2017年03月30日

済州島の漢拏山 新しき地理の展望を得るのが旅


済州島の漢拏山

新しき地理の展望を得るのが旅


漢拏山力強きかも
韓国,中国、日本を望み
春の日に望み聳え立つかな
世界の地勢を知りて
新しき展望を得む

韓国はやはり歴史的だけではない、地理的に日本の中に入っている国である。
中国となると広すぎて日本とは別な世界になってしまう。
韓国は玄界灘をはさみ一衣帯水の国である。

『南史』に「陳の後主荒淫なり。我は百姓の父母為り。あに一衣帯水に限られて、これをすくわざるべけんや(君主の跡継ぎは、淫らで残酷だ。私は人民の父母である。陳と一本の帯のような細い川に隔てられているからといって、彼らを救わずにいることがどうして出来ようか)」とあるのに基づく。

一衣帯水の故事は中国をさしている、でも中国と日本の海は広い、韓国はそうではない、船で古代から行き来していた、韓国の一部が任那に日本府が置かれていた
韓国が一衣帯水の国としてふさわしい、確かに遣唐使が船で中国に渡ったとしてもそれは頻繁ではない、決死の渡航だった、そんなに行き来できる海ではなかったのである。
だから中国は地理的にも日本とは隔絶しているのである。
韓国は地理的にも一体感がもてる国なのである。
それを実感したのは済州島の漢拏山を見上げたときである。
島にこんな高い山があるのも驚きだった、それも力強いものを感じた

その山はまさに韓国と中国と日本を望んでそびえていたのである。
旅は視野を広くするというときそれは地理が地図をいくらみてもわからないからである。旅によって新しき展望を得る、世界となると広すぎる、でも韓国は地理的一体感を感じる場なのである。唯一外国で地理的一体感を感じるのは日本では韓国だけなのである。
他は海に囲まれて感じないのである。ロシアにも感じないし地理的一体感を感じない。

外国だと感覚的地続きだから地理的一体感を感じる、ただ人為的境界として国境があるだけであり日本のように海に囲まれて地理的に隔絶されたような感覚にはならない、日本にとって地の果ては海の向こうであり海に囲まれているからすぐに地の果てになってしまうのである。
だから地続きの感覚が世界の感覚であり日本は海によって隔絶された世界で特殊な国なのである。

世界を旅するとなると今やまた年とり楽ではない、もっとやはり山を見たいということがあった、それは自分の住んでいる所に大きな高い山がないためである。
海がない国は海に憧れるのとにている、山は富士山でもそうだが精神的象徴となる
山は精神をはぐくむ、一番の圧巻はヒマラヤだった、しかしこれも一回見ただけであり
その時曇っていたのではっきり見えなかったのが損したのである。
これだけ旅行しても見れなかったことを後悔する、人間にはそんなに時間がないのである富士山くらい見に行こうかと思うがこれも日本自体が旅しにくくなっている
外国人が増えてゆっくり旅できないとなると何か時代的に損である。
旅はやはり視野を広げ新たな展望を得ることなのである。



2017年03月01日

パリの旅の回想ー東駅界隈(秋の短歌十首)


パリの旅の回想ー東駅界隈(秋の短歌十首)
  
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パリの東駅
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パリの東駅のサンマルタン運河
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セーヌ川で洗濯している女
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落葉せしパリまで来てそ安宿を探す我かな年も古りしを

運河ありパリの裏町安宿は満員なりし落葉踏み去る

パリにつく東駅かな運河ありたどり歩みぬ秋の夕ぐれ  

東駅パリの下町運河にそ枯葉の木々を写しけるかな

パリの秋路地を歩みてあわれかな人種様々行き交う人かな

秋のくれセーヌの岸辺絵描きかなノートルダムの寺院も古りぬ

ルーブルの窓に枯木や石の橋歩みてあわれ偲ぶ歴史を

傍らに彫塑の像やもの思ふルーブルの秋我もめぐりぬ

かたわらに貴婦人の彫塑かなローマの女や秋の日暮れぬ

ルーブルの絵洗濯女のあまたかな橋も古りにし秋の夕ぐれ

セーヌの橋によりにつ恋人の愛を語るや秋は深まる

パリの街秋も深まるもの思ふセーヌの岸や石の橋かな 


東駅とサンマルタン運河(写真) 

  

アポリネールの「ミラボー橋」


日々は去り
去った時も
昔の恋も帰ってはこない
ミラポー橋の下 セーヌが流れる

夜よこい 鐘よ時を告げよ
日々は過ぎ 僕はとどまる  

パリには春と秋に二回行ったけど記憶が定かでなくなった、でも思い出す旅は外国までつづいている、外国はまた記憶しにくいし忘れやすいのである。
パリの東駅についた、写真を見たら確かに教会があった、ただ東駅がどうなっていたのかわからない、写真を見てこんなだったのかとなる、駅はゴシック建築のようにヨーロッパ
では威厳があり日本とは違っている、なんかヨーロッパでは建物が立派であり威厳があるそれがヨーロッパの歴史であり文明だということを一番感じたのである。
石の文明であり石が恒久性をもっているから歴史を偲べる、ローマ時代のものもそちこちに残っているからだ。ヨーロッパは石の情緒なのである。
石の橋にもたれるときそれがヨーロッパ的情緒になる、その感覚は日本では感じることはできないのである。



ネッカー川の石橋

ネッカー川の石橋古りぬ
その冷たき石の手触り
市門のありて中世の街
ゆるやかに川の流れて
落葉踏むその岸辺
城砦も古りイギリス門とあり
この城に嫁ぐ王妃の物語
晩秋のハイデルベルグ
ここは古都にして学問の府
その歴史をここに刻みぬ
その岸辺の公園を一人
そぞろ歩みてもの思ふ
もの寂びて薔薇の花の赤しも
我が旅の記憶ここにとどまる



これはパリではないがやはり石の橋ということで共通している  
もともと木の橋だったが洪水が度々あり石の橋にしたとある
石の橋はやはり木の橋のように簡単には作れない、だから石の橋があってももともと木の橋が最初にあったとなる

ハイデルベルグ 

ともかく自分は旅を外国までつづけていた、それでいつも安宿を探していた、それが外国までつづくとは思わなかった。東駅におりて安宿を探したがそこは満員だった、とても言葉が通じないからそういう安宿に泊まるのは自分には無理だった、でもヨーロッパは意外と旅行しやすい、ユースホステルも多いし年配の人も利用している。
外にも安宿が多い、でもなかなか探せないということはある、でもヨーロッパは宿が多いのである。ホテルが本当に多いので旅行しやすい。
でも日本と同じように安い宿を探し歩くとは思わなかった。

自分はハックパッカーでありヨーロッパ旅行でも安い旅行しかしていない、旅で一番かかるのは宿代でありこれは日本でも変わりない、食事はほとんどマグドナルドとかでハンハーガーだった、何かレストランはヨーロッパでは一人では入りにくい場所である。
だから最低の食事しかしていない、自分の場合は食事とか余り興味がない、旅することに重点を置いているからである。
日本でもうまいものを食べたことがない、ありきたりのものであり千円くらいしか使っていない、というのは食事に金を使うと長い旅はできなくなるからだ。
自分は貧乏旅行者でありずっとそうだった。

金がなくても実際は旅は世界でもできるものだと思った。その時は円高だから旅しやすいということもあった。一ドル80円とういいう時代があったからだ。
バックハッカーの時代は今では終わった、それでdarkness duoサイトは面白い、沈没したとかしていて経験を積んだことを書いている
そういう人がかつていてその経験を書いているのである。
自分はそういう人ではないが一応年になってハックパッカーを経験したのである。
ただこれも十年間くらい介護に追われていたら記憶がうすれてしまったのである。

でも短歌にするというときパリはつくづく芸術の都だとなる、パリにいるだけで芸術家になった気分にさせられるのである。橋にもたれているだけで歩いているだけで何かそれが絵になっているのがパリなのである。
ただ最近移民が増えすぎてその情緒が失われたと言える、やはり異国情緒があってこそ旅もいいとなるが移民が増えすぎるとそれも失われる、今は日本だって外国人だらけになると嫌な感じになり旅行したくなくなったのとにている。  

何度も言っているけと旅でも記憶が大事になる、何か記憶に残らないと行ったいうことにもならない、団体旅行ではなかなか記憶には残らないだろう
今になると海外旅行も自転車旅行もできない、肉体的にも精神的にもできない、気力もない、だからやりたいことは若い内に早めにやらないとできなくなる、登山だった自分は体力がないから今はできない、結局老人はこうして回想しているのが至福のときだということがわかったのである。
でも記憶されていないならその至福の時もないから何でも記憶するように生きるということ旅でもそうしないと後で何も残らないということになるのである。
つまりその時間は永遠に帰ってこないのがショックになるのである。
タグ:パリの東駅

2016年07月07日

ヨーロッパの旅ー春の俳句二十句



ヨーロッパの旅ー春の俳句二十句

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(イギリス)

(ロンドン)

春寒し駅舎に飲みぬビールかな

春寒しイギリスの栄昔かな

テムズ河海に注ぐや春寒し

春寒しテムズ河の岸のベンチかな

鴨の列石橋わたり柳かな

夕日さし古城の紋章石に古る


(フランス)

絵を売りぬセーヌの岸辺春の暮

石造り宮殿古りぬ春のパリ

春のパリ石にもたれて思案かな

春の星同じホテルに客となる

泊まる宿セーヌの辺り春の星

(ニース)

老人に春の陽ざしやニースかな

春光や城跡に波のひびきよす

春光に新婚旅行やマルセイユ


(イタリア)

春の暮ローマの道をたどるかな

ローマの春廃墟の松やもの寂びぬ

春の日や廃墟の石にもたるかな

ベネチアや春光に舟波止場かな

浴場跡夕日のさして蝶舞いぬ

春光やフィレンツの塔美しき

春雨や南イタリアの古城かな

(ギリシャ)

雪の峰海に望みてギリシャかな

菜の花にドルフィの神殿埋もれけり

ドルフィや竜舌蘭や石古りぬ


(アレキサンドリア)


海の風アレキサンドリアや春鴎

街中に海の風吹き百合の花

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やっぱりヨーロッパは旅するのには一番いい場所だった。あれだけ歴史があることが違っている。ヨーロッパはいろいろあるけど芸術の都なのである。
その代表がパリなのだけどそこが違っている
中国などにはそういうものがあまり感じない、ヨーロッパは国が分かれているけど多様な個性を作り出した、それで芸術が華咲いたのである。
多様性があり国が分かれることで絶え間ない紛争があったのだが反面は多様な個性を作り出したのである。
この時はまだデジカメの時代ではないので写真があまり残っていないのが残念

それにしても時間がすぎるのは早い、自分がヨーロッパに行ったのはすでに十何年前とかなっている
その時は円高で旅行しやすかった。イスラムのテロもない時代だった。
ともかく時代は急速に変わる,中国だって20年前とかになるし急激に変わってしまった。中国の物価はあの時からすれば十倍にもなっているかもしれない、
世の中の変わりようは本当に早い

そして十年間介護に追われてたちまち過ぎた、今は思い出す旅である。
何か老年になると思い出すということが仕事になる
思い出すということはそこに確かにいたということを確認することなのである。
そこにいたということすらわからなくなる
そういう記憶の確認作業なのである。俳句にしてのもそういう記憶が残っているからできる

外国を俳句にするのは一つの文化交流である。最近はインターネットで外国の俳句が結構出ている、ともかく誰でも海外旅行できる時代だからである。
インターネットではなかなか批評しにくい、雑然とありすぎるのである。
やはり選ばれたものを見るのは楽だとなる

旅というのは何か記憶に残っていないと収穫がない
つまり全く記憶に残らないことがありうるからだ
特に外国ではそうである。どこにいたのかもわからなくなる
だから何か記憶にとどめる旅をしないと何も残らない。
辺りの風景を記憶する旅である。
それはいくら写真でもとどめることはできない
その時々の風とか光とか何でも写真にはすべてとどめることはできない
人間は五感で感じているからである。

認知症になると同じことを過去に経験したこと何百回という、それは記憶が生きた証拠になっているからそうなる。
だから一番人生で印象に残ったことを語り続けるのである。
姉の場合は戦争のことでありそれを死ぬ直前まで語って死んだのである。
それほど戦争というのはとても忘れられない記憶だったとなる



ベネチア-ベニス(abstract pictures-veneziaー(Venice)


ストラトフォード・アポン・エイボン


2015年11月25日

ギリシャの春の俳句二十句 (海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)


ギリシャの春の俳句二十句


(海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)



ギリシャの春俳句二十句

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菜の花やスパルタの故地や一面に

スパルタや今は菜の花に羊かな

スパルタに城壁あれや残る雪

プロボネスその奥深く岩に雪

羊飼い山に上るや芽吹くかな

羊飼いギリシャの古りて春暮れぬ

ギリシャに女神現る春の花

松古りて神殿古りて春の花

神殿の跡に花々春の海

神殿にオリーブの樹や春の風

芥子の花赤く映えるや奥地まで

一本のギリシャの鉄路春の暮

春の日や雪に神々しオリンポス

ゼウス住むオリンポスかな雪閉ざす

ひびき落つ清水や春の岩の山

ドルフィに竜舌蘭や柱古る

島々を船のめぐるや春の海

島古りてギリシャの海や春暮れぬ

老人に露店や貨幣春暮れぬ

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菜の花に埋もれたドルフィの神殿

ギリシャの暮らし(ここにいい写真がある)




海外旅行してみてもう一度行きたい所はどこかとなると自分の場合は自然が美しい所だった。
それで春に行ったギリシャが良かったなと回顧する
ギリシャの良さは地形が山あり海あり島ありで日本ともにて変化に富んでいる。
そしてなによりも歴史があるから自然も古色蒼然としたものになる
自然がないところはピラミッドとかあるけど何か茫漠としてまた行きたいと思わない
ギリシャからあれだけの文化が生れたのはやはり自然が多様だということがあった
だから羊飼いがいてポリスが各地に生れ都市文明が生れ船を利用した貿易が生れ
植民都市が作られて繁栄した、そしてギリシャはヨーロッパ文明の基礎を築いたのである山の上に上ってゆく羊飼いを電車の窓から見えたのである。ギリシャの鉄道はしょぼい、日本のローカル鉄道よりしょぼい、それでも鉄道があった。

自然というときオリンボスの山々は荘厳だった。そこに最高神のゼウスが住んでいたことがうなづける。そこは本当に聖域の感じだった。おりしも春でも純白の雪におおわれていた。多々あそこでホテルがあり泊まらないのが失敗だった。
いい場所ではゆっくり見て印象に残すことが大事だった、そういう機会がなくなるからである。
海外旅行というとき一度しか見れないということがあるからだ。
それでヒマラヤでもそうである。春に行ったが曇っていて3000メートルまで苦労して上ったのに8000メートル級の高峰が見えなかった。あれも大損だった。
富士山だった実際見たのが日本にいても少なかった。富士山のきれいに見える場所ではなかったのである。山は高く見える場所がいいのである。
山は見る場所によって全然違ってみえるのである。


自分は高い山に憧れるのは自分の住んでいる所に高い山がないからである。
もう一度行きたいとなるとスイスが高い山があるから行きたいとなる
ヒマラヤも行きたいとなる、あとは自然で感動したのは大きな川である、それは日本にはなかった。
ともかくこれほど日本でもそうだが海外でもそれなりに旅した、海外は10年くらいだったから今だと旅行したとは言えないかもしれない、海外旅行の猛者がいるからである。
自分の人生は旅に費やされたとも言える、だから今になると不思議なのはいながらにしてやはり旅している、自分の魂が全国を外国をやはり旅して放浪しているというのも不思議である
だからこそこうして回想して詩や今回は俳句を作った。
今回のテーマは菜の花だった、ギリシャのプロボネス半島について鉄道に乗ったとき一面に菜の花が咲いていた。菜の花は日本のものかと思ったが外国でも咲いていたのである。これは日本と変わらないと思った。
ギリシャは春に行けば花がきれいである。日本のように湿気がなく乾燥していて雑草も少ないから花の絨毯のようになる。つくづくオリーブの樹が乾燥した所にあっているのもわかった。磐城でオリーブオイルを作るためにオリーブを植えて成長した。
磐城はそれだけ浜通りでもあたたかいからできた。ただ水はけが悪くて苦労したというのはやはり気候が影響するからむずかしい
とにかくギリシャはもう一度行きたいとなる


それにしても日本国内でも海外でも旅行しにくくなった。ギリシャでも経済難でありシリアの騒動でありヒマラヤでもネパールが地震とかで大被害でありテロが怖いとかある。
そしてここ十年は自分の住む場所も津波原発で騒乱状態になり一身上でも介護病気とかでさんざんな目にあった。そこには平和がなくなっていた
観光でも平和でないなら観光どころではなくなる、だから何か自分は幸運だった。
旅すら本当は簡単にできないものだとふりかえる
日本国内すらもうホテルがとれない中国人だらけたとかゆっくり日本の情緒すら味わえないのかとも思う時代である。
そういう時ではなく旅をしたから幸運だったとなる、旅というのも必ずしも簡単にできない、金があってもできない、社長でもできない、社長は忙しいから仕事に追われるからである。、そのうち旅する時間も鳴くなのである。


ともかく人間は時代の影響を受ける、こんなに国内でも自分の住む所でも海外でも変化すると思わなかったからである
10年一昔は本当である。この辺のめまぐるしい変わり方がそうであり外でもそうだったのである。
だから30年くらい平和がつづいたということ自体が特別なことだったのかと思う
自然災害であれ戦争であれそういうものが起きるのが特殊のことではない、平和な時間が意外と持続しないのである。それは対外的にもそうであり一身上でもそうだなとつくづく思った。
回想するたびもまた一つの旅である。これだけ旅したのだから今は回想する旅をしているのも楽しい、その回想する旅をするにはやはりいかに心の中に印象として残されるかが問題なのである。団体旅行は自然に注意するというのがなかなかできない、ぺちゃくちゃ話していると自然が印象に残らないのである。
自然を見ることに集中することが旅には必要なのである。
そうすると回想して旅が後でてきることになる。
自分は一カ月くらい平気で旅していたから回想する旅が今になるとできたともなる


外国を俳句にするのはむずかしい、でも俳句は一つ一つの場面を思い出すのにいい、ただ一句だけでは作品にならない、連作となるとき作品となる、短いから一句だけはもう俳句は成り立たないのである。


ギリシャの旅ー春の俳句十句(ここに自分のとった写真)

ヨーロッパの詩

2015年08月25日

キプロスに寄港した一時(詩) (6時間ほど船で寄港した思い出)


キプロスに寄港した一時(詩)

(6時間ほど船で寄港した思い出)

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キプロスの名と由来はどこに
CYPROUS(cyprus)糸杉と銅の国(copper)と
地中海の要衝に位置しその歴史も古りし
糸杉はレバノン杉と同じくエジプトの船の材に
ローマの劇場跡やここにもローマは語りぬ
その山中深くギリシャ正教の教会
古りたる石のごとくにありぬ
イコンを守りて民の祈りはつづく
しかしここに獅子心王と名をはせし
十字軍のイギリスのリチャード王
そのこもりし城の城壁は海を望みて古りぬ
東方に富と知識と技芸豊かなり
そを果敢に奪い取れ
十字軍の要塞は各地に作られぬ
これにイスラムの英雄起こりて駆逐せり
キリスト教とイスラムの熾烈な戦いは今もつづく
マルタにロードスにシリアにイスラエルに・・・・
十字軍の基地は聖地エレサレムを包囲する
その後大英帝国はマルタをキプロスを手中にし
エジプトのスエズ運河の利権を得る
しばし船の寄港地として立ち寄りて
地中海の明るい陽光にアーモンドの花の咲く
手にせしはイギリスのコインなり
エジプトの金はエジプトポンドなり
大英帝国の威光は砂漠に沈むピラミッドまで及ぶ
船に寄港してその一時の思い出、キプロス
船はまた次ぎなる島にたちよりぬ



世界遺産のキプロスを扱ったのが先日放送された.キプロスの悲劇は小国家の悲劇である。大国に挟まれた国はそうなりやすい、そして何故そうした小国が存在するかというと大国の思惑で権力の綱引きでそうなる。ベルギーとか朝鮮とか台湾とかベトナムとかも一時そうなった。そもそもクエートという国はアメリカなしでは存在しえない、おそらく韓国にあった任那(みまな)という国はクエートととにていた。というのはかやの国の任那は鉄の産地であり一時鉄の延べ板が貨幣と同じ役割をはたしていたのだ。つまり石油だったのだ。そもそもなぜアルジェリアのようなところまで日本人が行ってるのかわからなかったが石油がとれるということで結構日本人が行っていたのである。フランス語の通訳する日本人とかいろんな人が行っていた。キプロスもまた地中海の要衝にあり銅とか船の材の糸杉の産地だった。copperというのは地名であり銅の意味ではない、そこに銅がとれるので名ずけられた。アルゼンチンなども銀の意味だそうだから類似のものだろう。レバノン杉が船の材として切り取られたように木材の産地だった.
 それ以上にここが中東とヨ−ロッパ圏の境にあり軍事的にも重要なポイントになった。中東ににらみをきかすにはいいのでナトーや日本の自衛隊の幹部もここに派遣されていたのだ。アジアににらみをきかす沖縄と同じように位置的に重要な島であった。ここの悲劇が台湾や朝鮮と良く似ているのだ。大国の綱引きの場となる故そうなるのだ。ギリシャとトルコとの敵対するというより背後に大国がからんでいるため分断されるのである。ヨ−ロッパの十字軍の基地がマルタやロードス島やキプロスに置かれた図式が現代に反映しているから歴史と言うのは連続性の内になりったているのがわかる。十字軍の基地がシリアやイスラエルにもありイスラム圏とヨ−ロッパ圏の争いは長いのである。トルコはそのなかでEU加盟に熱心なように中間地帯になってきた。三国志の権力争いも大国が二つではうまくいかないので三国で平和保つ政策で権力を拮抗させる現実的解決方法を目指したのだ。こうした小国はかえって歴史を凝集して残しているので各国の興亡を狭い地域に残すので注目されるのである。イタリアのシチリアなどヨ−ロッパの歴史を重層的に地層のように残していることがNHKの放送でわかった。
 
これは引用が長くなったが情報の集積として興味深い
今はこうして情報の集積をしやすい、そこから見えてくるものがある。

人類が消えた世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)[文庫]

アラン・ワイズマン
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これは前に時事問題の深層で書いたものでてある。詩は一部書き加えた。
キプロスが印象に残ったのは船で6時間くらい寄港したことである。
その時アーモンドの花が海に向かって咲いていた。これは確かに桜の花とにていたのである。
それはアーモンドの花だった。当地の人は花よりアーモンドの実として意識している。
船旅がいいのはやはりこうして一時寄港したりするときである。
6時間だからほとんど何も見ていないがそれでも一時でも寄ったということで記憶に残る旅はともかく記憶に残ることが大事なのである。
なぜなら外国になると歴史的なものでも何でもわかりにくくなるから余計に何かを意識できず忘れるのである。
ここで自分が書いてことをテレビで専門の学者の人が同じ指摘をしていた。
キプロスはヨーロッパの国にとって要所であった。軍事的にも中世からも要所だったのである。中東は日本にとっては遠い国だけどヨーロッパでは歴史として一体化しているから関心の度合いも違うし争ったとしても兄弟が争うともにているのかもしれない
骨肉の争いともなっている、それは朝鮮半島と日本ともにている。
この分析が正しかった、自分はそれほどキプロスには詳しくないし6時間寄港しただけだったけど一回でもともかく外国でもその地を踏むことは本で読むより効果がある。
ともかく自分は外国旅行したのは50才すぎてからだから一人旅できたのは自分ながら今になると良くできたなと思う。
海外になれている人は今は抵抗がない、なれない人はやはりハードルが高くなる。

キプロスはギリシャの古代からローマから中世から現代と歴史が地層のようになって残されているから面白い国になる。
トルコであった人はキプロスに別荘をもっていた。キプロスは別荘の多い国であり保養地なのである。今はギリシャとトルコに国が分断されている。
これも朝鮮半島とにているのである。
ともかく世界を理解しようとしたらこれも旅行を欠かせない今の人はそういう点では恵まれている。
海外旅行はその頃はそれほど金はかからない、そこであった若者はイスラエルで仕事としていた。別に普通の労働者だったのでしきりに日本に帰るのが嫌だと言っていた。
戒告では働くに時間がルーズであり働きやすいと言っていた。
日本ほど過酷な労働条件の国はない、過労死があるなど外国ではないだろう。
今はどこでも外国でも日本人と合うから外国旅行はしやすいのである。
外国旅行でももちろん国内でも何かを読まれるものを書くとなるとそれなりの知識が必要になる。
まず言葉がわからないからこの遺跡は何なのだろうということがわからなかった。
一人旅だと説明してくれるものがないからである。
それでかなり損したとなるが百聞は一見にしかずでその地を踏んだという経験が大きかった。

文明の十字路ーキプロス
http://musubu2.sblo.jp/article/64110080.html

ここでも書いたがキプロスについての情報は集積されている。
今のイスラムでもシリア辺りでもいろいろな国が交代していた。
トルコもそうであり支配は変わっていた。だからイスラム国を主張するのはそうした歴史があるからである。それがわからないにしてもあの辺の歴史は常にそうして国が代わる代わるになり支配されたり支配したりしていた地域なのである。
 

2015年08月21日

丝绸之路の詩(シルクロート) (地球を詩う時代)



丝绸之路の詩

(地球を詩う時代)

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丝绸之路の詩(1)

大都長安の城壁の大門
丝绸之路へ通じ出立す
離別の情、遥か平沙万里の道
長城は沙場に尽きし残滓
風沙に一村埋もれ消失
西域の城誰か守らむ
誰か天幕に祈りを捧げ
日月星辰に導かれて
駱駝に馬に乗り羊を追ふ
隊商に兵の力尽きて
砂塵に埋もれ白骨の無情
宝物も沙に埋もて久しく虚し
地の日は短く天の日は長しも
少女のミイラと眠る楼蘭
湖も沙に埋もれて消えぬ
時に浮かぶオワシスの夢
百花香り木の実の美味にして
木陰に休らふパラダイス
遥か帝都を辞して幾歳や
西域を守りて胡人と交わり
日を重ねて情の深まる



丝绸之路の詩(2)

朝目覚む酒泉 百羽の燕
鐘鼓楼 東西南北に通ず
氷河白雪祁連山脈冷涼たり
征人通過す西域の道
中華広大にして茫漠
万里長城の端の砂漠に埋没
その外郭につづく陸土
人跡絶えて平沙に唸る風
草原を疾走する騎馬民族
英傑は生まれ遠望す
遠大なる地球の歴程
大望はここに生じる
彼方欧州に達して
帝都羅馬にも知らる
小なる日本大陸を知らず
大海を知らず大河を知らず
狭隘なる地に呻吟して
雄想は生まれず朽ちぬ
大陸の草原の風、大洋の風
今詩人は地球を詩う
その旅程は尽きざるかな



「東迎華嶽」(東に華嶽を迎え)、「西達伊吾」(西は伊吾に達し)、「南望祁連」(南は祁連を望み)、「北通砂漠」(北は砂漠に通ず

酒泉はそういう交通の要所だった。
中国は三回くらい旅した。50才ではじめて海外旅行した自分にとってあんな自由な旅ができたのは今になると不思議である。
様々な失敗であり過酷な旅でもあった。それもなんとかやれた。
今どき50才で海外旅行してない人はいない、今は貧乏人でもできる
10年前以上になると円高であり一ドル70円とかのときもあった。
その時海外旅行熱が日本にあり貧乏旅行が流行になり若者は海外の安宿で沈没とかいって一年とか過ごしているのがトレンドだった。
それも円高で物価が十分の一とかだからできたのである。
円安になると海外旅行は高くつくから今は中国すらなかなかできないだろう。

中国は漢字で共通しているから親しみ安いし歴史と文化でも日本と通じる
でも中国を理解するとなるとまた別である。
日本人が大陸を外国を旅して理解できないのはその広大さなのである。
何か空まで広く感じる、日本は山国であり空が何か狭い感じになる。
だから大陸の感覚が実感としてわかりにくいのである。
大河も砂漠も日本にはない、その広大な長大さが実感できない
あれだけ広大になるとちまちましたものがなく大きな人間でも思想でも生まれる
中国から英雄が出るというのはその壮大な国土の故である。
日本は島国でありスケールが何でも小さくなるしその小ささが文化になっている
漢詩は一応誰でも読んでいるから文化的になじみがある
世界史を理解するときいろいろなアプローチがあるが詩から理解するというのも外国の文化を理解する手段になる。
ただ詩とか芸術でも不可分にその風土と結びついて生まれる
それで漢詩を知りたかったら中国本土を旅する必要がある。
実地にその地を踏むと実感できる

今は日本でも外国でも実地に踏んだ地を回想して詩にしている
想像の世界ではなく実地にその地を踏んだということが世界を知るには不可欠なである。ただ中国でもアメリカでもロシアでもその広さを一回くらいの旅行では知り得ようがない日本とのスケールがあまりにも違いすぎるのである。
現代とはすでに庶民でも普通に海外旅行しているから地球を詩うグローバルなものと自ずとなる。
まだそういうグローバルな詩はまだ生まれていないのかもしれない
日本もすでに外国との交流をする時間をかなりもった。
それが蓄積されると世界的な詩を作る人もでてくるだろう。
それにはやはりまた時間がかかる、時間によって熟成されないと文化は生まれないのである。
現代は何でもグローバル化する時代である。地球自体はどこにでも行けるから狭くなっている。実際は歩いてとか馬でとか駱駝で行ったりしないとその広大さは日本すらわからないのである。

広いといえば相馬藩内でも徒歩で自転車で回れば結構広いのである。
まず日本のように狭い国でも変化に富んでいる国はないから旅してあきない国である。
ただ広いというだけだとあきてしまうのである。
いづれにしろ現代は地球を詩う、地球を描くとか何でもグローバルになる
シルトンクロードでも歩けば馬で駱駝で行けばその広大さ唖然としてしまうだろう。
中国では火車、汽車の中で泊まる人が多いし長くなるから車中で生活できるようになっている。三日とか乗る人も多いからである。
10年前以上になると一般の人がのる列車には外国人は乗れない
殺人的混みようであり車掌が客を笞で打っていたというから中国は何でも過酷である。
流民と化した出稼ぎ労働者が大挙して民族移動のようになっていた時代だったからであるそれせ今になると新幹線も走っているのだから中国も十年以上でかなり変わってしまったのである。

地球を詩うというとき今は地球規模で何でも見なければならない時代である。
地球には実際は国境はないのである。こういうふうに自由に往き来できる時代だからこそそうなった。
歴史でも地球史となり壮大な自然から人間の歴史を再考察する時代である。
ただまだそのスケールにあわせるほど日本人は熟成していない
それでもその交流の範囲は広いのである。
この辺ではあまり外国となると交わりがないが関西辺りだと神戸の人で中国語を自由に話すとかアルジェリアに石油関係で仕事していたとかグローバルに仕事をする人がいた。
田舎ではそういう外国と仕事するとは少ない、でも島商会は中古の車をロシアに売っているからグローバルな会社なのである。
何かしら外国と通じ合うのが現代であり田舎でもそうである。

地球を詩うとなるとその詩う人も地球大になることが望まれる
それだけの体力もまた知識も要求される、それだけ空間せかいか広がると人間は長生きしないととても世界を理解できない
50才からやっと海外旅行して60才から世界をみるとか今は長生きしなければ世界を知ることができない
空間が地球規模に広がった時、時間もまた比例して長くないと空間も理解できないのである。
日本の長所と弱点がある。弱点は広さの認識をもてないことである。
日本が外交がへただと言う時、世界規模の認識がもてないためである。

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

石川啄木『一握の砂』

東海とは韓国から見れば日本海は東海なのである。小島とは北海道か日本のことである。啄木は日本という小さな島国の悲しさを歌ったとなる。
日本は島国という制約で大きくなれない悲劇がある。
日本が太平洋戦争で負けたのも大陸のように大きくなれないということにあった。
日本は海に囲まれていても海洋民族とも違う、イギリスは七つの海を制覇した海洋国になった。日本は海に囲まれていてもそれが外国に通じる海ではなかったのである。
ともかく人間の一生は短い、自分の場合、旅していたらいつのまにか人生も終わりに近づいていたのである。
今はその旅を回想する、回想して詩を書いているのである。
旅でもその時、旅している時はなかなか理解できないで書けないがあとからその場を理解して書けるということがあった。
ただ実地にその場を踏まないかぎり詩でも書けないと思う
この詩は訓讀漢詩風にもなっていない、漢詩の詩語で表現しているのが少ないからである日本的な詩だけどやはり中国は日本と通しるものがあるから漢詩があるから文化的に共通性を見いだすのである。
旅というとき何か遊びではないかということが外から見られる、旅することは実際は相当な労働なのである。もちろん外国の宿にたむろして遊んでいる人もいる。

旅することはその回りの景色と同化することである。だから旅で恋愛だと女性に気をとられると気が散るので旅の自然であれ歴史を知るのに邪魔になる
団体旅行でも社交の旅になり回りの自然に注意を払うことができない、また旅というとき当人旅人ならなければならない、現代の観光旅行は旅人ではない
だから今では旅人になることはほとんど不可能になっているのである。
自分は一人で自然と歴史でも見ることに注意していたから思い出してなんかと詩にできるただ忘れるのも多い、忘れない旅をするにはどうするかというのも旅の課題なのである。旅は本当に旅なら行にもなる、観光旅行ではなく保養でもなく行だとなる
自転車などになると体力がない自分にはきつかった。でも達成感があった。
中国も10年前だときつかった。ただなぜ危険な目にあわなかったのか?
それは自分は汚い中国人と同じ格好していたしほとんど中国人に見られていたからだと思う、金持ちの旅人にはとても見られなかったことがかえって安全だったのである。



2015年01月17日

船旅の思い出(詩) (ロ-マからギリシャのオリンピアへ)


船旅の思い出(詩)

 
(ロ-マからギリシャのオリンピアへ)


新年に異国の港に寄る船や我が旅せし日を思い出すかな

外国(とつくに)の街は古りにき教会の鐘の鳴りつつ船は去りにき

バスにのるトルコの人のキプロスにヨットを持つと金持ちなるかな


ヨットで世界一周した人のテレビ放送をみた。あんなふうにして世界を旅したらいいなとうらやましく思った。船旅でもヨットの旅は全く違っている。
地中海はヨットの旅に向いている。だからヨットをもって各地の港を回る人がいる
ただヨットは相当な金持ちしか趣味にもできないだろう。
ヨット一艘がどれくらいするのか何千万になってしまう。
だから冒険でも贅沢だなとみる。
それは貿易ではない遊びだからである。ヨットをもつ人は日本でも大金持ちだからである
ただ自分は電車でも自転車でも船旅をずいぶんしたからいつも旅しているからいつも旅している気分なのである。だからテレビをみてヨットで旅する人と一体となったということがある。
本当にあそこはアドリア海でも歴史があるから魅力がある
地中海は船旅に一番向いている海なのである。
トルコで出会った人はヨットをもっているというから相当な金持ちなのだろう
キプロスは半分はトルコの領土だからそうなっている。
キプロスには船で立ち寄って何時間で去った思いである。
一応よったので記憶にある。ヨーロッパは歴史があるからそれを調べたら尽きないものになるだろう。
地中海とにているのは瀬戸内海だが規模が小さいから大航海時代にはならなかった。
地中海は規模が適当で大西洋に出てゆく内湖のような役割を果たしたのである。

つまり歴史も常に地理なのである。地理によって制約されたり歴史が作られているのである。
ギリシャの魅力は古代の遺跡と自然が多様なことである。海あり島あり山ありと日本ともにている。変化に富んでいる。ギリシャは海に拡大して勢力をました。
植民都市を各地に作った。
ナポリはネオポリスでありギリシャ語から発している。そういうギリシャに由来するものか多い。だからギリシャのコインが発見される。
それより前はフェニキア人が商業の民として活躍した。
アルハベットと商業するのにどうしても必要だったのである。
つまり共通の言葉をしゃべり文字を書くことで商業が成り立つ
ちょうど英語のような言葉がグローバル化すると必要なのとにている。
地中海は商業の民をはぐぐみ大航海に向かったのである。
それは地中海があったからである。

イタリアのブランデシからギリシャに船で向かったとき、嵐だった。かなり船はゆれたのである。その時思い出したのは難破したギリシャの船が海底から発見されたことである。そこにギリシャの壺が大量にあった。それは貿易のために作られ運ばれたのである。
やはり船の旅は何かいい、なぜなら船は港港に寄ってまた去ってゆく、それは旅でも同じだが船の場合は到着するとき去ってゆくときそこに旅情が生まれるのである。
船の旅は時間がかかるからこれも時間がないとてきない
沖縄までぼろい船で東京から一週間かけて行った。
一週間もかかるということは今はないだろう。
結局自分はそれだけ暇でありそれが旅に費やされたのである。
これだけ旅してもまだ旅していないところは多いから世界を知るということはそれだけ時間がかかるようになった。

ヒマラヤとかはもっと見たいと思ったがこれも容易ではない、金より時間とか体力の問題になってしまったのである。
ブリンディジからギリシャのオリンピアに行ったのだがイタリアの南は北と違い相当貧乏らしい。電車で雨がふっていて中世の城も見えた。あの時も日本人が同乗していた。
外国旅行して日本人に会わないことはなかった。だから一人旅でも日本人にあう、そしてあのころはバックパッカーの時代でありどこかの安宿に長くいることになっていた。
そういう時代も終わった、ただ以前として外国は身近になってゆく
だからこれからも庶民レベルで外国の発見がある。
どっちかというとエジプトとか大陸は広いというだけでなじめない、中国もそうである。その広さが日本とあまりに違っているからなじめないのである。
あれだけ広いところに住んでいれば心も広くなるということは感じる
電車の時間でもルーズなのは大陸的などと言われるのはそのためである。


ローマからギリシャへ海を渡る

船はローマをいでぬ
地中海は荒れ船はゆれしも
かつて地中海をギリシャの船は
美しき壺を運びぬ
船は波浪にもまれ沈み
海底に破船は久しく埋もれ
そこに大量のギリシャの壺
ああ かの時波は荒れしも
かなた望むはギリシャの雪の高峰
清浄にしてゼウスの棲むや
船はギリシャに着きぬ
ドラクマを手にとり
そこよりオリンピアよ
巨木の根のようにゼウス神殿の
石柱の跡のここに残りぬ
競技場に春の野の花の彩り
そこに逞しき男等は力の限り競いぬ
その誉れはここに刻まれしかも
その観覧席の石の座席はいかにも古し
二千年の歳月はここに過ぎにし
熱き応援もここにありしや
その熱情は覚めて石のみ残りぬ
春の風はここに吹きそよぎ
悲しきやヒヤシンスの神話を語らむ



オリンピアはゼウスに捧げる宗教的行事だから今とは違っていた。なぜあんなに石の柱があるのか体育館の跡とか神殿の跡である。石だから二千年とか残っている。
それは本当に古い、石も相当古くなっている。雨風に二千年打たれて残っているのだから当然だともなる
オリンピアで競技が行われるとき戦争も中止されたのはゼウスへの宗教的行事だったからである。神聖な行事ともなっていたからである。
あの時はまたユーロではなくドラクマだった。だからリラとフランとか交換するのがめんどうだった。ユーロになってからは旅していない、ただかえって国が変わればコインも変わるというのが面白いともなる。みんな同じだと面白くないともなる。
ただ不便なことはありユーロだったら便利なことは確かである。


タグ:地中海

2012年04月16日

美しいギリシャの遺跡(詩)


美しいギリシャの遺跡

神は人の営みを隠した・・・ヘシオドス

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ギリシャの遺跡は埋もれている
山々の中にありし日のままに
威厳に満ちて埋もれている
雪におおわれた奥深い峰々
岩山から清水が流れひびき落ちてくる
オリンポスの山々は今も聖域である
雲間からさす光が神々しい
ギリシャの遺跡は春の花々の中に埋もれている
地中海からの風がそよぎわたり
ただ語るのは遠い昔のこと
ヨットが帆をふくらませ島をめぐる
遠大なオデッセの冒険が蘇る
自然と調和した神殿
その神殿も自然に還った
ここに神話はまだ息づいて
古代の人はそこに静かに眠っている
その遺跡は自然の中に埋もれた
遺跡は自然の一風景として溶け込む
ああ 現代の文明は自然を破壊して
その巨怪な姿を露にして埋もれることはない
見よ、無残なる原発のその破壊された跡
凄まじい戦争の殺戮の跡
機械に蹂躙されて一かけらの美もない
醜さが剥き出しになってさらされている
ああ ギリシャの神殿の遺跡は美しく埋もれている
高い塔もなく堅固な城の塀もなく
花々の中に埋もれている
静かに遠い過去を回想しつつ埋もれている
蝶は花々を求めて変わらず飛んでくる
明るい春の陽ざしのなかを嬉々として
遺跡も廃墟も自然と調和すれば美しい
人の労働は労苦は何なのか
自然を汚して破壊して何を建てたのか
工場の煤煙よ、放射能よ、戦禍の凄まじい跡よ
人の成したことは災いの都市を作ったこと
残されたのは巨大な迷路、逃れることのできない迷宮
ああ ソドム、ゴモラのように滅ぼされる市よ
人は自然の中に埋もれて美しい
遺跡となりて廃墟となりても美しい
人は何をせずとも神は花環をめぐらせ
村を彩り美はその中に映える
そして遺跡は埋もれて自然に還る
ギリシャの遺跡よ、美しく眠るがよい
人よ、その眠りを覚ますな
ひそかに訪れ聖地を汚すなかれ
人よ、何も残さなくてもいい
美しい自然を残して地上から消えろ
あどけなき花々は咲き満ちて
ひらひらと蝶は今日も舞っている

2012年01月05日

スイスの貴重な写真一枚


スイスの貴重な写真一枚


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雪山に映えて一羽の烏かな

背(そびら)には雪の岩山高々と樹は伸びにけりアルプスの村

この写真は絵になっていた。絵ではないにしろまさに構図としても絵にすれば立派な絵である。スイス辺りは絵になる風景が多い。ただこの写真は全く思い出すこともできない、たまたまあとから見てこんな写真あったのかと驚いた。こういうふうに見事にとれたのは少ない。観光地の写真はみんなとっているから同じ様なものになりやすい、今はインタ-ネットでかなり見れる。ハイデルベルグの雪の光景がyoutubeで写されていた。あそこは塔も印象に残ったところだった。


赤い屋根白に変わりぬ雪のふりハイデルベルグに映えし塔かも


何か塔に雪がふり寒々としているのがリアルである。一度行ったからリアルに感じるのだ。

外国の写真はやはり思い出すには不可欠である。ただ観光地のはいくらでも写真が見れる。すると同じ様なものになってしまうのが現代である。この写真は観光地でもはずれた所だった。スイスの有名な観光地でもぶらぶらしてとった写真だった。とったことも全く覚えていなかった。でもこの写真は秀作である。全く構図とか一切考えてとってはいない、偶然の産物だった。それでもいい写真をとれるときがある。だから本当はとにかく数をとればその中にいい写真が残る場合がある。デジカメだとそうしやすかったがこの時はデジカメではないのでそれほどとっていなかった。デジカメだったらもっととれたからいいのが残っていたろう。

雪のハイデルベルグ
http://www.youtube.com/watch?v=IyZQ5z2_Pmc&feature=related


あとがき

良く見たら烏が一羽高いところに止まっていた。これなども肉眼では気づかなかった。それを写生して俳句にした。
ただ写真を見ないと俳句だけでは鑑賞できないのがある。写真と一つとなって作品化しているのが現代の写生俳句なのである。

2011年11月24日

冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ


冬の日に古い楽器に偲ぶヨ-ロッパ



晩秋や楽器作りや古き街


石畳踏み古き楽ひびく


鐘のなる石畳の路地冬に入る


ハルダンゲル・フィドル(Hardanger fiddle)。英語ではハーディングフェーレ(Hardingfele)。飾りのついた小型のヴァイオリンのように見えます。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/oslo/2010/02/post_18.html

ノルウェ-には行っていない、テレビで見たらノルウェ-はフィヨルドとか森だ多い。森があるところは世界で少ない、ヨ-ロッパでも少ない、ノルウェ-は北海道とにている。ギリシャは瀬戸内海辺りとにている。日本の風土は多様であり世界中のミニモデルのようなものになっている。南から北と風土が多様なのである。平原とか大陸のどこまでもつづく平地とか砂漠とかないものはある。これはなかなか理解しにくい、一番にていたと思ったのはギリシャだった。


音楽は苦手だけど一時期理解しようとして楽器をやったがうまくいいかなかった。ただ暇だからクラシックを聞いて理解しようとした。それで教会のミサ曲の古いチェンバロの音が心に残った。あういう音楽はやはり当時の街の雰囲気とともにあった。それは石畳の古い路次を歩めばその音色はしんみりととけこむのである。音楽もその当時の街と一体化してあった。現代はあらゆるものがごちゃまぜになってしまった。一つの音色はない、あらゆる音色があり統一されない、クラシックとポピュラ-が一緒にひびいてくる。現代は常に調和がない世界なのである。

このハーディングフェーレも教会側からすると俗なものとして禁止されようなことがあった。すべてが宗教で統一されていた時代が長かったからそうなった。科学もガリレオのよう認められなかったし音楽もそうだったのである。


楽器も偶像とまでは言わないけれど目に見える形あるものという点で偶像と同じと考えられていた)、人間の声による歌だけが重んじられていたのです。
http://poco-a-poco.chu.jp/lothlorien_music/03/post_66.html


ボ-カルしかなかったというのも意外である。ユダヤ教から発した一神教では偶像崇拝ほど怖いものはない、人間は宗教というときほとんど偶像崇拝に陥っている。偶像崇拝しないだけで宗教はわかる。イスラム教を見ればわかるだろう。唯一の戒めは偶像を崇拝しないことである。なぜなら人間は偶像崇拝に一番陥りやすいからである。日本なども神道でも偶像崇拝に陥っているから怖い。何か偶像を拝んでいるようで怖いのである。八百万の神も偶像になる。そもそも日蓮宗でも真宗でも紙に書いた題目を拝んでいるけどそんなものに神があるはずもない、だから当然そんなもの破る人もでてくる。それを破ったからといって何も起きない・・・・それは神ではない、ただの紙にすぎないとなる。それは自分が実証しているし他の人もそういうことはわかっている。偶像はいづれすべて破壊される運命にあるのだ。だから偶像崇拝は最大の戒めだったのである。偶像崇拝はまた強制される。戦時中の天皇もそうだったともいえる。人間が神を求めるとき偶像を神とする傾向が古代からあったのだ。

ヨ-ロッパの魅力はやはり歴史である。その歴史もヨ-ロッパ全体が重層的になっている。だからこそルネサンスが生まれた。ヨ-ロッパを歩けばどこでも歴史を感じるのである。ただその歴史を現場で理解することはむずかしかった。それで今思い出して勉強して歴史をイメ-ジする作業をする。そういうことが冬の静かな日にあっているのだ。


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冬の石畳の街



古い石畳の路地

その道を踏み歩む

古いチェンバロの音がひびく

中世の静かな街並み

人々はひっそりと暮らしていた

奥まった部屋に身をつつみ

女性は顔を出さない

教会の晩鐘が鳴り

冬の日は路次深くさし暮れる

石の壁は歳月経て重みを増している

その石にチェンバロの音が厳かにひびく

石の城、石の教会、石の市壁、石の橋

石に刻まれたヨ-ロッパの歴史

遠い昔を石に偲ぶ


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ヨ-ロッパの中世はやはり江戸時代である。江戸時代も城がありヨ-ロッパと共通していたのである。日本とヨ-ロッパの歴史は共通していた。もしかしたら明治維新が成功したのもそういう江戸時代の歴史があったからかもしれない、封建制があったのはヨ-ロッパと日本しかなかったからである。
アメリカなどは全く異質の国だった。歴史もなく突然大平原とかに現出した国なのである。その驚嘆を詩にしたのがホイットマンだったのである。何にもない所に都市が現出したのである。

写真はここがいい
http://bellano.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-3107.html

石畳の道を切り取って良く見たら確かに日がさしていた。前画面からきずかなかったのである。
部分を拡大化すると部分詳細に見るということがあった。写真の見方でもいろいろ方法がある。

2011年11月08日

ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)



ギリシャの旅-春(俳句十句と写真)

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なんという蝶なのだろうり

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龍舌蘭-ドルフィの神殿に咲いていた


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菜の花とロバに岩に島暮れる


島々を船の行き交い春の暮


春の花神話をつづる島々に


もの寂びて松に神殿春の花


黒き蝶岩にとまりてたそがれぬ


オリンピア野の花々や春の風


ドルフィの神殿古りて龍舌蘭


残雪の山や角笛の羊飼い


路上に土産売る老人春の暮


ジプシ-にリラを与えぬ春の駅


ドラクマにリラと交じりて春の暮

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ギリシャは花がきれいだった。旅をして花がきれいだったという所はあまりない、春だったからきれいだった。一面にいろいろな花が咲いていた、花野だった。ギリシャはもともと自然も変化に富んで美しい場所だった。神話の国でもあった。ただ森は岩山になっているからあういう所はもとは森だった。そういう岩山とかになっているところが世界には多い。自然の森が残っているところは少ない。ギリシャの特徴は島々にもあった。クレタ島とか大きな島がありそこから文明がもたらされた。クレタ島の歴史はそれだけ古い。埋もれた迷宮都市もあった。そこでは様々な神話が語られている。確かに一度行ってみればそういう神話にふさわしい場所だった。フランスやドイツやイギリスなどのように近代化工業化していないことが古代がそのまま残り取り残されたような国になっていた。だから昔を偲ぶには向いていた。古代もこんなだったろうなということが想像つく、余りにも近代化都市化したら東京のようになったらもう過去を偲ぶことはできないからだ。


ギリシャにはあれだけの芸術や思想哲学を生み出したのも変化に富んだ地形が影響した。オリンポス山や海を望み島々がある。だからポリスにしても100もあってそのポリスごとに貨幣があったというのもその多様性を示しているのだ。そういう多様な地域だから多様な文化や天才が生まれたのである。なかなか海の神話とか山の神話がある世界は少ないだろう。日本も海と山の文化があるからにていた。特に瀬戸内海辺りはギリシャの地形とにているのだ。そういう地形的なことでも親近感をもったのがギリシャだった。中国とかアメリカとは大きな国には親近感をあまりもてない、ただ大きいだけでありあまりに大きいからつかみようがないとういことがあった。中国とか大きすぎて理解できないということがあった。ギリシャはその点,地形的に理解しやすかったのである。山があり海があり島があるのは日本とにているし気候もにている。地中海気候で温暖ではあるが瀬戸内海辺りともにている。ドイツとかフランスは北は寒い。あまり暑くもなく寒くもないという所にギリシャ文明が華咲いたのである。


ギリシャの鉄道にのったがあれが駅なのかと思う。一軒の小屋のようだった。利用する人も少なく日本の廃線ぎりぎりのロ-カル線と同じだった。電化していないから余計にそう見える。駅にジプシ-なのだろうか、そういう格好の男女が子供連れでいた。その子供にリラをくれたりした。イタリアから来たのでリラがあった。その時はまだユ-ロはなかった。ヨ-ロッパでは国が変わるたびにりょうがいするからめんどうだった。でもどこにでもりょうがい所があるから困ることはなかった。その度に金をとられていたのだ。めんどうだったがそういう度も地域性があり面白い。ユ-ロだけだったらどこでも貨幣も同じで地域性かないから面白くないとなる。


ギリシャにはいろいろな花が咲き花が映える所だった。海に面しているから花々も美しいとなる。自然は古代と変わっていない、だから神話の国をその土地を踏めば彷彿とする。やはりギリシャは詩の国だった。ロ-マは政治の国だというのはその建造物から直感する。別に歴史を知らなくてもその建物からそう感じる。ギリシャは神話の国であり詩の国であり美の国であった。哲学思想や科学の発祥の地でもあった。ただそれは遠い昔のことであり3000年前にもさかのぼるのだから今のギリシャ人はその末裔とは思えない、ギリシャ語を使っているからその点はそういう伝統の中で暮らしている。でもギリシャ人が残した華やかな文明は遠い過去のものである。今の人達と連続性がないのだ。日本はやはりまだ近代化しても歴史の連続性がある。社でも人々が詣でるから遺跡だけになったギリシャの神殿とは違っているのだ。まだ神々活きているのだ。


外国で俳句を作るのはむずかしかった。あまりにも変わっていたしなかなか何を意味しているものなのかわからないからである。今ふりかえり落ち着いてかえり見ると見えてくるものがあった。やはりギリシャは美の国だった。自然と調和した古代の文明が創造された国だったのである。俳句にしてみたが俳句だと短く一句一句分けて作れるから作りやすい、俳句は外国でもやはり写生である。
菜の花とロバと岩と・・・というときただ事物をもって示している。説明すると詩になってしまう。菜の花とロバと岩が示すものを事物で示して説明しないのである。


ヒュアキントスの神話

アポロンが円盤投げをして楽しんでいた時、ボレアスは意地悪く吹きまくって、円盤をとんでもない方向へと導いてしまいます。
運悪くその円盤は、アポロンの周りを駆け回っていたヒュアキントスの頭に当たり、彼は一瞬のうちに死んでしまいました。。。
(別説では、円盤投げの競技会での出来事とも言われています。)

アポロンは嘆き悲しみ、慈しみ愛したヒュアキントスを【ハデス】(黄泉の国・冥界の王)の国へ引き渡すことを許さず、彼を早春に咲く紫の美しい花『ヒアシンス』に変えたのです。
(その花は、現在のヒアシンスではなくアイリスの一種であったという説もあります。)

ギリシャ神話の中では、悲しいかなアポロンの愛は失われることが多く、彼の愛する人々は愛されるがゆえに植物に変わってしまい、現在までその生命を存続しているというエピソードがいくつかあります



これはオリンピアとかにふさわしい神話である。オリンピアも花々が美しく咲いていた。オリンピックというというとき何か競技場とか筋肉競技とか肉体だけを競うようになっている。古代のギリシャでは競技場があってもそこは意外と小さいのである。やはり人間的サイズでありギリシャでは自然の風景にマッチするように神殿が作られた。だから自然を圧倒するようなピラミッドのようなものは作っていない。こじんましたものが多いのだ。日本の祠や社とにているともいえる。だからオリンピアの周辺は丘でも花々に彩られていたのである。自然の美しさと人間の肉体の美が調和して演じられていた。現代のオリンピックは競技場とかが立派でありただ肉体だけを競う何かモデイビルの大会のように感じるのだ。肉体だけを特化して競う筋肉だけを争う動物的なものに見える。これはロ-マの闘技場とにているのかもしれない、オリンピックはロ-マの闘技場,コロッセウムににているのであり
ギリシャのオリンピックは人間的サイズの自然と調和して演じられていたのである。その相違は大きいのである。だからギリシャのオリンピックは美しい神話になったのである。円盤で死んだ若者が花に変えられたというのはギリシャを旅してみれば納得がいく、写真のように美しい花々に今も彩(いろど)られているからだ。神話もその土地を踏まないと実感できない、なぜならその土地の自然から
生まれたものだからである。

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和名:風の塔

英名:Tower of the Wind

位置:アテネ。アクロポリスの北側。古代アゴラの東側。

特徴:八角形の風の神の塔。1世紀の天文学者アンゴロニコスが建造した。日時計と水時計と風見の機能があった。8つの面は正確に東西南北に対応している。


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アケネではこの六角堂がありロ-マへのア-チ門がつづいている。ア-チはロ-マ文明になって作られた。
この先にロ-マの建築があるからだ

2011年11月05日

ギリシャの旅(菜の花とロバの国)




ギリシャの旅(菜の花とロバの国)

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なのはなとロバ

路上でおみやげを売る老人

手に握る重いドラクマ貨幣

水平線から船

島を縁どる美しい野の花々

倒れた神殿の石柱

彩られた神話の数々

オディセィの雄大な遠征と帰還

黒海に通じる狭い海峡

未知なる世界はその通路に

地中海の風が島々にそよぎ

一つ一つの石

それは人工の人の営為の跡

人の徴しの跡はそこかしこ消えじ

人の手に成らざるものなし

ただ過去があり過去を偲ぶ

迷宮のクレタの宮殿は忘れられ

栄光の日はもどらじ

ギリシャのアフリカの植民都市

キュレネは砂に久しく埋もれ忘れられる

薬草のシルフィウムに栄えし都市

そのシルフィウムも絶滅して

コインにのみかつての栄えを語る

石の船のモニュメント残し

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残される幾多の物語

語り尽くせぬ物語

人類の夜明けはここにはじまり

その知恵と技芸がここに集中して

哲学と科学の発祥の地

アテネの神殿はその象徴

常に壮健な肉体を競いし者たち

オリンポスはその聖地となりぬ

勝者にはオリ-ブの冠

その栄光は語り継がれぬ

急斜面の荒い岩石を清水が流れ落ちて

オリンポスのゼウスの聖なる白雪の山々

ドルフィの神殿は古りて

荘厳にかの高見に鎮まり暮れぬ

そこに厳かに神託の告げられし所

ギリシャの聖なるセンタ-の場

しかし今何かあれ

なのはなとロバの国

遠い過去のみが語る国

プロボネス半島の奥地かのスバルタの国

古い城壁の反り残雪の未だに寒々しく残り

今なお羊飼いの岩山に羊を追い

自然もなべて人の手になりて古りぬ

持ち帰りし一つのコイン

それはただ遠い昔の栄を語るのみ

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ドルフィの神殿

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オリンポス山




ドラクマの歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E


キュレネ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%8D


ギリシア人とシルフィウム
http://blog.goo.ne.jp/mosuke-log/e/ee93287add96b1a058d9897c18439eaa

シルフィウム
http://blogs.yahoo.co.jp/tyamada69/1244286.html

2010年06月14日

秋澄む(ケルンの塔)

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秋空にケルンの塔や荷船かな


塔二つ響きあいけり秋澄みぬ

オランダへ荷船下るや秋の空

秋空にケルンの塔の高きかなラインを下る貨物船見ゆ

秋のドイツの大地


秋澄みぬゲルマンの大地広きかも

悠々とラインの流れは古よりの境

ロ-マの遺跡に石の柱の残りて

その後に中世の古城は点々と

秋風の吹き歴史の重みを語る

秋空にケルンの塔の高きかも

貨物船のラインを下り行くかな

荘重なるゴシック大聖堂の鐘鳴るや

鉄路に野菊咲きにつつあわれ

赤き薔薇ももの寂びて咲きにしや

一つの貴族の館の古りにけるかも

晩秋のドイツの大地鎮まりぬ

ここにバッハやベ-トベンの生まれ

荘厳なる楽は鳴り響きわたるかも


ドイツを旅したのは晩秋だった。ドイツは寒いところだから秋とか冬の方がドイツ的になっている。ケルンの塔を電車から見たときは感激だった。中国でもヨ-ロッパでも塔が多い、その塔もツインになっているのが多い、ツインになって調和する。写真を見ると秋の空のように澄んで写っていない、ドイツやフランスは平坦な地だから空も広々としていた。大陸と日本の空も違っている。日本では山が多いから広い空を感じることがないのだ。そうした平坦な土地がつづくところでは塔は風景をひきしめるためにも実際に敵を見守るウオッチングタワ-として見張りの塔としても不可欠だった。海外旅行は印象に残すことがむずかしい。もうかなり印象が薄れたからあの時秋の空が晴れ渡っていたはずだと思って写真を見たがそうでもない、別な所だったのかもしれない、それでも一度その地を踏むとやはりそこからドイツの大地がその足元から伝わり文化や歴史を肌で感じるようになるのだ。バッハやベ-トベンの音楽もドイツの大地を踏まないと理解できないというのも本当だろう。その国から大地から自然から分離してできる芸術はない、一体として芸術も生まれているからである。他国へ文化をとり入れることのむずかしさが常にここにあったのだ。

俳句→短歌→詩として発展する。それなりに違った味わいになるし翻訳すればまた別な感じになるのが詩である。ともかく人間の記憶は時と共にどんどん薄れてあいまいになってしまう。その時の感動も消失してゆく、だから一回くらい外国に行ってもいいものができにくいのだ。やはり一年くらい住んでみないと外国というのはわかりにくいのである。ドイツやヨ-ロッパは鉄道の旅ができるからいい、鉄路に日本と同じ様に野菊が咲いていたので同じ感覚になった。ギリシャでも菜の花が一面に咲いているから日本と同じ光景を感じることはあった。ただラインのような川はない、川の文化もない、いくつもの国を川で行き来することは日本ではありえない、川はどこでも運河のうよに見えるのだ。オランダのロッテルダムまで貨物船は行く、川を通じてドイツとオランダは昔から結ばれていたのである。

2007年07月08日

満州里の灯


 満州里の灯


満州里 ともる灯遠き 夏の夕暮

茫々たる 暁の荒野を車窓に見つ 

我一度 平和の日、ロシアの国境を越えぬ

満州里 まことに遠き街なれ、鉄道は通じて

ロシアの人の ここに行き交い 買い物をする

満州里 かつて日本の国たりし 悲惨なる歴史

 

阿鼻叫喚はここに 木霊して 地獄絵図を作りしを

平和なる日 我は訪れて 何事もなしも

ただ街の灯の 心に残り 旅の回想にふけりぬ
 
満州里というと実際は相当な遠さである。こんなところまで日本人が行ったということは信じられないしまたロシアまで行ったことも信じられない、でも最近会津の酒造りの家にシベリアで死んだ父親の遺骨が帰ってきた。その遺骨をうやうやしく家族が受け取っているのをテレビでみた。40才で戦死したので子供も家業を受け継ぎ生きている。その頃若い人で戦地にゆく人がいなくなり40才くらいでも戦地に招集された。戦争のことはいろいろあるけど戦争自体まだ終わっていないことがこれでもわかるのだ。ウクライナには実際に日本兵の生き残りがいて墓参りに来たことでもわかる。
 

日本の敗戦が見え始めると満州人の反乱で放火・掠奪・銃殺、燃える家の前で満州人に惨殺された日本人が木に吊るされたり、首が曝されたりで町は騒然となった。
http://www1.odn.ne.jp/~cby36330/sakamoto%20page-1.htm

 
ここには余りにも悲惨な歴史が記された。それは現代からは想像を絶する世界である。私の家族も従軍看護婦で戦争終わると「日本人バカヤロウ」と地元の人に怒鳴られて恐怖のうちに帰ってきた。トラックにのせられて日本の旗の下をくぐらせられてそう言われたとかこれなどはまだいい方であり満州は悲惨だった。戦争が負けるということはこういうことなのだ。原爆もしょうがないという発言も物議をかもしだしているが敗戦というのは昔から悲惨なものになるのだ。戦争とは人間の一番残酷な面が露骨にでてしまうのである。歴史をふりかえるとき平和なとき国境を何事もなく越えてただ満州里の灯を見て帰ってきたことは幸福だったとなる。国境の街はどこも歴史があるから魅力ある。