2009年01月17日

郷土史は土の上に成る、農業が基である(陸田と水田)

●水田と陸田

農家出身でないし農業のことわからないから余り発言できないけど文化の側面からしたら郷土史と農業は一体である。土地と一体化して郷土が形成されている。郷土とは土の上に成り立つものであり故郷とは故ある場所となるがこの故とは歴史が形成された様々な因縁がある。郷土が土からなっているのだから土から離れてはありえない、文化もそもそも耕す-cultureだから土から生まれのが文化だった。土から離れて文化はありえない、ワインにも土地の名がついたのはその土地で培われプランドが長い間の蓄積で作られた。グロ-バル化した時も地方のワインも危機になったというのがわかる。郷土史とはそもそも地に根ざしたものである。だから農業とは一番結びつくのである。でも耕すとは畑を耕すものだとばかり思っていた。田かえす・・・が元になっていて田をかえす-田を耕すことだった。畑を耕すことでないことは意外だった。畑という字も火に田であり田から連想されている。水田と陸田とういのもあり陸田というのは畑のことであった。


穀物では稗は畑と並んで水田でも盛んに栽培され、特に稲の栽培に適さない冷水しか供給されない水田では重要な作物であった。また、蓮、慈姑、田芋といった栄養生殖によって増殖される芋類、根菜類も重要な水田作物であり、・・・・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/


水田というと稲だけを栽培するものとみるが違っていた。しかし焼畑は原始的農耕としてあったがのちに稲作りが主要となり田から農耕を考えるようになったから畑を陸田などと言うようになったのだ。日本の文化は古来や山にあった縄文的文化は稲作が全国に広がるとともに失われた。それで遠野物語が弥生文化とは違う山民の文化が残っている伝承として柳田国男が知らしめたのである。そもそも岩手県辺りでは寒いから稲作に向いていない、それで北上山地の閉伊郡では一揆が起きている。青森県でも江戸時代まで稲作をしていない、畑作中心だった。稲作は必ずしも全部に向いたものではなかった。特に寒いところには向いていなかったのである。相馬では急速に陸田から水田に移った、水田をふやしたとあるから稲作にはまだ向いていた方だったのだろう。岩手県辺りからそんなに簡単に稲作に移行できなかったのである。

●農業の多様性

人ですら同じ環境、同じ時間、同じ勉強をさせても結果が違う。
生物は種の個体差、環境=地域差、天候の違いがある。

輪作できない作物の場合は、また他の種の転作用のノウハウが必要になる訳で、紛れがある生物を一定の質で作るのは非常に難しい。


郷土史の本を読むとなぜ民情が違うから合併はむずかしいとか書かれてあるのか、これは相馬藩と伊達藩になると余計にそうである。新地辺りでは境だから相当な民情の相違があった。
言葉とかもかなり違っていた。江戸時代とは一つの山を越えたら民情が違っていて相いれないものがあった。今ならそんな境界はない、民情が違うなどありえない、それは外国との民情の相違になる。日本国内では広くてももはや民情の相違など問題にならないのだ。それだけ文化でも一様化ししてしまったということを逆に証明しているのである。

ともかく郷土史は土の上に成り立つから農業が基本になる、農業に通じていないと郷土史も深めることはできない、それで私の場合は欠けたものになる。農業をしたいとか派遣の人が農村に入るのはむずかしいということでこの発言があった。こういう人はやはり農業を実際している人なのかもしれない、だからこんな発言ができるのかもしれない、農業は土や自然とかかわるから工業とは相当違ったものなのである。つまり多様性、継続性、調和性・・・の世界でありそれは文化と通じている。文化とはそもそも一様化ではない多様性であるからだ。江戸時代は今では考えられないような多様性の世界だった。それは一つ山を越えてもそうなっているのだから藩を出たらさらにそうである。家の作りまで違っていたりと外国に行くようなものでもあった。だから江戸時代を旅したら今とはまるで違う、文化が村々で違っていたのである。

郷土史研究にはやはり町誌とかかなり詳しくバイブルのように読んでないとわからない面もある。資料を読む能力も必要だしそれから地理にくわしくならねばならないし農業とかに実地に経験していると詳しくなりやすいとか郷土史の分野でもこれは一人でできるものではないのだ。これは相互に協力しないとできない、全国レベルではインタ-ネットで郷土史関係の情報は無限大に増えた。だから絶えず私はその情報を編集して出しているのだ。編集するだけでも新たな郷土史を書いているのである。

2008年12月18日

日本文化の消失(古い街並みの消失-盛岡の魅力)

街の魅力というとき車社会化(モ-タ-リゼ-ション)で通りがシャッタ-通りになり消失したことである。駅前通りも鉄道の衰退でさびれた。駅前がゲ-ムセンタ-になっているのもがっかりした。街の魅力はどうして形成されるのか?一つは歴史であり、自然であり、利便性である。今突出したのは利便性なのだ。まさにコンビニ化でありス-パ-化でありさらに巨大ス-パ-、ショピングセンタ-化になる。そこでは歴史とか自然とかは関係なく利便性のみがあるのだ。でも歴史的街並とかあり街にも歴史的形成されてきた。宿場町がそうである。街として魅力があるのは東北では少ないだろう。今や街も仙台とか盛岡くらいなると街としての魅力に欠ける。相馬市なら田町通りが新しく作られたからそれなりに新しい街作りがあったがそれでも利便性が欠如しているので買い物に適していないので人が少ないのである。他に南相馬市では昔は原町駅があり駅前通りだったが今は六号線の通りが街になっている。そこには市立病院があり道の駅もできたから買い物も便利でここが本当は南相馬市原町区の中心になっているのだ。ともかくどうしても日常生活では利便性が追求される。忙しい時代だから特にそうである。買い物が仕事だがこれも一仕事であり他のことが余裕もってできなくなる。だからどうししても一カ所で買い物をすませたいのが現代なのである。
 
でも街の魅力に欠かせないものがある。歴史と自然なのである。私は内向的性格故喫茶店が好きだった。喫茶店で本を読んだり音楽を聴いて瞑想したりするのが好きだった。今は喫茶店の数が激減した。旅をして喫茶店に休もうとすると喫茶店だけやっているのはまれである。地方では喫茶店は前は安かったが今は倍以上になっている。なかなか簡単に休むわけにもいかなくなっている。喫茶店だけでは商売が成り立たなくなってしまった。でも街を歩き旅では喫茶店は必需品なのだ。盛岡には歴史があり北上川と中津川が川のアンサブルとなってクラシカルな雰囲気とモダンな雰囲気をかもしだす、それは啄木や賢治の時代からそうだったのだ。その象徴として煉瓦の明治時代の岩手銀行が残っている。また擬宝珠の橋など橋を人が歩いているのを見ているだけで絵になっているのが盛岡である。まるで浮世絵の一場面を見るようなのだ。そこでは着物姿の女性もあっている。それほど騒々しくないのだ。過去と現代が融合している街なのである。こういう街はめずらしい、新しい街は喧騒の中に在り情緒がなく利便性があってもなごみがないのだ。今回中津川の岸辺の喫茶店でホットユズなるものを飲んで休んだ。これもモダンなものなのだ。新幹線だとあそこのホットユズ飲みに行こうかともなる。仙台だと定禅寺通りの欅並木がいい、盛岡が全体が歴史と自然が融合して魅力がある。他に深草とか駅前のプラタナスの通りにも喫茶店がある。喫茶店回りも一つの街歩きの楽しみとなる。新幹線で仙台と盛岡の両方を楽しむことができるのだ。
 
車社会は利便性を追求した最たるものだったが伝統的なもの自然すら破壊した。しかし利便性のために今や車を手放すことはできないのだ。ただそれによって街の魅力は失われた。やはり現実に生活としてし活きていなければ街に活気ができないからだ。ショッピングセンタ-やコンビニでもそこにあるのは利便性だけなのである。情緒的なものはそこでは養われない、そんなもの贅沢であり必要ないものだと言えばそれまでだがやはり淋しいものがある。情緒的なものは精神にも影響するから必ずしも無視できないのだ。近頃は老人もキレやすい、怒り安いというのは今の老人で劣化したからではない、車社会はそもそキレ安い心を作るのだ。車というのは通り歩み人間が出会うのとは違う、完全に徒歩者を無視するキレてしまう乗り物だからである。さらに牛や馬を相手にしていた時代なら相手は生き物だからキレてはつきあいない、そこでは忍耐力が自然と養われた生活になっていたのだ。情緒と心は自然環境だけではない、街の環境からも作られのである。ヨ-ロッパの古い都市を歩くと古い石の建造物に囲まれ精神もそこで昔に帰る、不思議に建築の心が備わるから不思議である。人間が古代建築的に影響されて精神も堅実なものとなってゆく不思議があるのだ。それは石とか石畳の道とかに影響される。ヨ-ロッパの都市を歩いてなるほどヨ-ロッパの文化はこういうものかこうして形作られたのかと理屈なしで実感できるのだ。日本の街が雑然として魅力ないのは歴史を無視して利便性のみを追求したからだろう。ヨ-ロッパでは石の文化だから古代が土に埋もれて残っていることもその精神形成に今も影響しているのだ。日本は木の文化で過去が残らないということが精神形成に影響しているのだ。日本文化が伝統が失われたというときやはり歴史的街並みが失われたことも影響しているのである。 江戸時代の精神性は日本の伝統と歴史と自然の中で養われ作られてきた。それが明治維新で西欧化して変質を重ねていった。そしてアメリカの敗戦のあと現在にいたっている。その過程で日本的な精神を伝統を受け継ぎ精神を形成するものを失ったのである。それは本読んだからとか一人の師に教えられて受け継がれるものではない、時代の全体の環境から受け継がれるものだから日本人の良さは受け継がれず日本の文化は消失しつつあるのだ。
 
中津川冬の岸辺の喫茶店ホットユズ飲み心あたたむ
 
 


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