2021年07月29日

国家的事業の決断は慎重にすべきだった (オリッピックの金メダルラッシュを喜べない)


国家的事業の決断は慎重にすべきだった

(オリッピックの金メダルラッシュを喜べない)

東京五輪の国民1人あたりの負担額「都民10万3929円」「国民1万408円」

「これまでに費やしてきたお金と時間を考えると、簡単には引き下がれない」という行動経済学の「サンクコスト(埋没費用)」の回収にこだわっているからではないだろうか。

大事業を計画して始めると途中でやめられない、莫大な金もかけているしせっかく作った施設も利用できないとかなりやめられない、何か引き返すとか途中でやめることが個人的にもむずかしい、せっかく苦労して来たのだからとか何か引き返せない
だから国民的大事業となると一旦決めて始めたことはやめることができなくなる
戦争もそうだったというときそうである
戦争を決めた時点でもうやめることができなくなり結果的には三百万人が死んで犠牲になったのである
何か戦争する前は一方的ではなく不安があった、マスコミでも批判していたが一旦戦争がはじまるともうそういう批判はなくなり突き進んで行くだけになった

原発でも本当は内心地元の人でも不安があった、放射線被害のことでもわからないにしろなんとなく不安があった、核のことなどわからなくてもなんとなく不安があった
何か科学がわからないにしろなんとなく不安だというのが人間にとって大事なのかもしれない、それは命にかかわるからである
それで津波でも海は怖いとか言う人がいた、それはなんとなく海は怖いということを感じる人がいた、まして海岸沿いに住んでいる人はなんとなく不安を感じなかったのだろうかただそういう感覚が麻痺してしまったのだろうか?

トロイの木馬にしてもあれなんなのだと不安があった、そんなものを引き入れるなとかあった、でも引き入れてしまったのである、内部には兵が隠れていて責められてしまった
原発でも何かそういう不安があったのだ、安全神話が作られて常に「安全、安全」が言われた、その裏返しがそれを運営する科学者技術者でも不安があったからだ
おそらく技術者でも何か不安をもっていた、それを打ち消すために「安全神話」が作られたのである

動物には何か危険を察知する機能が本能的についている、また生物なら人間でもなんとなく不安だとか危険を未然に察知するものが備わっている
第六感というものがある、それは女性が敏感である、何か直感的に人を見抜くとかある
それは女性が弱いから本能的なものとして備わっている
ただ人間はこの第六感的なものが文明化して失って機械とか科学とかにまかせる頼るようになった

津浪でも海の水が川の水が退くとか前兆があった、その時これはおかしいと察知して早めに逃げれば助かったとなる、ただその時間があまりにも短いから逃げられないとなったのである
人間は鳥のようだったら何も持っていなければ逃げることができる
人間は家でもなんでもいろいろなものを持っているからすぐに逃げられないのである
この時は逆に家が足かせとなって逃げられなくなっていた
不思議なのは私は津波の前でも津浪が来た地点は田んぼであり家がぱらぱらでありそこでなぜか波にもまれて流される夢を何度も見ていたのである
その場所まで津波が来ていた、だから夢は何か危険を告知するものがあったのだ
ただ今はそういうことは迷信とかなんとて否定される科学万能社会になった
結果的に何か機械に科学に頼り過ぎてそれがかえって危険を察知できなくなるとなる

人間でもこの人ヤバイなと直感したときは近づかない方がいい、君子危うきに近寄らずとなる、ただ不安ばかり言っていると冒険ができなくなる
ここでは国家的大事業のことであり個人的なものではない、戦争するにも大丈夫なのか
アメリカはどんな国なのか、アメリカなどたいしたことがないとか吹聴されると知らないのだから信じる、夜朗自大国になる、漢などたいしたことがないと見て負けたのである
それは相手のこと敵のことを知らないからそうなったのである
「敵を知り己を知れば百選危うからず」である

その敵の正体がわからないとき負けるとなる、コロナウィルスでもそれが未知だから対処できない、科学者でも対処できない、不安なことは確かでもどれだけの脅威なのだかわからないからである、すると不安を言う人は不安をあおりたいしたことがないという人は恐れることはないという、そこで二つに意見が分かれて判断しにくくなる
ただ確かなことは一旦決めた国家的大事教は途中でやめることができなくなる
戦争でも原発でもオリッピックでもリニアでもそうである、莫大な金と労力をつぎこんでしまっているからやめることができない、その見返りが欲しいとなるからだ
だから大事業の場合はよほど慎重に検討して決めないと引き返せなくなる

ただ戦争でも原発でもオリッピックでも始める時意外とそうして国民全体で議論すらあまりしないのである、その理由は利権がかかわり利益になるとなると目の前のことしか見えなくなる、原発でもオリッピックでもそうである
とにかく利益になるということで一部の者の利権者がすすめるのである
つまり目先のことしか人間は見ない、先のことを見ないのである
また見えないのである、だからなんでも急いで決めるのは良くないともみる
十分に検討してからやりましょうというのがいいのかもしれない、戦争も急いで決める必要もなかったし原発でも十分に検討してから作ることを決めても良かった
湯川秀樹博士が日本では原発を作るのはまだ早いと言っていたからである
それで古い原子炉のマーク1をアメリカから売りつけられてそれも事故の原因になったのである

いづれにしろ国家的大事業はよほど検討して慎重にしないとその被害が戦争のように三百万人死ぬとかなる、そういうことがあるとなると簡単に決めて実行できないとなる
ただその時も日本が勝つということしか見えていないのである
負けるということを想定しなかった、神国神話がここでも作られていたからである
原発の安全神話とにたものだったのである、日本は強い優秀だから勝つとしかなかったのである、つまりそこに奢りがあり負けたとなる

今度はオリッピックのメダルラッシュとかでそっちに国民の眼がゆきコロナウィルス対策がおろそかになる、でもマスコミは視聴率をとるためにそうしているという
それはマスコミは常に新聞でもテレビでも視聴率第一でありそれで稼ぐからそうしているというのもわかる、商売だからそうなる
戦争のような危険なことでも商売だからあおったとなると怖い
常識的にどうしてもこんなときにオリッピックをして日本人が金メダルをとったからと心から喜べないのである
コロナウィルスで疲弊している人たちも多いからである、まるでそういう人達のことを忘れさせるためにしているのかとなる
だからもともとオリッピックはすべきでなかったのである
それはアスリートのためにも良くないものだったのである
別に普通だったら国民みんなでメダルラッシュなら喜んでいたからである
それが得られないとなるとアスリートにとってもいいものではないとなるからだ

急(せ)いては事を仕損じる

これがやはり教訓だったとなる















posted by 老鶯 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月27日

福島県相馬市の主婦の女性(56)。はじめてのダイビングで死ぬ (私の海外旅行もかなり危険だった)


福島県相馬市の主婦の女性(56)。はじめてのダイビングで死ぬ

(私の海外旅行もかなり危険だった)

宿毛海上保安署などによると、福島県相馬市の主婦の女性(56)。夫と2人で訪れ、ダイビングショップのボートで沖に出て深さ3〜4メートルの海底に潜っていた。ダイビングは初めてだったという。

相馬市の主婦の女性(56)でダイビングで死んだ、はじめてダイビングしたという
でもインストラクターがついていたのである
私も50歳代で海外旅行して紅海でダイビングさせられた
自分は泳ぐこともできないのにやれやれと言われてしようとしたが海にくぐることもできずにやめた、でも何か海外だとそういうことを気にしないから怖かった
とてもやれないのにすすめることも怖かった

この場合には日本人だったしインストラクターもついていのに事故になった
問題は初めての主婦が56歳という年だったのである
これは非常に危険だったのである

そもそもなぜそんな歳ではじめてでもダイビングさせたのか?

もしかしたら観光のために金をとるためにすすめたのかもしれない
安心ですよとしてすすめたのかもしれない、何か金のためなら危険なことでも知らなくても進めることか今は多いからである
銀行とかでも株を進めたりするのとにているのである
それでもはじめて56歳でダイビングをすすめるのは問題があった
確かにダイビングを自分もしていみたい、海の底を見てみたいと思ったが全くの無経験だし海が怖いしまず泳げないのだから無理だと最初から思い込んでいたから一旦ダイビング用の備えをしたが海には入らなかったのである

とにかく海外旅行も事情とかわからないので危険があった
大きな失敗があった、ロシアでも大失敗した、鉄道の写真を撮っていたら警察につかまり尋問されてひどいめにあった,スパイと思われたのである
ロシアは一人旅などできる国ではなかったのである、だから無謀だったのである
ただ若い時なら無謀も許されるが50以上すぎたらやはり海外旅行とは危険である
ここでは国内でもこうしたことが起きた、何か理由はわからないが観光で金を得るためにそうしたのなら問題である
今は金をとるために何か危険なことまですすめるとなるからだ

でも日本だと意外と慎重になるから詳しいことはわからない
それでも50代で海外旅行したことは今になると役に立っている
実地にはじめて外国を知ったので役に立っている
その時行かないともう行けなかったからである、だから時間がいかに貴重なのかわかる
時間はたちまち過ぎて飛んでゆくからである

いろいろな体験を積むことが後の宝となるのである、金があるとかでもないことがある
その時海外旅行のことなど私は全くわからなかったのである
それで最初に行った韓国ではハングルがわからないのでどうしていいかわからなくなったそこで滋賀県の大津の人に助けてもらったのである
その人から年賀症が来るがまだ返事をだしていない

あの時はお世話になりました

このプログを読んでいたらお礼しておきます

人間は危険がつきものである、海外旅行は今はどこでも観光化しているから意外安全なのに驚いた、ヒマラヤでもそんなとこに行けないと思ったがガイドが安く使えるからついていけばいいのだから楽だったのである、ただ体力的に苦しくなって一時寝たことがあったでも3000メートル級なら観光ルートで誰でも行けるようになっていたのである
だから現代は海外旅行はどこでも観光化しているから行ける
それでもこうして国内ですら危険がある、海外だとそれ以上に危険なことがある

そうはいっても人間経験したことは宝になる、思い出して詩とか書いているからである
これが実地にその場を踏んでいないと詩でもそもそも理解できないのである
何か深く理解するのは後になってからでありその場では海外になると理解しにくい
そこはそういう場所だったのかとか歴史などを勉強して理解を深めることができる

しかし私はもう国内旅行すらできない、近間を回るだけで精一杯となる
ただ回想する旅をつづけているのである、それも一回でもその現場を実地に踏んでないとそういう旅もできないのである
でも時間はたちまちに過ぎてしまう、金があっても時間がないとできない
十回もヒマラヤに行っていた人には驚いた、一人で行っていたのである
私もヒマラヤをもう一回くらい見たいと思ってもできない、海外旅行は疲れる、体力も必要である、海外旅行でも登山でも若いうちにしていないとできなくなる
その体験したことが貴重になる、人間は本当に体験するにしてもわずかのことしかできないからである

カンボジアに50万ももっていって旅行したのは馬鹿だった、東南アジアはその時安かったしカンボジアは最低だったからである
女性が5ドルで買うとかできた、ただ自分は関心がないから関係しない
泊まった宿は5ドル以下だったのである
こうしして外国のことを知らなかったのである、そこは貧乏旅行者でもできた
なぜなら為替の差が大きかったからである、カンボジアとかネパールとかベトナムは今でも最貧国になっていたからである

いづれにしろ今回の事件は国内だからありえないと思った、でも何か観光の金稼ぎのために相手をのことを良くみずに進めたのかともなる、ただ事情はわからない
南相馬市の人だったということにびっくりしたのである


posted by 老鶯 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月24日

オリッピックがなぜ意味がなくなったのか? (グローバル化によって失われた文化の価値)


オリッピックがなぜ意味がなくなったのか?

(グローバル化によって失われた文化の価値)

オリンピックに200か国も参加しているのには驚く、東京オリッピックでは90か国だった
知らない国が小国が多い、そんな国があったのかと見る
ただ民族衣装を着ているとそこにバラエティが生まれ文化を感じる

ただオリッピックでは文化を感じない

オリンピックとは唯一世界中の国が集まる祭典でも文化を感じないのである
それはなぜかとなるとスポーツとはグローバル化したものであり世界共通のルール化して競技が行われるからである
ただスポーツでも文化はあった、その最たるものが日本の柔道なのである

「精力善用」とは、そのような柔道の持つ力や理念「柔よく剛を制す」(柔弱な人が強者に勝つ)を使って、相手をただ倒したり、むやみに威圧したりするために使うのではなく自らが持つ柔道の力を、自分の周りや社会のために善いほうへ用いることを教えてくれる言葉と言えるでしょう。

日本は必ず何でも道を追求する、職人でも職人道があり刀を作るにも潔斎して身を清めて精進して神に祈り最高の物を作るように励む、だから必ず職業でもそれぞれの分野の道を究めるものとなる、そこに日本の文化があった
何かただ利益を得るというのではないものがあった、だかさ商人道もあった
近江商人の三方よしというのもそうだった、武士道などもそうである、必ず道が後ろにつくということは道を究めるものとして職業もあったからだ
日本人は仕事を重視するのは働くことを重視するのは仕事を通じて職業を通じて道を究めるということがあったからだ
だからスポーツの語源が気晴らしとなるのとは相当に違う、スポーツは気晴らしということはとても道を追求するようなものではない、息抜きであったとなる

ただスポーツでも文化と関係ないかというと関係があった、文化の意味がcultureでありcultivateが耕すが語源となっていることでもわかる
その土地を耕すという時、農業だけのように思っているがスポーツでもそうだったのである
イギリスでなぜゴルフが生まれたのか?まずイギリスの風土を見ればわかる、丘が多くなだらかでありまるでゴルフ場にもなっているからである
天然の場がゴルフ場だからゴルフが生まれて当然だともなる
日本の様な急峻な山だったらそんなスポーツが生まれないからである
だからスポーツにも文化があるとなる、欧米のスポーツがほとんど組織的なものとしてルール化したのも模擬戦争ともにているのである
逆に日本人の武道は個人対個人なのである、日本には個人がないとか個性がないとか言われるけど武道に関しては集団的ではなく個と個であり一対一でありそこで武道を究めるとなる

スポーツさえ文化だというときなぜオリッピックになるとその文化でも失われるのか?

それはグロ−バル化すると文化は喪失する、どうししても一律のルールに則らないと公平にならない、そして勝ち負けだで判定する、でも日本のように勝ち負けより道を究めるとなると本来の柔道とは違ったものになる、でもグロ−バル化すれば勝ち負けですべてが決められるのである、すべての結果が勝ち負けでありその他は評価できないのである
それでかえって柔道の精神でも失われるとなる

要するにグロ−バル化するということはかえって文化を失うことになる、意味もなくなることになる、文化とはそもそも国々で地域でも違ったものとして文化があったからであるそれを一律なものにすることに無理があったからだ
ただすべてを勝ち負けで決めるとなると文化は失われる
例えば比べ石とか今でも残ってるけどこれも重い石を持ち上げる今なら重量挙げのような競技だった、その重い石を持ち上げることが競技になったのはその重い石を持ちあげることが村で一人前の男として認められることだったからである
農業社会では力が評価されたからである、米俵でもかつどとか仕事でしなければならないからそうなった、そういう狭い範囲で価値が評価されているからわかりやすいのである

でもそれが広域化したりグロ−バル化するとそこに共同体とか社会として共通の価値観が違ってくるから理解できないしただ勝ち負けですべてを計ることになる
それは貨幣と似ていたのである、貨幣が生まれて広域化グロ−バル化社会が生まれたからである、江戸時代でも仙台銭というのがあった
それは仙台でしか通用しない貨幣ともなる、広域でグロ−バルに通用する貨幣ではない
江戸時代には関所があり貨幣を別な反に

江戸時代も中期になると、為替制度が発達して各宿場宿場に両替商がありましたから、重い小判や文銭を大量に持ち歩かなくても済んだようです。又、有力な藩では、紙幣に当たる藩札を発行していて、両替が出来ましたから不便は無かったようですが、両替手数料はめちゃくちゃ高く、10%〜15%が当たり前だったようです。

ヨ−ロッパ旅行すると国ごと交換レートがありめんどうだった、今ならユーロ―になっているから便利である、それで広域化してグロ−バル化されるのである
ドルはアフリカの果てまで通用しているからアメリカが覇権国になり世界に通用する紙幣となっている

このようにグロ−バル化するということは貨幣がどこの国でも使えるということになる
でもその貨幣ですべての価値を計ることができるのかとなるとできない
それはあくまでも一応の目安なのである、この貨幣はグロ−バル化するためには不可欠である、ただそこでの問題は価値が貨幣ですべて計れないのに計ってしまう弊害である
それがグロ−バル化の大きな問題なのである
価値は実際多様であり簡単に貨幣だけで計れないものだからである

オリッピックでもそうだがこのようにやはりグロ−バル化したものは価値の一様化なのである、すべてが勝ち負けで決められる、負けた者には価値がないとされる
それは実際は価値基準にならないにしろそう強いられるのである
オリッピックの問題もグロ−バル化した結果として現れた
それは一部のオリッピック貴族のための金儲けになっていたことが判明した
スポーツでも文化があり一様化できないのにただ勝敗ですべての価値を決めるからである
要するにグロ−バル化の弊害が大きくなって現れたというのがオリッピックでもあり全体的にもそうである、それは様々な方面でその弊害が大きくなったのである

貨幣で紙幣でもすべての価値は計れない、スポーツでもそうなのである
メダル数でその国の強弱とか価値を計ることはできないからである
むしろ小国でもそこに独特の風土に根ざした文化があるとき尊ぶとなる、そこに価値があるとなるからだ、オリッピックでも大国が有利になるからだ
でも文化になると小国でもそこに文化があり特徴があり興味あるとなるからだ
グロ−バル化となればそうした小国の価値は無視されるからである
それは国内でも起きてきたし世界的になれば余計にそうなったのである
posted by 老鶯 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月23日

無意味化したオリッピック (膨大な金の無駄使いと化した-意味が問われる時代)


無意味化したオリッピック

(膨大な金の無駄使いと化した-意味が問われる時代)

オリッピックにも莫大な金が日本の税金でも使われた、それは原発ともにていた
原発は除染でも何兆円とかこれも効果もさほどないのに湯水の様に使われた
オリッピックも国立競技場とか施設を作るにしても莫大な金が使われた
そして開会式でも無観客だとなるからそれだけ金をかけた施設も活きてこない
盛り上がらないのである

だからそれだけの金と労力をかけたものが無駄になる、活きないのである
するとそのためにゼネコンにかけた金とか労力でも無駄になる
その労力にしても莫大なものとなるからだ、国家的事業だからである
確かにゼネコンにとっては利益となった、それは原発の除染でもゼネコンが入ってきて
利益を得たからである、それも実際は効果があったかとなるとそうでもないのである
それは徒労のようにさえ思えた、なぜなら森などは除染できないからである
だから除染はいくらしてもそれは全体からすれば一部にすぎないのである

何か最近問われているのは莫大な金をかけてもそれが有効にならない、施設を作っても
有効にならない、飯館村では学校を作るのに何十億かけて施設も作っても肝心の村民は若い世代は流出して住んでいない、生徒は村外から通っている、生徒5人に何十億かけているとか言われた、つまりそうして箱ものを立派な施設を作ってもそれが活かされていないのである
それがオリッピックにも言えた、無観客とは校舎が立派でも生徒がいないと同じなのである

それで人間のやることは莫大な金をかけてもそれが必ずしも活きないと思った
何か徒労に終わることがあると思った、なぜそうなったのか?
そもそもオリッピックをする意味が何かわからなくなっていた
時代によってその価値が変わったのである、これまでは何か価値あるものだった
世界中の人が技を競うとかで何か意味があり効果があった
でも実際はオリッピックはやる意味が希薄化してきたのである
金ばかりかかり何のためにしているのかわからなくなっていた
商業主義になりなるべく安くするのがいいとかも言われてイギリスとかアメリカでは実行した、それは金がかかりすぎても国の収益ともならないとなったからである

そして現実はオリッピックは本当に一部の既得権者の利権と利益のためにされていたのである、それがIOCのバッハ会長がぼったくり会長として批判されたことで判明した
なんでも200万とかのスイートルームの部屋が用意されたとかまるで国賓並みの待遇なのである、それでオリッピック貴族と言われたこともわかる
そのオリッピックは企業の宣伝のために使われる、放映権でも莫大な金が世界から出る
一つの世界的ショーとして金儲けのためにされていたのである
それが今回露骨にそのことがクローズアップされたのである
可視化されてみんながオリッピックとは一部のものの利権と利益のためにされることがほむかったのである
第一コロナウィルスがまた増えてきたとき強行するのは命の危険にもなる
そこまで危険を犯してまでやらねばならないのかとなり日本国民も反対が過半数を軽く越えているし世界からの批判もあるのに強行するのはなんなのだとなったのである

そもそもオリッピックを誘致するとき国民でも深く議論もしないそれが本当に必要なのかどうかも検討しない、震災からの復興オリッピックだとか言ってもそれも全くの偽装だったのである、原発事故の避難区域は何ら復興していないからである
それも世界に対して欺くものとして偽装されたとなる、それが政府指導で行われた
政府の都合であり今の自公政権の都合であり自民党内だと菅政権の都合で行われたともしている、なんか人気取りとかのためとなるが実際は裏目に出た
国民の総反発をくらっているからだ、こんなときになぜするんだとなっているからだ

結局これも原発でもそうだったが本当に必要なのかどうか深く議論もしないし検討もしない、ただ利益になる金になるということしか見ないからである

何の意味があってやるのか?

このことが深く検討されない、国民側にしてもやはり観光客が増えるとか金になりあとは一部の者の利権と利益のためにやるとなるだけであったのだ
ただそういうことが原発でも可視化されない、眼に見えたものとして現れない、第一IOCのことなどわからないからである

2018年から何年かは危険な時なのかもしれない
こんなとき東京五輪などやるべきではなかった
なぜなら東京五輪はやる意義もなくなっていたからである
ここに予算をつぎ込むのは日本をかえって衰退させる
それからカジノも中止になる、日本にまた大きな災害が来たら地震がくるとなれば
外国人も来ないからだ、外国人をいくら金もうけでも際限なく受け入れるのは問題だからである
北海道でも外国人が多いがこういう地震があると外国人も来るのを控えることになる
それでは観光で困るとなるがやはりあまりにも外国人に頼りすぎるのはどうかと思う
日本人が自分の国土でゆっくり観光ができないのもおかしいと思うからだ

自然災害もカルマなのか?
(カルマは蓄積されたものが放出すると安定する?)

ここで自分は書いていた、2018年に危険な年としたが2020がコロナウィルスが流行した年だった、災いがつづいていたのである
その時国民もオリッピックにはとんど反対していないだろう
何か景気良くなるとかしか考えていなかったのである、それは原発でも目の前の巨大の利益利権に目がくらんで地元でも積極的に誘致したのと似ている
人間はどうしても目の前の利益を優先する、それは誰でもわかりやすいからである

オリッピックする意味があるの?

こういうふうになるとなかなか考えることだからわからなくなるからだ
ただ実際オリッピックする意義は希薄化していたのである
前の東京オリッピックは意味があった、日本がの戦後からの復興オリッピックとして世界に示す意味があった、そしてそこで東洋の魔女とかでバレーボールで日本が優勝したのも日本の高度成長時代を象徴していたのである
では今度のオリッピックが震災からの復興オリッピックになるかとなるとそんなものが最初からなかったのである、それは政府の偽装でありそれは地元でもわかっていた
原発事故から復興などしていないからである、避難区域は依然としてゴーストタウンのようになっているからである
結局その偽装はいつか暴かれる、原発の「安全神話」も暴かれた
今回のオリッピックもこれは一部の者達の利権利益のオリッピックだったのである
それが露骨に可視化されたのである、何かいつか悪は暴かれるというときオリッピックもそうだったのかとなる
もうオリッピックを強行するのは狂気の沙汰だともなったからである
そうして菅政権は崩壊するとまでなったからである
何か人間社会でもやはり天災があったり神の意志が働いているのかとなる

原発はやめろ

カジノはやめろ

オリッピックはやめろ

何かこういうことが天からの意志、天意とか神意があってそうなったのかともなる
それでもしかしたらリニアなどもいらないともなる、大事業でもそれが無益化すると莫大な損失に奈留だけだからである
でも例えばエジプトのピラミッドなどはこれも莫大な労力をかけて作ったのだが何か意味があるのかと今になって問われる

何のために作ったのか?

それが問われる、でもそれも定かではなくなっている、ただこれが今になって無駄なものとも必ずしも見えないのである、一つの巨大な文明の記念碑だったとなる
歴史的にそうした巨大建造物は世界に残っている、ただなぜ今になるとなぜこんなも巨大なものが残ったのかとなる、意味が問われるのである
オリッピックも世界的行事だからこそその意味が問われる
とにかく最近は現代は何かと意味が問われる時代になったのである
何のためにこんなに金をかけてするのかと問われる時代になった
高度成長時代は橋がなけれはインフラを整備しなければならない時代だった
でもそういう時代が終わると何か公共事業でも無駄が多くなったのである
だからこそ何のために何か意味があってするのかとが問われるようになったのである
戦争で三百万人も死んだのはなぜかなると今になって問われる
必ず過去にしたことでも歴史的なことでもその意味が問われるのである
それが人間の人間たる所以だとなからだ

posted by 老鶯 at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月16日

東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。 (役割や意義や意味が問われる時代)


東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。

(役割や意義や意味が問われる時代)


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オリッピックてだは利益、利権より意味や意義が問われる

原発事故では利益や利権より安全が問われた



オリンピックを誘致しようとしたとき、何かその〔意義」などあまり国民でも考えなかった、世界中の人が集まり観光にもいい、日本に金を落とすとかくらいしか考えなかった
今になってコロナウィルス騒ぎになりなぜこんな時にわざわざ感染を広げるようなことをするのだろうとなった

最初日本が震災とか原発事故から立ち直ったということを世界に示すものだとして聖火リレーを東北を回ることにした、でも原発事故は依然として復興していない
避難区域には浪江町で一割とか他でも飯館村とかでも帰って住んでいるのは老人であり若い人は移り住み住んでいないのである

だから例えばそうした避難区域を聖火リレーで回ってなにか復興のたしになるのだろうか?
そこに意義は見いだせない、そもそも何か意義を本当に深く検討することなどなかったのである、結局一部の利権にかかわる人たちがしたいということでありそれも金儲けが目的なことが判明したのである
それでIOCのバッハ会長が世界からぼったくり会長としてオリンピック貴族して批判されたのである

とにかくどういうわけか最近こうしていろいろなことが何のためにするるのとか何か会社でも何でも存在する意義があるのかと問われる
オリンピックにしろこれまで世界中の人が集まった祭りでありそれがこんなふうに
意義とか問われることがなかったのである
こういうことは他でも問われている
何のためにしているのか、その目的と意義は何なのかと問われる

銀行でも銀行は一体何をすることが目的で意義があるのか?
なぜ投資信託とか株とか売りつける証券会社のようなものに変わったのか?
利益が出ないからそうなった、でも本来の地銀とか銀行の社会の役割はそういうものではなかった、地域の経済を活性化して発展させるものとして金を集め融資することだった
それは高度成長時代には資金を必要としていた会社も多く銀行に金を貸してくれと来ることが何もしなくて頼みにきていて必ず利子が帰って儲けになっていたのである
つまり銀行は何か金さえ集めていれば金を借りにくる会社がいる、人がいる
それに利子をつけて貸していればいいとなったのである
でも今は借りに来る会社でも人もいないのである

だから金を銀行で集めても借りて利子をとることもできないのである
それで投資信託とか株とかを売る仲介役となりそれは証券会社のすることを肩代わりするようになった
すると銀行の役割は地銀の役割は別に地元の経済を活性化する発展させるということもなくなるとなる
その代り客が投資信託でも株でも判断して利子になるものを得るようにするほかないとなる
つまり客自体が金をもうけたいなら利子を得たいなら投資信託でも株でも投資のことを自分で勉強してしなさいとなった

結局その負担が地元の客にかけられるようになったのである
自分自身そういうことをしたことで書いてきたけどこれも大変だとつくづく思った
そもそも投資のことなど簡単にわかるものではないからだ
だから銀行に頼むほかなかったからだ、でもその地銀でも投資に関して素人だったのである、同じレベルだったのである、そして地銀では手数料をとることしか考えていないのである、だからリーマンショックで半分に下がった株が元にもどりさらに倍にもなった
でもその株を営業の人は売ってJ-REITにした、そこでまた手数料が入りノルマを果たすことができるからそうしたのである、でもJ-reitは急激に下がったのである
ただなにやかにや客が言ったとしても投資は自己責任で終わりなのである
別に銀行が詐欺だとかなんとにはならない、お前の責任であり自己責任で終わりなのである

ただここでも問われているのは何のために地銀とか銀行があるのか?
それが問われている、株とか投資信託とかをするのは証券会社であり地銀の役割ではなかったからだ、そうならば証券会社になった方がいいとなり現実に福島銀行はSBIに吸収されて証券会社にもなったからである
だからそもそも一体地銀の役割は地銀とあるごとく地域のために何をする役割があったのかと問われているのである
つまりその役割とか意義とかが問われているのである、それを見出さなければ地銀はいらないとなる、確かに利益を出すことが何であれ優先される、利益が出ないならやめるほかないというのも現実である
でもその前にその会社であれそれが存在する役割や意義は何なのかと問われるようになった

それはあらゆる方面でそういうふうに役割とか意味とか意義が問われるようになったのである
ただすべてがまず利益を出すことでありそんな役割とか意味とか意義とか問われなかったろう、これまでは別に利益をだすものが意味があり意義があった
だから利益を出していればいちいちそんなことを問わなかったのである
それは何故なのだろうとなると例えは橋がここにないというとき橋をかける意味とか意義など誰も問わない、それはみんな必要としているからだ
ただ橋でも道でもインフラが整備されると北海道に高速道路を作っても熊が歩いているだけだと言われた、そんなもの必要ないのに税金の無駄だとされるようになった

リニアなどでも自然破壊がありそんなに早くして莫大な金をかけてやる必要があるのかと問われる、新幹線は必要だったがリニアとなると本当に必要なものなのかどうかと問われる、新幹線で十分ではないかということにもなるからだ
インフラでも整備されると地方への公共事業でもそんなに道路ばかり作っても無駄だともされたのである
だから今整備するのはこれまで作ったものが老朽化したら修繕の方だとなる
新しく何かを作る時代ではなくなったともなる

ともかく何でも利益を求めて意味とか意義など関係ない、まずは利益であり利権だとなるそれは高度成長時代には良かったのかもしれない、いろいろなものが整備されていないからである
そういうことはあらゆる方面で起きているのである
創価公明は高度成長時代に急激に増えたのは日本が経済成長することは御利益が得たからだとなる、みんなその時は給料でも上がり豊かになっていたからその時代にあったものとして生まれた
でも日本の経済が30年とか成長しないとか給料も上がらない、貧困化すると御利益がないとして衰退する
それで何の目的で活動しているのかとか今問われる
何をしたいのか会員でもわからないとなる、それは前からそうだったのが今になるとその存在意義とかが社会から問われるのである

原発事故で漁業者が事故前からも多額の補償金をもらっていた
漁業権を売ってもらっていた、そして事故になりまた補償金をもらうから生活の心配は何もないのである
そして海が汚染されるか騒いでもまた補償金を上積みするためなのかとも見られる
そして漁師が港で魚もとならないのになぜ自分はここにいるのだろうと自問していた
これもつくづく漁師がそもそも何をする人であり地域であれ社会であれ何の役割があっていたのかと問われる、魚をとり地域の人に提供するためであったからだ
その魚にしても実際は地元ではなく東京の金持ちのために寿司だったら三万円もの高給料理店に売っていたとなる、地元の人に売るわけでもなっかとなる
こういうことは別に広域化グロ−バル化経済になれば普通のことなのである
でもその土地に住むならその土地の共同体とかがありそこで意味とか意義をもつ
でもグロ−バル化するとそういう役割とか意味とか意義が考えないのである
ただ高く売れて利益になればいいとしかないのである

NHKのテレビで浪江の人が田んぼを作っていた、それもすでに十年くらい放置されたままである、でもその田んぼでも畑でも働いて子供三人とか育てた
じいちゃんは帰りたいとか言う、新しい家はすでにいわき市とかに建てている
でもその荒地化した田んぼを再生させたいというとき田畑で子供を育ててここに生きたということがありそれが生きたことであり生きた意味でもあったからまた再生したいとか跡を継いでもらいたいとなる
でもその人も実際は東電でも働いていたのである、農業だけでは子供でも育てられないということがあったからだ
ただその田んぼに執着するのはやはり自分の人生がそこにあったからだともなる
それは家のことを書いたがやはり家には親が苦労して作ったとか思い入れがあるからだとなる、それを子供が受け継ぐのである
田畑でもそうである、だから農家では先祖の田んぼだから売りたくないとなるのである
先祖の労苦がそこにあったからそこに意味と意義があるからだとなる
大げさになれば歴史的価値としてある、単なる米を食べる腹を充たすだけではないものが田畑でも家でもあったからそうなるのである

なぜこうしてあらゆる方面で存在意義とか意味とかが問われるのか?

それは経済成長してインフラでも整備されるとそこに余計なもの無駄なものが生まれるからだともなる

そんなものに金を使って意味があるのか、意義があるのか?

それがオリッピックでも問われたのである、このことは本当にオリッピックだけではないあらゆる方面で問われている、だから哲学の時代てあり宗教の時代であり芸術の時代にもなる、宗教でもただ拝んでいればいいというのではない、もともとなぜかというこから宗教だって始まっているからだ、ただ御利益を求めるものではなかったからである
哲学と宗教は不可分なものとしてあったからである

これから今でも何かというとこの役割とか意味とか意義が問われる
それはまず利益になればいいだけではない、意味や意義が見出さなければやるべきではないとなる、だからまずそれをやるべき意味と意義を深く検討しないと後で問題が起きてどうにもならなくなる
それはオリッピックでもそうだった、実際はその意味と意義とかをみんなで検討したり深く議論したもしなかった、利益がある利権があるということで始まったのである
それがあまりにも誰が見てもそれが一部の者のオリッピック利権者がするものであり
かえってコロナウィルスが広めるためにするのかともなる
災いのオリッピックになってしまったのである
ただそれも利益利権しか見ないからそうなった、原発事故でもただ利益であり利権であり危険性はないがしろにされた、安全神話を作り都合いいように利権として利用されたからである、危険なものだということは隠されて議論もしないで利益利権のために作られて大事故になったからである


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2021年07月13日

この世に完全な安心安全などない (コロナウィルスのリスクを許容する時期が来ている?)


この世に完全な安心安全などない

(コロナウィルスのリスクを許容する時期が来ている?)


人間はこの世に生を受けた時、すでにリスクがある、まず安全にうまれるかどうかもリスクがある、子供が死産の場合もあるしまた母親が死ぬ場合もある
近くでそういう女性がいた、ただそういうリスクは減ってきた
また子供が死ぬことも多くそうして死んだ子供の名前を墓に見る
人間は医療が発達しなかったり栄養が悪いと子供でも死に安いのである
それは今でも後進国でアフリカなどでは同じである

つまり人間は生まれた時からすでにリスクをかかえて生きている、子供でも交通事故にもあうし何か危険な目にあうし死ぬこともある、遊んでいてもリスクがある
決行危険な遊びをしている場合があるからだ
だから結局人間はリスクがないということはないのである
どんなに気をつけてもやはり事故があり確率的に死ぬこともある
それは避けられないのである、それがこの世に生を受けた宿命だとなる

私の母親は冒険などしないおとなしい内気な女性だった
それでも水害になり水が床上浸水になりその時あわてて米をかかえて逃げようとした
その時炬燵の穴に入って大けがをしたのである
水が入って穴になっていたのがわからなくなりそうなった
結局人間は家にいても安全はない、リスクがある、津浪が来て地震がきて家が流されたり村ごと消失したりしたのには驚いた
だからなぜそんな危険な場所に平気で住んでいたのかとふりかえる

リスクと言えば交通事故は死者が減ったとしても一番確率が高く事故にあう
もうそれは避けられない、あの時ちょっとの差で事故になり死んでいたかもしれないということをほとんどの人が経験しているだろう
だからちょっとしたことで人間は死ぬということは普通なのである
それでも車社会でありリスクを許容して生きているのである
私は何かずぼらであり車運転に向かないから車を持たないのである
車を運転したら早い時期に死んでいた、それほど車というのはリスクなのである

今日テレビでこれからの問題はどれだけリスクを許容するかであると言っていた
もうコロナウィルスとともに生きざるを得ないから何でも制限する必要はない
with コロナで生きるほかないと言っていた
そういう実験をイギリスではしている、アメリカではもう普通の生活に戻っている
日本ではどうするのか、敏感すぎるともなる
ただこの辺が正念場だから耐えるべきだとかも言う

確かなことをこの世から完全にリスクを取り除くことはできない
だから原発の安全神話は全くありえないことでありそれでも安全と言って住民をだましていたから許されないとなったのである
リスクはある、でもそのリスクにどう対処するかが問題になる
ただ「安全、安全」と題目のように唱えているだけでは安全はなかったのである
配管などももう老朽化していたのにそういう修繕もしない、ただ安全、安全と唱えていれば安全になっていたら楽なのである
それで大事故になったのである

ともかくリスクはさけられない、コロナウィルスでもどの辺で折り合いをつけるのか未知の物だから迷うのである
科学者や研究者ですらプロですらわからないとしたらどう判断していいかわからないからだ
ただ日本だと完全にリスクをゼロにするコロナウィルスをゼロにするということは問題だとしている
それはできないからである、未知なものでありできないのである
だからどの辺で折り合いをつけるかが今問題になる、このままでだらだらやっていたら
いつ終わるのかわからないしそのうち社会が機能しなくなる
飲食店も倒産して自殺者も増えたりそっちの方の被害の方が大きくなる

そのことをテレビで討論していたのでそういう指針を政府で出すべきだということもわかる、明らかになったことはそれほどの死者が出ないことである、重症者が減っていることである、感染者は増えても重症者が減っていることは安全を計る基準にはなる
ただ未知なものに対しては何か恐怖がつのるのである
そういう私自身がすでにワクチンをして500人死んだというときしたくないからしないのである、そのことはテレビでは報道しないからである

ともかくこの世を生きることはもう生まれた時からリスクがあり時代を見れば70年ごとに大変化がありリスクとなる、70年前の戦争では三百万人も死んでいるからである
もしそういうリスクを想定したらとてもじゃないが戦争などできない
でもあえて日本はアメリカとの戦争に踏み切ったのである
そんなとてつもないリスクを考えていたのかとなる、その責任はどうなるのだとなる
それは原発事故でもいえる、故郷に住めなくなる、50年以上も放射線量は減らない、毒は消えないとかなる
そもそも原発は本当にリスクが大きすぎたから作るべきではなかったのである
でも「安全神話」を作り何も事故になることを想定してしいないから浪江の人たちは一番危険な放射線量が高い津島に避難したのである

株でも投資でもリスクはある、そのことは銀行でも証券会社でも一応言うし事前にそういうものだという了解でしている
でも売る方になるとリスクはあまり言わないのである
とにかく人間社会は常にリスクがあり時代によってもリスクがある
リスクはまねがれないのである、だからリスクにどう対処するのかが問題になる
コロナウィルスでもリスクでありこれにどう対処するのか問題になる
イギリスではある程度のリスクがあるとして許容して普通の生活にもどる
アメリカでもワクチンをうって野球観戦でもマスクをしていないとかしている
もうリスクを許容してそうするようになった

では日本ではどうするのか、リスクをそのように許容できなるのか?
ゼロリスクにすることはできないが日本だとそうしたいとなる
でもそんなことがありえないことだからどこかで許容して普通の生活に戻らないと社会自体が大損失になり自殺者の方が増えたとなる方が問題になる
だからどこかでリスクを許容して生活を正常に近くするほかないとなる
ただ正直南相馬市では飲食店でクラスターが起り警戒するようになった
田舎では敏感でありそれで外出もできなくなったともなる
田舎の場合はこうして敏感だから人流もある程度おさえられる、でも東京とか都会となるとおさえにくいのである、仙台市は一時減ったがまた増えてきたとかある
だからもうゼロコロナではななくwithコロナにするほかないのかもしれない
そういう指針を政府で出す時期なのかもしれない、そうしないといつまでもコロナウィルス騒動終わらないし戦々恐々として正常な生活ができないとなる
その被害の方が大きくなる、それで社会活動がてきなくなりそのための犠牲者がコロナウィルス自体の被害より大きくなることは止めねばならないとなる

人間はやはり運不運がさけられない、個々人でもリスクのない人生などない
どこでどうなるのかわからない、安全安心もない、だから運が関係しているとなる
商売でも運が関係している、私の店が繁盛したのもただ角にあり場所が良かったのと小商いが成立した時代だったからだとなる
つまり運が良かっただけなのである、

それで財産でもラテン語 fortuna(運;[複数形] 財産)→fors(好機;運)→bher-(運ぶ)が語源。「偶然やってきたもの」がこの単語のコアの語源。bear(運ぶ)と同じ語源をもつ。fortuneが運が財産となったのである運が良いか悪いのか相当に人間の陣形に影響している

私でも戦争の前に生まれていたらすでに20代で死んでいたとなる
でもちょっとの差で戦後に生まれたから死なずにすんだとなっているのだ
それも運だったのである、何か人間には運が作用しているのである
この運だけは人間ではどうにもできない、神が運を作っているともなるからだ
人間には様々なリスクがつきものである、そのリスクをなくすることかできない
いくら安全を計って家から一歩もでなくても災いにあうのである
かえって思い切り冒険したので助かったとういこともあるのだ
とにかく過度にリスクを恐れることは問題がある
ただ原発の様な危険なものはもともと作るべきではなかったのである
こんなふうにして事故にあったらもうとりかえしがつかないからである
別に火力発電所なら爆発しても回復できたが原発はできないからである
それなのに安全神話を作ってだましていたから許せないのである

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2021年07月09日

創価公明は中国の命令で動く一部隊である (文明の病的現象としての創価ーナチスとも似る)


創価公明は中国の命令で動く一部隊である

(文明の病的現象としての創価ーナチスとも似る)

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●勤行・唱題しない会員が多すぎる!
●地区の運営マニュアルがない!
●折伏する活動家が激減!
●子供への継承ができていない!
●人材育成システムが存在しない!
●組織を運営し、発展させるプロがいない!
●提案・意見・苦情を吸い上げる機能がない!



創価とは何なのか何もの目的でそもそも作られたのか?
それが不可解なのである、そしてなぜあれほど会員が増えたのか?
それは信仰のためとかなるが現実は信仰とは関係ない
第一あらゆる欲望が肯定され信仰でさらなる欲望を得るために祈るのが宗教ではありえないだろう
題目を一日唱えている人もいる、それは何のためなのか?
それは現世の欲望をかなえるためである
あらゆる欲望は否定しないしかえって奨励される、欲望が強いことがエネルギーがあるとして肯定されさらなる欲望を満たすために祈りつづける
日蓮宗は何か題目を唱えて江戸時代でも練り歩いていた
攻撃的な宗教てある、ただ念仏宗でも同じようなものである

ただ日蓮宗はより政治的である、ただ戦国時代になりそうした権力と一体化した宗教が信長によって弾圧されて江戸時代には仏教は幕府の寺社奉行の支配下になって権力に対抗することはなくなった、役所のようになり人別帳とかで管理するものとなった
それで寺は幕府に優遇された
でもそのことで神社側が不満があり明治維新になって廃仏毀釈運動が起きて仏像などが破壊されたのである、天皇は神社の総元締めであり天皇が復活したからそうなった
つまり宗教も利権と深くかかわりそうなったのである

ただなぜ創価が会員でも増えたのか、それはやはり戦後の混乱の中で何か拠り所を求めたからだろう、特に創価は都会の宗教であり都会を重んじる
東京と大阪を主戦場として会員を増やしたのである
それで東京と大阪では選挙で常勝であり仏法の勝利だとして鼓舞していた
それは全く都会中心の宗教でありまた団地の宗教ともされた
地方から田舎から来た人が何か精神的拠り所を求めて入信した、会員になり仲間意識を育てだとなる、だから本来の宗教とは別な動機がありそれで増えたのである

第一宗教というときどういうふうにしてどこから生まれたかを見ればわかる
エホバは人一人もいない砂漠から荒野に現れた、大都会の人が密集しているような場所に神は絶対に現れない、神は不浄を拒絶するから砂漠とか自然の厳しい場所にこそ宗教がありうる、だから山伏とか山岳宗教でも自然の中で身を浄めるのだからそっちの方が宗教らしいとなる
イスラム教でも仏教でも岩窟で宗祖が悟りを開いたとか神からの啓示を受けたとなる
東京のような所で神も仏もない、ただそこに大衆と群衆とビルがあるだけであり索漠としている、ただ巨大な高層ビルを見上げて人間の卑小さを知らしめられるだけである
あとはただ数字としてカウントされもう人間はいない東京砂漠なのである

創価の異常性はヒットラーのナチスと類似もしている、現代文明の中でアトム化した人間が砂のようになった人間が何か理由もわからずにそこでナチスのように一体感を感じる
仲間意識をもてるとなり増えたのである、その内部では別に助け合うとかではない
結局は一部の幹部とか議員になるとかで上昇意識をもたせて組織を活用した
第一人間が組織化すること団体化することは必ず地位とか序列を作る
それは中国の共産党自体がそうである、序列を作り内部抗争があり権力闘争があり反対する者は殺すことを繰り返してきた
それはまさに人間の業だった、カルマだったのである
人間は組織化団体化するとき非情になる、そしてその数で権力をもち高圧的になる
民主主義といっても田中首相が政治は金と数だと言ったように数が力なのであり一個人など一票など何の力ももっていないのである

そして創価というとき何か数が多くてそれが恐怖になるが実際活動している人は少ないのである、最近は全国の選挙でも百万票を減らしたように活動していない人が膨大なのであり衰退の一途をたどっているみたいだ
その数の中味は実際はただ数だけだともなる、信仰などは全くない、ただ何か得することがあるとか上の方になると議員になれるとか地位を得るとかしかない
何か本来の宗教的なことは一切ない、そして幹部のしていることは膨大な何百万という名前だけの会員に一票を入れさせるために一軒一軒回る
常時選挙で勝つ、票を得ることが目的だからそうなる
だから創価とは膨大な幽霊会員の団体だとなる、実質の連帯とか村の共同体のようなものはないのである
それはそもそも文明人間自体がつくづく幽霊人間なのである
ただ数として統計としてあるだけであり本来の人間などいなくなっているのだ
そういう現代文明からナチスが生まれたのであり創価も同じなのである
現代文明の中から生まれた病的集団だとなる,オウムも現代文明の落とし子でもあったからである

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人と人は結合しない
大衆や群衆となり
見せかけの連帯に酔う
しかしその騒ぎののちに
何か実りなき虚しさ
結合した建築物ともならない
分解して結び合わない
そして散り散りになり
砂のように結び合わない
砂には足跡も残らない
ただ砂に消されて跡を残さない
まさに手に握る砂がこぼれてゆく
現代人の悲しさ

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ 啄木

啄木の歌がそうである、カルト教団でも何かそこで人間と人間が結び合うことを欲して生まれたことはわかる、でも現代文明ではそれがないのでありカルト教団でも実際はないのである、だから創価でも何百万人の幽霊会員がいる
その幽霊会員を一票に結びつけると数として具体的な権力となるから常時選挙活動しているのが創価なのである、でもそこに本来の共同体などないのである
だからそこ幽霊会員が膨大にいる、そもそも人間が大都会では幽霊のようになっているのである

いづれにしろ創価とはな何なのか?何の目的で集まったのかも良くわからないのである
表面的には日蓮宗であるとしても政治団体でありなぜあれほど中国に従属してその配下のようになっているのか?その目的は何なのか?
ただ別に周恩来時代から中国は今のように発展しないときから親密であり中国様様になっていたのである、それは池田大作がそういうふうにしたとなる
ということは今の中国の巨大化を見ればそれを見込んでそうしていたのか?
とすると先見の明があったとなる、世界のことがわからない自分からするとやはり国際性がすでにあったとなる

創価とは中国の命令なら何でも従う日本の中の中国の一部隊なのである
だから公明党が国土交通大臣になったりして土地規制法でも骨ぬきにしたのである
この権力が日本にとって大きな権力だからである
それは自民党を下支えてして選挙で創価会員が票をまとめて当選させてくれるからである公明党が応援しなければ半分くらい自民党議員が落選するともされるからである
つまり票を集めることは権力を得ることに通じているからである
それで常時選挙態勢なのが創価公明なのである

ともかく創価の影響は知識人でもまきこみプロパガンダとしている、その最たるものが
佐藤優でありキリスト教とか言っているが全然違う、池田大作を礼賛することなどありえないからである、それから田原総一朗などもそうである
これも本を売るために礼賛の本を書く、またマスコミにも新聞などでも福島民報で聖教新聞をすらせてその資金源を提供している
毎日新聞などでもそうである、これは創価が金もありそこで金を権力を得るために活用する、会員から金を集めて権力掌握のために金を使うのである
だからマスコミはそういう組織団体のために使われいるだけであり真実は報道しないのである、それは新聞でもテレビ局でも金がかかりすぎるのである
もしyoutubeやプログのようなものになると手間がかかるとしても無料なのである
だから金もなくても報道でもできるとなる

ただ最右翼の鈴木傾城などが佐藤優などを持ち上げたりしているのは解せないのである
なぜなら創価公明は中国の一部隊であり中国に日本の国土でも自由に買わせて使わせるとかしているからである、その国土交通大臣が公明党だからである
そしたらなぜ創価公明のプロパガンダの佐藤優を持ち上げるのかわからないとなる
矛盾しているとなる、あれだけ中国を攻撃しているのに矛盾しているとなる
ただ日本でも中国の影響はアメリカより増大している
なぜなら中国はアメリカと違って中国人そのものが日本に住み活動するからである
そして土地でも買ったりあらゆる面で戦争する前に中国が支配しているとなる
だから高橋洋一氏が中国の統計は嘘だとか本を出そうとしたら中国政府から抗議が来た
つまり日本でも言論弾圧をすでにしているということなのである

ただづはさの党では中国とアメリカは対立しているようで裏でつながっている
日本を分断させて日本を支配する、そのことは裏で了解しあっているとしている
CIAとか国際資本家がそう決めていて実質の支配者はデーブステートとしている
そのことがあながち否定できないのは日本がアメリカに負けた時、実はソ連とアメリカで日本を分割することが密約されていたからである
それが辛うじてそうならずにすんだのである

いづれにしろ日本は今国力が弱体化して中国であれ進出しやすい、アメリカはどうしても衰退してやがて日本から駐留軍を引き上げる、そうなったら日本一国で中国とは対峙できない、モンゴルの元冠のようにはならない、海が防壁とはならない
日本は今そうした危機に直面しているけどその危機感がない
何か日蓮が遭遇したような時代になっている、その鎌倉時代は様々な災害が疫病でも自然災害でも連続して起り日本は危機になった
その時日蓮は警告した、その時は外国勢力をモンゴルの侵略を止めることができた
しかし今回は創価が日蓮宗でも全く日本の独立など防衛など考慮しない
すでに中国の一部隊として日本を乗っとることに加担しているのである
それに二階とかが共同している、でも対立が激しくなると自民党も分裂する

日本は中国派とアメリカ派で分裂する、それは台湾有事で現実化する
次は沖縄の中国支配でありそして日本の本土支配になってゆく
沖縄は中国の一部だと明言しているから台湾の次は沖縄が戦場となるからだ
ただ日本は戦後はそうした戦争とか危機を感じなくなったのである
何か国自体の力を失っている、それは高度成長時代が終わり経済が低迷しているとか様々なことで日本が衰退していることもある
だからこそ今日本が対外的にも国内的にも危機的状態にある
ただそれがまだまだ自覚されていないしそういう危機を経験していない、津浪でも原発事故でもコロナウィルスでも日本は危機に弱くなった、対処できないのである

つばさの党でもまた右派でも創価が中国の手先だとして批判している
それで好感がもてる、国際金融資本も批判しているからアメリカからも独立を志向している、そういう党が今日本に必要だともなる
でも中国の圧力が強くなりそれになびくのも多い、経済界ではどうしてもそうなる
結局創価とは何なのか、何を目的としているのか、世界広宣流布だとか言うけどそもそも日蓮宗とか法華経とかとは関係ない、本来の宗教性は皆無である
ただ御利益であり得することしか頭にない、後は権力争奪を目的としている
宗教とはまさに方便であり中国とかも政治的に利用して利用されて権力拡大を目指している、俺たちの後ろには中国がいるとなると権力で日本を動かすことができる
それが今になると中国が巨大化したからさらに有効になる
だから中国が発展しない時でも中国と親密になっていたのはそういうことを見越していたとなり今になりその効果が現れたとなる
中国があんなにたちまち巨大化してアメリカを経済で追い抜くようになるとは思わなかったからである

ただ創価はもう衰退の一途をたどっている、活動する人は高齢化しているしその巨体をやっと維持している状態である、だから票でも百万票も減った、増えることはない
するとやがて自民党からも見捨てられる、今は下支えしてもそれもできなくなるからだ
特に中国の手先だとして警戒されて右派から攻撃されるようになる
ただ中国をめぐっては日本は深刻な分裂状態になる、そこで新しい政党が必要になる
その一つがつばさの党なのかもしれない、ただここの党は何を目指しているのかまだわかりにくい、ただ若い人が多いということは未来を担うのかもしれない
確かなことはもう自民党とか野党でも旧来のものに頼れなくなっている
大きな交代が世代交代が変革が要求されているのである
創価でも生き残るとしたら相当な大変革が必要であるがそれは不可能だとなる
その成り立ちからして宗教心などゼロだからである
だから一体何を広宣流布するのだろうと思う、ただそれは権力の拡大でありそれ意外ない信仰がそもそもないものが何を広宣流布するのか?
そんなことをできる人がいるのか、権力とか金とか地を得たいとか全く世俗と同じでありそんな団体が何を広宣流布するのだろうとなるからだ
いづれにしろナチスのように文明の病的現象として消えるとなるだけである

創価内部から改革ができるのか?創価は池田大作とか批判しても依然としてその組織の内部では組織の維持を望んでいる、そこがやめた人とは違っている
そういう人は内部から改革しようとしているがそれもなかなかできないと思う
その組織自体がもう維持できなくなっているからだ
ただやめる罰当たると地獄に落ちるとかでなんとかやめるのをとどめている
でも罰当たるのは実は創価の会員になっていることなのである
その組織にいること自体がもう地獄に行くことになっている、でも宗教のやっかいなのはやめることがそういう恐怖でやめられないのである
だからなんとか票でも減らさないという効果がある、つまり奴隷の霊を受けてそれから脱することができないのである、精神的奴隷人間なのである
そして生きているのか死んでいるのかわからない偶像化した池田大作に頼っている
組織自体がそう なっていたのだからその偶像の呪縛からも逃れられないのである
でも創価の崩壊が近くその時自民党にも影響する
票の下支えなくなり自民党も分裂するし日本は明治維新とか戦争の時のような大混乱になることも予想される、そのきっかけになるのが台湾有事でありまたつづいておきる中国の沖縄侵攻なのである


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2021年07月08日

自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴 (熱海市の土石流被害は中国も関係していた)


自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴

(熱海市の土石流被害は中国も関係していた)

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丸森のソーラーパネルはここは本当に危険である
ただ近くに人家はない、だからここまでしたとなる



熱海市の土石流被害が今の日本の問題を集約していた、そこに中国が関係していたことである、今回の崩落した盛土の脇に確かにソーラーパネルがあった
それが保水能力に影響して崩落したのか明確ではない
でも熱海市など地方小都市の土地が中国人に買い占められているというのは意外だった
北海道はそのことが言われたていた
でも今は日本の小都市の土地が買われているという、それで熱海市は標的としてはいい場所だったとなる

何か日本は中国の影響があらゆる場所で受けるようになった
日本浸食が尖閣諸島だとわかりやすいが実は日本中で中国の侵略が見えない形で行われている、熱海市は一時観光客も来ず低迷していた
そういう場所に中国人が土地を買う、中国マネーが入ってくる
それは毒のように日本人に回ってくる、カジノ問題でも富山県とかで中国人が関係してすすめられていた、金が中国人から流れていたのである

やはり国というのは国力が弱ると他国が進出しやすい、別に今は戦争ではなくても自由に人、モノが行き来するのだから住むことも簡単にできるのだから中国人が日本に住みつく現実に近くにも中国人が空家だったところに住みついて仕事しているからである
ベトナム人も住んでいる、それで中国人がベトナム人を仕事させるために連れてきていたというのも現代のグロ−バル化である
中国人の女性と結婚した人も知っている、中国人と欧米人の違い中国人は日本の中に住みつく、欧米人で住みつく人はまれである
だから欧米人は間接的影響であり中国人などは日本に住みつくから直接に影響する
中国人は中国政府の命令に従うというときもそうである
日本人に住んでいても中国人であり中国政府の命令に従う義務があるというとき日本にとっては危険なものになる

とにかく国力が弱体化すると外国の影響を受けやすくなるのだ
原発事故でももともと日本の技術で作られたものではなかった
何か日本人は技術で優秀だとかうぬぼれていた、そして日本人は原発でも事故を起こさないと「安全神話」が作られた、これは日本が戦争には負けないという神国としての神話を作ったのと似ていた
でも戦争で負けてそれも崩壊した、今回も原発事故で安全神話は崩壊した
原発はそもそも日本の技術で作られていなかった
古い型のお古のマーク1の原子炉をアメリカから買ったというより買わせられたのである遅れた国は武器でもお古を売りつけられるのである
日本は不思議に江戸時代の鎖国の時代まで独立国家だったのだが明治維新でも独立国家を維持していたがアメリカに負けてからは従属国家になり独立国家ではなくなったのだ
だからアメリカの意向に逆らうことはできなくなっていた

そして今度は中国が巨大化すると中国の意向に逆らえなくなる、それは日本の国力が弱体化しているからである、戦争する前にすでに日本は弱体化しているから経済的にも他国が進出して日本の土地でも会社で買うとなる
独立していないということはすでに経済的にも独立していないとなり土地でも買われ戦争する前に平和的に侵略されているとなる
熱海市でも衰退しても中国人が入ってきてそれで経済的にも復興したとかなるからだ

だから不思議に熱海の土石流が国際問題であり今を象徴していた災害だったのである
単なる自然災害とは違っていたのである、人災という側面もあった
その人災に中国人がかかわっていたともなる
ソーラーパネルは本当に自然破壊である、丸森では山ごとソーラーパネルになっていた
もう山自体の木をみんな切ってしまったのである
すると土石流になって流れ出す、でもそこには人家がない山奥だから熱海市のようにはならないということはある
でも山ごとソーラーパネルにしていいのか?景観としても問題である
そしてソーラーパネルの材料が中国製でありソーラーパネルは中国の企業が関与して作られている、中国をもうけさせただけだという人もいる

それは原発事故からクリーンな再生エネルギーとして民主党の行った政策だった
でも景観を破壊するし自然災害も起きてくるし廃棄物となるとき有害なもので公害にもなる、だからクリーンな再生エネルギーではないのである
ただこの辺では津浪で荒地化した海岸とかはソーラーパネルで埋まった
何も利用できないからそうなった、山でも木材が利用できないとかでソーラーパネルになった
ただ木材は外材が入ってこないとかウッドショックとかなると国産の木材を頼るようになるかもしれない、だから自給自足的な経済の回帰するかもしれない、何かコロナウィルスとかてもそうして過度なグロ−バル経済からその国の生態系に基づいた経済に回帰するのはいいことである

ただ危険なことは日本はアメリカによって従属国になったとき日本独自の国造りをできなくなっていた、原発を作ったのもアメリカに押し付けられたという側面もあるからだ
日本独自の国造りができない、アメリカに強制されまた今度は中国の巨大化で中国に強制される、その結果として日本の国土自体が破壊される
それが大問題なのである、ただ日本の自然は工業化で破壊されて来た
だからすべて外国のせいだとはならない、でも日本の国土を守るときやはり日本の独立が日本独自でするということが大事になる、それができないと日本の自然自体が守れずに外国に売られるともなる

日本は独立国家ではない、それは戦後戦争に負けてから精神的にも独立を失ったのである日本で独自の方向に向かうということができなくなった
日本の国力が衰退してやがてアメリカが衰退して日本からアメリカ軍が去る
その時巨大化した中国と対峙できるのかとなる
元冠の時は海が防壁となり防いだが今は海は防壁とならない、現実に飛行機でも簡単に日本に来て住みつく中国人がいるからだ
つまり戦争しなくても中国人の侵略は平和裏に行われいつのまにか日本は中国の一部だとかされてしまう
ただ日本は長年70年もアメリカの庇護にあり日本人だけで独立する気概が喪失した
それは国力の経済の衰退でもそうなった

日本一国で中国と対峙して独立の道を歩むことは至難になる
すでに中国の一部と化しているのが創価でありまた自民党の二階派とかもそうであり野党でもそうである、中国様様になって従属しているのである
すると日本の景観が破壊されても中国製のソーラーパネルで埋め尽くす、自然災害より中国様の意向に従うとなる、今まではアメリカ様の意向に従っていたが今度は中国様の意向に従う、中国の場合はより直接的になるから中国の一省となり中国が直接日本を統治するともなる
それがすでに高橋洋一氏が中国は統計で嘘ついているというとき中国政府から圧力がかかったからである、つまり出版すらできなくなるともなる
言論の自由はなくなるのである、これがアメリカとの大きな相違である
アメリカも圧力かけるにしても一応言論の自由は認めているからである
中国は全く認めない、弾圧されてしまうのである
その時日本はアメリカの支配より委縮した国家となり独立もない個々人でも奴隷的従属人間と化すともなる




自然破壊 全国で公害化する太陽光発電 8割がトラブル抱える 住民悲鳴


森林を伐採というよりも、リゾート開発でそのあと打ち捨てられた山間部のゴルフ場跡地や、
採石場跡地、林業用の杉の山(輸入材の安いので切るだけ赤字)、そういうところが多いけどね。

田舎の太陽光発電ってコンクリの基礎作るわけでもなく、丸坊主にした山に
パネルの台座を差し込んで、坊主にした部分にシート貼ってるだけだからな。
恐ろしいよ。
見るたびに位置が下がってきてる気がする

シナチョンにやられて太陽光発電広めただけだしな
なんでアメリカが太陽熱発電が多いかと言うと砂漠が多くて、環境破壊のリスクが低いからなのに
同じ事を森林の多い日本でやるとか、砂漠化加速するだけなのに進めた結果がこれ

雑草が土の流出を防いでいるのに
ソーラーパネルで枯らしちゃ駄目よ
土砂災害に繋がるから
草刈りだって根っこは残すんですよ

パネルも事業母体も中国が多くて、中国人に日本人の再エネ賦課金含む金を
献上してるのが現状

あと、国内の金融機関も積極的に国内の企業に融資しなかったから中国人が
現金で土地を買収しまくった 挙句の果てに金融機関に再エネ関係には
極力融資をしないでくれとまで圧力かけた電力会社のバカもいる

つか今の土砂崩れは大半が土木知識のない素人が起業して価格とか利回りだけで工事したせい。

普通の家用分譲の成形地もここまでひどくなっていない。
建設業許可もってない企業とかが工事してる。

山削ってパネル建ててるやつがほどんどなんだから
そりゃトラブルにもなるわ
まず景観が汚くなるし、反射光も凄いし、大雨降るとダダ流れで
付近の田畑に流入して近隣大迷惑
空いてる土地が山ほどあるアメリカや中国みたいな国ならともかく
日本じゃやっぱり太陽光は向かないんだよな

利益より費用が圧倒的に多いのが太陽光発電
詐欺に近い

ソーラーパネルの会社は日本企業ほとんどいない
カナダとか中国韓国がほとんど
外資系企業が作るだけ作ってあとは放置

建築物というより工作物なんで上流に作られると災害時に注意がいる
昔は近所の山は数日掛けて水路に流れてたが今は泥水の鉄砲水化してる

日本のソーラーメーカーもアメリカのソーラーメーカーも、原材料が殆ど中国からで、しかもその材料が採れるのがウイグル地区なんだよ。だからほぼ人件費もかからずあいつら加工してやがるから儲かってしょうがない。
日本が国策でソーラーを増やしたのは、中国の金のなる木を増やしただけ

ソーラーパネルは、各家庭がとりつけるものであって
大掛かりにやるべきものではない。
なぜなら蓄電率が悪いし天候に左右されるから。
自然破壊してまでビジネスにするもんじゃあない。
各家庭への取り付けを義務づければ、街ごとの停電なども防げる。
必要なものだ

パネルも割と持たんよ
発電してるときは常に電流通ってるから
パネルの何処かがショートすれば
パネル全体がひび割れて産廃化する

20年補償とかようやるわ
半導体メモリや包丁の永年補償みたいなもん

日陰も作ってしまうから植物も育ちづらいし
それを食料にする動物も困るしな
完全な自然破壊か
自然を守ろう
でも二酸化炭素を少なくするのも自然を守ってるのか

ちなみにメガソーラー発電所ではほぼ毎日特殊な洗剤で
大量のパネルを洗浄して汚染された洗剤を処理せずに敷地にばらまき
雑草が生えると発電効率が落ちるから除草剤を大量に散布
土壌汚染のどこがエコなんですか?
賛成派はソーラー発電所の近くの汚染物資を大量に含んだ地下水を飲んでくださいね





丸森のメガソーラーパネルは元はゴルフ場だった
また山全体をソーラーパネルにした、そこの木は全部切られたから保水能力が消失して熱海市のように土石流となり流れ出す、ただ人家がない所だから誰も文句も言わないと成るこうして人家がないいうことはかえって自然破壊がすすむ
誰も文句を言う人がいなくなるとそこは自然に戻るわけではない
今度は飯館村とか原発事故の避難区域の人が住まない所が放射性廃棄物場にされる
だから何か森でも木材でも利用されないとかえってソーラーパネルになったりすることが止められない、人が住んでいることで逆に自然でも景観でも守られる
田んぼがあると生態系の一部になるから自然景観とかも守られる
でもそこが荒地になるとソーラーパネルになったりする
だから人の営みがないとかえって自然破壊される矛盾がある

ともかく原発でも日本だと地震が多いし津波もあるから向いていなかった
ソーラーパネルは土地が無限大にあり砂漠があるような所に向いていた
要するにその土地の風土を無視した科学技術はやはり問題があった
人間はどうしてもその土地に適合して生きるほかないのである
もしそれを無視すると自然から逆襲されるのである
ただエネルギーをどうするかとなると大問題である
地熱発電もこれもなかなかうまくいかない、結局炭の時代にもどるのかとまでなる
ただエネルギー問題は国の根幹にかかわることでありそれで戦争までになる
石油をめぐり戦争が起きたようにである

いづれにしろ原発事故がありその後ソーラーパネルによる自然景観の破壊があり日本の国土の荒廃がある、だから科学技術による繁栄には限界がある

御民我れ 生ける験(しるし)あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば

天地を基にして日本の栄がある、それをないがしろにしたとき栄がないとなる
それが原発事故でありソーラーパネルの自然破壊でありそこに日本の栄もないとなる
ただこの問題は国際問題化していて中国によるソーラーパネルの企業進出があり日本の富が奪われて中国に静かな侵略が行われていたということが裏にあった
つまり今や巨大化した中国があらゆることにかかってくる
日本の国土が守れない、国土交通大臣が公明党になっているのもおかしいのである
なぜなら創価公明と中国は一体でありすでに中国の一部隊となっている
だからと土地規制にしても公明党は反対なのである、つまり創価公明は日本を中国に売り渡すことに抵抗がないしその手先だとなる、それと自民党の二階も中国と親密であり中国様を優先する
自民党の右派がいたとしても目立たないのである
そこで熱海市の土石流被害でも現代を象徴するものとして起きていたのである


「中国人が持っている北海道の土地面積、静岡を超える」と田母神氏:
グローバリズムとの両立の道は

中国に蝕まれる日本人の土地
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2021年07月07日

あらゆることで意味と意義が問われる時代 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)


 あらゆることで意味と意義が問われる時代

 (哲学が不可欠になった時代ーオリッピックでもそうだった)

高度成長時代は戦後の焼け野原の何もない時代から始まったからなんのためにするのかとか考えないで良かった、今腹減っていればただ腹を充たしたいとしかならない
ここに橋がなければ橋をかける、それをいちいち考える必要はなかったのである
だからそもそもこれが必要かなど考えなくても良かった
道がなければ道を作る、それはみんなが望んでいたことでありそれに反対する人はいないのである

でも最近つくづく何のためにするのか?

何の目的でするのか?

それがあらゆるところで問われている、それが本当に必要なのかも問われている
オリッピックが必要なのか?なんのためにするのか?それも問われた
結局必要だったのはぼったくり会長と言われたIOCにとって利権になるものにとって必要だったわかった、それで急にオリッピック熱が冷めたのである
何か白けたのでありオリッピックに熱中することもなくなったのである
アスリートは一部のオリッピックの利権者の駒に過ぎなかった、見世物の道具だったとなる

だからそもそも何のためにオリッピックをするのか?

その目的と意味と意義が問われたのである、前の東京オリッピックは日本が戦後の焼け野原から復興したことを世界に示すためとして意義があった
今回は津波とか原発事故からの東北の復興を示すためだとしたがそれはなかった
全然原発事故から避難区域となれば復興していないからである
さらにその意味とか意義が問われたのはなぜコロナウィルスの感染を広げるのにあえてやるのか、それが厳しく問われた、国民の命まで危険にしてやるのかとなり国民の大半は反対しているのにやる、そんなに国民すら無視してやるのは何なのだろうとなる
そこで今の政権に不信が高まり今年中に行われる選挙で自公政権は負けると不安になる
都議選でその傾向が現れたからである

とにかく今起きていることはなんのためにするのか、なんの目的がありするのか何の意味があって意義があってするのか、そういうことがいろいろな場所で問われる
食べ物がない物がない時代はまず腹を充たすことが先決でありそういうことは問わないからだ、でも様々な分野で何のためにするのかその意味とか意義が問われるから哲学の時代だとなる

例えば銀行なども窮地に追い込まれている、それで投資信託とか売り証券会社なのかともなる、でも地銀なら証券会社とは違う、その会社の目的は地域の経済にかかわり地域を発展させるために集めた金を回すことが本来の仕事である
それはこれまではそれが成立ったいた、会社でも金を貸してくれと銀行に頼みにきたからである、そして会社も成長したら利子ももらえてそれが預金者に回っていったのである
つまり銀行は何もしなくても金を貸してくれという会社が来てそれに金を貸せばいいとなる、あとは預金を集めればいい仕事だったのである

でも金を貸してくれという会社が地元でも少なくなり預金者には利子もつけられないとなると一体銀行は地銀はなんのためにあるのか
地域にある理由は何なのか、意味は意義は何なのかと問われる
それで地銀はいらないとかにもなる、だからそもそも地銀の存在意味は何なのかとか問われているのである、信用組合はその存在意義が地元と密着して果たしているという側面がある、地銀はもう証券会社の支店なのかともなっている、つまり役割りが喪失しているのである

こういうことはあらゆる所で起きている、もともと何のためのなのかということは追求されて来た、それが学問になった、学ぶはまねるだけど問うということから始まっているからである、だからあらゆる学問の基は哲学であり宗教もその代わりをしてきた
科学でもやはり哲学を基にしている、ただそれが時代的には食べるものもないとかなると食べ物を確保することが優先される、だから高度成長時代にはそういう疑問はあまりなかったのである、ただ人間は考える芦であり我思う、故に我ありというのは変わらなかったただそれが全体的風潮として様々な分野で会社でも問われるというのはやはり時代が変化したためだと見る

なんでこんな時にオリッピックやるのか?狂気の沙汰ではないか?

それまでにする意味と意義があるのか?ならばその意味と意義を問い正したいとなる
菅首相に聞きたいとなる、でも何か意味とか意義をIOCでも言わない、結局その意味とか意義より金だ利権のためだとなりそんならやる必要はないと世界の人でも見ているのである、つまりやる意義がなくなっている、世界平和に貢献するということでもない
もともとオリッピックが世界に貢献することなどなかったのである
ただ政治に利用されたり利権であったり金のためになされてきた、それが今回は露骨に可視化されたのである

それこはオリッピックだけではない、例えば原発でも電気は必要なことはわかる
でも本当に原発が必要なのか、原発無しでもやっていけるとかなる
電気はいらないとは言わないが原発なくてもやっていけるとはなる
リニアは自然破壊してまで危険を犯してまで作るべきなのかともなる
新幹線は必要だったとがリニアは必要なのか、そんなに早くすることが必要なのかと問われる
また宇宙まで火星まで莫大な金をかけて行く必要があるのかともなる

何かあらゆることでその必要性とか何のためにするのかとか問われる時代になった
科学技術でもあらゆることが研究でも必要なのかと問われる
それは科学の問題の前に哲学的問題となっているのである
だから今は哲学、宗教、芸術とかの時代に移行する、科学技術でもあらゆるものが本当に必要なのかと問われる、そこに危険があり原発事故になり故郷に住めなくなったからである
爆発した時吉田所長が東北に人が住めなくなるというのは原発のことを知っていたから言われた言葉なのである、それだけ危険なものが原発だったのである
そんな危険なものを地震とか津浪とかが襲う日本に必要なのとなる
電気がなくてもいいといのではなく、そんなに危険なものが近くにあり安心して生活できるのかとなる

哲学というと一般人と関係ないとかわからないともならない
この辺で原発事故で漁業関係者は事故前も手厚い補償金をもらっていたのである
だから別に魚かとれなくても良かったのである
補償金で暮らせたからである、でもそこで事故後は魚をとることもなく海を見てぶらぶらしていた、そこでなぜ自分は魚もとらないでここにいるのだろうと自問していたのであるつまり哲学的になったのである、魚を獲ることが仕事なのにそれもしない
すると確かに金は入ってきても何でいるのだろうと自ら棟うになったからである

何か今はあらゆることでこうして存在意義が問われている、その目的とか意義が問われる宗教でもカルト教団になるとなんのために社会に存在しているのか?
内訳はただ一票獲得のために祈って選挙活動しているだけである
すると目的は選挙に勝つことである、そして権力を得ることだとなっている
それが宗教なのかとなる、そんなことが社会にとって許されるのかとなる
その存在意義は何なのかとなるからだ

他にもマスコミの存在意義は何なのかとか様々なことで意味と意義が問われている
これまでは腹が減ったら充たせばいいしかなかった
宗教までがカルトだとそうなっていた、腹を充たすための宗教である
御利益宗教である、それは資本主義社会であれ社会主義であれ金をもうけるのが共同して金をもうけるのが利益を追求するのが会社だとなればそうである
でも今はその利益を上げるいうことだけで社会から容認されない
社会のためにその会社がどういう働きをするのか意味と意義が問われている
「SDGs」とか持続可能社会が言われるのもそのためなのである
ただ利益あげて社員に株主により多くの金を分配すればいいとはならなくなったのであるそれは世界的兆候としてある、中国でも若者から寝そべり族が生まれた時、なんでこんなに働くのか、働かせるのかわからなくなったとしてそうなったと見る
つまり哲学的になったのである


posted by 老鶯 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年07月01日

中国の巨大化は元寇の再来なのか? (日本と中国の歴史をふりかえる―天童寺を訪ねて)


中国の巨大化は元寇の再来なのか?

(日本と中国の歴史をふりかえる―天童寺を訪ねて)



1275(建治元)年、降伏勧告に派遣された元の使節杜世忠(とせいちゅう)以下5名は、上陸と共に捕らえられ、鎌倉に送られて龍口刑場で斬首された。その5人の供養のために建てられた五輪塔が近くの常立寺(じょうりゅうじ)に残されていて、元使塚といわれている。2007年、朝青龍を初めとするモンゴル出身の力士が参拝して以来、毎年の大相撲藤沢巡業の時に、五輪塔にはモンゴルの英雄のしるしである青い布が掛けられるようになった。もっとも使節の5人のうち副使の何文著は漢人であり、二人は通訳の高麗人であるので5人ともモンゴル人というわけではない。

第1回の日本遠征が失敗に終わった2年後の1276年、モンゴル軍は臨安(杭州)に無血入城し、南宋は実質的に滅亡した。フビライは江南を支配すると泉州を拠点とした蒲寿庚などのムスリム商人船団を勢力下に納め、強大な海軍力を手に入れ、江南軍に編入した海軍力を獲得したフビライは、1281(弘安4)年に第2回の日本遠征を実行し、高麗からの東路軍4万の他に、明州(寧波)から10万の江南軍が派遣された。

フビライがハンの位に就いた1260年、日本では日蓮が『立正安国論』を著し、幕府に提出した。そのころ日本では大地震や風水害が相次ぎ、飢饉も起こっていた。日蓮は薬師経にいう、人衆疾疫・他国侵逼・自界叛逆・星宿変怪・日月薄蝕・非時風雨・過時小雨の七難のうち、五難はすでに起きてしまったが、「他国侵逼」つまり外国が攻撃してくる国難、「自界叛逆」つまり国内に反乱が起きる国難もそのうちに起こるだろうと予言した。
http://www.y-history.net/appendix/wh0403-033.html


人衆疾疫・他国侵逼・自界叛逆・星宿変怪・日月薄蝕・非時風雨・過時小雨の七難のうち五難はすでに起きてしまった

この時代と似て来たともしなる、疫病が起り天変地異が起きた
疫病はコロナウィルスであり天変地異は地震であり東日本震災の大津波であった
水害もこの辺で起きた、七難の内の五難が起きたとしているがこの辺でもそうなのである
1281(弘安4)年に第2回の日本遠征を実行し、高麗からの東路軍4万の他に、明州(寧波)から10万の江南軍が派遣された

寧波とか江南は中国の港として入り口としてあり道元が寧波により天童寺で禅の修行した場所である、港から運河があり天童寺に通じている、いかにも中国的な景色になっている

springchinesepoem.jpg

春日天童寺

日本人寧波入
春日運河舟行
紫山塔高々映
古松参道吾登
道元参禅室在

ここの写真がいい
https://4travel.jp/travelogue/10113583

ただ山寺に上る道がありそこの松がいかにも古い、その写真はない

chinesetowerphoto1.jpg

これば天童寺ではない、ただ典型的な中国的風景である


北宋の慶暦7年(1047年)11月、王安石は、「遊天童寺」の詩を作った。

村村桑拓緑浮空、
春日鶯啼谷口風。
二十里松行欲盡、
青山捧出梵王宮。

 村々の一面の桑畑が緑色に染まる季節、今日は上天気である。
 麗らかな春の陽光の中、鶯の鳴く声が聞こえ、谷の方から風が吹いてくる。
 村から続く二十里の松並木がようやく尽きようとしている。
 青々と美しい山の中に、私が目指す太白山天童寺はあった
 
ここは風光明媚な地だった、なぜなら海があり長江が近くにあり運河がある
春の日に行ったがそこに行くには運河を行ったらもっといいとなる
山の上にあり紫の山々に高い塔がいくつか映えていた

二十里松行欲盡

ここは松の多い場所だったのである、二十里も松がつづいてあるのはやはり中国的である禅宗という時鎌倉の五山があり中国から学んだものである

中国とは歴史的つながりが長く深いのである、そういうことで創価公明も中国と友好になったのかもしれない、そういうことで日本人は中国に歴史的文化的に親近感を覚えるのである、欧米は日本とはまた歴史的には150年だからまだ交流が浅いのである
何か日本の歴史とか文化をたずねると中国由来のものが多いのである
韓国由来の者はねつ造されたものである、それより中国由来になると韓国自体もそうなのである、南朝の煉瓦作りのドームの円形の日本生まれの武寧王の墓もそうである

ただ歴史をたどると逆に寧波から江南の軍が日本に送られて来た、10万の江南軍というのも驚きである、船団にしても数が多くなる

「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して
日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。つまり、元寇は高麗が積極的に進言した為引き起こされた侵略であった。
https://blog.goo.ne.jp/sumomo_218/e/71081ff9429c2cb70f7005f51dfe448e

この歴史も今からでも日本と韓国の歴史を彷彿とするできごとである
そうしても全く不思議ではない、日本には何か近親憎悪的になっているからである

弘安の役(1281年)

東路軍船舶数 4400隻(高麗が建造)
東路軍兵力
高麗人 25000人
漢 人
女真人
遼 人
トルコ人
安南人
モンゴル人 150人

総 数 50000人

江南軍兵力
旧南宋人 100000人

八幡愚童訓:高麗兵による日本人狩り
《弘安四年の夏頃、蒙古人、大唐・高麗以下の国々共の兵を駈り具して、十万七千八百四艘の大船に
数千万人乗り連ねて襲来す。其中に、高麗の兵船五百艘は壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。

ここの歴史談義が詳しい
https://blog.goo.ne.jp/sumomo_218/e/71081ff9429c2cb70f7005f51dfe448e

船は高麗で作った、その数に驚く、海を埋め尽くすような数である
私は中国を去る時漁船が尽きず海の上に船から見た、その数が多いからいつまでも漁船群が見えたのである

この兵力はまさにアメリカがイラクを攻めた多国籍軍だったのである
ただその主力は高麗軍でありその高麗軍が日本人に対して手に穴をあけて連行したように残虐なことをしたことは今でも伝説ともなり語り継がれている
日本の残虐性を吹聴するが韓国も残虐だったのである、それは戦争となれば殺し合いなのだから自ずと残虐になる、それで戦争は人間の悪質性が一番現れるのである

今中国が巨大化するとき日本を属国にすることをねらっているとも見る
元冠のときは海が防壁となり日本は救われたが今度はならない、一瞬にしてミサイルが飛んできて壊滅するとなるからだ、それは北朝鮮のような小国でもそれができるから全然違ったものとなる

とにかく日本と戦争となるとアメリカでもそうだったが太平洋戦争となり海戦となる
それで台湾がその防波堤となりそこにまず日本軍がつぎこまれると言うのもそのためである、その背後に日本のアメリカ軍基地があり中国を狙うのである

そして日本は中国派とアメリカ派に分断される恐怖である
すでに自民党だと二階派が中国よりでありや野党でも中国寄りがあり創価公明が完全に中国寄りだから中国様様でありすでに中国に隷属していて中国の一部隊とも化している
それは別に中国が発展する前から中国崇拝だったのである
池田大作がそれを先導したのである、それはなぜなのか理由がわからない
ただ創価公明は政治団体組織であり組織の意志として中国に忠誠を誓うものとなっていただから中国様の言うことには従う、中国様が日本の土地を買っても法律でも規制することにも反対なのである
おそらく中国様にかしづきそこで権力を得ることが目的だともなる
なぜなら創価公明は宗教など関係ない、そこでいつも幹部語るのは権力をどうして得るかしかないからだ、宗教はその隠れ蓑に過ぎない
だから中国様が後ろ盾となり日本も売ることも何の抵抗もないのである

ただ日本は中国の巨大化で脅威でもうそれが現実化してくると深刻化する
二つの勢力によって分断される、中国につくのかアメリカにつくのか
自民党内でも最右翼から分断される、野党も中国寄りだとすると実際はアメリカ寄りのようで中国寄りの方が多いともなる
日本の太平洋戦争は日本のために戦い300万人が死んだ
でも米中戦争になると日本はアメリカのために戦うのかともなる、アメリカではまず日本を中国と戦わせて日本を守れとなる、アメリカ軍は血を流さないとなる
それが太平洋戦争との大きな相違である、ただ理解できないのは中国の共産主義とマルキシズムと宗教は相いれない、創価の日蓮主義は鎌倉時代には通用した
でもマルキシズムと共産主義と法華経とは相いれない、だからそこで衝突して矛盾してくる、毛沢東を賛美することは共産主義をマルキシズムの基に国家を作るともなる
そしたら思想的に相いれないのである
ただ創価公明は思想的に深く悩んだりしない、現世利益だから中国側について権力を得て地位を得て金を得ればいいとなっている
だから中国様に日本を売りわたしても何かとがめることかないのである
思想とか宗教より現世利益だから関係ないとして利がある方につく、

いづれにしろ内憂外患となり鎌倉時代の再来になるのか?
でも世界的風潮として第一次世界大戦とか第二次世界大戦とか経験して戦争をしたくないそれで中国でも若者が寝そべり族とか生まれ日本でもニートとか大量に生まれた
そういう人達は戦争などしたくない、戦争とか生死を賭けることなどしないともなる
日本だって勇ましいこと言っても少子高齢化であり戦争できなるのかとなる
病人と老人ばかりの介護に追われる人が増えて戦争などできるのかとなる
ただ中国問題が最大の外交問題であり日本をゆるがすものとなることは確かである
アメリカはどうしても衰退に向かうからである

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2021年06月29日

オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった (今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)


オリッピックも原発も戦争も是非を議論もせずに大被害になった

(今や何をすべきしないべきかを考える哲学宗教の時代に)

東京大会を開くかどうかも、政治家だけで決めるのではなく、選手自身や国民の意見をもっと聞くべきだったと僕は思う。今回の大会誘致のとき、福島第一原発事故の影響を心配する意見に対し、当時の安倍晋三首相が「アンダーコントロール(制御下にある)」と発言した。事実と違うのではといわれたけど、誘致が成功したから黙殺された。そんな経緯があるから、新型コロナウイルスの流行が収まらない今、「中止すべき」という声も黙殺されているように疑問を持たれてしまう。

本当にオリンピックが必要なのかどうか?
そのことが国民的に議論もしない、何か上の方でいつのまにか決まっていた
ただオリンピックが経済的効果があるから外国人が来るからいいとしかなかった

ただ利益だけから利権だけから見る

金になればいいじゃないかとなる、オリンピックは何なのか?
その意義は何なのか?それが追及されなかった
今になるとこれは一部の特権階級の利権のためにするということが判明した
ぼったくり会長としてIOCの会長が世界から批判されたからである

前の東京オリンピックが日本が戦後の焼け野原から目覚ましい発展を遂げてそれを世界に示すものとして意義があった
では今回のオリンピックの意義は何なのか?それが議論もされずただ誘致が決まった時
国民もそれでいいとした、関心もなかった人も多いだろう
オリンピック自体それほど悪いものに見えなかったのである
ただ福島原発からの復興オリンピックは偽装だったのである
地元では復興などしていないからである、避難者は町や村に帰っていない、大きな限界集落のようになっているだけである

ともかく何か大きな事業でも国民的なものでも本当に議論すらされないのである
それで今になってコロナウィルスになり日本人の命よりオリンピックが大事なのかと問われる、オリンピックは一部の特権階級の利権と利益のためだったのかこんなに汚れたものなのかと判明した
要するに世界的ショーでありそのショーを催す者たちが巨大な利権を得る、利益を得るとなっていたのである
それが見えなかったが暴露されたのである

それは原発事故ともにていたのである、原発に関しても地元でもそれがどういうものか知ることもなく議論されることもなかった、ただ利益になればいいじゃないかしかなかったそしてそれを作る方は原子力村を作り「安全神話」を作り何も言えなくさせた
そうして重大なことでも議論すらされないとなると民主主義があったのかとなる
そして常にこうして後から問題が起きると騒ぐだけなのである

でもオリンピックでもすべきかすべきでないか、する意義あるのかないのか?

こういうことが議論されるべきだった、その意見が分かれるにしても国民的に議論することが必要だったがそれもなかった
こういうことは常にある、大事業とかになると必ずある、戦争だって大事業でありこれには国民の生死がかかっていた、でもそれも国民的議論もなく、真珠湾攻撃で後にひけなくなり3百万人が死んだのである
それは予想もされない結果になった、これも国民が納得してそうなったものではない
強権的に上からの命令でそうなった

それで私の姉は突然赤紙が来て戦争に招集されて従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで地獄の苦しみを受けたのである
それはあまりにも突然のことであり有無を言わさず戦地に行かされたのである
それは国民がみんなそうだったのである、どうして戦争するかなどわからないままに強制的に地獄の戦場に連れて行かれたのである
そして三百万人が死んでその戦争が何であったのかと反省することになったのである
国民はまず何で戦争するのかもわからない人が多かったろう
鬼畜米英とか感情的に朝日新聞などでただあおられて良く考えもしないで強制的に戦地に送られたのである

とにかく人間は何かをするにも深く考えない、共同でするのにも議論もしない
事業を起こした人も地元では金にならないから東京の金持ち相手に別荘など建てるのが事業の目的だったとかある、そこでもただ利益になればいいとしかないのである
それで失敗して借金をかかえて苦しむとなる
そのために自分にしても周りにしても大迷惑になる、苦しめられたとなる
そうして事業に失敗すると家族でも回りでも苦しむことになる
そのとっばちりを受けるからた
だから回りにどういう動機で目的でするのか説明することも大事だとなる
人間は何でも勝手にしていいものなのか?
それがただ自分だけで始末できればいい、でも借金をしたということですでに周りに迷惑をかけるのである

とにかくまず金になればいい、利益になればいいしかないのである、カルト宗教団体でもそうである、御利益になればいいしかないのである
でもその御利益になればいいということが大集団になって社会に主張するとき他の人も巻き込まれるのである、民主主義といってもそれは利権利益民主主義である
その利権と利益のために集団化して組織化して社会に主張するだけだとなる
誰かが一人でも深く考えたことも数が多い方で物事は決められる、そうして後で問題が起きて国民全体が戦争では三百万人死んだことで責任がとらされるしまた原発事故でも
利益になればいいやとなって故郷に住むことすらできなくなったのである

現代はいろいろなものが整備されてできあがった社会になっている
戦後焼野原になったら何もなくなったからいろいろなものインフラでも整備される必要がありそれは考えることもなくみんな必要だから考えることもしなくても良かったのである例えば橋がなければ不便だということが目に見えてみんな要望だから橋でも道でも作る必要があった
でもインフラでも整備されると本当にこれ以上道が必要なのかインフラが必要なのかということが問題になった

リニアなどでもそういうことが起きている、そんな大工事していいのか、自然の影響がどうなるのかとか問題になる、新幹線は意味があってもそんなに早くして景色も見えないようなものに乗って快適なのかとなる
そもそもそんなに早く早くとすることが必要なのかとなる
それがコロナウィルスでヒト、モノの自由な行き来が止められた
それはグロ−バル化経済を止めることになった、それは世界に対する神からの警告だったのかともなる、そこに世界的に大きな歪が生まれたからである

いづれにしろ現代は何か重厚長大な産業とか外延的経済とか外に膨張する社会だった
でもそれがコロナウィルスで抑制された、またがむしゃらに働く社会だった
それで中国の若い世代でも寝そべり族とかが生まれそうしてがむしゃらに働かされることに抵抗するようになった、日本では前からニートとか引きこもりがいたからやはり中国でも同じことが起きてきているのかともなる

現代は物質的には交通でもその追及が頂点に達していたのである
グロ−バル経済でもそうだし科学技術でもそうである、原発などでもそこに相当な無理がありずさんだったのである、安全神話どころではない、内部の技術者がそれを知っていたのである、それでも強行された、それは利権と利益のためでありオリッピックと同じだったのである

現代で問われているは何か強引にすることではない、何かをするべきかしないかを考える時代にてったのである、哲学とか宗教の時代になったともなる
宗教でもカルト団体は全く無思考の団体だからそれは現代文明のナチスのような病的現象として現れたのである、大衆は考えないからである
そして現代では外延的に拡張拡散する世界ではなく、内面化する哲学宗教の時代になる
それは芸術の時代にもなる
それで私は木や石とかと自然と一体化するアイディンティティ化することを追求してきたのである,詩にしてきたのである
とにかく哲学宗教芸術の時代となると何かをするにも意義と意味とかが求められる
オリッピックでも一体これは世界の祭典として何の意義があるのかと問われたからである
コロナウィルスで生命の危険まで犯してする必要があるのか、結局利権利益のためだったということが判明したからである
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2021年06月24日

オリッピックを強行するのはなぜか (国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)


オリッピックを強行するのはなぜか

(国民の反対を押し切るのは自民独裁政権のためだ)

オーシェ氏は、菅首相は五輪反対という国内世論は懸念していないのではないかとみている。その理由として、日本の選挙は非常に投票率が低い上に、特異な選挙システムであるため、自民党は政権維持のために有権者の大多数を勝ち取る必要はなく、65年間中61年間も政権を握ってきた点を指摘している

そういうことなのか、ならばわかる
なぜこれほど国民が反対しているのにオリッピックを強行するのか?
そのことが理解できなかった、それは菅首相にとっても自民党にとっても公明党にても有利とはならない、すぐに選挙があるのだから大負けすることもありうる
国民全体を敵に回したらそうなる、でもあえてオリッピックを強行するのはなぜだろうとなる
国家の威信だというがオリッピックが国家の威信と関係するのか
国民の安全の方が大事でありそれを国民が望んでいる

国民をあえて敵に回してもオリッピックは強行する

そこまで危険を犯してもやるというのが理解できない、自民党内でも選挙があるのだから反対する人もいるだろう、その声も表に出てこない

つまり菅首相は国民のことは恐れていない

どうせ選挙で勝つ、多少の増減があるだけで勝つ

だから国民のことは眼中にない!

これはもはや民主どころではないい、独裁政権である、菅首相の独裁政権である
国民のことなど眼中にないとなればそうである
選挙などどうせ自民党が勝つのだからどうでもいい、何の役割とないまでなる
ただの儀式のようなものだとなる
ということはすでに選挙しても無駄だとなるから民主主義の根幹の選挙制度自体が崩壊しているともなる、それは前から言われて来たことである
選挙はする前から決まっている、その勝敗は決まっている

またシルバー民主主義であり若者は数が少ないから投票もしないとなっていた
つまり実質民主主義自体が崩壊している
また資本主義自体も崩壊しつつある、世界の富が数パーセントの人たちに吸い上げられている、株式市場はそれは一部の人によって操作されているマネーゲームに過ぎないとかいろいろ言われきた
そうなるとみんな働くのが馬鹿らしくなるのだ
それでアメリカでもコロナの支援金をもらったら働かないとか中国では寝そべり族とか日本なら前々からニートとか引きこもりが問題になっていた
それは働くことは結局一部のものに搾取されるだけだということでそうなっていた
働くことが一方的に善だとされていた時代と違ってきたのである

働くことにはもともと人間の基本として奨励されてきた、働くことなしで社会は成立しないのも真実である
その労働観も崩れつつある、働くことに対して何か積極的な価値を見出せなくなっているみんながコロナウィルスで苦しんでいる時、株で大儲けしている人たちがいるのもそうである、そういう人にはかえってコロナウィルスはいいものだったのである
だからグロ−バルに何かモラルが崩壊しつつある、働くことは一部のものために働いているのであり大多数は貧困にあえでいるとなる
働くことのモラルが崩壊しつつある、投票することの民主主義のモラルも崩壊しつつあるそこで自民党の独裁政治となり国民のことなど無視してオリッピックを強行する
これだけ国民が反対しているのに強行すること自体何なのだろうとなるからだ

国民のことなどどうでもいい

どうせ選挙では自民党が勝つんだから

国民は無視だ、オリッピックは強行する

国家の威信がかかっている、そっちの方が大事だ

これは独裁政治であり民主主義などは言葉だけになってしまったためではないか?
もう機能しない、そして資本主義ももうモラルは崩壊して機能しない
極端な格差社会になり崩壊しつつあるということである
だから一見中国のことでG7で対抗姿勢を見せても実際は共同に対抗するのも見せかけだけだとなる
そもそも民主主義でも資本主義でも機能しなくなりつつある、それはアメリカの大統領選挙でも現実化した、議会に暴徒が乱入したからである

いづれにしろ民主主義が資本主義が崩壊しつつあるとき何が起きてくるのか?

武力革命が暴徒化するのではないか、それしか方法がなくなる
これほど国民が反対するオリッピックでも止められない、止めるにはどうするのか?
大きなデモを起こして暴力で阻止するしかなくなる
ミャンマーでは軍事政権に独裁政権に対抗して武装化したように対抗することができないつまり選挙とかではもう対抗できないからそうなった
それは日本でも自民党独裁政権であり対抗手段がなくなったときそうなる
選挙では自民党に勝てないからである
ただ日本人はそこまで危機感を感じしていない、だから政府でも国民を甘く見ているとなる
でもこうして大きな時代の変わり目になると何が起きるかわからない
日本が経済的窮地に追い込まれるとやはり我慢できずに何か暴力でも起きてくる
それだけ今世界全体でも大きな変革の時代に入っているともなる

posted by 老鶯 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月22日

人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない (研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル)


人生は長い目で見れば何が役に立つかわからない

(研究にかける予算は選択と集中?バカなこと言うド文系のヤツらー高橋洋一チャンネル

studyhit1.jpg 
https://www.youtube.com/watch?v=gQIee8yDehQ

そんなものなのか?ほとんどの研究が役にたたないで終わる
理系ですらそれが役にたつかどうかわからない、だから予算の無駄だとなり選択と集中にしろとなった
ところがそもそもその選択と集中がわからないからみんなに公平に予算をつぎこむのがいいとしている

これも何なのだろうとなる、要するにおそらく研究課題が無数にありそれが将来役に立つかどうかわからない、だからこういうことを言っている
それだけ人間社会のことでも自然界のことでも科学技術のことでも種類が無数にありそれでそれを見分ける人がいない、そのことは結局この社会が複雑でわからないということなのだ

原発などもそういうものだし他でもそうである、社長すら会社のことを何もかも知っている人などいないと言っている
原発でも吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかった

私の分野ではない、私は資材関係の分野を担当していた

こんなことがありうるのかとなると原発自体でもすべてを知っている人はいなかったからそうなる、一部分のことしか知らないのである
それはあらゆるものに言える、人間は一部分のことしか知りえないのである
それだけ複雑に分化した社会なのである

何が当たるかわからないから公平にみんなに金をつぎこめ!

これは人生にも言える、何が本当に後で役に立つかもわからないのだ
だから雑学でも無駄だとはならない、何を勉強するかでも文系でもあらゆるものが実際は結びつく、その分野も多様だから何か知ることは無駄にならないのである
ただ20年後くらいにしか成果がでないとすると無駄に思えてしまうのである

そんな勉強して研究して何になるんだ!

こう言ってもそれが無駄とは言えないのである、人間は無駄と思えるものが無駄にもならないのである
人間はそもそもその知りうることと経験することがわずかしかない、短い人生で経験することは学べることは知ることはわずかなのである
だからどんな経験も貴重であり後に役立つとなる
そしてたいだい人間はその人の個々の経験から人生を語る
でもその経験は限られているから他のことはわからないのである

この人は理系の官僚でもあり優秀だからそこで経験したことを語る
でも普通の人はそんな経験できないのである、科学技術者として一流の人でも武田邦彦氏などもそうである
そういう人が経験したことは自分の様な底辺労働しか知らない人とはまるで違ったものなのである
だから武田邦彦氏は労働は義務だとか強調するのである
自分にとって労働は流れ作業とか肉体労働とかした経験していないから嫌悪するものとなったのである

人生で無駄になることはない、雑学でも無駄にならない、第一知識は膨大だからである
そして何があたるかわからないというとき時代によっても価値観が変わるからだと思う
その時代によって必要なものが変わる、それは科学技術でもそうだとなる
ただ科学技術でも複雑だから違った分野のものでも他の分野で活かされたりする
だから何が当たるかわからないというのである

例えば引きこもりとかが問題になるがこれがすべてマイナスに働くともならないのであるもし引きこもって自分の好きなことに没頭していればそれは無駄にはならない
あなたは旅ばかりしていたとか遊んでばかりいたとか外から見ればなるがそれが無駄とは言えないのである、無駄な人生だったともならない、おそらくもし旅人として一生終わればその人は社会にとって得難い人だったともなる
なぜなら現代では本当の旅すること旅人になることは至難だからである
あまりにも便利に過ぎて旅人でありえなくなったからである

でも今になると常に好きなことをやれ好きなことに没頭しろとかいうのも不思議だとなる団塊の世代なら企業戦士となり会社のために働けとなっていた、そんなことを公に学者とかでも言わなかったろう、それが今になると堂々と進めていることが不思議なのである
それは価値観が変わったからである
また戦前の生まれるの人の価値観は働くことである、働くというときまずまともに食べられない時代は働くことが価値になる、それはそう強いられていたのである
だから大正生まれの母は働きづめであり花など無駄だとして庭に豆を植えていたのであるそれは食べることを優先して生活していたからそうなったのである
でも今はそういう価値観が変わったからそれをみたら異常人間だと見てしまうのである
趣味もない人間でもそうである、そういう人は面白くない味気ない人に見られてしまうのである

いづれにしろyoutubeの面白さは個々の経験を語っていることである
まず優秀な官僚として働いた人の経験は普通ないからそういうことがあったのかと新鮮なのである
これはテレビだったらコメントしてもその人の発言ではない、テレビ局がメデアが操作してちょっとコメントさせるというくらいになる
それが一個人がメデアをもちテレビ局まで持つということで情報環境が変わったとみた
本当に一個人がメデアをもったのがインタ−ネットである、この変化は大きいのである
そこで新聞でもテレビでも衰退してゆく、マスコミの時代は終わったのである
ただ本当にその人の経験を語るとなるとそれだけの経験をしていないと語れない
だから意外とこのメデアは若者向きのようで老人向きでもある
若者向きというときパソコンの操作にたけているとかであり人生経験が少ないから語る内容となると貧弱になるからだ

私は語るのは苦手だけどこうしてプログで文章にするのが得意なのである
それでこうして膨大に書きつづけているのである
そして不思議なのは自分の書いたものを読み直すとそれも忘れていて何か自分が書いたものでいいこと書いていたなと感心して自分の書いたものからまた学びそこからまた発展したものを書いていけるともなる
いくらでも書いてもいいとなるとそうなる、だから個々人がメデアを持つことはこれは情報革命だともなっている

テレビとかはもう衰退メデアなのである、芸人の馬鹿騒ぎをまともな人はもう見ないからである、ただ残された者はコンテンツ作りであり取材とかである
放送することは個人でもできる、でもコンテンツ作りと取材は簡単にできない、でもそれはテレビ局を通して伝える必要もない、インタ−ネットを通じてすればいいとなる
その変化が大きいとなる、ただyoutubeでもプログでもそこで読まれるということは数が多いから至難だとなる、でも高橋洋一チャンネルとかなるとまず官僚の第一線で活躍した人だからそこで語られることは内部を知っているから一般人の知りえないことを知っているから人気があるのもわかる
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2021年06月21日

空家が800万軒になる時代 (その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)


空家が800万軒になる時代

(その活用も進まないのは持ち主の個々の事情が違っているから・・)

生活困窮者の住まいに「空き家」活用 “事故物件”を危惧し増えぬ現状も〈週刊朝日〉
飯館村の空家(養蚕した兜屋根)

ooharaakiya2222.jpg
原町区の大原の空家、これはなぜ壊さないのか?
十年なのかに二十年なのかわからない
ここに入ったら気味悪かった、本当に幽霊が棲んでいると思った
幽霊が家から出てきて迎えるとも感じた
つまり物の怪がここに本当に住んでいるのである


なぜ私が空家が気になるのかというと自転車で近くを回ると空家が目立つからである
ここも空家なのかとみる、これからますます空家が増えてくる
ただこの辺は南相馬市だと小高区が街自体が空家化した、浪江はさらにひどくゴーストタウンにもなった、廃墟の街と化した
そして南相馬市に最近知っている人が移った、前にも原町に移り住んだ人を知っている
つまり小高には住まない、小高に住むことをあきらめた、また浪江町に住むことをあきらめた人が多いのである

それで復興とかはすすまない、ただ外部から小高とか浪江に入って住んでいる人はいる
鹿島区だととにかく新しい街が三つくらいできた感覚になる
外部から入って来た人が多いのである、それで一軒の自転車屋では知らない人が多くくると言っていた、でも自転車を買ってくれるのだから消費してくれるから歓迎されるのである
私の家の脇の道は震災前は車とかほとんど通らない道だった
でも震災以後ひっきりなしに通るようになった、主に小学校へ行く子供を車でのせて行くためである

こういうふうに私の住んでいる場所は空家も多いのだが新しく移住してきた人たちの新築の家が新しい街を形成したのである

それで近くでも空家がある、まだ新築の感じさえする、その空家を十年以上は見ている

なぜこんなに長く空家なのだろうか?

それが不思議になる、すぐ近くの一軒屋も空家化した、一人の女性が住んでいたが死んだのか空家になった、ただその息子が近くに住んでいる
空家でもどうして空家になったのか事情がある、それがわかりにくいのである
隣がまた最近空家化したのは新しい家を建てて引っ越したからである
それは近くであり空家化した家は前の人が借りていたのである、それも二十年間くらい借りていた
その家は庭が広く大きな石がある、ただ庭作りしていないのでただ石が積み上げられているだけだとなる、でもそこを庭にすればいいなと見ている
石が好きで私は隣の庭の石を見ていたからである

大石に洗濯物干す冬の暮

そこに人がいて生活感がでてくる、でも人がいなくなると石すら淋しく感じるのである
それはゴーストタウン化した原発避難区域に行けばわかる
何か本当に家でも庭でもその石でも淋しい感覚になる
もともと自然の石だったらそう感じない、その石も人間化して淋しくなった
長く病院に入院している人の知り合いの女性が何かお笑い芸人の素質があり「家が泣いているよ」と言ったのも面白い、その女性は留守の家の草むしりとかしていたからである

本当に人が住まない家は家が泣いているのかもしれない、家も人が住んで活きているからそうなる、一旦人が住まないと家も死んだものとなってしまうからである

ともかく空家が800万軒とかなるという時代である、それが少子高齢化となる日本を象徴しているのである、だから空家をどう利用するか問題になる
もう家の値段は十分の一とか無料でも手に入るとかまでなる
なぜなら空家がこれだけ多ければ無料でも使ってくださいとなるからである
ただ空家が放置されているのはそこにいろいろな個別の事情があるからそうなっている
それがよそからみてわからないのである

なぜいつまでも空家になっているのだろう?

それもわからない、利用してくれる人がいないからだともなるしまた将来持ち主が利用するからだともなっているかもしれない、それもわからない
ただ隣だと新しい家に引っ越したとういことでわかった
何か変なのだけどそこにある大きな石があり庭として利用したらいいともみる
でもその持ち主と自分の家は土地をめぐって争ったことがあり簡単にその土地を何か使うという訳にも買うけにもいかない
つまり土地とか家の問題は持ち主がいて個々に事情が違っているしその事情がわからないから困るのである
“事故物件”を危惧し増えぬ現状も・・・こういうことはわからないのである
ただ隣とか近くだとわかるのである
だから土地を売ったり買ったりするのがめんどうなのである

何かいろいろな物のように値段をつけて売るようなものでもないとなる
もしかしたらその家とか土地に因縁がありカルマがありたたられるとかも不安になる
本当にそういう不安がつきまといて簡単に空家でも住めない、買えないともなる
土地とか家は場所が深く関係している
私の家は土地が街で一番低い場所にあり水害で二回浸水した、それも床上だった
だから土地は悪いから問題がある、家そのものは50年過ぎても使える
ただ土地が悪いから問題なのである、だから土地とか家の値段は簡単につけられないのである

本当に原発事故以後避難区域は空家だらけになった、それをどうするんだろうとなる
そのままにしても誰も住まないし土地と家の価値もゼロになったともなる
土地と家の価値は街全体とも関係して価値がつけられていた
もう原発避難区域になると価値はゼロにもなった、もう誰でもいいから住んでくれ無料でもいいともなっている、それだけあれだけ荒廃していれば誰も無料でも住まないとまでなっている
だから小高なら原町にとか移り住む人が多いのである、だから小高の復興は無理に思えるこれも農業ではなくその土地を利用して生活していた時代と違うから移住しやすい時代だからそうなったともみる
とにかく空家の問題は個々に事情が違うからそれが外からわかりにくいから困る
いつまで空家にしておくのかと見てもその事情がわからないからである
そして土地に因縁がカルマがありまた家にもある、それがまたむずかしくしているのである

posted by 老鶯 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月20日

いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935) (それは当時の歴史を語るものでもあった)


いわき出身の医者が息子を保険金殺人(1935)

(それは当時の歴史を語るものでもあった)

徳田寛は1913年に医師試験に合格。以後、福島県の炭鉱会社の嘱託医をしていたが、1928年、樺太に移住。1935年10月ごろまで同地で医師を務めた。

 その間、長男貢を日大専門部歯科に入学させ、長女栄子、次女秀子も上京、遊学させた。妻はまは以前産婆試験に合格し、夫に従って福島県で産婆を開業していた。栄子は1928年4月に上京。私立小石川高女を卒業後、一時日本女子大と東京女子専門学校に入学したがどちらも中退した。

 寛は樺太の小さな村で開業医をしていたが、経営不振に陥って苦慮。敷香町に日本人絹パルプが設立されると聞いて嘱託医になれば業績が上がると考え、1931年11月、敷香にほとんど全財産を投じて徳田病院を建設。

 父が主謀、母が殺害、妹が協力…一家で息子を惨殺した日大生保険金殺人事件とは

 これも恐ろしい事件であった、ただここで注目したのが当時の社会状況のことである
徳田が炭鉱会社の嘱託医ということは磐城の常磐炭鉱と関係している
それから東京に上京して大学に入った
この人は樺太で開業医をしていたということは樺太とも関係していた、当時の社会状況があった、東京まで行かないと地方でぱ看護婦免許ももらえない、それで私の姉は東京の新宿に滞在して免許をとったと言っていた

私の母は原町紡績工場で糸取りを十年間してそれから東京に女中に出た
そこで知り合った人と結婚した、ところが工場の事故で死んだのである
その夫の勤めていた会社は北区にあった、そこは工場地帯だったのである
今でも荒川線の都電が唯一ありそこを通っているのである

この息子を殺した人も福島県出身であり磐城の人でありその当時の社会状況が見えて来るなぜなら常磐炭鉱は大きな働き場所であったからだ、今の原発の様な場所だったのであるその石炭は東京に送られていたのである、絹織物の生糸は原町機関区から横浜に送られてアメリカなどの外国に輸出されていたのである
日本の主要産業は石炭と絹織物の生糸となっていたのである
だからいたるところに農家では蚕(かいこ)を飼っていた、その家は兜作りの家として残っている、だからすぐにそういう家はわかる
どれだけ生糸を作っていたかわかる、それか主要産業だったからである
その輸出によって外貨をかせぎ戦争の準備もできたとしているからだ

この人の経歴はまさこその当時の歴史を語っていたのである
そういう時代に生きていたのである、まるで推理小説になっている、ただ余りにも残酷だったとなる、東京の官僚がひきこもりの息子を殺したことはまだ記憶されている
この息子も遊んでいて手を焼いていたから似ていることはあった
ただ保険金をかけて殺すということは尋常ではない
でも事業に失敗する人も多いのである、そして多額の借金をかかる人は近くにもいた
そのために自分自身も苦しめられたのである

何か事業というとき私の父親は双葉の新山で酒屋をしていたが倒産した
ただ暖簾分けしてこの地に住むようになった
また母親の実家は父親が警察署長だったが機織り工場の経営に失敗して一家離散のようになった、とにかく事業に失敗しておかしくなる人がまた多いのである
借金をかかえておかしくなる、この人も病院を経営していたがそれにも失敗していたからである

ただこういうことは何か人間の業(カルマ)として継続しているのだろう
ふしだらな親に苦しめられる人もいるしその子供に息子に娘に苦しめられる人もいる
結局そういうことはめずらしいものではなく世の常だとなる
だからそういうことは江戸時代にだってあったし継続しているのである
みんな親に恵まれたり子供に恵まれたりしないからである

歴史というとき一人の庶民の歴史をたどると当時の状況が見えてくるものがある
それを集団として見るのではなく個々人の歴史として見るのである
するとそこに当時の歴史が見えてくるのである
一人の人間がその当時どのようち生きてきたか?それを知ると当時の状況が見えて来る
ただ庶民のことは歴史に残らないのでわからなくなる、これは明治になって新聞が生まれそのことが詳しく残された結果たどることができる
新聞はそうして歴史を記録するものでもあったからだ

今になけるとインタ−ネットで個人が語る、するとそれも歴史を後世に語り残すことにもなる、この辺では津波とか原発事故がありそのことを自分はプログで延々と書いてきた
それは後世にも残されるものだとなる、ただ問題はインタ−ネットの記録は膨大であり
電子記録だから消えることがあるのが問題なのである
だから記録としてアイカーブする必要がある、それは膨大な記録を残すことができるからだでも死んでから50年とかなるとわからなくなる
本でも50年過ぎたらボロボロにてっていたからである
でも電子記録より紙の方が残るともなる、それで私は紙でもまとめて残そうとしている
それが膨大なので日々整理しても整理しきれないのである

この事件は福島県のいわきであり近いから興味をもった、そして当時の時代が状況が反映しているので歴史を知ることにもなる
小説家だったら小説にできる事件だったのである




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2021年06月17日

日本が中国に売られる、 (土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)


日本が中国に売られる、

(土地利用規制法に反対した創価公明党の危険)

自民党と連立を組んでいる公明党もまた〔土地利用規制法)の可決に対して足をを
引っ張った

公明党は(反日勢力)だということが今回も露呈した
公明党は与党に食い込んでいる売国政党なのである

なぜか良くわからないのだけど創価というのは中国様様なのである
中国で布教が許されるからだとか言うがそれも簡単にはできないだろう
共産党は宗教を警戒しているしカトリックのキリスト教を弾圧もしている
なぜなら中国の革命は黄巾の乱とか宗教団体から起きてきた歴史的経過があり警戒している
ただ別に創価だけではない、自民党に二階堂氏とか中国派の勢力が多い
それで公明党と二階堂氏が手を組んでGO TO キャンペーンが実施されたと言われる
それは中国派として共同できるからだともなる

創価というのはそもそも政治色の強い団体でありそれが教理からも肯定されている
王仏冥合という王は政治であり仏は法華経のことである
これが合体するという中世的なものを教理にしているからだ
それは完全な政教一致であり憲法に違反している
日本でも天皇制で政教一致になった反省で政教分離の法律ができたからである

ただ日本というのはこれは苦難な時代になる、米ソ冷戦の時は何か日本は傍観者でありかえってアメリカから優遇されていて高度成長時代を築いた
それはソ連のアメリカの防波堤として位置づけられていたからである
共産主義との戦いの中で日本は別に血を流す必要もなく経済的繁栄を求めるだけで良かったのである
でもベトナムなどは中ソ冷戦で多大な犠牲が強いられたのである

自民党でも公明党のようなものと組むと二階堂氏とか中国派とそれに反発する派で分裂する、また創価は衰退の一途をたどっているからもう選挙でも力を発揮できない
百万票でも減ったということは大きい、なぜなら創価公明は選挙にすべてのエネルギーを費やしているからである
二年前からも選挙態勢であり常時選挙態勢でありそうして座談会でも選挙の一票を獲得する場としてある、なぜなら座談会にも出ない人が膨大だからである
それが幽霊会員なのである、ただ会員となっているだけでありあとはなにもしない人たちである
そういうことでも全然気にしない、なぜならなんであれ一票になればいいのである
信心など関係ないからである

本当にあれだけ中国様様になると何なのだろうとなる
それはもしかしたら中国にもう日本が支配されるとなると中国様の配下となり権力の座につくことを目的にしているのだろうか?
今アメリカ様の配下になっているがまもなく中国様の支配下になればそうなる
もともと権力に異常に執着しているからそれを目指しているのだろうか?

日本はこれから日本自体が弱体化してロシアは北方四島など手放さない、そこがアメリカの基地にされたくないからである
また実質アメリカ軍が駐留して守られているのが日本である
でもアメリカが弱体化すると日本がから引き上げるとなったらたちまち日本は中国が侵攻してロシアが北海道にも侵攻するかもしれない、日本が大国の狭間で分断されるという恐怖の時代になる
その時創価公明はいち早く中国にすりより権力を中国の後ろ盾で得る

何か宗教というとき右よりになるが創価公明の場合は違っている
もともと極端に中国よりなのである、だから土地規制法すら強硬に反対していた
創価公明は中国に日本を売ることに抵抗感がない、それは相当に危険なことである
でも不思議なのは鈴木傾城は創価のプロパガンダの佐藤優の本を推奨していたのである
こうして創価公明を批判しているのにそうだった
何か知識人は創価公明を宗教団体でいい人たちのように見ている
個々人をみればそうかもしれないがそれが組織化して団体化して活動するときそうはみれない、組織団体には必ず目的があって成り立っている
それでNHKですら組織団体でありその組織団体には意志があるから中立ではない
単なるメデア、仲介するものではない、そこに在日などがかかわり政治的な意志があって報道もしているのである、右寄りの報道はしないのである

国際関係としては日本はこれから苦しい立場に追い込まれる、それは中国の巨大化なのである、中国の問題は隣国だから大量の中国人が移動して住めるということがある
それはウィグル問題のようにたちまち漢人によって国がのっとられるともなるのだ
そこで思想弾圧もあり宗教も否定される、共産党の支配下でそうさせられる
だからなぜ創価公明でも宗教だとなると除外されるのか?
ともかく日本はこうして中国派と欧米派とかに分断される危機に直面する
ただそういう危機感が平和になれて日本には消失しているのである
でもそういう現実が迫り平和は維持されなくなる、そういう時代になってきている

中国とどういう付き合いをするのか、それが真剣に模索される時代になる

それはアメリカが衰退するということで余計にそうなる、力のバランスが世界で変わってしまうからそうなる
反日勢力というとき在日もそうである、ただ在日と中国の関係となると複雑になる
なぜなら在日でアメリカ国籍の人もいるし駐留しているアメリカ軍と懇意の人もいる
すると中国との関係はどうなるのか?反中国になるのである
それもまた複雑で理解しかねるとなる,反日なことはわかるが反中国にもならないから理解できなくなるのである
つまり在日でも一つではなくなく反日でもアメリカ寄りの人と中国寄りの人もいるとなる国際関係となると複雑化するのである

ただ在日というのはあいまいな白黒はっきりしない存在なのである
ただこういう人達によっても日本は分断される、内部から分断される
そして日本が二分されて争うともなる、自民党にも右派がいるしその人たちは分裂して強硬右派になり袂を分かつようになる
それは中国が迫ってきて軍事的侵攻してくれば必然的にそうなってくる
そこであいまいさは許されなくなるからだ
ただ確かなことはアメリカが衰退して日本の国力が弱体化しているからそうなる可能性が強いのである

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2021年06月16日

原発事故とオリンピックの相似 (巨大利権構造の巨悪が暴かれる)


原発事故とオリンピックの相似

(巨大利権構造の巨悪が暴かれる)

olinpic1.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=oroJ0FvwqNE

このオリンピックも巨大利権でありIOCがオリンピック貴族となっていた
莫大な利権がありコーツ代表が来日して接待される
今回のコロナウィルス騒ぎの中でその悪が可視化されて暴露された

なぜ日本がこんなにコロナウィルスで苦しんでいるのに接待するのか

高級ホテルに泊まらせて酒まで提供する

そこで仲間でどんちゅん騒ぎさせるのかとも言われる

なぜかこうしてオリッピックの委員が実は江戸時代の悪代官とか悪徳商人とか悪徳役人としてクローズアップされた
何か平和の祭典とかの美名の元で行われるオリンピックが汚れたものとしてイメージされるようになった

オリンピックとはこんなに汚いものだったのか?

そういうイメージが定着してもう熱狂することもなくなるかもしれない
これも金まみれであり利権オリンピックだったのである
それが国内だけではない、グロ−バル社会の中で行われたものだからまた違っていた
グロ−バル化もまた実際は巨大な悪をうみだしている、わずかの人たちが主にアメリカになるが国内でも数パーセントの人たちが富を独占している超格差社会になっている
ただそれは世界的にその悪は見えない、でもオリンピックのようにあからさまに暴露される時期が来ているのかもしれない、つまり悪は隠し続けることはできない
いつか必ず現れて白日の下にさらされる

ただこれは原発事故ともにていた、これも巨大な利権でありそこにやはり官僚が御用学者がマスコミが地元の利権者がと…群がったからである
そこには海上自衛隊との幹部とかでも天下りしているのである
マスコミというときそれはすべてのマスコミが加担して原発推進になっていたのだ
なぜなら朝日新聞の幹部が東電に中国に招待し接待されている時事故が起きたからであるこの構図はオリンピックでも同じだった
オリンピックはマスコミのテレビ放送の巨大利権となり電通などがもうかる
また放映権でも何百億とかなりその収入はオリンピック貴族に入る
その金は巨額なものとなる、その金によって人は眼がくらむ
それでこの辺の漁業組合とか船主とかは特別事故前も補償金をもらっていて原発御殿が建っていたといわれる、それで今になると地元の人は相当に反発している
また事故後は今度は除染費用に数兆円の金が費やされた
それで清水建設の下請けとなった相双リテックの幹部に数十億の金がまわり山分けされたそして社長は野球好きでありタニマチとなり銀座で豪遊してその金をばらまいたという
これも極端な悪として暴露された

でもマスコミは追求しない、政経東北でも裏表紙で相双リテックの宣伝をしている
なぜそうなっているのか、それはやはりそれでけの原発マネーが宣伝費として回ってゆくから追求しないとなる
また福島民報などは出資者が県が半分でありあと創価の聖教新聞を刷っている
それが大きな収入とてっているから何か悪を追求することなどないのである
原発のことで追求したこともないだろう
また創価でもただ利権にあづかるカルト団体であり潮の雑誌では雑誌では二番目に原発を推進する宣伝をしていたのである
他にも出版物を出しているがそこで大事なことは宣伝を出す会社を探して宣伝費をとることなのである、創価などは宗教などともまた全く関係ない
ただ利権を御利益を日々求めて祈っているだけである

ともかくこの世は何かきれいごとを言う時、その裏に汚いものが隠されている
宗教を看板にしていてもその内実は全く違う、利権を求め金儲けを求めているだけだとなる、それは信長の時代でもそうでありだからこそ信長が僧侶を敵視して大量殺戮までになった、寺というと宗教だから清い場所とみていてもそこも利権の場となり汚れていたのである
なぜこうして人間社会をみるとどこも汚れてしまうのだろうか?
美名の下にも必ず汚れたものがある、そしていつかそれが暴露される
そはは今や日本だけではない、グロ−バル化しているから悪は世界的なものとなり巨悪となる、でもオリンピックのようにいつか暴露される
もうこれだけ汚れたオリッピックなどする必要もない
人の命まで無視して日本などどうなろうと関係ない、金になればいいとなる
日本はそのために犠牲になれとまでなっている
そもそもオリンピック自体もうやめるべきだと思う
何の人類的意義などなくなった、ただ利権者の金儲けの手段にすぎない、0.1秒を早くなったとか競っても馬鹿げているとなる

原発事故は人間のモラルと関係ないようでただ科学技術の問題のように見えてやはりモラルが関係していた、既得権者が濡れ手で粟の暴利を得てそのために地域では住むことすらできなくなった、地元の責任もあったが地元では住めなくなるとういう責任をとらされたでも誰一人東電でも天下りとかした既得権者も責任をとっていないのである
オリンピックも今回のコロナウィルス騒ぎでその巨悪が可視化された
まるで時代劇のお偉い方が人を殺して犠牲にして芸者を読んでどんちゃん騒ぎしている
それは極端な悪としてドラマでは見せる、だから悪がわかりやすい
でも現実は巨悪は隠されるのである、ただ今回はまさに日本がコロナウィルスで苦しんでいる時、オリッピック貴族がそうしているから悪が極端なものとしてクローズアップされたのである

このyoutubeではかえってマスコミよりわかりやすく説明している
こういうことをマスコミでは報道しない、なぜなのか?
それは既得権者でありマスコミでも利権化して金になればいいしかないからである
また報道するのに新聞なら一軒一軒配るとか膨大な金がかかるためである
不思議なのはyoutubeで報道すれば一個人でもできてしまうのである
だから新聞は読むなとかテレビは見るなというときマスコミでは真実が報道されないからである、何かきれいごとだけ報道される、それが今一個人でも報道できるとなりインタ−ネットで情報環境が変わった
そこに真実が報道されているのだ、ただこれだけ報道量が増えるともうマスコミの報道を見ないともなる、取捨選択される一つとしかマスコミでもなる
つまりyoutubeの一チャンネルとなってしまう恐怖である
国民全員がマスコミのテレビに注視する時代は終わったとなる
私は地元の人に嫌がられても真実を報道している、その悪の面でも報道している
そんなことができるのは結局金がかからないからである、手間はかかっても報道することが無料だからできているのである




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2021年06月08日

戦争、津波、原発事故、オリンピックの失敗 (先が読めずに大失敗、大損)


戦争、津波、原発事故、オリンピックの失敗

(先が読めずに大失敗、大損)

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オリンピックのことでもめているけどそもそもなぜ戦争でも津浪でも原発事故でもそうだったけど大失敗大損失となったのか?
この原因が明確なのは先が読めないことだった、戦争するにしても誰も大敗北になるとしてはじめたのではない、勝つと思って始めたのである
それが300万人の死亡となり大損害になった
これも先が読めないからである、そもそも人間の失敗の要因が先が読めないことにある
思わぬことが起り大損害となる

ただそれを始める時点ではそんな大損害になることは予想しないのである
戦争などは相当に危険なものであり殺し合いなのだから戦争を始めたら大勢の人が死ぬということは予想できる、でも日本では奢りもありアメリカと戦争を始めた
結果として300万人も死んだ、それは全く予想外のことだった
もしそういうことを予想したら戦争など始められなかった
でも戦争を始めたときはこんな結果になるなど誰も思っていないのである

結局これらのことで失敗して大損害になったのは先が読めないということである
オリンピックを決めた時は国民は喜んでいたし賛成していた
原発でも実際は金に成る言うことで積極的に誘致されたのである
それは故郷に住めなくなるとまで予想できない、ありえないと思っていたからである
津浪でもあんな大津波が来るとは予想していない
すべて予想できないことで大損害になった

でも津波とか原発事故でも科学者は十数メートルの津浪が来ると東電に警告していた
でも東電は耳を傾けず大損害になった、とりかえしのつかないことになった
ただ本当に戦争であれ津波であれ原発事故であれそれを決めた時はそういうことを予想しないで始まったのである
それで大事なことは先を読んで実行することなのだがそれが人間にはできないのである
ただ科学者は十数メートルの津浪が来るということを科学的に予想して警告していたのである、でもそれに耳を傾けないで何の対策もしなかったのである
それにはコストがかかるとかの問題が常にあり備えることがなかった
今になってやっと防波堤を作ったのである

何か始める決断して始める時、つくづく人間は十分な検討などしない
金になるからいいじゃないかしかないのである、原発でもそうでありオリンピックでもそうである

それをしていいのかどうか十分に検討もしない!

戦争となれば相当な国民的議論も必要だがそれもしない、原発でもそれを誘致するにも地元ですらしない、ただ上からの命令で土地所有者と漁業権者と県の許可で簡単に作られたのである

戦争になったら3百万人死にますよ

アメリカは核兵器をもっているから一瞬で大量殺戮されますよ

もし事故になったらふるさとに住めなくなりますよ

これらのことが起りうるとしていれば国民でも賛成はしない、でも国民的議論にもならない、上からあおられてマスコミが賛同して戦争に突入したのである
それをあおったのは朝日新聞だったとされる
原発でもそうだがマスコミは巨大な権力に使われるものであり権力に対抗することをしない、それは今でもそうである
原発事故が起きた時マスコミの幹部が東電によって招待されていたときだった
朝日新聞の幹部も招待されていたのである
そうして電事連からでも800億円とかの金がマスコミに流れていたのである

こういうことはオリッピックでも言えるのである、IOCとかその利権にあづかる
それでバッハ会長がぼったくり会長だと世界から批判をあびた
巨大な利権金儲けとなったがオリンピックになったのである
ただオリンピックでも失敗したのは先を読めないことだった
コロナウィルスを予測した人は世界で一人もいない、過去にウィルスの流行があったとしても忘れていたとなる、それは津波でもそうだった
でも津波については科学者が警告していたのである
仙台の若林とかの地区で津波が来ると大被害になるとか警告していた
でも不動産会社の人にそんなことを言うな土地の値段が下がるとか言われて言えなくなった、そういうふうに常に経済的利益がかかわり危険を言うなとなる

だから大事業を始めるときは相当に全員で検討する必要がある
なぜならその時点では何も問題ないとしても後から大きな問題となることがある
原発などはそうだった、オリッピックだとそこまで大きな問題となるとは思えなかった
でもオリッピックが本当に日本でその時必要なのものかどうかまたオリッピック自体の意義を深く検討するとかしなかった
つまり何か大事業を始める時、それが本当に必要なかどうか深く国民的にも議論などしないのである
国民の税金をつぎこむにしても国民自体で議論することすらないのである

●国民的な合意にいたるものとして意義を深く検討する

●十分な危険のありうることを知ってはじめる

戦争にしてもオリッピックでもそもそもそこにどういうい意義があるのか検討もしない
上の命令に従うだけだとなる
原発の場合はただ利益になるかしかない、利益になるからいいとしかない
ほとんど検討されないのである
だから大事業を始めるときは相当に慎重にしないと大損害になる

戦争をしない

原発を作らない

オリンピックをしない

かえてこの決断の方が否定されてむずかしいということも知るべきである
勇ましく戦争しろとか利益になるから原発を作れとかオリンピックでインバウンドで観光客が外国からいいとか肯定的なことのみが語られる
大事業をはじめるときはそうである、でもそこにもリスクがあることを知るべきだった

ただ人間の弱点は先が読めないとういことである

それが株でもそうである、なぜ今になってこんなに株が上がったのかというのも予想外だった、それで失敗したとなる
人生そのものも先が読めないからあとで後悔して失敗する、時間がこんなに貴重なものだったのかとかは先が短い老人になって気づく
何が大事なのものか気付けないのである
だからたいがい老人になって人生は意外だったとなるのである
つまり予定通りにならないのが人生でありまた社会なのである
予想することをほどむずかしいことはない、もしそれができたら株でも億万長者になっている、機関投資家でも先が読めないから大損するのである

それで聖書が予言の書というとき予言をする人が予言者の言を記録したものだともなっている、ノワの箱舟でもそうである、大洪水が来るとかいうことをノアが神からの宣託があり聞いた、それで箱舟を作りはじめた
それを信じる人はいなかった、だから笑いものになっていたのである
でもそれを笑っていた人たちは水にのみこまれ死んだのである
その予言者が現代では科学者ともなったのである

ともかく大事業をはじめるとき人間は深く検討しない、そんなことやめろということがかえってできなくなる、そして戦争のように暴走して300百万人が死んだのである
何かをしろという何かをするなということが人間にとってむずかしいことなのである
何かをするというときみんな興奮して賛同する
でも何かをするなというとき弱気だとかなり責められる
でも人間は何かを検討するとか考えるとかなると行動できなくなる

あるべきかあらざるべきか

やるべきかやらざるべきか

こうしているとただ逡巡して行動に移す決断ができなくなる、これは個人的なものであるが個人と大事業をみんなでするのは違ったものである
大事業の場合は国民的なものになる、だから本当は国民的なもの全員がかかわり大被害にもなるとしたら相当に慎重にならざるえあいなのである
でも重大な大事業でも深く検討すらなくはじめられて後で大損害になる

本当に戦争をするべきなのかするべきでないのか

本当に原発を作るべきなのか作らないのか

オリッピックをするべきなのかしないのか

こうしてよくよく検討したとき簡単に大事業はすすめられない、でも意外と300万人が死ぬとかも予想しないて原発事故でもこんな大被害になることも考慮しないで大損害になるオリッピックでもそうである、この場合は肯定が多く否定は少ない
それでも今になってこんなに騒いでいる、オリッピックをやめた方がいいとしているのに今の政府は自民党では決行しようとしている
それはオリッピックを誘致するときよくよく検討もしない結果なのである
ただ経済的利益を優先するだけだからである、それは原発でも同じだったのである
それで今になって大損害になると騒いでいるのである

今になるとすでに遅いともなっている、やめられなくなっていたのである
だから大事業をはじめるときは始める時が大事でありそこでの決定があとあと尾をひく
やめれなくなるのである
だから余程大事業をはじめるときはみんなで深く検討しないと後の祭りだとなる
今になってはやめることもできないとなっていたからである
でも実際は大事業でもはじめるときはあまり検討もしない議論もしないのである
その時やめろとかしない方がいいという声はおさえられる
どうしても経済的利益を優先するからそうなる、でもそれが経済的大損害だけではない
原発なら故郷に住めなくなるという致命的な大損失にもなるのである


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2021年06月07日

金まみれのオリンピック(日本の経理部長が自殺)


金まみれのオリンピック(日本の経理部長が自殺)

オリンピックも金まみれになり本来の趣旨とはかけ離れたものになった
世界平和の祭典でなく金まみれの汚れた祭典になった
そこに莫大な金が動く、するとその金を目当てに欲深い人たちが群がる
そもそもオリンピックを主催するIOCの会長がぼったくり会長と世界から批判されたことでもわかる
オリンピック利権になりオリンピック貴族になっていたのである

巨額な金が動くときそこに良く深い人たちが群がる、それは原発マネーとも似ていた
それで相双リテックの幹部に巨額の金が回り何十億という金を幹部で山分けしていたのである、それでタニマチとなって野球にその金を使っていた
何かスポーツとかでも裏で金が動き汚される
どうしても金によってあらゆるものが汚される、宗教さえ金によって汚される
第一賽銭箱などをもうけてそれで金を投げて何か神様から良くしてもらうということ自体間違っている、ただ祭りとかは長い伝統があるから何か意味あるものはある
神様にわずかの賽銭を与えても何も得られない
その金は神社の神主のものとなるだけである

何かオリッピックには崇高な理念があるとして宣伝されてきた、でもそんなものはなくなっている、巨額の金が動きその金に群がる人たちのものだということである
純粋にスポーツで何か人間の理想を追求するものでもない
ただアスリートとか選手は幹部とかオリッピックで金も得る人たちの道具なのである
そこに人類的意義などないのである、百メートルでわずかに早くなったとして何の意義があるのかとなる、明らかにもう限界が来ている
それで一秒ではなくそれより短い単位で優劣を決める、そんなことして何か意義があるのかとなる

何かオリンピックは金まみれになったとき、すでに役目を終えた、アスリートは選手は金儲けに使われるピエロだともなる、そういうふうに見られることがアスリートの本来の
姿ではないだろう、でもアスリート自体が金のためにしているということもある
プロ選手と同じ感覚になる、第一そうして訓練しないととても勝てないからである
それも金のためだとか有名になり金を得るためだとかなる

何かグロ−バル化して巨大化すると巨額の金が動くとなるとそのこと自体が金まみれになり本来の趣旨から離れてしまう
参加することに意義があるとかはもうない、選手を道具にして見世物にして裏で金儲けのために幹部たちがやっている、そこに国もかかわってくる
政治の道具になったりする、だからローマのコロッセオで剣闘士が戦う見世物ともなる
別にプロならそういうふうに割り切ってやっているのだから批判はできない
ただオリッピックには何かきれいごとがありそれで平和の祭典とかされていることに問題があったのだ

東京オリッピックの時は日本が戦後復興したことを世界に示すために意義があったとなる
その後はオリッピックはもう意義を失ったいたのである
金まみれの利権のためのものでありその道具とされたのが選手達だとなる
テレビの放映権が莫大であり会社の宣伝費用も入る、それでオリッピック貴族が生まれた原発でも何億という金をもらっていた人と同じである
原発も金のなる木でありオリッピックも同じだったのである
つまり金まみれになり汚れたものとなってしまった
崇高なものは何もない、ただ利権を金を得るためのものであり選手はその道具となっているだけである、国の威信がかかっているというときも政治の道具として使われたとなる

それでしきりに菅首相とかが苦しい政権運営が強いられているからまた裏金のことで追求されるからそれを隠すために強行するのだというのもわかる
政治家の勝手な都合で強行されるとなると迷惑であり国民にとってもそれでコロナウィルス拡散したり外国人が来て拡散したりする、ただ混乱が目に見えている
それでもなぜ強行するのか?政治家の都合でするのが許されるのかとなる

とにかく人間社会は金で汚される、神聖なものも金で汚される、遺産相続でも骨肉の争いとなる、またハエエナのように死体をむさぼるとまでなる
そういうことを経験したから金によって人間が変わる、金だけが目的となりその屍をむさぼるとまでなる醜さが現れる
死者を弔うということすらなくなる、それは表面だけであり欲しいのは金であり財産だとなってしまうのが人間なのである

オリッピックもそういうものであり自殺者まで出しているのだからもう汚れたオリッピックであり金まみれの利権オリッピックであり本来の趣旨はもうない
何かギリシャではじまったオリッピックは神聖な神に奉納するという側面があった
だからオリンピアに行くと神殿の柱となった石が残っている、それが大きいのである
だからそこに立っていた神殿でも建物でも相当に威厳があるものだったとなる
だからその時代のオリッピックはその社会にとって意義があるものだったのである
それがグロ−バル化して世界のオリッピックとなったときそうした意義は失われた
ただ金まみれのものとして選手が利用されるだけともなった
だからオリンピックはもう今までの様には見ない、何か金まみれの汚れたものであり
一種の選手を使ったショーでありそれで得するのは利権にあづかる人たちだったということが見えてきたからである、また政治家に利用されて悪を隠蔽するためにも使われともなった、だから今までのようにはとても見れないとなったのである



posted by 老鶯 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年06月06日

中国の影響が大きくなる 中国が科学技術で急速に日本に追いついた理由


中国の影響が大きくなる

中国が科学技術で急速に日本に追いついた理由

広角レンズがついているのと軽いのである

デジカメ デジタルカメラ コンパクト 4K 4800万画素 ビデオカメラ 3インチ180度反転スクリーン ウェブカメラ機能 自撮りカメラ 16Xデジタルズーム

FUNSHION ビデオカメラ 2.7K YOUTUBEカメラ ハンディーカメラ カムコーダー 1080P&60FPS 4200万画素数

funsionとは中国の会社である、その会社のカメラを一万で買った
大きいから広角のレンズであり広角に撮れるのがいい、だから意外だった

これが軽いのが良かった!

大きいけれど軽いのである、これだけ大きいと普通重くなる、だから今持っている日本製のソニーの一眼レフのカメラは重くて困っていた
なぜなら写真撮るとなると車がないから自転車だと荷台もない自転車だから困る
気付いたことはこの軽いとういことがカメラでも重要な要素であることにこのカメラをもって気づいた
だから一万でこんな持ちやすいカメラを中国でも作っているうといことで驚いた
中国製は安いけどいいものがないという印象だったからである
一万でこれだけのものを中国でカメラを作っていることに驚いた

何か最近中国の影響がどこでも感じられる、それはグロ−バルにそうなったのである
田舎が関係ないかというとやはり中国人が最近近くの空家に何人が同居しているのがわかった、ただなぜ日本に来ているのか、中国でもう働いた方が金になる時代だと思っていたからである
ベトナム人も何人か一万の町に来ている、それからネパール人の女性はFUKUSOに裁縫工場に来ていた
駅でベトナム人労働者を斡旋していたのは仲介していたのは中国人だった
中国人の女性もFUKUSOで働いていた、それはハルピンとかである、元の満州とかである
そこなら隣だともなるから近い、飛行機で三時間くらいだから中国は実際はかなり身近なのである、ということは中国人は人そのものが気軽に日本に来る距離にもある
グロ−バル化した世界ではモノだけではない、人間も流入してくる
中国人の女性と結婚した人も知っている、その女性もハルピンとかである

もちろん中国人と仕事している人もかなりの数になる
それで大阪の人が中国は一発あてる売れる量が多いからもうけも大きいと言っていた
中国から船で帰る時、同船したのは他に神戸の人で中国語がしゃべるれ人だった
それからモンゴルに一年間羊を飼うことを学ぶために一緒に暮らした人だった
その人は冬は厳しいので一回りやせると言っていた
その人は北海道で羊を飼う仕事をしていた、NHKのテレビにも出ていた
その人は大学の畜産学部をででいてそういう仕事につこうとしていた
結婚する女性も同じ大学なのか一緒だった

ともかく現実問題として中国でかかわる人が増えている、小高の人が中国人の女性と結婚していた、また小高出身で中国人と商売している人を紹介した
千葉県に住んでいる、こういうふうに中国とのかかわる人が日本で増えたのである
アメリカとかかわるとしても遠いからアメリカに行きまたアメリカから日本に来る人は限られている、軍人が一番多いとなる
それで在日の人でアメリカ国籍をもっている人がアメリカ軍の人と接してアメリカを語る何かこうなると本当に今誰しも片田舎で否応なくグローバル化しているのが現実である
おそらく外国人の男性は原発関係の仕事をしているかもしれない、そこは金になるからだ
中国の影響は日本だと密接になる、

コンパクトフラッシュ、SDカード、メモリースティック Proなど、フラッシュメモリー業界において数々の特許を生み出した。

同社のNAND型フラッシュメモリの製造は東芝(当時)と共同で投資を行った、三重県四日市市の「キオクシア 四日市工場」で行っており、パッケージングを中国・上海の自社工場で行っている

このカメラがTFというカードを使えとあり注文した、これはサンデスクの製品だったのか何かわからないかここの会社のものでありアマゾンに注文して買った
そこのコールセンターは中国人の女性だった、Dellのパソコンを買うとき相談したのもコールセンターの女性は中国人だった、その人は本当に日本人と同じくしゃべるのである、かなり専門的な相談にものれるから案内している
何が中国人とどこでも接することになる
要するにパソコンとかカメラでもグロ−バル化して作っているからそうなる
アメリカの技術から日本の技術でも入り中国で技術が進化して安上りに作る
工業化はグロ−バル化社会で発展してゆく
だからもう日本と中国の技術の差はなくなり中国がアメリカでも日本でも猛烈に追って追いついてきたのである

本当に十数年前とか中国に行った時から比べると驚きである、なぜならその時は物価は中国では十分の一とかになっていた、ただ三回目では北京とかでは高くなっていた
もう中国の上海とか北京とかなると日本と物価の差はなくなった
また日本に観光客が増えたのは日本が物価が安いからである、外国では物価が高くなっていたからである、つまりかつて日本が外国の物価が安いと海外旅行した同じように物価の安い日本に観光に来るとなったのである
そして高級品の店に入るのは外国人だとなってしまったのである
日本人は夜の部でスーパーの食品が安くなるときねらって日本人が買いにくるというのもそうである、高い買い物は外国人がするようになったのである
その中に爆買いした中国の金持ちがいたとなる

ともかくこんなに急速に中国が変わる進歩することは驚きである、交通が発達したグロ−バル化では急速に発展した国に追いつく、ヨ−ロッパから船で一月かけて来るような時代ではないからである
そして中国の怖いのは人が流入して日本にもすみつく、北海道で土地が買われてそこにもに中国人が住みつくということがある、そしてやがて中国の領土にする布石だという人もいる、それが中国人の他国をのっとるやり方だとしている

中国で恐ろしいのは人口があれだけ多いから移動するエネルギーがものすごいのである
蝗のように移動して食い荒らすということともにている
地方の農民は家畜のように貨車に積み込まれる家畜だったとしている
なぜなら車掌は鞭をもっていてつめこんだからである
その人口の多さと移動するエネルギーがすさまじいのである、それを盲流というのもわかる、それが巨大なエネルギーとなって中国大陸を席巻するからである

日本は今やこうして中国がかつての中国ではない、新幹線も走っている科学技術大国にもなる,その時日本はまさに龍となった中国に飲み込まれるともなる
それで中国の一省にもなるという人がいるのもわかる
アメリカの一つの州が戦後日本だと言われた、でもアメリカ人が大挙して日本に住むとういことがない、遠いから間接的影響にもなっていた
中国の影響は中国人とも密接に交わるし直接的だから違ったものになる
つまり中国人優位の日本社会になりうるということである
ウィグルのようにもなりうる、そういう大きな時代の変化が急速に来たとなる

右翼だと中国を敵視して排斥する、攘夷となるが明治維新の時代とは違う、その時の中国はアヘン戦争とかで疲弊していたのである、西欧列強のアメリカの植民地になっていたのである、だから全然違った時代になっている
そこを見誤ると日本は苦しい立場になる、ただ日本というのは中国の巨大化とアメリカの衰退とまたロシアの強権な態度で迫ることとか小国化するとき大国の狭間でかじとりを強いられる
最大の脅威は今やアメリカとかではない、中国になったのである
武漢ウィルスとか中国発のウィルスがコロナウィルスだというときもそうである
何でも中国発となりそれが脅威となってゆくのである

三日見ぬ間の桜かな

これがまさに中国だった
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2021年05月31日

丸森に見るソーラーパネルの危険 (山ごとソーラーパネルになっていた)


丸森に見るソーラーパネルの危険

(山ごとソーラーパネルになっていた)

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山が全部ソーラーパネルになっていた
これは危険である

丸森のメガソーラー建設計画 山林開発に広がる反対論
https://kahoku.news/articles/20210117khn000020.html



鉛などの有害物質を含んだゴミがそれとは知らずに近所に捨てられている――。
総務省は9月、少しぞっとする内容の報告書を公表しました。名指しされたのは太陽光発電用のパネルです。

太陽光パネルは電極やシリコンを何層も強固に接着してできています。分離してリサイクルするのが難しく、20〜30年の寿命を迎えると産業廃棄物の処分場に埋め立てられるのが現状です。
総務省によると、パネルに含まれる鉛やセレンなどの有害物質の情報を処分場に提供していない業者は調査対象の8割に上ったそうです。
https://plaza.rakuten.co.jp/guidedog/diary/201712260001/

平野部に建設するのが理想ですが、日本では土地が限られてしまっているので、そういった場合には森林を伐採して、そこにソーラーパネルを設置する事も多々あります。

人工的に斜面を作ったエリアを法面(のりめん)と呼びますが、「雨が降った際の水路の設計」「植生マットの貼り付け」「根まで伐採しない」等を通常行います。

これらをしないと土砂災害の原因となります。
対策をしていても土砂崩れのリスクは高いものとなってしまいますし。

実は、斜面の草や木の根っこが雨を吸い取り、また 根っこ大きくなるので、地盤が安定するのです。

ソーラーパネルを設置する場合には、どうしても伐採しないといけないので、地盤が緩くなるリスクが高まってしまうのです。

排水溝も作らなければ、土が流されてさらに崩壊します。
https://taiyoukouhatudenrogu.com/dosyakuzure/



丸森で相馬市の宇多川をさかのぼって入ってきた所の山がまるごとソーラーパネルになっていた
山で斜面とか一部なのだが山がまるごとソーラーパネルになっている
そういうものはあまり見たことがない、丸森はソーラーパネルが多いのかもしれない
人間が人工的に作るものは人間の営みはもともと自然破壊なくしてありえなかった
焼畑なども神鳴りなどで発火して森が燃える、するとその灰が肥料になり作物が育ちやすくなる
そういう自然の作用を見て焼畑が最初の農業として広がった
飯館村の佐須は焼畑の意味であり全国にそうした地名が多い
これも大規模になれば森を破壊するのだから自然破壊につながる
農業すら自然破壊だった、森を破壊して田んぼにしたからである
それでこの辺で津波の時、松原が根こそぎ失われた、それは江戸時代からあったもので
幹が太いものだったのである、だからもったいないと見た
でも松原が純粋自然のものではなく人工的な人為的なものとして作られていた
稲作のために塩害から防ぐものとして松原が作られていた

そして自然ではないということは不自然だから松原は津波で全部流されたとなる
なぜなら自然林となると混合林であり一種類の木だけがある森はないからだ
それで津波の後で松原は実際は津波に弱いことがわかった
根を強く張らないからである、また砂地のような所だと地盤が弱いということもある
松原は人工林であり自然林ではなかった
また杉林も人工林であり自然林ではない、木材として利用するためにいいから人工的に植林して作りだしたものである
それでもともと自然林であったものが破壊された
何かこの辺の森でもぶな坂とかありブナの木があった

ブナの果実は多くの哺乳類の餌として重要であり、中世ヨーロッパではブナ林で養豚が行われていた[6]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8A

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ブナは腐りやすく分のない木の意味

ぶなは分の無い木、役に立たない木の意味で和製漢字

ブナは木材としては役に立たないから人間側で無駄なものとされてこの漢字が生まれた
でも自然で無駄なものはありえないのである
それはあくまでも人間側からの見方でしかなかった
現実に果実は熊でも他のものでも役に立っている
ただ木材としては用途がないので無駄なものとされたのである
そういうふうに人間側からの見方だけになると自然の連環を生態系を壊すことになり
危険なものとなる
それが津波で松原が根こそぎ全部破壊されたりする、つまりもし混成林だったら津波を多少防げたとうこともある
津浪に強かったのは竹だった、なぜなら竹は根が強く張るから根こそぎ流れることがないからである、それで助かったという所もあった

とにかくあのように山ごとソーラーパネルにすることは危険である
木がないことは保水能力もなくなる、木は根を張り山に水を貯える
それで雨がなく乾燥していたとき山に入ったらきれいな水が山の奥で流れていたとき感動した、山にはいくら雨が降らず干ばつのようになっても水が流れていたことに感動した
山には保水能力がある、それを山ごとソーラーパネルにしたら保水能力もなくなり
なんらか田んぼとか農業にも影響してくる

ただなぜこれほど全国的にソーラーパネル化しているのか?
それは農業が田んぼなどが耕作放棄地になっているからである
零細な農業などが後継ぎがないとして継続されず放置される
この辺では原発事故以後耕作放棄地が多くなった、もともと跡継ぎなどがいなとか割にあわないとかで放置されるようになっていた、そしてそれに原発事故が拍車をかけたのである
そして田んぼは耕地整理で広くしている、すると余計に小さい田んぼは放置される
そこかソーラーパネルになりやすいのである

丸森でもソーラーパネルが増えたのは木材として利用されないからである
江戸時代などは米沢藩と伊達藩と相馬藩で三つ巴で木材をめぐって熾烈な争いがあった場として知られている、それだけ森が広く木材が豊富にとれる場所だったからである
今でも森が深いのである、それで森に迷い入り出れなくなった恐怖を経験した
ただ最近ウッドショックとかなり外材が入らなくなり家が建てられないとか騒いでいる
そして日本の木材が高騰しているとかなる
そうなると丸森とかでもまた他でも日本の森が見直されるとなる
つまりグロ−バル経済の危険は何かあると輸入できなくなることなのである
だから経済の基本は地産地消なのである、もちろん全部とはならないけど基本はそうしないと何かあると外部から入ってこなくなる、特に外国が相手だとそうなりやすいのであるだから過度なグロ−バル化は見直すべきなのである
何かコロナウィルスとかはそういう過度なグロ−バル経済による自然破壊とも影響している、生態系に反するものとして人間が暴力的に機械でも熱帯の森でも破壊する
そうしてそういう生態系の破壊からコロナウィルスのようなものが出て来る
それでそうした自然破壊に歯止をかけるためにコロナウィルスが神がばらまいたのかともみるのである



posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年05月29日

人間評価の基準は何なのか (佐藤優を推奨した鈴木傾城の疑問、有力者の背後に組織団体がある)


人間評価の基準は何なのか

(佐藤優を推奨した鈴木傾城の疑問、有力者の背後に組織団体がある)

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前に佐藤優を創価のプロパガンダとして批判した
それがなぜヒットラーを批判できるのか,ナチズムを批判できるのか?
また毎日読んでいるダークネスの鈴木傾城もこの本を推奨しているので失望した
ただこの人の言っていることはまともであり人気があるのもわかる
毎日読むプログはないから読み応えがある
純粋の右翼である、右翼の大物に傾倒しているのもわかる

でも今日のプログでこの本を推奨していることには疑問だったしなぜなのだろうと思った人間は結局どうして人を評価したり判断したりするのか?
どういう基準で判断するのか、個々人はどうして判断するのか?
大勢の人はそもそも何かの判断基準をもっているのだろうか?
また何をもって判断基準にしているのか?

ナチズムとかがなぜ生れたのか?

そもそも個々人は判断基準をもたない、数が多いということが正義になった
だから民主主義から選挙から正当な手続きをえてナチスが生まれて支配されたのである
なぜなら今でも民主主義とは数になってしまったからである
数が多いことが正義でありすべてになったからである

そうなると創価のように何が何でも数を集めることに奔走する
数を集める選挙がすべてになる、一番早く選挙運動するのが公明党である
もう二年前から選挙運動であり日々の活動が信仰でも一票を獲得するための選挙運動なのである
現実に座談会では池田大作先生のためと座談会に集まりみんなで祈り選挙に勝つことを祈願する、それが日々の活動なのである、池田大作はヒットラーと似ている
そこで活動する人はナチスのヒットラーユーゲントともなる
そして会員が何百万いるといっても全く活動しない、座談会にも出ない人がまた百万以上とか膨大なのである、それが幽霊会員でありその幽霊会員を票に結びつけるのがまた幹部の日々の活動なのである

すべては選挙に勝つため!

これしかないのである、信仰とか内面の問題など全く考慮しない、そんなことしていたら票など集まらないからである、あとはすべて御利益なのである
利益になればいいという御利益利権団体になる
つまり創価こそナチスであり池田大作はまぎれもなくヒットラーなのである
その創価のプロパガンダになっているのが佐藤優であり池田大作の礼賛の分厚い本を出している
そういう本を出せるのも背後に創価があって指示されるからだ
会員が買ってくれるからである

何か人間を評価するときどういうことで基準にして評価しているのか?

これが問題である、まず一人の人間を評価すること自体困難を極める
その人がどういう人なのか知ることがむずかしいからである
ただ基準になるのはある団体に組織に所属していることで人間を分類することである
左翼団体もあり右翼系団体もあり宗教団体もありそれでその人を判断の基準にする
鈴木傾城は右翼でありすると右翼団体があり右翼団体としてみる
その発言も右翼団体をもちあげるものとなる
ただそうして左翼であれ右翼であれ団体に所属しても個々人はまた違ったものになるが
一つの色に染める、人間は何の団体組織に所属しているかでみる
会社員だとどういう会社に属しているからでその人間をみる

津田大介とかは左翼でありこの人が推奨されるのは左翼の団体に所属する人たちだとなるまたこの左翼系統は在日と連携しているともなる
在日ネットワークがありこれが良くわからないにしても強固の団体のようである
なぜなら在日と言っても日本人と同じだから日本語も日本人と同じ話しているのだから
日本人なのである、だから在日の人には本を出している人とか大学教授とかマスコミとか主要な分野で力をもっているのである
NHKも在日に支配されているかともいわれる、だから在日というのは裏で操作できる実力者集団とかとされる、ただこれも明確には見えない
とにかくこの在日の人では相当に優秀な人も多いのである
個人的にもそうである、アメリカ国籍をもっていて在日の人がいる
これも私には理解できなかった、こういう人は俳優でもいたし結構いるのかもしれない

ではなぜそうなったのか?

日本人でありたくないということがあったのかもしれない、それでアメリカ国籍にして日本人として生活しているとなる
例えば在日ネットワークがかなり社会的圧力団体になっているのはこの辺で小説家として柳美里とか小高に生活している
その人がアメリカの賞をもらったりまた芥川賞とか直木賞とかもらったりする
そして南相馬市の市役所にその賞をもらったことで南相馬市として名誉あることとして
そのことを宣伝している

でもなぜ公の役所でそういうことができるのか?

これも疑問なのである、何かあると小高の人でも動員されると嫌がっていた人もいた
他に原発を訴える詩人とかいてもそれは左翼系統で支持されたりまた何か原発事故を利用して有名になろうとしていた、アメリカとかフランスとかから賞をもらったというときそれはその作品とかとは関係ない、政治的配慮でもらったのである
原発が一番あるのはフランスでありまたアメリカでもある
するとフランスとかアメリカが批判の対象にもなる、でも批判はしない
その責任は追及しない、ただ自分が有名になればいいだけなのである

つまり何か強制されているというのは在日ネットワークが背後にあったりそれで人々はそれに従わざるを得ないということである
ただ正直その人の本は読んでいないから評価できない
つまり公的なことでもそうした団体組織に動かされるのである、そういうふうに佐藤優とか津田大介とかが個人ではない、背後に団体があってそれでその代表として大きな力をもつことになる、たいがいその人の評価は背後の団体で決まっているのである
またその背後にそうした団体組織がなければ発言すらできない
それで武田邦彦氏が原発に反対すると右翼系の組織から排除されると言っていた
というのはあれだけ右の発言をしているのに原発反対だとその仲間になれないとしているからだ、ということはその人は個人として発言しているからそうなるのである
ただ個人として発言すると拒否されて公的な場所から排除されるのである

つまり人間の評価の基準は背後の組織団体があって決まっている

こうみるしかない、それが左翼であれまた右翼であれ創価であれ在日であれ他の宗教団体であれその団体の支援があり個人も主張できるとなる
私は右翼でも左翼でもないのである、右翼的発言もあるし左翼的な発言もある
でもどちらの応援もないし所属してもいないのである

とにかくそもそもナチスというのは今世紀最大の問題でありまた日本の戦争でもなぜ三百万人も死なねばならなかったのか、それが20世紀の最大の問題であった
それはグロ−バルに起きたことであり社会が世界で均一化した結果でもある
だいたい世界的にみんな同じような生活をするようになったからである
例えば戦争でもこれほど大量殺戮化したのは日本がだったら武士とかヨ−ロッパでも貴族とかが戦士となりその選ばれた戦士の戦いだから限られていたのである
それが国民全員が戦士となったのが国民国家となって戦ったのが20世紀のグロ−バル化社会だったのである

当然なそうなると国民全部が戦士として戦うか何千万と世界で死んだのである
またナチスが生まれたのはそうした社会になってそうなったのである
大衆化社会とかゲッベルスの宣伝とかその時はテレビもないのにラジオがナチスを作りだしたというのもそうである
今ではテレビが力ももち大衆洗脳装置となっているとかなる
そういう情報社会になり一見みんな誰でも自由な発言をできるようで実際は個人ではできない、背後に組織団体があってその代表として発言しているのである
第一マスコミでもそうである、誰でも発言は勝手にできない、その人選はテレビ局がしている、また番組をNHKでもNHKの意志があり編集している
必ずマスコミでも何の意志もない発言はしない、それはNHKの幹部が方針を決めるのである
中立なようでそうではない、また報道するものとな報道しないものを選択しているからである

ともかく何かを評価の基準にするのか、それは例えばNHKに出るだけですでにその人は大きな力をもち評価される、その評価はNHKによって決まるともなっているのだ
私の評価基準は創価の内部を知っているから創価をもちあげる人は評価しない
それは背後に団体があり組織があり発言しているからである
田原総一朗なども創価をもちあげる、それはその団体の一員とも化しているのである

いづれにしろ大衆装置として新聞があったりテレビがあったりマスコミが力を持った
インタ−ネットになると確かに個々人が発言しているがこれも背後にある組織団体が左右するともなる
だから名古屋の知事のリコール問題もそうした右翼と左翼のしのぎあいであった
組織団体同士の戦いでありそこに不正があったとなる、その組織団体の代表たちの戦いでありその代表に津田大介とかあったとなる
とにかく知識人には問題が多いのである、それは結局その個人というのはない、背後に組織団体がありそれに利用されているとことあるからだ、数が多いといことが正義でありそれが民主主義を歪めてそこからナチスが生まれたからである
だからむしろ多数は信じるなともなる、原発事故でもそうだったのである、それで「安全神話」まで作られた
権力とか多数で物事が決められるとき危険なものになる、民主主義が多数がすべてを決めるから最も全体主義にもなりすいものだったである

小竹海広、伊藤春香、津田大介やらをなんとかしろ


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2021年05月26日

空家化少子高齢化で日本は縮小化して空洞化 (自分の家の10メートル以内の家の状況)


空家化少子高齢化で日本は縮小化して空洞化

(自分の家の10メートル以内の家の状況)
lonehouse1.jpg

近くの子どもの時から知っている人が死んだ、その人は評判が悪い人で相手にする人がいなかった
最近姿を見ないと言っていた、犬を飼っていたが犬もいなくなっていた
生活保護で子供いないし親戚関係もなくなっていたと思う
なぜなら若い時その息子は自殺したからだ
その原因が親にあるとしていた、とにかくみんなから嫌われていた人間だった
ただその死んだ人の親はいい人だったのである
本当に今ではまれな馬鹿正直な人だったのである
それで自分の家族が認知症になった時助けてくれたのである
そのことは良くわからなかったが後でわかったのである
その親はいい人だったとみんな言っていたのである
本当に今の時代には金だけを追う時代では本当に見かけないおそらく旧時代の人だったとなる、ただ別に大正生まれでもみんな今は金だけになった
その人はなぜか違っていたのである、だからそんな人がもういないと見ていた

その人が死んだのいつだったのか、組に入っていても連絡もない
葬式も通夜もないのだろう、前にその人の妻というか同居していた女性がいた
その女性は仙台辺りから連れてきた女性だった
その女性は階段から落ちて死んだのである、これもなんか変だともみた
人間はそんな簡単に死ぬのか見たからだ
それで変なうわさもたった、とにかくその人は嫌われていたし貧乏である
ただ農家であり広い敷地がある、でもその土地でも自分のものでないらしい
だからあばら家みたいな家に一人で住んでいた
でも子供の頃から知っている人でありびっくりした、一時は一か月くらい入院していた
退院して一か月前とか見かけていた
それが死んだというので驚いたのである

死に方としては良かったなと思う、何か介護されずに簡単に死んだからである
おそらく延命治療などしなかったのだろう
あとは福祉で市の方で始末してくれたとなる、何か葬式もしないのかとなる
その人の奇妙なのは金がなくて6万貸したことがある
墓も私の同じ墓地にある、その墓をみたら死んだ親の名前が墓に記されていないのだ
それは金がないから墓に親の名前も記されていないかったのである
これも奇妙である、つまり名前も記されていない墓となればそれがその人の墓と言えるのかとなるからだ
こうして親不孝な人だったのである

この人が死んで隣の人と話ししていたら20年以上住んでいた人の家が空家になっていたことにきづいた、引っ越したという、ただすぐ近くに新しい家を建てたからだ
でも二十年以上住んでいた人が急に空家になったのも驚いた
その家は同じ組だった、話ししたこともないが空家になったということが驚きだった
その家の庭は広く家賃は四万だと聞いた、とにかく庭が広いとみていた
でもあまり庭は手入れしていないからもったいないともみていた

そして図にしたように自分の家の回りが連続して空家化していた
引っ越した家の隣が前から空家であり持ち主はいるが誰も住んでいない、壊れそうな空家である、次に隣の家の人がみんな死んで更地となっている
その隣はまた親と息子が死んで空家となった、何かわからないが息子は若くして死んだ
その後に親が死んだのである
そしてその裏の農家だった人が死んだ、そこは農作業していた庭が広い、だからその一帯の家を壊すと広い空き地になる、駐車場にとかするのにはいいとなる
公園にすらできるとなる

これで考えたことが最近隣の78歳の女性の人が死んだ、その夫も今は病気である
孫が買い物などに一緒に行っている、でも息子がいて嫁がいるがかまわない、前から同居しても別々の暮らしだったからである
死んだ女性とは自分の庭に咲いている花のことなどで話ししていたことがあった
何か突然死んだので驚いたのである
とにかく何か今は介護時代だからそう簡単には死なない死ねない時代である
それがこうして簡単に死ぬ人もいる
その人はとにかく嫌われいたし介護する人もいないからそうして簡単に死んだことは救われたともなる、人間はそんなに簡単に死ぬ人もいる
死に方としては良かったなとつくづく自分は思う

こうして自分の回りの状況は日本の縮図である

何か自分の隣近所を見ただけでこれが日本の縮図だと思った
空家が全国で800万になるとか少子高齢化とか一人暮らしの増加とかがそうである
組には一人も子供がいない、子供が遊ぶのも見かけない、老人が増え少子高齢化であり
空家が増えて耕作放棄地が増えて介護する人が増えて次々に同期の人も死んでゆくとなる同じ世代の人が次々に死んでゆくともなる
とにかくこの年になると死が現実化しては身近になる
あの人も死んだ、次は誰なのかとなる、自分の番だということが切実になる
それより原発避難区域が極端であり空家だらけとなる
そして5000万で建てた新築の家も誰も買わないともなる

人間が死ぬとういとき死んだ時は誰でもその人がなんであれ思うことがある
この人はどうだったかとかなる、それにしても人間の死で常に思うことはあっけないとういことである、死んでしまうと呆気ないということが常に感じる
ころっと死んで消えてゆくことである
こんなに簡単に人間が死ぬのかと常に思うからである

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2021年05月23日

原子力村、オリンピック村、感染症(医師会)村の利権構造 (人間は利権利益から離れられないから公正に判断できない)


原子力村、オリンピック村、感染症(医師会)村の利権構造

(人間は利権利益から離れられないから公正に判断できない)
                                              

原子力村が利権化して安全神話を作り事故になった
その利権構造は官僚、政治家、学者、マスコミそして地元の利権者となり強固なものとして逆らえないものになった
それは権力で作られた安全神話であり結局安全神話が作られてかえって安全がおろそかになった
日本の技術は優秀だから日本では事故は起こらないとか日本人優秀論がありそれで何か
自己過信に陥る
それは太平洋戦争でもあり不敗神話とかになる、それは創価でも選挙の不敗神話が作られた、仏の加護があるのだから仏法で勝利するとなる
また国全体になると天皇が神となり日本は神に加護された国だから負けないとなる
そこに宗教がかかわるとそうなりやすいのである

「安全神話」「不敗神話」が作られるとかえって安全はおろそかにされる、科学者が合理的に科学的にも安全を追求しなくなるのである
なぜなら危険を誰も指摘しなくなる、内部からも指摘できなくなる
絶対安全などありえないとして安全を追求できなくなる
ただ10数メートルの津浪が来ると科学者集団が東電に警告していた
それも報道されたのか?それに備えることもしなかった
今時代は科学技術の時代だからやはり科学者は危険を一番追求できると思った
つまり科学者でも優秀な集団はいたのである
ただそういうことを指摘しても上層部は何の備えもしない、したくなかった
なぜなら金がかかる、コストがかかるということでしない
そして「安全神話」を作っていれば要するに何もしなくても金をかけなくてもいいとなるこれこそ便利なものはなかったとなる

そしてそこに自衛隊から警察から官僚が天下りして利権を得る
マスコミもそれにのっかり利権を得る、危険を追求することもなかった
地元では金になればいいしかなかった、だから飯館村ですら原発で働いていたのである
そこで普通の3倍の賃金がもらえたからである、そうなるとみんな働きたいし東電のおかげだともなってしまったのである

このことはオリンピックでも同じであり、コロナウィルスでも同じだったのである
そこで強固な利権の村が形成されてその利権を得る人たちがいてオリンピックはやめられないのである、やめると大損失になるからである
オリッピックは平和の祭典でもなんでもない、一部の利権を得る人たちためのものだともなる、それは原発でもそういうことがありまたコロナウィルスでもそれと同じことが起きている
医師会があるとしてそれは強力な利権団体でありお医者様には庶民でも逆らえないことを身をもって知っている
命をあづけるから怖いとなり強力な利権団体にもなる
民主主義でもこうして現代は利権団体民主主義なのである
個人など何の力もないのである

それは宗教でもそうである、創価はわかりやすい御利益を求める利権団体である
でもその他の宗教団体も同じなのである、神道でも仏教でもその他の宗教団体も利権団体なのである、なぜならそれだけの数を集めれば政府に要求できる
そして利権を得ることができる、宗教団体が一致して税金をかけることで一致協力していることでもわかる
比叡山の宗徒が琵琶湖の舟運で関税を税金をかけたりしたのもそうである
比叡山でもそこは僧兵がいて強力な利権団体としてあったからである

ただこうしてみんな利権ばかり追求するものとなったとき今回の様なコロナウィルスとかなると医者でも看護師でもそんな危険なものにかかわりたくないとかもう看護師でもやめたいとなる、何か一致してコロナウィルスに立ち向かうということもない
それぞれの団体が利権だけを追求するからである
そしてベッド数が外国より10倍以上とかあっても何もできない、戦争なら武器があってもそれが利用できないのである

民主主義は意外と危機に弱いということがコロナウィルスで判明したのである
つまり船頭多くして船山に上るとかなるのが民主主義なのである
こういうときは誰か強力な指導力を発揮する人が先頭にたって指示する
それが民主主義ではできない、何か話し合いだとか合意をとるとか議論するとかしているうち感染が拡大して手がつけられなくなるともなる
だから中国が感染を止めて普通の生活に戻っているということは不思議なのである
それが全面的に信じられない、中国のまねすることはいいことではないというのもわかるでも民主主義は危機には弱いことは判明したのである
平和な時は別にいろいろ手間がかかっても議論して合意を得ることは否定できない
法律を守るというのもそうである、でもこうして危機に直面すると民主主義はただ混乱状態になりそうしてもう誰も指導できなくなり被害が拡大して国が崩壊するとまである

いくら議論して合意にいたるとかしても解決がないのである
だからもう民主主義というのも実際はすべていいものでもなく悪くも作用したとなる
みんなめいめい組織団体でも利権を得るためにあれば合意などしない
結局人間の問題は利権であり利益でありこれから離れないから何か公平にならないし真実でも見えなくなる、「安全神話」もこうして強力な原子力村が作られて大事故になったからである
もしオリッピックでもその意義だけを追求していれば成すべきものとしてありうる
でも一部の利権者のためのオリッピックになったからやめろとなる
バッハ会長がぼったくり会長だと批判されるのもそうである

とにかく原発事故でもオリッピックでもコロナウィルスでも共通したものがある
人間は利権から利益から離れられないからそれで真実が見えなくなる
見えなくさせられる、科学でも歪められるし法律があっても歪められる、宗教も歪められる、ただ利権を御利益を得るためのものとなる
神は偏り見ないというとき人間の利権と利益にかかわらないからできる
だから利益とか利権にかかわらないなら人間でも公平に見れるとなる
ただ実社会に生きることは必ず利益とか利権とかかわるからそれは至難だとなる
それはマスコミとか見ればわかる、宣伝費で成り立っているのだから金を出す会社には団体には逆らえないとなるからだ


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2021年05月19日

金の流れで悪が見えるー河井案里議員の金の出どころ


金の流れで悪が見えるー河井案里議員の金の出どころ

自民党の二階俊博幹事長は17日の記者会見で、党本部が2019年参院選で河井案里氏の陣営に供給した1億5千万円の活動費について「私は関与していない」と述べた。

岸田文雄前政調会長は12日、党執行部が国民に「政治とカネ」の問題を丁寧に説明するよう二階氏に申し入れた。岸田氏は13日の派閥総会で「『書類を確認して説明責任を果たしてほしい』と二階氏に申し上げた」と語った

金がどうして得たのか?明らかに一憶5000万円の金がふりこまれて使った
ではその金をふりこんだ相手は誰なのか?
それが二階氏とか選挙対策長だった甘利氏とか言われる
なぜなら誰かがふりこまないかぎりその金はない、誰かの命令で振り込まれたとなる
つまりその振り込んだ人をつきとめるとその人も共犯者だとなる
選挙に勝たせるために軍資金として金を与えたとなるからだ
それをみんな否定している、でも金の流れから犯人がつきとめられる
推理ドラマでも金の出どころとか金の流れをつかむ、それが証拠になる

金がどのようにして得てどのうように使われたのか?

何か銀行とかの金融業の役割りはそうして金の流れを記録して証拠にする場なのかともなる、確実に金の流れが記録されているから偽ることができないからだ
ただタンス預金とかから流れているとわからなくなる
それで政府では困る、マイナンバー制を政府がすすめるのはこうして金の流れをつかむためである、そして税金をかけるためだとなる

なぜ金をもっているのかと自分が言われた、働いていないし稼いだことがないのに金をもっているのかとなるからだ
その出どころは遺産を相続したからである、それは自分自身が働いて稼いだものではないそういう金も普通にある、でもある人が金があるというときどうして金を得たのかとなる金額が大きくなると問題になる、それで銀行で大金を貯金したとき家族が問われた
本当はそういう金は銀行で秘密ともなる
でも大金になると盗んだとかもあり銀行でも問うことができるのかとなる
警察で操作する時、犯罪であればそれを知ることができる、どうしてそんな大金が入ったのかとなるからだ
銀行とか金融機関はそうして金の流れを記録する機能がある
また紙幣に番号が記してあって盗まれた金だとそこからわかることがある  

いくら私は金を出していないとしてもいづれ金をだした人が判明するのではないか?

その鍵は銀行になるのかとなる、一憶5000万の金を支払った記録は銀行に残っているだろう、それとも闇の金なのか、ともかくそれだけの金が誰かが支払ったことは確かなのである、それを支払ったのは自民党しかないのである
だから機密費から支払われたともされる、それは秘密の金だからわからないともなる

とにかく人は金を一番気にしている、自分でもまた他人の金でも気にしている
いくら金をもっているのか気にしている
ただ普通に働いていれば金の入るのは限られている、ただ特別な場合にこの辺だと原発事故で多額の億の金が入った人がかなりいた、それでいい車を買ったりしてひんしゅくをかった、でも事故のためにもらったものだから正当性はあった
何か正当性がない金だと回りがうるさくなるのだ
船主とか漁業組合の過分な東電から補償された金とか相双リテックなどの除染費用は過分すぎたからそれは犯罪ともされて逮捕されたのである
その金の出どころは国民の税金でありまた地域でも配分されるものだけど一人じめしたとなるからだ

金がどういうふうに流れたのか、それを追ってゆくと悪があばきだされる
つまり人間社会は金によって支配されるという側面があるからだ
それでドルを発行できるFRBとかが世界を支配してそれを作ったロスチャイルドとかロックフェラーとかが世界を支配しているという陰謀論になる
中国で覇権国になるために独自の人民元をデジタ通貨にしようとするのはそのためであるローマ帝国でもオスマン帝国でも地方の長官とかに覇権されたときその土地を支配した
人が王になりやはり独自の貨幣を発行したのである、それにはその人の顔が彫られた貨幣だったのである、貨幣とはこうして支配するものとしてあった
貨幣を紙幣を発行できるものが支配者となる
でも中央の皇帝から反逆者として討伐されたのである

だから悪を暴くとき金の流れを見ろということになる
それがわかりやいからである、今になって自民党の幹部は誰もその金を払っていないとしている、でも確かに誰かが払っていたのである
それを逃れることはできない、何かこれはわかりやすいのである
でも普通は金の流れがわからないのが多い、闇のルートとかに隠される
グロ−バル経済になるともう天文学的数字の金がどう流れているのか見えなくなる
それが問題なのである、金の流れが可視化されれば悪も見えやすいのである
それができないので陰謀論になり悪は闇の中に隠されるのである
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2021年05月18日

民主主義、共産主義、全体主義の相違 (民主主義の弱点がコロナウィルスで現れる―民主主義は崩壊の危機)


民主主義、共産主義、全体主義の相違

(民主主義の弱点がコロナウィルスで現れる―民主主義は崩壊の危機)


何か最近コロナウィルスでもそうだが民主主義より中国とかの共産主義一党独裁とかの方が指導力を発揮して自由主義の民主主義が指導力が発揮できないとして中国のような共産主義が一党独裁の方が優れているとも言う人がいる

それはなぜなのか?  

民主主義というのは一番いい政治体制だということを世界でのスタンダードとしてあったでももともと民主主義の欠点は言われてきた

君主制 ⇒ 一人の王様が国を支配⇒独裁制
貴族制 ⇒ 少数の特権階級の人が国を支配⇒寡頭性
民主制 ⇒ みんなで国を運営⇒衆愚性

この三つがありそれぞれぞれにいい面と悪い面がある、今民主制が悪く感じる機能していない、それは衆愚性になっいているからだ、ポピュリズムになっている
田中首相が政治は金と数だと言ったのもそうである
人間はもう数であり統計的数字として扱われるだけである
すべては数によって決まる、それが極端化するとファシズムになる
その最悪の例がナチスだったのである、民主制は大衆ファシズムになりやすいのである

民主制とかいうとき何かギリシャの民主制が基になったとしているが現実はそういう民主制とはもうまるで違ったものになっている
その理由は数が多いからである、ギリシャの民主制は一万くらいのポリスで行われたものである、そこでは一人一人の票の重みが違っていたし責任も違っていたのである
その一票は軽いものではない、一人一人が市民として責任を負っていた
ただここでも問題があり奴隷がかなりの数をしめていてその人たちに一票をもっていなかったのである

今は数だけが問題になるときもう一票など価値がないとみんな知っている
だから投票しても無駄だとなる、すでにその数を集める組織とか団体があって決まっていて一票など何の価値もないのである
だから投票率が50パーセントになっている、組織や団体に利権団体に属していない人は棄権する、でも組織団体に所属して利権化している人は投票するのである
それで創価などは必ず会員は投票する、組織の力で投票させる、会員が何百万人もいてもそれが票につながらないからである

だからすでに選挙の二年前から幹部は票にするために一軒一軒回っている
それが御利益宗教として利権と結びついてそうなっている
完全に政教一致なのである
その危険はナチスのような大衆ファシズムになることである、数が頭数が権力を得ることでそうなる
ヒットラーは選挙で選ばれたのであり暴力ではなかったからだ
創価も革命を目指していてそれも平和的手段で選挙で権力奪取を目指している
ただ一面これは暴力ではないから合法だともなる、でも政教分離に違反していることは確かなのである、自民党は創価の票を得たいからそうなる
とにかく選挙が迫って来た時、いち早くポスターを張ったり立てるのが公明党である
現実にすでに選挙活動のためにポスターを立てているいからである
すべて祈ることも選挙のためにあるのが創価だからである
座談会があったとしてもそれはキリスト教会のような祈りのためではないのである

ただこうした団体が生まれて許容されているのも信仰の自由があるからだとなる
この自由もまた民主主義を歪めているのだ、あらゆることが自由だとなる弊害がまた生まれているのである、人間にあらゆる自由はありえないのである
その自由がコロナウィルスで制限されたのももしかしたら神からの戒めなのかともみる

関所とか国境があるのは何かそれもコロナウィルスでは必要だったと気づいた
そういうふうに国境を作り関所で水際作戦をすれば防げるとなるからだ
それでも江戸時代のコレラ流行でも長崎からウィルスが入り全国に広まった
江戸時代でも防げなかったのだから現代ではもう不可能である
台湾では一時防いだがパイロットから感染してまた広まったということでもわかる
またビジネス関係でも入国を許しているからそこからも広まる
防ぎようがないのである

そしてもう一つこうしてヒト、モノが自由に移動するグロ−バル化社会の問題は国々の文化を破壊するのである、だからこそ世界的投資家がジムロジャースのような人が英語にしろとか日本語がなくなるとか言うのである
その国々の文化より世界言語として英語にしろとなる、言語でも紙幣でも本当はグロ−バル化で世界を支配する手段なのである
なぜならアメリカから中国に覇権が移ると中国語を覚えろと本人が言っている
基軸通貨が人民元になり共通の言語は中国語になる
でも日本の場合漢字を採用したのは日本が文明的に遅れていて漢字を必要としたからである、漢字でしか現せないものがありそうなった

ところが明治維新では日本人は西洋化するとき漢字で訳したのである、その概念でも漢字で現したのである、その漢字で現した西洋の文明を今度は中国が逆輸入したのである
つまり言語とは先進文明から学ぶものがあるときそれを受け入れるのである
アイヌとの言語が滅びたのは少数民族のものであり文明を受け入れる力がなかったからである

ヨ−ロッパの言語はギリシャ文明を基にしてラテン語とかフランス語とかドイツ語とかに共通したものがありその言語体系の中で一つの西洋文明を形成したことが明確なのである日本だと孤立語になっている、ただ漢字と日本語は一体化して文明化したのである
そしてなぜ日本だけが植民地にされなかったのか、アジアでなぜ対抗できたのか?
軍事力だってない、黒船が来てその技術力の差をみせつけられた
でも開国してアジアで唯一植民地化されなかった国でありアジアで西欧化した唯一の国だったのである
それは言語でも漢字を取り入れて自家(じか)薬籠中(やくろうちゅう)の物にしたように日本が何かそういう柔軟性がありヨ−ロッパとも伍するものがあったからだとなる

ともかくなぜ民主主義が危機にひんしているのか?
それはもともと民主制は衆愚政治になり現代なら大衆ファシズムになる要素があったからである、それは数の政治であり選挙でも優れた人を選ぶとかではない、ただ数を集めればいいとしかないのである
その典型的なものが創価なのである、そこで人は問わない、一票を集めろしかないのである、そこでまとまった数になると権力化する、誰も逆らえなくなりナチスのようになってゆく、それは現代大衆社会がかかえて弊害なのである

何かコロナウィルスでも上級国民のていたらくを知り指導できないことを知りエリートが堕落しているとか責める人がいる
でもそもそも現代の指導者はその愚民化した大衆が選んだものだから当然そうなる
学校教育でもいかにいい地位について得をして楽をするかを教えるだけである
それが学問の勉強の目的であり受験戦争となったのである
福沢諭吉の学問のすすめのように学問で立身出世することが目的化していた
江戸時代の侍はエリートでりエリート教育をしたというとき民衆を指導するものとして模範になるということがあったが現代はない、明治維新後はそういうエリートは消失したのである 

だから官僚でも政治家でも指導者となる上級国民が自分たちの得することはする
民衆のことなど考慮しないともなる、その原因は第一誰も官僚でも政治家でも尊敬していることなどない、あいつら利権を得て得する、それがうらやましいとなる
政治家になるのは大衆とは票を得て利用するだけのものだともなる
選挙の時は頭を下げてもあとは自分たちの利権と利益しか頭にないともなる
そういうことで民主主義はモラル的にも堕落してパンとサーカスになり機能しなくなたったのである
船頭多くして船山に上るとなった、コロナウィルスでももう現代のエリートと言われる唯一お医者様として尊敬される人でも指導力を発揮できない
医者でも結局医は仁術より医は算術になったのである
だかコロナウィルスの危機でも自分の保身に走る、金にならないとか危険なことはしないとかもう看護師でもやめるとなる

こうしているともう終始がつかなくなり国が崩壊するともなる
だから今度は貴族制とか君主制を望むようになる、今はそういうことが望まれている
人間社会にはどうしても地の塩となるべき一定数が必要なのである
それが消失するとき愚民化して大衆ファシズムになり国が崩壊してゆく
第一中国がコロナウィルスを抑えることに成功したのは一党独裁の君主制になっていたからだとされる、そもそも中国は十何億もの人間を治めることはそれしかできない
それで中国の歴史は皇帝が君主がいて膨大な民を支配してきたのである
民主制になったらもう混乱するだけでとなる
何か民主制とはギリシャのような一万くらいのポリスで機能するものであり数が莫大になるともう機能しない制度でもあったともなる
また人間が国として意識するアイディンティティをもてるのは狭い範囲である
日本だったら小国という地名が各地にあるようにそういう狭い範囲だと国として意識される、それが一億人の国とかなるともう同胞とかとして意識することも不可能になる
ただ人間は数として処理されるだけなのである
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2021年05月06日

数字に呪縛される現代文明 (放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)


数字に呪縛される現代文明

(放射線量でもコロナウィルスでも同じだった)

健康診断の結果の数字で一喜一憂致しますが、存じ上げているお医者様に伺いますと、大きく変動がなければ少しの誤差はむしろ気にしない方が健康に良いそうです。


科学時代とかグロ−バル化とか広域社会とか何か社会の規模がこれだけ大きくなると常に数字が問題になる、人間はもう一人一人の人間などどうでもいい、頭数が問題であり人間は数字であり番号になる、それで議員すら病院で番号で呼ばれたと怒った
その政治自体が数で決まる、議員になるにも選挙でありどれだけ数を集めるかが最優先課題になる
それで田中首相は政治は金と数だと言ったのである
現実にそうなっているからである、その数はどんな人ても一票であり価値は平等である
一人が十票などもたないからである
その数の一人一人の中味など問わない、どんな人間でもいい同じ一票の価値だからである
現代社会はこうして常に数だけが問題になっている
だから一人など個人など政治家は相手にしない、いかにまとまった票を得るかが問題になる

宗教すら数である、何百万人を集めているカルト団体であるが社会で圧力となり権力となる
だから日夜祈り票を集めそれでさらに権力を増大させることを目的とするのが創価であれ他の宗教団体でも同じなのである
権力を得るために毎日祈り活動しているのである、そして毎日票を会員の数を数えるのが仕事なのである
つまり民主主義とは常に数で決まるからである
ただ選挙でも不正があり実際の選挙の勝ち負けは決まっているという人もいる
日本でもムサシという選挙を請け負う会社が操作しているという
だから実は数字も巧妙に操作されているから数字だけでは真実は見えないのである

民主主義が何か最高のものとして信奉するがアメリカでも選挙に不正があると騒いだ
確かにそれもありうる、実際は不透明なのである、だから何でも数だけで決めるのには限界があることがアメリカの大統領選挙で判明した
日本でも同じことが行われているという、それを請け負う会社がムサシとかがいてそうしているという、そこはマスコミで報道されないという
だからなぜ一パーセントの投票くらいで当選確実になるというのも不思議だとなる
実際はそういう報告がムサシとかの会社から報告されるからそうなる

とにかく現代は数字の世界てある、だからシュペングラーが数学から文明を解析した
数字というのがこれぼと幅をきかした時代はない、数学なしでは何も語れない時代だともなる、そうなると数学ができないものは相当に不利になる
貨幣というのも株でも常に数字が問題になる、グラフとかも数学の分野なのである
それで絶えずチャートのグラフを株をやる人は見ているのである
グロ−バル経済となるとその実体は誰もわからない、ただ数字として解析して読んで投資しているのである

そうなると逆に人間は数字にふりまわされ数字に一喜一憂するようになる
それはこの辺の原発事故で嫌というほど経験した
毎日放射線量を計る、それは機械で誰でも計れる、放射線は見えないのだから数字だけが目安となるからだ、数字によって恐怖して数字によって安堵する
でもこの数字も操作できる、モニタリングボストの放射線量は正確ではなかった
その下を掘って土をとったいたから低くなっていたのである
私がその近くの周りを計ったら倍あったからである
それをしていたのは飯館村などでは大成建設だったようである
他にもゼネコンが除染を請け負っていたからしていたとなる
まずモニタリングポストの放射線量はあてにならない
倍以上があると見ていた方がいい、飯館村では特にそうである、なぜなら特に飯館村では放射線量が高かったからである
ただ放射線量の場合素人でも機械があれば計れたから政府の権力でもごまかせないということがあった、素人の文系でも放射線量は計ることができたからである

とにかくこのように放射線量は素人で計れた、そして常に数字に左右され数字で恐怖して数字で安堵していたのである
武田邦彦氏は一ミリシーベルト男と揶揄されたのもそれを象徴している
コロナウィルスでも数字に左右され一喜一憂している
毎日何人感染したとかテレビで放送される、その数に釘づけになる
そしてわずかでも少ないとなにかほっとした感じになる
まるで数字の魔術にかかったようになる、千人越えたら大変だとかみんな見ている
そして数字にこだわると数学者が原発事故は確率論で百万年に一回しか起こらないと割り出したと言っていた、これも専門家が異常化することの見本だった
やはり確率論で対策しないと40万人死ぬと言った専門の学者もそうだった
かえって専門家はそういうことを平気で言うから専門馬鹿と言われる

ただここで疑問なのはどれだけの数を検査して本当にその数が恐怖すべきなのかその中味が良くわからないのである、ここでも放射線量のように政府で操作しているのではないかという疑問があるからだ、そんなに正確に割り出しているのか、その中味のことは良くわからない、ただ数字はわかりやすいからその数字の魔術にとらわれる
感染者でも百とか二百とか三百の差があったとしてそれがどれほど危険なのかもわからない、でも数字はすべての指標となる、それは経済とかでもそうである
数字を指標として見るからそうなる、個々の問題ではない、全体を見る時は必ず数字でみる、統計でみる、体でも血圧でも数字でみる、でも個々人で差があり数字がすべてではないとしている、多少高くでもその人にとってはかえって正常の標しだという医者もいる
つまり個々人で差があるから平均はありえないのである
数字で平均で見ることもまた実体からはなれたものになる

田舎だと確かに数が増えれば恐怖である、でもすぐ近くで感染者が出たとういことが恐怖になる、その家の窓ガラスが壊されて住めなくなって引っ越したとされるからだ
数の問題もあるが具体的に近くに一人でも感染者が出るのが恐怖になる
そこに具体性があり恐怖となる、東京のような大都会だと千人出たとしてもあれだけ数が多いのだから恐怖が希釈される、田舎だと隣に出たというとき一人でも恐怖になる
東京辺りだと一千万人もいるのだから誰が感染しているかもわからない
それで身近に感染した人がいないから恐怖を覚えないというのもわかる
やはり身近な人が感染すると恐怖を覚える、いくらテレビで千人感染したと放送しても
必ずしも具体的な恐怖とならないのである

ただ数字というとき津波の時がそうだった
テレビでNHKでも最初数メートルの津浪が来ると放送した
数メートルかそんなのたいしたことがない直感的に思った
でもそれは津波のことが知らなかったからである、そのあとに十メートルの津浪が来るという時驚いたのである、その時数字を知ることが生死を分けたともなる
なぜなら最初から津波のことを知っていたら数メートルでも危険となり避難したからだ
数メートルと最初に放送した時そんなものか逃げない人がいたからだ
その時危機感がなく逃げ遅れて死んだ人がかなりいたからである

こうしてとにかく数字に惑わされ数字に惑わされてきた、コロナウィルスでも同じだった毎日感染者の数字に一喜一憂している、でも数字と実体が乖離している場合がある
どこまで恐怖していいのか数字に惑わされて本当のことがわからなくなる
それはやはりコロナウィルスが未知だからそうなる
放射線でもそれも未知でありどこまで人間に影響するか明確ではなかったからどう判断していいかわからなかったから混乱した、今でもそうである
放射線被害は十年後二十年後ガンになるとか遺伝子が破壊されて子供に奇形が生まれるとか恐怖した、それで若い女性は脱出して帰らなくなったともなる

宗教でも罰あたるとか地獄に落ちるとかで呪縛される
現代は科学技術の社会だから数字に呪縛されている、数字が信仰されているともなる
ただそこにも落とし穴がある、すべてを数字では計れないのである
また数字は容易に操作されるからその実態を見えなくさせる
そしてだまされる、それは放射線量で原発事故でもそういうことがあったからである
数字は目安にはなっても絶対ではない、だから数字を絶対化することは危険なのである
でも現代はそうなりやすいのである、あらゆるものが数字を目安にして動くとなるとそうなる、そういうことがファシズムにもナチスのような全体主義になる
何故なら人間は一人一人血の通った別個のものではなく、ただ数字として計られる
その時人間は抽象的数字となり処理される
結果的にガス室に送られた人々はただ数字として処理されたともなる

人間を数字化したときすでに非人間化社会となっていたともなる
抽象的なものとして人間をみるようになったからである
社会が拡大してさらにグロ−バル化すればもう人間が直接接する世界ではない
ただ数として世界をみる、そこにもう人間は見えない、見えるのはモノと数だけだとなってしまう、精神と物はここで乖離する
だから人間を回復するとなるとそのサイズが問題になる
国(くに)というときそもそも日本とかの大きな国ではない、小さな国である
里とか村単位くらいの国があったとなる、小国がそうである
そういう狭い地域が国として意識された場だったとなる

そこでは一人一人が個々が見えて国を造っていたとなる
老子の小国寡民もそうである、大きな国が理想の国とはなりえないと見ていたからである数で計られるようなことがなかった、一人一人の顔があり密接に結び合った社会である
そういう場所が本来の国だったともなる
そして物量とか人の数とかからは文化は生まれない、その国から国土から文化は生まれるそれで飯館村とか丸森町とかなるとそこが一つの国として意識しやすいのである
日本の場合山が多くて森も多いからそういう場所で一つの国となり小国であり隠されていたともなる、そこは自給自足で成り立ち自立していたとなる
そういう所だと数としてみることはない、一本一本の木でも石でも数としてあるのではない、みんな形も違っているとか個性がある木とか石になる

今日も感染者東京で600人だとか安心する、でも完全に安心の数ではないとか指摘される
だから本当にこうして毎日感染者の数で一喜一憂することが正しいのか疑問なのである
検査数だって外国のようにしていないしその実体は不明なのである
つまりこの数ももしかしたら操作されている、そして数に呪縛される
結局人間の感覚はやはりじかに友達でも会社でもどこでもいいから身近に感染者と接したという時実感する、数とかでは実感しないのである
これは放射線量のように素人でもじかに計れないことが問題なのである
そうなると調べようがないから常に数で不安になる、放射線でも見えない敵と戦っていたコロナウィルスも見えない敵でありこれと戦っている、でも数がすべてでないし数に呪縛されるのは問題である、でも死者の数とかは確実な目安になる
でもこの死者もコロナウィルスで死んだと限らない、別な病気でもコロナウィルスで死んだとされるからである、こうして不可解なものとなり不安だけが増幅するのである

ダビデが兵隊の数とか人口調査をした結果神から罰せられた
その罰が疫病だったのである、

 ダビデが選んだのは第三の罰、三日間の疫病でした。これは三つの内で一番期間が短いから、いちばん軽い罰をダビデは選んだのだ、とは言えません。疫病で死んだ人は七万人に及んだと15節にあります。期間は短くとも、これは相当に過酷な罰なのです。ダビデが敢えてそれを選んだ理由は、

ここに疫病が人口調査と兵隊の数を数えた罰としたことが書かれている
そして神に祈って疫病が消えたとされる
だからコロナウィルスも神からの罰だったのかともなる
七万人死んだということは人口比率にすると相当な恐怖である
小国で七万人となると七十万人とかになるかもしれない
また原発事故も神からの罰として起きたのかともなる
この疫病は特定の国ではない、人類的災禍であり人類に課せられた罰なのかともなる
何か津波であれ原発事故であれコロナウィルスであれ私の一身上に起きた災いも神からの罰だったのかともなる
カルマだったことは確かである、ただカルマはどんな家にもあり個々人にもあるから必ずカルマの清算を強いられる

確かなことは原発利権者への罰、オリンピックの中止はその利権者の罰、何か神が罰としてそうしたのかとなる
これらは深く利権がかかわりオリッピックでも国民が望んでいないのに利権者がいて強行される面があるからだ、オリッピックが中止になれば莫大な投資が無駄になるとして強行を望むものがいるからだとなる
要するにこの世のことは何か人間だけではできない、何らか神がかかわってそうなっているのかともなる
その神意に天意に逆らうことはできないとなる
コロナウィルスが未知で変異ウィルスとかでインドから拡散する、科学者も実際は未知だからわからないのである
ワクチンが絶対なものでもないことは確かである、それは即製されたもので必ずしも全部有効ではないからである
この世のことはべて科学でも解明されていない、未知なこがりその未知なことは永遠に未知なのである
だから神のみぞ知るとなるのである






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2021年05月05日

福島県のコロナウィルスの感染者数を見る (コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)


福島県のコロナウィルスの感染者数を見る

(コロナウィルスは世界の人口を減らすためなのか?)

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だいたい人口に比例している、これも数学の法則のようになっている
最初は会津若松市は感染しなかった、でも郡山市や福島市が感染者がふえてだんだん増えるようになった、だから伝染病と人の交流の多寡と関係していることは確かでありそれで計算することが予測することができる
ただ人口の割合で変わってくる、人口が少なければ比率的には少なくる
だから当然東京とか大阪とか大都市は比率的に数が多くなる
何かここに錯覚がある、東京大阪など大都市は多くなるのは当然だからである

江戸時代にコレラが流行したのは福島県では会津若松中心だった
それは北前船とかで新潟とも交流があり人が来ていたからである
つまり江戸時代の中心は福島県になると会津若松だったということなのである
今の福島市などではなかったのである
それは明治以降に県庁を福島市に置いたからである

とにかくウィルスは人が移動して伝染するのが基本である
だから人の流れをとめることがおさえることになる、でも現代だとこれだけヒトでもモノでもグロ−バルに移動するから抑えることが最高にむずかしくなった
何か必ずいいと思うことが悪いことにもなるのが人間社会である
全面的にいいとなることがないのである
科学技術は便利でいいとしてもそれも必ず交通事故とか原発事故とかかになり悪いものとして作用する

だから江戸時代が世界に閉ざしたとしても国内でも関所があって移動の自由がなかったとしても伝染病を防ぐにはいいものだったとまでなり見直されるのが不思議だとなる
そういう時代でもやはり長崎からコレラが入って全国に伝染したのだから止めようがないということである
もし長崎で厳しい水際作戦をしていたら止められたともなる
インドの怖い変異ウィルスで日本人が二人死んだということも怖いことである
東南アジアにもインド型の変異ウィルスが増えてきているのも不安になる

コロナウィルスに対処する方法はワクチンと後はヒト、モノの移動を制限する止めることなのである、これが現代では一番むずかしいとなる
いいと思えたものが一番悪いものとして作用したのである
関所があったらそこで調べてヒト,モノの流れを止めることができる
でもそれが現代ではできない、明治になって鉄道ができて関所がなくなったこと自由に藩の外と行き来することができるようになった
侍がいなくなったという変化もあったがこうした交通の発達が社会を大きく変えたとされる、こうして交通が発達すれば全国を自由に行き来できてそれで日本国民という意識が生まれたとされるからだ

要するに外との交流があるとして必ずいいものと悪いものがありそれも入ってくる
伝染病だけではない、グロ−バル化がいいようでも悪いものも相当に入ってきたのである日本の食生活を壊すような食べ物でも入ってきて日本人には少なかった病気がガンなどが増えたりしている、他に肉食を盛んになり何かそのために今までは少なかった病気がふえる
必ず外との交流があっても悪いものも入ってくる、これが問題なのでありコロナウィルスで意識された
だからグロ−バル化というのは全面的にいいものではなかったのである

そういうことで日本の場合は海に囲まれていてそれが障壁となり悪いものが入るのを防ぎいいものだけを取り入れる、取捨選択かできた
でもウィルスは長崎は外国に開放していたからそこからコレラが入ってきたのである
中国経由とかで入ってきたとなる
これは福島県内でも昭和村の人が感染したのは福島市とかで会合があって感染したとしている
昭和村は相当な奥地だからである、こうしてヒト,モノの交流があり感染する
江戸時代のコレラでは会津若松市が中心に増えただ桧枝岐は交通が閉ざされていた秘境だったから感染しなかった、つまり交通がない閉ざされた所ということが有利になった逆説があるのだ
南相馬市ですぐ近くで感染したのがすぐ近くの人が東京のライブハウスに行き感染した
それから最近近くの保育所でも感染したと聞いた
だから身近に迫ったきているとか不安にはなる
ただ日本は外国からすると人口比率からすると0・1%にもならない、0・001とか低いのである

何か江戸時代辺りだと自給自足の社会であり村々の交流さえまれだった
それで隣の村から麦つきに働きに来ていた人が大蛇だったとかの伝説が残る
それは人が村々でも行き来しないから隣の村でもそうして異様な人とまでになる
飯館村でも大倉村と佐須村が明治になっても合併しなかったのは民情が違うからだとしている、民情はなにかわからないが互いに情が通じない、習慣でも違うとかあったのだろう日本とはそういう社会だったのである、閉鎖的社会だったのである
そもそも村でさえそうならば国同士がわかりあうのがどれほど大変なのかわかる
民情というがあらゆるものが違ってくるからだ
それがウィルスとかの伝染病には守るのにはいいとはなっていた
でもやはり伝染病は常にあり被害が大きかったとなる
これも人類的災禍だとなる、ウィルスは既知なものとして現れるのではない
何か新しい新種のウィルスが現れるからとまどう、科学者でも解明できないものとして現れる、ワクチンを作ったとしてもそれがどこまで有効なのかもわからない
副作用もあり不安になる

いづれにしろこんなに災難が次々にふりかかるのは何なのだろうとなる
時代が大きく変わる時、易姓革命が起きる、それは天意であり神意であるともなる
モーゼの出エジプトの時も疫病のような災難が起きてファラオはお手あげになり国から出て行くことを許したとなる
サバクトビバッタとかの被害もありこうがいも起きていた、それが今も起きている
それは世界的にも大きな変化の兆しとして起きている

いづれにしろ人間は未知なものには弱い、それが不安をもたらす、それに対応するのは科学だとまたなる、ワクチンだとなる
でも原発事故となると放射線の危険性はわかったいたのである
全く未知ではない、その危険性もわかっていた、でもそのわかっていた危険に対処しなかった、確かに津波は想定外でもそれも科学者が十数メートルの津浪か来ると警告していたのである、その警告を無視した、だからその責任が人間になるとして問われた
今回のウィルスは未知だからその責任は問えない、ただこれも人間が故意に作ったものだという人もありわからないのである
そして様々なことを言う人たちがいる、それでまた混乱するのである
ただなぜこんなに次々と災難が来るのかそれが不可解なのである

ユーフラテス川のほとりに繋がれていた四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。
全世界の人口の三分の一が殺されるというと、驚いてしまう。

1802年 10億人、1927年20億人、1961年 30億人、1974年40億人、1987年50億人、1998年60億人となっている。50億人から60億人になるのに11年間、60億人から70億人になるのに13年間となっている。そして、将来の増加予測としては、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達すると見ている
http://j-strategy.com/series/tf2/1566

ヨハネの黙示録に人口の三分の一が殺されるというのが気になる
つまり現在の人口は増えすぎて三分の一に減らされるのが適正人口なのである
日本の人口は江戸時代で3000万であり明治以降に4倍にも増えた
これは歴史上ありえない増え方でありそれはグロ−バルに起きたことである
インドとか中国は国土が広くても人口が多すぎる
2000年前に中国の老子が小国寡民を言っていたがその時は一億人くらいしかいなかった
それでも人口が多いと感じていた、だから今の人口は本当に異常でありその人口の多さが環境破壊とか資源をとりつくすとかの問題に発展する
もう一つは大都市の問題である、そこに一千万とかインドのニューデリーでも二千万人もいるというときその過密がウィルスの伝染を防げなくしている
大都会がウィルスに弱かったのである、だから東京でも大阪でも大都市から拡散する
福島県でも都市から拡散しているからだ
大正時代の東京の人口は百万だったのである、その規模なら問題なかったのである

この人口を減らすのは戦争とか疫病とかがあるともなる、でも簡単に人口は減らせない
だからこそコロナウィルスで人口減があるのかとなる
これはまた陰謀論にもなる、人口を減らすためにマイクロソフトのビルゲイツがたくらんだとか言う人もいるからだ
ただそれが簡単に陰謀論で片付けられないのは実際に人口が増えすぎてそれが地球で重荷になり災いをもたらすことは確かなのである
だからそれは自然の摂理でそうなったのかともみる
ただコロナウィルスの正体は未知でありそんな凶暴なものになるのか疑問はある
ただインドで猛威をふるっているから不安になる

ともかく福島県でも近くの保育所で感染したとか聞く、原町の介護施設のツクイでも感染者を出している、新田川の六号線の橋を渡った所にあるとか身近になり不安になる、田舎だと感染者とか近くに出るとすぐわかる、それで警戒が強くなるし不安も大きくなる、そういう点では抑えやすいともなる、何か外に出ること自体怖くなるからである
すぐ身近に感染しているとなれば田舎では都会より警戒するし敏感になるからだ
福島県は結構増えているのだ、宮城県は一時増えたが抑えているのはなぜかとなる
福島県は依然として増えているのが気にかかる
市町村の人口に比例して感染者は増える、これだけは確かである
だからある程度感染者の数は正確に割り出せる、統計的に比率として予想できる
ただやっかいなのはインドとかで発生した変異ウィルスである
それは今東南アジアに拡散しているとなるとやはり日本にも影響してくるしすでに影響しているとなり不安になるのである
posted by 老鶯 at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年05月03日

輸入ができない木材不足で家が建てられない (グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


輸入ができない木材不足で家が建てられない

(グロ−バル経済の矛盾がコロナでも木材とかでも表面化する)


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[緊急]ウッドショック!!家が建てられなくなる?!
https://www.youtube.com/watch?v=Qy7F4xOZT4A

ここのyoutubeは興味深い、アメリカで木材需要が高まり輸出しない、国内優先になった家が建てられないということはその家を建てることで仕事をしている多数の職人たちの仕事が失うとういことである、それも大きな問題になる
では国内の森林が豊富なのだからそれを利用すればいいと思うが国内の森林は放置されて利用されないから簡単に供給できない
運ぶ道も放置されて整備されていない、枝打ちもしていないから荒れているとかなる
それを準備するには数年かかるとしている
それよりそこに人材を集めて木材をとれるようにするのは相当な労力と時間がかかる

だから私の住んでいる森に入ったら確かに前はそこは林道があり木材をとっていたのである、なにしろこれだけの森林が日本にありその木材はみんな日本でとれていた
それより地域の家は地元でとれる木材を利用していたのである
だから私の家は親でも橲原とかからとった材料で作ったと自慢していた
それはどこでもそうである、地元でとれた木材で家を建てていたのである
建てるのも地元の大工さんが建てていた、それも何カ月もかけて建てていたのである

今はハウス会社はプラモデルを組み立てるように二週間くらいで組み立てて建てる
地元の木材など使わない、地元の大工さんもかかわらないとなる
これもなんかおかしいと前から私は指摘してきた
グロ−バル経済というのは一見いいように見える、でもそれが何か不自然なのである
本来地元にあるものが利用されないということが不自然なのである
何かもったいないと思うからだ、それはグロ−バルな価格競争で負けたから地元の国内の木材を活用しない、でも今になってもう外材が高くて買えない、家も建てられないと窮状を訴えている

こうして不思議なのはコロナウィルスでもそうである
グロ−バル経済に歯止がかかり自由なモノとヒトとの交流もできなくなった
そしてこれまでのグロ−バル経済が変わる、人の自由な行き来でも物流でも止められる

「SDGs(エスディージーズ)」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です

このことが盛んに言われるようになった、木材でも外材が入らないということで持続可能に木材でも地元で育てねばならいともなる
もともと日本では木材などは持続可能なものとして育てて来た
第一木が育つには50年とかかかる、そうなると本当に持続可能にするには一代では実りが得られないのである、自然の時間にあわせるほかないのである
それで江戸時代とかなる何代も家がつづいていた
そうしなければ家業でも成り立たないからである
現代のように目まぐるしく変わらない世界であり気の長い人間であり社会になっていた
現代は凄まじい変化のなかで生きている、すると何か落ち着いたものがない
そこでうつ病になる人が多いというのもわかる
長い先が見れないのである、その時その時で時間が消費される、長い先を見れないのである

だから当然国家百年の計などできない、今の時間だけがすべてだとなってしまうのであるこれは人間の人格形成にも相当に影響する、なぜなら常に即製するもの、インスタントなものを作る、じっくり時間をかけて物つくりしないのである
もともと自然を相手にする農業でも例えば双葉の梨農家だったかそこでうまい梨を作るのに十年かかったとか言っていた、そういうふうに農業自体が自然相手だから自然の時間をに合わせる、種を蒔いたからとすぐに作物は育たないからである
そこに待つ時間がある、何かそこで農民は忍耐が養われるともなる
現代の人間が何か軽薄なのは常にインスタントに即製するものを求める
じっくり長い目でとりくむことはしないのである
そういうことは人間自体即製させることにも通じている
人間自体がそもそも即製できない、長い時間が何でもかかる
知識にしても即製で身につかないのである、長い時間かけて積み重ねてあることに詳しくなる、即製的に知識も身につかないのである

豊かになるにしても一代では無理である、ある家が豊かになりその家から才能ある人が出るというのも一代では成らない、例えそこに才能がある人がいてもそういう環境に育たないと才能は開発できないのである
一代目が財を築いて二代目が芸術家が生まれたりする、最初は働きづめで一代目が創業して財を築く、二代目はその財を基に才能を伸ばすということがある
家でもそういう積み重ねがあって豊かになる
だから格差のことを盛んに言うけどどうしても格差はある、なぜなら親が財を築いてその二代目三代目がその財を基に才能などを伸ばすことができるからだ

現代だと団塊の世代は戦後の焼け野原から始まった、その時はみんな貧乏であり平等だったのである
でも高度成長時代があり豊かになった人たちがいた、そこから何か二代目はその財を基に才能でも伸ばす余裕が生まれたとなる
自分の親は大正生まれであり戦前から貧困であり何か余裕ないものとして生きた
他の人でも何かその家はケチだというときまともに食うものもなくて育ったためにケチになってしまったようだ
自分にしても何か大きな金が使えないのである
旅するにしてもいつも安宿を探していたり贅沢などしたことがないからである
こういうことは貧乏性となり大きな金を使えなくさせる、それでどうしてもみみっちい性格になると思った、そういう環境が人間形成に影響する

ともかくグロ−バル経済というのはそれがすべて悪いとはならないにしても行き過ぎたものとなっていた、自国でとれるものも利用しない、日本が森林が豊富であり木材もあったそれを利用しないで外材に頼る、いくら安いからといって日本の宝があっても宝の持ち腐れにしていたのである、これは本当におかしいと前々から思っていたのである
その矛盾が今露わになり困ることになる
そういうことは予想されていた、何か不自然であり理にも合わないものだったからであるコロナウィルスでも何か行きすぎたグロ−バル経済への社会への警告だったともなる
戒めとして現れたのかともなる
グロ−バル経済の問題はそのコミニュティとか社会とかまで壊すことが大問題だったのである、それは経済だけの問題ではない、モラルまで崩壊させることであった
そういうことはこの辺の原発事故でも起きた
町や村が崩壊ししてコミニュティも家族までばらばらになってしまったからである
過度に科学技術が信仰のように頼ることも危険であり見なおすことが強いられる

とにかく「SDGs(エスディージーズ)」が世界の共通目的となったことは世界の人たちもそういうことを共通のものとして認識したからだとなる
歴史をふりかえれば日本で鎖国していた、その時代は自給自足であり日本にあるものでまかなうほかなかった、だから貧乏だったということもある
でも不思議なのはその時は別に韓国とも中国とも干渉もしないから争うこともなかったのである、ただ欧米が進出して明治維新となりそこから変質してしまった
その原因は日本にあるより欧米の進出にあった、それに対抗して日本でもアジア進出になったからである
日本がはじめて世界の歴史にまきこまれてそうなったとなる

ただ江戸時代でも貿易は長崎の出島からしてたし全く閉ざしていたわけではない
そういう取捨選択する貿易の方がかえっていい面があった
なぜなら日本にあったもの日本に適したもの入れるとういことである
外国でも日本化して受け入れるとういことである
それは仏教でもそうだし日本化して受け入れるその国のものとなる
キリスト教でも内村鑑三の武士道を基にして受け入れたというのもそうである
それは日本的キリスト教になっていたのである
グロ−バル化とは外国と同じになることではないのである
欧米でもアメリカでも悪いことは見習わないことである

それが戦後戦争に負けてから余計にそういうことがなくなりアメリカ崇拝となりアメリカの金だけが唯一の価値とした社会に変質した
それがこれだけのモラルの荒廃を生んだ社会となったともなる
もう日本人は義理人情すらない、金しか見えない強欲人間しかいなくなったのである
原発事故でも実際は地元でも金になればいいしかなかったのである
限りない欲望の象徴として原発があった、そこに人々が群がった
それは官僚や政治家でもマスコミでもそうだったのである
その原動力は金になるということしかなかったのである
それが悲惨な結果となった、ただそれも地元でも反省していないしなぜそうなったのかも考えないのである、ただ結果として復興しない、家族はばらばらになり若い世代は帰ってこないとなったのである
グロ−バル経済でも何かモラルなどない、強欲資本主義になり金しか見えない社会になり人間になってしまったということである
金はアメリカの数パーセントの人たちに収奪され集められているのだ
そういう世界的歪みをもたらしたのがグロ−バル経済だったのである




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2021年05月01日

コロナウィルスが現代文明を宗教も変える (東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)


コロナウィルスが現代文明を宗教も変える

(東アジアが少ない、アーリアン人、欧米人に多いのはなぜか)

新型コロナは“神が与えた罰”? せめぎあう科学と宗教
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200507/k10012419091000.html

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これが感染しやすいとしていたがかえってしなかった
むしろコロナウィルスに感染しない部類の人種だったのである
ただ遺伝子に共通性がありそうなったことは確かだった

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コロナウィルスの影響はグロ−バル化しているからグロ−バルに影響した
ともかくウィルスの伝染病を防ぐ手段は人と人の接触をなるべく避けることが最良の手段なのである
でもグロ−バル化するということは世界中に人が密に接触することになる
だから日本がでも今度はインドの悪性の変異株が入ってくるとか警戒している
それは世界中の人が交わる社会だとさけようがないからだ
オリッピックでも一人の感染したインド人が入ってきたら広がるとしている

ただ不思議なのは明らかにアジア系統特に東アジアでは抗体をもっているとされ感染者も死者数も増えないのである、これはこれから増えるのかもしれない、日本ではその兆候が見えてきている
ただ中国でも増えなかったのは不思議である、中国はあれだけ人口があって衛生環境も悪いからだ、何か汚れに無関心なのである
黄砂がとんできたりして常に汚れるのが日常化しているかもしれない
その点私はなぜ10数年前とか中国が発展しない後進国の時代に旅行した
その時なぜ犯罪にあわなかったのか?
それでも二回くらいカメラをとられたとかひどい目にあった
でも比較的中国で危険な目にあわなかったのは汚れていて中国人にしか見えなかったのである
街を歩いていても中国人と日本人の区別がつかないのである
だから夜とかアメリカとかで日本人はチャイニーズとなる、中国人に見られるのである

どうも人種的にはここの図のように東アジアは同じ系統なのだろう
それで最初に同じ遺伝子から成っているから感染しやすいとと神王テレビで分析した
それははずれた、むしろこの遺伝子をもっている人種はコロナウィルスにはかかりにくかったのである
ただ共通の遺伝子をもっていてそれがコロナウィルスに抗体があったと結果的には証明されるともなる

何かこのコロナウィルスの不思議は欧米にアーリアン人種系統に被害が大きかった
今インドで猛烈に感染者と死者数を増やしている
インドはドラビダ族とかアジア系統がいてもアーリアン人が白人が入ってきて彫りの深いヨ−ロッパ人の体と顔をしている
だから人種的には欧米系であり言葉でも印欧語族を形成している
主語の次に動詞がくる語形である、そしてまたわからないがアイヌ語にもhave動詞のようなものがある、この haveの意味は広範囲であり独特である
羊を飼うということが基になって育てるとかいろいろな意味がある
そしてアイヌは縄文人とか蝦夷とか言うが違っている
顔の彫りがやはり欧米人のように深いのである、だから大陸伝いに日本に入ってきたヨ−ロッパ系統だともなる
ただ人種が交わり混交したから日本人的な顔もいる
一般に漢族でもアジア人でものっぺりした顔で彫が深くないのである
だから何かこういう顔は彫刻に向いていないともなる
だからギリシャ人はアーリアン人系統であり彫が深く彫刻に向いていたからギリシャで彫刻が発達したともなる

いづれにしろなぜインドに猛烈に増えてきたのか?死者も増えているのか?
インドは衛生状態が悪い、中国も悪いがインドはさらに悪い
そういう環境もあるがやはり欧米系の人種の遺伝子が影響しているのではないかというのは合理的である
そして密集することがウイルスを蔓延させる、ところが宗教でも密集して礼拝する
これは本来の宗教とは違ったものである
とにかくユダヤ教でもイスラエルで伝統的な宗教行事で集まることが禁止されたとかあるアジアでは韓国のキリスト教系統が集団で礼拝してそこから感染が増えた
それでその教祖が国民に謝ったのである
それが今インドでも起きている、ヒンズー教の祭りで人が集まるからそこから蔓延したとされるからだ

イスラム教でもモスクで集団で礼拝するから伝染する
何かこうして宗教が集団化することは本来の宗教に反する行為だともなる
神は集団に語らない、個人を通してしか現れない、最初はアブラハムという個人に神が現れた、あくまでも個人を通して神が現れた、その人が予言者になった
それはイスラム教でもモハメッドが洞窟で神から啓示を受けた
仏教でもシャカは洞窟で一人悟りを開いたのである
だから宗教が集団化したり組織化したり団体化して集まることは本来の宗教ではない
キリストも二人三人いる所に私がいる・・と言った時たった二人三人なのである

だから現代の宗教は何か本来の宗教とは違ったものになった
集団示威行動することなど宗教ではありえないことだったのである
だから宗教もファシズム化する、ナチスと同じようになる
何百万人の信者が示威行動すれば恐怖である、それは神とか仏とか関係ない
その集団的示威行動によって社会に恐怖を与えて権力を得るためなのである
それで創価では都議会選挙で東京以外から応援を頼めないとして困っているというのもそうである、何か週刊誌ではいろいろ場所、理容院とかでもまわり投票を頼むとしているからである
創価は24時間360日選挙運動のためにある、それが権力を得ることに通じているからである
何に祈っているのかとなると権力を得るために日々祈っていると同じなのである
一人でも票を得れば権力を拡大することになるからだ

そういうことまで戒められたということはコロナウィルスが必ずしも悪いことばりに作用したともならない、何か現代文明自体への戒めともなっている
第一人間が一千万も集中している密になっていることは異常なことである
そこではとても人と人の接触を無くすことなどできないからだ
そういう文明都市こそもう限界であり分散して暮らすことをコロナウィルスで強いられことは悪いことではない、まず東京遷都が言われたがこれも簡単にはできない
よほどのことがないとできない、強制されなければできない
だから遷都の話しなど聞かなくなったのである

このコロナウィルスは現代文明に対する警告でもあったかもしれない、何かそういう作用が現実にあったからである
グロ−バル化社会とか経済はいい面もあっても悪い面も目立つようになり社会が変質してしまった、一見いいようでも何か本来の人間生活を逸脱したものにもなっていた
本来人間はやはりその土地に根付いてその土地にあるもので生活するのが自然の理にかなっているからだ、ただそれがグロ−バル化したということの影響が大きかった
日本にこれだけ森林があっても外材で活用されないとかあり不自然になったのである

コロナウィルス⇒ (地域性)(人種ー遺伝子)(文化)

こうして総合的にかかわるものだった、とにかくグロ−バル化を一時とめた
またオリッピックなどは一握りの利権者のためのものであり国民は賛同していなかった
それをこれまでこだわるのは後にひけない、利権集団がいてそうなる
大損失になるとしているからだ、電通とかマスコミでもそうである
それは原発でもマスコミは巨額の宣伝費を東電とか電事組合とから800億円とか流れていた、それで危険を報道しなかったのである
これは天の意志だ神意として停止させられたともなる
それは悪いことではない、人間は天の意志に神の意志に逆らうことはできない
何か津波でもコロナウィルスでも天意として神意として起きたともみる
それに人間は逆らうことはできない、いくら科学が発達してもワクチンができたとしてもそれで全部解決しないということもありうる

要するに現代文明社会を変えねばならない、それが神から強制されているのかもしれないコロナウィルス後の社会が世界が悪い方向にばかりゆくとは限らない
かえって行き過ぎたグロ−バル化の弊害を是正して新たな社会を構築するようになる
そういうことは人間の力ではできない、それでコロナウィルスが謎になる
恐竜が滅びたのは神意だった、それは神の意にそわないものだったから神が滅ぼしたのである、それと同じようなことが現代文明にもいえる
神の意にそなわないからコロナウィルスによって世界を変えさせるともなる


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2021年04月25日

金の流れで具体的に悪が可視化される (原発マネーの流れやその他でも・・・)

金の流れで具体的に悪が可視化される

(原発マネーの流れやその他でも・・・)

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社会を見る時、いろいろ方法があっても金の流れからみるのがわかりやすいのである
それで犯罪の操作でも金の流れをつかめとなる、どうしてその金を得て銀行にあづけたのかとかなる、それで強制的に銀行でも警察は調べることができる
ただ大金持ちになるとタックスヘイブンとかで金の流れをつかませない方法がある
そういう明るみに出したくない金がスイスの銀行とかに預けられいるというのもそうである
ただ普通は金というのはどういう金なのかわからないのである
ただ金がどういうふに入ってどういうふうに使われたかを知ると何か見えて来る
だから金の流れの可視化が必要になる、それは感染症を防ぐ時、感染した人が誰と接触したかを知るのと似ている
感染経路を追って感染しないように注意するとなる

相双リテックを例にすると

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こんなふうになる、清水建設を経由して相双リテックに流れた、その収入は主に社長とか幹部に流れた、それも億単位というから驚く
その金が今度は野球関係に流れた、タニマチとかありそこで銀座とかで遊興費として使われたとかある

そもそもなぜ野球と除染費用が関係あるのかと週刊誌で問うのもわかる
それでこれは何かオリンピックとも似ている
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なぜオリンピックがやめられないのか?

それには利権が深くかかわっている

何百億とかすでに施設でも関係者でも金を払っている、投資している
電通など介して巨額の金をすでにオリンピックに投資している
するとその投資費用を回収しなければならない、オリッピックを中止したら回収できない丸損になる、そんなことできない、だから政府に圧力をかけてやめないようにしている
なぜオリッピックがやめられないのかというとき何千億というまた巨額の金を投資している、そういう人達がいて会社も存在するからやめられない、オリッピックの意義とかなんとかはすでに関係ない、金の問題だけなのである

メルケル首相の脱原発宣言が出された直後、フランクフルトにある原発製造元,スウェーデンのバッテンフォール社がISDN条項を使ってドイツ政府を訴えたのだ
ドイツ政府の脱原発政策によってうちの原発が稼働停止されたら我々が投資した資金や
そこから得られたはずいの利益がパーになってしまうじゃないか

ISDNとは自由な貿易とか政府の干渉させないとかの条項なのだろう
これもオリッピックとにている、せっかく投資しても金を使ってもその見返りもなく利益がゼロとなるとどうしてくれるんだとなりドイツ政府まで訴えるとなる
会社にとって都合のいい法律だともなる

このように金の流れをみるとわかりやすいのである

福島民報でもそうである、創価から聖教新聞をたのまれて刷り金は創価から出る
すると何かそこで創価の批判はできない口止め料になっている
他の大新聞でも毎日新聞とかでもそうである、それは大企業の悪口を言わせないようにするのとにている、そういう大きな権力を持つ組織団体はそうしてマスコミに批判させないように抑える
それで相双リテックでも東北政経の雑誌の裏表紙に堂々と会社を知らしめている
このようにマスコミはもともと会社の宣伝費用で成り立っているとするとそういうものでありプロパガンダの役割りをしていた
だから東電を批判などしない、危険を知らせたりもしない、福島民報では県の出資が50%にも及ぶとしたらもう報道の自主性は奪われてしまっていたのだ
原発は県主導で行われていたからだ、だからその福島民報を所有している株主に逆らうことなどできないのである
そういうことが原発事故をまねいた一因にもなっていたのである

とにかくアメリカの政治は金で買われている、アメリカで金で買えないものがないというときそういう社会がアメリカであった
ウオール街の金が湯水のように政界に流れその見返りが確実にあるからそれをつづける
金で当選できるのがアメリカである、日本も戦後アメリカをまねたのだから当然金がすべての社会になっているということは同じなのである
多少アメリカのように極端ではないというだけかもしれないのだ

マスコミとかは既得権をもった権力ある集団組織と同じである、仲間である
だから批判しないのである、マスコミ同士でも批判しあわないのである
他社を批判しない、そこに何か暗黙の了解があり仲間意識がある
だから朝日新聞までが原発事故が起きた時東電から中国に招待されていたのである
それは報道するには巨大な装置が必要であり金が必要になるからだ
ただ報道というのを自分がしてみてわかることは意外は小規模でも実際できるのだと思った
だから個人がテレビ局になったyoutubeが生まれたのもわかる
それはそんなに金がかかるものではないからだ、でも手間は省けない、それで暇な人しかできないということはある

また取材も手間と金がかかることがあり簡単にできない、だからどうしてもそこにプロが必要になる、でも今までのマスコミ中心ではなく、個人的にも取材できるようになれば
報道の自由が促進する、ただ何かを知るにはまた権力が必要なのである
一個人だと相手にもされないからだ
三権分立があっても報道の分立はない、報道が民主主義になると需要になる
知らされなければ判断しようがない、しかし報道ということでは自由がない
NHKは権力をもっているがそこでも公正な報道をしていない、つまり報道の面では民主主義が機能していないのである
特に日本の報道の自由度は先進国と思えないほど低いのである
そこから今回のような原発事故の大きな原因にもなっていたのである

相双リテックの除染マネーの悪
もともと心が腐敗して福島県と地元が起こしたのが原発事故だった)
http://musubu.sblo.jp/article/188495224.html
posted by 老鶯 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年04月05日

菅首相の家族のカルマ (それは国家にも反映されるから問題)


菅首相の家族のカルマ

(それは国家にも反映されるから問題)

日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”

叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。

 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる。(文中一部敬称略)

 『週刊現代』2021年4月3日号より

菅義偉の家のカルマがありこうなった、そのカルマが菅義偉が首相になったことで公となり国家にまで影響した、それが個々の家のカルマと違っていた
国家にまで影響したから国民にも影響したとなる
それだけ首相ともなると大きな責任が生じるからである
それで秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚が問題になった
小室圭という家系のカルマが天皇家に影響してくるからだ
好き同士でいいとかならなない問題があった、それ真子様の父親は今の妻と結婚する時自由恋愛を言っていた、それがまたカルマとなっていたのだ
父親が自由恋愛で結婚したのにその娘が自由恋愛で結婚するなということができないからだ、つまりそれも身から出た錆でありカルマだったとなる

何か人間はカルマを軽くみている、でもカルマは相当に怖いものなのである
ただカルマというときどんな家にもカルマがある、プラスとマイナスのカルマがある
自分自身でもなぜこんなに介護で苦しんだとなれば家のマイナスのカルマの結果としてそうなったと思う
家のカルマは長男と長女が一身にそのカルマを負うことになるからだ

家にはまた家風がありクセがあるというのもそうだろう
何かその家はケチな家風なのである、そのケチさはどうして生まれたのか?
それはやはり極端な貧困を親が経験してもうケチが極端になり何か人に与えることでもケチであり計算してする
そんな人が自分の介護している時に来たから最悪だったのである
それもやはり自分のカルマともなっていた、そんな家が商売して成功するだろうか?
もう一円でも損したくない人に与えたくないという家族だからである
ただその家に婿入りのようになったので夫はもともとそういう性質ではなくその家風に悪いクセを受け継いだともなる

そういう私の母の実家は不和分裂の家だった、だからその後に残された人も付き合いもなかったが簡単に分裂して絶交にもなった、それはすでにそうなっていたのだから当然だったともなる
何かそうしたカルマがあって簡単に切れたりしたのである
なにかしらこうして家でもカルマを背負っていてそれがいつか表面化する
なかなか表に現れないとわからないが60以降になると確実に現れる
苦しみとなって現れる、その清算が強いられるのである
そこにカルマの怖さがあるが苦しみとならない限り意識できないのである

カルマとは親とか先祖の借金なのかもしれない、借金だと具体的にカルマを意識しやすいのである、金は具体的カルマとなって示されるからである
ただ天皇でも王様とかは権力争いとかで血にぬらさた歴史をもっている
だからそのカルマは大きなのもともなり呪いともなる、何か必ずその権力を得るには人を殺したり犠牲が出るからである
毛沢東が文化大革命で敵対者を千万も殺したとかなりその呪いが支配者には必ずあった
だから地位ある者は大きなカルマを背負うことになる

人間は個々の家でもそうだが歴史とはこのカルマを積むことでありそのカルマを次代のものが背負わされることにもなる、ただそこにマイナスとプラスのカルマがある
日本の戦争で三百万人も死んだとしても戦後焼野原になっても日本はかえって高度成長したというのもそうである、かえって旧体制が既得権者が一掃されて焼野原から一から出直すことができたからそうなった
革命とは必ず既得権者を一掃することになるからだ、ビルマでもやはり軍人が大きな既得権者となっていたからその既得権者を倒すためには相当な血を流すことになる

歴史にもカルマの法則があてはまる、アメリカが衰退するというとき国には必ず栄枯盛衰がありアメリカという国にもカルマがありそれが苦しみとなって現れる
国が分裂して内乱状態になるとかなり衰退してゆく
アメリカは確かに日本に勝ったとしてもそれもカルマとなっていたのである
原爆を落とすようなことをしたことは本当に大きな人類的カルマを背負うことなになったのである
だから一番核に怯えているのはアメリカなのである、カルマとなれば本当にアメリカに核が撃ち込まれかもしれないからだ
それで小国の北朝鮮でも中国でもロシアでも恐れるのである
原爆を日本に落としたことでそれがカルマとなり現実化することを恐れているのである
カルマとは自分のしたことが自分にはねかえることだからである

首相ともなればそうした私的なことでも問題になる
それが国民全体にも影響する、不肖の息子がいてそこから電波利権の不正が起きていたからである、私的な家の問題が公的なものに影響してそうなった
ただどんな家でもそうしたカルマを背負っている、だからなかなか批判することもできない、ただ家のカルマが国のカルマともなることが問題なのである
ただこの世の権力ある地位につくこと自体が常に闇となるものがある
権力を得るために何か後ろめたいことをしているともなる
だから政治家という職業自体が何か胡散臭いものになる
そこはどこの国でも同じであり権力をめぐる争いが歴史でもあったからである
そこに必ず血が流され犠牲者がいて権力を得ているからそうなる
そういうカルマをくりかえしてきたのが人間だかららである
歴史もまたカルマをいるからである

posted by 老鶯 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年03月28日

需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代 (オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


需要がないのに莫大な金がつぎこまれる時代

(オリンピックもリニアも原発も・・・いらない)


金余りで金の行き場がなく株が上がっている、またコロナウィルスの不安で貯金が増えている、普通だったら資本主義は金が余っていれば投資とかにまわる、設備投資とかにまわる、何かを開発することにも回る
ただ金を貯えても全体的に経済は成長しないし停滞してゆく
でも成熟した資本主義になると金余りになりバブルにもなる
余った金が投資先がないとバブルになる、今絵画が高く買われている時そうである
そういうことが前にもあったからだ
それはあくまでも投資ではなく投機となる
投資とは何かを育てることである、会社を成長させることである
技術を開発したり何か社会に役立つもの社会の需要に答えることである

でも今需要がなくなっているというときオリンピックでもそうだけど実際は国民の大方は望んでいない、特にコロナウィルスでやるべきで無いと見ている
何か国民がオリンピックしたいということで盛り上がらないのである
東京オリンピックは日本が戦後立ち直ったということでそれを世界に示すことで盛り上がった、そういうものが今はない
またリニアでもそれが新幹線のようにこれも国民が必要としているのか疑問である
新幹線で十分でありもっと早くすればいいとかなる
つまりそれほど需要がないのである、するとそこに国家予算並み馬鹿高い金を使うのは
無駄だともなる
かつての公共事業でもそうである、それは地方に仕事を与えるものであり土建業者が必要としていたのであり国民がそうとはなっていなかった
オリンピックでもリニアでも一部の利権団体や会社が必要としている
オリンピックなら電通とか電波利権をもっている会社が必要としている
コロナウィルスでこれだけ開催が困難なのにあえてしようとしているのはそういう利権団体が要求するからだとなる

原発でもそれが本当に必要なのかどうかわからなかった、ただこれも必要なのかというより何かアメリカの意向とか背後に利権がありそのために金が入るものがあり推進された
それは地元でもあった、実際に官僚でも政治家でもマスコミでも利権とかかわるものが
原発だったから推進されてきたとなる
電気がたりないというのも真実ではなかった、ただ電気の需要があることは確かでも別に他のもので石炭でも石油でもガスでも賄えることがあった
そもそもそんな危険なものを作ることを国民が本当に望んだかどうかはわからないのである

この辺の除染にしてもこれは誰のためなのか?6兆円とかがつぎこまれたがその効果があったのかとなるとわからない、その金は地元に回らずゼネコンに回った
地元でも暴利をむさぼった土建会社が逮捕されたりした
利権になる金になるというときそこに人がむらがりその利権を得るためだけに行動する
それが現代の利権団体民主主義である、それが本当に必要なものかどうかは深く検討されなけいのである
高度成長時代は道でも建物でもなんでもインフラが整備されていないから需要があり国民が望んだことだからそれは無駄なものではなかった

でも今は何か需要がないのに需要があると作り出してそこに莫大な金がつぎこまれる
ソーラーパネルにしてもそうである、一か月千円も電気料が上がるのはソーラーパネルは別に市場の原理で作られていない、税金がうわのせされて作られている
だからかえってそれは高くつくし景観も破壊されている
これも国民が本当に望むもなのかどうかわからない、ただそこで仕事をもたらすから地元ではいいとなったりまた空いた土地が耕作放棄地が増えたからそこで土地を活かすということでしているともなる
その需要はそうした利権に金になるものが必要だともなる

何か現代社会は文明は無駄なものを作りだすのである、そのエネルギーが膨大なものになる、過剰化社会になる、情報でもそうである、もう日々負いきれない天文学的な情報がインタ−ネットでもありそれに追われる
でも人間はそんな莫大な情報を消化できないのである
ただ問題は需要があり供給がある、経済はそれで回っている
コロナウィルスでテレワークとなれば家に籠るとなればそれに対しての需要が増えたから売れるものがある
需要というのは時代の変化によって変わってゆく、何か異変があっても変わってゆく
高度成長時代はみんな貧しいしモノもないから膨大な重要が生まれ校と成長したのであるその時はみんな必要だから需要があり供給もあって高度成長時代を築いたのである

でも何かバブルから30年とか失われ時代があり需要と供給が変化した
必要ないもののために需要もないのに作り出して湯水のように金を使う
それは確かにケインズ理論があるからそれが必要なこともある
でも本当に必要なものがあり需要があるところに金が回らないということもある
アンダークラスが一千万人とかいる時代にはそういう人達は食べることにも事欠いているそして通信費は連絡のために必需品となりそこに金がかかるから食費を節約しているという、それから月末になると必ず電気、水道,ガスが止められる人が多いのである
一方で莫大な金が無駄なことに費やされていることがある
この辺で原発事故の補償金でももめたが30キロからはずれても同じ市内なら簡単にそうして金はまわせて争うこともなかったのである
そういうことが怨恨となって絆とかも内部ではなくなった
それは南相馬市だけではない、放射線量で区切って補償金を払ったから他でも骨肉の遺産争いのようになった

つまり今の世の中は肝心なことに金を使われない、モノ余りでも金余りでもそれがもうアンダークラスに回らない、その格差もさらに大きくなる
そうして国としての一体感もなくなってきている
それで犯罪も増えてきて治安も悪くなる、北朝鮮では貧困化して・・でも残酷な犯罪が頻発しているということもそうである
つまり今の需要はオリンピックとかリニアとかではない、原発でもなかった
なんらか最低辺層を押し上げる経済政策が必要だとなる、そこに一番需要かあるからだ

まずすべての技術開発も必要はない、空飛ぶ車なども必要ない、なぜなら空すら今のように車でも飛んで騒音となったり第一空を車が飛んでいたら落ち着かないだろう
それは明らかにまた公害にもなる、静かな環境を破壊するものとなる
つまりすべての技術開発は必要がない、何かすべて技術開発はバラ色の世界を作るとイメージさせる、それは実際は実現しないとしても実現するように妄想させるのが科学技術社会なのである
それで老子の思想に共鳴する、必要でないものを作りすぎることを2000年前に言っていたからである、鍬さえいらないともてたからである
その道具によって損なわれるものがあったからである、それはすでに2000年前に指摘されたことだったのである
そして無用の用を説いたこともそうである、無用の木の例えでもそうである
何か本当にただ無駄なことに莫大なエネルギー費やすだけならいい、それが公害となり人間を苦しめるものとなるから問題なのである


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2021年03月26日

歌会始めが行われる (桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)


歌会始めが行われる

(桜咲く時期でそれも良かった―皇室は日本の文化の継承者)

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この衣服は美が演出されている 橙色が映えるように演出されている?

天皇陛下

人々の願ひと努力が実を結び平(たひ)らけき世の到(いた)るを祈る


平けき世を願うと天皇の御歌ひびきぬ花も咲きしも

御殿(みあらかに)歌会始めうち集い新たな芽吹き年は変わりぬ

御殿(みあらか)に天皇言祝ぐ花の咲き紫の屏風映えにけるかな

休みしし御殿の内天皇の平和を願ふ花の影かな


「やすみしし わご大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 荒栲(あらたへ)の 藤原がうへに 食(を)す国(くに)を 見(め)し給はむと 都宮(みあらか)は 高知らさむと 神(かむ)ながら 思ほすなべに 

みあらかの意味はあらわれる、あきらかにするとかでありその場が御殿(みあらか)になった
天皇とはすべる統治る人であるスメラギその意味である

歌会始めは一月に行われる行事だったがコロナウィルスで三月になった
でも皇居に桜がはやくも咲いていた、今年は桜の咲くのが早い東京ではすでに満開である皇居の行事は一つの日本の文化の継承の場である
だから歌会始めの歴史も古いのである
天皇があって日本の歴史があるごとく古いとなる

何か天皇家というのは日本の文化の継承者でありそれを担っている
それで映された映像を見ると背後の紫の屏風はまさに高貴なるものの色である
それからもしかしたら天皇と后の服の色は演出されているのかもしれない
ただあの赤は真っ赤とも違うこれも高貴な赤なのか?
橙色の一種なのか、二人の赤は違っている
でも色彩的に絵のように映えている、美が演出されているとも見る
つまり御殿(みあらか)にふさわしいものとして演出されたとも見る
あの御召し物の色は何か違っているからだ

とにかく短歌は日本古来の伝統の文化であり皇室と密接に結びついている
短歌は朗々と歌うものだった、それが歌会始めで再現される
俳句だと歌うということはないからだ
新しい天皇が即位したときも皇居に秋の虹がかかった
それも不思議だったし皇居は一つの日本的な美的な場としてある
ただこれも京都の方が歴史があるし映える
もともと江戸城内はそういう場ではなかったからである
だから天皇は京都に住むのがふさわしいのである
政治的象徴としてもあるが日本の文化的象徴としてもあるからそうなると京都がふさわしいのである

今や天皇制がつづくのかどうかが言われる、時代にあわないともなる
明治維新で天皇をもちあげて薩摩長州が官軍となり明治政府を作ったことである
靖国神社にしても薩摩長州の官軍を祭っているのであり西郷隆盛は祀られていない
会津でも祀られていない、賊軍になったからである
それがまた継続していて太平洋戦争で死んだ英霊を祭っている
これも何かそぐわないのである、日本が世界史に参入したのが明治以降である
そうなると日本の神が天皇が世界の普遍性と合わなかったのである
また元号でも意味あるとしても世界化グローバル化すると合わなくなる
何事も世界史の中で位置づけられ価値づけられる時代になったからである
ただ短歌を作っているとその総元締めは天皇家だともなる
私自身も短歌を作っているからそれで文化の継承として日本の伝統を受け継ぐ者としてあることを自覚するのである

でも時代が変わるということはさけられない
これまで戦前までは農業が中心となっているからお題でも

田家煙
田家雪
田家朝
漁村曙
農村新年  

農村のことをテーマにしていた、今ならそういうことはない、東京には第一田家など診ないからである、ビルと人家に埋め尽くされているからである
そこには田んぼも畑もないからである
天皇とはやがて日本の文化的象徴としては残るが政治的象徴としては消えてゆくのではないか?グロ−バル化したとき合わなくなったのである 
元号だって何か合わない、元号の意味が何か現代に合わないのである
たた美的なものとしては伝統としては残る
何か日本の絵巻物のような歴史を再現しているからである

歌とは訴えるの意味であり歌を通じて庶民でも訴えていたのである、それは万葉集の時代までであった
平安時代になると貴族の歌にな庶民の歌は消えた、訴えることがなくなったともなる
だから万葉集の意義は大きいとなるが古今集は貴族の歌を集めたモでありもうそこには階級化して庶民は訴えることもできなくなったということになる

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2021年03月23日

鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す (そこは車が増えて接触事故が多い)


鹿島小学校へ行く踏切で南相馬市の土木課の人と話す

(そこは車が増えて接触事故が多い)


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小学校への地下道

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予定されていた道


すぐ近くの鹿島駅からの鹿島小学校へ行く踏切は狭く車が震災以後多くなり何回か接触事故を見たし自転車でぶつかるのもみた、やっとすれ違う幅しかないからだ
それで土木課の人が来てそこを見ていた
それで私は説明した

なぜすぐ近くにトンネルを造る工事をしたのに止めたのか?

そこは30年前とかこの辺か区画整理して住宅地とした場所だった、新しく家が建ちそれでまっすぐな道を作りトンネルを作る予定だったのである
でもそのトンネルは作られなかった、その理由はわからない
その時は今のように車が通らなかった
最近必ず小学校へ子供を車にのせてここを通る、それも震災以後鹿島に住んだ人が増えたからである、踏切に行く真っすぐな道はほとんど車が通らなかった

そしてそれは昼間でも通っている、土木課の人は昼間に来て見ていたからである
ひっきりなしに車か通っていた
何か土木課の人はその踏切の道路を広げればいいとか言っていた
確かにそれなら簡単かもしれない、でもJRがすることになるから交渉が必要になる
この工事が楽だとしてもやはり相当な金がかかるからだ

ただ鉄道の問題は鉄道だけの問題ではない、街全体とかかわっている
それで駅の外の立派なトイレは市で設置したものである
それを毎日障害者グループのアサガオの人が掃除している
そその費用も市で払っている、それから高校生の見守り役を駅に配置したがこれも市で金を払っている、でも駅の業務はしないということでJRと交渉して契約して決めたのであるまた駅の掃除は商工会でもしている、それはJRで金を払っているのである

このように市とJRは協力しないとできないのである、ただここでは自転車と車が接触してぶつかったりまた車同士が混んでぶつかったのを見ている
大きな事故にはならないがそういう事故は起きやすいのである

そしてそこから六号線に出る地下通路は都会並みに立派であり実際利用しているのは通学する小学生だけなのである
わざわざ地下通路を行かないで自転車でも横断道路で信号待ちしているからである
だから前からあれは無駄だと思った、何も高架橋でも作れば安くできた
あれは相当な金を使った大工事だったからである

何か公共事業には前から言われていたが無駄が多い、それは市民にとって必要なものだからしているとは限らない、建設土木会社に仕事を与えるためにしているというのもある
それで無駄でもそうするのである
オリンピックでもゼネコンのために仕事を与えるためともなり除染の莫大な費用も除染が必ずしも必要でもなくても6兆円とか途方もない金が使われたのである
それがとても全部有効だったとは思えないのである
そこで地元でも暴利をむさぼる会社がいて逮捕までされたのである
それからリニアなども今やそういうものが本当に必要なのかとどうかもわからない
それより原発だってそうである、それが本当に必要なものかどうかわからないものだったのである

結局高度成長のときは道路でも建物でもインフラ整備が不可欠だったのである
それが過剰になった結果仕事がなくなり地方に公共事業を与えるともなった
そこで大きな無駄が生まれたのである、過剰投資が生まれた
そしてそういう無駄なものに金を使う結果となり金が有効に回らなくなったのである
ただこういうことは本当に地元でないとわからない
南相馬市だったて広いのだからその狭い地域で暮らしているからそこに住んでいる人しかわからないことなのである

ただ車を利用する人はここは狭くて混んで嫌だなという自覚はする
でも利用しない人はわからないのである、こういうことが本当に多い
鉄道の駅が無人駅化する、でもそれに抗議もしないのは利用する人が少ないからである
車ばかり利用して電車の乗り方さえわからなくなった人が多いからである
そうなると別に無人駅化しても関係ないとなり無関心だからそうなる
またそれだけの費用をJRでは乗客が減ってかけられないからそうなる
ただ鉄道は鉄道だけではない全体とかかわるからこういう問題が起きて来る



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2021年03月19日

医者と貧乏な患者の対話 (コロナウィルスの解決のヒント)


医者と貧乏な患者の対話

(コロナウィルスの解決のヒント)


私は医者に行くと栄養とれと良く言われんです

今回も何かふらふらして貧血気味なんです

鉄分が不足しているから栄養とりなさい

そうしきりいわれるんです

でも金がないから栄養とれないんです

果物を食べろと言っても果物は高いから食べられないんんです


コロナウィルスでは医者や科学者や専門家が危険だ危険だというけど
でも毎日生活する人にとっては店を閉めたりしたら食べて行けなくなる
専門家が科学者が危険だとしても生活のために店をしめる訳にはいかないです

ここでも医者は栄養とれといってもその栄養をとる金を与えてくれないのです
医者はその人の経済状態を見ないのです
体だけをみているだけです、その生活をどうしているのかは見ないのです

金がなくて栄養がとれないのです、その金を医者与えてくれない、むしろ金を与えねばならない、だからこれは医者だけでは解決しない問題なのです

コロナウィルスの危険を優先か

日々食べるための生活が優先か

この二つのことで迷っている、医者は栄養をとれというけどその栄養をとる金がない
でも医者は金を与えてはくれないのです
ここに医者だけでは病気を治せないということにもなる

コロナウィルスが先か、経済が先か

栄養をとれというけどまず経済が成り立たないと金がないと体も治せない、もたないのである
栄養をとることによって免疫力がつく、医者にみてもらってワクチンとか感染対策してもやはり栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なんです
ところがその肝心の抵抗力をつける、免疫力をつける金がないのです
その金は医者は払ってくれないのです

コロナウィルスを怖いにしても日々の生活で栄養がとれないほど貧乏だとそのことでコロナウィルスに抵抗力をもてない、免疫力をもてないことが問題なのだとなる
ワクチンでもきくどうかほからない、それより栄養をとり抵抗力をつける、免疫力をつけることが大事なのです
今日本では貧困化その肝心の栄養をとれない人が多くなっている
するとコロナウィルスのワクチンより貧乏になっているために栄養がとれず抵抗力が免疫力がつけられない方が問題となるのです

日本人が貧困化していることこれがコロナウィルスにしろ何にしろ抵抗力がなくなり日本全体が弱体化してゆくこになっている、実際そうなっている
だからコロナウィルスの問題はそれ自体をなくすことより抵抗力をつける栄養をとる金の問題の方が大きいともなる
そもそも栄養がとれなかったらコロナウィルスにも負けてしまうからです
日本の貧困化の方がコロナウィルス問題より深刻な問題だとなるのです

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2021年03月15日

科学技術と社会政治の問題 (原発事故とコロナウィルスの対処の類似)


科学技術と社会政治の問題

(原発事故とコロナウィルスの対処の類似)

コロナウィルスで起きていることは原発事故とも似ていた
それは科学技術社会で起きたことだから共通性がある
違っていたのは放射線は放射性物質から出てきてそれは人間が人工的に作りだした毒だった、ウィルスは人工的に作ったという説もあるが自然界から生まれたものであり
それで人類はこのウィルスと共存しなければならないとしている
異物だからと排除できないとしている

原発事故でもその対応がいろいろ言われた、まず科学者が専門家がしきる、政治家はそれに従うとなる構図になる、だから30キロ圏内は避難させたのである
そして30キロ内は手厚い補償があった、今でも医療費が無料でありそれもあと4カ月くらい延長されたのである
補償金でも30キロ内は三倍もらった、30キロからはずれるともらえないのである
それで南相馬市では鹿島区はもらったにしても少なかった
医療費は半年で打ち切られたのである
高速も最近無料にしたが遅かったとなる

なぜ30キロで区切ったかというとそこまでは補償しますよという政府が決めたからであるそれは政府によって都合のいいものだったからである
30キロ内は補償してもあとは補償しなくてもいいからである
コロナウィルスでも飲食店では一日六万とか保障してレクサスを買ったとかあるからここと同じだったのである、商店街全体の被害があったのに飲食店だけ優遇されたとなるからだ、必ずこうして不公平になってくる
それで全体が分断されてしまうのである

科学者(専門家)の判断は絶対ではない

何か科学者がすべてを知っているように科学技術社会ではなってしまう
それでお医者様を神のようにあがめるとまでなる、でも医者自体が人間の体を全部知っているわけでもない、本質的には治せないという優秀な医者も言っている
だから放射線被害にしてもどこまで影響があるのかわからないということがあった
ただ危険を言うのはあとで被害が出てた時、病気が出たとき責任を言われるからだともなる
今回のコロナウィルスでも危険だとしていれば後で被害が大きくなっても責任を問われないということがある
それで厳しく言うということがある、責任を問われるのが嫌だからそうしている

ただ30キロ内を避難させたのは最終的には科学者(専門家)ではない、政治的判断したのは政治家なのである、今回でも専門家の意見を聞いても判断できるのは政治家である
その判断が定まらないのはコロナウィルスがどういうものでどう対処していいかわからないからそうなる、未知なものだからそうなる
コロナウィルスは専門家がいろいろ言っても実際は専門家すらわからないのである
そのわからないものにどう対処していいかわからないとなる
ワクチンさえ実際はきかない、きいたことも過去にないという学者もいるからだ
放射線被害もどう出るかわからないものである
その判断が十年後とか二十年後とか三十年後にガンになるとか言われてもそれもわからないのである

ただ共通しているのはコロナウィルスの過剰な恐怖によって社会が崩壊するという危険である、すでに自殺者が増えているとか困窮者が増えているとかになる
それは原発事故でも起きた、町や村が崩壊したからである、それは過剰な放射線被害を恐れたからだともなる
なぜなら小高区など避難区域になったがここはそれほど放射線量が高くなかったのであるだからここを避難させたのは失敗だったともみる
避難させて仮設住宅に移り住んだときそれが3年以内くらいなら復興できたかもしれないそれが5年になり長くなった、他ではさらに長くなった結果町に村に帰る人が激減した
多額の補償金をもらった結果としてかえってそれが外に出る決意させることになった
その金で仙台市とかに移り住んだ人が結構いるし仙台市は津浪の被害者でも移り住む人が多かった、それは前から仙台市に住みたいという人が多かったからこのさいと移り住んだのである、それで仙台市が一人勝ちになったとされる

南相馬市で小高区は避難させるべきでなかった、放射線被害を過度に恐れてそうなったのである、それは科学者(専門家)が30キロ内は危険だとして言っていたが現実に小高区は放射線量は低かったのであり被害になるとも見えなかったのである
結果的に町に帰る人は老人だけであり復興はなくなった
次代をになうものがいないからそういう町の未来があるのかとなる

つまりこの原発事故の教訓を知りコロナウィルスにも対処すべきだとなる

科学者(専門家)がすべてを知るわけではない!

科学者にすべての判断をゆだねるべきではない

ただ政治家にしてもその折り合いをどうつけるかがむずかしい
でもあまりにも恐れる結果として原発事故の場合は町や村が崩壊した
その被害の方が甚大だったともなる、多少放射線被害の人がでていても町や村を維持することが大事だったともなる
社会生活ができなくなるような厳しい措置をした結果として自治体が崩壊する被害の方が大きいとなる
ただ今回は日本だけではない、世界中だから逃れる場所はない、避難もできないから都市封鎖になる、その相違があるにしても科学者(専門家)が全面にでて政治家がどう判断するのか折り合いをつけるのかで悩む
ただ科学者(専門家)の判断がすべてではない、コロナウィルスについては未知でありわからないからである、科学者自体が憶測で言っているともるからだ
ワクチンでも歴史的に考察して効かないという学者もいるかだ
だから原発事故の教訓として社会を自治体を崩壊させるようなことは避けるべきだとなるただこの判断は本当にむずかしい、あとでコロナウィルスが蔓延したら責任を問われるからである、ただ原発事故が教訓になることは確かである


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2021年03月06日

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も (原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)


1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

(原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)

元の商店街関係者からは、飲食店には手厚い補償がなされるのに、衣料品店や雑貨店への補償がないのはおかしいと声が上がり、にわかにバブルに湧く飲食店経営者に「商店街の運営費用を渡せ」という主張する人もいる。飲食店主とそれ以外の商店主の間に軋轢が発生し、長く続いてきた人間関係が崩壊したという例もある

飲食店は良い思いをしてきたと攻撃される可能性もあるし、商店街では白い目で見られるかもしれない。以前のように堂々と元気に営業できるのか、

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

これも原発事故でこの辺が補償金でもめたのと同じだった
本当に30キロ以内は政府の補償が手厚かったのである
10年間医療費無料、高速無料だった、でも同じ相馬市でも鹿島区は30キロからはずれた地域では半年で医療費無料はなくなり高速はもともと無料でなかった
そして10年過ぎても医療費無料が延長されるとか聞いた
このために南相馬市は分断された、ただ補償金ではどこでももめたのである
必ず多くもらえる人たちとそうでない人たちがいるからだ
それで親戚同士でも口を利かなくなったというのも聞いた

つまりコロナウィルスでもこうして補償金によって商店街でも一体感がなくなり分断されるのである
飲食店だけが被害ではない、それに関連する業者も被害を受けている
なせ飲食店にだけ手厚いのかとなる
そのあとでも心が分断されて協力できないとまでなっている
原発事故の補償金ではそうなった、市町村が分断されてしまったのである

そして必ずしも補償金がいい方向に働かないのである

飲食店はいい思いした

こういうことがその後の生活にかなり影響する、一日6万もらった人と全然もらえない人の差が大きすぎるからである、この辺でも30キロ内は手厚い、でもそれ意外わずかでありもう同じ放射線量でも全然もらえない地域もある
そのために一体感が消失する、だから人間社会はなんでも金で解決できるとはならない

何かとにかくこのコロナウィルスの不思議は原発事故と同じようなことが起きていることである

放射能がうつるから来るな!

こういういじめが原発事故の避難者にあった、今回も東京からコロナウィルスがうつるから来るなとなった
これもカルマなのかとなる、カルマとは人にした行為がまた同じ行為となって返ってくるということである
人を苦しめたものはやはり同じ苦しみを受ける、それがコロナウィルスでも起きている
特に東京中心に起きている

だから個々人にもカルマがあり社会自体にもカルマの法則があてはまる
人間は繰り返し感染症では苦しんできた歴史があり津浪でもそうである
それで昔の人の苦しみを身をもって知るようになる
そして補償金でももらえる人はもらえない人のことを思わないのである
何かその補償金でレクサスを買ってまた家族で旅行とか遊んでいるというのもそうであるそれはこの辺でも補償金でそういうことが起きたからである
それで車を傷つけられたとか聞いたからである
周りの人がどう思っているか考慮しないのである

そして原発避難者は外部からかわいそうだと援助がつづいたのである
仮設住宅には毎日ボランティアが来ていた、でも周りの人は関係ないのである
原発避難者様になってしまったのである
すると俺たちは被害者であり援助されるべきだとなる、同じ市内でも特別なものとして扱われる、つまり俺たちは何もしなくても助けられるべきだとなり自助努力をしなくなるということもあった、ただ遊んでいた人いたからである

とにかくコロナウィルスが終息してもその後遺症はこうして残る
何かみんな苦しんだから一致協力するということもないのである
かえって協力できなくなさせたのが補償金でもあった
だからこの世の中のことがすべて金で解決するということはない
かえって金によって人の心は分断される、兄弟でも遺産争いとなり骨肉の争いとなる
だからもしかしたら安易に金を与えるということは問題なのかもしれない
実際に原発避難区域では多額の補償金をもらった結果若い世代はみんな外にでて家を建て帰ってこなくなったからである
それはそれだけの補償金をもらったためにそうなったからである
そうしてしそれはもう修復できなくなったからである

いづれにしろ人間公平に対処することはできない、必ず不平等になり不満な人がでてくるそれで一体感が消失して心でも分断される、すべて金で解決しようとしてもできない
そこに人間の心の問題がありできない

ただみんなで商店街で協力して助け合い乗り切ろう

こういう気持ちになるとまた違ったものになっていた
それは原発事故の被害地域でもそうだったのである、補償金でかえって人間の心はばらばらになり家族もばらばらになった、それでインフラとかは整備したが肝心の人間の心は分断されてずたずたにされて復興できなくなったのである

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2021年02月21日

文系大学学部廃止論はなぜ (原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


文系大学学部廃止論はなぜ

(原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


コロナ禍で加速する「理系専門家の教祖化」にダマされてはいけない
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffec6ff44a23a7b952ea6d33e3017bce6c47602b


原発事故でもそうだった、放射線量が常に言われた、それは数字なのである
それで武田邦彦氏が年間一ミリシーベルを主張したとき一ミリシーベル男として批判された、つまりすべてが数字で計られる世界が理系である、だから数学がその基礎にある
コロナウィルスではやはり感染者数が毎日発表されてその数字に一喜一哀する
これは共通している、感染者数とかですべてが判断される世界では共通している
でもその数字がごまかされていることもあった
モニタリングポストの放射線量は低くされていた、その下の土を掘って捨てて設置されていた、だからその周りを計ると倍とかなっていた
それは自分で計ったからわかった、自分は文系だけど放射線量を計る機械があり理系でなくても計ることができたのである

文明が生まれたのは数量化すること数値化することである、それで麦の生産高を計る書記が神の様な力をもつようになった、それは官僚が今ではそうである
国の仕事は税金をとりそれを配分することである、それで財務省が一番力をもっている
学者でも予算を出すのはその財務省なのである
その研究が有効なのか価値があるのかを判定するのは研究者ではなく政府てあり官僚なのである
だから科学者が力をもっているようでも実際はその上に政府とか官僚とかがいる
するとその人たちは文系が比較的多い、すると理系より文系が上になるのかとなる

何か似ているのはいろいろな物つくりとか何か作り出すものが理系だとする
でもその理系が経営者として適しているかというと必ずしも適していない
経営者となると社会全体を相手にするし人を雇いモチベーションを与えるとか何かモラルとかとも関係して来る
経営者になるとまた人間そのものも問題にされる、人を使うことは機械やロボットを使うのと違うから複雑になる、それで会社でも必ず派閥争いがある
それは政治の世界でもそうである、つまり何か泥臭い人間の世界である
物を分析したり機械をロボットを作ったりするのとは違った生々しい人間の戦いがある

その人は理系である、一級の免許も持っている、でも技術者として雇われるているときは問題なかった、優秀とされた
でも経営者になったとき事業に失敗した、経営者になることは機械とかばかりに接しているのとも違う、様々な人と交渉したり営業をすることにもなる
それはまた商売にもなる、でもその人は営業とか商売の面で失敗したとなる
それは技術者というだけではない、人間相手でありそれでうまくいかなくなった
他の人でも社長になった人が仲間に裏切られて事業に失敗して原発事故の作業員としてここに来た、そういう人が事業に失敗したような人が原発事故以後かなり来ていたのである経営者になるとそうして人をまとめるということもしないとうまくいかない
利益配分などでももめる、それは戦国時代の殿様とかにもあてはまる
人を指導するとかなると機械だけに接しているのとは相当に違った世界だからである
それで経営者は文系も多いとなるし政治家でも文系が多い

何かどうしても上に立つ人でもただ自分の利益と出世とか地位とかばかり求める人に人はついてゆくのか?それが疑問なのである
その人は経営者だけど他人のために荷物一つを持つことも嫌がっていた
その人はただ経営者となり社長となり偉いとして世間に示すことで経営をはじめたともなる、自分は技術者として優秀だからはじめたが経営者になることは違ったものだった
経営者とは社会のためになることを必要なことを見出して援助することにもなる
そういう謙虚な心も必要である、経営者の人間性も問われる
あんな社長とは一緒にやっていられないというときそうである
その人間性まで問われているのである
雇い人を奴隷のように思っている人がはたして経営者になれるのかとなる
ただそういうことを実行すると雇う人が雇われる人と変わりなくなる
自分自身がそうなったことでもわかる、雇われる人が次々に要求して来る
そうなると自分自身が雇われるていると同じになる

そもそもなぜシャカであれキリストであれ社会の指導者になったのか?

その人は何か理系の専門家だったのか、その人たちがなぜ社会を導くものとしてありえたのか、それはモラルの模範としてあったからだとなる
何か理系として技術者として優れていたからではない、モラルの模範としてありそれが社会を導くものとして歴史的に重要なものとしたのである
モーゼの十戒とかでもそうである、それは法律にもなった
だから法学部とかが検察とか他でも上に立つのが現代だとなる
社会の規範として重んじられたのである

江戸時代はその模範となっていたのが侍だったとしている
でも侍は貧乏だった、庶民と変わらず貧乏だったのである、でも敬われていたのはモラルを示す模範としてあったからである
モラルの模範となる人は自己の欲ばかり追及する人では困るのである
それでシャカは洞窟で悟りを開き何ももっていない、家も家族もなかったのである
キリストも同じである、枕することなしであり寝る場所すらなかったのである
でもそういう人を社会の模範としたのは人間にとってモラルが一番大事だからそうなったそれでヨ−ロッパの大学では神学部と法学部と医学部しかなかった
そこから大学がはじまった、神学部はまさに宗教でありモラルである
法学部もモラルと深く関係している、医学部は今の理系だとなる

原発事故がなぜ起きたかを追求して来たけどそこにもモラルが関係していた
そもそも嘘ついていたからである、「安全神話」などありえないのに権力によって作られたからだ、嘘ついていたということである
もしそれでも安全のために尽力していたらいいとなるが安全のためのコストを省くために安全神話を作った、事故が起こらないとなれば安全のために努力する必要もないからだ
現実にはコストをかけないためにそうしたのである

一旦高い場所に作るのもわざわざ削って低くして作った

十数メートルの津波が来ると科学者が警告していたのに備えなかった

それはコストがかかるからしなかったのである、もしそういう安全の備えをしていたら
責められない、でもただ「安全神話」を作り肝心の安全計ることはせずコストを減らして利益をあげるためにそうしていたのである
不可抗力だとするが津波でも備えなかった、それは金がかかるからしなかったのである
そういう備えもしないのにただ「安全神話」のみ主張されたのである
そして一挙に崩壊したのである
日本のように地震が頻発するような国土に必要なのかとかも議論されない
アメリカでは西海岸には最初原発は作らなかった、地震があり東の方に作っていたのである、アメリカには竜巻がありそれで電源を地下に設置した
それを日本でまねたのも日本がの風土を地震や津波を考慮しなかったからである
でも科学者が十数年後に津波か来ると警告していた、でもまもらなかったのである
それは一見技術的問題のようにで理系の技術者の問題のようで根本的にモラルの問題だった、嘘をつくなという簡単なことを守れ無かったのである
それが御用学者は百万年に一回くらいしか起こる確率がないと言っていたのもそうである専門家がコロナウィルスでも40万人が死ぬとか科学的合理的でない判断をする

核の問題でもそもそも核が人間に必要なのもかどうか?
それが議論されただろうか、そんな危険なものそのものを作るべきではないということも主張されても良かった、でも科学技術は何であれ是認されるのである
そんな危険なものを作ってそれが武器になったらどうするのか
それが広島長崎の原爆となり現実化したからである

そして武田邦彦氏が言うには機械とか物質の研究ばかりしている人は頭が冷たくなるという、それもやはり本人が理系の研究者であり学者だからそう感じたからだろう
つまり人間の情を失うから頭が冷たくなるとなる、もし感情が豊かで愛とか情愛でもそうはならない、心が良心にはじなければそうはならないのである
そして現代は知、情、意があるとき知が巨大化して頭でっかちになり情が喪失した時代である、機械マニアのような人もは必要である
ただそうなると情を失う冷たい人間になる、人間を人間とみない、物体とみて医者なら研究材料にさえみる、現実にそういうことがあったからだ
それで昔せ馬で曲がり屋とかで家の中で飼って一緒に暮らしていた
動物と接することは情が育まれる、機械と違って動物には情が通じるからである
だからペットブームにもなる、現代の社会が情が枯渇しているからそうなったのである

機械化ロボット化数字化がグロ−バルになる、無人駅も増える、何でも機械化ロボット化数字化数値化して計られる、そこにはもう生きた血の通う人間はいなくなる
病院でも機械に囲まれロボットに囲まれて情なき世界で死んでゆく
一つの物体数字として処理される、非人間的世界である、そういう社会がナチスを産んだというのもわかる、人間が人間ともならない、ただ大衆であり群衆であり数字となる

病院で議員すら番号で呼ばれたということに怒ったというのもわかる
つまり人間はもう数字であり番号なのである、選挙なども非人間的なものでありただ数として人間を処理しているだけである、数がどれだけ集めるかが問題になるだけである
それは規模が大きくなりすぎたからそうなる、ギリシャのボリスはせいぜい一万であり
直接投票である、その規模があまりにも違っているのである
だからもう選挙自体機能していないのである

ロボットに機械には情がもてない!

これが致命的なのである、ロボットには感情がもてない、
感情がもてないというとき限りなく悪魔のようにも人間の大量殺戮にもなる
またロボットには愛情ももてないし良心もてないし善悪もない、だからロボットがAIにでも支配されると
冷酷に人間を殺戮することにもなる、そこで良心の呵責とかも感じないからである
そういう恐ろしいSFのような世界が生まれるかもしれない、そして人類は滅亡するとかもありうるのである、科学技術にはそうした恐ろしい危険なものも潜んでいるのである

不思議なのは認知症の人が人間でなくなったのが知能が低下して馬鹿になって人間でなくなったのか?
そのことを介護して考えた、でも感情はある、悲しいかうれしいとか感じる、そして愛も感じる
介護する人が冷たい人とかも感じる、だから感情的なものは通じている、すると知的に低下したが感情は正常であるから人間だとも見るようになょた、そして最後はそのことをわかっていて感謝して死んだのである

明治以降富国強兵で武器を作るために理系が優遇されて研究所ができて国の予算がを与えられた、戦後は高度成長時代になりやはり理系中心主義となった
グロ−バル化で技術競争に勝たねば日本は凋落するということでそうなった
それで文系大学廃止論がでてきたのである
戦争でも理系の学生は学徒動員されなかった、それと同じように文系廃止論がでている
確かに文系は遊びだというのも本当である、別に大学に行かなくても文系だったら勉強できるからである、だからそこに金を投入するのは無駄だとなる

でもコンピュターとかインタ−ネットにITに技術が変化した、これは何か今までのバードな機械とは違うのである、人間の知的なもの頭脳とか関係してくる今までにない技術である、機械翻訳でもそうなように人間の知的な頭脳的なものをアシストして人間の頭脳の代わりをしてくれるのである、こういうものは今までありえないものだった
それでAIの開発が進むと本当に人間の頭脳にもなる、それも人間より優秀なものともなる膨大な情報処理ができるからだ、それで将棋でも膨大な譜面を記憶して対抗できるから
プロの棋士に勝ったのである、でもAIが万能というと万能にはならない
その癖を読み取り弱点を見出して引き分けにしたという、つまり人間の知で対抗できたともなる

ITの世界はハードな物つくりとかの世界とは違う、人間の頭脳とも心とも関係して来る
だからこれは必ずしも理系のものではない、物つくりは機械は理系のものである
でもコンピュターとかインタ−ネットは理系だけのものではない、プログラムを作るのはそうかもしれないがそれを利用するのは文系とも深く関係している
それで私自身がインタ−ネットでまたソフトで膨大な写真とかを変形して作っている抽象画がそうなのである、全然絵の才能がないのに創作しているという不思議である
またコンピュターを使って小説まで作ったというのもそうである

なぜそれができるのかというと膨大な情報にアクセスしてそれを組み立てると創作品になるからだ、私自身が抽象画を作っているのとも似ている
知識でももう天文学のような知識にグロ−バルに拡大した
するとその膨大な知識から結びつけるとか編集するとかするとそれがまた独自の創作品のようになるのである
ただコンピュターが俳句とか短歌を作れないということはやはりコンピュターの限界だとなる
何か科学技術には無限の可能性があり宗教にもなったのが現代である
ただそうみせかけるのでありそうはならないのである、むしろどこかで原発事故とかなにか大きな挫折がくる
それが核戦争のように人類絶滅ともなりうる恐ろしいものである、そういう警告もあり科学技術万能理系のみ必要だというのは問題がある

bunkeiuni1.jpg
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2021年02月10日

医療・介護などで問題が噴出する「2025年問題」


医療・介護などで問題が噴出する「2025年問題」

2025年は後期高齢者(75歳以上)が急増するターニングポイント
「2025年問題」とは、戦後すぐの第一次ベビーブーム(1947年〜1949年)の時に生まれた、いわゆる"団塊の世代"が後期高齢者(75歳)の年齢に達し、医療や介護などの社会保障費の急増が懸念される問題を指します。

1947年から1949年に生まれた第一次ベビーブーム世代が、2015年の段階で65歳を超えている日本。この3年間に生まれたいわゆる団塊の世代と言われる約800万人の人々が、徐々に介護サービスを必要としてきています。

現に、要介護・要支援認定者数は2000年には218万人だったのが2017年には622万人と、ここ十数年で約3倍になっています。団塊の世代の高齢化によって、介護を必要とする高齢者が、今後さらに増加することは必至。


これも相当に深刻になる、実例では父親が介護になり南相馬市では今介護士が不足してみれない、それで青森の施設に送られている、青森では仕事がないので引き受けている
でせそこでも後から備品とかの請求が来て金は要求されている
それを払っているのが40代後半の独身の息子である
その息子が今は病気になり一か月入院したりしている、建築関係の肉体労働者である
その母親は70才でも金もなく体が弱っている、普通の人より弱っている
その母親も金がない、その負担が息子にかかっている
もう一人息子がいてもその人は縁切り状態になっていてかかわらないのである
おそらく母親でも金をせびられたり負担になるからかかわらないようにした

この状態は自分自身で体験したのと似ていると思った
私も二人の親の介護状態になり助けもなく一人で苦しんできたからである
それを延々とプログに書いてきた
ただ金銭的には問題がなかった、この例では金銭的にも苦しんでいるのだ
ただ介護というのは家族でするとなると金だけではできない
特に認知症になると他人が介護することはむずかしくなる
この息子はすでに2025年問題の実例なのである
それも二人の親をめんどうみなければならなくなる
でも実際はしていない、仕事をしなければならないから多少青森の施設に仕送りしているだけである、でもその仕送りだけでも余裕がないから負担なのである
そして母親は病気ではないにしろ普通より老化して体が弱っているし金もないのである

何かこのように親二人が介護になったり金がないとか援助して負担になってくる
それが2025年問題でありすでにその兆候は現れている
だからこれは2025年になったら悲惨な人が出て来る
現実に南相馬市でも認知症の母親を介護していた50代の人がオムツとりかえるとき母親が騒ぐので殺した
おそらくその息子一人が介護することになってそうなった
それより問題は親二人を同時に介護するようになることである
それを自分自身もなるところだった、そしてその介護する人が病気になることもある
それが自分自身で経験して恐怖だった
その時誰も助けない、回りでは今はかかわらない、逆に苦しむのを見て楽しむとまでなる今田舎だって人情などなくなっている、またそういう家族とはかかわりたくないのである田舎ではかえって人間の悪質性が露骨にでてくるのである

いづれにしろ子供が親を捨てる、家族遺棄社会になるという本を出した人もいる
この実例では一人の息子は関係しないから親を捨てている
でもそうしたとしても一人の息子に負担がかかりまた他の人がめんどうみるともなる
だから家族でもそういう人はもう家族でもない、他人に世話をまかせたともなるからだ
それも無責任だとなる、もう親はめんどうみれない、死んでもいいとまでなっているのだでも放置してゆくわけにいかないから誰かが福祉でもめんどうみざるをえないのである
こうなると家族とは何なのかともなる、もうそこでは家族は他人になっているのだ
その人にとっては楽でも他の人が負担させられている、これも無責任だともなる
「私は親のめんどうはみない、死んでもかまわない、誰かめんどうみてくれ」となっている

いづれにしろそれだけ介護の負担が大きいからそうなる
介護殺人がこれからも増えるのはそのためである
それは一部のものだけではない、社会的問題でもある、これだけ介護する人が増えれば社会を圧迫する、財政的にも厳しくなる
現実になっている、生活保護でも福祉関係へ予算を配分できない、それだけの余裕がすでに国にもないし自治体にもない、日本自体が貧困化しているからだ
そこで二重三重に負担になり援助されない人が増えて来る
そうなるとどうなるのか?老人は捨てられるとなる
姥捨て山ではないが実の息子すら親を捨てている、でも誰か他人がめんどうみざるをえないのである
また老人の単身者の数も多い、自分もふくめそういう人も助けがないとなる
高齢化社会というのは確かに個々人ではすべて悪いものとはならない
長生きすればそれだけ人生でやれることが多くなる、ライフワークを持っている人は専門分野を追求できる時間が長いからそれなりのものを成せるとはなる
でもどちらかというと暗黒面が大きいのである

ともかく夫婦でもどちらかが死ぬと一人になる、隣では突然に妻が死んで夫が取り残された、その夫も心臓の病気であり機械を入れている、これまで妻が世話していたのを自分でしなければならない、その人は家族と一緒に住んでいても食事も別にしていたからだ
こうしてまた家族と住んでいても老人が孤立している場合もある
何か今は家族がこうして別々になる傾向がある
でも介護状態になれば家族がめんどうみなければならなくなる、そういう状態で介護がやれるのかともなる

いづれにしろ2025年問題は深刻である、すでにその兆候はいたるところに現れている
となると2025年になったらさらにひどい状態になることは目に見えている
それは個々人の問題でもあるが国とか市町村の問題でもある
そういう人を放置しておくにもいかない、でも財政的にも厳しい、生活保護でも医療だけが払われているとかもある、菅首相が生活保護があるというけどそれが最後のセーフティネットにもなっていない、生活保護を受けても餓死にもなりうると見た
最低限する支給されていないからである
それだけ国でも市町村でも財政的に苦しいから福祉に回らないのである

日本自体が東北大震災や原発事故や今度はコロナウィルス渦とか災難に見舞われる
それで財政的に苦しくなるのだからさらに福祉の予算は減らされる
つまりもしかしたら餓死に追い詰められる人が増えるということすらある
そういう直前の人がすでにいるとなる、二重三重の苦難と負担が強いれらる時代である
それはすでに自分自身が経験してきたことなのである





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2021年02月09日

オリンピックがなぜやめられないのか? (原発もなぜやめられないのかー利権団体のため)


オリンピックがなぜやめられないのか?

(原発もなぜやめられないのかー利権団体のため)

olinpic1.jpg

中止による経済損失:約4兆5,151億円

なかなか大きい数字ですね。

これだけのビッグマネーが動くわけですから、オリンピック誘致も必死ですし中止の回避も必死になるというわけですね。

オリンピックでビッグビジネスをつかむはずだった電通は、そのためにすでに大きな投資をしているそうです。
https://www.inakodo.com/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%
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オリンピックがなぜやめられないのか、それは莫大な投資をしている、その施設でもゼネコンが請け負ってそこから利益となっていたのでゼネコンはオリンピック推進になっていた

そもそもオリッピックをやる意義が今はあるのか?

オリンピックする意義はすでになくなっている、世界平和のためだというけど現実は商業主義オリッピックであり世界的なショーを演出してそれでもうける企業があるからやれとなる、アメリカに住んだ人が意外とアメリカでオリンピックをしていたとき、ほとんどの人は関心がなかったという
何か世界的行事のように見えて今は関心がそんなにないのである
関心をもっているのはオリンピックで利益を得る企業とかスポンサーなのである
だから電通がオリンピック中止で倒産するとか騒がれる
マスコミ関係ではテレビ局などでは視聴率をとるために開催しろとなる
それは利権のためなのである

この世の中は利益で動く、金で動く、何か意義ありその意義を追求することはない
まず利権だ、金だとなる、だから別に必要ないものでも金になればやれとなる
それはオリンピックだけではない、原発でもそうだった
本当は原発がなくてもエネルギーはたりている、でもその原発を作る理由はそういう必要性より政治的軍事的思惑があり作られた
またそれが巨大な利益を生む、利権を生むから作られた

まず電事連とかあればそこからマスコミに800億円もの宣伝費が出ていたのである
厥か新聞社とかテレビ局とかに回っていた、原発は巨大な利権になっていた
それは地元でもそうである、原発で恩恵があったから積極的に誘致したのである
利権にかかわると利益になるということでみんな反対しない
ただでは国民全部がそうかとなると違う、利益に利権になる人が賛成するのであり
全部がそうではない、オリンピックが国民全部が賛成しているわけではない
むしろオリンピックなどやるべきではないという人もかなりいたのである
でも利権にかかわる人がいてその人たちがすすめるからそれで押されて実行される

要するに民主主義といっても利権民主主義であり大きな組織団体が利権を得るために動く最初はゼネコンの利権とかあり推し進められる
景気を良くするためにといいうことも宣伝されるがその景気にあづかるのは一部の利権団体なのである
その一部の利権団体が政治を動かすのである
まずそうして票でも人数でも金でも集まらないと民主主義でも何の効力も発揮しないからである、ただそれが社会を歪めるのである

原発には東電に官僚でも海上保安庁から検察から警察からあらゆる特権階級が上級国民が天下りしていた、そこは官僚の利権ともなっていたのである
原発は必ずしも国民全部が賛成しているというものではない
でも電事連でも賛成しているし利権団体が推進したから反対できないのである
それが「安全神話」を作り事故になったのである
原発で働く人が電気工事関係でも千人とかいたとなるから地元の恩恵も大きかったのである、それで何か不具合があるのを知っていたが上の人に言うこともできなかったと言っている、仕事を受注できなくなるからだという、つまり東電の権力は絶大だったのである

森会長がオリンピックをやめない、やめられないのはオリンピック関係の職員でも5000人とかいるとういう、するとその人たちにとってもオリンピックが中止されることは飯の食い上げになる、それでその組織では森会長を批判していないのである
やはりそこで金をもらっているとなると組織の利権を擁護することになるからだ

ともかく人間は利益をあげることで日々成り立っている
それから逃れることができない、でもそのことが社会を歪める、本来の意義が見失われてただ金を得ればいい利益を得ればいいしかなくなる
そうしていると原発事故のようなものも起きてくる
コロナウィルスでもそんなものよりオリンピックで利益を上げるべきだともなる
つまり原発が危険でもやれと地元でも賛成したようになる
ただ今はオリンピック中止すべきだという世論になっている
これはマスコミが言っているのではない、国民の意志なのである
でもそれを曲げてもある特定の利権のためにオリンピックをしたいとなる
その背後には5000人の職員とかそれにかかわる人たちの利権があるからである
そっちの方が優先される
go to トラベルも強行されたのは観光業者と二階堂氏とかのつながりがありそうなったともされる、政治と利権団体が常に結びつくからである
それが政治も歪める

だから何かを公平に見るには利益から利権から離れる必要がある
それがマスコミでも放送に莫大な費用がかかるからできない
電事連からでも莫大な宣伝費をもらっていたら原発の危険性を言わなかったからだ
そして福島民報などは出資するのが県であり半分もしている
あとは聖教新聞を刷っていたりとそれだけの費用がまかないないからそうなっている
そこでそうした権力利権団体の悪を追求できなくなる
結局はマスコミ自体が長いものに巻かれとなっているだけである
ただそういうことが原発事故になったことを反省すべきである
でも実際は依然として利権団体民主主義でありそれが社会を歪める
右は原発推進なのである、それも納得いかないのである
それも右が利権と結びついている、だから事故前から原発推進だった
また右は核武装を主張しているからそのために原発を核武装するために必要としていることもある、もちろん左でも利権と結びつく、朝日新聞が中国と結びついているとか信用されない、中国を批判できないのである

ただ公正さを追求することは人間には不可能だともなる
神は偏り見ないというとき神のみが公正に裁くことができる
それはなぜかというとき神はいかなる利益とか利権とかかかわらないからである
だから公正に見られるのである、人間にはそれができないのである
それで隠者が報道に記者に向いているというのもそうなのかともなる
つまり世間では利益で何らか結びつきそれで忖度して公正に見れなくなるからである
世間の付き合いはみんな利益で結びついているからである
だからどうしてもその利益に利権にあづかろうとする、権力がある人に金がある人は寄ってくる、それでこの世が常におかしくなり歪められているのである
シオンに公正が実現するというとき公正に裁くことのできるのは神しかいていとなるからである
神は偏り見ないというとき人の利益とか利権とかかわらないからできることなのである
つまり無私な人が偏り見ないとなる、なんらか下心があるとなると公正に見れないからである



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2021年02月07日

みんな原発のせいだ、東電のせいだ (コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)


みんな原発のせいだ、東電のせいだ

(コロナのせいでこうなった―コロナウィルスと原発事故の共通性)

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週間ポスト2月12日号


自分の努力不足を棚に上げていないか
彼はコロナ前から成績が悪かった


コロナウィルス騒動と原発事故の共通性があることを追求して来た
これもだから不思議である
東京に避難した人が

放射能がうつるから来るな!

こう言われて子供がいじめられたのもそうである
今度は逆に

コロナウィルスがうつるから東京から来るな!

こうなったのである、人間にはカルマの法則がありあてはまる

この記事のように今はなんでもコロナのせいにされる、それを口実にすると通りやすいからである
原発事故でも故郷から若い人が多額の補償金をもらって出て行った
それも放射線被害がありそんな危険なところに住んでいられないということで誰も批判はできないのである
つまり何も言えなくなってしまうのである
何か言えば必ず放射線被害とか言うしそれで言えなくなる
そして何かというと被害者意識になりお前らなんで努力しないだというとお前は情もなにもない人間なのかとかなり批判される
そしてNHKでも原発避難者と津波被害者がいたが原発避難者側についた報道でも誤解を生んだ、その対立を激化させたのである

例えばもともと第一次産業は農林漁業は衰退していた、それで跡継ぎもいないとかなっていた、再三言うけど近くの漁港で漁師が何か生活が苦しいとか言ってプログで訴えていたでも今考えるとそういうことはなかった、その人はわからないにしろ事故前から相当な補償金をもらっていたから別に魚がとれなくてもやっていけたのである
その時はわからないから漁業は苦しいんだなと見ていて同情していたのである
凍み天の菓子店なども原発事故のせいで倒産したとかしているがもともとその商品はそれほどのものではなかった、商品自体に問題があって倒産したのである
これもなんでも原発事故のせいだとする

他でももともとだめになっていたのだがそれが全原発事故のせいにされる

俺たちは被害者なんだ、だから援助されるべきだ

こういう主張になる、もっと自分たちで努力するものがあるのではないかという前に被害者だから援助されるべきだ、もっと補償金をよこせとなる
つまり自らの努力を放棄して悪く言えばたかりにもなる
でも放射線の被害を言われればお前地元で良くそんなこと言えるなとバッシングされる
だからこうなると本当にめんどうになる、それで韓国とかは常に戦争の被害を言うから
付き合えないとなる、被害者と加害者であり被害者は加害者を許すことがないからである現代では被害者がかえって大きな力をもつようになる

コロナでも同じ事が起きていることが不思議なのである
様々なことで共通点がある、コロナで飲食店や旅行会社に補償金を出したこともそうである、そこでもやはり不公平があり不満が生まれる
一日六万補償されて売り上げよりもらって喜んでいた人もいる
南相馬市でも30キロ以内は30キロからはずれた人たちより三倍はもらっていたのである

高速でも医療費も十年間無料だった!

30キロはずれたら同じ南相馬内でも医療費は半年で補償されなかった!

高速でもそうであり最近やっと無料にしたがもう終わりだとなる

なぜこれほどの差が出たのか納得できないのである、コロナでもやはりこうして補償に差がでたのである、全部公平に払われることはないのである
それだけ公平になることがむずかしいとなる、必ず不公平になり不満な人が出て来る
だから補償金というのは良くも悪くも働く、それはなんでもそうだが金の問題になるととにかくうるさくなる、そこで不満が残る人があり怨恨にもなる

結局水俣病でも補償金問題でもめて復興もできなくなった、公害になったら終わりだと当事者が述懐している
過度な被害者意識をもつとそれが今度は一代でも終らない、親が子に必ず何かうまくいかないと原発事故のせいだとなる、この辺ではそういう被害者意識をもつ地帯になった
いくら努力しても無駄だとかなる、それより政府からでも東電に訴えてもっと補償金とか援助してもらうべきだとなる、つまり自ら努力することを怠る地帯となるのである

それが韓国にも沖縄にもある
自分たちで努力しろとか言っても被害者意識にこりかたまるとそうはならない
自分たちには責任がない、東電や政府が悪いとなる
それは確かにあっても自分たちで何にも努力もしないというのは無責任だとなる
地元の住民も納得して原発を誘致したからである
その責任があり東電を責められないという人も相当数いる、そこで働き贅沢できたともなるからだ、でもその責任を自覚している人は少ないのである

コロナウィルスと津波とか原発事故の相違は津波と原発事故は一部分である、広いにしても日本全国ではない、コロナウィルスは全国であり世界の被害になったことである
だから一部分を復興してかたずけるわけにはいかない、世界中が被害者になったからである
ただ全部原発事故のせいだとかコロナウィルスのせいだとかなるのは問題である
それを口実にして自ら努力を怠る理由になるからだ
だから原発事故地帯は若い世代が避難して復興できない、でももう戻らない
他の土地で家も建てたり生活がありもう帰れなくなったのである
十年も過ぎたらもう帰れない、そうして荒廃したままになる
残されたのは老人だけだとなる、でも若い世代にも責任がないのか?
やはりなんらか責任があってもそれはみんな原発事故のせいだとして放棄できたのである






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2021年02月02日

ピーターの法則ー昇進すると無能化する (階層社会で菅首相もそうだったのか?)


ピーターの法則ー昇進すると無能化する

(階層社会で菅首相もそうだったのか?)

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菅首相も官房長官としては有能だったが最高位の首相になったとき
無能化したのだろうか?
官房長官で有能でも首相となるとその能力は全く別物ともなる
するとピーターの法則があてはまる
階層社会で昇進したともなるからだ、何か人選でも官房長官だから次は首相だとなった
その人選の仕方は階層社会のものであった
政党でも今は階層社会でありそれに適応したものが昇進してゆく
必ずしも能力とは関係ないとなる

人間は能力でもあらゆることにたけた人間はいない、一部分として優秀なだけなのであるだから昇進すると仕事の内容が変わり無能化する
教育でも教えることが上手な教師が校長になって優秀とはならない、でも教師で優秀なものは昇進して校長になりやすい、階層社会ではそうなる
そして無能化するとなる、つまり教えることが上手な教師はその方面の能力を活かしていた方がよいのである、そういう教師はある科目をいかに学ぶかという本を出したりするのがいいとなる、校長とか教育長とかは別な仕事てあり能力も別なものが要求されるからである

正直そういう人は教育というとき親との付き合いとか様々な付き合いとかを無視して
いかにうまく教えるかに集中すすべきでありそれは研究者のようになる
でもそこに人事とか付き合いとかいろいろありそれは苦手となり親から評判が良くないともなる、要するに研究者に向いている人は研究一筋な方がいいとなる
そこに様々な余計な人付き合いとかに労力をかけるべきではないとなる

技術者として優秀だった人間が独立して事業をはじめて失敗した
それは本当に無謀だったのである、なぜそんなことをはじめたのか?
技術者として非常に優秀な人だから回りから優秀だとされてきたから事業を始めても成功すると確信していたのである
でもその人は経営者になる相談すらしなかったろう、事業を起こす前ら成功者になると確信していたのである、それで失敗した

人間の特徴はあることに優秀でも他のことになると優秀でなくなる
機械マニアのような人は機械については詳しい、でも社交的なことになると人付き合いができない、変人だとかなる、でも日本が製造業でのしあがったときそういう若者は機械に熱中していた方がいいとしている
英語など必要ない、機械に詳しくなればいいとしている
そういう人が何か別なもので能力を活かすことができないからだ
そういう人はまた経営者には向いていないとなる

とにかく人間が無能化するというとき本当にこの辺で起きた原発事故がそうだった
これの原因を追及してきたけどこれも基本的には人間の無能化から起きた
その内容は相当にずさんなものだったのである
津浪が来たから起きたというのでもない、内部の人が配管などが老朽化して壊れるということを指摘していた、でも上の人は取り合わなかった
不備があってもとりあわなかった、そういう危険なことが指摘されてもとりあわなかった

そして結局「安全神話」だけ権力化して強調されたのである
その安全神話の内容がいかにずさんなものだったか、それは津波が来たから事故になったのではない、その前に事故なる原因が山積みされていたのである
でも権力があり「安全神話」だけが強調されたのである
これも人間の無能化の結果である、
その無能人間の集団が「安全神話」を作ったのだから事故は起こるべくして起こったとなる、その中に有能な人間がいても階層社会の中で無視されたとなる
提言しても取り上げられないとかなっていたのである

ただ原発事故でもコロナウィルスでもいかに総合的に判断できるトップが大事かが問われた、普通の時は別に階層社会でもそれなりに仕事はできる
でも原発とかコロナウィルスとなるとそれは総合的な問題として解決しなければならないものとなる、その時それに対処できないのである
一つの限界は理系と文系があり理系だけだととんでもない専門家がでてきて40万人が死ぬとかいう人もでてくる、それが社会にどういう影響するかを考慮しない
そういう専門馬鹿が生まれのも現代社会である
一方文系になるとこれもまた理系的知識がないから対処が謝る
どうしてもgo to トラベルが感染が拡大しているとき政策としてはまずかったとなる

ただ科学者でもコロナウィルスは普通の風邪でありインフレインザと同じでありなぜこんなに騒いでいるのだという見解もある、経済を重んじないと自殺者の方が増えるとしている、ここでも危険をあおる科学者とそうでない科学者が専門家がいて混乱する
だからそうして様々な分野の意見を取り入れて首相がトップが判断するとなると容易ではない、それで判断を誤るのである
右に行けという人と左に行けという人がいて判断する人が誤るとなる
その判断の過ちが致命傷ともなる、それは戦争となり3百万にも死んだとかなるからだ
また原発事故では故郷に住めなくなったからである
原発は実際は相当なずさんなものであり安全などもともとないし考慮もされていなかったのである、そういう危険なもの平気で作っていたのである

いづれにしろ人間社会はバベルの塔でありそれが崩れて混乱する、分断される
それが科学でも起きる、原発はまさにバベルの塔でありコロナウィルスでもそうである
何か未知なことが起こりそこで混乱して人間社会がばらばらになる
それは原発事故でもそうである、家族が分断されてばらばらに住み故郷には老人だけが取り残されたからである

人間の宿命として人間の無能化がある、神のみが全能であり治めることができる
人間にはできない、そこで混乱が起きてそれを治めることがてきない
コロナウィルスでもそうである、未知のものでありこれにどう対処していいか混乱してわからなくなる
ただ人間社会の問題としてピーターの法則があてはまる、階層社会で昇進してきたものが首相というトップにたったとき無能化する
その人が指導者として適切なものとして選ばれた訳でもない、階層社会の中で昇進した結果として首相までのぼりつめた、でものぼりつめた地位で無能化したともなる
つまり階層社会は普通の時なら機能するが緊急事態には機能しなくなる
弱いのである、民主主義でもそうである、緊急事態にみんなで相談したからとそれで解決するわけではない、かえって即断しなければならないのにぐずぐずして会議ばかり開いて議論てもらちがあかないとなる
何かそういうことがコロナウィルスでも起きている
ただ結局人間は無能化して滅びるというのも感じる
結局人間の力では世界を治められないいうことになるからだ



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2021年02月01日

コロナウィルスと原発の相似-天災は忘れた頃にやってくる)) (何を優先するかが問題)


コロナウィルスと原発の相似ー天災は忘れた頃にやってくる)

(何を優先するかが問題)

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歴史は利権と関係していない


コロナウィルスでいろいろ言われるが何か原発事故の時と似ていると思った
その理由は現代では必ず科学がかかわるから同じような問題が起きる
毎日感染者の数で怯えているのは放射線量で怯えていたのと似ている
それで科学者が一ミリシーベルトを越えてはならないと警告した
その人は武田邦彦氏であった
でも今回は逆にコロナウィルスはインフレインザの一種であり過度に恐れるなと何度も言っている
だからなぜ原発の時は厳しい基準を出したのに今回はそうではないのか理解しにくいところがあった
やはり共通の問題として科学がかかわっていたことは確かである
そこで科学の専門家が前面に出るとなった、でもその人も御用学者であり政府にとって都合のいいことしか言わない人となり批判された
そして政治的判断があり経済的判断がある、それも共通している
政治は経済と一体であり政経学部があるのもそのためである

ただ科学的判断でも間違うことがある、放射線被害についても良くわからないからだ
それは今回のコロナウィルスでも同じである、科学的判断がすべてに優先されるとはならない、それは放射線の被害がどうでるか未知だからである
コロナウィルスはさらに未知なものとして出現したから正確に科学的判断ができないのである、専門家でもできないのだから素人はさらにできないのである

でも政治家はなんらか決断しなければならない、それで経済優先でGO TO トラベルになったのである、ここには二階氏と観光業者の利権がからみそうなったとしている
原発でもいろいろな利権がかかわっていた、原発は金の鳴る木だったからである
そこに利権を得ようとして群がったのである、地元の人でもそうである
だから地元の人は東電を批判しにくいと言っている

原発事故では補償金でもめた、それで南相馬市は分断された他でも分断された
それは利権となり経済問題であった、政治の役割りは政府の役割りは具体的にいくら金を出すかということを決めることだという
そのために予算を組み配分するのが仕事だとしている、他は何かできないとしている
でもその金を配るにしても必ず不公平が生れてもめる
コロナウィルスでももめた、補償金を過分にもらった人もいるしもらえない人がでてくるからだ、それも原発事故と似ていた

ただコロナウィルスと原発事故の大きな相違は必ずしも政府が政治が優位にたっていない専門家の科学者の言い分を尊重しなければならない、原発で政治の力で専門家の言い分はおさえつけられた面がある、だから御用学者が発言したのである
政府のいいなりになり危険を無視した発言をしたのである
もともと原発は政治の意向で作られた面が大きかったからである
それはアメリカの押し付けがありそれぶ古い型のマーク1の原子炉を買った、買わせられたのである
今回のコロナウィルスでもアメリカとかイギリスのワクチンを買うというときそこに利権がかかわる、莫大な金が動くからである

ただコロナウィルスでも原発事故でも意外と見逃されていたのが歴史だったのである
原発事故では津波が関係していて津波の歴史が注目された
相馬藩政記にも津波で700人溺死というのが記録されたが誰も注目していなかった
でも津波の後に発見されたのである
だから400年前に慶長津波がありここでも大きな被害があった
でもこの辺では津波が来ないとしていたのである
その歴史に注目していないからそうなった

でも東電では地震の専門家に依頼して津波のことを調べていたのである
それで十数メートルの津波が来ると警告していた
でも東電ではそれに従わなかった、何の対策もしなかった、コストがかかるとしなかったのである
そして今になって防潮堤を作ったのである
原発ではいろいろ安全対策が不備だったのである、それはコストがかかるからそうなったそれが致命傷になったのである

ただ歴史的なこととして津波も起きていたしコロナウィルスとか伝染病は人間の歴史が始まってい以来深刻な被害を与えていたことは知られていた
ただその歴史も津波のように忘れていたのである
だから災害は忘れた頃にやってくるというのは伝染病でも同じだったのである
カルマとして繰り返しているからである
それで歴史は大事なものとして認識された、郷土史なども歴史なのだが好事家がするようなもので重要な命にかかわるものとして見られていない
でも歴史だからそこに命にかかわることもあったと気づいたのである

歴史は繰り返すというのはまさに現実として津波でもコロナウィルスでも自覚させられたのである、それに備えることも大事だった
でも日本では備えられていなかったのである
かえって外国の方が備えられていた、それは公立病院が8割とかであり政府の命令で動かしやすかったからである
でも日本は公立が二割であり開業医が8割であり政府の命令で一括して動かせなかった
それで医療崩壊が騒がれたのである
開業医の団体が医師会でありここにはやはり利権が働き迅速に動けなかった
意外と開業医は伝染病にはせ役立たなかった
病院の勤務医が懸命に働いたとなる、開業医は何か跡継ぎ問題があり世襲になる
そして利権になるのは政治とも似ている
つま0り利権化するときそれが国民にとってはいいことにならないのである
利権のみを受け継ぐとかなり肝心の医療はないがしろにされるかさらである
それが今回のコロナウィルスでも見えてきたのである  

コロナウィルスでも原発でも利権がかかわっていた、政治家であれ科学の専門家であれ様々な団体、マスコミなどでもそうである、不可分に利権とかかわって歪めるということがあった
でも歴史的判断になるとそういうことはない、それは過去にあった事実であり客観的に見るだけでありそこに利権は働かないから公正なものになる
何かこの歴史的なものが見逃されていた、歴史の重要性を津波とかコロナウィルスでも見逃されていたのである
それは人間はとにかく忘れやすいからである、伝染病でも周期的に起きていて大きな被害をだしたのは百年前のスペイン風とかでもあった
でも忘れていた、ましてや400年前の慶長津波のことは忘れられていたのである
ここに人間の弱点がある、大被害になったものでも忘れるということである
それでまたカルマとなり被害があり苦しむとなる
それで天災は忘れた頃に災害かやってくるとなる

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2021年01月29日

山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」 チームのほうが誘惑に弱くなる―大衆民主主義は全体主義になる


山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」

チームのほうが誘惑に弱くなる―大衆民主主義は全体主義になる

ところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67554?page=6

チーム化することは団体化することである、人間は団体化すると個人の責任感とか希薄になる、そして団体組織化することは力を持つことであり権力を持つことである

なぜ民主主義が危機になっているのか?

要するに議員を選ぶにしても何にするにしてもすべて数で決まるからである
その数を集めることがすべてでありそこに正義も不正義もなくなる
数が多い方が正義なのであり何であれ数が多いことで決まる

カルト教団であれ選挙の時は利権団体の票が優先されるにはまとまった票が得られるからである、個人の一票など意味ないしあらゆることで個人は無視されるのが民主主義だともなり危機になる、アメリカの大統領でももう選挙に不正があったとして暴力になる
数の多さで決めることにみんな疑問を持つようになったからである

そしてナチスは民主主義の選挙から生まれたのである、とにかく数を集めれば票を集めればその正当性が得られるからだ、そして全体主義になった
もう全員がハイルーヒットラーになったら誰も逆らえない、止めることもできなくなったのである
そこに民主主義とか選挙でも決して正しい判断をするものではないことがわかる

赤信号みんなで渡れば怖くない

まさにこれである、巨大な数となり集団となるのが大衆民主主義なのである
それはギリシアのボリスの一万とかの民主制とはまるで違ったものになる
それでまたナチスはラジオから生まれたという説がある
人間が集まるとなると限度がある、でもラジオだと何百万人にも向かって訴えることができる、それが今ならテレビであり戦前は新聞で朝日新聞が戦争をあおったとなる

現代の大衆民主主義がそうした危険がつきまとっている
数がすべてになりその真意など関係ない、善悪も関係ない、数が多いことがすべてであり正義なのである、要するに数が権力化するということである
それが創価でも他のカルト教団でも宗教がからんでくると余計にそうなる
逆らう者は罰当たるとか地獄に落ちるとか何百万人の人の念がそうなるから怖いのであるそれはカトリックなどでも異端者が火あぶりにしたのと似ている
宗教の歴史の暗黒が見主主義で再現されるのである
そういう歴史があるから政教分離の法律が生まれたのである

数が多いことが正しいのではない、数が権力である、こうなっていることが怖いのであるでも民主主義はすべて数で決まる票の数で決まるとしたらそうなるのである
確かに暴力で決めるのではないからいいとなる、民主主義とは完全な制度でもないのだから暴力で決めるよりはいいとなる
でも数の多さで決める時、それは全体主義になる、そしてナチスのようになり最悪となるのである、それは歴史が証明している
共産主義もまた全体主義であり反対者は粛清されて何千万が殺されたとしている
共産主義はあからさまに反対する者は許さない、死刑にされる
民主主義は反対する者があってもまた数がすべてなのだからいづれは全体主義になる
それがナチスであった、それは数がすべてだということによっていたのである

数が多いということは責任が分担される、一票の責任は選挙では十万分の一くらになるから誰に投票しようが責任などないのである
もし一人十票とかなれば責任が生じる、でも実際は投票するのに責任を感じる人はほとんどいないのである
一万くらいのボリスだったら直接選挙であり一人一人が責任を感じていた、でも大衆民主主義では誰を選ぶにしろ責任など感じないのである

責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていた

こんなことが科学の分野でも起きていた、でも科学の分野なら科学こそ真理なのだから科学の真理に反することはいくらチームになってもできないはずである
それでもチームになると責任感が薄れてしまう、チーム化する団体化する組織化することはすでに権力化することである
すると正しいか正しくないかより権力が力を優先されて決められるのである
それによって大きな過ちが生まれる、チームでみんなでしていることが決めたことが正しいとなるからだ

原発事故でもそういうことがあった、地域の住民は金になればいいとしかない、すると危険だからやめた方がいいという人は一人もいなかったとなる
なぜならみんな金が欲しいからそれに逆らうことはできなかったからだ
反対したらその地域に住むことすらできなくなっていたのである
でも事故が起きて逆に住民が故郷に住めなくなったのである
この教訓は大事である、ナチスでも国を逃れた人がかなりいたからである
反対したらその国にすら住めなくなった、回りが一時創価の会員だらけになったらこれも全体主義になりそれに逆らう者は住めなくなる
そういうことが起こることがありえたのである、他でも数があらゆることで優先される
マスコミでも視聴率を稼ぐことが最大の目的である
それで宣伝費で稼ぐ、みんなが見ないことには宣伝できないからである

民主主義とは何かとなればもう大衆民主主義であり数がすべてであり数ですべてが決められる、そうなると理由などない、数さえ集めればなんでもできる正しいとなり逆にナチスになり全体主義になる、少数者は完全に無視される
それはインタ−ネットでも起きている、いかに視聴率をとるかがyoutubeなどでも最大の問題になる、とにかく見る人が多ければ影響力も大きくなりやはりテレビのように宣伝費が入るからだ
だからインタ−ネットでも営利が入ってきて視聴率優先になったのである
つまりマスコミ化してきたのである

田中首相が数と金が政治だと言ったのもそうである、選挙は数で決まりまた金をばらまいて票を得るからそうなっていたのである
現実民主主義でもそうなのである、政治とは数と金なのである
それは大衆民主主義ではそうならざるをえない、膨大な数によって決まるからである
そこで正しいとか正しくないとかは追求されないのである
そこでマスコミがテレビが馬鹿な大衆相手に導く、大衆にはむずかしい理屈など言っても無駄だとなりハイルヒットラーになった
つまりいかに大衆を操作するかがマスコミの問題でありそれで視聴率をとり宣伝費をもらうということだけが目的となる
大衆民主主義は容易に全体主義になる、それは数がすべての世界だからそうなる

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2021年01月28日

福島県のコロナウィルスの感染経路 (交通と密接に関係)


福島県のコロナウィルスの感染経路

(交通と密接に関係)


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コロナウィルスは交通と密接に関係して拡散する
東京のような大都市から拡散することは明確である
東京周辺が茨城県でも栃木県でも群馬県でも関東圏であり関八州の地域でもあり感染者が多い、何か栃木県が東京から離れて辺鄙な山の奥に見えても
那須高原とか平地もありそれで感染者が増えた
それは東京圏の中にあり増えた

ただなぜ南会津町とか下郷が増えたのか?

その感染経路はどうなっていたのか?

それは前に江戸時代のコレラの流行は会津若松市中心に拡散した、でも田島とかあるがそこに栃木県に出る街道があり大内村の宿場が有名である
でも今回南会津町の田島の病院でクラスターがありここが増加した
その感染経路は不明である、問題は栃木県が関東圏にありその栃木県から入ってきたのかどうかである
江戸時代のコレラでは北前船とかで新潟から阿賀野川の交通があり増えた
また白河街道などもあり会津若松中心に拡散したのである
ただ桧枝岐とかは交通がまれであり秘境であり感染しなかった
この時は会津若松中心になって栃木県の田島の方に拡散したのである

つまりウィルスは交通と密接に関係している
人口とも密接に関係している、人から人にうつるのが基本だから人と人の交流が多い所から拡散する
東京圏は関八州地域であり茨城県とか栃木県とか群馬県でもありそこは増えたからである現代は交通が止められない、密になるなと言っても東京とかはもうできない
そうしたら仕事もなにもできなくなる
だから現代文明は便利なのだけどウィルスには弱かったのである
江戸時代の様な交通が不便な時代でもウィルスを拡散することが止められなかった
ましてやその何百倍なのか何千倍なのか何万倍のか、これだけ人口が増えて密になる社会はウィルスの拡散を止めることができない社会である

ただ明らかに人口密集地帯の大都会から拡散してゆく、福島県でも南会津町とか昭和村は会津若松市より離れた僻地なのである、昭和村にも感染者が出たのは福島市で会合があったということで感染した
福島県の中通りは新幹線も通っているから福島県と宮城県が感染者が増える
特に仙台市からは増える、秋田県とか青森県でも仙台市で感染した人が移動して感染したのである、でも岩手県とか秋田県とか青森県は少ないのである

何かこのように交通の便利さに比例して感染者が増えるし不便なところはそうでもない
奈良とかみると大坂に近いから増えていると見るがそうでもない
でも滋賀県となると増えているのは交通の便がいいからである
意外と奈良は大坂とか京都とから離れた地域になっている
だから奈良は遅れた地域だとされた、中心地が大阪や京都に移ったからである
それで奈良は田舎だとか言われていたのである

相馬地域になると仙台との交通が鉄道を通じてもあるし仙台市から拡散してくると見たが意外とそうでもない、むしろ南相馬市では東京のライブハウスに行った人から移ったのである、その人がすぐ近くの人だったのである、その人は今住んでいないという
ガラス窓を壊されたとか言われた
今でも東京から仕事に来た人から感染している、東京から来る人が危険なのである
大都会から来る人が危険になる、人口密集地帯から来る人が危険になる

いづれにしろ何事でも地理が基本になる、地理を知らないとこうしたウィルスでもどういうふうになっているのかわからない、特に交通と密接に関係しているから地理を知ることが基本になる
私は福島県なら隈なく行っている、それも自転車で行っている
昭和村とかにも行ったし舘岩村から栃木県の方の那須野にも行った
だから地理的にわかる、でも群馬県となるとわかりにくい、日本がの地理が地形がわかりにくいのは山が多すぎるからである、山に閉ざされてわからなくなる
だから日本の地理を知ることは容易ではない、福島県でもわかりくいのである
特に会津はわかりにくい、山国だからわかりにくいのである

ウィルスに対処する方法は

●交通をとめる、人の交流をとめる

●密になる場所をさける

●ワクチン

●みんなで抗体を作る

これくらいしか方法がないとなる、交通を止めるとか人の交流をとめるとか、密になる場所をさけるのが現代では一番苦手でありむずかしい、東京のような所では不可能になってしまう、そうしたら経済活動がとまり生活できなくなる
だからgo to トラベルとかありえない政策だったのである
ウィルスを拡散するだけだった、ただ観光関係で苦しいからともなり受け入れた
それもやはりウイルスに対処する方法を間違ったともなる

ただ若い世代で都市封鎖などしたら暴動が起きた、もう限界だとなっている
とても長くは続けられない、問題はコロナウィルスはまだ未知なのものだから対処方法がないとなる
ただ死んでゆくのは基礎疾患があり高齢者が死ぬのだから寿命がちょっと早まっただけだともみられる、それで若い世代には深刻にならないのである
これまでの感染病は若い人も容赦なく平等に死んだから怖かったのである
それが今回のコロナウィルスの特徴なのである

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)
posted by 老鶯 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年01月27日

菅政権はもう終わり「次の総理は誰か」という大問題 (ピーターの法則があてはまる)


菅政権はもう終わり「次の総理は誰か」という大問題
(ピーターの法則があてはまる)

菅は菅で「総理になると、官房長官の時より情報が入らなくなった気がする」とぼやいている。それは菅が耳に痛いことを言う人間を遠ざけているからなのだが、自覚がない。

 こうした菅の現状を象徴する事件があった。来年度予算案の折衝で、菅が諸々の判断を副総理・財務相の麻生太郎に任せきりにしたため、麻生が「総理なんだから自分で考えろ」とキレたのだ。


 ある人材はその組織内で昇進できる限界点に達する。人は昇進を続けてやがて無能になるが、必ずしも高い地位がより難しい仕事であるという意味ではない。単純に、以前優秀であった仕事と仕事内容が異なるだけである。要求される技術をその人材が持ちあわせていないだけである。

たとえば、工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。
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 「ピーターの法則 」という本を大分前に読んだ、ただこれもその意味がわからずただ買ったというだけだった、会社員にもなっていないから理解できなかった
でもいろいろな失敗例を見て人間はそういうものだと知った
菅首相は官房長官の時は優秀だった、首相にのぼりつめたとき無能とは言えないまでも
行き詰まった、やること成すことがうまくいかない、首相の立場とか官房長官の立場が違っているからそうなる、実際はその相違は大きいのである
人間は俳優でも脇役で演技力を発揮するものがいる、でも主役に向いていないとかある
演劇の世界でもそうなのだから現実社会でもそうである
おそらく菅首相は補佐役、脇役として優秀だったのかもしれない、それが主役になったとき無能化したとなる、ただこれは時代の作用もある、こんなコロナウィルス騒動の時舵取りできる人がいるのかとなるからだ、そこは同情するとなる

私の交際範囲とかは狭いしこうして何か批判することはむずかしい
そもそも人間の直接付き合う範囲は狭い、すると視野狭窄になる
ただ実例となると私の母の実家の父親は警察署長だったのである
だから警察官としては最高位にのぼりつめた人だったのである
でも退職して機織り工場を経営して失敗して一家離散のようになった
その人は自分は警察署長までなったのだから優秀だと思って工場をはじめたのである
でもそれは畑違いであり失敗した、無能になったということである

もう一人は一級の免許をもっていて会社を立ち上げて経営者になったが失敗した
その人は技術者として優秀でありそれでみんなから周りから優秀な人とされていたのである、だから自分は優秀だということで会社経営しても成功すると思い込んだのである
でも会社経営となると本当にこれは大変なことであり並みの人間ではとてもできないものだった、だから20人に1人くらいしか会社経営は成功していないのである
死者累々としているのが経営の世界なのである
そしてその家にも問題があった、会社勤めなら家はあまり関係していない、会社に従い仕事していればいいだけである

でも一旦会社経営になると家族まで関係してくる、その家はまず会社経営に向いていない家族だったのである、それで経営者になるなら商売人の妻をもらいというのは経営は商売にもなるからそうなる、その妻は全くそういう人ではない、会社員の妻ならいいが経営者の妻には向いていなかったのである、そして家族自体も向いていなかったのである
でも強行したのは会社勤めしていたときは技術者としては優秀だから会社経営でも成功すると確信したのである

人間は結局あることについては優秀だが分野が変わったりすると無能化する
オールランドにあらゆることについて優秀な人はいないのである
それよりあることについて優秀だとか才能があるということは他のことは無能だとなっているのだ、全能な人間などいないからである
正直菅首相に同情するのはこんなコロナウィルスに対処することが誰ができるのかとなる最初からgo to トラベルは失敗だったともなるが経済優先ということでそうした
経済を優先させるべきだという人もそれなりにいたからその判断に迷うのである

確かなことは官房長官の役割りと首相の役割りは全く違ったものであり麻生氏に自分で判断しろといわれたのもそうである、首相は自分で判断する、報告するのとは違うからである、その責任も全然違ったものになる、そこでこういう緊急事態に対処できなくなる
いづれにしろ人間はあることには優秀でも他のことになるとたちまち無能になる
学者が経済でも通暁しているかとなると経営者になっても成功するかとなればしない
現実の会社の経営となれば全く違ったものであり理論通りにならないからである
理論と現実は違っている、理論は理想である、でも理想は現実社会で実現しない
マルキシズムがそうだったようにそれはあくまでも理論であり現実社会に適応できないものだったのである、理論と現実の乖離がありそれで粛清の嵐となり何千万が殺されたとかの悲劇になったのである、かえって熾烈な権力争いになってそうなった
そこに人間の業があり理論通りに理想が実現しないのである

私自身でも理論とか理想を語るけど現実社会では通用しない、学者タイプでありでも現実に会社を経営者とにはなれない、何か理論的に批評したりするのに向いているのである
ともかく一般的にはあることに優秀でもすべてに優秀な人はいないからピーターの法則があてはまる、菅首相も首相になったら無能化したともなる
ただこんなときに誰がやってもうまくいくとは思えないのである
要するにコロナウィルスが未知なものだからである、未知なものに対応することはできない、そこで世界全体が混乱しているのである
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2021年01月24日

利権団体による「安全神話」の崩壊と類似 (民主主義の弱点がコロナウィルスでも現れた)


利権団体による「安全神話」の崩壊と類似

(民主主義の弱点がコロナウィルスでも現れた)

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参加国の元首や大使たちがかけひきに終始しているのを、フランスの代表タレーランが皮肉を込めて言った言葉です。(会議は踊る)

民主主義の弱点がコロナウィルスでもそうだがアメリカの大統領選挙でも現れた
多数決で決めることに限界が来た、多数決で決められない、多数決が最善のものではないでもその反対に全体主義があり独裁がある
それは共産主義にもある、それは北朝鮮のように独裁になる
トップの命令が絶対となり裁判もなく簡単に死刑にされる
法というのも通用しないのである

でも今民主主義も混乱している時、これも弱点がありその弱点が顕著になり混乱している民主主義といっても実際は利権団体民主主義なのである
実際は一票など何の力もないのである
だからまとまった票を得る組織団体が利権団体となる
その利権団体も様々である、それは原発事故で判明した
原発は巨大な利益を生むものだったからである
そこにあらゆるものがその利益を得ようとして「安全神話」を作ったのである

官僚でも検察でも警察でも海上保安庁とかでも東電に天下りしていたからである
官僚でも利権団体ともなる、例えば東電だけではない電気に関係する電事連とかなると
大きな力をもっている、ここは原発推進なのであり電器関係者がそこで働き給料を得ているから原発に反対しないのである

その電事連から莫大な800億とかの宣伝費がマスコミに出ていたのである
そのマスコミもまた利権団体である、それだけの宣伝費がマスコミに回っていたら原発の危険を指摘したりしないのである
ただ地元も利権に関係しなかったかというと漁業組合は事故前も多額の補償金をもらっていたのである、漁業組合も利権団体であり利権団体という時農協も利権団体である
民主主義とはこうして様々な利権団体がその利権を主張する
個々人の一票など実際は相手にしていない、宗教団体でもそれが利権団体となる
様々な宗教の利権団体がある、神道でも仏教でもある
創価は一番具体的に政治団体化しているからまとめて票をもっているから自民党と一体化して利権にあづかる

こうして利権団体化するとき何が起きてくるのか?

利益だけを追求する、各自の利権団体も自分たちだけの利権を追求する社会である
個人などなんの力もないのである、だから選挙に利権団体に属さない人は行かない
行っても無駄だからである、利権団体の票によって決まるからである
だから政府でも利権団体に忖度するが個々人には忖度しない
現実は50パーセントしか投票していないことでもわかる

コロナウィルスでもなぜ混乱しているのか?

医療崩壊が医師会から言われる、でも日本では十分に備えられているという人もいる
そこにも利権団体化して医師会の利益を守るために何か対応できない
医師会とは開業医の団体であり勤務医とは違う、勤務医は今現場で苦しんでいる
月給も安いとある、でも開業医が八割というときコロナウィルスに対応できなくなっている,コロナウィルスを受け入れることができないのは小規模でありまたかえって受け入れると感染すると患者が減って経営が苦しくなるとかあるからだ
ヨ−ロッパでも中国でもその点医師の八割は逆に公的機関の病院に勤めている
すると政府からの命令に従い安いから10倍も100倍もの感染者とか死者数がいても医療崩壊していないのである

ともかく民主主義が限界に来ている、確かにみんなが自由に意見を言うのはいいことである、でも何か今回の様な緊急事態であらゆる人が利権団体が自分たちの利益のみで主張していたらまとめることはできない、それで中国は独裁政治だというとき一挙に都市封鎖とかしたり強行できる
でもみんな意見をいちいち聞いていたらもう決めることもできない
そのうち何の対策もなく傷口を広げるごけだともなる

船頭多くして船山に上る

変な方向に行ってしまう、それがコロナウィルスでも起きている、あらゆる人が団体が利益のために主張する
でもみんな公平にはならないし決めらず変な方向に行ってしまうとなる

信長の桶狭間のように敵の大群が押し寄せてきている時、みんな家来が言いたいことを言ってそれを聞いていたら決められない、そんなことしているとき大群が攻め入ってくる
そこで信長が決断して敵の大群に攻め入り勝利したのである

そして民主主義はまた多数決だから多数こそ正義になる、すると数を集めることが第一になる、それがどうなるのか?民主主義⇒ファシズムになる皮肉がある
ナチスは民主主義から生まれたからである、暴力ではなく選挙で選ばれたのである
それは数を集めればそういう独裁者でも選ばれるのが民主主義だからである
だからファシズム団体が養成されやすいのもは民主主義だとなる
第一ギリシャのボリスから始まった民主制はその規模でも一万の都市とか小さいのであり直接投票だったのである、今やその規模が大きすぎるから一票の重みもない
たごまとまった利権団体の票を得ることが選挙でありそれで決まる

でもなぜ個々の利益団体が利益ばかり追求していると肝心なことが安全などが無視されて原発事故になった
コロナウィルスでも同じようなことが起きている、今回目立ったのは医師会などの利権団体でありそれが歪めている、医師会は強力な利権団体であり政府でも忖度するからであるGO TO トラベルにしても二階堂氏の背後に観光業者が利権団体化していてそれで強行されたとされるのもはそうである

つまりいろいろな利権団体に忖度して物事が決まる、するとその利権団体だけが得するが他の人はのことは国民全体からすれば不公平になる
でも政府では国民全体を考慮して決めねばならない立場にある
だからそれぞれの利権団体の主張を聞いていたら公平な判断はできなくなる
そうしてしいろいろな利権団体が自分たちの利権を追求して会議をしても
会議が踊るされどすすまず・・・になる
会社でも会議は無駄だというときもそうなのだろう、いちいちそれぞれの言い分を聞いても社長が決断しなければすすまないともなるからだ

ともかく民主主義の弱点が現れてきた、それはアメリカの大統領選挙の混乱でもそうである、民主主義が信じられなくなっている、投票とか多数決を信じなくなっている
だからアメリカは分裂して南北戦争にもなる、分断してまとめられないとなる
かえって民主主義の宿命として現代なら大衆主義となりファシズムに向かうのがナチスのように証明されている

でも緊急事態では民主主義ではそれぞれの利権団体であれいろいろ自分たちのり利益のために主張していたらまとめられない、そのうちに傷口が広がり手遅れとなってしまうのである、そこで即断しなければならない、でもそれが民主主義ではできないのである
それで致命的になる、中国では情報でも公開しているし即断して都市封鎖して抑えた
そういう体制だったからできた、共産主義がいいというのではなく民主主義にも弱点があり緊急事態になると民主主義はそれぞれの言い分とか利権を追求すれば混乱してまとめられないということである



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2021年01月20日

世界混乱の時代‐グロ−バル経済は終わりになる (コロナ危機で大きく衰退する「先進国の末路」)


世界混乱の時代‐グロ−バル経済は終わりになる

(コロナ危機で大きく衰退する「先進国の末路」)


●民主主義の崩壊

●資本主義の崩壊

●ヨ−ロッパ、アメリカの衰退

●東西文明の転換点


今何が起きているのか?

大きな文明の変換点に来ている、それがコロナウィルスで加速された
20世紀とかは欧米文明の西側文明の東側文明の支配であった
それはすでに大航海時代から始まっていた
アメリカ大陸とか南米へのヨ−ロッパの侵略があり世界は欧米に支配された世紀だった
アジアでも植民地化された時代だった、ベトナムはフランスであり東南アジアはイギリスであり太平洋戦争はまず昭南島といわれたシンガポールとかイギリスの赤十字病院があったマレーシアのジョホールバルを日本軍が奪い占領した
その時ヨ−ロッパの侵略が日本によって止められ逆転したのである
その時まだアメリカは参戦していなかった、ドイツでもイギリスと戦争になりアメリカが援護するようになりアメリカが世界の覇権国となった
つまりアメリカの世紀になったのが20世紀だった

そして世界史からみるとアメリカは確かに日本に戦争で勝ったが今や衰退国家となりつつある、その現象として大統領選挙とかの混乱があり民主主義も機能しなくなっている
また資本主義も行き詰まっている、資本主義は大航海時代から船に投資することではじまった、船の株主となり船が荷物を積んでも無事帰ると大儲けができた
それでオランダが栄えたのである
また広大な未開のアメリカがありそこにイギリスがまず入り支配した
そこは資源が豊かだった、石油があり資源がある、その石油でロックフェラーとかがロスチャイルドとかが莫大な富を得て陰のアメリカの支配者ともなった

石油はあらゆる経済活動の基になった、なぜなら石油がない時、

アメリカではろうそくの原料や灯火用の燃料として鯨油が用いられており、消費量は年々増加していた。その需要を満たすため、鯨油の採取を目的とする捕鯨業が栄えていたのである。

1859年8月、ペンシルバニア州で穿孔法による初の油井が掘削され、翌60年には生産量50万バレルに達する。これは当時世界一の産油国だったルーマニアの50倍の生産量であった。石油から精製される灯油は、質量ともに鯨油を上回っていた

アメリカが強国になった一つが石油だったのである、産業革命にしても機関車を作っても燃料がないと動かない、でもイギリスには豊富な石炭がありそれで機関車を動かすことができた、石油の前は石炭が大きなエネルギー源だったのである
それが石油に変わったときアメリカには石油がありそれで強国となった
そもそも石油がないと飛行機すら飛ばせない、戦争中はゼロ戦でも石油が片道しか飛ばせないくらいしかなかった、つまり燃料がなかったのである
だから戦争する前に燃料になる石油がなくて負けていたともなる
経済封鎖されたときアメリカから石油も入らなくなっていたからである
つまりエネルギー問題が今でも重要なようにその時もそうだったのである
中東が世界で重要になったのはやはり石油のためだったのである

欧米が衰退する時、それに拍車をかけるようにコロナウィルスが蔓延して欧米の被害が大きい、それはなぜなのか、つまりもともと衰退しつつあった欧米にさらに弱体化させるものとして働いた
アメリカは衰退しない、株もあがるからアメリカに投資すべきだという投資家もいる
でも世界史の流れからみればアメリカは衰退してゆく
それが今様々な現象として現れている
そういう世界史の大きな転換期に起きている現象である

その根底にある民主主義とか資本主義が崩壊しつつある、それが選挙でも機能しなくなっている、それは民主主義を標榜する他の国でも起きる、日本だって投票率が50パーセントとかなり利権団体主義であり言論の自由度も世界で二十番目とか低いのである
言論は統制されている、政府は情報を公開しない、それが原発事故に結びついた
コロナウィルスでも本当の情報は公開しないから科学者でも判断できないとしている
科学者はデーターから客観的に判断する、でも公開されない秘密にされているからできないとしている、すると何かマスコミでは過剰に恐怖をあおり視聴率を稼ぐだけとかなる
そこで誤った方向に国民を導くとなる
原発事故のように国民が犠牲にされることにもなる
何が本当なのかわからないからである

欧米が衰退してもう世界にリーダーシップも発揮できない、民主主義も資本主義も崩壊しつつある、世界金融資本とかの陰の支配者も世界を操作できない、支配できない
もうドルが世界基軸でなくなり金融システム自体も機能しなくなり崩壊するという危機にもなっている
つまりグロ−バル経済自体がもう崩壊しつつある、金融システムもこれも欧米による世界支配のシステムだったからである、その背後にはロックフェラーとかロスチャイルドがいたとなる、でもその支配もできなくなりつつある
大きな世界的なシステムの崩壊が起きつつある

ただ次なる世界がどうなるのか?

その前に世界が混乱して第三次世界大戦とかが起きることもありうる
そういう崩壊現象が起きている
確かなことは欧米支配の世界が終わりつつある、これだけは確かである
次なる世界はその混乱からやがて見えて来る
そうなると中国支配になるのかともなる、言えることは欧米支配は終わり西の時代は終わり東の時代に移行する、そういう時代の中で混乱している

日本は東西文明の橋渡し役とされる、東と西の文明を融和させる地理にあり使命をもたされていた、それが明治維新で成された、でもアメリカに戦争に負けて挫折した
そして中国が台頭してきた、では中国が指導国となるのか?
中国は社会主義国であり一党独裁でありその政治体制は世界で世界を導くことはできないでも新しい政治体制とか経済システムとかが作られるのは簡単にいかない
何かアナキーのような状態になる、それをついてまた独裁政治とかナチスのようなファシズムにもなる、世界史もカルマであり過去の悪夢が別な形で世界を席巻することもありうる
世界が混乱してアナキーになりそこで暴力が前面に出てきて民主主義は崩壊する
それが今アメリカに起きている
もう選挙で決められない、政権交代ができない、最後は暴力で決着するとなるからだ

ただ民主主義に代わるもの資本主義に代わるもの世界金融システムに代わるものは何なのか、そうした世界的改革となると新しいものを簡単に構築できない
その前にアナキーとなり世界大混乱となり第三次世界大戦にもなる
でもそういう混乱の時代であり先が見えない時代になっている



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2021年01月16日

危機に政府でも備えていなかった―原発事故でも同じ (さらば厚労省ー村重直子を読む)


危機に政府でも備えていなかった―原発事故でも同じ

(さらば厚労省ー村重直子を読む) 

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さらば厚労省 それでもあなたは役人に生命を預けますか?


コロナウィルスと原発事故の共通性を追求して来た、この本を読んでわかった
インフレインザですでに経験済みだったのである
その経験から改革も成されず備えないからコロナウィルスでも対応できない状態になったその責任は厚労省の技官にあるとしている
厚労省の責任であり医師の側からの発言している

危険に備えられなかった!

備えることはできたが政府では官僚でもしなかった!

これが共通した原因になる、専門家がいる、原発でも十数メートルの津浪が来ると科学者が専門家集団が警告したがそれに備えることを東電でも政府でもしなかった
保安院は何の役割も果たさなかった、不安院とされた
この本でも医師としての経験がありアメリカでの経験もある人がそのことを指摘しているいろいろ提案してもそれが実行されなかった
そのことが今の危機に対応できない原因を作りだしていたのである
インフレインザで今の事態が予測できていた、そしてその通りになったのである

●医師不足

●看護師不足

●ウィルス専門病棟の必要

●勤務医と開業医の分化の問題

本当に今そのことが問われている、でもすでに専門家は現場で働く医師はそのことがわかっていた
それは原発事故になる前に配管が老朽化して危険だとか現場の人が指摘していた
でもそのことに危機感をもって対処しなかったのである
だからこれも人災の面があった、確かに津波とか地震が原因であり不可抗力だったというがそもそもその危機にほとんど備えてないなかったのである
だから爆発した時、浪江町民は一番危険な山の奥の津島に町長の命令で避難したのである
この本ではすでに今起きていることを予測している、専門家で現場で働いていた人が厚労省の技官によって官僚によって制約されてやりたいことがやれなかったと言っている
それは厚労省の官僚が技官が現場の医者より上にあり命令する人だからそうなったとしている、その権限が大きいからそうなったとしている
それで心ある医者は国民のために患者のために尽くそうとしているかるが適わなかったとしている

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今の現状をすでに予測していた、それはわかっていたことなのである
でもその危機に対して備えていないだけだった、それを怠ったのは誰なのか?
それは政府であり厚労省である、この本ではどういうわけか舛添氏が厚労省の大臣の時に改革が行われたとか評価している、でもなぜあれほどバッシングされてやめさせられたのか?それも一方的だったのかともなるがその辺は私にはわからない

とにかく原発事故でも政府の責任が重かった、危機に対して対策をしなかった
政府の仕事は国民の安全を計ることである、だから軍事でも原発でも医療でも危機に備えることがその主な仕事なのである
ただそれが成されていなかった、その理由は利権とか省益とか官僚の無策でありそれが国民に甚大な被害をもたらしたのである

原発事故だって危機に備える予行演習はできたのである、それをしなかった、ただ「安全神話」を作りあとは何もしなかったのである
本当にずさんだったのである、官僚は利権になればいいとしかなかった
それはコロナウィルスでも似たようなことだったのである
ただウィルスとかはインフレインザでも経験ずみであり対策できた
それをコロナウィルスが蔓延しはじめた去年からわかっていたのにしなかった
そして今になって陽性者が増えて混乱しているのである

何か現代の問題は複雑になり誰も統一的に指導できない、それはアメリカの大統領選挙でもわかる、民主主義が壊れてしまったということでもそうである
ナチスでも正式な選挙でナチスが力をもった、暴力ではなかった
民主主義はまたファシズムになりやすいのである、創価の様なカルト教団に影響されているのもそうである       
なぜファシズムになるのか?

統一して治めることができなくなる、そこで強力なヘッドが望まれて一党独裁とかファシズムになる
ただまた強力なヘッドがいないことで混乱して治めることができない
コロナウィルスを抑えるのに成功したのはニュージランドとか台湾とか小国で島国でありそこはガバナンスが行き届くからできたのである
イギリスは海峡があってもヨ−ロッパと陸続きのようになっているから抑えることができなかった

船頭多くして船山に上る

民主主義の弱点はここにあった、みんな船頭なのである、言いたいことを言う、でもそんなことをしているうち変な方向に行ってしまうのである
だから強力なヘッドがいなと導けないとなる、でも民主主義ではできない、それで民主主義もアメリカで崩壊しているとなる

ともかく現代社会は科学社会であり科学のことで混乱して来る、専門家でも実際はコロナウィルスについてわからない、インフレインザでもわからないとしている
わかっているのは天然痘とか結核くらいだとしている
だから専門家でも様々な意見がありまた厚労省ではデーターを出さないから専門家でも判断できないとしている  

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武田邦彦氏もそのことを言っている、データーが見れないので判断しようがないとしている、つまり秘密主義でありデーターを隠している
それは原発でも内部のことを知ることはできなかったと同じである
そしてマスコミはそもそも情報を得るために政府機関に忖度するだけで本当のことを知らせないのである、利権を得るためにそうしている
そのことで原発事故でもそうだったしコロナウィルスでもただ危険をあおるだけであり
視聴率をかせぎ宣伝する会社から金をもらうだけだとしている

つまり本当にコロナウィルスという敵にみんなで協力して立ち向かうということができない、個々の団体が利権を優先して肝心の安全とか無視される、安全より利権が先だとなるそうなるとコロナウィルスでも統一して一致協力して立ち向かうことができない
そして大惨事にもなる、ただこの対処方法は普通の風邪であり二類からはずす、それで十分だという意見もある
ある程度感染することは防げない、だから恐れ過ぎることは良くない
ただコロナウィルスを受け入れる専門病棟とか医師とか看護師を用意しておく、それは必要だとしている
その医師でも看護師でも用意できていなかった、減らしていたし看護師でも免許もっている人でも半分が看護師になっていないという,アメリカではその医師や看護師は十分にいる、備えられている、そこが違っていた
だから医療崩壊があれだけ感染者と死者が多くても医療崩壊していないのである
いかに日本が脆弱な医療体制だったか、感染症には備えていなかったか見せつけられたのである

posted by 老鶯 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層