地理はまず方角を知る
【日の昇る東と沈む西を基本として知る】
「オリエント」の語源はラテン語で「日が昇る方角」(=東)を意味するオリエンス (Oriens) である。英語のイーストやドイツ語のオスト (ost) などはギリシア神話のエオス(暁の女神)に由来する
地理で一番意識するのは陽の昇る方向と沈む方向である。小野妹子 陽の昇る国から陽の沈むへと
遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。
現代語訳すれば「日が昇る国の天子(国王)から、日が沈む国の天子へお手紙します。元気?」ってところでしょう。
ともかく地理の基本は方角を知ることである。陽が昇る方向が東であり沈む方向が西である。でも東西南北があり東西はわかっても南北がわかりにくい、南仙台駅があるがなぜ南なのか北仙台もある、仙台を中心として南があり北がある
でも常に意識できるのは陽が昇る方向の東であり沈む方向の西である 南相馬市となると相馬市の南となり合併後に名ずけられた
東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ 柿本人麻呂
(読み方:ひむかしの のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)
ひむかし・・・は陽に向かうである。こういう光景は常に見ている。陽の昇る方向と陽の沈む方向は意識しやすい、だから近江では陽の昇る方向が関ヶ原の方向でありそこから東(あずま)になっている。そこが東西の境界なのである。
日本の東西は西から発展した、でも西から陽の昇る方向に東(あずま)に向かっていったのである。征夷大将軍は西から東の蝦夷を征服する称号でありその意味は東の蝦夷を支配するという役割なのである。だから家康でも征夷大将軍を名乗る
東は長く征服されなかったからである。
ともかく近江は琵琶湖を中心として湖東湖南湖西とか方角地名でわかりやすい、湖西というとき陽の沈むところだから淋しい感じになる。湖西線は淋しいとなる。何か東となれば陽の昇る方向であり明るい感じを持つ、陽の沈む方向は何か暗い感じになる
でも夕日が映える所は印象的になる。エジプトでナイル川の西岸に太陽が沈むのを見た時エジプト3000年の歴史を感じて何んとも言えない感慨にふけった。
日の沈む方向でもそれが意外なのである。明石に春の夕陽が映える、大阪に日下(くさか)とあるのは何故なのか、この地名は相当に古い、日下氏となると古代の有力氏族である。そもそもなぜ大阪に日下―日の沈む方向になるのか?そここから日の本の国の由来がある。
古代史では、神武天皇が大和へ向かう際に通過した重要地点として「河内国・日下」が登場します。
このため、日下は「日の本(ひのもと)」=太陽・東方・始まりを象徴する地として扱われることが多く、神話的な権威を帯びた地名でした
大阪が日本の最初の中心地でありそれで日下(くさかべ)氏が生まれ日本の基となった
日下部 (稲沢市) - 愛知県稲沢市の地名
日下部 (八頭町) - 鳥取県八頭郡八頭町の地名
道場町日下部 - 兵庫県神戸市北区の地名
神戸市にも日下部がありそこは陽の昇る場所になる
ともかく地理は方角地名が基本である。世界でもそうである、だから西半球というとき
陽が沈む方向である。ヨーロッパは陽が沈む方向なのである。世界史では東からオリエントから西に向かったのである、中国でも西域がありそこからヨーロッパに向かった
さらに大西洋を渡り西へ西へと向かった、アメリカの西部のカリフォルニアの海岸からは太陽が太平洋に沈む。その日の沈む方向に日本があり中国がアジアがある
西へ西へと移動して地球を一周して極東の日本に到達する
コロンブスは西へと大西洋を渡りアメリカに到達してもそこが日本だと思っていたのである。ただ日本の地理は東西の境界であり結ぶ地点にあったのである。
陽の昇る方向から沈む方向へ向かうのは人間も生物の一種だから本能的にそうなる
東から西へ西から東へと文明も興隆して衰退するのも地理的にそうなる。