2018年12月04日

年寄りの冷や水 (人間はこれまでやってきたことを老人になってもやめられない)


年寄りの冷や水      

(人間はこれまでやってきたことを老人になってもやめられない)

週刊誌ではしょっちゅう死ぬまでセックスとか一面で出している
週刊誌とかテレビは老人向きの番組作りにある
老人が多く老人が読み見るからである
老人社会になっているからである

人間は老人になろうがつくづく今までしてきたことをやめられないのである
死ぬまでセックスとかもそうである
なぜそうなるのか?快楽が忘れられないのである
これも中毒のようなものである

死ぬまで登山とか死ぬまでバイクとか死ぬまで車とか死ぬまで自転車とか死ぬまで・・・・・とかなる
死ぬまで酒飲んで早死にした評論家もいる、これもやめられないのである
自分もそうだった、自転車に乗ってきたからやめられない
電動のロードバイクは合っていなかった、軽くていいのだがふらついて危険だった
だから今度は最新式のE=BIKEが欲しいとなる
それは今までより馬力があり技術進歩がある
やはりロードは危険だかこれなら安定して安全だとなるからだ
私はあまり悪路を走ることはないが歩道を走るので安定性があるのがいいとなる

年寄りの冷や水という言葉の意味は何なのか?
それは今までしていたことをやめられないということで無理をする
今までバイクに乗っていたから74歳でもバイクで飛ばしていた人がいた
登山でも70歳でしていた人が普通にいる
それで遭難したとかある、それから車でやめられない、それで事故を起こしたとか免許を返納して失敗したと80歳の人が言うのもわかる
そして何か今までしていことができると思うのである、だからそれが年寄りの冷や水になる

人間は年をとろうが今までしたことがやめられない、酒が好きな人もやめられない
そういう快感が頭にインプットされているからやめられないのである
麻薬と同じである、人間の業(カルマ)は死なない限り消えることがないのである

結局自分の場合は

死ぬまで自転車だ!

これもどうにもならないのだ、40万近くても欲しいとなる
悪路を行かないにしろこれなら乗ってみたいとかなる
ただ乗ってみてロードのように失敗するかもしれない
でも乗ってみたいとなる

やはり技術革新したものはイノベーションしたものは売れる、老人でも買う
もともとe-bikeは老人が体力がないので作られたのだから合っているのである
70代でもまだ元気な人がいる時代である
だからこういうものでも老人が買うかもしれない、金のことがあるけどどうしても快感を味わいたいとなる
そしてどうせ死も近いんだからやりたいことをやって死んだ方が得だという考えになるのだ、この年になると毎日いつ死ぬのかとなる、現実に死んでいる人も多いからだ

死ぬ前に何をすべきなのか?

それが老人にとっては切迫したものとなる
何か常に死を意識するのである、金があってもそれを使わないで残しても損だとなる
無駄には消費しないにしても何かやりたいことしないで金を使わないのは馬鹿らしいともなるのである

ただ正直老人は動的なものより静的な志向にはなる、私はもともと性質は静的なのでじっとしていることが性にあっている
それで何か深い詩が作れるようなったとも自分ながら感じる
こういうことはほとんど金はかからない、田舎で冬ごもりで風の音とかじっとしている聞いているのがいいのである、そこで沈黙するとき自分は充実感を感じるのである

2018年11月23日

死者はどこにいるのか? (母は厨に立ち続けていたー詩)


死者はどこにいるのか?

(母は厨に立ち続けていたー詩)

母は厨にいつも立っていた
60年の歳月がそこにあった
目立たずそこにあり料理を出してくれた
母は細身であり霜焼けに苦しんで
台所仕事をしていた
その時温水器がなかったからだ
私はただその時当たり前のことして
母に感謝もしなかった
その労もいとわなかった
母は家で酷使された
私はずっと楽をしてきた
母はこの家で耐えていた
悲しみ涙も流した
そうして母は百歳で死んだ
母はどこにいるのか?
母はなお厨にいる
もの言わず影のように
厨に依然としている
そうして今も家を支えている
他人は私のために何もしてくれない
要求するのは金だけである
何の関心もない
そして私は厨に一人立って食事の用意をする
そのことにより母がここに立っていた
その苦労を知りその意味と価値を知る
外には北風がうなりはじめた
寒い季節がやってくる
人は死してその意味を知る
その存在価値を知る
死してその存在価値が現れる        
そのように無視され目立たぬものが
大きな価値を帯びて現れる
不壊なるもののごとく現れる
死者はなお生きてこの世にある者を支える

死者はどこにいるのか?それも謎である、墓にはいない、死者はどこにいるかとなるとやはりその人が長くいた働いた場所だろう
なぜならそこに60年もいたとしら長いからである
私の場合は結婚していないから何か親を思うようになった
結婚していれば妻を亡くせばこのように思うだろう
それで悲しんでいる淋しいという人がいる

でも生きている時は母のことは意識しなかった、目立たない存在だった
性格でも内向きであり派手でないから目立たない存在だったのである
それが死んでから意識するようになったのも不思議である
それはなぜなのか?

それは介護はじめてから自分自身が厨に立つようになってからなのだ
自分自身が今度は食事を出したり自分の食事を用意しなければならない
そのことによってここに母がいて食事を60年間だしてくれたのだなと自覚したのであるだから母が死んでも母はここにいるのだなと自覚した

死者がどこにいるのか?それはその人が一番長くいたところではないか?
一番長く働いた所ではないか、なぜならとにかくそこにいた働いた時間が貴重だったとなるからである、人生の時間は限られている、いくら長生きしてもそうである
すると何に時間を費やしたかが人生になる
才能あるなしにしろ何に人生の時間を費やしたかが人生になってしまうのである  
それでぽっぽやという鉄道員、駅員が最後に死んで電車が棺となりあの世に送られる
鉄道と電車と人間が一体化していたのである
男の場合は仕事が命となるのである

母の場合はこの厨にその人生を費やしたのである
母はその時何かそれが報われないものとしてしていたかもしれない
それは女性の場合はみんな言える、家事に生きがいを見出せないとかなっている
それで戦後は外で働くことで生きがいを見出そうとするようになったのである
でもそもそも女性の生きがいとは男と違って本質的には子育てとか家を守るとか
家と切り離せずあったのである
つまり女性は家の中で存在感があり意味と価値をもつものだったのである
ただそれが女性自体でも価値がないものとしていた
では外で働いて価値あるものとなったかというとそうもならなかった

母刀自(あもとじ)も 玉にもがもや 戴きて みづらの中に 合へ巻かまくも
  〜津守宿祢小黒栖 『万葉集』 巻20-4377 防人歌

これは若い防人にしてもこれだけ体と一体化しているのが母だったのである
こういうことは父親にはない、父親はまた別な意味と価値がある

 真木柱(まけはしら)ほめて造れる殿のごと

  いませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず」

    巻20−4342 坂田部 首麻呂(おびとまろ) 駿河国防人   
 
   
真木柱というとき実は私の家では姉がいつも橲原の木材を使って建てたということを自慢していたのである、そして面変わりせずというのは死者のことにもなる
死んでも変わらず厨に母がいるとか感じる
つまり家というのは女性が主役であり女性の存在感を示す場所なのである
男性の存在感を示す場所は家ではなく外にある、仕事場にある
なにかそこを戦後はき違えたのである、女性はいくら外で働いても存在感をもちえなかった、なぜなら女性の役割は家にあったからである
だから嫁は女と家なのである

そもそも外で仕事をしてもそこをやめたとしたらそこに仕事していたということを記憶する人がいるだろうか?
別にレジで働いていても人が変わるだけでありその人がいたということで記憶している人がいるだろうか?
それはロボットのように見えるからである
だから女性で外で仕事して存在感をもつのは看護師とかはあってもまれである
ただいくばくかの賃金をもらうだけであり何かそこに存在感と意味と価値がもてないのである

とにかく人間は死んでからでないとわからないことがある
他人は全く皿洗ってもらうにもただ金ばかり要求されるだけである
金くれ金くれしかないのである、ただその女性でも息子のことは40とかすぎてもあれやこれやと気遣っているのである
だから家族と他人の相違はあまりにも大きいとなる
それは介護になりそういう非情を今でも続けて経験しているのである
他人がこれほど非情で冷酷なものか知らなかったのである
それは家族がいればそうなるのである、でも人間はそんな家族中心で他人は虫けらと同じだ、金しか関係ないとなるとそこは地獄だとも思った
家族がないものは地獄だとなる、身寄りのないものは地獄を生きることになる
それでいいのかとなるがそれが現実として経験したということである


2018年10月24日

認知症がアイコンタクトで劇的に改善 (NHK試してガッテン−私も最初にそうして落ち着かせた)


認知症がアイコンタクトで劇的に改善

(NHK試してガッテン−私も最初にそうして落ち着かせた)

私の姉の場合は最初に暴力になった、その前に同じものを何度も買い物していたし金を払うことができなくなっていたので近くの店屋で気づいていたのである
でも家では気づかなかった
気づいたのはなにか知らなけど激しい暴力になった
親戚の人が来た時歪んだ顔になっていた、それで病気に気づいた
意外と認知症は軽い内は気づきにくいのである

それからせん妄になり幻覚を見るようになった
何か人が来ているとか言ってそれが誰なのかと何度もしつこくたずねる
それはかなりひどいせん妄だったのである
だから何になっかのか最初とまどった、どう対処していいかもわからなかった
それでインタ−ネットで調べたら

目を見て落ち着かせろ!

そう書いてあったのでそうした、そして落ち着かせるためにお茶などを出して飲ませたのである
私は相手と視線を合わせて見て落ち着かせたのである
でも精神錯乱になっのかと怖かった、暴れたりもしたから怖かった
それで三人家族だったが一人は相手を見ることができなくなった
目を見ることができなくなった、怖くてできなかったのである
そうなったらもう一緒にいられない、相手が暴力になるからだ
性格的に姉は大の男も恐れない、大の男が怖がっていたのである
そういう人だから暴力になったりてしたら自分でも最初は怖かった
ものすごく気の強い性格の女性だったからである

ただ私は60年間も一緒に生活していたし自分は特に特別に世話になったから介護することは無理することなく自然な状態でなった
ただ最初は何になったのかわからず怖かった
精神錯乱になったのかと怖かったのである
でもそれから一人で家で介護するようになってなれてきて認知症という病気を理解するようになった、それで安心して落ち着いてきて症状が安定して騒ぐこともなくなった

認知症は誰か一番親しい人が愛する人がつききりになり世話しないと症状が安定しない
だから相当な愛情がないとできないともなる、ただ症状はみんな違っている
姉の場合は死ぬ直前まで意思疎通ができていた、ただ意識不明になって一か月間は死んだと同じだった、もう植物人間となり何の反応もなくなったからである

認知症の人の視界が狭くなっているというのはそうなのか?
ただそれだけではない、目を合わせて落ち着かせることが大事なのことは確かである
それを最初にしたから良かった
結局人間は突然に起きることに対処できないのである
津波でもそうだし何かの事件とか病気でも突然になると対処できないのである
今回のNHKの認知症対策で目を見るということは本当に大事である
目からは信頼とか愛情とかの眼に見えない光が放たれているかもしれない
何か嘘ついたりやましいことがあると目をまともに見れないことがあるし
何かその人となりが目に現れることもある、目がおかしくなっているかもしれない
だから人間にとって目は大事なのである

いづれにしろ認知症の介護している人は必ずうつ病になる
精神を病んでいる人の介護している時必ず介護する人もおかしくなるのである
正常なものが失われるのである
なぜなら正常でない人と常時一緒にいれば当然そうなってくるのである
自分自身は実際は介護することでも嫌だった、強いられてしかたなくしていたともなる
ただ自分の場合は特殊な家庭の事情で介護をするのも無理があったにしろ一番世話になったから何か自然と介護に努力したのである、恩返しのために自然とそうなったのである
でも普通は認知症の介護はそんなに手厚くできない

どんなに親しい愛情があっても嫌になるからである
私の場合は二年間であり短いからできたともなる、これがさらに長引いたらもうもたなくなっていた、なぜならもう一人も介護状態にすぐになったからである
二人の介護になることと自分が病気になったことでももうどうにもならなくなっていた
でもなんとか恩返ししてのりきったのである
でももうぎりぎりの限界だったのである
なぜなら自分も手術したり入院して病気になって介護していたからである
その時助けるものはいない、ただ責められるだけだったのである
介護は誰か一人に負わされるのである、みんなしたくないからそうなる
それは兄弟がいてもそうなりやすいのである

姉の場合は自分が留守にしていたとき不安になり近くの人のところに行っていた
そのことはあとでわかった、その人だけは親切な正直で本当に今時めずらしい人だったのである、NHKのテレビでも放送していたが少しの間でもいなくなると認知症の人は不安になる、それは捨てられたのではないかということで不安になるのである
だからもうどこにも出れない、いつも一緒にいるほかなくなる
そこでそうしていると丁度精神病院の中に一緒にいつもいて病棟から出れないという感覚になるのである、息ぬきもできないのである、それでうつ病になる
それはオウムとかカルト教団とかに仲間といつもいるような状態とにているのだ
閉鎖された空間でそこだけの世界にとじこもる、すると洗脳されて異常が異常だと気づかなくなるのである

家族の介護は病院で医者とか看護師とか介護士が介護するのと違うのは四六時中常に一緒にいなければならない、それで精神が消耗するのである
自分の場合それでも二年間だった、でもうつ病になった
だから認知症の介護はつらいと思う、NHKに出てきた人は私の姉より症状が重い人がいたから介護するのはもう自由時間もない、完全に縛れるのである
そしていつ終わるのかわからないのが辛いのである
実際十年とかもあるし自分の場合は二人で約十年だった、それで精神が消耗してしまったのである

ただ特殊な家族であり世話になったということがあり懸命に介護した
男だからうまくできなかったがそういう気持ちはあったからである
だから気持ちがない愛情がない人が認知症の介護することは至難だとなる
そんなにみんな聖人でもないし一人にの人間にそんなに付き切りにもなれない
それは施設でもそういうことはできない、でも親しくなった人がつづけて介護するのが認知症では症状を落ち着かせる効果がある
でも現実的にはそこまでしていたらとてももたないだろう

介護の負担は認知症でもそうだし普通の介護でも負担が重すぎることがある
ただ私の場合は特殊な事情で気持ちはあったのでなんとかできたとはなる
でもそういう気持ちをもつことができない施設とかではそんな手厚い介護は無理だとなるそして十年とか長い場合があるとその間は何もできない、その負担をも大きすぎるのである
ただ私の場合は介護して恩返しできて良かったと思う、だから遺影に手を合わせて供養できるとなる
介護のむずかしいのはそれは死後も影響してくることなのである
恨んで死んだりしたら何か手を合わせて供養できなくなる
お前は冷たい奴だったなとか死者に診られるからだ
そういう人を知っている、娘を恨んで死んでいったのである
その娘は信じられない非情な人になっていた

でも母親は介護されることもなくあっけなく死んだのである
もし介護状態になったら地獄だったとなる、そういう状態になっている人を知っている
その娘の実の親がそうっないたのである、認知症になっていたからである
実の親でも事情があって親とも思っていない、ただ金があるから施設に入れておくだけなのである
だから人間は本当に最後にならないとその真実もわからない
最後は親でも悲惨な状態になる人がいる、子から捨てられるのである
青森の施設にここからやられた人などはそうかもしれない、老後には最後には人間は恐怖にもなる、もうこれだけ老人になると姥捨て山に捨てるというのもしかたがないという時代にもなるからだ、中国では数が多いからすでに親をめんどうみれないと捨てる
そして自殺している人が増えていることでもわかる
一人っ子政策で親をめんどうみる人もいない、そして施設にすら入れない国でもめんどうみないとなれば死ぬほかないとなっているのだ、日本でも特養などは順番待ちでいつは入れるかわからないのである
高齢化社会の暗黒面である、認知症になる人が8百万人とういのも本当に悪夢である


世界中のどこも、経験したことがない社会「認知症800万人時代」この国に何が起きるのか 
65歳以上の4人にひとり、80歳以上は2人にひとり  

2018年10月17日

南相馬市の病院から青森の施設に移される人 (姥捨て山へやられるのか?)


南相馬市の病院から青森の施設に移される人

(姥捨て山へやられるのか?)


その人は南相馬市の病院に入っていた,知的障害者の息子がいてその人が病院に通って
頼まれたものを買って届けていた
その障害者は外見はどこが悪いのかわからない、仕事もしている
でも不思議なのは父親のことを思っている、だから病院に通っている
その父親は別に子供が3人とかいる、でも世話しない
離婚した妻が障害者の母親は常に通って息子をみている
かわいそうだと言っている、その父親は何か離婚されたり子供も世話しないとなると
問題があった

ではなぜ青森の施設に移されるのか?

これはこの辺でめんどうみる施設がない、満員だとは聞いた、それでいわき市とか中通りの施設に入った人は知っている
例えば小高では立派な施設があっても入れない、介護士とかが集まらない
若い人は流出したからである、病院でも看護師がたりないとか苦労している
それでいつまでも病院に置くわけにいかず青森が空いているからと移された

しかしそこには知っている人すらいない、いたとしても青森までは簡単に行けない
最初聞いた時青森は遠いなもう行けないな日本の果てだなとか思った
ただ新幹線があるら二時間で今は行けるとは思った
でもそこで金がかかるからなかなか行けない、そもそも金で苦労しているのだから
行けない、一瞬前の感覚だと流刑地にでも行かされるのかとも思った
青森となるとそれだけ遠いという感覚があったからだ

ともかくなぜ青森なのか?

それは南相馬市だと特に施設が空いていない、特養などは特にあいていない
だから青森であいているからと施設関係者や市の方で相談してそうなった
これはここだけの問題ではない、例えば東京は深刻である
それで東京のある区では伊豆の方に要介護者を移すとかしている
東京ではまかなえない、東京はそうした介護される老人は増える、その数が多いからである、だからこれはここだけの問題ではない
青森だとそもそもそこは職がなく出稼ぎ者が多い地域である

すると介護でも仕事になるとして引き受けるようになったのかもしれない
それにしても青森は一瞬遠すぎると思った
だってそこはなじみがない場であり知り合いとかもいない場である
ただ今の社会は広域化しているからこういうことにもなる
でもそんなに遠くに行くということは何か最後は姥捨て山にやられるのかという心境になるかもしれない,身寄りがないとなるとそうされやすい
ただその人は子供も何人かいるからそういう人でもない
障害者がいて世話できないとかなりそんな遠くに行き死ぬほかないとなるのかもしれないともかく最後になると労力も金もかかる
病院にいつまでも置けない、特養には入れないとなるとそんな遠くで世話されて死ぬほかないとなるのが現実だとなる

2018年10月11日

家族の認知症介護から学んだこと(哲学的考察) (人間とは何か−抽象化能力と感情の問題)


家族の認知症介護から学んだこと(哲学的考察)

(人間とは何か−抽象化能力と感情の問題)

「心身のリアル体験」では、幼少期から様々な遊びや運動、海や川や砂遊びなどの匂い、空気、温度などの肌や実感覚による体験や、「嬉しい」「悲しい」といった感情などを通して学ぶプロセスです。  

 ここにグラフがでているからわかりやすい、人間は具体的なものを抽象化する、これが文明を作り人間を人間たらしめたとなる、その最たるものが言葉であり文字だからであるだから文字のない文明が一段と低く見られるのはそれだけ抽象化能力が発展しなかったとなるからだ
最古の文明になると文字をもった文明である、エジプトのヒエログリフは神聖文字となり文字が神聖化された、中国でも漢字が発明されたとき神聖化されたことでもわかる
楔形文字は最古のものでありねこには法律のことも記されている
それから一番簡単なのは一つだったら一本の線を書く、二つだったら二本の線を書く
それで数量を計ることが文明となる,それがそれは時間の単位ともなる
時間も人間が抽象化したものなのである

算数と数学でもそれを上達するコツは数字は抽象化だが図形とかグラフにしたとき具象化する、方程式でも図形化するとそうなる
そして分数でも理解するには図形で理解するわかりやすい、数字からだと具象化していていなから理解しにくい、だから算数嫌いとか数学嫌いが生まれる
数学となると中学でもどんどん高度な抽象化になるからである
科学となるとさらに分子式でも抽象化になるからついていけなくなる
私も数学嫌いになったのはそれは抽象化能力の欠如だったとなる
ただそうであっても教育には工夫が必要なのである
分数だったら絶えず具象としての作業、図形化して納得する作業していると興味もわいて覚えることになるからだ
人間は常に具象⇔抽象の相互作用が学習なのである
パソコンのソフトで抽象画を作ってみたらやはりいくら抽象画でも川は川をイメージするし森は森をイメージする、全く具象画から離れることはありえない
抽象画でも具象画を見ようとしているのである

なぜエジプトで書記官が重要なものとして神官にもなったのか?
それはやはり麦などの収穫することを数量化したからである、その仕事は力仕事ではない頭脳の仕事である、それができたのは抽象化することができたからである
米の量を計ることは数字で抽象化したものだからである、つまり人間の知的能力の発達は抽象能力なのである、それは数字でもそうであり文字でもそうである
そして人間の文明は抽象能力から生まれたのである
抽象能力が高度に発達して文明が生まれた、文章を書くということはそもそも抽象能力によっている、言葉自体そうなのだが音より文字にすると抽象能力は高くなる
人間は文章を書くことによって言葉から文字から思考している
それをつくづく私自身でもこうしてインタ−ネットで他者の文章を読んで参考にして絶えず文章を書いていることでそう思った
文章を書くことでそもそもが思考を拡大して深化できるのである

文字には他にも記録するという大事な役割がある、人間はとにかく忘れやすい、自分の書いたものすら忘れている、膨大なものをインタ−ネットでプログで書いたがその書いた本人が忘れているのである、これも人間の特徴だと思った
だから人間は何でもこまめに記録していた方がいいと思った
旅のことでもそうであり忘れるからだ、いつどこにいたのかも旅したのかわからなくなるそしたらどうして記憶をよみがらすのかとなる、今は写真もいくらでもとれるからそれも記録になる、膨大な写真が映像がグローバルに残される社会である、デジタルの映像社会なのである、ところが映像は抽象化能力を高めるということが必ずしもない
具象的なものが表現が直接的に示される、すると抽象化する能力はいらないとなる
文字だと山なら山で川なら川で一応抽象化したものとしてとらえているからだ
漢字が優れているのは抽象化と具象が表現されているからだ
アルハベットになると文字があるにしても音の作用が大きい、アルハベットに具象の作用がないのである
だから漢字というのは中国文明を作ったものとまでなっているのだ

ただ人間とは何か?これを追求する時、抽象能力だけではない、人間の下部構造というか基本にるなベースとなるものに感情がある、悲しいとか淋しいとかうれしいとかある
人間は人間たらしめているのは反面に感情だともなる
動物を見ていると悲しいとか淋しいとか淋しいとか何か感情的なものが表現できない
人間は悲しい時涙を流す、動物は泣くことも笑うこともできないのである
ただうれいしという表現などはする、みぶりでするからわかる
でも動物に悲しいという表現がない、あるとしてもわからない
キリストが「悲しむ者が幸いなり」というのは本当に不思議だと語ってきた
それは心理学的にみれば悲しむことができるのは人間にはできるが動物にはできないからだともなる

そして人間はこの世を生きるとき必ず悲しむことになる
家族との死別があり様々なことで苦しみ悲しむからである
でもなぜ「悲しむ者が幸いなり」なのか?それは悲しむことで人生の深い意味を知るからである、悲しまないものは人生の深い意味を知ることがないのである
だからシェークスピアが悲劇で終わるからみんな考えさせる、ドラマでもハッピィエンドで終わるなら考えないのである、悲劇にこそ人間の深い意味を見出すともなる
それは悲しむことに通じているのである

人間とは何か?それは認知症の人と接するとわかる、家族が認知症になって介護したとき最も身近で生活してきた人がどうなったのかわからなくなる
そのことを介護して問うてきた,もう痴呆化して人間でなくなったのかという恐怖を感じた、でも接しているうちにそうでもないと思うようになった
確かに銀行から金をおろせないとか漢字でも書けない自分の名前すら書けないという抽象能力が極端に低下する、だからこれはもう人間ではないのか?
そうも思って驚愕して恐怖にもなった
でも認知症の人でも喜怒哀楽がある、感情的なものは普通なのである
だから自ら悲しむということがある、また喜ぶこともある
特にこれまで生きたことに誇りをプライドをもっているからそれを認めると喜ぶのであるそして認知症の人はなにもわからないのではない、相手が親切にしてくれる人なのか
愛をもって接してくれる人なのかわかる、だから認知症の介護は愛がないとできない
愛情に実は敏感になっているからだ、だから家族でも特に親しい人でないとできない
兄弟でも姉妹でもいろいろいいるからである
だから兄弟でも一番かわいがられた人が介護しろというのもわかる
そうでないとできないということがあるからだ

人間とは何かというときこれも不可解である、確かに抽象能力が文明を作った
でも一方で感情があって人間であるということがある
悲しむということ笑うことなど感情表現があり人間であるとなる
だから数字とか漢字が抽象化能力がなくなっても感情があれば人間だともなる
その人は愛のことはわかっている、動物でも愛は通じるのである
すると動物でも愛を感じるから人間と同じだともなる
そしてこの世で一番大事なものは愛だというとき愛が通じればいいともなる
愛が通じなくなったときそれは動物以下であり人間ではないともなる
知能がものすごく高い人がいても冷たい愛がない人も普通にいる
かえって知能が高いとかなるとそういう人が多いかもしれない、冷たい人が多いとなる

別に庶民でも知能が低いとみられる人でも正直で人情味があり愛のある人がいる
そういう人は戦前生まれの人に多いし江戸時代には多かった
それはなぜかというと現代のように知優先の社会ではない、義理人情とか情中心の社会だったからである
とにかくインタ−ネットでもグロ−バルに高度な知性が求められる社会である
江戸時代は狭い範囲で情が深い所で生活していたのである
それが村とか長屋とかであり貧しくてもそうなっていた、でも医者でも病気は治らないものとして接していた、だから医は仁術になっていた、直せないから仁が情をかけることだともなっていたのである
第一漢字の情報でも情に報えるとなっている、これは今の情報感覚とまるで違ったものなのである、どうしてこの漢字になったのかわからないがやはり何か江戸時代の感覚をひきづっていたからこの漢字をあてたのかとなる

いづれにしろ認知症というのは本当に不可解である、その介護をさせられるとなると本当に困難を極める、普通は人間とは何かなど考えないけど私は認知症の介護を通じて考えたそれはなぜなのか?それが心と関係していたからだろう
普通病気だと患部だけをみている、そこが痛いとか弱っているとかみる
でも心までは見ない、認知症の場合はどうしても脳と関係していて心をみるようになる
脳が損傷する壊れることは心にも大きく影響する、では人間の心とは何なのか?
それが最大の謎なのである、認知症の家族を介護してそのことを問うてきたのはそのためである
認知症の治療は介護は肉体だけを見てはできていからである
もし肉体的なものだったら癌であれ何であれ意識は明確であり知能も低下しないのであるただ肉体的な問題だけなのである
認知症は脳が破壊されてそれが心に大きく影響する病気なのである
すると数字がわからないとか漢字も書けないとか自分が住んでいた場所も名前もわからないというときあまりにショックになる、そんなことわからないのか馬鹿になったのかと最初は誰でもみてとまどうだろう、この人はもう人間ではないのだとまでなってしまう

でもふりかえるとそれでも人間だったと思う、人の愛はわかるし何か感情的には喜怒哀楽もあり今までしたことをほめれば喜ぶ、何か通じるものがあった、今になるとその時間が貴重なものとしてよみがえる、それは家族として長く生活してきて認知症になったとしてもふはり家族であり心を愛を通じ合わす時だったなと思う
今までは自分の場合はとにかく一方的に愛された良くされていただけだったからである
そのことで多少恩返しできたなど今では思っている
そう思うのはやはり介護でもその時は苦しいと思うのだが嫌だから死んでくれとも思うのだか死んでみるとみんなもっと良くしてやればよかったというのである
それはやはりもう一緒にいる時間がなくなった、もう二度となくなったことによるのである、もう話すこともなくなる、二度とその時間はもどってこないからである
人間は時間がすぎさる、青春だってあっというまにすぎさる

人間の生きる時間はみんな限られている、時間だけは平等であり特別長く与えられる人はいないし時間を金で買うこともできないからである
それで人間が一番無駄にしているのは時間なのである、金だったら十円得した損したとか過敏なのだけど一時間損したとかあまり考えないからである
家族でも一緒にいる時間はいつまでもつづくわけではなかった、そして介護となるときと死に向かっている時間である、もう二度と会えなくなる時間だった
その時間は貴重なものだったと自覚する
それは人生そのものがそうである、人間は永遠に生きられない、限られた時間しか生きられない、その時間の貴重さは失ってみないとわからないのである
何か貴重なものは失ってみないとわからないのである
だからみんなもっと介護でも良くしてやれば良かったというのはそのためである
家族と一緒にいる時間が全くなくなり何もできなくなったからである



ここに書いたものつづきです、読み直してまた書き続けるのがプログでありインタ−ネットである
連続したものとして継続して書けるのプログでありインタ−ネットである

2018年10月10日

時代の変化についていけない老人 (昔の感覚で社会を見ている−銀行もそうだった)


時代の変化についていけない老人

(昔の感覚で社会を見ている−銀行もそうだった)


老人はこれまで生きた感覚で世の中を見ている、それが実は社会が変わっていると違っているのだ、確かにそういうことは昔からあって老人は新しいものに適合できない
もし江戸時代んのように変化してもスピードが遅ければそれほど影響を受けない
現代は変化のスピードが速い、だからついていけなくなる

銀行は何か硬い真面目な職業だと思っていた、それが投資信託のような複雑なものを老人相手に売る、それは金をもっている老人をだますために作られた商品のように思えた
毎月配当金が入るというときそれが今まで貯金していれば利子がつくもののように老人は思うのもわかる、第一株などわからないからである
投資のこともわからないからである
それで悲しいのばあちゃんが2000万とか損しても銀行を信用していたのである
つまり銀行とはそれだけ信用されていた、それを裏切ったともなる

なぜそうなったのか?銀行は地銀などは特に地元に密着して一軒一軒回る
そうして対面的に信用を得ていたのである
その信用を利用して投資信託のような複雑なだましのような詐欺的商品を売りつけるようになった
でもその時その信用というのが一番の財産だったものが失われたのである
もう銀行員が一軒一軒回っても信用できないとなる
そうしたらそもそも銀行業というのが成り立つのだろうか?
だって銀行で一番大事なのは信用だからである
信用こそ財産だった、確かにそれは目に見えないものだがその信用なくして銀行の業務が成り立つのか?

ではなぜそうなったのか?銀行はもうもうけることができない社会になった
高度成長時代なら銀行は会社の業績でもいいし起業しても成功するとかで金を貸してももうかる、だから利子が7パーセントの時代があったのだ
それがバブル崩壊とかから20年日本経済は停滞した、もう銀行もそこで金を貸してもうけることができなくなる、金を借りて起業したりする人もへるとかで投資先がなくなったのである、それで国債とかでもうけていたがこれもできなくなりマイナス金利になった
それで銀行は追い詰められたのである

人間は追い詰められると善悪がなくなる、今日食べるものがないとなれば平気で人を殺したりする、それは追い詰められているからである
追い詰められた人間は善悪はない、だから追い詰められ人間は怖いのである
そういう人に出会ったら最悪だとなる、そうして悲惨に殺された人もいる
それは個人でもそうであり会社でもそうであり銀行だって同じである
きれいごとを言っていられない、銀行を維持するためならなんでもするとなる
そういう時代になったことを老人がわからない、意識しないのである

それはなぜか?老人は昔の感覚で世の中を見るようになる
今までこうだったからこうすればいいという昔の感覚なのである
それをひきづっているのである、銀行と付き合いがある人は昔の銀行を見ているのである銀行員でもそうである、それが急に変化してきて銀行を変貌したときだまされることにもなる、投資とか株とか昔の銀行はしないしそれが業務ではなかった
だから支店長でも株のことなど知らないと言っていたのである

そういうことは他にもいろいろある、スマホがあるとしてそれをできない老人は理解できないのである、一見それは携帯電話のようにも見えるがかなり違っている
パソコンを携帯化したようなものにもみえる、自分はパソコンを20年くらいしているから同じようにやれるとみるがまた違っているのだ
そうして技術も変化しやすい、進歩すると老人はついていけないのである
どうしても昔の感覚で見るからである
昔はこうしていたからこうすればいいとなるがそれが通じないのである
たからばあちゃんは銀行をだまされても信じていたとなる

例えば中国に旅行したのでも20年前とかなる、時間はすぐにすぎさる
20年前の中国はどうなっていたのか?物価は十分の一であり鉄道は最悪である
家畜のようにして人間がぎゅうぎゅうつめで運ばれていた
とにかく人が多いからそうなった、その時都会への出稼ぎ者が多かったからそうなった
今はどうか、日本並みに新幹線が走っている,これも信じられないし、みんなスマホで決済して現金を使わない日本より進んでいる
日本より進んだものが増えてきたのである
だからこんなに変わるものかと驚きついていけない、どうしても中国でも昔の感覚で見てしまうのである
要するにグロ−バル社会というのは世界的に常に変化のスピードが速い、遅れた国だなと思っても10年とかで変化している、いつまでも遅れた国とはならないのだ
だから今タイとか東南アジアからでも金持ちになった人が日本の観光に来ている
それも今までならありえなかったからである

世の中がもともと無常の世界であるというのは変わりない、そもそも人間自体がいつまでも若くいられない、青春などあっというまに過ぎ去る、そして白髪の老人になっている
そして死んでしまう、その変化からまねがれないから無常なのである
世の中自体もまた変わる、特に現代はそのスピードが早すぎるのである
ただそうはいっても老人だと経験したことがありその経験が活きるということはある
何かしら生きて経験しているからである
でも人間はあらゆることを経験できる人はいない、投資の経験している老人は少ないのである、それも経験だったのである、知識ではない経験しないとわからないことが世の中には多すぎるのである
人間が個人で経験するのはほんの一部である、だから老人が社会のことがわかるということはないのである

江戸時代のような村のようなところでは経験したことが活きて長老のようになることはある、でも現代では老人は膨大な数になっているが無用化しているのである
それは社会が変わりすぎているから老人はかえって邪魔になるだけだとなる  
だから現代は長生きしても老人にとっては生きにくい社会である
むしろ江戸時代なら長生きすれば老人にとってはいい社会だったかもしれない
それもわからないにしろそう見えるのである

老人は本当に浦島太郎のようになる、周りの人間も変わり誰も知っている人がなくなったと現実になる、家族で公務員だった人が役所に行っても知らない人ばかりだったとか
近所でも知らない人が多くなり取り残されたような感覚になっていた
そして認知症になって信じられないけど自分の住んでいる町の名とかすら忘れて思い出せないとなる、そして若い時のことは忘れないから延々と千回も同じことをしゃべっていたのである
それは病気もあるが老人はえてしてそうなりやすいのである
認知症は老人の症状が極端化したものなのである,周りが人間でも変わり浦島太郎のようになる、そして昔のことを延々としゃべりつづける、それだけ社会でも人間そのものの変化でも激しいからそうなる
そして残されたのは死があるだけだとなってしまうのである

2018年10月05日

長寿大国 日本と「下流老人」森亮太を読む (手厚い治療や延命治療はできない、国にもその金はない)


長寿大国 日本と「下流老人」森亮太を読む

(手厚い治療や延命治療はできない、国にもその金はない)

この本は医者が書いたものである、医者から見てもう手厚い治療が限界だとしている
老人はもうそんなに医者にかかったり介護で手厚くしたりできない
老人はもうある程度諦観する、あきらめることが必要だとしている
それは結局老人にもうこれだけ増えてくると金も使えないし労働力も使えないとか限界にきているからである
日本人は病院好きだとか薬好きだとかそれで無駄な金が使われる
老人の病気は老化もありなかなか完治はしないから無駄に検査したり治療したり薬を飲んでも治らない、だからある程度あきらめるべきだという
そういうことは感じる、金もないのに仙台の医者に行き次は東京の医院で高度なMRIで写真をとる、それが必要だったのか?

今は医者だと高度な機械を設置しないと患者が来ない
そのためにまた医者でも金がかかる、するとそのために東京だけではたりなくて全国から患者を呼ぶということも必要になるのかもしれない、大学の関係で患者を呼び込むとういこともしているのかもしれない、つまり医者の方でも金がかかる
患者の方でも金がかかるのが現代の治療なのである
先進医療となるとさらに金がかかる、でも病気になるとどうしても金を節約できないのである、それで破産した老人の例を出している
そのことは他でも良く聞くことである、癌になるとかするとたちまち一千万単位で金がなくなったりする、それで老後破産になったりする
貯金が退職金をふくめてかなりあってもそうなっている
それはなぜなのか?

どうしても60以降は思いがけないことが起きやすいのである
その一番の思いががけないことが病気なのである
なんらか60以降は病気になりやすいのである、それから親の介護に直面することが多い私の場合もその二つが同時に来たから四苦八苦してきたことをプログで書いてきた
こういうことは自分だけではない,60以降に起きやすいことがこの本を読んで納得する60以降の最大の問題が病気なのである
それで予定が狂ってしまって老後破産に陥ってしまう

そして人間は60以降とか老人になると弱者化するのである
この弱者化することで犯罪にあったり追い込まれることが多い
それは自分が経験したことであり驚いた
頭がいいとか大の男も恐れない、こわがっでいた、それが見る影もなく無能化された姿には愕然としてたのである
銀行から金もおろせないとか認知症で白痴化したことは変化がはげしすぎたのである
それで対応に右往左往することになる
夫婦でもどちらかがそうして病気になると途端に弱者化してどん底に陥る
老後のリスクは金がないというだけでない、病気になるリスクが一番大きいのである
そこで予定が狂ってしまう、だからといって治療費を節約できないことが苦しいのである

自分に起きたようてことは60代以降に起こりやすい
親が介護になったり夫婦でもどちらかが介護になったりすると途端に弱者化して
追い込まれる、その時弱肉強食の世界が老後にも容赦なくふりかかる
それで耐えられなくなり悲惨な状態に追い込まれるのである。
現代は特に情がない社会であり金だけを要求する社会である
だから一人暮らしとかは孤立して誰も助けないような状態に陥りやすいのである
それは自分だけの特殊な状況から起きたとも言えないとこの本を読んで思った

Cさんはの代わりに買い物したり、ディサービスに向かう際に手助けしたり何かと身の回りを世話してくれた知人にお金をもち逃げされた
Cさんはその人の信頼して部屋の鍵まで渡していたのです
全部で3000万円近い金が盗まれました

この人は妻と死別して一人暮らしになったときにこうなった
いかに一人暮らしが今は危険か弱者化するかわかる
これと同じ経験を自分もしてきたからである
事情は違うにしろ一人暮らしは弱者化する、信頼して頼る者がいなくなる
するとそうしてヘルパ−などを頼み家の中に引き入れることがどれだけ危険なことかわかる、この人はそれなりに相当信頼していたがこれだけの被害にあった
額は違っていても自分も同じような目にあったからだ

ではなぜこうなりやすいのか?
それはヘルパーとか今は困窮した人がなる、金に余裕ある人は手伝いさんのようなことはしないのである
それが矛盾している、金に余裕のない人はそもそも危険である
しかし金に余裕がない人しかそうして働かないのである
老人でも金に余裕ある人はパークゴルフとか趣味とか遊んでいるのである
人間はいい悪いではない、もう窮迫している人はどんなことでもする
そういう人がそうして一人暮らしとか困った人の家に入ってくるから危険なのである
金に余裕がない人とか心に余裕がない人はまず人を助けることはできない
借金しているとか金がないとかしている人は常に頭が金しかなくなる
するとそうして入ってくる家なら金を得ることしか考えない、それは人のめんどうをみる
というより自分の方が苦しいのだからそんな余裕がないからである
つまり襲う人も弱者を襲い襲われる人も弱者なのである
弱者につけこみやすいからである、襲いやすいから弱者がねらわれる、襲う人も弱者なのである


働くことも人助けなんだけどそれは余裕ある人ならできる
余裕のない人はできない,むしろ相手が弱者化したときチャンスだとなるのである
こういうことは高齢化社会で起きやすくなる
一人ではどうにもならなくなる、介護でもそうである
その時家の中に入ってくる人は余裕ある人ではない、その人も困窮している人が多いのである、余裕あって金があってボランティアする人などいないのである 

この人は本当に悲劇だった、自分も同じだったから同情した
高齢化社会は長寿社会は暗黒の面が大きい、金の問題もあるし病気になること、自分自身だけでなく夫婦でも一方が病気になると悲惨なことになるのである。
この本で言うように自分の死に方でも事前に決めておく、延命治療はしないとか何かもう治療でもそんてに手厚くしないで死に向かうことを決めておく、つまり生をある程度あきらめる、そういう覚悟が超高齢化社会には必要になる
ただ別に健康ならいいのである、それだって百歳まで金があるのかとなるなくなる、老人は稼げないのだからどうにもならないのである、人間が長生きするとき少数だったらいいがこれだけの数がそうなるともう国を圧迫して国自体を破産させるとまでなっているのだ

だから若い人たちに老人は早く死んでくれとなるのもわかるのである
それはあまりにも数は多すぎることなのである、老人にはもう希少価値はない、長生きしたからと大事にもされないし敬老精神もないそういうなかで生きるとなると地獄だともなる
病院に行ったら早く死んでくれとか、介護施設は入れないとか、金がないものも死んでくれとかなる 
それは国をつぶすほどに老人が増えるからである、駅でも見ていると本当に老人が多い、老人ばかりが目につく社会なのである
その辺に老人ばかりがうろうろしている社会なのである
その人たちは別に用あるわけでもない、ただ何もすることなくうろついているだけだとなるからだ


2018年09月23日

激務で疲弊した地方医師が、続々と都会の病院へ? 急成長する「医師エージェント」ビジネスの舞台裏


激務で疲弊した地方医師が、続々と都会の病院へ?
急成長する「医師エージェント」ビジネスの舞台裏



医局制度の崩壊で
大都市を目指す医師が増加

医師は大学を卒業後、研修医として「医局」に入った。「医局」は、教授を頂点とし、診療から研究、教育を担う機関。さらに医局は人事も握り、所属する医師を系列の病院に派遣。教授の意に沿わない医師が不当な待遇を受けたり、過酷な勤務を強要されたりするなど、弊害が指摘されてきた
いま、大都市の医療機関は、利用者からの厳しい評価にさらされている。医師の対応に少しでも不満を持たれると、すぐに悪い評判がネット上で広がる。逆に「いい医者」が来れば患者が増えると、ある病院の事務長は言う。
「いままでだったら、医者は来てあたりまえじゃないけど、でんと構えていた部分もあったけど、いまは、患者様に来ていただく、優しい先生のほうがいいですから。患者さんからしてみれば、結局、病院っていうのもサービス業なんで、各病院気にしていると思います」

仕方なく、総合病院の整形外科を受診すると、専攻医の医師が診てくださいました。
「専攻医」とは後期研修医のことだそうですが、診察は非常に丁寧でレントゲンに異常はなく「使い痛みでしょう」と診断して下さり、「一ヶ月もすれば治るでしょう」ときちんと予後も言って下さいました。
実際にそのとうりの予後になりました。
医学部を卒業して30年も経ってる医師よりも、勤務医の専攻医の方があらゆる面で上なのです、普通に考えるとこれは逆なのです。
改めて開業医のレベルの低さを実感したと同時に、開業医受診の危険性も実感しました。

ここのサイトは介護のことに詳しい、在宅介護すべきだという論には賛成する
それもむずかしいが本来はそうあるべきだというのは理解できる


その人はまず仙台の医者に行った、腰が悪いから整形外科なのか?
その医者は原町の病院で医者をしていたことがあり知っていたので仙台で診てもらった
次にその医者の紹介で東京の設備のいい病院の医者に診てもらった
大学関係で仙台の医者と東京の医者は知り合いであり連絡をとりあう仲だった
そしてわざわざその仙台の医者も東京にきてくれたという
でもその交通費はどうしたのだろうか?
その女性はさくらバスで東京まで行って安い宿泊所に医療関係なのか二日泊まることができて全身を検査した
その医者は親切だったという、あれでははやると言っていた

これでわからないことは仙台ならそれなりにいい医者がいると思う
現実に糖尿病で白内障になった人は仙台の医者で手術した、もう二か月もいる
白内障だから手術かむずかしいからだ
でも仙台から東京まで行って医者に診てもらうというのは普通はあまりないだろう
そして金もかかりすぎる、その人はいつも食べることがやっとしか金がないからだ
でもなぜ仙台の医者が親切にいろいろめんどうみてくれるのだろうか?
それはその女性がとにかくコミ二ケーションに優れているのである
何も取柄がないようでそれだけは感心する、ただ悪い方になるとクレマーになる
底辺層だから下の者にはうるさくなる、鬱憤をはらす対象になるからだ

いづれにしろ開業医は相当に医療の技術が劣っていることは間違いない
医療には医者の腕には相当な差がある、それは必ずしも出身大学では決まらない
職業には常に適性がありそれで決まる、手術がうまいというとき生まれつき器用な人がいてそうなる、一流大学でもそういう器用さがない人はうまくなれないのである
そうして医療技術の差が怖いのは命にかかわるからである
だから江戸時代でも目が悪い人が栄養の関係で多かった
それで優秀な医者を求めて遠くまで行って診てもらっていたのである

とにかく医者の技量の差は大きい、例えば認知症に家族がなったとき頭の写真をとったが三万かかった、その機械ではまず脳の写真はとれないのである
脳の写真をとれる診れる機械は福島県では郡山市とか二か所しかないのである
ではなぜ脳の写真をとれないのにとったのか?
それは金をとるためでしかなかったのである
それで保険料も入るから楽に10万以上は収入となるからである
今病院でも設備とか機械に金がかかるから薬でもいらない薬を飲まされたりしてかえって病気を悪くしたりすることがある
開業医は専門医からすると相当に劣っていることは確かである
でも田舎だとまずそんな設備の整った優れた医者のいる病院ではみてもらえないのである、まず医者自体が選ぶことができないのである
田舎で損なのは十分な医療が受けられないことなのである。

都会ではなんでも競争が激しい、だから新しいもの店でもそれがいいものなら客が入り一躍有名になり金持ちにもなれる、でもその盛衰が激しいのである
だめならもうすぐにつぶれるとなる、だから都会からいいものが生まれる
医者だって山ほどいるのだから選ばれる
それで今なら優しい医者がいいとなれば医者だって威張っていられない、優しい医者が病院でも選ぶともなる
それは田舎と違って医者でも選ぶことができるからである
自分と合わないとなれば別な医者をいくらでも選べるからである

仙台の医者でも熱心である、ドイツにも研修に行っている
前はドイツ語で診断書を書いていたが今は英語になっている
つまり医療の中心は技術はアメリカが上になったからである
開業医ではドイツまで行ったりしないだろう
そこに病院との専門医者との差が大きいのである
そもそもどうしても仙台の病院から東京の病院まで行かねばならないのかわからないからだ
仙台と東京でも医者に関してはそれだけの差があるということになる

地方だと前はもっといろいろなことで損していた、自分の場合は本を買うことができず知識の分野では相当なハンディキャップだったとことを知った
今はアマゾンでボタン一つで古本でもなんでも買えるから知識の分野では差別がなくなったのである
この前ロングパンツを買ったが千円でいいものだった、それはこの辺で売っていないものだった、だから得だったと思う、でも合わないものがあったりしたから着るものは問題がある
でも明らかに田舎では依然として売っていないものがある
衣服関係は種類が多いからそうなる

とにかく東京に医者が集まるというのは待遇でもそうだし医者にとっては地方はいいものではないことはわかる
技術をみがけないし先進医療もできないとなるからだ
でも南相馬市立病院の脳外科の脳出血関係の専門病棟ができたのは手術のうまい優れた医者がいて副医院長になっていて若い医者が習いに集まるからである
だから地方の病院でもそういうことがある
ただ断然東京に優れた医者が集まるし若い医者も集まる
それはまた医局制度が悪いものとされたがそれが廃止されて地方に優秀な医者は来ない、東京に集まるというのが問題なのである。



2018年09月19日

東京まで行って医者に診てもらう人


東京まで行って医者に診てもらう人

腰が悪いと前々から医者に行っていた、仙台の医者にも行った、そこは前に小野田病院にいた医者であった、その医者が今度は東京の医者に診てもらいという
その医者は同じ大学で弟子にあたるとかで連絡をとったという
その病院にはこの辺にはない機械があるから良くみてもらいという
それで連絡して薬をだすようにするという

それにしても東京に行くというのは大変である
良く福島医大に通っていた人はいた
それで一番近道を知っていて通っていた
今は高速ができたから早くなる
とにかく病気というのはいろいろあり難病があると仙台でも直せないのか?
わからない病気があるのかとなる
一人は白内障手術したけどもう二か月入院している
それは糖尿病であり手術のうまい医者にみてもらっているからである

その女性の息子は実は今東京の八王子で働いている、でも息子には合わない
援助もしてもらえない、そして常に自分が金を出すことになる
でもそんな人を雇うとどうなるのか?仕事してもらっているのではない
ただ援助しているだけだとなる、へたすると介護までさせられるようになるかもしれないただ仙台の医者は金がないと言ったら一万貸してくれるとまで言っているという
そこまで金の心配までしてくれのかとなる
ただその女性の性格がそうしてめんどうみてもらうようなコミ二ケーションができることには感心している、だからこそそこまでしてくれともなる
自分等は医者でもそんなコミ二ケーションができないからである
そういうコミ二ケーションできる人は助けてもらえることがあるからだ

東京まで行くとなると常磐高速でさくらバスが出ていて5時間くらいで行ける
その人はバスは気にならないらしい、自分も乗りたいと思ったが何か疲れるので東京にも行きたくなくなったのである。
とにかく現代とはもう広域社会である、ええ、金もないのに東京まで行って医者に診てもらうのかとなる
知っている人は東京の親戚を頼り人間ドックに入った
東京だと違うとなるからだ、人間は病気になれば藁をつかむ思いでなんでも頼る
だから東京までも行くとなる
福島医大に仙台の医者から行くなと言われたという、実験材料にされるから行くなと言われたという、それで東京まで行く
ただこれも一面贅沢だなとは思う

ともかく病気の人が高齢化社会では増える、それで医療費とか福祉の負担も増えるのである、何らかの病気になる人が増えてくるからだ
それで昨日のNHKで縁切り自殺のことを放送してい
その人は67歳ですい臓がんになり東京で自殺したのである
それは東京だと行方不明者となり無縁仏として始末されるから迷惑にならないからだという、その人は迷惑になることを相当に気にしていたである
治療費も一か月5万かかるとかで気にしていた
何かそういう考えるのもわかる、ただその人は身寄りがないというのではない
一応内縁の妻とかいたのである、もう一人の人はちゃんと夫もいたのに
突然行方不明となり自殺して消えたのである

人間は最後は介護とかなったら長い、普通に5年くらいはかかる
そしたら身よりがないとなったら誰が世話するのか?
他人は金にしか興味がないからだ
それなら一層死にたいとなる、猫は死ぬ時期になると行方くらますという
人間だってそうなりたい、自殺はすすめられないがあまりにも今は死ぬことが簡単ではない、助けられるのはいいが介護になったら世話する人がいないのだからかえって苦しむだけだからである
おそらく今までは介護といっても一年くらいだったろう
でも戦前でも脳梗塞だと5年生きたとか知っている
その時おむつもなく藁でしていたという、そんなでも5年生きていたとなる

人間は最後はたいがい悲惨である、金があっても直らない病気がある
もし病気が直るなら誰でも金があればいくらでも出すとなってしまう
その人はそもそも東京まで直るのかどうかわからない
ただ医者がそれほど親身になってくれるということで行くという
でも自分にも常に負担になるから困るとなる

2018年09月15日

金をめぐる結末 (認知症になり金のことがわからなくなった)


金をめぐる結末

(認知症になり金のことがわからなくなった)

家族二人はある時金で激しく争ったし金をためていた
一人は思った以上ためていた、それで驚いたということもある
今は誰でもそうだが金を第一の価値としていたことには変わりない
では結果的に最後はどうなったのか?

二人とも認知症になった
そして金のことがわからなくなった
銀行から金をおろせなくなった
通帳とハンコをもってゆけばおろせたのだがそれがわからなくなった
できなくて銀行員に笑われたのである
そのことも驚きだった

人間いくら金をためていても認知症になったから自分の金さえ銀行から下せないし
金のことがわからなくなる
金をためこんでいても金のことがわからなくなる
これは何なのだろうとなる
ただ最後まで金にはこだわっていた、金が大事なことは知っていたようだ
でも自分がためた金をどうすることもできなくなっていたのだ
金のことが証書にしても通帳にしてもその意味していることがわからなくなったからである
だからこれも信じられないことだったのである
そんなことがありえるのかという驚きだった

次にもう一人も認知症になった
こつこつと一円も無駄にせず金をためていた
大正生まれであり働くことしか関心がない、何か趣味などはない
だから家事を94歳までしていたのである
遂に寝たきりになりボケた、認知症になった

そして大金を盗まれたことを言った
その金額は実際相当な額だったのである
でもそれを言ったら笑っていたのである。
これも信じられないことである
一円にこだわり何も使わない人がそんな大金を盗まれて笑っていたのである
認知症になり金にこだわらなくなったのである

そもそも金、金、金・・とこだわってきたのにこんなことになることは何なのだろうか?これも不可解なことである
ただ金のことがわからなくなったということでもなかった
どういうわけか死ぬ一二か月前に孫にいくらやれと自分に支持したからである
それが遺言になって私はそれを実行した
その時正気にもどってそう言ったのである

人間はどれだけ金にこだわり生きているか?
金が今や生活のすべてだともなる、でもその最後に金のことがわからなくなる?
これも信じられないことである

死ぬときはもう金のことばどうでもいいとなるのか?
認知症にして金のことは忘れさせるのか?
大金を盗まれても笑っているのがそうである
あんなに一円にもこだわっていてこつこつためた金を盗まれても笑っていたのである
もし正気だったらどうなったのか?
両方とも恐ろしいことになったかもしれない

一人異常に気が強いから何か事件にもなったかもしれない
でも最後の金の結末は金のことを知るにもわからない、そしてどうでも良くなり笑っていたという不思議である
人間は最後死ぬときになると金のことなどどうでもよくなることなのか?
ただ遺産を狙う人はそうではない、その人は金のことに無頓着わからなくなっても
遺産をもっているとなるとそのために認知症になっても人はその人にまとわりついて金をとろうとするのである

そうなった人を知っている、その人の悲劇は娘でも実際には育てた言えないからである
母親という感情がない娘である、なぜならその娘は育ての親が病気になったとき
何もしない、ただ幸いにその育ての親は病気ですぐ死んだ
だから介護もなにもなかった、娘は何もしない、そして「ひどい娘だわ」と言って死んだのである
その娘は今実の母親を施設にあづけているけど何の愛情もない
ただ金があるので金が目当てなだけなのである
金があるからかかわっているだけなのである

ともかく人間は今は金をめぐって泣き笑いがあり金にまつわり事件がある
でも最後に金の結末はどうなったのか?
二人とも認知症になり金のことがわからなくなったというのも皮肉だ
それも神の計らいなのか?神からの罰なのか?
人間死ぬときになったらもう金のことは関係ないとなるのか?
いい方に見れば死ぬときは金から解放されるとなるのか?
ただ地獄の沙汰も金次第となり金から離れられないのが人間である
ようやく屍となり金から離れるとなる
金の心配はなくなるとなる 

結局人間は悲劇であり喜劇であるのもまた結末なのである 
人間にとって何が大事なのか?
それはみんな金だと思っている
だから金にこだわりつづけて生きる
でも最後に死ぬときに金は何の用もたさなくなった
なぜなら金のことがわからなくなったからである
それは認知症になってわからなくなったからである
本当はそこで金にだけ価値とすることがすべて崩れたともなる
家族なら金で結ばれているのではない、愛情で結ばれているのが家族だからである

でも人間は金にこだわる、金が親子でも家族でもかかわる
その金によって愛情で結ばれている家族が分断されるのである
金によって人間は争い分断される、それはこの辺の原発事故の補償金で分断されたことでもわかる、結局金は欲でありその欲によって争うことになる
でも認知症になると金のことがわからないのだからどうにもならない
銀行から金をためこんでいてもおろせない、これほどショックなことはない
つまり全く金にこだわっていても無力化したのである
人間死ぬときとかになると無力化されるのかもしれない
もう老化したり認知症になることは死ぬということは無力化することである
ある意味で白痴になることでもある、最後人間はどんな人でも無力化される
それが人間の最後であったともなる


2018年09月13日

岡和田から横浜に移り住んだ老人 (都会で増える “呼び寄せ高齢者)


岡和田から横浜に移り住んだ老人 

(都会で増える “呼び寄せ高齢者)

そもそも兄弟の数が減っているので、地方にすら子どもが残っていないから、都市に出ている子どもが世話をしなきゃいけなくなるという。
また一方で、遠距離介護とは違って、Uターンをして介護をするということも、これまであったと思うんですけれども、特にここ10年ぐらい、地方の経済が非常に疲弊していまして、Uターンをして介護をしようにも仕事が見つからない。


その人は電車で来たのではない、車で駅に来たのである、駅には車の人も来るのである
男が二人に老女が一人だった
その老女は私は岡和田に住んでいたんですよと言った
横浜の息子の所に移住したのである
誰もめんどうみるものがなく故郷に住んでいられないで娘や息子の住んでいる場所に引き取られる老人も増えている
逆に老親が故郷に住んでいて横浜から娘が移り住んだ人もいた
それは特別な事情があったからである

なぜこういうことが起きるのか?
知っている人で二人とも娘がいるのだが東京に住んでいる
すると老夫婦でも取り残されたり一方が死んだりすると一人になる
するとめんどうみる人がいなくなる
すると娘とか息子の住んでいる所にひきとられるのである

そうなる人も多いのである、それは結婚は広域的になっているからだ
それで息子であれ娘であれ遠くに住む、ばらばらになっているのが多いのである
昔は実家が長男が継ぐとか実家を守る人がいたが今はいない
それで跡継ぎがいなくて墓じまいしたとかなる
墓も実家があって守られるがそれがなくなると墓も守る人がいなくなるのである
この前は駅前の老女も日立市の甥子の所にひきとられた
そこは空き家になった、そういう人も増えているのだ

広域社会というのはグロ−バル社会でもそうだが物資の流通は盛んになる
でも人間の交流は離れた時点で疎遠になるのである
それは家族でも血縁でも同じなのである
では地元で故郷で誰か周りでめんどうみるかとなると田舎でもいないのである
隣近所で助け合うなど今はない、田舎でも金の世の中になればそうなる

何かこの辺で原発事故以後家族がばらばらになったというとき飯館村の人が嫁の実家の京都に移り住んだとか普通にある、結婚も広域的だからそうなる
そして住み慣れたところを離れてゆくのはつらいともなる
そして農村社会であり田舎なら人のつながりがあると思うがなくなっているのだ
盛んに絆が言われたがむしろ外部との絆は生まれたのである
内部の絆はこの辺は補償金問題とかで分断された
それは広域社会になると外部とのつながりは交通の発達で生まれた
でも内部でのつながりは希薄化したのである

ただ遠くの親戚より近くの他人という諺は今でも生きている
何か困ったことがあったら遠くになると簡単に来ることはできない
結局老親でも近くに息子娘の住んでいる場所に引き取る他ないとなるのである
遠くにいてはめんどうみれないからである
つまり広域社会であれグロ−バル社会であれ矛盾を生んでいる
田舎に住んでいた人が東京とかで暮らすのは年取ってからは嫌だしそれで精神を病むということもあるだろう
これも現代社会の矛盾なのである

2018年07月24日

高齢化社会で目が悪い人が増える (老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


高齢化社会で目が悪い人が増える

(老眼鏡や補聴器は高齢化で確実に売れる商品)


家に来る人は目が悪い、まだ70前でもそである、前に知った人は緑内障だった
今度来た生協の人も60以上であり注文することで聞いたが目が悪く教えることがすぐにできなかった、明るい所でないと見えないと言った
80の人は白内障の手術をする
生協の人は相馬市から来ていて営業に来た人も老人だった
ここでも老人社会になったということがわかる
60代で目が悪い人が多いとなと思った

自分は近視で眼鏡をかけているけど毎日パソコンしているけど目が悪くなっていないのは不思議である、パソコンは目に相当に悪いからである
スマホなども字が小さいから目に相当悪い、若い人でも悪い、何かスマホは視野狭窄になるような気がする、パソコンは画面が広いから字見るのでも違っている

今日注文したのはサングラスで透明のものである、それが2000円で頼まれたのである女性用と男性用を頼まれたのである。
畑で仕事するから日ざしを受けるから必要なのである
今年は暑いからこうした暑さ対策のものが売れるだろう
自分は6リットル入るタンクをアマゾンで注文した,冷凍機能もあるらしい
氷をいれておくとか麦茶を作るにはいいらしい
何しろ水道の水は使えないのでペットボトルを使うからめんどうになる

この辺は35度とかにはなっていないからなんとかしのげる
暑いとか寒いとかこれは住む場所に影響する
浜通りは暑からず寒からずでいいのである。気候だけは推奨できる場所である
一山越えたら福島市になると蒸し風呂である、そんな所に住みたくないのである
体力的に弱い人は気候を選ぶことが大事である
老人になって移住するにも夏の暑さとか冬の寒さを考慮しない失敗するだろう

このように高齢化社会は目が悪くなる人が増える、するとそこで消費が生まれる
眼科医とかが繁盛するようになる
眼鏡類でも老眼関係が売れるとかなる
まず老人は消費力がなくなる、自分も登山しようかとかザックを買ったが行けないので損した、自転車で遠くに行くために電動自転車の長距離用を買いたいと思ったが体力的にも家の関係でも留守にできないとかで行けない
つまり今までしていたことができなくなる
そしてつくづく今のはやりのものでも買うことがむずかしいなと思った
それが何なのかわからなくなり使いこなせないのである
パソコンしていてもスマホはまた別で使いこなせない
それで老人は不利になるのである
今回の西日本の洪水でも死んだ人は7割以上は60歳以上とかだった
津波で死んだ人たちも老人が多かった、何か機敏に老人は反応できないからである

視力が弱まることで周囲の状況が見えづらくなり、適切な判断ができなくなることです。また、反射神経も衰えるので、素早い反応ができずに慌てたことが原因で、ブレーキとアクセルを踏み間違うというケースも増えてしまうのです

高齢化社会で売れるものは何なのか?
老眼の眼鏡とかは売れる、,確実に目が悪くなる人が増えるからである
前にも5万で家族に買ったがそれは使いないで終わった
それは耳が悪くなるからと補聴器を買ったがこれもうまく合わないのである
これは高いから気をつけるべきである、高いのでも10万とかするものでも合わないものが多いからである
ただこういうものは高齢化で需要がありどうしても金がかかるとしても買わざるを得ないから売れるのである   

生協は冷凍のオカズだから何かオカズを用意できないときレンジでちんだから便利であるまずオカズを用意するのがめんどうなのである
ただたいがいスーパーに売られているものでだぶる、値段も安くない
でも冷凍食品は料理するのに簡単だからそこに利便性がある
電気も生協で売るようになった、いろいろな電源を利用するから安くなるという
ただ一年で2000円安いだけでは変えるのもめんどうだとなる
その後のサービスも心配であるが修理とかはみんな東北電力でするというからどうなっているのかわからない、生協は配達にくるからそれも相馬市の人だから何か頼めるということがあるかもしれない、やはり家に来る人は意外と一人暮らしでは頼もしく感じる
そこが家に来る人が銀行でも回って歩くと違ったものになり信頼したりする
でもそれを銀行では利用して投資信託をうりつけたのである。
だから必ずしも家に直接来る人が信頼はできない
ただ生協などは注文したものを配達するだけでありいつでもやめることができる

銀行なども信頼関係が大事である、でも投資信託などを売りつけるということで信頼できなくなった、そうなると直接来てもこの人は信用できないとか銀行でも信頼できなくなるのである。
もしかしたら生協は配達する者営業する者も老人だから老人関係に特化するものを売れば売れるかもしれないとなる、老人にサービスするものが売れる時代だともなる
老人が貧乏だとしても需要があるから売れるとなる
どうししても必要なものは買うことがあるからだ

2018年07月05日

近くの同年代の人は要支援なのだろう (金がなくて援助が頼めない)


近くの同年代の人は要支援なのだろう

(金がなくて援助が頼めない)

介護施設を利用する際にかかる居住費・食費は保険対象外の全額自己負担となり、これを理由に特養への入居をあきらめる人が増えたという。

要介護状態の利用者が、要支援状態の利用者が多すぎて、本来のサービスが受けられなくなることへの対策という部分が強いように思われます。

要支援が要介護に統合されるのではありません。
介護予防サービスが市区町村の自主サービスになり、介護保険サービスから外れるのです

その人は近くで同年代でありその親と自分の親とは親しかった、でも死んだ
その時はヘルパ−がきていた、農協関係なので来ていた
その後その人は脳梗塞になり足が悪くなった、買い物でも車が運転できるので一人で足をひきずりきている
その人も一人暮らしだが弟が隣の市にいてめんどうみている
でもうまくいかないとか言っている

そして自分のことを一人女性に手伝ってもらっているからうらやましがっている
その人はその女性の前の夫とかと仕事をして知っていたのである。
何か手伝ってもらいたいことがある、でも金がないからできないとかいう

でも自分にしても手伝ってもらうにしてもその女性は三日に一回皿を何枚か洗うだけなのである、その他は一切何もしない、でもその人自体が貧乏だから金をせびられる
あんなふうに遠慮なく金をせびる人もいるのかと思う
その人に自分は手伝ってもらう必要はない、家事は今は全部できる
でも誰も来ないよりはいいと思って金を出している
ただ外から見ているとあの人は金があるからお手伝いさんを雇えるなのだとみる
その人はそう見ている
それは足が悪くて苦しいからそう見るようになる

考えてみれば確かにもし市町村から支援を受けるとしたらその人は優先される、家事を多少手伝ってくれる人が派遣される、要支援になっている
でも要支援が廃止されたから援助が受けられない
ただその人には弟がいるとき今はその弟が支援してくれ介護してくれとこれからなる
介護は誰かに押し付けられそれがやはり兄弟となるとそうなる
現実的には誰も他人が介護したりしない
そしておそらく弟もやっかいだからもめているとなるとこれから重症になったらどうなるのか?

「金があればできるのにな」というがその金でも相当な金持ちでないとお手伝いさんすら頼めない、皿二三枚洗って…円も払わなければならないのか?
自分はやめたいと思っている、その女性も年でありいつもどこが痛いとかいい医者通いであり貧乏なのである。障害者もかかえてその世話に追われている
第一金がないのだから金のない所には行かない
その人のことは知っていても声をかけるが行かない、その負担を背負いようがないからだただ自分のしていることくらいはできる、でも金にならないから行かないのである。

こうして金がないと皿二三枚すら洗ってもらいないというが自分の所に来た親戚というものではないがその人たちは自分が苦しい時でも皿二三枚も洗わなかったのである。
なんの援助もしたくない、借金した人は金を要求して脅迫するまでになる
あとは金をとろうとして現実にそうなって大金を失った
そこに金目当てしかないのである。だから金があっても非常に家に入れることは危険極まりないとなる、へたするとその金のために殺されるともなるし現実にそうなっている
和歌山のドンファンが殺されたのもそのためである。
金の恐ろしさがそこにあった

介護保険とは金のあるなしでなく公平に援助するという制度である。つまり金のある人はある程度お手伝いさんを頼める,でもそれは今では大金持ちしかできない
そしてお手伝いさんを頼むにしても現代では危険がつきまとっているのである。
だからこの世は金だけではなんでも解決しない,一見確かに金をやればなんでもしてくれるではないかというがそうでもない,金だけならその金をねらわれるからだ
動機が金だけになるからそうなりやすいのである。
そこに何かそもそもあわれむとか助ける気持ちがないからである。
福祉とは営利だけではやれないことでありそこに問題が生じている
でも貧乏な人は金が欲しいからするのである
それが動機にならざるをえない、金にならなければ貧乏な人は生活に困っているのだから他者を援助できないのである。

つまり福祉とは確かに金ではあるが金だけでは解決しないことがある
でも金だとみんな思っている、介護士がたりないのは給料が安いからだとなる
なんにも得られないなら人はなにもしてくれないというのも現実なのである。
また介護の仕事をしてそこで得られものは何なのか?それも問題になる
仕事がいろいろあり若い内ならスキルを磨く、仕事に生きがいを見出すとかあるが介護にはないとしたら仕事そのものがつまらない得るものがないとしたらやる人もいない
では金をもらえばやるというとき福祉にはその動機だと勤まらないとなる

福祉が金の世界になるとどうなるのか?
極端な話、水一杯やるから10万出せとかにもなる、これを運んでやるから10万やれとかなる、なにかちょっとしたことでもしてもらうのにそうなる、
お前にはそれだけの金があるから払えるだろうと脅迫されるのである。
福祉が金だけが動機だったら極端でもそうなるのである。
そして逆に金の払えない奴はなにもしないとなるのである

ただ別に元気な老人はいくらでもいる、パ‐クゴルフ場ではそうした暇な老人であふれているし復興住宅に入っている避難者でも遊んでいる
仮設の時も自分も介護だったがそんなこと関心がなく毎日パチンコ通いだった
つまり人材がいないわけではない、きつい仕事ができないにしろ元気な老人はいる
でもその人たちはそうして要支援のような人を助けるかといったらしないのである。
介護は誰もしたくないのである。ただ軽い内ならちょっと手伝うことくらいはできるかもしれない、でもそれすらしない、自分の所に来た人たでもそうである
借金しているからパチンコ屋で働いていて余裕がない、自分の家に来てもなにもしない
ただ金をくれというだけである、その人も余裕がないからそうなる
第一他人の家に来て皿を洗うとかなると普通に暮らしている人はしない
特別貧乏な人がやむをえなくしているのである。
だからそういう人は問題あるにしろありがたいともなるのだ
なぜなら誰も他人の家に来て皿二三枚でも洗ってくれないからである。

これまでこんなことは考えもしなかった、なぜなら食事は三食常に用意されていたし
家事もしない、買い物はしていたが後は何もしなかったからである。
だからこれもつくづく自分のカルマだと自覚した
何か自由に旅行したが今は家に誰もいなくなるのでできない、誰も家を守るものもいないからだ、留守にできないからだ、これも何か自分のカルマだったなと思う
楽していることもやがて必ず苦となりカルマを自覚するのである。

ともかく福祉というとき本当は競争社会に生きてきたのとは違うものが要求されている、助け合いとか相互扶助とかが要求される
それを立派な施設に金をかけたりそこで今度は介護士を雇うとか金がかかる、要支援段階くらいだと相互扶助の近隣とかの助け合いでやれるかもしれない、でもそれすら今はない、共同体とかがない、するとすべて金頼みとなる
結果的に国でもそんなに金を払えないとなるのである。国の金はまた国民の税金なのである。
国民もすると税金をそんなに使わないようにするには要支援とかの軽い段階で助け合いした方が節約になる
ただそんなことを考える人はいない、そもそもみんな自分のことしか考えない、そして金の社会だから金を得ればいいとしかない、


2018年07月03日

介護で亀裂する家族 (義母の介護を嫁はできない)


介護で亀裂する家族

(義母の介護を嫁はできない)

「老親の世話や介護というのは、突き詰めれば『親をとるか、妻をとるか』という究極の選択でもあります。あらかじめ自分自身がどちらをとるべきか考えておいたほうがいいでしょう。いざ、という時になると判断が鈍ってしまうものです。

そしてもし夫が妻ではなく親を選んだ場合、妻にとって夫婦関係を続けていく理由はなくなります。だから、夫は捨てられてしまうのです。

お義母さんは絶対にイヤ。お義母さんをとるか私をとるか、きちんと答えを出して。場合によっては離婚です』、妻からこうつきつけられています


人間は家族でもつくづくうまくいかない、妻がいれば介護でも義母でも助かると思う
なぜなら自分は一人で二人を介護したからである。
その時何の助けもない,ただその弱みにつけこまれて犯罪にあい責められるだけだった
もし妻がいればそうはならなかったのである。
そのことで私は反省した、それも自分のカルマだったと自覚した
しかし一方で妻がいてもうまくいっていない、姑とは結婚してもうまくいかない
そのことが尾を引いて介護もうまくできないのである

義母さんをとるか私をとるか?

こんなことを夫に迫られる、家族なのにむごいと思う
自分の場合は二人とも大事でありそういう選択はなかった
そういうのが家族なのか?
ここに家族が血縁でも結婚しても愛あるものとはならない
人間の家族とはそういう宿命を背負っている
子にとって親であっても嫁ぎ先の親は親ではないのである。
こうなると自分の家族にも平和がなかったが家族というものにそもそも平和がありえないともなる、夫がそう思っても妻はそう思っていない
そして夫の実家の墓に入りたくないという女性が三分の一もいるのである
それは義母と一緒の墓に入りたくないからである
そういうことを自分の家族でも経験したからそれはどこの家族でもありえることなのだと実感した
自分の問題は自分の特赦な家庭問題だと思っていたが特殊ではなく普遍的な家族の問題としてあったともなる

結婚しても義母は嫁にとって母になりえないということが深刻なのである。
また義母にとって娘とはなりえないことが介護とかなると露骨に現れる
介護はやはりそれだけ負担が大きいからそうなってしまう
実の母なら介護するが義母は嫌だとなる

だから結婚とはなになのか?それも自分には結婚していないからわからないが家族にはみんな共通した問題として嫁と姑の問題がある
それとも違うがそれとにたことで60年間共に生活しても苦しんできたのが自分だったからである。

つまり人間の結婚とかそこから形成される家族とか自体に問題がある
それは肉の結合でありだからこそ宗教ではそれを否定して出家していたのである。
家族はどこでもこうした問題があり平和がない、それでは家族がないとするとどうなるのか?身寄りのないものはこの非情な世の中で最大の恐怖を生きることになる
誰も親身になり助けるものいていからだ
妻がいれば助ける、でもいなければいかに人間が非情の世界に突き落とされるか実際に経験した,、他人とは金意外何のつながりもない社会である
あいつ死んだらいくら金残しているのかそれしか関心がないのである

でもまた結婚して妻がいてもこうして何かうまくいかない、人間そもそも何かかにか問題をかかえている、一番多いのは金の問題である。
その他にもみんなそれぞれ問題をかかえている
金があっても病気があると金ですべての問題が解決されないのである。
人間は何かがたりない、あらゆるものが満たされている人は一人もいない
何かしらたりないものがありそのことで苦しんでいる
「俺はなんにも困らない」という人はありえないのだ
そう今言っていても一転してドン底に落ちることがありうるのも人間なのである。

人間は何かが足りない、だから足りないものを補い合うというた態度が必要になる
才能でもなんでもそうである、まずあらゆる能力をもっている人などいないからである。社会はそうして様々な能力を活かして補い合い機能している
男女でもそもそもそうだろう、男にたりないものを女性が補い、女性に足りないものを男性が補っている、人間はなぜそうしてたりないものなのか?
それは人間同士が協力しあうようにするためだともなる、何でも満ち足りていれば弱さもなければ協力しあう必要もないからである。

いづれにしろ介護とかでは家族の問題がどこでも噴出する
それは介護が負担が大きいからである。その負担を負わされるのが嫁でも嫌になるからである。それで私をとるのは義母をとるのとかむごい選択を強いられる
それが家族なのか?でも現実はそうなのである
自分の場合は子であるし良くされたからそうした選択はなかった
だからつくづく人間は家族でもうまくいかない、そもそも家族が何なのか?
それに疑問をもったから宗教では出家したのである。
家族が血縁でもそれが本当に愛があるのかとなるとそうではない
まず私をとるのかと義母をとるのかとなど家族だったら強いたりしないからだ
どっちも掛け替えのない家族だから大事にしますよとなるのからだ
それができないということは結婚でも家族でも本当の家族なのかという疑問になる

結局結婚しても結婚しなくても人間は問題をなにかしら問題をかかえる
子供をもっても問題をかかえる、では独り身がいいとかなるとこれもは過酷だとなる
人間はそれぞれのカルマを背負って生きるとなる
そのカルマは人間が生まれと同時に原罪のように背負わされていて解消できないのであるようやく死んでカルマ解放されるとなる

人間はいいことがあると悪いことがある

結婚はいいものであるがまた悪いものである、このように悪いことももたらす,でも独身がいいわけではない、いいことと悪いことをもたらす、人間はいいと思うことには必ず悪いことがともなっているのである
金があるのはいいことだけど反面金があると金だけをねらいよってくる人がいるし犯罪にもあったりする
それはあらゆるところでそうなのである。ではなぜそうそうなっているのか?
それが人間がいくらいいものを幸福を求めてもそれは達成されないということである
それは科学技術がいくら発展して便利になってもそうなのである。
そういうふうに神が人間を作ったとしかいいようがないのである。

だからキリストが言った、悲しむ者は幸いである 人間はいくら幸福を求めても達成できない、そして必ず悲しむ者となる
むしろ悲しむ者が幸いなのである。それは不幸が幸いだとも言っている理解しがたいものなのである
そして人間は悲劇に終わるようにできている、それは人間はこうして結婚しても親と妻である私をとるのとか選択を強いることでもわかる、家族として一つになりえないのである
それは家族だけではない、絶え間ない国と国の争いでもそうでありそこに日本だと3百万人が死んだとか犠牲になる
まさにその人たちも悲しんで死んだとなるからだ

ただこの悲しむこと人間のドラマが悲劇に終わることに深い意味が与えられている
ドラマにしてもハッピィエンドに終わるドラマは何か深い意味を与えない、それでシェークスピアの作品が悲劇をテーマにしていることもわかる、悲劇によって人間の生きる深い意味を理解する、それによって人間は考えさせられる
ハッピィエンドだったら何も考えないからである、だからこうしてなぜ家族すら和合しない、平和がないのかとなるのだ

2018年07月02日

団塊の世代の親が死に同世代も死んでゆく (一人暮らしが増えてゆく)


団塊の世代の親が死に同世代も死んでゆく

(一人暮らしが増えてゆく)

その人は子供の時から家の近くに住んでいた、その親も知っていた
ただその後は言葉も交わさない、でも自分の親が介護になったとき
その人が同じ病院で親を介護していたのである。
脳卒中だった、だからこれから介護が長いなと見ていた
でも今日スーパ−であったら親も88歳で死んで妻も68歳で死んだという
その人も一人暮らしになったのである。
そこにまたいたのが近くの一回脳梗塞で足がマヒした人だった
それは同世代でありその人も親が死んだ、その人の親とは自分の親は親しかった
その人は一人だけで原町に弟がいて一週間に一回見にきている
でもう。まくいってないとこぼししていた
何か世話するのが嫌なのかもしれない

子供の時から知っている人が死ぬとやはりあの人も死んだのかとなる
親戚も多い人は毎月お悔みが増える、それが田舎では大変なのである。
自分はほとんどつきあいがなしお悔みも断った
そのお返しとかめんどうになるのである、葬儀もしないうというとき一人でやるのがめんどうになるからだ、介護でもそうだが一人は家事でも全部やらなければならないから負担なのである。
子供の時知っているということは一応他人でも無関心とはならない
ただ今日スーパ−で会った人は役所に勤めていたことは知っている
ずっとこの地に住んでいたのである
近くの人でここに最近移ってきた人は子供の時からいないから向かいの人が死んでも知らなかった、組にも入っていなかったからだろう
ただおばさんとかいてそっちの方の組に入っていたのだろう
そういう人は死んだことも知らないのである。

ともかく68歳で妻が死ぬということもある、そして一人暮らしになる
近くの子供の時から知っている女性も夫が60代で癌で死んだ
そして大きな家に一人暮らしなのである。
このように一人暮らしが増えてくる、これはどこでもそうだろう
団塊の世代の親でも次々に死んでゆく、向かいの女性は85歳だった
その人の親は88歳だった、姉は85歳で死んだ母は百歳で死んだ、脳梗塞で足が悪い人の母親は93歳くらいで死んだ
やはり85辺りになると死ぬ人が女性でも多いと思った
やはり寿命なのだろう

とにかくこんなに次々に知っている人でも死んでゆく、死の世代だともなる
2025年問題が騒がれているけど実感した、今度は親を介護して看取った団塊の世代が大量に病気になったりする、その数が多いからもう国ではめんどうみきれない、財政的にもめんどうみれないとなる、それが2025年問題である
古い家の郷土史をやはり研究している同級生も脳卒中になったが自転車で運動している
でも一回脳卒中になるとまたなるとか見ると弱って見える
この年だとみんな弱ってくる、そして一人だと心細くなる
ただみんな兄弟とか娘とか息子がいるのとは違ってくる
でも娘が東京にいるとか聞く人が二人いた、必ずしも田舎に住んではいないのである。
それもだから介護になったりすると問題である。
妻でも60代でも死ぬ人がいる、夫でも死ぬ人がいる,するとそこで一人になる人が多いのである

このことで問題にして本を出した人がいた、コンパクトシティを作るべきだというのもわかる、介護にしても福祉にしても離れていると一軒一軒回るのでも手間になるからだ
ともかく親でも知っている人でも次々に死んでゆく
死が日常的に感じる世代になった、そして同世代でも死んでいる人もいるし大量に死んでゆく時代になるのだ、その時都会では火葬場すら満員で利用できないとかの問題も起きている、数が多いからそんなことまで起きているのである。

2018年06月30日

2004年9月30日の俳句日記を読んでふりかえる (向かいの人の死で死を考える)


2004年9月30日の俳句日記を読んでふりかえる

(向かいの人の死で死を考える)

窓開けて隣に古き柿のなる

この辺は前も書いたがまるっきり昔の面影がない町になった。唯一残ったのが隣の古い柿の木である。これは自分の子供時代からあった。ほかは何もなくなった。その隣の家の人が最近死んだ。呆気なく死んだ。時々この窓から見ていたので死ぬとは思っていなかった話すこともなかった。東京の方へでて帰ってきた人だった。おくさんは東京の人だったがそれでもすでにここに長い、でも一言も話すことなく死んでしまった。ただこの柿の木は結局人間の寿命より長い、木の命は人間より長いから人間が死んでも残るのだ。人間がいなくなっても木は昔と同じように存在して柿が今年もなった。

2014−2015年 俳句日記より

隣の家は空家になっている、今は一時的に家を建てるための人が移り住んでいる
その人には息子か娘の夫婦がいて孫がいる
でも家が建ったらまた空家になる
その人の家は夫はこの町の生まれの人だった、嫁は東京の人だった
だから子供の時から知る人ではない、でも長くその家にいて自分の窓からその庭が見えた古い柿の木があり柿が実っていた、犬もいたが最後の三日くらい吠え続けて死んだ
犬も死ぬのが嫌だったのだろう
その女性は体が弱り買い物などを頼んでいたが遂に歩けなくなりいわき市の施設に息子夫婦が入れた、一か月18万とか高いことを言っていた、施設は実際そのくらい金がないと入れないのである。

何か過去をふりかえると不思議である。俳句日記を読んでも忘れている、その時のことが思い出せなくなり日記を読んで記憶をよみがえらす、2005年までは自分の姉は認知症になっていなかった、2006年から認知症になり介護生活がはじまった
その時は自分の家は平和だったのだ
そして自分は以前として家に引きこもっていて隣の家の庭を見ていたのである。
ふりかえると自分の生活は異常だった,なぜこうした生活ができたのか、それは特殊な家の環境のためにそうなったのだ、60年も家にひきこもった生活をしているのは異常だったし普通はできない、最近ニートとかいるから今はめずらしくない
ただ自分の場合は50歳から海外旅行していたからニートとはまた違っていた

この辺は変化はあまりにも激しかった、津波や原発事故の前でも住宅整備があり裏の畑や田んぼは整地されて住宅地になったからだ、その変化も大きかった
子供の時は真野川から水をひく水路がありそこで洗濯もしていたのだから信じられないとなる
人間はこんなに変わるものなのか、特に姉が認知症になりそれからは塗炭の苦しみが延々とつづいた、そのことは今度はプログに書いてきた
そしてなぜまたここに引用して書いたかというと数日前向かいの子供の時から知っている女性が死んだ、一週間前ほどに姿を見かけたので死ぬとは思わなかった
歩ける人が死ぬと思えなかったからだ、でも肺が悪くて血を吐いて死んだのである。

何かそのことが気にかかる、最後に言葉をかければよかったなとつくづく思う
そして近隣の人の死は何なのだろうと考える
何といっていいかわからないのだが死んだ人が何か言いたかった、そしてこの辺をまだ彷徨っていとなる、ただ向かいの人の夫婦は姿も見たこともないから関係ないとなる
でも死んだ女性のことは知っていた、その死が何か気にかかるのだ
家族の死でもないのになぜ気にかかるのか?

おそらく昔の死は村で共有していた、村の中でその死は孤立したものではなく死んでも共有されるものがあった、それで村人みんなで供養したりしたのだろう
そこに寺があり長く供養していた,寺は嫌だがそうして村の共同体が成り立っていた
その村の共同体がなくなると死は個々の死であり家族内とかの死であり近隣ですら関係ないものとなる、孤独死とか無縁社会というのも死者でもそれは近隣でも無縁化した死となる、死には個々の死がある、死ぬということは別に共同体とか社会と関係ないものとしてある、人間が死ぬ、そして灰になり消える,その衝撃は人間が生まれてから変わらないからである。その克服は別に共同体とも関係ないのである。
なぜならもう強固な共同体があったら死をまねがれるということでもないからである。

ただ死には共同体とかかわり社会的な死がある、人間は社会の中で死ぬのである
家族の中で死ぬのである。家族も社会とかかわりあり死がある
何か今回の向かいの人の死が自分にとって何なの考えさせられた
何か言い残したいことがあったのかなと思う、死の謎は個としての死と社会的な死があることは確かである。300万人の死は国家としての社会としての死であり個々の死ではなく社会的死としての問題なのである。

人間がそこに長く住むということは死を共有することになる、村というのは代々つづいているからだ、そこに先祖がいるといか感覚になる、先祖と結ばれるということはそこには村のような共同体があってこそそう感じる,それは理屈でなく一つの宗教にもなる
先祖崇拝がどこの民族でも起きていたからである。

でも現代のように生活が複雑化してそれぞれが孤立化したような社会になると共通の先祖を認識できるだろうか?
春になると御先祖様が山から下りてくるという思想は農業から生まれたのである。
葉(羽、端)山信仰もそうである。山から水が流れてきて春になると田植えがありそれで先祖が里におりてくるというときそれは農耕社会だから起きてきたことである
なぜなら農業社会だとみんな同じような生活をしていたからである
そこに共有するものが実際の生活でもあり精神的にある
そういう社会は死も共有していた、自然と抵抗なく共有できた
村では共同して農業をしていたからである。

だから墓友達などと今は同じ墓地に葬れられたいというけどなかなかなりにくい、つまり生の延長として死もあるからだ、社会的死というときもそうである。
だから現代は田舎でもみんなで死を共有して弔うということがない
葬儀屋にまかせるとはいうのも何か社会的死を専門化させてかたづけるとなるからだ
ただ正直村社会になると葬儀とかが本当にめんどうになるしそこに寺がかかわってきたらさらに金もかかるしめんどうになる、そもそも江戸時代のような社会とはあまりにも変化してそれもそぐほなくなったからだ
ただ死には社会的死がある、それは死というのが個としての死があっても社会的死となるのが人間だからである。動物だったら仲間が死んでも無関心だからである。

いづれにろ現代社会は死も共有できなくなった、その時先祖もなくなる、共通の先祖もなくなる、天皇が稲作の神であり大嘗祭をしていたときは共通の先祖として認識されていたのである。現代のような工業社会ではもう天皇でも共通の先祖として認識できなくなる
その時何が起きるのか?
国家や民族や街や村の解体が起きるのではないか?

津波や原発事故でこの辺が避難して町でも村でも人が住めなくなりもぬけの殻のようになったようになるのではないか?
死が共有できないことは先祖も共有できないことなのである。
つまり現代文明社会は便利さを追求してきたが様々なものを破壊してきた
それは何か目に目見えないものとして心の絆としてあったものも破壊した
金さえあればいいんだということが極端化して共同体でも破壊してきたのである。
それで死にすら意義を与えられなくなった、ただ個として孤立した死となる
孤独死とか無縁化というのは別に特殊な人ではなく社会全般の問題なのである。

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日本社会はすでに壊れているのではないか?
かえって遅れた国だと人と人のつながりが濃くなる
江戸時代がそうだった,長屋とかでもそうだった
ただメキシコが遅れた国とするとき孤立しているのか?
ヨ−ロッパでは先進国でも孤立していなのはなぜか?
宗教のためのなのか?でも宗教は否定されてきたのである。
ただ日本の状態は社会が壊れている、共同体が戦後は高度成長で経済第一主義となり金が第一主義となり破壊された、金があまりにも力をもちすぎた
社会があって金があるのではない、金があって社会があるとなってしまった

だから社会の絆もなくなり解体してゆく、金持ちが外国に貯金して何かあったら日本から出てゆくというときすでに金持ちは責任もなにも自覚していない
ただ金さえあれば世界のどこでも生活すればいいとなる
金だけの社会はそうなる,この辺でももともと一億円もらったら田舎なんか出てゆくのになと若い人が言う時そうだった、そして原発事故で避難民になって多額の補償金をもらったときいち早く出てゆき外に家を建てたのである
共同体の絆もなくなりそれが容易になっていたからではないか?
こんな簡単に村とか町が放射線が怖いとしても簡単になくなってしまうことが理解できないのである


2018年06月25日

病気や死んだ人の話が多くなる (老人が増え死ぬ人も増える)


病気や死んだ人の話が多くなる

(老人が増え死ぬ人も増える)

川の土手で自転車で走ってきたのは同級生だった、一回脳梗塞になりそれが助かったのである。体力的には弱ったがあのように自転車にのれることは回復したのである。
そして近くの知っている人がまた歩いてきた
組の人で死んだ女性は何歳だったか聞いたら84歳だったからそれなりの年だった

死因は肺血腫だった、肺の中に「血の塊」が出来る病気です。
原因は、外傷外圧・肺がん・肺結核・と色々あります

一週間前に歩いているのを見たのである。ただ血を吐いて死んだというからそういう病気だったのだろう,歩いているかと病気が治ったわかげではなかったのである
意外なのは肺炎で死ぬ人が四番目に多いのである。
老人は抵抗力がないからばい菌に弱くなっているからである

それから同級生の話をした、中学時代の話をした、双子の兄弟がいて二人とも死んだと聞いた、一人は同じクラスで慶応大学に入ったのは知っている
その後旺文社に入った、英語が得意で入ったが旺文社は倒産したという、でもまた立ち直ったとかともでている、出版社はどこも苦しくなっている
受験とか予備校とか浪人とか多かった時代は赤尾の豆単など売れたのだろう
今ならスマホで英語も勉強しているから時代が変わりすぎたのである。

田舎ではとにかく知的な仕事は会社はない、出版社だって仙台でもなかったろう
何か知的な仕事する場がない、博物館などがあるくらいだろう
そういう点で知的な仕事をしたいとなると田舎でそもそもないのである。
ただ二人とも死んだというのは信じられない,確認がとれないからである。
ただの噂かもしれないからだ

ただこの年になれば知っている人でも死ぬ人がとにかく増えてくる
親が介護になったり死ぬのも日常である、だからこの年になると病気と死んだ人の話になる、その死んだ女性のことを教えたのも74歳の男性だったのである。
その人も毎日散歩している,年は74歳だったから団塊の世代とは違う。

この年になると一生をふりかえる、それで小学でも中学でも高校でもその後どうなったのだろうとなる、同級会には行っていないからわからない
それでどういう人がいたのかもわからなくなる、ただその双子の兄弟は目立っていたから死んだよと言われたときあの人も死んだのかと驚いたのである。

その同級生は花とか園芸に興味があり庭いじりをしている、それは体に負担にならないからいいと思った、その人の庭を見て通るがバラが一杯咲いていた
その人は植木屋のように剪定する仕事が楽しいとか盆栽にも興味があるから老人にふさわしいとなる,ただ別に花に興味があるのは若いときでもある人はある
盆栽となるとなかなかないとなる、自分は高山植物でも見てあるいたし北海道には宋谷岬がありそこを自転車で旅した時ハクサンチドリが咲いていた
北海道は寒いから高山の花が咲くのである。

その人はまた郷土史とか歴史にも家が南北朝時代の争いで落ち延びた子孫だから興味をもっている
親立・・・となっていたから親がいて子がいる、その信頼される有力者が親になっていたとなる

もし信頼関係を築けないような人と頼母子講をしてしまっては自分がお金をもらう順番になる前に逃げられてしまうかもしれません

信頼関係が大事だからその金を集める親なる人は信用できる人だったとなる
その人の先祖関係でそういう人がいてその証書、証文が一枚一枚残っているという
その家は古いからそうした書類も残っていたとなる
それも郷土史とか金融関係の資料となる、つまり古い家にはそうした郷土史とかの資料になるものが残っているがその人が言うには水害があって流されたとか言っていた

それは真野川が氾濫して町全体に被害があったからである
その時自分の家は街で一番低い場所で大きな被害になったからである。
その後二回河川改修した結果水害がなくなった
でも津波の時は川をさかのぼってきてあふれるところだった
なぜならその下では水が土手を越えてあすれていたから危ない所だったのである。
だから河川改修はしておくべきなのである。

こんなことでまず資料も残りにくいのである。だから郷倉のような場所で村民の共同の意志があって資料も保存されていたのである。
それは村という強固な共同体があったからである。

他にもその人はいろいろ調べている、自分の家にそれだけ古いものがあるということはやはり歴史に興味をもつのである
その人の親も明治生まれだったというから随分年になってから生まれ人だと思った
そもそも明治生まれはもう生きていない、大正四年生まれの母も百歳で死んだ
明治生まれはもういないのである。
こういうふうに時代は急速に変わってゆくのである。
そして今やや老人となり過去をふりかえるようになるのである。  

タグ:頼母子講

2018年06月23日

近くの人の呆気ない死 (死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)


近くの人の呆気ない死

(死者は生き続ける、社会的意義あるものとしての死を考える)

一週間前くらいその人を家の前でみかけた、一時体が悪くて歩けなくなり姿を見なかったが歩けるようになり元気になったと喜んでいた
それから話していない、一週間前くらいに家の前に出たとき話していればよかった
なぜなら死ぬと思わなかったからだ

でも一週間前ほどに家の前歩いていた人が死ぬだろうか?
普通寝たきり何年とかで死んでゆく
どういう病気かわからないけどそういう死に方もある
その人の夫も急に体が悪くなり一週間ほど入院して死んだのである
その前まで仕事していたのである。

その女性のことは子供の時から知っている人であり世話になったこともあった
身近なのだけど体良くなって歩いているのだなと見ていた
だから別に気にもしない,死ぬなど思いもよらなかったのである。

人間の死に方はいろいろある、何年も介護されてなかなか死なない人もいる
何かこんなに呆気なく死ぬのかという人もいる
ただ何か近くで死ぬ人がいると呆気なく死ぬものだなといつも思う
80歳くらいだったのか?まだ平均寿命にはなっいないのか?

だんだん身近な人がこの年になると死んでゆくことは確かである
同級生でも60代一割が死んでゆくとか70代と二割が死んでゆくとかなる
そうなると常に死者に接する年となり死ぬのもめずらしくなくなる
その人はすぐ近くだからびっくりしたとなる

死者のことを自分も家族が全部死んで常に考えるようになった
若いとき死を毎日のように考えていた,父親を早く亡くしたのでそうなった
その時は死そのものについて考えていた
それで宗教とかに入ったがそこはカルトでありそんなこととは何の関係もない政治団体だった、宗教の最大の問題は死の問題であり死の問題の解決なくして宗教はありえないと思う、その他に無数の問題があるが死の問題を解決しなければ宗教はありえない

ただ老人になって両親とか家族を亡くして死者のことを考える思うというのはまた別である。
死の社会的意義なども考える、あの人は生きて何だったのか?何のために生きたのかとか社会的に何を残したのか?何かそんなことを死とともに考える
不思議なのことは自分の場合家族が死んでから死んだ人のことを考えるようになった
生きているときはさほど考えなかったのである。
これも不思議だなとつくづく思う
それもやはり人間の生は死んで断絶しないからである。

死者は死んで勤めを終えぬ
生者は残され死者を思う
そして生者の勤めは
供養してその死を意味あらしめること

人間の営みはねそういうものだった、一代だけで生は終わらない、継続しているのであるそれが人間の生の営みであり歴史となる
だから先祖というのを重んじない社会は浅博なものとなる
死者は生きつづける、しかし忘れることもできる、死者を活かすのは生者の勤めなのである。
原発避難区域の悲劇はもう死者は重んじられない、若い世代が去ったとき継続するものがなくなり死者は本当に捨てられる、誰も省みないとなる 
だからその時死者は行き場を失い幽鬼のようになり彷徨い成仏しないとなるのだ

ただ現代は死というのが社会的意義あるものとなりにくい,死を考えるとき共同体の中での死がなくなったからだろう、村のような共同体での死なら別である
それで日本では死んだ先祖が春には山から下りてくるという信仰にもなった
それは死者が先祖が村の中で生きているということなのである。
村全体で死を先祖とつながりをもっていたということなのである。

現代は先祖と断絶している社会である。それは共同体が喪失したからそうなった
死そのものの問題が先にあるが社会的意義としての死がその後にある
現代では社会的意義あるものとしての死が喪失した
そこに生の継続がなくなり歴史が断絶することにもなる、今死者が省みられない、社会的意義が与えられないことは結局今生きている人でも死ぬのだから省り見られないとなる
それは今生きている人の問題でもある

2018年05月19日

老人は熱中症に注意 (体力あるうちに登山でも旅でもしないとできなくなる)


老人は熱中症に注意

(体力あるうちに登山でも旅でもしないとできなくなる)

歳をとるにつれて体温調節への反応も遅くなります。暑いのに汗が出るのが遅れるため、体に熱がこもりがちです。汗腺の機能も低下傾向にあり、男性では七〇歳、女性では八〇歳を過ぎるとその傾向がはっきりしてきます。

去年もそうだが熱中症になった,一回小高の方に春に自転車で行ったときなった
これはかなり外で日にあったったからなった,春でも日ざしが強かった

それから熱中症気味になって一番ひどかったのは体がふるえたりした時だった
こんなことにはならなかった,暑さに弱くなった
特に紫外線は体に悪い,今回は浪江で三三度あったから異常に暑かった日ざしが強い
でも家の回りは歩いたが五時ころまで外に出なかった

でも熱中症のようになった,頭がもうろうとして眠気があり寝ていた
食欲もなく自分の場合は胃が悪くなる
もともと胃が弱いからである。夏はずっと食欲がない日が去年もつづいた

とにかく室内にいても熱中症になる,それは老化のせいなのである。
確かに汗をかかないのである。汗びっしょりになれば体の調節ができる
それで暑い国の人は汗を手足に出して調節しているから暑さに強いというのもうなづける暑さに強いからだが作られているのである。
日本は寒暖の差があるからそうはできない

人間は老化してゆく,これはさけられない,ただ暑い時期だけでありあとは平常である。だからなんか暑いとき北海道で過ごしたいとなる
でもまた最近北海道が暑いから困るともなる
ただオホーツク海に面したところだとそうはならないだろう
六月でストーブをたいているとかあったからだ

何か街中は暑くなる,家が隣り合って暑くなる、二階だと特に暑い,隣のトタン屋根が暑くなり二度以上暑くなっているのである。
だから夏は過ごしにくいから嫌になった,北海道は夏は前は気持ちいい所だった
一カ月くらい避暑に行きたいとも思うようになった

今になるともう暑いところには旅できないと思った,だからもっと暑いところに旅すれば良かったとなる,タイには行ってもマレーシアとかインドネシアとかフィリンピンには行かなかったからだ,台湾にも行っていない
結局人間はこうしてどんなに暇があり旅しても遂に旅に行けなくなる日が来る
老人でもまたいろいろあって丈夫な人は丈夫である。
三陸からここまで歩いて旅した六七歳の老人もいたからである。
だから個人差があるから一概には言えない

でもやはり暑いところだとか登山だとかは体力のあるうちに行くべきである。
ヒマラヤも一回しか行っていないのが失敗だった,それは海外旅行をしたのが五〇歳からだったから遅すぎたのである。
これも大失敗だったとなる,人間は若い内時間などいくらでもある
体力もあると思っているがたちまちなくなる
そしてやりたいこともやれずに終わっているのである。

だからやりたいことはきついことは若い内に体力あるうちにやるべきである
その機会を逃したら二度とできないからである。















タグ:熱中症

2018年05月09日

人生百年を生きるヒント (クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年を生きるヒント

(クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年となると経済的にも備えられない,年金でも国民年金ではもともとたりないからそれだけの用意している人は相当に恵まれている
人生百年となると会社一筋に生きることがすべてではなくなる
会社を退職するとたちまち役割もなくなり社会的にも無用化される
でも会社に勤めてまた趣味をもつということも時間的にむずかしい
ただ会社勤めで得るものはある,それも経験なのである。
人間は何事経験なのである。

この辺で有名な裁縫会社で働いている人がいたが機械の操作がありそれがうまくできなかったという,裁縫の仕事は自分はわからないがそういう体験を勤めれば誰でもする
それで同じものを大量生産する時代が終わり個々人のオーダーメイドとなる
その時AI化するが裁縫する技術をもっている人は失業しないという
裁縫には人間の手が必要だとなる

人間は何か経験を積まない人はいないのである。それはどこかで役にたつ
ただ人間はあらゆる経験ができないのである。
自分は株の投資の経験がないから失敗した,これも経験していればそうはならなかった
銀行の営業の人がプロだと思ったが銀行自体が素人なんら変わりなかったのである。
それも時代が急速に変わり失敗したのである。

自分は会社勤めしていないし会社で働いた経験もない,だからそこで社会性がなく親の介護で苦しんだりした,人間はあらゆることが自分の経験を基にして判断しているのであるそれは本を読んだりしてもわからないことが多いのである
まず外国で生活した人としない人の差が大きいことでもわかる
旅行したくらいでは外国のことがわからないからである。
それも経験の差として現れるのである。

では退職したとき今度はどうそうした経験が活かされるのか?
活かされない場合どうなるのか?それが人生百年では問われる
そのヒントは何か一つのものテーマにして追及すること探求ことがある
常磐高速のセディティで「私はクリスマスローズをやっているんです」というとき
クリスマスローズにはいろいろ種類があったり原種をもっていたり花を咲かせる苦労があるそのことを語る時,その人はクリスマスローズ博士なんだなとも思った
クリスマスローズの専門家であり博士なのである。

それは野草とか花に興味ある仲間がいれば一目置かれるのである。
つまり一芸に秀でることである。それが人生百年では求められているのだ
ただ天才とかになることはできない,自分も凡才であり天才は例外でありまねできないのである。
でも何か普通の人でもあることに詳しくなれるし一芸に秀でることはできる
素人的専門家とかである,それは地域とか郷土史とかの分野でもそうである。
地域といっても広いから何か一つをテーマにして探求すれば詳しくなれるのである。
何かそういう探求するものがテーマとしてもつといいとなる

ただそういことでも定年なる前から少しでもしていれば延長としてできるのである
自分がパソコンのソフトで抽象画ができたのは偶然だったのである。
全く絵を描く才能がないのに絵を描いているというのも不思議である。
第二次作品でも創作している感じになるし外国の人がアメリカの人が十数名定期的に見ている,だから単なる模造品ではなく創作品として認められているともなる

人間はすべて生まれつきの才能でもないことがこのことでもわかる
才能とは開発しないかぎりないともいえる
開発するということが人間にとっては大事なのである。
それは本当は勉強でもそうである。何か暗記ではないもの,開発してゆく創意工夫して学ぶことが大事になる,そうすれば勉強に興味をもつ
自分にはそういうことが全くなかったから勉強に興味がもてなかった
ただ大学でも卒業して旅ばかりして地名とかに興味をもって歴史に興味をもつようになったとかなる
要するに地名でも興味をもてばそこからいろいろ他のことにも興味をもつのである。

ともかく暇な老人が本当に増えているしこれもふえつづける,何かうろうろしている人が増える,図書館で暇つぶししている老人もいる
パークゴルフ場では暇な老人で盛況である。
それだけ暇な老人が問題になもなっているのだ
その人たちが社会で有益なことができない,無用化しているのである。

苔に興味をもって朽木にあしらうことに工夫している人もいる
それは金にならないにしてもそれもその人だけにできることであり創意工夫しているから一目置かれる,陶芸の方は本当の専門家だから簡単にはできないが何か素人でもできるものがある
この社会でも自然でも多様だからこそ何かテーマにして専門家になれるのである。
ただそれを退職してからはじめるとなるとかなりのハンディキャップになるのである。
それが大きな人生百年の問題なのである。
ただスクールが暇が語源なときまさに退職後にまたスクールに学ぶ時代が来たともなる
それは今までのスクールではありえない,何か創意工夫を学ぶスクールになる

郷土史じも自分の家のことには興味があるからその歴史をたどりそこから郷土史に興味をもつとういことがある
苔に興味かある人は塚部(かのべ)に住んでていそのことをしきり言っていた
相馬と伊達の境の地域でありそこから郷土史を見ることができる
でもそこに住んでいないとわからないのである。
地理的なことが近くでもわかりにくいからだ
いづれにしろその住んでいる地域の専門家にはなれるとなる
そこに一番の強みがあるからだ,そこに住んでいる人がやはり一番地理でもわかるからである
だからそこに住んでいる人から話を聞けば郷土史の発掘になるのである。
人間は灯台下暮らしであり身近なことが意外とわからないのである。
身近なことに興味をもたないのである。だから人間は常に自ら開発しないかぎり発見もできないのである。
そういうことで人生百年は様々なことが発見されるそれぞれが一つのことについてテーマで博士になることが望まれるともなる

タグ:人生百年

2018年04月30日

いつか家族は崩壊して消える (介護などでそれは誰にでも起こる)


いつか家族は崩壊して消える

(介護などでそれは誰にでも起こる)

家族は人間にとって一番の絆である,しかしそれも無常にもいつか崩壊して消える
子供たちが育ち老夫婦となりやがて夫妻でもどっちか一方が介護状態になったり死ぬと一人になる,現代はこうして一人暮らしになるリスクが大きい
一番の絆がたたれるショックがあまりにも大きい
妻に死なれた夫は愕然とする,老後は一人なのである。大きな家に一人なのである。
そのことを嫌がっているがどうにもならない,自分もそうである。
そういう人が老後に増えてくるのである。

何かある時家族が崩壊する,それは自分の家族も崩壊したからショックだった
家族すら無常なんだなとつくづく思った,そのことは予想されていたが予想以上のショックだった,この世にただ一人となった感じになった
そうして過酷な世間に放り出された,そして食い物にされた
今頃そんなことで世間の冷たさを知ったのは遅かったとなる
他の人はそういう世界で生きていたからである。

障害者で父親が入院している家族も崩壊の危機にあるのかもしれない,父親は年金をそれなりにもらっているし障害者だから金はもらっている,だから金には困らないように見える
ただ精神障害者が父親の世話するということで苦しんでいる
それで母親が心配して援助しているがこの母親も金銭的援助は全くできない
人から金をせびりなんとか食いつないでいるだけなのである。
体も悪いし病院通いなのである。

ともかくこうしてある時家族が崩壊の危機に瀕する,障害者は福祉施設に入れとすすめられているが嫌だという,でももう父親をのめんどう見ることが苦しいとしている
ただ症状は軽いのでいろいろわかってやっているのである。
外から見てどこが悪いのかわからない人なのである。

こういう人だけではない何か介護によって家族が崩壊してゆくことが現代では多い
その時もう家族だけでも支えきれなくなる,在宅で介護できるのは極少数なのである。
すると家族だけではもう耐えられなくなり家族自体が崩壊の危機に晒される
それを自分は一人で介護したので実感している

人間は家族も無常のなかにある,家族も死別すればもういなくなる,すると家族のない人になる,障害者は施設に入れるというとき家族でめんどうみれないからそうなる
母親がいてもその母親もめんどうみれないのである。
経済的にぎりぎりでしているからである。
ただ父親は年金をそれなりにもらっているから困らないとういことはある
でも障害者が病院に入っているにしろめんどうみれるのかとなる

他でも家族が崩壊するのは介護になったりするとき多い
だから今は核家族だから余計にそうなりやすい,大家族だと誰か一人が余裕があって病人のめんどうみるとういことがある
だから家族でも今は一人がそうした介護状態になると人手がたりなくなるのだ
自分も一人で二人を介護しなければならなる恐怖を味わった
一人はひとぽ認知症になって一緒に住めなくなったからだ
その時家族は崩壊して自分一人で奮闘していたのである。
誰も助けない,ただそこで犯罪にあったり借金している人に脅迫されたりしたりひどいめにあっただけである。
よわいことにつけこんで責めてきたのである。
介護とか障害者をもつと世間は非情でありそうされやすいのである。
そんな弱みにつけこんでカルト教団なども一票とるために回って歩くのである。

老後の資金でも投資するのも分散投資するという考え方は間違っていない
家族でも本当は三つ四つが家族になっていれば一つの家族がだめになってももう一つ家族があるとか他にも家族があるとなれば介護でも心強いとなる
でも家族が核家族しているとき個々の家族では介護になったら耐えられなくなり家族崩壊するのである。
でも三つも四つも家族になりえない,一つの家族でも精一杯だとなる
でもそれでは介護になったら家族が崩壊するのである。
家族でもそれは他者を排斥する内輪のものである,家族以外は人でもない,ただ金をとる対象にすぎないという時代でもある
だから家族だけに頼るが介護になるとそれができなくなる
在宅で介護しろといっても核家族で家族に余裕ある人はいない,人手がないのである。
そうなると家族崩壊になるのだ

いづれにしろ家族が崩壊するということは老後に普通に起こる
それで老人ホームに入っている人が家に帰りたいというときその家は実はないのである。家族はすでにないのである。ただ家族があったときの時代に帰りたいということなのである。
それで家に帰りたい,帰りたいと言っているが実際はもう家はないのである。
こんなふうに最後はみんななりやすいのである。
自分の場合は特殊でも参考にしにくいにしてもそうなった
だから何か自分は楽な生活に甘んじていてこうなったとも思う
これもカルマだったのである。もっと苦労していればそれなりに助ける人もいたかもしれないからだ

ただ家族すらいづれは崩壊する消えるというのがこの世だと思った
つまり無常でないものがこの世にはないのである。
家族すらこの世で一時的なものとしてあるだけであり仮象だともなってしまう
この世とはそういう場所だともなる,永遠の都は天国にしかないのである。
家族にしてもそうである。肉でつながる家族は本当の家族ではないともなる
だから宗教では家族は否定したのである。

本当の愛ある家族は天国にしかないのである。
そこでは家族は崩壊することはない,それは肉でつながれた家族ではないからである。
ただ家族には天国のひな型としてあるのであり本当の家族ではないともなる
結局家族すら一時期のものして消えるからである。
いくら家に帰りたいと言ってもその家もなくなっているのだ
そしたら帰りようがないのである。
自分も家があっても帰る家族はなくなったからである
今までは家族が待っていたが今は待っている人は誰もいないからである。


老後になると妻に死なれた人も家族がなくなっている、一人暮らしである,普通の家族でもそうなりやすいのである。家族がなくなるということはいろんなことで困る
家族のような絆をもてないからである,他者は弱みにつけんこんで金をとりにくるような人しかいないからである。そうなるもうまわりが野獣に囲まれていると同じになるのである。
だからこの世とは恐ろしところだとなる,それを今までは矛盾していても愛し合う家族でないにしろ楽していたので感じなかったのである。
だから家族が崩壊することはショックだったのである。
ただ自分の場合それもカルマだったとなる

2018年04月29日

障害者などや病人などをもつのは誰の責任なのか? (すべて政治が悪いではないカルマを背負っているため)


障害者などや病人などをもつのは誰の責任なのか?

(すべて政治が悪いではないカルマを背負っているため)


ある人は結婚したらすぐに夫が重篤な病気になり障害世話せざるをえなかった,
その前も貧乏で苦しんでいた,その夫は障害者として一生生きるほかなかった
世話したのは妻だったとなる
ではこれは一体誰のせいになるのか?
この人にはなんらかカルマがあったと自分が苦しめられたので推測した
自分が弱者になった時いじめられたからである。
確かに助けたこともあるが何か家が事業に失敗して借金しているから自分が苦しいとき脅迫するようにもなったのである。
それでこの人がなぜこんなに苦しん一生だったのか?
その原因は何か?

かつて前世であり人を虐待していた?

これはわからないにしろ何かそうも感じたのである。弱者を虐待したから今世で弱者をかかえて苦しんだ,カルマがあったとなる
カルマとは業でありどこかで支払わされるからである
誰でも生まれてきたら業(カルマ)をかかえて生まれてくる
つまり生まれること自体すでにカルマなのである。
そのカルマは一生の内でいつか支払わされ区,苦しみとなって現れるのである。

そもそもなぜ障害者をかかえて苦労する人がいるのか?
知っている人もそうである。今障害者の父親が入院して障害者が病院に通い世話している障害者でもできるのか?その人はなにかいろいろわかっていて軽いのである。
だからなんとか世話しようとしているのである。
でも苦しいから母親がいつも見に行っている
結局その母親も不満であり常にそのことを言う
その病院に入院した人は前の夫であり離婚したのである。

この二人ともその不満をどこにぶつけているのか?

一人は創価に入っていたとかをる,もう一人は共産党に入っているとかある
それほどそこで運動していることはない
でも常にそういう人は政治に不満なのである。
必ず自民党が悪いといい,その障害者をもっていることを政治のせいにしているのである障害者をちゃんとめんどうみないとか不満が大きいのである。
つまり何かこうして別に障害者をもつのはそうしたカルマのせいだとしたら政治のせいではないのである。

でもすべてが

アベ首相が悪い

こうなるのである。不満のぶつけようがなくてそうなっているのである。

そもそもどうして障害者をもつようになったのか?
そのこと自体政治とは関係ないのである。
ただ障害者をもつリスクはみんなもっている,身内で認知症になった人を介護したから自分も障害者をもったのである。
そしてこれから800百万人が認知症になるといわれる,つまり精神障害者になるかリスクが普通の人もこれだけある時代になったのである。

確かにそういう人達を受け入れて何か相談にのる人はいない,何かと世間の冷たい視線にさらされる,それは認知症の家族をもっている人もそうである。
あいつは馬鹿になったとか,何か隣近所でも火に気をつけろとか冷たいのである。
差別もされるのである。だから障害者をもった家族と同じ境遇に置かれるのである。

だから障害者の問題は今や特殊な問題ではない,自分が認知症の家族をもったときそれを政治のせいとかにはしない,自分のカルマだと明確に認識した
ただこれは生まれつき障害者をもつのとは違う,自分は何回も言うように特別世話になったからその恩返しでありこうなってもしょうがいなという自覚があった
そして認知症になっても生まれつきの障害者とは違う
時々正気にもどるのが認知症なのである。まず死ぬころになると正気にもどる
これも不思議な現象であるが二人とも認知症になったがそうだった
そうなるとおろそかにできない,冷たくするとそのことを覚えて恨んで死ぬことにもなる自分はそうならずわかってくれて感謝して死んでくれたからよかったのである。
そうでない人も結構多いからである。
そうなると死んでから後味悪いものとなるからだ

ともかくその苦しみはわかるが全部が政治のせいにはできない,自民党のことを批判するけどそれがすべてではない,創価でも共産党でもでは障害者をのことを一切めんどうみるかとなったらしない,ただ票になるし票としてとりこむために会員として獲得するために政治勢力化するために一応会員にはする
でもなんでもめんどうみるかとなるとしないのである。
まずできないのである。現実にめんどうみるのは病院では医者であり看護師であり介護士とかであり家族ではできない,あと生活保護とか福祉関係でありそこで口利きするにしても別に創価とか共産党とかで全部なんでもできるわけではないのである。

自分もその人には金銭的な面で相当な援助をした,何かにと金を要求してくるからだ
余裕があってので援助してきた,その額も大きいのである。
もう一人の妻が死んだ80歳の男性も援助している
その障害者と直接つきあってなぐさめてもいる
金も援助している,だからその人はここ数年はこうして二人の男性に援助されているのである。
その人は不細工なんだけどまずコミニケーション能力が高いことに驚く
いちいち頼むとき納得させける頼み方をするのである。
だから金を払うとなる,ただ必ず政治の不満,政治家の不満を言うのである。
もともと障害者をかかえたのは政治のていではない
では誰のせいなのか?それは不可解であるがその人の負った業(カルマ)だとしか考えようがないのである。

そして誰でもこのカルマを背負っているしいつか支払わされるのである
苦しみとなって現れ支払わされる,それが人間なのである。
ただ創価とか共産党でも他の野党でもそうした人達を票になるから利用して政治勢力として権力を得ようとしている,でもそれがカルマの解決になるかとなるとならないのである別に他の人でもそれ相応に援助している人はいるし負担を強いられて直接世話しているのは別に創価の人とか共産党とか野党の人でもないのである。
その人たちはただ口利きしているだけなのである
だから障害者問題をふべて政治のせいにはできない,すべてアベが悪いでかたずけられないのである。

2018年04月21日

東京から帰って来る老人が増える (駅で会う人から見える街の変化)


東京から帰って来る老人が増える

(駅で会う人から見える街の変化)


駅で会った人は東京で働いていて故郷に帰って来た人だった
一人暮らしで困っているらしい,風呂がないので福祉の湯を利用している
あそこは前にも自分が利用した,三〇〇円で利用できる
その人はなにもすることがなく暇だと言っていた
そういう人もまた老人で増えているのだ
小高に住んでいた老人とも良くあう,あの人は小高には帰らず鹿島に住んでいる
小高に通っていると思ったら山下とか相馬市とかに行っている
何かわからないが飲み屋とかに行っているのかとなる

ともかく前にも東京にいて故郷に帰った人とあっている,東京から故郷に帰る老人が増えていることは確かである。
するとどうなるのか?この辺では若い世代が流出して老人は取り残されている
さらに今度は東京などから帰る老人がまた増えてくるのである。
そして一人暮らしも増えてくる,近くに子供がいても一人暮らしが多いのである。
そこで一人暮らしだと問題が起きるのである。

でも近くの知っている人は苦労して若いときに家を建てた,立派な庭をも作った
それで妻をなくして十年とかたってもおくさん思いでありその家を離れたくないという
娘が相馬市にいて近くに家を建ててやるとか言っているが自分の建てた妻と住んだ家から離れたくないという,家にはやはり単なる寝起きする食事する箱ではない
長く住んでいるとそこは思い出がつまったかけがいのないものともなる
だから原発避難者でも老人が故郷に帰りたいとなり帰っているのである。

いづれにしろ高齢化社会の問題はいろいろある,東京で暮らした人たちが故郷に帰るというのもそうである。そこでまた老人が増えてくるのである。
人口が増えるからいいといっても老人だ負担になってくる
すでに六〇代で病院通いの人もいる,知っている二人は脳梗塞とかで病気になった
自分も前に病気になったが今はなんとか一人でやっている
ただ体が弱っていいくことが不安になる
霊山まで自転車で行って上ったのはいいが体ががたがたになった
あとから節々が痛くなるのである。

どうしても医療費がかさみ,老人は働かないから負担が増える
生活保護も増える,自治体で四分の一費用を払うから負担になる
老人はどうしても負の部分が大きくなる,負担になるのである。
東京で若い時働いて今度は田舎に帰ってくるというのも矛盾である。
ただ東京自体も実は老人が増えて老いてくるのである。
高齢化はこれは日本全国の問題であり世界の問題でもある。

都会では老人のシエアハウスをしているということもテレビで見た
それも一人暮らしが増えると一つの方法だろう
ただ団体生活になるとなじめない人もいる
自分は団体生活ができないから困るともなる
ただ一人暮らしは一軒の家を維持するだけで大変になるのだ
外出して遠くに出かけるのもむずかしくなる
家を留守にすると不安になるからだ

駅にいるとなにか人の流れがあり街にどんな人が住んでいることがわかることもある
ただそこでも老人が増えている,どちらかというとその東京から帰ってきた人も車を運転できない,車を運転できない人が鉄道を利用する
この前は新地の八〇歳の女性が車を運転をやめた
それは年で危険になるからそうしたのである。それで電車を利用していたのである。
だから高齢化社会になると電車を利用する人が増えるということはある
交通の問題がありそれに応じる政策も必要になる
そこで車社会を見直すということも必要になる

タグ:高齢化社会

2018年04月15日

老々相続も高齢化社会のマイナス (もうその年では消費もできない)


老々相続も高齢化社会のマイナス

(もうその年では消費もできない)

相続人の平均年齢は67歳という「老々相続」になっているので、相続による世代間の所得再分配の機能も弱い。この問題は、2012年に団塊世代が引退したあとは、さらに顕著になるだろう。

 日本の金融資産1500兆円(本当はすでに1400兆円に減ったとも言われている)のほとんどは高齢者のものだ。普通、高齢者は活動しない。よって収入に関しては不安なので自分のお金を使わずに貯め込む傾向がある。

少子高齢化の問題はいろいろある,「老々相続」もそうである。六十七歳で相続するとなるとその金を使い方が消極的になる
もし五十歳とかで相続したら50代で貯金がない人が多いかとこの世代は子供の進学とかでも金がかかる,そこで相続して遺産が入ると余裕になる
この世代なら金を使うことができる,それも有効にできる,消費できる
67歳となると何かに消費するにしても限られている,そして投資などすると失敗するし経験がないのでするべきではない,でももし若ければ経験を積むからいいとなる
67歳になるとこれまでしてきたことはできるが何か新しく経験を積むことができないのである。

自分も新しい自転車買ったけど遠くに行こうかと思ったら体弱り節々が痛くなりできなくなった,もし体力があったら新しく出る電動自転車の遠距離用を買ってまた旅したいとなるができない,消費するものは確かにある,でも金だけではできないのである。
体力が必要になるからだ,登山をしようとしてリュックを買ったがこれもできないので無駄にてったとか何か今までしてきたことをしようとしたのだができなくなる
だから何か買っても利用できないとなるのだ

もしもっと若い時に40代でも50代でも相続していればもっと自分のしたいことができたとなるが親が生きている限りは金は自由にできないのである。
自分が自由に生きたとしても旅したとしても金は最低限しか使っていない,自転車旅行はテントを張ってとまったりしたから金を使っていない
自転車でも普通の自転車しか使っていない,10万以上にはなっていないのである。
でもその時金があったら何かもっとできたことがあった

本当は海外に留学もできたと思う,それも遺産を若い内に相続していたらである。
なぜならそうなると自分の自由に使えるからである。
何かその頃海外旅行は高い飛行機代も50万とか何か高い時代だったから海外旅行は金をかかるものとして敬遠していたのである。
そういうことで円高になったときみんな海外に行っていたのに自分は行かないで失敗したとなる,50代では遅かったのである。

ただ別に金がなくてもやりたいことはしたとなるから後悔はない,そう親がさせてくれたのだから別に親を恨んだりしない,必ずしも金があるからと何でもできるわけではないからだ
でも若い内に相続しているとさらに自分のやりたいことができるということはあった
高齢化社会の問題はこうして親の代が金をもっていても相続できない
それで若い世代ができることもできなくなるということはある
まず67歳で相続したとしても遅すぎるのである。
だから投資などで無駄にするのである。

これは個々人の家でもそうだが会社などでもそうである。若い人が何かしようとしてもできない,上が老人化して権力をもっているとできないのである。
やはり若い人でも権力をもてば何かできる,したいことができるのである。
でも権力が金でもなければ新しいことに挑戦できないのである。
67歳になって金をあるから何かしようとしてももうできないのである。
これも高齢化のマイナスの点である。つまり社会の新陳代謝ができないのである。

そうなるとどうなるのか?社会自体が停滞してゆく,変化に対応できない老人では社会を変革できないからである。
65歳以上の人が金融資産をかかえていることもそうである。
その人たちは貯金して長寿のリスクに備えるだけだとなる
その原因は人間は金をいくらもっていても減らしたくないのである。
老人の金は今は利子もつかないし増えないのである。
すると減るだけになると消費に回らないのである。
だから老人に貯蓄がかたよっているのは社会自体が停滞するのである。

確かに今の時代、50代でも40代でも孫の世代でも金がない,だから金をもっている老人が下の世代に金を回すと消費されるから景気が良くなるとういことはある
ただ消費の傾向が物からべつて物に変わっている,若い人が車をほしがらないとか安いのでもいいとかなる,消費するものが時代によって変わる
消費が非生産的な言葉だが消費は資本主義社会では生産的消費になるのである。
何か価値悪ことに金を使うことでありその価値を認めるから金を払うからである。
すると作る方でもそうした価値をあるものも作ろうとする売ろうとするからである。

でも長距離用の自転車を買いたいが高いとなると若者はそれを利用できるが金なくてできないとなると問題なのである。
メーカーが売りに出しても売れないとなるからだ
老人は長距離用の自転車を買わないとなるからだ
ただ長生きのリスクのために金を貯えているだけだとなるからだ
そうなると新しい製品を作ることもなくなりイノベーションもできないとなる
社会全体が高齢化で停滞してしまうのである。
それも高齢化社会で67歳で相続しているからともなる
自分もそうだが遅すぎたとなるのだ,もうその年になると消費できないのである。

タグ:老々相続

2018年03月24日

老人は消費能力が減退する (景気が良くならないのはそのためもある)


老人は消費能力が減退する

(景気が良くならないのはそのためもある)


何かこれまで消費してきたしてきたことの延長として老人もある
これまでしてきたことを継続してする
新しいことをはじめるのはむずかしい
それで登山したなとリュックを通販で買った,ところが登山する力がなくなった
自転車でまた遠く行こうかと思いいい長距離用の電動自転車を買おうかと思ったが
それも体力的に無理になったとか,旅行するからスマホとタブレットをもってプログで報告しようとか考えた
だけどそれもめんどうになった,金銭的問題ではない,手間だなと思うようになった
旅行するのもめんどうになった,なんか外人が多くて落ち着かないなホテルはとれるのかなとかなる
それはすでに介護十年で旅はしていないこともあった,何か気力が失われた

これをしてきたから何かしようとして買おうとしてもそれが消費できない,何か活用できないのである。それは金の問題ではない,消費するというとただ金を無駄にするというのではなく何か買っても金を使うにしても活用できないのである。
何かそれが年取ることなのかと思った
それで今度買ったのが近間を回る電動自転車だった
今の大きいのと重いからである。現実に自分は近間を回っているだけだからである。

それで昨日いいロードに乗っている若い女性をコンビニでみかけた
それはアメリカ製でspecilaizedという会社であり相当にいいものだった
カーボン制だから軽い,カーボンになると相当に高くなる,8キロだという
自転車は軽いのがいいのである。
その人は靴もペダルから離れない競走用のものを使っていた
目を防備するために眼鏡をかけていた,それは目が悪いからではない
だから本格的なのである。
そして坂がきついから自分は電動自転車にしたというと

私は坂を上るのが好きなんです

本当にロードに乗る人はそういうことで乗っている,若い人ならそうである。
その女性は二十代である、その人は近くに住んでいる女性だった
ただここに前から住んでいる人には見えない,なぜならこの辺は外から入って来た人が多くなっているからだ
ただ前にも相馬市の人がフランス製のロードに乗っていた,そんな外国製の自転車を買えるのかと思った,ここでの一軒の自転車屋では外国製は買えないからだ

この女性を見ればわかるようにろうしたいい自転車にのり坂でも上ることをかえって自転車に乗る醍醐味にしている
一方自分は若いときでも40代から自転車をはじめたが坂が嫌で嫌でしょうがなかった
だから歩いて上っていたのである。
つまり消費する活用するというとき物を買ってもできないなと思うようになった
なにかレジャーでもそれは一見遊びのようでも消費する活用するエネルギーがないとできないのである。
それで老人は消費能力がないことに気づいたのである
消費するというとき知っている人はしっょちゅう病院通いでありそういうことに一番消費されているのである。医療関係とか介護関係に老人は消費している
ではレジャーとかに暇と時間があればしているのかとなるとしている人もいるが老人が消費するのはどっちかというと定着的であり動的なものには消費しない傾向がある

意外と老人は食にはこだわる,自分は今まで食にはこだわらない,腹を満たせばいいとかなっていた,それより三色用意されていたから何を食べるかなど考えたことはない
一人でなんでもするようになって何を食べるか選択するようになり考えるようになった
でも簡単にすませるのがいいと最近は野菜でも多くて時間がたち腐らすので冷凍食品がいいと今になり気づいた,要するに一人は何を料理するのかではない,何を買うかがいろいろありわからないのである。
冷凍食品は簡単にするには便利だと今になってきづいたのである。

老人はいろいろでも比較的あまり動かない,家にいる時間が長くなる
すると家が住みやすいように環境を整えるということになる
内装とかにこる人もいるだろう
庭作りとか近くで畑で野菜を作るとかに励むのが向いている
家庭菜園などもそうである。そういう方面でも老人の消費するものは変わるなと思った
あとはテレビでも時代劇が面白いなと良く見ている
BSで今度は桃太郎とか毎日やっている,この前は暖簾分けとかいろいろ江戸時代のことを放送している,江戸時代のことをもっと知りたいと自分は思っている
長屋があるとしてそこではプライバシーがないのだが家族のようにもなっていた
部屋を空けるにしても他の人が見ているから心配ないのである。
長屋が家族のようになっていた,それは仮設暮らしがみんなひどいと思う人がいたがそこでは長屋のようになって毎日顔合わせて親しくなって女性の人は楽しいと言っていたのである。補償金ももらえるし悪いものではなかったのである。
手に入らない大金を手にした人も多いのである。

思うに現代と江戸時代を対比するとき,江戸時代にも隠居文化みたいのが盛んになった
盆栽とか花を楽しむとかあった,それは共通している,これだけ高齢化社会になると新しい隠居文化が生まれるかもしれない,パークゴルフなどはそうである。
ただ江戸時代と現代は違うからでは隠居文化とはなにになるのか?
プログでその人の人生経験を語るとかもそうかもしれない,老人は今何か語る場がないからである。会社人間から地域人間になりえないというより地域のコミニュティなど存在しなくなったからである。

何か自分と書くことは得意である。だから対話もなく延々と自分の興味あること経験したことを書いているのである。
もう一つは抽象画が新しく開発した分野である,これも本当に不思議だなと思う
これはまさに新しい芸術だなと我ながら思う,なぜなら膨大な写真とか絵がインターネット上に無限にある,するとそれを変化させることも無限にある
その写真や絵があるからこそ変化させるのも無限だとなる不思議である。
現代はとにかく写真の時代でありデジタル化して膨大な写真が簡単に見れるようになり撮れるようになった時代である。それはやはり一つの時代を象徴している
写真や絵が言葉以上に情報化した時代だとなる

とにかく何かを売ろうとするとき老人向きなものが売れることはある
電動自転車が売れているのは老人向きということもある
時代劇をもともと好む人がいたが老人向きでもある,それより江戸時代は隠居文化があったように江戸時代を知ることは何か心を豊かにするのである。
だから長屋で暮らしていたとかその当時の暮らしを知りたいとなる
それもそんなところでどうして暮らしていたのかと不思議になる
人生百年を生きるとしたら何かそういうふうに老人の消費というものがどうなるか知らなければ売れないともなる
若者向きだった消費でも老人向きの消費となると会社でもあまり考えていないからである。


隠居のつとめ 

隠居文化というとき武家の文化人のことだとここでは書いている
そういう人達はもともとそういう素養がありだからこそ隠居文化を自然と作り上げた
町人とかでも農民でも急に文化人にはなれない,武家でもそういう人達は屋敷で使用人を雇っていたのである。
だから隠居文化もそうして金銭的にも余裕がないとできない
ただ現代は老人も貧困者が多いが恵まれている人もいる
そういう中から何か隠居文化のようなものが生まれる可能性はある
ただ浪費されるういこともある,何か文化の時代になっていることは確かなのである。
物質的繁栄の後には文化の時代になる
そもそも情報化時代とは文化の時代であり物質だけを追及するものではないからである

2018年03月04日

人生老後の誤算 (百歳の人生はイメージできない)


人生老後の誤算

(百歳の人生はイメージできない)

何故今これほど老後が問題になるのか?それは人生百歳とか言われるようになったためである。
百歳となれば60で退職してそれから40年もある,するとどうなるのか?
それをイメージもできないのである。
まず人間は若いとき老人になることをイメージできない
だから若い人はたいがい50とか60で死んでるよと死にたいとかなる
でも実際はもう現代は70で死んだら早いなとなる
ただ70は一つの区切りのような気がする
還暦が60というのは今の時代に合わない
60は普通に働ける時代である。個人差があるけど一般的にはそうである。

明かに現代では十年は若返っているしこれからも寿命は伸びる
なぜなら細胞を若返らせる研究がすすんでいるしそれは空想の世界ではなく現実となるとか投資されているからである。
すると百歳は普通に生きる時代がくる
それはいいとしてそれに備えるものがない,社会的にも個人的にもないのである。
金銭的な面でもそんなに長く生きることを想定していないからである。

だからこそ退職してから余裕ある生活をするには一億円かかるとなる
ただもし百歳生きるのが普通になれば人生設計を変えねばならない
それは金銭的な面でもそうだし精神的な面でもそうである。
会社勤めを終えて今までは人生は終わりだとなっていた
でも会社を退職してから30年40年もの人生があるとしたらどうなるのか?
精神的な面では趣味もなにもない人はその長い年月を有意義に過ごせないという問題もでてくるしでている
会社一辺倒で働いていた人達は社会で役割もなくなりただ早く死んでくれと今でも言われる
社会ではもう高齢化社会で老人に金を使っていられないからそうなる
そして年金とか保険も破綻すると真面目に言われる,それは数が多いし確実に長生きするからである。その財源も日本は少子高齢化や経済の衰退でなくなる
そういう深刻な状態が年金が破産するのが後三年だという人もいる
そういう危機的状態が迫っている

そして不思議なのはAI化で人間は働く無くてもよくなる,人間はそこで何をするのか?
それは人間にしかできないことをする,芸術とか創造的分野で才能を開発するとか言われる
それはなんのことなのか?今までは働くことが美徳とされてきたし強制もされてきた
働かない奴は無職は社会の敵であり排除されてきた
ただフリーターとかニートとか増えたのは何かそうしたことを奨励するためだった
創造的個性的生き方を奨励した結果そうなったとも言われる
結果的にその人たちは悲惨なものとなる,それは誤っていたとしている

そもそもそんな考えが堂々と言えることが理解できなくなる,価値観は絶えず変わるにしてもそうである。自分などはそれに対して別に驚きもしない
なぜなら自分は無職だったし働いていないからである
でもベーシックインカムとかがまことしやかに語られる時代が来るのも何なのだろうと思う
自分のように生きた人はアウトサイダーであり極少数だった,フリーターとかニートなどが増えた時代とは違うからである。ただ今でも無職ということは犯罪者と同じなのであるだから暴力団の方がニートより増しだと激しい憎悪をいだいている人がいる

いづれにしろ人間は人生はみんな誤算である,それは70年の人生だったとしても時代が変わり価値観が変わり思わぬことが津浪や原発事故が起こる
何かのために備えてもそれも無駄だったとかもなる
事業しても成功しているのは20人に一人であったり常に誤算がつきまとっているのである自分の身内でも最後まで優秀だったと言って死んだのは認知症になったためである。
人生の最後に認知症になるのも最大の誤算だったとなる
優秀な人でも最後は馬鹿になるのかという恐怖を介護してまざまざと見たからである。
人間は金でもなんでもそんな長い人生で計算できないのである。
思わぬ出費があったりいろいろある,それが人生百年になったら余計にそうである
社会的にも個人的にもとても備えられないのである。
ただでは個人的には金銭的に余裕があるからいいやとはならない
回りはそうして金銭的に苦しい人が増えると余裕ある人も危険になる
そういう目に自分はあったからだ,老人の犯罪も十倍以上に増えているからだ
その問題はその負担はみんなにのしかかるのである。

人間の最後はやはり生物と同じである。天命を全うして死ねばいいとなる
そして苦痛もなく死ぬのがいい,90から百歳とかなると老衰がいいとなる
95以上生きたらたいがい老衰で死ぬからあまり苦しみはない
樹が枯れるように死ぬ,欲も消失してそうなるのがいい
ただこれも個人差があり人間の欲はそう簡単には消えないのである。
いづれにしろ百歳となると本当に老後も長いしそれをどう生きるのかが課題になる,でもそれに物心共に備えることはもうできないのである。
ただその結果として何か社会が変わる,価値観が変わることは確かである。


樹齢千年の桜
そは十分に花を咲かせた
暴風に倒れたが
その命は全うされた
老木は枯れて朽ちてゆく
痛みもなく命は尽きて
逆らうことなく
天命を全うし森に還る

樹齢千年の大玉村の馬場桜が倒れる

2018年01月25日

医療介護は負担しきれなくなる (手厚すぎるからいいようでも負担が増えてもたない)


医療介護は負担しきれなくなる

(手厚すぎるからいいようでも負担が増えてもたない)


その人は今度は78才の兄が埼玉で脳出血で手術するから電車賃を要求する
前も親戚が死んだら要求する,何かその人の親戚のために金を払わせられる
何も金をはらわなくてもいいじゃないかとなるから自分が悪いとなる
自分にも払う理由があるからだとなる
その女性は二回離婚しているし極貧であり知的障害者の子供をもっている
ただ知的障害者でも仕事しているから軽いとなる
その人自体がそもそも人の世話をできない状態なのである。

でも埼玉の福祉の人が手術に立ち会う人がいるからなってくれということで連絡がありわざわざその福祉の人が車で迎えに来るという,ただ帰りの電車賃もないから金をくれとなる,そうして常に一万と二万が出てゆく
そんなことしなくてもいいというのはわかる,その女性は会話力があるから払うことになる,その人の不孝は容姿が悪い,若いときだったら近づきたくない,でも老人になってからは違う,容姿よりその女性に会話力があるから払うとなる
容姿はだめでも今になるとその会話力で得しているとなる

ただ別に自分はその兄弟とかと何の関係もないし義理もないのである。
でも福祉の人が来るということでその人は常に金はない
それで払わざるをえなくなる,帰りは上野から普通列車でいわき市まで来るという
それも上野まで福祉の人が送ってくれという
そこまでしてくれるのか,そうなると福祉に金も手間かかるなと思った

その兄は身寄りもないから福祉の世話になることになった,また呼ばれるのではないかと聞いたら今回だけだという,普通は別に福祉の人だけが手術の立会人になることができるそれにしてもわざわざ埼玉から迎えに来ることは手間であり金もかかる
そういうことで負担になると思う
何か今や高齢化社会ではいたりつくせりの医療とか介護は限界にきている
それは数は多すぎるのと負担になるからだ

ここでも社会の負担,税金が払われる,そして手術の負担,それからまた介護の負担となる,生かすのはいいにしてもそれが自分も直接わずかでも負担したことになる
今や犬猫を自治体で殺処分しないと決めたが大量の引き取り手のない犬猫が保護されてもう対処しきれなくなっている,殺処分は残酷だからかわいそうだからとなったのだがこれもまたかわいそうだからだけでは野良の犬猫問題が解決できない
それは人間にも通じているのだ
つまり数が多くなるともう医療でも介護でも負担はできない,限界が来る
かわいそうだというだけでは犬猫でも人間でも対処しきれなくなっているのだ

ただ身寄りがない人が手術したり入院すると本当は怖い,それを自分は経験している
生活保護の人が手術しなくていいの手術されて病院の収入になっていた事件があった
つまり病院とかは無機質な非情な場でありそこにいる医者でも看護師でも実際は情はなく怖い存在なことを知った
それだけではない人間は弱者になったとき本当に怖い,そこにつけいり虐待もあるし
金をとることもある,老人は弱者化したらそうされやいのである。
情なき世界ではそうなるのである。

それで西部邁が癌になり入院したら病院から出れなくなるから自殺したという気持ちがわかる,入院することは刑務所に入ると同じなのである。最後は延命治療とかされて生き地獄になる,病院という場は怖い場所なのである。
そこに人間の情が通わない場所だからそうなっているともなる
病院でも何も病気になったら診てもらい家に帰るとか一時的入院ならいい,病院で死ぬということが怖いものがある
ただそれでも家族が通ってくる短いものならいい,自分の母親は一カ月くらいで別に苦しまずに百才で死んだからである。病院でも一カ月くらいで死ぬのはいいとなるのかもしれない。ただそれでもそこは怖い場所である

そもそも老人の場合は直らないということが多い,寿命だということが多い
それを引き延ばしても胃ろうとかしても苦しいだけだとなる
でも医者にしてみればそうせざるをえないのである。その人を生かしていいのかもうこれで終わりにしていいのか,安楽死させていいのかということがわからないからである。
だから西部邁は妻に二年前に死なれたとかあり介護されたくない,入院するのは嫌だとなったのかもしれない,でも息子もいるし他に娘もいたのかめんどうみる人はいたのであるそれでなぜ自殺したとのか理解しにくいのである。
ただ元気な内に死にたいという願望があった,そしてそのように死んだ
その死をどう考えるかはいろいろである。
都築詠一氏の死は自殺ではない,プログを死ぬ一週間前くらいまで書いていてそれですぐに死んだことには驚いた,最後のメッセージを託していたプログだったのである。
その死は自殺でもない,最後の力をふりしぼりプログを遺言として死んだともなる

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スポーツ日本


病院から出られなくなる

病院で死にたくない

こうここで書いているからそれは自分も経験しているからわかるのである。
それが自殺の原因だったということがわかる,それは本当に切実な問題なのである。

2018年01月18日

老後の金の計算のむずかしさ (積み立てて月に年金五万でももらうと助かる)


老後の金の計算のむずかしさ

(積み立てて月に年金五万でももらうと助かる)

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これは50から積み立てて90まで5万円もらう年金保険である。

一〇年間毎月60-70の期間を4万もらう保険だった,これは十年間だが民間の年金だった,これは親にかけてもらって役にたった
老後の備えは年金が有効である。毎月もらえるから安心感がある
それが4万でもそうだった,年金がいいのは死ぬまでもらえるものがあることだ
これは十年間だったが年金は死ぬまでだし新商品では九〇まで5万もらえるのは大きい
自分の場合は五〇〇百万かけていたから毎年五〇万くらいもらっていたのである。
これは貯金として五〇〇万円あるより安心なのである。
何か貯金は額が大きくて不安なのである。
老後にいいのは年金なのである。
年金を一定額もらえないと老後は苦しくなる,別に五〇〇万貯金と月々支払われるのと同じじゃないかとなるがそうでもない
これもそういう経験して不思議に思った
考えてみると10年間だと一〇〇〇万になると9万くらい月々支払われることになる

ところが貯金には何かそうした感覚がない,確実に使いすぎたりして目減りしてゆくのだ老後の金の計算はみんなしているだろう。
でも死ぬかわからないしいつ病気になるかもわからないし必ず不測の事態が起きるから困るのである。その時出費が増えて貯金は目減りするのである。
ただ正直金は計算できない,一千万あるとしてもその金がどういうふうになるのか?
みんな20年後まで計算するけどその間に何があるかわからないとしたら不安になるのである。

金はいつも同じ価値ではないからだ,百円の価値が半分の50円に実際はなっているとかなる,金の価値は常に変動しているのである。同じ百円でも千円でも同じ価値ではないのである。
だだ年金として支給されるのはわかりやすいというか安心がある
確実に90まで5万支給されるとなるとそれに厚生年金とかもらえれば安心になるのであるだからそういう保険ができたとんうのもわかる,高齢化社会だからそうなる
自分たちの世代にはまだそういう保険はなかったのである。
でも自分がもらったのはそういう保険の一種だった
ともかく何かと自分は親に良くされたのである。だから懸命に介護するのは当たり前だったのである。

高齢化の問題は実際は様々でありその対策はまだ出ていないのだ,こういう商品が出るのも高齢化社会である。
老後に備えないとならないということが普通になる時代になる
まだ自分たちの団塊の世代はそこまでしていない人が多い,そこまで余裕ある人は少ないだから下流老人化してゆくのが多い,高齢化は日本だけではない中国でも今すでに深刻である,一人っ子政策で親のめんどうみるのが大変なことになっているからだ
その制度も介護保険も整備されていないからだ

老後の問題は高齢化社会の問題はいろいろあるが金の問題が中心になっている
本当はそうではないが金がわかりやすいからそうなっている
現代はこれだけ金の支配する社会になったのだからそれに不満をいってもどうしようもない,金を中心に老後をまず考えるのはやむをえないことである。
なぜなら子供でも金は出せないとか大家族で世話してくれるわけではないからとなる

不思議なのは1000万の貯金を10年間で計算すると月々およそ九万にもなるのかということである。
84000×12=1008000となっている,これがなかなか納得いかないのである。
年金にすると厚生年金とか国民年金を加えると結構大きな額になるからだ
だから金をどう計算するかはむずかしい,とても数式通りにはいかないからである。
一千万の価値がそんなにつづくのか維持できるのかともなるからだ
もしかしたら半分にも低下しているかもしれないからだ

死ぬまでの金の計算などしたくない,でも高齢化ではしたくなくても避けられないのである。金が尽きたら人生も終わりだともなるかもしれないからだ
だからこそ年金は老後には大事なものなのだと最近わかってきたのである。
その自覚が若い人にはない,絶対にもう60代では人は死なない
今の40代は90才が男の平均寿命になるかもしれないからだ
すると60からの生活をどうするか金をどうするかが問題になるから高齢化また金がさらに必要な時代だとなる,それは用意していない人が多いのである。
自分は親に用意されていたが金だけではたりなかった,それで一人孤軍奮闘してきたことを書いた,これからもそうである。

人生は短すぎたから長くなることは悪いことではない,ただそこに数が多いから社会の負担が増えて問題になる
ただ個々人をとってみれば長く芸術でも探求してきたことを追及できる時代だとなるのだ芸術家は特に詩人などでも早く死にすぎたからである。
そうするといい作品も残せないとなる,それより芸術はつくづく時間をかけないと理解できないものだった,それだけ深いものがあるからそうなっていたのである。
鑑賞すること自体がむずかいしものだったのである。

要する高齢化社会は日本だけではない人類の課題として与えられたのである。
高齢を生きることで人生を豊かにする社会なのである。
それが人類史上はじめてのことだから問題が起きているのである。
人間の一つの願いに長寿があったのである。
それはあまりにも人間が早く死にすぎていたからである。
だから長寿が今実現するというときそれは人類の長い間の願いがかなう時代になったということでもある,ただそれだけからこそいろいろな問題が噴出しているのである。

はっきりいって株とか投資信託とかは老人向きではなかった
老後のたしにしようとしたがかえって損したりする
つまり老後に高齢化社会に向いたものでないなと合わないということがあった
それが証券会社でも銀行でも用意していないのである。
投資は若い人向きである。知識も経験も必要だし先が長く考えるのもそうである。
ところが老人向きのはそういう商品ではなかったのである。
東京のメガバンクなどでは老人向きの商品を出していたのである。
やはりこの辺は田舎では不利だったなとつくづく思う
高齢化というとき都会では高齢者だけが集まる食堂もあり高齢者用の食事も出している
それはやはり数が集まるからそういうサービスが生まれる
田舎ではそれだけの金がある老人とかが集まらないから老人向きのサービスが生まれないのである。
ただ高齢化社会ではこうしたサービスを銀行でも証券会社でも考慮せねばならない時代になったのである。
その対応がないから自分は安心安全で冒険したくないと言ったがそういう商品を示してくれなかったのであり
また地銀ではできなかったのである。

2018年01月11日

墓は何のためにあるのか? (記憶するためにある)


墓は何のためにあるのか?

(記憶するためにある)


墓は何なのか?墓は死んだ人を埋めたのだから死んだ人をそこで供養するということがある
供養のためにあるとなる,一方で記念碑としてあるのは記念するものとしてある
忠魂碑とかあるがあれは墓ではない,墓は死んだ人の骨などを埋めた所だからである。
一つの戦争に貢献した国のために死んだ人としての記念碑になる

墓が何かというとき墓に行けばお参りすると必ず死んだ人を思い起こすのである。
だから母の実家の墓にゆくと享年25才とかで死亡というときその人は若くして肺結核で死んだ,そのことを必ず思うのである

だから何かそこの墓にゆくとしめつけられるような圧迫感を覚える
「俺はもっと生きたかった,生きたかったが生きられなかった」という叫び声のようなものがいつも聞こえるような気がする
それで何かしめつけられるような気分になる
そのことを何回も母から聞かされていたからである。
つまりこの人はもっと生きたかったが生きられなかった,成仏しなかった
だから圧迫されるようなしめつけられるような気分になる

墓でもこの人は安らかに死んだなとなると別にそんなことはない
母は苦労し人だけで百才で死ぬときも楽に死んだからそういうことはない
姉の場合は認知症で苦しんでしんだから違っているが一応85才まで生きたからそれほどそうした圧迫感は感じない,兄は40才で交通事故で死んだから無念がそこに残った

ともかく墓はこうして必ず死んだ人を想起させる場所なのである。
もし墓がなくなればお参りする人もなくなればその人のことは全く忘れられる
確かに記録として書類ではその人が存在したことがあるとしても具体的に墓としてもないのだから墓で想起するのとは違ったものとなる
死んだ人は無数にいるのであり書類にも記されている
でも墓参りするのとは違ってくる,戦争で300百万人も死んでいるからである。
もうその一人一人のことを具体的に知ることはなくなる
だから過去に死んだ人は本当にこの世に存在したのかとなってゆく

墓はそれだけ死んだ人を記憶させる重みをもっているのだ
ただいづれ墓もお参りする人もいなくなると忘れられる
無縁化したりして忘れられる
でも記憶させるものとしての重みをもっているのが墓なのである。

いづれにしろ兄を知っている人は確かに子供のとき5年くらいここにいたけど知る人はいなくなった,そこに墓を建てたことにより毎日自分はそこを通るから記憶されるのであるだから別に骨は埋まっているわけではない,でも墓がありその人を記念するものともなる記憶するものとしてある,
「あなたはここに存在したんですよ,私はあなたの存在をここで確認します」
そういうことにもなる,それだけで死者はなおまだこの世に存在しつづけるということがある。

ただそうはいっても実家の墓には行きたくなくなっている
これまで書いてきたように不和争いの家だったこともある
そして何か圧迫されて苦しくなるのだ
だからかかわりたくないともなる
間違いないことは死者が墓とともに生きていて何かを訴えていることは確かなのである。もし墓がなくなったら墓参りもしなくなったらそんなこと感じないからである。


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2017年12月12日

母の命日に兄の墓を建てる (これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

母の命日に兄の墓を建てる

(これも不思議なの宿縁か?-なぜ人は死者を恐れるのか)

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兄の墓




これも偶然だったのか?母の命日に兄の墓を自分の隣にたてた,それなりに立派である。
原町の実家には骨が入っていたが骨壺もなにもなくなり土と化していたからもってきようがない,だからここには骨は入っていないのである。

でも墓を建てたのは母の実家の墓を守る人が確かに兄と5年間一つ屋根の下で一緒に暮らしていたのに知らないというのである。
そしたら供養にもならないだろう,知らない人を供養できない
そもそも墓の不可解はいろいろ書いてきたけど墓というものを供養しているのではない
人を供養しているのである。

その人を知らないとなれば供養もできない,知らない人でも話を聞いたりしてそういう人だったのかと知ればいいがそれすら知らないとなれば要するにその人は存在しないとなるのだ,存在しないものとして消されたのである。
時間がたてばそういう人はいくらでもいる,歴史的になるとその人が本当に存在したのかどうかもわからなくなるのだ,だからこの人が存在していたということが驚きにもなる

娘はいてもひどい目にあったから供養する気もしないし関心もないから自分が供養する他ない,自分の墓はすぐ近くで毎日その前を通っている,すると毎日手を合わすことすらできるから供養するにはいいのである。
墓も遠くになると疎遠になる,墓参りするのがめんどうになるのだ

墓が大きくしていたのは戦前頃まで焼かないで土葬だった,そういう実話として自分の家でも姉の母は自分の母と違っていたが姉がシンガポールに四年間従軍看護婦として勤めて帰ったとき母が死んでいたのである。
それで母をみたいと墓をあばいて見たら顔でもまだ形をとどめていてきれいだったという土葬だったからそういうことができた,これも戦争の悲しい物語である
その姉も死んで8年とかなる

母も死んで3年がたってしまった,時間の過ぎるのは早い,今日は母の命日であり兄の墓を建てることと命日が重なった,これも不思議といえば不思議かもしれない
自分の家は兄には悪いことをしたということがあり自分が供養した
ただその後の責任は全部自分の家にあるとはならない
なぜなら別に不遇でもそれなりに普通に生活している人は多いからだ
それは結婚してその結婚生活に失敗して経済的に破綻したからである。
そして交通事故で死んだのである。
そうしたことが全部自分の家の責任とはならない,だから娘は父親でも供養する気持ちがないのである。

なんか人間は死んでもめんどうである。墓の問題は結構めんどうなのである。
人間の最後の問題として墓がある,その墓でもなくなるとその人の存在はなくなるのか?
別に墓がなくても人間はいろいろと存在し続ける人はいる
英雄とかなると伝説としていつまでも語り続けられるのである。
人間は最後は物語にストリーになりヒ-ストリーになるのである。
必ず家族でも死んだら物語を残すのである。
だから残された人は自ずと語り部になるのである。

いづれにしろ何か宿縁というのはあるのか?母と兄とはいろいろあり兄は母を恨んでいた
でも大人になってからは恨むこともなかった
そして兄は娘を一時児童相談所にあづけることになった
何か本当に母とにているのである。何かそこにカルマがある,カルマとは同じことが運命的にくりかえされることなのである。

ともかく兄の墓を作ったことでまた母の遺言を果たしたことで楽になった
自分の勤めは果たしたとなる,今墓で母と兄も結ばれているともなる
墓は分離するのは良くない,それは実際の家族でも何でも分離していることになる
不和になって分裂していることになる
母の実家のは墓はそうである。みんな不和分裂している,実家の墓でもその墓を守ってくれと長男にあたる人に300百万で頼まれても墓は維持できなくなる
遠いし墓参りにくるだけでめんどうになるからだ
だから自分は頼まれなくて良かったと思う

つまり墓のめんどうなのは墓の因縁を墓にうめられた人たちの因縁を背負うことになるから簡単に墓など金もらったからと継げるものではない
悪い因縁があり祟るということもありうる,だから墓は墓という物を受け継ぐのではない何かそうしたその家であれ因縁を受け継ぐことになるから金だけでは簡単に受け継ぐことはできないのである。
そして心から供養する気持ちのない人も墓を受け継ぐことはできないだろう
そこに墓のむずかしさがあったのである。

墓建てぬ母の命日寒しきも息子とともに安らぐべしかな

神社には、無念の思いで死んでいった人の祟りを鎮めるために、神として祀って慰める神社があります。
怨霊信仰、御霊信仰といわれる神社です。
平将門や崇徳上皇を祀った神社などは、そういうものに該当すると思います。

確かにみんな死者が往生したわけでもないし成仏したわけでもない,そういう人はまれなのかもしれない,人間はなんらか未練を残して死ぬのが多いのである。
それはカルト教団に入っていても同じである。むしろそこの方が不孝な人達の集まりだから未練を残して怨霊になるような人が多いだろう。

自分でも死者ををどうしていいかわからない,ただ恨んでくれるなとなるのは確かであるその不孝な死は本人の責任も大きいがいろいろ事情あって墓を建てた
安いものだったから良かった,でもそれなりに立派なのである。
墓はあれで十分だと思った,あれならあとかたづけるのにも墓を守る人がいなくなったら楽だからである。

いづれにしろ人は死んでもそれで終わるわけではない,その後も墓とか具体的な問題が残る,明らかに靖国神社があるけど死んだ人の霊が靖(やす)かれということがある
死んだ人に対してそう祈る,そして悪いことが死者が祟らないようにする
でも実際に「ひどい娘だわ」と自分に最後言って恨みを残して死んだ人を知っている
そうなると何か死者の霊は休まらないともなる
自分は祈る必要もないが娘はやはり墓参りする,するとそれを偽ることはできない
だから死ぬときでもそうして恨みとか残して死ぬのはあとあとまで祟るとなるから怖いのである。それで怨霊を祭る神社が生まれたのである。

ただ今回の富岡八幡神社の宮司殺人事件のような人は怨霊にもならない,あまりにも利己的な身勝手なものであり怨霊神社となったのは何か理不尽な結果として死んだ人達のことを恐れたのである。それはなぜか?
そこに心のやましさがありそれで死者を恐れたのである。
今回の事件はそんなこと一切ない,あまりにも汚れた宮司の継承問題であり
その悪は一切事件を起こした人にあったからである。
呪われるのはその事件を起こした人達であり回りの人はなんの関係もないのである。
怨霊として祟るというとき一体誰に祟るのか?
自分自身の不徳に祟るからそれは全部その本人にかえってゆく,回りの人は関係ないのである。

ともかく自分の墓なら毎日通る道にあるからそこを通るたびに手を合わすこともできるし何か死者と一緒に暮らしているという感覚にもなる,離れていると墓だって疎遠になる
だから墓でも親の墓は子供の移った先に移動しているのである。
何か自分は責任を果たしたという感じになり楽になった,死後でも死者が安んじるようでないと祟るとはならないまでも嫌な感じになるからだ
死者とは何かわからないしやっかいな問題だったのである。
タグ: 怨霊

2017年12月05日

墓の変転する顛末 (墓も無常をまねがれえない)


墓の変転する顛末

(墓も無常をまねがれえない)

墓は分離してあると良くない,原町でも遠いとなる,なぜ自分の家の方に兄の墓を建てるのか?それは事情があってそうなったのだ,兄は自分の家の戸籍には入っていない
意外と戸籍に入る入らないかはあとあと大事になる
財産の問題にもなる,戸籍に入れなかったということはそれだけ入れたくなかったのである。ただ五年間は一緒に子供のとき同じ家で生活していたのである。
だから覚えているのである。

ところが母の実家で暮らすようになってからは行き来していたが一緒に暮らしていない
その家で一緒に暮らした女性がいたがその女性は兄を覚えていないというから不思議なのである。ただその女性は人格的に異常化して普通の人でなくなったからそうなったのか?

ただ実家の墓はその家継ぐ長男にあたる人が墓を守ってくれと三百万はらって頼んだのである。もともと実家で育った人だから実家の墓を継ぐべき女性だったともなる
ただその女性は実家の姓とは違ったものとなって墓も別にあるのである。
そして住んでいる場所が原町でとなく遠いから困るのである。
何か墓でも遠くなると管理しずらくなるからだ
要するに墓が実家の墓,そこから別れた姓が別になった墓,そして自分の墓がある
何か生前も不和分裂の家だったのだが死んでからもそうなっているのだ

墓が分離していることはやはりその家も分離しているのである。
その女性は狂気のように自分の家に来て別れもう会うことはない
結果的に自分は兄の墓を自分の墓の隣に墓標として建てる

なぜそうしたかというと近ければいつでも供養しているとなるからだ
毎日のように墓の前を自分は通っているからだ,そしたら墓もいつも一体であり死者とも一体だと気持ち的になるのである。

墓でも遠いところから墓参りにきている人がいる,良く仙台ナンバーはみかける,この辺では仙台に移り住む人が多いかである。
広域社会になると全国に散らばりすむようになり家族もばらばらになる
すると墓を守るのは誰かとなり継ぐ人もいなくなり捨てられるようになるのが多くなる

だから墓は立派なものを建てるべきではない,墓標のようなものでいい,そしたら十万もかからないのである。あとでかたずけるのも楽である。
それは家とにているのだ,大きな家は空家になったらかたづけるのが金もかかるしやっかいなものとして負担になるのである。

そして墓は共同的な墓の方がいいとなる,なぜなら十人が一カ所に埋まっていれば誰かが墓参りしてくれるからである。一家族だと絶えてしまうのが多くなるからだ
そして個々人の墓標を建てあとは取り払えばいいのである。
墓だっていつまでも残せないからである。
実家とか長男とかが家族の中心にあったときは家は維持できたが今はできないのである。

いづれにしろ兄の墓の顛末も奇妙なものだった,交通事故で死んだとき運送会社で墓を作ってやると言って自分の家ともめたのである。
その時自分は車をもっていないから事情がわからなかった,ここでも車をもたない人は今の社会がわからないのである。
保険金をもらいたくてそんなことを言ったのである。そして骨を渡さないとかもめたのである。その時妻とは離婚していた
なんでも乞食のような恰好をしてきたのを雇ってやったととかしきりに恩きせがましくいい,墓は作ってやるから代理人にしろということだったらしい
自分は事情がわからないので帰ってきたのである。

ただ兄はその運送会社に入って喜んでいたことは確かである。
仲間ができてその仲間と死ぬ前に仕事で自分の家に寄ったのである。
その時は喜んでいたからその運送会社の社長とか仲間が別に悪い人達でなかった
それは保険金が関係ないときである
人間は保険金とか大きな金になると目がくらみ欲がでて悪魔に変身するのだ
そういうことは世の常である,だから人間の欲は本当に怖いのである。

ただ正直なぜめんどうな問題に事件にまきこまれたのか?
それは自分たちの家のせいではない,夫婦が不倫したり離婚したり経済的に困窮したのは自分たちの責任ではないのである。

とにかく兄の墓がこんな事情で静岡で死んでそして母が骨をもってきて原町の実家の墓にうめた,そして今度は自分の家の墓の隣に墓を建てて供養することにしたのである。
実家の墓はたまに墓参りするにしても将来的には自分はかかわらないかもしれない
兄の墓ともなっていたので墓参りしていた,後は墓をまかせられた女性に託すほかなくなる,その責任は自分にはないからである。
だから墓を守れと頼まれるのも実際は難儀なことだったのである。


ともかく墓の物語は死んだ人の人生の物語だともなっていたのである。
ただ兄の墓を兄を知っているひとはいなくなった,ここで子供のとき遊んだ仲間がいてもそれも年取って忘れる
人間はみんな忘れられる,墓だって遂には誰の墓なのかもわからなくなる
そして捨てられる,その人のことを知る人もいなくなる
それが人間の無常なのである。墓地とは無常の場所なのである。
近くの神社の墓地でもそうである。
子供のときその墓の上で遊んでいた,そこは人が埋まった場所だったのである。

そんなふうにもうその墓に埋まっている人は誰も知らない,江戸時代の墓も多いからだ
ただ自分は墓に関心をもって調べているから江戸時代の年号が刻まれていると貴重だなと思うくらいなのである。
結局墓も無常をまねがれないのである。いつまでも残すことは何でもできない
だから立派な墓など作るべきではない,簡単な墓標で共同的な墓がいいとなるのだ
それなら壊すのも簡単だしまたその墓地は他の人が使うこともできるからである。

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小池の墓地に倒れた墓だがこれも誰も参るものがなくなりこうなった,もしこの墓をお参りする者がいたら倒れたままでなく
立てておく,ということは誰もお参りするものがなくてこうなったのである。
だから無常なのである。

お墓の処分は宗教的な感情対象物として「現時点ではまだ適切な処分規定は定まっていません。」産業廃棄物として指定できる自治体(市区町村)もあれば、地域の関係団体などからは「廃棄物として適当ではない」という意見もでている県もあるようです。

産業廃棄物の品目の規定や解釈は、各地方自治体に任せられておりますので、自治体によって相違することが多いためのようです。


墓は何なのか?それがわからないからこうなる,墓と碑は違っている,墓は供養するものである。碑は記念するものである。だからデザイン墓は墓なのか記念碑なのかとなる

なにかモニュメントのようにしている現代の墓は墓なのかという疑問もある

記念碑にするときは何かに功績があった人であり生前に自分の記念碑を作るというのも変なのである。

なぜなら一旦記念碑でも墓でも捨てることがむずかしくなるからである。

ただ記念碑なら捨てやすいかもしれないが墓だと捨てにくいとなる

墓には骨がなくても霊魂が入っていて供養する対象としてあるものだからである。



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2017年12月04日

老後は減らす生活を目指す (物を買わない,新しい物を買わない)


老後は減らす生活を目指す

(物を買わない,新しい物を買わない)

●スマホはやらない
●ノートパソコンは買わない
●動画はやらない
●印刷はコンビニで
●なるべく物は減らす
●物をなるべく買わない
●新しい本もなるべく買わない
●なるべく何回も同じもの読んだり見たりする
●生活をシンプル化する
●野菜果物は買う

スマホは本当は今の生活では不可欠である。でも老人には目に悪いし疲れるからしない方がいいともなる,パソコンはずっとしていたからしてもいいがスマホは別である。
ノートパソコンもこれも旅行したりすると必要になったりするがそれもめんどうである。何かノートパソコンを三万で買ったが故障して使えなかった

動画をとろうとソニーの日ビデオカメラをアクションカメラを四万で買ったがこれも使えなかった,実際はこのカメラは不良品になっていたのだ
ASUSの三万のノートパソコンも壊れやすいものだったのである。

印刷するにしても意外とめんどうでありインクが消耗してコストがかかる,するとコンビニで10円でも二十円でも印刷した方がいいとなる
機械をもつことが意外とコストがかかりめんどうになる
つまり印刷などはかえって個人でするより自動でも装置がついている場でするのがいいとなる,それは相馬市にあるが遠いのでできないので残念なのである。

自転車でもロードを買ったがこれも早いので危険なことを知った,だから必ずしも老人には向いていない,安定しマウテンバイクの電動自転車の方が向いていた
老人にとって危険なものがかなりある,使いたなせないものがかなりあることがわかった
本でも電子本でも読める機械を買ったがこれも読みずらかった,要するに便利でも使いこなせないという問題が老人にはある
新しい本と古本を集めたがこれもみんな読めない,読む気力がつづかない
そして忘れやすい,だから買ったとしても何度も読んで脳裏に刻む,記憶するのがいい
それはテレビでもインターネットの放送でもそうである。
その点youtube は何度でも見れるからいいのである。一回限りでは頭に入らないからである。

新しいものはなるべく買わないようにした方がいい,本でも古典的なものを何度も読むのである。百回読んでもそういうものは糧になる,ヘルダリーンの詩などは最近読んでそうだった,他にいろいろな現代の詩などは読まない方がいい
ただ今まで研究してきた分野では資料とか本はそろえている必要がある
でも新しい分野のものは買わない,買っても読めないし理解できないからだ

ともかく老人は消費意欲が衰える,消費できないのである。
そして教訓として

あきらめてシンプルに生活しろ

いろいろ買って何かを身につけようにもできない,だから何でも買うというのもあきらめることである。このあきらめるということが大事になる
もういろいろなことはできないからだ
自分は家事を全部しているとそれだけで手間になるからだ
野菜とか果物は健康のために食べていた方がいい,なぜなら老人にとって健康が最も大事なものだからである。

本当は株とか投資信託とかもすべきではないのかもしれない,つまりこれも理解できないからである。基本的なことすら理解できないのである。
若いときからしていれば経験で理解するがそれができないからである。

老人にとって大事なのは本当はいくら利子がつかないにしろ理解できないものに手を出すのは危険である。つまりそうしたこともあきらめろともなる
実際は自分はしているがもうかっていないからだ

意外とこのあきらめるということは今までもしていない
それが老後にきて現実にあきらめざるをえない,しかしあきらめきれないのである。
物を集めたものが捨てられないでゴミ屋敷にもなるである。
何かそれはあきらめきれない結果としてそうなっているのだ

何か物をもっていることが老後は負担になるのである。確かに家があればいい,でも大きい家となると修繕がありまた金がかかる,それで仮設を今壊しているが建てるのも簡単だったし壊すのも簡単だなと見ている
大きな家となると壊すのにも金がかかりこの辺では事情かあって壊すのに二百万くらい市から支援されたのである。

ある人は体が動けなくなり家に住めなくなり車に住んでいた,そして這ってやっとコンビニに買い物に来ていたのである。家が負担になり住めなくなったのである。
家を放置して車に住んでいたのである。
家を維持することが負担になりそうなった,家すらあっていいようでも負担になる
あることが負担になる,九州くらいの土地が今誰の持ち主かわからなくなっているという山林などがそうなっていて困っている,利用するにも土地の所有者に了解をとらなければならい,でもその土地の所有者が無数にいて細分化して利用できないのである。
これもあまりにも明治維新後私有権を認めた結果なのである。

何かもっていること所有していることはいいことのように見えても負担になるのだ
ただ人間はあきらめきれない,いつまでも生に執着して延命してでも生きる
それが本能だからどうにもならない,でも老後はあきらざるをえない,だから生活をシンプル化することがかえって楽になるのである。
それは欲を減らすということが若い内はむずかしいが老後は欲を減らすことが強いられてもいるのだ

禅宗だと無一物だとか無欲を追及してきた,それが老後には強いられる
いろいろなものをもっていることが実際に負担になるのだ,最後は家そのものが負担になるのである。
もし簡単な仮設とかあばら家とかだったら未練なく壊すことができる
大きな家は未練が残り壊すのにも金がかかり負担になるのである。

ともかく老後はあきらめるということが強いられる,その前に自らあきらめるという生活をする,何か執着してもあきらめざるうえないからである。
そして生活をシンプルにしてこれまでやってきたこをやる,やれることはやる
写真を追及していたら継続してやる,でも動画となるとめんどうだからしないとなる
そういうふうにやれることとやれないことを明確にしてあきらめることが大事になる
これを書いたの自戒のためである。

2017年12月01日

介護の後に燃え尽き症候群 (人間は最後まで協力して人生を全うすることが大事)


介護の後に燃え尽き症候群

(人間は最後まで協力して人生を全うすることが大事)


近所の、認知症で透析しているじいちゃんの世話を 
長期間してた娘さんが 
じいちゃが亡くなって一年後にガンで亡くなった 
自分の体は後回しになったらしい 
それ以来高齢者の透析はどこかで線引きが必要と思うようになった

脳梗塞で倒れ、幸いにも軽くて医師からは頑張ってリハビリすれば
また歩けるようになりますよ、と言われたにもかかわらず、
真面目にリハビリしないで結局は車椅子生活に。

その分、老々介護で母の負担は重くなり後に母の寿命を縮めた、
せめて周囲に感謝の一つも述べてくれたらと恨むことがありました。


介護をやりきった後の燃え尽き症候群

介護を最後までやり遂げることに全てを捧げてきた為、介護が終わった途端、人生の意味や目的など、生きる指標を見失い、燃え尽き症候群のような症状から鬱状態になってしまうのです。

燃え尽き症候群はバーンアウトともいい、やる気を高く保っていた人が突然のようにモチベーションややる気を失ってしまう心の病気です。
燃え尽きてしまうと、何もやる気が起きず虚無感を感じたり、自信がなくなったりします。


介護を十年間したけど何か消耗した,燃え尽き症候群になった,まず外に出たくない,旅もしたくないとかなった,これは別に介護のせいではない,年のせいもある
でもこれだけ旅したのにしたくない,それはやはり旅するにもエネルギーが必要だったからだとなる
旅を後押ししてくれた家族がいたことで自由に旅できたのである。

介護の後に病気になったとき寿命を縮めたとかあるのもそうである。自分は介護中に病気になったからひどかった
その時助けるものは一人もいない,ただその病気とか弱ったことをいいことに借金とかその他犯罪にあっただけである。
そういうことをプログで書いてきた

介護はそれだけエネルギーが奪われる,介護が無駄とかではない,介護でも意味があるし自分の場合は意味があり恩返ししたから良かったと書いてきた
ただ介護でエネルギーが奪われてその後に病気になったり寿命を縮めたりすることはある介護の問題は一年とかではない最低で5年でありさらに十年でも普通にあるのだ
その長さの故にまいってしまうのである。

ただ介護から死の看取りとか供養とかを経験すると自分の場合は介護が終わり死んでから感謝している,感謝の念が深まっている
介護は確かに力を奪うのだが自分は親に特別良くされたから違ったいた
そして親の一生はあとあとまで影響する
親がまともに生きず死んだら子供も親を供養しないし墓参りすらしなくなる

自分の場合は親が生きたことかは生きる励ましとなっている,苦労して良く生きたなとか自分のために尽くしてくれたなとかなって死んでから生きる力を与えているのである。
だてから供養もしている,ただもし自殺していたりしたら後味悪いものとなった
母は腰が曲がったときそういうことがあった
でもそれから別に腰が90度曲がっても10年は生きて百才で死んで往生したのである。

だから事故とかで死んだり何か人生を全うしないで死んだ者は生きる励ましとならないだろう。別に平凡な人でもそれなりの人生を全うすれば子供でも後の人にも評価される
ただ不遇に死んだ人,昔だったら肺病で死んだとかなれば同情される,供養される
それは時代だからしょうがなかったのである。

そして夫婦だったら夫婦を全うすることが後の人にとっても子供にとってもいいしそうした家がつづくのかもしれない,家というのは離婚したりして夫婦が別々になるとめんどうになる,その家に繁栄はなくなる傾向が多い,まず離婚してシングルマザーになっている人も今は多いが苦労が多くなるし豊かにはなれないのである。
夫婦が協力しない家で豊かになれるとは思えないのである。

自分の家は複雑であったが両親ではないが二人の女性が争いつも協力した結果,ある程度の財を築き豊かさをもたらした,そして最期は悲劇であり分離したがそれは認知症という病気のためだったのでしかたがなかった
ともかく自分の家は二人が協力したからたいしたことはないにしろ財を築いたのである。
離婚した人は豊かになっている人はまれだろう。一人だけでは人間は協力しない限り豊かにはなれないのである。
だから結婚の誓いで

「新郎(新婦)となる私は、新婦(新郎)となるあなたを妻(夫)とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います。」

死が二人を分かつまでとあるがここが大事なのである。それで夫婦として生を全うしたとなるからだ,それは子供にも良い影響を与えるのである。
結局今は三分の一が離婚するのだからここが一番大事なのである。
そうすると後の人にもいい影響を与えるのである。

自分の家はともかく60年間一緒に生活していたことで最期は悲劇に終わったが遂に死んで二人は結ばれ家族は一体となったのである。
普通だったら分離していたしそうならないのは特別なことだったのである。
だから自分にもいい影響を与えたのである。

母の実家はみんな分離して分裂している,後継ぐべき人が弟だったが姓が変わり墓は別になったのである。そしてまたその実家に埋葬した自分の異父の兄も今度は自分の墓の側に供養のために墓標を作る
何かこうして母の実家の墓はその後ももめているのも分裂しているのもそうした家族だったから争い分離する分裂する家族だったからそうなったとなる
墓参りは一人ではなく何人かでした方がいいというき第一そうしてその後もまとまらなくなる,不和分裂の家だからその後も墓を守るべき人もそうなったのである。
その仔細は前にも書いた

協力しないことは家だけではない地域でも国でも栄えることはない,不和になり分裂して争いになるとその団体でも組織でも地域でも国でも衰退する
それは南相馬市は原発事故の補償金でもめて争いになったことでもそうである。
そのために協力できない,その影響も大きかったのである。
そういう市は自治体は栄えることはむずかしくなる
だから争わないようにすべきだったができなかったのである。
市でもそういうことを念頭に置き対策すべきだったがしなかったのである。

明治維新でも内戦になり日本が二分したら外国が侵略してきて日本は二分されて衰退したそれをなんとかくい止めたから繁栄もあった,不和の影響は大きいのである。
だから天皇があって日本がまとまるというとき天皇の役割が日本では大きいともなる
天皇も批判されるが日本をまとめるものがなくなったら分裂して外国に侵略されるからだだから聖徳太子は「和をもって尊しとすべし」となったのである。

いづれにしろ介護から死から供養は一連のものとしてあった,供養は疲れないが介護でも死の看取りでも疲れる,消耗が大きいのである。
二人を介護して看取りしたことでエネルギーが消耗したのである。
自分の場合は病気も回復したから良かった,母の介護はオムツもしないし他より楽だった最後まで一週間前まで自宅でポータブルトイレに行っていた,オムツはしなかったのである。そして病院に入院して一カ月くらいで死んだのである。
5年間くらいは介護したが母の場合は楽だった,姉の場合はひどい認知症で介護するのも大変だったが二年半であっけなく死んだのである。
そういう点で一人で悪戦苦闘したが楽な面もあったのとふりかえるのである。
そして今では二人に感謝して供養している,恨むことも自分の場合はないのである。

2017年11月28日

死んで人は終わらない (墓の問題は具体的なものとして残される)


死んで人は終わらない

(墓の問題は具体的なものとして残される)

人間は死んでもそれで終わりではない,別にむずかしいこと宗教などのことでもない,人が死ねば今度は死んだ人を葬る墓が具体的に必要になる
その骨とか灰をどこかに勝手に捨てるわけにはいかない,それは法律にも違反する

人間は死んでも終わっていないというとき具体的な問題として墓がある
死んだ後にも墓が人間には残るからである。
そこで現代は墓のことで悩む人が多くなる

そもそも墓とは何なのか?
これがわからないのだ,自分の異父兄弟の兄は事故で死んだ,その墓には骨壺があり骨を入れておいたがなくなっていた,何にもないのである。他の人の骨壺もなくなっていた
土になってしまったのである。
だから娘にその骨壺をもっていけといってもないのだからもっていきようがなくなったのである。

だからそもそも墓とは何なのか?死者とは何なのか?
それがわからないからそうなる
現実に近くの人は金がないので墓に母親の名前を刻んでいないのである。
墓に名前がないと一体それは何なのだとなる
その息子は評判の悪い息子であり親不孝の息子だからそうなった

その親はとてもいい人であり近隣からも慕われていたのである。
そして自分の家族が認知症になったときも受け入れてくれた唯一の人だったので感謝している,だからお礼として自分の隣に墓を造った
それはただ石に名前を刻んだだけのものである。
ただ名前が刻んであるだけなのである。そこに花を挿したりしている

そして今度は異父兄弟の兄の墓を自分の墓に作る,これもただ名前だけを記した簡単なものである。そういう墓が他にもある,卒塔婆だけがたてている墓もある
人間は墓はかえって粗末なものでもいいような気がする
なぜなら跡継ぎがいない時代には墓はかえって邪魔なものとして残るからである。
墓は簡単に捨てられないからである。それでも墓の墓場ができているのも時代である。
もし簡単なものだったら捨てるのも容易になるからいいともなる

人間はそんなにこれがけの数がいるのだから死ねばそんなに残り得ない,みんな忘れられてしまうのが普通である。江戸時代には墓が残ったのは侍くらいだけである。
庶民は墓がなかった,それは経済的な問題もあった,墓を造るには金がかかったからである。今でもそれなりに金がかかる,でも立派な墓を造っても今は跡継ぎがいない時代だから無駄だとなるのだ,かえって邪魔なものとして残りつづけるのである。

なぜ兄の墓を自分の墓の隣に空いているから作ろうとしたのか?
それは実家の墓が原町であり墓参りするにもめんどうなのである。
一人その実家で育った女性がいるが福島市に住んでいる,ただ一年二回くらいはその人は墓参りしている
その女性は実家の長男にあたる人から「墓を守ってくれ」と三百万もらい頼まれたのである。
じぶんはそんなこと頼まれなくて良かった,墓など守れないからである。
いづれ自分だって死んでしまうからである。
そんな頼みを請け負ったから大変なことになったと今では思う

自分の家の墓と兄は姓が違う,すると同じ墓には入れないのである。
江戸時代では実家の姓嫁いだ先の家の二つの姓が墓に刻まれているのもある
でも姓は一つにされたので同じ墓に入りにくいのである。
だから名前だけを刻んで供養することにした
その墓には骨もなにもない,ただ名前だけなのである。

そして墓とは何なのか?それは土地と関係して生まれていた
死んだら土になるというときまさに骨もなにもなくなり土になっていたからである。
その土地の土となった,でも今は土となるとしても広域社会になり遠くで生活して死ぬ人が多いから生まれた土地とも縁がなくなるのである。

そもそも人間は去る者は日々に疎しになる,生前から離れて暮らしているとその人のことが疎くなる,それは不思議だが墓でもそうなのである。
原町にあるのとすぐ近くにあるのとは違う,自分の墓は歩いて五分もかからないすぐ近くに墓がある,その墓の前を毎日のように通っているのである。
すると花が枯れたから淋しいなとか挿したりする
それは墓が身近にあるから墓のことを気にするのである。
墓はそうなると常時近くにあれば供養しているともなるのである。

つまり墓すら遠くにあれば疎いものとなるのである。
江戸時代あたりは農業中心だから農業中心の思想が宗教的なものでも生まれた
それが死んだ人は山に葬り田植えになると山から先祖が下りてくるとかの宗教である。
それは農業中心の社会から生まれた思想であり宗教観である。

人は死んだら土に還るとはまさにそうである。これは農業的宗教観である。
遊牧民だったら天に還るとなるからだ,その思想の相違も大きいのである。
土に還るというとき死んだ人はその土地のものとなりありつづけるということにもなる
それは近くであってこそそうした宗教観をもてるのである。
離れていたら例え隣の町でも何かそうした思想は生まれにくいのである。

近くだと死者もいつもここにいるなと感じる,それは生きていても離れていると特に東京とか離れていると疎くなるのである。それと同じように死者すら離れていると疎くなるというのも奇妙だけど感覚的にはそうなるのである。
だから毎日通る近くに墓があることは毎日死んだ人を意識するから生きている人と死者も共にあるともなる

ともかく人間は介護があるしまた死んでからも墓の問題があり供養がある,何か観念的なものでなくても具体的に墓の問題があり後始末があり死んでも簡単には終わらないのである。だから故郷に住めなくなった原発避難区域などでは墓の問題がありこれも結構むずかしい問題である,墓を移した人もいる,もう故郷に住めないとなるとその土地の土にもなれないとなってしまったのである。
それも一つの問題でありあまり話題にならないが大きな被害を与えたともなる
精神的損害だったということは言えるのである。
ただこの精神的損害を言ったらもうきりがないのである。
いくら補償金を与えても満足が得られない問題なのである。
ただそういう被害は外からは軽く見られることは確かである。

2017年11月27日

死者への供養は愛情である (すべての死者が敬われることはありえない)


死者への供養は愛情である

(すべての死者が敬われることはありえない)

死者を弔う心

日本人は、夏にはお盆をします。先祖の霊を自宅の庭に迎えて、弔い、また家族団らんの時を持ちます。そこには先祖たちの霊も一緒にいる。生者も死者も共に家族一緒になって団らんの時を過ごすのです。あたかも日本人は、死者の霊と共に生きているようだ。また日本人は、神棚や仏壇に食べ物や水など、先祖供養のお供え物をして、死者と共に暮らしている。
 それでラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、そうした日本人の生き方にとても感銘を受けて、日本を「死者の国」と呼びました。これは、日本人は死者の霊と共に生きている人たちだ、という意味です。


死者とは何なのかこれも謎である。確かにこのように日本人は死者を大事にする,月命日とかあるのもそうである。月ごとに死んだ人を供養するというのはそれで死者に対して思い入れがあるということである。
それが仏教では死者の供養の宗教となった,このサイトではそれをキリスト教の信仰と同じだとも言っている,日本人の心は死者と密接に通じたものだというのもわかる

でもみんながそうなのか?そういう日本人の伝統があってもみんなが死者を思っているわけではない,その人は親にひどいめにあったので親が死んでも供養する気も墓も作る気もない,金もないからそうなっているがまず親に対して何の関心もないのである。
親はその子を愛さないわけではなかったがいろいろ問題起こして事故で死んだからであるそれも中学生の時死んだからである。
その人は死んだ親に何の感情ももっていないのである。
だからみんなが死者を思うということはないのである。
いくら日本人の伝統でも個々人では事情が違ってくるのである。

死者というのはまたこれ愛すべき人が死んでみないと何なのかわからないのである。
自分は家族の一人は死んで八年になるしもう一人は二年とかになる
そういうことで死者のことを考える,わかったことは人間はなんでも継続なのだとういことである。人間は死んだからといって突然なにもかも途切れことはないのである。
自分の場合は60年間一緒にいたことが影響した
自分は特別愛されていたからそのことが影響した
ではそうして親が死んだときその愛情もすべてなくなるのかというとそうではない
やはり遺影がやさしく自分を見ているのである。
そして自分も遺影に語りかけているのである。

そこでわかったことは愛されたものがやがて愛する方に回る,それは介護になったときからそうなった,愛される方から介護になり愛す方に変わったのである。
その継続としてまた死者の供養があったのである。
死者は何も答えないしいるのかいないのかもわからない,でも愛情は死んでもとぎれることはない,それは死者でも愛も継続しているからである。
死んだときすべてが無に帰することもない,人間は死んでも継続するものがある

ただそれはあくまでも生きていたときからの継続なのである。だから死んだから死者になったから特別扱して先祖崇拝になることはないのである。
それで毒親のような人は死んでも子供は何の関心もなくなるのである。
生前にひどいめにあったから死んでも愛せない,供養もしないのである。
供養とは愛情のことなのである。

愛情がないかぎり死者への供養はしないのである。死んでからはむしろ生きている人が死者への愛情がなければ供養しない,確かに死者は何も答えない,愛情があってもそれを感じないかもしれない,ただ謎は愛情の交流は死んでもありつづけるのかもしれない
愛が生きている人から死んでいる人に流れてゆく,どっちかというと生きている人から死者へ流れてゆくことが多くなる,それは介護の時からそうなっていたのである。

まず親でも子が愛情がなければ介護もしない,その時からもう親子は愛情もないのだから親子でもなくなっているのだ。だから生前の継続として何でもあり突然に途切れて何か変わることはないのである。
だから日本人の伝統として死者の文化があった,としても全部にあてはまるわけではないのである。
ただ人間が死んだからといって何もかも終わりにはならない,生前からの継続するものはありつづける,生者が死者を偲ぶということはまさにその継続なのである。
でも死んでから偲ばれない人も親もいる,それも生きている時からの継続だからそうなっているのである。
だから人間は生きているときどう生きるかが大事になる,もう俺の人生は失敗だったといってせう一度やり直そうなどできないからである。
ともかく生と死を断絶したものとしてありえないのである。
死んだからといって死者が特別なものとなり敬われることはないのである。
死者が特別扱いされるのも危険なのである。生前がどうであれ死んだ途端に特別扱いはできないのである。

墓をどうするにしろ愛情をもてないことが一番の問題であり墓相がどうのこうのと関係ないのである。

死者とか墓とかいろいろ考察してきたけど前にもこういうことを書いていた

タグ:供養 死者

2017年11月26日

母の遺言は約束は果たした (その責任は重かった、だから軽々しく約束はすべきではない)


母の遺言は約束は果たした

(その責任は重かった、だから軽々しく約束はすべきではない)

約束を守る義務が発生するのは、何かを主張した時に、それが真であることを立証したり保証する義務が発生するのとよく似たことである。たとえば、何かを主張して、後で実際にそうでないことが分かった時には、彼は何らかの仕方で責任をとる必要があるだろう。これは、約束をして、それを履行しないとき、何らかの仕方で責任をとる必要があるのと同様である。

「とにかく、嘘はついてはならん。勢いや気合いを語っても仕方がない。
悪い事もしっかりと伝えよう。約束はしっかりと守る事が大切だ。」という

小さな約束事を守るために、もう約束をしない

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」  
  マタイ 5:33〜37


  
自分が約束したわけではない,母が死ぬ一か月前に大きな声で孫に金払えと言ったことを守った、死ぬ前に認知症にもなっていたのでそんな大きな声で金額まで指定して言ったことに驚いたからである。
なぜなら認知症になり金のことがわからなくなっていたと思っていたからだ
ともかく人間は死ぬときに言う言葉の重みがわかった、最後に自分に託された言葉だったのである。

実は別に孫に金を払う必要はなかった、事情があり払わなくてもいいのである。払うと法律違反にもなるからだそうはいってもその最後の言葉の重みで払った、金というのはやはりそれなりに重いものをもっている
金の貸し借りでも金が世の中では一番重いものとして働いている
だから金についてはきちんとしていないと後でやっかいなことになる
前に書いたが金というのは何でも受け取っていいものではない、金を受け取れば大きな責任が生まれる

例えば不幸で死んだ人の金を遺産でも受け取ると何か災いが生じる、金は金でありもらえるものはもらえばいいとはならない、金には何か怖いものがある、呪われた金もありそれが後に災いになる
一億円でも拾ったらいいかとなるがならない、その金は得たいの知れないものであり災いをもたらすのである。得体の知れない金は何か不正があり災いをもたらす、どうしてあなたはそんな金をもっているのですか?
その理由が正当でないと災いになる

自分の家は遺産でも両親とか家族がいて受け継いだ,その金は家族が正当に働いて家を建て残した財産である。それを説明できる,店をやっていたし家族は協力して財を築いたのである。
だからそこには不正はないのである。その理由は説明できるのである。
でもそうでない金だとするとどうなるのか?それは災いをもたらす
一見何でも金が入ることはいいことに思う,みんなそれを願っている
でも確実に受け取ってならない金がある、それは後で災いをもたらすからだ

このことで思ったことはせ約束を誓うことを契約を果たす責任の重さだった、社会人として生活しないと何か人間は欠けたものになる、だから現代社会では僧院なようなところで生活していたら社会のこともわからないから指導者にもなれないのである。
僧院で暮らせるような時代があり今はそういう時代ではない
実際に良く聖書で契約のことを言う、聖書は神との契約の書である。
神が人間に対して契約を守るということである。人間は契約しても守らないことが度々ある
ただ社会人として仕事をすれば契約の重みを知っている、ただ日本人は契約を軽く考えることがある
でも契約の基本は責任をとらないこととして細かく書いている、保険でもそういうものを良く読んでいないのである。それで当方には責任がありませんと言われるのである。

約束とか契約の怖さは何か?それを実行するためには命までかけなければならなくる、大損失があっても契約は実行されるからである。
だから誓うなというとき人間はそれだけの責任をもてないからである。
それだけの責任を持てるのは神しかないのである。
必ず〈契約を果たす」というとき神だからできるからそう言っているのである。
神が全能であり成しえないことがないから契約を実行して約束を守るのである

人間は小さな約束すら守れない,軽々しく約束するが守れない,だから口は災いの元になるのである。
むしろ約束しないことが誠実だともなる、軽々しく約束しない人は実行する人でもあるからだ
実行するからこそ実行できないことは軽々しく約束しないのである。

いつれにしろ母との約束ではないが遺言を果たしたので重荷がおりた,何か死んだ後でも人間はいろいろある
その人が死んで終わらない、墓参りのこともあるし供養のこともある
人間は死んでも継続するものがありそれが義務にもなっているのである。
それが長男とか長女が受け継がされるのである。
だからもともと実家があり長男が家を守っていたことにはそれなりの理由があったのである。
それで兄弟でも平等に財産を分けるのはいいかどうかわからない,そこに現実問題として墓とか供養とか継承のも問題が馬さゃているからだ,それで墓の跡継ぎがないとかいろいろ現実に不具合なことが生まれているからである。
墓を守るとか供養するとかが死んだ後も残るからである。それは実家の務めになるからだ
自分は現実にそうなったからである。誰も供養しない、その実の子も供養しないから自分が生きている限り供養することが勤めとなっんたからである。
タグ:契約 遺言 約束

2017年11月24日

老人は死んだ人の方が親しく感じる (認知症とは老人になれば誰にでもなる感覚)


老人は死んだ人の方が親しく感じる

(認知症とは老人になれば誰にでもなる感覚)

認知症の人は日頃親しくしている人のことがわからなくなる,自分の子供すらわからなくなる「あなたせ誰ですか?」となる,でもそれは日頃接していない遠くにいる子供だったらゆうなりやすい,でも毎日継続して接している人は忘れないと思う
自分の家族は六十年間一緒に過ごしていたから忘れなかった
子供のときから六十年間一緒にいたから忘れなかった

ところが何か最近会う人とか親戚でも二年に一回とか会う人は遠い存在となり疎遠なものとなる,それは血のつながった人でも子供ですらそうなりやすいのである。
何か話をししても合わない,遠く離れているからその事情ものみこめないのである。
あることを知るということは離れて暮らしているとわからなくなるのである。
だから近くで日頃接している人だと新しく接している人でも認識できる

つくづく老人になると見慣れないこととか始めて接する人とかは苦手になる
その感覚は認知症になると極端になるのである。
認知症の人は新しい人は認識できない,親しくなれないのである。
それで親しい人とは死んだ人,長く一緒に暮らした人なのである。

だから死んでもその人は死んでいない

夫でも妻でも死んでいないのである。その死んだ人に延々と話している認知症の人がいるそれを今自分が気づいた,何か自分と六十年間一緒に暮らしてきた家族の方が死んでも親しい,生きている感覚になる,だから認知症でなくても死んだ人と話しているのである。返事はかえってこないのだけど別に認知症でなくても死んだ親しい人の方が現実に新しく知る人より親しいのである。
これは認知症だからなるのではなく老人の特有の感覚なことだなと思った

老人は若い人と違ってもう親しくなれないのである。親しさも時間の中ではぐくまれる
六十年間も一緒にいることはそうして親密な感覚を作っていたのである。
だから遺影を見てもそれが親しい,生きている感覚になるのも不思議である。
こっちを見ている,笑ってやさしく見ている,それは一緒に生きていたときもそうだったからである。その継続としてやはりこっちをやさしく見ているのである。

もうそういう関係は新しく作るのは無理である。だからこそ死んだ人は死んでいないのである,認知症は訳のわからない病気だとされる,でも老人特有の心理の反映でもあったのだ,普通でも去る者は日々に疎しとなるように老人だと一層極端化して全く離れて暮らす子供などはわからなくなるのである。

認知症は訳のわからない病気とされるが実は訳があるきだ,徘徊にも訳があるし怒るのにも暴力になるのにも訳がある,だから精神病とは違うものだろう
精神病は訳わからないで暴力になったりするからである。
認知症には必ず訳がないようでよくよく見るとある,そこが違っているのである。

そして認知症が時々正気になる,死ぬときは正気になるというのもやはり完全に馬鹿になったとは違うからである。個々の症状は違っていても人間として何もわからなくなったとはならない,だからフライドを傷つけられると怒るのである。
フライドはもちつづけているからである。

いづれにしろ認知症は本当に病気なのかどうか?それは老化現象であり病気とは違うのかもしれない,今までなら耄碌したとなっていた,つまり病気とはされなかったのである。認知症とは耄碌現象なのである。
老人は新しい人などでも親しくなることは苦手である。
だから死んだ人の方が現実に死んでいない生きている人として話しかけている
それは別に認知症でなくても老人はそうなるのである。
自分も遺影に向かって話しかけているからだ
そして遺影が自分をいつも見ているのである。それは最も親しい関係でありこういう関係はもう作れないのである。それは子供の時から六十年間も一緒にいたからそうなったのである。

六十年間も一緒にいた家族は憎んでいるようでも喧嘩していても親しい愛する関係になっていたのである。だからその相手が死んだ時悲しいとなっていたのである。
その一緒にいる時間の長さがそうさせたのである。
ともかく死んでも以前としてやさしく自分を見ている感覚は不思議である。
ただそういう親や家族をもたない人もいる,ある人は親のことを関心がない
親に苦しめられたからそうなったのである。
自分は確かに介護で苦しめられたけとそれは自分を良くしてくれたから当然だったのである。そのことで恨んだりする関係ではなかった,かえって恩返しできて良かったなと今では思っている
だから家族の関係も一様ではないのである。離ればなれに暮らすようになると子供でも疎くなり認知症になったりしたら「あなたはどなたですか?」となる
近くでも日頃親密に接していないとそうなりやすいのである。

だから認知症は訳わからないというが老人になるとその心理が理解できるのである。
老人がどういうものか理解することが若い人はにはむずかしい,でも老人になると理解するのである。老人といっても七十以上に今はなるがその頃になると老人の気持ちは理解できるようになる,なぜなら自分が認知症ににた感覚を経験するからである。

2017年11月22日

遺された家の問題 (思い出があるから捨てられない)


遺された家の問題

(思い出があるから捨てられない)

家は何か暗い所は良くない,自分の家は北向きに通りがあり店をしていたときはそこは街のメインストリートだった,でも今になると店になったところは広くあるが暗いのであるだから店としては良くない場所だった,ただそういう風水的なものとは関係なく角であり人通りがあったから繁盛した,繁盛する店は立地が関係している
誰でも暗い店には入りたくないのだ,シャッター通りになった所などは何か暗いのである
ただ日本は狭いところに住んでいるから路地裏とか入り組んだ所があり日当たりが悪い所が多い,田舎でも小さな町でも街内は日当たりが悪いのである。
家の間に空間がないから長く伸びている,それは都会だと鰻の寝床とか言われる所以である。

風水的に飯館村などは一軒一軒が離れて住んでいるから庭も広いし森につつまれているから理想的な住まいだった,何か飯館村にゆくと雰囲気が違うからその気を受けるのである花が咲いていてもそれはこの辺で咲いているのとは違ったものに見える,より自然の中で高山植物のように咲いている感じになるのだ
そこは清浄な気が流れているからそうなる
だから飯館村が不便だとしてもそこに住んでいたら心もやはり浄化されることがある
ただ一方人間関係が濃密になり人間の嫌な面が露骨に見えるということもあり嫌になるということもある

いづれにしろ家だけではない,海側に住んでいれば必ず海の気を受ける,それが心に影響する,海はやはり人間の心を開放的にするからだ
山はどうしても閉鎖的にする,だから海側に住んでいる人と山側に住んでいる人は気持ちが違ってくるのである。

家というのはそれぞれの家で作りが違う,家は何かその家の人間関係も示している
だから家長がいた時代は家長中心に家が作られていたのである。
横座とかもあり上下関係が明確にされて家が作られていたのである。

主人が不在のときも他の者はこの席にすわらず,また横座を譲ることは隠居を意味する。

これも時代だった,家長というのは今はない,みんな平等となったのが現代である。
そして個人化して個室化したのである。今は座敷もないから個室化して家族という形態も変わった,ということは家族の結束力もなくなり個々別々になったともなる
家というときイエは日本では建物だけではない,イエがもつ意味は大きかったのである。
家というのも代々受け継がれたり歴史があれば重みが生まれる,代々つづく家はやはり
何かつづく原因がある,ただ外国でもヨーロッパとかでも一代限りであり長くつづく家が受け継がれことはないという,家の重みがないという,個人主義の社会だとそうなりやすい,家が重要なものとはならないからだ

いづれにしろ自分に遺された家の問題は大きい,ただ空家化しているのが八百万軒もあるから消滅する家が膨大になる,それだけ昔のように家が存続できない,受け継がれない時代なのである。
それで近くの家で蔦が家にからまり遂に家に住めなくなった人がいた
家がいたんでそうなったのだ,それで車で生活していたのである。
買い物はコンビニに車で来ていたのだ這ってコンビニに来ていた,でも誰も助けるものがなかった,そして最後はどうなったのか?
わからないがその老人は死んだのである,今は更地となっているだけである。
つまり自分の家に住めなくなることもあるのだ
それは片づける力も掃除することもできなくなればそうなる
買い物するのもやっとであり後は何もできないとなれば家は汚れ放題になり住めなくなる

現実に自分の家はいたるところゴミがたまっていた,布団は汚れて落ちないものとなり腐るような状態のもあった,使わないとそうなってくるのである。
布団も干したりしないと使えなくなるのである。
とにかく無駄なもの捨てたい,でも捨てるのにしのびない,それで遺品を整理して泣いていたというのがわかる,やはり人間は簡単に物でも捨てられないというときそこに思い出が残っている,家には特に残っている,だから家には霊が住んでいるともなるのである。死んだ人は家から離れられないともなるのだ

エプロンの出てきてあわれ六十年我が家に働く母なりしかも

つまらないものでも何かそうした思い出が遺されたものにあるから捨てにくいのである。

タグ:遺品整理

2017年11月17日

切れる老人はなぜ? (役割喪失が認知症になる恐怖)


切れる老人はなぜ?

(役割喪失が認知症になる恐怖)

東京・中野区の有料老人ホームで、入居者の83歳の男性を浴槽で溺れさせて殺害したとして、25歳の元職員が逮捕された事件で、元職員は「男性が風呂の床を汚して掃除しないといけなくなり、怒りがピークに達した」などと供述していることが警視庁への取材でわかりました。警視庁は、突発的に暴行を加えたと見て調べています。

亡くなった藤澤さんは、大阪・箕面市にある現在の関西学院千里国際中等部・高等部の設立に携わり、平成3年から7年間にわたって初代の校長を務めていました。 


切れる老人になるのはなぜか?がまんする抑える働きは前頭葉にあるといわれる,前頭葉は理性を司る,脳に命令する働きがある,感情的なものを抑える働きがある
認知症になると前頭葉の力が衰えて感情が爆発して切れて暴力になるのである。
認知症でもいろいろ性格があるし症状が違うのである。

なぜ今高齢化社会で老人がこれほど問題になるのか,それはこれだけ大勢の人が長生きすることを歴史上経験していないからである。
そしてそうした老人が長生きすることに社会でも備えられていないからなのだ
それは日本だけではない世界的ににも長生きに対して備えがないのである。

それは経済的な面だけではない精神的な面でもそうなのである
退職してから20年30年生きるとしたら長いのである。それに経済的にも精神的にも備えられる人は極わずかなのである。
切れる老人というときそれは老人の精神的問題である。

今の社会は老人にやさしくない,敬ってくれないとか老人は邪魔扱いだとか不満になる。能力中心の社会になると能力がないものは老人は無駄であり邪魔であり経済的にも負担になるだけであり社会にとっていらないものだとなってしまうのである。
会社を退職すると老人の居場所は家になるがそこには妻しかないない,すると妻を相手にしか威張れなくなる,誰も会社のときのように部下がいて敬ってくれないのである。

もう人間は年取っただけでは誰も敬ってくれないし特別扱いはないのである。
ただ現代社会だと金がある老人は金があることで表面的には尽くしてくれる
でも教育関係で校長とかしていたいろいろな役職を経験した老人が施設に入って25才の介護士に無惨に殺されたのである。そこは金持ちが入る地位ある人が入る施設だったのである。だから必ずしも金があっても地位があった人でも特別扱いされるということはないのである

かえって低姿勢で世話になるという謙虚な気持ちの人がやさしくされるとうことがある
おばあちゃんでもいろいろいるが私は介護され安いように努力しているんですよと言っていた女性がいるけどそういう人はそんなひどい目にあわないだろう。
何か世話になるのに地位があるとか金があると傲慢になっていたからそんなひどいことになったのかもしれない,その事情はわからないが金持ちは親を金がかかる施設に入れることが多いのである。だから金持ちだからといって老後は幸福になると限らないのである。

はっきりいって本当に病院とか施設とか恐怖である。老人が弱りいじめられる場所だということを経験しているからだ,それは金持ちでも地位ある人でも変わりないのである
そこに高齢化社会の暗黒面が露骨に現れるのである。
だから孤独死で誰にも世話されずに死んだ方がいいというのもわかる,特に身寄りがないとかそういう人が増えると本当に病院とか施設は恐怖の場所になるのだ

ともかく切れる老人とか邪魔になる老人とかが膨大にこれから増えてくる,すでに増えている,そして認知症になる人が800百万人とか空恐ろしい時代になる
認知症になる原因はわからないけど大きな要因として社会で家族でも役割がなくなることなのである。
自分は家族で女性二人を介護したけど一人はひどい認知症になって無惨に死んだ
そのことが今でも自分のトラウマとなり自分自身もそのことでその衝撃が消えないのである。

それは優秀な女性だったが最後の死に方があまりにも無惨だったからである,その優秀さも最後があまりに無惨だったのであ帳消しにもなった,それだけ人間の最後はやはり影響する,だから成仏にこだわる仏教のこともある程度は理解する
でも人間の最後はみんなみじめであり無惨なのが多いのである。
自分の母親は百才生きて最後も安らかに死んだ,楽に死にたいということをいつも言っていたがその願いだけはかなったのである。

いづれにしろ切れる老人の問題は社会的にも家族的にも役割が喪失することなのである。女性でも家事をししていれば家族に役立つものとしてワーキングする,機能する,すると認知症の予防になることは確かなのである。
何もしないテレビばかり見ているとかなると認知症になりやすいのである。
脳が働かなくなるからである。料理するのは結構脳を働かす,一人は料理もなにもしなかった,もう一人は94才頃まで料理していたし家事をしていたからだ

だから男性でも女性でも役割がなくなることは深刻なものになる,楽でいいというがそうはならないのである。そして男性の場合は会社とか退職すると社会的役割も喪失する
地域で何か役割をもつこともできないしボランティアでもなかなかむずかしいものがある社会ではそういうものを受け入れにくいからだ。
これまでは長生きした老人は少ないし価値があった,村とか狭い社会ではその土地のこに通じていて長老とかなり敬われたのである。
その土地に根付いた農業の場合はいろいろ教えることがあった,今はそういう社会ではないから何か地域で教えることもないのである。

自分の場合は会社勤めしていないがライフワークとして追及したものがあり今それをプログで表現している,だからこれからは会社一辺倒ではなくそれぞれかライフワークをもつ必要がある,退職してから長いからである。
ただそこまで人生設計している人は少ない,それは高齢社会と長寿社会というのを人類史上でも経験していないからである。
だからそれに備えられないのである。経済的にも退職してから百年生きることに備えられる人がどれだけいるのかとなる
それは経済的にもそうであ精神的にもそうなのである。

2017年11月13日

東京から地方へユーターンする老人 (東京の高齢化が深刻になってくるから)


東京から地方へユーターンする老人

(東京の高齢化が深刻になってくるから)


地方へ住みたいという人が増えてくる,それがNPOで東京で募集しているが最近は二十代と三十代が増えているという,そしてみんな真剣だというから退職して田舎でのんびりしようとする人達だけではない,地方で仕事をもって定着したいという人が若い世代でも増えているのである。
これは意外でありそういう傾向が生まれてきたのも現代である。
なぜならみんな地方には仕事がないとかなんとか地方を離れたい田舎を嫌だというのが言われてきたからである。

ただ退職した人かが移住する場合はまた違っている,松山市が一番人気があるということでもわかる,松山市は三十まんととかの都会である。仙台並である。
そういう地方の都会に移住するのは東京からでも抵抗感かないのである。
まず辺鄙な田舎など今はとても住めない,医療でも福祉でも買い物でも東京と比べたら差が大きすぎるからである。そうした生活した人が辺鄙な田舎で生活することは無理であるそれも体力も弱る老人になれば余計にそうなる
松山市などは市電も走っているしそこに花曇りの日に三日遊んだがいい場所だった
だから人気があるのがわかる

でもそうした地方の都会だけではない最近この辺でもユーターンする六十代以降の人が増えているかもしれない,この前合ったのは集団就職した人であり東京弁をしゃっべっていたからわかった,土地のなまりがなくなるのでこの人は東京に長くいたのだとわかる
なまりはやはり国の手形だともなる,標準語化しても地方ではやはりなまりが出るからである。

最近聞いた話ではその人は東京の土地を売って帰ってきた,ここに住んでいた人であり事情があり夫婦で帰ってきた,妻の方がここに住んでいて兄弟も住んでいるからここに帰ってきて住むことになったのである。
一人は東京生まれだからこうした地方の田舎都市に住むのは違和感があるかもしれない
その人は介護とか家の事情があり帰ってきたからまた違っているがそういう人も増えるかもしれない,つまりここではすでに原発事故で若い人が流出して65才以上が齢化率が35パーセントとか他より高い,そしてこうして東京から地方へ60代以降の人が移住する人が増えるとなるとますます高齢化率が高くなるのである。
その人も70に近いからである。

これも地方都市で問題になる,つまり老人ばかり増えることは自治体の負担が福祉とかの関係で増えるかもしれないからだ,福祉関係では人手不足である,特に小高などでは介護士などが集まらなくても施設を再開できないのである。
それは全国的にそうなのだがこの辺はさらに65才以上がさらに増えてくるのである。
ただ人が増えれば金を落とすから経済的にはいいのかもしれない,しかしその反面福祉関係で金を使うこになるからいいことばかりではないだろう

都会から地方への高齢者の移住」へ向けて政府・自民党が本格的に取り組み始めた

東京の「待機児童」数は約1万人だが、東京の「待機老人」数は約12万人である*4。そして今後、東京の「待機老人」数は急増すると予想されている。なぜなら、東京は地価が高いから、東京にはもはや余っている土地がないからである。

団塊世代のなかで進学・就職期に3大都市圏に移動した者のうち、地方に戻った者は4人に1人の割合であり、その大半は20歳代後半から30歳代にかけて戻った者である。残る4人に3人は、3大都市圏にそのまま定住し、老後を迎えつつある。

こういうこともあるからやはり一旦都会に生活基盤があると元の田舎にもどることがむずかしいのも事実である。
何か移りやすい人のコネが家族でも親戚でもあればいいがそういうものも変わっているからむずかしくなる

地方に若者が移住しやすい所が人がよそ者を迎える体制ができている,世話する人が周りにいる所だというのもわかる,このことは田舎では不可欠である。
田舎の案内人になる人がいてその人を頼れば楽になるからだ
ただ老後になると精神的には田舎の方が環境的にはいいとなる
それは好みなのだけど騒々しい所が嫌になるからだ,だから東京とかの都会に介護のためでも子供に呼び寄せられたのは認知症になるとか悲劇になる

自分はもともと静かな所でないと住めない,老人になってますますその傾向が強くなってきた,老人は一般的にそうなりやすいだろう,騒々しい所が苦手になるのだ
だから今は旅行すらしない,介護で消耗したこともあるが原町辺りまでしか行っていないのである。
どうしたって老人は精神的には内省的になる,内面の充実に向かう,これまでの経験したことの意味を深めるということに向いているのである。
だから住んでる場所でも家でも定着する所が安定していることが必要になる
ある程度の金の余裕も必要になる,ただ老人は金を使わなくなる

自分が最近今までの延長で電気製品とかビデオカメラとか他にも買ったが使えないのである。要するに今までしていることはできるが新しいものを取り入れることができなくなったのである。だから老人は消費できないとなるのだ
ただ本など前よりアマゾンで安いの買っているのである。
それも全部詳しく読むのではなく拾い読みしているだけなのである。
いづれにしろ老人のライフスタイルは変わる,だからこれだけ高齢化社会になる老人のライフスタイルが一般的になることもありうる
高度成長時代は若者向きの消費とかなになっていたのはそれだけ若い世代が多かったからなのである。高齢化社会は何か落ち着いた生活とか成熟した社会に変化する
それは悪いことではないのである。

2017年10月25日

認知症の人の対処方法 (プライドを維持させる)


認知症の人の対処方法

(プライドを維持させる)

認知症の人を介護して何か謎が残った,一体何が病気なのかわからなかった
ふりかえると

認知症の人は痴呆になったわけではない

痴呆になったとしたら人間として扱いないという恐怖になる
それがなぜ恐怖になるかというと家族だからであり家族として尽くしてきたし長く一緒にいたからであり愛し合う関係でもあったからだ
それが人間ではなくなるということは恐怖である。
そういうことを一時思ったから恐怖だった,気がふれたのかともなる
そうなると人間として接することができなくなる
親であり兄弟とかそうなったら恐怖でありショックである。

ただふりかえると認知症の症状は人によって違うから一概には言えない
自分の経験では認知症の人は何もかも人間としてわからなくなるとは限らない

認知症の人は最期まで強いプライドをもっている

認知症の人の最大の特徴というべきものがプライドを強くもっている
それは死ぬまで消えない,自分が何をしてきたか,その家族でどういう役割を果たしたかそういう自負をもっている,だから忘れるという症状があるとしてもそれを馬鹿にすると怒るし暴力にもな
今までのように親として普通の人として扱ってもらいたいとなる
軽い精神障害の人も普通の人と同じように扱ってもらいたいと言っている
ただ生まれつき精神障害の人と認知症の人はどこが違うのか?

認知症になっても自分がしたことにプライドをもっているから軽蔑したりすると怒り暴力になる,つまり忘れるとういことでその人格が異常として否定されると怒るのである。
それで扱いがむずかしくなるのである。
だから演技しておだてるといい気分になり症状が良くなることはある
ただ演技してもその人に対して家族でどう思うかが問題になる
例え認知症になってもその人を功労者として扱えば満足するのである。
自分の家ではそういうことがあったので今まで同じように家で持ち上げていたのである。そのために犠牲があったのだがそれも二年間くらいで終わったから助かったとなる
長くなるとそういうこともつづかなくったろう。

ともかく認知症になったとき家族でもその人のプライドを維持させることができるのかがかなり重要な問題にな,施設ではなかなかそれができないから症状が悪くなるかもしれない。その人のことと家族でもないからそんな扱いはできないとなる
自分の家で家族が犠牲になったがしかたのないことだった
それはやはり家にも自分にも尽くしてくれた人だったからである。

ただみんながそうなるかとなるとならない,別に認知症にならなくてもひどい親がいてそのために苦しんだ子供は親のことなど恨んだりさえしているからだ
毒親は子供はめんどうみない,死んでからも墓参りもしないとまでなる
だから認知症になったりしたら無惨なものになる
それも結局カルマだともなる
やっぱり日頃の行いが人間は大事になる,そして人間は突然良くなったりしない
日頃の積み重ねで人間は作られてゆくからである。
だから原発事故で避難した人達でも日頃ちゃんと仕事していた人は避難先でも仕事しているということがある,大工などはそうである。
人間はそもそも老人になって何かすぐに新しいことはできない,日頃していたことならできるのである。
認知症の人でも今までしてきたことはできるのである。

そして認知症の不可解なことは

正気にもどる時がある

これは不思議である。一人は最期に自分のことをわかってくれてうなづいて死んだ,その時言葉がなかったが何か察して死んだのである。
もう一人は最期に

孫に金をやれと大きな声を張り上げて言った

それは死んだときから一カ月前のことだった。その時まで金に無頓着になっていた,金のことがわからないと思っていたのだ
正常なときは金にこまかくこだわっていた人だったからである。
大金を盗まれても笑っていたから驚いたのである。
まず一円にもこだわり働きためるだけの人生だったからだ
それが金額まで指定して金を払いと大きな声を張り上げたのでびっくりしたのである。
だからとにかくその約束は守ることにした
最期に遺言のように言い残した言葉は重いし怖いと思った

認知症は不可解であるが完全に痴呆になった,人間でなくなった,何もわからないとはならない,それで扱いが余計にむずかしくなる
だからよほどの動機がないと介護しにくいとなる,それが施設では介護する動機がないからさらに]むずかしくなることもある,ただ施設で症状が良くなった人もあるからいちがいには言えない

結局これも日頃の生き方が最期も認知症になっても影響するのである。
だから日頃から家族でも尽くしていないと子供でも認知症になったら余計に見放されてしまうのである。
ただ正直認知症の介護はそうはいってもこんなふうには普通はできないだろう。
あまりにも負担が大きすぎるのである。自分も最後は鬱病になったし限界だったからだてある。ただ意外と早く死んだので救われたのである。
やはり人間は死ぬときに死なないと自分自身も家族にも社会にもただ迷惑かけてやっかいな奴が死んでくれて助かったとなってしまうだろ。
そうしてまで生きることは子供にも恨まれるとまでなるのが認知症だとな

2025年段階で認知症患者だけでなんと800万人を超えると推計され、都市が徘徊する人であふれるという“認知症パンデミック”が起きるという懸念も示されています。

この数字は恐怖である,イギリスでは認知症の患者が減った,

「心臓病の治療、心血管リスクの予防、減塩」です。心臓病の治療が認知症の予防に繋がるという標語をつくり、禁煙キャンペーンを展開し、業界団体にも協力を仰いで10%の減塩を実現したのです。

これもわからないにしろまず90すぎたら半分は認知症になる,90以上生きる人が多くなれば当然その半分は認知症になるのである。それはどうにもならないのである。

2017年10月22日

世の中なんでもケースバイケース (介護もあらゆる問題がそうである)


世の中なんでもケースバイケース

(介護もあらゆる問題がそうである)


人間社会の問題は数学のようになっていない,数式で解くようになっていない,統計学があり平均的なものとして社会を見る,それも一つの手法である。
それでは万事をみることはできない,例外的なものは必ずあり無視することになるが
その例外のなかに重要なものがふくまれているかもしれない。

なぜ長生きするととしない人がいるのか?
この原因を探ってゆくと個々別々であり何が原因なのかわからなくなるだろう
肉を食べている人が多いというのは良く聞く統計的なものとしてあるからそうなのかともなる,でも必ず肉を食べない人も野菜中心の人でも長生きしているかもしれない。
そして人間の健康とか体はみんな同じではない,顔違うようにみんな違っているのだ
だからその人に合わない食べ物がある

自分はラーメンはほとんど食べない,それがスーパーで食べたらインスタントのレンジであたためるだけのラーメンを食べたらはいた,実際にそのラーメンはまずかったのであるそれはもしかしたら自分の体に合わないで吐いたのかもしれない,自分は吐いた経験が何十年とないからである。
人間は好き嫌いだけでなく食べられないものがある
自分の母親はサンマが嫌いであり食べない,でもイクラが好きであった
自分はイクラが食べられない,気持ち悪くなるのだ
最近スーパーの弁当をみると必ずイクラがのっているので困っている
人間には明らかに好き嫌いではなく生来体に合わないものを受け付けないことがあるのだ
人間の問題の複雑さはこのように健康で体でも個々に違ったものなのである。
その個々にあったように社会はしてくれない,みんな一様に平均的なものとして対処する教育でもそうだし個々人は相当に違ったものなのに平均的教育しかしない
それでその人の個性は埋もれてしまう
第一人間は自分の才能すらわからない,何に才能があるのかもわからないのである。
老人になってから自分の才能を発見することだってある
最近自分がインターネットではじめた抽象画がそうである。
絵を全く描けないのに絵を描いているという不思議があったからだ

社会のむずかしさは個々別々な問題として現れる,警察の職務質問のことで抗議したが
警察では「あやしい」と通報されれば何であれ理由も聞かずにかけつけて職務質問するという,それは個々別々の対応はしないのである。
ところがそれに自分が怒ったのはその時ちょうど駅に人が集まっている時であり職務質問されたら周りの人がどう思うかである。
なんだこいつあやしいいかがわしい人なのかと見られてしまうのである。
警察ではそのことを言ってもとりあわなかった
これも個々別々の問題として人間があるからそうなる
そして自分は駅に前のように自由に出入りすらできなくなったのである。
またあやしいと通報されたら来ると言ったからである。

あらゆる問題がケースバイケースなのである。介護にしても個々の事情が違っている
例えば延命治療などしない方かいいということもあるしないこともある
医者でその判断がむずかしいから延命治療している
それは個々の事情が家庭でも違ってくるからそうなっている
介護でもだから80才なったら安楽死させろとはならないのである。
別にピンピンしている人もいるし社会に貢献している人もいるからである。
逆に安楽死してもいい人はいるのも事実である。本人もそう了解している人もいる

現代社会は個々に対応する力が弱まっている,江戸時代の方が寺子屋で自由があり個々に対応していた教え方をしていた,学校になるとみんな一律なものとして平均を追及するようになる,平均点が大事になる,学校の目安も平均点なのである。
人間を統計として数字として見るのが現代なのである。
選挙でも数は力となる,それで権力を得るのだからただ数を集めることに奔走する
宗教でも数である,数が集まれば社会の影響力がまして権力を得るからである。

江戸時代あたりだと狭い範囲で生きていたから個々別々の対応ができたかもしれない,なぜならその人のことを知っていたからである。
て長屋でもみんな長く住んでいた人が多いのである。移動しないからその人のことを熟知するから個々別々に対応できたともなる
現代はケースバイケースに対応することが本当にむずかしい社会である。
ところが何でもそうしないとうまくいかない場合がある

家族でもみんな事情が違っている,これが家族なのかという家族もある,それは絶対に他から理解できないものなのである。
まず自分の家族を理解できる人はいないと思う,そういう家族もある
だから人間の不幸がみんな違っているというとき家族がみんな同じような家族ではないからそうなるのである。
その個々の違った家族の事情から問題が起きてくるから一様に対処できないのである。

認知症などもみんな同じ症状ではない,生い立ちとか性格とか環境とかでみんな違っているのである,だから同じように対処できないのである。
同じ薬をのませてもいいというわけではない,その家の事情を知ることが必要になる
しかしそれを知ることが容易ではないから問題が起きるのである。
かかりつけの医者だとそういう事情がわかることがあり対処しやすいということはある
大きな病院だとその人のこをここに理解することがむずかしくなる
つまり現代は大きな病院でみるようになっているから個々にケースバイケースとして対応できないのである。

2017年10月17日

あなたの実体験から得た「宇宙論」聞かせてください (私の介護についての返答した人に問う-稲妻捕り様へ)


あなたの実体験から得た「宇宙論」聞かせてください

(私の介護についての返答した人に問う)

稲妻捕り様へ

介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う
(それは非情ではない,それだけ辛いからである)



経験論から一歩も出ていませんね。これじゃ「早く死んでくれないかな」と思うはずです
寝たきりでただ食って寝て、そんな形で生きていたって何のねうちもないし可哀そうなだけ。

それだけの生ではないのかと、みつめつつやがて自分もおいつめられていく。

こういう自分が求めていたのは、決して介護論でも心理学でも福祉設備の充実だけではないのです。

なぜ生きているのか、それをつきつめればなぜ宇宙に生命があるのかという問いを問うところへゆくのです。

その問いの前で、介護していた自分はまさに宇宙論に直面していたのです。



この人にも言い分があるからその背景がどういうことで言っているのかわからない

経験論から一歩も出ていませんね

人間は実体験がなければその語ることが浅薄になる,人間の真実は実体験からはじまるのだ,介護だって何でもそうである,実体験なしで何も語られないのである。

私が岩手県の介護している60代の男性と90代の母親を介護して60代の息子が病気になり共倒れになったことを書いたのは自分もにた状況に陥ったからである。

あなたは何かそうした経験があるのですか?

あなかたにどんな深刻な経験をして「宇宙論」まで説くことができるのですか?

おそらく都築詠一氏の「弁証論」とか何かのことで言っているのだと予想します

私も彼には感銘して詩も書きました,ただそれは彼の実体験が訴えるものがあったからです,弁証論についてはわからないし「宇宙論」についてもわからない
ただ自分が感銘したのは彼の実体験なのです

空手に精進する姿だったのです,日々裸足で歩く,重い荷物をもって歩く訓練をしていた
そのことが訴えるものがあり詩にしたのです


寝たきりでただ食って寝て、そんな形で生きていたって何のねうちもないし可哀そうなだけ。
それだけの生ではないのかと、みつめつつやがて自分もおいつめられていく。

これは介護もしたことがない人が無関心に無責任に言っているのです
他人の苦しみなど関係ないからそう言えるのです
そんなのは税金の無駄使いだとなるが家族にとってはそれぞれ事情がありそうはならないのです

家族にもそれぞれの歴史があるのです,家族はみんな同じではないですよ
とても他者からは理解できない家族というのものがあるのです
歴史があるというとき家族はやはり長い時間で形成されてきたものだからです
家族の不幸はみんな違っているというときそれは家族がみんな違っていて歴史をもっているからです

つまりあなたはそれぞれの家族の事情を見ないで一般論で見ているだけなのです
介護したこともないだろうし老人はみんな邪魔だ,早く死んだ方がいいとかいつも言っている若者と同じである

でも家族にもそれぞれ事情がありみんながそうはならないのです
国には国の事情が歴史があるように家族にもそれぞれの事情がある
それは他者からわかりえようがないものがあるのです
家族というとき何か単純に考えるけど両親がいて子供いるとも限らないのです
家族の形態はいろいろであり複雑なのです

ではあなたは経験からどんな深遠な宇宙論を展開できるのですか?

それに答える義務があるでしょう

そのご高説をうかがいたいです

でも心の青雲の都築詠一氏とか弁証論とか受け売りではだめですよ
それはそれとして価値があります,でも自分の言葉で語ることが大事なのです
都築詠一氏は一貫して自分の言葉で語っていたしそれはそれで学ぶところがあったのです
あなたはあなたの言葉で語るべきなのです

あなたの体験からどういう深遠な「宇宙論」が生まれたのか?

それを是非知りたいですね

タグ:介護論

2017年10月15日

介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う (それは非情ではない,それだけ辛いからである)


介護では「早く死んでくれないかな」と誰でも思う

(それは非情ではない,それだけ辛いからである)




2015年1月14日,岩手県の地方紙「胆江日日新聞」の一面に記載された記事に目が釘つけになった,寒い冬90代の母親と介護していた60代の息子が同時に遺体で発見されたという記事である。

単身介護,連鎖の最期最後

頼りの息子自宅で病死 年老いた母も息絶え

(老後親子破産ーNHKシペシャル)


都内在住の主婦・松山綾さん(仮名・39才)に悪性リンパ腫が見つかったのは5年前。 
以降、商社勤務の夫と5才の息子と過ごす幸せな毎日は崩れ去った。 

「告知されてすぐ入院、手術でした。一命はとりとめたものの、その後に転移がわかり、抗がん剤と放射線治療をして体調が悪化しました。 
夫は最初こそ心配して一生懸命に看病してくれましたが、次第に自宅でぐったりする私を見て見ぬふりをするようになりました」(綾さん)

私が家事をできないことにイライラした夫が子供にきつく当たることも増えて、家庭が極端に不安定になり、ある日、夫から離婚を切り出されました」(綾さん) 

がん闘病で体力の衰えた綾さんに抵抗する力は残っていなかった。結局、抗がん剤と放射線治療の終了を機に夫婦は離婚を選んだ。

世の中はふたりのような強い絆を持つ夫婦ばかりではない。昨今、冒頭の綾さんのように、どちらかががんを患った夫婦が離婚するケースが増えている。 
特に目立つのは、妻ががんを患い、夫から“捨てられる”ケースだ。 



介護はきれいごとではすまされない,負担が大きいからそれが愛情がどうのこうのというきれいごとではすまされなくなる,介護している人が夫婦でも親でも早く死んでくれないかなと思うのは普通なのである。
そんな不謹慎なことを言えるなと良く外から他人は言うが介護している本人にすればそう思うことは人間として非情でもなんでもない,人間として普通のことなのである。
そもそも負担が大きいからそうなっているのである。
自分も介護しているとき何度も死んでくれたらな思ってそれを口にも出していた
一人重度の認知症だった,でも意外と早く死んだので助かったというのが本音である。
介護の問題は長くなることなのである。
自分は家族二人を約十年間介護した,一人でも十年介護しているとかめずらしくないのである。その十年は長いのである。そのために自分はエネルギーを吸い取られ奪われて気力を喪失したとなる
何か正常な感覚が失わせるのが介護なのである。

39才とかで妻が癌になり介護となると仕事も何も手につかなくなるかもしれない,介護は24時間であり見守ることでもありエネルギーを費やすのである。
だから夫婦でもそうなると介護することは容易ではない,若いとなるとかえって仕事のこともありそうした障害かある人の介護することはさしつかえる
仕事をすることはやはりその仕事にエネルギーを費やすことである。
でも介護になったら介護する人にエネルギーを費やさざるを得なくなる
それは別に社会的には何も認められない,夫婦だったら当たり前じゃないかとか親子なら当たり前じゃないかとなるだけである。
そして他人はそんな人を見ても無関心である,むしろそれを見て楽しんでいるような人もいる,自分のことでない限り人間は他人の不幸は関係ないのである。
自分の身にふりかかったとき関心をもつようになる
自分も十年介護してきたからこういうことに関心をもつようになったのである。

岩手県の64才で90代の親を介護していて介護する人が病気になり介護された親も死んだのは悲惨である。自分ともにた状況にあった
自分も介護中に病気になり一カ月入院したり手術もした
だから自分もそういう状況とににたことを経験しているのだ
その時何の助けもなかった,むしろ弱者になったことで金の無心をされ盗まれたり脅迫されてきたのである。
岩手県の人の場合は金がなくて苦しんでいた,では金があるから介護になっても安心かとなるとそうでもない,なぜなら自分が経験したようにその金があれば金だけをとろうとしして近づいてくる人が多いからだ
現実に自分はそういう目にあってきたからだ
金だけで人は人を助けないのである。
人を助けるということ愛情をもつということは金があるからとすることは愛情ではない
金が目当てだとすればそれは愛情ではない,家族の関係はそもそもそういうものではなかった
何でも金に換算することはできないのである。

自分の場合は今ふりかかると確かに早く死んでくれないとか思っていた
それでも自分は一番良くされていたから介護するという動機があり愛があった
だからできるかぎり懸命に介護した
でも内心では早く死んでくれないかなと思うことは常にあった
それは別に非情なことではない,そう思うのが介護という負担をかかえたとき人間として普通の感情なのである。それを責めることはできないのである。
関係のない他人だからそう言うのである。
だからいくら家族でも夫婦でも介護は簡単にできない
自分の場合は特殊な家庭環境でそうなったのである。
ただこれが40代とか介護となると自分の人生も奪われたからどうなったかわからない
親を恨むということもあったろう,自分にはそういうことはなくてすんだのは自分はやりたいことをやらせてくれたということでそういうことにはならなかったのである。
40代くらいで介護になったら人生が奪われるから後で恨むということもある
なぜなら人生で一番貴重なのが時間だったからである。
その時間をはとりもどせないからである。

ほんのかたときも母親から目を離すことができない

介護の一番の問題それは正常な感覚を失ってゆく,日々見守り介護する人にエネルギーを費やす,エネルギーが奪われることなのである。
40代とか50代とかだと仕事盛りにもなる,すると社会的にもっとも油がのっているとき介護のためにそのエネルギーが奪われるのは辛いことなのである。
そして介護したからといって社会では何の評価もないのである。そんなの当たり前じゃないかとなるだけである。
芸術家とかでももし絵を描くことに専念して集中して傑作をものにしようとするとき介護とかしていてできなかったらその本人にとっても悔しいし社会的にも損失となる
エンジアとして活躍していた人が親の介護でそうなった人もいる
それは実は社会的損失にもなっていたのである。

岩手県の人は別に息子が変わった人でもない,懸命に介護しながら働いていたのである。田舎で回りにも仲のいい友達とかもいたのである。そういう田舎でもこういうことが起きているのはまず田舎の人がみんな助け合う時代ではなくなった,それより人間はそうした病人とか介護しているとかになると寄りつかなくなる,それはなぜか?
負担を課せられることが嫌なのである。そういう家にいくことは暗黙の内に負担を強いられるからである。だからよりつかなくなるのである。

そして息子の場合は女性とちがって外部に訴えないし仲間を作ることができない
男としての意地があったりと不利なのである。だからSOSを発信しなかったから回りの人はそんなに困っていたことがわからなかったのである。
その女性は困っていると常に困った困ったと訴える,それで嫌だけで金を与える
男だったらあんなふうに嘆願しにくいだろう。プライドがあるからできないだろう。
事業に失敗した人が金を上から目線で命令するように金を要求してきたのは自分が弱者と化していたからできたのである。
「お前世話してやるから金をだせ」と実際になっていたのである。
その人も金に困っていたからもう相手を思う気持ちも何もないのである。
追い詰められていた人間は人を思うことすらできない余裕がないからである。
自分の所に来たのはそういう人達ばかりだったのである。

いづれにしろこれから介護問題ではこういう事件がもっと起きてくる
日常的に起きてくる,それだけ介護の問題は深刻なのである。
その解決方法は簡単にはない,だから早く死んでくれたらなというのは別に非情なことではないのである。早く死んでくれると楽になるからだ
そうでなければ延々と負担がありその苦しみから解放されないからである。
自分も最近介護が終わって何か正常な感覚がもどってきたなとも思う
でもやはり介護で費やされたエネルギーは大きく回復しないということもある
それはもう年だからということもある,だから自分の場合は親を恨んだりもしない
かえって一面一番良くされたから恩返しできて良かったなとも思っている
親が残してくれ財産がありまた生活には困らないからである。
会社勤めもせず楽に過ごして老後も今は金の面では困らないのである。
例えば十年間保険をかけていて一カ月4万をもらっていた,それは今年で終わるが
金の面では自分は恵まれていたのである。ただ家族では親戚もいないから助けるものがいないから苦労したしこれからも苦労する
ただ人間はあらゆるものが満たされる人などいないのである。
金があるからとすべてがまかなえるわけでもないのである。

人間の一生をふりかえれば

人間は必ず負の部分を背負うことになる

人間いいことばかりではない,結婚してもそうだし何にしろ負の部分がある
その負の部分を負ってこそ絆が生まれたり愛情が深まったりもする
ただそう言われても現実問題となると人間は耐えられなくなるのである。
結婚式でも「苦しいとき悲しいときも助け合いとか・・・」誓っても現実に妻が癌になったとかなると離婚する男性が多いのも現実だとなる
その負の部分を負うことができなくなるからである。
それを責めることもできない,だから「早く死んでくれないかな」というのは誰でも思うことだしそれが非情だとは責められないのである。
ただそういう男性が後で後悔することもある,そういう男性は誰と結婚してもそういう人であるとしたら男性でも女性でも
結婚とは互いの利益と欲でしているだけなのかとなるからだ
人間の問題は老人になってから見るのと若いときの見方が違ってくる
それで人間はみんな後悔しているからである。 

2017年10月10日

老人は田舎など狭い所で住むのがいい (なぜ江戸時代の盲人が旅できたのか?)


老人は田舎など狭い所で住むのがいい

(なぜ江戸時代の盲人が旅できたのか?)


昨日はサイフを忘れた,でもたいがいサイフはもどってくる,もう10回くらい忘れているどうしてもスーパーとかで忘れやすい,今回もコンビニによってそこではサイフがあった次にスーパーによった,あの時忘れたなと思っていたらそうだった
狭い場所だと行った径路も覚えている,だからその記憶をたどりやすいのである。

それで認知症の人は狭い一室に住まわせてそこで暮らせば忘れ物してもすぐに見つけやすい,必ずなくしてパニック状態になりすぐに見つける必要があるだ
狭い一室で暮らしていればすぐに見つけやすいからである。
二階に忘れたとき,物がなくなったと泣いて騒いでいたからである。
一階と二階で暮らすとそうなりやすいし大きな家は認知症の人には向いていないのだ
徘徊するときも田舎のような狭い場所だと発見されやすいが都会だとまずそこで生活すること自体が複雑になり向いていないのだ

老人というのも都会になると生活しにくいだろう。ただそこで暮らしてきた人にとってはそうでもないかもしれない,かえって便利だということもある
ただ今回のようにサイフを忘れるとかあると探しにくいだろう。
田舎だと狭い所だからどこに寄ったかなどその径路を覚えているからである。

老人だと特に認知症とかなると狭い範囲でわかりやすい,人でも知っている人がいるといい,それが今では田舎でもない,江戸時代のような村だったら認知症の人でも住みやすいとなる,不思議なのは座頭市でも盲目の人が江戸時代には多かった,人口の一割近くいたでもそういう場所で良く歩いて旅などできたと思う
それはやはり江戸時代がそういう環境にあったためだろう。
道なども狭い危険なものがある,琵琶転がしとか座頭転がしとか狭い道だから転がり落ちることがあった
でも車などがないのだからなんとかたどって歩けたということがある
今は盲人用のブロックとかあるが盲人がとても隣町までも歩けないだろう。
そこが何か不思議なのである。

盲人が車社会では危険である。電車にのるのにも危険になる
でも江戸時代なら意外と安全だったのかとなる,盲人は旅することができたということである。盲人を助ける人もいたのかもしれない,そういう親切な情ある社会だったのかもしれない
現代は福祉は進んでいてもとても盲人が一人で旅はできないからだ

老人は今の社会には向いていない,認知症になるとリモコンのボタンを押してテレビも見ることができなくなる,機械が苦手になる,一般的に老人は機械が苦手である。
ただ60代でも今はスマホでも何でもしている,自分もしているのパソコンをしていたからその延長としてしている,みんながパソコンを使っているわげではないから使えない人も多い

そして現代は情報過多でありその情報を理解することがむずかしくなる,変化が激しい社会は老人に向いていない,江戸時代はみんないい顔をしていたというとき意外と貧乏でもストレスがなかった,都会の長屋でもそこに長く住んでいた,突然見知らぬ人が引っ越してきたりしないのである。すると人間関係も安定するということがある。
今は人間関係でも広域化しているからいつも同じ人と生活することがない
すると精神的にも安定しなくなる
やはり同じ村でいつも変わらない親しい人と暮らしていれば心も安定する
会社でも変われば安定しない,派遣とかの暮らしは安定しない,経済的にも精神的にも安定しないのである。

江戸時代はいろいろと今からみると不思議であり理解できなくなる。
どうして盲人が旅できたのか?それも目の見える補佐役もいないのできたのかとなる
今は福祉関係で必ず補佐役がついていて移動しているからだ
江戸時代にはそうした補佐役なしで旅していたのである。
そういうことができること自体不思議だとなる,また江戸時代にはそういう環境があったともなる,ともかく車にぶつけられないからそういうことができたともなる
それにしても盲人が旅できること自体が今になると理解できないのである。
そこに大きな時代の差があった

こんなことを考えるのは高齢化社会というのは栄養面などでは恵まれているがその他ではかえって江戸時代の方が住みやすかった
老人にとってはいい環境だった,ただうば捨て山とかあり貧乏だから老人を養う経済力がなかった,でも今のように長生きするのはまれだから長生きした老人は敬われたしかえって今より幸福だったとなる
つまり認知症になってもそれほど困らない環境にあったともなる

現代の高齢化社会はその江戸時代とはあまりにも環境が違っている
栄養とかとれるのだが老人はこういう社会では適合しにくいし不幸だともなる
だから江戸時代がすべて悪いとかとはならない,ただ時代は元に戻すことはできない
現代は老人にとってはともかく住みにくい社会である。

2017年10月05日

安らかに死ぬためには・・・・ (若いときにすでに死の準備をするべき)


安らかに死ぬためには・・・・

(若いときにすでに死の準備をするべき)


人間の死に方はいろいろだしそもそも死と生を分けることはできない
生と死は連続している,だからどんな人でも死んだら神となり礼拝の対象になるとかはない,ただ死というのは生から死の変化があまりにも大きいからその死が何なのか理解できなくなるのだ
骨となり灰となり全く存在が消失することが生きているものにとって変化が大きすぎるのである。世の中でもなんでも変わるけどこれほどの変化はないのである。

前に書いたけどなぜ人間は死ぬと美化されやすいのか?
死ぬと現実にあったものがなくなる,すると死者はどうなるのか?
死者は何も語らない,語るのは今生きている人なのである。
それで明治維新の吉田松陰とか坂本竜馬は司馬遼太郎という小説家によって作り出された虚像だともなる
それはなぜそうなるのか?本人は死んで語ることもない,となるとどういうふうに後世の人が見るのかとなるとどいふうに見ても勝手だとなってしまうからである。
つまり死んだとたんにその人の存在のリアリティがなくなるからだ
そして歴史上の人物とは誰もその事実だって直接接してもいないのだから皆目わかちないのだから美化されやすいのである。

家族だとかはいつも身近に接していたから家族でもその欠点とかを知っている
自分もそういうことを嫌というほど知っているから美化しにくい
家族の場合はいい面でも悪い面でもリアリティあるものとして死んでも見ているから美化しにくい,それが全然知らないとなると小説家でもそれが作られたものでも信じるとなる歴史考証など普通簡単にできないからである。

ではなぜ人間は死ぬのか?
それは哲学でも学問でも解決できない,ただそれは納得させる方法ではある
死を解決する方法は宗教しかない,それもキリスト教しかないかもしれない
「永遠の命」を説いたのはキリストしかないからである
死んで蘇ったのもキリストしかない,それを信じない人もいるし信じる人もいる
それは自由だし無神論者もいるしそれも自由である。

ただ人間は結局今の社会は自由ではある,その自由の責任もとらされるのである。
別に無神論者でも立派な人はいるし宗教団体に入っているような人はかえって
自堕落な人も多い,だから無神論者だからといって人格的に悪いとはならない
むしろ宗教団体にいる人は人格的に相当に歪んでいる悪い人が多い

だから宗教からだけで今や人間は判断できない,もし人格が歪んでいて心も悪いとしたら何宗教でもその人が「心が清い」ものとして神の意にかなう人になるとは思えないのである。悪人は宗教で人はかえってさらに極悪な人間になるというのもそうである。
神の名を語り仏の名を語り悪いことをする人などいくらでもいる
そういう人がやっかいなのはこの世で善人と崇められるからである。
カルト宗教団体などがそうである。
それで宗教から人を判断するのも間違いだとなる

ともかく生と死が極端に断絶しているから問題なのである。死というのが例えば肉体がありその肉体のままにすーと消えてゆくような状態になると違っているかもしれない
骨となり灰となるから生と死が極端に断絶するから困惑する
肉体をもったまま消えるとなると死んで霊界に去ったのだとかなるかもしれない。
そして人間は肉体が消えたときすべてが消えてしまったのか?
そう思う人はいない,そうしたら死んだ人を供養したり墓参りしたりもしないだろう,
以前として何かあると思っているから墓参りをしている,死者が何もないものでもないから墓参りししているのである。

なんか不思議なのは死者に供え物するがそれが一旦供えるとそれを食べるとき何かそこに死者の霊がついたという感じになる
だから食べたくないというのもある,その供え物というとき意外と大事なのかもしれない自分の経験では父親が貧乏で死んでサシミを食べたいというとき病気になり食べたくないといって死んだ,そのことが頭に残っている,だからサシミを供える
何か供えものは死んだ人に捧げるものであり生きている人は食べてならないという感覚になる,それは理屈ではなく一種の直感である。
こういうことを感じるもの死者は完全になくなったものではなく何か存在するものとして感じるからそうなる

死について考えるとき老人になってから遅い,老後の暮らしとかいろいろ考えるがありううるが死については遅い,若いとき考えねばならないものである。
だから若いときの求道が大事になる,その時期を逃すともう求道もできない
すると死の準備とはすでにもっとも生命の盛んな若いときするものであり老人になってからの求道はありえない,つまりそれはまた別な問題である。
青春時代の大事さを自覚している人が本当に少ないのである。
老人の問題は老人になったから起きているのではない,若い時からすでに起きているのだ若者も急速に老いてくるからである。
死とはすでにもう子供の時からもはじまっているのである。
死の恐ろしさを子供のとき見た人はショックである,だから求道しやすいとなる
人間は生まれると共に死がはじまっているのである。
生まれることは死ぬことなのである。
そして死のない世界はある,永遠の生命はある,人間はこの世では死ぬが来世では死なないのである。

人間の矛盾は死ぬために生まれてきたともなる,生を受けたのに結局死ぬことは必定であり逃れられない,そういう生は矛盾なのである。そんなら生まれない方良かったとなる
死がすべて無に帰するとなれば生きてもしょうがないのいのである。
そこから信じられないニヒリズム思想が生まれて最後はやけくそになり銃乱射するような老人も生まれてくる
人間は死んで何もなくなるとなればいかなる希望ももてないではないか?
そうしたら生まれない方がいいし生きていてもしょうがないとなるからだ
進化論とか唯物論とか無神論では何の解決もないのである。
そんなことで人間が納得する人などいないのである。

2017年10月01日

老後(定年後)に変わる人生の価値観 (最後は金で買えないものの価値が大きくなる-思い出などの価値が)


老後(定年後)に変わる人生の価値観

(最後は金で買えないものの価値が大きくなる-思い出などの価値が)


今の時代みんな会社員である。会社で人間関係も会社が生活になっている
価値観も会社で作られる,でも一旦会社をやめるとどうなるのか?
会社で培ったものが人間関係でもなんでもなくなってしまう。
これは本当にショックなことだが意外と自覚できない
人間は将来のことを自覚できない,来年のことを言えば鬼が笑うとかなっているからだ
だから結局人間はなってみないとなんでもわからないのだ

自分なんかも介護十年で苦しんだけどそれは予測されたことだった
自分の生活は何か普通とは違う,異様なものだったと思う
こんな生き方をした人は今はニートとか普通だがいるが団塊の世代ではいない
自分の場合は特殊な家庭環境でなってしまったのである。

まず定年後どうなるのか真剣に考える人もいない,それより老後がどうなるか考える人もいない,若い人は60くらいで死ねばいいとか楽観的に考えている
80までは普通に生きる時代に今の若者は高齢者を見ているのにそう言っている
自分は60くらいで死ぬと思っているのである。それがいかに今の時代ならおかしいかわかるはずである。でも若者は老人になったらどうなるなど考えれられないのである。
体力や知力やなんでもそのままつづくと思っているのだ。
病気にならない人は自分は病気にならないと思っているし常に人が死んでいるのになぜか自分だけは死なないような気がしているのが人間なのである。
だからこそ人間は生きていられのだと思う,もしその将来を未来をリアリティをもって見せつけられたら生きていられないとなるからだ

ただ高齢化社会というのは価値観を変えなければなくなる,会社をやめてもその後が長いすると会社を退職して何もすることがないとかなると問題なのである。
地域で活動するといっても簡単にできないからやめろというのもわかる
そんなことが今の時代に用意されていないのである。
ボランティアでもこれもなかなか簡単にできない,日本ではボランティアを受け入れるようになっていないのだ。法整備もしていない。
だからお前はそこで何をしているのだとかかえってあやしまれて自分のように駅でボランティアしてもその価値が認められないのである。

ボランティアはみんな受け入れられるものだと見ているが実情は全く違うと思う
要するにそういう席は社会に用意されていない,だからその席を確保するとなると容易ではなくなる
駅のボランティアをしても誰も認めない,JRではしょっちゅうあっても一言もありがとうなど言わない,こいつ何しているんだくらいしかないのである。
それは回りの人だってそういうことがあり誰かがあやしい警察に連絡して職務質問された要するに自分のしていることは誰も認めなかったとなる
その誰も認めないことをつづけることはむずかしくなる
なぜならそうじゃないか?だからこそ警察にあやしいと通報されたからだ
つまり回りから見て価値が認められないことは遂にお前はそんなところで何をしているのだいるなとまでなるのである。
だからへたにボランティアはできないということもあるのだ
社会でボランティアというのが受けいる体制がないとできないことがあるのだ。

そうなると老後というのは長いしそこで何か生きがいを見いだすことはかなりむずかしい作業になると思う,会社をやめて地域活動をするとか地域を見直すとかもできない時代である。つまり問題は会社で培った技能とか何か活かしにくい社会なのである。
だから会社をやめたとたんに無用化して家でも邪魔者扱いになる
誰もそうした老人など若者でも回りでも尊敬したりしない時代だからである。
かえって無駄飯くらいで早く死んでくれとかいつも若者が言っているからだ

人生の価値観など会社をやめたから何かまた新しいことをはじめるとかなると容易ではない,人間60年生きたらそれで培ったものが後半に生きるならいい,継続するならいいのである。
だから何か経済的問題,老後の金だけの問題がとりざたされる,でも精神的なものが意外と定年後は問われるのである。それは金で解決しないのである。
原発避難民などは故郷を失った,そこで故郷を家を失ったことの精神的被害が実際は大きい,それは金で買えないものだったのである。
それは何十億の金をもらったとしても変えられないものだったのである。
それは故郷で暮らし歳月の記憶であり家での家族の暮らしの思い出とかになる
そういうものが老人になると大事になる,だからみんな老人は家に帰りたい,故郷に帰りたいとなっているのだ。
みんな金の時代だから老後も金だと思っているが精神的なものがかえって大きな課題となる

老後で老人になってい大事なものが何か?それはむしろ精神的価値であり金でそれは買えないのである。例えば思い出を老人になって買えるか?金で買えるか,失われた青春を金をで買えるか?それも何十億金を出しても買えないのである。
例えば芸術などでも学問でもそれは長い間培ってきたから老人になって実るとういことがある。俳句のようなものでも老後にはじめる人がいるがそれでうまくなるかというとむずかしいだろう,何でも老後からはじめたらうまくいかない,継続していたものがうまくいくのである。

そして老後が金がすべてでないというとき一体はあなたは何をしたいのか?
あなたが社会に示せるのは何なのか?
俺は金をたんまりかせいだから金で人を使うことができるしこの世の中年とっても金だよとなる,でも人間は生きる時間が死ぬことが迫ってくるのは長生きの時代でも感じる
明日死ぬかもしれないというのが現実になっているのだ。

それで「心の青雲」のプログを書いてきた都築詠一は69才で死んだのには驚いた。
それは同世代だったからである。ずっとプログも読みつづけていたからである。
人工透析を17年間もしていたというから驚くのである。
その人は透析で金をかけているしなんとか社会に役立つことをしたいとしてプログを懸命に書いていたのである。そういうことが自分にはわからなかった
死んでみてわかったのである。
でもそうしてプログに書いたことで何らか社会に役立ったということがある
自分もそのプログを読んで参考になったからである。

フログなど書くのに金はかからない,金の問題ではない,そこで最後に死ぬ前に自分の思っていたことを書いたのである。学識もあったからそれを参考にした人はいる
ただそのログを自ら消したのか死んだとき消えたのは残念だった,一部残っているのでそれを参考にして自分はレスポンスを書いた

あなたは最後に何をすべきなのか?

だらだらだらと生きながらいて死んでゆくだけなのか?
それは金の問題ではない,画家だったら最後に傑作をものにしようとするだろう。
何か他でもライフワークがありそれを完成しようとするだろう。
何か追及したものがあり残そうとする
だから金だけではない,金がなくてもいいというのではなく老後は人生の総決算としてその人の価値を示す時なのである。
精神的な要素が大きくなるのである。
それに備えている人は少ない,金だけの心配をしているからである。
明日死ぬというとき金の心配する人がいるだろうか?
それが人生の誤算なのである。
人生はどんな人でも老人は後悔している,これすれば良かったとなんとか後悔する
その大きな原因が老人になると老後になると定年退職後は精神的なものの価値が大事になってくるからだ
その人の生きた思い出とか記憶が宝になる,だからこそ原発避難民の老人は思い出がある故郷に家に帰りたいとなるのである。

ともかく老人の問題は老人だけの問題ではない,若者の問題でもある。
なぜなら若者も老人に確実になるからだ,だからこそ老人になった人はどう考えているか知るべきなのである。
老人の言うことなど聞いていられないとはならない,あなたも老人になるからだ
老人になってどう生きるかなど考えることはできない,すでに結果が出たのであ青春時代などかえってこない,二度と帰ってこないのである。時間を元にもどすことだけはできないのである。
そこに老人になってから深刻さがあるのだ。
人間はどう生きるかなど老人になって考えることも何することもできない
老人は人生の結果であり若い内ならできてもできないからだ
ただとりかえしつかない後悔だけが残ったいるだけだとなるのである

結局若者でも今生きていることが老人になって結果として現れる,ふしだらな生活を罪なる生活していれば確実に老人になって後悔する,老人になればそういうことが結果として現れる,そしてもうとりかえす時間もなくなる
宗教でも求道は若い内からしなければ信仰は得られない,老人になってからの宗教は慰めにすぎない
若い内にはじめたものが継続してす老人になって実るのである。

2017年08月30日

個々人家族によって違ってくる介護の事情 (社会的な負担と家族の問題)


個々人家族によって違ってくる介護の事情

(社会的な負担と家族の問題)


介護というのは家族の事情によって違ってくる,家族はみんな違っているからである。
トルストイのいうように家族の不幸はみんな違っているのである。
ただ家族でも家族内で介護とかしていればそれほど社会に負担にはならない
自分の場合は姉は病院に半年以上入院した,母もトータルではしたかもしれない,でも死んだからそれほど自分でも社会で負担にならなかったかもしれない
そして自分としては介護して良かったなとつくづく思う
なぜなら自分ほど家族に良くしてもらった人はいないからである。
だから恩返しできて良かったなと思う

そして苦しかったけど最期に姉が死ぬときうなづいてわかってくれたことせ救われた
認知症の謎は完全に馬鹿に痴呆になったのとも違う,正気にもどるときがあり意識不明になるときその直前に正気にもどったのである。その後意識不明になり一カ月後に死んだのである。だから自分の場合は老人は介護に金がかかるから早く死ねというが自分にとってそうではなかった,百才で死んだ母もそうである。
百才まで生きる意味があったのである。

生きる意味があるというとき家族内での生きる意味があり社会から見るのとは違っている社会では無駄だと思っても無駄でないことがある。
家族内の価値観と社会の価値観は違うのである。
たから社会の価値観を家族におしつけるのは問題になる
社会の負担蜷というときやはり家族内の問題が社会の問題になる
それは主に金の問題である。社会に負担をかけることはそこで不満が大きくなっている
金だけではない労力の問題もある

例えば障害者がいる家族の苦労は並大抵のものではない,そういう人を知っているが結果としてそういう人にそれだけの労力を払うのになぜ自分には払われないのだろうとか思う自分は家事でもなんでも全部自分一人でしているからだ
障害者にそんなに労力を払ってなんの意味があるのだろうというときまさに介護ともにているのだ,何の益もない死ぬだけの老人にそんなに金を使って延命治療したりして長生きさせるのは無駄だとなる,それは社会で負担するとそうなるのである。
家族と社会の価値観は違っている,家族なら障害者でも母には愛がありめんどうをみるのである。ところが社会というとき他人であり愛をもつことがむずかしくなる
それは金食い虫の無用なものとなるからだ
だから障害者を家族でめんどうみるならいいが施設に入れると社会で負担することになるから問題が起きるのである。

ともかく家族の事情は不幸はみんな違ったものであり家族のことは外部の人が見てわかりにくいのである。それは家族と社会の価値観が違うからである。
家族にとって意味あるものも社会にとっては意味のないものとなる
ただ金と労力を負担するものとなる,そしてどちらかというと介護はもう家族の負担で負いきれないから社会の負担となる,そこに膨大な金がかかり国では限界だとなったのである。

社会では金がかかるから延命治療はやめろといっても家族ではそう望まないものもいる
それは個々人でも事情が違ってくる,社会というのは個々人の事情は考慮しないのであるだから社会は非情だとなる,でもこれだけ老人が増えて介護でも病気でも費用がかかればもう社会では限界だとなる,その負担は若い世代にかかれば国すら介護で弱体化してゆくともなる,高齢化社会で国が弱体化して衰退してしまうのである。
だから社会では非情になるのはやむをえないともなる

ただ自分の家族の場合はそれほど負担になったと思えない,姉はなったが病院に半年ほど入院していたが死んだからである。それも負担にしろそれよりずっと長くなる人もいるからである。
母の場合はほとんど社会的負担になるものはなかった,入院してから一カ月にもならないで死んだからである。こういうものは社会的負担となっているとは思えないのである。
だからどこまでが社会的負担が許されるのか?
介護とか医療にはそういう問題がある。姉は確かに胃ろうになったがそれも半年くらいであり死んだ,胃ろうでは3年とか生きている人もいるしもっと生きている人がいるからだだから人によって負担が違ってくるのである。
だから胃ろうもいちがいにすべて悪いともならないというのがむずかしいのである。
要するに個々人で家族で事情が違ってくることが問題なのである。
それを社会では考慮しえないのである。
80才でみんな安楽死した方がいいというとき個々人ではまだまだ仕事をしている人もいるしいちがいには言えない,90でもそうである。
そういうふうに社会ではしたいとしても個々人の事情を無視すると困るのである。

障害者でも社会的には無用でも家族にとってみればそうでない場合がある,それは老人の介護と同じである。介護になると障害者とにてくるのである。
ただ自分でもそうして障害者に払われる労力とコストは大変なものだと思う
例えば何か家族でそんなことを負担させられて若い人がやりたいこともやれないとしたら悲劇であり障害者を老人をうらむともなる
自分の場合はそういうことはなかった,特別良くしてもらったしやりたいことをやらせてもらったからだ,だからこそ自分は最期は恩返しできてつくづく良かったなと思ったのである。苦しかったけど良かったなと思っている
そして加護された家族もそれを納得してもらったから救われたとなったのである。
認知症でも正気にもどったりしていたからである。
ただこれから自分がどうなるかわからない,体も弱っているからどのように死んでゆくのか不安になる,なるべく社会の負担にならないように死んでゆきたいとなる
いづれにしろもう一人暮らしだとそうならざるをえなくなる,社会は非情だからそうさせられるのである。それもカルマでありやむをえないとなってしまうのである。
タグ:介護の負担

2017年08月29日

日本では認知されないボランティア活動 (法律的にもあらゆる面で排除されている)


日本では認知されないボランティア活動

(法律的にもあらゆる面で排除されている)


日本ではボランティアが法的に認知されていないということがある。アメリカにはボランティア振興法があって、連邦政府によるボランティア支援が財政面でも組織面でも体系的に整備されており、また、歴代大統領が、法令を制定してボランティア振興のための財団その他の組織をつくり、運営を支えてきている。イギリスには、チャリティ委員会がある
日本のボランティアは、法的な居場所がないだけでなく、サービスの対象者から実費や謝礼金を受け取ろうものなら、たちまち各種の事業法令によって締め付けられる。


駅でのボランティアで感じたことはここに書いてあった,これはボランティア全般の問題である。ボランティアの地位が確定されていない,認知されていないのである。
だからボランティアしていても何をしているのだろうと社会では見る
いくら無償で働いても認知されない,自分の場合はただあやしい人というだけになることもある

それは自分がボランティアを見ていたとき同じだった,この辺ではボランティアが今でも来ている,でもボランティアは何しているのとかなる,それは駅で自分が案内とかその他時刻表を作って配ったりしていても駅を利用しない人は近くの人でも何をしているのとなる。
ボランティアとして熱意がありしていても認知されないのである。

その原因は様々である。ボランティアは何か気まぐれなのだ,何か災害があると寄付があるがその時は寄付してもあとはしない,たいがい一時的なものであり継続的にしている人は少ない,だから海外の援助でも定期的に援助しないと実際に外国で働く人は医者でもなんでも困るのである。
定期的に継続してボランティアは資金でも労働力でも援助しないと援助される方も困るのである。

この辺ではだから自転車旅行でぶらりと立ち寄りボランティアになった人などが結構いたその泊まる場所も近くにあった,しかし地元では必ずしもボランティアを認知しないということもある,それはどこでもそうなのである。
川俣の山木屋ではいろいろな人が来たけど大学でも継続しているのは一つだけになった
つまり定期的継続的に支援してくれるのは本当に少ないのである。

またボランティアというのはせ法律的にも社会的にも権限は全く与えられていないのである。だから街の防犯をしているものは警察から嫌がられる
お前は何しているんだ,ここは俺たちが見回りしている所であり外部のものは入るなとかなる,ヤクザの縄張りのようにな所に勝手に入ってきて防犯であれ警察の代わりのようなことはするなとなる,それでもめていたのである。
警官は法律でも権限もあり守られているがボランティアには日本では全くないのである。だから日本はボランティアがしにくいのである。

そうなると社会全体にとってもいいことではない,ボランティアが必要であり活気をもたらしたりすることがあるからだ
ボランティアは社会的に確実に必要なのである。でもそれは法的にもあらゆる面で認知されていない,それは社会からも認知されていない
あいつなにしているんだ,あやしい奴だと警察に通報してやろうくらいになる
そしてその善意はくじかれてしまう。
ボランティアは社会自体が認知していないのである。
それが確実に必要でもそうなっている

JRの人とも何度も会い話しているけど全く認めない,ただ公安委員会の人が言うには知っていて黙認していることは認めたことだという,でなければ拒否されることやめろと言われることになるからだともなる
つまりボランティアは居場所がないのである。誰も社会でも認知されないとなるとただあやしい人として警察に通報されるだけだとかなる
それも法的に守られてもいない,居場所もないからだとなる

ボサンティアは必要でも日本では社会的に受け入れるような体制がないのである。
ボランティアでも医療関係でもボランティアしようとしても定期的に継続的にチームとなって働かないと邪魔だともなる,
だからボランティアの居場所自体を確保するのがむずかしいとなる
日本にはボランティアと受け入れる素地がないのである。
それはやはりキリスト教の国である。そういう伝統があるからだとなる
日本にはボランティアというのも歴史的社会的に育つ土壌がなかった

だからそもそもボランティアは社会的に認知され受け入れられること自体むずかしいのである。それが社会にとって確実に必要であってもである。
そうなるとボランティアを受け入れない社会は大きな損失にもなる,ボランティアは社会に不足しているものを補う役目が確実にあるからだ
それが受け入れない社会はかえって社会全体にとって損失になる

今回の駅での経験はいろいろ考えさせるものがあった,だから自分にとって社会勉強になったし面白かったとなる,ただあやしいとか警察に通報されたりしたのはショックだった自分にしては外部の人でも道案内されればありがとう絶えず言われていたし内部でも時刻表を作ったりして配ったりその他教えることもあった
それと駅は様々な人の行き交う場所であり社交の場であり広場の役割も果たしていたのである。

いづれにしろ日本ではボランティアは居場所かないというとき特に老後にボランティアしたい人は本当に多い,でも老人だとまた受け入れるのがむかしくなる
体力的にもそうだしいろいろ問題が生じる
するとまた社会から老人は排除されて不満になり社会に居場所がないとなる
それは深刻になるとキレル老人となり社会に害悪をもたらすのである。
ボランティアにも老人にも居場所がないのが今の日本なのである。
日本の社会は何か硬直的社会であり柔軟社会でないということもあるのだろう。
社蓄とかいう言葉にも現れている,

「人間を幸福にしない,日本というシステム」カレル・ブァン・ウォレフレン
ここでも書いてあるが本当に日本は窮屈な社会なのである。
奴隷社会なのである。そうしてみんな社蓄なんだよというときそれを是認しているとき
社会全体奴隷社会であり暗い抑圧的なものになっているのである。
それは文明そのものがそうでありそこからアウトサイダーが生れたのである。

ボランティアこそ実は事故実現とか生きがいを与えるものなのである。
自由意志でやるのであり奴隷のようにするのではないからだ
芸術などの創造は自由意志であり自由がなければありえない
ボランティア精神こそ人間を人間たらしめるのである。
だからボランティアが否定される,認知されないとかの日本のシステムがそうなのであり日本人を幸福にしないシステムだと見るべきである。

2017年08月16日

死者の不可解 (死者が残すものは何なのか?ヒストリーはストリーのこと)


死者の不可解

(死者が残すものは何なのか?ヒストリーはストリーのこと)

人間の最大の謎は生きていることから死者になることである。その変化があまりに大きいから愕然とする,死者となると残るの骨だけでからである。その骨すらなくなっているのだ,一人の身内の骨は土になってなくなっていたのである。
それで娘にその骨をもっていって供養してくれということができなくなった
骨もなくなるのである。
最後に残ったものとして骨にこだわるけどその骨すらなくなっているのだ。
すると人間が残すものは何なのか?

最後に墓だとなるがその墓すら跡継ぎがなければやがて捨てられ今ではそうして捨てられた墓が山と積まれているのである。
ある島ではその墓の墓場になっているのである。
墓は簡単に捨てられないからそうなっている
だから墓を残すことはやっかいなものになる

そもそもそうして焼かれた骨がそんなに大事にされるものなのか?
第一そこに生前の人間が宿っているものなのか?
いづれは土に還り土となってしまうのである
死者がどこにいるのか?何か遺影を見ていると死者がいる感じになる
位牌にいるのかとなるより遺影に死者でも生前のままにいるという感じになる

人間が死ぬと急速に忘れられる,あれほど存在を主張したものが消える
そしてもう何も語らないのである。
要するに生と死の落差が大きすぎるから人間は死の前に茫然としているのである。

墓参りしたとしても骨をうめた墓に死者がいるのか?それも疑問である。
一人の骨は土になりそこには何人か一緒に埋まっている
となるともう個人として識別はできない,一家の墓のなかに骨も一緒になったのである。ただ名前は記されているからかえって墓にその名前が残りそこに埋められたことを示している,最後の記録となっている

でもそういう人がいたということは戸籍を見ればわかるのである。
そしたら戸籍がその人が存在した最後の証拠なのかともなる
戸籍は死後も長い間残るからである。
その戸籍とは系譜のようなのもかもしれない,系譜だと何百年も残っている
そしてわずかにその系譜から名前が残りそういう人がいたことを知る
でも名前だけでありそれ以上のことは何もわからないのである。
天皇だって名前だけしか知らない天皇が古代にはつづいているのである。
その諡号からその人となりを探っていたりする
それは戒名とにている,戒名しか残らないものがいるからだ

歴史上の有名人,偉人の墓でもいくつもあちらこちらにある場合がある,ではそこにその人が実際に埋まっているのかといとそれすらわからなくなったいる
骨がない場合もありそこに埋まっている証拠がないのである。
ただ伝説化してこれがその人の墓だと後世の人が勝手に言って墓を作っている場合もある
だから何が死者なのか不可解なのである。
死者というとき骨のことではない,その肉体が消えても残るのは何か?
歴史でもストリーというとき物語のことである。
すると個々人の物語(individual story)のことかとなる
そういうものを人間は必ずもっている,それは家族でもそうなのである。
兄弟でも全く異なった運命を生きることも普通にある
人間が生きたというときその物語にあるとなる
でも墓に興味をもってもそこから個々人の物語は探れないのである。
個々人の物語でも人間は複雑だからその物語を知ることはできない

老人が昔を延々とかたるときそれはなんのためなのか?
自分がこう生きたと知ってもらいたいからである。
それぞれの一生が語ることによって伝えられる
だから認知症になると遂に同じことを千回も聞かされることになる
それは自分はこう生きたんだと伝えたいからである。
一生とはその伝えたいことにあったからである。
死んだ途端に骨となったときそこに読み取るのは何なのか?
化学物質としての分析なのかとなるがそうではない
ストリーにこそその人の一生があったとなるとその物語を知るべきだとなる

自分の家族は五人いたがみんな死んだ,残ったのは自分一人だけである。
それぞれが家族で全く違ったストリーをもっていて死んだのである。
それは同じ家族でもこれほど違った物語をもっているのかということである。
でもその物語を全部知るのは自分しかいないのである。
だから最後は墓守ではない,その物語を伝える語り部となるのである。
老人はみんな語り部になる,そこに老人の生きる意義がある

その語ることがうまい人が伝説とか昔話を作り後世に残ったのである。
小高の老人から聞いた話は面白かった,その人は話がうまいのである。
話がうまい人とそうでない人がいる,その人を別に知識人でもなんでもなかった
でも自分が経験したことを語ることがうまかったのである。
だからそのことをプログに書いてのである。
今なら小説家とかなる,最後に残るのは骨はなく墓でもない物語だともなる
それは代々伝えられるからである。
歴史とはヒストリーだというときストリーのことだからである。
それぞれの人生は一つの個々の物語として残されるとういことである。

いづれにしろ自分の家族の一生をふりかえると不思議になる
それぞれが全く違った運命を生きたからである。