2019年10月06日

どうしたら栄るのだろうか? (歴史をふりかえるー国や市が栄えた理由)


どうしたら栄るのだろうか?

(歴史をふりかえるー国や市が栄えた理由)


人間は栄えることを求めている、具体的になればみんな金が欲しいとなる
豊かな生活をしたいとなる、これを否定はできない
では歴史をふりかえりどうして国が栄えたのだろうか?
その例としてなぜヨ−ロッパが栄えたのか?
世界を指導する国となったのか?

●資源
●貿易
●産業革命
●資本主義
●天才の多様な排出(教育)
●宗教の影響


なぜヨ−ロッパが栄えたのか?そしてなぜイスラムが衰退したのか?
これも大きなテーマとしてある、イスラムがヨ−ロッパより栄えていた、それがオスマントルコだった、ヨ−ロッパはもともと辺境の地域にになっていた
それでヨ−ロッパの女性が5ドルくらいで買われていたとかなる
貧困国は女性が安く売られる、アジアでもカンボジアなどは最貧国であり5ドルだとかなる
つまりヨ−ロッパはこのようにむしろ遅れた国々だったのである
ただローマ帝国が一時栄えた、その後は暗黒の中世時代になった
ではなぜヨ−ロッパが栄えるようになったのか?
これも複合的な原因があり一つではない、例えばその基本になる宗教が栄えをもたらしたともなる
イスラム教とキリスト教国を比べるとイスラム国は衰退した
キリスト教国はヨ−ロッパで栄えたとなる
するとなぜイスラム教では栄えなかったのか?
またなぜキリスト教で栄えたのかという理由が必要になる
だから仏教と儒教も関係していてアジアは宗教のために停滞したとかなる

何らかでキリスト教と資本主義が結びついていたことはウェバーのキリスト教から資本主義が発展したという思想でもありうる
なぜなら資本主義が修道院から生まれたとしているからだ
神に奉仕するために勤勉に働き他者に奉仕するという修道院から生まれたという思想である
ではなぜイスラム教から資本主義が生まれなかったのか?
これも理由があるとするのはその後の歴史でイスラム国が停滞したからである
でもイスラムの方がヨ−ロッパよりも優れていたのである
代数学とかか化学とかいろいろな面で優れていた、ヨ−ロッパは遅れていたのである

ヨ−ロッパ文明が世界を主導したというのが20世紀とかまでであった
それは大航海時代からはじまっていた、この大航海というコロンブスのアメリカ発見とかもヨ−ロッパが世界を主導するものとなった原因である
それは軍事力の征服でもありそれで南米のインカとかが呆気なく滅ぼされた

そして最初はポルトガルがスペインが大航海時代の先駆けとなり栄えたのである
南米から黄金がもたらされ金ぴかの聖堂が作られたのである
ただポルトガルとかスペインは泥棒国家ともされていてたちまち衰退国家となった
栄える国ではなくなったのである

そしてイギリスが七つの海を支配したという時なぜ栄えたのか?
それはポルトガルとかスペインとは違って略奪国家ではなかった
産業革命をしたことが大きかったのである、技術革命があったことが違っていた
それはアメリカがITで栄えたのとにている
技術革新があり栄えた
その前にヨ−ロッパは科学分野でも様々な分野で天才を産みだしてきたのである
だからなぜヨ−ロッパには天才があれほど生まれたのかというのも栄える理由となる
天才というときたいがいヨ−ロッパでありイスラムの国々から名だたる天才の名が出てこない、たいがい学んでいるのは理系文系でもヨ−ロッパなのである
だからこれもなぜなのだろうとなる

そして日本ではなぜ明治以降とか戦争があっても焼野原になっても高度成長時代があったのか?
その理由が何であったのか?
3百万人が死んでその後なぜめざましい経済発展があり栄えたのか?
それはヨ−ロッパのように産業革命があったとわけでもない
ただ電器製品を外国に売ることで豊かになった
それは何か発明したわけではない、イギリスの産業革命のように鉄道の発明とかをしたわげではないのである 

ただイギリスは結構石炭がとれる国でありそれで蒸気機関車が作れた
資源がないと産業革命も起きない、その後石油文明というように石油がとれる中東はイスラムの国々の栄える基となったからだ
ただイスラムの国々でも何か発明したりしていないのである 
何か科学でも学問でも芸術でもイスラムから学ぶということがないのである
ただヨ−ロッパ文明にはイスラム文化が取り入れられているというだけである
そういう国はいづれ石油が枯渇すると栄もなくなることは見えている
資源があるだけでは豊かになれない、その石油でも石油を精製することが自国できない
それは先進国で日本の技術とかでもしているからだ
工業力があって活かせるのである


国が栄えるという時実際はいろいろな要素があるから一概に言えない、それを国内で考察すると長者伝説が必ずある、炭焼長者とかも山ではある
それは木材資源があり炭焼く技術があって長者になった栄えた伝説である
資源が栄えるというとき海だと大漁があり豊かになることがある
日本が栄えたという時江戸時代には新田を開拓して米の石高を増やして栄えたとなる
農業で栄えたとなる、ただ稲作がないときでも栄はあったのである
縄文時代でも縄文土器を作っていたのだからそれが栄の標しだったのである
いつの時代にもその時代時代の栄がありそれが文化財として残っているとなる

日本が栄えるというときなぜ高度成長時代があったのか?
その時は国全体が上昇気分にあった、私の家でも角にありそこで子供向けの店を開いたら繁盛したのである、その頃物がないから物を置くと売れたのである
そして角だったから場所が良かったからはやったのである
なぜかというとその頃車などもっていない、道は舗装されていない、ほこりがたつ道だったのである
でもそんな場所でも小さな店でも繁盛したのである
それは例えば都会だと中小の工場も注文があり繁盛した
それで人手不足になり地方から金の卵として中卒者が集団就職したのである

そういうときは別に特別の才能が必要ない、私の家でも商売に向いている人はいなかった母は内気な人でありとても商売に向いている人ではなかった
でも高度成長時代はそうした個々の能力と関係ない、みんな繁盛したのである
そういう時代は起業すればもうかるとなっていたのである
また貯金すれば利子が7パーセントとという時代であり金は増える一方だったのである
今になると高度成長時代は特別な時代だったのだとふりかえる
その後失われた30年とかなりもう日本は貧乏になり後進国に脱落したとなるからだ
その相違も大きいとふりかえる

でもなぜ高度成長で日本が栄えたのか?それは日本が技術革新したとか技術が優れているわけではなかった、私は理系でないし科学技術のことがわからない
でも今になると韓国でも中国でも日本と同じように家電を作っているしかえってスマホとなる韓国中国が作って日本の作ったものは売れない
ITで日本は遅れをとった、そして原発事故とかあり日本は技術が優れているから事故が起きないというのは嘘だった
しきりに今でも科学者が日本の技術が優れていると自慢しているがそれは右翼の自己自賛に好きなんがたのである
日本が一時的に世界に先んじて電器製品を作ることができた
それは日本人が発明したものではない、日本人は発明が得意ではないからだ
壊れないものとして作る技術はあったとしても発明はなかったのである
エジソンのような人は日本から出てこなかったのである
それはヨ−ロッパから様々な天才が出たのに日本からは出なかったからだ
もちろん江戸時代にもそういう人はいたが実際に実らなかったのである 

ただ日本だけが明治維新で西欧化できたアジアでは唯一の国だったのである
植民地にならない唯一の国だったのである
だからそれは誇ることができるのである、アジアはみんな欧米の植民地化したからである
ともかくなぜ日本が高度成長時代がありその後30年の停滞がありそしてもう没落して衰退国家になる、栄いは失われてゆく
それでなんとかまた栄えるようにと国でもアベノミックスとか金融で成そうとする
でもそれは官製のものであり金融でごまかした景気にすぎないからすぐに限界がくる
現実には給料が上がらないとか少子高齢化で日本がどん底になるとか言われる
もうそういう悲惨な未来しか日本には見えないのである
それで経済の起死回生はありうるのかと模索する

でもそれも見当たらないのである、資源はないし貿易もだめでありその精神も惰弱化している、日本の若者が他国に比べて何か向上心がないという
かえって今はベトナム人とかネパール人などが貧乏だからかつての日本のように向上心かある、だからベトナムなどはいづれに日本に追いつくとなる
そして日本にはもう外国人も来ない国となると言われる、それだけの魅力がない国となるただインパウンドで旅行者は来る、それは日本が旅行できる安い国になったからである
それは東南アジアとかに日本が大挙して旅行したと同じなのである
外国人の方がデパートとかでも歓迎されている
日本人は買い物をしない、外国人が高価なものを買っている
日本人はスーパーの夜の安売りの弁当にむらがっているという
高いものは外国人が買っているうというyoutubeの報告もある
日本はもうすでに後進国であり貧困国になっているのである

それと東日本震災の影響も大きい、ポルトガルでも大地震がありその後海外に出る冒険精神は失われて衰退国家になった、そこで問われているのが冒険精神が進取の精神が喪失したことだとされる
日本の東日本震災の影響も大きい、その衝撃は地元では今でもつづき立ち直れないのである
それに原発事故にもなり立ち直れない、ダブルパンチで立ち直れない
ただ原発でも日本が資源がないから原発国にするということ科学技術の先進国の位置を保つとういことがあった
それは核武装のためでもあり国で支持したのである、それが津波で打ち砕かれたのである
そして原発で栄えることはありえないことを証明したのである
この辺で船主とかは原発御殿が建ったとしても福井県の高浜町でも町の助役が原発マネーで原発御殿をたてていた、そのスケールは違っていた

つまり原発は地方では栄えさせる唯一のものだったからそうなった
その後の処理でも除染でも7兆円とかかかったとかとてつもない金が流れた
そして補償金でもめたりしてかえって地域は分断されてモラルの崩壊になった
その補償金でフィリンピンの女性に貢ぎ仙台に店をもたせて金がなくなったという人も現実にいた
原発マネーは一時的でありそれは栄をもたらさないのである

だからそもそも栄とは何なのか?本当に真に栄えるとは何なのかが問われたのである
科学技術が栄えをもたらすことはあった、でも原発はもたらさなかったのである
何か原発マネーは人間を狂わせてモラルを喪失させるものなのである
モラルを喪失させるというとき現代の強欲資本主義もそうである
金しか価値観がなくなりグロ−バル経済の中で数パーセントの人に金が流れる
ここでもすでに資本主義か崩壊しつつあるのだ
それは資本主義にはモラルがないからである、数パーセントのものに富が収奪されているからである
だから世界中で格差が広がり暴動も起きてくる、日本でも大人しいがこれから貧困がますます激しくなると暴動が起きると予告する人が増えている
自分もそう思う、原発で恩恵を受けてもそれか真の栄にはつながらない
モラルの退廃を生んでいることは福井の高浜町でも同じだった

原発とともに栄えることはありえないのである、豊かになりたいからと原発にすがることは危険だったのである、そして原発では国は栄えないということを国民は知るべきなのである
では何が栄えさせるのか?それが日本の農業だというのも何なのだとはなる
農業では金にならていからと工業化して貿易で電気製品を売り高度成長したからである
でも日本の農業は技術的に優れている、世界でも比べても優れていたのである
だから最近日本でも銀行が農業に投資しているのである
例えば常に国家でも都市でも栄枯盛衰はある
中東のペトラは交易都市として栄えた、でも交易ルートからはずれたりして取り残されて衰退した、貿易で成り立つ国はシルクロードが海の道として栄えても大航海時代で廃れたそういうふうに交易ルートが変わると衰退する

でもペトラは交易都市として栄えたのもそうである
でも都市は廃墟化してもその周りで農業して生き残っていたのである
継続してい生活していた人たちがいたのである、何かオリーブとか果物を栽培していたのである、だから農業は最後に継続するものとしてある
結局人間を最後に支えるのは食料だからそうなる
食料があればまた何か後の栄がありうるとなる

原発事故はその食料となる農業をできなくさせる、汚染させたから深刻だったのである
だから原発では栄がありえないのである

海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一歌一首 

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思(おも)へば

ここでは栄とは天地とともに栄える自然とともに栄えるということだった
日本の天地国土とともに栄えることであった
でも原発はその日本の国土を汚した、そこに栄はなかったのである

確かに原発マネーで豊かになっても結局活かされないのはやはり金が入るだけでも栄ないこの辺でも原発マネーでモラルは喪失した
補償金で何をしているかというとギャンブルでありある人はフィリピン女性に貢ぎ仙台に店を出させて金がなくなったというからふざけている
そして何か言うとなぜかわいそうな原発避難民を批判するのだと怒る
いつまでも被害者であり援助すべきだとなる、それもフィリンピン女が金が欲しいからだとなる、これは極端にしてもそういうことがある
だから原発マネーがすべていいように働かないのである
金ですべて解決するというわげでもないのである
そのようにモラルが荒廃したときとても栄えるとは思えないからだ、ローマ帝国でも最後は豊かになってモラルが腐敗して贅沢になれて滅びたからである、金が入り贅沢過ぎることが滅びに通じているのである

だから人間は天地からまたは海からでも離れたとき栄はない、栄をもたらすのは天地であり人間の科学技術ではないともなる
それが原発事故で示されたともなる

とにかく世界史的に見れば中東からヨ−ロッパからその延長のアメリカと栄えて次にその原点のアジアにもどってきた、アジアがもともと産物が豊かだったからである
ヨ−ロッパは産物が豊かな国でないから大航海時代になりアジアの富を収奪して豊かになったとなる
そして21世紀は22世紀はアジアの国になるという時大きなサイクルで見ればそうなるただ一時的に日本のように後退して衰退してゆくとなるともみる 、そういう大きな歴史の流れは変えられないということであ

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中東が世界でぱ最初に栄えた場所だった
それがヨ−ロッパに移りアメリカに移った
アジアはこことは別にインドがあり中国があり栄えていた



2019年09月06日

世界史でも空間軸と時間軸の考察である (時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)


世界史でも空間軸と時間軸の考察である

(時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)

この世界を知るというとき基本は空間軸と時間軸である
津波というのもそうだった
空間軸というのは津波はその土地の地形と密接に関係していた
前にさえぎる小高い山があるだけで津波の勢いがそがれた
でも前に何もないともろに津波を受けて大被害になった
その圧力がものすごかったからである
つまり空間軸として地形として地理としてその土地のことを知らなければ津波に対処できない
今回の津波ではそれで高台を作るようになったのである

一方で津波は周期的に起きている、その時間軸の考察ができていない、時間軸の考察が人間にはなかなかできないのが弱点なのである
空間軸だったら何億年前と同じ世界が現実に今もあるから把握しやすいのである
大地とか山とか海はなくならないからである
でも時間軸だと村でも街でも消えてしまうことすらある
津波の被害では・・・千軒とかあり千軒の家が消失して何も残さないということがあったそして時間軸となる何か残されるのは祖父母の代くらいまでである
それはじかに聞いたりするから何か多少は実感になる
でも現実は戦争というのはいくら聞かされてもなかなか理解できない
それは日常生活とはかけ離れたことであるから理解できないのである
人を殺すことが日常化した世界はとても理解できないからである

そして津波でも400年前にこの辺に700人溺死として相馬藩政史に二行だけ記録されていたけど誰も注目せずに忘れられていた
今回の津波でそれが発見されたのである
だから専門家ですらそうした400年前のことになると見逃して忘れられる
時間軸での歴史の理解が難しいのはそのためなのである
人間は今の世界が現実であり過去になるとイメージの世界になりそこに必ず誤解が生じるもしタイムマシンで江戸時代とかに行ったら歴史で習ったこととは全然違っていたということなどいくらでもでてくるのである
それだけ時間軸で起きた歴史は理解しにくいのである
外国旅行しても今の世界に目を奪われて過去を歴史を知ることはむずかしい
ただヨ−ロッパとかだとローマでも石造りの建物などが残っているからその物から過去をリアルにたどるということがある
一つの建物の一片でも残っていれば違う、第一ローマと言えば2000年前ともなるからだ、そんな昔のものは日本では残っていない、古墳くらいである
だからヨ−ロッパは歴史をたどりやすく歴史を重みあるものとして受け継がれる
それでもこれだけ現代都市化すると過去を知ることがむずかしくなる

人間の歴史自体が空間軸と時間軸からできている、大陸だと余計に広いから空間の拡大がありローマ帝国をはじめモンゴル帝国とか空間の拡大がある
大航海時代も空間の拡大だった、アメリカはあれだけ広いから西部へと空間の拡大だったアメリカとかヨ−ロッパがなぜか知らないが西へ拡大するというときそのためにアジアへ向かったという人がいる
西部開拓からアジアへ向かって日本と衝突して戦争になったとなる
それはホイットマンの詩にもある
とにかく大陸は空間の拡大が歴史である、ただ古代になるとエジプトなどは時間軸の世界の文明だともなる、三千年も続けばそうなる
ピラミッドは空間の拡大ではなく空間に定着する時間軸の産物だとなる
建築は定着する時間軸の産物である、だから2000年前の建築でも残っている
石造りだから石の文明だから残っているとなる
そこに歴史的継続の思考が常に醸成されるのである
日本では木の文明だから木は残らないから歴史的思考がしにくいのである
だからこそ常に新しいものを受け入れるのだが歴史的に継続するものを見失う
日本の古来の文化とか伝統でも失いやすいのである


移住 ゲーテ

北も 西も 南も 砕け
王座は裂け 国々はふるえる
移り住もう、 清らかな東方で
族長の国の空気を吸おう

その純朴 その正義の地で
わたしは 人類の
原始のふかみに分け入ろう

Break to the north, west, south
The throne rips and the countries tremble
Move and live in a clean east
Breathe the air of the patriot country

In the land of justice
I'm humanity
Let's break into the primordial flock

・・・・・・・・

この詩のようにまさに空間の拡大なのである、大陸はこうして幾多の帝国の興亡があったそれは世界的な空間の拡大としての歴史なのである
大陸は空間に生きる、日本は逆に時間軸に生きるというとき日本は海に囲まれた閉ざされた山国という特殊な環境で歴史が形成されたからである
日本自体が一つの宇宙となり外に空間を生きるにも拡大するにもできない
日本では最西端とか最南端とか最北端とかが人気があるのはまさに海で囲まれているからそうなる、もし大陸のような陸続きだったら最西端とかに行くとなるとヨ−ロッパだったらポルトガルのロカ岬とかになってしまうのである
そして中国からヨ−ロッパまでは陸続きだということである
隔離されてはいない、陸続きなのである

その間に草原とか砂漠があってしも陸続きであり交通路になりやすいからシルクロードとかまた砂漠の民は移動しているから必然的に商業の民となった、イスラム商人となった
それは中国も農業国家でも商人国家だというときイスラムとか草原とか砂漠とかあっても陸続きであるから砂漠でも交通の道となる
そこには絶えず交流が生まれている、日本のように江戸時代の鎖国のように閉ざすことができない国である
中国でいくら万里長城を作っても異民族の侵入を防ぐことはできない
それで中国の歴史は異民族の侵略がありその国の王が変わる、モンゴルが支配したり満州族が支配したりするとなる
日本が萬世一系の天皇があるというときそれは日本が大陸のように海に囲まれているから異民族に進攻されなかったからなのである

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

これは時間軸の思考なのである

いづれにしろ人間は空間と時間軸に生きる、でも時間軸から思考することはむずかしい
歴史でもローマ帝国の拡大は空間の拡大時期でありキリスト教の中世は時間軸に生きていたとなる、内にとじこもる内省の時代だったとなる
そして現代はもう空間の拡大は終焉した、資本主義もグロ−バル経済で空間の拡大だったがそれも一段落してこれ以上フロンティアとして開拓する地域がなくなってきた、それで宇宙が空間拡大の場所となる、ここも限界がある
インドとかアフリカが最後のフロンティアになるとしてもそれも大航海時代とは違ったものになるだろう
そして空間的拡大としての投資が終焉するとき中世のような修道院に閉じこもる内省の時代になる、若い時は空間の拡大に生きる

夏の星若人遠くへ行きにけり

one summer star
a young man
go away in the distance

このように若者はとにかく空間の拡大に生きる、自分自身も60歳まで空間の拡大に旅に生きたのである、その憧れが強いものだから50でバックパッカーになり外国を旅行したのである
しかし遂に親の介護とかで十年過ごしてもう年になり遠くに行くの億劫になった
今は仙台すら今年だって一回行ったのかとなる
近間を回っているだけである、つまり中世的内省の時間を生きるようになったのである
老人はどうしてもそうなり安いのである、内省化して内面化する
そこに深い洞察が生まれる、それでつくづく批評家に向いてくる

いろいろな経験から批評家になる、本でもさっと一読するとその内容がもう直観的にわかる、そして自分の文脈で取り入れることができる
ただ読むだけではない、その内容は自分なり新たな創造として展開できるのである
これもだから不思議だと思う、本はただ買うだけで積んでいるだけだった
でも今は違うこうして新たな自分の読みで創造化できるのである
他者のものを引用するにしても創造的引用でありそれはただコピーしているものとは違うのである、つまりあらゆるものを深く読めるということなのである
それは新たな創造でもある、他者のものを何か自分なり新たな角度から創造しているのである、それは抽象画でもそうだった
他者の創作物を絵や写真をソフトで変えてもオリジナルものとは別物だったのである
だからそれも二次製作にしてもやはり創造であることは間違いないのである

2019年07月10日

中国の脅威は世界史の逆行なのか―文明の衝突なのか? 〈古代中華帝国の再興に従えない世界)

中国の脅威は世界史の逆行なのかー文明の衝突なのか?

〈古代中華帝国の再興に従えない世界)


脆弱な内面があると同時に、中国は世界規模の大国になろうとした過去がありません。植民地を持とうとしたこともなければ、他国を支配しようとしたこともない。そしてまた、普遍的な文化を持とうとしたことすらないわけです。普遍的な大国にならずして、世界の超大国になることはできません。

中国に「世界の超大国」になる資質はない
"米中大衝突"が世界に与える悪影響

中国共産党がスローガンに掲げる「中華民族の偉大な復興」である。中国は偉大な過去の栄光を取り戻そうとしている。過去の栄光とは、東アジアに君臨して世界の超大国であった19世紀以前の中国である。中国共産党によれば、19世紀以降、帝国主義者たちは中国に対して侵略戦争を行い、広大な中国の領土を略奪した。習近平・中国国家主席が唱える「中国の夢」とは、偉大な中国を取り戻すことである。

アメリカが、中国と「文明の衝突」か「新冷戦」か「貿易戦争」、あるいは「戦略的競争」を進めている時代において、日本はあらためてアメリカに日米同盟の価値をアピールする機会を得ようとしている。


中国が脅威になる、テレビでも今日中国が太平洋のハワイまで拡大する戦略にあることを知りオーストリアとかが警戒しはじめて具体的に抵抗してきた
それは日本の太平洋戦争とにている
中国とアメリカで太平洋を二分する戦力を具体的にしている
南大平洋諸島に金をつぎこんで勢力下に置くことをしている

中国の台頭は何を意味しているのか?
これを考察する時人類の歴史をふりかえりそれが何を意味しているのかを問うことが必ず必要なのである
つまりこれは世界史の問題だからである
それで参考にしたのが「現代が受けている挑戦ートインビー」という本を参考にする
ここで語られているのは国家主義の歴史である
それは最古の文明の発祥地から楔形文字を発明した中東地域から始まっていた
ただここは複雑でめんどうなのでエジプト文明を見れば具体的にわかる
これも国家主義である、地方の神がありやがて一つの神に統一される
エジプトにも日本のように八百万の神があり地域地域は分裂して統一されていない
それがやがて一つの神にファラオに統一されてゆく
それはエジプト国家の形成になる

そうして一つの文明が大国家が帝国が形成されるときそこには必ず科学技術とかがかかわり神格化される、そこに理系的な技術者がいて神官となる
それはインカとかマヤ文明でも同じだったのである、例えばなぜヨ−ロッパの石の大聖堂を作った石工のギルドがフリーメーソンとかの結社となり世界の指導者がその信者だという時もそうである、そこは秘密結社となっている
それは神官であり力をもったのである、エジプトの神々の像であれピラミッドを作るのには相当な技術力が必要になっていたからである
つまり大国家を形成するには科学技術が不可欠なのである
それは現代でも引き継がれている、この辺で原発を作り従事した人たちはエリートであり神官だったのである、科学技術者は聖職者になったというときもともと治世に科学技術は不可欠だったのである、今でも医者だけは神のように尊敬されているから同じなのである

宗教というとき文明でも巨大な事業を灌漑とか神の像とか巨大建造物を神殿とかを作る技術が生まれたとき権威をもつようになった
そしてそこでは王は神格化される、ファラオとなるのである
それは現代でもその歴史は継続されているのである
エジプト王国がありペルシャ王国がありローマ帝国がありイスラムのオスマン帝国があり中華帝国がありと継続されているのである
アジアだと仏教もそういう働きをしてきた、それは華厳教などの政治思想がありそれが中国でも採用されたからである
日本だと大和王権が日本を統一するために奈良のルシャナ大仏が創建されたのである
その前に巨大な古墳もやはりその地域地域の統一するシンボルだったのである
つまり国家を形成するにはそうした巨大な建造物が不可欠なのである

だから人間はそういう歴史を継続してきて今日に至っている
中国でも同じである、最初は始皇帝が世界国家を形成した、西域で異民族を吸収して世界国家となったのが中国である、その時の大軍団が地下に埋もれていた兵馬俑なのである
それはエジプトともにているのである
地下まで大宮殿を作りその権力は壮大なものだったからである
そして王は神格化される、エジプトでも王が神格化される、偶像化される
国家を支配する者が神となるのである、人間はなんらか人格化したもの、人間を神とするとわかりやすいからである、無機質的なものを神にしにくいのである 

ただローマでは皇帝も神格化されるが統治としてローマ法を法の下の平等を一応追求したのである、それが西欧文明の骨格ともなっているから中国の国家主義とは異なるのである
一見今をみれば過去とは全く違ったものであるように見えて人間は世界史的にも同じことを繰り返している、「歴史は繰り返す」とかカルマだとなる
個々人でもカルマをくりかえし国家的にも世界史的にもそうである
国家主義がナショナリズムがなぜこれほど強力なものとしてありつづけるのか?
例えば共産主義でも結果的にはナショナリズムとなりその幹部はソビエト連邦時代に幹部は神格化されたのである
まるで死んだときファラオのようになって葬られたのである
そして中国でも同じである、共産主義があっても国家主義となりナショナリズムとなり
頂点にたつ共産党の指導者が神格化される、毛沢東はすでになっている

それは日本国内でも起きている、創価は仏教をイデオロギーにしているがナショナリズムにもなる、日蓮を見ればわかる、強烈な国粋主義者、ナショナリストだからである
それで日蓮主義が太平洋戦争の時イデオロギーとして訴えた人がいたのでもわかる
日蓮主義はそうなりやすいのである
そして池田大作が教祖が神格化される、それは政治化したときそうなる
エジプトでもそうだったが政教一致化してくる、ローマ帝国でもキリスト教と政教一致化してカトリックが権力をもったのとにている

共産主義は「万国の労働者よ、団結せよ」というときそれは国家を越えるものとして主張されたイデオロギーである、でも実際はナショナリズムとなり政治化して指導者が神格化して偶像化するのである、政治とは科学技術は人間の力を基にしている
科学技術でありまたは人間の数であり経済力であり物量であり軍事力になる
それらの総力が国家主義となり世界国家を目指すのである
中国でも科学技術力がアメリカをぬくとかなるとそうである、通信技術がそうである
ファウィがそうである、アメリカが世界の支配者になったのはそもそも科学技術力だったからである、世界国家になるには科学技術力が不可欠なのである
エジプトでもピラミッドのような巨大建造物を作り技術がありローマ帝国でも水道や道を作る公共技術を張りめぐらす技術力をもったからである

文明という時西欧文明が世界の普遍性スタンダードとして世界史が展開してきた
でも今度は中国が世界をリードする時どういう普遍性が中国にあるのか?
ただそこには有無を言わせない強大な古代と同じ中華帝国が世界を強圧的に支配する
それは西洋文明への歴史が世界史となっていたのを一挙に時代が古代に逆戻りする現象だともなる
文明とはcivilizationである、civilとは市民のことなのである
その市民というものが日本でもなかったし中国にもない、そしたら文明もない
ただ古代の中華帝国の再興であり世界史は古代に戻るのか?
エジプトのファラオ時代にもどるのか?何かそういうことを感じしてしまうのである
中華帝国の柵方体制になるのかとなる、それは歴史の逆行になる

要するに世界国家といい文明といいただ力だけで科学技術であれ経済力であれ軍事力であれそうした力だけで世界国家になれるのか?
中国に周辺国が反発するのはそのためである、西洋文明というときヨ−ロッパの長い歴史から形成されたものでありその西欧文明の挑戦をアジアで最初に受けたのが日本だったのである、それを受け入れるために苦闘したのが日本だった
結果的には世界大戦となり敗北して終わったのである
その時中国はヨ−ロッパやアメリカの植民地化していたのである
日本だけが西欧文明の挑戦を受けて独立を守ったがアメリカに戦争で敗れたのである

中国は最近急に経済力技術力軍事力が強大化した国である、文明という時それはcivilizationであり、civilとは市民のことなのである、パスポートにシテズンとか所属する市の名を書くことはヨ−ロッパ文明のアイディンティティだからである
ヨ−ロッパでは市長のは権威は日本だったら殿様と同じなのである、市の鍵をもっていて市を治める者の権威は強い
そういう市民社会が形成された歴史がありcivilizationがあった
だから西欧文明が世界化したユニバーサル化したとなる、では中国ではどうなるのか?
言論の自由もない、人権もない、ただ古代の始皇帝のような圧制がある、そういうことで周辺国家が従うのかとなる

そして日本はつくづく東西文明の橋渡し役としてあったというとき何か今そうなっている
米中の仲介役の立場になる、でも日本は確かに西欧文明を受け入れたとしても実際は科学技術とかは受け入れたけど西欧文明の真髄たるものを受け入れていなかったのである、西欧文明がキリスト教文明だというときそうである
科学技術だけが文明ではないのである、それは中国でも同じである、科学技術はいち早く受け入れたけど文明はそれだけではない
共産主義のイデオロギーでありそれはすでに通用しないことが証明されたからである
では資本主義がいいのかとなるとそれも行き詰まっている
だから新しい文明を創造しなければならないとなる、それがどこがするのか?それが実は日本だという人もいる
つまり東西文明の融合の使命を負っているのが日本だ内村鑑三は言っていたのである
でもアジアとは何なのか?アジアの文明とは何なのか?
それも明確化されていないのである

アジアでは自らの欲望から自由になることを望む一方で、西洋では欲望を実現するための自由を手に入れることきを望んだのである(ジャックアタリ)

仏教でもそうだが欲望を内面の修行で抑制して自由になる、西洋では欲望を外に向かって求めてアジアに進出したのである
そこに東西の文明の相違があったともなる、だから宗教というのもはもともとアジアから発した
イスラエルもアジアなのである、ヨ−ロッパは地中海を越えた地域だからである
だから最終的にはアジアに回帰するオリエントに回帰する、それが中国の台頭でまず科学技術経済力で欧米を凌駕してゆく
その後にアジアの真の文明の興隆となるのか?
中国が受け入れたのは共産主義のイデオロギーである、それが失敗したことはソ連で証明された
するとそうして古代国家へもどることは世界史の退歩であり逆行だともなる

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中国の地下宮殿の跡

2019年07月08日

姓と名の由来(世界と日本の相違)


姓と名の由来(世界と日本の相違)


「姓(名字)」を表す英語はいくつかあります。

last name
surname
family name
maiden name:結婚する前の女性の「旧姓」のこと

私はパトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです

姓名というとき姓と名は相当に違うものである

姓というとき

血統

地域(村)

欧米では血統を重んじるから姓は地域とは関係ない、ジンギスハーンとなればその子孫ということで姓がつづく、日本でも姓は氏姓(屍ーかばね)でありそれは姓(かばね)は死者のことであり父親から姓を受け継ぐ一族に属するとなる

アラブ人に代表されるイスラム教徒は姓を持たず、「名+父の名+祖父の名…」のように父祖代々の名を繋げて名とします。 

スラブ民族の名前の多くは「名+ミドルネーム+姓」で構成され、ミドルネームは通常、父称です。ロシア語では、名をイーミャ(Имя;Imya)、父称をオーチェストヴァ(Отчество;Otchestvo)、姓をファミーリヤ(Фамилия;Familiya)と呼びます

欧米であれイスラムとなると姓はこのように血統である、父方の姓と母方の姓がまじることもある

姓は血統とするとき原始社会になればトーテムである、犬族とか猿族とかいろいろあり
眷属となる、そのトーテムに属するものとしてアイディンティティがあり属することになる
姓にはそういう帰属関係とか所属関係を示している
例えば現代なら会社名が先に名乗られる、大企業の場合は特にそうである
東芝だとか三菱とか日立とか名乗ればそれで一目を置かれる
つまり姓はもともと官位とも関係していたり特別なものとして上から地位あるものから授けられるものとしてあった、

秀吉の正式名は藤原朝臣(あそん)秀吉です関白になるには藤原氏でなくてはいけません

苗字帯刀でも殿様から姓が農民に与えられて武士の格に引き上げられる
だから姓は名前とは性格が違っている

ただでは中国の姓が先に姓が来るのはなぜなのか?

それは中国では家族がそこから派生した一族が強固の紐帯をもっている、今でも政府を信じないときそうである、一族意識が強いのである、するとその一族を現すものとして姓がありそれで団結する

つまり姓が先に来るとか名前があとにくるとかではなく姓と名は別なのである
姓が後ろにきても姓は姓である、名前とは違った性格のものである
だから名前を先にする、ファーストネームとしてもそれは名前である
後にしても名前である、その後先ではなく姓と名前は区別すべきである
ただ名前はその人個人の個性だとなる、姓はその人個人ではない、血統とか一族とかで繋がるものである
だから欧米だと中東でもイスラム系統だと同じ姓になりやすい、名前は違っても姓は少ない、それは宗教も関係してそうなっている
同じ宗教であり同じ宗派として姓を区別する、それは所属する団体がありそれを示しているのである
それで日本だったら現代なら会社名が姓になっても不思議ではないのである

日本ではなぜこんなに姓が多様で多いのかとなるともともと無数の村が姓の基だったからである、つまりわたしはどこどこの村の出身ですということが姓だったのである
だから日本の姓は必ず地名としてある、…村としてある
でも欧米とか中東ではそうした村から発しているのではない、中国でもそうである
だからそれほど姓は多くない、日本は地縁社会であり血統社会ではないのである
村を共同体としてアイディンティティとしていたのである
そして日本国時代が同一民族として血統を同じくしている
民族同士が熾烈に欧米のように戦った歴史がないのである、日本の姓は無数にあるとしても同じ日本人であり姓は日本なのである
欧米とか中東は多様な民族の熾烈な争いであり血統が違う、だから姓は日本とならないし地域名とはならないのである 

パトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです。

先に血統の姓がきて土地の名がくる、日本だと先に地名が来て後に姓が来るとなる
ハーラン(川の渡り)が姓となる、渡部とかは渡るから来ているからだ、何か輸送する人たちの姓だった

日本がこうして地縁社会であるとき地縁から脱っすることが困難になる
無数の村があってそれらを統一するには強力な指導者が必要になる
今でも無数の姓があるのはそうして地域の村が依然として日本には残っているともなる
でも村社会が希薄になるとき会社名がアイディンティティになり実質姓ともなる
何か姓を名乗っても聞いても現代ではぴんとこない、別に姓を名乗ってもその姓に所属するとは見えない、過去にあったというだけである
姓は形骸化しているのである、それはそういう社会が喪失したからだとなる
家の重みもなくなって核家族とかなったりすればむしろどこの会社に属しているかの方がアイディンティティとなるからだ 

姓では不思議なのはこの辺では岩松氏が鎌倉から移り相馬藩地域の最初の支配者になったところが鎌倉から従ってきた家臣に子供まで皆殺しにされたのである
そのことは今でも伝えられる、それで相馬藩領内に岩松という姓はないのである
それが歴史を語っているのである、ただ現代では外から入る人が多いから姓から何か歴史をたどることがむずかしいのである
なぜ相馬藩内に荒姓が多いのかそれを尋ねる人がいる
それはツノガノアラシトととうい製鉄関係の技術をもたらし渡来人に由来がある
ツノガノアラシトのアラが荒になったとなる
それは韓国の伽耶国から来た人たちでありその一族の系統だとなる

李氏朝鮮とは李氏一族の朝鮮であり相馬氏一族の相馬市とにているのである

1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年中国から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった

李という姓があり一族がありそれに属したものがあり国とまでなっている
だから朝鮮は中国なのかともなってしまうのである

そして日本の天皇には姓がない!

それはなぜなのか?つまり姓とは何か一族に所属することである、李氏朝鮮がまさにそうである
天皇に姓があれば特定の氏族に所属することになる、そうなればある一族が日本の支配者だとなる
でも姓がなければどこの氏にも所属しないから日本の王だとなる
ただ姓がない王様は世界にはないだろう、必ずヨ−ロッパでも誰かが大きな一族が支配者となる
だから姓がないということありえないのだ

いづれにしろ何でも言葉でも常にその背景となるものが実質が失われると言葉も廃れる、戦前の言葉が国体とか天皇でも一体化していた言葉は失われた、通じないのである、それはその実体となるものが失われたからである
でも人間社会でも人間そのものの本質は変わりない、それで(無常)という言葉は今でも活きている、人間が老いて死ぬのも無常であり人間社会がこの辺でも津波だとか原発事故で急激に変化したように(無常)を身に染みて感じたのである
だから無常の世界は変わらないから言葉も活きつづけている
でも死語となる言葉が多いという時社会が変わってそれが通用しなくなってしまうからである

確かに会社名が現代にふさわしいとしても会社自体が盛衰があり現代はそれが激しい
銀行すらなくなるというときもそうである、そうすると会社名にしてもそれは永続しないともなる、それは何か無数の姓がその実体を失ったと同じになる
原発に屋号があり屋号は会社名だった、私の家は元は酒屋であり屋号があった、屋号は山村でもある
私の家は酒屋の暖簾分けした屋号だった、大きな会社から支社とも言える
そして姓より屋号でその家の人が呼ばれるのは生活の実態が屋号の方にあったからである
姓には生活の実態は消失しているのが多かったからである
とにかく権力とか権威とかも常に変わる、徳川といえば日本を支配するものとして300百年あったが今ではない、徳川というと何か珍しいともなるのも不思議である

とにかく名前は個人そのものである、だからファーストネームで話すときは姓のことが眼中にない、その個人を相手にしているとなる
でも姓を語ればそれは長い歴史を背景にしているとなる、それは必ず外国でも日本でも歴史なのである
姓は受け継がれるからである、ただ名前にしても相馬氏だと胤(たね)という字を必ず入れているから受け継がれている 
そして相馬氏というとき相馬氏一族によってし支配された国だとなる
それは明らかに歴史なのである

ただ日本だと最近は外国性とか名前とか混血したりしてでてきた
でもヨ−ロッパとかと違って単一民族であり姓が多いとしてもやはり日本人だとなる
なぜスリランカでフェルルナンドとい人がいるのか、そのフェルナンドはポルトガル人の王様の姓なのである、それは大航海時代にポルトガル人が一部支配してその姓となった
そういうことは外国では多い、人種が入り混じっているからである
だからフェルナンドの姓は多いのである、フェルナンドの王様の臣下ともなる

ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く、スペイン語ネイティブでなくても理解できやすいと思います
関西弁の人と秋田弁の人が会社の会議の話し合いや討論などはできますが、スペイン語とポルトガル語では無理です。
似てるとは言え、やはり違う言語です
メキシカンの友人とポルトガル人の友人がいますが、彼らはお互いが放す時には英語を使っています 


ポルトガル語はスペイン語やイタリア語などと同様、ローマのあったラティウム地方(Latium)で話されていたラテン語に由来する言語です。

ラテン語は、ご存知の通りローマ帝国の領土拡張に伴い、欧州全域に普及しました。現在のポルトガルとスペインがあるイベリア半島にラテン語が到達したのは、紀元前3〜2世紀のことでした

文法的には、ポルトガル語は古ラテン語を基礎としています。この点で、より新しいラテン語を基礎としたイタリアやガリア(現在のフランスとスペインのある地域)とは異なるのです。


ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く....とあるのはそのためである
ポルトガルはそれだけ古い土地だともなる、ラテン語の古語を基にしている、それは不思議に沖縄と青森に日本の古語が残っているのと似ている、辺境に古いものが残る

津軽弁に「てぎ」→「面倒」の意→「大儀」(漢語の転)

   沖縄の方言

ラテン語の古語がポルトガルに残っているということはこれとにている、何かヨ−ロッパの歴史でも日本の歴史と共通性があるとわかりやすくなるのである、ただ今はどこでもブラジルでも英語で話ししている、コミ二ケーションしているというときやはり底辺労働者でも英語を学べというときそういう人たちが英語を話しているからだとなる
ともかく名前一つからも地名一つからも歴史をたどると興味深いとなる
ただ外国で日本の姓を名乗っている人はいない!
それだけ日本は国際的に孤立していたとなる、国際性がそもそもない歴史だったのである









2019年07月04日

なぜニーチェに魅了されるのか? (社会と別な世界をイメージしてそこに自らの理想の世界を作り上げたから))

なぜニーチェに魅了されるのか?

(社会と別な世界をイメージしてそこに自らの理想の世界を作り上げたから)

なぜニーチェに魅了されるのか?
この理由は深く現代の文明と関係している
現代文明とは混沌(カオス)である、東京でもそれは何なのか?
もう怪物でありその全体を知るものはない、原発でも複雑すぎて所長すら肝心なことを知らなかったし社長だからといって会社のすべてを熟知することは不可能なのである
人間もそこでは無数の部品になる、膨大なパーツの集合体が社会である
そこで仕事するとなるとただほんの一部品となるだけなのである
それでもそのことに意味があり価値があるとしてもどうしても何かの職につくこと自体一つの部品化するのである
人間はしょせんそんなものでしかない、要するに社会は複雑巨大化して一個人など摩天楼を見上げている大衆の一人にすぎないとなる

それで人間を大きくするときどうするのか?
現実社会にはありえない、何かの職につくときどんな職でも一部品と化す社会である
それで自ら巨大化するときどうするのか?
現実社会ではもうありえない、人間は無数の大衆の一人としてまぎれる
それは名もない個性もない群衆なのである
そこに個人が大きくなれるものはなにもない、それより政治なら数であり経済も数である文明社会は数が支配する、宗教でも数である、どれだけの数を集めるかでそれが巨大化して何ものかとして認識される
創価で700百万票とったとかなるとみんな注目して恐れる
それも前に書いたように幽霊会員が何百万人もいるのだ
ただ一応会員になっているが何にも活動もしていない、だから一票を入れないものさえあるからそういう人たちを回って一票いれてくれと頼み回るのが幹部の仕事だとなる
つまりこれと同じようなものである
膨大な大衆、幽霊会員の集合体が現代の文明社会である
民主主義自体が数であり数がすべてなのである
人間が実体のない幽霊と化しているのである

だからニーチェとかアウトサイダーはそういう文明社会から離脱する、それがヘンリーミラーとか上野霄里(しょうりしょうり)とかなる
ニーチェはその最たるものである、そしてなぜニーチェに魅了されるのか?
それは文明社会から離脱して別な一つの世界を作りあげてそこに自らを超人として配置したことにあった
なぜなら現代文明社会ではそうした統一体はありえない、無数の部品の集合体でありその全体をみれる人などいないからである

だから自らを巨大化して主人とするときそうした別な現実には存在しない一つの理想の世界を作りあげてそこで主人になるほかないのである
それはあくまでもイメージされた一つの世界で主人になることである
するとその中で超人であれ巨人としてふるまうことができる
何よりそこで不思議に言葉が活きてくるのである
第一文明社会ではもう商業語とか騒音語なのかロボット語なのか言葉がロゴスが通じなくなっているからだ、言葉が通じないということは事物と物と結びつかないことなのである
そういうことをピカートが「沈黙の世界」で書いた
そうして言葉がもう通じなくなったという時、ナチスが生まれたと分析している
ただヒットラーと叫ぶことでドイツが一体化した、それも仮りの異常な一体化でありファシズムとなったのである

東京辺りでももう実際の事物を言葉で表わせないのである
巨大なビルの谷間で人は存在する事物と遊離して乖離している
そこに本来の人間はありえようがないのである
つまり人間存在の危機なのである
相馬郷土史研究というときそれは一つの統一体として全体を見ようとする試みなのである
有機的につながる一つの統一体として見る、そこに個々も活きてくる
でもここでももう有機的つながりは失われている
それだけ地方でも田舎でも職業でもなんでも複雑化している、グロ−バル化もしている
だから昔の村のような帰属意識がなくなり原発事故が原因にしろ街自体が雲霧消散したともなる

そういうことからイメージの世界で一つの世界を作り上げた、そこにツアストラが王者としてふるまうことができる
言葉もそこならひびく、通じるとなる
現実に自分自身も自然と岩であれ石であれ木であれ山とかでも一体化してアイディンティティ化することを田舎で試みてきたのである
田舎ならまだ都会と違って自然の事物でも言葉と結びつくからである
まだ沈黙の世界があるから言葉も活きてくるとなる

岩の神殿
          
岩と岩
向き合いて
暗黙の裡に
契りを交わす
その信は
長く深く堅く
動かざるかな
夢疑うこと勿れ
木と木よ
岩と岩よ
隙もなく稠密に
堅固に積み重ねられて
神殿は形成されぬ
その神の意になる
荘厳な神殿は不壊なり
神が建てしゆえに・・
不埒なものは入れず
そこに花は咲き
まことの実は稔る

この私の詩のように事物と事物は結びつき言葉もそこで活きてくる、ロゴスとなる
常に自然にあれば岩とか木とかが事物として全面に出てくる
ビルとか車の洪水とかではない、自然の事物が顕現して言葉として表現できるのである
でも都会ではそれができない、事物と言葉は分離して乖離して言葉は死んだとなる
つまりニーチェがなぜ魅了されるのかというとき超人とかいろいろあっても根本的には文明社会は別な世界を作り上げたからである
それはダンテの地獄とか天国でもそうである
そういう文明社会とは別な世界をイメージで作り上げてそこで思想とか詩を展開したのである
何か自分の場合、石とか岩とか木とかが心にイメージされる、そういう自然の神殿の中にありアイディンティティ化しているのである

だからニーチェは超人ということに魅せられるとかそれで犯罪が起きるとか言われた
それはそのニーチェが作り出したのはあくまでも仮想の世界でのことであり現実に適応できるものではないのだ
一方批判したキリスト教はあくまでも社会に現実には反映して適応したものである
弱者の思想だとして批判したとしても2000年の歴史で現実を作ってきたのである
ただ現代文明社会が混沌化して迷路化してどこにアイディンティティを求めていいかもわからない、そこに明確に一つの別な世界を作り上げて超人を説くとそれがひびきやすいのである
その手法で魅了されるとなる、自分自身も実はそういう別な世界をイメージしてそこに安らぐとかなる、現実の文明社会を否定して拒否してそういう自分自身の理想の世界に天国を作る、そもそも天国と言っても現実の自然から人間が作り上げるほかないのである
ただ神との約束が厳粛にありそれは神の国へと導くものである
ただ神の国がいかなるものかはあくまでもイメージしたものであり見ることはできないのである、ただビジョンとして見える時確かにそれは天国でありえるとなる

正直ニーチェとかアウトサイダーを語ること至難になる、私自身はそこに岩とか木でも詩的なものとしてイメージした自然と一体化したアイディンティティ化したものがあるので魅了されるとなる、このニーチェにふれて危険なのは偶像化することである
自らが神としたのだから偶像なのである
偶像は自ら倒れざるを得ないのである、ただそれでも超越的なものを目指して自ら倒れた巨大な偶像だったとなる、現実社会を離脱して仮想の世界を作り上げてそこで偶像化して倒れたのである、それは自ら演出して自ら倒れたとなる

何か現代では現実と想像の世界が区別がつかくなるのである
三島由紀夫でもそれが自らの演出だったが社会の現実となったときそのギャップにとまどったのである
テレビでマスコミでも有名になったからその人はそうしたブラウン管とかの中の架空の存在にも見えたのである、だからテレビとかメデアというのは何か現実が仮想化するし仮想が現実するのである
テレビの有名なアナウンサーの現物を見たときも不思議な感覚になった
まずそもそもテレビに像が映ることも不思議でありそのこと自体現実なのか?
仮想なのか?そういう問いがうまれる、原始的な部落でテレビを見れば本当に不思議なものとなるからだ
そういう矛盾が生まれたのが現代文明のメデア環境である
それでやらせとか常態化してもそれが現実なのか架空の物のなのか見分けることができないのである
だから三島由紀夫の死とは何だったのか何か不可解なもの、ドラマだったのか現実だったのか今でも明確にできないのである

大分前の映画の「ネットワーク」でもそうである
あらゆるものがショーでありニュースもショーである
それは見世物として視聴率を稼ぐものとしてある
だから予言者役にアナウンサーがなった、それでヒットした
でもそれはあくまでもショーである、そして最後はテレビの中で殺された
それもショーであり視聴率を上げるためになんでもする
そして何がなのか現実なのか架空のかわからなくなる
テレビでもやらせがあるのはテレビという媒体がそうさせる
視聴率を稼ぐためにより過激なものをショーとして提供するからだ
テレビを見ている人はより刺激的なショーを期待しているからそうなる
だから本を読むのでも何か目的をもってみる、それがインタ−ネットだとキーワードを入れて目的のものを捜すということ知識の世界が広がる
それはショー見たいからではないからそうなるのである

インタ−ネットの問題はニーチェでも浅薄な批評にあふれる、言いたいことが言えるからそうなる
沈黙して語れとニーチェが言っているがもう成熟しなくてもネットだと語れる
そこでそうした浅薄なものが検索で無数にててくることで時間の無駄になっていることも問題なのである
そこに良質なものがあればそうはならない、何が価値あるのか判別できずインタ−ネットにあふれてしまっている
ただ学術論文などはそれなりのレベルを保つから参考になる
まずニーチェを語れる人自体が本当に極わずかだと思う
それだけ含蓄ある一つの世界を創出したからだともなる


2019年06月22日

日本語を見直す作業が必要な時代 (言葉はその国や地域の風土歴史があり生まれた)


日本語を見直す作業が必要な時代

(言葉はその国や地域の風土歴史があり生まれた)

日本語は日常的に使っているけどその意味を深くたずねることがない
でも言葉にはその背景にその国の風土と歴史とか密接に結びついて生まれている
言葉が文化の最たるものであり外国語が理解できないのはその国の風土や文化や歴史が理解できないからなのである
何気なく使っている言葉にその国の風土や歴史や文化が内蔵されて伝えられている
ただその意味がわからなくなったのである
それで本居宣長が漢語と大和言葉を分けて日本人の日本人たる所以を解き明かしたのである

もののあわれというときそうである、この言葉に日本の風土や文化や歴史が凝集されていることを示したのである
もののあわれとは何なのか?ものとあるときものとはただの物なのか?
ものとは生命全般でありただの物ではない、モノにもすべて命がありあわれだとなる
それは植物にも動物にも及ぶ仏教的なものもふくまれている
あわれと慈悲の心だからである
日本では敵でも一旦争い終わると死んだ人を敵味方塚として弔うのは死んだ者は敵であれあわれだと思ったからである、こういうことは外国にはない、外国では異民族が熾烈な争いとなり中国では死んだ者の墓を暴いても罰するのである
またみな殺しにもするのである、それだけ過酷なのである
だからアメリカで日本に原爆を落としたのもそういう歴史をひきづっているからだともなる、敵に容赦はしないということである

日本語もその言葉ができた背景をたずねれば切りなくなる、その深い意味も不明になっている、そもそもどうしてそういう言葉が生まれたのかとなる
それは日本の風土と歴史から切り離されず生まれている
それはどこの国の言葉でもそうである、それでどうしても明治になったとき日本語に訳しても訳せない、なぜならその言葉の背景となっている風土とか歴史が違うから訳せないのである、ただ漢字で訳したという時、漢字には何か世界的な普遍性が内臓していたから漢字でヨ−ロッパの言葉を訳したとなる、ひらがなでは無理なものが多かったとなる

言葉というのはどうしても外国語になると本当は訳せない、外国語では訴えることができない、通じ合うことができない、ここに文化がグロ−バル化できないものがある
モノのやりとりは自由にできる、でも言葉はできない、そこにグロ−バル化する大きな壁がある、では世界共通語として英語にしろとなる
すると日本人の心も失われて日本自体が消失してしまう、言葉はまたその国の精神であるからそうなる
言葉にはそれぞれに味わいがある、それは日本人にしか通じないのである

味というときこの味(あじ)はどこからきたのか?それは芦が味になったのである
芦原瑞穂の国が日本がの原風景だったからである
ではなぜ芦(あし)が味になったのか?

これも良くわからないが

福島県会津若松と九州の宮崎椎葉村、この遠く離れた二つの場所から、ある、共通す 
るものが発見されました。

実は、つい最近の昭和年代まで国が直接「味耜高日子根神」を祀る神社が、会津若松 
のすぐ近くにありました。東白川郡棚倉町の「都々古別神社」です。

現在食べている米は、遙か な古代、熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの交配に依って「早生」「中生」「晩生」 という様々な品種が作り上げられ、今に至ったのです。その南の国から来た原種の稲の種を持って、一体誰が、遙か離れた、それぞれの場所へ、米を植えたのでしょう。 
血縁で結ばれた民族が、どんな人を中心に動き、どの様に生きたのでしょう。背後に 
」が見え隠れしていることを否定する事が出来ません。

アジとはアヂスキタカヒコネのアジ(ヂ)なのである
アジは鴨だという韓国語由来にしているがこれは芦(あし)から来ていることは間違いない、なぜでは芦が味となったのか?
それは芦原瑞穂の国として日本がありいたるところ芦だらけだったのである
その芦原を水田にして米をとれるようにしたからである
芦が味となったのは米がとれるようになってその味となった、味がいいとなった
味をしめるとかにもなった
とにかく米には種類が多いから味が違うのである、味というときまず米の味だったことは間違いない、縄文人は米を食べていないから、味のはじまりは米だったともなる
そして味真野とかいうと味鋺(あじま)というのは芦の間のことなのである
それが味真野になった、芦の間から見える野が真野のの意味なのである
それで真野の草原の真野をたどるとそこまでわかる
アヂスキタカヒコネとはスキで芦を切り水田にした神だとなる

言葉にはこれだけの由来があるとなる、別な説があるにしても言葉の背景はこれだけ広く深いものがある、そして米の種となる種類は多いのである
だから土地土地によってとれる米の味が違うとなる
最近で人気の米も味が違うから売れている、また狭い範囲でも味が違うのである
それは野菜でも果物でも同じものでも米でも梨でもリンゴでも味が違うのとにている
だから味をしめるということは何か日本的な言葉だとなる
隣村で作る米でも野菜でも味が違う、それより農家ごとによって作る野菜にも味が違うという人もいた
それはその人なり土地の状態とかいろいろそこの土地とか風土が作用してそうなるのである
味はみんな一様ではない、だからこそ文化なのである、cultureはcultivate(たがやす)なのである
その土地土地に違った味がある、料理でもそうだけど風景でも人でも違ってくるのが文化なのである

ところがグロ−バル化社会になると貨幣であらゆるものが交換されて一様化される
料理でもみんなマグドナルドとかコカ・コーラとかなる
それは多国籍企業化するときその国や土地の文化(料理)でも一様化した方がいいとなってしまう、その土地土地の味などと言っていたら多国籍企業のものは売れくなくなるからである
同じ規格化したものを大量に売る方がもうかるからである
つまりグロ−バリゼーションとはそうした国々とか地域の文化を破壊する方がいいからそうなる、その時その土地土地に伝えられた土地の味は破壊される、消失するのである

いづれにしろグロ−バリゼーションはいろいろな弊害をもたらした
確かにいい面もあったがマイナス面が大きくなったのである
それは物質的豊かになってもその土地土地の文化が失われるときかえって貧しくなる
存在するアイディンティティも奪われてしまうのである
するとその国に土地に生きるに値(あたい)しないとまでなってしまうのである
それは国が維持できなくなる危機的状態になる
だから今本居宣長のように自国の文化を見直す作業が言葉の面でも必要になっているのである、日本はこういう国だったのかと再認識することが必要なのである
そこで日本の国に誇りがもてるとなるからだ
そうでないともう日本が日本でなくなり何が日本かもわからずになり日本は消失してしまうのである
明治維新から150年過ぎて奈良時代の国際化から平安時代の国風文化に移行したように今がそういう時代になりつつある
欧米から習うことまねることから日本の独自の国風文化の時代へ移行する時代になる 


あとがき


この秋三軒の隣家から自分の田んぼとれた米を頂戴した
それぞれ味が違うことに驚いた

土が違うのでしょう
種も少し違うかもしれません
作る人によって味が違ってくる

米は作る個人の味がする
彼らはそれぞれ個性的な工夫によって量を求めず質を求めている
日本がは独特な個人主義である、西洋の個人主義とは違う
(この国の終わりー林英彦)

日本がはその土地土地に多様な文化をはぐくんできた、それが三軒の隣同士でも味が違うとなる、とにかく農業はその土地とか水とかに作用されるからみんな違ったものになる
規格化された工業製品のようにならないのである
文化というのはそういうものである、ワインでも土地の名前がつけられるのも味が土地によって違ってくるからである、光の具合とか土地とか水でも違ってくるからである

神田の水で産湯を使い…」「玉川の水で産湯を使い…」とは江戸っ子が啖呵(たんか)をきるときの決まり文句。 実は「神田の水」というのは、神田上水の水ということ。同じく玉川の水は、玉川上水。現在、JRに水道橋という駅がありますが、この「道」が、まさしく、その上水道です。江戸っ子は、川の水や井戸の水などではなく、水道水を使っていることを自慢しているわけで、そうした近代設備のない田舎者を見くだす文句として、この言葉を使ったのです。


下町一帯の神田上水、多摩川上水、千川上水も、みな土中の伏樋を堀り捨てて鉄管にしてからは神田児(かんだっこ)の産湯の水もなくなったわけで江戸っ子と移住人との限界の崩れてきたのも上水によって暗示されているのはおもしろい、(折口信夫) 

ここでも水をとる場所が違っていて水の味が違っていた
それが鉄管にしてから同じ味になった、つまり味が一様化するのが文明なのであるそれはグロ−バル化文明とにていたのである

井戸の話(沢庵和尚の春雨庵から・・・)

2019年06月20日

日本人は特殊な内輪仲間民族 (話せばわかるとだけでは通じない外国)


日本人は特殊な内輪仲間民族

(話せばわかるとだけでは通じない外国)

日本人の特殊性はやはり地理から生まれた、縄文時代から外界と接することなく暮らすことができた、日本に移住した人たちも日本の島国で同化された
それが日本人を作ってきた、人間は地理と風土から基本的に作られる
それを越えることはできないのである
日本の地理が大陸とは離れているから歴史も孤立して形成されたのである
つまり日本人は異民族との熾烈な闘争からまねがれていた唯一の国なのである
だからそこに日本人独特の精神性が形成された

何気なく使っている日本語でもそうなのである
日本人は「話せばわかる」とか普通に使う、でも話せばわかるということは文書にしないことである、文書にしない、明確に文書にして契約しないことなのである
文書にすることは明確に契約することであり話せばわかる、口約束だとそんなこと言っていないとなって証拠にならないが文書にすれば証拠になるのである
この意味はまた別な意味がある、同じ仲間なのだから話せばわかってもらえるとなった、それが通じないで殺された
つまり外国で異民族が交わるというときこういうことが多かった
話したって簡単にわかりあえないのである

そういうことに厳格なのは大陸国家ではヨ−ロッパでもイスラムでも中国でもどうしたら約束が守れるのか?それは話せばかるでは通じないのである
相手は内輪のものでもないし仲間でもない、異体の知れない人たちでありまた遠くから来る人たちだからである

そこで文書の重みが生まれる、書くことの重みが生まれる
また法律でも全然知らない人たちが民族同士が和を保つために不可欠だとなる
話せばわかるとなるのは村内の狭い範囲ならそれでいいが大陸のように広大になると民族も多様でありそういう人たちが混交して和をどうして保っていけるのか?
何か厳しい公平さがなければ過酷な暴力で決着をつけるほかなくなる
ただ強い者だけが勝つ弱肉強食の世界になってしまうし現実に国家間になるとそうなったローマ法が成立したとしてもローマ以外になれば成立しないからだ 

日本では敵があって戦争しても敵味方塚を作り敵も味方も供養しているのは日本人として仲間だからとなっているからである
大陸では中国では墓まで暴いて罰ししているのだから日本は理解しにくいとなるのだ
では敵味方塚は日本では通用しても外国の戦争ではありえなかった、ロシアと戦争してもアメリカと戦争しても日本は三〇〇百万人死んだ、そういう熾烈な戦争になると敵味方塚などはない、原爆にしてもあまりにも残酷だからそんな感覚は吹っ飛んでしまったのである

そういう多民族が混交するときどうしてコミ二ケーションはどうするのだろうか?
話せばわかるとか阿吽の呼吸だとか腹でかるとかにはなりえないのである
つまり言語で明確に説明しなければならない、すると言語に関してその定義というか言葉の意味も共通の認識として追求されて明確にしなければならない
言葉に対しあいまいでいられないのである

話せばわかるというとき文書にしなくてもいい、互いに知っているのだから話せばわかるとなる、でも文書にしないと話したことは一時的で消えてしまうのである
公証人制度とは文書で署名して文書で証拠として保管することである

この公証人制度はドイツやイギリスには存在しませんでした
一般にイタリアの都市からはじまりローマ法の法律が広がっているスペインやフランスなどで定着した

もともとローマ法といんう成文法によっていちおう契約の文書がルールづけられているところで有効に機能したのです
(今ヨ−ロッパが崩壊する)

ローマが文明をヨ−ロッパ文明の基となっているのはそのためである
ドイツやイギリスはその時文明のルールが成立しない野蛮な無法地帯だったともなるのである、そしてローマではラテン語共通の言語となっていたのである

いづれにしろ日本人を知るには日本を知るにはまず地理であり歴史であるが日本は内輪の仲間内のコミ二ケーションでたりていたことが特殊なのである
異民族との熾烈な争いを経験していないから話せばわかるとかになり厳格な文書でのルールを成文化しない、そこに言語の意味を明確にしない歴史と文化かが生まれた
日本は情的文化であり情緒的言語が多いのもそのためである
もののあわれとかに象徴されているのでもわかる
だから本居宣長が漢語と大和言葉を分けたことにより日本の特質を明確にしたことでもわかる
現代はヨ−ロッパ文明だから外国語と特にヨ−ロッパ系統の言語と日本語の相違を明らかにすることが強いられている、それで苦闘したのがヨ−ロッパ文明の言語を翻訳することに苦労しているしその言語が翻訳できなかった
それはその背景にローマから始まる歴史がありそれが重層的になっていて日本人には理解できなかったからである

だから何気なく日本人が日常的に使っている言葉にもその国の歴史や文化がある
「話せばわかる」というがそこに日本人独特のコミ二ケーションの態度がある
文書にしないでもそれで通じるというのは狭い内輪のい村のような社会が世界となっていたからである
日本人の世間とは村なのである、せいぜい四、五〇〇人くらいの単位の村が世間なのである、社会とは全然違ったものである、社会の訳でも(やしろ)に会すであり神社の回りにいる氏子くらいが世間なのである、するとソサィアティとかとは違ったものなのである
つまり日本語では訳せないものだったのである
第一そういうものが社会そのものにないとしたら言語にしようがないからである

正直外国にヨ−ロッパでもアメリカでも暮らしていないものは日本を相対的に見れないのである、だから日本人を何か知っている人は外国で暮らした人なのである
だから留学することはそれだけ価値があったとなる
そういう人も増えているから日本を客観的に相対的に見て批評するから実感があるとなるそれで「日本人はこうして奴隷になった」林英彦などをアマゾンの古本で読んでなるほどと思った、此の人も外国暮らしが長いから日本を相対化して見えたとなる
自分にしても五〇過ぎてから海外旅行したがそれで多少は外国を知り日本を相対化してし見ることができたとはなる、でも外国で暮らしていないからそこにもう一つ日本を客観的に相対的に見れないのである




2019年06月14日

ヨ−ロッパとか大陸国家と日本の歴史的根本的相違 (日本には都市がない、市民がいない)


ヨ−ロッパとか大陸国家と日本の歴史的根本的相違

(日本には都市がない、市民がいない)

ヨ−ロッパとか大陸国家から例えば中国から来た人でも日本に来て不思議に思うことがあるだろう
その大きな不思議が日本に来たら城壁で囲まれた都市がない街がないということである
そしてなぜか城だけがありそこは防御するようになっている
城門もあり厳重に敵から攻められるために備えているのである

でも街全体とかにはないのである、だから戦争という時、城に住んでいる侍と侍の争いでありそこに住んでいる住民は関係ないのである
ただ戦争の勝敗によって殿様が変わるから影響するだけだとなる
別に戦争に負けてもそこの住民は殺されたり奴隷にされたりしないのである

なぜヨ−ロッパとか中国でも熾烈な争いがあったのか?
それは中東でもそうであり大陸では熾烈な民族同士の争いがやむことなくあった
それは近代まで継続していたのである
そうした大陸国家の熾烈な争いに明治維新後に日本は世界史に登場しまきこまれたのである
明治維新からグロ−バル化がはじまったのである
そこで日本は相当にヨ−ロッパにおいつくために無理したのである
その無理がたたって70年後過ぎて太平洋戦争になり大敗北をして3百万人死んだのである、つまり大陸国家の歴史の興亡に巻き込まれたのである
なぜならヨ−ロッパとか大陸国家では戦争の連続であり何百万人の単位で死んでいるからである
それで思想でも中国なら三国志があり戦争の結果としていかに敵に勝つかと孫子の兵法が生れたりまたヨ−ロッパだとマキャベリズムが生まれた

そしてなぜ日本はヨ−ロッパとか大陸国家を理解できないのか?
日本には日本だけで海に囲まれて閉鎖した中で歴史がはぐくまれたからである
このために日本がは大陸国家の興亡を理解できないのである
戦争に負ければ奴隷にされる、そうなれば必死で戦争に勝つための方策を考えるし軍備でも備えるとなる
日本ではそうして他国に攻められて奴隷になる経験がないのである
ただモンゴルが攻めてきたとき一時その恐怖におののいたのである

なぜ大陸で階級制が生まれるかというと民族同士が国同士が絶えず争い優劣を決めるからである、負けたら奴隷にされたり下層階級にされる
大陸国家では必然的に奴隷を下層階級を作り出す仕組みがある
そして様々な民族がいるから混交するからそこで区別しり優劣を決めるのである
それはネパールでもそうだった、様々な民族の吹き溜まりのようになったのがネパールだからである、そこで階級制が生まれたのである
それで外国人まで日本人も階級のどこに属するから決められていたのである

ヨ−ロッパであれ大陸国家だとアメリカでも絶えず戦争がありそれで優劣を決める社会だとなる、また人種が混交するからそれで民族ごとに区別して差別して階級制になりやすいのである
これが世界の歴史であり普遍化したのである
だから日本人は外国で暮らしてメードを雇えない、使えない、なぜならそういう歴史を経験していないからである、武士は階級制ではないかともなるがそれも厳格なものではなく今では士農工商は職業で分けただけだとか見方が変わってしまった
第一侍でも大陸国家のような贅沢をしていないからである
また日本にはそれだけの富を生みだせないからである

大陸国家だと戦争に勝てば莫大な財産を得ることができる、奴隷もその一つであり他にも土地を奪うとしたら広いから莫大な収入になる
だからこそ戦争に勝つか負けるかでその運命も決まる
それで戦争は熾烈なものとなる、また中東などの砂漠では略奪は公然として許されている別に犯罪ではないのである、権利なのである
何かそうした大陸国家の成り立ちとか歴史が日本では肌で感じられないのである

だから大陸から来た人はなぜ城だけが独立してあって街を囲む城壁や市壁がないのだろうとなる、そして戦争でも別に殿様が変わるだけでありそこに住む住民は殺されたり奴隷にされないのである、だから戦争になってもそこに住んでいる人はあまり関心がないともなる
それで会津でもあれだけ悲惨な戦争であってもそこに住んでいる住民はその戦った侍に同情もしていないのである
それよりこれが好機として農民がヤーヤー一揆を起こしたからである
日ごろ税金に年貢に苦しんでいたからこの機に乗じ反乱起こしたのである
あれだけ薩長軍と官軍と必死で戦っている時、別に一緒に街を守るために戦うのではないかえってこの時こそ好機だと一揆を起こしていたのである
つまり城とか侍は一般農民とか庶民とかとは分離していたのである
侍同士の戦争でありそこに庶民とは関係なかったとなる
そして戦争に負ければ殿さまが責任をとり切腹して戦争は終わりになる
それから負けた方でも敵味方塚として供養されているので中国から来た人が理解できないとなるのである

この相違は本当に大きい、例えば資本主義とはこうしてヨ−ロッパから大陸国家から生まれたからこうした歴史を知らないと理解できないともなる
なぜなら資本主義とは資本を投下して巨利を得るということが基本にある
それは戦争とにていたのである、戦争に資本を投下して敵に勝てば莫大な利益を得るとなるからだ、そういうことも資本主義の背景にある
だから大陸国家とは格差社会が歴史的に基本としてあった
それはグロ−バル化経済でも起きている、世界的に格差が生まれる社会が欧米型大陸型の文明だからである、戦争とは敵をうちのめして収奪することでありそれが資本主義にもある、別な見方があるにしてもそういう側面もあることは確かなのである

それも大陸国家の歴史から生まれた弱肉強食の思想だったともなる
マルクスが階級制を打破しろというときそもそも階級を常に意識される社会だからそういう過激な思想が生まれたのである
日本だったら生まれにくいのである

とにかく日本には市民がいない、街を守る市民がいない、ヨ−ロッパの都市はそこに殿様も王もいない、市民だけの都市がある、それは市壁に囲まれていてそうした都市同士が争っていたのである、そういう歴史が日本にはないのである
それでシテズンシップとかはない、市民意識、市民共同体がないのである
パスポートにどこの出身ですかというとき国があって市があるが市が重要だからそうなっている、どこの市に属しているのか市が基本的な共同体でありアイディンティティになっているから大事になる
この点で日本は根本的にヨ−ロッパでも大陸国家の歴史でも肌で理解できないのである
だから外交でも戦争でもそうした大陸国家の熾烈な戦いを興亡を経験しないから何か甘いというか外交下手となる
つまり大陸国家の長い歴史の中でつちかわれた経験がないから他国に対してどう対処していいかわからないとなりグロ−バル化して戦争にも負けるしまた一時は電機産業で高度成長を遂げたがそれも衰退に向かうとなる

日本の特殊性を理解するにはやはり大陸国家の歴史を知りどういうことで歴史的に成り立ったのか知る必要があるのだ
日本は世界で極めて特殊な国の歴史でありそれを自覚する必要がある
だからグロ−バル化するということは日本に向いていないのである
そういう経験をしていないからである、外国人労働者でもどう扱っていいかわからない
大陸国家なら奴隷として階級制を作り対処していたからである
でも日本だと同じ人間じゃないかとなりそういうことはできない、そういう歴史がないからできないのである
だから明治維新後西欧化とかそういう課題は戦後でも続いているのである
何か日本が経済的に技術的にも衰退するという時、それがどういうことになるのか?
グロ−バル化のなかで三等国になり奴隷ともなり階級的に下層民とされるのである
それが大陸国家の歴史であり日本は鎖国もできないからそうされるのである
現実に観光でおもてなしとか言っているけどまさに日本が世界の中で経済的に技術的にも衰退しているからそうなる

金が落とす外国人優先になるのはそのためなのである、まさに外国人の奴隷にもなる
それは東南アジアで一時為替の差で安く女性を買っていたとかと同じである
これも日本人のカルマだったのである
それも世界史で繰り返されているのである、中東が優位だったときはヨ−ロッパの女性が下位になり5ドルくらいで買われていたとかあった
それだ逆転したのもまた歴史である、カルマはくりかえされているのである
必ず国家の興亡があり上になるものが下になり下にあるものが上になる
それで今や中国が日本を経済的にも技術的にも優れていて日本は中国の属国になり奴隷二されるとなるのである
グロ−バル化では鎖国はできないからである
グロ−バル化とはそういう熾烈な戦いから逃れることができないのである



ヤーヤー一揆

新政府軍と会津藩兵との戦いによって数多くの犠牲者が出て、以後会津地方の旧武士階級の人々は薩長土肥に対して恨みを抱いたという話はよく知られている。だが農民、特に戦場にならなかった地域の人々にとっては、かねてからの重税や物産の専売制度による搾取に加え、藩主松平容保が京都守護職として上洛して以来、その経費を賄うために行われてきた増税に対する不満に一気に火をつけることになった。9月22日(1868年11月6日)、会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆蜂起が勃発した。

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2019年06月01日

統合失調症と引きこもりとアウトサイダー (文明そのものが病理的現象であり異常である)


統合失調症と引きこもりとアウトサイダー

(文明そのものが病理的現象であり異常である)

統合失調症には、10代後半から発症するタイプがあり、ひきこもりをそれと誤ってとらえられてしまうケースがあります。
統合失調症の発生頻度は、あらゆる時代と国を通じて、ほぼ0.5〜1.0%を前後する一定の値を示し、それほどの変動はないとされています。

しかし、統合失調症はその定義や診断基準が極めてあいまいで、単一の疾患単位であるかどうかすら疑われている「精神病」です。
中井久夫によれば、統合失調症だけに見られる特有な症状は存在しないといいます。

あるハンガリーの研究者によれば、ブロイラーが分裂病(当時)という名称を提案した前年にあたる1910年、首都ブタベストの分裂病者たちは、その半世紀後に比べて、より多彩な症状を呈していました。

しかも、当時支配的であった見解とは対照的に、ほとんどの分裂病は、いわゆる分裂病性の荒廃を残さず、比較的良好な経過をたどったとされています。
このことは、たいへん暗示的です。この1910年という時代は、西欧の周縁の地ブダベストには、いまだ、人格荒廃へといたる不治の病としての分裂病という物語が、さほど浸透していなかったことを示しています。

あるいは、現代文明から疎隔された台湾の原住民には、分裂病の有病率が台湾在住の中国人に比べてはるかに少ない、と報告されています。
しかも、彼らの精神病の特徴は、急性に発病し、その病相期は短く、再発や重篤な荒廃に陥る例はまれです。分裂病には再発例がまったくなかった、といいます。


精神分裂病は社会病理としての病気でありそもそもそういう病気がなかったという
文明化されない地域ではブタペストとか台湾ではない、一時的にそういう症状が出ても回復している、その理由は社会に仲間内で回復させるものがあったとなる
つまり社会病理なのであり個人の先天的な病気でないとしている

ともかく社会に適応できないものはすべて病気としてレッテルが貼られる
引きこもりとかニートは働かないからそれでこれは病気なのだとレッテルがはられる
会社に行けない者も鬱病だからとなり病気にされる
本当は鬱病は仮病だとする人もいる、何か社会に適応できないものは病気だとされるのである

ところが社会自体が文明自体がそういう病理現象を生むのでありもともとの人間にはなかったとなるのがこれでもわかる
マクロ的に見れば文明とは病理的現象でありそこで当然異常化しているとなる
そもそもその異常化した文明に適合している人間こそ正常ではないともなる
そこからニーチェとかヘンリーミラーとか

上野霄里

氏などがアウトサイダーが生まれた
現代文明とは病理的現象であり文明自体が病気なのである
その異常化した文明に適合している人間こそ異常だということにもなる
天才的な人間はとてもそんな文明に適合できない、だから全人間として生きようとする
それはアウトサイダーになるのだ、天才的芸術家はアウトサイダーである
ゴッホでもまたタヒチに逃れたゴーギャンでもそうである、タヒチの原住民の中に安らぎを見出したのである
それは現代文明の否定であれ逃れた結果生まれた芸術だったとなる

つまりここで言いたいのは文明の中で適合できる人間は異常でありむしろ適合できない人が正常だともなる
なぜなら統合失調症に現代文明化されている遅れた地域はかえってならない、なっても一時的で回復しているからである
だから現代文明に学校や会社に適合できない人間は病気のレッテルが貼られる
でも逆に現代文明に適合している人間は異常である
それは現代文明がナチスを生んだというピカートの思想でもそれを指摘していた
その全体主義の異常性はそもそも現代文明が社会的病理現象としてあり遂にはナチスのような怪物となり社会は踏みにじられたともなる 

これは原発事故でも「安全神話」が作られそれ異を唱える者は異常とまでされるのともにている、なぜそうなったかというとそれは政府と東電とマスコミが一体化して作り上げられたからである、つまり「安全神話」を作った者たちこそ異常であったのだ
現代文明自体が異常な病理現象として現れたものであり社会自体が狂気と化す危険性を備えていたとなる
その病理現象としての文明から当然統合失調症とか適合できない者にレッテルをはる
引きこもりとかニートは病気であり治療が必要だともなる

ところが全人間として生きようとするエネルギーにあふれた天才になるとアウトサイダーになる、それはまた引きこもりとは違う何か似た所がある
現代文明に適合できない、不適応者として存在するからそうなる
その人は病気であり治療が必要だとなる、そうして文明人は安心するのかもしれない
文明に適合している人はあたかも優れていて正常でありと自認する

私の場合はアウトサイダーだったとなるがそうなるとどうなるのか?
不思議なのは仕事するということはみんなパーツ化することである
現代文明はどんな仕事でもみんな無数のパーツの一部になるだけである
そこで全人間を発揮することなどありえないのである
会社に属さない決まった仕事をしないということは全人間としてあり生き自然でも全体として追求するようになる
だからニーチェとかのように超人的志向とか単独者にもなる、そこに危険性があるのだが文明を否定してしか全人間になりえないからである
だからそこでニーチェのように狂気にいたる人もでてくるのである
でも個人も狂っているが集団も狂っているというとき現代文明も狂っているのである
その文明から生まれるカルト宗教団体もまさに狂っている、それは病理的現象なのであるだから宗教団体には精神病者が多いという時そうなりやすいのである
なぜならそこは現代文明の病理現象として現れたものだからである
本来の宗教とは何の関係もないのである、つまりそれを放っておくとどうなるのか?
オームのようになったりナチスとなって全世界が踏みにじられるのである

いづれにしろ現代文明こそ異常な病理現象なのである、そうだからこそ統合失調になってもおかしくないのである、統合できない病気ということでそれを如実に示している
そして文明に適応できない、学校でも会社でも適応できない者は病気というレッテルを張り治療せねばならないとなる
でも文明そのものが異常な時、文明人は治療の対象にならないのである
むしろ正常であり認められる、それはカルト宗教でもそうである
それは社会で数が多いからと認められると同じである、そしてやがて文明自体の異常性がそういう病的な団体により席巻される、それかナチスだったともなる

文明とは無数のパーツにされた調和がない世界である、そういう世界に正常な人は適合できないとなって不思議ではないのである
適合できている人間こそ異常だとなる、アウトサイダーから見ればそうなるのである
だから自分自身が追求してきたのは自然の全体でありそこに調和があり真の存在の連関性がありそこに神の国があるともなる
文明にはそういうものはない、それは病的現象なのである、だから真善美とかもないのである、またそういうものも追求していないのである
ただ経済的なものしか追求していない、経済力、金がすべてだとなってしまったのであるそれはカルト宗教団体でもそうてある、それは文明の病理現象の中から生まれたものであり病気になったと人たちだともなる、しかし文明では数が多いから正常だと認められているのである

  調和の力
  
本当にこの世で強いものは何か
調和の力である
調和のひびきである
樹々は列して並ぶ
神殿の列柱のように
花と花はどれも調和する
それぞれの色に映える
濃い紫色と白の菊
それはともに長くも映えて咲いている
そこに調和があり乱れない
我々の力は調和から来る
決して争いからは来ない
神の意向するものはと調和である
力強い調和の讃歌である
我々は調和の中で強く不可分に結び合う
稠密に堅固に結び合う
調和の中で歓喜の歌を歌う
調和の中で神を讃える
調和の中に神はいましぬ
それは不壊なるものである
武装しても国土は守れぬ
平和の調和の力が国土を守る
人が乱れれば国土は守れない
国土の調和こそ堅固な守りとなる 
争いをやめるには
神の調和の世界を知ること
力強い調和こそ自然の営み
それを知る時人に本当の力が与えられる
平和は叫ぶことではない
平和は大地から湧きあがり天から下る
実りとなり祝福として与えられる
神の業こそ平和を成さしめる
調和の神殿は決して崩れることは ない
それは神によって建てられたものだから
その礎は盤石にして支えるから・・・


What is really strong in this world
It is the power of harmony
It is a sound of harmony
Trees line up in a row
Like a temple column
Flowers and flowers are in harmony
Shine in each color
Dark purple and white chrysanthemum
Both are shining long and blooming
There is harmony there is no disorder
Our power comes from harmony
Never comes from conflict
What God wants is harmony with
It is an ode to strong harmony
We are inextricably bound in harmony
Closely and firmly connected
Sing songs of joy in harmony
God-fearing in harmony
God is in harmony
It is a crush
Even if armed, the land can not be protected
The power of peace harmony protects the land
If people are disturbed, the land can not be protected
Harmonization of the country is a strong defense
To stop the fight
To know the world of harmony of God
Strong harmony is the work of nature
When you know it, people are given real power
Peace is not to shout
Peace is rising from the earth and rising from the sky
Be fruitful and blessed
God's Work Can Make Peace
The temple of harmony never fails
Because it was built by God
Because the foundation is supported by rock stone ...



調和があるのは自然である、人間の社会に調和はない、絶えず争いと分離なのである
文明自体が無数のパーツであり調和はない、むしろ何かエジプト文明にはピラミッドでも調和があった、それは宗教的建造物であり王の墓ではなかったからである
一つの自然と調和を図った文明だとなる、今の文明にはそういうものがないのである
ただ無数の部分にパーツになったカオス文明である
そこに真善美も追及されていないのである、そこに荘厳なものが美が生まれないことでもわかる、醜悪な大都会が東京などがそれを証明しているのである
そして科学技術文明だが科学を信仰のようにしても原発事故になり森につつまれた飯館村が放射能汚染で住めなくなったように自然を破壊したのである

イスタンブールのソフィア大聖堂でもオスマン帝国でも破壊できなかったのはそこに美があったらだとされている、その建物には威厳があったからだとなる
東京のような大都会だとビルが林立してもそこには破壊衝動が生まれる
それでゴジラによって踏みつぶされるようなものが好まれるのである
もしそこに威厳ある美なる建物があればそうはならない、破壊できないものがあるからだ
 
中尊寺

  宮沢賢治
            
七重(じゅう)の舎利の小塔(こたう)に
蓋(がい)なすや緑(りょく)の燐光

大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映(は)えかゞやけり

手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔
大盗は礼(らい)して没(き)ゆる



つまり大盗でも盗まれないものが光輝がありまぶしく去ったとなる
そういうものが今の文明にあるかとなったらない、そういう文明は自滅するのではないか自らの醜悪さに耐えらずに自滅するということもある
一方で自然は威厳のある荘厳な調和の神殿なのである、そこから病的なものは生まれないのである、調和の尽きない美がある、それを発見するのは文明から離れて観るアウトサイダーだとなってしまう、引きこもりはまた違ったものでも文明に適応できないことが病気とされるが文明人こそ異常なのである、病的現象としての文明に誇ることがそもそもできるのかとなる、それはただ経済的てもの物質的なものだけになる
そこに誇るべき文化が生まれているのか?美が生まれているのか?
生れていないからそこは不毛の世界であり病気世界でしかないとなる
そこに病的人間を作り出すだけだともなってしまうのである

  
  
  

2019年05月23日

なぜ日本の技術はITなどで遅れたのか? (日本の文化(言語)と相性が悪かった?)

                                                        
 なぜ日本の技術はITなどで遅れたのか?

 (日本の文化(言語)と相性が悪かった?)


動詞が文末に来る頻度が高い言語の話者は、陶磁器、光学機器、自動車のように、単体で完結する製品やサービスで強い傾向があり、目的語が文末に来る頻度が高い言語の話者は航空機のような大規模なものを作ったり、PCやスマートフォンのように他のさまざまなものと相互作用をこなすものを作るのに強い傾向があります。


ベストプラクティス、テンプレート、こういったものがないと動けないのが日本人の悪いところだと思うのです。これらは強いていえば、すべてコピペです。日本人はある技術が元々あって、それをより良くする、量産するといった、熟達させることは得意です。匠の技というのも歴史のある技術を熟達させたものを指しますよね。それはそれで日本の素晴らしいところではありますが、0から1を生みだすということに関しては、世界と日本とでは雲泥の差があると思います。これを自分の課題としてしっかり見つめることが重要です

言葉が技術と関係しているのか?詩を書いたりしていると言葉自体に興味をもつ
言葉は一番その国の文化をなのである、言葉が文化のアイディンティティなのである
すると言葉の問題もあってITに日本がは遅れたのかとなる
ここでドイツ語と日本語は語尾に目的語くるというが英語の基はドイツ語だとするとそういうことがあるのか?
ただドイツと日本は物つくりは得意だがITに送れていることでは共通しているという
技術でも何か得意分野がありITはまた他の技術と違っているのである
どうしても英語でプログラムでもコンピュター言語化してソフトでも作るのだから英語圏の人は有利になりインドでは英語圏であり数学も得意だからIT分野の人材が出やすくアメリカでソフト制作を委託されるようになっている

私は技術はわからない、文系だからわからない、でも何かパソコンをしていて抽象画を作っていてITとかAIの技術にかかわっていることを意識した
抽象画はソフトの操作で自動化してできるからである
森であれ川であれ電車が多様なシーンを進む地球を進むシーンを抽象画として作ることができたからである

IT化というとき膨大な情報を処理する能力のことでもあった、AIでもそうである
膨大な写真がインタ−ネット上にありそれを処理する能力である
それはきりなくあるから抽象画もきりなく生産できるのである
写真の加工が基本だとするといくらでもビッグデーターとして写真がインタ−ネット上にあるからそうなる

英語は何か数式とにたものがありそれがインタ−ネットやAIやプログラミングするのに適していた、相性が良かった、日本語であれ漢字であれ相性が良くない
でもなぜ中国ではあれだけIT化してアメリカを追い越すまでになったのか?
となると漢字文化圏であってもITの技術進歩はできるとなる
だから言語だけが関係していたともならないのである
ただ中国人は日本人より英語ができる人が多いのである、しゃべれる人も多いのである
語順が同じだということもあるかもしれない、その理由は良くわからない

「I leave A for B.」「I leave B forC.」「I leave C forD.」 

He left Tokyo for Nagoya(東京をたって名古屋に向かった)

これは何か数式のようになっている、英語は数式的なところがありそれてでITに相性が良かったのか、それとも英語的思考がITを生んだのかともなる

動詞が最後に来るとなると

私は森の中に鳥を見た 

私は鳥を見た森の中に

I look a bird in the forest


その相違があるが動詞が先に来て目的語がつづく
結局絶えず動くものを見ているのが動詞が主語の次にきて前になりやすい
でも最初に景色を見ているものは動詞が後になりやすい
森だったら最初に目に入るのは森だからである
その後に鳥でも動物でも動くものをキャッチする

日本では森が多いしドイツでももともと森でおおわれていた国である
それで共通しているのか?
平原とか砂漠だとまず動くものをキャッチするから動詞が先に来る
目的語も動詞の次にきて文頭に来る、そのバックとなる景色はあとになる 
次々に変化するものとらえるということでその変化に適応できるということで英語が有利だったのかともなる
農耕民的だと定着して一つの物造りに励むとういことがある、その物にこだわり作り上げる
それは農耕民ではない、森の民の縄文人でも縄文土器を作ったからにている
ただこれどういう関係になるのか?今一つ納得がいかない

確かなことは縦書きと横書きの感覚は相当な文化の相違だとみる
縦書きと横書きではかなり違ったものだからである
ところが漢字は縦書きである、でも漢字は横書きでも何か英語のようになる
日本語はまず縦書きでないとかなでも表現しにくい言葉である
ここに精神性と文化の相違が生まれる
縦書きということは上意下達のようになる、日本語で尊敬語が多いのはそのためである
英語だとIとYOUであり人間関係も対等となるのである
言葉でもそうだがアメリカのように現実社会でもそうである、特にクィーンズイングリッシュよりアメリカ英語は庶民的なものとなっているというのもわかる
アメリカ自体がリンカーンから始まった平民の国だからである

いづれにしろ日本語自体にも文化にも何かITに適さない言語でありそれで遅れをとったともなるのか?
日本語はかなもあるしカタカナも混在しているからわかりにくくなる、それはまずプログラミングでは使えないともなる
ただ漢字の方が横書きでも通じるし簡潔化されている、、かなが入る日本語はいい面として機能したとしても何か簡潔さに欠けているし上意下達になった
それが英語のようにプロググラムミングするのに適していなかったのかともなる
物造りだったら言葉が関係していたとも思えない、それはただ物を精進して丹精を尽くして作り上げる職人文化が日本がにもありドイツにもマイスター制度があり似ていたのかとなる

つまりIT化とかAI化とかコンピュター関係とかで日本が技術的に遅れた原因は文化的要因がありそれで遅れて世界から取り残されたともなる
だからそれは日本の文化とも関係しているからそれを変えることができないからむずかしかったともなる
それから日本自体が天才を産みだすシステムがない、文化がない
ヨ−ロッパに多数の天才が生まれたのにも文化があった、地方都市で育まれた経緯がある日本には天才を生む土壌がなかった、教育でも画一的であり同調圧力が強いから個性あるものが敵視されて排除される
そうして様々な要因でIT化で遅れとりそれが経済の衰退となっていった

日本が技術的に優れているとか、頭脳が優秀だとか言われたときは電機製品とかを故障しないものを作ったとかで世界に売れたからである
でもそれは何か発明とは違っていたのである、細部にこだわる文化があり精巧なものを作るという文化が歴史がありそれで一時は成功して日本が技術的に優れているとなり日本人は頭いいとされた、今でも日本の技術は優れいるという感覚をもつ
でも日本の技術はIT化とAIで相当に遅れてしまったのである
それを証明したのが安全神話を作った原発だったのである

日本の技術は優秀だから事故は起きないとしていた

これも奢りだったのである
そこに一時は日本の電器製品が世界一だとしていた奢りがあったことで失敗した
日本人は発明とかは苦手である、ただ精密に細部にこだわり精巧なものを作る物造りにはすぐれていた、それはドイツと共通していたのである、原発でも巨大なものは操作するのはアメリカが優れていた、安全管理も優れていた
そこには技術ても戦略的思考があったからだともなる、日本は個々の細部にこだわっても戦略的思考がないからである
結局日本の高度成長時代で電気製品中心になったのはそれはたまたま幸運だったともなる日本人が優秀だからとは言えなかったのである、現実に今や中国があれだけ技術的にも躍進していることでわかる、中国人の方が優秀だと今ではなっているからである
ここには国自体のスケールの相違とかその他にも原因はある、何でも総合的なものとして働くからである
何か総合力で中国が優ったからだともなる

世界史でも技術的な面でも興亡がある、中国が優れていたときもありイスラムが優れていたときもありやがてヨ−ロッパが主導権を技術的に発揮した
そういう技術面でも興亡を繰りかえすのが人間の歴史である
では日本がそうして技術的面で世界で優れていたのか?特別の発明をしたのか?
品質のいい物つくりはしても発明はなかった、それが今日本の衰退となった
そこに日本の文化が世界的になりえないものがあったとかなる
日本語は民族のアイディンティティの文化の最たるものであってもIT化とかAI化の技術には不適合な言語だったともなる
ただ言語がどのようにIT化とかに影響しているのか正直説明しにくいだろう
明治維新ではヨ−ロッパの文明を紹介する時に日本人は漢字を利用して翻訳した
かなだけでは無理だったからだ、そもそもかな自体が漢字から作ったのが日本がだったのである
英語は横書きであり漢字のように日本語化できなかったこともある、そういうことは確かに影響していたのである

2019年05月09日

現代文明は結合とか調和とか秩序とかが失われたのか? 有機的全体的歴史的持続的結合から無機的刹那的部分的接触の現代文明社会

現代文明は結合とか調和とか秩序とかが失われたのか?

有機的全体的歴史的持続的結合から無機的刹那的部分的接触の現代文明社会 

Organic overall historical persistent bond → Inorganic momentary partial contact

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人間社会からなぜ今現代文明は結合とか調和とか秩序とかが失われたのか?

有機的でないというとき無機的な社会となる、人間の温かい血が通わない冷たい関係である、それは人間の関係は金だけの関係だとか一時的な関係であり金の切れ目が縁の切れ目とかは別に昔からあったから格言として残っている

ただ生命というのは本質的には有機的全体的歴史的持続的結合の上に成り立っている

また二つに分けるとすると空間軸と時間軸の結合がある
人間はそもそも空間がなければ生きられない、また時間があって人間は生きている
時間という時、それは極めて人間的なものである
時間を作り出したのは人間であり人間にしか時間がないし歴史があるのは人間だけである動物には歴史がないのである、一代ですべての生は消滅する
ただ種の保存があるだけなのである

空間的結合というとき今はグローバルになり世界的結合になる
交通の発達でそれができるようになった
ただここで問題なのは空間という時、世界的に交通が発達して容易に行き来することができるとしても文化的結合とかアイディンティティの結合は不可能なのである
そこには時間が歴史が欠けているからである
時間軸とはその地域地域の空間から時間の積み重ねで作られてきたものだからである
それは地域の風土とかに深く依存して作られてきたからである

たとえば最近しきりに縄文時代のことを言う、縄文時代とは何なのだ
縄文時代が一万年というがそれが今の時代と何の関係があるのか?
それは時間軸の志向なのである、なぜ日本では天皇を近代国家になっても崇めるのか?
それも歴史的時間軸の志向でそうなっている
天皇は日本の国家が成立してからつづいているから継続されている歴史的な象徴だともなるからだ

つまりその土地の風土とか地理とか空間と時間が一体となって作られたのが一つの国を形成する、アイディンティティを形成する、そこには時間的要素が欠かせないのである
だからその時間は長いのである、父母がいて祖父母がいてさらにその前の先祖がいて成り立つのが歴史である

それが村の歴史とかで語られる、先祖は死んだら山に葬られて田植えの時期になると山から先祖が平地におりてくる、先祖は稲作文化と深く結びついてそうなった
それは地域の風土と結びついて長い時間のなかで形成された
空間と時間が一体化したのである

故郷という時それは何なのか?
それは空間的に故郷という場所があって成り立つ、一方故郷は古い郷でもありまた故ある郷ともなる、それは時間の中で作られた故は理由でありアイディンティティの場所なのである、空間だけでは必ずしも故郷とはなりえないないのである
故郷は先祖が関係しているのである、時間の中で生きた人間の物質的精神的営みが関係している

故郷は一時的なものではない、長く継続するものである、山とか石とか木とかの存在と似ている、木は大地に深く根を張りその樹齢が5百年とか千年のもあるからである
そういう長い時間の中で継続して作られたものだからである
故郷というとき狭い一地域だがそれぞれの国も同じである
日本という風土があり土地があり日本の歴史が形成されたからである
だから郷土史というとき狭い一地域でもそこはミクロコスモスの世界なのである
一つの調和したコスモスとしてあった世界なのである
自給自足できた世界だった、村は日本では一つのミクロコスモスとなっていたのである
コスモスというとき地球規模になれば不可能である 

そこには分裂分断にならざるをえない、生態系にしても狭い地域で成り立つ
そこに空気と水と土とか山とか森がないと成り立たない
その基本が喪失すれば原発事故で空気も水も土も森も汚染されて住めなくなったからである、そして長い時間軸で形成された故郷は捨てられて町も廃墟と化して荒地となったからである、そして先祖も捨てられたとなる、それは老人だけが避難区域に残されてその子供たちは流出したということでもわかる
親でも先祖でも時間軸で形成されたものが破壊されたからである

それはここだけではない、そもそもすでに有機的全体的歴史的持続的結合が失われた世界に住んでいるそ→その反対は無機的刹那的部分的接触なのである
そこではまた専門化社会でありそれも部分部分の専門家がいて専門家以外は立ち入れない社会になっている 
だから常に現代人間は無機的な情がないと感じる社会に生きている
そこで金だけが人間を結びつけるマルクス流に言えば人間疎外が起きているのである

なんかあらゆる人と人間として話すことも接触することもできないのである
それぞれが部分的専門的なものとしての存在であり人間は無機的存在となる
どこであれ役所であれ会社であれ大きくなれば様々な分野に専門化して分かれて部分化して全体を見る人なと一人いないしわからないとなる
それで私は専門ではありません、別な課に行ってください、そして別な課に行ってもまた別な課に行ってくださいとなり遂に行く聞く課もなくなる
つまり人間は有機的に結合しないのである

無機的刹那的部分的接触でありそこに結合とかはないのである、ただ一時的に会い別れるだけだとなる、それは無常としてあったがそれでも空間と時間が一体化した有機的ミクロコスモスは存在したのである
そしてこれが喪失するどうなるのか?
ばらばらに村でも町でも市でもなり原発事故の避難区域のようになるのである
それはここだけではない、他でも起きるのである
現実にそういう社会に住んでいるからである
有機的持続的結合ではない無機的刹那的部分的接触の中で生きているからである

だから東京のような大都会になると何か大きな災害が起きると巨大な崩壊が起きてくる
地震であれ事故であれ水でも供給できなくなる
水などいくらでもあるじゃないかとなるが都会には水も供給できなくる
それで東北の被災地では一時的に水も燃料もなくなり裏山から水を運び裏山の木を切り燃料にして生き延びたのである
それが大都会ではできないから巨大な都市自体の崩壊が起きてくる
もう道路も破壊されるから脱出すらできなくなる

大都市には有機的生命的に結合するミクロコスモスがない、食料だって外部からもたらされてかったらもう生きてゆけないからである
そこで成す術もなく死ぬ他なくなるのである
つまり大都会は災害には弱いのである
田舎だったら水を山からとるとかありえた、でも原発事故ではそれすらできなくなっていたから都会とは限らず現代社会は生態系に依拠したミクロコスモスが喪失しているから危険なのである

だから原発事故は空気でも土でも水でも森の木々でも放射性物質で汚染されたから使用できなくなった、つまりそれは生態系に依拠するミクロコスモスが破壊されたからそうなったのである
だからもう故郷であれ何であれそういう場所を捨てて脱出するほかなくなった
その時故郷は空間と時間軸で作られたものが捨てられたとなる
確かに今は移動が簡単だから他に移ってまた家を建てて住んだ人が多い
でも空間は移動できても時間軸で作られてきたものは再構築不可能となった
それは一から始めなければならなくなったからである
また他の時間軸の中で再出発しなけれはならなくなったからである
精神的アイディンティティを失い再構築を強いられたともなる

ただ時間軸で形成されたものは何か目に見えないからそれが喪失したことが何であったか自覚できないともなる、それは精神的要素が多いからである
だから生業(なりわい)を返せと裁判を起こした時、その生業とはまさにその土地と風土のなかにあって長年の時間軸で作られたものを失ったということである
それは500年であれ1000年であれその土地に根付いて成長した木が他の土地に移せないとにているのである
ただダムになったところで桜の古樹を他に移した例はある、でも木とかでもその土地と一体化して長年あったものを移すことは不可能だとなるのである

言葉でもこれも長い時間で作られた歴史的なものである
そこには縄文時代からつづいているとしたら本当に長いのである
だからその言葉は民族のアイディンティティとなる
言葉はただ名前だけではない、基本的に民族の文化なのである
言葉には民族の精神が宿っているとなる

それで恵みというときめぐるなのである、水を考えるとめぐるであり水はめぐって大地を潤し実りを与えるのである
こういう言葉やはり原始的生態系と一体となって暮らしていた縄文人から生まれた言葉だったともなる
また賜る(たまわる)というときタは多いという意味である
すると多くたまわるとなる、ター回るなのである、獲物でも分け合うとういことである
そういう生活を縄文時代はしていたからこういう言葉が生まれたとなる
それは狩猟でも採集でも自然から賜ったものを回すという思想なのである、そういう循環型の生活をしていたからこういう言葉が自ずと生まれたともなる
たかるというときタは多いでありタ、狩るなのである
多くの物を狩るなのである、この狩るが稲作が入ってきたとき刈るになった、つもりもともと縄文時代の言葉だったともなる
多珂神社が多いがこのタカも集る(たかる)からきているのかもしれない、なぜなら大勢で獣にたかり狩りをるからである
言葉の解釈はいろいろあるしても日本語の基本は一語でありそして動詞が基本になる、めぐるは芽ぐわしとかにばなっているが
めぐるという動詞が基本なのである

言葉とは縄文時代までさかのぼるものなのである
それでグロ−バル化して英語にしたらいいというとき日本民族の歴史も文化も失い根無し草になってしまうのである
そこに歴史と文化の重みがある
それを失うことはもうアイディンティティも失い生きる意味さえ失ってしまうのである 




2019年04月22日

国土の70パーセントある忘れらた日本の森林 (小山田の常磐高速のSAの脇に延々と森がつづいていた)


国土の70パーセントある忘れらた日本の森林

(小山田の常磐高速のSAの脇に延々と森がつづいていた)


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人がここを通っていたのはコンクリートで作られたものがあるからわかる
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ゼンマイが奥にあった

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倒れ木がありここから人は入っていない
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ブナ坂とあるからもともとはブナの木が繁茂していたのである

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船が行くのが見える

纏向の 日代宮(ヒシロノミヤ)は 朝日の 日照(ヒデ)る宮 夕日の 日翔る宮 竹の根の 根垂(ネダ)る宮 木(コ)の根の 根延(ネバ)ふ宮 八百土(ヤオニ)よし い杵築(キヅ)きの宮 真木さく 檜(ヒ)の御門 新嘗屋(ニイナエヤ)に 生ひ立てる 百足(モモダ)る 槻(ツキ)が枝は 上枝(ホツエ)は 天(アメ)を覆(オオ)へり 中枝(ナカツエ)は 東(アズマ)を覆(オオ)へり  下枝(シズエ)は 鄙(ヒナ)を覆(オオ)へり 上枝(ホツエ)の 枝の末葉(ウラバ)は 中枝(ナカツエ)に 落ち触らばへ 中枝の 枝の末葉(ウラバ)は 下枝に 落ち触らばへ

日本がの国土が原始時代にどういうものだったのか?
それはこのように森に覆われていた、森の国であり山の国である
山と森は一体であるからだ
この森の感覚は意外と日本人はわからなくなっている、まず都会に住んでいれば森はわからない、森は田舎に住んでいても身近に接していない
ところが不思議なのはこの辺では常磐高速道路ができた
そこのSAには良く行くようになった、そこは実際は山側であり深い森に接していたのである

確かに小山田の奥は森がある、それ以上に高速道路の脇を入っていったら延々と森でありそこではもう出口がないのである
主に杉の林だが近くでもこんなに森が深いのかと驚く、その森はまず尽きることなくつづいたのである、だから気味悪くなることがわかる、それは古代でもそうだったのである
なんらかの物の怪(け)が住んでいるような世界である
森というのは暗いのである、闇の世界である、だから一段と不気味な感覚になる
それが意外とすぐに身近にある、第一高速道路となると文明の世界である
その脇に延々と森がつづいていた、山は遠くから見ているとこの森を感じないのである
山は森の世界でもある

山とはヤマでありヤミ〈闇〉でありヤムの世界である、何かそこで止まってしまう、そこから抜けられない世界である、天の岩戸に神が閉じこもった時真っ暗になったというけど森はそもそも暗い世界なのである
特に交通が発達していないと時代は余計にそうなる
現代でも常磐高速の脇ですらそれだけの森が延々とつづいていたのである
そしてその森は今は活かされていない、戦前までは日本は森がまだ活かされていた
燃料が炭だったからである、木材でも国産であり外材は利用されていないからだ
森は重要な資源だった、だから米沢藩と相馬藩と伊達藩で丸森の木材資源をめぐって争いがあったことは有名である、それは飯館村でも伊達藩と相馬藩で境目で森林資源をめぐり争っていたのである、森は生活で欠かせない資源であったからだ

外国でもforestは原始的な森でありwoodは材木であり資源である
日本でも森は原始的な森であり林になるとハヤスであり人工的に植林する感覚になる
日本が木の文化だというときそもそも70パーセントが森だという時当然なのである
鎮守の杜というときもそうである、その広大な森があり社が杜(もり)になったのである

山守の 里へ通ひし 山道ぞ 茂くなりける 忘れけらしも 

しめ(禁)山の山守は山を下りてこない
里へ通う山道が草で覆われてしまった
わたしのもとへ通う道まで忘れたのかしら

この歌はまた違った意味だが今や山守りもいない、山の森が忘れられている
万葉時代は山守りはしげく山に通っていたのである

いづれにしろ森の国である森をアイディンティティとして国を文化を作って来たのが日本人である、それは日本の国土が森が70パーセントもあり当然そうなった
世界的に見てもゲルマンもドイツも森の国であり鬱蒼とした樅の木でおおわれていた
だからゴシックの大聖堂も森を象ったものなのである
そこに重厚な文化が生まれたのである、森は神殿のひな型でもあった
日本がでも真木柱というときまさに宮の基となることが歌われているのだ

日本の森林が老齢化している、それは戦後植林したのが今成長てしちょうど木材用として切る時期になっているからだ、それで日本の木材が利用される時代にもなったという
日本がこれだけ森があるということでこの森を活かさなければ国土の繁栄はない
真木栄(さ)く檜(ひのき)の裂くは栄えるに通じて咲くに通じている
長野県の佐久という地名もそこから来ているのか? 

ともかくグロ−バル経済は何かそうしたそれぞれがもっていた国土の特徴を歪めたのである、文化を破壊したのである、なぜ地方が田舎が衰退したかという時もそうである
そもそももともと資源として豊富にあった、70パーセントが森の国土でもその森が無用のものとされているのも異常なのである
日本がもしその」その70パーセントの土地が平坦で利用されるとなったら全く違った社会になっていたのである、だから自然環境が風土がその国を作るのである
それがないがしろにしたら日本という国が栄えるのだろうか?
グロ−バル化というのは観光だって今や日本人がゆっくり観光できない状態になっている外国人が金があるから優先されて日本人はゆっくり観光できないのである
これもグロ−バル化の競争によってもたらされたものなのである
それが国土を荒廃させた原因にもなっているのである
石油を輸入しなければ生活できないとかなるが日本には豊富な森林資源があった
でもそれを活かすことはしなかったのである

とにかく人間は国土を実感することが今はむずかしい、交通が便利になってなにか電車でも車でもわかったような感じになるがその身近な所でも知らないのである
なぜならそうした近くの森でも忘れられている、人間がかかわらないと人間の手が入らないと忘れられてしまうのである
そして異常に熱心になったのは科学技術でありそれが国の運命を決めるとなっている
それで原発でありトヨタがなくなったら国が終わりだとなっている
そういう社会が果たしていいものなのか?
日本がの国造りをどうするのか戦後70年で見直すこと時代になっている
日本が衰退するというときそれは常に科学技術分野で衰退するとなっている
反れか国のすべてとなっているからである
そうして原発も不可欠だとなっているのである、原発はただ電気のためにだけ必要なのではない、先端の技術をもつために先進国として必要だからである
原発をもてない国は後進国だとなるからである
何かあまりにも科学技術のみが国のすべてだとなりすぎているのである
だから日本の栄が実は森林が70パーセントあって木材を利用したことから栄があったということを再考すべきなのである

御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時にあへらく思へば  海犬養岡麻呂

日本がの場合は天ではなく森だったのである、大陸になると天なのである
国土の繁栄はその民でもそれぞれの国土に養われているありうる
それが科学技術がすべてとなり原発によって栄えると地元の人でもそう思っていた
それが原発事故でもろくも崩壊したのである
それは原発がない前からグローバル化で天地の栄ゆる時は失われていたのである
もちろん科学技術を全部は否定できない、科学技術とは国土があって制限的に使用されるものであった、自然の法(のり)があり科学技術もそれを越えてはありえない
結果的に原発事故で国土が失われて栄も失ったのである

2019年01月06日

無用の空間の効用ー西洋から東洋へのシフトの時代へ (内なる力の時代への変化)


無用の空間の効用ー西洋から東洋へのシフトの時代へ

(内なる力の時代への変化)

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現代は無用な余計な物が多すぎる、それで空間も狭まめられる
そこで余裕も生まれないのである
断捨離(だんしゃり)が必要なのである


大きな冷蔵庫に変えて半分くらいの冷蔵庫にして配置を変えたら台所が広くなった
そこで台所で動きやすくなった、やはり広くなる空間ができるとそれで活動しやすくなる何かものをごたごた置いて部屋を狭くするとそこで活動しにくい
老子とかのいう無用の空間の効用がある
すべてが有用なものとしてあるのではなく何もない空間の効用である
人間社会は有用なものの空間として埋め尽くされているとかえって活動しにくくなる
日本ではそういう空間が作りにくいのである
広い空間が土地がないからである

だから狭い田んぼは最近はソーラーパネルになったけどそこはいつも通る所なので嫌なのである、でもこの辺では小さな田んぼは米をとるのにも放射性物質の汚染で敬遠される
実際にこの辺でとれた米は飼料米になっているのが多いのである
西洋と東洋とは何か?それは非常にむずかしいことである

でも空間の考え方に西洋と東洋の相違がある、インドでゼロが発明されたのも仏教で空即是色とかの教えがあるのもそうである、空という観念はゼロが生まれた、ゼロは何もないことではないからだ、インドではなぜitとかに強いのか、やはり伝統的にゼロを産みだし国だからともなる、数学に強い国なのである
どうしても西洋には空という観念が生まれ得ない、世界は有用なものとして埋め尽くされる世界にしたいのである

そういう空とか無用の教えは老子にもあるから中国もやはりインドと共通したものがあるただ中国とインドは相当に違っている
東洋と西洋は何かとなるとそうした考えたのレベルからいろいろある
それが社会全般に影響している、資本主義でもそうである
time is moneyであり時間すらすべて計り無駄をなくす効率化するのである
その時計に追われて一秒一分を無駄なく効率的に有用に生活というのが西洋の思想であり資本主義の思想なのである
要するに西洋文明に世界は席巻されたのが20世紀であった
資本主義でもそうである、それは西欧文明の所産なのである
ビジネスしている会社員はびっしりと手帳に一日の計画が書いてあるという
それだけで憂鬱になり余裕がなくなり時間に追われている生活なのである
それで鬱病が増えるのもわかる

ただ別に東洋とか西洋というのではなく何か相対的に見る手法はある
西洋だと男女の区別を言葉でも冠詞でしている、自然でも男女に分けてみている
中国でも基本的に陰陽の思想がありそれも西洋の男女に分ける思想とにている
だから二つの世界に分ける手法はどこにでもある
西洋は特にアーリア人は外に向かう侵略的謀略的気質がありそのアーリア人が世界を席巻して二度の世界大戦があり膨大な死者を出したのが20世紀だったのである

東西文明論というとき宗教とか哲学があるがそもそも宗教はアジアから生れたものであるキリスト教とか一神教でもそうである、イスラエルはアジアであり西洋というとギリシャを起源としたものなのである
思想的に西洋を作ったものはギリシャでありその後にローマ帝国だったとなる
そこでキリスト教はローマ帝国に組み入れられたのでありカトリックが政治化したのもそのためである
だからヨ−ロッパのキリスト教は本当のキリスト教ではないという人もいるのである

西洋と東洋の相違は外なるものに向かうのが西洋であり内なるものに向かうのが東洋だともなる、西洋がヨ−ロッパから大航海時代が生まれたのは必然だったとなる
でもそれも世界を一周して再びアジアに回帰する時代となる
それは経済とかだけではない文明そのものがアジアに東洋に回帰する時代となる
それはもう資本主義が限界となりもう経済発展は望めないとか世界的なものとして現象化しているからである
だからこれからアジアの時代の回帰となるとき木の詩で書いたように物質的欲望や外へ外へ移動していた時代からかえって内なる思考を深める時代になる
そもそも文化というとき奈良時代であれ鎌倉時代であれ仏教がそのベースにあったとしてそれは内なる思考から生まれているのだ

いづれにしろ大航海時代から外へ外へ拡張する時代は終わった、それはホイットマンも予言していた、西部のカリホルニアの西海岸から東を望みそれを思ったからである
資本主義もまた大航海時代から船の株主となったとき始まったという説もあり外へ外へ拡張する時代だった、また世界成長する無限の成長原理に基づいていたのが資本主義なのである、でももうフロンティアはなくなった
それが大きな時代の転換期なのである、だから世界の経済の無限の成長を目指す資本主義はもうありえないのだ、金は銀行でもだぶついているし投資先がないのである
だから資本主義が終わったというのは一つの大きな時代の変わり目にきてそうなったのである


その内なる力とは何なのか?それは禅宗にある、なぜ座禅して瞑想するのか?
それは何の効用を生むのか?西洋的思想ではそういうことは起こりえない
常に奉仕しろとか有用であれとなっているのが西洋の思想だからである
つまり資本主義がウェバーのキリスト教に基づいたものから起きたというとき修道院から起きたというときまず何もしないで寺で座禅して沈黙して瞑想していることはありえないからである、そこが根本的に宗教でも違っているからだ

禅宗とは内なるものに重点を置き沈黙の修行をすることである、沈黙することは自然に通じることである、なぜなら山でも木でも石でも大地でも沈黙しているからである
雑念を払い欲をおさえ沈黙することが修行なのである
それが内なるものに向かうことであり自然と一体化することなのである
期せずして社会から離脱して生活していた自分は沈黙の行者のような生活を隠者となり30年間してきたともなる
ただそれは自分が望んだことではない、社会に不適応者でありそうなってしまったというだげである、自分が望んだわけではないがそういう生活を家庭環境でもできたということである、ここにも実際は問題がありそれがすべていいとはならなかったからである 
ただ自然に没入するということではそういう生活は合っていたとなっていたとふりかえるのである

2019年01月04日

2019新年の抱負 (木の力(詩)内なる力、国風文化の時代へ)


2019新年の抱負

(木の力(詩)内なる力、国風文化の時代へ)

木は大地に根を張り
木は徐々に成長する
木はあせることなく年輪を重ねる
そしてやがて大木に成長する
せかして成長させることはできない
時間を早めることはできない
木と木はその土地に根付き
木と木とは騒ぐことなく
静かに深い信頼で結びついている
木と木とは並び隣の木を傷つけない!
言葉でもって傷つけない!
口を堅く閉ざして厳守する
木は決して乱れることがない
木々は争うことはない
木はそれぞれの内に充実する
内なる力が木に満ちている
木の力は外に向かわず内に向かう
その内なる力に習い!
木はそうしてその地を離れずに
長い年月そこにありて動かず
一本一本の木は内なる静かな力に満ちて
ここに自立して立ちゆるぎない
そしてその地に一つの荘厳な神殿を形成する
神の良しとする平和の殿堂がそこに成る 

(変わらざる契りにあれや冬深む)

人間には歴史をふりかえると時代を形成するものがある、世界史でもそうである
大航海時代から外に向かう力がグローバル世界と向かうものがあった
それで西欧文明の挑戦を受けたのが日本だった
そのヨ−ロッパが外へ向かう力が世界を席巻した、世界がそのヨ−ロッパの強引な力によってふりまわされたともなる、その象徴的なものがインカとかマヤ文明がスペインの強盗団のような一団によってあっけなく滅ぼされたことである
ヨ−ロッパのアーリア人というか力づくの征服の時代だったのである
そのヨ−ロッパの延長としてアメリカとういう超大国が生まれてアメリカによって世界史が作られることになった

第一次世界大戦でもそうである、最後にアメリカがイギリスに参戦をうながされアメリカが参戦したときドイツは敗れたのである
それは第二次世界大戦でもイギリスが日本にシンガポールなどを奪われたときアメリカが参戦して日本は大敗北になったのである
アメリカによって今度は世界が席巻される時代になったのである
大航海時代から外へ外へとヨ−ロッパが向かい征服する時代でありそこからグロ−バル社会が形成されるようになっていた

なぜなら日本の不思議は鎖国して300年平和を保っていたからである
これも世界史的にはまれだとなる、ヨ−ロッパは戦乱つづきであり300年間戦争がなかったなどないのである、第一次世界大戦でも一千万人以上死んでいる
それも悲惨だったが日本は参戦してもその戦争の舞台はヨ−ロッパだったのである
ヨ−ロッパとは悪い面をみれば絶えず戦争する国だったのである
それはアーリア人的気質からそうなっているというのも一つの見方である
ただアングロサクソンの気質だというのもそうである

ではアジアはどうかというとアジアといってもそれはインドとか中東とか中国とかふくまれて広いのである、だからアジアとは何かとなれば何か明確ではない
中国だってあれだけ広大な国だから戦乱がやまない国で三国志が生まれた
でも何かヨ−ロッパとアジアというとき何が違っているのか?
それは宗教せアジアから生まれたものである、イスラエルもアジアなのである
キリストでもアジアから生まれたというとき東方の三博士に祝福されたというときその東方とはアジアである

ヨ−ロッパはもともと狩猟や遊牧民の国であり移動する外に向かう民族性がある
ドイツ語に秋の言葉がないというのもそうである、秋は収穫の時なのにないのはやはり遊牧民の国だからだとなる、秋は農耕民にとって重要な収穫の季節だからである
その遊牧民的気質が文化がやがて地中海に出たときフェニキア人が船を操作して後悔して貿易する商業の民となったという説もわかる
遊牧民とかは常に移動して外へ外へ向かう気質があるからそうなる

一方農耕民は内に向かう、一定の土地に定着する、そこで力を養いはぐくむ
それは詩にしたように木とにているのである
その相違がヨ−ロッパと西欧文明と東洋文明の相違としてある
ただこの二つが明確に二つに分かれるというものではない
例えば建築を見ればかわる、ヨ−ロッパのゴシック教会が森を象っているという時
それは内面的なものであり木の詩に思考に通じるものがあるからだ
だから中世は内面的な時代であり大航海時代になった時、外へ外へ向かう時代になったのである

そして世界はどうなったのか?遂にアメリカが世界の覇者となったとき大航海時代から世界を一周してグローバル化は完成した
そしてグローバル化の世界はさらに中国の台頭でアジアが興隆して今度はアジアの時代になる
そしてヨ−ロッパでもEUでもイギリスが脱退するとかアメリカでもアメリカファーストとかそれぞれの国が内に籠る時代と向かっている、それは経済的なこと貿易的なことだけではない、世界が内に向かう時代になったのである
この内に向かう時代とは何か?

日本を例にとれば奈良時代は唐の文化を取り入れる外に向かう時代であり、漢字を取り入れて日本と中国文化の融合を計った、次に平安時代はかなを発明して国風文化を築いた時代である、日本でも外来文化をとりいれるグロ−バル化とその後に国風文化が起こる
仏教を取り入れたが鎌倉時代はその仏教を日本化して内面化したということがある
戦後時代は一時信長キリスト教をとりいれたようにグロ−バル化が起きる
その時絢爛なものが生まれる
江戸時代の鎖国の300年もまさに国風文化の時代であり日本の基礎を作ったのである

そして明治維新で西欧文明を取り入れてグローバル化の中に組み入れられた
その時日本はアジアという国へ中国までも外へ向かっていたのである
明治維新から吉田松陰などは韓国も中国へも進出する思想をもっていたのである
それが現実化したのが第二次世界大戦だったのである
江戸時代から明治というときグロ−バル化してゆく日本がはじまったのである
その当時の思想はアジアを視野にしていたということが詩などでもそうである
それもアメリカに敗れて終わったのである

いづれにしろこれからの時代はこうして大航海時代からグロ−バル化した世界は行き詰まり終わる、資本主義とはもともと大航海時代からはじまったという説もある
つまり船の株主を募集してそれが成功すれば莫大な富が手に入る、でも失敗すれば大損失になる、そしてそれが成功したからオランダとか小国にも富が集積したのである
その資本主義ももう投資する先がないとかフロンティアがないとかで金がだぶつく、それでもう資本主義が終わりつつあるというのもわかる
資本主義とは何かそうして外に向かう力だったからである、その外に向かうものが今はなくなったからである
そしてグロ−バル化はいろいろな矛盾をもたらしたからである
グロ−バル化はいいように見えて負の部分も大きかったのである  

だから世界史的にも世界がナショナリズム化してゆくのはそのためである
それはその国の土地に還る、日本国内ですら東京一極集中とかはグロ−バル化も影響している、地方が経済的に衰退したのもそうである
田舎がグロ−バルと関係しないようで深く関係していたのである
林業が衰退したのは外材を輸入して日本にこれだけ森があるのに無用となったからである食料だって麦でも大豆でも外国から特にアメリカから入っていることでもわかる
その影響は田舎の方が大きかったのである
でもそこでいろいろな矛盾が生んだのである

つくづくなぜ原発事故で町でも村でもこんなに簡単に家族がばらばらになり離散して町や村でも廃墟化したのか?
それを考察する時やはりグロ−バル化が影響していたのである
グロ−バル化とは外へ向かう時貨幣の力が大きくなる、世界中金さえあればその金もドルがあれば生活できるとまでなる、土地とかが最大の財産であった時代ではない
金さえあれば日本国内ならどこに住んでもいいのである
そうなるとこの辺では補償金をもらうことこそ最大の関心となりそのために争うようになって分断されたからである
親がいたとしても親は老人は捨てられて若い世代は補償金をもらいすぐに外で家を建てたとかなる、その変わりようが早かったのである     

それは故郷といってもそこに愛着するということがないからである
金があって一時的に住んでいる、一億円もらえば外に出て暮らした方がいいと前からそうなっていたからかえって金をもらったから好機となり若い世代は出て行ったのである
老人は土地に愛着があるから残ったのである
だから絆が盛んに言われけど内部では絆はなくなっていたのである
かえってグロ−バル化と広域社会になると外部との絆があったとなる
それで避難した小高の人が私たちはこの土地の人に金を使って助けているのよということを言った、まさに消費者は王様であり金があるものが王様の社会であるからそうなった
そういう矛盾がこの辺では露骨に現れたのである
それがグロ−バル社会の広域化社会の矛盾でありそれは人間そのものを歪めるものになっていたのである

グロ−バル化で金融資本主義になり一握りの人たちに富が集中するというときもそうである、戦争の原因がやはり金融を金をもつものによって引き起こされたことがあった
第一次世界大戦でも何か金融関係者、株を扱う人たちが大金持ちが戦争を金儲けの手段として奨励したとかある、それも資本主義の負の面が戦争ででてきた
だから世界的にみても資本主義は限界にきているのだ
その格差が大きくなりその不満がこれから爆発するからだ
現実に自分自身がそういう被害を受けた、金ある所から奪えばいいとしか人々の気持ちがなっている、働くの馬鹿らしいとなっているからだ、ただ奴隷にされて働かせられているだけだとなっているからだ
その人たちが金持ちに牙を向くから金持ちも安穏とはしていられない時代になっている
それは資本主義がもう限界にきて破綻するとう時代になっているからである

いづれにしろ時代は常に変わる、その変わりようが早いのである、また気づかないのである、中国があんなに変わるのには本当に驚いた、十数年前はあまりにも貧乏で悲惨だったからである、家畜のようにして鉄道の車両につめこまれていたのである、実際に鞭でたたかれていたというからその時中国人が家畜だったのである
それが新幹線と同じものが走っているとういことに驚くのである
そういう時代の変化についていけなくなる、でも世界史的にはグロ−バル化とか資本主義が矛盾をもたらして限界にきている

その結果としてグロ−バル化は終わりナショナルな志向が強くなりそれが影響して内面化する国風文化の時代になる、自分自身すら旅ばかりしていたグロ−バル化した広域化した世界に生きていたがそれと同時に私は故郷で自然とアイディンティティで化して内面化することもしていたのである                                          
こういう詩が作れるのもやはり定着していないとできない、田舎に住んでいないとできない、つまり内面化の時代は外へ外へ向かう時代ではない、定着して思考を深める内面の充実に向かう時代である

それが本当は宗教なのだけど高度成長時代の宗教はカルトでありそれも外へ向かうあくなき欲望の達成だったのである、時代の影響を受けて宗教もそうなった
だから創価でも高度成長時代とともに会員も増えたのである
でも高度成長時代が終わると会員も減ったのである、そこは欲望資本主義社会とよりマッチした過激な欲望達成のための利権集団を形成したのである、ただカルトだからそこに人間のいろいろな悩みがありそれをただ一票に結びつけたのである
そこには一切内面的思考などない、がむしゃらな欲望の追求ということでグロ−バル資本主義の中に組み入れられた集団であった、本来の宗教と何のかかわりもないものだったのである

いづれにしろこれからの社会は世界でもグロ−バル化は終わる
資本主義も矛盾が大きくなっているからなんらか破綻するのか新たなものが生まれるのかその岐路にある、ただ世界史的傾向としても何か中世の時代や日本でも江戸時代にもどるというとき内面化する時代であり宗教でも文化でも国風文化の時代になるのである
要するにグロ−バル化とは限りなく物質を得るためにのグロ−バル的欲望の社会だった
次は人間の内面の精神的探求だとなる
木の詩でもそうである、大地に根を張る定着した木がまさにその象徴なのである
ただ別に今だけではないそういう時代は常にあったからそういう時代に回帰するということである 



もろもろの静かなる力 その広さをはかり
かたみに 暗く 相まみゆなり

ふるえる手もて われは きみを築かむとす
アトム また アトム と 積み重ねつつ
さあれ、大伽藍よ
何人か よく きみを築きおおせむとす

さあれ おりふしの夢の中にありて
きみの堂宇を大観す
深き土台より
屋根の黄金の先端にいたるまで

はた われは見る 最後のかざりを
わがこころ
造り また 築きつつあると

(リルケ)




リルケは内面を追求した詩人である 深き土台よりといつうときその深き土台は都会ではありえないのである
大地とか山とか自然があってアイディンティティ化されるのである
だから木などどこにでもあるけどそういう木を毎日見ていると自ずと人間の心に反映してアイディンティティ化されるのである
都会の高層ビルを見て何がアイディンティティ化されるのか?内面化されるのか?
そこは自然と遊離した世界でありただ数字化された抽象的な金だけがやりとりされる世界だともなる
毎日株取引でもデイトレダーなどは数字を相手にしているだけなのである、ただそこで巨万の富が流れ込んだりする世界である
そこに生の充実はないのである、ただ別に金でも有効に使えば活きてくる
今はかえっていかに金を有効に使うかの方がむずかしくなっているのだ
それは物質が飽和状態になってしまったからである、内面の精神的な追求は必ずしも金はかからないのである
それは精神的なものであり物質として現れないし金にもならないからである
だから無価値にもされる、でも金にならいもの物質化しないものの価値がこれからは追求される時代になる
だから文化の時代になるのである、車社会はこれも現代的ツールだった、常に外に向かうもの遠くに行くものとしてあるからだ
でも自然を感じて内面化するものではない、風をさえぎり外の空気を遮断する密閉された空間の移動なのである
現代とは交通が異常に発達して遠くと結びついたがグロ−バル化したがこれからは定着して内面化する時代になる
それは文化の時代なのである







2019年01月02日

なぜ正月気分がなくなったのか? (農業が主な仕事でなくなったため―自然から遊離した現代文明の危険)


なぜ正月気分がなくなったのか?

(農業が主な仕事でなくなったため―自然から遊離した現代文明の危険)

なぜ正月になっても正月気分にならないのだろうか?
ただ年が変わるというだけである
それは日本とかアジアでは農業社会でありそこから正月とかの祭りとか様々な行事が生まれていたからである
そもそも日本でも農業社会では密接に自然と結びついた生活をしていた
春は張るであり張り田などがあるとしたら春は張りだったとなる
冬はふゆであり増えるである、これも農業社会だから生まれていたのである
農業している畑を趣味でしている女性は冬は土も眠り土に栄養分を貯えるというのもそうである、冬は農業している人にとっては本当にふゆー増えるだったのである

例えば農業というときいかに農業社会だったかというと小学校の時、「農休み」があったそれは日曜日ではないのである
農家が田植えとか稲刈りとかになって忙しい時学校すら休みになっていたのである
農業社会だからこそそうなっていた、日曜日は明治以降新しくもちこまれた制度である
それは会社員とか工業社会になった時定期的に休めるようになったからである

農業社会ということで社会が成り立っていた時代が江戸時代でも長くつづいた
俳句でももともと農業社会から生まれたものである、誰か芸術家が作り出したものではない、農業社会がありそこで田植えとか稲刈りとかいろいろ季節ごとに仕事があって季節感が生まれた、確かに農業と離れても日本独自の季節感はあってもその基礎は農業にあっただから天皇とは大嘗祭を行うように豊作を祈る司祭だった
日本の神社の由来はいろいろあってもほとんど豊作を祈るものに変わったのである

そもそも農業文化が今では廃れたともなるのは明治以降の工業化とかで変化したからである、でも戦前までは農業社会だった、農民が8割とかだったからである
そして養蚕がどこでも行われるようになったがそれも農業なのである
蚕の餌となる桑を育てることは農業だからである
私の裏の畑にも桑畑があった、それはどこでもあったのだ
それで面白いのは阿武隈高原のどこかで蒸気機関車が通ると桑畑が煙でだめになるとしして反対していたことでもわかる、それだけ養蚕が生活になっていたからである
天皇でも豊作を祈る司祭だった、今でも皇居内で田植えとか養蚕をしていることでもわかる

正月というのは農休みとにているというとき農休みは田植えが終わったころに休むということでもある、一斉に村中で田植えをしてその後にみんなで休むことが農休みでもあった同じリズムで仕事していたからそこに共同性が生れ共同の感覚から共通の自然観が生まれ俳句の季語が生まれたのである
農業社会は密接に自然と結びつくから自然に神が存在してそれを貴重なものとして敬い祭りが生まれていたのである
ただ養蚕が盛んなになった時、貨幣経済が浸透してきて草鞋作りとかの副業がなくなったという、養蚕は輸出産業であり私の母が製糸会社で糸取りとして働いていた
でもその時米十俵とか給料としてもらったというときまだ貨幣経済になりきっていなかったのである、江戸時代と同じで米が貨幣となっていたのである

何か現代は自然と遊離しているというときそもそもが農業社会でなくなったからである

草山の奧の澤べにひとり來てなはしろ茱萸をわが食みにけり 古泉千樫

草山(くさやま):日本国語大辞典だと、江戸時代、まぐさや肥料にするための草を刈る山で、多く一村または数村の入会地であった。草場。とある。古泉千樫は農民だったので、この意味のほうが正しいと考える。

なはしろ茱萸:山本健吉『季寄せ』には、仲夏(芒種6/6-小暑7/7の前日まで)の季語「苗代茱萸」があり、蔓性の常緑樹で、枝に刺(とげ)がある。田植どきに、長楕円形の実が赤く熟するので、はるぐみ・俵ぐみとも言う、とある


ここで解説しているように草山とかの地名はある、萱場とか萱とつく地名の方が多い
それは萱を茅葺の家だったとき材料となっていたからである
それで思い出すのは会津を自転車で旅したときである、山全体に萱がなびいていたのである、萱に埋もれて暮れるという感じになった

そしてこの辺で右田の海側に住んでいる農家の人がやはり橲原(じさばら)に入会権として山をもっていた、そこで草を刈り田の肥料にしていたのである
その当時だと車もないから馬車で運んでいたのである、農業にとって肥料に苦労していたでも遠くから肥料を仕入れることはできなかったから地元でまかなうのがほとんどだったのである

正月に松の内とあるがこの由来は正月ではない農休みと関連していた

幾日も働いたので休みたくなったとき若い衆が部落の総代の家の前に松をたてて馬の鞍のなわをつったり蚕玉様の石塔をたてたりするとお松が立ったとといって総代が農休みのふれをだす所(伊那市西春近小出)や総代の木戸へ松を建てると次の日に仕事を休む所もある
(我が村の記録ー上伊那の明治、大正、昭和―中村寅一)

松の内はこうして部落の人たちが一斉に休む期間のことでありそれが正月の行事になったのである
こういうことは農業社会だからその由来がそうした生活から生まれていたのである
苗代茱萸(ぐみ)というのもそうである、苗代を作る時まさにその茱萸がなるということで農業と密接に結びついていたのである

ともかくこうして農業社会から工業社会に変わった時その変わりようが余りにも激しかったのである
そしてどうなったのか?人間の生活は自然と密着した農業者からか遊離したのである
そのことは原発事故関係でも書いてきた
農業とか自然と関係することが希薄化してまたなくなったとき農業で働く人が一割にもみたなくなったとき農業は軽んじられる、それで父親が農業だけはやるなと言って子供が殴られたという、そしてその子供は原発とか建築とか土木関係で働くようになったのであるそのことは極端にしても現実に農業とかを社会で重んじる人はいない
そこから何が生まれたのか?自然と遊離して自然を軽視する
そして最も大事なのものは科学技術であり工業でありそしてグローバル化社会になった時加速して金が最も大事になる、そうして自然への畏敬など喪失した
漁業関係者は船主は漁業で生活していたのでない
原発の補償金で事故前も事故後も豊かな生活をしていたのである
だからそうなるとどうなるのか?
一匹の魚の恵みに感謝することなどない、その一匹の魚を軽んじる一粒の米を軽んじるとき自然が怒り津波や原発事故を起こしたと私は指摘してきた
この辺は風力発電やソーラーパネル工場のようになった、これだって問題があり景観が破壊されたので嫌だとなる 

でも土地を活かすには農業などしても金にならないとしてそうなった
津波の跡はしかたないにしても小さな田んぼが維持しても金にならないからソーラーパネルになったのである、それでいつも通る所がソーラーパネルになったので嫌だとなった
ただ自分の場合はあまりにも景観を重視していてその景観が農業という基盤があって維持されていたことをないがしろにしていたのである
だから八沢浦が元の美しい入江にもどったとき驚嘆して奇跡だと本当に思った
この辺では入江がないからである、でもそこは明治以降苦労して開拓して田にしたところだったのである
そもそも自分はそういう田より米をとれることより景観の方を優先していたのである
田んぼなどどうでもいい、米など減反政策でありあまっている、いくらでもとれる入ってくるということで軽視していたからである
それはまさに農業社会でなくなったことだったのである
自分自身が農業のことをなにやかにや言っても現代社会に生きる時代の子から逃れることはできなかった
そういう時代感覚は誰でも共有するものなのである、つまり農業とか漁業とか林業とかは価値あるものとならず軽視されているのが現代だからである

天地の寄り合ひの極(きはみ) 玉の緒をの 絶えじと思ふ 妹いもがあたり見つ

天地(あめつち)と相栄(あいさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき(万葉集)

 農業社会だったら天地ときりはなせずにある、天地があって人間のつながりがある
玉の緒で結ばれるた人間があり売る、天地とともに栄えるのが人間なのである
でも科学技術社会になると原発とともに栄えるのがこの辺だった
それはここだけではない、社会全体がそうである、そうなると天地から離れているのだからもう天地を敬ったり感謝したりしないのである、そうした祭りも神社でも何でも廃れるのである、崇めているのは神の如くなっていたのは原発だったのである
ただそれが崩壊したときどうなったのか?
水も空気も汚染されて住めなくなったのである、それは天地から遊離した人間への罰だったとなる、また漁業にしても一匹の魚を軽んじたことで神からの恵みを軽んじたことで津波は罰だったともふりかえればなる
科学技術が神のようになる時そこには恐ろしい呪いが隠されていたのである
それは天地から自然から離れたものでありそこに恐ろしい呪いがあることを自覚できなかった、ただそれはここだけの問題ではない、現代文明そのものの問題だったのである
それがここでは何でも極端なものとして事実として現れたのである




2018年12月26日

日本の地理の基本 (関ケ原を境として東西に分かれる―琵琶湖の地理)


日本の地理の基本

(関ケ原を境として東西に分かれる―琵琶湖の地理)

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関が原で東(あづま)と西に分かれる、これは気候的にもそうである
関ケ原は寒く春でもいつも雪が残っていた、でも関ケ原から近江に出ると春らしくなる
関が原を越えて近江に出ると気候的にも景色も違ってくる
そこは地理的境界線でもあったがまた歴史的境界線でもあった
つまり地理的境界線と歴史的境界線は一致していることがある
ローマ帝国はライン河ではばまれてゲルマン人の世界でありそこは地理的境界線でありまた歴史的境界線となった
そして今でもドイツ人はローマ帝国内に入らないことで文化的後進性があるというとき劣等感をもっているというときそうなのかと思う
ライン河をはさんで明確に気候的にも歴史的にも差が明確なのである

日本でも東はあづまであり明確に関が原が境界線なのである
東は関が原から東であり西と別れる、東はあづまであり歴史的にも違った世界である
日本のはじまりは縄文人が多く住んだ東(あづま)にあった
それが渡来人とかがおしよせて弥生時代がはじまり西が中心になったのである
だから壬申の乱でも

(わが大王の)きこしめす 背面(そともの国)の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の 行宮かりみやに 天降りいまして 天の下治めたまひ 食おす国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御軍士みいくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和やはせと 奉まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任よさしたまへば 大御身に 太刀取り佩はかし 大御手に 弓取り持たし 御軍士みいくさを 率あどもひたまひ 

背面(そともの国)とは後ろの背面の国となるのが東(あづま)である
ただそれは西から見た時そうなったのである
不破山が関ケ原に関がありそこを境として東西が分かれ国も分かれて戦ったとなる
その歴史は家康の関ケ原の戦いへと継続されていたのである
秀吉は西を勢力下にしたが家康は東だったからである
信長は名古屋であり近江に近く京都に近い位置にった、その地の利で天下をとったともなる、地の利が働いたのである、武田信玄には地の利がなかったのである  

ただ吾妻とはまさに我が妻であり東国の人が吾が愛しい妻を置いてきたからその方向が恋しいとして吾妻になったという、ヤマトタケルでもオトタチバナヒメを亡くした場所でそれが恋しとなり吾妻はやとなったとここで指摘している
これは方向感覚から生まれたものではない、人間が生き別れになるとかの人間の関係から生まれたものであり方向感覚からではない
それだけ吾妻という言葉は方向感覚で小野妹子が外国に国を示すのとは違っていて生々しいものだともなる、庶民感覚から生まれた言葉だともなる

ともかく歴史と地理は一体である、地歴である、だから地理が基本としてわからないと歴史もわからない、その地理には気候も関係しているそれぞれの土地に風土がある
今日テレビで天気予報で後に三日で寒気が来て雪がふると報道していた
その地図を見たら雪になる所は越前から関ケ原に伸びていた
なるほどあそこが雪になる、それから鳥取とか島根も雪になる
雪になる地域はあの辺なのである

それで不思議だったのは琵琶湖の湖西にいて関ケ原の方から太陽が昇ったときだった
方向感覚がわからなくなりここが西となっていたのは東から見て西になるからである
その後ろは比良の山である、西となるとき太陽が沈む方向だから淋しい感じになるのだ
ただ山からも日本では太陽が昇るから方向がわかりにくくなるのだ
私の住んでいる所は大平洋から陽が昇り山に沈むからそういう感覚でいると常に旅して山国に入ると違和感がある

地理が明確に境界線として意識するのはむずかしい、江戸時代は関所がありそれで境界線を意識させられたが今は境界線はなくなった
ただ地理的に宮城県と山形県は面白山がありそのトンネルが長くそれをぬけると山寺であり山形県になる、そこは春でも雪が残っているから関ケ原とにている
平坦な地だと境界線は意識しにくいのである
風土とというとき気候も違う、陽が昇る沈む方向もそうだが風も感じることが風土を知ることになる、この風は旅しても感じることができなかった
風はそこに長く住んでいないとわからない、太平洋から春になると東風が吹いてくる
北風と交互に吹いてくる、それで不運だったのは原発が爆発したのは3月11日でありその時東風が吹いて飯館村や福島市まで吹いて放射性物質を運んで汚染されたのである
でも海岸側は北風が吹くから海に放射性物質が流れて放射線量は低かったのである
ここでも風が影響して不運な結果になったのである

ともかく東西の関係は世界地理でも基本にある、東がオリエントになり西はヨ−ロッパになる、陽の沈む方向が西であり昇る方向が東である
西洋文明と東洋文明に分かれるのが基本にある、ただアジアは東なのだがイスラエルも東にありアジアなのである、だからここが混同しやすいのである
「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子にいたす」という小野妹子が遣隋使として言ったというとき隋の天子が怒ったというのも陽の沈む方向はさびれた感じになるからである
ヨ−ロッパでも西でありもともと後進国だった、イスラムの世界が先進国だった
でもやがてヨ−ロッパが先進国となる

明石城春の夕日に染まりつつ難波に暇なく船の行き来す

明石城に岡山県の方に陽が沈んでゆくのも不思議だったがふりかえると西の方向でありそれが鳥取とか島根の方向になり日本海になる、そこも雪がふると警告していた
そして韓国では日本海を東海といういう時、陽が昇る方向だからそうなった
日本だと陽が沈む方向になる、だから日本の大使が韓国の天子に遣隋使と同じように
「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子にいたす」と言ったら失礼になるのである
とにかく地理をしるというときその地理と歴史が一体化している
それで岐阜県があるとすると長野県の隣である、でも長野県は関東寄りだとしている
愛知県と岐阜県は東(あづま)でも西よりになり方言でも関西弁的なものが入ってきているともなるかもしれない。
ただ明確に岐阜県と長野県の境界線がわからないのである、つま明治以降の県単位での地理の把握だけでははわからない、江戸時代からの藩ごとの歴史を知る必要もある
それがベースになっているからである

いづれにしろ琵琶湖の湖西というときそこは何か淋しい感じになっていた、そこは大阪や京都に近いのだが淋しい感じになる、そして琵琶湖でも雪がふる地域は日本海に越前とかに近い方向である、その辺はあまり人も訪ねない秘境ともなっている
ただそこには行ったことがない、ただ家の作りも越前地方と似たものとなり文化が違ってくる、相馬藩と三春藩では家の作りが違っていたという時もそうである
江戸時代は藩ごとに生活していたから文化も違っていたのである

比良の山やまかぜ寒きからさきの鳰(にほ)の水うみ月ぞこほれる 実朝

何かこれは鎌倉時代だったら本当に淋しく月せ凍れるとなっていた
今はそれほどにはならない、繁華な水商売の地域もありそういう時代とは違っていても
何か湖西は淋しい感じになるのである
現代の感覚では淋しいという感覚が消失する、どこも騒がしいとなるからだ
鎌倉時代を想像したらそれこそ淋しい場所などいくらでもあった
ただ近江となると京都に近いのだからやはりそこが東北などとは違っていたのである

天皇(すめらぎ)の跡を守ると鳰(にほ)の湖(うみ)波し静かに冬の日暮れぬ

琵琶湖が鳰(にほ)の湖(うみ)とするとき感じが違ってくるのも不思議である
鳰(にほ)とはカイツブリであり渡り鳥だから冬の季語になるのか?
菅浦はそういう隠れ里ととしてある場所にふさわしいとなる
ただここには行っていないから想像だけになるからそういう俳句でも短歌でもいいものにはならないのである
ただここは湖西ではない、陽は湖面に反射して比良の山の方に沈むのである
それが何とも言えぬ美をかもしだす場だとなるとイメージするのである

2018年11月30日

「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」は世界史の大河ドラマ (なぜイスラムが衰退したのか、その原因の追究)

  
  「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」は世界史の大河ドラマ
  
  (なぜイスラムが衰退したのか、その原因の追究) 

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歴史は地歴であり地の利である、これは神が定めたものであり運命である
その地理から離れて歴史もありえない、でも地理を知ることは容易ではない
一番いいのはやはり自ら踏査(とうさ)することである
つまりいくら本を読んでも地図を見ても世界はわからないのである
百聞一見にしかずとなってしまうのが世界なのである
世界となると知りえる範囲はどうしても限られるそこで何か的を得ないものになる

「愛と欲望のハレムオスマン帝国外伝」というシリーズのドラマを見ている
これは世界を舞台にした歴史ドラマなので興味をもった
なかなか世界史となると理解しにくいがNHKのような大河ドラマにすると興味がもてる
何かハレムは江戸時代の大奥とにている、そこでの女の戦いは時代劇とにている
あのようなハレムがあること時代イスラムが西洋にヨ−ロッパに遅れをとった原因だと見た、つまりキリスト教の西洋文明とは違った統治でありそれで改革できなかった
その足枷になったのがイスラム教だったのである
イスラムの衰退の原因は何だったのか?
その主要な原因が政教分離できなかったことなのである
政治と経済と宗教が不可分に一体化していたからこそできなかったのである

イスラムがヨ−ロッパより先進国だった、知識でも科学でも技術力でもイスラムが上だった、例えば十字軍はイスラムの富を略奪する強盗団ににていたというときそうである
イスラムの方に富があったからそうなった
面白いのはコーヒーがエチオピアで生まれそれがイスラムにもたらされてヨ−ロッパに入った、その時砂糖も中東経由イスラム商人によってもたらされたのである
アジアの物産はイスラム商人経由でヨ−ロッパにもたらされたのである

その貿易のルートが大航海時代になりヨ−ロッパが地中海がイスラムの海となった時
バスコダガマが喜望峰回りでアフリカからアジアへ航路を開いた
それが一大快挙でありアジアの貿易路ができてアジアの富が植民地を通じてもたらされた紅茶でもそうである、その習慣が生まれたのはアジアから紅茶がもたらされたからである今でもスリランカなどでは紅茶の産地で有名である
そして砂糖もアジアから直接ヨ−ロッパからもたらされるようになった結果イスラム中東経由の貿易は縮小したのである
それは陸の道としてのシルクロードが海の道に代わって廃れたとにている
どこが富む国に地域になるかはそうして交通の発達と交通の要所になることで決まる

小さな地域でも意外と戦争が終わった時はやる店はやはり狭い地域でも場所がいいところだったのである、何か私の家は小さな店をはじめた、家が角であり場所がいいということではやったのだとも言っていた、それで角屋とかの屋号がある
商売は場所がいいと人の集まりやすい場所だと繁盛する
それは前は駅が街の中心でありそこに人が集まっていたから駅前通りが生まれた
車社会になると六号線沿いや道の駅に店ができるようになった
常磐高速ができたらSAに人が集中するようになった
このように交通によって繁栄する場が変わるのである

なぜヨ−ロッパが栄えたのか?そしてイスラムが衰退したのか?
それはなぜイスラムは自爆テロとかイスラム国とか何かそれはやけくそになっている
何かヨ−ロッパよりオスマン帝国が優れていたのに今は衰退している
その不満があのような異常なやけくその自爆テロとかの反抗になっているのである
軍事力だけでは世界史では国は優位にたてない、総合的なものとして国家の形成があり
軍事力はその一部なのである
イスラムはなぜ衰退してヨ−ロッパが興隆したのかというのは世界史の大きな課題になる

●宗教の問題
●政治形態の問題
●交通路の問題

他にもあるにしろ主要なものとしてあった、では逆にヨ−ロッパはなぜ繁栄したのか?

●宗教
●政治形態(ガバナンス)→政教分離
●交通路の開拓(大航海時代)
●科学技術の進歩 
●産業革命

このうよに総合的なものとして文明があり盛衰がある、ヨ−ロッパはこれらが一体として世界をリードするものとなった、イスラム圏はオスマン帝国のようにヨ−ロッパを劣ったものとして見ていたのである
その頃ルターの宗教改革もヨ−ロッパにあり宗教的政治的改革があった
イスラム世界にはそうした改革は成されなかった、イスラム教の縛りの中でできなかった宗教が大きく影響をしていたからそこで改革ができなかったからだともなる

このことを日本に当てはめるとなぜ明治維新が成功したのか?
これも世界史の謎になる、江戸時代から西欧文明の挑戦を受けて応戦して改革できたのか江戸時代というとき相当に世界から遅れた世界だとみているからである
日本が中国などより先んじて西欧化したというのも世界史の不思議なのである

面白いのは日産のゴーン逮捕で騒いでいるけどベトナムのフランスの恨みだということをyoutubeで言っている人がいた、そういうことがあったのかともなる
ベトナムはフランスの植民地になった、でも日本軍に追い出されてベトナムは独立したとなる、その恨みがあるというとき歴史の継続を感じたのである
イギリスが日本軍によってシンガポールやマレイ半島から追い出された
それで捕虜されたりして今でも恨みになっている、オランダでもそうである
これも一つの歴史の転換でありその時世界史的に日本が世界の全面に出て来たためだとなる

ともかく世界史の興亡はくりかえされている、ではなぜある国が興隆してある国が衰退してゆくのかそこに共通の原因があるのか?
それは日本が高度成長を経験して衰退してゆくのか?またこれから興隆してゆくのかの問題にもなるからだ
ただこれには一つの解答はない、ただなぜヨ−ロッパが興隆したのか?
それが政教分離とかにあった、なぜ日本が戦争に負けたのか?
日本を神国とした政教一致政策にもあったとなる
もちろんナチスが生まれたのはなぜかとなるとこれは共通した現代文明から生まれたものだから宗教とはまた別問題である

とにかく文明という時、civilizationなのである、このcivilは市民なのである
市民の文明というのが文明の起源だとなる
でも市民とは何かとなるとそれはヨ−ロッパで生まれた概念であり歴史的に生まれたのである、市民は国民とも違う、国民の概念は近代に生まれた概念でありヨ−ロッパでも存在しなかった、ただ市民というのは歴史的にヨ−ロッパから生まれのである

(軍人・官吏に対して)一般市民の; (聖職者に対して)俗(人)の. 
civil life 民間人[一般市民]の生活
(軍用でなく)民間用の,民間人の. 

市民とは権力に対抗するものとして生まれた、聖職者に対抗するというときカトリックなどは宗教による政治支配体制だからである
だから創価や神道でも宗教が政教一致になるのはイスラムでもそうだったようにその国全体に影響して様々な自由な活動を制限して国自体を衰退させるのである、そういう団体に所属する会員は市民ではないのである 
創価などは何かあると必ず罰があたるとか集団的に権力で恐れさすことでもわかる、それはカトリックがしていたことなのである
他でも宗教が政治にかかわり実際に権力をもてば市民の自由な活動でも委縮させて経済自体も衰退させるのである
イスラム世界には市民というのは形成されないしその概念もない、それが停滞した原因だともなる 

だからもしヨ−ロッパでもルターの宗教革命が起こらなかったら停滞していたともなる
プロテスタントが起こりその精神から資本主義が生まれとなる説はそうである
そして世界をリードしたのはプロテスタントでありそれはアメリカに受け継がれたからである
アメリカの開拓は聖書の精神からはじまりプロテスタントが開いたからである
一方でカトリックが普及した地域はフィリンピンとな南米とか停滞しているのである
それは気候と関係しているともなるがやはり宗教の影響がある

いづれにしろ世界史でもアプローチする方法はいろいろある、コーヒーの歴史からでも興味をもつ、世界史でも興味をもつ方法は無数の入口がある、ただ一つの入口ではないのである、私の場合はトルコに行ったことがありイスタンブールに一週間くらい滞在していたそれで興味をもった、地理でもドナウ川は見ていないがトルコから黒海をさかのぼり東ヨーロッパのキリスト教国に船団を組んで攻め上る、そのために細身の船を開発したりとかしている
ここでも川が重要な役割を果たしていたのである、とにかくトルコは今もシリアとかでもめていて要衝の地である
ヨ−ロッパと関係して中東と関係してロシアと関係してアジアとも関係する
なぜならそもそもトルコの民族は突厥だからアジアは出身だからである、それは今も変わらなかったのである
トルコで最近起きた事件でもそうである、サウジアラビアの記者が殺害されたとかシリアの争乱とかでもトルコが要の国になったことはそういう地理的背景があり変わらないからである


2018年11月28日

アイディンティティ論 (クニは国家のことではないー(自然とのアイディンティティから言語化することから始まる)


アイディンティティ論

(クニは国家のことではないー(自然とのアイディンティティから言語化することから始まる)

アイディンティティを考える時まず国家とクニは違う、国家は権力体制でありクニは自然の中で自ずから成ったものでありそれはだから地理的制限があり無闇に拡大しない
ある地域からクニがはじまりそのクニの中で生活して先祖がありアイディンティティ化してゆく、だから先祖が犬だとか猿だとかなるのもアイディンティティになる
猿族犬族とかトーテム信仰がありそれで結束する

会津嶺《あいづね》の 国をさ遠《どお》み 逢はなはば 偲《しの》ひにせもと 紐結ばさね
     〜作者未詳(東歌) 『万葉集』 巻14-3426 相聞歌

この歌は会津は一つのクニであったが大和王権という国家ができたときクニから大きな国家権力がかかわったということである、その大和王権という国家は会津のようなクニとはまだアイディンティティ化されていないのである
だから強引な権力によって兵士にされたという気持ちがここにはある

アイディンティティ化するというとき意外と言葉が大きく関係している、そもそもエデンの園でのアダムの仕事は名付けることだったということでもわかる
様々な植物でも名前をつけることが仕事になる、それは詩人的仕事なのである
つまり名前をつけることはそれでもって言葉を通じて自然をアイディンティティ化していることになるからだ
名前が意外と大事であり名は体を現すとか名前を言うことはその名前を唱えて呪い殺されることもあるから名前は簡単に教えないということが古代にあった
そして名をなのることは一つのそのクニを支配することにも通じていた

泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [大泊瀬稚武天皇]
天皇御製歌

籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れしきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも

菜摘ます子家聞かな 告らさね・・・家を知り名前を知りたいとなる、まず家を知りたいというのは家が先にあったしそれは明治以降までつづいていたからである
ただ相手の名前を聞いているのとも違うが名前を簡単には言わなかった
雄略天皇は堂々と王たるもので名前を言えたとなる
名を汚すことはキリスト教でも御名を汚すことは許されない
つまり名前は常に汚される、人間は常に世の中にある限り汚され存在なのである
それは神が出現してもそうだった、神とは信じないからである

先に名を名乗る=言霊を奪われる=相手に服従する
という意味が込められている。 
自分の名を知られた途端に相手の支配下におかれる。

婚約の儀式にも受け継がれ、男性が女性の名前を尋ね、 
女性は「人生を捧げてもいい」と思った男性にだけ名を告げる。 

こういう人事的なことの前にそもそも人間はこの大自然に対してどうしてアイディンティティ化したのか?
言葉が神聖化されたり宣(のる)いいう時、祝詞(のりと)というとき何かが言葉を通じてのりうつる、言霊と化すという言葉に対する信仰のようなものが生まれる
では自然の万物が人間にのりうつる時それを現すのは言葉なのである
人間に言葉がなければ大自然の中の混沌の中に置かれる、それは安定しないのである
この大自然とアイディンティティ化するには言葉が必要だったのである
実際はすべて言葉では現せない、言葉の限界がある
それはアメリカのようなグランドキャニオンを見たような時である
そこは地球だと思えなかったからである、その時人間は言葉を失うとなる
言葉で表現しえないとなるからだ
それはホイットマンの詩に現れている、あまりにも広大な故に言葉で表現しきれないのである、
もうそうなると神のような力が必要にもなる

日本だとまだ国土が小さいからそこで言葉でアイディンティティ化しやすかったとはなる
だからアイディンティティというときまず国とか国家とかとのアイディンティティ化ではない、
自然とのアイディンティティ化が先にある
そもそも日本語がどうして生まれたのか?これも未だに不明である
どういう背景で生まれたのか?その起源を外国にたどってもにたようなものがあるとかで終わっている、
その系統が不明である、つまり日本語は孤立語なのである
それでも日本語もやはり日本の風土と関係して生まれている
外国語で表現できないものが日本語にあるときそれは日本の風土が背景に関係しているからだともなる、なにかしとやかにはしとしとと梅雨に雨がふる感じでありつつむとかは森につつまれとかありつつましいとかの言葉として派生する
英語のクリアーというのは良く使われるがそれは乾燥地帯の風土から生まれた言葉であるからっと晴れている晴れる日がつづくからである、だからクリアーとかファインとかフェアーとかの言葉は本当は日本語には訳せないしまた英語も日本語に訳せないのである
その意味が本質的に理解できないからである
そのために詩は翻訳できないとなるのだ

ギリシア人達は自らを「ヘレネス」と呼び,ギリシア語を話さない他民族を「バルバロイ」(Barbaroi:意味不明の言語を話す者)と呼びました。「ヘレネス」とは,ギリシア神話に登場するデウカリオンの子の“ヘレンの子孫”という意味で,ギリシア人は神の血統を受け継ぐ勇敢な民族としてアイデンティティーを形成していきました

いづれにしろこのように言葉が共通していることがその民族のアイディンティティになる言葉が通じないことが一番意思疎通を阻むからである
またアイディンティティは地理的一体感とかからも生まれている
これも重要なアイディンティティでの要素である
それで歴史的地理的アイディンティティがクニの基本としてある
それで廃藩置県はどうしても無理に人工的に作られた所があり地理的一体感とか感じない福島県でもなぜ福島なのかもわからない、そして福島県は広いから一体感がもてない
ハマ、ナカ、アイズと別れていて気候も違っている
冬になれば会津は雪がふりつづけるが浜通りは海に面して雪はめったに降らないのであるだからむしろ相馬地方は浜通りであり海に面した太平洋岸と地理的一体感をもつ
それが証明されたのが津波だったのである
三陸だけに津波が過去にあったのではなく太平洋岸は歴史的に津波がありその歴史を共有する地帯だったと知ったのである

いづれにしろアイディンティティ論というのは人間の存在を問う基本にある
だからアイディンティティには様々なものがあり一つにはならない
ここでは基本的に言葉があり地理がアイディンティティのファンダメンタルなものだとなる 

fundamentalとはfindmentalである、それが過去形になりfind→found→fundamentalになった

つまり発見されたmental(精神的なもの)なのである、実は過去形ではなく常にアイディンティティは現在形のfindである
常に見出されるものである、私自身が郷土と一体化するアイディンティティ化することをしてきた
それを詩にしたり芸術化にするのもそうである、ただ芸術だけではない、そもそも自然からはじまるのがクニだからそこでは農業でも現実の生活と自然とアイディンティティ化しているのである
それで畑で野菜を作る女性は良く冬には土が眠り栄養豊かになるというときそうである、冬(ふゆ)は増えるでありふゆになったからである、それは農耕社会とアイディンティティ化して生まれた言葉なのである
春は張るであり万物が張る状態になるからそうなる、田んぼに水を張るということでも田植えがはじまることでも春なのである 
言葉のはじまりには農業的なものがまたは狩猟とか牧畜的なものがある、それは言葉でも生活から離れてありえないからである


2018年11月11日

川を知らずして世界史も理解できない(川の詩) (大陸の大河が文明を歴史を作る)


川を知らずして世界史も理解できない(川の詩)

(大陸の大河が文明を歴史を作る)

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幸多きお前の岸の上に
慎ましい貢物を残して置きたいだけなのだ
おお、もし私がボイポスの霊感を受けていたら
お前は天の下で随一の川であり
ガンジスより遥かに高貴な川となろう
お前はその栄光でユーフラテスや
ナイルの崇高さを色褪せさせて
全宇宙を流れる川となろう

我々をその屋根の下に受け入れてくれ
ヴォルガの岸に養われた者たちよ!

壮麗なる歩みの中で
ヴォルガはその流れを広げる
輝ける民族の
北を東と近づける
ロシアの様々な地方に運ばれ行くのは
アジアの産み出す様々な宝
幅広い銀色の水は
町や村を飾り立て
滋養豊かな波が
広漠たる畑を養っていく  


このリンクでは開けません、題名で調べてください、すぐにわかります

川をはさみ民族と国と国が争う
ライバルの意味は川に由来する
川をはさんで敵対する歴史
川はある時は血に染まり
穏やかに流れ歴史は作られぬ
川をさかのぼり川を下り
やはり争いがあり物資が運ばれる
広々とした河岸に都市が生まれる
都市は川によって結ばれる 
いかにも石造りの街は古りぬ
川によって歴史は刻まれる 
川は満々と水をたたえ流れ
山間をぬい曲がり蛇行して
未知の国へと誘い運ぶ
滔々と川は流れ秋の日に
岸辺のポプラの清しも
ラインを船が行く
ケルンの塔は高く屹立して 
遠くまで鐘は鳴り響き渡り
オランダへと船は荷を運び下る
川は都市ならず国を結ぶ
その流れは長大にして国境を越える
ドイツの父なるライン、ロシアの母なるボルガ
川は人を養い都市を作り国を作る
その流れに民族と国の想いが宿る
ナイル川よ,三千年のエジプト文明よ
夕日はその西岸に赤々と映えて沈む 

(自作の詩)

Go up the river and go down the river
Again there is a fight and goods are carried
A city is born on a wide riverbank
Cities are tied by rivers
Stone-made town is getting old
History is engraved by river
The river flows gently and on the autumn day
Poplar tree is refreshing on the banks of the river
A ship goes through the Rine
The tower of  Koln is highly upright  
The bell is ringing far away
The ship carries the load to the Netherlands
The river connects countries, and cities
The flow will be long and cross the border
German father's Rine, Russian mother Borga
The river nourishes people and makes a city and makes a country
The tribe and the feelings of nation live in that trend
Nile River, Egyptian civilization of three thousand years
The setting sun shines red on the west coast of the setting sun


 rival 「ライバル」 arrival 「到着」 river「川」 

rival をたどるとラテン語の「小川」を意味する rivus の派生語の rivalis に行きつきます。  水の確保は死活問題ですから古今東西を問わず水争いがありました。 Rivalis という単語はそれを如実に表しており「同じ川を巡って争う人々」という意味です。 これが水源だけではなく, 一つしかない物を求めて争う人々という意味に発展しフランス語を経由して英語に入ってきたのです。

言葉の語源は歴史を文化を知るには重要である、なぜならその言葉が成り立つ背景がこのようにすでに長い歴史や地理を語っているからである
その民族独自の言葉が生まれた背景に地理とか風土とか歴史があるからだ
だから言葉自体を簡単には理解できないのである

まず四大文明から河から生まれたという時それが日本人には理解できない、なぜならそうした大きな長大な河がないからである、中国であれヨ−ロッパであれ河を理解できない
川は日本だとただ水が流れているという感じになる、でも四大文明の川は人間の営みと密接に結びついている川なのである、それは交通路にもなっているから運河にもなっているから根本的に違っている
父なるラインとか母なるボルガというときまさに河に対する思いは本当に深い
川をアイディンティティとして民族が国が形成されたのである
それはヘルダーリンの詩でもそうである、日本ではこうした河への思いが希薄なのである日本語では川は側(がわ)の意味でありただ対岸を意識していたともなる
長大な河がないからそうなった、川とは渡るものとして意識していたとなる
一つの長い川としての意識がないのである、それは長大な河がないからそうなる

このことで地歴としての世界史を理解できないのである、ヨ−ロッパでも大きな河があり支流がありそれが運河のようになっているのが特徴である
交通路だから川によって人々は結ばれる、日本の川にそういうことがない
日本の川は滝だと外国人が言う時まさにそうである
川の感覚が全く違っているのである

統一ドイツから排除されたオーストリアは東欧・ドナウ志向を強め、1867年にはオーストリア帝国はアウスグライヒをマジャール人と結んでオーストリア=ハンガリー帝国(二重帝国)へと改組された。ドナウ川は二重帝国を結びつける大動脈となり、この事からその当時のハプスブルク帝国を「ドナウ帝国」と呼ぶこともある。

まさにこれこそ河を支配したものが支配者になったとなる
なぜそうなのか?長大な河は都市と都市を結び国境を越えて国と国を結ぶからそうなる
だから川でも交通路であり運河になるからライン河では川を通る船に関税をかけて収入にもできる

オスマン帝国でもベオグラードからブタペストからウィーンまでドナウ川をさかのぼり支配しようとした
黒海から船団を組んでさかのぼって行ったのである、その船は川に合わせて船体を細いものにしたのである
つまり川に適応した技術が生まれたとなる
技術もその地理に適応して生まれる、日本だとトンネルの技術が優れているのは山が多いからそうなる

ともかく長大な河のダイナミズムを日本人は理解できない
ガンジス河でもそうである、ガンジス川からヒンズー教が生まれた、ナイル河からエジプト文明が生まれた

例えば

流氷の海を作り出す水の起源はアムール川の水であると言われています。アムール川は全長4400km,モンゴル高原から中国,ロシアの国境を抜けてオホーツク海に流れています。また,最近の研究ではオホーツク海を栄養の豊かな海にしているのはアムール川から流出する「鉄分」が大きな役割を果たしていることもわかってきています。

アムール川は4000キロもあるとしたらそれは日本ではとてもイメージできない、日本列島より長いともなる
鉄道でアムール川をわたったが広い、あれだけ広いのにそこは激流のようになっていた
とてもそうした河を日本ではないから川のことを理解できないのである

2018年11月09日

アーリア人世界史観が成り立つのか? (武田邦彦氏の世界史観は単純すぎる)


アーリア人世界史観が成り立つのか?

(武田邦彦氏の世界史観は単純すぎる)

そもそも、アーリア人という概念自体が嘘である。それは日本の天孫降臨と同様、作られた物語だ。インド=アーリア語族という言語学上の概念が定説となっているが、それも、18、19世紀の植民地支配を正当化するために「発見」された概念にすぎない。なのに、いまだに日本の高校の教科書は、アーリア人の存在を事実として無批判に記述している。
◆嘘だらけのヨーロッパ製世界史 岸田秀(著)

ヨ−ロッパ人はアーリア人でありアメリカでも大量殺戮した、何千万単位で殺戮した
インディアンをマヤやインカ文明を破壊して大量殺戮した
血も涙もないことを平気でるするのがアーリア人種である
原爆落とすから何でもないのがアーリア人種である、中国人もこれとにている
残酷だからである、文化革命でも何千万殺されたとかそういう人種である
日本人はとてもそういうこときはできない、日本人は天皇を王様を殺したりはしない
ヨ−ロッパでは王様は無惨に殺される、ヨ−ロッパ人はア−リア人種の系統に入りそういう残酷なことができるのである 

それでアジアでも植民地に強制的にされて強奪された、国がもともとあり歴史もある国でもずかずか勝手に入ってきて植民地化した
アーリア人は血も涙もない、冷酷なことを平気でできる民族である
日本人はそもそもそういう残酷なことはできない、日本人は戦争でもただそうしたアーリア人種国に抵抗した唯一の民族であり太平洋戦争はその外国のアーリア人の植民地化されないための戦いだった

それも一つの世界史観である、世界史でも日本史でも別にいろいろな見方があってもいいそれはそれでいいとなる、第一世界史がなんであったかなど実際はあまりに大きくて複雑でわかりえようがない、倫理的に見れば人類の罪の歴史だったともなる
アーリア人は最も残酷な罪深い人間だった、今そうだとなる
原爆落とすくらい平気な人たちだ民族だ、そういう血を受け継いでるのだとなる
だからアーリア人の血がそうさせている、その人たちが世界を支配して世界を作ったのだとなる
これは人種世界観になるのか?

ただ現実としてアーリア人とは何なのかと問うと明確ではない、インド・ヨ―ロっパとしての共通性がありその言葉をもつものがアーリア人だとなる
それとも顔だちとか体つきから判断するのか?
何がアーリア人なのか?それも良くわからない、そもそもアーリア人とか人種で人間を区別してそれで世界史を見ること自体単純な見方である
そもそもこの人種はこういう特徴があるとかでみて世界史を見ることがありうるのか?

そんなこと単純に考えてもありえないのである
なぜなら日本人だって縄文時代から様々な人が日本に来て混血しているからである
日本人は人種の混血した坩堝だともなる、そうししたら純潔としての人種などもう世界にはいない、それをアーリア人がどうだとかそれで世界史を見ているのはあれだけ博識な人にしては疑問なのである
もう今や純粋な民族など人種などいなくなっているのだ、ユダヤ人が最古の民族だとしてもロシア方面の別な人種が混じっていて今のイスラエルにいるユダヤ人は人種的には純潔のユダヤ人ではない、ユダヤ教を信仰している民族であり国だとなる

そもそも人種で区別して世界史を見ること自体、世界史を歴史を勉強しているとなるのかその博識には敬服するけど何か幼稚な偏見がそこにあるように見る
そういう歴史観をもっている人は普通はいない、世界史が何かとなればそれぞれの見方がある、ただ明らかにアメリカは人種差別の国でありアジア人と黄色人種を一段劣っているものとみる、それは確かだからそういう見方があっても必ずしも悪いとはならない
アメリカには根強い人種差別があることは確かなのだ、それで日本人はアジア人を劣等民族人種として原爆を落としたという理屈は理解できるのである

だけど人種論で世界史を見ることはそれは基本的にどんな歴史学者もしていないのである四大文明とあったら文明を築いたものから世界史を見ているのである
だから人種からではなく世界史はどういう文明を築いたかから見るのが普通であり常識である、イスラムが栄えたのにヨ−ロッパより進んでいたのになぜ遅れをとったのか?
それはトルコ人が劣っていたとかではない、かえってオスマントルコはヨ−ロッパよりその時一段と優れた文明であり軍事だけではないあらゆる面で学問でも優れていたのであるイスラム文明がオスマントルコ時代に科学技術でも発達してそれを学んだのがヨ−ロッパだったのである
人種論からすべてを語る、世界史を語るのは常識をはずれているしそれで世界史が語れるのかとなる

もちろんお前が語れるのかとなれば語れない、ただ人種だけからアーリア人が世界を支配したとしてアーリア人のことを批判してもそもそもアーリア人は何かなどわからないのである
そんな人種論で世界史が語れるだろうか?
人種自体そんなに意味がない、日本人がどうだというとき日本人種というのはいない、なぜなら縄文時代以来日本列島には様々な人が住んだからである
そういう様々な人種が混血したのが日本人でありそこに特定の人種はいなくなっているのだ、むしろ縄文人とか弥生人というとき狩猟とか採集していた人たちと稲作した人たちを分けていた、生活の相違で分けていた、それは人種ではないのである

天子問曰。此等蝦夷国有何方。使人謹答。国有東北。 
天子問曰。蝦夷幾種。使人謹答。類有三種。遠者名都加留。次者麁蝦夷。近者名熟蝦夷。今此熟蝦夷。毎歳入貢本国之朝。 
天子問曰。其国有五穀。使人謹答。無之。食肉存活。 
天子問曰。国有屋舎。使人謹答。無之。深山之中止住樹本。 
天子重曰。脱見蝦夷身面之異。極理喜怪。使人遠来辛苦。退在館裏。後更相見。 

五穀があるとか、食肉しているとか聞いている、それは中国でも遊牧民がいて食肉している人たちを異民族としている
そのために万里長城を作られたからそのように蝦夷も見ていたのである
それは人種ではない、場所で分類して次に麁蝦夷(アラエミシ)熟蝦夷(ニギエミシ)とか従順な蝦夷は稲作するようになって服属した蝦夷である、それは今の宮城県までであり岩手県になると麁蝦夷(アラエミシ)となる、活形態から分類しているのであり人種からではない、人種は多様だからである
そもそも古代から人種で人を区別することはしていない、生活形態、狩猟民と漁民とか遊牧民とか稲作民とかで区別する
人種はそれほど人を見る場合重要視されていない

ではなぜアメリカとかヨ−ロッパでは人種差別が起きてきたのか?優生思想が生まれたのか?
皮肉なのは優生思想が生まれたのはもともとユダヤ人からである、聖書の民のユダヤ人が一番差別されてきた歴史がある  
人種差別問題だとユダヤ人が常に問題にされるのである、ユダヤ人だけが人種を主張しているからだともなる
あとは確かに白人とか色で区別して差別する、だから黒人は一番色が違うから差別されるとなる
ただ別に白人でもみんな優秀なわけでもない、白人でも普通の人間のように劣等なものもいれば優秀なものもいる
だから人種で区別した差別したりするのは根本的に間違っている、白人が優秀だというとき科学技術が進んでいると別なものでその優劣を決めているのである

ここでは全部は語れないが人種世界史観など成り立たない、もし今度はアメリカが衰退すると白人は劣等民族だともされる
現実にそういう興亡が世界史だからである、イランがあるとするとペルシャ帝国がありイラン人は優秀だったとかなる
ギリシャ人が優秀だったのは古代であり今はヨ−ロッパの観光の地であり何も優秀なものはないなのである
ただ過去の栄光が遺跡として残っているだけなのである
今は科学技術でも何の貢献もしていないからである

中国人はシナとか日本人に馬鹿にされたこともあった、今になると経済成長してアメリカに伍するようになると誰も馬鹿にしないのである、かえって恐怖の対象になる、だからむしろその国の経済とか科学技術が優れていればその人種でも民族でも一目置かれるとなっているのだ、アーリア人の特性があったとてもそれは全部ではない、むしろ別な要素で人種差別が起きているのである
人種の問題ではなく国を興隆させることがその国でも民族でも人種でもステータスを上げるのである
そして宗教からすれば人種は全く関係ない、全く差別はしない、黒人だろうが黄色人種だろうが誰でも神の霊は宿るしまたキリストを神の子と認めることはできる、それは全く人種とは関係ないのである

ユダヤ教は人種と関係している、でも純粋なユダヤ人などいない、イスラエルにもいない、それは混血した人々でありただユダヤ教を信仰している人たちなのである
人種論からの世界史観など成りたちようがないことは明白である、だからなぜ武田邦彦氏が世界で実際に生活して外国人とそれも科学者とかとまじわり現実に外国を知っている人はそういうのだろうか?

おそらく結局白人に交わり差別されたということ人種差別されたからこうした理論と世界史観をもつようになった
それはわかるがそれからとても世界史観は作りえようがないことは自明ではないか?
ただ正直完全に数学のような科学のように歴史を見ることはできない、私的な感情からでも世界史を見る、日本史でも会津は今でも薩摩長州に恨みをいだき明治維新に否定的になる、でもその見方も偏ったものになる
でも人種論から世界史を見ることは誤っていることは確かである

一方で西洋人自体が反省している、自分たちの野蛮性を指摘している,何か大量殺戮してそのやましさ罪の意識をもっている
ヨ−ロッパ文明が優れているからその支配下に入るべきだというの優越感があった、でもその反面無謀な殺戮による支配でもあったのだ、そこに罪の意識が生まれたのである

 同時代のイギリス人たちと帝国意識を共有し、イギリス人や西欧人以外の人々に対する侮蔑感情を持ちながらも、戦争による心理的荒廃がイギリス人や西欧人の“文明化”された表皮を引き剥がし、“野蛮な”性質を呼び覚ましてしまうのではないかという懸念がここには述べられている。さらに彼は、「略奪本能は文明化された外観で覆い隠されているのだろう。私たちは、『戦争は利益を生み出すに違いない投資だ』と言いかねないのであると述べ、自らを「文明人」だと信じて疑わない当時のイギリス人の“文明度”に対する懐疑を表明している。


文明とは何かとなるとそもそも定義はない、civilizationのcivilは市民である、日本には市民というのはなかった、だから文明がなかったのかとなる

文明とはまたイスラム文明とかキリスト教文明とか仏教文明とか宗教で区別することもできる
イスラム文明はオスマン帝国の時最高潮に達した
科学技術でもヨ−ロッパより優れていてヨ−ロッパ文明の科学技術を推進した、代数はイスラム文明から生まれたからである
文明は軍事力ではない、ローマは軍事力だけで成り立っていない
建築技術やガバナンスにたけた組織した帝国を作った
ローマ文明はのちにキリスト教文明に発展した
ここでキリスト教はローマ帝国の政治組織支配の下に形成された
それは政治的組織的になったのはローマ帝国の中で取り入れられたからそうなったとなる、それがカトリックなのである
もし文明をもつ国が戦争に強いというだけなら文明ではないし世界でも認められない、モンゴル帝国がそうである
そこには文明が起きていない、何か文明となるのもを残していない、ただ通商に便利な広範囲な帝国を作ったというだけになる
だからもともとあった中華文明に吸収されて終わった

日本文明があるのかとなると中華文明の亜流とかに見る人もいる
でも日本文明として認められてもいる
そもそも何が文明なのか定義はない、日本には江戸時代の300年がありそれが全く遅れているというのではなく日本文明の基盤を作ったという見方もある
だからこそ明治維新もその基盤があって成功したともなる
薩摩長州はただ徳川幕府を倒しただけであり実際にその後は幕臣が官僚となり実務を担当して明治維新を推進させた
日本だけはヨ−ロッパの植民地にはならなかった
それは日本文明が西洋文明の挑戦に対して応戦できる文明がもっていたからだとトインビー流に言えばなる




2018年10月08日

精神性を追求する文明にたちかえる (すべてが大衆に迎合しすぎてモラルも荒廃した)

      
精神性を追求する文明にたちかえる

(すべてが大衆に迎合しすぎてモラルも荒廃した)

理念なき政治 道徳なき商業 人間性なき科学 ガンジー

自然がある、そこに人間は真、善、美を見出す、人間によって自然は精神性を付与される人間には心があり精神がありそれで万物に精神性が付与される
エジプト文明は何なのか?アニミズムの世界,あらゆるものが神となる偶像崇拝の世界だとも見る、でも一方で動物でもあらゆるものが神性を帯びたものとして神になる
ライオンがいればそれは人間としては勇気の象徴とかなったり鷺が学問の神になったり
牛は忍耐の象徴になる、それは高村光太郎のような牛の詩になる
虎だったらブレイクの詩として象徴化される
つまり詩によって象徴化された精神性が付与されたのである

現代に欠けているものは何なのか?精神なき文明であり物質化された荒野と化している
マルクス流に言えば貨幣による物神化とかなる
つまり唯物論とは世界を歴史でもまさに唯物的にみる、精神なきものとして見る
ところが過去の文明には精神性から見ることもできる
エジプト文明にも精神性があった、ピラミッドは奴隷によって作られた王の墓だというのは否定されているとき,では一体何なのか?
それは宗教的建造物であり一つのエジプト文明の精神的精華とも見ることができる
マルクスの唯物論だと階級制としてしか見ないからである

ピラミッドはその構築は数学的にも神秘的なものとして作られたのである
正三角形立方体ではないからである
ピラミッドはキリスト教とかイスラム教とか仏教と同じような精神性を備えた宗教的建造物なのである、それは王の墓ではない、民衆が参加して作り上げた聖堂とにているのである
一方で中国の文明には始皇帝でも巨大な権力者の墓として山のような墓が作られたのである、中国では地下まで王の宮殿となっている、死んでも地下で権力を維持して支配しようとしていたのである,そこに精神性が見れられないのである
中国文明にもちろん精神性があるが巨大な権力者が支配するという文明である

歴史を見る時人間の精神の営為として見るか?ただ生産力の増大過程としてみるか?
見方が二つに分かれる、マルキシズムは精神的なもの宗教をアヘンだとか支配階級の道具となり階級を維持するためのものだとした、確かにそういう面もあったから否定はできない、ただ文明という時、エジプト文明でありキリスト教文明であれイスラム文明であれ宗教を基にした文明なのである、その宗教をとったらなにが残るのか?
要するに精神なきモラルなき文明となる、人間には精神があって人間でありただ飲み食いするだけだったら動物と変わりなくなる

そして現代文明とは何なのか?精神なきモラルなき文明なのである
マルクスの言う唯物主義なのは共産主義でも資本主義でも同じである
世界は市場であり貨幣が神の如くなり物神化していることは同じなのである
資本主義と共産主義とは表と裏であり現代では共通した唯物論なのである
確かに宗教は支配構造の中に組み入れられているというのはある
それ以上に現代文明全体がグローバルに唯物化したものとして共通しているのである
そこにはただ世界は市場であり貨幣が神のようになり支配する、ドルが支配することはアメリカが支配することになる
現代の経済とは精神なきモラルなき経済である
すべてが金によって売買される世界市場になっている
そうなると国すら金によって売買される、現実にそうなっている、金融で銀行が世界を支配する、アメリカのドルが支配する、それに逆らうものは軍事力で制圧されるとなる

精神性というのが何かというとき一番わかりやすいのは建築なのである
建築がどこでも文明の象徴としてあるからだ、建築から文明を観るからである
ピラミッドにエジプト文明をみるしキリスト教の大聖堂にカテドラルにキリスト教文明を見るしイスラムだったらモスクになるからだ仏教でもヒンズー寺院がそうでありアンコールワットのような仏像が仏教文明の象徴になり精神性も現されている

それで感嘆するのはルネサンスが起きたフェレンツのラファエロのアティネイの学堂なのである、あのアーチが堅実性を示している、ローマの建築にはそもそもローマ人は農民だから素朴な堅実性があり建築にも反映したのである
だから不思議なのはヨ−ロッパに行くと鉄道の駅がアーチの堅固な駅であり何かその建築によって威厳を持たされるのである
そういうものが無用であり無駄だという意見がある、日本のように機能的であればいいともなる、でも何かそこに駅まで人間に威厳をもたされる空間として創造されていると感心するのである、建築に人間の精神が付与されているからそうなる
まずビジネスだけの世界になるとそこはただ機能的なものしかない、高層ビルだとただ高いというだけでありそこに精神性は付与されていない、人間の精神が欠如しているのである、ただ高いとか機能的美しかそこにはないのである
もちろん機能性が建築では重要であるがやはりそれと同時に精神性が付与されると威厳あるものとなる

現代では機能性は追求されても精神性は追求されない、だから人間の精神が養われないのである、自然があるとして人間の精神性が付与されて意味と価値をもつ、それがゲルマンの森をかたどったゴシック大聖堂になる、その石の柱は樹齢千年とかの樹と同じなのである、柱はエジプトの神殿でも樹なのである、ピラミッドは聖なる山の感覚になる
なぜなら砂漠で山がないから人工的神秘的に創造された山となるからだ
日本でも山そのものが神となり神聖化されたがエジプトには山がないから山を作り出したともなる、それは星辰の位置とも関係して作られたという時、解明されていない神秘が未だになる

ともかく精神性がない世界はもう物質の荒野である、人間はただ商品であり金で売買されるものにすぎない、グローバル化市場ではそうなる、労働力も商品化される
そのマルクスの指摘は現代文明を見る時わかりやすいから宗教のようになった
でも共産主義でもまた同じだったのである、唯物論として世界を見ていることでは同じなのである
これからの課題は精神性の追求である、精神なき世界はもう人間社会ではない
そこに育まれるのは養われるのは富であっても精神なきものでありルネサンスのような文化を創出しない、巨万の富を集めてもアメリカから精神文明が生まれないのでもわかる
巨大な科学技術文明でありそこに精神はない、ただ天をつくように高い摩天楼であり人間はそこでただ蟻のように卑小化されるだけなのである

何か文明というときあらゆるものが連関している、人間の精神性の剥奪なのである
それは報道とかマスコミでもそうである、そこに精神性はない、大衆を操作する下劣なものとしてある、つまりテレビは低俗な大衆に同化して操作するものとしてある
そこに高邁な使命感とかはゼロである、モラルはない、会社から宣伝費をもらい大衆を操作するものしとてある、ナチスとたいして変わりないのである
そこに対話もない、一方的洗脳があるだけなのである、そこで一番目立っているのは司会者でありその人が有名人となる、でもそのアナウンサーとは何なのか?

何の報道の使命感もない、まず大衆を相手に視聴率をとることが目的なのである
要するに大衆化社会には精神性はないしモラルも育まれない
商品を売る消費者として大衆はあり会社の企業が商品を宣伝して売りつけるものとしてある  
現代とは大衆に迎合がしすぎた社会である、そこに精神の退廃が社会全般に蔓延した、マスコミとテレビの影響が大きすぎたのである
マスコミから出る人物はいい加減なのが多いというより大衆にとって必要なのは芸人なのである
芸人でも芸に励むということがあるが芸人がオピニオンリーダーのようになり司会者もそうである

そして事件ばかり追ってそれが大衆の娯楽になったのである
それがお茶の間にもちこまれたから余計にそうなった
この辺だって作家だとか詩人だとかもマスコミにもちあげられた芸人なのである、売名作家なのである
結局現代の問題はアウトサイダーが指摘してきたことである
その人が客観的に社会を文明を見ていたのである
マスコミも大衆社会に組み入れられて精神を荒廃させたのである
ジャーナリストにも高邁な使命感があったかもしれない、それが大衆に迎合することによって失われた
大衆に迎合することが何でもいいのではない、それによって退廃してくる
むしろ大衆と離れて崇高なものを追求する、それが大衆にとってもモラルを向上させる、江戸時代は侍がそうした模範となっていたのである

今や模範とすべきものはない、カルト宗教団体でも大衆に迎合しすぎたのである、だから何ら普通の人と変わりない、かえって強欲になれ拝んでこの世の欲を満たせとなっている
それは大衆にこびて大衆に迎合しすぎたのである、それが政治となり一票に結びつく、数が多ければ権力を得ることになる
そうなると社会全体が荒廃したのである
一方でオウムはエリートを養成しようとしたのだが奇妙なのは大衆から遊離した結果として異常化したのである
人を殺すことを宗教で正当化できない、そうしたのはかえって高学歴の理系の若者だったとなる、つまりかえって創価のように庶民の集まりではないからそうなった、常識すらない状態になっていたのだ 

何でも大衆化することは国そのものも危うくするし荒廃するだけだとなる
原発事故だってそうしてジャーナリストでも権力に迎合するだけであり大衆は大衆で金になればいいしかないとなり故郷にも住めなくなったのである
現代社会にはもうエリートはいない、責任と矜持をもつエリートは大衆によって駆逐されたのである
大衆に迎合しないものはアウトサイダーとなる、だからアウトサイダーはこの文明を冷静にみて批判できるとなる
マスコミは害悪をもたらすものだということを知るべきだということもそうである、そういうことが日常的になっているから見えないのである
マスコミはyoutubeにふさわしい、お茶の間に入るべきではないものだった
子供にも影響するから害悪になるからだ

だから精神性を求めるものは現代では山にこもりニーチェのようになる、アウトサイダーになる、そしてこの現代文明を糾弾するようになる  
そうならざるをえないのである、現代文明社会に真善美は追及されない、ただ物質の追求であり商品を売買する巨大な世界的市場になっている
株とかでも世界市場になればもう巨大な世界市場にふりまわされるだけになる
投資は必要でも何か意味あるものとして価値あるものとして投資はできない
趣味で野菜作りしている人に投資した、そこで得られたのはキュウリが数本だった
でもその畑で作る苦労話を聞いたからその方が投資として実りがあったともなる
グローバル経済で株でもうけたとしてもそこに意味と価値を見出せないからだ
精神なきモラルなき世界だからである、人間はただそこでは金の奴隷、経済の奴隷になっているだけなのである

精神性とは何なのか?それは理念であり思想である、それは理想を追求する
会社を経営するにしても何のためなのかその理念が思想が必要になる
ただもうかればいいとはならない、だから会社を起こしたとしてそれがただ自分が優秀であり優秀さを社会に示したいとしか動機がないとしたら応援できるのか?
つまり理念なき政治道徳なき商売経済になっているのが現代なのである
ただ巨大なグローバル経済にふりまわされているだけの社会なのである
この辺でも復興は精神的なものの復興もあって復興になる

復興の実りや朝飛ぶ鳩の群れ

実りがあり鳩は平和の象徴でありそこに復興がある、実りは米を食べることだけどそこには精神的復興としてもある
そこに実り喜ぶ鳩が飛んでいるとなる、それは精神性として表現されたのである、単に食料を供給するというだけではない、実りとともに精神の復興がある、だからキュウリ一本が一万するとしても荒地になっていることは精神に影響する、復興は荒地のままではありえないとなるのだ





2018年09月29日

東と西の方角感覚 (大阪人と関東(東京人)の対立)


東と西の方角感覚

(大阪人と関東(東京人)の対立)

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SAPIO−9−10月号

秋の陽は湖西に没りて淋しかな東(あづま)の方に陽は昇るかも

東の野に炎の立つ見えて
     かへり見すれば月かたぶきぬ  柿本人麿

旅をして一番不思議なのは方角がわからなくなることである
それは会津のことでも書いた、東西南北がありそれが山が多くて方角がわからなくなる、ただ西会津となると何か辺鄙な感覚になるし実際にそうである
ただ方角という時東と西が基本にある
それはなぜなのか?
世界的にみても陽が昇る方角と沈む方角が基本になるからだ

オリエント【Orient】

 ラテン語オリエンスoriens(〈日出ずるところ〉〈東方〉の意)に由来し,同じくラテン語オクキデンスoccidens(〈日没するところ〉〈西方〉の意)から来るオクシデントOccidentに対する語。本来,ローマ帝国内外の東部を指したが,帝国の東西分裂以降,西ヨーロッパが独自の歴史的世界を形成していくに従って,自らとは異質なビザンティンおよびイスラム世界,さらにはインド,中国,日本などもを意味するようになる

世界史的にはオリエントが古い、ヨ−ロッパは西であり西欧文明であり新しいとなる、イスラムの方が文明的に先進国だった
ともかく方向感覚として陽が昇る方向と陽が沈む方向を意識する
エジプトのピラミッドがあるカイロでもナイル河の向こう岸に太陽が輝き沈むときその方角はエジプト人にとって死者の国になる
黄泉の国になる、それは太陽が沈むということでそういう感覚になるのは世界で共通しているのである
西というと西方浄土であり西行とかもいて仏教でもその思想があり共通している

ただ人間が方角を意識するときグローバルに意識することはむずかしい、だから東とか西とか意識するにしてもローマ帝国内で意識したとか柿本人麿の歌は山の原での歌だとすると狭い範囲なのである、人間は地理的に世界を意識することは容易ではない
ただ日本でも
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という日本史の資料などにおいて出てくる聖徳太子の言葉がある
まず日本でも中国でも方角を意識していた
それは陽が昇る方角と陽が沈む方角なのである
韓国では日本海は東海(トンヘ)なのである
だから韓国から日本海を望んだ時不思議な感覚になる
日本海は陽が沈む所として意識しているが韓国から見ると陽が昇る国なのである
そういう感覚は旅すると常にある
アメリカでもカリフォルニアは西部であり西海岸であり陽が沈む海になる
これも方角として日本から来てみると不思議な感覚になるのだ

私の短歌を例にすると湖西という地域があり琵琶湖の西なのである、湖西線が通っていて何か淋しい地域に感じた
西には何か淋しい感覚になるのは陽が沈む方角にあるからだ
でも湖西から見て東の方は関ケ原になる
その感覚がなじめなかった、日本でも東と西に分かれる
地理的にもそうであり歴史的にもそうなのである
当然大阪とか京都とか奈良は古いから西が中心だという意識を今でも持つのは理解できる、関東とか東京は江戸時代までしかさかのぼれない、鎌倉があるとしても狭い地域であり西の京都の方がその時も中心であり天皇がいて室町時代になったことでもわかる
天皇がいるところが日本では中心であり京都が千年天皇がいたから中心だった

東京が中心になったのは江戸時代であり明治以降である
だから東京には愛郷心がないというのもわかる
地方からの寄せ集めでできた都市だからである
東北でも良く墓を見てきて紹介したが相馬藩では元禄となると相当に古いしめったにない、一番古くて慶長時代の墓が相馬藩の殿様の兄弟の墓があった
まず室町時代とかにはとてもさかのぼれないのである
奈良や京都や大阪になると江戸時代前まで普通にさかのぼれる
そこに歴史の厚みが不足しているとなる

ただ東と西の栄枯盛衰はある、それは世界規模でもある
西欧文明が世界を支配したという時そうである
でももともとはオリエントが起源だというときオリエントが東が古い文明の源である
インドでも中国でもイスラムでもヨ−ロッパより西欧より古い文明なのである、日本文明も謎にしても古いのである
東と西の栄枯盛衰は柿本人麿のひんがしから陽が昇り西に月が傾くということで象徴的に歌われている
でもこれは世界的に言えるのである、東西文明は栄枯盛衰を繰り返してきたからである、それは千年とか二千年とかの時間でみるときそうなる

ともかく大阪人が関東に東京に対抗意識があり大阪京都が中心だという意識は歴史的に形成された
だから大阪人はどこでも大阪弁を使って話してくる
その大阪弁が親しみ安いのである、だから私は大阪人には好感を持っている、京都弁になると何かよそよそしい、公家言葉になる
一見やさしいようで冷たいとなる、それが言葉にあらわれている
公家の文化がありそこから言葉が出てくるからだ

東北弁はズーズー弁であり何か言葉としては洗練されていないのである、でも縄文時代以来の言葉であってそこに正直さみたいなのものがある、それは洗練されていないが原始的な言葉だともなる
言葉は古語にその民族の精華となるものがあり古語を知るべきだとされる、ヨ−ロッパではラテン語を知らないと本質的に文化人にはなれないというのもわかる
ラテン語はヨ−ロッパの共通語となっていたからである
ヨ−ロッパでは言葉で明確に歴史的に合体したことがわかる
日本語は漢字を利用しても古い日本語との共通性はない孤立語なのであり謎なのである

そして関ケ原を越えて名古屋になるが名古屋は東と西の交わる場所であり歴史的にも信長が天下を統一した地の利があった
武田氏には地の利がなかったのである、中心の京都に進出しやすい場所にあったからだ

名古屋人の気風について

「名古屋の男女の風俗はもっぱら大阪になまぶなり、えひしりあけ(男の髪型)、おぼこづと(女子の髪型)などがあり人気の闊達は江戸にならうなり、吝嗇は京にまなぶなり、ゆえに江戸の戯作狂文は名古屋まで良く通じるなり」
名古屋の女子顔色美なるも、腰大いに太し、一人として細腰なるはなし」

滝沢馬琴の見た名古屋人である、京都大阪と近いし江戸とも通じている地理にあるからこうなった
そして腰が太しというとき農民的な体形気質もあったのかともなる、名古屋は京都とか大阪の影響を受けるがまだ未開的なものも残していたのかともなる
名古屋弁とかでもそれは大阪弁とか京都弁とかの影響を受けている場所である
名古屋の人にあったが東北人からみると闊達な人が多いともなる
つまり名古屋には大阪の商人的気質とか京都の公家的気質とか関東の武の気質とかが混交した場にもなる
それはヨ−ロッパでもそうでありそうした地域には天才が生まれやすいという分析がある
東西の文化の交わる場所とかはそうなりやすいのである、そういう刺激を受けるからである

いづれにしろこうして人間は地理によって文化でも文明でも作られるのである、だから地理を知らずして世界でも日本でもさらに地域でもわからないのである
私の場合は日本は隈なく旅行したからだいたいその土地が地理がわかるから話を合わせられる
ネパールでも一回行ったからここに住んでいる人がいて4000メートルの所に住んでいたというときでもイメージできる
ただあそこでは卵すらなくインドから買っているとかまず何を食べているのか?そんなところで住めるのかという地域である
そんなところにも人が住んでいるから驚くのである
だから奥さんを呼んで日本人になり暮らしたいという気持ちがわかるとなる







2018年09月06日

人間の道の回復(詩) (現代文明批判)


人間の道の回復(詩)

(現代文明批判)

道の辺に芙蓉の咲きぬ
ゆったりと大らかに咲きぬ
その道は田んぼの中を
農家につづく
農家の庭は広い
あなたはその道を歩くがよい
今はここに車が通っていない
昔のようにその道を歩くがいい
歩けばその家までは遠い
その道を歩いてやっとつく
そして人は近くでも
道で結ばれていたことをしる
車の通過するだけの道ではない
人と人を結ぶ道なるを知る
芙蓉がゆったりと咲いている
時間と空間をその道を通じて
人は体得する
人は道を記憶して
道も人を記憶している
その時その場所は切り離せない
永続する場所となる

この詩をイメージしたのは小高に行ったときだった、そこはまだ人が住んでいるのが少ない、だから車も通るのが少ない、田んぼはないが草ぼうぼうである
すると芙蓉が咲いている、するとそこは江戸時代にもどったような気分になった
これも変なのだけど街中でも不思議だった
江戸時代に戻りたい知りたいなら車がないと江戸時代になるのだ
感覚的にそうなる、江戸時代に戻れないのだが車がないと空間も時間も違って見えるのだだからどうして時間感覚が空間感覚が作られるのかというとそれは環境が影響していたのである、現代では明治から機関車が走りやがて電車となり特急となり新幹線となる

それからモータリゼーションの時代になる
車時代になると何か常に車が猛スピードで走りぬけてゆくから時間が早く過ぎる感覚になる、そしてキレル感覚になるのだ
道にしても歩いてい行けばそこは人間に空間を体に刻むとか記憶するとかなるが車で突っ走る時体にも脳にも記憶されないのである
つまり空間を体験するというか記憶することができないのである。
だから現代の旅は浅薄なものになりあとでふりかえると記憶するものがなくなるのである
現代の人間は没場所性の中で生きている、都会を歩いていてもそこに何か記憶しない
記憶に残るのがどういう場所なのか?
例えば原町に行く道は自分にとっては日々の生活道路である
そこに一本の松がある、それは変わらずある、そこに秋になり蝉の声がひびく

一本の松の変わらず秋の蝉

そんな句ができる、その松はここに変わらずあったからである
ただそれも回りは相当に変化した、新しい家が建ったりソーラーパネルになり変わった
労務者の仮設も建っていた、この辺はそうして自然すら変わった
右田の松原は永続的な自然だと思っていたが津波で根こそぎ消失したのには驚いた
だから本当に変わる、無常をこの辺では経験したのである。
変わらないものかあるというとき安心するとなったのである

道も人を記憶している
その時その場所は切り離せない

記憶するというとき場所が記憶するのである、場所がないと記憶されないのである
都会では没場所性だから記憶されない、なんか茫漠たる雑然性の中に人工空間のなかに人は埋没して群衆として記憶からも消えてゆく
群衆とか大衆という概念は明治以降生まれたものである
江戸時代には群衆でも大衆でも存在しない、民衆というのはまた違ったものである
大衆化が現代の特徴だというとき大衆はマスコミなどによって新たに作り出されたものである、大衆というとき何百万とかが単位になる
テレビではその何百万を対象として放送する、番組編成する
テレビによってマスメデアによって作り出されたのが大衆だともなる
テレビがなければ大衆はまた存在しないからである。

NHKの大河ドラマでもそうである、NHKがかって歴史像をドラマで作る
そこで歴史の歪曲が起きる、でも見る人が多いからそれで歴史が誤認されるのである
つまり歴史番組でも何の番組でも多様な作り方があるからだ
報道でもそうである、今ではインタ−ネットで自由に報道番組も作れる
すると多様な見方が生まれる、これまではテレビを通じてマスコミが大衆を導く
テレビが判断したものを大衆が受け入れるようになっていたのである。
その中でもNHKが一番影響力が大きいからNHKが言っているかじゃないかということで大衆の権威となっていたのである
それに反逆する者が今度はyoutubeで放送するようになった
それで相対化される、今ではマスコミのマスメデアの報道が絶対化されていたのである

汽車が通るようになり電車でもそして車時代になってもそういう機械は道具はまた人間性を奪うものとして働く、つまりそういう機械によって空間でも時間でも切り取られという感覚になる、電車でも歩く時代からすると空間をきりとることである
歩く経験とは相当に違うのである、車でもそうである、車は空間を切り裂くように走るからである、そこでの空間の体験は記憶に残らないのである。
また空間の体験は電車でも車でもあまりにも早く距離を短縮することは距離感覚がなくなる、すると空間の体験も浅薄になり記憶されないものとなる
だから現代は便利な機械によって人間的な深い体験ができないということにもなる
だから旅でもその場所の体験ができない、ただ空間をきりとり一過性に過ぎてゆくだけだとなる 

だから短い距離でも歩いた方が空間を体験して記憶に残るとなる
何か今や歩くことが新鮮な体験であり人間発見であり自然発見にも通じているのである
それだけ人間の原体験となる歩くことすらしなくなったからだとなる
自分も歩く旅はしていない、自転車の旅が主だからである
ただ自転車で名古屋から伊勢から奈良に行き飛鳥に行ったとき伊勢と奈良が空間的に通じたという感覚になった、それは相当な距離だったが自転車で行った結果結びついたという感覚になった、これは電車で行ったらそうはならないのである

昔の道は一つの場所であり、他の場所をつなぐ一片の土地だった

昔の道は基本的に場所の延長だから、それはその道を通るすべての場所の性質を拾い集めて道そのものや終着地の地理だけではなく道の傍らの地理にも結びついている
現代の道は乗り物の延長でありそれは場所を結びつけることをしない
周囲の景観とも結びつかない

現代の道はどこからでも始まるけどどこへもつながらない・・・
(場所の現象学)

現代の道はただ物資の輸送の距離の短縮なのである
だから高速道路とかなるとただ車が流れ作業のように流れてゆくだけで景観とは切り離されるのである。一種の長いベルトコンベアーなのである
その場所の風景と切り離されてただ距離を縮めるものとしてある
それは物資を車で運ぶベルトコンベアーなのである
それはやがて自動運転で現実に本当に人が乗らない車が物資でも運ぶベルトコンベアーになる、それは近い将来にそうなる
ただそこでは物資を運ぶのであり人間的体験は省かれるのである

2018年09月03日

民族でも国でも衰退する時他国の他民族の侵攻を受ける (世界史の法則を知るべき)


民族でも国でも衰退する時他国の他民族の侵攻を受ける

(世界史の法則を知るべき)

もしもある民族がすでに活発さをを失っているならば、その民族は遅かれ早かれ必ず他のいっそう生活力の強い民族の襲来を受けその結果歴史が示すように大規模な異種交配がまったく自然に行われるいたる
(天才の心理学−E.クレチュマー)

民族の力が衰退する時、こういうことが起きる、それは歴史を見ればわかる
ローマ帝国が衰退した時にゲルマン人の移動がありそれによって新たな文明文化が生まれ天才も生まれる、
国の力でも何か衰退している時、世界史的に考えるとそれは民族の新陳代謝の時だともなる、それは世界的に見たとき一つの国にだけ神は特別なものとして見ていない
世界史という観点から民族の移動とか交代で新陳代謝を計り新たな文明を築くことを望むとなる

個人的ににも経験したのともにている、自分の家が病気とか介護とかでがたがたになったとき弱体化したとき攻めるには一番いいのである
相手が病気になったり何か困っていればそこにつけ入れ安いのである
それが自分の家で起きた、弱体化したことで攻めてくる
家は泥棒に占拠されたり事業に失敗した人は借金をせまる、脅迫にもなる
異常人格化した親戚はこういう場ではとがめられもしないのである
弱者に対するとき一番人間の本性が出やすいのである
それで若い人が父親が認知症になったことで頼った親戚が神のようになったと言って
そのことをインタ−ネットで書いていたことがあった

頼る者がいないから何かに頼らずにいられない、若いから余計にそうだった
家自体が乗っ取られたようになったのである。
そんなときつけこむのがカルト教団でもある、弱みにつけこむとき会員にしやすいからである。その人たちは会員増やして勢力を拡大して幹部が議員になったり地位を得ようとしている、同情など全くないのである
でも藁でもつかむように人は苦しい時頼る者がないとき頼るのである
自分もそういう状態になってひどい目にあったからである

この世界は弱肉強食の世界である、それはなぜなのか?
動物でも弱肉強食である、弱い物は駆逐される、食べられる、子孫を残すにしても強い種を残すために熾烈な争いを雄はするのである
それはより強い種を残すためにそうさせているのである
それは人間でも同じなのである。
民族単位でもなぜそうした異種が交わる時より強固な民族が形成される
日本は島国だが日本語がオーストロネシアと狩猟民で遊牧民のツングースと交わり日本語が形成された経過がある
他にも中国の江南んとかの交わりもあったとなる

そういうことは明治にも起きたのである、西欧列強の侵入によって日本が危機にたたされたとき日本民族は試されたのである。
その時日本民族が西欧列強の植民地にならなかったのはそれだけの民族の国家の力があったからだとなる、でなければ東南アジアと中国のように植民地化されていたのである。
それは信長の戦国時代でも起きた、スペインとかポルトガルとか植民地にされることもあったが侍の時代であり武力があるから怖くてできなかったのである

中国とか朝鮮を見ればわかる、その時中国は衰退して欧米にでもなすがままになっていたイギリスにアヘンを売りつけられて植民地化されていたのである。
朝鮮などは国の体を成していなかったという、だから歴史があってもそういう状態になっていたのだから他国が支配されてもどうにもならない状態だったのである
つまり中国でも朝鮮でも日本の戦争のことを非難するが世界史的に見れば神の摂理が働く弱体化した国は民族は他の強力な民族によって侵入される
それは世界全体からみたとき民族の力を弱ることを防ぐためだともなる
そういうふうに弱体化したとき必然的に強壮な民族が侵入してその民族の力をかえって強化するからである、そしてそこに天才が生まれるというのもわかる
天才というときとても一個人のことではない、バックグランドがあって生まれるからである、そうして民族が文化が交わるところに天才が生まれる
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いかというと異人種が文化が交わる地域となっていたからである、それぞれの国が個性がありそれが交わりその交わった地域に天才が生まれたというのもわかる

なぜ今こういうことを言うかとなると今の日本は民族が明治から興隆したが衰退の時期に入っているということが見られるからである
経済的なことだけではない、何か民族の力が弱体化している
民族の力とは経済力だけではない、アメリカとベトナムが戦争してなぜ強大なアメリカに負けなかったのか?経済力だけではない、また軍事力だけでもない、何か民族精神としての力があったからだとなる
ただ民族精神を高揚するのはそれが前のように戦争に結びつくから危険でもある
日露戦争はみんな今も賛美している
でも内村鑑三が日露戦争に反対していたのである。宗教の立場から反対していた
そのことでまた批判された、天皇に対しての不敬事件があった
日露戦争がこれほど賛美されることはまた危険なのである
日本は強いのだという奢りが怖いのである。奢りから滅びにいたることはいくらでもあるからだ、個人的にもあるし国レベルでもそうなのである
太平洋戦争の敗北は日本の奢りがあったからである
原発事故も日本の技術は優秀だから事故はないと安全神話が作られたのである。それは奢りだった
日本は半導体とか他の技術は優れていても原発はアメリカの方が優れていたのである。
日本は未熟な技術で原発を作ったから事故になったのである。
ただ国が民族が弱体化すれば必然的に他国や他の民族の侵攻をうけるのは世界史の法則なのである、要するに日本が侵攻しないなら欧米が侵攻したとなるからだ

そしてこのことを歴史をふりかえるのは今日本が衰退している?
そうならば日本は他国の侵攻を受けやすいということである
それは日本の危機だともなる、その衰退している弱体化しているというとき経済力だけではない、日本の極端な少子高齢化とかも影響する
つまり日本が衰退しているというとき他の国でも民族でも侵攻を受ける
それは戦争でなくてもヨ−ロッパの移民でもそうだが新たな民族が侵攻してくる
それはその国が民族の力が衰えているからだとなる
世界史的にみれはそうして国でも民族でも新陳代謝が行われるのである。
今日本は衰退しているというとき弱体化しているというとき侵攻を受けやすいということである
だから日本を建て直す時でありそれは大きな変革が必要だとなる
それができないとなると日本は他国にまた民族の侵攻を受ける
でもそれが世界史の法則であり日本だけを神は見ていない、世界史として見るからやむをえないとなるのである。







2018年09月02日

ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語 (それは日本語を解析すればわかる)


ツングース系の言葉がオーストロネシアとの合成したのが日本語

(それは日本語を解析すればわかる)

 この形 態 はkalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る。 そ の 関係 は農 耕 文 化 と の 関連 で あ るが 、 狩 猟 や 遊 牧 を主 とす るア ル タ イ 系 民 族 の
諸 言 語 に も比 較 可能 な語 が存 在 して い る こ とは この 語 自体 が 借 用 で あ る可 能性 もあ る。


 日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース
系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

高句麗 の地名 か ら高句麗語 と朝鮮語 ・日本語 との史的 関係 を さぐる

セレンガ川やバイカル湖畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人(ロシア人)学者が唱えた。モンゴル系民族、テュルク系民族を合わせたアルタイ系民族の祖地もこの辺りと考えられる。
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日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)の続きだけど日本語の起源をたどる方法はまず日本語である
日本語を今も日本人は使っている、だから言語の起源を探るには日本語を解析することである

それでエとつくのが蝦夷(えみし、えぞ)とかなるがこのエは獲物(えもの)とかなる
そして狩りという言葉は刈りにもなる、狩猟民の言葉なのだが農耕民の刈るという言葉にもなる

kalai「 犂 」、kal「 刀 」 と も直接 関係 してお り、 日本語 、ア ル タイ 諸 語 との 関係 も深 い と考 え られ る

狩りと刈るは一体化したことはもともといた縄文人やツングース系の人々が入る前にいた人たちはいたとして刈る(かる)はその人たちの言葉ではない
でも高句麗とかを通じてツングース系の言葉が入ってきて狩りは刈るとなったのである。狩浜というのもそうである、ただkalは犂とか刀との意味である時農耕とも関係していたのである

ただ日本語では刈るとは草を刈るとか稲を刈るという意味であり犂とか刀とはなりえないただツングース系の人が入ってきて狩りが刈るとなって日本語となった
ツングース系の言葉はアイヌ語にもその痕跡を残している、アイヌ語もツングース系の言葉の一部なのかとなる
縄文語が何かというときオーストロネシア語とツングース系の言葉の合成語だとなる
それは縄文人の採集とか狩猟とかの生活形態から蝦夷とはエミシとかエゾとはツングース系である、アイヌもそうだからである
確かなことは縄文人はオーストロネシアの言葉をしゃべっていた
次に農耕民や弥生人が入ってきたのではなくツングース系が入ってきた、なぜならツングース系とかは古いからである、農耕は新しい技術であったからだ
狩猟とか採集は縄文人の生活でありツングース系の人たちと似ていたからである

日本語 のツングース的要 素はオー ス トロネ シア系言語 が全盛 していた 目本列島に主 に後来 のツングース系言語 に交代す るこ とで混成化 し、その ときに先来のオース トロネ シア系言語 の形 態 ・統語 の部分の ほ とん どがツングー ス化す る と同時に本 来の基礎語彙の一部 もツン グー ス化 して 日本祖語 ができた とす る。その よ うに考 えたとき始 めて、 日本語の中にツングース系語彙 が多 く存在す る原 因が理解で きる

この指摘が当たっていた、それは私は別に言語学に詳しい訳ではない
ただ日本語の謎に興味があり日本語なら今も日常的に使っているからか解析しやすい
普通は別に日本語そのものもを解析しては使わない、でも自分たちの使っている言語を起源をしることはやはり民族のなりたちを知ることで大事である

海(うみ)という言葉はもともとオーストロネシアではうむでありツングース語ではミ(水)である、それが合成すると海(うみ)になる
海はまさに命を産む場だから意味としてもわかる、二つの言葉が合成したものなのであるただ海をワタともいう、これもツングース系でアルタイ語で共通性がある
古代ではワタというとき大海や大洋のことであり海(うみ)はむしろ湖(みずうみ)となり湖水を言っていたのである。それが混同されたのである。
中国の大陸には大きな湖がある、それはまさに海のようになっていたこともあるのかもしれない。

ワタというとき綿の漢字にこだわると見えてこない、綿は海とは関係ない
渡る(わたる)のワタなのである、ワタルが基でありそれが名詞化したのだ
こういうことは日本語に多いのである。動詞が名詞化する、これも日本語の他にない特徴である、英語だと名詞が動詞化することが多い、mountain→mountained stone →stonedとかなる、日本語は動詞が名詞化する

春は張りであり張るになる、張るという動詞が春という名詞になった、夏はなづむでありなづむが夏(なつ)になったのかもしれない
秋はあきなうであり商うが秋になった、冬は(ふゆ)であり増えることから名詞化したのである冬が増えるということは不思議に思うが畑では冬は農作物をかえって栽培しやすいというときそれと関係している、冬の方が農作物をふやしやすいから農民の生活感覚から生まれた言葉だとなる、秋も商うとすればそうである
まず言葉でも詩的な言語でも最初はそうして実生活から生まれたからそうなる
こうした農耕関係の言葉はオーストロネシア語が基本になっているのかもしれない
ただ南方だとすると根菜類は栽培するにしても冬がないからどうなのかともなる
ただ日本語の起源を探求する時に動詞が名詞化していることに注意して分類するとわかりやすいかもしれない、つまり日本語の起源はわからないにしても現実に今も使っていることでこじつ,けがあっても研究しやすいのである
何か研究する対象が残らないともうお手上げだとなるからだ

不思議なのは狩りとあるとしたら借りると共通である、狩りから借りるという言葉が生まれたのか?何の関係もないのか?
狩りをするとは動物を殺すことであるからそれが神から借りたものとして意識したのか?アイヌの熊祭りでは人間界に熊が遊びにきて肉を与えてくれる、それでまた神に返すということで祭りになる、聖書の思想でも何でもこの世の一切のものは神のものとしている
だから土地でもなんでも神から賜ったものであり返さねばならない
何一つ人間の所有するものはない権利はないとしているのである
ただ神から借りて使用さこせてもらっているという思想が人間社会にはあった
食べるというとき賜る(たまわる)であり食べるは賜ぶ(食(た)ぶ)であり食う(くう)は咥える(くわえる)だからまるで違った言葉なのである
たまわるとかなるとそれは神を自然を意識しているからである
狩りでも借りるでも食べるでもそこには人間の根源的な営みがありそれで神とか自然とかを意識していたともなる、ただがつがつ食べるとしたらそれは動物だとなるからだ





2018年08月25日

日本語の起源がわからないのはなぜか? (日本語の基礎は縄文時代から早い時期に形成されたため)


日本語の起源がわからないのはなぜか?

(日本語の基礎は縄文時代から早い時期に形成されたため)

言葉は高度な文化であり文化の基礎にある、言葉がない社会は人間社会ではないともなる言葉をもったとき人間になったともなるからだ
ただ言葉はどうして生まれたのかとなるとほとんど解明不可能である

これもこじつけかもしれないが鏡(かがみ)とはかがむという動詞が変化した
かがんで見るからカガミトなった、まず三種の神器に鏡があるときその前に鏡はない
では何かを見るとき写すときどうしていたのか?
それは水に水たまりでもいい,池でもいい、水に写していた、姿見の池とかあるのはそのためである。水は鏡代わりになっていた
その水に姿を映すときかがむ姿勢になる、そこからかがんで見るから鏡(かがむ+見る)鏡になった
どうしてそういう言葉ができたのか本当に不思議であり謎が多い、これも実際はこじつけだともなる

話すという言葉でも離れるとか放つとかなり言葉を話すことは離れる放つと同義語としてある、実際に口から放たれた言葉は離れてゆくからである。
一方で語るは形に関係していて型にはまるとかなる、語ることは型にはまったことを語るともなる、話す語る同じように話すことでも違っている

食うというとき食べるというのもある、この意味は同じではない、賜る(たまわる、
た・ぶ 【賜ぶ・給ぶ】であり食べるは日本語でも意味は同じでも違っている
食うは東日本の言葉でありたぶは西日本の言葉であり貴族の言葉から発しているのかもしれない、食うは何か下賤な言葉に感じるとき西日本の人たちは東日本の原住民の蝦夷を駆逐したからだろう、ても食うでも咥(くわ)えるから発しているとなれば動物が獲物をくわえている姿を見てこの言葉が生まれた、食うとはだから動物を食うことかもしれない
植物だと咥(くわ)えるとはならないからだ、とるとかになる、食べるがたまわるでありそれは農耕民的言葉なのかともなる、ただ食べるは西日本に分布して食うは東日本だとするとそこに文化の相違が生活形態の相違があって言葉の相違が生まれたともなる

面白い見解として日本語では物を数える場合、木なら一本二本であり花なら一本二本であり船なら一艘二艘であり家なら一軒二軒でありあとは一頭二頭とか一匹二匹とか数え方が違ってくる、英語だと関係なくone two threeなのである
英語でこだわっているのは単数と複数なのである。
これも一見たいしたことでもないようにしてもその背景に文化の相違がある
英語の方が抽象化の度合いが高いのである、数学的思考がありそれは高度な抽象化なのである。

言葉でも最初はあらゆるものに個別的に名前をつけてよぶだろう。木でも動物でも花でもそれを一個として抽象化することは高度な抽象化である
その物のもっている属性をただ数としてとらえるからである。
そうして数としてこの世にあるものを数値化される、それは高度な抽象化でありそれによって社会の現象でも数値化されるからである
ただそうして数化されるとその物のもっている属性は失われる、ただ一個のものとして認識されるからだ、人間も名前で呼ばれないで病院で怒った人がいたがそれと同じである
その人間の属性はなくただ一個のものとされるのである

だから言葉の背景には文化があり言葉が高等になればその文化度は高いのである
日本語は混成語だけど漢字も取り入れて相当に高度な言語である
ということは高度な文化が日本語の基礎語から漢字を取り入れて完成していたからだとなる
言葉がただ言葉から高度化するのではない、石器の発展とか農耕が入ってくればそのために新たな言葉が必要になる、言葉は文化や文明の形成とともに新たに作られる
それは西欧文明が明治に入ってきたとき日本人は訳すのに苦労したと同じである
その言葉のバックには西欧の文明と文化がありそれを日本語とか漢字で訳すのに苦労したそういう概念もないから苦労したのである。
rightは正しいという意味でも権利とした前は権理だった、でもこれでは権という漢字からイメージするから違ったものとして現されて誤解しやすいものとなったのである


 およそ1万年から2万年前、古極東アジア語が使われた地域は、日本海を内海として ほとんど地つづきの状態であった。”日本湖”も冬季は氷結して渡りやすい所が多かった
 と考えられる。したがって、この古極東アジア語はある程度の統一性をもっていた可能性 が大きい。


ここのサイトでは日本語の起源の謎を詳しく説明している
日本語は本当に謎である、印欧語のように系統化されないから一体どこから来たものなのか起源をもつものなのかいくら必死になって学者がつきとめようとしてもわからないのである
それはこのように日本語は縄文時代一万年とかあるとしたら古い時代に基礎となる言葉が作られて長いからである。
そしてある程度大陸と陸続きとか日本海が湖になっていたとかあり移住しやすい時移動して住んだ人たちがいてそのあとに海になり閉鎖された環境になったことでその言葉がどこから来たものかわからなくなった、混成後にもなりわからなくなったのである。
それだけ日本語は古い言語だからその元をたどることができなくなったのである。
ということは縄文時代が一万年あるとして日本の文化はそれだけ古いともなる

英語はゲルマン人のゲルマン語が基でありそれがデンマークとかスエ―デンとかイギリスに民族移動とともに波及したことは明確である。
日本もそういう民族移動があってもその元となるものが不明なのは早い時期に日本語が確立して海によって閉鎖されたからだとなる          
だから孤立語のようになりその起源を探ることができなくなったのである
つまり日本では鎖国があったように海に囲まれることで閉鎖されたことによりかえって独自の文化が歴史を形成したということがある
大陸と陸続きだったからこうはならないからである。
つまり陸伝いだと外国の文化でも人でもモンゴルのように一挙に押し寄せる
征服もされる、日本は海に囲まれているからそれができなっかた
ただ海を伝っていろんな民族が日本にまじり混成後となり日本文化を文明を形成したとなる
だから日本人は日本語にアイディンティティがありそれを大事にしなと日本文明は喪失して日本文化も消失する
グロ−バル化社会だから英語にするというのは日本文化の文明の消失でありその時日本は共通の根をもたないアイディンティティでを失った根無し草になる
それで万葉集は日本の宝となる、それは純日本語で歌われたものだからである。
漢語はなく日本人の言葉で歌われたものだからである。
そこに万葉集の大きな意味がある

日本人の起源

ここは相当に詳しい、日本人の起源論を最新の研究で展開している
引用したのもここからである


2018年08月01日

生活形態や地理が異文化交流の障壁となる (蝦夷は狩猟民族だったから対立した)


生活形態や地理が異文化交流の障壁となる

(蝦夷は狩猟民族だったから対立した)

異文化交流というとき何が大きな障害となっているのか?
言葉が一番障害になっていることがわかる、でも言葉の前に何が異文化交流となるとき障害になるのか?
外国人になると何が障害になるのか?それは地理とか天候がわからないということであるそれは別に日本でもそうである、山に囲まれた盆地に住んでいる人も日本では多い
そこでは太陽が山から昇り山に沈むのである 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 (枕草子

春の夜は 東山よりくると云ふ 寺寺靄(もや)し月のぼるとき
【作者】與謝野晶子

枕草子では東山から昇る太陽を見る、それが山だからこそ見える風景である
この辺では海から太陽が昇るからこの感覚がわからないのである

与謝野晶子の歌は山から月が昇る風景である、こういう光景は海側に面している人たちは見ることができないのである。

ここで文化というときその土地から培われて育まれ養われる、だからその土地の地理を知らなければその土地の人でも理解できないとなるのだ
日本だとなんとかイメージできるが外国となると山が全然ない平坦の土地がつづき大きな河が流れてそこは運河のようになり船が行き来している
その風景も日本ではなじみがない、そこに異文化交流のむずかしさがある

ここに住んでいるネパ―ルの人は4000メートルの所に生まれ育った
これもどういう暮らしをしていたのかイメージできなくなる
それはあまりにも異質だとなるからだ、言葉の前にそんなところに人間が住めるのかという疑問になるからだ
まず今なら都会に住んでいる人は同じような生活をしている、だから特別なものではない都会の人同士だったらかえって外国人でも同じであり理解しやすい、とまどうこともないでもネパ―ルとかモンゴルの平原で生活している遊牧民とかなると理解しがたくなるのである。その生活がイメージできないからである
東南アジアとか中国でも稲作しているとかえって生活が共通しているから理解しやすいのである、田んぼがあって米を食べているとなるからだ
でも二毛作とかであり隣で稲刈りして隣で田植えしている風景には日本になかった

だから言葉とか外国人という前に意思疎通できない、理解しあえないのとむしろその生活形態が違うときなのである。
それで遊牧民と中国の農耕民は理解しがたいものとなり万里長城ができたのである
遊牧民は食べるものがなくなるとき農耕民の中国に押し入り奪ったからである
なぜそうするのか?それは遊牧民にとっては生きる死ぬかになるから食料を確保するために侵入する、それを止めるために万里長城ができたのである

例えば日本でもなぜ蝦夷との戦争となったのか?蝦夷とは何者なのか?
それはアイヌのように狩猟漁労採集民族であり稲作民族でないから対立した
人種的対立でもなかった、人種よりそうした生活形態の相違が意思疎通できないものにする

斉明天皇5年の遣唐使に、道奥の蝦夷男女2人を連れて行かせ、唐の皇帝に会わせることになり、皇帝高宗との謁見は洛陽でなされました。皇帝は蝦夷を見ながら、遣唐使に尋ねました。以下は、遣唐使に随行した外交官的官人である伊吉博徳(いきのはかとこ)の文書によるもので、かなり信頼性が高いと思われます。

 「これらの蝦夷の国は、どのあたりにあるのか」と皇帝は尋ね、遣唐使は「国の東北のあたりです」と答えました。

 皇帝「蝦夷はどれぐらいの種族からなっているのか」

 遣唐使「3つの種族からなります。ここには熟蝦夷(にぎえみし)がまいりました。毎年、朝廷に貢物をもってまいります」

 皇帝「その国に五穀が実るのか」

 遣唐使「ございません。獣の肉を食べて生活しております」

 皇帝「これらの者が住む家があるのか」

 遣唐使「ございません。山深いところで、樹木の下で住まいしております」
 

 皇帝「その国に五穀が実るのか」

 遣唐使「ございません。獣の肉を食べて生活しております

中国人は羊を追う遊牧民に悩まされていた、そこでこの問答が生まれた
五穀が実るのかということは稲作民族なのかどうかということである
それはなく獣の肉を食べて生活していますということで納得したのである
生活形態を知ることの方が異民族を理解する手段なのである
今でもマタギ言葉にアイヌ語が残っているというとき蝦夷とはアイヌと同じ生活形態をしていた人たちだったとなる、稲作民族の相違がそれだけ大きかったから対立したのである言葉が違うから対立したのではない、生活形態が違うから対立したのである

熟蝦夷(にぎえみし)とは

邪馬台国のころには、アイヌ系のエミシ(クマ祭りをする)、縄文系エミシ(狩猟採集の倭人)、弥生系エミシ(農耕の倭人)、海沿いの海人系エミシ、そして少し後には戦乱をさけ日本海を越えてきた大陸系エミシなどの人々が住んでいたと考えられます

蝦夷には朝鮮系統の伽耶族とかも混じっていたしいろいろな人種がいたがその人種で分けるのではなくその生活形態で分けていたのである。
だからアイヌ語が一部残っていたとしても蝦夷語があったとしても一つではなかった
だから蝦夷語は解明できないのである
熟蝦夷(にぎえみし)とは農耕化した稲作を覚えた人たちで大和王権にまつろう人たちとなったがまつろわぬ人たちは依然として稲作になじまずに狩猟をつづけていた人たちでありそれがマタギとして今にも残りそこにアイヌ語が残っていたともなる

いづれにしろ異文化コミ二ケーションとなると言葉の障壁もあるがまずこうして地理とか生活形態が違うと理解するのが極めて困難になるのだ
それで対立して争いになり戦争になるのである。
例えば今でも漁師と農民は違っている、漁師は農民のことがわからないという
米を作ることに理解がないのである。
古代から海彦と山彦神話があるのはそのためなのである。その対立の方が大きいのであり言葉で対立するというわけでもないのである。
つまりこうした地理とが生活形態が違うと理解ができなくなる
天候でもそうである、日本の文化を俳句でも日本の四季を経験しない限りいくら言葉で説明してもできない、なぜならその感覚は風土によって養われたものだからである。
それが大きな障壁となって異文化コミ二ケーションはむずかしいのである

例えば封建制があるのはヨ−ロッパと日本だけである、それでヨ−ロッパにも城がやたらと多い、日本でもそうである、そこに歴史的共通性があるから理解しあえるともなる
でもそういう歴史がなっかたら外国は理解するのがむずかしくなるのだ
それでマヤ文明などはジャングルに謎として埋もれてしまっていた
そこに歴史として共通なものを探るのがむずかしいから孤立した文明となり理解しがたいものなとる、日本はヨ−ロッパと離れていても共通した歴史があったということでそこから理解するとなる
いづれにしろ異文化でも外国を理解することはむずかしい、中国は広すぎて地理からして理解しにくい、モンゴルのような大平原に住んでいる人もネパ―ルのような4000メートルの所に住んでいる人も理解しにくいのである

そこでの地理的感覚とか気候でもイメージできなくなるからだ
モンゴルに住んでいた人は冬は寒く一回りやせるというときそれだけ過酷だとなる
まず暖房自体が粗末なものであり冬は厳しいとなる
ただその生活も日本の文明的生活からイメージできなくなるのだ
だから都会で便利な生活している人は理解しやすい、今は都会だと同じような暮らしをしているからである、電気を使わない人もいないし車にも乗っているからである
でも全く未開の地から都会に来たからその変化にとまどい理解できなとなるのである。
今はグロ−バル化しているからそういうことはない、ドルがどんな奥地でも価値あるものとして認識している、それだけでもグロ−バル化しているから金の重要さを知っている
金で買えるということそして別な世界の暮らしをしるからヨ−ロッパのようにアメリカでも移民問題が生まれる、気軽に越境できるからである

観光は楽しむものだ。旅行者が楽しみ、また受け入れる側も楽しむことが基本だ。なぜなら観光は、産業である前に交流だからである。
交流は楽しくなければならない。楽しんだ結果、経済もまた潤うことになるかもしれないが、基本はあくまで楽しむことにある。

  
観光とはいろいろあるがもともとは異文化と異人種との交流という側面があった
異質なものにふれて見聞を広め視野を広げることである
観光で利益優先にするのではなく異文化交流を楽しむということにある
ただそうなると小学校の先生のように野馬追いを見に来たフランス人のようにやはり知的興味のある文化人とかだとそうなるが一般人はそういうことはない
でも今は日本に興味をもって外国人がおしよせてくるのである 
それでも東京に来てもそれほどめずらしいものがあるとかなると都会に住んでいればたいして変わりないのである。

今までは海外旅行となると学者だとか特別な人しかしていなのである。
今は大衆化したからそんなことに関係なく外国に人は行くのである
観光で交流としても何を交流するのが問題になる
何か目的をもって交流するとなる観光ではないだろう
技術を学ぶとかなるだろう、農作技術もあるからだ、お伊勢参りでは種を仕入れていたことでもわかる、なかなか遠くに行けないからそこで種を仕入れていたのである。
そういう交流は観光とも違うのである、ただ文化交流となれば付随いしていろいろなものがある 観光というときそうしした実利を得るものではなくその国の光を見るとなっている、交流を楽しむというとき何を交流するのかが問題になるのである。




2018年07月31日

外国の理解は言葉だけではできない (言葉の前に地理とか天候を知るにはその地を踏まないとわからない)

  
外国の理解は言葉だけではできない

(言葉の前に地理とか天候を知るにはその地を踏まないとわからない)


 駅であったフランス人は小学校の先生である、まだ若い
いろいろ文化的なことでも知りたくて日本に来ている
それは先生だからである
日本についての好奇心と探求心がある、だから二回目であり日本語でもしゃべれる
かたことにしてもしゃべれる、まず外国では言葉はまるで自分はわからなかった
ただ英語は習っている、単語でも聞き覚えがあり通じたのである。

だから事前に習わないと言葉は簡単なものでも覚えられない
中国語は発音がわからなくて皆目わからなかったが漢字がわかったので助かった
フランス人は漢字はむずかしいときうそうだろう、見慣れていないからである
漢字は何か謎の絵に見えるだろう、韓国のハングルもそうだった
アルプスベットは見慣れているからわかりやすいのである

フランス語でもは英語と実際は発音でも相当違っている,だからその発音で音の理解ができないので通じないのである。
むしろ文字だったらかえってイメージできるともなる
日本人は外国語でも音ではなく文字から理解している
ところが会話となると音が大事になる、音を聞き取ることが大事になるのだ

言葉とは最初は文字ではない、音なのである、文字は音より高等なものであり文明化して生まれたのである。だからマヤ文明とかインカ文明とかには文字がないのである。
でも高度な文明があった、しかし文字がなかった、日本でも漢字が入るまで文字がなかったが言葉はあった、大和言葉はあった
言葉のない民族はないのである。
アイヌ語は音として残っている、蝦夷の言葉も音として残っている
それで北海道ではアイヌ語を文字化するのに漢字を当てたからおかしなものになった

それは日本語の地名を漢字化したときと同じだった、日本の地名はもともと音で表現されていたのである。それは漢字化した結果そこに誤解が生まれるようになった
漢字を見て意味を感じるからである、でも漢字の意味ともともと音だった意味とは違うのである。
ただ日本語の大和語は音として今日継続している、だから日本人の精神と文化は日本語として継続しているのである。
言葉というとき音の音韻の多様性に注目していない、日本語だと母音が主であり子音は少ない、英語は子音が豊富である、だから日本人は英語の発音が下手なのである
そういう音を聞きなれていないからである、言葉は慣れであありいつも聞いているとその言葉を音から理解する、赤ちゃんは字から理解しているのではない、母親の音から理解している、だからこそ母国語というのである,それはどこの国でも同じなのである。

言葉のグローバル化というとき本当は音からはグローバル化は相当にむずかしい
世界の音としての言葉は理解しにくいのである
でもアルプスベットでも文字ならかえって理解しやすいのである。
ただ漢字になるとヨ−ロッパ人とか他でも理解しにくい,それはエジプトの神聖文字のように謎めいて見えるのである
ここの障害は相当に大きいのである、漢字の表記だと理解しにくいのである
ただ東南アジアでもインドでも文字もなにか謎めいて理解しにくかった
だから文字が必ずしも理解しやすいともならないのだ
日本は英語を文字から読むこととして理解した、会話することもないから音を通じてではなく文字を読み翻訳することで英語を学んだのである

いづれにしろ外国の文化に通じるには言葉が障壁になる、フランスに行っても城があってもその由来などわかりにくい、歴史はわかりにくかった
それは言葉が通じないからである。説明を聞いてもわからないからだ
ただ英語で表記されていればわかるともなる
ともかくグロ−バル化してこれだけ外国人が観光でも来るととうしてコミ二ケーションするのかとなる、それは言葉なら英語しかないのである。
英語なら本当は中学英語を完全にマスターししていれば最低限は通じるのである
観光旅行ならまにあうのである

ともかくこれだけグロ−バル化することは言葉でみんな苦労する
それで共通語になるものが必要になる、それは英語しかないのである
ただ英語だけを共通語とすると他の国や日本でも損なのである。
なぜなら英語を身につけるには日本人はヨ−ロッパ人より何倍の努力が必要になるからだ英語と日本語の共通性がない、英語はヨ−ロッパでは共通性があるからだ
だから英語を理解するししゃべることも比較的に楽にできるのである。
日本は英語で大きなハンデキャッフを負っているのである

ただ日本というのは確かに観光面とかで会話できない、しかし別に英語であれドイツ語であれ翻訳して自家薬籠中の物にしている
それでヨ−ロッパの文明であれ文化であれ取り入れている、だから別に技術にしてもあらゆる用語でも日本語に訳せるのである、日本語で理解できるのである。
観光とかでは確かに不自由があっても高度な文化文明の移入しているのである
アイヌ語とかのようなものだったらまず技術的なものは翻訳できない、日本は漢字を取り入れることでヨ−ロッパの文明文化を理解した
そして漢字を通じて今度は中国に西欧の文化文明を翻訳して中国に与えたのである
だから日本人が発明した漢字を中国はとりいれているのである。
だから漢字は広範囲に多様に表現できる言葉である
ただ漢字の一字一字に意味があるとしてそれは中国の文化なのである
でも日本人は中国人の解釈ではない日本独自の漢字の理解と応用をしたのである
それがヨ−ロッパ文明を取り入れるとき漢字を新しい意味あるものとして造語したのである。

だから観光で言葉がわからないというときと文明と文化とか大きなもので言葉がわからないことの意味は違っている
もしヨ−ロッパの文化でも文明でも入ってきてそれを理解できないとなれば大問題になるそれにあてはまる言葉がないともなればもう外国の文化でも文明でも技術でも理解できなくなる、技術用語も医療でも他でもあるからだ
とてもアイヌ語のようだったら理解不可能になるからだ
だから日本人は英語ができなくても外国語ができなくてもいいというとき別に高度な分野では理解して文明でも文化でも技術でも取り入れることに成功しているからである。

観光でちょとした言葉がわからないのとこうして大きな分野での言葉の問題とは分けて考えるべきなのだろ、観光で言葉がわからない通じない問題と違ったものとして言葉を考えるべきだからである
別に翻訳してもわかるとしたら翻訳を読めばいいしグーグルでも翻訳して理解すればいいとなるからだ
ただ外国人が直接日本に来るということはまたそうしたて文明文化のレベルとは違った問題として考えるべきだとなる
実際はそのことで日本人は大きく困ることはない、でももしヨ−ロッパの文化文明を翻訳できなかったらあらそる分野で日本はヨ−ロッパに学ぶこともできなかったのである
だから人と人が直接交流するのはせ違ったものとして言葉を考えるべきだとなる

そもそも言葉の前に理解するものがある、日本でも日本の風景でも気候でも知らなければ言葉も理解できない、日本の文学で俳句とか短歌を理解するとしたらまず日本の四季を知らなければ理解できないのである。
それはまず言葉ではない実感の世界なのである。日本に少なくとも一年間住んでみないと日本の四季がかわらない、すると俳句も短歌も理解できないのである。
その小学校の先生は曲水の宴のことを聞いていた
何を言っているかわからなかったがそこで短歌を即興で書くことを言っていた
それがすぐわかったのは説明の写真をもっていて自分に見せたからである
写真だと言葉でわからないものが即座にわかることがある
言葉からイメージするのはかなりの高度なの作業なのである

自分が今回そのフランス人にあって英語で説明ができなかったのは短い時間だったからである,駅で待っている時間しかなかったからである
そこで理解しあうことはできない、でももし長かったらまた会ったりしたら説明もできたそもそも外国を理解するには言葉だけではない、そこに一週間でもいればまた一か月でもいれば理解が深まるのだ
何かを理解することは常に時間がかかる、また人間と人間が信頼関係を築くのにも時間がかかる、だから家族しか信用できないというとき家族は長い時間子供の時から一緒に暮らしているから信頼する、それは時間で作られたものなのである

要するに外国でもある国を理解するにはそこにいる時間とか学ぶ時間で決まるのである
あらゆる国に詳しくなれないがある国を知るために時間を費やせばそれに比例してその国を理解することになる、でもあらゆる国を理解することは不可能だとなる
まず地理とか天候とかはその国に行って長い間住んでいないとわからないからだ
日本の気候は変化が激しい、台風がきて驚いたり地震もある、そういう経験があって理解が深まる、だから外国の本をいくら読んでも理解できないのである。
ただ似た歴史があると理解しやすい、ヨ−ロッパには城が多いし騎士がいるから侍とにているということで説明したのである

いづれにしろ英語という言葉の前に俳句とか短歌でも理解することはその国の深い理解が必要である、それより例えば俳句でも短歌でも作っていない人と日本でもいるし日本の文化を知らないものがいくら英語ができても説明もできないのである
それは英語力だけではどうにもならないのである。他の科学的なことでもなんでもそうである、まず学問でも日本で深く理解していないものは英語ができても説明しようがないのである。
ただ数学とか科学的なことは世界共通性があり理解しやすいだろう
でも文科系とか文学とかなると本当に理解するのはむずかしい、その国の歴史とも深くかかわっているからだ、そもそも日本人すら理解していないのである。

東北にいたら奈良と大阪と京都とか神戸の違いがほからない、神戸は須磨でありそこは砂浜と漁師の貧しい家があるだけである、塩焼きしていた浜である
でもそこでも現代になるとそうした面影はなくなる、近代化した港にもなればもう須磨として知られた古典でも理解できないのである。
ともかく日本すら理解することがむずかしい、それで英語ができるとしてもそもそもそうした日本の歴史とか文化を理解しないものが伝えようがないのである
外国人が能に興味あるとしてそれを説明できるのか、そもそも日本人自体が能について知る人がどれくらいいるのかともなるからだ

今回駅であった人は日本には二回目であり日本語もわずかだがしゃべれていたし学ぼうとしていた、だからこれから日本通になるのかもしれない、言葉はマンツーマンでないと覚えられないというのはそうだろう
それは母国語が母親との会話のなかで覚えるのとにている
ただそういう機会が日本では特殊な立場の人しか持ちえないのである。
だから英語を学べ時間は無駄だともなる、使う機会がないからである。
ただグ―グル翻訳ではたりないから英語の基本を知っていればいいとはなる
それは学校英語であり実際の会話英語ではないのである。
でも文学とか宗教とか何か歴史とか深いものを知ろうとするとなると外国人でも少ないだろう、これだけ外国旅行が当たり前になるともうそういう人は少数派になっている
それは日本人が円高のとき豊かな時に東南アジアであれヨ−ロッパであれおしよせたのとにているのだ、知識人とかだけが行ったのではないからである

正直外国は歴史でも文化でもわからなかった、ただ地理的に平坦て地が多く長い大きな川があるとかが印象に残った,それでいかに外国人がヨ−ロッパでも他の国でも世界的に川とアイディンティティ化しているかわかる
詩でも川をテーマにしているのが多いこともわかる、それだけ川と人間は血肉のように一体化している歴史があるからそうなる、だから川について考察を深める作業をしている
まず川を知らなければ外国は知りえないのである。
そういう地理的なもの天候はその地でしか知りえない実感できないのである。
それは日本内でも同じなのである。だから世界の理解の基本は言葉の前に地理だともなるのである。

人の生が終わる
様々のことを成さんとして
成しえず終わる
人の生は短い
学ぶべきものは無限
人はただその住む
一地域すら知らずに果てる
無数の人の生があり
それも知りえない
一つの生が終わる
その成すべきことはわずか
ただ無限の知らざる世界が残る

英語だけでも覚えるのは時間がかかる、するともっと他のことに時間を費やしていた方がいいという反省にもなる
それほどまでに勉強しても社会では使わないとなればそうである、外国に旅行に行くときくらいしか使わないとすれば貴重な時間の無駄だとなるのである。それより日本について深く知ることに費やした方がいい、それは英語を覚えることではないからである
第一日本の古典がいろいろあるけどどれだけ読んで理解しているのか?つまり他に理解することが山ほどあるからだ
結局そうなると英語に時間を費やすよりそっちの方に時間を費やした方が実り多いとなる
人間はいかに時間を無駄にするのか、無駄にさせられるのかそれを最後に反省する
英語だけにこんなに時間を費やして何か実りが特別あったのかとなる
英語をいくら流暢に話せてもそもそも日本のことを知らなかったら何の役にも立たないからである。

2018年05月12日

BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は (文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)


BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は

(文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)

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この社会の分析は面白かった,土社会(地縁、血縁の結びつきが強い)
とか砂社会(固い枠をあてがわないと形にならない)とかの分析である
現代は砂社会であるから強権政治になる
それは文明そのものがそうであり東京砂漠のように砂社会になっていたのである。
人のつながりが薄い社会である。その反面そこに縛られない拘束されない自由があるともなっていた
文明社会は砂社会でありそこからナチスとかが生まれたという分析はされてきた
もうその頃から人間は砂社会の中に生きていたからこそナチスが生まれた
今でもそれはさらに進行しているのである。
民主主義にしても一人一人が砂粒にすぎない社会である。

一票の権利があっても何十万何百万となって権力を得るシステムである。
つまり一票の力は何十万分の一であり何百万の一でしかないのである。
人間はその中で数字としてカウントされる存在にすぎない社会である。
それでカルト教団でも権力をとるために一票をとるために数集めのために一軒一軒回る
今の社会は数がすべてなのである。個人はなんの力もないもたされないのである。

この社会分析で個人は石社会だとか粘土社会だとか言うのは理解できない
石社会となれば石のように結びつく社会である。共同体が石のように組み合わされた社会なのである。粘土社会でも強く結びついて結合した共同体の中に生きている社会である。そういう社会は古代とか原始時代までもどる,なぜなら部族社会は一番人間の結びつきが強かったからである。
現代は石社会,土社会,粘土社会ではそもそもなくなって久しいのである。

だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも離散して崩壊したかとなるとそれはこうした社会に原因ししているとも書いた
田舎でもそうした結びつきがない農村のコミニュティでも崩壊しているのである。
いくら放射線の恐怖があっても町や村ごと廃墟化することがありうるのかとなるからだ
その結びつきは広域化してグローバル化してかえって経済的にも結びつきは希薄になっていた,別に都会と同じように金があれば食料でも何でも入るでないかという世界である。隣人の関係でも希薄なのである。
そういうことで補償金をもらったらこれ幸いと避難した人達は他で暮らしして帰ってこないとなった

それは前からどこでも田舎でもあなたに一億円やります,どこにでも住んでいいですよとなればどうなるのか、早くこんな田舎から出て行きたいと言っていた若者がいたことでもわかる,故郷がどうのこうのというより一億円の価値の方が大きくなっていたのである。だから現実に補償金をそのくらもらったらこれ幸いと故郷を離散したともなる
それを誰もとがめることはできないからである。

ともかく石社会,土社会,粘土社会は人間の結びつきが強い社会である。
それは簡単にばらばらにはならない粘着性の強い社会である。
自分が目指しているのはこの石社会であり土社会であり粘土社会である。
これはただ拘束力か強いから自分でも田舎は嫌だったのであり旅ばかりしていたとなる
そういう矛盾は常に人間にはある。
今人間の関係はすべて金に換算されている砂社会なのである。
だから強権政治でしかもう統制できないというのはわかる
それはナチスのファシズムになりカルト教団のファシズム宗教団体になる
第一何百万人が示威行動すること自体すでにファシズムなのである。
権力を誇示して圧力を数でかけるのが民主主義になった
だから砂社会の行き着く先はかえって強権政治でしか統制できない
それは社会主義でも同じである。文明そのものがそういう砂社会だからである。

かつては石社会,土社会,粘土社会だったのである,自分が自然とアイディンティティ化しようとした社会はまさにそうである。
なぜなら自然はそういうものであり木でも石でも大地に深く根を張り動かないし石でも岩でも動かないからである。密接に大地と結びついて動かないからである。
そういう社会がかつてあったしそれはエジプトでもマヤ文明でもアンコール文明でも石の建築物が多いのは石社会だからである。ヨーロッパでも中世とかなると石社会なのである堅牢な石の聖堂があり宗教的コミニュティがあり地域の結びつきが強いのである。

岩と岩は厳かに見つめ合う
固い約束を交わして不動なり
嘘,偽りのなく
岩と岩は固く結ばれている

自分の詩の一部だがこういうふうに人間は結び合っていたのである。
だから砂社会となった文明の結びつきが薄弱であり簡単に崩壊するばらばらになる危険性がひそんでいる,それが原発避難区域が事故で一挙に崩壊して廃墟化したのともにている要するに文明そのものが砂社会でありそれを結合させることが一番むずかしいのである。無数に分業化してパーツ化されて結びつくことがむずかしいのである。
だから石社会とか土社会,粘土社会に還るべきだとなるがそれはもう不可能である。

簡単に市町村で何か原発事故のようなものがあると崩壊して廃墟化する危険性がひそんでいる,津浪や原発事故で盛んに絆が象徴されたのもそもそも絆が消失している砂社会だったのが津浪原発事故でそれを見直す風潮が生まれたのである。
絆が大事だということは絆が失われていたからこそである。
でももうこれだけの世界が文明化すると不可能になっている,砂社会のなかで人は死んでゆくともなる,数としてカウントされ死ぬことも統計的数字でしかないとなる
共同体のなかでの自然の中での荘厳な死もありえないからである。

タグ:砂社会

2018年05月06日

歴史は必ず教訓を残す (反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


歴史は必ず教訓を残す

(反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


明・清の時代3 清の中国侵入


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万里長城は満州族などから侵入を防ぐものだった
モンゴルだけではない,モンゴルと満州族は騎馬民族系統である。
遊牧民だった,だから中国は今の中国では歴史的になかったのである。
明の時代は秀吉を明へ侵攻しようとして朝鮮出兵したのである。
それも明の滅亡に通じていたというのも日本もかかわっていた歴史なのである


中国の歴史は三国志以来同じようなことをつづけている,それは国のカルマだとなる
人民が多いこと国が広大なこと異民族が混じり合うことなどで同じことを繰り返しているのである。
興味深かったのは王が贅を尽くして作った地下宮殿が発見されたことである。
中国の王は始皇帝でもそうだが地下まで来世でも栄華を究めようとしていたのである。
中国では強欲な者はその限りを尽くす,酒地肉林にもなる,そのスケールもまた大きいのである。西安の兵馬様の発見もそうだった

日本の天皇と比べると全然違ったものなのである。日本の天皇はそんな贅沢をしていないからである。日本の支配者は武士社会になってもそんなに贅沢はしていないのである。
それだけの財力を蓄積できない国だったともなる
江戸時代でも侍と庶民の暮らしでも食べ物にそれほど差がないのである。
それはヨーロッパの貴族も贅沢で階級を作っていたからその差ははっきりしている

李自成は黄土高原のヤオトンで生まれ育った貧農の出だった,その住んだ跡が発見されたというが土砂崩れでなくなったという,黄土高原で暮らすこと自体容易でない
それに税を高くされた,飢饉になってもそうである。
飢饉になって木の皮を食べて土まで食べた,土を食べて死んでも食べたという
そのことがパールバックの「大地」に書かれていたがそれは事実を基にしていたのであるそしてそういう人達が必ず流民化するのが中国である。
その数が多いからやがてそういう人達は反乱を起こして時の支配者に歯向かうようになる現代でも一時都会へ出稼ぎ者が流民化していた,鉄道の車両に家畜のように詰め込まれて都会へ大量に移動したのである。
とにかく人口が多いからそうして大量に人間が移動する,そのことが引き金になり反乱にもなる

官僚を厚遇して土地を買って大地主になった福王という大邸宅に住んでいた者がこの李自成の反乱軍に殺された,そして肉にされて鍋でにられて食べられたのである。
中国には人肉の習慣があったのである。中国では大陸では異民族間の闘争は激しくなり残酷になる,みな殺しにもする,日本ではそこまではしない,戦国時代にあったとしても敵味方塚とかを作り戦争が終わった跡はあまり恨んだりしないのである。
中国では敵は墓を掘り出しても刑罰を与える徹底したものなのである。
中国では争いは容赦のない過酷なものになる

李自成の失敗は何だったのか?
「均田免賦」とか徹底した平等を目指した,それは共産主義思想ににている
それが北京の紫禁城を占拠して王になったときその統治に失敗したのか?
それがあまりにも徹底していたためである。

李自成は「追賍助餉」というスローガンの対象を有力な官僚や軍人にも広げ、大量の金銀の提供を命じました。ところが、これに多くの有力者が反発。李自成は応じない人々を処罰。呉三桂の父親も含まれていました。このことが呉三桂が寝返る原因の一つとなったのです。

呉三桂の恨みをかって失敗したとなる,つまり徹底した平等を目指すときそれを簡単にはできない,失敗する,カンボジアの徹底した共産主義も失敗した
一見理想主義でありいいように見えても失敗した
その原因は何なのか?
そもそも人間の歴史を見ればわかる,なぜ人間には金持ちと貧乏人がいてなくならないのか?
この理由は何なのか?
それは何か不正をしているために富をもつものと貧乏になるのか?
そういう一面はあるし福王などは極端だからそうなったことは確かである。
でもすべての富者がそうなのか?それは不正のために富者になったのか?

それだけではない,例えは浪江で畑を作り平に今のいわきに野菜を売って財を成した人は篤農家であり農業技術に優れていたから三人もの娘を大学に出すことができた
そうして富者になったのはその人が優れた人であり努力したからだとなる
同じ農業をしていても全くだめな人もいて失敗している
それは事業でもそうである。失敗する人と成功する人の差がある
別に不正していみんなもうけているわけではないのである。
不正して富者になっているとは限らないのである。
もしそういう人達を否定したら徹底に何をしようと平等にしたらかえって不平等になるのである。
それでソビエト連邦は崩壊したのである。カンボジアでも共産主義は徹底して二百万人が死んだとか大失敗に終わり疲弊したのである。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。そして、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

ここでは悲劇の象徴として骸骨が積み上げられている記念館のキリングフィールドがある
これも徹底した平等を目指すとかえって危険なことになる
今まで積み上げてきたものをみんな否定してしまうからである。

人間は不平等になると飢饉とか苦しくなれば反乱を起すようになる,そして盗賊が王になったというのも中国にはある,盗賊が王になるということはその心情が理解できる
なんであいつは金持ちなのにこっちは貧乏なのだ,金持ちから金を盗んでもかまわない,それは悪いことではない,泥棒にも三部の理があるとなる
そういう人間の気持ちは変わらない,だからそれが大規模になると盗賊が王になっても不思議ではないのである。中国ではその格差が大きいからそうなりやすいのである。
権力をもつとものすごき富が集中して酒地肉林になり豪華な地下宮殿に墓に膨大な人民の税が使われるのである

それが現代の共産主義でも継続されているのである。兆の金が官僚が手にする,共産主義なのに平等をめざしているのにとんでもない格差社会になっているのだ
だからまた反乱が起きてくるとかなるし興味深いのは満州族の住んでいる瀋陽軍区が北朝鮮と一体であり北京に向かい反乱するという観測である
なぜ北朝鮮とか朝鮮がこれまで中国に統一されず生き残っているのか?
それは満州族と一体でありそれでつぶせないということもあるとなる
なぜなら満州族の金という国を起こしてその属国になっていたからである。
つまり歴史的継続からみると満州と朝鮮は一体なのである。
だから北朝鮮の核兵器の標的は北京にも向いているのである
満州族は文字がなくモンゴルの文字を採用していたのである。

いづれにしろ歴史は必ず教訓を残す,人間の個々人でも必ず教訓を残す,だから歴史に学べというとき人間はやはり同じようなカルマを繰り返すものだからである。
国にもカルマがあり個々人にも家族にもカルマがあるからである。
中国ではワイロの国だという時も今でもそうだからである。
ワイロによって外国の企業から官僚に金が入る、するとそこには資本主義の公平さがなくなるのである。それはやがて国がまた格差社会となり反乱が起きるということである。
中国はその歴史,カルマの繰り返しだったとなる



2018年03月30日

風についての考察 (自然や風を感じなくなった現代人,文明人)


風についての考察

(自然や風を感じなくなった現代人,文明人)

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北風の吹くとき山を思いしも東風(こち)吹くときに海を思いぬ

山側の方まで東風が吹いてきたときは春を感じる,この辺では東風は海を意識する
でも阿武隈高原を越えると中通りになるがそこで東風が吹いている
でもその東風に海を意識するかとなるとしにくい
回りが山に囲まれているからだ
でも川俣の峠を越えた辺りでもビュビュー東風が吹いていた
これは福島市まで吹いて原発事故で放射性物質を運んで意識させられたのである。
まず福島市は盆地であり海を意識できない
この風は春になると吹く,3月11日にこの風が吹いたから不運だったのである。

つまりいくら科学時代でも技術が発達しても人間は自然の影響から逃れられないのである津波自体が自然にとっては定期的に起こるものなのである。
ただそのことを忘れていただけなのである。
おそらく科学技術が発達したことで人間は自然のことを実感として知らなくなったこともある
風の影響を受けずに船でも車でも飛行機でも動くからである。
山があればトンネルをほるし自然が障害にならないのである。
そこで自然に無感覚になる,人工的空間で生きることになる
そこに思わぬ落とし穴が待っているのである。

風土というとき風のことである。風が土地によって違ってくる
海側だと海から吹いてくる風が東風があり海を意識するが山だと意識しにくい

菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」

京都は盆地であるが東風が吹いたとき春を意識した,東山がありそこは海を意識するよりは朝日が上る方向として意識された,海は意識されないのである。

風を一番意識するのは船を操る漁師だったというのは当然である。風の影響をもろに受けるからである。それでいろいろな土地の風の名前が生まれた

伊勢で カウヤマ 吉田で ナライ
尾張 北ブキや いつも吹く

同じ風でも土地によって呼び名が違ってくる、カウヤマとは小山であり神山と柳田国男はしている,山から吹いてくる風としてとらいている,ナライとはナラスであり平地から吹いてくる風としての意識なのか?

お伊勢さがるは北のよの西よ,こちゃいなさはもどりの風

桑名四日市から神宮に参る海路は,北の様,すなわち北によった西風を帆に受けて大湊か神社(かみやひろ)の諸港に向かい、帰路は帰路は東風かイナサ風によったのである。

イナサは東南風でありそれは太平洋沿岸伝いに同じ呼び名だというのもやはり海洋民族として言葉を伝えた,それは同じ風が吹くからである。
日本海の風はまた違っているから別な呼び名になっている

ともかく船は風の影響が大きい,風を知らないと航海できないから風について敏感になる

風吹きて進まぬ自転車いづこかな我が旅路を思い出すかな

自転車は風に弱い,すすまなかなる,電動自転車だと風にも強い,その時は電動自転車はなかった、それで峠とか風には苦しんだのである。
今でも風吹くと自転車は出れなくなる

あいが吹かぬ荷が無うて来ぬか,ただしや新潟の川留めか

これもいかに風によって交通も妨げられたかを伝えるものである。川留めでもそうであるこの辺では津浪で新地から一部高架橋になった結果風の影響を受けるようになった
北風が毎日吹く季節がある,相馬の空っ風として有名である。
それで毎日のように電車が風で遅れて困る,一日運休にもなる
それを駅で見ていて経験しているから風の影響は電車でも受ける
電車は本当に風の影響を受けやすくなったのである。
ただバスはまだ原町から仙台まで出ている,バスは風の日も運行しているのである。

風はこうして生活の障害になるのだがまた風を感じることは自然を感じることなのである車では風をさえぎるから風を感じない,ということは自然を感じないのである。
すると旅しても風土を感じないから記憶にも残らないともなる

ともかく現代人は文明人は自然を感じる力がかえって減退している,それは科学技術にみな頼っているからである。みんな機械で計測しているからである。
風をじかに自然をじかに感じることが少ないのである。
旅をすれば方向が気になる,方向感覚がわからなくなる,それは近くでも飯館の山を越えてさまよったときもそうだった,山に入ると盆地だとどこでも山であり太陽が昇るのも山であり沈むのも山だからである。
海側に住んでいれば太陽が昇るのは東であり山側に西に太陽は没するからである。
だから地名の基本が方角地名、東西南北にある,方向がわからないとまず行く先もわからないからだ

航海民は草原とか砂漠で暮らす人達も方向が一番大事であり方向を見失うと死ぬことになる,それで北斗七星信仰が生まれた,それは妙見様であり野馬追いでも相馬藩でも信仰の対象になった,それは大陸からもたらされたものなのである。

自分は旅ばかりしてたから何か航海民とかに興味をもった,移動する民に興味をもった
ただ今になると旅することはしていない,何か体力的にできなくなったのである。
ただ思い出の旅をしているのである。

タグ:風の方言

2018年03月29日

地方が田舎が与えるものは何か? (癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)


地方が田舎が与えるものは何か?

(癒しの場であり文化的なものー飯館村には音楽堂が向いている)

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東京の人とかは田舎は地方は経済的に非効率だから無駄だとかインフラに金がかかるから税金の無駄だとかいろいろ言う
確かにそれもある,では地方の田舎の存在の意味は何なのだろう。
田舎は農業であり食料を提供する場である,それは物質的な面で地方や田舎の評価であり価値である。

しかし価値観は変わってくる,現代では物質的なものは満たされると次に何を求めるのかまず腹を満たす,それが先決なことは確かである。
でもその次にどうなるのか?人間はがつがつ食べていればいいとういものではない
動物とは違うからである。それで今度はそこで食べる雰囲気とか談笑するとか食べることによって仲間意識を作るとか食べるほかの付加価値を求める
レストランでも内装とかで安らぎを与える,それは食べることだけではない価値である。
今までの価値観は貧乏なときはまず腹を満たすことだとなるが今は違う。
もちろん味も大事である,基本的な価値である。
ただそれ以上に今求めているのがある,それは何なのか?
癒しとなるものである。安らぎとなるものである。
ただ立ち食い蕎麦で腹を満たせばいい,食べ物をかきこめばいいとはならない
それは豊かさではない,だから今は都会的なものより田舎的なものを求めるというとき
食べ物だけではない,田舎は癒しの場であり安らぎの場として求める

例えば森があるとして森をただ木材の供給地として見るのではない
森そのものの価値である。それを追及したのが森の中で暮らしたソーローであった
彼はそうして木材だけを森の価値として見ていた商人を批判していたからだ
森というのは荘厳な一つの世界である。
ドイツではそうした樅の木などの森がおおっていた,その森からゴシック建築がイメージされて作られたことでもわかる
自然を基に文化は生まれる,それはヨーロッパでも田舎に地方都市でもはせいみい4,5万の都市であり回りは自然に囲まれていた,森に囲まれていたのである。

ヨーロッパでは地方都市が充実している,そしてその地方都市から文化が生まれた
ルネサンスが生まれたフィレンツは4万くらいの小都市だったのである
そこからあれだけの文化が生まれたというのは驚きである。
天才もあれだけ輩出したというのも驚きである。
ミケランジェロを生んだのは確かに近くに大理石がとれる場があったからだともなる
だから素材が近くにあったから地産地消としたともなる

地方都市でも都会的要素と田舎的要素があり文化が生まれた
メジチ家が薬を売り財を成してそれで富を得て文化が栄えたとういこともある
やはり何らかと富が蓄積されないと文化は生まれないことはある
では今の東京などは一番が富が蓄積しているのにそこに文化は生まれないのはなぜなのかそこには物質的な繁栄しかないのである。
やはりそこには文化の基になる自然から切り離された完全な人工都市化しているからである。
そこでは自然をイメージできない,ビルの谷間と毎日高層ビルを見上げるだけで自然はないのである。一方で田舎だったらここには高い山がないが高い山を仰いでいたらその心も高まるのである
確かに自然ではない人工的美は存在する,それでラファエロのアテネィの学堂の絵では
ローマのア-チの建築がバックになっていて荘厳さを演出する
それは人工的なものである,ヨーロッパにはそうした人工的な美を作り出した
ただレオナルドダビンチのモナリザのバックは幽邃な巌の谷間になっている
処々に岩が描かれて人が天使が描かれている,そういう自然がまだバックにありイメージされていたとなる

山であれ森であれ川であれ海であれ自然がなければそもそも美でも産み出されない
音楽でも自然と結びついてある,何か自然を川の流れと潮騒とか山とか岩の沈黙とかあり森の中で鳥が鳴くとかそういうものは音楽からイメージされるからである。
クラシック音楽だとそうなる,ポピュラー音楽はただ激しいリズムなのである。
だから音楽を聴くには実際は森の中が一番向いているのである。
そこにクラシック音楽は調和してひびくのである。
都会の騒音の中では向かないのである。

だから飯館村は森に囲まれた村である。すると飯館村に本当は音楽堂があるのが向いている,そこでクラシックの演奏することが向いているのである。
震災以後そうした演奏会が行われた,でも音楽堂は人の集まりやすい都会にある
わざわざ飯館村のような不便な所には行かないだろう
でも音楽のクラシックの演奏を心にひびかせるにも森の中がふさわしいのである。

現代は文明都市でありヨーロッパのように文化都市を形成していない
これから求められるのは文化都市である。
最近良く言われるAI化で人間が働かなくてもよくなる,そしてベーシクインカムになるというのは何なのだろうと思う
これも一つの時代が変わることなのか,そうなると必ず価値観が変わる
人間は今ただ食べることだけではない文化的価値を求めることになる
それでみんなアーティストになるとか言われる

田舎に求めるものも食料だけではない,むしろその食料を提供するとしても付加価値が求められる,田舎が癒しの場としての機能がありそういうものが価値として求められる
自分の場合は田舎で働いていない,農業もしていない,ただ自然の中で森とか木とか岩とかにアイディンティティを求めてきたのである。
ただ文明というときカンボジアのアンコールワットでも森に埋もれている,マヤ文明の神殿でもそうである。それは森と切り離されて存在していなかった
深い森のなかにあった文明都市だったのである。
それが古代文明と今の文明との相違である。

今回の原発事故で飯館村などは悲惨だった,今でもフレコンバッグとかあり景観は乱された,ソーラーパネルなどでも景観は乱された
森も確かに放射能で汚染されたのだが別に森そのものは残っているのである。
ただその森で食べるものキノコとか山菜は食べられなくなったのである。
でも森に囲まれた癒しの場の機能は失っていないのである。
だから音楽堂などがあることが向いているのである。
本当に奥の方に太い樅の木があった,それは神殿の柱のように見えたのである。
飯館村は全体が森に囲まれている,原町からでも飯館村に入るには暗い森の中を通るのである。この辺はまだ森におおわれた自然がありそれが癒しとなるのである。



2018年03月06日

AI化自動化が人間を幸せにするのか? (便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)


AI化自動化が人間を幸せにするのか?

(便利さ効率化を求めて不孝にもなる文明人間)

人間の歴史は別に幸福を求めてきたわけではない,第一幸福というのは計ることができないからである。
原始人と現代人の幸福を計ってもできない,原始人が日本なら縄文人が現代人と比べて不孝だったのかというとわからない
そんな時代は食べるに精一杯で幸福もなにもないという見方もある
でも原始人は縄文人は自然に則って生活していて幸福だったという見方もある
原始人ならもう病気になったら死ぬ他なかったから不孝だったともなる
現実に縄文人の寿命は30歳とか言われているからだ
そうなると百歳生きる現代人は幸福だとなる
長寿は人類の願いだったから今実現しているとなるからだ

ともかく人間は幸福を求めてきた歴史ではない,便利さを求めてきた歴史である。
鉄を発明したとき農耕は飛躍的に発展して収穫量も増えたし開墾も容易になり
人間が住む土地が広がって人口も増えたのである。
鉄の発明はそれだけ人類を変えて便利にして生産量をあげたのである。
それで幸福がましたともみるしまた鉄を発明した結果,それが武器となり殺傷力がまして人間が戦争で多く死ぬようになった
それで鉄の時代は人間を不孝にしたという見方もある

人間の歴史はまちがいなく便利さをもとめるのが文明である。
駕籠で人間を運んでいた江戸時代から急激に鉄道ができて蒸気機関車で物でも人でも運ぶ時代になったことの変化はあまりにも大きかった
その技術によって社会もまるで変わった,それは車社会で変わったのと同じである。
通信でも飛脚が手紙を運ぶ時代から電話の時代からインターネットの時代,携帯からスマホの時代と飛躍的便利になった
そういう技術の変化が日本だと明治以降から世界的には19世紀から起きてきた
その変化も激しかったのである。
遂には飛行機の時代となり世界は一気に狭くなったのである。
戦艦大和などは船の時代の産物でありそれが太平洋戦争で飛行機の時代となりアメリカに敗れたとなる
その時原爆が落されて原子核の時代に突入していたのである。
それは恐るべき殺戮兵器であった,人類を滅亡させる威力があることで恐怖した

つまり人間はこうした科学技術を追及してきたのは便利さのためである。
でもそれが幸福を追求するためのものではない,幸福とは何かわからないからである。
ただ便利さとか効率とか生産の増大とかを追及してきたのである。
人間がその科学技術によって幸福になるか不孝になるかなど考慮していない
だから核が発明されてそれが核戦争になって人類が滅びるとしたら最悪であり科学技術は人間に最大の不孝をもたらしたとなる

人間は便利さ効率さ生産の増大とかを求めるが幸福は求めていない
もし幸福を求めるとしたらその幸福とは何なのかが問題になる
でもそれを定義することはできない
飢えるよりはうまいものをたらふく食べるのがいいし寿命が伸びるのはいいとかは幸福として定義はできる,でも寿命が伸びたら伸びたで苦しみも増してくるとしたら寿命は長いのが幸福ともならないのである。
だから本当に幸福とは何かなど計れないわからないからそうなる

人類の願望として飢えとか貧乏とか病気の克服はテーマとしてありそれは克服することは幸福度が増すということは言えた,だから科学技術はそういう点では貢献して幸福度を増したとは言える
でも人間の幸福は計れない,なぜ20世紀に世界戦争で何千万もの人間が日本では300万人も死なねばならなかったのか?
それで人間の幸福度が増したのかとなる,戦争はあったにしても近代以前は局地戦争だったからである。犠牲者も少なくてすんだともふりかえり見る
人間にとって幸福とは何かとなると戦争などないことが幸福であることは間違いないのである。

飢えない
食料は豊かであり保証されている
戦争がない
病気がない
長寿である

この辺が幸福を計ることができるものとなる,でもその他は幸福を計るものがない
便利になったから効率的になったからとかなってもそれが幸福にはつながらないのである旅行でも新幹線で一日で京都まで行ったとしてもそれが幸福な旅だったのかとなるとそうはならない,江戸時代のように江戸まで歩いて旅した人は本当に旅していたと見る
だから旅をするという観点から見るとこれだけ旅しやすいのに不孝だともなる
要するに人間の幸不孝は計れないからである。
何が人間を幸福にするのか不孝にするのか?それは様々な要素があり計れないからである

ただはっきりしていることは人間は幸福を求めてきたのではない,便利さや効率さ生産の増大を求めてきた,その結果として幸福とはなったとはいえない,第一幸福とは何か定義できないし個人的にも違ってくるからである
さほど金にならなくても働きづめなのは嫌だ,のんびりしたいとなる人もいる
でもがつがつ働いても稼ぎ贅沢な暮らしをしたいう人もいるからである。求める幸福はそれぞれ違っているから計ることはできないのである。
幸福というとき苦は楽の種というときもそうである。
苦があって楽があるからだ,楽ばかりだと楽は楽でなくなる
うまいものばかり食べていると本当にうまいものの味もわからなくなる
腹が減っていればなんでもうまい,そういうとき何を食べてもうまく幸福になる
このように人間の幸福はわからない,幸福を求めて生きている訳ではないからだ
また人間は幸福をいくら求めても幸福にならないともなる
幸福を求めたが不孝になったということもある,思わず意外に幸福を感じたということもある,つまり幸福というのはそれぞれ違ったものでありわからないからである。

人間は便利さ効率や生産の増大をも求めても幸福になるとはかぎらない,別に幸福を求めてそうした科学技術を利用するわけではない,科学技術でも人間を不孝にすることがあるだ,何かそれでAI化自動化がバラ色だと見ているがそれも嘘だと思った
それによってもう人間はいらない,ロボットだけでいいとなる世界は人間砂漠であり
悪夢の世界になるかもしれない,なぜなら人間の幸福を求めてそうしたAI化自動化になるのではない,便利さや効率化を求めてそうなっているだけだからである。
これだけは知っておく必要がある,AI化自動化は人間を幸福にするとは限らない
不孝にすることもある,人間はいらない,人間は効率的ではないとかなり人間はAIより無能だとなりもうそういう人間は始末すべきだというSF的な悪夢が実現するかもしれないのだ
そうなるとそんな科学技術は人間を不孝にするのだからいらないとまでなる

車より自転車や歩く方が人間的だとか幸福にするとか今でもある
だからいくら科学技術が発展しても人間は幸福にはならない,必ず悪い面が生まれ人間を不孝にもすることは確かなのである。
そういうことは20世紀で経験済みだからである。
むしろ非効率でスローの方がいいとかもなる,それが人間的だなと人間として幸福だなともなる,スローライフが言われるのも今の高速な極度の効率を便利さを追及するものが決して人間を幸福にはしていないからである。
高齢化社会になると価値観が変わる,なぜなら老人の価値観と若い人の価値観は違うからである。
どうしてもめまぐるしく変わる早いとか効率的だとか合理的だとかよりスローで変わらない世界とか非効率でもそこに人間的なものを見いだす社会がいいとかなる
経済合理性だけを追及することに合わなくなる,人間的なもの金だけではない,情ある社会がいいとかなる,高齢者と若い人の幸福とするものが違ってくるからそうなる
そして現代は高齢者の価値観が優位になる,それは悪いことではない
それは別に年齢に関係なくそういう時代の価値観に転換する時代だともなるからだ




2018年01月22日

樹の思考(一本の樹の立つ地(詩)より)


樹の思考(一本の樹の立つ地(詩)より)


一本の樹の立つ地

樹は大地を信頼し
徐々に深く根を張る
静かな冬の日に信頼を深める
樹は大地に根を張り
その土地土地に根付く
風の日も雨の日も雪の日も
その土地に根付いて動かない
そして最後は大地に朽ちて還る
その根を張った地こそ
還るべき場だから
そして大地に抱かれて眠る
ああ その一本の樹のここにありしを
その樹はなお幻となりて立つ
その記憶をここに留めぬ
祖先の霊も地に眠る

one tree trusts in the earth
Gradually deeply root
Deepen trust on a quiet winter day
Trees are rooted in the earth
Rooted in the local land
Wind days, rainy days and snowy days
It takes root in the land and does not move
And finally decaying on earth grounds
The ground that has established its root
Because it is a place to return
And sleeping in the earth
Oh, that there is one tree in here
The tree still stands as a vision
It certainly keep the memory
The spirit of the ancestor also sleeps on the ground

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undergggggggggg1.jpg



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樹が自分のテーマである。樹を思念するとやはり人間と通じる,人間は万物の霊長だというとき人間は樹でも石でも山でもそこに人間を見る
像で考えよというときそういう自然の事物とアイディンティティ化してゆくのが人間である。
人間は生物の一種だから人間は樹にもなる,人間が樹なのである。
神殿の柱はそれは石としても人間なのである。
こういう生は自然な命の営みである,それは営々とつづけてきたのが人間である。
また生物である,ただ生物は多様だから海となるとまるで違ったものになる
そこは常にゆれうごく不安定なのである。田から津浪が来たりするのである。
大地は全く違ったものなのである。確かに地震があり大地もゆれるから安定しているとはいえないがそれは海とは違っている,山もそうである。

人間の生は基本的に生物の一種だから命でも自然と共にあり朽ちてゆくのがまさに自然だとなる,それに逆らうことはできない,人間が死ぬことは樹が朽ちてゆくことである。
でもその樹の朽ちてゆく場所が地があらねばならない
人間は地からてありえないのである。ただ海があり天がありその志向はまた違ったものなる,地を離れて天に昇る思想があり宗教になった
だから人間は地に朽ちて終わるという思想は農業から生まれ天への志向は砂漠の民とか
草原の民,遊牧民から生まれたのである。

一本の樹が大地に信を深めるというとき何かそれは人間が農業中心になっていたらそういう感覚は人は常にもっていた,そこから二宮尊徳の思想が生まれた
農業は地を離れてありえないからである。ただ現代は地から離れて生活している
東京であれ都会であれ地から離れている,そこには土がないのである。
それでも一千万人が生活できているというのも不思議だとなるし異常だともなる
そこでは人間は大地の志向がないのである。
死んだときも遺骨が団地のような狭い場所に安置されるのもそういう生の延長としてある
今は田舎でほとんど会社員である,例えば銀行員にそうした地銀でも土着的な地の志向などない,グローバル化した中で金を動かす,そういう仕事に地の志向は生まれないのである。そういう人を相手にして自分が株とかしているのも矛盾しているのである。
日本人が貯蓄の志向が強いというときやはり農民であった期間が長すぎるからである。
それがDNAとなっているからである。地は血なのである。

都会での人間の生はこうした自然から離れている,人工的なものに囲まれていて本来の人間の姿を像を失うのである。
だからそこで重厚な文化は生まれない,ただ便利な生活をしているだけで文化は生まれない
なぜなら文化はcultivate→cultureというとき土を耕すことだからである。その土地土地の土を耕すことから生まれているからだ
現代の人間は機械の部品のようになり死ぬともなる、数字化したもの番号になもなる
それで議員が病院で番号で呼ばれて怒ったというのもわかる
名前すらない,みんな数であり番号だともなる
病院での死は物としての死であり荘厳な樹のような本来の生物としての死はないのである。
だから不思議なのはなぜ原発事故で避難者となった人達は簡単に故郷を捨てたのか?
それは田舎でも実質は都会化しているかもしれない,三分の一は原発で働いていたとか?
別に農民ではないからだ,すると土地に執着する人はまれである
ただ老人はやはり長くその土地に生きていたからその土地にいたいとか死にたいとか生物的志向になる
もちろん放射能汚染のだめだとなる,ただそれが全部が全部そのためだけではないと自分は書いてきたのである。

言葉でも自然から遊離した言葉であり像から思考できないのである。商業の言葉とか法律の言葉とか機械の言葉とかなる,そこにもともと言葉が生まれた自然かないから言葉がロゴスが消失するのである。言葉は本来は詩だったのである。そのエッセンスが文明によって失われたのである。

ローマ文明は土木建築が発達して優れていた,道を作るのにもたけていた,それは公共事業が高度成長時代を作り田中角栄が日本列島改造論を実行したのもそうである。
ところがその時その土地土地の文化が失われる,画一化されてくる
ローマ文明は拡大化することによって終焉した
そして中世は地域地域の文化を基にして生活することになった
その時期は長い,でもゲルマン文化,ドイツ人がゴシック建築などを作ったのはやはりドイツの森を基にして作られたのである。

アメリカはそうした大衆のための大量生産方式を生み出した,現代文明はアメリカ式生活の拡大化でもあった,それはローマとは似ていた,享楽的な所もありにていた。
グローバル経済もそうである。それはアメリカ式生活の普及であり食生活でもハンバーグなどが世界中に広がったからである。
それはその土地土地から文化から離れた無視した強引な同一化だったのである。

それぞれの地に根を張る文化は世界にありそれを無視したアメリカ的生活の押しつけだった,だからグローバル経済というのは世界の文化をも破壊する
金によってなんでも買えるという経済一辺倒の価値観に支配されたのである。
それで歴史のある国はこのグローバリズムに対立するようになる
つまりナショナリズムは悪い面にもとられるがその国々の文化を基礎にして重点にして生活するということである。
グローバル経済になれば言葉でも英語に統一すればいいとなりアメリカ式にそれでなる
そするとアメリカスタンダードになりアメリカが世界を支配しやすいということである。現代は中世への回帰の時代だというときそれぞれの地に還り地に根づいた文化の再生なのである。そこからルネサンスが生まれてくるのである。
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2018年01月05日

建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)


建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)

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ピサの斜塔を変形したらこんなふうになった
これも奇妙である。



 気高いア−チ

 Humans are united with their divine ceremonial hall
  with dignity or nobility
 in the majestic solid foundation hall

ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その荘重な堅実なる殿堂よ
そは人を高貴ならしめる
自信に満ちたる人の姿よ
その足よ、その胸よ、その頭よ
それは意味あるものを語りつづける
イデ−を探求しつづける眼よ
南の明るい光の中に
馥郁と香る花々のように
真理探求の友はよりそい耳をこらす
その友は対等にして奴隷の弟子にあらじ
その学問の殿堂をともに自立し歩む
人間はその神々しい殿堂と一体となる
ア−チよ、ア−チよ、気高いア−チよ
その石の殿堂の歴史は古りぬ
威厳に満ちた人間は彫刻と化して 
その殿堂の中に揺るがぬ座をしめる 
建築は人間を飾るものにして主体は人間 
光輝ある人間がその主人
尊厳は人間にあり光は人間から発せられる
ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その礎は堅く、不朽のごとくア−チは
尊厳なる人間を永久の記念とする

真と美の殿堂

ローマの遺風堂々と
堅固なアーチの堂宇
一同に天才達の集う
自立する哲学者と弟子
一対一の自由なる問答
建築は人間に威厳を付与する
知的な探求はやむなくつづく
そこに清新の気はみなぎる
自由と自立と規律は調和して
大地の実り,職人の技の結集
ギリシャの知と美,ローマの建築
イスラムの知とキリスト教の精神
一つに統合された美と真の殿堂
平和の殿堂をここに築かむ
神の祝福はここに注がれむ

A god of Roman majesty
Strong arch gate
We gather together of genius
Independent philosopher and disciple
One-on-one free question and answer
Architecture grants human dignity
Intellectual quests continue to be continued
There is a spirit of freshness there
Freedom, independence and discipline are in harmony
The fruits of the earth, the mobility of craftsmen
Greek knowledge and beauty, Roman architecture
Muslim intellect and Christian spirit
One integrated beauty and true hall of fame
Build a Hall of Fame here
God's blessing pours here

 晩秋ア−チの駅

旅人はフランクフルトに着きぬ
そのア−チの荘重な駅に
人々の出会いと別れの交差し
秋はまた深まりぬ
その荘重なバンホ−フは
その人々をつつみ古りぬ
駅にすらその建築は威厳を付与し
人々を尊厳あるものにする
駅は単なる雑踏にあらじ
旅人はその駅に着きて
一つの歴史を刻む
まことに我はここに来たりしと
その存在を建築の中に見出し
人間の存在を尊厳ならしめる

 ヨ−ロッパの都市(建築の意味)

シュペングラーの西洋の没落が建築史から見たもものだった,建築のその時代と国の文化や歴史が凝集されているからそうなった
アテネの学堂は傑作である。そこに西欧文明の神髄なるものが表現されているからだ
エジプト文明がピラミッドに象徴されのと同じである

中心にいる人物がソクラテスだといわれる,その周りを様々な人達,天才達がとりかこんでいる,そして師と弟子は対等に並び問答する,つまり師と弟子は上下関係ではないのである。その相違が東洋とは相当に違っているのだ。
自由,博愛,平等というときそれは上下関係ではない,対等のものとして真理を美を善を追及するのである。
宗教は上下関係になりやすい,そこで人間は精神的に奴隷化されるのである。
カルト教団になると教祖が悪魔でもそれに機械のように従うだけであり偶像崇拝になる
そこに人間の自主性も尊厳もないのである。
師の危険は偶像崇拝になることである。

ヨーロッパを旅すると実感するのは建築が文明であり建築によって人間に威厳を与えているのである。それは駅までもそうした荘厳な建築になっている
それは無駄だというのもわかる,日本では駅は機能的なものとしてしかないからそうなる現代の建築には機能的な要素うかないビジネスだけの建築である
ローマのアーチでもそこには精神性が付与されている
だからルネサンスとしてアテネの学堂の中心として形成されたのである。
ルネサンスは西欧文明の精華としてフィレンツに華開いたのである。
そこにはイスラム文化も結合された,そこには宗教の血なまぐさい争いはない
平和的結合された人類の精華だったのである。
政治は常に対立であり闘争であり戦争になる,文化は違っていても互いに刺激しあい結合して一大殿堂を作るのである。

西欧文明というときやはり今の文明の基礎にある,その源がギリシャにありローマにありと中世のキリスト教にありと連続している,継続している
それ故に一大文化の殿堂がルネサンスで生まれたのである。
マヤ文明とかインカ文明は孤立文明となり森に埋もれて発展しなかったが西欧文明は結合して発展したのである。

ヨーロッパでは都市すら一つの建築物であり計画的に作られている設計されているからそうなる,日本の都市のように雑然としてはいないのである。日本の都市は無計画に作られているからそうなる
西欧文明は規律とか計画とか設計とか人工的なものを理性的に作ることが根底にある
日本の文化は自然そのものを庭でも取り入れる,自然ににせたものを取り入れる
でもヨーロッパの庭も計画的に人工的に設計されたものであり日本の庭とは違うのである
ともかく文明は建築から見るとわかりやすい,必ず象徴となる建築を残しているからだ
日本の伊勢家神宮でもそこに日本の文化を見いだした外国人がいるように精神性を示していた,質素とか簡素とかの日本文化の象徴として伊勢神宮があったともなる
それは建築とも言えないにしろやはりそういう日本文化が文明の象徴としてあったともなる

2017年11月18日

水の力(詩) シーパアーとランドパワー


水の力(詩)

シーパアーとランドパワー

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絶えず生々流動する水
万年雪の氷河の峰より滴る水
その水源から川の物語がはじまる
遠大な流れの物語がはじまる
谷間を流れ碧い淀みをなし
その深みにひそむものは何か
神秘の色に静まりぬその川の上
しかし水はまたやむことなくて流れる
その巌の間を激流となり轟く
激しく磐を打ちひびき流れる
青春の暗き激情か奔騰する流れ
遂に滝となり山々に轟きわたる
やがて平野に河は流れ下り
大地を潤し恵みを与える
ナイルは豊かな恵みを与える
三千年の文明の栄をもたらしぬ
そして大河は街と街を結ぶ道となる
物資は運ばれ人々は結ばれる
かくて大河は穏やかに河口になり
老いの安らぎがそこにもたらす
しかし河は終わるも水のドラマは終わらない
水は躍動して活きている
水は絶えず流動する力である
水は時に津波となり河に押し寄せる
陸に押し寄せて街をのみこむ
ノワの方舟を浮かべる水の力なり
津浪の恐怖は人々にその恐怖を植えつける
水は常に生々流動してとどまらない
海は老いることなく水は老いることがない
船は波にゆられ旅人も波にゆられる
その心はいつも波にゆられている
真っ赤なハイビスカスが咲き朝の見晴らす大洋よ
新たな島にまた船でわたる
海は常に未知の世界へ誘う
島には異国の船が漂着する
それが伝説となるも海の成せる業
水平線を望めば船影が見える
海より湧くように千の船が浮かぶ
海は陸のように跡を遺さない
海底深く船の残骸を沈めるも
その宝も沈みし船は幻なりしを
波は高鳴り潮は流れやまず
帆は風を受けて船を進める
かなた波にゆられて未知なる国へ
鳥が翼を休めるは一時なり
マストにとまる海鳥よ
望むは大海と島と船なり
絶えず生々流動する水よ
それは人間の心でもある
深き入江は休息の港
船のごとそこにしばし心を休める
しかしまた船は港を去り大海に出る
朝日は輝き上り海は船を迎える
波にゆられ心もゆられて
旅の日は終わらず探検の日はつづく
旅人は常に新たな島を地を踏む
そこに知られざる花を見て人の生業を見る
沖縄の遠き小島のあわれかな
井戸の水は枯れて村は移りぬ
島は外部との交流なしでは生きられない
島と島を船が結ぶ
水は激しく流動してやまない
河はまた大地を穏やかに流れて
人と人を街と街を結ぶ
河は文明を作り海は島々を国々を結ぶ
海を制するものは陸をも制す
シーパワーにランドパワーよ
世界の雌雄は海で決する
ギリシャはペルシャ帝国に船団を編成して勝つ
七つの海を支配しイギリスの栄あり
陸の帝国は万里長城を作り国境を作る
そのために中国人民は莫大な労役にあえぐ
海には国境は作れない,海は自由に航行する世界の道
だから光りあれの次は水のあれになる
最初に水が地球をおおうなりしを
躍動する水よ,衰える知らぬ水よ,循環する水よ
地球は水のめぐり活きるなり
陸は老いても海は老いることはない
水は万物を浄化する奇跡であり
海は常に若々しく荒々しく陸に対峙する


人間の歴史をふりかえると陸を中心に展開されてきた,エジプト文明がそうである。陸の文明は川と一体となり作られたのである。エジプト文明はナイルの賜物というときそうである。ナイル河なくしてエジプト文明はありえなかったのである。
ただエジプト文明は地中海があっても海には広く乗り出さなかった,陸にとどまったのである。レバノン杉とか利用するためにその辺までは進出したが地中海の航海はしなかったのである。

人間の歴史は陸を中心に長く展開されたのである。海に乗り出す船の技術がなかったからである。ただ地中海がありそこが船の技術を発展させた,そこは海なのだけど大洋とか大西洋とは違う内海だったからである。それが航海の技術を発展させたのである。
それでギリシャは最初の海洋国家ともなった,ローマとか対岸の中東にも植民都市をもったからである。そこからギリシャのコインが発見されるからである。

イタリアのナポリとかフランスのニースでも新しい都市というギリシャの植民都市の名である,ギリシャ語なのである。そしてギリシャは陸の最大帝国ペルシャと戦争して勝った
それは船団を利用して勝ったから海洋国家として陸の帝国に最初に勝ったとなる
ギリシャはまた島が多いから島を結ぶ航海に適していたのである。

それからローマ帝国に対抗したカルタゴも海洋都市国家であり軍港があり船の技術でローマに抵抗したのである。ローマは陸の帝国だが地中海に進出したからカルタゴと争うようになった
ランドパワーというとき中国でもそうである。万里長城を作らねば敵に攻め入れられると国境を作るために莫大な労力を費やしたのである。
ランドパワーを維持するためにはそれだけのエネルギーが必要だったのである。
そこでエネルギーが消耗してしまうのである。

地中海ではベネチアなどの都市国家が栄えたのもシーパアーがあったからである。
ランドパワーの歴史がつづいてもシーパアーの力もあったのがヨーロッパだった
バイキングなども貿易もしていたとういからシーパアーの力をもっていたのである。
ただ野蛮的なものではなく貿易をしていたからそれだけの国ではなかったのである。

その後もやはりランドーパワーの戦いだった,ナボレンでもそうだし第二次世界大戦はやはりランドパワーの戦いだった,ただ太平洋戦争というようにその時アメリカはシーパワーの国となり日本に勝ったのである。
大航海時代からすでにシーパアーは地中海によって養われていた,そしてコロンブスが新大陸のアメリカを発見したのである。
イギリスが七つの海を支配するというときもシーパアーによっていた

日本の歴史をふりかえっても邪馬台国がどこにあったかというと九州や奈良説があるがやはりそれも地理が関係していたのである。
瀬戸内海は地中海とにていたから船の交通があったからである。
ただ不思議なのは大阪から奈良の盆地に都が作られたことである。
そこでは三輪山が御神体になる山の文化となったのである。それが日本的な特殊性だとなる

明治維新でも薩摩とか長州とかが主導権をにぎったのはやはりシーパアーでもあった
薩摩は中国ともすでに貿易していたのである。
海外の進出も九州とか瀬戸内海とかを中心に展開されたからである。
だから会津となると山国でありそうした地の利がない
幕府でもやはりランドパワーに依存していたのである。
坂本竜馬が海援隊を組織して会社のようなものを作り商船をもった
そういうことは会津などではしにくいからである。
東北はランドパワーでありシーパアーをもち得なかったのである。
江戸幕府も船をもったが遅れたのである。

いづれにしろランドパワーの国は河が交通路となり文明を築く,エジプトはナイル河があり中国は黄河があり揚子江がありヨーロッパでは大きな河が交通路になり結ばれて発展する,河が人々を結ぶ,封建制の王権に対してもハンザ同盟とか商人都市国家を形成したのである。それは河で結ばれていたからである。

世界史でも日本史でもどうしても歴史をみるとき地理がわからないと根本的なことがわからないのである。世界となると広すぎるから日本的感覚では理解できないものとなる
砂漠はないし大草原はないから交通の果たす役割が理解できないのである。
シルクロードとなると長大な道だけどそれも砂漠とか草原を通るから自然の道があるから生まれたとなる,ランドパワーは陸の道から形成されたのである。
でもシーパアーの時代になったとき過去のものとなったのである。

日本の謎は海に囲まれていてもヨーロッパのようにシーパアーが発展しなかった
そして不思議なのは山が多いから大和(やまと)というとき山の国から起きたとなる
海に囲まれていても山の国となったのである。
海に囲まれていても太平洋と地中海ではまるで違ったものだったからである。
ただ韓国とか中国とかの交流は古代から行われていたのである。

その後日本が鎖国したのはなぜかなとる,シーパアーとして発展しなかった
それは山国ということもありそれが影響したのかもしれない
海を渡って貿易するというシーパアー国になりえなかった
日本は山が多く盆地のように閉ざされてしまうこともある,海に囲まれていても精神的にもそうなりやすいともなる
日本は平原とかがないから大きな河もないし交流が山でさえぎられ阻まれるのである。
そうなると大きな統一国家を作ることが困難になる

それで面白い指摘は蝦夷国家襞日高見国家が形成されなかったのは日本海側の新潟県とか秋田県とかが山にさえぎられて交流できず大きな国家形成ができなかったためだというのもそうなのかとなる
福島県は阿武隈山脈がありこれは低いにしても福島市とか中通りとはばまれる
それでかえって地理的には仙台に近く交流も活発になるのである。
交通でも便利だからそうなる
人間社会は歴史でも地理的影響が大きくそれで歴史も決まるともなる

伊達政宗は東北ではめずらしく海に展望を求めた,家康に対抗するためにスペインに船を派遣したからである。そういう発想はなかなか東北ではできない,ただ宮城県は良港が多いからそういうことができたのも地理である
福島県にはそうした大きな港はないからである。入江とか島がないからである。

ともかく水の力は驚異的である。それが津浪で実証された,ノアの方舟もありえると実証された,それだけ水は地球を作ったとなるのである。

船の旅は日本で相当にした,東京から沖縄まで行ったのが一番長かった
貨物船のような船で一週間かかった,その時飯食べるのが楽しみであり飽きた
だから世界一周とかの船旅があるが飽きる,だから食べ物が良くないとまた飽きる
同じようなものを食べていると飽きるのである。
この船旅もまた時間の余裕がないとできない,この世の中金だけあってもできないことが相当ある,会社員だと時間がとれないのである。
自分の場合は時間だけはあった,だから旅しつづけたのである。

外国は五十才から行ったから遅かった,でも地中海を船で行った時は気持ち良かったのである。今はいろいろ旅を回想するだけである。
日本は島が多いから島を船でわたる旅は楽しいとなる,それは沖縄が船旅を楽しむにはいいとなる,日本は島国だけど旅するには変化があるからあきないのである。

2017年11月16日

ドイツのライン河の詩 (河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)


ドイツのライン河の詩

(河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

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さわやかなる秋の朝,マインツに船はよる
古い教会のマルクト広場に市がたつ
色とりどりの菊の花が所狭しと並べられる
ラインの岸辺の街の一つ
ポプラの直なる樹々が風にゆれる
悠々とラインは下流へと下る
河は街と街を結び
自由なる商人をはぐくむ
またもの寂びた古城は何語る
城壁は崩れ王の悲劇の物語
ここより下りてケルンの街よ
名高き双塔が天に聳え立つ
その建築の合理性と気高さよ
重々しく貨物船がラインを下りゆく
かなたオランダもイギリスも望まん
一望するドイツの広らかな大地よ
その胸に抱かれてラインは流れぬ
厳かにゴシックの大聖堂に祈りは献げられる
かなたまで鳴り響く鐘の音よ
その千年の石の重みよ
ここにキリストの信仰ははぐくまれぬ
聖歌はここに荘厳に鳴りひびきわたる
バッハのカント,重厚なベートンベンの音楽
ネッカー河畔の晩秋の哲学者の道
落葉を踏みて深い思索にふける
ドイツは生みぬ世界的哲学者を
ハイデルベルグは中世の最古の大学
ここに学びの歴史は始まる
修道士ありて勤め学問の始まる
ドイツの深き森よ,実直なる樅の木よ
その森厳なる大地に育まれしもの
そこより荘厳なる楽が鳴りひびきわたる
ラテンのフランスと分かつライン河
霧深きドイツの大地と黒い森
独自の文化はここに育まれぬ
ドイツにとどまらじ限りなき霊感を生む地球よ
国々の精神はその土地土地の地勢により作られる
それぞれの土地の魂(たましい)を歌いあげよ
剣を捨て国と国は争わずそれぞれの詩を示せ
その時地球はパラダイスとならむ
国々はただ神の与えしもの
国土は神より賜りしものと知るべし
国は国のものにあらじ神のものなり
国はその国のもののためにのみにあらじ
国々はその神に与えられた天分を果たすもの
地球は壮大な一つものにあれ
誠の詩人は大いなる地球を歌うものなれ
天上の国を歌うものなれ地球を讃歌せよ
ただそれぞれの土地は人の心をしばりつける
しかし詩はその鎖たちきり解き放つ
自由の鳥は境を越えて飛翔する
その憧れはやむことなくも
ペガサスとなり大鵬となり天翔る
その翼は不死鳥となりて燃え上がる
そして天空の星座となり連なり
地を離れて永遠に輝く・・・


ヘルダーリンというとドイツの国民詩人になるだろう。それは父なるライン川を詩にしたからである。
日本人にとって外国がわからないというとき例えば四大文明が河から生まれたというとき理解できないのであるエジプト文明がナイルの賜物というときそうであるか。ナイル河と離れてエジプト文明はありえないからであるその他のインダス文明でも中国の黄河文明でもそうである。
インドのガンジス川を理解せずしてインド文明を理解できない、ヒンズー教でもガンジス川をアイディンティティとしているからである。
日本が世界の文明を理解できないというときこうした大きな長大な河がないからである。
日本の川は山が迫り短いし外国人が滝だというときそのことを語っている
外国の川は流れているのかいないかのかわからない、運河のように見える、現実に川は運河の役割を果たしていたのである。それは最初の交通路になっていたのである。
だからエジプトの河岸からピラミッドに通じていた、港の役割を果たしていたのである。
ナイル河を運行していた船はすでに大きな船だった、その距離も長いから河は最初の道だったのである。
その長大な河に沿ってエジプト文明が成立したのである。

ナイル河の岸辺の神殿に船はよりぬ
月影に照らされてヒエログリフの文字何語る
はるかなる遠き日よ、月影に浮かぶ神殿
船は去りゆく、静かなるナイルを下り・・・
星辰はきらめきピラミッドが砂漠に影なす

船でよった神殿は月影に照らされて神秘的だった、こうしてともかく河がいかなるものか日本人にはわからないのである。ナイルが洪水になってもその泥は肥料となり麦が作られたのである。そしてすでにビールも作られていたのである。
ナイル河とかインダス河とか黄河とか揚子江になると長大な河が一本大地を貫き流れている感じになる
でもヨーロッパの河になるとセーヌ河がありライン河があっても支流がありその支流も日本のような支流ではない、船が運航できる河なのである。だからこそ河が交通路となり商人が行き来してハンザ同盟とか商人の同盟がヨーロッパでは生まれたのである。
ヨーロッパは河が道路となり結ばれたのである。

河というときバイキングとかがセーヌ河を上ってきたのである。バイキングは船でイギリスとか地中海とかまで航海した商人でもあった,川は海からの交通路であり入口にもなり出口にもなっていた、だからライン河の出口にオランダが独立した、オランダは河と海で結ばれた国だったのである。
河といきうとき下に流れるだけのものとみているが海から見ると川を上るものとなる、アイヌでも河口は河の尻として地名化している河で怖かったのは津波がまず川から上ってくる、それは早く上ってくる、あの多賀城の小さな砂押川でも津波がさかのぼってきたから驚いた、海というものがその小さな細い水路に海の水を押しだしてきたのである。
海から来る水の圧力がもの凄いものだったのである。

河は気高く泡立って流れている−ライン河こそは
更にこのすばらしい仙境の最大の魅力だ
何千回となく曲がるたびに その都度
前よりももっと新鮮な美を展開して見せる
(バイロン)

雪の峯は大地にそそぐ
この上もなく清い水を 生まれながらに
あなたが純一なのは そのためなのだ
根源の近くに住む者は その場を離れない
そしてあなたの子なる もろもろの街
ネッカルのほとりの街
それらの街はみな思う ここにまさる住処はどこにもないと
(ヘルダーリン−漂白)

雪の峯とはアルプスの峯である、氷河と磐のアルプスから清涼な清水の一滴である。
それがラインの上流であり源である。ここではアルプスに通じている、そして黒海で交わる
あとはギリシャがヨーロッパ文明の礎の国としてある
ただ今と違ってヘルダーリンは世界を旅していない、視界は限られているのである。
今は別に特別な人手でなくても世界旅行ができる恵まれた時代なのである。

ライン河沿いの街をその子として表現しているのは面白い、実際にそういうものなのである。
河が産んだ街なのである。こういう感覚は日本では生まれないのである。日本の国は国造りでは海から生まれたからである。
イザナミ、イザナギは海の神だったからである。

美しきラインの眺め
山を離れたその後で
満ち足りながら よき営みの内に
あこがれる思いを鎮める
父なるラインは土地を拓き 愛する子らを
みずから築いた都市に養う
(ヘルダーリン−ライン)

根源の近くに住む者は その場を離れない

こういう表現もこの時代密接にドイツの大地と結ばれていたから生まれた詩である。
深くドイツの大地とアイディンティティ化されていたからこういう詩が生まれる
それは自分でも自分の住む場所でそうしてきたからである。
根源とはthe fundmental deepest homelandとなる

そして河が街を養うという感覚は河の文明なくしてありえない表現なのである。それはいかにく深く河と結びついているかを知らねばならない,それはナイル川でもそうだがガンジス川でもそうであり黄河や揚子江でもそうなのである。
河がまさに文明を産みだしているからはそういう表現になったのである。
ヨーロッパの都市は一つの国であり街は独立した市民のものだった,そういう都市が多いというときそこから文化が生まれたのもわかる,その都市を作ったのが河だったのである。

■文明はなぜ砂漠地帯に発生したのか?
 
   文明の成立の第一条件は多くの人間が集まり、大社会を作ることにある。集まるための条件の第一は、移動が楽だということだ。砂漠は一般には酷暑乾燥の過酷な土地で、旅行するのも命がけだと思われている。しかし、点在するオアシスを結んで行けば意外と楽である。足もとは砂だからどこでも歩くのは比較的容易だ。砂漠というと歩きづらい「砂丘地帯」を連想させるが、砂ばかりとは限らず、土漠、岩漠などもある。反対に歩くのに難儀するのは、湿潤地帯ではなかろうか?
http://home.e08.itscom.net/21water/bunmei.htm

このサイトでは移動しやすい所に人が集まりやすい所に文明が生まれたという説である。日本はいたるところ湿地帯だから移動しにくい,それで文明を作りにくかった、道がないと大きな国は作りえないからである。大きな国は移動しやすいと作りやすいということがある、それでローマ帝国は道をはりめぐらしたのである。

いづれにしろそれぞれの国はその国土から生まれた,国の精神もそうである。大和魂でもたましいというときその土地から生まれたものなのである。土地から離れて魂(たましい)もありえないのである。日本なら万葉集が日本の国土と一体化したものだった
なぜなら大和とは山の戸口でありヤマトは山を神とする国となるからだ、日本では山にその根源を置いているとなる
三輪山は山自体が御神体になっているからである、それが日本の根源なのである。

ただ日本でもそうだがその国土を歌う詩人は生まれていない、日本の詩人でもそうである。何か芸人的詩人なのである。
ヘルダーリンのような詩人は生まれていないのである。
俳句とか短歌ではどうしても詩としては短いから大きな詩となりにくいからだ
そして現代とは工業とか経済とかに席巻された時代である。
だからシュペングラーの言うように西欧文明の没落とかなる,その本が数からははじまっている
人間は言葉でも商人の言葉となりただ機能的言葉となり本来の詩語だった言葉が数字のようにもなったことを嘆いている
言葉が死んだというときそれが現実の自然の像とも結びつかないからである。
だからそもそも根源なるものから人間は乖離して人間としての像を持ちえないのである。

言葉は本来自然の事物と石でも樹でも山でも一体不二のものだった,だから荘厳なものとして言葉はあった
神聖なものとしてあった,ロゴスとしてあった,言葉は今や貨幣なのである。ただ商業的経済的なものとしての流通物なのである。
そしてその貨幣に人間はけがされて貨幣が神のごとくなってしまったのである。
真実の言葉はそういうものではない、それは大地と自然と一体化したものであり荘厳なものだったのである。
一面言葉をもって人間となったともいえるからだ
だから言葉を軽んじることはできないのである。言葉を軽く扱うことは危険なのである。
それは魂までも心をけがすからさである。だから宗教は山に籠り沈黙の行をしていたというのもわかる

それぞれの国の栄はもともとそれぞれの国土から生まれていた、河の文明は河が都市を街を産んだように河が文明を作ったのである。その大河が日本にないからそもそもその文明を理解できないとなる
外国人が日本は温泉だというときまさに山の国、火山の国、地震の国だからこそ温泉があり日本の国土から生まれた恵みだったとなるそういう恵みはそれぞれの国々に与えられている、砂漠の国にはなにもないかというと石油が与えられていたからである。
神はそういう点公平だったのかともなるのである。

2017年11月07日

城は何を意味していたのか? (城は建築は文明の象徴でありまた権力の象徴だった)


城は何を意味していたのか?

(城は建築は文明の象徴でありまた権力の象徴だった)


●建築は文明を象徴したもの

建築は文明を象徴したものとしてあった,城の美とかを自分も追及した,白壁であり簡素であり質実なものが城にはある,その建築には日本の精神と美がある,建築には必ず人間の精神が反映されている,建築物を見るとその国のまた一時代の文化が具体的にわかりやすいのである。
だからヨーロッパの建築は多様である。教会でもろいろいろに別れている,
ビザンチン建築ゴシック建築ロマネスク建築ルネサンス建築イスラム様式建築とかありその時代をみることができる,ローマ風というとき建築の歴史の基礎はローマにはじまっているからである

arch- の語源を辿れば、古代アテネ ancient Athens の第一執政官 archon に行き着く。archon は統治者 ruler であり、命令を下す始まりの者 begginer である。ここから、
arch-(pre-vowel), archi-(pre-consonant) : <接頭語>第一の、首位の、始まりの →昔のの意味が生ずる。

「首位の」
archangel [ɑ'ːrkèindʒəl] : n. 大天使 cf. Michael the archangel 大天使ミカエル
architect [ɑ'ːrkətèkt] : archi-(統治者) + -tect(造り手、大工 cf. tectonics, technology) → 大工の棟梁 → n. 建築家、設計者、発案者

Architecture

建築はこのように統治するということに結びついている,文明を見るときエジプトであれローマであれマヤであれキリスト教文明であれ建築を見てその文明を見る,建築が文明を象徴しているのである。
だから日本の文明というか文化というか最も象徴しているのが城だとなる
しかし現実に活きていたときの城は明治以降廃止された,その時城は邪魔者扱いされていたのである。あの姫路城が10万くらいで売りに出されていた,貴重なのは城ではなく燃料になる木の方だったというのも今になると信じられないとなる,なぜなら熊本城でも地震で壊れたら何百億円でも直そうとしているからだ,名古屋城で金がかかっても木で作ろうとしている,それだけ城の価値が見直されているのである。
その時時代の変化で城とか侍は一気に価値を失った,その変化があまりにも大きかったのである。だから今になって明治維新を見直す風潮になったのである。
つまり3百年つづいた侍の時代にもいいものがありそれを全否定したことで後悔しているのである。日本人は太平洋戦争でも負けたらころっとアメリカ追従になり文化まで否定する,全否定してしまう,そうなると文化の継続が消失してしまうのである。

城の美学

●城には桜も木も植えられていなかった

桜の名所に選ばれているお城は全国にたくさんありますが、実はお城に桜が植えられたのは明治以降のこと。1873(明治6)年の廃城令で大半のお城が取り壊され、廃城処分で民間などに払い下げられた際、市民に公園として開放されるようになって、桜が植えられたケースが多いのだそうです。

【そもそもお城に樹木はなかった!?】

では江戸時代まではどうだったかというと、そもそもお城に樹木は植えられていなかったそう。なぜならお城が攻められた際、樹木は視界をさえぎり、敵にとっては絶交の隠れ場所になってしまうから。江戸時代に幕府の指示で描かれた城の絵を見ても、樹木が確認されるお城はほとんどなく、あってもほんの数本。それも万が一のときに食糧や薬、燃料になる松、椎の木などだったそうなんです。

城は明治以降は無用のものとされた,でもその後城は公園とかなり庶民の憩いの場所となり鑑賞する場になったのである。
城は鑑賞としてだけ見るようになった,城についての詩歌でも俳句でも短歌でも城がなくなってあとに作られたのが多いのである。
今城には必ず桜が咲いて映えるが桜や木は城に植えられていなかったのである。
いろいろな城の詩でも城がなくなってから作られたのである。

春高楼(こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い) でし 昔の光今いずこ

これもそうだし城がなくなってその城があったときの時代を偲んでいるのである。
明治となるとまだそういうふうに城があったときを記憶している人がいるからだ

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ 島崎藤村

これもそうだった,まさにそこはもう城があってもそこに寝ころび休む場所にすぎなくなっていたのである。そして雲がいづこともしらず流れてゆく,放浪の詩人がただ廃墟と化した城を偲んでいるのである。

「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸はれし十五の心」石川啄木

これもやはり城はただ公園となり遊ぶ場所と化していたのである。

●城があった時城は近寄りがたい怖いものだった


人寄せぬ桜咲けり城の山 

鎌倉や今はかゞしの屋敷守 一茶

絶頂の城たのもしき若葉かな 蕪村

二本松城の跡かや蕎麦の花 子規

城というとき江戸時代に庶民からどう見られていたのか?一茶だとこんな感じになる
一方で蕪村は頼もしとあるから城がありそこで庶民を治めるものを賛美していることになる,これはただ美的にも見ているのである。
不思議なのは芭蕉には城の俳句がないのである。これはなぜなのか謎である。
城というのはともかく一番目立つものだったからである。
今では必ず城を見ることになる,でも城があったときはその城の中には入れないのである城に入れたのは侍でありそれもよその藩の者だったら招かれなければ入れない場所だったのである。

一茶のそこのけそこのけお馬が通るというとき何か侍に対していい感じをもっていなかった,それは侍は当時権力者だったからである。
おそらく庶民は侍に対してはそんな感じで見ているのが普通である。
その時の庶民の気持ちはなかなか今になると察することがむずかしくなる
普通の感覚では「人寄せぬ桜咲けり城の山」ここでは桜が咲いていたから不思議である。桜が咲いていたとしても人をよせつけないというより第一城には庶民など入れないのである。遠くから見ているだけである。居丈高に城が庶民を見ているだけだとなる

時代が変わると何が怖いものか変わってくる,侍の時代は侍が怖いものだった,それはやはり権力をもっていたからである。その前は僧侶や貴族なども怖い存在だった
なぜなら僧侶は教会とかを支配していた支配者であり日本でも僧侶は大寺院を有した権力者だったからである。宗教を恐れる前にその権力を恐れていたのである。
それは今のカルト教団にも通じている,その背後にある数の権力とか権力と通じていることで恐れているのである。
時代によって怖いものは変わる,今は医者などが怖い存在である。医者は今の権力者でもあるからだ,医者だけは尊敬されているからである。
あとは金持ちが今の一番の権力者になる,金さえあればその内容は問わない,一番の権力をもつことになる,昔もそういうことはあったがやはり時代によって怖いものは変わってくるのである。

鎌倉や今はかゞしの屋敷守 一茶

この屋敷も鎌倉に幕府があったときは権力をもった武士がいたから怖い場所でもあった,それが一時代すぎたとき案山子が守ってるだけの廃屋のようになり怖いものがなくなったのである。

牛砲打つ地城の上や雲の峰 漱石

二本松城の跡かや蕎麦の花 子規


1871年(明治4年)9月9日から、皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射されていた。
牛砲による正午の通報は、現在の東京都区部の大部分で聞こえ、その音から「ドン」と呼ばれ人々に親しまれていた。

江戸時代には、江戸市中に時刻を知らせるため「時の鐘」を鳴らしていたが、明治時代から牛砲となり、1929年(昭和4年)5月1日にサイレンに代わり、1938年(昭和13年)9月まで続いていた。

漱石の俳句は城が頼もしいものとしてまだ感じていたのか?明治になり時を知らせるのが牛砲になった,大砲を打つ音になった,ただこの俳句は城がまだ当時のように活きている感じになる
一方で二本松の城となるとそこはなにもない蕎麦の花になったのである。
明治維新で薩摩長州軍に荒らされてそうなったともなるのか?
ただ一般的に明治維新後姫城すら全く価値ないものとして売られようとしていたのだから明治の変化はあまりにも大きかったのである。
人間社会は時代によって怖いものが変わる,侍が戦争中は軍人が怖いものであり威張っていたのである。でも今自衛隊の人を怖がっているか?
警察は怖がっているが今庶民にとって自衛隊員は下位のものとなっている
こういう時代は平和でいい時代だとなる,警察が庶民にとって怖いのはやはり今では一番権力をもっているからだとなる,暴力装置でもあるからだ

侍と庶民がどういう関係にあったのかはわかりにくいがこの祭りは面白い

馬威し-武士と庶民の正月行事
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ここでは侍と庶民が交わり身分も関係なく庶民が馬の邪魔をしている,ここに身分の差別はなくなっている
ところが相馬野馬追いでは御行列とかといって二階から見るなとか何かとうるさいのである。野馬追いは侍時代の身分差別を意識するときでもあるのだ
馬上から野馬追いに出る侍となった人は威張れるのである。
だから野馬追いに出たいという人もいる,野馬追いに出るからといってその人は別に普通は庶民にすぎなくなっているからだ

馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

馬に乗れるのは身分によって決められていたのである。侍しか乗れなかったのである。
そういう身分社会のことを今になると理解できなくなる

ただこういう祭りがあったということはやはり何か侍と庶民が交わるということもあったこういうのは実際は例外的でありなかなかなかったとも思う
とにかく今城を見ているのと江戸時代に城を見ているのとは全く違っていたのである。
歴史を見るとき今の時代から見るから必ず誤解して見ているのである。
つまりその当時を生きることはできないから必ずそうなってしまうのである。
今は城は怖くない,ただその美だけを鑑賞しているのである。


2017年10月26日

白鷺の詩(2) (自然から離れた文明の醜悪 )


白鷺の詩(2)

(自然から離れた文明の醜悪)


天から優雅に舞いおり
地に汚れることなく
白い衣を着せられて
何ものもまとわない
ただ純白の白い衣の映える
光の中に、緑の森に,大空に
何かたりぬとそから聞こゆることなし
その水辺に,野に、大空に・・・・
ただ日々神にありて神に養われる
そにに付け加えるもの一つとてなし
神の造られしそのままに変わるらじ
人よ、そは何故に醜しや
美服を飾りしもそは醜し
汝より純粋な美は生まれじ
汝は営々と働き努力せしも
しかるに地は汚れゆくや
神の成す業は永遠に美し
天より白い衣着せられて
その身は軽やかに地におりて
また天に舞いたつや
地を汚すことなく神の園生にあり
その身は軽く浮上して飛翔する
そに誠の太陽は輝き映える
そは一枚の白い衣を残して
天使のようにかなたに去りぬ
人よ,何を遺さむ
財を遺せば争いの種
一編の詩を遺して去るべしかな

都会と田舎の問題は一つの歴史的にも人間のテーマである。文明とは田舎のことではなく都会のこと都のことだからである。
ただ逆に文明という大きなものではなく文化は田舎から生まれた、civilizationとcultureは別物だからである

栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と語られています

キリストがこう言ったとき一輪の花とは自然にあるものの全体である。だから一輪の花とは限らないのである。自然全体のことでありここで詩にした白鷺のことでもそうである。

常に疑問なのはなぜ東京のような所に人は住んでいられるのか?
それが田舎に住んでいるものには解せないとなる、満員電車に家畜のようにつめこまれてビルの谷間で混雑する人でひしめく都会に住めるのかとなる、しかし現実には東京に日本でも人口の一割は住んでいるし大阪でもあれだけの人間がひしめき住んでいるのである。
確かに都会には都会の良さがある、しかしその良さは自然からかけ離れた世界であり美はない
東京のようなところが文明の成果なのかとなる、文明というときエジプト文明とかローマ文明とかキリスト教文明とか仏教文明とかマヤ文明とかあるけどそれは明らかにやはり自然と融合した文明である,自然と調和した文明である。
エジプトのピラミッドでも砂漠という自然と調和して生まれた、そして動物を神としたアニミズム文明だったということは今の文明とは違う,動物が現代文明では排除してきたからである。
文明は自然の生態系と分離しているのが現代文明の特徴である。それを可能にしたのは石油とか原子力によるエネルギーの創造だったのである。そこから電気も造れたからである。
一面現代の文明は電気文明なのである。だからこそ電気がない社会は考えられないのである。そのために原発事故も起きたのである。

人間は営々と社会を良くするために働き努力してきたのである。その成果がなぜ東京のような大都会でありそれが労働の成果なのかとなるときまさに

栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

それは花というのではなく自然が映えない、自然はすでにもうそこにはないてのである。
でも文明の恩恵は田舎でも受けている、都会と同じような暮らしをしているしむしろ飯館村などは一軒が森につつまれていて暮らしていた、それは田舎から比べると贅沢である。でもそのほかは病院がないとか不便だったのである。
だから本当に住みやすいとなると中都市である、そこでは田舎的なものと都会的なものが融合するからである。
ヨーロッパでは中都市が多くそこから文化が栄えたのである。

美というとき何が美なのか?それが人間には見えていないのである。女性の美にしても性欲的美でありそれは美ではない,人間の美は虚飾の美なのである。それに比べて自然の美は神そのものが造った純粋な美なのである。
だから鷺など当たり前にいるものであり注意しないものもいる、田舎に住んでいて田舎の人自体が別にそうした美を見ているわけではない、そこに価値を認めていないのである。
要するに田舎の人でも都会的なものに憧れているともなる、なぜなら田舎の価値を知って住んでいる人とは限らないからである。
だからこ原発事故発は金になるとして受け入れたのである。

そうなると都会と田舎でも変わりないとなる、その価値観は変わりないとなれば都会に住もおうが田舎に住んでも同じだともなる
ただなぜ人間は美に関して鈍感になってしまったのかということである。まず景観などに注意する人は少ない
だからこそ東京のような都会に住んでいても平気なのである。そこで文明の贅沢を享受すればいいとなるからだ

過去の文明は仏教文明でも美を創造している、今の仏教文明はカルトであり宗教とは何の関係もないから美など創造しようがない、
物質的なものだけを追求しているから別にほかの人何の変りもないのである。むしろ宗教によって欲が刺激され深くなっているか異常なのである。それは都会から生まれた宗教だからそうなっている
宗教は砂漠から森の洞窟から山岳か生まれているからである。そういう宗教は健全だったのである。

人間は物質文明の奴隷になると公害が随所に発生する,足ることを忘れ欲望のままに動いていますと大気は汚染され太陽は見えなくなります
汚れた空気が私たちの肉体をおびやかすようになる
人の心もこれと同じです,生まれたときの美しい神の心のままに生きていれば問題ないのですが五官,煩悩にふりまわされ欲望のスモッグを心に作り出してしまう
(悪霊-高橋信次)

原発事故は必ずしも科学だけの問題ではない,人間の心からも生まれた問題なのである。農家の人が親から農業など金にならないからやるなと殴れたというのは極端にしろそういうことが田舎であった,その人は原発で働き工事現場を渡り歩いたのである。

いづれにしろ鷺が津浪や原発事故六年すぎてもどったのはには感激した,それはやはり田んぼが回復したからである。そこに餌があるからもどってきた,人間が避難区域になったところにもどらないのは餌がなくなったからだともなる
なぜなら田んぼがなければ畑がなければ食料もないしそこで暮らせないとなるからだ
そこでの暮らしは廃炉作業とかの街になる,それは故郷とか田舎とは言えないものとなるつまり田園あってこそ田舎だからである。
風力発電とか太陽光発電とかドローンとか何かそうた工業だけの世界になると都会と何ら変わりなくなるからだ。

田舎でも田舎の価値を求めて生きていたとは限らない,都会的価値を求めて生きていたともなる,田舎の良さを何か気づかないで生きていたともなる,だからこそ容易に自然でも破壊されたのである。ただ原発を廃止できないのはそれが労働組合でも一体となりものすごい利権となっていたからである。
官僚でも検察でも天下り先としての利権がありそこが利権の温床になっていたのである
だからこそ原発にかかわっんた官僚でも東電でも誰一人として罰せられないのである。
そもそも罰する人間が利益にあづかっているからできないのである。

2017年09月22日

中南米の悲劇はなぜ起きているのか? (文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


中南米の悲劇はなぜ起きているのか?

(文明の挑戦に応戦できなかった-日本は応戦できた)


メキシコ、ブラジル、ホンジュラス、ベネズエラ。 
全部中南米ジャン。あと、西インド諸島の土人も来るな。 
キューバ、ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ。 
何でアメリカの周りは、カナダ以外クズしかないのだろうか。 
統治を行った、スペイン様、ポルトガル様、フランス様に感謝しなくては。 
土人に文化を与えた、神の子供たちである、白人様。

スペイン人が入って文化、宗教をボロボロにしてしまった 
社会に相互の信頼関係がない 
インカ人やマヤ人のままだったら秩序を保って発展できただろう

カトリック教会は、「蓄財は罪」と教えました。 労働は「神から課せられた罰」でしかありません。 
男は額に汗して働かなければいけない。女には陣痛の苦しみを与える。そして、人類には死という罰を与える。これが基本です。 
だから、おカネが貯まったら教会に寄付することが奨励されていました。 
結果として蓄財や勤勉に働くよりも消費や道楽やサッカーに励み、教会にどんどん寄付するような国民性が育まれていったのです。

アルゼンチンは人種差別はあんまないけど階級差別が酷い 
使える店も階級ごとに決まってると言うか暗黙の了解みたいのがある 
下の階層の人が上の階層の人が使う店いくと出てけって言われたり 
物売ってもらえなかったりする 
その逆も当然あって、階層が上の人が階層が下の人が使う店に来ると 
ここはアンタみたいのが来る店じゃねえつって追い出される 
だもんで安い店に行くときにあんまオサレな格好していくと 
階層が上の人だと誤解されかねないのでNGらしい 
サッカーでも上流階層が応援するのがリーベルで 
下流階層が応援するのがボカってハッキリ分かれてる

"南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。
詰まり元からの拠って立つ、基本的な文明文化が違って居たとも言えます。

南"は圧倒的にカトリック教徒の入植だったのに対して、"北"にはプロテスタントが可成り入りましたので。
カトリックが中世以来の農本主義一本槍だったのに対して、プロテスタント達はやがて資本主義を持ち込む事に成りますので。



中南米は犯罪が一番多いとかギャング集団や麻薬組織とか何かいいものが伝わってこない貧乏からもぬけだせない,それはな何なのだろうとなる
そこは文明的に遅れたとも言えない国だった,インカとマヤは高度な文明をもって一千年とか栄えている,それがなぜ今も発展しないのか?
その原因は一つではない,人間の現象は複合的に起きてくる
犯罪の原因も一つではない,いろいろなものが重なって犯罪になる
だから何が原因でそうなったのかとなると簡単には言えない

明らかなことはスペイン,ポルトガルに征服されたことである。スペイン,ポルトガルの影響を大きく受けたことである。
一方北米はイギリスの影響を大きく受けてアメリカ合衆国になった。
ところがアメリカでも南部と北部は成り立ちが違っていた
南部は農業中心で北部は工業に経済の重心を移していた
南部は綿の栽培とかで黒人奴隷を使っていた,北部は工業化してゆくから南部とは違っていた。北部と南部の争いは農本主義と工業化という生活形態の相違から起きたともとれる人間の争いは人種とかよりそうした生活形態の相違で争いが起きる
遊牧民と農耕民は相いれないのである。だから万里長城ができた
日本でもヤマト王権は稲作を普及するために狩猟採集民族の蝦夷と敵対して争いになったそしてイギリスはいち早く産業革命を起こした国である。
その産業革命の基になったのが確かに石炭がとれて蒸気機関車が発明されたとかある
それは北部で鉱物資源が豊かだったこともある。

それと宗教が関係したということが意外と重要である。
中南米はカトリックであり北米はフロテスタンとなのである。
マックスウェバーが資本主義の基はプロテスタントから起きた,
神に奉仕するための勤勉な労働が良しとされた,カトリックにはそうした勤勉な労働を良しとするものがそれほどない,時間にルーズなものもそうである。
資本主義はまた農本主義とは相いれない,今でも土地を基にしたものに資本主義がなじまない,資本主義は通用しないのである。
勤勉とか効率を求めても土地は別物だしtime is moneyといっても作物を早く実らすことはできないからだ。
農本主義からは資本主義は発達しない,北米ではイギリス人が入ってきたりユダヤ人が入ってきて金融を発達させて資本主義が成立したのである。

そしてトインピーの史観によると

「挑戦と応戦」 ・・・ "challenge-and-response"

 「挑戦」・・・社会の安定した状態になんらかの攪乱的影響を与える刺戟。
 「応戦」 ・・・挑戦に対する人間の主体的な対応の試み

中南米は高度な文明があった,しかし新しい文明の挑戦を受けたときそれに応戦する力がなかったのである。
この中南米と比べるとなぜ日本がヨーロッパの植民地にならずにすんだのか?
西欧文明の挑戦に対して応戦できたのか?
これも一つの大きなテーマとして今もある
明治維新とは何かそれは歴史的に解明されたわけではないからである。
日本の社会は江戸時代は農本主義である。そこにヨーロッパの産業革命が入ってきた。
でもそれに適応したのである。社会制度でも藩を侍をなくして国民国家として平等にしたこうした大改革がなぜできたのか?
そして資本主義と民主主義を取り入れたのである。
日本には不思議に働くこと自体に価値を認める,勤勉民族だということも言われる
今でも過剰な労働国である。それはプロテスタントシズムとも通じているという見方もある

そして日本の歴史はマヤやインカのように断絶しないで今日にもつづいている
日本はなお日本文明として西欧文明の挑戦を受けたが応戦して継続しているのである。
日本は本当はこの日本文明に誇りをもつ必要がある
中南米を見ればわかる,あまりにも外来勢力によりその歴史のアイディンティティは破壊されたからである。そこは貧困と犯罪の国としてしか伝わってこないのである。
工業化もできていないのである。

アジアでもなぜ日本だけが西欧化工業化資本主義化民主主義化に成功したいうのもなぜなのだろうとなる,中国でもできなかったしアジアではヨーロッパの植民地化された
日本だけはヨーロッパの植民地にならなかったのである。
ただアメリカとの戦争になりアメリカに敗れて属国になり植民地とは言えないまでも
属国化したのである。
日本とはこれからどうするべきなのか?
それは日本が日本文明を新たに歴史の伝統をふまえて創造する
そして日本人として日本文明に誇りをもつことでてある。
その日本文明が日本人のみではないアジアにも普及して世界的になるとき日本は誇りをもつことができる
大きな視点に立てば新たな日本文明の創出が課題となる

一方で日本は衰退するだけだとか盛んに言われる,下り坂でありそんな日本文明もなにもない,三等国に転落するだけだというのが日本の現状である。
そもそも日本文明とは何なのともなる,日本人は戦争で負けたこととか日本に誇りをもっていないのである。だから国自体の自主性がないのである。
それは個々人にも波及して自立心がないのである。
アメリカの言いなりになるとか今度は中国の言いなりになるとか自主性がもてない
それは日本がそもそも日本の歴史に日本文明に誇りをもてない,また日本文明が欧米より劣った見方をしているからである。
日本は今日本文明の再興をして日本人の誇りをとりもどすことが必要なのである。
だから日本を否定する左翼でもアメリカ一辺倒になる右翼でも実際は従属しているだけの属国でしかない,日本独自の文明がありそこに誇りをもてるようになれば左右を越えて
日本の新しい時代がやってくるとなる
それは時間的に百年とか二百年とか見ないとわからないのである。
戦後70年はその節目であり次なる時代へ向かう時代の転換期なのである。
そこに世界情勢の変化がありまた強いられるともなる

2017年09月13日

失われる文化の多様性 (交通,科学技術の発達で一様化される社会)


失われる文化の多様性

(交通,科学技術の発達で一様化される社会)


多様性とか文化とかはどうして作られるのか?
その基本は地理と地形とかがベースになる
相馬藩内で多様な場所に住んでいるのである。
その住んでいる場所で気持ちが変わる

大倉村でも戦後開墾に入った木戸木は大倉村から七曲がりの坂を上りまた草野に行くのにも七曲がりの坂を上る,大倉に店が一軒あったからそこまで買物に行くのにも半日かかりになってしまうだろう。車がなかったらそうなる
今になるとなぜそんな所に住んでいたのだろうとなる,それは戦後は働く場所がないのでやむなくそんな不便極まりない所に住んだのである。

あのような場所に住んでいると人間はどんな気持ちになるのか?
そこには確かに何度も行っているけど住むとなるとまた違う。
まさに秘境なのである。ただ日本は地形が複雑でありこうした辺鄙な所に住んでいる人がいくらでもいる,日本の多様性は日本の風土から作られたとなる

相馬藩では飯館村は一番特殊な地理的環境にあった,高原の村であり夏でも涼しい,そして森におおわれた村である。それでいつもそこは花が他より美しく咲くのである。
その環境が花を美しくさせていたのである。
その土地土地に独特の気がある。その気が飯館村では違っていた
それが原発事故でだいしなしにされたのである。

人間はそもそも多様な地域に住み生活していた,世界的にみればさらに多様な風土に住んでいる,草原で遊牧生活するもきもいるし砂漠でも人は生活している
多様な風土で暮らしていることに文化の多様性が生れる
その多様性があって人間の生活は文化が形成されて人間を豊かにしていった

ところが交通とか科学技術が発達すると鉄道とかでも世界を均質化するのである。空間の均質化が起こる,その土地土地の個性的なものが均質化してゆく
沿線には同じような街,銀座通りとか東京のまねをしたようなものができる
江戸時代だったら村でもみんな違っていた,それは他の村と交流もないとういことで個性的になっていた。
鉄道が通ると均質化してみんな同じようになってしまうのである。

そして国自体が無個性化してゆく,国は日本などでは戦争に負けた結果,常に否定されてきたのである。国家とは悪いものだとすりこまれてきた,だからアナーキーになっている無国籍だとかしきりに言うのがかっこいいとなったのである。
それは世界的兆候なのである。第一グローバル社会といのうは国家の障壁をとりはらうことを目指しているからだ,
国家より多国籍企業のように国家を越えて活動することを望むだから国家を否定するようになる,
資本主義社会でも共産主義社会でも国家は否定されているのである。
マルキシズムの思想には国家と民族は否定されるからその文化も否定される
それは資本主義でもグローバル社会でも同じなのである。

そして移民も受け入れて多様性を受け入れるとなったがその反動がきている。
移民の国,アメリカですらトランプがでてきてそうなっている
文化はcultureはその土地土地をcultivateすることによって作られてきた
例えばワインなどでも土地の名前がつけられたものがある,日本酒でもそうである。
その土地土地によってその土地で耕したものたcultivateしたものから生れてくる
別に文化というとき芸術というのではない,全体のことだからである。
ただその時相馬藩内とか狭い所でも多様性が失われるのである。
相馬藩内と三春藩内では家の作りまで違っていた,それは文化が違っていたことなのである。

だから少子高齢化で限界集落が増えて消滅してゆくことはそうした多様性が失われる
でもその多様性がありえたのは貧しくてもその土地に根付いた自給自足の生活がありえたからだったのである。
そこに便利な生活になったとき,交通も発達したとき,電気なしで車無しで生活できないというときそうした地域の生活は失われる
そのインフラ維持するだけで100倍のコストがかかるとかなるからである。
その負担は都会の人が東京の人が払うとなると不満が生れる

そんな限界集落などいらないとなるのである。
そしてコンパクトシティにしろとなる
それだとインフラでも福祉でもやりやすいからである。
飯館村辺りだと一軒一軒離れていると回るだけで時間がかかるからである。
現実に原発事故で避難区域になった町や村はそうならざるをえない
農業とか林業していた周辺地域には人は住めず町の中心に人が集まって住む

飯館村だと草野辺りが中心となり周辺の広大な地域は元の森にもどってしまうのかとなる
日本では狭い国土でも風土が多様性に富んでいる,沖縄と北海道は別世界にもなる
相馬藩内でも飯館村は別世界のようになっていたのである。
だから日本は意外と中国などを旅するより変化に富んでいるからあきないということがある,どこまでも平坦な土地がつづき大きな川が流れているだけの風景は飽きるのである。
ともかくその土地土地の風土とか文化があることによって世界は豊かなものになる
それが失われるとき世界は文化的には貧しいものとなる

熊の湯に蝦夷竜胆や羅臼かな

熊の湯というのは羅臼にある露天風呂である。 蝦夷竜胆というのが羅臼に咲いていた,それは普通の竜胆より大きいのである。
蝦夷とつく名が多いからいかにも北海道らしいとなる
その土地土地ににあった花が咲くというのも文化なのである。
都会というときどこも均質化しているからかえってつまらないとなる
京都とか奈良とかは歴史がある故に違っているが他は何かにたものが多くなっているからである。均質化して多様性が失われる

2017年09月03日

自然と結びついた言葉の重みの喪失 ( 空間に受肉したのが自然の事物-そこから言葉も生まれた)


自然と結びついた言葉の重みの喪失

( 空間に受肉したのが自然の事物-そこから言葉も生まれた)



人間は空間において受肉しているということ

『人間と空間』 フリードリッヒ・ボルノウ

この一行が興味深い表現である。受肉というときキリストが神の言葉が現実化した、肉体化した存在としてある。日本語の概念にはない言葉である。
神の言葉が空間に受肉したというとき自然も神の言葉が受肉して現実化したものである。神の言葉がロゴスがembodyした存在である。この世に実在しているものはみんなそうである。神が創造したものだからである。

むしろ言葉の前に神の創造した実在がなければ言葉もありえないのである。
山がある、岩がある、樹がある、その山も樹も岩も見ていないならその言葉も理解できないのである。
人間は空間において受肉しているということ・・・・人間はまず空間の中に生まれるから当然である。空間は常に意識されるものである。
でもその空間がただ平坦な砂漠のような所とか日本のように山が多い地域とかその空間は世界では様々な様相を示している、そうした空間が地域とか国の個性を作る
風土が国の文化を作る、そういう空間が風土がなければ個性的文化は作られなかったのである。

自然の事物は空間に受肉したembodyしたものなのである。そして言葉は生まれたのである人間はまず言葉だけから自然を理解できるだろうか?
もし海や山や湖や川や木や岩を見ない人はその言葉を理解できない、何のことかもわからないのである。例えば火星とか他の惑星で生まれたらそういう自然がない、としたらそういう言葉もないのである。
不思議なのはもし火星とかでも他の惑星に行ったとき人間は地球の記憶がありそこでなんらか地球の再現を試みる、何もない所だったら山のうよなものを作ったり川のようなものを流れを作ったりする、ちょうど庭を作るようにである。
人間は言葉だけからでは何も理解できないのである。それを裏打ちするものがあって実在があって理解できる

言葉が死んだというときロゴスが死んだというときそれはそうした実在が喪失したからに他ならない、東京のような大都会になるとそこを埋めつくしているのはビルであり車であり人である、そこには自然がない、とするとそこではすでに自然の実在がないのだからその言葉も理解できない、身体化できないのである。
言葉を失うというとき大都会の前では言葉を失う、もう言葉で表現できないからだ
言葉で表現できないものの前に立って唖然としてたたずむ他ないのである。

それはピカートとなら騒音語でありロゴスを失った原始の混沌にもどったともなる
人間は混沌(カオス)を嫌いロゴスを求めてきた、ロゴスというときこれも日本語の概念にはない、秩序とか規律とかもあてはまる、それは数学的にもあてはまる、秩序とか規律とかを求めて生まれた学問だからである。

空間に受肉するというとき砂漠だと何もないからこそそこにピラミッドが人工的に山のようなものが作られたのである。その建築物も空間に受肉した人工的実在化したものであるartifishl embodied objectである、文明をみるとき建築からみるとわかりやすい、エジプト文明はピラミッドに象徴されているしローマはアーチの煉瓦造りの建物に象徴されるその後はキリスト教のゴシック建築のようなカテドラルに象徴される
それは荘厳な空間に受肉した具体化したものとなる
不思議なのは駅までヨーロッパまではアーチの荘厳な建築があり威厳を感じる、人間に威厳を与えているのである。駅にはそんなものが必要ないという意見もあるが建築からみれば建築が人間に威厳を与えているのである。それでアティネイの学堂のようなラファエロの絵が生まれたのである。

荘厳であるとか威厳があるとかなると自然には常にそういうものがある、山や岩や樹や大地とかにある、抽象画で変化させた山の多様な姿を自分でパソコンで作り出して不思議だった、こんな多様な山の姿があるのかと自分で感嘆しているのも不思議だった
それは現実の山の反映なのだが現実の山には見えないものである
でもart(技術)がコンピュターの技術がそれを見させたから人工的なものが第二の自然でも作り出すとういことはある。

人間の顔にしても神の受肉した自然から形成されてゆくという

「だから山地の住民は,その顔に山の姿を明瞭に写している,そそれたつ岩壁は彼の顔の顴骨(侠骨)にあらわれている,小径や,秘めやかな場所や,山々の戴(いただ)きもらの顔の中にある,そして,頬のうえの両眼の明るさは,ちょうど暗紫色に襞どられた山々の上の空の明るさのようだ」ピカート(人間の顔)

詩にしたがこの辺では森が多い,飯館村だと70パーセンとが森である。
するとその深い森の影が心にいつも宿る,それが顔として形成される
都会だとそういう自然がないのだからその顔はロボットのような顔になっているのだ

現代人の顔は何なのかとなる、自然は反映されない、数式化したロボットのような顔にもなる、そこでは詩語もないしロゴスもない混沌(カオス)がある
そういう所に生きているのは精神を病むというのは必然である。
鬱病にみんななっても不思議ではない世界に生きている、人間という存在を保つこと自体不可能な環境に住んでいるからである。
そこは火星なのかどこか地球ではない別な惑星に来た感じにもなる

だからどうしても天才的なエネルギーのある人はもう耐えられないである。
そうしてニーチェとかミラーとか上野霄里(しょうり)氏とかアウトサイダーが生まれたでもこの社会では受け入れられないのである。
そういうアウトサイダーはまた恐竜のような存在になる
文明そのものを破壊するものともなるから受け入れられないのである。
でもアウトサイダーになるとき自然の中でロゴスとか言葉でも回復する
空間を風土の中でもう一度詩語が生き生きとして自然の中に脈打つ活きた言葉となるのである。それはとても東京のような所ではありえないのである。
人間はそこで統計的数字にしかすぎない、宗教でもカルトであり一票として数としてあるだけであり人間として認めるものはなにもない

人間はそこでは経済的に政治的な数としてしか見ない、統計的数として処理するだけなのである。だからそこには荘厳な人間の死もありえない、人間は一個の数字として処理するだけだとなる、それだけの意味しかもたらされないのである。
それはどんな大会社にいても同じである。人間の個としての荘厳な死がないのは生きているときからもともと荘厳な意味あるものがないから死にもないのである。
人間は無数の部品の集合体である、その一つが欠けても意識すらされない、でも小さな島のような所に生活しているとその存在が大きくなる、部分にしてもみんな大きな部分になる、小さな町のような所でもそうなる、全体というのを把握しやすくなるからである。

ただ今や小さな町であれどこであり巨大な文明の中に抱合されているから人間が部品化されて生きる、その部品化されないためにはアウトサイダーになるほかないのである。
その人は文明の中では見えないとかにもなる、存在しない、存在させられないともなる
人間は部品化したものとして専門家したものとしてしてしか職業でもないし意識されないからである。全人間など理解もできないし意識もできないのである。

原発でも地域の生態系で風土のもつ空間にどう影響するか?全体的な空間でどう影響するかなど考えない、結果的に空気も水も土も森も汚されて住めなくなくなったのである。
その影響は計り知れない、でも地元に住んでいる人も自然という風土から離れて生活しているのが現代である。第一次産業が一割にも満たない生産力しかない、だから自然との全体で空間を地域を考える人はまれである、農民は自覚したとしても少ないし純粋な農民は一割にもみたないし農業は跡継ぎがないなど否定されてきた
そういう心性がつちかわれてきたとき原発はかえって容易に地方の風土とか生態系を無視して入りやすくなっていたのである。
多国籍企業が日本でも熱帯の森を破壊しているというのもそうである。
巨大な資本がその土地土地の生態系を破壊して原発事故で水や土や空気まで汚染されて住めなくさせたのである。
森の哲学者と言われたオラウータンも住めなくなったのである。
だから原発事故は文明の崩壊現象として起きたともなるのである。


2017年07月09日

空間認識から時間的認識へ (二つは不可分に結びついて人間は存在する)


空間認識から時間的認識へ


(二つは不可分に結びついて人間は存在する)


人間が出会うとき遠くになるとどこの出身かとまずきく、外国でもそうである。
Where are you from?と必ず聞く、外国だと国の名前になる
それは地理的空間的認識なのである。
一方地元だとその人を知るとき親の代からさらに祖父の代からさらに歴史をさかのぼる
それは時間的認識なのである。時間というときそれは一代だけではないのである。
野馬追いとかなると四〇〇年前までさかのぼり野馬追いに出る人をたどる
それは時間の認識である。

外部から遠くから来た人をたずねるとき空間的なものからはじまる、長崎か遠いなとかなる、今では外国からも来るからスリランカか、ネパールか、ベトナムかとかなる
ベトナムで面白かったのは川だったのかそれが海に通じていて日本まで通じているとか土地の人が言うとき海はつながっているからそうなる
もちろん陸もつながっているのだがベトナムから海を通じて日本が近いと感じる
陸だと相当に遠く感じるだろう。その距離感覚は陸と海では違っているのである。
世界となると空間認識をすること自体が相当にむずかしい
それは地図を見てもわからないからだ、中国だと距離感覚は日本とは違っている
常に移動している距離が違う、青森が東京から遠いというとき中国人の感覚では近いのである、日常的な距離感覚が違うのである。

この遠さの感覚は乗り物とかにも影響する、歩いて行けば本当に近くでも遠くなる
芭蕉の旅でもみちのくは遠い所だった、ところが平泉まで二時間とかなると距離感覚がなくなる、すぐ近くだとなってしまうのである。
それは新幹線で青森まで行き津軽鉄道で終点の中里まで行ったとき感じた
そこでタクシーに乗って十三湊を見て帰ったがそこが遠い感じもしなかったのである。
それは新幹線だったからそうなったのである。
もちろん飛行機だと中国でも東南アジアでも日本国内より近いという感じになる
でも飛行機など途中が眼前に省かれているから地理はわからないのである。
船で行くと地理的感覚は身につく、沖縄は中国と近く中国文化の影響を受けていたことでもわかる

国内でも遠くなると外国とかでも地理的空間認識が先になる、なかなか時間的認識はできない、遺跡などは古いがそれは時間で作られたものだから認識しにくいのである。
それは日本だってそうである。城などがあるとそこから過去への記憶をさかのぼる
でもその時代がどういうものだったかを知ることは容易ではなくなる
空間の中に城があるということは誰でも認識できる、ではその城があったときの時代を生きていた人をイメージすることは簡単にできないのである。
城もほとんど新しくなっているからそこに時間を感じることがなくなる
何か真新しくて博物館のようになっているし実際そうなっている
だから廃墟趣味があるとき廃墟の方が時間を感じて人間の無常を感じる
石垣だけになっていたりするとかえってそこに時間の経過を感じる

夏草や兵どもが夢の跡    五月雨のふりのこしてや光堂   芭蕉

この芭蕉の句は空間的認識としてのみちのくがありそれより時間的認識からこの句ができた、昔の栄えたみちのくの武士の都は夏草に埋もれたというとき時間がそれだけ経過したということである。五月雨の句もそうである。金色堂が自然の風化にもめげず残っていたというのは時間感覚なのである。
一方で

荒海や佐渡に横たふ天の川

これは空間的に認識から生まれたのである。佐渡島を天の川が結ぶというときまさにそうである。
どちらかというと芭蕉の句は時間的認識の句が多いだろう。江戸時代は閉鎖された世界だから時間的認識に生きていたからである。
職人でも十何代とかつづいたとかあり代々技も受け継がれて変わらなかったのである。
それなりに世の中は常に変化しても現代のようには変わらなかった
その変わらないことが人心を安定させていたのである。
狭い地域でもソトとウチは明確に分かれていたのである。

現代は常にソトととの交流がありウチとの交流はかえって希薄になる、それは空間的拡大化した世界に生きているからである。
「福は内、鬼は外」というとき現代では逆である。外から福がきて内から福が来ることは少ない、豊かになるには外に絶えず視線を向けねばならないのである。
それはグローバルに世界的にそうなっているのである。

時間的認識もむずかしいが地理的空間的認識だってむずかしい
相当に旅をしないと実感できない、北海道を地理的空間的に理解するとなるとむずかしいそれだけ広いからである。おおよそ自分はその空間を認識している
人間は世界まで広がると空間認識だけで一生はたちまち終わる
それだけの時間が人間には与えられていないのである。

いづれにしろ駅にいてこの辺ではいろんな所から全国から労働者が来る
するとまず出身地を聞く、そこで地理的にイメージする
でも横浜の人が今日来ていて野馬追いのことを説明した。
では野馬追いの歴史となると平将門が相馬氏の系統なのですよと説明するとそれは時間的認識のなのである。その人は知識人でも何でも普通の労務者である
でも平将門は知っていたのである。そうなるとそこで時間的認識が生まれる、歴史をさかのぼることは時間的認識だからである。

人間はこうして常に空間的認識と時間的認識をしているのである。
外国になると時間的認識がむずかしくなるのは城があったとして私の家はこの城と関係していました、その王の子孫なのですなどと知れば時間的認識になる
そういうことは外国だとわかりにくいのである。
ただヨーロッパとかは石の遺跡がローマ時代のものが残っているから時間的認識がしやすい、日本だと木の文化であり二〇〇〇年前となると縄文時代であり柱の跡としか残っていないからである。日本では連続した歴史感覚時間感覚が磨かれないのである。

文明というとき距離を空間を征服する、現代だと蒸気機関車からはじまり飛行機になり車になりとモバイル時代になった、でも文明というときやはり時間の中で作られてきた
エジプト文明でもそうでありピラミッドには時間を感じる、ローマ帝国でも石造り煉瓦造りの建物に時間を感じる、中世のキリスト教の聖堂でもそうである
マヤ文明でも石造りの天文台のような遺跡が残る、そして異常に暦に時間にこだわる文明だったのである。こうした文明は寿命が長いのである。
千年とかもつづいているのだ、一方で遊牧民は移動することであり定着しないから文明が築かないのである。モンゴルでもそうである。
農耕文明は時間の文明だから長い寿命を保ち継続して文明を作る
遊牧民は一過性に空間を地理を拡大しても文明は残さないのである。

ただイスラム文明はそれなりにモスクとかを残している、そこは地理的空間的な商業都市として栄えたのが多い、オワシスとして貿易するのに都市が必要となり生まれた
だからそれも地理的空間的なものとして結ぶものとして作られた
だからエジプトとかマヤ文明のようなものとは違う、寿命としても短かったとなる
ISでもイスラム帝国でも過去の時間認識歴史の再興だと宣言したのは時間的認識があったでも空間的認識としてカリフ帝国の再現を夢見た
だから遊牧民地帯でも空間認識と時間認識がありそれは人間である限りどこにでもある
この二つは一体であり切り離せないからである。


結ばれる世界

すでにはるかな遠き日
フェニキア人は言葉で結ばれる
ギリシャ人はコインで結ばれる
植民都市は地中海沿岸に
ギリシャの壺のその海に沈む
点々と島々は結ばれる
オデッサの冒険の島
仙女の棲む秘められし島
魅せられて故郷への帰還は遅れる
ローマは道で結ばれる
アルプス山脈をも越えて
ヨーロッパは河で結ばれる
ハンザ同盟の商人都市
封建領主に反抗す
否が応でも空間は拡大する
それをとめることはできない
そこに新たな血が混入して活性化する
それが自然の法則である
この世は常に交じり合い生成発展する
文明の生き延びる道なり
変化しないもの交わらないものは滅びる
「挑戦」と「応戦」の中に生成発展する


現代とは二〇世紀はグローバル化して地球が地理的空間的に一体化した
ただ実際は地理的空間的認識は容易ではない、これまでは大航海時代までは世界の認識は狭かった、そこで中世的閉鎖的世界観しかなかった、それは時間的認識の世界である。
大航海時代から世界的認識が拡大したのである。
それはアメリカに波及して西部開拓となりフロンティア精神になりさらにアメリカは空間的拡大としてアジアに侵攻したのである。それは暴力的侵攻だったのである。
アジアはもともと古い、インドでも中国でもそうである。そこで培われたのは時間的認識である。地理的空間的拡大はモンゴルのジンギスハーンがあったがその後はない
それは一過性の拡大だったのである。
二〇世紀はこうして地理的空間的グローバル化の世界を作った、それも限界にきた
資本主義がゆきづまったというときもう投資するフロンティアがなくなりゆぎ詰まったのである。地理的空間的拡大のグローバル化は限界に来て終焉する
次は時間的認識の文明の再興になる、それはアジアで起こるのである
日本なら奈良時代から平安時代ような国風文化の再興なのである。

男性と女性の認識も違う、女性は定着的時間的認識になり男性は地理的空間的認識になる女性が地理が不得意だというとき道に迷うというときそうである。
男は絶えず空間を拡大してゆく、そのために大航海時代のような冒険になる
女性は土地に定着して子供産み育てるということで時間認識に生きる
だから双方の認識がずれるのだが両方の認識が必要なのである。
そういうふうに男女も作ったとなる、脳も根本的に違っているからである。
奈良時代は日本全国統一の地理的空間的拡大の世界でありその後はコ御殿にとじこるも女性文化の国風文化になったのである。
アジアは女性でありヨーロッパは欧米人はアングロサクソンは男性的文化で地理的空間的に拡大する征服文明だったのである。
だから次はアジアの時代であり女性的平和的文明が創出されるとなる
ただカルト宗教団体とか今の宗教には一切そういうものはない、政治化した物質化したかえって西欧化したものであり
キリスト教すらそうである。征服的イスラム的宗教になっていたのである
欧米文明は暴虐的文明であり特にアメリカはそうである。征服することが第一とする暴虐的文明でありそれに習ったのが日本でありそれがマイナスとして作用したのである。
ただ日本も地理的空間的拡大として太平洋戦争があったことは確かである。


2017年07月01日

空間的拡大の世界から時間軸の世界へ (時代の変化で日常も変わる)


空間的拡大の世界から時間軸の世界へ


(時代の変化で日常も変わる)


人間の思考でも志向でも歴史でも必ず空間軸と時間軸で展開されている
それは卑近な日常でもそうなのだ、人間の生活そのものが空間軸と時間軸で日々展開されている
まずどんな人でも空間の中を生きている、その空間も日々生活する場は市町村単位であり狭い、戦前から戦後十年までは自給自足的生活でその生活範囲は狭い
だから主に時間軸の生活が行われていた、農業とか林業は時間軸の生活である。
野菜が果物が実るのにも時間がかかる、それは木を植えて実りになるまで時間がかかる
「桃栗三年 柿八年」とかなるし木も育つまで50年とかかかる
農業とか林業は時間軸の生活なのである。

こういうことは一年間の生活でもすでに時間軸になる、いや10分でも時間軸になる
電車を待つ時間など待つ時間が時間軸なのである。
駅というのは一つの空間であるがスペースであるが待つというとき時間軸なのである。
その待っている時間が実は充実した時間になっていたのでそのことを書いてきた。
待つ時間が意外と記憶される時間なのである。
だから駅でも長く泊まっているとそこが記憶されるのである。
早く過ぎ去るから今は記憶されずにただ空間を過ぎ去るだけの時間となる

逢隈駅蝉なく声のひびきけりせわしげにのる人見つ待ちぬ

あそこで3分くらい電車交換のために待つ時間があり蝉の声がひびいていたのである。
前の新地駅ではここも電車交換で5分くらい待つ時間があった
そこで虫が鳴いていたのである。津浪のくる前はその前に海に面して新地の家並みがあった、その待つ時間が記憶される時間になっていたのである。

今日書いたコンビニで新聞の立ち読みのことでもそうである。


この人は時々新聞を買っている

一カ月の間に10回かっているときもあった

今は立ち読みしているが買うかもしれない

だから注意をしない方が良いかもしれない

なぜなら一回注意したら買わなくなるから


こういうふうに継続した見方ができないのがコンビニでありスーパーなどである

こういうふうに身近な所でも空間と時間軸の見方がある、そこには時間で積み重ねられたものがある、でも時間軸では見ていない、つまり現代は空間の拡大化した社会であり時間軸では見ていないのである。
そもそもグローバル社会というのもそうである。空間が世界的に拡大化した世界である。国内でも広域化した社会である。車社会になれば常にその空間を移動する社会になる
そのためにそもそもコンビニはその空間を結ぶものとして設置された
国道沿いに車の便宜のために作られたのである。
一つのネットワーク化された店である。それは空間的志向から生まれたのである。

だからなぜ時間軸の思考に志向に無頓着になるかというと空間志向から作られたものだからである。

カスタマーというとき習慣化しているというときそれが客になるというときそれは時間軸で見ているのである。一年間も通う、すでに5年間も通うとかなると時間軸としてその客を認識する、いつも来る客となる、そういう客をまず大事にするのは当然だとなる
だから京都では一元さんはお断りとなるのはそのためである。
時間軸から客をもてなしているのである。それはお得意さんの思考なのである。

現代は空間的拡大の社会だった、海外までも拡大化してゆく社会だった
そこで欠けたものは時間軸の思考である。
高齢化社会というときどうしても老人は空間的思考が苦手になる、第一老人は記憶に生きるというときすでに時間軸の思考が主になっている
青年は荒野を目指すなどというとき世界旅行とか空間を拡大する志向になる
老人は過去を回想することが仕事になる、それは時間軸に生きていることなのである。
時間軸で見るから深い見方もできる

これからの社会は空間拡大の社会から時間軸の社会になる、それは中世的な世界ともなるこういう時代は宗教とか哲学とか芸術文化の時代なのである。
それは歴史をみればわかる、日本でも大和王権国家の統一の時は蝦夷征服とか日本の国家が空間的に拡大した時なのである。その時唐とかの交流もあり奈良時代の文化が生まれた次に今度は狭い閉鎖的な都の宮殿での時間軸の文化に移行した
それが平安時代の国風文化になった。

世界史的にもそうである。歴史は絶えず空間を拡大するものとしてあった
大帝国は空間の拡大である、ローマ帝国でもそうである。「すべての道はローマに通ず」というときまさに空間の拡大の文明だった、そしてまた時間軸として300年とかつづいたものとして形成されたのである。
モンゴルとかはジンギスハーンの世界帝国はただ空間を拡大化しただけであり時間軸で形成されるものはなかった、遊牧民の社会は空間の拡大に向いていたのである。
砂漠と平原は道になった、そしてそこに商人が行き来した、商業が発達した
イスラムが商業の世界だというとき遊牧民の社会だったからである。
商業や貿易は空間の拡大であり大航海時代もそうだった、アメリカの西部へのフロンティア精神も空間の拡大から生まれたのである。

人間の歴史は常に空間の拡大の歴史だった、それと同時に時間軸で文化は形成されてきたのである。
そして20世紀はグローバル社会であり空間の拡大化をめざした社会である。
21世紀は時間軸の社会になる、その土地土地で耕す文化の時代になる
宗教や哲学や芸術や文化の時代になる、それが普通の社会生活にも及んでくる
コンビニとかは空間の拡大とともに車社会とともに生まれたものである。
だからその限界が見えてきた、車社会もまた飽和点に達してそれによって失われたものが見直されるようになる。
だから今まであったものがこれからあるとは限らないのである。
人間の社会は常に変化だからこそ無常なのである。
変化に対応できないものは滅びてゆくのである。

空間の大きさは三重だ
休みなくたえまなく
長さは伸びようとつとめる
とこまでも遠く、はてしなく広さはそそがれ
底しれず深さは沈みゆく

それらはきみに一つの姿を示している
きみが完成の姿を見たいと思うなら
休みなくきみも前進すべきだ
疲れてたちどまることを決してするな
世界を形成させたいなら
広さの中に己を展開することだ]本質の啓示を願うなら
深さの中へ降りてゆくことだ
粘り強い前進のみが目標に導き
己を充実させることのみが澄明にみちびき
底の底に宿っているのが心理なのだ

(シラー)





タグ:空間と時間

2017年06月02日

遊牧民と航海民 (交通の発達による変化)


遊牧民と航海民

(交通の発達による変化)


遊牧民志向というときモンゴルとか中央アジアとかイスラムなどの地帯である。
そこは砂漠であり草原だから遊牧民の世界でありラクダを使う隊商が生まれた商業が発達した地域である。シルクロードの地帯である。
そもそも遊牧民は常に移動しているのだから商業に貿易に向いている
またモンゴルのようにジンギスカーンが必然的に生まれる、騎馬民族国家である。
境界がない世界に生きているからだ、日頃の生活が移動に向いているから軍隊を編成していると同じである。だから中央アジア地帯がもともとそういう地域であり商業の役割をになったのである。

イスラムで小切手が生まれそれが貨幣に紙幣になったというのもうなづける
商業民族がイスラムでありイスラム教の創始者のモハメッドが商人だったことでもわかるそしてイスラエルは半分は砂漠でありキリストはそういう場所で生まれた
イスラエルまで交易がありラクダが通っていたのである。

中央アジアとか遊牧民の国家は常にその領土が変動するのもわかる、境界がない世界だから変動しやすいのである。それに比べるとエジプトとか中国とかは農耕民だから国家が変動しないのである。牛と馬があるとき牛が農耕民の神となる
そして国家とか都市は遊牧民が農耕民と接して生まれた、中国の最初の国家は西安(長安)に生まれた、始皇帝の秦である。兵馬俑は騎馬民族国家である。あれだけの騎馬軍団があって国家が統一できたのである。それで日本でも騎馬民族国家論が生まれたのである。
その後長安は唐が生まれ大帝国となったのである。
阿倍仲麻呂など遣唐使が行ったのは長安だったのである。

この遊牧民が航海民になったというときフェニキア人が生まれ地域がポエニであり今のシリア辺りでありその位置が遊牧民が航海民を生んだにふさわしい
なぜなら中央アジアの砂漠地帯から遊牧民が移動して地中海に出る地域だからである。
フェニキア人がアルハベットを発明したのも商業に便利だからである。
それまではエジプトのヒエログリフとか楔形文字とか文字があってもそれがむずかしいものだったからである。アルハベットは世界共通の文字となり言語となったのもわかりやすいからである。漢字がならないのはむずかしいからである。

オデュッセウスは筏の中に腰を据え、匠に家事を操ってあやまたず船を進めたが
その瞼に眠りも落ちず、ひたすらにプレイアデス(すばる)の星群、沈むに遅い「牛飼座」また「車座」の異名を持ち、同じ所を旋回しつつオリオンをうかがい、ただ一人オケアノスの水につからぬ、アルクトス(大熊座)にも彼はじっと目を凝らす
常に左手に見つつ海を渡れと教えた星である。

航海には星座は欠かせない知識である。北斗七星は韓国を通じて日本に伝来して妙見信仰になった、これは相馬藩の神である。野馬追いの旗も北斗七星が描かれている
これは中国の遊牧民から韓国を通じて伝来したのである。
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イスラムが果たした役割は世界史的にみればいろいろあった、そこはヨーロッパより先進地域だった、だから建築とか化学とか代数とかが発達した、それはヨーロッパに取り入れられたのである。イスラム文明の方がその時文化的には優れていたのである。
ただイスラムは世界史的には橋渡し的役割になった
そもそもなぜイスラムがあのように混乱してテロしかイメージできなくなっているのか?
何か文化的にも学ぶものがもうないとなっているのか?
ただ橋渡しの役割を果たして終わったともなる
ただ日本も東西文明の橋渡し役と見る人もいる、東西文明の融合する国だと明治維新で見なされた、中国とアメリカの狭間にあって政治的にもそういう場所にあった
西欧文明の概念を漢字で取り入れたの日本でありその漢字を中国が利用していることでもわかる、確かに橋渡し役を果たしていたのである。

遊牧民が航海民になれたのも地中海があったからである。ここは航海の訓練する場所となったのである。もし太平洋とか大西洋だと航海するにはまだ未熟だったからできなかったここで航海の訓練の場となりのちにコロンブスがアメリカに到達したのである。
ともかく文明は繁栄して衰退するというときそれは常に文明がグローバル化する運命にあったからである。それは技術でも必ず伝播して応用されるのとにている
そうした技術の伝播を止めることができないからである。

航海民というとき日本でも海の道、海道があったという、それは古代からあったという。東北の太平洋岸まで航海できたのかとなる、それは鎌倉時代にもあったことは小高が蔵院とかあり湊があったことで知られている
でも古代となると航海ができたのかとなる
でも海の記録は喪失しやすい、海を見て感じることは新地から駅が高くなって金華山と牡鹿半島がはっきり見えた、するとこんなに金華山と牡鹿半島が近いのかと直感的に見る
まずこれなら航海しても迷うことはない、確実に近くに島と半島が見えているからであるすると航海しても方向に迷うことがないとなる。
だから意外と貧弱な船でも行けたのかなとイメージできるのである。
それはあくまでも直感なのだけど歴史的な証拠もないのだけどそう思うのである。
陸を回るより船で行けば近いと見えるのである。

阿武隈川も道のように利用されていたというとき古代には道ができていいなから川とか海でも交通路になりやすいからである。道は人工的に作らねばならないからである。
道を作ることはローマの道のように文明が発達しないと作れないからである。
川とか海は自然の通路になりやすいとなる
中国やヨーロッパや中東でも大きな河があり長い河がありその河の辺り文明が生まれたというときそこはまた交通路として川が利用された面があったためである。
エジプトでもナイル川の岸辺からピラミッドへ通じる、神殿に通じていた
あれだけの大きな長い川があるからこそ商業が発達したのである。


津浪によって破壊された常磐線の移設工事の発掘調査で山元町坂元地区の熊作遺跡から
「信夫郡安岐 里」の4人の名前が記された木簡が出土し
701年から717年の間に推定できます

躍動する東北「海道」の武士団 七海雅人

この木簡から阿武隈川を通じて製鉄関連の仕事に従事する人がいたとこの本では解釈している。となるとやはり阿武隈川も古代には道としての役割があったのかとなる。
ここに製鉄遺跡も発見されているからである。

また相馬地方に熊野神社が多いというとき鈴木という姓が多いのも熊野信仰をもってきた人たちが移住したからである。

島隠り我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上るま熊野の船

(巻第六 雑歌 944・新949)

浦廻漕ぐ 熊野舟着き 珍らしく 懸けて思はぬ 月も日もなし                                                    (巻12/3172)

熊野の船は有名だった、山が迫る海であり森林に恵まれて造船に適していた
だから海洋民として太平洋沿いに移動したということもある
ただ海というのは歴史に残りにくい、船は海に沈んで証拠を残さないからである。
津浪でもわかったように村ごと壊滅して全く何も残さないようになる
すると語り伝えられることもなくなるのである。

いづれにしろ交通に興味をもったのは自分は一生旅してきたからだとなる

新地駅から金華山が見えた驚き




2017年05月24日

よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


2017年05月21日

文明で抽象化された人間 (文明は数えることからはじまった)


文明で抽象化された人間


(文明は数えることからはじまった)


文明は何かというときこれせ定義もできない、ただ文明の起こりが数の計算から起きてきた。穀物でもエジフトでも計るときその時数を計算するもの必要になった。
それで書記が重用されて高い地位についた、それは官僚でもあった
数の計算は物でも数としてみるとき人間も必然的に物として数として見るようになる
つまり人間一人は一個という数に抽象化されるのである。
人間一人といってもそこにはいろいろな属性があり一人一人違ったものである。
顔も体つきも生い立ちもいろいろ違っていて個性がある。
しかしその個性は無視されるのでてある。
政治的にも数が権力だとなるとき数を集めることが権力をもつことになる
それで一票として人間は数えられる、どんな人でも一票には変わりないのである。
それ自体は平等になるがただ数だけがもの言う世界になる

だからシュヘングラーが数から数学的思考からはじまり文明の崩壊を説いたのも納得できる、文明は現代文明だけではない、そのはじまりから数と密接に結びついていたのであるそれが高度な数学になったが最初はただ数えるということからはじまっていた
数えることが文明のはじまりだったのてある。
人間一人でも様々なことを現している、でも経済的人口的単位になれば一つとしか数えられないのである。政治的単位でも一票としか数えられない、それ以外にその人を示すものはないのである。

そして経済というときグローバル化経済になるとますます世界が常に数として計算される金融の世界になるとただ毎日株価が上がった下がったというけどそれも数として現される数字が変動する、それが経済だとなる、そこに何か文明が最初から数を数えることから始まったように抽象化した世界である。
それは放射線量を計る時も同じである。全く数値としてしか放射線量は計れないからである。目に見えないものであり数値だけでしかわからないからである。
現代の経済も具体的に目に見えるものとしてやりとりされないからである。
ただ数値だけを追っていることが多いのである。
銀行員とかはそうである。毎日具体的な物を扱っているより数値を追っている
だから抽象的なものとなる、そもそも貨幣とかもこの数えることから生まれたのかもしれない、貨幣はやはり物を人間を数としてみる、そういう道具として便利だから生まれた
貨幣はだから抽象的なものへの転化なのである。それは数としてはじまった文明と同じである。

銀行員は今や貨幣を扱っているのではない、数字を扱っている、金にしても帳簿に記された数字でありグローバル化経済では数字としてふりとりされている
今や貨幣ではない数字化されたものとして経済があり金は数字であり数字が減ったり増えたりしているだけでありあくとき数字がゼロになっとき貯金もゼロになっているのである貨幣だったら紙切れでもこれが一万だとかなる、それよりそれが黄金だったらもっと具体的になるからその黄金をもっていて触っていたりしたら金持ちだという感覚になる
数字だとそういう感覚がなくなる、触ることもできないし重さも大きさもないからであるだから石の貨幣とかあったがそれは富の象徴だというとき具体的に重いし大きいから力あるものとして富の象徴となったのである。

例えば石というのを自分はテーマにして詩を書いてきた、石でもよくよく見るとみんな形も大きさも重さも違っていて個性がある。でも一個二個と数えればその個性は省かれるのである。ただ一個の石となる、それでも石の大きさがどうだとか重さがどうだとかは計れるるし分類できる、それは数学的概念として処理できる
でもその石の個性がどうだとかなるとそれは文系的なものになるのだろう。
その石の大きさとか重さとかを計るのは数学だからである。石は正方形とか立方体にはなっていない、そこに個性が生まれる、でも数学的にするには正方形と立方体にするのがわかりやすくなる、計算しやすくなるからだ。

結局現代文明の問題は別に今に始まったことではない、すでにその萌芽が文明のはじまりとともにあったのが現代になって極端な形で現れたとなる
ナチスがなぜ生まれたかとなると人間は数でしかないという感覚になっていた
人間は人間と見ていない、数として抽象化されたものしとて見ていたのである。
それはカルト教団とか宗教団体でも同じである。ただ数を増やすことしかない、それが一票に通じているし権力になるからだ。創価などはその典型的なものである。一人一人がどんな人間など関係ないのである。
改悛とか何か宗教的なものとは一切関係ない、ただ数だけを追求しているのである。
それが極端になるとナチスのようなものとなる恐怖である。

それでなぜホランニーのような人間の経済学が生まれたかというのもわかる、そこでは具体的な物と物の物々交換の世界を良しとしているからだ。数の世界ではない、例えば黄金と塩が等価で交換されたというときそれは具体的な物と物の交換であり数として貨幣としての交換ではないのである。物と物の交換になると具体的だがそこに貨幣が介在すると抽象的になり数になってくるのである。
だから人間の経済学というのも現代文明のアンチテーゼとして生まれたものである。
現代の学問でも思想でもなんでも人間を回復しようとすればそうなってくる

不思議なのと認知症になると数字というのが抽象的概念が理解できなくなる、金のことが貨幣のことが理解できなくなる、だから銀行から金もおろせなくなるのである。
漢字なども書けなくなるのは漢字も文字も実際は抽象化されたものだからである。
太陽とか石とか文字で現してもそれは抽象的なものである。
認知症になるとそうした抽象的なものを理解することができなくなる
だから人間は外界を抽象化することができる、文字にしたり数字にしたりできるということが文明を生んだともなる、それが現代のようになると数値のみになり抽象化して現実の世界が何なのかわからなくなる
文字はまだ多様なものを現している、でも数字はそうした多様なものを抽象化して数としてしか計算しないのである。

ともかく現代は世界を数として把握することが多い、常に統計的に人間をみる、それか経済的観点とか政治的観点からするとわかりやい、人口がその国の経済力となる、日本だと人口一万あればそれだけの消費をするからそれくらいの規模の町としてみる
でも一万となると限界がありとても現代的便利な暮らしはできないとみる
普通だと十万都市をイメージする、そきくらいなら現代の便利な生活が可能だとみる
経済とは数字として常に見ているのである。
原発事故の避難区域になったところでも一万あった人口が二割しか帰らないとなると町は成立しないとみる、それは経済的観点からはそうである。
でも別に昔なら大正時代なら6000千万の人口だから成り立っていたとなる

要するに人間社会を数からしか見れない、政治でも経済でもそうである。
人間一人一人が求めるものが違うこともあるがそんなことは関係ない、すべて数として社会を見ているとなる、数が集まればそれが力なんだとなるのである。
少子高齢化でもそうである。数の観点からしかみていない、でも少子化になっても日本の人口が減ってもそれが本当に悪いものかどうかはわからない
なぜなら例えばヨーロッパの都市でも5万になれば大都市である。

ではなぜそういう人口が少ないのにギリシャでもそうだが文化が文明が生まれたのかとなる、それは人口に比例して文化が生まれるとは限らない、5万となると現代ではどこでもざらにあるがそこに文化が華開くということではないからだ
人口が少なくてもその質が問題になる、現代は量だけはあるのだが質が劣っているのである。いくら人口を増やしても質が劣ればいいとはいえないのである。
だから量より質の時代に転換すべきだとなる、高度成長時代は量の時代だったがこれから質の時代なのである。
カルト教団のように毎日量だけを数だけを増やすことに奔走していてそれが何か社会的に意味があるのかとなればただ権力となるだけで文化的な成果は何もない
精神的なものを追求するのが宗教だけどその精神的なものと一切関係ないのである。
でも数を集めると社会ではそこに注目する、政治家も票になると利用することを考えるのである。
一票としてしか数えられない政治もそうである。そこに人間の回復はないのである。
ただ現代文明はただ数からしか見ないのである。

2017年05月15日

植物的なものと動物的なもの (文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


植物的なものと動物的なもの

(文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


この世界を見るとき生物でも植物があり草食動物がいて肉食動物がいる。
すると基本的には植物があって草食動物も植物を食べて生きることができるし
草食動物がいて肉食動物が生きることができる
ベースになっているのは植物である。
となると植物を栽培する農業が文明を作り基礎になっていたことがわかる
遊牧民は羊を飼うが羊は草食性であり草がなければ生きられない
つまり羊を食べて生きているがその基になっているのは草であり植物なのである。

そして肉食動物でも雑食性があるもの、熊などがまだ日本のような文明化した国で生きられるのは雑食性だからである。ヨーロッパでは熊は絶滅しているからである。
雑食性の強みは肉が食べられなかったら植物を食べるから生き残りやすい
こういうことは人間にも起きてくる、商品食物としてコーヒーばかり栽培していると
何かコーヒーが売れなくなったとか問題が起きるとコーヒーだけでは飢えることになる
現実そういう問題が起きて飢餓状態になった後進国がある。
畑でもいろいろなものを作っていれば食糧になるから飢えることがなくなる

飢饉になったとき山に住んでいる人がまねがれたというとき山の食糧となるもの山菜でも何でも食べて生き残ったということがある。米だけに頼っていても危険になる
つまりAだけに頼るのではなくBCDとかの選択があれば助かりやすいとなる
だからTPPとかなるとグローバル化経済で分業化するから日本は車だけを作っていればいいとなり食糧も自給できなくなりそのことにより飢饉とかに緊急の際に対処できなくなるそれでTPPはむしろアメリカが反対していたというのもわかる
とても国レベルになれば分業など成立しないのである。

文明というときも自然の秩序と同じようにして植物を食糧として成り立ったのである。
だから欧米人が肉食のために体から酵素を出すというとき肉食になって体が変質したともなる、肉食はどうしても人間も肉食動物化する、草食動物と肉食動物は見た感じも根本的に違うからである。草食動物は繁殖力が強いから肉食動物より弱いようで強い
肉食動物は減少の一途をたどる、また大型の象とかでも絶滅の危機になる
それは恐竜が滅びたように強いように見えても弱いのである。
結局人間は何が強いか本当はわからないのである。

人間はやはり木のように根をもつ場がないと個々人でも安定しないし文化も文明も作れないのである。
ユダヤ人が土地をもたない、国土をもたないから流浪の民となりただ金融で生きるほかなくて資本主義を産み出したという説もそうである。
ユダヤ人は土地を持たないのだから安定が得られない、ただ金だけが頼りとなるがその金だって紙屑にもなるから安定しないのてある。
江戸時代なら倉に米を貯えていた方が安心であり今でもそういうことがある。
金をいくらたくわえてもそれは債権であり貸しているとしても返されない恐怖がつきまとうのである。そこで世界恐慌が資本主義では常にあり破綻してしまう。

遊牧民は砂漠とか草原を生活の場としていたから通商が発達した。常に移動していることはすでに商人として移動していると同じだからである。
イスラムに商業が発達したのはそのためである。モハメッドも商人だったからである。
砂漠地帯に人類最古の場がありそこに一神教が生まれた、なぜならそもそも神と契約するというときそれは商業の概念がもちこまれていたからである。
契約というとき商業で絶対的なものでありそれが守れないとしたら商業は成り立たないからである。

脆弱で対処しにくい環境に住む人々は短期的には見事な成果をもたらす理にかなった解決策を採用するが長期的に見た場合、外因性の環境変化や人為的な環境変化を未然に防ぐことができなかった変化に直面したとき致命的な失敗ももたらす。

現代人-住宅所有者、投資家、政治家、大学の事務官、その他の人々-は経済が好調なうちはただな浪費をしても許される、その情況が無常あることを忘れて変動したときすでに贅沢なライフスタイルに慣れきってしかたなく生活レベルを落とすかあるいは破産するか
二つに一つしか選べないのである。
(文明崩壊ージャレド、ダイヤモンド)

現代人というとその最たるものは科学者、技術者だろう。原発事故でこの人たちのテクノクラートの権威が失墜した。
原発とういのはエネルギー不足を短期的に補うものであった。手っとり早い魔法の技術だった、それには大きなリスクがあったが無視された
そして人々はそれに頼った結果として社会自体が崩壊して放棄された、町や村がゴーストタウンになったからここで実際に起きたことであり空想ではない事実なのである。

長期的視野にたてば森林資源が日本にはあり炭焼きなどが継続する資源としてはかえって良かったとなる、そんな生活できるのかとなるがこの辺では現実問題としてそういうことがつきつけられたのである。
この辺では贅沢な生活を求めてあくなきものとなっていた。
みんないい車をもっている、田舎では一人一台車をもっている、借金しても立派な家を建てる、そういう生活を常時していると生活レベルを落とすことができなくなる。
事業に失敗した人も同じである。贅沢していたからその生活をレベル落とせない、それで今度は借金するために何でもする、犯罪だって最後にはするようになる
そんな人が自分が病気のとき介護のとき来たのだから最悪だった
もう贅沢した生活をするために他者から借金しても犯罪してもするとなるから怖いのである。
その人はまた見栄もあり成功したということに固執している、そのために借金してもそう見せているのである。

ともかくこの辺で起きたこと自分にも起きたこと原発事故でもこれは一つの文明崩壊現象なのである。それがなぜおきたかというとこの著者の提言がこの辺にあてはまる
それはここだけではない、日本全体でもそうであり世界全体でもそうである。
継続性のない科学技術に頼りすぎるとインディアンの村とは違う大規模な文明崩壊が起きてくるのだ。


根を張る一日

今日一日が静かに始まる
それはさらに大地に根を張る一日
大地と深く結びつく一日
幹を枝を造る一日
その積み重ねが大木を作る
急がずに積み重ねられるもの
そこに充実した実り
時計が刻む時ではない
一年十年単位の時
牛の歩みごとく
一日一日が大地に根を張る
そういう長い時間の中に
大地と人と人も結ばれぬ
その絆は断たれることはない
一層強固に結ばれるのみ

こういう思考は田舎から農業から起きてくる、都会では大地から離れているから起きないところがこれだけの科学技術の文明はそもそも大地から離れている
すると東京でも大都会でも大規模な崩壊が起きてくるかもしれない
電気が供給できないから原発に頼るそのために土も水も空気まで汚染されたら住めなくなるのである。その都市は廃棄されてゴーストタウンになる、この辺で起きたことと同じことが起きるのである。
そんなことがありえないと思うが現実にこの辺では起きているし事実なのである
もう町でも村でも前のようにもどらないからである。
だからそんなことは起きないということとして安心もできないのである。
つまりこの世が無常だということである。個々人でもそうであり全体でもそうである。

人間は常に変化する無常のなかにある、それをまねがれえないのである。
文明は確かに発展してもまた衰退する、奢れるもの久しからずなのである。
栄華はどこでも一時的なものである。それは世界史でもそうである。一時栄えたイスラムもあのように衰退しているしどこでもそうである。それはこの世がそもそも無常の世だからである。永続する栄えなどないのである。
ただ恒久的なものは農業にあるということは確かなのである。
確かに農業でも栄えても文明は遂に衰退して崩壊する、でもエジプト文明でも長い、千年とか普通でありそれだけ長く持続すれば十分だともなる
現代の時間感覚とはまるで違う、人間はもはや百年後のことなど考えられないからだ
今だけが良ければいい、後は野となれ山となれという今にすべてを費やす感覚である。
しかし世代はつづくしカルマは今度は子や孫やそのあとの世代に引き継がれるのである。この辺などでも原発事故のそのカルマはプルトニウムが二万年消えないとかのカルマを背負わされたのである。

2017年05月14日

文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない 国々の風土にあった文化が作られる



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

動的文明から静的文明へ (グローバル移動社会から定着文化の時代へ)



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。