2026年02月02日

地理はまず方角を知る 【日の昇る東と沈む西を基本として知る】

地理はまず方角を知る
【日の昇る東と沈む西を基本として知る】

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「オリエント」の語源はラテン語で「日が昇る方角」(=東)を意味するオリエンス (Oriens) である。英語のイーストやドイツ語のオスト (ost) などはギリシア神話のエオス(暁の女神)に由来する

地理で一番意識するのは陽の昇る方向と沈む方向である。小野妹子 陽の昇る国から陽の沈むへと

遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。
現代語訳すれば「日が昇る国の天子(国王)から、日が沈む国の天子へお手紙します。元気?」ってところでしょう。

ともかく地理の基本は方角を知ることである。陽が昇る方向が東であり沈む方向が西である。でも東西南北があり東西はわかっても南北がわかりにくい、南仙台駅があるがなぜ南なのか北仙台もある、仙台を中心として南があり北がある
でも常に意識できるのは陽が昇る方向の東であり沈む方向の西である 南相馬市となると相馬市の南となり合併後に名ずけられた

東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ 柿本人麻呂

(読み方:ひむかしの のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)

ひむかし・・・は陽に向かうである。こういう光景は常に見ている。陽の昇る方向と陽の沈む方向は意識しやすい、だから近江では陽の昇る方向が関ヶ原の方向でありそこから東(あずま)になっている。そこが東西の境界なのである。
日本の東西は西から発展した、でも西から陽の昇る方向に東(あずま)に向かっていったのである。征夷大将軍は西から東の蝦夷を征服する称号でありその意味は東の蝦夷を支配するという役割なのである。だから家康でも征夷大将軍を名乗る
東は長く征服されなかったからである。


ともかく近江は琵琶湖を中心として湖東湖南湖西とか方角地名でわかりやすい、湖西というとき陽の沈むところだから淋しい感じになる。湖西線は淋しいとなる。何か東となれば陽の昇る方向であり明るい感じを持つ、陽の沈む方向は何か暗い感じになる
でも夕日が映える所は印象的になる。エジプトでナイル川の西岸に太陽が沈むのを見た時エジプト3000年の歴史を感じて何んとも言えない感慨にふけった。

日の沈む方向でもそれが意外なのである。明石に春の夕陽が映える、大阪に日下(くさか)とあるのは何故なのか、この地名は相当に古い、日下氏となると古代の有力氏族である。そもそもなぜ大阪に日下―日の沈む方向になるのか?そここから日の本の国の由来がある。

古代史では、神武天皇が大和へ向かう際に通過した重要地点として「河内国・日下」が登場します。

このため、日下は「日の本(ひのもと)」=太陽・東方・始まりを象徴する地として扱われることが多く、神話的な権威を帯びた地名でした

大阪が日本の最初の中心地でありそれで日下(くさかべ)氏が生まれ日本の基となった

日下部 (稲沢市) - 愛知県稲沢市の地名
日下部 (八頭町) - 鳥取県八頭郡八頭町の地名
道場町日下部 - 兵庫県神戸市北区の地名

神戸市にも日下部がありそこは陽の昇る場所になる


ともかく地理は方角地名が基本である。世界でもそうである、だから西半球というとき
陽が沈む方向である。ヨーロッパは陽が沈む方向なのである。世界史では東からオリエントから西に向かったのである、中国でも西域がありそこからヨーロッパに向かった
さらに大西洋を渡り西へ西へと向かった、アメリカの西部のカリフォルニアの海岸からは太陽が太平洋に沈む。その日の沈む方向に日本があり中国がアジアがある
西へ西へと移動して地球を一周して極東の日本に到達する
コロンブスは西へと大西洋を渡りアメリカに到達してもそこが日本だと思っていたのである。ただ日本の地理は東西の境界であり結ぶ地点にあったのである。
陽の昇る方向から沈む方向へ向かうのは人間も生物の一種だから本能的にそうなる
東から西へ西から東へと文明も興隆して衰退するのも地理的にそうなる。




2025年12月26日

全国城の俳句2【春夕陽、春野、桜、菊、月、春の暮、春爛漫・・・・】

全国城の俳句2【春夕陽、春野、桜、菊、月、春の暮、春爛漫・・・・】

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鶴ヶ城少年死すや蝉の声
夏日さす名古屋城や金の鯱
春爛漫大阪城や夢の跡
車窓より春野のかなた姫路城
姫路城望むや春の市街かな
和歌山城白壁映えて菊花かな
明石城船の往来春夕陽
萩城や残る石垣芒かな
秋日さす築地塀や武家屋敷
秋の日や古木の太く熊本城
松山の城下に桜海近し

波ひびき桜装う洲本城
春の日や大阪近く洲本城
花に月淡路島に洲本城
残る花月の光るや洲本城
淡路島波寄せ松や春の夕

二条城障壁画に松桜かな
雷鳴りて家康の天下二条城
雄渾に広間に松や京の夏
秋深む嗜好を凝らし京の庭
大庭に石の配置や秋深む
池映る月や所得て石黙す
京の庭木陰に石や夏の山

平戸城春の潮や外国へ
鐘の音や寺に教会春の暮



城の見方もいろいろである。城は遠くからでも見えるからランドマークになる。
城はいろいろな角度から見て違って見える。そこにはそれぞれの城の物語があり美がある
松本城は黒であり藤の花が似合う。ただ漆で板を黒く塗るのは他でもある
和歌山城は白壁が美しい。
淡路島の洲本城は小さいがあそこにも城があった。城は小さいのを含めるとその数が多い
すべての城をマニアでも見ることはむずかしい。私が俳句にした城は実地に行っている
だから私は相当に日本全国を旅している。
やはり城を中心にして街でも見る。だから城を見ることは欠かせないのである。

京都の二条城も城である。その中の障壁画は見ものである、京都は日本の文化を象徴した場である
でも見る所が多くなかなか深く鑑賞できない、庭でも朝から夕べと季節ごとに見ていないとその神髄はわからない
文化は簡単に理解できない、それだけ奥深いものがある。絵でもなかなか鑑賞するのがむずかしい
芸術は鑑賞すること自体むずかしいのである。京都に庭でもそうである。一回くらい見てもその奥深いものはわからない、

ともかく城は全国にありそれぞれ特徴がある。これも現場に一回でも行ってみない限りわからない
庭でも何回でも見ていれば何かそこに感じるものがある。ともかく京都を理解することはむずかしい






2025年12月25日

全国の城の俳句【人柱伝説の語るものー城から見る日本の歴史】

全国の城の俳句【人柱伝説の語るものー城から見る日本の歴史】

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弘前城門の古しも枝垂桜
上山城秋の一夜や泊る宿
青葉城石垣反りて燕来る
片倉氏白石城や秋没陽
井戸いくつ二本松城落椿
悲しきや乙女桜に小峰城
小田原城天守に望む春の海
海望み小田原城や花盛り
花盛り小田原城の門を入る
吉田城橋にもたれて春の風
名古屋城海の涼風金の鯱
松江城茶にもてなすや春の暮
籠城に井戸を備えて冬の城
福山城天守に人や花盛り
春光や波よせひびく唐津城

青葉城石垣反りて広瀬川ひびき流れて朝桜映ゆ


小峰城の人柱伝説は、城の石垣が何度も崩壊し、人柱を立てることになったという悲劇的な出来事に由来しています。最初に城に来た者として選ばれたのは、作事奉行の娘おとめです。おとめは父に会うために訪れた際に、父の手で「来るな」と合図されたにもかかわらず、逆に「来い」という合図と勘違いし、捕らえられてしまったのです。この事件を悼んで、おとめが埋められた場所には「おとめ桜」と呼ばれる桜が植えられました。現在の桜は二代目で、初代は戊辰戦争の際に焼失しています

城が何を語るのか、一つは建築の美として見る、またそこにはそれぞれの物語がある
何か人は残る物から昔を歴史を観る,それはわかり安いからである
古墳があればやはり古代を偲ぶ、そこには確かに人が葬られている。でもそこに残された物語がある。それが様々でありわかりにくい。城ならば一目見て立派だとわかる。
それは外国人でもわかる。いろいろ城を説明されてもピンとこないだろう。それは外国になるとそこに籠められた歴史が複雑でわかいにくい。
でも城に人柱伝説があるのはいかに城を作るのが大事業だったかを物語る。城の石垣が何度も崩壊して人柱を立てたというのもそのためである
そもそも今でも巨大なビルでも建てれば工事で事故で死ぬ人も多い
するとそもそもがそれは人柱だったともなる。他にも工事では人が死ぬ

人柱というとき普通の家でも私の家でも半年くらいかかり建てた。城となると十年くらいかかったとかありいかに時間と労力をかけたかを知る。つまり何でもそうだがこの世にある物は建築物でも時間と労力をかけている。つまり人柱という時それぞれの家でもそうなのである。何か神道では死者を一柱二柱とか呼ぶ

死者を「一柱」と呼ぶ理由は、古来より神と深い関わりがあったと考えられていることに由来しています。神は自然物に宿るとされ、特に「大木は神が宿るモノ」として重要視されています。柱の形状は地面から天に向かって垂直に立っている姿から、「神が降りて来る為の通り道」としての役割を果たしていたと考えられています。イザナギとイザナミが葦原中国に降り立った時に初めに立てた天御柱(あめのみはしら)は、神と柱の密接な関係を象徴しています。 


松江城約4年
大阪城(豊臣秀吉)約15年
名護屋城数か月で完成と伝わる
松山城約25年

盛岡城
1597年〜1615年頃  
→ およそ18年ほど


この年月をみればいかに時間と労力をかけたかわかる。現代だと重機を使うから工期も短い。第一石垣を作るのにもその石を運ぶのでも人力となると大変な労力になる。
ただそうした苦労を偲ぶことが今になるとむずかしい、それは現代から過去を見るからそうなる。そこに歴史を知る錯覚が生まれる。何か簡単に作られたとも見る
その苦労が偲べないのである

日本の城でもそこには何か精神的なものを象徴している。なぜ天守があるのか?
それは殿様がいて家臣がいる。縦軸の人間支配のためだともなる。頂点に殿様がいてその下に家臣がいて城を守る。でも戦で負ければ殿様が天守で切腹して終わる
それは武士としての覚悟でありそれが城に反映された造りとなる
松江城の天守に井戸があった。それは籠城のために作られた。他でも場内には井戸があったのは籠城のためである。
それは外国の城とは違った精神性が歴史がある。外国の城は市自体が壁に囲まれてその中で敵が攻めてきたら生き抜く構造である。市全体が城にもなる
だから目立つのは城壁なのである。城壁が頑丈であり市民を守る。そこで王様を守るともならない、そこにシテズンシップが生まれたのである
平原のような所では遮る物がないすると大軍が攻めて来るから強固な壁を作り防ぐ、日本の城は山城であり平山城から平地の城になった。山が多いからそうなった。

日本の場合は城があってもそこに住民とは関係ないとまでなる。侍は関係しても関係しない、城が燃えてもそれほど感じない、かえって会津ではその時年貢で苦しめられたからヤーヤー一揆が起きた。庶民にとっては農民は年貢が少なければいいのであり領主でも年貢を高くすれば不満になる、それで城主が変わることことで年貢が少なくなれば返っていいとなっていたのである、だから会津で城が燃えてそれを見て白虎隊の自刃があったが庶民はそれほど感じなかったのである。この意識の差は大きいと思う
侍と庶民は別だったのである。

ともかく日本だとどこでも城を見る、そこから歴史を観る、だから城から歴史を偲ぶ
白石城は丸森から行くと近い

金山城は標高117メートルの「お舘山」山頂にある山城で、1564年(永禄7年)[3]または65年(永禄8年)[1]に相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋胤泰が築城したと言われる。その後伊達氏と相馬氏の争奪戦が展開された

天正9年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同12年(1584年)に伊達氏の領有となった。

金山城は相馬藩と伊達藩が交互に城主となっていた境の城である
白石城も蒲生氏郷の会津藩との境にあった。地理的に境を知ると見えてくるものがある。そこに興亡があり歴史が記されるからである。



2025年12月10日

戦術があっても戦略がない日本 【山が多い日本は局所的戦争になり、大局的見方ができない】


戦術があっても戦略がない日本
【山が多い日本は局所的戦争になり、大局的見方ができない】

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世界から見た中国情勢の深刻化】※日本では報道されない新たな視点※ 武田邦彦×伊藤貫

ギリシャ語のstratos(軍隊)とagein(指揮)が組み合わさったstratogos(将軍)が語源である。18世紀に研究者が戦争術(art of war)を分析するための概念として再定義されたものであり、そこで初めて戦略と戦術に分けることが提案された。

名詞の「ジェネラル」は「将軍」の意味です。「将軍」は軍を指揮する大将のことで、日本では「征夷大将軍」の略称としても使われます。形容詞では、「一般的な」「総体的な」という意味になります。

軍事では、戦略は全体的な勝利を目指す長期計画や方向性を、戦術は具体的な戦闘や小規模作戦での方法や手段を意味します。これが現代のビジネスにおいても応用されています。

戦術とは、戦略によって定められた目標を具体的に実現するための手段や行動です。どのようなメッセージで訴求するか、商品の価格設定はどうするかなど、戦略を実現するための具体的な行動計画が戦術に含まれます

戦略は「地図」:目的地(勝利)までの大きな道筋。
戦術は「運転操作」:その地図に従って、現場でどう動くか。

戦略と戦術の違いの歴史的背景
戦略=長期的な目標達成のための計画(資源確保、外交、同盟)。

大局的戦争: 地図全体を覆うような大きな円や広がった網の目で表現できます。これは、複数の大陸や国家が関与し(例:第二次世界大戦)、政治・経済・文化など広範な領域に影響が及ぶ様子を示しています。
局所的戦争: 特定の地域や地点を示す小さな点や限定された領域で表現できます。これは、特定の地域に限定され(例:朝鮮戦争、ベトナム戦争)、全面戦争への拡大の危険をはらみつつも、一応は地域的に限定されている状態を表しています。

戦術=戦場での具体的な兵力運用や陣形、奇襲など。 日本は「戦略より戦術に偏りがち」と指摘され、長期的視点の不足が歴史的敗北につながったと考えられています。

これに対し、海軍は「極東での英領攻略は対米戦につながる」という考え、すなわち
「英米不可分」という立場にあり、これは海軍の伝統的な英米観でもあった。したがっ
て、この立場の意味するところは、先の企画院の国力検討において対英戦に限定しても戦争遂行の国力にかなりの限界があるということから、ましてアメリカとの戦争をも含む米英同時の対南方戦など成り立たないということであった

戦略: 長期的な方向性(例:敵国の経済封鎖、覇権の確立)。
戦術: 戦略を実現するための短期的な手段(例:包囲、突破、補給線活用)。

歴史的教訓: 戦術的勝利があっても、戦略が誤れば最終的に敗北する。逆に戦略が優れていても、戦術が伴わなければ成果は出ない。


日本人は戦術には優れていても戦略では劣る。戦略は空間軸と時間軸で想定する
中国とか大陸国家では空間軸でもその範囲が広い、時間軸でも長く見れる
日本は島国であり空間軸でも狭く閉ざされていて時間軸でも短く長い時間を未来を見て戦略する計画するのが苦手になる。
大陸国家では大帝国を形成した歴史がある。日本ではそれが狭い島国に閉ざされている。その島国でも山が多く平地が少なく戦略的思考ができない。大陸だったら戦争でも戦略的思考になる。
それは日本では戦争という時地理や地勢が影響されて戦略的思考ができない
どうしても大局的に見れない局所的になる。戦国時代でも日本の戦争は関ヶ原の東西の戦いくらいしか大きな戦争がない、局所的な戦いになる。

平家物語によれば、義経は馬2頭を落として、1頭は足を挫いて倒れるが、もう1頭は無事に駆け下った。義経は「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」と言うや先陣となって駆け下った。坂東武者たちもこれに続いて駆け下る。二町(218メートル)ほど駆け下ると、屏風が立ったような険しい岩場となっており、さすがの坂東武者も怖気づくが、三浦氏の一族佐原義連が「三浦では常日頃、ここよりも険しい所を駆け落ちているわ」と言うや、真っ先に駆け下った。義経らもこれに続く。大力の畠山重忠は馬を損ねてはならじと馬を背負って岩場を駆け下った

この鵯越えの戦いも山に遮られてその山を味方にして急襲して勝った。これは信長の桶狭間の勝利ともにている。つまり山を味方にして勝ったとなる。
山が障害ともなるがまた味方にもなる。確かなことは日本では山が多く局所的な戦いになる。大局的戦いになりにくい。局所的戦術を駆使した戦いになる。
戦略的戦いにならないのである。とにかく日本は大局的な見方、グランドストジテイを持てない国である。中国とその領土も広大であり大帝国も歴史的に形成しているから空間軸時間軸思考の幅がかなり違っている。日本は局所的戦い戦術は優れていても大局的に時間軸でも長期的に見ることが苦手である。

外交の巧拙は,交渉を指導し,これに従事する者のかけひきの術に依存するのみならず,彼らの,彼我の相対的力量を冷静に測定し,交渉をめぐる国際・国内環境を現実的に把握し,大局を見すえて緻密に駒を進める能力に依存する。 〈グランド・ストラテジーgrand‐strategy〉をもって,外交を進めることも成功の要諦であろう

日本の太平洋戦争の失敗はグランド・ストラテジーをもたなかった。最初に戦術があり真珠湾でもシンガポール攻撃でも戦術的には成功したが戦略的には巨大なアメリカを敵にしたことで戦略的には失敗だった。何か無計画な戦略なき戦線の拡張だった
そして広大な中国大陸に飲み込まれたともなる。そこに戦略が欠落していたのである
長安に今の西安まで日本軍が侵攻していたことに驚く。それも戦略なき戦いになり自滅したのである



2025年11月28日

何故歴史の国の中国に老舗がないのか? 【王朝が変わり歴史が断絶して継続しない―古典は廃れないもの】

何故歴史の国の中国に老舗がないのか?
【王朝が変わり歴史が断絶して継続しない―古典は廃れないもの】

中国は変化が激しい、大陸は陸続きだから他国の影響をまともに受ける、異民族が侵略してくる、そのために万里の長城を作った。漢民族が中核に存在しても周りの異民族の影響をもろに受ける、否が応でも受ける、だから王朝でも長続きがしない
王朝が変わるとこれまであったものが否定される、破壊もされる、劇的に変わる
そこに3000年の歴史があっても継続することがむずかしい、それで日本のような老舗とかない、歴史があるのにない、継続されないのである

日本の天皇が継続されているが中国の王朝は交代すれば前にあったものが否定される
権力を持っていたものも追放される、トップが変われば下々も変わる
強力なトップダウンの国である、それで文化大革命では文化財まで破壊された
貴重な歴史の宝物も失った。だから歴史の国でも継続するものがない
そのために日本のような老舗が中国にはない、継続されない、ヨーロッパだとローマ帝国であれ継続されるものがある。中国には歴史の国でも継続されるものがない
ヨーロッパではキリスト教があり継続されるものがある、一貫したものがあり継続されたものがある。

日本ではかえって古いものが保存され継続される。それが老舗だとなる
ドラマでも老舗の旅館を守るために必死になり犠牲があっても守り継続されることを第一にする。天皇でも一つの老舗にもなる。そこに継続して守るべきものがある
そのために多少の犠牲があってもいいとなる。天皇家も老舗でありそこに守り伝えるべきものがありそこに価値がある。だからいかに継承されるかが大事になる
そのために苦闘するのは老舗を守るために苦闘するのと似ている

つまり新しいものでも古いものを基にしている、全く新しいものはない
ルネサンスでもギリシャとかローマの再生のことでもあった。全く新しいものを作ることではなかった。常に人間は新しいものを求めるが古いものを見直す再生させることが
創造なのである。そこに継続されるものがあり古いものが装いを新たにして蘇るのである。

ルネサンス(英: The Renaissance)は、15世紀および16世紀にわたる歴史上の時期であり、ヨーロッパにおける文化運動(英語版)である。中世から近代性(英語版)への移行を画し、古典古代の思想と成果を復興し、これを凌駕しようとする志向を特徴とした。芸術、建築、政治、文学、探検、科学など、ほとんどあらゆる分野における大きな社会的変化を伴い、当初はフィレンツェ共和国を中心として、その後イタリア各地へ、さらにヨーロッパ全域へと広がった。

これは一部分のことではなく全般的総体的に起きた運動だった。そこにギリシャ、ローマが装いを新たにして再生したのである。確かなことは新しいことは古いものを見直す継続することでもある。全く新しいものはないのである。何か創造するのにも過去にあったものを基にしている。古典を参考にしている。温故知新がそうである。古典は時間が過ぎても廃れない価値がある。価値と言っても全く新しい価値を作れないのである。

ともかく老舗は建築があり料理なら味が伝えられる、ラーメンでも汁が肝心でありそれは秘伝として代々伝えられる。それは独自の味であり真似できないから価値あるとなる
その老舗も京都とか城下町とか街全体の中にある時活きるとなる
スーパーでは活かされないともなる。確かなことは価値は簡単に作り出せない、価値は継続されて活きてくる。現代が浅薄な文化になっているのは過去の歴史的な継続が喪失したからだともなる。
中国が歴史があっても継続されないから文化的には魅力がないとなる
政治的に権力の圧政でそうなる。中国は巨大な権力の圧政になりルネサンスとか生まれにくい、広大な国を統一する治めるためにエネルギーが奪われるともなる



2025年10月23日

七つの海を支配するシーパワーのイギリスとヨーロッパの歴史 【ランドパワーからシーパワーへの変化】

七つの海を支配するシーパワーのイギリスとヨーロッパの歴史
【ランドパワーからシーパワーへの変化】

イギリスの地理はヨーロッパは海に開かれ、陸から脅かされる構造を持つ「大きな半島」という時、陸から脅かされることが島国でしにくい
でも海に隔てられていても孤立はしていない,ヨーロッパとつかず離れずである。なぜEUから離脱したのかそれも地理的歴史的背景があってのことである。そもそも英語がドイツ語を基本にしていることでもいかに密接かわかる。

ライン川がありオランダがありイギリスがある
それでドイツのケルンの塔に登るとイギリスまでもが望まれともなる
ヨーロッパがEUで一つになる時歴史的にもそれを可能にする背景があった。ヨーロッパの国々は王国の時代国王でも婚姻関係を結ぶ
親戚関係になる。それは日本の戦国時代と似ている政略結婚である
何か争っていても家族内のもめごとのようにも見える
文化的にもキリスト教で結ばれている。

日本では隣に巨大な中国が存在するから日本はその付属物のようにもなる。ただイギリスのように海で囲まれているから侵略をまぬがれる。
どうしても陸続きだと侵略される。海が防壁となるのは日本と似ている
でもまた日本と立ち位置が違っている。

ヨーロッパというとその形成は地中海があり形成された面がある
地中海は交流の海であったからである。それは中東とも結ばれている

ヨーロッパの由来は、ギリシア神話に登場するフェニキアの王女・エウローペー(ラテン語:Europa)にあるという説が最も有力です。

フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍する。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。

地中海は交易の海でありアルファベットを発明した。それが文字の起源となった。その普及が地中海沿岸の国々を結び付けた
でもイギリスは地中海から離れている。後進国だった。それでもヨーロッパの歴史に組み入れられたのか、それはローマ帝国の支配下になったことでアイデンティティ化した。ヨーロッパの文化の一体感はローマ帝国にありまたローマ帝国の国教になったキリスト教にある
EUはそうした地理的歴史的背景があり成立した。

ともかくイギリスはヨーロッパ大陸から離れた島国である。でも密接に歴史的文化的に結びついている特異な立場にある
そしてなぜ七つの海を支配する大英帝国になったのか、それは島国でも海に閉ざされてもまた開かれた国でありシーパワーの国である。ポルトガルでも大西洋に面して大航海時代の先兵になった。スペインでもそうである。ただ大英帝国になりえたのは自国で産業革命が起きたからである。蒸気機関車が発明されたりと技術革新があったからである
その燃料となる石炭も自国で取れたからである。
ポルトガルとスパインにはなかった。だからインカ帝国であれ侵略した略奪国家だったので世界帝国にはなり得なかった
時代はランドパワーからシーパワーの世界になった
最初のシーパワーがイギリスだった。ランドパワーでしのぎを削る時代からシーパワーの時代になったのである

ただランドパワーというとき今でもロシアはランドパワーの国であり
ヨーロッパのEUの脅威となる。ウクライナ戦争はランドパワーの争いだからである。でもシーパワーの国とならないと世界帝国にはならない
中国も典型的なランドパワーの大国であるが世界帝国になれないからシーパワーの国へとなるために海軍を増強して台湾であれ日本へとシーパワーの国へとなるために侵略を企てる、それでシーパワーのアメリカと衝突する

ヨーロッパはポルトガル―スペインーオランダーイギリスとシーパワーの国がしのぎを削り世界の覇権を握った、最後にイギリスが七つの海を支配する大英帝国になった。
第二次世界大戦はドイツ―フランスーロシアとかランドパワーの戦いとイギリスのシーパワーの戦いがあった
日本は中国のランドパワーの戦いがあったがシンガポールでイギリスと戦い勝ったことでシーパワーの国でもあった。
ただ最後はシーパワーのアメリカに敗れたのである
いずれにしろシーパワーの国が覇権を握る時代となった。でも依然としてロシアがウクライナを攻めるようにランドパワーの戦いは続いている
でも世界の覇権国になるにはシーパワーの国にならないと達成されない
だから中国が台湾進攻するときシーパワーの国になり覇権国になるためである。そこでシーパワーの最強国のアメリカと衝突する。そして日本も巻き込まれる。太平洋戦争という時日本もシーパワーの国として世界に現れたのである。でもシーパワーの国のアメリカに敗れたのである

2025年10月02日

キリスト教に結ばれるヨーロッパ


ヨーロパの河と歴史(詩)

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川はモノとヒトを運ぶ
川の岸に都市が生まれ
その都市と都市を結ぶ

船の操作にたけたバイキング
凶暴なノース人ノルマン人が
ヨーロッパに進出
ロシアを流れる川にも進出
異種なるものが交わり混血
スラブ人、ゲルマン人、ラテン民族
また川を境にして歴史の興亡がある
riverはライバルとなり
川と対峙して国と民族がせめぎ合う

ライン川の岸辺の都市、マインツ
古い教会の前の市が建つ
そこにとりどりの菊の花が売られる
岸辺のポプラに秋のさわやかな風が吹きそよぎ
その港の岸辺に船を待つ
そして次なる都市を目指す

ドイツの父なる川ラインかなたオランダまで流れる
岸辺の古城よその物語よ
ヨーロッパの千年の歴史は刻まれぬ
キリストの教会も川に結ばれぬ
祈りは一つとなりヨーロッパは形成されぬ
荘厳なる石の聖堂はヨーロッパの大地に根付く
そこにパイプオルガンは荘重に鳴り響く

ヨーロッパは分かれ争うも一つなり
川により結ばれ一つなり
旅人よ、路地裏の石畳みの道を歩み
古い教会の鐘の音を聞く
その音を聞き千年の歴史を偲ぶ
国々の興亡ありしも
ヨーロッパは一つなり
川によりキリスト教により結ばれ一つなり
切り離されず一つなり
しかしその争い流された血の上に築かれぬ

ヨーロッパを幾重にも流れる河よ
その川に沿い営みは続く
そして川の上を思い下を思う
川は人々を結ぶ










2025年10月01日

ロシアとウクライナの川の役割を知る

ロシアとウクライナの川の役割を知る

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これらのノース人たちは、ドニエプル川、ヴォルガ川、ドン川を水上交通路として利用した。
彼らの長船はバルト海と黒海を結び、スカンディナヴィア半島をビザンティン帝国やコンスタンティノープルといった繁栄した都市、そしてユーラシア大陸の市場へと繋いだ。

そのヴァイキングの影響
プーチンがウクライナはロシア領とすべきだと主張する理由、

なぜ外国がわかりにくいのか。つまり4大文明が大河の岸に生まれたということが物語るように大きな川の役割を見ないからである
そもそも日本にはそうした川がないのだからイメージもできないのである
何故川が大事になるかとなると川は道であり交通路になる。
外国の河は運河のようになっている。だから船で行き来しやすく自ずと通商が発達する
文明を作ったのは交通の便利な場所だともなる
そこでヒト、モノの交流が活発になり都市が生まれた

だからなぜノルウェーのノース人が当方のスラブ人と関わったかというとバイキングがいて船の操作にたけていて長船を作り川を行き来できたからである
だからウクライナのキエフの起源がノース人に由来するというのもそのためである
川が交通路となり結びつけたのである。川が道となり異民族と交わり結びつけたのである
だから4大文明が大河の側に生まれたのもそのためである

例えば日本でも最上川は長大な河である。それで紅花(べになば): 高品質で全国生産量の約4割を占める最上紅花は、酒田湊を通って上方に運ばれました。 
これも京都が消費地となり川を通じて運ばれた。これも最上川が交通路になったからなりたったのである。
また京都が大消費地になったからこそ紅花(べになば)の生産も増大して繁栄したとなる
それだけ川の交通路の役割が大きかったのである。

ともかく外国がわかりにくいのはそのベースとなる地理が川の役割がわからないからである
外国の河は運河のようになっている。道になっている。そこで異民族でも文化でも交わるのである
だからウクライナでも川を中心に見るとわかりやすくなる
またラインがローマ帝国のラテン民族とゲルマン民族の境になったということもそうである。
外国では川が国境となる。川を挟んで互いが争うライバルとなる。ライバルとはrever

英単語「river」の語源は、ラテン語「riparius」(川岸の)に由来します。それが古フランス語の「riviere」となり、英語の「river」に引き継がれました。この語源を通じて、「川」はもともと川岸に関連するものであり、水が流れる場所という意味が形成されました。
「ライバル」の語源は、ラテン語の「rivus」(小川)から派生した「rivalis」です。この言葉は「川を競い争っている者」や「川を共同で使う者」という意味で、水源の確保から生まれた言葉です。英語の「rival」は、競争相手や対抗馬を指し、特に「好敵手」という意味合いが強いです

川で重要なのは川岸でありそこが港にもなるからである
それは日本でも川とは側(がわ)であり岸を指していたのである
だから共通性がある左沢(あてらさわ)というとあちら側であり岸を意識して名ずけられた
それはあちら側に渡ることを意識すらから名ずけられた
河本体より岸の方方が大事だったとなる




2025年08月27日

中国は遊牧民が入り商業民族でもある 【中華思想はランドパワー故に生まれた―日本はシーパワーの国でなかった?】


中国は遊牧民が入り商業民族でもある
【中華思想はランドパワー故に生まれた―日本はシーパワーの国でなかった?】

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華北平原が漢族でありそこが中国だった

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胡とつくのは遊牧民―異民族である。

胡弓 - こきゅう
胡瓜 - きゅうり
胡桃 - くるみ
胡椒 - こしょう
胡麻 - ごま
胡坐 - あぐら

これは遊牧民地帯−西域からから入って来た。


●乾燥地帯に文明が生まれた

中国となると広大でわかりにくい、今の中国を一つと見ることは誤解することになる
中国の基はどこにあるのか?それが乾燥地帯の黄河文明にあった
何故長江周辺になかったのか、そこは南であり産物も豊かである
湿潤気候だから水も豊富であり稲作が発達した
だから食べ物でも豊富なのである。だから黄河文明が乾燥地帯に生まれたのは何故なのかとなる。

そもそも四大文明はエジプトであれメソポタミアであれインダス文明であれ乾燥地帯に生まれた。ただ共通しているのが大河がある交通の便がいい場所である
そしてそこでは米はとれない、麦が主食になる地帯である。それは乾燥地帯だからである。満州になると一面のトウモロコシ畑がつづく、黄河でもむき出しの土の高原であり人々はヤオトンと洞穴を住居としている
だから貧しく感じる。

でも文明は生まれ都市が生まれたのは乾燥地帯である。乾燥地帯の特徴は森とかがないから見通しがきく地形である。だからこそエジプトのように何も無いからこそ
山も無いからこそ指標となるピラミッドが建設された。何か森があり山がある日本とかの地形とは違う、何もない平原平地だからこそそこに計画的に人工的に構築するピラミッドが自ずと生まれたとなる。
それは一つの目印であり人工物であり人間の技術でクリエイトされたものである
人間が作り出した人工的山だとなる。その山も正三角形の立体ではない
何か未だに解明されない、今の幾何学では解明されない神秘的な構築物なのである

ともかくこうして乾燥地帯であり大河がある所に4大文明は生まれた
それが産物と食料が豊富な所に生まれていないのである
そして長安(西安)は最初の始皇帝の都となった。それは乾燥地帯の西域と砂漠地帯と通じている。中央アジアとか中東の砂漠地帯と通じている
そもそも砂漠とかから何か生み出すものがあるのかとなる

●乾燥地帯の遊牧民を知る

その砂漠地帯が中央アジアからイスラエルまで続いているのである
イスラエルで誤解するのは砂漠地帯の延長にある。だからラクダが泊る隊商宿がある。つまり羊を飼う遊牧民が基になっている
そもそもアブラハムが遊牧民でありカナンの地に神に命令されて移住したのである
だからイスラエルの民は遊牧民であり農耕民ではないのである
だから中東の広大な地域は遊牧民の地帯である

そこは一神教が生まれた地帯なのである。湿潤で米がとれる地帯ではないのである
それで米と麦地帯に分けて世界を見るのも一つの方法である
麦がとれる地帯はビールが作られた。それでエジプト文明でもビールを作っていたのである。あとは満州となると一面のトウモロコシ畑になる、それが主食にもなる
つまり米が主食になる地帯はそれほど広くないしむしろ乾燥地帯で麦を作りそこに文明が生まれたとなる。

世界を地形風土から見ると見通しのきく平原砂漠とかそこに大河ある地帯から生まれた。大河は交通路になり商業が発達させた。また砂漠へ平原地帯は交通路になる
山は人々を閉ざしてしまうのである。砂漠とか平原は何か人間の人工的作用が自ずと生まれる。平坦であり何もないからそこに計画的に土地を利用してピラミッドのような人工物を構築するのに向いていたのである
大河であれ砂漠であれ平原であれ交通路になりやすい、それで商業が発達する
商業民族が形成される、中国はこの遊牧民との抗争の歴史だという時商業民族でもあり商売上手だとなる。

●遊牧民は商業民族になった

聖書で神との契約というときこれは商業民族だからこそ生まれたものである
商業では契約が一番大事だからである。何か農業からは生まれにくいものであった
要するに文明とは砂漠とか大河がある見晴らしのいいい交通の便がいい場所に生まれた。ナイル川が道となりその河岸からピラミッドに通じていたといのもそうである。それは港でもあったとなる
何か農業が文明の起こりであり基本だという先入観がある。乾燥地帯は農業に向いていない、むしろ砂漠でも平原でも交通路としてあり商業に向いていたとなる

中国は遊牧民が入り文化も入り農業民族だが商業民族でもある、商業民族と農業民族は相当に文化の相違がある。遊牧民は土地に縛られず移動するから商業民族になりやすい、何か文明という時農業をベースにして生まれたと見るが意外と商業から生まれたともなる。つまり砂漠であれ平坦な土地だと人間がそこに人工的な物を建築物でもイメージしてクリエイトする。
第一都市自体が平坦な広い土地がないと作れない計画して作れない
そして都市とは商業が主な仕事になる。多様な人々が集まりそこで人工的なものが構築する。創意工夫が都市から生まれる

●中国は遊牧民(異民族)の抗争の歴史

いづれにしろ中国を理解することは至難である、余りにも広すぎるからである
まずその基本となる地理が理解できない、それはロシアとかアメリカでもそうである。だから地理がわからないと世界はそもそも理解できないとなる
中国という時中華というようにどうしても世界の中心という意識が生まれる
世界的視野をもち外交でもする。それは広大な大陸志向でありそれを日本の島国では持てない志向である。中国は常にそういう志向をもっている。
世界の中心に中華があるとなる。そして日本は小日本だと見る

要するに日本は中国の派生したものでありその一部と見る
また中国の歴史は異民族との抗争と統合の歴史である
それは日本では蝦夷は異民族でありそれで大和王権と長く対立した歴史と似ている
何故なら征夷大将軍とは蝦夷を治める称号だったからである
歴代の将軍はそれを継承した。中国でも遊牧民と戦い治める者がその地位にあり似ているのである

遣唐使「3つの種族からなります。ここには熟蝦夷(にぎえみし)がまいりました。毎年、朝廷に貢物をもってまいります」

 皇帝「その国に五穀が実るのか」
 遣唐使「ございません。獣の肉を食べて生活しております」
 皇帝「これらの者が住む家があるのか」
 遣唐使「ございません。山深いところで、樹木の下で住まいしております

人間は基本的に何を食べていたかが最大の関心事になる、五穀が実るのかと聞いたことがわかる。これは極端であり実際は縄文人でも木の実などを採集して食べていた。

●中華思想はランドパワーの思想

大陸は空間軸と時間軸のスケールが違う、中華思想がその中に変わらずある。
でも中国は一つではない、分裂するものが内在している。その文化も民族も多様だからである。だから日本では中華思想のようなものは生まれにくい
大日本帝国の戦争でもまず統合する思想もない、生まれようがなかった
中国は絶えず三国志のように分裂しては統合してきた歴史がある

ただ中華思想とはランドパワーの思想でありそれが大航海時代から世界がシーパワーの時代になり遅れたのである。今でも中国はランドパワーの国である
ロシアもそうである。でも七つの海を支配したイギリスやアメリカはシーパワーの国である、日本が満州とか中国に進出したのはランドパワーを得るためだたもなる
何故なら満州は寒冷地帯であり稲作に適していない、でもあえて稲作をしたのである。それは農業国の発想である。農業は土地を得ることが第一になるからである
そこに商業的発想はなかった、また海に囲まれていてもシーパワーの発想がなかった。そこを見誤ったのかとなる。

文明を商業と交通から考える(文明論2) (商業と交通の発達が国家を作った)

満州の歴史をふりかえる
--蝦夷(エミシ)・ 粛慎(ミセハシ)靺鞨(まっかつ)の謎--

遊牧民の系譜ーベドウィンのテント






2025年08月20日

現代文明社会が互いに意思疎通できなくなった 【互いの職業が理解できなくなったー今でも田舎には江戸時代の村人間がいる】


現代文明社会が互いに意思疎通できなくなった
【互いの職業が理解できなくなったー今でも田舎には江戸時代の村人間がいる】

●刑務所の看守をして30年務めた人

現代は何故他者が理解するのがむずかしいのか、それはまずその人の職業を理解することがむずかしいからである。職業は実際に経験してみないとわからない
推理ドラマを見て看守の仕事を30年していたとか放送していた
看守の仕事は犯罪者を刑務所で見守る仕事である
それを長く閉じ込められた犯罪者を見ているから何か感で理解する
人間はやはり長く密接に接していればその人を理解する
それでその人が冤罪だということを知る、そしてその人は刑事ともなり一人で捜査する。そういう仕事をもともとしたいということがあり定年になるということで真犯人を一人で探す刑事になった

そもそも刑務所で毎日閉じ込められた密室で犯罪者を毎日見ている
それはその人自体も刑務所に閉じ込められているともなる
そういう仕事を30年間もしていたらどうなるのかとなる
何か仕事というのはそうして狭い閉ざされた所でしている人が多いだろう
するとその他の仕事のことがわからなくなる。
つまり人間が互いに理解できなくなったのはそもそも毎日している仕事が職業のことがわからないからである、そこから問題が起きてくる

●鉄を作る人と農民の関係(田を汚染する公害があった)

それは鉄を作る人達が米でも作る人を理解できなかった。それで神秘化する
あの人たちは何をしているのだろうとなる。農民は鉄を作る人達を理解できなかったからである。

合流した付近は川砂鉄が最も溜まりやすい所で、何千年の間に相当な量の砂鉄が溜まったものと考えられます。
 その地がサナと命名されたのは長期間採取されたためと思います。

 時々カナクソが採取されていますのでカナクソの捨て場であったようです。
 金黒の金は鉄の意ですが、黒は畔(くろ)の当て字で盛り上がった所と考えられます。

岡山県内の製鉄(たたら)地名

ともかく田に関する地名は膨大である。こじつけがあるにしても多すぎる
田が鉄作りで汚染されて黒田となった。寒田とかはサビタのことであり
田が鉄作りでその屑が流れてきて赤茶けたり黒くなった
つまり汚染された公害だったのである

こうして鉄作りする人と田を作る人達はすでの公害をもたらすものとして対立した
ただ農業と鉄は不可分である、なぜなら農具が鉄から作るからである
それで稲荷神社が稲の神と見るが稲荷(いなり)とは鋳成りであり鉄を鋳る―鉄を作り鎌や鍬でも作ることから祭られたともなる

人間が農民が鉄作りのことが理解できなかったように現代でも継続されている
原発事故でも電気を作るにしても東電のことを理解できなかった
またそこは立ち入り禁止にもなりそれをその土地に住む人でも秘密のベールにつつまれていてブラックボックスになっていたのである
そしてやはり事故で田畑であれ森林であれあらゆる場所は放射性物質で汚染されたのである。その原因が原発のことをそもそも地元の人達もわからない、立ち入ることもできな、アンタッチャブルの領域になっていたからである

●様々な専門家も理解できない

つまり職業が違うとその人のことも理解できなくなる。その職業の種類が現代では膨大に増えた、するとますます職業が違うとわからなくなる
その人を知るには日々従事している職業を知らなければ知りえようがないのである。だから現代では職業が無数に分化してますます他者を理解できなくなったのである。『秋深し隣は何をする人ぞー芭蕉』江戸時代でも都会化しているからそうなった。でも江戸時代ならその職業が今と違ってわかりやすいとなる

いぜれにしろ様々な問題が起きる、外国のことも常に報道される
でもその人を理解する職業のことがわかりにくいから意思疎通ができなくなっている。あの人は何をしているのだろうとなる。職業のことがわからないとなるとその人が何に悩み苦しんでいるかなどもわからないのである
専門家がいてその人達のこともわからない、ウイルスでも研究している人でも理解できない、核を研究している人でも理解できないのである
経済でも株のことを言われてもそれもわからないのである。
グローバル化してますますわからなくなる。それで陰謀論が盛んになるのはそもそそわからないからそうなってしまう。その規模が余りにも巨大すぎるのである

●村(部落)人間も今でも存在する

村人間となると数十人が東北だと部落(村)を形成する。
そんな狭い範囲で生きた来た人がいてそれが江戸時代の人間になっていた
よそ者を入れない、農協の店で売らないとかなっている
江戸時代は村に商人が来た時神社の境内でで特別許可されて商売をしたのである
それと同じようなことがまだ一万の街では行われていたことに驚いたのである
だから気に食わない人には売らないと拒否したのである
ただスーパーとかチェーン店ではそういうことはない、逆に江戸時代は極端に狭い場で生活していたのである。

それにしてもグローバル社会なののそうした江戸時代の村社会が今も残っていることに驚く、その人は一生狭い土地で狭い限られた人達としかつきあわなかったのである。だからそれ以外の人は物を売るにしても拒否したのである
仲間を優先して結束する。商売となると広く見知らぬ人も相手にしなければならない、だからそんな人が老人がいたことに驚いたのである

とにかく人間を他者を理解するにはその職業を理解しないとわからない、でもその職業でも多様化したからわかりにくい、ということは現代文明社会で他者を理解することは難しくなる、そこで何が起きるのか、バベルの塔のようになる
言葉が通じなくなる、その言葉とは専門用語使うことである
科学でも法律でもいろんな分野で専門語が使われる、でも他者には理解できないとなる

●ナチスやカルト教団が生まれた理由

そしてどうなるかとなると人をまとめる統治するにはナチスがファッシズムが生まれたとなる。何かその時我々は一体であるということで酔ったのかもしれない
一体化したいということで熱狂したとなる、それはカルト教団でもそうである
教祖を神のように祭り上げて一体感を持つ、それは現代社会の特徴だとなる
それは本来の宗教とは関係ないのである、ファッシズムなのである
題目を唱えるときそれがはハイルヒットラーにもなる
ただその時偽装であれ人は一体感を覚えるのである。つまり現代文明の病理的現象として生まれたのである。それは狂気でもあるが数が多いから容認されたのである

現代とは意志疎通できなくなった社会である。それはバベルの塔と似ている
だから文明は原発事故のように崩壊するともなる
とても複雑多様化分化した世界を知り得ようがない、一つにまとめることは不可能になっているからである。だから文明自体が自壊するともなる。
だから人間は経済規模を拡大してもそこでアイデンティティを持てないなのである
でもまたグローバル化が全部悪いとはならない、今の時代部落(村)人間がいたことに驚く、そんな人とももはや通じ合うことはできないのである
だから5万以上とか十万とかの規模の都市なら住んでもいい、それ以外は江戸時代の村に戻り村八分が公然と今でもある。そんな所で生活はできないのである。

グローバル化した世界でもそういう江戸時代と変わらない村があり村人間がいる
でもそういう村人間は田舎でも特殊かもしれない、ただ現実にそういう人間がいたのである。とてもそうした村人間がいる所には住めない、まず最低条件として5万くらい以上でないと住めない、それでないと江戸時代い逆戻りになる。…村では住めない、だからそういう村は限界集落となり消失してゆくはどうにもならない、そういう場所に住んでいたのはやむを得ず住んでいたのである
人間はどうしてもやむを得ず住むことになる。そんな簡単に移り住めない。
特に老人は移り住めないのである。ただこの辺では原発事故になりやむをえず移り住んだのである。


2025年08月17日

古都ローマの残響(AIの詩) 【ヨーロッパの魅力は歴史が継続していること―石の遺跡が残っていること】

古都ローマの残響(AIの詩)
【ヨーロッパの魅力は歴史が継続していること―石の遺跡が残っていること】

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古都ローマの残響(AIの詩)

大理石の残る円形の闘技場、
千の声が今もほどけ出す石段にこだまする。
剣を握りしめた影は消え、
長い石壁だけが、今も帝都を囲む

神々の名を祈りし殿堂は、
今も天を抱く穹窿を残し、
万神殿と呼ばれしその場所に、
千年の祈りが静かに眠る。

市の鼓動、雄弁家たちの声、
法と信仰と商いが混じり合った谷間
フォロ・ロマーノは石の記憶となり、
柱とアーチが遠い対話を続ける。

ローマ帝国の道、アッピア街道
戦士も商人も駆け、列柱の影を追った。
今、歩く我らは静かなる旅人、
千年前の足音をたどる者。

丘の頂、規模を誇る宮殿の跡、
パラティーノは帝の夢と都市の母胎、
ローマはここから、生まれ、育ち、炎と燃えた日
今、石垣の裂け目に、伝説が息づいている

ローマの浴場に貴族は何を語ったのか
その勝利と栄光の跡は何を語る
兵士を迎えた凱旋門は古り
その熱狂の日々は消失する

太陽の光を浴びる帝、アウグストゥス
秩序を築き、平和をもたらす
「皇帝の中の皇帝」、世に知られ
大地に Pax Romana を与える者よ

歴代の皇帝の記すものは何か
そは後の世までも伝えられる
その教訓と意味は何か
それは世界史として共有される

ヨーロッパの礎はローマにあり
二千年の歴史の地層にローマがある
その廃墟はなお当時を語り
ヨーロッパ形成の土台となる


詩でもいろいろな分野がある詩万物が詩ともなる。最初は叙事詩であった
これは歴史を詩にした、その前に神話がありそれも詩であった
歴史を題材にすればそれはいくらでもあり詩のテーマはいくらでもある
ヨーロッパの魅力はローマ帝国があればそれが2000年前でありヨーロッパの中に継続されていることである

石の廃墟が今でも残ているからそこから石の一片でも残れば昔を偲べるのである
とにかくヨーロッパの歴史は個々別々のものとして見れない、ローマ帝国があり
それは現代でもローマ法とかあり建築技術でも活きているのである。
ローマ帝国からキリスト教も広まりローマの建築の上にキリスト教会が築かれたことでもわかる。ヨーロッパの魅力は地層のように歴史が積み重なっていることである。その土台にローマがあったのである。

日本だとどうしても木の建築だから歴史を偲びにくいのである。木は残りにくいからである。歴史が継続されて構築されることがあると連続性を感じて歴史的思考ができる。
例えばなぜ太平洋戦争でも300百万人が死んだのに語られないのかとなる。それはナチスでもそうであり近代の世界戦争ではそれが語られにくい、そこには無惨な凄惨な死体の山が築かれて何か意味と価値が与えらない、人間のヒューマンな物語がヒストリーがストリーが生まれないのである。もちろんそれも詩として表現されないのである、ただ無惨な凄惨な光景だけになる。原爆でも最悪の光景になった

それに比べるとローマ帝国の歴史にもその建築技術が優れていても人間と猛獣の戦いの見世物場となったりと人間の負の歴史がある
それでもローマ帝国の歴史となると後世に残すものが作られて残された
それがローマ法などや建築技術とかで活かされてきたのである
要するに2000年とか継続された歴史がある。それが魅力なのである
何か日本でもそうした継続した歴史を感じにくいのである

ともかくAIが作る詩が何なのだろうとなる、詩まで作るのかとなる。
二割くらいは直してもほとんどは直していないのである
だから人間の能力を拡張するものとしてAIがあるとなる。



Echoes of Ancient Rome

The circular arena, with its marble remains,
still echoes with the voices of a thousand people on its stone steps.
The shadows clutching swords have disappeared,
and only the long stone walls remain, still surrounding the imperial capital.

The temple where the names of the gods were prayed,  
still holds the dome embracing the sky,  
and in that place called the Pantheon,  
a thousand years of prayers sleep quietly.  

The pulse of the city, the voices of orators,  
the valley where law, faith, and commerce intertwine,  
the Forum Romanum has become a stone memory,  
and the columns and arches continue their distant dialogue.

The King's Road, the Appian Way,
where warriors and merchants once raced, chasing the shadows of the columns.
Now, we walk as silent travellers,
tracking the footsteps of a thousand years ago.

At the summit of the hill, the ruins of a palace that once boasted its grandeur,
the Palatine Hill, the emperor's dream and the womb of the city,
from here, Rome was born, grew, and burned with flame.
Now, within the cracks of the stone walls, legends breathe.

What did the nobles discuss in the baths of Rome?
What do the traces of victory and glory tell us?
The triumphal arch that welcomed the soldiers has grown old,
and those days of frenzy have vanished.

The emperor Augustus, bathed in sunlight,
established order and brought peace.
Known as ‘the emperor among emperors,’
he was the one who brought Pax Romana to the earth.

What do the emperors of past generations record?  
It is passed down to future generations.  
What are the lessons and meanings?  
They are shared as world history.  

The foundation of Europe lies in Rome.  
Rome exists in the geological layers of two thousand years of history.  
Its ruins still speak of the past  
and form the foundation of Europe.  

Translated with DeepL.com (free version)





2025年06月29日

なぜイスラエルが世界の中心になったのか? 【神の計画と意志が明確にあったー地質学でも証明されるー大陸はもともと一つだった】


なぜイスラエルが世界の中心になったのか?
【神の計画と意志が明確にあったー地質学でも証明されるー大陸はもともと一つだった】

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地球形成のドラマ

もともと地球の大陸は一つ
その中心としてイスラエルを定む
水が陸を覆いその後に陸が現れる
人の大陸を割るものとして
地中海があり黒海がありカスピ海がある
テチスの太古の海がある
ノワの洪水はその記録なりや
大西洋よりジブラタル海峡を通り
膨大な水が流れ込む
更に黒海へカスピ海は一つの海なり
故にカスピ海アザラシとか棲む
塩分もありて元は海の生物の棲む
塩分の濃い死海もそうである
海の痕跡は大陸の各地にある
大陸はアメリカアフリカ大陸は一つ
ユーラシア大陸に分かれる
インドは大陸移動でユーラシア大陸に衝突
ヒマラヤ山脈を隆起させる
何故にその高きにアンモナイトの化石のありや
地球は突然大洪水の水に覆われ海に覆われぬ
そこに光あれ陸地が造山活動で現れぬ
その壮大な地球のドラマを知れ
神のくすしき業を知れ
海と川と陸地と山の織り成す地史を知れ
ザクロス山脈はイラクとイランを分けて
ペルシャ帝国よりそれは変わらず自然の防壁
長大な川は境界、山も境界、海も境界を作る
ライン川はラテン民族とゲルマン民族を分けぬ
熱砂の砂漠も障害となり広大に阻む
それは変えることができぬ神の定めた境界
そこに国々の多様な文化は育まれぬ
イスラエルがなぜ世界の中心なるか
それは神の計画に御意により定められし故
神の雄大なる計画のなかにあらかじめ定められる
エベレストは天を衝き大平原砂漠は広がりぬ
大平原を馬は群れなし勢いよく駆ける
本然の力ににみなぎり疾走する
草原に吹き渡る風の涼しも
常に大陸のかなたを望み人々はある
海のかなたを望みその海を渡りアメリカの発見
境界を越えるもまた人間のやまざる衝動なり
そこに激しい対立衝突ありしも
膨大な血の流されしもその犠牲なりや
その織り成す地球と人間のドラマ
かくして世界は一つに結ばれむ


最初に水が覆っていた海があり次に光があり陸地が作られた。この順序は創世記にあり確かだろう
つまり聖書は科学と一致するものがある。つまり架空のことではなく常に事実を反映しているのである
だからなぜイスラエルが神の都となったのか、それは神が定めたからだとなる
神に意志がそこに働いた。だから地球の大陸が一つの時確かにそ中心にあり地中海に膨大な海水が大西洋から流入した。
それは黒海とカスピ海も一つの海でありチロス海となっていたのである
大陸には海の痕跡がある。つまりそれは海だった、水に覆われていたからだとなる
死海は確実に海の痕跡が残ったのである。

だから不思議なのはなぜそのような何十億年なのか地史の時代から見通してイスラエルが地球の中心と定めたのかここに神の計画があり聖書が記したのはその驚くべき計画の実現であった。

でもその時間間隔は違っていたらしい、化石は急激な変化があり突然化石化したと久保有政氏は【創造論の世界】で書いている
確かなことはただやたらと無作為に作られたのではない神に明確な意図があった。だから聖書の記述と後の科学的研究と一致するのである
空想の産物ではなかった。聖書は想像して書かれたのではない、だから科学的に追及されたものと一致するのである

神には明らかに明確な意志がありそれを実行されたとなる。でもその壮大な地史を知ることは容易ではない
第一世界を見るにしても一部であり全体を知り得ようがないからである。でも地理を知るとしたらその場に一回でも立てば実感する。いくら地図をみてもわからないからである。カスピ海が琵琶湖の365倍なのかとなれば想像を絶するからである
だから大陸は巨大すぎて地図を見てもわからないととなる。

大陸は海洋以外の何物でもない、大陸はかつて海の底だった

まず海がありそしてそののち大陸が海面上に現われ(かわいた所)となった。

地(大陸)は・・・自ら出て、水によって成った古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。」
(「ペテロの第二の手紙」3章5〜6節、口語訳)

イスラエル民族のことを地の中央に住む(エゼキエル)

これも地質学的にももともと地球は一つの大陸でありその中心にイスラエルがあった。それは神が定めたという時
神の計画があり科学的にも一致する。それは何を意味しているのか、天地創造の神の業がありそれは神の計画と意志が働いていたのである。つまりこの世に偶然とかはない、必然しかない、偶然に宇宙が地球ができたのではない、神の計画と意志が働いてできたのである。聖書がその後の科学的発見を証明するのもそうである。科学の時代になっても聖書がその裏付けになっている
その知見はどかからきたのか?それは神から知恵を授かったからである。その後の膨大な科学的発見がそれを裏付けたのである。

いずれにしろまず地理を知ることが大事である。地歴であるが地理は今も変わらないから理解しやすい、時間軸の歴史となるとわかりにくいのである。地理は地質学時代の何十億年前でもその後が大地に山に刻まれ残存しているからである
ただ何十億とではなく意外と短期間に生成されたというのも真実かもしれない、あまりにも長い時間になると人間の思考からして現実感が薄れるしそれがありえないものとなる。だから意外と短期間で生成されたとばれば現代にも通じてリアルなものとして意識するのである。

主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」
(「ペテロの第二の手紙」

地球でも長い時間をかけて成ったというのは違っている、7日間で創造されたという時意外とそれも正しいともなる。
少なくても何億年の単位になると人間は想像すらできなくなる。すると架空的なものとなるのである。
地球が若いと言うとき宇宙でも若いという時それが空想的なものでなく現代に通じるのである
だから一日は千年のようであり、千年は一日のようでありという時間間隔で見るべきだとなる

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2025年06月27日

なぜ地理がわからないのか?【カスピ海や太湖の大きさー琵琶湖と比べて】


なぜ地理がわからないのか?【カスピ海や太湖の大きさー琵琶湖と比べて】

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タクラマカン砂漠




イランを知ろうとすると必ずその周辺を知る必要がある。それで驚いたのは

カスピ海は琵琶湖の560倍!

これも驚きである。こうなると海なことがわかる。この大きさをまずイメージできない。


カスピ海は第四紀更新世以前は黒海および北海と連結していたが、最終氷期が終わって完新世になってから水位が下がって黒海や北海と分離し、現在の姿となった[

カスピ海の塩分濃度は1.2%です。
海水が3.4%なので、海水ほど塩辛くないですが、すこししょっぱい程度です


中国の蘇州の太湖でも

太湖の面積は2,250平方km(琵琶湖の約3.4倍)、周囲は400kmである。中国五大湖の一つで、鄱陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である。湖には大小約48の島が浮かび、多くの半島が連なり、湖を囲む峰の数は72を数える

琵琶湖の約3.4倍、周囲は400kmである 大小約48の島




これを見たけど水平線が見えるから海の感覚にもなる。日本だとこの大きさが理解できない、地図を見ただけではわからない。
地図を見るとかえって誤解する。何か何でも小さく見えるからである。だから百聞は一見にしかずになる
何か北京から学生がカザフスタンに行くという、大学で学ぶよりこうして実地に世界を旅行した人が学生でも学んでいる

この地図を見てヒマラヤ山脈が中国との境になっている、そこにチベットがあり・・・意外とモンゴルも接していている
だから仏教という時チベット経由でモンゴルに伝播した。チベットはモンゴル帝国の影響を受けた。逆にチベットの影響も受けたのである、何かネパールには中国から迫害されたチッベト人がいて商売していた。
モンゴルが中国がネパール、インドには侵入できなかったのは地理的にヒマラヤ山脈などに阻まれていてためである
それでもネパールは毛沢東思想が入って来ていたのは中国の影響があったためである

またヒンズー教徒がいるのはインドの影響である。地理的にはインドの影響の方が多いのである
インドから輸入しているのが多いのである。
またタクラマカン砂漠がありこれも広大である。ここは不毛の地である。
この地図でカザフスタンの大きさには驚く、でもカザフスタンを知る人はまれだろう。一時はソビエト連邦に入ってた
今は中国の勢力が拡大して外交攻勢をかけている。石油が出るのでそれが目当てになる。

またネパールにはジャングルがありインドサイがいる。なぜネパールにジャングルがあるのか、ヒマラヤをイメージするからわからなくなる。

ネパールのチトワン国立公園に生息するインドサイの個体数が増え、過去20年あまりで最も多くなった。保護当局は、コロナ禍で観光客が途絶え、生息地が回復したことも一因だったとみている。

ネパール国立公園・野生生物保護省によると、ネパール国内4カ所の国立公園に生息するサイは、直近の集計で752頭が確認され、2015年の645頭から100頭以上増えていた。

ネパールのサイ個体数、過去20年で最多に 観光客途絶え生息地回復

こんなところまでコロナの影響があった。ここも観光できるようになっている。でも人の見守り離れて一人その範囲を出た時
危険だった。そのサイが突進してきたかもしれない、見守りの人が危ないと安全地帯に自分を引き戻した
ここは象に乗りジャングルに入る

それにしてもネパールというとヒマラヤをイメージするからどうしてそこに熱帯のジャングルがあるのかとなる
確かに大きな鮮やかな色彩の鳥もいた。そこは熱帯のジャングルなのである

ともかく世界の地理を知るのは容易ではない、一つの目安としては境を知ることである
ヒマラヤ山脈で遮られてそこが自然的境界となる、中国はそれ以上は拡大進出できない、それにしても何でも大陸はスケールが違うので戸惑うし理解できなくなる







2025年06月25日

地理は実地にその土地を踏まないとわからない―特に外国はわからない 【砂漠がわからないから一神教も聖書もイスラム世界もわからない】


地理は実地にその土地を踏まないとわからない―特に外国はわからない
【砂漠がわからないから一神教も聖書もイスラム世界もわからない】

【ひろゆき】イスラム教とイラン・イスラエル紛争の関係性...アメリカは本当に危険な状況です..


ひろゆきの砂漠についての話は的をついている。そもそも砂漠とか遊牧民のことを日本では理解できない
存在しないものを理解することは不可能になる。いくら写真を見ても本を読んでも実感できないからである
例えば海とか山なら日本にもあるのだから理解できる。
ただ山となると外国になると岩山が多い、日本のように森に覆われていない、むき出しの岩山なのである
シナイ山などでも草も生えていないような岩山なのである。だから厳しさを感じる。そこに登って十戒を授かったのがモーゼである。

また川にしても長大で運河のようになっているのが大陸国家である。だから日本の川を滝だと見たというのもわかる
川が交通路になるのが難しいのである。だからヨーロッパであれ川が道となり都市でも結ばれることはない
それは中国でも同じである。なぜインドでもガンジス川がヒンズー教で聖なる河となり世界も中心のようになったのか
それは川自体が大きくそれが大陸を貫くように流れている。
またナイル川でもエジプト文明がナイルの賜物というのもそうである
それは上下エジプトをつなぐものでありそれで統一国家も生まれた。四大文明が川の側に生まれたのは必然だった
それが交通路にもなっていたからである。

つまり世界を知るという時基本に地理を知ることでありこれがわかりにくいから誤解するのである
地理は実感しないとわかりにくい、だから映像を見ても本を読んでもわからない、一回でもその地を踏んだ人の方が知るとなる
エジプトで小型の帆船のファルカーに乗りナイル川を旅したいという学生がいた。
私はファルカーに乗ったとしても狭い範囲である。現実にナイル川をファルカーで旅すればその経験は貴重である
その点は現代では恵まれている。学校であれ大学であれ地理の勉強するにしても一回も外国にも行かなかったらどうして知るのかとなる。その差は余りにも大きいのである。そのことは私自身に当てはまる。50歳まで一回も外国に行っていなかったからである。それが大失敗だった。
ナイル川の岸からピラミッドに通じているという時ピラミッドは港の役割もあったのかとなる。また川岸に神殿がありそれを夜に訪ねた時は月光が照らして神秘的だった。つまりナイル川がありエジプト文明があったとなる。そうなればナイル川を知らなければエジプト文明は知り得ようがないのである

それは砂漠を遊牧民を知らなければ聖書でもイスラム教でも知ることが不可能になる。だから確かにヒロユキが砂漠について言っていることは的得ている。砂漠では一人の指導者が絶対となり従わなければならに、なぜなら砂漠では方向が大事であり
どちらに行くかで生死を分けることもある。そしてそこでみんなで議論して時間がない、すると一人の判断にまかせることになり一人の指導者に従うことが生き延びることになる

それで砂漠を団体で旅した時道に迷ったがその内の一人が経験者でいて水のあるところに導いて生き延びたとある
つまり水は砂漠では最高に貴重なものでありもしその時水を得られなかった死ぬことにもなる
その生死を託されたのがその一人の指導者だとなる。集団で議論している時間がないからそうなった
何か危機を乗り越えるとき民主主義のように議論していると間に合わない、即座に決断しなければならない
すると一人の指導者に託すことになる。

また砂漠では方向が大事になる。だからこそ北斗七星が北極星が大事になる。それで妙見信仰が生まれた。それは相馬野馬追いの相馬氏が騎馬民族にもなりその旗印は北斗七星になった。それは中国から伝わったものである
ともかく砂漠がどういう場所なのか、砂漠は音もしない清潔な場でもある。静寂があり神が現れる場だった。そして何もない砂だけでありそこに植物でも繁茂する熱帯と全く違った風土である。植物でも生物でも多様であればアニミズムになる
そして偶像崇拝になるから熱帯地域とかには一神教は生まれなかったのである
何もない世界はそこに石一つでもあればその石を全集中して見る。一つの神にもなる。それと同じように何もない所には一なる神が君臨する。様々の物があれば一つの物に集中できないあからである
いずれにしろ砂漠に一週間でも天幕で過ごせばその感覚がわかる。空に見えるのは星だけである。それで砂漠地帯では星が方向を示し信仰までなったことが理解できる

砂漠地帯でなぜ協議するとか議論するとかみんなの意見を聞く民主主義が合わないのかそれはそういう土壌がなかったからだとなる。強力な一人の指導者に従わなければ全員が死ぬということにもなる。方向を間違えばそうなる。
一人の指導者が権威者となりそれは神に指名されたものとして人々を導くことになる。それは一なる神が導くと同じなのである
でもその指導者がイランでもアメリカに殺されたらその権威は失墜する。だからハメイネ師の殺害しようとした
その絶対的権威であるものが排除されれば体制も変わるとなる。
それと似たものが日本の天皇であった。ただこれは中東の独裁者とかとはまた違っていた。天皇は第一権力はもっていない、イランではハメネイ師は軍隊に命令できるからである。

ともかくなぜあれほどイスラム教では偶像崇拝とかアラーの神でも批判すると殺されたりするのか?それは砂漠という世界で
清潔と清浄を求め不潔なものを入れない拒絶する世界からかもしれない、そこに一つの神が現れて統率するとなる
議論したり投票したりの多数決の民主主義は相いれない世界だとなる
絶対不可侵の世界でありそこに根本的な世界観の相違がありそれで理解しにくいとなる

現実の中東には人びとが異なる意見を表明し合い、対立や葛藤を経て、合意形成をするための場、すなわち民主的なアリーナ(闘技場)がほとんど存在しない

中東で民主主義が定着しない「本当の理由」〜イスラームをめぐる2つの問題について 末近 浩太

議論とか討論とか話し合いとかそうした文化そのものがないとなる。政教一致になれば神が絶対的権威となりそもそも反対意見は許さないからである。だから様々なことで是非を論じることはできなくなる

神に逆らうのか、仏に逆らうのかとなりできない!

それは創価では政教一致だからそうなる。何かというと反対すると罰が当たるとか地獄に落ちると脅迫するからである。
ただ自分にしても宗教に関しては議論したくない、神がないとかなんとかかんとかいくらで言えるからである
神がいるかいないのかなど議論しても無駄だ。議論して神などいないなど誇っても何も得ることがないのである
ただその他の日常生活ではいろいろ議論して最善策を見つけるべきである。そこでは議論が有効である。でも神があるかないかなど議論しても無駄なのである

ともかく砂漠地帯は一人の指導者に従うことが命にかかわることだから政教一致になった。一人の予言者に従わないと死ぬとなればそれに反対することはできない、自分でも死ぬことにもなるとしたらできないのである。
だから一人の指導者に権威と権力が集中するとなる。だから剣でもって宗教を強制するともなる
反対する者は殺されるとまでなる。そういうことが日常の生活でも適用されるから民主主義にはなりえないとなる
だから民主主義の基本には政教分離がある。それがイスラム教国ではしにくいとなる。
ただトルコとかインドネシアとか民主主義でありすべてがそうではない、別にトルコのオスマン帝国では様々な宗教がありユダヤ教でもキリスト教でも許可されて生活していたのである。つまりイスラム教でも一様ではない、すべてが政教一致ではないからである。

何か日常の子細なことまで宗教を持ち出すとおかしくなる。例えばABという商店があるときAは信仰しているから繁盛するBは繁盛しないとなる。創価などは常にそういうことを言う、でも店が繁盛するのはいろいろな条件があり繁盛する
ただ神仏に祈っても繁盛などしない、そしたらただ神仏に祈ればいいとなるからおかしいのである。現実にはそうなっていないの
宗教で強制することはおかしくなる。宗教は必要でもそれを現代の生活に子細なことまで制約して判断することはできない、心の清い人が神をみるだろうというときそれは個々人の心の問題としたのである。あらゆることを宗教で判断するとはできない、どうしてもイスラム教だと神を冒涜するとして過激になり殺してもいいとなるのは異常である。それがあらゆる日常の生活で神を持ち出すから問題なのである




2025年06月24日

砂漠のオワシス、島のパラダイスへ(詩) 【人の世から災い無くなることがない平和はない】


砂漠のオワシス、島のパラダイスへ(詩)
【人の世から災い無くなることがない平和はない】

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砂漠を行き喉が渇き
オワシスを夢見る
その水は千金の値
花々が咲き夢見心地木の影に休む
そこに神よりマナが与えられて
労することなく安らぐ
一つのパラダイスや
しかしそれも一時の幻
束の間の夢と消える

一つのコインを大事に握りしめる
そのコインに刻まれし王の顔
しかしその王国も砂漠に消える
王の座はそこにはない
そこに一なる神の声がひびきわたる
アザーンが高らかに重くひびきわたる
真の王の座は天にあり不滅

砂漠にまた巨大な都市の幻が現れる
そこに群衆が絶え間なく満たされる
一人一人の顔は見えない
みな同じような顔にしか見えない
しかしそれすらも一時の幻
広大な蜃気楼のように消える
阿鼻叫喚のありしも
ただ砂漠の幻と消える

そこは元の砂漠にもどり
一なる神の声が再び力強くひびきわたる
荘厳なるロゴスの神殿が再び成る
そこに岩が残り岩にひびく
岩は硬く沈黙を守り神の声を拝聴する
偶像は倒れ砂に埋もれ王の座は消失する
そこに再び預言者が現れ神の言葉を告げる
その名は地に記されずも天に記される
生命の書に記されて神の国の一員となる

そこはまたかなた遠くの至福の島
鴎は自由に翔けてまた別な島へ渡り行く
長い海岸線を白波が寄せ地に轟きぬ
大空と海とかなたの山々
海に魚は跳ね飛び躍動する
船は新たな港を目指して進む

ああ 遠く離れた島にあれ
千年人知らず眠りたい
そこに災いなく安らぎたい
最大の災いは人よりもたらされる
醜き人々ののさばり争いはやむことがない
常に火宅の世にして騒乱の世
ああ 遠く離れた隔絶した島に

労苦なく神よりマナを得て
何故か二人の女性の仕える
誠にその日々は極楽の時
ただ花々の夢を見て至福の島に安らぐ
次々に花は咲き飽きることがなし
そして石は千年の眠りにつく
その石の眠りを邪魔するな!
この島は禁断の島にて入るべからず

人よ気をつけよ
美女にあれ何人にあれ人に気をつけよ
災いは人よりもたらされる
人の和にあるは至難なり
何かにつけ争いが生じる
争いの種は尽きることがない
神はこの世よりそを救出する
神の国へそをこの世より救い出す
今しばらくなれ忍耐して待て
そは災い無き国へ神の国へ入る
争いなき乱れなき国で永遠に安らぐ
病なく老いなく愛に結ばれる国
災いはもはやなき神が治める国へ



人間は最後何になるのか?神話とか伝説化してゆく、無数の物語(ヒ・ストリー)と化してゆく。人が死んだら肉体として消えてもそれぞれの物語となる。神話とか伝説となる。大きな歴史でなくても個々人でも家の物語でも伝説化する
神話という時はそれは国家的大きな物語になる。

親でも死ぬがその親も子を通じて物語化して伝説的なものになる。それが実際は現実であってもその現実が伝説化する
だから神話でもそれは現実と関係していて現実を反映して作られたものでありフィクションではない、それはありもしないことを語るのとは違う、そもそも事実は小説より奇なりというときそれぞれの人生でも家族でも様々なことで奇なることを経験している、その一生でも何か不可解なものがある。なぜそうなったのかそういう家族だったのかとかも不思議になる
人間の運命が不思議であり謎にもなる。

ただ聖書の物語はフィクションではない、すべて事実であり神話とか伝説とも違う、現実に起きたことを忠実に記したのである
奇跡も事実である。モーゼが海を割ったのも事実である。作り話ではないのである。そこが他の神話とは違っている
だからその奇跡でも信じなければ信仰はありえないとなる。
だからキリストが湖の上に立った時、ペトロも海の上を歩こうとしたできなかった
それで【信仰薄き者よ】と叱咤された。その奇跡を信じなかったからである。

なぜエホバは砂漠に現れたのか、それは人間は人間は具体的な物を通してしか理解できない、その物が人でも神になるのが普通である。それは必ず偶像化する。だから何もない砂漠に神は現れたのである。
そこに唯一一なる神が現れたのである。

いずれにしろこの世は本当に災いの世である、火宅の世である。戦争でも今も終わりなくある、それだけではない別に戦争が無くても人間は何やかやと争っている、それは家族でも争っている、親は子供に尽くしたのに成長して親が年老いいてもめんどうみないから冷たいとなり育てたことでも後悔する。
つまり別に戦争しなくてもこの世に平和がないというとき常に何にやかにやと争いの種が尽きないのである
つまり人間社会に争いはなくなることはない、だからこそ世界最終戦争でハルマゲドンで人類が滅びると予言された











2025年06月14日

日本人劣化幼稚化の原因ー現代文明人が共通して劣化したのではないか 【ルネサンスは小都市で生まれた】

日本人劣化幼稚化の原因ー現代文明人が共通して劣化したのではないか
【ルネサンスは小都市で生まれた】

日本人が劣化したのはなぜなのか、日本人が幼稚化しているのはなぜなのか、その原因は何なのか?
それを考えるときなぜ明治時代に偉大な人物があれほど輩出したのかとなる
大学でも何でも創始者になり日本を牽引した。明治時代に漢詩が一番興隆したのもやはり江戸時代の遺産があり教育が漢文でされていたからである。漢詩の特徴は志(こころざし)を述べるということである
つまり明治時代の人の教養は漢籍によって培われていたとなる。
また武士道があるときそれもモラルとして日頃の生活から体得していた、それで武士道キリスト教を提唱した内村鑑三が生まれた
何かそれは日々の生活で培われたものがあり知識だけの人達ではなかった。
人間はどうあるべきなのかとかその日々の生活で環境で自覚していたとなる。

現代の指導者は膨大な知識を学んでも本質的にモラルとか何か人間として肝心なものが身に着かないのである。
いくら知識をつぎ込んでも何かそれが弁護士ならその知識を利用してだまして金をもうけるとかなる
そういうことが余りにも多いのである。
問題があるにしろ江戸時代の武士は武士道を知識としてではなく体得していたとなる
それができたのはそういう基盤となる社会があったからだとなる。そもそも教育は知識だけではできない。
それを育む社会があってできる。それは一人の人がいくら優秀でもできないのである

だから何か戦前を生きた人達と戦後を生きた人達は違っていた、戦後の高度成長を築いたのは誤解しているのは団塊の世代の人達ではない、戦争が終わり焼け野原になり戦争を経験した人達が戦後の繁栄を作ったのである
それは団塊の世代の親達だったのである。そこを誤解するのである。団塊の世代は何か常に批判されるが戦後の復興は団塊の世代の上の世代が作ったのである。だからその時の人達は団塊の世代とは別だった。戦前の教育を受け戦争を実際に経験した人達だったとなる。

でも戦争に負けて戦前は鬼畜米英で戦った人たちはアメリカに追随するものとなった。極端な変節になった。
戦前までは何か日本の伝統的なものは受け継がれていた。その良し悪しは別として戦前の人間と戦後に生きる人間は違っていた
だから戦後10年か20年はそういう人地が指導者だった。団塊の世代が指導者ではないのである
団塊の世代が指導者になるのはその後なのである。高度成長時代を築いたのは戦前に生まれた人達だったのである
アメリカに負けても経済で復興してアメリカに勝つということになった。
それで日本の自信を誇りを取り戻そうとしたのである。でもその肝心な経済が成長しない失われた30年になった

そして日本の誇りも失墜した。人物も幼稚化したとか全体的に劣化したのである
ただそれは日本だけではない世界的にそうかもしれない、何か世界でも均一化しているからである
大都市をみれば同じようなっている。高層ビルが立ち並びその大都会で人間は大衆化群衆化しているのは同じだからである
つまりそこにはもはや肝心な人間はいないともなる。

現実に人間は数字化されて統計化されて人はロボットなのかともなる。そもそも一千万の東京でもそれが何なのかわかる人がいるのかとなる。それを見れば眩暈する。そこにはもはや本来の人間は存在しえないとなる
何か人間がどうのこうのというより本来の人間が存在しなくなったとなる
そこで力を持たものは大衆である。その大衆には何か高貴なものを目指すものがない、すべて経済のことしか結局金のことしか眼中にないとなる。その大衆に迎合したのがマスコミだとなる。パンとサーカスを提供するものだったとなる
ただこの大衆はナチスのようにもなるから怖い、カルト教団もそれと似たものである。
そこには何ら高貴なものを真善美を求めるものがないからである。御利益を追求するとき経済活動であり政治活動になる
ただ数を集めて社会をナチスのようにファッシズムにする。そこに高貴なもの真善美は求めない、大衆が求めるのはパンとサーカスだからである。

つまり人物がどうのこうのといってもその基盤となる社会がない、となれば人間形成などできない、それでそうした高貴なものを真善美を求めるものは孤立化してアウトサイダーにならざるをえないとなる
大衆文明社会から分離して大自然とアイデンティティ化するとかして本来の人間回復を求める
ただそれは孤立化するから目だたないとなる。マスコミでも取り上げないからである
ただ逆にそのアウトサイダーに真善美が宿る、そういう社会が失われたものがその反動として真善美がその孤立した一人の人間に宿るとなる。なぜなら逆に神であれ自然であれそういう人を求めているからそうなる。それは大衆ではない、一人の単独者に失われた真善美が宿るとなる

特に自然の美はやはり変わりなくある、だから教会でも大聖堂でも宗教がそこで維持されるわけでもない、本当の美は大自然にある、そこが本当の神殿だからである、そこでこそ神を讃え礼拝すべきだとなる。人間回復は依然として人間によって汚されない大自然に触れてあり得る。霊感の源はそこにある。大自然に共鳴してこそ人間回復はありえる
そのためにはカオスの雑音の文明都市から離れねばならない、どうしても現代は人間回復するためにはアウトサイダーになってしまうのである。

いずれにしろあらゆる分野で人間が劣化したという時、現代文明社会からは人物は生まれようがないともなる
余りにも複雑化してそもそも人間ではあることはできない、知識も膨大でありとてもついていけない、知識偏重はかえって人間を歪めるとまでなる。そんな膨大な知識を消化できないからである。消化不良となってしまうからである
いずれにしろ日本人が劣化した幼稚化したというときそれは世界的に共通かもしれない、文明の世界の巨大都市は似ているからである。古代文明だったらそれぞれが違ったものになっていた。でも現代の文明都市はビジネス中心の都会であり共通している
景観も高層ビルが立ち並び似ているからである。それがもし古代的なアーチの門とか何か違っていたらそこから生まれる人間も育まれる人間も違ったものとなる。ルネサンスのような世界が生まれるとなる。

ともかく人間が何か知識だけではない、知識にしてもそれがその地域とかと結びついてものになる。だからルネサンスとかはフィレンツという5万くらいの小都市で生まれた。現代の一千万とかの巨大都市になるとそこでアイデンティティ化することは不可能である。それで明治時代という時依然として江戸時代の連続性があり藩校とかありそういうものが受け継がれていた
東京にしても最初は新潟県より人口が少なかった。百万とかから出発したからである。それでも大きく感じていたのである
今は一千万となれば十倍でありそこで人間の精神がアイデンティティ化することは不可能だとなる。

だからもともと天才は大都会から生まれない、5万くらいの小都市から生まれているのである
そのくらいがアイデンティティ化できる規模だとなる。ただ村くらいでは無理である。そこには何か職人でも商人でも知的な刺激を受けるものがないからである。
それで啄木でも宮沢賢治でも盛岡という都市があり刺激されたのである。近くにでもそうした都市があれば才能も開発されるとなる。ただ現代は別にアマゾンでボタン押せば本でも何でも買える。またyoutubeでも知識は得られる。
だから地方でも独学できる環境が備わったとなる。むしろ大都会だと東京とかなると自然に接することができないからそこから文化は生まれないとなる。culture-cultivate(耕す)ものがないからである。

2025年06月09日

太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる 太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる 【なぜ南山がまれなのかー北斗七星―妙見信仰が生まれた所以】


太陽の昇り沈む方角地名が基本でもわからなくなる
【なぜ南山がまれなのかー北斗七星―妙見信仰が生まれた所以】

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現宮城県丸森町側では朝日に輝くので東光山、新地町側では鹿狼(かろう)山に対して兎狐とこ山とよぶ

「南に山を背負っている土地」は耕作に不利で、好んで住み着く人が少なかった。
北半球の日本では、北に山を背負い南側に開けた土地の方が、南に山を背負い北側に開けた土地より日照時間が長い。北に山がある土地(南斜面)の方が、南に山がある土地(北斜面)より耕作に適していて、人口も多く集まってきた。

東山というのは地名として普通にある。それは京都が有名である。

平安時代、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは…」と、清少納言は京都・東山を『枕草子』につづる

東山は日の昇る方向になる。西山は日の沈む方向になる。それはわかりやすい、北山も日の沈む方向になる
でも南山は意識しにくい、なぜ南山というの山がまれであるのか、日照時間と関係していたのも興味深い
ただそれだけなのか、そもそも東風は意識する、太平洋側だと3月ころ必ず東風(こち)が吹く、そのために原発事故が3月11日であり丁度東風が山に向かって吹いて放射性物質が浪江の津島とか飯館村に運ばれて汚染したのである

ともかく南という方角が意識することが少ない、山にしても東山があり西山があり北山がある。それは普通に意識する
でも南山は意識しないのである。それは太陽の昇る方向として東があり沈む方向として西がある
人間の感覚として東はそうして意識しやすい、常に太陽が昇る方向と沈方向を意識するからである

太平洋側に住んでいれば常に海から陽が昇る、そして山の方に西に太陽が沈む。でも山に囲まれた盆地なら山から陽が昇り山に沈むのである。だから陽が昇る方向がどこであれ東になり陽が沈む方向が西であり北になる

それで不思議だったのは東(あずま)というとき琵琶湖の比良の山の麓の高島とから見ると丁度関ヶ原辺りから陽が昇る
そして西は琵琶湖の湖西線になる。だから東というとき常に陽が昇る方向として意識する
ただ日本海になると山から陽が昇り海に沈むから太平洋側と逆になる
また日本海は韓国から見れば東海になる。陽が昇る海なのである。それで日本海ではなく東海にすべきだと主張する
日本の海だということが気にくわないとなる。メキシコ湾をアメリカ湾にすべきだというのもそうである
確かに地名に領有権を主張するよりただ方角地名にするのが公正だとはなる
でも日本からすれば東海にはならない陽が沈む方向になるからである。だから方角地名ですべてがいいとはならない

確かなことは丸森では鹿狼山は陽が昇る東であるが太平洋側から見れば陽の沈む西なのである、その感覚は真逆なのである
だから住んでいる場所によって逆の感覚になる。
とにかく旅をするとこの方向が気になる、飯館村さえ山で囲まれているから間違って帰るのに陽の沈む方向に西に北に向かっていた。でも陽が沈む方向は太平洋側に出るのではないと思い引き返した。山に囲まれているから方向がわかりにくいのである
陽が昇る方向が東であり陽が沈む方向が西であり北である。

それで不思議なのは相馬市の日下石(にっけし)である。この由来は西だというのが有力だろう、なぜ海岸に近いのに西なのかとなると海から見ると確かに陽が沈む方向なのである。だからこの地名は海洋民族の安曇族とかが名ずけたのかとなる
現実に津波でその近くまで海になったからである。その海から見たら確かにその辺に太陽が沈むのである
地理の基本は地名の基本は方角地名である。でもそれがわかりにくいのである。会津の東山温泉がどうして東なのか感覚的にわからなくなった。会津は山国だから方角がわかりにくいのである。

アメリカでも西部はカリフォルニアであり西だから太陽は海でも西に沈むのである。その西から東に向かうと日本になる
西へ西と開拓者は移動した。でもその西は太平洋で尽きる、そして更に西へ西と行けば日本に到達したのである

遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります。

これをアメリカにあてはめると日の没する国から日の昇る国となる。それは失礼だとなるより科学的公正な見方である
ただ人間は陽が昇るのと沈むでは感覚的に逆の感覚を持つ。陽が昇るは興隆する感覚になる、陽が沈むは何か衰える感覚になる

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」柿本人麻呂

これは東は興隆することであり西は月が傾き何か正反対の感覚である。
世界史でも東西の感覚が基本にある。東洋文明があり西洋文明がある。東洋文明がオリエントになり文明は東洋が起源なのである。つまり方角を知ることが世界を知る基本なのである。だから北斗七星でも北極星でも方角を知ることで信仰までなった
相馬氏の旗印は妙見信仰でありそれは北斗七星である、それは遊牧民からもたらされたのである

時代は886年頃。
「平将門が伯父の平国香と争うと、良文は将門に味方して染谷川で戦いを繰り広げた。
この戦いで将門・良文の軍勢は苦戦し七騎のみとなり、
良文は自害する場を求めてさまよっていた。

そこに突然不思議な声が聞こえ、その声に誘われるままに後をついていくと寺院が現れた。
その寺院の寺僧によるとここは妙見寺という北斗七星の化身・妙見菩薩を祀る寺院であり、
良文が妙見菩薩に選ばれた者であるといい、七星剣を渡された。」


妙見信仰】B相馬妙見の相馬神社と妙見菩薩に選ばれた「平良文」

なにかわからないけど旅をすると方向がわからなくなる。すると方向を知る北斗七星とか北極星を見て方向を知る
それで救われることがある。つまりそれで信仰までになった。道に迷う方角がわからなくなることは生死にかかわることだからである。

鎌倉末期天台教学と融合した山王信仰が説かれた。山王七社は北斗七星でもあり、庚甲・北斗・山王信仰との
関係が密接です。

妙見信仰をめぐって

この山王神社もまた多いのである。

南相馬市の名前の考察 【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】

2025年06月08日

遊牧民の詩【大草原を駆ける馬】

遊牧民の詩【大草原を駆ける馬】

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平原の小さな湖の岸に牛馬が草を食う

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敦煌ー鳴砂山


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相馬野馬追い

大草原に牛馬は悠々と草を食む
小湖に雲はゆったりと映し流れぬ
広大無辺天と地を分かち展望して
花はいちめんにいちめんに咲き続き
尽きることなきを風は吹き渡る
馬はその大平原を一心に千里駆ける
そこにこそ馬は神により活かされる
一群の馬が仲間とともに走る
たてがみはなびき馬はいななき走り躍動する
翼得て天馬ともなりペガサスとなり
その大空を自由に駆けて飛翔する
そのペガサスの中国に飛び石像となる
大騎馬軍団は一時世界の半場を制す
ヨーロッパまで達して震撼させる
それは悪夢かモンゴルの栄光の時なれ
西安兵馬俑の偉観その顔尽きの多様
地平線に夕陽は真紅に輝き沈む
北斗七星は方向を示して大空に輝き
英傑は生まれ青史に記されぬ
そこに大都市は幻影蜃気楼となる
一場の夢と砂漠の中に埋もれ消える
牛馬知らず悠々と草を食む
一なる神の天地創造の業を知れ
天からアザーンが神の声が響き渡る
大河を越え山を越え海をわたり
人類の興亡の跡の歴史を知れ
遊牧民はその長大な大陸の東と西を結ぶ
雄渾なる歴史の一大絵巻
しかしその栄光もまた朽ちて砂に埋もれぬ


日本人は遊牧民のことがわからない、また大陸のことがわからない、その壮大な草原とか砂漠などないからである。
聖書でも遊牧民の歴史である。羊を飼い移動する民族である。それが日本ではわからないのである
ヨーロッパでも遊牧民の延長でありやはり羊を今でも飼っている。そこに文化の共通性がある
魏志倭人伝に日本には馬牛羊がいないと記されたことでもわかる
それが日本の特徴である。中国も遊牧民の影響を受けているからそこが農業だけの国ではないのである。

そして相馬藩が相馬氏の騎馬軍団によって支配されたということでもわかる、中国でもモンゴルの騎馬軍団に征服されたからである、西安の兵馬俑は圧巻である、騎馬軍団がまさに圧した遺観である。
つまり遊牧民のことがわからないと世界史もわからない、聖書もわからない、イスラエルもやはり砂漠であり遊牧民の延長である
ユダヤ人が入植して農業国家になったが砂漠の遊牧民国家だったのである。
だから遊牧民のことがわからない日本人は世界史でもなかなかわからにのである。







2025年06月03日

和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった 【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】


和紙は紙漉きは土地により違ったものとなる特産物となる文化だった
【文化の意味ー大量画一生産からそれぞれの土地の歴史を文化を見直す時代】



和紙を作る工程で行われるゴミや不純物を取り除く作業は、川の水がきれいでなくてはできません。
良質な和紙作りのために清らかな清流は必要不可欠だったのです。

現在でも全国各地で作られており、各産地で原料や水質、製造方法にそれぞれの特長があることから、産地ごとの呼び名があります。

特に、2014年にユネスコの無形文化遺産に登録された岐阜県の「本美濃紙」、島根県の「石州半紙」、埼玉県の「細川紙」は、原料である楮を国産の物のみとし、良質な水源を持ち、世代間で伝統技術が受け継がれていることが高く評価されています。

原料や用途によっても異なりますし、一つひとつが手作業で仕上げれらていることから、産地の土地柄、水質によって多様な性質をもっています。

和紙に魅力を感じるとき今の紙のように一様のものではない、大量生産もできない、その土地土地の特徴があり手作業で作られる

麻紙・黄麻紙・白麻紙・緑麻紙・常麻紙・短麻紙・白短麻紙・穀紙・縹紙・加地紙・加遅紙・梶紙・檀紙・眞弓紙・長檀紙・斐紙・肥紙・荒肥紙・竹幕紙・楡紙・朽布紙・布紙・白布紙・本古紙・藁葉紙・波和良紙・杜中紙・松紙

中国における麻紙は,唐時代(618‐907)までは盛んであったが,北宋(960‐1127)以後は減少して,楮紙や竹紙が主流となった。日本の麻紙の製紙は長く絶えていたが,大正時代に越前紙(福井県今立町)の岩野平三郎によって復興され,現在も同家が日本画を中心とした書画用紙としてすいている

自然素材と地域資源の活用

和式の紙漉きでは、主に楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの植物繊維が使用されます。これらの植物は、日本各地で自生しており、地域資源として手に入れやすかったため、紙漉きが盛んに行われました。また、これらの素材は、湿気や温度変化に強く、耐久性に優れているため、書物や文書の保存に適していました。

陸奥紙(みちのく紙)

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

恋の歌は薄い紙に書かれていてその対称的なものとして陸奥紙があった

平安時代に陸奥(むつ)国で産出された、コウゾ(楮)を主原料とする上質の和紙。「みちのくにがみ」ともいう。衣(ころも)川流域の平泉文化圏で漉(す)き始められたとの説もあり、その紙質が都の紙屋紙(かんやがみ)に匹敵するほど良質なため、平安京の貴族の間でもてはやされて、やがて紙屋院を衰退に導く結果ともなった。王朝文学にしばしばその賛美のことばとともに用いぶりが表れており、厚くてふくよかな、しかも白くて清らかなその麗しい紙は、懐紙として詩歌を書いたりするのに愛用されたことがわかる。はるかな奥羽地方をしのんでか、唐様(からよう)に檀紙とよんだり、あるいは真弓紙(まゆみのかみ)といったりしたようである。

[町田誠之]

書画用としてだけでなく、紙子(かみこ)、紙布織(しふおり)の二種の紙衣料も産しています。丈夫で夏は涼しく、冬は暖かいという特性を生かして、紙子は江戸時代の庶民大衆の防寒衣服として愛用されました。また、紙の織物として有名な白石紙布織は、公卿将軍家諸大名衆などに夏の礼服として着用されました。

奥州白石手漉き和紙


和紙の歴史は古い、和紙が地域によって違ったものになった。それが材料とか水質と関係しているのも興味深い。
要するに和紙は今の大量生産の一様なものではない、日本の地域の文化なのである。culture-cultivateでありその土地で育むものが文化である、その土地の特産物が文化である。だから和紙は地域によって違ていて味わいがあるというときそである

陸奥国紙で厚ぼったい紙に、香りだけは深く焚きしめ ていらっしゃる。とてもよく書き上げてある。和歌も(源氏物語)

というとき厚ぼったいとなると何か陸奥の素朴さがにじみでるとかなる。確かなことはきれいな水が流れている所が和紙の生産には必須である。だからこの辺で紙漉きが行われていたのは細い流れであり支流であり沢である。それは本流となると大きな川になると川の水が濁るからである。新田川より水無川とかいいとなる。それで高倉村でも紙漉きが行われていた
そこはかなり奥まった所であり清流がある。相馬市の山上村では紙漉き沢があり清流が流れる場である
でも宇多川ではないのである。

それで飯館村でも葛尾村でも紙漉きはなかった。それは飯館村とか見ると紙漉きにふさわしい細い清流がなかったからなのかとなる。また急流となると紙漉きに向いていないからなのか紙漉きはなかった

水と関係するという時米でも水質が相当に関係している。この辺で鹿島区だと栃窪村は山の村だから水質がいいとして米がうまいとされて買っていた。また水質は会津だといいから米もうまいし酒でもいいものがブランド品ができる
それは山国であり水が豊かで水質がいいからである。ともかく農産物は風土の影響を受けて独自の物ができる
風の具合とかまで関係する。それは風土の微妙な影響を受ける。
だからワインでも葡萄は光の影響を受ける、川や湖の岸で作る葡萄は光の反射が影響するとかまでなる
それでワインには土地の名がついている、つまりcultureなのである。

そうなると今の大量生産の紙には文化がないともなる。みんな同じであり規格化されたものだからである。
工業製品は規格化されやすいのである。そうなるとそれは文化ではないともなる
文化とはその土地土地から生まれたものであり違っているから価値がある。だから世界的に共通化した食は文化がない
その国独自の文化がない、フランス料理があり中国料理があり日本料理がある。アメリカ料理とかはないのである
だからコカ・コーラとかハンバーグとかアメリカ料理がグローバル化したものはそれは文化と言えないのである
お茶は文化だとなる。日本だと茶道まで生まれたからである。アメリカには歴史が短いから文化がないのである

つまりアメリカは広大な土地があるが文化が育まれないともなっていた。今何か物が大量に生産されてもそれが規格されて一様化されて文化が消失したともなる。それで不思議なのはなぜスーパーの時代で商店街が廃れた時代にお菓子屋だけはどこにんでも残っている。それは村単位でも残っている、丸森の大内にも菓子屋がありと辺鄙な所でも残っている
それはその菓子屋で独自の味の菓子を作っている、その味は代々伝えられて作られたものでありその家の土地の文化だとまでなる、大量生産されたものはみな同じ味であり安いとしても価値がないとなる

何か情報に関してもそうである。全国版になるとかならず大谷翔平一色になる。むしろそうしたマスコミより地域からの発信が新鮮だとなる。それはやはり地域地域ですべて違ったものがありその土地土地が違っているからである
それでtake placeが起きるというとき場所が関係しているからそうなる。その場所のことを知らないと実は何が起きたのか理解できないのである。テレビを見ても切りとった映像を見てもその場のことがそこに立たない限り理解できない。
でも一回でもその場に立ったらその場所をイメージできる。それは外国になると余計にその場のことが理解できないから誤解するのである。

ともかく現代はグローバル化して大量規格生産の時代だった。これからその土地土地の特色を生かしたもののが見直され追求される。ここでも価値観が変わって来たのである。だから歴史を過去を振り返り見直す作業が必要になる
紙漉きが石神村で行われていたという時それをふりかえり石神であれその村全体であれ見直す、そこに子育て地蔵があるというときもまた古い碑などでもそこにつづいた歴史を見直すことである。子育て地蔵があれば江戸時代の子育てはどうだったとかイメージするのである。文化の時代という時情報時代でもマスコミの時代は終わった
誰でもテレビ局youtubeで放送できるとかプログでも無料で個々人が地域から発信できることができる
地域の歴史でも遺産でも掘り起こす文化の時代なのである。

だからコンパクトシテイとかなると経済合理性の追求でありそうするとグローバル化経済のように文化が失われるのである。
ただ便宜性経済合理性を追求することは文化の荒廃を産んだ。そこに何か無理があったのである
農産物でもそれはその土地土地と密接に結びついたものであり単純にグローバルに見れないのである
第一アメリカとか中国の広大な土地と日本の山国の狭い土地とではあまりに違っている。農業は工業のように画一化しにくいのである。世界的分業は成り立たないのである。

ただグローバルな視点は必要である。それでグローバルとローカルは結びついたグローカルという言葉の発明があった。また地理と歴史が結びついた地歴という言葉もそうである。今は振り子がグローバルからローカルの方にシフトしてきたと見る
だから和紙とかでも見直される、地域の特産物などでも見直されるとなる。米でも地域によった味が違うからである
そしてその背景にあるのが自然があり地域地域で住む自然環境が違うから文化が生まれる

だから相馬藩でも飯館村とか葛尾村だと山国であり自然環境が海に面した平地とは違っているのである
ただ山というのはわかりにくい、飯館村の山は海側から見る山とは違う、何か身近であり親しい山になる、穏やかな山なのである。だから気軽に登れる山ともなる。だから飯館村には別な文化が育まれるとなる
でも原発事故でその良さが活かされなくなった、荒廃した。でも山とか森の景観は失ってはいないのである
でも今でも山菜とかは放射性物質に汚染されているとかこれまでの食生活ができないことがあり問題なのである

石神村の紙漉きの歴史
(天明の飢饉の時移住した越中などの人が伝えた)







2025年05月31日

大陸国家が広すぎるために理解できないのが問題 【アメリカでも中国でもその広さの感覚がわからない】

大陸国家が広すぎるために理解できないのが問題
【アメリカでも中国でもその広さの感覚がわからない】


輸送コストが高い
アメリカは国土が広大なため、生産地から消費地までの輸送距離が長くなります。輸送コストが価格に転嫁されるためです。

人件費が高い
農業従事者の人件費が高いため、生産コストが上がります。

なぜアメリカとか中国とかロシアとか理解しにくいのか、その国土は余りに広いために理解できなくなる
野菜でも食料でも広いから輸送費が高くつく、ただ近くでとれるものだとそれほど高くならない
カリフォルニア州だけでも日本より面積が広いという時たったの一州だけでもそれだけ広いしその中に不毛の砂漠ある
その広さが理解できない、だからそういう広い国は一回くらい旅行しても地理はわからないのである。
つまりそういう広大な国に住む感覚がわからない、距離感がわからない、そこで必ず誤解するのである

日本は最近限界集落には住めないとしてコンパクトシテイが推奨されるが大陸国家と比べれば国自体がコンパクト国家だとなる
移動するにも車があればそれほどでもない、でもアメリカだったら移動するだけでその距離感覚が違う、中国でも同じである
中国人が青森まで遠いと言うが近いというとき中国人は火車(鉄道)で一日であれ二日であれ移動する
火車内で寝て食事をする、何か弁当売っていても日本ような駅弁などない、簡単なものでまずいのである
ただそうして二日であれ車内で過ごすことが苦痛ではない、日常的だとなる

要するに距離感覚が違っている。それは余りにも国が広いからそうなる。だから大陸国家と比べれば日本は国自体がコンパクト国家なのである。確かに都市部から離れると不便である。でも大陸国家からするとそんなに離れた感覚はないだろう。
それはあくまでも比較してそうなる。確かなことは日本人の距離感覚は昔から大陸国家とは相当に違っていた
飯館村で大倉村と佐須村が5,6キロくらいしか離れていないのに民情が違うと合併に反対したのである
大陸国家ならその十倍くらい離れているのが普通だともなる。だからアメリカでは州ごとに法律も違うしいろいろと違ってくるのである。別々の国だともなる。日本では県が変わってもたいして変わりないのである。
地理がわからないうときなかなか実感できないからである。

昭和14年(1939)5月11日、ハルハ河東岸の国境線係争地区で、20〜60人のモンゴル人民共和国(外モンゴル)軍と、満州国軍の間で武力衝突が起こった。
モンゴルと満州国との国境は、もともと牧草地帯であり、加えて中国がモンゴルの独立を認めていなかったため、極めて不明瞭だった。それは満州国の場合も変わらない。
日本軍は満州国を支配したことで、ソ連・モンゴルと直接境界を接するようになった

モンゴル人が長城を超えて中国内地に侵入するのみならず、中国人が長城の外に逃れ込み、ハーンの保護のもとで中国風の城郭都市を建設し、農耕や交易をおこなうという形で、諸民族の雑居が進んだ。そうした中、1646年、満洲の女真人が内モンゴルと手を結び、明を倒し、清の時代が始まる。

内モンゴルまで行ったが外モンゴルには行っていない、内モンゴルにしても中国領土になったが広いのである
そうした草原地帯では国境を意識しにくいのである。だからこそ万里長城を作り国境人為的に作ることになる
でも草原ではなく万里長城は山の尾根に沿って作られている。平原とか草原ではないのである
日本軍がモンゴルでもロシアと衝突して戦ったというのはそれだけ戦域を拡大したのである。

それより長安に今の西安に日本軍が進軍していたことに驚く、そこは上海なのか北京なのか火車(鉄道)で二日くらいかかる
そんな遠くまで日本兵が行っていたことに驚くのである、西安からは広大な砂漠が広る西域へシルクロードになる
日本兵はそのときそんな広大な地で戦争するということをどう感じたのか、距離感覚が余りにも違っていたからである

ともかく日本は海に囲まれた島国であり大陸国家を理解できないという時その広さにある。そんな広い土地で生きる人の距離感覚が理解できなくなる。なぜ漢詩で別離の詩が多いかとなるとそれだけ広いとなればなかなか会えないとなる

故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
烟花三月下揚州 烟花三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽 孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流 唯だ見る長江の天際に流るるを

こういう感覚が日本人にはわからない、常に日本では山に遮られて天際に流るるとかないからである
日本では地平線が見えるのは北海道の一部だけである
日本ではそうした大陸文化と関係ないかとなるとある


汗山ハンオーラ

茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿(マグマ)の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に酔ふ
旧き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
  逸見猶吉  ――山汗は蒙古語にて興安嶺の意なり――


造作に引かれし線にはあらず・・・・草原でも平原でもそこに歴史的国境があった
世にもなき夢なり・・・とは日本ではありえないことを感じたということである、そういう大陸で眩暈するのもわかる
日本人の感覚を越脱しているからである。

北斗七星に対する信仰は、主に「妙見信仰」として知られています。 妙見大菩薩は北斗七星を象徴とし、天空の中心をつかさどる仏様として古くから信仰されてきました。また、北斗七星に祈る信仰は「北辰信仰」と呼ばれ、東アジアに広がり、古代の日本にも伝わっています。さらに、北極星と北斗七星の信仰は、中国の儒教や道教と結びつき、「北辰北斗信仰」として発展しました

これは遊牧民から伝わった、遊牧民は広大な地を移動するから方向を知ることが一番大事なのである、方向を誤ると死ぬことにもなるからである。それで中国で羅針盤が発明されたの中国は遊牧民と交わりその影響を強く受けたからである
方向を知ることが命に係わるということで発明された。北斎とかも北極星のことである
相馬市の旗印は妙見信仰の北斗七星なのである。そもそも馬は草原地帯の遊牧民からもたらされたものである
相馬氏が騎馬軍団を持ちそれでこの地を支配できて強力な伊達正宗と対抗できたのである










2025年05月02日

地図だけ見ても地理はわからない 【メキシコは森の面積が広いからがギャングが隠れる―森に覆われていた地球】


地図だけ見ても地理はわからない
【メキシコは森の面積が広いからがギャングが隠れる―森に覆われていた地球】

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メキシコの人口密度は、日本の5分の1に届かず、日本の47都道府県でもっとも低い北海道の64人/平方キロメートルをも下回ります。日本がメキシコの人口密度だとすると、日本列島に東京・神奈川の人口(2300万人)より少し多い程度しかいない状態です。

メキシコの国土面積は日本全土の約5倍で、ラテンアメリカでは3番目、世界でも上位の大きさです。人口は日本とほぼ同じですが、人口増加がまだ続いていますので、差は開いていきます

地図を見ただけでは地理は錯覚する、メキシコは地図を見ていたら小さな国と錯覚していた。アメリカに付属している感覚で見ていた。また南米だと細長いからアルゼンチンとかでも小さい国と見ていた、でも実際は領土的に広い国なのである
森林面積にしても広いのである、だからマヤ文明でもジャングルに埋もれてしまった。
youtubuでなぜメキシコでギャングが力を持つのかというとジャングルに逃げる隠れる籠るからだという、それはヨーロッパの中世とかなると広大な森が覆っていた、それで森に隠れるロビンフッド伝説が生まれた、時の政権に反抗する者は森に逃れ抵抗した。ヨーロッパでも森におおわれてて森が交通の障害となっていた。また森が境界ともなる。

日本だと山に遮られて山が境界となる。ヨーロッパとか大陸は平坦な土地が延々と続く、だからウクライナでもロシアでも広大な森林地帯がある。森が交通を阻むとなる。
それは日本でも森が多いから道がないから海とか川が交通路になっていた。森の中には道がないのである
つまり森は交通の障害物になっていた。だから盗賊でも森に逃げればそこに入り込めないとなる

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とにかく地理は必ず錯覚する。地図を見ていて錯覚する、とても地図からだけではわかり得ようがないのである
地理は実際にその場に立たないと実感できない、日本でも私が自転車で茨城県の八溝山から白河の関に来たのかふりかえるとわからなくなる。でも八溝山は深い森のなかをぬけて白河の関に出たのである
こういう経験は電車とか車でもできない、深い森をぬけて到達したという感覚がもてないのである

そしてなぜ棚倉でヤマトタケルと在地の蝦夷との争いがあったかとなれば久慈川を上って来た所に棚倉がありそれで蝦夷と衝突したとなる。
確かなことは世界でも森におおわれて交通が阻まれていた。でも川とかは交通路になり安かった
特に大陸で川が運河のようになっているからである。森という時ドイツでも黒い森というときモミ(樅)の木でありそれがゴッシックの大聖堂にもなった。その石の柱はモミの木を模したものなのであり重厚なのである

また日本でも縄文人は森の住民である。日本も森で覆われていたからである。するとかなり暗い所に住んでいたとなる
森に閉ざされて生活していたとなる。丸森町も名の通り森におおわれていたし今でもそうである。それでその森に迷い込んで出れなくなった恐怖を経験した。森はそのように道がないからどうしたら抜け出せるのかとなる
延々と森に覆われていたらそうなる。鎮守の森があり杜となっていることからも縄文人は森が生活の場だった
原始時代であれ中世であれ地球は森に覆われていた。ただ現代は文明化して森のことがわからなくなった。都会のジャングルとかなりそこは家がビルが密集して車の騒音で満たされる。森に覆われていた世界から見れば異世界になる
人工空間の中に生活している。人間がどれだけ森を破壊したかは恐ろしいほどである



『古事記』仁徳天皇の条
此の御世に免寸河の西に一つの高木有りき。其の樹の影、旦日あさひに当たれば淡路島に逮およ
び、夕日に当たれば高安山を越えき。故、是の樹を切りて船を作りし

『筑後風土記逸文』
三毛の郡。云々。昔者、楝木あふち一株、郡家の南に生ひたりき。其の高さは九百七十丈なり。朝日の影は肥
前の国藤津の郡の多良の峯を蔽ひ、暮日の影は肥後国山鹿の郡の荒爪の山を蔽ひき。云々。因りて御木みき
の国と日ひき。後の人、訛りて、三毛と日ひて、今は郡の名と為す。

『肥前風土記』
昔者、樟樹くすのき
一株、此の村に生ひたりき。幹枝ひとえ秀高く、莖くき葉は茂りて、朝日の影には杵島の郡の蒲川山を蔽ひ、
暮日の影には養父の郡の草横山を蔽へりき。日本武尊、巡り幸しし時、樟の茂り栄えたるを覧まして、
勅りたまひしく「此の国は栄さかの国と謂うべし」とのりたまひき。因りて栄の郡といひき。後に改めて佐
嘉の郡と号く。


巨木伝説は世界中にある。それだけ森に覆われていたのである

「天飛ぶや 軽の社の 斎(いわ)ひ槻幾代まであらむ 隠妻そも」 (2656番)

空飛ぶ雁ではないが、軽の社の神木の槻の木がいつの世までもあるように、私
は(あなたは)、一体いつまで忍び妻でいるのでしょうか

一本の木だけどこれは森が覆っていたことでもある。それは世界で共通している。

いずれにしろ地理は必ず錯覚している。それは地図を見てもテレビの映像を見てもわからない、そこで錯覚する
メキシコは何かアメリカに付随した小さな国とみる。実際にメキシコ湾をアメリカ湾にするというのもそうである。アメリカの力が強いからそうなる。日本でも韓国から聞いた朝鮮からすれば日本海は東海であり変えろとなる
メキシコが森の領域が広いという時もわからない、大陸の広大さもわからない、グランドキャニオンなどイメージもできない、別な惑星に来たのかとも見たからである。

カルホリニアが日本より広いという時でも錯覚する。そんなに広いことがイメージできないからである
太平洋に太陽が沈んでゆくのも不思議だとなる。アメリカ大陸を西西へと開拓者が進んだ時太平洋で止まり太陽は西に沈んだとなる。でも日本から見れば太平洋は東であり陽の昇る海である

日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや

この遣隋使の話は単純にみれば人間が意識するのは太陽が昇り沈む方向なのである、旅に出るとそれが意外なのである
日本でも日本海なら太陽は海に沈む、でも太平洋側は太陽が昇るのである。この相違は大きいから意識される
何か面倒なことではない、単純なことである。太陽の昇るのが東であり沈むのは西という時それで方向を知る
それが一番わかりやすいからである。

ともかくアマゾンがあるとしてその森の広大さをどうして意識できるのかイメージできるのかとなる
また大陸の川でも長大だから意識するイメージすることがむずかしいのである。
要するに地理は地図を見てもテレビの映像を見てもわからないそこに必ず誤解が生まれる
人間はどうしても井の中の蛙になってしまうのである。確かなことは地理がわからないと世界は理解できない。
それは地図をいくら見ても理解できないのである。そこに限界があるとなる。

万里長城にしてもそれが砂漠地帯まで伸びてその跡があった。とすると本当に長大なものだったのである。
それだけのものを作ったのはなぜかとなれば遊牧民が侵略してくるからそうなった。陸続きだから常に異民族が襲ってくるかわからない、それが大陸の興亡であり歴史であった。
メキシコという国でも何か錯覚していた。日本の5倍の広さがあり森の面積が広い、それが地図からだけではわからず錯覚していたのである。

そしてマヤ文明とか森に埋もれたとかあり、アトランテスは海に沈んだとか砂漠の都市なら砂に沈んだとかなる
文明の行くつく先はそうなる。それが謎になる運命にある。
原発事故では避難地区はそれと似たものとなった。人がいなくなると山村では自然が回復して草木に覆われ森におおわれてしまう、そこで栄えるのは動物にもなる。








2025年04月25日

文化(culture)の多様性は土地土地の風土から生まれた 【葡萄は土地の影響を一番受けやすい】


文化(culture)の多様性は土地土地の風土から生まれた
【葡萄は土地の影響を一番受けやすい】

● 土地利用と作物の多様性

日本:​山岳地帯が多く、耕作可能な面積は限られています。そのため、多様な作物が栽培され、地域ごとの特産品が豊富です。​

アメリカ:​広大な平地を活用し、トウモロコシや大豆などの単一作物が大規模に栽培されています。地域ごとの特産品は比較的少ない傾向にあります。​

AIのチャットgptの指摘は的を得ている。アメリカであれ中国であれ平坦な土地が続く、その広大な土地は農業に向いている
だから日本ではの土地と地形の相違で多様なものが作られるがアメリカとか中国とかロシアとかウクライナでもブラジルでも
トウモロコシや大豆などの単一作物が大規模に栽培されていますとなる
満州と言われて地域を鉄道で旅したら延々と作ることなくトウモロコシ畑だった。だからとうもろこしは主食にもなる、米の代わりになる。

それに比べ日本の地形は本当に複雑である。海に囲まれ山また山でありトンネルが多い、大陸の鉄道になればトンネルなどないのである。日本でトンネルの技術が発達したのは当然だとなる。砂漠のような中東で風車が発達したのもわかる
そこでは風が吹きやすいからだとなる。
つまりその土地土地の地形とか風土により文明も文化も作られる。どうしても平坦な土地が続く大陸では砂漠でもそうであり単一の意識が生まれる、だからこそ一神教に唯一の神の信仰でも生まれた。ただエジプトは多神教になったから一概には言えない
でも単一的なものとして意識しやすいのである。

ともかく日本は野というとき山の斜面だとなりそれはどこまでも平坦な大陸とは余りにも違っている。山に閉ざされて交通が不便であり地域ごとに文化の相違も生まれやすい、それで地域ごとに多様な作物がとれ特産品が多いとなる
それは文化の多様性を産み出す、大陸のように単一の物を大量に作るのではなくその土地に見合ったものを作り出すとなるからである。cultureはcultivate(耕す)から来ている。その土地と土地でとれるものがそれが同じ品種でも味が違ってくるとかなる
葡萄でも土地土地によって違った味となりその土地の名がつけられて売られる、それは日本の米でも同じなのである
酒でもその土地土地で米の味が違うようになる。水も関係するから水のいいきれいな土地ではコメの味でも酒の味でも良し悪しが生まれる。会津の方は水がいいからまた米の味でお酒の味でも違ってくる、それは新潟県でもそうである

●葡萄の味の多様性

シャルドネ(Chardonnay)

フランス/ブルゴーニュ地方
粘土石灰質の土壌で育ったシャルドネは、レモンやライムのような酸味とミネラル感が特徴で、上級ワインではバターやナッツの香りが加わります。​

アメリカ/ナパ・ヴァレー(カリフォルニア州)
乾燥した気候と温暖な気候の影響で、洋ナシやトロピカルフルーツのような芳醇な風味が楽しめ、樽熟成によりトーストやバターの風味が加わることがあります。​


アメリカ/ウィラメット・ヴァレー(オレゴン州)
火山性土壌と堆積粘土質が入り組んだ土壌で育つピノ・ノワールは、ベリーやカシスのような果実風味となり、ブルゴーニュとニュージーランドの中間的なスタイルのワインに仕上がります。​

リースリング(Riesling)
ドイツ/ラインガウ地方
粘板岩質の土壌で育ったリースリングは、レモンやグレープフルーツなどの柑橘系の香りとシャープな酸味が特徴で、甘みとのバランスが絶妙です。​

フランス/アルザス地方
灰岩質の土壌で育ったリースリングは、桃やアプリコットなどの白い果実の香りをまとい、酸味とミネラル感が強く、アルコール感を伴った辛口に仕上がることが多いです。​


なぜならばありとあらゆる植物の中で、どんな場所に植わっているかということがはっきりと個性としてあらわれるからです。古典経済学者のアダム・スミスも「ブドウ樹はどんな果樹よりも土地の個性を反映しやすい」と記しています。

ワインの味を決める重要な要素「テロワール」とは?

これらの例からもわかるように、同じ品種のブドウでも、栽培される土地のテロワールによってワインの味わいや香りは大きく異なります。​ワインを選ぶ際には、産地やテロワールを意識することで、より深くワインの世界を楽しむことができます。

つまりこれが文化なのである。農産物は風土と土地と切り離せずある。風なども影響している、寒暖の差とか葡萄でも湖面に反射する光でも影響している。それが文化の多様性なのである。

花でも同じ薔薇でもドイツで見た薔薇は違って見えた。それはその土地の風土とか歴史でも違っているから日本で咲く薔薇とは違って見えたのである。

ヨーロッパの心と日本の心の対比ー晩秋ボーデン湖の詩 【ドイツと東北の風土の共通性】

●歴史も風土の相違で作られる

ラテン民族とゲルマン民族の相違はライン川を境界として気候が違っていることから起きる。フランスとドイツでは風土は違っていて光でも違う、だから光の芸術家モネが生まれてドイツには何か陰鬱な哲学が詩でも生まれたとなる
温かいラテン民族と寒い地域のアングロサクソンにはカトリックとプロテスタントに分かれた、それは風土も関係していていたのである。何故なら寒い地域だとどうしても勤勉になり暑い地域だと怠け者になるからである
プロテスタンティズムが生まれたのは風土とも関係していたのである

「アグリカルチャー(agriculture)」の語源はラテン語の「agricultura」で、「ager(土地)」と「cultura(栽培)」が合わさった言葉です。意味は「農業」で、土地を耕し、作物を栽培する活動を指します。

cultuerは文化でありcultivaて-耕すからも来ている。栽培とも通じている。文化でも日本の俳句は季語が不可欠だという時農業をベースにしている。春は万物が張るからきているし張り田とは田に水を張るから来ている
夏はなずむからきているとか秋は収穫の時期であり商う時期にもなる、冬は増えるからきているのも違和感があるが野菜は冬にとれる増えるのが多いからそうなったとかある。つまり風土と密接に結びついているのである

でも工業となるとそうした自然と分離したものともなる。画一規格化したものを大量生産する。それは風土と関係なくなる
だからグローバル経済になると賃金の安い国で生産する、その土地とか風土とか国が関係なくなる
農業はどうしても風土と切り離せないから多様性が生まれる、文化も生まれる
それで工業化するとその土地土地から遊離して世界の大都市tなると似たものとなる。高層ビルであり車の洪水であり大都会はに世界で共通しているから何かつまらないとなる。高層ビルを見上げてもそこに文化は感じないが古代建築とかゴッシック建築とかはまた様々の様式の教会建築には個性があり文化を感じるのである。文化の基になるのはculture-kultivate(耕す)にあるとなる。









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2025年03月19日

古代ギリシャの賦(詩)−ギリシャ文明も地理と風土が深く関係していた


古代ギリシャの賦(詩)−ギリシャ文明も地理と風土が深く関係していた

I stay at Athens on sunny day in spring

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明るい春の陽光の下と戸外のの散策逍遙
偉大なる師、ソクラテスよ
真剣な真理の追求の問答
不滅のイデアを見る
オリンポス山は雪の衣に覆われて
聖なる山は不浄を拒み鎮まりぬ
粛々とかつて神の宣託を受けし場
デルホイの神殿の石柱はもの寂び
競技を見る観客の石に座席は古りぬ
ここは世界の中心とありしギリシャの栄光
ギリシャの船は地中海を帆を張り進む
各地の植民都市ネオポリスへ
ホメロスの冒険の物語、ヒーローは生まれぬ
そはは真にトロイの城の跡や
その前に平原あり海へとつつづく
かつて野外舞台にコーラスは青空にひびき
アテネのパルテノン神殿は鎮座する
天才は綺羅星の如く輩出する
ピタゴラスの定理、アルキメデスの原理
その目は輝き探求心のやむことなしも
スパルタは山中に専制軍事国家として埋もれぬ
その子らはマルスの神の生贄ともなる
アテネイの女神の奉献はなく
その知性は磨かれず兵士の養成のみ
しかし今なお古風なるものは残る
腰蓑を着て岩山を羊を追う牧人よ
鄙びた鉄道は走る模型のような車両よ
その煉瓦の駅舎は小屋なりしか
オリンピアに残される石柱と積まれた石
そは二千年の歳月にも残りぬ
ここに若者の体は鍛えられぬ
アテネより離れてクレタの島よ
地下に迷宮を残し謎を語る
イルカに乗る少年よ、波しぶきをあげ進みぬ
地中海の育む神話よ、海の神ポセイドンよ
地中海は人を結ぶ海、交流の海
またその海をめぐり戦いは繰り広げらる
時に嵐に壺を積んだ船は海底に沈みぬ
植民都市はローマの基となり
西洋文明の基となりぬ
文明は小国に文化は小都市に生まれぬ
また辺境に生まれぬ
日本は中国の辺境なりしも
アジアの辺境なりしも
日本にも新たな文化の生まれむ
日本もまた西の中心なるも
その北に東北に新たな文化の生まれむ
未開の地なればこそ希望が生まれる
榎本武陽の蝦夷共和国を目指せしごと
新たな未来は望まれる
若者よ、時代は新たに作り出すもの
希望無きところに希望を見出す
世界を肌で感じよ
そして新たな未来を築け
東から西へ西から東へ文明は起こる
そのサイクルの500年なるを知るべし
今のギリシャはただ過去の栄光のみ
島にロバに古い岩石、菜の花の原
大きな船が近づいてくる
露店にあわれ老人よりドラクマで土産を買う
そのドラクマも今はユーロ―に変わりぬ


ギリシャの地形

ギリシャの山々は気高く雪を帯びて
霊気漂いゼウス神など神々の棲む
アテネの神殿は海に望み地中海に開く
地中海から風はそよぎ泡からアプロディティが生まれる
帆船は風にのり島々を伝い神々も運ぶ
時に風は思わぬ遠くの島に運び
英雄の伝説が憧れとともに語り継がれる
山岳地帯のペロポネス半島にはアルカデア
尚武の国のスパルタの名をはせぬ
華美な文化の育たず質朴素朴の山国
山頂に山羊を追い山中に埋もれたり
ギリシャの島々は地中海を結び交易の基地となり
山を望みて独立の気運起こり
海を望みて外に眼を開き自由の気運起こり
ギリシャに大帝国、統一国できず
ポリスの自主性育み民主政治の起こる
その変化に富みし地形は多様なる思想を育み
あまたの天才のここに生まれ競いあいぬ
エジプトに砂漠を貫くナイル川ありて
一人の王を頂き一大統一国の安定して持続す
しかし外に発展せず砂漠にピラミッドは埋もれぬ
ギリシャの地形は個々に多様に分化して
それぞれの個性を育みローマに受け継がれて
後の西洋文明の礎となり今日に生きる



ギリシャは西洋文明お基となった。それはなぜなのか、その謎は地理とか地形にある。何かギリシャは自然が大きく感じるという、ゼウスが住んだオリンポス山でも2400メートルあるから高いのである。それを春に見た時雪に覆われて神聖なものを感じた
失敗したのはそこのホテルに泊まるべきだった。何か海外旅行がなれていないので失敗した
でも実際の一度みるだけでもその経験は貴重である

ギリシャでもやはり地理と地形を知るという時山が多いから日本とも似ている、そして地中海に面しているから海洋国家ににもなった。国土が狭くても変化に富んでいる。山が高いということは聖なるものとなり宗教が育まれるのが世界で共通している
またギリシャでは牧畜もありそれが多様性を産んだ。日本では牧畜はなく農業が主体だからである
それで地中海に面していることで船を操作する海洋民族にもなった。それでアフリカでもイタリアでもフランスでもナポリとなればネオーポリスーnewpoliceでありフランスのニースであれやはりネオポリスなのである。


ギリシャの陽光は明るくイタリアとも違っているというのもそうである。真昼の明るさがありそれで物が明確に見えて彫刻の美が発達したという、つまり文明文化でも必ず気候風土が影響している。そういえばイタリアを南イタリアを電車で行った時曇りであり雨であった。そして中世の城が見えたのである。イタリアとギリシャは相当気候が違っているのかとなる
この辺は短い滞在だからわからなかった。確かなことは気候風土が影響してギリシャ文化が生まれた。

ギリシア人は、都市文明が形成される初期の時代に、最も近いアナトリア(今のトルコ)と、その南側のシリア・パレスティナから影響を受けた。のちにポリスの形成期には、シリア・パレスティナのフェニキア人からとくに文字や航海や商売を学んだ。エジプトからは高度の学問や芸術などを学んだ。

これもい知的に地理的に外来文化を取りいれるのに有利だった、彫刻となればエジプト文明に習ったとなる
でもエジプト文明は巨大な神像だがギリシャは生きた人間を等身大にリアルに彫刻にした
エジプト文明とギリシャ文明は相当に違っている。政治でも芸術でも違いが大きい、何百ものポリスがあり民主制が行われたことも違っている。巨大国家になればエジプトであれペルシャであれ専制独裁国家になる、大陸では土地が広大でありそれを統一するためにはそうなりやすいのである。

だからギリシャの場合地理的なもの、地形的なもの気候的なものも影響したのである。
そもそも民主制度はそうした小規模な都市から生まれて育まれたのである。中央集権の強力な統一国家ではなかった
だからこそ自由な思考が育まれて哲学が発展して科学の基礎も作られたのである
そこにはまた地中海があり海の民としてあったことも影響した。ギリシャを見ると高い山々があり海に面している
生活も牧畜があり農業があり漁民がいてまた地中海は交通路になっているから交流が促進される、地中海は人を結ぶ海なのである

でもギリシャに行った時驚いたのは私がイメージしていたのとはまるで違っていた。現代のギリシャは後進国である
海運業と観光くらいしか仕事がないから一千万人人口がいたとしても400万人が外国に働きに出ているというのも驚く
出稼ぎの国だとなる。現代の目安は工業化の水準で決められる。工業製品を作れない国は後進国なのである
グローバル化の熾烈な競争経済でありそれの追いつき負ければ国の経済も成りたたないのである
ギリシャは借金で国が成り立たなくなるとなったの自国に観光と海運業くらいしか産業がないからである。
そして公務員が多すぎるから民間の産業が発達しない、それで今財政を緊縮したので失業者がホームレスとか増えて治安が悪くなっているという。

だから何か昔の時代に戻ったような感覚になった。一面に菜の花であり確かに工場など見かけなかったからだ
それで島の古い岩石にロバがいる風景が何か象徴していた。でもそこに大きな船が来るのは地中海的だとなる
でも依然としてスパルタからしょぼい車両の鉄道でアテネに向かった時岩山を腰蓑をして羊を追う牧人を見た
それは古代と変わらぬ風景だと見た。だから外国は百聞は一見にしかずとなる
想像するものとはまるで違ったものにもなるからである。

それは奇妙だけでアルカデアにもなる、プロメテウス的人間とアルカデア的人間がいるというときプロメテウスはゼウスから火を盗んだ者であり現代の科学技術文明を築いたものであり現代はまさにプロメテウス的人間が主流だとなる
私は牧歌的なアルカデア的人間だとなる。
とにかくギリシャは遺跡と観光の国でありそれで返って工業国ではない休養するにはいい環境になっているのも不思議である
でも現実には国の経済が成り立たなくなっているのである

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この説明もわかりやすい、こうして個人で取材に行き見る人が多くなり稼げるとなれば仕事になる
こういう仕事はしてみたいとなる。
















2025年03月13日

中華文明の片割れの日本 【漢字を使うからそうなるが中国のことがわからなくなっている】


中華文明の片割れの日本
【漢字を使うからそうなるが中国のことがわからなくなっている】

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中華歴程

中華大塔
大河悠々
牡丹優艶
大輪開花
城市門月
万物産出
千年歴程
大唐版図
西域征服
異人交流
遠大俯瞰
馬上英傑
青史記録

中国は漢字を通じて日本と密接である。でも欧米に習うことによって中国が何かわからなくなった
でも漢字を使っているから依然として中華文明の片割れになる。つまり日常的に使う言葉の影響は大きいのである。
なぜなら漢字を使えば必ず中華文明の一員にもなる。それは英語でも同じである。でも日本では英語は文の中に入らない
英語で思考することがない、漢字は明らかに漢字で思考している。漢字の一つに意味がある
これは漢詩ではないにしろ何か意味は通じるだろう、漢詩は私には難しくて作れない、ただ何か漢字を積み木のように並べる積み重ねる感覚で漢字で表現する、確かにこの漢字を並べただけで意味は通じるだろう、ただ中国と日本の漢字は違ている

何か漢詩を作るには相当な漢文とかを読み素養がないと作れない、なぜ明治に一番漢詩が興隆したかとなれば江戸時代は漢籍で
教育されていたからである、それが基となって明治に返って漢詩が興隆したのである
またなぜ明治に綺羅星の如く人材が輩出したのか?これも実は江戸時代の侍の教育が藩内で藩校で行われた結果だったのである。そこでは学校のような莫大な知識の詰込みではなく全人的教育が成されていた。というよりはそういう場に生活することで身につくものがあった。だから内村鑑三の武士道キリスト教が生まれたりした。
つまり侍は何か知識だけでは人格的に全人間としてモラルが生活の中で醸成されていたからだとなる
それも否定する人もいる。それは強固な身分社会であり身分でその人の価値が決められていたのである

その人が才能があるとか天分があるとかではない、生まれた家の格でその人の価値が決められていて
だからこそ明治維新は下級武士によった成されたでのである、福沢諭吉にしてもなぜ天は人のの上に人作らずとなったのか
平等を主張したのか?それは下級武士で日ごろから不満がありそうなった
明治維新はそうした侍の中でも身分に差がありそれが不満で起きたのである
初代の首相が足軽身分に自らなり成り上がった伊藤博文だったということがそのことを示している
そんなことが江戸時代にありえなかったからである。

いずれにしろ確かに日本人は依然として漢字を使っている。でも逆に漢字の意味するのが何なのか中国のことがわからなくなている。要するに外国の文化でもその言葉から理解するから言葉に通じないと理解できない
ただその言葉にしてもその背景に実物がありその実物を理解しないとまたわからないとなる。
だからいくら本を読んでもテレビで見ても外国は実地に一回だけでもその場に立てば即座に実感するものがある

とにかく中国の文化は同じようで違っている。塔を見ても中国の党は高い。それは外敵が来るのを防ぐ見晴らしの塔であり
ウオッチングする監視する塔でもある。その成り立ちからして違っている。それはヨーロッパでも同じなのである
日本の党は五重塔はそういう外的が攻めて来るのを見張る塔ではない、何か優雅な塔なのである。雨が多いから庇の機能がある塔の形になったというのも日本の風土から生まれたからそうなる。でも日本は外敵に攻められることがないからその用途が根本的に違っているのである。中国の仏像でも塔でも何か厳しく引き締まっている。
日本の仏像は平安仏となるとふくよかでありそうした厳しい感じはない、ただ日本でも鎌倉の大仏となると武士の武士の時代になり厳しい厳格なものを感じる。だから建築でも彫刻でも時代の影響を受けるのである。



2025年02月11日

ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔 【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】


ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグの河畔
【大陸は川を知らないと理解できないー川の側に生まれた文明】

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ヨーロッパの歴史の詩ーハイデルベルグ


一本一本の木
大地に深く根を張り
静かに力強く
列なし連なる樹々
各々を律して重々しく

Each trees one by one
Deeply rooted in the earth
Silence and strength
Steady lined trees in order
Each one disciplined 
Solomn and faithful

ゴシック大聖堂の石の柱の如く
そこに荘厳なるパイプオルガンの鳴りひびく
大地の底より天に向かいひびきわたる
その塔は天を衝きかなたを遠望して
鐘の音は鳴りひびき街々は暮れぬ
ヨーロッパに統合する歴史
分裂争うも一つとなる歴史の重み

ネッカー河畔岸辺の古都の石の橋石の門
その石にもたれ昔日を回想する
船は行き来して次なる都市へ
川は人を結び人は交わりあいぬ

中世の静穏なる日々古い修道院の中庭
その回廊や祈りは神に献げられぬ
日々の弛まぬ研鑽のあれ
ハイデルベルグ、その古き学都
古城の下や落葉を踏みつベンチに休む
古の日を想いそこに思索を深める




世界を空間軸と時間軸で見る、わかりにくいのが時間軸で見る歴史である。そこが時間軸でどのように形成されたかわかりにくい。特に外国となるとわかりにくくなる。その歴史でも文化でもわかりにくくなる。
それが自然だと世界共通なものがある、確かに自然でも日本にないものがあり砂漠などはわからない、またどこまでも平原が続く遊牧民の世界もわかりにくい、そういう自然が日本にないからである。
ドイツの自然は地形は平坦な土地でありあまり山がなかった
その平坦な土地を河が流れているその最たるものがライン川であり父なる川となる、また支流もいろいろありそれが運河のようになっている。それが大陸の自然の特徴である。

つまり川は実際の道である、だから人でも物でも川を通じて運ばれた。それが日本とは違っている。急流となる川は少ないからである。4大文明が生まれたのが大河の岸というのもそのためである。川は交通路になっていたからである。
ナイル川がピラミッドと直結していたのもそうである。川岸が港ととなりピラミッドに通じていたのである。
河と切り離せず存在したのである、なぜならピラミッドを建設する石材でも船で運んだからそうなる。都市を建設するには交通路となる川が必要だったのである
都市が出きるのは交通の要所である。オワシス都市でもそこが交易の場でありラクダで運ばれた商品を売買する。そこに都市が生まれる。

ハイデルベルグでもやはりネッカー川がありそれで商品も運ばれて来た。そうした川が縦横にヨーロッパにある
河が文明を作る基である。それが日本だとわかりにくいのである
その川のスケールが余りの大きいからわからなくなる。インド文明でもガンジス川と切り離せずある。中国でも黄河であれ揚子江と切り離せずある。
そして川がリバーがライバルとなるのわかる。川は境界となる
国と国を分けるのである。ライン川がまさにその象徴である
ラテン民族のゲルマン人の領域にラインを挟んで越えることができなかった。

韓半島でも伽耶国と新羅を分けたのが洛東江であった。それははっきりしている。だから大陸では川を知ることが地理でも歴史でも知ることなのである。
そもそも世界となるとその歴史でも何から知るのかとなる。それはまず地理を知ることである。だから4大文明が川の側に生まれたということでもわかる。

とにかく地理であれ歴史であれヨーロッパが魅力あるのはなぜなのか、それは地理でも中国とかになると巨大すぎてわからなくなる、ヨーロッパだと地理でも何とかわかる。そして歴史がロ−マ帝国から重層的に積み重ねられている。
時間軸でもある程度はわかる。そして歴史の遺産でも石の建造物は残る。それは廃墟になっても石は残る、それで2000年前からでもイメージできるとなる。ローマの石畳の道は今でも残っているからである。
つまりヨーロッパが一つというとき地理的にも時間軸でもある程度は一貫したものとして理解しやすいとなる。それでも時間軸の歴史は理解するのは難しい。
日本と共通したものがないとき自然でも何でも理解しにくくなる

例えば川岸の土手の道を歩くとどこでも整然と木が列を成している。それは神殿の石の柱をイメージする。つまり自然でも共通するものがありそれだと理解しやすいのである
どこにでも山があり木があり石があるからそうなる。
その木からゴシック聖堂をイメージする神殿でもイメージする
石の柱は木だとなるからだる。要するに全く異質なもの砂漠とかでなければ共通性があり理解する、グランドキャニオンとかなると全くイメージできない自然であったから別な惑星に来たのかと見た。そこを人間的にする言葉で表わすことできない。イメージされものとは余りに違っていて言葉を失うとなる

いずれにしろヨーロッパは空間軸と時間軸で一つのものとして総合する、キリスト教文明として総合する、それが空間軸と時間軸でしやすいのである。そのベースにローマ帝国がありそれがヨーロッパを統括するものとしてわかりやすいのである。
ただ中世となるとまたわかりにくくなる。時間軸の歴史はどこでもわかりにくくなる。それでもヨーロッパは一つの統一体として見れるとはなる。空間軸と時間軸で統一体として見ることで何か一つの統合した連関したものとなり安定するとなる




2025年02月09日

AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩 【まず空間軸の地理を世界史でも知る】


AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩
【まず空間軸の地理を世界史でも知る】

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古代の石畳に足を踏みしめ
帝国の息吹を感じる
アッピア街道、戦士たちの行進路
松の木が見守る栄光の道

戦車の轍が刻まれし地
凱旋の歌が響く空
今もなお、歴史の風が吹き
帝国の夢を語り継ぐ

栄光の道よ、永遠に
時を超えて輝き続けん
ローマの魂、ここに息づく
不滅の栄光の道よ

ここまでAIが作る詩

私が付加した詩

はるかブリタニアへも
スコットランドのハドリヌスの
石積みの長城の址の残りぬ
ここに北方の冷たい風が吹きつける

発見されしローマのコインの一袋重し
そのコインに刻まれし皇帝の肖像画
我はここの王なりと誇りしかな
しかし久しくも土に埋もれしを・・・

コインもまた東西に別々の皇帝の顔
ローマ帝国の分裂衰亡の歴史
ローマの道はスイスの山を越え
延々と続きその栄光を語る

ローマの栄光の日よ、その跡よ
シーザーのルビコン河を渡りしも
ライン川に強固なゲルマン人
そこに立ち入ることはならじ

ああ ローマの凱旋門の古りて
その栄光の日は遠しかも
東西に分かれてなおその余命を保つ
ローマの道になお栄光の日を偲ぶ


はい、承知いたしました。ローマ帝国の道についての詩を作成します。以下、詩の案です。


GEMINIのAIの詩

ローマの道

石畳の道、永遠に続く 帝国の息吹、

今もなお 兵士の足音、響き渡り

商人の声、賑わう道


山を越え、谷を渡り 川を渡る、

橋を架け 砂漠を越え、海を渡り

全ての道は、ローマへ続く

文明の光、照らし出す 文化の華、


咲き誇る 交流の輪、広げゆく

ローマの道、世界の道

時に война, 時に мир 時に栄華,

時に衰退 歴史の সাক্ষী,

今もなお ローマの道、語り継ぐ


この詩はかなり不十分である、chatGPTの方が優れている、でも一応参考にはなる




ブリタニアを治めた7年間にカラウシウスは、プロパガンダ的手法も用いて自らの権勢を世に広めた。その手段のひとつが、写真にあるような自らの肖像を刻んだ良質な銀貨の発行だった。

ブリタニア (Britannia) は、イギリス、特に古代ローマの属州「ブリタンニア」があったグレートブリテン島南部の古称(ラテン語名)である[1]。フランスのブルターニュ地方(小ブリテン)には4世紀から8世紀にグレートブリテン島から移民が訪れ、10〜11世紀には、英仏海峡を挟んだ両地域がブリタニアと呼ばれた[2]。Britannia はフランス語 Bretagne(ブルターニュ)と同根である。

ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall、ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
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なぜローマ帝国の道となると詩としてうまく表現されるのかおそらくローマ帝国となるとまたローマの道となるとその知識の蓄積が膨大でありそれで抽出されてAIが詩を作り安いのかもしれない、何でもいい詩ができるわけではないからである。確かなことはローマ帝国は十分な知識が貯えられているからそれで詩でも作れるのかとなる。
それにしてもAIが詩を作るのは何なのだろうとなる。詩を作る人でも簡単に作れない。だから半分はAIが作ったものを参照して私が作ったのである
確かなことはこのようにいい詩がAIで作られるとは限らない、ある分野でいい詩が作れる。

いずれにしろヨーロッパは歴史が地層のように明確に見えるから興味深い。それは明らかに現代にも通じている歴史なのである
コインの歴史を知るにもそれは現代に通じている。
イギリスから大量のローマ時代のコインが発見されたのは最近のことである。つまりローマ帝国の遺産はヨーロッパを作っていたのである。
詩でもいろいろあるが歴史をテーマにすれば叙事詩になる。世界史とは壮大な叙事詩でもある。
年代とか暗記するだけにあるとつまらない。そこで展開された人間の物語がありそれが叙事詩になる。
ともかく空間軸と時間軸で地歴として世界を見る。基本的に地理がわからないと時間軸の歴史も分らない、だから中国は歴史の国だけだ余りに広くて地理が分かりにくい、それはロシアでもそうだしインドでもアメリカでもその広さの規模が違うので地理がわからないことで理解できなくなる。でもヨーロッパはなんとか地理がわかる
それで時間軸の歴史もわかるとなる。




Step on ancient cobblestones
Feel the breath of empire
Appian Way, the marching path of warriors
A glorious road watched over by pine trees

Where chariot ruts are carved
The sky echoing with the song of triumph
Even now, the winds of history still blow
And the dreams of empire are passed down to the next generation

The road of glory, forever
Shine forth beyond time
The spirit of Rome lives on
Immortal, glorious road

And far to Britannia
As far as Scotland's Hadrian's
The ruins of Hadrian's Wall in Scotland still remain
Here the cold winds of the north blow

A bag of Roman coins discovered is heavy
A portrait of the emperor inscribed on one of the coins
I was proud to be king here
But long since buried in the earth...

The coins also bear the faces of the emperors of the East and West.
The history of the division and fall of the Roman Empire
Rome's road crosses the mountains of Switzerland
The road of Rome goes on and on and on, and tells of its glory

Rome's glorious day, its marks
Caesar crossed the Rubicon
The Germanic people, strong on the Rhine
No man shall enter there

Oh, how old is Rome's triumphal arch
The day of its glory may be far off
Divided into East and West, it still lives on
Still on Rome's road, still remembering its glorious day

Translated with DeepL.com (free version)

2025年02月02日

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

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ライン川よ、古き流れよ
お前はどれほどの歴史を
その水面に宿してきたか
ローマの足跡を残して

帝国の軍旗が風にひるがえり
お前の岸辺を征服し、
その足音が大地を震わせ
遠くの山々を越えて行った。

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する

だがその時代が過ぎ去り
帝国の栄光も色褪せて
今は静けさの中で
ただ流れ続けるのみ。

ローマの道はもう消え
その名も、風の中で霞む
だがライン川よ、あなたは
いまだにその記憶を抱えている。

お前の水が語る物語は
数えきれぬほどの戦と栄光
そして敗北、別れ、そして
新たな時代への旅路。

ライン川の流れよ、、
その滔々と流れる水は、
ローマ帝国の夢を今も映し
歴史の中で静かに息づく。

ローマの威光も今は遠く
だがライン川の流れは
過去を紡ぎ、未来を育む
永遠に続く道を示す。

riverはライバルの意味がわかる、大陸では川を挟んで攻防があった。ライン川はまさにそれを象徴している

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

このAIの詩は完璧である。付加したのはここだけである

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する



ライン川の古城

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古城が静かに語る
ラインの水面に映し出され
時の流れに濡れた石壁が
歴史をささやく

砲火が轟く戦の夜
輝ける王冠を奪い合い
影の中に消えた英雄たち
その名は今も風に舞う

城壁は語る、誰がここで
誓いを立て、誰が愛を誓ったか
貴族たちの舞踏会の音色が
遠くから聞こえるように

しかし時は流れ、王座も
砂のように崩れ落ち
今、ただ風と雨に洗われ
静寂が支配する

だが川は決して忘れない
この城の姿を、足跡を
歴史の中に溶け込んで
いつまでも語り継がれる




AIとは何なのか不思議になる。
外国の河は国境にもなる、ライン川はラテン民族とゲルマン民族を分ける歴史的境界でもある。ローマ帝国も侵入できなかった征服できなかった強力なゲルマン民族の地だった
宗教でもラテン系はローマカトリックでありでもルターが生まれたドイツはカトリックに反抗したプロテスタントになったことでもライン川を境にして異なる歴史を形成したのである






2025年01月05日

なぜ人間は理解し得なくなるのか 【空間軸と時間軸で理解できなくなる】


なぜ人間は理解し得なくなるのか
【空間軸と時間軸で理解できなくなる】

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●静岡に住んでいる兄のことがわからなくなったこと

なぜ人間は互いに理解できなくなるのか。人間は空間軸と時間軸で生きている。でもこの両方が一致しないとやはり理解できなくなる。例えば空間軸でも狭い地域で住んでいての付き合いがなければ近くの人でも何が起きているか分からなくなる。
また空間軸でも離れてしまうと理解できなくなる。それで私の父親違いの兄が交通事故で死んだ時そこで何が起きたのか理解することが不可能になっていた。連絡はしあっていたがその間に静岡とかあまりにも遠く離れていて何が起きたか理解できなくなっていた。

その時兄はは離婚してまた住宅を出て中学生の娘がいたがその娘を一時トラック運転手になったので学校にもいかせず一緒に乗っていたらしい。その後に児童福祉施設に預けた。そして交通事故になったとき運送会社に勤めていてそこで葬式までした
そして母はその運送会社に行ったとき骨は置いてくれと言われた墓を作ってやるからと言われた。それが何のことか分からなかった。あとで考えると交通事故の補償金をもらいたいためにそうしたらしい。兄は身寄りが無いと見ていたからである。そして乞食のように来た雇ってやったと言っていた
ただ私自身は交通事故による自賠責とかでも分からなかった車を持っていないのでわからなかった。要するに何がなんだかわからなくなったので私は3日で帰ってきた

●関心領域の映画は極めて現代的問題

このように理解できなくなったは空間軸で距離的に離れていることと時間軸で何が起きていたのかわからなくなったためである
もし空間的に近くに住んでいれば行き来していれば事情も飲み込めたのである。だから空間軸と時間軸で両方でわからなくなったのである
そこから孤独死と様々な現代的問題が生まれて来る。カルト教団が増えたのもそういう社会の問題として生まれたともなる。

では近くに住んでいる人でも没交渉になっていればやはり理解することができなくなる。同級生でもその人は40年ぶりとかあったとしてその人は何をしてきたかも語らないしだからその人を理解することができなかった。それは時間軸でわからなくなったのである。
もう一人の同級生も何十年とも会っていないし近くにいても同じ町に住んでいても没交渉なのだから互いに理解できなくなった。つまりいくら空間軸で近くに住んでいたとしても理解できなくなる。
特に現代はさまざまな職業があり田舎ですら隣で何をしているのか分からないということもある。するとそもそもその人を理解することができなくなるのである。

だから関心領域という映画話題になったがそれは極めて現代的問題としてクローズアップされたのである。隣でナチスの収容所があり殺戮されていても何の関心もなく平和な暮らしをする人がいたのである。隣でも関心を持てなかったのである。何かそれは現代的問題だったのである。現代というのは社会が複雑化し無数に職業が分化してその職業自体を理解するのは難しい。

●昔から職業が違うと理解できなくなっていた

例えばこれは原発事故でもそうだがそこで働く人理解することは難しい。そこには立ち入ることもできないし説明されることもない。秘密のベールにかくされていてそれが危険でも知らされることはなかった。だからすぐ近くにあっても危険を感じなかったのである。そういうことは昔からあった。鉄を作る人は何か神秘的なものとみられそれを理解することができないからそうなった
また木地師とか山中び住んでいてお椀などを作っていた、その人たちも神秘化された。それで椀貸し伝説とかが生まれた。

椀貸し伝説

つまり昔から職業が違うと互いに理解できなくなり神秘化されるということがあった。だからこの問題は確かに今だけの問題でわなかった。でも現代はさらに職業が無数に分化しているのだから日常的にこれが起きているのである。

例えば農民が8割もいたという時代は同じ土地で村で空間軸で共有するものがあり時間軸でもやはり継続的にそこで時間を共にしたということがある。だから現代のように無数に職業が分化して理解できなくなることは無かった。
例えばお祭りと言う時それは村の共同体がありできるものであった。その祭りも廃れるというときその基になる共同体がなくなったからである。

村と言うの一つの家族でもあり

取り上げ親:生まれた子を取り上げた産婆
乳親(ちおや):実母より先に新生児に乳を飲ませた女性
名付け親:家族以外で生まれた子に名前を付ける人
烏帽子親:元服する武家の男子に烏帽子をかぶせ、烏帽子名(=元服名)を付ける人

とかあり子供の親となっていた。子供は村の家族の一員になることでもああったからそうなった。
だから村の人総出で太鼓を叩き田植えしている光景はそれを象徴している。協働していて一体化して連帯していたのである。

現代は村があってもそうした村の共同体は農民が一割にも満たないというとき消失している。つまり田舎でも隣が何をしているか分からない人が多いのである。田舎でみんな農民かとなれば違っているみんな会社員なのである。
だから原発事故で浪江の人が会社が二本松市に移り一時そこに通っていたが二本松に移住したとか聞いた、なぜか子供の時遊んでいた人が東京に就職して最近岩沼の工場に勤めているというのもそうである
村のように一定の場所に代々住むことがなくなっているのである
会社中心の社会になればそうなる。

●空間軸で時間軸でも相互に理解できない時代

つまりこうなれば空間軸でも時間軸でも別々になうから理解できなくなる。現実小さな町でも近くに住んでいてもそうなりやすいのである。だから関心領域という映画は現代的問題である
またナチスというのもなぜ生まれたのかも現代的問題である
様々な鵜数の職業に分化した人間の互いに理解できなくなりハイルヒットラーで一体化しようとしたのもそうである。
それは創価であれカルト教団でも似たものがある。それは宗教を追求しているというよりばらばらになった人間は一体感を求めてそうなったとみる。

ともかく現代は空間軸でグローバル化で世界的に拡大した。でも互いに理解し合うかというとできない、時間軸で起きてきたことが簡単に理解できないからである。それは個人でも同じでありすぐ近くであれそこに起きてくることは時間軸で理解できないからそうなる

だから現代は空間軸で共有するものがあっても時間軸では近くでも理解できなくなる。つまり現代といかに相互にいくら同じ場所に住んでいても理解し得なくなっているかである。だからこそ関心領域という映画は現代的問題として指摘されたのである同じ地域に住んでいて関心が持てないということである。そして時間軸でも10年20年と関係しなければ理解不可能になってしまう。そういうことが起こりやすいのは現代である。

ある人でも理解するには必ず空間軸と時間軸でみなければわからない。常にいろいろな事件が起きるがそれもやはり空間軸ではわかる。だから起きるはtake placeになる。場所は特定される、でも時間軸でその人に起きたことはわかりにくい、時間軸で起きることは近くでのわかりにくい、だから同級生でも没交渉にになっていれば近くに住んでいてももわからなくなる。
それは前からあったにしろ現代社会はそれが極端化している
無数に断片化された人間しかいないのである。だから天才とかはそんな断片化したパーツではないとなりアウトサイダーとなりニーチェの超人となり単独者となったのである。統一体全人間を志向したのである。
いずれにしろ現代はグローバル化して空間軸が拡大してさらに理解することがむずかしくなった。そこでどうしても誤解が生まれて戦争にもなる。それは国同士でなくても個々人でも互いに理解できない、それだけ複雑化した社会なのである。

なぜ人間は互いに理解できなくなるのか 
【空間軸と時間軸の相互関係―時間は取り戻せない】


2024年12月08日

ヨーロッパの心と日本の心の対比ー晩秋ボーデン湖の詩 【ドイツと東北の風土の共通性】

ヨーロッパの心と日本の心の対比ー晩秋ボーデン湖の詩
【ドイツと東北の風土の共通性】

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      ドイツの駅
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グローバルとローカルは結びつく―グローカルになる


晩秋のボーデン湖

波たたぬボーデン湖の岸辺の道
ポプラの木の枯れて線路は尽きぬ
静かに落葉を踏み歩む
ベンチに老夫婦が休む
古い教会の鐘が鳴り
赤い薔薇の心にしみぬ
ドイツの大地を踏みしめドイツを知る
荘厳なゴシックの大聖堂
その重厚な石の柱に寄り
パイプオルガンが鳴りひびく
調和の楽が鳴りひびきわたる
樅の木は荘重に大地に根を張り
重々しくも語り主の教えは語り継がれる
常に歴史は語り継がれる場
それぞれの国がせめぎ合うも
モザイクのように色は違っても
一つのヨーロッパは重層的に形成されぬ

ヨーロッパの魅力はモザイク模様のようになっていて国がそれぞれ個性があり歴史があり多様である。
バライテイに富んである。ロシアとか中国とかアメリカとか大国になると大きすぎてつかみどころがないとなる。
人間はそもそも国家があるとしてもそれは人為的なもの人工的なものである。

ドイツの一語は使う場合気をつけねばならないのはそれは国も民も指さず土地を指す、もっと前8世紀にはには学問、教会公用語ラテン語に対してのゲルマン土着人の言語を指し
ヨーロッパの心―犬養道子

土地を指すというとき国家とか国民とかは存在しない、それは日本でも同じである。お国はどこですかというときそれは大きな国ではない国家ではない、狭い範囲であり土地のことである
そしてもともと〔訛りは国の手形]というように訛りでどこの国の人かを見た。訛りはなかなかとれない。だから不思議なのはこの地から東京とか埼玉県に就職した人がその土地の訛りを話す
混交したものとなったのである。話すことでも長くその土地にいればやはりその土地の訛りが自ずと話すようになる。それが土地が変わり訛りも変わったとなる。ドイツ語に濁音が多いというとき東北弁も濁音が多い、ズーズー弁になるから似ている
だかららローマ帝国のラテン語とゲルマン語は異質である
それでラテン語のキリスト教をゲルマン語にドイツ語で訳したルターがカトリックに対してプロテスタントになった

言葉が国家や国民ではなく土地をさす国が土地を指すというとき
日本でも国家はなく土地を指していた。

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結びさね

という歌も国家ではなく一地域のことである。ただ会津で国と言った時はそれなり大きな国だった。大きな国が形成されていたのである。ここですでに日本国家が生まれていて防人として九州の方に派遣されていた。
つまり大きな国家が形成されて強制的に国家の兵士にされた。だから本来の国から離間させられて妻であれ母であれ家族と別れる悲しみが歌として残された。ク二は故郷のことであるからその土地と結びつく一体となる、でも国家は人為的人工的になるから本来の国と違っている。

ヨーロッパでも国も多様であり言語も多様である。その多様さがあってもヨーロッパは一つだという意識はキリスト教をベースにして作られた。ただラテン語で聖書が読まれ書かれていたのをドイツ語に訳したのがルターの時代であった。
ともかくヨーロッパが複雑なモザイク国家でありそれぞれに違った文化を育んだ。ワインでもパンでもチーズも百種類とかありその土地土地で違った味になる。
だからcultureはcultivate(耕す)から来ている。国家はそうした土地土地の文化でも一様化する
それは政治であり行政でも元々あった小さな国を無視して作られる。つまりクニとは自然発生的に作られたものである。

とにかくドイツは寒いとか陰鬱だとかなると東北の風土とも似ている、それで東北人とドイツ人は共通なものがあるともなる
朴訥で実直とか何か融通性がないとかで共通した性格がある
芸術にしてもフランスのモネのような明るい陽光はない。霧に覆われ寒く陰鬱である。何かそれが東北の風土と共通しているともなる。ドイツ語にしても言葉が何か重厚になり重い感じの発音になる。それはフランス語とは余りにも違っている。
大阪弁がフランス語ではないにしろ軽さがあり共通している
ズーズー弁の東北弁はドイツ語にも似ているとかなる

ともかくヨーロッパを理解することはむずかしい、なぜモザイクのように様々な国があるか、東欧はヨーロッパなのかとなる
ヨーロッパであれ大陸だと陸続きだから絶えずそれで争いになる、それは川を挟んで国が対峙する、それでriverがライバルになったことが地理から納得がいく、それはウクライナの戦争でもドニエプル川を挟んでの攻防があったことでもそうである
ライン川はラテン諸国とローマ帝国とゲルマンを分ける境界線になった。大陸国家では川が境界になりやすいのである

あなたはお聞こえなりませんか
裂かれた土地のすすり泣きが
もぎとられて行った大地の泣き声が

この美しい風景に血がにじみつづけて止まらないのか
血は一刻も止まらずに、にじんでは流れてヨーロッパの痛みをかきたてつづけているのです
犬養道子ーヨーロッパの心

これはまさにそうである。ウクライナ戦争で依然として戦争が継続されて血が流されていることでもわかる。それは陸続きであるために起きる、日本なら海で囲まれているから異民族の侵入ができなかったからそれがわかりにくいのである。   



2024年12月03日

明治維新と東北−文化の時代の変化 【なぜ少年兵が戦い死んだのか?−強固な侍共同体があったからー失われた共同体】


明治維新と東北−文化の時代の変化
【なぜ少年兵が戦い死んだのか?−強固な侍共同体があったからー失われた共同体】

●地理から見る東北の戊辰戦争

なぜ戊辰戦争戦争で東北が薩長軍に蹂躙されて敗北したのか
その第一の理由として地の利があった
情報を得るのに江戸までも遠く京都になるとさらに遠い
その時情報を得る手段は人伝いであり何が起きていたのか対処が遅くなる。

臣不肖ながらもとより朝廷に抗し奉る存意は毛頭ありませんでしたが遠境隔絶の地に在しておりましたゆえ、春以来の天下の形勢に疎く恐れ多くも宸襟(天子の心)を悩ますに至った次第です

同盟軍を主導した仙台藩伊達慶邦が新政府軍に提出した謝罪文

仙台に奥羽鎮撫軍なるものが到着した時点でではその鎮撫軍はそれが官軍であり新政府軍の認識があまりなかった。
薩摩長州軍であり政府軍とか天皇の軍と戦うという意識はなかった。これも京都とか江戸が遠くて正確な情報を得られないためであった。そもそも江戸時代とかなると何かを正確に知るにも人伝いであり遅れる、その遅れることで知ることができないことで対応が誤る。それが東北の諸藩にあった
薩摩長州は海に面して交通があり薩摩藩では中国と貿易していたり外国の船が身近に来てイギリスと戦ってもいた。また貿易で財政が豊かであり海に面していない会津とか他の藩でも米を主要な財源としていたのと違っていた。
ただ庄内藩は酒田港があり最新の銃を知れていたりして唯一薩摩長州軍と互角に戦った。地の利がありそうなった

また二本松市の地理は複雑である、城のある場と町人の住む場所は山で隔てれ簡単に通行できない、分離しているから町人のこと知らず武士的なものが純粋培養されて少年隊が悲惨な最期を遂げたいう指摘もある。それは地の利がそうさせたとなるのか、確かなことは二本松城は山城でありそれが影響したかもしれない、山に籠る山を守るとかなり薩摩長州軍に抵抗したとなる

二本松は明治維新後二本松県になることまった。丁度福島県の中心にあった。でも平地がないので福島市と郡山市が発展した。福島市に県庁があり郡山市は経済の中心地となった。それも地の利が影響していたのである。地を離れて人もないのである。
薩摩長州軍と東北連合軍が戦ったのだが棚倉町が決戦の場所になったの地の利が関係している。なぜなら古代に蝦夷はツガルまで参加して大和王権と戦ったからである。白河ではなく棚倉町が戦いの場となった。相馬藩士もそこで戦い死んだ人がいる。それが戊辰戦争戦でも再現されたとなる
つまり地の利がそうさせたのである。歴史は地理と不可分なり地理がわからないと理解でできない。特に東北は江戸や京都から離れすぎていたから当時の情勢にうとく判断を誤ったとなる。臨機応変に対応できなかったのである。

●二本松藩と会津藩の戊辰戦争戦争の相違

会津藩と二本松藩の相違は会津藩は女性が戦い戦死した。少年も白虎隊で戦ったが女性が戦ったことが違っていた。何故なら戦国時代でも子供女子は逃がしていたからである。だら二本松藩では子供女子は逃して死ぬことはなかった
もう一つは会津藩ではあれだけの被害があり薩摩長州軍と必死に戦っていたのに町民でも農民でも傍観していた。それより会津で年貢の負担に不満がありその時好機とヤーヤー一揆を農民が起こしたのである。つまり侍と一緒になり城を守るという意識はそもそももっていなかったのである。誰が支配者になるにしても年貢の負担を減らしてくれれば良かったとなる

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戒銘石

でも二本松藩では善政がしかれていたのでそいうことはなかった。こういう意識が藩内にあった。ただそれでも江戸時代は城があっても戦い死守するのは侍であり農民町民は戦い守る意識はなかったのである
それが中国であれヨーロッパであれ大陸国家また都市との相違である。なぜなら中国の万里の長城のように絶えず異民族の侵略がありその時兵士だけではないすべての民が蹂躙されて負ければ奴隷にされる歴史があったからである。その恐怖を共有していたのである。ヨーロッパでも市は城壁で囲まれその中で安全を保ち生活する。だから城壁内で死生を共にする連帯が生まれた
それでシテズンシップが養成されたのである、だから敵が攻めてきたら市民是認で戦うのである。農民で市壁の中に逃れて戦うとなる。日本では侍集団のみが戦うのであり別に侍と共に戦うことはなかったのである
ということは市民が日本にはいなかった。だから市民社会もないのだから大陸国家を根本的な所で理解できないとなる
教育にしても侍と農民と町民は別である。侍なら侍とはいかにあるべきかと武士道を自ずと身に着ける。でも農民であれ町民は読み書きソロバンができればいいとなっていて武士道など関係なかったとなる

また悲劇を生んだのは銃器の差だった。会津藩であれ二本松藩であれ旧式のもので大砲もなかった。だから武器で太刀打ちできなかった。ただ庄内藩では酒田で貿易をして最新の銃を知れて薩摩長州軍と互角に戦った。酒田は海に通じていたからそれができたとなる

●人間はその時代社会の影響で作られる

江戸時代というとき現代と比べると大きな相違は侍社会であり侍が力でもモラル的にも導いた。また厳しい身分社会でありそれを脱することはできない社会だった。
だからこそその身分でも上級侍と下級侍では差があり不満があり明治維新は下級侍が中心になり変革した
それで奇兵隊が高杉晋作が組織化したけどそこには町民でも農民でも侍でない身分の者が参加したことが画期的だったのである
強烈な身分の縛りから脱するものとして明治維新があった。

だからこそ足軽に養子になった伊藤博文が首相までなったのである。江戸時代ならありえないことだったからである
この身分社会がどいうものか理解できなくなった。でも相馬野馬追はただの過去を偲ぶ祭りではない。身分社会が現実に再現される祭りなのである。だから見る者は下位のものであり馬上にお侍を見上げる。その時明らかに侍と下々の者の差を意識する
要するにヨーロッパの貴族であり身分社会であり強い身分の縛りががあり生まれた家でその一生は決められる。
だから侍社会があり共同体がありそこで武士道のモラルが家であれ養成された。武士はかくあるべきだと日常の生活で体得したのである。それは部分的なものではなく武士の規範が社会全体に通じる社会だったとなる

それはギリシャのポリスとかでもそうである。ポリスが一万くらいでも強固な共同体でありそこで民主主義が培われたというときポリス共同体があったからできた。ただ矛盾が奴隷階級がヨーロッパには常に存在していて一般の庶民と分離していたのである
ともかく何か人間を育成する時それは一人の人間がいかに優れていてもできない、それは全体が影響して形成されるからである。
現代はそういう共同体が失った時代である。絶えず語られるの経済のことであり政治のことであり科学技術のことである
そして膨大な知識が詰め込まれるのが学校でありまた社会である
そんな知識をとても消化できないのである。そこに人間はどうあるべきかとか関係ない、とにかく得すること知識を得て金を多く得る人が模範なのである。そこにはモラルでも関係なくなることが怖いのである。だからもはや人間を教育する場がない、大学でもそこは文系なら遊びの場だとか暇つぶしのモラトリアムの場だとかなる、大学教授は研究する人であり教えなというのも不思議なのである。そこで学生運動がうまれカルト宗教団体がナチスのように席巻する恐怖になった。

●巨大国家から都市から文化は生まれにくい―文化の時代に変化

つまりそれは共同体の喪失の結果だったのである。グローバル経済があったとしてもそれは共同体ではない。ただそれで人間形成にはならない。そこで力を持つのは金だけになる。モラルなき経済なのである。そこにあるのは世界的部品化でありばらばらの出界なのである。何か全体を生きることができない全人間として生きることができない世界である。マルクス流にいえば人間の商品化なのである。
もちろん江戸時代がすべていいものではなかった。ただ現代と比較する時見えてくるものがある。
要するに小規模なポリスとか要するにの中世と都市とか小国にこそ文化はうまれ人間はまともに形成されたとなる

中国であれロシアであれ国が巨大だと返って統一がなく濃密なアイデンティティは形成されない、一極集中の帝国主義になる
現代は経済のグローバル化になったが地域的にアイデンティティを見出す文化の時代になってゆく、アメリカフアーストとかトランプが唱えるのもそうである。グローバル化は文化を作らないのである。自然と人間の一体化アイデンティティ化とかギリシャのポリスとか中世のヨーロッパの市民社会とかまた日本なら江戸時代の侍社会にあった。そこに矛盾がありすべて肯定することはできなくても何かモラルが共通のアイデンティティが形成された。
だからcultureはその土地土地を耕す(culutivate)から出ている。文化の時代になるというときアメリカであれ中国であれロシアであり国土も巨大過ぎてアイデンティティ化できないのであり文化が生まれにくいのである。

現代の荒廃はなぜ生まれたのか、どうしても一千万の東京は何なのだろうというときもはや理解不可能である。とても連関性はもてない。ばらばらの世界であり統一した世界になりえない、だからこそそこにナチスが大衆を扇動するヒットラーが生まれたとなる。それはカルト教団がそうでありただ数だけを集めることが目的として大衆を支配するのである。それにマスコミが加担して大衆をパンとサーカスで娯楽を与える、無思考人間にする
だから現代は大衆が力を持った時代である。でもそこから文化は生まれない、かえって小規模な都市からでも文化は育まれるのである。

参考にした本ー数学者が見た二本松戦争ー渡辺由輝





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2024年11月27日

南相馬市の名前の考察 【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】


南相馬市の名前の考察
【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】

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北辰は北極星

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庄内藩の旗印

●相馬藩の北郷(鹿島区)の由来

地名の基本がなぜ方角地名が基本になるのか、それは常に人間は太陽の昇る方向と沈む方向に注意する、そしてそのことで方角を知る。福島県でも浜通リになると常に太平洋に面しているから太陽は海から昇る,ところがすぐ近くの飯館村だと山から太陽が上り山に沈むのである。それで私は自転車で行って方向が分からなくなった。東の方向と思って行ったらそれは西の方向だったのである。それはなぜかわかったかと言えば太陽が山に沈む方向だったからである。

つまり回りが山で囲まれていれば方向が分からなくなる。その方向が分からなければ道に迷ってしまうのである。だから方向を知るということは大事なことになる。そして人間の一番意識するのは太陽は昇り太陽が沈む方向なのである。
つまり一番意識するのは太陽は昇る東の方向と太陽が沈む西の方向は基本になる。だからこそ世界は東西に別れたのである。

●東西から見る世界史

欧米では東西の世界にそれぞれオリエントとオクシデント (Occident) の表現を用いることがある[1]。イースト (east) とウエスト (west)、オリエントとオクシデントはいずれも方向を指し示すもので、ラテン語であり、もとはギリシャ語からきている[。「オリエント」の語源はラテン語で「日が昇る方角」(=東)を意味するオリエンス (Oriens) である。

東は太陽の昇る方向である。オリエントの範囲は広くメソポタミア地域からインドから中国まで入る。そして東が先進地域であり文明の発祥地域である。誤解するのは今でもオリンピックでアジアというときエジプトであれ中東であれイスラエルでもアジアなのである。西洋というときまず東があり西が生まれた、東がアジアが古いのである、それが誤解しやすいのである。
ともかく東西南北とあるが東西の感覚が陽が昇り沈む方向が基本なのである、それは地球を横に見るのである。

西欧というとき東があって西がある。ただ人類は東から西に発展して大西洋を渡り西のアメリカにわたりさらにアメリカの東部から西のカリフォルニアに西部開拓として進みまた太平洋に閉ざされたのである、でもさらに西に向かいアメリカが日本に到達した。ペリーが船で日本が開国を迫ったのである。
日本は極東であり陽が昇る東であり西の果てでありその結節点にあった。つまり東西を結ぶ結節点に位置していたのである

●方角地名で大事なのは中心となる地域とその変遷

南相馬市の名前の由来は市町村合併から生まれたものであり新しい、でもなぜ南相馬なのかとなると実はもともともとは小高に相馬氏の城を最初に築きそこが中心となった。だから北郷【鹿島区】というとき小高から北だから北郷なのである。
でも南相馬市になったのは中村が今の相馬市に城が築かれて中心になったのでそこから南ということで南相馬市になったのである
つまり方角地名で大事なのはどこが中心となるかである

それは例えば中国でもなぜ北京があり南京があるのか、これも北京がモンゴル帝国の首都となり中心になった。それは相馬氏が中村に城を築いたと似ている。北京が中心となりその南が南京となった。だから中心地が変わりそうなった。
今の西安は長安であるなぜ西安なのか、それは東に中心がありそこから見て西だからだとなる、でも長安は始皇帝が最初に中国
を統一したのである。でもその後中心が移り西安になった。
だからその中心が変わることで地名も変わるのである

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●日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致すの意味

ともかく地理はまず東西南北の方角を知ることである。次に境界を知る。この二つが基本になる。そして方角が大事だというとき人間の地理感覚は太陽が昇り沈む方向が基本になるのは一致している。

日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや

聖徳太子は中国から進んだ文化を学ぼうとして、遣隋使という使いを中国に送りました。その代表が小野妹子です。『妹子』ですが、この人は男性ですよ。この国書は、小野妹子が隋の皇帝に渡したものです」
これは中国の隋の皇帝の煬帝(ようだい)が激怒した。でもそれは別に方向を言っただけである。中国を下に見るとか同等だとかではない、世界を意識する時方向が基本だからそうなっただけである。
ただ韓国でも日本海という名称の反対している。だから日本海は東海になっている。韓国から見ると東海さからそうなる。太陽の昇る方向だから日本と韓国では相当に違った感覚になる

日本でも日本海は太陽が沈む方向であり陽の昇る太平洋とはまるで違った感覚になる。つまり太陽が昇る東と西の感覚で相当に違った感覚になる。また方向を知るというとき何故北斗七星が北極星が信仰までになったのかというと遊牧民にとって常に移動しているのだから方向を知ることは命にかかわることでもある。だから信仰までになったのである。
それで相馬藩の相馬市の旗印は北斗七星であるそれは妙見信仰となっていたのである。その信仰は中国からさらに遊牧民から伝えられたものなのである。相馬氏が馬を操るのに長けていたということは遊牧民の末裔だからだともなる。

『妙見』は仏教では菩薩ですが、天の中心にあって星々を従えていることから神道では『天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)《北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)》』となります

●東(あずま)は東西の境界ー京都の東山と柿本人麻呂の歌

地理ではまず方角を知るのが基本である。東西南北とあっても東西が基本になるのは太陽が昇る方向と沈む方向が基本になるからである。日本でも東となるとき東(あずま)でありそれは私は琵琶湖の湖西から名古屋の関ケ原の方向から太陽が昇って来たの見た時なるほど関ケ原が東西を分けるものでありそれは日本の地理の境界でもあるが歴史の境界であったと認識したのである。
だから東と西が方向の基本としてある。京都でも東山となれば陽が昇る方向であり意識される。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。(枕草子)

それは東山である。

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 
万葉集巻1 48番歌 柿本人麻呂

これも東は炎の立つ見えてとなり明るい感じになるが西は月が傾くとなる。それは東西文明の興亡も感じられる壮大な歴史のドラマも象徴しているとなる。東洋文明が興隆して西洋文明が興隆して今また西欧文明が衰退して東洋文明が中国がインドが日本がアジアが興隆するとなる、その周期が500年とかなると長いのである。



2024年11月20日

文化力がないと大国になれない 【小国でも文化力があれば大国であり後世に遺産を残す】

文化力がないと大国になれない
【小国でも文化力があれば大国であり後世に遺産を残す】

●大国は軍事力経済力技術力で決まるのか

大国の条件として軍事力経済力技術科学技術力などがあるが欠かせないものとして文化力があると中国の学者がいっていた。
何か文化力というとき余り話題にならない、常に軍事力であり経済力であり技術力が前面に出て語られる。でも文化力というときそれは何なのか前面に出てこない。でも世界の大国になる時必ず文化力が必要でありそれなくして指導的国家とはなりえない。
だから内村鑑三が後世に遺産を残した国がイスラエルとかギリシャとかの小国であったと指摘した

日本に今外国人が観光に来ているのは日本の文化力だというのもそうなのか。日本独自の文化に触れたくて外国人が押し寄せてくる。世界で大国になったというとき中国なら唐の時代に仏教を取り入れて仏教が国の根幹となった。今でもその仏教遺跡を中国で見ることができる。そして仏教は中国で普及して日本へと電波してきたのである。それは軍事力でも経済力でもない。文化の力があって唐という世界に影響を及ぼす大国となったのである。

●なぜ中国の唐が大国で日本が尊敬し学んだのか

では今の大国にアメリカに中国にロシアに文化力があるのか?
確かに軍事力経済力技術力はある。では文化力があるのだろうか
そもそも文化力とは何なのかとなる。日本がなぜ中国に遣唐使などを送ったのかといえばそれは軍事力経済力技術力とかではない、文化が中心でありその最たるものが漢字を導入したことである。漢字の持つ力が影響はどれだけ大きかったかを知るべきである。文明とはまさに文で明らかにするというように文なくして漢字なくして中国の文明はありえなかったからである
つまり中国の唐が大国となったのは文化力だったのである。
そのとき奈良時代でも漢字を導入して盛んに漢字を学んで知識人は漢詩を作っていた。その後も日本は漢字を学び中国の文化を学んできたのである

大国というとき一時モンゴルは巨大な世界帝国にもなった。でもそこには文化力はなかったのである。だからそれが人類の後世の遺産になるようなことはなかった。
でもギリシャは小国でもヨーロッパ文明の基となりイスラエルはやはり小国でもキリスト教は生まれてヨーロッパ文明を作ったのである。だから世界史を見れば大国というだけで軍事力経済力だけでは大国にはなれない。ローマ帝国でも軍事力だけではない建築技術とかその他ローマ法の整備とか文化力は大国にしたのである。ラテン語は共通の言語となったという時もそうである
つまり言葉の力は文明の基であり大きなものだったのである

●軍事力経済力技術力だけでは後世の遺産にならない

また歴史を見るときペルシャ帝国があったとしてもそれは軍事力であり何か後世に残したものがあるかというとさほどないだろうむしろ小国のギリシャこそが後の西欧文明を形成する基となったことでもわかる。
だから国が大きいとか軍事力とか経済力だけでその価値が測れるかとなると必ずしもそうではない。ただ常に議論されるのはアメリカであれ中国であれロシアであれ軍事力と経済力なのであるそれに加えて科学技術力である。文化力を言う人はあまりいないのである。

要するに小国であっても文化力があれば大国だとなりそれが世界に貢献するとなる。でもその文化力については語れないのである
アメリカであれ中国であれロシアであれそれを領土が広いとか軍事力であり経済力であり科学技術力でその価値がすべて測られる。でも世界の遺産となったのはイスラエルとかギリシャとか小国でもあった。だから大国というとき何か恐竜のようにも思える。ただ図体が大きいだけでそれは継続されずに滅びたのである
だからすべてをあまりにも軍事力経済力技術力からしか見ないということに問題がある。ただ常に議論されるのはそのことがほとんどだからである文化について語られることをほとんどないので
ある。

だから文化を興隆させるということがまた世界の大国となり後世に遺産を残すことだともなる。文化力ならば日本は小国でも大国となれるということにもなる。だから文化力を高めるということが大事になる。でもその文化について語られることはほとんどないのである。常に軍事力経済力科学技術力が世界の全てだとすべてとなり文化のことは取り上げられないのである
中国人のなぜ日本人は唐の時代など前は中国人を尊敬していたのに今は尊敬しないのかというとき中国には確かに軍事力経済力科学技術力は増進したけれども文化として学ぶべきものはないからである。
だから必ずしも国が大きくなって他国が尊敬するということはない。ただ軍事力だったらその力に従う、ただ経済力だったらその豊かさを享受したいと思う。科学技術力だったらそれを利用したいと思う。でもそれだけでは文化力がなければ世界から尊敬されない、恐れさせても尊敬することはないのである。

●今のアメリカ、中国、ロシアに文化力があるのか

今の大国はアメリカであれ中国であれロシアであれ文化力がない
イギリスは小国でもシェイクスピアが存在してそれが文化力となって注目される。常にシェークスピアは世界で語られるからである。ではアメリカで何が語られるのかとなる。アメリカの文化とは何なのかとなる。アメリカは歴史が浅いから文化力に乏しい。ただ国の巨大だから資源があり軍事力経済力がありそのことで大国となっている。でも世界の人がアメリカを尊敬するかというとそうはならないのである。

アメリカはただ図体が大きいだけでありまだ中国でもロシアでもそうであり恐竜のようにもなる。でもその恐竜は滅びたのである。だからすべてただ大きいというだけがいいという事にはならないのである。
そして文化の交流であったら国と国を争うこともないのであるその国の成果は文化にありその文化に触れるために海外旅行がある。何かアメリカでは国土が巨大でも文化に触れるということがあまりないからである。ヨーロッパには文化があるその文化を求めて海外旅行するということがある。パリが人気なのは文化力であり日本の京都が人気なのやはり文化力なのである。それはその国の精華にもなっているということである

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

文化と文明の違いとは?意味をわかりやすく解説

文明と文化の相違が混同する場合がある。ただ現代は文明の時代でありグローバル化して物質的豊かさをもたらしたが国々の文化は衰退して一様化した。例えば大都市にしてもどこでも同じような景観になっている。高層ビルが建ち車で埋め尽くされているのは同じである。でもそこには精神性がないのである。それに比べると過去の年でも建築でも文明というときイスラム文明がありキリスト教文明はあり仏教文明があった。だからその中心はイスラム文明であればモスクでありキリスト教文明であれば教会になる
それも荘厳な石のゴシック大聖堂である。そこには精神性がある。

仏教文明であれば中国でも蘇州などは仏都であり必ず塔があり寺院があり全体が仏教の都である。それは日本でも奈良や京都もそうである。そこに精神性があり建築物に精神性がある。
それは城でもそこには何か簡潔な武士の時代の象徴としての精神性がある。つまり文化があったとなる。
でも現代はどこの都市でも経済ビジネス商業都市であり精神性に欠けている。高層ビルに精神性を感じられないのである。たたニューヨークの摩天楼とか高いというだけでまた大きいというだけでは精神性が感じられないのである。つまり世界的に一様に物質化されて精神性がない、文化がない時代だとなる。だから何かただ物質的なものだけを求める荒野のようにも感じるのである。索漠とした精神なき大都市である

だからアメリカからは哲学とか芸術とか精神的なものは生まれない。すべてが実用的なものであり経済の追求でありプラグマテズムでありヨーロッパで生まれた文化は無いのである。だからそうした大国は指導的国家となり後世に遺産を残すのかとなれば歴史を見ればそうではない。ただ軍事力が経済力が技術力があってもそれは大国とはならない。また後世に何か遺産を残すことにもならない。とにかく現代は文化不毛の時代である。精神性のない時代である。


内村鑑三がアメリカを嫌ったのはなぜか 
【大国は滅び小国がイスラエルがギリシャが後世の遺産となった】








2024年11月05日

技術革新が起きなくなった時代 【機械は人間の五感の代わりにはなれない―人間の五感の回復こそ新たな発見】


技術革新が起きなくなった時代
【機械は人間の五感の代わりにはなれない―人間の五感の回復こそ新たな発見】

技術革新どころか世の中をひっくり返し得る新たな思想すら生まれなくなっている。共産主義や社会主義も、いってしまえば20世紀半ばまでに生み出された人間社会の画期的イノベーションの試みのひとつだ。理系のイノベーションが飛行機や宇宙ロケットなら、共産主義や社会主義は人文系のイノベーションに相当する。

世のため人のため"にはもう働けない…「怪しいビジネス」でちまちま稼ぐ残念エリートが増えている理由

●狭い範囲で親戚を延長した集団で生きていた時代

何か科学的技術的限界が生まれている。社会を変えるほどの発明がない、交通に関するなら船の進歩が世界大航海時代を開きコロンブスのアメリカ発見に新世界を開いた
次にイギリスの鉄道の発明が蒸気機関車が世界に輸出されて新時代を築いた、明治になった汽笛一声新橋を・・で日本の新時代が生まれた。不思議なのは駕籠で人は運んでいた江戸時代から飛躍的に全国に鉄道が普及したといことで日本が藩を中心にした社会から国民意識が形成された。その時関所も廃止されたからである
だから江戸時代から明治の変化は最も大きな変化を経験した
それは科学技術のレベルだけでなく社会そのものをあらゆる点で変えた。鉄道で日本のどこでも自由に行けるということ自体ありえなかったからである。つまり鉄道が生まれて日本国民という意識をもったとなる。狭い藩内の村で暮らしているのとは大きく変わったからである。

そもそもオーストラリアのアボリジニとか原住民を研究して調査している人がまず人間はみな顔見知りであり親戚関係の人間関係で暮らしていた。その範囲は狭いから江戸時代の村と似ていた
めったに見知らぬ人とは出会わない出会うとしたら相当に警戒したのである。それはまさに江戸時代である。
この辺でも隣の村でも人は交わらない、それで隣の村でも麦つきの仕事に来た人が蛇だったとかの伝説が残っている
また明治に飯館村でも大倉村と佐須村が民情が違うので合併できないとあった
大倉村と飯館村は5,6キロくらいしか離れていないのにそうなっていた。つまり人は近くでも交わらない生活だったのである
日本には無数に小国という地名がある時、人は狭い世界が一つの国であり閉ざされた世界に生きていたのである

だからそこからいろいろな問題が摩擦が生まれたのである。
人間は確かにそうした狭い世界で閉塞して生きるより広い世界で生きたいと思う、だからこそ大航海時代があり世界の人と交わることになったのだがそのために摩擦が生じてインデアンや原住民であれインカ帝国マヤ文明であれ一挙にヨーロッとパからの侵入者によって破壊されたのである。
それは第一次第二次世界大戦となり何千万も死ぬ甚大な被害となった。文明の衝突が起きたのである。

●交通の発達が鉄道、飛行機、車が社会を変えた

世界がグローバル化するというときどうしても交通の発達がありできる。それは飛行機の発明でグローバル化した。この発明は大きなものだった。海外力旅行も庶民でもできるようななって知見を広めることになった。海外旅行ブームになったのはハワイ旅行が始まりだった、でもその時飛行機代が馬鹿高いから誰でも行けるものではなかった、ましてやヨーロッパ旅行は高嶺の花であり極一部のものしかできなかった

でも田舎でも南相馬市の鹿島区で火力発電所ができて烏崎の港の漁師の家の人がヨーロッパ旅行に行っていたのである。
その費用は50万とか相当に高かかったのである。まず飛行機代が高いからそうなった、海外旅行が一般化して普及したのは飛行機代が安くなったからである。
何か火力発電所であれ原発であれこの辺では相当に影響した。
特に漁業関係者は特別補償金が事故前も優遇されたもらっていたのである。それだけではない原発は地域の経済に相当に影響した。やはりそれも科学技術の進歩がもたらしたものである
ただ原発事故でそれも裏目にでて故郷に住めないとか荒廃してしまったのである。

いずれにしろ科学技術の影響が社会を変えたのである。その科学技術も明治以降は飛躍的なものであり社会そのものも変えたとなる。特にその後は車が発明され一人一台とか持つようになりモータりゼーションの社会になった。
この影響もいかに大きなものだったか社会も人間も変えてしまったのである。近くが遠くなり遠くが近くなるということになった

●情報通信の発達―テレビからインターネットへ

交通の発達は近くが疎遠になり遠くが身近になる。それは情報の発達でもそうなった。遠い外国で起きることが隣の村で起きるように感じるのである。世界が一つの村になるとマクルーハンが言ったことが現実化した。イラク戦争で一匹の油まみれの海鳥の映像が世界に放送されたイラクはひどい国だと世界の人が見た
でもそれはアメリカによって作られたフェクニュースだったのである。でも一枚の写真でも世界に影響したのである。
それは世界がテレビとかさらにインターネット化してそうなった
現代の発明は技術革新は通信とコンピューターにありそこでAIとか人工知能の開発に進んでいる

ただ顕著な技術革命がなくなったというときそこに閉塞感が生まれているとなる。だから知的エリートは姑息なことで株を操作したり何か政府からでも巧妙に金をくすねる悪知恵で儲けているとなる。大きな技術的革新が起こらない、宇宙でもそこに新世界は発見されないのである。

何か新しい技術は新しい体験することである、船に乗る飛行機に乗る車に乗るでもそうである。
電動自転車に初期の段階から乗っていたがこれも新しい経験だった。電動自転車はバイクとは違う自らの力でこぐということでただ機械任せではなく自分の力で走るという感覚があり達成感が馬まれる、それで自転車は風とか光でもまともに感じるから自然とも融合するものになる。車だと便利でも自然を遮断してしまうのりものだからである。
本当に自然とか地球を体験するには飛行機とかでは確かに目的地には行くが途中が飛ばされるから体験したとはならない。つまり中国からでもシルクロードを伝いヨーロッパに到着したとき本当に地球を体験したとなる
飛行機ではシベリア上空をとんでもただ真っ暗な闇であり何も見えなかったからである。

●人間五感に優るものはないー五感を回復することが発見に

いずれにしろ科学技術でも革新がないというとき新しい体験ができないとなるが奇妙なのは歩くことが新しい新鮮な体験になるのも不思議である、昔の街道を歩くと今まで感じないことを感じるからである。それは車だとただこれも目的地に早くゆくものであり途中が省かれる。でも歩いてみれば全く新しい体験をする。
それが新鮮なものである、現代は余りにも科学技術の恩恵を受けて暮らしているがそこで失われたものがありそれが見直されるのである。確かに新し科学技術などの革新はなくなっても人間的五感磨くことはできる。芭蕉の俳句がなぜ生まれて今の時代にうまれないのかといのもそれだけ現代は人間の五感が喪失したからである、確かにカメラなどは人の目の代わりになるが人間の五感で感じるものをすべて表すことはできないのである

五月雨の降り残してや光堂

この短い句のなかに自然がまた人間の歴史を空間軸と時間軸で感じているかということとである。それも歩いて地の果てのような所に旅してきたからこそ感じたものなのである
それは人間の五感があって生まれた俳句なのである。
つまりいくら技術が進歩しても人間の五感に優るものは作りだせない、だから科学技術には限界がある、いくらAIが進歩しても人間の補助にはなるがすべて置き換えることはできないのである
それでルソーも自然人間を主張したりニーチェの超人思想とか
上野霄里(うえの しょうり)氏の原生人間が主張されたのはそのためである。科学技術には限界がある。だから進歩がないというとき逆に人間の五感こそが返って新しいものを作り出すとなる。それが新鮮になるのも余りにも機械に席巻された時代だからこそなったのである。

「クルマを捨ててこそ地方は甦る」藤井聡を読む







2024年10月29日

なぜ四大文明が川の岸に生まれたのか 【世界は地理をまず知る―一回でもその場に立つ―イスラエルの位置】


なぜ四大文明が川の岸に生まれたのか
【世界は地理をまず知る―一回でもその場に立つ―イスラエルの位置】


ライン川の写真

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乾季のガンジス川

歩いて向こう岸に行けるけど広い


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●四大文明がなぜ川の側に生まれたのか

水資源の利用: 大河は飲料水や灌漑用水として利用され、農業の発展を促しました。これにより、定住生活が可能になり、人口が増加しました。
交通と貿易: 河川は重要な交通手段であり、物資の輸送が容易になりました。これにより、異なる地域間での交流が活発になり、文化や技術の発展が促されました。
肥沃な土壌: 河川の氾濫は肥沃な土壌をもたらし、農作物の収穫量が増加しました。これにより、余剰の食料が生産され、それが経済活動の基盤となりました。
防衛: 河川は自然の防壁として機能し、外敵からの攻撃を防ぎやすくしました。

riverの語原は何ですか

「river」という言葉の語源は、ラテン語の「ripa」から来ています。これは「岸」や「河岸」を意味し、古フランス語の「rivere」を経て、英語に取り入れられました。自然の風景を語るときに使う言葉にも、長い歴史が詰まっているのですね。

riverはなぜライバルなのか

これは興味深い質問ですね。実は「ライバル(rival)」という言葉の語源もラテン語に由来しています。

「ライバル」という言葉はラテン語の「rivalis」から来ており、これは「川の反対側に住む者」を意味します。古代の農民たちは、川を挟んだ対岸に住む人々と土地や水資源を巡って争うことが多かったのです。ですから、同じ川(river)を共有する「rivalis(ライバル)」たちが競争者や敵対者という意味合いを持つようになったのです。

●外国の大陸の川が意味するもの

「river」という言葉の語源は、ラテン語の「ripa」から来ています。これは「岸」や「河岸」を意味している

これは日本と同じだった。川とは側【がわーかわ】の意味だからである。川にであるとそこで交通が遮断された向かい側を意識するからである。だから左沢(あてらざわ)というときあちらの岸となる。向かい側の岸を意識したのである。川全体を意識することから生まれた地名ではない、第一大陸の川だと長大であり全体の川を意識できないのである

原町を含む左沢の町は、江戸時代始めころに造られた小漆川城の城下町が基になっています。なかでも原町通り沿いには元造り酒屋などの店蔵が並んでいて、最上川舟運とともに栄えた町の風景を今に伝えます。

原町というと南相馬市にありもともとそこは野馬追が行われた広い野原だった。だから原町とはそこは原っぱだったということである。今は街になっているが原っぱだったのである。
船運で栄えたというとき最上川は交通路になっていた大きな川だったからである。

大きく蛇行する最上川に
春の太陽が映り輝く
左沢という地名は何を意味する
石の古い橋をわたり船運で栄えた
大江町の古い土蔵や
春の日我は一時旅して帰りぬ

左沢までの春の小旅行

日本では最上川は米であれ紅花であれ運ばれた。だから日本では
めずらしいのである。

ともかく大陸では川がいかに重要なものだったか、エジプトはナイルの賜物というとき周期的にナイル川が氾濫して泥が流れて土地を肥沃にして麦がとれるのである。

またライン川が父なる川というときもいかに川と国土が一体化しているかわかる。ガンジス川でもそうである。ブッダガヤとかに行ったら向かい側の岸まで水が引いて渡ることができたけでそれが相当な広さなのである。だからインドではガンジス川とその神話でも密接に結びついている。聖なる川でありその岸に沐浴する場が作られている。その長大な川が意味している大きさを日本人は理解できないのである。

川を通じて統一国家が生まれた。交通と貿易も川があり発展した。なぜなら川を船で行き来することができる、物も運ぶことができる。だから川を通じて人も結ばれるのである。
それで国家を越えて商人がヨーロッパでは一つの国を形成するハンザ同盟となり国家を越えたものともなる。それは川で結ばれるからからそうなる。この川の役割を日本では理解できないのである。大陸の川は流れが穏やかであり運河のようになっている。
だからそれは道になる。川を通じて結ばれて統一国家を作るともなる。エジプトも上エジプトがあり下エジプトがあってもナイル川を通じて結ばれる。ピラミッドはナイル川とも結ばれていた、河岸からピラミッドに通じていたからである。

●イギリスもテムズ川が三五〇キロもある

大運河の時代の英国である。 17世紀水にはバンクオブイングランドが設立されて18世紀に入ると産業革命を待たずに英国は大運河時代に突入するそこにはすでに馬で運びきれないほどの生産力があり馬に代わる流通網として運河を築くだけの資金蓄積もなされ運河に沿って活発な商業活動が広げられていたのだ
(資本主義になる条件とはー小室直樹)

イギリスが島国であり大きな川がないとみるがある。
テムズ川は346kmの長さである。346キロなると自分の住んでいる相馬から東京までの距離なのである。だからいかに長大になるかである。そしてその河口は港のようになりそこから七つの海を制覇した大英帝国がうまれたことをイメージする

徳仁親王著『テムズとともにー英国の⼆年間』(学習院総
務部広報課・1993 年)では、テムズ川⽔運の変遷を論じる。
製粉業者の⽔⾞の利⽤から、⽯炭の運送、上流から、ビール
やウィスキーの原料であるモルトがロンドンに運ばれ、植⺠地か
らは砂糖、煙草、⽶、茶などが輸送された。しかし19世紀、⽯
炭などが鉄道運送、トラック貨物輸送に移り⽔運が次第に衰
退していく過程を捉える。

その岸のいかにも古いベンチに座った時なんとも言えぬ感慨に浸ったのである。

春寒しテムズ河口のベンチかな

春寒しというときイギリスは寒い国なのである、だから春でも寒いとなる。何かヨーロッパとなるとベンチ一つでも歴史を感じるのである。

いずれにしろ日本ではこうした長大な川がないから外国を理解しにくいのである。日本の川が滝だと外国人が見た時運河のような大陸の川とは余りにも違っていたからである。
戦争でも川を巡った攻防になり互いにライバルとなる時もそうである。川で向かい合いライバルとなり戦う、それが現代でも陸上戦となるとウクライナとロシアの戦いでもドニエプル川を挟んで戦いが展開される。だから地理の制約があり地理は地勢はかわらないからそうなたのである。川でも山でも自然の障壁となりかわらないからである。

日本では障壁となるのは山でありだからこそ異常にトンネルが多い。それでトンネルを抜けると雪国だったとかなる。トンネルをぬけると異世界に入る。そして日本でトンネルの技術がが発展したというのもそのためである。トンネルがこんなに多い国はないからである。また峠という字が国字であり日本独特になったのも日本は山国であり峠がおおいからそうなった。
その地勢とは変わらないからである。だから地理が歴史を作るのである。

●なぜイスラエルが地球の中心と神が定めたのか

 イスラエルはアジア、アフリカ、ヨーロッパの交差点に位置しており、古代から現代に至るまで重要な交易路として機能してきました

イスラエルが地球の中心と神が定めたのか?それで私がイスラエルのガラリア湖なのかイスラエルにどうして隊商宿があるのか不思議だった。こんな所までラクダで運ぶ人がいた。
ということはイスラエルでも中国からシルクロードで結ばれていたのである。トルコにも隊商宿がある。ただシルクロードにしても長大でありわからない、実感できない、でもいかに人間は体験して理解するかである。地理でも地図をいくら見ても本を読んでもわからないのである。

それより現地を一回でも踏んだ人が理解する。私がイスラエルに立ったということが大きな経験だった
そこが神が定めた地球の中心だというときそれがそうなのかと実感する。イスラエルは中国とも結ばれている。その間に広大な平原砂漠があっても結ばれている。地球は分断されていない、つながっている。ただ国境は人為的なものでありそれで分けることはできない。

イスラエルが世界の中心に神が定めたというときなぜなのか?それは大陸で東西を結び地中海に面してヨーロッパと結ぶ位置にあり砂漠地帯とも結ぶ位置にあった。だからこそキリスト教がヨーロッパに広がったという経緯がある。
またなぜイスラエルが三大宗教の聖地となっているのかそれも神が定めたからである。アブラハムがカナンの地に来たのも神の命令だったからである。

それで私がイスラエルのガラリア湖なのかイスラエルにどうして隊商宿があるのか不思議だった。こんな所までラクダで運ぶ人がいた。つまりイスラエルは遊牧民が移り住んだ場所である
だからシルクロードでも中国までも結ばれているということをその地点に立てば感じる。つまり地理を実感するにはその地点に一回でも立つことが必要なのである、いくら地図を見ても映像を見ても分らないのである。それは直感的に感じるものだからそうな
る。 

 Israel is the holy centered place in the earth

イスラエルは平原砂漠の果て
古くはメソポタミアやバビロンと
エジプトとアフリカとも結ぶ
シルクロードに通じる
ロシアとも結び
はるか東の中国とも結ぶ
そして極東の日本とも結ぶ
ユーラシア大陸を抜けて地中海に出る
地中海に面してヨーロッパと結び
海の風が吹きそよぐ
遂には大西洋をわたり
アメリカが発見されぬ
その西海岸より望む
そのかなたが日本なり
世界はイスラエルを中心にして
歴史は展開するを定めぬ

ドイツのライン河の詩 (河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

2024年10月17日

中国の理解はやはり地理から見る 【南朝―北朝の時代【洛陽】―百済の武寧王陵】


中国の理解はやはり地理から見る

【南朝―北朝の時代【洛陽】―百済の武寧王陵】

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中国六朝・唐・宗の文化【世界文化史第7講】


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洛陽の白馬寺からこの光景が見えた、北朝は遊牧民の地帯でもある


●まず地理から空間軸から理解する

中国を理解するとなると巨大だからどうして理解するのかとなる
まず地歴とあるが地理は空間軸であり歴は時間軸で見る。
そこで難しいのは時間軸で見ることである。だからどうしても空間軸で地理から見るのがわかりやすいのである。

中国に使者を送ることが難しくなってしまいます。 しかし、魏が公孫氏と戦い、楽浪郡や帯方郡を支配下に置くと、卑弥呼はすぐさまそこに使者を送り込みます。 当時、最も勢いがあったとされる魏と交流を図ろうとしたわけです

邪馬台国の時代になぜ卑弥呼が知られていたのかまた魏と交流があったのかとなる。それを地理でみるとわかりやすい、魏と朝鮮半島は隣接して朝鮮半島を通じて日本に来れた。それで魏志倭人伝が残された。
つまり日本が最初に正式に外交を結んだのは魏なのである。それは地理から見ればわかりやすいのである

もう一つなぜ中国最初の王朝が統一国家が長安を首都とした北に生まれたのか、それも地理を見ればわかる。中国より先進国は西にあり西から先進国の文化が入って来たからである。
仏教もインドから長安に入って来て唐の時代に文化が興隆した。
つまり世界との交流は長安が窓口となり先進文化が入って来た
また遊牧民族と接する接点にあり兵馬桶のような騎馬軍団が形成された、

実在の将兵をモデルとしてつくったと考えられ、民族による身体的特徴まで再現されている。顔立ちは鼻が高くて唇が厚い「西方顔」と、鼻が小さくて顎が細い「東方顔」の2系統を中心として、北方の遊牧民像であり、秦と戦った「匈奴(きょうど)」の姿もあった。秦が各国・各民族の出身者を混在させた統一王朝であったことをうかがわせる

鼻が高く、目が長く、胸が突き出している
と言う容貌から連想されるのは、中国人というより中央アジア人か白人種のようです。
ここからは、始皇帝が当時の秦人と違った容姿を持っていたという

秦には古くから、中央アジア、地中海、インド方面から多種多様な人種が流入してきた事を意味しています

唐の時代の興隆はこうして西からでもインドからでも先進文化が入って来たことである。それは人だけではないそれと同時に文化や技術や思想でも宗教でも入って来た。だからこそ長安が唐の首都となり栄えたのである。



439年、北魏が、中国北部を統一します。

この北魏の華北統一により、北朝が始まります。

北朝の歴史A北魏の分裂
524年、六鎮の乱が起こります。
これにより、北魏が分裂し、東魏と西魏が成立します。
550年、東魏は、北斉となります。
557年、西魏は、北周となります。


420年、宋が成立します。
宋は、中国南部を統治している王朝でした。
この宋の成立により、南朝が始まります。
南朝の歴史A宋→斉→梁→陳
南朝では、王朝が頻繁に変わりました。
479年、宋の皇帝は、蕭道成に権力を受け渡し、斉が成立します。(宋の消滅)
502年、斉が内部反乱で滅亡し、梁が成立します。
577年、梁は、侯景の乱によって滅亡し、陳が成立します。
南朝の歴史B南朝の終わり
589年、隋の攻撃により、陳は滅亡します。
これによって隋は、中国を統一しました。
こうして南朝の時代は終わりました。

●武寧王陵は日本と関係

古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。このほか、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した

武寧王の出生の話として雄略天皇紀5年(461年)条に、百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の昆支王を倭国に貢る際、自身のすでに妊娠した婦を与えて、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と名付けて百済に送り返した。これが武寧王であるとしている

 雄略天皇の記録の中に、百済の蓋鹵王(21代王)の御代、彼の弟である軍君(こにきし)に告げて、日本に行って天皇に仕えよと命ずる。そのとき弟は王にあなたの夫人を一緒に連れて行くように願った。王はその夫人が臨月であることを承知で、弟の願いを聞き入れた。その代わり、途中で出産したら夫人と子供は返すようにということであった。

その夫人は日本に行く途中に筑紫の加唐島で出産。その子を「嶋君(せまきし)」と名付けたという。また、「百済新撰」にはこの弟の名を昆支(こんき)君となっている。

1971年に発見された、武寧王陵から発見された碑文には「斯摩」となっていることと(日本書紀では嶋君と記録)、出生の年代も一致することから、記録が事実ではないかという見方が強い。

つまり、武寧王は日本で出生したということとなる。

武寧王陵の煉瓦で作られた王陵で発掘された
「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」
と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。この他、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した

これは南朝から入ったものである。

武寧王陵

福島県の地理(会津)から韓半島の地理
 (地理は現実にその場に立たない限り実感できない)

春武寧王陵

日本征人来
武寧王陵立
別名斯摩王
大河岸春草
黄金王冠映
銀匙使優雅
煉瓦精緻組
中国南朝産
百済栄交流

●南朝と北朝の時代

中国は北朝南朝があり何長は後に宋となる、つまり中国は地理的に南と北がありまた西と東がある。基本的には南と北なのである
でも最初の中国の統一国家を作ったのは始皇帝であり東西の接点にあった。また日本でも西と東があり西から先進文化が入って来て栄えたのは西なのである。その原因は西から韓国経由で文化が入って来たからである。ある地域が栄えることは外来の文化が入ることが条件になる。
ともかく中国でも大雑把に地理から理解するとわかりやすいのである。時系列になるとわかりにくくなるのが歴史である
だからまず地理から世界を見る。それで外国を50才から旅したことで地理の実感を得たので良かったのである
ただ正直中国は広大であり地理自体を理解することが至難である。そこからどうしても誤解が生まれてくる。


洛陽の白馬寺とか雲崗石窟は有名である。

北朝南朝ー洛陽

岩窟に頑なに己を持する
堅忍の仏の像
ここに座して千年は過ぎむ
大河の岸辺に洛陽の都そ古りぬ
白馬寺や彼方を見れば
鉄路に羊の群れの移動
騎馬民族の勇壮なる
遊牧民の北朝の中国
北朝と南朝に分かれる
北朝は質実剛健や
南朝は豊な詩文華の地
農耕の民にして土に根ざす
隠者を養う山水画の伝統
死して巌根にあらば骨も也た清からん


日本は明治以降ひたすら欧米に習った。そして中国は遅れた国として蔑んだ。だから中国のことが分からなくなった。隣国でも同じ漢字を使っていてもわからなくなった。

文化的交流も過去のものであり減退した、ただ不思議なのは江戸時代でも儒学があり中国は活きていた。そして漢詩を知識人が侍が作っていたことはやはり中国文化を習っていたのである
そして明治になった時漢詩が一番興隆したといのもヨーロッパ文明が押し寄せても和魂洋才があり中国文化でも活きていたのである。それでもヨーロッパ文明を受け入れるのに漢字で訳したのが日本である。その日本人が訳した漢字を今中国人が使っている。その数も多いのである。
ただ正直中国でもでも何なのかそもそも東洋とは何なのかとなるとわからなくなったのである。








2024年09月19日

農業社会は土地が権力の基盤になった 【イギリスは土地が狭く海外に出て豊かになった】


農業社会は土地が権力の基盤になった
【イギリスは土地が狭く海外に出て豊かになった】

●権力を生んだもの―封建制の成り立ち

人間の歴史を振り返ると農業となると米で麦でもそれは蓄えることができる。その蓄えることができることで権力が生まれる。なぜなら食料があるということはその食料が得られるとなれば人々はその食料を持っている人に従うからである。
現代ならば金のあるものに従うとなる。

何が権力を生んだのか

それは土地を持つということでその土地から食料が取れる貯蔵できるることで権力を持つことができた。神殿が穀物の貯蔵庫でもあったというのそうである。支配者になるためには武力だけではなれない、なぜなら力だけでは従わせることができない

現代では金で従わせるが歴史をふりかえれば日本でも米で人民を支配した、藩の力は米の石高で計られ給料も米で支払われていたからである。そしてその米がとれる土地が最も大事なものになる。それが封建制度を生んだ。また戦国時代とはその土地をめぐる争いだった。土地を所有することが権力を持つことに成ったからである。国は土地があって国たりえる。
だから世界史でもヨーロッパの歴史でも日本と同じく封建制があるのは土地を基盤にして権力構造ができたからである。農業にとって土地がなければ成り立たない。土地が富を生むのであり他は付随的なものになる。

農民には長がいる。農業には領土が不可欠だからだ。穀物をつくる。農民は食物を貯蔵するので彼らは盗む価値のあるものを持つことになる狩猟採集民はにはなかったことだ。支配階級。すなわち他人の生産的仕事を生活の糧にしているものたちが登場するようになるのは農業社会が生まれてからだ
農民は食物を貯蔵するので彼らは盗む価値のあるものを持つことになる狩猟採集民はにはなかったことだ

【一万年の進化の爆発―グレゴリーコクラン、ヘンリーハ―ぺテング】


この指摘が当てはまるのは中国である、なぜ万里長城が作られたのか、それは中国が農業社会であり穀物、米でも蓄えていたからである。それを盗めにモンゴルなどの遊牧民が襲ってきたのであるだからこそそれを防ぐために万里長城が作られたのである。

●相馬藩の越中(富山県)からに移住も土地を得るためだった

つまり何か富を持つということ資源でも持つことはそれを奪い合いになる。丸森の森の木材資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な争いになったのもそのためである。
現在でも石油をめぐる争いがあり何か資源があればそれをめぐって争いとなるのである。これまでの資源というとき土地が最大の資源だったのである。
それで相馬藩でも天明飢饉があり1/3に人口が減った。そのために越中(富山県)などから移民を募集した。欠け地が増えてそんな荒れ地でも土地を得れば食べていけるとなり藩から出ることができな時代で必死で相馬藩に移住してきたのである
農業時代はこのように土地がなければ農業は成り立たないのだからこうなったのである。相馬藩に移住した後も荒れ地を開墾するのに苦労した。それで加賀泣きという言葉が残されている
何かと不慣れな土地に移住して苦しんだということである

この越中からの移民は今でも見分が憑く、墓を見れば真宗であり戒名はなく南無阿弥陀仏になっているからである。
それは外国でも同じだったのである。戦前に日本人が満州という広大な土地を得ようとしたのも農業社会でああり農業には土地が必要としたからである。それで満州というと寒冷でありそこでも米作りをしていたのである。凍土でもあり稲作はむいていないのにである。今はトウモロコシ畑は尽きることなく続いている

●アイルランドからのアメリカへの移住も土地を得るため

これはヨーロッパにも同じ事情があった。
英国のピューリタンは大国と異なり下層階級貧困層が多かった。というのも英国はとても土地が狭く継承することができない次男三男があふれそういう人々がピューリタンに救いを求めたのです

ここで次男三男が土地が得られずその土地を求めてアメリカに新天地を求めたのである。日本だったら明治以降北海道に新天地を求めてたのと似ている
そこにもやはり広大な土地があったからそうなった

アイルランドのジャガイモ飢饉

飢饉で、アイルランドの人口が少なくとも20%から25%減少し、10%から20%が島外へ移住した[3]。約100万人が餓死および病死し、主にアメリカ合衆国やカナダへの移住を余儀なくされた[4][5]。また結婚や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が、最盛期の半分にまで落ち込んだ
ウィキペディア(Wikipedia)

これもやはり農業時代になれば土地が最重要であり起きたことである。それでアメリカに土地を求めて移住した、その子孫がケネデイ家とかなっている。
ともかくアメリカの広大な土地が我がものとなった。その変化は大きなものだった。

イギリスとフランスの相違はフランスは広大な土地があり農業が盛んである。イギリスは土地が狭いから豊かになるには土地に依存しない工業力とか外国に進出して富を得るほかなかった
その不利な条件が七つの海を支配する大英帝国を作ったのである。フランスはドイツもランドパワーでありロシアへ侵略して失敗したのである。イギリスはシーパワーでありそうはならなかったのである。そしてアメリカがイギリスに変わる覇権国となったのである。

2024年07月29日

文明と文化の相違 【現代文明は精神なき文明で世界共通―現代文明こそ奇怪なもの】


文明と文化の相違

【現代文明は精神なき文明で世界共通―現代文明こそ奇怪なもの】

19世紀ドイツの思想家は文明と文化をはっきりと区別して、文明は機械、技術、物質的要素にかかわるものであり、文化は価値観や理想、高度に知的・芸術的・道徳的な社会の質にかかわるものだとした。この区別のしかたは、ドイツ思想界には根付いたが、それ以外の場所では受け入れられなかった。…… 

ハンチントンの「文明の衝突」における「文明」中心の見方とトインビー史観

●文明の前に各地に風土に根ざした文化があった

文明とは広範囲な総合体として形成されたものである。でも文化となればそうして広範囲なものでなくても部族のような単位でアフリカを見ればそれなりの文化は必ずある。文化は風土が違いば違った文化になるのである。その土地から取れるものも違ったものになる。だからculture はculutivate【耕す】からきている。
その土地を耕して産物を得る、その土地は風土の影響を必ず受ける、だからワインでも同じものではない、その土地の影響を受けて違ったものに成りその土地の名がつけれたりする
その土地と切り離されずあるのが農業だからである。その風土と土地に見合ったものとして特産物ができるからである。
つまり人間が存在してから文化はあった。狩猟でも狩猟採集文化があり縄文土器があり縄文文化があった。でも文明となるとそれはまた別なものである

だから最初に文化があって文明へと発展した。文化と風土は切り離せず一体のものとしてある。エジプト文明が謎であるが人間が動物を神とすることは部族の先祖を神とすることはどこの国でも最初にあり共通しているから異様なものでもあない。
トーテム信仰はどこにでもある。熊族とか犬族とかあ鷲族とかあったからそれは人類の歴史として共通しているのである。
外国の文化でも文明でもそれを特殊なものとしてではなく人間にとって共通なもの普遍的な物として見るとわかりやすい
エジプト文明も最初にトーテム信仰がありただそれから高度なピラミッドが作られた。トーテム信仰とピラミッドのような高度な技術があり政治的には神権政治になった。
それが合体しているかエジプト文明は理解しにくいのである。

ピラミッドが現代の建造物と違っているのは宗教的建造物でありそれはキリスト教の大聖堂とも似ている。そこには深い精神性があり宗教的建造物なのである。それな仏教の大仏とか精神性がありその象徴として造られた、単なる王の墓とは違うのである。
中国の始皇帝の墓は山のように巨大なものとなり地下にまで宮殿を作った。それは巨大な権力を誇示するものであり精神性がないのである。

●精神性無き現代文明

それを言うとき現代の建築物にも精神性はない。ニューヨークの摩天楼を見上げて何か精神性を感じるだろうか?
ただ高い巨大だと言うだけではないか、また効率的で合理的でありそれはビジネス社会、経済だけを追求して作られたものであり精神性はないのである。

文明は機械、技術、物質的要素にかかわるものであり、

それが文明となるがでもエジプト文明でもその基礎に文化ありその上の高度な総合体として文明が築かれた。そこには物量だけではない精神性があった。それは文明というとき仏教文明がありイスラム文明がありキリスト教文明がある。それは精神性がありその精神から作られたものなのである。現代の文明の建造物にはそうした精神性が感じられないのである。何かそれは世界的に共通している。大都市になるとビルが立ち並び同じ景観となっているからである。だから精神性欠如の文明となり共通している

mission and meaningがない現代を書いたがそれは今やどこの国にもないのである。マテアリズムになり精神性なき荒野と化している。宗教でもカルト化して現代の経済第一主義でありむしろ強烈なマテアリズム拝金主義と化している団体である。精神性は全くないのである。ただ頭数を集め大衆化してナチス化する
ナチスがなぜ生まれたのか、その原因は現代文明にあったとなるかる宗教もまたその文明を温床として生まれた病理的現象である。文明は今やその根になるルーツの文化がない、確かに科学文明になるがそこに精神なき物質文明である。

だからエジプト文明が異様でも奇怪でもなく現代文明こそ奇怪なもなのである。だから当然カルト宗教から奇怪な怪物が生まれる。その教祖こそトーテム信仰より奇怪だともなるのである。
文化は風土に根ざすから多様である。その文化を基にした文明も多様であった。でも現代文明は一様化して精神なきものとなったのである。だから精神を回復するには風土に根ざした文化を再び発見することでありそれがルネサンスになる。
それで天才が大都会から生まれず小都市国家で生まれた。それは風土と結びつき連関する共同体があって基盤があって生まれたとなる。

国家にmissin and meaaning が必要? 
【人生でも最後に問われるものもmissin and meaaning 】




2024年07月27日

エジプト文明は接続可能社会(SDGs)の見本−エジプト文明の詩 【文明は進歩したのではなく変化しただけ】


エジプト文明は接続可能社会(SDGs)の見本−エジプト文明の詩

【文明は進歩したのではなく変化しただけ】

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エジプト文明3000年

その国土を貫く悠久の長大な大河ナイル
滔々と流れて上王国下王国と結ぶ
ナイルの賜物として育まれし国
その岸辺の広大な肥沃な土地の麦畑
営々と繰り返される暮らしは
黄泉の国まで変わらず続くものとなる
その平和の日は長く培われしもの
ピラミッドは不朽の如く不動
その明確な輪郭は砂漠に映える
ヒエログリフに記されし歴代の王
ナイル川の岸辺の神殿の廃墟
月光に照らされて石に刻まるヒエログリフ
そは何を語るや船はしばしより過ぎる
エジプト文明の成果の古代神殿
その石の太ぶとし丸みを帯びた柱
千歳の木のごとく年輪を刻む
昔森ありてその木をイメージする
悠久にして平和の日は長しも
営々として続く平和の営み
それは黄泉の国まで継続される
王女の如くナイルの岸辺紫の蓮の花が咲き
その岸辺に赤々と太陽は沈む
ラーの神を信仰せしその民の営み
王の神像は頑なに口を閉ざして黙しぬ
その口は開かぬ如く黙し見つめる
平穏なる沈黙の日々の継続
かしこはるか来たりぬ外国人の旅人
一つの彫像と化して列せられ帰れず
ミイラと化してピラミッドに閉ざされぬ
赤々とナイルの西の岸辺に夕日は映えて沈む
悠久の3000年の古都に沈む



●エジプト文明が異常なのか現代文明が異常なのか?

エジプト文明とは何か?何か現在では理解しがたいものがある。でも奇妙なのはエジプト文明と比べて現代文明を見るとき見えてくるものがある。エジプト文明は自然と人間が合体してアイデンティティ化した文明である。アニミズム文明ともなるがそれが異様に見えるのだが奇妙に思うのは現代文明こそ何か異様なのである。文明というのはいうのはもしかしたら別に時間は過ぎて進歩したというのではなくただ変化したものかもしれない。
そして文明に優劣がないかもしれない。ただ異なった違った文明であり遅れた文明とは言えない。これなぜならエジプト文明というときかなりの高度な文明でありその建造物を見れば現在でつくれないとまでなる。ピラミッドは正三角形ではないし古代の黄金の比で作られている
だから現代の幾何学からすれば神秘的なものとなるのである

現在の大都会やなどを見たときそれはなんなのだろうとなそれそれこそが何か奇怪なものに見えてしまう。というのは1000万の大都市となるとその規模があまりにも大きすぎるのである。そしてその都市も自然から遊離したものであり何か異様なもの感じてしまう
何か別の惑星に来た感じにもなるのである。だから現代文明とは何なのかとなれば果たしてそれが進歩したものなのかどうかわからない。確かに技術的には進歩している。でもそれが総合的に文明を見たとき何かそこには統一されたもろもうなくただ雑然として広がる混沌としたものでありそこに整然としたものは感じられない。

●エジプト文明は自然とアイデンテイ化したもの

エジプト文明というときそれは全体を見れば一つの調和したものとして作られていたのである。なぜ人間と動物が一体化したりしているのは異様に見えるがそれは自然と人間がまた一体化している象徴なのである。現在になれば人間と機械が一体化するロボット化することにもなるからである。エジプト文明では動物は神秘的な存在であり神聖な存在として一体化したのである。そうして自然とアイデンティティ化することは別に異様なことでもなくまさに自然なことなのである。

むしろ現代人間というのは自然から遊離して何とアイデンティティ化しているのかとなるからである。エジプト文明が理解できないと言う時まさに現代文明は自然から遊離しているからこそ理解できなくなるである。田舎に住んでいれば依然として人間は自然とアイデンティティがする。それで私は山であれ石であれ動物でもやはりエジプトと文明のようにアイデンティティ化した詩を書いてきたのである。だからエジプト文明異様なものとしてはなく通じるものとして理解する

エジプト文明は太陽神ラーを信仰したというときそれは日本の初代天皇の卑弥呼が天照大神でありやはり太陽信仰だから通じるものがある
過去の文明は自然と密着して自然と一体化してアイデンティティ化するから共通するものがある。むしろ現代文明こそアイデンティティ化ができないからこそ混沌として雑然として統一がなく人々はつながりがなくアトム化してそれはナチス化したというのも分かるなぜナチスが生まれたかといえばピカ⁻トが言うように無数のアトム化した人間がつながりがなくそのつながりを求めてハイルヒトラーになりナチスにが生まれたとしている。それは現代でもカルト宗教団体のそれと酷似しているのである

それこそ現代文明が生んだ異常なものだった。なぜそのようなものが生まれたからとなると現代文明の病理現象として生まれたものであり宗教とは一切関係ない。なぜなら自然と遊離して創価などでも団地の宗教と言われたように地方から来た人はそこで人と人との繋がりが持てなくて集まったと言う事である。これ本来の宗教など何もないのである。だから奇妙なことに現代文明こそ奇怪であり理解できないものなのである。
だからのですのようなカルト宗教が生まれたと言うとその温床が現在の文明にありそれは育んだ宗教だともなる。それは日本だけではない世界的現象として起きて起きているというとき大都市化は世界で起きているのが現代だからである。その奇怪な文明のために何千万も死んだというとき現代文明が温床になって起きたことであり戦争の原因が現代文明そのものにあったからである。
異様な社会から異様な人間が生まれるのである。

●現代の文明こそ異様であり接続可能社会ではない

肉体はは消え去るが
肉体は以前にあったほかのものは残る
昔から存した神々はピラミッドにとどまる
同じように高貴にして栄誉あるものは
ピラミッドに葬られた
家を建てた人々はいない彼らはどうなったのか

つまり文明を知るというとき現在の文明だけではない過去にも文明がありそれは必ずしも遅れたものではなく別の文明でありそれで比較して現代の文明と見れば見えるものがある。そこに歴史を勉強する意義がある。エジプト文明が理解できないのはそれが遅れた文明ではなく違った文明でありその相違はなぜ起きたかということを知らなければならない。現在の人間こそ自然から遊離して異様化してしまったからである。

ここ200年の文明を見たときあまりにも凄まじい変化はありエジプト3000の継続した文明とはまるで違ったものとなったのである
エジプト文明は沈黙の文明だという時現在の文明は騒音騒擾の文明でありそこに恒久性というのはない。あらゆるものが目まぐるしく変わるのである。エジプト文明は3000年あったとしてもほとんど変らなかったかもしれない。今は十年単位で急速に変ってしまうのであるくれるそれは別に必ずしも進歩したというものでもないただ変化しただけだと思う
何が進歩なのかそれが分かりにくいからである。確かに技術の進歩は急速にあったけれどもそれで社会全体が進歩したのではなくただ変化したというだけである。ということは人間ははそもそも進歩というものはなく変化しているだけだとなる

エジプト文明は求めたのは恒久性であり不変性であり定着性であり静穏な生活の継続でありれが黄泉の国来世でも続くとしていたのである。それは現在の騒音と騒擾で絶えず変化する文明と対比すると別な文明なのである。現代文明というのは何か継続性がない継続を求めないのである。

持続可能な開発目標(SDGs)とは、すべての人々にとってよりよい、より持続可能な未来を築くための青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します。

最近このことがしきりに言われるけどそれこそエジプト文明にあり習うべきだともなる。つまり文明とは必ずしも進歩するとかではなくただ変化して来ただけだとなる。それは技術だけではない全体のバランスから見た時そうなる。技術の発達はまた福島原発事故のように環境を汚染して破壊する。そして肝心の空気や水や土や木まで汚染されて住民は住めなくなったのである。それはまさに持続可能な社会の破壊だったのである。

だからこそ現代文明というのはここ200年くらいで世界のエネルギーを使いそれが温暖化になったとも言われるしそれほど200年くらいで世界にある資源を使い尽くす接続可能な社会ではなくなっていたのである
その進歩は凄まじいのである。グローバル化して中国でも20年くらいですさまじく発展して先進国に追いついたようにその進歩は急速なのででもその結果として膨大なエネルギーを使い環境汚染があり接続可能な社会とはなっていないのである。



3,000 years of Egyptian civilization

The Nile, the eternally long and mighty river that runs through the land
Flowing torrentially, it connects the Upper Kingdom with the Lower Kingdom
A country nurtured by the gift of the Nile
The wheat fields of the vast fertile lands along its banks
The life that is lived over and over again
Will continue unchanged until the land of Hades
The days of its peace are long nurtured
The pyramids are as immortal as they are immovable
Its clear outlines are reflected in the desert
The kings of the past written in hieroglyphics
The ruins of a temple on the banks of the Nile
Hieroglyphs carved in stone by moonlight
What do they tell us? Ships often pass by
Ancient temple of the fruits of Egyptian civilization
Its pillars of stone, thick and rounded
like a tree of a thousand years old, carved with annual rings
There was once a forest and I imagine its trees
The days of peace are long and everlasting
The work of peace that has been going on for ages
It will continue until Hades
Like a princess, a purple lotus blooms on the banks of the Nile
And the red sun sets on its shores
The work of the people who worship the God of Ra
The image of the king's god stubbornly shut his mouth and remained silent
His mouth is silent and stares as if it will not open
The days of peaceful silence continue
Here, far away, the foreign traveler does not come
turned into a statue, lined up and unable to return
mummified, shut up in a pyramid
The red sunset on the western shore of the Nile
the sun sets on the ancient city of 3000 years of eternity

Translated with DeepL.com (free version)

2024年07月07日

栄光の残滓を見るギリシャ紀行 【ギリシャの遺跡は過去のもであり現代に活きていない】

栄光の残滓を見るギリシャ紀行

【ギリシャの遺跡は過去のもであり現代に活きていない】

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オリンポスの山

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ギリシャの栄光

明るい陽光が眩しく射して
地中海に面し豊かな果実
島々をめぐり船は行く
点々とギリシャの植民都市よ
ネオポリスにギリシャのコイン
新しき島に地を交わりを
船は風に乗り進む
自由闊達なる探求のギリシャ人よ
その澄みわたる真青の空
その輪郭は明確に岩に向き合う
その彫塑は美の結晶
海に向かい山に閉ざさる世界
清らかな清水は岩より流れ落ちて
デルホイの神殿は高き山の上に古りぬ
その時その柱は世界の柱となりて立ちしを
ゼウスの聖なるオリンポス山は雪に覆る
ギリシャの栄光の日は神殿の石柱に古りぬ
圧政の専制国家のペルシャを破る国よ
プロポネス半島からアテネへ行く途中の寒村
岩の剥き出す山の斜面を羊飼いが行く
皮の腰蓑をした古風な姿
数千年前と変わらぬ営みがここにまだ続いている
アテネに海からの風がそよぎ遺跡は古りぬ
その古い岩よ、地に根づいて何かを語る
ソクラテスは真理とロゴスとイデアを追求する
学問の園アカデミアで対話して探求する
アルキメデスは浮力のの法則を発見して歓喜する
哲学と科学の基がここに発する
今は菜の花と羊とロバと小さな正教会
遺跡の周りに春の花々が飾り
かなた地中海に船影が見える
2000年前の記された歴史
それはヨーロッパの源
それはローマに受け継がれぬ


  かつてギリシャの王が岩山に座し
  サラミスの島を眺めやったとき
  海には何千という船がもやい
  国々から集められた男たちがいた
  日が昇ると王はそれらを数えたものだ
  だが日が沈んだ後 彼らはどこへ?

  あのギリシャの栄光はどこへいった?
  この静まり返った汀に
  英雄の歌はもう聞こえない
  英雄の胸はもうときめかない
  崇高な音を響かす竪琴が
  清らかな手で奏でられることもない
  バイロン―ドン・ジュアン

ギリシャの島々 The Isles of Greece:バイロン


丘と丘の窪みに休む帆船は私の記憶から消えない、まるで忘れられた異形の残照のようだ、人の目から隠された、事物は声もなく死んでゆくーヘンリーミラー

オリンピアの廃墟の美はいかなる美であろうか。おそらくその廃墟や断片がなお美しいことは断片がなおも美しいことはひとえに全体の構成が左右対称の方法によっている点にかかっている
断片は失われた部分の構図を容易に伺わしめる
三島由紀夫【アテネ及びデルフィ】

ギリシャの全面積は無数の島々を含めて北海道の2倍にはならない。最高法のオリュンポスが2911m。その小さなギリシャの風景が大きいということは体験した人でなければ理解できないであろう‐ギリシャの風景ー澤柳大五郎

とにかく世界を理解するというときまずその地理と風土を知ることが第一である。それはその場に実際に立たない限り理解することは不可能である。いくら本を読んでもテレビを見ても実感できないからである。つまり人間のイマジネーションには限界がある。だから一度もも外国に行っていな人は語るとおかしなことになる。それが自分だった。だから50才からバックパッカーとなり世界を回ったことは貴重だった。何か大雑把であれ実感したものがあったからである。それを今回想して詩を作ったり文を綴っているのである。

ギリシャを見て第一印象が春に行ったので菜の花におおわれていたり羊が飼われていて島とかにロバがいたり私がイメージしたのとは違っていた、ここは田舎なのか、なぜ菜の花がこんなに咲いているのだろうと見た。菜の花がヨーロッパで咲いているとも思わなかったかったのである。

中国でも運河がありその運河沿いに一面に菜の花が咲いていた
そのスケールが大きいから中国的だとなる。その運河を舟で豚を運ぶ光景も中国的である。中国には仏教遺跡がある。蘇州となると古い唐の時代の塔がある。中国には塔が多いのである。でも中国で仏教が生きているのかとなれば何かそうも感じない
共産主義革命で紅衛兵などが過激なものとなり仏教の遺跡なども壊したらしい。でも依然として中国には寺があり仏教がほそぼそと伝えられているのかもしれない。

それと比べるとギリシャの遺跡というのは現在ではギリシャ人にも過去のものであり現代には通じていない。日本だったらいまだに地方の田舎の小さな社でもやはり人々が守る祈り現在でも生きているとなるからである。ギリシャの遺跡というのは全く過去の遺物となっているのである。遺跡の数が多くてそれは現在に行きたいものではなく2000年3000前の遺物であり過去のものでしかないのである。

丘と丘の窪みに休む帆船は私の記憶から消えない、まるで忘れられた異形の残照のようだ、人の目から隠された、事物は声もなく死んでゆくーヘンリーミラー

まさにこれなのである。現代には活きていない死んでいる遺跡だとなる。だからなぜそこに菜の花が覆われていて羊がいてロバがいてまるでそこは昔のままであり印象に残ったのである。当時の最先端の文明があったということは感じなかったのである

ともかくギリシャの地形は山と海と島々の風景である。それは日本とも似ている地形なのである。でも北海道の2倍くらいしかの面積がないということは領土としてはかなり狭い。ただ北海道自体は相当広いからそのくらいのものなのかもしれない。ただあまり平地というのはないかもしれない。だからこそ山の斜面を羊飼いの古風な腰を皮で覆ったものを着ていた。角笛とかも持っていたとなる。それは2000年前3000年前とも変わらない営みだったとなる。

ギリシャの地形の特徴は山が多く平地が少なく島が多いが地中海に乗り出すということで植民都市を作りそれで一時は地中海の覇者となりその世界の中心にドルフィーの神殿が作られたとなる
それは日本で言えば山を聖なるものとして修行した山岳宗教だったかもしれない。つまり山が多いということ高い山があることはその精神に相当に影響する。だからこそゼウスはオリンポス山に住んでいたとなるのである。

とにかくヨーロッパ文明のそのベースになったものとしてギリシャ文明のがあった。それは数学の分野で幾何学とか発達したし科学でももともとはギリシャの発端となっている。そこににさまざまな分野で天才が生まれたのである。だらなぜ今になるとギリシャというのは菜の花とロバと羊の国になっているかというのは意外だったのである。それは誰もがギリシャに行けばそこはヨーロッパの保養地であり過去の遺跡の国であり現在の工業社会を思わせるものは何もないのである。技術的にも学ぶものがないということである。ただアートの面では依然として彫刻など建築でも学ぶものがある。

ヨーロッパの詩(ギリシャの旅)


The Glory of Greece

Fruits of the Mediterranean Sea
Ships sail around the islands
Dotted with Greek colonies
Greek coins in neopolis
New islands, new lands to mingle with
A ship rides on the wind
O free and vigorous questing Greeks
Its clear blue sky
Its contours clearly facing the rock
Its sculptures are crystals of beauty
The world that faces the sea and closes in on the mountain
The pure fresh water flows down from the rock
The temple of Delhoy is ancient on a high mountain
Then its pillars stood as the center of the world
Mount Olympus, sacred to Zeus, is covered with snow.
The glorious days of Greece are past on the stone pillars of the temple
A nation that will defeat the oppressive and tyrannical Persians
A small sized villiage Athens from the Proponese peninsula
Shepherds walk along the rocky slopes of the mountains
They look as old-fashioned in their leather cloaks
Here still lives the same life as it did thousands of years ago
Athens, the wind from the sea is blowing and the ruins are ancient
That old rock, rooted to the ground, speaks something
Socrates pursues truth, logos, and ideas
Interacting and exploring in the Garden of Learning, Academia
Archimedes rejoices in his discovery of the law of buoyancy
The basis of philosophy and science emanates here
Now rape blossoms, sheep, donkeys, and a small Orthodox church
A history written 2,000 years ago
It is the source of Europe
It was handed down to Rome

Translated with DeepL.com (free version)







2024年06月17日

日本の地理の特徴―山に海に閉ざされた国 【川から生まれた四大文明】

日本の地理の特徴―山に海に閉ざされた国

【川から生まれた四大文明】

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●世界の認識はその住む場所から地理から始まる

人間が世界を認識するというとき空間軸と時間軸で認識する。空間事故は地理であり時間軸は歴史である。それが合体したのが地歴なのである。。日本日本の空間軸の認識はその地理とか地勢によって運命づけられる。日本の地理の特徴は大きくは海に囲まれて閉ざされた島になる。もう一つは日本は山が多く山に閉ざされていてその世界認識も広いものとはなりえない。

福島県だとハマナカアイズとあって地理的に分断されているのである。浜通りになると阿武隈山脈高原にさえぎられて福島市とかと同じ選挙区になっていても見ないから一体感が感じられないのである。吾妻山など見えない、ましてや会津に2000メートル級の山がひしめても全く見えない、だから福島県は地理的に一体感が感じられないのである。そのために隣村であってもなかなか交流できない。例えば飯館村の大倉村からその中心の草野まで行くのに相当な峠がありそれを超えることは車もない時容易なものではなかった。私自身は常に自転車で七曲りとまではいかなくてもその坂を登って行くのは容易ではない。

だから必ずその坂の途中で休む。すると既に秋になっていて秋の蝉の鳴くのをひびくのを聞いて季節感を感じる。すでに秋になったのだということをその蝉の声を聞いて感じる。夏のように騒がしく鳴くこともなくわずかに残されている蝉が鳴いていたからである。またさらに秋が深まると虫の声がかすかに響いてくる。
とにかく日本ではこうして山に遮られてどこにでも峠がありトンネルがありそれが日本の地理の特徴なのである。
さえぎるというとき蝦夷が抵抗した人たちに佐伯【さえき】氏がいて大伴氏に属して宮中の警護にあたった。もともとは遮る蝦夷の人達だったのである。

そしてトンネルは例えば宮城県と山形県を分けるのは面白山がありそのトンネルはかなり長いのである。そのトンネルを抜けたとき山形県に入る。山寺があり春でも依然として雪が残っているのである。そういう場所は境を意識するのである
でも大陸のようにどこまでも平地が続いていたらどうして境界を境を認識するのかとなる。それは大陸の川は長大であり川によっ結ばれる

日本の地理の特徴は山に閉ざされていることである。するとその山が障壁となり山の向う側のことを認識しにくいのである。それを物語っているのは日本では世界でもトンネルが多い国なのである。そのことは日本ではトンネル技術が発達したということも理解できる。ともかく日本ほどトンネルが多い国はないだろう
トンネルを抜けると雪国だった・・というのもそうである。

まただ峠も多い国でありその峠を越えることが容易ではない。峠という字が国字になっているのもそのためである。峠を越えると別世界に出る。トンネルを出ると別世界に出る。ところがモンゴルとか大平原になるとどこまで行っても山もなく平原が続く。満州とか旅しても一面のトウモロコシ畑でありその距離は遠大でもトンネルというのがないのである。だから何か変化に乏しいとなる。日本の地理の特徴は山あり海あり川ありで変化に飛んでいることである。そういう国は少ないかもしれない。そのために日本の世界認識というのは海に囲まれて閉ざされ山に囲まれて閉ざされ何か広い大陸のような認識を持つことができないのである。

まず中国でありロシアであれそこで地理を知ることは容易ではない。例えば日本で野というとき誤解する.野と山の斜面のことである。入野というとき山の斜面の山の狭間のことであり日本独特の地形ななおである。そういう地形が日本には多いのである

我が恋は まさかも悲し 草枕 多胡の入野の おくもかなしも

●山に閉ざされる日本の地理

山でも矢間とかなり谷間であり間のことであり高い山のことをさしていたわけではない。それは山の間で暮らすことが多いから生活感覚からそうなったのである。日本の地理の特徴は山に囲まれて閉ざされてなかなかその山を越えて交流をするということが難しい国であった。だから日本には小国という地名が非常に多いのはそこが一つの国でありそこで国を認識して閉ざされた世界で基本的に自給自足していたからだと思う。

バスに降り小国のあわれスミレかな

これは前に相馬市からでもバスが霊山から福島市の方まで行っていた時小国に降りてそこが記憶として残っている。
霊山から石戸村まで自転車で良く行く。でもそこから小国までゆくとなると遠くなる。

白山の厳しく迫り白川郷ここに閉ざされ秋の暮かな

白山なのかその前の山脈にしても厳しく迫り閉ざされている,白山なら2700メートルあるから高いのである。そういうう所で雪に埋もれて暮らすとなると孤立して相当に厳しいとなる
日本はこうして山に閉ざされた村はであれ都としても奈良の都でも

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

山に囲まれた平地なのであそこは国のまほろばとなっている。
日本では平地が少ない。だからこそなかなか大きな都は生まれなかった。平城京は最初の大きな都である。その前進として藤原京があった。その前に飛鳥があったとしてもそこは平地が少なく山に山がちの所であった。だから人間だから日本人はその平地を求めた時山に囲まれた盆地が国のまほろばとなったのである。そういう地形が多いということである
だから日本の大きな都市は海に接していてそこが広い平地になっている大阪とか名古屋とか関東平野にある海を望む江戸が生まれたのである。

まず人間は地理を知らなければ基本的なことは理解できない。だから何かが起きるというときtake placeでありその場所を認識しなければならない。でも住んでいる場所が多様であり簡単に理解できないのである。福島県なら浜通りは阿武隈山脈で再られて中通の福島市とか郡山氏とかなかなかわかりにくいのである。さらに合図となると本当に2000m級の山がひしめき合ってわからなくなる。

つまり日本というのはこうして山が多くてその地理がわかりにくいということであるまず会津を知ることは容易ではない。山また山でありその栃木県とか群馬県とかまで山でつらなり覆われているのである。

会津なる舘岩村より栃木なる山の壁となる秋深まりぬ

だからどうしても栃木県とか群馬県というのは分かりにくいのである。ただ関東平野があるそこに江戸が日本の中心として生まれたということをその地理的条件から理解できる。ま名古屋でも濃尾平野があり海に面していてそこが信長の拠点であり天下布武の地だということもわかる。大阪も海に面して平地がありそこが大きな都として発展したことも地理から見れば分かるのである。
ともかく人間が大勢住むとしたらどうしても広い平地が必要になる。その広い平地に都市が生まれるのである。

●大陸は川が境となり国を分ける

とにかく人間の認識は基本的にその場所に地理によって形作られるそれが宿命的であり神の配材でありそこから国にしても形成された。大陸だと長大な川がありそれが国の社会となる。その地理というのは変えることもできない。だから今でもウクライナなとロシアの戦争でドニエプル川を挟んで攻防があったということである。またライン川も長大でありそこはローマ帝国が越えて進出できないゲルマン人が住んでいた地域になる
またスペインとフランスを分けるのはピレネー山脈なのである。つまり川と山脈は境界になるのである。平原地帯が続くところでは山がないから川が境界となるのである

そしてこの川は長大だから上と下を結ぶことになる。

川上とこの川下や月の友 芭蕉

川を通じて心も通じ合うということである。
川を通じて荷物を運べるから川は道となるのである。森林が覆っていたいた時でもそこは道がないとしても川が道となりうるからである。だからヨーロッパの都市は川が道となり結ばれてハンザ同盟とか生まれたのであるそれは大陸の川は穏やかな流れであれ運河のように見えるからである。それは中国でも同じなのである南船北馬とあるように南は揚子江とかあり船が運搬手段となるからである。

それでライン河が父なる河というときまさにその通リなのであり川というのはどれだけ深くアイデンティティ化していたかを知るべきである。日本の川は滝であるというときまさにものも運べないし道になりにくかったのである。四大文明はナイル川であれユーフラテス川でありインダス川であれ黄河であれ揚子江であれ長大な川があって文明の生まれたということでもわかるつまり日本人にとってこの長大な川のことが実感できないからまた世界を認識しにくいということである。

河あり、その流れはは神の都を喜ばしむ
至上の者住み給ふ聖所を喜ばしむ‐詩篇

エデンの園に四っつの河がながれだしていたというのもやはり川が文明の基となったからだろう。

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河の岸辺に街が生まれ
長大な川はその街と街を結ぶ
ハンザ同盟が商人により成る
ライン川は人と物を運ぶ
古城は行き交う船を見て歴史を語る
そこにそれぞれの王の物語がある
ポプラは真っ直ぐに伸び立ち
秋風が吹きそよぐ清涼な大気
旅人は一つの都市に寄り
また一つの都市に寄る
そこにドイツの古い歴史がある
その石の橋は古り城門は古りぬ
教会の鐘が鳴り石畳の道を歩む
その辻に十字架があり都市も古りぬ






2024年06月16日

イギリスに仕切られた中東の複雑な歴史 【アラブ人が黒人の奴隷を売買して白人女性が奴隷として売られていた】

イギリスに仕切られた中東の複雑な歴史

【アラブ人が黒人の奴隷を売買して白人女性が奴隷として売られていた】

このアラブ商人による奴隷貿易は凄まじく、7世紀〜20世紀初めまでの間に1000万から1800万人近くのアフリカ人がアラブ人商人によって奴隷にされ、紅海やインド洋、サハラ砂漠を越えて各地に運ばれたと言われています。

その後、アラブ人たちはナイル川を越えてエジプト周辺に侵略を開始すると、東洋西洋問わず様々な人種を奴隷として扱うようになります。

バルバリア海賊団らアラブ人に連行されたヨーロッパ奴隷は100万〜120万人近く存在したと言います。

白人奴隷とアラブ奴隷貿易 〜奴隷は黒人たちだけでなかった 【恐怖のバルバリア海賊団】

アラブ人は、本来はアラビア半島を原住地とするセム系民族でアラビア人ともいう。彼らは広大な砂漠地帯で、遊牧生活を送っていたので、ベドウィンとも言われる。いくつかの部族に分かれ、交易と略奪に従事し、それぞれの部族神を礼拝する多神教を信仰していた

エジプト民族の本来の母語はエジプト語である。エジプト語は古代エジプトのヒエログリフに遡る歴史の長い言語であり、現在でもコプト語として存続している。しかし現在エジプト人の中でエジプト語を使える人間は少なく、母語話者はナイル川デルタ南部の隔絶した村落に数えるほどしか残っていない。これは7世紀のイスラムのエジプト征服に由来する

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●エジプト文明を作った民族は残らずアラブ人が支配した

中東の歴史は聖書までさかのぼり複雑になる。例えばエジプト文明を作った人たちは誰なのかとなるとその子孫が残っているのかというとそれも定かではない。アラブ人は後から入ってきた人たちでありその人たちがエジプト文明を作った人たちとも違う。ただアラブ人がアブラハムが召使んの女性から産ませた子でありイシュマエルをがその祖先としている。
だから一面神から祝福されない子孫となっているのはアラブ人だとなる。ただ不思議なのさまざまな民族民族は中東には存在したでも今日まで残されているのはユダヤ人であり元はヘブライ人であった。そしてアラブ人はやはり今でも存在して国家を形成している。その大元はアブラハムでありだからこそイスラエルエルに共通の祖先としてアブラハムが祀られているのである。

確かなことはエジプト文明を作ったエジプト人というのはほとんど消えてしまっているのである。これも不思議なことである。あれだけの文明を築いたエジプト人が民族が消えてしまっているということの謎である。だからエジプト人というのは黒人であったという人もいる。もともとアフリカにいた人たちだったという人もいる学者もいる。ナイル川の下流でファルカーに乗せてくれた人はスーダン人であり黒人だった。エジプト人はそれだけアフリカと接しているからもともとアフリカから来た黒人だっともされるのは不自然ではないのである。
ヨーロッパではローマ帝国があった。それを築いたのは今のイタリア人だったことは明確にわかる。でもなぜエジプト文明を築いた民族は消失しているのだろうかとなる。

いずれにしろアラブ人は砂漠を渡り歩く遊牧民であれ強力な民族であった。遊牧民の性質として移動しているから商業民族ともなりまだモンゴルのように常にテントを張って移動しているから軍隊となり侵略するのに都合のいいようにできていたのでやる。
またなぜアラブ人が海賊となり黒人奴隷としてヨーロッパの方に売買していた。またアラブ人はヨーロッパ中を白人を奴隷にして売買していたのである。この奴隷にするということが遊牧民とか大陸では一つの習慣でもありそれが悪いものとは観ていない。だから遊牧民というの他の民族を攻撃して襲って奪ったとしても許されていたのである。
つまり遊牧民というのは常に移動するからそれ自体が軍隊となり攻撃的になる。だから中国でもモンゴルなどの遊牧民が食料を求めて襲ってきたから万里の長城を築いたのである

何か歴史でも個人でも常にカルマが関係してくる。もともと黒人を奴隷にしたアラブ人がいて今度はヨーロッパ人が白人が奴隷として売買されたということが信じられない。
でも時代が変わると今度は黒人を奴隷にしたのは白人であるヨーロッパ人である。そして今度はヨーロッパ人がアフリカに進出したときウガンダで植民地化するのだがそこにいくつかの部族があり一つつの部族に方味方して国を統一しようとした。その独立したときもともと争っていた内戦となり悲惨な結果になった

それは今のイスラエルでも起きたことなのである。もともとアラブ人が住んでいたところにイギリスの入ってきて植民地化して勝手に国境を作ったりイスラエルの領土もともとユダヤ人のものとしてあるから与えたとなる。それはイギリスによって勝手にそうさせたのでありそれでそれが災いの元ともなっている。
つまりヨーロッパの侵略があり勝手に国境が作られて中東は歪められたのである。だから今の争いの元を作ったのはイギリスでありヨーロッパでありそれは日本で起きたことなのである。

●なぜに日本はヨーロッパの植民地にならなかったのか?

でもなぜ戦国時代の時スペインとかポルトガルが日本に来たとしても征服されなかった。その原因は何なのかとなるとアフリカとか南米とかにトインビーのように西欧文明の挑戦するものがあっても応戦する文明文明文化がないから簡単に征服されてしまったといわれる。
つまりアフリカとかなると部族社会でありそこで国が一つにまとまって存在しない。それは日本の卑弥呼の時代のように100の国があったように一つの国としてまとまっていないのである。
そういう国は大きな国に侵略されやすいということである。

そして日本では部族社会から封建制度いと変化して進歩しているなぜヨーロッパには城が多いのか日本もまた城が多いのである。だから共通しているのである。封建制度が成立したのはヨーロッパと日本だけなのである。そのために日本は戦国時代でもスペインとかポルトガルに侵略されなかったとなる。もしアフリカのような部族社会であったら日本はヨーロッパに征服されて奴隷にされていたかもしれない。

ただ明治維新の時でも実際は外国勢力が入ってきて日本がニ分されてアフリカのように内戦になり多大な犠牲者が出たかもしれない。現実に薩摩長州が強かったのはイギリスなどは応援したからだとされている。そこで武器を与えて優位になり日本を統一したとなる。ただそこで会津が犠牲になったように日本はニ分されて内戦になるやはりアフリカのように悲惨なことになったかもしれない。

1500以上の民族集団があるといわれているアフリカ。
その広大な大陸をかつて欧米列強は自分たちの都合の良いように区分けしました。
すると必然的に一つの国に複数の民族が共存する状態が生まれます。アフリカがどこも多民族国家なのはこの理由です。

ともかくイギリス大英帝国のイギリスがアメリカの前には覇権国でありポンドは基軸通貨となっていたのである。七つの海を支配したのイギリスであった。。それはそれは今やイギリスは衰退国家斜陽国家となったのである。何か日本の鉄道をイギリスに作るとか中国が原子力発電を作るとか技術的にも逆の現象は起きている。ただイギリスは覇権国であり世界の王支配していたようことは依然として英語が世界の共通語になってもいるように継続したものは残っている

つまりこうした逆転現象は歴史の中で常に起きている。ヨーロッパの白人がイスラム系の人たちによって奴隷化されていたというのもそれである。
そしてその逆イスラムというのはヨーロッパ勢力によって国境もで決められ支配されたという歴史になる。だから人間には必ずカルマの法則が適用される。奴隷にしたものは今度は奴隷にされる。それは日本でも起きている。高度成長の時代とか円高の時は海外にみんな言って遊んでいたからである
そして今や日本の女性が風俗で外国に出稼ぎに行ってるというのもそうであるまた日本は安い安いと外国人が押し寄せているのもそうである
それは日本は日本人が外国でしてきたことだからである。そうそれもまたカルマだったとな相手にしたことをまた自分も受けるようになるのである

●大英帝国の没落−カルマとしての世界史

だからアメリカはいつまでも覇権国であり世界から富を収奪するようなことはできなくなる。常に覇権は富は移動しているからである。てはこれからどこが覇権国になるかとなると中国になるのかロシアになるのかインドになるのかそれは見えてこない
なぜなら中国ではもうもともと何千年の歴史があるとか覇権国にもなったことがありそれを新興国ではない。アメリカは広大な土地があり新興国でありフロンティアでありだからこそ覇権国になりえたのででは

今世界で覇権国になり得る国があるのかとなると中国が変わるというが中国自体は古い国でありそれが再び覇権国になるのかどうかわからない。要するに世界を見るときすでにフロンティアとなるべき土地も無くなっている。つまり世界は行きづまりになっている。それで宇宙にフロンティア求めるという時代になっている。地球というのはもはや限界にきている。これ以上人口を増やすことや自然を破壊したら人間は住めなくなるからである。

1941年12月に、日本は英領マラヤやシンガポールをはじめとする海峡植民地、香港などのアジアにおけるイギリスの植民地を攻撃し(マレー作戦、シンガポールの戦い、香港の戦い)、これらの地を独立させ大東亜共栄圏の確立を企図していた。日本軍は南洋での英米植民地を攻撃したことでイギリス帝国に端的かつ長期的な影響を与えることとなった

私の姉はシンガポールの向かいのジョホールバルの赤十字病院で看護師として4年働いた。ここで戦争の是非は別にして大英帝国が敗れることはその当時快挙だった。それは世界で衝撃になった
イギリスの兵士が捕虜にされて虐待されたと戦後も訴えたがそれより世界で植民地化して奴隷化したのがイギリスだったのである
だから虐待されるものは虐待されるカルマだったのである。

ともかく国と国との争いで正義など存在しな、力の強い者が支配するだけである。アメリカでも正義を実行するわけではない、力で支配する、または経済力で支配する。だからアメリカに逆らえば経済的制裁受ける。ただアメリカもいつまでも覇権国ではありえない、そのとやはりカルマとなりアメリカは下位の国に転落する。ただ今や次の覇権国はどこになるのか見えない閉塞状態になっている。

2024年03月16日

なぜ日本語は主語の次に目的語が来るのか 【英語も中国語も主語の後に動詞が来て目的語は後に来る】


なぜ日本語は主語の次に目的語が来るのか

【英語も中国語も主語の後に動詞が来て目的語は後に来る】

●言葉と風土の関係−平原、砂漠がないから語順も違っていた

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I catch a deer coming out of the forest.
私は森から出て来た鹿を捕まえる
I built in a house on the based stone
私は石の土台に家を建てる

英語だとまず鹿が出てくるそのあとに森を配置する
日本語だと主語の後に森が出てきて鹿はあとになる
つまり英語で強調されるのは最初に捕まえるという動詞でありその目的語は鹿になる。その後に背景に森があるとなる。
日本語だと主語があり次に森があり鹿は出てきて捕まえるという動詞になる。SVO−SOV【日本語】になる
私は森で鹿を捕まえるとなる。森が前景にあるから鹿より前に森を配置したのである。

ではなぜどうしてこういう語順にの違いができたのだろうか?
それはやはり風土の違いがあって言葉でも生まれた。なぜなら遊牧民とか狩猟民とかは常に動物を捕まえて食べるということを生活の基本にしている。
そしてその風土にしても平原とかなるとそこはただ平坦な地でありもしそこに動物が出てきたらその動物が最初に目に入る。そして主語があり捕まえるとなる。まずはその動物を寝て見て捕まえるということである

日本語の場合はなぜ森が主語の後に出てくるのか?
それは日本の風土と関係している。なぜなら日本の風土を見れば原始時代はほとんど森に覆われていた。大陸のような平年とか砂漠とか何もさいぎるものはない広い土地大である。そもそも英語にしろヨーロッパの言語にしろそれはインドヨーロッパ語族に属している。それは平原地帯から遊牧民から生まれているから共通の言語である。基本的な単語でも共通している
そこに文化の共通性がある。

風土から見れば日本では森に覆われて山が多い、するとその背景がまず目に入る。だから私は森からでてくる鹿を捕まえるとなり主語のあとに目的語の森が来て鹿を捕まえるは動詞は西後に来る
日本語の語順は森とか山におおわれているから平原とは違っているか特殊な語順になった。なぜなら中国もSVOの語順であり主語動詞目的語になったいる。つまり語順は印欧語と同じである。
その理由は中国というのは農業国家に見えるが遊牧民国家でもあり遊牧民の影響が大きい国なのである。

●風土知らないと文化も利かできないー西安の雨

それは西安の兵馬俑のように騎馬民族でもあり羊を草原に追う牧畜民族であり遊牧民族である。西安の位置を観ればわかる。そこは平原とか砂漠に通じている。つまり遊牧民地帯と一体の地域である。
だから世界史でも地理とか風土を観ないと理解できない、言葉でも風土と関係しているからだる。clearとかfineでもそうである。それは乾燥地帯の風土に影響された言葉である。乾燥地帯だから物でもクリアーに見える。でも日本だと湿潤な風土でありじめじめしているとなる。
それでしっとりとかしめやかにとかの言葉が生まれた

言葉と風土は結びついいている。ただヨーロッパは森で覆われていた。その様子はウクライナとかロシアの広大な森を見ればイメージできる。ドイツでも樅ノ木で黒い森を形成したからである
ただ遊牧民がヨーロッパに民族移動してきた。それで言葉も印欧語族に属している。モンゴルでもヨーロッパまで侵略できたのは
平原であり馬でもまと遊牧民だからテントを張り移動して暮らしているからそのまま移動すれば軍隊の移動にもなる。
なぜ外国になると文化でも理解しにくいのかそれは地理と風土とか理解できないからである。日本ではさえぎることのない砂漠とか平原を理解できないからである。
そもそも五月雨の降り残してや光堂という芭蕉の俳句にしてもその風土とか気候とか地理や歴史の背景を知らないと理解できないのである。梅雨の時期とか知らなければ理解できないのである。日本の四季を基にした季語を知らなければ俳句も理解できないからである。

送元二使安西 王維

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人

渭城の朝の雨が軽い砂埃を潤している
旅館の前の柳の葉色も雨に洗われて瑞々しい

中国は砂漠の影響を受ける、また黄土からの黄沙でも日本まで影響する。砂埃が砂塵に汚れる国なのである。それを私は西安に今の長安に旅してホテルに泊まり実感したからである。
雨はこの日本で感じる雨とは相当に違う。軽い砂埃を潤しているというときそれが気持ち良いものなのである。常に砂埃があれだからこそ雨が気持ちいいのである。だから同じ雨でも相当に感覚的には違っているのである。それは実感しない限りわからないのである。

つまり文化でもこうして風土とか地理を知らないと実感しないと理解できないのである。まず中国のような広大な地域を理解することは日本に住んでいてはできない、いくら地図をみてもわからないし旅してもわからないのである。だから何事人間は実感しないとわからないのである。それで50歳からバックパッカーで世界を旅したことは貴重だった、今になると体力もなくできなくったからである。

●アイヌ語について

言葉となると日本ではアイヌ語が問題になる。アイヌをインドヨーロッパ語族であり単数と複数で動詞が変化するということで間違いないだろう。そしてインドヨーロッパ語族が起源とするとき北海道に最初に来たのはヨーロッパ人だったらどうなる。その顔立ちも顔立ちも彫りが深くヨーロッパ系だと見ていた。
そのインドヨーロッパ語族とオーストロネシア語族が合体したのはアイヌである。そして縄文はオーストロネシア語族である。
つまり縄文人はオーストロネシア系であり津軽海峡を境としてかなり異なった人種っだったとなる。

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インドヨーロッパ語族・オーストロネシア語族クレオール言語 理論

この新説をここで発表している。インターネットはこいうことができる。学者並みのことが発表できる場なのである。
ただ縄文の歴史が一万年とか言うときでは北海道にアイヌが住み始めたのはいつなのかとなる。鎌倉時代の資料があるがその前に遡ることができるのか?
私は北海道には十回くらい行ったので興味がある。でも言葉となると詳しくなるのはめんどうである。ここで新発見というとき注目される。youtubeで説明しているからわかりやすいのである。

2024年03月12日

地理を知るには境界を知り文明を知る―地理から歴史を見る 【川が境界となった大陸ー地中海は古代から船の交通の道】

地理を知るには境界を知り文明を知る―地理から歴史を見る

【川が境界となった大陸ー地中海は古代から船の交通の道】

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聖なる水で一儲け?ガンジス川の水 ネット販売へ(16/06/02)

●川が境界となり道となっていた

地理をまず知るには自然的境界を知ることである。人間の生活するとき技術力がない時歩いて移動するほかない。それは日本でも江戸時代まで歩いて移動していた。その歩いて移動するという苦労とか感覚が実感的なくなった。するとその時代を生きた人たちのことも理解できなくなるのである。
例えば川があるとしたら川を渡るということは容易なことではない。そもそもだから橋を作るということはさらに難しいから川が境界と自ずとなる。そして日本だとなぜ川が元々側であり向こう側とか意識した。左沢【あてらさわ】というときあちら側であり向こう岸を意識して名づけられた。なかなか向かい側に行けないからそういう地名がついたとなる。
外国になると大陸では大きな川がありそもそも渡る自体簡単にできない、それで川はriverはライバルになった。敵対する者が川を挟んでライバル関係になる。それは古代だけではない、現在もロシアとウクライナがドニエプル川を挟んで攻防を繰り返している。

つまり地理自体は地形などは万年も変わらないからである。山にしても海にしてもやはりそれらは変わらないものとしてあるからである。
だから山にしても日本だと山が多いからその山が境界となりやすいのである。それで峠という字が日本で作り出された国字になっているのは理解できる。第一大陸のような平原とか砂漠とか見ればその境界がどこになるかとなればわからなくなる。だからこそ大陸には大きな川がありそれが境界となるのである。
それでライン川が境界となったのは象徴的である。そのライン川境界となり東側にはローマ帝国の入り込めない強力な民族であるゲルマン人が住んで独自の文化圏を作っていたからである。一方でフランスはラテン系に属してゲルマン人とは違った文化を持った国となっていた。その二つを分けたのはライン川があったからだともなる。おそらく四大文明が大きな川のそばから生まれたということも川の役割がそれだけ大きいためだった。

インドにしてもガンジス川が2500キロもあるからその長大さは日本ではイメージできないのである。ブッダガヤとかガンジス川のかなり上流地域で乾燥していたときその河を渡ったがそれが広いのである。向こう岸まで行くのに広いのである。その河が500キロも流れてゆくとしたらそれをイメージできないのである。
日本列島くらい長いからである。そういう川に水牛がいて子供が遊んでいる風景も雄大だとなる。このような雄大な景色が日本にはない、北海道が広いにしてもスケールが違うからである。このことから日本は外国のことが地理的に理解できないのである。
例えばエジプト文明にしてもそれがナイルの賜物と言う時ナイル川を知らなければ知りようがないのである。エジプトのピラミッドにしてもナイル川の岸から港がありそれがピラミッドに通じていた。

ということはナイル川が交通路となりその岸の港の延長に礼拝するピラミッドがあったとなる。だからピラミッドにしてもナイル川と意識して作られた。その岸辺にナイル川が氾濫し肥沃な泥が流れて麦の栽培とか作物ができた。そこに一面に麦畑がありそのために早い時期からエジプトではビールが作られていたのである。ビールを発明したのはエジプト人でありビールを盛んに飲んでるドイツとかヨーロッパではないその起源はエジプトにあった。何かナイル川を船で行きその麦畑から神殿がありそこにヒエログリフの文字が石に彫られていて月の光が射していたというのも神秘的だった

●地中海が交通路となる

地理から考えるとき疑問になったのはなぜイタリアからローマからヨーロッパを支配したローマ帝国が生まれたのか。それを地理的に見るとイタリア半島というのはギリシャと地中海を通じて結ばれている。それでギリシャ先進国でありヨーロッパ沿岸に植民都市を作っていった。ヨーロッパの地中海沿岸の投資は植民都市が多いからである。
それでナポリとかポンペイとかでももともとはネオポリスとかギリシャの植民都市であった。他にもフランスのニースとかでも同じでそのギリシャで文明が発達したというとき例えばピタゴラスが三平方の定理を発見したのは建築には欠かせないものとなってからである。
それで大工さんでもその人は学校では勉強が苦手でありでも階段を作るとき三平方の定理を使うから困ったということを言っていた。こうした建築技術などでもギリシャから伝わったのでありそのためにローマで建築技術が発達してコロセウムとかあれだけの豪華な建築物を作ることが出来たのである。
つまりローマ帝国でも先進国のギリシャがあってそれが発展する原動力となった。そもそも建築技術がなかったらローマ帝国は生まれなかったともなるからである。軍事力にしてもそれを支える建築技術があったから強かったとだ。

なぜなら橋を建築する技術があり川で遮られていても橋を頑丈な橋を作れば軍隊でも移動することができたからである。今でも自衛隊にしろ軍隊はそうした技術集団がいて即製的には橋や道でも作るということがある。この辺でも津波の被害にあったとき鉄の橋を自衛隊が簡単に作ったからである。だから軍事力というとき武器だけではない建築技術が必要になっていたのである。
その技術がギリシャからも伝わってローマ帝国が作られた。また土木技術として道を作ることに長けていたのでそれがローマ帝国を形成した原動力になった。すべての道はローマに通じるという時がそうである。そうした土木技術もなければローマ帝国は形成されなかったのである

それができたのはやはりギリシャの文明の取り入れた。それは地中海を渡りイタリアからギリシャ語で船で人でも物でも運ばれたということである。それは地理がそうさせたとな。地中海だと交通路になったからである。その役割が大きいものだったのである。川は運河のようになっていて物を運ぶにも楽になる

ともかく世界史を見るとき必ず先進国がある文明がありそれを取り入れる時発展する。それは日本でも海に遮られていたが中国の文明を取り入れて生まれて日本文明を作ってきたからである。
人間の最初の自然状態は移動することが困難であった。まず道がないからである。陸にしても森で覆われていて移動することが困難であった。だからこそ川が移動の手段になりその川によって四大文明が生まれたともなる。まだ日本でも大和政権ができたのは海を通じて日本武尊がみちのくにもきていてその神話が残っている。
つまり海は確かにこう交通路としては危険なのだがそれよりやはり原初の状態だと森に覆われて陸地は道がない。すると物を運ぶのでも人が通るのでも簡単にはできない。

日本武尊は上総【かみつふ】さより転じて、陸奥国みちのくにに入られた。そのとき、大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り、玉浦を横切って蝦夷えみしの支配地に入られた。蝦夷の首領島津神しまつかみ・国津神くにつかみたちが、竹水門たけのみなとに集まって防ごうとしていた

この竹水門【たけみなと】と推定する説がある。多珂神社とか高倉とかの地名が南相馬市原町区にあり多珂神社でも深く海が入り込んでいた時代は海が近かったからである。竹は当て字でありタカともなるからである。
ともかく船だと古代は道になりやすい陸は山が多くうっそうとした森に覆われて道もないから通行しにくいからであある。だから地中海は早くから海の道となりギリシャがその沿岸に植民都市を点々と築いたのである。

だからこの辺でもなぜ陸地の方に塩崎に船着という地名があるのか。それはそこまで海の入り込んでいて船でものを運んだ。そこは湾のようになっていたから運ぶのには楽だった。それは別に短い距離なのだがでも森におおわれている。運ぶとなると道もないのだから返って簡単には運べない。それで南相馬市の原町区の新田川を通じて泉官衙跡があるがそこが運河を作って物を運んでたというのもそうである。それはかなり短い距離なのである。でもなぜそうなったかといえばその辺は湿地帯であり船で運ぶ方が楽だったからである。だからそんな短い距離でも運河を作り船で運んだのである。現実に津浪で塩崎の船着きあたりまで海になったからである。

●気候による境界

低山の照葉樹林帯と、亜高山の針葉樹林帯の間にはブナ林が成立する。

低山の照葉樹林帯となるのは温帯地域だからである。針葉樹林帯は寒帯でありその中間にブナの木があるのは気候の影響である。
北海道の黒松内とかまでブナの木がみられそこが北限である。
ただ黒松内という時松になっているが松はあまり気候とは関係しない。北海道にもトド松とか太い松がある.これは気候と関係していない。それは寒帯でも見られるのである。
この辺は南相馬市は車輪倍が南限の地として有名である。奄美大島に自生していてその種が海を通じて流れついて自生した。それで南相馬市鹿島区海老村が南限の地となっていた。この辺で海岸に自生して庭にも車輪倍を植えている

また【陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを】の歌は気候の境界として歌われた。それは車輪梅でも根付いて自生しないからである。そらは気候と関係している。浜通りのこの地域までが照葉樹林帯であり境界だったのである。原町区にスダシイ神社があるのもそうである。スダシイは南国の木であり沖縄だと山原【やんばる】の森に自生している。この境界を知るというとき植生の境界も知るべきなのである。

北海道の平地になぜ高山植物の花が咲いているのか?それは高山植物は高い寒い場所に咲いて北海道は寒いから咲いているのである。ハクサンチドリが宗谷岬に行くところでさいていたのもそうである。ハクサンチドリは高山に咲く花だからである。高山植物が低地に咲いているのは気候の影響で咲いているのである。動植物の分布でもそうした境界がありブラキストン線とかは有名である。それは津軽海峡を挟んで植生とか動物でもその種類が変わってくるからである

照葉樹林帯に共通の植生があり特徴がある。磐城の方の波立海岸にはツワブキの花が咲いていた。これも南国性である。庭で見ていたが自生したものを見ると感動する。紫色のノボタンがカンボジアのアンコールワットの近くの道に咲いていた。今いろいろ観賞用に花を見るが自生している花こそ本当にその土地にあって咲き美しいとなる。またいわきあたりは黒潮と親潮の境目とかにもなっている。千葉県の方から来た人は熱帯魚を探しに来たというときやはり黒潮に乗ってきて小さいけれども熱帯魚見られるとなった。太古の海になるとフタバスズキリュウとかサンゴの化石でも川の上流から発見されたとなるから熱帯の海だったのである。

気候の境界
地形の境界【川、山、森など】
政治的境界

注意しなければならないのはこの三つがあったとして政治的境界または行政的境界というのが別である。それは気候とも地形とも関係しないからである。アフリカとか中東でまっすぐに線の引かれたところはヨーロッパ列強は勝手に国境を作ってしまったところであり自然境界ではない。人工的に政治的に行政的に作られたものである。この辺では伊達政宗の影響で伊達藩が強力でありと新地とかは伊達藩の領域になっていた。それは自然境界とは関係なく政治的境界なのである。でも境界は自然的境界を基本にしているのである。

【写真】山脈、大河、湖……世界の17の自然的国境









2024年02月27日

空間軸と時間軸と理解する世界 【時間軸が地質時代から始まるから理解しにくい】


空間軸と時間軸と理解する世界

【時間軸が地質時代から始まるから理解しにくい】


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●福島県の地理―ハマナカアイズで一体感がない

人間は空間軸と時間軸の中に生きている。必ず人はどこかの場所に生まれそこで育ち育つ。そこに長く住んでいればその住んでいる地点から世界を見る。それは狭い範囲でもそうである。福島県の浜通りでも海に面しているが山々も山川がありその住む場所によって見方が違ってくるのである。

それがさらに空間を広げると福島県の地理を知ろうとしたら東京から仙台まで通じる中通りではなく浜通りから会津の方まで行くとその地理が地勢がわかる。でも大概は遠くからになるとそういう旅をしないで東京からだったら中通りを通り仙台方面へ行くとなる。そうしたら福島県の地理はわからないのである。つまり福島県の地理はハマナカアイズなるが浜通りから中通りを横断して会津に行かなければわからないのである。

そしてなぜ福島県が地理的一体感を感じないのは阿武隈山脈に遮られて中通りの吾妻連峰とか磐梯山は全く見えないからである。不思議なのは蔵王は明らかに南相馬市から鹿島区からはっきりと見えるのである。するとむしろ山形県が近く感じて地理的一体感も感じるとまでなる。それから山に登ると牡鹿半島は意外と大きく近く見えるのである。だから浜通りになると宮城県の方が身近になる。

●ライン川がヨーロッパを二分した地殻変動で生まれた

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それは外国でも同じである。ライン川ができたのは大陸は押し上げられてスイスの高山地帯ができて地溝帯ができてそこがライン川になったのである。つまりライン川とはすでにそうした地殻変動でヨーロッパ大陸二つに割るようなものとして生まれたのである。
だから空間軸で見ればヨーロッパ大陸はライン川を挟んで二つに分かれた。その境界を作ったのは自然の作用でありそれが歴史でも作ったとなる。なぜならライン川を挟んで民族も違って発展した。東側にドイツ民族ゲルマン民族が住んでそこはローマ帝国でも侵略的なかったからである。

逆にゲルマン民族がローマ帝国内に侵入して一時的にゲルマン民族にローマの中心部がに入り占拠したことがあったからである。そして文化的にもゴシックという様式がローマ帝国内にはいゴシック建築は交流したのである。それはフランスでも同じでありフランスにもゴシック建築がありゲルマン風のゴシック建築や芸術が普及したのでだからヨーロッパの歴史を見る場合ライン川というのは実は重要な役割を担ったのである。

そしてヨーロッパの地理と歴史を見るとピレネー山脈がありそれに遮られてスペインはまた異質な国として形成されたのである。そしてドイツのケルンの大聖堂から塔に登った時それがオランダからイギリスまで見張らせる感覚であった。
ライン川オランダに流れ海に出るからである。だから実際はゲルマン民族のドイツが中心になっていた。イギリスは辺境だったのである。英語の基はドイツ語でありアングロサクソンが基になったのである。それでカトリックという時それはラテン系であり地中海沿岸とフランスとかがそのラテン系になり言葉もそうである。
でもカトリックからカトリックに反抗してルターの宗教改革でプロテスタントが生まれた。つまりこれも地理的にライン川を挟んでその地理が影響したのである。

地球の歴史とか壮大なドラマはまず神がその地理を作りそれが舞台となりそこに人間の時間軸の歴史が形成されたのである。だから空間軸と時間軸で世界を見る。ただそこで問題なのは空間軸だと太古からの変わらないものがある。時間軸で形成されたものは地質時代からありそれだけ遡るとなるとなかなか理解できないので。
でもその地質形成の時間軸の歴史を見ればライン川を作ったのはまさにその地殻変動で地溝ができてヨーロッパ大陸がまさに二つに分かれたようになりそれが人間の歴史を形成したとなる。だから空間軸があり時間軸がありそれが一体となり地歴が見る必要がある。

●時間軸で形成されたものはわかりにくい

でも時間軸空間軸だとそれが何億年とか前になり理解しにくくなる。第一その地層から地質から時間軸で見るのは容易ではないからである。まずこの世界を理解するには空間軸で見る。それで何か事件が起きるとtake placeでありその場所は最初に問題になるのである。それは場所は一応理解するからである。でも時間軸になるその場所の歴史を理解することは地質時代までさかのぼり簡単にはできないのである。
それは日本に住んでいても東京の江戸時代のことを理解することは日本人ですらもはや理解不可能になっているからである。まして外国になったらさらに理解することは難しくなる。

とにかくなぜ世界の歴史でも今起きていることで分かりにくいのかというときそもそも空間軸の地理でも分かりにくいしまたさらに時間軸になるとわかりにくくなる。でも地理から見るのは人間の歴史が始まってからそれほど変わらないからわかりやすいのである。
例えばロシアとウクライナの戦争でもドニエプル川を挟んで攻防があった。やはり依然として陸上戦になると川が障害となり争いとなっていたのである。それは古代からそうであり川が障害となりそこは境界となったのである。だかriverはライバルになったのである。

最近テレビで見たのだが地中海を巡って攻防があり地中海がイスラム世界に支配された時ヨーロッパはイスラム世界に対して閉ざされた世界となりそれが中世となって閉鎖された歴史が長く続いたとされた長く続いたという。地中海がやはり大きな役割を担った。ヨーロッパの歴史はイスラム圏との攻防でありそれを見ないとわからない。イスラム圏の方は文明的にヨーロッパより優れていたからである。だからイスラムが遅れたように見えるがヨーロッパの方が遅れていたのであ。そのイスラムのことは何か文明的ではない野蛮なものとしても見るようになったのである。

特にイスラムの過激派のテロなどがありそう見るようになった。でも実際は歴史的にはイスラム圏の方が先進国であった。それが誤解しやすいのである。それは十字軍がイスラム世界と対立して戦ったが何か十字軍とはかえって野蛮なものでもあった。その時はその時代はイスラム世界の方は先進国でもあった。また地理的にはイスラム圏が仲介となりアジアと結ばれたともなる。

●相馬地域でも時間軸の歴史が津波のことが忘れられていた

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いずれにしろ地理を理解するとき地質時代から始めればならない。それは時間軸の歴史でありそこにさらに人間の営みの歴史が形成されたからである。そうなるとこの世界を理解することがいかに難しいかである。特に空間軸としての地理を知ることは今も現実に変わらずあるのだからなんとか理解できる。

でも時間軸となると今はそこで営まれた人間の歴史でもわからなくなるのである。それで相馬地域でも400年前の慶長時代に確かに津波が来ていた。それは相馬藩政記に生波【いくなみー津波】で700人溺死したと二行だけ記されているていたのである。それがどれほど貴重なものだったか記録だったか実際に今回の津波で知るしめられたのである。それは学者さえ知らなかったのである。今回の津波が来て調べた結果判明したのである。

だから災害が忘れた頃にやって来るというときまさに400年過ぎたらそのことが全く地元でも忘れられていたのである。そのように時間軸ので起きた起きる歴史は忘れられやすい。人間の存在自体死んでしまえばすでに死んだ時点で普通の人は全く忘れられる。そんな人のいたなかとまでなる。ただ何か記録していればその記録をたどるたどり過去のことが分かる。たった二行だけ記されたことで過去にここに大津波が来ていたのでだがそれを見逃していたのである。そしてかつて海だったところは海になったことにも驚いた。

この辺では八沢浦は江戸時代は浦であり田畑はなかった。それから烏崎から塩崎の方までは元々そこは海である船が通っていた。それで塩崎には実際に船着という地名は残っている。その近くまで津波で海になったということは本当に驚いた。そこで判明したのそこは低い土地だったということである。だから時間軸で見る時地質時代からの歴史を見ることが見なければならないのである。つまり歴史とは地質時代から始まるのでありその上に人間の営みが始まったのである。

その船着でもそうだが大内村でもそこに曽我船と言う地名が残っていてそれは船が遡ってきてそれを見ていてその名がついた。つまり大内村は船の通り場所だったのである。そこはまた古代の800年頃の坂上田村麻呂を祭った御堂があり古い場所だったのである。ただ船といっても今の火力発電所のある一帯が鉄の生産をしていてそれを運んだのが船が通っていてた。塩崎まで海となっていたところだったのである

例えば阿武隈山脈ができたのは日本列島が海の中に形成されはじめたときすでに作られていた。だから阿武隈山脈高原というのは地層的に相当に古いのである。それで地盤が安定しているから核廃棄物を貯蔵するには向いているともされたのである。
つまり核廃棄物は一番が安定してあまり地震の起きないところが良いからである。地盤が安定しているのがいいからである。
でも日本では地震が多いからなかなかそういう場所が見つからないのである。だからこの地理を見る場合時間軸で見て見ることが不可欠なのである。能登半島でも海が隆起して陸になったという驚きがあった。それも自然の営みである地球は変化するのである。特に日本は火山列島でもあり依然として地下のマグマが活動していて噴火もするし新しい島も海にに作られたりするから変動しやすいのである。









2024年01月27日

地理はまず自然的境界を知る 【日本の境界と川が境界のヨーロッパとか大陸ー地歴を知る】


地理はまず自然的境界を知る

【日本の境界と川が境界のヨーロッパとか大陸ー地歴を知る】

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関ケ原は風とかの影響でも雪が積もりやすい場所だった

●関ケ原が東西の戦いの場となったのか?

境界という時最初に自然的境界を見ることである。なぜ関ヶ原天下分け目の戦いの地になったのか。それは関ヶ原が東と西を分ける境目になっていたからである。関ヶ原は天気の解説でも風がそこに吹いてそこはちょうど吹き溜まりのようになっていた。だからそこは雪がかなり積もるところなのである。
それで私は何回も電車で関ヶ原を通るので経験している。そこはいつも春でも雪が残っていたのである。でもその関ヶ原を琵琶湖のある近江に入るとそこにそこは春めいた穏やかなものを感じた。それが印象的だったのである。平野が広がり田んぼには蓮華咲いて近江富士(二上山)見えた。何か春の山が見えて関ヶ原を境にして西になりそこは春だったとなる。
また琵琶湖の西の高島町ににいた時関が原のところから秋の朝日が昇ってきた。それも何か不思議だった。東というとき東(あずま)なのだから当然東から太陽が昇ってくるからそうなる。

そして私がその朝日を見た高島は西でありその西の方に太陽は沈ものである。だからそのそこに太陽が沈むのを観ていないが太陽は昇る方向と沈む方向は知るべきだとなる。
山に囲まれていると山から日が昇り沈むから山に沈むから常に海に面している太平洋に面して海から太陽が昇るのを見ているのと感覚的に相当に違ったものになる。

ともかく地理を知る時境界を知ることが大事である。地理を知るにはまず自然的境界を知ることである。現在では交通が発達して境界が感じにくくなっている。電車で行けばそこに峠を越える感覚がなくなる。すると境界もわからなくなるのである。それでトンネルを長いトンネルを抜けると雪国だったとなるそれはトンネルが境界となっているだったからである。宮城県から仙台市から山形へ行くとき面白山がありそのトンネルは長いからそれを感じたのである春でも雪は残っているからである。

●日が昇る国の天子(てんし)から日が沈む国の天子にの意味

だから旅するときはどの方向から太陽が昇る登り沈むのか注意して見る必要はある。それで地理の感覚をつかむのである。それでアメリカに行ったときカリフォルニアの海岸に太平洋に日が沈んでゆく光景はこれも不思議だった。太平洋というと常にそこから日が昇るものだと認識していたからであるそれでの中国に渡った遣隋使の日昇る国から日の没する来たという挨拶をしたのは別に中国を蔑視しているからではない。それは地理の基本的な感覚でありそれを正直に言っただけなのである。

607年、聖徳太子は中国を統一した隋に、小野妹子を使者とする遣隋使を送りました。
ところが隋の皇帝・煬帝(ようだい)は、妹子から渡された外交文書を読んで激怒します。
そこには「日が昇る国の天子(てんし)から日が沈む国の天子に文書を送ります」と書いてあったからです。

これはただ方向を言ったものであり中国を貶めることでもなかった。太陽が昇る方向と沈む方向が地理の基本にあるのでそう言っただけである。
ただ自然的境界といってもなかなかわかりにくいものがある。わかりやすいのは関ヶ原とか山形県と宮城県の境である。なぜなら面白山トンネルを抜けると山寺に出て山形県に入るからである。その時もやはり山形県だと春でも必ず山は雪になっている。山形県は雪深いところだからそうなっている。それはまさに自然的境界が分かりやすいということである。宮城県とかは海側に接していればほとんど雪も降らないからである。

ただ自然的境界にしても現代ではわかりにくくなっている。それはまた電車で行くと峠などを超えるということもないからそうなる。福島県の浜通りでも私の住んでいる相馬地域でも飯館村になると標高が高く自転車で行けばかなりの坂を登り続けなければならない。だからそこで境を意識するのである。それで山の多い日本は峠が多いから峠という国字なのである。
もう一つ境と言う時岩手県の境には区界(くさかい)がある。そこも標高が高く雪が溶けず雪が厚く積もっていた。だから岩手県でもそこが境界となり地理を知る目安となる。

●外国ではヨーロッパでは川が境界となる―ライン川を知る

外国だと境界となるのは川である。外国の川は長大ありその川を境にして別の国にもなる。ドイツの父なる川はライン川でありそれはローマ帝国が侵略できなゲルマン人の住む地域との境になっていた。その川を挟んで民族も言葉も文化も気候違ったものになっていたのである。なぜフランスとドイツは違った国になっているのだろうか。それはラインのを挟んで気候も違っていて歴史も文化も違ったものになったのである。

もう一つはフランスは地中海に接しているということでドイツとは違ったものになった。確かにランドパワーであっても地中海に面しているということで梅にも開けた国となっていたからである。マルセイユはギリシャの植民都市から始まっているからである。ドイツはライン川の河口自体がオランダになっている。直接海に通じていないのである。

大西洋に向かう西側の地域では都市の繁栄を土台にして国家が形成されたのに対し,内陸に向かう東側では都市の発達が弱かったにもかかわらず強力な国家が形成された.そこでは,国家形成の
ライン川流域における近代国家の成立ための資源が,一方の貨幣を媒体とする活動か,あるいは他方の農作物ないし賦役のいずれから主として調達されたか,という違いがあった.また,この中央の都市のベルトに沿って南に下れば,ローマ教会がカトリックが普遍世界の中心として影響力を保ち続けたのに対し,北方では宗教改革以降に置かれた国境界が,ラテン語に代わり各地に土着する方言を媒体として国民のアイデンティティを培養していった

ライン川流域における近代国家の成立
平 島 健 

ルターの宗教改革がカトリックを批判してしたそれはラテン語で書かれた聖書を読んでいたがドイツ語に翻訳してしたことでドイツの国民にドイツ語で読まれるようにしてキリスト教を広めた。そしてカトリックに反対するプロテスタントが生まれたのである。

ルターは新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳した。彼が聖書を翻訳した目的は、民衆の聖書や信仰への理解を深めるため。ラテン語・ギリシャ語などで書かれた聖書は聖職者や一部の学者しか読むことができなかったからだ。1522年に初出版したルター訳の聖書は、近代ドイツ語の統一に影響を与えた。

●テムズ川の岸のベンチに座って思ったこと

大陸では川が長大であり運河のようになり交通路になり船が行き来する。結構大きな船でも行き来する。だから船の技術が発達したともなる。それは地中海でもそこで航海するから船の技術が発達した。それが後に大西洋に出てアメリカを発見したりアジアまで大航海時代を築いた元になったのである。やはりそうなったのは地中海がありそこで船の技術が発達してやがて大西洋を越えてアメリカを発見したとかになった。だから地理というのはいかに歴史とも深く関係して地歴となったのである。

また川というのは大陸の場合イギリスでもテムズ川があり長大なのである。その河口も広く船が停泊している。河口が港にもなっている。それでテムズ川の岸辺のベンチに座ったとき何とも言えぬ感慨を覚えたのである。そのベンチも古く歴史を感じたのである。とにかくヨーロッパだと中東でも紀元前からの歴史があり必ずベンチ一つでも歴史を感じるのである。大英帝国の船がこのテムズ川の河口から出て行ったということで日本の川とは相当に違ったものを感じたのである。
ヨーロッパでも川は長大でありその河口も大きいのである。それでセーヌ川でもその川をのぼってバイキングが攻めてきたというときその川は大きな船でも昇ることができたということである。
オスマン帝国でもドナウ河に合わせて細い船を作り攻め上ったのである。

遠い昔、北方のヴァイキングは、海からセーヌを遡ってルーアンを、そしてパリをも征服しようとしたほどですし、ルーアンのセーヌ沿いの港は今でも物流の要であり、海洋大型船もこのルーアンまでは川を上って来られるのです。

夏のセーヌ川に舞う帆:フランス・ルーアン「アルマダ」紀行

エスチュアリーは比較的水深が深いため船が入り江の奥まで進むことができ、ヒトや物の移動が楽に行えます。

イギリスのテムズ川はエスチュアリーを形成し、ロンドンと言う大都市を後背地に持つと言うことができます。後背地と言うのは経済活動が港と密接な関係がある地域の事です。ロンドンはテムズ川によって発展した都市ということになります。

エスチュアリーの特徴:大都市が形成されやすい

ここにテムズ川が川の形成のされた経過は海面が上昇したとかで他の扇状地形とは違った成り立ちがあり河口が広いとなる。
それで私はテムズ川の川河畔のベンチに坐っていた座った時何とも言えぬ感慨を覚えたのである

春寒しベンチの古りて泊まる船
春寒し石に紋章夕日さす

そのとき春であったがイギリスは寒い。それはパリでも寒かった。そこで冷たい石に何か歴史を感じたのである。ヨーロッパはどこでも歴史が古く歴史を感じるのである








2023年10月15日

茶道がなぜ日本から生まれたのか 【日本の日常生活から生まれたわびさびの世界―大陸ではgrandなものが好まれた】


茶道がなぜ日本から生まれたのか

【日本の日常生活から生まれたわびさびの世界―大陸ではgrandなものが好まれた】

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●薄茶と濃茶の違いって?

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密室に濃茶を飲みつ交わりぬ紅葉の色の赤さを増しぬ

お濃茶のお茶碗は、楽焼の楽茶碗のように柄が入っていない格式の高いお茶碗が使用されています。

一般的によく設けられているお茶席は大体がお薄なので、茶道を習っていない方は馴染みのある方がお薄だと思います

茶事では、招かれた客は座敷の寄付き(控えの間)で
身支度を整えて他の客が集まるのを待ちます。
客が揃うと、茶室の庭(露地)にある待合で待機します。

茶事では、招かれた客は座敷の寄付き(控えの間)で身支度を整えて他の客が集まるのを待ちます。

茶道というとき客をもてなすことから始まった。茶というとき別にお茶は食事の後に飲んでいた。何かご飯を食べた後に茶碗でお茶を飲む。だからその茶碗を特別のものとして作って飲んだのはお茶の始まりともなる。なぜ茶の湯のの茶碗が大きいかとなればやはりご飯を食べる茶碗が大きいからである。

だから風流にしても文化にしてもそれは日常の生活から生まれたのである。そもそも俳句でも基本は日本の四季という自然があり農業はあって俳句も生まれたのである。
だからカルチャーとはcultivate【耕す】ことにから始まっていたのである。アグリカルチャーのアグリとは土でありカルチャーは文化であるから農業そのものが文化だったのである。

●外国ではGRANDが好まれた

雄大な、壮大な、盛大な、豪奢な、華やかな、威厳のある、堂々とした、偉い、遠大な、崇高な

この言葉が好まれるのは外国の建築でもなんでも豪勢なものが多い。それはやはり大陸では王様がいてそこに富が集中する。だから中国のように始皇帝とか地下まで大宮殿を造りそこでなお生きようとしたのである。またヴェルサイユ宮殿など見ればわかるように贅を尽くしたものとなる。ただその対象として宮殿内に農家を作り豪華なものと対象的に質素なものを作った。それが日本のわびさびの世界となる
なにかベルサイユ宮殿を見ていると疲れるからである。
つまりそうした豪華なベルサイユ宮殿とは日本の文化は正反対である。その原因はまた日本自体がそうしたい大陸とは違って贅沢のできない王様でも富が集まらないためにそうにもなった。

日本はそもそもそうして質素な生活をしていた。またそれはそうならざるを得なかった事情がある。今でも庶民の家は狭いからである。つまりそもそもは日本人は茶室のような狭いところで住んでいたともなる。江戸時代の長屋などがそうである。また現在でも外国から見ると日本の家はうさぎ小屋だと言われるのもそうである。土地も狭いし豊かになれないからそうなったのである。でもそのために逆に質素な茶室を作るそれが一つの日本的文化となったのである。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。  栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

これにも通じているのが茶道でもある。そして人の出会いを演出する場を作ったのは茶室である。待合というのがありそこで茶室に入り出会う人出会う人とを待つ待っている。直接会うのではなこで待つということで何か出会いを演出する
●待合があり待つ時間が人間的時間を作る

奇妙ではあるがなぜ鉄道の駅というのに惹かれるのか。それはそこで待つ時間があるためなのである。そこで電車がくるのを待っている。親しい人が来るの期待をして待っている
その待つ時間が人間的時間になっていたのである。また別れる時もそうである。駅では別れを惜しむ時間になって時間を持つことになったのであるなっていたのである
意外と現代ではそうした待つ時間とかは無駄なとして価値無いものとして見られる。でも待つ時間が人間的な時間になっていたのである
だから待合というのがあるのはそこに人間的時間を作り出したとなる。
とにかく現代は効率的とか無駄をしないことが第一になる。そこで待つ時間というのは無駄な時間になってしまうのである。
茶の湯とはそもそも忙しい日々の生活から離れて人が出会い親交を深める。それは日々の日常の生活から遊離した場所だとなる。

面白いのは薄茶と濃茶があり薄茶は普通に飲むものだけどこちらは濃厚なものでありそれはまた密室の中で濃厚に人が交わるともなる。そこで使う茶碗も特別なものとなっていたのである。
いずれにしろやはり茶道は日本の文化であり知る必要がある。ただ現代でわは何か茶道というと日常生活から離れて特別なものとなった。第一本格的な茶道の世界となれば面倒になる。
そういう暇を持ってる人は少なくなった。私自身もそんな茶の湯をを楽しむという暇はない。今や家事に追われているからそんな面倒臭いことをできないのであ。何かまどろっこしくなっているのである。そんな手間暇をかけてそこに時間を費やすということがそういう時間の余裕が現代にはなくなったのである。

そのことはまさに現代の余裕のない生活となってしまっていることは確かである。日々時間に追われて待つ時間がない。
それは鉄道の駅でもそういうことが言える。もうそこで十分でも待つことは長く感じられるからである。それで高速道路のSAでは待つ時間がないのである。食事でもしてトイレでも用を足せば去るだけだとなってしまうのである。だから鉄道の駅で待つということはそこに人間的なものは生まれていたのである。

だからこそ車社会になったとき社会そのものが人間そのものはどれだけ変わってしまったかそれをこれまでも書いてきた。車には何かまず待つ時間とかない。ただ目的地にまっしぐらに行くだけである。途中は省かれるのである。旅は道連れ世は情けはなくなったのである。だから人間そのものが殺伐となってしまったのである。それは世界的に共通していることであり大都市ではどこでもビルが建ちと高層ビルが建ち似たような風景になっているのである。だから大都市には文化は無いのである。文化とはその土地土地を耕すということからきているのだからその土地土地の風土とか土から離れたら文化もないのである。

●現代社会では茶の湯を楽しむ時間の余裕がない―車社会の影響

だから現代では1000万の大都会とかあっても文化は生まれないのである。それは世界的に共通した現象なのである。それがもし車が走らないとこがあったらまるで江戸時代に戻ったのような不思議な感覚になる。それをこの辺でわ原発避難区域になった小高などで感じたのである。車がほとんど通らないからである。
でもそれが逆に街自体が寂れた間ものとなってしまったのである。でも今の車社会が日常的になったとき車が通らないということは逆にその社会までがまるで違ったものになる。
だからどっちにしろ車というのはどれだけ人間社会を変えたか分かるのである。そこにはプラス面もありでも必ずマイナス面もある。でもこれだけの車社会になったときそのマイナス面を感じるようになった人もあり見直すべきだとなるのである。

とにかく戦前でもさらに江戸時代でも時間の感覚が違ってくる。江戸時代のように寺の金が時報になっていればそれは自然のリズムに近いから時間の進むのが遅いのである。今のように1分刻みで時間は計られない。だから今感じている時間と当時の時間の感覚は相当に違っている。そして今のようにめまぐるしく車が行き来したり何か追われる感じはしない。時間はゆっくりと過ぎていたのである。時間を感じる時環境によって相当に違ってくる。だから車が通るのと通らないのでは時間が時間の感覚が違ってくるのである。
もし車が通らなければ時間はゆっくりとすぎて時間の感覚が違ってくる。だから時間の感覚というのは時計では測れない。その環境とか時代の影響を受けて時間の感覚というのは違ってくるのである

2023年09月10日

日本語の謎ーわかる分け合う分かち合うの意味 (日本に小国の地名が多いのはなぜか)


日本語の謎ーわかる分け合う分かち合うの意味

(日本に小国の地名が多いのはなぜか)

●日本語はなぜ孤立語なのか

日本人の起源をいろいろ言われるが一番の謎は日本語なのである。日本語はどこの言葉とも共通性がない孤立語なのである。だからそもそも日本語というのは縄文時代からのものもあり古い起源のものでありそれがどこの国とも共通性がないということは日本語こそが日本人の独自性を語るものともなる。
なぜなら言語からその人種の国の起源を明らかにすれば印欧語とかはアーリア人の言葉であり共通しているからである。英語は明らかにドイツ語を起源にしている。だから習得しやすいのである。でも日本語はアジアでも共通性がないのである。
ただ漢字とかは中国から入って来たものでありその前に日本語があった。文字がなかったとしても日本語があった。つまり文字は文明が起きたところに必ずある。文で明らかにするということでそれが文明にもなっているからである。だから文字がないところは文明なのかとなる。ただマヤとか文明には文字はなかったが文字に類するものはあった。だからそこも文明があったとなる。

いずれにしろ日本は日本の文明は歴史は海に囲まれて大陸から切り離されて独自の世界を作ったということである。でもイギリスも島国であるがドーバー海峡は比較的大陸に近い。泳いで渡ったりした人もいた。今になると海底トンネルもできている。だからヨーロッパ大陸と海で隔てられても一つのように繋がっている。そしてヨーロッパの王様でもイギリスの王女と結婚したりしている。日本の天皇は韓半島であれ中国であれそこから女性を結婚させるということがなかった。

●韓国語と共通性がない日本語

そして言葉にしても韓半島の言葉との共通性がない。確かにオモニとなると母だから韓国と共通性がある。でもそれはほんの一部であり発音でもなんでも違っているのでは。だから韓国と共通性が言葉の面でもないのである。だから一体日本語というのはどこを起源しているのかわからない。それはその言葉が古く海に閉ざされた中で独自に発展したのかとなる。でもその手がかりとして日本語の意味を解読することになる。

ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命はオモチチがため

このオモが韓国語のオモニと共通性がある。ただ韓半島でも南と北では相当に違っている。日本に影響したのは伽耶国があった南である。
オモから主なものとか面になり重いとなり共通性がある

●分ける分かち合うわかるの語源

例えば分けるということがある。分かつとなり分かち合うとなる。わかるということは分かち合うことでありそれで互いの人が理解し合い結びあうということにもなる。恵みというのもめぐるであり恵みはめぐるのである。
例えばインドネシアの方で鯨を捕る海の民がいてその鯨を山の民に持って行ってわかちあいお互いに結びあうということがあった。それがもともと商業の始まりであり山の幸と海の幸を互いに分かち合うということで一体化したのである。
それが儀礼となり祭りともなったのである。だから商売とは先に人間が友好を示す贈り物から始まったという説がある。
今のように利益だけを求めることではなかった
言葉はそもそも孤立してありいない、人間が共同するために生まれた。英語でも前に接頭語にcoとつけば共同することだからである。

そもそも縄文時代とかは狩猟採集であり生活している範囲が狭いから互いに獲ったものでも分かち合うことでわかり合うことだった。それは稲作社会でも弥生時代になっても生活する範囲が狭いので共に働き分かちあい暮らすほかないからそこに村の共同性が生まれたのである。
このように一つの言葉をとってその意味を読み解くとやはりそこに当時の暮らしがあってその言葉が生まれている。言葉もやはりその暮らした環境とかその風土とかと切り離してはありえない。だからその取れたものでも獲物でもともに分け合いわかちあい分かり合うということが生まれたのである。
逆に世界が拡大して行くと確かに外国から地球の裏側からも物が入ってくる。それは悪いこととは言えない。でもそこに共同性が生まれるからとなると生まれない。何か分かち合うという感覚もないからである。金があってただ買うという感覚しかない。そこで協同性は生まれにくく何か関係が悪くなると争いになり戦争になるのである。

さあ獲物がとれた
鹿が猪が取れた
魚がとれた
みんなで分かち合い食べよう
平等に分かち合い食べよう
ここに平和がある
人々は分かちあい分かりあう
そこがそれぞれの国となる

●小国という地名が多いのはなぜか

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なぜ日本に小国という地名が多いのか。それはやはりせまい地域で自給自足してわかちあい分け合い割合生きて生活していたかもだからだろう。

隠口の長谷小国に夜延ひせす吾が天皇よ・・・

この万葉集の歌でも隠口(こもりく)というとき入野でもそうだが山間の分け入る奥に長谷がありそこに小国がある。

とにかくなぜ日本に小国という言葉地名が多いのだろうか。それはやはり狭い地域が一つの国と待っていたからだろう。そのせまい地域で他とあまり交流がなく地球自足的生活をしていたからだろう。この辺でも霊山を越えたところに福島市の方に行くところに小国がとありそこのバス停で降りたことがあった。

バス降りて小国やあわれすみれかな

こんな風にもなる。やはり旅する時でもその地理でも地名というものからイメージするとわかりやすくなるのである。

雪閉ざすトンネルぬけて小国かな

青森県の黒石市から温川温泉(ぬるかわ)の宿に泊まった。トンネルをぬけて小国があった。それは相当に山の奥である。まさにこうして雪に閉ざされたところにも小国がある。隔絶した地域にも小国がある。
そこにどういう暮らしがあったのかやはり交通がなければ狭い地域で閉ざされて自給自足するほかなかったのである。

●グローバル経済では分かち合う分かり合う世界にならない

ただグローバル世界になるととてもそんな感覚は消失した。分かち合うというより奪いあうとなるそれは力づくでも奪い合う戦争となったのである。
なぜなら大航海時代というのがありそれで世界にヨーロッパが進出した時それは奪うということである支配するということでもある。世界中は植民地化されアフリカでは奴隷として売られたからである。
だからグローバル化というのは戦争の時代でもあった。それは基本的に他国を支配し奪うということがあったからである。確かに貿易はないものを補う会うということが基本にある。

でもその反面どうしても奪うということがあり支配するものと支配される。だから縄文時代が理想化すればそうゆう奪い合いというのが少ないから平和であったと理想化されるのである。そもそも縄文時代が1万年も続いたというのはやはり狭い世界でも争いがなかったからだともなる。その平和な時代に育まれたのが日本語かもしれない。だから日本語の意味を解読して行くとそこにその生活が反映されているから分け合うとか分かち合うとか分かり合うとかど言葉がそういう生活から生まれたということにもなる。

●印欧語にはもともと秋がなかった

ただ別に日本語だけでなく外国語でもやはり言葉の基になる生活があり例えばドイツ語に秋という言葉がないのは狩猟民族だからとしている。農耕民族だったら秋は収穫の季節であり秋がないということはありえないからである。狩猟民族だったら別にそういうのは関係ないのかもしれない。ただ主語が先にあり次に動詞があるのはやはり狩猟民族系統でありその生活が反映されてそういう文法になったともなる。
なぜなら常に主語があり動詞があるということは獲物を捕らえることが生活の基本としてあったからである。I catch a deerとなればそうである。どちらかというと言葉は狩猟民族由来のが多いことはは確かである。ただ日本は狩猟民族系統の言葉でもない。だから日本語自体がその起源が分かりにくいのである

1. Farmers usually harvest wheat in the summer.(農家は通常、夏に小麦を収穫する。)

(冬と春と夏は理解されていて、彼らはそれらの名称を持っている。秋の名称は、その実りと同様知られていない。)

ゲルマン語の四季の名称(文:下嵜正利)

harvestとはもともと収穫するであり秋という意味はなかった。なぜなら夏に小麦を収穫するとなれば秋ではないからである。ただドイツでは秋が短くすぐ冬に入るからだともしている。でもドイツに秋に行ったらやはり秋があり晩秋だった。そのとき赤いバラが散っていてなんとも言えない赤味を帯びていて心に沁みた

ドイツなれ色合い深く秋薔薇

別にドイツにも秋はありでもすぐに冬になる秋だとなる。国によって季節は違っている。最近日本でも暑くて秋がなくなったとかなるからである。





2023年06月04日

現代文明はもはや一個の人間が認識する範囲を越えている (狭い範囲で自然の中で認識しアイデンティティ化することが文化をうむ)


現代文明はもはや一個の人間が認識する範囲を越えている

(狭い範囲で自然の中で認識しアイデンティティ化することが文化をうむ)

●テレビでは世界を認識できない

現代の問題とは何か。それは人間の認識の限界を超えて世界が拡大したことである。人間の認識は肌感覚で知る世界である。
人間形成にしてもとても現代のような世界では広すぎて世界を認識できない。人間は今や無数の部品とかしてそこにつながりを見出せない。グローバル化したからといって人間の認識が拡大して進化したとも言えない。肌感覚で知りえたものではないからそこに錯覚が生じているのである。

それでイラク戦争の時油まみれの海鳥がテレビい映されたその周りは別に油がで汚されていたわけでなかったのである。
その海鳥だけを取り出して作られた映像でありそれで世界中の人がイラクはフセインはひどいやつだとされたのである。それはアメリカの一方的な横暴だったのである。
つまりテレビと言う小さな箱からの映像では本当のこと真実は映し出されないし知り得ないのである。それで映像によるやらせがテレビを通じて行われてきたのである。
だからマスコミをとうして世界を見る日本でもそこで本当の真実を認識できるかとなればできないのである。

●人間の認識する範囲は狭い

そもそも人間の認識は限られたものでありそこに必ず人間の認識を超えたものがあり問題が起きる。 孫悟空のように地球の果てまで言ったと思ったらそこはお釈迦様の手のひらのうちだったのである。つまり人間は地球とか宇宙とかとても肌感覚で認識できない。その広さとか認識できない。

世界のことでも地理でもあまりにも広大で理解できない。日本では砂漠もないし草原もないするとそもそもがとても大陸を理解できないとなるのである。
そこにどうしても肌感覚で理解できないものがあり誤解が生まれるのである。世界地図をいくら見ても世界がわかることなどありえないのである。

人間は認識できる世界は実は狭い。そのその範囲は私の住んでいる相馬藩くらいなのかもしれない。でもそこにも海があり山があり全体を把握することは認識することは難しいのである。それで福島県となるとその地理を認識することが難しい。なぜなら浜通りだと阿武隈高原み遮られて中通りとか会津の方は全く高い山でも見えないからである

地理の一体感は常に見えることによって認識する。
常に見えなければそれを認識することは難しいのである。
福島県は広いからそれで一体感を感じないのである。
むしろ山からでも牡鹿半島が身近に大きく見えたことに驚いた。
すると宮城県の方が地理的一体感があり身近なものとしてある
交通でも仙台市が鉄道で通じているから宮城県の方が生活でも関わりが深くなっている。

●なぜに日本では小国という地名が多いのか

とにかく人間の認識は日々の生活で見える範囲が認識する
見えなければその存在すらなく一体感もないのである。
日本は山が多いから山に遮られて分断されている。
だから地理的には日本は統一することが難しいようにも見えた。
外国だと大陸だと広大な土地があり山もない平原が森林でも続く。そういう世界では大帝国が生まれやすい。遮る物は無いから平面を平原を遊牧民が移動すればそれによって既にジンギスカンのような大帝国はおのずと生まれたのである。

日本の場合なぜ無数に小国という地名が多いのか。それは山に遮られて人間の行き来が少なく小さな世界に閉ざされて自給自足していたからだともなる。だからその小さな国が一つの独立した国のようになっていて小国という地名が多いと思うなる。
とにかく人間の認識には限界がある。アメリカのグランドキャニオンやモンゴルの遮ることのない広大な平原は砂漠など日本ではとても肌感覚で実感できない世界なのである。

ただ人間はその精神を育むとしたら基本的にはやはり小さな世界でも村のような社会でも何かそこに共同性がありアイデンティティ化するものがありそこで認識を深め社会でも世界を知るということになる。
基本的にそういう場がない時人間はアイデンティティ化できず不安定なものになる。それで現代文明はグローバル化しても世界を認識できたとはならなかったのである。
むしろ人間はもともとは狭い範囲で認識して外界でも自然でも社会でも一体化していた。それができなくなったとき人間の精神でも心でも分裂状態になってしまったのである。なぜなら東京のようなところでどうしてそこで世界を認識し一体化できるのか。その東京を見れば何か既に核分裂状態にあるのではないかとぴカートが言ったがそれも説明しなくても東京のような大都会を見れば一目瞭然だとなる。

●言葉で表現できな世界の異常性

そこではもう言葉も通じない。言葉でそもそも表現できないので摩天楼のようなビルを見上げて人間は粒のようになってただその巨大なものを見上げている蟻のようになっているのである。
そこに人間がどのように繋がっているかもわからない。核分裂状態になっているから核兵器も生まれたと言っても言っているのも分かる。
つまりもう人間の認識を遥かに超えた社会になっていて精神がそこで作用することができなくなっている。
それはすでに言葉で表現できないということで分かるのである。何かすでに言葉で表現できないものが無制限に拡張して隙間もなく埋め尽くされている。そこはカオスとなりその大都会時代がすでに核分裂状態にある。
だからその異常なカオスから分裂状態からヒットラーがナチスがまだオームのようなカルト教団や団地から生まれた選挙宗教となった創価などが生まれた。それは現代文明の病理的現象として生まれたものであれ本来の宗教とは何の関係もないのである。
でも怖いのはその病理的現象が大衆ファシズムとなりナチスとなってゆく怖さがある。だから今や人間は人間として存在しえない。そのために天才とか特別優れた人間はアウトサイダーとなり文明を拒否するようになったのである。

●動物とも一体化したアイデンティティ化したエジプト文明

文明というときエジプト文明だとあらゆる動物が神聖化して人間と一体化した。それはアニミズムになるがそれでもなぜそうなったかというと動物が自然の中で生きている姿を見てそれが神のように見えたのである。鳥でも牛でも神格化されたのは自然の中でそれを常に見ていた結果自然に調和しているから神格化されたのである。
それは確かにアニミズムなのだが偶像崇拝にもなるが現代人ではそういうことはありえないということ自体また人間がいかに自然から遊離したものになったかであるお示しているのである。

大都会に居ればまずそうして自然の中に調和している動物であれ植物であれ見ることがないからである。そして機械化してロボットを作り自然に生きる動物は駆逐されたのである。
動物が生きているということはやはり自然があるからであり日本に熊がなお生きているということは山に熊を生かす自然がなおあるということである。だから動物が絶滅することは自然も消えてしまうということにもなる。
だから依然として日本に山に熊が生息していることは自然がまだ残っているからだともなる。ヨーロッパあたりでは熊がいたとしても居なくなったからである。それだけ自然が破壊されたことをそれは物語っているのである

●教育する場の共同体の喪失

そしてなぜ今現代文明の中で人間形成することが難しいのか。
それはそういう場が消失したからである。学校があるとしてもそこは何か人間を教育するというよりは膨大な知識をつめこめさせて競争させて選別する。そこには何か人間を作るとかはない。
ただ膨大な知識を詰め込む場所でありそれもそこで何か連関的に知識を習得する場ではない。それがないのはそもそもは教育の基盤である村のような共同社会がなくなったからである。
子供はそうした狭い世界で世界を認識し育つからである。その狭い世界でもグローバル化したり広域化したりすると相互のつながりを認識できなくなる。そこでどうしても分裂状態になるのである。

それでなぜ江戸時代に明治維新でも多くの偉人を産んだのかというとそれはそれぞれの地域の藩内で藩校とかで教育されたからかもしれない。それは狭い範囲でも具体的にその土地とかその人間とか社会とか歴史でも共同性があり認識されていた。おのずとその社会自体が教育の場であり誰か立派な先生がいなくても教育されていたと思う
そういう場が明治以降はなくなり学校中心の教育になり人間形成がうまくできなくなったともなる。ただ明治以降でもやはり農業中心の世界だから地方でも田舎でも江戸時代からの連続性があり共同性があり人間はそういう場があり教育されていたともなる。

ただ戦争の時は村の中心の神社は戦争の勝利を祈るものとなった。テレビドラマでで八幡神社の誓いで8人くらいの同士となり特攻隊になったのである。
だから太平洋戦争でも村々の小さな神社がもともと共同隊として継続していたからそうなったともなる。
ただそれは国家によって悪しく利用されたのである。もともとは村々の神社は五穀豊穣を祈るものでありそういう戦争のために祈る場所でわなかったからである。
ただ神社とはやはり日本の共同社会のなかから生まれたものであった。それは農業社会だからありえたのである。今大都会で小さないやしろなどがあっても存在感が亡くなったのは農業社会でわなくなったからである

●拡張、拡散。拡大の世界の終焉ーclose,deep,rootがキーワードに
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今必要なのはグローバル化のように拡張拡大拡散することではない。そこで確かに外国の物産は入ってきても物と心は分離している。貿易は必要でもそれで人間は一体化して協力するとはならないのである。
むしろ物と物だけの関係だったら何かあれば対立して戦争にもなるのである。人間の認識できる範囲はまた相互に繋がれる範囲は狭いのである。認識できる範囲が人間には限界があるからである。人間の正常な精神の育成できるのは狭い場所でなのである。
そこで精神のアイデンティティ化できて自然と調和した精神が育成されるのである。そこでは物と心も一体となるのであるもちろん貿易は必要である。でも今のようなグローバル化経済は金融経済などは人間の精神からはかけ離れたものとなりもう制御もできない頃突然天災のように恐慌になっ崩壊するクラッシュするのである

そもそもグローバル化したからといって人間が教育され育成されることはなかった。むしろ逆に狭い範囲でこそ人間は正常に認識して人間も形成され精神も形成されたのである。
いくらグローバル化したとしても物質的には交流しても人間の精神は認識は限界があり形成されない。
だからこれからの世界は逆に江戸時代とか中世の閉ざされた世界へ回帰する伴う。文化にしてもフレンツェルのような5万くらいの都市でもあれだけの芸術と文化創造はあった。そこにはそれだけのものを作り出す基盤があったとなる。
でもグローバル化したからといってそうした文化は生まれていないのである。返って食べ物でも飲み物でもコカコーラとかマグドナルドとかその国独自の料理が生まれなかったのである。ただ寿司などは世界的になり日本の文化が広まった永遠なる。
とにかくこれからの世界は拡大拡張拡散することではない

キーワードとしてはclose.deep.rootになる

close identified place
deep identified place
steady rooted place

こういう志向になる。精神の充実が形成が優先される世界になる。これは木のようそれぞれの土地に根を張る植物的志向だとなる。
大航海時代から世界は拡張拡散拡大になったがそれも限界にきてもう投資でも開拓する場所もなくなったのである。これ以上増産拡張拡大していけば世界の自然環境も破壊されるからである。
それは世界の人も気づき始めたのである。それで持続可能社会(SDGs)を志向するようになったのである。

2023年04月05日

庭作りから自然を農業を知る (農業社会から工業社会の変化)


庭作りから自然を農業を知る

(農業社会から工業社会の変化)

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庭に咲き続けている牡丹が散る

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●庭作りは野菜作りと共通している

庭作りは素人でも結構関われるものかもしれない。
そのの人なりのイメージで庭を設計して花の木や花々植える。でもそこで問題なのは花を植えても必ずしも咲かないことである。それで3500円のボタンを覚えて咲かなかったので損した。
その原因は何か分からない。他でもやはり植えても咲かないとゆうことがある。私の庭は狭い。その一角は比較的広いのでそこに花木を植えた。でもその庭は前は小屋が建っていてその小屋を壊して庭にした。
だから土は良くないのである。そこで肥料を鶏糞をまいたのである。花を育てることは野菜を育てることと似ている。花でもいろいろな条件で花輪が咲く。
日ざしを日の当たりがいい場所とか日陰がいいとか乾燥したところが良いとか水はけが良いところが良いとかいろいろな条件がありそれに適した花が咲く
それは何か野菜の特産物があるがそれはその土地の条件がありそれにマッチして生まれたのである。そこにはいいろいろな条件がありそれはその土地でしか育ちえようがないものがある。

●花を育てるのも風土に影響される農業と同じ

それは果物でもそうである。葡萄ですらいろいろな気候の条件によって独特の葡萄が作られワインが作られていた。
そしてワインの名でもその土地の名がつけられったのである
何か前に川でも湖でもその光の反射が影響しているとかもテレビで見たことがある。風でも光でもその土地の影響を受ける。
その場所場所によって条件が異なりその果実も違ったものとなる。それは例えば工業製品とは違ったものなのである。
米でも水の影響があり私の住んでいる場所では山の方が水がきれいでありその水の影響を受けてその土地の米はうまいとなり買っていたのである。

今はさまざまな種類の米が売られている。その味の違うのはその土地の条件が違ってブランドの米が生まれてその米は価格的にも高く売れるとなったのである。
それは酒の味でも同じなのである。米野種類がいろいろあり米から酒を作るからそうなるのである。
だから農業はその土地土地によって土地の条件によって適したものと適さないものがありそのその条件に見合ったものが実りとなる、味もその土地によって違ったものになるのである

●工業化社会は風土を無視するから危険があった

工業製品だったら部品でも画一的で規格化されて同じものにされる。それで工業化社会というのは同じものを大量生産するということにもなる。そののために工業社会に適応させるために学校が作られたとも言われる。
同じものを規格化して大量に大量生産に適した人として部品化して作られる。そこで個性とかは無視されるのである。
なぜなら規格品を大量生産することが現代工業社会の目的となったからである。
そもそも人間の個性を言う前にその土地土地の個性があり風土がありその風土によって人間も作られる。

でも工業社会になり大量生産になると土地土地の条件がなどは無視される。つまり工業社会とは風土を無視したものなのである
それが極端なものとして原発などもそうである。それはその土地土地の条件などと関係ない技術である。それでその土地土地のこと風土とかを無視したからこそ大事故になったのである。それは津波でもそうである。もともと津波がくる場所だったのである。それは歴史を見れば分かっていたことである。三陸沿岸などは明治時代にも1万人も津波で死ぬ大災害があったのである。
だからこそ女川の原発ではその経験から副社長の人が5m高くして原発を作った。そのことでギリギリで原発のお破壊からまねがれたのである。それもギリギリであり非常に危険だったのである。

自然の歴史は地史となり億年とかのスパンで見ないとわからないのである。
そのために相馬地域では相馬藩政記で記録されていた700人が溺死したという記録が二行だけ残っていたのである。
しかしそれも津波があってから初めて発見されたのである。
それはたった二行でありでもその記録は本当に貴重なものだったのである。そのためにこの辺で津波は来ないという確信にもなっていたのである確信にもなっていたのである。

●20年以上咲きつづける庭の牡丹の不思議

一人の間の生きる時間はきわめて短い。でもこの地球の宇宙の時間はとてつもなく長いのである。だから一人の人間の力ではとても知り得ないものがいくらでもある。謎がいくらでもある。
それが農作物や花にもある。なぜ私の庭の牡丹が20年なのか30年なのか毎年肥料も水もたいしてやらないのに咲き続けているのか不思議である。。もう咲かないと思ったら今年も蕾が二つ出ているのである。
牡丹は水はけが良いところに乾燥したところに咲くのであり確かにそこは日当たりがよく乾燥していたのである。ただそれにしても肥料もやらずに水もたいしてやらずに20年30年と咲き続くものなのか不可解だとなる。
だから身近なところでも常にこうして謎がある。

科学であらゆる謎が解明されたようでもされていないのである。
もし私が理系で科学に詳しかったら多少は分かったかもしれない。でも科学ですべてがわかるということは無い。依然として自然でも宇宙でも解明されないことが無数にある。ただもしこのこの牡丹が咲き続けた土を分析すれば分かるのかもしれない。
とにかく私が興味を持ったものは地理と風土である。
それは私が旅をしたことによりそれは仕事のようになり地理と風土に興味をもったのである。
だから文化とはカルチャーでありそれがcultivateであり耕すから生まれた言葉である。その土地を耕すことが文化に通じていったのである。その土地土地の条件によって違った作物が作られまた芸術でも想像されてきたのである。

●農業社会から工業社会の変化

ただ人間には一方で工業化するということは大量規格品を作るということは必要でもあった。それが現代でわ余りにも大規模化して人間的なものが失われたのである。
それまでは工業化といっても規模が小さい。だから小さな小規模な農村社会でも鍛冶屋がいて農民のためにいろいろな種類の道具を作っていた。それで稲荷神社はあるとしたらそのいなりとは鉄のことであり鉄の道具を崇めていたともなるのである。
今なら電気であり電気社会でありそれが原発は電気をつくるのだから原発が神のようにも崇めていたともなる。。
それは農業社会でも鉄を作り鉄の道具を作りそれを崇められたとも似ている。でもそれはまず農業社会があり農業社会はどうしてもその自然と密接に結びついているから自然を破壊するということは無いのである。

もちろん農業でも自然破壊であった。なぜなら焼畑とは森の木を燃やしてその肥料としたからである。
農業にとって肥料はその基礎となるものであり肥料に苦労してきた歴史でもあったからである。それで花にしてもやはりその土とか自然条件とか肥料でも必要なのである
つまり庭に花を花の木を植えるにしてもそれは農業と似ていたのである。だから庭作りは野菜作りとも似ているのである。
ただ庭作りは何か芸術的要素がある。それで庭作りには興味がある。でも私の庭は狭すぎるから実際は庭作りにしてもかなり限られているものがある
でも自然に興味を持ち花に興味を持ち持つならば庭作りは適している。それでこれは老人にも向いているのである。
なぜならもうやはり75歳くらいになるとどうしても足腰が弱り自転車でも遠くに行くと疲れるようになったからである。
するとどうしても家に居ることが多く家中心の生活になってしまうからである。
それで地震とかで家が歪んだり壊れたりして直すのに金がかかったのである。家も50年過ぎて老いたので必ず家もリフォームが必要になっていたのである

2023年01月16日

文明と交通の発達は不可分に結びついている (現代文明は運送社会ーでもコロナウィルスとかで歯止がかかった)


文明と交通の発達は不可分に結びついている

(現代文明は運送社会ーでもコロナウィルスとかで歯止がかかった

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運送費用が大きい


●文明と交通

文明と交通は深い関係がある、なぜなら四大文明が起きた所は大河がある所だったからである、エジプト文明はナイル川がありインダス文明はインダス川がありメソポタミア文明はユーフラテス川がありと黄河文明は黄河がありまた揚子江がありと文明が起きた
なぜ川が文明を作ったのか、エジプトだと定期的に洪水がありその洪水が肥沃な大地を作った、川が養分をもたらして肥料となっていたのである
川にはそういう効果もあったが交通の道としてあり川は物資を運ぶもの人を運ぶものとして結びつけることで文明を作った、つまり商業が発達したのである
ともかく大陸の川は長大であり運河のようになっていて船の航行に向いていたのである
日本の川は滝だと外国人が言ったが大陸の川と比べるとそうなる、とても船が運行するには向いていないのである
それでも川がやはり原始時代には道になる、なぜなら森は道になりにくい、川ならなんとかたどっていけば上流へ行けるからである
ヨ−ロッパでも川が運河のようになっていてそれで川を通じてハンザ同盟とかができた
それは商人が国家を越えた同盟を結んだのである
つまりこの川を理解しないと外国の地理でも歴史でも理解できないのである

とにかく文明と交通は深く関係している、だから文明の一つの見方としていかに交通が発達したかを見ればわかる、草原地帯だと馬が交通の手段となりモンゴル帝国が生まれた
遊牧民は移動する民だから自ずとそうなった、馬が強力な武器となったのである
馬は日本の侍でも馬を持つ侍が偉いとなる、そのために馬を飼う専用の人を雇っていた
戦争でも馬を持っているものと馬を持たないものでは大きな差があるためである
相馬野馬追いがあるがこれも相馬氏が馬を操作することにたけていたのでこの地域の支配者になったのである、それが今でも継続されて祭りとして残されたのである
馬は強力な道具であり武器にもなった、今なら車と同じである、現代では車をもたないものは下等民ともなる、車も持たない運転できないのかとなれば劣った人間にみられる
車がない自転車に乗っているだけで怪しい奴だと警察に職務質問すらされる
そういうふうに馬を持っているもの馬に乗れる者と馬を持っていないものの差があった

文明を見る一視点として交通から見ることは欠かせない、日本でも汽笛一声新橋を・・
と蒸気機関車が横浜で通じたことで文明開化になったことでもわかる
その時日本国家は関所もなくなり統一国家として目覚めたとなる
それまで関所があり藩ごとに閉ざされた世界で生きていたからである
だから交通の発達が社会を変えたのである、そもそも江戸時代の不思議はなぜ駕籠のようなもので人を運んでいたのか?それが理解できないのである
そんな時代から蒸気機関車になったのだから驚きだとなる、船の運航は別に北前船などでもあった、でも陸路は歩くとかであり相当に遅れていたのである
戦前でも戦後まもなくでも交通は不便だった、鉄道は発達していても馬車とかリヤカーとかが運ぶ手段だった、それで鹿島の横手の梨農家の人が相馬市に前の中村市に梨を運び売っていたという、これも相馬市となると15キロあるから大変な労力である
でも梨でも数が多ければそうするほかなかったとなる
今ならいくらでも車で運ばれるからその差も大きいのである

●グロ−バル化広域化は運送社会になったため

社会が世界が広域化グロ−バル化したのも交通の発達があったからである
なぜなら大航海時代は船であり船だと軽く一か月とかヨ−ロッパに行くにしてもアメリカに行くにしてもかかった、でも船でもやはり世界を結びつけたのである
その当時は飛行機はない、今度は飛行機が世界を結びつけてグロ−バル化したのである
だから交通の発達がいかに世界を変えたかである、文明と交通は密接に関係している
現代文明とは運送社会でもある、田舎でも運送にたずさわる人が多い、トラック運転手が多い、でも最近トラック運転手の成りてがなくて困っているという、仕事が過酷でも給料が高くないということでまた高齢化もしていて若い人でも成り手がないとなっている
とにかくアマゾンでも成り立つの運送社会だからである、車社会だから運送できるから成り立っているのである

電熱ベストを買ったが二千円で安いし悪いものではなかった
それが二週間以上かかったのは中国で作ったものを運んだからである
その運ぶ過程がアマゾンに表示されていた、時間がかかったのは日本まで運ぶのに途中関税を払うと手間がかかっためである、これも輸送社会になっていることがわかる
また知っている人はトラック運転をしていて人の倍を運んでそれでもうけて二十代で立派な家と庭を作った、今は85歳とかなっている、それから私の兄はトラック運転手になり高速道路で41歳で事故で死んだのである、それだけ運送にかかわる人が多いということである

でもこの輸送社会がコロナウィルスとかで一時中断した、観光のインパウンドも喪失したこれらのことは何か時代の変化をもたらすものだったのだろうか、つまり運送社会というのに歯止めがかけられた、広域化グロ−バル化社会に歯止めがかけられた
現代の経済は運送することでも成り立っている
だからのそのコストは必ず運送費が運送する労力がかかっている、それがコストになる
第一リヤカーで15キロも隣の市まで運んでいたならその分をもらうとなるのは当然である、運送の労力があり運送社会が成り立っているのである
また運送するには危険が常にある、それでオランダでは船で外国と貿易するとき船が嵐などで沈没するとかのリスクがあり安全のために株式会社として投資させた
もし安全に航行すれば投資した人達は大きな利益を得たのである、また船には保険もかけられたとなる

グロ−バル化社会になったのも今度は飛行機が生れたからである、この変化も大きかった船で一か月かかったのと比べるば格段の違いだからである、8時間で行けるとなったからグロ−バル化が進展したのである、でも逆にウィルスでもたちまちこれだけグロ−バル化して人間が移動する時代に裏目に出たのである、世界に一気に拡散したのである
そのことも一つの時代の変化となってゆくのかもしれない、グロ−バル化に歯止がかかったのかもしれない、運送社会とは運送のコストがかかりまた外国とか外部からの輸入に頼っていたら肝心の国内であれ地域であれ成り立たなくなる
それが日本がの貧困化の原因にもなっている,電器製品が売れていたときは良かったが売れなくなり日本は貧困化しているからである、円安になり輸入するものが高くなっているからである

●グロ−バル社会運送社会の負の面が増大した

とにかく何か時代の変化が起きている、グロ−バル化の負の面が増大したのである
グロ−バル化とは何でもいいものではない、なぜ世界大戦が二度もあったのか?
これも世界がグロ−バル化して対立が激化したためである
ただ貿易で互いに豊かになればいいが実際は対立が激化する、そのことで外国人を入れることはこれも国内で対立が激化するから反対する人もいるしヨ−ロッパは移民を受け入れてそうなったとしているからだ
ただ何事必ずいい面と悪い面がでてくる、その悪い面が顕著になったのである
現代では近くが遠くなり遠くが近くなっている時代である、だから田舎でも一体何をしているのか仕事しているのかわからないのである、隣同士でも疎遠になっているのである
これも介護とかなると困るのである、介護は意外は隣の市とかでも8キロくらいしか離れていなくてもいちいち来るのが手間なのである、車があってもそうなのである
介護とかは近間だとすぐ行けるからやりやすいのである、現実に百メートルも離れていないのに病気になって歩けなくなった人は行けなくなったとかある

その人は車を持っていても運転できなくなっている、それで自転車に乗るかなどと言っていた、そこに毎日のように行っていた女性は脳梗塞になり歩いて百メートルもないのに行けなくなったのである
何か百メートルでも二百メートルでも遠いとなってしまったのである
それは私自身も感じた、例えば歩くとなるとスーパーまで二百メートルくらいしかないのに歩いて行くとなると遠く感じる、買い物で毎日行くとなると相当な手間になる
だから戦後まもなくは車で普及しないときは近所に店があり用をたしていた
私の家は角にあり店を始めて繁盛した、それは近所の人が買い物したからである
その時はみんな歩いて買い物していたし歩く範囲が生活の範囲だったのである
でも今は本当に歩かないと思う、私自身これだけ旅しても歩いた旅をしていない、自転車の旅はしても歩く旅はしていないのである

だから歩くことは本当に特別の経験ともなってしまったのである、歩いて感じる感覚が消失したのである、これも奇妙だといえばそうである
その時何を失ったかというと人間の感性が消失したということである
だから歩いて感じて作った俳句でも短歌でも他でも理解でなくなったともなる
歩いて感じることと自転車の乗って感じることと電車に乗って感じることと車に乗って感じることとみんな違っているからである、歩いて感じるものがなくなったということはかえって人間的なものを喪失したのである
それから鉄道だと必ず駅で待つ時間がありそれが人間的でありそこで感じるものが違っていた、でも高速とかのSAで待つ時間などないのである、用をたしたらすぐに車に乗って出て行くだけである、だから鉄道の駅とSAは相当に違っている