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愛国心とは何なのか? (利他の精神なくしてありえない)
愛国心とは何なのか?
(利他の精神なくしてありえない)
●経営者と愛国心
利己、己を利するために、利益を追求することから離れて、利他、他人をよくしてあげようという優しい思いやりをベースに経営していきますと、会社は本当に繁栄しますよくなります。
会社経営でもこういうことを必ず言っている、つまり自己の利益だけを求めていたら会社は成り立たない、繁栄しない
でも反面ブラック会社というのがある、それはまず雇う人を社員をただのロボットのように見ている、だから非正規社員として雇う、時間給で人を雇う
それはセブンエレブンとかコンビニとかで雇われる人がそうである
会社ではもうそこに人件費を払いたくないから自動化して無人化したいのである
JRでも無人駅を増やしているのもそのためである
人のコストが一番高いからそうなるのである
そしてセブンエレブンなどではチェーン化して出店するオーナーは会社から搾取されるとある、そこでは会社の利益になることだけを追求してオーナーとかやそこに雇う人はロボットの方がいいと考えているのである
そういうところに愛社精神もロイヤルティも育たないだろう
それが高度成長時代の会社とは違ったものになっている
高度成長時代は企業戦士となり愛社精神が強かったのは会社が終身雇用であり家族のことまでめんどうみる共同体のようになっていたからである
時間給などではない、全人生を考慮して雇っていたのである
ただそれが可能だったのは高度成長という経済が成長して給料が毎年上がっている時だったのである。
経営者になるときただ利益をあげることを至上命令とする、利益があがらなければ社長はやめさせられる、そこに利他の精神などがあるのか?
事業に失敗した人はなぜだったのか?
その人は利他の精神が全くなかったのである。なぜ事業を起こしたのか?、自分が優秀だということを見せたいために事業を起こした
技術的には資格をもっていて優秀だったからである
でも利他の精神など全くなかったのである
ただ金持ちを相手にして金をもうけたいというだけだったのである
だから自分が苦しい時その人は一つの荷物をもつ気がなかった
つまり社長でも何かそうして人に尽くす気持ちがないとできないのではないか?
社長とはただ威張って社員をこきつかい利益をあげるだけを目的として
自分が偉いということを見せるだけなのか?
そんな人が社長だったらどうなるのか?
そこに利他の精神が愛など全くないのである
要するに社員は奴隷であり客は金を得るための道具だとなる
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」
上に立つものはこうならないと指導できないだろう、ただ威張っていたいという人が経営者になれるのかとなる
モラル的にそうでなければ上に立てるのか?ただ人に仕えさせて威張っていたいとなる人が社長になれるのか?
そんな人に人はついてゆくだろうか?
●格差社会は愛国心を喪失させる
愛社精神と愛国精神でも通じるものがある、国家でも富裕層と貧困層とかに二分すると格差社会になると愛国心は喪失する
みんな自分だけの利を求めるとき国は二分化して分裂する
特に官僚とか政治家とか上に立つものが自分たちだけの利益を求めて社員でも国民でも奴隷のようにみるとき国家でも会社でも忠誠心がなくなり衰退してゆく
ローマ帝国が崩壊したのは貴族が贅沢して奴隷を使っていたからだとなる
そこになぜキリスト教が普及したのか?
それは極端な格差社会だから平等の愛を説くキリスト教が普及したのである
格差社会は国を分裂させる、いづれ国民の不満が爆発してフランス革命のようになる
貴族もギロチンにかけられる、そういう恐ろしい反乱が国民から起きてくる
それは中国などの歴史でもそうだった、極端な格差社会になると金持ちが盗賊に襲われて殺される、そして盗賊が皇帝になったのである
このようなことを自分も経験したので書いてきた
極端な格差社会になるとモラルはなくなる、金持ちはみんな不正でもって金持ちになるとみられる、だから奪ってもいいのだとなる、そこには何の罪の意識もなくなるのである
第一上に立つものが雇う人でも時間給でロボットのように扱う
そこに愛社精神とかは生まれない、奴隷なのである。良く俺たちは社畜なんだよなという時そうである、雇われる社員は奴隷だと思っているからだ
国家にしても国民を政治家とか官僚とかが奴隷のように思い扱えば国家への忠誠心とか愛国心は喪失する、中国では民という漢字は目をつぶすというとき怖いものがある
あれだけ人口が多い大国になると人民とかでも支配者は奴隷とみているのである
そこで皇帝が神のようになり国民から税金をとり酒地肉林とかあくなき欲望に走るのが中国の歴史だった、中国の欲望の強さは地下まで死んでまで自らの権力を誇示して生きようとしていたのである。始皇帝の兵馬俑とかがそうである
それが中国の歴史だったのである、だから中国には愛国心が育ちにくいのである
愛国心といっても国を利用して利己的に私的に欲望を満たすことである
その時国民が犠牲になっても大量に死んでもいいのである
それは共産党国家になっても同じだった、何兆もの富を蓄えた共産党幹部がいたからである、それは昔の王侯と皇帝と変わりないのである。
そういう国家が果たして力をもちえるのか?いくら数が多くても愛国心があるようで実際はもちえないのが中国だとなる
アメリカはどうかとなるとアメリカはホイットマンの詩のように平民の国なのである
そこに王様はいないのである、みんな平民なのである
ただ黒人奴隷はいた、そこに人種差別がある、でも平民の国であるから愛国心もあるとなっていた、そこでも対立争いはあったにしてもやはり愛国心があった
でも今はアメリカでも格差社会になる時愛国心は失われる
アメリカの国家は多国籍企業の言いなりに動く、国家は大企業の使用人のようになる
そして株でも金融でも一部の富裕層に富が集まる、その格差が大きすぎるから国としての統一感がなくなる、何パーセントの富裕層が富を独占する、そういう国になると愛国心は喪失するのである
つまり愛国心とは何かとなるといろいろあるにしても利他の精神が基本になるからだ
それが失われたとき愛国心は失われる、だからアメリカでも中国でも愛国心をもつことはむずかしい、国が巨大すぎるからである。
アメリカで富裕層が愛国心を説くのは矛盾している
なぜならアメリカの貧困層が増大していてわずかの富裕層に富が集中している
まず貧困層に富を分け与えるのが先だからである
●宗教が愛国心の基
日本という国は島国であり一つにまとまりやすい国であった
天皇というのは中国の皇帝とは違う、日本の精神的シンボルのようなものであり地下まで帝国を維持しているような強欲なものはない
そんな権力をもちえなかった、天皇とは逆に飾りだともなっていたのである、実質の権力は侍がもっていて天皇はもっていなかったからだ
ともかく愛国心というとき別に宗教に関係なく宗教者は熱烈な愛国者である
日蓮がそうであり内村鑑三でもそうだし手島郁郎もそうである
キリスト者にもいろいろあっても別に日本文化を否定しない
それは宗教はもともと利他の精神から起きて来たからである
仏教でもそうだし宗教は利他の精神を説くから愛国心も利他の精神から成り立つから共通しているのである
国を愛すとなるとそれは大きなものだから利他の精神なくしてありえないからである
現代は愛国心が失ったという時、上も下も利他の精神がなくなったからである、ただ利己的な利益を求めるだけであり金を求めるだけであり
会社でもそうだし組織団体でもカルト宗教団体でもそうである
自分たちの所属する組織団体の利益をもとめひいては自分の利益になる金になることを求めることになったとき愛国心も喪失したのである
だから戦争はいいものではないにしても国のために死んだ若い人たちには愛国心があった、強制された面もあるが愛国心はあったからできたことである,今はそもそも国は常に否定されている
ただ利己的な利益を求める金だけを求めるだけになっているからだ
旧約聖書:箴言:15章:17節
野菜を食べて互に愛するのは、肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる
現実はたらふく肉を食べたい、どんなことをしても食べたい、相手を殺しても食べたいとなっている
つまり肥えた牛がいれば奪い合い争いとなり殺し合いになる
この辺でも補償金でもめたのもそうである、原発は金の産むものでありそれで誘致されたのである
危険性などほとんど問題にしていなかった、ただただたらふく肉食べたい、金が欲しいとなっているだけである
そして今度は補償金で争い憎みあっていたのである
野菜を食べて互いに愛し合うことはかえってむずかしいのである
そもそも歴史でも人間の争いはたらふく肉を食べたいということで起きているからである。
互いに肥えた牛を奪い合うことになって争うからである
肥えた牛とは今では石油とかいろいろある、原発でもそうである、それは金になるからである
だから利他の精神を説いても実際はむずかしい、どうしても事故の利益が優先されるからである。
そして富裕層が自分の富を手放したくない、そこで金でいろいろ工作してくる、政治家に働きかける
政治家も肥えた牛を食べたいから富裕層につくとなる、だからこれを実行することは簡単ではないのである。
原発でも地元でもあまりにも欲が前面に出てそういう人がいたからこそ原発は歓迎された
そして事故になりとりかえしのつかないことになったのである。
●日本精神の新たな復活
日本精神に再び立つべし
いさおしく御国のために果てにしを今誰か思ふらむ
大和の国にその英霊の浮かぶも悲し認められざるかな
何故に我が死すをかえりみて嘆くらむ
今民をかえりみる者なし
ただ我が利のみ追いて金のみが力なり
我が社のみの利を求めて民を思わじ
あらゆるものの上から下も求むるは利のみなりき
心はたやすく金で買われ心は踏みにじられる
すめらぎの誠の道を再び正しうるわしき国を作らむ
日本は再び立たむ正しきを貫く独立の国として
その誇りをとりもどせ、金に計れぬ誇りをとりもどせ
何を恐れむ神の御意の国に宿らば恐ることなし
さらば霊峰富士のさらに映えて国は栄えむ
国を守るは武器にあらじ日本精神なり
誠の道を貫く古来よりの日本精神なり
核兵器にても国は守れざるなり
日本精神と民の力こそ国を守るなり
その民を虐げる者は国を食いものにする者なり
国の富を貪る者よ、民を貪る者よ、呪わるべし
故にこれらを撃つべし一掃すべし
日本の民の力の再びよみがえり立つべし
再び維新の時なり、改める時なり
心ある者は立て、そして戦い、武器を持つにあらじ
大いなる変革の時は再び来たれり
日本精神とは何なのか?これも今は明確ではない、日本精神は侍精神だという人もいた、何か日本の歴史の中で伝統的に血肉となったものである、それが失われたのは日本が戦争に負けてアメリカ一辺倒になった、そうさせられたということである
金の価値観しかなくなったためである、何か獣のように欲をむきだしにして貪り食らうというだけである
弱者も貪り食らう対象となる、貧困ビジネスもある、弱者とみればつけ入る、もう日本人の良さは消失しているのである
そして核武装が言われるが武器で国が守れるのか?
もう核戦争になると人類滅亡になる、つまり核武装してもそれは自国でも他国でも滅亡なのである
だから今やそんなことしても無益だとなる
ともかく戦後70年で大変革の時が来ている、それはあらゆる方面に及んでいる
結局戦後70年とは明治維新があり70年過ぎて太平洋戦争があり焼野原になり復興してまた70年過ぎた
大きな変革の時になったのである、それは世界的にもそうである
明治維新と戦後の焼け野原を思えばまだその変化は小さいとなる
確かに東日本大震災でもその被害は大きかった、でも戦後の焼け野原を広島の原爆から立ち直ったのを見ればまだましだとも思う
その時は食べるものすらなかったからである。
かえって戦争では既得権者が一掃されて復興したとも言われる、既得権者が居座っていると改革はできないからである。
それが一掃されたので新しい日本になった、ただそれはアメリカ主導でなったのである
だから今度の改革は日本主導でしなけければならない、それは戦争の時のように独立するとなると厳しいものになる
中国が大国化してアメリカがいてロシアがいるからである、その挟間で日本は苦しむからである
ただそういう時期にきているからもう改革は避けられないしもしそれがでなければ日本は衰退して中国であれロシアであれ今度はアメリカが衰退しても属国化することは変わりないのである。
弱者化すると個人的にもそうだが周りの国が攻めてくる、弱者は奴隷化されやすいのである
あからさまに自分が弱者化したとき借金した人が奴隷にしようとしていた
でもその人もまた借金で奴隷になっているのは因果応報である
奴隷として人間を使おうとするものはやがて奴隷として使われるのもカルマなのである
歴史でも弱者と強者は逆転するからである、それも人間の法則なのである
江戸時代でも隣の藩は敵であり助けたりしないのである
弱体化すると好機になり攻めてきて支配されるのである
日本も弱体化するとロシアが攻めてくるし中国も攻めてくる
その前に日本には耕作放棄地とか使用されない土地があり誰が持ち主かもわからない土地が膨大にある、そういうところは中国に買い占められたりしている
空白地というのはそうなりやすいのである
その土地を使用ししても文句を言う人もいなくなるからだ
そのうちに外国人が住んでそこは日本でなくなるということにもなる
だから日本は少子高齢化でそういう危険性も高くなっている
日本の国力が衰退すれば自ずとそうなってしまうのである
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fortuneとは(財産を得るのは運なのか)
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なぜ死者が美化されるのか? (エゴや欲が消失するため)
なぜ死者が美化されるのか?
死者とは何か謎である、だからいろいろなことを生きている人は言う、死者が実際に何か存在しているものなのか?肉体が消失しても何か依然として存在しているものなのか?
それは謎でありわからはない、わからないからこそいろいろ言える
ただ死者に対して確実なこと死者にはこの世から離脱したのだからこの世に対する欲がないのである。
そのことが死者が生者と根本的に違う点である。
だから遺影を見ていると何か心が浄化されるようなけ不思議な気分になる
それは死んだ人にはもうこの世の欲はないことによっていたのである。
人間の問題は限りない欲がら生まれてくる
欲は老人になってもなくならないのである。
人間の欲は食うことだけではない,性欲だけでもない,様々な欲がある,名誉欲とか名声欲とかもある,
ある人は老後に俳句を作りそれでその人は俳人になった、俳句で一角の芸術家となったと思いこんで自慢していたのである。俳句はそうして簡単に作れるかそういう思う人がかなりいるのである。
それも結局人間の欲なのである。何かしら欲があり欲が消えないのである。
人間が欲であるというときカルト宗教団体をみればわかる,そこで人間は巨大な欲の塊りとなっている
あらゆ欲がそこで肯定されて拝めばその欲がかなえられるとなる
そんな教祖を信じているのはなぜなのか?それは自分たちもその欲がありその欲を肯定されるからあがめるのである
だからそういう人が宗教を説いていること自体宗教としてありえないことなのである
だから宗教もサタンに支配されるのである。
人間は死者を考えるとき死なない限り欲は消滅しない,死んだならどんな人でもどんな悪人でも欲やエゴが完全に消滅する,だから死者の不思議は遺影を前にするとその死者にはこの世にあった欲やエゴがないので死者は浄化されて見える、まさに仏さまのように見えて先祖崇拝になる、先祖が神となる
つまり死に浄化の作用がある、それで何かそのエゴも欲もない遺影に向かうとき浄化される不思議なの気分になるのである。
口で言うことは簡単である,では実際に宗教を実行するとなると不可能になる
まず財産だってもつことはできなくなる、なぜなら貧しい人がいて苦しんでいるとき贅沢ができるはずがないからである。
ただその時代の平均的生活は許されるがそれ以上の贅沢はできるはずがないのである。
宗教は口で言うのは簡単である、でも実際に実行するとなると至難になる
だからそもそも安易に宗教を説いて勧誘しているのはそれはこの世の勢力を成すためであり宗教とは何の関係もないのである。
死者は日々浄化されてゆく
この世を離れてこの世の欲から解放される
ただますます純度を増して清らかに星となり
世を離れてかなたに輝く
もう穢されることのないかなたに清冽に輝くのみ
だから遂にその欲で滅びるのである。原発事故だって欲からこの辺で誘致された
金になるということで誘致された
そして災いがもたらされたのである。もともとは欲があってそうなったのである
つまり人間の欲が消滅しないかぎり天国などこの世に来ることはないのである。
だからこそ欲で滅びると聖書ではなったのである。
人間は一見善を成していきるようでも自分の名声とか欲がからんでいる
純粋に善を成す人はまれである。人間はそもそも善を成しえないのである。
それは欲を絶つことができないからである。
だからいづれこの世の終わりがくる,そして欲が消滅したとき神の国が自ずと現れるのである。