2017年05月24日

よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


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2017年05月21日

文明で抽象化された人間 (文明は数えることからはじまった)


文明で抽象化された人間


(文明は数えることからはじまった)


文明は何かというときこれせ定義もできない、ただ文明の起こりが数の計算から起きてきた。穀物でもエジフトでも計るときその時数を計算するもの必要になった。
それで書記が重用されて高い地位についた、それは官僚でもあった
数の計算は物でも数としてみるとき人間も必然的に物として数として見るようになる
つまり人間一人は一個という数に抽象化されるのである。
人間一人といってもそこにはいろいろな属性があり一人一人違ったものである。
顔も体つきも生い立ちもいろいろ違っていて個性がある。
しかしその個性は無視されるのでてある。
政治的にも数が権力だとなるとき数を集めることが権力をもつことになる
それで一票として人間は数えられる、どんな人でも一票には変わりないのである。
それ自体は平等になるがただ数だけがもの言う世界になる

だからシュヘングラーが数から数学的思考からはじまり文明の崩壊を説いたのも納得できる、文明は現代文明だけではない、そのはじまりから数と密接に結びついていたのであるそれが高度な数学になったが最初はただ数えるということからはじまっていた
数えることが文明のはじまりだったのてある。
人間一人でも様々なことを現している、でも経済的人口的単位になれば一つとしか数えられないのである。政治的単位でも一票としか数えられない、それ以外にその人を示すものはないのである。

そして経済というときグローバル化経済になるとますます世界が常に数として計算される金融の世界になるとただ毎日株価が上がった下がったというけどそれも数として現される数字が変動する、それが経済だとなる、そこに何か文明が最初から数を数えることから始まったように抽象化した世界である。
それは放射線量を計る時も同じである。全く数値としてしか放射線量は計れないからである。目に見えないものであり数値だけでしかわからないからである。
現代の経済も具体的に目に見えるものとしてやりとりされないからである。
ただ数値だけを追っていることが多いのである。
銀行員とかはそうである。毎日具体的な物を扱っているより数値を追っている
だから抽象的なものとなる、そもそも貨幣とかもこの数えることから生まれたのかもしれない、貨幣はやはり物を人間を数としてみる、そういう道具として便利だから生まれた
貨幣はだから抽象的なものへの転化なのである。それは数としてはじまった文明と同じである。

銀行員は今や貨幣を扱っているのではない、数字を扱っている、金にしても帳簿に記された数字でありグローバル化経済では数字としてふりとりされている
今や貨幣ではない数字化されたものとして経済があり金は数字であり数字が減ったり増えたりしているだけでありあくとき数字がゼロになっとき貯金もゼロになっているのである貨幣だったら紙切れでもこれが一万だとかなる、それよりそれが黄金だったらもっと具体的になるからその黄金をもっていて触っていたりしたら金持ちだという感覚になる
数字だとそういう感覚がなくなる、触ることもできないし重さも大きさもないからであるだから石の貨幣とかあったがそれは富の象徴だというとき具体的に重いし大きいから力あるものとして富の象徴となったのである。

例えば石というのを自分はテーマにして詩を書いてきた、石でもよくよく見るとみんな形も大きさも重さも違っていて個性がある。でも一個二個と数えればその個性は省かれるのである。ただ一個の石となる、それでも石の大きさがどうだとか重さがどうだとかは計れるるし分類できる、それは数学的概念として処理できる
でもその石の個性がどうだとかなるとそれは文系的なものになるのだろう。
その石の大きさとか重さとかを計るのは数学だからである。石は正方形とか立方体にはなっていない、そこに個性が生まれる、でも数学的にするには正方形と立方体にするのがわかりやすくなる、計算しやすくなるからだ。

結局現代文明の問題は別に今に始まったことではない、すでにその萌芽が文明のはじまりとともにあったのが現代になって極端な形で現れたとなる
ナチスがなぜ生まれたかとなると人間は数でしかないという感覚になっていた
人間は人間と見ていない、数として抽象化されたものしとて見ていたのである。
それはカルト教団とか宗教団体でも同じである。ただ数を増やすことしかない、それが一票に通じているし権力になるからだ。創価などはその典型的なものである。一人一人がどんな人間など関係ないのである。
改悛とか何か宗教的なものとは一切関係ない、ただ数だけを追求しているのである。
それが極端になるとナチスのようなものとなる恐怖である。

それでなぜホランニーのような人間の経済学が生まれたかというのもわかる、そこでは具体的な物と物の物々交換の世界を良しとしているからだ。数の世界ではない、例えば黄金と塩が等価で交換されたというときそれは具体的な物と物の交換であり数として貨幣としての交換ではないのである。物と物の交換になると具体的だがそこに貨幣が介在すると抽象的になり数になってくるのである。
だから人間の経済学というのも現代文明のアンチテーゼとして生まれたものである。
現代の学問でも思想でもなんでも人間を回復しようとすればそうなってくる

不思議なのと認知症になると数字というのが抽象的概念が理解できなくなる、金のことが貨幣のことが理解できなくなる、だから銀行から金もおろせなくなるのである。
漢字なども書けなくなるのは漢字も文字も実際は抽象化されたものだからである。
太陽とか石とか文字で現してもそれは抽象的なものである。
認知症になるとそうした抽象的なものを理解することができなくなる
だから人間は外界を抽象化することができる、文字にしたり数字にしたりできるということが文明を生んだともなる、それが現代のようになると数値のみになり抽象化して現実の世界が何なのかわからなくなる
文字はまだ多様なものを現している、でも数字はそうした多様なものを抽象化して数としてしか計算しないのである。

ともかく現代は世界を数として把握することが多い、常に統計的に人間をみる、それか経済的観点とか政治的観点からするとわかりやい、人口がその国の経済力となる、日本だと人口一万あればそれだけの消費をするからそれくらいの規模の町としてみる
でも一万となると限界がありとても現代的便利な暮らしはできないとみる
普通だと十万都市をイメージする、そきくらいなら現代の便利な生活が可能だとみる
経済とは数字として常に見ているのである。
原発事故の避難区域になったところでも一万あった人口が二割しか帰らないとなると町は成立しないとみる、それは経済的観点からはそうである。
でも別に昔なら大正時代なら6000千万の人口だから成り立っていたとなる

要するに人間社会を数からしか見れない、政治でも経済でもそうである。
人間一人一人が求めるものが違うこともあるがそんなことは関係ない、すべて数として社会を見ているとなる、数が集まればそれが力なんだとなるのである。
少子高齢化でもそうである。数の観点からしかみていない、でも少子化になっても日本の人口が減ってもそれが本当に悪いものかどうかはわからない
なぜなら例えばヨーロッパの都市でも5万になれば大都市である。

ではなぜそういう人口が少ないのにギリシャでもそうだが文化が文明が生まれたのかとなる、それは人口に比例して文化が生まれるとは限らない、5万となると現代ではどこでもざらにあるがそこに文化が華開くということではないからだ
人口が少なくてもその質が問題になる、現代は量だけはあるのだが質が劣っているのである。いくら人口を増やしても質が劣ればいいとはいえないのである。
だから量より質の時代に転換すべきだとなる、高度成長時代は量の時代だったがこれから質の時代なのである。
カルト教団のように毎日量だけを数だけを増やすことに奔走していてそれが何か社会的に意味があるのかとなればただ権力となるだけで文化的な成果は何もない
精神的なものを追求するのが宗教だけどその精神的なものと一切関係ないのである。
でも数を集めると社会ではそこに注目する、政治家も票になると利用することを考えるのである。
一票としてしか数えられない政治もそうである。そこに人間の回復はないのである。
ただ現代文明はただ数からしか見ないのである。
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2017年05月15日

植物的なものと動物的なもの (文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


植物的なものと動物的なもの

(文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


この世界を見るとき生物でも植物があり草食動物がいて肉食動物がいる。
すると基本的には植物があって草食動物も植物を食べて生きることができるし
草食動物がいて肉食動物が生きることができる
ベースになっているのは植物である。
となると植物を栽培する農業が文明を作り基礎になっていたことがわかる
遊牧民は羊を飼うが羊は草食性であり草がなければ生きられない
つまり羊を食べて生きているがその基になっているのは草であり植物なのである。

そして肉食動物でも雑食性があるもの、熊などがまだ日本のような文明化した国で生きられるのは雑食性だからである。ヨーロッパでは熊は絶滅しているからである。
雑食性の強みは肉が食べられなかったら植物を食べるから生き残りやすい
こういうことは人間にも起きてくる、商品食物としてコーヒーばかり栽培していると
何かコーヒーが売れなくなったとか問題が起きるとコーヒーだけでは飢えることになる
現実そういう問題が起きて飢餓状態になった後進国がある。
畑でもいろいろなものを作っていれば食糧になるから飢えることがなくなる

飢饉になったとき山に住んでいる人がまねがれたというとき山の食糧となるもの山菜でも何でも食べて生き残ったということがある。米だけに頼っていても危険になる
つまりAだけに頼るのではなくBCDとかの選択があれば助かりやすいとなる
だからTPPとかなるとグローバル化経済で分業化するから日本は車だけを作っていればいいとなり食糧も自給できなくなりそのことにより飢饉とかに緊急の際に対処できなくなるそれでTPPはむしろアメリカが反対していたというのもわかる
とても国レベルになれば分業など成立しないのである。

文明というときも自然の秩序と同じようにして植物を食糧として成り立ったのである。
だから欧米人が肉食のために体から酵素を出すというとき肉食になって体が変質したともなる、肉食はどうしても人間も肉食動物化する、草食動物と肉食動物は見た感じも根本的に違うからである。草食動物は繁殖力が強いから肉食動物より弱いようで強い
肉食動物は減少の一途をたどる、また大型の象とかでも絶滅の危機になる
それは恐竜が滅びたように強いように見えても弱いのである。
結局人間は何が強いか本当はわからないのである。

人間はやはり木のように根をもつ場がないと個々人でも安定しないし文化も文明も作れないのである。
ユダヤ人が土地をもたない、国土をもたないから流浪の民となりただ金融で生きるほかなくて資本主義を産み出したという説もそうである。
ユダヤ人は土地を持たないのだから安定が得られない、ただ金だけが頼りとなるがその金だって紙屑にもなるから安定しないのてある。
江戸時代なら倉に米を貯えていた方が安心であり今でもそういうことがある。
金をいくらたくわえてもそれは債権であり貸しているとしても返されない恐怖がつきまとうのである。そこで世界恐慌が資本主義では常にあり破綻してしまう。

遊牧民は砂漠とか草原を生活の場としていたから通商が発達した。常に移動していることはすでに商人として移動していると同じだからである。
イスラムに商業が発達したのはそのためである。モハメッドも商人だったからである。
砂漠地帯に人類最古の場がありそこに一神教が生まれた、なぜならそもそも神と契約するというときそれは商業の概念がもちこまれていたからである。
契約というとき商業で絶対的なものでありそれが守れないとしたら商業は成り立たないからである。

脆弱で対処しにくい環境に住む人々は短期的には見事な成果をもたらす理にかなった解決策を採用するが長期的に見た場合、外因性の環境変化や人為的な環境変化を未然に防ぐことができなかった変化に直面したとき致命的な失敗ももたらす。

現代人-住宅所有者、投資家、政治家、大学の事務官、その他の人々-は経済が好調なうちはただな浪費をしても許される、その情況が無常あることを忘れて変動したときすでに贅沢なライフスタイルに慣れきってしかたなく生活レベルを落とすかあるいは破産するか
二つに一つしか選べないのである。
(文明崩壊ージャレド、ダイヤモンド)

現代人というとその最たるものは科学者、技術者だろう。原発事故でこの人たちのテクノクラートの権威が失墜した。
原発とういのはエネルギー不足を短期的に補うものであった。手っとり早い魔法の技術だった、それには大きなリスクがあったが無視された
そして人々はそれに頼った結果として社会自体が崩壊して放棄された、町や村がゴーストタウンになったからここで実際に起きたことであり空想ではない事実なのである。

長期的視野にたてば森林資源が日本にはあり炭焼きなどが継続する資源としてはかえって良かったとなる、そんな生活できるのかとなるがこの辺では現実問題としてそういうことがつきつけられたのである。
この辺では贅沢な生活を求めてあくなきものとなっていた。
みんないい車をもっている、田舎では一人一台車をもっている、借金しても立派な家を建てる、そういう生活を常時していると生活レベルを落とすことができなくなる。
事業に失敗した人も同じである。贅沢していたからその生活をレベル落とせない、それで今度は借金するために何でもする、犯罪だって最後にはするようになる
そんな人が自分が病気のとき介護のとき来たのだから最悪だった
もう贅沢した生活をするために他者から借金しても犯罪してもするとなるから怖いのである。
その人はまた見栄もあり成功したということに固執している、そのために借金してもそう見せているのである。

ともかくこの辺で起きたこと自分にも起きたこと原発事故でもこれは一つの文明崩壊現象なのである。それがなぜおきたかというとこの著者の提言がこの辺にあてはまる
それはここだけではない、日本全体でもそうであり世界全体でもそうである。
継続性のない科学技術に頼りすぎるとインディアンの村とは違う大規模な文明崩壊が起きてくるのだ。


根を張る一日

今日一日が静かに始まる
それはさらに大地に根を張る一日
大地と深く結びつく一日
幹を枝を造る一日
その積み重ねが大木を作る
急がずに積み重ねられるもの
そこに充実した実り
時計が刻む時ではない
一年十年単位の時
牛の歩みごとく
一日一日が大地に根を張る
そういう長い時間の中に
大地と人と人も結ばれぬ
その絆は断たれることはない
一層強固に結ばれるのみ

こういう思考は田舎から農業から起きてくる、都会では大地から離れているから起きないところがこれだけの科学技術の文明はそもそも大地から離れている
すると東京でも大都会でも大規模な崩壊が起きてくるかもしれない
電気が供給できないから原発に頼るそのために土も水も空気まで汚染されたら住めなくなるのである。その都市は廃棄されてゴーストタウンになる、この辺で起きたことと同じことが起きるのである。
そんなことがありえないと思うが現実にこの辺では起きているし事実なのである
もう町でも村でも前のようにもどらないからである。
だからそんなことは起きないということとして安心もできないのである。
つまりこの世が無常だということである。個々人でもそうであり全体でもそうである。

人間は常に変化する無常のなかにある、それをまねがれえないのである。
文明は確かに発展してもまた衰退する、奢れるもの久しからずなのである。
栄華はどこでも一時的なものである。それは世界史でもそうである。一時栄えたイスラムもあのように衰退しているしどこでもそうである。それはこの世がそもそも無常の世だからである。永続する栄えなどないのである。
ただ恒久的なものは農業にあるということは確かなのである。
確かに農業でも栄えても文明は遂に衰退して崩壊する、でもエジプト文明でも長い、千年とか普通でありそれだけ長く持続すれば十分だともなる
現代の時間感覚とはまるで違う、人間はもはや百年後のことなど考えられないからだ
今だけが良ければいい、後は野となれ山となれという今にすべてを費やす感覚である。
しかし世代はつづくしカルマは今度は子や孫やそのあとの世代に引き継がれるのである。この辺などでも原発事故のそのカルマはプルトニウムが二万年消えないとかのカルマを背負わされたのである。
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2017年05月14日

文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない 国々の風土にあった文化が作られる



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

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動的文明から静的文明へ (グローバル移動社会から定着文化の時代へ)



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

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2017年04月15日

文明は必ず崩壊する運命にある 原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

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江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

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無連関の社会がナチスを生んだ (分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)



無連関の社会がナチスを生んだ


(分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)


人間は自動車や飛行機によってむやみに空間を奪いとったから、人間は空間に内包しているものを真に所有するだけの時間的余裕をもたなかった
人間は空間を縦横に走り回ったがしかし彼はもろもろの事物をかたわらを素通りしただけである。

もはや人間はいない、もはや自然もそして神も存在しない、存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである

言葉と事物は割れていたのである。言葉はもはやそれが名づけるところの事物と対応していなかったのである。
「われわれ自身の中のヒットラーピカート」

飛行機だと地球の裏側まで一日とかで行ける、しかし飛行機では空間を全く体験できないその点船であれ鉄道であれ空間を体験はできる、本当に空間を体験できるのは歩くことなのである。だから歩くことが新鮮なことであり人間回復に通じている
車社会になるとまず歩くことはない、また電車にも乗らないから乗り方さえわからない人が多いのである。車社会とは自然からも風や光も感じないから自然から遮断されているのである。
現代社会を作っているのは自動車だということが言えるとき車は単なる車ではない、社会そのものなである。だからこそ鉄道より車が利用されて鉄道は廃れるとなる

大地を歩くことがふみしめて歩くことは大地を感じることである。

一里ほど歩み大地に草萌ゆる

歩むことにより大地から草が萌える春を感じる、でも車だと大地の表面をかすめるというだけになる。大地の重みを感じないのである。
だから高村光太郎の牛の詩は大地自然と一体化した詩でありそういう詩は今は作れなくなる、牛というのも牛肉したり乳牛したりとするとき牛本来の自然の姿ではなく人口化された機械化されたものとなる、牛でも馬でも昔を農耕していたし荷物を運んでいた
すると動物でも奇怪ではない、動物本来の自然を生きていたとなる
鶏でもそうである。今は卵を生む機械にされている、そのことは人間も同じように一つの機械にロボットにされている社会なのである。
生き物を機械としてあつかうとき人間も同じようにされるのはやはりカルマの法則なのかもしれない。

存在しているのは連関性喪失のそのものの機構だけである。

機構というとなにのなか?一つの団体と組織とかであろう。それは社会全般でそうなっている、一見現代では当り前と思うものが異常なものの産物である。
それが現実社会を生きていれば気づかない、みんなその中で生きるために必死だから会社員になれば会社のために必死に働くだけだとなるからだ

分断され部分化、無数の部品化された社会というとき一見きづかなけどあらゆるものがそうなのである。
学校でもそうして分断分化された機構なのである。そして学年によって分けられているのもそうである。
学年ごとに分類されて同質のものとして分類され分離されて学年が年が違うと交流がなくなる、江戸時代には子供は子供社会がありそんな学年ごとに分化されていないのである。江戸時代の不思議は現代にないものがあったということである。
それは架空のものではない現実にあったから具体的なものとして比較できる

例えば農家というときそこは自給自足する一つの全体をになっていた。だから水でも裏山からとり木も利用して家の木材として利用したり動物でも牛でも馬でも農耕で使いとか鶏は庭を歩いているから庭の鳥となっていたのである。
ニワトリとはまさに庭と結びついていたのである。今はニワトリは籠に入れられ卵を産む機械とされている
昔の農家は自給自足の中で生きていた全体として生きていたのである。
だから納豆までも作っていたのである。
そういう世界では回りとの連関を無意識的に生活の中で実感しているから感覚的に相当に違ったものとなる
現代ではそういう世界を連関を意識できない社会である。水はどっから来るんだろうとなると裏山から来るのではない、ダムから来ているとなるとそれでも身近に感じられない
水というもののありがたさを感じるにはやはり自然そのものの水を感じる、裏山から流れる清水だったらそれを感じるのである。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも 

まさに万葉集にはそうして自然と密着して生きた人々の声が伝えられている
それは自然と共に栄えていた人間の姿である。
文明化するとそういうものがなくなる、水がどこから来るのか、
食糧がどこから来るのか?地球の裏側から来たりしているから意識できないのである。
ただその時必要なものは金であり金でなんでも買えるから金の方がありがたいとなってしまったのである。
とはいえ趣味程度の畑でも苦労が多くそこからごくわずかのものしかとれない、となると金があれば野菜でも果物でも手に入るとなりその地元の知っている人の畑は何の価値があるのだろうともなってしまう
その女性は農家の出であり自給自足の生活を実家ではしていた時があった。田舎では戦後十年くらいまではそうだった、だから遠い万葉集の時代のことではないのである。

いづれにしろ人間は学校だけではない、人間は分断され分化され分類されている
それはいたるところでそうである。まず会社が違うと何をしているかわからなくなる
そして人間は病院があるとするそこは医者や看護師がいて患者がいて分離隔離された機構なのである。それは学校は学年ごとに分離隔離されたものでるのとにているのだ。
老人ホームでもそうである。老人だけしかそこにはいないからだ。
子供は子供として老人は老人として病人は病人として隔離されているのである。
相互に分断され連関しない社会である。その連関がない社会故にヒットラーが生まれたというのもわかる。
カルト宗教団体がそれににているというとき宗教も分断分離されて隔離されているからだなぜそれほどの人間が集まるのか?それはナチスがヒットラーが生んだ構造と同じだからである。そこは真の共同体ではない即製されたインスタントな疑似共同体だという指摘があたっている。
真の共同体とは空間と時間の中で作られる、それは例えば相馬藩だったら江戸時代からその前からつづいていて形成されたものである。
そういう空間と自然の中でのアイディンティティを追求したのが自分であった。

だから原発事故でも実はこうした文明社会のなかで起きたことなのである。
原発の中には地元の人も立ち入れることはできない、それは病院が医者と看護師のもとに支配されているのともにているのである。
原発の中は科学者という専門家しか立ち入ることはできない、隔離されていたからである病院でも医者が薬剤師や看護師という専門家しか立ち入ることでできない、一般人はその中で無力化されているのである。
専門家というときそれも批判された、マスメデアも実は情報の専門家なのである。
だからマスメデアは情報の専門家として政府と東電と結託して「安全神話」作っていたのである。なぜなら何百万人に報道できるのがマスメデアでありマスメデアは大衆を情報で操作する力をもっているからである。その対抗として素人のインターネットメデアが生まれたのである。それはいいことだったのである。
でなければ情報まで専門家集団のマスメデアに牛耳られてしまうからである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりなきしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである(イリイチ)

専門家というときいたるところにいて分断された機構を作り支配するのである。
病院という空間では医者と看護師が学校では教育者が裁判所では法律家がとか原発では科学者がとかになり素人は立ち入ることができなくなる、カルト宗教団体も分断して隔離する機構である。それも文明批判として常にあった。
原発事故でもそうした文明という構造物から必然的に生まれたものである。
だから確かにアウトサイダーが言うように文明そのものの否定が拒絶によって人間回復するというのは言える、それを自分は田舎で追求してきたともなる
シュペングラーやニーチェやミラーとか上野霄里氏とか天才的な人はこうした部品化分類化した社会に耐えられないからそうなったのである。
ただそういう人は天才であり偶像崇拝になるから危険でもある。
またなぜ偶像化するというのも現代文明がヒットラーのようにそういうものを求めるているということもあるからなのだ。一人の人間なの中に人間を回復させようとするからそうなるのである。


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


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2017年01月18日

「心に青雲」の日本語と英語の解釈について (文化の基に言葉がある)


「心に青雲」の日本語と英語の解釈について

(文化の基に言葉がある)


例えば、として日下氏は日本語の「潔い」は英語にない(ならない)と言う。Nobleでもgracefulでもなく、強いていえばManly という古い言葉が近いのだと渡部昇一氏が教えてくれたそうだ。

「潔い」にしても、これは対象たる社会のありようが、曖昧にも関わらず、どうしても白黒つけないとうまく人間関係、社会関係が立ち行かないと見てとって

言葉は文化の基底である。だからどこの言葉でもそこに歴史があり思想があり文化があるそれで訳せないのである。そこからして外国に対して誤解が生れる
「心の青雲」では反発するもものがあるが日本文化を尊ぶという点では共感している。

「潔い」という言葉が訳せないというときもそうである。勇む、清しが合体していさぎよいとなったらしい。このいさぎよいは英語でもある、良くフェアという言葉が使われる
スポーツでもフェアプレーが重んじられるから外国にもそうした概念がないということではない、ただ深く読むことがその言葉のもっている一語一語の感覚がそもそも違っているのである。


基本的に英語はイエスかノーになる、あるかないかでありあるでもないないでもないというあいまいな表現はない、白、黒をはっきりする、勝負になれば勝つか負けるかでありその過程ばとうであれ結果がすべてだとなる、それは何を意味しているのか?
でも勝負の過程でフェアプレーしないとラクビーなどでもサッカーでも反則になる。
フェアでないものはすでにルールで決められているのである。
日本では何がフェアでないかフェアなのか明確に決められていない
でもそこに日本の文化があり日本は何でもルール化はしないのである。
それは日本人は異民族と交わることがなかったからである。
大陸では絶えず異民族が攻めてくるし交わる歴史だった。
異民族とは容赦のない戦いとなる、勝つか負けるかであり負けたら奴隷にされるのであるそういう歴史が反映して言葉も文化もある

日本は和をもって尊しとすべしというときそういう国柄だった。勝負でも徹底的に完膚無きまで負かすということはしない、この完膚無きまでとは中国から来た諺だから中国も大陸だからそうして相手を完全に打ちのめすという文化になっていたのである。
要するに異民族同士の戦いは熾烈になるのである。
日本の戦争はこうした熾烈さはなかった。それで敵味方塚とかもある、敵でさえ墓を建てた、明治維新でも薩摩長州が東北に攻めてきても死んだ人の墓が福島県にはある
将棋でも駒をとってそれをまた活かす、中国の将棋でも外国のチェスでも敵をとればもう活かすことはできないのである。
日本は一つの民族であり相手を徹底的にうちのめすという文化はないのである。

ただ聖書には選民思想がありそれはユダヤ人のなかに今も生きている、神から選ばれた民は絶対なのである。神が選んだから絶対なのである。それは別にその民族が優秀なのかどうかも関係ないようにも見える、神が選んだということで優秀だとなる
ではなぜそうなのか?その解答は神が選んだからだとなってしまう、そういう思想や宗教は他にないのである。神が絶対的なものだから逆らうことはできない、神があるのかないのかというあいまいさは許されないのである。
要するにあるかないかしかない、あるでもないないでもないとかならないのである。
厳然たるものして神はあるとなる


言葉はその国の自然とか歴史からも作られてきたのである。
それでクエーンズイングリッシュとアメリカ英語が違っているときその区別は日本人にはつかない、でも英語にも古語がありシェークスピアの英語と米語は違っているのである。そこには歴史の相違が同じ英語でも違うのである。
言葉が文化だというときどうしてもコンピューターが生れたのは英語の発想から生れている。基本的にイエス、ノーで世界を見ることにより生れたのである。
だからアジアの文化から生れなかったともなる
技術でもやはり国の文化があり生れている
日本人は英語を明治維新語でも習ってきたがどうしても感じのように自分の国の文化として融合できない、漢字はもう日本の文化として融合した。そしてかえって明治維新語に漢字でもって西欧文明の言葉を概念を訳したのである。
漢字に新しい意味を与えたのである。英語はそうなっていないのである。
そこに文化の障壁の大きさがある。

自分も単語だけでも自分の詩に合わせようとしたができない、つまり一語一語の意味が感覚がどうしても日本語に訳すとあわないからである。
例えば

stateとは

状態、ありさま、様子、興奮状態、威厳、威儀、荘厳、公式、国家、国

(立っている)状態
個人の(立っている)「状態」を表すほか,自治権のある(独立している)「国家」「州」も表す

謳う, 述べる, 宣べる, 陳べる, 鳴らす, 申し述べる, 申述べる, 言い立てる, 言立てる, 仰せられる, 申し上げる, 申上げる, 申しあげる


この言葉でもなぜ状態とか威厳とか国家まで現しているのかとなる
日本語だったら国とか国家くらいしか表現できないからだ。
クニとはあなたのオクニはどこですかというとき地方のクニのことである。
それは小さな村がクニにもなっていたのである。
でもヨーロッパの成り立ちでは国とは全く違った成り立ちがある。
ローマ帝国のようなものがありstateとはこれにあっている。
だからそもそも歴史がわからないと言葉も歴史から生れているから理解できないとなる

stately

屹屹たる;不昧;弘遠だ;堅手;荘厳;巌巌たる;厳かだ;厳峻だ;屹々たる;清高;いかつい;険相だ;厳粛だ;気高さ;厳威;尊厳だ;巌々たる;厳たる;厳い;重し;儼乎たる;厳威だ;儼たる

stately mountain
stately rock

こういう詩的な表現にも応用される、でもそれがなぜ国家と結びつくのか?
国家とはそれだけ重々しいものとして自覚されていたからなのかとなる

ともかく武道などでも文化である。日本人はそもそも勝ち負けより型とか姿勢を重んじる剣道でも空手でも武道はまず型があり姿勢を見る、その後に勝負がある
外国はまず勝負ありきなのである。勝ち負けしかないのである。フェアなルールのもとに勝ち負けしかない、日本の武道はむしろ型とか姿勢とかが先にある、それで格好いいとかなる、必ずしも買ったから格好いいとかならないのである。

「形」が「力」を越える真理があります。古流で言う「カタチはチカラ也。」

これが日本の武道の基底にある。
でも「柔能く剛を制す」という言葉は中国から来た諺だから中国由来であり老子などの思想の影響がある。欧米だとスポーツでも剛しか見えない、だからこの言葉は思想はアジア的だとなる、アジアの思想と欧米のアングロサクソンとかの思想は大きく違っているのである。
誤解しているのは聖書が生れたイスラエルはアジアなのである。その地中海の向こうがヨーロッパなのである。
だから宗教とかはすべてアジア発祥でオリエントあり深いのである。
だからヨーロッパ的キリスト教とアジア的キリスト教が違ったものになる
アジアの方が本当は深くキリストを理解するともなる
そもそも文化とか文明はアジアが発祥なのである。科学はイスラムが発祥のが多い、ヨーロッパは後進国だったのである。





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2017年01月09日

悠久の大義とは何だったのか? 悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった

悠久の大義とは何だったのか?

悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった


悠久(ゆうきゅう)とははてしなく長く(例えば皇紀2600年)続いているさま、大義とは、国家・天皇への忠義を意味する。

進め悠久大義の道 敵米英学徒を圧倒せよ=学徒出陣壮行会での東条英機首相の訓示(1943【昭和18】年10月21日)

…申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新(せいしん=新しく、生き生きとしていること)なる血潮(ちしお=身体をめぐる血。激しい情熱や感情のたとえ)総(すべ)てこれ、御国(みくに=国を敬っていう語)の大御宝(おおみたから=天皇の民。国民)なのである。この一切を大君(おおきみ=天皇を敬っていう語「おおぎみ」とも)の御為(おんため)に捧(ささ)げ奉(たてまつ)る(献上する)は皇国(こうこく=天皇が統治する国。「すめらみくに」)に生を享(う)けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳(そんげん=とうとくおごそかなこと。気高くおかしがたいこと)なる所以(ゆえん=わけ。理由)は、実にここに存するのである…。

悠久というときなにが悠久なのか?自然が悠久なのである。日本の自然が悠久なのである天皇が代々つづいたから悠久ともならない、それはせいぜい2000年にもならないのでる。自然はそれよりはるかに悠久なのである。
だから大和の悠久の大義とはただこうして戦争のためにのみ使役されたことが悲劇につながっていた。
現実に敵を殺すということは戦争はいかなる大義がるとしてもやはり犯罪になる。
それを戦場では理屈ではなく日本兵は体験したのである。
志願兵も中国人を殺すことを命令されてしたらしい、ただそのことは言っていない、それを大ぴっらに言えないのである。そこに良心の痛みが人間だからあったからだ。
それが悠久の大義のために天皇のために許されるとしたらどうなるのか?
そもそもそれが日本の世界の大義となるのかとなる
日本の国土が攻められたらそうなるが外国に侵略して殺すといことが大義なのかとなるとなりえない。

悠久の大義は確かにある、自然が悠久であるごとくそこに日本の自然と共に大義がある。でもその悠久な自然とはなになのか?その国の山川草木が悠久でありでもそれが敵を殺していいと支持するのか?それは平和そのものであり敵を害するものではない
だから右翼でも何かそういう自然とは関係なくただ天皇もちあげ戦闘的になる
右翼の中には暴力団などがいて実際にかえって日本国民を苦しめているのを知っている
自分の店で働かせて給料を払わなかったりと何か不正をしていたりとか普通にある
そういうふうにむしろ国家至上主義者は大きな不正を愛国者気取りで隠している
そういう人たちが愛国心を語るのは偽善なのである。
それは左翼にも言えるのである。左翼の問題は日本の歴史をすべて否定的にとらえる、だから中国の文化革命でそうした歴史的遺産を破壊したのである。

だから悠久の大義というとき別に日本にだけあるのではない、外国にだって山川草木があるのだからそこに悠久の大義があるとなる
戦争のためにのみ悠久の大義があったことがまちがいなのである。
そもそも悠久の大義が自然にあるとするときなぜ右翼は原発を支持して核武装になるのか悠久の清らかな自然を汚した原発を支持しているのか?それは日本を核武装するために必要だからともなる
国賊とは何かとなるとそうした原発で「安全神話」を作った人たちなのである。
それは政治家であり官僚でありマスコミであり科学者であり学者であったのだ。
日本の悠久の大義を汚したものが日本の支配者層だったとなる
この人たちこそ糾弾されるべきなのである。

だから愛国心というときなになのか?愛国者が何なのかとなるとこれまた偽善的愛国者が多いのである。暴力団が愛国者になりうるのか、庶民を苦しめている人たちがなりうるのかということがある。
ただ愛国心は必要である、人間は戦後はただ利己心の私益の極端な追求しかなくなった。民主主義はただ個々人の利己心を全面的に認め物質的豊かさのみを求めたのである。
そこには国の大義に殉じるなどなくなっていた。カルト宗教団体なども労働団体でもなんでもそうである。ただ個々人の利己心の私益を求めて運動しているから同じだった。
それが宗教という名のもとに社会主義というマルキシズムの思想のもとに団体組織化しただけである。その中味はただ個々人の利己心の私益の追求で同じなのである。

人間は確かにこうした利己心私益から脱することが何か大きなものに殉じることが不可欠なのである。そういう大義があるとき日々のささいなことから脱することができる
戦争はその大義が誤って利用されたのである。もちろんすべてを否定できないものはあるヨーロッパの植民地にされない戦争だったということも一理ある。
でもそこに日本の大義が通用するかとなると疑問になる
それぞれの国はまた義があるからである。

日本人の心は日本の自然と共に一体化して歴史として作られてきた。それが戦争に結びつくものではない、ただ奈良時代に大和国家が形成されたとき日本は統一されて日本となった。
その時天皇が各地に特に大和王権に敗れた蝦夷の魂を鎮めるために奈良の大仏を作ったのである。そういう祭りが天皇に継続されていた。
各地にはその土地と一体となった魂があったからだ。今でも会津魂とか相馬魂とか何かそうなりうるものがある。会津だととくに明治維新の戦いで会津魂が発揮されたとなる
封建時代は藩ごとにそうしたその土地に根付いた文化があり魂があったともなる
その土地と共にはぐくまれるのが文化だからである。

悠久の大義というときそれは別に日本だけではない、自然とともにあった心だからそれは世界に通じる普遍的なものである。だから神道にはそういうことがありモラルもあり世界に通じないことはないのである。ただ天皇を神として世界には通じないだけである。
清らかな自然の中に真直なる心とか直し心とか大和言葉に伝えられている言葉の中にそうした日本人の精神が受け継がれているのである。
そういう心は別に世界的に共通なのである。清い心の人は神を見るだろうというのもそうである。それが他国への侵略とか戦争に結びつかないのである。
それはキリスト教でもイスラム教でも人を殺すことが是認されるわけではないから同じだとなる。だから義の戦争、義戦というのがあったとしても滅多にはないだろう。
それぞれの国々は義があるからどっちの義が正しいともならないからである。

何か日本の大義というときどうしても今は戦争に結びつく、そんなこと主張したらお前は戦争を支持するのかとなる、それはあの太平洋戦争がそうさせたのである。
そこには確かに日本の義もあったが他国の義は無視されたのである。
ただ戦後はあまりにも利己心私益の追求であり会社中心主義になった、そこに日本の大義は失われたのである。
「日本の大義」それすら死語になったともなる、でもその復古が必要になっている
復古というとき古いものをそのまま受け継ぐ回復させることではないのである。
新しい意味をもって復古するのである。本居宣長が大和言葉を新たに発見する作業をしたのもそうである。日本人の心は大和言葉の中にあり受け継がれているからである。
それが万葉集に残されているからである。

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

真直(まなお)という言葉は死語になったけどやはりこれと大和言葉の独特な精神を現している、自然の中に真直なる心をもつことが日本人の精神だったのである。




タグ:悠久の大義
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2017年01月08日

大和魂とは何なのか? (日本の国土と一体化した独特のものの発露)


大和魂とは何なのか?

(日本の国土と一体化した独特のものの発露)



一方、大和魂は
「武士の想い」で、良い世の中を創るために、
志に生きることだと思います。

 ここでは、『毎日』が一歩リードした。三勇士の報道では、その内容、詳細さ、迅速さ
において『朝日』が先んじた。『朝日』が「肉弾三勇士」として報じれば、『毎日』は「爆弾三勇士」とそれぞれの名称で、報道、イベント合戦をくり広げた。

関東軍の重砲兵として入隊した当時、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられた。
疑問を挟むと、「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は大和魂で補え」と怒鳴られた。”
by 中内功 (私の履歴書 2000年1月31日)

この点にかけても、わが大和民族は選民といっていいほどに、他のいかなる民族よ
りも優れたる特質を具備している。
それは皇室と国民との関係に現れ、軍隊の指揮者と部下との間に現れ、国初以来の
光輝ある国史は、一にこれを動力として進展して来たのである。肉弾三勇士の壮烈な
る行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない」
『大阪毎日』では26日第一面の「日々だより」のコラムで徳富蘇峰が「廟行鎮攻撃の
三勇士」として絶讃した。


「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」

夏目漱石の『我が輩は猫である』


 敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花  本居宣長

 かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂  吉田松陰

宣長の歌は平和そのものである。そこに何か戦うとかは微塵もない、ただ山桜が朝日の中に咲き誇る、これと全く違うのが大和魂なのである。
これはものすごく戦闘的なものになっている、それは明治維新で対外的になり攘夷論になりふきだしたものである。
だから当然戦争になったとき大和魂は戦争するために不可欠の精神論になったのである。大和心には戦争などイメージするものは微塵もないからである。
それは江戸時代の300年の平和な世界から生れたものである。

大和魂とは何なのか?

漱石がわけわからんものだというときそうなる、大和魂は外国を排斥するものとして日本の独立を保つために自ずと歴史的伝統から尊皇思想となり生れた
「やむにやまれぬ」ものとして生れたのである。だから日頃は江戸時代には意識しない、宣長は例外であり学者であるから意識したのであり侍でも意識していない
でも古来から大和心はあり大和とはそもそも何かとなると奈良時代に日本が建国したとき統一したときが大和となったのである。
その統一の象徴として奈良の大仏があった。蝦夷が強大な敵でありそれを征服した
大和が建国されたのである。だからその時大和魂が生れたとなる
大和魂が形成されたときちょうど万葉集が生れた、だから日本人の心は万葉集にある
万葉集の短歌から俳句も生れているから日本の文化の発祥は万葉集とともにある
政治的にも文化的にも日本となったのは奈良時代である。

大和魂は日本建国したことで生れた、日本統一したとき生れた。それが尊皇思想となったのである。日本が分裂して蝦夷と二分して戦っていたが統一されたのが奈良時代だったのである。それは東と西の戦いでもあった。その前には蝦夷魂とかあったともなる
その蝦夷魂は大和魂に敗れたとなる、そこには神道派と仏教派の争いもあって日本は奈良時代に統一国家になったのである。
大和魂とはすでに平安時代にあった、ただ大和心という意味で平和なものだった。
大和魂が意識されたのは明治維新のときだったのである。
大和魂は一個人の想いではない、国という大きなものの中に利己を自我を捨てることにある
人間はどうしても利己的であり自我にエゴに普通は生きている、でも国家が危難にさらされればそうした利己心の集まりでは対抗できないのである。
大きな国のために犠牲になることが要請されるのである。

日本人の強みは優秀だというとき大和魂が理屈ではなく備わっている、それは日本が海に囲まれて一つの独立国として存在しつづけたことにあった。
つまりいつも言うように地理がやはり日本を作ったのである。外国はそうした強固な民族の統一性を作れない維持もできない、絶えず異民族が侵入してくる、それで万里の長城を作らざるを得なくなってくる、その労力が膨大なものとなる
アメリカがメキシコ国境に壁を築くというのも歴史の繰り返しなのである。
大和魂とは強固な日本の国土と人民の民心の統一一体感を日本という地理的特殊性から自ずと生れたものである。だからこそ「やむにやまれぬ」ものとして対外的に危難のときに発露してくるのである。

でも大和魂は日本国土の統一のやまにやまれぬ感情であり国土の一体感から生れたものである。自分はそうした国土の日本の自然とのアイディンティティを追求してきた。
そのアイディンティティが万葉集となったのである。
それは他国を侵略する戦闘的な大和魂となったのは大和魂ではないのである。
なぜなら外国は日本の国土としてのアイディンティティがもていなからである。
大和魂とは日本の国土と自然と一体化した日本独特の感情なのである。
人間は自然を体躯としてもつ、国土はその体躯なのである。人間とその国土は一体なのである。
日本はそういうことが理屈ではなく地理的にも歴史的にも自ずと形成された国なのである中国とかアメリカとかヨーロッパとも国の成り立ちが特殊なのである。
大和魂は日本の国土に根ざした国民の一体感であり対外的に侵略する精神ではないのである。ただ日本の国土を侵略するものがあれば日本人の大和魂はやまにやまれず発揮されるそこに大和の大義のために日本人は利己心を捨てて大和の大義に殉じるのである。
そこに日本の強さがあり日本が簡単に征服できない、ヨーロッパにも植民地にできないものがあった。
インドであれ、中国であれ、南米であれ、なぜあんなに簡単に征服されて植民地化されたのかをみればわかる。日本は強固な統一された別個の文明を築いたいたからだとなる
その原因は日本の地理的条件とそこで作られた歴史にあった。

天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず

日本には古来から人の和が強固に作られていたのである。それが大和魂なのである。
そして今日本の問題は何かとなると戦前はその過剰な強固な国意識により侵略戦争となった、大和魂は外国を侵略するものとしてはなかったからである。
日本の独立するためには植民地化しないためにはあったが侵略するためにはなかったのである。侵略しなければ日本も守れないという意識はあっても自ら他国へ侵略して殺りくするというのが大和魂ではなかったのである。
なぜなら外国の国土とは一体化できない、アイディンティティ化できないからである。

つまり日本とはnatinal identified body、one identified bodyなのである。
国体=大和魂=大和の義になる、国体という言葉がそれを物語っている
それが大和魂なのである。像をもって考えろというときまさにその像とは日本のBODYなのである。それはライン川をドイツの父なる川とするように外国でも通じるものがある
ドイツには特にそういうものがあるからドイツと日本はにている面はある。
中国とかアメリカとなると大きすぎるからそうした国土との一体感が生れにくいのであるだから中国は統一するのがむずかしく三国志になっている、国が大きくても人の和が保てないのである。それで一見強いのだが弱いのである。
つくづく地の利があっても人の和が形成されないと国でも人でも弱い、でも日本は地理的条件、地の利に恵まれて和が作られたとなる、日本でもこの和の強固さが崩れるときもろくも国自体が分裂して滅びてゆくともかぎらない、これだけグローバル化しているとき国が分裂して蹂躙されないとも限らないのである。

栄えある大和の大義に殉ぜよというとき日本は理屈ではなく国土的にも歴史的にも作られてきたのである。それを外国まで適用したのが間違いだったのである。
そうした日本の義は日本にとどまるものであり外国となると別になるからである。
そうした義は世界的には通じないのである。





タグ:大和魂
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2016年12月22日

移民の歴史をふりかえる (移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


移民の歴史をふりかえる

(移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


日本は遠い異国ではなく、日本の軍事勢力圏にある満洲や東南アジアに移民を、さらに移民を護るための軍隊を送り始めた
この事を指して、アジアに対する「日本の侵略」と豊かな国の左翼は言うけれど、俺は満洲事変、大東亜戦争は貧しい国がさらに貧しい地の富を収奪する哀しい戦争であり、過去の日本は「悪」だったと決めつけても、その本質は理解できないだろうと思う。

移民は世界史でもある。大量の移民は戦争になる。なぜ移民になるのか?
その原因は貧しい国が豊かな国を襲う、貧しい国が飢饉になれば流民化して他国へ流れ込んでくることもある、そうした流民が中国では内戦と発展してきた歴史がある。
それは中国国内で起きたことだが他国の間でも起きる
なぜモンゴルが中国を襲ったかとなるとモンゴルは遊牧民であり食料が不足するときがある、農業国の中国は豊かな生活をしている、そこでモンゴルでは定期的に豊かな農業国を襲ってくる、それで万里長城を築いたのである。

貧乏な国から豊かな国へ侵略が起きる

それは世界的格差が今問題になっているがそういう問題は古いのである。
格差のために戦争になっていたのである。富めるものから奪うことである
それは国と国の間なら正当化されるのである。
格差が大きくなると国内でも富めるものから貧乏人は奪っていいともなる
金持ちは襲われる危険が増大してくる。
格差が大きいと貧乏な人たちはそれを悪だとも思わない、当然だとなる
それより金持ちが貧乏人から富を奪っている、格差を広げているとなる
現実に今はそういうふうに格差をとらえているから金持ちは危険になる

満州への日本人の移民が実は大東亜戦争の原因になっていた。満州の利権をめぐって各国が争っていた。アメリカとも争っていてそれがアメリカとの戦争の原因にもなっていた。日本は貧乏であり農民が働く場所もない、その時農業中心だから働くとなると土地が必要となる。すると満州のような広大な土地は絶好の場所だとなる
でも移民するにしても満州は適地ではなかった。北海道より寒いからである。
そんなところでも移民しようとしたのは働く場所がないからである。
人間は常に働く場を求めている、今も地方で東京に出るのかとなると地方では働く場がないからだとなる
明治維新のとき大量の侍が失業して北海道の開拓移民となった。
時代が変わるとき難民を移民を生みやすいのである。

今起きていることもやはり歴史のくりかえしである。アメリカに大量のメキシコ人が入ってくる、その影響がアメリカの国自体をゆるがすようになっているのだ。
ヒスパニックとは言葉さえ通じない、そうなると一国のアイディンティティを共有することがむずかしくなり国の一体感が保てなくなる危機である、だからカリフォルニアが独立国になったほうがいいとかトランプが大統領になることでそうなった。

移民が起きるのは貧乏な国から豊かな国を目指すからである。自国で豊かな国を目指せばいいとなるがそれができないからこそ移民となる
すでに豊かになった国に移民する方がてっとりばやいとなる、なぜなら自国が豊かになるには時間がかかるからである。
そして遊牧民のモンゴルとかなると羊を飼うことのほか何か産業が作れないとういことがあった。豊かになる方法がなかったのである。

移民というのは移民する側と移民を受け入れる側との問題がある。
政治的理由とか経済的理由とか宗教的理由で移民になる。
ジャガイモ飢饉でアイルランド人がアメリカに移民した。それはアイランドの土壌が肥沃ではないからである。アイリョシュというのはアイルランド系である。

人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ
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これほどの危機的状態だったのである。

ただアメリカがその時豊かな国ではない、ただ広大な土地があったということが農民にとっては魅力だったのである。土地が自由に手に入ることは魅力だったのである。
ただアメリカには原住民のインディアンがいたが虐殺されたのである。
移民の圧力は飢饉とか職が得られないとかで基本的には起きてくる。
ただそうしたときアメリカとか北海道ではフロンティアとなってそうした人々を吸収したのである。

今起きている移民問題も別に新しい問題ではない、歴史の繰り返しである。移民というときモーゼの出エジプトも大量の移民問題だった。神の国を目指しての大量の移民を達成させたことなのである。それは神の業としている、だから人類史でも移民は常に起きていたしヨーロッパの歴史も移民の歴史である、ゲルマン人の移動は有名だが他にもゴート族だとかいろいろな民族が移動している、移民している、それが戦争になっているのである。
だから移民というのはとめることができない、人類的にそもそも移民が不可欠だからそうなっているともなる。移民があっても世界の発展があったともなるからである。
移民がなければヨーロッパでもアメリカであれオーストラリアでも国としてありえなかった、移民によって世界が劇的に変化して発展したともなるからだ。
移民がなかったら世界は停滞したままだとなる、江戸時代の鎖国のように世界がなる。
鎖国もその功罪があるが世界的にみると停滞したままに海に囲まれた環境から成り立った希有の例だとなる。だからそこで日本文明が作られたともなる。


天才問題を生物学的に考えると永い間同系内で交配された民族は種族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない、スパルタなどがそうである。
これらの種族が開港都市等を占領したり貿易などで貿易の目的でそれらの中には入り込んでくると適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年のちに全く突然の天才の排出が起きる。古代ギリシャやルネサンス期のフィレンツがそうである。
フイレンツに天才が排出した主な理由はゲルマン民族中の武人貴族が侵入して土着の芸術的才能のある市民と強く結びついたためである。(天才の心理学-E・クレッチュマー)

これは生物学的にもそうだとするとそこには神の計らいがあるともなる、人類史に神が関与してそうなったともなる。
ヨーロッパがなぜ一大文明を築いたかというとこのように一番天才を排出しているからである。それは様々な民族とか文化が交わるためにそうなった。
それはアメリカとのようにインディアンしかないない種族の交わりでない、すでに強固な文化をもった同士のものの交わりが天才を生んだ、天才といってもその個人だけの力ではなれない、その背景になるものがあって輩出してくる
ヨーロッパだと天才というとき一人ではない、ある場所に群れとして発生しているのが違ってるのである。
ヨーロッパは何か大帝国は違うのである。エジプトとかペルシャとか中国とかは大帝国である。だから政治的圧力が強い国である,中国はまさに戦乱の歴史であることでもわかるヨーロッパも戦乱の歴史でも多様な国の争いのである。その争いの中でも異種交配があり文化の融合が生れたのである。

移民は世界史的に常に起きているのである。移民が世界史を作ったとまでなる。アーリア人の侵入とかもそうである。それはさけられない問題である。そこには神の計らいがあるというときもし移民がなかったら人類は停滞したままで発展進歩しないとまでなる。
だから移民問題を世界史的に考えるとむずかしいものになる。
ただ移民でもヨーロッパの移民は単純に貧乏な国から豊かな国へ移民するのとも違う。
すでにゲルマン人は文化をもっていた。言葉ももっていたからである。強固な社会組織ももっていたからである。
ただメキシコからメキシコ人の移民がアメリカのアイディンティティまで変えてしまうというとき何かそれとにたものが起きているのかもしれない、文化まで影響してしまう問題である。
日本にしても邪馬台国ができるまえに何か韓半島から移住してきた人たちが日本で混在していた。その人たちも移民であり天皇も韓半島来たともいわれる
そして日本の歴史の古地層に韓国由来の伽耶とかの由来の地名が残っているのもそのためである。日本も最初はアメリカのように移民の国だったのである。
その時は様々な人種の混交が起きていたのである。

いづれにしろ移民とは世界史的な問題であり簡単には否定できない、なぜなら移民する側と意味を受け入れる側の両方から起きてくるからである。
日本でも移民がないともう人手不足で成り立たないとかなっている。
少子高齢化でもう日本は日本維持できないとまでなっているからだ。
すると移民を入れざるをえなくなる、それはやはり日本国が衰退するからゲルマン人の移動のように神の業のように歴史的必然とてし起きてくるのかもしれない、だからそれを否定できなくなる。
もし日本人がまだ強固な民族であればそれに抵抗できる。でも弱体化していたら抵抗できないとなる。なぜなら弱体化していたら異民族が侵入しなくても自壊するからである。
ローマ帝国はすでに贅沢になり貴族が弱体化していたからゲルマン人が侵入してきたのである。その結果として強固な新たな文明が創造されたともなる。
ゴシック教会などがその例である。
ただ移民でなくても何か文化の創造は一国では無理である。一個人でも無理である。
多様な刺激がないと創造にならないのである。
その一つが自分がインターネットでしている変化の抽象画の芸術だったのである。
それもたいしたことがないといえばそうかもしれないがそれはやはり世界がインターネットでつながって起きたことなのである。

日本は中国文化との融合は奈良時代に起きた、その後も中国文化の融合はつづいていた。鎌倉時代でも江戸時代でもそうである。
明治維新後はヨーロッパとの文化の融合時代となった。それはまだ成されていないのである。これからヨーロッパ文化と日本文化が融合した文化が華開く時代となる。
ただそれは東京のような大都会からは起きないのである。
そこには自然とのアイディンティティが作れないし自然もないから文化が起こらない
ヨーロッパでもそうだが地方都市が充実していてそこに文化がルネサンスが起きたのである。フィレンツでも今からすれば小都市である。

町の拡大と人口増加は、自然な増加現象で起こったわけではなく、周辺地域からの民族流入によってもたらされたものであり、結果として、フロティアの経済発展へと繋がっていきました。これらの移民たちは、周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます。また、彼らの故郷となる周辺領地との交信をしていた町の地区に定住していきます。こうしたことから、人口数が集中し、急速に伸びていったオルトラルノ側に、1128年と1237年に三つ目のの橋がアルノ川に掛けられました。この橋は、石造りで、川の上流側に掛けられ、グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)と名づけられました。近郊都市との交易に役立たされ、周辺地域の拡張をもたらしました。


橋が発展の象徴だった。 橋によって交易が容易になったからである。高速道路とかできて仙台のリホーム会社が進出してきたのとにている。仙台はやはり技術的にもこの辺では最先端をゆくからである。

周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます

とありこれは今の貧民の移民とは違う、それなりに文化的共通性あるものの移住だったのである。移民にもいろいろあるから一様にはできないのである。
文化を形成する移民とただ貧民の移住とは違っている。
ただ一都市でも興隆するには近辺からの移住が必要だったとなる。
つまり文化の形成には異種なものとの混血が必要なのである。
今の移民問題は文化とは関係ない、ただ経済の格差問題でありグローバル化でその差が顕著になり移民になる、だからまた違った移民としてある
何か常に同じような問題でも時代が違うと同じなものも違っているのである。
ただ移民とは常に世界史的問題として起きていることを知るべきなのである。
タグ:移民の歴史
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2016年12月06日

森は一つの命(one rolling life)(詩) (自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)


森は一つの命(one rolling life)(詩)

(自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)

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 村々にもその土地に根付いて個性がある。


雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
暑き日も
森の樹々は
深い沈黙に
物言わず立っていた
静かに日のさして
森は神殿となり
静かに日のさして
ゴシックの大聖堂となる
大地に根付いてその長き日
命をともにした樹々
一本の樹々は老いて
遂に森に倒れふしぬ
その時もの言わずとも
そこに長くあった樹々は
その樹を見守っていた
その樹はしばらくは
森に倒れ木としてあった
命はまだ朽ちないように
やがてその樹は再び
森の栄養分となり
その土に還る
その時すでに新しい芽が
その森に芽生えている
森は一つの命
めぐる命
めぐみはめぐる
雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
森に静かに共に絶えて立つ

the silenced trees
stately trees
solomn trees

one by one

deep rooted ones
in the earth


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文化というときそもそも国が民族が文化共同体なのである。歴史のある国はみなそうである。ただアメリカのような国は文化共同体が形成されない、歴史が浅いからである。
そのアイディンティティが形成されていない、だから国自体が意外と脆弱であり分裂の危機もありうる。英語すら今も通じないという社会になっているからである。
どこの国でもその国の言葉をもっているというときまさにそれが文化共同体の基盤なのである。
文化共同体とまた政治共同体経済共同体は別な面がある。
グローバル経済というときこれは文化とは関係なく世界を結ぶということで問題が起きたモノ、ヒトを自由に流通させるということだがそれはそれぞれの育んだ文化を無視するものだったのである。

グローバル経済がどこから生れたかというとマルクス主義も資本主義も同根だというとき文化を無視するからそうなる、中国の文化革命が文化革命ではなく過去の歴史的遺産を破壊したのはなぜか?共産主義もグローバル経済なのである。
なぜなら理念国家であり過去の文化を無視する、世界のプロレタリア-トを団結せよというときそこに民族というのはないからである。
だから共産主義もそれぞれの文化を破壊するのである。
そこで人間を規定するものは民族とかが育んだ文化ではないからだ。

グローバル経済は技術の進歩で空間の障壁が克服されたからである。航空機で世界中を行けるということもそうである。
でもその空間にしてもそこに実際は文化という問題が生れる
なぜ文化とか歴史が簡単に空間を越えて旅してもりかいしにくいのか?
それは文化がその土地と一体となって時間の中で形成されたからである。
ヨーロッパでもローマ帝国時代から二千年とか歴史があり文化が形成されてきた。
それをちょっと旅したくらいではわかりえようがないのである。

では全く文化というのが理解できないのかというとそうでもない、文化とはその土地から自然から生れものでありその自然ということで共通性がある。
もちろん宗教となると一神教は自然と関係ないとかいうがこれも砂漠という自然を通じて会得した宗教となると関係している
つまり自然は都会から生れない、神道でも仏教でもイスラム教でもキリスト教でも自然をベースにして生れたものなのである。
だから現代は何か宗教というと都会化して政治化して経済化して科学化さえしている
そういう宗教もある。自然から離れたものでありそれがすべてカルト化しているのであるそれは政治化した経済的価値のみを追求する本来の宗教とはにてもにつかないものなのである。その文明化した都会の宗教だからそうなったのである。

だから山岳宗教などが何か迷信的だとか非科学的だとかされるが自然と通じて力を得るというときやはり宗教の伝統を受け継いでいる、今の宗教は自然から離れた宗教である。
政治と経済のことしかないのである。創価はその極端化したものだがあらゆる宗教が本来の宗教ではない、政治化した経済化した大衆宗教である。
だから平安仏教も貴族の仏教だとか批判されるが文化を創造したし鎌倉仏教も文化を創造した。現代の自然から離れたカルト仏教からは文化は創造されないのである。

それはヨーロッパでもそうである。ゴシック建築の石の大聖堂はゲルマンのドイツの森を型どったものであり荘厳なものである。それは森というのがその時ドイツの大地をおおっていたからできたのである。ドイツの自然から形成されたものなのである。
ドイツの大地から形成された文化というとき音楽もそうである。
ドイツの森が何かそうした精神性を与えたのである。

現代文明はあらゆるものが自然から乖離した。その時起こったことは人間の非人間化である。人間も生物の一種であるとき自然と離れてはその生命もないのである。
でも東京などを見ればわかるようにそこに自然はない、人工的機械的空間となっている
自分が詩にしたような森などもない、高層ビルを見上げてただ人間が蟻のように這いずり回っているだけである。
そういう文明人間はデンデラ野のことで指摘したように人間が最後チューブに人間とされ延命治療で地獄を作り出している、それも文明という非人間化だったのである。
それならデンデラ野の方が何か人間的だとみる、それは自然村として人間の自然な在り方があったということにもなる

そして森が一つの命というときそこには生命の循環がある。人工的都会の空間にはそういうものはない、一つの機械の部品のように生は終えるのである。
人間の生の充実はそもそも自然を離れてはありえない、国でも自然国家として生れた。
なぜならヤマトというとき山の戸口の意味でありそこは神聖な場所であり山を御神体とする宗教が日本にあったからである。つまり自然信仰が最初にあり国が形成されたともなるのである。

いづれにしろグローバル経済は空間の障壁が技術的進歩で克服できたが以前として文化の障壁は簡単に克服できない、それは時間軸で成り立っているからである。
そういう時間軸で形成された文化が消失するとき非人間化されるのである。
空間でもその空間を文化として体現するのは容易ではない、確かに電車であれ車であれ空間を猛スピードでつきぬけてゆくことはできる
でもその中で生の充実は得られない、今の旅はただ空間を移動しているだけである。
とても芭蕉のうような俳句が生れえようがないのである。新幹線で二時間でちょっとで平泉についたというときその間の時間軸で形成された文化ははぶかれているのである。


周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)を越えむ日は手向(たむけ)よくせよ荒(あら)しその道

右の一首は、小典山口忌寸若麿(せうてんやまぐちのいみきわかまろ)

畏怖すべき境界である。旅人の通過を妨げる荒ぶる神の説話は風土記に多くみられる。そして、そのような場所そのものが「たむけ」と言われ、後に「たふげ(峠)」に転じたと考えられている(『代匠記』

空間でもこうして何か文化的なものとしてとらえていたのである。つまり技術の進歩はそういう文化的なものを常に無視するのである。
森が循環する一つの命だというときそれも無視される、放射性物質は毒となりプルトニウムだと二万年消えないとか循環しない物質なのである。
文明とは技(わざ)が災い(わざわい)となってきたのはプロメテウスが神から火を盗んだときからはじまっていたのである。
だから何かソーラパネルでも風力発電でも結局自然破壊することはトータルで同じだという、シリコンとか何かソーラーパネルの材料は廃棄すると毒になる
森のように一つの命として循環しないのである。
人間の共同性とかでも自然から作られる共同性が今はない、そこで不自然となり非人間化してゆく、だからこれからの問題は政治経済ではなくその国々の地域地域の自然を見直して共生して文化の再創造を志向することである。
地域地域というとき地域の中にも地域がある、村がその最小単位だった。
村々にもその地域に根ざして個性があったのである。
そういうもの自然共同体から生れた村々を都会からは限界集落として効率が悪いから消失しろとなる、それもインフラなどに膨大な金が今はかかるからそれが税負担となるからそういわれるのである

いづれにしろ矛盾なのは田舎には東京で原発を作らせまた東京の老人を介護のために田舎に移住させるとか何かそういうのも非人間的になるのは文明のためなのである。
もちろん田舎でも文明の恩恵は受けている、ただいろいろ原発事故であれ限界集落であれ老人問題であれグローバル経済でもそうしたものの矛盾が限界に達している
それで世界でもグローバル経済に反対するとかで変わりつつある。
それは人間の非自然化が非人間化になってるからである。


タグ:森の詩
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2016年11月11日

言葉には深い意味がある (英語で詩作してその言葉の意味を探る)


言葉には深い意味がある


(英語で詩作してその言葉の意味を探る)

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神殿の柱

the peaceful lined trees

the harmless ones
the strgethend ones
the stationary and established
obedience on the earth
in domestic stability

one by one
step by step
day by day

stedy,strict,firm

deeply rooted ones
in the homeland in order



近くの並木からイメージしてそれを英語で表現しようと試みる、なぜ英語というとき外国語が身近なものにならないのか?
それが英語でも単語の一語一語持っている感覚が違うのである。その感覚は結局その背景にその言葉が生まれた歴史とか文化がありそれを実感として理解できないことにある。
確かに今や機械翻訳が発達しているからそこから英文を表現できる。

でも深いところで一語一語の意味を知るのは容易ではない、それは日本語だってそうであり他の言葉でもそうである。
日本語のあわれを理解するのは容易ではない、かわいいとかもったいなと日本語の言葉が世界語化したものがあかるが深いところで言葉を理解することはむずかしい。
それはなぜなのか?

言葉の背景にはそれが作られた背景がありそれが長い間で作られたのである。
英語だとゲルマン語がドイツ語が基礎にありそこから生まれた、だから英語の一語一語を理解しようとするときドイツ語の理解が必要になるかもしれない、言葉の中には一見事物があっしてそれを同じようにととらえてるようでも違っている。
つまり感覚的にも精神性でも違ったものとしてとらえているのである。
それはなかなか説明することもむずかしいものである。
詩が説明できないというとき言葉も説明できないのである。
詩が翻訳できないというときもそうである。
言葉はもともと詩語であり詩を理解してないと言葉の深い意味がわからないかもしれないただ外国語でも普通にどんな人でもしゃっべっている、ではそのネティブでもかえって母国語の深い意味を知らないのである。
それは日本人でもそうでありみんなそうである。
言葉には必ずどの言葉でも深い意味があり精神性がある。

ここに出したのは一つの例である。自分は自分の詩を英語にできないがその試みとしてした。

steady

(足場・基礎など)しっかり(固定)した、ぐらつかない、安定した、震えない、きょろきょろしない、不変の、一様の、むらのない、間断のない、定まった

この一語に関してもこれだけの意味があるというとき日本語では表現しにくいからそうなる。むらのない、間断のないとか実際は様々な意味があるがそれを翻訳はできないからこうなっている。

だから並木の樹々をイメージするとこの言葉も理解しやすいようになる。
外国の神殿というときギリシャだと列柱がありそれが丁度並木ににているし
またゴシックの聖堂の石の柱ににている。
英語系には建築的なもきがあり言葉としてもその建築的なものが表現し構築されている。日本語だと情緒的だというときしまりがない言葉なのである。

ここで表現されいるのは意外と変わった言葉ではない、日常的に使われている言葉でありむしろ基礎となる言葉である。
だから普通に英語をしゃべる人は使うがその言葉を深く理解するのは外国人だというのもまた言葉の不思議がある。
その言葉訳してみて同じのように見えても違っているのである。

orderなどはin order toとか普通に使うものである。でもorderというとき秩序を重んじるものとしてその言葉がありヨーロッパ文明の源に秩序を重んじるものがあり自然でも宇宙でもその秩序を理論化するものがあった。
だから数学とはそうした秩序を現すものであり発達した。幾何学とかと建築は一体ということでもそうである。
詩となると何かそうした理系的なものとは関係ないもののように見えても自然の中に秩序を発見するということは理系なのである。
風土学になると日本の自然は乱雑であり混沌としているから何かそうした秩序が数式のように現せない、並木というときそれは秩序的に並べられた木であり神殿の柱なのである。
自然を模したものとしてし建築があるとき明らかに樹は柱でありその土台は大地に定着するものとしてある。

だから毎日近くの桜並木道を歩むとそういう自然が一つの秩序を示して大地に根付いているという感覚になる。
違うのは樹は生き物であり日々に成長して根も大地に張ってゆく、養分も大地からとっている。
そして樹に感嘆するというときそれが樹と樹は争わないし傷つけ合わないということである。ハームレスだということが感嘆する。
そんなふうに第一一般的には樹を見ない、でも人間をみればわかる、どれだけ傷つけあっているか?男女でも三分の一は離婚しているし絶えず女性も男性も争っている
それと比べたらいかに樹々が平和なのだろうと反対に思うのであり感嘆するのである。

植物は争わない、そこに平和がある。だから植物的生は平和を志向するのである。
それは農業でもありまたそこから派生するものとしての文化になるのである。
江戸時代は植物的生の時代であり明治維新語は外に拡張する狩猟的遊牧民的移動する社会だった。だから世界的に大きな戦争となった。
戦後もやはり高度成長グローバル社会であり世界的に拡張する時代だった。それは世界的弱肉強食のグローバル資本主義経済だった。
そのゆりもどしがドメステックなものへの回帰現象が起きてきたのは当然である。
それは植物的生への平和への回帰である。
それはアーリア人的でない゛アジア的な価値観への回帰なのである。
それは日本だけではないアメリカでも起きるし現にグローバル社会への異議を唱えたトランプが勝利したことでもわかる

それよりも世界的にみればインドでも中国でもアジア文明の回帰が起きるのかもしれないその回帰はすでに西欧文明と融合したものでありまた別なものとなって勃興するのである日本でももう経済的発展より文化的な国風文化の再生、ルネサンスの時代となるのであるそれもこれほど西欧文明をとりいれたのだからその上に国風文化が再生するからまた違ったものとなる。

人間は文化といっても大地と一体であり都会のビルの谷間で文化が生まれるかとなるとない、自然を模型として大地を耕すものが文化だかちである。
そこに自分の郷土史とか郷土学も一旦として追求してきたのである。
ゲルマンの森と大地からゴシック建築が生まれたようにその土地と自然と切り離して文化は興隆しないのである。
政治的に右だ左だというより日本の精神性の深さを追求することがあるべきなのである。不思議にアメリカでも歴史が浅いとしても200年くらいの歴史がありホイットマンの時代は実業主義であり農民や職人がたたえられていた。何かそれは江戸時代と通じるものがあるのでまた歴史には世界でも共通なものが常にある、それは外国人も人間だからだとなるホイットマン時代は質実な堅実なものが志向されたのである。だから株でもうけるとかはなかったからそうなっていたのである。
そこでどうしても株のようなものは虚業となり嫌うということはホイットマン時代の復古たともなるのである。 

日本語の詩にするときの弱点は韻をふまないとか冗漫になるとかある、しまりがないのである。英語とかは韻を踏むし整然と言葉が数式のように配置することがあるからしまりがある、日本語にも日本語のいい点はあるが冗漫になるということが欠点である。
ひらがなでもなにか水が流れるようであり英語とかなると石のように固さを感じるのである。それが文化だといえばそうである。
別に詩でなくても英語をしゃべり書くとなると何か日本人は苦手なのは要するにここに書いたような文化とか歴史の相違がありそれが根本的に克服できないのである。
漢字はその点日本の文化と同化したのである。漢字がないとしたらとても深い意味を表現できなかったからである。
ある意味で詩は特にそうだが文化は言葉の格闘になる、言葉の一語一語には深い意味がこめられているからそうなっていたのである。

秋の日の木々(詩)




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2016年10月27日

オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


A君は
有名工科大学の航空科を
優秀な成績で卒業し、
今は有名会社で
飛行機の開発に関わっています。


「エリート?
エリートってどういうこと??
その彼は飛行機が好きで、
飛行機の勉強をし、
飛行機の開発に関わっている。
ただそれだけのこと!
あのね、、この世に
”エリート(=優秀な選ばれた人)”
なんてものは存在しないのよ!!」

オランダの凄いところは
高学歴、高収入の
高い地位にある人たちが、
「人間の価値はみな等しい!」
「誰も偉くなんてない!」
と、熱くなるところです。

オランダの国土は
 ほぼ九州に匹敵・・4分の1は海面下
 堤防がなければ国土の65%が水で覆われる

 そこから独特の平等主義も生まれた
 『堤防の前ではみんな平等』 という思想
 堤防は全員が協力、対処しなければ守れない
 一か所でも決壊すれば国は水没する

 そこでは
 上下関係やヒエラルキー(ピラミッド型の序列)は 『 不要 』

 一般的な日本人のオランダのイメージはといえば、「風車」と「チューリップ」の国ということになるだろう。そして、読書に勤しまれた方などは、かの有名な「ドン・キホーテ」='Don Quixote' の物語を思い出されるだろう。彼の妄想は、「社会の悪」として「巨大な風車」を見立て、従者の「サンチョ・パンサ」とともに戦いを挑んでいったのであった。そもそも、「オランダ」という国は、国全体が海抜ゼロメートルとなっており、別名「ネーデルランド」='Netherland'=「低い土地」とも呼ばれている。この「オランダに行け」を英訳すると「ゴー・トゥ・ホランド」=’Go to Holland' となるわけだけれど、英語で「ゴー・ダッチ」='Go Dutch' と言うと、「割り勘」にしようという意味になるらしいのである。



  オランダの大使館に三年勤務していた人の話を書いたがヨーロッパ全体に適用されるものではないだろう。オランダは特に平等主義になった。それは国の成り立ちからそうなった。つまり全員一致して堤防を作り国を作ったことがその根底にある。
  そこには身分は関係ない、全員が平等で一致して協力しないと国が維持できなかったからである。たからこうした徹底した平等主義かヨーロッパ全体には適用されないだろう  
その人が碁や将棋が得意でありそれだけでもその人は認められる、それは飛行機のパイロットとも同格だとまでなることはヨーロッパの他の国でもないだろう。
日本では何かかえって差別が多い国である。就職だって学歴で差別しているしガテン系は3kとして嫌われている、設計している人はエリートであり現場は劣ったものとして給料も安い、でも現実を見れば建築現場で働く人は危険であり体力もないとできない、そういう職業上の差別がない社会にオランダがなっているということは特殊なのだろう。

日本では侍階級を明治維新でなくしても以前として侍は士族であり平民と戸籍に記され分かれていた。その後も日本は福沢諭吉の学問のすすめなどでかえって学閥とか作り支配階級を作ったりした。それで慶応大学がその学閥が強いのでレイプ事件とかで批判されるようになった。東大閥でもそうである。
「学問のすすめ」は学問で立身出世する手段とすることだったのだから当然だったのである。

オランダが住みやすいというときそういう平等社会は外から入って来た人でも平等だとなると住みやすいので増えすぎて問題を起こすようになった。イスラム系が増えすぎたからそうなった。学校でも人種が混交している。そういう極端な平等主義の弊害も生まれた。
ヨーロッパを理解することは様々な点でむずかしい。たた封建時代があるのはヨーロッパと日本だけでありここが共通しているので理解しやすいということはある。
城が本当に多いのである。騎士がいるということは侍とにている、歴史的に共通性があると外国でも理解しやすい。

オランダが栄えたのは海外貿易でありそれは日本の長崎の出島で交流があった。
蘭学がありヨーロッパの文化技術の窓口となったのだからその歴史は古い。
オランダは商人の国である、だから割り勘という風習が生まれた。合理的精神とか平等主義もそうした商人国家であった所以でもある。商業というとき商人になると相手の身分が高いからというより物の値段が最優先される、身分が通用しない世界である。
それで日本でも大名が商人に借金するようになって経済的に侍階級を維持できなくなったともいわれ明治維新が成功したと分析する人もいる。
芸術でもオランダは写実主義の絵画になったのも物をやりとりする貿易で栄えたからそうなる。空想的なものより写実的になるのである。

オランダがこれだけ平等主義だということは住みやすいだろう。それで移民も受け入れてふえすぎたことがわかる。オランダで安楽死が受け入れられたのも合理的に考える人が多いからだろう。ワークシェアリングとかもやはり合理的に考えそれを実践している。
その根底にはオランダ特有の歴史がありそうなったから他の国ではそれを即実行できるというものではない。

オランダといえばやはり風車である。

さらに風車のすぐれた技術は、造船にも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えます。キンデルダイクののどかな風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、世界遺産に登録されたのです。

晩秋や風車の古りて村一つ

風車というのは古いものがある。何かそれが風格があり威厳があった。それてそれをドンキホーテが悪とみて突撃したというのもそういう面があったのか?
これは実際に見ないと実感しない、それは電車から見たものだったが風格があった。
なかなか実物を見ないと理解できないものがある。その土地に行ってみないとわからないものがある。ヨーロッパは歴史が古いからである。
ただ旅行してもなかなか歴史などわかりにくい、言葉が通じないとか理解できなかった。外国は本当はガイドが必要である。そうでないと深く理解できないのである。
また行きたいが何か旅することも疲れたとなる。旅も相当なエネルギーが必要だったのである。介護十年とかでエネルギーが消耗したのである。
外国を理解することはやはり相当な時間も必要である。物事は一挙に理解できない、徐々に理解を深めてゆくのが人間だからである。
それで最近何かいろろいなことが理解でるようになった。詩もむずかしいものだが理解できる、他でも本でも即座に理解できるのである。
その本を読んだときは理解していない、びっしり線を引いていてもそのことを理解していなかった。今はそういう本でも即座に理解して引用して自分のものにできるのである。





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2016年10月26日

公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話 (外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話


(外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で何かしらの事故が発生した場合、ヨーロッパでは当事者責任になるが、日本では公園の管理者責任になるから、思い切ったことが出来ない。そもそもヨーロッパでは公園が「コミュニティーのコミュニケーションの場」という位置づけであるのに対し、日本では「避難所」という位置づけなんですって。考える根本が違います。


 ヨーロッパの公園は美しい。花や木、芝生、噴水などが調和を持って構成され、周囲の建物とともに一つの都市美を作り上げている。しかし、さらにそのうえに公園の美しさを引き立たせるものは、そこにたむろする人間である。ベンチにすわって何をするともなく周囲を見渡すもの、読書や編み物をするもの、世間話に耽るもの、そうした人間のくつろいだ姿、活動する姿を抜きにして公園や都市の本当の美しさを考えることはできない。その意味でヨーロッパの公園にしろ、都市にしろ本当の美しさを持っていると言えるだろうhttp://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/j-talking/s45-park.htm

近くの公園のブランコに年寄りがいた。最近どんな人だろうかといろいろな人に話しかけて聞いている
その人の驚いたことはオランダの大使館に3年間勤めていたから外国事情に詳しかった。
この辺にもそんな人がいたのかと驚いたのである。

「外国の公園はいいですよ、日本の公園は規制が多いんですよ、芝生に入るなとかなんとかみんな気楽に憩う場所じゃないんですよ、外国ではみんなの生活の場なんですよ、車をとめる所もあるし日本の公園は全然違っているんですよ」
「日本の公園は子供の遊びみたいだけど子供少ないからそんなに遊んでいない」
「それより日本の公園は生活の場ではないんです」
「確かに避難所という役目があり生活の中に日常的にあるわけではないのかな」

そいんなことを話したが公園一つとってもヨーロッパと日本は違っている、同じ公園でも利用の仕方とかどういう目的で作ったのとか違っている。
外国は旅行しただけではほとんどわからない、その人は外国で生活したから外国の文化を肌で知ったのである。

「ヨーロッパで偉いというと牧師と医者しかいなんですよ」
「医者は日本でも一番偉いですから同じだな」
「医者は国で金を払っている、牧師でもです」
「日本では牧師は偉くないです、牧師はヨーロッパでは歴史が長いからそうなっているのか」
「オランダではヨーロッパでは偉いというのは日本で言う偉いとは違う、日本では教育長とか議員とか地位ある人や社長とかなると偉いとなるんですがヨーロッパでは平等意識が強いんですよ、タクシーの運転手でも教師した人などがしていて日本とは違う、例えば日本だと土木とか建築関係の現場の労働者は何か3Kで汚いとか嫌がられる、ヨーロッパではそういうことがないんです、平等意識が徹底しているんですよ」
「ヨーロッパというと貴族がいてその下に庶民がいて貴族と庶民の言葉が違うとか言われるけど」
「貴族がいたとしても少数であり今は平等社会だから平等意識が強い、私の知り合った人にモールという名前の人がいたんです、その意味がモグラだったんです」
「ええ、モグラですか、なぜそんな名前を」
「そのことについて問いただすと差別とかなるんです、何か貴族がいて庶民だんからモールとなづけたのかわかりませんがその名前はじていないんですよ」
「まあ、日本でも江戸時代は日本でも百姓には姓がなく名前だけでしたが・・・」

これも不思議な感じがするけど日本の方が平等のようでもそうではない、無効では学歴というよりどこどこの大学を出たから東大出たからと偉いというけではない、何かそうしたかたがきでその人を評価していない、その人は碁とか将棋が得意でありそれを教えたら評価されて何か必ずもらったという。
外国ではプロフェショナルというとき職業のことであり職業が何かということで判断するのは日本でも一般的に世界でもそうだが何かにプロであることが評価の基準なのである。どこの大学を出たとかは関係ないと言っていた。

それから日々の生活でもいろいろ日本とは違っているがそれはそこに住んで見なければわからないのである。

「隣に住んでいる人にあいさつしないで怒られたんです」
「あいさつは今日本ではしないですが」
「向こうでは必ず挨拶するんですよ」
「なぜしないは怒られるかというと教育上良くないからです、子供に影響するからです」「旅行しているとそういうことはないですが」
「旅行しているのと住んでみるのとでは全然違うんですよ」
「学校でも先生が気に入らないと生徒が学校に行かなくなって先生がやめさせられたことがあるんです」
「先生がですか・・・これも先生と教えられるものとの平等意識からそうなった」

自分もヨーロッパは旅行したけど表面的なものでありその国の事情とか文化とかはわかりにくい。文化は外国になると日常の仔細な所にある。そこから文化を考える。
つまり文化とは日常の生活にある、それが旅行者には経験できないのである。
先生と生徒も平等である、でも先生が気にいらないと生徒にやめさせられるというのは意外である。それほど社会全般に平等意識がある証拠でもある。

「これもしかられたのですが、車から女房をおろすとき、自分がドアをあけなかったんです、そしたらしかられたんです」
「レディファーストが厳しいから」
「それもあります、でもヨーロッパでは夫婦同伴になっているのは夫しか男性が財布をもっていて金は男性がもっているから女性は夫なしで外出できないんですよ、女性は自由に金を使いないんですよ」
「ええ、そうかな、ヨーロッパの女性は男女同権の国だからそんなことあるのか」
「女性に対する見方でも対処の仕方でも違っているんですよ」
「日本だと妻が財布をにぎっていて小遣いをわたされるている、日本だと妻の方が力が強いとなりますが」

なかなかこうしたことでもそこに住んでみないとわからないことが多いのである。
住んで体験しないとわからないことが世界には多いのである。それは本で読んでもなかなかわからないのである。
体験した人がそういうことがわかるのはそこで生活するから生活の中で外国の中にとけこまなければならないからそうなる。「郷に入っては郷に従い」となる。
だから外国で生活することは身をもって外国を生活の中で知ることになる。
おそらくレディファ-ストというのは女性を第一にするというより女性を守るということを第一にしている。
金が男性がもっているというとき金をもってなければ女性一人では外出もできない、一見女性優位のようにみえて女性を男性が守るという前提でレディファーストがある。金さえもっていないということは男性が経済的にも女性を守るということになる
女性はかえっていつも男性に守られている守らねばならないとなり受け身の存在だともなる。
日本人はかえって女性が妻が財布を握っているということは女性の自主性を認めているという結果になる
こういうことも何か外国はわかりにくいのである。実際そこで生活してみないとわからないのである。

その人がまたしきりに言っていたことは働き方である。

「私が残業していたとき最初はわからなかったのですが残業代もらっていたんです
でもあとから陰口があったんです、そもそもヨーロッパでは残業しないですよ
残業する人は能力がないとみなされているんです」
「ええ、どうして」
「ヨーロッパでは時間内に仕事をこなすことが普通なんです、それができないで残業する人は能力がないとみなされるんです」
「今日本人の働きすぎとか過労死とか批判されています、日本人は働き方が能率的でない、それで休みも少ない、つまりもっと能率的に働いて休みを多くとればいいんですよ」
「ヨーロッパでは一カ月の有給休暇がとれる、そのために金が支払われんですよ、でもそのために何で使った、何で遊んだかなど領収書などを示して払われんですよ」
「ちゃんと遊びをしたことを示さないといけないわけですか」

何か日本人の働き方は外国からすると違っているから理解するのがむずかしいのである。

「日本の労働時間は長いと言うけれど、喫煙休憩やトイレ休憩、隠れた私用電話の時間やお昼休憩などを除いた実質の労働時間は5−6時間なんじゃないの?要領が悪いよね。」(Daniel Sullivanさん)

「日本人は自分から進んで残業しているのだと思う。本当に早く帰りたいと思うなら、だらだらとエクセルしたり、意味のない会議に出席しなければいいんだよ。それでも忙しくて帰れないっていうんだったら同情の余地があるけど、実際は違うよね。」(Saxon Saluteさん)

それからカジノのことを言っていた。

「ヨーロッパのカジノは別に金持ちでなくても入れるんですよ、クラスがあって金がない人は少額の金をかけて遊んでいる、それが次の段階がありまたもっと金がある人は次の段階がありと分かれているですよ」
「金のあるなしでクラス分けする、それで金がない人でも遊べる」
「カジノはギャンブルするところだけじゃない、食事もできるし社交場にもなる、金持ちだけのものじゃないんです」

何かいろいろとカジノでも大金持ちがしているようでも貧乏人も少額の金をかけている、そういう場が用意されている、カジノは金持ちだけの場にはしていない。
ギャンブルでもヨーロッパではパチンコのように長くはしていない、ちょっとやっては帰ってゆくという。

「ヨーロッパで車を買うと高い、一千万もしますよ」
「自分は安いの使っていましたが苦労しました」
「そんなに高いんですか、トヨタは世界で売れている、でもそんな高いとなると買えないのでは」
「ヨーロッパでは平均的な暮らしは15万くらいですよ、ヨーロッパでは無駄なものは買わない暮らしです」

一千万というのは誇張だろう,それはずっと前の話かもしれない、でもヨーロッパはそれほど豊かな社会ではなくなっている、日本人の方が贅沢している面が今ではある。
そういう暮らしはちょっと旅行しただけではわからないのである。
いづれにしろこんな田舎にオランダの大使館に勤めた人がいるとは思わなかった。
今は田舎ですら国際化しているともいえる。広域社会でありグローバル社会なのである。それが否が応にもそうなっているのである。ただそういう人は本当にめずらしい。
これも郷土史の人として取り上げると興味深いとなる。
郷土史となるとどちからかというと田舎では一次産業の人が郷土史にふさわしいとなる。だからその中心は農民になるが現代はこのように農民のしめる割合は一割とは極めて少ないのである。では他の人は何をしている人なのか?
こういう人もいたということが驚きだったのである。

オランダというときオランダから割り勘が生れたように商業の国でありもともと階級とかの縛りがない自由の国だった。商人の国という国柄もあった。だから合理的なものがありそれがオランダの文化となった。
ヨーロッパなどではパーティが開かれるけどそこに呼ばれたり相当に親しいものとみられる、家族のように親しいものとみられるという。
だから簡単にはパーティには招かれないという、何かヨーロッパでは親しくなるときは兄弟のように親しくなる、家に来て勝手に冷蔵庫を開けたりするという。
家族の一員のようになるというのも日本とは違った慣習なのか、親しくなるということはそれだけ仲間意識を強くもつということにもなる、それは日本でも同じだがヨーロッパだと友達というとき家族のようになっている親しい関係なのである。
ともかく外国を理解することはこのように住んでなみないと実感としてわからないということがある、ただ人間は何でも体験がものをいう。
それ60以後の体験談は興味深い、つまり人生でなにかしら自分とは違った体験しているから興味深いとなるのだ。
ただこの辺でオランダの大使館に勤めていたとなるとなかなかいないだろう。
都会だったらグローバル社会だからいるがこのような田舎ではめずらしいのである。
いろいな人に話しを聞くということも郷土史の一ページとしてある。
いろいろの多様な人がいることで人間も面白いとなる。田舎だとどうしてもそうした国際性ある人は少ないのである。




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2016年10月18日

文化が育成される場所 (土着する場と外部との交流がある場所)


文化が育成される場所


(土着する場と外部との交流がある場所)


一つの民族をそれぞれの氏族および身分の中で有機的に組織だてこれらを一定の狭い郷土に永住させること、すなわち高度の土着が必要である。

何らの異系支配も行われず永い間同系内で交配された種族、あるいは民族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない
スパルタなどがそうである。
ところがこれらの種族が開港都市など占領したり、貿易の目的でその中に入り込んだり、彼らに適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年か後に全く突然に天才が輩出する。
(天才の心理学ークレッチュマー)


文化はculture-cultivateであり耕す場がそもそもないと育成されない、歴史をふりかえっても奈良時代に文化が華咲いたというときそこは狭い場所である。
土着的なものが養われた場所である。それは万葉集に結晶した。
一方で中国と唐と交流があったときであり外国の文化をとりいれたことにより文化が華咲く場所となった。最近平城宮の役人にイラン人がいたとか木簡に名前が発見され話題になった。奈良は国際都市の様相を帯びていたのである。
つまり日本の土着的なものと唐の文化が混交して文化が華開いたのである。

土着的な場をもたないと文化は華開かない、それはなぜなのか?
土着するということは自然と深くアイディンティティ化することである。
人間の霊感は自然から受けるからである。
だから海には海の文化が生まれ山に山の文化が生まれる
日本にないのは川の文化である。大陸では長い大きな川がどこでもありそれは運河にもなり交通路になっていたのである。
インドのヒンズー教がガンジス川から生まれというときもそうであり中国でも黄河や揚子江から生まれエジプト文明はナイル川から生まれドイツの文化は父なるライン川から生まれたとかなる。

ドイツをみるとドイツの文化が音楽と哲学とか思索とかに優れているのはなぜか?
それは北方的風土であり暗いゲルマンの森であり霧が多い暗い風土にある。
それがゴシックの教会となり荘重な深い哲学と音楽が生まれた風土なのである。
プロテスタントになるのもそういう北方の風土の影響なのである。
人種的アングロサクソンとかゲルマンとなり体格が良くて背が高い、でもローマとか南方系が背が低いとかあり人種的にかなり異なっていたのである。

日本の文化も縄文人がいて外来の弥生人と交配して作られたのだから日本は島国でも外国との交わりはありそれで文化は形成されてきた。
ただヨーロッパの強みは様々な人種でも文化でも交配して交わってきたことである。
ヨーロッパに都市が一つの国となり栄えた、フィレンツのように都市国家が形成されたのもそのためである。都市国家とは外来のものと土着的なものとが一体化した社会である。そういう都市国家ができたのは川が交通路になり貿易が行われ人の交流があったからとなるヨーロッパの多様性が多くの天才を輩出したのである。

経済力は、新植民地の成長によって力をつけていきました。商業と貿易は、主要ルート、地理的位置と水路のおかげで繁栄しました。ピサから戻った商人たちによって、東方の商人や、イリス神話、2世紀はキリスト教について伝えられもしました。

そもそもヨーロッパは実際は世界の辺境であった。文明が最初に生まれたのはユーフラテス川のメソホタミアでありここが最古の文明でありエジプト文明があった。
そしてイスラム文明が起こり科学とか数学でも代数学とかはイスラム文明からヨーロッパに入ってきたのである。その前は紙でも羅針盤でも火薬など技術は中国などから入ってきた。その時ヨーロッパは先進国ではなかったのである。
ヨーロッパ文明はそういう回りの先進文化を吸収して発展したのである。
異種交配が文化を生むというのは世界史的にもそうなのである。
同じ系統のものが交配をくりかえして同じ所にいれば文化でも経済でも停滞してくる
一方で同じ場所で自然との深い交流がありアイディンティティを作ってゆく場所がなければ文化は生まれないのである。
日本のアイディンティティが奈良とか大阪京都で作られてきたのはそのためである。

現代の問題がグローバル化社会というとき外部に拡散する社会である。
でも欠けているのが内部への土着性なのである。どこでも土着的なものが失われて地方が経済的にも文化的にも衰退しているのである。
だからこうしたグローバル経済の反動はして里山資本主義とかなんとか地方に根ざすことも志向されてゆく、東京は土着性が全くない、ただ肥大化した経済のみがある場所であるそこからは文化は生まれないのである。奈良とか京都ととなるとそこにはまだ日本的土着性があり文化が生まれたのである。

現代は日本でも明治以降強圧的な中央集権となり地方がないがしろにされた。
封建時代の方が城があり独自の地域の文化を形成してきたのである。
だから江戸時代は見直されるべき時代なのである。
300年の鎖国時代でもそこに日本的土着性が養われていたからである。
それで明治維新が成功したのはそういう基盤があり近代化にそれほど抵抗がなく移れたという説もある。鎖国であっても外国の文化をとりいれる素地をもっていたとなる
明治というとき日本的土着的なものが強く残存していたからその時文化が華開いたとなるその後は日本の土着性が失われて文化が衰退して戦争になり疲弊してまた戦後は高度成長などで経済的には復興したが停滞するようになった。
その間に地方の土着性は失われ地方は衰退したのである。
その象徴としてこの辺で原発事故が起きたともなる

まず文化というとき土着性がないと生まれない、詩にしても絵にしても芸術となるとそうである。ヘルダーリンの詩はドイツという国の土着性2から生まれていた。
それが愛国心の高揚にもなっていた。そういう土着性が喪失してゆくのを嘆いたのが後のシュヘングラーとかニーチエとかである。それは世界的なものであるが土着性が失われ文化を失われることを嘆いたのである。
グローバル経済とか多国籍企業社会は車であれカメラであれ一部品を作るのであり文化は総体的なものトータルにかかわるものだからそれが文化の普及にはならない
でもコンピュターとかデジタルカメラとかは新しい文化を生んだことは言える
自分がしているソフトに変化させる抽象画がそうだった。それは新しい文化の創造でもあったからである。インターネットから生まれた文化創造だとは言える

ともかく旅行して面白いのはヨーロッパにあるが歴史が複雑であり錯綜しているからもっと歴史がわかればもっと興味深いものとなる、それは一度くらい行っても理解できないとなる。ただ地理的にフィレンツとピサまで電車で一時間くらいで行ったようだから距離的に近いなと感じる、それでまず歴史の理解が地理にあるということなのである。
旅をして現地を実際踏めばその地理が具体的に五感でわかるから理解が深まるのである。いづれにしろ場所から生まれる場所の精神がある。
日本でもその場所を神聖化したのが社であり鎮守の杜なのである。

私は、人間というものを理解する上で、民族というものを理解する上で、或いは文化というものを理解する上で、「場所」とか「風土」というものが 何よりも大切であると考えている。この場合、人びとにとって、実際的には、その場所を理解するといっても容易ではなく、何はともあれそこに行くこと、そこ で楽しむこと、そこで実際に人々や歴史や自然と響き合うことである

共同体や無意識は、固有環境とちがって、ふつういう意味での空間的な場所を形づくるものではない。が、それらは、意識的自我がそこにおいて成り立 つ場あるいは場所を形づくっている。つまり、共同体、無意識、固有環境のいずれにもいえることは、それらが人間的自己にとって、基体としての場所、場所 (基体) だということである。

つまり人間はアイディンティティを作る場所がないとき根なし草になり文化のないただ経済だけの産業だけの労働機械になる。グローバル経済とか多国籍企業社会もそうである。現代人はすでに金ゝ物ゝ人という関係になっている。マルクスもまたそうした人間が人間でなくなるということを経済的に理論化したものだったのである。
その底辺は人間の危機を訴えた現代のアウトサイダーの思想家と一致するのである。
全然違ったように見えても同じものが底辺にある

日本でも物(もの)はものが憑くとか物心とかもの思うとかものは心と一体のものとしてとらえていたのである。ものと心は分離してはならないものだったのである。
それは例えば医療でも心と物は分離しているのである。
医者が薬を飲ませるとき看護師でもいいが何かこの薬を飲むと良くなりますよはいうときその人の病気が直ってほしいとか何かその人に対して愛の心をもたないとその薬に物も生きてこないのかもしれない、食べ物でも人に与えるときこれ食べると体にいいですよというときそこに心を込めて与えると本当に体に良いと感じる
ところが現代はそうした家族的関係から離れた金ゝ物ゝ人になっているからそうして物と心は分離しているのである。
地球の裏側から物が食べ物でも入ってきても物だけが入ってきて心がそれに感じることができないのである。

病院でも高価な最新式の機械が備えている、でもその機械は冷たいものでありその道具にも心が入らないと活きてこないものかもしれない、今では機械がコンピュターが人間の病気を診断するとまでなる、でも機械とかコンピュターには人間の心がないのである。
コンピュターを利用するにしても人間の心は機械化したりコンピュター化できないのである。現代ではそうして物と心の分離があり病院はもう人間をみる所ではない、人間が物としてみられてかたづけられる場所である。病院で死んでもその死者は物であり供養もない、早くかたづけて下さいしかない冷たい場所なのである。
そして金の計算だけしている冷酷な場所だともなる。それは現代社会全般的に言えることである。金がすべてだというときそうであり人間の価値はすべて金で計られものとなっているからだ。
だからそううい経済がグローバル経済は何か限界にきている、非人間的なものとなっている、何か世界的に無理があるかこらこそもう資本主義は限界だ機能しないとか盛んに言われるようになった。極端な格差社会を作りだしことでもそうである。


タグ:土着の思想
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2016年07月25日

天候は昔から予測することが経験則でできていた (郷土史はその土地の風土の研究でもある)


天候は昔から予測することが経験則でできていた


(郷土史はその土地の風土の研究でもある)

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昨日の虹が予見できたのはやはりその土地に長く住んでいて何回も経験しているからである。その土地土地のことはなかなか長く住んでいないとわからない
良く農家の人とか漁師の人が天候についての諺がある。

雨が降った後に虹がでると翌日晴れ。
夕虹は晴れる。
朝虹は雨

虹だとこれはだいたいあっている。虹は雨と関係している、英語ではrainbowだからである。雨と弓なりになるというのはまさに雨の時虹がかかるからだ。形としては弓である。日本語でも虹(にじ)はにじむだから雨ににじむとなる。雨と関係している

こういうことは経験則であり諺でも科学的でありあたっている

諺でもそれは長い人生経験の中で残された経験則から生れたのである。だからみんな今でも同じようなことを経験してその諺の重みをしる。「金の切れ目が縁の切れ目」とか「損して得しろ」「あわてる乞食はもらいが少ない」とか無数にあるけど最近世間的なことで苦しんだのでつくづく自分もそうだなと思って感心した。
時代が変わっても人間自体が変わらない、その欲も変わらないから経験則から生れた諺もすたれないのである。

虹ができることも今は科学的に説明される、天気予報がない時代はみんなこうした経験則から生れた諺とかに頼っていた。
するとそういう経験を積んだ年寄りがそういうことを経験しているから下のものに教えると尊敬されるとなる。
一方で科学時代はなんでも科学者が教えるから年寄りの知恵は尊重されないのである。
でもその地域地域にはその土地の風土がありそれはなかなか長く住んでいないとわからない。
この辺で海から東風(コチ)が吹くのは3月ころである。その時春になることを知るのである。そして原発事故では3月11日に爆発が起こり東風がちょうど吹いたのが不運であり飯館村から福島市とかまで放射性物質が運ばれたのである。
その頃は東風が吹いてもすぐにまた北風とか西風に変わる時期でもある
だから浜通りでは海側に放射性物質が北風などで流された放射線量は高くならなかったのである。

ともかく虹がたつということは予測できるのである。ただ前日にはむずかしいだろう。
雨が多少でもふり東に雲があり山に沈む太陽の光によって虹ができる。
昨日も太陽が山際に落ちてゆき雲の間から陽がさしたとき東側側も曇っていて多少雨がふったから虹がでると直感した。
それは何度も経験していたからである。ここの地域ではそうなるということはこの土地の経験則というのができあがる、それが風土だとなる。
天気は狭い範囲でも違っている。この辺だったらまず飯館村は標高が高いから海に面した地域とは相当に違っている。
その地域地域の風土がありそこから作られる歴史もある。

なぜあれほどマヤとかの文明でも天文学が発達したのか?それは天候を予測するということが文明の始まりになるからだろう。それは結局科学だったのである。
天候を予測することで支配者が力をもったとなる。ただその時は科学者というのではなくシャーマンとかになっていた。
なぜ僧侶がこれだけ歴史で力をもったかというとやはり科学が発達しないと頼るものがないと宗教に頼るほかなかった。

里山伏は、地域社会の人々から法印様・別当様・山伏様などと呼ばれ、民間信仰の中で指導的役割を果たしてきた。一派引導の例に見られる如く山伏自身の葬祭を執行する場合もあるが、一般に現世利益的領域においてその力を発揮し、治病や除災などは里山伏が一手に引き受けてきたと称しても過言ではない

何かこういう人たちも特に病気のための加持祈祷とかにかかわり医者代わりであった。
だから一部落に必ず一人はいるから多いと思う、それだけ需要があったからだとせなる。こういう人はまた農民にもかかわり天候のことなどでも教えていたのかもしれない
干ばつとか水不足のときなど雨乞いなどしたのだろう。

天候にしても今は百年くらいの膨大な蓄積がある。だから数値的に割り出して予測できる今年の天候は何年の年ににているからこうなると予測できるのである。
今年は梅雨のあとに暑くなるのはある年とにていると資料でわかったから言っている。

ただ郷土史という観点からするとその狭い範囲内で起きる天候でも自然現象がある。
風の吹き方が土地土地によって異なるから風土となった。土にしても同じ地域でも土が違っていてそれに見合った作物をとるというのがある。
そういう風土の相違から実際は文化が生れる、なぜならculture(文化)はcultivateでありその土地土地の適正を見いだして耕すということだからである。

郷土史というときこうした風土も関係しているから広範囲の探求となる。
今回の津波でも原発事故でも郷土史がクローズアップされた。
400年前にこの辺にも大きな津波があり被害があったことが取り上げられて探求した。
しかし400年前となると忘れられていて津波は来ないとこの辺ではなっていた。
400年となるととても虹を予測するような経験則があてはまらなくなったのである。
ただ自然のスケールは広さでも時間でも大きい、そのスケールの大きさに人間は合わせられずに津波のようなものを予測できなかったことが悲劇を生んだのである。

とにかく自分は風土と文明ということが一体であり興味がある。だから和辻哲郎の風土は興味をもった、というより旅をしたから地理に興味をもったとなる。地理を知ることが学問の基礎にあることは確かなのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅで風土も天候も違うからである。まず会津と浜通りでは全く違っているからである。
要するに風土からして根本的に違っているということは福島県というとき一体性が文化的にももていないとういことなのである。
ただ奇妙なのは浜通りから東風が吹いて飯館村から福島市、郡山市などまで放射性物質の影響があったとき
福島県はやはり風土的に一体なのかと感じたのも不思議だったのである。
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2016年06月22日

歴史文化を喪失させた廃藩置県 (東京からみちのくへ帰る旅)


歴史文化を喪失させた廃藩置県


(東京からみちのくへ帰る旅)


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東京の思い出というと四年間大学にいたとしても神奈川県であり離れていたからほとんどない、でも旅では必ずよる

東京駅皇居によれば日の本の国をし思ふ秋晴れの日

輝やきて銀杏の散りぬ東京駅明治の世より古りにけるかも

皇居があればそうなる。東京駅から皇居へと日本の中心だと考える
でも東京から昔を偲べないのはなぜなのかとなる、人間は何か過去でも残っていないと昔を偲べない、だから建物が城でも残っていれば偲べるのである。
そもそも地方だと城が今でも中心としてある。熊本城が地震で破壊されたときなんとか復興しようとする、それは城が以前として街の中心として象徴化しているからである。
それは歴史の継続なのである。会津でも城が中心であり大阪だって大坂城がありあの城跡の石垣に当時を偲べる
江戸城となると確かにその跡があっても日本の中心としてあった江戸城から当時を偲べる感覚にならない。他にも大名屋敷があったがそれも何もなくなった。
大名屋敷の広さは甲子園なみだったというとき驚く、それだけ広い場所があったというだけでも驚くだろう。テレビで見ていても実感できないのである。
歴史を偲ぶというとき何か偲ぶものがないとできない、その点京都には歴史を偲ぶものが残っているから違っている

明治維新というのが今見直されているのは無理がありそれが弊害を生んだのである。
そう強いられたということもあるが天皇は大事でもあれほど持ち上げたこともそうである天皇制と民主主義となると合わないのである。忠君愛国となると天皇が親であり民はその子でありとなる、それは民主主義とは相反したものだからである。
そうした無理をした矛盾が太平洋戦争であれひきづっていたのである。
それを一番象徴していたのが廃藩置県なのである。
これはもともとあった藩を廃止して武士をなくして平民として国を国民国家にした。
そこで昔から培った歴史の継続が失われたのである。
江戸時代の300年は日本の歴史が培われた時代でありそれを一挙に廃止したことが今でも弊害となっている。

人間がアイディンティティをもつとき今のような県単位ではない、もっと小さな範囲で自然であれ歴史でもアイディンティティをもつのである。
福島県でもハマ、ナカ、アイヅとありこれは天候も風土も歴史も違っている
まず会津となると浜通りからすれば全く違った風土であり山国であり雪もふるからアイディンティティが違っている、会津から形成されるアイディンティティは会津らしいものとなる、福島県は会津県と二本松県と磐城県とかになっていた
それはどこでも藩の延長として県を考えていたのである。それが無理して福島県に統一された。そこで歴史の継続とか風土を地理を無視した大きな県となってしまったのである。そもそもなぜ福島県なのか?福島がとをして出てきたのかもその歴史をたどっても定かではない、そのこと自体が福島県という名になじめないことが一体感をもてないものになっている。
それは他でもそうである。茨城県の由来は

茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。また、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があり、この故事にちなむ茨城(うばらき)という地名がみられる。

これは中央から大和政権の蝦夷征服から名付けられた、これも違和感がある。こうした名前は差別的にも思えるし地元からすると嫌だともなる
むしろ常陸国というのがありそれがふさわしいとなる。
それより東京圏は関東であり鎌倉時代から作られた所である。東京というのは鎌倉時代には湿地帯である。このことも歴史を錯覚させている。鎌倉というと狭い領域だからである江戸というとその百倍とか広くなり人口も増えたからである。
鎌倉時代が実際は歴史の基盤を造ったのであり陸奥にしてもそうである。
陸奥の子孫はたいがい鎌倉から移住した武士の子孫である。相馬市でも千葉氏から分かれたものでありか鎌倉時代から継続されている、南相馬市の鹿島区の岩松氏は鎌倉から出ていてその由来がはっきりしいる、それが相馬地方の最初の支配者だったのである。
それは東北では鎌倉から各地に移住した人たちがその子孫になっている。

そして江戸時代には関八州というのがあり群馬とか栃木県とかもその中に入っていたのか、常陸国も一部はその中に入っていた。地理的にも歴史的にも関八州は一つの領域としてあった。そこには天領が多いというとき東京の回りには城がないのもそのためである。
小田原城は北条氏の城であり関八州とは違う。茨城県に笠間藩はある。
でも福島県になると城が大きな城があるから違っている

関八州家紋

上野=群馬
下野=栃木
常陸=茨城
武蔵=東京
下総・上総・安房=千葉
相模=神奈川


@取手市・つくばみらい市・常総市付近は旧下総国です。

A神奈川県では川崎市全域と、横浜市の戸塚・泉・瀬谷・栄の各区および港南区の西半分を除いた地域は旧武蔵国です。

AB埼玉県は全域が旧武蔵国です。

雉子鳴くや関八州を一呑に 小林一茶 



関八州というと感覚的に江戸時代には庶民にもあったということである。
つまりみちのくと陸奥国と境を分けるのは関八州である。みちのくというときそれは関八州を離れた地域であり白河の関がそうである。
それで芭蕉の時代でもそうであり白河からがみちのくへの旅だったのである。

ともかく県単位でイメージできないというときそれは廃藩置県の無理した区分が行政がそうさせた。それはイスラム、中東の世界がヨーロッパの強国によって国境を無理やりつくられたのとにている。藩単位で城が中心としてあった歴史が廃藩置県で喪失した。
福島県などは特に地理的にも歴史的にも一体感がない、会津は会津としてあればわかりやすいのである。
第一人間がアイディンティティをもつというとき余り広い範囲になるともちにくいのである。ちょうど相馬藩くらいの広さがいい、この範囲は自転車で行ける範囲だからである。それでも実際にその地形は複雑であり魅力がある。だからあきないということがある。
その中でアイディンティティを作るということで詩にしたのである。
会津となると別な国なのである。それは古代からそうだった。

 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

古代から会津は一つの国としてあった。国と出ている所は万葉集でも少ないだろう。会津はそれだけ国として成り立った歴史が古いのである。

いづれにしろ明治維新の負の部分も大きかった。それが今になって見直されているのである。太平洋戦争までは明治維新の継続であり太平洋戦争に負けた結果として明治維新が見直されるようになったのである。
明治維新からここ140年間とか過ぎれば歴史が見直される、これは西欧化でありアメリカ化が極端にすすられた時代である。その反発として太平洋戦争があった。
それは奈良時代に唐風文化が席巻したとにている。次ぎに平安時代が国風文化になった。つまり次の時代は国風文化の時代なのである。日本の歴史と伝統が見直され新しい時代を再構築するのである。新しい日本文明を作る時代なのである。
それは日本のアイディンティティを作る基盤が必要である。それが東京にはない、経済力や工業力があっても自然がないから文化が生れない、耕すべき大地もないから文化が生れない、像で考えろと言ってもその肝心の像とすべき自然がない、毎日高層ビルを見上げているだけでは文化は生れないのである。
それは戦前からの国家主義ではない、まず日本文明のアイディンティティを作り直すことである。それは東京ではできない、それぞれの地方からはじまるのである。
日本の教育が実は各地の藩校で行われていた言うとき東京中心ではない、明治維新の時に無理やりに東京中心の中央集権が行われた、標準語も普及したのである。
その時すでに各地の歴史とか文化も失われていった。それは欧米とかに対抗するためにそうなった。

だから歴史を文化を見直すというときまず各地の藩があり城がありそこをアイディンティティ化して次ぎに更に広い範囲に拡張する、それは県とかになるが県は無理して作られたからどうしてもアイディンティティが持ちにくい、それからさらに古代の国へ拡張する、東北だったら陸奥がみちのくがそうなる、それは関八州の領域とは区別されるのである。大和にしてももともと奈良であり奈良の風土があり形成された
それが象徴されているのが

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

こういうふうに美しい場所が故郷、国のまほろばなのである。それが東京のようになったらありえないのである。高層ビルに囲まれていたらありえないのである。
東京はなにか怪物的であり巨大な胃袋になっている。物質的なものしかないのである。
そこでアイディンティティを作ろうとしてもその基盤がないのである。
だから東京はその歴史と風土から形成されたものが失われているからそこから国家主義に飛躍する。文化がなくて中央の権力が肥大化する。時代をふりかえれば奈良であれ平安であれ鎌倉時代であれ文化を作ってきた。国家というときそういう文化があって国家なので国が誇るべきはアイディンティティは軍事力や経済力ではない、それが必要であっても時代が過ぎれば文化がその時代の成果であったことがわかる。

言葉が文化というときアメリカなどは英語でありもともとはイギリスから派生したものである。確かにアメリカ英語となり違っているが基本的にはイギリスの文化である。
アメリカはモンゴルとにている、軍事力があり技術力はある、でも文化がない、モンゴルは拡大するだけだった。そこに人種も関係なく人材を東洋した世界国家である。
でも文化は形成されない、ただ拡大するだけだった。それはアメリカとにているのだ。
それは一過性で終わった。ローマとも違っている、ローマには文化があったからその文化が継承されている。第一英語の基はゲルマンでありドイツ語である。そしたらその文化の影響を確実に受けているのである。
もちろん日本も漢字の影響が大きいけど純日本の大和言葉は失っていないのである。


ともかく上野駅から常磐線でみちのくへ向かう、その電車にのってみちのくへ行くという感覚は秋の日だった。大都会から離れまだ家が多いが地平に夕日が輝き沈んでゆく、その時東京の雑踏から解放された気分になる。
そして淋しさを感じみちのくへ帰るのである。その光景は心に残っている、秋にふさわしいのがみちのくだともなる、季節によってその感じ方は違っている
芭蕉は春にみちのくに向かった、その道のりは遠かった。
東北についてもやはり新たな歴史の継続としてアイディンティティを作る時代である。
それは古代から継続した風土から歴史から作られるのである。

上野駅い出で広がる地平かな秋の夕日の輝き没るかも

タグ:廃藩置県
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2016年06月08日

建築史から見た文明史(1) (建築も人間の精神性を追求した)


建築史から見た文明史(1)


(建築も人間の精神性を追求した)



文明とは何かといったらこの定義そのものがむずかしい、いろいろな見方があるとしてわかりやすいのは建築から見ることである。
それじシュヘングラーは「西欧の没落」は建築史だったのである。
建築史としてその発展は頂点に達して西欧は没落するとした。
確かに建築の面で何か現代では新しいものが生れない、現代建築はかえって過去の建築と比べると荘厳さとか精神性に欠けているのである。
そのために「西欧の没落」が意識されたのである。

現代とは資本主義であり経済だけが世界を席巻している社会である。だからどこでも世界は一様化して文化というのが衰退した。どこの都市でも同じような建築しか見られない
高層ビルでありそれはビジネスのための機能性だけを追求したものである。
要するに現代は精神なき経済に蹂躙されてしまった世界である。
ただ求めているのは狂気のように金だけだとなる、それは庶民でもそうであり金しか価値観をもてない世界である。

建築史から見ればいかに過去の建築が精神性があったかとなる
もちろん建築の基は実用性であり機能性である。それに加えて装飾性が追求される
縄文時代の土器でも木の実を貯えるということから発展してあれだけの装飾が生れた。
茶碗でもそもそも実用性がありやがて茶道として茶碗が芸術化したのである。
日本の茶道の茶碗は多様であり今でも地域のお土産は茶碗だとその土地のものだと感じて窯元を旅の時訪ねたのである。

岩倉使節団の一員として1871年末から73年秋にかけて欧米諸国を歴訪した久米邦武(1839–1931)が、その記録『米欧回覧実記』の中で、シヴィル・エンジニアリングと思われる語を「『シヴィル』器械」と記したことを取り上げ、近代日本の黎明期においてこの言葉を日本人が理解することの困難さを指摘した(5)。確かにここで併記さ
れている「革、靴、衣裳、家什、石鹸、蠟燭、工匠農工具、紐服飾ノ工、金銀銅器ノ細
工、印書製本ノ業、及ヒ麦粉」に比して、「『シヴィル』器械」からは何らかの実体をもつ事物を連想することはできず、久米にとって、エンジニアリングと結び付いた場合のシヴィルの意味内容が理解の範囲を超えていたことが窺える(6)

シビルエンジニアリングの概念と翻訳


文明というとき西欧文明に日本人が何を意識したかというと様々な道具や物や機械を意識した。これは職人的な見方だったのである。
ところがシビルエンジニア (Civil engineer)のcivilに注目していなかった。
そもそも文明とはcivilzationなのである。civilが中心なのである。
そして西欧の文明はキリスト教文明ということもほとんど関心がなかった。
でもヨーロッパに行けばいたるところが荘厳な教会が街の中心にある。
キリスト教文明だからそうなっている、イスラムだったらモスクが中心になる。
日本人は西欧文明というとき宗教には目を向けず実用的なものに目を向けて文明開化したのである。それは今日まで継続しているのである。
精神性がキリスト教という宗教が文明という視点が欠如しているのである。

その点日本だとかえって仏教文明とも言える時代を作っていてそこには貴族文化だという批判もあるが建築史の面から見れば精神性を追求しているのである。
奈良時代でも平安時代でも仏教建築が興隆していてそこには精神性がある。
仏像にしても偶像であるがそこに精神性を見ればそうはならない、形となった精神が仏像にはある、建築にもある、だから奈良の大仏は鎮護国家の象徴として作られその後も仏教文化が興隆したのである。
技術は仏教文明としての精神性の追求をしていたのである。

古墳は最初に日本人が共同して作り上げたものとしての意義はあるとしてもそこに何かの精神性を感じるだろうか?ただ土を盛っただけではないかともなる
まだ日本人の精神性は育まれていない、日本人の共同性は育まれたが精神性は育まれていない、それでものたりないのである。ただ大きいだけでは精神性はもちえないからだ。

ただ伊勢神宮となるとその建築に精神性をもつようになったのである。


ブルーノ・タウトによれば、日本文化の本質は、「簡潔」、「明確」、「清純」
にあり、その典型例として「桂離宮は伊勢の外宮と共に、
日本建築が生んだ世界標準の作品と称してさしつかえない」と絶賛した。

桂離宮と対照的にブルーノ・タウトが、日光東照宮について、「いかもの」であって、
「華麗だが退屈」、 「珍奇な骨董品の感じ」と非難した上で、
「建築の堕落の極致」と酷評したことはよく知られている。


日本人はもともと華美なものを嫌っていた。だから装飾がない、伊勢神宮がそれを象徴していた。簡素、質素、清楚がそこに如実に現れている
それは万葉集にある精神でもあり神道に通じているのである。
白砂の庭を下駄をはき神主が歩む、そこは神の庭なるが故に静謐であり乱されてはならない、清浄の領域であり神域なのである。

豊国の 企救の浜辺の 真砂土 真直にしあらば 何か嘆かむ 

この歌に象徴されているように素直とか直しとかの言葉は自然に融合すに調和する大和言葉なのである。
日本の古代となるとその自然は今と比べようがないほど美しかった。その光景を見たらこの自然を汚してはならないという自然そのものが神域のように見えたのである。
日本という美しい自然の中に生きることがあればその中に真直(まなお)にあれば何も嘆くことはないとなっていたのである。
だから東照宮は装飾華美であり日本の伝統とか文化とは違ったものである。
それは権力者のものであり日本の歴史伝統とはまた違ったものである。
第一徳川家康を神とすること自体がまちがっている、あくまでも一人の権力者でありそこにお参りするような場所ではない、日本は自然が特別に美しいから自然そのものか神になった。神ながらの道とは自然と共にあることなのである。

いづれにしろ建築史から見ると奈良から平安から鎌倉から武士の時代でも城でもそこに日本人の精神が現れているのである。建築に精神性がある。
だから奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代を建築史から見るとわかりやすいのである。その時代の精神が如実に現れているからである。



タグ:建築史
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2016年05月24日

エジプト文明や江戸時代の稲作文明は安定した世界観をもっていた (現代文明は安定した世界観をもっていないからファシズムになりやすい)



エジプト文明や江戸時代の稲作文明は安定した世界観をもっていた


(現代文明は安定した世界観をもっていないからファシズムになりやすい)


●エジプト文明の3000年の持続性


「母材(土ができる前の元の岩石)の種類によって、土本来の性質がことなるので、理想の土はひとつではない」ということです。


エジプト文明がナイルの賜物というときナイル川の上流の岩石が土となり流れてきて定期的に洪水を起こし肥料となった。
そこに地球的ドラマを感じた。そういう地球的ドラマの中にエジフト文明が3000年つづいたのである。
洪水は自然災害は害のように見えるが洪水があることによって山林から栄養分が流れて肥料になる
肥料が自然によって継続的に供給されることによってそれだけの長い文明が維持されたのである。
農業を維持するのは土の栄養であり土が基本にある。
焼畑とか森林を燃やして灰にして肥料を作り畑を作っていたがこれは自然破壊になった。これは原始的農法で簡単だからはじめられた。
農業は肥料をどうするかなのである。
自分の庭でも花を咲かせていたが最近十年くらい咲いていた福寿草が咲かなくなった。
何か植えても消えてしまうのが多い、もともと地味がないのだからそうなりやすかった。土の栄養は放置しておくと栄養分が徐々に喪失して花すら咲かなくなり作物もできなくなる、ヨーロッパではそれでさんほ農作が行われた、土を休ませて別な土地で作物を作るのである。
つまりとをしたら土に栄養をもたせるかが問題になるのが農業である。
ともかくエジフト文明が3000年も維持できたのはそうした自然の壮大なサイクルの中に生活していたからである。
そしてそれはエジプト文明だけではない、マヤ文明でも日本だと縄文文明が一万年とか言われるのもそのためである。寿命が長い文明なのである。

エジプト文明というときそれが人類にとって何を意味しているのか?それを見るべきだろう。
その知識に欠けているがエジプト文明は自然の壮大なサイクルの中で持続していた文明である。洪水さえも自然災害もその文明に活かされていた
自然災害は地球規模でみれば災害ではない、洪水は土に栄養分を山林からる運んでいたのである。
これは科学的に探求すればきりがないだろう。その面の知識は自分にはない。
でも興味あることは文明とは何かというときエジプト文明を例にすれば一つの世界観をもつ、それはマヤ文明でもそうである。
それはその土地の自然から作られたのである。エジプト文明はナイルの賜物というときナイル河から作られた文明である。
そして農業中心だから定着的静態的文明となる。自然循環的文明ともなる
この世とあの世があるときエジプト文明ではあの世でもやはりこの世でしていたこと耕作など同じことをしていたのである。この世とあの世は連続していたのである。

これも何か変わっているのかとなると現代文明を見たら例えば東京でぎゅうきゅうづめの電車に乗って通勤していたり様々なストレスに悩まされて生活している、そういう生活をあの世までするとなると嫌になるだろう
普通はあの世はこの世の苦痛から解放される場所なのである。
それは仏教でもイスラム教でもキリスト教でも同じだった。あの世に極楽があり天国がある、この世は苦の世界でありこの世の継続があの世にあったとすると耐えられないのである。
もちろん生老病死はあるからそのために人間は苦を強いられるからあの世ではそうならないと願うことはわかるしそれを克服するために宗教がある
ただ全体的に見たとき世界観から見たときエジプト文明はこの世でしたことをあの世でも同じようにしていたということが現代からみると特殊なのである。
全くこの世のことがあの世にそっくり移行している、それは壁画に描かれている
こういう世界観は不思議である。この世がそれだけ悪いものでないからこそあの世もこの世の継続となったとなる,個々人は別にして全体的にそうみていたのである。
するとエジプト文明は3000年持続して平和で充足した生活だったのかとなる
ただエジフト文明を現代で理解するのは本当にむずかしいと思う


●各地の自然に根ざした世界観の喪失が国家主義やマルキシズムによる世界大戦を生んだ


なぜエジプト文明を例にしたかというと現代文明は混沌の文明である。何か一つの世界観などもてない文明である。世界観というとき自然に根ざして生れるからである。
東京のような所でどういう世界観をもって生きるのか、像をもって考えよというときその像がないのである。自然の像というのがない世界である。
高層ビルを見上げてどういうイメージか世界観が生れるのか?
そのことから人間にどういう影響を与えるのか?
それは世界観がないというとき精神文明がないということである。
文明とは日本文明とあれば日本独自の自然に根ざして文明があった。それが神道なのかもしれない、とにかく日本独自の世界観が作られていたのである。
それは日本語にもあり一つの日本文明が作られていた。
そういう世界観が現代文明ではもてないのである。
世界観がもてないというときカルト宗教団体などが跋扈したりナチスがファシズムが生れたりしたのが現代である。
それは日本だけではない、世界的文明が均一化して起きたことである。

 抑圧された国民は現実から目をそらし自分を見失う、そうしたむっつりとした空虚な国民の顔は機能障害社会に共通した不安と恐れを示している
 国民の顔に承認を見つけられない故に全体主義指導者は拡大を試みる以外に生き残る道はないと確信する、つまり、政治哲学の正しさを証明するには,他の国や民族ですらこれに従っているのたと国民に示す他なくなっているのである
 (地球の掟ーアル、ゴア)

 これは現代に近代に現れた世界的現象である。ナショナリズム、国家主義、マルキシズム的世界的労働者の階級闘争の共産主義でも同じである。
 ナチスもまたそういう共産主義の世界的闘争と共通したものがある。大量殺戮が行われたからである。それは現代のグローバル化した文明の病から生れたのである。
国民とは江戸時代には存在しない、それは国家主義により強制的に国民が作られたのである。国家を尊ぶのはわかる、でも政治的強制的側面が強いのである。
それは日本だけではない世界規模で起こり世界大戦となったのである。
創価のようなカルト宗教団体もそうした現代文明の病から生れた、それは強制的に信者にして国家を支配し国民を支配することであるから共通している、つまり他のカルト宗教団体でも一つのファシズムの変容したものである。

承認しないのに強制化して国民を支配しようとしているのは同じである。宗教はその道具にすぎないのである。
ハイルヒットラーと題目を唱えることはさぼと変わらないのである。
要するに世界観が喪失したばらばらとなった人間が狂気的に一体化しようとするのがファシズムである。
それはカルト宗教団体も同じなのである。すてに一体感がないから強制的に一体感を作るのがファシズムである。
それは現代文明が個々ばらばらの部品のようになって一体感が一つの世界観がもてないからなのである。

それは明らかに一つの世界観をもったエジフト文明であれマヤ文明であれ江戸時代の稲作文明では起こり得ないことであった。
そこでの民はいろいろ不満があり問題があっても一つの文明の適合していてその顔はその世界観を承認しているから世界を肯定的に見ていた故に外国から来た人が江戸時代の人々を見てみんな幸せそうな顔をしていたと見たのである。
各地のそれぞれの一つの世界観に生きることが喪失したときそうした国家主義とかマルキシズムとかの無理な強制的な世界観を作り出したのである。
マルキシズムなどでとてもこの世界を解きあかせないのである。それは階級という一部を取り上げたものであり世界を一部の狭い窓から見たにすぎないのである。
世界をみるというときみんなそうして一部を見ているにすぎないのである。マルキシズムはそれをあたかも世界を解きあかしたように錯覚させて世界を混乱させたとせなる

●科学技術文明は自然を支配する世界観だが原発事故のように突然崩壊する危険

人間がエジプト文明であれマヤ文明であれ世界観を自然の中で構築できなくなったためである。現代文明からは世界的にどこでもカルト宗教団体とか宗教もカルトになりやすいしナチス的ファシズムが生れやすいのである。
一つの固定化した世界観がないから人間は常に不安動揺の中に置かれているのである。
江戸時代が安定して外国人が来たときみんな幸せそうな顔をしていたというとき貧乏でも一つの安定した自然の日本的世界観で生きていたためだろう。
例えばエジプト文明にタイムマシンで行ったらその顔まで何か違っている
そこには安寧的な不思議な顔になっていたかもしれない、それは江戸時代の人々の顔とにていたのである。一つの安定した世界観の中で生きていたからそうなっていた
江戸時代も今になれば不思議となる。ただ明らかに稲作文明で一つの共通の世界観に生きていた。それが失われたとき柳田国男が日本の民俗学を起こした。
そういう新しい学問が生れたのは実はそういう世界が失われたときなのである。
稲作だとこれもいろいろ奥深いから科学的には追及できないが山から水が流れて田んぼをうるおし米が実る、その自然のサイクルの世界観をもっていた。
それが死生観に反映されていた。死んだ先祖は山に眠り春になると里におりてくる、春には田植えがはじまり再生するからである。
それは自然のサイクルの中で生きていたからそういう世界観になった。
それはエジプト文明ともにているのである。
自然の中で構築された文明は息が長い、そして世界観をもち人間も安定する
現代の人間が不安動揺とストレスの中にあるのとは違っていたのである。

自分が詩として山とか樹とか岩とか石とかを安定した要素として求めて書いたのもそのためである。
都会にはそういうものはない、絶えず不安と動揺のなかにある、グローバル経済でも日々不安定であり株の値動きにふりまわされている。
現代文明は常に動揺と不安のなかにあり安定しないのである。
グローバル経済を見ればわかる、世界で何か事件があればたちまち株は暴落してしまう。そこに安定した世界観を構築できないから世界的共通の問題として文明は今は共通でありそうなっている
科学技術文明でもそうだがこれも恩恵をもたらすにしても今回の原発事故のように不安定なものだったのである。
原発事故によって放射能で人間の生活の基本となる土や水や森林などが汚染されてたら生きることもできなくなる
科学技術は万全なのものではなく不安定な要素が常にあり一挙に崩壊することがある


原子力はそういう不安定なものであり危険なのもだったのである。
そしてなぜ原子力が原発を維持しているかというと電気を供給することより核武装のためにある、核を作るために原発を維持しているのである。
それはアメリカなどの圧力でもそうしている。
つまり科学技術文明はエジプト文明のように3000年とか持続するものではない、一時的に消耗する文明なのである。
それは精神的にもそうでありそのために一つの世界観を作れない、そこで人間は常に不安動揺の中に置かれている、現代人の顔が江戸時代の人やエジプト文明人の顔とまるで別人になっていたことでもわかるのである。
科学技術は必ずしも人間を幸福にするものでもないのである。
大きな自然のリサイクルから離れるとき人間は人間ですらなくなってしまうという恐怖があり現実そうなっているのである。
常に世界崩壊がカタスロフィが語られるのはそのためなのである。
外部的にそうなるのではなく内部的に現代文明が不安定であるから常に株の暴落とか何か突然に崩壊現象が起きるということにおびえているのである。
エジプト文明とか江戸時代にはあまりないことだったろう。

ただマヤ文明だと歴が発達して2020年に世界が崩壊するという予言をして滅びていた。
そういう終末観がやはり仏教でもキリスト教でもある、だから人間にはそういうことは常に恐れてあったとことは確かであてる。
それは常に自然の恐れに根ざしていてそうなった。
現代はそうした自然災害で滅びるというより何か科学技術の崩壊で今回のように原発事故のようなもので滅びるという不安が大きいのである。
科学技術が実は一番の不安要素となっているのも皮肉なのである。
なぜなら科学技術こそ現代を文明を作ったものだからである。
過去は自然災害が最大の崩壊の不安要素であったが今は人間か作り出した科学技術が一番の不安要素となっているのである。その象徴が原子力であり核兵器になってたのである。

穏やかな雲間に雷雨が潜むように
今日私に媚びる者が、明日には私を傷つける
ほとんど重量とてない取るにたらぬ原子から
世界は最後の審判を引き起こす
(ハンス・カロッサ)

これは原子力のことだった。原発は金になるからこの辺の住民も媚びていたのである。
双葉町では「原子力が開く未来」とか看板まで建てていた。
それが今度は住民を傷つけたのである。そして核の放射能で滅びる
土も水も汚染されて住めなくなった。
人類は意外なもので滅びる、いろいろ言われるが結局予期せぬもので滅びる
その一つに原子力や核エネルギーがあったのである。
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2015年09月17日

拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期 (日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)


拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期

(日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)

文明の見方はいろいろあるし文明そのものが何か定義はない。
古代文明はエジプト文明でもそうだしマヤやインカの文明でもそうだが内部志向型文明と定義づけられるかもしれない。
内部志向型というとき交通が発達しないから一地域で一つの世界を作る文明である。
外部志向型文明は拡張型文明であり一つの世界が広域に形成する
それはローマとか中華文明でも古代の文明でも起きた。日本は中華文明の縁辺に生まれた文明という見方もあるのもそのためである。
時代的にも中世とかなるとヨーロッパでも城が多いから日本の封建制時代と同じであり内部志向型文明になる。
外に拡張しない文明であり閉鎖的な文明となる。
だから中世と日本の江戸時代はにているのである。

例えば江戸時代は鎖国であり拡張文明ではない、外国との交流をたち日本独自の社会を形成した一つの内部志向型の文明だった。
江戸時代をどう定義するかいろいろあってもやはり一つの内部志向型文明を成熟した社会を形成したと評価できる。
内部志向型文明はその地域で国で自給自足して世界観を作り上げる。
日本は稲作文明の継続として江戸時代があり一つの世界観を形成した。
山に神がすみ春には里におりてくるというとき田植えの時に神が山がおりてくるというのは日本的な稲作文明の世界観であり信仰にもなった。
山には先祖が死者が眠るという山の信仰があったのはそのためである。
それは稲作文明から生まれた一つの信仰であり世界観である。
葉山(羽、端、.....)信仰がそうである。羽山は端山は低山地域にありそこはちょうど田に水を供給する山の高さなのである。高い山の信仰ではないのである。
それは日本の自然と調和した自然観であり世界観であった。
ただ明治維新は様々にとりあげられるが日本の文化の基ともなった江戸時代はまだ歴史的に文明的に鎖国というマイナスの評価になっている

でも現代の文明はこうした拡張型文明から内部志向型の文明に移行する時代にきている。拡張文明というとき西欧文明の大航海時代からはじまって現在のグローバル資本主義経済を形成した。それは地球が一つの世界を形成した。だから世界が一つの価値観をもった時代だとなる。
資本主義が絶えず資本を世界に投入して経済の発展を計る、そもそも資本主義が起きたのは大航海時代に船で貿易するために投資がはじまった。
船が沈めば株主は大損するが船が安全に帰ってくれば大儲けになるのである。
それが船の株主であり資本主義がそこから発展したことでもわかる。
ヨーロッパとか中東とかでは船を作るために大量の木材を必要として森が破壊されたというときレバノン杉の森が消失したというときそれだけすでに船を利用した貿易が地中海で行われていたのである。
文明はそうした船をつくるために食い尽くされたというときいかにそれは拡張型文明が早い時期から発展していた。

その拡張型文明は西洋だけではない、世界の資源を求めて進出した結果としてアジアの森が今度は破壊されたことは同じである。
内部志向型文明は江戸時代の葉山信仰、稲作文明のようにあまり自然破壊は起こらないのである。
それでも海の方へ田を干拓したとき湿地帯を埋め立てたから自然破壊だった。
松原は自然と調和したのもだと思っていたが自然破壊したものであった。
なぜなら津波で根こそぎ松原が破壊されたことでそのことがわかった。
松原だけとか杉林とかは人工林であり自然林ではなかったのである。
稲作文明は内部志向型文明でもその稲作の範囲を海の方面の湿地帯に拡大したとき自然破壊になっていたのである。

現代のグーバリズムの拡張型の文明は限界にきている。もう拡張する発展するフロンティアが消失している。だからいくら資本を投入しようにもその場がなくなっている。
だから世界経済が発展するということはなく世界経済自体が停滞して後退してゆく
それは中国経済でも限界が生まれたことが象徴している
新興国の発展にもブレーキがかかる、資本主義はグーーバリズムはそうした限界にきているのだ。
だから世界的に株価は低迷して成長する国も分野ももうなくなる
それは日本だけではない世界的に起きている現象である。
例えば日本でアベノミックスで資金をいくら投入しても経済発展が望めない、回復しない、一見株が上がり成長しているように見えてもそれは見せかけであり日本はこれ以上経済成長するのは限界なのである。
それは中国でも起きてきたし世界自体が経済成長することができない限界にきている。
これ以上グローバリズムの経済を押し進めればむしろ地球の自然環境は破壊されるから
それは自然の理が働いてブレーキがかかったともとれる。

現代の資本主義拡張型文明は会社文明であり多国籍文明であり今までの文明とは違う、そこには文化がないのである。ただ経済の原理があるのである。
文明には必ず文化があり世界観がある。グローバリズム経済には資本主義には文化が生まれない、会社は多国籍会社はその土地に根ざすものではないから文化を生まないのであるつまり文化はcultivate(耕す)場がなければ生まれないのである。
だからシュペングラーが警告したのはまさに土地に根ざした田舎が失われ都市文明化して文化が消失して世界が数で計られる無機的なものとなる。
毎日世界が株を標準として常に数で計っていることでもわかる。
その株価も実質の経済を繁栄したのもでもない、架空の数字の世界だとも言われる。
致命的なことは文化がグローバリズム経済から生まれないことなのである。
そこに精神の不毛があり文化の不毛があり精神の貧困がある。

だから今見直されるべきは日本では江戸時代であり国風文化なのである。
それは日本だけではない、かえってグローバリズムの世界、一様化した世界には興味がもてない、会社文明、多国籍会社文明は精神的に軽薄であり文化がない。
それはただ外部志向があるのみであり内部志向がないからである。
内部志向というとき縄文時代の土器の装飾とかマヤの土器でも装飾が豊かなことが共通している。
内部志向型文明は一見それはグローバルでとないと批判されるが濃密な自然との交流があり芸術性豊かな装飾性が豊かな文明だったのである。
だからこうしたエジプト文明でもまたマヤ文明でもそこに一つの自然と調和した世界観宇宙観がありそれは一つの詩的空間にもなっているのである。
つまりそもそもグローバル資本主義経済には詩はない、経済の話だけである。
それから科学が技術が現代を形成するものでありそこに文化はないのである。
もちろん科学でも技術でも文明を作るものであり文化を形成する
だから科学技術文明はエジプト文明でもマヤ文明でもあった。
石を緻密に正確に刻み寸部も隙なく石の神殿を造ったことではにていたのである。

外部拡張型文明というとき第二次世界大戦とかもそうした時代に起きたしそれは大航海時代からヨーロッパの拡張としてアメリカの発見がありそれが現代の世界を作ったきたことでもわかる。
その時日本も世界史的に拡張型文明となり太平洋戦争を起こしたのである。
その後の70年も経済のグローバル化にのって日本も発展した。
しかし世界はもうそうしたグローバル資本主義の拡張も限界にきている。
中国が台頭して戦争にになるとか日本が集団的自衛権で戦争に突入するとかもないだろう世界的に小競り合いがあっても世界第二次大戦のようなものは起こらないだろうという見方もある。
つまり世界はそうした拡張型文明から内部志向型文明に移行するのである。
それぞれが国風文化に内部志向型文明にもどってゆく,回帰する時代になる。
それはとりもなおさず新しい文化が華開くルネサンス時代の到来なのである。

自分はもともと相馬藩内でそうした地域文化を土地に根ざしたものを追及してきたのである。
そうした小さな地域でも世界でも一つの世界観をもてる。
いやその世界観の方が自然の理にあっている。だからマヤ文明ひかれようになったきはそのためである。
そこには矛盾はあっても一つの森に埋もれた自然と調和した文明があったのである。
そういう一地域で世界観を深化させて構築していったのである。
何か不明なのものが多いが一つの石のブロックが一年とかとなり時間を積み重ねていった文明の構築物なのである。
それは内部志向型の内密な装飾性豊かな人間的な文明だったともなる
いづれにしろ古代文明にしろこれから再評価されてゆくし新たな意味がもたらされてゆくことは確かである。
それは現代のグローバル社会との対比で再評価されてゆくのである。


タグ:古代文明論
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2015年09月09日

マヤやインカの文明の意義は何なのか (日本も大きな文明の転換点に来ているー日本文明が再興が志向される時代)


マヤやインカの文明の意義は何なのか

(日本も大きな文明の転換点に来ているー
日本文明が再興が志向される時代)

マヤ文明というときこれも謎である。紀元前までさかのぼるから古いのである。
そしてまず文明とか歴史を知る基礎がやはりその土地の自然環境とか地形にある。
人間は地理に制約されて生活するから当然だとなる。
マヤ文明の生まれたところはジャングルであり大きな川がない、小さな川しかない、
ジャングルに60とかの都市国家がばらばらに発展したのである。
その文化はつながりがあり共通性があっても統一した国家を作っていない
その原因がその自然環境に地形とかにあったのである。
なぜなら大河の辺にナイル川とかチグリスユーフラテス川とかインダス川とか黄河の辺に大文明ができたということは大河が大きな役割を果たしてた。
大河があるということはまず交通するのに便利であり大河が道となる。
大陸の大河は運河と同じなのである。船が往き来するようにできている。
日本の川が滝だというときまるで違っていて運河のようになっている。
それはヨーロッパでも同じである。日本にないものはこの大河でありだから大河とか草原とか砂漠がない日本は外国のことが実感としてわかりにくいのである。

常に自分が言ってきたことはまさにこの地理がわからなければあらゆることがわからない歴史も地歴であり地理がわからないと歴史も根本的にわからないのだ。
だからマヤ文明もまさに地理を知らなければ知りえようがないのである。
ナイル川がエジプト文明を作ったとか黄河が中国文明を作ったというのはまさにそうである。
あれだけの大きい川があれば統一国家ができやすいのである。
それはむずかしい理屈は知らなくても実感としてわかるのである。
ナイル川とピラミッドは結びついていた。大きな船がナイル川を往き来していたのであるナイル川は今よりはびっと広く流れていたからピラミッドに近かったのである。港がありピラミッドがあったともなる。
大河があり砂漠があり草原があるとそこは自然の道となり移動しやすいから交流しやすいから大きな統一国家が成り立ち安いのである。
アンデス文明、インカ文明も地理的にみると山が多く孤立した文明なのである。
他との文明の交流がなかった孤立した文明になっていた。
孤立した文明なるが故に石器文明であり鉄が作られなかったし文字もなかった。
それでその歴史も謎であったがマヤにはマヤ文字があり解読されつつある。

一方日本は海に囲まれても大陸文明と中国とかかわり文明をとりこんでいた。
だから漢字がありその前にも言葉があり歴史が残された。
ヨーロッパ文明とも信長の時代にかかわっていたから孤立文明ではない。
明治維新でももしマヤやインカのように孤立文明だったら西欧化できない、
簡単に滅ぼされてしまったろう。
日本文明がありその日本文明はすでに歴史的に中国文明とか大陸の文明をとりいれた厚みのある文明だったのである。
もし鉄もない、文字もない、マヤやインカのような文明だったらとても西欧化などできないのである。その基礎がないからできなかったのである。
技術的にもそうだし文化的にもそうである。
そもそも封建制というのはヨーロッパと日本にしかなくそれは文明的に進んだものだったのである。中国には封建制はなく王朝であり常に一党独裁になりやすい国だった。
日本は合議制とか村々であり民主化しやすい土壌があった。

日本は日本文明がありそこに誇りをもたねばならなかった。
ところが明治維新後から太平洋戦争の敗北で日本文明のアイディンティティを失ったのである。
例えはキリスト教が入ったとして日本文明がありえたのである。
仏教が入ってきたとき中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違った如く日本のキリスト教も違ったものとなっていた。
日本文明はやはり独自のものであり誇るべきものがあったのである。
その日本文明が純なる日本というものが今や何かわからない失われたのである。
日本文明というとき天皇のことではない、政治的なものだけでなく文化的なものもあり全体のことである。
全体から文明が生まれる、ただその日本文明が何なのかとなるとわからなくなった。
だから日本文明の復古(ルネサンス)が必要になったのである。
それを自分は文化的な面から俳句でも短歌でも詩とかでも追及してきた。
日本は今やいろいろな面で曲がり角にきている。
それは世界でもグローバル化の矛盾が危機的状態になっている
そういうとき新しい文明を個々の国でも地域でも目指すように強いられているのだ。
それは容易なことではないにしろ時間がかかるにしろそういう歴史的転換の時代なのである。
津波のような天変地異もまた大きな時代の変わり目に起きたのである。

政治的な面と文化的の面は別々にではなくやはり一体であり最近集団的自衛権とか中国とかの関係がとりざたされるのもまた右傾化するというのもそうである。
政治的にも日本の独自の道を追及せざるを得なくなったとかもそうである。
何かそうした時代の大きな変わり目にきているのである。
それはなかなか意識しにくいがグローバル資本主義でもそうであり日本自体も変革を迫られている
それは大きな歴史的変革になる。単なる経済が衰退するとかではない、それは目先のことであり日本文明自体の復古であり変革なのである。

古代文明を考察することは現代を知るためであり過去の死んだ遺物を個々にみるのもまた新しい発見なのだけどそれだけではない、現代を知るには古代を知ることにより古代の時代の意味を知り現代に活かされることなのである。
現代の文明は別に人間が進歩したものでもない、かえって人間的には退歩した奇怪な文明とすらなっているのである。
現代の文明は経済と科学の機械文明であり日々語られることはそれしかない
神官は科学者であり経済の話しかない、古代の文明の遺物を見ればかえって自然と調和した豊かな文明だったということがみられる
マヤとかの文明が不思議に縄文土器と共通性があり装飾性が豊でありその時代はかえって今より人間は人間らしく自然と調和して生きていたことがわかる。
現代はビジネスとか科学と機械とかそうしたことしか話題にならないのである。
だから何か自分が山と石とか樹から発想することが別世界のことのようになってしまっている。

そのことは古代文明が別世界の文明にみられるのと同じなのである。
縄文の文明とマヤとインカの文明が土器などに共通性が見られるのはエジプト文明でも
動物と人間が一体化していたことなど深く自然と密着して生活していたことは同じだから共通していたのである。
現代文明は自然から遊離しているからこそ異様な文明、人間が人間でなくなる文明になっている。
そのことが原発事故をもたらして故郷にすら住めなくなったということが大きな観点からみればそうなる。
津波とか原発事故は大きな文明の転換をうながしいる事件だった。
天変地異が文明を滅ぼしたり変えたりしてきたからである。
だから今はこれから百年とかは大きな文明の転換期であり日本文明の再興(ルネサンス)の時代になる。
個々の小さな事象にだけ注目するのではなく全体を見ればそうなるし全体が文明だからそうなる。
いづれにしろ歴史は連続したものであり今は世界的視野でグローバルに地球を見る時代である。
マヤ文明とかインカ文明も世界史のなかで意味が与えられる時代なのである。

タグ:マヤ文明
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2015年08月18日

虫の音に関する日本人の感覚 (万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)


虫の音に関する日本人の感覚

 
(万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)



虫の音や夜更けて聞き一人かな
虫の音や百歳の余命夜のふけぬ
虫の音や貧しき人の声を聞け
外よりそ働く人や虫の声



庭草に 村雨降りて 
こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり

草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 
萩見に君は いつか来まさむ

コヱに、A人工物音、B自然物音は70例中1例だけです。
あとはC虫音、D鳥声、E獣声、F人声です。
あえてボクは虫の声を虫音と表現しましたが、
万葉集では「虫の声」と認識していたのです。

虫が羽を擦り合わせて立てる「音」は
万葉集では「オト」とは
訓まれていなかったことは確かです。
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11771530896.html

万葉集の時代は音(おと)、声(こえ)で表現していて音(ね)と表現しているものがない
これも一つの万葉集の発見になるから興味深い
鳥や獣がなくのも人間の声も声でありそれらを区別していない
蝉の声とか虫の声というのは日本ではなじみがある。外国では蝉とか虫の音に関心がなく雑音にしか聞こえないという。
万葉集時代にすでに日本人は虫の鳴く声を雑音ではない、人間の声と同じように人間的なものに感じていたのである。
音(ね)となったのはあとからである。音(音と)と名と鐘の音(ね)などとなる。

ただ虫の声と虫の音は何か感覚的に相当違う、
声となると複数的に多く鳴いているというのも感じる。だから民の声を聞けと言えば大勢を意味しているしそれは英語のVOICEと通じている
まず英語では虫の音であり声とは表現しない、声となると人間的になるからである。
つまり日本人は虫の声でも鳥でも獣でも鳴くとき人間のように感じていたのである。
そもそも日本の風土は国は狭いのだから繊細な感覚が養われるのに適していた。
中国とかアメリカとか広いから虫の声などに耳を傾けるような感覚にはならない。
声というとき複数的であり音(ね)となると一匹の音(ね)という感覚になる。
今回の自分の俳句は夜更けに聞いたから音(ね)の感覚なのである。
この感覚はただ万葉集時代にはなかったのである。

虫の声であれ音(ね)であれこうした小さなものに注意したのは日本人的感覚である。
日本人は相当に微妙な自然の音に注意していた。その音にはいろいろあった。
芭蕉が音の詩人だというときもそうである。蕪村は視覚の詩人であり画家であったから当然だとなる。画家的な感覚は共通したものがある。
でも虫の音に注目した日本人的感覚は他にないだろう。それでもなぜそれだけ音に敏感だったのに日本では音楽が発達しなかったのである。それも謎であるが日本に音楽がないというわけでもなっかた。雅楽などがありやはり音楽はあり音の世界があった。
芭蕉の

寂けさや岩にしみいる蝉の声

この声は多くの蝉の声である。音(ね)ではない、こういう俳句ができたことはやはり日本的感覚なのである。つまり音の世界にも深いものがあるからこそ音楽が発達した。
だから芭蕉の世界は死ぬまで音にこだわっていて音が人間の命だったのである。

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

いづれにしろ虫の音(ね)というときイメージするのは小さいものの声である。何か権力者とか金持ちとか強い者の声ではない、小さきものへの声に耳を傾けるとなる。
人間も命も虫であり虫の声でありやがてその鳴く声が絶える時死ぬのである。
そういう微けくあわれなものが虫の声に音(ね)として例えられのである。
あわれという感覚もそうである。それは強いものではなく弱い小さいものとなる人間であれ何でもあわれとなる。絶対的な強者などいないからあわれとなる。
聖書の「貧しきものは幸いなり」というときもそうである。
貧しきものとは物質的に貧しいというのではなく心が謙虚な人は幸いであると言っていたただ同時に物質的に貧しいということもイメージしている。

現代人はこういう感覚が豊かになったときなくなった。庶民ですら食べている者か昔の王侯なみということがあるからだ。
それでも今でもこの辺では安い住宅に住んでいる人は昔の長屋に住んでいる感覚になる。でも田舎でもみんな一軒屋に住んでいる。
奇妙なのは仮設住宅が長屋ににている、てもそこに住んでいる人が貧しいかというとそうではない、補償金をもらって豊かなのであり仮設は一時的な仮の生活だから長屋暮らしとは根本的に違うのである。
現代では清貧とか何か貧しいという感覚は共有されていない江戸時代は貧しいということはありふれたことである、戦前でも戦後十年でもそうである。
日本は高度成長時代になったとき急速に変貌してしまったのである。
貧しさのなかで清く生きるとか貧しくても心豊かに生きるとか江戸時代の人々はいい顔して幸福そうだったということなどイメージできなくなったのである。
都会ではもう騒音化した世界であり虫の声とかもかきけされている。
田舎だとまだ虫の声や蝉の声や音の世界に聞き入ることができる

●我のみや 夜船は漕ぐと
 思へれば 沖辺の方に 楫の音すなり

大伴家持の歌とされるS4460を『新潮集成本』より写します。

●堀江より 水脈さかのぼる 楫の音の
 間なくぞ奈良は 恋しかりける
 
 
 舵の音に注目しているのもそうである。奈良に堀江があり舟が通っていたというのも奈良らしい。梶の音が聞こえてそこに生活があったのである。
江戸時代でも江戸には水路があり舟が通っていたからそういう音に注目することはあったろう。
それは沈黙の世界であり夜の闇が深いから音に敏感になるのである。
現代は音にあふれた結果かえって虫の音とか自然や生活の音に鈍感になった。
それときりもなとさず人間同士でも人間の声は無視されているのである。
車とか機械とか騒音化された世界でありかそかな人間の声は無視される、政治でもそうであり人間同士でも相手を思うこともない非情な世界になっているのだ。
おにぎりが食いたいとか言って死んだ人があるように貧しい人が見えない世界であり貧しいということはあってはならない隠されることである時代でもある。
貧しい時代は貧しさ共有していたからかえって連帯感があったというのも不思議である。





タグ:虫の音
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2015年07月30日

鉄砲を捨てた日本人を読んで (すべてを道として精神を重んじた日本人)


鉄砲を捨てた日本人を読んで

(すべてを道として精神を重んじた日本人)


柔術は武術の起源と考えることもでき、柔術から派生した武道として柔道や合気道、そして空手のいくつかの流派などが知られています。
もともと武道とは武術であり道ではない、道というとき精神的要素が大きくなる。

武術とはいかにして敵を殺すとか身を守るかとかに発している。
それはあくまでも術であり道となったのは後世のことであり明治以降に道となった。
ヨーロッパなどでも騎士道があるがなぜ日本だけが武術が武道となり道として精神化したかということである。
そのことで興味深いのが「鉄砲を捨てた日本人」日本史に学ぶ軍縮 ノエル=ぺリン著
である。
ここで鉄砲は足軽ものであり侍の身分のあるものは使うものではなかった。
刀とかだと武術が生まれ武道になるものがあった。
しかし鉄砲には鉄砲道にはなりえないものだった。
刀を使うということは人を殺すものとして作られても精神化するものがあった。
子供の時ちゃんばらこっこにこった。
その時確かに映画のように受けてと攻めてが生まれ相互に呼吸を合わせるという感覚になる。鉄砲のように一発で相手を殺すというわけにはいかない
そのやりとりのなかで人間的なものが生まれる。
「おのし、できるな」とか良く言われて技を競うようになる

鉄砲はただ技術的優位で決まるのであり人間的やりとりは喪失する
それは核兵器になったときもう核兵器を使うことはできない、ただ核をもっているという威嚇だけのものになった。
核は使うものではなく核をもっているということで相手を威嚇するだけのものである。
近代になったとき戦争はただ兵器の優劣で技術的なもので決まるのであり技術戦争、機械戦争と化した。
鉄砲も極めて技術そのものでありだから日本人は鉄砲が入ってきたときすでに部品化していて量産して輸出までしていた。
日本人がなぜ明治維新でいち早く西欧列強に追いついたかというのは世界史でも謎であるそれは日本人の資質として戦国時代からすでにそうした優れた技術力があった。
刀でも日本刀はヨーロッパや中国の刀剣より優れている。
日本の工業力とか技術力は高いレベルにあったから明治維新も成功させたとなる。

太平洋戦争でも技術力の戦いでもあった。戦艦大和であれゼロ戦であり日本の技術はアメリカより優れていたのである。ただその後技術的に遅れて敗れた。
レーダーが日本にないというのも致命的だったのである。
ただ太平洋戦争はまだ古典的戦争の面がまだ残っていた。
馬が使われていたことでてある、移動も馬だった。だから馬を飼育することが戦国時代と同じようにあった。南京に入場したのも日本兵は馬だったのである。
今なら戦車で入場するからその辺がまだ戦争でも古典的な要素があった。
そして馬と戦死者を一緒に葬った墓があったりする。馬が供養されている。
馬がまだ活きていた時代だったのである。
馬が野馬追いに出る前に倒れた、すると馬もがんばって起きてくれとか人間的なやりとりが生まれる。
実際馬はペットと同じように人間化するのである。
機械だとそういう人間的やりとりは生まれないから非人間化する。

機械の恐怖は殺人マシーンとなりとても刀で切り合うようなものとはまるで違う。
大量殺戮となりただ人間が物ののように扱われて一片の人間的情も生まれないのである。
それは別に戦争だけではない文明化した結果、人間は機械を使うことが多くなる。
例えは自転車とバイクと車ではそれぞれに差がある。
自転車ばかりにのっていると姿勢が違ってくる。
なぜなら自転車は絶えず風を受けて走るからである。風にのっても走る、風を常に感じるのが自転車なのである。バイクもまた風を感じる、だから自転車と通じている。
でもその速さがあまりに違うから自転車とは比べることができない
自転車は坂を上るにしても人力でありその苦労は歩くとにているのである。
車となるともう風も感じないし外気も感じない、一つの鋼鉄の塊りが自然を無視して突っ走るとなる。その運転する姿勢も風を受けるとかないから硬直化する。
人間は一つの機械と化しているのだ。

この車がいかに社会を変えて人間を変えたか現代人は意識していないのである。
人間が切れやすいというとき車に乗る人はキレ安くなるし精神が安定しないのである。
突然自転車が横切ると「馬鹿野郎」とどなって切れて走りさって行くだけである。
そこに人間的やりとりは全くないし車に乗っている人は外からわからない
旅は道連れなどと言うこともない、そして馬とか牛を使うときは相手も生物だから死んだらあわれだとかなるが機械にはそうした感情は生まれないのである。
だから現代人は情の面で非人間化している。同情心が日頃の生活でも養われないのであるつまりそれは戦国時代の鉄砲が導入したときから始まった現象だったのである。

要するに建築がembodied sprit であるように人間の体も単なるbodyだけではない
精神を現したものとして作られている。
真っ直ぐな姿勢は真っ直ぐな心、真直な心、直しの姿として現れる。
だから武道で姿勢を重んじる、姿の美を追及している。
曲がった心はその人が体力があっても何か体まで曲がっているように見える
男性でも女性でも何か歪んで体も見えるのである。
腕のいい大工さんはもともと資質も良かったのがぴしっとしてまっすぐであり体力もあった。
自分はれを見ていたら体力的に貧弱だからうらやましくなった。
柔道の段位をもっているようにも見えたのである。
ミケランジェロのダビデであれヨーロッパでは肉体を精神として現すことが多い。
日本では武道とか姿勢を重んじる文化になった。

ともかく鉄砲ということで歴史をふりかえった
人間は使う道具に左右されやすい
鉄砲を使えば鉄砲社会になるし鉄道になれば鉄道社会になるし車になれば車社会になる
だから技術を何でもいいものとて取り入れるのは社会にとっていいかどうかわからない
でも現代はグローバル化で技術をとめることができない、だから技(わざ)は災い(災い)になるとは日本でも古代から考えていたのである。
思うに技術とは道具とはメデアなのである。使う道具によって感覚でも思想でも変わってしまう。
同じ文章を読むにしても本で読むのとパソコンや電子本で読むのは違う。
本は一つの本として起承転結があり一つの世界をもつ、インターネットは断片的になる。本だったら一ページを読むような感覚である。
それから紙に書いてある文字を読むのと電子文字を読むのも違っている。
縦書きで読むのと横書きでも違った感覚を与える
メデア、仲介するものによって伝えられるものが違ってくる。
音からでも声からでも違ったようになるし表情で伝えることもある

道具がメデアだというとき自転車も今は種類が多い
10種類くらい乗ったかみんな乗り心地が違うのである。
それは普通の自転車でもそうでありメーカによっても乗り心地が違うのである。
これは車でも種類が多いから乗り心地とかいろいろ違っているだろう。
人間の感覚は道具によってメデアによって左右されやすいのである。
武術なら弓を使うものであれ剣を使うものとかその使う道具によって人間が左右される
それで弓道も生まれた。

この本で学んだのは鉄砲一つでもこれだけ人間の社会を人間そのものを心まで変えてしまうという現実である。
だから何でも技術が便利だからといって取り入れることは危険でもある。
原発はそもそも地震とかが多い日本の風土には向いていなかったのである。
また西欧文明を明治に技術が便利だとして取り入れたが西欧文明はキリスト教文明でありキリスト教がわからないければとりいれなければ日本は破壊されると内村鑑三が言っていたけどそれが原発事故に現れたのである。
明治に様々な技術が入ってきたけどキリスト教を導入しないと日本は破壊されるというのは鉄砲を入れただけで社会や人間そのものが変わってしまう

江戸時代は鉄砲をすてて精神性を秩序を重んじて武士の社会を構築して300年の平和を保ったことに通じている。
日本は無制限に技術だけを取り入れたが結果的に日本の精神は喪失した。
ただ科学技術や金のみがすべてになってしまった。
それによって日本人の精神はモラルは喪失した。それは明治維新から始まっていたのである。
今日の問題はすでに明治維新の時からはじまりその歴史的結果として現在があるとなる
だから明治維新から150年とか戦後70年は日本人の新たな復古の時代になる。
それはか科学技術ではなく鉄砲を捨てたようにむしろ科学技術的なものを捨てるという発想なのである。
車に乗るより自転車がいいとか歩くのもいいとかなる発想である。
するとそれによって人間性の回復が起こるということである。
この辺で不思議だったのは一時車がガソリンが入らず使えなくなった。
その時本当に江戸時代にもどったようになった。
車がなくなると江戸時代にもどるのである。
その時空間とか時間感覚も江戸時代に一時的にもどった不思議があったのである。

結局これからの生活がとうなるのか?

もうこれ以上私はモノは道具は機械はいらない、それより人間的精神が豊かになるようにしたい
別にそういうものがなくても精神は豊かになれる
だから何でも買い金に頼る生活をしない
それより精神の心の豊かさを求める
そんなに物が金がなくても心豊かに生きる社会にしたい・・・

こんなふうになる。もちろんそれより貧困社会になっているのだから現実はそんな甘いもではないとなるのもわかる。
金はどんなことをしても非情な力をもって世界を支配している。
現実はやはり金であり金で回っている
でもなんらかここで歯止めが必要でありつまり心を変えることが求められているのである


タグ:鉄砲
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2015年07月29日

城の美学(建築は精神の具現化したもの)


 

城の美学(建築は精神の具現化したもの)

a Japanese castle is an embodied spirit

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建築はまず原材料に規定される。料理でも材料が良くなければいくら料理人が優れていてもいいものは作れない。
この辺でとれた石鰈は松川浦でとれたものを売りにきていたとき、新鮮だからとにかくうまい、魚は鮮度が勝負である。
家でもいい材料を使えばいい家が自ずとできる。
青森ヒバの家とか総檜作りとかなったら今は最高の贅沢である。
もうそういう家は大金持ちしか建てられないだろう。
建売住宅は見栄えはいいが中身はいい材料を使っていない。
だから住んでみると確かに機能的には昔の家より優れている
昔の家は大きな座敷があり襖で区切られているだけで今風に個人の部屋がない
子供部屋もないとか個人主義となった現代の生活には合わなくなった。

建築がまず材料だというときヨーロッパは重厚な石を素材にしている、彫刻でも大理石を使っているし他もエジプトのピラミッドからして石である。
石は千年とか軽く残るから歴史が石を通じてヨーロッパに残っていてローマでも二千年の歴史が石となって残っているからそれだけの年月の感覚が自ずと養われる
日本ではもう百年も残る家となるとまれである。
今は30年で古くなり建て替えるとなると歴史感覚が養えないのである。
日本文化は生(き)の文化だというとき木は石のような恒久性がない

式年遷宮(しきねんせんぐう)とは継承し、繰り返されることの永遠。
伊勢神宮には常に新しくありつづける、常若の思想があります。
平成25年に行われる式年遷宮とは、20年に一度行われる壮大で重要なお祭りです。神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を遷し、さらに殿内の宝物もすべて新調します
http://ise.jr-central.co.jp/shikinensenguu/

枕詞のあらたまも年にかかるから常に年ごとにあらたまるというのが日本の文化である。それは日本の文化であり悪いというわけではないが常にあらたまりばかりでは継続する歴史が感じられない、何かいいものが必ず時代時代で作られているのが人間である。
その継続の歴史がたたれることは深刻なのである。
日本で明治時代が文化的に興隆したのは和魂洋才で和魂が江戸時代の継続で継承されていたから洋才もそこで日本文化として受容されたのである。
内村鑑三の「武士道」とキリスト教が結びついたのもそのためである。

建築の基本要素は材料であり機能性があり装飾性がある。機能性というとき戦国時代はいかに防御するかということに苦心した。
それが城作りの要点でもある。日本の城は外国と比べてシンプルである。質素であり構造も複雑ではない、外国の城はまずwallであり敵に進入を防ぐために壁でとりかこむことからはじまっている。城本体より壁の方に重点がおかれていたのである。
日本の城には装飾性はない、機能美が主体であり簡潔であり無駄がない、だからかえってそれは江戸時代であれ質素であり武士の精神を象徴するものとなった。
つまり建築は embodied spiritなのである。大坂城にはそれがみられないというときはなぜなのか?

心に青雲」が大坂城に幻滅した原因は何なのか?

天守閣は壊して、石垣や掘りなどの往時の遺物だけ残した公園にしたらよいと思う。大阪の人は「太閤はん」が誇りらしいが、だったらなおのこと、その誇りを大事にして、どうせレプリカなのだからあのラブホみたいな天守閣を破棄すべきではないか。


確かに大坂城をバックにして写真をとらせる人がいたりと大坂城は何か観光用のようにも見える。それに反して石垣は幾重にもあり広いから当時を偲べる
日本の城は石垣はたいがい昔のままに残っている、だから日本では石垣から昔を偲ぶ
会津の城でも新しく再建されたから何か博物館のように見える。
つまり歴史的な建造物でも自然の石や樹と同じように風雪を帯びると貫祿が生まれる
熊本城などは明治維新で陥落しなかったとか鉄砲の玉の跡が残っているとかそういうものがあり魅力がある。
会津の城でも薩摩長州軍に攻撃されて辛うじて残っている城の写真があったがあの写真にその凄まじい傷跡が生々しく残っていたのである。
かえって石垣だけしか残らないとなると世の無常を感じるのである。
真新しく再建されると何か撮影のセットのようにも見える、それが大坂城であり他にもそういう観光用に再建されたものには見える。
あれは徳川幕府が建てたもので秀吉が建てたものではない、秀吉が本拠としていたのは京都の伏見城でありそこに伊達政宗と山形の最上氏が並んで屋敷をもっていたのである

自分は大坂城のとき桜が咲いて散っていた。それが夕日に映えて散っていたのを印象的だった。
まさに秀吉の豪華な安土桃山時代の再現を感じた。でも大坂城は秀吉の城ではない、秀吉は京都の伏見城が本拠でありそこに徳川幕府のように全国の大名の屋敷を構えさせた。東北では伊達と最上が並んで屋敷を持っていたのである。
城でも大坂城でも会津の鶴ヶ城でも再建されたものであり当時のままに残っているのは全国で五つくらいしかないのである。
会津の城は新しく再建されているから真新しく何か博物館にも実際なっているからそれが江戸時代からあったのかと思う。
もし戊辰戦争の時の鉄砲の傷跡とか残っていればそのときの戦いのすさまじさを感じる
何か真新しいものを見ているとまさに博物館であり実物の城のように見えないのである。
その点、弘前城は小さいけど江戸時代からのものであり再建されていない
それは小さいのだけど何か北の質実な古武士のようなものを感じたのである。
歴史に残る建築は人間の精神の表象でありだから単なる物とは違ったものを感じる。
それは刀をただ人を切るものというだけでないものとして侍は帯刀していた。
刀は単に人を切るものではなく精神的なものとしての刀があった。
鉄砲はただ人を殺すだけのものでありそれが否定されたというとき鉄砲は人間の心を精神を否定してしまうからである。
その鉄砲が今や機械の戦争と化していることでもわかる。



 城の美学

徹底的に無駄を省いた造型
簡素簡潔の極みの美
潔白の四面の白壁
忠誠の主君の天主閣
質実の土台の石垣
貧しさの中の無駄のない美
武士道の結晶の美
身を律して静粛なり
冬樹のように張りつめて
ここに自ずと人格は陶冶され
一本筋の通りぬ
城下町の細い道
身を引き締めて
侍の威を正し歩む



城は東北では大きなものはない、一般的に日本の城はなぜあのように小さいのかと思う
今ならビルと比べるとあまりにも小さいのである。やはり日本の狭い島国だからこそ生まれた茶室のような無駄のない建築になっていた。
戦国時代に信長が鉄砲を導入して覇者となったがその後江戸時代になり鉄砲を廃棄した。それは精神性の方を重んじたからだというのがこの見方は世界史ではない
なぜなら熾烈な戦争では武器も核兵器になるまで追求しているからである。
日本の江戸時代のことは何なのかこれもわからなくなっている。
どうして駕籠のような原始的な人間の力だけに頼るもので人を運んでいたかというのも不思議である。

馬車を許可すると、駕篭かきや馬子、馬方、飛脚、船頭など古くから輸送関係の仕事を行なってきた者が職を失なう
同様の理由で、大八車の使用も禁止されていました。
(大八車の使用は江戸市中と駿府のみ許可。他の地域、特に街道での使用は厳禁)。
また、馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

江戸時代はあえてこうして技術を否定したのである。こういうことは現代でありえない、そんなことしたら世界から取り残されるという恐怖があるからだ
そして侍が一番偉いんだという身分制封建制社会を維持するのには技術より鉄砲などをみんな使えるようにするより刀とか馬を尊んだ。
馬はヨーロッパでも騎士道でありナポレオンの時代も騎馬隊があって重んじられて貴族が馬をもつことでその地位を維持していたのである。
それは日本でも同じである。相馬野馬追いでもわかるように馬は特別なものだったのである。
いづれにしろ戦国時代に防衛的なものとして城が作られたが平和が三百年もつづけばそうした防衛的なものは城では無用化していたのである。
城で誤解するのは今ではあまりに小さいけど江戸時代は一番高い建物であり目立った。
天守閣が一番高く望まれていたのであり城が中心的な建物としてあった。
白虎隊が城が燃えたから終わりだとなって自決したのはそれだけ城の重みがあったからである。
現代はそういう中心になるもの重みになるものがないからすべてが混沌として分裂しているのである。
現代社会はだから精神的に安定しないしモラルも持ち得ないのである。

大阪城の詩(城の美学)
http://www.musubu.jp/shiropoem.htm

タグ:日本の城
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2015年07月16日

間や余白がない西欧化文明化された社会 (日本語の間(マ)の意味)


間や余白がない西欧化文明化された社会

(日本語の間(マ)の意味)


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物と物の間の空間は西洋のものの見方では空白でしかないのだが、日本の思想からはそこに何かがあると感じさせる。
http://www.designtope.net/mandara/39.htm

日本の大和言葉にはその国の言葉にはその国の独自の文化とかがあって生まれている。
日本人は日本語がどういう思想あるのかわからない、それを検討するのもむずかしくなっている。
それで本居宣長が大和心と唐心として日本の言葉を分けて日本人の心を知ろうとした。
その国の民族の言葉はその民族の自然の見方とか思想が反映している
日本語にもそれがあるのだがなかなかわかりにくい。
だから唐心とは今では欧米の心でありそれが主に英語になるからそこから対称的に日本語を見るのが今でもわかりやすいのである。

つまりそもそも日本人とは何なのか?日本の文化とは何なのか?そういうことをわかっている人は少ないのである。
日本の文化は中国文化の亜流だと見る人もいるし中国ではそう見ている。
でも日本人が使っている漢字と中国人が使っている漢字の意味は相当に違っている。
特に明治維新語は西欧化して日本の言葉が多くて日本人が造語したのをちゅうごくじんか使っているのである。
日本は何か造語するのがうまいのである。地歴という言葉もうまい言葉だと思う。
そういう言葉は他にもあるが適切でないものもある。
言葉でも社会が変化してゆくと言葉もすたれるし新しい言葉もできるし同じ言葉でも別な意味になってしまう。

日本語の特徴はおそらく一字の言葉だった。一字に何か意味があった。
例えばまとあるとき(間)あてたり(真)あてたりする。
ただこの真にこの両方の意味があるとなるとまた複雑になる
ただ日本語には語尾にまとつく言葉が多いことは確かである。
基本的な言葉でもヤマとかシマとかハマとかがある
マという一語でも意味がある。
間をとれとかある。でも間とは何なのかというとまたはっきりしない。
ヤマとあったらそのマとは何なのだろうとなる
ヤとは何なのか、屋根とあるから屋根をイメージする間は屋根と屋根の間なのだろうかとなる
普通だったら山を見て山と山の間の空間を意識しない、山自体一番意識するのである。
山とは連なる山であり間をおいて連なる山を意識したのかもしれない
島でもそうであり一つの島ではなくて間を置いていくつもある島のことかもしれない
日本列島の地形は連なる山であり島も多いからそうなったのかもしれない
ハマでもこれはハは端(は)であり端(はし)になる、浜はハシにある間だともなる
浜とは何らかの間なのである。須磨(すま)とあれば澄んだ間と感じるから名付けられた。間とは何か、何かほっとする何もない空間なのかもしれない


日本の原自然状態だったらそうした間が多かった、家も少ないしもちろん工場などもないし都会もないから間がいくらでもあった。
その間を埋めつくして発展してきたのが日本でありそれはどこの国でもそうである。
そもそも間というとき部屋が間というのも不思議である。
間というとき何もない空間のことだからである。欧米的には部屋は実用として役にたつものとしてしか意識しない
誰々の部屋とか何を置く部屋とか何に使う部屋とか実用として役に立つものとして家があり部屋がある
それは何でも都市でも用あるものとしてすべてがあり間という考え方がない
間をとるという考え方がないのも不思議である。
space というときspaciousとなり空間なのだが空間が贅沢だという意味がある、宇宙が空間として認識していたことは共通性があるのか?
ただ間という感覚はない、ただ広いということは贅沢だという意味はあった。
でも間という考え方はない、間とは物と物があってその間となるからである。
blank space 余白となるとblankという意味は否定的マイナスのイメージである。
間というとき何か履歴書でもブランクあるなとなると評価されないのである。


間という考え方は日本的なものなのかとなるとすでに中国では無用の用とかの思想があり有名である。それとにていることは確かである。
無用の用とか余白を重んじることは東洋的なものである。
それが最近感じたことがパソコンの画面が正方形で余白のない古い型のものを使っていてわかった。
横に画面が長いと余白が生まれる、その余白が作業しているとき何か余裕をもたらすのである。
ぴっちりとして正方形の画面で作業しているとまさにそこは実用しかなくなる。
一見これは何でもないようで精神に影響していた。
つまり余白がないと何か正方形の画面が実用だけとなり心の余裕がなくなるのである。
その余白は無駄なものではなく無用の用として必要なものとして東洋の思想があった
それは時間にあてはめてもそうである。一時間でこなす仕事でも必ず一時間ぴったりで終わることはないしある程度の時間の余裕をみないと仕事もできない
だから一時間で仕上げろというと人間は余裕をもって仕事ができないのである。
文章をこうして書くのにも3時間で書き上げろと言われてもその前に準備が必要であり
時間の余裕が必要になる。
そして改行して間をおくのも文章を理解するのには役立つ
文章でも話すにしても間が必要なのである。
落語家は間をとるのがうまいというときやはり日本の間の文化がある。床の間もそうである。


最近は家事とか介護に追われるからその余裕がないのである。
それは自分だけではなく間とか余白とかもてない欧米的効率社会になった。
そういうことができるのはまさに機械が適している、人間はそんなに効率的にできないのである。
人間が効率化するために機械に合わせるような世界では人間の心は疲弊するだけだとなるもちろんそれに適合しているのが文明人である。そういう歯車のようにさせられるのが学校から文明人として強いられる。
そういう文明の時間から離脱するとなるアウトサイダーのようなものに社会からはずれたものとなる、そういう生活をするとなる山尾三省のようになる変わり者とされてしまう。ともかくデジタル化すると一分刻みで時間に追われる。
その一分の重みを知ったのは新幹線とか電車にのるときである。自分の時計が一分遅れていたのである。その一分の遅れが致命的になる。
新幹線の時間に間にあわなくなったりする。仕事でも一分刻みで仕事させられている人が工場などにいる
つまり時間でも間をもていなのである。その間をもてないことから文明人は常にギスギスしてイライラしているし心に余裕がないのである。
だから間に満ちていた時代は江戸時代でも日本人はいい顔していたとヨーロッパ人が見たときそれは貧乏でも時間の間が多く空間にもいたる所に間がある社会だったからとなる。
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2015年07月15日

君が代は日本の土着的な誇るべき歌 (磐をイメージして聞くべき歌)


君が代は日本の土着的な誇るべき歌

 
(磐をイメージして聞くべき歌)

 
君が代の歌詞は古今集からだとすると古い。
曲は明治になって雅楽を基にして生まれたとなると日本的な伝統から生まれた音楽となる雅楽はなじみがないし宮廷の貴族だけが楽しむようなものだと思っていた。
ただ宮廷だけでもそれが音楽として伝えられるものがあったとすると日本の伝統である。貴族はいろいろ批判されるけどやはりその国のモラルと文化を作ってきたのである。
マルクキシズムになるとそうした貴族階級の否定になるから文化も破壊されるのである。中国の文化革命がそうであり文化の破壊であり実際に中国の文化財が破壊されたことでもわかる。
日本でも武士階級が批判があってもモラルと文化を江戸時代に作ったのである。
江戸時代には仏教は侍の下部組織となって役所のようになってしまった。
江戸時代のモラルは武士が作っていたのであり寺は戸籍などを管理する役所になっていたただ武士道というのは江戸時代にはなかったというし古い武士の出身が武士道を否定しているのもそれだけすでに武士道はもうどんな武士の出でも何も受け継がれていないのが現代である。
この辺では野馬追いがあっても武士道というものはない、ただ祭りとなっているだけである。


武士道というときやはり剣道とか柔道とかに受け継がれている。それは姿勢を真っ直ぐにするとか真直な道の追及なのである。
空手でも武士道が何か受け継がれている。ただ確かに道とついてはいなかった、剣術であり柔術として江戸時代にあったという「心の青雲」の著者の指摘がある。
何か術となると精神性がない感じになる。
いづれにしろ日本の歴史は江戸時代の300年がありその時代につちかわれたものに純な日本があったことは確かである。
ところが明治になったときその江戸時代にあったものが何でも変えられたのでわからなくなった。
でも明治にかえって漢詩が一番興隆したとかなるから日本の伝統的なものが江戸時代から継続したものが明治になって新たなものとなって復古したのである。
歌舞伎などでもそうらしい、明治に新しく作られた歌舞伎なのである。
なぜそういうことができたかというと明治にはまだ色濃く江戸時代に培われたものが残っていたのである。
一葉の文学でも古文調でありあのように大和言葉が古文調が残っていたから明治になり独特のものとして小説が作られた。
つまり和魂洋才であるが和魂があって大和心があって唐心があったようにまず和魂がなかったら洋才もありえないのである。
その和魂が明治にも根強く残っていたから明治は文化の興隆時期だったのである。

だからキリスト教にしても内村鑑三の武士道キリスト教とか戦後では手島郁朗の神道的キリスト教とかが主張された。手島郁朗氏については理解しにくいにしても何か日本の伝統的なものを受け継いでいたのである。
そもそも明治維新が複雑でわかりにくいにしろ江戸時代300年に培われたものが西欧文明の挑戦を受けて日本の伝統に根ざしたものが維新した、改められた時代だったのである。その後はその江戸時代に培われた日本の伝統が失われた時代だった。
だから日本とは何なのだろうとまた古きをたずねて新しきを知る、温故知心の時代になったのである。
国の歴史となると明治維新だけをみる人が多いがそもそも江戸時代の前から戦国時代から継続が歴史だというとき明治維新もまたそこまでさかのぼって考える必要が出てくる。
つまり安土桃山時代にキリスト教を導入していればどうなっていたかとなる。
その時明治維新と同じように日本は400年前に西欧文明と対峙することになったからである。それを拒否して鎖国したから明治維新があったとなる。
太平洋戦争の原因もそこまでさかのぼることにもなる。
そういうふうに国の歴史となると長い目で見る必要がでてくるのである。

君が代とは

我が君は 千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて(題知らす/読人知らず)

歌詞としてはここから出ている。でも曲はどうしてできたのか明治以降にできたのである雅楽から生まれたというときやはりそこに日本の伝統が継続されて生まれたから意義あるとなる。
ただ君が代は天皇とは限らない、日本民族の継続せんとする歌だから国家にふさわしい。君が代には思想性がある。他の国家のように単純なリズム的なものではなく土着的なものがこの歌からはひびいてくるから荘重なものとなる。
バッハの音楽がゲルマンの森にひびきわたるように荘重なものがある。
音楽というと今ではリズムであり何か思想性があるものがなくなった
文化とは常にcultivate-cultureであり耕すものなのである。
それには土着的なものがないと生まれないのである。
明治には江戸時代の土着的なものが根強く残っていたから和魂洋才として日本の文化も華開いたとなる。
なぜなら現代の創始者をたずねると明治にはじまっているからである。
そして明治からすでに140年とかすぎて戦後70年もすぎるとまた日本の変革期復古期になったのである。
精神的にもそうだて現実の外交でもやはり自立が強いられるから戦争への準備だと安保改革が批判される。
アメリカも日本を守らないし中国が巨大化して日本はまた孤立化して太平洋戦争のような状態になりやすい地政なのである。
とにかく君が代は

千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて

磐を歌うものだから磐の心を知らないと感じない、国家的なものだけではない千歳の磐を歌うものだからである。
自分は磐の詩を百編書いたからまさにこの歌にシンパシィーを感じたのである。
君が代は天皇をイメージするのではない、千歳の磐を像としてイメージする、磐の持続性、忍耐とか人間の精神化されたものとしての磐である。
これは磐だけではない山にも通じるものである。
山とか磐に通じる荘重な思想性がある音楽なのである。だから君が代は日本の国歌は誇るべきものだと思った。
もちろん自分は音痴であり音楽はわからないにしてもこの君が代はシンプルだからわかりすいいのである。
音楽もやはりその国であれ地域であれ土着的なものとして結びつくと荘重なものになる。日本ではそれがないのだがこの君が代には単純だが土着した荘重なものを感じるのである
natinal fundmental deepend and rooted songなのである。
だから君が代を歌うとき日本人の誇りが満ちてくる、それが天皇を讃えるということで君が代を批判するが歌と曲そのものはこれ以上国歌にふさわしいものはないのと思う。

タグ:君が代
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2015年06月08日

南方系と北方系は世界史的なテーマ (日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


南方系と北方系は世界史的なテーマ


 
(日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


●ヨーロッパは南と北は明確である

日本での南方系と北方系の区別はむずかしい。
文化が地理から作られるから気候風土が深く関係している
それが明確なのはヨーロッパだと暑い方の地中海沿岸のラテン系と寒い国のゲルマン民族である。
フランス語とドイツ語が明確に別れているし言語学者でなくてもすぐにわかる
言葉の面から言えばドイツ語は東北のズーズー弁的なところがある
何か言葉が重いのである。そのドイツ語を基本にして英語が成り立っている
ということはドイツ語は世界的なものになっているという面もある
英語でドイツ語を意識しなくてもドイツ語がその根底にあるからドイツ文化の影響を受けているともなる
ヨーロッパだとこうして南と北は地理的風土的にも文化的にも歴史的にも別れているからわかりやすい
ギリシャやローマは南方系でありギリシャにはオレンジなどがとれる、それは日本だと瀬戸内海辺りになる。
ドイツとかは寒いし霧の国であり憂鬱になるから憂鬱な哲学者が輩出している
それは風土的な影響なのである。音楽でも重厚な音楽になる
ゴシック教会のようにゲルマンの森を象徴しているというのもそのためである。
日本だと東北から北海道はゲルマンににている北方系だが北海道は風土的にはより北方系である。トドマツなどがあり樹も重厚になるし太いのである。

カトリックはラテン系であり勤勉なプロテスタントは北方系である。
南方系のラテン系はシエスタとか昼間の長い時間を昼寝するとか休む
それは暑いせいもある、暑いところは昼間は働けないのである。
だからなまけもののように見える。
寒い国はかえって勤勉になるのである。
人種的に区別することもあるが人間はそこに住む風土の影響の方が大きい
ただユダヤ人は例外である。神の民として今も残存しているからである。
民族というより風土的歴史的に作られた文化的集団としての区別である。
だから日本人のルーツを探っても無駄なような気がする
遊牧民とか農耕民とか漁労民とか分けるのがその風土とか生業が人間の存在を規定する
世界は人種で分けるのではなく土地土地で培われた歴史と文化で分ける。
だからもし日本に移民がふえても日本の風土はかわらないから日本人の文化を受け継げば人種は関係ないとなる。
ただ言葉が変わったりしたら日本の文化は喪失するのである。

文化は風土が多様なように多様であるべきなのである。
方言をみんな標準語にしたのもつまらない、ズーズー弁は軽蔑の対象になったが
方言が喪失したら国の訛りもなくなり地域性もなくなる
今は子供からしてきれいな標準語をしゃべり方言は喪失しているからだ。
面白かったのは丸森の人がんだべっちゃと言ったことである。
仙台だと語尾がだっちゃになる、相馬ではんだとなる、それか結合してんだっちゃとなった
丸森には一時相馬藩の城があったから方言も結合したともなる
こういうふうに地域性があると方言でも文化であり面白いのである。
科学とか数学は共通であり地域性とかないからグローバル化で文化も破壊されたのである地域創生というとき方言だって見直す作業が必要なのである。

それは狭い一地域でも歴史が違っていて色合いか違ってくる
何回も書いたけど相馬市は相馬藩の城跡があり城下町である。
原町市はひは雲雀が原があり野馬追いでは神旗争奪戦が行われる場所である。
でも原町は明治になって鉄道が開通して原町機関区になったようにいち早く近代化した街である。
だから大正時代に巨大な東洋一の無線塔ができた。
駅前通りが主要な商店街になったのもそのためである。
相馬市は駅前と通りはなく城下町のままだった。
原町は何か感覚的に広々として感じになる、郊外が広い感じになり雲雀が鳴いているのがふさわしい、それで雲雀市という合併後の名前も浮上したことでもわかる
そういう土地柄なのてある
こういう違いはなかなか旅しているとわかりにくいのである。

●日本では南北が東西になっている

とう‐ざい【東西】

もと相撲で、東から西までおしずまりなさい、という意で言い始めたという》興行物などで口上を述べるときに、また、ざわめきをしずめるときなどに言う語。東西。とざいとうざい。

1 東と西。また、その方向。「―に走る道路」
2 東洋と西洋、関東と関西、東側諸国と西側諸国などの意。「―の文化」「洋の―を問わない」「古今―」
3 世間。また、世間の事柄や事情。「―もわきまえない青二才」
4 《東や西の意から》あちこち。方々。

東と西。また,東洋と西洋,東側諸国と西側諸国,関東と関西など。 南北 「川は町の中央を−に流れている」 「人の気持ちは洋の−を問わない」 「古今−」
A方角。転じて,世間の事柄。 → 東西を失う ・ 東西を弁ぜず
Bもと中国の俗語で,物品または金銭の称。

東人(とうじん、韓国語:동인〔トンイン〕)は、李氏朝鮮の官僚の派閥の一つ。

東人と西人の対立が始まると当時の大司憲・李珥は、金孝元、沈義謙双方を地方に退かせたため、東人の領袖の座に鄭仁弘を着かせた。1584年、李珥が亡くなると本格的な党争が始まった。東人はほぼ政権を掌握していたが、西人から東人へ寝返った鄭汝立の謀叛事件により西人に政権を奪われることとなった。
しかし、1591年に西人が世子冊封の問題で失脚すると東人が政権を掌握した。東人は西人の粛清を始めたがその過程で、南人と北人に分裂することとな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%BA

あずま‐びと〔あづま‐〕【▽東人】

東国の人。田舎者の意を含んでもいう。あずまうど。あずまど。
「破 (わ) り子や何やと、こなたにも入れたるを、―どもにも食はせ」〈源・宿木〉

東男に京女
男は男らしくいきな江戸の男がよく、女は優しく美しい京の女がよい。
あずまあそび【東遊び】

古く東国地方で、風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊。平安時代から、宮廷・貴族・神社の間で神事舞の一つとして演じられた。歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、笛・篳篥(ひちりき)・和琴(わごん)の伴奏で歌い、四人または六人の舞人が近衛(このえ)の武官の正装などをして舞う。現在は宮中や神社の祭礼で行われる。東舞(あずままい)。

あずまうた【東歌】
上代、東国地方で作られた民謡風の短歌。万葉集巻14と古今集巻20の一部に収められる。
あずまうど【東人】
「あづまびと」の音変化。
「あやしの―なりとも、賑ははしきにつきて」〈徒然・二四〇〉
あずまえびす【東夷】
京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。東夷(とうい)。


日本では南方系と北方系は東と西である。だからトウザイ、トウザイとは東も西もで日本全国をさしている。
日本の方角感覚は南北ではない、東と西なのである。

●東西感覚は歴史的にも韓国と日本でも共通していた

それは歴史的にも関が原で東と西が奈良時代から別れている、東はあづまでありそれは戦国時代でも信長は尾張であづまの領域、東の勢力である。

それは天智天皇と天武天皇が争った壬申の乱からすでにはじまっていた。
大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月24日)に吉野を出立した。まず、名張に入り駅家を焼いたが、名張郡司は出兵を拒否した。この状況を不利と見た大海人皇子は、伊勢国に滞在し占いを行った後、伊勢神宮に参拝した。これにより大海人皇子は美濃、伊勢、伊賀、熊野やその他の豪族の信を得ることに成功した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

名張から伊勢へ向かった。伊勢から名張へ自分は旅をしたからこの地理感覚わかる。
面白いのは韓国でも同じ方向感覚で歴史が形成された。壬申の乱と同じように日本と同じように韓国でも東西の争いがあり国が作られた。
小野妹子が(7世紀初せいきはじめ)推古天皇時代607年,はじめての遣隋使として中国につかわされ,「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」という書き出しで有名な聖徳太子しの国書を皇帝煬帝にわたした。
日本は極東だとか東海だとか東の果ての国なのである。南北ではない、それは陽が上る方向の国である。人間の方向感覚は陽が上る方向と沈む方向で知るのは人間が住み始めてからどこでも同じ傾向があったろう。
でも日本でも日本海は山から陽が上り海に沈む、西に沈む、この感覚が太平洋側に住んでいるとなじめないのである。
盆地だと東山から上り西に沈むとなる。京都に東山があるのは陽が上ることは意識するが西山はないのは陽が上る方向を人は特に意識するからである。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木

東海とは日本海も太平洋も視野に入れた広い範囲なのである。韓国から見ると日本は東海になっている。

東と西というとき不思議だったのは近江である。琵琶湖中心に湖西と湖東があり湖西となると淋しい感じになっている、東は風土的には陽の上る方向だから明るい感じになる。
西は陽が没する方向だから淋しい感じになる。
ただ歴史的には違っている。西となると別に関西は先進国で東は後進国であった。
それで今でも東京をトンキンとして関西人がネットで言っている。
地名でも書いてきたが地名の基本は方角地名なのである。
方角によってその土地を知るのが基本である。
それで相馬市と南相馬市となったがもともと相馬藩は小高に最初に相馬氏が拠点の城を築いてそこを中心にして鹿島とか相馬市の方向は北郷としていた。
北という感覚がここにはあった。東と北は日本では同一であり混同しやすいのである。
南はなじみがない、でも東風(こと)とか北風とか西風があり風では東風と北風がなじみがある、南が意識されたのは柳田国男の海上の道で沖縄や南が意識されたのである。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月(つき) もとの樹(き)は生(お)ひやしげれる 枝(えだ)はなほ影(かげ)をやなせる ・・・」

この遠き島が沖縄の島になるしさらに南の島々に通じる。オーストロネシア語圏内になる椰子の実は日本の岸に流れ着くのは南の島からである。
それは黒潮の流れにのって流れてくる。
南相馬市の鹿島区の海老浜は車輪梅は南限の地として有名だった。
これは奄美大島が原産でその種が流れ着いて自生したのである。
まず太平洋は広いしアメリカの方からは何も流れてこないし交流もないのである。
台湾から与那国島から沖縄の島伝いに九州の薩摩とつながった。
薩摩芋ももともと沖縄から伝播してきたものらしい。
米はこの海上の道から来たというけど沖縄では稲作になる適地がないし本土とは江戸時代になるまで交流がなかったからどうなるかとなる
ただ貝は中国に伝わり貨幣となったり日本の関東地域とかまで運ばれたことはわかっている。

ともかく旅すると必ず方角がわからなくなる。だから方角を知るために磁石が必要なる。近江は琵琶湖を中心にして地理がわかりやすいところだった。
それでも湖西があり湖東があり関が原から向こうが東だという感覚がわからなかった。
たいがい自分の住むところは太平洋から陽が昇るからである。
ただ湖西となると何かやはり陽の没るところで比良などの山々があり淋しい感じになる。西会津でも会津のさらなる奥で淋しい感じになる。
つまり東とつくと何か明るい感じになる。東山とかあり東山温泉とかあるのは会津でも同じである。
でもまた会津でもあそこが東山で陽が昇るのかということもわかりにくい、会津は山国になるからその地理がわからなかった。
そして一番不思議に感じたのは太陽が湾から山に沈んでゆく、西沈んでゆく光景である。大阪湾などがそうであり他にもそういう場所は西になると多いのである。
大阪の日下とはもともと大きな湾があり陽の沈む所として名付けられた。
日下部というのはそこから生まれた。一つの太陽の方向感覚から生まれた地名でありそれが氏族の名前となった。
旅の面白さはそうしたありえないような風景に接することである。
それは太陽が山から昇るでも海から昇る陽をいつも見ているのとはまるで違った感覚になるからである。


タグ:東西南北
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2015年06月06日

縄文語とアイヌ語の謎 (福島県は関東より弥生文化の先進国だった)


縄文語とアイヌ語の謎

(福島県は関東より弥生文化の先進国だった)

 
千島列島とカムチャッカ半島の地名を見ると、アイヌ語地名は北上したもののようであり、南下してきたものではない、村山七郎著「アイヌ語の起源」(三一書房)
http://www.dai3gen.net/ainutoku.htm

アイヌ語が北上してのであり南下していないという指摘は重要である。
アイヌ語はもともとの縄文語に由来して民族の移動とともに蝦夷(エミシ)が伝えた言葉である。
アイヌ語はツングース系統とすると北から侵入したようで南からの移動の勢力が強かった北海道にもエとつく地名が多いのはなぜなのか?
それは南方から北へと地名が移動していたのである。
アイヌ語はアイヌが何なのかわからないにしろエとつくのは北上してきたものであり
アイヌ語はアイヌは北方系にしても南方系に由来しているのである。

そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。
一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。
http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

ezogo111.jpg

目・見・お前・?・? アイヌ語 e= お前(ニ人称単数)
いーせ
いーそ
いーる
いーま(居間)
いーね(稲)
いーほ(飯)
いーい(飯)
いーち(中国語)
いーし(石)
いーえ(家)
いーも(芋)
いーむ(忌む)
いーなう(いなう)
いーりえ(入江)
いーけ(池)
いーき(息)
いーのる(祈る)
いーにし(いにしえ)
いーねる
いーく(食う)
いーさご
いーらっしゃい

「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。

えびすが蝦夷とかエミシの由来なのか?それは水に関係あるのか?
それでエが江になったのかとなる
図で示すとイから派生する言葉がある。イは接頭語でありそれ自体意味があるとはなっていない、要するに強調するためにイが用いられた。
日本語ではセは瀬であり一語でも成り立つのが多い
伊勢とあってもイは接頭語であり強調語でてある。
イネとあってもネも根であり一語で成り立つ、いほでも穂(ほ)であり一語で成り立つ
この接頭語がつくのは北方系ではなく南方系の特徴だという

たとえば、日本語の接頭辞は、ツングース語にはまったくみられない。
接頭辞は、常に他の語の前に付いて用いられる語構成要素で、「お寺」「ま昼」「か細い」「い抱く」などのオ、マ、カ、イがそれにあたる。
 このように、日本語は、ツングース語的な文法を持っていながら、ツングース語では説明できない要素も非常に多い。
 
「日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語」ではないかという結論に到達する。すなわち、縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という。

 http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_04nihonngo_ha_konngougenngo.html
 
日本語が混成後であることはまちがいない、それはオーストロネシアンと北方系のツングース系だということである。
その典型的な象徴がイーエという言葉である。それはエにイが強調語として接頭語としてつなぎあわされたのである。
エがさきにありエはエゾーエソでりエミシなのである。
そのイエに漢字が入り家をあてたのである。
ツングースが北方系が東北地帯一帯に先に縄文人として日本を形成していた。
そこに南方系のオーストロネシアンが入ってきて混成後が生まれた。
日本の最古の原住民、蝦夷は東北にあったともなる
それは例えば福島県でも茨城県より田が先に作られたということが考古学の発見でわかってきた。
福島が先進国で茨城、ヒタチの方が後進国だったということもその一つである。
つまり原日本人が東北にあるということはかなり重要だろう。
そのげんじゅうみんか言葉がなかったというのではなく縄文語としてすでに言葉をもっていたのである。
日本の最古層に東北の縄文文化があったともなる。

ただこのエミシは本当に謎であり不明である。
渡来人がこの蝦夷にも交じり地名とか言葉も残した。
アラハバキが蝦夷とかいうけどこれも渡来人系統である。アラとはツノガノアラシトのアラでありアラという国が韓国にあったからである。荒という姓は渡来系なのである。
東北にはツガルもツノガノアラシトから敦賀(敦賀)がありツノガからツカルになったのである。鹿角(カヅノ)などもそうかもしれない、
つまりツノガノアラシトの変形したものである。
カヤというのヤマトタケルに抵抗した蝦夷の一団の中にいたのである。
カヤは伽耶なのである。それは渡来人の一団がすでに蝦夷でもあった。
だから蝦夷は物部氏とかツノガノアラシトから伽耶(かや)とかの渡来人と一体化した人たちのことである。
そして弥生文化は関東の方より福島県側が発達していた。


稲作の伝播には太平洋側と日本海側の2ルートがありました。そして、稲作は日本海側の方が向いていますから、このルートの稲作の伝播は太平洋側よりさらに速度を速め、たった100年で青森県まで到達しました。そして、東北の太平洋側の稲作は、日本海に注ぐ川を遡上して広まりました。
このルートは新潟から阿賀野川から東進し会津盆地に入るルートです。弥生時代中期の福島県域の人たちは、たぶんこの阿賀野川に沿ってやってきた人たちです。この人たちが県域の各地に広がり、その子孫が弥生時代に県域に住んだ人たちでした
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20944129.html

つまり弥生人はすてに渡来人でもあり福島県には濃厚にその跡が残っている。
これは渡来人の影響が大きかったともなる
しかしその前に縄文人が東北にはいてそれが縄文語のルーツでありそれにオーストロネシアンとツングース系の北方言語が混じり合ったのである。

いづれにしろ日本語が孤立語でそのルーツがわからないのはそもそも満州に住んでいる人たちとかインドネシアに住んでいる人たちの言葉とか東南アジアの言葉を知らないことによる
もし交流があったなら共通語が東南アジアとか中国でも形成されていたのである。
それはヨーロッパを見れば継続して交流があり明確に混成後として言葉がわかる
日本語は例えばオーストロネシアでもそれは断絶してしまったから不明になったのである現実に日本が戦争でオーストロネシア地帯にポリネシアなどに進出して兵隊が支配したときその島では日本語をしゃべっていたし今でもしゃべる人がいることでもわかる。
戦争を通じて日本と交流があったから日本語をしゃべっているのである。
戦争で征服、征服されると言葉が強制的に混成後になることが明確である。
日本は回りを海に囲まれて断絶してしまったのである。

言葉の不思議はもし縄文語があるとして縄文人がしゃべっていた言葉と同じ言葉をしゃべっているとしたら明らかに縄文人をルーツにした文化を言葉から受け継いでいるとなる
すると今の日常生活にも縄文人が日本人の中に生きているとなる
縄文時代となるとただ過去の死んだ遺跡のようにしか見ていない
今とは遠く切り離された遺物として見ているのである。
現実に今に生きていない歴史は歴史にはならないだろう。
民族の言葉を維持することはそうした縄文人の文化を受け継いでいるということにもある大和言葉というと縄文人が関係ないように見える
蝦夷といってもわからないから大和言葉は渡来人の言葉なのかともなる

でも日本語が孤立語だというのはそもそも回りとアジアと交流がなくなっていることにあるのだ。
戦争でもアジアから孤立していたし今でも朝鮮中国からも孤立している。
その孤立語というのは言葉だけではない、現実の世界でもアジアから孤立していることがつづいているのである。
言葉というのはだから現実の世界情勢を反映したものとしてもありつづける。
中国などはかえって今ではその文化でもわかりにくいのは明治維新から欧米一辺倒になったからである。
中国がまたアジアの中心になると必ず中国文化が見直されるのである。
文化という視点になればやはりその土地と一体化するアイディンティティ化する
だから東北の源流を探ることも大事になる
そこから東北ルネサンスが生まれるのである。
それで東北の歴史も見直す必要が出てくるのである。



タグ:縄文語
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2015年06月01日

「大和心」と「大和魂」は全く違ったものだった (吉田松陰の大和魂は戦争に結びついていた)


 
「大和心」と「大和魂」は全く違ったものだった

(吉田松陰の大和魂は戦争に結びついていた)



敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花 本居宣長

 
大和心と唐心を日本語を分けて日本の心を探求したのが本居宣長である。
吉田松陰は大和魂にしたが大和心とは違っていた。
その時欧米は驚異でもないし敵対しないから純粋に大和心だった。
大和魂になるとそれは日本意外の国に対して「大和魂」」を示すということで攻撃的でありと平和を感じない。
吉田松陰はアジア侵略の基の水戸学や平田篤胤の国学を学んでいたのである。
それが太平洋戦争につながっていたのである。
ただ本居宣長の歌は戦時中は利用されていた。
「敷島」「朝日」とかのタバコが売られていたのである。

いづれにしろこの歌の良さは極めて日本人の心情に訴える歌だった。
日本の自然の美の代表である桜を歌っていたこともある。
その桜も染井吉野とは違う純自然の山桜だからまさに日本の美の極致ともなった。
桜とか富士山とかは日本人の心ともなっている。

真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな(自作)
http://musubu2.sblo.jp/article/130457064.html

真直なるというのが大和言葉であり大和心なのである。それは日本の自然の中で汚れのない、真直なるということである。

飛騨たくみほめてつくれる真木柱立てし心は動かざらまし賀茂真淵

この歌のいいのは飛騨のたくみというのは万葉集にもでてくるから古いのである。

かにかくに ものは思はじ 飛騨たくみ 打つ墨縄のただ一筋に (万葉集)

飛騨の歴史
http://panoramahida.iza-yoi.net/hidatakumi.html

この伝説で面白いのは飛騨の匠と争ったのが百済川成はそうである。
当時は何でも渡来人の方が技術的に上だし渡来人を通じて技術が入ってきた。
だからここで渡来人と争った伝説があるのは日本にも飛騨の匠がすでにいて
その技術を競ったとなる。
真木柱というときその柱は国産であり飛騨にとれたものとなる。
つまり技術も国産でありその資材も国産だということに大和心があるとなる
外国から取り入れた技術でも国産化することに大和心が生まれる
漢字をカナにしたしたのもそうである。

飛騨の匠の起源

薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など幾多の神社仏閣の建立に関わり、平城京・平安京の造営に活躍して日本建築史の黄金時代の一翼を担ったのでした。現在も奈良の橿原市に飛騨町がありますが、高山の町並みを思わせる小ぎれいな木造家屋が軒を連ね、また大和路には飛騨と共通する地名が多い事から、飛騨から上京した人たちが現地にとどまり土着化したものとも考えられます。

いづれにしろ大和心と大和魂は根本的に違っている。
大和心は平和的てあり大和魂は戦闘的だから戦争で称揚された。
大和心にはアジアを侵略する意図などその時なかったのである。
ただ文化的な相違として大和心と唐心を分けて追及したのである。
だからそもそも戦争と結びつくようなことはありえなかったのである。
つまり吉田松陰の

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

この歌は何かわかりにくい、大和魂とは何なのか?これは大和心とはまるで違っている。
これは非常に危険なものをふくんでいた。それはアジア侵略のために利用されやすかった現実にアジア侵略の思想があり歌われたのである。
戦争で日本人が戦い死んでも大和魂はとどめおくともなる。
大和心は別に世界でもそれぞれの文化がありそれを主張することは否定できないし
それがなくなればその国の文化もないのである。
大和心を世界に示すというとき今の「和の文化」がそうでありそういうものは別に平和の事業であり世界に宣伝してもいいのである。
でも「大和魂」となると「大和心」とは違う戦闘的なものとなってしまう。
それは吉田松陰によって日本人の心に植えつけられた。
だから吉田松陰の功罪があっても功の面ばかりが戦前でも戦争中もとりあげられすぎたのである。
大和心は「和の文化」は受け入れられも世界にそうした侵略的な思想は受け入れれない。明治維新もだから今見直されている、太平洋戦争がすでに明治維新の吉田松陰の時から予定されていたのである。
吉田松陰を神格するということは危険なものだったのである。
つまり江戸時代から明治になるとき「大和心」が江戸時代にあり明治維新で吉田松陰によって「大和魂」になった、その変化も大きかった。それが後の災いの元となったのであるそうした人物をもちあげたしは司馬遼太郎とか明治維新をやたら持ち上げた人たちが今は問われている。
歴史は必ず時がたては見直されるのである。






タグ:大和魂
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2015年03月29日

大和言葉を見直す時代になった (言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


大和言葉を見直す時代になった

 
(言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


この『よそう』を現代人は、つい先ごろまで、茶碗に飯を盛るときにも使った。(中略)

http://cds190.exblog.jp/4189811

 古代日本では飯を盛るのは女に限られていた。本来飯は神に捧げられるもので、女性が神事に奉仕したからである。(中略)

日本人が日頃何気なく使っている言葉には日本人の魂が宿っている。
ただそれが意識化しているからその精神を知ることができなくなった。
日本人とは何か?日本文化とは何かと言うときその言葉にこそある。
最も身近なものに日本文化の根源がアイディンティティがある

例えはよそおう・・という言葉が実は女性が巫女が神に仕えていて飯をよそおうということから出てきた言葉なのである。
飯を神にささげることはそれが神聖なる行事としてあった。そ木神事が日常化してただの普通の労働になってしまった。
介護になってから自分が主夫になってしまったので飯をよそおうのが仕事になったからこの言葉の意味に注目したのである。

たまふ(賜う)=たまる(賜る)。

たまふとはもともとは玉から由来している。たまるとは賜ったものがたまることである。たまふとはもともと神からたまわるものが語源なのである。
現代だとすべてが自分とるという感覚になる。
何かたまわるという感覚はない、授かるとかいう感覚も無い
だから誰も自然でも何でも感謝したりしないのである。
たまるとたくわえるは違う、たくわえるは人為的努力でありたまわるは神からの無償の恵みなのである。
人為的に貯えるのが現代の経済であり社会である。そこに呪いが隠されていた。
機械が過度に発達して人為的に自然から恵みを富を収奪して成り立っているのが現代文明である。
資本の横暴がグローバルで金が物が暴力的に横暴に支配する社会となった。
てはそういう西欧的文明の転換期になったとき何が新しい文明を生むのかとなると一つは日本文明も文化も東洋文明をになっているということである。

だから言葉から見直してゆくとき国風文化がまた再興(ルネサンス)するのである。
日本語では何か基本語となるもの、基幹語となるものがある。
それは一語なのである。
例えばチという語は広範囲に使われている。地は血でありあらゆるものの基本にチがあるトチでもカチでもマチでもサチでもチと語尾につくのはチは大地の意味なのである。
日本文化の感覚は農耕民であり土地に根ざしているのである。
だから植物的文化となりそれは荒々しい動物文化牧畜文化とは異なる。

ミチというときもミは身でありチは大地のことである。英語でも地球は地のこと大地のことであり土を意味していた。万物を生むのが土地であるからそうなる。
ただこの土地は意識しにくいのである。
大地がすべてをはぐくむ基だとしても大地のことを意識されにくいのだ。
農業している人が今は土がまだあたたまっていないからだめだとういう。
何か作るにしても土と深く関係しているるのが農業である。
土はすぐにはあたたまらないのである。徐々にしかあたたまらないし野菜でも徐々にしか生育しないのである。
そこにどうしても忍耐強く待つ時間が必要になるのが農業なのである。

神道とは何かというときそれは最も身近な日頃使っている大和言葉にあった。
ミチとはチに由来して身と地は一体てあり血が巡るとはめぐるー恵みとなる。
大地が基本にあるのが大和言葉なのである。
言葉には必ずその国の文化があり物の見方や思想が宿っている。
だから詩は翻訳すると何か別なものになっているのである。
詩は翻訳できないというのは言葉の背景にその国の風土とか文化があるからなのだ。
まず日本の俳句の季語を理解することは日本人だった多様で全部は理解できない。
ましてや日本の風土を知らない外国人には知り得ようが無いのだ。
時雨とか春時雨とかこれなどは理解できないのである。
本居宣長が国風文化を見直したとき唐言葉と漢字と大和言葉をかなとを分けたことからはじまったことでもわかる。
今は日本語があるがこれを大和言葉にさかのぼりその日本人の根源的な思想をアイディンティティを知る作業が必要なのである。
そして今や世界の言葉にふれる時代だから大和言葉とか英語でも比較して日本文化が何かを知る時代になったのである。

日々にしてよそおう飯やあわれかな家に仕えし我が仕事かな

これも奇妙だけど実際に自分が一人で今家を守っているのだ。主婦があり主夫がある。
男も最近では一人暮らしになれば料理でも家事もしなければならなくった。
介護は家事の延長なのである。だから女性には向いていても男性には向いていない面があり男性が妻が死んだり親の介護となると苦しくなるのはそのためなのである。
今や家というのは墓もあり家維持することはそれなりの資産も必要であり庭の手入れもあり家事全般すること自体が手間がかかりすぎるのである。
だから未だに整理がついていないのである。
一家を維持するにはそれなりの人手が必要だから一人暮らしでば無理だと思った。
大家族だった時代は家を維持できたが今は家自体が核家族とか分離してしまった。
だからこの辺ではそもそも故郷でも家族でも喪失して分離してしまった。
縁故をたどり全国に散らばり家自体は分離して故郷まで喪失してしまったのである。


タグ:大和言葉
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2015年03月18日

言葉に大昔の生活の痕跡が残されている (値(あたい)は生産することから生れていた)



言葉に大昔の生活の痕跡が残されている


(値(あたい)は生産することから生れていた)


 
「値・価(あたい)」の由来
あたいは、「相当する」といった意味がある動詞「あたう(能う)」が名詞化したものであるとか「あたあい(当合)」が変化して「あたい」になったと考えるのが妥当らしい。
「値」の漢字の「直」は、「まっすぐ」や「まとも」といった意味をもち「値」になると、「(人が)何かにまとも」といった意味を持つのだそう
あた・う〔あたふ〕

言葉はそもそも歴史がはじまったときからある。言葉は詩の化石化したものだというときそれだけ古いということである。
あたいが与えるから生れた言葉だというとき原始とか古代では人間はみんな生産者であり消費者ではない、戦後十年までは農家では納豆まで作っていたし自給自足していたのである。消費することが極めて少ない社会だったである。
現代の消費社会というのはここ五十年くらいつに起きたことであり人間はもともと生産者であり消費者としての歴史は極めて浅いのである。
何か生産しない限り生きていけないのが人間だった。
つまり自分で生産したものを消費したのであり自給自足であり他人が生産したものを消費していたのではない。
だから消費するという概念すらなかった。
それであたいという言葉が与えるから生じているのは自分で生産したものにこそ値が価値があるということであり他人が生産したものを消費するということに価値は生れないのである。
第一消費するというとき費やすとなるが費(つえ)えるとは

1 財物などが使われてひどく減る。「投機で家産が―・える」
2 時間や労力がむだに使われる。「いたずらに歳月が―・える」
3 (潰える)つぶれてすっかりだめになる。崩壊する。「災害に―・えた街」「計画も夢と―・えた」
4 (潰える)戦いでことごとく負けてしまう。
「是(ここ)に於て南軍大(おおい)に―・え」〈露伴・運命〉
5 やつれ衰える。
「年頃いたう―・えたれど」〈源・蓬生〉


こうした悪いものとしての意味しかないのである。
何か消費するというとき買うことになるが買うは代えるであり物々交換の名残りを残した言葉である。
買うとは自分が生産したものを交換することを意味していたのである。
だから消費という観念すらないのである。
こういうふうに言葉からふりかえると現代の生活がいかに異常なのかわかる。
もう自分でも毎日買うこと消費することが生活なのである。
何一つ生産せずに買うことが生活なのである。様々なものを買うことに費やされているのである。
江戸時代からしたら千倍とか買って消費している生活なのである。
人間は何一つ生産する能力を失っているという指摘も確かである。
それが豊かな生活かとなるとそうではない、何も生産できないということは何も価値をあたいを生まない生活にもなる。
何かを生産したとき自ら作りだしたときあたいが価値が生れたからである。
だからこういう消費生活はいづれは破綻する予感がするのである。
何も作らないで買ってばかりいたらいづれは食料すら手に入らなくなる。
何も生み出さないとしたらあたいが生れないからである。
つまりついえる・・・となってしまう。

うむとかあれば売る(うる)という言葉が基幹語から生れる。生む(うむ)があって売るとなると最初にやはり生産することがあり次に売るになる。その言葉にも消費するということはない、あくまでも生む、生産することに重点がある。
うみとは海はうむものとしてあるからうみになった。
うみーうむーうる・・・は関係している。最初に売ったものは魚だったらしいからであるそもそもそういう生活だからこそ言葉もそういうふうにできあがってくる。
だから現代の消費社会というのは無駄が膨大にありゴミをだしつづける。
それは自然の資源も無駄に消費する社会である。
原発もやはり核のゴミをだしつづける。それはプルトニウムだったら二万年消えないとかなる恐ろしいものだったのである。

とにかく費やすーつええるーことになる社会なのである。
最終的には現代の社会は文明はあらゆる資源を費やして遂についえる社会になる。
二十世紀とかは本当に膨大なの地球資源を消費した異常な社会である。
それは人間すら戦争で膨大な命が費やされてついえた社会なのである。
資本主義であれそれは何か現代では異常化している。
資本主義が修道院からはじまったというとき消費ということは頭になかった。
資本の蓄積をするプロテスタントシズム、勤勉にして神に仕えるということから資本主義がはじまったとなると消費という無駄に費やすということはなかったのである。

ともかく現代文明は科学技術文明でも核兵器や原発でもその頂点に達して崩壊する危機に直面している。現実に原発事故周辺は文明が崩壊した場所となってしまったのである。
だから文明の転換が望まれるし新たな文明の創造が望まれる場所にもなるしただ文明の廃墟として捨てられる場所にもなりうる。
つまり費やされついえた場所にもなるのである。
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2015年03月17日

日本語は縄文定着文明に由来しているのか? (言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)



日本語は縄文定着文明に由来しているのか?

(言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)


 
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現代の学問はグローバル化しているからなかなか素人学問では追いつけないだろう。
「地球環境史学」というのは世界史を環境の分野から見る壮大なものだからである。
その中で日本の縄文定着文明が一つの文明として見直される。
縄文が文明だったのかという疑問があるがそれも一つの文明として見直される。
そんなに縄文文明が世界的に優れていたのかとなる。
日本人のアイディンティティのルーツは縄文時代一万年にあるというときその長さに驚くだろう。
ではその縄文人として受け継がれたものが何か残っているのだろうかとなる。
それは日本語に残された言葉にあるのかもしれない゛日本語自体が孤立語であり他の言葉と関連していないから未だに謎である。
たたその言葉がどういう成り立ちがあるのかというとその言葉を成り立たせたものその生活自体にあったということは推測できる。

その一つとして日本語はとるというのが基本語としてある。英語でも外国語でも基本語がありそれはインドヨーロッパ語族だと牧畜狩猟を基本にしていた生活から生れていることははっきりしている。have get cache drive ・・・・とか獲物を捕らえるという感覚の動詞が主体になる。haveだとこさはあまりにも多様な意味がある。単にもつだけではない、養うとかありそれは家畜を養うに通じているのである。
haveは明らかに基本語でありそれはその生活と密着しているからそうなる。
だから言葉は研究することはその民俗のありようとか考え方文化に通じることになる。
ただそれがあまりにも多様だから言語の研究はたいがい嫌になりあきらめることになる。
日本語もまたいろいろその起源を探ってみても実際は不明である。
だから結局徒労になる。あくまでもみんな仮設にすぎないからである。

言語を知るには返ってその生活のありようにこそ注目して言語をみるべきなのである。
日本だったらどういう生活をしていたかというと魏志倭人伝る。
魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとくく牛とか馬とか羊でも知らなかったのである。
この相違は大きい、大陸では遊牧民はすべて牛であれ馬であれ羊であれそれを基にした生活でありそれが文明に発展したからである。
日本人は確かに鹿などを狩りしていたけど基本的には漁労民族である。
海の幸と山の幸に恵まれていた民族なのである。
山の幸は森の幸に通じている。だから牛とか馬とか羊は知らない民族だったのである。
最初に日本に来た人が中国人が日本人の特徴を的確にとらえていたのである。

ここで一つの基本語としてとるというのを例にすればここから発展する言葉が様々ありこれが日本語の基本語として発展する。
とるとは森などで栗でも木の実をとるということに通じている。
日々の暮らしが木の実をとることになっているからとるという言葉は基本語になる。
そのとるからとまるがありとむ(富む)がありとち(土地)がありとち(栃)が生れて派生語が生れてくるのである
最初に定着文明があったということになると人間は移動してばかりいたら豊かにはなれない、貯えることができないと富むことはできないのである。
だからとるからとむに発展した。縄文時代が縄文土器を作ったのはまさに富むための器を貯える器を作ったということで富むことになったのである。

それから恵み(めぐみ)という言葉がある、そのめぐみはめぐるからきている。
日本では恵みはめぐることである。めぐるとは水がめぐるように循環することなのである季節がめぐり恵みが与えられる。時もめぐるが水もめぐり大地を潤し恵みを与える。
それは弥生時代にも稲作になってもその生活は受け継がれた。
稲作も定着文明だから共通していたのである。
遊牧民は広範囲な大陸を移動する生活である。その生活のありようが根本的に違っていたのである。

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「地球文明の寿命」安田喜憲

東西の文明を考えるとき西洋の起源は狩猟牧畜に由来している。
そしてここで安田喜憲氏が指摘しているように大きな獲物を追って捕らえ食していたからその石器も大きかったというのも興味深い。
石器時代から東西の文明は根本的に違って発展したのである。
西の文化はそもそも石器時代からそれだけ動物を殺す道具が東より優れていた。
つまり西の文化は動物を殺す文明として石器時代から発展した。
それは現代と何の関係があるかというとその動物を殺す道具としての石器が巨大な殺戮機械に核兵器まで発展したといもはることができる。
西では戦争が歴史でもありたえまなく戦争していたから兵器の技術も発展していたのである。
西洋文明というとき科学技術文明のことでありそれは道具によって機械によって自然でも人間でも支配しようとするコントロールする文明である。
それは男性的原理からなる文明である。
それに比べ東は女性的原理かなる文明である。採集文明が木の実をとるのだからそれは狩りをするのとは違う動物を飼育するのとは違う馬にのるモンゴルのような生活とは違う、極めて女性でもできる作業なのである。

ともかく西洋文明と東洋文明とは何かというとそのテーマが大すぎるからそれを解くとなると様々な視点が必要になる。
ただなぜこれまで西の文化が優越になったかというとそれはやはり神が定めたものだろう聖書が生れたイスラエルは遊牧民のアジアの端だった。
では東洋となると東洋とはどこなのかなになのか明確ではない、そういう文明論などまだ解きあかせないからである。
日本は東洋文明だとしてもまた島国であり特殊な漁労採集民族だった。
それは西にはない文化を縄文文化を育んだ。
でもそういう日本の文化はないがしろにされてきた。
圧倒的な西洋文明により日本の文明は埋没して見捨てられていたとなる。
だから縄文文明が新しく見直されるときそれは国風文化の再興(ルネサンス)になるのである。
ただ縄文時代が遅れた文明のように見られているし日本の文化は圧倒的な西洋文明一色になっているからその発掘をすることが日本の発見にもなるのである。
だから外国語にばかり注目しているが「恵み」という言葉に何か日本文化の基本的なものがある。それは採集文化の女性のやさしさみたいなものが恵みにはある。
それは弥生時代の稲作文化の山から水がめぐり大地を潤しめぐる文化に通じている。
循環再生の文化である。

いづれにしろ今回の原発事故は様々なことを文明の転換すら要求される巨大事故だった。それは西洋文明すら見直すものとなったのである。
西洋文明の科学技術文明がたどりついたのが原子力だったとも言えるからである。
それは石器時代にすでにその萌芽があり今日いたっているという歴史の連続性がある。
一見世界を支配した科学技術文明が原発事故によって崩壊の危機にさらされたともいえるなぜなら原発事故であれ核戦争は人類滅亡に導くからである。
では東洋文明とは何かというとそれはあまりにも大きなテーマだし実際は日本文明が縄文時代でも文明と見ていないように発見されていないし日本人自身評価がしていないのである。野蛮なアフリカのような土人の作ったもののように見ていることでもわかる。
そして聖書のエデンの園では動物は食べていない、果実と木の実を食べていたのである。
そこには野獣はいない、ライオンとか肉食獣など獰猛なものいない、おだやかな草食獣とともに暮らしていた。
それは縄文人が一万年平和な暮らしをしていたというときまさに木の実や果実を食べていたからである。
肉食獣をとったり食べたりしている遊牧民から牧畜民から発した西洋文明はそうした東洋的平和な文明とは根本的に違っていて
弱肉強食の原理の世界、現代のような世界を作り出したともなるのである。
ただそれはあくまでも文明の相違であってそれぞれの良さがありそれを融合させるのが新たな文明なのである。
それがいち早く西洋文明化した日本にあると明治時代に指摘された。
それから百年以上すぎて原発事故がそういう西洋文明の転換をうながすものとさえなったのである。







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2015年02月28日

津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた (それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた

(それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」

津浪や原発事故の被害を受ける前からすでに農村は崩壊していた。
だから津浪や原発事故によってだけでなくすでに農村は崩壊していて原発事故がなくてもそういう崩壊状態にあった。
つまり何か津浪や原発事故が崩壊原因のように見えても実はすでに崩壊状態にありそれをたまたま津浪や原発事故か早めただけにすぎないという見方もある。
ローマ帝国であれインカ帝国であれなぜ滅びたかということを研究している人は内部からすでに崩壊していたのであり外部からの力で崩壊したのではないという。
インカ帝国にしても一団の荒くれ者によって崩壊させられたのてはない、帝国内に内部崩壊が進行していたからそうなった。
それもそうなのか、例えばなぜ戦争で三百万人も死んで焼け野原になり日本は復興できたのだろうか?
これは津浪や原発事故より被害が桁違いに大きいのである。
食べるものさえない状態からはしまったのである。
でもその時は子供が多く生まれた。それが団塊の世代である。
ミルクさえなく親は並んで買っていたという。
だから何もないのに良くそれだけ大勢の子供を養えたというのが不思議である。
アメリカから配給されたまずい脱脂粉乳などで育ったのである。
それは津浪や原発事故より絶望的な状態だったのである。
それも一部ではない日本全国でそうだったからである。

百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる

少子高齢化時代がはじまりそれが深刻なものになってゆく、それが文明が衰退してゆく原因である。つまり津浪や原発事故だけでは文明は衰退しない
その前に衰退するものがありそれに拍車をかけたのが津浪原発事故だという見解である。なぜなら農村はすでに崩壊していた。老人が農業していても跡継ぐものもいない、補助金がなければとやっていけない、漁業もそうであった。
だからこそ東電の原発を誘致したのである。
地方自体が衰退しているからこそ原発が必要だったのである。
その原発も事故になり本当に市町村は崩壊状態になった。
港は壊滅して田畑は原野化した。人々は離ればなれになり離散した。

地方の崩壊が原発事故周辺で文明の衰退崩壊を先取りして現象化したともとれる
陸前高田市のことなど放送していたが以前として先が見えない、人口は20パーセント減った。市街は更地になったままなのである。
そういう所でどうして復興できるのかとなる。
でも戦後東京でも焼け野原になったのである。その時仮設住宅な用意されていない。
食べるものもない状態から出発して復興したという不思議があるのだ。
その相違は何なのだろうとなる。
もしその社会が上昇曲線にあれば戦争でも自然災害で大きな原発のような事故でも復興するということなのだろうか?
もし下降曲線、衰退曲線にあればそうした災害や事故とも関係なく原因ではなく下降してゆくだけであり衰退して崩壊してゆくだけだとなる。
それは人口に現れている、明治から大正から昭和から戦後も日本は人口は上昇してきたのである。
戦後も団塊の世代がそれを象徴していたのである。

日本の少子高齢化の速度は早く恐怖なのである。なぜなら空家が7軒に一軒都会でもそうであり全国で800万軒という数になるからそのことが如実にしめてしている
つまり住む人か日本かいなくなるということさえ言われる衝撃的な事実なのである。
限界集落とか自治体が消滅するとか少子高齢化のことでは盛んに言われている。
まさにそういう現象がこの津浪と原発事故でこの辺に起きたのである。
村や町が消滅してしまうということである。
そしてそこは原野化して森に還ってしまうというのが事実となっている。
飯館村でも葦におおわれやがて前の森に還ってゆく
双葉とか大熊とかはもともと江戸時代は森であり明治に開墾された土地だった。
だからそこも人が住めなくなり森に還ってゆく、自治体は消滅したのである。
マヤ文明が神殿だけが取り残されてまた森におおわれてしまった。
原子炉の廃墟を残してこの辺も森におおわれてしまうのか?

この辺に起きていることは何も津浪や原発事故がすべての原因ではなくそうなることは予定されていたのかもしれない、それはここだけの問題ではない、大きく言えば日本だけではない、現代の文明の崩壊状態を先取りして示しているのかもしれない
家族が離散したというとき若い人はもともと田舎に住みたくないから姑と一緒に住みたくないからこれ幸いと補償金もらって流出した。
大内村などでも郡山市に住んでみたら都会の方が便利でいいとなる。
だから補償金をもらいつづけて郡山市に住んだ方がいいと帰らないとなる
家族自体が戦後核家族とかが奨励されたように大家族は崩壊していたのである。
ただ農家ではまだ親と住んでいる二所帯家族が多かったことは言える。
でも実際は一緒に住みたくないというのが現状だったからこのさい離ればなれになった方がいいとさえなった。

そして現代の最大の特徴は何かとなれば貨幣こそか金こそがすべてだという社会である。それは世界的にそうでありそのことも津浪や原発事故での市長村の崩壊に拍車をかけたのである。

金があるならどこでも好きなところに住んでください
その土地にこだわることは必要ありません

農民が土地にこだわるというときそれは植物的本能とも言える。それをシュペングラーは指摘していた。そういう生物的本能の否定の上に都市が巨大化して地方が農村が衰退させてきたのが現代の文明なのである。
田舎でも地方でも金がすべてであり金さえあればいいという社会になっていたのは変わりないのである。
田舎にはまだ田舎の人間的つながり助け合いがあると思っているがそれはすでにないのである。貨幣経済が支配するのは田舎でもそうでありそれは世界的にそうなったのである。ある一地域にこだわり住むという社会ではない、金かあればどこにでも住んでください、極端になると世界のどこの国にも住んでいいです、金さえあればとなる世界である。

そういうことがこの辺で現実に起きている。仮設に入った人は膨大だけど別に金さえあれば食料に困ることはない、いくらでも外から入ってくる。
そして仮設に入っている原発避難民は補償金で暮らしていけるから何も困らないのであるもし何も食べるものがないので何かめぐんでくださいとかなるなら別である。
何にも困らないしかえって補償金がもらえるから威張っているというのそのことを如実に示している。
だから金だけにものを言わせることにイワキでも他でも非難されることになったのである何でも金がもの言う社会になっているきだからいうことが矛盾しても起きてくるのである
だから貨幣経済の資本主義とか文明そのもの矛盾が現れたともなる。

金をやるからあなたがたはどこにでも住んでください

こういわれているのである。でもその金によって一億円もらっても代々住んでいた土地から離れて住むことは人間の根源的なアイディンティティを失うことではないか?
それを田舎から都会に移り住んだ人は感じているだろう。
ただそれを表現できないからその内面が良くわからないというだけである。
文化もそうだが人間はもともと生物なのだからその土地から生成されたものである。
だから都会というのはもともとその土地から遊離するということでもあった。
それを可能にしたのは貨幣経済のグローバル化でもあった。
ユダヤ人は土地をもたないから金にたより資本主義を生んだというのも一理あるわけである。金融業を支配しているのはユダヤ人であるとかいうのもそうである。
ただユダヤ人だけではない、そういうシステムの文明はすでにグローバルになっていてそれはまた世界がその文明を取り入れたからである。
文明とは普遍化であり世界的普遍化なのである。
ただそういう世界的文明もゆきづまり崩壊してゆくことは常に社会が変化したようにありうる。
だからそういう文明が崩壊してゆく現象が津浪や原発事故でこの辺に先取りして起きているのだと解釈もできるのである。

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある

確かに都市は勝利したけど地方の衰退は都市に影響してゆく、地方がなくして都市も実際は成り立たないからである。そこは文化もない不毛地帯であり今若い人が田舎志向になっているのもそうした精神の不毛地帯を感じているしそれが具体化したとき今度は都市が衰退して崩壊してゆく、そして文明自体が崩壊してゆく・・・その次に新しい文明が生まれ、それはななのかわからないとなる。
小規模のかつてあった田園都市のの再興となるかもしれない、それはまた新しい地方の再生にもなるのである。




タグ:文明の崩壊
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2015年02月27日

土着的生活の喪失が思想をゆがめる (シュペングラーの思想は都市民と農村の対比で展開ー(1)


 
土着的生活の喪失が思想をゆがめる


(シュペングラーの思想は都市民と農村の対比で展開ー(1)



都市は農村の生活と思想とから分離できないところの土地という原始価値に代えるのに財から遊離した貨幣という概念を持ってこれによって経済の指導権を握るようになる。

農村の魂の中には祖先の子孫としてまこ後世の子孫の祖先としてここに根をおろしている彼の家、彼の所有、これはここで短い数年間における肉体の財産との一時的な組み合わせではなく永久の土地と永久の血との永続的な内的な結合を意味する

数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・
文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
人種には根がある、人種と土地とはともに一体となっている。
植物はその根をおろしたところで死ぬ

世界都市的住民の共通語は精確で冷たく理知的で実際的で方言と詩を嫌悪するのである。それは人種とか宗教の精神ではなくただ単に経済の精神なのである。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」



シュペングラーは現代の文明の没落を予言していた。その内容が多岐にわたるからわかりにくいので理解することができないものだった。
人間の生存のアイディンティティの基盤は農村にあり農民こそが人間の原型であり都市民はむしろ亜人間とみていた。
文明はそうした人間の存在基盤を否定して離脱して成長して没落してゆく。
それが世界都市民でありそこで共通なものは貨幣であり言語でもそれはその土地土地から生まれた母国語とは違う、商売用の言葉でありそれは数字とにている。化学式の記号ともにている。そこにはもはや詩はない、言葉が最初詩語だったというとき言葉は日本語でもそうだがその民族の根本的なアイディンティティなのである。
もしその言葉を失えば民族のアイディンティティは失われるのである。
日本の言葉でも大和言葉は古語にはそれがある。それは神道に通じているのである。
日本の神道とは日本の土地と自然に通じた言葉なのである。
それは万葉集に残されている言葉である。今では解釈できないものがあるのは日本がすでに母語なるアイディンティティを失っているからである。

文化が何かというときcultureでありcultivate(耕す)からきているときまさに文化は土地から生まれてくるのである。だからシュペングラーが植物から建築が生まれたというとき建築は植物的なものである。大地に根をおろして不動だからである。
ドイツの文化が霧深いゲルマンの森から生まれた。その森厳な樅の木の森が音楽と哲学とゴシックの石の大聖堂を生み出したのである。
中世でも人の入れない森が延々とつづいていたのである。その森は文化となる前には生活の糧を供給していたのでてある。つまりドイツ人は森の民だったのである。
ドイツ人の実直さとか真面目さとか哲学者が生まれたのは森があったからだとなる
人間はその土地の自然をcultivate(耕す)してゆくことで文化が育まれ成長してゆくからである。都市民にはそうした根となるものがないから土地から離れてしまったからただ貨幣でもってグローバルに展開する経済の精神しかないのである。
そこから文化や詩が生まれようがないのである。
カルト宗教団体画あるかそれも現代では政治と経済の精神しかないのである。
なぜなら現代のカルト宗教団体からかつてのような文化が創造されるようがないからだ。仏教でも歴史を見ればわかるが重厚な文化を創造したことが残されたものを見ればわかるそれは現代の経済商業の精神ではない、文化が育まれ創造されたからである。

現代は確かに経済的には繁栄しているが文化的に衰退している。
「西欧の没落」と感じたのも人間の終末的感覚から生まれたからである。
人間がグローバル化して貨幣がそれも紙幣が数字となってこれだけ支配しているというのもそのためである。
アメリカは経済と科学の国でありまさに現代を象徴している国でありそのアメリカが世界を支配するというときアメリカ的に一様化されるのである。
グローバル化によってその土地土地の文化が消滅してゆく。
そして金だけが紙幣が数字と化した金が世界を席巻するのである。
アメリカが世界の国々の文化に無頓着で文化財を破壊するというときアメリカには文化がないから文化を理解しないとなる。
ただアメリカにしてもホイットマンの時代は日本の江戸時代とにていて今の文明とは全然違っていた。その時代は農本主義だから土地に根
ざす農民が主役だからそうなっていたである。
その時でもすでにソローが出たように文明化は急速に襲ってきていたのである。
ソローは森の湖で思念を深めて森の生活を書いたのである。
その時代はまだまだニューヨークのうような大都会は生まれていない、日本なら江戸時代から明治時代、大正時代なのである。

日本でも誤解しているのは大正時代には人口が六千万しかなかった。
この影響が大きいのである。東京すら百万でありそうなると東京も回りには自然があり今からすれば田園都市だった。
だから都会も賛美されていたのである。百万都市は東京にしかなくあとは五万くらいの都市であった。都市の規模は極めて小さいのである
都市文明を否定するにしても中世からのヨーロッパの都市は数万とか五万以下とか人口が今と比べる少ないから田園都市だったのである。
フィレンツすら五万くらいだったからなぜあそこにあれだけの文化がルネサンスが生まれたのかとなる。
一千万の都市が世界中にあってもそこから今は文化は創造されていないのである。
ただそこには経済の科学の精神があるだけなのである。

江戸時代でも明治でも大正時代でも何か貧乏だけがとたあげられるけどそれは経済の比較だけから見るからそうなる。文化の比較だったら日本でもアメリカでも江戸時代から明治の方が豊かだったともなる。
だからそこで暮らしていた人は満足していた顔をしていた、平和的だったというとき何か貧乏でもそれを補うものがあった。
その時代はそもそもその時代に生きてみないかぎりわからないのである。
その時代に生きた価値観も今ではわからないのである。
ただ今の時代から類推するから常に歴史には大きな誤解がつきまとっているのである。

タグ:土着
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2015年02月26日

現代文明は何でも数字化されて非人間化される (米職業ランキング1位は数学者)


現代文明は何でも数字化されて非人間化される

(米職業ランキング1位は数学者)


米職業ランキング1位は数学者、最下位は? 2014年版
http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304126604579504901060510912

<ベスト職業と中位所得>

1. 数学者、10万1360ドル
2. 大学教授(終身在職権付き)、6万8970ドル
3. 統計学者、7万5560ドル
4. 保険数理士、9万3680ドル
5. 聴覚訓練士、6万9720ドル
6. 歯科衛生士、7万0210ドル
7. ソフトウエア技術者、9万3350ドル
8. コンピューターシステム・アナリスト、7万9680ドル
9. 作業療法士、7万5400ドル
10. 言語聴覚士、6万9870ドル


これも現代という社会を象徴したものだろう。会社に就職したら必ず数字を処理する。数字を処理する仕事が多いのである。例えば銀行でもこれは紙幣を数えるのと数字を処理することに追われる。毎日が数字の世界で生きているのである。
金とは今では数字のことであり紙幣のことでもない、数字が増えれば豊かになったとなり数字がへると貧乏になる。
そしてゼロになったとき何もないものとなる
あらゆるものが現代は数字で計られている。経済も常に数字で計られている。
グローバル経済になると世界が数字で判断されているのである。
金という現物より数字で世界の経済が動いている。特に金融関係は毎日数字の世界で仕事しているのである。
こういう世界になると数字に弱いものは不利になるのは当然である。
だから文系は使い物にならないとかなるし文系でも数学できる人は高収入になる。
数字をみて統計などを見て判断することが多いからである。
株なども常にグラフをみているからやはり数字の世界なのである。

財政といっても金塊をどれだけ貯えているとかそうした具体性がまるでない世界である。たいがい富は具体性を帯びたものとして持っていたのである。
日本たったら米であり米俵を蔵に貯えている人か金持ちだとなる
小判でもそれは金だとしたら紙幣とは違ったその小判自体に価値あるものとして貯えられていたのである。
富は具体的な物として貯えられていて価値があった。
現代の問題は金融の世界では実際の富とは結びつかない数字で現され数字の変動で莫大な富が入る世界になっていることが指摘されるのも当然である。
富の裏付けとなるのは紙幣ではない、紙幣は紙でありそれも日本銀行で勝手に作り金融政策でデフレ脱却としてばらまかれる。
紙幣などいくらでも作れる。でもそれが国の富になったり世界の富になったりしないのである。
石油とか資源があればそれは具体的な富になる。紙幣をいくらもっていてもそれはいつか紙屑になる。現実に急激な時代の変わり目にはデフォルトして金の価値は極端に下落して紙屑になったことを世界恐慌など経験している。
戦前から戦後でも紙幣の価値はゼロになった。
戦前に金をもっていて土地を買っていたがその土地だけが価値として残されたということを知っている。
つまり紙幣はただの紙屑になるリスクが常にある。

具体的な富は土地とか資源とか今では技術力とかにあり紙幣を操作して金融を操作して富を作り出していることは現実の経済から逸脱している詐欺にも等しいともなる
架空の数字を操作して金融業者が莫大な富を得ていると感しるからである。
汗水たらして働いている人からみると一夜にして億の金が入ってきたとかなるとそれを理解できないだろう。
資本主義社会とは元金がないといい目は見ない、まさに資本がもの言う社会だとなる。
資本を蓄積できないものはまずいくら働いても富を得られないという社会である。
資本があれば一億円でもあれば投資していればもうかるようにできているのである。
元金がないことには資本主義社会では金持ちにはなれないのである。

何でも数字に換算される世界は何か抽象的になる。そこには切れば血もでる生身の人間が感じられなくなるのである。
戦争で三百万人死んだと言ってもそこに何も感じないのである。
要するに十万人の死者を積み上げる、死体や骸骨を積み上げたら具体的に感じる。
カンボジアではそうした骸骨を積み上げた所があり記念館になっている。
人間は数字から現実を感じられないである。
そこに現代の大きな落とし穴があり非現実を現実と錯覚する危険性がある。
イスラム国のあの残虐な殺し方を見ていると恐ろしくなる
そんなことができるのかと恐怖する。
ても空爆で六千人殺したとき何か感じるものがないのである。
でも六千人の死体を積み上げたらそれは残虐な殺し方より残虐だと見える

現代の情報環境でもテレビの報道でも具体性が感じられない、テレビで写る映像でも何かそれがドラマのように見ているし現実味が感じられないのである。
だから沖縄で洞窟から戦死者の骨を大学生が発見したというとき戦争の悲惨さを実感したというのもわかる。
戦争で三百万人死んだといってもそれがなんだとなり実感できないのである。
そういうことが現代では多すぎるのである。
放射能でもそれはただ数字でしか計れないし感じようがないのである。
毒があるとしてもそれが吸って死んだとかもすぐにはない
もし奇形の生物が続々生まれたとなると実感できる。
そういうこともないと放射能は実感できない、ただまさに数字としてしか意識できないのである。
人間が数字化されることは量としてしか見れない、それは非人間化社会である。

それは政治の世界でもただ数字でしか一票でしかない、一人の人間の重みはそこに何もないのである。
政治でも経済でもただ数字として計られる、一人が買うより十人が百人が買えばもうかる多数を相手にするのが政治と経済である。一人の価値などそこにはない。
一人は個人は何の力もない、だからカルト宗教団体でも創価でもどこでも数を集めて政治力となる。
まさに「数は力なり」であり数は現代では権力なのである。
何でも数で計られる、マスコミでもテレビでも新聞でも視聴率で計られる
どれだけ多くの人に見られるかで影響力をもつのである。
だからこそマス(集団)なのである。
だから本当は数字から社会を見て人間をみることは危険にもなる。

ともかく一人一人の個別事情などに対応できない、数を集めればそれか即権力につながる数を集めるには大衆を操作することだとなる。
それにはめんどうをな理屈はいらない、ハイルヒットラーとか題目を唱えれば何でもかなうとかともかく簡単でわかりやすいのがいいのである。
それによって大衆は操作されて戦争でも何でも権力者の指示通りにされるのである。
現代は常にこうして大衆、マスとして数として見る社会だからファシズムの危険がある社会になる。
この危険から逃れるのは社会の外に立つアウトサイダーとなってしまうのである。
そこには個なるものが巨大化してゆく、大衆社会の非人間性の補いとして
自然の真善美がそのアウトサイダーを通じて表現されてゆく
それは大衆社会の数化した社会から人間の巨大性を神が与えているともなる。
ニーチェとかヘンリーミラーとか上野霄里(うえのしょうり)の原生人間とかは文明人には理解できない巨大なものとして文明に対峙するのである。それはまた偶像化でもあり危険である。

そこには文明という大都会という政治経済化した数字化した無機質化した世界に対峙しているのである。
大衆化マス化した社会は何か人間の真善美とは関係ない世界である。
政治的経済的活動が数字化したものでありそこに自然の真善美は反映されないのである。大衆消費社会とは人間も消費される、数字として消費されるともなる。
人間は数字でしかないとなる、顔もないし個性もない、抽象的な数字として人間が消費される社会なのである。数字化ささた無機質な世界である。
それはシュペングラーの言うように大都会に象徴されている。
田舎的土着的なものが文化であり都会には文化はないのである。



シュペングラー(1880−1936)は「数学は幻影である」と書いた。

「重ねて言うが、数学は幻影である。」(シュペングラー『西洋の没落』)
シュペングラーは数学者だった。パスカルもラッセルも理系であり数学者であった。
数学は知的な探求の基本がある。だから「西欧の没落」ではしきりに数字化している世界を最初に書いている。それは人間の無機質化であり非人間化なのである。
まさに数学は数字は実態ではない、幻影なのである。
シュペングラーには文化は土着的であり田舎的なものである。
都会と田舎の対比の中でも語られていることが興味深いのである。
これを読みこなすことは相当にむずかしいけど自分は理解できないなりに読んでいた。
若いときは理解できなくてもむずかしい本を読んでおくべきなのである。
あとで理解できるようになるからである。
今なら自分なりかなり解説することもできる。
本は自分なりに消化しない限り読んだことにならないのでてある。



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2015年02月24日

数学史からみるとわかりやすいイスラム文明 (世界文明は平和的融合である)


数学史からみるとわかりやすいイスラム文明

(世界文明は平和的融合である)



 現在我々が使用している算用数字はアラビア数字と呼ばれる。インド数字を原型として、イスラム世界で完成し、後にヨーロッパに普及し、現在は世界中で使用されている。この アラビア数字の最大の長所はインドから学んだゼロの観念をアラビア数字・十進法と結びつけたところにある。
 ローマ人はアルファベットを用いて数字を表記した(1はI、5はV、10はX、50はL、100はCなど)が、大きな数字を表記するのに大変苦労した。例えば1999はCIC(1000) IC(500) CCCCLXXXXVIIII(1000と500の右端のCは、Cを裏返して左右を逆にした記号になる)と表記した。

 従来の数学は、例えばギリシアの場合も発達したのは代数学でなく幾何学であった。代数学が発達せず、幾何学が発達した理由はやはり数字の問題だと思う。
 天文暦学は、古代オリエントでも盛んであった占星術がイスラムでも大いに発達し、そこから天文観測や暦学が発達し、正確な暦も作成された。
 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/91-islam11.html


 それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。
 ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである
 http://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm
 
 

中国が起源の火薬、羅針盤、印刷がありさらにインドを通じてゼロの観念が入りイスラムで代数学が発展した。ギリシャは幾何学だったということはエジプトの数学も幾何学でありピラミッドを作るのに用いられた。代数となると抽象化が高度になる。
スペインのトレドにイスラムの集積した知識が本として保存されていた。
イスラムを通じて数学が代数学として伝えられ医学や化学なども伝えられた。
イスラム独特の建築も伝えられた。
今イスラムというと石油とアラーの神、宗教しか見えない、そのイスラム教もイスラム国のテロとか政治だと独裁制の遅れた国としか見ていない、つまりイスラム文明は先進国としてあったがいつしか後進国になってしまったのである。
そして何かイスラム国の野蛮性とかテロとか何ら文化的なものがない世界にしか見えないのである。
西欧のルネサンスがこうしたイスラム文明が融合して生まれた。
それが西欧文明だけではない、中国にも起源がありインドにもありイスラム社会で発展してスペインにイスラム圏が拡大したときその文化的遺産がトレドに残された。
ルネサンスが華開いたというときそれは世界文明として華開いたものだった。

わかりやすいのはアラビア数字とかローマ数字とかがある、ローマ文明が数字の表記に苦労していたというのもあれだけの建築を作ったのに意外だった。
文明とか文化は戦争により争いではなく戦いではなく平和的融合なのである。
そこに人類の歴史の意義がある。別にイスラム教とキリスト教が争うというのではなく
文明や文化面からした融合なのである。十字軍のときもイスラムの富と文化が流入した。その時もイスラム文明の恩恵を西欧では受けていたのである。
中国文明というと世界とあまり関係ないように見えても紙の発明がイスラム圏に入り西欧に入り印刷術が伝播されて本が作られるようになった。
紙の発明は意外と重要であったた。それは知識を伝達してまた保存するという役割があったからである。だから本の役割は大きく文明を作るものだったともいえる。
それでローマでも図書館が立派なのである。イスラムでも図書館がありそこが学びの場となっていたのである。
その図書館の役割がインターネットになるとどうなるのかということになる
やはり知識は今までとはまた違って普及するだろう。
こうしして自分が書けるのも知識が要約的でも読めるからである。
世界史は大きくて複雑でどう勉強していいかもわからない、でも数学史という面から見るとわかりやすいとなる。世界史はまた戦争史のようにも見える。
でも世界史は文化の融合でありそれは平和的なものとしての実りなのである。

文化面から見れば文明は対立しない、宗教でも対立しない融合なのである。
西欧文明とは世界文明であり西欧だけが作り出したものではない、西欧は世界史からみると辺境だったが世界の文明を融合させる地理にありそこで世界の文明として華開いたのである。それがルネサンスだったのである。
西欧の科学機械文明は数学が基礎にあるときやはりその数学がインドのゼロの観念からイスラムの代数学から発展したことが興味深いのである。
化学もイスラムが起源でありそれは今日の化学の基礎なのである。
今のイスラムの不満はそうした過去の栄光と何ら関係ない、外から何も文化的なものが見えない、かえって遅れたものしか見えなくなっている。
その不満は暴力では解決しない、日本では江戸時代は科学など相当に遅れていた。
技術でもそうであり第一駕籠というのは原始的な乗り物なのである。
人間が担いで運んでいたと何ら変わりないのである。
だから明治維新になってすぐに鉄道でも開通して発展したというのも不思議である。
イスラム社会では鉄道は発達していない、砂漠などで条件が悪いのかもしれない。
ともかく化学を生み出してイスムラで科学は発達しなかったのである。


イスラム国がテロで話題になったときイスラムとは何なのだとか関心を集めた。
イスラム社会はわかりにくい、今イスラム圏内、エジプトとかどこでも若い人の人口が多いのである。するとそうした若い人の就職先がないとかが大問題になる。
就職先がないからイスラム国で兵隊になるという人もでてくる。
それでイスラム国が経済的にも優遇したのは魅力となったのである。
月給とか家まで与えるとなると職もなくうろついているよりはいいとなる。
ともかくイスラム圏が若い人の人口が多いということはそれなりにポテンシャルがあるのかもしれない、そこに何かエネルギーが生まれる。
日本は高齢化社会であり老人の介護にエネルギーを使われている。はたしてそんな社会から新しいエネルギーが生まれるかともなる。
戦後の焼け野原になったときも今の団塊の世代が生まれたがその時も子供が多いし高度成長時代になるとその子供の多さが労働力となりエネルギーとなっていたのである。
だから若い人が多いということはやはりその国も若いのでありエネルギーが生まれるということはありうる。
だから少子高齢化の日本が衰退すると騒ぐのはそのためなのである。

数学とか科学は苦手でわからないけどやはり文系でもそうした科学にアプローチす方法はあるのだろう。歴史的にアプローチすると興味を覚える、数式だけで見るとギブアップになる。あらゆる学問も歴史的積み重ねで発展したものなのである。



カトリック教徒である支配者はトレドを自国の首都とし,ユダヤ教徒の市民は手工芸や商売で手腕を発揮し,イスラム教徒の職人はその才能を建築に役立てました。それら三つの宗教の学者たちが翻訳学校で一緒に働き,12世紀から13世紀にかけて,非常に多くの古い文献をラテン語やスペイン語に翻訳しました。それらの翻訳者のおかげで,西洋人もアラビア文化の膨大な科学的知識を利用できるようになりました。

このサイトは簡潔にトレドのことをまとめている。

タグ:数学史
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2015年02月05日

郷土史の意義とは (時間軸を基本にして故郷に生きる意義の探求)


郷土史の意義とは

(時間軸を基本にして故郷に生きる意義の探求)

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郷土史の意義とは何か?それはある範囲での総合的価値の追及である。
現代の文明は複雑化して職業も無数に分化してつながりとか一体感が感じられない。
郷土史というとき自然をベースにしてアイディンティティを見いだし構築してゆく。
その自然というとき昔なら自然から糧を得ていたし80パーセントが農民だという時代は
自然そのものを意識することはない、自然がどうのこうのなどあまり考えない
生きることが自体が自然なしではありえないからである。
それが現代では自然から遊離して生活できる環境を文明が作った。
だから東京のように一千万の都会でも自然がなくても暮らせる
ところがその東京ですら水は自然があって供給されているのである
水は利根川の奥とかいくつかのダムから水を供給している
そのダムの水が実は今回の原発事故で放射性物質で汚染されたのである。
フクシマに原発を作れば東京は安全だと思っていてもそうではなかったのである。

郷土史というと何か狭い範囲の学問だと思っている。好事家がしているうよてうなものだと思っている。それが自分がプログで「相馬郷土史研究」で発信しつづけてわかったが
広範囲な知識と学問が必要でありこれだけ狭い相馬藩内でも自分一人では手に負えない
知識が必要になる。
今回の原発事故では自分は科学に弱いから放射能汚染について何か伝えることができなかった。
郷土史というといとき土から成るということも書いたから土と密接に結びついてある。
とすると地質学だって関係してくるともなる。そうなると自分には手に負えないとなる。地質学は地震とも関係してくるし地盤とも関係してくるから重要だとなる。
だから街中の墓地の前に復興団地が建ったときここは地盤が弱いというとき
そこは沼地だったらしいからそうなる。そういう江戸時代辺りの自然がどうなっていたかも知る必要があるのだ。あそこは地震に弱い地域だとなる。

それから郷土史というと史であるから長い時間軸で形成されたもののなかで人間の生きてきた価値とかこれから生きる価値を見いだす、意義づけることなのである。
自分の母親が百歳になったというときその人の生きた意味は何なのか?
一つは個人として価値づけるものがありもう一つは家族として生きた価値づけがあり
もう一つ故郷に生きたという価値づけがある。
さらに広域的になると戦争を経験したりすると国家的価値付けが問題になる
一人の人間の生きる意義とか価値は重層的なのである。

まず人間が生きる価値というとき自然があり人間の価値も生まれてくるのである。
それが大都会にはない、海があり大地があり山があり森があり川があり・・そこにまず人間の価値が生まれてくる。江戸時代でも戦前でもその地域地域で自然の糧を得て生活していたのだからそういう自然のことを意識していなかったろう。
戦後十年も炭で生活していたのだから地域が資本になってい生活していたのである。
地域地域の自然を糧として生きているとき自ずと精神的価値も自然に人間が付与するのである。

例えば石の詩を自分が百編書いたというときそうである。
石はその土地の要のように千年とか千歳とかあるから重みがあるとなる
石とか山にアイディンティティをもつのは人間として極めて自然なのである。
とても高層ビルにアイディンティティをもつことはできない、それは非人間的人工物となるからだ。
石にしてもそれは山とか大地にあるものでありビルの谷間に石一つあっても庭にあっても活きてこないのである。
石は四季の風雪の中で千歳の磐として重みを増してくるのである。
つまり自然は人間に食を与え養い美を与え神道のような信仰を与え哲学を与える
人間は自然からアイディンティティを見いだして人間形成するのが自然なのである。
都会のビルの谷間ではそうしたことができない、毎日がビジネスでありただ金を計算しているだけになる。それが人間の営みだろうかとなる。
そういう疑問ももたないというとき人間は何なのだろうとなる。
だから自然から離れた文明は奇形文明だとしたのである。

郷土史というとき相馬藩での権力争いとか戦争とかがやはり国の歴史と同じく主要なもののように見えてくる。でも一般庶民でも郷土に生きる生きた意義を追及するのが歴史である。
自分の母親のことばかり例にとるのもなんだがそれは一つの例である。
他にも自分は庶民の話を聞いて郷土史に書いてきた。
郷土に生きることの意義がそれぞれある。それは国の歴史とも関係している。
製糸工場で働くということは地域史であり日本の歴史でもあった。
原町にある原町紡績は一つの大きなこの辺の歴史をになっていたのである。
原町市は近代化の歴史をになった街として明治から形成されていたのである。
原町の歴史をたどれば雲雀が原の野馬土手であり馬の放牧場であり次に原町村とあり宿場町として発展して明治以降は近代化した街として無線塔など原町機関区があり発展した。相馬藩内でもそういうふうに村でも町でも市でも違ったものとしてある。

郷土史はまた現代と関係ないということはない、歴史は必ず連続しているのである。
連続していない歴史はない、過去が全く消え去ることなどないのである。
江戸時代から明治になり何でも変わったかというそうでもない、実質生活は変わっていないものがかなりあった。農民の生活はほとんど変わっていなかったのである。
農民が八割もいたとなると当然だとなる。農本主義になるからそうなる。
万葉集だって以前として理解不能な面もあるがその当時の自然が喪失しても日本という自然がある限り理解しえる、富士山でもなくなれば理解不能になるにしても現実にその土地は継続しているのだから理解できるのである。
新しい意味と価値を帯びて継続されているのだ。


郷土史というときだからこれは現在と結びついてどこでも不可欠であり時間軸から思考して意義を見いだす作業なのである。
原発事故がなぜ起きたのか、これも明らかに時間軸で郷土史を探求しておくものだったのである。
400年前に慶長津波で相馬藩で700人溺死したという一行でも貴重な記録だったのである。そこから津波の危険を察知して郷土史関係の人が警告できたのである。
宮城県の学者の人がすでに科学的て発見とともに警告していたのである。
人間は時間軸で考えるのは苦手である。人間はともかく忘れやすいのである。
それが人間の弱点だから文書とかに記録していないとますます忘れてしまう。
なぜ地震国なのに危険な原発が多く作られたのか?
それは日本の風土の歴史をないがしろにしているから起きた天罰だともなる。
ともかく郷土に生きる人間一人一人の意義をみいだしてゆく作業が郷土史でもある。

立春に母の百才の祝いかな我が家に過ごす長き年月


この我が家を故郷か日本と置き換えると郷土史とか日本史とかに通じるのである。
「長き年月」のなかに意義が見いだされてくる。
それは個人的にも家族的にも地域的にも日本的にまた世界史的なものとして意義を見いだすことが歴史である。
だから今はいろいろ日本史でも世界史でも見直す作業がなされようになったのである。

タグ:郷土史
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2014年12月28日

盆栽は江戸時代の文化 (育てるのに五年十年かかる時間感覚が江戸時代)


盆栽は江戸時代の文化


(育てるのに五年十年かかる時間感覚が江戸時代)

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盆栽は「年を重ねるほど価値が上がる」のです。
盆栽は驚くほど長寿です。
松柏類の中には樹齢千年を超えるものまであります
http://www.gardenxgarden.com/bonsai/life.html

江戸時代後期の浮世絵に見ることができる。歌川国貞の『ゑん日乃景』には、螢を売る虫屋、金魚売りと一緒に植木屋の屋台が並ぶ。狭い長屋住まいの江戸っ子の生活に季節感と彩りを添えたのは、他ならぬ鉢植えの花々。撫子の鉢を手にした女性の姿は、心なしか誇らしげだ。


金魚売りは戦後十年くらいまで来ていたから江戸時代のつづきがまだあった。
虫屋とはないが虫を愛するのも日本人である。やはり江戸時代から継続されているものはある。

毎日のように通る仮設でいつも盆栽を品評会のように並べている所がある。
今日その盆栽を作っている人に聞いてみた。

「いろいろみんな変わっていて個性があり興味もちました、これまでにするのには大変でしょう 何年くらいかかるのですか」
「まあ、最低で五年、十年は十分にかかります」
「そんなに長くかかるんだ、なんだか気が長いとできないな」
「水やりだけでも毎日30分かかるよ、だからなかなか遠くには行けない」
「土でも狭いから栄養とるとなるとやはり水やりは大事になるんだ」
「絶えず手入れしてないとまた形が崩れてゆくし・・」
「手入れは手間がかかるようです、何しろ生き物だから外から見てわかるな
今の若い人には向いていない、今の年寄りでもこれは手間がかかるからやる人も少ないでしょう」
「まあ、小高では50人とか仲間がいました、だんだんやる人も少なくなっています」
「テレビでやっていたけど外国で盆栽が人気になったとか、これは良くできているから高く売れるんじゃないですか」
「まあ、今は盆栽はあまり高くは売れないです」
「そうかな、なんかこれらは一つ一つかなり価値があるように思える、なぜって5年とか十年で形が作られる、手塩にかけけ育てるものだから価値があると思うんだが・・・」

盆栽で誤解していたのはこれはやはり江戸時代の文化の反映だった。
何がそうかというと盆栽は気長でないと時間をかけないとできない趣味である。
江戸時代にはそうした時間の感覚があった。
木材でも材料として使うのには50年とかかかる、だから山で暮らすのには木材を利用するのには50年かかるとしたらとても一代ではその仕事はやれない、受け継ぐものが必要になるるきだ。三代とかでやっと仕事ができる。実りは三代とかあとになってしまうのである農家でもそういうことがあり三代ではじめて農家として認められるというのもそのことである。その時間の感覚が今とはあまりにも違っているから盆栽は現代のめまぐるしい時間感覚に合わないのである。


だから江戸時代の時間感覚から生まれた文化だったのである。
この時間の感覚は歴史的に違っていて今では理解できない。
今は時間が百倍くらいのスピードで過ぎて行っているかもしれない。
情報でも大量の情報が毎日流れては消えてゆく、その感覚が江戸時代とはあまりにも違っていたのである。
だから文化というのはそうしたその時代時代の時間の感覚とかとも関係して生まれている
現代の時代はモビリティの時代である。モバイルの時代である。絶えず動いている、何かに動かされて追われている感覚である。だから針金で枝を曲げたりしているのが何か悠長になる。もう5年なんか待っていなられない、今できあがったのを見たいのである。

だからこの盆栽の趣味は老人にすら合わないものとなっている。
老人だって他にすることがある時代だからである。
それにしても盆栽には江戸時代からのがまだ生きているということに驚いた。
樹齢500年とかのもある。そんなにこんな小さい盆栽が生きていると思わなかった。
それも時間感覚があわなくなる。そんなに長く生きるものなのかと思わなかったのである小さいからどうしても早く枯れて死んでしまうのかと思った。
すでに江戸時代から残って生きている盆栽があること自体驚きだった。

何か仮設で小高の人もいろいろな人がいたがあの盆栽を並べている一角だけが一番目立つものだった。盆栽に興味もなかったがあの盆栽を見て興味をもったのである。
すでに四年近く仮設で暮らしている。それも長いなと思った。
あういう趣味があれば仮設暮らしも退屈しないと思った。
あの盆栽を作っている人はかえって仮設でその趣味を活かしたまれなる人だったである。
もう正月になるけどあの盆栽はまた正月にもあっている。松だからめでたいとなるからだそして長寿だということが盆栽の特徴だったのである。だから百才の時代にはこうした長生きなものはあっているともなる。でも時間感覚では江戸時代のものだったのである。
文化を理解するのがむずかしいのはその背景となるもの、時間感覚などが今とはあまりにも違いすぎるから理解しにくくなる。
江戸時代はモビリティの時代ではない、一カ所にとどまり定着しする生活だからこまめに盆栽を手入れする時間があり盆栽趣味が育成されたのである。
冬の日がさして盆栽を手入れしているのがいかにもあっている。

タグ:盆栽
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2014年11月10日

時間軸で形成される文化の理解はむずかしい (歴史も時間軸で長い時間で形成されるから理解しにくい)


 
時間軸で形成される文化の理解はむずかしい

 
(歴史も時間軸で長い時間で形成されるから理解しにくい)


●空間と距離の制限はなくなった

現代は空間的には地球大に広がっている。飛行機でどこにでも行ける。地球の裏側からも物が食料でも入ってくる時代である。空間の障壁はなくなっている。
江戸時代あたりまでは空間の障壁は大きかった。遠くとの交流はむずかしいから自給自足の村でまかなって外部に頼ることはないし頼れなかったのである。
鉄道ができたとき日本国内で空間をさえぎる障壁がとりはらわれて交流するようになった日本人として意識されたのは明治維新で鉄道ができたからたというのもある。
物流でも人の交流も一気に何百倍となったかもしれない。

現代は交通の便が格段によくなったから空間の障壁、距離の障害はなくなっている。
通販は本当に便利だと思う。
なぜなら何かを買う場合、店で選ぶ方がめんどうだし不便なのである。
例えば今最新のデジカメはなにかとか自分に適した今必要なものを手に入れるとき何でも通販でキーワードで探す方がぴったりなものに出会う。
そししてボタン一つ押せば次の日は届いているのである。
その人によって必要なものは多様化しているから余計にそうなのである。
田舎だと何か目立ったものしかみんなが使うものしか電器店ですら置いていない。
大型のテレビとか何か決まりきったものしか置いていない。
でも通販だった中古品から何でもあるから驚く
自分が今必要なものが手に入るからいいのである。
店でも隣近所に店があったがスーパーになり今度はイオンなどの郊外のショッピンクセンターになりと拡大して今度は通販になっていくというのも時代である。

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情報というのは常に今必要とするものがある。
困ったとき近くに聞く人がいない、相談する人もいない
それはもうこんな複雑な社会では答えられる人もいないのである。
生活保護が何だろうとなるとこれもめんとうだけどそうしたインターネットで情報は深く詳しい、だから何とか対応できた。
現代はもう複雑だから経験ある人年寄りでも相談して無駄であり年寄りの価値はなくなったのである。
それでも会社勤めして専門性のある技術者は自給で7万のところもあるというから驚く。
そういう専門性のあるものはそれだけの価値かあるのが現代でもある。
部長とか課長とかの経験は役に立たない、専門性があれば退職して金を稼げる時代である何かスキルをもつことが現代では要求されているのである。
ただ年取って何の価値もないのである。

●文化は一様化できないから理解するのがむずかしい

ただここで問題なのは距離の壁はなくなっても文化の壁はなくなるない
文化とは何かというといろいろ多様であるが例えば言葉の障壁は簡単に取り払われない、英語を共通語にしようとすることがあるが以前として言葉の壁は大きい。
その国の言葉がなくなば文化も喪失するから簡単に英語に変えることはできない
だからポリネシアとか南洋の島々では多くの言葉が違っていた。
それは方言ともにていた。そうなると意思疎通もむずかしくなる。
その言葉がそんなに違っていたのはやはり土地土地で違った文化が育まれたからだとなる言葉もその土地から生まれるから違っているのである。
日本では四季が豊かであり俳句が生まれたのはまさにそういう風土によって育まれた。
日本語でも各国の言葉でもその土地から生まれるている文化だからその障壁は大きい。
文化はそのように距離を空間を克服しても相違が生まれる。
その相違の故に文化は価値がある。
明治維新後は鉄道などで標準語も普及したのはいいが江戸時代のように地方地方で育んだ文化は衰退したのである。
みんなコカコーラとかハンバーグを食べていてはつまらないのである。

つくづく文化というのはなぜ理解しにくいのか、それはヨーロッパの歴史でもローマ時代にさかのぼれば2000年とかの歴史がある。するとそこまでさかのぼるとなるとちょっと飛行機で行けるから理解できるかとなるとできない。ローマからキリスト教時代の中世とかも長いし城のあった歴史も長いからなかなか理解しにくくなる。
それは日本だってそうである。現代ある物にばかり目を奪われるから過去を歴史を知ることは容易ではない。今も見ればビルかいたるところにあり工場もあり何かどこも同じじゃないかともなる。でも歴史をさかのぼる城でも何かそうした古くからあるものが理解しにくいのである。それが文化の特徴なのである。

どうも文化というのは空間とか距離の制限がなくなると破壊されやすいのである。
その土地土地がどうして成り立ったのかそういう長い間に作られてきたものが無視されやすい。
原発事故などもそういう地域の文化というか歴史が無視されて建てられた。
科学は何か数学と同じであり世界共通になりやすい、一つの世界共通の言葉が科学でありその基本に数学がある。何でも数字に還元すれば共通になるからだ。
ただその土地土地の風土はみんな違っている。
たから放射能汚染されたとき、風が影響して飯館村があんな大きな住めなくなるほどの被害を受けたのである。この辺では春になると東風が吹くからである。
それが運が悪かったとなる。イワキ地方などは本当に低かった。それも風が関係していたのである。それこそ風が違うというとき風土が違うとなって影響したのである。

●一極集中の情報発信は危険だった

現代は空間とか距離の制限がなくなったとき、大きな問題として地域地域の歴史、時間で積み上げられた文化が無視される。
情報でも経済でも教育でも明治以降は東京一極集中になった。
その弊害は今になると大きくなっているのだ。東京に労働力でも何でも集まり東京ばかりから何でも発信されるということが大きな問題になる。
津波でもNHK一局が大きな力を持つことは危険なのである。
津波の放送でも最初に3メートルが来るということを放送したときこれは気象庁でそうしたにしてもそのことが多数の人命まで奪ったと今になると批判される。
テレビとかマスコミが一局集中だからそうなってしまう。六局あってもそうである。
そうした六局ばかりのそしてNHKばかりに全国民が注視していることは危険になる。
NHKでも気象庁でも的確な判断ができなかった。
地震が起きてから3分ではマグニチュードは判定できないと気象庁の人が言っていた。
マグニチュード8ではなく9だったのだから今までにないことだから判定できなかった。
するとかえって個々人の体感の方が正しい判断をできたとなるが
マスコミの判断にNHKの放送に一局に判断をゆだねていたから3メートルからたいしたことがないとか判断して逃げ後れた犠牲者が多かったとなるといかに緊急のとき情報が大事かわかる。

例えば2ちゅんねるだとかなるといいかけぜんにしろ

「3メートルの津波が来るとNHKで放送した」
「3メートルじゃたいしたことがないよ」
「この地震で3メートルだってもっと大きなものが来るよ」
「10メートルくらい来るかもしれんぞ」
「おい、脅かすなよ」
「ともかく早く逃げた方かいいな」

とか必ずなる。何かあればマスコミの言うことを信用しなくなっているのがネットになった。それも全部は正しくないのにしろマスコミの一方的情報を信用すると危険なのであるこういう対話があるだけで危険だと思い逃げる人も出てくるのである
現実に駅があるところに津波が来たのを見てこれが3メートルかと疑問に思った人がいたがその時すでに時遅しになっていたのである。
これも自分の目で見て自分の判断力の方が正しかったとなる。
だからち一局集中のマスコミは影響力が大きすぎて危険なのである。
報道が一方的になっているからだ。
それは何でも東京一極集中化しているのと同じなのである。
その土地土地からの多様な見方ができないことが危険なのである。
結局今回の津波で原発事故でもマスコミと科学への盲信が大きな被害を生んだ原因でもあったのだ。





タグ:時間と空間
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2014年10月29日

江戸時代の回帰、国風文化の時代へ (円山応挙の松と鶴ー写生俳句の基はここから始まっていた)


江戸時代の回帰、国風文化の時代へ

(円山応挙の松と鶴ー写生俳句の基はここから始まっていた)

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松と鶴の絵

大地に深く根付く
古き松によりにつつ
鷺の優雅に歩み来ぬ
その姿の神のごとしや
悠長なる時の中に
松は大地に深く根ずき
一所動かざるかも
そが姿は映えて生きぬ
その絵を見れば遠き日の
のどかなる平穏の世の
心に写りてなごみけるかな


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幽遠に遠つ世の絵や藤の花
細々と枝しなやかに藤の花
絵の古りて魂宿る藤の花
納められ金泥古りぬ藤の花

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こき藤の花もど円山応挙の独特なものとして描かれた。これはすでに二百年以上すぎても残っていたそれが幽遠の趣をさらにました。絵には今や画家の魂が宿っているという感じになる。そこに絵の不思議がある。
芸術の価値はその時代でしか作れないものがあるからである。
江戸時代という雰囲気でしか作れないものがあり今になるといくら技法が発達しても作れないことに価値がある。
藤の花でもこういうふうには今の人は描けないのである。


円山応挙の時代は平和な時代だった。鶴もいたし自然と調和した生活だったからこのような絵も生れたのである。鶴はいたるところにいたのだ。鶴の歩みは優雅である。鷺もそうであるが鶴はやはり鳥では白鳥とならんで最高の吉兆の鳥なのである。
それは日本の松と調和していたのだ。円山応挙の松は南相馬市の原町区の泉の一葉松をイメージさせる。やはり江戸時代も国風文化が充実した時であり現代も欧米文化から国風文化へシフトする時代になっているのだ。
正月という言葉にしても正道とか正のつくのはもともと仏教に由来していた。
正月というのもそういう言葉の由来がある。身を正す月なのである

円山応挙の松と鶴の絵(賀春にふさわしい絵)
http://musubu2.sblo.jp/article/84122909.html

 人によっては成功ののち苦難時代をことさらに表現したり、苦境時の欠乏感を補うかのように豪華絢爛な趣味にはしる例があるが、応挙にはそういうところがまったくなく、ひがみや屈折した感情がまるでないかのようである

 、「写生の祖」といわれる応挙は多くの写生を残している。写生は応挙にとっては本作品のための取材であり、覚え書きである

 呉春の名に蕪村高弟と付けていることから、応挙が蕪村を尊敬していたことや、呉春が他の門人と違って、あくまで蕪村の弟子であり応挙門下では客人的な扱いの門人であったことを物語っている。大乗寺には呉春の描いた部屋が二間ある。最初に描いた襖絵は蕪村ふうの文人画であり、
 http://museum.daijyoji.or.jp/06story/06_01.html
 
円山応挙は蕪村とも関係していたことは興味深い、蕪村も画家であり写生を基にしていたそれで正岡子規が手本にしたのは芭蕉ではなく蕪村であり写生俳句の祖となった。
芭蕉は耳の詩人と言われるように内面的なものを俳句にしたから蕪村とは違っていた。
芭蕉の句は内面的な深さがあるからなかなかまねできない、蕪村の俳句は写生俳句だとするとまねしやすいとなる。
絵画史からふりかえるとすでに江戸時代後期からその基となるものが生まれていた。
だからそれを参考にして西洋的絵画の写生か生まれ写生俳句が生まれた。
日本の江戸時代は何か否定的な面だけがとりあげられる。それも確かなのだが国風文化として興隆していたという面とその時代独自の社会と自然があってその感覚は今になれば別世界のようになっているのだ。同じ日本なのだけどそうである。おそらく人間すらそうなっているかもしれない。江戸時代の人間と今の人間は別人だとさえ思えるようになっている。ただ歴史になるといろいな見方があるからそうなる。
写真と絵の相違はやはり絵には画家の心が反映されているから違っている。
たからそこから俳句とか詩にもなりやすいのである。
写真からなぜ俳句でも詩でも作りにくいかというとそこには作者の心が個性が反映しにくいからである。
そうはいっても秋薔薇と芒が写っていたきは明らかに写生でありここから写生俳句が生まれた。
でもその秋薔薇がどういう環境で咲いていたかとなると写真からだけではわかたにくい、都会か田舎すらわからない、一万の田舎になる。どうしてもそういう背景が写真からは読め込めないのである。全体の一部をきりとったものであるからそうなる。

美濃国は、奈良時代から製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。古くは702年(大宝2年)の正倉院文書に美濃の紙が記録されている
平安時代には、朝廷から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙等の色紙や公用紙を生産した
養女奴隷とは、製紙のために少女を幼少時に養子にして、製紙作業をさせる制度である。戦前の製紙は朝の4時から夜の10時まで作業する厳しいものであり、しかも製紙業は家族だけの零細経営が多く、働き手が足りないためにこの制度が生まれたのである


世界遺産に美濃の和紙が登録されたという。これが702年に正倉院文書に使われていたのだから古いしそれが残っているのも驚きである。
その反面この和紙を作るために女工哀史とにたことがあったというのもマイナス面である和紙は実際は日本全国どこでも作られていたのである。
それは普通の産業でありめずらしいものではなかった。
日本の和紙がいいのは水がきれいな所で作られていたからでもある。
日本という風土とマッチして作られていた。
その和紙は冬に主に作られるから水が冷たいから苦労したのである。
ただこういう歴史を知ると紙一枚にも何かそうした苦労がしみこんでいて見方が違ってくる。当時は紙は相当な貴重品でありあらゆるものが手作りだから貴重だったのである。
今なら大量生産だから膨大な紙が捨てられている。
日本の和紙が支倉常長がヨーロッパで鼻紙として捨てたら拾ったものがいた。
ヨーロッパでは紙はあまり作られていないので貴重だからそうなった。
和紙というのは何か手触りもいいしやはり日本の文化なのである。
いづれにしろ和紙は日本の文化なのである。

前にも自分は国風文化の時代になるとホームページで書いてきた。
西欧文化アメリカ文化は奈良時代の唐風文化でありその後にかななどの国風文化時代、平安時代になった時代とにているのである。
高度成長時代までは唐風文化であったがこれから国風文化の時代である。
だから江戸時代とかのものが見直される。
郷土史研究なども盛んになる。インターネットでそうした知識も普及しているからである日本では経済的に工業的には明治維新から高度成長時代と取り入れたが文化的には融合されていないのである。

江戸時代は 身分や地域や職業などで
全く違う文化世界に暮らしていた
例えば音楽にしても
公家は雅楽、武士は能楽、農民は民謡、町人は端唄小唄

こういうのもやはりそれぞれの立場があり独自な文化が日本社会の中で形成される。
結局大衆社会は平等でも文化は生まないし育まないのである。
みんな同じであり同じものを食べて着て同じ娯楽しかしないからである。
だから平等がなんでもいいわけではないのである。
江戸時代は武士は武士の文化が育ちモラルも育てたから武士道が生まれた。
社会に変化がないから文化も受け継がれてきたのである。
農民の民謡が多いのも農民にも文化はあったのである。
社会はみんな一様化して今のように大衆化するとつまらないのである。
地域性とか社会の多様性とか異文化でも入ってきて文化が作られる。
明治維新後がそうした日本の文化が失われた時代だったのである。

日本の文化的な面はかえって見逃され排除されてきたのが現代である。
明治維新から150年もたつと成熟して国風文化の時代に移るのである。
政治的にも保守化するというのもそれに呼応しているのである。
西欧やアメリカのまねだけではないものを作り出すことに迫られているのである。
ただ写生俳句にしてもすでにその基となるものは蕪村や円山応挙の絵にあったということがあり日本の歴史や文化の厚みがあって生まれたものとだとわかったのである。
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2014年06月15日

文化の時代は方言が見直される (ちゃっこいはなぜこんなに東北で使われているのか)


文化の時代は方言が見直される

(ちゃっこいはなぜこんなに東北で使われているのか)


ちゃっこいは宮城県の方言
http://musubu.sblo.jp/article/91044080.html

地元でもわからなくなった方言
http://musubu2.sblo.jp/article/91010809.html


●ちっちゃこいーちゃっこいは広い範囲で使われている

chakoiii1.jpg

ちっちゃこいは関東から茨城県から福島県の中通りまで広がり
福島市を境として宮城県からはちゃっこいに変化した。

ということは福島県は茨城県とか関東の影響が大きかったのか
中通りは特にむしろ古代は茨城県の影響が大きかった
ただ方言はいつそんなに広範囲に広がったのか

どうしてちっちゃこいが北海道まで広がったのか?
それは明治以降なのかそれとも最近広がったのか
北海道だと明治以降だろう
ただ方言がみんなしゃべるようになるまでは相当な時間が必要である

北前船が京言葉をもたらしたというときそれだけ交流があり
時間的にもあったからそうなった。

ただ物が入ればどうしても他の土地の言葉が入り安いのは確かである。
その物を言う入ってきた土地にない時があるからだ
それで漆(うるし)がJAPANになったことでもわかる


ちゃっこい

石巻ちゃっこいバッグ展
ちゃっこいけどアツい。
好きなんです、川崎が

 「いずれ古里に戻りたいんです。好きなんですよ。川崎が」。一関市川崎町出身。現在は岩手大学農学部に在籍し、盛岡市に住む菅原花さ
ん。ストレートに古里への愛を語る一方、


ちゃっこい村のでっかい花火大会
岩手県・東磐井郡川崎村


ちゃっこい店

岩手県盛岡市南大通1丁目10−31

宮城県牡鹿郡女川町にオープンした『女川ちゃっこい絵本館』


『ちゃっこい仙台駄がし chacco(¥500

ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。
小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」
(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)
http://www.hougen-love.com/dialect_akita/akita_chakkoi.php


みちのくちゃっこいギャザリング***知って話してネットワークづくり♪♪♪

秋田県

浅虫温泉にあるちゃっこい温泉宿、宿屋つばき - 温泉

おらんどのちゃっこい博物館「向山駅ミニミュージアム」がオープン

ちゃっこい。

先日、北海道から上京してた義父がこう言って、
パートナーも普通に「そうかぁ、ちゃっこいのか〜」と。
ちゃっこい??茶色っぽい??

どうやら「小さい」と言う意味らしいです。
ちゃっこい・・・かわいい。



ちっちゃこい


今日の福島弁(中通り)「ちっちゃこい」


小さい」を横手゛弁で
"ちっちゃこい "って言うんだ
チッチャ に わざわざ "こい"って付けるんだな

"ちっちゃこい わらし "
"ちっちゃこい 車 " (軽自動車)
こんな 感じだな


あんなちっちゃこい子が、こんなに成長するんだな....えっ??

北海道の陸別町


日曜日モリタさんと青梅のちっちゃこい山をハイキング

ちっちゃこい字めっか 訳) 「あの小さい字見えるか(山形県)


●宮城県の影響が大きい相馬地域

ちゃっこい、ちゃっこいとよく言う相馬生れの女性がいる。
でも相馬生れの同年代で「ちゃっこい」と聞いたことがない
そんな方言あったのかといぶかった

それでわかったんだけどその女性は宮城県の松島の男性と結婚していた。
それでその方面の方言をしゃべるようになった。
その男性は相馬に来てからも宮城県の方言をしゃべっていたのである。
そういうことは相馬出身でも名取の方に長く暮らした人がだっちゃ、だっちゃと語尾につけるので目立った。それは明らかに仙台弁なのである。
この辺ではだっちゃなど言わない、んだ、んだとしか言わない

ちゃっこいという方言は広い範囲に広がっている、インターネットで調べたら宮城県から岩手県から秋田県から青森県には確実に広がって使っている。
それからちっちゃこいとなると東京とか茨城県でも使われている
北海道でもちゃょこいとちっちゃこいが使われている。


小さい⇒ちっちゃい⇒ちっちゃこい⇒ちゃっこい

と変化した。福島弁で福島市や中通りでもちっちゃこいを使っている
相馬では使わない、「ちんちぃ」という言葉を使っていたような気がする

ちっちゃいという方言はちっちゃこいとなり関東から中通りを通り宮城に入り岩手県から秋田県から青森県に広がった。
ちっちゃこいとちゃっこいはもともと同じ意味である。

方言は狭い一地域のもののように思えるが実は関東から福島県の中通りを通って仙台から青森まで広がっていた。それは昔から中通りは奥の細道の通路であり人と物が入る道だった。相馬の方は浜通りは関東の方とは通じるのは遅い。

それにしても方言はそんなに広く広がるものなのか?
それはいつごろからそんなに広がったのだろうか
江戸時代からなのか明治とか戦前なのか、交通が発達したら方言も広がるのか?

相馬生れの女性は毎日顔をあわせていてちゃっこいという言葉を聞いていたからいつのまにか無意識にしゃべるようになった。
普通方言はその土地に生れていなと簡単にはしゃべらないだろう。
だから方言はそんなに広がると方言ではないようにもなる
関東から東北から北海道までちっちゃこい、ちゃっこいを使っていたら方言なのかともなる。
方言の研究はそもそもむずかしい、調査するにしても直接聞くとなるとむずかしい。


●方言は文化であり文化の時代は地域性を追求する時代


ただなぜ方言に興味をもつかというとそれがその土地独特のものだからである。
方言は文化であり標準語は文化ではない、国々の言葉みんな違っていて文化である。
人間社会は地域性があった方がなんでも面白い。みんなどこに行っても同じじゃないかとなるとつまらなくなる。
海外旅行したってどこでもグローバル化で一様化したら面白くない。
ベルギー人が「自分はベルギー人」だというときベルギーという国にこだわっている。
ベルギーってなんなのだというと他からわかりにくいからだ。

文化の時代というとき地域性を出すことが魅力を作る。だから言葉だってもてなすのにも標準語ではなく方言があたたかみがでてくる。東北は全国になるとずーずー弁はしゃべりたくないということはある。
でも方言がないと何かその土地の特徴が出せないのである。
これからの時代は何でも地域的なものにこだわる文化の時代になる。
自分は自分の生れた土地にこだわり自然を基に詩などを書いてきた。
必ず自然にはその土地独特の景観とか地勢とか石でもある。
そういう土地土地の自然と一体化してゆくアイディンティティ化してゆくことが文化なのである。

一時は東京化してどこに行っても同じだとなり旅もつまらないとなった。
それは地域性が消失してしまったからである。
その土地の個性を作り出すのは自然である。
その自然は樹や石でも山でも長い眼でみないと会得できない
旅では一時的に滞在するだけだから深く見れないのである。

いづれにしろ東京一極集中になったら面白くない社会である。
経済効率はいいにしろ地方は衰退するから文化も衰退する。
自分は東京の大学に四年間いたけどその後は故郷に帰った
それからは地元志向であり主に自然との一体化を計ってきた。
それは文化面だけではあるがそうだった。

もちろん全国を旅していたが基点となるのは故郷の自然だった。
いづれにしろ経済効率性を追求すると多様な生活は失われる。
山には山の暮らしがあり海には海の暮らしがありということで
文化の多様性が保たれていたのである。

こうして地域性を追求するとき、津波や原発事故は相当に打撃だった。
地域の衰退に拍車をかけて村も町すら消滅する危機になった。
土地のものを食べさせようにも放射能汚染でできないとか
苦しい立場にたたされたのである。
だから津波原発事故地域はその将来像を描くことは本当にむずかしい。
町自体村自体が消滅するとなるとゼロからまた作り直すのは容易ではないから
町から人が流出してゆくだけである。

posted by 老鶯 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2014年03月28日

現代文明は奇形文明である (ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)


現代文明は奇形文明である

(ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)

世界の文明を考察するとかなると普通は大変な作業でとてもできないという感覚になる。世界はあまりにも広すぎるからだ。
でも世界とはこんな小さな田舎町からでも世界認識はできるということがあった。
小さな田舎町の歴史を考察してきたけどこの小さな田舎でも世界で起きていることが
実際に起きている。
こんな小さな田舎町に何があるんだというときここにも世界の歴史があり日本の歴史が集約してあるのだ。
むしろ東京などではまずかえって世界のことも日本のことも基本的にわからないということがある。
なぜならそもそも世界文明といっても自然から遊離してできたものはない、
四大文明は自然の恵みから発展したものだからである。

エジプト文明はナイルの賜物というときナイル川によって作られたのである。
ナイル川が氾濫した時、その泥が肥料となり小麦がとれる。それを基礎的食糧として一大文明になった。
その特徴は生物や動物と深く密接に結びついていた。だから無数の動物が神となり崇められた。
彼らの関心は生態系にあり動物にあり天文にあり自然にあった。
現代人の関心が車とかパソコンとか様々な機械にある。

エジプト人は動物に何か精神の象徴として見ていた。こういうことは古代文明にはあった。それは多神教であり偶像崇拝と化した。
ただこの多神教こそが人間的であり一神教が生まれたのはかえって人間にとっては異端的なものだったのである。

身近なところで偶然に猫を飼うようになって猫が意外と不思議な生き物だなとつくづく思う。猫をこんなふうに見ていたことはない、
猫はいくらでもいても実際自分で飼うと猫はまるで人間の子供のように思えた。
そのしぐさ一つ一つが面白いしかわいいしこれは人間より親近感を覚えるものがあった。
だからペットブームになりペットを介護して墓まで作っていることが理解できたのである。
それは牛でも猫でもエジプト人がミイラにして人間と同じく扱ったからこれも別に人間として特別のことではない
普通のことなのである。つまりエジプト文明は全く今の世界から理解できないものではなかったのである。

異星人が作ったものとは違っているから人間が作ったものだから理解できるのだ。
実際に動物には人間にない何か神秘的な力がもっていると感じるのもそのためである。
そういう動物から離れてしまった自然から離れてしまって機械に親近感を覚える現代文明こそ異様なものなのである。

現代の高度化した機械化した都会化した文明は決して人間の生活でも心でも豊かにするものではない、
そういうことは東京で暮らしてみて思うようになった。
東京というあれほどの大都会があることこそ異様なことであり非人間的な異空間と化している。
だから有名な作家は異星人が作ったものとしているのもわかる。
ミラーであり上野霄里氏であれニーチェであれ文明を否定することは人間としてむしろ正常な感覚であり
現代文明に適合している人々こそ異様なものと化しているのだ。

だから人間としてまともになろうするとき現代ではアウトサイダー化するのである。
強力な天才的な活力をもつ人間はこれが人間の住む世界なのか?これが人間なのかという
根本的な疑問をもつのである。
そういうアウトサイダーが全くかえって理解できないのはそれだけ現代社会が非人間化しているからである。

大都会から生まれ宗教もカルトでありそれも現代文明を象徴していたのである。
オウムはその現代文明の歪みを露骨なものとして事件化したのである。
それは現代の宗教団体はどんな宗教であり組織団体化しているから本来の宗教とは
全く違った政治団体であり利権団体にすぎないのである。
現代文明という途方もない迷路の文明から産み落とされたものであり奇怪なものとなっている。
エジプト文明が奇怪に見えるが極めて人間的なのである。

それは現代が異常なほどのペットブームになっていることでもわかる。
人間にとって動物はやはり人間と密接に精神的にも結びついたものなのである。
それはロボットで機械で代われるものではない、犬とか猫が癒しになるのはそのためである。
エジプト文明のようにそれは深く人間の心にかかわるものだからである。


創価などで運動していたから実際に自分はそういう異様な空間で青春を費やしたからわかる。
それは何も宗教団体だけではない、現代は会社であれどこであれ何か非人間的なものに生が浪費されるのである。
だから会社人間になった若者は会社に疑問をもちそこが極めて非人間的な組織であることに反発するようになった。
ニートが増える時そうした会社人間になりたくないということもある。
自分はそもそも団体生活できないから働かないとういだけだったが会社人間になることは非人間化の道でもあったのだ。
要するに会社とういだけではない社会そのものが現代は非人間的なのである。
そして会社社会化したとき会社が権力をもつようになったとき、原発事故も起きたのである。


原発事故というのもそうした現代文明の延長としてあるものでありそれが自然を破壊したのである。
原発は現代文明の必然的なものとして生み出されたのである。
だから文明は原発と心中するほかないとまで言った。
だから原発事故周辺はそうした現実に文明の崩壊現象のようなものが起きたのである。
「猿の惑星」が現実化したことの驚きがあった。
人間は最高に賢いものとして作られたが最高に愚かなものであることが原発事故でも証明された。
だから文明というのは別に現代文明が優れているとはならない。
他の古代文明の方が自然と調和していたから優れていたともなる。

 
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2014年03月21日

ちゃっこいは宮城県の方言? (方言は多様であり文化である)



ちゃっこいは宮城県の方言?

(方言は多様であり文化である)

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ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。


小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」

(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)


んだいっちゃ〜 (そうだよね〜 肯定の同意を求めるとき)


えてみっど山形じゃちゃっこい頃は
http://blogs.yahoo.co.jp/haradakuse/23370919.html?p=2&pm=c


ちんちゃい(茨城方言)



ちゃっこいは相馬地方では聞いたことがない、子供の頃思い出すと「ちんち」と聞いたことがある。
子供の頃は今より方言を聞いていた。今は子供も標準語を話すから方言を聞く機械か少ない、
でもなぜちゃっこいとその女性は言うのか?
それはその人が宮城県の人と結婚していたからである。
相馬地方では宮城県との関係が深いのである。

江戸時代の碑でも宮城県関係の神様の碑が多い、小牛田神は小牛田の山神信仰であり山神とあるのは小牛田由来である。
館腰宮もあり館腰駅があり金華山とあればまさに金華山であり他にも伊達藩から入った信仰が多いのである。
逆に妙見信仰は相馬藩から入っている。相馬藩の殿様の旗印は北斗七星であるからだ。
その妙見信仰は亘理の辺りでも集中的に広がっているのだ。

ちゃっこい というのが相馬地方で自分は聞いたことがない、
すると宮城県の方言をその女性はしゃべっていることになる。
前の女性も名取に相馬から移り住んでいて長くなるとしきりに だっちゃだっちゃとしゃべっていた。
方言は生まれ育った所ではない、その土地に長く住んでいると
土地の人に合わせるのでその土地の方言をしゃべるようになる。

つまりその土地の方言をしゃべれば仲間だとして信頼されるということもある。
ただ東京辺りではそういうことはない、みんな標準語だからである。

んだちゃ、んだいっちゃーなどというのも丸森の人かしゃべっていた。
んだ、んだ・・は東北人の共通の相槌をうつ言葉である。
ただ宮城県になるとんだちゃとなる、語尾が変化してくるのだ。
ちゃっこいは山形でもしゃべっている、これは宮城県だけでなく広範囲に広がっている。
宮城県と山形県はまた方言も違っている。
ちんちゃいというとき茨城県であり多少福島県との共通性がある。

いづれにしろ相馬藩の地域は伊達藩の影響を強く受けている。
今でも常磐線が通じていた時は仙台に通勤していた人もそれなりにいた。
通勤圏にもなっていた。だから仙台は身近な都市だった。
そこで仙台弁にふれるということがある。
でもそこに住んだり結婚しないと方言はしゃべらない
その土地と深く密着して生活すると方言をしゃべるようになるのだ。
だから方言は土着的てありこれも文化なのである

文化は地域地域で異なる時文化であり言葉でも料理でもみなん一様化すれば
文化はなくなる。そういう社会は面白くなくなる。
だから東京の人でも田舎に来ても東京と同じだとなり旅もつまらないと言う時
日本社会が地域の文化を失い一様化した結果なのである。


江戸時代あたりは隣の村とさえ方言があり言葉もりてまりも違ったものとなっていた。
なかなか隣の村さえ交わらない自給自足の経済だったからそうなった。
農業は共通のものを作りにくいという時、その土地に根ざして動かないからである。
商業は商人は移動して広く交わるから共通のものを普及させる。
それで共通のルールを作ったのは商人であった。
アルハベットもフェニキア人が発明したことでもわかる。地中海を船で行き来した商人であったからだ。
エジプトのような象形文字ではとても共通に読み解くことがむずかしいからである。

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地元でもわからなくなったしゃべらない方言 (ちゃっこいと良く使う60代の女性)


地元でもわからなくなったしゃべらない方言

(ちゃっこいと良く使う60代の女性)
chakoii22.jpg

chakoiiii.jpg

ちゃこい、ちっちゃこい、ちっこい とも言います。


小さい という意味です。


「あがんぼてちゃっこいなや〜、めんこいなあ」

(赤ちゃんって小さいねえ〜、可愛いなあ)


自分と同世代で同じ故郷に住んでいても方言をしゃべる人はすくなくなった
その女性は昔風の女性で他と違っているのだろうか
貧乏故になんでも「もったいない、もったいない」というのも昔風である

ただ携帯を使いしきりに連絡をとったりあとは現代の生活をしている。
学はないけど未払い賃金のことで労働基準局に訴えてもらうとか言っていた。
自分の正当な権利を主張するのに執拗なのである。
それはその人の個性があるけど戦後教育が民主主義が女性にも普及した結果なのだろう
男女同権なのもそうである

とにかくその女性はおしゃべりであり延々と二時間くらい話し続けるのでつきあうのも疲れる。
女性とこんなに話したことが自分にはなかった。
だから自分は女性のことなどわからない、家族では60年とか話していたが外部の同世代でも話していないのである。
だから地元の人についてもつきあいもないしわからなかった。

その女性はしょっちゅう「ちゃっこい、ちゃっこい」というがそんな方言を地元でも自分は使ったことがない、
これは女性の言葉、方言なのかとも思った。

男性がちゃっこい、ちゃっこいなどと言うだろうか?
女性が言う時、何かその言葉があっている。

赤ん坊をちゃっこいな、めんこいな・・・とかなる

めんこいなどというのも今は使わないだろう。方言はどこでもすたれている

そもそも方言をしゃべらないはいうことは何なのか?
人間は今や土着的生活をしていないからだろう。
方言はその土地に何代も住んで伝えられたものなのだろう。
だから隣の村でも言葉が違っていて方言になっていた

ただこのちゃっこいは北海道の方言だとかともでているから広範囲になっている
小さい⇒ちゃっこいになったことはわかる。

何度もちゃっこい、ちゃっこい・・・と聞く時、それが何か親しみを感じる

方言で津波被害の三陸などで励ましあったというのをテレビで放送していた。
方言は何か親しみがあり人間同士のあたたかみを感じる。
その女性はそうしたあたたかみを実際にめずらしくもっている
だから旧来の義理人情にあついとか田舎的女性の良さをもっているとなる


いづれにしろ方言は露骨に地元のなまりなのである、なまりでお国がしれるというのは本当である

・・・だっちゃ、だっちゃ・・と宮城県のなまりには実際びっくりした。
福島県では浜通りでは宮城県と結婚する人が多いのである。
方言は地域性がありそれが面白さである。
地域に転勤になったサラリーマンが地元にとけこめないというとき
方言が簡単にしゃべれないからだということを言う人もいる
方言でしゃべると心が理屈ではなく通じ合うものがでてくるのだろう

ただ今は地元ですら方言をしゃべる人が少ない
だんだん方言すらなくなってしまうのではないかと思う

方言でも言葉は現実の生活で使われて活きてくる。
何でも使われなくなったものは活きてこないのである

飯館村ではまでいな村作りを目指していた。
このまでいなというのも自分にはわからなくなっていた。
ただ使ったことはあるがあまり聞かなくなっていた

これももったいなという戦前からの貧しい時代の言葉なのである。
何でも買っては膨大に捨てる時代の言葉ではない
そもそもまでいにしろちゃっこいにしろ
そうした方言とは違う社会になっている
グローバル化であり買っては捨てるという消費社会である。
そういう言葉はやはり日本のような小さな村で生活していたものから生まれた
small is beautiful てどという言葉がはやったこともある。
小さいものか見直されるということでそういう言葉が生まれた


ただ時代とは常に変わっているのだ
最近では大きなものよりちゃっこいものが見直される
これからの時代は老人社会でありこれはすべて悪いとはならない
老人は暇だから余裕がありコミニケーションを話すことが多くなる
もともと老人は昔を話すから話すことが好きなのである
若いサラリーマンは時間がなく余裕がないから友達もできないという
仕事に労力が没頭させられて人間同士のあたたかい交流もないという
会社はそうした冷たい空間なのかと経験のないものには殺伐とした


これからはこれだけ老人が増えるのだから新しい老人文化が生まれる。
それは悪い面だけ強調されるのだがいい面もでてくるのだ。
方言をしゃべる女性にしても昔の良さがとりもどされてくる時代になるかもしれない
高齢化社会はだから社会自体を変えるものともなるインパクトがある。
それは殺伐とした会社社会とか企業社会一辺倒の価値観を変えるのである
つまりスロー社会とかちゃっこいのがいいとか
コミニケーションの密な昔の村落社会とか何かそうしたものに回帰する

それは昔とは同じではないがそういう回帰は社会を変える
それは精神的には余裕ある社会への移行にもなるかもしれない
高齢化社会というときそれは若者社会にも影響する
それがすべて悪いものとはならない
もちろん高齢者に金が使われすぎだとかの問題はある
でも良い面に作用すれば若者にも影響してそれもいいものだとなりうる

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2014年03月19日

文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民 (移動文明から定着文明へ)


文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民

(移動文明から定着文明へ)

木や植物は大地に根を張ってゆく
徐々に時間をかけて根を張ってゆく
細密に毛根を土に伸ばしてゆく
それは女性の定着的心性である
子供を産み育てることは土着的である
子供はすぐに育たない
愛情をかけて長い時間で育つからである
だから農業は女性に向いていたのである
一粒の種をまき肥料をやり水をやり育てる
それは子供を育てるとにている
一方で狩猟はこの逆である
肉食の動物は狩をする一瞬が勝負である
その一瞬を逃すと飢え死にもなる
だから機敏に体全体が反応している
猫の耳はレーダーのように敏感に反応する
一瞬をとらえるために油断なく構えている
そして電光石火に機を見て襲いかかる
獲物をしとめるのは全身の本能の力である
一瞬のチャンスを逃すと獲物はなく飢える
死にいたる恐怖がある
だから獲物をとる機会を逃してはならない
獲物をとるために全身をぬかりなく働かせる
植物と動物の相違は男女の性のように大きい
だから狩猟民と農耕民の思考は根本的に違って
二つは一致しない文化の相違になる

文化という時、狩猟や牧畜と農耕は男女の差のように生活形態が違っている。だから互いに理解することはむずかしかった。
それでモンゴルが騎馬民族として農耕民を襲ってくる。食料がなくなるから襲ってくる。牧畜民は肉食であり農耕民は草食だともなる。
両者は理解しがたい文化の壁をもっていた。だから争いがやまなかった。
それは草食動物がいて肉食動物がいて植物と動物がいて男女がいてとその二つの世界は全く別なものなのである。
女性はどうしても農耕的な側面をもっていて狩猟や牧畜民は全く違った文化である。
農耕は女性的であり狩猟や牧畜は男性的だとなる。

言葉でもI cache a bird ととなり主語の次に動詞が即座にくることでもわかる。
それは狩猟民や牧畜民の言葉なのである。つまり主語があって常に獲物をとらえる動作に入っている言葉である。
狩猟民の感覚は農耕民とはまるで違う、瞬間が勝負である。
だからギャンブル的でもある。好機とあらば襲いかかる。
西欧文化は文明はこの狩猟民や牧畜民の系統をひく文化である。
冒険であり好機をとらえるギャンブル的であり一攫千金をものにする。
農耕民のように日々営々と働き勤め貯える感覚ではない、一気に好機をとらえ一攫千金をものにする。
そういう姿勢は狩猟民であり牧畜民である。


また狩猟民と牧畜民は移動する、動物のように絶えず移動する。狩猟民も餌を求めて移動する。
牧畜民も羊を連れて草を求めて移動する。
農耕民は定着してその土を耕して実りを得る。その差が全く互いに理解できないほど大きいから
文化を理解しあうというときそこが大きな壁となっているのだ。
商人となると移動するから狩猟民であり牧畜民的な心性となってゆく

だからヨーロッパで大航海時代が生まれたのもそのためである。
牧畜民が船を発明して海洋民族になったという人もいるのはそのためである。
そしてどちらにしろ移動する時は方向が大事になるから星が目印になる。
それで砂漠地帯や草原地帯の旗印は星と月とかになる。太陽がない。
太陽は農耕民のシンボルであり日本はそうなった。
北斗七星信仰も方向を知るためであり妙見信仰もそこから起きた。

戦国時代は侍は戦争のために移動するから狩猟民や牧畜民的になり商業が発達した。
信長の楽市楽座とかそうであり信長は商人的であり農民的ではない。
家康は農民的であり300年の鎖国時代を作った。


ただ人間の心性として農耕民的な定着性と狩猟民や牧畜民の移動性、モバイル的なものはもっている。男女があるようにそれらは別々にあるものではない、でも猫でもオスは出て歩くがメスはあまり出歩かないという時、動物でも男女の差があるのかもしれない。
男性はどうしても狩猟的であり牧畜民的である。ただ牧畜は狩猟の延長であり動物をならすということでは農耕的な側面もあったのである。狩猟は全くそうしたものはなく一発獲物を狙いとるというごけである。そこに繁殖させて増やすという志向はないからだ。

日本史でも世界史でもこの狩猟民的な牧畜民的な移動の時代と農耕の定着的なものが交互に生じてくる。江戸時代は農耕民的定着時代であり安定時代であったが明治維新以来は外国まで戦争するなど大移動時代でありその後もグローバル化で世界的移動の時代だった。全世界が狩猟民的牧畜民的大移動の時代だったのである。
その時代も一段落すると定着的農耕民的志向になる。現代があまりのグローバル化でかえって疲弊した様子が生まれているのもそのためである。グローバル化というものがすべていいものではなかった。日本文化が各地の文化が一様化されるのなどその国独自の発展生成の文化を作り得なかった。それは国内でも東京一辺倒でまねばかりの文化だったとか言われるのと同じである。
小さな畑でもそこが一つの小宇宙である。そこにはやはり富があり実りが隠されていた。それを掘り下げればそこに富が生まれる。耕せば富が生まれる。外国まで行かなくても富はその小さな狭い土地にもある。それが江戸時代だった。その後も一反でも米の収穫量は品種改良など増大したしブランド品が生まれた。米は前よりどこでもおいしくなったのである。つまり広大な土地がなくても富は生まれということである。


現代がどういう時代か、それはもうグローバル化という怪物的な経済の中で生きることではない、株でもそうである。絶えず変動して定まらない、狩猟民的一攫千金を求めるのが株式社会である。そういうのに農耕民の日本人は向いていない、こつこつと働き努力して貯えるのが農耕民だからである。株は絶えず好機をとらえ売ったり買ったりしていないともうからない。そういうのに日本人は向いていない。安定的に収入が入ってくるのが向いている。日本人は冒険的ではない、もともと農耕民でありそうした博打的な経済には向いていないのである。


現代の不安なストレス社会はやはり男性的な狩猟民的な移動社会変化社会のためである。ストレスをかかえるからタバコをやめられない、酒をやめられないとか中毒になる。
女性もストレスが大きい社会である。男女平等はいいが男と同権になるにはそれだけのストレスもかかる。そんな才能が女性にはもともとない、だから小保方さんの万能細胞も嘘だった。そんな簡単に夢のような発見はてきないものだった。
ただストレスがかかり女性でもできるんだという功名心の結果あのようになったのかもしれない。その真偽は不可解である。

日本は今グローバル化ではない,日本の土地に根ざした国風文化の再興の時代を目指すべきである。狭い土地でも故郷でも灯台下暗しであり、こんなところがあったのか?
最近近くを見直して感嘆した。一番近くの良さが見逃されていたのである。

それは震災以後に当たり前のことがいかに大事なことだったか幸せなことだった再認識したことでもわかる。
当たり前なことはそれが意識できない、失ってみて初めてそれが幸せだったと認識できる。
誰も故郷に住むことなど当たり前である。それが住めなくなったことである。
田畑があるのは当たり前でありそれがなくなったことで田畑も見直す、家族が一緒に暮らしていたのがばらばらになる。
大家族で暮らしていた家が田舎ではまだありそれがばらばらになってしまったとき、一緒に暮らしていたときが幸せだったとふりかえる。
それは結局病気になってはじめて健康のありがたさをわかったのと同じだったのである。

いづれにしろ遊牧民だと深く物事を仕事でも掘り下げられない、一定の場所に樹のように根付く時、その場所での認識が深くなる。
だから歴史的なもの長い時間で作られたものは理解しにくいのである。
だから意外と自分の住んでいる狭い場所のこと故郷のことでもわからないことが多いのである。


丈夫でよく働き病気をしないで、多産、そういう黒人同士をかけあわせて、より頑強な子供をつくらせた。牛や馬となんら変わらないやり方、つまり狩猟・牧畜民族の伝統である
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/391886949.html(心に青雲)


今日の「心に青雲」の記事は面白い。
人間をやはり動物のように家畜のように処理できるのは遊牧民だからである
こういう発想は農耕民にはできない
植物の品種改良はしても動物や人間まで同じ発想ではできない
こういうことは日常的な生活から生まれてくるからだ
人間の品種改良に抵抗がない
ナチスがアリーア人が優秀だからあとは滅亡するべきだとか言った論理になる
つまり農耕民と牧畜民の文化の差は男女の差のように大きいのである。
そのために理解できないことが多々あるのだ

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2014年01月24日

像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない (万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)


像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない

(万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)

像ではなく、言葉で考えるのはダメである。言葉(文字)で考えて、それを言語として表出しているとまともな文章は書けないということだ。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


中華人民共和国と呼称するあの国は、「人民」と「共和」は日本語である。
 「人民」は、明治期にpeople の訳語として使用されるようになったが、古くは8世紀ごろに日本で使われていたとされる。

「共和」は周の時代(紀元前1046〜256)の暴政を敷いた脂、(れいおう)の故事からくる。

 脂、は財産を独占して周囲に分け与えることをせず、大乱が起きた。王が王宮を逃げ出したため、やむなく2人の臣が政を預かって国を立て直した。そのときの元号が「共和」だったので、それにちなんでrepublicの訳語として引っ張って来たのだ

http://kokoroniseiun.seesaa.net


万葉集は全部もともとは大和言葉である。その大和言葉を漢字にあてて残した。その時日本には文字がなかったのである。でも言葉はあったのである。原始的な民族でも言葉のないものはない、人間である限り言葉はある。話し言葉が書く言葉の前にあった。
だから日本人の源流を探る時大和言葉のもっている意味を探ることがわかりやすいとなり本居宣長が大和言葉と唐言葉を分けたのである。
その時日本人は相当に混乱した。それは実際は今でもその混乱をひきづっている。
漢字のもっている意味をなかなか理解しにくいし中国で発明されたものでも日本人の使っている漢字の意味は全然違ったものとなっているのだ。ただ「心の青雲」のプログの作者が述べているように「人民」「共和」がすでに奈良時代辺りから使われているとするとそんなに古いものかと思った。
「人民」「共和」は普通は明治以後に生れた造語された言葉だと思うのが普通だからである。そもそも人民という感覚は江戸時代にはないはずである。ただ民(たみ)という日本語はあったのである。


やまがたに 蒔ける青菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか 仁徳天皇


高き屋にのぼりて見れば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古707)


西暦五世紀初め頃の大王。応神天皇の子とありあの仁徳天皇のあの巨大な前方後円墳の主なのかと驚く。この時すでに吉備がでてくるのだから吉備も古いのである。
仁徳天皇の古墳の大きさは近くに行ってみてもわからない、空から見ないとわからないのだ。前方後円墳という形もわからない、特に回りに人家が密集しているからあそこにあれだけの大きな古墳があることが当時の様子がわからなくなくしている。
みちのくの正式な歴史は奈良時代からすると近畿はそれよりさらに古いからその古さから歴史を実感できないから東北では日本の歴史を実感できないということがある。
東北は常に辺境にあったからである。

こういう歌はそもそも中国にはありえないだろう。中国は民とは目をつぶすという象形文字の意味だという、民は見えないようにて奴隷のように従わせるという意味だろう。

これは日本でも見ざる聞かざる言わざるということが人民に強いられていた江戸時代にはそういうことがあったから中国だけではないともいえる。ただすでに「人民」「共和」という観念が生れていたのか?
それは日本という国がそもそもそうした「人民」とか「共和」という観念を持ち得たからなのか?そんな古い時代からそういう観念を持ち得たのか、ただこの言葉は日本人が新たに作り出した漢字だとすると日本の社会にその言葉を受け入れる素地があったともなる。中国ではそういう素地は全くないからだ。つまり天皇とは中国の帝王とは違うものだった。でも仁徳天皇の古墳を見ればどれだけ巨大な権力の持ち主かと思うのが普通である。

古墳というのが何になのか?権力の象徴なのかというとこれまたわからないのである。
東北などでは南相馬市の原町区の桜井古墳も大きいが誰のものかなど全くわからないのである。

ともかく言葉は「像ではなく、言葉で考えるのはダメである。」というときこれは本当である。そのことで前にもいろいろ書いてきた。石と岩の詩を自分が書いた時、それは故郷にある具体的な現実に存在する石と岩なのである。その石と岩にも個性があり名前をつけたのである。the stone the rock なのである。

万葉集時代の感覚はみな具体的な回りの自然を基にして言葉でも歌でも作られている。
だからある言葉は密接に回りにある具体的な自然のものと結びついていたのである。
恋愛の歌でも現代のとは違っている。像としての自然感覚が具体的な像として体に身についていたのである。


奥山の岩本菅を根深めて結びしこころ忘れかねつも 笠女郎


まず現代ではこんな感覚になる恋愛歌などありえないのだ。だから当時の女性もまた現代の女性とは感覚的に違っていた。自然の原始性が身についていたとなる。
自分は石とか岩をテーマにしているからこの歌の意味が良くわかるし詩にもしてきた。
現実に奥山の岩を写真にして紹介してきたように田舎ではそういう場所がどこでもまだあるのだ。


万葉人は自然⇒人事社会であり現代人は人事、社会⇒自然を歌う傾向がある。自然の具体的な像をもっていないのである。また東京のような所に住んでいればもちえようがないのである。そもそも自然から離れて芸術はありえないのだ。だから現代芸術でも思想でも歪んだものとなる。宗教でもカルトになるのは自然から離れた都会で生れたものだからである。そこには自然から岩とか山とかから発想される自然が欠けているのだ。
科学時代になったときますます自然から離れたものとなり自然を心としない自然から遊離したものとなっていった。
ものとは心でもあるからものと心は遊離したものではなく一体のものだった。ものとは自然のことでもあった。神道とは明治以降の祭り上げられた天皇とは違った自然と一体化する日本人の心にあった。

いづれにしろ東京のような大都会ではそもそもが像として結び得る自然がない、だから言葉が言葉にならない、言葉はただ商業のために工業のように数字のようになっているのである。だからロゴスも破壊され無秩序になりカオスになっている。毎日高層ビルを見上げていれば高層ビルが実際の具体的なものでありその他にはないのである。
富士山にしても浮世絵では確かに見えていた。でも高層ビルの都会になるともう何かぽつんとしか見えない、江戸でも富士山はだから日常的に像として結びついていた。
今は高層ビルがとおっていて見えないのである。

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2014年01月01日

おせち料理は縄文時代からの日本人の食料 (今見直されるべき国風文化,日本人のルーツ)


おせち料理は縄文時代からの日本人の食料

(今見直されるべき国風文化,日本人のルーツ)


日本のお正月のおせち料理は、縄文文化そのもの。現在も、縄文時代と同じものを食している。お餅も、米は無かったがサトイモによるお餅があった。
勝ち栗、昆布巻、ごまめ、牛蒡、蓮根、人参、里芋、くわいなどが中心で、他にもこんにゃく、大根黒豆、かずの子、焼豆腐などを使っていますが、多くは日本人が四季折々に食べてきたものの


黒豆 イワシの幼魚の佃煮。 カタクチイワシを田の肥料としたところ五万俵ものコメが収穫できたとのいわれに由来している
(酢ごぼう)

伊達巻
だてまき 「伊達」の由来は華やかさや派手さを表す言葉で伊達政宗の派手好きに由来することの他、
搗ち栗
栗金団
(くりきんとん) 搗ち栗(かちぐり)は栗の実を搗いたもの。栗金団は栗餡や芋餡を練ったきんとん。 搗ち栗は「勝ち」に通じることに由来
焼き肴
鰤の焼き物 ブリも参照。照り焼きにすることが多い。 出世を祈願。出世魚であることにあやかったもの[16]。
鯛の焼き物 鯛も参照。元は神饌。 「めでたい」の語呂合わせ
海老の焼き物 伊勢海老を使うことが多かったが、高価であるため、クルマエビなどが使用されている。 長寿を祈願した縁起物
鰻の焼き物



最近和食が世界遺産として見直された。ところが現代は和食が何なのかわかっている人が少ないだろう。子供にしろハンバーグとか肉類の洋食が主流である。
日本人はもともとおせち料理が基本的な食べ物だった。魚や昆布など海産物が主流である。貝ばかり食べていたという巨人の伝説も各地にある。新地にもある。米を食べる前の食料は海産物と山の幸をミックスしたものだった。それがおせち料理にある。栗などは山の幸である。ただ米がとれるようになって米が主流になった。カタクチイワシをた田の肥料にしたということは海産物が農耕にも役立っていた。農業は肥料で苦労しているのだ。
焼き畑が盛んになったのは森を燃やして肥料にしたから手間がかからないからである。
それが自然破壊になっていた。

魚類や海老などを縄文時代から日本人は盛んに食べていた。それだけ海の恵みに頼っていたのである。海彦山彦が日本人のルーツである。海と山の世界であり平坦な地が少ないからそうなる。それぞれの民族を作るのはその土地のまず食である。食なくして人間はまず生きられないからだ。だから民族の骨格を作ったのは食である。その食はその国の風土から自然からもたらされた。だからおせち料理とは神に献げたものであり神とともに共食するという儀式であった。神にまず献げて神からいただくというのが基本にあった。
そういう儀式は一つの信仰的なものがあった。
こういうことが現代では経済効率優先で失っていった。そのことで何が起きてきたのか?

それは食べ物が基本的には神から与えられるものでありそれをありがたくいただくという自然に対する畏れとかがなくなったことである。

何かというと今は権利を言う、生きる権利がある。最低限の保証をしてもらう権利がある。生活保護は当然だとか常に権利ばかりを言う。食べ物も神からいただくのではない、人間が生きるための当然の権利だとなり神に感謝している人などいなくなった。
もっと魚をとって売りたいが魚がとれないとか嘆くだけである。

そして漁業組合では原発利権の方が巨額だから漁業権を原発に売ってしまった。
そもそも漁業権が魚をとる権利のことである。それがなぜ漁業者だけに与えられているのかがそもそも矛盾なのである。資源保護ならわかるが魚をとる権利を売ってしまうというのだから資源保護にはならない、ただ原発利権のために共同していただけだともなる。
こういうことは別に漁業だけではない、自然にかかわる職業はみんなそうなっているのだ。神に自然に感謝している人などいない、絶えず売れないとか商売にならないとかいう嘆きだけなのである。それだけ買うものが増えたから金が欲しいからそうなるのもわかる。でもそういう人間の限りない欲望が神から見た時許せないということもあった。
権利、権利と言うがこの世のものは自然は全部神が作り神のものなのである。
人間のものなど一つもないのである。土地でも食料でも何でもそうなのである。
人間のものなど一つもないのである。だから神に対して権利ばかり主張していたら傲慢だとなり罰せられるということもある。


それは何も自然とか神に対してだけではない、人間の間でも常に起こってきている。
前にも何度も書いたけど看護師でも何でも人に与えたり尽くしたり働いているのになぜ感謝しないのだろうとなる。ただ当然の権利だとかばかり言われたらその人のために働くのも嫌になるだろう。現代の人間に感謝する心が極めて少ない、ただ足りない足りないもっとくれもっともらう権利があるしかない、誰一人として自分が苦しい時働いてくれた人はいないけと絶えず金だけを要求してきたのである。
今確かに食を見直す時なのだろう。日本ならおせち料理は何だったのかと過去にさかのぼり考える必要があるのだろう。ただ自分は古い家でもないからおせち料理自体食べたことかない、一般的に高いからあまり今は食べないだろう。だからこの言に関してあまり言えないということがある。

でも何か日本人の原点にもどることを国風文化の再興の時代ということは書いてきた。
その国風文化にばいろいろあっても食も基本にある。
それがおせち料理でありそれは日本人が縄文時代から食べてきたものであったのだ。

クリとグリと一つのもであった。グリは石だけど貝などもさしていた。海の幸と山の幸が基本的な食料だったのが日本だったのである。山芋があり里芋になった。もともと山にあったものが栽培されて里芋になった。日本では山と海が接近している所が多いのである。熊野などは典型的な地勢である。この辺では新地がそうでありそれで鹿狼山(がろう)には手長明神の伝説がある。長い手を伸ばして貝をとっていた巨人がいたというのである。
新地の地勢と海と山が接近していることなのだ。だからその伝説も実際の生活から生れたものであることがわかる。相馬市とか南になると海と山は結構離れている。
だからそうした伝説は残っていないのである。伝説もただ何の根拠もなく生まれるわけではないのだ。

正月というのは日本文化を見直すのにはいい、現代は日本人とは何か、日本人のルーツさえ何かわからなくなっている。欧米化で日本人たるルーツが見失われた。だからそうした日本人の文化のルーツを求める時代になる。それは日々食べる食にもあり言葉にもある。それが意外とわからなくなっているのである。最近ネットウヨとか何とか右傾化が問題になるがそういう国家的問題ではなくその基になるのは日本人のルーツであり文化が何であったかを知らねばならない、それで本居宣長が大和と唐風の言葉を探求して日本人の心を追求したのである。そういう作業が現代は望まれているのだ。

右傾化というけど自分たちの民族のルーツを基となった文化を知らなければ日本人としての自覚をもちえないのである。それは回りの強国にたいして軍事力を強化することではない、日本人として生きてきた過程をふりかえり歴史を見直すことなのである。
もちろん正月には中国文化にルーツがある。しかしそれだけではない唐風だけではない日本独自の文化を見直したのが本居宣長だったのである。
つまり自分でもそうだが日本文化が何か知らないし外国にも説明できないのである。
それで明治維新の時、武士道を外国に紹介したことでもわかる。
明治維新以来欧米化に席巻されて日本古来の文化が見失われた。ということは日本人の骨格が失われたということなのだ。
ただ欧米化したものがすべて悪いというのではなくそういうものに一辺倒になったら日本自体がないものとなってしまう。そしたら日本の独自性もなにもなくなってしまうのである。

posted by 老鶯 at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

正月の寿春-正月は日本の文化


正月の寿春-正月は日本の文化

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正月と刻まれている-北泉の延命地蔵神社




正月の寿春


円は満願、調和、円満
紫菖蒲は清楚な妻
チューリップの大きな蕾
未来へ開く瑞々しい若さ
葉牡丹は田舎的素朴質実
若松は初々しい命の緑
黄色の蘭は無垢なる幼児の色
正月に床の間に映えて
この家を言祝がむ


広き家に初日のさして一年の穏やかにあれ老いてくつろぐ



正月という気分は失ったけど正月は明らかに日本の文化を色濃く反映されていた。
それは農耕社会だからそうなった。餅花などを飾るのは豊作を願って農家の人が手作りで作っていた。そこに意味があった。自分で作るものと買うものではそもそもその差が大きいのである。自分で作ることにより愛情がわくし作る過程でいろいろなことを学ぶ。
だから労働は商品を売るという近代的なもの貨幣経済で本来の意義を全くゆがめられてしまったのである。

なんか正月飾りを餅花を一万で売っているとかいう人がいた。買うから高くなるんだよなと言っていた。もともと農家で自家生産しているときそうした伝統的なものには意味があったのである。ただ買うだけだったら意味がない、餅花を作ることで豊作の願いをその過程でこめられていたのである。
その作り方も祖父母とかに教えられるということで伝統が受け継がれ村の暮らしが受け継がれていた。


本当に家事をしてみるとわかるけどいかに買うかが問題になる。多種多様なものがありその売っているものがわからないのである。玉子焼きに入れる具まで売っているしあらゆるものが売っている。だから買うことが生活することになっているのだ。
そういうことは何か変だと思うけど忙しい時代には便利であり家事ができなくても一人で自分はしているし介護までできるのは買ってしているからである。
これを人手でまかなっていたら専用のお手伝いさんが必要になるだろう。
それは大金持ちでないとできない、結局今どきそうしたお手伝いさんという仕事は誰もしたくない。だから機械と買うことでまかなっているのだ。

ただ人間の生活はいつも同じではない、常に変わってゆくからその変わることをいちがいに否定できない、伝統も常に新しくされるて意味あるものとなる。

今回の正月のフラワーアレンジメントに感心したように新しいものが取り入れられると
別な様相を帯びて伝統は受け継がれるのである。
昔のままがすべていいとはいえないのである。
戒名なんかいつまでつづけているんだと思う、もうそんなことに意味がないことが一般的になっているからだ。なんのありがたみもないのである。
以前として同じ題目をなど唱えつづけているのもそうである。
でも以前としてつづいているのは伝統というのは簡単に変えられないものがあるからだろう。


正月は日本の文化である。なぜなら年賀とか正月の儀式などは韓国などにはなく年賀などは日本のまねたのである。韓国には明らかに古代から日本の文化も入っていたのである。前方後円墳があったことでもわかる。それだけ古代から深い交わりがあった証拠である。日本の文化というときそれも現代では何かわからなくなっている。この正月飾りは日本文化であり生け花がそうであり茶の湯の道もそうである。それらは一体としてあった。
もちろん大和言葉も日本の根底を成す文化そのものである。民族の言葉を失ったらそもそも文化は喪失する。

ただこうした日本文化の根底を作っていた農耕社会が失われた時、日本の文化も失われた。巨大な工業社会となり一割くらいしかGDPを示していない、そうなると工業社会となり工業優先の社会となるのだから農村的文化は必然的に失われる。
原発がこの辺で作られたのはそういう時代の変化があった。

南相馬市の金沢に江戸時代の碑が二つありそこに正月と刻まれていた。正月に建てたのであり正月が一番一年で大事であり農耕社会ではそうだったから二つも正月と刻まれていたのだ。金沢の北泉の延命地蔵神社は村の中心だったのである。そこにいつもお参りしていたのである。
特に正月は大事だから正月を祝うために建てられた。そして長生きしたいということで延命地蔵を祭ったのである。
今までは注目してなかったが津波であの辺の村がなくなってしまった。そして延命地蔵神社が残ったので注目したのである。そこには江戸時代の碑が地層のようにあり村の要だったのである。


我が形見見つつしのはせ 荒珠 (あらたま) の年の緒長く我も 思 (しの) はむ(587) ... 笠女朗


この歌は物として残った形見である。それは歴史的にもそうして残ったものが無数にある。人は死んでも物は残る。だから残されたものに死んだ人の思いがこもっていて何か物が捨てられないのである。物は単なるものではない、何らか人間の心がついているのだ。
悪い念がものにはついている場合がある。するとその物をもっていると触れると悪い念にもふれることになるから怖い面がある。単なるものは物じゃないかというけどそうでもない、奇妙だけど自分の家に他人の茶箪笥が何カ月か置いてあった。それは夫が若い時苦労して買って妻に与えたものだった。それを長く使っていた。その妻は7年前くらいに死んだという、するとその死んだ妻もその茶箪笥と一緒にそこにあったような気になったのも不思議である。別にその女性のことは全く知らないけどそう感じたのである。
それは長く使っていたから余計にそうだったのである。

家というのもまたそうして長い年月人が住んでいるから単なる人が住む入れ物ではない、特に古い家はそうなる。家霊とか住み着いているともなる。

ともかく家は広い方がいい、気分も広くゆったりしてくる。最近家が大事なことがわかった。それは今までは六畳の狭い部屋に寝起きしていたが今は八畳の間でで寝ているし廊下も広いからゆったりするのである。老後は意外と家が大事である。くつろぐ家が大事になる。だから仮設に住んでいる人は嫌になっていると思う。なぜなら田舎では広い家に住んでいたからである。農家などは家と土地とか一体化していた。前田があり前畑があり生産と一体化していた。それが人間の原点の生活だった。

日本はそもそも土地も狭いし広い空間を確保できない、家も狭いから茶室が生れた。
家は相当に精神にも影響するだろう。家が狭いと思想的にもゆとりがなく偏狭なものになってゆくかもしれない、都会では窮屈な空間で汲々して暮らすほかないから嫌である。

自然を知るには田舎に住まない限りしりえないと思う。
花でも生け花でももともと自然を基にしたものである。菖蒲にしてもそれは湿地帯にもともと咲いていたものであり湿地帯に映えるのである。そこに花のエッセンスを解読する。生け花の基本は野の花にあったのだから田舎に住まない限り本当は花についてわからないということがあるのだ。高山植物は高山に咲いてこそ映えるものである。
ただ文化というのは野のままではない、そこに必ず人間的なものと変容して文化となっているのである。


とにかく今年は平穏であってほしいいうのが願いである。もう一身上のことでも回りでもいろいろなことで疲れてしまっているだろう。結局六年間はそうだった。もう生きることに必死になり追われているだけだった。これほどの激動があるとは思いもよらなかった。なぜなら自分の30年間は平穏無事だったからである。一回水害があったがそれもそれほど影響しなかったのである。まず津波で家を流された人の気持を考えるとその人たちの傷はなかなかえ癒えないだろう。これほど人間にとって家が大事だという時その家が一瞬にしてなくなった、家族も死んだとなるとその傷はなかなか癒えない、でも三年目になるからそろそろいつまでも嘆いてばかりいられないだろう。

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2013年11月18日

文化は多様性 (一様になると滅びる-グローバル化で日本は自国の米さえ作れなくなる)


文化は多様性


(一様になると滅びる-グローバル化で日本は自国の米さえ作れなくなる)

この辺は津浪や原発事故以後、田んぼは荒れ地になり畑をしている人も少ない、田んぼが稲が刈られて落ち穂などが雀の食料になっていた。だから田んぼない稲田がないということで雀などが減っていると思っていたがそうでもなかった。畑を作っている人が雀が野菜の芽を食べて困るとか言っていた。雀は虫も食べるという,雑食性である。
ある時蝶を襲い食べていた。雀も結構獰猛なんだと見た。ただ不思議なのは一体鳥でも何を食べて生きているのか見えない、虫を食べているにして虫というのは見えにくいからわからない、田んぼや畑がなくても虫が減るということはなかったのかもしれない、烏も雑食性であり減った感じがしない、蛙はほとんどいないから鷺は見えない、ただ湿地帯化したところに時々来る。ネズミが原野化すると増えたというけどネズミも見えない、ただ一時台所にネズミが入ってきて恐怖だった。この頃ネズミは来ないから安心した。
そしてノスリが五羽くらい住み着いたのはネズミを餌にしているからだという。ただ原野化した草原でネズミは見えないからいるのかいないのかわからないのだ。
ただ雑食性のものは生き延びやすいように見える。熊なんか大型なのに生き残っているのは山を住処として雑食性だからだろう。雑食性ということは肉食であっても肉がなかったら植物性の木の実を食べる、この逆も成り立つ、そうすれば飢饉の時でも生き延びられる。

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これは人間も同じだった。ペルーとかでもトウモロコシもジャガイモにもいろいろ種類がある。標高差によって種類を分けて植えている。寒いのに強いものや乾燥に強いものや虫に強いものとかいろいろである。寒暖の差や雨期と乾季に分かれているから余計にそうなる。天候の変化に適応した品種を作る。これも多様な種類の食料があってその土地で生きられることを証明している。それは長年の生活の知恵で生れたのである。人間はもともとこうしてあらゆる地域で自然にその風土に適応して生きてきた。世界中の原住民の生活はだから多様なのである。それはその土地のものを食べてり利用して生きる持久自足が原則だと自然とそうなるのである。日本だって江戸時代から戦後十年くらいまでそうして暮らしていたのである。燃料は炭であり江戸時代の延長になっていた。だからこれほど世界中の食べ物を集めているということは二千年もなかったことなのである。
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地球千年紀行-原住民の知恵に学ぶーBSーTBS


グローバル化というのは別に今の国際化でなくても江戸時代の鎖国の中で起こった。東北地方は米を作ったのは江戸に売るためであり商品作物として作っていた。特に伊達政宗の時代がそうだった。石巻から大量の米が船で江戸に運ばれて売られていた。大規模な干拓が行われた仙台平野は今回も津浪で大被害を受けた。津浪の後も米作りしたのは商品として江戸に売るためだったのである。だから東北ではそもそも寒いから米作りに向いていなかった。それをあえてそうした結果、米が不作の時飢饉になったということもある。これはアフリカ辺りでも商品作物のコーヒばかり作っていたら地元での多様な食料がとれなくなり飢饉になったとかの報告もある。江戸時代にもすでに国内でそうしたグローバル化があったのである。だから一つの作物だけに依存することは何か天候の異変や想定外のことなどか起きた時対処できずに滅亡するということがある。

動物でも雑食性はいいが単一のものを食べているものは死滅するかもしれない、適応能力が低いということである。

だからグローバル化経済は危険なものをはらんでいる。TPPでも非常に危険なものがある。日本人は車とかカメラだけを作って食料は作らなくてもいいとかされたらその時日本は滅亡してしまうだろう。でも今やそういうことが現実化しているから怖いのである。
農協など既得権で都会のサラリーマンの税金をむしりとられるだけだとか言われる。

都会中心で田舎は経済的に無駄だから消滅しろとか言われる。でも一千万の東京とかは異変に対して弱いのである。地震であれ津浪であれ自然災害でも弱いし例えば他国に攻撃されたときも一たまもんりもなく破壊されて滅亡する。ベトナム人がアメリカの戦争で戦いぬいたのはタロイモなどを地下に逃れ食料にしていたことがあった。食料がなければあんなゲリラ戦争かてきないのである。逆にそうして自国でも地元での食料があればゲリラでも抵抗できるいうことである。文明というのは便利すぎて一面の便利さが大きな危険をはらんでいる。それが津浪や原発事故でわかったのである。
車があってもガソリンがないと車は何の用もなさない、水道が壊れて使えなくなる、電気もこないところもあった。それで薪や山の清水をくんでしのいだ地域もあった。
グローバル化した文明は何かの自然でも人為的なものでも異変にもろいのである。
多様的な時給自足的なものが基盤にないと危機のさいには一挙に崩壊滅亡する危険にさらされているのた。


だからこの辺では米も作らない畑も作らない、魚もとることができない・・・こんな状態になったときいくら補償金をもらってもそうした生産に従事していた人たちは不安になっている。金がいくらあっても不安なのである。なぜなら紙幣は紙切れになる可能性がある。その時外からも食料が入らないとなる時、飢饉になりそれはもう日本陣か死に絶えるというほどまでになるかもしれない、それが平然としていられるのは危機を知らないからである。津浪でも海岸に接していた村の人たちは何ら危機感もなく平然としていたと同じである。なぜあんなところに住んでいたのだど今だから盛んに言われけど東京でも大災害になったらなぜそんな危険な都市に住んでいたのだと言われるのである。高層ビルが崩壊しない保証はこにもないのである。


グローバル化経済というのは何かいい面だけを語られるかそこには地域の文化を破壊する危険なものがひそんでいた。もちろん外国の貿易とかすべて否定するとかではない、多様性を維持しつつそうした貿易も行うということである。極端にグローバル化したら日本人は車だけ作っていろとかカメラだけ作っていろとなってしまうからである。米は広大なアメリカ大陸がオーストラリア大陸が向いているとかなるからである。そんなことしたらどうなるのか?危機の時は自国に食料がなく他国に容易に支配されてしまうということである。日本は確実にさらにアメリカの本当に奴隷と化してゆくのである。アメリカのグローバル金瘡資本主義も異常である。アメリカの投資信託の会社は200兆の金を保有しているという、野村證券でさえ10兆くらいだとするとその金は桁外れてありそんな金を一体世界でどう使うのだろうとなる。それこそその金でもって世界を買うということにもなる。
日本もアメリカに買われるということになるのだ。
だからアメリカではそうした国々の文化う否定してグローバル化した多国籍企業の世界支配を企んでいるのである。多国籍企業にすれば日本人は米は作るなアメリカやオーストラリアの米を食べろということになるのだ。そして地獄の食料がないのだからアメリカの意向にはますます逆らえないものになるのである。それはアメリカの新たな日本支配の戦略なのてある。


あとがき

TBSを利用したけどこれも現代では知の応用でありある程度引用が許されないと人類の知は発展しないだろう。
映像でもそうだけど創造に発展するものは利用してもいいとならないと時代にそぐわないだろう。
テレビを見てそれがまた視聴者が反応してインターネットにアップするというのが現代のメデアなのである。
posted by 老鶯 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論