2018年05月12日

BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は (文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)


BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は

(文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)

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この社会の分析は面白かった,土社会(地縁、血縁の結びつきが強い)
とか砂社会(固い枠をあてがわないと形にならない)とかの分析である
現代は砂社会であるから強権政治になる
それは文明そのものがそうであり東京砂漠のように砂社会になっていたのである。
人のつながりが薄い社会である。その反面そこに縛られない拘束されない自由があるともなっていた
文明社会は砂社会でありそこからナチスとかが生まれたという分析はされてきた
もうその頃から人間は砂社会の中に生きていたからこそナチスが生まれた
今でもそれはさらに進行しているのである。
民主主義にしても一人一人が砂粒にすぎない社会である。

一票の権利があっても何十万何百万となって権力を得るシステムである。
つまり一票の力は何十万分の一であり何百万の一でしかないのである。
人間はその中で数字としてカウントされる存在にすぎない社会である。
それでカルト教団でも権力をとるために一票をとるために数集めのために一軒一軒回る
今の社会は数がすべてなのである。個人はなんの力もないもたされないのである。

この社会分析で個人は石社会だとか粘土社会だとか言うのは理解できない
石社会となれば石のように結びつく社会である。共同体が石のように組み合わされた社会なのである。粘土社会でも強く結びついて結合した共同体の中に生きている社会である。そういう社会は古代とか原始時代までもどる,なぜなら部族社会は一番人間の結びつきが強かったからである。
現代は石社会,土社会,粘土社会ではそもそもなくなって久しいのである。

だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも離散して崩壊したかとなるとそれはこうした社会に原因ししているとも書いた
田舎でもそうした結びつきがない農村のコミニュティでも崩壊しているのである。
いくら放射線の恐怖があっても町や村ごと廃墟化することがありうるのかとなるからだ
その結びつきは広域化してグローバル化してかえって経済的にも結びつきは希薄になっていた,別に都会と同じように金があれば食料でも何でも入るでないかという世界である。隣人の関係でも希薄なのである。
そういうことで補償金をもらったらこれ幸いと避難した人達は他で暮らしして帰ってこないとなった

それは前からどこでも田舎でもあなたに一億円やります,どこにでも住んでいいですよとなればどうなるのか、早くこんな田舎から出て行きたいと言っていた若者がいたことでもわかる,故郷がどうのこうのというより一億円の価値の方が大きくなっていたのである。だから現実に補償金をそのくらもらったらこれ幸いと故郷を離散したともなる
それを誰もとがめることはできないからである。

ともかく石社会,土社会,粘土社会は人間の結びつきが強い社会である。
それは簡単にばらばらにはならない粘着性の強い社会である。
自分が目指しているのはこの石社会であり土社会であり粘土社会である。
これはただ拘束力か強いから自分でも田舎は嫌だったのであり旅ばかりしていたとなる
そういう矛盾は常に人間にはある。
今人間の関係はすべて金に換算されている砂社会なのである。
だから強権政治でしかもう統制できないというのはわかる
それはナチスのファシズムになりカルト教団のファシズム宗教団体になる
第一何百万人が示威行動すること自体すでにファシズムなのである。
権力を誇示して圧力を数でかけるのが民主主義になった
だから砂社会の行き着く先はかえって強権政治でしか統制できない
それは社会主義でも同じである。文明そのものがそういう砂社会だからである。

かつては石社会,土社会,粘土社会だったのである,自分が自然とアイディンティティ化しようとした社会はまさにそうである。
なぜなら自然はそういうものであり木でも石でも大地に深く根を張り動かないし石でも岩でも動かないからである。密接に大地と結びついて動かないからである。
そういう社会がかつてあったしそれはエジプトでもマヤ文明でもアンコール文明でも石の建築物が多いのは石社会だからである。ヨーロッパでも中世とかなると石社会なのである堅牢な石の聖堂があり宗教的コミニュティがあり地域の結びつきが強いのである。

岩と岩は厳かに見つめ合う
固い約束を交わして不動なり
嘘,偽りのなく
岩と岩は固く結ばれている

自分の詩の一部だがこういうふうに人間は結び合っていたのである。
だから砂社会となった文明の結びつきが薄弱であり簡単に崩壊するばらばらになる危険性がひそんでいる,それが原発避難区域が事故で一挙に崩壊して廃墟化したのともにている要するに文明そのものが砂社会でありそれを結合させることが一番むずかしいのである。無数に分業化してパーツ化されて結びつくことがむずかしいのである。
だから石社会とか土社会,粘土社会に還るべきだとなるがそれはもう不可能である。

簡単に市町村で何か原発事故のようなものがあると崩壊して廃墟化する危険性がひそんでいる,津浪や原発事故で盛んに絆が象徴されたのもそもそも絆が消失している砂社会だったのが津浪原発事故でそれを見直す風潮が生まれたのである。
絆が大事だということは絆が失われていたからこそである。
でももうこれだけの世界が文明化すると不可能になっている,砂社会のなかで人は死んでゆくともなる,数としてカウントされ死ぬことも統計的数字でしかないとなる
共同体のなかでの自然の中での荘厳な死もありえないからである。

タグ:砂社会
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2018年05月06日

歴史は必ず教訓を残す (反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


歴史は必ず教訓を残す

(反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


明・清の時代3 清の中国侵入


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万里長城は満州族などから侵入を防ぐものだった
モンゴルだけではない,モンゴルと満州族は騎馬民族系統である。
遊牧民だった,だから中国は今の中国では歴史的になかったのである。
明の時代は秀吉を明へ侵攻しようとして朝鮮出兵したのである。
それも明の滅亡に通じていたというのも日本もかかわっていた歴史なのである


中国の歴史は三国志以来同じようなことをつづけている,それは国のカルマだとなる
人民が多いこと国が広大なこと異民族が混じり合うことなどで同じことを繰り返しているのである。
興味深かったのは王が贅を尽くして作った地下宮殿が発見されたことである。
中国の王は始皇帝でもそうだが地下まで来世でも栄華を究めようとしていたのである。
中国では強欲な者はその限りを尽くす,酒地肉林にもなる,そのスケールもまた大きいのである。西安の兵馬様の発見もそうだった

日本の天皇と比べると全然違ったものなのである。日本の天皇はそんな贅沢をしていないからである。日本の支配者は武士社会になってもそんなに贅沢はしていないのである。
それだけの財力を蓄積できない国だったともなる
江戸時代でも侍と庶民の暮らしでも食べ物にそれほど差がないのである。
それはヨーロッパの貴族も贅沢で階級を作っていたからその差ははっきりしている

李自成は黄土高原のヤオトンで生まれ育った貧農の出だった,その住んだ跡が発見されたというが土砂崩れでなくなったという,黄土高原で暮らすこと自体容易でない
それに税を高くされた,飢饉になってもそうである。
飢饉になって木の皮を食べて土まで食べた,土を食べて死んでも食べたという
そのことがパールバックの「大地」に書かれていたがそれは事実を基にしていたのであるそしてそういう人達が必ず流民化するのが中国である。
その数が多いからやがてそういう人達は反乱を起こして時の支配者に歯向かうようになる現代でも一時都会へ出稼ぎ者が流民化していた,鉄道の車両に家畜のように詰め込まれて都会へ大量に移動したのである。
とにかく人口が多いからそうして大量に人間が移動する,そのことが引き金になり反乱にもなる

官僚を厚遇して土地を買って大地主になった福王という大邸宅に住んでいた者がこの李自成の反乱軍に殺された,そして肉にされて鍋でにられて食べられたのである。
中国には人肉の習慣があったのである。中国では大陸では異民族間の闘争は激しくなり残酷になる,みな殺しにもする,日本ではそこまではしない,戦国時代にあったとしても敵味方塚とかを作り戦争が終わった跡はあまり恨んだりしないのである。
中国では敵は墓を掘り出しても刑罰を与える徹底したものなのである。
中国では争いは容赦のない過酷なものになる

李自成の失敗は何だったのか?
「均田免賦」とか徹底した平等を目指した,それは共産主義思想ににている
それが北京の紫禁城を占拠して王になったときその統治に失敗したのか?
それがあまりにも徹底していたためである。

李自成は「追賍助餉」というスローガンの対象を有力な官僚や軍人にも広げ、大量の金銀の提供を命じました。ところが、これに多くの有力者が反発。李自成は応じない人々を処罰。呉三桂の父親も含まれていました。このことが呉三桂が寝返る原因の一つとなったのです。

呉三桂の恨みをかって失敗したとなる,つまり徹底した平等を目指すときそれを簡単にはできない,失敗する,カンボジアの徹底した共産主義も失敗した
一見理想主義でありいいように見えても失敗した
その原因は何なのか?
そもそも人間の歴史を見ればわかる,なぜ人間には金持ちと貧乏人がいてなくならないのか?
この理由は何なのか?
それは何か不正をしているために富をもつものと貧乏になるのか?
そういう一面はあるし福王などは極端だからそうなったことは確かである。
でもすべての富者がそうなのか?それは不正のために富者になったのか?

それだけではない,例えは浪江で畑を作り平に今のいわきに野菜を売って財を成した人は篤農家であり農業技術に優れていたから三人もの娘を大学に出すことができた
そうして富者になったのはその人が優れた人であり努力したからだとなる
同じ農業をしていても全くだめな人もいて失敗している
それは事業でもそうである。失敗する人と成功する人の差がある
別に不正していみんなもうけているわけではないのである。
不正して富者になっているとは限らないのである。
もしそういう人達を否定したら徹底に何をしようと平等にしたらかえって不平等になるのである。
それでソビエト連邦は崩壊したのである。カンボジアでも共産主義は徹底して二百万人が死んだとか大失敗に終わり疲弊したのである。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。そして、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

ここでは悲劇の象徴として骸骨が積み上げられている記念館のキリングフィールドがある
これも徹底した平等を目指すとかえって危険なことになる
今まで積み上げてきたものをみんな否定してしまうからである。

人間は不平等になると飢饉とか苦しくなれば反乱を起すようになる,そして盗賊が王になったというのも中国にはある,盗賊が王になるということはその心情が理解できる
なんであいつは金持ちなのにこっちは貧乏なのだ,金持ちから金を盗んでもかまわない,それは悪いことではない,泥棒にも三部の理があるとなる
そういう人間の気持ちは変わらない,だからそれが大規模になると盗賊が王になっても不思議ではないのである。中国ではその格差が大きいからそうなりやすいのである。
権力をもつとものすごき富が集中して酒地肉林になり豪華な地下宮殿に墓に膨大な人民の税が使われるのである

それが現代の共産主義でも継続されているのである。兆の金が官僚が手にする,共産主義なのに平等をめざしているのにとんでもない格差社会になっているのだ
だからまた反乱が起きてくるとかなるし興味深いのは満州族の住んでいる瀋陽軍区が北朝鮮と一体であり北京に向かい反乱するという観測である
なぜ北朝鮮とか朝鮮がこれまで中国に統一されず生き残っているのか?
それは満州族と一体でありそれでつぶせないということもあるとなる
なぜなら満州族の金という国を起こしてその属国になっていたからである。
つまり歴史的継続からみると満州と朝鮮は一体なのである。
だから北朝鮮の核兵器の標的は北京にも向いているのである
満州族は文字がなくモンゴルの文字を採用していたのである。

いづれにしろ歴史は必ず教訓を残す,人間の個々人でも必ず教訓を残す,だから歴史に学べというとき人間はやはり同じようなカルマを繰り返すものだからである。
国にもカルマがあり個々人にも家族にもカルマがあるからである。
中国ではワイロの国だという時も今でもそうだからである。
ワイロによって外国の企業から官僚に金が入る、するとそこには資本主義の公平さがなくなるのである。それはやがて国がまた格差社会となり反乱が起きるということである。
中国はその歴史,カルマの繰り返しだったとなる



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2018年03月30日

風についての考察 (自然や風を感じなくなった現代人,文明人)


風についての考察

(自然や風を感じなくなった現代人,文明人)

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北風の吹くとき山を思いしも東風(こち)吹くときに海を思いぬ

山側の方まで東風が吹いてきたときは春を感じる,この辺では東風は海を意識する
でも阿武隈高原を越えると中通りになるがそこで東風が吹いている
でもその東風に海を意識するかとなるとしにくい
回りが山に囲まれているからだ
でも川俣の峠を越えた辺りでもビュビュー東風が吹いていた
これは福島市まで吹いて原発事故で放射性物質を運んで意識させられたのである。
まず福島市は盆地であり海を意識できない
この風は春になると吹く,3月11日にこの風が吹いたから不運だったのである。

つまりいくら科学時代でも技術が発達しても人間は自然の影響から逃れられないのである津波自体が自然にとっては定期的に起こるものなのである。
ただそのことを忘れていただけなのである。
おそらく科学技術が発達したことで人間は自然のことを実感として知らなくなったこともある
風の影響を受けずに船でも車でも飛行機でも動くからである。
山があればトンネルをほるし自然が障害にならないのである。
そこで自然に無感覚になる,人工的空間で生きることになる
そこに思わぬ落とし穴が待っているのである。

風土というとき風のことである。風が土地によって違ってくる
海側だと海から吹いてくる風が東風があり海を意識するが山だと意識しにくい

菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」

京都は盆地であるが東風が吹いたとき春を意識した,東山がありそこは海を意識するよりは朝日が上る方向として意識された,海は意識されないのである。

風を一番意識するのは船を操る漁師だったというのは当然である。風の影響をもろに受けるからである。それでいろいろな土地の風の名前が生まれた

伊勢で カウヤマ 吉田で ナライ
尾張 北ブキや いつも吹く

同じ風でも土地によって呼び名が違ってくる、カウヤマとは小山であり神山と柳田国男はしている,山から吹いてくる風としてとらいている,ナライとはナラスであり平地から吹いてくる風としての意識なのか?

お伊勢さがるは北のよの西よ,こちゃいなさはもどりの風

桑名四日市から神宮に参る海路は,北の様,すなわち北によった西風を帆に受けて大湊か神社(かみやひろ)の諸港に向かい、帰路は帰路は東風かイナサ風によったのである。

イナサは東南風でありそれは太平洋沿岸伝いに同じ呼び名だというのもやはり海洋民族として言葉を伝えた,それは同じ風が吹くからである。
日本海の風はまた違っているから別な呼び名になっている

ともかく船は風の影響が大きい,風を知らないと航海できないから風について敏感になる

風吹きて進まぬ自転車いづこかな我が旅路を思い出すかな

自転車は風に弱い,すすまなかなる,電動自転車だと風にも強い,その時は電動自転車はなかった、それで峠とか風には苦しんだのである。
今でも風吹くと自転車は出れなくなる

あいが吹かぬ荷が無うて来ぬか,ただしや新潟の川留めか

これもいかに風によって交通も妨げられたかを伝えるものである。川留めでもそうであるこの辺では津浪で新地から一部高架橋になった結果風の影響を受けるようになった
北風が毎日吹く季節がある,相馬の空っ風として有名である。
それで毎日のように電車が風で遅れて困る,一日運休にもなる
それを駅で見ていて経験しているから風の影響は電車でも受ける
電車は本当に風の影響を受けやすくなったのである。
ただバスはまだ原町から仙台まで出ている,バスは風の日も運行しているのである。

風はこうして生活の障害になるのだがまた風を感じることは自然を感じることなのである車では風をさえぎるから風を感じない,ということは自然を感じないのである。
すると旅しても風土を感じないから記憶にも残らないともなる

ともかく現代人は文明人は自然を感じる力がかえって減退している,それは科学技術にみな頼っているからである。みんな機械で計測しているからである。
風をじかに自然をじかに感じることが少ないのである。
旅をすれば方向が気になる,方向感覚がわからなくなる,それは近くでも飯館の山を越えてさまよったときもそうだった,山に入ると盆地だとどこでも山であり太陽が昇るのも山であり沈むのも山だからである。
海側に住んでいれば太陽が昇るのは東であり山側に西に太陽は没するからである。
だから地名の基本が方角地名、東西南北にある,方向がわからないとまず行く先もわからないからだ

航海民は草原とか砂漠で暮らす人達も方向が一番大事であり方向を見失うと死ぬことになる,それで北斗七星信仰が生まれた,それは妙見様であり野馬追いでも相馬藩でも信仰の対象になった,それは大陸からもたらされたものなのである。

自分は旅ばかりしてたから何か航海民とかに興味をもった,移動する民に興味をもった
ただ今になると旅することはしていない,何か体力的にできなくなったのである。
ただ思い出の旅をしているのである。

タグ:風の方言
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2018年03月29日

地方が田舎が与えるものは何か? (癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)


地方が田舎が与えるものは何か?

(癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)

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東京の人とかは田舎は地方は経済的に非効率だから無駄だとかインフラに金がかかるから税金の無駄だとかいろいろ言う
確かにそれもある,では地方の田舎の存在の意味は何なのだろう。
田舎は農業であり食料を提供する場である,それは物質的な面で地方や田舎の評価であり価値である。

しかし価値観は変わってくる,現代では物質的なものは満たされると次に何を求めるのかまず腹を満たす,それが先決なことは確かである。
でもその次にどうなるのか?人間はがつがつ食べていればいいとういものではない
動物とは違うからである。それで今度はそこで食べる雰囲気とか談笑するとか食べることによって仲間意識を作るとか食べるほかの付加価値を求める
レストランでも内装とかで安らぎを与える,それは食べることだけではない価値である。
今までの価値観は貧乏なときはまず腹を満たすことだとなるが今は違う。
もちろん味も大事である,基本的な価値である。
ただそれ以上に今求めているのがある,それは何なのか?
癒しとなるものである。安らぎとなるものである。
ただ立ち食い蕎麦で腹を満たせばいい,食べ物をかきこめばいいとはならない
それは豊かさではない,だから今は都会的なものより田舎的なものを求めるというとき
食べ物だけではない,田舎は癒しの場であり安らぎの場として求める

例えば森があるとして森をただ木材の供給地として見るのではない
森そのものの価値である。それを追及したのが森の中で暮らしたソーローであった
彼はそうして木材だけを森の価値として見ていた商人を批判していたからだ
森というのは荘厳な一つの世界である。
ドイツではそうした樅の木などの森がおおっていた,その森からゴシック建築がイメージされて作られたことでもわかる
自然を基に文化は生まれる,それはヨーロッパでも田舎に地方都市でもはせいみい4,5万の都市であり回りは自然に囲まれていた,森に囲まれていたのである。

ヨーロッパでは地方都市が充実している,そしてその地方都市から文化が生まれた
ルネサンスが生まれたフィレンツは4万くらいの小都市だったのである
そこからあれだけの文化が生まれたというのは驚きである。
天才もあれだけ輩出したというのも驚きである。
ミケランジェロを生んだのは確かに近くに大理石がとれる場があったからだともなる
だから素材が近くにあったから地産地消としたともなる

地方都市でも都会的要素と田舎的要素があり文化が生まれた
メジチ家が薬を売り財を成してそれで富を得て文化が栄えたとういこともある
やはり何らかと富が蓄積されないと文化は生まれないことはある
では今の東京などは一番が富が蓄積しているのにそこに文化は生まれないのはなぜなのかそこには物質的な繁栄しかないのである。
やはりそこには文化の基になる自然から切り離された完全な人工都市化しているからである。
そこでは自然をイメージできない,ビルの谷間と毎日高層ビルを見上げるだけで自然はないのである。一方で田舎だったらここには高い山がないが高い山を仰いでいたらその心も高まるのである
確かに自然ではない人工的美は存在する,それでラファエロのアテネィの学堂の絵では
ローマのア-チの建築がバックになっていて荘厳さを演出する
それは人工的なものである,ヨーロッパにはそうした人工的な美を作り出した
ただレオナルドダビンチのモナリザのバックは幽邃な巌の谷間になっている
処々に岩が描かれて人が天使が描かれている,そういう自然がまだバックにありイメージされていたとなる

山であれ森であれ川であれ海であれ自然がなければそもそも美でも産み出されない
音楽でも自然と結びついてある,何か自然を川の流れと潮騒とか山とか岩の沈黙とかあり森の中で鳥が鳴くとかそういうものは音楽からイメージされるからである。
クラシック音楽だとそうなる,ポピュラー音楽はただ激しいリズムなのである。
だから音楽を聴くには実際は森の中が一番向いているのである。
そこにクラシック音楽は調和してひびくのである。
都会の騒音の中では向かないのである。

だから飯館村は森に囲まれた村である。すると飯館村に本当は音楽堂があるのが向いている,そこでクラシックの演奏することが向いているのである。
震災以後そうした演奏会が行われた,でも音楽堂は人の集まりやすい都会にある
わざわざ飯館村のような不便な所には行かないだろう
でも音楽のクラシックの演奏を心にひびかせるにも森の中がふさわしいのである。

現代は文明都市でありヨーロッパのように文化都市を形成していない
これから求められるのは文化都市である。
最近良く言われるAI化で人間が働かなくてもよくなる,そしてベーシクインカムになるというのは何なのだろうと思う
これも一つの時代が変わることなのか,そうなると必ず価値観が変わる
人間は今ただ食べることだけではない文化的価値を求めることになる
それでみんなアーティストになるとか言われる

田舎に求めるものも食料だけではない,むしろその食料を提供するとしても付加価値が求められる,田舎が癒しの場としての機能がありそういうものが価値として求められる
自分の場合は田舎で働いていない,農業もしていない,ただ自然の中で森とか木とか岩とかにアイディンティティを求めてきたのである。
ただ文明というときカンボジアのアンコールワットでも森に埋もれている,マヤ文明の神殿でもそうである。それは森と切り離されて存在していなかった
深い森のなかにあった文明都市だったのである。
それが古代文明と今の文明との相違である。

今回の原発事故で飯館村などは悲惨だった,今でもフレコンバッグとかあり景観は乱された,ソーラーパネルなどでも景観は乱された
森も確かに放射能で汚染されたのだが別に森そのものは残っているのである。
ただその森で食べるものキノコとか山菜は食べられなくなったのである。
でも森に囲まれた癒しの場の機能は失っていないのである。
だから音楽堂などがあることが向いているのである。
本当に奥の方に太い樅の木があった,それは神殿の柱のように見えたのである。
飯館村は全体が森に囲まれている,原町からでも飯館村に入るには暗い森の中を通るのである。この辺はまだ森におおわれた自然がありそれが癒しとなるのである。



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2018年03月06日

AI化自動化が人間を幸せにするのか? (便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)


AI化自動化が人間を幸せにするのか?

(便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)

人間の歴史は別に幸福を求めてきたわけではない,第一幸福というのは計ることができないからである。
原始人と現代人の幸福を計ってもできない,原始人が日本なら縄文人が現代人と比べて不孝だったのかというとわからない
そんな時代は食べるに精一杯で幸福もなにもないという見方もある
でも原始人は縄文人は自然に則って生活していて幸福だったという見方もある
原始人ならもう病気になったら死ぬ他なかったから不孝だったともなる
現実に縄文人の寿命は30歳とか言われているからだ
そうなると百歳生きる現代人は幸福だとなる
長寿は人類の願いだったから今実現しているとなるからだ

ともかく人間は幸福を求めてきた歴史ではない,便利さを求めてきた歴史である。
鉄を発明したとき農耕は飛躍的に発展して収穫量も増えたし開墾も容易になり
人間が住む土地が広がって人口も増えたのである。
鉄の発明はそれだけ人類を変えて便利にして生産量をあげたのである。
それで幸福がましたともみるしまた鉄を発明した結果,それが武器となり殺傷力がまして人間が戦争で多く死ぬようになった
それで鉄の時代は人間を不孝にしたという見方もある

人間の歴史はまちがいなく便利さをもとめるのが文明である。
駕籠で人間を運んでいた江戸時代から急激に鉄道ができて蒸気機関車で物でも人でも運ぶ時代になったことの変化はあまりにも大きかった
その技術によって社会もまるで変わった,それは車社会で変わったのと同じである。
通信でも飛脚が手紙を運ぶ時代から電話の時代からインターネットの時代,携帯からスマホの時代と飛躍的便利になった
そういう技術の変化が日本だと明治以降から世界的には19世紀から起きてきた
その変化も激しかったのである。
遂には飛行機の時代となり世界は一気に狭くなったのである。
戦艦大和などは船の時代の産物でありそれが太平洋戦争で飛行機の時代となりアメリカに敗れたとなる
その時原爆が落されて原子核の時代に突入していたのである。
それは恐るべき殺戮兵器であった,人類を滅亡させる威力があることで恐怖した

つまり人間はこうした科学技術を追及してきたのは便利さのためである。
でもそれが幸福を追求するためのものではない,幸福とは何かわからないからである。
ただ便利さとか効率とか生産の増大とかを追及してきたのである。
人間がその科学技術によって幸福になるか不孝になるかなど考慮していない
だから核が発明されてそれが核戦争になって人類が滅びるとしたら最悪であり科学技術は人間に最大の不孝をもたらしたとなる

人間は便利さ効率さ生産の増大とかを求めるが幸福は求めていない
もし幸福を求めるとしたらその幸福とは何なのかが問題になる
でもそれを定義することはできない
飢えるよりはうまいものをたらふく食べるのがいいし寿命が伸びるのはいいとかは幸福として定義はできる,でも寿命が伸びたら伸びたで苦しみも増してくるとしたら寿命は長いのが幸福ともならないのである。
だから本当に幸福とは何かなど計れないわからないからそうなる

人類の願望として飢えとか貧乏とか病気の克服はテーマとしてありそれは克服することは幸福度が増すということは言えた,だから科学技術はそういう点では貢献して幸福度を増したとは言える
でも人間の幸福は計れない,なぜ20世紀に世界戦争で何千万もの人間が日本では300万人も死なねばならなかったのか?
それで人間の幸福度が増したのかとなる,戦争はあったにしても近代以前は局地戦争だったからである。犠牲者も少なくてすんだともふりかえり見る
人間にとって幸福とは何かとなると戦争などないことが幸福であることは間違いないのである。

飢えない
食料は豊かであり保証されている
戦争がない
病気がない
長寿である

この辺が幸福を計ることができるものとなる,でもその他は幸福を計るものがない
便利になったから効率的になったからとかなってもそれが幸福にはつながらないのである旅行でも新幹線で一日で京都まで行ったとしてもそれが幸福な旅だったのかとなるとそうはならない,江戸時代のように江戸まで歩いて旅した人は本当に旅していたと見る
だから旅をするという観点から見るとこれだけ旅しやすいのに不孝だともなる
要するに人間の幸不孝は計れないからである。
何が人間を幸福にするのか不孝にするのか?それは様々な要素があり計れないからである

ただはっきりしていることは人間は幸福を求めてきたのではない,便利さや効率さ生産の増大を求めてきた,その結果として幸福とはなったとはいえない,第一幸福とは何か定義できないし個人的にも違ってくるからである
さほど金にならなくても働きづめなのは嫌だ,のんびりしたいとなる人もいる
でもがつがつ働いても稼ぎ贅沢な暮らしをしたいう人もいるからである。求める幸福はそれぞれ違っているから計ることはできないのである。
幸福というとき苦は楽の種というときもそうである。
苦があって楽があるからだ,楽ばかりだと楽は楽でなくなる
うまいものばかり食べていると本当にうまいものの味もわからなくなる
腹が減っていればなんでもうまい,そういうとき何を食べてもうまく幸福になる
このように人間の幸福はわからない,幸福を求めて生きている訳ではないからだ
また人間は幸福をいくら求めても幸福にならないともなる
幸福を求めたが不孝になったということもある,思わず意外に幸福を感じたということもある,つまり幸福というのはそれぞれ違ったものでありわからないからである。

人間は便利さ効率や生産の増大をも求めても幸福になるとはかぎらない,別に幸福を求めてそうした科学技術を利用するわけではない,科学技術でも人間を不孝にすることがあるだ,何かそれでAI化自動化がバラ色だと見ているがそれも嘘だと思った
それによってもう人間はいらない,ロボットだけでいいとなる世界は人間砂漠であり
悪夢の世界になるかもしれない,なぜなら人間の幸福を求めてそうしたAI化自動化になるのではない,便利さや効率化を求めてそうなっているだけだからである。
これだけは知っておく必要がある,AI化自動化は人間を幸福にするとは限らない
不孝にすることもある,人間はいらない,人間は効率的ではないとかなり人間はAIより無能だとなりもうそういう人間は始末すべきだというSF的な悪夢が実現するかもしれないのだ
そうなるとそんな科学技術は人間を不孝にするのだからいらないとまでなる

車より自転車や歩く方が人間的だとか幸福にするとか今でもある
だからいくら科学技術が発展しても人間は幸福にはならない,必ず悪い面が生まれ人間を不孝にもすることは確かなのである。
そういうことは20世紀で経験済みだからである。
むしろ非効率でスローの方がいいとかもなる,それが人間的だなと人間として幸福だなともなる,スローライフが言われるのも今の高速な極度の効率を便利さを追及するものが決して人間を幸福にはしていないからである。
高齢化社会になると価値観が変わる,なぜなら老人の価値観と若い人の価値観は違うからである。
どうしてもめまぐるしく変わる早いとか効率的だとか合理的だとかよりスローで変わらない世界とか非効率でもそこに人間的なものを見いだす社会がいいとかなる
経済合理性だけを追及することに合わなくなる,人間的なもの金だけではない,情ある社会がいいとかなる,高齢者と若い人の幸福とするものが違ってくるからそうなる
そして現代は高齢者の価値観が優位になる,それは悪いことではない
それは別に年齢に関係なくそういう時代の価値観に転換する時代だともなるからだ




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2018年01月22日

樹の思考(一本の樹の立つ地(詩)より)


樹の思考(一本の樹の立つ地(詩)より)


一本の樹の立つ地

樹は大地を信頼し
徐々に深く根を張る
静かな冬の日に信頼を深める
樹は大地に根を張り
その土地土地に根付く
風の日も雨の日も雪の日も
その土地に根付いて動かない
そして最後は大地に朽ちて還る
その根を張った地こそ
還るべき場だから
そして大地に抱かれて眠る
ああ その一本の樹のここにありしを
その樹はなお幻となりて立つ
その記憶をここに留めぬ
祖先の霊も地に眠る

one tree trusts in the earth
Gradually deeply root
Deepen trust on a quiet winter day
Trees are rooted in the earth
Rooted in the local land
Wind days, rainy days and snowy days
It takes root in the land and does not move
And finally decaying on earth grounds
The ground that has established its root
Because it is a place to return
And sleeping in the earth
Oh, that there is one tree in here
The tree still stands as a vision
It certainly keep the memory
The spirit of the ancestor also sleeps on the ground

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樹が自分のテーマである。樹を思念するとやはり人間と通じる,人間は万物の霊長だというとき人間は樹でも石でも山でもそこに人間を見る
像で考えよというときそういう自然の事物とアイディンティティ化してゆくのが人間である。
人間は生物の一種だから人間は樹にもなる,人間が樹なのである。
神殿の柱はそれは石としても人間なのである。
こういう生は自然な命の営みである,それは営々とつづけてきたのが人間である。
また生物である,ただ生物は多様だから海となるとまるで違ったものになる
そこは常にゆれうごく不安定なのである。田から津浪が来たりするのである。
大地は全く違ったものなのである。確かに地震があり大地もゆれるから安定しているとはいえないがそれは海とは違っている,山もそうである。

人間の生は基本的に生物の一種だから命でも自然と共にあり朽ちてゆくのがまさに自然だとなる,それに逆らうことはできない,人間が死ぬことは樹が朽ちてゆくことである。
でもその樹の朽ちてゆく場所が地があらねばならない
人間は地からてありえないのである。ただ海があり天がありその志向はまた違ったものなる,地を離れて天に昇る思想があり宗教になった
だから人間は地に朽ちて終わるという思想は農業から生まれ天への志向は砂漠の民とか
草原の民,遊牧民から生まれたのである。

一本の樹が大地に信を深めるというとき何かそれは人間が農業中心になっていたらそういう感覚は人は常にもっていた,そこから二宮尊徳の思想が生まれた
農業は地を離れてありえないからである。ただ現代は地から離れて生活している
東京であれ都会であれ地から離れている,そこには土がないのである。
それでも一千万人が生活できているというのも不思議だとなるし異常だともなる
そこでは人間は大地の志向がないのである。
死んだときも遺骨が団地のような狭い場所に安置されるのもそういう生の延長としてある
今は田舎でほとんど会社員である,例えば銀行員にそうした地銀でも土着的な地の志向などない,グローバル化した中で金を動かす,そういう仕事に地の志向は生まれないのである。そういう人を相手にして自分が株とかしているのも矛盾しているのである。
日本人が貯蓄の志向が強いというときやはり農民であった期間が長すぎるからである。
それがDNAとなっているからである。地は血なのである。

都会での人間の生はこうした自然から離れている,人工的なものに囲まれていて本来の人間の姿を像を失うのである。
だからそこで重厚な文化は生まれない,ただ便利な生活をしているだけで文化は生まれない
なぜなら文化はcultivate→cultureというとき土を耕すことだからである。その土地土地の土を耕すことから生まれているからだ
現代の人間は機械の部品のようになり死ぬともなる、数字化したもの番号になもなる
それで議員が病院で番号で呼ばれて怒ったというのもわかる
名前すらない,みんな数であり番号だともなる
病院での死は物としての死であり荘厳な樹のような本来の生物としての死はないのである。
だから不思議なのはなぜ原発事故で避難者となった人達は簡単に故郷を捨てたのか?
それは田舎でも実質は都会化しているかもしれない,三分の一は原発で働いていたとか?
別に農民ではないからだ,すると土地に執着する人はまれである
ただ老人はやはり長くその土地に生きていたからその土地にいたいとか死にたいとか生物的志向になる
もちろん放射能汚染のだめだとなる,ただそれが全部が全部そのためだけではないと自分は書いてきたのである。

言葉でも自然から遊離した言葉であり像から思考できないのである。商業の言葉とか法律の言葉とか機械の言葉とかなる,そこにもともと言葉が生まれた自然かないから言葉がロゴスが消失するのである。言葉は本来は詩だったのである。そのエッセンスが文明によって失われたのである。

ローマ文明は土木建築が発達して優れていた,道を作るのにもたけていた,それは公共事業が高度成長時代を作り田中角栄が日本列島改造論を実行したのもそうである。
ところがその時その土地土地の文化が失われる,画一化されてくる
ローマ文明は拡大化することによって終焉した
そして中世は地域地域の文化を基にして生活することになった
その時期は長い,でもゲルマン文化,ドイツ人がゴシック建築などを作ったのはやはりドイツの森を基にして作られたのである。

アメリカはそうした大衆のための大量生産方式を生み出した,現代文明はアメリカ式生活の拡大化でもあった,それはローマとは似ていた,享楽的な所もありにていた。
グローバル経済もそうである。それはアメリカ式生活の普及であり食生活でもハンバーグなどが世界中に広がったからである。
それはその土地土地から文化から離れた無視した強引な同一化だったのである。

それぞれの地に根を張る文化は世界にありそれを無視したアメリカ的生活の押しつけだった,だからグローバル経済というのは世界の文化をも破壊する
金によってなんでも買えるという経済一辺倒の価値観に支配されたのである。
それで歴史のある国はこのグローバリズムに対立するようになる
つまりナショナリズムは悪い面にもとられるがその国々の文化を基礎にして重点にして生活するということである。
グローバル経済になれば言葉でも英語に統一すればいいとなりアメリカ式にそれでなる
そするとアメリカスタンダードになりアメリカが世界を支配しやすいということである。現代は中世への回帰の時代だというときそれぞれの地に還り地に根づいた文化の再生なのである。そこからルネサンスが生まれてくるのである。
タグ:一本の樹
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2018年01月05日

建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)


建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)

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ピサの斜塔を変形したらこんなふうになった
これも奇妙である。



 気高いア−チ

 Humans are united with their divine ceremonial hall
  with dignity or nobility
 in the majestic solid foundation hall

ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その荘重な堅実なる殿堂よ
そは人を高貴ならしめる
自信に満ちたる人の姿よ
その足よ、その胸よ、その頭よ
それは意味あるものを語りつづける
イデ−を探求しつづける眼よ
南の明るい光の中に
馥郁と香る花々のように
真理探求の友はよりそい耳をこらす
その友は対等にして奴隷の弟子にあらじ
その学問の殿堂をともに自立し歩む
人間はその神々しい殿堂と一体となる
ア−チよ、ア−チよ、気高いア−チよ
その石の殿堂の歴史は古りぬ
威厳に満ちた人間は彫刻と化して 
その殿堂の中に揺るがぬ座をしめる 
建築は人間を飾るものにして主体は人間 
光輝ある人間がその主人
尊厳は人間にあり光は人間から発せられる
ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その礎は堅く、不朽のごとくア−チは
尊厳なる人間を永久の記念とする

真と美の殿堂

ローマの遺風堂々と
堅固なアーチの堂宇
一同に天才達の集う
自立する哲学者と弟子
一対一の自由なる問答
建築は人間に威厳を付与する
知的な探求はやむなくつづく
そこに清新の気はみなぎる
自由と自立と規律は調和して
大地の実り,職人の技の結集
ギリシャの知と美,ローマの建築
イスラムの知とキリスト教の精神
一つに統合された美と真の殿堂
平和の殿堂をここに築かむ
神の祝福はここに注がれむ

A god of Roman majesty
Strong arch gate
We gather together of genius
Independent philosopher and disciple
One-on-one free question and answer
Architecture grants human dignity
Intellectual quests continue to be continued
There is a spirit of freshness there
Freedom, independence and discipline are in harmony
The fruits of the earth, the mobility of craftsmen
Greek knowledge and beauty, Roman architecture
Muslim intellect and Christian spirit
One integrated beauty and true hall of fame
Build a Hall of Fame here
God's blessing pours here

 晩秋ア−チの駅

旅人はフランクフルトに着きぬ
そのア−チの荘重な駅に
人々の出会いと別れの交差し
秋はまた深まりぬ
その荘重なバンホ−フは
その人々をつつみ古りぬ
駅にすらその建築は威厳を付与し
人々を尊厳あるものにする
駅は単なる雑踏にあらじ
旅人はその駅に着きて
一つの歴史を刻む
まことに我はここに来たりしと
その存在を建築の中に見出し
人間の存在を尊厳ならしめる

 ヨ−ロッパの都市(建築の意味)

シュペングラーの西洋の没落が建築史から見たもものだった,建築のその時代と国の文化や歴史が凝集されているからそうなった
アテネの学堂は傑作である。そこに西欧文明の神髄なるものが表現されているからだ
エジプト文明がピラミッドに象徴されのと同じである

中心にいる人物がソクラテスだといわれる,その周りを様々な人達,天才達がとりかこんでいる,そして師と弟子は対等に並び問答する,つまり師と弟子は上下関係ではないのである。その相違が東洋とは相当に違っているのだ。
自由,博愛,平等というときそれは上下関係ではない,対等のものとして真理を美を善を追及するのである。
宗教は上下関係になりやすい,そこで人間は精神的に奴隷化されるのである。
カルト教団になると教祖が悪魔でもそれに機械のように従うだけであり偶像崇拝になる
そこに人間の自主性も尊厳もないのである。
師の危険は偶像崇拝になることである。

ヨーロッパを旅すると実感するのは建築が文明であり建築によって人間に威厳を与えているのである。それは駅までもそうした荘厳な建築になっている
それは無駄だというのもわかる,日本では駅は機能的なものとしてしかないからそうなる現代の建築には機能的な要素うかないビジネスだけの建築である
ローマのアーチでもそこには精神性が付与されている
だからルネサンスとしてアテネの学堂の中心として形成されたのである。
ルネサンスは西欧文明の精華としてフィレンツに華開いたのである。
そこにはイスラム文化も結合された,そこには宗教の血なまぐさい争いはない
平和的結合された人類の精華だったのである。
政治は常に対立であり闘争であり戦争になる,文化は違っていても互いに刺激しあい結合して一大殿堂を作るのである。

西欧文明というときやはり今の文明の基礎にある,その源がギリシャにありローマにありと中世のキリスト教にありと連続している,継続している
それ故に一大文化の殿堂がルネサンスで生まれたのである。
マヤ文明とかインカ文明は孤立文明となり森に埋もれて発展しなかったが西欧文明は結合して発展したのである。

ヨーロッパでは都市すら一つの建築物であり計画的に作られている設計されているからそうなる,日本の都市のように雑然としてはいないのである。日本の都市は無計画に作られているからそうなる
西欧文明は規律とか計画とか設計とか人工的なものを理性的に作ることが根底にある
日本の文化は自然そのものを庭でも取り入れる,自然ににせたものを取り入れる
でもヨーロッパの庭も計画的に人工的に設計されたものであり日本の庭とは違うのである
ともかく文明は建築から見るとわかりやすい,必ず象徴となる建築を残しているからだ
日本の伊勢家神宮でもそこに日本の文化を見いだした外国人がいるように精神性を示していた,質素とか簡素とかの日本文化の象徴として伊勢神宮があったともなる
それは建築とも言えないにしろやはりそういう日本文化が文明の象徴としてあったともなる

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2017年11月18日

水の力(詩) シーパアーとランドパワー


水の力(詩)

シーパアーとランドパワー

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絶えず生々流動する水
万年雪の氷河の峰より滴る水
その水源から川の物語がはじまる
遠大な流れの物語がはじまる
谷間を流れ碧い淀みをなし
その深みにひそむものは何か
神秘の色に静まりぬその川の上
しかし水はまたやむことなくて流れる
その巌の間を激流となり轟く
激しく磐を打ちひびき流れる
青春の暗き激情か奔騰する流れ
遂に滝となり山々に轟きわたる
やがて平野に河は流れ下り
大地を潤し恵みを与える
ナイルは豊かな恵みを与える
三千年の文明の栄をもたらしぬ
そして大河は街と街を結ぶ道となる
物資は運ばれ人々は結ばれる
かくて大河は穏やかに河口になり
老いの安らぎがそこにもたらす
しかし河は終わるも水のドラマは終わらない
水は躍動して活きている
水は絶えず流動する力である
水は時に津波となり河に押し寄せる
陸に押し寄せて街をのみこむ
ノワの方舟を浮かべる水の力なり
津浪の恐怖は人々にその恐怖を植えつける
水は常に生々流動してとどまらない
海は老いることなく水は老いることがない
船は波にゆられ旅人も波にゆられる
その心はいつも波にゆられている
真っ赤なハイビスカスが咲き朝の見晴らす大洋よ
新たな島にまた船でわたる
海は常に未知の世界へ誘う
島には異国の船が漂着する
それが伝説となるも海の成せる業
水平線を望めば船影が見える
海より湧くように千の船が浮かぶ
海は陸のように跡を遺さない
海底深く船の残骸を沈めるも
その宝も沈みし船は幻なりしを
波は高鳴り潮は流れやまず
帆は風を受けて船を進める
かなた波にゆられて未知なる国へ
鳥が翼を休めるは一時なり
マストにとまる海鳥よ
望むは大海と島と船なり
絶えず生々流動する水よ
それは人間の心でもある
深き入江は休息の港
船のごとそこにしばし心を休める
しかしまた船は港を去り大海に出る
朝日は輝き上り海は船を迎える
波にゆられ心もゆられて
旅の日は終わらず探検の日はつづく
旅人は常に新たな島を地を踏む
そこに知られざる花を見て人の生業を見る
沖縄の遠き小島のあわれかな
井戸の水は枯れて村は移りぬ
島は外部との交流なしでは生きられない
島と島を船が結ぶ
水は激しく流動してやまない
河はまた大地を穏やかに流れて
人と人を街と街を結ぶ
河は文明を作り海は島々を国々を結ぶ
海を制するものは陸をも制す
シーパワーにランドパワーよ
世界の雌雄は海で決する
ギリシャはペルシャ帝国に船団を編成して勝つ
七つの海を支配しイギリスの栄あり
陸の帝国は万里長城を作り国境を作る
そのために中国人民は莫大な労役にあえぐ
海には国境は作れない,海は自由に航行する世界の道
だから光りあれの次は水のあれになる
最初に水が地球をおおうなりしを
躍動する水よ,衰える知らぬ水よ,循環する水よ
地球は水のめぐり活きるなり
陸は老いても海は老いることはない
水は万物を浄化する奇跡であり
海は常に若々しく荒々しく陸に対峙する


人間の歴史をふりかえると陸を中心に展開されてきた,エジプト文明がそうである。陸の文明は川と一体となり作られたのである。エジプト文明はナイルの賜物というときそうである。ナイル河なくしてエジプト文明はありえなかったのである。
ただエジプト文明は地中海があっても海には広く乗り出さなかった,陸にとどまったのである。レバノン杉とか利用するためにその辺までは進出したが地中海の航海はしなかったのである。

人間の歴史は陸を中心に長く展開されたのである。海に乗り出す船の技術がなかったからである。ただ地中海がありそこが船の技術を発展させた,そこは海なのだけど大洋とか大西洋とは違う内海だったからである。それが航海の技術を発展させたのである。
それでギリシャは最初の海洋国家ともなった,ローマとか対岸の中東にも植民都市をもったからである。そこからギリシャのコインが発見されるからである。

イタリアのナポリとかフランスのニースでも新しい都市というギリシャの植民都市の名である,ギリシャ語なのである。そしてギリシャは陸の最大帝国ペルシャと戦争して勝った
それは船団を利用して勝ったから海洋国家として陸の帝国に最初に勝ったとなる
ギリシャはまた島が多いから島を結ぶ航海に適していたのである。

それからローマ帝国に対抗したカルタゴも海洋都市国家であり軍港があり船の技術でローマに抵抗したのである。ローマは陸の帝国だが地中海に進出したからカルタゴと争うようになった
ランドパワーというとき中国でもそうである。万里長城を作らねば敵に攻め入れられると国境を作るために莫大な労力を費やしたのである。
ランドパワーを維持するためにはそれだけのエネルギーが必要だったのである。
そこでエネルギーが消耗してしまうのである。

地中海ではベネチアなどの都市国家が栄えたのもシーパアーがあったからである。
ランドパワーの歴史がつづいてもシーパアーの力もあったのがヨーロッパだった
バイキングなども貿易もしていたとういからシーパアーの力をもっていたのである。
ただ野蛮的なものではなく貿易をしていたからそれだけの国ではなかったのである。

その後もやはりランドーパワーの戦いだった,ナボレンでもそうだし第二次世界大戦はやはりランドパワーの戦いだった,ただ太平洋戦争というようにその時アメリカはシーパワーの国となり日本に勝ったのである。
大航海時代からすでにシーパアーは地中海によって養われていた,そしてコロンブスが新大陸のアメリカを発見したのである。
イギリスが七つの海を支配するというときもシーパアーによっていた

日本の歴史をふりかえっても邪馬台国がどこにあったかというと九州や奈良説があるがやはりそれも地理が関係していたのである。
瀬戸内海は地中海とにていたから船の交通があったからである。
ただ不思議なのは大阪から奈良の盆地に都が作られたことである。
そこでは三輪山が御神体になる山の文化となったのである。それが日本的な特殊性だとなる

明治維新でも薩摩とか長州とかが主導権をにぎったのはやはりシーパアーでもあった
薩摩は中国ともすでに貿易していたのである。
海外の進出も九州とか瀬戸内海とかを中心に展開されたからである。
だから会津となると山国でありそうした地の利がない
幕府でもやはりランドパワーに依存していたのである。
坂本竜馬が海援隊を組織して会社のようなものを作り商船をもった
そういうことは会津などではしにくいからである。
東北はランドパワーでありシーパアーをもち得なかったのである。
江戸幕府も船をもったが遅れたのである。

いづれにしろランドパワーの国は河が交通路となり文明を築く,エジプトはナイル河があり中国は黄河があり揚子江がありヨーロッパでは大きな河が交通路になり結ばれて発展する,河が人々を結ぶ,封建制の王権に対してもハンザ同盟とか商人都市国家を形成したのである。それは河で結ばれていたからである。

世界史でも日本史でもどうしても歴史をみるとき地理がわからないと根本的なことがわからないのである。世界となると広すぎるから日本的感覚では理解できないものとなる
砂漠はないし大草原はないから交通の果たす役割が理解できないのである。
シルクロードとなると長大な道だけどそれも砂漠とか草原を通るから自然の道があるから生まれたとなる,ランドパワーは陸の道から形成されたのである。
でもシーパアーの時代になったとき過去のものとなったのである。

日本の謎は海に囲まれていてもヨーロッパのようにシーパアーが発展しなかった
そして不思議なのは山が多いから大和(やまと)というとき山の国から起きたとなる
海に囲まれていても山の国となったのである。
海に囲まれていても太平洋と地中海ではまるで違ったものだったからである。
ただ韓国とか中国とかの交流は古代から行われていたのである。

その後日本が鎖国したのはなぜかなとる,シーパアーとして発展しなかった
それは山国ということもありそれが影響したのかもしれない
海を渡って貿易するというシーパアー国になりえなかった
日本は山が多く盆地のように閉ざされてしまうこともある,海に囲まれていても精神的にもそうなりやすいともなる
日本は平原とかがないから大きな河もないし交流が山でさえぎられ阻まれるのである。
そうなると大きな統一国家を作ることが困難になる

それで面白い指摘は蝦夷国家襞日高見国家が形成されなかったのは日本海側の新潟県とか秋田県とかが山にさえぎられて交流できず大きな国家形成ができなかったためだというのもそうなのかとなる
福島県は阿武隈山脈がありこれは低いにしても福島市とか中通りとはばまれる
それでかえって地理的には仙台に近く交流も活発になるのである。
交通でも便利だからそうなる
人間社会は歴史でも地理的影響が大きくそれで歴史も決まるともなる

伊達政宗は東北ではめずらしく海に展望を求めた,家康に対抗するためにスペインに船を派遣したからである。そういう発想はなかなか東北ではできない,ただ宮城県は良港が多いからそういうことができたのも地理である
福島県にはそうした大きな港はないからである。入江とか島がないからである。

ともかく水の力は驚異的である。それが津浪で実証された,ノアの方舟もありえると実証された,それだけ水は地球を作ったとなるのである。

船の旅は日本で相当にした,東京から沖縄まで行ったのが一番長かった
貨物船のような船で一週間かかった,その時飯食べるのが楽しみであり飽きた
だから世界一周とかの船旅があるが飽きる,だから食べ物が良くないとまた飽きる
同じようなものを食べていると飽きるのである。
この船旅もまた時間の余裕がないとできない,この世の中金だけあってもできないことが相当ある,会社員だと時間がとれないのである。
自分の場合は時間だけはあった,だから旅しつづけたのである。

外国は五十才から行ったから遅かった,でも地中海を船で行った時は気持ち良かったのである。今はいろいろ旅を回想するだけである。
日本は島が多いから島を船でわたる旅は楽しいとなる,それは沖縄が船旅を楽しむにはいいとなる,日本は島国だけど旅するには変化があるからあきないのである。
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2017年11月16日

ドイツのライン河の詩 (河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)


ドイツのライン河の詩

(河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

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さわやかなる秋の朝,マインツに船はよる
古い教会のマルクト広場に市がたつ
色とりどりの菊の花が所狭しと並べられる
ラインの岸辺の街の一つ
ポプラの直なる樹々が風にゆれる
悠々とラインは下流へと下る
河は街と街を結び
自由なる商人をはぐくむ
またもの寂びた古城は何語る
城壁は崩れ王の悲劇の物語
ここより下りてケルンの街よ
名高き双塔が天に聳え立つ
その建築の合理性と気高さよ
重々しく貨物船がラインを下りゆく
かなたオランダもイギリスも望まん
一望するドイツの広らかな大地よ
その胸に抱かれてラインは流れぬ
厳かにゴシックの大聖堂に祈りは献げられる
かなたまで鳴り響く鐘の音よ
その千年の石の重みよ
ここにキリストの信仰ははぐくまれぬ
聖歌はここに荘厳に鳴りひびきわたる
バッハのカント,重厚なベートンベンの音楽
ネッカー河畔の晩秋の哲学者の道
落葉を踏みて深い思索にふける
ドイツは生みぬ世界的哲学者を
ハイデルベルグは中世の最古の大学
ここに学びの歴史は始まる
修道士ありて勤め学問の始まる
ドイツの深き森よ,実直なる樅の木よ
その森厳なる大地に育まれしもの
そこより荘厳なる楽が鳴りひびきわたる
ラテンのフランスと分かつライン河
霧深きドイツの大地と黒い森
独自の文化はここに育まれぬ
ドイツにとどまらじ限りなき霊感を生む地球よ
国々の精神はその土地土地の地勢により作られる
それぞれの土地の魂(たましい)を歌いあげよ
剣を捨て国と国は争わずそれぞれの詩を示せ
その時地球はパラダイスとならむ
国々はただ神の与えしもの
国土は神より賜りしものと知るべし
国は国のものにあらじ神のものなり
国はその国のもののためにのみにあらじ
国々はその神に与えられた天分を果たすもの
地球は壮大な一つものにあれ
誠の詩人は大いなる地球を歌うものなれ
天上の国を歌うものなれ地球を讃歌せよ
ただそれぞれの土地は人の心をしばりつける
しかし詩はその鎖たちきり解き放つ
自由の鳥は境を越えて飛翔する
その憧れはやむことなくも
ペガサスとなり大鵬となり天翔る
その翼は不死鳥となりて燃え上がる
そして天空の星座となり連なり
地を離れて永遠に輝く・・・


ヘルダーリンというとドイツの国民詩人になるだろう。それは父なるライン川を詩にしたからである。
日本人にとって外国がわからないというとき例えば四大文明が河から生まれたというとき理解できないのであるエジプト文明がナイルの賜物というときそうであるか。ナイル河と離れてエジプト文明はありえないからであるその他のインダス文明でも中国の黄河文明でもそうである。
インドのガンジス川を理解せずしてインド文明を理解できない、ヒンズー教でもガンジス川をアイディンティティとしているからである。
日本が世界の文明を理解できないというときこうした大きな長大な河がないからである。
日本の川は山が迫り短いし外国人が滝だというときそのことを語っている
外国の川は流れているのかいないかのかわからない、運河のように見える、現実に川は運河の役割を果たしていたのである。それは最初の交通路になっていたのである。
だからエジプトの河岸からピラミッドに通じていた、港の役割を果たしていたのである。
ナイル河を運行していた船はすでに大きな船だった、その距離も長いから河は最初の道だったのである。
その長大な河に沿ってエジプト文明が成立したのである。

ナイル河の岸辺の神殿に船はよりぬ
月影に照らされてヒエログリフの文字何語る
はるかなる遠き日よ、月影に浮かぶ神殿
船は去りゆく、静かなるナイルを下り・・・
星辰はきらめきピラミッドが砂漠に影なす

船でよった神殿は月影に照らされて神秘的だった、こうしてともかく河がいかなるものか日本人にはわからないのである。ナイルが洪水になってもその泥は肥料となり麦が作られたのである。そしてすでにビールも作られていたのである。
ナイル河とかインダス河とか黄河とか揚子江になると長大な河が一本大地を貫き流れている感じになる
でもヨーロッパの河になるとセーヌ河がありライン河があっても支流がありその支流も日本のような支流ではない、船が運航できる河なのである。だからこそ河が交通路となり商人が行き来してハンザ同盟とか商人の同盟がヨーロッパでは生まれたのである。
ヨーロッパは河が道路となり結ばれたのである。

河というときバイキングとかがセーヌ河を上ってきたのである。バイキングは船でイギリスとか地中海とかまで航海した商人でもあった,川は海からの交通路であり入口にもなり出口にもなっていた、だからライン河の出口にオランダが独立した、オランダは河と海で結ばれた国だったのである。
河といきうとき下に流れるだけのものとみているが海から見ると川を上るものとなる、アイヌでも河口は河の尻として地名化している河で怖かったのは津波がまず川から上ってくる、それは早く上ってくる、あの多賀城の小さな砂押川でも津波がさかのぼってきたから驚いた、海というものがその小さな細い水路に海の水を押しだしてきたのである。
海から来る水の圧力がもの凄いものだったのである。

河は気高く泡立って流れている−ライン河こそは
更にこのすばらしい仙境の最大の魅力だ
何千回となく曲がるたびに その都度
前よりももっと新鮮な美を展開して見せる
(バイロン)

雪の峯は大地にそそぐ
この上もなく清い水を 生まれながらに
あなたが純一なのは そのためなのだ
根源の近くに住む者は その場を離れない
そしてあなたの子なる もろもろの街
ネッカルのほとりの街
それらの街はみな思う ここにまさる住処はどこにもないと
(ヘルダーリン−漂白)

雪の峯とはアルプスの峯である、氷河と磐のアルプスから清涼な清水の一滴である。
それがラインの上流であり源である。ここではアルプスに通じている、そして黒海で交わる
あとはギリシャがヨーロッパ文明の礎の国としてある
ただ今と違ってヘルダーリンは世界を旅していない、視界は限られているのである。
今は別に特別な人手でなくても世界旅行ができる恵まれた時代なのである。

ライン河沿いの街をその子として表現しているのは面白い、実際にそういうものなのである。
河が産んだ街なのである。こういう感覚は日本では生まれないのである。日本の国は国造りでは海から生まれたからである。
イザナミ、イザナギは海の神だったからである。

美しきラインの眺め
山を離れたその後で
満ち足りながら よき営みの内に
あこがれる思いを鎮める
父なるラインは土地を拓き 愛する子らを
みずから築いた都市に養う
(ヘルダーリン−ライン)

根源の近くに住む者は その場を離れない

こういう表現もこの時代密接にドイツの大地と結ばれていたから生まれた詩である。
深くドイツの大地とアイディンティティ化されていたからこういう詩が生まれる
それは自分でも自分の住む場所でそうしてきたからである。
根源とはthe fundmental deepest homelandとなる

そして河が街を養うという感覚は河の文明なくしてありえない表現なのである。それはいかにく深く河と結びついているかを知らねばならない,それはナイル川でもそうだがガンジス川でもそうであり黄河や揚子江でもそうなのである。
河がまさに文明を産みだしているからはそういう表現になったのである。
ヨーロッパの都市は一つの国であり街は独立した市民のものだった,そういう都市が多いというときそこから文化が生まれたのもわかる,その都市を作ったのが河だったのである。

■文明はなぜ砂漠地帯に発生したのか?
 
   文明の成立の第一条件は多くの人間が集まり、大社会を作ることにある。集まるための条件の第一は、移動が楽だということだ。砂漠は一般には酷暑乾燥の過酷な土地で、旅行するのも命がけだと思われている。しかし、点在するオアシスを結んで行けば意外と楽である。足もとは砂だからどこでも歩くのは比較的容易だ。砂漠というと歩きづらい「砂丘地帯」を連想させるが、砂ばかりとは限らず、土漠、岩漠などもある。反対に歩くのに難儀するのは、湿潤地帯ではなかろうか?
http://home.e08.itscom.net/21water/bunmei.htm

このサイトでは移動しやすい所に人が集まりやすい所に文明が生まれたという説である。日本はいたるところ湿地帯だから移動しにくい,それで文明を作りにくかった、道がないと大きな国は作りえないからである。大きな国は移動しやすいと作りやすいということがある、それでローマ帝国は道をはりめぐらしたのである。

いづれにしろそれぞれの国はその国土から生まれた,国の精神もそうである。大和魂でもたましいというときその土地から生まれたものなのである。土地から離れて魂(たましい)もありえないのである。日本なら万葉集が日本の国土と一体化したものだった
なぜなら大和とは山の戸口でありヤマトは山を神とする国となるからだ、日本では山にその根源を置いているとなる
三輪山は山自体が御神体になっているからである、それが日本の根源なのである。

ただ日本でもそうだがその国土を歌う詩人は生まれていない、日本の詩人でもそうである。何か芸人的詩人なのである。
ヘルダーリンのような詩人は生まれていないのである。
俳句とか短歌ではどうしても詩としては短いから大きな詩となりにくいからだ
そして現代とは工業とか経済とかに席巻された時代である。
だからシュペングラーの言うように西欧文明の没落とかなる,その本が数からははじまっている
人間は言葉でも商人の言葉となりただ機能的言葉となり本来の詩語だった言葉が数字のようにもなったことを嘆いている
言葉が死んだというときそれが現実の自然の像とも結びつかないからである。
だからそもそも根源なるものから人間は乖離して人間としての像を持ちえないのである。

言葉は本来自然の事物と石でも樹でも山でも一体不二のものだった,だから荘厳なものとして言葉はあった
神聖なものとしてあった,ロゴスとしてあった,言葉は今や貨幣なのである。ただ商業的経済的なものとしての流通物なのである。
そしてその貨幣に人間はけがされて貨幣が神のごとくなってしまったのである。
真実の言葉はそういうものではない、それは大地と自然と一体化したものであり荘厳なものだったのである。
一面言葉をもって人間となったともいえるからだ
だから言葉を軽んじることはできないのである。言葉を軽く扱うことは危険なのである。
それは魂までも心をけがすからさである。だから宗教は山に籠り沈黙の行をしていたというのもわかる

それぞれの国の栄はもともとそれぞれの国土から生まれていた、河の文明は河が都市を街を産んだように河が文明を作ったのである。その大河が日本にないからそもそもその文明を理解できないとなる
外国人が日本は温泉だというときまさに山の国、火山の国、地震の国だからこそ温泉があり日本の国土から生まれた恵みだったとなるそういう恵みはそれぞれの国々に与えられている、砂漠の国にはなにもないかというと石油が与えられていたからである。
神はそういう点公平だったのかともなるのである。
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2017年11月07日

城は何を意味していたのか? (城は建築は文明の象徴でありまた権力の象徴だった)


城は何を意味していたのか?

(城は建築は文明の象徴でありまた権力の象徴だった)


●建築は文明を象徴したもの

建築は文明を象徴したものとしてあった,城の美とかを自分も追及した,白壁であり簡素であり質実なものが城にはある,その建築には日本の精神と美がある,建築には必ず人間の精神が反映されている,建築物を見るとその国のまた一時代の文化が具体的にわかりやすいのである。
だからヨーロッパの建築は多様である。教会でもろいろいろに別れている,
ビザンチン建築ゴシック建築ロマネスク建築ルネサンス建築イスラム様式建築とかありその時代をみることができる,ローマ風というとき建築の歴史の基礎はローマにはじまっているからである

arch- の語源を辿れば、古代アテネ ancient Athens の第一執政官 archon に行き着く。archon は統治者 ruler であり、命令を下す始まりの者 begginer である。ここから、
arch-(pre-vowel), archi-(pre-consonant) : <接頭語>第一の、首位の、始まりの →昔のの意味が生ずる。

「首位の」
archangel [ɑ'ːrkèindʒəl] : n. 大天使 cf. Michael the archangel 大天使ミカエル
architect [ɑ'ːrkətèkt] : archi-(統治者) + -tect(造り手、大工 cf. tectonics, technology) → 大工の棟梁 → n. 建築家、設計者、発案者

Architecture

建築はこのように統治するということに結びついている,文明を見るときエジプトであれローマであれマヤであれキリスト教文明であれ建築を見てその文明を見る,建築が文明を象徴しているのである。
だから日本の文明というか文化というか最も象徴しているのが城だとなる
しかし現実に活きていたときの城は明治以降廃止された,その時城は邪魔者扱いされていたのである。あの姫路城が10万くらいで売りに出されていた,貴重なのは城ではなく燃料になる木の方だったというのも今になると信じられないとなる,なぜなら熊本城でも地震で壊れたら何百億円でも直そうとしているからだ,名古屋城で金がかかっても木で作ろうとしている,それだけ城の価値が見直されているのである。
その時時代の変化で城とか侍は一気に価値を失った,その変化があまりにも大きかったのである。だから今になって明治維新を見直す風潮になったのである。
つまり3百年つづいた侍の時代にもいいものがありそれを全否定したことで後悔しているのである。日本人は太平洋戦争でも負けたらころっとアメリカ追従になり文化まで否定する,全否定してしまう,そうなると文化の継続が消失してしまうのである。

城の美学

●城には桜も木も植えられていなかった

桜の名所に選ばれているお城は全国にたくさんありますが、実はお城に桜が植えられたのは明治以降のこと。1873(明治6)年の廃城令で大半のお城が取り壊され、廃城処分で民間などに払い下げられた際、市民に公園として開放されるようになって、桜が植えられたケースが多いのだそうです。

【そもそもお城に樹木はなかった!?】

では江戸時代まではどうだったかというと、そもそもお城に樹木は植えられていなかったそう。なぜならお城が攻められた際、樹木は視界をさえぎり、敵にとっては絶交の隠れ場所になってしまうから。江戸時代に幕府の指示で描かれた城の絵を見ても、樹木が確認されるお城はほとんどなく、あってもほんの数本。それも万が一のときに食糧や薬、燃料になる松、椎の木などだったそうなんです。

城は明治以降は無用のものとされた,でもその後城は公園とかなり庶民の憩いの場所となり鑑賞する場になったのである。
城は鑑賞としてだけ見るようになった,城についての詩歌でも俳句でも短歌でも城がなくなってあとに作られたのが多いのである。
今城には必ず桜が咲いて映えるが桜や木は城に植えられていなかったのである。
いろいろな城の詩でも城がなくなってから作られたのである。

春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いずこ

これもそうだし城がなくなってその城があったときの時代を偲んでいるのである。
明治となるとまだそういうふうに城があったときを記憶している人がいるからだ

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ 島崎藤村

これもそうだった,まさにそこはもう城があってもそこに寝ころび休む場所にすぎなくなっていたのである。そして雲がいづこともしらず流れてゆく,放浪の詩人がただ廃墟と化した城を偲んでいるのである。

「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸はれし十五の心」石川啄木

これもやはり城はただ公園となり遊ぶ場所と化していたのである。

●城があった時城は近寄りがたい怖いものだった


人寄せぬ桜咲けり城の山 

鎌倉や今はかゞしの屋敷守 一茶

絶頂の城たのもしき若葉かな 蕪村

二本松城の跡かや蕎麦の花 子規

城というとき江戸時代に庶民からどう見られていたのか?一茶だとこんな感じになる
一方で蕪村は頼もしとあるから城がありそこで庶民を治めるものを賛美していることになる,これはただ美的にも見ているのである。
不思議なのは芭蕉には城の俳句がないのである。これはなぜなのか謎である。
城というのはともかく一番目立つものだったからである。
今では必ず城を見ることになる,でも城があったときはその城の中には入れないのである城に入れたのは侍でありそれもよその藩の者だったら招かれなければ入れない場所だったのである。

一茶のそこのけそこのけお馬が通るというとき何か侍に対していい感じをもっていなかった,それは侍は当時権力者だったからである。
おそらく庶民は侍に対してはそんな感じで見ているのが普通である。
その時の庶民の気持ちはなかなか今になると察することがむずかしくなる
普通の感覚では「人寄せぬ桜咲けり城の山」ここでは桜が咲いていたから不思議である。桜が咲いていたとしても人をよせつけないというより第一城には庶民など入れないのである。遠くから見ているだけである。居丈高に城が庶民を見ているだけだとなる

時代が変わると何が怖いものか変わってくる,侍の時代は侍が怖いものだった,それはやはり権力をもっていたからである。その前は僧侶や貴族なども怖い存在だった
なぜなら僧侶は教会とかを支配していた支配者であり日本でも僧侶は大寺院を有した権力者だったからである。宗教を恐れる前にその権力を恐れていたのである。
それは今のカルト教団にも通じている,その背後にある数の権力とか権力と通じていることで恐れているのである。
時代によって怖いものは変わる,今は医者などが怖い存在である。医者は今の権力者でもあるからだ,医者だけは尊敬されているからである。
あとは金持ちが今の一番の権力者になる,金さえあればその内容は問わない,一番の権力をもつことになる,昔もそういうことはあったがやはり時代によって怖いものは変わってくるのである。

鎌倉や今はかゞしの屋敷守 一茶

この屋敷も鎌倉に幕府があったときは権力をもった武士がいたから怖い場所でもあった,それが一時代すぎたとき案山子が守ってるだけの廃屋のようになり怖いものがなくなったのである。

牛砲打つ地城の上や雲の峰 漱石

二本松城の跡かや蕎麦の花 子規


1871年(明治4年)9月9日から、皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射されていた。
牛砲による正午の通報は、現在の東京都区部の大部分で聞こえ、その音から「ドン」と呼ばれ人々に親しまれていた。

江戸時代には、江戸市中に時刻を知らせるため「時の鐘」を鳴らしていたが、明治時代から牛砲となり、1929年(昭和4年)5月1日にサイレンに代わり、1938年(昭和13年)9月まで続いていた。

漱石の俳句は城が頼もしいものとしてまだ感じていたのか?明治になり時を知らせるのが牛砲になった,大砲を打つ音になった,ただこの俳句は城がまだ当時のように活きている感じになる
一方で二本松の城となるとそこはなにもない蕎麦の花になったのである。
明治維新で薩摩長州軍に荒らされてそうなったともなるのか?
ただ一般的に明治維新後姫城すら全く価値ないものとして売られようとしていたのだから明治の変化はあまりにも大きかったのである。
人間社会は時代によって怖いものが変わる,侍が戦争中は軍人が怖いものであり威張っていたのである。でも今自衛隊の人を怖がっているか?
警察は怖がっているが今庶民にとって自衛隊員は下位のものとなっている
こういう時代は平和でいい時代だとなる,警察が庶民にとって怖いのはやはり今では一番権力をもっているからだとなる,暴力装置でもあるからだ

侍と庶民がどういう関係にあったのかはわかりにくいがこの祭りは面白い

馬威し-武士と庶民の正月行事
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ここでは侍と庶民が交わり身分も関係なく庶民が馬の邪魔をしている,ここに身分の差別はなくなっている
ところが相馬野馬追いでは御行列とかといって二階から見るなとか何かとうるさいのである。野馬追いは侍時代の身分差別を意識するときでもあるのだ
馬上から野馬追いに出る侍となった人は威張れるのである。
だから野馬追いに出たいという人もいる,野馬追いに出るからといってその人は別に普通は庶民にすぎなくなっているからだ

馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

馬に乗れるのは身分によって決められていたのである。侍しか乗れなかったのである。
そういう身分社会のことを今になると理解できなくなる

ただこういう祭りがあったということはやはり何か侍と庶民が交わるということもあったこういうのは実際は例外的でありなかなかなかったとも思う
とにかく今城を見ているのと江戸時代に城を見ているのとは全く違っていたのである。
歴史を見るとき今の時代から見るから必ず誤解して見ているのである。
つまりその当時を生きることはできないから必ずそうなってしまうのである。
今は城は怖くない,ただその美だけを鑑賞しているのである。


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2017年10月26日

白鷺の詩(2) (自然から離れた文明の醜悪 )


白鷺の詩(2)

(自然から離れた文明の醜悪)


天から優雅に舞いおり
地に汚れることなく
白い衣を着せられて
何ものもまとわない
ただ純白の白い衣の映える
光の中に、緑の森に,大空に
何かたりぬとそから聞こゆることなし
その水辺に,野に、大空に・・・・
ただ日々神にありて神に養われる
そにに付け加えるもの一つとてなし
神の造られしそのままに変わるらじ
人よ、そは何故に醜しや
美服を飾りしもそは醜し
汝より純粋な美は生まれじ
汝は営々と働き努力せしも
しかるに地は汚れゆくや
神の成す業は永遠に美し
天より白い衣着せられて
その身は軽やかに地におりて
また天に舞いたつや
地を汚すことなく神の園生にあり
その身は軽く浮上して飛翔する
そに誠の太陽は輝き映える
そは一枚の白い衣を残して
天使のようにかなたに去りぬ
人よ,何を遺さむ
財を遺せば争いの種
一編の詩を遺して去るべしかな

都会と田舎の問題は一つの歴史的にも人間のテーマである。文明とは田舎のことではなく都会のこと都のことだからである。
ただ逆に文明という大きなものではなく文化は田舎から生まれた、civilizationとcultureは別物だからである

栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と語られています

キリストがこう言ったとき一輪の花とは自然にあるものの全体である。だから一輪の花とは限らないのである。自然全体のことでありここで詩にした白鷺のことでもそうである。

常に疑問なのはなぜ東京のような所に人は住んでいられるのか?
それが田舎に住んでいるものには解せないとなる、満員電車に家畜のようにつめこまれてビルの谷間で混雑する人でひしめく都会に住めるのかとなる、しかし現実には東京に日本でも人口の一割は住んでいるし大阪でもあれだけの人間がひしめき住んでいるのである。
確かに都会には都会の良さがある、しかしその良さは自然からかけ離れた世界であり美はない
東京のようなところが文明の成果なのかとなる、文明というときエジプト文明とかローマ文明とかキリスト教文明とか仏教文明とかマヤ文明とかあるけどそれは明らかにやはり自然と融合した文明である,自然と調和した文明である。
エジプトのピラミッドでも砂漠という自然と調和して生まれた、そして動物を神としたアニミズム文明だったということは今の文明とは違う,動物が現代文明では排除してきたからである。
文明は自然の生態系と分離しているのが現代文明の特徴である。それを可能にしたのは石油とか原子力によるエネルギーの創造だったのである。そこから電気も造れたからである。
一面現代の文明は電気文明なのである。だからこそ電気がない社会は考えられないのである。そのために原発事故も起きたのである。

人間は営々と社会を良くするために働き努力してきたのである。その成果がなぜ東京のような大都会でありそれが労働の成果なのかとなるときまさに

栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

それは花というのではなく自然が映えない、自然はすでにもうそこにはないてのである。
でも文明の恩恵は田舎でも受けている、都会と同じような暮らしをしているしむしろ飯館村などは一軒が森につつまれていて暮らしていた、それは田舎から比べると贅沢である。でもそのほかは病院がないとか不便だったのである。
だから本当に住みやすいとなると中都市である、そこでは田舎的なものと都会的なものが融合するからである。
ヨーロッパでは中都市が多くそこから文化が栄えたのである。

美というとき何が美なのか?それが人間には見えていないのである。女性の美にしても性欲的美でありそれは美ではない,人間の美は虚飾の美なのである。それに比べて自然の美は神そのものが造った純粋な美なのである。
だから鷺など当たり前にいるものであり注意しないものもいる、田舎に住んでいて田舎の人自体が別にそうした美を見ているわけではない、そこに価値を認めていないのである。
要するに田舎の人でも都会的なものに憧れているともなる、なぜなら田舎の価値を知って住んでいる人とは限らないからである。
だからこ原発事故発は金になるとして受け入れたのである。

そうなると都会と田舎でも変わりないとなる、その価値観は変わりないとなれば都会に住もおうが田舎に住んでも同じだともなる
ただなぜ人間は美に関して鈍感になってしまったのかということである。まず景観などに注意する人は少ない
だからこそ東京のような都会に住んでいても平気なのである。そこで文明の贅沢を享受すればいいとなるからだ

過去の文明は仏教文明でも美を創造している、今の仏教文明はカルトであり宗教とは何の関係もないから美など創造しようがない、
物質的なものだけを追求しているから別にほかの人何の変りもないのである。むしろ宗教によって欲が刺激され深くなっているか異常なのである。それは都会から生まれた宗教だからそうなっている
宗教は砂漠から森の洞窟から山岳か生まれているからである。そういう宗教は健全だったのである。

人間は物質文明の奴隷になると公害が随所に発生する,足ることを忘れ欲望のままに動いていますと大気は汚染され太陽は見えなくなります
汚れた空気が私たちの肉体をおびやかすようになる
人の心もこれと同じです,生まれたときの美しい神の心のままに生きていれば問題ないのですが五官,煩悩にふりまわされ欲望のスモッグを心に作り出してしまう
(悪霊-高橋信次)

原発事故は必ずしも科学だけの問題ではない,人間の心からも生まれた問題なのである。農家の人が親から農業など金にならないからやるなと殴れたというのは極端にしろそういうことが田舎であった,その人は原発で働き工事現場を渡り歩いたのである。

いづれにしろ鷺が津浪や原発事故六年すぎてもどったのはには感激した,それはやはり田んぼが回復したからである。そこに餌があるからもどってきた,人間が避難区域になったところにもどらないのは餌がなくなったからだともなる
なぜなら田んぼがなければ畑がなければ食料もないしそこで暮らせないとなるからだ
そこでの暮らしは廃炉作業とかの街になる,それは故郷とか田舎とは言えないものとなるつまり田園あってこそ田舎だからである。
風力発電とか太陽光発電とかドローンとか何かそうた工業だけの世界になると都会と何ら変わりなくなるからだ。

田舎でも田舎の価値を求めて生きていたとは限らない,都会的価値を求めて生きていたともなる,田舎の良さを何か気づかないで生きていたともなる,だからこそ容易に自然でも破壊されたのである。ただ原発を廃止できないのはそれが労働組合でも一体となりものすごい利権となっていたからである。
官僚でも検察でも天下り先としての利権がありそこが利権の温床になっていたのである
だからこそ原発にかかわっんた官僚でも東電でも誰一人として罰せられないのである。
そもそも罰する人間が利益にあづかっているからできないのである。

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2017年09月22日

中南米の悲劇はなぜ起きているのか? (文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


中南米の悲劇はなぜ起きているのか?

(文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


メキシコ、ブラジル、ホンジュラス、ベネズエラ。 
全部中南米ジャン。あと、西インド諸島の土人も来るな。 
キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ。 
何でアメリカの周りは、カナダ以外クズしかないのだろうか。 
統治を行った、スペイン様、ポルトガル様、フランス様に感謝しなくては。 
土人に文化を与えた、神の子供たちである、白人様。

スペイン人が入って文化、宗教をボロボロにしてしまった 
社会に相互の信頼関係がない 
インカ人やマヤ人のままだったら秩序を保って発展できただろう

カトリック教会は、「蓄財は罪」と教えました。 労働は「神から課せられた罰」でしかありません。 
男は額に汗して働かなければいけない。女には陣痛の苦しみを与える。そして、人類には死という罰を与える。これが基本です。 
だから、おカネが貯まったら教会に寄付することが奨励されていました。 
結果として蓄財や勤勉に働くよりも消費や道楽やサッカーに励み、教会にどんどん寄付するような国民性が育まれていったのです。

アルゼンチンは人種差別はあんまないけど階級差別が酷い 
使える店も階級ごとに決まってると言うか暗黙の了解みたいのがある 
下の階層の人が上の階層の人が使う店いくと出てけって言われたり 
物売ってもらえなかったりする 
その逆も当然あって、階層が上の人が階層が下の人が使う店に来ると 
ここはアンタみたいのが来る店じゃねえつって追い出される 
だもんで安い店に行くときにあんまオサレな格好していくと 
階層が上の人だと誤解されかねないのでNGらしい 
サッカーでも上流階層が応援するのがリーベルで 
下流階層が応援するのがボカってハッキリ分かれてる

"南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。
詰まり元からの拠って立つ、基本的な文明文化が違って居たとも言えます。

南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。



中南米は犯罪が一番多いとかギャング集団や麻薬組織とか何かいいものが伝わってこない貧乏からもぬけだせない,それはな何なのだろうとなる
そこは文明的に遅れたとも言えない国だった,インカとマヤは高度な文明をもって一千年とか栄えている,それがなぜ今も発展しないのか?
その原因は一つではない,人間の現象は複合的に起きてくる
犯罪の原因も一つではない,いろいろなものが重なって犯罪になる
だから何が原因でそうなったのかとなると簡単には言えない

明らかなことはスペイン,ポルトガルに征服されたことである。スペイン,ポルトガルの影響を大きく受けたことである。
一方北米はイギリスの影響を大きく受けてアメリカ合衆国になった。
ところがアメリカでも南部と北部は成り立ちが違っていた
南部は農業中心で北部は工業に経済の重心を移していた
南部は綿の栽培とかで黒人奴隷を使っていた,北部は工業化してゆくから南部とは違っていた。北部と南部の争いは農本主義と工業化という生活形態の相違から起きたともとれる人間の争いは人種とかよりそうした生活形態の相違で争いが起きる
遊牧民と農耕民は相いれないのである。だから万里長城ができた
日本でもヤマト王権は稲作を普及するために狩猟採集民族の蝦夷と敵対して争いになったそしてイギリスはいち早く産業革命を起こした国である。
その産業革命の基になったのが確かに石炭がとれて蒸気機関車が発明されたとかある
それは北部で鉱物資源が豊かだったこともある。

それと宗教が関係したということが意外と重要である。
中南米はカトリックであり北米はフロテスタンとなのである。
マックスウェバーが資本主義の基はプロテスタントから起きた,
神に奉仕するための勤勉な労働が良しとされた,カトリックにはそうした勤勉な労働を良しとするものがそれほどない,時間にルーズなものもそうである。
資本主義はまた農本主義とは相いれない,今でも土地を基にしたものに資本主義がなじまない,資本主義は通用しないのである。
勤勉とか効率を求めても土地は別物だしtime is moneyといっても作物を早く実らすことはできないからだ。
農本主義からは資本主義は発達しない,北米ではイギリス人が入ってきたりユダヤ人が入ってきて金融を発達させて資本主義が成立したのである。

そしてトインピーの史観によると

「挑戦と応戦」 ・・・ "challenge-and-response"

 「挑戦」・・・社会の安定した状態になんらかの攪乱的影響を与える刺戟。
 「応戦」 ・・・挑戦に対する人間の主体的な対応の試み

中南米は高度な文明があった,しかし新しい文明の挑戦を受けたときそれに応戦する力がなかったのである。
この中南米と比べるとなぜ日本がヨーロッパの植民地にならずにすんだのか?
西欧文明の挑戦に対して応戦できたのか?
これも一つの大きなテーマとして今もある
明治維新とは何かそれは歴史的に解明されたわけではないからである。
日本の社会は江戸時代は農本主義である。そこにヨーロッパの産業革命が入ってきた。
でもそれに適応したのである。社会制度でも藩を侍をなくして国民国家として平等にしたこうした大改革がなぜできたのか?
そして資本主義と民主主義を取り入れたのである。
日本には不思議に働くこと自体に価値を認める,勤勉民族だということも言われる
今でも過剰な労働国である。それはプロテスタントシズムとも通じているという見方もある

そして日本の歴史はマヤやインカのように断絶しないで今日にもつづいている
日本はなお日本文明として西欧文明の挑戦を受けたが応戦して継続しているのである。
日本は本当はこの日本文明に誇りをもつ必要がある
中南米を見ればわかる,あまりにも外来勢力によりその歴史のアイディンティティは破壊されたからである。そこは貧困と犯罪の国としてしか伝わってこないのである。
工業化もできていないのである。

アジアでもなぜ日本だけが西欧化工業化資本主義化民主主義化に成功したいうのもなぜなのだろうとなる,中国でもできなかったしアジアではヨーロッパの植民地化された
日本だけはヨーロッパの植民地にならなかったのである。
ただアメリカとの戦争になりアメリカに敗れて属国になり植民地とは言えないまでも
属国化したのである。
日本とはこれからどうするべきなのか?
それは日本が日本文明を新たに歴史の伝統をふまえて創造する
そして日本人として日本文明に誇りをもつことでてある。
その日本文明が日本人のみではないアジアにも普及して世界的になるとき日本は誇りをもつことができる
大きな視点に立てば新たな日本文明の創出が課題となる

一方で日本は衰退するだけだとか盛んに言われる,下り坂でありそんな日本文明もなにもない,三等国に転落するだけだというのが日本の現状である。
そもそも日本文明とは何なのともなる,日本人は戦争で負けたこととか日本に誇りをもっていないのである。だから国自体の自主性がないのである。
それは個々人にも波及して自立心がないのである。
アメリカの言いなりになるとか今度は中国の言いなりになるとか自主性がもてない
それは日本がそもそも日本の歴史に日本文明に誇りをもてない,また日本文明が欧米より劣った見方をしているからである。
日本は今日本文明の再興をして日本人の誇りをとりもどすことが必要なのである。
だから日本を否定する左翼でもアメリカ一辺倒になる右翼でも実際は従属しているだけの属国でしかない,日本独自の文明がありそこに誇りをもてるようになれば左右を越えて
日本の新しい時代がやってくるとなる
それは時間的に百年とか二百年とか見ないとわからないのである。
戦後70年はその節目であり次なる時代へ向かう時代の転換期なのである。
そこに世界情勢の変化がありまた強いられるともなる
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2017年09月13日

失われる文化の多様性 (交通,科学技術の発達で一様化される社会)


失われる文化の多様性

(交通,科学技術の発達で一様化される社会)


多様性とか文化とかはどうして作られるのか?
その基本は地理と地形とかがベースになる
相馬藩内で多様な場所に住んでいるのである。
その住んでいる場所で気持ちが変わる

大倉村でも戦後開墾に入った木戸木は大倉村から七曲がりの坂を上りまた草野に行くのにも七曲がりの坂を上る,大倉に店が一軒あったからそこまで買物に行くのにも半日かかりになってしまうだろう。車がなかったらそうなる
今になるとなぜそんな所に住んでいたのだろうとなる,それは戦後は働く場所がないのでやむなくそんな不便極まりない所に住んだのである。

あのような場所に住んでいると人間はどんな気持ちになるのか?
そこには確かに何度も行っているけど住むとなるとまた違う。
まさに秘境なのである。ただ日本は地形が複雑でありこうした辺鄙な所に住んでいる人がいくらでもいる,日本の多様性は日本の風土から作られたとなる

相馬藩では飯館村は一番特殊な地理的環境にあった,高原の村であり夏でも涼しい,そして森におおわれた村である。それでいつもそこは花が他より美しく咲くのである。
その環境が花を美しくさせていたのである。
その土地土地に独特の気がある。その気が飯館村では違っていた
それが原発事故でだいしなしにされたのである。

人間はそもそも多様な地域に住み生活していた,世界的にみればさらに多様な風土に住んでいる,草原で遊牧生活するもきもいるし砂漠でも人は生活している
多様な風土で暮らしていることに文化の多様性が生れる
その多様性があって人間の生活は文化が形成されて人間を豊かにしていった

ところが交通とか科学技術が発達すると鉄道とかでも世界を均質化するのである。空間の均質化が起こる,その土地土地の個性的なものが均質化してゆく
沿線には同じような街,銀座通りとか東京のまねをしたようなものができる
江戸時代だったら村でもみんな違っていた,それは他の村と交流もないとういことで個性的になっていた。
鉄道が通ると均質化してみんな同じようになってしまうのである。

そして国自体が無個性化してゆく,国は日本などでは戦争に負けた結果,常に否定されてきたのである。国家とは悪いものだとすりこまれてきた,だからアナーキーになっている無国籍だとかしきりに言うのがかっこいいとなったのである。
それは世界的兆候なのである。第一グローバル社会といのうは国家の障壁をとりはらうことを目指しているからだ,
国家より多国籍企業のように国家を越えて活動することを望むだから国家を否定するようになる,
資本主義社会でも共産主義社会でも国家は否定されているのである。
マルキシズムの思想には国家と民族は否定されるからその文化も否定される
それは資本主義でもグローバル社会でも同じなのである。

そして移民も受け入れて多様性を受け入れるとなったがその反動がきている。
移民の国,アメリカですらトランプがでてきてそうなっている
文化はcultureはその土地土地をcultivateすることによって作られてきた
例えばワインなどでも土地の名前がつけられたものがある,日本酒でもそうである。
その土地土地によってその土地で耕したものたcultivateしたものから生れてくる
別に文化というとき芸術というのではない,全体のことだからである。
ただその時相馬藩内とか狭い所でも多様性が失われるのである。
相馬藩内と三春藩内では家の作りまで違っていた,それは文化が違っていたことなのである。

だから少子高齢化で限界集落が増えて消滅してゆくことはそうした多様性が失われる
でもその多様性がありえたのは貧しくてもその土地に根付いた自給自足の生活がありえたからだったのである。
そこに便利な生活になったとき,交通も発達したとき,電気なしで車無しで生活できないというときそうした地域の生活は失われる
そのインフラ維持するだけで100倍のコストがかかるとかなるからである。
その負担は都会の人が東京の人が払うとなると不満が生れる

そんな限界集落などいらないとなるのである。
そしてコンパクトシティにしろとなる
それだとインフラでも福祉でもやりやすいからである。
飯館村辺りだと一軒一軒離れていると回るだけで時間がかかるからである。
現実に原発事故で避難区域になった町や村はそうならざるをえない
農業とか林業していた周辺地域には人は住めず町の中心に人が集まって住む

飯館村だと草野辺りが中心となり周辺の広大な地域は元の森にもどってしまうのかとなる
日本では狭い国土でも風土が多様性に富んでいる,沖縄と北海道は別世界にもなる
相馬藩内でも飯館村は別世界のようになっていたのである。
だから日本は意外と中国などを旅するより変化に富んでいるからあきないということがある,どこまでも平坦な土地がつづき大きな川が流れているだけの風景は飽きるのである。
ともかくその土地土地の風土とか文化があることによって世界は豊かなものになる
それが失われるとき世界は文化的には貧しいものとなる

熊の湯に蝦夷竜胆や羅臼かな

熊の湯というのは羅臼にある露天風呂である。 蝦夷竜胆というのが羅臼に咲いていた,それは普通の竜胆より大きいのである。
蝦夷とつく名が多いからいかにも北海道らしいとなる
その土地土地ににあった花が咲くというのも文化なのである。
都会というときどこも均質化しているからかえってつまらないとなる
京都とか奈良とかは歴史がある故に違っているが他は何かにたものが多くなっているからである。均質化して多様性が失われる
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2017年09月03日

自然と結びついた言葉の重みの喪失 ( 空間に受肉したのが自然の事物-そこから言葉も生まれた)


自然と結びついた言葉の重みの喪失

( 空間に受肉したのが自然の事物-そこから言葉も生まれた)



人間は空間において受肉しているということ

『人間と空間』 フリードリッヒ・ボルノウ

この一行が興味深い表現である。受肉というときキリストが神の言葉が現実化した、肉体化した存在としてある。日本語の概念にはない言葉である。
神の言葉が空間に受肉したというとき自然も神の言葉が受肉して現実化したものである。神の言葉がロゴスがembodyした存在である。この世に実在しているものはみんなそうである。神が創造したものだからである。

むしろ言葉の前に神の創造した実在がなければ言葉もありえないのである。
山がある、岩がある、樹がある、その山も樹も岩も見ていないならその言葉も理解できないのである。
人間は空間において受肉しているということ・・・・人間はまず空間の中に生まれるから当然である。空間は常に意識されるものである。
でもその空間がただ平坦な砂漠のような所とか日本のように山が多い地域とかその空間は世界では様々な様相を示している、そうした空間が地域とか国の個性を作る
風土が国の文化を作る、そういう空間が風土がなければ個性的文化は作られなかったのである。

自然の事物は空間に受肉したembodyしたものなのである。そして言葉は生まれたのである人間はまず言葉だけから自然を理解できるだろうか?
もし海や山や湖や川や木や岩を見ない人はその言葉を理解できない、何のことかもわからないのである。例えば火星とか他の惑星で生まれたらそういう自然がない、としたらそういう言葉もないのである。
不思議なのはもし火星とかでも他の惑星に行ったとき人間は地球の記憶がありそこでなんらか地球の再現を試みる、何もない所だったら山のうよなものを作ったり川のようなものを流れを作ったりする、ちょうど庭を作るようにである。
人間は言葉だけからでは何も理解できないのである。それを裏打ちするものがあって実在があって理解できる

言葉が死んだというときロゴスが死んだというときそれはそうした実在が喪失したからに他ならない、東京のような大都会になるとそこを埋めつくしているのはビルであり車であり人である、そこには自然がない、とするとそこではすでに自然の実在がないのだからその言葉も理解できない、身体化できないのである。
言葉を失うというとき大都会の前では言葉を失う、もう言葉で表現できないからだ
言葉で表現できないものの前に立って唖然としてたたずむ他ないのである。

それはピカートとなら騒音語でありロゴスを失った原始の混沌にもどったともなる
人間は混沌(カオス)を嫌いロゴスを求めてきた、ロゴスというときこれも日本語の概念にはない、秩序とか規律とかもあてはまる、それは数学的にもあてはまる、秩序とか規律とかを求めて生まれた学問だからである。

空間に受肉するというとき砂漠だと何もないからこそそこにピラミッドが人工的に山のようなものが作られたのである。その建築物も空間に受肉した人工的実在化したものであるartifishl embodied objectである、文明をみるとき建築からみるとわかりやすい、エジプト文明はピラミッドに象徴されているしローマはアーチの煉瓦造りの建物に象徴されるその後はキリスト教のゴシック建築のようなカテドラルに象徴される
それは荘厳な空間に受肉した具体化したものとなる
不思議なのは駅までヨーロッパまではアーチの荘厳な建築があり威厳を感じる、人間に威厳を与えているのである。駅にはそんなものが必要ないという意見もあるが建築からみれば建築が人間に威厳を与えているのである。それでアティネイの学堂のようなラファエロの絵が生まれたのである。

荘厳であるとか威厳があるとかなると自然には常にそういうものがある、山や岩や樹や大地とかにある、抽象画で変化させた山の多様な姿を自分でパソコンで作り出して不思議だった、こんな多様な山の姿があるのかと自分で感嘆しているのも不思議だった
それは現実の山の反映なのだが現実の山には見えないものである
でもart(技術)がコンピュターの技術がそれを見させたから人工的なものが第二の自然でも作り出すとういことはある。

人間の顔にしても神の受肉した自然から形成されてゆくという

「だから山地の住民は,その顔に山の姿を明瞭に写している,そそれたつ岩壁は彼の顔の顴骨(侠骨)にあらわれている,小径や,秘めやかな場所や,山々の戴(いただ)きもらの顔の中にある,そして,頬のうえの両眼の明るさは,ちょうど暗紫色に襞どられた山々の上の空の明るさのようだ」ピカート(人間の顔)

詩にしたがこの辺では森が多い,飯館村だと70パーセンとが森である。
するとその深い森の影が心にいつも宿る,それが顔として形成される
都会だとそういう自然がないのだからその顔はロボットのような顔になっているのだ

現代人の顔は何なのかとなる、自然は反映されない、数式化したロボットのような顔にもなる、そこでは詩語もないしロゴスもない混沌(カオス)がある
そういう所に生きているのは精神を病むというのは必然である。
鬱病にみんななっても不思議ではない世界に生きている、人間という存在を保つこと自体不可能な環境に住んでいるからである。
そこは火星なのかどこか地球ではない別な惑星に来た感じにもなる

だからどうしても天才的なエネルギーのある人はもう耐えられないである。
そうしてニーチェとかミラーとか上野霄里(しょうり)氏とかアウトサイダーが生まれたでもこの社会では受け入れられないのである。
そういうアウトサイダーはまた恐竜のような存在になる
文明そのものを破壊するものともなるから受け入れられないのである。
でもアウトサイダーになるとき自然の中でロゴスとか言葉でも回復する
空間を風土の中でもう一度詩語が生き生きとして自然の中に脈打つ活きた言葉となるのである。それはとても東京のような所ではありえないのである。
人間はそこで統計的数字にしかすぎない、宗教でもカルトであり一票として数としてあるだけであり人間として認めるものはなにもない

人間はそこでは経済的に政治的な数としてしか見ない、統計的数として処理するだけなのである。だからそこには荘厳な人間の死もありえない、人間は一個の数字として処理するだけだとなる、それだけの意味しかもたらされないのである。
それはどんな大会社にいても同じである。人間の個としての荘厳な死がないのは生きているときからもともと荘厳な意味あるものがないから死にもないのである。
人間は無数の部品の集合体である、その一つが欠けても意識すらされない、でも小さな島のような所に生活しているとその存在が大きくなる、部分にしてもみんな大きな部分になる、小さな町のような所でもそうなる、全体というのを把握しやすくなるからである。

ただ今や小さな町であれどこであり巨大な文明の中に抱合されているから人間が部品化されて生きる、その部品化されないためにはアウトサイダーになるほかないのである。
その人は文明の中では見えないとかにもなる、存在しない、存在させられないともなる
人間は部品化したものとして専門家したものとしてしてしか職業でもないし意識されないからである。全人間など理解もできないし意識もできないのである。

原発でも地域の生態系で風土のもつ空間にどう影響するか?全体的な空間でどう影響するかなど考えない、結果的に空気も水も土も森も汚されて住めなくなくなったのである。
その影響は計り知れない、でも地元に住んでいる人も自然という風土から離れて生活しているのが現代である。第一次産業が一割にも満たない生産力しかない、だから自然との全体で空間を地域を考える人はまれである、農民は自覚したとしても少ないし純粋な農民は一割にもみたないし農業は跡継ぎがないなど否定されてきた
そういう心性がつちかわれてきたとき原発はかえって容易に地方の風土とか生態系を無視して入りやすくなっていたのである。
多国籍企業が日本でも熱帯の森を破壊しているというのもそうである。
巨大な資本がその土地土地の生態系を破壊して原発事故で水や土や空気まで汚染されて住めなくさせたのである。
森の哲学者と言われたオラウータンも住めなくなったのである。
だから原発事故は文明の崩壊現象として起きたともなるのである。


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2017年07月09日

空間認識から時間的認識へ (二つは不可分に結びついて人間は存在する)


空間認識から時間的認識へ


(二つは不可分に結びついて人間は存在する)


人間が出会うとき遠くになるとどこの出身かとまずきく、外国でもそうである。
Where are you from?と必ず聞く、外国だと国の名前になる
それは地理的空間的認識なのである。
一方地元だとその人を知るとき親の代からさらに祖父の代からさらに歴史をさかのぼる
それは時間的認識なのである。時間というときそれは一代だけではないのである。
野馬追いとかなると四〇〇年前までさかのぼり野馬追いに出る人をたどる
それは時間の認識である。

外部から遠くから来た人をたずねるとき空間的なものからはじまる、長崎か遠いなとかなる、今では外国からも来るからスリランカか、ネパールか、ベトナムかとかなる
ベトナムで面白かったのは川だったのかそれが海に通じていて日本まで通じているとか土地の人が言うとき海はつながっているからそうなる
もちろん陸もつながっているのだがベトナムから海を通じて日本が近いと感じる
陸だと相当に遠く感じるだろう。その距離感覚は陸と海では違っているのである。
世界となると空間認識をすること自体が相当にむずかしい
それは地図を見てもわからないからだ、中国だと距離感覚は日本とは違っている
常に移動している距離が違う、青森が東京から遠いというとき中国人の感覚では近いのである、日常的な距離感覚が違うのである。

この遠さの感覚は乗り物とかにも影響する、歩いて行けば本当に近くでも遠くなる
芭蕉の旅でもみちのくは遠い所だった、ところが平泉まで二時間とかなると距離感覚がなくなる、すぐ近くだとなってしまうのである。
それは新幹線で青森まで行き津軽鉄道で終点の中里まで行ったとき感じた
そこでタクシーに乗って十三湊を見て帰ったがそこが遠い感じもしなかったのである。
それは新幹線だったからそうなったのである。
もちろん飛行機だと中国でも東南アジアでも日本国内より近いという感じになる
でも飛行機など途中が眼前に省かれているから地理はわからないのである。
船で行くと地理的感覚は身につく、沖縄は中国と近く中国文化の影響を受けていたことでもわかる

国内でも遠くなると外国とかでも地理的空間認識が先になる、なかなか時間的認識はできない、遺跡などは古いがそれは時間で作られたものだから認識しにくいのである。
それは日本だってそうである。城などがあるとそこから過去への記憶をさかのぼる
でもその時代がどういうものだったかを知ることは容易ではなくなる
空間の中に城があるということは誰でも認識できる、ではその城があったときの時代を生きていた人をイメージすることは簡単にできないのである。
城もほとんど新しくなっているからそこに時間を感じることがなくなる
何か真新しくて博物館のようになっているし実際そうなっている
だから廃墟趣味があるとき廃墟の方が時間を感じて人間の無常を感じる
石垣だけになっていたりするとかえってそこに時間の経過を感じる

夏草や兵どもが夢の跡    五月雨のふりのこしてや光堂   芭蕉

この芭蕉の句は空間的認識としてのみちのくがありそれより時間的認識からこの句ができた、昔の栄えたみちのくの武士の都は夏草に埋もれたというとき時間がそれだけ経過したということである。五月雨の句もそうである。金色堂が自然の風化にもめげず残っていたというのは時間感覚なのである。
一方で

荒海や佐渡に横たふ天の川

これは空間的に認識から生まれたのである。佐渡島を天の川が結ぶというときまさにそうである。
どちらかというと芭蕉の句は時間的認識の句が多いだろう。江戸時代は閉鎖された世界だから時間的認識に生きていたからである。
職人でも十何代とかつづいたとかあり代々技も受け継がれて変わらなかったのである。
それなりに世の中は常に変化しても現代のようには変わらなかった
その変わらないことが人心を安定させていたのである。
狭い地域でもソトとウチは明確に分かれていたのである。

現代は常にソトととの交流がありウチとの交流はかえって希薄になる、それは空間的拡大化した世界に生きているからである。
「福は内、鬼は外」というとき現代では逆である。外から福がきて内から福が来ることは少ない、豊かになるには外に絶えず視線を向けねばならないのである。
それはグローバルに世界的にそうなっているのである。

時間的認識もむずかしいが地理的空間的認識だってむずかしい
相当に旅をしないと実感できない、北海道を地理的空間的に理解するとなるとむずかしいそれだけ広いからである。おおよそ自分はその空間を認識している
人間は世界まで広がると空間認識だけで一生はたちまち終わる
それだけの時間が人間には与えられていないのである。

いづれにしろ駅にいてこの辺ではいろんな所から全国から労働者が来る
するとまず出身地を聞く、そこで地理的にイメージする
でも横浜の人が今日来ていて野馬追いのことを説明した。
では野馬追いの歴史となると平将門が相馬氏の系統なのですよと説明するとそれは時間的認識のなのである。その人は知識人でも何でも普通の労務者である
でも平将門は知っていたのである。そうなるとそこで時間的認識が生まれる、歴史をさかのぼることは時間的認識だからである。

人間はこうして常に空間的認識と時間的認識をしているのである。
外国になると時間的認識がむずかしくなるのは城があったとして私の家はこの城と関係していました、その王の子孫なのですなどと知れば時間的認識になる
そういうことは外国だとわかりにくいのである。
ただヨーロッパとかは石の遺跡がローマ時代のものが残っているから時間的認識がしやすい、日本だと木の文化であり二〇〇〇年前となると縄文時代であり柱の跡としか残っていないからである。日本では連続した歴史感覚時間感覚が磨かれないのである。

文明というとき距離を空間を征服する、現代だと蒸気機関車からはじまり飛行機になり車になりとモバイル時代になった、でも文明というときやはり時間の中で作られてきた
エジプト文明でもそうでありピラミッドには時間を感じる、ローマ帝国でも石造り煉瓦造りの建物に時間を感じる、中世のキリスト教の聖堂でもそうである
マヤ文明でも石造りの天文台のような遺跡が残る、そして異常に暦に時間にこだわる文明だったのである。こうした文明は寿命が長いのである。
千年とかもつづいているのだ、一方で遊牧民は移動することであり定着しないから文明が築かないのである。モンゴルでもそうである。
農耕文明は時間の文明だから長い寿命を保ち継続して文明を作る
遊牧民は一過性に空間を地理を拡大しても文明は残さないのである。

ただイスラム文明はそれなりにモスクとかを残している、そこは地理的空間的な商業都市として栄えたのが多い、オワシスとして貿易するのに都市が必要となり生まれた
だからそれも地理的空間的なものとして結ぶものとして作られた
だからエジプトとかマヤ文明のようなものとは違う、寿命としても短かったとなる
ISでもイスラム帝国でも過去の時間認識歴史の再興だと宣言したのは時間的認識があったでも空間的認識としてカリフ帝国の再現を夢見た
だから遊牧民地帯でも空間認識と時間認識がありそれは人間である限りどこにでもある
この二つは一体であり切り離せないからである。


結ばれる世界

すでにはるかな遠き日
フェニキア人は言葉で結ばれる
ギリシャ人はコインで結ばれる
植民都市は地中海沿岸に
ギリシャの壺のその海に沈む
点々と島々は結ばれる
オデッサの冒険の島
仙女の棲む秘められし島
魅せられて故郷への帰還は遅れる
ローマは道で結ばれる
アルプス山脈をも越えて
ヨーロッパは河で結ばれる
ハンザ同盟の商人都市
封建領主に反抗す
否が応でも空間は拡大する
それをとめることはできない
そこに新たな血が混入して活性化する
それが自然の法則である
この世は常に交じり合い生成発展する
文明の生き延びる道なり
変化しないもの交わらないものは滅びる
「挑戦」と「応戦」の中に生成発展する


現代とは二〇世紀はグローバル化して地球が地理的空間的に一体化した
ただ実際は地理的空間的認識は容易ではない、これまでは大航海時代までは世界の認識は狭かった、そこで中世的閉鎖的世界観しかなかった、それは時間的認識の世界である。
大航海時代から世界的認識が拡大したのである。
それはアメリカに波及して西部開拓となりフロンティア精神になりさらにアメリカは空間的拡大としてアジアに侵攻したのである。それは暴力的侵攻だったのである。
アジアはもともと古い、インドでも中国でもそうである。そこで培われたのは時間的認識である。地理的空間的拡大はモンゴルのジンギスハーンがあったがその後はない
それは一過性の拡大だったのである。
二〇世紀はこうして地理的空間的グローバル化の世界を作った、それも限界にきた
資本主義がゆきづまったというときもう投資するフロンティアがなくなりゆぎ詰まったのである。地理的空間的拡大のグローバル化は限界に来て終焉する
次は時間的認識の文明の再興になる、それはアジアで起こるのである
日本なら奈良時代から平安時代ような国風文化の再興なのである。

男性と女性の認識も違う、女性は定着的時間的認識になり男性は地理的空間的認識になる女性が地理が不得意だというとき道に迷うというときそうである。
男は絶えず空間を拡大してゆく、そのために大航海時代のような冒険になる
女性は土地に定着して子供産み育てるということで時間認識に生きる
だから双方の認識がずれるのだが両方の認識が必要なのである。
そういうふうに男女も作ったとなる、脳も根本的に違っているからである。
奈良時代は日本全国統一の地理的空間的拡大の世界でありその後はコ御殿にとじこるも女性文化の国風文化になったのである。
アジアは女性でありヨーロッパは欧米人はアングロサクソンは男性的文化で地理的空間的に拡大する征服文明だったのである。
だから次はアジアの時代であり女性的平和的文明が創出されるとなる
ただカルト宗教団体とか今の宗教には一切そういうものはない、政治化した物質化したかえって西欧化したものであり
キリスト教すらそうである。征服的イスラム的宗教になっていたのである
欧米文明は暴虐的文明であり特にアメリカはそうである。征服することが第一とする暴虐的文明でありそれに習ったのが日本でありそれがマイナスとして作用したのである。
ただ日本も地理的空間的拡大として太平洋戦争があったことは確かである。


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2017年07月01日

空間的拡大の世界から時間軸の世界へ (時代の変化で日常も変わる)


空間的拡大の世界から時間軸の世界へ


(時代の変化で日常も変わる)


人間の思考でも志向でも歴史でも必ず空間軸と時間軸で展開されている
それは卑近な日常でもそうなのだ、人間の生活そのものが空間軸と時間軸で日々展開されている
まずどんな人でも空間の中を生きている、その空間も日々生活する場は市町村単位であり狭い、戦前から戦後十年までは自給自足的生活でその生活範囲は狭い
だから主に時間軸の生活が行われていた、農業とか林業は時間軸の生活である。
野菜が果物が実るのにも時間がかかる、それは木を植えて実りになるまで時間がかかる
「桃栗三年 柿八年」とかなるし木も育つまで50年とかかかる
農業とか林業は時間軸の生活なのである。

こういうことは一年間の生活でもすでに時間軸になる、いや10分でも時間軸になる
電車を待つ時間など待つ時間が時間軸なのである。
駅というのは一つの空間であるがスペースであるが待つというとき時間軸なのである。
その待っている時間が実は充実した時間になっていたのでそのことを書いてきた。
待つ時間が意外と記憶される時間なのである。
だから駅でも長く泊まっているとそこが記憶されるのである。
早く過ぎ去るから今は記憶されずにただ空間を過ぎ去るだけの時間となる

逢隈駅蝉なく声のひびきけりせわしげにのる人見つ待ちぬ

あそこで3分くらい電車交換のために待つ時間があり蝉の声がひびいていたのである。
前の新地駅ではここも電車交換で5分くらい待つ時間があった
そこで虫が鳴いていたのである。津浪のくる前はその前に海に面して新地の家並みがあった、その待つ時間が記憶される時間になっていたのである。

今日書いたコンビニで新聞の立ち読みのことでもそうである。


この人は時々新聞を買っている

一カ月の間に10回かっているときもあった

今は立ち読みしているが買うかもしれない

だから注意をしない方が良いかもしれない

なぜなら一回注意したら買わなくなるから


こういうふうに継続した見方ができないのがコンビニでありスーパーなどである

こういうふうに身近な所でも空間と時間軸の見方がある、そこには時間で積み重ねられたものがある、でも時間軸では見ていない、つまり現代は空間の拡大化した社会であり時間軸では見ていないのである。
そもそもグローバル社会というのもそうである。空間が世界的に拡大化した世界である。国内でも広域化した社会である。車社会になれば常にその空間を移動する社会になる
そのためにそもそもコンビニはその空間を結ぶものとして設置された
国道沿いに車の便宜のために作られたのである。
一つのネットワーク化された店である。それは空間的志向から生まれたのである。

だからなぜ時間軸の思考に志向に無頓着になるかというと空間志向から作られたものだからである。

カスタマーというとき習慣化しているというときそれが客になるというときそれは時間軸で見ているのである。一年間も通う、すでに5年間も通うとかなると時間軸としてその客を認識する、いつも来る客となる、そういう客をまず大事にするのは当然だとなる
だから京都では一元さんはお断りとなるのはそのためである。
時間軸から客をもてなしているのである。それはお得意さんの思考なのである。

現代は空間的拡大の社会だった、海外までも拡大化してゆく社会だった
そこで欠けたものは時間軸の思考である。
高齢化社会というときどうしても老人は空間的思考が苦手になる、第一老人は記憶に生きるというときすでに時間軸の思考が主になっている
青年は荒野を目指すなどというとき世界旅行とか空間を拡大する志向になる
老人は過去を回想することが仕事になる、それは時間軸に生きていることなのである。
時間軸で見るから深い見方もできる

これからの社会は空間拡大の社会から時間軸の社会になる、それは中世的な世界ともなるこういう時代は宗教とか哲学とか芸術文化の時代なのである。
それは歴史をみればわかる、日本でも大和王権国家の統一の時は蝦夷征服とか日本の国家が空間的に拡大した時なのである。その時唐とかの交流もあり奈良時代の文化が生まれた次に今度は狭い閉鎖的な都の宮殿での時間軸の文化に移行した
それが平安時代の国風文化になった。

世界史的にもそうである。歴史は絶えず空間を拡大するものとしてあった
大帝国は空間の拡大である、ローマ帝国でもそうである。「すべての道はローマに通ず」というときまさに空間の拡大の文明だった、そしてまた時間軸として300年とかつづいたものとして形成されたのである。
モンゴルとかはジンギスハーンの世界帝国はただ空間を拡大化しただけであり時間軸で形成されるものはなかった、遊牧民の社会は空間の拡大に向いていたのである。
砂漠と平原は道になった、そしてそこに商人が行き来した、商業が発達した
イスラムが商業の世界だというとき遊牧民の社会だったからである。
商業や貿易は空間の拡大であり大航海時代もそうだった、アメリカの西部へのフロンティア精神も空間の拡大から生まれたのである。

人間の歴史は常に空間の拡大の歴史だった、それと同時に時間軸で文化は形成されてきたのである。
そして20世紀はグローバル社会であり空間の拡大化をめざした社会である。
21世紀は時間軸の社会になる、その土地土地で耕す文化の時代になる
宗教や哲学や芸術や文化の時代になる、それが普通の社会生活にも及んでくる
コンビニとかは空間の拡大とともに車社会とともに生まれたものである。
だからその限界が見えてきた、車社会もまた飽和点に達してそれによって失われたものが見直されるようになる。
だから今まであったものがこれからあるとは限らないのである。
人間の社会は常に変化だからこそ無常なのである。
変化に対応できないものは滅びてゆくのである。

空間の大きさは三重だ
休みなくたえまなく
長さは伸びようとつとめる
とこまでも遠く、はてしなく広さはそそがれ
底しれず深さは沈みゆく

それらはきみに一つの姿を示している
きみが完成の姿を見たいと思うなら
休みなくきみも前進すべきだ
疲れてたちどまることを決してするな
世界を形成させたいなら
広さの中に己を展開することだ]本質の啓示を願うなら
深さの中へ降りてゆくことだ
粘り強い前進のみが目標に導き
己を充実させることのみが澄明にみちびき
底の底に宿っているのが心理なのだ

(シラー)





タグ:空間と時間
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2017年06月02日

遊牧民と航海民 (交通の発達による変化)


遊牧民と航海民

(交通の発達による変化)


遊牧民志向というときモンゴルとか中央アジアとかイスラムなどの地帯である。
そこは砂漠であり草原だから遊牧民の世界でありラクダを使う隊商が生まれた商業が発達した地域である。シルクロードの地帯である。
そもそも遊牧民は常に移動しているのだから商業に貿易に向いている
またモンゴルのようにジンギスカーンが必然的に生まれる、騎馬民族国家である。
境界がない世界に生きているからだ、日頃の生活が移動に向いているから軍隊を編成していると同じである。だから中央アジア地帯がもともとそういう地域であり商業の役割をになったのである。

イスラムで小切手が生まれそれが貨幣に紙幣になったというのもうなづける
商業民族がイスラムでありイスラム教の創始者のモハメッドが商人だったことでもわかるそしてイスラエルは半分は砂漠でありキリストはそういう場所で生まれた
イスラエルまで交易がありラクダが通っていたのである。

中央アジアとか遊牧民の国家は常にその領土が変動するのもわかる、境界がない世界だから変動しやすいのである。それに比べるとエジプトとか中国とかは農耕民だから国家が変動しないのである。牛と馬があるとき牛が農耕民の神となる
そして国家とか都市は遊牧民が農耕民と接して生まれた、中国の最初の国家は西安(長安)に生まれた、始皇帝の秦である。兵馬俑は騎馬民族国家である。あれだけの騎馬軍団があって国家が統一できたのである。それで日本でも騎馬民族国家論が生まれたのである。
その後長安は唐が生まれ大帝国となったのである。
阿倍仲麻呂など遣唐使が行ったのは長安だったのである。

この遊牧民が航海民になったというときフェニキア人が生まれ地域がポエニであり今のシリア辺りでありその位置が遊牧民が航海民を生んだにふさわしい
なぜなら中央アジアの砂漠地帯から遊牧民が移動して地中海に出る地域だからである。
フェニキア人がアルハベットを発明したのも商業に便利だからである。
それまではエジプトのヒエログリフとか楔形文字とか文字があってもそれがむずかしいものだったからである。アルハベットは世界共通の文字となり言語となったのもわかりやすいからである。漢字がならないのはむずかしいからである。

オデュッセウスは筏の中に腰を据え、匠に家事を操ってあやまたず船を進めたが
その瞼に眠りも落ちず、ひたすらにプレイアデス(すばる)の星群、沈むに遅い「牛飼座」また「車座」の異名を持ち、同じ所を旋回しつつオリオンをうかがい、ただ一人オケアノスの水につからぬ、アルクトス(大熊座)にも彼はじっと目を凝らす
常に左手に見つつ海を渡れと教えた星である。

航海には星座は欠かせない知識である。北斗七星は韓国を通じて日本に伝来して妙見信仰になった、これは相馬藩の神である。野馬追いの旗も北斗七星が描かれている
これは中国の遊牧民から韓国を通じて伝来したのである。
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イスラムが果たした役割は世界史的にみればいろいろあった、そこはヨーロッパより先進地域だった、だから建築とか化学とか代数とかが発達した、それはヨーロッパに取り入れられたのである。イスラム文明の方がその時文化的には優れていたのである。
ただイスラムは世界史的には橋渡し的役割になった
そもそもなぜイスラムがあのように混乱してテロしかイメージできなくなっているのか?
何か文化的にも学ぶものがもうないとなっているのか?
ただ橋渡しの役割を果たして終わったともなる
ただ日本も東西文明の橋渡し役と見る人もいる、東西文明の融合する国だと明治維新で見なされた、中国とアメリカの狭間にあって政治的にもそういう場所にあった
西欧文明の概念を漢字で取り入れたの日本でありその漢字を中国が利用していることでもわかる、確かに橋渡し役を果たしていたのである。

遊牧民が航海民になれたのも地中海があったからである。ここは航海の訓練する場所となったのである。もし太平洋とか大西洋だと航海するにはまだ未熟だったからできなかったここで航海の訓練の場となりのちにコロンブスがアメリカに到達したのである。
ともかく文明は繁栄して衰退するというときそれは常に文明がグローバル化する運命にあったからである。それは技術でも必ず伝播して応用されるのとにている
そうした技術の伝播を止めることができないからである。

航海民というとき日本でも海の道、海道があったという、それは古代からあったという。東北の太平洋岸まで航海できたのかとなる、それは鎌倉時代にもあったことは小高が蔵院とかあり湊があったことで知られている
でも古代となると航海ができたのかとなる
でも海の記録は喪失しやすい、海を見て感じることは新地から駅が高くなって金華山と牡鹿半島がはっきり見えた、するとこんなに金華山と牡鹿半島が近いのかと直感的に見る
まずこれなら航海しても迷うことはない、確実に近くに島と半島が見えているからであるすると航海しても方向に迷うことがないとなる。
だから意外と貧弱な船でも行けたのかなとイメージできるのである。
それはあくまでも直感なのだけど歴史的な証拠もないのだけどそう思うのである。
陸を回るより船で行けば近いと見えるのである。

阿武隈川も道のように利用されていたというとき古代には道ができていいなから川とか海でも交通路になりやすいからである。道は人工的に作らねばならないからである。
道を作ることはローマの道のように文明が発達しないと作れないからである。
川とか海は自然の通路になりやすいとなる
中国やヨーロッパや中東でも大きな河があり長い河がありその河の辺り文明が生まれたというときそこはまた交通路として川が利用された面があったためである。
エジプトでもナイル川の岸辺からピラミッドへ通じる、神殿に通じていた
あれだけの大きな長い川があるからこそ商業が発達したのである。


津浪によって破壊された常磐線の移設工事の発掘調査で山元町坂元地区の熊作遺跡から
「信夫郡安岐 里」の4人の名前が記された木簡が出土し
701年から717年の間に推定できます

躍動する東北「海道」の武士団 七海雅人

この木簡から阿武隈川を通じて製鉄関連の仕事に従事する人がいたとこの本では解釈している。となるとやはり阿武隈川も古代には道としての役割があったのかとなる。
ここに製鉄遺跡も発見されているからである。

また相馬地方に熊野神社が多いというとき鈴木という姓が多いのも熊野信仰をもってきた人たちが移住したからである。

島隠り我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上るま熊野の船

(巻第六 雑歌 944・新949)

浦廻漕ぐ 熊野舟着き 珍らしく 懸けて思はぬ 月も日もなし                                                    (巻12/3172)

熊野の船は有名だった、山が迫る海であり森林に恵まれて造船に適していた
だから海洋民として太平洋沿いに移動したということもある
ただ海というのは歴史に残りにくい、船は海に沈んで証拠を残さないからである。
津浪でもわかったように村ごと壊滅して全く何も残さないようになる
すると語り伝えられることもなくなるのである。

いづれにしろ交通に興味をもったのは自分は一生旅してきたからだとなる

新地駅から金華山が見えた驚き




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2017年05月24日

よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


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2017年05月21日

文明で抽象化された人間 (文明は数えることからはじまった)


文明で抽象化された人間


(文明は数えることからはじまった)


文明は何かというときこれせ定義もできない、ただ文明の起こりが数の計算から起きてきた。穀物でもエジフトでも計るときその時数を計算するもの必要になった。
それで書記が重用されて高い地位についた、それは官僚でもあった
数の計算は物でも数としてみるとき人間も必然的に物として数として見るようになる
つまり人間一人は一個という数に抽象化されるのである。
人間一人といってもそこにはいろいろな属性があり一人一人違ったものである。
顔も体つきも生い立ちもいろいろ違っていて個性がある。
しかしその個性は無視されるのでてある。
政治的にも数が権力だとなるとき数を集めることが権力をもつことになる
それで一票として人間は数えられる、どんな人でも一票には変わりないのである。
それ自体は平等になるがただ数だけがもの言う世界になる

だからシュヘングラーが数から数学的思考からはじまり文明の崩壊を説いたのも納得できる、文明は現代文明だけではない、そのはじまりから数と密接に結びついていたのであるそれが高度な数学になったが最初はただ数えるということからはじまっていた
数えることが文明のはじまりだったのてある。
人間一人でも様々なことを現している、でも経済的人口的単位になれば一つとしか数えられないのである。政治的単位でも一票としか数えられない、それ以外にその人を示すものはないのである。

そして経済というときグローバル化経済になるとますます世界が常に数として計算される金融の世界になるとただ毎日株価が上がった下がったというけどそれも数として現される数字が変動する、それが経済だとなる、そこに何か文明が最初から数を数えることから始まったように抽象化した世界である。
それは放射線量を計る時も同じである。全く数値としてしか放射線量は計れないからである。目に見えないものであり数値だけでしかわからないからである。
現代の経済も具体的に目に見えるものとしてやりとりされないからである。
ただ数値だけを追っていることが多いのである。
銀行員とかはそうである。毎日具体的な物を扱っているより数値を追っている
だから抽象的なものとなる、そもそも貨幣とかもこの数えることから生まれたのかもしれない、貨幣はやはり物を人間を数としてみる、そういう道具として便利だから生まれた
貨幣はだから抽象的なものへの転化なのである。それは数としてはじまった文明と同じである。

銀行員は今や貨幣を扱っているのではない、数字を扱っている、金にしても帳簿に記された数字でありグローバル化経済では数字としてふりとりされている
今や貨幣ではない数字化されたものとして経済があり金は数字であり数字が減ったり増えたりしているだけでありあくとき数字がゼロになっとき貯金もゼロになっているのである貨幣だったら紙切れでもこれが一万だとかなる、それよりそれが黄金だったらもっと具体的になるからその黄金をもっていて触っていたりしたら金持ちだという感覚になる
数字だとそういう感覚がなくなる、触ることもできないし重さも大きさもないからであるだから石の貨幣とかあったがそれは富の象徴だというとき具体的に重いし大きいから力あるものとして富の象徴となったのである。

例えば石というのを自分はテーマにして詩を書いてきた、石でもよくよく見るとみんな形も大きさも重さも違っていて個性がある。でも一個二個と数えればその個性は省かれるのである。ただ一個の石となる、それでも石の大きさがどうだとか重さがどうだとかは計れるるし分類できる、それは数学的概念として処理できる
でもその石の個性がどうだとかなるとそれは文系的なものになるのだろう。
その石の大きさとか重さとかを計るのは数学だからである。石は正方形とか立方体にはなっていない、そこに個性が生まれる、でも数学的にするには正方形と立方体にするのがわかりやすくなる、計算しやすくなるからだ。

結局現代文明の問題は別に今に始まったことではない、すでにその萌芽が文明のはじまりとともにあったのが現代になって極端な形で現れたとなる
ナチスがなぜ生まれたかとなると人間は数でしかないという感覚になっていた
人間は人間と見ていない、数として抽象化されたものしとて見ていたのである。
それはカルト教団とか宗教団体でも同じである。ただ数を増やすことしかない、それが一票に通じているし権力になるからだ。創価などはその典型的なものである。一人一人がどんな人間など関係ないのである。
改悛とか何か宗教的なものとは一切関係ない、ただ数だけを追求しているのである。
それが極端になるとナチスのようなものとなる恐怖である。

それでなぜホランニーのような人間の経済学が生まれたかというのもわかる、そこでは具体的な物と物の物々交換の世界を良しとしているからだ。数の世界ではない、例えば黄金と塩が等価で交換されたというときそれは具体的な物と物の交換であり数として貨幣としての交換ではないのである。物と物の交換になると具体的だがそこに貨幣が介在すると抽象的になり数になってくるのである。
だから人間の経済学というのも現代文明のアンチテーゼとして生まれたものである。
現代の学問でも思想でもなんでも人間を回復しようとすればそうなってくる

不思議なのと認知症になると数字というのが抽象的概念が理解できなくなる、金のことが貨幣のことが理解できなくなる、だから銀行から金もおろせなくなるのである。
漢字なども書けなくなるのは漢字も文字も実際は抽象化されたものだからである。
太陽とか石とか文字で現してもそれは抽象的なものである。
認知症になるとそうした抽象的なものを理解することができなくなる
だから人間は外界を抽象化することができる、文字にしたり数字にしたりできるということが文明を生んだともなる、それが現代のようになると数値のみになり抽象化して現実の世界が何なのかわからなくなる
文字はまだ多様なものを現している、でも数字はそうした多様なものを抽象化して数としてしか計算しないのである。

ともかく現代は世界を数として把握することが多い、常に統計的に人間をみる、それか経済的観点とか政治的観点からするとわかりやい、人口がその国の経済力となる、日本だと人口一万あればそれだけの消費をするからそれくらいの規模の町としてみる
でも一万となると限界がありとても現代的便利な暮らしはできないとみる
普通だと十万都市をイメージする、そきくらいなら現代の便利な生活が可能だとみる
経済とは数字として常に見ているのである。
原発事故の避難区域になったところでも一万あった人口が二割しか帰らないとなると町は成立しないとみる、それは経済的観点からはそうである。
でも別に昔なら大正時代なら6000千万の人口だから成り立っていたとなる

要するに人間社会を数からしか見れない、政治でも経済でもそうである。
人間一人一人が求めるものが違うこともあるがそんなことは関係ない、すべて数として社会を見ているとなる、数が集まればそれが力なんだとなるのである。
少子高齢化でもそうである。数の観点からしかみていない、でも少子化になっても日本の人口が減ってもそれが本当に悪いものかどうかはわからない
なぜなら例えばヨーロッパの都市でも5万になれば大都市である。

ではなぜそういう人口が少ないのにギリシャでもそうだが文化が文明が生まれたのかとなる、それは人口に比例して文化が生まれるとは限らない、5万となると現代ではどこでもざらにあるがそこに文化が華開くということではないからだ
人口が少なくてもその質が問題になる、現代は量だけはあるのだが質が劣っているのである。いくら人口を増やしても質が劣ればいいとはいえないのである。
だから量より質の時代に転換すべきだとなる、高度成長時代は量の時代だったがこれから質の時代なのである。
カルト教団のように毎日量だけを数だけを増やすことに奔走していてそれが何か社会的に意味があるのかとなればただ権力となるだけで文化的な成果は何もない
精神的なものを追求するのが宗教だけどその精神的なものと一切関係ないのである。
でも数を集めると社会ではそこに注目する、政治家も票になると利用することを考えるのである。
一票としてしか数えられない政治もそうである。そこに人間の回復はないのである。
ただ現代文明はただ数からしか見ないのである。
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2017年05月15日

植物的なものと動物的なもの (文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


植物的なものと動物的なもの

(文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


この世界を見るとき生物でも植物があり草食動物がいて肉食動物がいる。
すると基本的には植物があって草食動物も植物を食べて生きることができるし
草食動物がいて肉食動物が生きることができる
ベースになっているのは植物である。
となると植物を栽培する農業が文明を作り基礎になっていたことがわかる
遊牧民は羊を飼うが羊は草食性であり草がなければ生きられない
つまり羊を食べて生きているがその基になっているのは草であり植物なのである。

そして肉食動物でも雑食性があるもの、熊などがまだ日本のような文明化した国で生きられるのは雑食性だからである。ヨーロッパでは熊は絶滅しているからである。
雑食性の強みは肉が食べられなかったら植物を食べるから生き残りやすい
こういうことは人間にも起きてくる、商品食物としてコーヒーばかり栽培していると
何かコーヒーが売れなくなったとか問題が起きるとコーヒーだけでは飢えることになる
現実そういう問題が起きて飢餓状態になった後進国がある。
畑でもいろいろなものを作っていれば食糧になるから飢えることがなくなる

飢饉になったとき山に住んでいる人がまねがれたというとき山の食糧となるもの山菜でも何でも食べて生き残ったということがある。米だけに頼っていても危険になる
つまりAだけに頼るのではなくBCDとかの選択があれば助かりやすいとなる
だからTPPとかなるとグローバル化経済で分業化するから日本は車だけを作っていればいいとなり食糧も自給できなくなりそのことにより飢饉とかに緊急の際に対処できなくなるそれでTPPはむしろアメリカが反対していたというのもわかる
とても国レベルになれば分業など成立しないのである。

文明というときも自然の秩序と同じようにして植物を食糧として成り立ったのである。
だから欧米人が肉食のために体から酵素を出すというとき肉食になって体が変質したともなる、肉食はどうしても人間も肉食動物化する、草食動物と肉食動物は見た感じも根本的に違うからである。草食動物は繁殖力が強いから肉食動物より弱いようで強い
肉食動物は減少の一途をたどる、また大型の象とかでも絶滅の危機になる
それは恐竜が滅びたように強いように見えても弱いのである。
結局人間は何が強いか本当はわからないのである。

人間はやはり木のように根をもつ場がないと個々人でも安定しないし文化も文明も作れないのである。
ユダヤ人が土地をもたない、国土をもたないから流浪の民となりただ金融で生きるほかなくて資本主義を産み出したという説もそうである。
ユダヤ人は土地を持たないのだから安定が得られない、ただ金だけが頼りとなるがその金だって紙屑にもなるから安定しないのてある。
江戸時代なら倉に米を貯えていた方が安心であり今でもそういうことがある。
金をいくらたくわえてもそれは債権であり貸しているとしても返されない恐怖がつきまとうのである。そこで世界恐慌が資本主義では常にあり破綻してしまう。

遊牧民は砂漠とか草原を生活の場としていたから通商が発達した。常に移動していることはすでに商人として移動していると同じだからである。
イスラムに商業が発達したのはそのためである。モハメッドも商人だったからである。
砂漠地帯に人類最古の場がありそこに一神教が生まれた、なぜならそもそも神と契約するというときそれは商業の概念がもちこまれていたからである。
契約というとき商業で絶対的なものでありそれが守れないとしたら商業は成り立たないからである。

脆弱で対処しにくい環境に住む人々は短期的には見事な成果をもたらす理にかなった解決策を採用するが長期的に見た場合、外因性の環境変化や人為的な環境変化を未然に防ぐことができなかった変化に直面したとき致命的な失敗ももたらす。

現代人-住宅所有者、投資家、政治家、大学の事務官、その他の人々-は経済が好調なうちはただな浪費をしても許される、その情況が無常あることを忘れて変動したときすでに贅沢なライフスタイルに慣れきってしかたなく生活レベルを落とすかあるいは破産するか
二つに一つしか選べないのである。
(文明崩壊ージャレド、ダイヤモンド)

現代人というとその最たるものは科学者、技術者だろう。原発事故でこの人たちのテクノクラートの権威が失墜した。
原発とういのはエネルギー不足を短期的に補うものであった。手っとり早い魔法の技術だった、それには大きなリスクがあったが無視された
そして人々はそれに頼った結果として社会自体が崩壊して放棄された、町や村がゴーストタウンになったからここで実際に起きたことであり空想ではない事実なのである。

長期的視野にたてば森林資源が日本にはあり炭焼きなどが継続する資源としてはかえって良かったとなる、そんな生活できるのかとなるがこの辺では現実問題としてそういうことがつきつけられたのである。
この辺では贅沢な生活を求めてあくなきものとなっていた。
みんないい車をもっている、田舎では一人一台車をもっている、借金しても立派な家を建てる、そういう生活を常時していると生活レベルを落とすことができなくなる。
事業に失敗した人も同じである。贅沢していたからその生活をレベル落とせない、それで今度は借金するために何でもする、犯罪だって最後にはするようになる
そんな人が自分が病気のとき介護のとき来たのだから最悪だった
もう贅沢した生活をするために他者から借金しても犯罪してもするとなるから怖いのである。
その人はまた見栄もあり成功したということに固執している、そのために借金してもそう見せているのである。

ともかくこの辺で起きたこと自分にも起きたこと原発事故でもこれは一つの文明崩壊現象なのである。それがなぜおきたかというとこの著者の提言がこの辺にあてはまる
それはここだけではない、日本全体でもそうであり世界全体でもそうである。
継続性のない科学技術に頼りすぎるとインディアンの村とは違う大規模な文明崩壊が起きてくるのだ。


根を張る一日

今日一日が静かに始まる
それはさらに大地に根を張る一日
大地と深く結びつく一日
幹を枝を造る一日
その積み重ねが大木を作る
急がずに積み重ねられるもの
そこに充実した実り
時計が刻む時ではない
一年十年単位の時
牛の歩みごとく
一日一日が大地に根を張る
そういう長い時間の中に
大地と人と人も結ばれぬ
その絆は断たれることはない
一層強固に結ばれるのみ

こういう思考は田舎から農業から起きてくる、都会では大地から離れているから起きないところがこれだけの科学技術の文明はそもそも大地から離れている
すると東京でも大都会でも大規模な崩壊が起きてくるかもしれない
電気が供給できないから原発に頼るそのために土も水も空気まで汚染されたら住めなくなるのである。その都市は廃棄されてゴーストタウンになる、この辺で起きたことと同じことが起きるのである。
そんなことがありえないと思うが現実にこの辺では起きているし事実なのである
もう町でも村でも前のようにもどらないからである。
だからそんなことは起きないということとして安心もできないのである。
つまりこの世が無常だということである。個々人でもそうであり全体でもそうである。

人間は常に変化する無常のなかにある、それをまねがれえないのである。
文明は確かに発展してもまた衰退する、奢れるもの久しからずなのである。
栄華はどこでも一時的なものである。それは世界史でもそうである。一時栄えたイスラムもあのように衰退しているしどこでもそうである。それはこの世がそもそも無常の世だからである。永続する栄えなどないのである。
ただ恒久的なものは農業にあるということは確かなのである。
確かに農業でも栄えても文明は遂に衰退して崩壊する、でもエジプト文明でも長い、千年とか普通でありそれだけ長く持続すれば十分だともなる
現代の時間感覚とはまるで違う、人間はもはや百年後のことなど考えられないからだ
今だけが良ければいい、後は野となれ山となれという今にすべてを費やす感覚である。
しかし世代はつづくしカルマは今度は子や孫やそのあとの世代に引き継がれるのである。この辺などでも原発事故のそのカルマはプルトニウムが二万年消えないとかのカルマを背負わされたのである。
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2017年05月14日

文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない 国々の風土にあった文化が作られる



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

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動的文明から静的文明へ (グローバル移動社会から定着文化の時代へ)



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

posted by 老鶯 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2017年04月15日

文明は必ず崩壊する運命にある 原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

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江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

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無連関の社会がナチスを生んだ (分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)



無連関の社会がナチスを生んだ


(分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)


人間は自動車や飛行機によってむやみに空間を奪いとったから、人間は空間に内包しているものを真に所有するだけの時間的余裕をもたなかった
人間は空間を縦横に走り回ったがしかし彼はもろもろの事物をかたわらを素通りしただけである。

もはや人間はいない、もはや自然もそして神も存在しない、存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである

言葉と事物は割れていたのである。言葉はもはやそれが名づけるところの事物と対応していなかったのである。
「われわれ自身の中のヒットラーピカート」

飛行機だと地球の裏側まで一日とかで行ける、しかし飛行機では空間を全く体験できないその点船であれ鉄道であれ空間を体験はできる、本当に空間を体験できるのは歩くことなのである。だから歩くことが新鮮なことであり人間回復に通じている
車社会になるとまず歩くことはない、また電車にも乗らないから乗り方さえわからない人が多いのである。車社会とは自然からも風や光も感じないから自然から遮断されているのである。
現代社会を作っているのは自動車だということが言えるとき車は単なる車ではない、社会そのものなである。だからこそ鉄道より車が利用されて鉄道は廃れるとなる

大地を歩くことがふみしめて歩くことは大地を感じることである。

一里ほど歩み大地に草萌ゆる

歩むことにより大地から草が萌える春を感じる、でも車だと大地の表面をかすめるというだけになる。大地の重みを感じないのである。
だから高村光太郎の牛の詩は大地自然と一体化した詩でありそういう詩は今は作れなくなる、牛というのも牛肉したり乳牛したりとするとき牛本来の自然の姿ではなく人口化された機械化されたものとなる、牛でも馬でも昔を農耕していたし荷物を運んでいた
すると動物でも奇怪ではない、動物本来の自然を生きていたとなる
鶏でもそうである。今は卵を生む機械にされている、そのことは人間も同じように一つの機械にロボットにされている社会なのである。
生き物を機械としてあつかうとき人間も同じようにされるのはやはりカルマの法則なのかもしれない。

存在しているのは連関性喪失のそのものの機構だけである。

機構というとなにのなか?一つの団体と組織とかであろう。それは社会全般でそうなっている、一見現代では当り前と思うものが異常なものの産物である。
それが現実社会を生きていれば気づかない、みんなその中で生きるために必死だから会社員になれば会社のために必死に働くだけだとなるからだ

分断され部分化、無数の部品化された社会というとき一見きづかなけどあらゆるものがそうなのである。
学校でもそうして分断分化された機構なのである。そして学年によって分けられているのもそうである。
学年ごとに分類されて同質のものとして分類され分離されて学年が年が違うと交流がなくなる、江戸時代には子供は子供社会がありそんな学年ごとに分化されていないのである。江戸時代の不思議は現代にないものがあったということである。
それは架空のものではない現実にあったから具体的なものとして比較できる

例えば農家というときそこは自給自足する一つの全体をになっていた。だから水でも裏山からとり木も利用して家の木材として利用したり動物でも牛でも馬でも農耕で使いとか鶏は庭を歩いているから庭の鳥となっていたのである。
ニワトリとはまさに庭と結びついていたのである。今はニワトリは籠に入れられ卵を産む機械とされている
昔の農家は自給自足の中で生きていた全体として生きていたのである。
だから納豆までも作っていたのである。
そういう世界では回りとの連関を無意識的に生活の中で実感しているから感覚的に相当に違ったものとなる
現代ではそういう世界を連関を意識できない社会である。水はどっから来るんだろうとなると裏山から来るのではない、ダムから来ているとなるとそれでも身近に感じられない
水というもののありがたさを感じるにはやはり自然そのものの水を感じる、裏山から流れる清水だったらそれを感じるのである。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも 

まさに万葉集にはそうして自然と密着して生きた人々の声が伝えられている
それは自然と共に栄えていた人間の姿である。
文明化するとそういうものがなくなる、水がどこから来るのか、
食糧がどこから来るのか?地球の裏側から来たりしているから意識できないのである。
ただその時必要なものは金であり金でなんでも買えるから金の方がありがたいとなってしまったのである。
とはいえ趣味程度の畑でも苦労が多くそこからごくわずかのものしかとれない、となると金があれば野菜でも果物でも手に入るとなりその地元の知っている人の畑は何の価値があるのだろうともなってしまう
その女性は農家の出であり自給自足の生活を実家ではしていた時があった。田舎では戦後十年くらいまではそうだった、だから遠い万葉集の時代のことではないのである。

いづれにしろ人間は学校だけではない、人間は分断され分化され分類されている
それはいたるところでそうである。まず会社が違うと何をしているかわからなくなる
そして人間は病院があるとするそこは医者や看護師がいて患者がいて分離隔離された機構なのである。それは学校は学年ごとに分離隔離されたものでるのとにているのだ。
老人ホームでもそうである。老人だけしかそこにはいないからだ。
子供は子供として老人は老人として病人は病人として隔離されているのである。
相互に分断され連関しない社会である。その連関がない社会故にヒットラーが生まれたというのもわかる。
カルト宗教団体がそれににているというとき宗教も分断分離されて隔離されているからだなぜそれほどの人間が集まるのか?それはナチスがヒットラーが生んだ構造と同じだからである。そこは真の共同体ではない即製されたインスタントな疑似共同体だという指摘があたっている。
真の共同体とは空間と時間の中で作られる、それは例えば相馬藩だったら江戸時代からその前からつづいていて形成されたものである。
そういう空間と自然の中でのアイディンティティを追求したのが自分であった。

だから原発事故でも実はこうした文明社会のなかで起きたことなのである。
原発の中には地元の人も立ち入れることはできない、それは病院が医者と看護師のもとに支配されているのともにているのである。
原発の中は科学者という専門家しか立ち入ることはできない、隔離されていたからである病院でも医者が薬剤師や看護師という専門家しか立ち入ることでできない、一般人はその中で無力化されているのである。
専門家というときそれも批判された、マスメデアも実は情報の専門家なのである。
だからマスメデアは情報の専門家として政府と東電と結託して「安全神話」作っていたのである。なぜなら何百万人に報道できるのがマスメデアでありマスメデアは大衆を情報で操作する力をもっているからである。その対抗として素人のインターネットメデアが生まれたのである。それはいいことだったのである。
でなければ情報まで専門家集団のマスメデアに牛耳られてしまうからである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりなきしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである(イリイチ)

専門家というときいたるところにいて分断された機構を作り支配するのである。
病院という空間では医者と看護師が学校では教育者が裁判所では法律家がとか原発では科学者がとかになり素人は立ち入ることができなくなる、カルト宗教団体も分断して隔離する機構である。それも文明批判として常にあった。
原発事故でもそうした文明という構造物から必然的に生まれたものである。
だから確かにアウトサイダーが言うように文明そのものの否定が拒絶によって人間回復するというのは言える、それを自分は田舎で追求してきたともなる
シュペングラーやニーチェやミラーとか上野霄里氏とか天才的な人はこうした部品化分類化した社会に耐えられないからそうなったのである。
ただそういう人は天才であり偶像崇拝になるから危険でもある。
またなぜ偶像化するというのも現代文明がヒットラーのようにそういうものを求めるているということもあるからなのだ。一人の人間なの中に人間を回復させようとするからそうなるのである。


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


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2017年01月09日

悠久の大義とは何だったのか? 悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった

悠久の大義とは何だったのか?

悠久とは自然であり天皇のことでとはなかった


悠久(ゆうきゅう)とははてしなく長く(例えば皇紀2600年)続いているさま、大義とは、国家・天皇への忠義を意味する。

進め悠久大義の道 敵米英学徒を圧倒せよ=学徒出陣壮行会での東条英機首相の訓示(1943【昭和18】年10月21日)

…申すまでもなく、諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新(せいしん=新しく、生き生きとしていること)なる血潮(ちしお=身体をめぐる血。激しい情熱や感情のたとえ)総(すべ)てこれ、御国(みくに=国を敬っていう語)の大御宝(おおみたから=天皇の民。国民)なのである。この一切を大君(おおきみ=天皇を敬っていう語「おおぎみ」とも)の御為(おんため)に捧(ささ)げ奉(たてまつ)る(献上する)は皇国(こうこく=天皇が統治する国。「すめらみくに」)に生を享(う)けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳(そんげん=とうとくおごそかなこと。気高くおかしがたいこと)なる所以(ゆえん=わけ。理由)は、実にここに存するのである…。

悠久というときなにが悠久なのか?自然が悠久なのである。日本の自然が悠久なのである天皇が代々つづいたから悠久ともならない、それはせいぜい2000年にもならないのでる。自然はそれよりはるかに悠久なのである。
だから大和の悠久の大義とはただこうして戦争のためにのみ使役されたことが悲劇につながっていた。
現実に敵を殺すということは戦争はいかなる大義がるとしてもやはり犯罪になる。
それを戦場では理屈ではなく日本兵は体験したのである。
志願兵も中国人を殺すことを命令されてしたらしい、ただそのことは言っていない、それを大ぴっらに言えないのである。そこに良心の痛みが人間だからあったからだ。
それが悠久の大義のために天皇のために許されるとしたらどうなるのか?
そもそもそれが日本の世界の大義となるのかとなる
日本の国土が攻められたらそうなるが外国に侵略して殺すといことが大義なのかとなるとなりえない。

悠久の大義は確かにある、自然が悠久であるごとくそこに日本の自然と共に大義がある。でもその悠久な自然とはなになのか?その国の山川草木が悠久でありでもそれが敵を殺していいと支持するのか?それは平和そのものであり敵を害するものではない
だから右翼でも何かそういう自然とは関係なくただ天皇もちあげ戦闘的になる
右翼の中には暴力団などがいて実際にかえって日本国民を苦しめているのを知っている
自分の店で働かせて給料を払わなかったりと何か不正をしていたりとか普通にある
そういうふうにむしろ国家至上主義者は大きな不正を愛国者気取りで隠している
そういう人たちが愛国心を語るのは偽善なのである。
それは左翼にも言えるのである。左翼の問題は日本の歴史をすべて否定的にとらえる、だから中国の文化革命でそうした歴史的遺産を破壊したのである。

だから悠久の大義というとき別に日本にだけあるのではない、外国にだって山川草木があるのだからそこに悠久の大義があるとなる
戦争のためにのみ悠久の大義があったことがまちがいなのである。
そもそも悠久の大義が自然にあるとするときなぜ右翼は原発を支持して核武装になるのか悠久の清らかな自然を汚した原発を支持しているのか?それは日本を核武装するために必要だからともなる
国賊とは何かとなるとそうした原発で「安全神話」を作った人たちなのである。
それは政治家であり官僚でありマスコミであり科学者であり学者であったのだ。
日本の悠久の大義を汚したものが日本の支配者層だったとなる
この人たちこそ糾弾されるべきなのである。

だから愛国心というときなになのか?愛国者が何なのかとなるとこれまた偽善的愛国者が多いのである。暴力団が愛国者になりうるのか、庶民を苦しめている人たちがなりうるのかということがある。
ただ愛国心は必要である、人間は戦後はただ利己心の私益の極端な追求しかなくなった。民主主義はただ個々人の利己心を全面的に認め物質的豊かさのみを求めたのである。
そこには国の大義に殉じるなどなくなっていた。カルト宗教団体なども労働団体でもなんでもそうである。ただ個々人の利己心の私益を求めて運動しているから同じだった。
それが宗教という名のもとに社会主義というマルキシズムの思想のもとに団体組織化しただけである。その中味はただ個々人の利己心の私益の追求で同じなのである。

人間は確かにこうした利己心私益から脱することが何か大きなものに殉じることが不可欠なのである。そういう大義があるとき日々のささいなことから脱することができる
戦争はその大義が誤って利用されたのである。もちろんすべてを否定できないものはあるヨーロッパの植民地にされない戦争だったということも一理ある。
でもそこに日本の大義が通用するかとなると疑問になる
それぞれの国はまた義があるからである。

日本人の心は日本の自然と共に一体化して歴史として作られてきた。それが戦争に結びつくものではない、ただ奈良時代に大和国家が形成されたとき日本は統一されて日本となった。
その時天皇が各地に特に大和王権に敗れた蝦夷の魂を鎮めるために奈良の大仏を作ったのである。そういう祭りが天皇に継続されていた。
各地にはその土地と一体となった魂があったからだ。今でも会津魂とか相馬魂とか何かそうなりうるものがある。会津だととくに明治維新の戦いで会津魂が発揮されたとなる
封建時代は藩ごとにそうしたその土地に根付いた文化があり魂があったともなる
その土地と共にはぐくまれるのが文化だからである。

悠久の大義というときそれは別に日本だけではない、自然とともにあった心だからそれは世界に通じる普遍的なものである。だから神道にはそういうことがありモラルもあり世界に通じないことはないのである。ただ天皇を神として世界には通じないだけである。
清らかな自然の中に真直なる心とか直し心とか大和言葉に伝えられている言葉の中にそうした日本人の精神が受け継がれているのである。
そういう心は別に世界的に共通なのである。清い心の人は神を見るだろうというのもそうである。それが他国への侵略とか戦争に結びつかないのである。
それはキリスト教でもイスラム教でも人を殺すことが是認されるわけではないから同じだとなる。だから義の戦争、義戦というのがあったとしても滅多にはないだろう。
それぞれの国々は義があるからどっちの義が正しいともならないからである。

何か日本の大義というときどうしても今は戦争に結びつく、そんなこと主張したらお前は戦争を支持するのかとなる、それはあの太平洋戦争がそうさせたのである。
そこには確かに日本の義もあったが他国の義は無視されたのである。
ただ戦後はあまりにも利己心私益の追求であり会社中心主義になった、そこに日本の大義は失われたのである。
「日本の大義」それすら死語になったともなる、でもその復古が必要になっている
復古というとき古いものをそのまま受け継ぐ回復させることではないのである。
新しい意味をもって復古するのである。本居宣長が大和言葉を新たに発見する作業をしたのもそうである。日本人の心は大和言葉の中にあり受け継がれているからである。
それが万葉集に残されているからである。

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

真直(まなお)という言葉は死語になったけどやはりこれと大和言葉の独特な精神を現している、自然の中に真直なる心をもつことが日本人の精神だったのである。




タグ:悠久の大義
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2017年01月08日

大和魂とは何なのか? (日本の国土と一体化した独特のものの発露)


大和魂とは何なのか?

(日本の国土と一体化した独特のものの発露)



一方、大和魂は
「武士の想い」で、良い世の中を創るために、
志に生きることだと思います。

 ここでは、『毎日』が一歩リードした。三勇士の報道では、その内容、詳細さ、迅速さ
において『朝日』が先んじた。『朝日』が「肉弾三勇士」として報じれば、『毎日』は「爆弾三勇士」とそれぞれの名称で、報道、イベント合戦をくり広げた。

関東軍の重砲兵として入隊した当時、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられた。
疑問を挟むと、「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は大和魂で補え」と怒鳴られた。”
by 中内功 (私の履歴書 2000年1月31日)

この点にかけても、わが大和民族は選民といっていいほどに、他のいかなる民族よ
りも優れたる特質を具備している。
それは皇室と国民との関係に現れ、軍隊の指揮者と部下との間に現れ、国初以来の
光輝ある国史は、一にこれを動力として進展して来たのである。肉弾三勇士の壮烈な
る行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない」
『大阪毎日』では26日第一面の「日々だより」のコラムで徳富蘇峰が「廟行鎮攻撃の
三勇士」として絶讃した。


「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」

夏目漱石の『我が輩は猫である』


 敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花  本居宣長

 かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂  吉田松陰

宣長の歌は平和そのものである。そこに何か戦うとかは微塵もない、ただ山桜が朝日の中に咲き誇る、これと全く違うのが大和魂なのである。
これはものすごく戦闘的なものになっている、それは明治維新で対外的になり攘夷論になりふきだしたものである。
だから当然戦争になったとき大和魂は戦争するために不可欠の精神論になったのである。大和心には戦争などイメージするものは微塵もないからである。
それは江戸時代の300年の平和な世界から生れたものである。

大和魂とは何なのか?

漱石がわけわからんものだというときそうなる、大和魂は外国を排斥するものとして日本の独立を保つために自ずと歴史的伝統から尊皇思想となり生れた
「やむにやまれぬ」ものとして生れたのである。だから日頃は江戸時代には意識しない、宣長は例外であり学者であるから意識したのであり侍でも意識していない
でも古来から大和心はあり大和とはそもそも何かとなると奈良時代に日本が建国したとき統一したときが大和となったのである。
その統一の象徴として奈良の大仏があった。蝦夷が強大な敵でありそれを征服した
大和が建国されたのである。だからその時大和魂が生れたとなる
大和魂が形成されたときちょうど万葉集が生れた、だから日本人の心は万葉集にある
万葉集の短歌から俳句も生れているから日本の文化の発祥は万葉集とともにある
政治的にも文化的にも日本となったのは奈良時代である。

大和魂は日本建国したことで生れた、日本統一したとき生れた。それが尊皇思想となったのである。日本が分裂して蝦夷と二分して戦っていたが統一されたのが奈良時代だったのである。それは東と西の戦いでもあった。その前には蝦夷魂とかあったともなる
その蝦夷魂は大和魂に敗れたとなる、そこには神道派と仏教派の争いもあって日本は奈良時代に統一国家になったのである。
大和魂とはすでに平安時代にあった、ただ大和心という意味で平和なものだった。
大和魂が意識されたのは明治維新のときだったのである。
大和魂は一個人の想いではない、国という大きなものの中に利己を自我を捨てることにある
人間はどうしても利己的であり自我にエゴに普通は生きている、でも国家が危難にさらされればそうした利己心の集まりでは対抗できないのである。
大きな国のために犠牲になることが要請されるのである。

日本人の強みは優秀だというとき大和魂が理屈ではなく備わっている、それは日本が海に囲まれて一つの独立国として存在しつづけたことにあった。
つまりいつも言うように地理がやはり日本を作ったのである。外国はそうした強固な民族の統一性を作れない維持もできない、絶えず異民族が侵入してくる、それで万里の長城を作らざるを得なくなってくる、その労力が膨大なものとなる
アメリカがメキシコ国境に壁を築くというのも歴史の繰り返しなのである。
大和魂とは強固な日本の国土と人民の民心の統一一体感を日本という地理的特殊性から自ずと生れたものである。だからこそ「やむにやまれぬ」ものとして対外的に危難のときに発露してくるのである。

でも大和魂は日本国土の統一のやまにやまれぬ感情であり国土の一体感から生れたものである。自分はそうした国土の日本の自然とのアイディンティティを追求してきた。
そのアイディンティティが万葉集となったのである。
それは他国を侵略する戦闘的な大和魂となったのは大和魂ではないのである。
なぜなら外国は日本の国土としてのアイディンティティがもていなからである。
大和魂とは日本の国土と自然と一体化した日本独特の感情なのである。
人間は自然を体躯としてもつ、国土はその体躯なのである。人間とその国土は一体なのである。
日本はそういうことが理屈ではなく地理的にも歴史的にも自ずと形成された国なのである中国とかアメリカとかヨーロッパとも国の成り立ちが特殊なのである。
大和魂は日本の国土に根ざした国民の一体感であり対外的に侵略する精神ではないのである。ただ日本の国土を侵略するものがあれば日本人の大和魂はやまにやまれず発揮されるそこに大和の大義のために日本人は利己心を捨てて大和の大義に殉じるのである。
そこに日本の強さがあり日本が簡単に征服できない、ヨーロッパにも植民地にできないものがあった。
インドであれ、中国であれ、南米であれ、なぜあんなに簡単に征服されて植民地化されたのかをみればわかる。日本は強固な統一された別個の文明を築いたいたからだとなる
その原因は日本の地理的条件とそこで作られた歴史にあった。

天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず

日本には古来から人の和が強固に作られていたのである。それが大和魂なのである。
そして今日本の問題は何かとなると戦前はその過剰な強固な国意識により侵略戦争となった、大和魂は外国を侵略するものとしてはなかったからである。
日本の独立するためには植民地化しないためにはあったが侵略するためにはなかったのである。侵略しなければ日本も守れないという意識はあっても自ら他国へ侵略して殺りくするというのが大和魂ではなかったのである。
なぜなら外国の国土とは一体化できない、アイディンティティ化できないからである。

つまり日本とはnatinal identified body、one identified bodyなのである。
国体=大和魂=大和の義になる、国体という言葉がそれを物語っている
それが大和魂なのである。像をもって考えろというときまさにその像とは日本のBODYなのである。それはライン川をドイツの父なる川とするように外国でも通じるものがある
ドイツには特にそういうものがあるからドイツと日本はにている面はある。
中国とかアメリカとなると大きすぎるからそうした国土との一体感が生れにくいのであるだから中国は統一するのがむずかしく三国志になっている、国が大きくても人の和が保てないのである。それで一見強いのだが弱いのである。
つくづく地の利があっても人の和が形成されないと国でも人でも弱い、でも日本は地理的条件、地の利に恵まれて和が作られたとなる、日本でもこの和の強固さが崩れるときもろくも国自体が分裂して滅びてゆくともかぎらない、これだけグローバル化しているとき国が分裂して蹂躙されないとも限らないのである。

栄えある大和の大義に殉ぜよというとき日本は理屈ではなく国土的にも歴史的にも作られてきたのである。それを外国まで適用したのが間違いだったのである。
そうした日本の義は日本にとどまるものであり外国となると別になるからである。
そうした義は世界的には通じないのである。





タグ:大和魂
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2016年12月22日

移民の歴史をふりかえる (移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


移民の歴史をふりかえる

(移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


日本は遠い異国ではなく、日本の軍事勢力圏にある満洲や東南アジアに移民を、さらに移民を護るための軍隊を送り始めた
この事を指して、アジアに対する「日本の侵略」と豊かな国の左翼は言うけれど、俺は満洲事変、大東亜戦争は貧しい国がさらに貧しい地の富を収奪する哀しい戦争であり、過去の日本は「悪」だったと決めつけても、その本質は理解できないだろうと思う。

移民は世界史でもある。大量の移民は戦争になる。なぜ移民になるのか?
その原因は貧しい国が豊かな国を襲う、貧しい国が飢饉になれば流民化して他国へ流れ込んでくることもある、そうした流民が中国では内戦と発展してきた歴史がある。
それは中国国内で起きたことだが他国の間でも起きる
なぜモンゴルが中国を襲ったかとなるとモンゴルは遊牧民であり食料が不足するときがある、農業国の中国は豊かな生活をしている、そこでモンゴルでは定期的に豊かな農業国を襲ってくる、それで万里長城を築いたのである。

貧乏な国から豊かな国へ侵略が起きる

それは世界的格差が今問題になっているがそういう問題は古いのである。
格差のために戦争になっていたのである。富めるものから奪うことである
それは国と国の間なら正当化されるのである。
格差が大きくなると国内でも富めるものから貧乏人は奪っていいともなる
金持ちは襲われる危険が増大してくる。
格差が大きいと貧乏な人たちはそれを悪だとも思わない、当然だとなる
それより金持ちが貧乏人から富を奪っている、格差を広げているとなる
現実に今はそういうふうに格差をとらえているから金持ちは危険になる

満州への日本人の移民が実は大東亜戦争の原因になっていた。満州の利権をめぐって各国が争っていた。アメリカとも争っていてそれがアメリカとの戦争の原因にもなっていた。日本は貧乏であり農民が働く場所もない、その時農業中心だから働くとなると土地が必要となる。すると満州のような広大な土地は絶好の場所だとなる
でも移民するにしても満州は適地ではなかった。北海道より寒いからである。
そんなところでも移民しようとしたのは働く場所がないからである。
人間は常に働く場を求めている、今も地方で東京に出るのかとなると地方では働く場がないからだとなる
明治維新のとき大量の侍が失業して北海道の開拓移民となった。
時代が変わるとき難民を移民を生みやすいのである。

今起きていることもやはり歴史のくりかえしである。アメリカに大量のメキシコ人が入ってくる、その影響がアメリカの国自体をゆるがすようになっているのだ。
ヒスパニックとは言葉さえ通じない、そうなると一国のアイディンティティを共有することがむずかしくなり国の一体感が保てなくなる危機である、だからカリフォルニアが独立国になったほうがいいとかトランプが大統領になることでそうなった。

移民が起きるのは貧乏な国から豊かな国を目指すからである。自国で豊かな国を目指せばいいとなるがそれができないからこそ移民となる
すでに豊かになった国に移民する方がてっとりばやいとなる、なぜなら自国が豊かになるには時間がかかるからである。
そして遊牧民のモンゴルとかなると羊を飼うことのほか何か産業が作れないとういことがあった。豊かになる方法がなかったのである。

移民というのは移民する側と移民を受け入れる側との問題がある。
政治的理由とか経済的理由とか宗教的理由で移民になる。
ジャガイモ飢饉でアイルランド人がアメリカに移民した。それはアイランドの土壌が肥沃ではないからである。アイリョシュというのはアイルランド系である。

人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ
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これほどの危機的状態だったのである。

ただアメリカがその時豊かな国ではない、ただ広大な土地があったということが農民にとっては魅力だったのである。土地が自由に手に入ることは魅力だったのである。
ただアメリカには原住民のインディアンがいたが虐殺されたのである。
移民の圧力は飢饉とか職が得られないとかで基本的には起きてくる。
ただそうしたときアメリカとか北海道ではフロンティアとなってそうした人々を吸収したのである。

今起きている移民問題も別に新しい問題ではない、歴史の繰り返しである。移民というときモーゼの出エジプトも大量の移民問題だった。神の国を目指しての大量の移民を達成させたことなのである。それは神の業としている、だから人類史でも移民は常に起きていたしヨーロッパの歴史も移民の歴史である、ゲルマン人の移動は有名だが他にもゴート族だとかいろいろな民族が移動している、移民している、それが戦争になっているのである。
だから移民というのはとめることができない、人類的にそもそも移民が不可欠だからそうなっているともなる。移民があっても世界の発展があったともなるからである。
移民がなければヨーロッパでもアメリカであれオーストラリアでも国としてありえなかった、移民によって世界が劇的に変化して発展したともなるからだ。
移民がなかったら世界は停滞したままだとなる、江戸時代の鎖国のように世界がなる。
鎖国もその功罪があるが世界的にみると停滞したままに海に囲まれた環境から成り立った希有の例だとなる。だからそこで日本文明が作られたともなる。


天才問題を生物学的に考えると永い間同系内で交配された民族は種族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない、スパルタなどがそうである。
これらの種族が開港都市等を占領したり貿易などで貿易の目的でそれらの中には入り込んでくると適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年のちに全く突然の天才の排出が起きる。古代ギリシャやルネサンス期のフィレンツがそうである。
フイレンツに天才が排出した主な理由はゲルマン民族中の武人貴族が侵入して土着の芸術的才能のある市民と強く結びついたためである。(天才の心理学-E・クレッチュマー)

これは生物学的にもそうだとするとそこには神の計らいがあるともなる、人類史に神が関与してそうなったともなる。
ヨーロッパがなぜ一大文明を築いたかというとこのように一番天才を排出しているからである。それは様々な民族とか文化が交わるためにそうなった。
それはアメリカとのようにインディアンしかないない種族の交わりでない、すでに強固な文化をもった同士のものの交わりが天才を生んだ、天才といってもその個人だけの力ではなれない、その背景になるものがあって輩出してくる
ヨーロッパだと天才というとき一人ではない、ある場所に群れとして発生しているのが違ってるのである。
ヨーロッパは何か大帝国は違うのである。エジプトとかペルシャとか中国とかは大帝国である。だから政治的圧力が強い国である,中国はまさに戦乱の歴史であることでもわかるヨーロッパも戦乱の歴史でも多様な国の争いのである。その争いの中でも異種交配があり文化の融合が生れたのである。

移民は世界史的に常に起きているのである。移民が世界史を作ったとまでなる。アーリア人の侵入とかもそうである。それはさけられない問題である。そこには神の計らいがあるというときもし移民がなかったら人類は停滞したままで発展進歩しないとまでなる。
だから移民問題を世界史的に考えるとむずかしいものになる。
ただ移民でもヨーロッパの移民は単純に貧乏な国から豊かな国へ移民するのとも違う。
すでにゲルマン人は文化をもっていた。言葉ももっていたからである。強固な社会組織ももっていたからである。
ただメキシコからメキシコ人の移民がアメリカのアイディンティティまで変えてしまうというとき何かそれとにたものが起きているのかもしれない、文化まで影響してしまう問題である。
日本にしても邪馬台国ができるまえに何か韓半島から移住してきた人たちが日本で混在していた。その人たちも移民であり天皇も韓半島来たともいわれる
そして日本の歴史の古地層に韓国由来の伽耶とかの由来の地名が残っているのもそのためである。日本も最初はアメリカのように移民の国だったのである。
その時は様々な人種の混交が起きていたのである。

いづれにしろ移民とは世界史的な問題であり簡単には否定できない、なぜなら移民する側と意味を受け入れる側の両方から起きてくるからである。
日本でも移民がないともう人手不足で成り立たないとかなっている。
少子高齢化でもう日本は日本維持できないとまでなっているからだ。
すると移民を入れざるをえなくなる、それはやはり日本国が衰退するからゲルマン人の移動のように神の業のように歴史的必然とてし起きてくるのかもしれない、だからそれを否定できなくなる。
もし日本人がまだ強固な民族であればそれに抵抗できる。でも弱体化していたら抵抗できないとなる。なぜなら弱体化していたら異民族が侵入しなくても自壊するからである。
ローマ帝国はすでに贅沢になり貴族が弱体化していたからゲルマン人が侵入してきたのである。その結果として強固な新たな文明が創造されたともなる。
ゴシック教会などがその例である。
ただ移民でなくても何か文化の創造は一国では無理である。一個人でも無理である。
多様な刺激がないと創造にならないのである。
その一つが自分がインターネットでしている変化の抽象画の芸術だったのである。
それもたいしたことがないといえばそうかもしれないがそれはやはり世界がインターネットでつながって起きたことなのである。

日本は中国文化との融合は奈良時代に起きた、その後も中国文化の融合はつづいていた。鎌倉時代でも江戸時代でもそうである。
明治維新後はヨーロッパとの文化の融合時代となった。それはまだ成されていないのである。これからヨーロッパ文化と日本文化が融合した文化が華開く時代となる。
ただそれは東京のような大都会からは起きないのである。
そこには自然とのアイディンティティが作れないし自然もないから文化が起こらない
ヨーロッパでもそうだが地方都市が充実していてそこに文化がルネサンスが起きたのである。フィレンツでも今からすれば小都市である。

町の拡大と人口増加は、自然な増加現象で起こったわけではなく、周辺地域からの民族流入によってもたらされたものであり、結果として、フロティアの経済発展へと繋がっていきました。これらの移民たちは、周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます。また、彼らの故郷となる周辺領地との交信をしていた町の地区に定住していきます。こうしたことから、人口数が集中し、急速に伸びていったオルトラルノ側に、1128年と1237年に三つ目のの橋がアルノ川に掛けられました。この橋は、石造りで、川の上流側に掛けられ、グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)と名づけられました。近郊都市との交易に役立たされ、周辺地域の拡張をもたらしました。


橋が発展の象徴だった。 橋によって交易が容易になったからである。高速道路とかできて仙台のリホーム会社が進出してきたのとにている。仙台はやはり技術的にもこの辺では最先端をゆくからである。

周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます

とありこれは今の貧民の移民とは違う、それなりに文化的共通性あるものの移住だったのである。移民にもいろいろあるから一様にはできないのである。
文化を形成する移民とただ貧民の移住とは違っている。
ただ一都市でも興隆するには近辺からの移住が必要だったとなる。
つまり文化の形成には異種なものとの混血が必要なのである。
今の移民問題は文化とは関係ない、ただ経済の格差問題でありグローバル化でその差が顕著になり移民になる、だからまた違った移民としてある
何か常に同じような問題でも時代が違うと同じなものも違っているのである。
ただ移民とは常に世界史的問題として起きていることを知るべきなのである。
タグ:移民の歴史
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2016年12月06日

森は一つの命(one rolling life)(詩) (自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)


森は一つの命(one rolling life)(詩)

(自然から離れた文明が文化を喪失させ非人間化した)

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 村々にもその土地に根付いて個性がある。


雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
暑き日も
森の樹々は
深い沈黙に
物言わず立っていた
静かに日のさして
森は神殿となり
静かに日のさして
ゴシックの大聖堂となる
大地に根付いてその長き日
命をともにした樹々
一本の樹々は老いて
遂に森に倒れふしぬ
その時もの言わずとも
そこに長くあった樹々は
その樹を見守っていた
その樹はしばらくは
森に倒れ木としてあった
命はまだ朽ちないように
やがてその樹は再び
森の栄養分となり
その土に還る
その時すでに新しい芽が
その森に芽生えている
森は一つの命
めぐる命
めぐみはめぐる
雨の日も
風の日も
雪の日も
寒き日も
森に静かに共に絶えて立つ

the silenced trees
stately trees
solomn trees

one by one

deep rooted ones
in the earth


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文化というときそもそも国が民族が文化共同体なのである。歴史のある国はみなそうである。ただアメリカのような国は文化共同体が形成されない、歴史が浅いからである。
そのアイディンティティが形成されていない、だから国自体が意外と脆弱であり分裂の危機もありうる。英語すら今も通じないという社会になっているからである。
どこの国でもその国の言葉をもっているというときまさにそれが文化共同体の基盤なのである。
文化共同体とまた政治共同体経済共同体は別な面がある。
グローバル経済というときこれは文化とは関係なく世界を結ぶということで問題が起きたモノ、ヒトを自由に流通させるということだがそれはそれぞれの育んだ文化を無視するものだったのである。

グローバル経済がどこから生れたかというとマルクス主義も資本主義も同根だというとき文化を無視するからそうなる、中国の文化革命が文化革命ではなく過去の歴史的遺産を破壊したのはなぜか?共産主義もグローバル経済なのである。
なぜなら理念国家であり過去の文化を無視する、世界のプロレタリア-トを団結せよというときそこに民族というのはないからである。
だから共産主義もそれぞれの文化を破壊するのである。
そこで人間を規定するものは民族とかが育んだ文化ではないからだ。

グローバル経済は技術の進歩で空間の障壁が克服されたからである。航空機で世界中を行けるということもそうである。
でもその空間にしてもそこに実際は文化という問題が生れる
なぜ文化とか歴史が簡単に空間を越えて旅してもりかいしにくいのか?
それは文化がその土地と一体となって時間の中で形成されたからである。
ヨーロッパでもローマ帝国時代から二千年とか歴史があり文化が形成されてきた。
それをちょっと旅したくらいではわかりえようがないのである。

では全く文化というのが理解できないのかというとそうでもない、文化とはその土地から自然から生れものでありその自然ということで共通性がある。
もちろん宗教となると一神教は自然と関係ないとかいうがこれも砂漠という自然を通じて会得した宗教となると関係している
つまり自然は都会から生れない、神道でも仏教でもイスラム教でもキリスト教でも自然をベースにして生れたものなのである。
だから現代は何か宗教というと都会化して政治化して経済化して科学化さえしている
そういう宗教もある。自然から離れたものでありそれがすべてカルト化しているのであるそれは政治化した経済的価値のみを追求する本来の宗教とはにてもにつかないものなのである。その文明化した都会の宗教だからそうなったのである。

だから山岳宗教などが何か迷信的だとか非科学的だとかされるが自然と通じて力を得るというときやはり宗教の伝統を受け継いでいる、今の宗教は自然から離れた宗教である。
政治と経済のことしかないのである。創価はその極端化したものだがあらゆる宗教が本来の宗教ではない、政治化した経済化した大衆宗教である。
だから平安仏教も貴族の仏教だとか批判されるが文化を創造したし鎌倉仏教も文化を創造した。現代の自然から離れたカルト仏教からは文化は創造されないのである。

それはヨーロッパでもそうである。ゴシック建築の石の大聖堂はゲルマンのドイツの森を型どったものであり荘厳なものである。それは森というのがその時ドイツの大地をおおっていたからできたのである。ドイツの自然から形成されたものなのである。
ドイツの大地から形成された文化というとき音楽もそうである。
ドイツの森が何かそうした精神性を与えたのである。

現代文明はあらゆるものが自然から乖離した。その時起こったことは人間の非人間化である。人間も生物の一種であるとき自然と離れてはその生命もないのである。
でも東京などを見ればわかるようにそこに自然はない、人工的機械的空間となっている
自分が詩にしたような森などもない、高層ビルを見上げてただ人間が蟻のように這いずり回っているだけである。
そういう文明人間はデンデラ野のことで指摘したように人間が最後チューブに人間とされ延命治療で地獄を作り出している、それも文明という非人間化だったのである。
それならデンデラ野の方が何か人間的だとみる、それは自然村として人間の自然な在り方があったということにもなる

そして森が一つの命というときそこには生命の循環がある。人工的都会の空間にはそういうものはない、一つの機械の部品のように生は終えるのである。
人間の生の充実はそもそも自然を離れてはありえない、国でも自然国家として生れた。
なぜならヤマトというとき山の戸口の意味でありそこは神聖な場所であり山を御神体とする宗教が日本にあったからである。つまり自然信仰が最初にあり国が形成されたともなるのである。

いづれにしろグローバル経済は空間の障壁が技術的進歩で克服できたが以前として文化の障壁は簡単に克服できない、それは時間軸で成り立っているからである。
そういう時間軸で形成された文化が消失するとき非人間化されるのである。
空間でもその空間を文化として体現するのは容易ではない、確かに電車であれ車であれ空間を猛スピードでつきぬけてゆくことはできる
でもその中で生の充実は得られない、今の旅はただ空間を移動しているだけである。
とても芭蕉のうような俳句が生れえようがないのである。新幹線で二時間でちょっとで平泉についたというときその間の時間軸で形成された文化ははぶかれているのである。


周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)を越えむ日は手向(たむけ)よくせよ荒(あら)しその道

右の一首は、小典山口忌寸若麿(せうてんやまぐちのいみきわかまろ)

畏怖すべき境界である。旅人の通過を妨げる荒ぶる神の説話は風土記に多くみられる。そして、そのような場所そのものが「たむけ」と言われ、後に「たふげ(峠)」に転じたと考えられている(『代匠記』

空間でもこうして何か文化的なものとしてとらえていたのである。つまり技術の進歩はそういう文化的なものを常に無視するのである。
森が循環する一つの命だというときそれも無視される、放射性物質は毒となりプルトニウムだと二万年消えないとか循環しない物質なのである。
文明とは技(わざ)が災い(わざわい)となってきたのはプロメテウスが神から火を盗んだときからはじまっていたのである。
だから何かソーラパネルでも風力発電でも結局自然破壊することはトータルで同じだという、シリコンとか何かソーラーパネルの材料は廃棄すると毒になる
森のように一つの命として循環しないのである。
人間の共同性とかでも自然から作られる共同性が今はない、そこで不自然となり非人間化してゆく、だからこれからの問題は政治経済ではなくその国々の地域地域の自然を見直して共生して文化の再創造を志向することである。
地域地域というとき地域の中にも地域がある、村がその最小単位だった。
村々にもその地域に根ざして個性があったのである。
そういうもの自然共同体から生れた村々を都会からは限界集落として効率が悪いから消失しろとなる、それもインフラなどに膨大な金が今はかかるからそれが税負担となるからそういわれるのである

いづれにしろ矛盾なのは田舎には東京で原発を作らせまた東京の老人を介護のために田舎に移住させるとか何かそういうのも非人間的になるのは文明のためなのである。
もちろん田舎でも文明の恩恵は受けている、ただいろいろ原発事故であれ限界集落であれ老人問題であれグローバル経済でもそうしたものの矛盾が限界に達している
それで世界でもグローバル経済に反対するとかで変わりつつある。
それは人間の非自然化が非人間化になってるからである。


タグ:森の詩
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2016年11月11日

言葉には深い意味がある (英語で詩作してその言葉の意味を探る)


言葉には深い意味がある


(英語で詩作してその言葉の意味を探る)

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神殿の柱

the peaceful lined trees

the harmless ones
the strgethend ones
the stationary and established
obedience on the earth
in domestic stability

one by one
step by step
day by day

stedy,strict,firm

deeply rooted ones
in the homeland in order



近くの並木からイメージしてそれを英語で表現しようと試みる、なぜ英語というとき外国語が身近なものにならないのか?
それが英語でも単語の一語一語持っている感覚が違うのである。その感覚は結局その背景にその言葉が生まれた歴史とか文化がありそれを実感として理解できないことにある。
確かに今や機械翻訳が発達しているからそこから英文を表現できる。

でも深いところで一語一語の意味を知るのは容易ではない、それは日本語だってそうであり他の言葉でもそうである。
日本語のあわれを理解するのは容易ではない、かわいいとかもったいなと日本語の言葉が世界語化したものがあかるが深いところで言葉を理解することはむずかしい。
それはなぜなのか?

言葉の背景にはそれが作られた背景がありそれが長い間で作られたのである。
英語だとゲルマン語がドイツ語が基礎にありそこから生まれた、だから英語の一語一語を理解しようとするときドイツ語の理解が必要になるかもしれない、言葉の中には一見事物があっしてそれを同じようにととらえてるようでも違っている。
つまり感覚的にも精神性でも違ったものとしてとらえているのである。
それはなかなか説明することもむずかしいものである。
詩が説明できないというとき言葉も説明できないのである。
詩が翻訳できないというときもそうである。
言葉はもともと詩語であり詩を理解してないと言葉の深い意味がわからないかもしれないただ外国語でも普通にどんな人でもしゃっべっている、ではそのネティブでもかえって母国語の深い意味を知らないのである。
それは日本人でもそうでありみんなそうである。
言葉には必ずどの言葉でも深い意味があり精神性がある。

ここに出したのは一つの例である。自分は自分の詩を英語にできないがその試みとしてした。

steady

(足場・基礎など)しっかり(固定)した、ぐらつかない、安定した、震えない、きょろきょろしない、不変の、一様の、むらのない、間断のない、定まった

この一語に関してもこれだけの意味があるというとき日本語では表現しにくいからそうなる。むらのない、間断のないとか実際は様々な意味があるがそれを翻訳はできないからこうなっている。

だから並木の樹々をイメージするとこの言葉も理解しやすいようになる。
外国の神殿というときギリシャだと列柱がありそれが丁度並木ににているし
またゴシックの聖堂の石の柱ににている。
英語系には建築的なもきがあり言葉としてもその建築的なものが表現し構築されている。日本語だと情緒的だというときしまりがない言葉なのである。

ここで表現されいるのは意外と変わった言葉ではない、日常的に使われている言葉でありむしろ基礎となる言葉である。
だから普通に英語をしゃべる人は使うがその言葉を深く理解するのは外国人だというのもまた言葉の不思議がある。
その言葉訳してみて同じのように見えても違っているのである。

orderなどはin order toとか普通に使うものである。でもorderというとき秩序を重んじるものとしてその言葉がありヨーロッパ文明の源に秩序を重んじるものがあり自然でも宇宙でもその秩序を理論化するものがあった。
だから数学とはそうした秩序を現すものであり発達した。幾何学とかと建築は一体ということでもそうである。
詩となると何かそうした理系的なものとは関係ないもののように見えても自然の中に秩序を発見するということは理系なのである。
風土学になると日本の自然は乱雑であり混沌としているから何かそうした秩序が数式のように現せない、並木というときそれは秩序的に並べられた木であり神殿の柱なのである。
自然を模したものとしてし建築があるとき明らかに樹は柱でありその土台は大地に定着するものとしてある。

だから毎日近くの桜並木道を歩むとそういう自然が一つの秩序を示して大地に根付いているという感覚になる。
違うのは樹は生き物であり日々に成長して根も大地に張ってゆく、養分も大地からとっている。
そして樹に感嘆するというときそれが樹と樹は争わないし傷つけ合わないということである。ハームレスだということが感嘆する。
そんなふうに第一一般的には樹を見ない、でも人間をみればわかる、どれだけ傷つけあっているか?男女でも三分の一は離婚しているし絶えず女性も男性も争っている
それと比べたらいかに樹々が平和なのだろうと反対に思うのであり感嘆するのである。

植物は争わない、そこに平和がある。だから植物的生は平和を志向するのである。
それは農業でもありまたそこから派生するものとしての文化になるのである。
江戸時代は植物的生の時代であり明治維新語は外に拡張する狩猟的遊牧民的移動する社会だった。だから世界的に大きな戦争となった。
戦後もやはり高度成長グローバル社会であり世界的に拡張する時代だった。それは世界的弱肉強食のグローバル資本主義経済だった。
そのゆりもどしがドメステックなものへの回帰現象が起きてきたのは当然である。
それは植物的生への平和への回帰である。
それはアーリア人的でない゛アジア的な価値観への回帰なのである。
それは日本だけではないアメリカでも起きるし現にグローバル社会への異議を唱えたトランプが勝利したことでもわかる

それよりも世界的にみればインドでも中国でもアジア文明の回帰が起きるのかもしれないその回帰はすでに西欧文明と融合したものでありまた別なものとなって勃興するのである日本でももう経済的発展より文化的な国風文化の再生、ルネサンスの時代となるのであるそれもこれほど西欧文明をとりいれたのだからその上に国風文化が再生するからまた違ったものとなる。

人間は文化といっても大地と一体であり都会のビルの谷間で文化が生まれるかとなるとない、自然を模型として大地を耕すものが文化だかちである。
そこに自分の郷土史とか郷土学も一旦として追求してきたのである。
ゲルマンの森と大地からゴシック建築が生まれたようにその土地と自然と切り離して文化は興隆しないのである。
政治的に右だ左だというより日本の精神性の深さを追求することがあるべきなのである。不思議にアメリカでも歴史が浅いとしても200年くらいの歴史がありホイットマンの時代は実業主義であり農民や職人がたたえられていた。何かそれは江戸時代と通じるものがあるのでまた歴史には世界でも共通なものが常にある、それは外国人も人間だからだとなるホイットマン時代は質実な堅実なものが志向されたのである。だから株でもうけるとかはなかったからそうなっていたのである。
そこでどうしても株のようなものは虚業となり嫌うということはホイットマン時代の復古たともなるのである。 

日本語の詩にするときの弱点は韻をふまないとか冗漫になるとかある、しまりがないのである。英語とかは韻を踏むし整然と言葉が数式のように配置することがあるからしまりがある、日本語にも日本語のいい点はあるが冗漫になるということが欠点である。
ひらがなでもなにか水が流れるようであり英語とかなると石のように固さを感じるのである。それが文化だといえばそうである。
別に詩でなくても英語をしゃべり書くとなると何か日本人は苦手なのは要するにここに書いたような文化とか歴史の相違がありそれが根本的に克服できないのである。
漢字はその点日本の文化と同化したのである。漢字がないとしたらとても深い意味を表現できなかったからである。
ある意味で詩は特にそうだが文化は言葉の格闘になる、言葉の一語一語には深い意味がこめられているからそうなっていたのである。

秋の日の木々(詩)




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2016年10月27日

オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


A君は
有名工科大学の航空科を
優秀な成績で卒業し、
今は有名会社で
飛行機の開発に関わっています。


「エリート?
エリートってどういうこと??
その彼は飛行機が好きで、
飛行機の勉強をし、
飛行機の開発に関わっている。
ただそれだけのこと!
あのね、、この世に
”エリート(=優秀な選ばれた人)”
なんてものは存在しないのよ!!」

オランダの凄いところは
高学歴、高収入の
高い地位にある人たちが、
「人間の価値はみな等しい!」
「誰も偉くなんてない!」
と、熱くなるところです。

オランダの国土は
 ほぼ九州に匹敵・・4分の1は海面下
 堤防がなければ国土の65%が水で覆われる

 そこから独特の平等主義も生まれた
 『堤防の前ではみんな平等』 という思想
 堤防は全員が協力、対処しなければ守れない
 一か所でも決壊すれば国は水没する

 そこでは
 上下関係やヒエラルキー(ピラミッド型の序列)は 『 不要 』

 一般的な日本人のオランダのイメージはといえば、「風車」と「チューリップ」の国ということになるだろう。そして、読書に勤しまれた方などは、かの有名な「ドン・キホーテ」='Don Quixote' の物語を思い出されるだろう。彼の妄想は、「社会の悪」として「巨大な風車」を見立て、従者の「サンチョ・パンサ」とともに戦いを挑んでいったのであった。そもそも、「オランダ」という国は、国全体が海抜ゼロメートルとなっており、別名「ネーデルランド」='Netherland'=「低い土地」とも呼ばれている。この「オランダに行け」を英訳すると「ゴー・トゥ・ホランド」=’Go to Holland' となるわけだけれど、英語で「ゴー・ダッチ」='Go Dutch' と言うと、「割り勘」にしようという意味になるらしいのである。



  オランダの大使館に三年勤務していた人の話を書いたがヨーロッパ全体に適用されるものではないだろう。オランダは特に平等主義になった。それは国の成り立ちからそうなった。つまり全員一致して堤防を作り国を作ったことがその根底にある。
  そこには身分は関係ない、全員が平等で一致して協力しないと国が維持できなかったからである。たからこうした徹底した平等主義かヨーロッパ全体には適用されないだろう  
その人が碁や将棋が得意でありそれだけでもその人は認められる、それは飛行機のパイロットとも同格だとまでなることはヨーロッパの他の国でもないだろう。
日本では何かかえって差別が多い国である。就職だって学歴で差別しているしガテン系は3kとして嫌われている、設計している人はエリートであり現場は劣ったものとして給料も安い、でも現実を見れば建築現場で働く人は危険であり体力もないとできない、そういう職業上の差別がない社会にオランダがなっているということは特殊なのだろう。

日本では侍階級を明治維新でなくしても以前として侍は士族であり平民と戸籍に記され分かれていた。その後も日本は福沢諭吉の学問のすすめなどでかえって学閥とか作り支配階級を作ったりした。それで慶応大学がその学閥が強いのでレイプ事件とかで批判されるようになった。東大閥でもそうである。
「学問のすすめ」は学問で立身出世する手段とすることだったのだから当然だったのである。

オランダが住みやすいというときそういう平等社会は外から入って来た人でも平等だとなると住みやすいので増えすぎて問題を起こすようになった。イスラム系が増えすぎたからそうなった。学校でも人種が混交している。そういう極端な平等主義の弊害も生まれた。
ヨーロッパを理解することは様々な点でむずかしい。たた封建時代があるのはヨーロッパと日本だけでありここが共通しているので理解しやすいということはある。
城が本当に多いのである。騎士がいるということは侍とにている、歴史的に共通性があると外国でも理解しやすい。

オランダが栄えたのは海外貿易でありそれは日本の長崎の出島で交流があった。
蘭学がありヨーロッパの文化技術の窓口となったのだからその歴史は古い。
オランダは商人の国である、だから割り勘という風習が生まれた。合理的精神とか平等主義もそうした商人国家であった所以でもある。商業というとき商人になると相手の身分が高いからというより物の値段が最優先される、身分が通用しない世界である。
それで日本でも大名が商人に借金するようになって経済的に侍階級を維持できなくなったともいわれ明治維新が成功したと分析する人もいる。
芸術でもオランダは写実主義の絵画になったのも物をやりとりする貿易で栄えたからそうなる。空想的なものより写実的になるのである。

オランダがこれだけ平等主義だということは住みやすいだろう。それで移民も受け入れてふえすぎたことがわかる。オランダで安楽死が受け入れられたのも合理的に考える人が多いからだろう。ワークシェアリングとかもやはり合理的に考えそれを実践している。
その根底にはオランダ特有の歴史がありそうなったから他の国ではそれを即実行できるというものではない。

オランダといえばやはり風車である。

さらに風車のすぐれた技術は、造船にも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えます。キンデルダイクののどかな風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、世界遺産に登録されたのです。

晩秋や風車の古りて村一つ

風車というのは古いものがある。何かそれが風格があり威厳があった。それてそれをドンキホーテが悪とみて突撃したというのもそういう面があったのか?
これは実際に見ないと実感しない、それは電車から見たものだったが風格があった。
なかなか実物を見ないと理解できないものがある。その土地に行ってみないとわからないものがある。ヨーロッパは歴史が古いからである。
ただ旅行してもなかなか歴史などわかりにくい、言葉が通じないとか理解できなかった。外国は本当はガイドが必要である。そうでないと深く理解できないのである。
また行きたいが何か旅することも疲れたとなる。旅も相当なエネルギーが必要だったのである。介護十年とかでエネルギーが消耗したのである。
外国を理解することはやはり相当な時間も必要である。物事は一挙に理解できない、徐々に理解を深めてゆくのが人間だからである。
それで最近何かいろろいなことが理解でるようになった。詩もむずかしいものだが理解できる、他でも本でも即座に理解できるのである。
その本を読んだときは理解していない、びっしり線を引いていてもそのことを理解していなかった。今はそういう本でも即座に理解して引用して自分のものにできるのである。





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2016年10月26日

公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話 (外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話


(外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で何かしらの事故が発生した場合、ヨーロッパでは当事者責任になるが、日本では公園の管理者責任になるから、思い切ったことが出来ない。そもそもヨーロッパでは公園が「コミュニティーのコミュニケーションの場」という位置づけであるのに対し、日本では「避難所」という位置づけなんですって。考える根本が違います。


 ヨーロッパの公園は美しい。花や木、芝生、噴水などが調和を持って構成され、周囲の建物とともに一つの都市美を作り上げている。しかし、さらにそのうえに公園の美しさを引き立たせるものは、そこにたむろする人間である。ベンチにすわって何をするともなく周囲を見渡すもの、読書や編み物をするもの、世間話に耽るもの、そうした人間のくつろいだ姿、活動する姿を抜きにして公園や都市の本当の美しさを考えることはできない。その意味でヨーロッパの公園にしろ、都市にしろ本当の美しさを持っていると言えるだろうhttp://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/j-talking/s45-park.htm

近くの公園のブランコに年寄りがいた。最近どんな人だろうかといろいろな人に話しかけて聞いている
その人の驚いたことはオランダの大使館に3年間勤めていたから外国事情に詳しかった。
この辺にもそんな人がいたのかと驚いたのである。

「外国の公園はいいですよ、日本の公園は規制が多いんですよ、芝生に入るなとかなんとかみんな気楽に憩う場所じゃないんですよ、外国ではみんなの生活の場なんですよ、車をとめる所もあるし日本の公園は全然違っているんですよ」
「日本の公園は子供の遊びみたいだけど子供少ないからそんなに遊んでいない」
「それより日本の公園は生活の場ではないんです」
「確かに避難所という役目があり生活の中に日常的にあるわけではないのかな」

そいんなことを話したが公園一つとってもヨーロッパと日本は違っている、同じ公園でも利用の仕方とかどういう目的で作ったのとか違っている。
外国は旅行しただけではほとんどわからない、その人は外国で生活したから外国の文化を肌で知ったのである。

「ヨーロッパで偉いというと牧師と医者しかいなんですよ」
「医者は日本でも一番偉いですから同じだな」
「医者は国で金を払っている、牧師でもです」
「日本では牧師は偉くないです、牧師はヨーロッパでは歴史が長いからそうなっているのか」
「オランダではヨーロッパでは偉いというのは日本で言う偉いとは違う、日本では教育長とか議員とか地位ある人や社長とかなると偉いとなるんですがヨーロッパでは平等意識が強いんですよ、タクシーの運転手でも教師した人などがしていて日本とは違う、例えば日本だと土木とか建築関係の現場の労働者は何か3Kで汚いとか嫌がられる、ヨーロッパではそういうことがないんです、平等意識が徹底しているんですよ」
「ヨーロッパというと貴族がいてその下に庶民がいて貴族と庶民の言葉が違うとか言われるけど」
「貴族がいたとしても少数であり今は平等社会だから平等意識が強い、私の知り合った人にモールという名前の人がいたんです、その意味がモグラだったんです」
「ええ、モグラですか、なぜそんな名前を」
「そのことについて問いただすと差別とかなるんです、何か貴族がいて庶民だんからモールとなづけたのかわかりませんがその名前はじていないんですよ」
「まあ、日本でも江戸時代は日本でも百姓には姓がなく名前だけでしたが・・・」

これも不思議な感じがするけど日本の方が平等のようでもそうではない、無効では学歴というよりどこどこの大学を出たから東大出たからと偉いというけではない、何かそうしたかたがきでその人を評価していない、その人は碁とか将棋が得意でありそれを教えたら評価されて何か必ずもらったという。
外国ではプロフェショナルというとき職業のことであり職業が何かということで判断するのは日本でも一般的に世界でもそうだが何かにプロであることが評価の基準なのである。どこの大学を出たとかは関係ないと言っていた。

それから日々の生活でもいろいろ日本とは違っているがそれはそこに住んで見なければわからないのである。

「隣に住んでいる人にあいさつしないで怒られたんです」
「あいさつは今日本ではしないですが」
「向こうでは必ず挨拶するんですよ」
「なぜしないは怒られるかというと教育上良くないからです、子供に影響するからです」「旅行しているとそういうことはないですが」
「旅行しているのと住んでみるのとでは全然違うんですよ」
「学校でも先生が気に入らないと生徒が学校に行かなくなって先生がやめさせられたことがあるんです」
「先生がですか・・・これも先生と教えられるものとの平等意識からそうなった」

自分もヨーロッパは旅行したけど表面的なものでありその国の事情とか文化とかはわかりにくい。文化は外国になると日常の仔細な所にある。そこから文化を考える。
つまり文化とは日常の生活にある、それが旅行者には経験できないのである。
先生と生徒も平等である、でも先生が気にいらないと生徒にやめさせられるというのは意外である。それほど社会全般に平等意識がある証拠でもある。

「これもしかられたのですが、車から女房をおろすとき、自分がドアをあけなかったんです、そしたらしかられたんです」
「レディファーストが厳しいから」
「それもあります、でもヨーロッパでは夫婦同伴になっているのは夫しか男性が財布をもっていて金は男性がもっているから女性は夫なしで外出できないんですよ、女性は自由に金を使いないんですよ」
「ええ、そうかな、ヨーロッパの女性は男女同権の国だからそんなことあるのか」
「女性に対する見方でも対処の仕方でも違っているんですよ」
「日本だと妻が財布をにぎっていて小遣いをわたされるている、日本だと妻の方が力が強いとなりますが」

なかなかこうしたことでもそこに住んでみないとわからないことが多いのである。
住んで体験しないとわからないことが世界には多いのである。それは本で読んでもなかなかわからないのである。
体験した人がそういうことがわかるのはそこで生活するから生活の中で外国の中にとけこまなければならないからそうなる。「郷に入っては郷に従い」となる。
だから外国で生活することは身をもって外国を生活の中で知ることになる。
おそらくレディファ-ストというのは女性を第一にするというより女性を守るということを第一にしている。
金が男性がもっているというとき金をもってなければ女性一人では外出もできない、一見女性優位のようにみえて女性を男性が守るという前提でレディファーストがある。金さえもっていないということは男性が経済的にも女性を守るということになる
女性はかえっていつも男性に守られている守らねばならないとなり受け身の存在だともなる。
日本人はかえって女性が妻が財布を握っているということは女性の自主性を認めているという結果になる
こういうことも何か外国はわかりにくいのである。実際そこで生活してみないとわからないのである。

その人がまたしきりに言っていたことは働き方である。

「私が残業していたとき最初はわからなかったのですが残業代もらっていたんです
でもあとから陰口があったんです、そもそもヨーロッパでは残業しないですよ
残業する人は能力がないとみなされているんです」
「ええ、どうして」
「ヨーロッパでは時間内に仕事をこなすことが普通なんです、それができないで残業する人は能力がないとみなされるんです」
「今日本人の働きすぎとか過労死とか批判されています、日本人は働き方が能率的でない、それで休みも少ない、つまりもっと能率的に働いて休みを多くとればいいんですよ」
「ヨーロッパでは一カ月の有給休暇がとれる、そのために金が支払われんですよ、でもそのために何で使った、何で遊んだかなど領収書などを示して払われんですよ」
「ちゃんと遊びをしたことを示さないといけないわけですか」

何か日本人の働き方は外国からすると違っているから理解するのがむずかしいのである。

「日本の労働時間は長いと言うけれど、喫煙休憩やトイレ休憩、隠れた私用電話の時間やお昼休憩などを除いた実質の労働時間は5−6時間なんじゃないの?要領が悪いよね。」(Daniel Sullivanさん)

「日本人は自分から進んで残業しているのだと思う。本当に早く帰りたいと思うなら、だらだらとエクセルしたり、意味のない会議に出席しなければいいんだよ。それでも忙しくて帰れないっていうんだったら同情の余地があるけど、実際は違うよね。」(Saxon Saluteさん)

それからカジノのことを言っていた。

「ヨーロッパのカジノは別に金持ちでなくても入れるんですよ、クラスがあって金がない人は少額の金をかけて遊んでいる、それが次の段階がありまたもっと金がある人は次の段階がありと分かれているですよ」
「金のあるなしでクラス分けする、それで金がない人でも遊べる」
「カジノはギャンブルするところだけじゃない、食事もできるし社交場にもなる、金持ちだけのものじゃないんです」

何かいろいろとカジノでも大金持ちがしているようでも貧乏人も少額の金をかけている、そういう場が用意されている、カジノは金持ちだけの場にはしていない。
ギャンブルでもヨーロッパではパチンコのように長くはしていない、ちょっとやっては帰ってゆくという。

「ヨーロッパで車を買うと高い、一千万もしますよ」
「自分は安いの使っていましたが苦労しました」
「そんなに高いんですか、トヨタは世界で売れている、でもそんな高いとなると買えないのでは」
「ヨーロッパでは平均的な暮らしは15万くらいですよ、ヨーロッパでは無駄なものは買わない暮らしです」

一千万というのは誇張だろう,それはずっと前の話かもしれない、でもヨーロッパはそれほど豊かな社会ではなくなっている、日本人の方が贅沢している面が今ではある。
そういう暮らしはちょっと旅行しただけではわからないのである。
いづれにしろこんな田舎にオランダの大使館に勤めた人がいるとは思わなかった。
今は田舎ですら国際化しているともいえる。広域社会でありグローバル社会なのである。それが否が応にもそうなっているのである。ただそういう人は本当にめずらしい。
これも郷土史の人として取り上げると興味深いとなる。
郷土史となるとどちからかというと田舎では一次産業の人が郷土史にふさわしいとなる。だからその中心は農民になるが現代はこのように農民のしめる割合は一割とは極めて少ないのである。では他の人は何をしている人なのか?
こういう人もいたということが驚きだったのである。

オランダというときオランダから割り勘が生れたように商業の国でありもともと階級とかの縛りがない自由の国だった。商人の国という国柄もあった。だから合理的なものがありそれがオランダの文化となった。
ヨーロッパなどではパーティが開かれるけどそこに呼ばれたり相当に親しいものとみられる、家族のように親しいものとみられるという。
だから簡単にはパーティには招かれないという、何かヨーロッパでは親しくなるときは兄弟のように親しくなる、家に来て勝手に冷蔵庫を開けたりするという。
家族の一員のようになるというのも日本とは違った慣習なのか、親しくなるということはそれだけ仲間意識を強くもつということにもなる、それは日本でも同じだがヨーロッパだと友達というとき家族のようになっている親しい関係なのである。
ともかく外国を理解することはこのように住んでなみないと実感としてわからないということがある、ただ人間は何でも体験がものをいう。
それ60以後の体験談は興味深い、つまり人生でなにかしら自分とは違った体験しているから興味深いとなるのだ。
ただこの辺でオランダの大使館に勤めていたとなるとなかなかいないだろう。
都会だったらグローバル社会だからいるがこのような田舎ではめずらしいのである。
いろいな人に話しを聞くということも郷土史の一ページとしてある。
いろいろの多様な人がいることで人間も面白いとなる。田舎だとどうしてもそうした国際性ある人は少ないのである。




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2016年10月18日

文化が育成される場所 (土着する場と外部との交流がある場所)


文化が育成される場所


(土着する場と外部との交流がある場所)


一つの民族をそれぞれの氏族および身分の中で有機的に組織だてこれらを一定の狭い郷土に永住させること、すなわち高度の土着が必要である。

何らの異系支配も行われず永い間同系内で交配された種族、あるいは民族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない
スパルタなどがそうである。
ところがこれらの種族が開港都市など占領したり、貿易の目的でその中に入り込んだり、彼らに適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年か後に全く突然に天才が輩出する。
(天才の心理学ークレッチュマー)


文化はculture-cultivateであり耕す場がそもそもないと育成されない、歴史をふりかえっても奈良時代に文化が華咲いたというときそこは狭い場所である。
土着的なものが養われた場所である。それは万葉集に結晶した。
一方で中国と唐と交流があったときであり外国の文化をとりいれたことにより文化が華咲く場所となった。最近平城宮の役人にイラン人がいたとか木簡に名前が発見され話題になった。奈良は国際都市の様相を帯びていたのである。
つまり日本の土着的なものと唐の文化が混交して文化が華開いたのである。

土着的な場をもたないと文化は華開かない、それはなぜなのか?
土着するということは自然と深くアイディンティティ化することである。
人間の霊感は自然から受けるからである。
だから海には海の文化が生まれ山に山の文化が生まれる
日本にないのは川の文化である。大陸では長い大きな川がどこでもありそれは運河にもなり交通路になっていたのである。
インドのヒンズー教がガンジス川から生まれというときもそうであり中国でも黄河や揚子江から生まれエジプト文明はナイル川から生まれドイツの文化は父なるライン川から生まれたとかなる。

ドイツをみるとドイツの文化が音楽と哲学とか思索とかに優れているのはなぜか?
それは北方的風土であり暗いゲルマンの森であり霧が多い暗い風土にある。
それがゴシックの教会となり荘重な深い哲学と音楽が生まれた風土なのである。
プロテスタントになるのもそういう北方の風土の影響なのである。
人種的アングロサクソンとかゲルマンとなり体格が良くて背が高い、でもローマとか南方系が背が低いとかあり人種的にかなり異なっていたのである。

日本の文化も縄文人がいて外来の弥生人と交配して作られたのだから日本は島国でも外国との交わりはありそれで文化は形成されてきた。
ただヨーロッパの強みは様々な人種でも文化でも交配して交わってきたことである。
ヨーロッパに都市が一つの国となり栄えた、フィレンツのように都市国家が形成されたのもそのためである。都市国家とは外来のものと土着的なものとが一体化した社会である。そういう都市国家ができたのは川が交通路になり貿易が行われ人の交流があったからとなるヨーロッパの多様性が多くの天才を輩出したのである。

経済力は、新植民地の成長によって力をつけていきました。商業と貿易は、主要ルート、地理的位置と水路のおかげで繁栄しました。ピサから戻った商人たちによって、東方の商人や、イリス神話、2世紀はキリスト教について伝えられもしました。

そもそもヨーロッパは実際は世界の辺境であった。文明が最初に生まれたのはユーフラテス川のメソホタミアでありここが最古の文明でありエジプト文明があった。
そしてイスラム文明が起こり科学とか数学でも代数学とかはイスラム文明からヨーロッパに入ってきたのである。その前は紙でも羅針盤でも火薬など技術は中国などから入ってきた。その時ヨーロッパは先進国ではなかったのである。
ヨーロッパ文明はそういう回りの先進文化を吸収して発展したのである。
異種交配が文化を生むというのは世界史的にもそうなのである。
同じ系統のものが交配をくりかえして同じ所にいれば文化でも経済でも停滞してくる
一方で同じ場所で自然との深い交流がありアイディンティティを作ってゆく場所がなければ文化は生まれないのである。
日本のアイディンティティが奈良とか大阪京都で作られてきたのはそのためである。

現代の問題がグローバル化社会というとき外部に拡散する社会である。
でも欠けているのが内部への土着性なのである。どこでも土着的なものが失われて地方が経済的にも文化的にも衰退しているのである。
だからこうしたグローバル経済の反動はして里山資本主義とかなんとか地方に根ざすことも志向されてゆく、東京は土着性が全くない、ただ肥大化した経済のみがある場所であるそこからは文化は生まれないのである。奈良とか京都ととなるとそこにはまだ日本的土着性があり文化が生まれたのである。

現代は日本でも明治以降強圧的な中央集権となり地方がないがしろにされた。
封建時代の方が城があり独自の地域の文化を形成してきたのである。
だから江戸時代は見直されるべき時代なのである。
300年の鎖国時代でもそこに日本的土着性が養われていたからである。
それで明治維新が成功したのはそういう基盤があり近代化にそれほど抵抗がなく移れたという説もある。鎖国であっても外国の文化をとりいれる素地をもっていたとなる
明治というとき日本的土着的なものが強く残存していたからその時文化が華開いたとなるその後は日本の土着性が失われて文化が衰退して戦争になり疲弊してまた戦後は高度成長などで経済的には復興したが停滞するようになった。
その間に地方の土着性は失われ地方は衰退したのである。
その象徴としてこの辺で原発事故が起きたともなる

まず文化というとき土着性がないと生まれない、詩にしても絵にしても芸術となるとそうである。ヘルダーリンの詩はドイツという国の土着性2から生まれていた。
それが愛国心の高揚にもなっていた。そういう土着性が喪失してゆくのを嘆いたのが後のシュヘングラーとかニーチエとかである。それは世界的なものであるが土着性が失われ文化を失われることを嘆いたのである。
グローバル経済とか多国籍企業社会は車であれカメラであれ一部品を作るのであり文化は総体的なものトータルにかかわるものだからそれが文化の普及にはならない
でもコンピュターとかデジタルカメラとかは新しい文化を生んだことは言える
自分がしているソフトに変化させる抽象画がそうだった。それは新しい文化の創造でもあったからである。インターネットから生まれた文化創造だとは言える

ともかく旅行して面白いのはヨーロッパにあるが歴史が複雑であり錯綜しているからもっと歴史がわかればもっと興味深いものとなる、それは一度くらい行っても理解できないとなる。ただ地理的にフィレンツとピサまで電車で一時間くらいで行ったようだから距離的に近いなと感じる、それでまず歴史の理解が地理にあるということなのである。
旅をして現地を実際踏めばその地理が具体的に五感でわかるから理解が深まるのである。いづれにしろ場所から生まれる場所の精神がある。
日本でもその場所を神聖化したのが社であり鎮守の杜なのである。

私は、人間というものを理解する上で、民族というものを理解する上で、或いは文化というものを理解する上で、「場所」とか「風土」というものが 何よりも大切であると考えている。この場合、人びとにとって、実際的には、その場所を理解するといっても容易ではなく、何はともあれそこに行くこと、そこ で楽しむこと、そこで実際に人々や歴史や自然と響き合うことである

共同体や無意識は、固有環境とちがって、ふつういう意味での空間的な場所を形づくるものではない。が、それらは、意識的自我がそこにおいて成り立 つ場あるいは場所を形づくっている。つまり、共同体、無意識、固有環境のいずれにもいえることは、それらが人間的自己にとって、基体としての場所、場所 (基体) だということである。

つまり人間はアイディンティティを作る場所がないとき根なし草になり文化のないただ経済だけの産業だけの労働機械になる。グローバル経済とか多国籍企業社会もそうである。現代人はすでに金ゝ物ゝ人という関係になっている。マルクスもまたそうした人間が人間でなくなるということを経済的に理論化したものだったのである。
その底辺は人間の危機を訴えた現代のアウトサイダーの思想家と一致するのである。
全然違ったように見えても同じものが底辺にある

日本でも物(もの)はものが憑くとか物心とかもの思うとかものは心と一体のものとしてとらえていたのである。ものと心は分離してはならないものだったのである。
それは例えば医療でも心と物は分離しているのである。
医者が薬を飲ませるとき看護師でもいいが何かこの薬を飲むと良くなりますよはいうときその人の病気が直ってほしいとか何かその人に対して愛の心をもたないとその薬に物も生きてこないのかもしれない、食べ物でも人に与えるときこれ食べると体にいいですよというときそこに心を込めて与えると本当に体に良いと感じる
ところが現代はそうした家族的関係から離れた金ゝ物ゝ人になっているからそうして物と心は分離しているのである。
地球の裏側から物が食べ物でも入ってきても物だけが入ってきて心がそれに感じることができないのである。

病院でも高価な最新式の機械が備えている、でもその機械は冷たいものでありその道具にも心が入らないと活きてこないものかもしれない、今では機械がコンピュターが人間の病気を診断するとまでなる、でも機械とかコンピュターには人間の心がないのである。
コンピュターを利用するにしても人間の心は機械化したりコンピュター化できないのである。現代ではそうして物と心の分離があり病院はもう人間をみる所ではない、人間が物としてみられてかたづけられる場所である。病院で死んでもその死者は物であり供養もない、早くかたづけて下さいしかない冷たい場所なのである。
そして金の計算だけしている冷酷な場所だともなる。それは現代社会全般的に言えることである。金がすべてだというときそうであり人間の価値はすべて金で計られものとなっているからだ。
だからそううい経済がグローバル経済は何か限界にきている、非人間的なものとなっている、何か世界的に無理があるかこらこそもう資本主義は限界だ機能しないとか盛んに言われるようになった。極端な格差社会を作りだしことでもそうである。


タグ:土着の思想
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2016年07月25日

天候は昔から予測することが経験則でできていた (郷土史はその土地の風土の研究でもある)


天候は昔から予測することが経験則でできていた


(郷土史はその土地の風土の研究でもある)

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昨日の虹が予見できたのはやはりその土地に長く住んでいて何回も経験しているからである。その土地土地のことはなかなか長く住んでいないとわからない
良く農家の人とか漁師の人が天候についての諺がある。

雨が降った後に虹がでると翌日晴れ。
夕虹は晴れる。
朝虹は雨

虹だとこれはだいたいあっている。虹は雨と関係している、英語ではrainbowだからである。雨と弓なりになるというのはまさに雨の時虹がかかるからだ。形としては弓である。日本語でも虹(にじ)はにじむだから雨ににじむとなる。雨と関係している

こういうことは経験則であり諺でも科学的でありあたっている

諺でもそれは長い人生経験の中で残された経験則から生れたのである。だからみんな今でも同じようなことを経験してその諺の重みをしる。「金の切れ目が縁の切れ目」とか「損して得しろ」「あわてる乞食はもらいが少ない」とか無数にあるけど最近世間的なことで苦しんだのでつくづく自分もそうだなと思って感心した。
時代が変わっても人間自体が変わらない、その欲も変わらないから経験則から生れた諺もすたれないのである。

虹ができることも今は科学的に説明される、天気予報がない時代はみんなこうした経験則から生れた諺とかに頼っていた。
するとそういう経験を積んだ年寄りがそういうことを経験しているから下のものに教えると尊敬されるとなる。
一方で科学時代はなんでも科学者が教えるから年寄りの知恵は尊重されないのである。
でもその地域地域にはその土地の風土がありそれはなかなか長く住んでいないとわからない。
この辺で海から東風(コチ)が吹くのは3月ころである。その時春になることを知るのである。そして原発事故では3月11日に爆発が起こり東風がちょうど吹いたのが不運であり飯館村から福島市とかまで放射性物質が運ばれたのである。
その頃は東風が吹いてもすぐにまた北風とか西風に変わる時期でもある
だから浜通りでは海側に放射性物質が北風などで流された放射線量は高くならなかったのである。

ともかく虹がたつということは予測できるのである。ただ前日にはむずかしいだろう。
雨が多少でもふり東に雲があり山に沈む太陽の光によって虹ができる。
昨日も太陽が山際に落ちてゆき雲の間から陽がさしたとき東側側も曇っていて多少雨がふったから虹がでると直感した。
それは何度も経験していたからである。ここの地域ではそうなるということはこの土地の経験則というのができあがる、それが風土だとなる。
天気は狭い範囲でも違っている。この辺だったらまず飯館村は標高が高いから海に面した地域とは相当に違っている。
その地域地域の風土がありそこから作られる歴史もある。

なぜあれほどマヤとかの文明でも天文学が発達したのか?それは天候を予測するということが文明の始まりになるからだろう。それは結局科学だったのである。
天候を予測することで支配者が力をもったとなる。ただその時は科学者というのではなくシャーマンとかになっていた。
なぜ僧侶がこれだけ歴史で力をもったかというとやはり科学が発達しないと頼るものがないと宗教に頼るほかなかった。

里山伏は、地域社会の人々から法印様・別当様・山伏様などと呼ばれ、民間信仰の中で指導的役割を果たしてきた。一派引導の例に見られる如く山伏自身の葬祭を執行する場合もあるが、一般に現世利益的領域においてその力を発揮し、治病や除災などは里山伏が一手に引き受けてきたと称しても過言ではない

何かこういう人たちも特に病気のための加持祈祷とかにかかわり医者代わりであった。
だから一部落に必ず一人はいるから多いと思う、それだけ需要があったからだとせなる。こういう人はまた農民にもかかわり天候のことなどでも教えていたのかもしれない
干ばつとか水不足のときなど雨乞いなどしたのだろう。

天候にしても今は百年くらいの膨大な蓄積がある。だから数値的に割り出して予測できる今年の天候は何年の年ににているからこうなると予測できるのである。
今年は梅雨のあとに暑くなるのはある年とにていると資料でわかったから言っている。

ただ郷土史という観点からするとその狭い範囲内で起きる天候でも自然現象がある。
風の吹き方が土地土地によって異なるから風土となった。土にしても同じ地域でも土が違っていてそれに見合った作物をとるというのがある。
そういう風土の相違から実際は文化が生れる、なぜならculture(文化)はcultivateでありその土地土地の適正を見いだして耕すということだからである。

郷土史というときこうした風土も関係しているから広範囲の探求となる。
今回の津波でも原発事故でも郷土史がクローズアップされた。
400年前にこの辺にも大きな津波があり被害があったことが取り上げられて探求した。
しかし400年前となると忘れられていて津波は来ないとこの辺ではなっていた。
400年となるととても虹を予測するような経験則があてはまらなくなったのである。
ただ自然のスケールは広さでも時間でも大きい、そのスケールの大きさに人間は合わせられずに津波のようなものを予測できなかったことが悲劇を生んだのである。

とにかく自分は風土と文明ということが一体であり興味がある。だから和辻哲郎の風土は興味をもった、というより旅をしたから地理に興味をもったとなる。地理を知ることが学問の基礎にあることは確かなのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅで風土も天候も違うからである。まず会津と浜通りでは全く違っているからである。
要するに風土からして根本的に違っているということは福島県というとき一体性が文化的にももていないとういことなのである。
ただ奇妙なのは浜通りから東風が吹いて飯館村から福島市、郡山市などまで放射性物質の影響があったとき
福島県はやはり風土的に一体なのかと感じたのも不思議だったのである。
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2016年06月22日

歴史文化を喪失させた廃藩置県 (東京からみちのくへ帰る旅)


歴史文化を喪失させた廃藩置県


(東京からみちのくへ帰る旅)


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東京の思い出というと四年間大学にいたとしても神奈川県であり離れていたからほとんどない、でも旅では必ずよる

東京駅皇居によれば日の本の国をし思ふ秋晴れの日

輝やきて銀杏の散りぬ東京駅明治の世より古りにけるかも

皇居があればそうなる。東京駅から皇居へと日本の中心だと考える
でも東京から昔を偲べないのはなぜなのかとなる、人間は何か過去でも残っていないと昔を偲べない、だから建物が城でも残っていれば偲べるのである。
そもそも地方だと城が今でも中心としてある。熊本城が地震で破壊されたときなんとか復興しようとする、それは城が以前として街の中心として象徴化しているからである。
それは歴史の継続なのである。会津でも城が中心であり大阪だって大坂城がありあの城跡の石垣に当時を偲べる
江戸城となると確かにその跡があっても日本の中心としてあった江戸城から当時を偲べる感覚にならない。他にも大名屋敷があったがそれも何もなくなった。
大名屋敷の広さは甲子園なみだったというとき驚く、それだけ広い場所があったというだけでも驚くだろう。テレビで見ていても実感できないのである。
歴史を偲ぶというとき何か偲ぶものがないとできない、その点京都には歴史を偲ぶものが残っているから違っている

明治維新というのが今見直されているのは無理がありそれが弊害を生んだのである。
そう強いられたということもあるが天皇は大事でもあれほど持ち上げたこともそうである天皇制と民主主義となると合わないのである。忠君愛国となると天皇が親であり民はその子でありとなる、それは民主主義とは相反したものだからである。
そうした無理をした矛盾が太平洋戦争であれひきづっていたのである。
それを一番象徴していたのが廃藩置県なのである。
これはもともとあった藩を廃止して武士をなくして平民として国を国民国家にした。
そこで昔から培った歴史の継続が失われたのである。
江戸時代の300年は日本の歴史が培われた時代でありそれを一挙に廃止したことが今でも弊害となっている。

人間がアイディンティティをもつとき今のような県単位ではない、もっと小さな範囲で自然であれ歴史でもアイディンティティをもつのである。
福島県でもハマ、ナカ、アイヅとありこれは天候も風土も歴史も違っている
まず会津となると浜通りからすれば全く違った風土であり山国であり雪もふるからアイディンティティが違っている、会津から形成されるアイディンティティは会津らしいものとなる、福島県は会津県と二本松県と磐城県とかになっていた
それはどこでも藩の延長として県を考えていたのである。それが無理して福島県に統一された。そこで歴史の継続とか風土を地理を無視した大きな県となってしまったのである。そもそもなぜ福島県なのか?福島がとをして出てきたのかもその歴史をたどっても定かではない、そのこと自体が福島県という名になじめないことが一体感をもてないものになっている。
それは他でもそうである。茨城県の由来は

茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。また、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌があり、この故事にちなむ茨城(うばらき)という地名がみられる。

これは中央から大和政権の蝦夷征服から名付けられた、これも違和感がある。こうした名前は差別的にも思えるし地元からすると嫌だともなる
むしろ常陸国というのがありそれがふさわしいとなる。
それより東京圏は関東であり鎌倉時代から作られた所である。東京というのは鎌倉時代には湿地帯である。このことも歴史を錯覚させている。鎌倉というと狭い領域だからである江戸というとその百倍とか広くなり人口も増えたからである。
鎌倉時代が実際は歴史の基盤を造ったのであり陸奥にしてもそうである。
陸奥の子孫はたいがい鎌倉から移住した武士の子孫である。相馬市でも千葉氏から分かれたものでありか鎌倉時代から継続されている、南相馬市の鹿島区の岩松氏は鎌倉から出ていてその由来がはっきりしいる、それが相馬地方の最初の支配者だったのである。
それは東北では鎌倉から各地に移住した人たちがその子孫になっている。

そして江戸時代には関八州というのがあり群馬とか栃木県とかもその中に入っていたのか、常陸国も一部はその中に入っていた。地理的にも歴史的にも関八州は一つの領域としてあった。そこには天領が多いというとき東京の回りには城がないのもそのためである。
小田原城は北条氏の城であり関八州とは違う。茨城県に笠間藩はある。
でも福島県になると城が大きな城があるから違っている

関八州家紋

上野=群馬
下野=栃木
常陸=茨城
武蔵=東京
下総・上総・安房=千葉
相模=神奈川


@取手市・つくばみらい市・常総市付近は旧下総国です。

A神奈川県では川崎市全域と、横浜市の戸塚・泉・瀬谷・栄の各区および港南区の西半分を除いた地域は旧武蔵国です。

AB埼玉県は全域が旧武蔵国です。

雉子鳴くや関八州を一呑に 小林一茶 



関八州というと感覚的に江戸時代には庶民にもあったということである。
つまりみちのくと陸奥国と境を分けるのは関八州である。みちのくというときそれは関八州を離れた地域であり白河の関がそうである。
それで芭蕉の時代でもそうであり白河からがみちのくへの旅だったのである。

ともかく県単位でイメージできないというときそれは廃藩置県の無理した区分が行政がそうさせた。それはイスラム、中東の世界がヨーロッパの強国によって国境を無理やりつくられたのとにている。藩単位で城が中心としてあった歴史が廃藩置県で喪失した。
福島県などは特に地理的にも歴史的にも一体感がない、会津は会津としてあればわかりやすいのである。
第一人間がアイディンティティをもつというとき余り広い範囲になるともちにくいのである。ちょうど相馬藩くらいの広さがいい、この範囲は自転車で行ける範囲だからである。それでも実際にその地形は複雑であり魅力がある。だからあきないということがある。
その中でアイディンティティを作るということで詩にしたのである。
会津となると別な国なのである。それは古代からそうだった。

 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

古代から会津は一つの国としてあった。国と出ている所は万葉集でも少ないだろう。会津はそれだけ国として成り立った歴史が古いのである。

いづれにしろ明治維新の負の部分も大きかった。それが今になって見直されているのである。太平洋戦争までは明治維新の継続であり太平洋戦争に負けた結果として明治維新が見直されるようになったのである。
明治維新からここ140年間とか過ぎれば歴史が見直される、これは西欧化でありアメリカ化が極端にすすられた時代である。その反発として太平洋戦争があった。
それは奈良時代に唐風文化が席巻したとにている。次ぎに平安時代が国風文化になった。つまり次の時代は国風文化の時代なのである。日本の歴史と伝統が見直され新しい時代を再構築するのである。新しい日本文明を作る時代なのである。
それは日本のアイディンティティを作る基盤が必要である。それが東京にはない、経済力や工業力があっても自然がないから文化が生れない、耕すべき大地もないから文化が生れない、像で考えろと言ってもその肝心の像とすべき自然がない、毎日高層ビルを見上げているだけでは文化は生れないのである。
それは戦前からの国家主義ではない、まず日本文明のアイディンティティを作り直すことである。それは東京ではできない、それぞれの地方からはじまるのである。
日本の教育が実は各地の藩校で行われていた言うとき東京中心ではない、明治維新の時に無理やりに東京中心の中央集権が行われた、標準語も普及したのである。
その時すでに各地の歴史とか文化も失われていった。それは欧米とかに対抗するためにそうなった。

だから歴史を文化を見直すというときまず各地の藩があり城がありそこをアイディンティティ化して次ぎに更に広い範囲に拡張する、それは県とかになるが県は無理して作られたからどうしてもアイディンティティが持ちにくい、それからさらに古代の国へ拡張する、東北だったら陸奥がみちのくがそうなる、それは関八州の領域とは区別されるのである。大和にしてももともと奈良であり奈良の風土があり形成された
それが象徴されているのが

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し

こういうふうに美しい場所が故郷、国のまほろばなのである。それが東京のようになったらありえないのである。高層ビルに囲まれていたらありえないのである。
東京はなにか怪物的であり巨大な胃袋になっている。物質的なものしかないのである。
そこでアイディンティティを作ろうとしてもその基盤がないのである。
だから東京はその歴史と風土から形成されたものが失われているからそこから国家主義に飛躍する。文化がなくて中央の権力が肥大化する。時代をふりかえれば奈良であれ平安であれ鎌倉時代であれ文化を作ってきた。国家というときそういう文化があって国家なので国が誇るべきはアイディンティティは軍事力や経済力ではない、それが必要であっても時代が過ぎれば文化がその時代の成果であったことがわかる。

言葉が文化というときアメリカなどは英語でありもともとはイギリスから派生したものである。確かにアメリカ英語となり違っているが基本的にはイギリスの文化である。
アメリカはモンゴルとにている、軍事力があり技術力はある、でも文化がない、モンゴルは拡大するだけだった。そこに人種も関係なく人材を東洋した世界国家である。
でも文化は形成されない、ただ拡大するだけだった。それはアメリカとにているのだ。
それは一過性で終わった。ローマとも違っている、ローマには文化があったからその文化が継承されている。第一英語の基はゲルマンでありドイツ語である。そしたらその文化の影響を確実に受けているのである。
もちろん日本も漢字の影響が大きいけど純日本の大和言葉は失っていないのである。


ともかく上野駅から常磐線でみちのくへ向かう、その電車にのってみちのくへ行くという感覚は秋の日だった。大都会から離れまだ家が多いが地平に夕日が輝き沈んでゆく、その時東京の雑踏から解放された気分になる。
そして淋しさを感じみちのくへ帰るのである。その光景は心に残っている、秋にふさわしいのがみちのくだともなる、季節によってその感じ方は違っている
芭蕉は春にみちのくに向かった、その道のりは遠かった。
東北についてもやはり新たな歴史の継続としてアイディンティティを作る時代である。
それは古代から継続した風土から歴史から作られるのである。

上野駅い出で広がる地平かな秋の夕日の輝き没るかも

タグ:廃藩置県
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2016年06月08日

建築史から見た文明史(1) (建築も人間の精神性を追求した)


建築史から見た文明史(1)


(建築も人間の精神性を追求した)



文明とは何かといったらこの定義そのものがむずかしい、いろいろな見方があるとしてわかりやすいのは建築から見ることである。
それじシュヘングラーは「西欧の没落」は建築史だったのである。
建築史としてその発展は頂点に達して西欧は没落するとした。
確かに建築の面で何か現代では新しいものが生れない、現代建築はかえって過去の建築と比べると荘厳さとか精神性に欠けているのである。
そのために「西欧の没落」が意識されたのである。

現代とは資本主義であり経済だけが世界を席巻している社会である。だからどこでも世界は一様化して文化というのが衰退した。どこの都市でも同じような建築しか見られない
高層ビルでありそれはビジネスのための機能性だけを追求したものである。
要するに現代は精神なき経済に蹂躙されてしまった世界である。
ただ求めているのは狂気のように金だけだとなる、それは庶民でもそうであり金しか価値観をもてない世界である。

建築史から見ればいかに過去の建築が精神性があったかとなる
もちろん建築の基は実用性であり機能性である。それに加えて装飾性が追求される
縄文時代の土器でも木の実を貯えるということから発展してあれだけの装飾が生れた。
茶碗でもそもそも実用性がありやがて茶道として茶碗が芸術化したのである。
日本の茶道の茶碗は多様であり今でも地域のお土産は茶碗だとその土地のものだと感じて窯元を旅の時訪ねたのである。

岩倉使節団の一員として1871年末から73年秋にかけて欧米諸国を歴訪した久米邦武(1839–1931)が、その記録『米欧回覧実記』の中で、シヴィル・エンジニアリングと思われる語を「『シヴィル』器械」と記したことを取り上げ、近代日本の黎明期においてこの言葉を日本人が理解することの困難さを指摘した(5)。確かにここで併記さ
れている「革、靴、衣裳、家什、石鹸、蠟燭、工匠農工具、紐服飾ノ工、金銀銅器ノ細
工、印書製本ノ業、及ヒ麦粉」に比して、「『シヴィル』器械」からは何らかの実体をもつ事物を連想することはできず、久米にとって、エンジニアリングと結び付いた場合のシヴィルの意味内容が理解の範囲を超えていたことが窺える(6)

シビルエンジニアリングの概念と翻訳


文明というとき西欧文明に日本人が何を意識したかというと様々な道具や物や機械を意識した。これは職人的な見方だったのである。
ところがシビルエンジニア (Civil engineer)のcivilに注目していなかった。
そもそも文明とはcivilzationなのである。civilが中心なのである。
そして西欧の文明はキリスト教文明ということもほとんど関心がなかった。
でもヨーロッパに行けばいたるところが荘厳な教会が街の中心にある。
キリスト教文明だからそうなっている、イスラムだったらモスクが中心になる。
日本人は西欧文明というとき宗教には目を向けず実用的なものに目を向けて文明開化したのである。それは今日まで継続しているのである。
精神性がキリスト教という宗教が文明という視点が欠如しているのである。

その点日本だとかえって仏教文明とも言える時代を作っていてそこには貴族文化だという批判もあるが建築史の面から見れば精神性を追求しているのである。
奈良時代でも平安時代でも仏教建築が興隆していてそこには精神性がある。
仏像にしても偶像であるがそこに精神性を見ればそうはならない、形となった精神が仏像にはある、建築にもある、だから奈良の大仏は鎮護国家の象徴として作られその後も仏教文化が興隆したのである。
技術は仏教文明としての精神性の追求をしていたのである。

古墳は最初に日本人が共同して作り上げたものとしての意義はあるとしてもそこに何かの精神性を感じるだろうか?ただ土を盛っただけではないかともなる
まだ日本人の精神性は育まれていない、日本人の共同性は育まれたが精神性は育まれていない、それでものたりないのである。ただ大きいだけでは精神性はもちえないからだ。

ただ伊勢神宮となるとその建築に精神性をもつようになったのである。


ブルーノ・タウトによれば、日本文化の本質は、「簡潔」、「明確」、「清純」
にあり、その典型例として「桂離宮は伊勢の外宮と共に、
日本建築が生んだ世界標準の作品と称してさしつかえない」と絶賛した。

桂離宮と対照的にブルーノ・タウトが、日光東照宮について、「いかもの」であって、
「華麗だが退屈」、 「珍奇な骨董品の感じ」と非難した上で、
「建築の堕落の極致」と酷評したことはよく知られている。


日本人はもともと華美なものを嫌っていた。だから装飾がない、伊勢神宮がそれを象徴していた。簡素、質素、清楚がそこに如実に現れている
それは万葉集にある精神でもあり神道に通じているのである。
白砂の庭を下駄をはき神主が歩む、そこは神の庭なるが故に静謐であり乱されてはならない、清浄の領域であり神域なのである。

豊国の 企救の浜辺の 真砂土 真直にしあらば 何か嘆かむ 

この歌に象徴されているように素直とか直しとかの言葉は自然に融合すに調和する大和言葉なのである。
日本の古代となるとその自然は今と比べようがないほど美しかった。その光景を見たらこの自然を汚してはならないという自然そのものが神域のように見えたのである。
日本という美しい自然の中に生きることがあればその中に真直(まなお)にあれば何も嘆くことはないとなっていたのである。
だから東照宮は装飾華美であり日本の伝統とか文化とは違ったものである。
それは権力者のものであり日本の歴史伝統とはまた違ったものである。
第一徳川家康を神とすること自体がまちがっている、あくまでも一人の権力者でありそこにお参りするような場所ではない、日本は自然が特別に美しいから自然そのものか神になった。神ながらの道とは自然と共にあることなのである。

いづれにしろ建築史から見ると奈良から平安から鎌倉から武士の時代でも城でもそこに日本人の精神が現れているのである。建築に精神性がある。
だから奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代を建築史から見るとわかりやすいのである。その時代の精神が如実に現れているからである。



タグ:建築史
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2016年05月24日

エジプト文明や江戸時代の稲作文明は安定した世界観をもっていた (現代文明は安定した世界観をもっていないからファシズムになりやすい)



エジプト文明や江戸時代の稲作文明は安定した世界観をもっていた


(現代文明は安定した世界観をもっていないからファシズムになりやすい)


●エジプト文明の3000年の持続性


「母材(土ができる前の元の岩石)の種類によって、土本来の性質がことなるので、理想の土はひとつではない」ということです。


エジプト文明がナイルの賜物というときナイル川の上流の岩石が土となり流れてきて定期的に洪水を起こし肥料となった。
そこに地球的ドラマを感じた。そういう地球的ドラマの中にエジフト文明が3000年つづいたのである。
洪水は自然災害は害のように見えるが洪水があることによって山林から栄養分が流れて肥料になる
肥料が自然によって継続的に供給されることによってそれだけの長い文明が維持されたのである。
農業を維持するのは土の栄養であり土が基本にある。
焼畑とか森林を燃やして灰にして肥料を作り畑を作っていたがこれは自然破壊になった。これは原始的農法で簡単だからはじめられた。
農業は肥料をどうするかなのである。
自分の庭でも花を咲かせていたが最近十年くらい咲いていた福寿草が咲かなくなった。
何か植えても消えてしまうのが多い、もともと地味がないのだからそうなりやすかった。土の栄養は放置しておくと栄養分が徐々に喪失して花すら咲かなくなり作物もできなくなる、ヨーロッパではそれでさんほ農作が行われた、土を休ませて別な土地で作物を作るのである。
つまりとをしたら土に栄養をもたせるかが問題になるのが農業である。
ともかくエジフト文明が3000年も維持できたのはそうした自然の壮大なサイクルの中に生活していたからである。
そしてそれはエジプト文明だけではない、マヤ文明でも日本だと縄文文明が一万年とか言われるのもそのためである。寿命が長い文明なのである。

エジプト文明というときそれが人類にとって何を意味しているのか?それを見るべきだろう。
その知識に欠けているがエジプト文明は自然の壮大なサイクルの中で持続していた文明である。洪水さえも自然災害もその文明に活かされていた
自然災害は地球規模でみれば災害ではない、洪水は土に栄養分を山林からる運んでいたのである。
これは科学的に探求すればきりがないだろう。その面の知識は自分にはない。
でも興味あることは文明とは何かというときエジプト文明を例にすれば一つの世界観をもつ、それはマヤ文明でもそうである。
それはその土地の自然から作られたのである。エジプト文明はナイルの賜物というときナイル河から作られた文明である。
そして農業中心だから定着的静態的文明となる。自然循環的文明ともなる
この世とあの世があるときエジプト文明ではあの世でもやはりこの世でしていたこと耕作など同じことをしていたのである。この世とあの世は連続していたのである。

これも何か変わっているのかとなると現代文明を見たら例えば東京でぎゅうきゅうづめの電車に乗って通勤していたり様々なストレスに悩まされて生活している、そういう生活をあの世までするとなると嫌になるだろう
普通はあの世はこの世の苦痛から解放される場所なのである。
それは仏教でもイスラム教でもキリスト教でも同じだった。あの世に極楽があり天国がある、この世は苦の世界でありこの世の継続があの世にあったとすると耐えられないのである。
もちろん生老病死はあるからそのために人間は苦を強いられるからあの世ではそうならないと願うことはわかるしそれを克服するために宗教がある
ただ全体的に見たとき世界観から見たときエジプト文明はこの世でしたことをあの世でも同じようにしていたということが現代からみると特殊なのである。
全くこの世のことがあの世にそっくり移行している、それは壁画に描かれている
こういう世界観は不思議である。この世がそれだけ悪いものでないからこそあの世もこの世の継続となったとなる,個々人は別にして全体的にそうみていたのである。
するとエジプト文明は3000年持続して平和で充足した生活だったのかとなる
ただエジフト文明を現代で理解するのは本当にむずかしいと思う


●各地の自然に根ざした世界観の喪失が国家主義やマルキシズムによる世界大戦を生んだ


なぜエジプト文明を例にしたかというと現代文明は混沌の文明である。何か一つの世界観などもてない文明である。世界観というとき自然に根ざして生れるからである。
東京のような所でどういう世界観をもって生きるのか、像をもって考えよというときその像がないのである。自然の像というのがない世界である。
高層ビルを見上げてどういうイメージか世界観が生れるのか?
そのことから人間にどういう影響を与えるのか?
それは世界観がないというとき精神文明がないということである。
文明とは日本文明とあれば日本独自の自然に根ざして文明があった。それが神道なのかもしれない、とにかく日本独自の世界観が作られていたのである。
それは日本語にもあり一つの日本文明が作られていた。
そういう世界観が現代文明ではもてないのである。
世界観がもてないというときカルト宗教団体などが跋扈したりナチスがファシズムが生れたりしたのが現代である。
それは日本だけではない、世界的文明が均一化して起きたことである。

 抑圧された国民は現実から目をそらし自分を見失う、そうしたむっつりとした空虚な国民の顔は機能障害社会に共通した不安と恐れを示している
 国民の顔に承認を見つけられない故に全体主義指導者は拡大を試みる以外に生き残る道はないと確信する、つまり、政治哲学の正しさを証明するには,他の国や民族ですらこれに従っているのたと国民に示す他なくなっているのである
 (地球の掟ーアル、ゴア)

 これは現代に近代に現れた世界的現象である。ナショナリズム、国家主義、マルキシズム的世界的労働者の階級闘争の共産主義でも同じである。
 ナチスもまたそういう共産主義の世界的闘争と共通したものがある。大量殺戮が行われたからである。それは現代のグローバル化した文明の病から生れたのである。
国民とは江戸時代には存在しない、それは国家主義により強制的に国民が作られたのである。国家を尊ぶのはわかる、でも政治的強制的側面が強いのである。
それは日本だけではない世界規模で起こり世界大戦となったのである。
創価のようなカルト宗教団体もそうした現代文明の病から生れた、それは強制的に信者にして国家を支配し国民を支配することであるから共通している、つまり他のカルト宗教団体でも一つのファシズムの変容したものである。

承認しないのに強制化して国民を支配しようとしているのは同じである。宗教はその道具にすぎないのである。
ハイルヒットラーと題目を唱えることはさぼと変わらないのである。
要するに世界観が喪失したばらばらとなった人間が狂気的に一体化しようとするのがファシズムである。
それはカルト宗教団体も同じなのである。すてに一体感がないから強制的に一体感を作るのがファシズムである。
それは現代文明が個々ばらばらの部品のようになって一体感が一つの世界観がもてないからなのである。

それは明らかに一つの世界観をもったエジフト文明であれマヤ文明であれ江戸時代の稲作文明では起こり得ないことであった。
そこでの民はいろいろ不満があり問題があっても一つの文明の適合していてその顔はその世界観を承認しているから世界を肯定的に見ていた故に外国から来た人が江戸時代の人々を見てみんな幸せそうな顔をしていたと見たのである。
各地のそれぞれの一つの世界観に生きることが喪失したときそうした国家主義とかマルキシズムとかの無理な強制的な世界観を作り出したのである。
マルキシズムなどでとてもこの世界を解きあかせないのである。それは階級という一部を取り上げたものであり世界を一部の狭い窓から見たにすぎないのである。
世界をみるというときみんなそうして一部を見ているにすぎないのである。マルキシズムはそれをあたかも世界を解きあかしたように錯覚させて世界を混乱させたとせなる

●科学技術文明は自然を支配する世界観だが原発事故のように突然崩壊する危険

人間がエジプト文明であれマヤ文明であれ世界観を自然の中で構築できなくなったためである。現代文明からは世界的にどこでもカルト宗教団体とか宗教もカルトになりやすいしナチス的ファシズムが生れやすいのである。
一つの固定化した世界観がないから人間は常に不安動揺の中に置かれているのである。
江戸時代が安定して外国人が来たときみんな幸せそうな顔をしていたというとき貧乏でも一つの安定した自然の日本的世界観で生きていたためだろう。
例えばエジプト文明にタイムマシンで行ったらその顔まで何か違っている
そこには安寧的な不思議な顔になっていたかもしれない、それは江戸時代の人々の顔とにていたのである。一つの安定した世界観の中で生きていたからそうなっていた
江戸時代も今になれば不思議となる。ただ明らかに稲作文明で一つの共通の世界観に生きていた。それが失われたとき柳田国男が日本の民俗学を起こした。
そういう新しい学問が生れたのは実はそういう世界が失われたときなのである。
稲作だとこれもいろいろ奥深いから科学的には追及できないが山から水が流れて田んぼをうるおし米が実る、その自然のサイクルの世界観をもっていた。
それが死生観に反映されていた。死んだ先祖は山に眠り春になると里におりてくる、春には田植えがはじまり再生するからである。
それは自然のサイクルの中で生きていたからそういう世界観になった。
それはエジプト文明ともにているのである。
自然の中で構築された文明は息が長い、そして世界観をもち人間も安定する
現代の人間が不安動揺とストレスの中にあるのとは違っていたのである。

自分が詩として山とか樹とか岩とか石とかを安定した要素として求めて書いたのもそのためである。
都会にはそういうものはない、絶えず不安と動揺のなかにある、グローバル経済でも日々不安定であり株の値動きにふりまわされている。
現代文明は常に動揺と不安のなかにあり安定しないのである。
グローバル経済を見ればわかる、世界で何か事件があればたちまち株は暴落してしまう。そこに安定した世界観を構築できないから世界的共通の問題として文明は今は共通でありそうなっている
科学技術文明でもそうだがこれも恩恵をもたらすにしても今回の原発事故のように不安定なものだったのである。
原発事故によって放射能で人間の生活の基本となる土や水や森林などが汚染されてたら生きることもできなくなる
科学技術は万全なのものではなく不安定な要素が常にあり一挙に崩壊することがある


原子力はそういう不安定なものであり危険なのもだったのである。
そしてなぜ原子力が原発を維持しているかというと電気を供給することより核武装のためにある、核を作るために原発を維持しているのである。
それはアメリカなどの圧力でもそうしている。
つまり科学技術文明はエジプト文明のように3000年とか持続するものではない、一時的に消耗する文明なのである。
それは精神的にもそうでありそのために一つの世界観を作れない、そこで人間は常に不安動揺の中に置かれている、現代人の顔が江戸時代の人やエジプト文明人の顔とまるで別人になっていたことでもわかるのである。
科学技術は必ずしも人間を幸福にするものでもないのである。
大きな自然のリサイクルから離れるとき人間は人間ですらなくなってしまうという恐怖があり現実そうなっているのである。
常に世界崩壊がカタスロフィが語られるのはそのためなのである。
外部的にそうなるのではなく内部的に現代文明が不安定であるから常に株の暴落とか何か突然に崩壊現象が起きるということにおびえているのである。
エジプト文明とか江戸時代にはあまりないことだったろう。

ただマヤ文明だと歴が発達して2020年に世界が崩壊するという予言をして滅びていた。
そういう終末観がやはり仏教でもキリスト教でもある、だから人間にはそういうことは常に恐れてあったとことは確かであてる。
それは常に自然の恐れに根ざしていてそうなった。
現代はそうした自然災害で滅びるというより何か科学技術の崩壊で今回のように原発事故のようなもので滅びるという不安が大きいのである。
科学技術が実は一番の不安要素となっているのも皮肉なのである。
なぜなら科学技術こそ現代を文明を作ったものだからである。
過去は自然災害が最大の崩壊の不安要素であったが今は人間か作り出した科学技術が一番の不安要素となっているのである。その象徴が原子力であり核兵器になってたのである。

穏やかな雲間に雷雨が潜むように
今日私に媚びる者が、明日には私を傷つける
ほとんど重量とてない取るにたらぬ原子から
世界は最後の審判を引き起こす
(ハンス・カロッサ)

これは原子力のことだった。原発は金になるからこの辺の住民も媚びていたのである。
双葉町では「原子力が開く未来」とか看板まで建てていた。
それが今度は住民を傷つけたのである。そして核の放射能で滅びる
土も水も汚染されて住めなくなった。
人類は意外なもので滅びる、いろいろ言われるが結局予期せぬもので滅びる
その一つに原子力や核エネルギーがあったのである。
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2015年09月17日

拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期 (日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)


拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期

(日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)

文明の見方はいろいろあるし文明そのものが何か定義はない。
古代文明はエジプト文明でもそうだしマヤやインカの文明でもそうだが内部志向型文明と定義づけられるかもしれない。
内部志向型というとき交通が発達しないから一地域で一つの世界を作る文明である。
外部志向型文明は拡張型文明であり一つの世界が広域に形成する
それはローマとか中華文明でも古代の文明でも起きた。日本は中華文明の縁辺に生まれた文明という見方もあるのもそのためである。
時代的にも中世とかなるとヨーロッパでも城が多いから日本の封建制時代と同じであり内部志向型文明になる。
外に拡張しない文明であり閉鎖的な文明となる。
だから中世と日本の江戸時代はにているのである。

例えば江戸時代は鎖国であり拡張文明ではない、外国との交流をたち日本独自の社会を形成した一つの内部志向型の文明だった。
江戸時代をどう定義するかいろいろあってもやはり一つの内部志向型文明を成熟した社会を形成したと評価できる。
内部志向型文明はその地域で国で自給自足して世界観を作り上げる。
日本は稲作文明の継続として江戸時代があり一つの世界観を形成した。
山に神がすみ春には里におりてくるというとき田植えの時に神が山がおりてくるというのは日本的な稲作文明の世界観であり信仰にもなった。
山には先祖が死者が眠るという山の信仰があったのはそのためである。
それは稲作文明から生まれた一つの信仰であり世界観である。
葉山(羽、端、.....)信仰がそうである。羽山は端山は低山地域にありそこはちょうど田に水を供給する山の高さなのである。高い山の信仰ではないのである。
それは日本の自然と調和した自然観であり世界観であった。
ただ明治維新は様々にとりあげられるが日本の文化の基ともなった江戸時代はまだ歴史的に文明的に鎖国というマイナスの評価になっている

でも現代の文明はこうした拡張型文明から内部志向型の文明に移行する時代にきている。拡張文明というとき西欧文明の大航海時代からはじまって現在のグローバル資本主義経済を形成した。それは地球が一つの世界を形成した。だから世界が一つの価値観をもった時代だとなる。
資本主義が絶えず資本を世界に投入して経済の発展を計る、そもそも資本主義が起きたのは大航海時代に船で貿易するために投資がはじまった。
船が沈めば株主は大損するが船が安全に帰ってくれば大儲けになるのである。
それが船の株主であり資本主義がそこから発展したことでもわかる。
ヨーロッパとか中東とかでは船を作るために大量の木材を必要として森が破壊されたというときレバノン杉の森が消失したというときそれだけすでに船を利用した貿易が地中海で行われていたのである。
文明はそうした船をつくるために食い尽くされたというときいかにそれは拡張型文明が早い時期から発展していた。

その拡張型文明は西洋だけではない、世界の資源を求めて進出した結果としてアジアの森が今度は破壊されたことは同じである。
内部志向型文明は江戸時代の葉山信仰、稲作文明のようにあまり自然破壊は起こらないのである。
それでも海の方へ田を干拓したとき湿地帯を埋め立てたから自然破壊だった。
松原は自然と調和したのもだと思っていたが自然破壊したものであった。
なぜなら津波で根こそぎ松原が破壊されたことでそのことがわかった。
松原だけとか杉林とかは人工林であり自然林ではなかったのである。
稲作文明は内部志向型文明でもその稲作の範囲を海の方面の湿地帯に拡大したとき自然破壊になっていたのである。

現代のグーバリズムの拡張型の文明は限界にきている。もう拡張する発展するフロンティアが消失している。だからいくら資本を投入しようにもその場がなくなっている。
だから世界経済が発展するということはなく世界経済自体が停滞して後退してゆく
それは中国経済でも限界が生まれたことが象徴している
新興国の発展にもブレーキがかかる、資本主義はグーーバリズムはそうした限界にきているのだ。
だから世界的に株価は低迷して成長する国も分野ももうなくなる
それは日本だけではない世界的に起きている現象である。
例えば日本でアベノミックスで資金をいくら投入しても経済発展が望めない、回復しない、一見株が上がり成長しているように見えてもそれは見せかけであり日本はこれ以上経済成長するのは限界なのである。
それは中国でも起きてきたし世界自体が経済成長することができない限界にきている。
これ以上グローバリズムの経済を押し進めればむしろ地球の自然環境は破壊されるから
それは自然の理が働いてブレーキがかかったともとれる。

現代の資本主義拡張型文明は会社文明であり多国籍文明であり今までの文明とは違う、そこには文化がないのである。ただ経済の原理があるのである。
文明には必ず文化があり世界観がある。グローバリズム経済には資本主義には文化が生まれない、会社は多国籍会社はその土地に根ざすものではないから文化を生まないのであるつまり文化はcultivate(耕す)場がなければ生まれないのである。
だからシュペングラーが警告したのはまさに土地に根ざした田舎が失われ都市文明化して文化が消失して世界が数で計られる無機的なものとなる。
毎日世界が株を標準として常に数で計っていることでもわかる。
その株価も実質の経済を繁栄したのもでもない、架空の数字の世界だとも言われる。
致命的なことは文化がグローバリズム経済から生まれないことなのである。
そこに精神の不毛があり文化の不毛があり精神の貧困がある。

だから今見直されるべきは日本では江戸時代であり国風文化なのである。
それは日本だけではない、かえってグローバリズムの世界、一様化した世界には興味がもてない、会社文明、多国籍会社文明は精神的に軽薄であり文化がない。
それはただ外部志向があるのみであり内部志向がないからである。
内部志向というとき縄文時代の土器の装飾とかマヤの土器でも装飾が豊かなことが共通している。
内部志向型文明は一見それはグローバルでとないと批判されるが濃密な自然との交流があり芸術性豊かな装飾性が豊かな文明だったのである。
だからこうしたエジプト文明でもまたマヤ文明でもそこに一つの自然と調和した世界観宇宙観がありそれは一つの詩的空間にもなっているのである。
つまりそもそもグローバル資本主義経済には詩はない、経済の話だけである。
それから科学が技術が現代を形成するものでありそこに文化はないのである。
もちろん科学でも技術でも文明を作るものであり文化を形成する
だから科学技術文明はエジプト文明でもマヤ文明でもあった。
石を緻密に正確に刻み寸部も隙なく石の神殿を造ったことではにていたのである。

外部拡張型文明というとき第二次世界大戦とかもそうした時代に起きたしそれは大航海時代からヨーロッパの拡張としてアメリカの発見がありそれが現代の世界を作ったきたことでもわかる。
その時日本も世界史的に拡張型文明となり太平洋戦争を起こしたのである。
その後の70年も経済のグローバル化にのって日本も発展した。
しかし世界はもうそうしたグローバル資本主義の拡張も限界にきている。
中国が台頭して戦争にになるとか日本が集団的自衛権で戦争に突入するとかもないだろう世界的に小競り合いがあっても世界第二次大戦のようなものは起こらないだろうという見方もある。
つまり世界はそうした拡張型文明から内部志向型文明に移行するのである。
それぞれが国風文化に内部志向型文明にもどってゆく,回帰する時代になる。
それはとりもなおさず新しい文化が華開くルネサンス時代の到来なのである。

自分はもともと相馬藩内でそうした地域文化を土地に根ざしたものを追及してきたのである。
そうした小さな地域でも世界でも一つの世界観をもてる。
いやその世界観の方が自然の理にあっている。だからマヤ文明ひかれようになったきはそのためである。
そこには矛盾はあっても一つの森に埋もれた自然と調和した文明があったのである。
そういう一地域で世界観を深化させて構築していったのである。
何か不明なのものが多いが一つの石のブロックが一年とかとなり時間を積み重ねていった文明の構築物なのである。
それは内部志向型の内密な装飾性豊かな人間的な文明だったともなる
いづれにしろ古代文明にしろこれから再評価されてゆくし新たな意味がもたらされてゆくことは確かである。
それは現代のグローバル社会との対比で再評価されてゆくのである。


タグ:古代文明論
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2015年09月09日

マヤやインカの文明の意義は何なのか (日本も大きな文明の転換点に来ているー日本文明が再興が志向される時代)


マヤやインカの文明の意義は何なのか

(日本も大きな文明の転換点に来ているー
日本文明が再興が志向される時代)

マヤ文明というときこれも謎である。紀元前までさかのぼるから古いのである。
そしてまず文明とか歴史を知る基礎がやはりその土地の自然環境とか地形にある。
人間は地理に制約されて生活するから当然だとなる。
マヤ文明の生まれたところはジャングルであり大きな川がない、小さな川しかない、
ジャングルに60とかの都市国家がばらばらに発展したのである。
その文化はつながりがあり共通性があっても統一した国家を作っていない
その原因がその自然環境に地形とかにあったのである。
なぜなら大河の辺にナイル川とかチグリスユーフラテス川とかインダス川とか黄河の辺に大文明ができたということは大河が大きな役割を果たしてた。
大河があるということはまず交通するのに便利であり大河が道となる。
大陸の大河は運河と同じなのである。船が往き来するようにできている。
日本の川が滝だというときまるで違っていて運河のようになっている。
それはヨーロッパでも同じである。日本にないものはこの大河でありだから大河とか草原とか砂漠がない日本は外国のことが実感としてわかりにくいのである。

常に自分が言ってきたことはまさにこの地理がわからなければあらゆることがわからない歴史も地歴であり地理がわからないと歴史も根本的にわからないのだ。
だからマヤ文明もまさに地理を知らなければ知りえようがないのである。
ナイル川がエジプト文明を作ったとか黄河が中国文明を作ったというのはまさにそうである。
あれだけの大きい川があれば統一国家ができやすいのである。
それはむずかしい理屈は知らなくても実感としてわかるのである。
ナイル川とピラミッドは結びついていた。大きな船がナイル川を往き来していたのであるナイル川は今よりはびっと広く流れていたからピラミッドに近かったのである。港がありピラミッドがあったともなる。
大河があり砂漠があり草原があるとそこは自然の道となり移動しやすいから交流しやすいから大きな統一国家が成り立ち安いのである。
アンデス文明、インカ文明も地理的にみると山が多く孤立した文明なのである。
他との文明の交流がなかった孤立した文明になっていた。
孤立した文明なるが故に石器文明であり鉄が作られなかったし文字もなかった。
それでその歴史も謎であったがマヤにはマヤ文字があり解読されつつある。

一方日本は海に囲まれても大陸文明と中国とかかわり文明をとりこんでいた。
だから漢字がありその前にも言葉があり歴史が残された。
ヨーロッパ文明とも信長の時代にかかわっていたから孤立文明ではない。
明治維新でももしマヤやインカのように孤立文明だったら西欧化できない、
簡単に滅ぼされてしまったろう。
日本文明がありその日本文明はすでに歴史的に中国文明とか大陸の文明をとりいれた厚みのある文明だったのである。
もし鉄もない、文字もない、マヤやインカのような文明だったらとても西欧化などできないのである。その基礎がないからできなかったのである。
技術的にもそうだし文化的にもそうである。
そもそも封建制というのはヨーロッパと日本にしかなくそれは文明的に進んだものだったのである。中国には封建制はなく王朝であり常に一党独裁になりやすい国だった。
日本は合議制とか村々であり民主化しやすい土壌があった。

日本は日本文明がありそこに誇りをもたねばならなかった。
ところが明治維新後から太平洋戦争の敗北で日本文明のアイディンティティを失ったのである。
例えはキリスト教が入ったとして日本文明がありえたのである。
仏教が入ってきたとき中国の仏教と韓国の仏教と日本の仏教は違った如く日本のキリスト教も違ったものとなっていた。
日本文明はやはり独自のものであり誇るべきものがあったのである。
その日本文明が純なる日本というものが今や何かわからない失われたのである。
日本文明というとき天皇のことではない、政治的なものだけでなく文化的なものもあり全体のことである。
全体から文明が生まれる、ただその日本文明が何なのかとなるとわからなくなった。
だから日本文明の復古(ルネサンス)が必要になったのである。
それを自分は文化的な面から俳句でも短歌でも詩とかでも追及してきた。
日本は今やいろいろな面で曲がり角にきている。
それは世界でもグローバル化の矛盾が危機的状態になっている
そういうとき新しい文明を個々の国でも地域でも目指すように強いられているのだ。
それは容易なことではないにしろ時間がかかるにしろそういう歴史的転換の時代なのである。
津波のような天変地異もまた大きな時代の変わり目に起きたのである。

政治的な面と文化的の面は別々にではなくやはり一体であり最近集団的自衛権とか中国とかの関係がとりざたされるのもまた右傾化するというのもそうである。
政治的にも日本の独自の道を追及せざるを得なくなったとかもそうである。
何かそうした時代の大きな変わり目にきているのである。
それはなかなか意識しにくいがグローバル資本主義でもそうであり日本自体も変革を迫られている
それは大きな歴史的変革になる。単なる経済が衰退するとかではない、それは目先のことであり日本文明自体の復古であり変革なのである。

古代文明を考察することは現代を知るためであり過去の死んだ遺物を個々にみるのもまた新しい発見なのだけどそれだけではない、現代を知るには古代を知ることにより古代の時代の意味を知り現代に活かされることなのである。
現代の文明は別に人間が進歩したものでもない、かえって人間的には退歩した奇怪な文明とすらなっているのである。
現代の文明は経済と科学の機械文明であり日々語られることはそれしかない
神官は科学者であり経済の話しかない、古代の文明の遺物を見ればかえって自然と調和した豊かな文明だったということがみられる
マヤとかの文明が不思議に縄文土器と共通性があり装飾性が豊でありその時代はかえって今より人間は人間らしく自然と調和して生きていたことがわかる。
現代はビジネスとか科学と機械とかそうしたことしか話題にならないのである。
だから何か自分が山と石とか樹から発想することが別世界のことのようになってしまっている。

そのことは古代文明が別世界の文明にみられるのと同じなのである。
縄文の文明とマヤとインカの文明が土器などに共通性が見られるのはエジプト文明でも
動物と人間が一体化していたことなど深く自然と密着して生活していたことは同じだから共通していたのである。
現代文明は自然から遊離しているからこそ異様な文明、人間が人間でなくなる文明になっている。
そのことが原発事故をもたらして故郷にすら住めなくなったということが大きな観点からみればそうなる。
津波とか原発事故は大きな文明の転換をうながしいる事件だった。
天変地異が文明を滅ぼしたり変えたりしてきたからである。
だから今はこれから百年とかは大きな文明の転換期であり日本文明の再興(ルネサンス)の時代になる。
個々の小さな事象にだけ注目するのではなく全体を見ればそうなるし全体が文明だからそうなる。
いづれにしろ歴史は連続したものであり今は世界的視野でグローバルに地球を見る時代である。
マヤ文明とかインカ文明も世界史のなかで意味が与えられる時代なのである。

タグ:マヤ文明
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2015年08月18日

虫の音に関する日本人の感覚 (万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)


虫の音に関する日本人の感覚

 
(万葉集時代には音(ね)の表現はなかった)



虫の音や夜更けて聞き一人かな
虫の音や百歳の余命夜のふけぬ
虫の音や貧しき人の声を聞け
外よりそ働く人や虫の声



庭草に 村雨降りて 
こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり

草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 
萩見に君は いつか来まさむ

コヱに、A人工物音、B自然物音は70例中1例だけです。
あとはC虫音、D鳥声、E獣声、F人声です。
あえてボクは虫の声を虫音と表現しましたが、
万葉集では「虫の声」と認識していたのです。

虫が羽を擦り合わせて立てる「音」は
万葉集では「オト」とは
訓まれていなかったことは確かです。
http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11771530896.html

万葉集の時代は音(おと)、声(こえ)で表現していて音(ね)と表現しているものがない
これも一つの万葉集の発見になるから興味深い
鳥や獣がなくのも人間の声も声でありそれらを区別していない
蝉の声とか虫の声というのは日本ではなじみがある。外国では蝉とか虫の音に関心がなく雑音にしか聞こえないという。
万葉集時代にすでに日本人は虫の鳴く声を雑音ではない、人間の声と同じように人間的なものに感じていたのである。
音(ね)となったのはあとからである。音(音と)と名と鐘の音(ね)などとなる。

ただ虫の声と虫の音は何か感覚的に相当違う、
声となると複数的に多く鳴いているというのも感じる。だから民の声を聞けと言えば大勢を意味しているしそれは英語のVOICEと通じている
まず英語では虫の音であり声とは表現しない、声となると人間的になるからである。
つまり日本人は虫の声でも鳥でも獣でも鳴くとき人間のように感じていたのである。
そもそも日本の風土は国は狭いのだから繊細な感覚が養われるのに適していた。
中国とかアメリカとか広いから虫の声などに耳を傾けるような感覚にはならない。
声というとき複数的であり音(ね)となると一匹の音(ね)という感覚になる。
今回の自分の俳句は夜更けに聞いたから音(ね)の感覚なのである。
この感覚はただ万葉集時代にはなかったのである。

虫の声であれ音(ね)であれこうした小さなものに注意したのは日本人的感覚である。
日本人は相当に微妙な自然の音に注意していた。その音にはいろいろあった。
芭蕉が音の詩人だというときもそうである。蕪村は視覚の詩人であり画家であったから当然だとなる。画家的な感覚は共通したものがある。
でも虫の音に注目した日本人的感覚は他にないだろう。それでもなぜそれだけ音に敏感だったのに日本では音楽が発達しなかったのである。それも謎であるが日本に音楽がないというわけでもなっかた。雅楽などがありやはり音楽はあり音の世界があった。
芭蕉の

寂けさや岩にしみいる蝉の声

この声は多くの蝉の声である。音(ね)ではない、こういう俳句ができたことはやはり日本的感覚なのである。つまり音の世界にも深いものがあるからこそ音楽が発達した。
だから芭蕉の世界は死ぬまで音にこだわっていて音が人間の命だったのである。

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

いづれにしろ虫の音(ね)というときイメージするのは小さいものの声である。何か権力者とか金持ちとか強い者の声ではない、小さきものへの声に耳を傾けるとなる。
人間も命も虫であり虫の声でありやがてその鳴く声が絶える時死ぬのである。
そういう微けくあわれなものが虫の声に音(ね)として例えられのである。
あわれという感覚もそうである。それは強いものではなく弱い小さいものとなる人間であれ何でもあわれとなる。絶対的な強者などいないからあわれとなる。
聖書の「貧しきものは幸いなり」というときもそうである。
貧しきものとは物質的に貧しいというのではなく心が謙虚な人は幸いであると言っていたただ同時に物質的に貧しいということもイメージしている。

現代人はこういう感覚が豊かになったときなくなった。庶民ですら食べている者か昔の王侯なみということがあるからだ。
それでも今でもこの辺では安い住宅に住んでいる人は昔の長屋に住んでいる感覚になる。でも田舎でもみんな一軒屋に住んでいる。
奇妙なのは仮設住宅が長屋ににている、てもそこに住んでいる人が貧しいかというとそうではない、補償金をもらって豊かなのであり仮設は一時的な仮の生活だから長屋暮らしとは根本的に違うのである。
現代では清貧とか何か貧しいという感覚は共有されていない江戸時代は貧しいということはありふれたことである、戦前でも戦後十年でもそうである。
日本は高度成長時代になったとき急速に変貌してしまったのである。
貧しさのなかで清く生きるとか貧しくても心豊かに生きるとか江戸時代の人々はいい顔して幸福そうだったということなどイメージできなくなったのである。
都会ではもう騒音化した世界であり虫の声とかもかきけされている。
田舎だとまだ虫の声や蝉の声や音の世界に聞き入ることができる

●我のみや 夜船は漕ぐと
 思へれば 沖辺の方に 楫の音すなり

大伴家持の歌とされるS4460を『新潮集成本』より写します。

●堀江より 水脈さかのぼる 楫の音の
 間なくぞ奈良は 恋しかりける
 
 
 舵の音に注目しているのもそうである。奈良に堀江があり舟が通っていたというのも奈良らしい。梶の音が聞こえてそこに生活があったのである。
江戸時代でも江戸には水路があり舟が通っていたからそういう音に注目することはあったろう。
それは沈黙の世界であり夜の闇が深いから音に敏感になるのである。
現代は音にあふれた結果かえって虫の音とか自然や生活の音に鈍感になった。
それときりもなとさず人間同士でも人間の声は無視されているのである。
車とか機械とか騒音化された世界でありかそかな人間の声は無視される、政治でもそうであり人間同士でも相手を思うこともない非情な世界になっているのだ。
おにぎりが食いたいとか言って死んだ人があるように貧しい人が見えない世界であり貧しいということはあってはならない隠されることである時代でもある。
貧しい時代は貧しさ共有していたからかえって連帯感があったというのも不思議である。





タグ:虫の音
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2015年07月30日

鉄砲を捨てた日本人を読んで (すべてを道として精神を重んじた日本人)


鉄砲を捨てた日本人を読んで

(すべてを道として精神を重んじた日本人)


柔術は武術の起源と考えることもでき、柔術から派生した武道として柔道や合気道、そして空手のいくつかの流派などが知られています。
もともと武道とは武術であり道ではない、道というとき精神的要素が大きくなる。

武術とはいかにして敵を殺すとか身を守るかとかに発している。
それはあくまでも術であり道となったのは後世のことであり明治以降に道となった。
ヨーロッパなどでも騎士道があるがなぜ日本だけが武術が武道となり道として精神化したかということである。
そのことで興味深いのが「鉄砲を捨てた日本人」日本史に学ぶ軍縮 ノエル=ぺリン著
である。
ここで鉄砲は足軽ものであり侍の身分のあるものは使うものではなかった。
刀とかだと武術が生まれ武道になるものがあった。
しかし鉄砲には鉄砲道にはなりえないものだった。
刀を使うということは人を殺すものとして作られても精神化するものがあった。
子供の時ちゃんばらこっこにこった。
その時確かに映画のように受けてと攻めてが生まれ相互に呼吸を合わせるという感覚になる。鉄砲のように一発で相手を殺すというわけにはいかない
そのやりとりのなかで人間的なものが生まれる。
「おのし、できるな」とか良く言われて技を競うようになる

鉄砲はただ技術的優位で決まるのであり人間的やりとりは喪失する
それは核兵器になったときもう核兵器を使うことはできない、ただ核をもっているという威嚇だけのものになった。
核は使うものではなく核をもっているということで相手を威嚇するだけのものである。
近代になったとき戦争はただ兵器の優劣で技術的なもので決まるのであり技術戦争、機械戦争と化した。
鉄砲も極めて技術そのものでありだから日本人は鉄砲が入ってきたときすでに部品化していて量産して輸出までしていた。
日本人がなぜ明治維新でいち早く西欧列強に追いついたかというのは世界史でも謎であるそれは日本人の資質として戦国時代からすでにそうした優れた技術力があった。
刀でも日本刀はヨーロッパや中国の刀剣より優れている。
日本の工業力とか技術力は高いレベルにあったから明治維新も成功させたとなる。

太平洋戦争でも技術力の戦いでもあった。戦艦大和であれゼロ戦であり日本の技術はアメリカより優れていたのである。ただその後技術的に遅れて敗れた。
レーダーが日本にないというのも致命的だったのである。
ただ太平洋戦争はまだ古典的戦争の面がまだ残っていた。
馬が使われていたことでてある、移動も馬だった。だから馬を飼育することが戦国時代と同じようにあった。南京に入場したのも日本兵は馬だったのである。
今なら戦車で入場するからその辺がまだ戦争でも古典的な要素があった。
そして馬と戦死者を一緒に葬った墓があったりする。馬が供養されている。
馬がまだ活きていた時代だったのである。
馬が野馬追いに出る前に倒れた、すると馬もがんばって起きてくれとか人間的なやりとりが生まれる。
実際馬はペットと同じように人間化するのである。
機械だとそういう人間的やりとりは生まれないから非人間化する。

機械の恐怖は殺人マシーンとなりとても刀で切り合うようなものとはまるで違う。
大量殺戮となりただ人間が物ののように扱われて一片の人間的情も生まれないのである。
それは別に戦争だけではない文明化した結果、人間は機械を使うことが多くなる。
例えは自転車とバイクと車ではそれぞれに差がある。
自転車ばかりにのっていると姿勢が違ってくる。
なぜなら自転車は絶えず風を受けて走るからである。風にのっても走る、風を常に感じるのが自転車なのである。バイクもまた風を感じる、だから自転車と通じている。
でもその速さがあまりに違うから自転車とは比べることができない
自転車は坂を上るにしても人力でありその苦労は歩くとにているのである。
車となるともう風も感じないし外気も感じない、一つの鋼鉄の塊りが自然を無視して突っ走るとなる。その運転する姿勢も風を受けるとかないから硬直化する。
人間は一つの機械と化しているのだ。

この車がいかに社会を変えて人間を変えたか現代人は意識していないのである。
人間が切れやすいというとき車に乗る人はキレ安くなるし精神が安定しないのである。
突然自転車が横切ると「馬鹿野郎」とどなって切れて走りさって行くだけである。
そこに人間的やりとりは全くないし車に乗っている人は外からわからない
旅は道連れなどと言うこともない、そして馬とか牛を使うときは相手も生物だから死んだらあわれだとかなるが機械にはそうした感情は生まれないのである。
だから現代人は情の面で非人間化している。同情心が日頃の生活でも養われないのであるつまりそれは戦国時代の鉄砲が導入したときから始まった現象だったのである。

要するに建築がembodied sprit であるように人間の体も単なるbodyだけではない
精神を現したものとして作られている。
真っ直ぐな姿勢は真っ直ぐな心、真直な心、直しの姿として現れる。
だから武道で姿勢を重んじる、姿の美を追及している。
曲がった心はその人が体力があっても何か体まで曲がっているように見える
男性でも女性でも何か歪んで体も見えるのである。
腕のいい大工さんはもともと資質も良かったのがぴしっとしてまっすぐであり体力もあった。
自分はれを見ていたら体力的に貧弱だからうらやましくなった。
柔道の段位をもっているようにも見えたのである。
ミケランジェロのダビデであれヨーロッパでは肉体を精神として現すことが多い。
日本では武道とか姿勢を重んじる文化になった。

ともかく鉄砲ということで歴史をふりかえった
人間は使う道具に左右されやすい
鉄砲を使えば鉄砲社会になるし鉄道になれば鉄道社会になるし車になれば車社会になる
だから技術を何でもいいものとて取り入れるのは社会にとっていいかどうかわからない
でも現代はグローバル化で技術をとめることができない、だから技(わざ)は災い(災い)になるとは日本でも古代から考えていたのである。
思うに技術とは道具とはメデアなのである。使う道具によって感覚でも思想でも変わってしまう。
同じ文章を読むにしても本で読むのとパソコンや電子本で読むのは違う。
本は一つの本として起承転結があり一つの世界をもつ、インターネットは断片的になる。本だったら一ページを読むような感覚である。
それから紙に書いてある文字を読むのと電子文字を読むのも違っている。
縦書きで読むのと横書きでも違った感覚を与える
メデア、仲介するものによって伝えられるものが違ってくる。
音からでも声からでも違ったようになるし表情で伝えることもある

道具がメデアだというとき自転車も今は種類が多い
10種類くらい乗ったかみんな乗り心地が違うのである。
それは普通の自転車でもそうでありメーカによっても乗り心地が違うのである。
これは車でも種類が多いから乗り心地とかいろいろ違っているだろう。
人間の感覚は道具によってメデアによって左右されやすいのである。
武術なら弓を使うものであれ剣を使うものとかその使う道具によって人間が左右される
それで弓道も生まれた。

この本で学んだのは鉄砲一つでもこれだけ人間の社会を人間そのものを心まで変えてしまうという現実である。
だから何でも技術が便利だからといって取り入れることは危険でもある。
原発はそもそも地震とかが多い日本の風土には向いていなかったのである。
また西欧文明を明治に技術が便利だとして取り入れたが西欧文明はキリスト教文明でありキリスト教がわからないければとりいれなければ日本は破壊されると内村鑑三が言っていたけどそれが原発事故に現れたのである。
明治に様々な技術が入ってきたけどキリスト教を導入しないと日本は破壊されるというのは鉄砲を入れただけで社会や人間そのものが変わってしまう

江戸時代は鉄砲をすてて精神性を秩序を重んじて武士の社会を構築して300年の平和を保ったことに通じている。
日本は無制限に技術だけを取り入れたが結果的に日本の精神は喪失した。
ただ科学技術や金のみがすべてになってしまった。
それによって日本人の精神はモラルは喪失した。それは明治維新から始まっていたのである。
今日の問題はすでに明治維新の時からはじまりその歴史的結果として現在があるとなる
だから明治維新から150年とか戦後70年は日本人の新たな復古の時代になる。
それはか科学技術ではなく鉄砲を捨てたようにむしろ科学技術的なものを捨てるという発想なのである。
車に乗るより自転車がいいとか歩くのもいいとかなる発想である。
するとそれによって人間性の回復が起こるということである。
この辺で不思議だったのは一時車がガソリンが入らず使えなくなった。
その時本当に江戸時代にもどったようになった。
車がなくなると江戸時代にもどるのである。
その時空間とか時間感覚も江戸時代に一時的にもどった不思議があったのである。

結局これからの生活がとうなるのか?

もうこれ以上私はモノは道具は機械はいらない、それより人間的精神が豊かになるようにしたい
別にそういうものがなくても精神は豊かになれる
だから何でも買い金に頼る生活をしない
それより精神の心の豊かさを求める
そんなに物が金がなくても心豊かに生きる社会にしたい・・・

こんなふうになる。もちろんそれより貧困社会になっているのだから現実はそんな甘いもではないとなるのもわかる。
金はどんなことをしても非情な力をもって世界を支配している。
現実はやはり金であり金で回っている
でもなんらかここで歯止めが必要でありつまり心を変えることが求められているのである


タグ:鉄砲
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2015年07月29日

城の美学(建築は精神の具現化したもの)


 

城の美学(建築は精神の具現化したもの)

a Japanese castle is an embodied spirit

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建築はまず原材料に規定される。料理でも材料が良くなければいくら料理人が優れていてもいいものは作れない。
この辺でとれた石鰈は松川浦でとれたものを売りにきていたとき、新鮮だからとにかくうまい、魚は鮮度が勝負である。
家でもいい材料を使えばいい家が自ずとできる。
青森ヒバの家とか総檜作りとかなったら今は最高の贅沢である。
もうそういう家は大金持ちしか建てられないだろう。
建売住宅は見栄えはいいが中身はいい材料を使っていない。
だから住んでみると確かに機能的には昔の家より優れている
昔の家は大きな座敷があり襖で区切られているだけで今風に個人の部屋がない
子供部屋もないとか個人主義となった現代の生活には合わなくなった。

建築がまず材料だというときヨーロッパは重厚な石を素材にしている、彫刻でも大理石を使っているし他もエジプトのピラミッドからして石である。
石は千年とか軽く残るから歴史が石を通じてヨーロッパに残っていてローマでも二千年の歴史が石となって残っているからそれだけの年月の感覚が自ずと養われる
日本ではもう百年も残る家となるとまれである。
今は30年で古くなり建て替えるとなると歴史感覚が養えないのである。
日本文化は生(き)の文化だというとき木は石のような恒久性がない

式年遷宮(しきねんせんぐう)とは継承し、繰り返されることの永遠。
伊勢神宮には常に新しくありつづける、常若の思想があります。
平成25年に行われる式年遷宮とは、20年に一度行われる壮大で重要なお祭りです。神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を遷し、さらに殿内の宝物もすべて新調します
http://ise.jr-central.co.jp/shikinensenguu/

枕詞のあらたまも年にかかるから常に年ごとにあらたまるというのが日本の文化である。それは日本の文化であり悪いというわけではないが常にあらたまりばかりでは継続する歴史が感じられない、何かいいものが必ず時代時代で作られているのが人間である。
その継続の歴史がたたれることは深刻なのである。
日本で明治時代が文化的に興隆したのは和魂洋才で和魂が江戸時代の継続で継承されていたから洋才もそこで日本文化として受容されたのである。
内村鑑三の「武士道」とキリスト教が結びついたのもそのためである。

建築の基本要素は材料であり機能性があり装飾性がある。機能性というとき戦国時代はいかに防御するかということに苦心した。
それが城作りの要点でもある。日本の城は外国と比べてシンプルである。質素であり構造も複雑ではない、外国の城はまずwallであり敵に進入を防ぐために壁でとりかこむことからはじまっている。城本体より壁の方に重点がおかれていたのである。
日本の城には装飾性はない、機能美が主体であり簡潔であり無駄がない、だからかえってそれは江戸時代であれ質素であり武士の精神を象徴するものとなった。
つまり建築は embodied spiritなのである。大坂城にはそれがみられないというときはなぜなのか?

心に青雲」が大坂城に幻滅した原因は何なのか?

天守閣は壊して、石垣や掘りなどの往時の遺物だけ残した公園にしたらよいと思う。大阪の人は「太閤はん」が誇りらしいが、だったらなおのこと、その誇りを大事にして、どうせレプリカなのだからあのラブホみたいな天守閣を破棄すべきではないか。


確かに大坂城をバックにして写真をとらせる人がいたりと大坂城は何か観光用のようにも見える。それに反して石垣は幾重にもあり広いから当時を偲べる
日本の城は石垣はたいがい昔のままに残っている、だから日本では石垣から昔を偲ぶ
会津の城でも新しく再建されたから何か博物館のように見える。
つまり歴史的な建造物でも自然の石や樹と同じように風雪を帯びると貫祿が生まれる
熊本城などは明治維新で陥落しなかったとか鉄砲の玉の跡が残っているとかそういうものがあり魅力がある。
会津の城でも薩摩長州軍に攻撃されて辛うじて残っている城の写真があったがあの写真にその凄まじい傷跡が生々しく残っていたのである。
かえって石垣だけしか残らないとなると世の無常を感じるのである。
真新しく再建されると何か撮影のセットのようにも見える、それが大坂城であり他にもそういう観光用に再建されたものには見える。
あれは徳川幕府が建てたもので秀吉が建てたものではない、秀吉が本拠としていたのは京都の伏見城でありそこに伊達政宗と山形の最上氏が並んで屋敷をもっていたのである

自分は大坂城のとき桜が咲いて散っていた。それが夕日に映えて散っていたのを印象的だった。
まさに秀吉の豪華な安土桃山時代の再現を感じた。でも大坂城は秀吉の城ではない、秀吉は京都の伏見城が本拠でありそこに徳川幕府のように全国の大名の屋敷を構えさせた。東北では伊達と最上が並んで屋敷を持っていたのである。
城でも大坂城でも会津の鶴ヶ城でも再建されたものであり当時のままに残っているのは全国で五つくらいしかないのである。
会津の城は新しく再建されているから真新しく何か博物館にも実際なっているからそれが江戸時代からあったのかと思う。
もし戊辰戦争の時の鉄砲の傷跡とか残っていればそのときの戦いのすさまじさを感じる
何か真新しいものを見ているとまさに博物館であり実物の城のように見えないのである。
その点、弘前城は小さいけど江戸時代からのものであり再建されていない
それは小さいのだけど何か北の質実な古武士のようなものを感じたのである。
歴史に残る建築は人間の精神の表象でありだから単なる物とは違ったものを感じる。
それは刀をただ人を切るものというだけでないものとして侍は帯刀していた。
刀は単に人を切るものではなく精神的なものとしての刀があった。
鉄砲はただ人を殺すだけのものでありそれが否定されたというとき鉄砲は人間の心を精神を否定してしまうからである。
その鉄砲が今や機械の戦争と化していることでもわかる。



 城の美学

徹底的に無駄を省いた造型
簡素簡潔の極みの美
潔白の四面の白壁
忠誠の主君の天主閣
質実の土台の石垣
貧しさの中の無駄のない美
武士道の結晶の美
身を律して静粛なり
冬樹のように張りつめて
ここに自ずと人格は陶冶され
一本筋の通りぬ
城下町の細い道
身を引き締めて
侍の威を正し歩む



城は東北では大きなものはない、一般的に日本の城はなぜあのように小さいのかと思う
今ならビルと比べるとあまりにも小さいのである。やはり日本の狭い島国だからこそ生まれた茶室のような無駄のない建築になっていた。
戦国時代に信長が鉄砲を導入して覇者となったがその後江戸時代になり鉄砲を廃棄した。それは精神性の方を重んじたからだというのがこの見方は世界史ではない
なぜなら熾烈な戦争では武器も核兵器になるまで追求しているからである。
日本の江戸時代のことは何なのかこれもわからなくなっている。
どうして駕籠のような原始的な人間の力だけに頼るもので人を運んでいたかというのも不思議である。

馬車を許可すると、駕篭かきや馬子、馬方、飛脚、船頭など古くから輸送関係の仕事を行なってきた者が職を失なう
同様の理由で、大八車の使用も禁止されていました。
(大八車の使用は江戸市中と駿府のみ許可。他の地域、特に街道での使用は厳禁)。
また、馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

江戸時代はあえてこうして技術を否定したのである。こういうことは現代でありえない、そんなことしたら世界から取り残されるという恐怖があるからだ
そして侍が一番偉いんだという身分制封建制社会を維持するのには技術より鉄砲などをみんな使えるようにするより刀とか馬を尊んだ。
馬はヨーロッパでも騎士道でありナポレオンの時代も騎馬隊があって重んじられて貴族が馬をもつことでその地位を維持していたのである。
それは日本でも同じである。相馬野馬追いでもわかるように馬は特別なものだったのである。
いづれにしろ戦国時代に防衛的なものとして城が作られたが平和が三百年もつづけばそうした防衛的なものは城では無用化していたのである。
城で誤解するのは今ではあまりに小さいけど江戸時代は一番高い建物であり目立った。
天守閣が一番高く望まれていたのであり城が中心的な建物としてあった。
白虎隊が城が燃えたから終わりだとなって自決したのはそれだけ城の重みがあったからである。
現代はそういう中心になるもの重みになるものがないからすべてが混沌として分裂しているのである。
現代社会はだから精神的に安定しないしモラルも持ち得ないのである。

大阪城の詩(城の美学)
http://www.musubu.jp/shiropoem.htm

タグ:日本の城
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2015年07月16日

間や余白がない西欧化文明化された社会 (日本語の間(マ)の意味)


間や余白がない西欧化文明化された社会

(日本語の間(マ)の意味)


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物と物の間の空間は西洋のものの見方では空白でしかないのだが、日本の思想からはそこに何かがあると感じさせる。
http://www.designtope.net/mandara/39.htm

日本の大和言葉にはその国の言葉にはその国の独自の文化とかがあって生まれている。
日本人は日本語がどういう思想あるのかわからない、それを検討するのもむずかしくなっている。
それで本居宣長が大和心と唐心として日本の言葉を分けて日本人の心を知ろうとした。
その国の民族の言葉はその民族の自然の見方とか思想が反映している
日本語にもそれがあるのだがなかなかわかりにくい。
だから唐心とは今では欧米の心でありそれが主に英語になるからそこから対称的に日本語を見るのが今でもわかりやすいのである。

つまりそもそも日本人とは何なのか?日本の文化とは何なのか?そういうことをわかっている人は少ないのである。
日本の文化は中国文化の亜流だと見る人もいるし中国ではそう見ている。
でも日本人が使っている漢字と中国人が使っている漢字の意味は相当に違っている。
特に明治維新語は西欧化して日本の言葉が多くて日本人が造語したのをちゅうごくじんか使っているのである。
日本は何か造語するのがうまいのである。地歴という言葉もうまい言葉だと思う。
そういう言葉は他にもあるが適切でないものもある。
言葉でも社会が変化してゆくと言葉もすたれるし新しい言葉もできるし同じ言葉でも別な意味になってしまう。

日本語の特徴はおそらく一字の言葉だった。一字に何か意味があった。
例えばまとあるとき(間)あてたり(真)あてたりする。
ただこの真にこの両方の意味があるとなるとまた複雑になる
ただ日本語には語尾にまとつく言葉が多いことは確かである。
基本的な言葉でもヤマとかシマとかハマとかがある
マという一語でも意味がある。
間をとれとかある。でも間とは何なのかというとまたはっきりしない。
ヤマとあったらそのマとは何なのだろうとなる
ヤとは何なのか、屋根とあるから屋根をイメージする間は屋根と屋根の間なのだろうかとなる
普通だったら山を見て山と山の間の空間を意識しない、山自体一番意識するのである。
山とは連なる山であり間をおいて連なる山を意識したのかもしれない
島でもそうであり一つの島ではなくて間を置いていくつもある島のことかもしれない
日本列島の地形は連なる山であり島も多いからそうなったのかもしれない
ハマでもこれはハは端(は)であり端(はし)になる、浜はハシにある間だともなる
浜とは何らかの間なのである。須磨(すま)とあれば澄んだ間と感じるから名付けられた。間とは何か、何かほっとする何もない空間なのかもしれない


日本の原自然状態だったらそうした間が多かった、家も少ないしもちろん工場などもないし都会もないから間がいくらでもあった。
その間を埋めつくして発展してきたのが日本でありそれはどこの国でもそうである。
そもそも間というとき部屋が間というのも不思議である。
間というとき何もない空間のことだからである。欧米的には部屋は実用として役にたつものとしてしか意識しない
誰々の部屋とか何を置く部屋とか何に使う部屋とか実用として役に立つものとして家があり部屋がある
それは何でも都市でも用あるものとしてすべてがあり間という考え方がない
間をとるという考え方がないのも不思議である。
space というときspaciousとなり空間なのだが空間が贅沢だという意味がある、宇宙が空間として認識していたことは共通性があるのか?
ただ間という感覚はない、ただ広いということは贅沢だという意味はあった。
でも間という考え方はない、間とは物と物があってその間となるからである。
blank space 余白となるとblankという意味は否定的マイナスのイメージである。
間というとき何か履歴書でもブランクあるなとなると評価されないのである。


間という考え方は日本的なものなのかとなるとすでに中国では無用の用とかの思想があり有名である。それとにていることは確かである。
無用の用とか余白を重んじることは東洋的なものである。
それが最近感じたことがパソコンの画面が正方形で余白のない古い型のものを使っていてわかった。
横に画面が長いと余白が生まれる、その余白が作業しているとき何か余裕をもたらすのである。
ぴっちりとして正方形の画面で作業しているとまさにそこは実用しかなくなる。
一見これは何でもないようで精神に影響していた。
つまり余白がないと何か正方形の画面が実用だけとなり心の余裕がなくなるのである。
その余白は無駄なものではなく無用の用として必要なものとして東洋の思想があった
それは時間にあてはめてもそうである。一時間でこなす仕事でも必ず一時間ぴったりで終わることはないしある程度の時間の余裕をみないと仕事もできない
だから一時間で仕上げろというと人間は余裕をもって仕事ができないのである。
文章をこうして書くのにも3時間で書き上げろと言われてもその前に準備が必要であり
時間の余裕が必要になる。
そして改行して間をおくのも文章を理解するのには役立つ
文章でも話すにしても間が必要なのである。
落語家は間をとるのがうまいというときやはり日本の間の文化がある。床の間もそうである。


最近は家事とか介護に追われるからその余裕がないのである。
それは自分だけではなく間とか余白とかもてない欧米的効率社会になった。
そういうことができるのはまさに機械が適している、人間はそんなに効率的にできないのである。
人間が効率化するために機械に合わせるような世界では人間の心は疲弊するだけだとなるもちろんそれに適合しているのが文明人である。そういう歯車のようにさせられるのが学校から文明人として強いられる。
そういう文明の時間から離脱するとなるアウトサイダーのようなものに社会からはずれたものとなる、そういう生活をするとなる山尾三省のようになる変わり者とされてしまう。ともかくデジタル化すると一分刻みで時間に追われる。
その一分の重みを知ったのは新幹線とか電車にのるときである。自分の時計が一分遅れていたのである。その一分の遅れが致命的になる。
新幹線の時間に間にあわなくなったりする。仕事でも一分刻みで仕事させられている人が工場などにいる
つまり時間でも間をもていなのである。その間をもてないことから文明人は常にギスギスしてイライラしているし心に余裕がないのである。
だから間に満ちていた時代は江戸時代でも日本人はいい顔していたとヨーロッパ人が見たときそれは貧乏でも時間の間が多く空間にもいたる所に間がある社会だったからとなる。
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2015年07月15日

君が代は日本の土着的な誇るべき歌 (磐をイメージして聞くべき歌)


君が代は日本の土着的な誇るべき歌

 
(磐をイメージして聞くべき歌)

 
君が代の歌詞は古今集からだとすると古い。
曲は明治になって雅楽を基にして生まれたとなると日本的な伝統から生まれた音楽となる雅楽はなじみがないし宮廷の貴族だけが楽しむようなものだと思っていた。
ただ宮廷だけでもそれが音楽として伝えられるものがあったとすると日本の伝統である。貴族はいろいろ批判されるけどやはりその国のモラルと文化を作ってきたのである。
マルクキシズムになるとそうした貴族階級の否定になるから文化も破壊されるのである。中国の文化革命がそうであり文化の破壊であり実際に中国の文化財が破壊されたことでもわかる。
日本でも武士階級が批判があってもモラルと文化を江戸時代に作ったのである。
江戸時代には仏教は侍の下部組織となって役所のようになってしまった。
江戸時代のモラルは武士が作っていたのであり寺は戸籍などを管理する役所になっていたただ武士道というのは江戸時代にはなかったというし古い武士の出身が武士道を否定しているのもそれだけすでに武士道はもうどんな武士の出でも何も受け継がれていないのが現代である。
この辺では野馬追いがあっても武士道というものはない、ただ祭りとなっているだけである。


武士道というときやはり剣道とか柔道とかに受け継がれている。それは姿勢を真っ直ぐにするとか真直な道の追及なのである。
空手でも武士道が何か受け継がれている。ただ確かに道とついてはいなかった、剣術であり柔術として江戸時代にあったという「心の青雲」の著者の指摘がある。
何か術となると精神性がない感じになる。
いづれにしろ日本の歴史は江戸時代の300年がありその時代につちかわれたものに純な日本があったことは確かである。
ところが明治になったときその江戸時代にあったものが何でも変えられたのでわからなくなった。
でも明治にかえって漢詩が一番興隆したとかなるから日本の伝統的なものが江戸時代から継続したものが明治になって新たなものとなって復古したのである。
歌舞伎などでもそうらしい、明治に新しく作られた歌舞伎なのである。
なぜそういうことができたかというと明治にはまだ色濃く江戸時代に培われたものが残っていたのである。
一葉の文学でも古文調でありあのように大和言葉が古文調が残っていたから明治になり独特のものとして小説が作られた。
つまり和魂洋才であるが和魂があって大和心があって唐心があったようにまず和魂がなかったら洋才もありえないのである。
その和魂が明治にも根強く残っていたから明治は文化の興隆時期だったのである。

だからキリスト教にしても内村鑑三の武士道キリスト教とか戦後では手島郁朗の神道的キリスト教とかが主張された。手島郁朗氏については理解しにくいにしても何か日本の伝統的なものを受け継いでいたのである。
そもそも明治維新が複雑でわかりにくいにしろ江戸時代300年に培われたものが西欧文明の挑戦を受けて日本の伝統に根ざしたものが維新した、改められた時代だったのである。その後はその江戸時代に培われた日本の伝統が失われた時代だった。
だから日本とは何なのだろうとまた古きをたずねて新しきを知る、温故知心の時代になったのである。
国の歴史となると明治維新だけをみる人が多いがそもそも江戸時代の前から戦国時代から継続が歴史だというとき明治維新もまたそこまでさかのぼって考える必要が出てくる。
つまり安土桃山時代にキリスト教を導入していればどうなっていたかとなる。
その時明治維新と同じように日本は400年前に西欧文明と対峙することになったからである。それを拒否して鎖国したから明治維新があったとなる。
太平洋戦争の原因もそこまでさかのぼることにもなる。
そういうふうに国の歴史となると長い目で見る必要がでてくるのである。

君が代とは

我が君は 千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて(題知らす/読人知らず)

歌詞としてはここから出ている。でも曲はどうしてできたのか明治以降にできたのである雅楽から生まれたというときやはりそこに日本の伝統が継続されて生まれたから意義あるとなる。
ただ君が代は天皇とは限らない、日本民族の継続せんとする歌だから国家にふさわしい。君が代には思想性がある。他の国家のように単純なリズム的なものではなく土着的なものがこの歌からはひびいてくるから荘重なものとなる。
バッハの音楽がゲルマンの森にひびきわたるように荘重なものがある。
音楽というと今ではリズムであり何か思想性があるものがなくなった
文化とは常にcultivate-cultureであり耕すものなのである。
それには土着的なものがないと生まれないのである。
明治には江戸時代の土着的なものが根強く残っていたから和魂洋才として日本の文化も華開いたとなる。
なぜなら現代の創始者をたずねると明治にはじまっているからである。
そして明治からすでに140年とかすぎて戦後70年もすぎるとまた日本の変革期復古期になったのである。
精神的にもそうだて現実の外交でもやはり自立が強いられるから戦争への準備だと安保改革が批判される。
アメリカも日本を守らないし中国が巨大化して日本はまた孤立化して太平洋戦争のような状態になりやすい地政なのである。
とにかく君が代は

千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて

磐を歌うものだから磐の心を知らないと感じない、国家的なものだけではない千歳の磐を歌うものだからである。
自分は磐の詩を百編書いたからまさにこの歌にシンパシィーを感じたのである。
君が代は天皇をイメージするのではない、千歳の磐を像としてイメージする、磐の持続性、忍耐とか人間の精神化されたものとしての磐である。
これは磐だけではない山にも通じるものである。
山とか磐に通じる荘重な思想性がある音楽なのである。だから君が代は日本の国歌は誇るべきものだと思った。
もちろん自分は音痴であり音楽はわからないにしてもこの君が代はシンプルだからわかりすいいのである。
音楽もやはりその国であれ地域であれ土着的なものとして結びつくと荘重なものになる。日本ではそれがないのだがこの君が代には単純だが土着した荘重なものを感じるのである
natinal fundmental deepend and rooted songなのである。
だから君が代を歌うとき日本人の誇りが満ちてくる、それが天皇を讃えるということで君が代を批判するが歌と曲そのものはこれ以上国歌にふさわしいものはないのと思う。

タグ:君が代
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2015年06月08日

南方系と北方系は世界史的なテーマ (日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


南方系と北方系は世界史的なテーマ


 
(日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


●ヨーロッパは南と北は明確である

日本での南方系と北方系の区別はむずかしい。
文化が地理から作られるから気候風土が深く関係している
それが明確なのはヨーロッパだと暑い方の地中海沿岸のラテン系と寒い国のゲルマン民族である。
フランス語とドイツ語が明確に別れているし言語学者でなくてもすぐにわかる
言葉の面から言えばドイツ語は東北のズーズー弁的なところがある
何か言葉が重いのである。そのドイツ語を基本にして英語が成り立っている
ということはドイツ語は世界的なものになっているという面もある
英語でドイツ語を意識しなくてもドイツ語がその根底にあるからドイツ文化の影響を受けているともなる
ヨーロッパだとこうして南と北は地理的風土的にも文化的にも歴史的にも別れているからわかりやすい
ギリシャやローマは南方系でありギリシャにはオレンジなどがとれる、それは日本だと瀬戸内海辺りになる。
ドイツとかは寒いし霧の国であり憂鬱になるから憂鬱な哲学者が輩出している
それは風土的な影響なのである。音楽でも重厚な音楽になる
ゴシック教会のようにゲルマンの森を象徴しているというのもそのためである。
日本だと東北から北海道はゲルマンににている北方系だが北海道は風土的にはより北方系である。トドマツなどがあり樹も重厚になるし太いのである。

カトリックはラテン系であり勤勉なプロテスタントは北方系である。
南方系のラテン系はシエスタとか昼間の長い時間を昼寝するとか休む
それは暑いせいもある、暑いところは昼間は働けないのである。
だからなまけもののように見える。
寒い国はかえって勤勉になるのである。
人種的に区別することもあるが人間はそこに住む風土の影響の方が大きい
ただユダヤ人は例外である。神の民として今も残存しているからである。
民族というより風土的歴史的に作られた文化的集団としての区別である。
だから日本人のルーツを探っても無駄なような気がする
遊牧民とか農耕民とか漁労民とか分けるのがその風土とか生業が人間の存在を規定する
世界は人種で分けるのではなく土地土地で培われた歴史と文化で分ける。
だからもし日本に移民がふえても日本の風土はかわらないから日本人の文化を受け継げば人種は関係ないとなる。
ただ言葉が変わったりしたら日本の文化は喪失するのである。

文化は風土が多様なように多様であるべきなのである。
方言をみんな標準語にしたのもつまらない、ズーズー弁は軽蔑の対象になったが
方言が喪失したら国の訛りもなくなり地域性もなくなる
今は子供からしてきれいな標準語をしゃべり方言は喪失しているからだ。
面白かったのは丸森の人がんだべっちゃと言ったことである。
仙台だと語尾がだっちゃになる、相馬ではんだとなる、それか結合してんだっちゃとなった
丸森には一時相馬藩の城があったから方言も結合したともなる
こういうふうに地域性があると方言でも文化であり面白いのである。
科学とか数学は共通であり地域性とかないからグローバル化で文化も破壊されたのである地域創生というとき方言だって見直す作業が必要なのである。

それは狭い一地域でも歴史が違っていて色合いか違ってくる
何回も書いたけど相馬市は相馬藩の城跡があり城下町である。
原町市はひは雲雀が原があり野馬追いでは神旗争奪戦が行われる場所である。
でも原町は明治になって鉄道が開通して原町機関区になったようにいち早く近代化した街である。
だから大正時代に巨大な東洋一の無線塔ができた。
駅前通りが主要な商店街になったのもそのためである。
相馬市は駅前と通りはなく城下町のままだった。
原町は何か感覚的に広々として感じになる、郊外が広い感じになり雲雀が鳴いているのがふさわしい、それで雲雀市という合併後の名前も浮上したことでもわかる
そういう土地柄なのてある
こういう違いはなかなか旅しているとわかりにくいのである。

●日本では南北が東西になっている

とう‐ざい【東西】

もと相撲で、東から西までおしずまりなさい、という意で言い始めたという》興行物などで口上を述べるときに、また、ざわめきをしずめるときなどに言う語。東西。とざいとうざい。

1 東と西。また、その方向。「―に走る道路」
2 東洋と西洋、関東と関西、東側諸国と西側諸国などの意。「―の文化」「洋の―を問わない」「古今―」
3 世間。また、世間の事柄や事情。「―もわきまえない青二才」
4 《東や西の意から》あちこち。方々。

東と西。また,東洋と西洋,東側諸国と西側諸国,関東と関西など。 南北 「川は町の中央を−に流れている」 「人の気持ちは洋の−を問わない」 「古今−」
A方角。転じて,世間の事柄。 → 東西を失う ・ 東西を弁ぜず
Bもと中国の俗語で,物品または金銭の称。

東人(とうじん、韓国語:동인〔トンイン〕)は、李氏朝鮮の官僚の派閥の一つ。

東人と西人の対立が始まると当時の大司憲・李珥は、金孝元、沈義謙双方を地方に退かせたため、東人の領袖の座に鄭仁弘を着かせた。1584年、李珥が亡くなると本格的な党争が始まった。東人はほぼ政権を掌握していたが、西人から東人へ寝返った鄭汝立の謀叛事件により西人に政権を奪われることとなった。
しかし、1591年に西人が世子冊封の問題で失脚すると東人が政権を掌握した。東人は西人の粛清を始めたがその過程で、南人と北人に分裂することとな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%BA

あずま‐びと〔あづま‐〕【▽東人】

東国の人。田舎者の意を含んでもいう。あずまうど。あずまど。
「破 (わ) り子や何やと、こなたにも入れたるを、―どもにも食はせ」〈源・宿木〉

東男に京女
男は男らしくいきな江戸の男がよく、女は優しく美しい京の女がよい。
あずまあそび【東遊び】

古く東国地方で、風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊。平安時代から、宮廷・貴族・神社の間で神事舞の一つとして演じられた。歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、笛・篳篥(ひちりき)・和琴(わごん)の伴奏で歌い、四人または六人の舞人が近衛(このえ)の武官の正装などをして舞う。現在は宮中や神社の祭礼で行われる。東舞(あずままい)。

あずまうた【東歌】
上代、東国地方で作られた民謡風の短歌。万葉集巻14と古今集巻20の一部に収められる。
あずまうど【東人】
「あづまびと」の音変化。
「あやしの―なりとも、賑ははしきにつきて」〈徒然・二四〇〉
あずまえびす【東夷】
京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。東夷(とうい)。


日本では南方系と北方系は東と西である。だからトウザイ、トウザイとは東も西もで日本全国をさしている。
日本の方角感覚は南北ではない、東と西なのである。

●東西感覚は歴史的にも韓国と日本でも共通していた

それは歴史的にも関が原で東と西が奈良時代から別れている、東はあづまでありそれは戦国時代でも信長は尾張であづまの領域、東の勢力である。

それは天智天皇と天武天皇が争った壬申の乱からすでにはじまっていた。
大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月24日)に吉野を出立した。まず、名張に入り駅家を焼いたが、名張郡司は出兵を拒否した。この状況を不利と見た大海人皇子は、伊勢国に滞在し占いを行った後、伊勢神宮に参拝した。これにより大海人皇子は美濃、伊勢、伊賀、熊野やその他の豪族の信を得ることに成功した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

名張から伊勢へ向かった。伊勢から名張へ自分は旅をしたからこの地理感覚わかる。
面白いのは韓国でも同じ方向感覚で歴史が形成された。壬申の乱と同じように日本と同じように韓国でも東西の争いがあり国が作られた。
小野妹子が(7世紀初せいきはじめ)推古天皇時代607年,はじめての遣隋使として中国につかわされ,「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」という書き出しで有名な聖徳太子しの国書を皇帝煬帝にわたした。
日本は極東だとか東海だとか東の果ての国なのである。南北ではない、それは陽が上る方向の国である。人間の方向感覚は陽が上る方向と沈む方向で知るのは人間が住み始めてからどこでも同じ傾向があったろう。
でも日本でも日本海は山から陽が上り海に沈む、西に沈む、この感覚が太平洋側に住んでいるとなじめないのである。
盆地だと東山から上り西に沈むとなる。京都に東山があるのは陽が上ることは意識するが西山はないのは陽が上る方向を人は特に意識するからである。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木

東海とは日本海も太平洋も視野に入れた広い範囲なのである。韓国から見ると日本は東海になっている。

東と西というとき不思議だったのは近江である。琵琶湖中心に湖西と湖東があり湖西となると淋しい感じになっている、東は風土的には陽の上る方向だから明るい感じになる。
西は陽が没する方向だから淋しい感じになる。
ただ歴史的には違っている。西となると別に関西は先進国で東は後進国であった。
それで今でも東京をトンキンとして関西人がネットで言っている。
地名でも書いてきたが地名の基本は方角地名なのである。
方角によってその土地を知るのが基本である。
それで相馬市と南相馬市となったがもともと相馬藩は小高に最初に相馬氏が拠点の城を築いてそこを中心にして鹿島とか相馬市の方向は北郷としていた。
北という感覚がここにはあった。東と北は日本では同一であり混同しやすいのである。
南はなじみがない、でも東風(こと)とか北風とか西風があり風では東風と北風がなじみがある、南が意識されたのは柳田国男の海上の道で沖縄や南が意識されたのである。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月(つき) もとの樹(き)は生(お)ひやしげれる 枝(えだ)はなほ影(かげ)をやなせる ・・・」

この遠き島が沖縄の島になるしさらに南の島々に通じる。オーストロネシア語圏内になる椰子の実は日本の岸に流れ着くのは南の島からである。
それは黒潮の流れにのって流れてくる。
南相馬市の鹿島区の海老浜は車輪梅は南限の地として有名だった。
これは奄美大島が原産でその種が流れ着いて自生したのである。
まず太平洋は広いしアメリカの方からは何も流れてこないし交流もないのである。
台湾から与那国島から沖縄の島伝いに九州の薩摩とつながった。
薩摩芋ももともと沖縄から伝播してきたものらしい。
米はこの海上の道から来たというけど沖縄では稲作になる適地がないし本土とは江戸時代になるまで交流がなかったからどうなるかとなる
ただ貝は中国に伝わり貨幣となったり日本の関東地域とかまで運ばれたことはわかっている。

ともかく旅すると必ず方角がわからなくなる。だから方角を知るために磁石が必要なる。近江は琵琶湖を中心にして地理がわかりやすいところだった。
それでも湖西があり湖東があり関が原から向こうが東だという感覚がわからなかった。
たいがい自分の住むところは太平洋から陽が昇るからである。
ただ湖西となると何かやはり陽の没るところで比良などの山々があり淋しい感じになる。西会津でも会津のさらなる奥で淋しい感じになる。
つまり東とつくと何か明るい感じになる。東山とかあり東山温泉とかあるのは会津でも同じである。
でもまた会津でもあそこが東山で陽が昇るのかということもわかりにくい、会津は山国になるからその地理がわからなかった。
そして一番不思議に感じたのは太陽が湾から山に沈んでゆく、西沈んでゆく光景である。大阪湾などがそうであり他にもそういう場所は西になると多いのである。
大阪の日下とはもともと大きな湾があり陽の沈む所として名付けられた。
日下部というのはそこから生まれた。一つの太陽の方向感覚から生まれた地名でありそれが氏族の名前となった。
旅の面白さはそうしたありえないような風景に接することである。
それは太陽が山から昇るでも海から昇る陽をいつも見ているのとはまるで違った感覚になるからである。


タグ:東西南北
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2015年06月06日

縄文語とアイヌ語の謎 (福島県は関東より弥生文化の先進国だった)


縄文語とアイヌ語の謎

(福島県は関東より弥生文化の先進国だった)

 
千島列島とカムチャッカ半島の地名を見ると、アイヌ語地名は北上したもののようであり、南下してきたものではない、村山七郎著「アイヌ語の起源」(三一書房)
http://www.dai3gen.net/ainutoku.htm

アイヌ語が北上してのであり南下していないという指摘は重要である。
アイヌ語はもともとの縄文語に由来して民族の移動とともに蝦夷(エミシ)が伝えた言葉である。
アイヌ語はツングース系統とすると北から侵入したようで南からの移動の勢力が強かった北海道にもエとつく地名が多いのはなぜなのか?
それは南方から北へと地名が移動していたのである。
アイヌ語はアイヌが何なのかわからないにしろエとつくのは北上してきたものであり
アイヌ語はアイヌは北方系にしても南方系に由来しているのである。

そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。
一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。
http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

ezogo111.jpg

目・見・お前・?・? アイヌ語 e= お前(ニ人称単数)
いーせ
いーそ
いーる
いーま(居間)
いーね(稲)
いーほ(飯)
いーい(飯)
いーち(中国語)
いーし(石)
いーえ(家)
いーも(芋)
いーむ(忌む)
いーなう(いなう)
いーりえ(入江)
いーけ(池)
いーき(息)
いーのる(祈る)
いーにし(いにしえ)
いーねる
いーく(食う)
いーさご
いーらっしゃい

「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。

えびすが蝦夷とかエミシの由来なのか?それは水に関係あるのか?
それでエが江になったのかとなる
図で示すとイから派生する言葉がある。イは接頭語でありそれ自体意味があるとはなっていない、要するに強調するためにイが用いられた。
日本語ではセは瀬であり一語でも成り立つのが多い
伊勢とあってもイは接頭語であり強調語でてある。
イネとあってもネも根であり一語で成り立つ、いほでも穂(ほ)であり一語で成り立つ
この接頭語がつくのは北方系ではなく南方系の特徴だという

たとえば、日本語の接頭辞は、ツングース語にはまったくみられない。
接頭辞は、常に他の語の前に付いて用いられる語構成要素で、「お寺」「ま昼」「か細い」「い抱く」などのオ、マ、カ、イがそれにあたる。
 このように、日本語は、ツングース語的な文法を持っていながら、ツングース語では説明できない要素も非常に多い。
 
「日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語」ではないかという結論に到達する。すなわち、縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という。

 http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_04nihonngo_ha_konngougenngo.html
 
日本語が混成後であることはまちがいない、それはオーストロネシアンと北方系のツングース系だということである。
その典型的な象徴がイーエという言葉である。それはエにイが強調語として接頭語としてつなぎあわされたのである。
エがさきにありエはエゾーエソでりエミシなのである。
そのイエに漢字が入り家をあてたのである。
ツングースが北方系が東北地帯一帯に先に縄文人として日本を形成していた。
そこに南方系のオーストロネシアンが入ってきて混成後が生まれた。
日本の最古の原住民、蝦夷は東北にあったともなる
それは例えば福島県でも茨城県より田が先に作られたということが考古学の発見でわかってきた。
福島が先進国で茨城、ヒタチの方が後進国だったということもその一つである。
つまり原日本人が東北にあるということはかなり重要だろう。
そのげんじゅうみんか言葉がなかったというのではなく縄文語としてすでに言葉をもっていたのである。
日本の最古層に東北の縄文文化があったともなる。

ただこのエミシは本当に謎であり不明である。
渡来人がこの蝦夷にも交じり地名とか言葉も残した。
アラハバキが蝦夷とかいうけどこれも渡来人系統である。アラとはツノガノアラシトのアラでありアラという国が韓国にあったからである。荒という姓は渡来系なのである。
東北にはツガルもツノガノアラシトから敦賀(敦賀)がありツノガからツカルになったのである。鹿角(カヅノ)などもそうかもしれない、
つまりツノガノアラシトの変形したものである。
カヤというのヤマトタケルに抵抗した蝦夷の一団の中にいたのである。
カヤは伽耶なのである。それは渡来人の一団がすでに蝦夷でもあった。
だから蝦夷は物部氏とかツノガノアラシトから伽耶(かや)とかの渡来人と一体化した人たちのことである。
そして弥生文化は関東の方より福島県側が発達していた。


稲作の伝播には太平洋側と日本海側の2ルートがありました。そして、稲作は日本海側の方が向いていますから、このルートの稲作の伝播は太平洋側よりさらに速度を速め、たった100年で青森県まで到達しました。そして、東北の太平洋側の稲作は、日本海に注ぐ川を遡上して広まりました。
このルートは新潟から阿賀野川から東進し会津盆地に入るルートです。弥生時代中期の福島県域の人たちは、たぶんこの阿賀野川に沿ってやってきた人たちです。この人たちが県域の各地に広がり、その子孫が弥生時代に県域に住んだ人たちでした
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20944129.html

つまり弥生人はすてに渡来人でもあり福島県には濃厚にその跡が残っている。
これは渡来人の影響が大きかったともなる
しかしその前に縄文人が東北にはいてそれが縄文語のルーツでありそれにオーストロネシアンとツングース系の北方言語が混じり合ったのである。

いづれにしろ日本語が孤立語でそのルーツがわからないのはそもそも満州に住んでいる人たちとかインドネシアに住んでいる人たちの言葉とか東南アジアの言葉を知らないことによる
もし交流があったなら共通語が東南アジアとか中国でも形成されていたのである。
それはヨーロッパを見れば継続して交流があり明確に混成後として言葉がわかる
日本語は例えばオーストロネシアでもそれは断絶してしまったから不明になったのである現実に日本が戦争でオーストロネシア地帯にポリネシアなどに進出して兵隊が支配したときその島では日本語をしゃべっていたし今でもしゃべる人がいることでもわかる。
戦争を通じて日本と交流があったから日本語をしゃべっているのである。
戦争で征服、征服されると言葉が強制的に混成後になることが明確である。
日本は回りを海に囲まれて断絶してしまったのである。

言葉の不思議はもし縄文語があるとして縄文人がしゃべっていた言葉と同じ言葉をしゃべっているとしたら明らかに縄文人をルーツにした文化を言葉から受け継いでいるとなる
すると今の日常生活にも縄文人が日本人の中に生きているとなる
縄文時代となるとただ過去の死んだ遺跡のようにしか見ていない
今とは遠く切り離された遺物として見ているのである。
現実に今に生きていない歴史は歴史にはならないだろう。
民族の言葉を維持することはそうした縄文人の文化を受け継いでいるということにもある大和言葉というと縄文人が関係ないように見える
蝦夷といってもわからないから大和言葉は渡来人の言葉なのかともなる

でも日本語が孤立語だというのはそもそも回りとアジアと交流がなくなっていることにあるのだ。
戦争でもアジアから孤立していたし今でも朝鮮中国からも孤立している。
その孤立語というのは言葉だけではない、現実の世界でもアジアから孤立していることがつづいているのである。
言葉というのはだから現実の世界情勢を反映したものとしてもありつづける。
中国などはかえって今ではその文化でもわかりにくいのは明治維新から欧米一辺倒になったからである。
中国がまたアジアの中心になると必ず中国文化が見直されるのである。
文化という視点になればやはりその土地と一体化するアイディンティティ化する
だから東北の源流を探ることも大事になる
そこから東北ルネサンスが生まれるのである。
それで東北の歴史も見直す必要が出てくるのである。



タグ:縄文語
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2015年06月01日

「大和心」と「大和魂」は全く違ったものだった (吉田松陰の大和魂は戦争に結びついていた)


 
「大和心」と「大和魂」は全く違ったものだった

(吉田松陰の大和魂は戦争に結びついていた)



敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花 本居宣長

 
大和心と唐心を日本語を分けて日本の心を探求したのが本居宣長である。
吉田松陰は大和魂にしたが大和心とは違っていた。
その時欧米は驚異でもないし敵対しないから純粋に大和心だった。
大和魂になるとそれは日本意外の国に対して「大和魂」」を示すということで攻撃的でありと平和を感じない。
吉田松陰はアジア侵略の基の水戸学や平田篤胤の国学を学んでいたのである。
それが太平洋戦争につながっていたのである。
ただ本居宣長の歌は戦時中は利用されていた。
「敷島」「朝日」とかのタバコが売られていたのである。

いづれにしろこの歌の良さは極めて日本人の心情に訴える歌だった。
日本の自然の美の代表である桜を歌っていたこともある。
その桜も染井吉野とは違う純自然の山桜だからまさに日本の美の極致ともなった。
桜とか富士山とかは日本人の心ともなっている。

真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな(自作)
http://musubu2.sblo.jp/article/130457064.html

真直なるというのが大和言葉であり大和心なのである。それは日本の自然の中で汚れのない、真直なるということである。

飛騨たくみほめてつくれる真木柱立てし心は動かざらまし賀茂真淵

この歌のいいのは飛騨のたくみというのは万葉集にもでてくるから古いのである。

かにかくに ものは思はじ 飛騨たくみ 打つ墨縄のただ一筋に (万葉集)

飛騨の歴史
http://panoramahida.iza-yoi.net/hidatakumi.html

この伝説で面白いのは飛騨の匠と争ったのが百済川成はそうである。
当時は何でも渡来人の方が技術的に上だし渡来人を通じて技術が入ってきた。
だからここで渡来人と争った伝説があるのは日本にも飛騨の匠がすでにいて
その技術を競ったとなる。
真木柱というときその柱は国産であり飛騨にとれたものとなる。
つまり技術も国産でありその資材も国産だということに大和心があるとなる
外国から取り入れた技術でも国産化することに大和心が生まれる
漢字をカナにしたしたのもそうである。

飛騨の匠の起源

薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など幾多の神社仏閣の建立に関わり、平城京・平安京の造営に活躍して日本建築史の黄金時代の一翼を担ったのでした。現在も奈良の橿原市に飛騨町がありますが、高山の町並みを思わせる小ぎれいな木造家屋が軒を連ね、また大和路には飛騨と共通する地名が多い事から、飛騨から上京した人たちが現地にとどまり土着化したものとも考えられます。

いづれにしろ大和心と大和魂は根本的に違っている。
大和心は平和的てあり大和魂は戦闘的だから戦争で称揚された。
大和心にはアジアを侵略する意図などその時なかったのである。
ただ文化的な相違として大和心と唐心を分けて追及したのである。
だからそもそも戦争と結びつくようなことはありえなかったのである。
つまり吉田松陰の

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

この歌は何かわかりにくい、大和魂とは何なのか?これは大和心とはまるで違っている。
これは非常に危険なものをふくんでいた。それはアジア侵略のために利用されやすかった現実にアジア侵略の思想があり歌われたのである。
戦争で日本人が戦い死んでも大和魂はとどめおくともなる。
大和心は別に世界でもそれぞれの文化がありそれを主張することは否定できないし
それがなくなればその国の文化もないのである。
大和心を世界に示すというとき今の「和の文化」がそうでありそういうものは別に平和の事業であり世界に宣伝してもいいのである。
でも「大和魂」となると「大和心」とは違う戦闘的なものとなってしまう。
それは吉田松陰によって日本人の心に植えつけられた。
だから吉田松陰の功罪があっても功の面ばかりが戦前でも戦争中もとりあげられすぎたのである。
大和心は「和の文化」は受け入れられも世界にそうした侵略的な思想は受け入れれない。明治維新もだから今見直されている、太平洋戦争がすでに明治維新の吉田松陰の時から予定されていたのである。
吉田松陰を神格するということは危険なものだったのである。
つまり江戸時代から明治になるとき「大和心」が江戸時代にあり明治維新で吉田松陰によって「大和魂」になった、その変化も大きかった。それが後の災いの元となったのであるそうした人物をもちあげたしは司馬遼太郎とか明治維新をやたら持ち上げた人たちが今は問われている。
歴史は必ず時がたては見直されるのである。






タグ:大和魂
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2015年03月29日

大和言葉を見直す時代になった (言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


大和言葉を見直す時代になった

 
(言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


この『よそう』を現代人は、つい先ごろまで、茶碗に飯を盛るときにも使った。(中略)

http://cds190.exblog.jp/4189811

 古代日本では飯を盛るのは女に限られていた。本来飯は神に捧げられるもので、女性が神事に奉仕したからである。(中略)

日本人が日頃何気なく使っている言葉には日本人の魂が宿っている。
ただそれが意識化しているからその精神を知ることができなくなった。
日本人とは何か?日本文化とは何かと言うときその言葉にこそある。
最も身近なものに日本文化の根源がアイディンティティがある

例えはよそおう・・という言葉が実は女性が巫女が神に仕えていて飯をよそおうということから出てきた言葉なのである。
飯を神にささげることはそれが神聖なる行事としてあった。そ木神事が日常化してただの普通の労働になってしまった。
介護になってから自分が主夫になってしまったので飯をよそおうのが仕事になったからこの言葉の意味に注目したのである。

たまふ(賜う)=たまる(賜る)。

たまふとはもともとは玉から由来している。たまるとは賜ったものがたまることである。たまふとはもともと神からたまわるものが語源なのである。
現代だとすべてが自分とるという感覚になる。
何かたまわるという感覚はない、授かるとかいう感覚も無い
だから誰も自然でも何でも感謝したりしないのである。
たまるとたくわえるは違う、たくわえるは人為的努力でありたまわるは神からの無償の恵みなのである。
人為的に貯えるのが現代の経済であり社会である。そこに呪いが隠されていた。
機械が過度に発達して人為的に自然から恵みを富を収奪して成り立っているのが現代文明である。
資本の横暴がグローバルで金が物が暴力的に横暴に支配する社会となった。
てはそういう西欧的文明の転換期になったとき何が新しい文明を生むのかとなると一つは日本文明も文化も東洋文明をになっているということである。

だから言葉から見直してゆくとき国風文化がまた再興(ルネサンス)するのである。
日本語では何か基本語となるもの、基幹語となるものがある。
それは一語なのである。
例えばチという語は広範囲に使われている。地は血でありあらゆるものの基本にチがあるトチでもカチでもマチでもサチでもチと語尾につくのはチは大地の意味なのである。
日本文化の感覚は農耕民であり土地に根ざしているのである。
だから植物的文化となりそれは荒々しい動物文化牧畜文化とは異なる。

ミチというときもミは身でありチは大地のことである。英語でも地球は地のこと大地のことであり土を意味していた。万物を生むのが土地であるからそうなる。
ただこの土地は意識しにくいのである。
大地がすべてをはぐくむ基だとしても大地のことを意識されにくいのだ。
農業している人が今は土がまだあたたまっていないからだめだとういう。
何か作るにしても土と深く関係しているるのが農業である。
土はすぐにはあたたまらないのである。徐々にしかあたたまらないし野菜でも徐々にしか生育しないのである。
そこにどうしても忍耐強く待つ時間が必要になるのが農業なのである。

神道とは何かというときそれは最も身近な日頃使っている大和言葉にあった。
ミチとはチに由来して身と地は一体てあり血が巡るとはめぐるー恵みとなる。
大地が基本にあるのが大和言葉なのである。
言葉には必ずその国の文化があり物の見方や思想が宿っている。
だから詩は翻訳すると何か別なものになっているのである。
詩は翻訳できないというのは言葉の背景にその国の風土とか文化があるからなのだ。
まず日本の俳句の季語を理解することは日本人だった多様で全部は理解できない。
ましてや日本の風土を知らない外国人には知り得ようが無いのだ。
時雨とか春時雨とかこれなどは理解できないのである。
本居宣長が国風文化を見直したとき唐言葉と漢字と大和言葉をかなとを分けたことからはじまったことでもわかる。
今は日本語があるがこれを大和言葉にさかのぼりその日本人の根源的な思想をアイディンティティを知る作業が必要なのである。
そして今や世界の言葉にふれる時代だから大和言葉とか英語でも比較して日本文化が何かを知る時代になったのである。

日々にしてよそおう飯やあわれかな家に仕えし我が仕事かな

これも奇妙だけど実際に自分が一人で今家を守っているのだ。主婦があり主夫がある。
男も最近では一人暮らしになれば料理でも家事もしなければならなくった。
介護は家事の延長なのである。だから女性には向いていても男性には向いていない面があり男性が妻が死んだり親の介護となると苦しくなるのはそのためなのである。
今や家というのは墓もあり家維持することはそれなりの資産も必要であり庭の手入れもあり家事全般すること自体が手間がかかりすぎるのである。
だから未だに整理がついていないのである。
一家を維持するにはそれなりの人手が必要だから一人暮らしでば無理だと思った。
大家族だった時代は家を維持できたが今は家自体が核家族とか分離してしまった。
だからこの辺ではそもそも故郷でも家族でも喪失して分離してしまった。
縁故をたどり全国に散らばり家自体は分離して故郷まで喪失してしまったのである。


タグ:大和言葉
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2015年03月18日

言葉に大昔の生活の痕跡が残されている (値(あたい)は生産することから生れていた)



言葉に大昔の生活の痕跡が残されている


(値(あたい)は生産することから生れていた)


 
「値・価(あたい)」の由来
あたいは、「相当する」といった意味がある動詞「あたう(能う)」が名詞化したものであるとか「あたあい(当合)」が変化して「あたい」になったと考えるのが妥当らしい。
「値」の漢字の「直」は、「まっすぐ」や「まとも」といった意味をもち「値」になると、「(人が)何かにまとも」といった意味を持つのだそう
あた・う〔あたふ〕

言葉はそもそも歴史がはじまったときからある。言葉は詩の化石化したものだというときそれだけ古いということである。
あたいが与えるから生れた言葉だというとき原始とか古代では人間はみんな生産者であり消費者ではない、戦後十年までは農家では納豆まで作っていたし自給自足していたのである。消費することが極めて少ない社会だったである。
現代の消費社会というのはここ五十年くらいつに起きたことであり人間はもともと生産者であり消費者としての歴史は極めて浅いのである。
何か生産しない限り生きていけないのが人間だった。
つまり自分で生産したものを消費したのであり自給自足であり他人が生産したものを消費していたのではない。
だから消費するという概念すらなかった。
それであたいという言葉が与えるから生じているのは自分で生産したものにこそ値が価値があるということであり他人が生産したものを消費するということに価値は生れないのである。
第一消費するというとき費やすとなるが費(つえ)えるとは

1 財物などが使われてひどく減る。「投機で家産が―・える」
2 時間や労力がむだに使われる。「いたずらに歳月が―・える」
3 (潰える)つぶれてすっかりだめになる。崩壊する。「災害に―・えた街」「計画も夢と―・えた」
4 (潰える)戦いでことごとく負けてしまう。
「是(ここ)に於て南軍大(おおい)に―・え」〈露伴・運命〉
5 やつれ衰える。
「年頃いたう―・えたれど」〈源・蓬生〉


こうした悪いものとしての意味しかないのである。
何か消費するというとき買うことになるが買うは代えるであり物々交換の名残りを残した言葉である。
買うとは自分が生産したものを交換することを意味していたのである。
だから消費という観念すらないのである。
こういうふうに言葉からふりかえると現代の生活がいかに異常なのかわかる。
もう自分でも毎日買うこと消費することが生活なのである。
何一つ生産せずに買うことが生活なのである。様々なものを買うことに費やされているのである。
江戸時代からしたら千倍とか買って消費している生活なのである。
人間は何一つ生産する能力を失っているという指摘も確かである。
それが豊かな生活かとなるとそうではない、何も生産できないということは何も価値をあたいを生まない生活にもなる。
何かを生産したとき自ら作りだしたときあたいが価値が生れたからである。
だからこういう消費生活はいづれは破綻する予感がするのである。
何も作らないで買ってばかりいたらいづれは食料すら手に入らなくなる。
何も生み出さないとしたらあたいが生れないからである。
つまりついえる・・・となってしまう。

うむとかあれば売る(うる)という言葉が基幹語から生れる。生む(うむ)があって売るとなると最初にやはり生産することがあり次に売るになる。その言葉にも消費するということはない、あくまでも生む、生産することに重点がある。
うみとは海はうむものとしてあるからうみになった。
うみーうむーうる・・・は関係している。最初に売ったものは魚だったらしいからであるそもそもそういう生活だからこそ言葉もそういうふうにできあがってくる。
だから現代の消費社会というのは無駄が膨大にありゴミをだしつづける。
それは自然の資源も無駄に消費する社会である。
原発もやはり核のゴミをだしつづける。それはプルトニウムだったら二万年消えないとかなる恐ろしいものだったのである。

とにかく費やすーつええるーことになる社会なのである。
最終的には現代の社会は文明はあらゆる資源を費やして遂についえる社会になる。
二十世紀とかは本当に膨大なの地球資源を消費した異常な社会である。
それは人間すら戦争で膨大な命が費やされてついえた社会なのである。
資本主義であれそれは何か現代では異常化している。
資本主義が修道院からはじまったというとき消費ということは頭になかった。
資本の蓄積をするプロテスタントシズム、勤勉にして神に仕えるということから資本主義がはじまったとなると消費という無駄に費やすということはなかったのである。

ともかく現代文明は科学技術文明でも核兵器や原発でもその頂点に達して崩壊する危機に直面している。現実に原発事故周辺は文明が崩壊した場所となってしまったのである。
だから文明の転換が望まれるし新たな文明の創造が望まれる場所にもなるしただ文明の廃墟として捨てられる場所にもなりうる。
つまり費やされついえた場所にもなるのである。
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2015年03月17日

日本語は縄文定着文明に由来しているのか? (言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)



日本語は縄文定着文明に由来しているのか?

(言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)


 
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現代の学問はグローバル化しているからなかなか素人学問では追いつけないだろう。
「地球環境史学」というのは世界史を環境の分野から見る壮大なものだからである。
その中で日本の縄文定着文明が一つの文明として見直される。
縄文が文明だったのかという疑問があるがそれも一つの文明として見直される。
そんなに縄文文明が世界的に優れていたのかとなる。
日本人のアイディンティティのルーツは縄文時代一万年にあるというときその長さに驚くだろう。
ではその縄文人として受け継がれたものが何か残っているのだろうかとなる。
それは日本語に残された言葉にあるのかもしれない゛日本語自体が孤立語であり他の言葉と関連していないから未だに謎である。
たたその言葉がどういう成り立ちがあるのかというとその言葉を成り立たせたものその生活自体にあったということは推測できる。

その一つとして日本語はとるというのが基本語としてある。英語でも外国語でも基本語がありそれはインドヨーロッパ語族だと牧畜狩猟を基本にしていた生活から生れていることははっきりしている。have get cache drive ・・・・とか獲物を捕らえるという感覚の動詞が主体になる。haveだとこさはあまりにも多様な意味がある。単にもつだけではない、養うとかありそれは家畜を養うに通じているのである。
haveは明らかに基本語でありそれはその生活と密着しているからそうなる。
だから言葉は研究することはその民俗のありようとか考え方文化に通じることになる。
ただそれがあまりにも多様だから言語の研究はたいがい嫌になりあきらめることになる。
日本語もまたいろいろその起源を探ってみても実際は不明である。
だから結局徒労になる。あくまでもみんな仮設にすぎないからである。

言語を知るには返ってその生活のありようにこそ注目して言語をみるべきなのである。
日本だったらどういう生活をしていたかというと魏志倭人伝る。
魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとくく牛とか馬とか羊でも知らなかったのである。
この相違は大きい、大陸では遊牧民はすべて牛であれ馬であれ羊であれそれを基にした生活でありそれが文明に発展したからである。
日本人は確かに鹿などを狩りしていたけど基本的には漁労民族である。
海の幸と山の幸に恵まれていた民族なのである。
山の幸は森の幸に通じている。だから牛とか馬とか羊は知らない民族だったのである。
最初に日本に来た人が中国人が日本人の特徴を的確にとらえていたのである。

ここで一つの基本語としてとるというのを例にすればここから発展する言葉が様々ありこれが日本語の基本語として発展する。
とるとは森などで栗でも木の実をとるということに通じている。
日々の暮らしが木の実をとることになっているからとるという言葉は基本語になる。
そのとるからとまるがありとむ(富む)がありとち(土地)がありとち(栃)が生れて派生語が生れてくるのである
最初に定着文明があったということになると人間は移動してばかりいたら豊かにはなれない、貯えることができないと富むことはできないのである。
だからとるからとむに発展した。縄文時代が縄文土器を作ったのはまさに富むための器を貯える器を作ったということで富むことになったのである。

それから恵み(めぐみ)という言葉がある、そのめぐみはめぐるからきている。
日本では恵みはめぐることである。めぐるとは水がめぐるように循環することなのである季節がめぐり恵みが与えられる。時もめぐるが水もめぐり大地を潤し恵みを与える。
それは弥生時代にも稲作になってもその生活は受け継がれた。
稲作も定着文明だから共通していたのである。
遊牧民は広範囲な大陸を移動する生活である。その生活のありようが根本的に違っていたのである。

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「地球文明の寿命」安田喜憲

東西の文明を考えるとき西洋の起源は狩猟牧畜に由来している。
そしてここで安田喜憲氏が指摘しているように大きな獲物を追って捕らえ食していたからその石器も大きかったというのも興味深い。
石器時代から東西の文明は根本的に違って発展したのである。
西の文化はそもそも石器時代からそれだけ動物を殺す道具が東より優れていた。
つまり西の文化は動物を殺す文明として石器時代から発展した。
それは現代と何の関係があるかというとその動物を殺す道具としての石器が巨大な殺戮機械に核兵器まで発展したといもはることができる。
西では戦争が歴史でもありたえまなく戦争していたから兵器の技術も発展していたのである。
西洋文明というとき科学技術文明のことでありそれは道具によって機械によって自然でも人間でも支配しようとするコントロールする文明である。
それは男性的原理からなる文明である。
それに比べ東は女性的原理かなる文明である。採集文明が木の実をとるのだからそれは狩りをするのとは違う動物を飼育するのとは違う馬にのるモンゴルのような生活とは違う、極めて女性でもできる作業なのである。

ともかく西洋文明と東洋文明とは何かというとそのテーマが大すぎるからそれを解くとなると様々な視点が必要になる。
ただなぜこれまで西の文化が優越になったかというとそれはやはり神が定めたものだろう聖書が生れたイスラエルは遊牧民のアジアの端だった。
では東洋となると東洋とはどこなのかなになのか明確ではない、そういう文明論などまだ解きあかせないからである。
日本は東洋文明だとしてもまた島国であり特殊な漁労採集民族だった。
それは西にはない文化を縄文文化を育んだ。
でもそういう日本の文化はないがしろにされてきた。
圧倒的な西洋文明により日本の文明は埋没して見捨てられていたとなる。
だから縄文文明が新しく見直されるときそれは国風文化の再興(ルネサンス)になるのである。
ただ縄文時代が遅れた文明のように見られているし日本の文化は圧倒的な西洋文明一色になっているからその発掘をすることが日本の発見にもなるのである。
だから外国語にばかり注目しているが「恵み」という言葉に何か日本文化の基本的なものがある。それは採集文化の女性のやさしさみたいなものが恵みにはある。
それは弥生時代の稲作文化の山から水がめぐり大地を潤しめぐる文化に通じている。
循環再生の文化である。

いづれにしろ今回の原発事故は様々なことを文明の転換すら要求される巨大事故だった。それは西洋文明すら見直すものとなったのである。
西洋文明の科学技術文明がたどりついたのが原子力だったとも言えるからである。
それは石器時代にすでにその萌芽があり今日いたっているという歴史の連続性がある。
一見世界を支配した科学技術文明が原発事故によって崩壊の危機にさらされたともいえるなぜなら原発事故であれ核戦争は人類滅亡に導くからである。
では東洋文明とは何かというとそれはあまりにも大きなテーマだし実際は日本文明が縄文時代でも文明と見ていないように発見されていないし日本人自身評価がしていないのである。野蛮なアフリカのような土人の作ったもののように見ていることでもわかる。
そして聖書のエデンの園では動物は食べていない、果実と木の実を食べていたのである。
そこには野獣はいない、ライオンとか肉食獣など獰猛なものいない、おだやかな草食獣とともに暮らしていた。
それは縄文人が一万年平和な暮らしをしていたというときまさに木の実や果実を食べていたからである。
肉食獣をとったり食べたりしている遊牧民から牧畜民から発した西洋文明はそうした東洋的平和な文明とは根本的に違っていて
弱肉強食の原理の世界、現代のような世界を作り出したともなるのである。
ただそれはあくまでも文明の相違であってそれぞれの良さがありそれを融合させるのが新たな文明なのである。
それがいち早く西洋文明化した日本にあると明治時代に指摘された。
それから百年以上すぎて原発事故がそういう西洋文明の転換をうながすものとさえなったのである。







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2015年02月28日

津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた (それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた

(それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」

津浪や原発事故の被害を受ける前からすでに農村は崩壊していた。
だから津浪や原発事故によってだけでなくすでに農村は崩壊していて原発事故がなくてもそういう崩壊状態にあった。
つまり何か津浪や原発事故が崩壊原因のように見えても実はすでに崩壊状態にありそれをたまたま津浪や原発事故か早めただけにすぎないという見方もある。
ローマ帝国であれインカ帝国であれなぜ滅びたかということを研究している人は内部からすでに崩壊していたのであり外部からの力で崩壊したのではないという。
インカ帝国にしても一団の荒くれ者によって崩壊させられたのてはない、帝国内に内部崩壊が進行していたからそうなった。
それもそうなのか、例えばなぜ戦争で三百万人も死んで焼け野原になり日本は復興できたのだろうか?
これは津浪や原発事故より被害が桁違いに大きいのである。
食べるものさえない状態からはしまったのである。
でもその時は子供が多く生まれた。それが団塊の世代である。
ミルクさえなく親は並んで買っていたという。
だから何もないのに良くそれだけ大勢の子供を養えたというのが不思議である。
アメリカから配給されたまずい脱脂粉乳などで育ったのである。
それは津浪や原発事故より絶望的な状態だったのである。
それも一部ではない日本全国でそうだったからである。

百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる

少子高齢化時代がはじまりそれが深刻なものになってゆく、それが文明が衰退してゆく原因である。つまり津浪や原発事故だけでは文明は衰退しない
その前に衰退するものがありそれに拍車をかけたのが津浪原発事故だという見解である。なぜなら農村はすでに崩壊していた。老人が農業していても跡継ぐものもいない、補助金がなければとやっていけない、漁業もそうであった。
だからこそ東電の原発を誘致したのである。
地方自体が衰退しているからこそ原発が必要だったのである。
その原発も事故になり本当に市町村は崩壊状態になった。
港は壊滅して田畑は原野化した。人々は離ればなれになり離散した。

地方の崩壊が原発事故周辺で文明の衰退崩壊を先取りして現象化したともとれる
陸前高田市のことなど放送していたが以前として先が見えない、人口は20パーセント減った。市街は更地になったままなのである。
そういう所でどうして復興できるのかとなる。
でも戦後東京でも焼け野原になったのである。その時仮設住宅な用意されていない。
食べるものもない状態から出発して復興したという不思議があるのだ。
その相違は何なのだろうとなる。
もしその社会が上昇曲線にあれば戦争でも自然災害で大きな原発のような事故でも復興するということなのだろうか?
もし下降曲線、衰退曲線にあればそうした災害や事故とも関係なく原因ではなく下降してゆくだけであり衰退して崩壊してゆくだけだとなる。
それは人口に現れている、明治から大正から昭和から戦後も日本は人口は上昇してきたのである。
戦後も団塊の世代がそれを象徴していたのである。

日本の少子高齢化の速度は早く恐怖なのである。なぜなら空家が7軒に一軒都会でもそうであり全国で800万軒という数になるからそのことが如実にしめてしている
つまり住む人か日本かいなくなるということさえ言われる衝撃的な事実なのである。
限界集落とか自治体が消滅するとか少子高齢化のことでは盛んに言われている。
まさにそういう現象がこの津浪と原発事故でこの辺に起きたのである。
村や町が消滅してしまうということである。
そしてそこは原野化して森に還ってしまうというのが事実となっている。
飯館村でも葦におおわれやがて前の森に還ってゆく
双葉とか大熊とかはもともと江戸時代は森であり明治に開墾された土地だった。
だからそこも人が住めなくなり森に還ってゆく、自治体は消滅したのである。
マヤ文明が神殿だけが取り残されてまた森におおわれてしまった。
原子炉の廃墟を残してこの辺も森におおわれてしまうのか?

この辺に起きていることは何も津浪や原発事故がすべての原因ではなくそうなることは予定されていたのかもしれない、それはここだけの問題ではない、大きく言えば日本だけではない、現代の文明の崩壊状態を先取りして示しているのかもしれない
家族が離散したというとき若い人はもともと田舎に住みたくないから姑と一緒に住みたくないからこれ幸いと補償金もらって流出した。
大内村などでも郡山市に住んでみたら都会の方が便利でいいとなる。
だから補償金をもらいつづけて郡山市に住んだ方がいいと帰らないとなる
家族自体が戦後核家族とかが奨励されたように大家族は崩壊していたのである。
ただ農家ではまだ親と住んでいる二所帯家族が多かったことは言える。
でも実際は一緒に住みたくないというのが現状だったからこのさい離ればなれになった方がいいとさえなった。

そして現代の最大の特徴は何かとなれば貨幣こそか金こそがすべてだという社会である。それは世界的にそうでありそのことも津浪や原発事故での市長村の崩壊に拍車をかけたのである。

金があるならどこでも好きなところに住んでください
その土地にこだわることは必要ありません

農民が土地にこだわるというときそれは植物的本能とも言える。それをシュペングラーは指摘していた。そういう生物的本能の否定の上に都市が巨大化して地方が農村が衰退させてきたのが現代の文明なのである。
田舎でも地方でも金がすべてであり金さえあればいいという社会になっていたのは変わりないのである。
田舎にはまだ田舎の人間的つながり助け合いがあると思っているがそれはすでにないのである。貨幣経済が支配するのは田舎でもそうでありそれは世界的にそうなったのである。ある一地域にこだわり住むという社会ではない、金かあればどこにでも住んでください、極端になると世界のどこの国にも住んでいいです、金さえあればとなる世界である。

そういうことがこの辺で現実に起きている。仮設に入った人は膨大だけど別に金さえあれば食料に困ることはない、いくらでも外から入ってくる。
そして仮設に入っている原発避難民は補償金で暮らしていけるから何も困らないのであるもし何も食べるものがないので何かめぐんでくださいとかなるなら別である。
何にも困らないしかえって補償金がもらえるから威張っているというのそのことを如実に示している。
だから金だけにものを言わせることにイワキでも他でも非難されることになったのである何でも金がもの言う社会になっているきだからいうことが矛盾しても起きてくるのである
だから貨幣経済の資本主義とか文明そのもの矛盾が現れたともなる。

金をやるからあなたがたはどこにでも住んでください

こういわれているのである。でもその金によって一億円もらっても代々住んでいた土地から離れて住むことは人間の根源的なアイディンティティを失うことではないか?
それを田舎から都会に移り住んだ人は感じているだろう。
ただそれを表現できないからその内面が良くわからないというだけである。
文化もそうだが人間はもともと生物なのだからその土地から生成されたものである。
だから都会というのはもともとその土地から遊離するということでもあった。
それを可能にしたのは貨幣経済のグローバル化でもあった。
ユダヤ人は土地をもたないから金にたより資本主義を生んだというのも一理あるわけである。金融業を支配しているのはユダヤ人であるとかいうのもそうである。
ただユダヤ人だけではない、そういうシステムの文明はすでにグローバルになっていてそれはまた世界がその文明を取り入れたからである。
文明とは普遍化であり世界的普遍化なのである。
ただそういう世界的文明もゆきづまり崩壊してゆくことは常に社会が変化したようにありうる。
だからそういう文明が崩壊してゆく現象が津浪や原発事故でこの辺に先取りして起きているのだと解釈もできるのである。

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある

確かに都市は勝利したけど地方の衰退は都市に影響してゆく、地方がなくして都市も実際は成り立たないからである。そこは文化もない不毛地帯であり今若い人が田舎志向になっているのもそうした精神の不毛地帯を感じているしそれが具体化したとき今度は都市が衰退して崩壊してゆく、そして文明自体が崩壊してゆく・・・その次に新しい文明が生まれ、それはななのかわからないとなる。
小規模のかつてあった田園都市のの再興となるかもしれない、それはまた新しい地方の再生にもなるのである。




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