2017年04月18日

老化は防ぐには筋力が大事 (自転車は効果的だったのかも)


老化は防ぐには筋力が大事


(自転車は効果的だったのかも)


 体の中には発汗の際に働く汗線周囲の筋肉や、視力を調節するレンズ周囲の筋肉など小さな筋肉も含めると650種類もの筋肉があり、その全てが連動して生命活動を支えています。これら全ての筋肉には共通点があります。それは、筋肉は神経を介して脳とつながっているということです。

 特に鍛えたいのは、「大腰筋」

鍛えたい太もも周辺部の筋肉のうち、特に重要なのが「大腰筋」です。大腰筋は股関節と骨盤をつなぐ大事な筋肉。歩行時に足を引き上げたり、階段の上り下りをしたり・・と日常動作で大きな役割を果たしている筋肉です。

自転車をこぐ時に、競輪選手のように頑張って自転車をこぐのではなく、あまり急な坂道ではない位の平坦な道で、頑張らない程度にこぐと、大腰筋が良く使われます。

大腰筋が重要なのは、大腰筋が、背骨と骨盤をつなぐ姿勢を保つ要の筋肉だからです。
大腰筋が衰えると、骨盤も歪みやすくなります。


人生の結果が老人にでる、しかしそれは予測できないものなのである。老人になってはじめてそきことを知り愕然とするのである。
それはあらゆる面でそうでありカルマの総決算が現れるのが60代以降である。
なぜなら人間はどんな人でもカルマを積んでいるからである。
カルマとは行為のことでありそき行為が結果として老人になり現れる

だからその人生は行為の積み重ねであり想き結果が老人に現れる、それが自転車と何の関係があるのかとなるとやはり自分の場合はあったのかと思う。
自分はサイクリング旅行したりしたのは40代でも車がないのだから自転車にのっていたからである。
ただ最初は20代でも電車でずっと旅行していた。そして自転車で旅行している人をうらやましくみていた、あんなことできないと思っていたのである。
それが電車の旅行がものたりなくなり40代からするようになった。
海外旅行もできないと思っていた、それを50代ではじめたのである。
人間は何か最初から思い込みがある、自分にはできないと思ってしまうのである。

新地駅であった老人は体は小さいのだけど何か言うことはわからなかったが盛んに自分の体の自慢をしていたのだと思う。そして俺は体は丈夫なんだ、見ろこの筋肉をと言って触らせた、それが本当に筋肉が盛り上がって堅いのである。ボディビルダーのような筋肉をしていた。自分の筋肉はさわると柔らかいのである。
あの人は肉体労働をしていた。そういう生活の積み重ねで筋力が鍛えられたのかもしれない、そういう人は他にもいる、体が大きいから体力があるとは限らない
船乗りだった人は体が小さいのである、あんな体で船乗りに漁師になれるのかと思った。でもその人は体が機敏なのである。だからゆれる船ではかえっていいのかと思った。
それから鳶をしている人も体が細いのだけど機敏なのだろう。高い所で細い鉄骨のような所を歩くの怖くないしかえってあっているというから驚きである。

いづれにしろ人間は生まれつきの資質は一生を左右するのも確かである。そういう資質は変えられないし作れないからである。
だから人間は本当に学歴ではない、資質が左右して仕事ができるかできないかで決まる、収入も決まる、鳶の人はやはり収入がいいし仕事ができる人は収入がいいのである。
大工だって何だって仕事には資質が作用している、東大でようが資質がなければ仕事ができないとなる、だから学歴で人間は評価できない、ただ理系となるとそういう素質が資質が関係しているからある程度は見れるのである。
文系となると東大と三流でもほとんど関係ないのである。
ただやはり学問でもなんでも積み重ねだからそれが影響してくるのである。
得手不得手があったとしても長年積み重ねがあれば詳しくなれる、第一あらゆることに精通などできないからである。

だから老化という問題もそうした人生の結果として現れるともなる、60代すぎると10年くらいの差ができる、特に病気したりしたらもう急激に老化しているのである。
だから老後は60代以降は病気が一番怖いのである。でもなんらかの資質でまた素質で病気になるのである。
自分は自転車にのりつづけていて悪い結果としても現れたかもしれない、自分の病気は自転車にのっていたためだっかもしれない、ただいい面として「大腰筋」が自転車だと鍛えられていたのかもしれない、何か若く見えるというのもそうかもしれない
自分は20代で60に見えていたのである。老成していたのである。
だから奇妙だけど今になると自分はその20代と変わりないともなる、顔でも変わらないとなるのである。
自分は母と同じように体力がない、だから激しい運動はできないのである。
自転車は登山のような激しい運動ではないからできたのである。

そして結果的に「大腰筋」が鍛えられていて筋肉が強化されていたのかもしれない、姿勢がまだいいからだ、ただ別に自分だけではない一般的に今は老人はそうなっている
病気になったりするのはまだ少ないからである。だから比較はできない。
ただ人間の体では筋肉が一見腕の力こぶとか目だった所をみるが全身が筋力でそれが脳にも影響しているというとき筋肉が神経とも連携している、となると筋肉は体にとって大事だから老化をふせぐためには筋肉を鍛えろとなっている
筋肉が大事だというとき寝たきりになると筋肉が急激に衰えて立つことも歩くこともできなくる、そのことによって介護する人は過重な負担を強いられるのである。

自分の母親は死ぬ一週間前までホータブルトイレにベットから起きてしていた。
それまでも這ってトイレにまで行っていた。なぜ寝たきりで動けなくならなかったのか?
それはやはり細身だったけけど筋力がまだあったからだったのともなる
筋力が弱ると起き上がることも立つこともできなくなるからだ。
こういうことで自分は介護してもなんとかできたのである
オムツもしてなかったからである。
だから介護されるにしてもこうして楽だと迷惑をかけないことがある。それには筋肉が働く必要があったのだ。

長寿社会というのは先が長いとなるとき金の問題も大きいがまた健康の問題も大きい、
どうしたら健康に長生きできるとか、どうしたら楽に死ねるとかなる
自分の母親はその点百歳まで生きたけどさほど迷惑をかけないで死んだなと思う。
ただ母の人生は何の面白味もない人生だったからそれがいいかどうかはわからない。
ただ健康面から見れば良かったとなるだけである。

ともかく老人になれば60代以上はやはり何でも日頃の生活の積み重ねが現れる、それはカルマでありそれが結果として現れる、それは肉体面でもそうだし精神的面でもそうなのである、それは刑法で罰せられるか罰せられないとかではない、その内面に刻印されるものがあるから怖いとなる、顔に責任をもてとかなるのもそうだろう。
人間はなんらかカルマを積むしそれは精神面でも体の面でもそれが結果として老人になり現れる、自分が十年間の自分の病気とか介護とか他者から苦しめられたのもカルマだったのである。
このカルマは誰でも相当に厳しいものとなる、ただ自分はそのカルマを十年間で清算したのかもしれない,それはまだわからないにしても何かそういう感じはする

posted by 老鶯 at 10:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年04月14日

人間は70才まで老化しない? (百歳生きた母の例では・・・)


人間は70才まで老化しない?


(百歳生きた母の例では・・・)



本当は70才まで老化しない(武田邦彦)


これはまちがいないだろう、現代では栄養が十分であり70才までは老化しない、ただ60才以上は病気になる、なにかしら病気をかかえた人が多いのである。
それはいくら健康に注意してもその人の素質で病気になる
老化するというときスポーツ選手などが若いときのように体が動かないということであり普通の人はそんな激しい運動をしないから筋肉も衰えていないのである。
だから現代では70までは老化はしないというのは本当である。
ただ病気になるからそこで体が衰えるのは老化とは違うのである。

病気と老化は違う、老化は病気しなくても体が衰えることである。
例えば認知症は何なのかわからないけど脳の病気である。
それは老化ではないのである、老化による脳の衰えは記憶が悪くなることなどがある
腰が曲がったりすることもある、それは老化であり病気とも違うのである。
病気と老化は分けねばならない、認知症は最近発見された病気なのである。
認知症はこれまで病気とは認定されていない老化現象だとされていたのである。

老化と病気の相違は何なのか?それは老化は直らないが病気は直るということである。
だから認知症も病気だからいろいろ治療をためしているし薬も発明されている
病気だから直るとして研究されているのである。
もし老化だったら直らないのだから治療しても無駄なのである。

自分の母親は百歳まで生きたけど例えば血管に異常がなかった、病気がなかったのであるだから脳梗塞であり脳出血になっていない、それは病気なのである。
ただ腰が曲がった、90度に曲がった、それも病気とは言えずそれでも普通に生活していたからである。腰が曲がるとき苦しんだからそれは病気とも言えるが老化して曲がったのである。

老化とは脳だったら記憶が悪くなるとか誰でも起きてくる、耳も遠くなるとかもある
でも老化と病気は違う、病気は直るものとしてみる、だから研究しているのである。
老化は直らないから治療しても無駄なのである。
人間はたいがいは病気で死ぬ、病気で死なないものが老衰で死ぬのである。
それは正に寿命が来たから死ぬのである。動物でも何でもそうだが普通は病気で死ぬのである。老衰は病気で死ぬのとは違う、老化で死ぬから枯れるように死ぬのである。
だからさほど痛みも苦しみもないのである。
老衰の死に方が一番いい死に方である。百歳まで生きればたいがい老衰で死ぬ
その他はみんな病気で死ぬのである。

自分の母親が百歳まで生きたのはなぜか?体は細く重いものをもてるような女性でもなかった、まず激しい運動などできないのである。
ただ細く長く生きた女性だった、大正生まれで粗食であり苦労はしたが戦後から十年すぎて高度成長期になるとみんなと同じくいいものを食べていた
栄養は良くなったことも影響している
若いときは粗食だったということはそもそも細いのだけど体力がないのだけど基礎的に細くても生きる力があったとなる

ともかく何か過度に運動はしない、家事であり店などしていたが過重なことは無理はしていない、そもそもできないのである。体に負担をかけないことは確かだった
スホーツ選手が早死にするのは過度に体に負担をかけるからである。
母は平均的に毎日同じような生活をしていたのである。それも面白くない人生だったとけどそれが百歳まで生きた原因になる

大事なことは病気にならなかったことなのである。老化はしても病気にはならない
なぜならほとんどの人は病気で死ぬからである。
病気にならなければ老化してゆくが最期は老衰であり枯れるように死ぬ、痛みもなく自然な死になる、だからいつも眠るように死にたいと言っていたけどその願いはかなったのである。
老衰は仏教でいえば成仏することかもしれない、なぜなら苦悶も苦痛もないからである。
人間は自分でもそうだが60代で病気になったがその病気はたいしたことはなかった
だから自分は病気ではないし筋肉も衰えていない、ただ今は筋肉が衰えている、疲れるからだ。でも普通に生活できるから老化したともいえないのである。
忘れッぽくなっているのは確かであり人の名前などが覚えられない、でもそれで脳が退化したのか老化したのかとも思えない、なぜならあらゆることに理解力が深まっているからである。人間は脳が老化するということはなかなかないのだろう。
老人になってますます脳が働くということもありうるのである。

人間はこれからは70才ではない80才まで老化しなくなると思う
そういう環境に生きているからである。
60代で病気になってもならない人も多いし軽い人も多いから80才までは普通の人とたいして変わらずに生きられるかもしれない、ただ一番怖いのは病気なのである。
病気がなければ百歳まで生きて老衰で死ぬとなる、ただ百歳まで生きるとなるととうなるのかイメージできないのである。あと30年かとなるとその年齢がイメージできないのである。
ただ百歳もめずらしくなくなり人間は長寿になるから人生を長い目で見られるといういい面が生まれる、人間は仕事を完成しようとするとき百歳くらいまで生きないとできない
それで天才の北斎は

70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし

江戸時代の平均寿命となると人生50年だろう、そういう時代に90まで生きたとなると例外的な存在である。
このことは平凡な人でも現代だったら言えるのである。
自分は天才ではないけど時間をかければそれなりのものになるということである。
まちがいなく年を重ねれば理解力は深まるのである。
何か自分は若いときは詩でも何でもたいしたものが書けないというよりは若いとき詩でも何でも文学的作品を書いている人が多いがそういうものが書けなかったのである。
そういうものが書けることがありまた理解力が深まってるからたいだいのものは理解できる、鑑賞できる、若いときは鑑賞もできなかったのである。

脳とは何か?それは人生の中で積み重ねで経験で作ってゆくものである。
脳に回路を人工的に作ってゆくのである。脳とは誰の脳も完成されたものはないのである資質はあるにしても未完のものとして与えられているのである。
それを生かすも殺すも本人次第だとなる
ただ天才はそうした積み重ねで成すのではない、すでに作られているのが天才だともなってしまう。
だから北斎は天才だからこういうことを言うのは何なのか?
やはり天才でも年を重ねてしか自然でも絵の上達はないということなのである。
要するに何かを理解するにはそれだけ人間は時間が必要なのである。
認知症のことなども経験して書いてきたがあれはこういうことだったのかとかあとで理解するようになる。その時は夢中であり理解できないのである。
だから何でも理解するのには時間がかかる、人間でも死んでからその人のことを理解することがある、それだけ理解すること自体がむずかしいということなのである。



posted by 老鶯 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年03月26日

私たちのこれから認知症社会 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


私たちのこれから認知症社会

 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


 今回のNHKの認知症社会はあまりにも現実からかけはなれていた、統計的には数としてはその厳しさを示していたがその内容は甘いものとして見ているしそういうものしか示していない、家族が認知症になったら社会でどうみるのか?
それがあまりにも甘いものであり現実を見ない無視したものだった
認知症になったらその人は人として見られないし馬鹿になったと差別されるし家族すらそうである。それは知的障害者をもつものと同じになる
社会がそんなにそういう人に配慮したりやさしく接したりしない

この世の現実を自分は介護十年で自ら病気にもなり嫌というほど味わった
むしろ人間は弱者化すると食い物にされる、相手の弱みにつけこみやりたい放題になる
人間のその恐ろしさを味わった、人間はそうした残酷さをそうして弱者になるときむきだしになるのだ、それは戦争とか異常な状態でも起きてくる
シリア難民は女性が食い物にされるとか弱者につけこまれるのと同じである。

この世が認知症になったからといって回りが社会が親切にするなどありえないのである。特に現代社会はもうそうした義理人情とか隣近所とか助け合うとか全くない。
相手が弱者化したら財産を奪ってやろうとかそんなことを考える人はいる、自分は現実にそういうことを嫌というほど味わってきた
相手はこいつから金をとってやろうとしかなかった。弱者は最もやりやすくなる
それが人間の実体でありどうして認知症の人に親切にするのか?


行方不明者が一万になったとか誰もそんな人のことをかまわない
そしていつも若者は叫んでいる、老人は早く死ねと安楽死させろとか言っている
それが本音であり認知症の人にやさしくする心など全くない、介護士などでもただ安月給でしかたなくやっているだけである。
それは看護師だって老人にはやさしくない、病院でそれは経験した。
病院は体を物体のように見るが心はみない、無機質な冷たい空間である。

認知症の人が安心して暮らせる社会などありえないのである。その厳しい現実を見ていないのである。そんな社会があるとしたらその社会は天国かもしれない
実際はこの世は弱肉強食の地獄である。そんなことみんな実際の生活体験しているのだから今回のNHKの番組はなんら認知症についての将来の危惧に答えるものでもない何の役にも立たない番組だった
現実を見据えない番組はただ絵空事でしかないのである。
NHKには現実を見据えた番組もあるが今回のように現実とまるでかけはなれた番組もある

認知症に家族なった人や本当に認知症になった人の現実は厳しく過酷である。
人間は弱者になることは何でも厳しい、シリア難民とかもそうでありそういう人たちは食い物にされるのである。
人間とはそうして本来そうした悪質なものなのである。
それが相手が弱者化したりする露骨に現れるのである。
人間の本性が現れる、戦争のときとか異常な事態の時、その獣の本性が現れる
それで沖縄で日本兵が怖いというより地元の人、隣の人にでもレイプされるのが怖かったとかいうのは本当かもしれない、一番身近な人が最も質が悪いのである。
そういう人間社会が認知症のような弱者になった人に親切にするのか?

認知症の悲劇は社会的に優秀な人、貢献した人でも馬鹿になってしまうという恐怖なのである。そのことをプログで書いてきた。
こんなに優秀な強い人がこんなになってしまうのか?これが人間なのかという恐怖だった
そしてあえなく死んでしまった。人間ははかないなとつくづくなってしまう。
ただ認知症になったからといって人間でなくなってしまうわけではない
記憶障害だとしても人間としての何か基本的なものは失わない、そして不思議なのは時々正気にもどることだったのである。
特に死ぬとき正気にもどる、だから馬鹿として扱えないむずかしさがあった。
正気となると介護している人でもその人をみているからである。
特に家族だとおろそかにできないことがあるから苦しいとなる
全然わからなくなった人ならそうはならないからだ。
良く世話してくれたなとかわかる場合があるからだ、何かそういうことはわかるのだ
この人はいい人だとかもわかる、ただ記憶障害がありそれでわからなくなったのかと錯覚する。

いづれにしろ認知症の人が安心して暮らせる社会などこないし作れない、そんな親切な社会があるとしたら現実が弱肉強食の社会になっていない天国になっているだろう。
つまり別に認知症がふえるからといって老人が増えるからといって親切な社会なとこないからである。
弱肉強食の社会の延長として老人社会もあり認知症社会もある、ただ違うのは人間は必ず年取るから弱者と化す、今は強者でもなんでもそうである。
例え大金持ちであっても認知症になったら金の管理も銀行からおろすこともできないのだから何にも役に立たないのである。その驚きを経験したからである。
最後にいかに強者でも弱者になるのが人間の運命なのである。
弱者化した老人をいためつけるのもいいがその痛めつけるものも最後は弱者化していためつけられるのである。それがカルマなのだ。
人間はそういうカルマを生きる運命にある。そのカルマから逃れることができないのである。

いづれにしろ認知症の人か安心して暮らせる社会はありえない、ではどうするのかというと自分にもわからない、ただ何らか孤独死でも覚悟しておく必要がある。
介護状態にならないようにして死ぬとういことである。一番いいのは働いているうちに死んでいたいうのがいい、そういう死に方をしている人もいる
仕事していたが一週間くらいして入院して死んだとかである。
そういう死に方は弱者化して死ぬとも違っているのである。仕事しながらたちまち死んだともなるからだ。弱者化するとは長い間病気になるとか介護状態になるとか認知症でいつまでも生きているとかになることである。
だからそういう死に方が理想的なのである。認知症になって差別されて馬鹿にされて生き恥をさらして生きるのは恐怖なだけなのである。


農民なら農作業中に死んだとか、画家は絵を描いている内に死んでいたとか、作家は文章を書きつつ死んだとか、普通の人でも自転車屋は修理していたがそのあと急に病気になり一週間後に死んだとか、医者でも90歳まで患者を診ていて一週間くらいで死んだとかあった。平凡な女性でも料理を作っていて死んだとかなればそうである
人間はだから仕事する、仕事を持つということが大事である。
仕事がなくなると認知症になる傾向が強くなるのである。
社会から無用化して廃用化してゆくことが危険なのである。

体を動かすための神経系の調整能力などもそうであり、考える力、などという能力にも廃用萎縮があると思う。

私が行っているのは、その萎縮している機能に気づかせて活性化させているにすぎない。http://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=179217012

知的な面でもこういうことがある、それはパソコンのソフトを使うことでもわかる、パソコンのソフトは使いこなすこと、その機能を十分に引き出せないことなのである。
抽象画をしてみてそれがわかる、ソフトを使いこなすのむずかしいのである。
それは絵の才能が全くないとしてもソフトを使いこなせば抽象画ができるからである。

だから認知症の予防の幼稚な運動とかバズルとか計算とかは役に立たない、むしろ料理をしづづけるとか仕事をすることが大事になるのである。
死ぬ間際まで仕事をもつことが大事になる、それが現代だと会社をやめると社会的役割まで終わりにされてしまうことが危険でありそれが認知症にもつながる
それで老後は仕事を持つ人ともたない人では大きな差がでてくる、一見遊んで暮らせるからいいと見えてもそうではない、金のない差も大きいがその人が仕事をもつかもたないかの差も大きい、それは老後はもう金になる仕事というのではなく仕事そのものをもつということである。金にならなくても芸術家のように作品の完成のために生涯精を出すということである。それは平凡な仕事でもそうなのである。

そういう仕事をもつということがやはり老後の課題なのである。
なぜなら退職してからも老後が20年とか長くなっているからである。
その仕事がどういうものになるかはその人によって違うからどんな仕事をしなさいとかは言えない、仕事は他人の仕事の価値もわからない人も多いからである。
老後は金で計れないものにも価値がでてくる場合があるからだ
ともかくWORKというとき作用しているとか機能しているとかの意味がありそれは脳を活性化しているということにもなる、それがなくなると廃用萎縮してくるらか認知症になりやすくなるのである。







タグ:認知症社会
posted by 老鶯 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年02月08日

自殺の怖さ(後世に重いカルマを残す)



自殺の怖さ(後世に重いカルマを残す)


自殺することがなぜいけないのか?別に自分で自分を始末するのだからいいんじゃないかともなる、ここでは宗教的問題としてでなく自殺が怖いのはその子供とか後世に残す影響が大きいからである。
身内で自殺者を出すということはその家系に重いカルマを残しているのである。
その家系に家族に暗いものを残しそれがカルマとなる。
だから自殺した家から自殺者がまた出るとかなる

最初は彼の母親であった。彼女はホテルで38口径のピストルで自殺した。彼の兄弟の一人は散弾銃で地下室で自殺した。彼のもう一人の兄弟は下宿で服毒自殺した。彼の一人の姉妹は寝室で自殺した。そして3年前には父が銃口を自分に向けて自殺した。アレン・ボイド・ジュニアにはボイド家の暗い歴史が付きまとっている。

20世紀にアーミッシュ部落で起きた自殺の半分(僅か26人)が2つの家族とその親戚で起きていたのを発見している。その内の73%が4つの家族に集中していた。アーミッシュの部落は小さいから、4つの家族の人数は部落全体の16%を占める。

人間はどんな人であれその一生で残すものがある。それがいい見本ともなり悪い見本ともなる、そして教訓を残すから庶民の間でも諺が生れた、その諺(ことわざ)が廃れないのは人間は同じ業(カルマ)を繰り返すからである。
「金の切れ目が縁の切れ目」だとかこれをどれほど経験しているか?
人間の関係なんてみんなそんなものかということを嫌というほど経験しているし変わらないから諺も普遍的不変の真理なのである。

百歳の間のことを書いたが自分の母親も実際は自殺の危険があった。それは腰が曲がるとき苦しみ自殺未遂になった。それは自分にとって恐怖だった
自殺したいということは自分だってあったし誰にでもある、でもなんとかしないですんだとなるのが人間の実情なのだろう。

自殺の怖さは何か?。それが本人が自殺することだけではない,その後の回りへの影響が大きいからである。自分が死ねばそれでかたづくというものではない、だから自殺した家系とかあり家族は苦しむのである。
そのカルマが暗雲のように後世の子供たちに影響するから怖いのである。

例えは自分の母親が百歳を生きたことで「百歳の間」ということで書いた。
親が百歳を生きることはどういうことなのか?
自分も百歳を生きるのか、生きられるのかとなるのだ
これは理屈ではなくそういう目標を親から与えられたともなるのだ。
別に長生きすることはすべて悪いことではない、ただ負担になるから嫌われるだけである介護の負担も大きいからである。

自分も家族二人を看取ってその後また考えることがある。
人間は死んだからといってすべてが終わるわけではないということである。
必ずいい悪いにしろ後世に残すものがありその影響が大きいのである。
人間の生は一代だけで終わるものではないのである。
子供に後世にも責任を課せられているのが人間である。
何も一代だけで今の代だけよければいいとかならないのである。

そして人間は死んでみるとそのあともその人のことを考える
その人が残すものがいい悪いにしても必ずあり死んだからすべて終わるわけではない
もし自分の母親が自殺していたらものすごく後味悪いものとなり自分に影響した。
また自分が介護しないで恨まれたりしてもそうである。
そこに介護は苦しいのだけどむずかいしものがあった。
そうして子供を恨んで死んでいった親を知っているからである。
それは必ずその子供に悪い影響を残すことはまちがいないのである。

百歳を母が生きたということはやはり後世への子供へ長寿の目標を与えたことなのである自殺したりしたらそれと全く反対のものとなりただ親は呪われて自分も呪われたともなるからその相違が大き過ぎるのである。
単純に今は母が百歳生きたな自分も生きるのかなとか思うのも不思議である。
それは理屈ではない、何かそういう感覚になるのだ。

もちろん超高齢化社会になるとき様々な問題がある、そんなに長生きされても困るということも現実にある。ただ自殺のことを問題にするときそれが後世に子供にさらに孫にも残す影響が大きすぎるのである。
今自分が母を介護した「百歳の間」に安らかにいれるのも母が自殺しなかったからであり自分もそれなりに介護したからである。
母は問題もあったが祝福を与えて死んだともなる、姉は姉なりに自分は尽くしたから最後に正気にもどって死んだから救われたとなり自分は苦しかったけど今になると良かったなとなり心が安らかなのである。

ともかく人間はどんな人でもカルマを残し教訓を残す、本当に母は自殺しなくて良かったとか思ったり認知症でも苦しんだが最後は姉も正気にもどってわかってくれたとかなり自分自身が救われたとかなる
認知症の問題もこれも介護してみると本当に複雑であり簡単に何もわからなくなったとは言えない病気だったのである。これは明らかに病気である、でも認知症の人が正気にもどるということがある、それは二人を介護して自分は経験したのである。
だから認知症という病気は本当に不思議なものでありわけわからないものなのである。

人間はどんな人でも何かをその一生で残す、それがいい面と悪い面があり後世に影響するカルマの怖さはこの辺での放射能被害がありプルトニウムが二万年消えないというカルマを残したことでもわかる。それだけ恐ろしいものが人間が作り出したカルマなのである。そのカルマにこの辺では苦しまねばならなくなったのである。
それは人類的カルマですらあったのである。

ただ先祖霊がどうのこうのとかかかわるものは金もうけだから危険である。徐霊などもカルトであり危険である。今の宗教はほとんど金儲けしかない、利権しかない、カルト教団だからである。そういうところに入るとまた後世に子供に悪影響残すのである。
結局地獄に落ちるとかなんとか恐怖だけ残される、与えられるだけなのがカルト教団である。それでもそんなに入る人がいるというとき宗教に対して安易なためだろう。
何か多少でも援助してくれる、相談にのってくれるとか軽い気持ちで入るから後で怖いことになる。触らぬ神にたたりなしである。軽く触った結果祟りだけをもらうのがカルト教団なのである。

ともかく自分はこの十年介護とかいろいろなことで苦しんできた。
でも今は何か心が安らかになっている、介護した甲斐があったともなる
自分の苦労が報われたという感覚にもなる
それは自分が特別に良くされたのでありそのことで恩を返そうとしていたこともある
子供でも兄弟でも親に良くされなかったら介護でもしない、お前が親にかわねいがられたから介護しろとなっているのを聞くからである。
金持ちの親だと子供はみんな施設に入れる、子供は何もしないのである。
それが幸福ともいえいないのである。だから人間の幸不幸は最後までわからないのである最後の最後に不幸に死んでゆく人もいるからだ。
そして死んですべてが終わるわけでもない、延々とやはり死んでもやはり残された人に末代にも影響しているのが人間なのである。


  家と死者

 窓の外に蝋梅が咲いている
 母は百歳生きた
 今介護した部屋に自分がいる
 「百歳の間」となづけている
 母は窓からこの部屋を見て
 笑っているように見える
 姉もこの家に育って良かったと思っている
 それで自分も心安らかである
 この家になお死者は生きているかもしれない
 この家に嫁いで来て良かったとか
 この家で暮らして良かったとか
 それで我が家には死者がなお住みたいと思う
 我が家には死者が見守り祝福があるかもしれない
 ただどんな家族でもそこに影の部分がある
 自分の家族にもある
 それがまた人間の業(カルマ)であり
 そのカルマは消えることなく
 どこでもつづいているのが現実である
 でも何か自分は恩を返したとかなり
 心安らかになっている



蝋梅(百歳の間)

タグ:自殺
posted by 老鶯 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年01月23日

納得いかない死 (生者と死者のつながり)

納得いかない死

(生者と死者のつながり)


死とは個人的な死であれ家族としての死であれ国家的な死であれ戦争で死んだような死であれ死そのものが納得できないもの了解できないものとしてある
死んだ時、燃やされて骨と灰になりなにもなくなる、この変化があまりにも大きいので納得することも了解することもできなくなる
死はみんなこういうものだとしても納得いかないのである。
そもそも人間が死ぬということそれ自体が不自然でありあってはならないと思うのが普通である。死とは本当に理不尽なものなのである。
こなことがっていいのか、死を前にすべては無だとなりただ死の前には人間は無力だとなる、生あるものは死ぬものだとか言ってもそれに納得している人はいないのである。

今になると自分の家族の死は何なのかと問いつづける、それは自分の場合は特殊であり60年間三人が一緒にいたということがそうしている。
そして自分のために二人は無条件で尽くしていくれたのである。
それは実際は母と子だったなっていなかった、特殊な関係でそうなったから他の家族とは比べることができないのである。
だから自分は家族に対しての思いが他の人より強いのである。
だから余計に死にたいして納得がいかないのである。

人間はそうして愛するものが死んだときその人が以前として死んだとは思えない、それは時間によってだんだん忘れてゆくとはいえ60年一緒にいたものが生者から消えることがない、人にもよる、すぐに肉親でも忘れる人はいる、だからその人の事情にもよる
20年すぎて死者を偲んでいる人はそれだけ愛情があったということにもなる
だから個々に違うものとしても死ぬということは人間は納得しないしあきらめることも本質的にはできない、だから死後も死者のことを永遠にいないというよりいるものとてし扱うということがあり供養がつづいている、ただ親子でもその関係はまちまちだから忘れる人も関心もなくなる人もいるのである。

死ということは哲学では解決できない、宗教でしか解決できない、もちろん弁証法でも解決できない、そこに哲学の限界がある。死ななかったのは主、キリストしかいないとなる、お釈迦様死んだからである。
だから死を克服できる宗教はキリスト教しかないともなる
仏教では死を克服できない、ただ仏教には深いものがあり哲学とは違うものがある
無神論者が日本では多いけど無神論者でも立派な人はいる、むしろカルト宗教団体とか戒名仏教とか死者とばかりかかわる宗教は問題である。
日本人が仏教徒とかいうのは嘘である。ただ葬式するためにそうなっているだけなのである。葬式のための仏教なのである。

哲学にしても死者をどうみるかとなると死をどう解決するかとなると解決しようがない、生あるものはみんな死ぬとしかならないだろう。
ただそもそもそうした宗教とは関係なく人間は個々人でも家族でも共同体でも死というものをどう扱っていいのか?また生者と死者の関係はどうなのかということに悩む
死者が死者であることであることに納得しないのである。
墓があるときそこに実際は骨が土となり何もなくなっていた、ではそこに死者がいるのかどうかもわからないのである。でも墓には死者がいるとしてお参りしているのである。
つまり生者と死者は以前として墓を通じて結びついている、切り離されていないともなる死者でも全くないものとしたくないのである。、でもやがてその墓すらお参りするものがなくなるときもうその墓は捨てられ生者との結びつきが断たれるのである。

例えば死者というとき戦争で死んだ300百万人と生者の結びつきはどうなるのだろうか?
つまりこれもいくら死んだとしても死んだものとして生者と切り離して考えられないからどう扱っていいかわからないからそうなっている。
国に尽くした英霊として祀るというときもそうである。
戦争を経験した人は90以上でまだ生きている、その人たちは死んだ戦友のことを今でも思っているのである。戦艦武蔵が最近海の中から発見された。その無残な悲劇がNHKで放送された。生き残った者がそこで死んだ戦友のことを思い涙を流していたのである。
自分の姉も従軍看護婦で4年間シンガポールに今のマレーシアのジョホールバルにいたから死ぬときまで戦争のことを語り死んだのである。認知症になってもそのことだけは忘れずに死ぬまで語っていたのである。
そのことを叫びつつ死んだともなる、それだけ戦争のことは忘れられない記憶として残っていた。
そういう人は戦友が死んではいない、心の中で生き続けているのである。
ただそうした戦争経験者も死ぬと戦死者をその後の世代をどうあつかうかということはさらにむずかしい問題になる

自分の家族だったら母はまだ一年すぎたばかりであり生々しいとういことがある。
そして不思議なのは死者との結びつきがありその関係は強固になった感じもある
自分は家族が死んでから家族のありがたみを知ったのである。
そのことを書いてきた、誰も自分のことを思うものもなく病気でも他者は親戚でも責められるだけだった、それほど他者が非情なのかということでますます家族のことを思うようになった。
それから他者は金しか求めていないこともわかりそのことでも家族を思うようになった。母は自分が60までも食事の用意をしてくれたからである。
今になると全部自分でしなければならない、そしてがっかりするのは皿二三枚洗ってもらうのに金が10万近く払わなければないことである。これも自分が一人だということでしょうがないとしている
それは自分が介護しているときもそうだし病気になったときもそうである。
家に来た人は金を要求するだけで何もしてくれなかったのである。
それだけ自分のことを思ってしてくれる人は一人もいなくなったことで余計に家族のことを思うようになったのである。
今になると母に食事を作ってもらったら涙を流して感謝して食べるだろう。
今年も雑煮も食べられなかった、コンビニのインスタントの雑煮だったからである。

だから奇妙だけど死んでから死者に感謝しているし結びつきが強くなったというのも不思議だとなる
家族がいたありがたみが骨身にしみてわかったからである。
病院では見舞いもなく看護婦から虐待されたし何か自分に対して情をかけてくれたという人はいないのである。これほど他人が非情なのかということで家族への思いが感謝が深まったのである。
だから人間は家族でも死んでみてそのありがたみがわかるのである
それは妻でもそうだったり死んでみないといなくなってみないとありがたみわからない
それは人間はそもそも空気のようにあるものに感謝などしないのである。
それはこの辺が原発事故で故郷に住めなくなったことでずっと書いてきたことである。
失ってみてその価値がわかる、死んでますます家族で結びつき強くなるということもありうる、なぜなら今までは感謝もしなかったが感謝してその本当の価値を知って結びつきが強くなるということである。

原発事故で避難してもし避難した先でユダヤ人のように苦しめられたら差別されたりしたら故郷のことがどれだけなつかしく思うかもしれない、そして故郷あることがどれだけ幸せかと思うかもしれない、それは故郷に普通に暮らしていてもわからないことなのである失ってみて本当の価値がわかる、国だってもしシリアのようになって難民化したら国があることがどれだけ幸せなのかとなる
いづれにしろ生者と死者の問題は人間にとって深刻なるが故になかなか簡単には解決できない、ただ死者が全く無きものとはできないことは確かである


生者と死者は
生前より強く結びつく
その真の価値を知りしがゆえに
寒夜の星のように
星座のように結びつき
永久に輝く

タグ:生者と死者
posted by 老鶯 at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年12月05日

デンデラ野の現代的意味 (そこが不幸だったのかどうかわからない)


デンデラ野の現代的意味


(そこが不幸だったのかどうかわからない)


「六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野に追い遣るの習ありき」。つまり、口減らしのため高齢者を追放した場所だった。「いたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり」。お年寄りたちは身を寄せ合い、わずかな耕地で自給自足しながら死期を待ったのだ。

デンデラ野といいうときなぜかうば捨て山のイメージになる。
ただこれも昔のことになると常に誤解が生じる、現代からイメージするからそうなる。
飽食の時代に昔のことがイメージできなくなる、食料も満足に得られない時代に、口減らしは別に間引きとか生れる子供にも行われていた。
食料が限られていればそうならざるをえない。だからそれが残酷だとはならない
そうする方でもぎりぎりでそうなっているからである。

ここでの老人はそういう生活が厳しいためにそうなったのでありそれが子供が残酷だとはならない、それをわきまえてそういう風習が自然と生れたのである。
ではこのことが全く不幸であり残酷だったのかというと現代からイメージするからそうなる
現代の延命治療の方が残酷だともみる、生き地獄を経験させられているからだ。
豊かさの中でかえって人は地獄を経験する、そういうことも人間社会にはある
だから常に人の幸不幸は計れないのである。

お年寄りたちは身を寄せ合い、わずかな耕地で自給自足しながら死期を待ったのだ

こういうことができたのはそういう共同体の中で暮らしていたからである。
日々暮らしをともにしたから自然と最後も仲間と一緒に暮らしたのである。
そうした人のつながりは簡単にはできない
農家が三代で農家と認められるというときそれだけの時間がかかって仲間としで受け入れられるということである。
自分の家のことでも二代目にしろ店をやっていたとき良くきていた人が大正生れの人が自分の母親をふくめ三人死んだ。その親の代からの人のつながりが生れる
ただこれもみんながうまくいくとはならない、人にもいろいろいるからだ。
ただ人のつながりは一代くらいではなかなかできないということもある
街内は農家と違って代々住んでいる人は少ないから余計にそうなる

このことで示唆しているのは老人自体が何を思ったかというと
子供たちに迷惑をかけてはいけないということがあった。
それは生活が厳しいからそうなった。食い扶持を確保できないから自ら自給自足しようとしていた。子供たちに頼らないようにして最後を迎えようとしていたのである。
これを現代と比べるといかに今は老人があらゆる面で医療であり介護であり若い世代に負担させているので老人は早く死ねと若い人たちに言われるのである。
それはまた現代が豊かになっここともあるがそれでも若い世代の負担に老人がなっている

でんでら野では医療も介護サービスもなにもない、食料さえ援助がない、自分たちでまかない仲間とともにあって死期を迎えたとなる
ただそれが不幸かとなるとまたわからない、そこには仲間がいたということが慰めになるそういうことができたのはその村での暮らしの継続がありできたのである。
だから都会から老人を田舎に移すということを批判する人がいるものわかる。
全然知らない老人が田舎に押し寄せてもとまどうし第一それだけの世話する人材もいないのである。
田舎に都会の老人をまかせる、捨てるともなるのかとなる。でもその人たちはもともと田舎に暮らしをともにした人たちではないのである。
だからこれも何か不自然でありやっかいものを田舎にまかせて捨てるという感覚になる
これはいくら都会の人たちが金があってもやってくれるわけではないのである。

何か原発事故でも補償金でもめたけどなぜ船主などが漁業権などを東電に売り渡して多額の補償金を事故前も事故後もさらに手厚くもら立派な家を建てていることに回りのものが不満になる、避難区域の人たちもいわきではいやがらせまでになった。
それは世の中なんでもすべて金になっても金では解決できないからそうなっている
まず人間のつながりは時間がかかり一代だけではできないとかなる
デンデラ野でともに老人が身を寄せないとか助け合い暮らしたのはそういう暮らしの継続としてあったからできた

ともかく何か老人問題というとき人間は結婚して子供をもち家族をもつ、ところが子育ても終わり夫婦だけになるとか夫婦でも夫が妻が死ぬと一人になる
自分も親が死んで一人になりまた切実に一人暮らしで求めているのは実はまた新しい共同なのである。
家族がいないということはそれに代わるものを求めることになる
それが村とかの共同体にはあったが現代ではないからそこに孤独死とかの問題が起きる
デンデラ野では医療も介護もないが仲間がいて看取るということがあった。
孤独死はなかったともなる、だから時代によって幸不幸はわからないのである。
そしてなぜ葛尾村とかではあんな不便な所なのに帰るという人が多いという。
そこはやはり飯館村と同じように人とのつながりが濃いからかもしれない、小高は別に放射線量など高くないのに帰る人が少ないというのはなぜなのか?
人とのつながりがそれほどなかったからなのか?何かこれも考えさせられる

意外と老人とか一人暮らしでもそうだが金も大事だが人とのつながりが大事になる。
なんか夫婦でいて妻が死んで何か事件を起こした老人がいた。
ゴミ屋敷とか猫屋敷とかなるのも一人暮らしもそうである。
何か一人暮らしには問題が起きやすいのである。
一人暮らしというのは親が死んでわかったが何か新たな共同性を求めるのである。
それは家族でもない、夫婦でもない、つまりデンデラ野のように老人だけが集まりそこでともに暮らすというのは今は老人ホームになっているがそれとにている
そこが家族ではないにしろそういう機能をもっているし期待されている
デンデラ野というとき何か今からするとマイナスイメージになるが現代にも通じるものがある。
ただ老人ホームとかのその形態が変わったのである。何でも今あったことは昔もあった。ただ形態とかが変わっただけなのである。
老人ホームで若い人の世話になることは何か本当は後ろめたいこことなのかもしれない
デンデラ野では生活条件の厳しさからそうさせられたがそれが現代でも何か老人問題で示唆するものがある。
だから何でも現代的な問題でも歴史的に考察する必要がある
人間そのものは変わらないということがあるからだ。

タグ:デンデラ野
posted by 老鶯 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年12月03日

団塊の世代が介護難民化する深刻 (誰も負担しきれない介護の重圧)



団塊の世代が介護難民化する深刻


(誰も負担しきれない介護の重圧)


近くの自分の家で店をしていたとき良く来ていた女性が95歳で死んだ。
その人は90歳までまっすぐ立っていた。自分の母は90度に腰が曲がっていた。
腰が曲がるとき苦しんで死にたいと言っていた、相当に腰が曲がる時痛いし苦しむのである。でもその後も20年くらいか腰が曲がったまま普通に生活していたのである。

今回死んだ老人は腰が曲がることがなかった。それで89歳でこの辺が原発事故で避難したとき一緒に避難したという、その時は丈夫だった。
しかし90歳からか91歳なのか介護状態になり95歳で死んだ。

そして驚いたのはその同級の息子が脳梗塞がひどくなりやっと歩く状態だったのである。筋肉が柔らかくなり弱くなって歩けないという、それでも車をなんとか運転している
運転しないと一人暗しだから買物もできないという、今は買物できないともう生きていけない、買物できる内は弁当でも食べてなんとか生きることはできるからだ。

その人の状態を見たらこの前コンビニまで車できて這って歩いて買物していた人を思い出した。その人はヘンスに車をぶつけて事故を起こした。
その家は蔦がはい二階は住めないような状態だった。
その人も一人暮らしだった。

ともかくあんな状態で母親も介護していたのは驚いた。ただ救われたのは弟がいて隣の街から来ていた、今も来ている、自分の場合は誰も助けるものがいなかった。
ただ弱みにつけこまれて責められただけだったのである。
その弟にしろ一週間に一回しかきていないという,あの状態で自分で買物から料理までできるのかというように見た。歩くのやっとだし起き上がるのも辛いのである。
もう実際は介護状態なのである。でも誰も支えるもものがいない一人暮らしなのである。いづれは誰かが介護せざるをえない、おそらく簡単に福祉で世話する訳にはいかないから弟がめんどうみさせられるかもしれない、農協で見に来ているがもう介護状態なのであるでも介護する人がいない、何かそういう人が増えてくる

問題は団塊の世代がすでに病気とか介護状態の人が増えてくることで75歳以上になると深刻になることが憂慮されている、たいがい60以上になると何かしら病気がでてくるのである。自分も病気になったし同級でもすでに死んだり脳出血になった人もいる。
だから75歳になると急速にそういう人が増えてくる,そしてもう介護する余裕が国にも家族にもどこでもなくなっているのだ。
金でなんとかしろというけど施設に入ると20万以上かかる
隣の人は買物を頼んでいたができなくなりいわきの施設に入った。
それはそれだけの金を息子とかが出したからである。
それだけの年金とか金をもっている人は今はわずかなのである。

自分がその人を心配していたのはその人の親と自分の親が店をしていたとき良くきていたしいい人だったからである。もう一人も前に書いたが姉が認知症になったとき世話になったこの人もいい人だった。
だから死んだ三人のことを思い出すのである。
それは親の代からのつながりでありそうなった。
人間のつながりはなかなか簡単にはできない、やはり親の代からのようにつながりが今になると大事だったなと思う

地域のつながりもそいうことがあるからユニットバスでも仙台の業者には本当は頼むべきではなかった。今回はいろいろ事情がありできなかった
なぜなら畳屋がいてその人も病気になりすでに十年介護しているとかなるとその人のことを思うからである。
自分の家の畳を作ってくれた人として今になってもつながりを感じていたのである。
それは自分の家で店をしていたときのことを今思い出しているのと同じである。
そういう地域のつながりがありそれが何かこういうふうに苦しい介護とかなると隣近所で助け合うともなる

ただ実際問題として介護はこれは助けるにしても重度になったら無理である。買物手伝うにしても手間になる、だから隣の人は施設に入ったのである。
では施設に入らない人はどうなるのか?特養などとても入れないとなるとどうなるのか
結局コンビニに車で買物に来て這って歩いていた人のようになり事故を起こした人のようになる
そのあとはどうなったかしらないがもう一人では生活できないのである。
そういう恐怖が一人暮らしにはある、自分も経験しているからわかるのだ。

これはここだけの問題ではない、全国的に起きてくるしすでに起きている問題である。
介護は平均的には五年はかかる十年だってざらにいる
その重圧は大きいのである。

それを誰が負担するのか?

本当は家族でも地域でも国でも協力しないとできない問題である。でももう団塊の世代はそうなると数も多いから放置される、野垂れ死にしろとなる、そういう兆候がすでに出ているのである。
なぜこの辺で原発事故で避難区域になったところが復興できないかというと公務員でも人手たりない、公務員が激務になってやめたいともなっているしもうつづけられないとなっているからだ。若い人も流出して老人だけが取り残されているのである。
そんなところで復興はできないとなる

いづれにしろこの介護の問題は自分だけではない、みんなにふりかかってくる問題だったのである。自分は病気も直ったし元気であるがいづれどうなるかわからないから自分のことでもある。一人暮らしは本当に現代のような時代が生き地獄になる。
ただ金しか求めなない時代である。金がないなら野垂れ死にしろともなる時代である。
また金があっても介護する人が金目あてでくれば盗られてしまう、そのことが自分も経験している

ともかく団塊の世代が七五歳以上になると本当にあちらこちらで放置されて死んでゆく老人が目立って増えるかもしれない,助けようがないとなる。
車で買物に這ってゆきついには買物もできなくなり食べることもできなくなり野垂れ死にのうよになる。それがどこでも起きる、介護難民というよりもう介護できない、それだけの負担を負えない状態になっているのだ。
だからこの世代は病気になることが最大の不安になるのである。
一人暮らしは特に病気になったらどうにもならなくる恐怖かある。
それを自分は経験しているから恐怖なのである。

タグ:団塊の介護
posted by 老鶯 at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年11月12日

昨日のローソンのヘンスに車で突っ込んだ老人(2) (その家は廃屋化していて住めなくなっていた)


昨日のローソンのヘンスに車で突っ込んだ老人(2)

(その家は廃屋化していて住めなくなっていた)


昨日ローソンのヘンスに突っ込んだ車の老人は近くに住んでいた。
今日見たら蔦が絡まり廃屋化していた。
その人は車の中で寝起きしていたという、つまりもう家が廃屋化して住めなくなり
車に寝ていたとなる、車になにかいろいろ積んであったのはそのためか?

これは何を示しているのか?
ゴミ屋敷ではないが家に住んでいても家に住めなくなった
その原因がその人がもう這って歩くのがやっとでありそれで自分で食事とるのに
ローソンにきていた。
這って歩くとなるとまず料理も掃除でもできない、するとどうなるのか?
家に住むこともできなくなり廃屋化する

これも高齢化で取り残された老人である。
全国で空家が800万軒とか増えるとき何かそういう象徴的である。
街中でも空家が何軒かあるのを知った。
そこは500万で売り出していた、でも今は新しい家は街中より外に新住宅街に建てている
だから街中は住まないで放置されるかもしれない、ただ借りて住む人もいる

その人の家は二階建てでありそれなりの家である。
でも家を維持することが意外とめんどうであり金もかかるのである。
そして体が弱りついに自分の家にすら住めなくなった悲劇である。
回りの人は無関心であり車で寝起きしていたが事故を起こした
家があっても家に住めないというのも悲惨である。
家はかえって年取ると重荷になる場合があるのだ。
一人暮らしでゴミ屋敷になるのは家を維持することができない
その力すらなくなってきてそうなる場合もある

その人は這って歩くことしかできないのだからそうなった。
一人暮らしで体が弱ると悲惨な結果になる
それは自分も経験してきたからである。
今の時代回りで近所でも助けない、かえって人が弱ると楽しんでいるとかそれよりその弱みにつけこまれて犯罪にもあう、そういうことを自分は経験していたからである。
だから老人は一人暮らしの人などはどうしても施設に入るとなるがここも安住の地ではないが一応助ける体制はあるあ、あんなふうに這って歩くまで放ってはおかない
今の社会では放っておかれるのである。
だからテレビでも放送していたがぎりぎりになり救急車で運ばれたとき助ける
それまでは放置されていると放送していた。

あの人もぎりぎりになり事故を起こして警察が来てなんかまた他に市役所の福祉関係がかかわるかもしれない、ともかくあれは高齢化社会の象徴的なものかもしれない。
自分の家があっても自分の家にすら住めなくなりついに車に寝起きして辛うじて食料をコンビニに買い這ってゆき、また車にのったが事故になった。
高齢化社会はそういう人が増えてくる、一人暮らしが増えてくるし増えている
近くに息子や娘がいない場合も多い、すると放置されたままになるのである。
福祉といってもそれが簡単にかかわるということもないのである。
福祉にたすけてもらへと言ってもではすぐに特養に入れるかとなるとこの辺は原発事故とかで以前として人手不足とかで入れない
それであのように這って歩き車に寝泊まりして家に住めなくなるまで放置される

結局家は必要でも家は人を助けてくれない、かえって重荷になることがある。
人を助けるのは人である。ただその人が今は無関心なのである。
だから金がないとかになると施設にも入れないで放置される
近くの人は買物ができなくなり息子がいわきの施設に入れた
それだけの金があったからできたともなる、施設に普通に入れたら20万は月かかるらしいそのくらいの金がある人がどれくらいいるのか?
その負担も大きいのである。するともうこの人のようにぎりぎりになるまで放置されてしまう。

あの人のことはみんな知っていたのである。でも誰も助けないのである。
福祉の人も回っていなかったのだろう。
とにかく高齢化社会ではこういう人が膨大に増えてくる、それが高齢化社会の現実なのである。野垂れ死にのようになって死ぬ人が増えるかもしれない。
近所だって助けないし助ける余力もないとか無関心であり放置される
最後は金がある人は金に頼むしかないという冷たい社会になっているのである。
つまり老人は死んだ方がいいとか若い人もいつも言っているのだからそうなる
障害者の大量殺人の次はこうして増える老人の大量殺人とはならないまでも見殺し放置になる、そういう覚悟も必要なのが高齢化社会だともなる

タグ:廃屋と老人
posted by 老鶯 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年11月11日

鹿島区のローソンで車がヘンスにつっこむ事故 (高齢者の一人暮らしの危険)


鹿島区のローソンで車がヘンスにつっこむ事故

(高齢者の一人暮らしの危険)

trrrrcccccccc1111.jpg

この事故を起こした人はみんな知っていた。ローソンにきて這って動けないとき助けて車にのせたことがあるからだ。
その人はいつもそうしてローソンに買いものに来ていた。
それでみん知っていたのである。まず動けないで這ってやっと車に乗っていたのである。這ったまま動けなくても車に乗れば運転できると言っていた。
でもなんか店の人もそういう状態でもなにもしていない、でもみんなその人がそうしていつも買物にしていたのである。
そして今日ローソンに行ったらヘンスにつっこむ事故になり警察が来ていた。

その人のことはどこに住んでいるかもわかっていた。
やはり一人暮らしでやっと買物をしていた人だった。
あんなふうにしてまで買物するということは誰も助ける人もいないからそうしている
隣の女性は買物ができなくなり頼んで買物してもらっていた。
でもついに一人で暮らせなくなりいわきの方に息子が連れていって施設に入れた。
結構高いけどそれだけの金があったから入れたともなる

最近良く高齢者の交通事故が話題になる、事故が起きるのが増えている、その人はとてもすでに運転できる状態ではなかった。
でも一人で助ける人がいないから這って買物していたのである。
これは福祉関係の人が見回りしてなんとかするべきものだったのだろう
なんかこういう人が高齢化社会でこれからも増えてくる
そういうことが自分にもあてはまるしだから一人暮らしは恐怖なのである。

この人はそもそも運転できないのに運転せざるをえなかった

高齢者でも簡単に車をやめるわけにはいかない、一人暮らしだから這って店に入りでてゆく、車がないと買物ができないとしたら死ぬほかない、買物は意外と重要なのである。
買うことができれば別に今は料理することもない、弁当だけでも食べて生きていけるのである。
だから隣の女性は買物ができなくなり施設に入るほかなくなったのである。
警察が来るというよりこれは福祉関係の人が来る必要もあった。
もう一人では生活できないからである。

何か高齢化社会ではこうしたことが頻繁に起きてくる
高齢者の車の事故が増えたのはそのためなのである。
車をやめさせるといってももしこの人のように買物もできなくなったら死ぬことにもな
だからやめることもできな人もいる。誰か助ける人がいればいいがいなかったらそうなるそういう人も増えてくるのである。
這って歩いていても無関心だという時代でもある。福祉関係に連絡するとか必要だったのだろう。
自分は一回だけ助けたが他の人も店の人もそのことを知っていたけど無関心だったのである。コンビニとかなると店の人は客に無関心ということもある
今の社会は何かそうして無関心なのである。そういう社会になっている
だから一人暮らしとか身寄りがないとうなる本当に恐怖である。
誰も助けてくれないという時代である。
ただその人の名前を知っていたということはどこに住んでいるかもわかっていた人もいたのである。

とにかく高齢者の交通事故は社会問題になっている、この人もヘンスにたまたまつっこんだだけですんだけど大きな交通事故を起すこともあったから危険である。
でも免許をとりあげたらどうなるのか、買物もできないとなる。
そういう一人暮らしなどの高齢者は増えているのである。
一人暮らしでもいろいろあっても別に近くに息子や娘もいる人も多い
でも誰も助ける人もいない高齢者も増えてくる、その人は車で這ってまで買物して事故を起こした、回りの人は無関心だったとなる
最後は買物できなくなり力尽きて死ぬとまでなる
これが高齢化社会の現実だともなる、ただ回りで見ていたのだから知っていたのだから何か福祉とか何か対策をとる必要があった。
その人は近くに住んでいる人だと思わなかったのである。
posted by 老鶯 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年11月01日

介護の重圧は正常心が保てなくなる (介護で国力も衰退するので捨てるという決断も迫られる)



介護の重圧は正常心が保てなくなる


(介護で国力も衰退するので捨てるという決断も迫られる)


介護十年もしていると自分の精神状態が異常化していことを終わって気づいた。
30年間は自分はあまりにも恵まれていたからということもあった。
何不自由のない生活を30年間してきたからである。
だからこのことを相当に恵まれていたのである。

介護は何か常に重い石を背負わされていると同じである。それが不思議に介護する人がいなくなっても以前としてその重い石を背負わされているという感じになっていた。
でもその重い石がとりはらわれて何か自由だな楽だなと感じるようになった。
それは別に今までは30年間はそうだったのだけどそういうことが普通のだが介護していたらその普通の状態から離れて異常化した状態になっていたのである。

それは障害者とにているかもしれない、どこかに障害があり足が悪ければひきづって歩いている、それが障害者としての生活だからではもしあなたの足はもう良くなったから歩きなさいと言っても歩けなくなるとういうことがある。
そんな状態が介護の重圧が作りだしていたのである。

介護は介護一や二でも実際は食事でもそうだし何もできないから絶えず見ているということ、目が離せないのである。それより眼を話しても心配になるから四六時中頭から離れられないという重圧なのである。
何か常に重たい石をかかえていると同じなのである。
その介護の時間も最低で五年と十年なども普通にある、長いことがさらに重圧を感じる
一二年では終わらないことが重圧になる

だから妻とか親をある会社に勤めている働き盛りの人が介護して仕事していたけど仕事に集中することはむずかしい、自分は別に仕事しなくても何か重しのようにいつものしかかっているから正常な思考からも離れてしまっていた。
それは何か景色を今までのんびり見ていることもできなかったことに終わってみて気づいたのである。
それほど介護は自分は介護度一二くらいでも感じた、三食用意することも手間なのであるトイレは自分で行っていたしオムツをすることもなかった、それでも重圧だったのであるそれれくらいだから自分のようなずぼらな者でもなんとかやれたとなる。

介護は肉体的なものだけではない、精神的消耗が大きいものだと思った。
だから会社の技術職の人など仕事に集中できなくなる、すると日本の経済にとって損失だともなる、つまり介護は今や金の問題にしても国力を衰退するほどになっているのだ。
その数も増えてくれば当然そうなる

自分はやりたいことをやらせてもらったあとだからできた。それが50代とかなると働き盛りの人もいる、自分の場合は旅が仕事ともなっていたが海外旅行したのは50以降だからもう海外旅行もできないとなっていた。すると何かプログのようなものでも書くにしても変なことを言うことになり笑われていたとなる。
実際それまではそうだったのである。海外旅行の経験がなかったからである。
それから十年くらい海外旅行してきたからそれなりの識見をもてるようになったのである旅するにしてもそれだけの時間が必要になるのである。

だから介護は仕事として若い力を消失させるのはもったいない、というより国力の衰退につながる。それでナチスが障害者を抹殺するという暴挙になった。
障害者の問題は深刻なのである。知っている人でも軽い障害者でも今は40になっても60歳になってもめんどうをみることを親が強いられるのである。それも介護とにているのだ。そしてそういう障害者をめんどうみても誰もそのことでほめる人もいない、親だから当然だとなるだけである。介護してもほめてくれる人などいないし社会的評価してくれる人もいないのである。

だから自分は30歳の頃、叔父にあたる人が癌になり手術するとき輸血を頼まれたが断ったその人は60歳で死んだ。でも自分はその時登山をして体力がないから死ぬほど疲れていたのである。登山はものすごく体力を消耗する、自転車より消耗する
それで輸血を断った、その人は自分を恨んで死んだかもしれない、でもそれより自分はその時登山して良かったなと思う、なぜなら登山は体力あるときでないとできなかったからである。
そんなとき身内の介護でもしたくない、自分の人生が犠牲になる、では何が犠牲になるのか?お前にそんな犠牲になるものがあったのかともなる

でもあったのである。詩を作る、芸術を創造するというとき登山であれ旅であれそういうことは必須なのである。学問でもそうである。現実にこの地球を体感することがまず先にある。そのためには体力ある若い内に登山であれ厳しいことをしていた方がいいのであるなぜなら年取ったらもうできなくなるからである。
それで退職した人が一人旅しているのには最近良くあう、今日も函館から新幹線で来た老人にあったのである。

いづれにしろ介護報酬の問題などあるが介護の問題はどうするかとなるとむずかしい。
それがなぜかというと国力を衰退させるとまでなっているからである。
数が膨大になってゆく高齢化社会だからである。
たいがい介護した人は長いからもう介護にかかわりたくないとなる、自分もそうである。介護の重圧は借金ともにていて借金を返さない限り晴れた気分にならなかったというのとも同じである。
借金している人も確実に正常心を失っているのである。だから頭の中が借金のことしかない、その人が自分が介護しているとき病気になっている時来たのだから最悪だったのである。
第一他人の苦しみなど介護であれなんであれ無関心なのが人間である。
自分が苦しくなれば別だが何もなければ何にも感じないのである。

これから介護をどうするかは国民的課題である。金の面でもそうだし個々人に家族に課せられることでもそうであり世代間の問題でもある。
でもこれを解決することは簡単にはできない、親を捨てていいのかとかいろいろな問題があるからである。
た国でも市町村でももう財政的にも労力でももたないんということが現実に現れている
つまりもう老人は捨てるほかないという決断すら迫られる、特に介護ではそうである。
それは情がないとか愛がないとかの問題ではない、それだけの重圧にもう個々人でも社会でも耐えられないとなるからである。













タグ:介護の重圧
posted by 老鶯 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年10月31日

介護は死から供養へと通じている (納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


介護は死から供養へと通じている


(納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


老人の介護となるときそれがふりかえると死ぬことに通じてその後の死者の供養にも通じている
死んでゆくことわかっている、だから介護と死者の供養は一体ともなっていた。
介護はみんな嫌だとなるが介護しないとまた死んでから後味悪いものとなる。
それで介護のときは嫌だとなりしたくないとなる、それもわかるが死んでみるとなぜもっと介護してやらなかったのか、親切にできなかったのかとみんな言う。
介護は人によって家族によってもみんな事情が違うから色々なのである。

自分の場合は特に良くしてもらったから必死になって介護した。
認知症になっても介護した。それで最後にわかってくれたこともあり介護して良かったなとつくづく思う。
そうしなければ相当に悔やんだことになる

なぜなら死んだらもう何もできない

この厳粛な事実を知る、死んだ人にはもう何もできない

こうしてしいれば良かったとかなんとか言ってももう死んだ人には何もできない、生きているときしかできない、そこに介護でも苦しいのだがないがしろにもできない事情があるただこう思うのは家族くらいであり家族でもそう思わない人はいる
親に苦しめられただけの人もいるからだ。
だから介護にはそうした家族の事情がありみんな違ったものになる
ただ施設の介護士などはそうした動機がもてないのである。
ただいくら金をもらってやるしかないとしたらそうなる
なぜいくらの金で安月給でこの人を介護しなければならないのかとなるからだ。

介護と死と供養は一連のものとしてつながっている、いくら良く介護したとしても死に向かっているのが介護だからである。
そして死んでみるともう何もできない、そこで供養するとなるのだがこれも実は介護と関係していたのである。
介護でも何か苦しいけど介護しないと何もしてくれなかったとか親切にしてくれなかったとか恨みを残すかもしれない、それは人によって個々の事情があり違ったものになる。
親戚の人は複雑な事情があるにしろ実の親でとないにしろずっと長く世話したのである。問題はあるにしろそうだった。後でもめたにしろそういう人を全く世話しなかった。
それで「ひどい娘だわ」と恨みを残して死んでいったのである。
その女性にも問題があり自分の家でも良く思っていなかったがその娘が自分の家にきて
「おばちゃんは金あるんだから金でめんをとみてもらへ」と血相変えて去って行った
その人は何も別に自分の家に来て何もする必要がなかったのである。
何もこちらで要求したこともない、要求できないことはわかっていたからである。
あの人はやはり苦労がたりなかったのかとも思う
今はどう思っているかわからない。

考えてみると人間が老いるということ死ぬということそれはもう若いときは二度ともどってこない、時間はもどってこない、あの時こうすれば良かったとかいくら後悔しても時間はもどらないのである。
何かそれと介護とかもにている、死んでからいくらもっと親切にすれば良かったと言っても相手は死んでいるのだから何もできないのである。
ではその後供養するとき、恨みを残したような人に供養できるのかとなる
墓参りしたとしても外からはあの人は供養していると見えても死んだ人はどう思っているのか、あなたはひどい娘だったと言って死んだ人に供養できるのかとなる

自分は苦しかったけどなんとか介護してわかってもらった、だから死んだ家族はそのことをわかってくれると思う
特別良くしたもらった自分だから当然ではあった。
死んだ家族でもそういうことを納得してくれれば供養しても死者と心が通じるとなる
だから介護の問題のむずかしさは介護から死から供養と一連のものとしてあることなのだそこに介護のむずかしさがあったのである。
意外とこのことが後で深刻なものになるかもしれない、なぜならもっと良くしてやりたかったとか親切にしてやりたかったと思ってもできないからである。
だから介護は苦しいのだけどないがしろにもできないことが死んでみてわかる

一期一会とか人間は死ぬからこそ生きている時間を大切にしなければならない、そのことが自覚できない、いつまでも生きているように思っているのである。
ともかく自分はなんとか介護したから心から手をあわせて供養できる
死者もそのことをわかってくれると思うとき心が休まる
何かこれは良心的な問題でもあった。死んでからもっと親切にすれば良かったとか思ってもできない、すると良心がいたむのである。
その良心は外面をいくら装っても偽ることができないのである。
死者はできなくてもなにもに語らなくても見ているという怖さがあるのだ。
死者には偽ることができないのである。

良い介護といってもそんなにはできない、自分はしなかったけど相手は介護してくれたなと見て死んでいったと思う。別に自分だけが介護するということでもない、問題は介護されている方がそれなりに納得してくれるることである。
介護でもきりがなくなる、別に胃ろうなどしなくてもそこで死んでも良くやってくれと思われることである。
恨みを残すようだったらあとで供養もできなくなる怖さが介護にはある。
自分は納得してもらったから死者に供養ができる、死者もわかってくれるということが偽りではなく死んでも心が通じていると思い供養できるのである。
人間は極限られた時間に生きるということを自覚できないのである。
そのことが人間の生をおろそかにする一番の原因だったのである。



タグ:介護と供養
posted by 老鶯 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

高齢化社会に合わない車社会 (認知症の事故もこれから増える)


高齢化社会に合わない車社会

(認知症の事故もこれから増える)

ecologyyy11.jpg

TTTTTTTTTTT345.jpg

しかし認知症高齢者の自動車運転による事故は後を絶たず、認知症と診断されながら車の運転を続けている人は、予想以上に多いとみられている。とくにそれは、ほかに交通手段のない地方で顕著であるということだ。

車社会というのが高齢化社会に向かないものになった。それでも田舎でも車なしでは生活できない、街から離れて暮らす人が多いし田舎では一人一台車をもっている
だから80歳以上でも車を運転している人が多い、農業するにも軽トラックが必要になる
田舎の方がエネルギーを消費する量が多く省エネではないというのもわかる
つまり車のエネルギー消費は膨大なのである。

車はまた人間の精神にも相当に影響した、車を歩くことと自転車とか電車と比べてもその影響するものが大きかった。
キレルというとき老人が切れやすいとか言われるようになったがそもそもそれは老人だけではない、車社会が切れやすい人間を大量生産したのである。
自転車は車にとって目障りである、突然横切ったりするからである。
だから何回もどなられた、「馬鹿野郎」とかどなり走りさってゆく
それは自転車にも非があるのだが車優先社会だからそうなっている
車は人間が中にいるということも外から認識しにくいのである。
ただ車という物体が高速で突っ走る、その中に人間がいるということも認識しにくい
切れやすい人間を作るというとき車という道具がそうしたのである。

例えば人間は牛馬を使っていきときは牛馬は生き物であり牛馬のリズムがありそれに人間が従う、時間も牛馬のリズムになり急がせることができない、そして牛馬は生き物だから人間の情が通じ合う、それで馬と娘が結婚したとういう民話が生れる、曲屋で家族のように暮らしていれば当然そうなる。
つまり車社会とは全然違ったものとして構成された社会だったのである。
その時動物と交わるから動物も生き物だから人間も情が豊かになる、今はこれほどペットブームになるのはそうした情が育まれるものがなくなったからである。
車を相手にしては便利でも情が育まれないからである。

旅をするにしても歩く旅と車の旅とか電車の旅とか船の旅でも相当に感覚的に違っている一番記憶に残るのは歩くたびである。でも現代はそれができない、車社会にのみこまれてしうまからである。
外から見ていても歩いて旅している人がいればあの人は旅人なのだなと見る。
するとそこで旅人があるいてゆくということで俳句になったりする
つまり歩くことは今や何か特殊な絵になる光景にもなっているのだ。
なぜなら道路に見るのは接するのは車だけだからである
江戸時代の浮世絵を見ればみんな歩いている姿でありそれが絵になっている
歩く旅が一番人間にとって自然な姿なのである。

これまでは自然のリズムと人間のリズムがかけはなれたものではないものだった。
乗り物でも船になると海でも川でもゆっくりすすむ、早くすすめないのである。
船でも帆船だったら風の影響があり風に左右されることは自然の影響を受けることになる何か自分が旅をしてきたが船旅が好きになったのはゆっくりしているからである。
たた船旅は時間がかかるからよほど暇な人でないとできないのである。
電車の旅でもずいぶんしたけど早すぎるのである。それで車窓から見た景色は記憶に残りにくい、それでなぜか駅名だけが記憶に残ったりしているのである。
電車の旅では意外と記憶に残るのが駅で待つ時間なのである。
昔の駅舎はなにか郷愁がある。そこは出会いと別れの場であり人間臭い場所だったのである。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

上野駅すらこういう場所だったのである。これが新幹線の時代になると出会いと別れといっても何か待つ時間がないからそういう人間的なものがなくなる。効率を追求すると人間的なものがなくなるのである。経済的効率、時間の効率を極限まで計ってきたのが人間である。結果として人間がそこで奪われたものが多い、切れやすいというとき出会い分かれる人間的場も失われたのである。
街道に分去(わかれさり)という地名が残るときそこで人と人は分かれもう永遠に合わないということがあるから印象的な場となっていたのである。
そういう場は今はなくなった。ただ車は人間を無視して突っ走ってゆくだけである。
人間関係はキレルのである。

楽だ楽だと言ってエスカレターを利用していると子供もそれに右ならへしていると最後に石油がなくなってすでに脚が弱っていて使えず石油がないから電気も不足する事態が予想されるーエコロジー幻想(武田邦彦)

この本では著者が座っているとカルシムが消失してゆくとか便利なものに頼ることがかえって人間の力は消失してゆくと言っている
そういう文明の矛盾は科学者でも思想家でも常に指摘されてきたことである。
文明はともかく莫大なエネルギーの消費でありまた原発事故でもわかったようにそうして便利なエネルギーを追求することは自然破壊になった。
ソーラーパネルでもその光を電気にするためにはシリコンなど有害物質を作り出すことによって二酸化炭素を増やしているという。

原発事故では人間の生活そのものもを見直すことが強いられたのである。つまり原発も効率的にエネルギーを得るのにいいものとされていた。それもまた非常に危険なものだったからそうはならなかった。
肝心の土も水も汚染されたら住めなくなったからである。
いづれにしろ高齢化社会に車社会は合っていないのである。もう80過ぎたら運転は危険になる。でも車を手放すことができない、現代で車をもたないとか運転できないということはその能力さえないものとさされる
結婚するにしても車の運転もできないのそんな人とはねとかなる
車をもたないものは変わりものなのである。現実車をもたない人は能力的劣っている人も確かに多いから何か変な奴だともなっているのである。

自分が自転車にのっているのは何か自分は実際に車でもバイクでも運転すると危険だからである。いつも考えことしているからである。
自転車だと走りながら考えることができる、でも車だと何か外の景色を見て鑑賞することもできない、常に運転することに集中しなければならないからである。
何か考えことするようだと即事故になってしまうからである。
高齢化社会というとき負の面だけが強調されるがいい面として高齢者にあった生活は人間的なのである。スロー社会とかいろんな所で高齢者向きのものになるとそれは若者にとっても住みいいものになる、人間的な情でも人間関係でもそうである。
そうなると鬱病なども減るということになる。
車社会を全面的に否定はできないが何か減らすことが必要なことは確かなのである。
現代は物でもなんでも増やすことではない減らすこが望まれているのである。
効率的でなくても減らすことでもかえって人間的になり豊かになるという逆説の社会になっている、それで経済成長しないから困る、消費が増えないから困るというのは今までの企業優先の社会であり売る方の論理でありそれを変えねばならないのである。












posted by 老鶯 at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年10月19日

南相馬市の65歳以上35バーセント (看護師不足などー地域で育ったものは地域に貢献する時代)


南相馬市の65歳以上35バーセント


(看護師不足などー地域で育ったものは地域に貢献する時代)


高齢者人口は3384万人、総人口に占める割合は26.7%と共に過去最高
80歳以上人口が初めて1000万人を超える

南相馬市は35バーセント 相馬市も30パーセント

福島県では25パーセント

百歳以上も増えつづける

平成22年68744,449
平成23年76247,756
平成24年80751,376
平成25年81354,397
平成26年86258,820
平成27年97061,568
平成28年1,04665,692

高齢化社会というとき南相馬市は原発事故などで急速にすすんだ。35パーセントが65歳以上なのである。10人いるとすると3,5人となるこれは全国平均で26パーセントとするとき
かなりの多さである。何か街を歩いても目立つのは老人なのである。
この辺では人口が流動した。だから今でも除染であり工事関係者であれ5000人くらいまだ入ってきているという、だから実質の人口は増えているのである。
そして小高は住民票があり南相馬市に入っていても浪江であれ大熊であれ飯館であれそういう所から入ってきた人は南相馬市の人口になっていない、住民票が以前として前の町にあるからである。それでいわきでは税金を納めないとか問題になった。
家を建てても税金を納めないとすると住民でもないとなるからだ。
でもジレンマは住民票を移せば原発事故の補償金がもらえなくなる、だから移った先に住民票を移さないのである

だから南相馬市でも相馬市でも他でも原発事故の関係で福島県は実際そこに生活している人が増えても増えていない、住民票を移していないので移った先の住民になっていないのである。
だから例えば鹿島区の復興住宅に80所帯が買い上げで入るとしてその人たちは南相馬市の住人になるのだろうか?
補償金がもらえなくなれば打ち切られればそうなるのかもしれない、ただ以前として前の町や村に住民票を置くということも行政などでまた何かあるかもしれない。
この辺はそういうことでも混乱しているし原発事故は福島県全体をまきこんだものだったのである。

高齢化というとき百歳以上を毎年3000人から5000人規模で増えているのも驚きである。
この調子で増えてゆくとするとどうなるのかとなる
自分の母親も百歳で死んだ、百歳で死ぬことはどういうことなのか?
楽に死ねることは確かだろう。自分の母親は老衰でありほとんど苦しまずに死んだ。
約一週間前に水も飲まなくなっていたがホータブルトイレには行っていたし手がかからなかったのである。それで自分のような不器用な人間でも介護できたとなる
百歳まで生きることで得なことは楽に死ねることなのである。
その他は病気で死ぬから苦しむことになる

高齢化社会は日本全国でも影響が大きい、この辺は特に35パーセントになっているから先取りして高齢化になった。
復興といっても高齢化の影響でできないというのが現実なのである。
小高は避難解除しても帰ったのは90パーセントは65歳以上だろう。
老人だけが帰って町が成り立つのかという深刻な問題になっている
もともとこういうことは予測されていたのである。
たから高倉の老人は時期が早まっただけだとも言っていた。
子供は外に出て跡を継がないし老夫婦だけが取り残されたのである。

それにしても金山町とかは50パーセントが65歳以上である。二人に一人が65歳なのであるこうなるともう町でも村でも成り立つのかとなる、会津の高齢化は深刻である。
浜通りはそうではなかったが原発事故後急速に高齢化したのである。

それから南相馬市では看護師不足が以前としてつづている。それで市では奨学金制度で生活費まで援助するが南相馬市の病院に勤めればその資金は払わなくてもいいということでいくらかの看護師を確保した。それでも20パーセントがたりないとかなっている
というのは中通りでは200人とか看護師が増えた、双葉や浪江など相馬地域から原発事故で放射能を怖がって看護師が流出したのである。
子供をもっている看護婦も多いからそうなる。
何かだからこれからはそれぞれの市町村では今までのような考え方ではやっていけなくる今までは地元からどこにでも就職してもいいということがあった。
東京で人手不足なら東京に就職してもしかたないとなる

でも時代が変わった、別に東京と地方を比べるとき生活の水準が今はそれほど変わらない、通販やインターネットとかで情報的にも遅れるということもない社会である。
ただ就職先がないということで東京に大都会に出るという若者が多かった。
でも時代が変わり地元で育てたものは地元に貢献するというのが筋になる。
だからなぜ放射能汚染があっても子供が親を捨てて出て行くのか?
苦労して育てたのに何にもならないとなる、それは看護師の流出や不足に象徴されていたのである。放射能は低い所もありそれが即子供に影響するとはならないのである。
その影響はまだわからないからである。


これも広域社会だから起きたことである。看護師となるとどこでも就職できるからであるかえって給料がいいからと東京の方でもひっぱりだこになって移っている人もいる。
でも何かこういう広域社会グローバル経済社会の矛盾がでてきている
放射能汚染があった、何か困難が生じると他に移ればいいとなるとそれでいいのか?
家族すら離散していく、そんなに頼りないのか?何かそこに疑問が生れている
他で移り親がいるのに親のめんどうを見ないで他の病院で他の親のめんどうをみている。子供を育てた親は馬鹿らしい、なんのために育てたのかともなるだろう。
地域にしてもそうである。地域でその子供を世話しても外にでていくだけだとなれば
世話しても何にもならないということにもなる

「遠くの親戚より近くの他人」となる、それは隣の村でも歩いてきたら遠いから看病などでもできないのである。車でも通うとなるとめんどうになるのである。
だから娘がいたとか東京だとかなるといくら親孝行したくてもできないのである。
一方で血縁だらか遺産があれば遺産だけはもらうとなるとそんなら自分を助けてくれる近くの人にやっ他方がいいとなる。
何か老人になると近くが大事になるのである。若いときは健康だし人に頼る必要があまりないからそういうことを考えないのである。
ただ近くだから助けてくれるとは限らない、自分は全く助けてもらえなかったからであ
る、かえって弱者化したときこれ幸いと火事場泥棒とか脅迫されたりしたからである。
それでも近くの人を助ければ近いのだから助けられることはありうる
その確率の方がずっと高いのである。遠くになれば助けようにも助けられないからである。

高齢化社会というときマイナス面が強調されるがそれだけではない、社会に影響するというとき高齢化はスロー社会になるからなにか急がないゆったりとした社会にもなる
どうしても団塊の世代が活躍した時代は高度成長時代でありがつがつしていた、欲望でぎらぎらしていた時代である。
それが今はない、何か全体的に活力というものがないのだがスロー社会であり落ち着いた生活をよしとするようにもなる
高度成長時代の企業戦士とかなると獰猛な肉食系の人が活躍した。
今は草食系とかいわれるのもそのためである。老人になればどうしてもその土地に根ざした生き方になる。植物的に根を張る生活であり農業的なものになってゆく

自分でも若いときは世界へ羽ばたくというか拡大化してゆく旅である。新しいものを貪欲に吸収する、それで旅ばかりしていたとなる。
でも旅したことでも今度はその意味を深化させる、旅だけではなくこれまで経験したことをその意味を深化させるのが老人に向いているのである。
ただ新しいことはもう吸収できない、これまで吸収したもので花咲かすのである。

何か老人だと誰でもその人の経験した話が面白い、札幌から来た自転車旅行の67歳の人は冬山にも上り一緒に登った人が死んだというときそこに驚きがある。
そんな経験はなかなかできないからだ。山は自分も登ったが一番疲れるし危険でもある。自転車旅行では交通事故があっても遭難などはないのである。
何かそういう人の体験しない話を聞くのが面白いのである。
そうなると平々凡々の生活をしてきた人の話は面白くないとなるかもしれない、公務員とかはそうなるかもしれない、冒険がないからである。
一般の社会人でも企業でも冒険があると話も興味深いものになるかもしれない
漁師とか農民の話も実際は興味深い、それは自然と深く結びついたものだからである。
札幌で暮らしているとかなるとそれは大都会であり都会人だから興味ないともなる
本当の北海道人だったらやはり牛を飼っているとか農業をしている人とかになる。
他に漁師もいるからそういう仕事の人の話を興味深いものとなる

老人の価値を若い人は金だけだと思っている、金だけを求めているがその人の経験があり特別な経験をした人の話は面白いのである。
要するに老人は経験したことから芸術でも学問でも何でも創作しているのである。
若い人はそういう経験がないから書くものでも浅薄になる。
若い時は何か芸術でも深く見れない、鑑賞できない、思想でも哲学でも深く本でも読めないのである。理解できないのである。
老人になると理解力であれ鑑賞力であれ何かを深くみる創作するということに向いているのである。
創作する人にとっては芸術とかなると長生きした方がいいのである。
長生きすればするほどその芸術が深いものとなるからだ。
ただ人間の価値はいろいろであり芸術だけではない、何かしら老人でも価値をもとめればある。

しかしただ長生きしただけで人間の価値が生れるかとなるとそうはならないだろう。
人間は何かの価値に生きる、それがただ長生きだったら価値あるとははならないのであるこの人に何の価値があるのか?それはそれぞれに違っているからなかなかわかりにくい。
それはこの人は長く生きたから価値あるとも言えない、百歳生きた人が価値あるかどうかはわからない、みんなが果たして価値あるものになるかどうかわからない。
自分の母親は家族のなかでは価値があった、自分も支えられたから価値があったが家族外では価値があるものなのかどうかはわからなかった。
社会的に価値ある存在というときそれがどういうものなのか見極めるのはむずかしいとなる。
社会的にはこれだけ高齢者が多いというときただ社会にとって重荷であり迷惑であるということも高齢化社会では顕著になるからである。

posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年09月27日

障害者の大量殺人の次はに老人の大量殺人?ー看護師による殺人 (思いは必ず実行されるから怖い)


障害者の大量殺人の次はに老人の大量殺人?ー看護師による殺人

思いは必ず実行されるから怖い

9月20日、横浜市神奈川区で死亡した八巻信雄さん(88)の体内からは、消毒液の成分が検出されているが、18日に亡くなった別の入院患者、西川惣蔵さん(88)の体内からも、八巻さんと同様、界面活性剤の成分が検出され、死因も中毒死だった。 
一方、この病院で勤務する看護師が、FNNの取材に応じた。 
病院に勤務する看護師は「結構、立て続けに亡くなっているので、珍しいですね。(病院の)4階はおかしいという話が。呪われているんじゃないかとか」と話した。 
看護師によると、病院では、7月から9月に、およそ50人の高齢者が、同じ4階で死亡しているという。 



みんなが「障害者はお荷物」「障害者を長生きさせることはない」「障害者は産まれなくても良い」と障害者を罵り続ければ、 
障害者を殺しまわる人が出てきた 

みんなが「老人はお荷物」「老人を長生きさせることはない」と老人を罵り続けていたら 
老人を殺しまわる人が出てきた 

犯人はみんなの意見に感化されたのか、みんなの意見は世間の代弁だったのか… 

とにかくみんなの意見が犯罪者の考えと連動している…ということは明らかだと思う 

犯罪者は2ちゃんねるに集まるということなのか?


人間の思いは念は怖い、一見ただ思っているだけだから害がないとみんな思っているし別に思っただけで犯罪にもならない、すでに心で殺意でもわけば犯罪だと宗教だとなる

思ったことは必ず行為となる

そして思いの怖いのはその本人が思った時、それが関係ない他者に影響するというのだ。誰かが殺したい、殺したいと思っていると誰かが意志の弱い人間に伝播してその人が代わって実行されるという。だから思いは現実のエネルギーとして他者に伝播されるから怖いのである。
思いが思いとしてととまることなくなんらかエネルギーが伝播して行為として現れる

障害者なんか生きているだけで負担だ、家族も負担だ、死んだらどれだけ楽になるか
何であんなのが生きているんだ、死ぬのが一番本人にとっても家族にとって社会にとってもいいことだ

老人はなんで国民の税金をあんなに使っていきているんだ、なんでそんなに活かそうとしているんだ、延命治療なんか無駄なんだよ、税金の無駄使いなんだよ
安楽死させろよ、それが当人にもいいし家族も楽になるし社会にもいいんだよ
もう老人のために金は使うな、若い者の未来が老人によって奪われているんだよ

老人は死ね、早く死ね、死ね、死ね、なぜこんなに老人ばかりなんだ、早く死ね、死ね・・・・・・・


こんな声があふれている、特にインターネットになるとそうした本音がいたるところに出てくる、それが意外とまた相乗効果になって思いが増幅されて社会に拡散して誰かが本当に行動する
そこに確かにネットの危険性があった、インターネットによって憎悪もグローバルに拡大したというのもそうである。ネットだと発言が自由だから必ず何事でも対立がある。
その対立が日常的になるのである。たいがいは今まではそうした対立があってもおさえられていたのである。ネットがなければなかなか拡散することはできなかったのである。
その反面マスコミによって一方的情報で洗脳されていたのである。
今やマスコミさえマスゴミとしてこきおろされているし絶えず批判の対象になっている

ともかく人間の思いは必ず行動として実行されるから怖いのである。
借金している人はもう頭の中が借金を返すことしかない、ともかく何であれ金が欲しいとなるだけである、こういう人は本当に怖い、そういう人が自分の病気の時苦しいときに来たから最悪だったのである。
もう殺人者が来たと同じだった、最初は事情がのみこめなかったがあとは家族ぐるみで自分に借金の要求、金の要求になったのである。
だから借金自体が大罪でありもう犯罪者なのである。殺人犯が自分の病気のとき苦しいとき来たと同じだったのである。
もう自分が死ねば金が入るとまで思うようにもなっていた。そういうことは遺産争いで普通にある。金をめぐってはそれだけ人間が恐ろしいものとなる
何十万の金でも人は殺されているからである。

現代社会は豊かになっても人の思いが乱れている、欲はかえって豊かな生活でも増大している。金があれば欲望をかなえるものがある社会だからである。
そうなると常に金が欲しい金が欲しいという思いにみんな占領されているのである。
金持ちすら金があってももっと金が欲しいとなっているのが今の社会である。
要するに人間の欲はきりないということである。

今世の中に満ちている思いは異常な状態かもしれない、そうした思いが世界をおおうようになったらとをなるのか?それは目に見えないにしても地球を宇宙を作った神にも伝わり影響する、それで地震や津波や大災害が起きてくる
ノワの洪水も起きてくる、そういう末世に今や来ている

国際問題でも中国でも韓国でも日本を憎悪することをあおる、それが一三億人の中国人の思いとなったとき怖い、日本なんか滅びてしまいから滅ぼしてしまいとなる
そういう思いが怖いのである。だから反日というのは簡単に見過ごせないだろう。
一方でアメリカはどうなのか?アメリカ人の思いは何なのか?
別にアメリカ人は日本を恨んではいない、中国や韓国のような反日はない、それはアメリカが日本を支配しているから手下になっているからだともなる
だから今度は日本が中国の属国に手下になれば反日はなくなるのである。

いづれにしろこの思いは怖いということをみんなが自覚すべきである。
自分が半年間、金が奪われたことである人を恨み呪いつづけた。
その半年後に地震が来て津波が来たことも不思議だった
その念が影響したのかとも思った。自然に人間のなんらかの思いや念も影響するのである
いづれにしろ老人は死ねとかネットでの若い人の思いがこうした老人の大量殺人につながった、障害者の大量殺人もそうである。それを大規模にしたのがナチスかもしれない、つまり思いが念が現実化するから恐怖なのである。
動物には何か人間のような悪い念はもてないようである。人間の思いとか念は特別強いのである。
動物は人間に殺されて死んで食われてゆくから恨んでいるともみる、それで供養したりもしている、でも動物自体がそれほど恨むという思いがあるのかどうかわからない
ただ動物となるとやはり哺乳類とかなると人間とにているからそういう感情をもっているともなる、猫でもそうだけで飼っていると人間化してゆく,何か人間のことを察するようになる、人間の心をみるようになる、その心に反応するようにもなるからである。

こうした障害者や老人の大量殺人は結局起こるべくした起きたのである。それは世界的に共通である。そういう思いが世界中にあるということである。
それだけ社会に深刻な影響を負担を与えるからそうなる
認知症の介護でもそれを自分は経験している、でも二年半くらいで認知症の介護は終わった、でも障害者となると一生なのである。その長さもあまりにも負担だとなる
認知症の場合、人によって違うが何か介護する動機をもてるのである。
自分の場合、家に尽くした人だから恩返ししなければならないと懸命に介護したのであるでは生まれつきの障害者に知的障害者でも世話するとなるとその動機がもてるのかとなるただ自分が生んだというだけでその負担を一生負わなければならないからだ。
それもあまりにも過酷だとなるのである。

ともかく病院は一番簡単に人を殺せる場所なのである。外国で大量殺人があったしそれでも立証するのがむずかしいという、病院は医療ミスが常にあってもなかなかわからない、高齢者などが死んでもただ寿命で死んだというだけで問われないし家族も問わない人が多いのである。身寄りがない人だと余計に殺しても実験台にされてもわからないのである。家族が何か言うこともないからである。
病院は密室化して非情な場所になりやすい面がある
それと看護師でも医者でも高齢者はこれから故意に殺すということがありうる
それを許す社会状況もあるからそうなる、だから障害者や高齢者の大量殺人はこれからも起きてくる、自分は病院に二回一人で入院したから恐怖を覚えた
南相馬市立病院ではそれほどでもなかったが相馬総合病院では看護師の扱いがひどかったからいい印象をもたなかった。
一人の看護師でもそういう人がいるとその人にとっては悪い評価になる
親切にされた人はまた違った印象をもつのである。
医者は一日二回も回診していたのだから南相馬市立病院よりは良かったのである。
ただ看護師でももうそういう病人とか高齢者にばかり接していると嫌になる
何かストレスがたまり親切にできなくなってくる、そういう過酷な現場でもある。
自分の場合は別に重病でもなかったのだから嫌になるという患者ではない
だから不親切にされたのが今でも心に残っている

そして病院に対しては何か嫌だなという気持ちが大きくなっている
要するに病院という場でも弱者と強者となる場だからそうなるのである。
患者に対して医者や看護師は逆らえない強者になる、すると従わざるを得ないのである。それは自分が病気になり苦しんで介護しているとき借金を要求してきた親戚の人もそうだった、自分が身寄りがないとなんとか弱点をついて責めてきたのである。
相手も金をとるために必死だったからそうなった。
弱者になるとわかるけど弱者とは逆らえないのである。医者や看護師には逆らえない、従わざるを得ないのである。、だから殺されるとしても簡単に殺されてしまう
そうなっても結局殺人なのかどうかも立証するのがむずかしいとなる

それは弱者が相手だからそうなっているのである。
人間はいかに弱者に対して非情になれるかということがある。
弱者になったときその人間の本性が現れるから怖いのである。
そして強者は弱者を支配するようになる、弱者は何も抵抗できないという立場に置かれるそれが患者とか医師、特に病院内ではなりやすいのである。
ただつくづく人間はいつも強者でありえないのだ、必ず一生の間で弱者になる、特に最後に弱者になる、その時弱者となって弱者の気持ちがわかるとなるのである。つまり看護師だって看護される身になるし医者も患者になる、その時弱者になった痛みを理解できるのである。
そうなるのはすでに時遅しともなっているのが人間である。孝行したいときは親はなしとか言われたのもそうである。
親が死んでみないと親のありがたみもわからないのである。

やはりこの事件の解明はなぜ殺したかという動機だろう。何か看護師同士でもめていて恨みがあった形跡もある、とすると動機は何であったのか、殺人の動機というとき犯罪の動機というとき、一つだけではない、いろいろなものが重なって犯罪になる
なんらかそうして犯罪になる動機がかさなっていった。
この動機の解明は大事だろう、それは病院ではまた同じようなことが起こりうる高齢化社会だからである。看護師がそういう状態になる、患者を殺すような状態にある、そういう動機をもつというとき他の人にとって危険になるからである。
犯罪の焦点は動機にある、動機がなければなかなか犯罪者を特定しにくいのである。




posted by 老鶯 at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年08月19日

認知症は記憶できない病気 (料理することが認知症の予防になる)


認知症は記憶できない病気


(料理することが認知症の予防になる)

ninnchiii111222.jpg


文字がどこにあるか一旦見せて隠すと認知症の人は記憶できないからわからない
普通の人でも一文字ならわかるがこれが二文字ABとかなるとわかりにくくなる
そしてABCはなるともう普通の人でも覚えることができない




認知症も本当に何なのかわからない謎である。一番驚いたのは銀行から金をおせなくなったことである。これほど衝撃的なことはなかった。
いつも頭がいいと自慢していたしそういう面はあった。
それが金が下ろせないとなれば完全に無力化したことになる
なぜなら金がどうのうこうのというが金はやはり力をもっている
金があれば人も動かせるのである。人は金に従うのである。すべてではないにしろ金をもっていれば老人になっても無力化はしない、その金をもっていても自由にできない
これほどショックなことがあるだろうか?
一億円もっていも銀行から金を下ろせない、みんな金にこだわり金、金、金で生きているのに金があっても自分で使えないということが一番のショックである。
それが認知症になると起こるのである。

だからこのことから見れば何なのだ、全く馬鹿になってしまったのかというふうに見るし外からも見られる
そして不思議なのはその金を下ろせないということで自分の頭をたたいてく悔しがっていたのである。とをしてもわかろうとしてもわからないからそうなって不満になり自分の頭をたたいていた。
これを考えると自分が銀行から金を下ろせないことを意識している
金を下ろせればいいと思っているができないので不満なのである。
それが怒りにもなる。ではこうなると認知症の人は全面的に馬鹿になったのだろうか?
そうとうもいえないのが不思議なのである。

図のように認知症は記憶できない病気である。
実験として図の中にAを見せる、次に隠してどこにあったか指摘させる、たいがい一つの文字ならわかるだろう。でも認知症の人はなかなかこういうことが相当に苦手になる
まず文字が二つAとBになったらほとんどどこにあったか記憶できない、直前の記憶ができないことが認知症の特徴なのである。
普通の正常の人でもまずもじがABCとなると図の中に配置したらわからなくなる
このことから料理することは認知症の予防になる
なぜなら料理することは十種類くらいのものを使うからそれを覚えていないとできない
特に冷蔵庫の中にどこに何があるかを知っていないとできない
料理は明らかに頭脳を働かせて整理する訓練に向いているのだ
種類が多いから冷蔵庫でも中にどこに入っているか自分は忘れるのである。
もし料理することだけを専門にしていればそういうことはない、いろいろやることがあるから必ず自分は忘れるのである。
人間は一つのことにAという文字には注意して覚えるがそれがABとなると覚えにくくなる
二つ三つとなると覚えにくくなるのである。

認知症が記憶できない病気というとき良く財布とか大事なものを隠すが隠したところが記憶から消えるのでパニックになる、それで泣いて訴えたり探せと狂気のようになるのである、何かその時感情が高ぶり狂気的になるのが認知症の特徴である。
だから側にいる人は常にその隠した場所を知っていてないというときここにあるよと安心させるのがいい、だから狭い部屋で管理しやすいのがいいのである。
なぜなら二階に自分の着るものを置いたりする余計に自分でかたつげていてもないとなりパニックになり狂気的になるからである。盗まれたとか異常に感情的になり激怒したりするからである。良く入れ歯をなくすので苦労したのである。
認知症はまた整理できない病気である。同じ種類のものとか同系統のものとかを区別して整理できないのである。

認知症の人がなぜ暴力的になるのか?それは今までできたことができなくなる不満が大きいためである。それから今までつきあっていた人ともつきあうことが断られたりいろいろな不満が大きくなる、するとその不満が一番身近な家族にぶつけられるのである。
施設だと介護士とかの暴力になる、そういう簡単なことができなくなっても以前としてプライドをもっている、自分はこの家で何々してきたとかやはり自慢している、自分は頭が良かったとかも言いプライドはなくならないのである。
確かに簡単なことができないわからないにしても人間としてその人は馬鹿になり人間でなくなったのかと思ったこともあった。
それが最初の驚愕だった。でも人間としてわかっていることもある、人生経験から何か諭すようなことも言うのである。

ともかく認知症の人を扱うのが大変なのは家族だったら自分の家族だったらこの家を作った人だとなると馬鹿として扱えない、自分はいろいろやってきたというときプライドをもつとき否定できない、施設だったらそういうことはないからそんなプライドをいちいち取り上げないだろう。頭から馬鹿にしたりするだろう、する不満になりそれが怒りとなり暴力ともなる、ここが一番やっかいなのである。
功罪はあるにしても功績があるからそのプライドを否定することはできないのである。

いづれにしろ認知症の予防というとき記憶できない病気だというとき料理などしていないと認知症になりやすいだろう。一人は全く料理もなにもしなくなっていた。
一人は93さいころまで料理していたのである。趣味もなにもないが料理していたので認知症にならなっかったのかもしれない、ただ95歳頃から寝たきりになり認知症になっていたこのころになるとみんな認知症になるからこれはとやかく言えないのである。

認知症の症状には脳のメカニズムが関係しているのだろう、直前のものが記憶できないということは海馬が障害を起こしている、でも昔のことは鮮明に覚えているので千回も話しつづけて聞いているのが嫌になる。
過去に生きているというとき自分は過去に何々をしたとそのしたことを認めてもらえたいのである。戦争で苦労したらその戦争で苦労したことを認めてもらいたいのである。
そこにプライドがあるからである。だからその人が迷惑ばかりかけていたりしたら認知症になったら介護するのもいやになるだろう。何もしてくれない何も残さなかったとか世話しなかったとかなればそうなる。
迷惑をかけつづけて最後にまた大迷惑をかけただけだとなってしまう。
自分の場合は特別良くしてもらったから介護したし今になると恩返しできて良かったなと思う、そうでないと何も恩返しができなくて後悔したからである。

介護というとき個々の家族の事情が深くかかわっている、兄弟でも良くされたものが介護しろとなるのはそのためである。ただ介護は家族だけでは負担になる。
自分も十年間して疲れたのである。何か相当に介護は精神的にも肉体的にも消耗するのである。ただ自分はやりたいことをやらせてもらったから不満はないのである。
親子関係でも家族でもいろいろだから介護の事情は違ってくるからいちがいに言えないのである。
ただつくづく人間は日頃の行いが大事だなと本当に思う
自分の所に来た親戚の人は事業に失敗していたのだから何も助けることはできない、多少はしてもただ頭が借金のことで一杯なのだから何もできないというより脅迫されたから怖い、これも日頃の行いが悪かったから肝心な時に何もできない、かえって苦しめる結果になったのである。

原発事故でも仮設で何もすることがなくギャンブル、パチンコばかりしている人もいたし何か会津で家具の修理の仕事とか他にも農業しているとか日頃していることをしていた人もいる。大工なども仕事としてどこでもできる
何かこうした緊急事態のときでも日頃していたことが役にたち復興になる
何かあったからといって人は何か特別なことができるわけでもない
日頃していたことしかできないと思う、そのことが役にたつのである。
だから日頃の生活が大事なのだけどそれがあまりもに平凡だから大事だとも思わない
人間の一生でも何か特別なことは人生に一回とか二回くらいしかない、あとは平凡なのである。青春時代は特別なことが起こるがあとは何か人間は平凡なのである。
家庭生活でもそうだし何か特別なことはないのである。

ともかく認知症の対処も家族で違ってくるが認知症特有の症状は共通しているところがある。直前のものが記憶できない病気ということで共通している
その他はいろいろあっても全部が異常をきたしているものでもないようにも見える
これも個々に違っているからわからない、でも馬鹿になっか、痴呆になった、もう人間として扱えないとまではならないと思う。
ただ症状があまりに悪化するとそうなるかもしれない、なんか最後に正常にもどるということを書いたけど時々認知症の人が正常にもどる正気にもどるというのもこれは経験しているから本当である。これも不思議なことだったなとつくづく思うのである。

posted by 老鶯 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月26日

認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ (プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ


(プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


●自分のしてきたことについてプライドを持っている

●時々正気にもどる、最後は特に正気になる

●人格は崩壊しない


認知症は何かとなると謎である。医者がいろいろ判定しようとしているが何か実際はわからない。
本当にこの人は馬鹿になったのか?痴呆になったのか?何もわからないのか?
こう問うてゆくとそれが良くわからないのである。
確かに銀行で金もおろせないとなると知能指数は極端に低下して白痴化したのかと思ったでも奇妙なのは人間は計算などできなくても人間でありうる
そもそも人間であることはどういうことなのか?
これもまたわからないけど生まれつきの知的障害者と違っているのは老人の認知症は長い間正常に生きてきて実際に自分のしたことに誇りをもっている。
そこが根本的に生まれつきの知的障害者とは違っている
生まれつきのちて知的障害者はプライドをもっていないだろう。
だからこそ馬鹿にされると怒るのである。激情的な人だと暴力になる
計算できないとか忘れるとかあるのだけどそれを指摘して馬鹿になったとすると怒るのである。

それはどうしてかというとプライドは消えないからである。
自分が人生でしてきたことに対してプライドをもっている
だからこそ過去のことは覚えていて自分がこうしてきたんだよと何回も言うのである。
自分のしてきたことについて誇りをもっているから何回も言うのである。
姉の場合は従軍看護婦とてし四年間シンガポールで辛酸をなめたから死ぬ間際までそのことを語りつづけたのである。
そのことが人生で一番印象に残っていたからである。
そして家に尽くしてきたことも事実であるから語りつづける
それは自分ともかかわるからそのことを否定できないのである。
つまりそのことを自慢したら持ち上げるほかない、そうだと認める
そうすればプライドを満足させられ気分も良くなるのである。
これが施設だと家のことは関係なくなるからプライドももてない
家から離れると施設は家でしたこととは関係ないから
家のことを語ってもプライドを満足させられないのである。

要するに認知症の介護のむずかしさは人間として最後までプライドをもっている
それを家族の一員は本当だから否定できない、持ち上げることで同調するしかない
施設だとそれがないから症状が悪化するともなる
だから社長だったような人は嘘でも社長の部下のようにふるまうと気分が良くなるとなる家庭の場合は演技ではない、現実そうなのだからそれを認めねばならないのである。
自分はそうしてきたのは家にも尽くしてくれたからそうならざるをえないのである。
それは他でも母親として苦労して育ててもらったらそうなるのである。

最初は何かわからなくて人間でなくなったのか?そう思い恐怖した。
でもだんだん介護しているうちこれはそうでもないのかと思ったりした。
ただ実際はいろいろあって良く理解できなかった。
認知症になっても人格は崩壊しないし人間として生き続ける
ただ自分は一人しか見ていないから他はわからない
認知症の人は多様であり定型化できないからである。

そして認知症の人は時々なぜか正気にもどる
これも不思議な現象だと思う
二人介護して二人ともそうだった。
時々正気にもどったのでびっくりしたのである。
特に死ぬ間際にはたいがい正気にもどる
生まれつきの知的障害者は正気になることはないだろう
認知症は必ず正気にもどる時があるからこの人は馬鹿になったとはならない
最後まで正気の人として接することが要求される
これもいろいろあって家族ならある程度できるが施設などではむずかくなるだろう。
だからどうしても介護は家族がやるのが理想なのである。
認知症になるとどうしてもその人のことが理解できないからそうなる。

自分の場合は二年間くらいが認知症の介護であり次に寝たきりになった母の介護だった。だから認知症の介護は短いから救われたとなる、長くなったら疲れ果てて嫌になったろう正直早く死んでくれて助かった。なぜならそのあとまた介護がつづ0いたからである。
認知症の介護は放蕩にむずかしい、それは身体の介護というのでなく心の介護になっているかかもしれない、第一その人が人生で何をしたかなどと普通はかかわれないだろう。
家族だったらかかわれるけど他人はかかわれないだろう。
医者でも看護師でも体はみても心まで人生まではかかわれない
それは認知症とか終末ケアの大きな問題なのである。

結局なんであれ人間は最後に生きてきた自分のしてきたことを認めてもらいたいのであるそれもそうである、自分の一生がなんであれ無益だったとされたら耐えられないだろう
人間は貧乏なのは貧乏それ自体ではなく貧乏として金持ちに見下げられる、下等な人間とてしさげすまされることなのである。
別に貧乏でも誇りをプライドを持つものがあればそうはならない、俺は貧乏だけど画家としては一流だとか何かプライトをもっいれば貧乏でもプライドがもてるのである。
なぜイスラムのテロが起きるのか?それは差別されるとか何かさげすまされるとかプライドが傷つけられるからである。
人間は誰でもプライドを持つ、そのプライドの戦いが人類史だとも言う人がいる。
イスラムはもともとヨーロッパより先進国だった。科学や数学はイスラムからヨーロッパから学んだのである。それは中国に言える、中国は日本なんかより先進国だったし学んだ国だからそこで中国人はプライドがあり反日になる。
戦争でふみにじられたことがプライドを傷つけられて許せないとなるのである。

認知症の人も最後までプライドは消えないし人格が崩壊するわけでもなかった。
ただ数など計算できないから痴呆になったと思ったがそうでもなかった
ただ謎が多いことは未だにあり一人しか見ていないからわからない
認知症の介護のむずかしいのはプライドをもちつづけるからそれを否定しないようにすることである。
プライドを傷つけられると激情的な人は暴力になるから気をつけろとなるのだ。
そこが介護のツボとしてあるとなる。
ただ家族ならそれに答えられるが他人だとむずかしい、
体だけみているのとは違うかむずかしいのである。
若い人は身体を介護しても心までみるとなるとさらにむずかしいだろう。
そこに介護とかターミナルケアのむずかしさがあった。  
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月16日

介護で国力も衰退する (老々介護で共倒れが増える)


介護で国力も衰退する


(老々介護で共倒れが増える)


姉と関係していた近くの人が病院に入院しているという。
その夫とあって話したらその人は83才であるが頬がこけてやせて病人のように見えた
前に書いた戦争を経験した95才の人より老けて見えるし顔全体がやせて病人のように見える
その人は別に介護といっても病院に通うくらいだからそれほど辛い介護ではない
施設には入れないというときそれはみんながそうである、それで病院に入院していられるのも助かっている
確かにあの人を見ると自宅ではできない、でもまだ自転車にのれるのだから筋肉は弱っていない、それにしても悪いけどあんな骸骨のような顔になるのも老いの辛さがある。

これから老々介護も増えてきて悲惨な事件も起きている、NHKで介護殺人のことを報道していた。自分も同じ心境だった。死んでくれたら楽になるなと思うことは異常なことではない、介護しているとそうなるのだ。
介護の問題はいろいろあるけど介護は長いということである。自分は二人で十年間であり他の人も7年だとか十年だとか長いことが答えるのである。
癌だと余命一年とかなるから苦しくてもその間我慢すればいいと割り切れるが介護は先が見えないほど長いのである。
その人は認知症の母親を十年介護している、それで脳梗塞で倒れたとき救急車を呼ばないで死んだ方がいいと思ったという心境もわかる。誰でも死んでほしいと思うことがある。それは異常なことでも非情なことでもないのである。十年も介護していたらそうなる。
その人は50才としたそれまで50前から介護しているとしたら余計に辛いとなる。
近くの腰がまがりかけた女性も十年介護しているという、老々介護になると介護する方の負担が大きくなるのだ。
自分も病気なのに介護していた。誰も助けるものがいない、助ける人が一人は犯罪者であり一人は借金を要求するような人だったからかえって負担になった。
人の弱みにつけこんでくるような人だったのである。何の助けもなかったのである。
介護は誰か一人にまかせられる傾向がある。兄弟がいてもそうである。

介護で一番苦しいのは何かという問いに自由がなくなったということを言っていたが同感である。刑務所に入り牢獄につながれたようだというのもそうである。  本当につききりになるから全く自由がなくなる、自分にとってはこのことが一番辛かった。自由気ままに生きてきたから余計にそうだった。
ただ自分の事情としては特別そうして自由に生きられたのはそれだけ家族にしてもらったからだとその時自覚したのである。
つまり自由というのは誰かによって与えられたものなのである。
まず家が金銭的にでも労働でも余裕がないと自由は与えられない、金があってももし自分の家が一人だとむずかしい面があった。二人がいたので自分は自由に旅できたのである。留守する人がいたからである。今は一人だけど何か旅するにも留守する人がいないとなると不安になるのである。
自由というときやはり旅すればホテルであり食事であれ交通であれ世話になる、誰かが働く人がいて自由な旅もできるのである。
普通はみんな働いているからである。


ただ介護自体はいくら懸命にしてもそれ自体が何か社会にとって有益にも思えない
私はこれだけ親の介護しましたよと言ってもそれは親なんだから当然でしょうとなるだけである。
でももし芸術にしても作品をみせてそれが価値あれば社会的に価値あるものとなる。
介護したからと社会的に認められることはないのである。
それで介護というのは相当な社会的損失になるし国力の衰退にもなる
ある人は技術者であり会社で開発を担当していた。50才くらいであり油がのりきっている年齢だけど妻とかの介護をさせられた。それで仕事ができなくなることは社会的損失であり国力の衰退までなる
自分ももし50才で介護させられたら海外旅行できないから何か批評するにも馬鹿なことを言っていたろ
50才で海外旅行して見識が広まったから何かを言うことができる、理解できたから言うことができる、自分の場合は介護になるまでに自由を奪われなかったから良かったのであるだから自分は親のことを責めたりしないし介護でも懸命にしたのである。
でも40とか50とかで介護させられて仕事もできなくなったとかなると後で恨みになることはまちがいない、介護のために親のために人生を奪われたと恨むようになる。
介護が十年ともなると人生の中でその時間が奪われたことになるからだ。

これからは老々介護も増えてくる、そうすると共倒れにもなり介護殺人も増えてくる
施設に入れないとか普通であり団塊の世代が介護されるときもあと十年とかでなる
そうなるともう介護ができない、施設にも入れないとか悲惨な事件が日常的になる。
身寄りがないような人はもう介護されないとか病気になったら自死を覚悟せねばならない自分がそれを経験したから恐怖である。誰も助けてはくれない、同情もされない
病院でも看護師に虐待されても施設で虐待されてもどうにもならないから恐怖である。
結婚しない方がいいと考える若者はその老後い厳しさ予測できないのである。
金があればその金目当てにくるたげである。実際に犯罪にあったからである。
つまり老人をどうみているかというと一般的に財産があればその財産に目をつけられる
それは子供ですらそうなのである。だから介護しないなら子供でも財産を与えないというのもわかる。そういう時代になったのである。
老後とは長生きとはかえって過酷なものとなってゆく
だから一番大事なのは健康だとなる、健康であればなんとかのりきれるが金があっても健康がなくなれば老後は地獄になるのである。健康の価値は何倍にも高くなるのが老後である。

では健康というのはどうして作られるのか?これも若いときからの日々の暮らし積みに長年の間に影響してくる、そして60以後必ず病気がでてくる、60以後は別に健康に注意していた人でもなんらか病気になるのである。
自分は30代で酒も飲まなくなった。そして体力がないのだけど疲れると寝ていたから楽したからこれまで生きられたのだと思う。集団的に生活することができない性格である。
学校にも会社にも適応できないが家族に恵まれたから体力がなくても生きられたとなる。60以後は何であれ人生の総決算のようなものが具体的に否が応でも現れてくるのだ。
それは正にカルマの総決算である。これはさけることができないのである。
要するに自業自得だということである。若い内はたいしたことがないことと思っていてもそれが老後には痛恨の苦いものとなる。若気の至りではすまされなくなるから怖いのである。そのカルマは必ず老後に払わされるのである。

だから「心の青雲」でも何か空手でも体を鍛えているというのには感心する
リハビリでもやはりそうして心がけで回復する人としない人がでてくる
そういう姿勢には共感する、
いづれにしろ介護というのは国力すら衰退させる大きな社会的問題である。
親の介護で人生の時間が奪われるた人は親に感謝しなくなるだろう。
これも大きな問題である。自分は若いときは親戚の人が病気になって助けを求めたとき何もしなかった。自分のしたいことをした。それで良かったと思う。
旅をして良かったと思う。今になると旅すらできないからである。
なにかやりたいことをしないということは必ず人生を後悔する
それが介護などで奪われたらあとで恨むようになるのである。そしたら親子双方でいいものとはならないのである。
でも介護は否応なく課せられることもあり悲劇となるのである。
自分の場合はカルマとして納得したことであり恨みもないしかえって恩返しできたと思っている、でもみんながそうはならない、自分は運が良かっただけだとなる
ただここ十年の苦しみはまさにそうして恵まれた結果としてのカルマを返すために苦しんだのである。
タグ:老々介護
posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月14日

老人の存在感 (九五才の戦争を経験した人がいつもいる)


老人の存在感


(九五才の戦争を経験した人がいつもいる)


いつもの木蔭の道を行くと車椅子に座っている老人がいる。
その人は大内の人で九五才である。
耳が聞こえにくいがまだ頭はしっかりしている
ただ立つことができないのである。
「立つことは大変なんだよ、体の重量が全部かかるから
私は毎日筋肉が弱らないようにここを車椅子で運動しているんだ」
確かに立つということはなんでもないようで体が弱ってくればできなくなる
筋肉が弱ることは歩けなくなったり立てなくなったりする
すると骨折したりして寝たきりになったりするはもう筋肉が弱り動けなくなる
そうなると世話する人も大変になる

自分の母親は一〇〇才で死んだけど最後まで立つことができたた。
ポータブルトイレで用をたすことができた。
それでオムツもしないから楽だった、オムツは本人も相当に嫌なものであり答えるのである。
だから小便を管でとるようになったとき病院で泣いていやがっていたのである。
オムツになったりすると人間の尊厳が著しくそこなわれるのである。
だから筋肉が弱るとまず歩けないということはトイレに行くにも補助するとなるとその世話する人はつききりになり大変になる。
オムツになると本人も世話する人も大変になる、筋肉が弱るということは致命傷になる
人間は立つということは方の動物を見ればわかるが体重が腰や脚にかかるるので楽ではない、動物は四つんばいだから体重がかからない、人間が立つということは特別なことだった。他の動物は立っていないからである。
立つということは上を見上げることであり星でも見上げることになる
動物は見ていると絶えず地面を探り顔を下に向いている。動物の関心は餌を見つけることなのである。人間は立つことによって精神的存在になった。
だから立てなくなることはまた歩けなくなることは人間の尊厳が著しくそこなわれるのである。

その老人は日立製作所で飛行機の整備をしていた。ゼロ線などの整備をしていた。
それで自分は技術者だったと自慢している。
そして今の人は戦争がないから楽だと常に言っている
それは戦争を経験した人はそう言う
つまり戦争という経験は経験した人しかわからないのである。
だからその言葉には重みがある。
それをいろいろ今は伝えるものがあるけどその人が今も九五才で生きていて言うことに重みがある。
なぜならすでにもう戦争を経験した人は九〇才以上でありまもなく戦争を経験した人はいなくなる
まだ戦争を経験した人がいるということは直接語るということは重みがある。

その老人は大内の人で津波で家が流された、それで着るものがないというとき礼服がないということらしい、みんな流されたからそうなる
仮設に入っている人でも津波の被害にあった人もいるし小高のように補償金をもらった人も多い、そういう人たちの間でも不満があり対立する
ともかく良く今でも墓に大きく軍隊の位を上等兵とかなんとか記されている
その当時はその位が大きな意味をもっていた。その位が社会にとって大きな意味をもっていて自慢できるものだった。今になるとそうした軍隊の位など注目しないのである。
なぜ墓にそうした軍隊の位が記したのかというとそれが国民として重要なものとして認められていたからである。それで敬意を払いとなり軍隊の位を墓に大きく記したのである。
人間は老人になると自分のしてきたことを語る、でも語るにしても自分がこうこう生きてきたと正直に語れる人はやはり自分の人生を自分なりに精一杯生きた人だとなる

小高の工事現場で働いた人もいろいろ語る、あの人は特別話好きだから聞いていて面白いとなる
第一工事現場でそうした下の人が上の人に工事について提案する人はまれだろう。
ここは粘土で水がしみてくるから砂をまけばいいとか上司に提案して採用されたとかその人は上の人に何かと言い提案しているのである。
その人はだから工事現場で下で働いていてもそのことを語るのである。
つまりただ上の人の命令のままに働いていたというのでもない
下で働いていてもそういう積極性があった。何か働くにしてもそういう積極性がないと人間はロボットのようになってしまうだろう。
つまり仕事には何であれ常に創意工夫が必要なのである、それはあるゆる分野でそうなのである。工事現場で下で働く人もそうだったとなる
もしそういうものがないと働くことに積極的になれないだろう。

ともかく老人は今まで生きたことを語ることに存在感がある。それは何であれそうである戦争の是非はともかく戦争を経験したということ自体が今や大きな存在感をもつことになる、戦争に比べれば今の人は楽だと見えるのである。
戦争は生きるか死ぬかだからそうなってしまう。
そして人間は誰でもプライドをもっている、それは認知症になってもそうなのである。
認知症とはなにか?実際これは病気なのか何なのかわからないのである。
明らかに病気としてあるがでは人間でなくなったのか?痴呆となって人間ではないのかとなるとこれも実際介護してわからないことだった。
つまり認知症になっても今までしたことに人生を生きて来たことにプライドをもっているだから数字のことなど金のことなどわからなくなってもプライドは消えないのである。
それで馬鹿にすると敏感に反応して怒るのである。
姉も従軍看護婦として四年間シンガポールで戦争を体験したから死ぬ直前まで戦争のことを話していた。それだけ戦争というのは特別のことであり忘れられない経験だったのである。

今の世の中老人は早く死ねとかそんなことばかりである。それは経済的負担が若い者にかかるからそうなる。介護でもその負担が大きいからそうなる。
実際介護となると十年もしたからこれも無益だとなと思った、人生が奪われると思った。自分の場合は特別良くしてもらったから納得してやったが他の人は五〇代で仕事に一番油がのっているときにその時間が奪われるのは大損失であり社会的にもそうである。
ただすべてがそうかというとそうでもてい、以前として老人の存在感は社会にある。
俺はこうこう生きて来たんだよということを聞くことは次代のものにも参考になるのである。そういうことも歴史としての連続性を維持することになる
人間は一代だけで生きるものではないからである。だから農家などでは代々土地を受け継ぐからそこに他の人より故郷に愛着をもつのである。
会社とかはそんなに持続しないから愛着をもてないともなるがやはりそこで働いていたもは愛着をもち、病気になった人がもう一度工場の現場に行き仲間と働きたいというのもわかる。何であれそこで人生を費やしたのだからそうなるのが人間なのである。

だからともかくなんであれ自分の生きたことに誇りをもつ、誇りをもつように生きることが大事だとなる、それは別に地位が高いとか技術があるとか何かそういうことではない、自分が生きたことを正直に語ることができることなのである。
ただ戦争で人を殺した人はそのことを語れないということがある。
そういう人がいて何かそこに戦争の大きな問題がある。
どんな戦争でも人を殺すということは誰でも罪悪感が残る。それは勝ち負けでなくそこに戦争の大きな問題がある。

老人の話を聞きぬ木蔭かな
タグ:戦争
posted by 老鶯 at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月03日

朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴 (医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)



朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴


(医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)


EU内でもルーマニアでは医者が給料が安いとかで外国に流出して国内で医者不足で困っている
イギリスの医者もドバイの馬鹿高い給料でそこに移った。給料だけではない、医療技術を学べるとかでも外国に流出している、最新の機械をそろえてもらってその人の技術が活かせると言っていた。イギリスでは国営なのでそれができなかったという。
ルーマニアでは若い医者がここでは最新の医療が学べないとして外国に出る、ルーマニアで月給が高いの共産主義時代の名残で軍人とか公務員だという。軍人が給料が高い国はいい国ではない、やはり医者とかが給料が高いのは先進国ではどこでもそうだからである。
でもここでの矛盾は何でもグローバル化すると金があるところに人材が集まり金のないところにはいい医者は集まらないとなる。これも矛盾である。
日本でも田舎には医者不足なのはこの事情とにている、ただ給料は高い
若い医者が田舎に来ないのは腕が磨けないからだという
南相馬市に新しくできる、建物はほとんどできた脳出血専門の病院はもともといた副医院長が手術がうまいとか評判だったし若い人がここで学びたいと前から来ていたのである。田舎でもそういう名医がいるところに若い医者が集まる

グローバル化というとき、EUの中で人や物が自由に行き来するというのでパスポートもなく出入り自由になった、そうなれば当然人間が医者なら金になる国に移るし労働者も移るそれで不満になったのがルーマニアであり東欧から労働者が移民が入ってきたイギリスであった。双方ともに不満なものが残った、イギリスだけではないそうした医者とかが流出するとなるとルーマニアではグローバル化で損害を受ける、医者は命にもかかわるから大事である。それがないがしろにされる
要するにグローバル化の問題は金の集まるところに富裕な国にまたは日本なら東京とかに人材が集まり地方は置き去りにされるのとにている
ここにも格差が世界的に起きているのである。

医者は金と情でどちらが大事とか問うていたけどグローバル化するというときはルーマニアのように給料が安い所にいたくないとなる、情として国に尽くしたいとしても現実問題としてはそうなる、地方の医療に尽くしたいと思っても若い人は医療を学べないとして行きたくない、医は仁術というとき医者は今ここで病気で苦しんでいる人がいればその人が金のあるなしにかかわらずまず助けるということが先になる
それで救急車が無料で呼べるシステムになっているのである
医者には給料が高いのはいいとしてそうしたまず命を救うということが仕事なのである

事業をしていた人は自分が病気であることを全く考慮していない、ただ借金を返すことしか頭にないから借金を要求する、弱っているから好都合なのである
もし瀕死の状態にあるのにこいつは金をもっていないから医療をほどこさないとしたらどうなるのか?
そこに医療が他の仕事とは違う問題がある。教育なら金のかかる教育は受けられないとしても生死にはかかわらない、何か別な方法もありうる
医療の場合は結局金がないとかで医療を受けられないとした寿命を縮めて死んでゆくほかないとなる、もちろん過剰な医療が必要ないがそうでない場合も医療が受けられず命を縮めるから問題なのである。
日本は国民保険制度で平等に医療が受けられるからいいがアメリカでは金持ちしかいい医療が受けられない,簡単な手術でも何百万かかるとなるから手術も受けられないで死ぬ人かいる。ただ日本のような国民保険で医療を維持するのも金がかかるからいつか限界がくる、医療費が高齢化で膨大になり維持できなくなる、だから過剰な医療はやめるべきだとなる。ただその線をどこに引くかは個々に事情が違うのでむずかしい

また最近医療のAI化が盛んに言われる、一部はすでにロボットで手術するとか現実であるこれもどんどんすすんでゆくと医者も失業するとか言う人もいる。
ある面ではどこでも今やコンピューターの方が優れているからだ。
コンピューターの得意な点は膨大な情報を処理できることである。
それはとても人間の比ではないのである。その膨大な情報から診断できるから医者より優れる面がでてくる。
ただ必ず人間の仕事がありそれはなくならないのだ。
コンピューター化が進むとき人間に残る仕事は何かというとコミニケーションする力だと思う。それは情の分野になる。
この人はかわいそうだなとかコンピューターがロボットが同情することはないのである。同情するのは人間にしかできない、また何かを共感するというのも人間にしかできない、例えば家事は機械化して今や主婦の仕事はなくなるくらいに減った。
でも女性には慰めるというか優しさをもって男性に仕えるというのはなくならない
それは他でも看護師だったら患者をなぐさめるというかコミニケーションする力が必要になる、ただ点滴するとか注射するとかだけではない、患者とコミニケーションする力が必要になる、これは若い人にはない、やはり経験をつまないとできない。

一見若い人がいいようでもコミニケーションする能力には欠けている
だから年寄りを馬鹿にして子供に対するような言葉使いをしているとか批判しているプログもある。人生を経験を積んだ年寄りを子供扱いしているのである
それは年配の人と経験を積んだ人とコミニケーションできないからである。
自分が相馬市の病院に入院したとき看護婦長が「介護しているので大変ですね」と言ったときこの人は自分の事情を察してくれたと思ってうれしかったのである。
若い看護婦は師はそういうことはみないのである。
だから若い人と年配の人との仕事を分けるということもありかなと思った。
若い人はハードなことはできるがコミニケーションのようなソフトなことはできない
年配の人は人によるがコミニケーションには向いているからソフトな仕事をする
それは介護の現場でもそうである。
人とコミニケーションをとるというときその人に共感することが大事である。
自分も自分の年上の人の話を聞いてそのことを書いた、それは年が10歳くらいしか離れいないからできた。同じような経験をしているから話を合わせることができた
その人の語ることに共感できた。そうでないと話を聞くにもできないのである。

グローバル化とかAI化とかコンピューター化とかは現代的なものとしてすすんでゆくがそこに問題も生まれる
インターネットとは知のグローバル化であるからだ。人や物だけではない、知識もグローバルに流通する。そして膨大な知識が本が最終的に無料で読まれるようにするのがグーグルの目的だという。そうなれば素人でも専門家になりやいだろう。
文章を書くには何かを必ず参考にしているからである。
そして作家になるには物書きになるにはこれまでどうしても書斎がそれなりの本がないとなれない、一つの図書館をもっていないと何か引用したりすることができないからであるでも図書館にゆくのはめんどうだから家でできないと文章が書けないのである。
それで田舎でも情報や知識の点では格差がなくなった。
本でも古本でもアマゾンでボタンを押せば次の日には配達されるから便利である。
電子本だったら即座に読めるのである。
いづれにしろグローバル化による弊害もあり利点もある。
ただその矛盾が最近格差問題などで噴出した。医療というのもやはりグローバル化して問題が起きる、常にグローバル化とは金がある人は得して金のない人は損することが極端化してしまうのである。
それが象徴しているのがドバイの高級医療をほどこす病院だったのである。

タグ:医者
posted by 老鶯 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年05月24日

戸籍は何なのか? (一旦銀行にあづけた金は国家が管理する)


戸籍は何なのか?


(一旦銀行にあづけた金は国家が管理する)


ゆうちょ銀行の相続センターでの審査が通らないので、
書類がきちんと整うまでは、永久に銀行の相続を完了できなくなります。

当センターにご依頼頂いたケースですと、凍結した銀行口座の解約手続きを自分で進めようと約6ヵ月間頑張った挙句、「戸籍等の資料収集が煩雑」・「銀行員の指示が二転三転し手続きが混乱」等の理由から自力での手続きを諦めた相続人様からご依頼を頂いたこともあります。

初回で指示された内容と違う内容を新しく指示されて、「あの書類が足りない・この書類ではダメ」等と、銀行側の指示が二転三転することも珍しくありません。

なぜこの手続きで当該戸籍が必要なのか?
なぜ当該相続人の印鑑証明書と実印が必要なのか?

この意味を銀行員自身が理解していません。

銀行員が明らか法律を無視した対応をとる場合は、間違いを正すこともできます。

銀行員に対して正しい手続きの在り方をアドバイスするとこともあります。


ゆうちょ銀行が相続では一番めんどうみたいである。
なんでこんなめんどうなのことが必要なのかと聞いたら相続人を探しているためだというでも提出した書類には相続人はすべて死んで残った一人の姪子の書類はハンコなどをおしてもらい提出している
あとの相続人は死んでいるのである。それもすでに母が結婚した前の夫は戦前の人であり死んでいる、その息子も兄になるが交通事故で死んだ、あと何を調べようとしているのかと聞いたら転籍した先での戸籍に養子などがないかどうか調べと言っていた。
それも提出した書類でわかるのである。
戸籍のつながりを見なければならないとは言っていた。

戸籍はなんのためにあるのか?

相続が発生するとき戸籍が必ず必要になるから

他にも戸籍には国民を管理する機能がありそれに異議を唱える人がいる、差別だというのもあり私生児と摘出児とか非摘出児とか他にも戸籍で差別が問題になる
明治大正になると戸籍に平民とか記されているから士族と平民に分かれていたのである。戸籍は江戸時代では寺が役所の代わりで人別帳を作り管理していた。キリシタンをとりしまるためにも管理していた。つまり国家で管理するのが戸籍にはもともとあった。
それが明治になると四民平等に建前はなったが差別が継続されていたのである。
それで戸籍の国家管理に異議を唱える人はマイナンバー制度も国家の管理を強化するからすべきでないと論述している

そもそも戸籍など普通のときは考えない、でも戸籍は相続の時一番かかわる、戸籍はやはり国家が国民を管理するためにある、そしてわかったことは

ゆうちょ銀行であれ他の銀行であれあづけた金は国家が管理する

一見自分の金のように見えるが一旦金を銀行にあづけることはそれは国家にあづけることでもあるのだ。
だから相続のとき戸籍を通して相続に関与するのである。相続に銀行が国家が関与するのでてある。銀行はつぶせないというとき国家が援助してつぶさせないことがある
国家と銀行は金を管理することで一体なのである。
それは日銀と銀行が実際は金をコントロールしていることでもわかる
銀行はつぶれない、それは国家の支配下にあるから簡単につぶせないのである。

だから預金封鎖があるというとき国家と銀行が一体となって実行する
銀行から金がおろせなくなるのだ、一旦銀行にあづけた金は必ずしも簡単におろせない
良く十万くらいならいいが額が大きくなるとおろしにくくなるなど言われるのもそのためである
例えタンス預金していても一旦預金が封鎖されれば新紙幣しか通用しなくなるから出さざるをえなくなるのである。旧紙幣は使えなくなるからである。

戸籍にもいろいろな問題があるが戸籍は国家が深くかかわるものでありそれが役所の主な仕事となっていることでもわかる
国民を国家が権力者が管理支配するために戸籍がある。
戸籍は明治時代に家中心の支配体制を作るために国家がその制度を作った
戸主を中心にして家があるというとき明治時代に家制度ができたからである。墓をみればわかる、家族墓というのが明治以降にできたことでもわかる
つまり・・・・家の墓というのは明治以降できたものである。

なぜならそれまでは江戸時代は・・・家の墓がない

個人墓か夫婦墓である。侍でも・・・家の墓はないてのである。
これは不思議なのことである。・・・・家の墓というときそれは明治時代以降に家族中心の戸主中心にして国家の強制で管理するためのものだったのである。
それは天皇を頂点にして日本人は一大家族だという国家体制を作り上げたとと批判する人もいる。それはサヨクになるがそれも問題にしろ一理ある。
一つの疑問として国家主義というのは世界的にも近代化して国家主義が世界で台頭して世界大戦になったのである。国家というのがないときもあった。国家という概念は意外と新しいのである。
国家がなくなればシリア難民のようになるとか国家主義が国家が最優先するというのもわかる、そもそも国家と民族は違っているし過度な国家主義にはナショナリズムとかには疑問がある。

いづれにしろ相続では兄弟がいれば甥姪まで関係してくる、一人いただけでもこれだけめんどうなのである。
そしてあったこともない親戚も相続に関与してくることがある
だから相続はめんどうなのである。ただ財産がなければこんなんどうなことはないのである。
そして相続の疑問は親戚でも戸籍上でつながっていても全く実生活と関係なくなっている人もいる、でも相続では戸籍を執拗にたどり相続者を探すのである。
なぜ養子がいないかなどまで探すのかとなる

だからこれは別に法律的に正しいということでしているとは限らない、それで弁護士に相談しなさいとなる、ゆうちょ銀行でも相続人の一人として権利をもっているようになっているからである。相続争いに銀行が関与しているのである。
一旦金をあづけたらそうなるのである。なぜそんな権限があるのかとなるといっても一旦金をあづけたらそうなるのである。


それで矛盾を感じたのは血縁関係がないと義理の母を介護でいくら世話しても財産を相続できないという深刻な問題が起きている、実子は血縁関係があっても何も世話しない、でも相続できるのであり介護した嫁は相続できない、これは大きな問題だけど法律上はめんどうになる、法律は常に時代の変化とともに変わる、でも旧来のままになるのも多い
すでに家族が旧来の戸主を中心とした長男を中心とした家族ではなくなっている。だから相続でも問題が起きる。
介護とかその他血縁関係がなくても世話になればその人に財産があれば残したいとあっても特別縁故者になるとまた相続がめんどうになる

銀行にあづけた金は血縁者のみを見ている

だから銀行に金をあづけることは血縁者でもあの人には残したくないというときそれができなくなる、そのためには何らか事前に手を打つほかない
銀行にあづけないとか何か事前に対策をとる必要がある、ただタンス預金も危険になり現実自分も被害があったから勧められない、ではどうするかはやはり何かあるのである
法律の抜け道とかすべて法律で決まる訳でもないし、そこに知恵を働かすべきである。
とにかく銀行に金をあづけるのは今や利子もなにもつかない、あとで相続すら自由にならないから各自このことは考えるべきである。

そしてこれは複雑だからゆうちょ銀行でも他の銀行でも良く理解していないのである。
それで弁護士に相談してくださいとなっている。法律的にめんどうだから銀行自体でも相続ではまちまちであり決まっていないのである。
なぜそこまで調べる必要があるのか、戸籍が必要なのかどうかも実は明確にわからないということである。でも一旦金を銀行にあづけたら銀行がその権利をもつようにさえなっているのである。国家と銀行は一体であり国で管理するとまでなっていることを知るべきである。

タグ:戸籍とは
posted by 老鶯 at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年05月22日

生活保護は富裕層の安全のためにある (格差社会では富裕層は危険になる)



生活保護は富裕層の安全のためにある


(格差社会では富裕層は危険になる)


入所受刑者にかかる税金からの支出額である。ニューマン氏の見積もりによると、1人当たり年間380万円かかっているという。その他にも、取り調べや訴訟、移送などにかかった分として30万円が想定されるという。さらに高齢者の場合は収容中の医療費も必要になる。合計して、高齢者受刑者1人当たり420万円、と算出しており、これは福祉制度を通じて得られる可能性のある金額よりもはるかに大きい


生活保護は何なのかわからなかった。底辺層とつきあうと生活保護と必ずかかわる、それも現代的な問題である。
生活保護は突然の病気とか何か思わぬことで失業したりしたときのセーフティネットとされる。
何かみんなもそう思っている、一方で生活保護はなまけものであり働けるのに働かないものがなっているという批判もある
生活保護の人もいろいろいるからわからない、でも老人でないならたいがい働いているのである。働いても半分くらいは引かれているし収入にならないようになっている。
つまり生活保護なのにその上働いて収入になったら他の人から批判がでる
みんな生活保護もらって働いて収入になればいいとなるからだ

生活保護がそもそも何のためにあるのか?それは確かに病気とか何か不慮の事故とかありそのために一時的に援助するためにあるとなっている。
でも本当は生活保護はそのためだけではない、今日のテレビ討論でタックスヘイブンのことを言っていたけど富裕層は安全な社会があってもうけることができる、アフリカとかソマリアとかでもうけることができるますかと問われた、治安が良くなければ富裕層にはなれないのである。なぜならそういう人は襲われて殺されたり普通にあるのが治安の悪い国である。
ブラジル辺りでは金持ちから盗むことを悪いと思っていない、当然だと思ってしている。貧富の差が激しい国ではそうなる、泥棒にも三分の理があるというとき社会格差が常にあったから江戸時代でもそうである。

要するに今のように格差社会になると富裕層は危険な状態になる、自分は別に富裕層でもない、でも犯罪にあったのは今老人は経済的に苦しい立場に置かれている、まず国民年金では暮らせない、平均して厚生年金でも15万というときそれでもぎりぎりなのである。
いろいろ引かれるからそうなる、すると老人の犯罪が増えるのも高齢化社会で増えたのだから当然だとなる
犯罪を犯して刑務所に入った方がいいとわざわざそうする人もいるというのもわかる。
それだけ追い詰められているのである。
生活保護を受けるとなるといろいろめんどうになることもある、特に男性はむずかしくなる。すると刑務所に入るのが手っとり早いとなる。

生活保護をみんな批判するけどなまけもので働かない奴などととしている。
それもあるが結構真面目に働いても生活保護の人がいる。なぜ働いているのに生活保護になっているのか?
その人はなまけものではない、でも夫に恵まれないとか障害者の子供をもったとかなんらかで生活保護になった。その人はなまけものではない、生活保護になった人はいろいろでも別になまけものだからなったとは限らない
要するに格差社会とはいくら懸命に働いても格差は縮まらないのである。だから階級化した社会とか言われる、貧乏人の子供はいつまでも貧乏人であるとか不満になる。
それを今タックスヘイブンとかで富裕層が批判される
富裕層がもうけられたのは治安がいい社会があってこそでありそのために社会的コストを支払うべきだとなる
富裕層でそれを真剣に自覚している人は意外と少ないのである。


格差社会になると富裕層が本当に危険になる、アメリカでは極端だから富裕層だけが集まり住んで治安を守る街が生れる、富裕層は常時危険にさらされるているのである。
生活保護は何のためにあるのか?基本的には病気とか不慮の事故とかのために安全を確保するためにあるとかなるが実際は違う。

富裕層の安全を守るために生活保護がある

生活保護とは
「あなたには最低限生活する金を与えますから犯罪を犯さないでください、私を襲わないでください」ということなのである。
そのことを富裕層は自覚していないのである。
自分も富裕層ではないのに襲われたから怖いと思った。
そういうふうに刑務所に入った方がいいと思う人が困窮した人たちが増えている、老人でもそうである。それで新幹線で年金で生活していけない自殺した人もいたことでもわかる国民年金くらいでは生活できないからである。
生活保護でもいろいろあり地方だと一万しかもらえないとかもある。年金をわずかでももらっていて生活保護が二万とかもらえないが
医療費とか福祉関係は無料だという人もいる、まず地方では生活保護は子供でもいない限り本当に最低である。

だから格差社会が固定化してゆくと富裕層は危険になる、太宰治の実家は大地主であり小作に襲われることを恐れて高い煉瓦の塀を作っていた。
あの時代ならそうであるが現代は何か富裕層が見えない、貧乏も見えない時代である。
でもぎりぎりに追い詰められている人が増えている
そういう人が突然牙を向き襲ってくる、老人でもそうであり恵まれている人は一割くらいだろう。あとは下流老人になる、そういう社会は富裕層は危険になる。
自分は金持ちではない、たまたま多少の遺産が入っただけである。
旅行したにしても最低の金しか使っていない、自転車旅行だったらテントだから泊まるのは無料だとなる、自分が金持ちだと思ったことは一度もないのである。
ただ自由な時間が与えられていただけなのである。

つまり生活保護とか社会保障とは現代では格差社会になると余計に治安を維持するための富裕層ならそのために税金を払わねばならない、タックスヘイブンとかで税逃れるすることは富裕層自身の安全を脅かすものとなるのだ。
そのことを富裕層が自覚しないのである。格差社会になるとその危険度はましてくる
生活保護費用は実際は刑務所とかで囚人として世話するより安くつく、
「生活保護費用ないで暮らして犯罪を犯さないでください」それが生活保護の理由なのである。
そうでないと富裕層を襲う事件が暴動さえ起きてくるかもしれない時代である。
だから富裕層が税金逃れすることなど許されない時代になっているのだ。
自分は車ももっていないし何ら贅沢をしていない、富裕層でもない、でも襲われたのである。それだけ底辺層が増えて現代は危険な時代になっているのである。
タグ:生活保護
posted by 老鶯 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年05月12日

老化のリスク (熱中症になった怖さー死ぬので油断できない)

    

老化のリスク
  

(熱中症になった怖さー死ぬので油断できない)


死者の約8割が70歳以上で、高齢ほど重症化しやすい傾向も表れていた。

熱中症は場合によっては死に至る怖い病気のひとつです


今年は自転車で遠くに行ったとき確かに体調を壊していた。熱中症気味の症状になっていた。それは運動した結果としてなっていた。それでも体が弱ったのかなととは思っていた今回は別に遠くに行ったわけでもない、庭の手入れのための仕事をしてもらい自分もしたそのとき曇っていたしそれでそんなに熱中症になるのかという疑問だった
それはかなりの重症だったのである。体が熱く熱病のようになり吐き気があり体全体も痛んだのである
熱中症で意識朦朧となり救急車で運ばれるのを見たがそれも他人事だった
クーラーない人がいてなってるとか聞いていたからクーラーあれば大丈夫なのかと見てた今回は別に真夏に起きたことではない、家にいて庭の手入れをして起きたのである。
遠くへ出て自転車で運動したわけでもなかった。
ただ何かの調子で熱中症になりその恐怖を覚えた
熱中症が馬鹿にできないのは実際に死んでいる人が多くその大半は子供と老人なのである

老人は何かと病気のリスクが高まるのである。熱中症の恐怖は本当に突然死ぬことがありうることなのだ。
それが最大の恐怖なのである。いろいろな病気でガンであれ脳卒中であれ病気で普通死ぬのだけどまず熱中症で死ぬということは考えなかった。
でもこれも経験して現実にありうることだと思った。
自分が今回熱中症になった原因は老化があると思う。老人はなんでも病気になりやすいが熱中症にもなりやすい、老人は体温の調節がうまくいかなくなる
だから急激に温度が上がったりすると余計にそうなる
自分はもともと暑さにも寒さに敏感で感じやすい、そういう体質もあるが老人は何かと病気のリスクが高まってる、それが老化の怖さなのである。

ともかく人間の特徴は自分の身にふりかからなければ何でも他人事なのである。
一旦自分の身にふりかかると他人事でなくなる、自分のこととして見るようになる
確かにニュースで一時熱中症で死んだ人のことを報道されていた。
別にその人たちは激しい運動していたわけではない、家にいてもなっていたほとんど老人だった。クーラーがなくて死んだという人も結構いた。
死に方としてはいい悪いもないが寝たきりになり介護を十年とかなると本人もめんどうをみる人いやになるだろう。
特に一人で身寄りがないとかなると介護する人もなにもないのだからかえって熱中症でも急速に死ぬからほとんど迷惑をかけないということもあるのかと思った。
人間どんな死に方をするかはわからない、また選ぶこともできない、その人の寿命は神が決めているのではないかとすら思うからである。
だから死なない人は死ない、死ぬ人はその人の寿命で死んだとなる


それにしても人間は自分の身にふりかからないかぎり他人事である。
それで熊本地震で熊本県が批判されている。東北のガレキを受け入れないとか地震がない熊本県が企業にはいいとか宣伝していたからである。
それが地震で被害にあい自分たちの身にふりかかったときはじめて東日本大震災のことを真剣に考えるようになる、そして同じような苦しい体験するようになったからである。

介護の問題でも介護をしていない人は介護している人も気持がわからない
一人暮らしの人は二人いるからいいじゃないかと言っていた
こっちは一人だよというのも理解がないのである。
そういうことはいくらでもある、自分の身にふりかからない限り他人事である。
自分が借金したわけではないが借金した人に借金をせまられてその怖さを知った。
借金をしている人はもう頭の中自分の借金のことしかない、相手が病気であろうがなんであろうが関係ない、金さえとればいいとなり殺人にすらいたるだろう。
そういう状態に追い込まれたのが自分だった、だから借金というのは怖いのである犯罪があれは借金をしているかどうか調べるのもそのためである。

老後が平穏だということはないのかもしれない、老人には様々なリスクがあるためである特に病気のリスクが一番怖い、これは金があるにしろないにしろみんながもつリスクである。病気になりみるみるうちパタパタとはかなく死んだ身内を見ている
七転八倒して苦しんで死んだ。
老人はまた困難に対処する能力が健康面なので劣ってくる、そして現代では老老介護とかなり負担が増える
何か昔のようなのんびりとした隠居生活のイメージがなくなっている
老人は今様々な負担が強いられているのである。


最も適応する力が衰えた時期に,最も厳しい適応を要求されている

老年という未体験の状況下で自分の過去を引きづりながら,
あらたな自己を形成していく作業 

これは原発避難区域で起きている、最も厳しい適応が要求されている
荒地となったところでどう今度は老人が適応してゆくのかとなるからだ。

老人の最大の問題は金もあるが健康なのである。病気になればすべてが崩れてしまう
その病気もいろいろあるから今回のように熱中症でも死ぬことがあるんだと自覚したのである。


タグ:熱中症
posted by 老鶯 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年05月05日

認知症になる人とならない人の相違 (社会的であれ家族であれ働いている人はならない)


認知症になる人とならない人の相違


(社会的であれ家族であれ働いている人はならない)


武田邦彦氏の今日の解説は前もしていたが納得する、赤ワインがいいのではなく認知症
にならない人活発に活動しいるからならないという。赤ワインが原因ではないと言っている、ボリフェノールがいいとなると自分も飲んでいる。
でもなぜ認知症にな人とならない人の相違は何なのかということでてある。
それは先天的なものもありいちがいには言えない

そして人間の寿命がどうして決まるのか?これは必ずしも健康によって決まらないという
人間は家族であれ社会であれ無用化するとき早く死んでしまうという。
女性の場合は家族が大事であり家族で料理であれ孫の世話であれ家族の中で役割があれば長寿になり認知症にもならないという。
この考え方は前にも書いたが納得する

というのは自分には特殊な事情で二人の母親がいたような状態だった
一人は役所に勤めていたがやりたくないとやめてから何もしていない
趣味をしていたがそれは何ら才能があるわけではなく付き合いでしていたのである。
もともと看護師とか保健婦をしていたのだからそういう方面の仕事にあっていた。
でももう嫌だといって55才くらいで早期退職してからは何もしなかったのである。

結局何もしなくてもいい状態にされていたのである。
母は毎日料理を出したりしていたし家事もしていた、92才頃まで本当に元気だったのである。
一人は姉になるが実際はもう一人の母親のような存在だった
姉は料理もしなければ掃除もしない家事もしない何もしないのである。
そのことに注意をしていなかったが認知症になったときなぜなったのかとふりかえったら姉は何もしない、怠け者になりいつしか社会からも忘れられて家族でも用なきものとなっていたのである。
家族でも何か用なきものとなっていた。それが認知症になった原因なことはまちがいない
この人間が家族であれ社会であれ用なきものとなることがいかに怖いか?
生きながらその人は社会からも忘れ去られる、姉は活発な女性であり活動的な女性だったけど退職してから何もしなくなり社会からも忘れ去られていたのである。
家族でも用なきものとなり社会でも何も用のないものとなり忘れられてしまっていたのである。
母は内向きだから家事をしていた、料理を94才頃までしていたのである。
掃除も異常にこだわりしていた。他の趣味はなにもないから花にも興味もないとか異常だった、つまり趣味がないとなると認知症になりやすいとか言うがそうでもない
それより家族のなかでも役割がないことが脳も働かなくなるから認知症にもなりやすいのである。

それで嫁に「何もしなくていいですよ、テレビを見ていてください」と嫁に言われた姑はボケやすいと言われるのである。
料理でもしてみると用意するものがいろいろあり整理するのが大変である。
でも料理は相当に頭を働かすから認知症お予防になるのである。
女性は家族の中で役割をもちつづけることが大事である。
でも現代では今の年寄りは家族でも社会でも無用のものとされやすいのである。
退職したりするともう用なきものとなる、社会的役割も終わる
奇妙だけど金持ちの奥さんがいてその人が家政婦になんてもしてもらっていたら奥さんが認知症になる
誰でも金持ちの奥さんで家事でもしてもらう人がいいとみるがうらやましとなるがのそうでもない
何でもしてもらうことは老人になると頭も働かないからボケやすくなるのである。
だから奴隷のようにこき使われていた女性がかわいそうだがと普通はみるがかえって何もしない人がボケたとなれば
見方が変わってくる、認知症になることはとにかく悲惨だからである。
だから人間は何がいいのか幸せなのかわからないということである。

人間は健康だから長生きするのではなく何か用かあれば長生きする
芸術家だったら傑作をものにしようと死ぬまで絵筆をふるうとかあるだろう。
何かそうした社会的役割をもっているとき人は死なないというのは納得する
要するに家族内で役割がないときその人はすでに死んでいるとなる
生きていても死んでいるとなる、そして認知症になり大迷惑をかける
奇妙だが認知症になったときいろいろかまう人がいるから世話されることで生きているともなる、それも世話する方からすると大変な苦労を強いられることになる


この認知症になるということは善人とか悪人とか関係ないのである。
かえって悪人でも社会的に活躍していると認知症にならないと奇妙なことになる
政治家であれそういう人はいる、70近くになってよくアメリカの大統領候補になれると思う。あういう人は認知症にならないのである。
その人がどうのこうのは関係ないのである。
ある人は口が悪い医者だったが90才まで現役だったが一週間くらいで死んだ
ある人は最後まで自転車屋をしていたがこの人も急に病気になり一週間くらいで死んだのである。
仕事しながら死んだともなる、こういう死に方が理想なのである。
だから現代の社会は会社中心だとするとき退職することは社会から消えることであり社会から用なきものとされることになるから認知症になるものも増える
そうなると社会の負担は莫大なものとなってゆくのである。

現代はみんな会社人間になっているというときその会社から離れたらその存在価値もなくなる
そういう社会は認知症を増やす社会かもしれない、人間はともかく長生きの時代になったときそれに対処する社会的条件が調っていないのである。
老人が会社にいつまでもいるからかえって若者が伸びられないというのは本当である。
人間の能力は誰もわからない、本人すらわからない、やってみてやらせてみてわかるのである。
今は長寿社会になると親から財産を引き継ぐのは60代ともなる
するとそこで財産を引き継いでも活かすことができなくなるという問題もある
高齢化社会の問題はいろいろあるけど若い人が老人が上にいて活躍できないということもある
一方で老人から見ると社会的に無用化されて老人は無駄だとされることも大問題なのである。それは若者にも認知症とか増えたら大負担になるからである。
高齢化社会はこうしていろいろな矛盾をかかえてしいるのはやはり人類がまだ経験していないものだからである。
ただ認知症になる原因は家族でも社会でも役割を失うことなことはまちがいない
それは社会的死あり家族内死出あり生きていて死んだ状態にされているのである。

康と寿命(武田邦彦)
タグ:健康と寿命
posted by 老鶯 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年04月07日

介護十年をふりかえる(2) (愛なき世界はいくら文明が発達しても人間を幸福にはしない)


介護十年をふりかえる(2)


(愛なき世界はいくら文明が発達しても人間を幸福にはしない)


愛なき世界


ご飯を与える
その行為はただ相手の腹を満たしてやるだけなのか?
それは愛がともなっていた
母が子供に乳を与える
ご飯を与える
それは生命を維持させるためものなのか?
それは愛があってしている
ぺっトに餌をやるのもただ腹を満たしてやるだけなのか?
そこには愛があり与える
人間はパンのみに生きるにあらず
人は愛して愛されることを望む
ただ金を与え物を与え食物を与えることに満足しない
愛がないときいくら金も物を与えても相手も満たされない
病院では医者は高価な医療機器で患者をみる
看護師も体をみる
でもそこに愛が欠けているとどうなるのか?
患者はそのことに気づく
なぜ延命治療するのか?
そこに愛はなくただ人間を物ののようにみて
ただ延命を計っている
それが意味がないとはいえないにしても
その意味を見いだすのは医者や看護師ではない
愛ある家族のみがその延命に価値を与える
なぜなら家族は愛をもって接しているからである
医者や看護師の努力が無駄ではない
ただそこに愛が欠けている故に満たされない
それは母親が子供にたた食べ物を与えているのではない
乳を与えているのではない
そこに愛情がある故に子供は満たされる
もしその食事が貧しいものでも満たされるだろう
愛さえあれば・・・・・
機械が遂にはコンピュターが病気を判断する時代になる
でも機械にはコンピュターには愛がない
コンピュターには感情が生まれない
遂には医者も看護師も機械に変わる
しかし愛が人間には必要であり機械には代われない
科学技術がいくら発達しても
愛なき世界は荒野なのである。
貧しい時代には愛があったが豊かな時代には愛が欠ける
そのどちらが幸せだったのかもわからない
いくら豊になり科学技術が発達しても
愛なき世界は荒野なことは確かである。


貧しきも愛の手をもて与えらる物に価値あり思うべきかな


つくづく自分の介護の十年間の経験は何だったのか?
介護が終わったあとでそれぞれ考えることがあるだろう
介護は長い、十年といったら十年一昔になるから長い
今の時代は介護という仕事が増えたことは確かである。
家族でもそうだし介護士とかでも介護という仕事が課せられて増えたのである。
85才とか高齢化になるとどうしても最後は介護状態になる
女性だと90才頃から病気にならなくても弱り介護状態になる

ただ介護でも50代とかなると仕事の盛りのとき男性がやらせられるのは辛い
十年間も介護に時間を奪われることがいいのか、辛いとなる
自分の場合は特別親には良くしてもらったから当然だったともなる
でもふりかえると十年は長かったなと思う
だから終わってみると気がぬけたようになってしまった。
そしてこの辺ではいろいろなことがありすぎたのである。

津波だ原発事故だとかその他自分の一身上でもいろいろなことがありすぎたのである。
30年間はほぼ無事平穏であったのと比べるとあまりにも違いすぎたのである。
巨大な渦にまきこまれての渦からぬけだしたら白髪の老人になっていたとかなる
今の感覚はそんなふうになっている


今の時代は豊で便利でも何か肝心の愛が欠けている社会である。
病院でも設備は立派だし高価な機械があり医者も看護師がいたとしても何か無機質であるその病院という建物にも機械にもコンピュターにも医者にも看護師にも愛というのが感じられないのである。
結局人間はやがてロボットに看護され介護されるとかなったら嫌だろう
今だって人間は何かロボットのようになっているかもしれない
情や愛なき世界となっている、だから必ずしも豊になり便利になり長生きできてもそれが幸福になっているどうかは別問題である。

介護した体験では家族の場合だったら食べ物を出すにしてもそこには愛がありしている
それは家族でも母親が食べ物を与えるときやはりただ物を与えるだけではない、愛があるでももし子供にも金をやるから外で買っておいでとなったらどうなるのか?
そこには母親の愛情もなく育ち情なき人間になってゆくかもしれない
だから乳を子供に与えろというときこに子供と母親が愛情で結ばれるからだとなる
それは哺乳類が生まれたときからししている生命の営みなのである。
そういうものがなくなるときどうなってゆくのか?
何か子供の虐待とか動物でもありえないことが起きている
それは哺乳類という動物以下に人間がなってゆく、これだけ文明が発達してもそうした根源的なものを欠けてゆくとき文明というもの自体の疑問が生まれるのである。


いづれにしろ自分は今年の春は何か花見するのでも気乗りがしない
60年も一緒にいた家族が二人死んで気がぬけたようになってしまった。


タグ:
posted by 老鶯 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年04月02日

家事とか保育とか介護とか、、、大家族でしていた (家族が崩壊して非情化する社会の危機?)


家事とか保育とか介護とか、、、大家族でしていた


(家族が崩壊して非情化する社会の危機?)


人間社会は進歩すればするで問題が生まれる、保育士がたりない、介護士がたりない、子育とか介護とかはもともと家族してしていたものである。
家事そのものか今や外国人にしてもらい主婦には外で働いてもらうというのも歴史をふりかえり考えると対比して見えてくるものがある。
それは原発とかでもそうであり書いてきた。
江戸時代の対比で見えてくるものがある。江戸時代は戦前から戦後十年くらいまでの継続があったのだ。
大家族だったのは戦前でもうであり戦後の高度成長時代に核家族になった。
だから古い人は子供生んだら生んだ女性が育てるのが普通だと言うのもわかる
つまり家事とか保育とか介護はもともと家族の中でしていたのである。

ただ家事というのは戦前でも自分の母親が東京に女中に行ったように中産階級でも女中を雇っていた。それだけ家事自体が重労働だったのである。
洗濯機もないし洗濯だけでもゴシゴシで洗濯板で洗っていたら手間である。
近くの川で洗濯していたのを子供のときみている
家事のために女性はかかりきりになっていたから外で働くことはできない
ただ戦前でも養蚕とか仕事が家内工業というか家自体仕事場になっていたことで女性は家で働いていたのである。
戦後でも自営業が多かった。小さな店でも繁盛していたのである。
商店街が栄えていた時期があった。そういうときは家で働いているから会社で働くのと事情が違っていた。
農家でも養蚕とかの仕事は家と一体となった仕事だったのである。
家の作りまで兜作りの屋根とか養蚕向きに作られていたのである。

そもそも保育士とか介護士という職業などなかった。家事の仕事は女中としてあった。
看護師も看護婦も仕事としてあった。
家事とか保育とか看護とか介護でも家でしていたのでありそれをしていたのは女性だった、嫁だったのである。
女性が外で働くのは戦後でも高度成長期の時に専業主婦は三食昼寝つきで楽だと言われていたからそういう時代があった。

「専業主婦」が出現したのは1960年代高度経済成長時代

それまでの主婦は各地方で農・水産・林・商業のそれぞれの家業に従事していました。
また、今のような核家族ではなく、大抵が大家族であり、長男の家へ嫁いだ女性は家業に加え家事も今の時代以上に熟さなくてはなりませんでした。

要するに家族でしてきたものが外に分化して専門家に頼む、保育とか看護とか介護は家でしていたから病院に入院しても病院で死ぬより家族が看取って死んだ。
自分の父親もそうだったが近くにかかりつけの医者がいたり往診してくれたりしたが実際は家で看取ることはその時も大変な苦労だった。
でもみんな家で普通に死んでいたのである。葬式でも結婚式でも家でしていた。
だから葬儀でも専門家に頼むということもなっかたしそういう職業がなかったのである。葬式は隣組でしていたとかそれが会社に頼むことはなかった。
今はおふくろの味などなくなっているかもしれない、惣菜はスーパーで買うとかなる
第一自分で家事をやる料理をしてみると手間がかかりすぎるのである
料理するというより何か適したもを買うものを見つけるのが料理することなのである。

要するに家族がホテルのようになり寝るだけの場だかなっているというとき戦前とかの大家族とかの家族の重みがなくなってしまったのである。
外で働き男性も会社員であり女性も会社員であり外で働き保育は保育士にまかせる、それで保育士がたりないとか保育園がたりないと騒いでいる
それは介護でも同じである、介護士がたりないとか騒いでいる
その福祉にかかる金も膨大なのである。それで介護だと政府では在宅介護にしろとなる
つまり保育士とか介護士に金を払っていたらその建物でも用意するとなると金がかかるのである。
大家族の時代だったらそれらは家族でしていたから政府ではその金を負担していないのである。


そもそも保育まで子育てまで外部にまかせるとなるとそれが人間的なのかと疑問をもつ
でも主婦にも働いてもらわないと困るとなる
それで家事をしてもらうために外国人を入れるというのもまた何なのだろうとなる
様々な専門家が増えて家族さえ掃除する仕事の人がいてしてもらうとかそれはとりもなおさず家族というのは外部のもの頼りになりただホテルのように寝るだけの場所になるのだろうか?
家族は夫は外で遅くまで働き主婦はパートであれ何であれ外で働く、子供は保育園に保育士にあずけ介護は介護士にあずける、そのためには外で働いて金をためて保育士に介護士に支払う、家はホテルのように寝るだけの場所だとなる
戦前とかは家族が家が仕事の場でありそこが小さな社会にもなっていた。
そこで人は人間として育っていった。そこで基本的な人間の有り様を学んだとなる

それが家族の役割が減少して外部まかせ頼りになる、人間の社会は便利になり進歩してきたとか言われる、でも進歩したというとき退歩してもいるのではないか?
母親が自分の子供を育てられないから保育士にまかせるとか親を介護できないから介護士にまかせるとか何かそれが進歩なのだろうか?
それは人間的なことなのだろうか?基本的な人間的な営みが奪われているのではないか?
それは便利さを追及してかえって人間として肝心なものを営々とつづいてきた基本的な
営みすら奪われているのではないか?
それで子供が生まれたら虐待になるのは子供を育てるのが面倒になっているからである。だから子供が生まれたら保育園に保育士にまかせる、親が病気になったら入院させる
看護もしたくない、介護もしたくなんから施設に入れる、介護士にまかせるとかなる
そこに家族の愛情も受けられない、何でも金で頼むとなる
その金を稼ぐために女性も妻も外で働かなくてはならないとなる

何かこういうことが当たり前になっているけど本来の人間の生活なのだろうか?
日本人は子供大事にしてきたとか、家族を第一にしてきたとか言われるがこれまではそうだった。そういう家族自体が崩壊しているのだろうか?
それで子供はいらない、子供は邪魔だとか虐待する、子供を作らない方がいいとなる
江戸時代は日本人は子供を可愛がっているのに外国人が驚いたとか、みなん幸せそうな顔をしていたとか言われる
そうなると現代人はこれだけ豊かな便利な生活していても不幸せな顔をしている人が多い子供など育てるのがめんどうだとか虐待もする
これは家族が崩壊して人間的な生活が失われたからではないか?
そこで求められているのは金だけだとなる
「金をくれ」と家に来て実際に家捜しているような人がいるということも驚きである。
そこには理由があってももう人が求めているのは金しかない
事業に失敗していた人は成功を装い借金を病気の自分に要求してきて全く人間とみていない、同情もなにもない、こいつ死んだら金になるとかなくなっているのだ。
原発避難民でもみんなどれだけ補償金をもらうしか関心がない
故郷がどうのこうのとかそういう思いもなくなっているのではないか?


この文明は一見すると進歩してこんないい生活をできる時代はなかったという人もいる。しかし一面は人間的生活すらできない、退歩した社会だとも見れる。
昔はただ古いとか否定するけどそもそも家族を中心にしてある社会が古いからと否定してホテル化した家族が新しいから進歩しているのかともなる
例えどれだけ豊かな生活をしていても根本的に家族の愛情すらなくなる社会はもう人間ではない、野獣的な人間と化しているのではないか?
最後は金だけあればいいとなり愛情など必要ないから親でも金があれは施設にあづければいいとかなる,それもやむをえないとかあるけど何か根本的なことが見失っているのではないか?


異常と正常の区別すらつかなくなっているかもしれないのだ。「オメエ,,,何なのだ」と自分のプログに発言してきた人もいるが例えば普通の社会ではオメエはどうだなと初対面の人に言うだろうか?
これも異常なんだけどネットては前からそうだったのである。でもプログなどでは変わったのでありそういう発言は取り入れなくなった。前はインターネットでもニフティのパソコン通信ではそういう発言を拒否できなかったのである。
つまり異常なのか正常なのかわからなくなる世界は怖いことなのかもしれない
人間が人間でなくなるときその社会はどんなに文明的になり科学的技術として優れていてもそこに住みたいと思うだろうか?
例え原子力文明とかでふんだんに電気を使い放題の社会でも人間の情すら喪失した社会に住みたいだろうか?
日本人の義理人情など田舎でもどこでもなくなっている、馬鹿正直な女性のことを書いたけどそれは希少動物であり絶滅しているのである


江戸時代にもいろいろな矛盾があったし飢饉もあったしやはり苦しい生活でありそれと比べれば今は天国だという見方もある、一方でなぜ江戸時代に日本にきた外国人が日本人はみんな幸せそうな顔していたというのだろうか?
現代はこれだけ豊でも幸せそうな顔している人は少ないだろう。
だからこそ子供まで虐待しているのである、不満がある人は必ず誰かにやつあたりする
それが殺人までにもなるし強盗にもなるし家政婦が勤めた先の家々に火をつけて火事にしたとかやつあたりする、そういう経験を自分もしたから怖いのである
その原因が大家族の崩壊があった。今は姑よりも嫁の力が大きく姑は小さくなっていなければならないとかまず一緒に住まないとかなっている
そして一人暮らしの老人が増大しているのである。
何か今の社会は人間的な秩序すら、コワとなる核となる家族すら崩壊するとなるともう人間社会でなくなるかもしれない、家族より最後に頼りになるのは金だとなる
津波であれ原発事故であれそうした社会に対して大きな変わり目に起きた
つまり人間社会が大きく変わることを強いるものとして起きた
人間社会がそれだけ非情化しているということで自然も非情になったともとれる
だから天変地異とともに社会も大変革が迫られる時代になったともなる
さらなる大きな事件とか事故とか天変地異がこれからも起きてくるかもしれないのだ。
こういう時代は犯罪も増えてくる、それも凶悪犯罪が増えてくる、モラルが麻痺してくるからそうなる
だから人間は人間にとってオオカミだという怖い時代になってきている
保育問題でもそんな大きな問題と関係ないというけど社会はみんなつながっているのだからそうしたことも無関係ではないのである。






タグ:保育介護
posted by 老鶯 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年03月25日

介護される方も介護されやすいように努力が必要 (介護は自力でトイレに行けるのと自力でご飯が食べられると楽)


介護される方も介護されやすいように努力が必要


(介護は自力でトイレに行けるのと自力でご飯が食べられると楽)


介護される老人の劣化がひどい様な気がする 
昔の老人は這ってでも便所に一人で行き 
這って戻って布団に入り死んで行ったもんだが。 

百歳の自分の母親がそうだった。トイレに這っても行っていたし入院して一カ月で死んだけど家にいたときは何も食べなくなっても自力でトイレに行っていた。
食べるのも自分で食べていて食べられなくなったので入院させたが一カ月で死んだ

つまり自分はオムツさせることもないしただご飯を出すだけだから他の人よりは楽なので介護できたし何か時間があってプログにも書くことができた。
自分が最も恐れていたのはオムツさせてとりかえることでありトイレに行けなくなることでありご飯を食べさせることだった。

テレビで脳出血などで三食食べさせるのを見ているしトイレでもいちいち補助して行かせているのを介護施設で見ている、そのことが介護するものにとって相当な労力であり何か自分のことは何もできなくなる
介護は自分で食べる、自分でトイレに行く、これができれば楽である。
これができるかできないかの差が大きいのである。
それでも自分は辛いと思った、拘束されるのが嫌だった。
第一自分のようなわがままな人間が家事から介護まですること自体大変だったのである。
でも一人は認知症になったけど二年半で死んだことも救われた。自分は介護する動機が十分にあった。家族に世話になったということ自覚していた。
特別自分は世話になったということで懸命に介護したのである。
だから苦しかったけどこれもカルマだということを自覚してやっていたのである。

介護するときはこうした家庭の事情がそれぞれにててくる、それは外部からはわかりにくいのである。お前は特別親に良くされたからお前がやれと兄弟でもいろいろ事情がでてくる。
介護はまた金だけではなかなかできない、施設ではそこで問題が起きてくる
なぜこの知らない老人を世話しなければならないかとなるからだ。
金持ち老人から金をもらえばいいが給料が安いとやりたくないとなる

ともかく介護される方にも問題がある、大正生まれとかはまず忍耐強いとか苦労しているから介護されるようになってもそういう性格が出るのかもしれない、ただこれには個人差がある。みんながそうとはならない
自分の母親は最後までトイレに自力で行っていたしオムツをしなっかた。ご飯も自力で食べていたのである。
オムツというのはその本人にとっても相当にショックであり嫌なのである。
入院して管を入れて小便をとることを凄く嫌がっていたことでもわかる
5年間くらい介護したけどそういうことがなかったので他の人に比べれば楽だったとなる
ただ認知症の介護は二年くらいしたけどこれは地獄だった。
でも二年間くらいですんだから救われたとなる

介護される人でも介護される人が介護する人に気を使っていた人がいた。
その人は介護されやすいようにリハビリでも懸命にしたという。
その人は介護する人に対して迷惑をかけるので楽に介護されやすいようにするために努力したのである。
だから介護する人に親切にされたという、介護はやはり介護される方もそうした配慮とか努力が必要なのだろう。
だから介護になるとわがままな人、我慢できない人などはめんどうになる。
それで贅沢になった団塊の世代などが大量に介護になると今よりひどい状態になる
もう嫌なことが我慢できないからである。

介護の問題はいろいろあるが介護される側にも相当な問題がある。
でも脳出血とかなるともう自力で食事できなくなったり寝たきりになる
自分の母親はそもそも百歳まで病気がなかったのである。
だから老衰で死んだから違っていたのである。
たいがい必ず病気で死んでいるからである。

介護するのに楽な人は介護する側からも親切にされる
自力でトイレに行ける、自力でご飯を食べる、この二つのことができれば介護もそんなに手間ではないのである。
この二つができなくなるとその手間は何倍にも増大するのが介護なのである。
這ってでもトイレに行くとかボータブルトイレでも自力でトイレに行くだけで介護する方は楽になるのである。その差が本当に大きいのである。








タグ:介護問題
posted by 老鶯 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年03月10日

保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている (介護問題と根は同じだった)


保育園落ちた日本死ね」と題した匿名のブログが波紋を広げている 


(介護問題と根は同じだった)



「予算の壁」

 待機児童の多い都市部においては保育士不足です。これによって、開園に大きくブレーキがかかります。
保育所は一人でも保育士が欠けたら、法令違反で開園できません。よって、「保育士を採用できた数」が開園数上限になります。

 保育士不足は保育士の処遇が低いことが要因です。
保育士給与は全国平均で月20.7万円。(出典: http://bit.ly/1HwTytD

全産業平均と比較して、月額10万円程度低い。


結論から言うと、保育所というハコモノ・施設でこの問題を解決することは不可能です。
ただでさえ土地がない・高い東京都で保育所を増設するのには、非常に高いコストがかかります。

また将来的には人口減少に向かっていくことが確実なので、

小規模保育や派遣型保育、ベビーシッターの活用に舵を切る

利用者のニーズに合わせて自宅で保育を行うシステムであれば、
需要次第で供給が調整できるので、今後の少子化にも機動的に対応できます。

保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。


0歳時保育は1人当たり月40万円 
1歳時保育は1人当たり月20万円 
2歳時以降は1人当たり月15万円 



この問題を取り上げた理由が一つはプログがこんなに影響があるのかという疑問である。プログは何百万もあるし発言してもほとんど影響がない、読まれるのが大変なのである。だからこのこと自体に疑問があった。
それはサヨク系によって仕組まれたとか国会でデモしたものもサヨクによって仕組まれたものだとか言う人もいた。それにマスコミが便乗してあおった、それは仕組まれたものだという、それもインターネットをしているとそれもありだなと思う。
まずプログでそんなに反響があること自体今もありえないと思ったからだ。
ただ若い人はネット世代だから変わったのかとも思った。
この問題の一つはネット社会が一般化したのかということを思ったがこんなに反響があるというのはサヨクとマスコミで仕組まれたのかということもありと思った。

そもそも大衆社会というのは一人一人が考えない社会である。だから何か煽動的なものとなり感情が優先されるのだ。
保育園問題でもそれにかかわらない人は事の真相が簡単にはわからない
するとマスコミとかで何だ政治家がヤジとばして庶民の不満を封じようとしているというのがテレビの画面から判断して感情的になる
その感情が怒りが大衆に共有される、冷静に考える人は少ない
それで中国の反日とかも感情的になり日本への憎悪をかきたてる
そこに大衆は感情によって操作される、特にテレビは一方的洗脳メデアだからそうなりやすい、テレビは感情的なメデアである、一方活字メデアはクールな冷静なメデアである。それは活字だからそうなっているのだ。活字とテレビの映像が伝えるのは全く違っているのである
テレビだど人間の表情とかとぎつい映像が先に見るからそこで感情的反応になるのであるもし活字だけだったら冷静に読み判断する他ない
でも活字を読むということや冷静に考えて判断することは手間なのである。
第一大衆は考えることを一番嫌っているからである。
考えることは相当な知的労力になりそれが嫌う、特に女性はそうであり感情的になりやすいのである、女性は感情を優先するようにできている
だから活字よりテレビを見て判断するのが楽だからマスコミに洗脳されるのである。

この問題を冷静に考えると「介護問題」と根は同じだった。
つまり介護にも金がかかりそれで在宅でやるからそれを政府が応援するとかなった。
そのことと同じことを主張している議員がいたのもうなづける
保育士が不足しているとき介護士が不足しているのと同じである。
そしてその施設を作るのにも面倒であり金がかかる、つまり保育園を作ることは公になると金もかかるし保育士を雇えばまた金がかかる、それは介護問題と同じである。

保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。

こういうことを介護でも言っている人がいる、介護をする人に金を払うのがいい、在宅介護をすすめるならそうなる、自治体とかですると金がかかりすぎるのである
だから根は介護問題と同じである。
子育てとか介護などはもともと家族でしていたの藻である。それが核家族化したりしして祖父母がいなとかでてきなくなった。
その分、国や自治体でやるとしたら金がかかりすぎるのである。
そして介護でも人が集まらないのである。
介護より保育園が先だと少子高齢化社会では優先するべきだという意見もあり、そうかもしれない、老人を優先していては国の未来がないとなる

いづれにしろ何でも自治体に国に頼みまかせることは限界に来ているのだ
そんなに予算はないし日本自体貧乏になってゆくのにできなくなる
それで最近看護師まで在宅に切り換えるから病院勤務の看護師は余ってくる看護師余りが時代が来るというのも意外だった。
サービスが在宅に切り換えられている、箱ものを作っても第一人材は集まらない、この辺で老人ホームを作ったが人が集まらないので開業できないのである。
それは保育園問題と同じなのである。
本来保育であれ介護であれ家でしていたものが家族が少ないとかでできなくなった。
それを国とか自治体で肩代わりすると膨大な金がかかりそれで国も潰れるとか冗談でなくなっている

この問題は介護と根は同じであり自分も介護してきたから関心をもったのともう一つはネット社会が一般化してこんなに反響があったのかということで関心をもった
そもそも何百万もあるプログがこんなに反響があるということに疑問があったからであるプロクだけでこれだけ反響があるとしたらそれは悪いとは言えないだろう。
マスコミとかを通じてしか主張できないのが一庶民のプログがこんなに反響かあるとしたらネットも社会では馬鹿にできないとなる
ネットでの存在感が高まることになる、その変化がメデアによってインターネットによってもたらされたとなるからである













タグ:保育園
posted by 老鶯 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年03月07日

死んだ人の霊が現れ体調不良? (先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)


死んだ人の霊が現れ体調不良?

(先祖崇拝は偶像崇拝だから危険ー軽い供養にとどめるべき)

おばあちゃんが亡くなってから開けていない
タンスの前で、おばあちゃんが「ここの中にある物」を、必ず叔母に渡して欲しいと伝えてくるんです。

死んだ人がこういったということありうるのか?
自分の母が死ぬ前に一カ月前くらいに孫に金をやれと大声でその金額まで言ったことは本当に驚いた。
それは遺言であり例え書類化してなくても重いものとなった。
認知症になっていたからそういうふうに意識がはっきりして大声で言ったことに驚いた。あまり声も出ないほど衰弱していたところがあったからだ
だからそれだけの声を出したことに本当に驚いた
自分は孫に金はやらないと言っていたことがありそれは自分にも非があったのですぐに連絡して言われた金を49日の納骨する日に払ったのである。
どうしてか孫が49日の日に休みがとれたから来るというのも不思議だった。
だから人間の心は距離を越えても通じ合うということがある
人間にはともかくどうしてもわからない不思議がありそれで先祖がたたったとかいろいろそれで脅し商売する人もでてくる


それから不思議なのはカルマである。これも否定できない、家系のカルマとかその人のカルマは必ずある。
これも不可解なことが多いがやはり人は必ずカルマを背負っているのだ。
自分がなぜこの十年間苦しんだことが書いてきたがこれは自業自得だった。
たいがい何か悪いことが起きてくるのは自業自得である。
例えばなぜ犯罪にあうのだろうかとなるとこれも自業自得のところがあると思った。
犯罪に合うべくして合うということがある
それは先祖の霊のたたりでもなんでもない、自分がしてきた現世のことでカルマを背負ってそうなる。
自分は60まで母親に食事を出してもらっていたから介護するのは当然であった。
カルマとして今度は5年間とか食事を出し続けねばならなかった。
その間にいろいろ苦しい目にあったのも他人のせいではない、自業自得だった
自業自得というときこれは例外なく誰でもそうなるのである。


例えば不摂生した人は必ず60以降病気になりやすい、もちろん60代になるとなんらかほとんどの人が病気がでる
酒を飲み続けたりタバコをやりつづけたり何かそういう悪い習慣がたまりたまって60以降は必ず体に現れる、遺伝的なものがあり例外もあるが一般的に確率的になる
そういうカルマは現れてはじめてわかるのである。
どんな生き方をしてもカルマを生きていれば作り積み重ねているのである。
事業に失敗して借金した人もそうである。
借金はまさにカルマを積んだということなのである。
一番わかりやすいカルマでありそれは必ず支払うことを自らしない限り清算できない
それをそのカルマと関係ない他人に背負わすことができない
それを自分に背負わせようとしたからそのカルマはその人にさらに何倍にもなっしのしかかってくる。
自分で自分のカルマは清算する他ないのである。だってそれは自分自身のカルマだからである。
もし自分が母親の介護をまかせたりしたら自分のカルマを清算できないのである。
それだけ世話になったのだから自分がしないで他人に頼むとカルマはまた自分にのしかかってくるのである。
ただ人間は意外とこのカルマを軽くみているが本当はかなり怖いものなのである。
なぜあの人は事故にあったり何かと不幸なのかとなるとなんらかカルマが関係している
ただそれは先祖の霊とかとは関係ない、自分の生き方が一番関係してカルマを積んでいるのである。


人間は死んだ人はどうなっているのかわからない、だからほとんどの宗教は先祖崇拝になる。イースター島のアモイ像とか古代の像など先祖崇拝であり像化したのは先祖崇拝が多い、それだけ死者というものが何かわからないから人間の情として崇拝するようになった

檀家仏教は先祖崇拝として異常に死者を供養、祭祀するものに変化した

現代の檀家仏教は先祖崇拝である。異常に死者をおそれ拝んでいる、月命日とかもありそんなに供養しなければならないとかなる、友引にどうかなども今も活きている
供養はなかなか否定できない、何で供養しないのか親を思わないのか?
なんかこんな叱責をするようなことがあるがそもそも生きているとき親に何かしたのか?
介護もまともにする人もいないし死んでくれとか生きている時は普通に言っている。
そんな人がどうして死んだとたんに敬い畏れというのも変なのである。
そうなら生きているときこそ何かしてやるべきであり死んでからしても遅いのである。


宗教というとき何か今でも日本では伝統的に先祖崇拝である。仏教そのものがあれほど死者にこだわり死者を供養しつづけるのはそのためである。
親でも先祖でも神ではない、生きているときは欠陥の多い普通の人だったのである。
正直自分の母親にしても書いてきたが真面目な人でも欠陥が多かった。
それは誰でもそうなる、そういう人が死んで変るわけではないのである。
ともかく人間は何を礼拝するかが大問題である。
たいがい先祖崇拝でも偶像崇拝に陥る、つまり神ならざるもの拝んでいるのが普通であるだからこそ神はそもそも目に見えないものとして偶像崇拝を禁止したのである。
偶像崇拝は本当に危険であり宗教の最大の戒めが偶像崇拝の禁止なのである。
だからあれぼど狂気的にイスラム教が偶像を拒否しているのがわかる
それだけ人間は偶像崇拝に陥るのが普通でありそれが害を及ぼすのである。
神は妬む神であり神がそのことに一番怒るから怖いのである


宗教で一番守るべきことは偶像崇拝を拒否することである

ともかく供養と礼拝はまた違っている、供養は悪いことではない、それは必要なことなのだけどそれが何か度がすぎると礼拝になり死者の偶像崇拝になるから危険なのである。
それで霊が現れたから体調不良になったから霊媒師に頼んだとか女性は何かそうなりやすい、そういうとき霊媒師に金を払い支配されることになるからまた危険なのである。
でも何か女性は霊が現れたとき霊に感じてどうなったとか言う人が多いのである。
女性はなにか迷信的になりやすいしカルト宗教にはまりやすい
それで創価などは婦人部が力をもち選挙でも宗教活動としてしている
それは混同していようがそういう見分けもつかない、それは異常に先祖崇拝になるのともにているのである。それもやはりカルトの特徴なのである。
霊というのも何か見えないからわからない、そしてその霊によって奴隷にされる
霊がどうのこうのとか霊媒師であれ宗教家であれ御布施しろとかなんとかなる


死者の問題は葬式でもそのあともめんどうである。それは死者とどう向き合うかわからないからである。それは戦死者でもそうである。
不幸に事故で死んだ人でもいろいろありそういう死者とどう向き合うのかわからないからである。供養、礼拝でも何か混同してしまう。
死者には軽い供養にとどめるべきでありそれ以上礼拝したりすることは良くない
とをしてもそれが偶像崇拝になるから注意すべきなのである。

タグ:死者の霊
posted by 老鶯 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月21日

老人が消費するもの (リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


老人が消費するもの


(リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


ヤマハのロードバイクYPJ=Rは何かもう一つ欠けている、坂を上るとバッテリーはきれるとか何か買っても使えるのかとかなる、何かものたりないのである。
若い人ならロードとたいして変わらないだろう、老人だったらもう少しバッテリーの容量が多くないと坂で消耗してしまう
老人は体力がないから電動自転車は便利だけどこれは何かもう一つたりない感じだ
ただこういうのは乗ってみないとわからないだろう。
でも25万以上すると高いなと思った。


老人になると何かやはり旅行でも億劫になる、特に今は外国人で混雑しているから敬遠する、海外旅行もパスポートをとったがこれも使うかどうかもわからない
なんかいろいろなことが計画してももうできないという感じになる
老人は大きな金を使うのはリホームである。
自分の家は築45年で水道管とかも痛んでいるし地震で痛んだのでリホームが必要なのだ。でもこれをはじめたら一千万とかになるかもしれない、それで躊躇するのである。
家を維持することは金がかかるのである。
あとどのくらい住んでいるからわからないからしたくないともなる
ただリホームだけは老人は金をかけてもしている、やはり日々過ごす所だからそうなる
老人になると家が大事になるのである。


若いときは家にこだわらないが老人になると家にいる時間が長くなるからである。
そして自分好みの家にすること内装などもいろいろと自分好みにするのが楽しみとなる
だからどうしてもリホームが必要になる、平屋がいいと二階を壊したりした人もいる
二階があっても一人暮らしの人は使わないとかなる
自分も二階から夜トイレに来るのが遠くて嫌なのである。
平屋がいいのだが作りが二階が座敷で良く作られているのでそこにいる
いつも見回せる範囲の部屋がいい、二階から下りたり上ったりするのが嫌なのである。
電気をつけたり消したりするのもめんどうなのである。
今は5カ所くらいそうしているからつけっぱなしにしていることがあり二階だと管理しにくいのである。
ともかく老人はリホームの要求が多い、それは子供がいなくなったとか夫婦だけになったとか家族構成が変わってしまったりしているからである
すると無駄な部屋はいらないとなるからだ。


それからどういうわけか食とか栄養にこだわるようになる
食を味わいたいとなる、自分は食には無関心であり腹一杯になればいいというだけだった旅行でも金がないから1000円以上のものもを食べたことがない、だから地方の食について何もわからないのである。
でもこの頃食にこだわる、それも贅沢ではなく新鮮な野菜とか魚とかを食べたいということである。
食にこだわることは味にもこだわる、量ではないその質にこだわる、でもこの辺ではレストランが少ないから味わうことはそんなにできない
老人になればがつがつ食べるのではなく少量でも新鮮な味わい深いものを食べたいとなるその味わうというとき何かいろいろなものでもそうである。
芸術でもそうであり文学的なものでも深く味わえる、今までは理解できないが詩などでもほとんどわかる。深く味わえるということである。
それは人生を味わうということでもある。若いときはそうした味わうということができない、老人は食でじっくり味わうのがにあうのである。


それからヒューマンなサービスを求める、ただものを買ってそれで終わりというのではない、何かそこに人間的なものを求めている。
ヒューマンなサービスを求めている、肌のふれあいみたいなものを求めている
物を買うにしてもインターネットとかの通販だと味気ないとなる
ものを買うにしても人間的な交流を求めたりしている、人間のふれあいあたたかみを求めている
今の老人は一人暮らしが多いし孤独だから特にそうなる
一言声をかけてくれるとうれしいとかなる、それで猫ブームになっているのはそのためである。
猫が友達になるというのもそのためである。猫は癒しになっているからである。
だからペットがこれだけブームになっているのである。
子供でも今は老人に冷たいからである。


あとは趣味に金をかけるだろう、金をもっている人もいるからゴルフでもバイクでもカメラでも高いものを買う、団塊の世代は戦前のような働きづめの時代ではない
多様な趣味に生きた時代だからである。
ただバイクとなると老人にとってはちょっと危険になる。
白髪で頭が禿げてバイクでハーレダビッドソンで飛ばしているのもどうかともみる
写真などは今はデジタルカメラで一般化しているからいい
自分はフラワーアレジンメントがあっていた。もともと花が好きで北海道でも山でも良く見て回ったからである。自分のテーマに花があるからだ
花を通じて交流しあえるというか女性とつきあうのには花がいいとなる


老人が消費しないというときやはり先が長くなったからである。あと十年くらいならいいがそれ以上伸びると金も尽きてしまうから不安になるのである。
そして人間はいつ死ぬかわからない、明日かもしれないしあと二十年後かもしれない
だから予定が立てられないから困るのである
ただすでに何か先が見えて死ぬだけだとなっていることも確かである。
何か消費しようにもそのエネルギーがないのである。
生産的創造的消費することはエネルギーが必要なのである。
旅しようかと思ってももう自転車だと疲れるからしたくないとなるからだ。
現代は何か消費することは生産していることでもあるからだ。
金があっても何か消費するエネルギーがないのである
今一番向いているのは回想することである。これだけは老人に一番向いている。
今まで経験したことを回想して深化させるのである。
それで芸術的にも理解が深まってるしいいものができるということがある
自分も作品の完成のために余生があるともなっているからだ。



タグ:老人の消費
posted by 老鶯 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月10日

蠟梅の詩(百歳で死んだ母を偲ぶ部屋ー介護も死ねば思い出となる)


蠟梅の詩(百歳で死んだ母を偲ぶ部屋ー介護も死ねば思い出となる)


roubaiiiiiii12344.jpg

hhhhhhha111.jpg

大輪の百合の目立ちて祭壇に見しもその後添えにし花も見る



去年はいたく寒く
蠟梅すらもその枝の
大雪に折れていたいたし
二三輪ほど咲きしのみ
今年はあまた咲いている
この部屋に我は母を介護しぬ
母は介護されてもこの部屋に
懸命に最期を百歳を生きぬく
母が死んだ今この部屋は虚しも
蠟梅がこの部屋に映える
そして我はここを百歳の間と名づく
母の労苦の一生はここで終えぬ
死してもここに母のなおいるごとし
母に母の部屋のなしも悲しむ
ここに介護の時に部屋をもつ
我が家の悲しき物語
それぞれの家の悲しき物語
家には死してなおも人がいる
今は憎しみも争いも終わりぬ
我が家に残るは我が一人
ただ在りし日を偲びつこの部屋にいる
今また北風がこの家に唸る
立春は過ぎてもまだまだ冬である

faceeeeee123.jpg




家は何か女性の場合嫁とあるごとく家と一体化している。我が家は何か普通の家ではなかった。だから複雑である、自分にとってはいいものだったが母にとっては自分の家はいいとは言えないものだった。
母は自分の部屋をもっていなかった。いろいろ不遇でありそのことを自分は思っていた。母が最期に部屋をもったのは介護されるときだったのである。
この一部屋が母を自分が介護した時母の部屋になった。
自分はずっと母に対しては悪いと思っていたがどうにもならなかった。
母は自分の家に嫁ぐ前も不遇だった。一生が不遇だったのである。
ただ最期は自分の部屋をもち自分が介護したから不遇とは言えなかったろう
母は喜んでいたからである。

そして母はこの部屋で介護されるときも懸命に生きた、頑張り屋だった。
最期までベッドの脇のポータブルトイレに自力で行っていた。
オムツもせずに水しか飲まなくなり一週間もそうだったがポータブルトイレに行っていた食べるときも自力で食べていて自分が食べされることもなかった。
それで実際は自分にとって楽な介護だったのである。
病院に入院してオムツとか管で小便をとるとき凄くいやがっていたことでもわかる
オムツとかなるとその衝撃が大きいのである。
母はやせていてともかく頑張り屋だった。
でも母は何か世間にうといからこの家を一人で切り盛りはできなかった。
姉がいてこの家は成り立っていたのである。

それぞれの家にはなにかみんな複雑な事情があるからわかりにくいのだ。
母は前の夫も事故で死んだとかいろいろ不遇だったのである。
そういう人が大正生れとか戦前とかなると多いのである。
そしてつくづく病院という場はそうした家の事情とか関係なく無機質な空間であり
それぞれの人に対する思いがない場所である。
だからそこは長居する場所ではない、その人の特に女性の場合、家に一生があるとすると家で介護されて死ぬのがふさわしいとなる、そしてそこには死んだ後も思い出として残る場所なのである。


だから病院とか介護施設は本当は介護されるにも病院でも看取りとなるとふさわしい場所ではない、医者とか看護師とか介護士は家族とは違うからである。
体をみてもこのようにその人間そのものが生きたというその一生をみれないからである。なぜ死んだ後にもこの部屋が「百歳の間」として名付けてなおその人が生き続けるようなことはありえない、病院ではなんかもののように死ぬとかたづけられるだけである。
そこにはもう誰がいたかもわからない、ただ一人が消えてその名も覚えている人がいないだろう。
そこが病院とか介護施設と家との大きな差だった。
人間は死んでもそれで終わるわけではない、その人はその生きた家になお生きつづけているのだ。病院とか施設ではそういうたとはないのである。


もちろん介護になると認知症とかなると介護自体が嫌な思い出となる、てもやはり人は特に女性の場合は家と切り離されずにある。
それで家で介護されたい家で死にたいとなるのが情である。
ただそれに対処するのは家族が少ないから本当にむずかしい
自分がなんとかやれたのは母が介護を楽にしてくれたからだと思った。
脳出血とかなり三食食べされるようになったら本当になにもできなくなった。
それが常に自分はおそれていたのである。
とにかく人間の一生というのは死んでみないとまたわからないとも思った。
死んでからまたその人をふりかえり深く思うことがある
生きている内はそういうことが見えないことも多いのである。
嫌だ、嫌だと思っていてもそれがなつかしくなったりするのが人間なのである。
だから介護も嫌なのだかふりかえるとなつかしくさえなるということもありうるのも不思議である。
それは重荷から解放されたからそうなっているのかもしれない、それは介護だけではない、人間は苦しいことでもふりかえるとなつかしくなったりするからである。
憎しみ合い争っていてもそれすら死んでしまったりするとなつかしくなったりする
それは兄弟で昔喧嘩したことがなつかしくなったりするのと同じなのである。
人間死んだらなぜそんなに争ったのかとみんななるからである。


つまり人間は今は介護というのがその一生の間で経験する、次ぎに看取りがありその後に死者を偲ぶ場として家がある。
人間はそうして死んだからその生がそれで切断されないのである。
でも病院とか施設では死んだら切断されて何も残らないのである。
偲ぶ人もいないのである。そこはただ一時的に体をみる場所なのである。
だから人間的な場所ではないのである。
でも現代は在宅介護とかするのは本当にむずかしいからそうなった。
ただそこには人間として最期を迎えるのにはふさわしくないのである。

大きな百合の花を最初は目立つから見ていた、次ぎにしばらくたつと添えて咲く花をみるつまり人間は最初は主役をみているが脇役も長い間みていると花でも見るようになる
母はずっと脇役でありそういう性格だった。目立たない花だったのである。
でも長い間見ていると脇役も注目される、一瞬見た時はどうしても主役の大きな花に目がむくがやがて脇役の小さな添えて咲く花も見るようになるのである。



posted by 老鶯 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月08日

老人は金があっても消費する力がない (消費は今は生産的なものになっている)


老人は金があっても消費する力がない

(消費は今は生産的なものになっている)


老人が金を持っていても使わないから不景気になるとか良く言われる。アイナス金利政策も貯金しても金利がマイナスになったりするからなんとか金を使わせよう、投資させようとする政策なのだろう。
ではなぜ老人は金を使わないのか?そもそも老人は何に金を使うのかとなる
自分も老人の一人だとすると最近買ったものが有効に使えないのである。
自転車からビデオで撮ろうとして最小のビデオカメラを買った。これも前していたから今度はいいカメラでしようとした。
でもビデオカメラ自体使いこなすのがめんどうなのである。
二十年から三十年前にも自分はいち早くビデオカメラを使っていた
それは今と違ってもつだけ重いものでありデジタルではなかった。
これもとってみたがビデオカメラは使いにくい、編集にしてもあまりにもめんどうなのでやめた
人間は買っても使えないのが結構多いのである。特に老人になると道具を買っても使えこなせないのが多くなってくる。

自転車のロードなどはもどんなものかと試しに買ったがたいして乗らずに終わった。
自転車旅行とかをはじめたのは40代であり遅かったこともある。
それまでは鉄道の旅だったのである。それから海外旅行は50代でありそれも遅かった。
そんなことをしているうちに時間は過ぎて今の年になった。
人間は何かをする時間がつくづく限られていてないことを痛切に感じた。
遊ぶ時間すら限られていて意外とできない、まずビデオの動画の編集など相当に時間を食う手間のかかるものだから使えこなすことは若いときでも大変な労力が必要になる


老人が消費しないというとき消費できないのである。消費というときただ消費するのではない、ビデオカメラを買ったらそれを使いこなすとなるとそれ自体もう消費ではない、遊びでも生産的消費なのである。パソコンを使いこなすこともそうである。
こういうのはもう消費とは言えない、生産的消費となっているのが現代である。
ただ金を使って浪費しているだけではないかとはならない、そうしたものビデオカメラでも自転車でもすでに使いこなすこと自体が生産的消費となっているのが現代である。
フラワーアレンジメントをするにもこれも手間であり確かに花を買うと高いがそれを利用して使いこなすことがまたむずかしいのである。
常に消費は生産的消費、創造的消費と結びついている。


旅でもこれも消費だけではない、旅は見聞を広めることであり多様な自然や文化にふれることである。だから実際は相当に集中しないと旅でもあとで何も残らないだろう。
旅もふりかえればそれなりに労力が必要であり生産的消費になる
現代は遊ぶこと自体が一つの生産的消費でありそれなりに手間と労力がかかるものであるだから旅すら年取るとめんどうになりしたくなくなるのである。
もちろん厚い本なども読めなくなる。意外は本がこんなに読めないものかと驚く
本は確かに山積みになっているがどれだけその内容を読んだかとなるわずかになってしまう。
つくづく人間のやれることは本当に限られている、そのうち時間切れで終わるのである。これしかできなかったのかとふりかえり終わる


老人は金があってもその金も使いきれない、それを何に使うのか?孫にその遺産を残して使わせるとかなってしまう。
そして最近の世界経済を見ると世界的になぜこんなに経済が低迷してきたのか?
なぜ原油安になっているのか?そもそも原油安ということはありえないことだった。
資本主義は今資金も膨大に余っている、原油も余っている。その使い道がないということで老人ともにている。
余った金がどこに流れるのか、中国のような巨大な発展する国もないからますます金もあまり石油もあまってくるのである。


だから現代の資本主義がもう発展する国もないから投資する国もないから停滞してくる。何か大きなもうけをだす国もないし発明もないのだろう。
何か飽和状態になりゆきづまっている。資本主義を維持するものがなくなってきている。そうなるとどうなるのか?資本主義は社会主義的要素が強くなるかもしれない、格差が大きいというとき全体の経済発展でもグローバル的にも無理がきているというとき金をどこに回せばいいかといったらそれは格差解消となると金のない貧乏人に回せとなる
それは福祉的政策でありそれも批判されてきて民主党では経済発展できない、不景気になるとして経団連の指示する自民党に変わりアベノミックスで株価をあげたのである。
それもゆきづまっているのは世界経済の影響がある。
世界全体が経済成長する資本主義が限界にきているからそうなる
全体の成長を先にしてそさから下々に金が回すというやり方がうまくいかなくなっている銀行だって有望な成長する投資先がないからこそ金をもっていても有効に働かないのである。

そして老人が金をもっているというときなぜ使わないかとなると生産的消費する力がないことと老後が長くなっているから将来の不安のために貯蓄していて使わないのである。
老後というときあと十年くらいで終わりだなとなれば意外と金の見通しがつく、これがあと二十年もつづき自分のように国民年金だとすると金が確実になくなり下流老人化するという恐怖になるから金を使わずに貯金するようになる
老人が金が使うのは結局病気と介護に最期は使いなくなる。
なぜこんなに薬屋が多いのか?この辺でも病院が街の中心でありその回りに薬局をとりまいているのである。
つまりそれだけ老人が医療に金を使い国でも使うからそうなっている
何か社会が歪(いびつ)になっているのである。


介護はそれなりに意味があっても生産的ではない、子供だったら若い人だったら健康な人だったら料理して出したらみんな食べるけど介護される人はうまそうにも食べない、いやいやながらやっと食べている、そういうものを見ていると料理する方もやりがいがないのである。うまいうまいと食べてくれればやりがいもあるがそれもないのである。
もう老人は介護状態になったら食べ物すら消費できないのである。
でも別に介護状態にならないなら何か自分は旅しないから最近いろんなレストランに回って食べている。
この辺ではいろいろないにしろそれなりに味も違い雰囲気も違う。
この辺ではレストランなどは外部の人が多いから結構繁盛している
老人でも意外とこうした料理には金を払う人が多いかもしれない、食べる楽しみが意外と介護状態にならない限りかえって金をかけることがある
病気とかにならないためにも料理が大事になってくる。すると食べ物に気をつけるうよになる、特に野菜はなるべく肉類などより食べるようにしているのが老人なのである。



タグ:老人の消費
posted by 老鶯 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月03日

認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁



認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁


認知症になると変なのだけど知的障害者をもった家族の苦しみがわかる。
家族に監督責任が課せられて家族が責められるのである。
そして回りが同情することがほとんどないのである。
人間はつくづく弱者になると世間は冷たいなと体験でわかった。
田舎でも知っていた人でも認知症になったら相手にしないし差別される
弱者になったことでそれをいいことに責めてくるのが世間の非情だった。
もっと回りで見まもるとかなんとか言っているけどそんなことをするのはまれである。
かえってなんでちゃっと見まもっていないのだと責められるのである。
火に気をつけろとか日頃親しくしていた人でも何かと責めてきたのである。
もちろん確かにそういう心配があるからやむをえないということはある。
今回でも迷惑をかけたことで責められるのは被害が大きかったからである。
でもこれも別に鉄道会社だけではない、回りがみんなそうである。
ましてや実害があったらその責任を問い賠償金を要求する


判決に対して大会社なんだから大目にみてくれてもいいだろうと言う人も多い
個人ではないからそのくらい大目に見ろよという意見も多い
第一この家族は長男が横浜にいてその妻が名古屋まで来て介護していたのである。
そしてこの認知症の男性の妻は85で要介護状態になっていたのである。
これも想像すると苦しいだろうなとなる。
二人も長男の妻がわざわざ来て介護して二人をめんどうみる
そしてここで想像するのがその先が長いことである。
そしたら夫から離れて夫も仕事しているから苦しいとなる
うとうとしていたらその隙に家を出て徘徊したという
自分か介護で感じたことは二人だったら楽だったなということである。
なぜなら交代でめんどうみれるからである。
一人だとつききりになり何することもできない
自分が遅くなったとき姉は自分が帰らないとすごく心配して隣の人にいつも帰ってこないと騒いでいたという
でもその隣の人は姉が認知症になったことを知っていて受け入れてくれたのである。
その人は本当にいい人であり今でも感謝している
そういう人は本当にまれでありほとんどいない、田舎でもいない、たいがいは差別になったり
何かと監督責任を問う人がほとんどなのである。
そういうことが今回の判決にも具体的に出たのである。

この家族は世間は冷たいなつくづく思っているだろう。
鉄道会社も大会社なのに冷たいなと思っている
それでひどいなと見ている人も多い
でも知的障害者になるとこれが現実なのである。
監督責任が問われ家族は苦しむのである。
それで認知症になる家族を介護するとき奇妙だが知的障害者をもっている人の気持がわかるとなる
共通なことが多い、でも違っているのは年寄りの認知症になった人はこれまではいろいろと尽くした人であり自分の姉はそうだったから知的障害者になってもそう扱いなかったのである。
本人も自分はいろいろ尽くしてきたということを意識しているのだ。
だからプライドをもっていて馬鹿として扱うど怒るのである。
それが生れたときから知的障害者になっている人との大きな相違なのである。
自分はそういうことを身をもって感じていたから認知症になっても普通の人と同じように家族の一員として扱ってきた。
だから気分が良くなり改善したのである。ただそこには犠牲があった。
それでも二年半くらいで死んだので救われたのである。
介護は長くつづくと限界になってくるのだ
いつまでつづくのだろうと不安になるし知的障害者とつきあうことは必ず鬱になるのである。
自分もなっていたし普通のときのようにとても暮らせないのである。
自分の場合は二年半で終わったので救われただけである。

認知症にはもう85才とか90才以上になると半分はなるとか誰でもなるものなのである。
だからこれからはますます人ごとではなくなる
でも認知症に関してはなかなか外からまだ理解しない人も多いのである。
認知症のやっかいなのはこれまでいろいろ家のためでも社会のためでも尽くした人が多いその功績をないがしろに簡単にはできない、それぞれ違っていても自分の家ではそうだった
だから馬鹿になったという扱いは簡単にはできない
自分の家の場合は徘徊とかはなかった。ただ自分がちょとでもいなくなると不安になっていた
暴力もあったし家族もばらばらになった、そういうことをプログに書き続けてきた
つくづく在宅介護というけどそんなに今は人手が家族にいないのである。
自分も二人いれば楽だったがいない、ここでもわざわざ長男の妻が遠くから来て介護していたのである。
そのことは相当に負担だったろう。介護というのは在宅でも必ず一人にまかせられる傾向かある、誰か一人におしつけられるのである。


ここでも実際は認知症の91才と介護状態の妻の二人が介護になっていたのだ
自分も一時はそういう状態になりつつあったが一人が死んで救われたのである。
二人を一人でかかえる時に限界がくる、本当は一人をみるのに二人必要なのに二人を一人でみるのだからそうなる
在宅介護でおしつけられるとこれからもこうした事件や悲劇は毎日のように起こる
実際はすでに起きているのである。
介護で家族自体が崩壊してゆくということも起きてくる
こういう判決が出るのはまさに在宅介護をおしつける国側にも問題がある。
鉄道会社は民間だから損が出れば賠償させる、それも利益追及だからとめることはできない、慈善でやっているのではないともなる
ともかくいろいろ考えさせられる事件でありこれから認知症にとを対処するから社会が問われたとなる

posted by 老鶯 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月02日

認知症になっても正気になり遺言があった (遺言は証書化しなくても守らないと怖い)


認知症になっても正気になり遺言があった

(遺言は証書化しなくても守らないと怖い)


相続とは被相続人の財産を承継することですから、被相続人自身が自ら築いた財産の行方については、被相続人自身が決めることです。また、それを尊重するのは当然のことです遺言とは、被相続人が亡くなる前に、その最終の意思表示を形にし、死後に実現を図るものです。

被相続人自身が自ら築いた財産の行方については、被相続人自身が決めることです。

認知症になったらまず証書化できない、でも全く遺言できないのかというとそうでもなっかた。遺言とは死ぬ間際にでもその前でもその人の意志を示すことである。
それは口頭でも可能だし認知症になってもできる
口約束でも約束として契約として有効なのと同じなのである。
それが法律的に第三者が見て有効かどうかは関係なく基本的にその人の意志が伝えられることが遺言であり守らねばならないものである。


誤解しているのは法律がすべてではない、その前に必ずモラルがありそのモラルに反することは大きな罪になるのが人間なのである。それは良心の問題でもある。
特に金のやりとりは具体的なものとして良心が問われるから怖いのである。


自分の母親は百歳になり認知症になっていた。でも物忘れしたとしても何か時々正気にもどっていた。
そして死ぬ一カ月前頃に孫に金をやらなければならないと起き上がり全身の力をふりしぼるようにして大声で言ったことには驚いた。
その前に自分は孫には金をやらないと事情があり手紙で伝えた
その時孫は怒っていた。それも確かに一理あった。ただ相手には事情がありやれないものだった。
でもその後自分の立場を理解して母の言うようにたいした金ではないのでくれると伝えた孫も納得したのでそれで金の問題はかたづいた。


でもそのことで不思議なのは母がその孫の言うことを東京とか離れているのに聞いたのかということがある。何らかテレーバシーがあり伝わったのか?
認知症になって金のことがわからないと思っていたし現実に金のことがまるでわからないということも経験していたからである。
もしかして孫の怒りが母に伝わったのかもしれない、そして母が大きな声で自分に対していくちいくらの金をやれと指示したのである。
その額は少額であったから電話して金をやると言ったのである。


例え離れていても心は伝わるということは確かである。これは誰でも経験していることだろう。心は空間とか距離と関係なく伝わるということは良く言われる
これは金をめぐっての具体的な例であった。
実際に金のやりとりは具体的でわかりやすいから理解しやすい
金というのは心を具体化したものとしてもやりとりされるのである。
金の怖さはへたにもらうと危険なのことにもなる
もらう理由がないのにもらうとそれはカルマとなりあとで危険なものとなる
遺産などでもそうでありもらう理由かないのにもらうということは盗んだともなる場合がある。
特に遺産は死んだ人が関係しているので怖い面がある。
死んだ人の意志を無視するとそれは証書に関係なく怖いと思ったのが今回の自分の経験だった。
自分は母の遺言を果たしてのでほっとしている
もし守らなかったら本当に怖いし安心して眠れなくさえなったろう。
それは明らかに悪事となるからそうなる、やはり悪事を働くと良心にとがめられ苦しむとなる


ここで問題なのは認知症でも正気になることがある、それは前にも書いたがそこに認知症に対処するむずかしさがある。
認知症蜷ったらもう何もわからない、金のことも何もわからないとみることが多い。
しかし今回の母のように最期に正気になり遺言したのである。
それは証書ではないが明らかにその人の意志を実行しろということだったのである。
もし実行しなかったら自分は母に供養したり祈ったりできなくなる
「孫に金を払わなかったな」とか見られると本当に怖いと思った。
遺産ではそんなことは関係なくとれるだけとろうとするのが多いだろう
自分にもそういうことがある、でもその額が少額だから実行できたともなる
遺産でもめるのはどうしてもそこに人間の欲が露骨に現れるからである。
実際に兄弟がいると遺産は半分にへるから大きいなど思った。
遺産はまた相続すると甥子、姪子まで関係している
必ず相続の時、実印と印鑑登録所とか戸籍謄本とかが必要となるから頼まねばならないからなんらが遺産からお礼として金を払うことも必要になるからである。
それで納得してもらうことになるからだ。
もし拒否されたら遺産を相続できないからである。


相続人の署名捺印が欠けた遺産分割協議書は、残念ながら、無効です。
(有効な遺言書が残されてあり、その内容のとおりに遺産を分けるのなら、遺産分割協議書を作らなくてよかったのに!)
こういうご相談を受けると、「あぁ、有効な遺言書があればなぁ…」としみじみ思います

これも重要なことだった。署名捺印してもらうことが結構めんどうなのである。
もし兄弟とかあればその甥、姪子まで関係しているからである。

相続した者は、押印を拒否している者に対する所有権確認訴訟を提起し、
その勝訴判決(判決理由中に遺産分割協議が成立して原告が当該不動産を
相続したことの記載のあるもの)を得ることになる。

拒否されたら裁判になるのだからこれもめんどうである。
こういうことも知らないと遺産相続でももめる、もちろん遺産がある人でありそんな遺産がない人は心配はない、自分もそんな遺産はない、土地と家とかはもうたいして価値がないし金だって使っているから残っていないだろう。
その点ではそんなに心配はないとなる

ともかく人間のことはみんな法律で決められるわけではない、倫理的なもの良心とかも関係しているのが人間なのである。
特に死者が怖いのは死者には偽れないということがある。
死者は厳格でありその人を見ている、死者はその人の心を良心をみている
一旦死者になると生きている時とは違う、死者に対しては偽れないのである。
だから遺言でも証書でなくてもそれを実行しないと怖いのである。
認知症の人でも今回の母の例のように正気になることがある
特に大事なのは死期が近づいたときそうなりやすいのである。
だから認知症でもうなにもわからないとしてかたづけることができないことは注意するべきである。

タグ:遺言
posted by 老鶯 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年02月01日

相馬看護専門学校では準看護師の免許しかとれない? (そんな簡単なことも直接聞くのはむずかしいーではどこに聞けばいいの)


相馬看護専門学校では準看護師の免許しかとれない?

(そんな簡単なことも直接聞くのはむずかしいーではどこに聞けばいいの)

看護師になることについて親戚の子が専門学校のことを言っていたので近くの相馬看護学校に聞いてみた。
そしたら最初受け付けの人が出てそのあとに別な人にまわした。
今日来た高校生の子がいる人が相馬看護学校では準看護師にしかなれないですと言ったからである。

准看護師は都道府県知事によって免許が交付される、いわゆる公的資格です。
准看護師とは、医師や看護師の指示の元、診療の補助や療養上の世話をする仕事です

準看護師も免許制だった。その免許は相馬看護学校だととれるということなのだろうか?
別に国家試験でも通れば看護師にもなれる、ただ看護師になる国家試験と準看護師になるのは違う、都道府県知事によって免許が交付されるのと国家によって交付されるのとの相違がある。
準看護師は戦後の看護師不足の時に作られたものである。看護師がたりないからその補助として制度化した。
戦前でも看護師になるには自分の姉は東京で国家試験をとったから県単位ですらとれないむずかしいものだった。
準看護師は看護師の指示で働く、準看護師は今では介護士ともにている。
最近看護とかの関係でいろいろな職業が増えてきたのである。

 作業療法士 理学療法士 義肢装具士 視能訓練士 言語聴覚士

こういう仕事はもともと看護師がしていたのである。それがいろいろに専門化したのである。介護士という仕事も準看護師がしていたのである。
だから仕事でも看護師と介護士でも同じようなことをしている場合がある。
でも給料はかなり違うから準看護師でも介護士でも不満になるし給料の面だけではない
社会的な地位も低くみられるのが介護士である。
たから介護の現場で働く人が変な人が多いというとき介護士は一段低い人材しか集まらないとなる、もちろんこの変なというときそういう人も変であり人間はなにかしら変なのである。同じ人間がいないからこの人は変だというときどういうことなのか具体的に言わないとわからないだろう。

でもこういう専門化した職業のことが無数にありわからないのが現代である。
それを何なのか簡単に聞くこともできないことが問題なのである。
知り合いとかにいればいいがいなければ直接は聞けない、それで相馬看護学校に聞いたのはいいが最初に受け付けの人がでた。そのあとに回されたのだが最初に「あなたはとなたですか」と聞いてきて嫌だった。
聞くことは簡単なのことであり準看護師の免許しかとれないと聞いたからそのことを聞きたかっただけである。それを教えるのすらいやがっていた。
あとは高校などの就職担当に聞いてくださいと言った。
それもわからないから直接相馬看護学校に聞いたのである。


ともかく医療関係とか役所とかは何でも聞きにくい面がある。一番敷居が高いのは医療関係である。歯医者をのぞいて何かサービス業という感覚は全くないのである。
それは競争がないから常に何かをしてあげるという感覚になっているからである。
医者とか看護師は特にそうである。学校などでもそういう面があるだろう。
第一受け付けでまずそんなことも答えられないというのも変だと思った。
聞いていることは本当に簡単なことであり何かさしさわることはなにもないのである。
「準看護師の免許しかとれないのですか」
こう聞いたらそういうことではないです、看護師の国家試験のための勉強をしますとか簡単に答えられるはずなのである。
こうなるとまず受け付けなどはコンピャーター化したロボットの方が有能だともなる
そんな情報が即座にインターネットととつながれば答えられるだろう。
いちいち電話を担当のものに回す必要がないのである。
だからそうした仕事はコンピューター化するのがまちがいない
相馬専門学校のことでそんなことまで答えられないとしたらそうなる

いづれにしろここだけではない,何か体面的になると簡単に知らないことでも聞くことができない、確かに誰か知らないものに答えないということもあるだろう。
また答える義務もないということもある、また電話でそんなことを聞く場でもないということもある。いちいち電話で聞かれると困るから今では電気製品のサポートでも電話では答えない、インターネットで説明しているからそれを読めとなっているのだ。
インターネットはやはりこのような無数に専門化した時代には必須のものとなったのである。
なぜなら対面的ではない、気軽に調べられるからである。それで相当に助かる経験をした第一認知症の介護をしたが認知症はなになのか,医者に行ってもわからないのである。
医者自体が認知症についてわからないのである。
それでインターネットを参考にしてそれが効き目があった、この世の中には複雑になると無数の専門化するとまず職業自体が何なのかわからないのである。
そして現代社会は様々な疑問について簡単には人づてでは聞けないしまたもう人づてではとても知り得ないのが現代の複雑化した社会である。
そうしたらどこで気軽に知識を得るのかとなるとインターネットだったら誰にも気兼ねをしないということで現代社会には欠かせないものとなった。
それで事足りるとはならないが方法がないのである。

相馬専門学校で最初にどこにつながったのか、普通は受け付けになるのか?
そこで答えてくれれば良かった。それはあまりにも簡単なのことであり何も迷惑なこともめんどうなこともない、準看護師の免許しかとれないのですか、という答えはあまりにも簡単だし相馬専門学校で何を学ぶのかは簡単に答えられるからである


posted by 老鶯 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月29日

死者を葬ることはそれぞれの文化だった (もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)



死者を葬ることはそれぞれの国や地域の文化だった

(もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)


死者というのが葬儀でも墓でも問題になっているのは社会が変化して家族関係でも人間関係でも変わってしまったからである。
不思議なのはそもそも家族墓は江戸時代にはなかったのである。
武士でも、、、家というは墓はない、苗字名前があっても、、、家という墓はない
個人墓が基本である。、、、家というときそれは江戸時代から連続しているようでも江戸時代は個人墓であり、、、家の墓はない、一家の墓になったのは明治以降なのである。
それでも個人墓から夫婦墓となり家族の墓になった。
それは明治政府の意向でそうなったのであり政治的なものとして明治以降に作られたものだった。
家を中心にして家庭を作り国造りの基盤にしたためである。
だから最近家族墓から個人墓に逆戻りしているというときそうなっても不思議なことではない、前にもどっただけだとなる


家族墓が一家の墓が後継ぎなどがなくて維持できないというのも江戸時代でもそんなに一家の墓を維持しようとしていないし墓は個人墓であり墓がないのが庶民では普通だったのである。
それで江戸時代の後期になると農民でも生活に余裕ができて個人墓を作ったのである。
そもそも庶民には墓はなかった、村では共同で埋葬する場がホトケッポなどがこの辺ではあった。でも家族の墓とか個人の墓とかはそこになかったのである。
つまり村人が死んだらホトケッポとかに葬られて墓はない、お参りはそのホトケッポに村人がしていたとなる
それが共同墓地だったとなるから共同の墓地をまた志向しているのは江戸時代にもどるということである。
ただ村というものではないからその形は同じでも内容はまるで違ったものとなる


いづれにしろ死者をどうするかは一つのその国ごとの地域地域の文化である。
先祖が春になると山から里におりてくるというときそれは稲作文化が作り出したものである。山からは絶え間なく水が流れて大地をうるおして稲ができるからである。
そして先祖は山に眠り村人を見まもってくれるというのはそうした稲作文化から生れた死者の見方であった。
死者をどう扱うかというのは本当にどうしていいかわからないものである。
そもそも死者が何かとなると一つの解答などないからである
骨にあるのか?名前にあるのか、墓に死者がいるのかとなるとこれもわからない
骨は土になり個人の骨が一緒になりわからなくなった。
するともう骨から個人は識別できない、骨はその土地の土になったともなる


現実に骨はその土地の骨となるということもある。自然だったら木がその土地に根づきやがて老木となり朽ちてその土地の土に帰り養分となる
人間も生物だからそういう生物的感覚として葬るということもある
そしてそれが自然なのかもしれない、現代はむしろ不自然なことが多くなったから死者も不自然に葬られるのである。
いろいろ葬儀の仕方が志向されるのもかえってそれが不自然になることもある
だから今回自分で母の葬儀をして49日間は死者は家にいるという死者への対処の仕方は意味あるものだと思った。
ちょうど49日間というのが時間的に何か家に本当にまだいるのだという時間感覚だったのである
だからこういう死者への文化は何か意味があり簡単に新たに作れないのである。
これは別に仏教とは関係ない、日本古来の風習なのである。
ホトケとは仏教でいうお釈迦様のことではない、ホトケとは死者のことである。
もともと日本語なのである。神仏習合したものとして伝えられて来たのである。


自然だというとき今は地域が喪失して地域の文化が失われた。
死者を葬るというとき何か供物でも土地でとれたものお菓子でも地元で作られた菓子などを供え物とすることがふさわしい
今ならいくらでも外から食料が入ってくるが仏様には土地でとれたものがふさわしい
そして仏様はその土地の人とかかわるから郷土と密接に関係していたのである。
郷土史と深く関係していた。
自分が墓に興味をもって郷土史を研究したように墓は郷土と密接に関係していた。
なぜなら墓は単なるものでない、死者の魂が眠っているとなれば郷土に生き続けているのが墓だともなるからである。
要するにその土地と一体化して存在し続けるともなる


人が死ぬということはまたどう生きたかとういうことも問われる。
するとどこに長く生きたのかということも問題になる。
転々として転勤して生活しているようだと何かどこに生きたかわからなくなる
そういうことも今では多くなっている。
そういう人は遊牧民であり死んでその土地の土になるという感覚はなくなる
千の風になってとかなるだろう。
ただ墓地であれ墓であれそれは家より寿命が長い、家は一代二代でなくなるが墓は容易にその土地にあってなくならないものとしてある
だから墓地は具体的に郷土史を知るものとして自分は興味をもったのである。
そして死者を生者が見まもるということもあるが逆に生者が死者を見守るということがある。
それは近い方がいいのである。自分はすぐ近くに墓があり毎日その前を通っているから手を合わせたりしているから死者とともに生活しているとさえなる。
でも墓から離れて暮らす人はそうはならない、都会では別に墓を求めて遠くに墓参りするがそれは別荘みたいなものであり近くの人か関心があるわけでもない
墓とかもやはりその土地で長く暮らしていたら継続してそこにあり生者に見まもってもらいたいとなる
生者ー死者には双方向の関係が必要なのである。


49日は家にいるというときそれは家には最も長くいたからである。
それもまた都会のように家を転々としていればそうはならない
一定の土地に定着しないで転々としていればその土地に愛着をもてないだろう
その延長として墓もまたどこにあるべきともなる
墓なんか一層ない方かいいとういふうにもなり海に骨をまいたり樹木葬となったりするのかもしれない。死者は千の風になるとかになる
啄木の墓は函館にあるのがふさわしい、波が打ちよせ雪に埋もれてあった。
何か荒寥として放浪の詩人の墓にふさわしい場所だったとなる
外人墓地などもあるから墓にもいろいろある。
ただ基本的には長く暮らした場所に故郷にあるのがふさわしいとなる
そこでは生者と死者は以前として関係して生活が継続されるというのが何か自然だなと感じる。
ともかく現代はあるゆることが不自然だというとき自然から離れてしまったからそうなる自然村があるというとき縄文時代だったらまさに自然村であり自然と一体化した村だっただからそこではなんでも自然の中で自然なものとして生も死もあったとなる
樹木葬とかでも何か無理して自然に帰ることを作り出さねばならなくなったのが現代なのである、自然からかけはなれた生活になったからそうなったのである。


タグ:死者と郷土
posted by 老鶯 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月27日

昭和55年の150万の保険金が倍になっていた (当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)



昭和55年の150万の保険金が倍になっていた


(当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)


昭和55年(1891)

1989年 38000

1980-1986 ドル 225円


グラフで株価の推移をみると1989年が3万8千円というのは驚く、まさにバブルでありそのバブルが崩壊してそれからは日本の経済は成熟になり下落していった。
その頃地上屋とかが話題になったのはバブルだった。


日本は88年には「1人当たりのGNP」が世界最上位のスイスやアメリカと肩を並べ、この時点で主要先進国に伸し上がって居たのです

バブル期の過剰融資は不良債権に変じ”負の遺産”はその後の日本経済を圧迫し、複合不況の中で”浮遊層”に代わり「ニュー・プア」というが析出し、彼等はフリーター(95年の阪神淡路大震災にビックリした後、

なぜ150万の保険金が倍になっのか?それはバブル時代と重なったためである。
余剰金が生れ配当金がついてそうなった。
経済が下落傾向になってもバブル時代とかに蓄積された金が今日まで計算すると倍以上になっていたのである。
それはさらに40年前とかに貯金した人は金利が高く今になると倍以上に増えた
だから老人は金を持っている、その景気のいいとき貯金しないものは増えない
今は金があっても金は貯金では増えない、かえって物価高とかで目減りしているのである
人一人が死ぬと残された財産とか金が問題になる。それもまたその人の歴史だった。
母は大正生れであり百歳まで生きたから金の計算をするとそれもその人の一生だった。
特に戦前から戦後に大変化があった。前の夫が事故で死んで多額の補償金をもらったが戦争になりその金が紙屑になったのである。
ただわずかの土地を買った分だけが残されたのである。
だから金の価値も変動するし金も紙屑になることがある


高度成長期は小さい店でもどこでも繁盛して金を残すことができた。貯金していると金利が高いからそれが30年とか過ぎると倍以上になっていたのである
不思議なのは金利というのは高い時があっても不景気になったからと低くはならないのである。金利は高いまま30年とか同じだから倍にもなるのである
だから今いくら金をもらっても金利がゼロだから10年20年貯金しても増えないのである。増えないことは確実に目減りしてゆく、物の値段にしても1980年とかその前になると安かったが今は家の値段でも当時の3倍、4倍になっている。
自分の家は築45年くらいだがその時建てたのは400万だったのである。
家を建てるなら今だよと言われて姉と母が建てた家である。
その時の大工の手間賃は本当に安かった。そのあとに急に手間賃があがった。
グラフでも最低賃金が3倍4倍と上がっていった時代だったからである。
そうなると400万では建てられない、早めに建てたので安かったのである。
木材も地元のものを利用して建てていた。
まだ外材は入らない時代だった。


ただ時間が過ぎるのも早い、神戸の大地震から20年もすぎたとということでもわかる
あれは最近起きたような錯覚がある。時間というのはたちまち過ぎる
そして過去をふりかえることになるのだがそれもまた明確ではなくなる
そんなことあったのとみんななってしまうのである。
今の老人が金をもっているというときその老人の功績ともならない
高度成長で運が良くて金利が高いから金が増えたのである。
その恩恵は母の場合は何も使わない、食べ物は贅沢しても他は一切使わない、貯金して残すだけだった。その一部は盗まれたりしたから何のためにためたのかもわからないのである。
ただ遺言したのが孫に金をやということであり遺言書はなくてもやることにした。
それはたいした金ではない、相手もそれで納得してくれた。


ともかく死ぬといろいろな整理がありこれも49日まで納骨するまであり手間だっと思っただいたい49日間は整理にかかる、自分の場合、母の貯金があったがこれも相続人が自分と孫だけなので良かった。
兄弟が多いとわずかの金でも相続することが大変になる。
自著してもらい実印をおしてもらい印鑑登録証明書をもらうとか離れているとめんどうになるのである。
49日の納骨はこれもやはり大きな区切りになる、まだ49日は家にいるというのも死者と語り死者がいるという期間としては適当だった。
こういうのは長い伝統がありそこに何かしら意味がある。
伝統的なものには必ずなにかしらの意味がある、これは別に仏教とも関係ない、日本的な風習でありそれが仏教化したともなる、仏教の教えは死者については何も語っていないからである。


要するに死者に対する伝統的文化が喪失するとき、その伝統なしで葬儀を行ったり死者を送るということを新たにしなければならなくなるとする本当に負担になる
火葬場で死体を焼いたりするのは葬儀屋でするがそれは機械的なものであり納棺師とか最近生れ専門家である。だからなにかしっくりしないのである。
違和感を覚えたのである。
死者を送る文化とか地域が喪失したときではそれを専門家が簡単にになえるのかとかなるのである。
社会や時代が変化するとき葬儀でも変化するのだが死者に対する考え方も変わるのだがそれを簡単にはできないのである。
長く伝えられたものには必ずなにかしらの意味がありそれが新たに意味を作り出すことは時間がかかるし容易ではないのである。
確かに機械的に物として死者を焼いたり骨にして墓に入れたりするのは物理的には負担にはならないけど何か精神的には疲れたなと体験してわかったのである。

死んでからいろいろ整理がある、財産とか金の整理が具体的一番問題になるがではその後死者をどうするのかとなるとこれもまた大きな問題でありそれは一個人するのは大変である。各個人自由にしろと言っても簡単にはできない
こうして現代はいすいろいろ面で伝統的なものを失っているから葬儀とか墓がどうだこうだとか問題になる
でも旧来の葬式の方法も合わないことも確かである。
なんとか納骨が終わればまた死者を葬る大きな区切りになる。
今回と家から出棺して火葬して家で49日骨を安置したので良かった。
姉のときは忙しく葬儀場から出棺してすぐに墓に骨を納めたようである。
49日間置いた記憶がないのである。なにかあわただしくしてしまった。
今度は順序良くできたので良かったと思う。




タグ:保険金
posted by 老鶯 at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月22日

死者は後世に何を残すのか? (母は忍耐強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)


死者は後世に何を残すのか?


(母は辛抱強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)

deathface111.jpg

母の死に顔は不思議だった。やはり死んだ直前だと死に顔はまだ生きた時の総決算のようなものが現れて語っているかもしれない
ただ一日から二日三日とたつと顔でもすぐ崩れてゆくから死んで一日くらいは生前の面影を残している。
母の一生は辛抱の人生だった。だから死んでも歯をくいしばっているような感じに見えるそして派手な人生ではなく目立たない地味な人だった。
それは姉とは対称的な性格でありそれがいい悪いでは判断できない
人間の性格はいい面も悪い面になるし悪い面もいい面として時と場合によって働くのである。
母は何かいろいろ世間的名古とはてきなくても辛抱強いということは評価できる
大正生れの人とかはみんな苦労しているから辛抱強いのである。


それで介護しているときも最期の一週間は家で水しか飲まなくなった。その時もポータブルトイレに行っていたのである。
要するに自分のことを自分でしようとしていた頑張り屋だったのである。
最期までオムツをしなかったのも本人にとっても楽だったし介護する自分にとっても楽だったのである。
入院して小便を管でとるようになったとき相当に嫌がっていたことでもわかる。
介護する方にとっても楽だったというとき母はそれだけ頑張り屋だったからである。
他の人もなんとか世話されるから自分でできるようにするよう努力したという話を聞いたなんでも頼りきりではなく世話になるから自分も世話されやすいようにするというのも
やはり介護される方の心がけとしてはいいと思った。
そういう人はやはり介護する方も好かれることになる
つまり他者への介護する人への気遣いがまだあるからそうなる
認知症になるとそれができないから嫌われるのである。姉は最期は重症の認知症にてり無惨だった。
それまでは優秀だとして世間的にも通っていたのだからそのギャップが大きかったのである。だからつくづく人間は最期まで見ないとわからないものだと思った。
柩に納まってはじめてその人がわかる、評価てきるというのもそのためである。


ともかち人間は何を後世に残すのか?骨なのか墓なのか何なのかわからない、でもその人の一生をどう生きたかを残すということは確かだろう
この人はこんな性格でこんなふうに生きたということか後世の人に影響する
母は目立たない地味な人だったが辛抱強く生きたということでは評価できる
それは見習うべきものだろう。今の人はまず辛抱がたりなすぎるということがあるからだ大正生れとか戦前の人は辛抱強い、いろいろな苦労しているからそうなる
大正生れとなると貴重であり余計にそうなるから貴重だとなる
ただ欠点としてとは貧乏だから遊びを知らない世代だったともなる
だから働くことだけであり花にも興味をもたない索漠な人生だったともなる


ともかく人間は誰でも死ねば平凡な人でも何かを語りそれが重いものとなる
母は何か死に顔が母の一生を語っていたように見えるのだ。
死んでも歯をくいしばっているようでありそして苦労から解放された顔である。
死ぬ三日前頃まで病院にゆくと自分のことがわかっていた。
自分のことをじっと見ていたのである。そして三日前頃から目が半開きになり自分が来たことを認識できなかった。
その時半分死んでいたのだと思う、人間は意識がなくなったとき死んでいるからである。でも三日前頃までは認識していたのである。
姉の場合は一カ月前に意識不明になり死んでいた。ただその意識不明になる前にうなづいていたから正気になり正常な意識になっていたのである。
どっちも認知症にはなっていたが認知症は死ぬ前に一カ月前であれ正気になることは注意せねばならない
人間の最期を看取ることのむずかしさは簡単に死なせることができないのはそういうことにあった。
これだけ苦しいのだから死なせた方がいいというのもある。


認知症だから馬鹿になったのだから死んだ方がいいとか自分も思ったしみんながそういうでも認知症でも死ぬころになると死ぬ前に一時的にも正気になることがある
正気になったことで自分は救われたのである。
何にもわからないわけではないのだなとその時思ったからである。
人間は死んだらもう何か言い残すことも謝りたいとかあってもできない
継母だった人は母に最期は謝って死んだから良かったのである。
もしそうしなかったら永遠にできない、死んでから謝ることもできないのである。
そして呪って死んだ人もいる、その呪いの言葉を自分に残ししてすぐに死んだ女性がいたもうそうなる呪いだけが残されたから怖いとなる
生きている内なら何かできるが死んだらもうできないからである。
それで死んだときみんな後悔している、介護も苦しいんだけどあの時もっと良くしてやれば良かったとみんな後悔しているのである。
それもまたやむをえいなところがあるが人間は死んだ時点でまた見方が変わってしまうのである。


ともかくあと一〇日くらいで四九日が終わる、納骨するからそれでまた一区切りである。つくづく親の死であれ看取ることもその後の火葬とか葬儀とかは何か負担が大きい
自分は一人だったので余計に負担が大きかった。
一人の人間を看取ることは相当な負担なのである。
今は介護も長くなる、二人を介護してすでに十年過ぎていたからである。
老人の介護と死は結びついている、供養も介護の延長としてある
四九日というのもやはりこれも時期としては意味ある期間だった
故人を家で回想する時間だったとなる










タグ:人間の一生
posted by 老鶯 at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月19日

終末期鎮静(クローズアップ現代) (人間は意識があれば生きている)


終末期鎮静(クローズアップ現代)

(人間は意識があれば生きている)

終末期の鎮静 後編「本音」


このサイトはNHKに出演した医者のサイトだった。そこでは医者が終末期鎮静を選ぶ葛藤が記されている。医者も終末期鎮静をどうしていいかわからないのである。
だからこれは非常にむずかいし問題になる。
痛みに苦しむのをみて家族が楽に死なせたいというのもわかる。
一方でそうして死なせたとき家族でも後悔が残ったとかいろいろある。
そもそもなぜそうなるのか、それは個々の人間の相違によるのである。
家族の相違にもよる。それは医者でもその家族の関係がどういうものかわからない
家族といってもその人の生い立ちでも複雑なのがある
まず自分の家族も外から見てわかりようがない、ただ一人自分だけがその事情を知っていてその家族の責任が最後に自分に負わされたのである。
家族の宿命みたいなものがありそれを最後に自分が負わされたのである。


最初に自分は姉の認知症の介護をした。その時母は92才とかなりまだ元気だったがすぐに母も介護状態になった。姉はその前に死んだから助かったのである。
姉の認知症は最初から暴力になったりせん妄になったり重症だった。
でも自分は必死になって姉の認知症の介護の介護をした。
自分は姉には一番良くされたし家も支えてくれたからである。
でも脳出血で入院したときは苦しんでいたから早く死んだ方が本人も楽だろうなと何度も思った。
ともかく苦しみがひどいと本人でも他から見ていてもそう思うのである。
苦しい状態を見ていられないともなる
それなら一層鎮静で楽に死なせてやりたいとなるし本人も望むことがある
姉の死にざまは最悪だったかもしれない、姉は意識不明になったとき鎮静させて死なせるべきだった。目も死んでいたし完全に脳も死んでいたのである。
意識不明の状態でありもう回復することは不可能だったから意識不明になったとき鎮静するべきだったともなる、ただもうその時は死んでいたが一カ月で本当に死んだ。


ただ自分が姉の死や母の死を看取ったとき大事なことは家族のことや個々の人間のことは医者も看護師もわからない、家族のことはその家族しかわからないことがある
自分の家族は自分しかわからない、そして自分が家族の宿命を一身に背負ったのである。その時なんの援助も誰の助けもなかったのである。
むしろそうして弱者化したとき借金とかいろいろ責められただけだったのである。
でも姉が脳出血で入院して苦しんだが最後に母を病院に連れて言ったとき首を下げてうなづいた。そこに家族の和解が最後にあった。
そのあと姉は意識不明になり意志が通じなくなった。

認知症でも本当に正気になることがある、それは最期を迎えたときに正気になる

これだけは知っていた方がいい、これは人間の不思議というほかない
母は最期に孫に金をやってくれと一カ月前頃に大声で言ったことには驚いた。
力をふりしぼるようにして言ったのである。
そのあとはやはり入院して一カ月くらいで死んだ。
母の場合は死の三日前くらいまで意識があった。
自分が来たよと言うとわかっていたのである。
姉は一カ月は全くわからず意識不明でありもう脳は死んでいたのである。
人間は意識があるかぎり生きているのだ。
いくら癌で痛いといっても意識があれば生きている
そしてにこっと笑って死んだというとき家族が救われた感じになることもある
それは本当である。自分も認知症でわからなくなったと思っていたが
最期にうなづいてわかってくれたなと思い救われたのである。
なぜらな家族が和解したということであとも一緒の墓には入るのだから自分が供養するのだから救われたとなる
夫婦でも夫の墓に入りたくないというとき子供が困るのである。
和解していないで死ぬと子供が供養しなければならないのだから親が別々になると困るのである。


こういうふうにともかく週末期をどうするか、どう死を迎えさせるかは本当にむずかしい自分は悔いのない死を迎えさせたということで何かほっとしている。
安楽死とか週末期鎮静には何か悔いが残ることはありうる
だから医者の判断だけでは簡単にはできない、それは家族とか個々人がみんな違っているからなのである。それを簡単に理解はできないからである。
自分の姉は姉といっても25才も離れているから姉というものでもなかったからである
こういう関係は他からとても理解しにくいのである。


そして人間の最期の時は重い、最期に何かその家族とか人生の決算のようなことが起きてくる。だから母が遺言のように最期に言い残したことを守らないと怖いと本当に思った。別に法律とは関係ない、人間の最期の言葉は重いのである。それを無下にすることはできないのである。
だから親戚の女性が恨みの言葉を自分に残して死んだがそれも怖いことだと思った。
何であれ最期にそういう恨みを残して死んだらこれから生きる人への影響が大きい
それ故に人間の最期はどう迎えるのか迎えさせるのかはむずかしいのである。

タグ:週末期鎮静
posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月13日

認知症の介護をふりかえる (苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


認知症の介護をふりかえる

(苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


姉が死んで7年くらいすでにすぎた、随分早いものだと思う。
それで何かこの頃姉の認知症の介護のことを思い出す
そもそも認知症とは何なのかわからない、何の病気なのか?
その正体が不可解なのである。それは老いによるボケだという見方もあり病気ではないという人もいる、そして認知症は人によって症状が違ってくるから一様ではないからどういう病気なのかも決められない、体の病気だと診断して病名がつきやすい
ところが認知症はどういう病気なのか脳とか精神が影響してわからない
それとにたものは痴呆とか精神病となるからそれなのかと思うとまた違っているとか
どういう病気なのか医療界でも決められないのである。


それは老化から来ているとしてもやはり病気である。老化は病気なのかという問題もあるが認知症は一つの病気でありアルツハイマーという病気なのだろう。
あいつはボケたとかなると笑い物になる、あんなに優秀だった姉も笑い物になったから信じられないのである。実際それを家族だった自分は差別とかを感じていきどおりも感じたそれは精神障害者を持っているものと共通したものとして差別されたのである。
ただもともと優秀であり功績があったものとして生きてきたのだからそこは生まれつきの障害者とは違う。いろいろしてくれた人だから自分は恩返ししなければならないと思って介護していたのである。


ともかく家族にそうして病人をかかえると自分も病人と同じように苦しみ悲しまざるをえなくなるのである。
認知症の場合は特殊なんだけどその度合いは他の肉体的な病気より強くなる
そして認知症になれば家族も嫌う、最大のやっかいものになる
だから殺したくなるということが殺意まで生れるのが認知症の介護であり過酷なのである認知症になった本人も相当な苦しみと悲しみを負うのである
暴力になるときそれは自分をどうにもできない無能化したことへの怒りでありその不満を他者にぶつける
特に優秀だったとか激情的な人はそうなりやすいのである


認知症になるのは本人が悪いのだという見方もある。そんな病気になるのは何か呪われているんだという見方もでるのはそれほど悲惨だからである。
姉は性格的に奢ったところがあり自分は優秀だと見下した所が在りそういう面があったことは否定できない、その奢りが罰せられたのかとも見た
認知症とは何かというのが解せないからそうなる
その本人が悪くてそういう病気になったのか、そんな過酷な病気がなぜ人間に与えられるのかというのもなぞである。
神もヨブに過酷な苦しみを与えたことも試練としてそうさせた。
では認知症とはそういう苦しみを神がなぜ与えたのだろうとなる
これも不可解なのものであるし津波の被害などで死んだ人たちもそうである。
なぜそんな過酷なことを神を人間にするのかということがそもそもわからないのである。

認知症だと何か悪魔にもてあそばれているような感じになる、覚えることができなくなり二階に自分でかたづけた着物がないと泣いていたり財布を隠して見つけられず泣いていたりと本当に悪魔にもてあそばれている感じだった。
どうして神はこんな病気にしたのかという疑問が最初からあった。
もしそういう病気に最愛の人がなったらどうなるのか?
その病気と同じ苦しみ悲しみをともにせざるをえなくなるのである。

「財布がない、財布がない」
「財布はあるよ,安心しろ、大丈夫あるよ、ここにあったよ」

何かこうしてよりそって安心させる、すると精神が狂気になるのをおさえられのである
忘れるということから狂気になるのが認知症だからである。
認知症はともかくいろいろ症状があっても安心させることが一番大事なのである。
忘れるということで感情的になりそこから狂気になる
だからともかく安心させる、心を落ち着かせることが肝要なのである。


認知症が何なのかというとき、不可解だとなるがそれは病気なのだろう
老いでもあるが単なる老いからくるのではなく病気なのだろう
病気だとすると直すことかできると医者が言う
例えは自分の母は100才になり死ぬ間際になるまで病気がないという、軽い認知症はそれでもなっていたのである。でもそれは体の病気とはならなかったから病気がないと医者に言われたのである。それもだから不思議なのことだった。
ところが認知症は病気とされない場合がある
精神の病はそれだけむずかしいからそうなる


今ふりかえると認知症は悲惨な病気であり介護する方も同じように苦しみ悲しむ、それを自分は経験してきた。
人間はつくづく悲しみものと苦しむものとともに悲しみ苦しむことが愛である。
楽しむものと快楽をともにするものとが本当の愛にはならない
悲しむ苦しむものとともにするときそれが本当の愛である。
でもそんなこと誰もしたくない、自分の場合はそう強いられただけなのである。
誰もそんな苦しみとか悲しみをともにしたくないのである。
そういうことは口で言うのは簡単なのである。
実際に自分がそういう身になったときしかわからないのである。


「悲しむ者は幸いである」このことは何を意味しているのか本当に不可解である。
ただ人間が悲しむものと苦しむ者と共感するときが本当の愛である
たがいに楽しむばかりならそこに愛はない、楽しくなくなったら離れるのは愛ではない、悲しいときも苦しいときもともにあるのが愛だからである。
神はなぜ人間にこうして過酷な悲しみとか苦しみを与えるのかとなる
でも逆に悲しみも苦しみもない楽しいだけの人生というのはまたそれだけでいいのかともなる
つまり人間は苦しみや悲しみをともにしてのりこえるとき真に愛で結ばれることがありうる、自分はなんとか姉に対してそうしてきたから最後はわかってくれたと思う。
そういうことで自分はふりかえると満足している
自分も何かしてやることができたという満足である。
何もしてやれなかったら自分は家族とすらなれなかった。自分が苦しみと悲しみをともにしたことで本当に家族になったのである。


ただなぜこんな酷いことは人間に対して神はするのか?それはヨブ記のように不可解なのである。人間は悪魔のようにもてあそばれるだけの存在なのか?
神などないというとき津波の被害者はそう思った。それもあまりにも過酷な現実だったからである。
何か世界でもそうした過酷なことがありどうしてそんな苦しみが与えられの不可解なのである。ただそういう過酷なことにも何か意味がありその解決を望んでいる

汝の悲しみの涙は真珠となる
汝の悲しみ苦しみは無為には終わらない
それは一つの神の試練なれや
汝はふりかえり今幸いを感じる
悲しむ者は幸いとはそのことや
今ふりかえればそれはあるにしても
思い出すとやはり悲しくなる
ただ汝はその時懸命に家族を支えていた
そして今も支えているのかもしれない
死んでも家族を支えている
介護になってからは自分が支える身
私自身が家族を支える
私が愛する故に家族はありつづける
その家族は永遠に消えざれ
我が愛のあるかぎりはこの地に゛゛゛

要するに家族とは何なのかともなる、今までは自分はただ良くされるだけであり愛されるだけだった。でも介護になってからこちらが愛する方になった。
その時ふりかえると自分は真の家族の一員となるべく奮闘していたのである。
これも家族から故郷とか大きな共有の世界に拡大するとき故郷のために何かするというとき故郷の一員となる、何もできないなら故郷の一員ともならないとなる
この辺は津波や原発事故で混乱した。その中で若い人が故郷から放射能を恐れて去って行った、そして老人だけが取り残されたのである。
でも老人でも親であり祖父母であった、家族であったはずである。
するとそこには家族の愛すらなかったのかとも疑問になる
補償金もらってそれで外に出て新しくはじめた方がいいとなった。金がかえって復興をさせなくさせてしまった皮肉がある
金によって家族がかえって分離した、補償金で市町村が分断されたということもそうである。家族であれ故郷であれそんなに愛着あるものではなかったともなる
それが時代を反映したものでありしかたないとなっているがそれでいいのかという疑問と通じていたのである。


タグ:家族とは
posted by 老鶯 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月12日

葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)


葬式も出せない貧乏な時代?

(栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)

sssou1111.jpg

金がなくて葬式が出せないと福島県でこれだけ事件があった
やはり葬式も出せないほどの貧乏人が増えているのかとなる
全国的にもこういう事件が多いからである。

どうしていいかわからなかったというとき近所つきあいなどがなくなったからだとニュースでは言っていた。
それもある、本当にどうしていいかわからなっかたのだろう
自分は一回経験しているからなんとかできたが葬式というのは何回も経験できないからわからないのである。
人間ははじめて経験することに弱いのである。
今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる



 静岡県警熱海署は15日、妻(60)の遺体を空き地に埋めようとしたとして、死体遺棄容疑で同市内に住むアクセサリー販売業の夫(59)を現行犯逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と供述しているという。自力で“埋葬”することになった経緯を同署に聞いた。

 

なんかこういう事件がよく報道される、葬式を出せないほどの貧乏なのか?
それとも安く葬式を出せることを知らないのだろうか
それとも親の年金をもらいつづけるために親の死を隠しているのか?

本当に貧乏で葬式を出せないというのも結構ある
とすると今はそれほど貧乏な人が増えた時代なのか
それにしても葬式は20万あればできるからそんなに貧乏なのかとなる
20万の金がない、融通できないとなると相当な貧乏ではないか?
こういうことに現代の世相があり貧乏な人が増えた

親の年金で生活していたような人も多いから親が死んだらその年金をもらいつづけるために死んだことを隠す、それも貧乏のためである。
だからこういう事件がこれからも介護殺人と同じように増えてくる
事件は必ず世相を反映しているからだ。


親に頼るというとき今の老人は金を持っている人はもっている、若い人はもっていない、貯金のほとんどは老人がもっている、それで若い人が貧乏になり親に頼る
それで親が裕福な人とと貧乏な人でまた経済格差が生れる
そしてもう一つ親の遺産でも差がつく、親の遺産をもらわないとどうしても貧乏になる

やはり裕福になるは一代で築き上げることはむずかしい
豊になるのは先祖の力が功績があってなる場合も多い
自分の家系を例にすれば実家には墓しか残っていない、そこには墓しかない
だからその家系に連なるものが来ても何の恩恵もないのである。
墓に来て墓参りするだけでありあとは何もない
一方で母が嫁いだ自分の家は大きな家が残っていてそこに泊まれるし金も多少やるから恩恵がある
誰もなにも恩恵がないところには普通は来ないのである
実家は祖父が事業を失敗して一家離散になったから家もなくなり墓だけが残ったのである

家もいろいろあり謎だがその家が栄えるということは何か原因がある、



積善の家には必ず余慶あり
(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)

「易経」より

善行を積み重ねた家は
その子孫が幸福になるであろう


積不善の家には必ず余殃有り。 
(せきふぜんのいえにはかならずよおうあり)

余殃とは、
祖先の悪事の報いとして、子孫に災難が及ぶこと。



これはあてはまる,なぜ自分の実家は墓だけしか残らないのか、一家離散になったのか?
それはそういう原因がやはりあったとなる、それは複雑だから簡単には言えない
一方自分の家はなおまだ家があり財産が多少あるのか?
それはやはり「積善の家には必ず余慶あり」があり自分の父親が善行を積んだためだとなる
ただ一方で全部が善行とはなっていないが一面そういうことがありそれが家が栄えた理由なことは確かである。


ともかく実家の墓は何か悲惨なのである。若くて肺病で25才で死んだとかもう一人兄は40才で交通事故で死んだ、そして一家離散になっているから不幸な家系だとなる
ただどこの家系でもたどれば不幸な人がいる、何かそうした不幸な人がいて幸福な人がでてくる。
だから家系も実際は不可解なものであり何なのだろうとなる
ただ良い家系につかないかぎり恩恵はない、実家の墓だけであり何の恩恵もないのである

今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる
死者を葬るのも儀式なのである。一番のショックは火葬なのである。何もなくなってしまうことは本当にショックである。
今日実家の墓の中をみたら兄の骨壺がなく他の骨と一緒になり土になっていた
木の骨壺だったのでそうなったのか?これも娘に返すことができなくなり困ったことだった
葬式とかこうした埋葬とかやはり文化がありそれは仏教がになってきた。
ただ戒名とか死者というわけのわからないものにまた死者の恐れをいいことにそこで金儲けするのはこれも何か重い罪のように思う
カルト宗教団体が政治のために宗教を利用するのもそうである。
そうした俗世のために利用したり死者という恐れをいいことに金をとるやりかたは相当にあくどいと思う
供養だったらその人の心しだいであり心から手をあわせればいいことである。
金など必要ないからである。花くらいはどうしても必要だが他は心から供養することであり何もいらないのである。
ただ死者を葬ることは昔は村の共同体がありしていた、それがなくなり個人個人ですることは難儀である
今は葬儀屋がするのだがそれもまた違和感があり納棺師とかが話題になった
それは死者に対してどうして対処していいかわからないからそうしてこまた専門家が生れたのである。

ともかく母の死後の処理に追われている、人が死ぬとそうした因縁がいろいろとでてくる47日過ぎて納骨すれば一段落である。それまではまだ落ち着かないのである。

タグ:葬式
posted by 老鶯 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月11日

認知症の介護をふりかえる (脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症の介護をふりかえる

(脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症というのはその人によって性格などによって症状が違う。
母は95になり介護状態になり認知症になったけど別に普通の人とほとんど変わらなかったただ入れ歯をなくすとき何かあわてていたが怒ったりもしない
すぐに探して安心させたからである。そのことは前も姉のことで経験していたからである寝ていたから狭い部屋が生活範囲だから何かなくしてもすぐに見つかるからあわてる必要がなかった。
そして性格がおとなしいから介護しやすかったのである。


一方姉は激情的な人であったから症状も極端なものとなり本人も苦しんだけど介護する人も自分も苦しんだのである。
姉はいつも自分は優秀だったと言っていた。それが学生のときから優秀だった。
学校も一番であり体力的にも優れていたのである。
だから従軍看護婦となりシンガポールに四年間耐えることができた
当時は看護婦になること自体が簡単にはなれない、優秀な選ばれた女性たちだった。
それで戦争のことと自分が優秀だったことを言いつづけて死んだ。


その優秀なことが認知症では裏目に出たのである。なぜならその優秀であっても認知症になったら一転して痴呆になったという信じられない状態になったからである。
認知症になったことに気づいたのは最初暴力になったことである。
その時自分はショックでありどうなったのだろうとものすごく不安になった。
病気は急激に発症したと思った。その前はからそういう兆候があったが自分にはわからなかった。
それも衝撃だったが銀行に行ったのだが金をおろせなかった。それも驚きだった。
そんなことがありうるのかという驚きである。通帳とハンコをもっていけばおろせる、その自分の金をおろせないのだから驚く、そこで笑われたとか言ってその後銀行には行かなくなった。銀行に自分の金があることはわかっていても自分の金をおろせないのだから信じられなとなる
認知症になっらもう自分の金も自分の金でなくなる、金の管理はできなくなる
これも認知症の症状だった。自分の住所も書けなくなっていたから姉は最初から重症だった。
母は不思議なのは住所とか書いていたしまだわかることがあるのが不思議だった。
おそらく認知症特有の物忘れはあってもその他はある程度正常だったとなる
つまり極端なもの忘れがあってもその他は正常にある程度機能していたのである。
だからあまり悲惨な感じにはならなかったのである。

一方姉は自分は優秀だとプライドが特別高いから認知症になった結果悲惨になった。
つくづく人間は何が災いして何が幸いするかわからないものである。
優秀なことはいいことであるがそれが災いにもなる
プライドが高いということはそうして認知症になったときショックが大きいのである。
だから通帳をみて頭をたたいてわかろとしていたが理解できなくなっていた。
それが悔しいということがあり激情的な人だから他者にその不満をぶつけて暴力になったのである。
暴力的になるのは自分の頭が正常に働かせようにもできないからである。


そしてこれも悲惨だったのは例えば二階に着るものがあり自分でかたづけていてまた二階にゆくと自分の着るものがないと泣いて訴えていた。
財布なども隠してわからなくなり泣いて訴えていた。
それも悲惨なものだった。自分はそこから怒り暴力になることを恐れていたので財布がここにあるとか安心させるよう勤めた。
でも忘れるということでそれが感情的になり激情的な人は暴力になるから怖い
その時目の色とか顔まで変わることがあり一種の精神病のような状態になる
その精神病的状態になることが一番怖いことでもある
なぜなら60年も親しくしていた人が突然そうなったら本当に怖いことだからである。
いくらそうなっても60年も親しくしていたのだから態度を変えることはできない
家族として姉として自分は接してきた。それは自分の家族の特殊な事情も反映していた。自分は特別姉には良くされていたからである。
だから認知症になったときも別に姉として変わらず接していたのである。
そうしているうち症状も落ち着いてきたのである。

今ふりかえると自分は懸命に認知症の姉を介護して良かったと思う
なにかしらそれで恩返しできたとして満足している。
それだけ自分は姉には良くされていたからである。
何もしなかったら自分はなにも恩返しできないということで後悔することかあった
自分も何か姉のためにできたという満足感が今になるとある。
それは母も同じだった。つまり介護というのはやはりその人の家族の状態とかいろいろ事情が違うから介護は一様にはならないのである。


今になるとあの時懸命に認知症になっても正常のときと同じように接して介護して良かったと思う。
でもそれも短かったから助かったのである。長くなると二人介護になったからもたなかったからである。
ともかくこの十年間の介護の経験はやはりそれなりに得るものがあった。
弱者とか病人とか自分もなり弱者になるとはどういうことか身をもって知った。
実際は自分の場合は弱者化したとき何の助けもなく攻められるだけだった。
ただ自分は家族に対しては介護して尽くしたなとそれが満足感になっているのも不思議である。
弱者というとき老人はみんな弱者になる、体も弱り脳も弱りみんな弱者化するのである。つまり姉のように優秀だとか言っても認知症にな人が本当に多くなる
もう90才以上になると半分もなるとかそれが高齢化社会の恐ろしさなのである。
老人になればどんなに優秀であってもまた金をもっていたとしても認知症になったらその金も何の力にもならないのである。
金だ金だと金を第一にしていたがそれも何の役にもたたない、介護は金が必要でも金だけでは解決しない、やはり介護には愛が必要になるからである。
自分は特別世話になったということ良くしてもらったということがあり介護したからである。
それが赤の他人だったらそういうことができるかとなるとむずかしいのである。


我は助けぬ、認知症になるとて
変わらずに、家族としてありつづけ
弱りしものを、脳の病気とて
人はみな老い弱り悲しきものを
奢れるものも老い弱りゆく
悲しむものは幸いである
悲しまざる者は人間を知らぬ
我は弱りし家族を助け
我が心は今ふりかえり満足す
我も尽くすことのありと、、、
死者に心から供養するかな

介護は供養とも連続している。介護してやれば相手も満足して死にそのあと介護した人も供養できる、そうでないとなにか供養するにもうしろめたいものが残る
そういう人を知っているからいくら偽っても死者に対しては偽れない
外に装っても自分の心の中では偽れないものとなるから問題なのである。


いづれにしろ人間とは愛というとき常に与えられる愛を思っている
でも与えられる愛ばかり望んでいると不安定になる
常に愛されるのではないかということで不安になる
でももし愛する方になれば別に相手から愛されなくてもいい、そういう愛だったら愛は消えることがないのである。
なぜ離婚が多いかというと与えられる愛を望んでいて自ら愛するのではないからである。まずこの世の中で無償の愛というのは親子でもほとんどないのである
なんらかの見返りを望んでいる愛なのである。
それでおばあちゃんがいいというのは見返りを望まないからである。
自分の場合は一人はそうだったから認知症になっても尽くしたのである。
愛されるより愛する喜びの方が大きいということもある
それがキリストの教えだけどこれを実践するとなるとむずかしいからこそただ人は愛されることを求めているのである。
自分は多少介護で愛する方になり愛することにも心に満足感を覚えるものを今になり感じたのである。
そうはいってもそれも今になると介護が終わったから言えることなのである。


タグ:認知症
posted by 老鶯 at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月06日

何かを負債を負っていたら人を助けることはできない (借金している人が保証人になれのか?)



何かを負債を負っていたら人を助けることはできない


(借金している人が保証人になれのか?)


その人は事業に失敗して相当な借金をしていた。十万とか借りるのではない軽く何百万とか要求する、そういう人とつきあうとどうなるのか?
そのこと自体本当に怖いことだった。
病院の入院とか手術の保証人になってもらったがそれをふりかえると不思議である。
一千万借金がある人が何であれその人の保証人になるとどうなるのか?
そもそもそんなことができるのか?
私はあなたの保証人になったのだからその私の一千万の借金の保証人になってくれとというのと同じではないか?
一体そもそもそも借金している人が何かの保証人になれるだろうか?
何か負債を負っている人がそもそも人を助けることができるだろうか?
キリスト教で負債を負ってはならないというのはそのことだろう
何か借金でも負債負っている人は人を助けることができるだろうか?
すでに借金している人は人を助けることなどできないし何の保証人にもなれないかもしれない


ただこの世の中は法律でも何でも抜け道があり別に借金していようがなにしようがそんなこと知られなければ保証人になっている人はいるしいい加減な所がある
その人は多額の借金をしているのだから何か人の保証人とか何か人を助けることなどてきない
それで借金のために遊女にされたりすることかあった
その人はそれと同じような状態になった、自分が弱り苦しいときがチャンスとやってきていろいろ言って何かしたら特に保証人になったとき借金を要求してきたのである。
それは断りにくい、その人は自分に助けてもらいたい方なのだから助けようがないのである。
だから何か負債を負っている人は借金している人は人を助けることなどそもそもできない多くの犯罪は借金から起きていることもわかる

借金している人とつきあうことは犯罪者とつきあうと同じである

でも借金している人はわからないのである。あの人がいくら借金しているなどわからないのである。
少ない額だったらいいが事業で失敗したような人は額が二桁も違うから怖いのである。
聖書で借金した人を王が許したというが一体どうしてその人が借金したのかを知るべきである。
ギャンブルで借金している人もいるしいい加減なことで贅沢するために借金している人も多いのである。
そんな人の借金を許したならどうなるのか?
その人は一時的にでも奴隷にされてもしかたないことなのである。
そういう人はその人の負債なのに他者に負債をおしつけるのである。
それが自分が弱っている時押しつけてきたのである。
お前の入院保証人になったから一千万の保証人になってくれとまでなっていた
最初はそんな人だとは思わないからそんなことを思わなかったのである。
だから借金の多寡もあるが借金している人は犯罪者になりやすいし犯罪者なのである。
そんな人がどうして人を助けることができるのか?
他者の保証人になれのか?でも現実になっているのも世の中である。
要するにこの世の中は法律でも悪用されるようにいろいろめけ道がある
だから保証人というのも別にそういう人でもなっているのである
弁護士がかえって法律を楯にして利権を得るのもそのためである
会社などに雇われれば第一に会社の利益を優先しなければならない
そこには会社の利益追及しかない、法律を楯にした用心棒みたいにもなってしまうのである。


事業に失敗した人はもともとは悪い人ではなかった、若いときはいい人だったというから本当だった、それが事業に失敗して借金したときモラルが崩壊したのである。
ただそのことを悪いとか犯罪者などと思っていない
もちろん罪だとも思っていない、自分を苦しめたとも思っていない
その人は自分の借金をなんとかしたいということしか頭にない
だからまず人がどういう状態になるなど関係ない
相手が困っている弱っているというとき借金するチャンスになる
その人の問題は借金の額が大きいことなのである。
普通底辺層は十万とかの貸し借りであり百万となると大金になる
でも事業している人は百万とかは小金になってしまうから怖いのである
十万ならくれてもいいよとかなるが百万一千万となると簡単にはいかない
自分もそんな財産家でないからである。
だからそういう人とかかわることは怖いことになる
現実に自分の全財産を奪いとろうともしていたからである。


いづれにしろ極力借金だけはするべきではない、安易に借金することが問題なのである。もちろん事情を聞けば借金もすべてが悪いものではない、病気になったから借金したとかあり事情による。
ある人は底辺層だけどいろいろどうしても貸してくれというとき額が小さいしいちいちその訳を言うので貸さざるをえなくなった。結局くれてもいい額なので返されないこと前提に貸したのである。
ただ額が少額なので許すことができたのである。
でも金の貸し借りはめんどうなことだなとつくづく思った。
そんなことにかかわらなかったから自分は良かったのである。


とにかくその人が思っていることは自分に対しては金があるのに貸してくれない冷たい奴だとしか思っていない、自分が恐怖したことなど何の関係もない
そんなデリケートな心があったらそんなことしない、まずその人には人に対して何か横柄なのである。
そういう人の心を無視するような人がどうして事業が成功するのかともなる
ただ自分がもうければいい、他人の心などどうでもいい、自分が金をもうければいい、それしかないのである。相手は金儲けの道具でしかない
事業の理念といえばそれしかないのである。他人は金をえるためのものでしかない、
もちろんそういえは今の世の中みんなそうだとなるが全然知らない人間でもない
前の代から関係がつづいていたのである。
人間は結局金の貸し借りなど金をめぐってありそれで人間関係も破綻する
最後は「金の切れ目が縁の切れ目」だということをつくづく体験したのである。
人間の関係はそんなものだということが昔からそうだったともなる



借金と嘘は必ずと言っていいほどセットになってるようです。

借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!go
お金も無いのに見栄を張る→借金して自分の嘘(見栄)を隠す

→自分の体面が保てたことに満足する→更に見栄を張る


借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!go
こんなどうでもいいようなことで、何でそんな小さい嘘をつくの?
って感じの嘘が多いのも借金癖のある人間の特徴なんですよ。

借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!goo

借金癖がある人間は、■まず嘘つきで■見栄っ張りで■何かあると
人のせいにします。

借金する人の特徴



これがあたっていた。
その人は頭がよくても技術をもっていてもそういう人だったのか?
嘘をつくことと借金がセットになっていることは確かである。
頭がいいとか技術をもっているとかでも人は判断できないのである




タグ:借金
posted by 老鶯 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年01月05日

人間の最後に伝える言葉は重い (遺言は書面でなくても実行しないと怖いー認知症でも正気になることがある)


人間の最後に伝える言葉は重い

(遺言は書面でなくても実行しないと怖いー認知症でも正気になることがある)


『なくなる前にあなたにあげると言われた財産・・・』

『口頭で伝えられた場合、有効になるのだろうか・・・』

『これは私が受け取ることができるのだろうか?・・・』

遺産相続の場面でよく問題になるのがこの口頭での遺言です。遺言は書面で残すことが原則とされ、「口約束」での遺言は遺言とは認めらません。しかし、まったくの無効ではありません。


この世の中すべて法律では問題は解決しない、確かに「口約束」とか破られやすい、だから絶えず文書で証書として残すことが必要になる。
ただ人間は証書だけではない、何か人間は最後に死が近づくと何か言い残してしてもらいたいことを言う、盛んに言うことがある。
認知症の人でもそういうことがある。認知症でも死ぬ間際とか正気になるし一時的にも正気になることがある
それがまた認知症の不思議である。
人間は死に近づくときは認知症になって何もわからないから無視していいともならない
そして遺言は法律的に有効かどうかの問題だけではない、法律は別にモラルを実施するわけではない、つまりモラル的に見れば別に口約束とかでも一旦約束したことは実行しなければならない、それを証明するものがないにしろモラルはそうである。
またモラルは強制はされない、罪を犯すなといってもそれを強制はできない、良心が問題になるのであり良心にはじることはするなとなる
別に良心にはじることをしても法律的に罰せられることもないことは多い
だから法律で罰せられない人は非常に多いのである。


遺言というとき何か書面ばかりだと思っているが人間が死に近くなると何か言い残したいことがある。それが母にあった。
死が近づいたとき入院する前に大声で「いくらいくら金は孫にやれ」と言ったことに驚いたのである。
それは最後に力をふりしぼって言ったのである。
それはただ口伝いだから守らなくてもいい、正式な遺言でもない、でもその大声で言ったことに恐怖した。その最後に言い残したことは死が近づいたときに言い残したことには重みがあると思った。
そのことを言ってあと一カ月くらいで死んだからである。
その額は少ないからそのことを孫に伝えて了承してもらった。
それは別に書面ではないし法律的にも権利があるわけではない、でもその最後に言い残したことは重い、恐怖も感じた。
それを守らなかったら死者になっても恨まれるという恐怖を感じたのである。
その額は少ないしそれで孫にも了承してもらったから良かった。
自分は孫には払うつもりがなかったが払うことにした。それは孫にも事情があり払いにくいことがあったからである。

母が死んでからもその最後に言い残したことは無視することができない、つまり死を間際にしての人間の言葉は重いということである。
それが書面でどうだこうだとかではない、それを裏切ることは怖いことだなと理屈ではないものとして感じた
ただ自分としてはその額が少ないから了解したともなる
その額が大きいとやはり人間は欲があるから実行できないとなる
額が大きいものになればそれは法律的な処置が必要なのである。
いくら死ぬ間際でもそれは実行されないことがあるから書面にして残せとなる


とにかく死後の整理はめんどうである、それは金にかかわるものである。
自分の場合は兄弟とかいろいろ係累がほとんどないからむずかしいことにはならなかったこれが兄弟が一人でもあればめんどうになる
一人兄弟はいてもすでに事故で20年前に死んだ、その孫が生きているので母は最後にそのことを伝えたのである。
ただ自分には死ぬ間際にその最後の力をふりしぼって伝えたことは無視できない、それを実行しないと恨まれるから怖いと思った。
金にまつわることで何か恨まれることがあると人間は怖いと思う
だから何か良からぬことで金を得てもそれが怖いと思う、その金で誰かの恨みをかうとなることは怖いことである。


最後に自分に死ぬ間際に「ひどい娘だ」と言い残して死んだ女性がいた。
それは親戚の女性だけど家で交際していない、その女性とも交際していないから子供のときあってからもう40年とか会わなかった。そしたらその女性はまるで変わった人になっていたのである。
その「ひどい娘だ」と自分に言い残して死んだ女性は母であり別にいじめたわけでもない、良くした人だった。血のつながりはないにしろその娘には尽くしたのである。
そしてその娘が自分の家に来て叔母にあたる母に信じられないことを言って狂気のように去って行った
そのことで「ひどい娘だ」ということを自分も認識した。
でもその女性は全くいい娘だと世間に装っているし誰もそんなことを思わない
でも何か人間が最後に言い残す言葉は重いなと思った。
いくら装っても偽っても人間が最後に言い残すことは忘れられない、重くしのかかる。
だから介護でも恨まれるようなことがあると困るから苦しくても耐えねばならないということはある。でもこれも限度があるが何か人間の最後はやはり重いものとなることは確かである。

タグ:遺言
posted by 老鶯 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月24日

10年間の自分の介護をふりかえる (介護は家々によって事情が違う)


10年間の自分の介護をふりかえる

(介護は家々によって事情が違うから複雑)



介護が楽だった原因

●自力で起きて食べていた

●オムツせずに自力でトイレに行っていた(死ぬ直前まで)

●認知症でも騒ぐことがなかった

介護が苦しかった原因

●自分一人しか介護する人がいなかった

●他者の助けがほとんどなかった

●一時自分が病気になった



介護というのはその家々によって親子関係でも夫婦関係でも違っている、一様ではないのだ。人間の不幸はみんな違っているというときここにも現れている。幸福な家庭はみな同じだが不幸な家庭はみんな違っているのである。
だから介護の事件でも一様に数式や統計のように見ることはできない
人間はそもそも数式化したり統計化したりできない存在なのである。
個々の事情があり家族の事情がありともかく人間ほど複雑なものないのである。
ただ共通していることはある。自分の経験でも二人を介護で見るとき限界がくる
その時普通に親戚の助けがなかった近くの嫁が殺人になった。
それは夫が病気になり義理の母と二人を一人で介護しなければならなくなったからである自分も一時そうなることを恐れていたが一人は早く死んだのでならなかった。


そのことを考えるとつくづくぎりぎりで助かったなとふりかえる、その原因を母が死んでから理解した。それは母が92-3才でもまだ頭がしっかりしていて買い物もできたし一人で生活できたことにあった。
事情があって家が二つになってしまったが母が自力でまだ生活できていたことだった。
なかなか92才とかなるとできない、そしてもう一人が早く死んだことで救われた。
なぜなら母は姉が死んだあとすぐやはり認知症になりわからなくなったからである。
つまり早く姉が死んで母がその時自力で生活できたから二人でも自分はなんとかやれた。だから今になると母のことには不満でも母によって助けられたなとつくづく思う。
それが母には介護でも五年間くらい尽くした。
その介護にしても他の人と比べると楽だったのである。
ただ自分は男であ家事もできないし生来なにかずぼらであり社会性もないから苦しんだ。

母の介護が楽な方だったというときまず母は自分で起きて食べていた。それからトイレにも行っていたし家での最後でも水だけしか8日間くらいしか飲まなかったときでもポータブルトイレでしていた。だからオムツをしないということも介護される人にとっても介護する人にとっても楽なことなのである。
オムツになると本人も楽ではない精神的にかなり落ち込むのである。
そういう経験が病気になり自分もなったからわかっている
それで最後の一カ月くらい管で小便をとるときそのことが理解できず毎日のように病院で騒いでいたのである。そのことからもいかに管で小便をとることが嫌なものかわかる
認知症になっているから理解できないから余計にそうなった。


介護というのは自分でベッドでも起きて食べている、トイレを自力でしている、この二つができれば楽な方になる、脳出血の人が多いがこの介護がひどいのは三食食べさせることが手間になるのである。
それで病院では人手が足りないので家族にしてくださいとしている人がいる。
そのことを自分は恐れていた。三食食べさせることはかなりの手間であり他のことはできなくなると思っていたからである。
それがなくてすんだのでふりかえれば母の介護は他の人と比べて楽だったなふりかえる
それは母ががんばってくれたからだとも思うようになった。


そして今になると姉も早く死んだのでそのことでも助かった。
自分は特別二人には良くしてもらったので介護もしたので孝行できたなと終わってみれば満足している。なぜなら何もしてやらなっかたら自分はかなり後悔していたろう
これだけ良くしてもらって何もしなかったら自分自身に対して責めるようになった。
それなく自分も良くしてもらったけど恩返しできたなと満足して墓参りして供養もできるそして思い出も残り後味悪いものとはならなかった。
介護でも殺人とかなったら一生悔やまれるだろう、そこに介護のむずかしさがある。
ただ個々でも家庭でも親子関係でも夫婦関係でもみんな違っているから一様に考えられないのが介護問題なのである。


介護では自分の場合はほとんど他者の助けはなかった。それよりその弱みにつけ込まれて責められたのである。
介護は自分だけではない、なにか一人にまかせられるのが多いのである。
その助けがないことは事件がこれからも多発する原因なのである。
だから在宅介護しろといってもそういう余裕がない家族になったとき施設の方がいいというのもわかる。
家で介護するということは人手と金が必要になる。どちらも欠けてはできない、金だけでもできない、介護は二人だと楽になる、代わって交代でできるからである。
そして家で介護するにしても手伝ってもらうにもよほど親密な関係の人でないとできない10年とかその家で働いているとかなにかそういう人でないと家で働くことはむずかしい
特に今の時代はそういう関係を作ることはむずかしい


それで金がないから新聞配達して稼いで三食食べさせているとかなると辛いだろうなとつくづくみる。
もうすべてが介護に労力が費やされる、他はなにもできない、息抜きすらできないとなる介護の間は実際にのんびり遠くへの外出もできなかった。
常に一人しかいないから心配になるからである。二人いればこういうことはなかった。
そういう家庭が増えるときますます介護の事件は増えてくる
介護は楽に見えても負担が大きいのである。
そして介護を経験した人は介護をやりたくない、介護から離れたい気分になる
その時期が長いからそうなる、自分は介護をした、今度は他の人が苦しむ番だとも思ってしまう。もし助けられたならそういうことはない、たいがい親戚すら助けないからである十年とか二十年とか介護したらもう介護にかかわりたくなくなるのは自然な感情なのである。
ただ介護した人は介護する人の苦しさはわかる、経験ない人は何でも他人の苦しみはわからないのである。

タグ:介護の事件
posted by 老鶯 at 11:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月23日

生者と死者の関係の不思議 (死者には生者が望むことが多い)


生者と死者の関係の不思議

(死者には生者が望むことが多い)

pppppaaaa111.jpg


死者とは何なのだろうというときこれも不可解なのである。死者が生者に望むことより死者になったとき生者が望むことが多い
自分の家ばかり話題にして恐縮だが何か自分の家は複雑だから外からはわかりにくい
でも二人とも姉と母が生きていたときは争ったりしていた。
それは複雑でなくてもどこでも争う家族がある、するとその子供が争わないでほしいと切に願っている。
でも離婚する人が3ん分の一いて子供はその間にたって苦しむ
自分の場合は本当に長い間つづいた、すでに自分が老人という年までつづいた。
だからなぜこんなにしつこく60年も争っているのかとなった
その争いは変わらずに一方が認知症になり最悪の結果となって終わった
それでなぜ生きているとき仲良くしなかったのかということが悔やまれる
死んでしまったらもう争わないけどなぜ生きているとき仲良くしなかったのかと自分は不満なのである。
死んでしまったけど死者に対して生きているものが不満であり望むことがある


普通一般的に生きている人の方が死者に望むことが多い、なぜもっと生きているときもっとこうであったらよかったのにと思う人が多い。
それは死んだ人でも不慮の死とかなればそうである。それは本人自身が俺はここで死にたくなかった、もっと生きていろいろなことをしたかったとかなる
そういう思いは生者にも伝わるしわかりやすい、死んでしまえば死んだ人は生きている人に何を望むかより死んだ人はもっとこうあるべきだったと思う人か多い
死者が生者にお前はこうあるべきだとか望むだろうか?
例えば戦死者は一体生きている人に何を望んでいるのか?
靖国に祀られるから満足だと思っているのか?戦死者は今生きている人に何を望んでいるのかわからない、ただ戦争で苦しんだから戦争だけはするなと言う人が多い
生前からそういうことを言う人が多いから死んでも生者にそう望んでいるとなる


親でも何か子供に望むことが親のエゴ的なものが多い、医者の家に生れたら医者になれと子供におしつける、適性がなくても運命的にそうなってしまう。
医者にむかなくてもそうである。そして親は子供を何かと他者に自慢したい
それは学校でも就職でもそうである。常に親のエゴがそこに入ってくる
それが子供にとっては嫌なのである。お前は何々になれというときは親のエゴなのである生きているときは絶えずそういうふうに子供に対してのエゴは消えることがない
では親が死んだときどうなるのか、死者は残した子供に何を望むのか?
死んでも何か望んでいるのだろうか?つまり生者は死者に何を望むのかとなる


墓参りに行ったらお前はこうこうあるべきだとか望むのだろうかとなる
死んでまでエゴが消えず子供に望むのかとなる
死者はもはや生者に対して何も望むことはできないのではないか?
もっと墓参りしてくれとか捧げ物をしてくれとか、何々にしてくれとか墓から望むだろうか?
ただ奇妙だけど自分は毎日自分の墓の前を通っているから墓に花がさされないのて淋しいなと自分が思う゛死者は死んでいるのだからどう思っているのかわからない
それで時々生花をさしたりするのである。
それは死者が望んでいるのではなく今生きている自分が思っていることなのである。

だから死者が生者に対して望むものは何かとなればそういうものはもうない、それは生きている時あったことである。
例えば花が好きだったら花一杯にしてやろうというときそれは死んだ人が生きていたときそうだっかから花一杯にして飾ってやろうとなる
でも母のように花にも興味もたないとしたら死んだら花に今度は興味をもってくれなとなる、でも死んだ人に言ってももう通じない、それは生きているときにそうすべきだったのである。
ただ生きているときはそれができなかった。だから死んだら来世でそうあってほしいとなる、生きている人が死者に望むことの方が多いのである。
それは死んだからではない、生きているとき切に望んでいたことなのである。
それが成されずに死んだことで死んでも生きたつづきとしてそう思っているのである。


つまり人は死んでも生きた時の延長として死者を考えている、生きたことと全く切り離して考えることはできないのである。死んでも形もなくなっても生きたときのことから切り離して考えられない、死んでまた全く別な人間になる、悪人が死んたら別だ、聖人にもなる、恐れ崇められる霊になるとかもそういうことも合理的に考えるとありえないとなる
でも死者は不可解だからどこの民族でも死者を崇拝することがある
先祖崇拝というのがある。それが世界共通の一番古い人間の宗教だともなる
死者というのは死に顔がありまだ体があるときから灰と骨となり形もなくなる
そして死者とは何かとなるとそれは生きている人が死者をこうして欲しかったとかなるのが多い、もちろん死者が生きているときこうしてやりたかったというのも多い
介護は苦しかったけどもっと親切にしてやりたかったというのも生きている人が思うのである。死んだ人はもう何もわからない、死んだ人は一体何を望めるのか?
何も望みえない、ただ死者は確かに厳粛なものとなり生者を見ている
死者には嘘偽りができない、そのことは生者は死者を恐れる要因になる
お前の心はわかっている、お前はただ金がほしくて自分に親切にしてきただけだ
お前の心はわかっているとか死者がみているとなるから恐れるのである。
それは介護のときから生きている時からつづいていることでもある


自分は複雑な家族であったがなにかその複雑な関係でお前は何々なれとか何をしろとか強制されることがなっかたのである。母は普通の母親のようにそういう思いはあってもできなかった、これも奇妙だなとつくづく思う、それ故に母にたいしてなにか強制されなかったから別に恨んだりしていない、不思議なのことにあなたは何をしてもいいよとなっていたのである。
それで自分は二人に感謝している、二人は争っていてそれが悲しかったが自由にされていたということで感謝している、母は自分にそういうことは望んでいなかったのである。
そして母に対しては不満があったがそれも強いられたものでありしかたないと思っていただから生きているときから母はもっと働くだけではない、花にも興味をもったり人生を楽しむべきだったと思っている。今死んでからそう思ってももう母は何もできない
すると来世でまたは新しく生れて今度はそういう人生を送ってほしいとなる
スピリチャルというのはそういう想像で来世を見ているのである。
今世で恵まれなかったから来世では恵まれるとか想像して言っている、その想像がカルタシスになっているのである。
でも来世にどうなるのかはキリスト教のような明確な約束はないのである。
要するに想像するということはどんなことでも自由だとなる、それは人間側の勝手な想像なのであり生きている人間が作り出した想像の物語なのである。
スピリチャアルもやはりこれにのめりこむと問題があるなと思った。
信仰とは明確な神との約束であり契約のことであり勝手に想像するものてはないからである

ともかく死者と生者の関係は生きていることの延長としてあり生きていることから切り離して死者を考えことはできない、誰も死後の世界のことがわからないからみんな現世の生きている人間が死後を語っているからである。
死後のことはわからないにしても人が死んだらやはりこの世に生きていたことはわかる。どんなふうに生きていたかはわかるからそこから死者をもみている
それしか死者でも知る術がないからである。全く生きている時とは違う死者を見ることはできないからである。



タグ:生者と死者
posted by 老鶯 at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月19日

百歳生きる意味 (社会的にもその下の世代にも影響する)



百歳生きる意味

(社会的にもその下の世代にも影響する)


母がなぜ百歳まで生きられたのか?それが一つの疑問としてある。
生来体細身であり体力もないのである。
だから仕事にしても力仕事などできない、それで原町紡績で糸取りを十年して働いた。
これも結構楽でなかったと思う。でも現金収入になり良かったと言っている。
それから東京に出て女中になった。
学校では一回も休まなかったと自慢していた。
根がそういう真面目な人間だった。
そして店は7〇才頃までしていたかもしれないがその頃はもうはやらなかった。
その後は家事を一人でずっとしていた。
家事の面では料理でもしていたから92-3才までしていたのである。
つまりその年まで現役だったのである。


このことが意外と大事だった。常にボケの原因が退職したり後継者に仕事をまかすことなどにより生きがいとか張りがなくなるとなりやすい
二人家に女性がいて一人がただ何もしないで料理でもしてくれたので食べていた
でもどっちがボケたかというといつも何もしないで料理を出してもらっていた人だったのである。
奇妙なのは主人がいて召使がいるとするとどっちがボケるかというと何でもしてもらえる主人だとなる、これも本当に奇妙な逆説なのである。
「嫁におばあちゃんはもう何もしないでいいですよ、テレビ見ていて下さい」とか言われるばあちゃんはボケるとういのもそうである。役割がないとボケ安いのである。
女性は家で役割をもち続けることも大事なのである。
人間とは本当につくづく複雑なものであり何が幸福か不幸か結果をみないとわからない
死んでやっとそのことがわかったりする
もちろん人間はいろいろな不幸がある、でもその不幸が幸福につながることもあるし幸福と思えることが不幸につながることは普通にある
それは誰でも長く生きていれば現実にみているのである。
だからやたら自分は不幸を背負っている、かわいそうな人間だと思うことも問題がある。そもそもなぜ「悲しむのは幸い」だとなっているのか?
これも不可解なものとなってしまうだろう。


百歳を生きることは何なのか?それは様々な影響がある、それは金銭面でもそうである。
ただ百歳でも健康で生きている人はそんなにいない、百歳の前になんらかつまづいている母も五年間は介護になった。九〇才を越えると介護状態になるのが多い。
だから実際は百歳までボケないで生きている人は少ないのである。
百歳の金の計算するとこれも信じられないことになる
母は金を使わない、それで六〇才になって国から3万円もらうことになった
それを一〇〇才まで計算するとどうなるのか?

30000×12×40=14400000円になっている

これは140万円ではない1400万なのである。40年間で国からこれだけの金をもらったということは国でそれだけ負担したということなのである。
そして母は65からもらえば良かったと言っていた。65からだともっともらえていたからである。
ともかく60から40年の計算になるとこんなふうになるのである。
それが経済的に百歳を生きる意味になる
つまりこれは百歳まで生きられると年金の負担もそれだけ増えてくるから国の財政に大きく影響するから国が老人によってつぶされるというのも大げさではなくなる
それで年金の支給を70才にするとか75才になるとかそれまで働けとなるのもうなづける。寿命が伸びれば伸びるほど負担が増えてくるし人数が多ければ多いほど負担が増える
その額はこの計算のように膨大なものとなってゆくのである。


百歳まで生きるということはまた悪いことばかりではない
普通人は親の死んだ年齢まで生きる目標となる、これまでたいがい60代とかで死ぬのも多い、自分の父親は67で死んだからそれ以上生きたとなればいいとなる
ところが百歳となるとそこまで生きるとなるとどうなるのかということである。
人生百年と考えるとどうなるのか?それは長期的に生きるということであり人生観も変わってしまうのである。
つまり相当に息の長い人生を考える、60でも還暦すぎたからあとは死ぬだけだとはならない、これから30年の人生があるとなると違う。
30年間健康でボケなければ何かを達成できるということである。
だから退職しても第二の人生がはじまると考えるべきであり今までのように終わるという考えにはならないのである。


そして親が百歳生きたということはやはり子供に影響する
百歳生きたのか、自分も百歳を生きねばならないのかとか考える
それは長期的視野で生きることになる、何か創作するものにとっては百歳まで生きれば余裕をもってできる、その他でもこの世のことを理解することは本当に時間がかかる
自分は50代で海外旅行したから海外のことが本を読んでも50代ではわからなかった。
このようにグローバル化するますます理解することが多くなるから時間がかかるのであるだから百歳まで生きれば世界のこともある程度理解できるようになる
そして歴史でも長い時間をかけないと見えてこないのである。
人間は百歳生きてももうそれだけの時間のことしか理解しにくいから問題なのである。
三陸で明治33年とかに今回と同じような大被害だったのにそれを語り継がれなかった。
祖父母から聞いていなかったという、そういうふうに人間の生きる時間が短いからそうなっているのである。

そして百歳生きた人がいたということはその地域とか食生活とか風土とか人間関係とか何かいろいろな要因がある、それは国によってそうである。日本は長寿社会になるということ百歳が増えるということはやはりそれだけ生きられる風土があり文化があり豊さがあるからだとなる、高齢化の負の部分が強調されるがプラスの面もある
それは未だ経験していないことだからいろいろ言われるのである。
それにしても経済的負担が大きいから老後を設計することは容易でなくなる
一億円必要だとか5000万必要だとか言うのはそのためなのである。
一年生きればそれだけ金がかかりる国の負担になるからである。
ただ長寿社会とはそういう社会なのである。だからそれに適応した社会を作る他ないとなる、若者に負担ばかりかかるというのも問題である。
だからこそ70までも75才までも働き年金の支給は70となり75才となるということを国では計画しているというのもそれだけ国で財政的に負担できないからである
60以上はなんらか病気になりやすく医療費の負担も増えてくる
老後に下流老人が増えてくるというのも当然なのである。
高齢化社会というの人類は経験していないからである。そういう備えもないからそうなる

タグ:百歳
posted by 老鶯 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月17日

老人は昔を語ることに存在意義がある (郷土史でも歴史も語ることから発している)


老人は昔を語ることに存在意義がある

(郷土史でも歴史も語ることから発している)


今日焼香に来た人は自分が知らない自分の家の昔のことを知っていたのに驚いた。
実際はその人は姉とは親しかったが母のことではかかわらなかった。
だから近くにいても6年くらいすでに家に来ていないのである。
どういうわけか困ったときは来ないで死んだときは来る人がいる
話を聞いて一番不思議だったのは自分の兄のことを知っていたことである。
兄は事情あって自分の家に5年間いたがそれが自分が0才から5才までであり自分にはさほど記憶がないのである
それで「、、ちゃん」と兄の名前を言った、それがなんとも不思議だったのである。
なぜならもう兄のことを覚えている人はほとんどいない、交通事故で40才で死んだ、それも集団就職で静岡の方に行って死んだのである。
母の実家の墓に骨は納まっているがこれまた不思議なのは実家で五年間暮らした姪子が一緒にいたことを知らないという、その人は前にも書いたが異常な性格になっていて自分の母に信じられないことを言って縁が切れた。

そして思ったことは人間は一緒に住んでもその人の記憶がなければその人は存在しないと同じになることである。存在しないということはこの世にいなかったと同じなのである。時間がたってゆくと特に死んでしまうとどんどん人間は忘れられてゆくのである。
この人が存在したのかということさえわからないのがいくらでもあるし存在したということを知ってそれが大発見になったりする
もう存在を確かめること自体が一つの発見になってしまう。
だから「、、、ちゃん」と兄の名前までその人が覚えていたことで自分も兄の存在を確認したのである。
なぜなら自分は幼児でありその辺は記憶があまりないからである。


そうなるとそういううに昔を覚えている人は貴重である。
その人は自分より何才年上かはわからない、でも自分の家のことについては一番詳しい人だった。その人は自分の家と深くかかわっていたからである。
そして死んだ姉のことなどを語ったとき何か昔を共有することで連帯感を生れた
やはり昔を共有することは歴史を共有することであり郷土史とか歴史になる
historyだといういうときストリーは物語だからもともと昔を語ることにあった
その昔を語ることが老人の勤めのようになる、そこに老人の意義があるからだ。
人間は死んだら骨になり形も何もなくなる、でもその人を語ることによってその人生きることになる、人だけではないその土地のことでも家のことでも語ることによって生きる
それは郷土史とか歴史になったのである。


ともかく老人になれば次ぎ次ぎに死んでゆく、それよりもう自分が死ぬ番だとなっているだから死というのはもう親が死んでも自分がまもなく死ぬ番であるという意識になるから若いとき親が死ぬのとは全然違う感覚なのである。
自分の同世代のものが膨大に死んでゆく時代になる、だから有名人だろうがなんだろうがそんなに多くの人を記憶できなくなる、身近なものの記憶が大事にもなる
そこに郷土史の意義もあった。
話してみるとその人の親戚も小高の機織り工場を経営して失敗してひどい目にあったと言っていた。自分の母の実家の父も同じだった。
その頃機織りが盛んな時代だからそうなったのである。機織り工場を経営して成功した人もいるが失敗した人もいる、それは当時のブームでもあったことがわかる。
もう一人は自分より三歳くらい年下だが土葬の経験があり野辺送りで焼いた場所も知っていた。それは最後に自分の父親が野辺送りで焼いたことでそのことは鮮明に覚えている
その場所を知っていて気味悪かったといっていた。


とにかく時間がたつのは早い、死ぬとたちたまち忘れられる、そして昔を語ることはその人の存在を確認する作業なのである。そこで何か共有するものが生れる
それが郷土史ともなり歴史ともなる、なぜなら死んだ人は骨となり土となり何も残っていないからである。
そのあとは語ることによって存在を確認するのである。
津波で死んだ人たちもあのとき写真のアルバムを探して大事にしたのは何もなくなってしまったからである。記憶になるものがなくなってしまったから写真を探していたのである
老人は昔のことを延々と語るので若い人はうざいとなるがなぜそうなるのか?
つまりそれが自分の生きたことの証になるからである。
それで自分の姉は死ぬまで従軍看護婦じシンガポールに四年いたことを語りつづけた
認知症になってからは千回も聞いた、同じことをしゃべりつづけたのである。
それは自分の存在を確認するためだった、昔を語らなければ存在意義もなくなってしまうからである






タグ:老人の価値
posted by 老鶯 at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月16日

介護の後の脱力感 (介護十年の経験はやはり人間を成長させることもある)


介護の後の脱力感


(介護十年の経験はやはり人間を成長させることもある)



気丈夫に最後まで家にトイレする迷惑かけじと介護されし母

腕をとり近くの介護の施設にそ行きにし母の思い浮かびぬ


心のよりどころだった存在を失う

気を配っていた生活の張りを失う

自分の老いてゆく姿を不安に思う

他者にたすけてもらった関係性を築くことができる

高齢者を自宅で看取った死別後の適応


家族介護者が高齢者のことをいつも気にかけていた分、死別によって緊張感を失い
世話するという気持の張りを失うことがある

家族介護者は自分の介護の経験を生かして身近な人が困っている時、手助けできると考えている
例えば町でみかけた高齢者が困っていれば手をさしのべる、他の人々が介護が必要になったら他の人にアドバイスできる


「母の介護がなくなって気持の張りがなくなった、やっぱりやってあげなきゃいけないと思うからてきぱきできたんですよ、今は時間ができはずなのになんかもたもたしている


姉が認知症になってから三年近くとか次ぎに母の介護がありあわせると10年近く介護に追われた。
それが終わったときどうなるのか、この介護の経験もやはり介護してみない人にはわからないだろう。
自分が介護で一番感じたことは時間が拘束されることであった。
介護する人に気を使うだけで心も拘束されるのである。
介護は認知症になると夜まで起きていたりするからまともに眠れない人までいる
24時間を拘束されることにすらなる、常に見まもりが必要になるからだ。
自分のように自由に生きた人間がこれほどちょっと外に行くのにも自由かない、なぜなら常に介護するもののを気づかうからである。
自分の場合は一人だったから余計にそうだった。家から自分が出れば誰もいないからそうなる
だから一人で介護することの負担は他より大きいのである。
そして一人なのにほとんど助けはなかった。むしろこの弱みにつけ込まれて大金をとられたりとか借金を要求されたりとか苦しい目に合わされたから苦しかった。
かかわった人がそういう人だったのが不運だった。
ただ相手も追い詰められていたからそうなっていたのである。
一人は家から出されたような人であり一人は事業に失敗して借金をした人である。
そんな人はもう他人のことを同情する余裕もなにもなかっのである。
だから自分はそういう人とかかわって大変な目にあったのである。


死んでまもないが介護が終わって感じることは介護は何か絶えず気づかう相手がいて緊張しているということはある。
特に母は死に近くなったときいつ死ぬのかと二カ月くらいは緊張がつづいた。
病院に入院してそうだった。結果的には死ぬ場面にはいることができなかった。
看護師も見ないまに死んでいたのである。病院でもそういうことがある
だから人間は家族がいても死ぬときは一人だと思った。
介護は絶えず介護するものを気づかうから疲れる、常に精神的負担となっいる、でもその緊張感があるのはまた奇妙だが生きがいにもなる。
会社をやめて退職すると何もすることがなく緊張感がなくなるからボケてくるという人がいる。家で勤めもなくなるときごろごろしているとそうなりやすいのは確かなのである。そして何か障害者をもった人など絶えずその人を気づかっているかボケないというのも不思議だった。
それは世話しなければならないという緊張感を絶えずもっているからそうなる
人間は生きるにしてもだらだら生きているのは良くないのである。
なんらかの緊張感がないと精神までだらけたものになってしまう
だから介護にもそれなりに人間を成長させるものがあったともなる

他者にたすけてもらった関係性を築くことができる」これも言える

自分は社会とかかわらない時期が長いから社会を知らなかったのである。
介護してから自分も病気なにって病院に一カ月さらに二週間入院したことや様々なことで社会と地域ともかかわることになったのである。
その社会にかかわったというとき自分の所にきた人たちは自分も弱ったことをいいことに責めてくる人たちだった
自分が言っているのはそういう人ではない、利害の関係ない人である。
それは介護士などがそうだった。
今になると母の手をひいてディサービスに連れていってくれる人とか老人を世話する人をふりかえるとあの人たちにも世話になったと思う。
あんな仕事は誰もしたくないとか評価しない人がいるがふりかえるとありがたいことだったとなる
介護する人は必ずそうして世話になるから「他者にたすけてもらった関係性を築くことができる」となる、これも介護しないと経験できないことでもある
何か介護は悪いことばかり言われるが社会的にも価値ある行為でもある、でもそれがあまりにも国の財政負担になるのが問題なのである。


ともかく母の介護で経験したことは介護するものにも介護される方も両方に問題がある
介護する方と介護される方も何でもしてくれるということではいけない
母の場合は最後に入院する8日間を水しか飲んでいなかった。
それでもホータブルトイレに自分で行っていた、寝たきりになっても近くのトイレまで懸命に歩いて行っていたのである。
もともと頑張り屋であり忍耐強い人だからそうなった、そして水だけを飲む前には自分で起きて食べていたのである。
自分が嫌だなと思ったのは脳出血とかになり体が麻痺して三食食べさせて介護している人である。
その手間とか時間がとられるから何もできなくなる恐怖だった。
外出すらできない恐怖をいつも感じていたのである。そうなるとプログさえも書けず何もできなくなる恐怖だった。


母は最後まで気丈夫でなんとか自分でしようとしていた。
最後は病院で管で小便をとることをうひどくいやがっていた。あれも何か精神的ショックを受ける、オムツになるとこれもショックが大きいのである。
それもしなかったから自分自身もそうだが介護する方も楽な方ではあった。
でも介護は楽な方でも絶えず緊張感がある、気遣いをするだけで疲れるということがあるのだ。
「心の青雲」で介護されるものを甘やかすからかえって体も悪くするとか言う、それも一理ある。
なんとか迷惑をかけないようにがんばったと言う人がいたがそういう気持をもつ必要がある。もともと母は頑張り屋であるから最後まで頑張っていたのである。
そして最後まで死ぬ間際まで病気がなかったということが老衰として死ぬことにつながった。たいがいは何かの病気になって死ぬ、簡単な風邪でも死ぬ
だから老衰で死ぬということは意外とまれなことのように思える
なぜなら死ぬ前必ず病気になるからである。それがならなかったということの不思議である。母がこうして最後まで頑張り屋だったことは見習うべきことだろう
体が細身でもともと体力もないのだけど懸命に頑張る姿は心に残った。


ただ母も体が90度に曲がったときは自殺しようとしていた。
それもショックだった、だから人間は老いることは相当に実際は苦しいのであ。
体が90度に曲がったというのは骨のせいではなく筋肉のせいだと言う人がいた。
この衝撃をあまりにも大きかった。一カ月寝て注射して直った。
それからもいろいろなつまづきがあった。ただ母は90度に体が曲がった後も不思議に元気な日が長くつづいた。それは80いくつかだったのか?
結構早い時期に体が90度に曲がったが手押し車をおしつづけて普通に生活していたのである。だから体が曲がったことは生活するのにはそれほど影響しなかったのである。
ともかくと老いから死までの道のりも簡単にはいかない、紆余曲折があり苦しみがある
仕事していたのに一週間くらいで死んだ人の方がまれなのである。
死ぬまでは延々とやはり介護があり苦しむの人間だったのである。















タグ:介護のあと
posted by 老鶯 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年12月14日

死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない



死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない 


死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない 

このように哲学者ソクラテスは言いました。死は残された者にとっては、悲しく痛ましいできごとですが、もしかしたら、本人にとって死はあらゆる善きものの中で最高のものかも知れないのです。 

fffface3333.jpg
母の一生は苦しみの連続だった。それは父が事業に失敗してから一家離散になりそうなった。
継母に育てられたのもそうだった。
母の話で一番忘れられないことは小学生のとき弁当を作ってもらったのだがその弁当を残したとき「本当の親でないから俺の作ったものは食えねえのか」とその弁当を投げられたという話は忘れられない
そんなひどいことをするのかということ、そんな仕打ちをされた子供時代の過酷さであるたいがい子供時代はみんな愛されるからそんなことをする親は普通はいないだろう。
でも子供を虐待したり殺す時代でもあるからないことはない
その継母も最後は老人ホームで目が見えなくなり「悪かったな」と母に言って死んだ
老人ホームで目が見えなくなり苦しんでいたとき母は行っていたからである。
つくづく何かそうして人生の最後には人は自分のしたことを後悔する
そしてその報いは必ずあるのだ。後悔して反省したときはもうすでに時遅しなのであり
その償いをする時間がなくなっているのである。


母はそれから東京にでて結婚したが夫を事故でなくした。これも不運だった。
そして子供がいたが自分の家に嫁いできた。そこにはまた自分の家の複雑な事情があった母は後妻であり複雑な家の事情で何か召使のように使われるだけだったのである。
ただ自分にとってはこの複雑な家の事情が全部は悪く働かなかったというのもふりかえると不思議である。
つくづく人間というのはそれだけ複雑なのである。とても外部からはわからない家庭の事情がそれぞれある。
夫婦が仲良しのなかで子供が育つというのも何かめずらいしということもあるかもしれない、これだけ離婚していればそうなる
ともかく母の一生は不運であり苦しみの一生だったともなる
そして介護されるということもいくら老衰で死んだといっても苦しいのである。
母の不思議は最後まで病気がなかったということである。人間は何らかの病気になって死ぬのが大半なのである。病気がないということは老衰死になる

ともかく人間の一生は苦しみなしでは語り得ない、必ず苦しみの人生がある、だからお釈迦様も生老病死と言ったのである。老も苦しみであり病もそうでありその果てに死があるだけだとなる、母の一生はそうだった。
ただ人間は本当に不可解なものであり家族関係でもそうである。
その力関係とか愛情関係でも複雑なのである。特に自分の家族はそうだった。
母だけではこの家は持続できなかった、自分の幸福もありえなかったのである。
姉がいて母がいて自分の家は成り立っていたのである。
その二人が争っていてもやはりこの家をもりたててたのは二人がいたためである。

母だけだったらかよわい女性だから何もできず自分が負担を背負ようになったからとても楽はできなかった。もちろん仕事に追われて学問でも芸術でも何もできないよう状態になっていた。
自分が楽だったのは二人がいてこそであり二人一体となって自分は負担をまねがれたのである。
だから今になると60までも食事を用意してくれた母には感謝している
それを意識しなかったが介護で全部自分がやるようになって意識したのである。
だから死んでから感謝の心が深まった、墓参りとか故人を思うことは供養は感謝することにある、そうすれば故人も喜んでいるのだ。
私も子供を産み子供のために尽くしてきた。それも60までもそうだった。
何の報いがあるのか、でも最後は介護してくれたし死んでも感謝されているので報われたとなる。


そして何よりも母の死に顔をみて救われたのは一生の苦るしみから解放されたことなのである。あんなに死に顔が安らかになるのかと思った。
人間の体は快でもあるが体があるかぎり病気になりまたいつまでも生きない、老化になり体自体は必ず弱ってゆき、いくら病気がなかったとしても体がある限り苦しむのである。つまり

人間は死なない限り苦しみから解放されない

これだけは確かである。母の死に顔はその苦しみから全面的に解放されたからあのような笑っているような不思議な顔になった。それは何よりも苦しみから解放された苦しみがぬけていったからである
だから本人にとって死は悪いものではない、ただ悲しむのは生きて別れてしまう人である本人にとっては苦しみから全面的に解放されたのである。
だからあのような安らかな顔になったのである。
「ああ、もう自分は苦しむことがない」そういう顔だったのである。
老衰で死ぬにしても人間は苦しいのである。苦しまずに死ねる人はいないのである。
楽に死にたいというとき他の人よりは楽でもそれなりに介護に入ってからもいろいろと苦しんできたのである。


とにかく死は全部悪いものではない、本人にとって悪いものではない
何かこうして死んだ人について文を書くのもカルタシスの作用があるみたいだ。
文を書くということは何でも客観的になるからだろう。
感情的ではなく冷静に見るということである。
何か冷たいようだが自分はこれまで介護ですでに姉から十年近く苦しんで泣いてきたのである。
だから今回はもう涙もでないのである。
ただ明日は焼かれるので骨になるので辛い、葬儀というのは精神的負担が大きい、一人だったら苦しかった。もう一人とかさらにまた一人とかいたので和らいだ。
一人というのは病気とか葬儀とかが家族がいる人より何倍の負担になる
自分にとって姉と母は自分の死ぬまで忘れられない人であることは確かであり供養をしつづけることになるし墓守にもなる、それが残されたものの勤めともなる
ただ姉のことは6年くらいすぎて忘れてきた。
人間は忘れやすい、家族でもそうであり忘れるから救われるとういこともある
そんなに悲しみ続けていたら生きることもてきなくなる


地獄から天国へ(詩)




タグ:死とは何か
posted by 老鶯 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

郷土史と関係していた葬儀 (共有する死ー納棺終わる)


郷土史と関係していた葬儀

(共有する死ー納棺終わる)

nnnnoukannn12.jpg

葬儀はもともと大変なことだった、だから村八分にしても葬儀だけはしないというのはとても一人でできないからである。
自分の父親が死んだときは野辺送りであり薪とか積んで死体を燃やした。
それを中学生の時に経験したからショックが大きく死のことばかり考えるようになった。あういうふうにして死体を焼くのはすさまじいものでありそれを忘れることができなかった。
だから宗教とは死を克服しない限りないものとして求道してきたのが自分である。
宗教は政治とは関係ないものである。経済とも関係ない、そうした死の無常観から生れたものである。


今回の母の死の葬儀では前の姉のとは違い親戚とか親しい人が8人くらい集まったのとは違っていた。
自分一人ともう一人とあとは組の人が数人は焼香して最後の納棺は三人でした。
でもこの三人くらいは最低は必要になる。自分の場合は一人だったら精神的に葬儀は苦しいと思った。
葬儀はやはり一人の死と直面する、それが70年も一緒にいた家族となるショックが大きいのである。
確かに葬儀屋は今はみんなしてくれるから何かするということはそんなにない、でも何か死者を送るというのは精神的負担が大きいのである。
まず明日火葬場で焼き骨を拾い骨壺に納めるまでは精神的負担が大きい
母の死に顔はいい顔だとみていたがそれも明日はなくなり骨だけになる
その変化がまた大きいのである。
だから精神的負担がそこまで大きいから一人だったら苦しい
二人でも三人でもいると負担を分担できるから楽になる


その納棺で供物とかいろいろなものを生前好んだ食べ物を入れるのだと言われた。
母は干し柿だとか梅干しとか大正生まれだから好きだった。
イチゴも好きだから買った。こんなときはケチはししていられないと思った。
そして考えたことは何か本当は郷土でとれたものを棺に入れればそれもその土地に生きたものとしてにあうものだと思った。
昔は何か葬儀というのはそうしてその土地土地に違っていて風習があったというのは
その土地に生きてきたものが違っていたから風習も違っていたのである。
それは郷土史として探求すべきものでもあった。
その土地土地のものとして生きるということがありその土地でとれたものを食べる、活かされる、そして死ぬときその土地で作られた食べ物を供物としてささげる
それが供養でありその土地に生きてきたものとしての死にふさわしいということに気づいた


この辺では松川浦で石鰈を大晦日とかには食べる習慣があった。それはこの辺で石鰈をとれたからそうなっていた。今は放射能汚染で食べられなくなったのである。
つまりその土地にふさわしい生き方をして死ぬならその土地にふさわしい葬儀の仕方もあり風習が違っているのもその地域地域の生活が違っていたから当然だとなる
そういう地域に生きることがなくなるとき葬儀屋にまかせてしまう、
葬儀屋ではでも葬儀の仕方をいろいろ研究している、地域のことも研究して地域の風習に合わせようともしている。
でも葬儀屋が葬儀をするのと地域で葬儀をするのとでは相当に違っていた
だから何でも専門家してそれが職業になるということもまたそぐわないものを感じる
そうかといって今は葬儀することも専門家に会社にまかせるしかできなくなった。
それはそれでいい面もあったが何か今回葬儀の意義を何か考えさせられた


結局人間は生れた時と死ぬときが一番重要な時である。
だから誕生日と命日がある。ただ死ぬ時は今は葬儀屋に頼んで一人の人間がどこであれ一地域であれ死ぬということの意義を共有するということがなくなった
これまでなら供物でもその土地でとれたものを捧げて土地の人々が集まり見送る、野辺送りとなるとそれは自然へ土へ返すという意義があったとも言える
何か死を自然とともにまたその村であれ共同体で共有する死だった
これは戦争中も戦死した人を迎えるとかなると国全体で共有した死だったのである。
今でも戦没者を弔うのは戦死者は国で共有する死だからそうなっている
昔は昔でいろいろ問題があったが何か戦後の高度成長時代から共有するということが少なくなってきたのだと思う


それが葬儀とかにでもそうなる。ただ前のようにはもどれないのが歴史である。
墓とは何かとか考えてきたけどこれも何かむずかしいのである。
葬儀も死者を見送るといかことで深い意義ある行為である
ただ仏教で戒名とか何か檀家がしきりやる葬儀は必要なくなった
そういうものを否定してもそれに変わる新しいものが葬儀には実は生れていない
葬儀屋は葬儀を便宜的に請け負うだけでありそこに何かしらの意義をがあっても死者を送り葬るにふさわしいとはならない
そううい共有するものがなくなったから今いろいろと墓でも模索されてい葬儀でもそうなのである。
簡易にするというのは金がかかりすぎるのもこまるし金をかけなくても意義ある葬儀はできる
ただそれがどうなるのかわかりにくいのである。


今回わかったとことは一人の死とはその人だけの死はあっても共有するのが人間の死である。
それは一地域とも結びつくから郷土史の分野にもなる、一人の人が生きて死ぬということは家族ともかかわるが一地域ともかかわりいろいろなものとかかわる死でありそれは生でもそうである。
だから死というのは一個人のものとしてあってもまた共有するものとしてある
人が死ぬとういのは一個人の問題として解決せねばならないものである。
死ぬ時は一人だというとき家族でも同伴はできない、看取るにしても結局死ぬ時は一人だとなる
実際に母は看護師がみてもいない間に死んでいた。死んだ後に連絡がきたのだから一人で死んだとなる、家族がみていてもそうなるときがある
死ぬ時は一人であり一人であの世に行く、そしてその時は誰に頼ることもできない
同伴者は信じるものキリスト教ならキリストしかないなとなる
ただ死には様々な側面があることにも気づいた。
共有としての死がありそれは全体と関係して郷土史とも関係していた。
郷土史からみれば共有の死のことであり個人として死のことではない
それは人間が生きることは個人としてだけでなく家族の中で生き一地域の中で生き会社で生き広い国という中でも生きるからそうなる
だから戦争の時の死者は国全部で共有する死となっていたのである。







posted by 老鶯 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題