2020年08月28日

無責任民主主義 (一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)


無責任民主主義

(一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)

民主主義がなぜ機能しなくなっているのか?
選挙だって投票しても何もかわらないとかなる
それは結局一票の価値とか責任は百万分の一に過ぎないからだ
要するに百万分の一の責任しかないのである
それでも一人が十票分を投票できるとなれば10人分でありそれなりに力をもち責任を持つようになる
だから選挙の時は一票など当てにしていない、団体票を組織票を当てにしている
カルト教団であろうが何であろうがまとまった票を得ることが政治活動なのである
投票する方でも何か一票だからと何の影響もないとなり責任も生じない
要するに投票しても投票しなくても同じだとなっているのだ
だから有名な影響力ある武田邦彦氏などでも棄権している
その人が言論で影響力があるからそっちの方に熱が入る、言論の方が責任があるし影響力があるからそうなる

民主主義の発祥の地のギリシャにしても一万くらいのボリスであり一人一人が見えるような社会で起きた、それが巨大化すると民主主義が機能しなくなる
ただ民主主義は必ずしも選挙だけではない,社会システムとしての制度である
でもその最大の中核となる選挙がもう一票が百万分の一とかなると責任もなにもない
また選ばれる人も一人など相手にしない、マスを相手にする
それは様々な利権団体なのである、それで二階堂氏が観光業者の団体と関係していて
go to キャンペーンを政策にして実行した
そしてその団体から献金を受けるとしている

こういうふうに民主主義は利権団体と必ず結びつきまとまった票を得て当選する
民主主義というとき民が主だとしているけど実際はこうした利権団体が主となっている
そして利権団体化するとただ利権だけを得ようとする
それが民主主義では権利民主主義なのである
権利はもともと権理と明治に訳していた、それがただ権利となった
そこには正義もなにもないのである、利権を得ればいいしかなくなったのである

再三取り上げているけど船主とか漁業団体が漁業権を東電に売り多額の補償金を原発事故前も補償されて原発御殿とか建てていたということが事故後にわかった
だからここだけではない、民主主義とは利権団体の民利主義とかなる
つまりプライベートの意味が奪うという意味でありまさに自分たちの利権のために公の財産を私的に奪う権利なのである
それで公共的なものがそうして利権団体に奪われるものになったのである

例えば入会権でもそうである、それは村の共有地でありそこで山菜でも木を燃料とするにも家の材料にするにも共有であり誰かの土地ということはなかったのである
一個人の土地ではない、今でも観光客が勝手に山菜をとるなというとき資源保護とか村の財産を守るためにそうしている
それは漁業権でも本来はそういうものだったのである
それが明治以降に資本主義となり民主主義となったとき個々人の所有に分割された
そのために今になると無数にそうして個人の土地があり山全体を利用しようとしても
できない、もう誰の土地なのかわからないものにもなっている
つまりここでも公共の共有の土地がプライベートされ奪われてそうなったのである
こうしてかえって山は昔のように入会権があり共有であったのが私的所有にプライベートされて何もできなくなったという事情がある

民主主義が機能しないないというとき自治体でも機能してない
この辺で原発が作られるとしてもそのことについて市町村で議論されない
それがわかったのは小高町にすでに東北電力の原発が作ることが予定されていて事故が起きた年に工事が始まろうとしていたのである
でも小高に原発が作られることすら私自身も知らなかったのである
つまり広く知らされることも議論することもなかったのである
事故を起こした原発でも土地所有者と県の許可くらいで決められたのである
そこには何の議論もない、一方的にただ地元の人たちに「安全神話」を吹き込み一切の批判を許さなかったのである
ここにも民主主義など全然なかった

福島県の報道機関はマスコミとなるが何も機能していない、第一福島民報は出資比率で県が半分であるとしたら県の言うままになり国のいいなりになるだけである
これは日本全体でも報道はマスコミは民主主義が機能していない
何かマスコミはまた巨大な装置をもつ六局が独占していた報道の利権団体だったのであるNHK自体がそうだった、報道するということで巨大な権力、第三の権力となっていたのである、それで宣伝費とかで収入が入る、すると金をくれるところに忖度するとなる
それがわかったのはインタ−ネットとか特にyoutubeの影響が大きかった
なぜならこんな簡単に名もない個人がテレビ局のように放送できるのかと不思議だった
でもマスコミとたいして変わらないしかえって説明など新鮮だったとなる
そういうことはある程度の知識があれば誰でも一個人でもできるということだったのである

今までのテレビ局はマスコミが権力をもったのは莫大な資本がないとできない、それで権力をもったのである
民主主義が機能するにはやはり報道が大事になる、知らされなければそもそも何もわからないし判断しようがないからだ
だから知らないままに20キロ圏内に東北電力の原発ができるようになっていた
そしたら事故になったら住めなくなったのである
これも怖いことだった、でもなんら知らされないし議論もないままに建設が始まるところだった、小高の人でも誰も反対しない、ただ金になるからいいとしかないのである

重要なことが知らされない、議論もない

これでは民主主義も何もない、全体主義の独裁と同じだったのである
日本の報道の自由率はとても先進国とは思えない低さなのである

国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は21日、2020年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち、日本は66位(前年67位)だった。

これが民主主義の自由の国かとなる、もう江戸時代との見ざる、聞かざる、言わざると同じではないか?
こうしたことから社会は歪められて悲惨な結果となった、戦後アメリカの民主主義を取れ入れてもそれは利権団体主義であり本来の民主主義ではなかった
ただ民主主義という言葉だけであり実質はともなっていなかったのである

要するに利権団体主義となるとき利権だけに金だけに目がゆく、その正当性とかrightに目がむかないのである、それが漁業権とか他の権利でもそうである
漁業資源の保護が本来の役割りとして権利が与えられている、入会権とかでもそうだった権利は権理だったのである、法律でもreasonを重んじる
ただこの理屈となるとめんどうになる、でも万人にでも納得する正当性があって成り立つ団体だからといってすべて通るとなるのも民主主義ではない
でも現実はそんな正当性は関係なく利権団体主義となり数が多いものが権力をもつ
そして一票を投じたとしても百万分の一の責任しかないから無責任になる

また選ばれた議員にしても別に責任を自覚しない、議員自体が利権を得ることを目的として政治家になる、そして何かあれば選んだ選挙民が悪いとまでなる
民主主義では選んだ人にも責任がるとなる
そうしして誰も責任をとらない無責任社会となった
それより侍だったら一心に責任を感じていたから切腹までしたのである
それで庶民は侍になりたくないというのもわかる
そんな責任をとてもとれないからである、原発事故では実際誰も責任をとっていない
官僚でも政治家でも東電の幹部でもマスコミでも御用学者でも何か月給を減らされたとかもないのである  

こうした無責任社会の弊害は大きい、大衆というものも全く責任とは関係ない匿名集団である、それで数学的にも集合にはならないという、駅とかに集まる不特定の集団は集合にならない、それは一時的に集まり離散しているからである
そういう大衆がやがてナチスのファシズムとなったのが現代である
ナチスはヒットラーはそうした無責任な大衆から生まれたとされているからだ
要するに大衆には責任がない、ただ騒ぐだけだとなる

ただデモになり死ぬこともあるからその時はやはり命がけだと責任をとっているとなる
すると投票よりそうしたデモが民主主義なのかとなる
でもそれは暴力になるから民主主義ではないとなる、それでもそうしなければもう社会は変えられないともなれば暴力にもなる
つまり投票では社会は変えられないとなるからだ
民主主義はすでに機能しなくなっている、アメリカでは数パーセントの人が半分の富を収奪しているとかありそれも変えられないとすれば民主主義は機能しない、デモで暴力で変えるほかないとなる、その時民主主義はもう成立しなくなっているのだ
だからそうしてデモが巨大化すると国自体がその暴力によって変えるとなり選挙は無駄だとなり否定されるようになる、民主主義はもう成り立たないのである

ただいくら無責任民主主義でも人間社会は必ず責任を誰かがとらされるようにできている
この辺では原発事故で故郷に住めなくなった、これが最大の被害だった
戦争でもやはり三百万人死んだとか必ず甚大な責任をとらされた
無責任民主主義でも責任から人間は逃れられないようにできている
だから最初から責任をとれるような社会にした方が間違いがないともなる
みんな無責任であっても結局誰かが大きな責任をとらされるからである
それで一人に十票の投票権を与えればそれだけ責任は自覚される
しかし結局平等主義になりそれがまた不平等になるのである
でも民主主義が機能しなくなっている、それを解決するにはどうするのか?
それが問われているのである

利権団体民主主義が社会を歪める
(GO TO キャンペーンもそうだった)

責任をとらされる人が一番真剣になる (責任をとらない人は信用できない)

2020年08月06日

高齢者の読書離れ (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)


 高齢者の読書離れ

 (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)

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週間文春-8月6日

ここで面白いのは読書していることではなく、蔵書を本をそろえることだとしている
本を理解しなくても読まなくても本をそろえる、書斎を作る
これもそうだと思った、私がそうだったからだ
本を読もうとして相当に本を買った、でもその本がたりなかったのである
本が買えなかったのである、田舎では都市があっても5万くらいの都市ではまず本が売っていないのである、専門書などほとんど売っていない
そうなると田舎で独学することはできない、本が読めないということはもう知的な刺激も得られないからだ
そしてくだらない本を読んで失敗することになる

子供の時には本が一冊も家になかった、第一子供部屋などなかった、だから今子供部屋おじさんと言われる人がいる、その人は子供部屋をもっていたのである
まず高校まで家が狭くて自分の部屋がもてない、また家に一冊も本がない
そういう環境は知的な発達には不利である
頼るのは学校であり教科書しかなかったからだ
知的な興味というのは学校ではなかなか培えないように思う
私は何か学校で試験のために勉強したが興味をもって勉強したことがないからだ
勉強は自発的にしない限り身につかないと思う

家庭に知的環境があるのとないのとは相当に差がある
なぜなら家庭でそうした知的環境があれば自分の興味あるものを追及できる
最も身近で追求できるとなるからだ
それで家庭に一冊も本がないということは相当に不利だったのである
戦後生まれの団塊の世代でもその時本は高かったから家に本がそろっている
知的環境がある人はまれだったろう
たいがい飯台一つしかない生活が普通だったからである 

なぜヨ−ロッパに天才が多いのか?
それは学校とかないとき家庭に教えられる環境があったからである
モーツアルトでもベ―トベンでも家庭で音楽を学ぶ環境があった
親が教師でもあった、まず音楽だと家にピアノがあるとないでは相当に違うからだ
音楽になると幼児の時から親しまないと身につかない
私自身は音楽は音痴でありクラシックでも知らない
ところが暇だったので何かクラシックを無理しても聞いていたのである
そういう環境が大学卒業した以後家にあるようになったからである
音楽だってそういう家庭環境がないと親しめないからである 
ヨ−ロッパの天才は貴族はそうした環境が備えられていて独学でも学びえたのである
その天才たちが実はヨ−ロッパ文明を作るリーダーにもなった
理系の分野でも本当に天才か多いからである
そうした天才を産むということでアメリカでも発明がありコンピュターなどを発明したりしたのである、それも二人くらいの天才がいて生れたのである

私がインタ−ネットにはまったのも引きこもりになり自宅で通信機能付きのワープロを始めたからである、だからその時からパソコン通信とかに親しんでいたのである
それをしていたのは相当に若い世代だった
でもすぐに時間すぎてインタ−ネットがされほど発達して日常に欠かせないものとなったのである,インタ−ネットはそもそも家庭で知的仕事ができる道具だったのである
家庭の中に図書館でもあるような感覚になる
図書館も利用していたが今はここ十年くらい行っていない
図書館は意外と不便なのである、むしろ古本の安いのを買って自分の家を図書館にした方が効率的だしそれが今できるのである
テレワークの時代になるというのもコロナウィルスで推進されるのも時代だったのである

私は大学を出てから正式に会社に勤めたことがなくアルバイトを渡り歩いて底辺になったそこでした仕事は流れ作業しかない、そのために仕事をしたくなくなった
その嫌悪感が強かったからそうなった
そののちは家に引きこもり本を読んだり旅に明け暮れたとなる
その時家を新しく建てたので書斎付きの部屋が用意されたのである
ただその時書斎には本は少なかったが、大量の本を置く場所が用意されていたのである
それでそれなりに本を買って集めた
でもその本が少なかったのである、近くにしょぼい本屋しかない、まともな本は仙台にしかない、すると一週間に一回でも仙台市に行ったのは本をみるために買うために行ったとなっていたのである
でもいまアマゾンで古本で何でも買える、キンドルとか電子本でも読める
今になると田舎でも本は本当に古本を集めるだけで書庫を作れる
それも安いし専門的な本でも買えるからだ

まず知的な仕事には本は欠かせないのだ、それも相当な量が必要なのである
ただ今になるとせっかく買っても読んだ本は理解した本は少なかった
だから本を買った、積ん読になっていた、ただ本を買って積んでいることになった
でも柳田国男全集とかは買っていた、やはりこうした全集は確実に必要である
それを感じたのはインタ−ネットでプログとかで書き発信するようになったからである
つまり読書は一方的になりやすい、そして何も記憶されないで理解しないで終わっている本とは実は対話である、著者との対話である
また別にインタ−ネット時代になるとニュースの記事の解説でも対話できる
それを私はプログで試みている、引用して自分なりの感想を書くのである
これが大事だったのである、ただ本を買って並べているだけでは身につかない
対話することが重要である

確かに老人になると新しいものが吸収できなくなる、となると今まで読んだ本や買った本がその人の知的教養となる
それで不思議なのはそうして買った本を読んでもいない、また理解してもいなかった本を読み直している、そして再認識している
人間は本を買っても深くその本について理解していないのである
だから必ずいい本は読み直す必要がある、それで再発見してい活かすのである
今なら本でも要点をつかみ自分の文脈で引用できる
これも不思議なのである、やはり老人になるということはどんな人でも経験をつみ何より先が短いということ死が迫っているということで人生をふりかえりその意味を否が応でも知らしめられるのだ
それでなにかしら老人は語ることがある

本についても読書についてもそうである、高齢者の読書離れというとき高齢者はむしろ他人の本を読むというより今まで読んだ本の理解を深め経験を語る方にアウトプットに向いているのである
だから本を買っても読まない理解しないとしても老人になると他者に何か書いて伝える時再び活きてくることがある、どうしても老人は読書より他者のものを読むより自らの思想を経験したものをアウトプットすることになる
その中で過去に買った読んだ本でも思い出したりして引用できる
それでイリイチの本がアマゾンで

「専門家時代の幻想」が古本でも7000円していた

これは高いと思った、古本でしかもう読めなくなっているからだ
それだけ歳月が過ぎたということである、この本が原発事故やコロナウィルスとかで専門家の問題を指摘したので役にたったのである
でも今7000円で買うとなると簡単に買えないとなる
私は要約して伝えることができる、でもやはり一冊読まないと理解できないとなる

2020年08月05日

コロナウィルスの情報過剰で恐怖心が増幅される (マスコミの危険な情報操作)


コロナウィルスの情報過剰で恐怖心が増幅される

(マスコミの危険な情報操作)

情報社会になったというときマクルハーンが世界が村になると言ったことが現実化した
イラク戦争の油まみれの海鳥一羽の映像がテレビで放送されたとき世界中がそれを信じたからである、映像の力をまざまざと見せたのである
情報社会は今住んでいる場所よりグロ−バルになりその場所についてまるでわからないものでも身近になるのである
ところがリアルに感じるのは現実にその場に立って見る時感じる時なのである
それで近くの溜池を除染するのに半年以上かかるということに驚きプログで伝えた
そこは溜池でもない、小さな沼とも見ていた
それでけ小さいのである、それなのに半年以上も除染作業するというのが解せなかったのである
だから現実にその場に立ってみない限りわからないことがかなりある
人間は情報過剰社会でフェクニュースでも信じやすくなっている
第一外国のことなどいくらグロ−バル化して海外旅行してもわからないことが無数にあるからだ、だから外国のことは余計にフェクニュースでもだまされるのである
また錯覚しやすいのである

コロナウィルスでも毎日感染者の数字を報告する、すると否が応でも恐怖心を植え付ける人間は恐怖心をもつとそれが伝染しやすい、そして集団的パニックになりやすい
群集心理がある、それでyoutubeでさえタイトルを見させるように恐怖心をあおるものにする、株が暴落するとか、預金封鎖があるとか、極端になると人類滅亡するとかである
そういうことはやはり恐怖するから見るのである
だから今テレビはコロナウィルスのことがわからなくても毎日感染者の数字で恐怖をあおる、それがどこまで危険なのかわからない、ただの風邪だ、インフレインザより怖くないと言う一流の学者がいてもそうなのである
その人自体のyoutubeもまた恐怖をあおることをタイトルにしているものも矛盾なのである

要するに何にもありません、事件もない、怖がることもありません、とかなれば誰も見ないのである、恐怖するから見る、コロナウィルスにかかったら怖いとかもう恐怖心が植え付けられている、それはテレビウィルスでもある、テレビによって恐怖心が増幅されるのである,コロナウィルスにいろいろ言ってもその正体がわからないからそれでますます恐怖心が増幅するのである
だから何かこれは心理学的な問題もある、人間の心理の構造がそうなっている
全員が怖がるとき一人だけ冷静ではいられないからだ
それで自粛警察とか魔女狩りとかにもなる
田舎だと一人でも出たら村八分とかなり恐怖する
このコロナウィルスはそうした心理的影響が大きい、それは不可解なものであり人から人へ伝染してゆくからである
実体のウィルスより過剰に吹き込まれた恐怖心が全体に伝染してパニックになってゆく
それもコロナウィルスが不可解であることから余計にそうなる
学者の言うこともまちまちであり憶測に過ぎないからである

どうしても学者が安全だという安全派より危険だという危険派が多くなる
それは人間の心理構造からそうなっているのだ
人間は確かに事実があっても恐怖心が先行する、その恐怖心がありもしない幻像を作り出すのである、それは精神病理でもある
それが群集心理にもなる、それでナチスとかカルト教団とかの危険な集団心理が生れる
今宗教というとき人間の心理的問題でありもう改悛とかなんとか関係ないのである
罰当たるとか地獄に落ちるとかも心理的に恐怖を与えるだけであり会員にとどめるためにそうしているだけである

コロナウィルスでも確かに外国を例にすれば日本でも同じだとなり恐怖する
つまり外国でも隣の村と同じように見ているのである
もちろんそういうことも必要である、地震でも津波でも地球は一つなのだから他国で起きることは日本に関係する、でも逆にこのコロナウィルスは日本では重症者とか死者が少ないのである、ということは世界全体が一様に適応されるわけではないこともある
でも今や世界のことは隣の村で起きたと同じように影響しているのである
そして過剰に情報に作用される、

例えば犯罪でも性犯罪でも実際は10万人に1人で起きたことでも隣にそういう人がいるともみる、それで通報されることも現実に経験する
なぜなら犯罪はニュースになる、でも平和になにごともなく生活することはニュースにならないし見ないのである、するとテレビでは視聴率をあげるために危険なこと恐怖することをとりあげる、するとみんなが見るからである
情報化社会の危険はそこにあった
ただ自分自身にしてもなぜこんなにいろいろな災いが生れて来るのか?
自分自身の一身上でもそうだった、家族が認知症になり介護となり自らも病気になった
それから他者にはただ責められるだけであり金をも止められるだけだったのである

津浪があり原発事故がありそしてコロナウィルスである、一体これは何なのかとなる
これほど災いが続くのは何なのか、それで人類滅亡の兆しなのかと言うことも真実なのかとまでみる
本当に聖書の予言のように人類滅亡の兆しが起きてそうなっているのかとなる
コロナウィルスもその一つとして人類に襲いかかってきたのかとなる
これも不可解だからそうなる、こうした災いはやはりそこに神の意志が働いているともみるからだ
人間を越えた力が働く、それで自然から復讐されているとか神の怒りの結果そうなったともする、それもありうるとも思うからだ
人間社会はモラル的にも退廃しているからである
新宿の歌舞伎町とかから拡散されたのもそうである、差別するわけではないがそこにモラルの退廃した場所だからである

とにかく時代の変わり目でありそこに様々な事が起こり時代が変わる
そういう時期にあることは間違いない、こういうとき戦争で3百万人死んだとか犠牲者もでる、失業者が大量にでるとか経済も混乱する
そうして治安が悪くなるのも怖い、その混乱に乗じて利益を得ようとするものも出て来る戦国時代のようになるかもしれない、ただこの世とはもともと火宅の世であり平和などなかったのである、この世は必ず地獄がもたらされるようになっている
そこから逃れようがないのである、それで聖書のテーマが出エジプトではないがこの世からの脱出を説いたのである
だからコロナウィルスもその災いの一つであり人間が苦しむのである


2020年07月24日

メデアの変化が現代の大きな変化 (マスメデアから個人ベースになる対話的メデアへの変化)


メデアの変化が現代の大きな変化

(マスメデアから個人ベースになる対話的メデアへの変化)


おそらく20世紀というかwin95からのパソコンの大衆化と変化とメデアの変化の時代だった、そこからインタ−ネットの情報化時代に大きく前進したからである
でもその前哨戦としてワープロがあり私自身はワープロからはじまったのである
私は悪筆であり自分自身が自分の字を見るのが嫌だった
それでワープロをはじめたのである、それはwin95がでる前でありその富士通のワープロに通信機能がついていたので偶然に通信をしていたのである
それは富士通のパソコン通信だった
でもそこに集まった人たちは草創期のパソコンマニアだった、それを操作する人は非常に少なかったのである、だから理系の技術者も多かった
それだけパソコン自体が高いし誰でも買えるものではなかった、40万くらいしたものがあった、そのパソコンでもしょっちゅうフリーズしたりしして使いにくいものだった
私はパソコンはwinの時はじめたのでありそれまではワープロの通信機能がついているものでしていた、それで富士通の親指シフトでしていた
これでテキストが打ちやすい、文章にするのにスムーズだから使っていた

なぜこうしてこういうことにはまったかというと私は機械が苦手ある、理系でもない
するとそういうものにはまるということはない

悪筆でありそれが嫌できれいな字にしたいからはじめた

これがワープロの動機であり通信というのは付随したものとしてはじめたのである
そして私は無職であり引きこもりだった、だから家に一日中いるからそこに時間をさけたからできた
何か人間は苦手なことがかえっていいように作用することがあるから不思議である
中国でスマホがあれだけ普及したのは固定電話をもつのがめんどうだったからである
それは他の後進国でも固定電話よりスマホが無線が便利で普及した
つまり何かそうして不利なものが有利なものになってゆくことが人間界にはある
中国がITの先進国になったのはスマホが電話代わりになったことが出発点だったからである

確かに引きこもりは社会的脱落者であり目の敵にされる、でも奇妙なのは引きこもりが悪く作用するとしても良く作用することもある
禅僧とかに私は同調する、なぜあのように一人沈黙するのか?
それは沈黙して瞑想することが修行だからである、沈黙することは精神の修行なのである人間はあまりにも口が軽すぎる、そして口からどれだけ悪いものがでてくるか
口は災いもとなのである、そして沈黙することは自然と同化することであり一体化することなのである
なぜなら山でも石でも木でも沈黙している、だから自然に通じるには沈黙が必定なのである、でも社会人として生活することは必ず何か営業でも嘘をつく
そういうことが強いられるのである、利益第一になるからどうしても嘘ついても相手がわからない投資信託とかいろいろな金融商品を売りつけるとなる

まずパソコン通信は文字だけで文章だけで会話する、これは今までにない会話のしかただったのである、だからこの世界を理解すること自体できないものだった
そこからメデアの変化が進行していたのである
つまりテレビは大衆を相手にしたメデアであり、6局によって独占されていた
この影響は本当に大きいものだった、なぜなら茶の間を独占していたからである
そしてマスメデアは大衆メデアだから常にどれだけ視聴率をとるかでその価値が決まる
それで硬いものは放送しない、大衆向きに作られている
だから大衆洗脳装置ともなっていたのである
テレビを見ていると知らずテレビ局に洗脳されるのである

そしてテレビ局は明らかな意図をもって放送している、ニュースでも放送するものと放送しないものがある、大事なものでも放送しないことがある
それはテレビ局でどんなニュースを放送するか決めるからである
だから6局によってマスコミが裁判官のようにもなっていたのである
それで武田邦彦氏がダイオキシンは害がなかったのにマスコミのキャンペーンでねそう思いこまされたとして怒っている
また温暖化はないとしてNHKの放送を常に批判している
それは科学的客観的なものではないのである            

マスコミには科学者の客観的態度がない、常に武田邦彦氏は科学者としてデーターを重んじて科学的事実から判断する
マスコミの報道はそうした科学的に追求するものではなく温暖化とかを作り出しているとしている、それは科学的なものではない、恣意的に作り出しているのである
マスコミは中立ということはないし報道でもない、NHKでも編集会議を開きそこでトップがその方向性を決める
だから原発事故でも原発避難者側につくとトップが決めて番組を作りをしていた
津波の被害者より原発避難者を重んじるとして番組作りしていたのである
するとそれを見る人は原発避難者側に同情するようになる
マスコミはそうして放送する権利を独占していた、そしてただ事実を放送するのではない必ずニュースでも取捨選択して解説でもNHKがその内容を決めて編集して決める
だからもともとニュースでもその見方は多様になるがマスコミは一方的になる
そしてマスコミは何か裁判官のようになり常にいい子になりマスコミの言うことは正しいとなりおしつけられる、そこに批判は許されなかったのである
マスコミには悪がないように見える、でもそこに悪があった
それは原発事故で莫大な宣伝費を東電などからもらっていた、それで事故が起きたとき朝日新聞ですら中国にマスコミの幹部が全部東電に招待されていたのである

マスコミは誰かの主張でもない、それは組織全体の主張として作られる
でも不思議なのはyoutubeとかプログとかインタ−ネットは前から個人をベースとして主張される、マスコミはマスが対象のメデアである、だから大衆受けするのものとして放送する
でもインタ−ネットでは個々のメデアであり個々人のメデアである
個人をベースにしてニュースでも解説している
つまり常に私はこう思うという主語があるIがあるメデアである
マスコミは常に我々はとかみんながとか放送する、その相違があるのでこれは何なのかとマスコミの放送に慣れた人はとまどうことになる
自分自身がyoutubeについて何かイマイチからないものがあった
テレビで個人が主張することが理解できなかった

でもyoutubeだとみんながではない、私はこういう経験してきて勉強してきてとか個人をベースにして語ることになるのが違っているのだ
武田邦彦氏は科学者としての経験が篤いから科学がわからない人には科学とはそういうものかと理解するようになった
その科学もマスコミで報道するのとは違う、なぜならその科学についての報道を常に批判しているからである
ただ有名なノーベル科学賞をもらった人まで批判できるとなるとそれだけの自信がないととてもできない、だから素人の人はそういう人が言えば何も言えなくなる

ともかくyoutubeとかプログでも個人をベースとして対話するメデアなのだ
だから対話する時その人がどういう人なのか、プログに書いているとわかりやすくなるのである、この人はこんなことに興味をもちそんな経験をしてきたのかわかるからである
ともかくそうして個人をベースにして放送しているのがインタ−ネットでありyoutubeでもそうである、一人の局など今までありえなかったからである

マスコミとは対話できない、そこには個人もいないし私がこういう経験をしてこういう場所に住んでいてとかないからである
人間はその住んでいる場所の影響も大きい、だからその見方も場所によって変わってくるのである、おそらく隣の市でも町でも違った見方になる
それが全国となると広いし世界となると広いから場所の感覚が理解できないから実感できないのである
つまりテレビの画面からはいくら旅の番組を放送してもその場所に立つとかその場所に住むという経験がないと理解できない
日本には砂漠がない、すると砂漠から生まれものを理解てきない、砂漠からなぜエホバが神が現れたのかも理解できないのである
この場所だけは本当に多様なのである、一地域でも本当に多様なのである
そこでそこに住む感覚が違ってくるのである

いづれにしろ20世紀はここ30年くらいは情報革命の時代だった、それはコンピュターと通信の世界が普及してそうなった
それは個人をベースとして対話するメデアだからそれは今までにないものだったのであるだからこれは新しい文化だからなかなかなじめないものなのである
ただ若い時から慣れ親しんでいればそれがノーマルとなる、ニューノーマルなのである
でもそれになじまないものはアブノーマルな世界になる

ともかくインタ−ネットの世界は個人をベースにした対話的メデアである
だから相手と個人として対話する態度が必要になる
でも武田邦彦氏のように科学者となると対話すること自体むずかしくなる
なぜなら文系だと科学的なことがわからないからである
ただ武田邦彦氏は文系にもわかりやすいよちうに説明しているし自らも文系の素養をもっているから対話をなんとかできるともなる
科学者とかなかなか対等に対話が文系はできないからである

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二人は同世代である、だから同じ世代として通じるものがある
でもその経験がそうとうに違っている、すると個々人の経験から語る
それで違ったものになる
ただここに欠けているのは場所性なのである、武田氏は名古屋だとしてもその場所性が
ほとんど示されていない
加治氏は北海道出身でも不思議なのはアメリカ出身となっていることなのである
アメリカ人ともなっている、北海道出身という場所性はほとんどないのである
私自身は常に自分の住んでいる場所をベースとして書いている
場所を離れて自分自身もないのである
場所をアイディンティティとして常に語っている
インタ−ネットでは地域メデアでもある、その地域地域に根ざして発信している
でも何かもう一つのその地域のことがわかるものが見つけられないのである
私のプログを読めば相馬という地域が見えるものがあると思うからだ

なぜyoutubeがもう一つなじめないのか?それは話すことが中心であり文章ではないからでもある、どうしても話すことと文章にすることは違うからである
でもボードに文を書いて説明するとわかりやすくなる
話すだけだともう一つ理解しにくいと見た
もう一つは短編になるので長い文のように一貫したものを把握にしくいことである
二人は本も出しているからそれを読めば理解は深まる
だからyoutubeであれプログであれ本であれ表現の仕方が違ってくる
そこで伝える内容も違った印象をもつのである
それはメデアが違うからそうなる
でも個人がこうしてメデアをもつことは今までなかった、個人がテレビ局になることはありえなかった、だから何かとまどうものになっている
私自身はしゃべることが苦手である、でも家に閉じこもって書くことは向いている
人に会うのも苦手である、だからひきこもりになった
何か人と会うとひどく疲れるのである、それで今つきあっているのは一人しかいないのである

2020年06月15日

相馬新報の趣旨 (新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)


相馬新報の趣旨

(新しい技術、新しい報道、新しい創造が世界を変える)

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●郷土の歴史の発見

●郷土の文化の醸成 

●新しい芸術の創造

●郷土の新しい報道

●郷土の危険の警告

●権力の対抗、報告

私のプログで何をしてきたのか?何を追及して来たのか?
そのことをふりかえると結局2011年からの震災による津波、原発事故がありこのようなことがはじまった、もともと俳句とか短歌を作ってきたし芸術を追及して来た
それでルネサンスというホームページを作っていた
それはwin が出た時であり私の場合はその前からパソコン通信もしていた
それはワープロでありたまたま通信機能がついていたのでしていた
その時点でパソコンをもっていた人は本当に少ない、特別な知的作業をしている人であり優秀なエリートが多かったのである
私は技術関係ではない、パソコン自体その時はそういう人たちが参加して開発していたのである、だから理系の技術者が多かったのである
そこで富士通のオワシスの親指シフトを覚えてテキスト文を早く打てることでなじんだ
まず文章がいかにして早く打つかがパソコンを利用するには不可欠だったからだ

その時はそれが何なのか理解できなかった、人間最初はそういうものなのだろう
新しいものがでてくるとそれが何か理解できないのである
奇妙なことにこうして新しいものができるとき負の現象として新しい犯罪も生れて来る
今になるとそうした犯罪は普通に起きていることでもわかる
電話が作られたら電話を通して詐欺とかいろいろな凶悪な犯罪が起きる
これが技術の宿命でもある、そもそも技術は必ずその技術を利用した犯罪が起きてきた
第一戦争自体がその技術お応用であり技術の発見は開発は戦争を通じて行われたのだ
ヨ−ロッパでは戦争が絶え間なく行われ技術が開発されてきたのである
それが技術のカルマであり人間のカルマだったのである

ともかく人間の歴史は技術発展の歴史でもあった、その技術が社会を変えて来た
グーテンベルグの印刷技術が本を出版できることが世界を変えた、誰でも聖書を読めるようになり宗教改革があった、新しい技術が世界を変える
だから最初パソコンでも何かわからなかった、パソコンに通信機能がついたことが世界を変えた原因だったのである
それが今のITと世界に普及したのであり今や中国がその最先進国になったとも驚きであるなぜなら私が中国に行った二十年前とかは中国は最貧国だったのである
そこで蒸気機関車も走っていたし出稼ぎ車が車両に鞭で家畜のように詰め込まれて運んでいたのである、そんな所に乗ったら外国人は死ぬとされていた
それがみるみる新幹線まで走って通信世界では世界をリードするようになっているのも信じられないとなる

だからこのIT技術の変化でいろいろな方面に社会全体を世界を変えるしそれは進行中なのである、一番の変化はメデアである、報道関係である
これまではマスメデアでありこれはどれだけ力をもっていたか、それは巨大な第三の権力となっていた、なぜなら六局しかテレビでは報道できない、それがどれほどの力をもったかおしてしるべしである
テレビによって政権自体も変えられるほどの力をもったのである
大衆をテレビで洗脳して操作することができたのである
特にNHKとなるとNHKの言うことは世論でもありそれに逆らうことはできない
地球温暖化と言えば科学的根拠がなくてもそれが通じる
NHKの言うことは正しいのでありそれに逆らうものは非国民とまでなっていた
それだけメデアの力が大きかったのである
大衆はNHKがこう言っているからとなればそれに逆らうことができなかったのである
それで今NHKそのものをこきおろして批判している人が普通にいるというのも時代が変わった

とにかく映像の時代である、映像のインパクトが強い、それでデジタルの時代になりデジタルカメラが出て来た時、映像の時代に拍車をかけた、現像写真をとるのは金もかかるめんどうだったからである、その時写真をとったものがあってもわずかしか残らなかった
右田の松原の写真をとったものはそれで貴重だったがはっきり映っていないし残念だったそれが右田の松原が津波で消失したのだからその記録が貴重なものになったのだ
映像も記録として貴重になるものだと思った
郷土史というとき歴史でも記録が基本にある
それで相馬藩政史に「生波(津波)で700人溺死」という二行の記録が発見されて驚いた、それまでその記録を知らせる人もいなかったのである
だからこの記録がいかに大事なものだったか今になるとわかったのである
なぜならこの辺では津波は来ないと確信までなっていた
それはチリ地震津波のことしか体験していないからである
400年前の津波のことを知っている人はいなかった
第一この記録さえ学者すら知らなかったのである

ただ東電の技術者は科学者は十数メートルの津波がくると予告してその対策をするように進言していた、でもコストがかかるから対策をしなかった
このことは報道もされなかったように思う
それは福島民報でも福島民友でも調べればわかるかもしれない、つまり肝心な重要なことが報道されないことがある
それは全国紙でも同じである、国の運命を決めるようなことでも報道されない
くだらない芸能のゴシップなどを報道する
それはなぜかというとテレビはコマーシャルで会社の宣伝費で成り立っているからである
すると視聴率をとるために大衆向きの放送をするのである
そうして肝心なものが知らされず結果的に原発事故のようになり故郷にも住めなくなったのである、だから大衆側にも問題がある
自分たちの生死にかかわることすら関心がないのである、そうして権力者側のいいなりになるだけだとなる
福島民報は官報と同じである、50パーセントが県で出資して後は聖教新聞を刷っているのである、だから自民公明の言うなりの権力の下僕なのである
何か政府にとって権力側にとって不都合なことは報道すらしないのである
それは県民のためにも郷土のためにもならないのである
ただそうなったのは余りにも新聞というのは金がかかりすぎるからである
第一新聞という紙をするにもそうである、それは一軒一軒配るにてしも莫大な金がかかるのである、だから権力にこびてそこで援助を受けてしか報道できないのである

だからこの報道関係でインタ−ネットは一番影響した
個々人が個人レベルがyoutubeのように放送局をもてる、新聞社にも出版社にもなれるからだ、自分のプログは表現が限られているにしろこんな無料のプログでもそれなりに表現できるからだ、ワードプレスとかにすればもっと表現の幅が広がるがめんどうなのでやめた、何か技術に追いつけなくなった

それにしてもなぜプログで書き続けて報告しつづけて自分のしたことをふりかえる
すると自分のしてきたことが理解する、なぜなら何をしているのかよくわからないでしていた、それは震災以後の急激な変化がありそこからこのプログの読者も増えたからであるこれは読む方でも新しいものは簡単に技術関係でも何なのか理解するのに時間がかかる
新しいものはそれだけすぐには人間社会にとりいれられないしなじめないからである
マスコミとは今までの新聞とかテレビとかと違ったものは簡単に理解できないのである
それはインタ−ネットを利用して発言したりする人でもそうなのである
自分のしていることがわからないのである

それで奇妙なのはインタ−ネットとかに無数に出ている写真を映像をパソコンのソフトで抽象画にすることだった、これも自分でしていて不思議になった
こんなことで絵画のようになるのかと自分自身が不思議だったのである
それは新しいパソコンから生まれた芸術だったのである
技術とはもともとartであり新しい技術が生れれば新しい芸術が生まれる
報道でも新しい技術が生れれば新しい報道が生まれる
人間は常に古いものがあり新しいものを追及して来たのである
新しいものを作れないものは衰退する

日本が衰退した原因はどこにあるのか?

新しいものを技術でもなんでも作れない

ここにあったことは間違えない、電器製品を作ったとしてもそれはまねたものであり発明したものは欧米である、だからそれは一時的なものとして終わった
今でも別にそうした電器製品は中国でも韓国でも同じものが作れているからだ
中国製のテレビが安いと今では買ったりしているからだ
ただ中国でも韓国でもITでも欧米からアメリカのコピーなのである
それでアメリカが盗んだとして怒っているのである、つまり中国の発明品ではないからだだから新しいものを発明する提供することがどれほど価値があるか知るべきである
それは別に高度なものでなくてもそうである
料理だってそうである、同じ料理ばかり出してもあきられる、常になんでも人間は新しいものを求めているからだ、芸術などは特にそうである、それは常に独創的でないかぎり認められないからである、でも最初はなかなか認められないのである

ふりかえると報道自体が刷新する、新しい形態になる、それは旧メデアからは生まれない
新聞とかテレビは巨大な独占企業だったのである、第三の権力として君臨していたからである
それがyoutubeのようなものと同列化してゆくことの驚きだった
youtubeの方が学びとしては優れているのも驚きである
学習機能に優れているのである、そして個々人の個性が反映されるのである
それなりに有名な歴史小説家がyoutubeで発信している、それで興味深かったのがその人の人生そのものだったのである、北海道からでてきてアメリカにわたり仕事をしていたとかその人生が破天荒だったのである、小説よりその人の人生に興味をもったとなる
この人はそれなりに有名でもテレビに出ていないのである
何か思想的過激なものはテレビに出ない、武田邦彦氏は科学者として一流でもテレビに出されないのと同じである
今までのマスメデアはマスコミが人を選ぶのでありマスコミが主導した番組作りをしていた、何か不適切な発言は許されないのである、マスコミは必ず番組を作る前に編集会議をして方針を決めて放送しているのである
勝手に個人の意見など言わせないのである、例えそれが正しいにしろ真実にしろそうである

結果的に重大なことが国民の生死にかかわることも報道されなかった

十数メートルの津波が来る!

こう東電に科学者が報告していたのに対策をせずに原発事故で郷土は深刻な放射性物質の汚染地帯になり住めなくなった

それは報道をマスコミが怠ったからだ!

これも原因だったのである、なぜなら朝日新聞から前マスコミの幹部が原発が爆発した時中国に招待されていたからだ、そうしてマスコミは東電からまた電事連から800億という巨額な金が宣伝費としてもらっていたのである
なんら報道の使命を果たしていなかったのである
マスコミにはもう真実の報道は期待できない、インタ−ネットの興隆ですたれ第三第四のメデアになりまた消滅してゆく、つまりyoutubeと同列化してゆくのである
何か優秀な人でも数人集まれば報道はできる、テレビでも解説もできる
それをしているからだ、アメリカでビジネスしている若い女性でも今回の黒人暴動でも報道している、そこに住んでいるから深く現実に影響を受ける者として報道している
それはそこに住んでいる人からの場からの報道こそ信頼に値するのである
それは国内でも同じである、報道とはそこに住んでいる人が第一に生死にかかわる
それは原発事故で証明された、故郷に住めなくなったという大被害を受けたからである
だからなんでも土着的なものとしてある、離れると真実は曲解されるのである
それで東電は福島で原発が起きたとき幹部が東京にいて吉田所長ともめた
それは吉田所長が現場を指揮していたからわかることがあり離れた東京と意思疎通できなくなっていたからである
いくら通信が発達しても離れていたので意思疎通ができなくなっていたのである

だから現場から報道することの意義は大きいのである、そういうことを私はプログでしてきた、それは弱小にしてもその意義があったことをふりかえる
それが成立ったのは現場からの報告だった、現場に住んでいる人の報告だったからである場所があらゆるものの基なのである、場所こそ共有するアイディンティティであり場所なくして何か存在意義する見いだせないのである
その場所の感覚から離れると必ず曲解されて伝わる、だから確かに世界のことが日々報道されても場所のことが理解できないから誤解されるのである
テレビの一場面は常にフェクニュースである、それでイラク戦争の問油まみれの海鳥は作られた映像でありそれが世界中に影響したのである
そういう危険性が映像の時代の放送にあることは注意すべきである

NHKのスバルで村が海の水がおしよせて水没したとかもそれは全体の一部であり全部のことは放送していない、回りは普通の状態だったのである
一部分をきりとって全体のようにしたのが温暖化をあおるNHKが作りだした映像だったのである、確かに温暖化にはいろいろな見解がある、でもそうして映像で真実を伝えず一部分を切り取ったものが全体のように見せることが嘘でありそれを放送することは犯罪なのである、それでマスコミの報道が常にネットでチェックされ批判される時代になった
また黒人暴動でもスマホでとった黒人の殺人現場が世界中に広まったことでもその影響がいかに大きいかわかる、それはマスコミが報道したのではない
一人の無名の女性がスマホで撮った映像が世界中に広まったのである
youtubeでも広まることがある、そういう時代になったのである

相馬新報というとき狭い範囲でも土着的でありその場に住んでいる者が報告する
それは狭い方がより土着的になる、だからいわき新報とか郡山新報とか福島県になると
会津新報などがあってもいい、会津は特にもともと万葉集時代から会津嶺の国をさ遠く・・と国として唯一認識された地域だからそれがあってもいい
歴史的な面ではあるが今何が起きているかはインタ−ネットで報告されているのか良くからない、インタ−ネットの問題はありすぎて何か報道しても埋没して知られないのである私のプログがある程度知られたのは津波と原発事故があったからである
そこから相馬新報になったともいえる


2020年06月11日

カメラのレンズで歴史をみる (日本が技術的にも優秀だとうぬぼれるのは危険だった)


カメラのレンズで歴史をみる

(日本が技術的にも優秀だとうぬぼれるのは危険だった)


メーカーごとのマウント一覧
ライカ   M マウント L マウント
キヤノン   EF マウント FD マウント
ニコン   F マウント
ソニー − A マウント E マウント


日本のカメラ産業の競争力分析
望月 宏

日本のカメラの歴史を紹介している、ソニー − A マウント E マウントとありこれはソニー用だったのかとなる
そもそも私はソニーは電気関係の会社とばかり思っていた、デジタルカメラの前にカメラを作っていたのかとなる
現実にレンズに関してはミノルタの技術を取り入れてデジタルカメラを作っていた
となるとミノルタのレンズとは相性がいいのかとなる

日本ではドイツからカメラの技術を学んだ、今でもドイツと連携している、風力発電もドイツの技術者が来ていた、日本独自の技術はほとんどないというのが現実である
ただ改良した結果として世界でも通用する誇れるものにしたということである

カメラの技術はスマートホンでも利用される、監視カメラでも利用される、映像の時代になったときカメラの技術でもレンズでも重要なものとなった
日本の技術は優れているというとき何か日本で発明したものではない、改良改善したものである、だから日本人は技術先進国のように見ていたがそうでなかった
原子力だってももともとアメリカの技術をまねたものであり日本がで技術が優秀だから事故は起こらないということに洗脳されていた
日本は優秀だとか、日本が特別な国で神の国で優秀だから戦争に負けないというのも過剰な自尊心から生まれたのである、それは危険なことになった

日本人は津浪の被害の歴史が生々しく伝えられているのにスマトラ地震で津波の大被害があったときも日本だったら警戒しているからあんなに死ぬことはないのにと言っていた
それもまた日本人の奢りだった、日本人が苦手のはどうしても島国であり他国との接触が直接的ではない、間接的になる、すると「他山の石」という感覚を持てないのである
海を隔てて世界を見ることは弱点になる、地政学として長所として働くがマイナスとしても働く、大陸国だと絶えず異民族が否応なく侵入して規制の社会を壊して新しい社会を作ってしまう、日本自体が異民族に支配されたことがないから内輪で物事を処理できたのである
腹でかるとかいちいちその理由を問う必要もなかったのである

とにかく技術に日本人は相当にうぬぼれていたのである、それは高度成長時代に電器製品が売れたことにより日本は技術的に優れているという先入観を植え付けられたのである
その優秀さとはあくまでも外国の物をまねてコピーして改良改善したことによるものであった、日本人が発明したものではないのである
それはカメラの歴史の一つでもそうなっている、だからこそなぜ日本が今技術的にも遅れをとっているのか?それはもともと日本人が優秀で技術的にも優れたということではなかったのである
日本は確かにそういう自尊史に陥り安い国なのである


それは漢と争った夜郎自大国と同じである、漢などたいしたことがないと戦争した
相手は鉄の武器をもっていたが夜郎自大国では青銅器でありあえなく敗れた
漢などたいしたことがないというときアメリカはたいしたことがないとして戦争して負けたとにているのである
つまり技術力では漢が優れていたしアメリカが優れていたのである
別に日本には日本の歴史と文化があり誇るべきものがある、それはどこの国でもある
ただ日本は特別で神の国だとか宗教にもなるのは危険だったのである
日本は世界のことを肌でしりえない地理にあったとでそうなった
それでも日本独自のものがあり文化があり歴史がありそれは尊重されるべきなのである
ただそれは他国にもるから他国の文化も歴史を尊重するべきだとなる


カメラ一つとってもそこには歴史があった、ミノルタのレンズ技術をソニーがとりいれたというときそうだったそういう技術が継承されてソニーのデジタルカメラが作られた
そのカメラの基はドイツだったということである、車を作る技術はドイツと日本とアメリカしかないというときやはりこの三国は技術先進国である
でも日本の技術はほとんど外国から取り入れたものであり自国で発明したものがほとんどないのである
技術的にでも学術的にでも科学でも発明したものは欧米だったのである
日本で発明した技術があるのか、それが世界で利用されているかとなるとないだろう
日本の発明品とは何かとなると日本語だったとなるかもしれない
漢字を取り入れる前に大和言葉があったからである、だから日本語は日本が発明したものである
でもどこでもその国の言葉があるから日本語が特別優れているのかというのも疑問であるつまり言葉はそれぞれの文化だからである

とにかく日本のいい点はあり悪い点もある、それはどこでも同じである
日本の危険は何か自尊史に陥り安いのである、それが危険なのはそれで戦争になったし
また原発事故も起きたことなどがあり戒めるべきだとなる
個人的にうぬぼれることは危険になってくる、国でも同じでありそれが滅びにも通じている
技術でも必ず歴史が関係してくる、どうして今の高度な技術になったのかをカメラの歴史からふりかえる

今回面白かったのはカメラとレンズのアダプターである、これに接合することがむずかしい、メーカーが違うとうまくいかない、そのことは例えば国際関係でもそうである
日本は中国とアメリカの和を保つ接合するアダプターの役割がある
それは韓半島もそういう地政学的役割があり今もつづいているからだ
アダプターとして接合する国なのである

2020年06月10日

Amazonの通販で買い物の失敗 (レンズのことがわからないで失敗)


 Amazonの通販で買い物の失敗

 (レンズのことがわからないで失敗)

lenzubase.jpg

 広角のレンズが欲しいとAmazonで8ミリの広角レンズがあったのでこれは凄いと思ってすぐに買ったのが失敗だった
そもそも自分にはカメラの知識が欠けていた
レンズでも買ったことはあるがそれはずいぶん10年とか前だったのである
それでもそのレンズがソニーのα6000にあっていたからレンズがあうのかなと思って買ってしまった
その前に近くカメラ専門店があれば聞いたが今は仙台市にもコロナウィルスで行けなかった

別にこの買物はむずかしいものではなかった
だけどカメラの素人にはEマウントカメラとAマウントカメラの区別がつかなかった
その時表示していたのがメーカーを選ぶことでありソニーの選んだから合うと思った
でもそれは簡単にわかることだった
まずシグマの会社に電話して聞くことだった
ただこの電話を大きなメーカーだと電話が通じない、ソニーでは有料対応になっている
でも500円くらいだと聞くことができる
知識がないものは今通販の買い物で失敗するときがある
レンズのことはほとんど知らなかったからである
カメラを使っている人はデジタルカメラの前から使っている
その時に使っていた人はレンズのことを知っている
かえってそのレンズが古くても映りがいいと言って使っていた
デジタルカメラでも使えるそうした古いレンズでいいのがある
レンズ自体はかえって古いのでいいのがある

それを返品しようとしてAmazonで調べたら不安になった
なぜなら中味を開けたら箱でも壊したら半分の値段にするとか書いてあったからである
すると4万で買って2万になるのかと躊躇した
それからこれを使えないかとアダプターがあるのを聞いた
でもそれも三万以上とかして躊躇した
それも動作は保証できないとシグマの本社の人が言って教えてくれた
ソニーの方は有料でめんどうなので聞いていない
これは本当は動作するかどうかメーカーに直接聞くべきだった

なんでもソニーではミノルタのカメラをレンズでも引き受けたとかある
ミノルタのカメラ技術を取り入れてソニーで電子化した
ただ私の記憶でぱソニーがデジタルカメラ専用だとばかり思っていた
おそらくミノルタとかでも何か古いカメラメーカーがデジタル化する前にあった
それから電子化したのがソニーだと見た

まずシグマの8ミリの広角は他にないと思い即座に買ってしまったのが失敗だった
これは自分の落ち度だった、それをアマゾンに電話で連絡して返品で金が返るのか聞けたのが良かった
そこで案内してもらい安心した、だから電話対応してもらわないとわからないことがあるただ電話対応となると手間がかかる、それでAmazonでも電話対応をやめていたのだがまたはじめたので助かった

とにかく新しく名取にできたビックカメラの人は親切に教えてくれた
シグマに電話してみて聞いてみてはといわれ、聞いたら電話対応してくれた
他にソニーにも聞いてみたらといわれ調べたが電話対応しているが有料だった
この教えることが有料になるのはやむをえないだろう
なぜなら教えること自体かなりの手間だからである
買う人も今は別になってもしかたない思った、商品自体が種類が多くて買うのさえむずかしいのである

自転車では試乗できないから乗り心地がわからないから高いの買うと困るのである
それでヤマハの電動のロードを買ったが25万してもほとんど使わずに終わった
これは大失敗だった、でもヤマハのマウテンバイクのYPJ-XCは本当に優れたものであり
乗り心地がいいのである、自走する感じにもなりこれは乗り安いから老人に返っていいものだったのである
それで病気になった同級生に紹介したらいいものだと言っていた

カメラについてはなかなか奥が深いからレンズとなるとめんどうになる
なぜカメラが奥が深いかというとレンズがデジタルカメラの前に大量に出ていて中古品の市場となっているからだ、レンズ自体はデジタルのではなくてもいいものだったのであるおそらくカメラは機械でもそうだがレンズにも左右される商品である

とにかくヨドバシカメラの対応した人は良くなかった、何も教えてくれない
要領がえなかった、ただあそこは東北では一番カメラには強い店である
ただコロナウィルスのことで行けなかった
今の時代こうして機械でもカメラでもなんでも複雑化している、するとどうしても教えられないとわからなくなる、ただインタ−ネットが発達してあらゆる知識が検索できる
でも問題は検索の仕方がわからないとか何か行き詰まることがある
そもそも初歩的なことがわからない人は検索もできないということである

今日ゆうちょで返品として送った  

名取のビックカメラの人に教えてもらい感謝します





2020年06月07日

「相馬新報」にタイトルを変えた

                                      
「相馬新報」にタイトルを変えた

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プログのタイトルを題名を変えた、相馬郷土史としてはじまったがその他いろいろなことを書いたので似合わなくなった
そもそもインタ−ネットという技術からして新しいものでありその技術で新しいものが生まれる
だからこれまでのメデアとして新聞があり雑誌があり週刊誌があり月刊誌がありいろいろあった、でもこれらは個人でやるのは金銭的にも無理でありできなかった
このインタ−ネットは個人をベースにして新聞であり雑誌でありyoutubeだとテレビ局になっているのだ

これまでのマスメデアは巨大なものでありテレビだと六局しか放送できなかった
そこには莫大な資本がかかるから報道を独占して権力をもった
それでマスコミの報道に洗脳される結果になった
特にNHKは絶大な力をもっていてNHKの放送すること国民の世論を形成したのである
NHKが言っているから正しいとまでなっていた、国民から全員から強制的に金をとって報道しているのに偏向報道していたのである

相馬郷土史とか相馬学とかでも何かあっていない、相馬新報というときあっている
それは相馬地域からの土着した場を重視した発信だからである
それがリアルタイムでもインタ−ネットでも可能になった

ただ正直一人でやるとなるとこれまでしてきたけど楽ではない、プログでも本当は
ワードプレスとかでも試したがめんどうでやめた、またフェスブックもやろうとして設置したが一回も発現せずに放置した、ホームページもWIN95から始めていた、これも放置したままである、それで表現する技術も進歩した
だから早い時期からはじめてここにいたっているが技術が変わりついていけない、何でも一人ではできない
スマホから読まれるのも多くなった、それで私はスマホはしていないから技術的についていけなくなった
スマホから読まれることでインタ−ネットも一般化したこと確かである

人間はやはり常に革新であり新しいものが生まれることが喜びなのである
それはあらゆる分野でそうであり新しいものを創造することが人間に与えられた使命なのである
だから最初新しいものが何かわからないのである
私自身自分のしていることが何なのかわからない面があった
でもふりかえると郷土新報という名にふさわしかった
郷土史だけでなく様々な視点から報道してきた、探求して来た
それは津波とか原発事故というあまりにも大きな事件があったためである
それがメインテーマとなったからである
これはどうしても外部より地元が大被害になったのだから地元の人が語るべきこと報道するべきことであったからだ
それは今だにつづいている問題なのである

これはもう大きなテーマとして未来にも託された大問題になった
そこに科学が深くかかわっているのでそれを探求する事は文系の自分には無理があった
そんないろいろな能力がないからである
でも地元だから自分なり放射線量とかを計り報告したのである

相馬新報でもそうだが人間は何か人間は新しいものを作り出すことにより新しい世界が開けて来る、そういう繰り返しなのである
人間に停滞は許されない、停滞は死なのである
技術でもそうだし社会でもそうである、常に改革がイノベーションが望まれる
グロ−バル社会になると世界との競争で旧来のままだと負けて衰退国家になる

だからメデアでも旧来のものは衰退して消えるともなる
マスコミは報道を導いた6局集中の独占形態だった
それがインタ−ネットで崩れた、ただ依然として旧来のメデアに頼る
でもそこから新しい報道でも何か生まれないのである
明らかに新しいものはニューメデアのインタ−ネットから生まれている
ただそれも最初は何か理解しにくい、新しいものは簡単に理解できないのである
明治維新でも江戸時代から明治になったときこれはなんなのだろうと理解できない
変化大きいと理解できない、それは明治維新と戦後にそうなった
あまりにも大きな変化でありそこで旧来のものが新しいものになったとき最初は何か理解できないのである
つまり技術でもインタ−ネットとかでも何か最初理解できない、それでとまどう
でもその技術になれて一般化するとそれが当たり前にもなるのが歴史なのである

ともかくどこに未来があるのか、その未来を作ることが新しい世界を作る
何かいろいろなものが日本でも行き詰まっている、それは新しいものが作れないからである、明治維新のように新しいものが作れない、それであらゆる面でゆきづまる
世界に後れをとる、日本は政治経済教育技術であれ新しいものを作り出すことが強いられている、そうしないと日本は衰退国家となって取り残される
そういう岐路にたたされている
それは中国が巨大化するとかアメリカが衰退するとか国際政治でも日本は岐路にたたされている、経済とかでも本当に日本が貧困化して上級と下級に分断される
そして暴動さえ起きるのではないかと危惧されるように格差社会となる
それは資本主義が限界に来て機能しなくなりギャンブルとなりカジノとなり道徳なき経済となっているからである
そこにも大きな変革が起きて来る、それは銀行の役割がなくなったことにも現れている
つまりあらゆるもので変革が迫られているのである
もしそれができなければ衰退国家となり日本は今度は中国の奴隷国家とされる

戦後はアメリカの加護の下に高度成長がありえた、でもそれは冷戦とか国際情勢の幸運によっていたのである、それがなくなったとき中国とアメリカのはざまで日本は新たな危機にさらされる、でも日本の地政学はどちらにも組みしない、東西を結ぶつなぎ役なのである
ただそれは日本がやはりそれなりの大国でないと無理である
小国では結局どちらかの属国の継続なのである

いづれにしろ日々状勢は変わる、コロナウィルスでも今度は世界自体が変わる、考え方まで変わる、これも時代の要請で生まれたのかとまでなる
何か神の意志が働いて世界が変わるのかともなる、易姓革命である
どうしても老人は時代の変化についてゆけない、でも老人は経験があり深い見方ができるだから無用なものではない、人生百年時代は特にそうである

自分自身でも今ようやく成果が現れたと感じる、だから人生百年時代は成果を出すのが遅くなる、高度成長時代は経済一辺倒だったが企業戦士の時代だったがそれも変わる
これからは文化の時代になる、内面の時代になりそれそれの創造の時代になる
ただ高度成長時代に培ったものが人生百年時代に華開く
やはり豊かな時代を経験しないと文化創造は生まれない、ルネサンスは生まれないのである、だから高度成長時代はその基を築いたのである

それが人生百年時代に華開く、だから日本は経済的に衰退しても文化の面ではこれから栄えてゆくように思う
インタ−ネットはそうした表現の場として優れているからだ
こんなプログでさえ表現できることでもわかる、無料で誰でもできるからだ、他では表現の場を与えてくれないからである、つまりインタ−ネットはyoutubeもで個々が表現する時代になったのである
その表現するものにもいろいろある、多様な表現の社会になったのである


神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい
十弦の琴をもってほめ歌をうたいます。詩編-ダビデ

2020年06月03日

記者の避くべきこと (公正中立を保つためには隠者になること?)


記者の避くべきこと

(公正中立を保つためには隠者になること?)

有名な新聞記者スモレー氏は,ハーバース雑誌上に記者の資格について論述するに当りて
記者こるの避くべきこと、二ケ条をあげたり

一、多く人と接すべからず
一、問をかくべからず

而して記者と深報者との肝要なる別あるべし
公平独立の観察は隠遁者流の者ののみに世に供するを得べしと述べたり、卓見と謂うべし
(内村鑑三)

これは意外である、なぜこのことに共感するかというとき何か自分でホームページを立ち上げてプログでいろいろ書くようになった
その時、自分が記者の端くれになったと自覚した
記者の様なこたとをして報告するようになった
それは津浪と原発事故が起きてそれが地元の自分が住んでいる場所だから否応なく地元のことを報告することになった

なぜ一、多く人と接すべからず・・とか言うのか?

普通は記者とはいろいろな人と逢い情報を仕入れてみんなに知らせるのが役割である
まず人と接しないとしたら何ら情報は得られないのである
でも黒川検事とマージャンしていた新聞記者が批判されたのはそこで客観的な立場ではなく親しい仲間となった、そうなると新聞記者として真実を追及して報告することはできなくなる
でもまたそうした検事でも接しなければ情報は得られないのである
新聞記者の仕事は第一多くの人と接することなのである
取材とかでもそうである、だから人と接しないでこの職業が成り立つのかとなる
それで意外と思ったが自分自身がまず人と接しないから共感する
引きこもりのような状態をづっとつづけてきたからである

問をかくべからずとはよくわからないけど深報者とは仏教者のことらしい、とすると何かそれは常に問うものである、
人生にいかにあるべきとか問うものである、でも記者は何かを問うのではなく真実を事実を伝える者でありそこが違っているとなる、だから何か勝手にマスコミが編集して操作して事実を曲げて粉飾してもフェクニュースにすることは一番記者とてはしてならないことである、でも現実は事実を事実として伝えない、マスコミの意図があって編集して操作して伝えている
それが巧妙でわからないことがある、そのトリックに気づかいなのである
マスコミはただ事実を伝えることに生きがいを感じない、社会を政治でも自民党なら時の権力者なら攻撃して転覆させるとかの意図があって報道しているのである
だからその意図にかなわないものは報道すらしないのである
そこに視聴者は相当に不満になっていたのである、それでインタ−ネットが出てきて様々な個人がそこで経験したことを知ったことを報告するようになったのである、だからマスコミの比重は相当に低下してゆく
マスコミ自体が常に批判の対象になってしまったのである

この意味するところは記者が公正な立場に立って報告をするというとき情実が生じて来るまた権勢家と権力者とかかわるとどうしてもその権勢に従うようになりそこから利益を得るようにもなり公正な立場がそがれる
そもそもマスコミが批判されるのはまさに独立の立場をとれないからである
会社の様々な団体の宣伝費によって運営すること自体がそうである
また視聴率第一になるのもそうである、そこで本来の趣旨より面白おかしく芸能人を呼んで大衆向きにする
つまり娯楽番組であり何か政治とか現実の様々な問題を真剣に追求することはなくなる
そこから原発事故でも800億円という宣伝費がマスコミに費やされていた
そのことから原発の闇が生れて真実は報道されず大事故になりとりかえしのつかないことになった          

おそらくどうしても公平になるにはある団体とか組織とか派閥に入ると公正さが失われる第一にその所属する組織団体の利益を利権を優先するようになるからである
だから公正中立になるには何かの派閥とか党派に組みしないことである
でも実際は何らかの組織とか党派に派閥に属していないと力をもてない
それで一個人が取材させてくださいとしてもそんな人を受け入れないのである
門前払いで終わりである
でもそもそもそうして団体に組織に派閥に属しているから取材を受け入れるというのも
すでにその時偏っているのである、取材される方も相手を受け入れるのは権力をもっているからだとなるからだ
そこで権力ある者と権力ある者が利益を共有するようにもなる
それが黒川検事とマージャンするということで起きた
新聞記者と検事のなれ合いとなりもともとは不正を追及する立場の人ができなくしていたのである

とにかく「神は偏り見ない」というとき人間がこれを実行するのは至難である
なぜなら内輪のことでも家族のことになると家族に属していれば家族が悪いことをしてもそれを正すことがしにくいからである、家族だとどうしても利益共同体だからそうなる
そこに肉親の情もあり余計に偏り見ないことができない、偏って見てしまうのである
それで裁判では肉親は弁護できないのである
私が原発事故の補償金で追及した時でも自分の住んでいる区で自分自身が不満でありそれで他の区を批判したともなる、人間はなんらか必ず利益を得たいとなるから公正に見られない、ただそういうことがあっても私自身が特別の利益を要求したわけではなく不公正が大きかったからそれは偏ったものではなかったと思う
ただコロナウィルスの支援金でも必ず公正にはならない、不公正が生まれるのである

現代の退廃はあらゆる部門で場所で職業倫理でも喪失した
その職業が何を目的として何を期待されて何を果たすべきなのかわからなくなった
ただ金をもうければいい、金を得ればいい、利益がすべてだとなってしまった
利益をあげれば金を得ればそれでいいしかないのである
それは社会全体でそうでありグロ−バル経済になると全くそうした倫理的なことが消失した世界の経済なのである
見えざる手によって導かれるとういがそんなものは成り立たないのである
だから一握りの人に世界の富が収奪されている
つまりカンジ―の言う道徳なき経済(商業)なのである

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳)」

@ 原則なき政治

A 道徳なき商業

B 労働なき富

C 人格なき教育

D 人間性なき科学

F 犠牲なき信仰 

二宮尊徳はまさに道徳なき経済は犯罪だと言っているのだから手厳しい
現実にグロ−バル資本主義とは本当に犯罪だともみる
一部の詐欺集団が犯罪者であり莫大な富が収奪されているからである
公正な市場などでありえないのである
また金融資本主義には労働などない富なのである
なにか世界的ギャンブルのようになっているからだ、市場が賭博場のようになっているからだ

だから記者とか報道関係に従事するものではモラルが喪失している
真実は追求されずそれが原発事故にもなって甚大の被害を与えた
何かモラルの退廃がそれが大きな事故とか崩壊に通じている
ローマ帝国もモラルの退廃で滅びた、もともとは質実な農民が基となり建国したからである

記者のミッションがあるがこれも何か失われた、真実を追及して真実を明らかにして世に貢献する、そういうものがなくなった
マスコミはテレビは大衆に娯楽を提供する場となった、そうしたのはまた大衆の方でもある、いくら高等なことを言っても大衆が欲している低俗な娯楽だとしたらローマのようにパンとサーカスにならざるを得ないからだ

現代は何かそれぞれの職業で職業倫理が喪失した、ただ金だけを利益だけを求めているだけである、もちろんそれを全部否定はしないとしてもその目的とモラルを失っている
グロ−バル経済では範囲が広すぎるしまたそこに人格など働きようがないのである
倫理が人格に由来するとすればもう人格など通用しない世界だからである
大衆社会とか機械社会とかAI社会の盲点はそこに人格が消失した倫理も消失した社会なのである、そんな社会がとても理想の社会とはなりえないのである

2020年06月01日

規格が統一されないと何でも使いにくい (カードでもケーブルでも数が多いと使いにくい)


規格が統一されないと何でも使いにくい

(カードでもケーブルでも数が多いと使いにくい)

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デジタルカメラのケーブル
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平均の規格を出す数式


一度スーパーキクチのカードを無くした、それが偶然見つけた、でもまたなくした
そうなったのはカードで買い物する場合、私はキチクスーパーとシシドスーパー両方に行く、それで一枚のカードで買えるビザカードだと便利でとなる
何か何枚もカードがあると使いにくいからなくしたりする
10枚くらいカードをサイフに入れている人もいる
そうなるといちいち選び使うからめんどうになってなくしたりする
一枚だったら楽なのである

だから金でも本当はグロ−バル化したらドルが世界貨幣として通用させた
でもそうなるとアメリカの金融支配となる
石油がドルでのみしか決済できないとなったからだ
それでイランの石油は世界で買えなくなった
ただイランと中国とは石油の取引を独自の銀行を通してしていた
中国はこうしたしアメリカの一局の金融支配に対抗して独自のデジタル貨幣を使用するように動いた

今日見た妙法でその仕組みが語られていた、SWIFTというブラットホームを通じて外国からの送金を仲裁している、そこはアメリカの手中にあり手数料がとれる
また銀行が日銀を通して金のやりとりしていることも説明した
つまり日銀を通してのみ銀行が金のやりとりができない
それと同じように世界でも仲介する銀行が必要でありそれがSWIFTだという
アメリカの強さは金融を支配してドルが世界貨幣になっているからである
それをつぶそうとするとアメリカはその国を許さない、だから中国を敵視する
イランでアメリカ軍に殺された人は軍人ではなくこうしてアメリカを通じて取引することを拒否した人だったという
とにかくここにも根深い対立が生れていた

たしかにユーロ―になる前にヨ−ロッパを旅行した時は不便だった、いちいち国が変わると両替しなければならなかった、ただそれで国が変わるということでコインを集めたりして楽しんだ思い出となった
その国に旅したという記念ともなった
でも人間社会はどうしても一つの規格になると何でも使いやすい、でも規格化することはその規格化をする国が力をもつことになる、今はアメリカなのである
ただ規格化しないと大量生産だってできないのである

それで困っているのはデジタルカメラのケーブルである
パソコンに取り入れるのにケーブルがみんな違っている、十個くらいケーブルがある
他にも使うからある、もしこれが一つで間に合うなら楽である
なぜメーカーごとに違っているのか?それが理解てきないのである
それで記録するusbメモリーカードでもカードリーダーを使うようになった
一部ソフトの具合でパソコンにケーブルを通じてとりこめなくなったからだ

ともかく規格化すれば日本の企業でもそれによって富を独占できる
日本の規格化だからである、そういうことで日本でデジタルコインの規格化しろというのもわかる、日本の円の方が世界で信用できるからだとしている
また香港が金融のハブでなくなるときシンガポールに移行するとか今度は日本に移行するようにするとか画策する
金融を握るだけで送金したときなど銀行のように手数料が入るからだ

ともかく紙幣とかコインはコロナウィルスで嫌われるようになった
だから余計にデジタル化とかIT化が進むようになる
ただカードでも一つになると使いやすい、それでカード会社もしのぎをけずった
つまり他者との競争でも一つのカードで使えるといいからである
その一つの規格が選ばれると利権を独り占めになるからである

ただ金融というのはわかりにくい、だからこそ国際資本家に莫大な金が流れて格差社会になる、その金は実際は汗水たらしてためた世界の人たちの金なのである
世界規模になると何かその不正すら見えない、そんなグロ−バル化経済とか市場とかは成り立たなくなる、それでグロ−バル資本主義は行き詰まり自壊してゆく
今こんなにコロナウィルスで困っているのに景気が落ち込んでいるのに株だけがあがる
ここにも株とか金融は実体経済と乖離している
いくら株が上がっても実質経済は巷では失業者が増えているのに株が上がる
そういうことは何かもうグロ−バル経済市場とかは作られた虚構の世界、イリュージョンなのである、つまり紙幣は紙きれになる、紙幣がいくら貯えられてもそれでもう経済は成長したり豊かになれないのである

金はこうして仲介業者により世界でもぬきとられている
                                                                          

 SWIFT(国際金融決済機関)

2020年05月25日

武田邦彦氏とし加治将一氏のyoutube発言の比較 (反するものがあるが共通するものもある)


武田邦彦氏とし加治将一氏のyoutube発言の比較

(反するものがあるが共通するものもある)

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武田邦彦 テレビじゃ言えないホントの話! 



武田邦彦氏と加治将一氏の日本論を比較すると私の場合どちらにも共感する
確かに武田邦彦氏は日本礼賛であり鍛冶将一氏は縦社会の日本階級社会の元凶は天皇を頂点とした既得権階級の利益のためにあるとしている
一方で武田邦彦氏は天皇は偉いというのではなく天皇を頂点にして後は平民はみんな平等にしたシステムだとしている
つまり日本はまれにみる平等社会だとしている

ヨ−ロッパ―とか大陸は王様がいて貴族がいて90パーセントは征服した異民族でありそれは奴隷だった、それでslaveがスラブになりそれが奴隷民族をさしていたとなる
つまり戦争で民族同士が戦いそれで優劣を決めて負けたのもが奴隷にされる
その過酷な世界が大陸一般に通じる社会だったのである
だから新種差別なども黒人奴隷なども未だに形が変わってもアメリカに継続されている
コロナウィルスでも白人とかより倍も感染して死んでいるからだ
アメリカは超富裕層と貧困層に二分化されている

要するに日本は世界でぱ特殊なのでありそうした奴隷が階級社会があるのが普通の社会なのである、人間は歴史的に優秀な貴族と奴隷になる人間とに分化していた
その優秀さを決めるのが戦争だったのである
だから大陸の歴史は戦争の歴史だったとなる
日本も戦国時代があったし戦争があったにしても大陸と比べると熾烈な民族絶滅させるような過酷な戦争はない、適当なところでおさめる、殿様が腹を切れば戦いは終わりその殿様に仕える家臣は助けられるというのが多い        

それでまた戦争しても敵味方塚など戦った敵味方でも供養している
それは東北に攻めてきた九州と薩摩長州の兵でもそうである、それは碑として残されているのである、なぜ敵を供養するのかということが中国から来た人には理解されない
なぜなら中国では敵の墓を暴いてもばっしているからである
つまり中国も大陸でありその歴史はヨ−ロッパとにている、絶えざる異民族との抗争が歴史である、日本には異民族はない、みんな日本人なのである
日本人の根底には同じ日本じゃないかということがある
それで勝海舟と西郷隆盛は江戸を戦場にしないことで合意した
それは同じ日本人として同じ武士として通じるものがあったからとしている

加治将一氏はアメリカ暮らしが長い、それもビジネスしていたのだからアメリカ人にもなっていた、もちろん武田邦彦氏も科学者としてじかに外国人と欧米でも一流の人とじかに接している、そこが日本だけにしか住んでいないものとの差が大きい
でも言うことは根底から違っていても共通したものがあるのが不思議である
加治将一氏はしきりにフラットな愛のある関係を説く、武田邦彦氏は日本人は平等だとしきりに言う、天皇がいたとしても天皇以外はみんな平等なのが日本人だとしている
そういう歴史を作ってきたのが日本人だとしている
これは一見違ったようにみえても両者とも共通したものがある
つまりアメリカが外国がフラットな社会ではなく日本こそがフラットな社会としている
両者の意見が違っているようでも加治氏が日本が縦社会の階級社会、既得権社会だとしているが日本はもともと平等社会だとしている

もともとアメリカは王様がいないところから始まった、リンカーン大統領は丸太小屋に住んだヨ−ロッパからきた開拓者であるからだ
だから当然平等社会になっていた、それでホイットマンの詩が生まれた
そこであらゆる人を詩にしている、アメリカに住む人はみな平等であり同胞だとしている確かにその時代はそういう社会がアメリカだった、今は途方もない格差社会になっている数ハパーセントの人が富を独占しているからである
だからアメリカこそ縦社会であり階級社会であり貧富の格差になっているフラットな社会でないのである、そこをなぜ加治将一氏は指摘しないのか批判しないのかわからない
それでアンテークコインに投資している、それもわからないがアンテークコインは富裕層の資産保全のために構築された場である
なぜロスチャイルドがそのアンテークコインで財産を築いてそれで世界を支配する富を手に入れたと陰謀論になるからだ

確かにホイットマンの詩はhuman flat relationになる、それに共感する
でも日本人こそが実は武田邦彦氏の言うようにhuman flat relationの社会だったとなる
同じように外国生活していても見方が違ってくる
内村鑑三はアメリカに留学してアメリカが拝金主義なことや様々な悪い点を見た
そして日本のいい点を見直した、だから外国の宣教師でもキリスト教でもそれは本来のキリスト教でぱないとして批判したのである

ただ奇妙なのは両方が対立しているうよで共通しているものがある
天皇を頂点とした縦社会既得権社会だということにも私は共感する
また天皇を頂点して天皇だけは別格として後は日本人は平等だったということにも共感する
ただ加治氏がアメリカを批判しないのは理解できない
つまり今をみればアメリカがむしろ最大のフラットな社会ではない、極端な格差社会でありそれを見習うことはできない、大国はどうしても中国でもそうなように一将なって万骨枯るになりやすいのである
あれだけ巨大な国を治めるとなればどうしても強権になり一党独裁になるからだ
それでコロナウィルスにしてももうそんな大きな国を統制できなくなるのである
それでかえって小国がコロナウィルスを封じ込めることができたのはそこで政治でも治めやすいからである、ガバナンスが行き届くからである
それでまた今回のコロナウィルス騒ぎでかえって地方自治体が大阪モデルなど適格な判断ができて指導できたとされる、これも異論があるが地方自治体の方が手の届く支援も支持もできたとなる
大陸だと歴史的にどうしても巨大化して大帝国化した、そこで大量の奴隷が生れ王を頂点とした階級制が生まれた
日本にはそういうことがなかったのは日本は島国でありそれも割と大きい島国であり特殊な環境にあったからである

とにかくyoutubeの発言は他にもいろいろある、そこでかえってマスコミには出ない人が自説を展開するのはいいことである
マスコミだとマスコミの意図にかなう人しか発言できないからである
だから武田邦彦氏などはテレビに出ていないのである
拒否されてしまうのである、医師会などあからさまに批判すればそうなる
なぜなら医師会とかなるとお医者様の団体となれば怖くて批判できない
庶民だと病気になったら診てもらえないのではないかという恐怖になる
それは原発ともにていた、電事連が800億円も宣伝費をマスコミに出していたからである、それに逆らったらマスコミ自体が成立たないなにっていたからである
医師会の言うことを自民党も無視できない、選挙の時は医者が頼りになる、たいがい地方の有力者だからである

ただここで両者ともなぜ熱があったとか体に異変があって医者に行っても診てもらえなかったとかそれで死んだとかありそれは医師会のためにそうなったともしている
病気になったら病院に行く医者にみてもらうのが当然だからである
そのために保険料を払っているからである
そこでもやはり共通して怒っている、これも医療のことでもわからないから国民は気づかないし専門家の言い訳があるからわからない
それも原発で核のことがわからないと同じだったのである
専門家の言うならば従うほかないとなる、知らない奴は口だすなとなる
それで原発事故では地元に故郷に住めなくなったのである

だから両者の意見は違っているのだがまた共通しているのがあるのも不思議である
ともかくyoutubeは個人が主体だからその個人の思想なり生活なりを診るのが違っているメデアである
マスコミはマスコミが主催してマスコミの意向を通すものでありそのために人選があるそれに反するものは拒否される
それはNHKでも同じなのである、そこで意見が言えるのはNHKの意向にそったものである
それで武田邦彦氏は温暖化はないというときもうNHKは温暖化をしつこく言ってキャンペーンまでしているからNHKからにらまれてテレビには出れなくなったのである
だから福島県のマスコミもそうである
原発を批判することなどなかった、なぜならやはり莫大な広告費の分け前を得ていたからである、この報道でも相当に日本は歪められたのであるフェクニュースでも惑わされた
だからこれからは常にマスコミは糾弾される対象なのである
それは日本の方向を歪めてしまい国民を誤った方向に導くからである
マスコミ自体が批判される時代になった、それはマスコミにはマスコミの意向がありその意向にそった編集をしている

そしてマスコミ自体がフェイクニュースを平気で流している
六本木なのか原宿なのか自粛が解除されて人でにぎわっている光景を写ししていたがその映像が古いものだったのである、他でも鉄道ファンが集まったとかも自粛より前の古い映像だったのである、こうして映像にもだまされるのである
それも気づきにくいのである、だからマスコミは今や常に批判的にみてネットからその真実を暴かれるようになった
六局独占の時代は終わったのである、新聞でももうもたない、旧メデアは報道するのに金がかかりすぎるのである
プログなどになると報道するのは無料なのである

ただやはりもう一つわかりやすい構成にしたくてワードプレスとかしようとしたがこれもなかなかできなくなった、つまり技術的にめんとうになった
それは歳とって技術についていけなくなったのである
ホームページでも作り直すのもなかなかできない、意外とこのインタ−ネットの作業が時間がかかるのである
ただテキストは親指シフトでなれているから早く打てるのでできている
でもプログを同じもの二つ作ったのが失敗だった
それが手間になっている、それを変えることもできなくなったのである
フェスブックも設置してみたが使い方がわからないから一度も発言も返事もしていない放置したままである
まずプログに文章や写真をアップすることが第一でありその外のことをする時間がないのである
なぜなら家事も全部一人でしているから時間がないからである

2020年05月16日

マスコミとテレビの報道支配の終わり (ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)


マスコミとテレビの報道支配の終わり

(ネットで多様化、相対化、常に批判の対象に)

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「利益や保身のために自分たちの主張を通す。特定集団を守り、そこに対抗する人々を攻める」

テレビに「結論ありき」が跋扈する悲しい事情 なぜ都合の良いコメントだけを切り取るのか

msn ニュースpowered by Microsoft News(2020−5−15)


原発事故で避難した人が飯舘村の人が相馬市のトマト農家に雇われたことを断られた、相馬市の津波の被害者を優先的に雇ったからだ
そのことを飯館村の人に言わせた、するとその時見ている人は相馬市の農家はこんなに苦しんでいる時冷たいなと見た
自分自身もそう見たのである、でも実際はそれが冷たいことでもなんでもなかった
相馬市の津波の被害者には補償金が出ていないからだ

まずこの辺では補償金の額が多い、小高より浪江が多いとうらやましがったり浪江よりおそらく飯館村も多い、億の金が標準的にもらった人がいるだろう
最近近くの復興住宅に入った浪江の人は5000万近くもらったと言っていた
この額は土地をもっているとか家とか財産をもっていると多くなる
それが少ないか多いかは判断はできない、被害者に見れば当然であり少ないとしている人も相当いるからだ
ただ補償金をもらえない人ともらえた人の差がまた大きかったのである 

NHKの社員が取材に来ていたので直接聞いた
そしたらこのMSNの記事と同じことを言っていたのである
下の者にわかりません、上の命令通りに動くだけです

何か編集会議が行われそこで指針を上の人たちよって決める、この場合は原発避難者側につくということで編集して放送することにしたという
つまり上の人たちで決めた方針に従って決める
だからその方針に沿ったように編集するのである
だから専門家を呼ぶ場合でもその方針に沿ったヒトを学者でも呼びコメンとさせる
それで専門家が自分の趣旨とは反するとして文句言ったのである
つまり専門家の発言をそのまま採用されるわけではないのである
またテレビでは時間がないためにもそうなるとしていた
短い時間で放送しなければならないから長い発言はさせないのである

つまりテレビというメデアにはそれなりの特性がある、それはテレビ局が一方的に上の人たちによって方針が決められそれにそって取材して編集して放送されるのである
それで武田邦彦氏は常にテレビをNHKをも批判しているのはそのためである
武田邦彦氏は科学者であり専門家である
すると強固が科学者としての自負があり軸をもっているのだ
それをyoutubeだと一貫して話しているしそれもテレビ局のように切り取ったような発言ではなくその人自身の科学者として専門家としてしている
だから科学に弱くても素人でもなんとなく理解するようになった
何かそこにはぶれない軸があり一貫したものがあるからである
人間はそもそも科学でなくても右でも左でも一生をぶれないことなのである
その人なんであれ信用できるとなる
でもテレビ局はテレビ局の意向がありそれにそって科学者でも専門家でも呼びテレビ局の意向にそったものとして編集される

結局テレビとかマスコミとは中立でもなんでもない、テレビ局のマスコミの方針があり科学的なものとしてそれが真実でもそういうことを追及していない
何か国民受けすることを放送する、原発事故だったら避難した人が眼に見えて苦しんでいるということがありそれで原発避難者側についたのである
でも仮設住宅には原発避難者と津波被害者が住んでいたのである
その差が大きかったから一緒に住んでも話もしなかったというのは理解できる
一方は億の金をもらい、津波の被害者はもらっていないからその差が大きかったのである
ただNHKで報道するとそれが科学的に正しいとしても歪められる、武田邦彦氏は温暖化はないとしている、その科学的な真実を追及することは素人にはむずかしい
でもNHKがそういうことでそれが真実となり国民の世論になることが怖いのである
NHKはそれだけの放送する力をもっているからだ
ただNHKでもその後は津波被害者のことを考慮するようになった
いわき市の住宅でも原発避難者と津波の被害者がいた、その時も原発避難者側について
仲間に入れてくれないとか津浪の被害者を批判するようにしむけていた

なぜなら

津波の被害者にはしゃべらせなかったからだ!

つまりNHKでは双方の意見を言わせない、原発避難者しか言わせなかったのである
だから一見公平に見えてもそうではない、NHKの方針が咲にりその方針に沿ったように編集されているのである
するとなぜ津波の被害者は原発避難者を受け入れないのかとなり国民は津波の被害者を良くも思わないようになる
ただこういうことに気づいたのは自分自身が地元に住んでいたからすぐにそのことに気づいた、外部になるとこういうことが気づきにくくなるのだ
その土地の事情などわからないから結局短絡的に短い報道でテレビ局の方針に報道にのせられることが多いのである、外国とかなると余計にそうである
そこに報道の問題が常に生じることになる

原発事故では補償金でもめた、飯館村でもそのために二分化した、それはNHKで放送していたがそこは公平だったように見える、双方の言い分を言わせていたからである
とにかくテレビとかマスコミの報道はネットで相対化される時代になった 
youtubeは何かわかりやすいのと学習できることにある
一貫してその人の立場でその人の主張が言えるのである
そして対話的なことも違っている
だからネットのニュースでもこうして自分は対話してのせている
新聞記事でもテレビ報道でもなかなか自分の批判をのせることはないからだ
第一例えは新聞社でもその新聞社を批判したりマスコミを批判したりしたら誰もその意見を言わせたりしないからだ
だからこれまでは報道の自由はない、マスコミとテレビ局の方針に沿ったものが報道され編集されて国民に伝えられていたのである
特にテレビは一方的洗脳メデアだったのである

とにかくメデアが報道が問題になるようになったのはナチスはラジオから生まれたというときそうである、ラジオは国民を洗脳するものとして力をもった
ラジオがそんなに力があるのかとなるとそれでもあった
今はテレビであり映像の時代だから映像が力をもつようになった
それでイラク戦争の時、油まみれの海鳥がテレビで放送されたとき世界の人が

イラクはひどい国だ!

こう瞬間的に思った、ところがその海鳥一羽が油まみれになっていたのはその部分を見ていたそうなった、回りはそうなっていなかったのである
それはアメリカによって作られた映像だったのである、その影響は世界を動かしたからいかに映像の力が大きいかである
テレビの映像の問題は一部分をきりとったものであり全体は見えないのである
コロナウィルスでもスーパーにトイレットペーパーがなくなっている棚を見せる
すると

全国的にもトイレットペーパーがなくなる!

こういう恐怖心をうえつける、それて買いだめとかなりパニックにされるのである
別に他のスーパーの棚にはあったりするが全国でトイレットペーパーがなくなるという恐怖心になる、つまりそれだけの力がテレビ局にマスコミにあったことが問題だったのである
だからインタ−ネットでマスコミやテレビ局の報道が相対化させることがいいことであるそれで最近テレビをあまり見なくなったのである、新聞を見ていないのである
どうしてもそんなにいろいろ見れないし読めないからである
ただヤホーのニュースの編集とかmsnのニュースの解説とかは良くできている
今話題の旬なものをあらゆる週刊誌とかからも抜粋しているからいい記事が多いのであるだから習慣的に読むようになったのである

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静岡経済新聞



2020年04月27日

新聞とかの構成はばらばらで理解しにくい (それはネットのようにリンク〈関連)づけがされないから)


新聞とかの構成はばらばらで理解しにくい

(それはネットのようにリンク〈関連)づけがされないから)

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ばらばらになりリンクして連関させて読めない

だから記憶にも残らない

ただシリーズものだと連関して継続して読める

でもそれは本で読んだ方がいいとなる


新聞とか本とか雑誌とかテレビでもメデアによって伝え方が違う
それはインタ−ネットができてから見直すようになった
人間は常に何かを知る時比較しないとわからないのだ
白い石があったとしてもみんな白い石だとしたら白い石だと自覚しない
そこに黒い石とか茶色の石とか交じっていて比較してわかる
人間でも自分を知るには他人と比べる時なのである
またなぜ日本にばかりいるとかえって日本のことがわからない
それで外国暮らし人は外国と比べて日本を見るからかえって見えるのである

メデアでも本でも新聞でもテレビでも長い間親しんできた
だからそのメデアが当然だと見ていた
でも何かおかしいなと新聞を見て気づいた
日刊新聞だが日刊現代とかだがその内容ではなく新聞が配置するものである
大きな見出しで分けられて見るのだがでも一社の新聞が編集して作る
でもそれが読みにくいというか理解しにくいというか記憶もしにくい
何かばらばらに記事が書かれていて統一性がない
その中にエロとか広告も混じりさらに統一性がなくなる

かえってインタ−ネットの記事が読みやすい、ヤホーでもmsnのニュースでもあらゆる所から記事を引用して解説を読むとわかりやすい
今はどうしてもコロナウィルスの記事が多くそれについて関連しているからわかりやすい
つまり関連させることリンクさせるとわかりやすい

人間の関心は多様である、でも新聞とかテレビとかでもそうした多様な関心は無視して
発行する会社の方針で編集している
だから様々なものがばらばらに新聞にのせる
その記事同士はつながりがない、リンクだと関連して読めるから内容を深めて読むことができる
そして知識を深めるということはそうして関連したものをつなぎあわせてより深い知識にすることである
それが新聞とかテレビとかではできない、一方的に作る方で編集されるからである

だからどうしてインタ−ネットの記事の解説を私は引用してその記事の内容をより深く考察している、それは引用でも自分が主体となっているから著作権違反にはならなん
何かこうしてインタ−ネットでは引用することが容易なのである
新聞とかでも雑誌とかでもめんどうになる、でも時々は引用している
インタ−ネットで読める雑誌を切り取り引用している

インタ−ネットの特徴はもともとパソコン通信から始まったからレスがレスポンスが大事だった、だから対話的メデアという特徴をもっていたのが今までのメデアとは違っていたのである
自分なりに理解を深めるには必ず本を読んだとしても自分なりの解釈が必要になる
それで必ず何かコメンとする習慣をつける、それがインタ−ネットではしやすいのである
とにかくリンクするというときA⇒AB⇒AAB⇒AAC⇒・・・・とかなる
何かAというエレメントから連環してリンクして理解を深める
それでその場限りのばらばらの新聞の記事が特に日刊現代とか夕刊フジとかだと頭が混乱して理解できないし脳が整理できないのである

インタ−ネットでもやはり何かを一貫して追求している時理解しやすい
私のプログでは津波とか原発事故のことで一貫して追求してきた
次にコロナウィルスでも一貫して追求してきた、それは原発事故と比べて追及して来た
その他自分の場合はテーマが多すぎることがあった
それで読む方にすると読みにくいということがあったかもしれない
ただ何か相手に読まれるというより自分の日々の記録として書いているということもあった
ただ最近は家事とか忙しくて対話はほとんどしていない、対話となると人間は簡単にできないように思う、すぐにコメンとされても相手のことがわからないからである
だから何か自分の場合一方的になってしまったのである

人間はただ「習うより慣れろ」である、機械でも使いこなすには結局なれるほかないのである、それが能力というよりは慣れることの方が大事になる
それで若い人は最先端の技術に機械や道具にふれて慣れるから有利になる
それで50くらいから人間は新しいものを受けづらくなる
それでどうしても若い人の方が時代に適応するのである
私がパソコンをしているのはワープロをしていてワープロで通信までしていたのである
だから早い時期からしていた、それは富士通のオワシスで親指シフトで日本語の文章を打つことができて今もやれているのだ
このパソコンでも基本はテキストであり文章を書くことにあるからだ
これがないととてもローマ字入力ではスムーズに文章が書けいないから挫折していたとなる

とにかく現代はメデアの変化も激しい、youtubeなどでもそうである
そこにはテレビには出せない人たちが自ら放送している
今までのマスコミには出せない人たちがいて編集している、すると真実が見えなくなる
ただあまりにも多様になると情報を追いかけるだけで時間が消えてゆく
ただ今やインタ−ネットでスマホなしでありえない世界となった
コロナウィルスでテレワークとか通信で学習とかなるのも時代なのである
むしろ通信で才能を伸ばす子供が若い人たちが出て来ることは確かである
通信の世界から天才が生まれることがありえる
学校では生まれないITデジタル天才が生まれる可能性がある、一部は生まれている
ただアナログがすたれることはない、人間はやはり対面的に全人間としてのコミ二ケーションが必要だからである
ただ正直旅したからといって親切に道すら教える人はいない、だからみんなスマホを見ているのである
人は意外と道を教えるのでもそれが強制でなければ金でももらえなければまともに対応しないからである、つまりいい加減になるのである

いづれにしろ新聞でもテレビでも何か伝えられないものがある
それは作る方の一方的メデアだからである、それを摂取する方の立場に立っていない
そして営利事業だからどうしても万人向きに作るから芸能とかスポーツとかあらゆるものを混交させることが何か理解しにくいものとなっていたのである

2020年04月01日

理解しにくい人物ーその顔の不思議 (youtubeとかに出た人物評の試み)


理解しにくい人物ーその顔の不思議

(youtubeとかに出た人物評の試み)

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SakuraSoTV

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そもそも人間は他者を本当に理解しにくい、それは別に有名人でなくても普通の人でも理解しにくいのである
まず住んでいる地域から育った環境から職業の相違も大きい、その人の個性から世代からと様々な条件が違って理解しにくくなる
一人の人物を知るということは本当にむずかしくなる
そして理系と文系となると何か人種が違うのか互いに必ず理解しにくくなる
武田邦彦氏は理系と文系の知識と経験を備えているから文系の面からだと理解しても理系の面からとなると理解しにくいのである
特に私は文系だから理系が理解しにくく評論できないのである
でも理系的思考というのがありそれを知ることはできる

今日sakurasoTV(桜チャンネル)鈴木傾城氏が出演していた、その顔は出ていたが体まで出るとなにかもともと異色だったけど体も大きくて貫禄があると見た
ただプログでずっと読んでいたがその顔との差があった
プログだと何か若い人のなかと錯覚する、本だとたいがい認められた人として読む
でもインタ−ネットになると何か浅薄な人でも自由に発言できるから軽く見られる

でも今回のさくらTVに出演していた人で本当に異色な顔貌をしていた
あの人はなんなのだろうと私などには理解できない、アジアのは売春宿を回りその実態を知らせる、それ自体なんなのか理解しにくい
でもその言っていることは魅了されることがあるから読者が多いとなる
要するに底辺層に接していてその底辺層から上からの目線で学者として見ているのではない、他の人は学者だったのである
その顔を見ても学者なのである、私なんかも何か学者的なのである
でも鈴木傾城氏は違っていた、右翼の武闘派の親玉のようにも見えた
体も何か大きく見えた、そもそも武闘派の主張をしていたからである
なかなか右寄りでも学者はいるとしても本当の武闘派はいない
プログだけの発言して死んだ都築詠一氏は武闘派だった
その顔を見ることは私はなかったがその人なりが文章に現れていた
その人は顔を見なくても文体からイメージできたのも謎である
まさに文は人なりとなっていた

この世には強烈な天才的な個性をもった人間はいる、まれだがいる
ただ危険なのはそういう風貌とか体つきとかから人間を判断すると危険なのである
何か自分は体でも貧弱でありあらゆる能力が劣っているからそういう人にあうと崇拝してしまうのである
それで前の師を偶像化した、偶像崇拝になった、これが危険だった

キリスト教を知るには聖書を知るには神とは何かを知ることで一番大事なことは偶像を崇拝しないことだからである
必ず人間は眼に見えるものを偶像を崇拝するようにできているからだ
だからあらゆるものが動物でも石でも星でもなんでも神となる
でも本当の神は決して目に見えないし見ることも絶対にできないのである

もし見えたらどうなるのか?

必ず卑しめられる、それはなんだこれが神なのかとなり卑しめられた
キリストが神の子だといていって肉体を備えて現れたときに卑しめられることはまねがれなかったのである                                        
神は妬む(ねたむ)神なのである

神は存在する、でも偶像を崇拝する者にねたむ、そんなもの神じゃない、私こそ神だとして現れる、神より上に立つものを許すことはないのである
だから妬むというとき神は人間の持つ心があるということになる
なぜなら普通神ともなればそうした感情は下等なものでありそんなこと気にしないとなるからだ

でもどうしてユダヤ人は神を認識したのか?

それは偶像を崇拝していてそれで神の怒りをかって真実の神を知らしめられたことは確かである、その神は見えない神なのである

とにかく人間の顔は不思議である、youtubeでは顔出すから文章より顔をまず見てしまうのである、こんな顔しているのかとまず顔を見てしまうのである
それはテレビでもそうである、顔が大事になる
それでラジオ全盛の時は声だけで放送していた、でもテレビ時代になると顔が大事になり人気があった人もなくなって番組からおろされた
テレビではアナウンサーでも顔が大事であり美人でないと受けないともなったのである
テレビだと文章ではない、まず顔を見てしまうからである
顔から判断するということがあるからだ
本だったら顔は関係ない、書いた内容で判断している

それで加治将一氏のyoutubeを見てしきりフラットフラットな関係と言っている
アメリカ暮らしが長いからアメリカ的人間が作られたともなる
まず外国暮らしをしてきた人と日本だけでしか暮らしていな人の差が大きいのである
外国暮らし人は比較で日本が見える、それはささいなことでも実生活から日本との比較ができるようになっているからである
ただ本を読んでとかテレビを見ていたとかではない、肌で知っていることの差なのである私は外国で暮らしたことがないからどうしても外国がわからないから視野が狭いのである

いづれにしろこの人の顔を見ると本当に気さくでありアメリカ人的だなと見る
あまりアメリカ人は上下関係を作らない、それはホイットマンの詩を読めばわかる
平民を主人公として詩にしている、そういうことはヨ−ロッパとか中国では起こりにくいのだ、まさにフラットな人間関係なのである、大統領さえフラットなものとしてあった
みんな大きな大陸でフラットな関係として詩にしている
例えば中国とかアメリカの基となっているヨ−ロッパでも歴史が古いから王様がいて貴族がいて上下関係がある、ヨ−ロッパはフラットではないのである
日本が歴史が古いからフラットではない、天皇中心にしたヒエラルキーを構成してきたと批判しているのもわかる、ただ日本の風土に関してそんなのがないというのはありえない
そしたら季語があり俳句短歌があることも否定されるからだ

とにかくこの人のことも理解しにくい、そもそもアメリカで不動産関係で仕事してアンテークのコインに投資していることも理解できない、そんなに一千万するコインがあるのかと理解できない、だから何か人間を理解することは難しいのだ
同じ日本人でもそうして生い立ちとか仕事ととか違うし理解しにくくなる
でもその人の顔を見たら何か気さくであり本当にフラットな感じなのである
それは誰でも気さくに声をかける上下関係もないアメリカ人になっているからかともみるアメリカに15年も暮らしていれば当然アメリカ人気質になっている
そういう点は好感がもてるのである
この人の顔から何か特別なものを感じないのである、その辺にいる気さくなアメリカ人となっている

それで人間自体が顔まで移民でも代々住んでいるとその民族と同化して同じような顔になるということを何かの本で読んだ
確かに日本人そのものがもう戦後はアメリカ化したからアメリカ人になっているのかもしれない、純粋の日本人はまれだろう
戦前だと天皇を神として戦争したのだから純粋の日本人は多く存在したろう
戦後はまるっきり変わった、アメリカに支配されたし日本人自体がアメリカ人になったのである、それはアメリカに暮らさなくてもそうである
なぜなら戦後はアメリカに同化するように生活自体がそうなったからである
そこで日本人の良さも失われた、日本人気質も失われた
顔とは確かに親の遺伝子から受け継がれたものが基である

日本人の気骨も失われたのである、明治には武士道がまだ活きていた
それで内村鑑三のような武士道キリスト信者が生まれた
日本は戦後そうした素地が喪失したのである
つまり日本人は骨なしになったのである、だから日本人は外貌でもアジア人ではないアメリカ人になっていたのである
アメリカでもいい面と悪い面がある、日本人でもいい面と悪い面がある
ただ日本人を形成する骨格となるものがない、骨なし日本人になったのである
だから日本人は実際はアメリカ人になったのである
その生活形態も考え方でも何でもアメリカにならったのである
それでアメリカ人の悪い所も習ったのである
金だけを唯一の価値としたのもアメリカ人にならったからである
戦前は金だけではない日本人的価値が義理人情でもあったと言われるからだ
戦前は何かまだ日本人的なものが残っていたのである
それが戦後は全く日本人的なもはのを捨ててアメリカ一辺倒になったのである
だから日本人が顔までアメリカ人になったと見るのである

顔は人生の中で作られるのである、双生児でも環境が違うと顔まで違ったものとなっていた、つまり人間がいかに環境の影響が大きいかである
公務員が同じような個性のない顔しているとか会社員でも社畜とか自ら言っている人たちはロボットのような顔になっているかもしれない
例えば夫婦でも顔かにてくる、似た者同士になるとかもそうである
私があった夫婦は奇形的な顔の夫婦になったから異常だった
子供の時あっただけだからその嫁となった女性の変わりように驚いたのである
もう人間からはずれたものになっていたのである

心理学者の内藤誼人先生によると、顔が似てくるのではなく、同じ「表情」をすることが増えるからだそうです。
つまり一緒に暮らしていれば、「笑い」「悲しみ」「怒り」など、同じ感情を抱くことで同じ表情をすることが多くなります

ダンテの地獄編では何かそうして顔が変形している人が良くでてくる
まさに顔にその人の心が現れてそれが奇怪な異様なものとなっていたのである 
顔に責任をもてというとき顔にその人の刻印が押されるからだともなる
この顔は天国行でありこの顔は地獄だと印されているとして選別されるとなると怖いことだと見た

こういうことなのだろう、その奇怪な夫婦はなぜそうなったのか? 
その夫は公務員だった、それは相互作用がありともに奇怪な夫婦として長年の暮らしで作られてきたとなる

だから人間の顔は偽れないということがある、言葉では偽れても顔は偽れないとなるから怖いともなる
とにかくyoutubeは顔が全面に出てくるから顔からまず判断されてしまうのがテキスト中心のプログと違っている
そして一番不思議なのは自分自身の顔がわからない、見えないことである
いくら鏡でもみても自分の顔がどういう顔なのだかわからない、それが心が見ないとにている
それで鏡に映る姿を古代人が最もおそれたことがわかる
それはその人の姿を心も写すものとして恐れた、実際に自分の心でもありのままに写されたから怖い
やましいものをもたない人はこの世に一人もいない
その実相が鏡にあからさまに写されたら恐怖だとなるからだ
あまりの醜さを見て死ぬということもありうるかもしれないからだ

また人間は何か何でも対照的に見ないと見えない、小さな石があったとしても比べるものがなければ小さい石として理解できない
大きな石があって小さな石だと認識できる
だから醜いということも認識できないのである、自分自身の顔がどんなに醜くなっているかも認識できない
だからこそみんな平気で顔を出して生きているのである
その本当の姿を認識できたらショックになる、そんな顔にどうししな成ったのかとなるからだ
もう子供の時と接した顔とは人間とはまるで違ったものとなっていた
その変容には驚くばかりである、もう人間とも思えなくなっていたのである
でもその人自身は自分のことを全く認識できていないのである






2020年03月24日

電子本と紙の本を読む相違 (人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


 電子本と紙の本を読む相違

(人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


このことを書いている本があった、「デジタルで読む  紙の本で読む脳 」という本である、これは高いから読んでいない、私は結構アマゾンで電子本を読んでいる
スマホとかだと画面が狭いから読みにくい、目も疲れるからアマゾンのキンドルを買ったが利用しなくなった、スマホも字が小さいから疲れるから使っていない
でもパソコン画面上で読む電子本は読みやすい、目も疲れない
そしてアンダーラインを簡単につけられるのでいい、電子本だとネットのすぐれた点は検索機能である、これは本にないから大きな利点である

でも本を読むのと電子本を読むのとは何か違っている
その相違が明確ではなかった、どこが違うのか明確に指摘できないのである
確かにこの本を読んだらわかるところがあるに違えない
人間の不思議として記憶するということなのである

人間はどうして記憶するのだろうか?

そのメカニズムがわかりにくい、だから電子本で読むのと紙の本で読む相違がここにでるということでこの本が書かれた
私自身は知識は本から読んで蓄積してきた、ただどういうわけかワープロでパソコン通信時代から文字だけのやりとりをしてきた経験がある
それは私が悪筆であり字がへただから何とか読みやすい字にしようとしてワープロになった、それで偶然オワシスの親指シフトが打鍵しやすいとなり継続できるようになった

なぜならこれがないとまずパソコンでもやはりテキストが主役でありローマ字で日本語に転換するのはかなり時間的に遅れるからスムーズに利用できない、それで継続できないということがあった
なにしろ文章はスムーズに考えると同時に活字にしないと嫌になるからだ
私自身がこれだけパソコンで文章が書けるのはオワシスの親指シフトを使っているからだこれは別にソフトでも「やまぶき」が無料で使える
またオワシスキーボードも3000円くらいで買える
だからこれに慣れれば文章にするのが楽になる

ともかく電子本と紙の本の相違は何なのか、これはかなり人間にとって奥深い問題であるどこが違うのか、それは人間の記憶のメカニズムと深く関係しているからだ
まず紙の本を読むというとき本という一冊で一つの著者の世界を作る
その本は一ページ一ページをめくって読むこともあるが一冊を通読することもある
また途中からも読むこともある、いろいろな読み方がある
私は一冊の本を通読して要点をつかむ、それでもう一時間くらいで内容に通達する

そういうふうにできるようになったのは理解力が深まったからである
紙の本と電子本の根本的相違は一ページ一ページめくって読むのが電子本であり何か飛ばして読みにくいのである、デジタルの世界はそうして一ページ一ページ順序良く読んでゆくことにある
でも紙の本の世界は初めから最後を読んだり途中を読んだりして一冊を連環して読むことにあると思った
一冊の本はデジタル的にではなく連関したものとして記憶するのである

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何か電子本でも紙の本でも内容は変わらないから同じだとなる
でも人間の脳はデジタル的なものがあるがまた何かそうした順序に逆らい通暁するとか通読するとか全体を読むとかある
人間は記憶する時、一部分を記憶するのではない、辺りの全体を記憶するのが人間の脳である、一本の木だけではない、それが丘の上にあったとか森の中にあったとか川の側にあったとかそこに付随するものと同時に記憶されるのである
つまり人間が記憶する時、一つの部品として見ていない、全体の中の一つとして記憶するだから木だけを抽出して記憶しないのである
そこにコンピュターのデジタル思考と違ったものがある
コンピュターは部分の積み重ねとして見る、でも人間はまず全体を見て把握して部分をみる、それが紙の本を読むときもほんの全体を読む、そして部分を読むのである

だから本を読むときあらかじめその内容に自らの知が親しくなっているとき、共感ししているとき理解しやすいのである
この人の書いていることはおよそ理解している、部分的には理解しなくても全体は総体的には理解している、その時また記憶しやすいのである

とにかく人間は老人になれば記憶することが人生だとなる、記憶されたことが人生だとまでなる、それで認知症は今話していたことも忘れる、でも若い時代のことは忘れないので何度も話する、それで戦争のことを千回を聞かされてうんざりしたのである
でもそれがその人の人生だったからあきることなく語ったのである
そのことが一番記憶に残っていた、後は忘れてしまったとなるからだ

電子本でもインタ−ネットでも読むとき何か記憶に残りにくい、それはなぜなのか?
それはやはり電子本を読むのと紙の本を読む違いとなる
でもインタ−ネットでも記事のニュース解説でも私は引用して評論している
そういうことがまたしやすい、ただ記事でも読むだけではない自分なりの見解を述べる
そういうことがネットの利点である
そうすると思考が深められるのである、だから紙の本がみんなだめになったともいえないまた電子本を読んでもだめだともならない、両方の利点を活かすことが必要になる

ただ知的な仕事するにはまず私設図書館のようなもの必要でありそれだけ広い家に住むと頭も働きやすいのである、なぜなら不思議なのは今は下の部屋で仕事しているが二階も広いしそこでまた本を読んだりすると気分が変わりアイデアが湧いたりする
つまり場所を変えると気分が変わる、それで知的な仕事もすすむのである

2020年02月03日

多様な個人が主役になる社会 (マスコミの時代は終わった-youtubeの感想)


多様な個人が主役になる社会 

(マスコミの時代は終わった-youtubeの感想)

Diversified world Multipolarization 

   

多様化となると個性になる、多極化となるとマスコミからyoutubeのような変化である
多元化とはmany rooted landになる
多極化はやはりシステムの変化である、六局だけのテレビ放送は終わった
今やその数が次々に増大しているからだ

最近youtubeを見て発見がある、加治将一チャンネルと今日見たつねあきチャンネルでもそうだった
年配だから人生を語り金融を語り資本主義を語る、それだけ経験があるから厚味と深さがある、やはり40代ではまだ人生を語れないからである
今価値があるのはそれぞれの人生を語ることである
それも多様化であり多極である

こんな人生送っていたのかと驚きがある、加治将一氏などは自分には理解できない
破天荒な人生だったとなる、現代の大金持ちの生活を体験しているからだ
アメリカでも実業していたから驚く、そういうことが自分にはイメージできないからである
若い人には個性がない、それは経験がないからである
人生を経験した人しか語れないからである
それは失敗したことでもそうである、ワインを飲んだ蘊蓄があったがそれも無駄だったというのもそうである、別荘をもってももしあましただけだったとかもそうである
そういうことは自分のような貧乏しか知らない人にはわからないのである

deep max 妙法の中国に関する情報は内容が濃密である、これは中国に専門化しているからマスコミより詳しい
中国の知らない面を知る、語り方もうまい、このチャンネルは明らかに今のマスコミの情報を越えている
中国で干ばつがありそのためにそこから細菌が生まれて流行するとかそしてそこで大型の動物が生き残れない
ネズミが繁殖して移動するからそこから細菌が人にも伝染してゆくという
そもそも大型動物は生存競争で不利なのである、だから恐竜が滅びたが小型の哺乳類は生き残ったのである
つまり中国の様な巨大な国家でもそれが恐竜のように滅びてしまうような弱点があるかもしれない
だから何でも巨大なものがいいとは限らないのである

武田邦彦氏チャンネルとなるととにかく科学に強い、そこから世界をみる
その支点が専門の科学にあり技術者でもあるから世界でも仕事していたからその見方が深いのである、マスコミだとコメンテ―ターとして呼ばれても話すことが短すぎるから
深く知ることができないのである
その主役はコメンテーターではない、司会者なのである
司会者が芸能人になっていることでもわかる
注目するのは司会者でありコメンテ―ターは脇役にすぎないのである

イケハヤ大学だとその住んでいる場所に興味をもった
四国の山の中であり平家落人伝説のある祖谷(いや)に近い
そこにも行ったことがあるから相当山の中だとイメージする
その他世界旅行した生々しい話についても興味をもった

とにかくて多様な人物が語る時代になった、マスコミではそうしして自らを語る場ではないテレビ局でも支持されたものをその人のほんの一部しか語れないのである
youtubeだと誰々のチャンネルであり一人の個人のチャンネルであり自分のことを制限なく語れるのである、だからその人の全体に注目する
例えば本一冊だして読んだとしてもその人の全体はわからないのである
何か推理小説一冊読んだなとかで終わるからである
だからメデアが変わるとその表現されるものがまるで変わるということがわかった
今その変わり目でありまだその全貌はわからないのである

多様化多極であり多元化である、多元化とはそれは様々な土地であり土地が場が個性を作り出している
そこに住んでいる場所の価値が再確認される時代である
それが相馬市が城下町でありそこに隣の庭を活かした煉瓦作りの喫茶店ができた
私が紹介した喫茶店は場所を活かしたことにより価値が生まれた
料理ならたいして変わりないのだがその土地の場のもっている雰囲気の価値が違う
山木屋のガーデンは海が一望にできる、隠れ家の鹿島の海老の喫茶店もそうである
ただ不思議なのは原町にはそういう喫茶店が見出されない
でも北泉とか雫〈しどけ)辺りに海が一望できるから喫茶店があればいいとなる

しかしこんなふうに膨大に多様多極多元化するとそれを追うだけで時間がとられるし理解することも大変だなと思った
でも明らかに老人の価値は人生を語ることである、これは若い人にはできない
そこに教訓を見出すことができる、例え失敗談でもそうである
そういうことが無駄だったのかと知るべきである
つまり共通しているのはいかに時間を浪費したかということなのである
金を浪費したということもあるが時間を浪費したことが一番の後悔だったことが共通しているのである

つくづく現代は百家争鳴の時代になった、これから何か紹介したように団塊の世代が人生を語る時代になった、何か遅い感じがするが人生百年時代は人生を語るのが遅くなる
60からでも70からが人生を語ることになる、それが成熟社会なのである
そういう場が与えられた時代だともなる
ただ60代以上とかなるとyoutubeに出ているのはまれである
電子空間は紙の空間のように制限されない、いくらでも語っても書いてもいいのである
それで延々と個人を語ることになる
ただこれだけ多くなると前もそうだったが読まれたり見られることが簡単ではないそれでただ放置されているだけのチャンネルもでてくる
それはインタ−ネットでは極端なのである

でも何かyoutubeという媒体(メデア)は不思議だと思う、要するにテレビに50年以上なじんでいたからそうなっているのだ
それが習慣となって何かyoutubeというのが何なのだろうと戸惑うのである
これもこれから習慣化すれば別にそれが当たり前となるのである
マスコミの時代は終わったことを告げているのである

ここで時代の変化を表にしている、今までの世界とは違っている
大事なことは今までは高度成長時代でも同じものの大量生産であった、それで日本が外国に輸出することで豊かになった
それが今は通じない、そうした製品ではなく物ではなく情報が価値をもつ時代になった

例えばニュースを語るにしても住む場所も年齢もその人の個性も違うからいろいろな解釈の仕方がある、自分だと郷土史とか調べているからその住んでいる土地と関連して説明したりする、マスコミだとみんな同じになり安いのである
そこで主役になっているのは司会者でありあとのコメンテーターは局から選ばれたものしか出さない、話すことも局の指示通りすにする、そして主役は必ず司会者になっている
そういうシステム自体が古くなったともなる
個々人がyoutubeで語るのが新鮮なのはそのためだろう
個人のテレビ局というのはありえなかったからである

そしてこうなると個々人でもいかに表現するかが勝負だとなる
表現力を磨かなければ見てくれない

つまりマスコミのように同じことを話していては誰も見ない

その人なりの解説がないと見ない、だからニュースでもその説明の仕方が個々人によってその立場によって経験によって違ってくる
そうなると必ず自分なりにそれらの情報を集めて編集することが必要になる
それが手間になる、テレビだとただ一方的でありその報道したことについて個々人は全く受け身になっていた
インタ−ネットではyoutubeでも能動的にその意をくみとろうとする
それが今までのマスコミの情報と違っている 
ニュースとかはマスコミが独占していたけどその解説となると本当は個々人によって違ってくるものだったのである

だから子供からの教育でも変えねばならない、いかに表現するか、表現力を磨くことである、今までの様な暗記ばかりしていては表現力は身につかない
そこで教育もフリースクールのように学校に行かなくてもいいように政府が応援していとかなるも時代の変化である



2020年01月31日

人間の記憶のメカニズム (記録と記憶の相違-記憶するには全体と過程が大事)


人間の記憶のメカニズム

(記録と記憶の相違-記憶するには全体と過程が大事)

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この世の中に膨大な記録がある、人間は文字でも絵でもなんでも今なら写真でも動画でも記録はできる、私自身書いたものが膨大である
その自分が書いたものすら忘れていてもう一度読み返してこんなこと書いていたのと感心したりするのも変なのである
それだけ人間は忘れやすいのである

でも不思議なのは人間が記録することと記憶することは違う
例えば記録媒体によっても違ってくる、本であれ新聞であれテレビであれインタ−ネットであれ写真であれ動画であれ様々な情報にあふれているのが現代である

でも何かこの情報媒体が違っても記憶することが違ってくる
新聞を広げる、いろいろなことが書いてある
その中で興味あるものを読む、するとその興味あるものは記憶に定着する
でもまずそれは一つだけなら記憶しやすい
いろいろ記事があってもはそれも忘れる
ただその人なりに興味あるものは記憶される
でも私はその興味をもったものを記録しないとまた忘れる
それでスキャナーでパソコンに記録する
するとまた読み返すことができる

その新聞の記事を記憶したのはまず新聞を手にとる、紙面を全部見る、そしてその一記事に注目する、そしてその新聞を見た場所がありまた新聞を置いた場所がある
そういうものも記憶として残っている
それはモノだからそうなっている、モノとして新聞がありそのモノを扱うことで記憶しているのだ

でも電子掲示板だとインタ−ネットは電子文字になるからモノとして扱えない
それで膨大に記録はいくらでもできるのだが記憶しにくいということがある
何かモノを扱うのと違うからただ文字が流れて消えてゆくという感じになる
それでいつも興味ある記事でもどこに記録したのか場所を忘れる
電子空間でパソコンで記録していてもわからなくなるのである

例えば記憶とは一つの古い碑が道の辺にあるとするとするとその辺りの空間も意識して一つの碑に注目して記憶に残っているのだ
ただ一つの石碑を見ているだけではないのである
だから博物館に陳列したものは記憶に残りにくいのである
つまり場とともにモノがありモノの記憶が残る
それがただの記録と記憶の相違である
記憶するということは全体をきりとった一部は記憶に残らないのである
それで写真でも全体の一部をきりとったものだからそこから全体を見ることはできない
動画でも同じである、その場所の全体はわからないのである
そこに錯覚が生まれて何でも誤解が生まれるのである

本当に旅して不思議なのは地理を知るには一部分を知ることではない、全体の中に一部分がある、でも記憶媒体になると何でもそれは全体の一部を切り取ったものなのである
世界とは全体のことであり部分のことではない、全体があって部分がある
でも人間はメデア(媒体)がいろいろあるとしても新聞でもテレビでも何でも部分を見ているのである
でも実際のその地に立てば全体から部分を見るのである

今会津について短歌を30くらい作った、それは私は会津の全体を自転車で旅したからである、三回くらい自転車で旅した、それが今になって記憶としてよみがえる
記憶するという時車とかなるとまた記憶に残りにくい、電車でも記憶に残りにくい面がある、やはり徒歩だと一番人間は記憶していることは確かである
その土地を記憶するには歩くとその土地と一体化するからである
また何度も行けば記憶に定着しやすい、だから人間がアイディンティティ化できるのは狭い土地であり広くなるとしにくくなる
何度も見れば何度も出も行けば自ずと記憶に定着するようになる

記憶という時、その部分にあったとかその部分だけが記憶とはならない
ある場所にいたというときそこまで行った過程からその場所を記憶する
あそこまで坂を上り苦労してあの場所についたなということを記憶する
記憶はそうした全体の過程とからも意識されるのである
その全体から部分を意識するとか記憶するというのが人間の特徴である
だからいくら写真でも動画を見ても人間の記憶の仕方は違ってくる

数学でも問題を解くとき解答を出す過程が大事である、その解き方も一つではない
正解にいたる過程はいくつもある、その過程を通じて人間は記憶する
どういう手順を踏むかというのが大事になる
そういう作業を通じて記憶されるのである

例えば芭蕉の平泉で作った俳句の「五月雨の降りのこしてや光堂」というとき
それ5ははるばる奥の細道を歩いてきてその句が生まれた
それと同じように記憶もそうした過程の中で記憶されているのである
だから記憶とは全体の中から過程から記憶される
文章でも文脈がありその全体を知らないと部分だけでは定着しない、記憶されないともなる

とにかく記録と記憶は違っている、人間は最後は記憶に生きる
自分なら旅したからその記憶をよみがえらせて詩とか短歌と俳句を作っているのである
でもそれは常に全体から旅した過程があって記憶しているのである
鉄道でも車でもなかなかそうして全体の過程から見れない、それで記憶に定着しにくい
それで現代の経験は何かかえって便利になりすぎて浅薄な経験しかしてしいないのであるそれは後年に老人になってかなりの損失である
なぜなら最後は人間は記憶に生きるようになるからである
すると記憶に残らないとしたら何にもならなかったとなる
現実に団体旅行した人がどこに行ったかも記憶していなかったのである
こうなればその人は旅したということにもならなかったからである




2020年01月26日

その土地のことはテレビに写されてもわからない (チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)


その土地のことはテレビに写されてもわからない

(チャリダーが南相馬市に来たけど・・・)

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NHKのテレビでチャリダーの放送があった、それを見ていて知っている場所を写したけど
テレビでは動画でも本当のことは伝えられない
案内の仕方も悪かったのだろう
地元のいいところはやはりそこに住んでいる人しかわからない
もちろん外から来た人も地元の知らないいい所を発見することはある
それで何気ないところがいいと外国人が名所にしたりするところがあった

でもテレビの問題は何なのか?
それが万人向きに作りすぎるのである
それが今かえってテレビを面白くなくさせている
万人向きになると何かパターン化してかえってつまらないものになる
でも視聴率をとるためにはそうする、芸能人を起用する

もし視聴率とか万人向きにしないものとしてとれば興味を持つ人はもつ
だからかえってマニアックでもyoutubeの方が面白いとなるのである
何か特別興味をもったことを動画でも伝えられるからである
そこで番組作りした方が確かにそんなに見る人がいなくても興味ある人は見るのである
それを可能にしたのがインタ−ネットでありyoutubeなのである
youtubeは多様化しているからだ
つまりマスコミはマスを対象にしたものは廃れてゆく
それはみんな一律であり真実すら伝えていないからである9

私が南相馬市を案内したらどうなるのか?
まず真野古墳群があったとして前方後円墳がある、ところが寺内の実物は本当にみすぼらしいのである、それが古墳なのかどうかもわからないようなものである
ただそこで案内するとなるとそこに金銅双魚佩が発見された
これは東北ではここしか発見されていないから貴重なものなのである
だからその金銅双魚佩のレプリカがここで発見されましたよとなれば具体性があり興味をもつ
古代史に歴史マニアのような人がいればさらに興味をもつのである

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それから震災のことを伝えるが海老とかの避難地として指定された場所が海側であり危険な場所でそこに30人くらい死んだということを伝える
あれは本当に悲劇だったからである、いくらでもすぐ近くに逃げる場所があったのに
わざわざ危険な場所に逃げて死んだからである
そこに死んだ人の名前刻んだ供養の石碑がある
そこで津波の恐ろしさを具体的に教えられる

ただそうした大衆向きの番組でも地元でも知らない所が必ずある
何かカレーに玉ねぎ一つをのせた料理は面白いと思った
カレーを作るのに私も苦労していたし玉ねぎが自分は好きだったからである
それから一番星という民宿に喫茶店と食事する場所を作った
あそこは何なのだろうと見ていたがそういう場所だと知った
ただあそこは場所があまりいい所ではない
金沢で確かに海があるが東北電力の火力発電所も近いしながめがいいとはならないからだただそこはそこなりに悪いとは言えない場所ではある

ただ喫茶店紹介した新地の花木山と相馬市に最近できたと煉瓦の中村珈琲店と鹿島区の海老のニコニコ堂と薔薇で飾った日立木の磯部の柏崎の丘のカフェ―ドマーニは場所がいいのであるそれでこの喫茶店を回るだけでなんとなくその土地のことがわかる
景観がわかる、ただ原町にはないのが残念である
海が見える場所にあってもいいと思っていたからである

この辺は案内するとなる震災以後は津波のことと原発のことが必ずある
だから津波がどの辺まできたとかここで死んだとか説明が必ずある
ただその記憶も薄れてきている、外部の人はやはり地元より忘れてゆく
でも津波だげはその場に来て立ってみないと理解できないのである
地形と深く関係していたからである

私は介護になってからはほとんど旅行もしないし仙台にも行っていない
ほとんど家にいるだけである、旅もしたくなくなったし何か年取ってから余計に人ごみの中に入るのが嫌になった
ただ家でじっとしているのがいいとなる
だから家が住みやすいことが老後は大事だなと思った
そういう点田舎はなにもなくても静寂とかがありそこでじっとして黙しているのが
自分にとっては幸福なのである

いづれにしろ何かその土地のことでも旅の番組を見ても本当にわからない
テレビでも動画でもわからないのである
だから常にそこには誤解が生まれやすいのである
映像だけから判断するとそうなる
その映像はその場所を伝えていないのである

例えば坂を上ったとしてもその高低がわからない、自転車でもわからない、自ら乗って坂を上ればわかるが映像からだけではわからないのである
寺内の前方後円墳は急な坂を上った高い場所にあるからだ
それは来てみて上らない限りわからないのである
だからその土地の地形とか知るのはテレビをみても地図をみてもわからないのである
それで必ず誤解しているのである

私は日本なら隅々まで旅したがそれでもその土地のことはわからない
でもその土地のことを一度でも行っていればなんとなくイメージできる
それは一度でも行った場所はそうなるがテレビでも映像でも行ったことがない場所は
必ず誤解している、それが極端になるのが外国旅行なのである
それは本でも読んでも映像をいくら見ても実際に見ない限りわからないのである
百聞は一見にしかずなのである

とにかく現代というのは映像の時代である、その映像をみてなんでもわかったような気分になるが実際はそこに誤解が生まれる、映像からだけではわからないのである
地理とか地形とは全体からしかわからない
ところが映像は一部分を取り出してみているだけだからそこに誤解が生まれるのである

例えば大井川の奥の井川線にも鉄道がありそのことがテレビで紹介されたとき私がわかったのは
大井川の千頭が終点でありそこまでまで実際に自分自身が行っていたからなのである
するとそこが終点からさらに奥があったとして認識できるのである
もし大井川鉄道を実際に行っていないならそこがどれだけ奥地なのかわからないのである今は情報が映像があふれかえっているがでもそれで人々の知識とか認識とかが広がったとはもならない、間接的な情報は膨大だけどじかにその目で見てその地に立った認識こそが大事なのである
現代というのは交通も発達しているから点としての認識が広がっても面としての認識がかえってなくなっている
だかち南相馬市でも相馬市でも日立木から街道を歩いて相馬市の城下町につくことが歴史を知ることでありその土地のことを知ることなのである

現代の問題はテレビで動画でも映像でも見て理解している、知っていると思わされるのである、これが何か必ず誤解を生んでいるのである
それはいろいろな事件でもテレビのやらせとか誤解を生んだ原因なのである
映像の力でそう思わせられるからである

ただ地元の人がyoutubeで観光内を作るべきである、市の方でも公開した動画があるから
今はいろいろと地方でも知ることができるのは便利である
ただ番組というのはその人によって紹介の仕方も違ってくるし見方がいろいろある
見せ方もいろいろある、だからこういう面は何か地域の特産物を作るよりバラエティがある、どうしても地域の特産物は限られし簡単には作れないからである
それで事の消費の観光となるとそこにバラエティがいくらでもあり個性が出せるとなる

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この四つの喫茶店は場所がいいのである
ここを回れば地形的なことがわかる
ても原町にはないのが残念なのである

ニコニコ堂はハイドがあっていた、隠れ家のようになっているからだ
隠された場所だとなるからだ

2020年01月19日

youtubeの発言が新鮮-日本に迫る危機 (関心をもったものの解説ー老人がもっと参加するべき)


youtubeの発言が新鮮-日本に迫る危機

(関心をもったものの解説ー老人がもっと参加するべき)

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youtubeは私にはまだわからないものとしてあった、最近かなり見るようになった
youtubeとプログとかは違う、文章でないからテレビのように見れることである
テレビがこれほど見られたのは大衆的にわかりやすいように解説するからである
それがyoutubeだとテレビとにたようなものになっている

それでクリスタルスペインのスペインに何十年をも生活して今も生活している人の発言は新鮮だった、それはそこに長く住んでいて事情を深く知っているからだ
肌で知っているからである
だからニュースの解説でも何か今までにない新鮮さを感じたのである
マスメデアの特派員の報告とは違う、そこに住んでいての実感であり実況放送だからである

それでギリシャの島にシリアからの難民が集中してその人たちが人権もないのかと騒いで暴力沙汰にもなっている、難民をそうしてかわいそうだからとして受け入れるといかに危険なことになるかと日本に警告している
日本も中国とか北朝鮮の難民がおしよせることがあるからだ
中国でぱもともと飢饉とかになると人民が流民化する
一時10数年前は出稼ぎで鉄道で家畜のように詰め込まれて都市部に流れていたのである
実際に鞭をもって車掌はつめこんでいたのである
それだけ都市部への出稼ぎ者が流民となって流れていた

そういうことがグロ−バル化すると起きて来る
大量の難民で国もパニックになり国自体が混乱して崩壊するという危機にひんする
だから簡単に難民を引き受けることも問題なのである
それは野良猫でもかわいそうだとなるが餌をやると増えるから困る
難民もかわいそうだからとしてもではその人たちのめんどうを見れるのかとなると簡単にはできないのである、だから地域猫として管理することが求められているのだ

武田邦彦氏の発言に注目したのは何よりも科学者であり技術者である
その経験がありそこから見る目が違っている
マスコミではそもそも理系の人はいないから科学的なことがわからないからである
そして文系について歴史などにも造詣が深いから現代が生んだ知性だともなる

先日見たばかりの加持正一氏の発言をも新鮮だった
彼もアメリカで実際に長く生活していて仕事して来たということは強みである
つまりアメリカのことを深く知っている、肌で知っている
それで日本がを対象的に見れるのである
また同世代であり人生を語れるのである
人生を語る時どうしても若いと語れないのである
どんな人でも老人になると人生をふりかえり語れるようになるからである
それぞれの経験がありそれで語れるのである
ただyoutubeとなると団塊の世代とは極めてまれである
そこで世代間のバランスがとれなくなっていた
だから40代くらいのITで成功した人たちをITアイドルとして批判しているのも貴重である
いづれにしろ日本を知る場合でも日本だけから日本は見えないのである
客観的に見ることができないのである
日本で当たり前のことが外国ではそうではないからである、もちろん外国もまた日本と比べると見えるのである、だから知識人になるには今は外国に生活して深く知る人でないとなれない、だからこの発言は新鮮だなと感じるのはたいがい外国生活が長い人である
ここにとりあげたのもそういう人達だったとなる

自分自身は外国旅行したとしてもあくまでも旅行であり生活したことがない
それで30代くらいでそうすれば良かったと思った
でもその機会を逃した、そして人生ではもう二度とそうしたチャンスはなくなる
その時やるべきことをやらないと後は二度と経験できない
だから50代で海外旅行したので良かった
60になってから介護になり何もできなくなったからである

実は私は本当はアメリカでも留学とならなくても他でも外国経験はできた
でも田舎にいてその頃外国旅行は相当に金のかかる時代だった
航空運賃が50万とか見たことがあるからだ、そうなると行けないと思っていたのである
でも実際は家に金はあった、それは家族のものだったけど頼めば行けたかもしれないのである、でもそのチャンスを逃してしまったのである
そういうことが必ず後で後悔になる、だから若い人は老人の人の話を経験を聴くべきなのである
若い人同士で話してもだめなのである、同じレベルであり先をどうするかとなるとかえって老人の経験談を聴いた方がためになるのである
林秀彦もそうである、日本が見えたからこそあれだけ罵倒して覚醒させようとしたのである、どうしても外国生活が長い、深く知っている人は日本が見えるのである

この人の本を最近読んで日本を罵倒しているがやはり外国生活が長いから日本が見えるから日本人に対して腹正しくなってあれだけ罵倒しているとなる
日本をまた時代をみるというときこれも歴史を参考にするというときもそうである
今を見るには過去を見なければわからない、今を見るには江戸時代を知り対象的に知ることである
それで銀行が窮地に立たされている時どうするのかというとき江戸時代の金融に注目している、無尽とか頼母子講とか江戸時代にも金融があり江戸と大阪での取引があり米の先物売買もあったり今にあることが過去にもあったからである
明治になってからそうした江戸時代にあったいいものを日本人は省みなくなったのであるそれで今頃になって省みるようになったのである

とにかくyoutubeの世界も新しいメデアの世界である
もともとネット空間は対話的だったのである、それはパソコン通信時代からそうだった
必ずレスがレスポンスが必要なメデアだった
ただ最近はプログでも長文でありyoutubeでも対話的であっても何か独演場となっている
そしてやはり何かを語れるのは人生とかなると老人がもっと語るペきだとなる
それがインタ−ネットでは少ないのである
第一何百万のyoutubeの登録者は小学生とか高校以下の人たちを相手にしている
そういう若い人向きのツールでありメデアだったがスマホが普及してそうなったのだが
それとともに一般化してきたのでネット人口は増えて来た
だからどうしても新聞とかテレビとか旧来のマスメデアはすたれてゆく
そんなにいろいろ見れないからである 

テレビではこれから優れたコンテンツなら見る、それは別にインタ−ネットでも見れるのである、NHKではすでにインタ−ネットでも同時配信して一週間くらい番組を常時見れるようにするとかなる
もうテレビでもインタ−ネット時代になりつつある
だからインタ−ネットは日常的に利用するものとなる
するとマスメデアのテレビからの呪縛から逃れられる
マスメデアがあまりにも一方的力をもちすぎたのである
そこで真実は報道されなかった、それを象徴していたのは原発事故だったのである
これも加持氏が言うように既得権益で固められていて批判できなかった
結果的に大惨事になり放射能汚染で住めなくなったのである
日本もまた既得権益者に固められたシステムで日本がそれによって崩壊すると予告する
しかし原発事故のように大惨事とならないかぎり日本人は目覚めないのである
でもその時はすでに時遅しとなっているのである

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日本人は自ら考えない民族である、思考力がない、なぜ外国で生活した人がそれをみんな感じるのか?
それは外国ではそういう生活が日常的だから日本人が対象的に見える
日本は本当に教育からて自ら考える能力を養わないのである
自ら考えるということも訓練だからである
まず何か疑問にもつ、なぜだろうとなる、そうして自主性をもつことができる
だから宗教は考えさせなくなるからカルトになるとファシズムになる
また考えないことによってただ上の命令に従うだけだとなり
それで日本がいつのまに破綻しているとかなる
それを証明したのが原発事故だったのである
上の命令のままになっていたら故郷にすら住めなくなったのである

日本も日本に住めなくなる!

そうなるのは日本人が自主的に考えて日本をみんなで作るという意志が必要になってくるのだ
それでマスコミやマスメデアは既得権益者に組み入れられているから真実は報道しない
そうしているうちに

原発事故のように日本人は日本に住めなくなる!

その恐怖が自分の住んでいる場所で起きたのである、だからそういう危機感をもつべきだが日本人は自ら考えないし
危機感も希薄である、そしてはじめて津波だ、原発事故で故郷にも住めなくなったという事実をつきつけられる
その時はすでに時遅しとなっていたのである

2019年12月26日

貨幣と証券とか債権とは先物相場とは何なのか? (キプロスの預金封鎖をふりかえる-警告のyoutube)


貨幣と証券とか債権とは先物相場とは何なのか?

(キプロスの預金封鎖をふりかえる-警告のyoutube)

貨幣がまずあった、キクチスーパーのカードは通用するのはキクチスーパーだけである
でもキクチスーパーは原町にもあるし相馬市にもあるし山元町の駅前にもあるから結構広くある、そこでは通用しているのである
ただキクチスーパー専用のカードなのである
それはキクチスーパーが発行する貨幣であり紙幣になる
ただこれは落としたり無くした場合無効になる
誰かが拾っても返してくれれば別である
でもその誰かがキクチスーパーで買い物してもわからないのである

これは他のカードでも同じなのでがゆうちょカードでもビザカードでも無くした時点で連絡すると誰も使えなくなるシステムになっているのだ

貨幣の謎は貨幣自体に価値がある、貨幣が金だったり銀だったり銅だったりする
それで貨幣にするために金が貴重になる、銀でも日本なら石見銀山とかが世界へ貨幣にするために供給された
金本位制が基本なのである、ただ中国では貨幣といように貝が貨幣となった経過がある
子安貝が貨幣になったので貝の漢字になった

金本位制から紙幣になるとその変化が大きい、なぜなら紙幣には何の価値もないからだ
紙にすぎない、そんなものをいくら保存しても何の価値があるのかとなる
それで江戸時代は蔵に千両箱を置いて厳重に鍵をして泥棒が入れないようにしていた
その貨幣は金だから貨幣そのものに価値があったからである   

1914年にはじまった第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。これは、戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止、通貨の金兌換を停止せざるをえなくなったからである。また戦局の進展により世界最大の為替決済市場であったロンドン(シティ)が戦火に晒され活動を停止したこと、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなども影響した。

例えば日本は1913年12月末の時点で日銀正貨準備は1億3千万円、在外正貨2億4,600万円であり、在外正貨はすべてロンドンにあった。また外貨決済の809割をロンドンで行っていたが、1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。 

ここで興味深いのはイギリスが金本位制が始まり金融の中心になった 

在外正貨はすべてロンドンにあった。また外貨決済の809割をロンドンで行っていたが、1914年の8月に手形輸送が途絶した(当時はシベリア鉄道で輸送していた)。 

これは金の貨幣を運んだというのではない、手形輸送していたとなるとそんな紙切れまで輸送していたのかとなる
通信が発達しないからこうなっていた、、シベリア鉄道で輸送するとなるとその距離も大変だとなる、シベリア鉄道には乗ったことがあった
そんなして書類まで運んでいた時代があったのかとなる、その後はモールス信号とか電話とか無線とか通信の時代になっていることを見れば隔世の感がする

大阪の蔵屋敷に送られてきた米は、入札の資格を持つ米仲買商人に売却され、こ
れを正米取引と称した。
また、米仲買は米の代わりに米切手という証書を受け取り、
この証書を堂島の米市場で米問屋に売り渡し、これを帳合取引と呼んでいた。
前者現物取引、後者は先物取引である。

積むだけで、差金決済による先物取引が可能であり、現代の基本的な先物市場の仕
組みを備え、世界初の整備された先物取引市場であった。堂島米会所で決められた
米相場は、大阪の商品の値段相場の基本となった。
 明治になって堂島米会所は、幕府崩壊とともに廃止 

 先物取引とはどのような取引ですか?

 米切手なども手形とか証券とか紙幣の代わりのものだとなる
 米切手は米しか買えないものに限定された紙幣だともなる
 こういうのも貨幣とか紙幣の代わりに進化したものなのである
  
 こういうこは現代でも行われているから江戸時代から始まっていたのである 
米相場であり今なら石油とになっている、石油が先物取引になっているからだ
また北前船ではよる港で商品の値段が違っていたのでその差益でもうけていた

明治以降に日本では金本位制から紙幣になり資本主義社会となり株式市場化した
紙幣というのは証券とか債権の証文ににているのである
でも紙幣は誰の者か権利が特定されない、誰が持っていてもそれは使える、盗んでも使える、それでめれを所持している者を特定できない
だから紛失してもどらなっかたらその金は返ってこないのである

スーパキクチのカードは一種の紙幣である
スーパーキクチがある所だけで使える
一万円の紙幣でありそれで買い物ができる
でもなくした時点で無効になるから普通に使う金と同じなのである
でも違っているのはスーパーキクチでコンピュターに記録されている
ある特定の人がカードを購入しているからそのカードの持ち主を特定している
それで残金が8000円あったらそれは記録されているのである
普通に使う紙幣にはそういうことはない、落としたりなくしたら記録もされないのである

記録されることと記録されないことの相違は大きい!

記録されることは証拠となる、記録されなかったら証拠もないのだから誰のものと特定できないのである

通貨には金にはいろいろな形態がある、証券とか債権にも種類が多いように一つではないのである、だから貨幣自体紙幣自体でも複雑な要素がある
地域通貨とかあるとしてそれもある地域でしか通用しないものである
それがどういう意味をもつのか?地域がそれで活性化するのかわからない
仙台銭とかあったから地域通貨は江戸時代にあった
何か関所で今の時代のように為替の交換することもあった
地域経済が主流だと地域通貨もありうる、
江戸時代にも金融があり頼もし講などがあった、それは狭い範囲の金融組織であり銀行の代わりでもある、地銀を小さな藩よりも小さな地域の金融組織であり相互扶助的なものだったのである
でも明治以降は全国の行き来が自由になると共通の紙幣が利用される
それで小判とか金本位制は終了したのである

とにかく貨幣の機能には実際いろいろある
貨幣の歴史を調べるとそれが政治であり経済であれ世界史であることがわかる
だから貨幣に興味をもつのである

キプロスのことを書いたがそこは様々な国が交差するアラベスクのような国だった
古くはギリシャが支配して十字軍でイギリスが支配したりやがて大英帝国が支配したり
次にオスマントルコが支配したりと大国に分割されて支配された
そこにロシアが入ってきたのもロシアの金持ちが避暑地として選んだからである
またギリシャ正教がロシアに布教されることも影響していた
ギリシャ文字からロシアの文字も作られていたからである
イコンの信仰とロシア正教でもあり共通しているのである

そこでスペインに住んでいる女性がキプロスで起きた預金封鎖のことを報告していた
いかにここに国際情勢が金をめぐって反映されたかを知った
ロシアのブラックマネーが没収されたとかユーロ―に金を奪われたとかIMFがかかわり操作したとかなんとここがヨ−ロッパと中東とトルコやロシアの交差点になっていたから
そんなことが起きていたのである
シリア紛争の原因もロシアが深くかかわっていた、ロシアでもアメリカ中心とかヨ−ロッパに対して対抗心がありIMFとかで管理されることを拒絶していたからである
シリアの紛争にしてもこうしてヨ−ロッパとかトルコとかロシアとかアメリカの思惑がかかわりあれだけ複雑化していたのである
そういう国際情勢が反映されてあれだけの紛争になったのである

いづれにしろ貨幣とか紙幣とか証券とか債権には共通したものがある
貨幣はそれ自体に価値があるものとして発明されたが紙幣と証券とか債権はそういうものではない、その価値は常に経済の変化で価値変動する
つまりいくら紙幣でも千円がいつまでも千円の価値はない、物価があがれば価値がなくなる、またそれは株の有価証券でも同じなのである
常に毎日でもその価値は変動している、それは株と同じなのである

資本主義はいろいろな見方があっても基本的には資本を貯える→投資→利益を得る

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現在は金があっても資本があっても投資先がないのである
貯蓄とか交換とか消費があっても投資先がないのである
つまり資本主義が成り立たなくなっているのだ

このサイクルがあって成り立つ、でもそれが今成り立たないから危機なのである
銀行でもゆうちょ銀行でも地銀でも農林中金でも投資先がないから危ない投資をアメリカからもちこまれて損したらリーマンショック級の世界的混乱が来るとしている
それは専門家がみんなそう言っている、youtubeで見ているとそうなのかと納得する
第一日本経済をみて見ればカジノがどうだインパウンドをもっと増やせとかそんなことしか経済を上向きにするものがないのである
これを見るだけでいかに日本がすでに後進国になっている
つまりグロ−バル競争に敗れると実質的に他国の奴隷化するのである   

女性も安く売られたりする、カンボジアでは5ドルだとか驚く、十数年前はそんなに差があったのである
そこに訳のわからない年配の日本人がたむろしていたのである
そしてアンコールワットでは中国人が現地人に日本のホンダのバイクを貸して観光に使っていたのである
今はもう中国人がカンボジアを経済的に支配している 
そもそもカンボジアが一つの独立した国なのかどうかもわからないのである
こうして日本も今度は経済戦争に負ければおもてなしとかカジノとかで外国人の富裕層に奴隷のように使われるのである、それが過酷なグロ−バル経済なのである
それは殺し合う戦争ではないにしろやはり形を変えた戦争なのである  

良く理解できなかったがキプロスでは預金封鎖があり金持ちの外国人の金が没収されたとしている、ただそれも複雑だからその金がどこにもちさられたのか
EUにもちさられたとか奇奇怪怪になっている
その金が闇になりどこに流れたのか、もちされたのかもわかりにくくなっているのであるだから日本でも預金封鎖があるとIMFとかがかかわり金を奪われたりするから気をつけろとこのサイトでは警告しているのである

預金封鎖その2

欧州初の預金封鎖の凄まじい事実、
ドイツ、フランス、そしてロシアの裏にあのIMFの圧力があった!

証券、株、債券はどう違う?基本知識からネット証券までわかりやすく解説






2019年12月25日

スーパーキクチのカード紛失(続) (貨幣と紙幣とカードがありカードは有価証券なのか?)


スーパーキクチのカード紛失(続)

(貨幣と紙幣とカードがありカードは有価証券なのか?)

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 有価証券の所持人
原則として権利者として推定される   

 現金の所持人
券面の所持人は権利行使の際に権利の立証を要しない


<紙幣・コイン管理のリスク・コスト>
 従業員等の労務管理
内部・外部の盗難・強盗発生のリスクがある

物理的な紙幣・コインの管理

釣銭の確保・維持が必要となる
盗難防止のための措置が必要となる

経理上の金銭管理

データ化,集計に手間がかかる


キャッシュレス社会はさけられないことを書いた、貨幣は貨幣自体に価値があった
金銀の貨幣だとそれ自体価値があり小判だと金なのだからそれ自体に価値がある
ただ紙幣になると紙になるのだからそれ自体には価値がないのである
それは証券とか債権とにているのである
銀行に貯金しているのは銀行が顧客から借金したというとき債権化した
借りた金だから本当は必ず利子をつけねばならないのが理屈である
金貸し時代はそうだったろう、金を貸して利子をとるのである
実際にもし銀行にあづけて利子をもらえなかったら銀行は何になるのか?
ただ金を安全に保管している貸金庫のようになる
それは誰でもできるし銀行というものではないだろう
巨大な絶対に入れない金庫を作ればいいのである
そこには暗証番号とか鍵とかで入れないようにしておく、貸金庫と同じである

今回のスーパーキクチのカードが紛失したのはそのカードが実は紙幣と同じだったのである

有価証券の所持人

原則として権利者として推定される   

現金の所持人

券面の所持人は権利行使の際に権利の立証を要しない 

もしカードがこのように有価証券の所持者となっていれば原則として権利者として推定される
でも現金の所持人だったらカード(券面の所持人は権利行使の立証を要しない)
これは権利者として認められないということなのか?
現金を落としてもその現金を落とした次点でもう誰の者かわからない
その金を使ってもその所持人は別な人に完全に移行したのである
権利が移行したのである
本当だったら盗んだものとなるのだがもう誰の者か特定できないから権利を消失したのである

だからかえってタンス預金とかが危険になるのは盗まれた時点で何らか消失した時点で
その権利は消失しているのである
その金が誰の者か立証できないからである
銀行だと誰があづけたかわかるしその金を所持者を特定できる、つまり権利者を特定できるのである
だから安全なのはタンス預金ではないし現金を持つことでないとなる
今回のスーパーキクチのカードは現金と同じだったのである
一万チャージして8000円残っていてもそのカードを落として返ってこなかった
すると取り戻すことが不可能になる
でももしそれが証券とか債権であればそうはならない

有価証券の所持人

原則として権利者として推定される

権利者が特定できるからカードをなくした時点で連絡すれば使えないようにできる
使ったとしても実はその拾ったカードを使うとわかる場合があるかもしれない
いづれにしろ落としたことを連絡した時点で使えなくなる

ただスーパーキクチのカードは一万とか5000円とか限定してチャージして使えるのであるだからそれ以上は使えないカードなのである
ところが他のカードだと無制限に使える場合があるから危険なのである
大きな買い物もできるとなると危険である
だからなくした時点ですぐに連絡する必要がある

何かここでわかったことは金を持っていてもタンス預金だと盗まれたり消失した時点で
何の権利もなくなることである
でも銀行に預けるということは第三者が保証していることなのである

江戸時代だとそういう仕組みとにたものがあったにしろ現代のようにあらゆるものが数字化して証券債権化する社会ではなかった
貨幣でも小判とか銀を使用してその貨幣自体に価値があった
紙幣はなかったからだ、紙幣は証券債券になるまえのものとして生まれていたのである
それ自体には何の価値もないが金として認定されたものだからである

いづれにしろ私自身が大学の経済学部を出たしても何にも勉強していないのである
ただそれは名前だけなのである
おそらく経済を勉強するなら百万くらい与えて株とかいろいろ投資を学ぶことである
ただもう老人には推奨できないのである、その仕組みでも複雑で理解できないからであるただ現代の資本主義社会とかグロ−バル経済を理解するには銀行のことを知らねばならない、それで銀行とかかわりそれを理解しようとしたのである

とにかくキャッシュレス社会はさけられない、するとそういう社会は理解する必要があるそれはコンピュター社会の発展したものとして必然的にそうなったのである
なぜならコンピュター化しなければありえないことだった
IT化社会というのもそうである、コンピュターは記録することが人間より格段に優れているからである
あらゆるものを記録するのである、買い物でもすべて記録される
するとそこからその人の買い物をみてその人の性向までどういう人なのかまである程度わかるのである
それでアマゾンではその人の欲しいものを提示するのである
だからコンピュター社会とはいろいろあるのだが何でも記録する社会だということであるそれで犯罪者の名前が前科となりコンピュターから消えないと訴えるものもわかる

コンピュターは記憶装置であり膨大なものを記録できる
個人の記録でもそうである、いくら書いても負担にならない、それが記録される
だから自分の書いたものでも忘れているのが人間である
本当に自分の書いたものでも文章でも詩でもこんなことを書いていたのか読み直しているのも不思議なのである
人間ほど忘れやすいものはいないのである
だから過去になると膨大なものが忘れられてしまった、記録に残らなかったのである
すると歴史でも過去でも探ることがむずかしくなるのである

例えば相馬藩とかで相馬藩政史に慶長津波の二行だけ生波(いくなみ)で700百人溺死したと記されていたのである
それがいかに貴重なものだったかわかる、それ以外の記録が皆無だったからである
記録はこのように大事なものであり記録がないと証拠にもならないから悪いことした人でも裁判になれば負ける
裁判で必要なものは証拠だからである、証拠がないと有罪にされないのである
だから何らかの証拠を探すことが必要になる、メモでも何でも必要になる
ただこのコンピュターの記録する能力は無限である
でもまた反面一瞬にしし電子記録が消失する危険がある
これもまた常に恐怖していないとならないのである
本でも冊子でもなんでも紙に書いていた方が残る場合がある
だから記録の保存という点では必ずしも万全ではないのである
そうなると後世に残すにはやはり石碑のようにして記すほかないともなるのである


2019年12月24日

スーパーキクチのカードは再発行できない (カードが返ってこないと残金は没収される)


スーパーキクチのカードは再発行できない

(カードが返ってこないと残金は没収される)

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スイカはなくしても再発行できる、なくしたら使えないようにできる
連絡するとできる これは買い物でもできる所がある
チャージして使うからビザのようなカードとも違い気楽だともなる
毎日カードを買い物で使うとなるとこうしたものが使いやすいのである
そしてカードは一つに統一されると本当は楽である
何枚も持ち歩くのがめんどうなのである
そういうカードはなくしやすいのである



スーパーキクチのカードはチャージして使う
一万ジャージして2000円くらい使ったが落とした
そのカードはもどってこない
それはもどらないにしても記録されている
スーパ―側には8000円残っていることが記録されているはずなのである
明らかに8000円分はスーパーキクチの会社側に入金されているのである

だからなぜカードをなくしてそれが返ってこなかったらスーパーに金が入ったままであり返金はされない
ただ誰か拾った人が使うことができる
これは人を特定できないカードだからそうなっている?
その拾った人が買い物してもわからない
それはちょうど紙幣を落として拾った人がその金で買い物したり使ったりしてもわからないということである

ここに何か大きな問題があった!

キャッシュレス社会にするための問題があった
suica(スイカ)といきうJRが発行する切符なしのカードがある
それはカードをかざせば切符代わりになる
それは自動的にコンピュターに記録される
そして話題になったのが改札を通るだけでカードをかざすだけでも乗れるとニュースであった
そしてこのスイカはスーパーでも連携していれば使えるのである

これは再発行できる、無くした時点で連絡すれば使えなくなり後で再発行できる
だから今回のような私の損失にはならないのである
他のカードもそうなっている
ただクレジットカードでもいろいろあり気軽に使えるのとそうでないものがある
毎日買い物にするのにビザとか使うのはしにくいのである
だからスイカのようなものがあればしやすいとなる

こういうことはスーパー側で備えるべきだとなるがそうなると資金とかがかかりめんどうになるのかもしれない
キクチスーパーのカードは一回店員に見せてそれから入金を確認させる
ここで一回手間になっている、他のカードだと一回だけなのである
だから他のカードの方が手間にならないし安全だともなる
ただビザカードとかなると使いにくいと思った
毎日買物する旅にそれを出すのが何か怖いとなる、紛失しやすいからである

でも再発行はされるべき

こうすれば紛失しても入金した分はもどるし減らないのである
こういうことはキャッシュレス社会では備えるべきだとなる
これから顔認証とかなり顔でその人を特定して入金する
そんな社会にもなるし中国ではある程度なっている

とにかくコンピュターというのは何でも記録する、それが得意なのである
今や金は数字であり数字として確実に記録される
だからスーパーキクチのカードの残金は記録されているしそれが証拠になる
人間はミスがあってもコンピュターにはミスがそういうことではないのである
ここはスーパーでも改善すべきである
ただこういうことるなると費用がかかる
自動機械で金の出し入れをするうよになったときも設備費用でかかった
でもそれで人件費とか節約できたから損したとはならないだろう

技術関係は老人に不利 (インターネットでもこれまで覚えた技術しか利用できなくなる)


  技術関係は老人に不利
  
  (インターネットでもこれまで覚えた技術しか利用できなくなる)
  
何かプログとかホームページをSSL化しろ、暗号化しろとか言われるしみんなしている
でもこれもまた良くからないし何かこれまでしていたことが御破算になるかと不安になるこういうふうに技術が変化すると対応しにくくなる
特に老人はそうなる 
何かインタ−ネットが利用されるようになったときこのITというのは何か変わり安いのである、パソコンにもそういうことがあった

私は最初は富士通のワープロを使っていた、それを始めた利用が余りにも悪筆だったからである
でも人間の不思議は中国だとなぜあれほどスマホが普及してキャッシュレスになったかというと紙幣自体が中国でぱ信用度が低すぎたからそうなったのである
偽札かが多すぎた、それで買い物してもその紙幣をいちいち調べていたのである
それから後進国でスマホが普及したのは電話を引くのがめんどうだったからなのである
携帯がまず普及したのである、今や固定電話を持っている人は本当に少なくなったのである

何か不利になり有利になるかわからないのが人間である
弱点が有利になる場合もある、不思議なのは人間の仕事がなくなりしきりにみんなクリエイターになるほかないとかもう大企業はなくなるとか会社員の時代は終わったとか言うことである
みんな猛烈社員だった企業戦士だったのになぜそんなことになったのか?
自分のようにただ旅ばかりして無職であり家にこもってパソコンをしていた引きこもりはかえってそういう方面では遊びではたけている
でもそんなことしても金にはならなかったのである
ベーシックインカムが真面目に語られるとういことも不思議である

おそらく時代によって要求されるものが変わってくるためなのである
もし肉体労働でもロボットに代われば仕事に要求されるのはロボットを操作することである、家事などでも家電がないときは洗濯でも洗濯板でごしごし洗っていたのである
それで私の家で認知症になった姉は洗濯機が利用できなくなる洗濯板で洗っていたのである
認知症になるとボタン一つ押すことができない、極端に機械に弱くなるのである
数字もわからなくなるのである
家事でも機械化自動化するとどうなるのか?
女性は何をすればいいのか、それでも女性の役割がある、それは癒しだったり話し相手だったりある
すると家事と言うだけでない何か違った能力が必要になる
家事にたけている人が望まれるわけではないのである
実際私は一人でも全部家事でも一人でしているからである
それは家事が機械化しているからできるのである
洗濯ものは洗濯機にほうりこめばいいからである

私がワープロから進化したやはり富士通の通信できる機械を買ったことがインタ−ネットになじむものとなった、その時パソコン通信の時代だったのである
そういう最初から自分はかかわっていたのである
それができたのは富士通のオワシスで親指シフトのワープロを利用していたからできた
この恩恵が大きかった、まず文章をスムーズに変換できないとなじめなかったとなる
パソコンは技術の習得のハードルが高かったのである
それも引きこもりで時間があり習得できたのである
結局何かするにも時間がかかるのである

ただインタ−ネット空間は変わり安い、それでついていけなくなる
まずスマホがないと現代では日常化しているから生活するのも不便になる
もうキャッシュレスはさけられない社会になっているからだ
それで納得できないのはキクチスーパーのカードをなくした
そこに8000円くらい残金が残っていた
でもカードを拾った人もいないし返ってこない、でも明らかにカードの残金は記録されているつしそのカードを誰か使ったら記録されるしわかるはずなのである
つまりとにかく現代は電子化社会になるとあらゆることが自動的に記録される社会なのである
だからこれは変だなと思った、普通のカードは紛失した時点で誰も使えなくされる
だから別に損することはないのである
そして新たにカードが発行される
ただ買い物のカードはしょっちゅう出したり入れたりするから無くしやすいのが難点なのである、スマホでもなくすとめんどうになる
それで何か鉄道の駅でも通るだけで乗れるとかできるようになったとなれば便利である
いちいちスマホを出したりカードを出すことが手間でありそれで紛失しやすいのである
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いづれにしろ老人の不利なのはこうして技術が進化したとき取り残されるたとである
そして車の免許を返納しろとかなる、それはかなりショックになる
なぜなら車と一体化して生活してきたからである
私の場合は自転車に乗れなくなったときそうなる
商売でも自転車でも種類が多くなったのと電動化したことなどで技術的に追いつけない
だから若い人が経営する店に行けとなる
最新の技術のことがわからなくなるのだ
それは医者でも同じである、確かに経験があっても医療技術も格段に進歩している
それが老人にはわからない、でも近くの医者は90まで現役だった
医者でも高齢化している、でも最新の医療については知識でも技術でも遅れているのである

困ったのはホームページを最初に作ったがここ十年以上更新していない
それををとするのかも問題になる
SSL化とワードプレスもしてみたいとなるがこれもまた手間なのである
これももし10年前からしていればこんなことにはならなかった
ただ SSL化は最近の技術なのである
介護とかで追われて十年の間はこうしたことまで手が回らなかった
つまり何か新しい技術を取り入れることがむずかしくなるのが老人なのである
それで社会から取り残される、これが相当に不利なのである
有利な点はどんな人でも経験しているからその経験が活きるのである
知識でも経験がないと身につかないのである
それは馬鹿げた経験でも経験なのである

なぜなら老人になるともう経験がてきないからである
結婚も経験であり結婚しない人は女性とうまくコミ二ケーションできないし人格的にも大人として形成されないのである
会社に働くのもやはり経験であり貴重である、奇妙だけど引きこもりも経験なのである
引きこもりがすべてマイナスともならないのが人間の不思議である    
結局人間は人生をふりかえれば何が不幸か幸福かもわからないのである
マイナスだと思ったのがプラスになりプラスと思っていたものがマイナスになったりするから不思議だとなる  

2019年12月21日

キャッシュレス社会は避けられない (スーパーのカードを落としたら残金は返ってこない)


キャッシュレス社会は避けられない

(スーパーのカードを落としたら残金は返ってこない)

スーパーのカードをなくしした、そのカードには8000円分くらい残っていたのである
でもその金は返ってこない、でも不思議なのは記録されている
チュージした分とか誰かが拾って使ったらその分が記録される
でも無くすとこのカードのチャージした分が返ってこないのである
これは何かおかしいと思った、他では記録されているからカードをなくしても残った分は使えるというのもあるからだ  

そのカードを誰も使わなかったら得したのはスーパーだとなる
何かこれもおかしいなと思った
残った分の金が記録されていればその残った分の金はまた入金させてそのまま使えれば
カードをなくしても損にはならない、そういう仕組みがないのである
これはキャッシュレス社会になるときおかしいと思った
何か人間は手間をはぶきたい、スーパーでは金を自動入金してお釣りがでるようにしたけどキャッシュレスになればその手間さえ必要なくなると思った
とにかく人間は手間を省きたいのである
コーヒーを入れる機械を買ったがこれさえ水を入れたりめんどうだと思った
そう思うのは自分の場合梶ですることが多すぎて困っていたからである
給仕という仕事があったことを知る、お茶入れが仕事の人がいた
機械化自動化しないとそこで人手が必要となる


カードだと誰々が使った分が何々でいくら払ったとか記録される
通信販売のアマゾンではそういうことでその人自身の買い物からその人の特性を知りうるそれで何かその人にふさわしいものの買い物を提供する
自転車用品を買ったならその方面の商品を提示できる
キャッシュレスの買い物はそういうふうになる
ここのスーパーのカードはそういうものではない、いちいちカードに金をチャージして使う、でもその人の使った分とかは記録されていない、実際は記録していてもカードをなくしたらゼロになりまた新たにカードを買うほかないのである

つまりカードとかネットだとあらゆることが記録されることに強みがある
だから別にカードをなくしてもそこに残った分はまたカードを再発行して使えるようにすればいいとなる、落としたり無くしたり盗まれたりしてもすぐに無効にして残った金額を使えるようにする、ゆうちょでも銀行でもすぐにカードをなくしたら使えないようしているからだ
この点はスーパーのカードは不備であり完全なキャッシュレスとは言えないとなる
ただ趨勢としてはキャッシュレス社会に否が応でも向かっている
その方が便利だからである、そして意外と安全なのである
金を持ち歩く必要もない、カードを持ち歩いても落としても盗まれてもすぐに連絡すれば他の人は使えないし金が盗まれることはなくなる
もちろんそれでも金を盗まれたり何か問題が起きるがその方が全体的に安全になる 

今や金が数字化している、紙幣とかコインは消えるのが趨勢である
それが社会にとって便利だからである、そして意外と安全でもある
老人はなれないとしてもやはりそういう社会に適応する意外生きる道がなくなる
コンピュター化社会は記録社会なのである
コンピュターはあらゆることを記録する能力が抜群なのである
人間は記録することが苦手である、すぐに忘れやすいのである
だから買い物でも何を買ったかいくら買ったとか記録しないと忘れる
でもレジでは自動的に記録されるのである
コンピュター社会は記録社会なのである
逐一買い物しても記録される、道を歩いていても監視カメラが記録している
記録されることからその人を判断できる
だからコインとか紙幣とかが消えてゆく、それが問題あるにしろそういう社会になることはさけられない、なぜなら中国ではそうなっていて世界でそうなっているからそれに通じなければ買い物すらできなくなる
現実にスマホを使えない中国の老人は買い物すらできない、子供とか孫同伴で買い物しているというからだ

例えばブロックチェーンがわからないにしろ互いに記録し合うシステムなのかもしれないコンピュターだと記録しやすいからそうなる
そしてインタ−ネット社会は膨大なものを記録する社会である
ビッグデーターの時代である、そこで知識が情報が爆発的に増える
その情報知識を活用するのが現代の情報社会である
不正があるにしても証拠が必要になる、その書類が問題になる
でも記録されていればそれが証拠になり追求できる
ただコンピュターは簡単に記録でも消されるということがある

でも誰かが別なコンピュターに記録する、他の人も記録する、するとそれが証拠になる
例えば犯罪者でも目撃者が二人いれば有力な証拠になる
でも一人だと間違いがあったするから証拠になりにくい、そういうシステムがコンピュターだと作り安い、証拠というときどうしてその証拠を手に入れるのかそれが最大の問題になる
キャッシュレス社会は情報化社会とインタ−ネットととも連動している、それが社会拡散してきて必然的にそうなったのである
たから楽天とかがキャッシュレスに参加している、スーパーキクチでも楽天のエディとかで支払いできるとかなる
それで自分も検討することになる、ただ自分はスマホをもっていないから不利なのである

いづれにしろ年末に8000円でも損失だった、何か大きな得があったが小さな損が頭に残る百万とかでも失った時、意識しないことがある
だからかえってし大きな金は国の予算などでも相当な無駄が常にある
余りにも額が大きいからその金が無駄に使っても意識できないのである
結局年忘れといっても金のことは忘れられないのが人間だった

年忘れ金のことは忘れざり

ただその金のことを考えて道路で赤信号なのに自転車で渡り危険だった
つまりその金のことよりその金にこだわることがかえって危険だったとなる
命落としたらもともこうもないからだ

元も子もない

〔「元」は元金、「子」は利息の意〕
利益ばかりか元手まで失う。何もかもすっかりなくす

こういう諺にも人間が積み重ねたものとして今も活きているのである

2019年12月18日

買い物でもそれを使いこなすには工夫と知恵が必要


買い物でもそれを使いこなすには工夫と知恵が必要

cyclebag11.jpg

まずヤマハのYPJ-XCk電動自転車を買ったけどこれの弱点は荷物がのせられないことだった
だから近くだといいが原町まで買い物に行くのに不便なのである
またスタンドがないので意外とこれも不便だった

だからこの自転車を利用するのに結構手間だった
なんとか前の方に荷物を入れるもの通販で買った
それでも原町まで買い物に行くと荷物を載せるには限度があった
でもこれだと楽だから行ける

今日が短いから夜になることがある、夜は自転車は相当に危険になる
それでライトがなかったので側溝に転倒した
これは実際は頭を打ったりしたら危険だった
前にも側溝に落ちたりしたから意外と自転車は側溝に落ちることがあり危険である
それも必ず夜なのである

そこでライトがあったがこれが近くの自転車屋では光が弱いのである
それでまたライトを設置するのがめんどうなことがあり
ヘッドライトを買った、1400円でいいものだった
ただ通販でも買い物でぱ失敗する
これは50グラムで軽いから気にならないので良かった、それなりに明るいので安全である、頭に光るので車からも見やすいとなる
自転車のライトというときどうしても自転車につけるものだとばかり思っていた
でもヘッドライトの方が良かったのである
何かこの自転車を利用するにはいろいろ足りないものがあり苦労した
でも楽に走れるのでこれなしでは今は生活に支障をきたすのである
これはマウテンバイクなのだが老人用だったのである
それで同級生の脳卒中になった人も買って喜んでいたことでもわかる
つまり病人にもいい自転車だったのである
老人向きの商品がないというときこれは実際は老人向きだったのである


kameradiji1.jpg

これは薄くて写真もきれいなのだけどもちにくいのとシャッターボタンが小さいから押しにくい

coolpixnikon11.jpg

これはデザインもいいし持ちやすくシャッターボタンも押しやすい
ただ乾電池だけの充電ではだめだった
一長一短はある


それからカメラではソニーのサイバーショットは薄くて軽いしいいものだが
もちにくいのとシャッターボタンが小さすぎるのである
ボタンが小さいから押しにくいのである
それて平板でありもちにくいのである

それでニコンのcoolpixを買った、それは乾電池で使えるものだった
ところがこの乾電池がしょっちゅう切れるので交換しなければならず金がかかるの弱点だった
デザインとボタンは押しやすいから良かった
そして乾電池でも家で充電できるもの両方を備えたものがあることを知った 
外に出るとどうしても電源が切れることがあるのでこれならいいと思った
ただ今回はまたcoolpixを中古で買った
楽天市場とかで安く買えるがセリになるとめんどうだからやめた
ただ7000円というの高いと思った、中古だったもっと安いはずだからである

なにかこうしてカメラにしても買うことがむずかしいし使いこなすのが苦労になる
ましてやパソコンはその物を買っても使いこなす方がむずかしくなる
それでもう金がある老人でも買うことかできても使いこなせないのである
それで中国では二割の老人がスマホ社会化した中で何もできない、IT弱者となり買い物すらできなくなっている、全部スマホで済ます社会になっていたからである
老人は何か物を買っても使いこなせない、だから金があっても買わないとなる
動画になると何かめんどうになり使いにくくなる
それで街の商店ではその使い方とか何かわからないことを教えることで高く売っても売れているというのもわかる
誰も使い方は教えてくれないからである
まずパソコンになると本当に使いこなすことがむずかしくなるからだ

いづれにしろ人間はいくら機械化してもIT化AI化してもそこでたりないものが生まれる

bamboooo11.jpg

手作りの仕事は必ず残る

家の中を棚とか自分で作り改造した、それはその家にあったように作らねばならないからできあがった家具を設置するというわけにはいかない
家具も何か自分なりに使いやすい、その部屋にあったものとなるとないのである
ただ家具などは家でもどういう構造になっているのかわかる
だからある程度日曜大工でできることがある
つまりどうしてもすべてが機械でできあがったもので完成品ではできないことがある
例えば田植えでも機械でするにしても必ず機械でできないも部分が残る
そこは手で田植えしなければならない、それは中国ではコンバインで麦刈りをする
でもコンバインの入れない土地がありそこはやはり出稼ぎの人が人海戦術でしていたのである

それから大工でも何か家のことを細かい所を直したり修理したりする人がいなくなっている
今の大工はただプラモデルのように家を組み立てるだけである
そしたらそこで大工の技はみがけないのである
それで昔は金持ちの家でそういう技術を磨いたというのもわかる
その大工の仕事は名前入りで残っていたりする、百年名家とかの番組で放送している
そういうことで金持ちの役割もあったとなる
なぜなら金持ちの家では大工を雇っていた家もあったからだ
そうなれば十分に工夫もできるとなるからだ
今は大工はもう組み立て屋になってしまって技術自体がみがけないのである

とにかく今は通販があるからいろいろな物は手に入る、でも必ずその物を使いこなすには
その人なりの工夫があって使えるのである
そういうことで必ず人間の仕事がなくなることはないのである





買い物でもそれを使いこなすには工夫と知恵が必要

cyclebag11.jpg

まずヤマハのYPJ-XCk電動自転車を買ったけどこれの弱点は荷物がのせられないことだった
だから近くだといいが原町まで買い物に行くのに不便なのである
またスタンドがないので意外とこれも不便だった

だからこの自転車を利用するのに結構手間だった
なんとか前の方に荷物を入れるもの通販で買った
それでも原町まで買い物に行くと荷物を載せるには限度があった
でもこれだと楽だから行ける

今日が短いから夜になることがある、夜は自転車は相当に危険になる
それでライトがなかったので側溝に転倒した
これは実際は頭を打ったりしたら危険だった
前にも側溝に落ちたりしたから意外と自転車は側溝に落ちることがあり危険である
それも必ず夜なのである

そこでライトがあったがこれが近くの自転車屋では光が弱いのである
それでまたライトを設置するのがめんどうなことがあり
ヘッドライトを買った、1400円でいいものだった
ただ通販でも買い物でぱ失敗する
これは50グラムで軽いから気にならないので良かった、それなりに明るいので安全である、頭に光るので車からも見やすいとなる
自転車のライトというときどうしても自転車につけるものだとばかり思っていた
でもヘッドライトの方が良かったのである
何かこの自転車を利用するにはいろいろ足りないものがあり苦労した
でも楽に走れるのでこれなしでは今は生活に支障をきたすのである
これはマウテンバイクなのだが老人用だったのである
それで同級生の脳卒中になった人も買って喜んでいたことでもわかる
つまり病人にもいい自転車だったのである
老人向きの商品がないというときこれは実際は老人向きだったのである


kameradiji1.jpg

これは薄くて写真もきれいなのだけどもちにくいのとシャッターボタンが小さいから押しにくい

coolpixnikon11.jpg

これはデザインもいいし持ちやすくシャッターボタンも押しやすい
ただ乾電池だけの充電ではだめだった
一長一短はある


それからカメラではソニーのサイバーショットは薄くて軽いしいいものだが
もちにくいのとシャッターボタンが小さすぎるのである
ボタンが小さいから押しにくいのである
それて平板でありもちにくいのである

それでニコンのcoolpixを買った、それは乾電池で使えるものだった
ところがこの乾電池がしょっちゅう切れるので交換しなければならず金がかかるの弱点だった
デザインとボタンは押しやすいから良かった
そして乾電池でも家で充電できるもの両方を備えたものがあることを知った 
外に出るとどうしても電源が切れることがあるのでこれならいいと思った
ただ今回はまたcoolpixを中古で買った
楽天市場とかで安く買えるがセリになるとめんどうだからやめた
ただ7000円というの高いと思った、中古だったもっと安いはずだからである

なにかこうしてカメラにしても買うことがむずかしいし使いこなすのが苦労になる
ましてやパソコンはその物を買っても使いこなす方がむずかしくなる
それでもう金がある老人でも買うことかできても使いこなせないのである
それで中国では二割の老人がスマホ社会化した中で何もできない、IT弱者となり買い物すらできなくなっている、全部スマホで済ます社会になっていたからである
老人は何か物を買っても使いこなせない、だから金があっても買わないとなる
動画になると何かめんどうになり使いにくくなる
それで街の商店ではその使い方とか何かわからないことを教えることで高く売っても売れているというのもわかる
誰も使い方は教えてくれないからである
まずパソコンになると本当に使いこなすことがむずかしくなるからだ

いづれにしろ人間はいくら機械化してもIT化AI化してもそこでたりないものが生まれる

bamboooo11.jpg

手作りの仕事は必ず残る

家の中を棚とか自分で作り改造した、それはその家にあったように作らねばならないからできあがった家具を設置するというわけにはいかない
家具も何か自分なりに使いやすい、その部屋にあったものとなるとないのである
ただ家具などは家でもどういう構造になっているのかわかる
だからある程度日曜大工でできることがある
つまりどうしてもすべてが機械でできあがったもので完成品ではできないことがある
例えば田植えでも機械でするにしても必ず機械でできないも部分が残る
そこは手で田植えしなければならない、それは中国ではコンバインで麦刈りをする
でもコンバインの入れない土地がありそこはやはり出稼ぎの人が人海戦術でしていたのである

それから大工でも何か家のことを細かい所を直したり修理したりする人がいなくなっている
今の大工はただプラモデルのように家を組み立てるだけである
そしたらそこで大工の技はみがけないのである
それで昔は金持ちの家でそういう技術を磨いたというのもわかる
その大工の仕事は名前入りで残っていたりする、百年名家とかの番組で放送している
そういうことで金持ちの役割もあったとなる
なぜなら金持ちの家では大工を雇っていた家もあったからだ
そうなれば十分に工夫もできるとなるからだ
今は大工はもう組み立て屋になってしまって技術自体がみがけないのである

とにかく今は通販があるからいろいろな物は手に入る、でも必ずその物を使いこなすには
その人なりの工夫があって使えるのである
そういうことで必ず人間の仕事がなくなることはないのである




2019年11月06日

ネットの人物の動向 (個人を語るメデア、マス(大衆)を相手にするマスメデア)

ネットの人物の動向

(個人を語るメデア、マス(大衆)を相手にするマスメデア)

darknessdd1.JPG

ここは毎日読んでいた、他で毎日読むプログとかない、検索で当たったものは読む
それはただ辞書を引くように読んで利用しているだけだとなる
何かインタ−ネットのメデアは個人に徹したメデアである
マスコミはテレビでも新聞でも大衆を相手にしている、マスメデアである
そこで脚光を一番浴びているのはアナウンサーなのである
だからその出演者より常にアナウンサーに注目されているのである
まずどれだけ視聴率をあげるかを最重要課題としているから大衆にマスに語りかける手法をとる、そうなるとテレビでわかるように芸能人を採用して面白おかしくする番組作りになる、つまりマスコミは大衆と同レベルになるのである
もし放送する相手は知的レベルが高かったらそうはならないからである
その内容ではなく視聴率でその価値は決められる、宣伝するにも視聴率で決まるからである

ところがインタ−ネットは個人を基本にしたメデアなのである
個人はテレビ局をもったともなる、youtubeだとそうである
個人になると常に個人を主体にして訴える、だから何度も個人の体験であれ関心のあることを延々と語ることになる
テレビではそういうメデアではない、アナウンサーが主役のメデアなのである
だからアナウンサーの動向が気になる、目立つのである
出演者は脇役になっているのである

インタ−ネットだと放送するのは個人であり徹底して個人が主役になる
だから個人の経験とか関心を語り発言しつづけるのである
本でも何回も同じことか書きにくいけどネットだと延々と語り続けられるのである
その底辺に流れているテーマを語りつづけられる
それで私の姉はシンガポールに4年間従軍看護婦として苦しんだのでそのことを認知症になっても千回も語りつづけて死ぬ直前までも語っていたのである
それだけその印象が強烈だから忘れることができなかったのである
人間もある年になるとそうして自分自身の体験を語るのである
この人の経験は海外で底辺の女性と売春婦とかを渡り歩いていたとか特殊である
でも何かそうした底辺層への同情がある、これも自分には理解できないのである
でも一貫した主張があり読んでいたのである

それが手術することで中止になった、右よりで硬派なのに病気になったのかとなる
年齢はわからないにしろ50くらいなのか何か病気になる人が多い
都築詠一氏も69歳で病気になり死んだのはショックだった
それなりの年であるからありえることだったがそんな病気だと思わなかったのである
60以上になるとみんななんらか病気になる人が多い、自分もそうだった

●武田邦彦のyoutube

この人は一番有名だろう、この人の経験は自分のうよな三流大学の文系出て底辺でアルバイトしていた者とは全然違う
日本の一流の会社で働き日本の指導層のことを知っているからだ
直接接していいるから知っている、それでそういうことは底辺層には知りにくいから参考になる
何か今回の洪水で国土交通省の人と直接話した時、そんな上の人と接することができないと思っていたからいい経験をした
ちょっと話しただけだけどそれでも話できただけで身近になった
増子議員でも直接接したことで身近になったということがある
それで選挙の時、どぶ板選挙といって地元をまわり地元の人と直接あって票を得るという意味がわかる、それで南相馬市長選挙のとき前桜井市長は一軒一軒回って歩いたというのもそうであった、直接会うということはそれだけ票に結びつくということである
それは同等のものとして会えるということにも通じていたのである
武田邦彦氏は話するのがうまい、話術にたけていると見ていた

ただ理系で歴史に興味をもっている人は少ないだろう、でもあれだけ造詣が深いということはめずらしいと思った、その知見が広いのはグローバルに科学者として活躍したことにもよっていた、何か日本でも語る時外国のことを知らないと語れないのである
それで直接外国人と仕事で接しているから言うこと違っているのである
アメリカのことでも批判している、正義をふりかざしても実際その裏ではあくどいというのがアングロサクソン系の人たちだというのもわかる
そのことはアメリカに留学した内村鑑三もアメリカは拝金主義でありそれに習ってはいけないとして日本の良さを主張していたのとにている
外国と対比して日本の良さを見直すことも必要なのである

●キミアキ先生の起業酔話

workingpoor11.JPG

ここで面白いと思ったのはこの人は長崎の佐世保出身であり棚田のある所で育った
そこの棚田は上るだけで大変だと苦労だというときそうなのかと思った
棚田は美しいというけど実際はそこを上り下りしして作業するのが苦労なのである
そういうふうに経験しない人は見ないのである
その他この人は駅でバイトして酔っ払いの吐いたものとか便までかたづけることをしていた、そういうことが嫌で何とかビジネスで成功しようと努めたとなる
その背景にそういうことがあったのかとなる
それも個人の経験でありそういう経験したことが訴えるのである
机上の空論では訴えないからである

自分自身も冷凍室で働いた時がありあれは本当に危険な仕事である
必ず体を壊すことは間違えない、若い時はこうして底辺で働いていたからそのことがわかる、そしてなぜこうして底辺で働かねばならなかったのか?
それは大学出ても三流文系であり資格もなにもなかったからである
その時勉強することの大事さを知ったが遅かったとなる
そして対には30年間引きこもりとなり隠者として生活したのが自分だった
そうできたのは親に恵まれたからである、でも社会性が欠如して介護となり七転八倒して苦しんだのである

今ニートとか子供部屋おじさんとかいる、そういう人と接しやすいのが自分である
でもそれがいかに過酷なことになるのか?その未来が見えていないのである
人間はつくづく未来を知ることができない、だからのんびりしているのである
津浪でもあんな恐ろしいものが来るとしたら絶対に海岸には住んでいないからである
その未来が人間には見えないのである

インタ−ネットはマスコミとかマスメデアとは全然違ったメデアである
どうしてもその個人を基にして語る、個人の経験を基にして語る
だから若い人はまだ経験がたりないから語るものも浅薄になる
だからむしろ老人に向いている面もあるのだ、ただ操作がめんどうだということで利用していないだけなので名知る
いづれにしろ人間は必ず最後にはその人生は一冊の小説になっている
それぞれが一つのストリーを必ずもつようになり語ることになる
それがありありと見えるようになるからである
その時々の行動が何であったのか見えやすくなる、それぞれの人生が完結して見えやすくなる

ただyoutubeで20歳くらいの人が月30万稼いだとか紹介されているが問題でもある
若い時簡単に収入を得たりするとなんだこんな簡単に金がとれるのとか成功するのかとなり傲慢になる、若い時成功することは危険なのである
若い時はむしろその傲慢さが打ち砕かれることがいいのである
だから別に底辺でもそこで謙虚になるからいいとなる
ただ正直底辺のまま終わることは辛い、それが氷河期世代とかロスジェネ世代の問題なのである

ともかくメデアによって例えば本で書くことと、電子本で書くことは書き方が違ってくるということがある、youtubeとテキストだけのプログではまた違ってくる
それはメデアが違ってくるからである、メデアとは媒介するだけのものだけどその媒介するものが違ってくると表現も違ったものになるのである
それはそれを表現する方でも受け取る方でも違ってくる
何かワープロが生まれたときから表現方法が違ってきた
ワープロだとキーボードを打ちながら思考している、万年筆とか筆記具で原稿とかに書くのとは違ってきていた
それで私の場合はオワシスのワープロで親指シフトを使ったからスムーズに文章を書けるようになった、これがないとなかなかワープロにもパソコンになじめなかったのである
どうしてもテキストとか文章がやはり中心になるからキーボードでスムーズにそれが打てないとなじめないのである
そこが入口となってつまづくのである

とにかくネットだといくらでも書き続けられる、いくらでも無制限に表現できる
それが今までは違ったメデアである、だから膨大な記録がネットに貯えられるのである
図書館の不便なのはそれを調べるだけで手間なのである
南相馬市にもいい図書館はあっても介護になり家事が忙しく一二回しか行っていない
そこでは手間だからできないのである
ネットで検索して必要なものを古本だと安いからその都度買って参考にしている
そういう点でも便利なのである、こんなに本があったということに驚くのである
これまでは仙台まで行かないと専門的な本はない、仙台でも限られていたから知的探求には田舎は相当不利だったのである、これだけ本が簡単に手に入ることは田舎でも遅れることはない時代である、それは相当に恵まれたことなのである


2019年11月05日

テレビも新聞も消えてゆく? (狭い地域と個々人のメデアがインタ−ネット)


テレビも新聞も消えてゆく?

(狭い地域と個々人のメデアがインタ−ネット)

massmedia111.jpg

テレビと比べるメデアはなかった、独占だった

テレビを通じて世界を知るほかなかった

確かに本とか別に世界を知るものとなっていた、でもニュースとかなるとその時々起こっていることを放送するのはテレビが独占していた
ニュースは毎日見るからその解説なども診るし映像はインパクトがあるから見る
ただ映像はそれだけインパクトがあるからそれによって洗脳されてしまうのである
テレビで放送しているのは真実ではないというときそうである
一部分をきりとった映像なのである

イラク戦争で油まみれの海鳥を写していたけどそこには広い空間があったがそれは写されなかった、そこは別に油に汚染されたわけではなかった
その一羽の海鳥をクローズアップして映し出した結果世界に放送された結果が効果抜群でありそれでイラクはひどい国だと世界に放送された印象付けられたのである
なにかテレビは瞬間的に強力に印象づけられそれが頭に残るのである

それで宣伝でも番組の途中に入れると効果的になる、その映像が頭脳に残る

サブリミナル効果

とかになる
それだけ映像のメッセージは強力なのである
そのあまりにも強力なるが故に洗脳されてしまうのである

活字だとそういうことはない、活字を読むということは活字から映像をイメージする行為になる、すると相当な想像力がないと活字は読めないのである
それで活字で対話する時でもそうなる、もし映像だったら女性の顔が出てきたらその顔からまず判断するからだ、活字だったらそういうことはないのである
だから映像のインパクトは強烈なのである
それでイスラム社会ではテレビを拒否したというときそれは映像が偶像化されるからである
目に見えるものの印象は強烈であり頭にすりこまれる、するとそれが偶像化するのである神は目に見えないものであり偶像を拒否することが信仰の鉄則になっていたからである

テレビは事実ではないというとき事実であっても事実の一断片を映像で見ているのであるそれはどこが重要だとかどこを強調するかはテレビ局で決めている
それで議員の討論会でも一人だけを長く写すなという取り決めがあるのもわかる
つまりテレビ局によって編集されるからそれで誤ったものとなる
必ずテレビ局の意向が番組には入っているからだ
そうしたらそれを見ている人はテレビ局の意向によって左右されることになるからだ
それが意外と巧妙に作られているから見ている人にはわからないのである

それでこの辺で原発避難者が相馬市のトマト農家に飯館村の人を雇ってくれと言ったら断られたということを放送した
それを一瞬見た人はなぜ苦しんでいる人を断るのだとみる
でもそのトマト農家では津波の被害者の方を優先して雇ったのである
なぜならその人たちは補償金をもらっていないからである
別に飯館村の人を原発避難者を差別したわけでもなんでもないのである
公平に判断していたのである
でもNHKのその番組を見ていた人はなんで飯館村の人を困っている人を雇わないのだと見る        

その時メデアはたいがい原発避難者側について放送していたのである
でも仮設に入った人たちは原発避難者と津波被害者が隣り合わせていた人がいて互いに口もきかなかったと言っていた、一方は多額の補償金をもらっていたからである
でもそういうことを言わせなくしたのはNHKとかメデアである

それだけテレビの影響が大きいからそうなった
原発避難者は津波被害者とは別である、そこでは家族は死んでいないし家も壊れていないただ放射能被害ということでありそれはそれなりの被害でも津波の被害者の方が深刻だったのである
こうして原発避難者様となり非難することはできなくなった
現実はその補償金の暗黒があった、多額の金が入りギャンブルとなりパチンコ屋通いでありフィリンピンの女性に貢ぎ仙台にバーを開かせて金がなくなったという人も現実にいたのである

そんな人のことをマスメデアではとりあげないのである
それは地元だからそういうことが耳に入ったしそれは親しい人から聞いたから間違いないのである、そういう情報は地元でしか聞けないことがある
何でもメデアはとりあげない、自分たちの意向に沿ったものを取り上げるだけなのである
インタ−ネットで情報社会が変化したという時、インタ−ネットだとプログでもyoutubeでも何でも個々人がベースとしてその人の住んでいる狭い地域がベースになる
そういう狭い地域だと毎日暮らしているのだからマスメデアで報道しない細部を報道するようになる、それを自分は毎日している
今回の台風の洪水でもそうである、今回の洪水の問題は小河川があふれて被害が大きかったことだったのである 

それを報告したがこんな小さな川で被害にあったということが意外だったのである
それは日ごろ見ていてもとても洪水になるような川ではなかった
するとこういう小さな川も危険だったと再認識したのである
つまりマスコミは大きな川でありそうした小河川のことは報道しないのである
でもそれぞれ人はそうした狭い地域に住んでいる
そこに一番関心がある、そこが生活のベースになっていてアイディンティティの場所にもなる、だから心とはこころはここの場所のことだったのである

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
(場所の現象学ーエドワード・レルフ)

最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ

地元だとどうしてもその場所への感情移入があるがマスメデアにはない、そこに住んでいないからである、そこに住んでいないということで原発事故でも東京の幹部が離れていてその場所について愛着もなにもないからそんな危険なものでも建てたのである

現代は世界のことを日々報道される、映像もきりなく隙なく写されて映像の洪水をあびている、しかしそれで世界の理解が深まったとかというとそうでもないのである
映像といってもあくまでも一部分をきりとったものだからである
その全体を体験することができないからである
ただ映像の時代だということは否定できない、それで自分自身が不思議に思うのはいくらでもある映像写真を加工して抽象画にしていることである
これもこれだけの映像が良質な映像が写真が出ているからそれをソフトで加工するような芸術が生まれたとなる、だから映像の力は言葉より強いメッセージになることは否定できない、それでそこに危険が生れる

いづれにしろマスメデアはテレビでも新聞でも消失の危機になる
地域のテレビ局でも新聞でもやはりマスコミなのである
福島県でも市町村があるとしてそれぞれその土地でも歴史でも別なものだからである
それを報道することは不可能だからである
おそらく私は歴史的には相馬藩内に住んでいても相馬市に住んでいると原町区に住んでいるとは違ったものになる
やはりそれぞれの村でも町でも市でもそこに住んでいる人がその場を知っていてそこがアイディンティティの場所になる
福島県全体がなりえないのである、国(くに)、里、村とかあるとき国だと会津とかは万葉集の時代から国(クニ)会津の国をさ遠み・・・として意識されていた
そして日本の不思議は里なのである、故郷というとき古里であり里なのである
故郷とは狭いアイディンティティの場所なのである

いづれにしろそもそも人間が理解しえないのは多様な場所に住んでいるからである
その場所はテレビに一場面写されても理解することはできないからである
だから世界中のことを映像で報道されても理解しえないのである

これからyoutubeとかとテレビ局が平行化する、それもテレビ局にとってはショックである、youtubeと同列に見られるからである
youtubeだと数人しか見ていないものもある
テレビ局だったち一千万とかの単位になる、youtubeと同列かするということはそういう恐怖になる、何千人単位とか万単位の放送になる恐怖である
とにかくテレビ局は芸能人の馬鹿番組でも多数に観られることで政治でも左右してきたのである、その構図が壊れる、テレビはただ写す箱になる
そこではかつてのようにテレビだけにかじりつく社会ではなくなっている
何か知りたいというときスマホでありパソコンでありインタ−ネットだとなる

ただテレビ局の優位はNHKなどだと優れた番組がコンテンツが作れる能力がある
そのコンテンツを売ることだとなる、貯えたコンテンツでも映像でも莫大だからである
それを売ることでしばらくせ成り立つとなる
これからコンテンツの勝負である、誰でも放送てきるとなればそうなる
今まではテレビ局でないと莫大な費用がかかるから放送できなかったからである






2019年10月02日

物の消費から語りの文化の時代 (多様化個性化地域化の価値の追求)


物の消費から語りの文化の時代

(多様化個性化地域化の価値の追求)

技術から情報へ、経済から文化へ、ハードからソフトへの比重が移ります
こうして二十一世紀のわが国では経済のあらゆる分野で「意味」や「文化」、つまり「コトバ」や「デキゴト」の「コト」のしめる比重が急増していくことです
(日本はなぜ縮んでゆくのかー吉田隆彦)

明治以降は西欧列強に対抗するために強力な中央主権国家が必要だった
それで標準語が作られた、方言でぱ通じにくいからそうなった
その時、国の訛りとかは消える、でも方言にはあったかさがある
情的なものがある、だからこそ国の訛りなのである

明治以降は中央主権国家手あり富国強兵を国是とした、日本人が一眼となって欧米列強と対峙しなければならなかったからである
それは太平洋戦争までつづいたのである
戦後また日本は今度は規格品の大量生産時代でありそれで高度成長があった
日本は別に技術的に特別優れていたのではない、ただ誰でもできることを先んじて
世界でしただけである
何かアメリカのように発明したわけではないのである
日本には発明することがない国である
ただ大量にいいものを規格品を作るに向いていたのである
そもそも日本というのは人間自体大量規格品であり同一化同質化しやすい国だから
大量にいいものを作るのは向いていたのである

でもそうした大量規格品を売る時代が終わった
そういうものは今でもテレビでもパソコンでも韓国中国で造れるしかえって日本はスマートホンとか通信分野で後進国になっていたのである
日本ITでは後れをとった、そしてこの情報化社会というのは何なのか?
それが今具体的にいろいろ問われる

新規農業者が語る農業の講義が面白い、今でも野菜は大量に規格品を出している
でもニンジンにしても多様なニンジンがある、他でも野菜でも多様な野菜がある
それはスーパーには売っていない
そこが小規模農業の狙いだとしている、それもやはり多様化ということがキーワードになり未来を示しているからだ
実際は農業でも8割は大規模農家で生産しているものが市場に出ているから同じ規格品しか出てこないのである

だからこのyoutubeで何が変わったのか?農業を語るということである
農業が実際にしている人が語ることができる、その語りでもやはり経験していないとできないのである
youtubeになると個々人がいかに語りえるかである
その人の経験が売りになる、それは底辺労働者でも非正規でもその労働現場を語ることでなるほどと思った、そういう情報はマスコミからは今まで出てこなかったのである
マスコミは中央集権的情報装置であり個々人を相手にしていないからだ
そしてマスを大衆を相手にして視聴率を稼ぐことだからである

それは県単位の新聞でも雑誌でもそうである
むしろ市町村単位の情報もありそれが放送されない、一部されても市町村単位放送局はないからだ
ただyoutubeだと個人単位でも放送局になれるということである
だから個々人の語りの時代になったのである
その語る人は特別な人ではない、マスコミによって選ばれた人ではない
マスコミではマスコミに適応する人しか選ばないからだ
それで武田邦彦氏が科学者だから個人放送局として見る人が多い
そこでも自分を語る場となっている

人間は何かしら語ることをもっている、特にある程度の年になると何かしら経験しているから語ることがある
だから平凡な人でも私が話を聞く、するとそういうこともあったのかと新鮮なのである
東北電力の建物はいつも見ている、それは高いのである
それでその中で働いていた人が階段を上り下りして荷物を運ぶのがつらくてやめたと聞いた、その階段が外から見ても高いのだから相当に高いとなるからそうなのかと納得した
たこうして人の話をいろいろ聞くことは知見を広めることになる
特に私は郷土史をプログで発信しているので郷土のことをトータルに知りたいから余計にそうなる

現代は語りがなくなった、人と直接語ることが少ない、スーパーでも語らずに物だけを買う、でもこの辺でも小さな地域の市場がありそこだと必ずその物について語られる
こうして育てたとかこれはこうだからいいものだよとかなる
ただ地域の市場はかえって高くつく、トマト一個でも400円したとかなる
それは特別なトマトだからである、安く大量に販売するものとは違うからである
ただ市場とは物をやりとりするだけではない、人間が交わるところでありそこで情報を交換するとか結婚相手を見つけるとか楽しむ場でもあった
特に遊牧民だと暮らしている範囲が広いから集まることができないから市がたつことは年に何回とかにもなるとしたら貴重な出会いの場だったのである

ねんごろに故郷の女(ひと)と話しけり我が家のありて秋となりしも

この女性とは話するためにだけあるようなものである
話がうまいということもある、ただ老人になるとやはり話すことが一つの仕事になる
昔を語ることが仕事になる、それで戦争のことを姉から認知症になっても千回語りつづけて効いていたが嫌になった
それは語りが同じことのくりかえしだからである
もし同じことでも語るとき何かまた知らないことを語れば違っていたのである
語るにしてもいろいろ語ることがありそれによってまた新たな発見がある

ふるさとを語るというときこれほど私がプログで書いているかというと津波や原発事故でその語ることが膨大に増えたからである
この辺ではみんなその苦労話を語ることになるからだ
それは十年過ぎてもその語ることはまた新たにある、津浪や原発のことはそれだけ広範囲であり重大なものだったから歴史的事件だったからそうなる
それは戦争とにているのである 

いづれにしろ語りの文化というのは稗田阿礼からはじまり長い、庶民の文化は語りの文化である、文字にしたのではなく語ったのである、文字を作ることは相当な高度な文化である、でも語ることはしゃべることは原始時代からしていたのである
それで地名という時、音が基本でありそれに漢字をあてたのである、それで漢字を見ているとどきうしても誤解が生まれているのである
語りという時江戸時代でも語りである、落語でも講談でもその前の盲人の琵琶法師などでもそうである
第一通信が発達しなければ娯楽でも芸能でも直接芸を見せなるから直接語ることとにている
語るということはしゃべることは常に日常でしている、だからそれが芸になる、歌はとはそもそも訴える(うったえる)→歌になったからである 

ヤップ島が石の貨幣として有名であるがそこで石の貨幣が運ぶ途中で海に沈んだ、その石を引き上げる苦労が語られる
するとその石の貨幣は価値が高くなる、つまりそれだけ苦労して引き上げたからだとなる
つまりストリーに価値がある、貨幣というのはただの交換する道具だとなるが実際はストリーがある
でもそのストリーが省かれている、語られることが省かれている
こういうことが何か不思議に思えるけど人生そのものを考えると人生は最後は物語になる、ヒストリーになる、ストリーが歴史なのである
すると語られことによりその物語により人生の価値がある、有意義な人生とは常に語られる人生だからである
だから英雄譚とかそうした人生で常人のできないことは神話とかとなって語り継がれてきたのである
まさに人生というのは語られるべきものがあるときその人生に価値があったとなる
あなたの人生に価値がないというとき語られるべきものがないとなる
いくら大金持ちでもそこに語られるべきものがないと価値がないとなる
死んでから百年後でも語られるものは価値がある、芸術でもそうである
それは延々と語り継がれているからだ


ともかく語ることは文章にするのとは違って全人間的行為なのかもしれない、そして語る時話す時効果的なバックグランドが自然でもあることである、自然を語る時その自然そのものがあれば具体的に言葉も活きてくるからである
本を読むにしても言葉だと文字だとイメージすることが不可欠になるが戸外で話する時はその言葉そのものが具体的にあるから話がはずむのである、どういう場面で話しているか実感するからである
語る時は必ず表情とかもみるし感情もでてくる、だから語ることはメデアを機械を通して語るのとは違う、インタ−ネットとかでもそこで語るということは直接ある場所で語ることとは違ったものになる
だから文字だけでやりとりするというパソコン通信は今までありえないことでなじめなかった
ただ語るとしても対面的になると語る人が限られるから広い知識は得られない、でも人間の基本的コミ二ケーションは語ること話すことなのである

だから本当は旅でちょっとでも土地の人とその場で話すると活きててくる、ただ私自身はしていない、旅は急いでいるから何か土地の人とも話せないのである、そして今はスマホを見ているから余計に土地の人と話しないのである
それは旅でも急いでいるからそうなるのである、土地の人に道を教えてもらうにも手間になるから土地の人も道を正確に教えないのである、適当にしか教えない、だからスマホの方がいいとなっているのだ  
その点柳田国男は土地の人と語ることが上手で口碑を文字で残した物より語られたことを重視して民俗学を起こしたのである 

ただ話すこと語ることは消えやすいのである、その証拠が自分自身書いたものを忘れている、プログでも十年以上していると過去に書いたものを忘れている、そしてこんなことを書いていたのかと自分で書いたものを読んで感心しているのも不思議である
だから話したりすることでもそれを文章にして残さないと消えてしまう、文章にすると長く残るのである
そして人は次から次と死んでゆくとき残るものは何か?その人が書き記したものであり本とかなる
それだけ世の中を生きることは常に忘れられてゆくことである、一つの墓が墓地に倒れていた、名前も記されていても名前だげであるその人について知りうるものはなとはなにもない、その倒れた墓石が何か人間を人生を語っている
その墓石は人間なのである、倒れてしまって死んで帰らぬ人となった人間なのである
最後になんとか名前を残しただけだとなる、ただ石に記せばそれは長く残るのである    

ヤップ島が石の貨幣として有名であるがそこで石の貨幣が運ぶ途中で海に沈んだ、その石を引き上げる苦労が語られる
するとその石の貨幣は価値が高くなる、つまりそれだけ苦労して引き上げたからだとなる
つまりストリーに価値がある、貨幣というのはただの交換する道具だとなるが実際はストリーがある
でもそのストリーが省かれている、語られることが省かれている
こういうことが何か不思議に思えるけど人生そのものを考えると人生は最後は物語になる、ヒストリーになる、ストリーが歴史なのである

すると語られことによりその物語により人生の価値がある、有意義な人生とは常に語られる人生だからである
だから英雄譚とかそうした人生で常人のできないことは神話とかとなって語り継がれてきたのである
まさに人生というのは語られるべきものがあるときその人生に価値があったとなる
あなたの人生に価値がないというとき語られるべきものがないとなる
いくら大金持ちでもそこに語られるべきものがないと価値がないとなる
死んでから百年後でも語られるものは価値がある、芸術でもそうである
それは延々と語り継がれているからだ




2019年08月06日

読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ) (アイディンティティは場から形成される)


読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ)

(アイディンティティは場から形成される)

根をおろすということは、おそらくもっとも重要であるけど最もわずかしか認識されていない人間の魂の要求である
人間は誰もが多様な「根元」を必要としている
人間にはその自らの一部を形成している環境を通してその道徳的知的、精神的生活のほとんどを引き出す必要があるのだ

この本はバイブルのような感覚になる、それは自分自身が、追及してきたことだからである、現代文明の現代人の問題は場の喪失、アイディンティティの喪失にある
それはグロ−バル経済とか広域社会とか交通の凄まじい発達とか通信の発達とか外部との交流が飛躍的に増大した、モバイル社会である
ただ反面そのためにアイディンティティが喪失したのである
地球の裏側から物が入って来たとしてもアイディンティティとは関係ないのである
第一果物でも食料でも入ってきてもその土地のことなどわからないし関係ないからである
こういうことは便利さを求めて交通が発達した結果もたらされたのである
そこで物欲は満たされたとしても精神は空虚化したのが現代なのである
現代はみんな故郷喪失者になったのである
人間は物欲に満たされても何か満たされない空虚感につつまれているのである
現代人には文明人は精神の充足感がないのである
みんな精神的に疲れ鬱病が増える、それは何か本来人間のあるべき場の喪失とかアイディンティティの喪失のためである

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、
そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

東京とかの怪物都市となるとそれが現実に思えない、何か幻影のように見える
そこでとても人間精神は涵養できるものではない、巨大な異空間の中で人間は言葉を失いまたアイディンティティを失うのである
現代人はアイディンティティをもつ場を失っている
江戸時代とか農村が社会の中心だった時は自ずとその土地と密接に結びついてアイディンティティが形成されていた
それは代々継続される時間がありそこが一つのミクロコスモスとしてアイディンティティをが形成されていた

だから人が死ぬと山に還りそして春になると田植えの時期に先祖がおりてくるというのはまさに時間的空間的にそこに心もあるとういことなのである
それは一代で終わるものではなく営々とつづく、先祖との関係もその場を通じてありつづけるのである
お盆というとき死んだ人を迎える時それは家だったりその土地だったりする、死んだ人もアイディンティティとして生きた場所にありつづけるという日本的信仰にもなる
それは都会ではありえないのである、だからお盆とはそうしたアイディンティティの場所に還るという祭りだともなる

金門田《かなとだ》を 荒垣ま斎《ゆ》み 日が照《と》れば 
雨を待《ま》とのす 君をと待とも 
  〜作者未詳(東歌) 『万葉集』 巻14-3561 相聞歌

門のそばの田が荒れていれば掻いて清め
日照りが続けば雨を待つ
そんな気持ちで貴男をお待ちしているのです 

門の前の田とかは重要な田だった、農家では今でも前の田とか畑で農作業している
家続きだから庭のような感覚にもなる、家と仕事場が一体化していたのである
前田となるとそこは草分けの農家が最初に開いた所で重要な村の中心となっていた
とにかく遠くに通って働くということはない、だからこそ余計にその土地と一体化するアイディンティティ化しやすいものがあった
そういうふうに自然と一体化した原始的心性から歌われたのが万葉集である
だから現代ではこういう歌は作りえないのである、他の歌でも自然と密着した心性は失われた、確かに現代でも農業している人はいてもそういう心になれないのである


道の辺《へ》の 茨《うまら》の末《うれ》に 延《は》ほ豆の 
からまる君を 別《はか》れか行かむ
   〜丈部鳥《はせつかべのとり》 『万葉集』 巻20-4352

道端のイバラの枝先に絡みつく豆のつるのように
別れを悲しんで すがる妻を残して 自分は旅立たねばならない

 755(天平勝宝7)年、上総国(千葉県)の防人の歌です。「ノイバラ」を詠んだ歌であるとともに、唯一「豆」を詠んだ歌でもあります
 

この豆は野生のものであり必ずしも畑で栽培したものとは違うという見解もある
こういう歌もそうである、別れるという時、野生の茨(うまら)がからまってくる君というとき自然と一体化した人間の心情が現れている、今だとどうしてもこういう発想にならないのである
だから万葉集の世界は自然と身も心も一体化したものとして歌われたから貴重だとなる

現代は本当にそうした場が失われている、そうした身も心も一体となった所から発想しない、それで抽象的なものとなる、抽象的時空がイメージの中で作られてくる
そして膨大な情報社会になったとき余計にそうなったのである
そしてその情報でも抽象的になり場から離れて膨大な情報にふれる
でも実際はそうした情報は一過性の中で消えてゆく、時間の継続で消化されない
原始社会だと何か事件があったらそれをその部族の中で語りつづける、それが歴史となり継続される、今は次から次と事件を消化しないままに次の事件が起こりただどんな凶悪な事件でも忘れられる、次の凶悪な事件が起きて忘れられるのである
それは場の喪失から起きてくる、記憶する継続する場が失われているからである
何か起きることはtake placeであり場所と関係していたからである

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

現代の情報社会の問題がここにある、特にマスメデアというときテレビの影響がそうしたのである、その影響はあまりにも大きいものだったのである
その情報の致命的なのはその場を知り得ないことから起きている
なぜならテレビに映し出されたものはその場での時間空間を実際は経験できない
一部を恣意的に切り取られたものを提供されているしとても実際の場に立って得るものとは違うからである

だから不思議に思ったのは私がその土地のものとその生きている場所で話すとき話がはずむ
何か言葉でも生き生きしてくる、言葉が活きてくる、それはその場が具体的に反映してくるからそうなる、それは決してテレビとか見ては感じ得ないものなのである
その場がどういう場所かはその場に立たなければわからないのである
そして現代では交通の発達で車社会になったときその土地土地の場を感じないのである
ただ通り過ぎて行くだけになる、歩いてゆくならその場を感じるものがあるが車で突っ走ればなくなるのである、つまり旅をしてもただ移動するだけだとなる、通過するだけだとなってしまうのである、だから旅しても何か表層の旅であり深くその土地とコンタクトできないのである 

まず芭蕉のような旅は現代ではできない、ただ通り過ぎてゆくだけの旅である
かえって便利になりすぎてその土地と交わる経験ができないのである
だから現代の文明は芸術にしても深いものが生まれないし土地とのアイディンティティももてず空虚化しているのである、そこにかえって人間の生が価値あるものとして現れない要するに人間の根とある場をもたないのが現代人である
心とはこころ、ココであり場所のことだったからである、場所から離れて心はありえないのである

そして原発事故の最大の被害は今までそうして住んでいた場が奪われたことである、住めなくなったことである
たしかに補償金はもらったとしても精神的に失われたものは補えないのである
ただそこに住んでいる人も別にこんなことは考えない、そこに生活して自ずから無意識にその場が心となっていた
ただその場が失われたとき何か重要なものが失われたことを自覚したしその価値を知ったのである
そういうことはなかなか自覚しえないものだったのである
そういう精神的なものには値段がつかないし金で売買できるものでもないからである
でもそういう精神的なものこそ生きる拠り所になっていたということを自覚させられのが原発事故だったともなる
ただ実際はそこに生きていた人たちがこんなことを自覚はしていない、便利さを求めて金を求めていただけであり
それが価値あるものとして生きていた訳ではないのである
それで価値とは何かというときそれはすべて金で売買できるものではないのである
それが余りにも金が万能になりすぎたのが現代なのである、そこでアイディンティティが喪失しているのが現代なのである
根無し草になっているのが現代人なのである


2019年07月22日

なぜ金がかかわると不純になるのだろうか? (インタ−ネットでも金稼ぐことのために不純になった)


 なぜ金がかかわると不純になるのだろうか?

 (インタ−ネットでも金稼ぐことのために不純になった)

最近インタ−ネットも現実社会と変わりなくなった、ともかく金を稼ぐことができるかと目の色を変えている
それはプログでもそうである、年収一億とか稼いでいる人がいたとしたらそんな人ありえるのかとなる、youtubeだといる、するとその金にひかれる人間が必ずいる
自分ももうけたいなとプログでもyoutubeでも始める人がいる
そして稼ぐためにインタ−ネットでもyoutubeでもテレビ化する、マスコミ化する
受けを狙う、そこで何かまた本来の趣旨と違ったものとしてインタ−ネットが作用する

youtubeの世界でも企業が人気のあるyoutubeを選んで雇い宣伝に利用しているという
それはマスコミとかテレビと同じになっているのだ
いくら人を集めるか、視聴率をとるかが最優先される
今までは個人で自由に発言していたが企業の宣伝として雇われる
そうなると本来の趣旨からはずれてしまうのである

ただ正直プログでもyoutubeでも何か人に見せるものを作るとなると時間がかかる労力が必要になる、プロのようになると労力と時間がかかる
だから片手間にやれるというものでもなくなる
そこでどうしても維持するために金を稼げないとできない
そもそも動機が金を稼ぐということからはじめる人も増える

何かそこでつくづく人間の矛盾は金がかかわると不純になる
でも金から人間は離れられないのである
だからボランティアというときそれは金にかかわらない自発的動機がありしている
すると不思議に純粋なものとなっている
駅でボランティアすれば動機は純粋であり住んでいる街の人のためだとか鉄道が好きで鉄道を維持したいからとか動機がありしている
結局誰にも認められず排斥されてできなくなったが動機がありその動機に金を稼ぐということもまた認められたいということもなく純粋に鉄道のために町のために自治体のために多少や役にたちたいというだけだった
でも全く認められないとか排除された、でも何かありがとうと外部から来た人には言われた、だから今はここに住んでいる人にはかかわらないが外部から来た人に案内したりする

なぜ人間は金がかかわると不純になるのだろうか?
純粋に何か目的があり別に悪いことでなくても金がかかわると不純になるのである
金が優先されて本来の目的が失われる、そんなことこの世の中に普通にある
だからこれは何なのだろうとなる
インタ−ネットは前はこんなに金がかせぐとかなかったしできなかった
それが今や世間と同じであり利益追求の空間となる
その時何か不純なものとして本来の趣旨からはずれる
とはいってもそもそもこのインタ−ネット空間を維持するものは誰なのか?
それは無料ではないからグーグルとかは宣伝費で維持できるのである
インタ−ネット空間自体を維持するのに莫大な金がかかるのだからそうなる
でもそこでグーグルに独占されるとかなって問題になった

いづれにしろなぜ人間は金がかかわると不純になり本来の目的からはずれるようになるのか?これは人間社会にとって変わらぬ大きな問題だと気づいた
例えば遊びでもそうなのである、遊ぶとは何か子供だったら利益を得たいということでするのではない、純粋な遊びとして追求している
それでチンパージ―に数を教えるとかして遊びとしてやらせたらそれに夢中になった
でも褒美としてバナナを与えたらそのバナナをもらうことに気をとられて純粋に遊びに熱中できなくなったという
これは人間でも同じである、金を稼ぐということが目的になり本来の趣旨とは違ったものになるのである、それはあらゆるところで起きているのだ
医者でも金を稼ぐためにいらない薬を与えたり金を稼ぐことで本来を体を直すということだが金を稼ぐ物として病人を見る
そういうことが社会では当たり前のようにある
でも金を稼ぐということを否定したら食べていけない、生活できないからすべて否定はできないのである

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
  そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
   マタイによる福音書     
   
人間の社会はこうなっていない、まず金を稼ぐことを求めなさい、その目的と動機より金を稼がなければどうにもならない、みんなそうなっていて働いているのである
その働く動機が純粋であり目的がありそれを追求はしていないのである
また追求できないのである、そこに金がかかわると不純なものになるからだ
だから天国とは金にかかわらない、神がその動機が純粋ならその他の物は食料でも住む所でも与えてくれるという世界である

とにかく金を稼ぐということばかり頭にあると本来の目的が達せられないのである
だからある分野では教育とか福祉とか報道とか何か公共的なものでは金を稼ぐためにだけにさせると必ずそこは汚される場所になる
そんなこといってもどうにもならない、それが社会だとはなる
でも不思議なのはその人に働く動機がありその動機の純粋さを保ち目的を遂げるために働くときその人は一番おおげさにいえば神の意にかなっているとなる

だからインタ−ネットの空間は今やあまりにも社会と同じになってしまった
金を稼ぐ場所として追求される
でも金をもらえないと個人的に発信するにしてもできないことがある
それだけの労力と金も必要になるからだ
私の場合は余裕があるから金を稼ぐということにそんなにこだわらない
でも金が欲しいということはある
金から人間は逃れられないのである

ではどうしたらいいのか?
プログでもyoutubeでも見ている人はそれに賛同したりしたらやはり自主的に金を払うという仕組みが必要になる
でも人間はそうした情報に金を払いたくないのである 
私自身毎日見ているプログが一つだけある、でも金を払っていないのである、金を払う仕組みがあるが払っていないのである
でも新聞社とかは金をえなければ情報を提供できない
それで検索するとき必ず日本経済新聞社の記事がでてきて金を払わないと全部は読めないこれも検索に引っかかり安いから効率的ではない
また検索するにしても数が多いから無駄なものが上位にきて探しにくいとなる
いくら検索するにしてもこの検索することはAIでも限界がある
それは人間でしなければできないことがわかった
やはり専門分野の人が集まり情報を整理しないと効率的にできないのである

なぜか今日の一句一首に一週間くらいアクセスが増えた、でもページビューだから訪問者は増えないのである、でもなぜこんなに増えているのか?
相馬郷土史研究とあわせるともし一か月つづけばだか30万くらいになる
一週間くらいつづいていることも不思議なのである
そこまでつづくとなるとはありえないだろう
こんなにアクセスされたことがないのである
ただダブルことがあるから実数はわからない
ただ膨大な記事があるからそうしてページビューが増えても不思議ではないのが自分のプログである
これはロボットが来てそうなったとも思えないのである
ただ様子を見ないとわからないが今までになかったことである
なんとか今まで書いたことを整理しようとしている
それが簡単にはできない、ワードプレスとかやろうとしたがこれもできない
めんどうになる、何か年になるとめんどうなことができなくなる
若かったら挑戦していたからである
どうしたらプログとかホームページでも整理するのが今の自分の課題なのである    

 個人Youtuber全滅の危機!?今後のYoutubeについて思う事

ここでは企業がyoutubeに参入して個人youtubeはやっていけなくなる
企業には勝てない、個人は専門家を集めてやるほかないという
一人では自分もしているが限界を感じるからだ
ただ自分の場合は書くことはいくらでもある、種が尽きることはないのである




2019年06月29日

林秀彦のおテレビ様を読む


林秀彦のおテレビ様を読む


マスコミとかテレビ局のことを今盛んに批判する、その影響力が大きすぎたから批判するようになったのである
マスコミはやらせであり嘘つきでありただエキストラを使ってインタービューをしてテレビ局のシナリオ通りに発言させるだけだとyoutubeで指摘していた
テレビ局はみんなやらせだ、信用していないから見ないとしている

そもそも報道とは何を追求しているのだろうか?                        

あなたは報道局にマスコミにテレビ局に入り何を目的として働くのですか?

それは働いてみないとわかりません、でも何かこうしたいとか抱負があるでしょう

私は真実を追求したいです、国民に真実を知らせて国民を間違った方向に行かないようにしたい

そうです、真実を知らせて真実を追求する、それが報道の目的です

こういう会話があったとしてもではその真実が報道されるかというと現実はやらせでありマスコミは真実を報道しない、何かテレビ局の意向がありそれで報道はまげられる
インタービューでも役のない芸能人を使ったりエキストラに金をやってしゃべらせたりしている、テレビにはマスコミでも真実は追求していないのである
一番追求しているのは視聴率である、それで起業から宣伝費をもらうからである

マスコミ批判は今はインタ−ネットで常にありもうテレビは見ないという若い世代も増えている、NHKでもやらせ番組を作っている、NHKもやり玉に常にあげられている
もうテレビ自体を酷評した劇作家がいた

金儲けする最善の道はその取引相手が馬鹿であることだ、そんなこと誰だってわかる
あらゆる(勧誘はだましのテクニックだ)

テレビは企業の宣伝媒体でありテレビを支配しているのは金をだしている企業だとなる
その目的ははっきりしているそのテレビを支配する金をだす企業の利潤追求のためにテレビがありマスコミがある(おテレビ様と日本人ー林秀彦)

林秀彦は10年前に死んでいた、都築詠一氏もネットだけで発言して死んだ
何か共通点のある辛辣な批評家だった、林秀彦の本は最近読み始めたので遅かったとはなる、でも本を残しているから検討できる
やはり外国暮らしが長い人は日本のことが良く見える

そもそも報道の問題は金がかかりすぎてその金を得るために大企業と結びつく
病院でも高価な設備をそろえると馬鹿高い金がかかる
それを回収するために脳の写真でも一日10人診ないと回収できないとか言っている
それはマスコミでも同じである、設備と人件費にかかるからそうなる
そういうふうに無理すると不正もするようになる、必要のない薬も宣伝して売るとかなるつまり何かこの世の中は莫大な無駄なものに金を使っているのだ、浪費されているのだ
それがまわりまわって国民の税金となって徴収されているのである

林秀彦は日本自体嫌悪するようになり外国に暮らすことになった
日本を賛美する右がいるけど日本をこれほど辛辣にこきおろした人もいないと思った
それが説得力がある、それよりもうテレビとかスマホでもそういう機械が人間の間に入るとそれによって人間はゆがめられ心が通じなくなるとしている

機械が介在すると人間は非人間化する、車に乗ると人が変わる
まったく自分の意識と無関係に人格が機械化する
機械が人間の一部に決してならず、人間が機械の一部になる
テレビと対面している人間、インタ−ネットと対面している人間は顔が変化する
高貴さが失われ下卑る、アホ面になる
それまでその人が蓄積した人間性が一挙に消え去る
テレビに出る側、製作に関与する側にも同じ現象が起きている、スタッフも全員ロボット化している、無意識に

こういうことは別に古代からあった、ソクラテスは文にすることを嫌い語ることしかしなかった、文にすると言いたいことがまげられるとしてただ直接語ることしかしなかったのである
文にすること自体すでに人間にとって別な次元の体験になるからである
肉声でしか話さないともなる、もしスピーカーでもそれが媒介とするときメデアとするときまともに言いたいことが伝わらないともなる
本当の声が声でなくなるということはありうるからだ
面と向かって話すときは言葉だけではな表情とか感情がかならず加わるからである
そういうものが省かれてしまうからである
別にそういうことが機械文明なのだから人間は機械に酷使されて疲弊していると批判する人はいくらでもいる、人間は最後はロボットに使われる奴隷にさえなる
林秀彦がテレビをこれほど痛烈に批判したのは自分自身が劇作家でありテレビ側の人だったからである、そこに深くかかわり嫌悪するようになったのである

正直日本人だげてはない、文明人はもうまともなものがいない、そういうメデアでも機械でも人間の本来持っている人間性をゆがめる、まるでテレビが身近にあり何でも教える師範のようになっていること自体異常だとなる
テレビがお茶の間の中心になったこと自体が異常なことだったともなる
なぜならテレビは俗悪でありまた見る人もそもそも俗悪であり一切そこに人間を高貴にするものがないとしている、テレビとはそういうものだとしている
大衆が生んだ俗悪なものの象徴だったとしている
パンとサーカスでありニュースでも他人の苦しみも見学するショーとなる
現実に野獣と人間を戦わせるのを見ていて楽しんでいたからテレビでも常に形は変わってもそういうことをしている、戦争でもショーとなる、見ているだけなら面白いとなるだけだからである、イラク戦争でも日本で関係なければそうなる

つまり真実を追求するということが報道の使命というときそんなものは一切ない
大企業の宣伝媒体でありそこに人格を向上させるとか真実を知る知識を得るとかは一切ないとしている、テレビを見ているだけで馬鹿になるとしている
本当に一番認知症になりやすいのは嫁にばあちゃんはなにもしなくてもいいですよ、テレビを見ていてくださいと言われた人なのである
つまり人間を痴呆にするのがテレビなのだということになる
ただここまでテレビをこきおろせることには感心した、やはりテレビ側の人だっから余計に嫌悪するようになったのである

つまりこういうふうに嫌悪すること汚いものを嫌悪することができるのは正常な冴えた認識をもっている人なのである
カルト教団に入ってそこがまともだとして活動している人はありえない、創価のように毎日幽霊会員を一票入れてくれと回ることをしていてもそこに疑問を感じない
何かそういう人は麻痺している、それはテレビでも同じなのである                  
テレビを支配しているのは創価の民音であり芸能人は創価関係者が多いという時まさにテレビもそうういものだとなる、芸能人と暴力団は昔から必ずかかわっているからこれも人間の業(カルマ)として変わらないとなる
人間のしていることは今だけではない、ただ手を変え品を変えて継続されているのである

それだけではない、この世の中に憤りを感じない人間はもう悪に染まっても何も感じないのだ、この世がいいところだととかなっていたらその人はこの世にどっぷりとつかっている人である、そして悪もこの世の汚さも感じなくなっているのだ
この世に何か怒りを感じるのが普通である、この世に不正に怒りを感じなくなったらどうなるのか?この世に何か悪いことがありますか?
こうなったらもうこの人はこの世の悪にどっぷりとつかっているのである
テレビにはそうしてこの世の悪になんにも感じないのであるただ大衆の俗悪さをいいことにそれに便乗して金儲けするだけだとなる、そこで一番問題になるのは視聴率だとなっているのである

いづれにしろ正直もう人間に接してもまともな人間はいない、みんな俗悪なテレビ人間の類しかいない、そもそもこの文明から何かまともなものが発信されることも追求されることもないのである
それを人間社会に人間に求めることはもう不可能なのである
ではどこにも求めるのか?

何か自分自身奇妙だけど社会から引きこもり60歳まで過ごした
引きこもって禅僧のように自然そのものと山と木とか石と向かい合い真実を求めて来た
人間には求めない、山や木や石や岩と向かい合えばそこに神の真実が見える
神の真実と向き合うことになる、そこから人間に満ちている嘘偽りは全くないのである
人間は嘘偽りしかないからである、第一職業自体みんなそうなのである
弁護士が正義を追求すると思えば法律を盾にして金を追求している
銀行でも老人から投資信託とかすすめて手数料商売になる、損しても銀行は絶対に損しない、客が損するだけの商品なのである
地銀など投資信託のことなど全然知らないのにすすめていたからである

いづれにしろこの世の中マスコミであれどこにも真実はない、職業では宅建というか住宅関係くらいがまともだとなる、そこでは嘘はつけないからである 
住宅が壊れたりしたら責任が問われるからである、ごまかしにくいからである
後はなにかしら嘘つくことが多いのである
だからこの世にまともな人間はいない、するとどこに真実を追求できるのか?
それはこの社会から離れて禅僧のように引きこもり自然の真(まこと)に接することである、そこに嘘偽りのない神が創造したままの世界が今もあるからだ
つまり極力テレビは見ない、雑音に接しないで沈黙の行をすることだともなる
そうなると社会では異常化するから禅寺にこもりそれを認めてもらうほかないともなる
なぜなら社会ではそうしたことをしにくい、どうしても社会に合わせなければ生活できないからである

テレビの「ヤラセ」の実態を暴いた証拠画像がこちら!
                                                              

2019年06月28日

情報社会とは何なのか? (モノより情報自体に価値がある社会)


情報社会とは何なのか?

(モノより情報自体に価値がある社会)


情報社会というときこれも何なのかわからなかった、情報社会はインタ−ネットが社会で一般化したときからはじまっていた
そしてスマホになりそれは世界で一般化した、ベトナム人でもネパール人でもスマホをもっているからである、スマホを通じて世界が情報化したともなる
つまりインタ−ネットとスマホで世界の情報化のインフラができあがったとなる

でも情報化というときそれは社会にとって世界にとって何を意味しているのか?
それが良くわからないのである、これがわかるのは情報を発信しなかぎりわからない
受け身で情報を受け取るだけだとわからない
情報化社会とは情報を誰でも個人でも発信できることにあったからだ
それが一番の変化だった

なぜならインタ−ネットがない社会の世界の情報はすべてマスコミに握られていた
一個人などかかわることができない、マスコミで発言できなかったら情報を伝えようもないからだ
それでどれだけマスコミの力が大きく第3の権力になったのである
テレビに何を発言するかではない、テレビに出れば顔が売れる、それだけで議員でもなんでも力をもつことができた、何百万人の人にテレビに出れば知られるからである

でもテレビで発言できたものはテレビ局から選ばれたものでありテレビ局の指示通りに発言する人である、テレビ局の意に沿わない人はテレビには出れないのである
そして何も発言できないしテレビ局の言う通りになる
だから原発の危険性とか原発を反対する放送はほとんど見かけなかった
それは福島県のマスコミでもテレビでも雑誌でも新聞でもそうである
なぜならテレビ局は新聞社が経営しているから同じになるのである
それで原発事故が起きたとき朝日新聞社の幹部まで東電に中国に招待されていた
その歓待されていたとき事故が起きたことでも象徴している
電事連からは800億という宣伝費が東電に流れていた驚きである
電事連というときそこは労働組合も入っていたのだから野党も関係していたのである

ではなぜマスコミがこれほどまでに力をもっていたかというとテレビ放送できる権限は六局しかない、するとそこに情報のすべてが集中することになる
そしてその影響は何百万人が必ず見ているのだから大きいのである
世界でもイラク戦争の時がそうだった、海鳥がイラクによる戦争で油まみれになったという映像が世界に衝撃をもたらした、それはやらせだったのである
それだけ映像の力は大きかったのである

いづれにしろ情報社会とは何なのか?
情報がマスコミだけのものではない、庶民へ一般人のものになったのが情報化社会である情報は今までマスコミを通じてしか伝達されなかったからである
それで私が無人駅で案内してそのことで具体的に鉄道のことに興味をもってプログで放送した、無人駅から鉄道全般の問題に波及して社会を知ることになったのである
それはただ無人駅になったので昼間買い物帰りにちょっとよって様子を見ていたことか偶然にそうなったのである
誰もいないから偶然に案内してそうなったのである

第一そんなところに伝えるものがこれだけあったということは意外だったのである
ということは本当はどこでもささいな仕事の場でも伝えることがあると思った
それができるのがインタ−ネットだとなる
そういう個々の目立たない仕事の場では伝えることがないと思ったからである
放送という時、目立ったもの事件が主になるからだ
ありふれたことは放送されないから知ることができなかったのである

情報社会とは何か?それは農業だったら確かに作物に関心がありそのことに一番関心がある、しかし農業自体にどうしてその作物ができるのかということに興味をもち知りたいということもある
私自身がそうだった、田舎にいるからみんな農業を知るとは限らない
ただ田畑に囲まれているのだから何もしなくても都会とは違う
でも実際に農業にたずさわる人は田舎でも少ないのである
だから農業のことを実体験として知っている人は少ないのである

それで小さな畑で野菜を作る人と知り合い実体験としての農業の話を聞いて興味をもった冬にかえって野菜は育つというのも意外だがそういうことは知識で知っていた
冬(ふゆ)は増えるから来た言葉であり農業の実体験から生まれていたのである
その人はしきりに冬は作物が育ちやすいと言っていたからである、これも意外なことなのである
そういう情報をじかに聞くことでその人に作物は何ももらえなくても資金の援助をした
結局作物は何ももらっていない、ただ話を聞いただけだとなる
でもふりかえるとそこでの実体験の情報をじかに聞くといことで情報に価値を見出して金を払っていたとなる

こういうことができた金額は実際大きいものだった、その人はいつも金に困っている人だったからである      
このように今の社会は作物自体に価値があることは言うまでもない、でもそれにまつわる情報にも価値が出る社会である、それはある程度余裕ができたからとはなる
そうでなければそんな情報だけに金を払うなどありえないからである
つまり情報社会とはモノだけではない、そのモノにまつわるものに価値が生まれる社会である
実際その人は別に家に来ても何もしない、畑の話をするだけである
二三枚皿を洗ったが今はしない、家事は全部自分がしているからである
つまりその情報に金を払っている、他でもモノだけではない、情報に金を払うべき時代なのである
情報は無料だとはならないのである

例えば喫茶店でもレストランでも見晴らしのいい所にあると安らぎ覚える
それは食べるだけの価値ではないのである
ただたいがい街の中にあり見晴らしとか景色を楽しみコーヒーを飲んだり食事する所はまれなのである
そういう付加価値を今は求めている、外食産業が落ち目になっているのは必ず同じもので飽きるからである、でも景色とか飽きないのである
季節感があり飽きないのである、だから景観の価値は消失することがないのである
食事は必ず飽きる、だから価値が永続できないのである

それで相馬市の日立木の柏崎のカフェドマニは景色もいいし薔薇の庭があったからそこで価値を生み出している、海老のニコニコ堂も納屋を改造して作り隠れた所にあり庭もあるから価値を作り出している、庭を散策するということで価値を生み出している
つまり食事だけではもう価値を生みだせない時代になったのである
こういうふうに時代によって価値が変わってしまうのである
ただ食事だけを出してもうける時代は終わっているから外食産業は別な付加価値のあるものを提供しなければ衰退すると説く人がいたのもわかる

観光というとき情報社会と密接に関係している、もちろんその土地のうまいものを食べたいという欲求は変わらない、それと同時にその土地のことを歴史文化でも知りたいとういことがある、その歴史と文化を知って食事を味わうと楽しさが増すのである
それを外国旅行ではバックパッカーで金がないからできなかったのが残念だったとはなる日本ですら郷土料理自体食べられない、どこでも同じである
郷土量料理を食べるとしたら相当に高くつくからである
ただ料理も文化なのだからただ食べるだけが人間ではないからその料理の成り立つ由来を知ることでその土地の歴史や文化を知ることになる
それで面白かったのがリヨンのブションという料理の由来である

メニューは豚、牛、羊の頭や足、胃袋、心臓など、内臓系料理が多いのが特徴。 貧富の差が激しかった当時、メール・リヨネーズたちが安価な臓物を美味しく調理し、労働者に提供していた事からこのような料理が生まれました。

こういう由来を聞くとヨ−ロッパの階級社会を実感する、料理は韓国でも中国でも宮廷料理があり一般の庶民に普及した
日本で殿様料理がない、それは侍も庶民も同じようなものを食べていたともなる
ただ城下鰈というのがあり侍しか食べられないものがあったから日本でも侍料理があったとはなる
まず外国ではそうして何か歴史と文化を知るのは容易ではない、だから自分は旅ししてもほとんどそういうことは知ることはできなかったのである

経済学者は絵画の販売量を経済学の科学的な研究では考慮の外に置くことにしているのである、その絵画のもっている本来の(essential)その作品そのものの価値をなんらかの質として認識していない、経済学者は量を計算して質を知ることがてきない
富のなんたるかを知り得ないのである(ラスキン)

文化経済学とかでも言うようにまさに情報の価値とはこういうことでもある
ただ絵画とか音楽でも鑑賞すること自体がむずかしい、詩ももっとも鑑賞しにくいから
その価値が認められないのである、すると量として計れば価値がないものとなってしまうのである
ただ成熟する社会では経済だけの価値だけですべてを計ることができない
金だけですべてを計ることはできない、人々は文化的な価値を求めてゆくのである
それが情報化社会でもある


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カフェドマニ(相馬市日立木柏崎)

2019年03月10日

壊れたカメラを直せた (今は自分で機械に通じないと損する)


壊れたカメラを直せた

(今は自分で機械に通じないと損する)

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量販店に壊れかカメラをもっていったら3万5000円かかるといわれれた
自分はカメラはただデジタルカメラしか使っていなかった
一眼レフとかを使ったのは一年前二年間買ったが使用しなかった
それはソニーのα6000だった
これは大きいし重いから使わなかった
自転車を使用するので動くから使いにくい、そして今回落としてしまった

でも今日いじっていたら直せた、故障部分がわかったのである
レンズが落としたとき故障したのだ
それで前に買った望遠レンズをつけたらそれが動作したのである
それも十年前とかである、そんなものが使えるのかと驚いた
それは別にデジタルカメラ用でなかったのに使えた不思議である

カメラも覚えるには手間なのである、今わかったことはレンズが多様なものがあるからそれを使用するとかなり専門的になることが今になってわかった
一眼レンズ強みはレンズ交換だったのである
そんなこと誰でも知っていることが私は聞いていてもそれを実行して経験していないから理解していなかった、それより実際にそうしてカメラを操作していなかったからだ
それは何かと追われてそうなっていたのである

今回カメラを落としたのでレンズ部分を回していたらレンズが悪いのでありその本体は壊れていなかったのである
量販店ではカメラを見ないしわからずに3万5千円かかるとしたから修理に出すのをやめた、おそらくヨドバシカメラにはカメラの専門家がいるから故障の原因がわかったかもしれない、とにかくカメラの故障を直せたということは意外だった
電子機器は普通は直せないからである

機械はいかにして使いこなすかである、いくら機械を買っても使いこなせないと役にたたないのである
つまりノウハウが大事になるのだ、機械を買っても操作できない、ノウハウを会得できないのが今は多いからだ
これはいくらいい機械がでても使いこなせないと宝の持ち腐れになる
その一番いい例がヤマハの電動のロードだったのである
これは25万以上したのに全く使えなかったからである
これは老人に向いていなかったのである
若い人はそもそもロードにのるのは坂を上るのに快感だとしているからそこが根本的に違う、車にロードを積んで坂を上っているのである

今度のヤマハのYPJ-XCは形はマウテンバイクだから若者用だと思っていた
ただ最新のドライブユニットを使っているというので大金をだして買ったがこれは思った以上自分にあっていた、老人にあっていた
乗りやすいしバイクのようにすいすい走る、別に平坦な道でも走りやすい
悪路も行ける長距離も行ける、自転車だとしてはこれだけの機能あるのはなかなかない

これの最大の問題は荷物がのせられないとかスタンドがないことなのである
それでしょっちゅう倒して一部ライトが壊れたりした
たてかけていても大きいし重いから倒れるのである
でもこれは使いこなすと相当に役にたつものだった
高いだけの価値はあった
いくら高くても使いこなせないとただ宝の持ち腐れになる
だから買い物でも金があってもそれを有効に使うことは意外ととむずかしいのである
いろいろ機械でも道具でもあふれているけどそれを使いこなすことがノウハウを覚えることの方がむずかしくなる
パソコンなどが特にそうである、検索する能力、ノウハウがなかなかわからないからだ

いづれにしろカメラはやはり広角レンズとか望遠レンズを使わないといいのはとれないことが今になってわかった
ただ自転車で持ち歩くことは今回のように危険だった
そこが一眼レフの問題点だったのである

今の時代同士しても写真の映像の時代だという時、プログでも映像を写真を出さないと見られないことはある、だからこそyoutubeが盛んになっているのである
それだけ訴えるものがyoutubeにあるからそうなる
動画の訴える力があるからそうなる、ただ私は動画はしない、動画をするとまた手間になるからだ、そんなにいろいろなことはできない
ようやく介護が終わってできるようになったが以前として家事に追われたり忙しいのである
家の整理とかいろいろな今までしたことの整理に追われているのである
その一つが写真でも今まで買っていたレンズを使わなかったことでもわかる
何かしようとしていたができなくなっていたのである

2019年03月05日

NHK総合 【クローズアップ現代+】フェイクニュース暴走の果てにを見て


NHK総合 【クローズアップ現代+】フェイクニュース暴走の果てにを見て


台湾人「外交官」を自殺へと追い込んだ、中国の卑劣な偽ニュース


日本の内閣府にあたる台湾の行政機関に職員が出勤。
2時間以上かけて新聞、SNS、ネット掲示板を確認する。
ここ数年、ネット上の過った情報への対応に追われている。
フェイクニュース対策での法改正の紹介。
死者が出た場合、最高で無期懲役となる。


昨日のNHKのクローズアップ現代で台湾の外交官が関西空港が台風の被害で空港から出れなくなった時バスが中国政府は手配したのに台湾は手配できなかった
それがネットで拡散してバッシングになった
でも手配したのは関西空港であり中国政府ではしていなかったのである

ではなぜこうしたフェクニュースが拡散したのか?
最初にそのフェクニュースを流したのは誰なのか?
MEG2NEWSではそれは中国政府関係者だったと指摘している

それは台湾と中国との間の綱引きがありそれが政治問題化している
そこで中国政府では中国政府の対応はいいし台湾政府はだめだということを示すためだとしている
そういう中国と台湾の政治的対立とかけひきの中で台湾外交官が自殺したとしている
ただ本当の理由はわからない、でも一言も中国人政府がフェクニュースを流したということは言っていないのである
そういうことも言われているとかも一言もないのである

するとNHKのテレビを見ている人の眼はどこに向くのか?

フェクニュースを流して拡散したネット民が悪いとなるのである
そしてインタ−ネットは危険だともなる、何かマスコミにはそうしてインタ−ネットを批判することが多いのである
つまりインタ−ネットは信用できないメデアだとしたいのである
マスコミは信用できるメデアだとしたいのである

ただおかしなのはマスコミのテレビ放送局がなぜそのフェクニュースに飛びついたのか?
それはマスコミのテレビ局では確かめもしないでそのニュースを流したのか?
そして外交官を政府を批判したのか?
それはネットに遅れをとってはいけいないとしてネットの後追いになっていたのである
これだけネットがマスコミにも影響している時代となったのである
テレビがマスコミがそれだけあせっているということである
視聴率をとるためにネットに後追いして追随していたのである
台湾と韓国では日本よりネットが普及しているからそうなったともしている

フェクニュースというときマスコミにもあった、NHKでもあった、だからネットだけ批判して自分たちは信用できるものだとしているのはおかしいのである
まずマスコミは事実だけを報道することはない
必ずその放送局の意図があって編集して報道する
まずどのニュースを取り上げると取り上げないかを決める
大事なニュースでも報道されなければなかったと同じになるからだ
そのニュースの取捨選択は放送局によって決められているのである
ニュースなどいくらでも日々ある、一人一人の個人もニュースなのである
田舎の小さな駅のことを報道したがそれでも結構な出来事があったということは自分でも意外だったようにいくらでも報告し伝えることは日々ある
でも全国で放送されるのはほんの極一部なのである
そうして膨大に報道されるものも報道されないのである

今回の問題ではマスコミは事実だけを報道しろと言う人が多い
それを放送局の意図があり編集したりしないで事実そのものだけを放送しろと盛んに今は言われる
なぜなら今回のNHKの放送でもNHKの意図が入ると一方的だから誤解が生まれる
やっぱりネットは信用できない、フェクニュースが多いとかなる
でも今回の問題は中国政府がかかわっていたとなれば重大なのことなのである

NHKは中国と韓国は批判しない

中国政府がかかわったかもしれないとも報道していない

ここが重大なのことだったのである、もちろんそれを確かめることはむずかしい
でもそういうこもありうるということもあった
だから別に台湾外交官が関西空港の混乱の中で自殺した、その理由はまだはっきりしてしいないと報道すれば問題なかったのである
それを台湾でもテレビで台湾の外交官の失策だとか中国はやはり対応が早く政府は優れているとか評価するようになったのである
それが中国政府の意図だったとしたら怖いことだとなる

結局緊急事態になると必ずデマにふりまわされやすい、みんないつらだっているし何か早く助けてくれとなるときどうしてもそうしたデマにとびつきふりまわされやすいのであるそれでそういうことは間を置いて冷静に判断するのがいいというのも本当である
そういう混乱状態では冷静に判断できないからである
そして個々人の人生でもずっと後になってあれはこういうことだったのかとか判明したり納得する、その時は無我夢中で冷静になれないから何が起きていたのかもわからないのである

ともかく事実だけ報道しろというときそれをマスコミでしないのはマスコミ側で放送局で自分たちの意図でもって社会を動かしたいためだというのもわかる
ただ事実だけを報道していたらつまらないとなっているからだ
俺たちが意図した報道して政治を変えたいとか社会を変えたいとなっているからである
それが別に政治家であったり何か主張があってそうするのは民主主義で許されている
創価とかの聖教新聞でも共産党の赤旗でもそれはそういう背景があって報道しているからみんなそういうふうに見ている、偏っているとみている

ところがマスコミは一見中立を装っている、でも実際は中立ではないから偏ったものとして洗脳されるのである
何か批判的に見れないのがテレビなのである、テレビの影響はそれだけ活字より洗脳されやすいメデアだったのである
メデアとは中間とか中立とか媒介の意味である
本来そういうものでも実際はマスメデアとはマスコミは自分たちの意図でもって放送している、事実だけを放送することはないのである

ただ取材するときでも取材させてもらうためにはどうしてもその取材を許可されないとできない、すると取材される側の方につく、中国のことを取材するにしても自由はないから制限されるから政府の許可が必要になる、すると中国政府の悪いことはとりあげることはできない、だから中国政府の悪いことは追求しにくいのである
この辺でも原発避難民でも取材してもらうとなると原発避難民の言い分を尊重するようになる、そうしないと報道できないからである
そこに報道が一方的になりやすい下地がある
何かを教えてくださいというとき頼むのだから相手の不利なことは報道できないのであるそこに報道の問題がある、一方的になりやすいのである
ただ事実だけを報道してその判断を視聴者にまかせればそういうことはない

事実だけではないマスコミで放送局で判断して報道するからそれによって洗脳されて批判もできなくなるのである
その洗脳能力がテレビは抜群なのである、それは反論もできないしコメントもできないからそうなる、一言でもいいからそうではないとか疑問をさしはさむ習慣をつけないと完全に洗脳されるのである
ネットではそれができるのでそういうこともありかなとなり全面的にはどんな意見でも情報でモ受け入れないシステムになっている
テレビにはそれもないから危険なのである
ただ今やみんな一応インタ−ネットでプログでも簡単に発言はできる
ただその影響力をもっているのはほんのわずかである
武田邦彦氏などは一人でマスコミに対峙しているので感心するとなる
ただそういう人は本当に何百万人の中の一人だとなっている
なぜならそんなに大勢の人の意見を読むことも聞くこともできないからである
そこにまたネットの問題がある




2019年02月22日

老人に売れるもの (ヤマハのYPJーXC近くの同級生も買った これは自転車のハーレーダビットソン)


老人に売れるもの

(ヤマハのYPJーXC近くの同級生も買った
これは自転車のハーレーダビットソン)


今日土手の道であった同級生が自分と同じYPJーXCに乗っていたのに驚いた
それを私は川子のパークゴルフ場で見せてこれはいいと強く推奨したのである
そして実際に同級生を乗っていいかと聞いたので乗らせたのである
その時やはりこれはいいと実感したから買ったのだろう
これは本当に高いものだからである

でも自転車にはいろいろ乗ってきた、電動自転車にも乗ったがこれは別格だと感動した
だから強くすすめたのである、そしたら同級生はすぐ買ったのである
二週間前くらいにすすめたのに早いなと思った
第一一万くらいの人口の町で自転車屋は一軒しかなくなったからである
そこでこの高い電動自転車が二台売れるというのは珍しいとなる

自分自身もこの自転車がどういうものか不安だったのである
やはり乗ってみないとわからないことがあるのが自転車なのである
乗り心地がみんな違っているからだ
車でもそうなように自転車も乗ってみないとわからないのである
ただ試乗できるところは田舎にはない
仙台では専門店があり売っていたが後が困るので買えない
でも知っている人は仙台の自転車屋を見ていたのである

老人に何が売れるのか?

これはそのヒントがある、これは高い買い物だったがそれだけの価値があった
それはエンジン部分が格段に進歩したものだったからだ
それでこれは今までのと明らかに違うということをすぐに感じて感動した

つまり次元が違う自転車の進歩を感じた!

その同級生は脳梗塞で死線をさまよった、だから一時げっそりやせたのである
今でも見た感じでもそう見える、でも体でも脳にも損傷がなかったのである
それで運動のために自転車に乗っていた、自転車にはマウンテンバイクとかで乗っていたことがあるがもっぱら車だったのである 

ここに老人に売れるもののヒントがあった
体力が衰える、それでも運動したい、そういうコンセプトでヨ−ロッパでは体力がない老人のために開発されたのがEーBIKEだったのである
だからスピード制限がないから30キロ以上でもバイクのように乗っていた
つまり老人用に開発された自転車だったのである

それで武田邦彦氏も言っているが老人のために作られ売っているものがない
だから老人は金があってもただ貯金しているだけであるというのもわかる
本当にそうだと思う、例えはスマホとかは老人に合わないのである
画面が小さすぎるのが問題なのである、それだと老人は疲れるからである
そういう小さい画面で操作するのは疲れるのである

それでキンドルを買ったが使わなくなった、なぜか?
パソコンの広い画面で読んだ方が楽だし頭に入るからである
キンドルも画面がスマホのように小さいから老人には向いていなかったのである
ただ別にパソコンで読めるからこれなら電子図書館みたいになり便利であった

つまり老人用に開発された商品がほとんどないのである
みんな若者向きなのである、それで老人は貯金する他なくなる
例えば投資だってはじめてするのだから老人には不利でありただ銀行にだまされるようになる、自ら判断できないからである
いいカモになるだけだったのである
これも老人用に金融商品が開発されていない、ただ地銀ですら老人をカモにするだけだとなる
だから高齢化社会と盛んに言ってもそれに社会が適応していないのである

だから体力がなくてもIT機器でも老人向きのものを開発すべきだとなるがしていない
ただ売れるもののヒントとしてこのYPJ-XCがあったなと感動した
今何か物を買ってもこれくらい感動するものはない
それがあったということでやはりこれだけは推奨できると思いすすめた結果同級生の病気になった人も買ったのである

もう一人知っている人もなぜ自転車にのるようになったかというとトラックの運転手だったが足を悪くしてアクセルが踏めないとかなり自転車に乗るようになった
足が悪くても自転車には乗れるのである
そして車に乗っている人とは自分は話しないというよりできないが自転車で会うと話するのである、なんか仲間だと感じるのである、自転車を通じて仲間になれるとなる
ただ車中心だったときはなれない、車持っている人は車に乗れない人は馬鹿にしているとか一段低くみる傾向があるからだ、そのトラック運転手が言っていたからである

このYPJーXCはハーレーダビットソンだ

同級生もそう感じた、自分も感じた、ハンドル部分が長いし乗った感じそうなる
何か気持ちよくとばすことができるという感じなのである
安定感もあるしスピードも出るし軽く走れるからである  

とにかく高齢化社会といってもそれに適応した社会になっていないのである
みんな売れるもの作りたいとしてもそうなっていないのである
それを真面目に真剣に企業側で売る側で提供していないとなる
若い者が少ない少子高齢化でもそれに適応した商品開発もしていないのである
それで金を持っている老人がいたとしてもただ貯金している他なくなっているのである



2019年02月01日

モノが売れないモノ余りの時代でも売れるもの (オーダーメイドになり個々人の要望に応じるものーDIYの時代に)


 モノが売れないモノ余りの時代でも売れるもの

 (オーダーメイドになり個々人の要望に応じるものーDIYの時代に)
  
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柱と柱の間に棚がどうしても必要だった、ここは手作りする他ないものだった


物がない時代は終わった、物があふれていてなんとか買ってくださいという時代である
少子高齢化で家でも土地でも金でもあまってくる
何か今まで売れるものが売れなくなる、規格品が売れなくなる
それでオーダーメイドが売れるものとなるがそれがむずかしい
個々のニーズにあったものを提供するとなると手間になるし必ずしも金にもならないからだ

今私はいろいろ家を整理している、それが本が多くて家が傾くほどになった
それは二階が書斎になっていたからである
でも本の整理は意外とむずかしい、買ったのだ積ん読になっていた
半分以上はそうである、それで半分とか本を捨てたがまたアマゾンで古本とか安い本を買うようになった、それは安いからである
そしてわかったことは知的作業にもビッグデーターが必要なのである
多読が必要なのである、精読するものがあるにしてもやはり何か新しい見解を発表するには様々な研究があり本がありそれらを参考にして引用して編集すると訴える効果が大きくなる、つまり知識は膨大だということである

だから本を買っても読んでいなかったのである、ただ本を買ったということで知識が身についたような錯覚に陥っていたのである
この家には本が一万もあるのかとなるとその人が知識があると思うがそうでもない
なぜなら本はいくらでも買うことができるが理解して自分のものにすることが容易ではないからだ、ただそれなりに量があればいろいろな見方を知るからよりデーブなものになる
本棚にしても窓際にただ棚を作っただけで本棚になった、それは簡単だったが部屋に合わせる必要がありそれは自分しかできないものだった、手作りが必要になったのである
必ず部屋を使いやすくするに整理するのはその人自身にしかできない
規格品ではできない、なぜならその人なりが望むものがありみんな違っているからであるだから整理とかは確かにそうした家具でも本棚でも売っているがそれだけではたりないのである、つまり自由に本棚でもその人なりの必要に応じて手作りする必要があった
それは日曜大工でもなんとかできるものだと見た
ただ板を切るのが大変なので電動のこぎりの安いのアマゾンで注文した

本当は家作りでもそこにその人なりの好みのものを作れればいいとなる
何か家作りでも庭作りでも出来合いの物ではなくその人なりに手を加えるものができてくる、そして家というのはそこに住む人が子供なら成長するし親が死んだりするし変化するするとその変化に見合ったものが必要になる、リホームが必要になる
だから家というのは建て売りのように規格品を買うと後で直せなくなるから問題になる
その人なりに整理したりその人なりに変化させて使用することが必要になる
人間は何でも一定して変わらないものはない、変化の中を生きているのである

老人になると断捨離が必要になる、この仕事も意外と大変なのである
簡単になんでも捨てられない、本でもそうである、ほとんど読まなくなったものでも今読んでみるとこんなことが書いてあったのかと発見する
最近はそうしてし深く読めるから自分の文脈の中で引用できるようになった
だから本の批評に向いていると思った
その要旨でもさっと読めばわかる、本にはやはりその人の経験したことがその人が仕事した分野の蘊蓄(うんちく)が集積されているのである 

本でも家でもそうだが整理が大事である、でも家を整理するのは手間である
でもそれは他の人にはできない、その人の人生がありその人の貯えてききものがありその整理になるからだ、だから親でも子供が残されたものを整理するときは大変になる
そこには人生の思いでが詰まっているからつまらないものでも大事になる場合があるからだ

とにかく両親と言える人も死んで残されたのは自分一人になったがその整理も大変になるだからいくら整理しても整理しても整理がつかないのである
一番困っているのが本なのである、本はがさばるから困るのである
そして本は内容があり良質なものが多いからなかなか捨てられないのである
とにかく最後に人生の総決算がある、それが様々なものの整理なのである
限りなく整理するものがある、今までホームページに書いたものがありプログに書いたものでも整理がありこれも膨大になるからそれをしているだけで時間がとられるのである

いづれにしろ人間は規格品だけではたりなくなる、いくらAIが発達しても人間の手作り感覚でするものがありそれは機械でもAIでもできないのである
そうして手作り感覚なものが今は望まれている、オーダーメイドなものが望まれている
それはどうしても売っているものではない場合がある
だから材料の板とか買うにしても後は自分で手作りする必要がある
それはさほど難しいというものでもないが手間になる

それを楽しみにしている人もいる、ともかく今の時代はいくらモノ余りでも売れないとなっていてもやはり時代によって必要なものは売れるとなるか
安い電動のこぎりはこの辺では売っていなかったのでアマゾンで買ったのである
そういうDIYの要望が高くなるとその道具とか材料が売れるようになるかもしれない、
それは出来合いの物ではなくDIYを助けるものである
規格品とか出来合いのものの需要は減ってゆく、オーダーメイドでありその家とか部屋とかその人の望むものが違ってくるからそうなる
それは衣服関係でもそうであり料理すら毎日カレーを違ったものを出している店が小さな店でも繁盛している、でもそうなるとその個々人の要望に応えるのは容易ではないでも規格品では売れない時代なのである

情報でもインタ−ネットになったとき個々人の要望に応じるものも検索している、テレビだと何百万の人の関心あるのしか伝えない、それで商売としてマスコミは成り立っていた、それはもうインタ−ネット時代にスマホ時代になるとない
膨大な情報にアクセスできるがテレビのように何百万人に答えるものではないのである
テレビでもyoutubeが無数にありそこは意外と芸能人ではない、その人独特の持ち場があり経験があり仕事がありそれを語るからかえってためになる、勉強になるとなっているのだ
そういう時代の変化があり規格品は情報でも見られなくなる、多様な情報を取捨選択するそして自分なり編集して見たり読んだりするとなる、だからビッグデーターはインタ−ネットでも本にもある、本の方が良質なものがありまだ必要である
それでアマゾンでかえって買う本が増えたのである
ただ長い本になると読むのが辛い、二三時間で読める文庫本なら多読できるのである
そして精読しない、何か自分の必要とする文を情報を拾い読みして活用するのである



2019年01月25日

プログの読み方 グ―グルのアプリでドライブのドキュメントに全コピーして記録して読む


プログの読み方

グ―グルのアプリでドライブのドキュメントに全コピーして記録して読む

googlddd1.jpg

purogummm22.jpg

一年分のプログが一か月ごとに記録して読める
記録するのは簡単である


プログとかインタ−ネットのサイトは読みにくい、検索もしにくい
全体像がわからない、本だと全体像がわかりり読む
ぱらぱらと全部をめくってみて全体像をつかみ部分を深く読むことができる
プログは毎日の日記だから短く断片的になり全体像がつかみにくい
それで何か記憶されないことがある
それは断片的に読んでいるからそうなっている
本だったら一冊の本として頭の中に入っている、全体像とてし記憶しているのである

だからインタ−ネットの中の文は記憶しにくいのである
それがどこに書いてあって誰が書いたとかいうのもあやふやになる
膨大な情報の断片化する、私のプログの情報量は膨大である
すると自分自身すら何を書いたのか忘れている
それで時々自分の書いたものを読んでこんなことを書いていたのかと感心しているのも不思議である
人間とはとにかく忘れやすいのである、それが人間の弱点なのである

グーグルのドライブだとクラウド上に記録される、するとusbなどのように持ち運びする必要がない、もう物ではないからだ、usbでも小さいからなくしやすいのである
でもクラウド上に記録させればかえって消えないということがある
それは物ではないからだ

ただインタ−ネットとか通信になると記録が消える恐怖が常にある
それぞれがもっているパソコンも突然クラッシュして記録が消えることが恐怖なのであるそれで都築詠一氏の貴重なプログのログが一部は残っていても消えたことが残念だった
あの人は記録を残そうとしていなかったのも不思議である

ではプログの読み方をどうするかというとこのグーグルのアプリのドライブのドキュメントで記録するのは便利である
ここに全体をコピーして貼り付けるのである
それはそれほど手間にならない、ただプログの文なり写真を選択してコピーしてドライブのドキュメントにはりつけるだけなのである

すると日時ごとに列挙されて目次化されるのでわかりやすいのである

これの利点は例えプログが消えたとしても読む人の所には残るのである
するとプログが消えたとしても消されたとしてもそれを読んだ人がグーグルのドライブから再現できるのである、その人が読んだものは本のように残っているのである
おそらく都築詠一氏も誰かがこのように読んで記録していれば全記録が残っていたのである
それは簡単に再現できるからである

つまりこういう読み方をすると本のように読めるということである
本のように記録は読んだ人の手元に残り再現できるのである
だからこのグーグルドライブは便利である
一連のものとして目次からもたどれるからである、この目次機能が優れているのである   




2019年01月09日

デジタル情報とアナログ情報の相違 (デジタル化した情報だけでは真実はわからない)


デジタル情報とアナログ情報の相違

(デジタル化した情報だけでは真実はわからない)

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数値を、長さ・回転角・電流などの連続的に変化する物理量で示すこと。⇔デジタル。

デジタルが「バラバラ」であることに対し、アナログは「並べると似ている、関連がある」という意味を持ち、連続性がポイントになります。

デジタルが「バラバラ」であることに対し、アナログは「並べると似ている、関連がある」という意味を持ち、連続性がポイントになります。

アナログ」は、元々
「類比」や「類似」を意味する
「analogy(アナロジー)」を由来とします。

「類比」は「比較すること」
「類似」は「似ていること」という意味です。

 つまり、
長針と短針を比較することによって、
曖昧ながらも時間を表しているということですね。

このように、アナログの語源を調べると、
数値は正確に一致している必要はなく、
曖昧でよいということが分かるかと思います。


デジタルというのは一部を切リとったものとある、分割して見るというのもある
アナログは連続的に変化する物理量とかなる
科学は苦手だがやはり思考するとなると科学的思考が自ずと生じてくる
文系はアナログ思考なのかもしれない、文系は全体に注目するからである
だからどこまでも分割して原子とかにつきあたる、そういうふうにどこまでも部分化して究極の原子とかになることが苦手だとかなる、思考できないともなる

この図で証明するとカレンダーで日にちを見ている時一か月のカレンダーを見ている時
一週間でもいい、必ずその日だけを切り取って見ていないのである
一週間がある、4日だとすると必ずその前後を時間として見ている
今日は四日だなというときその前の三日とか二日とかを見ているしその後の6日七日でもみている、日にちを連続したものとして見ている、時間を連続したものとして見ている
時計でも同じである、デジタルだと今の時間を一分一秒として正確に切り取って見ているでもアナログ時計になると24時間を見ている、24時間の中で今どこの位置にあるのかを見ている、だからアナログが類比や比較して見るから起きているというのもわかる

川を認識するときとても一部を切り取っては見れない、上流から下流とあり長いからである、そしてその中で川は激流にる所もありゆるやかに流れる所もあり河口のように広々と流れる所もあり多様なのである
川を認識するのにはそれだけ長いものとして見る必要がある
例えば川のような認識になると本は川とにている、始めがあり終わりがある
それは一つの川なのである、一方でインターネッがトデジタルだというときリンクして読む、一部分をリンクして切り取りつなぎ合わせたりする
本のようには読まないのである、一つの川のようには読まないのである

空間でもそうである、一部分で空間を認識することは絶対にできない、一つの場は大きな空間へ広がり大きな空間の中にしか存在しえないのである
土地とかは全体の中にありだからこそ私有には適さないのである
ここは自分の土地だから自分の思うようにするとしても山でも森でも大地でも連続してつながり一体化したものだからそういう私的所有を明治以降過度に認めた結果、山は無数に所有が分割されて山全体を公共のために利用できなくなったのである
飯館村でも放射性物質の処理場にするというとき現実にフレコンバックから雨で放射性物質が流れた、放射性物質は森から泥となって流れ川に流れてくるから南相馬市でも関係しているから勝手にしてもらっては困るのである
そういうことはいくらでもある、土地はつながっていてデジタル化一部分切り取って利用することはできないからである

道を例にとれば道を一部分きりとることはできない、道は連続していることに意味があるからだ、価値があるからだ、連続的に全体的に認識することがデジタル情報だとしにくいのである、でも実際は情報というのはどうしてもその現場に立つこともできないからデジタル化する、切り取った情報になり誤解を生むのである
それはニュースでもテレビ放送でもそうである、写真でも動画でもその場に立つことができないから写真でも動画でも現実を見ているとは認識しているとはならない
それはあくまでも一部分のデジタル情報なのである
その現場に立てば大きな空間があり様々なものを認識する、それを総合的に見るのが人間なのである、だからデジタル情報で人は誤った認識をして情報を曲解するのである
それはグローバル化して世界的にそうなったのである、本当に世界を理解することがニュースでもデジタル的に切り取った情報ではできないからである
そこに誤解が生まれそれで誤った情報に洗脳されているというのは確かなのである
それで世界の人たちがメデアによって操作されているというのもわかる
それは常に一部分でありデジタルなもの切り取ったものだからそうなるのである

現代はデジタル社会である、でも一部分を切り取った情報だとそこに真実が見えなくなるインタ−ネットがきりとった部分の集合であり全体が見えなくなる
一方でキーワードで検索するとすぐに目的のものが出てくるので便利なのである
インタ−ネットは長文が嫌われるのはデジタル情報として見るからである
2チャンネルとかでも極端に短いレスポンスでありそれはそれなりのコミ二ケーションなのだけど部分化した情報になる、川の一部分を切り取ったような情報になる
一方本は一つの川のようにな情報であり流れがありそこで主張するものがある
インタ−ネットはだから何かその人の主張があっても断片的に見られる
無数の断片化した情報になる、ただリンクしたり目的のものを探すのには便利なのである
ただプログはデジタルではない、アナログ的な要素がある、なぜならその人の主張を延々と書くことができるからである、するとこの人はこういうことを言いたいのだとわかる
前に書いたことでもその続きを延々と書くことができるからである
補足することがいくらでもできるからだ、本は一回出版したらそのままであり補足したり書き加えることができないからである、本は一冊一冊で完成しているのである
でも人間の知識には個々人でも完成することがないのである

とにかく人間の存在感がデジタルではなくなる、人間の存在はその土地と結びついているのである、今は土地と切り離されて人間を認識している  
何かが起きるというとき事件でもtake placeなのである、場所が深く関係しているのである、だから地域でも世界でも地理が深く関係している、地政学が大事になる
例えば中国でも介護問題が起きている、それで日本人の人が指導に行っていた、そこで老人ホームに働きに来ていたのは内モンゴルとかの人たちだったのである、内モンゴルとなると辺鄙な地方であり出稼ぎに来ていたのである
これも地理がわからないと理解しにくいのである、なぜ青森の老人ホームに南相馬市の人が引き取られたのか?
それも青森だと冬は仕事がないし女性でも介護での仕事で収入になるということでそうなった
介護関係はどこも人手不足だが青森だったらそういう仕事でも収入にしたいという人達がいるからそうなったのである

それで不思議なのは深野(ふこうの)の人が二三行自分のプログにコメントしたときこの人は深野に住んでいる、それも実名だったから確かに住んでいる実在の人だと認識したのである
深野はすぐ隣だからいつも行っている場所である
深野という土地にその人は実在して住んでいるということでその人のことはほとんどわからないにしてもその土地に根付いて実在しているということで存在感をもつ
それは空間的にそうであり時間的にもそうだったのである
時間的にその人はその土地に代々住んでいる人だからである
ここにずっと前らか住んでいてまたこれからも住んでいるということを時間的に継続したものとしてその存在がありそれでその人はデジタル空間で一時的なものではなく永続的に存在すると認識したのである、別にその人のことについては何も知らなくてもその土地に根付いた生活しているということで存在感を示したのである
万葉集でも地名が重要であり地名からその人なりを認識していた
その土地と離れて人でも認識できないということがあったからだ
そこに万葉集の原始性がありアイディンティティがあったからだ

人間の存在はなぜ現代では空虚になっているのか?何か数字の一つのようになっているのか?それは土地と結びつかないからではないか?
ただ人間は数値的存在となっているのは土地から切り離されてしまったからではないか?東京とか大都会になると高層ビルに住んでいたら土地など関係なくなるからである 、だから都会では人間の存在感はないが田舎だと存在感がある
特に農家には存在感を感じるのである、その土地に長く根を下ろして生活してきたという感じになるからである
ただ都会だけではない、何かその人が田舎に住んでいても地方に住んでいても実在感がないのはやはり遠くになるとその土地を認識できない、例えば福島県でも広いから会津になると山国であり別な世界になる
そうなるとその土地のことがイメージしにくくなる、深野というときすぐ近くでいつも行っている所だから認識したのである


2019年01月02日

Dマガジンと楽天マガジンの比較評価 (インタ−ネットで変わる情報世界)

Dマガジンと楽天マガジンの比較評価
(インタ−ネットで変わる情報世界)

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楽天マガジン

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Dマガジンを見ていたが操作できなくなってもうアクセスできないと思ったので楽天マガジンに入会した、本当はしたくなかった
電話でも簡単に連絡できないとも思ったからだ
何かインタ−ネットでは電話がすぐに通じないし通じなくなるから不安になる
でも実際は私自身の操作の間違いだった、その手順が間違っていたのだ
こういうことは良くある、何かこういうことで私自身はミスが多い

ただDマガジンでも安い、楽天マガジンはさらに安い、こんなに安くていいのとなる
週刊誌でも一冊買えば400円とする、それがあれだけの雑誌を全部読んでも一か月400円はかだから安いと感じる
それだけインタ−ネット時代になると情報は廉価になる
それは情報を出すのが電子空間だと簡単だし金がかからないのである
新聞でも雑誌でも本でもこれを印刷して配達するとこれはもう個人の手に負いないからである、配達して本屋で売るということで手間がかかり金がかかるからだ
だから新聞でもメデアであり新聞に載せてもらうと目立つからそれで広告費とか稼ぐ
新聞に載せてもらうことはそれだけ宣伝になるからだ
それは新聞社が何か特別な取材力とか何かなくてもいいのである
新聞に載せてくれという人でも会社でも頼みにくるからである

それがインタ−ネットになるとどうなったのか?
自分でもしているように誰でも個人レベルで雑誌が作れる感じになった
それも金はかからないから個人レベルでできる
ただインタ−ネットで読まれるのには意外と読みやすさとか見やすさとかが関係してくる楽天マガジンは横にスクロールして一覧できる
これは読みやすい見た、そこで読みたいものを見たいものをクリックすると見れるし拡大縮小もマウスで自由にできる
Dマガジンだと一気に2倍3倍になり拡大がマウスで自由にできないのである

何より、dマガジンで一番不満に感じていたのがページめくりのアニメーション。dマガジンではページを勢いよくめくっていくと文字がぼやけて表示され、少し待つと読めるようになるというインターフェイスで、雑誌を流し読みしたいときにも文字を読むのに待たされることがストレスでした。

ただ文春とか新潮とかは楽天マガジンでは読めなかった、でも種類は楽天マガジンが多いという
でも「紙の爆弾」という雑誌は創価の問題を取り上げていたり他にないものがあった
楽天の社長は創価だったとか聞いたことがあるがこういう雑誌を置かせないだろう
インタ−ネットでは出版できないようなものでも個人レベルで出すことができる
それで「心に青雲」の都築詠一氏は過激なプログを書き続けて69歳で死んだのである
それが驚きだった、文学に造詣が深くそれで毎日7年間くらい読んでいたからである
この人はプロ級の人だったのである、実際に有名な作家の編集にたずさわっていたからだもっと書いてもらいたかったが死んでしまったのは残念だった

インタ−ネットは情報世界を変えた、週刊誌がコンビニに置くと目立つから売れたのである、何かセンセーショナルあ見出しを見て買う人もいた
情報では目立つことが読まれることであり売れることなのである
ただそうできるのはそうして宣伝力がある大きな会社とかがないと目立つようにはできない、インタ−ネットで出しても目立つことがいかに大変なことかわかる
無数のプログがあってももう読まれないからだ
コンビニに雑誌でも置けることはそこに人の出入りが多いから目立つからそれで読まれたり売れたりしていたのである
その内容がどうかということでもない、それはテレビはいつも茶の間にあって見られから力をもったのである
最初は何でもいい、映るだけで驚きであり食い入るようにして見ていたのである
だからなんでもいい、内容がなくても何百万人の人たちが見ていたのである

ただそういう時代は終わった、インタ−ネットが情報世界で変化をもたらした
とにかくこうして私自身が延々と長文を書いているけどそれは書きやすいからなのである書いたら即座にアップして公表できるからである
私は誰がどう読んでいるかとか考慮していない、自分の思うことを感じたことを書いているだけである、そこに問題があるのだがそうなっている

ただインタ−ネット時代はこうして何でも書けるから一億総評論家になる、くだらない発言でもできるからだ
それでもインタ−ネット時代はこうして誰でも書いて発表できるのだから何か記事でも本でも読んだらその感想を評論をして見るべきである
ただ読み流しただけでは読んだことにならないからだ
対話的に読んで評価してゆくと自分なりに読んだことになるからだ
だから私の場合は書くことが無限にありただ詩についてはまだ出していない
それも相当に書き溜めたものがあるからだ
詩となると一般的ではないからあまり読まれない
ただ自分のしていることは本当に雑誌作りだった、それも一人でしているのである
それができたのはインタ−ネットだからだった
ただ楽天マガジンのように縦書きでスクロールして読めるようにしたらもっと読みやすくなる、それをするとやはり個人的には無理だとなる
現実になぜドコモのDマガジンではできるはずなのにしていないからだ
それくらいの会社だったらできるはずなのである
そこに差が生まれているからだ

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インタ−ネットでの契約は一時的に一冊本を買うとかではない、一年とか長く契約する
それは一か月でも400円であれだけのものが読める、すると一か月でそのくらならと金を払うがそれは一年とかでも継続するものとなる
だから読者は一回だけでやめるということがなく一年とか継続するからそれでやっていけるのかともみる
だからこの表現は面白い見方だと思った、恋愛は気まぐれで結婚はそうではないからだ

ともかく今は旧来のメデアが批判される、それがインタ−ネットでしやすくなったのである

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ボクシングの公式戦かと思い見た、それはエギゼビションでありショーにすぎなかった
一回でノックアウトしたし何か前のも日本人がキックボクシングで勝ったけど作られたもの嘘に感じた、それはこれは公式戦ではなかったからだ
権威あるものとして試合が成されたのではなかったからだ

こうあるるようにテレビの発言者はテレビ局の言いなりになるロボットなのである
そういう人しか呼ばれないのである
だからもうテレビを見ないとか信じない、マスコミでも信じないとか増えている
そもそも新聞はその寿命がもう尽きている、なくなるのが目に見えている
テレビでも今のような放送はなくなる、ただ良質な番組はcsとかで有料で放送される
その過渡期なのである
映像的な番組作りはやはりなかなかドラマでも個人的にはできない、それは相当な金がかかるからそういうものはまだ放送として価値がある
ただ大河テレビとか飽きたとなる
要するに本当に情報社会となり情報の戦国時代になったのである
百家争鳴になったのである、今は私は一日二回長い文を書いている
これも読む方となると疲れると思う、でも私の仕事がこうして書き続けることなのであるつまり書くことによりただ受け身になるだけでなくアウトプットすることによって理解を深めているのである
だから何でも情報を受け流すだけでなくその感想でも自分なり書いたり評価するとより理解が深まるのである

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2018年12月30日

家作り部屋作り手作りが必ず必要 (整理は自分でしかできない)


家作り部屋作り手作りが必ず必要

(整理は自分でしかできない)


年末だから整理に苦しんでいる

●料理するものの整理

●本の整理

●着るものの整理

●道具類の整理

●金銭の整理

●パソコンのログの整理

●家の中のものの配置を変える

一人で家のことを全部やることは本当に大変だと介護から今度は一人暮らしになっても思った
でもこういうものは家族がいればいいが人にまかせられないものだった
なぜなら自分の使い勝手のいいようにしないと不便になるからだ
そこにどうしても自分なりの工夫が必要になる
本棚でもある程度手作りするほかない、パソコンの脇に柱と柱の間に棚を作るとそこで本をすぐにとれるからいいとかなる
それはその人とその人なりの工夫が必要になるから手作りになるのである
いくら買えるとしてもその人によって使い勝手は違ってくるからだ
それは本人しかわからないことだからである

本の整理には一番苦しんでいる、本は厚いし重いがさばることが問題なのである
でも本には内容のあるものが多いから本を読むことはインタ−ネットで調べるのとは違ったものになる、何かそこから深い意味をくみとれるのである
ただ本を読むということは拾い読みでも読む力があるとその人なりに解釈して読めるのである
いくら本があっても本があるというだけで積ん読で終わることが多いからである

人間は整理しないと脳の働きも悪くなる、家というのは知的仕事をする仕事場になっているとき使い勝手をいいようにしないと頭も混乱するのである
ただ本の整理は分類はなかなかしにくい、それは本が厚いので一冊を読むことが負担になるからだ
でも学問は本はできるだけ多く読む、多読しないとそれなりの独自の見解は出せないのである、つまりビッグデーターが必要なのである
だから速読が必要になる、さーと目を通してその趣旨を理解するのである
ただそれでも独自のその人なりの解釈をしないと身につかないのである

インタ−ネットでも10年くらいはホームページで時事問題の深層とか書いてきた
それがログとして残っているからそこからまた発展できるから何かその時々のことは記録していた方がいいとなる
何でもいいから感想を書いておくと後で読み返すときまた新たに付け加えることができるこんなこと考えていたのかとこんな詩を作っていたのかと新鮮にもなる
つまり人間は常に自分のことすら忘れるのである
だからなんでもとにかく記録しておけというのは正解である
写真でもなんでもいいから記録して後でふりかえり思考を深めてゆくのである

とにかくこれだけのことを一人でする、整理すること自体が大きな仕事になっている
今まで書いたものを整理するのもかなりの時間がかかる
自分自身書いてきたものでも記録したものでも何かそんなことあったの書いていたのとかなっているからだ
まず料理は料理するもの材料をそろえるだけでめんどうである
料理と文章を書くのはにている、いろいろな材料がありそれをうまく料理することだからである、それは過去に経験したことを書いたり記録したものをまた利用する
料理でもそうした前に作ったことを覚えていて料理を作る
でも料理でも新しいものを作るのは容易ではない、そんなに人間がいろいろなことができないのである

年の瀬や切りなく整理に追わるかな

ともかく今年も後一日だ、コンビニで雑煮を買ってきた、雑煮もめんどうで作れない
なにか正月料理も容易できない、千円のお節料理でも買うかとなる
一人で何でもやることには限界がある、そんな時間が持てないのである


2018年12月20日

本の読み方 (本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


本の読み方

(本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


ブログを例に見ていきたいのですが、引用してきた文章がメインで、自分の文章がほとんどないという場合、もはや「引用」とはいえないと評価されてもやむをえないですよね。ちゃんと自分のコンテンツをより分かり易くするためとか、自分の意見を補足するために「引用」は使いましょうということです

これは著作権のルールだけど別に本を読むときもそうなのである
本を読むということは自分の文脈で読む、自分自身のテーマがあり課題がありそのために本を利用するという時本を読んだことになる
相手の心を読むというときもそうである、私は本をずいぶん買って読んだと思っていたがそうではなかった、確かに赤線とかで大事な所に線を引いているのだが読んでいるのだがそれを忘れていた、ええ、こんな文を読んでいたのとなる
本を読んだということは自分なりに解釈して自分なりのテーマがありそれで自分なりの見解を出すために読むのである

そしたて本の問題は長すぎることである、一冊の本でも厚い、内容があると厚くなる
すると全部を把握することはむずかしくなる
厚い本は読みにくいし全体を理解することがむずかしくなる
若い内はただ自分なりに読んでいるのではない、いくら内容があっても読めないのであるだから読んだと思っていても読んでいなかったのである
今なら本の要旨を読むことができる、これはだいたいこういうことを言っているのだとさーと読んでかる、そして重要な部分を抜粋して引用して自分なりの論を展開できるのである

そして本の問題は長いことなのである、長い本は長い本をはよみこなすことが容易ではない、一冊の本を読みこなすことが時間的にも労力的にも負担になるのである
だから本として書くということは容易ではない、まとめることが容易ではない
なぜこんなに自分自身がインタ−ネットとかプログで書けたかというとその日その日のことを書いているからである
今日の分を書くから書ける、でもこれが本にしようとするとめんどうになるのである
インタ−ネットだともともと長い文は嫌われていた
レスポンスが主な会話形式だからそうなった、そしてもともと中味のあることを会話してはいない、パソコン通信の時は相手に通じているかどうかもわからないからまず通じたかどうか確かめることが優先されたからそうなった

でも次にインタ−ネットだといくらでも書ける時代になった、でも長すぎる文は嫌われるそれで意外と学者が出しているpdfの小論文は役にたつ、自分のテーマを追求するとき役に立つ、それはやはり専門家が書いているからである
そしてプログだとそれなりの長さで書けるから内容の濃いものも出せるのである
それも日々書くということでそれも積もり積もって膨大な量となるのである
でもそれを本にしようとするとめんどうになる
ただ本は内容が濃いものが多いから参考になる、でも自ら本にしようとすると長いからめんどうになるのである

そして自分の不利だったのはそもそも自分の追求している本が手に入らなかったことだった、地理と歴史に興味がある時、海と陸をテーマにした本があった、それをテーマにした本が結構でているから有名なの一冊高いけど今回は買った
例えば世界史でもなぜヨ−ロッパが興隆したのか世界の覇権国になったのか?
こういうテーマをもつ、すると古代ではペルシャがギリシャに負けたのは海での戦いで船での戦いで敗れた、ペルシャ帝国は陸の帝国だった
そしてロシアも陸の帝国であり常に海に出る港を求めていた
それが黒海でありそこでクリミヤが大事となり今でもヨ−ロッパ勢と争っている
シリアでもそこが地中海の港であり海に出るところでそこを手放したくないということでシリアの内戦とかisisとの戦いにもかかわってアメリカとも争うとなる

ヨ−ロッパが覇権国になったのはポルトガルでもスペインでもイギリスでも海に出たからである、フランスとドイツは陸の帝国だった、中国も陸の帝国でありだからこそ東シナ海を制覇して港を軍事基地を建設する
それでアメリカと対決するようになる、海を制覇しないと覇権国にはなれないからであるそれは歴史が語っているのである
こういうテーマをもち興味があるからその方面の本を読もうとする
するとその時本を読んだことになるのである                                        

明確な目的意識がありそうなると本は血肉となる、ただなんとなくだらだら読んでいても読んだとはならなかったのである
そして無駄な本を読みすぎたということもある、熱心に読むべき本を読んでいなかった
本というのはいつの時代でも量が多かったのである

いづれにしろ本を整理するだけで多すぎるからめんどうになる、本はがさばるから困る
二階に書斎があり置いたが家が傾くとまでなっていた
本はそれだけ重いのである、書棚から本が落ちて死んだ人も外国でいたとかある
確かに地震で重い本が落ちてあたったらそうなる
本の問題はがさばり重いことなのである、インタ−ネットのように電子化するといくらでも貯蔵できる
ただ本には本の良さがある、読みやすいとか記憶に残るとかはある
インタ−ネットは調べるのにはいいのである

ともかく本だけではない、自分の物を自分のオリジナルをもたないと本をも読めない
それは絵画でもそうである、鑑賞はできるにしても自分で絵を描けるのと描けないのでは雲泥の差が生まれる、それで自分で抽象画をパソコンのソフトで作った時自分で感動したことでもわかる、全く絵を描けないのに描けたという感動である
これが絵と言えるかどうかはわからないにしてもそうだった
それは音楽でも楽器を一つでも演奏できるのとできないのではまた音楽に親しむことで雲泥の差が生まれる、一時電子楽器で試してみてそれも感動したことでもわかる
全く自分は音痴であり音楽に興味があるとしても聞くだけだったからである

だから本でもこれと同じなのである、ただ何か読む方で積極的に働きかけてそこから自分なりの論を展開してゆくために読むとき活きてくるのである
そうてないと何ら読んだことにならなかったのである


タグ:本の読み方

2018年12月17日

最高級品のe-bike-ヤマハのYPJ-XC (バイクのように自走する、次元の違った走りだ!)


最高級品のe-bike-ヤマハのYPJ-XC

(バイクのように自走する、次元の違った走りだ!)

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これは38万では高いと思った、ちょうど外国旅行で節約したドルが25万とか残っていたので交換して買った
何しろ外国旅行ではまともな食事をしなかった、ヨ−ロッパではできない
レストランは特別な所だし大衆食堂のような所は地元の人でないと利用できない
日本で安い食事をどこでもできるから楽だろう、水道の水だって飲めるから無料になる

ホテルでもユースホステルとか年配の人も普通に利用している、ヨ−ロッパには安いホテルが多い、その辺は楽であった
そういうことで思った以上金を使わなかった、中国には二回行ったがそこも安かった
でも今なら都市部だと日本と変わりなくなっているという
変われば変わるものである

これを買うことを決断したのはエンジン部分がヨ−ロッパで早い時期からブームになったものであり優れものなのである
それは今までの電気のエンジン部分となるドライブユニットがこれまでのアシストとは違う格段上の性能をもっている

それは乗ってみてはっきりわかった、自転車自体はタイヤが27・5インチで大きいのだが全体に一回り大きいのだが軽く感じるのである
それで電気をオフにしても走れるものである
軽く走ることが今までのとは違う、今までのアシストはまだこのドライブユニットではないから軽く走らないのである、まず軽く走り今までの二倍速になる

これはバイクに近い

何か自走している感じになる、つまりバイクに乗っている感じになる
確かにペダルを踏むのだがその踏むのも軽いから自走している感じになる
これは今までのと次元が違う、本当に自転車というよりバイクなのである
そしてバッテリーもスタンダードでも140キロとか行くしそれでも軽いのである
だから予備のバッテリー必要ないのである、バッテリーを切れても十分に継続して走れるのも強みである
だからこれは本当は長距離に向いていた、残念なのは荷台がない、スタンドすらつけられない、マウンテンバイクだからそうなっている

これに乗ったら体力もなくなり長距離は無理だなと最近感じていたがこれなら長距離も行けると思った
体が意外と疲れないのである、ロードは体を曲げるから疲れるし使いないものだった
それを売ろうとしたら3万にくらいしかならないから何にもならなかった
これは乗っていて楽なのである
なぜなら自走している感じになるからである
だからバイクに乗っている感じになる、20キロは軽くでる、制限されて24キロになるがそれで常時20キロが出ると早い、坂でもすいすい上る

この自転車は機動力がある、人間の身体能力拡張した感じになる
これならまた遠くに行けるなと実感した
今までのロードでも疲れるし長距離は行けないと思っていたからだ
これは意外と軽く走るから疲れないのである

これによって身体能力が回復した

弱ったからだが体力が回復した感じになった、機械によって人間の弱った能力が体力でも回復することは感動的だとなる
つまり老化にはこうした機械でもできると身体能力を補充して増幅できるとういことである
だから老人は消費できないと書いてきたけど使いこなせないと書いてきたけど
老人でもこうしたものは体力を回復さけるものだと知った
そうすれば老人でも消費するのである
そもそもヨ−ロッパではこのe-bikeは体力のない老人用に開発されたのである
これは別に道の悪い悪路を行くものではない、普通の道路でも力を発揮している
もちろん悪路にもタイヤが太いしhighより馬力がでるエクストラでも走れる
だからマウンテンバイクといっても老人に適さないものではない

とにかく新しい技術が開発されるとその影響が大きい
これをヨ−ロッパでも売り出して競争している、できる技術改良したから売りこむことができる
それなりに軽い走りだと思っていても一段上のものができるその走りが重いと感じてしまうのである
今まで出た新品でもそうである、その差はドライブユニットの差だったのである
ここが最新式のものになると全然違った走りになるのである
でもそれをあ装着したのは日本ではこのヤマハだけだと思う
だからこれは高いがそれだけの価値あるものだった


タグ:YPJ-XC

2018年11月29日

老人は買いものでも選び買えない (買っても使いこなせないものが多くて失敗)


老人は買いものでも選び買えない

(買っても使いこなせないものが多くて失敗)

何か買い物がうまくいかなくなった、買ってもうまく使えないということもある
要するにわかったことは人間はいろいろなものがあっても使いこなせない
特に老人になるとそうなる、ビデオカメラ前にしていたからまたやろうとして買った
今は小型のカメラについているし大きなものは買わなくなっていたのである
技術が進歩しておいつけくなっなった
それで買い物に失敗することが多くなる

ただ通信販売で2000円のロングパンツはいいものだった、自分は何か着こなしが下手でありルーズでずぼらなのでなかなか着こなしができない
でもこのスポーツタイプのズボンはぴったりだった
体にあったものでありルーズでも着こなしできるのである
レビューを見ていいとあっても必ずしも合わないのもが結構あり失敗する

買い物はいかにして使いこなせるかということが問題なのである
料理するにしても材料を買っても使えないのである
買うことはできる、でも買うものを選びそれを使いこなすことができないのである
これはいくら金があってもどうにもならないことである
高いものを買ったとして使いこなせないとしたらそうなる

私が30万くらいで買ったヤマハの電動のロードがそうだった、YPJである
確かに最初は早くていいなと思ったが乗っているうち何か不安定なのである
それで転んで大けがする危険を経験した
ロードは安定しないのである、だから体にあっていないし老人には自分にはあっていないものだったのである、これはだから損だった、大きな買い物の失敗だった
このように高価なものでも自分に合わないものだと何の価値もなくなる
使いこなせないとしたらいくら高価なものでも価値がないのである

それで最近出てきたe-bikeはマウンテンバイク型であり最新式の電動自転車でありこれは安定しているからぶれないから合っていると見た
今までにないタイプのもので馬力がある、そもそもe-bikeは老人が力がなくても使えるものとして普及した、つまり老人に合ったものとして開発されたからそうなる
電動自転車でもロードは一見老人向きのようでもそうではなかったのである

老人は買い物がとにかくなんでもむずかしくなる、特に技術が進歩しているから買うこと自体何を買っていいかわからなくなる、買っても使いこなせなくなる
テレビすらパソコン化して操作するのがめんどうになる
リモコンのボタンを押すというだけではない機能が増えたからである

時計を買うのは実際は失敗したのではない、バンドが切れたのである
それも意外と早く一年二年で切れたのである、それは一万近くしていたから損だった
それで今度はバンドを金属製ので2000円で買った
でもこれも何かはずしたり元に直すのがうまくいかなかった
物は悪くないのだがめんとうなのでまた千円で別なものを買った
バンドは金属製ではないが千円だからいいとした
それから方位をさす腕時計型のものを買った

温度計もあるといいと思ったがいろいろついているとなかなかその機能を活かせない
方位計はいちいち手でとってみるとめんどうになる
腕時計でいつも見れるようになっているとわかりやすいのである
自転車でも方向を腕時計で見るとわかりやすいからである
瞬時に変化を見れるからである、意外と方向はわかりにくいのである
近くでも方向がわからなくなることがあるからだ
腕時計を左に右に方位計をしていれば自転車にのりながら方角がわかる、変化がわかる

何かいろいろ買っても使いこなせない、印刷機でも使いこなせないとかありかえってコンビニで十円で印刷した方が得だと思った
本当に使いこなせないということが今や問題である、それは老人になると特にそうなのである
だから下手に新しいものを買いないと思った、簡単なものならいいがあまりに多機能なのは使えこなせないのである
老人が金をもっていても使わないという時使いこなせないものが多いかということもある使いこなすということは老人にとって大きな問題なことがわかった

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これは方向を常時見れるから便利、1000円だから安い、他のはいろいろ機能がついていても使いにくいもののようだ
方向だけ見るにはこれが良かった、温度も知りたいとかあったがそうなると使いにくくなる
腕時計型になると単純ではなくなるからだ
これをアマゾンで選ぶのに苦労した、選び買うことが一苦労なのである
買う種類とか選ぶ物が今は多いからなんでもそうなるのである

2018年11月09日

pocketalk(ポケトーク)は結構使える (日本語の音声認識が優れている)


pocketalk(ポケトーク)は結構使える

(日本語の音声認識が優れている
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外国でも通信で使える


これの優れている点は本当に日本語の音声認識である
何かたいがいの日本語が正確に変換されている
英語はかなり正確である
ただ英語でしゃべったら正確ではない、それより私自身の発音が間違っていて正確に変換できない、そもそももう英語でしゃべることがないので発音もうまくできない
そもそも日本人は外人としゃべる機会がほとんどなかった
でも外国人の旅行者は膨大に増えた結果庶民レベルで外国人に接するようになったのである
それで庶民でも飲食店のような所でも英語が必要になった
その英語ができるかできないかで収入まで差が生まれ
タクシーなどがそうである、それがタクシー運転手まで英語研修している
たまたま海外暮らししていた人は英語ができて収入が良くなった
ほかでもは英語で接待できる人は収入が良くなる

こうなるとなんとか英語を覚えようとする、会話を必要となる
やはり世界では英語をしゃべる人が多い
でも世界でも飲食店レベルでは英語が通じるわけではない
知識階級が英語で話ししている
海外旅行ではやはり英語で通じる所もあったが庶民レベルだと飲食店などでは通じない
でもたいした英語ができなくても海外旅行はできた
それより全然英語も知らない人が旅行できている人もいる
それは若い人に多いのである、つまり若い人は適応力があってそなっている
だから海外に行くのは若い時が向いているのだ

ともかく言葉というのは音からはじまっている、この音が本当にわかりにくい、英語はなんとか聞きなれているからわかる、でもは中国語とか全く音ではわからなかった
だだ筆談で通じた、つまり漢字とかアルファベットはかえって読める、それはなれているからである、音はみんな違っていてむずかしい、だから日本語の音をこれだけ認識したというのは驚きである
グーグルの翻訳でも英語の先生になっている、AIが先生になっている、ここに私は一番
AI化したこと実感する、英語は何か言葉でも簡単に出てこない
私がしていたことはただ文章を読むとかであり発音とかしていないから会話ができない
日本人は読み書きが中心だからである、その読み書きでも機械翻訳が優れている
ただ何か間違っている所があるが90パーセントは間違っていない
だから実用として利用できるのである

言葉の壁は音にある、聞きなれない音が皆目わからない、要するに幼児から言葉は音から覚えているからである、音に幼児から聞きなれているから覚える
でもそうなると外国語は音として覚えられない、だからアルファベットの方がわかりやすいとなる
でもその文字でも漢字ではないなにかインドとか東南アジアの文字やアラビア語の文字はなにがなんだかわからない、韓国に行って一番苦労したのはハングルが全く読めないことだった、漢字は読めたから良かったのである
ところが外国人にすると漢字がむずかしいというのがわかる、それは同じことだったのである

アルファベットが普及したのは音としてではない、文字としてである、貿易するために記号としてフェニキア人が地中海貿易で普及させた、それはスペインとかでもそのフェニキア文字が残っている、それは貿易のために必要だから発明されたのである
だから文字の方が外国人とやりとりするには向いていたのである
それは記録として残るから証拠にもなるからだ、今でも口伝いでは証拠が残らないから約束しても無駄になる、何でも証拠になるものが裁判では必要になるからだ
そして文字がエジプトでも神聖化されたヒエログリフとなったことがわかる
しゃべる言葉は残らないが文字はヒエログリフでも三千年すぎても残っているからだ
文字が残らないと歴史もわからなくなる、口伝いに伝えられるものは変わるし消えやすいからである

いづれにしろAIとかで言葉の壁がとりはらわれればもっと世界が一体感をもつ
世界の人が理解しにくいのは言葉の壁があるからである
もしどこの国に言っても自由に話しできたらもっと深くコミットできるからである
言葉の壁でもどうしても理解し合えないのである、ちょとした行き違いが言葉の壁でそうなる、これだけ外国人が入ってくると物が入ってくるだけではない、外国人が入ってくると言葉の面でもグルーバル化が迫られる
それが庶民のレベルまで強いられるともなってきたのである
ただ正直私は今や京都とか観光地には行きたくない、これだけ外国人が多いと日本の情緒とか風情までに影響してくる、もう京都は外国人を見に行く所なのかとなってしまうだろう、古都の風情もなくなってしまうということである

2018年11月03日

ドイツ製のBD1は優れものだった (十年過ぎても変わらずいいものだった)


ドイツ製のBD1は優れものだった

(十年過ぎても変わらずいいものだった)

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ヤフオクで1100円で売っているのは安い
15万で私は買ったからだ、別にこれは変わっていないのである
ただいろいろてものが出ているからこんな値段になったのか?


十年間介護でこのBD1に乗っていなかった、だから乗れなくなったのかとも思ったが普通に乗れた、壊れてもいない、別に乗らないからいたまなかったともなる
これを買う時苦労した、何か折り畳み自転車でいいもを買おうとしていた
それを探していたらドイツ製のBD!がいいとインタ−ネットとに出ていた
それで買うことに決めた、でも買うのに苦労した          

自転車は通販だと後の修理とか保証がないことが不安になる
それで困って仙台の自転車屋で買った
わからないところがあり教えてもらった
自転車が意外と危険な面がありそれを知らないと事故になる

このBD1十年ぶりに乗ってみたら軽くて乗りやすい、これは構造が安定している
それと軽いのと車輪が小さいから意外と坂が上りやすかった
車輪が小さいと小回りできて坂を上りやすくなる
坂では苦労しているので電動自転車にした

でも電動自転車は重く感じる、軽快に走る快感を得られない,これはその軽快に走る
だから電動になると不自然になるのだと思った
自転車は軽いのがいいのである、ただ本当に一台一台乗った感じが違うのである
それは不思議である、それはどうしてそうなるのか?
作りとか構造とかなにか関係がある

ともかく私の一生は自転車旅行とかずいぶんしているから自転車人生だったともなる
だから自転車に愛着が生まれた、もう一つは鉄道旅行が長いから鉄道に愛着が生まれた
それで無人駅でボランティアしているのである
今の時代は何に愛着が生まれるかとなるとこうした道具とか機械類と切り離せなく暮らしているからそうなる

ただ老人にはロードは向いていなかった、電動のヤマハの軽いロードを30万くらいで買ったが意外と使いにくかった、確かに早いのだが車の多い所では危険である
そして何か体が疲れやすくなる、力が入りすぎるからかもしれない
スピードを楽しむにはいいが何かなじめなかった
だから高価なものでも使いないものには価値がない
金を無駄に使ったとなる
つまり自分の体とか年にあったものを買いとなる
それは高いものがその人に合ったものになるとはならない

特に老人は気を付けるべきである

使いこなせるもの、その人にあったものを買い!

それは高価なものでも買っても使いないからである
老人は買うことがむずかしくなった
いろいろ新しいものが出ても使いこなせなくなった
すると老人はそうして使いないものは買うなとなる
何か老人は何か多く買ったりしないで何かすることでもあきらめるというのがいいとなる断捨離は老人に向いている
もう新しいものを買うことがむずかしい、使いこなせないのである

ただこのBD!は買う時苦労した、でもその時は十年以上前のことでありそれより前だから
なんとか外国製でも選び買うことができた
とにかく自転車の種類は電動自転車も加わり膨大に増えた
それで選ぶのに困る、でも自転車の構造は本質的に変わっていないから十年たってもいいものはいいということがわかった
15万したからその値打ちがあった
ただ電動自転車になると相当に電気系統などで進歩したから古いものは使いない
新しいものでないかぎり使いない
このBD1は十年前と同じく使っていいものであり古くなってもその良さは変わらないことに感動した

それで長い距離は行けないがこれだとおりたためるから鉄道などを利用して近間ならまた旅できるなと思った、ただ問題は体力である
腰をいためたりしたからどうかなと思うがなんとか行ってみようと思ったのである
いづれにしろもう数年しか自転車で遠くには行けないだろう
最後はこのBD1に乗って終わりになる、自転車人生の終わりである
ロードなどはもう乗りこなせなかった、ただ白髪の人でもバイクに乗る気持ちがわかる
老人は今までしてきたことをつづけたいのである
だから車でも80歳になって返納して失敗したというのもわかるのである




タグ:自転車 BD1

2018年10月10日

原発事故でマスコミも共犯者だった (テレビ局六局の独占時代が終わる)


原発事故でマスコミも共犯者だった

(テレビ局六局の独占時代が終わる)

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●技術やメデアの変化

時代の変革期が来ると産業の転換が起きる、大井川の川越人足は1200人もいたというから驚く、その人たちが橋がかかり失業したときお茶作りに転進した
それが静岡の茶となった
ヨ−ロッパで馬車の時代があり車に代わり鉄道に変わる、この変化も大きかった
馬車より効率的だから機械に変わる、常に人間社会は技術の進歩で変わる
産業革命でもそうである、そこで失業した人たちがいたが農民がいたが製造業に変わった技術は大きく社会を変えてしまう、ヨ−ロッパでは大砲が発明されたとき城壁は無用のもの化した、技術の変化で社会そのものが変わってきた

情報関係ではグーテンベルグの印刷機の発明で聖書がドイツ語に訳されて誰でも読めるようになりそれがルターの宗教革命までなった
その時以来大量の本が出版されるようになった
情報では明治以来大きな力をもった、まだ映像の時代になっていないからだ
その時代新聞がどれだけ力をもったか?
新聞は今のテレビと同等の力をもったのである
そしてラジオの発明があり戦争の敗戦の天皇の玉音放送があったようにラジオが主役になった時代があった
そしてナチスの宣伝がラジオでされたからラジオが国民にどれだけ大きく影響したかわかる、今ならラジオがそんなに影響するのものかと思う
NHKでもラジオが主役の時代があった、その時有名なアナウンサーがいたがテレビ時代になると消えた、テレビは顔が映るからあわなくなったのである
ラジオは声しか聞こえない、すると見栄えは関係ないとなっていたからである

テレビ時代になるとどうしても顔が映る、するとまず顔を見てしまう、その像に左右される、それで美人のアナウサンサーがもてはやされて映画俳優のようになったのである
情報の技術の変化でそうなった、そしてテレビ時代になったときテレビに子供の時群れてかじりついて見ていた、テレビに動画がニュースでも映ることは奇跡のようになり魅了されて見ていたのである、だからこのテレビの影響が本当に大きかった
テレビは映像であり動画だから大衆に受けた、本とか新聞でも活字を読むとなると頭を使うからである、テレビは頭を使わない道具なのである
だからテレビに出る人をいちいち検討したりしない、テレビに出ただけで有名になり青島とか内容もないのに知事になったりする人がいた、参議院選挙ではテレビに出る有名人がトップ当選になる、それは政党ではない、個人の人気投票みたくなっていたのである
普通の議員でもテレビに出ると顔と名前が売れるから当選しやすかったのである
別に議員としての経験とか関係なく当選したのである

こうしてテレビ時代は50年つづいた、でもインタ−ネットとかのメデアが現れ転換期になった、youtubeとかで動画を気軽に放送されるとなると対抗メデアになる
テレビ局は六局の独占だったのである、だからテレビ業界とか新聞協会とかそうした情報をにぎるものは既得権をもっていた
それは他でもそうだが六局しか政府から許可されていないから独占していたのである
そして新聞でもテレビ局でもそれは単なるメデアではない、会社の主張をもっていてそれを通すためのテレビ局なのである、だから会社の主張に合わない人は出さないのである
これはNHKでも同じである、つまりただ単なる仲介するメデアではない、主張をもっていて会社の方針がありその方針にそうことを放送するのである

だから会社の方針がありもし朝日であれ毎日であれ読売新聞の日本テレビであれ放送局を批判したら絶対にその局からは出せないのである
報道機関は共産党と同じである、その報道会社を批判することは許されない、ただの情報を流通させるメデアではないからだ
そして報道機関は連帯して既得権を守る、だから互いに放送する会社を批判しないのである、それは互いに結託していて既得権を守るものとしてあったからである
そしてそもそも報道することは電波の権利を獲得したり報道すること自体が金がかかるから一個人などでとてもできない、それで六社とかの独占状態になったのである

●原発と企業と天皇でも一体化して権力を得る

例えば日本テレビがあるとする、その創始者の正力松太郎が読売新聞社を起こして日本テレビを作った、そして原発をアメリカから取り入れた張本人である

皇族も利用したこの宣伝の効果が大きかったためか、元旦という一年で最高の時間枠だったためか、『わが友原子力』の放映は大成功を収めた。…原子力委員長としての正力もこの成功を利用した

ここに皇族ともあるが皇族も天皇家も東電の株主にもなっていた、本当は皇族は会社を応援するようなことはしてはいけいな立場にある、ここにも何か問題があった
ただ財閥と企業と国家は一体である、天皇も一体だとなる
右でも天皇を批判している人がいる、昭和天皇を批判している人がいた
それが良く解せなかったが天皇は何か軍部でも今度は大企業でも利用される存在なのか、または神輿なのかともなる謎がある

原発を海外に売りつけることで発生する利益は企業(株主)へ、事故があった場合に賠償額で一定額を超えた分については日本国民が責任を負うことになるということです。

国民はこのことを無関心であってはならないが知らない人が多いだろう
こういうのを調べるのはインタ−ネットが便利である
事故が起きたら国民の税金で今回のような補償金を払わされるのである
それは莫大なものとなり日本がつぶれるとまでなるかもしれない、そういうことに原発かあるということを知るべきである
原発は国家主導で推進されるからやめられないのである
国家は最大の権力だからである、原発とは一企業の東電の問題ではない
国家がかかわる一大事業なのである、だから事故になり失敗すれば国が傾くとなるのだ

企業がもうかるというとき原発でもそうである、企業中心の発想がありもうかればいいとなり安全はないがしろにされるのである、それで安全神話が作られた
でも東電だけではない電事連もそこで働く人々も電気事業で生活しているとなると既得権で一体化するのである
逆に日本はアメリカから古い型の原子炉を売りつけられたことも事故の原因になった、でも敗戦国だからアメリカでは事故の補償はしない、そういう契約もなかったのである、この辺も不公平であり力関係で商売もあるとなる

そういうテレビの宣伝は大衆受けする、わかりやすいからである
テレビは大衆を洗脳するのに最も適していたメデアである
そしてお茶の間にテレビが置かれたとき最も効果的なものとなった
お茶の間にあれば直接常にテレビがありその後ろにはテレビ局があるとなるからだ
そこでどれだけテレビが影響したかわかる、テレビで商品を宣伝するだけで目立ち売れるということもありテレビに宣伝費が会社でつぎこむ、それでテレビ局はもうかる
そういうふうにして政治でも経済でもテレビが大きな力をもつようになった
そのことが原発事故にも関係していた、政府とか東電とかが一致してテレビ局に宣伝費を流して安全神話を作ったからである

報道機関は独占化するとどうなるのか?それが原発事故で判明した
原発事故が起きたときテレビ局の幹部が朝日新聞でも全部六局の幹部が中国に招待されていたのである、それは何を意味しているのか?
この六局のテレビ局に800億円とかの宣伝費が流れていたのである 
ただNHKの幹部は入っていなかった、それはNHKは民間ではない、公共性があり受信料を強制的にとっているからである
だから本当はNHKはその公共性に奉仕すべきものだがそれがない、NHKもNHKの方針がしって主張があってそれに沿うものしか出さない意見は言わせないのである、だから受信料はとらないで民間にするのがいいともなる

それはNHKは税金のように受信料を国民から強制的にとっているからだ、ならば公共的なものでありメデアとしてもインタ−ネットのように利用させるべきだともなる、でもNHKにもそれはない、NHKの主張と方針がありそれに沿うものだけが出ることを許可される
電事連とかそれだけの金をもっている団体である、電気関係はやはり現代社会を支えるものだから大きな権力をもっている、今回の原発事故はそうして現代社会の権力をもつものが結託して起きた事故でもあった
国家(政治家)官僚、御用学者、マスコミ・・・とかが結託して「安全神話」を作ったからである、ただマスコミのことはあまり批判されないが明らかに「安全神話」を強力にしたのである、そこに既得権があり莫大な金が流れていたからである  

大型広告が「朝日」から始まったのは、(電力業界側が)「朝日」がそのような新聞だと一般に見られていたことを考慮してのことだと思います。「読売」がそれにつづいたのは「読売」の社長だった正力松太郎氏が、原発を日本に導入した責任者(初代原子力委員長)だったという関係があったようです。
「朝日」「読売」に定期的に広告が掲載されるようになると、「毎日」も広告を出してくれと要請します。当時、「毎日」は、原発に反対するキャンペーン記事を紙面に載せていました。後でとりやめた

福島財界でも最初原発反対の記事をのせていたがとりやめた、マスコミがおかしいなのはこうして全部が原発賛成になったことである、一社でも反対すればいいがそれがなくなった、福島県でも福島民報でも民友でも反対しない、原発推進派になっていた
だからもう報道には民主主義がなくなっていたのである
民主主義は少数派でも必ず反対がありその反対する者を一応尊重して対処するからであるそれが全部賛成推進派になったことが異常だったのである

●テレビからインタ−ネットへ

いつれにしろ戦後70年でテレビでも変革期にきた、もう六局のテレビ放送の独占時代は終わった
インタ−ネットのyoutubeなどが対抗でメデアになる、そこではNHKだけではない、会社とか銀行でも今までも既得権の団体でも組織でも訴える術を与えた、だから文字のテキストだけよりyoutubeは見る人が多くなる、大衆でもテレビと同じように見る
芸能人の馬鹿騒ぎはyoutubeと同じでありyoutubeでやれとなる
youtubeの特徴は何か学習機能がある、個々人が体験を語る時、それはテレビが大衆向きにマスメデアとして機能していたのとは違うと思った
何か社会について見え方が違ってくるのである
つまりマスコミをテレビを通してみる社会とは違っている

テレビは大衆向きに番組を作っていた、youtubeとなるとレベルもいろいろあるが
何か個々人がメデアとなって語る、そういう経験をしている人もいるのかと新たに社会に対する見方が変わる、社会というのはとてもマスコミだけでテレビだけで尻得ようかないものだったのである、テレビは社会を写す窓ではない、そこには無数の窓があったとなる
こうしてテレビの機能は変わってくる、誰でも放送できるとなると六局独占体制は維持できない
その時テレビはどうなるのか ?

国営放送とか公共放送とか何かそうした娯楽ではない真面目なものになるのか?災害放送はそういう性格がありNHKが必要だということが言われた、でも政府で放送すれば気象庁で放送すればいいとなる、インタ−ネットではしている
だから今はその変革期の過渡期でしりいすんな試みが行われる、情報の戦国時代になったのである
プログなどでも百家争鳴の時代である、誰でも意見が言える、ただ今までのように六局だけで目立つ時代は終わった
それは六局にとって独占でありあまりにも恵まれていた時代だったとなる
これからはyoutubeくらちいの視聴率くらいしかテレビでもなくなるかもしれない、すでに視聴率は減るばかりである

別に他でもいくらでも情報は得られるからである、検索もできるからである
だからテレビの役割自体が変わる、それがどうなるのか?公共の電波でも六局の独占は終わる
すでにBSもあり終わっている、だからニュースでもただ事実だけを24時間流すものが見たいという人が多い
そのニュースを勝手に解釈するのではなく解釈させるのは視聴者にゆだねる、そういう要望が多いからである
だからそういう放送に変わるのかもしれない、そういう変革の過渡期であり様々な試みが成される時代である

2018年10月01日

インタ−ネットによる報道の変化 (マスコミはyoutubeとなり土着的個々の放送に変化)


インタ−ネットによる報道の変化

(マスコミはyoutubeとなり土着的個々の放送に変化)

報道機関(テレビ・ラジオ・新聞等)の報道は、国民が国の政治に関わるために重要な情報=『判断材料』を提供し、国民に政策の良し悪しを判断できる様にする=『知る権利』に奉仕する、ものである。(昭和44年最高裁見解)  

ここで問題なのは判断材料である、判断材料が提供されなければ判断しようがない
でもその判断材料を提供できるのは何になるのか?
判断材料になるものが提供されない、マスコミでは客観的判断材料をオブジェクトを提供するのではなくマスコミが勝手に判断して提供しているのである
判断するのはマスコミではなく国民のはずだがマスコミが判断してそれを報道している
マスコミの意図がありそれで報道番組を作っているのである
だからこそ安全神話はマスコミの報道機関も剰余な役割をにない作られたものである
莫大な800億とかの宣伝費が電事連から出ていたからである
その象徴的な出来事として福島の原発が爆発したとき東電ではマスコミを朝日新聞社の幹部を招待していたのである
こうなれば政府と官僚とかの意向のままにされる
客観的な判断材料も提供されない、判断材料はマスコミが選びマスコミが判断するのである

要するにマスコミによって国民は判断停止されている

例えば地元に住んでいると判断材料になるものが具体的に身近に利害関係もあるからわかるし関心の持ち方が違う,遠い所になるとどうしても関心がなくなる
それは身近に被害もないし利害関係もないからである
今回は身近な直接利害関係とか被害があったから地元だから追求してきた
その地元に必ず外部からマスコミが介入してくる
そこに問題が起きる、マスコミはNHKでもその会社の意図がありその意図を通すために報道番組を編集しているのである
だから原発避難民を受け入れた地元との対立があった、津波被害者との対立もあった
でも一方的に原発避難者側に立った報道をした、そういう意図で報道した
それは取材している人は上の人の命令でしていると言っていた
NHKでもそうして上の人が決めたことを報道する                  

ところが一記者が取材したとしてその記者が報道すればどうなるのか?

それはNHKの会社の意図とは違ったものになる
何かこういうことは会社組織とか今は労働団体とか宗教団体でもみんな組織に属して生活している
するとどうしても一会社員とか一会員とか一組合員として発言したり行動する
その団体組織が圧力団体となり権力をもっている、だから純粋に個人の発言はない
特にマスコミとかでもそこで発言する人は個人ではない、マスコミに意向にそうものとして発言しているしその意向に逆らうものは発言できないのである
だから一番いいのは主張もなにもないお笑い芸人が一番いいのである
だから武田邦彦氏などは個人として科学者として研究員として勤務したり外国でも指導したりそういうグローバルな体験をしていたりと知識の幅が広い
まず理系で文系の知識があれだけある人はまれである

それで言っていることは個人ではとても報道機関にはかなわない、訴訟するにしても個人は弱いから不利である相手にならないとなる団体組織だと必ず専任の弁護士などをかかえているし財力も違うから対抗できないのである
ただプログでこれを実行した人がいた、でもなかなか個人では記者クラブにも入れないし取材できなかったのである
東電の原発敷地内でも勝手には入れない、許可が必要である、マスコミだと許可をもらえて制限されても取材はできるが個人だったらお手上げであり何もできない、それが大きな問題なのである

インタ−ネットの報道はyoutubeでもかなり違っている、それは個々人がテレビ番組を作り放送できる、小集団でもできる、今までは新聞でもテレビでも巨大な報道機関であり報道すること自体不可能だったからである
youtubeとかなるとつまらないものでも見る人が多いなと思った
それはテレビというメデアが大衆でもわかりやすいからである
だから絵画などで絵の制作過程などを出している人は世界の人が見ている
百万とか見ているから驚く、世界規模になればそれだけの人がみる、絵は誰も見てもわかるから見るのである
インタ−ネットはグローバルになるメデアである、ただ言葉の障壁があるから読まないだけである、絵とか音楽はには言葉の障壁がないから百万とか見る人が出てくるのである

要するにテレビとかマスコミはこれまでは既得権として報道の権利を与えられていた
六局とか報道できなかったからである、それが今や無限大に報道局ができたともなる
一億総記者になりプログだと気軽に誰でも発信できる
ただyoutubeだと見る人が多くなる、それはテレビが視聴率を稼いでいたのと同じなのである、わかりやすいから見るのである
文章を読むとなると相当に頭を使うから疲れる、それでインタ−ネット時代になり短文しか読まないとかなったことも問題にされる
自分でも短い文ではいいたいことが言えない、プログだといくらでも書ける
すると内容的にも自分の言いたいことを言えるとなる
ただ読む方になるとこれは頭を使うから疲れるから嫌だとなる

でも何かインタ−ネットのメデアの違うのはこれは今までのようにマスコミで新聞とかテレビのようにただ与えられる、洗脳されるだけのメデアではない
発信するのに便利なメデアなのである、一方でそうなるとそれを受信する読むのには適していないともなる皮肉がある
読む方にしたら長いとか嫌がるものだったからである
だから何かインタ−ネットになってからは私は相手がどう思って読んでいるのかとか反応を見ない、ただ一方的に書きつづけているのである
そして文章にするということは考えて書くということでありそうなると様々な情報でも他者の経験や思想やものの見方とかを参考にする
自ら文章を書くということは自ら考えて文章を構築することになる
そういう創造的な作業であることに気づいた
本にしても前より読んでいる、アマゾンでボタン一つで買えるからである
古本だと安くなるからである、でも本を読むのは一冊でも厚いから読み切れないとなる
でも文章にして読んいでもらうとなると底の浅いありきたりのものを発言しても無益だとなる、読む読まれないにしろ内容あるものとして文章にして残したいということがある
それは自分自身で後でまた参考になるからである

ともかく報道するにしても判断材料が無数にある、するとどれを判断材料にしていいかもわからなくなる、だからマスコミが判断材料を選びマスコミが判断したものに従ったというだけにてっていたのである、だから世論は民衆が聴衆が作ったものではない
マスコミは世論を作ったのである、なぜならマスコミが判断材料を提供して判断して放送していたからである
それでこの辺で原発避難民とそれを受け入れた地元とか津波被害者間での複雑な対立になったがNHKでは原発避難者側につく報道をしたのである
マスコミは全般的にそうである、原発避難者を批判することはタブーになっていたのである、国民がみんな原発避難者側につくというのではなくマスコミがそうしたことで国民が味方だとなってしまった

だからこそ原発避難者を批判することは原発避難者からもみんなが応援しているのになぜ地元で応援しないのだ、補償金だって住む場所を奪われたのだから当然だとなりなんなのだと怒りにもなり南相馬市は小高と鹿島はいがみあい分断されたのである
そしてマスコミはNHKでもみんなが国民は原発避難者を応援する方に立つようにした
だから原発避難者はそうして国民は世論は味方している、それで非難することはできなくなった、たとえ毎日パチンコ屋通いでもギャンブルして遊んでいてもそうである
とにかく同情さるべきでありあとはなにかや言うなとなった

でも今になると地元からすると地元で融和しないとまずいことだったなと思う
なぜなら地元に生活していると争うと生きずらくなるしまた復興するにも障害になる
心が一致していないと復興のために一致協力できないからである
遠くから応援に来てくれた人たちボランティアでも一時的でありあとはや地元の残った人たちで復興したり協力して生活せざるをえていからである
それで川俣の山木屋とかでは大学の研究者が来ていたが今は一校だけにてったという

つまり最後は継続して生活するのは地元に残る人だから外から来る人は一時的だからあてにならないとなるのだ
だからこそ地元の融和が大事であり優先させるべきだったともなる
外部からの応援は一時的なものであり後に残って生活するのは地元の人たちである
その人たちがいがみあい対立していたら復興はできないとなるからだ
でも何か外部からの応援とかが目立ち内部で地元で一致して協力して復興のためにすることがあまりなかったのである
そのことが今になると協力できないとなり南相馬市の問題として残った

なぜなら外部からの応援もなくなりやがて後三年で援助も打ち切られるようになると南相馬市だけで復興をしなければならなくなる
その時この辺はかなり厳しい場所になると市長も指摘していたからだ
だかちまず第一にするべきことは地元の融和だったのである、いくら外部からの応援があってもそれは継続しないからである
そういう点で行政とか政治も働かなかったのである
ボランティアでも外部からの応援でもマスコミでも外部からの介入でありいつまでも関心をもっているわけではない
一時的なものであり土着的なものとして存在するものではないからだ
だから土着的な報道もこれから必要になると思った、土着的でないと見えないものがありまた継続するものがないからただテレビだと次々に事件が起きてあとはわからなくなる、でも地元で起きたことは事件でも継続している
プルトニウムの毒が二万年消えないとか継続した被害としてある
そういう被害の深刻さが地元に残るしカルマとして消えないものとなったのである



 マスコミはもう終わっている (これからは土着的地域に根ざす報道機関が必要)


報道とは何かー報道に土着したものの眼が必要 津波や原発事故で思い知らされた

2018年09月15日

温暖化は嘘なのになぜこれほど報道されるのか? (温暖化はかえって地球にとっては生命にとってはいいものである)


温暖化は嘘なのになぜこれほど報道されるのか?  

(温暖化はかえって地球にとっては生命にとってはいいものである)


日本人は「事実を知りたい」のではなく、「空気にそった希望していることを繰り返したい」と言うことなので、NHKは大潮の時を狙ってツバルに撮影隊を送り、地盤沈下を起こしている2、3の民家の映像を流して、あたかもそれがツバル全体のように見せた。完全なヤラセ報道だ。

人類の歴史をひもとくと、温暖化は善、寒冷化は悪である。中国の王朝の崩壊は、寒冷化と軌をーにしている。寒冷化すると飢越になり、農民は食べられなくなり、王朝に対して反乱を起こす。ロ−マ帝国の崩壊もそうである。中央アジアが特に寒冷化に敏感である。地球が寒冷化すると、まず中央アジアで食えなくなり、遊牧民が移動を始める。フン族が西進してゲノレマンを追いはらい、ゲノレマンはローマに入り込んで、ローマは滅んだ。
蒙古帝国の興隆も寒冷化が原因である。
21世紀の我々にとって真の脅威は温暖化ではなく人口増加である
そのための食料不足である


温暖化というとき温暖化は善、寒冷化は悪であるというのは科学にうとくてもわかる、南国は果物が豊富で人類もアフリカから生まれて別れたというのも納得がいく、なぜならアフリカはあらゆる生物の生息する所であり今でもそうである
そういう場所から人類が最初に生まれて地球に散らばったというのは納得がいく
四大文明でも中国を除いては暑い国に起きた、暑い所は植物でも豊かに繁茂するから動物の食料が豊富だから住みやすいのである
東南アジアとか暑い国ではなまけものだというとき日中暑くて働くことができない、日影で休んでいる他ないのである
ところが寒い国ではドイツとかイギリスなどでは寒いから勤勉に働くということがある
勤勉の思想もプロテスタンが生まれた土壌になる
イギリスの産業革命でもそうである、資本の効率化とかをできるかぎり追及をする、機械がそこで不可欠になり機械の発明が行われる一方でカトリックはイタリアとかスペインとか地中海沿岸に広がる、そこは比較的暑い地帯なのである
南と北ではそもそも気候が違うから違った文化や文明が生まれるとなる

だから温暖化というのは別に地史的にみても温暖化しているとき生命は植物でも豊かに繁茂して餌が豊富だから動物も生きやすい熱帯化しているとき恐竜など大型動物も生息できた、あれだけの巨大な動物を養うのには植物でも豊富でないとできないからだ
この辺ではフタバスズキ竜とか海竜の化石が発見された、そんな巨大な海竜がいること自体温暖でなければ生きられないだろう
そういう巨大生物が生きていたときはこの辺の山の奥でサンゴ礁の化石が発見されたりしている
つまり沖縄とか同じように熱帯の環境だったのである 

ジュラ紀という地質時代(今から2億1000万年年〜1億4000万年前)はとても暖かい時代で、シダやソテツなどの植物がたくさんあってそれらを食べる恐竜がたくさんいました。つぎの白亜紀にも植物食の恐竜はたくさんいます。植物食の恐竜がたくさん増えたことから、それを食べる巨大な肉食恐竜も飢えることがなくなったので、増えていったと思われます

寒冷化することは植物の生長にとっても良くない、最悪なのは氷河期でありその時地球の生命すら絶えるという危機になっていた
でも温暖化で地球の生物が滅亡するようなことはない,かえって日本だって今まで寒い地域で南国のようになり南国の果物でも栽培できるとなり食料も豊富になる,寒冷化の方が飢饉になりそれで民族移動が起きたというのがわかる
モンゴルは中国から入るとかなりの高地であり冬は酷寒である

1 年で最も寒い日は 1月18日で、平均最低気温は -28°C、最高気温は -17°C です。

それでモンゴルに羊を飼うことを習いに一年とか住んだ人は冬は一回りやせるという、それほど厳しいのである
そういう厳しい所だから住みやすい所を求めて食料豊かな所を求めて民族移動する、それが征服戦争にもなっていたのである。
どちらかというと寒い国から温かい国への民族移動が多いだろう
日本はどちらかというと寒い地域もあるが比較的温暖であり照葉樹林体もある、だからこそシベリアとかから日本へ移動してきた
南相馬市の鹿島区の海老では丸葉車輪梅の南限の地として有名だった
これは奄美大島が原産でありここに種が流れ着いて自生した、つまりこの辺はまだ暖かい地域だから南国産の花でも根付いて咲いたとなる、それで万葉集の真野の草原(かやはら)の歌はここをさしているというときそれは気候からみても納得がいくとなる
人間社会は気候とか風土の影響が大きいからそれで歴史も文化も作られるからである

地球温暖化は地球的規模でみれば悪くないのである、ただ今年のように暑いと死ぬ人もでてくる、だから個人的には暑い所には自分は住みたくない、何か頭脳でも麻痺してしまうからである、かといって寒い北海道も嫌なのである
体力的にどうしても弱いと気候的には自分が住んでいる場所はいいとなる
地球温暖化をなぜこれほど騒ぐのか、その意図は何なのか?それはヨーロッパ主導の見方だと言う人もいる
これ以上二酸化炭素の排出とかが増えるとヨ−ロッパの気候も脅かされて住みにくくなるからだという
ヨ−ロッパはやはりそれだけ気候的にも恵まれているからだとなる
ただなぜこんなにNHKまで巻き込んで大々的に宣伝するのかとなるとその理由が良くわからないのである
利権がかかわっているからだというのがその見方である

環境問題でも何か騒ぐとそこで研究者に御用学者に金が入ってくる、研究費が入ってくるから危険性を主張する
何も怖いことはありませんよとなると研究も必要ないとなるからだ
そういうことがいたるところにある、それを武田邦彦氏はyoutubeで絶えず指摘している
何か絶えず不安あおるのが商売になりやすいのである
この世が終わるというカルト宗教団体が過去にも出ていた
そして恐怖のあまり財産を全部なげだして死んだ人、自殺した人まで結構いる
そういう商売になるのが不安をあおる商売なのである
週刊誌でも過激な見出しになるのは不安をあおって本を読ませるためだとなる
それはyoutubeでも同じである、地震がいつ来るとかこの世がいつ終わりになるとかなるとたいして内容がなくても人間心理的に不安を覚え読むようになるのである
そしてyoutubeでも視聴率を稼ぎアフェリエトで宣伝費を稼ぐとなる
だから本当は利益がかかわると公正の報道も判断もできないとなる  

人間は科学的判断をすることは普通は苦手である、原子力だってもう科学的に素人はわからない、では科学者が専門家はどう判断するのか?御用学者になって政治家の言うままになるとか官僚の言うままになる
それで安全神話をも作られた、政治家、官僚、御用学者、マスコミが一体になって安全神話が作られた
そうなればもうどうにもならないくなっていた、それを正す者はいなくなった排除されたからである
そして報道機関とは何か?
報道機関は既得権益をもつ連合体なのである、だから報道機関同士で批判したりしないのである
暗黙の了解があり既得権化している、そして報道機関は俺たちが報道の権利を行使するのであり俺たちの許可なしでは何も報道されない、事実すら報道されないとなっている
それは新聞とかテレビだと誰もそれだけの装置を持つことができないメデアになっていたからそうなっていたのである
そこには莫大な金がかかっているからである

ただ既得権というとき報道機関だけではない、様々な組織団体にありそれが圧力となって報道も歪められる、電事連とかでもそれは労働組合でも原発推進になる既得権の団体である、だから原発には反対しない、自分たちの給料がどこから出ているからわかっているからである、そして電事連からマスコミに膨大な宣伝費が流れていて一体化して安全神話が作られたのである
現代の科学はサイエンスではないという、それは利益と利権と密接に結びついたものであり科学的なものもそのために利用される
そこで御用学者も研究の予算をとるために実際は危険でないのに危険をあおるのである
こうして科学も本来のサイエンスではなく利益追求のみが優先されるとき歪められて安全神話が作られ大事故になりとりかえしのつかないことになった  

この辺では漁業権を東電に売り渡して事故前も事故後も多額の補償金をもらっていたことを指摘して批判してきた
これもまた利権と結びつきそうなった、こういうことはあらゆる所にあり無駄に金が使われているのだ
社会の既得権化したものを壊すことは容易ではない、それは明治維新とか戦争か巨体な天変地異でも起きない限りできない
安全神話を崩壊させたのは未曾有の津波だったからである
そして中国でも約人民解放軍が支配してから70年すぎ日本でも戦争から70年すぎて既得権化したものの崩壊が起きる
銀行もそうだった、社会全般に既得権をもつものの崩壊が起きる、70年ごとに大きな変革が起きる
それで今日本で地震が頻発しているのである

いづれにしろNHKでもなぜ温暖化の危険をこれほど言うのか?
その意図は何なのかとなる、やらせ報道までして温暖化を言うのはなぜなのか?
北極の氷がとけていなのに溶けていると報道する
そこまでしている理由は何なのかとなる
それは科学的ではない、何かの大きな意図が働いてそんな悪質なやらせ報道までしている
そして水につかっていたのはツバルの島のほんの一部だったのである
映像で判断する危険は全体の一部をきりとり放送することにある
一部だけが極端に強調されてそれを真実だと見させるのである
でも映像の影響力が大きい、人間は一部の切り取った映像で即座に判断するからだ
それでイラクの湾岸戦争では油にまみれた鳥をみせつけてイラクのためにそうなったということが全世界に伝わり
イラクが悪しとなったのである、それも報道による操作だったのである。



2018年09月10日

さくらレンタルサーバーで警告メール (レンタルサーバーとかプロバイダーは検閲しているのか?)


さくらレンタルサーバーで警告メール

(レンタルサーバーとかプロバイダーは検閲しているのか?)

internetcheck1.jpg

2009.04.24 Friday 

アクセス解析を見ていたら「osnfw.sakura.ad.jp」というホスト名のアクセスがあった。
これは、さくらのレンタルサーバーの中の人だと思う。

理由は、以前もこのアクセスがあって、その後に警告メールをもらった経験があるから。
第三者に通報されると即座にチェックされて、【重要・要返信】というタイトルのメールが送られてくる。

でも、今回は利用規約には違反していないだろうから、警告メールは送られてこなかった。
普通にサイトを運営しているのだから、大丈夫だろう。

以前はすぐに該当ページを削除したら、許してくれたけど。

そんなに悪いことはしていないのに…。

osnfw.sakura.ad.jpからのアクセスが最近あった、忍者のアクセス解析に出ていた
ただこの解析は全部は出ない、アメリカからなぜ70人もアクセスがあったのに
最近は二三人しかない、一人だけは熱心な人がいるのも不思議である
抽象画の部にアクセスしているのだと思う

ただアメリカから私のホームページにアクセスしている
これもわからないが日本語だアメリカの人が詠むのか?
古代関係にアクセスしている、これは日本人としか思えないのである

最近私はホームページでもプログでも整理している、時間ができたので整理しているが
量が膨大になったので整理するにしても作業が大変になる
自分自身が書いたものが本当にわからなくなった
こんなこと書いていたとか不思議になる
人間は自分で書いたものすら忘れている、忘れやすいのである

いろいろ詩とか俳句と短歌でも整理する必要がある
詩では別にプログを作ったがこれも忙しくなるのでアップしていない
量が多すぎるから整理できないのだ

たださくらのレンタルサーバーからのアクセスで気になるのは警告メールが来たりしたのはなぜなのか?
その理由がはっきりしない、著作権違反とかもある
そんなにフログなどを見ているのか?
なかなか見れないだろう、なにしろさくらは安かったからである
だから最初数が多かったのである
何かこういうことがあると不安になる

インタ−ネットは不安である、一番の不安は何かの調子で一瞬にして消えることである

またレンタルサーバーとかプロバイダーによって削除された消されたいう報告もある
都築詠一氏の(心に青雲)のフログはそういうことがあったらしい
過激な思想と批判があったからだ、でも死んでしまったのである
そしてログは10分の一くらいしか残されなかったのである
それでふりかえり考察することができくなったのである

だから私もいつ消されるのかと不安になるし一瞬に消されるのではないかという不安がある
例えば創価など批判するとここは組織的に力をもっている
するとそういう団体からさくらのレンタルサーバーに批判が来るかもしれない
そして一方的に消されるという不安があるのだ
なにかここにインタ−ネットの問題もがある
ただ著作権違反だとかしやすいし過激な思想の団体もプロパガンダしやすい
実際にテロがインタ−ネットのサイトを通じてイスラム国などからあったからである
つまりあらゆるものの自由はまた危険なのである

でもレンタルサーバーでもフログを提供する会社でもどういう責任があるのか明確ではない、勝手に会社の都合で消されたり削除したりされるとしたらどうなるのか?
そのルール―が何なのかもわからないのである
インタ−ネットの法律はない無法地帯だともなるからだ
でも会社の意向で消すときは連絡してもらいたいとなる
その理由を言い警告した後にこちらでも処置するとなる

ともかく一回さくらのプログで機械の故障かなにかで消えたことがあった
でもバックアップしてあったので回復した
それから手続きができなくてせ電話で連絡して料金を払い消されないですんだ
それは一日も余裕がなかった
入院していて見ていなかったからだ
そういうふうにインタ−ネットでの手続きはめんどうだからそういうことが起きる
つまりインタ−ネットには様々な危険がひそんでいるのだ
それは操作がめんどうでありわからないことが多いからだ
技術的障壁が大きすぎるからである

ただ最近はめったに通信ができなくなることはないから安心ではある
通信は安定したからである
でもhttpsのsslの認証のことがわからないからまた困るのである
感嘆に移行すると不具合ができているから困るのである
さくらは意外と大きな会社で今は北海道辺りにデーターセンターがある
だからバックアップがあるから記録が簡単には消えない、それが安心なのだが
それでも理由もなく一方的に削除されたり消されるのが怖いという不安が依然として残るのである。

個人は弱者である、だから巨大なの組織団体の力がインタ−ネットでも働いたらどうにもならない
国自体が中国では関与しているから自由な発言は中国にはない、そうなるとインタ−ネットでも規制されて
真実は報道されなくなるのだ
経済活動ならレンタルサーバーでも大勢を組織団体を優先する
それで経済的にしめあげられれば組織団体からの圧力に屈する
それでマスコミには真実は報道されなくなったのである
それがインタ−ネットでもありえる
インタ−ネットでも今は多数がしているのだから影響力がでてきているからだ
でもそうしたフログは極一部である、まずインタ−ネットでは読まれることが至難だからである
不思議なのはくだらないものでもyoutubeになると見られているなと思った
気楽に見れるからである、それで個人が放送局になっているからマスコミに個人で対抗しているのである