
そしてそうなるとすぐに話題になり隠せない、そして住めなくなった人もいるからだ
だからワクチンを打たないで感染したら相当に責められる
ただ自分は人と接しないし県外にも出ない、それで安全なのかともみる
ただこういうことが長くつづくと息苦しくなる

ただこのコロナウィルスは世界を変えるというときグロ−バル化が度を過ぎたものとなったことである、それを制限するようになったことである
何か世界の人口でもアフリカですらこれから減ってゆくという、中国でも少子高齢化になり世界の人口は歯止がかかった、これはもうこれ以上人間が増えたら環境も破壊されて
地球に住めなくなるという状態になったからである
人間が増えることは一人でもエネルギーを消費するからである
だから何か地球自体がグロ−バル化はもうできないともなる、限界になった
経済成長はもう望めない時代になった、もうそれだけ養う地球の資源もないし環境破壊になるからできないとなった、それで持続化可能社会を目指すことになった

グロ−バルな交流も歯止がかかる、そういう自体になっているときコロナウィルスが世界に蔓延したのである、だからコロナウィルスもこうして時代を変えるものとして作用した何か中世のような内向き社会になる、遠くとの交流より近間であるもので近くを活かして生活する時代になる、もちろん外国との貿易はあるとしても江戸時代のように出島で制限するとかなる、何か制限制約縮小化の時代になる、それは内面化の哲学宗教の時代だともなる、カルト教団はむしろ外面的に数を増やすことが最大の目的だから本来の宗教とは全く違ったものであり大衆扇動宗教である、内省化などはない、高度成長がGDPの生産増加と消費の増加を目指す、欲望の限りない拡大を目指す、資本主義の中で起きた宗教であり宗教とは言えないものだった

でもそういうものではなく本来の宗教に回帰する時代だともなる
世界が大きな時代の変わり目に来たのである、ミニマリストとかが若者に出たりするのもそうである、原発事故でもそうだった、故郷に住めなくなるということが最悪だったからである、これもこれまでの欲望の無限の拡大が原因ともなっていたのである
だから生活そのものを見直す時代になったのである
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2021年09月13日

情報に過敏になり錯覚して過誤になる (世界が村になるーマクルハーン)


情報に過敏になり錯覚して過誤になる

(世界が村になるーマクルハーン)

今日の朝玄関に出たら風がかなり強かった、木もゆれたし何でこんな風が強いかのかと思った、その時九州近くに大型台風が来ていることをテレビで放送した
だから一瞬その台風の影響が来たのかと思った
でも遠いのだからまだまだのはずだとも思った
でもどうしても一瞬台風の影響で強い風が吹いたと思った
これは台風の影響では全くなかった、なぜなら昼にぱったり風がやんだからだ

このことでいかに人間は今情報に左右されるかである
いくら遠いとわかっていてもテレビとかの情報に左右されるのである
台風は実際はかなり遠いとしてすぐ近くに感じるのである
だから(世界が村になるーマクルハーン)このことが情報社会で常に起きているのである遠い世界の果てに起ったことが隣の村で起ったことのように実際に反応するのである
過剰に反応して怯えるとなる

そういうことはこうした天候だけではない、何か事件があると隣の村で起きたように思うのである、犯罪でも毎日のように放送される、するとそれはすべて隣の村で起きたように感じるのである
子供の性的犯罪が報道されると大人が近くの人でも犯罪者に見られる
だから駅で自分がボランティアしていたというそのように見られて誰かが警察に通報してみんなの前で職務質問されて犯罪者扱いになり駅にも出入りもできないようになった
つまり自分だけのことでは情報社会になるとみんな遠くに起きた犯罪でもみんながそういう犯罪を起こす人と見られるのである

ただ実際に自分が近くの人に大金盗まれたとか泥棒が入って金庫をあけられたとかあり
これは事実である、だから人を見たら泥棒と思えというのは本当なのである
たいがい雇う人でもそうして盗むことなど日常茶判事だからである
そういうことがあたっているけどみんな性犯罪とはならない、大人がみんな悪い人でもない、犯罪を犯す人でもない、そうしたらもう子供とも接触できない
現実に今はそうなっている、だから子供と大人を接触させないようにさせている
何かそれで現代は窮屈な世界になっている、絶えず疑いの目で人は見られているからである

情報社会の怖さはいろいろある、ラジオがナチスを作ったということを指摘した思想がいた、ラジオですら抜群の宣伝効果があったからそうなった
朝日新聞が戦争をあおったというのもそうである、今は一番テレビの影響が大きいものとなった、だからこそテレビが第三の権力になったのである
ただテレビに出るだけで何の能力もない芸能人が青島とかが東京都知事になったからである、そして選挙運動もしないと威張っていたのはマスコミとテレビが作り上げた虚像だったのである
マスコミとかテレビはこれまで多くの虚像を作り上げてきたのである
そういう人は当り障りのないどうでもいい芸能人がなりやすかった
専門家でもないのに何かを言わせるのである、そう仕向けているのはマスコミだったのである、どうでもいい奴に発言させるだけだとなる
実際はマスコミが主張したいことを言わせているだけなのである

ただインタ−ネットが出てきて変わった、youtubeが個人のテレビ局になっている
だから個々人が放送する時代になったからである
それでテレビはあまり見ないし新聞も今は地元のでもとっていない、それで困ることもないのである、だからマスコミの時代は終わったとなる
ただ情報が多すぎて困る、どれを選んでみていいかわからなくなる
ただあらゆることに様々な見方があるのが現実社会なのである
それを一面だけを取り上げて放送していたのがマスコミだったのである

世界のことはさらにわからないからイラク戦争で油まみれの一羽の海鳥の映像がどれだけ影響したか、世界中の人が感情的になり怒ったのである
イラクは悪い奴だとして怒った、フセインは悪い奴だと怒った
でも実際は化学兵器とかはなかったしアメリカが難癖をつけて戦争してフセイン大統領を抹殺したのである、これも情報操作だった
情報というのは容易に操作されやすい、映像社会になると映像のインパクトが強いから余計にそうなる、過剰に反応しやすいのである
そして様々な情報に混乱させられしフェクニュースもある
ただこうして地方でも霜とをベースにして情報を発信できる時代になった
こういうことは今でありえなかった、だから相馬新報として地元をベースにして津波と
原発事故を報道したことは意義があった
確かに他にも報道したが個人として感じたことを報道したことは意義があった
それは今までできなかったことだからである

ともかく情報化社会の問題がいろいろでてきている、インタ−ネットでもそうである
そこで何が真実なのか事実なのかを知ることさえ容易ではない
だからインタ−ネット上での会話とか対話は誤解が生まれやすいのである
対面的でもないしそこで誤解が生まれやすいのである
それで私は今プログで毎日書いていても対話はしていない、コメントにも答えていないのである、対話するにもその人のことを良くわからないと対話できないということがあるからだ、人間が対話すること互いに理解し合うことがいかにむずかしいかを知るからであるただ一言二言その場でインタ−ネットの画面から消えてゆくというのが人間の存在としてはあまりにはかないともなる

いづれにしろ情報社会の問題はインタ−ネットがでてきてさらに複雑化して混乱して来るしかしこれまではテレビ局六局にしきられていたからこれはもう言論の自由もない状態だったのである、それだけマスコミが力をもった時代だった
お前を何か言わせてやる、でも局の言う通りにしろ、勝手なことはしゃべるなとなっていたのだから言論の自由はマスコミの幹部たちにあってそこでは自由な発言なと許されなかったのである、つまりマスコミにコントロールされた発言しかできなかったのである

ただインタ−ネット時代になっても様々な問題が生まれている
結局数が多すぎると選ぶの大変だしyoutubeで顔出して放送してもほとんど見られないプログでも読まれないというのが大半になる
だから情報というのはどうしても放送するにも限度があり限られてくるとなる
そんなにいろいろ時間をさけないからである
ただ専門分野とかでは検索して知識が深められているのも確かなのである
インタ−ネットは共同学習の場にもなっている、だから映像で教育の場にもなる
ただ出版社が本を出すというのではなく専門的なことでもyoutubeを通じて放送することができる、それはかなり効果的なのである、テレワーク学習になる
家にいて学習でるし自ら発信できることも大きな力になり変化なのである

インタ−ネットの強みはリアルタイムに放送できることである
今風が強く吹いた、これは九州に近づいてきた大型台風なのかと一瞬思ったことがそうだったのである、それをその日のうちに発信することができる
その時インタ−ネットは大きな力を発揮できるとなる
でもリアルタイムで見ている人は限られている、個人だと本当に読む人見る人は限られているのである、だから何百万人がテレビで一斉に見ていたメデアとは相当に違う
わずかの影響しかないということである

ただ専門的なことで学ぶことがあり知ることがあり有益なのはマスコミ時代とは違っている、古代史とかで歴史でも地域のことを発信できるからそこで専門的な学者のようにもなれるということがある、それがインタ−ネット時代で変わったことだとなる
つまりローカルな情報が全国に放送できるということである
まずテレビだと福島県のテレビ放送を見れないがインタ−ネットだったら全国でも世界でも観れるからである、だから私の抽象画で世界の人が特にアメリカで十人くらい見ているようだから世界的に見られるということがある
特に音楽とか絵画では世界に通用する、詩となると言葉の壁がありむずかしいが音楽と絵画は世界共通で理解てきるからである、写真でもそうである
だから膨大な世界の写真と絵画とか抽象画でもインタ−ネット上に出ているのである
それを加工して抽象画にしている、それがインタ−ネットの効果でもあったとなる
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2021年09月11日

アメリカの9・11からのテロ対策の失敗 (一挙に武力では解決できない−20年の戦いは長かった)


アメリカの9・11からのテロ対策の失敗

(一挙に武力では解決できない−20年の戦いは長かった)

アメリカの9・11のニュヨークのビル崩壊のテロから20年過ぎた
そこでイランとの戦争があり遂にアフガニスタンに攻め入りテロを撲滅しようとしたが
撤退することになり失敗に終わった
その原因は何であったのか?人間は力では武力で治められないということであった
アメリカは巨大な軍事力がありその力を過信する、力で治めることができると思った
そしてアメリカが戦場になったことがない、アメリカ以外だとアジアでもヨ−ロッパでも戦場になって大被害があり何千万として死んでいる
アメリカだけが戦場になっていない、だから戦争が国自体が戦場になるととれだけ悲惨になるか経験していないのである
ニューヨークのビル爆破で三千人死んだとか大きな被害であっても世界でアメリカがどれだけ人を殺してきたかを反省していない、まるでそれは正義のための戦争だとしていた
そこに何ら反省がない、日本の原爆でも反省がない、戦争をやめさせるためにそうしたのだとかアメリカの一方的な勝手な言い分だけが主張されてきたのである

人間は力がある時どうしても奢りになる、そしてその力を行使する、そもそも武器をもっていること自体危険なのである、何か銃がありその銃を子供がもてあそんだりしていて
銃があることでそれが必ず利用されるようになる、そういうドラマがあった
つまり武器があるだけでそれが使用されるようになる
つまり武器がある、貯えることだけで危険になる、だから核武装するときいつかその核が使用される危険がある、だから核自体を無くすべきだとしてもできない
それがいつか核戦争になり人類滅亡にもなる

剣を取る者は皆、剣で滅びる・・・核を持つ者は核で滅びる

そういう運命にある、武器をもつこと自体が戦争の準備でありそれが実際に戦争になる
武器を持つこと自体戦争の準備をしているからである、そして莫大な核兵器が世界にありそれは核戦争の準備でありいつか核戦争になる
なぜ日本でも原発がやめられないのか?電気が必要だからだけではない、原発から核が作れるからという理由もある、日本では簡単に核を作れる、原発があればできるとなる
それでやめられないとしている
技術には必ずいい方面に働くが悪い方面にも働く、それは人類始まって以来そうだったのである、技(わざ)はわざわいになる、日本でもそういうことがすでに意識されたからそういう言葉が生まれたのである、それは世界共通のことだったのである

アメリカは自国が戦場になったことがない、だから戦争の悲惨さを理解できない
でも相手にしたこと他国にしたことは自国にはねかえってくる、カルマとなる
だからアメリカが戦場になってみて戦争の悲惨さがわかる、でもアメリカは自国が戦場になったことがないからかえって他国を力でおさえこもうとして戦場にしてきたのである
でも力だけでは抑えることはできなかった、人間社会は武力だけでは治められない
一時は必要でも武力だけでは力だけでは治められない、また国民であれ民衆であれ従わない、治められない、だからタリバンがアフガニスタンでアメリカを追い出しても
今度国民を治めることは容易ではない、銃をもつことから平和的に生活することは違っているからだ、その時銃は不用にもなるからだ、それでアフガニスタンは前途多難なのである、ここでも武力だけで力だけで治められないし支持されないからである

そして人間は急激に一挙に物事を解決することができない、確かに一時的に武力で革命を起こしてもその後の方がまた大変なのである
何か人間は物事を一挙に解決することを望む、それが痛快だとなる、そういうことがあってもでは貧乏の解決が一挙できるとかなるとできない
徐々に努力を積み重ねで時間をかけないとできない、それは恰好いいことはなく地味なのである、そうして一代でも解決できない、貧乏だとなるとやはり二代くらいつづくと貧困な家でも豊かになることがある、そこで積み重ねられたものがあり財も蓄積される
家とか土地とか他に受け継ぐものがありそれで豊かになれる
でも一挙にギャンブルのようにして豊かになれないのである
どうしても長期的視野が必要になる、それが現代では欠けている、即製的に何でも成そうとするからである、だからアメリカが一挙に武力でテロを解決しようとしたが失敗した
20年間もアフガニスタンにかかわり成果が出なかった
だから何かが根本的に間違っていたのである
テロがなぜ起きているのか?その原因が何かとか追求せず一挙に暴力で解決すると思ったのである、そこには激しい怒りとなり感情的に暴走したとなる
結果として20年もアフガニスタンにかかわっていたのである
何かアメリカがアフガニスタンにそんなに軍事でかかわっていたのかわからなくなっていた、それだけ長い間軍事でかかわっていたのである

あのニューヨークのビル爆発から20年過ぎたのも意外だった、時間が過ぎるのが早いと常に思う、そんなに過ぎたのかと個人的なことでも時間が過ぎるのが早いのである
後でふりかえるとあっという間だったとなる、でもまた忘れるのも人間は早いのである
要するに次々に人間には新しいことが個人的にも世界的にも起きるから忘れられてゆく
私は自分のホームページでその事件をのことで書いていた
それから20年も過ぎたのである、これも早いとつくづく思う
その時私は確かにアメリカは耐えるべきだったということを書いた
というのはアメリカは戦争の悲惨さを自国が戦場にならないからわからない
どれだけ自国が戦場になると悲惨になるか経験していない、9・11のビル爆破では自国が戦場のようになりそれを感じたのである

ただそこでは感情的になり激怒してイラクに化学兵器で難癖をつけてアフガニスタンに深入りしたのである、結局アフガニスタンの無様な撤退で世界の信用を失い敗北したとなるだから何か人間は感情的になることは良くない、理性を失い暴走する
個人的にもそうである、感情的になることは危険なのである
テレビとかは何か感情的に反応させるメデアなのである、必ず誰かをリンチのようにして責める、感情的に憎しみを大衆にあおる、そしてあたかまも正義の味方のように放送するのである、映像だとそうなりやすいのである
もし文字だったら感情的にならず冷静になることはある、そうしたメデアの影響も現代は大きいのである、映像の影響が大きいのである
それでイラク戦争の時も油まみれ一羽の海鳥が世界中に放送されてイラクはひどいと世界中の人が感情的になりイラクは悪い奴だフセインは悪い奴だと一方的にされたのである

ともかくアフガニスタンにアメリカが20年もかかわっていたことも忘れていた
それだけ長かったということである、その間タリバンが戦っていたというのも長いと思った、タリバンにしても20年間も戦っていたらその時若い人でも20年も年取っているからである、そうして時間が過ぎるのが早いのである
本当にアメリカにしろタリバンにしろ20年間も戦っていたということは長い
ただそうなると関心がなくなっていたのである



耐え難き悲しみに耐えたるあとに

この非道、残酷は何故か知らじ
その暴虐、その無謀、狂気は何故ぞ
一瞬にして3000人の命を奪う
ただ茫然自失として佇むのみ
その悲しみはぬぐいがたし
ニューヨークを死の影が覆う
その怒りは煮えたぎるマグマとなり
敵なるサタンに向い爆発する
一転して敵地を見ればそこも無惨
大旱魃に長年の戦乱に飢えたる大量の難民
その敵に向い押し寄せてくる
ロシアに国土は踏みにじられて
地雷に足をなくす子供
その置き土産は地雷なり
アメリカはかつての友なりしを
その友の送るミサエルは今度はアメリカに向かう
イラクもかつてのアメリカの友
武器は売られ蓄えられまたアメリカに向かう
武器そのものが災いならじや
アフガニスタンはアメリカの敵たるや
その国は疲弊しその民は飢え苦しむ
アメリカは正義の国なりと
原子爆弾を落とし裁きを与える
ベトナムになお爆弾の痕生々し
そして不敵に逆らうイラクに爆弾の雨
アメリカは強者故に裁きを与える
人なれ国なれ裁くべからじ
裁くは神のなすことなり
その耐えがたき悲しみに耐えたる時に
世界の同情はアメリカに集まり
神の哀れみもそこに注がれ
テロの魔の手も神によりそがれむ
また強者のアメリカの裁きを実行すれば
そこに憎しみは残り深まり
またテロがアメリカに向けられる
眼には眼を、歯には歯を
そこに解決の道は平和はこない
その耐えがたき悲しみに耐えたる時
テロの無謀も収まらん
暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む
その悪の連鎖は断ち切れぬ
主、キリストの十字架に祈るべきにあらじや
その時その無謀に流せし涙は無駄にならじ
世界の人々の分け隔てなく集う
平和の鳩の憩う都とならん
その耐えがたき悲しみに耐えたる故に
戦争の悲惨さを自らの国で知り
ヒロシマの悲劇にも同情の及び
ニューヨークは再び世界の自由の都とならむ

ニューヨークテロからの一連のことをここで私は書いていた

結果的にはこういうことが20年過ぎて現実化したのである、
武力暴力だけではテロは解決しなかったのである

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2021年09月10日

世界的飢饉から世界最終戦争の危機 (グロ−バル化は世界を一つにするより対立を激化させた)


世界的飢饉から世界最終戦争の危機

(グロ−バル化は世界を一つにするより対立を激化させた)

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【習近平独裁最終戦勃発!世界経済危機】

江戸時代に生きている人は未来をどう見ていたのか?
まず日本全国のことすらわからない、藩ごとに分かれていて視野が狭い
極端になると村単位でしか未来とか見ていないのである
そうなると一番の関心はほとんどが農民であり米がとれるかどうかが最大の関心事であった
それで飯館村の作見の井戸をみて豊作になるかどうかを占ったのである
その時日本の他の藩のことすら関心がなかった、ただ隣の藩のこと伊達藩のことなどは関心があった、境を接するからである

伊達と相馬の 境の桜 花は相馬で 実は伊達に

戦国時代は争っていてもその後は互いに平和的な交流がありこうなったのである

江戸時代の最大の関心事は米がとれるかどうかである、他にも食料が供給できるかどうかである、なぜなら最大の恐怖は天候不順であれ米がとれなくなることだからである、そのために飢饉がありそれが最悪であり相馬藩では三分の一が相馬藩内から消失したからである

では現代はどうなるかというとその生活する範囲が日本全国から世界へと拡大したことである、それは明治維新からそうなった、グロ−バル化した結果としてそうなった
そのために世界大戦が二回あり何千万人も死に日本でも三百万人が死んだのである
その犠牲はあまりにも大きかった、原子爆弾もアメリカによって落とされた
つまり現代はどんな国でも世界と切り離して江戸時代のように生きることはできない
江戸時代だったら別に中国であれ朝鮮であれ交わることもないのだから平和的であり友好的だったのである、それは別に経済的でも交流がないからである
だから関心もないのである

現代は情報でもグロ−バル化するとまるでマクルハーンが言っているように世界が村になる、遠い小さな国のことでもまるで隣の村で起きているように関心を持つ
そしてその恐怖にも怯えるとなる、世界の果てのような国でも関心を持つ
そして肝心の自分自身の国とか故郷より関心を持つということにもなる
その結果として何が起きるかというと情報によって振り回されることである
マスコミの報道の力が巨大化する、その報道の真意もわからずフェクニュースに混乱させられる、その象徴がイラク戦争の時油まみれになった海鳥の写真が世界に報道されたことだった、イラクはなんてひどい国だとその写真をみて世界中が感情的になったのである
映像のインパクトはそれだけ強いから効果抜群だったのである
イラク戦争は明らかに化学兵器もなかったしアメリカが因縁をつけて攻めたのである
でもイラクはひどいという宣伝がその写真一枚で抜群の効果があった

またアフガニスタンでもタリバンを悪者にしているがそれは西側のい見方だという人もいる、ただどうみてもタリバンが悪とされるのである
要するに世界が舞台となると簡単に事の善悪も判断できないのである
だから一方的になる、タリバンは悪でありアメリカは善だという構図になる
てもそもそもアフガニスタン情勢は余りにも複雑なのである
そもそもその国を理解すること自体簡単にできないのである
簡単に白黒をつけて見ることができないのである

とにかくグロ−バル化することはすべていいものとして働かない、グロ−バルに世界が交わるということは逆に世界最終戦争の危機ともなる
米ソ冷戦があり次に中米対立がありそれが世界大三次戦争の不安になる
中国が日本を攻めてくるというのも現実化して怯える
中国が貧困の時はこんなこと起きなかった、ある国が強くなると近隣国に攻めてくる
平和的な交流ならばいい、相馬藩と伊達藩のようになればいいのである
現代とはグロ−バル化の負の面が極大化したように思う
その行き着く先は何なのか?中米戦争であり第三次世界大戦である
それが忍び寄っている感じになる、また食料危機がアメリカでも起きているし中国が食料を買い占めている
つまりこれまで起きた災いは津波とかの巨大災害であり原発事故という科学技術の人災でありコロナウィルスという世界的災禍であり

次に来るのが飢饉と戦争だ!

こういう順序になっているのかとなる、つまり聖書で言う世界最終戦争が起きるのかとなる、ハルマゲドンが起きる、そして人類が滅亡する
グロ−バル化とは世界の人々が助けあうことではない、世界戦争になり人類が滅びるという最悪のものにもなりうるものだったのである
それを可能にしているのは交通の発達であり核兵器とミサイルの発達であり第三次世界大戦は核戦争になったら確実に人類は滅亡する、第一近代兵器の戦争はミサイルが主役であれ一瞬に核爆弾が飛んでくるのだから防ぎようがないとなる

そんな戦争ができるのかとなる、グロ−バル化とは情報によって左右されフェクニュースで混乱させられる社会である、コロナウィルスでもそうである
様々な情報が入り乱れ判断しにくくなる、科学者でも違ったことを言うからである
コロナウィルスが世界的災厄となるのもグロ−バル化した結果である
それは原発事故でもそうだった、御用学者は低放射線はかえって有益だとも言っていたからである、情報によっても世界は混乱して来る、パニックになる
そしてイラクの油まみれの海鳥のように世界のことはこの目で見ることもできないから必ず誤解が生じるのである、アフガニスタンのことでも本当のことはわからないのである
カブールでは意外と市民は日常の生活をしていたというのもそうである
それは必ずしも映像を見ただけでも真実がわからないからである

いづれにしろ人間は広く世界的に交わるようになったからといって世界的平和が実現されることはなかった、それで老子の小国寡民の思想が2000年前に言われていたことは驚きである、それは中国内でも広く交わらないことが平和を保つ思想だったのである
世界がグロ−バル化して広く交わることは世界最終戦争となり人類が滅亡することにもなる、そういう不安が増大してゆくのである

ただ家族を守れといっても自給自足しろといっても農業は簡単にできない、そのことを書いたてきた、自給すること自体農業がノウハウから労力から大変なものになる
かえって金がかかる、都会の人が農業をはじめて500万円かかりできなかったというのもそのためである、農業を知らないからそういうのである

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2021年09月09日

密集が避けられないからコロナウィルスも止められない (ワクチンの副作用も怖い)


密集が避けられないからコロナウィルスも止められない

(ワクチンの副作用も怖い)

実際にワクチン打った人がが体調を崩して復帰できないでいる
明らかにコロナに罹ったほうが軽症なんだよな
ワクチンは感染も重症化も防げないし重篤者も多い
後遺症もワクチンのほうが多いこれが現実
それでもワクチンを打ちたいなら打てば良いと思うが

70歳の女性は肩が痛くなり腰が痛くなり立つのにも苦労して二回入院した
もともと腰は悪かったが立つのにも苦しくなったり全体的に弱った
これは明らかに副作用である
このワクチンは結構副作用がある、死んだ人もかなりあり報告されいるがマスコミでは言わない、ワクチンの副作用は見逃すわけにはいかないがこれがマスコミではあまり報道されないのである
調べれば相当に数が多いとしてもそれが報告されないし報道されないすると危険を感じない人もいる
ただこれも危険を過度に言う人もいるし情報が混乱する

ただワクチンは今や強制的である、職域で強制されたりするからワクチンしない人は少数派である、田舎でもそうである、たいがい打っている
私がワクチンを打たないのは人と接しいないからである、一人として接していない
ただスーパーとかに買い物に行ったりしている、でも田舎だとそれほど混まない
東京だとまず人流を抑えることは不可能である、特に喚気の悪いデパ地下が移り安いことは素人でもわかる、人でむんむんしていて喚起がないからである
そして空気感染しているということでそこが危険なことがわかる
他でも都会はまず人が密集しているのだから三密をさけられないのである

コロナウィルスで感じたことは都会はウィルスに弱かったことである
つまりあれだけ密集した生活は人間として生物として生活していること自体が異常なのである、分散して生活するのが生物的に本来の姿なのである
あれだけ密集していれば地震でも何でも災害に弱くなる
逃げる場所すら空間すらない、それで江戸の大火では逃れるための空地を作ったのである防火のためにはそうした空き地が必要だったのである
それが無用のようで無用の用があったのである
とにかく現代文明社会は用で埋め尽くされている、都会となれば空き地は活用しなければならないとなる、だから建物でも人でもびっしりと建ち密集するのである

だからそもそも東京一極集中とか見直すべきだとしてもそれも東京遷都も誰も言わなくなった、何かこのコロナウィルスは人が密集する集まることが良くないものとなった
宗教団体でももともとここも人を集めて示威行為をして数をみせつけて権力を得るためにしている、数だけが問題にされるので要するにウィルスは大局的に見れば文明生活をそのものを見直すものにもなったのである
原発事故もそうだった、便利な生活を見直すものとなった、電気が必要でも原発はあまりにも危険なものでありそれを人間は操作できないものだったのである

その点ヨ−ロッパでは巨大都市はあまりなく小都市が多い、そこでシテズンシップが養われた、フィレンツにしても6万くらいだったとか南相馬市くらいの規模だったのである
それでルネサンスが華開いたことは驚きだとなる
そうした小都市がヨ−ロッパのアイディンティティを築いたのである
一千万の都会となればもうそれは人間的なものからはずれいる
もうそこには自然もないし政治でも経済でもただ数として数えられるだけなのである
そういう異常なものから異常なカルト教団などが生まれて来る
宗教でも森とか砂漠とか山岳宗教があり自然と密着したものならカルトのようなものは生まれないともなるからだ
神道でも穢れをこ拒み潔斎するとかあるから清らかな自然の中で育まれたものである
ただ宗教でも人間は悪人が利用するから結局堕落して俗化するのである

結局私自身が求めたのは秘境である、意外と田舎には知られない場所が依然としてある
地元の人も発見していない場所がある、この辺で山深く入って行ったらトリカブトがあった、これは毒である、でもそういうものもあった
城のある会津若松でもコレラが長崎から入り新潟に入り北前船が来ていてまた阿賀野川が交通としてあり会津にコレラが拡散したのである
ただ桧枝岐(ひのえまた)にまではコレラはうつらなかったのかったのである
桧枝岐は本当に江戸時代は秘境だった、隔絶した地域だった
江戸時代とかなるとそうした場所はかなりあった
そういう場所でどうして生活していたのか?米は食べられずソバを食っていた
またヤモリの燻製などを食べていた

ても山の中でもソバはたいして肥料もいらず育つ、救荒作物だったのである
荒れた土地でも育つものであり山には米がとれなくても生活できるものがあった
だから飢饉になるとき山に逃げろというのはそのためだった
かえって米は商品作物であり山の中でも米を作っていれば売れたのである
それで江戸時代の東北の飢饉は実は米が江戸に大量に送られていて伊達藩では石巻から送った、米は商品作物であった、だから米がとれなくなったとき飢饉になった

でも山の中だ米だけではないソバでも稗でも粟でもとっていたし山菜もあり飢饉からまねがれたということがある
つまり一様化することは危険なのである、自然は多様だからである
それで津波でこの辺にあった古い松原が全部流されたことにも驚いた
松原という一様化したものは自然ではなかった、自然なら様々な木があるからだ
そして松は深く根が張らないから津波に弱かったのである
津浪に強いのは深く根を張るのと竹だったのである
第一砂場に松があるとするとどうしても深く根を張りえないのである
そうして不自然なものは何か災害には弱いとなる

現代文明とはまさに不自然な生活が普通になっている、それが意外とその不自然さ故に災害に弱いとなる、まず大都会の密集した生活は不自然そのものなのである
そこから大きな災いが生まれて来る、それに対抗するにも科学が発達しても抗しきれないともなる、そもそもどんなことしても都会で密集が避けられないからである
だから人流をとめることが一番困難であるからだ
私自身が秘境である、一人しか人とは接していないからである
田舎だからあとはスーパーに行くにても人とは接していないから安全なのかとなる
ただそうはいっても現実には外からの物流がなくなれば生活も維持できないのである
本当に秘境に生きるために昔の山の生活をしていればできるとなる
ただ人間の生活は弱点が長所になり長所がまた弱点になる
コロナウィルスには秘境が一番強いともなるのである、でもそういう秘境は現実にはなくなっている、車だとどんな山奥までも入ってゆくからである



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2021年09月04日

菅首相の総裁選出馬辞退の波紋 (大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)


菅首相の総裁選出馬辞退の波紋

(大きな変革の時代でそれを担う人は誰なのか)

ヨーロッパでは、古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させる必要があると考える、神秘主義的な古代概念である。ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の中でローマの逃亡奴隷の祭司長である「森の王」の殺害を取り上げている。

王は暗殺などで殺害される歴史


菅首相の総裁選不出馬で退陣で感じたことはいかにそのトップに不満が集積されるトップに全責任が負わされるようになるかである
コロナウィルス対策のまずさでそれがすべて菅首相の責任のようにされた
ところがGO TO トラベルとかは二階とか公明が提案してその圧力でしたものである
またオリッピックは電通などの利権があり無理して実行したのである
その背後に巨大な利権がありそれは首相の独断でやめるわけにもいかなかったということがある、つまりいくらトップでも自分の一任で決めることはできない
その背後に巨大な利権団体がありその意向にそわなければならないからだ
ただその利権は国民全部ではなく一部の利権者たちのものだったことが問題だったのである

でも何か、あのように国のトップとなるなと責められる、おそらく誰がやってもトップは責められる、そしてその責めに耐えられなくなりやめたとなる
そこで考えたのは菅首相にすべての責任をおしつけて悪魔祓いのようなことをする
すべての悪をトップにかぶせて終わりにするように見えた
すべて悪いことを菅のせいにしてまた新たに首相を選ぶ、悪いのはすべて菅だったとするそうすると何か自民党にとって今までの失敗が無きものにされるとまでなる

ともかく民主主義社会ではフレザーの指摘したように王殺しは起きない、禁止されているでも王殺しとか暗殺は常に起きてきた、王には絶大な権力がありそれが腐敗すると全体も腐敗する、だから王殺しをして新たな体制を作り新しくやり直すことである
王殺しでなければ現代では革命だとなる、その革命で武力革命となるとやはり王は殺される、つまりトップに立つことはそれだけ責任が重く危険なものである

何か王とかなるといい身分とも見るが危険な立場にもなる、犠牲にもされる
生贄にもされるとなる、何か農作物の不作とかなると犠牲にされた生贄にされた人がいたからである、人身御供にされた人が現実にいたからである
コロナウィルスとかでもこれはいろいろ言っても未知なものだからどう対処していいかわからない、でもその失敗の責任は首相に王が負うことになる
だから菅首相でも王でもトップにたつものがやめてまた昔だったら殺してコロナウィルスも背負ってあの世にもっていって消してくれとまでなる
まずGO TO トラベルとかオリッピック開催は大失敗だった
それが強行されたのは利権のためだったのである
この世の中とにかく利権で金で歪められる、原発ももの凄い利権の塊りだった
原発事故以後も何兆円という除染でも金がきりなくつぎ込まれたのである
それが有効だったかどうかは不明であり徒労とも見えた
森など除染できないのだからそこから放射性物質がきりなく流れてくるから不可能にもなる

政治の問題は必ず利権と結びつく、その利権と政治家が一体でありそれで歪められるのである、人間が公平になれないのは利権と結びつくからである
そして選挙でも票が得られる利権団体に忖度せざるを得ない、そうしなければ選挙に勝てないからである、正義を振りかざしても通用しない、利権団体の意向に沿わなければ当選できないからである、そして自民党は二世が多いという時、地域でも世襲になり地域の利権団体により票をもっていて当選するとなる
自民党はそうして世襲であり二世とか三世でもその利権を受け継ぐのである
それは江戸時代の御家を守るとかの跡目相続とかと似ている
そこで安定はするが革新はできなくなるのである
だいたい日本は自民党一党独裁と同じであり戦後70年で二三回しか政権交代していないからだ、そのために世襲議員が多くなっているのである
自民党で慶応大学出が多いというときもそうである、東京に住んでいてそこで地方の議員は子供を慶応に子供の時から入れておくからそうなる
そこですでに身分制であり貴族のようになっているのである

ただこの利権から逃れることは不可能にも近い、何らか利権と関係しないで生きていけないからである、つまり全く利権と関係しないのは神だけだとなる
なぜなら神は別にこの世から離れているし人間の力を必要としないからである
だからこそ公正な目で見れるのである、また公正に裁くことができるのである
また人間は個々人でも欲があるからその欲に左右される、その欲によって左右され歪められるのである、でも神は欲がないから歪められることはない

それで聖書ではみどり子におさめさせよということになる
幼子だったら何の欲もないから治めることができるとまでなる
政治とはそれだけ人間の欲と利権の世界なのである、だから政治家になること自体もう
欲まみれになり普通に犯罪者にもなってゆく、ただその犯罪でも権力があれば隠すことができる、権力が腐敗する絶対的に腐敗するというときそのことなのである
そして宗教も利権団体でありなんらか利権と結びつき利権を得よとする御利益を得ようとするだけである、その利権のために毎日祈っている、一票を得れれば成仏するとかなり
それで創価などは二十四時間選挙活動なのである
他の宗教団体でも実際は利権団体なのである、だからこそカトリックが利権団体だったからプロテスタントが起り利権団体から離脱する運動が起きたのである

いづれにしろ政治が歪められるのは必ず利権団体が背後にありそのために歪められる
今回でも二階氏がGO TO トラベルを提唱して実行したのはやはり観光にかかわる人達の利権がありそれであえて実行した
オリッピックでも電通とかの利権のためにやめることができなかった
二階氏と公明は一体化して実行したのである
だから利権から脱したところで政治でも行わないと実際は政治でもうまくいかない
でも利権から利益から脱して人間は何もできないともなっている
マスコミでも利権と深く結びついている、それは原発事故でわかった
電事連とかから800億円とかの金が宣伝費として流れていた、朝日新聞にも流れていた
なぜなら原発事故が起きたときすべての新聞社の幹部が中国に招待されて歓待されていたとき起きたからである

マスコミも巨大な権力である、テレビ局はこれまで六局した放送することができなかったまた新聞にしてもそれを刷り一軒一軒配るからその費用が莫大になる
するとその費用をまかなうために莫大な金がいる、だから福島民報でも実際は県が半分出資して創価の聖教新聞を刷っている、東電の宣伝費ももらっていたとなる
そういうマスコミはもう何も不正など追求できないのである
だから原発の危険なことを知らせなかった、科学者集団が10数メートルの津浪が来るということを警告してもそれも新聞とかテレビで大々的には報道していないだろう
それは新聞でも出すのに金がかかりすぎるからである
インタ−ネットだったら手間はかかるにしても無料だから何にも忖度することなく言えるとなる、それでyoutubeは何か学問的にも勉強なるものがあると見た
芸能的なものがあってもテレビとにも似ていたが何か勉強になるものも結構ある
やはりテレビだとわかりやすくなるから見ている人が多いのである
ただこうして個々人でもテレビ局とか新聞社ともなるとその数が膨大になるからこれまた今度は見てもらうこと自体が大変になる、テレビ時代だったら放送するだけでみんな見てくれたがyoutubeなどではそうはいかない、そこにまた問題があるともなる

菅首相の辞任しても自民党自体がもう二世議員とか世襲制度になっていてそこに新たな人材が生まれないシステムになっている、とすると自民党には期待できないともなる
では野党に期待できるかとなるとこれもできない、では新たな政党の出現があるのかとなると簡単にできない、そこに日本の政治の行き詰まりがある
でも大変革が要求する時代でありそれができないと日本は没落する、すでに貧困化しているとかイノベーションができないとかなっていて没落が現実化している
それは政治の分野でも経済の分野でも科学の分野でも教育の分野でもあらゆる分野で衰退して没落しているのが日本なのである
だから大変革の時代でありそれができないと日本は没落する、それをどうするかとなるとやはり政治だったら二世議員とか世襲とかではいい人材は出ない
明治維新で活躍したのは下級武士であり家老とかの侍の中でも保守化して利権にあづかる人達ではなかった、そういう人達は保守であり結果的に排斥された
それで藩が廃止されて北海道に開拓に入ったのである

そういうふうに時代が変わる時下克上が起きる、そうしなければ改革でとないともなる
ただ問題は高齢化社会であり若い力でないと大きな変革はできないのが問題である
この辺で原発事故で避難区域になった所は若い世代が流出して老人だけか取り残された
それで復興はできなくなった、高齢化社会になると何か大きな改革ができない
戦後の焼け野原になったときでも団塊の世代が生まれた時であり子供が本当に多かった
子供の遊ぶ声があらゆる所にあった、今は子供すら見かけないのである
戦後何もなくなったとしてもあれだけの子どもがいたということが復興の原動力となっていたのである、今はそれがないからまた没落してゆくともなる
少子高齢化の問題が深刻だからである、空家が800万軒とか認知症が800万人になるとか介護で孫の世代まで費やされるというのも異常だとなる
そこで社会全体が疲弊してゆく、ただ大きな変革の時代になっていてそれを乗り切らないと日本がは没落してゆくだけだとなる
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2021年09月02日

死者と家(死んだ母が家にいる)



死者と家(死んだ母が家にいる)



時々死者を想ふ
死者は語らない
死者を語るのは
遺された者である
母はなお家に現れる
この家に苦労して70年もいた
母に不幸あり苦しみがあった
この家は母にとって
必ずしもいい場所ではなかった
ただ母はその運命に耐えた
母は死んでこの家見ているかもしれない
静かな大人しい母が見ている
この家になお心残りがあり見ている
死者は今騒がずに凝視する
秋雨がしとしと庭の石を濡らしている
その石のように母はいるとも見える
死者は今は安らぎの中にある
こごこの家で苦労したことをなつかしむ
それで死んでもなかなか家から離れられない
死者は何も語らない
遺された者が語る
そして死者も生き続ける
ただ死者もこの家がなくなったとき
その拠り所をなくして悲しむ
そこに長く住んだ人はやはり愛着があり
依然として共に生きようとするから・・・
雨がしとしとふる
石は黙している
死者は生きている者がいると思えばいる
いないと思えばいない
死者はいないと思えばたやすく消える
ただ生きている者がいると思えばいる
死んでも交流はつづく・・・



人が死ぬと不思議である、家族は全部死んだ、姉は死んで早くも十年とかすぎた
母は四年くらいだから日にちがそれほど過ぎたわけでもない
10年過ぎるとやはり一昔になる
死者の不思議は生きて残された者があると思えばいる、何かに憑いて石でも木でも憑いているとかなる、死者がそこに浮かんでくるとかなる
でも思わないものは浮かばないしいないのである
だからいつまでも死者を想っている人は死者が現れているのである
じっとこちらを見ている感じにもなる
特に家にいることが長いから家にいるという感じになる
70年とかいれば長いからである、だから死者は家にいる
墓にはいると思えないのである、墓とは一つの記念碑のようなもので墓に死者がいるとは思えないのである

近くの人は相当に妻を愛して思っていた、妻を供養しつづけている
でもそういう家に知人の女性が介護のようなことをしている
女性は70くらいであり男性は85くらかもしれない、糖尿病である
それで時々介護のようなことをしている、現実に訪問介護の人が来ている
ただその女性は体が弱っているから何かできないのである
でも生前から親しいから通っている
でもその男性が妻のことを依然として思っている、十年以上過ぎても思っている
それでねんなに妻のことを思わなくてもいいのにとその女性は言う
それもわかる、死んでもやはり愛していればそこに妻がいる感じになるためである
つまり姿が見えなくてもその家にいた年月が長いからやはりいる感じになるのである
これもだから家に入り新しい関係を結ぶことがむずかいともなる
その女性は妻が死んで十年以上過ぎている15年は過ぎているとしても何か死者でも見ている感じになるからだ
それでその女性がいつまでもそんなに妻のことを思わなくてもいいのにというのもわかる
死者に嫉妬することもわかるのである

つまり家には何か長く住んでいたから死んでもいつづける感じになるのだ
死者とは何かわからない、謎である、それは遺された生きた者が死んでもいると思う時やはりいるのである
もう愛もなにもなく、やっかいなものとして苦しめられただけだとなるとき肉親でもなんでもその人は完全に消失する、そういう人も親子でも結構いる
実の親で近くにいても顔合わせても何の関係もしない、困っていようが関係ない
何でそうなったのかわからないが近くに住んでも家族遺棄しているのである

とにかく死者は家に依然としている、ただ残された者がいると思う時いるのである
それはもしかしたら家がなくても死者はいるのかもしれない、どこでも生きている者が死者を想いいると思う時いるとなるからだ
ただ恨んで死んだ人がいるからその時は死者は恨みとして幽霊のように現れたりしたら怖い、人を殺して十数年とかたって自主した人がいた、何か亡霊のようなものが夢で現れたりして耐えられなくなったのかもしれない、そういう人も現実にいる

急に秋になった、雨しとしととふり庭の石を見ている、そこに母がいる感じがしたのである、母は台所で60年間とか働いた、それを当たり前とか見て私は感じなかった
でもそれがカルマとなっていたのだ、私が今度は台所で食事のよういから皿洗いからとしなければならなくなったからである、片付けもするからである
なんらかでこうして必ずカルマとなって苦労となって相手のことがわかる
生きている時はその苦労もわからないのである、自分が苦労してわかるからだ
家事を一人ですることは楽ではない、途中で立つことがありゆっくり食事できない
ところが母は店をしていたとき必ず食事中でも立っていたのである
それが嫌だった、ゆっくり店をしていると食事ができなかったからである
今も何か自分で用意して片づけるとなるとゆっくり食事ができないのである
ただこれもカルマだったのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

カルマとは何らか同じようなことを背負わされるのである
戦争などで死んだ人のことなど実際は経験しない限りわからない、でもまた戦争になった時、苦しんだからわかる、だからアメリカでも原爆落としたり相当に戦争で人を殺している、アメリカは戦場になったことがないからその苦しみがわからないのである
世界でほとんどの国が自国が戦場になっているからだ,アメリカだけはならないからである,カルマはいつかめぐってくる、介護になって私が四苦八苦したようにカルマがめぐってくる、それが怖いのである
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2021年08月30日

幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論 (弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論

(弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


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九州ー奄美諸島ー沖縄ー与那国島ー台湾は一連のものとしてつながる防衛線

中国はこの防衛線を突破しようとしている


愛されてかつ恐れられることが理想だが、両方できないときは、君主は「恐れられる」ほうがいい。鷹揚な態度を見せると相手は甘く見て、たまに必要な厳しさを発揮すると反発される。一方、日ごろ恐れられている君主は、稀に鷹揚さを見せると人は慕うもの。愛されないのであれば、恨みを買わずに恐れられることが最上である。

尊敬されるために白黒ハッキリした方針を示すこと

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」(共に池田廉訳『新訳 君主論』より)

この記事はいい点をついていた、日本は後進国なのに外国勢力でも薩摩藩でも長州でも果敢に攻撃して戦った、例え負けたとしてもそこに教訓を得て藩を強化した
つまりなぜ薩摩藩とか長州藩が江戸幕府を倒すことができたのか?

それは外国勢と幕府が戦う前に一戦交えてその力を知っていた

この相違が大きいのとやはり地の利があった、薩摩とか長州は関東とか東北と違い外国勢がまず入る入り口になっていたからである、そういう地の利があった
常に地の利が影響している、地政学が大事なのである
中国が大国化するときなぜは台湾が日本にとって大事なのか、それを中国側から見ればわかる奄美諸島から沖縄諸島から台湾の隣の与那国島まで数珠つなぎように連なっている
台湾まで実際はつながっている、だから台湾が中国領になるとその大きな輪が失い結果的に数珠つなぎの主体になるものが失われドミノ倒しのように次々に日本の防衛線が失いやがては日本列島も危機的状態になる

ということはこの防衛線は九州とか中国地方とかに連鎖的に影響して日本列島全体に影響する,ドミノ倒しになって日本列島に中国の脅威が及んでくる
逆行に中国がなぜ台湾にこだわるのか?それも台湾は日本と一体ともアメリカとも一体の主軸となっているからである、そこを攻略すれば日本の防衛線は崩れるとなるからだ
アメリカでも台湾に肩入れするのはやはり日本に基地があってもそこを奪わさると防衛線が崩れ危機となるからだ、アフガニスタンでもそうだったがいかに地理を見ないと理解できないのが政治でもあった
与那国島にも行ったがそこはそれほど大きな島ではない、簡単に一周できる島である
その隣が与那国島であり対岸は中国大陸になるのである
だから今自衛隊の基地が作られて監視するようになった
地の利からするとこうして与那国島から沖縄から奄美大島とつづいて九州薩摩につながるだから江戸時代でも薩摩藩は外国とつながり外国の情勢に機敏だったとなる
それが明治維新の主役になった原因だったともなる、薩摩藩が優秀というのではなく地の利からそうなったのである、地の利が人間を作りまたその国を藩を作るともなるからだ

ともかく国際政治は弱肉強食である、国が弱体化すると攻めてくる、それは戦国時代と同じである、相手が弱体化すると攻めてくる、この記事で日本が経済力があった時代はそれが日本を守っていたというのもわかる、経済力も国の基本的な力だからである
それで中国が経済力がついたとき強国化して日本の脅威となったことでもわかる
中国が戦前でも弱体化していたときは西欧列強とか日本でも食い物にされるだけだったからである、それが逆の立場になったのである

世界の歴史でも結局弱肉強食でありマキャベリズムである、それで菅首相の愛著が「君主論」だというのもわかる、政治家はそうなるから実感としてわかるから学ぶとなる
特にこれが国内ではなく国際政治になると全くこれがあてはまる
相手国が弱る時、攻める支配する好機だとなり攻勢をかけてくる
なぜならその言う風地相手が弱る時弱みをもつときその弱みを攻撃することが一番効果的になるからだ
そういうことを自分の介護で嫌とういほど経験した、そして借金している人かゆすられたり弱者になると攻められるだけである、助けるからといってもそれも交渉であり金をくれたら助けるとかなる、また大金を盗まれたりがたがたになったのである
人間とは相手が弱る時チャンスとなる、国の関係でなく普通の人間関係でもそうなのである、だからこの世では愛だとか情だとか言っても実際はない、現実は弱肉強食なのであるそれでこの世はいつの世も地獄を生きているとなる
動物の世界でも弱肉強食でりあり弱った子供が餌食になっているからだ

現実問題として相手が弱いとみれば個々人でも襲いかかってくるということがある
でも強いとなればそうはしない、それが人間なのである
君主は恐れさせよというのもそうである、またなぜ日本でアメリカに原爆を落とされて
それで全面降伏してアメリカに従ったのか?これは謎だとなるのが

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。

このことでそうなったのかとなる、不思議に原爆で日本人はそれほどアメリカを恨まずに降伏して従ったからである
日本が弱体化すると中国やロシアの餌食になる、また大国の草刈り場になる不安がある
代理戦争の場になり日本は地獄と化する、アフガニスタンのようにもなる
現実に国際政治は弱肉強食だからである、アフガニスタンで後ろ盾のアメリカがいなくなるとすぐさまタリバンが支配したからである
日本の恐怖もアメリカが撤退したらすかさず中国がロシアが日本をとりにくる、せめてくる、ロシアとかも虎視眈々と狙っているからである
プーチンとかはマキャベリのような顔に見える、蛇のような顔に見えないか?

とにかく日本の弱体化はそれ自体が非常に危険なものになっている
なぜ日本が外国の植民地にならなかったのか?
戦国時代の時外国人がやはり来た時、軍事力が圧倒的に上であっても宣教師が日本には侍がいて武の国だから植民地化することは無理だと伝えたことでもわかる
じかに見た侍は実際は怖いものだったのである、明治維新の西郷とかの写真をみるとドラマとは全然違う怖い顔なのである、鬼気迫る顔だったのである
つまり明治維新は庶民とは関係ない侍がいてできたのであり外国とも渡り合うことができたとなる

日本はアメリカに負けてからもう物質的にも精神的にもアメリカ化したのである
本来の日本人とかいうのはなくなったともみる、平和の上に軟弱化した
もちろんそれがすべて悪いとはならない、人間はやはり平和で過ごすのがいいからであるアフガニスタンのような国にいたらまともに安眠もできない、いつ爆弾が落とさるからわからないからだ、だから平和が悪い訳ではない、自分自身も平和の方がいいのである
また老人はもうそうした戦意すらなくなっいるのが現実である
また日本の青年でも平和になれているし何かそうして戦うという気力もないとみる
平和と繁栄が軟弱化をもたらしやがて必ず強国も衰退したのが歴史が示している
ローマ帝国も贅沢になり内部から頽廃して衰退してゲルマン民族とか強力な民族が入ってきてその大国も分裂して終わったとなる

こうして日本は外部的にも危機であり内部的にも危機である、そこにいろいろな自然災害とかコロナウィルスなどで政府の指導力もなく混乱する
日本は相当に劣化している、大衆社会でもありそれは烏合の衆でもあるから頼りにならない、ただ混乱するだけだとなる
やはり国となるとその国を導く一定数の人がいないと守れないのかともなる
烏合の衆がいても守れない、日本は侍の国であれそれで守れたのかともなる
ただ武力だけで兵器だけで戦いに勝つとはならない、アフガニスタンでは政府軍が全く志気がなく簡単に敗れたからである、やはりタリバン側が土着的であり民衆の支持を得ていたからなのかとなるからだ
必ずしも軍事力とか武力だけではない、それが国を守るとはならない、そこに様々な要素が加わるからである、おそらくそこに神の意志も加わる
全部が人間の意志では決まらないのがまたこの世である
なぜベトナムにアメリカが負けたのかでもそうである、大国でひねりづぶすことができたのにできなかったのである

人間は力だけでは支配できない

力で強行して強制しても支配できないものがある、それに抵抗するものがありゲリラとなったりテロとなったりして大国でも支配できないとなるからだ
ただ日本でも少子高齢化であり国自体が老人が多いとなると老人は戦いない
また中国も一人っ子政策でこれから高齢化社会になるとき老大国になり戦争はしたくないとなる、その時奇妙だが他国を侵略したりしないともなる
何かそれで平和になるというのも奇妙である、血気盛んだとどうしても戦争でもしろともなるからだ
とにかく日本は弱体化している、それが高度成長時代の時は見えなかった
それがなくなると国際政治でも弱い立場になり攻め入られやすい国になったことである

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2021年08月28日

なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか? (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)


 なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか?

 (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)

 アメリかがなぜ圧倒的兵力と近代的武器と経済力でもアフガニスタンを支配できなかった、それはなぜなのか?
 それはベトナムでもアメリカは負けた、その原因の主要なものが地の利にあった
ベトナムはジャングルがありその生まれた土地を知り尽くしていた
そこも複雑な土地でありそこに踏み入ったらもう出れなくなるとか迷路になる
でもベトナム人はその土地を知り尽くしている、だからアメリカ人がいくら爆撃を繰り返しても負けたのである、物量でも圧倒していても負けた
南ベトナムを支配して南ベトナム人を応援しても今回と同じように負けた
北のベトナムを支配できなかった、それは冷戦時代だからソビエトとか共産国の応援があったとしてもやはり土着的な愛郷心がありそれに勝てなかった
だからその敗戦の利用は共通している

天の時、地の利、人の和

地の利と人の和がベトナムにありアメリカがそれを崩せなかった
アフガニスタンでもそうである、そこは3000、4000メートルの山々が遮り隠れて戦うし
タリバンは地元の人の応援もあったとされると地の利があり人の和があるから強力だったとなる
そしてアメリカ軍側についてアフガニスタン人はそのトップがいち早く大金をもって外国に逃亡した、それでわかるように戦うモチベーションがなかった
ただアメリカについていい暮らしができればいいとなり賄賂も横行していた
またタリバンに武器を売ってもうけていたともいう、つまり人の和がアメリカについた
アフガニスタン人にはなかったのである
だから莫大な金をつぎこんでもアメリカは支配できなかった、徒労だったとなる

そこには信仰心もあった、このイスラムの信仰心は外部からはわかりにくい、確かなことはアメリカに対する反発するものとしての信仰心であり明治維新なら攘夷派になるのだろう、アフガニスタンはそもそもイギリスでもソビエト連邦でも支配できなかったのであるそもそも命を賭けて戦うとなると簡単にはできないだろう
つまりその強い動機が必要になる、その動機がタリバン側にあったということである
それはベトナムでもそうだった、ベトナムの土着民にあったので負けた
自分たちの国を必死で守ろうとした動機があり負けた
ベトナムでもアメリカが物量でも武器でも格段の差があった、でも支配できなかった
そしてベトナムの独特の地の迷路に入り「地獄の黙示禄」になったのである

これを比べるとなぜ日本はアメリカに負けたのか?

もし日本だけを守ろうとしたらアメリカがいくら日本に攻め込んでもゲリラ戦になりやはり同じことが起きただろうかとなる、日本が負けたのは中国でもアジアでも広範囲な戦争となったからである、アジアの人が植民地支配から解放されるものとして日本の戦争にみんな同調して共同戦線を張れば勝ったとなるがそうではなかった
特に中国はアメリカが味方であり日本は敵だったからである

ベトナムでもアフガニスタンでも江戸時代なのではなかろうかともみる、タリバン兵が空港で書類検査するのに字が読めない兵士が多いというときそうである
それは江戸時代なのである、でも江戸時代というとき日本でも地域的に藩が支配していて日本全体が国家として統合されているというわけでもなかった
すると地域の連帯の中で人々は生活していたしまた農業主体だから村が強固な共同体となる
みんなが回りが農民の時代は何か一体感が持ちやすい、生活自体がみんな同じでありまた稲作でも田植えでも共同でするとか一体感を持ちやすいのである
だからそこで強固な一体感をもつ、そういう社会がベトナムでもアフガニスタンでもあったとなる

だから近代化した生活となるもう田舎でも一割くらいしか農民ではない、中国に行ったら何か知らないけど「ノンミン」ですとか言って物を売りつける女性がいた
つまり農民ということを強調して買ってくれということだったのか、その頃中国も農業主体だからそうなっていた、私は会社員とかなかったともなる、私は貧乏な農民だから買ってくれとなっていたのかもしれない、その時代は十数年前では中国は貧困者が多かったからである、今はまるで違った国ようになってしまった
ノンミンは少数者になっているからだ

いづれにしろ日本の戦争はまた逆に中国とか東南アジアに戦線を拡大化して逆に地の利が知らず負けたのである、インパール作戦とかでもそうである、大きな河がありジャングルがあり山々がさえぎり死体の山を築いたのである
だから必ず戦争でも地の利が影響しているのである、これはベトナムでもアフガニスタンでもそうだったからやはり普遍的な真理としてある
それは戦争だけではない、あらゆることに地の利が影響しているのである
人間はその住む場所はアイディンティティを築く場所である、それは歴史的にもそうなっていたから地歴になったのである

そして逆に近代的生活というのはみんなもうノンミンではない、都市生活者が主体の社会である、そういう生活は土着的愛郷心などない、そもそも戦後は農民社会でないからもう土着的愛郷心も希薄化した、地方で田舎で求めるのはやはり金しかないのである
だから原発は金になるからといって積極的に誘致された、漁業者は漁業権を売り補償金が事故前も入っていて贅沢していたし事故後もなんら生活に困ることなく津波で家が流されても立派な家をすぐに建てたのである
つまり東電の社員ともなっていたのである、それは自治体自体が東電の社員化していたのである、それで事故になったとき自治体は簡単に解体してゴーストタウンになったのである

それで不思議だったのは浪江の人でその人は全然事故になって浪江町に一割くらいしか人が住まず回りは田んぼもなく荒地になっているのに何も嘆いていないのである
かえって補償金みんなもらって老後も安泰だとか言っていたのが理解てきなかった
でもその人にとって農業など関係ないのである、金さえあれば別にみんな物は米でもいくらでも入ってくるからである、そもそも農業は軽んじられていたからである
だからこそ金になる原発がいいとなり現実にそこで働いていて金にあれば東電でも会社員であれば会社が大事になる、その土地のことより郷土のことより会社が大事になる
すると農業のことなど関心がないともなる、田舎だと周りは田畑でも農業に関心がないのである、こんなことは戦前とか農業主体の生活だったらありえないのである

だから意外と日本とかでも近代化資本主義化した社会というのはもう連帯などない
金を求めることしかない、土着的愛郷心も全体的にはない、だから多額の補償金をもらったら簡単に故郷を捨てて仙台市であれ都会に出たとなる
身近では小高の人は避難区になったが豪邸に住んでいた人も原町区に移りすんだ
息子夫婦は仙台市に移り住んだのである
要するに土着的愛郷心は農業社会ではあったが今はない、すると意外と他国が攻めてきたとき日本では外国に中国でも簡単に降伏して売りわたすとなる
土着的愛郷心がないのだからベトナムやアフガニスタンのようにはならないとなる

右翼の主張があってもそれに同調しないのは土着的愛郷心がある農民の時代は共鳴する
強調するがそれがなくなったからだともなる
天皇はもともと農民を土台にして綿々とつづいてきた象徴だったからである
それで皇居で田植えをして蚕を飼っているのである、でも工業社会になったときそれもあわないのである、皇居から東京の大都会を見渡してみればわかる、そこには田畑など全くないからである
ただ世界の大都市は共通しているから世界では土着的愛郷心などなくなっている
そうして土着的に歴史的に培われて来たものが失われた、家族の紐帯さえ失われて拠り所もなくなってみんな故郷喪失者にもなっているのである

そういうことで意外と愛国心をどうのこうのと言っても共鳴しない、愛国心の基は愛郷心だからである、それが近代的資本主義になると利益中心になり金を追い求めるだけとなるそしたら他国が攻めてきてもベトナムやアメリカのように戦いえない、武器があるにしても戦えない、その戦う動機がないから戦えない、それも逆説である
戦争とは必ずしも物量とか武器だけで勝つともならない、いろいろな要素があり作用するからである
日本がなぜ負けたかというときその動機が必ずしも国土防衛ではなくアジアに侵略したということもありアジアとの連帯が得られなかった、確かに植民地解放戦争だったといっても地元の人達はそうとも思っていなかった
そして日本兵が連帯があったようでなかった、上官と下士官が憎みあい連帯しなかった
アメリカがかえって上官と下士官が連帯していたのである、つまり人の和がなかったのである、日本は人の和があるようでなかったのである
そうはいっても日本本土の防衛戦となったらなんとか国を守ろうとするから違っていた
そこでやはりベトナムやアフガニスタンとのように土着的愛郷心で戦うことが依然としてあったとなる

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2021年08月26日

セルフロックダウンで感染を防げ (自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)


セルフロックダウンで感染を防げ

(自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)

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週刊朝日 9月3日号

都市のロックダウンは日本ではできない、でも感染症は人から人へうつる、するとなるべく人と接しないことが防ぐことになる
ただ現実は仕事していたら人と人の接触をとめることはできない、現代ほど交通が発達して人と人が接触する時代はない、自給自足の江戸時代の様な村社会だったら隣の村とさえ交わらないことが可能だし現実に隣の村さえ遠い村だったのである
というのは歩くか馬とかで行くほかないから隣村でも遠く感じるのである
なぜ現代では江戸時代とか戦前のことがわからなくなったかというと車がない社会をイメージできなくなったのである
確かに汽車とかあっても汽車賃が高くて一般人は乗るのはまれだったのである
汽車は主に荷物を運ぶものだったのである

そういう社会では自給自足で生活するほかないのである、最低限でもそうして生活ができていたのである、燃料は炭であり薪であり近くの山からとってくる、水は井戸水とか清水である、洗濯は川でしていたのである
だから今になると信じられない、私の家のすぐ裏に堀があり堀の水で洗濯していたのである、燃料は炭でありまた材木屋の木材の切れ端を無料でもらって手作りの風呂で鉄砲風呂で使った、水は近くの家の井戸水をもらっていたのである
そんな生活があったこと自体今になると不思議になる
そういう生活はもう遠くに行くことは相当に難儀なことでありめったに行けないのである車がなければどうして行くのか歩いて行くほかない
葛尾村まで歩いた話を姉から良く聞いたのである
要するにそんな所まで歩くほか手段がない時代だからとても外との交流は限られている
すると外から人は来ないしまた外にも出れない生活だったのである

そういう生活だと外から人も来ないし村内で生活するほかない、自給自足するほかないのである、そういう生活は感染症には強いとなる、でも江戸時代にコレラがやはり長崎から入り北前船で新潟から会津若松に入ってきて増えたのである
江戸時代でもそうして感染症が広がった、全国に広がった
ということは江戸時代の人流規模でも広がるとなるとその何千何万倍の物流と人流がある今ならもう防ぎようがないのである
だからこそワクチンとか手洗いとマスクとかで自己防衛する
都市だったらロックダウンするとなるがそれができないとしたら自己防衛でセルフロックダウンしろとなる
私の場合はもともと引きこもりだからセルフロックダウンしている
接しているのは一人だけである
でもその一人の老女がワクチンをうって副作用がでて体中が痛くなり立つのやっとであり入院したり寝ていたとなる、やはり副作用がある、もう三週間くらい痛くて立てないとかなった、ただもともと腰が悪いとか言って何もできない人だった
でもワクチンは明らかに副作用がありそれが結構重くなる場合がある

いづれにしろコロナウィルスから自己防衛するほかないというといそれがみんなできるかとしたら自分の様なもともと引きこもりはできても他の人は不可能だともなる
仕事でどうしても人に接する広域社会だから物流をとめることもできないからだ
でも全体で国家の命令でロックダウンも簡単にできない、なぜならそれを補償するとなるとその金が膨大になるし予算的にもできなとなる
自民党は財政緊縮でありしないのである

都会になるとスーパーでもこむ、田舎だと空いた時間に行くとか勤め人でなければできるスーパーは意外と危険なのかもしれない、というのは品物に触るからである
そこから感染するということがある
ただ自分の様な引きこもり生活はコロナウィルスを自ずと防ぐことになる
仙台市にも行かないし最近原町にすら行っていないからである
もともと人と接触しないのがさらに接触しないからである
でも仕事している人はこういうことは一番むずかしい、そうなると生活もできなくなる

確かに江戸時代のコレラの流行は会津若松中心に広がった
ても桧枝岐(ひのえまた)とかなるとそこはほとんど人の行き来しない本物の秘境だったそんなところに良く人が住んでいたとも思う
平家落人の村としてあったからだ、そういう場所ならコレラにもかからなかったのであるつまり人間社会はプラスと思えるのがマイナスにもなる
人間自体も性格でもマイナスと思えるものが実はプラスにもなる
人と接触しないと外交的でない内向的な人は一般的には社会では嫌われる
てもこういうとき引きこもりが有利だというのも不思議だとなる
だから人間とは何が良く作用したりするか悪く作用するのかもわからなん
万事塞翁が馬になってしまうのである

ともかく現代生活は逆に異常に人が交わり三密を減らすことが不可能に近い、交通が発達して車社会であり車ならどんなところでも辺鄙な所でも行ける、すると人流をどこでもとめられないのである、そうして便利な生活と思えたものが実は感染症には弱かったのである、弱点となっていたのである
東京とかの大都市とかに異常に人が集中することはそもそも不自然なのである
そんな生活を改めないからコロナウィルスでその弱点が露わにされたのである
東京遷都もいつのまにか消えた、それをするに大災害とか今回のようなコロナウィルスとか感染症とかでひどい目に合わない限り決断できない
多少テレワークとか東京周辺に移住するようになったのはいいことである

つまりコロナウィルスは新しい生活形態をうながしたのである
ただそれも極一部であり全体的には変わらない、もっと死者が増えたりしたら変わらざるをえない、だからコロナウィルスもか易姓革命であり自然の作用でありそれが社会を変えるとなる、東京など一極集中する社会は異常なのである
人流をとめることは不可能なのである、セルフロックダウンもなかなかできない
自分のように特殊な人間だとできるが普通の社会人が会社員は簡単にできない
でも方法がないからこういうことを言うのもわかる
私自身はセルフロックダウンの生活だったから今までの生活の継続で防げるともなる
それでワクチンもしていないのである、ここでも一人とか二人とか毎日増えているから
怖いことは怖い、でもこういう生活は田舎であり人流もないとか安全だと思ってしまうのである

コロナウィルスはまだ5年くらいつづくと専門家が言う時、これは簡単に終息しない種類のウィルスなのかもしれない、するとこれは長いと見た
つまり何らか社会を大きく変えてしまうものともなる
すぐに元に戻らないものだともみる、するとどうなるのか?
いろいろコロナ後の社会を言われたが広域社会とかグロ−バル社会の変化が起きる
グロ−バル化社会はもう頂点に達したのである
グロ−バル化社会は世界大航海時代からヨ−ロッパのアフリカアジアの支配ということで起きて来た、イギリスで紅茶の習慣が生まれたのはスリランカなどで紅茶を栽培させてそれを輸入してそうしした贅沢な習慣が文化が生まれた
イギリスは寒い国であり実際は食でも貧しい国だった、ヨ−ロッパ自体南国のアジアのように様々なものがとれないのである、花にしてもともしいから植民地化した南国から
とりよせてガーデンを作ったとなる、アジアからでも富を収奪して豊かになったのがイギリスだったのである

グロ−バル化社会かはこうしてヨ−ロッパの支配でありアフリカからは奴隷をアジアからは様々な産物を輸入して豊かになった、中国では売る物がなく阿片をりつけたとかなる
このイギリスが覇権国になってその後を受け継いだのがアメリカなのである
ただアメリカはもともと自国でなんでもまかなえる資源が豊かな国であり世界一の農業国であり食料を輸出できる国なのである、だからイギリスとは違って別に外国から食料品でもなんでも輸入する必要はないのである、石油さえ今では輸入する必要がないのである
アメリカが覇権国になったのは必ずしも経済的動機だけだったとは見えないのである

ともかく大航海時代からグロ−バル化がはじまりそれが20世紀で頂点に達したのであるその結果は最悪としては世界大戦が二回あり何千万の人間が死んだことである
その負の面も巨大なものだったのである、グロ−バル化すべていいものとして作用しなかったのである
コロナウィルスでも交通が発達して交通の発達で距離が縮小されたとき世界が同時進行するようになりコロナウィルスも同時進行でたちまち世界に広まったことでもわかる
そこには時間差がなくなったのである、コロナウィルスはグロ−バル化の結果としてマイナスのものとして作用したのである
だからコロナウィルスはこうした世界を変えるというときグロ−バル化自体見直すものとなる

結局グロ−バル化とは一面共存ではない、国同士でも様々な文化をもった人達でもグロ−バルに交わることは対立と軋轢をもたらしてそれが戦争になり何千万人も死んだのであるグロ−バル化でも共存する、助け合うとかならいい実際はそこで衝突して戦争になり何千万人も死ぬことになった
格差社会でも生まれグロ−バル化で世界の富はアメリカに集中して吸い上げられまたアメリカでも極一部の特権階級に富が集中した、それがロスチャイルドとかなんとか陰謀論になる、そしてもともと江戸時代なら朝鮮と中国と争うことなどなかった
ヨ−ロッパの世界支配の結果として日本も世界大戦に巻き込まれたともなる
マクロ的にはそうなる、だからグロ−バル化を見直す時期にすでになっていた
その時コロナウィルスが世界的に蔓延してグロ−バル化に歯止めがかかったのである

だから何かこれからは拡大拡散する世界より内向きの世界になる、それでヨ−ロッパのような中世世界と日本の江戸時代への回帰現象のようなものが起きて来る
時代のサイクルとしてそうなる、交通の発達でも極限を追求している
リニアでもそうだけどそういうものが本当に必要なのかどうか?それも疑問になったのである、また空飛ぶ自動車などでもそうである
そんなものが空をぶんぶん飛んでいたら落ち着かないしいいものとは全部ならないのである、技術でもなんでもいいものとはならない、作用しないのである
必ず負の面が技(わざ)から災いが生まれるからだ、それが原発事故だったのである

セルフロックダウンというときそれは本当に内向きの生活である、私自身がセルフロックダウンの引きこもりになる、もともとそうだった、でも今は仙台市にも行かないとか近間を回るだけである、こうして巣籠り生活というのも鬱屈した状態をもたらす
でも私自身はそういう生活をしてきたからそれほど苦しいとはならない
ただ中世というのは何か変わった動物とか動物の人間とか合体した仮想のものをイメージしたりと内向きの生活で生まれた
それと同じようなことを私は抽象画でしていると思った、これだけ絵の才能が全くないのに作り出しているのはインタ−ネットがありAIのようなソフトの使用でできたとなるからだ
また巣籠り生活だと家が広くないとできない、プライベートな空間が必要になるからだ
でも今空家が膨大でありそれを利用するとかまた地方に移住するというのも奨められる
すると人口のバランスがとれるともなる、そういう社会の変化が生まれることは悪いことでないのである
ただ何でも必ずいい面と悪い面が生まれるのが人間なのである
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2021年08月24日

アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓


アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓

国家がどうして成立っているのか?(資金がない、財源がない)


アフガニスタン国家がどうして成立ちタリバンが政権奪取したとしてもその後国家を運営できるのか?
今度はこのことが問われる、それでこの記事が興味深いとなる
アフガニスタンでは財政破綻で国家が破綻するとしているからだ
その理由は国家運営のための資金が調達できないということである
その資金調達がアメリカが握っているからだと分析している

例えば海外旅行してカンボジアやベトナムやネパールなどの後進国の紙幣を日本にもってかえっても何にもならなかった、交換するにもそれは紙きれである
でもドルだったら依然として使えるのである、円に交換して価値あるものなのである
世界でドルが通用する時、金融で世界を支配しているのはアメリカだとわかる
中国が強大化してもやはり基軸通貨はアメリカのドルなのである
それはアフリカの果てまで通用する
エジプトでナイルの上流の方、スーダンに近い方でロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫んでいるのはそのためである

エジプトはイギリスに支配されていたときはエジプトポンドが国家の紙幣だった
ボンドがその時世界の基軸通貨ともなっていたからだ
基軸通貨という時、世界で英語が共通語のようにして普及したのはイギリスが支配したからである、だから東南アジアでは別にエリートだけではない英語をしゃべる人が多いのである、それはイギリスが支配したからであり別に英語が特別優れた言葉だからではないのである、言葉というのも支配、被支配の関係で国のネティブな言語が代えられる
一時は日本が明治維新の時フランス語にしろとか言う人もいたしまた今でも国際化しているから楽天とかでは英語を共通語にしろとまで言う
それは現代はグロ−バル化しているから会社でそうしないと不便だからそうなる

グロ−バル化した社会というのを理解することはむずかしい、それは株式が理解できないのと同じなのである、天文学的な巨額の金が流れている、それは金とともに物資が世界に流通していることなのである、もし物資でも流通していなかったら金も通用しない
また物資でも運送できなかったら金も通用しない、その運送できる、交通が発達すると貨幣でも紙幣でも世界的に流通する、それでモンゴル帝国では広大な領域を支配したからそこでその支配範囲内で紙幣のようなものが流通できるようになったのである
それはやはり一つの大きな帝国ができて政治的に支配できたとき紙幣でも貨幣でも流通するとなる
日本だと江戸時代は仙台銭とか藩札が作れとしても一部の範囲内でしか流通できないとなる

とにかくなぜグロ−バル化すると金融というのが重要になるのか?

それは誰でも日々金なしでは生活できない、あらゆる物資が世界から運ばれているからだ人間は何かやと言ってもグロ−バル化した世界では金が重要になる
この辺で原発事故で避難区域になったところでは別にそこでは米を野菜を食糧をとれなくても生活できているのである、それは金があれば外部から物資でも食料でも買えるから不便でも一応生活できているのである
だから郷土を愛すとかなるよりまず金を愛すとなっている、別に故郷から出て行っても
金さえあればかえって都会に出れば便利な生活ができる、だから仙台市に移住した人も多いとなる、億の金をもらった人が結構いるからである
ただそこで喪失した故郷のアイディンティティはありそれを私は追求して来た
でも現実問題として故郷を愛すという精神的な問題と現実問題とは別である
要するにそれだけでは飯は食えないということである
だからどこでも世界の果てまでワンドーラ―くれとなっているのである

アフガニスタンが注目されるのは様々な問題がそこから噴出してきているからである
それは津浪や原発事故でこの辺が様々な問題が噴出してきて私が追及してきたのと同じである、コロナウィルスでもそうである、それに共通しているのは世界がグロ−バル化しているからである、コロナウィルスも結局グロ−バル化したということがありあっという間に世界に感染者が広がった、同時間的に広がった、時間差がなくな広がったのは飛行機とかで世界が時間差がなく行けるからである、8時間くらいで世界中行けるからそうなる
ウィルスは人から人へうつる、もし船でしか行き来できない江戸時代ならそんな簡単に世界へ広がらないと思う

でも現実は江戸時代のコレラは長崎から入ってきて北前船で新潟県に入り阿賀野川を通じてシロのる会津若松に入ってきて広がったのである
だから江戸時代でも感染症のウィルスは広まっていたことが意外だともなる
長崎の出島から外国人が入ってきて広まったことに驚く、今なら何万倍なのかとてつもないヒト、モノの交流があり移動している、つまり現代のグロ−バル化は移動の文明でもある、そうしたらその移動を止めることは不可能にもなる
交通とか移動を決めたら社会が機能しなくなり麻痺して生活もできなくなる、物資も入らなくなり社会生活の機能が停止して身動き取れず死ぬこともありうる
だからグロ−バル化した世界は感染症には一番弱かったのである

金融の問題もこうしてグロ−バル化しているから複雑であり理解しにくいのである
ただアフガニスタンの問題でわかることは金になるものが自国で産みだせないとういことで国家運営が可能なのかということである
自国で生産しているものはアヘンが主要産業のような国で国家運営が成り立つのか、その資金をどうするのかということである、それが今タリバンが政権奪取しても簡単に国家運営ができないとなる

不思議なのは江戸時代の様々な村が中心の自給自足の生活では村に入れないようにしても一応生活はできるようになっていたのである、自給自足が基本だからである
外から物資が入らなくても自給自足だから一応死ぬようなことはなかったのである
だからロックダウンとかしきりに言うが江戸時代だったら可能である
ただ江戸とかなると外から食料が入らないと苦しいとはなっていた
江戸でも米は外部から伊達藩とからでも相当数入ってきて生活できていたからである
都会は自給自足ではないからもし閉鎖して人流をとめたらもう死ぬようにもなる
都会には実際はまた災害に弱いとかあり危険もある
石巻だったか外部から物が入らなくなったとき裏山の木を燃料として清水をくんで米はあったので近隣で集まり自活していたのである

都会だと外から物資が入らないとお手あげになるので危険なのである
この辺では二週間くらい物が入らず危機的状態になった
石油もなくなり車だと移動できなくなったのである、それは危機的状態だった
私は米が二週間くらいありノリとかオカズがありしのいだ、その時電気は通じていたからできたのである、そして米が尽きたとき古米がここでは配給された、それで助かったのである、こういうことで緊急事態のとき食糧でも貯えがないと危機的なものになる
逆になぜ江戸時代に飢饉が度々あったのか?
それは逆に遠くから物資が運べないということもあった、藩ごとに国が違うともなり物資が隣の藩からでも入ってこないのである、今のようにグロ−バル化しているとどこかの国から援助されて物資が入るということがあり飢饉はなくなったともなる
そういう危機的状態では外から物資が入らない時、金があってもモノが買えない、コンビニですらたちまち商品がなくなり買えなくなったからである
それで私は自転車で隣の市までスーパーが開いているということで自転車で行ったのである、その時車はガソリンがないので使えなくなっていた
車が便利でもこれも使えなくなる、ガソリンが外部から入らないと使えなくなるのである

いづれにしろアフガニスタンの政府崩壊はよそ事ではなかった
なぜならアメリカも日本を見捨てて撤退することがありうることなのである
それをまざまざと見せられたからである、その時日本はどうするのかということが目に見えて示されたからである
とにかくアフガニスタンは食料でも何でも自給自足などできない、ベトナムは地下にもぐりベトコンとなりイモを食べてしのぎアメリカ軍と戦い勝った
でもアフガニスタンにはアヘンがあってもそれを食料とすることもできない
だからタリバンが政権を奪取してもこれから国家を運営できるのかとなる
つまり軍事力だけでは国家を運営できない、一時的に制圧しても今度は経済的問題がのしかかってくるからである
ただ外部から見るものとしてはただ様々な点で興味深い、それは日本でもアメリカ軍が支配しているのだからよそ事ではないからである

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2021年08月22日

金を残しても死ぬと価値がない (金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)


金を残しても死ぬと価値がない

(金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)

この世の中すべて金になり金で判断する、収入でも金で計算されて価値が判断される
生きている時はみんなそうである、でも死んだ時その人の価値は何で判断されるのか?
一億円残したからこの人の価値は一億円になるのか?
それをもらう人は子供の世代はその一億円は相当な価値になる
なぜならまだこの世を生きるから価値があり親の価値も金の価値にもなる

でも死んだ時不思議なのはあの人は一億円残したから価値ある人だったとなるだろうか?その金をもらえない人はその金で人の価値を判断するだろうか?
死ぬとその人が生前に残した物でその人の価値を判断する
例えば古い特別な家を遺したものを放送する番組がある
するとその金持ちの残した家が文化財のようにもなる
それはあくまでも金ではその人が残した家がその価値だとなる
それは別に家族でなくても文化財のようになれば他の人も見ることはできる
立派な庭でもそうである、その価値は家と庭にあったとなる
金持ちでもその金をどう使ったかで評価される
多額の金をもっていてもそれを子供たちに遺産として残したとしても評価するのは子供たちだけだとなるからだ

人間はすべて金に換算される時代である
でも死んでしまうと何で価値が判断されるのか?

ここのことを思って生きている人は意外とまれだろう、死んでしまったらその人の人生が何であったのか問われる、歴史的にでもその人の価値が何であったのか問われる
なぜ陸軍二等兵とか他でも墓に戦死したのか、位が記されているのが多い
でも今になるとそんな位に何の意味が価値があるのだろうか?
何か軍人であることが価値があるとされた、でも今になるとその墓を見て位を見てこの人は偉い人だったとみんな見ているだろうか?
ただ戦死者か無益だったとかではない、でもそうして今でも墓に記された軍人でありその位に何の意味があるのかともなる
それを墓に記したのは当時だったら社会的意味があり社会でも注目しいたからだとなる
軍人は威張っていたというときそうである、それはミャンマーとかの軍事政権となると軍人が一番威張っている、中国だと共産党が一番威張っている

でも必ずこれも時代によって変わる、共産党でも永続しないからである
それはあくまでも集団として組織としての価値なのである
個々人の価値なら例えば科学に尽くしたとか芸術で貢献したとかいろいろありそれは人類的普遍的価値ともなる、だからそれらは長く残ることがある
でも実際百年後に残るものがどれだけあるのかとなるとほとんどなくなってしまうのが人間社会なのである
時代によって価値は激変することがある、それが戦後に起きたのである
国民全員が鬼畜米英になっていたのにまるでアメリカ様様になった、それを経験した人は何んなのだろと理解できなくる、あまりの変わりようだったからである
白だったものを黒にしてしまったからである

ともかく死ぬとその人の人生は何だったのと問う、歴史的になれば戦争で三百万人も死んだのは何だったのだろうとなる、その意味が問われるのである
第一三百万人を死んだのを無駄死にだった、犬死だったとは言えないからである
それなりの意味と価値をもたせなければ浮かばれないとなってしまうからである
でもどうしても陸軍二等兵という墓があったとしてそれに敬意をもていないのである
他の人でも敬意をもっていないだろう、それだけもう価値観が変わったからである

何か家のことに私はこだわるのは結局残されたものが家だからである
もちろん金も遺されたとしても具体的に残されたのは家なのである
それでこの家は広くていいなとかここに家族が寝ていたなとかふりかえる
また台所に母がいて料理してくれたな、それも60年とか長い時間だったなと
つくづく私は今度は自分で料理したり台所で働くからそのことを一層感じたのである
意外はそんなこと当たり前のことだと思っていた、でも全部自分で家事をするとなると大変だなつくづく思った
料理するにも種類が多すぎるのでいちいち冷蔵庫をチェックしているのも手間で忘れてしまうのである
それからプログとか毎日書いたり本を読んだりするから手が回らないのである
それでありあわせのもので食事はすましているのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

私の母親は嫁いできても女中と同じだったのである、働き詰めで終わったのである
そして今自分がその台所にいるのもカルマだとなる
そして死んでから感謝して供養してごくろうさんという、ただ死ぬ前に5年くらい介護したことで喜ばれたので恩返しが多少できたとして救われたのである
そうでないと何か一方的になり母も不満のうちに死んだからである
そこで介護の問題が苦しいけど何か死後にも人間は関係がつづくからむずかしいのである現実に子供を恨んで死んだ人もいるし結構そういう親はいる
せっかく苦労して育てたのに子供に冷たくされたとか普通にあるだろう

ともかしく親が死んで一番感じたのは確かに金を遺してくれたからありがたいともある
でも一番感じるのは残された家なのである、それで家のことを延々と語っているのである家にいるとやはり親のありがたみがわかり家に感謝するのである
他に具体的には残したもので感じないからである
だから家には依然として家族がいるという感覚になるのである
この家を支えて来たという時、家という建物だけではない、家族がいて私は支えられていたとなるからだ、そこで家に感謝しているである

ただその他で残したものはない、庭は狭いしそこに何か感じるものはない、むしろ死んだ後に自分が頼み作ったものだともなるからだ
こうして具体的なものとしては家が残されたものとして意識する
他にその人によるそれぞれの人生がありその人生を振りかえりそこに価値を見出す
その人生をふりかえることは価値があったとてももう金にはならないものである
死ねば人間はやはりHistory-story(物語)になる
ものー語りとなるがやはり死ぬと遺された物を通じて死者を想うからそうなる

それが具体的だからわかりやすいのである、画家だったら残された絵を見てその人を偲ぶとか価値づける、芸術家の場合は残した作品から価値をみる判断するとなる
でも別に普通の人でも生きた一生があり判断される
でもカルト宗教団体とか党派の団体とか会社とかの組織団体に属して生きた人はそれが一生なのだけどその団体組織が消失したときその価値も消えるとなる
百万人会員がいたとしてもその価値は百万分の一なのである
その組織はやがて消滅する、それは生きている間にも起こる、退職すると大企業に属していても価値がなくなるからだその人の価値はすべて会社に属している価値だったからである

とにかく人間の生きる意味とか価値とかは意外と死んでみないとわからないのである
死んだ時純粋にその人の生きた価値とか意味が問われるからである
つまり金をいくら残したとかではない、他者にとってはそれはもらえないのだから関係なくなる、ただその人自身の純粋な意味とか価値が問われるのである
この人はこういうことをして一生を終えたとかになりストリーとなりその価値が判断されるその女性は何か自分にはわからなかったけど大正生れて本当に馬鹿正直な人だったのである、それで私の家族が認知症になったときその女性だけが相手にしてくれたのである
認知症になると親しい人でも相手にしなくなるのにしてくれていたのである

でも別にその人に私の家族が良くしたとはならない、むしろ冷たかったかもしれないのである、でも認知症の介護に苦しんだからその人に感謝することになったのである
この人いい人だったなとつくづく感謝するようになった
つまり自分自身がこの女性の価値を認めてそうなった、それは金とは関係ないことだったのである
他の人は介護になってかえって金を奪うとう金をよこせとか脅迫するような人達ばかりだったから余計にその人を思うようになったのである
だからこうして金だけで価値は計れないである
また何かその男性には世話になったことがありそれを恩に思ってその人が病気になったと世話している女性がいる、それもまた金のことは関係ないのである
むしろいくら金をやっても人間はそれを恩とも思わないし感謝もしないのである
だから人間はすべて金で計るわけでもないのである
それで「金の切れ目が縁の切れ目」になるのが普通なのである

ただいやいやながら金をもらうからしているというとき本心が必ず現れる
絶対に人間は無償の行為はつづかないからである
必ず見返りを要求するようになるからだ
最初から見返りを要求する人もいる、いくらくれるなら助けてやるとかまでなる
でもここに倒れた人がいればお前俺にいくらくれんるんだとか言っていくらなら助けてやるとかなるとそれは脅迫なのである
私は介護でそうして金で脅迫されてきたからである
それは後で世話になったからと金をやるということもある、でも窮地にあるとき金を払うから助けてくれとはなれないのである
それでまず救急車は無料で運び後で金を要求するとなっているのである

いづれにしろ人間はすべて金で価値は計れない、それが死んだ時それがわかる
その人の価値がわかる、この人はこういう人だったなとわかる
それは家族でもわからない、親のことでもわからない、子供なら親が尽くすのが当たり前だと思っているからである、それが自分が親になったり死んでから親の苦労がわかったりして親に感謝するとなる、ただ親でもいろいろり毒親も多いからみんなそうなるわけではないのである
ただすべてを金で計ることはできないし、金は紙きれでありそれが実際の価値とはならないのである、それが死んだ時はっきりするのである




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2021年08月21日

アフガニスタンで副大統領が北部で反撃 (地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)


アフガニスタンで副大統領が北部で反撃

(地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)

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古代ならペルシャ、今はイラン、インドがあり中国が迫る
その影響を受けてここは支配が変わったのである
インドの王朝の一部にもなったことがあるからだ

アフガニスタンの山の高さ

 3000−4000mがほとんどである

ここの地図がわかりやすい



アフガン副大統領が唯一タリバン支配の及んでいないパンジシール州で挙兵

ヒンドゥークシュ山脈(ヒンドゥークシュさんみゃく、パシュトー語/ペルシア語: セF/HゥO4)とは、主にアフガニスタン国内を北東から南西に1200kmにわたって延びる山脈。一部はパキスタン西部にも広がる。

急峻な地形ゆえ、山脈周辺では土砂災害も発生する。1971年7月下旬にはケンジャン峠付近で発生した地すべりが集落を押しつぶし、1000人以上が死亡している[2]。

ヒンドゥークシュ山脈は古来から東西南北の交通の障害となってきた。このため重要な峠が点在する。中央アジアとインドを結ぶ峠道が多数あり、ハワク峠(英語版) (3548m)はアレクサンドロス3世(大王)やティムールが通過している。シバル峠(英語版)(2978m)、サラン峠(3363m) はカーブルと中央アジアのマザーリシャリーフを結ぶ重要な道路が通る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%
82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B1%B1%E8%84%88

アフガニスタンの主要作物であり、主食の小麦の生産量が今年は440万トンから370万トンに減少。7月25日には緊急援助委員会の委員長を務めるモハマド・カリム・カリリ副大統領が、250万人が深刻な食料不足に苦しんでいると明らかにした。

水不足、干ばつ、自然災害が問題の根源にはあるが、農地の3分の2が灌漑用水に頼っているアフガニスタンにとって、ダムの建設や配水システムの整備が緊急課題である。


このおっさんは単にタジキスタン系なんでは
タリバンはイスラム主義ではあるがパシュトゥーン人主義でもある
だからこんな難しい国の統一を武力でないと維持できない
イスラム帝国でアラビア史上初めて部族の枠を超えた一致を見たのに
それはクライシュ族至上主義の上には立っていたけど
今のイスラムは原理主義でもそうでなくても結局部族単位で行動してるから
いつまで経っても一つになれない

北側も東側も標高7000m級のパミールの高山が続くから包囲なんて出来ないのよ
南側も6000m級の山岳地帯なので実質西側から攻めて来る敵だけ対処してれば良い
それでも山脈の間抜けて騾馬や航空機でタジキスタンと繋ぐ補給路はあったりする



国際政治を理解するには地理が基本にある、地政学が大事になる
アフガニスタンの地理でも理解するのが容易ではない、6000メートル級の山岳地帯ということが理解できない、地理は地図を見てもわからない、地理はまた意外と交通機関が発達するとわかりにくくなる、峠があっても電車でトンネルで行くと地理を実感しないのである
だから私は常に飯館村まで自転車で坂を上って行っていたからそこが高原地帯になって別世界のように感じたのである、標高400メートルとかなれば結構高いからである
八木沢峠でも車で行っても相当な七曲の坂だからである
ただなぜそこが古くから相馬地域の鎌倉から来た岩松氏の支配下にもなっていた
それを受け継いで相馬氏の支配地域となった、確かに山にさえぎられているのだがやはり一体化する地理にあったともなる
また木材資源がありそれを得たいとなり塩の道ができたことも関係しているかもしれない
とにかくアフガニスタンは山岳民族が跋扈する中世の時代だとも言われる
部族が蟠踞して高い山にこもる、となると自然が障壁となり攻めにくい、ゲリラ戦には向いている、だからなかなかロシアでも手を焼いて撤退したりして支配できない
またアフガニスタンでも統一がむずかしい

例えばペルシャとかモンゴルとか平原と草原とかつづいていると大帝国ができやすい
なぜなら遮るものがなくその領土は拡大できるからである
それでモンゴル帝国がヨ−ロッパまでも進出できた所以である
確かに日本でも山が多いからヤマトともなった、でも6000メートルとか7000メートルの山ではない、それなりに越えられる高さなのである
そういう高い山は日本にはないからイメージできなくなる

ナンは現在のイランを起源とし、その後メソポタミア、古代エジプト、インド亜大陸に伝わったと考えられる。語源はペルシア語。

主食としてのナンがペルシャ起源で古い、古代エジプトに広まったというのも驚きであるナン文化圏は広いのである、食べ物から世界を観るとわかりやすい、でもこんな古い時代からあったとなると意外である
アフガニスタンは農業の占める割わい一割にも満たないとかあり盛んではない
平坦な地がなく山岳地帯だからである、そしてその山岳地帯には木がない
一般的に日本のように木に覆われた山はまれである、日本の山は世界から見れば例外なのである、エジプトのシナイ山でも一本の木もなかった、荒涼とした風景だった
岩山であえ砂山である
そして木がないから土砂災害で千人も死んだというときその規模が大きくなる
木は水を貯えるからである、保水能力があるから日本では常に山から水が供給されて田んぼがありうる、アフガニスタンとか砂漠地方だと木がない森がないから雨が急激にふると鉄砲水になり川がたちまち洪水のようになる、砂漠の川はそういうものである
灌漑が水を供給することが大事になる、例えばイスラエルとかも半分砂漠だけど水を供給するシステムを作り果実などがとれるようになった
水をどうして供給するかが問題になりそれが文明を産んだとなる
アフガニスタンの耕地向きが12パーセントでその一パーセントしか利用されていない
だからアヘンの栽培が主たる産業にもなってしまうのである
中村哲氏が灌漑事業の手伝いをしたのはそのためである

そして回りの国々との関係もわかりにくい、実際はアフガニスタンというまとまった国はなく部族がそれぞれの地域で支配している、統一国家となっていないのである
だから北部同盟がありそこに副大統領は逃げてこもりタリバンに抵抗するとなった
これだけ山が高く多いとそれぞれが独立していて統一することはむずかしくなっていた
だから外国勢力でも支配できなかった、ゲリラ戦になると強いということである
ベトナムでもべトコンは地下にもぐりゲリラ戦になりアメリカに負けなかった
ジャングルがありそれで阻まれたこともある、また食料はイモでありこれは意外と早く成長するから食料は供給できたことも勝利の原因だった
結局地の利があり土着愛郷精神がありそこにずかぶかと踏み入ったアメリカは敗れたとなる
アフガニスタンもそれと似たものがあった、地の利があり抵抗がありゲリラ戦に向いていたので支配できなかった

またここは地理的要衝であり中国でも一帯一路でここを通過してパキスタンから海に出れるということでタリバン政府をいち早く承認した
ペルシャとインドを分けるヒンド―山脈やカルバル峠は有名である
ここは玄奘三蔵も越えてインドに向かった、アレキサンダーもここを越えてインドに向かったでもインドではさはに広い国があり引き返したとなる

そしてアメリカの問題はアメリカ本土は日本でもそうだしヨ−ロッパでも離れている
アメリカの本土自体が戦場にならないことが有利になるしそれで本気にならないということもある、もし地続きだったら本土が攻められて侵略されるから恐怖となり戦い方が違ってくる、常にはるか後方にあって安全地帯にあるから戦い方も違ってくる
別に不利になったら戦闘をやめて本土に引き上げればいいとなるからだ
それがまた問題になる、中国とかロシアは陸の大国であり陸続きで隣国と接するから
常に責めて来る恐怖となり万里の長城が築かれたのである
アメリカは遠い島国でありそういう本土が攻められるという恐怖はない
ただミサイルとなる核ミサイルで攻撃されることを一番恐怖している

つまり今回のアフガニスタンは常に自分の国が直接陸伝いで攻められる恐怖がないということで戦い方が違ってくる、真剣にもならないともなる
それで中国が脅威となるときアメリカは果たして対抗できるのかするのか疑問になった
つまり日本の基地でも引き上げるということが見えたからである
アメリカは別に本土にいつでも避難できなるからである
ところが陸続きだったらもうそこから避難できない、そこで戦い死ぬほかないとなる
だからアメリカは簡単に撤退するということが見えたので日本でも自主防衛しなければ中国でもロシアでも簡単に支配されるとなる
つまりいつでも逃げられるから無責任にもなる、でも日本でも他でも逃げる場所がないのである、すると本土決戦とか一億総玉砕とか悲愴な決断になるのもわかる
そういう集団はいくら軍事力が経済力などがあっても戦うとなると相手は死にもの狂いなのだから怖いとなる
そのため本土決戦になるとアメリカ軍の被害が死者も増えるから原爆を落としたのだともされる

ともかくアメリカ軍は同盟軍のヨ−ロッパの人達も助けないとなった
アメリカの信用が失ったともなる、アメリカはあんな簡単に撤退するのだという事実を見てしまったからだ、ともかく陸と海との戦いがありアフガニスタンは陸の孤島のようになっていたのである、だからそこを侵略することは古来から手こずっていたのである
だから世界でも世界史でも地理がわからないと基本的に理解できないのである
この地理を理解することがともかくむずかしいのである
アメリカに一回くらい行ってもその広さをまず理解することは不可能である
そこからすでに理解できないとなるのである
中国でも同じである、あまりにも広すぎてわからないとなるからだ
世界を知るには本とか地図見たりしてもわからない、実地に路査して見聞した方がイメージできるようになる
それで50歳になってやっと世界旅行したバックパッカーになってしたことが今になると活きてくる、ただ遅かったとはなる

アフガニスタンの詩

その谷間は深く雪解け水が流れ
峠のかなた万年雪の高峰が連なり迫る
その山々に閉ざれて侵入者を拒む
独立の気風が養われて古来よりよせつけぬ
ロシアは去りアメリカも去る
唯一の神、アラーの声がひびきわたる
純白の雪に閉ざされた高峰のように
・・・・・・・・

山は独立の気風を養う、平地には人が交流して都市が生まれるけど山は閉ざされて独立する、高い山を見ていると自ずと精神的にそうなるのである
ただこの辺には海があるけど高い山がないからものたりないのである
何か精神を涵養するものがないのである

 山国の欠点にして、国を山間に立つるもの民は狭隘にして遠大ならざる理由なり
 山国の民の特徴として激烈な愛国心を有するにと同時に、嫉妬憎悪の念深く、
 針小子細の過失は百世にわたる怨恨の基となり,郡は郡と争い、村は村に抗して
 外に強敵の犯すなき時は..紛擾の中に日を送るをもって常とす
 
 (内村鑑三ー地人論)
 
 これがまさにアフガニスタンである、このように山岳地帯は個々に山に遮られて独立しているから融和しないのである
紛擾とは乱れるさまでありまさにアフガニスタンはまとまらず分裂するのを常としている
モンゴルは平原だからまとまりやすくモンゴルの大帝国が生まれた原因である
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2021年08月20日

日本の戦争はなぜ起きたのか (アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)


日本の戦争はなぜ起きたのか

(アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)



日本の戦争はなぜ起きたのか

ベトナム戦争はなぜ起きたのか

イラク戦争はなぜ起きたのか

アフガニスタン戦争はなぜ起きたのか


これらの戦争に共通性はあるのか?それはあるとしたらアメリカの被害妄想意識とかかもしれない、太平洋戦争でも真珠湾攻撃がありそれを契機として恨みとしてアメリカが日本を徹底的に総攻撃でうちのめして最後は原爆を落とした
一見日本側から見ればそれだけのことをしたのだから当然だとアメリカではなる
でもふりかえるとアメリカとはそういう国なのだともみる

ベトナム戦争でも泥沼になった、この戦争の理由は共産主義に対抗するためであり米ソ冷戦があり自由主義陣営と共産主義陣営の戦いだともなっていた
でもこれもまた最後の方になるとなんのための戦争なのかわからなくなっていた
それで(地獄の黙示禄)という映画ができた、ただそこは人を殺す狂気の世界ともなっていたのである

そもそもそんな地獄を作りだしたのは誰なのか、アメリカだったとなる
ベトナムにアメリカが侵攻したときベトナム人は土着精神の愛郷精神でベトコンとなり耐えて勝利を治めた、それはアフガニスタンとも似ている
タリバンはベトコンなのかもしれないからだ、土着している土地を踏みにじったということで戦ったからだ、今でも土を盛っただけのベトコンの墓がそちこち見られる
また負傷した人が傷痍軍人が回って物乞いしていたりした
それは日本の戦後とも似ている

イラク戦争ではアメリカが化学兵器があると難癖つけて戦争になり攻撃した
実際は化学兵器はなかった、ヨ−ロッパとか多国籍軍を編成してイラクに突入した
日本は金だけを払いアメリカから責められた
同盟軍なのだから参加しろと強制されていたからである
この戦争の原因は9・11のニュヨークのビルの爆破で三千人くらい死んだことである
日本人も20人くらい死んだ
これに激怒してイラク戦争になったのである
それは真珠湾攻撃で日本にアメリカが激怒して原爆まで落としたのと似ているのである
そこに正義などないし戦争にそもそも正義などないのである
アメリカは2の被害があったら十倍にしても報復する
それは報復する力があるからその力を乱用する

それでなぜアフガニスタンでもベトナムのように勝てなかったのか?
強大な軍事力をもっていても勝てなかった、タリバンもベトコンなのか地元に土着しているしやはり地元の支援があるからアメリカでも勝てなかった
アメリカに空爆して殺されている住民もいるからである
つまり強いとその強さのためにわずかでも被害があると十倍になってもはねほかえってくる、アメリカを攻撃するものは絶対に許されないとなる

でもアメリカの戦争をみるとそれが正義とかないのである
アメリカの強さを誇示するものでありアメリカに逆らうものは許さないということなのである
確かに真珠湾でも三千人くらい死んだから被害が大きかったし日本は馬鹿だったとなる
アメリカという国がどういう国かわからなかったのである
その強大な軍事力であれ経済力を知らなかったのである
ただ日本側にすれば経済封鎖で石油が入らないとか窮迫していてやむをえず真珠湾を攻撃した、つまり追い詰めれていた結果なのである
そうして追い詰めたのはアメリカだったとなる

何かやはりアメリカは強大な力をもっているからそれが力の乱用になる
それが行き過ぎた結果となる
原爆まで落とす必要があったのか?それが疑問なのだけど日本はそれで完全に降伏した
日本側の問題は戦線を拡大しすぎたことである
日本側でも何の目的でアメリカと戦争になったのか明確はない
アジアの国々の植民地解放といってもそんなことを国民が意識していたのかという疑問である、戦争が終わって結果的にそうなったからそれを盛んに言う、戦争の理由にしているとなる

戦争にしてもそれが何千万人も死ぬ、するとそれ相応の戦争の理由があってもいいのだがそれがはっきりしないのである、ドイツのナチスにしてもそうである
その戦争の理由が明確ではない、ただドイツでも失業者が増大して国民の不満がありそれが戦争に結びついた、ただその理由は何なのかとなる不可解だとなってしまうのである
理由なき反抗とかの映画があったがそれとも似ている

そして戦争が終わって必ずその意味が問われる、なぜ日本は戦争したのだ

それは三百万人も日本でも死んでいるからである、そしたら犬死だった、その死は無意味だったとできないからである、もし明確な意味ある目的ある戦いとして始めていればこういうことはないのである
戦争が終わり莫大な犠牲者が出て一体この戦争は何のために戦争だったとなる
その犠牲が余りにも大きすぎたからである
最初から意味と目的がはっきりしていればそんなことはないのである

ただあらゆることが何かその意味とか目的が明確ではない、江戸時代辺りまでの戦争はただ権益争いであり強い者が勝利してその権益を得たとかわかりやすい、それはヨ−ロッパとかでも同じである、戦争は権力闘争であり権益を得るためだとということでわかりやすいのである
ただ現代文明の戦争はその理由がわかりにくいのである
そして今になるとあらゆることで意味とか意義とかが問われる
オリッピックでもその意義が問われた、高校野球でさえ今その意義が問われる
それはあらゆる方面で問われる時代になったのである
なぜなら日本でも三百万人死んだように犠牲があまりにも大きいからその意味が問われるその意味は戦争が始まる前によくよく考えるべきだったとなる
そうすればみんなその意味に納得して後で後悔することはないからである

アメリカがなぜこれほど強行に戦争するのか、そさは強大な力をもっていて少しでも傷つけられるとその十倍にも百倍にでも報復する
そして原爆まで落としたのである、そういう国だということである
だからいづれそれが大きなカルマとなる、アメリカは戦場になったことはない
日本のようにベトナムのようにイラクのようにアフガニスタンのように戦場になったことはない、だから一回戦場になったみたらその苦しみがわかるはずである
9・11のニューヨークのテロでは戦場になったような気分になった
だからあれほどのイラクとかテロ国家への攻撃となったのである
でも日本であれベトナムであれアフガニスタンであれどれだけの被害があったかみればわかる、その規模があまりにも違いすぎるのである
それで9・11のテロは日本のパールハーバーになったのである

とにかくこうして戦争でもその戦争中はあまり意味を問うこともない
でも終わった後に意味が問われる、なんためにこんなに死んだのかと問われるのが人間であり歴史である
近代の戦争は何かその戦争の意味が明確ではないのである
ただ近代兵器が生まれて犠牲が莫大になったのである
そして古代から戦争があったが近代の戦争では英雄というのは生まれない、日本の戦争でも3百万人死んでも何か英雄として語られる人がいないのである
ただ莫大な消耗戦のようになっている、だからこれも何なのだろうとなる

他にもあらゆる分野で意味が問われる時代になった
オウムとかカルト教団にしてもその時優秀な理系の大学を出た人が革命のために仏教の教義で逆らうものはポアしていい殺してもいいということを信じてサリンをまいた
ただその時こんなことしていいのだろうかと疑問をもったはずである
それもなく死刑にされるときひどく後悔したのである、麻原にだまされたとか無念の内に優秀な人が死んだのである、これも何か意味を問わないではじめた
またカルトだから宗教だったら殺傷は禁止なのにそれも正当化されたのである

創価などでも何のために宗教を看板にしているのかわからない、政治権力を得て権力を掌握することが目的なことは確かである
そうしたら宗教とは相反する、でも日蓮の教義では矛盾しないがそれだって中世のものであり適応されないのである
タリバンでも中世時代の宗教の価値観だから問題がある、おそらく江戸時代でありイスラム原理主義の政教一致なのである


共産主義にしても文化革命で一千万人死んだとかカンボジアで二百万人が死んだとか頭蓋骨が積まれて博物館になっている
この犠牲も何だったのだろうとなる、共産主義の暗黒がまざまざと示された
一応民主主義国家ではそういうことはありえない、反対勢力を一応認めるからである
でも共産主義は反対勢力は抹殺する意外ないからこれほどの被害がでる
それで欧米の民主主義とか法の支配とかが政治として理想でなくてもいいとなった
民主主義はまどろこしいというか手続きとかにこだわり話し合いになると簡単に物事を決められない、だからコロナウィルスでも緊急時には弱いとなった
強力にコロナウィルスに対処できずに感染者を広めたということがある

ただ共産主義にも問題がありそれは反対を認めない、抹殺することである
権力をもったものはどうしても反対勢力を嫌う、すると権力があるからそれで抹殺できるその権力の乱用が怖いのである、権力を監視するものがないからである
だからどうしたら反対勢力でも存在させる仕組みが必要になる
タリバンなどにはないから反対する者は許さない戸なり暴力で排除してしまう
そこで反対するとなる死者が出てそれも多くの死者が出て犠牲が大きくなる
それも大問題なのである

結局こうして社会の大きなことでも何のためにするのか、その意味と意義が問われる
それはあらゆる方面でそうなのである、だから哲学の時代でありどこでもなぜなのか
何のためにするのか、あるのかが問われるのである
それは別に哲学という学問をする一部のものではない、あらゆる方面に庶民でもかかわり問われているのである

とにかく人間個々人でも死ぬと必ずこの人の人生は何だったのか、何の意味があったのかとか問われる、例えは巨額の財産を金を残したからと必ずしもそれが意味あるものとして評価されないこともある、でも財産を残さなくてもその意味や価値が問われてそれが価値あるものとして認められることもある、歴史的価値あるものとして認められることもある何か死んだ後の価値は必ずしも財産ではなくなる
組織団体でも意味が問われ個々人でも死ぬと必ず意味と価値が問われる
それが人間である、動物にはそんなことはないからである
人間の人間たる所以はこうして何のために生きるのかとか何のために生きたのかと意味を問うことにある、だから莫大な犠牲を死者を出してもそれに何の意味があったのかと戦争が終わった後に問われるのである

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高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に (あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)


高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に

(あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)

高校野球もコロナウィルスの陽性者がでて東北学院と宮崎商業が辞退した
特に東北学院は新顔でありこれまでは育英とか東北高校が定番であり新鮮だった
だから注目していた、そしたら強豪の愛工大名電に買ったので余計に期待していた
つまり高校野球はプロ化していて勝つ高校はたいがい試合する前から決まっている
第一大阪桐蔭とかはまず大阪だけで勝つのが甲子園で勝つよりむずかしい
それだけすでに大阪で勝つことがもう甲子園で勝つともなっている
もう普通の高校では勝てない、プロを選抜する大会とまでなっている

実際に東北でも北海道でも甲子園に出たくて野球のために有力高校に入る
それが大阪出身が多いのである、そしたら地元の生徒ではないのだからそれは高校野球の目的に趣旨に反するものになる
だから高校野球自体今や高校のプロ化したものでありとても普通の高校では勝てない
北海道とかで優秀した高校でも9割くらいがそうして野球留学した人達であり大阪出身が多いのである
それはまず大阪で甲子園に出るとなると最もそっちの方がむずかしいとなるからそうなるそこにもう高校野球の趣旨とは違ったものになっていたのである

そして戦国時代でも勝敗には天候が関係して勝敗が決まったりする
信長の桶狭間の戦いでも嵐になってその時攻撃して勝ったとかある、関ケ原の戦いでも天候が左右したとかある、だから勝敗というのは必ずしも実力だけも決まるものではなかった、天候は人間の力で操作できない、左右できないからである

こうしてコロナウィルスなのに朝日新聞が強行させたとか批判がある、五輪は反対したのに高校野球はすすめた、その危険性を無視したとして批判がある
ともかく五輪でも高校野球でも天候がマラソンなどでも30人が途中でやめたとか天候の影響がある、だから東京ドームでやれとかも言われる
また暑すぎるから夏の盛りにやるのは問題だともなる
そして高校野球は本来の趣旨とは違ったものになっている
もはや大阪桐蔭のような一種の高校野球のプロ集団に勝つことができないからである
つまり始める前から勝敗は決まっているともなる
そうなると見る方でもつまらないとなる
でも東北学院が  に勝ったのは注目して期待したがコロナウィルスの陽性者が一人出て辞退したのである

五輪もそうだったがなぜ高校野球でもその是非すら問われるようになったのか?
オリッピックでもそれが一部の特権者の金儲けのためだと判明してIOCの会長がぼったくり会長として批判された、コロナウィルスの最中にオリッピックを強行することはありえないということもあった、でも菅首相はオリッピックで劣勢を挽回しようとした
でもそれもコロナウィルスの感染者が増加して裏目に出た
政治でも自然災害でも天候でもいろいろなことが影響してくる
特に今は本当にあらゆることでそんなことをする意味があるのか?
莫大な金をかけてする意味があるのかとかが問われる

何か宗教とか哲学の時代なのである、ただ盲目的に信じるカルト宗教団体すらなぜ存在しているのか問われる、それは本来の宗教ではないかとなる
それは創価の様な大きな団体だけではないのである
檀家でも跡継ぎがいないから墓じまいしたいからと言ったら200万の金を払いと要求されたとか訴える、寺は檀家は維持できなくなっているともなる
それは地域社会で農民社会でコミニュティがありその要にあり機能していた
でもそういう農民社会でもつながりが希薄化すると寺の存在理由が問われる
それは他の宗教団体でもその存在理由が問われているのである
なんのためにあるのか?となるからだ、ただ墓の管理のためにあるとなると別に市営の墓地でもいいとかなる、それはその存在理由がわからなくなったからである

他に銀行とか地銀でもそうである、投資信託とか詐欺まがいのものを売りつける
それはゆうちょでもしていて批判があった、これも高度成長時代が終わり利子がつかないことで金をあづけていて何になるのだとなっているからだ
貸金庫なのかとなる、それなら誰でもできるとなる、銀行はもともと起業して成功した人が資金を貯えてまたあらたな事業をするために生まれた
だから起業する会社をはじめる能力が必要にもなっていたのである
ただ金をあつめて借りに来る人を待っているだけの商売はできなくなったのである
そうなるとなぜ地銀でも銀行でもゆうちょでも存在するのかと問われることになった
これは社会全般に起きていることである、教育でもIT化や人工知能化で教師の役割も変わる、すると教育はなんのためにあるのかともなる

奇妙なことは引きこもりとかニートとかが増えたけどそれは機械化してAI化するなど
人間の仕事が減る、すると当然そういう仕事しない人も職を持てない人も増えて来る
それでそういう人のためにベーシックインカムが必要だとなる
つまり働かなくても最低限の収入を与えるという制度である
これもまるでユートピアにもなる、なぜなら働かないで暮らせるとなれば遊んで暮らせるとなればそうなる

でもここでもやはり意味が問われる

あなたはなんのために存在するのか?

あなたは何か価値ある存在なのか?

このことがかえって強く問われるのである
例えばこの辺で原発事故が起り漁業者は魚がとれなくなった、でも漁業組合は漁業権をもっていてそれを東電に売り渡したとかで強い権利があって事故前も手厚い補償金をもらって生活に困ることがなかったのである
でも事故後はそのことが問われた、なんでそんなにもらう権利があるのかと周りの人からも言われるようになったのである
そして仕事をしない漁師は何で俺はここにいるのか?
自ら自問したのである、それは別にその漁師が哲学などわからない、でもそう問うようになった、だからこうなるのは一部のインテリだけではないのである
あらゆるところで起きている現象なのである

マスコミだって今までは放送を独占して世論を作っていた、その権力も巨大なものだったのである、なぜなら六局しか放送する権利がなかったからである
それでマスコミに取り上げられて顔が写るだけでも有名人になり選挙でも有利になる
でもyoutubeのように個々人が放送局にもなれる、そうなると芸能人でも自らyoutubeで
芸を披露するともなる、youtubeですでに極わずかでもマスコミに出れず有名人となり
億の金を稼いだ人がいる、それはマスコミで有名になった人と似ているのである
そうなるとまたマスコミに何か存在意義かあるのかと問われる
マスコミとは何であったのかと問われる、今までは独占状態だったからそんなこと問われないのである

これはあらゆる方面で起きているのである

何の意味と意義とか価値があって存在しているのか?

あなたは何のために働き何のために存在しているのか?

それはあらゆる方面で起きているから一部ではないから現代の潮流であり大きく時代が変わる変わり目に起きている現象なのである
これは別にむずかしい専門的な哲学を学ぶことではない、それぞれの職場で日常の中で一般人でも問われているのである
また易姓革命があったように自然災害とか天候でもその変化をうながしているのというのが不思議なのである
とにかく高校野球はコロナウィルスに天候にたたられてさんざんだった
ただこれも高校野球も変わらざるを得ないものとして自覚させられたということである

オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 
(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

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2021年08月18日

日本製紙の釧路工場が廃業へ (日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


日本製紙の釧路工場が廃業へ

(日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


「日本製紙」釧路工場は大正9年に操業を開始し、およそ100年にわたって新聞用紙などの生産を続けてきました。
しかし、デジタル化の進展や新型コロナウイルスの影響などで紙の需要が落ち込み、去年11月、紙・パルプ事業から撤退する方針を決めました。
そして、16日午前、紙を作る「抄紙機」2台を止めて、生産を終えました。

釧路は釧路湿原である、でも日本製紙の工場がある、大正9年だから早い
北海道に十回くらい行っていたから思い入れがある
ただ釧路湿原を見に行くのであり釧路市には注目していなかった
でもここが意外と今の日本を象徴していた
紙の需要が減ったのは電子化したためである、これが相当にひびいているのも現代を象徴している、新聞紙の需要があっても新聞自体が消滅してゆく状態になる
本でもそうである、雑誌でも電子化して読んでいるから紙を使わない、また紙の材料の木材も外材にしていた、値段が安いから外材にしていた
すると北海道にある木材も利用されず地元にとっては経済の活性化にはならない
農業がいいとみるが釧路は農業に向いていないというのも意外である
いい土ではないとある

酪農家数は釧路町を除く4市町村で50%以上の割合を占めており、これは北海道の平均(16%)と比較すると突出しています。

畑作より酪農中心である、北海道というとき一面のジャガイモ畑の風景である
十勝平野とかでも一面のジャガイモ畑を見た、その広い畑があり小さな社があったが何か本州の風景とは違いそぐわないと思った
北海道には開拓で移住した人が神社をもたらしたが何かその風土に似合わないのである
釧路地方はやはり寒いということもあり畑作に向いていない
酪農でも牛乳余りで捨てていたとか見た、なかなか農業でも厳しいから北海道の人口は4割くらい札幌に集まる

1995年、569万2321人)に比べ約30万人減り、旭川市に匹敵する人口規模が消えた。道内179市町村の9割超の171市町村で減少。一方で札幌市は2.1%増の195万3784人と、一極集中が一段と進んでいる

これは人口としては偏っている、札幌市では農業をしていない、広大な地域があっても札幌市ではしていない、すると農業にたづさわる人は意外と少ない
何か地方だと田舎だと田んぼとか畑とか広がる、北海道だと牧場があり牛がいるから農業に従事して農業で成立っているように見える
でも現実はこの辺でも農業にたずさわる人は一割りくらいなのである
前は農業にたずさわる人は六割とかありそれが田舎だったのである

中国から船で帰るときモンゴルで羊飼いを習い北海道で羊を飼うという人に出会った
その人は農学部とか出た人である、何でも冬になると体が一回り小さくなると言っていたモンゴルは冬が厳しいのである、ただモンゴルと北海道の風土は似ているともなる
草原ではないにしろ広さでは似ている

とにかく釧路でも他の都市でもシャッター通りとかで釧路は特にさびれいてるというときやはり北の果てだからそうなる、観光だけでは経済的に苦しい、でもニセコのスキー場が外国資本に買われて外国人の別荘ができたりしてそこが外国の特区みたくなった
そして中国とかが北海道の土地を買っているというとき危機感を訴えるのもわかる
広大な土地が利用されずそのままにしては金にもならない、そこでやはりソーラーパネルが多いというのもわかる、土地が広いから向いている、山だと自然災害の危険があり問題があるからだ

北海道もやはり今の日本を象徴している場になっている、鉄道も私が行ったとき20年前以上で半分の線がなくなっているからだ、一両の電車もある、それで高倉健のぽっぽ屋という鉄道に生涯を過ごした鉄道員の映画が話題になった
鉄道はそもそも北海道でも石炭を運ぶために作られていたのが多い、常磐線でも常磐炭田の石炭を東京に運ぶために最初はあったとなる、乗客ではないのである

大正生まれの母が言うには松川浦の親戚に汽車に乗ったがそれはめずらしいことであった汽車賃が高かったからあまり地元でも利用しなかったのである
子供の思い出として長い貨物列車が行くの見ていたから鉄道は物を運ぶものとしてもともとあった、それで日本のいたる所に森林鉄道がある、その時外国から物は入ってこないから石材でも木材でも日本国内を利用したからそうなっていた
浪江の高瀬川から葛尾村の落合までも森林鉄道があったようだ
そこで山をくりぬいて森林鉄道の線路をひいた跡がありそれほど森林鉄道は全国にあった
北海道の現状は日本を象徴していた、日本製紙が廃業になるもの電子化の影響であり
また大きな問題が広大な無用化した土地が外資に特に中国に買われていることは重大な問題である、日本の防衛として重大なのである

日本が経済的に衰退するときそれに乗じて中国が静かな侵略を開始している
ロシアでも北方四島は返さない、そこをアメリカの基地にされると困るからである
でもアメリカ自体がアフガニスタンから撤退したようにいづれ日本から撤退することが予想される、そういうことを示したものでもあったのだ,アメリカに守られる時代は終わり
日本は日本で守らざるを得なくなることをそこで現実として見たのである

こうして北海道は日本の今を象徴した場所でもあった、福島も原発事故で日本の技術力がいかに信頼できない者かを示した、日本がいろいろな方面で衰退してゆくのである
コロナウィルスの対応でもそうである、政府は指導力を発揮できない、日本の劣化は相当に大きいものとなっている、それは一部ではなく全体的なものとして現れているのである政治であれ科学技術であれ教育であれ経済であれあらゆる所で衰退して劣化している
そういうとき中国が静かな侵略をすすめる、そしていつのまにか中国の配下にされていたともなる、アフガニスタンでわかったことはアメリカの衰退でありアメリカが意外と頼りにならなくなっいることなのである

製紙工場というと南相馬市の原町の丸三製紙は有名である、この辺では大きな工場となっている、私の叔父も課長として勤めていたとかあり道の駅の公園で休むと煙が出てくるのですぐわかる、街中にあるのでそうなる、鉄道の駅のすぐそばにある
不思議なのは戦前の原町紡績(はらぼう)から駅から引き込み線があり生糸を横浜の方に出していたのである、鉄道は物を運ぶものとしてあった
原ノ町駅は今のいわき市の平と同じように機関区になっていて大きい駅だったのである
だからここから相当な物が東京に運ばれていたのである
そして無線塔が見えてそれが原町の象徴だったのである

このたび竣工したライナ用8号新抄紙機は、環境面からニーズの高まる段ボール原紙の薄物化に対応するとともに、さらなる品質向上と、徹底した省エネ・省資源化が図られています。
今般新設備の竣工により、当社グループの東日本地域における段ボール原紙供給体制がさらに充実し、製紙・段ボールの一貫生産体制が強化されることとなります。
丸三製紙(株)は、当設備更新により今後とも立地する福島県南相馬市経済の一翼を担い、継続的な産業振興と雇用の場の安定確保を通じ、地域の復興、再生にも大きく貢献してまいります。

今はダンボールが紙より主な生産物となっている、やはり紙の需要が減ったからである
だから将来的に丸三製紙でも危ないかもしれない、そうなるとここも経済的に相当落ち込むとはなる、この辺は原発事故で落ち込んだからこれ以上落ち込むと悲惨になる
いづれにしろ北海道は自分にとって親しい場所であり興味がある
北海道はやはり東北とつづきの地としてある、ただ北海道は日本では大陸的でありそれが魅力なのである、外国人が北海道にひかれるのもわかる
ただもうすでに二十年以上を行っていないのである

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コロナウィルスの基本的対策が間違っていた (人流をとめることをまずするべきだった)


コロナウィルスの基本的対策が間違っていた

(人流をとめることをまずするべきだった)

現代社会で一番むずかしいのは人の行き来を人流をとめることである
そしてウィルスから守るのには人流を抑えるしかない、確かにワクチンも必要である
でも感染症の基本的対策は人流をとめることなのである
県境を越えて出るなとかなるべく人と交わるなとかになる
でも現代社会はそれが一番苦手なのである
江戸時代だったら関所がありなかなか藩の外に出れないのである
それで関所も有効なものがあったと認識したのも不思議である
国境もまた必要なものだと認識した
そこで水際作戦を行えるからである、だから相馬藩の玉野村には若木神社とかあり感染症を防ぐ神を祭っていたのである

何か政府のコロナウィルスの対策自体これに反したものだったのである
GO TO トラベルとかかえって旅行することを奨めた、それもまたコロナウィルスより生活がかかっているからそっちが大事となりそうなった
それもわかるしそれをネットで大学教授とか科学者がコロナウィルスはインフレインザインザより怖くないということも言うしそれも説得力があったからそうなのかとも考える
正直自分にはわからない、専門家自体もまだコロナウィルスについてはわからない

でも確かなことは最初から感染症に対処する基本的なものが欠けていた
それは最初からそうでありその後もずっと同じなのである
GO TO トラベルとかでもありえないことである、またオリッピックで世界中から人が来るのにそれも止められない、今度高校野球で感染者がでてせっかく東北学院が出たのに
出場辞退でがっかりした、なぜならやはり高校野球はいつも常連しかでないから新鮮だったからである、高校野球はもううプロ化していているからもう本来の素人の野球でもないとも見る、だからもう今までのように持続じてきない時期に来ているというのもわかる

とにかくこうして感染症の基本的対策を実行していない、五輪とか高校野球はとめることができたが政府でもしない、結果的にデルタ株なのかどうか外国から入ってきて広がる
怖いのはメキシコなど南アメリカで流行している変異株がもたらされることだとしているそれで死んでいる人が多いからである
でも五輪は強行したし高校野球も強行した、そして雨とコロナウィルスでさんざんなものになった、とても楽しめないともなった

要するに感染症の対策はそもそも過去でも歴史をみればわかっている、人から人へうつるのだから人流を減らすことなのである、それを人流を増加させる方の対策をしたというのが現代社会のやむにやまれぬ事情があったとなる
ヒトでもモノでも自由に流通することは全面的にいいことだとされ世界的にヒト、モノが流通するグロ−バル化が促進された
しかしコロナウィルスではそれが負の面として意識されたのである
ただ一旦ヒトでもモノでも自由に地域を越えて流通する世界になったときそれを止めることができなくなったのである
それを止めると生活ができなくなるとかなっていた

でもオリッピックなどでも高校野球でもしょせんそれが中止されても飢え死にすることはない、遊びにすぎないのではないかともなる
だから中止してもいいともみる
緊急事態なのだからしょうがないともなる
しかしそれふらできなかったのである、変異株が入るとかわかっていたのにく中止しなかったのである、それは今の政権の責任だったとなる

ただ正直江戸時代のような隣村さえ交わらない異国のようになっていた時代とはあまりにも違っている、それが常態化した社会で人流をとめることはほとんど不可能になっていた江戸時代なら貧乏でもその土地でとれるもので基本的に生活していた
燃料でも食料でもそうである、すると外と交わらなくても一応貧乏でも生活はできたとなる、現代ではそれができなくなった
つまり長所と見えるものが短所ともなるのが人間社会なのである
江戸時代にもどることはできないにしろグロ−バル化世界というのは異常に過度になっていた、そこで失われたものもあり大きいものがあった
ただそれに気づかされることがなかった、コロナウィルスで気づかされたとういことである

グロ−バル化というときなぜ近代では世界大戦で何千万も死んだのかという問題もある
まずこんなに戦争で死んだことは経験していない、世界的に人が交わることはいいこととして全面的に肯定されていたからである
もっと世界を見ろと世界に出ろというのが共通の合言葉だったのである
それは一面ではそうでありそれも必要だった、でもその負の面がコロナウィルスで露わにされたのである
G TO トラベルにしても五輪の開催にしても高校野球にしてもこんなき感染を広めるようなことをすることはありえないともなるからだ
ただそういう社会だからありえたとなる
観光に打撃でありどうにかしてくれとなり政府でも動かざるを得ない事情があった
ただ感染症に対処する基本ができなかったことである

県境をまたいで往き来するなとかなるべく人と接するなとかなると現代社会では一番むずかしいことである、それは江戸時代にももどることである
その江戸時代ですらコレラとかの流行をおさえられなかった、長崎から北前船とかで新潟に入り阿賀野川から会津若松に広まったからである
結局安全だったのは桧枝岐とか交流のない秘境だけだったとなる
最近福島県より宮城県の感染者がまた増えたのはやはり仙台市となると東京からでも人が来る
するとどうしても仙台市から広がる、青森とかで広まったのも仙台市の人が移動して広まったのである
だから今になると仙台市に行くのは危険だとなり行っていないのである

また個人的には引きこもりが安全だともなるのは皮肉である
遠くに行かず外に出るのもはばかり家に籠っていることは感染症にはいいからである
だから現代では禅宗のような寺に籠もり座禅を組んで黙想するとかして人と交わらない
世界に変わるのかともなる、そもそも東京とかは異常な超過密な世界である
とても人流をとめられない、三密をとめられないのである
だから都市的超過密の社会を変えねばならない、その契機にコロナウィルスがなるかのかもしれない、するといい方面にコロナウィルスでも作用したとなる
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2021年08月14日

福島県でなぜいわき市で特別増えたのか? (東京からの人流が原因か?)


福島県でなぜいわき市で特別増えたのか?

(東京からの人流が原因か?)

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南相馬市でも少ないが二人だとしても増えている

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宮城県はやはり仙台市で増えてから全体的に増える
あとは大都市の周辺が増えるのは人流のためである
宮城県が増えるのは仙台市があるからだとなる


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  大都市周辺が多いのがわかる



特急 2時間33分 6,170円
普通電車 4時間5分 3,670円
高速バス 3時間3分 3,450円
車 2時間43分 8,770円

いわき市となると東京圏に近くなる、スーパーヒタチだと2時間30分だとなる
普通電車だと4時間である、高速バスは3時間である
車で高速で2時間40分となる、高速料金は特急より高いのに驚いた
車をもっていないから感覚的にわからないからだ

金の節約のために上野からいわきま市まで乗ったことがある、長椅子でありこれは遠く感じた、でも通勤電車が上野からいわき市まで出でいるのは意外だった
途中で終わるものがあるがいわき市が終点になっているのだ
だから相当に長い区間なのである、ただこれは上野からいわき市までで使う人はいないだろう、でも使うことはできるのである
だから意外といわき市と上野は近く結ばれているとなる
でもいわき市から相馬とか仙台市へ行くとなるとやはり遠く感じるのである

なぜこんなことに注目したかというと自分はとにかく電車の旅が長く交通に興味がある
電車だとと全国でまあ80パーセントくらい乗った感じになるからだ
それで鉄道好きなのである、ただ車がないからここで交通を知るには相当に欠けたものになる
そもそもなぜいわき市が増えたのか?その理由は何なのだとなる
郡山市はわかる、ここは新幹線も通っているし会津へ向かう磐越西線もあるからだ
ここは前から多かった、福島市も多かった、そして郡山市と福島市にはさまれた本宮市も増えた、やはり交通と関係して人流が増えるから増えるとなる

意外と南相馬市も最初の内、すぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染して増えて警戒したがその後南相馬市でもそれほど増えていない
相双地域だと津浪とか原発事故の関係で一時東京などから工事関係で人流があった
その後も除染関係で東京からの人流が増えた、でもそれも一応収まった
ただ原発事故関係の仕事で東京から来る人はある
でもプレハブの工事関係者の宿舎はあちこち建てられたが減っている
だから東京から来てそれで感染しているとも言えない、どちからかというと相馬地域は仙台市との交流が多く人流がある、工事関係者でも他でも仙台や宮城ナンバーが六号線を見ていると多いからである
それで仙台市から増えてこっちも増えるのかと危惧した
でも亘理とか名取とか山下が仙台の通勤圏でも増えていないのである
その理由は良くわからない、相馬市もそれほど増えていないのである

コロナウィルスは人流と深く関係しているという時、いわき市が増えるということは不思議ではない、ただ施設でクラスターが発生して増えた、それは東京とは関係あるともみえない、第一東京から来た人から感染したのかそれを知ることはむずかしい
ただいわき市には上野から通勤列車の終点になっていることは東京圏に近いとなる
それで茨城県も増えたのである、とにかく東京圏の増え方は尋常でなくなったからであるあれだけ増えるとどうしてもその周りでも福島県でも増えてゆく
現代は交通が発達しているから人流をおさえられないのである
だからつくづく都会の密集した生活とか交通の発達とか文明的生活が感染症には弱かったのである
第一江戸時代のコレラでも北前船で新潟に来て阿賀野川が交通となり城のある会津若松中心に広まったからだ、江戸時代のような交通が不便な時でもウィルスは広がるのである

そうなると今はその何百倍なのか何千倍なのか何万倍なのか人流がある
そしたら防ぎようがないとなる、もしその交通を人流をとめると経済も成り立たなくなるそれでかえって自殺したりするとかその方が増えるともなって困るとなる
ただ感染症を防ぐには人から人へうつるのは変わりないのだから人流をおさえるほかないとなる

江戸時代辺りだと隣の村でも交流をあまりしない、隣村から麦つきに来た若い男が蛇だったかと伝説にあり見知らぬ人が交わらない社会だった
そうして隣村すら異国になっていたのである、そこで飯館村の大倉村と佐須村が明治になって合併しようとしたとき民情が違うからできなかった
民情とは何かということもわかりにくいが何か村々で打ち解け逢えないものがあったのである

それができたのは自給自足が基本の生活としてあったからである
これも今と比べると想像できないのである、なぜなら今ならグロ−バル化であらゆるもの食糧でも入ってくるからである、どうして自給自足できたのか不思議だとなるからだ
そういう生活は感染症には強いはずである、それでもコレラが長崎から入り全国に広まったのである

とにかく世界でも中国でもまた増える傾向があるとかなかなかおさえられない
変異株の問題もあるが今回はなかなかおさえこめない、そして人流を抑えられない
すると東京のような異常密集で生活すること自体が問題になる
また交通の発達がいいと見ていてもそれもマイナスに働いたのである
こうして何か人間社会というのはいいと思えるものが悪いものとなる
また逆に悪いと思ったものがいいともなるのである
日本の鎖国が悪いようでも実際はその時朝鮮使節とかきて朝鮮と友好的だったのである
もちろん中国とは関係しないから今のように侵略されるとかの脅威も感じなかったのである、第一世界大戦でも第二次世界大戦でもグロ−バル化した結果として起きたのである

だから老子の小国寡民の思想とか文明否定の思想もいいともなる
それはグロ−バル化世界の反対の思想である
おそらく現代は交通でも流通でも人流でも限界に来ていたともなる
そういう時にコロナウィルスが蔓延して社会を見直す契機になったとはなる
狭い範囲で自給自足が日本の自然的な生活であり世界の果てからでも食糧でも物でも運ぶことは異常だったともなる、その運ぶ労力も大きな負担となるからである
貿易でも江戸時代だったら長崎の出島に限定されていた、それでもウィルスはそこからでも入ってきていたのである
感染症は防げないやっかいなものだったとなる
人間社会の長所と思えるものが短所となる、短所と思えるものがかえって有利になったりする、それは人間自身でもそうである、長所も短所になり短所も長所になる
ということで東京のような超過密の社会は異常でありこれを見直さないと感染症は防げないとなる

皮肉なことは感染症に強いのは隔絶した交通も不便な場所である、江戸時代なら桧枝岐のような秘境である
人流がほとんどないからである、そこではソバとか主食であり本当に自給自足だったからである
第一物も運べないからである、そしたら人流もないのである
江戸時代ではそうだったが今ならそうした秘境にも物流があり車も通うから防げないのである
あとは奇妙なのは引きこもりになると感染症には強い、人と接しなのだから強い
自分でも家にこもり一人としか接していない、だから引きこもりの悪い点ばかり言われるが実は引きこもりにも効用がある
この世で何がいいとか悪いとかならないのも不思議である、悪いとみられるものでも良く作用する場合があるからだ


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カルマは苦しみとなって自覚する (コロナウィルスも同じである)


カルマは苦しみとなって自覚する

(コロナウィルスも同じである)

カルマは個々人でもあり家族にあり地域にあり国家にもある
でも何もないと意識しないのである、感染症とかは常に周期的に人類で起きてきた
でも現実に経験しないとその苦しみも解からない、自覚しないのである
人間はつくづくそうして過去のことを忘れている
でも過去にあったことでもそれが今苦しみとなって現れた時自覚するのである
過去の苦しみを自覚する自覚させられるのである、それがカルマなのである
第一苦しみがなければそんなことがあったのとかで終わる
それで歴史の勉強でも真剣にならないのである、自分のことではない、遠い過去のことであり過ぎ去ったことであり関係ないとなってしまうのである

ただ忘れた頃に災害がやってくるというときそれはカルマを否が応でも自覚させられることなのである
そのことは津波でもそうだった、津波などこの辺では400年も来なかったから津波は来ないという確信までなっていた、それで逃げないで死んだ人がいる、それは老人に多かった、老人でもせいぜい百年生きてもそれだけの期間しかしらない、400年前に津波があったことなどこの辺で知っている人は一人もいなかったのである
学者すら知らなかった、津波が来て文献を調べて相馬藩政期を調べてたった二行生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた記事を発見したのである
その二行の記録に注目する人は一人もいなかったのである

ではなぜそうなったかというとその時相馬藩政記とかで記録するのは当時の支配者の相馬氏である、その時まだ相馬地域を支配するために争っていた
だからその争いのことを事こまかに書いている、津波の被害よりその権力闘争の方が大事だったのである、他でも津浪があってかえって敵対する勢力の力がそがれて有利になったとかもある
何かそういうことは現代にも通用している、時の政権にとって権力を得るための戦いこそ大事なのである、だから今でもコロナウィルスでも民衆のことを思うより政権維持とか権力維持のために力を尽くし民衆の苦しみのことはなおざりにされる
ただその当時は民主主義の時代ではない、強い者が支配する時代であり民衆より権力闘争の方が優先される、ただこれも現代でも同じものがある
民衆のことはさておき権力闘争に勝って政権を維持して支配者となることが優先される

なぜこのことを言うかというともしその時津波の被害のことが相馬藩政記に詳しく記録していたらみんなが注目して備えることがあったからである
でも津波のことは二行しか記されていず学者すらわからなかったのである
そのことが後々の大問題となる、津波の大被害にもなったとなる
そしてその時この地域で津波で苦しんだ人がいたということを思うようになる
つまりカルマは苦しみとなって現れた時に自覚させられるのである

カルマが怖いのは必ずいつかそのカルマがきて苦しみとなって現れることである
それは400年後かもしれない、例えば戦争で日本人が三百万人も死んだ
でもそれだっけ過去のこととなり忘れられる、でももし戦争になったらそこで苦しみ死んだりするとその戦争の悲惨さを自覚するのである
いくら悲惨なことでも自分自身が経験しないかぎり苦しまない限り実感できないからである
だから例えば日本に原爆を落としたアメリカでもそうである、原爆を落とされた方の苦しみをアメリカでは自覚できない、でもアメリカ本土に原爆を落とされたら必ずその恐ろしさを自覚させられる、それはいつかカルマとなってアメリカ人が塗炭の苦しみを味わうともなる、その時自ら原爆を落としたことの罪深さを自覚させられるのである
そういうカルマは必ずいつかめぐってくるから怖いのである

コロナウィルスでも感染症でも歴史をみれば繰り返し起きてきてそれはいくらでも様々なに記されている、でも忘れていたとなる
そして実際に苦しみとなって現れる時、その過去にあったことを自覚する自覚させられるのである
そもそも人間の罪深さなど自覚できない、ただ苦しみとなって自覚させられる

なぜ自分はこんな苦しみにあうのだろう?

そういう深刻な疑問につきあたりそれがカルマだったということを自覚する
それは個々人でもそうなのである、因果応報というのが必ずあるからだ
それから人間は逃れられないのである
感染症でも定期的に人類を襲うカルマである、どうしても自然災害であり感染症でも他の戦争ですらカルマとなって繰り返すのが宿命としてある
そき宿命は苦しみとなって現れてはじめて自覚させられるのである
人間は何か過去にあった苦しみなど今が恵まれていれば自覚しない、飢饉があったとしてもそれも自ら苦しまないと実感できないのである

でもそういうこともカルマとなって苦しみとなって現れた時自覚するのである
後残されたカルマは飢饉と戦争だとなる、それがカルマとなって近々現れるかもしれないそういう時が来ているともなる
最終戦争ハルマゲドンでも起きて来る、そして人類は絶滅する
でも神に選ばれたものは絶滅することはない、神が救い上げて救出してまた新たな神の意にかなった国を創る
要するに一旦人類は絶滅しないかぎり新たな神の国は実現しない
その積もり積もった罪(カルマ)を払拭しないかぎり新たな神の国は作れないからであるそれだけ人間のカルマ(罪)は重いからそうなる

アダムの犯したカルマ(罪)で楽園から追放された原罪は延々と人類にのしかかっているプロメテウスがゼウスから火を盗んで罰せられた罪は過酷でありそのことが原爆で現れ
原発事故でこの辺では住めなくなった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかなる空恐ろしいものとなった、それはカルマとなってまた苦しみとなって現れたのである
技術がすべていいものとはならない、それもまた技術は技(わざ)はわざわいをうむのである、だからそれはすでに予定されていたことでありそれが苦しみとなって現実化したとなる
科学技術だとバラ色の未来を見るがそこにも決してバラ色ではない闇黒が待っているのだつまり人間の成すことに必ず暗黒面がつきまとっているからである
神に逆らうものがありそれがカルマとなり苦しみとなって現れるのである

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2021年08月11日

公明党議員に検察の捜査が入る (米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)


公明党議員に検察の捜査が入る

(米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)

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真相はこうだ!桜便り】公明党議員家宅捜索と小泉元首相の闇[8/11]
https://www.youtube.com/watch?v=_SmEuzfT38Q&t=22s

なぜ自公政権なのに例え公明党が方にふれても権力があるのだから隠せる
そういう権力をもっている、ではなぜ公明党がたたかれているのか?
その裏はアメリカの圧力でありデーブステートの圧力のためだという
官僚を検察を動かせるのが官僚であり検察でも動かせる、アメリカに従わせる

ロッキード事件は、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による主に同社の旅客機の受注をめぐって、1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件である。

または中国と急接近していた田中元首相を快く思っていなかったアメリカ政府が田中元首相を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だが、田中元首相による中国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中元首相の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B
%E4%BB%B6

この詳しい事情はわからなにしろ中国と国交回復することにアメリカは反対でありそれを阻止するものとしてロッキードを利用したという見方もある
要するに首相とか時の権力者になると検察でも簡単に逮捕などできないからである

ただ前から言っているように創価公明の問題は宗教団体などではない、権力奪取が本来の組織の目的である、教理的に日蓮宗は王仏冥合だから矛盾しないのである
つまり王は権力であり仏は宗教になる、それは中世のものであり現代に適合させるのが無理なのである
それより大衆を導き洗脳させるために宗教を利用しているにすぎない
だから権力を得るためなら御利益になる金になるなら何でもする、そのために毎日題目を唱えているのである、それを矛盾と思わないのはそれこそカルトだからである
大衆にむずかしいことを言っても無駄である

拝めば何でも手に入れられとか金になるとかあらゆる現世の欲がかなえられるとしているそれに敵対するものは今度は罰あたるとか地獄に落ちるとかおどしている
この脅しも大衆にきくから退会するのおさえられるのである
こういうことは免罪符を売っていたカトリックと変わりなくそれでルターの宗教改革が起きたのである
では創価にそうした改革が起きるのかとなるとない、なぜならそこに入った動機はみんな御利益を得たいためでありそれに疑問感じる人は一人もいないからである
第一法華経などを実行できるのかとなると一人できない、完全な無所有とか無欲にならないと実行できないからである、信仰心などなにもないのである
大衆は御利益を与える、そして宗教は脅してとして利用するだけである

また政治家というと必ず利権とからんでくる、それがソーラーパネルの会社であった
そのソーラーパネルとなると中国が背後でからんでいたのかとなる
そしてキャバクラで国民が自粛しているとき遊んでいたというのもあきれたとなる
おそらく創価にはそういう場所で働く人がいてそのためにそうなったのかもしれない
御利益を配分するのが政治だからそれが信仰の目的だから別に何か悪いこととも感じないのである
創価とかを信仰する人とかみるのは間違いである、かえって一般の人より欲望が深い人が多くその欲望を実現するために入っている人が多いのである
人がいいというとき利用されているだけだとなる
ただ底辺層なるとすがる所がないから創価であれ共産党に頼る

そして創価と共産党は支持者がそうした底辺層になり票の取り合いになるから争うのである、だから一見対立しているようで似ているのである
共産主義なども中国でもみればわかる、平等などない、共産主義の名のもとに一部の特権者が権力を得て民衆を支配しているだけだとなる
そこに宗教とかイデオロギーを看板するからわかりにくくなるのが人間社会なのである
それは偽装なのである、第一宗教というのは創始者を見ればわかる、キリストであれシャカであれ無一物であり寝る所さえなかった、つまり何の権力をもっていなかった
そんな人を模範にしていても人間は結局できないのである
だから言っていることと矛盾してくるのである

ただ公明党議員が自民党と一体となったのはこれも常に御利益から判断するからである
得な方に御利益がある方につくだけが目的だからそうなる
でもその親分の自民党が権力をもっているのに検察に逮捕されたのかというのが疑問なのである、そこに不正があったとしても政権をもっている自公に検察が踏み込むことができるのか?
それでその検察を動かしているのが中国派の二階堂とか公明を牽制する
そこにデーブステートがかかわっているのもわかりやすい構図なのである
なにしろ日本は依然として戦争に負けてから実質はアメリカの統治下にある
アメリカが日本の本当の政府だともなる、それを証明しているのがなぜ日本にアメリカの基地があるのか、そのことが日本は戦争に負けて以来アメリカに従属していることなのである、たから日本の本当の独立はアメリカの基地がなくなるときにそうなる
てもそうなると今度は日本一国で中国に対抗するようになり今度は中国の支配下に入る
ようになる

この公明党議員などの検察の関与は背後にアメリカの圧力が命令がありそうなったというのもわかる、米中対立激化の影響もある
創価公明はとにかく中国様様だからである、それをアメリカは苦々しく思い日本の検察に命じて公明議員のガサ入れになったともなる
つまり米中対立の激化によって日本は政権でも中国派とアメリカ派に分断されるのであるそれは田中首相逮捕の時もそうでありその繰り返しなのである
日本の中でアメリカと中国の綱引きが行われてそれが激しくなる
その一つの現れとして公明議員の検察のガサ入れがあったとなる
ただもともと創価公明はそうして権力争奪を目的にしているのだから権力とじかに対立すようになる宿命にある、だから中国の日本の一部隊のようになっているから今度はアメリカの権力によってつぶされるともなる
それは宗教とかとは関係ない、中国の一部隊となり日本の権力をのっとりその下で御利益を得るということしかない、常に頭は御利益で動く、日本をどうするとかなにもない
日本自体を中国に簡単に売りわたす、そして御利益を権力を得ればいいとしかないからである

とにかく日本は米中対立で分断される、どららにつくのかと迫られる、二階派とか創価公明は完全に中国の一部隊と化している、だからこそアメリカは検察を動かして牽制したのである、背後にアメリカがあり中国があると見ないとその真実はわからないとなる
デーブステートとなるとわかりにくくなるが明らかに米中対立が激化すると日本は分断される、要するに日本はアメリカに負けて以来独立国ではない、日本にアメリカの基地があることがそれを示している、また原発にしても事故の時いち早く知らせたのは日本政府ではなかった、放射線量を計るスピーディを知らせたのはアメリカだったのである
日本では事故に対応することもできない、準備もしていない、アメリカ頼りだったのである、つまり日本が危険なのはアメリカ頼みであり原発でもアメリカのお古のマーク1の原子炉を買わされたり福島県議員の渡部恒三がGEの手下となり利益を得ていた
その息子はGEに就職していたからである,アメリカと結びついていた売国者だったともなる

日本はこうしてアメリカの支配下にあり独立国でないから原発事故になったとかその処置もできなかったとなる
原発でも自国の安全は自国で守らなければできない、他人頼みではできない
日本は戦争に負けてから独立国ではない、そこからやはり大きな問題が起きてくるのである
結局この世界にどこの国であれ仏国土とか神の国など実現しない
むしろこの世は欲で滅びるというのが現実なのである
そしてこの世とは火宅の世であり災いの世界でいつか神により滅ぼされるのが現実なのである、だから聖書はこの世からの脱出がテーマとなっているのである
出エジプトでもそうだしソドムゴモラが神によって滅ぼされたとき神の命でロトか危機一髪脱出したようにである
それはなぜこんなに災いがつづくのか?津波の大災害から原発事故から今度はコロナウィルスとかこれはこの世の終わりではないかともみる
災難が限りなく起きて来る、文明が発達したからといって災難から逃れることはできない今回のコロナウィルスでも予想もしない災難が起きて来る
その災難を人間の力ではなくすこともできないのである
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2021年08月09日

日本人の満州進出は米を作るため (アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)


日本人の満州進出は米を作るため

(アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)

戦争についてはいろいろな見方がある、満州が問題になる、太平洋戦争の発火点になったそれはその当時農民が多かったからである、日本は農民社会であり農民が一番求めるのは土地なのである、日本にはもう開墾する広大な土地がない、となると大陸の広大な土地は魅力でありそこで農業したいとなった
土地を与えられることで満州に移住したとなる、今なら第一土地を無料でやるからと言っても誰もそこで農業したいと思わないだろう
その時は農民が8割とかであり農業中心の社会だった、
養蚕も農業の拡大化したものでありそれが生糸となり絹織物となり輸出品になった
それも基本的には農家で養蚕をしていたのである、今でも二階が兜作りで養蚕していた家が本当に多いのである、農家だったら軒ごめしていたとなる
その時地方では養蚕が産業となり土地に根付いた暮らしをしていたのである
それで川俣町に蒸気機関車が通るということで農民が煙で桑の葉が汚れて蚕の餌にならなくなるとして反対したのである

その当時の価値観が農民だと土地が一番価値あるものだった、土地無くして養蚕だって桑を作りその葉を蚕に食べさせるから土地が必要なのである
そして景気が悪るく失業者であふれていた、特に東北はひどかった、それが満州で一山あてるとか渡った
それでどうして相馬藩で飢饉で三分の一が欠落して荒地になったとき越中とかから移民が法を破ってまで命がけで相馬藩に移住したのか?
それはやはり欠落した土地があり三分の一がいなくなったからその土地が与えられるということで移住したのである
それでもやはり農業することは相当に厳しかった、加賀泣きというとき加賀から移住してきた人たちが泣いていてそれが伝えられた
戦後だって日本が焼野原になり働く場所がないから開墾に戦地の引揚者は開墾に入ったのである、それは全国いたるところにある、辺鄙な所にあるから古い場所と勘違いするがその人達は戦後に住みついたのである

満州は土地は広大でも寒い地域である、北海道より寒いのである、冬はマイナス20度くらいになる、だからいくら土地を与えられるからと言ってもそこで農業をすることはかなり厳しかった、第一農業は何でも簡単にできない、厳しいのである
そんな寒い場所で日本人は米を作っていたのである、北海道より寒い場所で米を作っていた、米を食べたいからそうなった
1930年代から(中国)東北地方には大量の日本人が移民したと紹介。続けて、「東北地方における米作りは日本人が主導することになった」、「日本は水利施設の建設や適した品種の導入を行行った。東北地方の米生産力は極めて大きく向上した」と説明した。

 中国ではたとえ特定の分野に限ったとしてもメディアが旧満州における日本の「行状」を手放しで称賛することは珍しい。また「新僑報」掲載の記事は、中国で旧満州を指す時に決まって使う「偽満洲国」の語を用いなかった。
 http://news.searchina.net/id/1572325?page=1

 l913年には、満洲各地において水田開発熱が沸騰し、奉天以外の地域においても本格的に水田開発に参入する朝鮮人が登場した。のちに朝鮮総督府は、満洲水稲作の発展が「愈々確実」であると判明す
ると、「満洲の沃野」を憧‘|景する朝鮮人が奉天.吉林省のみならず東部内蒙古に移住し、開墾に従事したと回顧している

間島における「小田代」の普及が水稲栽培の振興に結び付いた34.1915〜17年にかけて
間島総領事館は、朝鮮の水原模範農場から取り寄せた「小田代」を改良し、朝鮮人に無償で配布した。
小田代は、短期間のうちに間島各地に急速に拡大し、1919年には栽培品種の3割、翌20年には6割を
占めるようになり、間島を代表する品種となった

東部満州地域における農業振興と米作
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/13669.pdf

日本人の農家の米作りが満州に伝えられてそれに朝鮮人がその米作りのために入ってきた技術指導したのは日本人の農民だったとなる、意外と古代でも実は日本の前方後円墳があり日本人が入ってきていたのである
満州の日本人の進出は米を作る、農業指導者の役割があった
それこに朝鮮人が従い増えたのである、ともかく寒い地域であり米をとることは容易ではない、でも米を食べられることは食生活を豊かにした
今でも満州はどこまで行ってもとうもこし畑でありまた粟がもっともとれて後は大豆とか麦だったのである
何か車窓から馬車に乗った農民がトウモロコシ畑の中に消えた、トウモロコシは米代わりであり主食にもなる

満州に関東軍がいてそれが中央の指導部に連絡せず暴発して満州事変になった
そこから中国全土へと戦線が拡大した、西安(長安)まで日本軍が行っていたことには驚く、そんな果てまで日本軍が行ったのかとなる

ここでなぜアメリカが満州の権益で文句を言い日本を中国を支配しようとした
なぜ太平洋を越えてまてアジアにかかわったのか?
それは権益とか経済的理由でもない、なぜならアメリカは資源も豊かだ他国に頼る必要がないからである
とにかくアメリカは正義をふりかざし一方的に力にまかせて他国に侵略もする
そもそも西欧列強が明治になり進出して植民地化したこと自体が横暴でありそれに対抗したのがアジアでは日本だけだったのである

別にアジアを植民地化する日本を植民地にする権利もなかった、ただ力があり従わせただけであり正義などなかったのである
そもそも正義の戦争など世界の歴史でもなかったろう、戦争は正義を実行するためのものではない、世界を支配するためにであり覇権国になるためである
そうすると覇権国には通貨もドルのように基軸通貨となりアメリカに富が集中するようになるからだ

ともかく日本が満州に進出したのはこうして米を作るとかのためであり日本人が指導的役割を果たしたとなる、そこには広大な土地があり日本人が先導して豊かな平野にしたともなる、インフラも朝鮮でも鉄道を作り満鉄を作り発展させたのである
ただ満州が発火点になったのはアメリカなど゜かかかわってきたからである
権益を得ようとしてかかわったから日本人を排斥して欧米が中国でも支配しようとしたからだとなる
欧米とかアメリカがかかわりまたロシアがかかわる、その原因は実は中国にあったのだ
中国が孫文の国民軍と毛沢東の共産党に別れて分裂して戦いそこに日本軍も加担した
複雑な構図になった、そうしして内乱状態になったとき他国が欧米が干渉して中国はずたずたにされたのである、イギリスはアヘンを売ったりしたのである
日本は米作りしたのだからそれは朝鮮人でも助けたともなる
アジアの中華の中心の中国のふがいなさが衰退が混乱が日本がの進出を許した
何か世界史は国が弱体化すると強力な民族が侵入してくる
ローマにゲルマン人が移動してくるよにである

それで今日本が弱体化すると中国であれロシアであれ日本をねらって侵略してくる恐怖がある,アメリカ軍が撤退すれば日本は危険な状態になる、巨大化した中国がたちまち日本を占領してしまうかもしれない、そういう危機になっている
アメリカ人は米中戦争になったら耐えられない、アメリカ人が死ぬとアメリカは民主主義の国であり騒ぐからだ、日本がの戦争でもアメリカ人一人の命と日本人の命の重さは全然違う、アメリカ人の一人の命は日本人百人の命にもなる
それは日本の戦争の後にそうだったからである
アメリカ軍が九州に上陸しようとしたとき死者が犠牲が多くなるとして躊躇した
アメリカ人を死なせたくないから原爆落としたとNHKの果てなき殲滅戦 日本本土本土上陸作戦に迫る(NHK、BSスペシャル)で分析している
その時日本人総玉砕として日本を守るために備えたからである
そうなるとアメリカ軍が上陸すればアメリカ人が多数命を落とすということでためらったとしている

いづれにしろ今問題になっているのはむしろなぜアメリカが日本と戦争する気になったのか、その理由がわからないのである、真珠湾が理由としても日本と戦争して何か利益になるかとなればならない、アメリカは一国でも豊かであるから資源もない日本から得るものがないからだ、そしたらアメリカが何が目的で日本とそれなりに犠牲を出して戦争したのかとなるい今になるとアメリカの戦争した理由がわからないとなる
黄色人種の人種差別もあった、ドイツには原爆を落とさなかったことでもわかる
何か同じ人種であり白人でありできなかった、でも人種差別というけど今やアメリカの貧富の差が大きく白人も貧困化しているのである、だから白人同士でも分裂して大統領選挙でトランプ陣営の人たちが議会に乱入したのである

また西部開拓から西への進出があったがアジアでとまり、今度は後退してゆく
アメリカ軍も撤退してゆく、アメリカと中国が戦争したらアメリカが負けるとしているからいづれは撤退する、その時今度は日本は中国の属国になる
その時また日本は危機になる、後ろ盾もなくなるからである
米ソ対立も恐怖だった、核戦争一歩手前ににもなったから恐怖である
現代の戦争は一発核のミサイルをうちこめばそれで終わりとなる
それ以上とても戦争できない、人類破滅になるからだ

とにかくアメリカの日本への戦争を言う時、原爆のことを言う時責める時、歯切れが悪い、戦争をやめさせる為だったとかなんとかそれがいい訳に聞こえる、何か内心では良心の呵責を感じている、それで言い訳しているのである
原爆投下という人類的罪はカルマはおそらく未来永劫消えないともなる
時間によっても消えないのである、人間の罪が時間によって消えるのか、そう見るけど罪自体は消えない
そこに神の裁きがあって償いがあってようやく消えるとなる、その償はなものにも過酷となる
プロメテウスの罰のように過酷になる、この辺の原発事故でも二万年プルトニウムの毒が消えないとなり住めなくなったからである、それは神からの罰だったのである
アメリカに原爆を落とされてそのカルマを知り苦しみそしてようやく解消するともなる
だからアメリカ人は一番核を恐れているのである
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オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 (何のためにするのかー哲学、思想の時代に)


オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代

(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

オリッピックも終わったけど今回のオリッピックほど何でコロナウィルスに苦しんでいてやるのか、何のためなのだと問われたことはない
アスリートの日本がの金メダルラッシュでも素直に喜べない
みんな苦しんでいる時、アスリートだけが喜んでいるがみんなは喜ばない
だからアスリートにとっても不幸なオリッピックだった
オリッピックが何のためにしているのか問われたことはこれまであまりない
反対があっても一部であり無視できた、今回はそうはいかなかった
IOC会長のバッハがぼったくり会長だとかあからさまにメデアから言われた

つまりオリッピックは一部のIOCとかのための金儲けのためだった
それでアメリカのNBCのテレビ局が一兆円なのか放映権を払っていた
そのために真夏でもその時他のプロスポーツ番組がないので視聴率が高くなるとふんでそうした、でも結果的には視聴率は高くならなかった、これも誤算だった
次回のパリオリッピックからは見方が相当に変わる
オリッピックとは一部の利権者の金儲けのためだったことが明確にされたからである

オリッピックは様々な弊害が露骨に現れたのが今回のオリッピックだった

新国立競技場「歴史的空間を破壊する」「ありえない」取り壊し目前、建築家らが怒り

国立競技場の再開発とアパート住民の立ち退き

新国立競技場で失われたものが犠牲になったものがあった、これもまたどうしてオリッピックをするのかということを問うのである
つまりそれでけの金、三兆円もかけてする意味があるのかとなる
ただその経済的効果が無観客とかで得られないとなり余計にオリッピックの是非が問われるようになった、人間社会は利益になるとき他の負の面を無視するからである
原発は危険だとしても金になるから地元でも容認されたからである
でも利益にもならないとなったら余計に何でするんだとなる
そんなこと莫大な無駄使いではないかとなってしまうのである

何今は何かというとその意味とか価値が問われる時代になった

オリッピックに何の意味があるのか?

それは美名のもとに無視されていたのである
それは結局一部の利権者の金儲けのためでありそのためにオリッピックでもアスリートも利用されていただけだったとなる

何か意味が問われるという時、人間はまず利益になるか金になるかで判断する
その仕事に意味があるのかなどあまり問わない、

でも最初にどうして必要なのかこれを作ることに成すことに意味があるのか?

何かこういうことが問われるとき、オリッピックの起源をたずねる
どうしてオリッピックがギリシャで始まったのか?
戦争が絶えずありオリッピックの期間は戦争は中止になりゼウス神殿が建てられ神への奉納として行われた、宗教的儀式ともなっていた
つまり意味を問う時どうしてそれが行われたのか作られたのかと問うことになる
何か必ずそれが行われた作られた理由があるからだ
ただ時間たつにつれて不明になり現代オリッピックはギリシャのオリッピックとは別物であり変質して一部の者の金儲けのためになったのである
ただオリッピックは何か美名の元に行われていたからわからなかったが今回のオリッピックはそれが暴かれたのでオリッピックに露骨に反対する人もでてきたのである

人間は何か利益になる、金になるから行うというのがわかりやすい、そのことに何の意味があるのかとかまた安全なのかとか負の面を利益になると無視しやすいのである
それが原発が証明している、これも莫大な金が投入されるからそうなる
それで利益を得ようとする人達が利権者がIOCだったのである
そしてアスリートはその巨大なショーの見世物だったということである
ローマの剣闘士となると極端だがそれとも似ていたのである
世界的な商業的なショーにもなっていたからである

ではなぜそうったかというとテレビが生まれた時自宅でテレビを見ることができるらうになったからである、観るスポーツがメデアの発達で生まれたからである
戦後まもなくはテレビがなかった、ところがテレビが発明されて売られると観るスポーツの全盛期となったのである
その時野球でも相撲でも観るスポーツとなり長嶋とか王とか大鵬とかスターが生まれたのである、それはメデアの発達でそうなったのである
とにかくテレビの影響は本当に大きかった、テレビに出るだけでたちまち全国に知られてスターになった、中味がなくてもテレビに出ればスターになったのである
それで東京都知事の青島知事とかは中味がないふざけた人でも東京都知事になれた
選挙の時もどこかに遊びに行っていても当選していたのである
中味がなくてもそうしてテレビに出れば名が売れて議員になれたのである
芸能人で議員になる人が増えたのはテレビというメデアの影響だったのである

オリッピックでもそうである、アメリカのNBCが莫大な放映権を払うからその開催時期も決められる、酷暑のなかでもあえてするのはNBCの都合だったのである
その時期はアメリカのプロスポーツ番組がないからである
スポーツが観るスポーツになったのはテレビとメデアの発達があったからである
相撲でも有名な相撲取りは江戸にいても地方の人は見ることかできない、芸人でもそうである、それで地方巡業があり本物を見れるとなっていた
だからテレビがいかに大きな影響があったか計り知れないのである

そのテレビの時代も終わりつつある、youtubeとかで個人がテレビ局にもなる時代になった、人間個人がメデアを持つということは大きいと自分で毎日プログでも書いて実感したメデアそのものが権力だったということが理解できた
メデアが権力だというとき今までなら新聞社であれ雑誌社であれテレビであれ取捨選択するのはメデアでありそこを通らないとその人の意見でも知識でも伝えることはできなかったからである、つまりメデアがマスコミが取捨選択の権力がありそこに選ばれなければ何も言えないとなっていたのである
そのメデアをマスコミを通さないで意見でも知識でも他の作品でも伝えられることは大きな変化だったのである
だからマスコミの時代は終わりつつある、常にマスコミ自体が批判の対象になってしまったのである

こうして時代は新しい技術が生れてまた変化する、そして今の時代はあらゆることで意味を問う時代になったのである、哲学の時代になったのである
確かに利益になればいいとして現代もある、でも何のために会社でもあらゆるものがあるのか問われる、銀行が投資信託とか株とか地域の客に売るとなればそこは証券会社であり現実に証券会社の子会社化しているのである
すると銀行が地銀でも何のためにあるのか、地域の発展のためにあるとなってももはや証券会社であり株の売買でありそれは地銀とかすることではなかったからだ
すると地銀でも何で地域にあるのかわからなくなるのである
そこで地銀のオリジンを銀行は何のためにできたのか問うことになる

銀行はそもそも企業家が大きな利益を得てその余剰金で作った、それは新たな起業するためでもある、だから銀行とは起業できるもの新たな投資をして起業してもうけることができる人がしていたのである、でも今の銀行には地銀となるとそういうノウハウもないのである、ただ金を集めて利子をとるしかなかった、それが高度成長時代は借りる人がいくらでもいたから問題なかったのである
今と銀行が地銀でも地域で起業することが強いられる、それができないとなるつぶれるほかないとなってしまうのである

まず利益になればやる、その他は二の次だ!

高度成長時代は何のためにやるのかとか問わない、道がなければ道を作る、橋がなければ橋を作る、いろいろ整備されていないからそれが必要かどうかなど問わないのである
でもインフラでも整備されると今度は何のために作るのかとか何のためにするのかとか問われる
オリッピックでも莫大な金をかけてやるべき意味があるのかとなる
そこでもうけるのは一部の利権関係者だけだとなるからだ
国家予算が使われその穴埋めを国民がする、税金で払わされる
それより優先すべきはコロナウィルス対策だとか他の困窮者のために使いとなってしまうのである

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2021年08月08日

マラソンと人生 (最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)


マラソンと人生

(最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)

大迫が二位集団に迫っても追いつけなかった、何かもう少しで追いつけるようにも見えたでも実際は相当に厳しい距離だった、というのは最後でありそんなに力が残されていないみんな最後の力をふりしぼって走っている
大迫もぎりぎりで走っていたから追いつけるようで追いつけない

何か人間をマラソンに例えるともう最後になったら老人になったら力を出すことができなくなる、勝負は決まったとなる
ただ人生はマラソンにも似ている、特に高齢化社会になると長寿社会になると人生百才となるとマラソンである、長距離を走ることが要請される
人生50年とか60年となれば退職してぶらぶらしていたら後は死んでいたとかなる
でも退職してらか先が30年とかあるとなると人生は長距離でありマラソンになったのである

それで成果を出すのはあせる必要はない、60からでも70からでもいい
そして長寿になるということは学問とか芸術の分野だと有利である
「少年老い易く学成りがたし」というとき学問にしてもその分野が広範囲にあるからだ
第一中味のある一冊の本を理解すること自体が一生かかるとまでなる
人間それだけ一分野でも理解するのに時間がかかるのである
例えばギリシャを理解するとき実地を踏んで本を読んでとかして理解する努力をつづけないかぎりできない、知的な分野だと理解するのに時間がかかるのである

老人になると評論に向いているのは何でも理解力が深まるからである
そういう点で長寿社会はプラスなのである、特にグロ−バル化社会になると外国のことについて理解を強いられる、外国のこととなると本当に言葉の障害もあり理解することが困難になる、でも持続して時間をかけるとそれなりに理解力が深まるのである
ただ正直本を読むより一回でも外国の土地を実地に踏むことが第一となる
それで私は50歳で海外旅行したのが理解力を深めた
もしその時行かなかったら親の介護とかなっていけなかったからもう外国について語ることもできなかったのである

スポーツだと盛りの期間は短い、大迫選手でも今回で終わりだというときそうである
30歳でもう終わりになる、でもその人の人生はこれから百才までもつづくのである
ただマラソンでも最後の方になるともう簡単に前に追いつけない、すでに差が開きその差を埋めることができなくなる、もう前でも後ろでも限界に達しているからだ
ただ見ていれば前の集団に追いついてもらいたいとしても本人にすれば限界なのである
ただ知的な分野だとたいして才能がなくても積み重ねであり集積が効果を発するのである継続していればやはり素人でも専門家になれる
でも正直人間は深いをことは簡単に理解できない、私自身むずかしい本を買って読んでいた、重要な所に線をびっしりひいていた、でも今読みかをしてみるとその線を引いたところでもほとんど忘れているし理解していなかったのである
本も積読(つんどく)になりやいのである

現代は長寿社会になると百才を走りきらなければないとなる
でもすでに同級の人でも死んでいるしまた病気になった人が多いのである
つまりすでに70越えたら二三割は脱落しているかもしれない、だから老後は健康が大事になる、最後はマラソンのようにサバイバルゲームになる
健康でない者と病気になった人の差があまりにも大きすぎるからだ
私の場合は汗が出なくなったり熱中症になりやい、熱がこもりそうなる
すると今までのように外に自由に自転車でも出歩けないのである
それで今まで経験したことを回想して作品化することが仕事になっている
いづれにしろ最後は前を走っている人を簡単にぬくことはできない、相当に自分自身をも疲れているからだ、その順位をくつがえすことは簡単にできない
老人になると何かを身につけようにもできないのである
ただこれまでしてきた積み重ねたものが力を発揮するだけなのである

人生は短距離ではない、百メートル競走だといくら努力しても資質がないものは勝てないそれは生まれつきにもなっている、でもマラソンとなるとこれも資質であるにしろ訓練したりして才能がなくても伸ばすことができる競技かとも見る
ただアフリカ勢が常に勝つのはやはり資質がありそうなっている
人生になれば短距離ではない、長距離でありマラソンなのである
でも最後になるとわずかの距離でも縮めることは至難になる

だからマラソンはひたすら走りつづけるのだがもうある程度差がつくとその差を埋められないのである、人間でも何かこうしてひたすら走りづつけて何か積み重ねてきたものと
何もしないで時間を無駄にしたものの差が大きくなり埋め合わすことができなくなるのだ天才でないかぎり積み重ねが大事だとなる
とにかく例えば身近なことでも郷土のことですら理解するのに時間がかかるのである
すると多様な世界をグロ−バル化して世界を理解することはさらに時間がかかる
例えば江戸時代辺りだと500人くらいの村で暮らして顔見知りの人たちの中で一生終える、でもグロ−バル化した世界となる外国を理解することとなると何百倍もの時間がかかるとなる、だから空間が拡大したときまたそれに応じて時間も増えないと理解ができないのである

それにしても北海道大学の広い、あのような所で学ぶならいいとなる
北海道大学は農学校でありクラーク博士は農学校の教師だった
そこで内村鑑三などがキリスト教を教えられたのである
何か北海道は広いから清新な空気があり明治にはフロンティアにもなっていた
そこで優秀な侍だった師弟が学んだのである、そもそも優秀な青年たちが学んだからこそクラークの教えも伝わったとなっていたのである
ただ本当にキャンパスが広い、白樺の木もあり煉瓦の校舎にも伝統の重みが感じられる
エリート養成の学校にはふさわしいとなりうらやましいともなる
東京の大学にはそうしたものは感じられないのである

今回のマラソンで印象に残ったのは大迫選手が最後に二位集団に追いつけなかった
もう少しで追いつけたとか見たがその差がマラソンになると大きい
もう疲れ切っていて差を縮めることができなかったのである
人生も最後になるともうそうして知識の差でも経験の差でも縮めることができない
これまで積み重ねた経験したことの差を縮めることができないのである
そこに突然力が出て奇跡的に追い抜くことはできないのである
人間も老人になると何か突然前の人を追い抜くようなことはできない
二位集団はいいとしてその後方との差はさらに大きいのである、差のつき方が激しいのである、人生でも老人になるとこうして大きな差がついて縮めることができなくなる
何か理解するにも積み重ねでありあることについてすぐに理解するということは不可能なのである
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2021年08月06日

オリッピックは観てても面白くない (記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックは観てても面白くない

(記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックが日本でやるにしては見ててもたいしてつまらない、また意義も見いだせない、例えば百メートルでももう記録は限界である、ホーガン投げでも世界記録が出たとしてもわずかに伸びたとしかない、いづれ世界記録は出なくなる、限界なのである
そもそも人間の体力には限界がある、いくらスーパースターが出ても限度がある
そしてその世界記録が人類にとって何か意味があるのかとなると見いだせないのである

日本のどこの神社にも力石とかある、比べ石とかあるのはその石を持ち上げる力持ち男が人気になり女性にもてる、農業社会となると力ある人が強い人が必要であり社会にとってもそうだからもてるとなる、戦国時代だったら強い人間がもてる、それより強い人間が武力が支配者になる
そういう社会では力の強い者が社会にとって選ばれた人でありエリートになる
スポーツがそもそも戦争を起源にして生まれている
円盤投げであり槍投げであれ砲丸投げであり敵を殺すものとして始まったのがスポーツとなった
だからアレキサンダーがインドに攻め入り戦象に苦戦した時、槍を投げて象を操る人も殺した、また長槍で戦いを有利にしたとかある
つまりスポーツの起源は戦争だったのである、戦争という命がけの戦いがスポーツになった、それは日本の武道でも同じである
ただ命がけの戦いとなれば真剣勝負となれば今の様なゲームとして観るのとは違ったものになる、それで観る方からするともっと激しく戦いとかなる
それでローマになると剣闘士の命がけの戦いになりそれが見世物になったのである

これは観る方でそういう刺激的なものを求めたからである、やはりこういうオリッピックでもスポーツでも時代が繁栄している、時代の影響をまねがれないのである
その時代の社会がどういう価値観があるのかということである
明治時代になれば侍はいなくなり刀も無用化する、武の時代ではなくなる
それは戦国時代が終わるとすでにそうなっていたのである
明治時代になれば侍がいなくなり侍は官僚になり事務能力にたけたものが必要になる

現代ではどうしても未だに槍投げとか砲丸投げとか円盤投げとかしているのか?
それもわからないのである、そんなことをつづけてどうなるのだとなる
それはギリシャで紀元前7世紀にはじまったことでありそれをつづける意味があるかともなる
そして筋肉むきむきの力持ちなど現代では価値がないのだ、何かそういう人はかえって野蛮にも見える、現代が要求されているのは知性であり知識である
だからこそ知性の競争になっているのが世界である、知性は技術の競争にも現れている
どれだけ科学技術で優勢になるかの知性の頭脳の世界的競争なのである
そして人間の体力にはもう限度があるオリッピックでもでも世界記録は限界に来ている
でも知性とか頭脳の開発はきりないのである、技術でもやはり限界はまだないとなる
様々な分野で技術開発はされているから人間の体力に限界があっても技術にはないとなる

コンピュターなどは本当に人間の頭脳の代わりになり知識を知性を拡大したのである
インタ−ネットでも駆使すればたいして能力がなくても何か専門的なことにも通じて素人学者になったりする、私の場合は絵の才能などゼロなのにコンピュターのソフトの操作で抽象画を切りなく作りだしていることもそうである
ただ無数の写真があり絵がありそれをソフトで変化させているだけでも創作になっているのでやめられないとなる、つまりコンピュターがもともと才能がなくてもその才能を付け加える役割をしているのである
何か文章を書くにしても一つのキーワードから関連するものをつなぎあわせるとそれが一つの論文のようにもなるのである、要するに知の分野ではコンピュターは相当に寄与しているのである

だからインタ−ネットになると知のオリッピックのようになっているのだ
10人くらい私の抽象画を外国の人が見ているというときもそうだし様々な知の分野で世界の人たちが競うというものもオリッピックと似ているのである
体力を競うオリッピックには限度がある、今や人間の体力を評価する人はいない
比べ石とか力石とかで競ってもそんなものに関心がないのである
そんなもの機械で持ち上げればいいとなるからだ、すると機械を作る方が優秀であり注目されるのである

もうオリッピックをすることに意義を見出せない、結局一部の利権者の金儲けのためだったということが明らかにされたのが今回のオリッピックである
でもそのショーにしてもつまらないとなった、観る方でもつまらないのである
こんなことに莫大な金をかけていることが馬鹿らしいとも見る
世界の平和の祭典とかにもなっていないのである
するスポーツなら別にそれぞれが熱中して励むことはいい、また別にスポーツは観るスポーツでないなら必要なのである、心身を鍛えるものとして必要なのである

でも観るスポーツは必要なくなったのである、そこに意義も見いだせないのである
だから世界的祭典として観るスポーツとしてはもう何か見ていても面白くないとなり
その意義も見いだせなくなり今回の東京オリッピックを境に世界でも関心がなくなる
オリッピックはもう終わるのではないか?
そもそもコロナウィルスで苦しんでいるときオリッピックをやるべきではなかったとなるギリシャのオリッピックはその時代に意義があった、でも現代ではそうした意義は見いだせないのである、世界平和に貢献するということもないのである
オリッピックは観るスポーツになると魅力がなくなったのである

今娯楽として面白いのは歴史に興味があるから世界の歴史の時代劇である
最近見た、ポロス 古代インド英雄伝 とかオスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム 
は面白かった、勉強にもなった、なかなか外国というのがわかりくいけどこうして連続ドラマ化すると興味をもつ、日本でもNHKの大河ドラマが人気になったようにである
ただ今のNHKの大河ドラマはマンネリ化してつまらないから見ない
それは脚色が多くて歴史の真実を示していないからである

「力石と文化財ー4(茨城県常総市,一言主神社))」  日本歴史と雑事記録


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2021年08月04日

福島県のコロナウィルスの感染地図 (人流をおさえないかぎりとめられない)


福島県のコロナウィルスの感染地図

(人流をおさえないかぎりとめられない)

fukushimacovit111.jpg

福島県の感染者数を見るとやはり人口が多い所と交通の要所になっている所は多い
郡山は交通の要である、会津にも鉄道が通り東北線があり新幹線が通る
いわき市も東京から常磐線の通勤列車の終点にもなっている
ただ白河市とか須賀川市が救いなともみる、、南相馬市はちょっと多いともみる
最初は東京のライブハウスに行った人から感染した
交通の要所になっている所は人の流れがあり東京からも来るから感染しやすい
郡山市と福島市とか二本松市とかにはさまれた大玉村などが少ない
人の流れがあるから増えてもいいとも見る
ただウィルスは人口が多ければ比例して増える、それはその通りになっているからだ
白河市は少ないとみる

この地図でわかるのは棚倉町とか古殿町とか阿武隈山中の地域が少ない、棚倉町でも鉄道が通っているとしてもあまり乗らないからである
東北線とか新幹線ではないからだ
郡山市から会津へ行く磐越西線は結構乗るだろう

このウィルスは交通と深く関係している、江戸時代のコレラでも長崎から入り北前船で
新潟に入り阿賀野川を通じて会津若松の城がある所に入ってきた
そして南会津の方に広がったのは会津若松の城のある所が中心になって広がった
南会津の方から会津若松には広がらなかったのである
それは交通の関係でそうなっていたのである、交通が頻繁な所は人から人へうつるのだから感染者が広がるのが普通なのである

ただ古代となると棚倉にヤマトタケルの伝説があるように茨城県から久慈川をさかのぼり棚倉に出る道があり川が道となってそこで戦いがあった
古代になると交通路としてあったとなる、白河市も棚倉町もみちのくに入る関だったのである、それは古代からそうだったのである
その辺は石川とか浅川とか阿武隈山中であり辺鄙な場所だった、そんな場所へ自転車で行って万(よろず)屋があり御飯と味噌汁を御馳走になった、今時そんなことをしてくれる人などいない
ということはそこが辺鄙な場所で昔ながらのものが残っていたとみる
第一万(よろず)屋などはなくなっているからだ、コンビニになってしまっているからだ

草深き山里にあれ万屋によりて馳走や心に残る

とにかくこのウィルスは人流と交通と深く関係している
これをおさえないかぎりどうにもならないのである、だからもう東京とかその周辺とか大都会では人流をおさえることができないから減らすことができないのである
江戸時代のコレラでは桧枝岐(ひのえまた)などは本当に秘境であり人との交流もない
そこでは米が食べられずソバが主食となっていた、本当に辺鄙な場所だったのである
でも尾瀬の観光で観光地になったのである
そういう場所だったら伝染病でも防げるのである
現代とは逆にウィルスには弱かったのである、交通が発達し人流が抑えられない、車でもどんな辺鄙な所にでも行くしおさえられないのである
ただ田舎では一人でも感染者が出ると恐れる、それで近くの人は窓ガラスを割られたとか住めなくなり引っ越したとも聞いた、それは東京のライブハウスに行った人らしい
このように敏感に田舎では反応するから都会よりはおさえられるとはなる
南相馬市でも一時増えたがまたおさまった、ゼロになっている
飯館村とか双葉とか大熊は人が住まなくなった地帯であり感染者も極端に少ないとなる

ウィルスは人から人へうつる

人流をおさえないかぎり感染を止めることができない、ワクチンがあってもこれの効果もまだすべてではない、新しい変異株に対応できていないとか完全ではないからだ
一番の対応は人の流れを減らすことしかないのである
それが現代では一番むずかしいからつくづく現代文明はウィルスには弱かったことが判明したのである
こういう時は引きこもりが有利となる、人と接しないからである
私自身も一人しか人と接していない、今は仙台市にも行っていない、また暑くて原町にも相馬にも行っていない、閉じこもっている
こういう生活はウィルスに対しては安全だとなる

何か人が密集するとか交通が盛んになることにも問題があったとなる
グアム島では観光客が来ないから苦境に陥っている、そういう隔絶した島で自給自足の生活をしていたらウィルスから守られていた、でも外部の人が来ないともう生活が成り立たなくなる、そういうことは他でもあった
現代ほど外国であれ人ととの交流が増えた時代はないからである
それが裏目に出たのである、やはり基本は自給自足でありそれがないと危機の時は生きていけなくなる、ただ交通を止めることはできない、ただ基本的なものとして自給自足の生活を基にしていないとこういうとき困るとなる

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)
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2021年08月03日

医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している (日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)


医療従事者が東京五輪を怒り憎悪している

(日本の金メダルラッシュも喜べないー同じことが原発事故でも)

英高級紙「ガーディアン」は、新型コロナ禍の深刻化により日本の医療界で東京五輪に対する「憎悪」が増幅していると厳しく糾弾した

こういう矛盾は混乱状態の中で起きやすい、五輪とは何なのか、そんなことしていれられるのか、コロナウィルスで生命の危険があるときに五輪なんかしていられるのか?
金メダルなど喜んでいられるのか ?
こういう疑問が一番出ているのは医療従事者である、俺たち必死で治療したり看護したりしているのに金メダルラッシュで騒いでいるのが腹正しいとなる
そういうことは平和時だったら見逃される、でも緊急事態になるとそういう人たちは非難される、それは遊びじゃないかとも見られるからだ

オリッピックの意味はギリシャで戦争が絶え間なく行われてオリッピック期間だけは戦争はしないということで始められた、ある意味で神に捧げる奉納として成された
それでゼウス神殿が建てられて立派なのである
つまり祭りの期間のときは戦争はしていけない、神の祭りを汚すからだともなる
一種の聖なる祭りだったともなるからだ
またその時疫病もありその回復を願いオリッピックをしたというのも当時は伝染病のことがわからないからそうなった、人が密集することが良くないということがわからないのでそうなった

いづれにしろ何か人がいろいろ働いている時働かない人にニートとかに不満になるのは
俺たちはこんなに苦労して働いている、真夏の最中でも汗流して働いているのにのうのうと働かずいる奴がいるのはなんなのだと憎らしいとなり憎悪になるのである
今それが医療従事者に起きている、そこでは必死にコロナウィルスと戦っているからである
そういうことは津浪とか原発事故でも起きていた
原発事故の避難区域から大量の人たちが避難して仮設住宅に住んだからである
でもその時ボランティアも全国から集結したが地元の人たちは毎日することがなくパチンコ通いだったのである
それでボランティアが怒っていたというのもわかる、また自衛隊なども必死で働いていたのである、ただ肝心の地元の人たちは避難者は何もしない、パチンコとギャンブルをしていた
そして自分が介護で苦しんでいる時も親戚の人はそのパチンコ屋で働いていたのである
借金のためにそうしていた、その時自分も苦しんでいるから腹正しくなった

何かそれと似たことかコロナウィルスとかオリッピックでも起きているのである
何かと津波とか原発事故と似ていることを書いてきた
それは人間が緊急事態になると普通ではないから変わるからそうなる
普通だったら平和だったら見逃すことも見逃せなくなる、なんで俺たちが必死にコロナウィルスで戦い働いているのにオリッピックで騒いでいる
そのことになんの意味があるのだ、かえって医者と看護師がオリッピックで奪われているともなる

つまりそれほどまでにしてオリッピックする意味があるのか?

それはお祭りであり世界的な遊戯にすぎないのではないか?
何かこうも苦しんでいる医療従事者に見えるので怒りとなるのである
もちろん自分自身も八沢浦のことで報告して叱責された
そこでは死んだ人もいるし泥をかきだして死んだ人を取り出している人たちもいたのに
八沢浦が美しい入江にもどったと報告した時地元でもなんなのだとなる
ただそれはあまりの変化に驚嘆して報告したのである
その時自分自身も介護とか自分の病気で苦しんでいたのである
それはやはり郷土を伝えるものとして記録として残すことに意義があったとはなる

とにかく何かこうして異常事態に緊急事態になるといろいろな問題が噴き出す
オリッピックでもなぜこんなときにするのだろうということが根本的な問題だった
それは政府が人気取りに批判をそらすためにしているとかとも言われるのは当然なのである
一部の人たちの利権者の金儲けのためだとされるからだ、ぼったくり会長のバッハが200万のスイートルームでもてなされるというのもそうである
みんな困っている時なんなのだとなる、こんなときオリッピックをしている時なのか
そういうことがを一番感じているのは医療従事者なのである
それは結局そこで一番苦しんで働いているからそうなる
だからこの辺で津波や原発事故でも同じことが起きたのである
ボランティア来て自衛隊が来て必死に働いているのになんなのだとなる
自衛隊では三人くらい現実に過労死しているからである
要するに緊急事態は平時と違うからそうした矛盾が露骨に現れるのである

だからどうしても日本人の金メダルでもオリッピック自体が喜べないともなる
それで自分は熱心には観ないとなる、それは日本国民だけではない世界でもそうなる
熱中できないとなる、こんなとき一部の利権者のためにオリッピックなどしていていいのかとなるからだ、それが普通の感情である
復興五輪というのも偽装であり何ら復興など福島ではしていないからである,オリッピックと復興はなんら関係ないからである
それでオリッピックをあえて実行したことは後で失敗だったとされるかもしれない
そこで菅首相のもくろみがはずれたとなり猛烈な批判となり政権も危うくなるかもしれない、感染者はますます増えて収支がつかなくなる、一方では金メダルラッシュとかマスコミで騒いでいる、マスコミでは視聴率がとれればいいということでそうなる
何かこうして混乱してきて収支がつかなくなる
ともかくオリッピックは日本が金メダルをとっても素直に喜べないということはアスリートにとっても喜べないともなる
医療従事者にしてみればただ腹正しいというのが理解できるのである

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2021年07月31日

観るスポーツと自らするスポーツの相違 (オリッピックは観るスポーツでショー化したーオリンピアを訪ねて)


観るスポーツと自らするスポーツの相違

(オリッピックは観るスポーツでショー化したーオリンピアを訪ねて)

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古代ローマの剣闘士は、何故歴史から姿を消した?日本の政治、メデイアが進化しない本当の理由

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オリンピアの競技場、春の花が咲いていた

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オリンピアの神殿跡の石柱


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アテネのローマ神殿ーアーチが特徴的

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デルフィの競技場

観客席の石の座席は立派であり残っている



古代オリンピックは紀元前776年に古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされている。オリンピアはゼウス神の聖地であり、オリンピア競技はゼウス神に捧げる競技祭として始まったとされる

勝者には勝利の枝(この枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。
競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合いは固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。

マケドニア王国の人々は、国政が都市国家でない上に辺境に住んでいたため、ギリシア人であるにも関わらず古代オリンピックに参加していなかった。しかし、アレクサンドロス1世は自らの先祖をヘーラクレースと主張し、結果としてギリシア人であると認められ、紀元前6〜5世紀頃から古代オリンピックに参加できるようになった[3]。後にピリッポス2世がカイロネイアの戦いに勝利した際には、フィリペイオンというイオニア式のトロスが献納されている。アレクサンドロス大王がアレクサンドロスと名付けられたのも、ピリッポス2世が古代オリンピックで優勝した年に彼が生まれたので、それを記念し、マケドニア王で初めて古代オリンピックに参加したアレクサンドロス1世から名を取ったという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある


こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である。勝者はエーリスのコロイボスであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%
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エリスはアテナイ(アテネ)やスパルタに比べてはるかに弱小で、しかも発展の遅れた国であった。だが逆に、大国の意向に左右されず、政治的に中立を保ったということが、かえってオリンピア祭の威信を高める要因になったのである。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00061.html





オリンピアに行ったけどそこで不思議だったのはやたら神殿の柱となった石の台とか柱の跡が多いのである、それを見ただけでここに壮麗な神殿が建築物があったとイメージできる、体育館などもあったというからオリッピアというと田舎町なのに立派な建物があったそして競技場とかなるとまるで学校の運動会場より狭いのである
こんな狭い所で競争していたのかと意外だった、こういうことはなかなか写真を見ただけではわからないのである
それを見ている観客にしても学校の運動会より少ないともなる
そして回りは田舎であり田園が広がっていたのである
場所はここで説明しているような所だった

古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである

今日本でコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピックが行われている、それが伝染病と関係していたとなるとこれも歴史は繰り返すカルマだとなる、ただ競技会に人が集まれば実際は伝染病はかえって蔓延する、でも当時はそういうことを知らないから
再開したとなる

でも観客が20万とか集まったというのもわかりにくい、20万も田舎町に集まったのかただこの辺の野馬追い祭りでも祭りとなる予想外の人たちが集まる
その場所のエリスが政治的中立の場所だった、それがオリッピックを栄えさせたものになった、戦争が絶えない時代だからこそそこに意味があった
そこは平和的中立の場所、スイスのような場所だったのである
とにかくヨ−ロッパとかなると古いのである、紀元前8世紀から始まったというのもそうである、貨幣が流通してすでにすべてが金だとか嘆いていたのも紀元前7世紀とかであるだからその石の観客席の座席が当時のままに残っている

ヨ−ロッパの遺跡はローマにしても石だから今でも残っている、すると歴史を明確に意識するのである、日本だと木だからそういうふうに紀元前とかなると意識できない
何か歴史を意識するときこのように古くなると何か物として残っていないと意識しにくいのである、ローマ帝国の道は今でも残っているし意識する
ギリシャとなるとさらに古いのである
だからオリンピアが田舎でありその競技場は春の花に彩られていたのである
ギリシャ神話がこうして自然が豊かな時代に生まれたのである
ギリシャが魅力があるのはそうした自然がありそこで繰り広げられた人間の物語があり
神話となり魅せられるとなる
そこでヘルダーリンとかバイロンとかギリシャを讃歌する詩人がいたり哲学でも科学でも彫刻でもギリシャが基になっいるのがヨ−ロッパだとなる
何かそこに詩になるもの物語になるもの美になるものがありそうなった

ただ小規模であり田舎の田園の中でオリッピックが行われていた、それがローマのコロッセオとかなると巨大な残酷なショーと化したのである、その相違も大きい
ただギリシャでも時間がたつにつれて神聖な神へのゼウスへの奉納として始まった祭りが堕落して金銭とか賞目当てになった
ただその始まりが人間は何でも神と深くかかわり始められていたのである
日本でも相撲は神への奉納として始まっていた
またマヤ文明とかでも走る競争が行われていてそれも神への奉納だったのである
信じられないことは走る競争で一番になったものは犠牲として殺され神に捧げられた
これも信じられないが神に殺されて捧げられるとしたら一番になりたくないとなるが
実際はそれでも一番になるために必死に走り名誉となり神にその体は捧げられたとなる
神が喜ぶのはこうして若い健康な者であり老体ではないとしてそうなったのである
そういうことは聖書でも「若きうちに神を知れ」と通じているものがあるし神は若者を愛すとかいうのもそうである
人間はやはり若いこと健康なこと価値があり神もそこに価値を認めていたのである
でもどうしても一番になったら神にその体も奉納される、犠牲として捧げられるということが理解できないのである

またオリッピックにはマケドニアは参加できなかった、でも世界征服に向かったアレキサンダーの名が実はオリッピックに由来していたのも興味深い
アレキサンダーにしても紀元前三世紀の人物なのである
こうしてエジプトであれ聖書の歴史であれギリシャでもインドでもその歴史が古いのである
こうしてオリッピックでもどうしてはじまったのか、その起源が何であったのかたずねるとオリッピックの意義を知ることになるが近代オリッピックはまたギリシャのオリッピックとは別なものとして始まったのである
そしてやはりギリシャでも金が欲しいとか賞が欲しいとして堕落したように今のオリッピックはまさにそれと同じであり世界的なものになっても世界的に放送して金儲けすることが目的化したのである

確かに観るスポーツと自らするスポーツは根本的に違う、批判されるのは観るスポーツとなりそれが金儲けのために利用されるようになったことである
それは世界的に同時にテレビ放送されることで普及したのである
つまりメデアの力が大きくなりオリッピックを世界的ショーとして見世物としてアメリカのNBAとかが一兆円もの放映権を払うとかなったのである
それはあくまで世界的ショーとして見せてそれで金儲けしたいだけである
世界的規模にグロ−バル化するとその金も莫大なものになる
そしてどうししてもアメリカとか中国とか大国が優先されるものとなる
政治的に利用されるとなる、だからアスリートにも選手もスパイ活動していたとまでなっていたのがオリッピックなのである


オリンピアに人々は集い競技に熱中する
そのオリンピアは田舎である
まわりは田園であり
訪ねて見れば小さな運動所であった
そこには春の花が咲き縁どられていた
そこは陰惨なコロッセオの闘技場とは違う
穏やかな田園で競技は行われていた
だから勝者にはオリーブの冠をまた花飾りを
そこにただ殺し合いの戦争を休み
人間的な場となり記念となった


posted by 老鶯 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月29日

なぜオリッピックがやめることができなかったのか? (アメリカのNBCの金儲けのために圧力でやめられなかった)


なぜオリッピックがやめることができなかったのか?

(アメリカのNBCの金儲けのために圧力でやめられなかった)



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東京オリンピックの開会式、超ヤバイ裏話TOP7【大坂なおみと中国】

日本国内で五輪の中止、あるいは再延期を望む声がどんなに高まっても、NBCユニバーサルにとって、その選択肢はまるで存在しなかったし、今もない。大きな理由はもちろん広告収入。NBCユニバーサルは、五輪の放映で10億ドル以上の広告収入を見込んでいるのだ。だが、それだけではない。実は、このオリンピックは、会社の将来を左右するとも言える大きな使命を担っているのである。自社の配信サービス、Peacockの会員獲得にはずみをつけることだ。

ロサンゼルスタイムズ紙によると、NBCユニバーサルは2014年にIOCと2032年大会まで総額120億ドル(約1兆3200億円)でパートナーシップを結んだ。「同社の五輪報道はテレビ視聴率でライバル企業に圧勝してきた」そうで、S&Pグローバル・マーケット・インテリジェンスのKaganユニットによると、5年前のリオ五輪で、NBCユニバーサルは、16億ドル(約1761億円)の収益を上げ、そのうち広告収入は12億ドル(約1321億円)だったという。

東京五輪にも潜んでいる? かつての五輪では選手たちが「スパイ」として働いていた


なぜオリッピックがやめられなかったのが具体的にわかった
アメリカのNBCが独占して放映権をもっていて一兆円以上金を出している、IOCに出している、その見返りは視聴率をあげて自社の配信サービスの会員獲得のためだった
また菅首相が簡単にオリッピックがやめられないのは国でも3兆円も出していてそれでやめれば損だとなりやめることがてきなかった

こういうことはテレビでは放送しない、今では五輪で日本人の金メダルラッシュでこの裏側の事情など関係なく日本人が熱狂すると視聴率がとれる、そこで宣伝費が入るとなる
NBCで一兆円もIOCとかに出すとなるとその見返りが必要になる、オリンピックは世界中で見るから効果絶大だとなる
そしてなぜ酷暑の時に日本で行われるのか?それもNBCの都合だったのである
なぜならその時バスケットボールとか人気のアメリカのスポーツ番組がないからである
だからその時期にやればみんな見るとなっていたからである
でも今回は視聴率がとれなかった、それで見込みがはずれたとなる

とにかくオリッピックが商業主義の金儲けのオリッピックになったというときこういうことだったのである
NBCで大損になることはアメリカの大損にもなる、つまりアメリカの意向で演出され決まるともなる、だから開会式の入場式でもアメリカは最後の方に出て来た
なぜなら日本のあいうえお順では最初になるとみんな見ないとかあり最後の方にもってきたとなる、これもNBCの都合でそうなった

何かこれはフクシマ原発でも似たことがあった、アメリカのGEが原子炉を売りたくて日本に原発を作ることをすすめた、そしてマーク1という古い原子炉を買わせられたからである、そこでGEと結びついていた福島県の国会議員の渡部恒三の息子がGEち就職していたのである、原発マネーが回っていた、この原発マネーは巨額でありそれはおりり巨額なものになったいた、だからこの金がまわりある意味でモラルもなにも麻痺してしまったとなるこうして地元の議員のボスにもまわり大熊町長の5億円入った金庫が津波で流されて探してくれとか頼まれたとかある、その真意はわからないにしろそれだけの金がいろいろな利権者に流れたということである
それは事故後も今度は何兆円とんう除染費用が相双リテックの幹部に報酬として何億円とか流れた

そして事故になったとき東電ではお手あげになり放射線を測定したがそれはまずアメリカに報告したのである、日本の政府ではなかったのである
それだけ日本では原子力発電の技術が遅れていてどうしていいかわからなくなっていたのである
このオリッピックマネーでも原発マネーでもその流れを見るといかに金によって支配されているかわかる
それはただ巨大な世界的ショーでありアスリートはその駒にすぎない、何か崇高な世界平和のためだとか人権だとかいろいろ言ってもそれは表面的なことにすぎなかったのである
こういうことがわかると何かオリッピックに熱中すること日本が金メダルラッシュで騒ぐのもただこうした裏の人たちの金儲けのために踊らされているだけだったのかとなる
サッカーであれ野球であれ他の種目でもプロの競技ならそれは責めることはできない
何かオリッピックは美名のもとに行われている、それが実際は裏の利権者の金儲けのためだったとなる
何か世界平和とか人権とかを看板にしているがその裏ではそういうことはなかったのである

いづれにしろオリッピックでも今度は中国マネーに支配されるというとき大国の政治的宣伝のためだともなる、今はアメリカがそうなっているのである
アメリカに金が流れ込むのは覇権国になっているからである
覇権が中国に移れば中国に金が流れ込むようになるのである
覇権国には金が流れるこむ仕組みができあがるのである
現代は複雑な社会でありグロ−バル化しているから余計にわからない、でももし金の流れを明確化するとその悪でも見えて来る、可視化されるのである
とにかく巨大なマネーが流れる時、その悪も巨大になるのである
そして常に背後には隠然として覇権国のアメリカがいて逆らえないとなる、次の覇権国は中国になると中国に逆らえないとなる
WHOがまさに中国の金で支配されていたのと同じである、オリッピックは欧米資本が支配している
そもそもオリッピックのはじまりもうさん臭いのである、ヨ−ロッパの貴族が始めたものであり世界平和とか人権とかとあまり関係ないものだったのである
posted by 老鶯 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層