2025年03月06日

再起動要求でテキストが読めなくなった 【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】

再起動要求でテキストが読めなくなった

【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】


win11でワードパッドを使っていたが再起動しろとメッセージがでたのでしたら。ワードパッドでテキスト保存したのが読めなくなった

別な画像編集ソフトで開けとなるができない。

それで別なパソコンのワードで開くと開けた、メモ長帳でも開いても暗号になり読めない


それで別なパソコンのワードでは開けて読めた

一時は読めなくなるのかと焦った。パソコンは不具合があると直せなくなる。

通信はできるが文字が書けない、その原因はワードパッドにあったらしい、これは今マイクロソフトで廃止にするからそれで新しく再起動が要請されて邪魔だとして消えたのかもしれない、ワードパッドはマイクロソフトでは使用させたきないのか、でもワードだと開ける

だからワードを使いとなるがそうなると一か月2000円とかかかる

これも困る


今はグーグルのドライブでテキストを書いた、それしか方法がない

ともかくタブレットを2万で買ってもそれが英語表示でありYI=FIで自宅では通信できなかった。通信販売では失敗がある


パソコンは今でも必ず何か不具合があるから困る、それを簡単でも直せなことがある。だから再起動命令が来たのがしたくなかったのである

またソフトのインストールでもウィルスとか怖い、データーが破壊され使えなくなる。今回は他のパソコンのワードで使えた

やはりパソコンはいいものを買わないと失敗する、それが取返しつかなくなるから怖いのである


ともかく何らか安全に確保し備えてやらないといけないのがパソコンである。

何かかえってグーグルのドライブが安心である、なぜならそこは大会社であり安全でも計れるからである。とにかくパソコンは安全を計ることが大事なのである、データーでも一瞬にして消えるからである


パソコンは今のノートパソコンはdellの6万くらいのものである

パソコンの性能とも関係しているかもしれない、パソコンはやはりいいものが必要だともなる。

なぜならこうして不具合があると大損になりデーターが消えるからである

それが怖いのである、だからケチると大損になり取り返しがつかなくなる

確かなことは安いものは安全の面で問題がある。普通こんなことにはならないだろう

ただ再起動とかソフトでもインストロールのは怖いとなる、パソコンそのものを操作される危険がある


前からパソコンはやっかいなものだった。今になると年取ると何か面倒なことをしたくないしできないとなる
若ければいろいろ機械でも操作することでもできる。それが老人になるとめんどうになる
たた機械と関係なく文系的なものは返って老人になるといろいろ理解するようになり洞察力も深まる
それは機械の操作の習得とは違ったものだからである。

マイクロソフトのnextpadは使える、テキストも開けた
ワードパッドは使えなくしているので注意

再起動要求でテキストが読めなくなった 【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】

再起動要求でテキストが読めなくなった

【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】


win11でワードパッドを使っていたが再起動しろとメッセージがでたのでしたら。ワードパッドでテキスト保存したのが読めなくなった

別な画像編集ソフトで開けとなるができない。

それで別なパソコンのワードで開くと開けた、メモ長帳でも開いても暗号になり読めない


それで別なパソコンのワードでは開けて読めた

一時は読めなくなるのかと焦った。パソコンは不具合があると直せなくなる。

通信はできるが文字が書けない、その原因はワードパッドにあったらしい、これは今マイクロソフトで廃止にするからそれで新しく再起動が要請されて邪魔だとして消えたのかもしれない、ワードパッドはマイクロソフトでは使用させたきないのか、でもワードだと開ける

だからワードを使いとなるがそうなると一か月2000円とかかかる

これも困る


今はグーグルのドライブでテキストを書いた、それしか方法がない

ともかくタブレットを2万で買ってもそれが英語表示でありYI=FIで自宅では通信できなかった。通信販売では失敗がある


パソコンは今でも必ず何か不具合があるから困る、それを簡単でも直せなことがある。だから再起動命令が来たのがしたくなかったのである

またソフトのインストールでもウィルスとか怖い、データーが破壊され使えなくなる。今回は他のパソコンのワードで使えた

やはりパソコンはいいものを買わないと失敗する、それが取返しつかなくなるから怖いのである


ともかく何らか安全に確保し備えてやらないといけないのがパソコンである。

何かかえってグーグルのドライブが安心である、なぜならそこは大会社であり安全でも計れるからである。とにかくパソコンは安全を計ることが大事なのである、データーでも一瞬にして消えるからである


パソコンは今のノートパソコンはdellの6万くらいのものである

パソコンの性能とも関係しているかもしれない、パソコンはやはりいいものが必要だともなる。

なぜならこうして不具合があると大損になりデーターが消えるからである

それが怖いのである、だからケチると大損になり取り返しがつかなくなる

確かなことは安いものは安全の面で問題がある。普通こんなことにはならないだろう

ただ再起動とかソフトでもインストロールのは怖いとなる、パソコンそのものを操作される危険がある


前からパソコンはやっかいなものだった。今になると年取ると何か面倒なことをしたくないしできないとなる
若ければいろいろ機械でも操作することでもできる。それが老人になるとめんどうになる
たた機械と関係なく文系的なものは返って老人になるといろいろ理解するようになり洞察力も深まる
それは機械の操作の習得とは違ったものだからである。

2025年02月26日

大衆社会のマスメデアによって作り上げられる虚像の誇大化 【人物の実像は何なのかわかりにくいーSNSで発言する権力を持った庶民】


大衆社会のマスメデアによって作り上げられる虚像の誇大化
【人物の実像は何なのかわかりにくいーSNSで発言する権力を持った庶民

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財務省の仕事は何か重要な国の政策を決める。要するに税金を集めてそれを配分する権力である

権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えやすい環境だと、内閣支持率は低くなります。逆に、権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えにくい環境だと、内閣支持率は高くなるのです。内閣支持率は国民から見た人気度を調査しているに過ぎませんから、メディアが権力者をどのように印象付けるかによって左右されます

●虚像でもマスコミメデアにより誇大化される

何が実像なのか虚像なのか判断しにくい、何故ならメデアを通じて判断するからである。メデアというとき仲介する者でありその仲介するものというとき人間も仲介するものになる。
噂話でもそうである。それが人か人へ伝わる時変化する
そしてその真意でもわからなくなる、つまりいろいろに勝手に解釈されて誇張されたりしてわからなくなる。人物にしてもその人のことを判断するにしてもメデアを通じてすると判断を誤る

だから現代はメデアによって虚像が作られやすいのである。
大した人物でなくても大きな人物にされたりつまらない作品でもマスコミの報道で売れたりする。短歌のサラダ記念日とかでもそうである。それはマスコミが作り上げた虚像でも何百万部と売れたとなる。それはマスコミにより虚像が誇張されてそうなった
何か現代は虚像が作られやすいのである。それはカルト教団でもそうである。教祖が大した人物でなくても祭り上げられて巨大化する。それはカルト教団に共通している。
外部の人は判断もそれだけ数の人が崇拝しているのだからとその評価に従う、その人物についてあからないにしても数を集めることによってその人の権威が作られて権力者と化してゆく
虚像が拡大されてそれが実像にもなる。その最たるものがナチスのヒットラーだった。それは全くの虚像でも人々は熱狂して心酔した。そしてすべての人がハイルヒットラーになったのである

●みんなが偉いというから偉い凄いとなる大衆社会

実際現代は何が実像なのか虚像なのかわかりにくいのである。そもそもテレビに出ている人が虚像だというときそれはマスコミで選ばれた人しか出れないからである。それで実際の人物のことはわからず虚像化して誇大化される。その実像は何なのか詳しく詮索しないからである。第一人間一人でも知ることは容易ではない
その人がどんな生い立ちなのかとか知りその人間の全体像を知ることはむずかしい。テレビに瞬間的に出てもわからないのである
だから人物に関しては簡単に判断できない。

とにかく現代の情報社会は虚像を信じやすいことは確かである
それを象徴していたのがナチスのヒットラーだったのである。その虚像に酔いしれたのが大衆である。現代のカルト教団の教祖でもそうである。大した人物でなくても大衆が熱狂して誇大化する。それはまた大衆が作り上げたものであり実質にその人間が偉大だからではない、大衆により作り上げられて虚像なのである
ではその人物の実像とは何なのかとなる。それを知ることは簡単にできない、みんなが偉いとなれば偉いとなる。カルト教団内にいればそれに逆らうことはできない、それが外部に拡大するとヒットラーになる。みんなでハイルヒットラーになる。
それを増幅したのがマスコミでありメデアにもなる

先生は凄いよ、本当に凄いよ、何が凄いんですか
みんなが凄いというから凄いんだよ
でも何が凄いのか優れているのかあなたは言えるのですか
・・・・・・・・・・・

こういうことが多い、何が凄いのか優れているのか言えないのである。ではどこが優れているのかと明確に言える人はその人を確かに偉いと認識している。
それがわかるのは芸術だとわかりやすい、絵画でも音楽でも詩でも小説でも何がいいのか優れているのか言ってくださいとなるとなかなか答えられない、でも過去の有名になっている人は有名だから優れているとされる。でも実際に個々人に何が優れているのか聞くと明確に答えられない、ただ凄いとしか言わないのである

その人物の何が凄いのか?それが天才とか傑出した人物だと簡単にわからない、それで時間が相当過ぎてからその作品でも人物でも評価されることがある。死んでようやく評価されることがある
天才とかなると独創的だから普通の人には簡単に理解できないのである。だからどこが優れているのかそれを言える人はその人の優れていることを本当に認めている人だとなる。でも難解でありそれを言える人もまた少ないとなる。

●虚像が誇張されて信じやすい現代情報社会

そもそも虚像の方が巨大化されやすいのは大衆にとってわかり安い人でありその人物の偉大さとか関係ないのである
それは大衆という膨大な数の人間を相手にするには極端になればハイルヒットラーになる。カルト教団ではそうなっている
そうすれば団結しやすいからである。大衆に難しいことを言っても通じないからである。大衆には何か教えるというより扇動する洗脳することで支持を得るとなる。その扇動洗脳の役割がメデアになる。つまり大衆社会がそうした虚像を作り出す原動力になる

だからギリシャとかポリスの共同体とか中世の小都市国家の共同体とは根本的に違った社会である。選挙でも百万とかの票を得るとなれば虚像でも作り出して票を得るしかない、だから東京都知事の青島だとか言って芸能人がなったのもそうである
大衆が知っているのは芸能人であり親しみを感じるからそうなった、全く選挙運動もしないで知事いなれたのである。
そうした芸能人はマスコミからテレビで顔が売れて有名というだけで虚像であっても知事になれたとなる。

つまり現代の問題は大衆社会でありそのために宗教でも高等なことは言わない、誰でもわかり安いものが訴える。宗教でも念仏を題目を唱えるというのは何かハイルヒットラーに通じてていたのである。それは一切考える必要もないから大衆に普及したとなる。大衆という存在はこれまでなかった。

市民にしても小都市国家の住民であり5万くらいだったからである。そこにシズンシップが生まれた。何百万の人を相手にするとなるともはやそこでそうした共同体に生きる感覚は消失する。結果的大衆に席巻される時代になったのである。だから現代は大衆社会とでありそこに問題の根があることを知るべだとなる。

●ネットでは自由な発言批判もできるようないなった変化

権力者にとって都合が悪いことをメディアが国民に伝えやすい環境だと、内閣支持率は低くなります。・・・

という時権力も関係している。現実財務省にデモがあったことをオールドメデアは報道しなかったから問題になった
メデアで報道されないことはないとされてしまうのである。
でもyoutubeでそのことを批判されて目立つようになった
つまりマスコミでなくてもSNSが力を持つようになりみんな知るようになった。それでなぜ公共放送のNHKが報道しないのだと批判された。だから報道できる特にyoutubeはテレビでもあるから効果的だとなる。プログだと目立たずに埋もれやすいからである
マスコミが第三の権力だという時庶民が報道する力を持った時
権力を持ったともなる、つまり民主主義には報道が大きな役割をもつからそうなったのである。

いずれにしろ報道に携わるのは今やマスコミだけではないyoutubeなら誰でも報道できる時代になった。ただそこでも数が多いから読まれるのは一部だとなる、そんなに見れない読めないからである。だから重要な発言も埋もれやすいとはなる
権力とは何かということもある。今までやはり財務省を直接批判したりデモを起こすことはなかった。財務省が何をしている所なのか良くわからないからである。そのわからないということで勝手にやり放題にもなる。財務省の官僚は表に出てこない、だから庶民にはわかりにくいのである。でも財務省は税金とりその税金の使い道を決める権力を持っている、その力は政治家より上だとなっていた。それがデモで暴かれたとなる。

財務省はマスコミでも恐れるのは税をとる権利がありそれで恐れるとなる。税率を実際低くされているからである。
権力と何かというとき国民から税金を取る強制的にできることである。それは江戸時代でも侍が農民から税として米を納めさせる権力を持っていたのと同じである。
ただ現代のそうした納税の仕組みでもわかりにくいから権力者によって誤魔化されやすいのである。今回のデモでそのことを知った人も多いとなる効果があった。


2025年02月05日

生成AIとは何なのか 【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】


生成AIとは何なのか
【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】

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●膨大な情報の処理できるのが生成AI

今話題になっているのは生成AIである。これは何なのかまだよくわからない、それはあらゆる分野に影響する、そのことでAIで詩を作ったりイメージクリエイターで画像を作って来た
詩まで作れるのかという驚きである。
その仕組みの謎はおそらく膨大な情報をデーターをインプットされていてそれをうまく処理するようになっている
とにかく人間一個の収納する処理できるデーターはわずかでありでもコンピュターになると無限大になる
その情報の量によって人間の脳力を拡大する

たとえば私の家に関心がある本を千冊も集めたとしてもそれを十分に利用できない、読んだとしても忘れているとかある
でもそれらを電子化して一つにまとめればテキスト化すれば一つの単語から同じ内容のものを集めるとそれを編集すると創作にもなる。何かそういうことがAIでは行われている。

人間の弱点は記憶することが限られていることである。
その容量が小さすぎるのである。そのために視野狭窄に陥る。
地名の興味があるとしたらその関連した本なりを情報を集める
そのための書庫でも作るとなる。でもまた一冊一冊となっているとそれを調べるのがめんどうになる。だから図書館は利用しなくなった、実際は図書館の本でもテキスト化してAIのように調べられると便利なのである。
AIとは一冊一冊の本ではない膨大な本をテキスト化して通信で世界中の人が利用できる仕組みである

一冊一冊の本を別個のものとして読むのではなく相互に関連させる、それはテキスト化すると電子化するとしやすいのである。
坂がさかいになるというのを本に書いてあったが忘れていた。例え読んでいても忘れる、それより自分の書いたプログでも忘れていてまた検索して読んでいて感心するのも不思議なのである
人間はとにかく忘れやすいのである、本を読んで徴〔しるし〕をつけていても忘れている。読んだことも忘れている。


集約とは集めてまとめることです
集約とは多くの物事を整理して一つにまとめることです


●人間は記憶によって自分を認識する

人間は実は記憶によって自分を自分として認識しているのだ。現在の意識と過去の記憶との間に整合性があると人間はその意識を自分の意識として認識する
AIが神になる日ー松本徹三

つまりここで大事なことは人間の記憶なのである。結局人間の一生とは何を記憶されたのかである。その脳に記憶されたのがあならの一生だったとなる
それで最も印象的に記憶されたものがあなたの人生だったともなる。戦争とかなるとその体験は余りにも強烈で忘れることがない、それで私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで地獄の苦しみを生き抜いた、そのことが死ぬまで忘れられず死ぬ間際まで戦争のこと語っていた、それは結構認知症で重く何でも忘れるのだがその戦争のこてゃ忘れなかったのである。一般的に青春時代に体験したことは忘れない、若い内は記憶力が優れているということがある。
要するに記憶が大事だと言うと老人になるとその記憶に生きる、思い出が人生になるからである。老人はみんな経験して記憶されたことを語るからである。その記憶が人生だったとなる。
私が旅のことを語るのは旅が人生のようになっていたからである。その人記憶されたものが何なのかそれが最後は人生だったともなる。

ただいろいろ体験しても嫌なことは余り語りたくない、その人は自分の人生を語らない、何かそこで嫌なことがあり人をだまして儲けたとか後ろめたいものがあり語らないとなる
金融関係とかだとそうなりやすいかもしれない、また人をだまして儲けるとかでも他にある。

いずれにしろAIとは何なのか、まだ解明されない、具体的には本を千冊あるとしてそれをテキスト化して電子化して編集して新たな視点を得るということにもなる
その仕組みは私にはわからない。ただ膨大な情報が貯えられていてそれらを抽出して組み合わせるとすると別な新たな識見を得ることになる。人間がたとえ本を読んでも忘れるし膨大な情報を記憶することも処理もできないからである

昔から三人寄れば文殊の知恵とか諺にある。でもそれが十人から百人千人・・・・となっていったときどうなるのかもはや人間では処理できなくなる。AIだとそれが処理できるからAIに聞いた方がいいとなる。
でも地理とかは地図を見ても必ずしもわからない、現場に一回だけでも立てば実感するのが地理である。それは体でも五感でも全体の感覚で感じる。その場の空気も感じる。だからすべてAIに聞いてもわからないとなる。

●知情意の知の無限の巨大化が生成AI

またAIが政治的にでも中立にはならない、中国の生成AIのデープセークが天安門事件について聞いても答えないとかある
それは人間が意図してそうしている、操作されているから危険だとアメリカでは問題視している。でもアメリカでもすべてが中立で公平となるのかとなるとそうでもない、やはりアメリカに不利な情報は出さないとかなる。そこに依然として人間の意志が働き操作される。道具自体は中立である。
石があるとしてそれが人を害さないしまた人間の争いでもどちらにつく見方するということはない、要するに道具でも物でも機械でももともと中立でありどちらに味方する意志をもたない、人間がその意志をもって操作する。ロボットでも自らの意志を持たない、意志を持つのは人間である

知情意がるときAIがもつのは膨大な知の分野であり情と意はもたない、怒ったり悲しんだりとか情はなく知の巨大化したものになる。情と意志はもたないのである。だから返って冷静に情報を伝えるということはある、そこに感情的なものははいらないからである。人間の体を見るにしても医者がこの人は気に食わないとかいい感情をもたないときそれは患者にも影響するし判断もおろそかにしたり誤る。でもAIには機械はそういう点では中立であり冷静に判断するから誤らないとはなる
人間はともかく好き嫌いがあり感情的になるからである

ただ知の部分だけが無制限に拡大すると何が起こるのか?
逆に情のない冷たいものとなり一種のフランケンシュタインのような化け物にもなる危険がある。AIが神のようになる危険はそこにある。ロボットは情と意志はもてないからである。
要するにAIでも人間を治めることはできない、ただ機械は道具は中立である。AIも機械だから中立である、でも人間によって操作される。それで中国のデープセークが共産党に不利になることは答えないように作られている。
つまり人間を治めることができるのはやはり神しかいない、それは人間の世界が滅びてから天の国で実現するとなる
神自ら治めるのである。そこには神は偏り見ないで公平な裁きがあり平和がもたらされるどんなことをしても人間でも最高に優れたAIでも人間を治めることはできないのである。

2025年01月21日

YOUTUBEは話すことと映像中心になり記憶に残りにくい 【文章化することで整理して記憶に残す】


YOUTUBEは話すことと映像中心になり記憶に残りにくい
【文章化することで整理して記憶に残す】

脳科学×心理学で読み解く人生のガイドライン

youtubeの情報とテキスト中心の文章中心のプログとかはかなり違っている。youtubeだとまず顔を見る、次に何かその人の体型を見たりする。そして話すことが中心になる。
でも何か記憶に残りにくい、養老氏のyoutubeを見たら何か常に寝そべりその姿が記憶に残る、その表情がまず目につき記憶される
でも何か話すことを聞いても何を言をうとしているのか明確にならない、だらだら独り言を言っている感じになる

養老孟司が「自衛隊のいる後ろめたさ」がなくなるのは危険だと
警鐘するワケ…中国に見る、規範を重視する伝統の重要さ

これを読んで私なりのレスを反応を書いたのはまず何を言いたいかをその要旨を即座に理解したからである
〔うしろめたいものを自衛隊員はもつべきだ〕このことに共鳴した
それで老子のことを引用して感想を書いた。
でも他でもyoutubeは何か記憶に残りにくい何を言いたいのかもそれを読み取ることが難しくなる。つまりかえってその人の顔とか表情と態度が頭に入る、肝心のその人が言いたいこと訴えたいことがわからない、あいまいになり記憶に残らない傾向がある
それで養老孟司氏の言っていることも良くわからなかった。

他でもyoutubeだと同じ傾向がある。顔が全面に出てその態度とか服装とかでも最初に注目する。そこに記憶が刻まれる。でも肝心のその人が言いたいこと訴えたことがあいまいになる
そして記憶に残りにくいのである。だから文章化することがその人の言いたいことの要旨を知り記憶に残すことで大事な作業になる
本だとその人のいいたいことがわかる。話すことは何か首尾一貫してない。断片的になる。

テレビとかでもそういう傾向はあった、youtubeも動画だから同じ傾向がある。ただ映像と動画のメデアでもそこにすべてを表現できない。情報とは映像だけでもすべて表現できないのである。もちろん言葉だけでも表現できない、実際はあることを知るには感じるにはその場に立たなければわからないのである。
外国でもその場に立たない限りいくら外国の本を読んでもまた映像をみてもわからない、何かドイツで見た秋の薔薇でもそれは日本で見る薔薇と違っていた、つまり同じ花でも外国で見る花は違っている
薔薇でもいつの時期に咲いているか写真だけではわからない場合がる。

youtubeは話すことが中心ではある。でもそれが記憶に残りにくいのと何を言いたいのかがわかりにくくなる。だから深いことを知るのがむずかしい。表面的なものとして次々に消えてゆく感じになる
そして映像中心になると想像力が働かないともなる。言葉だと文章だと必ず想像力を働かせるからである。そして何を言いたいのかわかりにくくなる。本だと文章でもこの人は何を言いたいのかいかなる思想を表現するのか一貫しているから理解する。ただ本にしても
理解すること自体がむずかしい。何事深く知ることはむずかしいとなる

人間とはともかく忘れやすいのである。私自身膨大なことをプログに書いているがその自分が書いたことを忘れていて読み返してみて感心していること自体不思議なのである
人間の問題は忘れるということにある。だからこそエジプト文明はヒエログリフを文字を発明したということが記録されたことでその文明の謎が解き明かされたのである。文字を残さない文明はマヤ文明とか謎になる。

ともかくyoutubeでも話したことを文章化すると記憶に定着しやすい、そして自分なりに考察する、するとその人の言っていることを本当に理解したとなる。そもそも何でも理解すること芸術でも鑑賞すること自体難しいのである。
確かなことはインターネットはSNSは対話的メデアなのである。これまでのテレビとかでも一方的であり対話的ではない、一方的洗脳メデアである。でもネットではニュースでも即座に答えることができる、ヤホーニュースは毎日読んでいる、ただそこにも問題がある
芸能関係とか様々なジャンルが混交していることである

またそれもテレビと同じように取捨選択するメデアである。誰もがそこに載せららない、選ぶ人がいて載せられる、でもインターネットでは誰でも一応表現は意見でもいうことができる
しかしほとんど読まれないという問題がある。重要な発言でも知られないし読まれないことがある。発言しても誰も読まない注目もしないことが普通にある。
とにかくyoutubeも表面的なことだけで深いことを知り得ないことはある。それでもメデアが万人のものとなった。個人でも様々な表現が可能になったのである



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【ひろゆき】奴隷労働…日本は植民地化する!

ニンニクの皮むいているのはウイグル人が刑務所でひたすら向いている、爪が削られて歯でむいている
これを深く考察すればなぜウイグル人が刑務所に入れられたのか、そしてひたすらニンニクの皮をむく仕事をする
それを考えた時これが中国人の人種差別でありそのために奴隷労働させられている。そこに中国の問題がある
こうしたことをウイグル人のことをニンニクから考える人はいない、他の商品でもそうである、ただ安いか高いか値段を見るだけである。だからグローバル化したとき商品でもどうして作られるかなど理解できない、それは日本国内でも起きている
奴隷労働も日本でも外国人を奴隷にしている側面がある、グローバル経済は勝者が他国を奴隷にするシステムだとまでなる

とにかくこうして文章化してyoutubeも理解する、対話することが本当に理解することになる




2024年10月25日

中古のパソコンには説明書がない 【簡単なこともパソコン関係はわからないことがある】

中古のパソコンには説明書がない
【簡単なこともパソコン関係はわからないことがある】

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電源ボタンが黒くなっていてわからなかった

今日アマゾンで買ったパソコンの会社に直接聞いた
電源ボタンが黒くなっていたわからなかった。
何か簡単なことでも説明がないとわからないことがあり解決できない、この中古会社の人は聞いたらあなたはパソコンの初心者ですかとか不機嫌だった。そんあこともわからないのかということである。
ただこれは説明書があれば一発でわかったことである。
他でもカメラなどでも説明書がないと簡単なことでもわからないことがある。私は別に初心者でもない、でも消費者から見れば簡単なことでもわからないことがある。

パソコンなどは何か簡単なことでも聞く人が近くにいないと困る、でも私はいないから困る。
つまり説明書は大事は大事になる。そこには電源ボタンを図解して出ているからである。
だからすぐに説明書を見ればわかったのである。電源ボタンが黒くなって気ずかなかったのである。
でも連絡先が書いてあって電話で連絡できたからわかった
やはり電話で連絡できるのは便利である。ただ電話されるのを嫌うのは面倒だからだろう。中古品はそこまでサービスしないからである。品物はいいものだった。16000円で買い得である

ただすみませんと謝るのは客の方だったとなる、パソコンとか
IT関係は教えてくれる人がいないのが問題である、でも正規の電機店で中古品は売っていないのである。
要するに簡単なことでもわからないことがありそれで困ることがある、説明書がないと簡単なことでもわからずに使いないこともある。それが問題だと思った。ただ今回は電話で連絡できたのでわかったのである。それでも迷惑だということで聞きずらいとなる。そこまでのサービス料が入っていないからである

とにかくこの品物はお得なものである、画面も明るいしソフトもついている。使い勝手もいいももである。だから中古品でもいいものが出ている。前とは違ってパソコンは豊富に出ているから安くなったのである。ただちょっとしたことがわからないで使いないともなるのが怖い、今回は販売店と直接連絡できたので良かった、そうなら安心だとなる。
電話はメールより直接対話して説明されるからwかりやすくなる。でも電話応対するのは人手がかかりめんどうになる。金もかかるから電話できくことができない、
そこに問題がある、でもコストの面から人手をかけられないということである。

2024年10月24日

アマゾンで買った中古パソコンが使えなかった 【アマゾンで全部点検していない、保証されていない】


アマゾンで買った中古パソコンが使えなかった
【アマゾンで全部点検していない、保証されていない】

予備として二万もしない中古のノートパソコンをアマゾンで買って失敗した
起動しないのである。富士通の製品であり富士通は前も使っていたからいいと思って買った。前もデスクトップパソコンの中古品で富士通のを買っていた。別に普通に使えたのである
アマゾンは点検しているから安全だと思った。
今のdellのパソコンんは6万でいいものだった。それで失敗したのは新しいものでも今はそれほど高くないから新しいのを買うべきだった。整備品というのは別にアマゾンで点検しているわけでもないらしい、不具合はメールで相談とあるがめんどうになる
いずれにしろパソコンんは安くなったから中古品でなくても良かった、

パソコンでもスマホでも使いこなすのがめんどうであり今回のように起動すらできないとなると困る
何か今は富士通であれ外国製でも変わりない、ただ中古品や整備品は安すぎる、だから返って安心できない、アマゾンでいちいち点検していないのが出品されているみたいだ
何かアマゾンと富士通というメーカーを信頼して買ったが失敗だった
はそういう時代ではない、ともかくパソコンの使い方に時間をとられると肝心な私の追求していることに集中できないのである。

パソコンであれスマホであれ使いこなすのがむずかしいのである。どうしても予備のパソコンが必要である、何か不具合があったとき安全のために予備のパソコンが必要である
WIN10のデスクパソコンが使いなくなったのは痛かった
ウイルスに感染するとか危険になったからである。
ただパソコンは安くなったから別に新しいのを買ってもいい、
でもタブレットが一万とか売っている、これはデーター保存のためにいいかもしれない、それでもこれも使いこなすのがむずかしい、何か老人になると新しいことをするのが億劫になる
正直新しいdellのパソコンでも6万くらいであるから安い、だからケチすることもない、ともかく何らかパソコンは安全を計らないとデーターが消失するのが怖いのである

ヤマハのYPJーXCも故障して使いなくなった、でも十分使ったから悔いはない、買ったばかりなのに使いないのはショックになる。パソコン関係は使いこなすことが難しいのである。
家でも何でも使えばそれで元がとれるとなる。もし家でも建てたばかりで地震とかで壊れたりしたら大損だとなる。でも50年住んでいたとかなれば元をとれたとかなる。
何か価値とは使用されることで価値がある、空家がこれだけ増えて使われないことが問題なのである。
だから使用しないものは無料でもいいから譲るべきだとなる。地主が土地を持っていても自ら土地を使用して使わない、所有する権利がないと小作人の土地が自分の所有となったのは理にかなっていたとなる

2024年07月08日

本を集めるだけで後で役に立つ 【引用は創造的作業である】

本を集めるだけで後で役に立つ

【引用は創造的作業である】

本は集めることで価値が出てくる。本は簡単に理解できない。その道の専門家な書いているからなかなか理解できない。本を読むということはただ読んんだけでは身につくものはない
本が活きるのは自分の文脈で引用したりして活かすことである
ただ引用するだけでその人の創作的表現がなければその引用も生きてこないのである。だからこそその人の言いたいことが主になり引用はその人の文章に従属したものとし表現されなければならない。そのとき引用された文も生きてくるのである。
それは新しい創造にもおなる。

それでギリシャのことについて書いたがそこで引用した文が生きたのである。それは自分自身にとっても何か不思議だった。というの本を集めてその本を読んでいなかったということである
ただ私がギリシャに直接旅したことでギリシャを実感的に知ることがなかったのでそのことを理解したのである

いずれにしろ膨大な本があってもなかなかその本読んで理解することは簡単にできない。それはなぜなのかとなると外国など理解するには本ばかり読んでいたら理解できない一回でも外国に実地に行ってその土地を踏んだとき実感するからである

だから50歳でバックパッカーになって外国を回った経験は貴重だった。なぜなら今になると体力も衰え気力もなく外国に行けなくなったからである。
つまり50代だと結構厳しいこともできる。でも60代になると何らか持病が出てくる。私自身は60代になって病気になりまた親の介護ではや旅すらできなくなったのである。
ただこれだけ旅したのだから悔いはないし満足だとなる。とにかく何かするにしても人間はいろいろな事は出来ない。たちまち時間は過ぎてしまうからである
だから20代ではもっとも厳しいことができる。でもその時期を逃すとそうした厳しいことはできないとなる。若さたちまち消失して行くのである。だからみんな老人が人生を振り返り大したことが人生ではできないものだと反省するのである。

自分の場合会社勤めもしなく自分のやりたいこと興味のあることを追求してきた。それだけ自由に生きたとしてもそのやれることは大したこともなかったのである。
だから会社勤めしているわ一生は会社に捧げられたとなる
では退職してからやりたいことをやる自由に生きるといってもその時間は限られている。何かやるにしても人間とは結局積み重ねなのである。何か新しいことをやるにしてもこれまでの積み重ねがないと実りとはとはならない
だから自分の興味あることその本を収集することも無駄ではない。なぜなら後でその本を理解し引用するということがあるからである。

ともかく外国でも一つの国を理解すること自体相当に難しい。地歴とか風土とか様々なものは関係しているから難しいのである。ギリシャの北海道の2倍くらいの面積しかないというときそれも意外だっただった。そんな狭い土地で文化が生まれたということである。むしろその狭さは有利に働いたのかもしれない
ギリシャのポリスにしても1万くらいの人口でありそうなるとそれぞれの顔も知っていると人間関係も密になる
ソクラテスが対話を中心にしたのはそういう事情があるかもしれない。何か一方的に強制的に教えるのではなく必ず議論して真理を探求したということである
それは国が大きくなればなかなか出来ない。今や国が大きくなりすぎて民主主義も成り立たなくなったというのは国にしてもその規模が大きすぎるからである

ギリシャの国土が北海道の2倍くらいしかないということそれは意外だった。だから国土が小さくても文化というのは生まれる。むしろ国土は小さいほうが文化は花咲くとなる。それでフェレンツとか5万くらい人口であれだけのルネッサンスが芸術が花開いたということである。
でも1000万の大都会から文化は生まれないのである。天才でも不思議に大都会から出ると思う出ていないのである。それはなぜなのかとなる。何か小規模な世界だとアイデンティティかしやすいのでーそれは自然でもそうであり自然と一体化してゆくということがある。その規模が東京のように1000万とかなればもはや不可能になってしまうのである。。


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栄光の残滓を見るギリシャ紀行 
【ギリシャの遺跡は過去のもであり現代に活きていない】

神々とエーゲ海の誘惑 ギリシャ 森本哲郎編集
【参考にした本】




2024年07月07日

さくらのレンタルサーバーの不具合が回復

さくらのレンタルサーバーの不具合が回復

さくらのレンタルサーバーが攻撃されたのではなく
桜の会社でハードディスクの交換とかしたらしい
だからすぐに回復した、でもインターネットは一瞬にして記録されたあものが消えるのが怖い
だから安全対策が大事になる。バックアップとかでもそうである。


さくらのレンタルサーバーで障害が発生した


さくらのレンタルサーバーで障害が発生した


プログの画像が見れない
原因は私の操作のためではない、レンタルサーバーの方にある
この障害が怖い、前は記憶したものが消えたからである。
だから一つのサーバーにまかせるのは通信では危険である。ただめんどうなのでもう一つのサーバーでワードプレスをしようとしたがめんどうなのでできなかった。
とにかく通信の弱点は生涯が突然起きて記録したものが消えることである。
テキストは正常に常時されているから助かった。いずれにしろIT社会ではウイルスとか攻撃されてどうにもならなくなる
それが角川のアベマTBとかで起きた、その損害は甚大なもになる。情報は盗まれサーバーが機能停止になってしまうからである。
ここの対策をしていないと記録したものが消えるから怖いのである

2024年06月03日

神は人を偏り見ない―人は必ず人を偏り見る 【メデアはと何なのかーNHKでも偏り放送している】


神は人を偏り見ない―人は必ず人を偏り見る
【メデアはと何なのかーNHKでも偏り放送している】

メディアとは、媒体、媒質、伝達手段、中間などの意味を持つ英単語。 “medium” の複数形。 情報の伝達や記録に用いられる物体や装置、およびこれを利用して人に情報を伝達・配布する仕組みや事業、組織などを指すことが多い

●何でも人は偏りみるのが普通

人間は人であれ国であれ何であれ偏りみないということは一番難しい。だからこそ偏り見れないからこそ人間は人を人を裁く力がないのである。必ず偏り見るからこそ裁くことができない
だからとにかく双方の言い分がありそれを言わせることが第一である。どちらが正しいかと言うよりともかく双方の言い分を言わせて判断するのである。それが人間の裁判にもなる。一方だけを言わせるならばそれは必ずそれを聞いている人たちは偏った見方をする。その人が悪いことばかりを言えばその悪いことを言われた人はなんて悪い奴だと見てしまうのである。
こういうことは日常的に起きている。ある人の親子でもこの言い分この言い分ばかり聞いていたら親が悪いと思ってしまった。

でも実際は子の方が本当に悪い人だったのである。ただ子の方のばかりの言い分を聞いていたから親はなんて悪い人だと見てしまったのである。そういうことをこの世でいくらでもあるし普通のことである。何か人の悪口を言う場合でも一方的なものになると悪口を言われた人が本当に悪いと思ってしまうのである。
双方の言い分を聞かないと判断してはいけない。まず双方の言い分を聞くことが大事になそうしなければとても正しい判断はできないのである

●マスコミもNHKも偏り報道している

だからそもそも人を偏り見ないということは本当に難しいと思う。それで裁判では軽々に判断しないために証拠を集め双方の言い分も聞き証拠を集めようとする。人の言い分には必ず偏っていて嘘もあるからである。この偏り見ないと言う時それは個々人にもある。
でもメディアという時マスコミというとき偏りみないということではなくメディアに中間という意味があるとき中立でももない。マスメディアというのは中立がメディアではない。すでにその組織団体が偏っているのである。それはNHKでも同じであり偏って報道しているから問題なのである。

この辺で起きた津波や原発事故でもNHKでは津波被害者と原発被害者が居たがその両者が一緒に入っている団地とかあった。そこで津波被害者は原発被害者より補償金などもらえず不満があった。
でもNHKの方針は津波被害者より原発被害者を優先することに決めていたのである。だから相馬市のトマト栽培の農家に飯館村の人は雇ってくれて頼んだ時津波被害者の人を優先して雇った。そのことで飯館村の人が不満をNHKのテレビでいっていた。

それを見た視聴者はどうしてもそのトマト栽培農家が冷たいと見てしまうのである。でも現実は飯館村の場合かなりの高額な補償金をもらった。でも相馬市の松川浦の津波の被害は大きかったがそうした補償金はもらえなかった。
だからこそ別に松川浦の津波被害者を優先して雇ったことは冷たいこともないし当然だったのである。でも何かそのトマトの栽培農家は飯館村の人を雇わないとして冷たいと報道で感じさせたである
この報道には中立がなかった偏ったものとなっていたのである。
だから報道というのはなかなか中立で報道することができない。ではどうしてNHKでわ原発事故の被害者を優先して報道したのかというと原発事故というのは大きな話題となっていてそこに注目したからだと思う。でも実際は津波の被害者も大きな被害を受けて苦しんでいたのである。

●国際報道でも必ず偏りがある

ともかくこうしてマスコミであれ報道は必ず偏っている。中立であることはほとんどない。ただNHKとかでは中立を装っているから見分けにくいのである。別に赤旗とか聖教新聞とか党派の新聞であればそもそもは偏っているのだからそういうものとして見ている。
でもNHKとなると何か中立であり偏った見方をしないと見ているのである。でも実際はNHKも偏って報道しているのである。そこで国民が誤解するということが問題なのである。

それは国際問題でも必ず偏って報道される。ウクライナ戦争でも報道は欧米側一辺倒になっているのである。
だからロシアが悪いとなりロシアと戦うべきだという気持ちになるのである気持ちにさせられるのである。何かそこでアメリカが悪いという人はほとんどいない。でも背後でアメリカがウクライナを画策してアメリカより欧米寄りにしたことは間違いない。
そして戦争になったときアメリカは武器を売りそれで儲けているというのはアメリカは軍需産業が大きいのでどこかで戦争すれば儲かるということもある。
もちろんロシアがいいとか言っているのではない。ただ一方的に欧米側に立って見ているとことの真相は見えなくなる。

日本は欧米側についているからその情報も欧米側に寄りすぎているのである。つまり国際問題になると国と国の争いでも軽々に判断できないということである。
それは国と国の大きな戦いでもそうだが個々人でも喧嘩両成敗となるのはなかなかどちらが正しいとか決められないから喧嘩してるときは両方が悪いとされたのである。そういう判断が正しいともだ正しいともなる
だからウクライナであれロシアであれ欧米側であれ両方とも悪いとなってしまう。喧嘩両成敗となればそうなる。

ともかくなぜ人は偏り見るのか。それは判断材料となるものは少ないということもそのために簡単にどちらが正しいとか判断できないのである。家族の問題でもそこに何かもめ事があるときさらに家族の事情もさまざまで複雑だから誰が悪いのかとなると判断できなくなる。家族の事情というのはそれぞれであり分かりにくいからなからこその中に入っていけないのである。
そこでそういう問題ははいっていくと失敗することになる自らも傷つくことにもなるまた相手でも傷つけることになってしまうのである。だから警察で家族の揉め事には入りたくないというのは分かる。それだけそれぞれの家族は複雑な事情を抱えているからそうなってしまう。それで喧嘩両成敗になる。

●権力と組織団体と結びつくと公正になれない

ただ報道であれ中立を維持して報道するには利権と結びつかない。利権団体組織と結びつかない。マスコミが公正な報道ができないのは常に宣伝費や報道すること自体に巨額の金が必要でありそれで宣伝費を出してくる大企業やカルト教団とか大きな組織団体に頼る果として報道の自由は維持できなくなる。宣伝費を出してくれる会社に組織団体が忖度しなければならないからである。それで福島民報とかでも他の新聞社でも聖教新聞などを刷らせて収入源としている。

そうなればとてもその団体を批判したりはできないのである。まただからマスコミの問題はあまりにも金がかかりすぎて中立を保てない。宣伝費をくれる大きな組織団体利権団体に頼りそのために中立的な報道はできないのである。新聞とかテレビは費用がかかりすぎて維持できない。インターネットで報道もできるから終わりになるということである。インターネットなら個人でもこのようなプログでも一人でできることがある。それは大きな変化だったのである。

そしてインターネットメディアの特徴はマスメディアとは違ってマスを相手にしているとは言えない。だから私は時々 YouTubeで発言しているもの同調してその感想を書いている。こんなこと今まで新聞とかテレビではできなかった。
つまり対話的メデアでもある。何かニュース解説していてもそれを自分なりに読んで感想を述べたり批判もできるのである。ただ今のところ私自身がプログで書いたものにコメントしているものには応えていない。それはなぜかといえば相手のことが何かわからないからただ批判される批判されたりして答えないのである。

そして書いていることも膨大なものでありいろいろな分野になっているからいちいち答えるのは面倒になったのである。だから本当はその人はどういう人なのか何を求めているのかその人はブログで書いているのかそういうことを示してもらわないとなかなか答えられない。それで応えていないのである。
ただひろゆきなどは個人のことで個人の問題でその話を聞いて金までもらって答えてあいる。答えているそれもかなりの労力が必要なのである。何かそもそもある人に答えるということはその人自身をよく知らなければ答えることができないと思う。ただやはり答えてもらうにわひろゆきだと金をもらっている。それ相応のものがないと答えるのも面倒だとなってしまう。

●議論しても神についてなどは時間の無駄

まず私は議論はしたくない前はしていたが議論はまた不毛でもある。何か絶えず相手を貶めてやろうとかそういう魂胆が見え見えだからである。何かについて冷静に議論することは難しい。そもそも神のことについては信仰のことについては議論しても無駄である。神があるかないかなど議論しても無駄である。何か得意になって神などないという人がいるがそれで得意になれるのかとなる。だから神について議論するのは無駄である。神は信じるか信じないかの問題であり神は存在するか存在しないかとかの問題ではない。神のことを議論しても答えなど出てこないからである

そんなことしているのはもう時間の無駄である。神ががいないとかそんなこと誰でも言えるからである。それで何か得意になっているというのも馬鹿げている。それで何か力が付くことがあるのかとか何もないのである。神は現に生きている神であり今でも人間に働いているのである。あなたの心を見ていてまたあなたのを
保護している。何らか見えないにしているその人を導いているのである。

それは旧約聖書であれ神が現れて神が導く記録だったのである。だから私自身にしても何か何回も危険な目に遭い死に目にもあったの生きていたのはやはり神が生かしていたのかなとも見る。そうでなければあえなくどこかで死んでいたようにも思うからである。
だから神は活ける神であり現代でも個々の人間に働きかけているのである。ただそれがなかなかわかりにくいということは現在では奇跡というのは示されなくなったからである。でもやはり奇跡というのは現在でもあり個々人に奇跡が起きているともなる。それはただ明確にわからない場合がある

ともかく偏り見ないと言う時人間は必ず偏り見るのである。だからこそ神は裁くなと言ったのだる。それで問題なのは何かマスコミとかまるで裁判官のようになり人を裁いている感覚になる
NHKなどはまるで裁判官のようになって人を裁く感じになる。だからマスコミで悪者にされればその人はマスコミによって裁かれたどうなるのである。だからマスコミとは何かというどき要するに媒体であり中間であるということを知るべきである。本当はマスコミや一つの機械でありインターネットのようにただその機械を提供しているだけだとなれば問題はないのである。

でもマスコミ新聞であれテレビであれ自分自身の意見など言うこともできなかった。インターネットは対話的メディアであり別にYouTubeの人が個人で語っていてそれに応えることができるのである。私は別に右の人であれ左の人であれ関係なく対話していることでもわかる。右左もなく私は中立であるその人たちのいうことに反感があったり協調したりしているのである。
つまり私中は中立である双方の言い分を聞いて偏り見ないようにしている。それでもどうしても偏るのは人間の限界だということである

2024年04月16日

大衆社会とは何なのか?過去には存在しないもの 【マスメイア、マスコミなど現代に現れたもの―ナチスが生まれた背景】


大衆社会とは何なのか?過去には存在しないもの

【マスメイア、マスコミなど現代に現れたもの―ナチスが生まれた背景】


「気晴らし」が有閑階級の特権であったというのは、その階級のみが「つぶすべき時間」をもっていたということを指している。生きることで精一杯であった一般民衆には、「つぶすべき時間」はなかったのである。そしてそれが「難儀な負担でもあった」というのは、その気晴らしの手段を自ら作り出さねばならなかったからである。
「クソくだらない毎日に飽き飽きした」…多くの日本人が抱えている「退屈」はどこからやってきたのか


●大衆という言葉は戦後生まれたもの

時代時代に特有の現象がある。そして新しい言葉が生まれる。戦後特になぜ大衆というのは問題化したかである。大衆という概念はそもそも新しく生まれた言葉であり大衆というもの自体が存在しなかった。日本の場合戦前でも国民というのは存在し国民意識というのは存在した。その意識は極度に高まった時戦争になったのである。国のために一丸となり国民をそのために命をかけて死んだのである。それは国民大衆とは違う国民というときやはり国民意識がありそこにアイデンティティーを持っていたとなる。

党にあたる語にも衆という語が用いられるようになった。たとえば戦国時代では,美濃三人衆,山家三方(やまがさんぼう)衆,九一色(くいしき)衆,武川(むかわ)衆,那須衆,三好三人衆等の衆組織が有名である。

衆とは女房衆とか男衆とかもあり同一の集団である。党派でもある。それは明確に特徴のある色分けされる集団である。ただその規模は小さいのである。では大衆とは何なのか?その数の多さにある。それも不特定の多数であり明確に色分けされていない。
例えば原始時代なら一つのトーテムに鷲族とか犬族とか猿族とか集団化する。だから人間というのはこうして同族が集団化して生活するしてきた。ただそれは明確に色分けされた集団である。大衆というのは不特定多数であり明確に色分けされていない。またその後に部落民とかが生まれた。まだヨーロッパでは市民が生まれた。それは明確に色分けされた一つの共同体であり大衆今の大衆とは違う。

だからそれぞれの集団では強固な紐帯がありアイデンティティーがあり欠落していたのである。また市民というときそれは5万くらいの人口で城壁に囲まれた中に住んでいた人たちである。それがシティズンシップを形成したのである。日本にはそうした市民はなく村民があっただけなのである。だからその言葉を訳してもその実体がないのだから理解できないとなる。つまり言葉が入ってきてもその背景となるものはなければ理解できないのである

注意すべきは国民という言葉は明治維新以後生まれたものでありそれまではない言葉だったのである。村民という言葉はあっても国民という言葉はなかったのである。国民意識が生まれたのは明治以降でありそれまでは人々は封建制度の中に藩に属していて国民という意識はなかったのである。だから戦後は戦前は国民意識はあってもそれは大衆とも違ったものだったである。ただその規模が大きくなったから大衆と近付いたことは確かである。でも今の言う大衆とは違ったものである。そこが誤解しやすいのであ
大衆とは何がのかというとき戦前は選挙権を持っていたのは女性はもっていないし選ばれた人しか選挙権を持ってない。ということは民主主義があってもそこにやはり差別があり平等の権利はなかった。そして民主主義とともにまた逆に並行して大衆が生まれてきたのだと思う。

●なぜナチスが生まれたのか?−失われた土地のアイデンティティ

なぜナチスが生まれたのか?それは民主主義から生まれたのである。ヒットラーは選挙で民主主義から生まれたものであった。だから大衆というのは民主主義から生まれたともなる。民主主義のオリジンはギリシャのポリスになるわそれは1万くらいの都市でありそこで確かに投票が行われたとしても今の何百万人規模の民主主義とはまるで違ったものだったのである。
そういう世界はフェイスツーゥフェイスの世界であり人々が日常的に顔を合わす世界で暮らしていたのである。

では大衆とは何なのかそれが現代の大きな問題である
大衆とはマスでありそれが特定の色分けされた集団とも違う。不特定多数のものでありその人たちは何か特定のアイディンティティ持った集団ではない。その大衆というのはマスメディアとかマスコミニケーションとか現在の新聞とかテレビとかがから作り出されたものともなる。なぜならテレビであれ新聞であれそれは不特定多数の大衆を相手にしているからである。何かそこに原始時代の部落民とか封建時代の村民とかヨーロッパで言う市民というものではない。そもそもはその規模があまりにも大きすぎるからである。だから烏合の衆となりその人たちは何かそれぞれに色分けされたアイデンティティー化された人達ではない

そして大衆を相手にするときどうなるか、大衆にまた娯楽を提供する気晴らしを提供するのがマスコミの役割でもある。つまり日日起きることは事件がニュースは実は戦争であれ大事故であれ自分の身に及ばなければただ娯楽とまでなってしまうのである。だから常に刺激的なニュースが必要でありそれが自分の身に及ばない限り楽しむとまでだまた大衆を相手にすれば必ず低俗だものとなりそこには何か文化というものは生まれない。民衆と言う時農民であれ民謡とかとか何か文化を生みだすものであった。大衆というのは文化を生み出さない。何か消費されるだけの存在だとなる。そしてマスコミはその大衆を相手にしているのであり文化を作り出さないのである。

マスコミはテレビでも気晴らしを提供する日々のニュースは自分に害が及ばない限り気晴らしにもなるからである。それはローマ時代のパンとサーカスでもある。そもそも暇と人間は古代からでも人間の問題としてあった。だからスクールというときスコーレ(暇)から生まれたように本来は暇から学校は生まれた。

でも学校という漢字は縛るというものであり何か自由に暇をスコーレを活用するものともでもなかった。ただそうした暇というのは実際は下々の者とかではなくヨーロッパでは一部の貴族階級にしかなかった。その他は奴隷とかされて働いていたのである。でも人間が進歩して豊かになれば必ず暇が生まれる。それは悪いことではない。貴族しか得られなかった暇が一般の人にも見られるようになったからである。なぜ今150万人とかもニートとか引きこもりとかまたさらに高齢者が高齢化社会で老人が働かない人が膨大な数になっている。それは豊かさの結果なのである。つまり貴族階級しかいられなかった暇が万人に一般に得られるようになったのである

その暇があってこそ芸術とか哲学とか文化的なものは生まれたのである。暇を得るということは人間にとって文化を創るものであり必要なものであった。それが万人が手に入れるとなるときその暇を有効に活用できないという問題が起きている。
だからすでにローマ時代にパンとサーカスであり気晴らしが必要だったのである。パンを得たとしてもそれで暇がありサーカスは必要だったとなる。今そのサーカスを提供しているのはテレビとかのマスコミだったのである。

つまりテレビとかでも何百万人も見るということになるからその見る人たちが不特定多数でありその人たちは地域的にもバラバラであり地域的特性も無いアイデンティティもない。それがさらにグローバル化すれば地域的特性は失われるのである。だから世界のことも常に放送されるはその地域というのが場所が理解しにくいから誤解されやすいのである。take placeとは所が関係しているのだけども世界となるとその場所のことが理解できないから誤解しやすいのである。
イラクとイランというとき世界史的にも今イスラエルとも争っているがそれは古代ならばイランがペルシャ帝国ギリシャを攻めてきたように地理的にな空間軸であれ時間軸であれ継続したものはそこにある。でもいろんな地理がありイランの地理であり意外と世界地図を見ても分かるようでわからないのである。だから必ずいくらこれだけ情報化されてもグローバル化されても理解できないから誤解が生まれるのである。

●カルト宗教団体も現代の大衆宗教でナチス化の危険

ともかく大衆とは何なのかそれが問題なのである
それは巨大な不特定多数の大集団でありそういうものは今まで存在しなかった。ただ似たものとして国民がありその国民も規模が大きいから大衆と似ていたしそれでナチスが生まれたのである
でもナチスは国民意識から選民意識が生まれ何かそれなりにアイデンティティーがあったのかとなる。ただナチスがラジオから生まれたというときそれがやはり不特定多数とも化した大集団だからこそラジオはその大集団に向かって放送することにより一体感が生まれた。つまり現在のテレビとかで似ている面はあった。でもラジオでそれだけ影響力があるとするとテレビがどれだけ影響したかということである。テレビというのは絶大なる洗脳のメディアと化していたのである。

現代の宗教でも大衆宗教化してそれは本来の宗教とはまるで違ったものとなる。ただ皮肉なことは衆という時僧侶の集団を言っていたのでありその集団は大衆の集団とかは違う選ばれた人が修行していたわけである。
今の大衆宗教というのは創価ならば団地から生まれたように大都会から生まれたものでありそこで仲間づくりをして仲間意識を持ったということである。それは地方から東京に人が集まるそこで村のような狭いアイデンティティから切り離されて不安定になりそういう仲間づくりをしたのが始まりである。

でもそれが大衆化して拡大すると拡散するとナチス化してくるのである。現代文明は無数の職業に分化して人間も分化してアトム化したというときその時一人のの人間が現れてヒトラーのようになりそこにファシズムが生まれやすいものとなったのである。
だからその宗教というのはかつての宗教とまるで違ったものであり大衆化した宗教でありそれはファシズムとなりナチズムになる。それは社会を席巻してしまうことが恐ろしい事だったのである。そのときマスコミは批判も出来ない。その異体の知れない大衆に席巻されるのである。つまりカルト宗教団体は何がアイデンティティ化するものがその基盤になく大衆に向い大衆を洗脳して一体化を図りそれが権力化してゆくものだからである。

●マスコミは大衆を相手にしたメデア

そしてこのメディアからマスコミから有名人が作り出されてそれが主役ともなってしまったのである。それは中身がなくてもいいのである。名前が売れればいいだけでありだから見栄えが問題になるのである。それでラジオのアナウンサーは顔が見えないのだから声が大事なりしゃべる喋り方などが問題になるでもラジオのアナウンサーはテレビが出た時見栄えが悪いと採用されなくなったのである。
それで東京都知事の小池百合子は世の中に出るために見栄えを一番気にしてたいうのを分かる。まだテレビキャスターから議員になり都知事までになったの何か中身があるとか政治的手腕があるとかではないその人自体が言っているように女性だから慣れたというときその見栄えが良いから慣れたともなるだけである。

またカイロ大学を卒業したとか嘘をついてもそれが暴かれることもなくマスコミに受けてそれでただ有名になり都知事までになったのである。だから不思議なのはなぜそのような人物は衆議院議員にもなり都知事までなったのかということである
それは大衆受けするマスコミに受けると言うことだったかもしれない。前の東京都知事の青島とかいう俳優もマスコミ受けて大衆に向けて選挙運動もしなくても当選するとか自慢していたのである。何か青島だとか大衆受けする人物でありそしてそれが都知事までにもなったその政治的手腕とかそういうものがなくても別に良かったのである。テレビで大事なのを見栄えなのである。その他のことはあまり問題にしないからである。

でも最近YouTubeになるとまたインターネットでも情報環境が違ってきたのでテレビ等の世界を終わりつつある。情報は多様化したのである。それができるようになったのはインターネットであり個々人がテレビ局になってるなることもできる時代だからである。今度はユーチューブで視聴者が百万ともなっているチャンネルはある。それはテレビとも同等なのである。ひろゆきなどは100万の視聴者があるから驚くとなる。ただテレビと違っているのひろゆきは個々人の質問に対して答えてお金までもらっているのである。

そんなことはテレビではしない一方的にテレビ局の方針に沿って大衆に報道するだけである。ただYouTubeにしても次々に出てくるすでに誰も見ないということもありうる。それはインターネットのホームページであれ本当に十人くらいとかしか見ないとか普通にある。これだけ放送する方が莫大な数になればどうしてもそんなにいろいろ見ていられないのである。
だから本当にインターネットでで見られるのはごく限られた人になってしまうのである。いくら民主主義でこれは誰もがテレビ局になれるとか新聞社になれるとしても見られるということが至難である。それで辞める人も多くなるわけである

ただ確かな事はインターネットはたとえ一人しか見なくてもテレビ局でさえユーチューブでさえ可能だということである。なぜなら金がかからないからである。別に宣伝費ももらわなくても金がかからないからできるのである。ただどうしても手間を省くことはできないやはりテレビであれユーチューブであれプログであれ一記事を出すのにやはり相当手間であり一日の半分の時間以上割かないとできないのである。だからテレビ局のようにスタッフが何人もいて報道するのとは違っている。

でも私の相馬新報のように一地域からそこを基盤として土着的に報道できるのである。その住んでいる土地をアイデンティティ化してその上に全国へも放送できる。そこがテレビとかと違っている。だから放送は多様化したのである。でもあまりにも数が多いから読まれたり見られたりすることが大変なのである。ほとんど目に止まらないというのが多い。それで辞める人が多いのも分かる。ユーチューブでも今は有名人がみんな放送しているから普通の人が出てきても見られるということが至難になる。
でも万民に放送する権利は与えられたとなるから今までのただ受容するだけの情報環境はと違う誰でも情報を発信できるようになったから民主主義の発展には寄与することは確かである

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。西郷隆盛

つまりこういう人でないとっ国家を担うような地位にはつくべきでもないとなる。侍には何かそういう自負があり人間的に偉大な人がいtsということである。それはやはり江戸時代に創り出されたバックボーンがあったためだとなる。つまり武士道があったためでありそうでなければ大事はまかせられないとなる。
ただ私欲の追求だけだったらそれは国家の大損失になってしまうからである。それを小池百合子の問題が何か具体的示されたのである



2024年02月16日

インターネットの怖さ―レンタルサーバーに支払いはできない 【新しいカード番号を登録できないーさくらの会社に連絡できない】

  
インターネットの怖さ―レンタルサーバーに支払いはできない

【新しいカード番号を登録できないーさくらの会社に連絡できない】

この事の始まりはカードが不正使用されてカード会社から事前に連絡がありそれで新しいカードに変えた。それは番号を変えただけで同じ会社のものだった。でもその番号を新しく登録しようとしたができなかった。その理由がよくわからない。それをさくらのレンタルサーバーに直接聞こうとしたが電話するにも予約制であり1週間先とかなってしまう。でも予約したのだがその電話が来ると思ったら今日来なかったのである。

この原因が何なのかわからない。銀行の発行しているビザカードの番号を変えた時それがさくらのレンタルサーバーの方に変更されていないのか何なのかわからない。アマゾンでは別に簡単にカードを変えられたからである。さくらのレンタルサーバーでもその方法は簡単である。
でもなんの原因がなのか分からないけど変えられないのである。ただ時間の余裕は一年分払っているからすぐに止められることはない。

一番怖かったのは私が入院して支払いをしていなかったのにその日に消されるところだった。でも日曜日でも電話で連絡が付いて消されることはなかったのである。
でも今回は支払いができないということで困った。その原因がカード会社にあるのか何なのかわからないからである。自分の操作が悪いということもある。それでその操作を聞こうとしても直接電話で聞くにしても予約制であり1週間後とかな今回は時間的に余裕があるとしてもやはり早く番号を書いたカードを登録したい。それができないのである。

何もさくらのレンタルサーバーに電話が通じればそれは簡単にできることなのであるなぜ電話でもう予約制になり面倒になったのか?それは電話で答えているとそこに人が必要になり人件費がかかるから予約制にしたり直接電話では答えないようにしているのである。
でも緊急の時はどうしても電話が必要なのである。ただそれだけの人を雇う金がないということでそうなった。アマゾンで簡単に新しいカードが登録できたのだからさくらのレンタルサーバーでもできるはずである。
だからこの原因は何なのかわからない。でもそれをさくらのレンタルサーバーに相談するのも直接にはできない。確かに予約制で電話で相談できるではなぜ予約したのに連絡もなかったのか?

これも怖いことである。今回は一年分を払っているので充分に時間があるからすぐには消されることはない。でも緊急の時連絡ができないということは怖いことでチャットの窓口もあるが土日とかは休みらしい。
とにかくインターネットというのはこのようにまどろっこしいものでありすべてが機械化してそこに人間はいない。このことは何も会社の人が出てきて電話で相談できれば簡単に解決するものだとも思う。

でも電話予約するにしても土日はできないし予約はいっぱいに埋まっていて一週間後になってしまう。だからもし支払日が迫っていたらこれはどうにもならなくなっていた。
要するに全部消されてしまうので連絡がつくことが連絡できずにそうなってしまうのである。こういうことがインターネットの怖さである。だから記録でも必ず自分用に取っておかないとみんな消えてしまうのである。正直インターネットというのはそこに弱点がある。その操作ができずにお手上げになってせっかく記録したものも消えてしまう

そうなったのは電話で受け付けなくなったのはそこに人件費がかかりすぎるからそうなったのである。でもデルとかは電話で相談を受け付けている。それは大きな会社だからできているのかもしれない。電話が良いのは即座に通じて困ったこと相談できることなのである。電話一本で救急車が呼べるよう便利なのである。
急を要するときはそれが必要なのである。もちろん今ならスマホでも連絡はできる

とにかくインターネットは通信でも便利なのだそこに落とし穴がある。さくらのサービスが悪いということではない。何か手続きが面倒なのである。ただその不具合はが何が原因なのかわからない。新しいカードはアマゾンでは簡単に登録できたからである
そもそもカードが不正に使われたということが問題が起きたことが事の始まりである。それを連絡したのは銀行の人であり事前に連絡されたからよかったのである。銀行の人がこれは不正に使われているのではないかと連絡があってカードの番号を変えたのである。ここに人が介在してできたのっである。だから人間には人間の役割がる。安全を図るのは人間になる。すべて機械化児童かコンピューター化できないのである。chatGPTでもできない。そこに人間が必要なのである。だから人間の役割がなくなることはあいのである。

ともかくさくらのレンタルサーバーでそのカードを新しいカードをに登録することができなくなったのである。ただその原因はわからないし私の操作はまずいのかもしれない。でもそういうことはインターネットでは起こりやすいともなる。そしてその解決方法はなくなってしまうことも困る。支払い方法を変更して銀行とかで通じて支払いするというのもまた面倒になるなぜこれほど面倒になっているのか?

一人の人間が仲介しないからそうなった

人間はなるべく省いて全て自動化して機械化してそれが大きな問題を生むことが。生身の人間が応対しなければ解決しないこともある。なぜならさくらレンタルサーバーの会社の人が出てきて電話で応対すれば解決することだからである。でもパソコンとかインターネットの問題は何かの不具合で手続きまでできなくなる。そういうことが起きるのである。それなら直接さくらレンタルサーバーの人が応対して手続きしてくれれば解決することである。

でもその電話連絡しようとしたが一週間後になってしまうのでそれより予約したのに電話連絡されなかったのである。そうしたらお手上げになり支払いもできずに記録したものは一瞬で消されてしまうのである。何かこんなにややこしくなったのはそこにインターネットとか機械が自動化とかしている問題がある。それは人件費を節約するにしても何か危険な面もある。すべて機械で自動化できるかパソコンかコンピューター化できるのかそれは疑問である。
そこに何か大きな落とし穴があるともなる。なぜなら電話でも予約して通じない。当日は通じない。聞く人もいない。チャットとかあるにしてもそれもどこでするのかちょっとわからなかった。だから電話と言うのは必要だと思った

いずれにしろインターネットとかこの通信の世界はやはり何か危険な面がある。カードが不正に使われやすいとかウィルスが入って破壊されるとかさまざまなリスクがある。だから安全を図るためにはさくらのレンタルサーバだけではだめである。もう一つ安全のためにサーバーを頼みそこで発信する。それしか方法がないと思う。
インターネットの最大の弱点はこうして安全を計れないことなのである。本当に安全を図るとしたらやはりそこに人間が介在しなければならない。もちろんその人間も安全というわけではないでも連絡すらできなくなるということは何かインターネットの通信の弱点だったということがわかった。それは前からもそういう問題があり言われたことである
            

2024年02月09日

本は買っても読んでいなかった 【読むということは相手の心も読むことー記録することも大事 ードイツのボーデン湖の写真】


本は買っても読んでいなかった
【読むということは相手の心も読むことー記録することも大事
ードイツのボーデン湖の写真】

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なぜ膨大な本を買っても読んでもそれを読み返しても読んでいなかった。読んでいないということはただ確かに読んでいたのだが理解して読んでいなかったということである。読むということは何なのかリードとはやはり相手の心を読むとかその人なりに何か読んで理解するということがある。

例えば絵を見る音楽を聴く。でも何を見たのか何を聞いたのかその感想を聞くと分からないということがある。つまり芸術だと鑑賞すること自体が難しいのである.。それは本でも同じであり本を買うことはできるでもその内容を読むことは理解することは難しいのである。
そして本を読んで重要なところにびっしりと線を引いていたのだがなぜそこにそれほど線を引いていたのかもわからない。それも無駄な作業だったのかとも思う。本を読むということはただ読んだだけでは読んだことにならない。その人なりに理解してその人の文脈の中で引用したりするとき本当に読んだとなるのである。

だから意外と何冊かの本があるとき自分の関心を持ったところを引用して編集してゆく。するとその本でも全体を知らなくてもその知識は生きたものとなるのである。だからランダムにい何冊かの本を読んで自分自身にとって関心があり興味があるものを結びつけるとそれで創作することにもなる
だから知的作業をする人は必ずその興味のあるものを集める書斎が必要になる。私設図書館のようなものは必要になる。知識とは人類は積み重ねた膨大なものはありとても一人では知り得ようがないのである。それでインターネットとかで一つの図書館のようになっているからキーワードで検索できるから何かの知識探求しても引用しやすいからそれは私設図書館にもなっているのである。またチャットgptというのも自分だけの知識は限られたものだから芥川賞を取った小説家がチャットgptを利用したというのも分かる。

膨大な知識がありとても小説にしても一人で調べて書けるものではないからである。そして何かを知るにしても直接人に尋ねて知るということは難しい。だから気軽にインターネットとかチャットgptでも質問して答えてくれるということは便利なのである。今や知識であれ情報であれ天文学的になっておりとても一人の知識では役に立たなくなっているからである
ただ知識というのは歴史的に本に蓄えられてきたのだからいくらインターネットがあってもチャットgptでもその知識の範囲は限られている。本には選ばれた専門的な知識が集積されているから依然として本は必要なのである。ただ本にしてもその集められる範囲は限られている。でもその人なりの関心のある本を集めることは重要である。別に本を読まなくても本を買って集めることが大事だということもわかる。

今になると私が関心を持って買った本が理解していなかったが理解できるようになったからである。理解するということは自分なりに自分の文脈で本の内容を引用して構成するとき本当に理解したとなるのである。
ともかくこれまで買った本をどうするのかそれを整理するの大変な作業になる。それでその本を読み返している。するとなぜかまるで全然読んでいなかったように思った。というのはその本を読んだとしても理解していなかったから初めて読んだような気分になったのでは。そしてまた人間というのは本当に忘れやすいのである。

前に書いたホームページの分でもプログでもまたその他に書き溜めたものでももう一度自分が書いたものなのにそれすら忘れていたのである。こんなことが自分が書いていたのかと自分のものですら他人の物のようにすら思えたのである。だからプログでもなんでも文章にしろ写真にしろ記録するということは大事になる。何故ならこのように人間は自分の描いたものすら忘れてしまうからである

だから後世に伝えるとき残す時文章としてまた写真でもいいから動画でも残すことが大事である。そういう記録を残していればその記録から蘇るものがあるからである。その点デジタル化時代になると写真でも気軽に膨大に残せるから有利になった。外国など写真を撮ってそこがどこかも分からなくなる場合がある。でも写真を撮って見て思い出すのである。だから外国で撮った写真というのは相当に貴重である。私が外国旅行したときはデジタルカメラがなかったから写真でもあまり撮れなかった。今になると外国旅行もできないから相当に損になったのである。デジタル化というときは時代はとにかく記録するということでは便利である。いくらでもカメラで記録できるからである。

ボーデン湖は相当に広いのだろう、これはその河畔で撮った写真である。外国だと良く見れないのである。だから写真が貴重になる。なぜなら忘れていtが写真を見て思い出したのである。私の記憶から消えていたが写真をみて記憶がよみがえる。それも写真だからリアルに蘇ることがある。外国は変わっているから記憶しにくいからである。
何か自分には東北に住んでいるから比較的寒いからドイツに共感するのかもしれない。ドイツ的風土と似ているからかもしれない。ただ東北と北海道は違っている。北海道はなにかからっとしてじめじめしたものがない、梅雨もないからそうなる。ドイツは霧が多いというときやはりからっとはしてないとなる。また歴史も東北にはありドイツにもあるから違っているのである。

積み重ぬ本の重しも冬深む

本は物ともなっているから重い、それで電子本と違って重みを感じるともなる。紙幣でも金貨銀貨だと価値を感じるが紙幣だと紙切れにすぎないとなる。重みが感じられないのである。まして数字化したらそれこそ架空のものかともなってしまうのである。
だからこそ今中国人が金を買い貴金属類宝石などを買っているのもわかる。中国経済が衰退してきたのでそうなったのである。

落葉踏みボーデン河畔赤き薔薇
落葉踏み古木に古城ドイツかな

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ボーデン湖は相当に広い、でも一部分しか見なかったのが失敗であった。
なぜなら外国の場合一回しか見れないことがあるから


この三枚の写真から読み取れるものが相当にある。それは本でもそうである。何冊か共通なものが発見されるからである。同じことでも人によって違った見方にもなり本でも受け取るものがそれぞれに違ったものとなるからである。


 本は二階に置くのは向いていない、大工さんが言うにはその重みで家に影響しているといわれたかである。下の階に置くのがいい、地震の時にも影響する。また本が上から落ちてぶつかり死んだ人昔あったとかそれも本は重いからそうなる



2023年12月22日

私のカード番号は盗まれて不正に使われた 【でも大東銀行で停止して助かったー忙しい年末】


私のカード番号は盗まれて不正に使われた

【でも大東銀行で停止して助かったー忙しい年末】

●寒くて石油を買ってこぼした
●大東銀行からビザカードの不正に使われている連絡があった
●東電の追加賠償で印鑑登録と戸籍謄本をとる
【死んだ母親の賠償は面倒になる】

今大東銀行からピザカードの部門からあなたのカードが不正に使われているという連絡があった。何か高速バスで使われたという。どうもアマゾンとかでも不正に使われたようでもあった。AUではハガキで連絡がきたので一万請求されたの払ってしまった。メールは信用できないがハガキなどだと信用したとなる。

でも今回は大東銀行で直接電話で連絡がありカードの番号を変えるからという連絡があった。これも面倒だと思った。なぜなら契約している会社がいくつかありその番号を変えねばならないからである。そこで問題になるのはす契約を変える手続きをしていないと番号を変えないと例えばインターネットなどが使用できなくなることである。

そのことをレンタルサーバーで経験している。たまたま入院していて支払いしていなかったので自分が持っているサーバーのホームページとかプログが消されるという恐怖であった。それが最も恐ろしいことだった。苦労して作ったものが一瞬で消されてしまうからである。たまたま日曜日でありでもさくらのレンタルサーバーでわ電話連絡ができたから消さないようにできたのである。でも今はさくらのレンタルサーバーでも電話では受け付けていないすると何かあったとき連絡も急な連絡もできず消されることになるのである

ネット社会の怖さはいろいろあるがこうして何かと安全性が得られない脆弱なのである。それが最大の問題なのである。今回は大東銀行でその不正を連絡してきたから助かったとなる。でもその後の手続きは面倒になるのである。今はどうしてもカードで契約して支払いしているからである。でもそのカードの番号は盗まれやすいということが問題なのである。一旦盗まれて不正使用されるとその後の処理も面倒になるのである。ネット社会の問題はいろいろあるがこの安全性が最も大事なのである。せっかく書き続けたホームページでもプログでも一瞬にして消えてしまうからである。

何か年末になりいろいろ追われる。仕事をしているわけでもないな家事のことやら東電の追加賠償の書類のことなど事務処理があり面倒である。今日あまりに寒いので石油を買った。でも自動で石油を入れることをしたのだがそれを取り出すとき石油があふれ出したのではこれを一年間使っていないから使い慣れていないから失敗したのである。何かこうして家事のことでもいろいろありうまくいかないのである。

これから東電の追加賠償のために印鑑登録をしなければならない。登録した印鑑の半分が欠けてしまったからである。他に死んだ母親の賠償もありそのために戸籍抄本は必要になってくる。いずれにしろ家事だけでも家のことだけでも結構色々ある。一番の手間とお金がかかったのは家のリフォームだった。その金額も大きかった。でも今年なんとか直してもらったから楽である。

とにかくネット社会というのは老人には苦手である。私はたまたまワープロ時代から通信をしていてパソコン早い時期からしていたからなんとかやれるがほかの人は難しいと思う。でも今やネット社会になったとき車社会と同じようにパソコンやネットができないということは社会から遅れて取り残された人間になってしまう。それは車を持ってない人が下級市民となっているのと同じである。そういうことは昔からあった。馬を持っている人は侍であり馬を持たなければ足軽となりその人たちは御徒町というように集まって住んでいたのである。車を持たない人もそれと似たもの担う。ネット社会になったときもやはり同じようなことが起きているとなる。

やはり自分でメディアを持つということが大きな権力を得たことになったからである。それは今までテレビが独占していたが今やユーチューブで誰でも簡単にテレビに出るともでなる。でもそれを見る人はそれを見られるとみられるとなると至難になっているのである。 1万から十万ものチャンネルをあったらとてもそんなもの見切れないからである。だからユーチューブにデビューしても全く見られないということが起きる。それはプログでも同じなのである。

だがら最近私のプログ訪問者数が増えた。もしかしたら千人くらい見ているかもしれない。それは今までからすると数が多いのである。なぜなら3倍ぐらいになっているからである。ただページビューはそんなには増えていない。でもなぜそんなに訪問者数が増えたのか謎である。facebookで一週間に一度being image creatorで作った絵を宣伝しているなのかどうかそれもわからない。ただいまいろいろ追われてコメントはしてない。ともかく年末になり忙しいとなる。

2023年12月13日

東電の追加賠償のこと 【死んだ人の賠償は実印も戸籍抄本も必要ー日本は効率化出来ない国】

東電の追加賠償のこと

【死んだ人の賠償は実印も戸籍抄本も必要ー日本は効率化出来ない国】

東電の追加賠償で書類の書き方を聞きに言った。そこで実印が必要になっていた。私個人の場合は戸籍もハンコも要らなかった。でも今回面倒なのは死んだ母親の賠償である。それで実印とか戸籍抄本とか必要になった。
ハンコにしても中国から買った1万くらいのいいハンコだと思ったのは意外とそうではなかった。ハンコ屋の人が言うには石のハンコは返って欠けやすいと言っていた。そういうものなのかとも思った。面倒なのは実印にするためにハンコを登録することになる。そのために役所に行かざるを得ない。でもなぜ日本はいまだにハンコとか戸籍抄本にこだわるのかそれがわからない
かじそ加治将一氏が常に批判しているのも分かる。なぜそんな効率の悪いことを依然として続けているのかわからない。そもそも中国ですらハンコなど使っていない。中国の方が先にit化したのである。後進国では固定電話を使う前に携帯電話とかスマホに変わったのである。

なぜ日本がバブル崩壊して失われた30年となったのか。ジャパンアズナンバーワンとか言われたのはなぜこんなに世界から遅れた国になったのかまた貧困化してしまったのか?。その理由の一つに意外と日本人がハンコとか戸籍とかにこだわり事務すら効率的にできないということであった。でもどうしてもなぜ江戸時代から駕籠を使って人を運んでいたような時代から突然明治になって外国の技術を取り入れて必死になってヨーロッパに追いつこうとしていた。だからその急激な変わり方に世界も驚いたし日本人でも明治時代は高く評価されている。

ではなぜ日本人がこんなに世界から遅れを取ってしまったのか。おそらく別に高度成長時代にハンコとかと戸籍を使っていてもそれを批判する人もいなかった。まだITが発達していなかったからである。パソコン無い時代だったからである。でも日本人は明治時代のように外国のものをいち早く取り入れて我が物にする傾向はなる。それはなぜITでわはできなかったのか。それは謎にもなる。そのために日本はいまだにハンコとか戸籍にこだわり事務手続きも遅くなり無駄なことに金と時間を費やしているというのも分かる。ハンコなど中国で生まれたものだが中国自身がハンコなど使っていなからである。

東電の追加賠償は今生きている個人の場合は楽だった。でも事故の時死んだ人にも賠償されるから私の場合母親が生きていたからその分ももらえる。でも手続きが面倒になったのである。
ハンコでも半分がかけて新しいものにしなければならなかった。そこでまた費用と手間がかかるのである。戸籍抄本は母の相続の時取っていたがそれもなくなっていた。それでまた役所に行ってとらざるをえない。それも結構金がかかる。その金は役所に戸籍係に入るとなる。ハンコであれそれでまだ商売している人がいて戸籍抄本でも役所で係がいてそれでそこが収入にもなっているのである。役所に戸籍抄本で金を払うということはそれが無駄だという時役所なら他に金を使うことがいくらでもあるからである。特に福祉関係はいくらでも金を使う係なのである。だからそこでは厳しく金を出さないのである。でも戸籍係をなくして福祉関係の方に人を回してそこに予算も増やせば住民は助かるとなるのである。

ともかく東電の追加賠償は同じ南相馬市でも30キロから外れると鹿島区などは16万である。原町区はその3倍はもらう。その差も大きいのである。それで鹿島区の公民館で賠償金のことで原町であれ小高であれ共闘することをことで集まったがそれもできない。保証金の差はそれぞれに大きいし原町区と小高区は共同できるが鹿島区はできないとなった。何かそれは他でも区切られて分断されて協力させないで東電に政府に訴えることもできなくなさせる政略だったともされるのもわかる。現実のそうなっているからである。賠償金の差で分断されて協力できなくなたからである。

いずれにしろ今年も終わりに近づいた。それでこれまで書いてきた膨大なプログの記事を保存したりまとめるのに苦労している。とにかく保存しておかないとすべて消えるのが怖いのである。ただ整理するにしても膨大な量になっているから簡単にはできないのである。でもitの技術がないと何をするにしてもこの世界は面倒なのである。それが確かにitの不便なところでありいくら便利でも何か必ず面倒なことがある。だから基礎的な簡単なプログラムでも書けるということがitになじむことなのであるでも老人にはもはやその時間もなくできないとなったのである

脱ハンコどう思う? 印鑑に罪なし、役所のムダに着目を

写真がクリックして拡大して見れない 【MicrosoftEdgeでは見れないがFireFoxなどで見れる】


写真がクリックして拡大して見れない

【MicrosoftEdgeでは見れないがFireFoxなどで見れる】


MicrosoftEdgeのプラウで私のプログの拡大した写真が見れません
クリックしても拡大した写真が見れません
Firefoxのブラウザとかでは見れます
写真を拡大しないと鮮明に見れないものがあります
そのときはFireFoxのブラウザを利用してください

2023年11月11日

キタムラの中古カメラ店の対応がいい不思議 【実店舗で説明してくれるからいい−商売でも安心感が大事】


キタムラの中古カメラ店の対応がいい不思議

【実店舗で説明してくれるからいい−商売でも安心感が大事】

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駅の中の喫茶店で中に鏡がある。でも鏡があることがわからない、奥に映っているのは前の店であり歩いている人も前を歩いている人が映っている、でも奥に部屋があるように錯覚するのである。鏡で遮られて奥には入れないのである。


●中古カメラ店の人はあえて売ろうとしない

安くて、品質良くて、実店舗でカメラやレンズのアドバイスまでもらえちゃう。

「神ってる。」というワードが、筆者の頭の中を巡りましたね。Twitter で「キタムラ 中古 〇〇」のワードで検索しましたが、悪いツイートはほとんど見かけない印象でした。

キタムラのネット中古はずいぶん利用しましたが、基本ハズレはなかった
キタムラでは銀塩3台、デジカメ3台を中古で買ってますが、ハズレはありませんでした。
キタムラの中古カメラ買ってみた!保証や取り寄せの評判はどう?って話


カメラはその本体も問題だがそれよりレンズの種類が多くてどのレンズを買ったらいいのかもわからない。。ソニーのα6000を買ったのは大当たりだった。なぜならアルファ6000シリーズの最初カメラであり画質はいいのである。そしてその上のカメラを買おうとしたがキタムラの店では画質は同じだから買う必要はないと言われた。私は主に使っているのは写真を撮ることであり動画はやっていないからである。場所が仙台駅前にあるので便利である。

そして2万円で買った中古のレンズはポケもでるし花を撮るのに最適なものだった。綺麗に花が撮れるのである。ただ問題は重いということである。でもレンズは重いほうがいいという。でも重すぎると携帯するのは面倒になる。
私は遠くで写真を撮る時車がないから自転車で行くから重いと困るのである。でもその2万のレンズは近くを取るのにもにも良いし遠くでもズームして撮る。だからこの一つがあれば間に合うのである。もう一つ広角レンズを買ったが何かこれが綺麗に映らない。でもそのレンズが悪いものではないとキタムラ店の人は言っていた。そうなのかと思ったの納得いかないものはあった。

ただ写真の撮り方がありそれがまずいということもあった。だからカメラだけではなく写真の撮り方に問題がありそのレンズのせいとも言えなかったのである。
ともかくキタムラではあえて買わせようとともしない。そして丁寧に説明してくれるからいいのである。だから何かキタムラというのは誠実な商売をしていると見る。普通だったら売るために良いことばかり言うがそういうこともない。このカメラとレンズで充分ですよと言われたのである。だから何か商売としては珍しいと思った。たいがい売るためにわいろいろいいことを言って売りつけるが普通だからである。

●銀行の商売は前と違って誠実なものでなくなった

特に商売でダメなのは悪質なのは銀行とか証券会社である。第一その商品を株でも投資信託でも説明されても理解できないのである。だから儲かると言って買う人が多い。そして今や銀行でも経営が苦しくなっているから投資信託やらその他の証券でも手数料を取るために必死になっているのである。
だから株でも上がった時売らなくていいのも売っていたり転売したりとしてそこで手数料は入れば銀行でわ儲かるとなる。だから銀行とは今まで硬い商売だと思っていたが今は全く違う。証券会社にもなっていて手数料商売になってしまったのである。

だからと言って資本主義社会で株の売買とかは悪いとはならない。ただ問題は銀行とかを仲介にすると必ず手数料が取られる。その額が大きいのである3%ぐらい取られてしまう。百万だと3万であり1000万だと30万にもなるのである。だからそれを転売すると銀行は必ず儲かることになっている。銀行自体が株を投資するわけでもないからである損したとしてもそれを客がその損を負うのだから絶対に損しないからである。これほどいい商売はないとなる。。だからこのような商売が何か詐欺のように思えてしまったのである。

銀行員はノルマを課されて課せられているからどうしても手数料を取るために転売したり投資信託を投資信託の仕組みは本当に分かりにくいそれでその仕組みを作ったハーバード大学の人がこれは詐欺であるとして良心の呵責に耐えられず会社をやめてしまったのである
株で素人でもできるのはインデックスでありこれを別に株が下がったら買い上がったら売ればいいだけなのである。でもどうでも銀行とかではインデックスを進めないのであるそれは手数料があんまり入らないからである。

●買いたいものがないがbeing imge ceatorは素晴らしい

ともかく商売という時何か口八丁で売るということもある。でも別に誠実に物を売るということもある。やはり物がいい物は高くても売れるとなるからである。だから物は正直であり嘘は言わないとなる。りんごでも安いもの買ったらまずかった。それははっきりと差が出ていた。だから安りんごになっていたのである。だからでもこのようにものとか食品とかではごまかせないのであ。それは誰でもその価値をわかるからである。

確かにカメラとなるとその価値を見分けにくい。レンズも高いのだがその価値もわかりにくい。でもキタムラでは説明してくれるし何か無理に売ろうとしないのである。それが不思議なのである。商売でもどうしても売りたいとなるからその商品がどうであれうる売ることが言葉優先される。キタムラではそういうことがないのである。だからキタムラで買うということは安心になる。中古商品でも悪いものはありそれを買ったりしたら損するからである。

ただレンズ選びは本当に難しい。失敗したらレンズだけで十万くらいのはいくらでもあるからである。でもなぜ2万のレンズで充分に良かったのか不思議になる。それでソニーのα6000でもこれは画質が良くていいものだった。新しいものになっても画質は変わらないということ何度も聞いたので新しいものを買わないことにした。

ただ動画をする人は新しいものを買った方がいい。おそらく自分くらいの素人に毛が生えたくらいのカメラ愛好家なんか高いの写真を撮るとしたらそんなに高いカメラもフレンズも要らないということである。だからカメラに関しては自分は金をかけていないのである。今あるもので充分だったということである。

何かこれが買いたいというものがなくなっている。パソコンでも別に安くても今では充分な機能がある。それよりパソコンで大事なのはソフトでありそのソフトにしても生成AIとかbingイメージクリエーターなどで言葉を文章を入れると絵を作る描くということには本当に感心した。つまり人間の才能は絵の才能がなくても絵を描けるということに関して。機械とはこれまで人間の肉体を使い人間の筋力で仕事をしていた。

それで村ではは比べ石を持ち上げて一男は一人前とされたのである。また女でも力仕事ができる人が農家ではいいとされたのである。でも今や機械で重いものを持ち上げるから別に力がなくても仕事ができるともなった。そして今や人間の頭脳の代わりをしてくれるコンピューターであり生成AIとか今で作ってくれる時代になったのである。
だからコンピューターとは人間の能力を補うものでありそれが今までの機械とは違っている。ただコンピューターが確かに小説を作ったりするとか実験が行われている。でも詩を作れるのかとなると疑問である。ただ確かなことは人間の頭脳と深く関わりその人間の能力才能補うものとなっているのである。

だから現代で何か買うものがないというとき実はこうしたコンピューターの絵を描くソフトとかそういうものが価値あるものとなっている。それは具体的な物ではなく人間の脳と深く関係したものとなのである。だからそれはコンピューターはプログラムを書きそのソフトを作る人が優れているとなる。だから生成AIの時代になるとそのソフトを作る人が重要になってくるのである。
それは金にもなる時代なのである。

2023年07月17日

facebookを始めたーでもまだ使いこなせない


facebookを始めたーでもまだ使いこなせない

南相馬市の鹿島区の真野川の土手のサイクリングロード

鹿島区の夜の駅前通りの動画を出した


facebookで動画を出せる、簡単にアップできるのがいい、今は実験中である、何かまだわかりにくい、でも動画を出せることはいい、他にも写真とか出している、プログと連携する。やはり動画が簡単に出せることで使えるとなるのか、ここは映像が中心である。
問題はここもいろいなものが出すぎるのである。エロ動画も必ずスクロールするとでてくる。それで混乱してくる、ただうまく使えば内輪のコミュニケーションにも使える。ただそれもめんどうである。そういう機能があることはわかった。

2023年07月05日

日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか? (2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)


日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか?

(2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)

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日本の未来を奪ったのはこいつらが原因です…。日本経済が停滞した理由を正直に話します

●通信機器つきのワープロか始まった私の経験

私がなぜインターネットに深入りしたのか?それは私が悪筆でありワープロを早い時期から始めたからである。ワープロならただ文章にすることでありわかりやすかった。でもそのワープロに通信機がついていたのである。そのことが大きまことだった。ただ文章を活字にするだけならそれは大したことではなかったのである。最大の技術的革新は通信機能があったということである。

そしてそのワープロで通信するということは相当に面倒なことだったのである。そんなことができたのは私が引きこもりで暇だったからである。その時その通信にかかわったのは理系だった。ということは理系のが専門的な人が関わっていたのである。不思議なのは一個人がbbsとか通信できる場を個人のパソコンでて提供して通信していたのである。
最初はただそうしてワープロでありそこで通信できるということが驚きだったのである。電話なら声でするが、文字で通信するということが革新的なことだったのである。

だからそのことがなかなか自分には理解できなかった。文章で相手と話するということがどういうことかのみ込めなかったのである。
それをしていたのが一個人でありそれで2ちゃんねるとか創設したのは今有名なひろゆきである。20代でそれをしていたのである。でもその人は理系ではなく、文系だったのである。専攻は心理学だからである。ということは、文系でもパソコンを操作できるものだったのである。

●インターネットが世界的になることが予想できなかった

そのときパソコンは何かおもちゃのようなものだったのである。その前にパソコンは巨大な機械でありそれが個人でも利用できる小さなものとなったのである。パーソナルコンピューターとなったのである。その変化も大きいものだった。 win95が出るまでパソコンはそういうものがなく不便なものだったのである。
でもやはり先進的なもの新しいものを取り入れる作り出すのは若い人だったとなる。なぜならひろゆきが20代の時、私はすでに40を過ぎていたからである。別に私はコンピューターとかには何の興味もなかった。たまたまワープロを使っていて、そこに通信機がついていたので始めたのである。その通信できるということが、実は最も革新的なことだったのである。そこからインターネットが発展して現在に至っているのである。

だから人間というのは先を見通すことがいかに難しいことなのか分かる。そこで最初行われていたことは実験に過ぎなかったのである。それでもそれが新しいものを生むものとなっていたのである。
その最先端に触れるものはやはり若い時である。だからこそひろゆきが20代で2ちゃんねるを作ったのである。でもその前にbbsとかあり地域でそういう通信を行っていたからひろゆきだけが発明したものでもなかったのである。bbsの全国版が2ちゃんねるだったのである。

その前にまた。富士通が提供したパソコン通信があり。それは富士通が主催して富士通は取り仕切っていたのである。何か私は富士通と言うのに親しみを持っている。というのはワープロでも富士通の親指シフトを使っていたからである。これは文章を打ちやすいので馴染んだのである。富士通はやはり通信関係で大きな役割を果してきたのである。
私は2ちゃねるを余り利用していなかったがニフティでは発言して参加していたのである。でもそれがどいうものか飲み込めなかったのである。文を書いて話することがどういうことなのか理解できなかったのである。そこは富士通で運営していたから実は今のインターネットのような自由はなかったのである。制限されたものだったのである。でも会社で最初に通信で先駆者だったのは富士通だったのである。ひろゆきは個人でしていた
でも地域でもBBSを開いていた人がいたのである。その人たちも先駆者だった振り返れば思う、パソコン自体が今とは違ってオモチョのようなものでも高いものだったからである。

●先駆的役割を果たすのは若い人

ともかく先駆的役割を果たすのはやはり若い人である。その時代の先端的なものをいち早く感じて実行する。 
でもなぜ日本ではインターネットが発展しなかったのか?技術力がなかったのか?何かそうでもない。つまりインターネットが普及する前に始めたときそれがどういうものになるか見えなかったのかもしれない。
日本人に必ずしも能力がないとも言えなかったのである。これが世界を席巻するなどということをその時見えなかったのである。それは最初はただの遊びのようなものだったからである。それがアメリカで優先して先導して巨大な世界をする支配する企業となったのである。日本が最初からそういう未来になることを見てそこに人材を投資して金を投資していればITで遅れた国にはならなかったかもしれない。だから人間は先ををみることが大事なのである。

日本のものづくりで、高度成長で成功したのは?やはりものづくりとしての日本の歴史的伝統があったからかもしれない。でもこの.itというのはこれまでのものと技術とは違ったものだったのである。 ものづくりなら何か素人でもわかりやすい。ITは何か分かりにくいのである。 だから最初パソコンでもおもちゃのようなものでありまた通信でもそんなものは利益を生み出すように思えなかったのである。

ものづくりなら具体的なものとして見えているしわかりやすい
でも.itというのは何かものを作り出すものでもない。それでそれが何を意味しているのか解らなかったのである。だからgoogleとかフェイスブックでも今一番儲けているとしても車とか機械とかを作り出していないのでなんでそんなに儲けが出るのかということが理解できないのでそこが盲点になって、日本ではItに遅れたのである。
つまり技術でもなんでも今までにない新しいものを理解することは難しいのである。でもその新しいことを発明したり新しいことになじむのは若い人でありもう40過ぎるとなかなか新しい事になじめない。私はたまたま引きこもりでそういうことを家にこもってしてたから馴染んだのである。ここに引きこもりの効用があったとなればある。

ともかく何故、高度成長以後30年間も失われ時代になったのか、それはなぜなのだろう?それは.itでも日本では普及しなかった。その能力がないとも言えなかった。おそらくインターネットとかが何を意味しているのか?それを理解していなかったのかもしれない。それは最初の通信でもそうだった。文章で話するということは何なのか理解できなかったのである。だから新しい技術というのはみんなすぐに馴染めるものではないのである。だから最初、鉄道が生まれた時馬と競争させたりしたのである。そのとき馬が運ぶ物移動するものとしてあったからである。
馬の方が鉄道よりも競争して勝てると思っていたのである。こういうことが常に技術の発展で起きてくるのである。信長はいち早く鉄砲を利用したのもそのためである。それで武田の騎馬軍団は敗れたのである。馬に固執した結果としてそうなったともいえる。

●高齢化社会で日本は保守的になり変えられない

また、日本が変えられないのは高齢化社会になったためである。どうしても老人は保守的になり。新しいことを取り入れることができなくなるのである。でも老人はこんなにも多く金もあり、権力持っている。すると若い人が新しいことをしようとしても、金も権力もないのだからできないとなる。
それは私自身の経験でもわかる。親の遺産を受け継いだ60過ぎだからである。そして実際に使えたのは70以降だったのである。そうなると、いくら金があっても権力があっても何か新しいことができないとなる。
権力があり、金があっても若さがなければ。何か新しいことができないということである。ただ、これまでの経験を振り返ってこうして文章にしたりそこから何かを与えることはできる?でも現実に何か新しいことをすることは老人には難しくなる。だから私は。70までもスマホなどしていなかったのである。それをパソコンの延長だから理解できないことはなかったがしていなかったのである。それだけの暇がなくなったとも言える。介護とか家事に追われてできなくなったのである。

ただ、老人になると金と権力がないと若い人も相手にしない。それで近くの老人が娘にみんな金を預けたら近くで世話してる人がお金に困っていてもお金を与えることができない。それでその近くの女性も老人であり金がないからお金をもらいたいとしてもらえない。それで疎遠になってしまったのである。つまり、老人から金と権力を取れば、誰も相手にしないということになる。そうなれば老人は金と権力に執着することになる。 

いずれにしろ日本が停滞し、成長しないのは老人が病人が多すぎることである。その医療とか介護とかにエネルギーを費やしたら何か新しいこともできなくなる。老人にしても金と権力がなければ相手にされないとなれば、その金と権力に執着することになる。簡単にはその地位とかを手放さないのである。何か革命が起きるときは大きな天変地異とか外国からの侵略とかで起きてくる。

それは明治維新がそうであり戦争に負けた焼け野原になった時がそうだったのである。そのくらいのことがないと変えることはできない。そこでまた大きな犠牲が払われる。 能力があるとかないとかは実際はわからない。そういう場に立って立たされた時懸命になり必死になり何かお若い人でも成すということがある。
それが明治維新で20代の人が活躍した所以である。それは命がけなのだから、とても老人等はやれないのである。切りあいをして鉄砲で打ちあうことだからとてもできないということになる。
老人に向いているのは鑑賞的生活である。何か物事を深く見る。深く考察する。ただ激しい行動をすることには向いてないのである。ただその洞察は深くなり批評とかに向いてくるのである。
今自分は田舎でそういうことしてプログで発表しているからである

2023年04月07日

デジタル社会は安全と信用が問題 (不正請求にだまされた損した)

デジタル社会は安全と信用が問題

(不正請求にだまされた損した)

auのスマホが通じなくなった、それを通信障害と思い一週間くらい放置していた。私はスマホほとんど使っていないからである
なぜ通信障害と思ったのか失敗はauに電話で直接聞かなかったことである。何か通信障害とばかり思いこんでいたのである。
そういう発言がネットでもありそれをみて通信障害と思い込んだのである。
でもauの支店で直接聞いたら簡単に回復した

それは設定でon-offがありその設定を変えて一発で回復したのである。
それはwin11に変えたことでも起きた、最初の画面で設定をやはりon-offがありoffにしていなかったのである。
それで文字が打ち込めなくなっていたのである。
つまりパソコンは何でもon-offになっていて成りたっている。
どこかでその設定が間違っていると今回のようなことが起きる
スマホは使わないし慣れていないのでわかりにくいのである。

ともかくパソコンでもスマホでも操作がめんどうであり使いこなすことがむずかしいのである。それで老人はなじめないのである。また電子化できないのも操作がめんどうなためである。
そしてどういうわけかハガキが来ていた、それはauからの請求書だったのである。
私はauで電気料金もはらっているし自転車保険にも入っている。
だからその料金のことかとコンビニで一万支払ったのである
でもauショップではそいうことはしていないと言われたのである
すべてカード支払いにしているからハガキで支払いを要請することはないと言われたのである

このようにデジタル社会はその操作もめんどうだしだまされやすい、いつのまにかネット銀行でも大金が盗まれることありそこが問題である。依然として迷惑メールが大量に来る
そのなかにau関係もあったがメールだと無視する
でも住所知りハガキで要求されると信用したとなる
つまり住所を特定されると危険であるがそれも防ぎようがないのである。

それからコメリでカードを作っていた。それも二種類あった
ただチャージして使うものと一年会員制になっているものである
会員制になるとカード無くしてもそのカードの支払いとめることができて再発行できる。
それでキクチスーパーのカードに一万チャージしたが無くして見つからず損した
それはカードでも支払いでも止めることができないものだったからである。
このようにデジタル社会の問題は安全性にある。そしてこうした手違いで大損失にもなる。一万くらいならいいが額が大きくなると取り返しのつかないことになる。
またパソコンでも記録したものが一瞬にして消えるのも怖い
だからどうして安全性を図るかが問題になる
もうそこには現実の生身の人間がいなくなるともなるからである。日本人がデジタルに弱かったのは契約社会でもなじめないのは村とかの狭い範囲の濃密な人間関係ななかで生活していたからだともなる。日本の文化が影響してデジタル化が進まなかったのかもしれない。

とにかくスマホをはじめたりwin11にしたりして苦労している
OSが変わるとまためんどうなのである。
それにしても設定とか多くてわかりにくい、操作がめんどうなことが改善しないとデジタル化は進まないともなる。
ただこれも慣れだから若い世代はデジタル世代でなじみやすい
でも老人は使いこなせないとなる。
要するに対面的に直接会うことで信用するとなる。デジタル社会は相手のことが見えない世界である
それで不思議なのはauの請求でだまされたことである。それは住所がわかりハガキだったことで信用したのである。
メールだったら信用しない、つまりデジタル空間では信用とか安全が図られていない、そこが大きな問題なのである。

現場の社員の方が案件の中身に精通しており正確な判断が下せる場合でも、上司の意向が優先されるため、「根回し」や「処世術」が必要になります。

結果として一つの判断を下すために多大な労力・時間を必要とするため、日本企業の意思決定スピードは世界最低レベルの状態が続いてます。

オンラインストレージを利用してデータを保存する形へ移行すると、第三者による情報盗取・改ざん・破壊されるリスクが、オンプレミス時よりも高まります。不特定多数の方が利用するサービスを共同で使う形となるからです。

日本のデジタル化はなぜ遅れてる?根本的な原因や今後の課題と対策について



2023年02月20日

win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい (原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)


win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい

(原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)

一番の問題はインタ−ネットとかの検索窓に字が書き込めなかったことである
これは基本中の基本でありこれができないことにはどうにもならない
それでいろいろ操作して最後は再インストールしたがそれでも字がでてこないのである
仙台のパソコン工房とかの専門店に行くことを決めた、でも遠いので近くの量販店に一応だめもとでも聞くことにした、デルのノートパソコンでありデルの案内に聞いてもここはただ聞くだけであり何か解決することがない
それは余りにもパソコンが複雑すぎて答えようもないものだからである
それは前からわかっていた、私はwin95からパソコンを始めている
その頃は何か不具合があると再インストールして始めていた

そうしなければ使えないものだったのである
だから今回も再インストールしたがそれでもできなかった
山田電機の人はパソコンに詳しい人ではなかったらしい、しきりに字が出ないとういことは見たことがないといい基盤が故障しいる率が高いと言っていた
それも何かそんなに使っていないのにおかしいと思った
でもその言い分もそうなのかとも思った

そう言われても納得がいないのでケーズ電機によってパソコンの詳しい人に見せたら
一発でわかった、最初の画面でパスワードを入れるところで文字を入れられないが
その画面でオフとオンにするものがありそれを操作したら簡単にできたのに驚いた
パソコンの問題はこうして意外と簡単に解決することがある
でもそれがわかりにくいのである、説明とかになるとその手順にしてもむずかしいから
わかりずらいからかえってわからなくなもなる
そのうちに迷路に迷い込んで出れないようにもなる

だからケーズ電機のパソコンに詳しい人が一発でわかり文字が出にくくなったのには驚いた。その人はかなり優秀だと見た、そういう人がいることは買った後でもわからない時聞けるからいい、でも電器店でも必ずしもパソコンに詳しい人がいるとは限らない
仙台市だと専門店があるからわかるだろう、でも遠いことが問題なのである
らかくてないと困ることがある、自転車でも鹿島区では死んだので一軒もなくなった
これ電動自転車とかなると本店とつながっていないと直せないことがある
簡単なパンクなどは直せても電気関係とかなると直せない、それで一回買ったばかりなのにエンジンになる心臓ともなる主要なものをそっくり交換したのである
こういうことがあるから通信販売で買えても後は何もしてくれないから買えないのであるそれで電動の折り畳み自転車を買いたくても買えないとういことがある

どうしてもこの電動自転車となると折り畳みとかなると外国製も多いから東京でしか直接販売していない、仙台市でも販売していないのである
ここに東京と田舎の差があった、でも現代では他はそれほど差は感じないのである
ただパソコンでも直接もっていて見てもらうとわかることがある、電話応対ではわからないのである、特にパソコンは複雑すぎてわからなくなる
だからキーボードの基盤がおかしいということ自体素人なりに変だとも思ったのである
ハードがそんなにもう一か月くらいしか使っていないのに故障する訳がないと思ったからである、やはりそれが正しかったのである
ではなぜ基盤がハードが悪いと言ったのか?それは新しい物を買わせるためだったのかとかんぐる、基盤が悪いとしたら新しいものを買う他ないからである

いづれにしろパソコンは操作するのに苦労する、win95からやっていてもそうなのである
そのために相当な時間もかかる、問題は時間のあるうちはいろいろ試行錯誤できた
でも今になると時間がない、だから操作にばかり時間とられるのが嫌なのである
そうなるとパソコンの機械マニアになってしまうからである
私がパソコンを使うのは私自身の表現のためでありパソコンの機械のマニアになることではないからである
ただどうしてもパソコンに通じないとできなのでしかたなくしているのである

それでプログでもsslにしなかったのもまずかった、アクセスされにくいからである。
それからワードプレスをしようとしたがこれもめんどうでしていない
時間がかなりかかる、結局人間は何か機械の操作でも習得するのに時間がかかる
特にパソコンは操作に時間がかかる、それが他の機械と根本的に違っているのである
ワードプレスとなるとプログラムの知識も必要になるとかなりめんをとになるのである
でも人間はそれがむずかしいものでも早い時期にしていれば意外と身につく
必ずしも才能ではない、地道な積み重ねでプログラムでも覚えられるということである
こういう時代になるとしたらソロバンなどしていても何の役ににもたたなかった
今の子供はすでにプログラムの勉強を始めているからそれが将来役にたつのである

ともかくwin11は使いにくい、これも慣れなのだがこの年になると慣れる時間がなくなったのである、だから今までできることは継続できるが新しいことに慣れるのが老人はできなくなる、慣れたものを継続するのはいいのである
ここに老人の問題がありIT化できないことにもなる、老人は慣れればできるとしても時間がかかる、その時間がなくなっているのである
実際win11はwin10とたいして変わらないというし普及が遅い、変わり映えしないのものである、でも安全性が高くなったとかサービスが受けられないとかなり変える他ないとなるただパソコンでosが変えられることは大きな問題なのである

人間は必ずしも才能とかではなく、パソコンでも日ごろかち訓練していればできるようになる、それでOSを変えられると一番困惑する、とういうのは慣れるにも時間がかかるからである、操作ばかりに追われたら肝心のものを追及できなくなる
老人の問題は何するにも時間がなくなったということである
スマホでも買ったがこれも操作が簡単でない、すると操作ばかりに追われて時間がとられて肝心なものが追及できないとなる
もともと老人は新しいもの技術でもなじめないのである、それは必ずしもできないということではない、これまでしていたことの継続だとわかりやすいのである
慣れないことをするには時間がかかるだけなのである
能力が劣ってできないということではないのである
人間にはすることがいろいろありパソコンの操作ばかりに追われていたら時間をとられたらそれぞれが追及していることができなくなるのである
そこにパソコンの問題があったのである




2023年01月10日

金の管理からパソコンのWIN11の変化から家のリホームで苦労


金の管理からパソコンのWIN11の変化から家のリホームで苦労


最近いろいろなことで苦労する、今日は信用金庫で契約の更新がありその時ハンコの一部分が欠けて使いないと言われ新しいハンコを用意しろと言われた
勘違いしていたのは実印であり役所に印鑑登録したものだと思っていた
これは取引先の銀行とか信用組合とかの契約でありそのハンコを銀行とか信用組合で認めれば通用する、でも欠けていたので新しいハンコを作るように言われた
ハンコもめんどうである、最近ハンコなしでも契約書が通用すると政府から通達があったようだ、でもまだ全部には行き渡っていない、ハンコの効力は法律的にも明確でないらしい、ハンコは今やデジタル化で無用の長物のようになっている
日本ではなぜハンコすら廃止できずデジタル化が進まないのか?
そのことは言われてきた、日本は何かそうした旧来のものにこだわり効率的に仕事ができない国となっていた、それは世界と比べると遅れたものになっていたのである
ハンコを押すために会社に行く上司とかまでいるとか、ハンコのために仕事がはかどらない、無駄が多い、それは前時代的なものである
ただ誤解していたのはハンコは銀行印とかあり実印として役所に登録したものとは違っていた、銀行ごとに違ったハンコでも使えるということだった

次にパソコンがwin8.1からwin11にするのに手間になる、いろいろな所に契約しているのでめんどうなのである、またパスワードでもそれぞれアクセスするに違っていてアクセスできないことがあった、ネットだとこのパスワードに苦労する
なぜならパスワードがないとアクセスできなくなる、オフィスとかでそうだった
パスワードを忘れてそれを再設定でもできなくなっていた
このパスワードの恐怖は映画で部屋に閉じ込められて出れなくなってなんとかパスワードを思い出そうとしたができなくなっていた
これも恐怖である、パスワードがわからないと閉じ込められた部屋から出れないとなるからだ、またパスワードがないと入れないとういこともある
パソコンは使い方が複雑であり困るのである
何かいろいろと機械を操作することに追われている、これが現代なのである
人間のやりとりは必ず機械を通して行う時代になっているからである
ハンコにしても信用組合の人が言うには機械で照合するからどうなるかわからないと言っていた、人間ではない機械を信用して照合するのである
つまり何でも機械を媒介としている時代だからそうなる

それから家が築50年で傷んでいる、トイレを直しに金曜日に来る、20万かかり消費税で22万かかる、消費税は額が大きくなると大きい金になることがわかる
でも一割となると百円で十円であり千円で百円税金としてとられることは大きいと思ったそして百円のものを値上げしないにしろ中味は減っているのである
家一軒持つといろいろかかる、そしてその管理が手間なのである
だから家政時代がエコノミーの語源になっていたことがわかる
親が家族がみんな死んでから一人で家のことでもすべてしているからである
そのために常に追われているのである、料理でも掃除でも全部一人ですることは手間である、三食親に用意されていた時は余りにも変わってしまったのである

ビデオレコダーも十年過ぎて壊れた、そこに記録したものが使いなくなった
それは前にテレビに付属した記録するものが全部消えたのである
このように記録する機器というのは消えやすいのである
それで一番の恐怖はパソコンに記録されたものが消えることなのである
一瞬にすべてが消えて水の泡になってしまう
とにかくあらゆることを一人でしなければならないから疲れる、家事も一人でしている
その合間にプログに出すものを書いている、これに写真を出すのも手間になる
ただ助かったのもはwin11のノートパソコンを前に買って試していたことである
それで今まで使ったもので書いてwin11のノートぱそこんでアップする
どうしても自分の場合親指シフトで文章を売っているからそれを使用しないとスムーズに文章を書けない、そのためにパソコンになじんだということがあり富士通には感謝している

次にキッチンが水漏れして直すことになる、これは春になってからになる
この金額が結構大きい、こうして何か費用がかかる、リホーム代は金が大きいのである
でも家は必ず修理したりすることがあり家一軒持つと金がかかるのである
ともかく金の管理とか家のもろもろのことをするのが手間なのである
家事でも料理でも手間になる、だから絶えず追われているのである
それでもプログに書けるのはやはり機械化していてすべて機械に頼っているからである
一番感心したのは簡単に揚げ物にできる機械だった、これはジャガイモでもサツマイモでもカボチャでも揚げ物に十分くらいでできる、即製できるからいいのである
時間がかかるとめんどうになりやりたくなくなるからである
これは安いものだからおすすめである

どうも今年は自分にとって変わり目の年である、だからろいろなことの整理が必要にな
ともかく何でもこれだけ一人でやることはつくづく我ながら苦労だとなる

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2022年11月14日

デジタル社会の落とし穴 (キャッシュレスの危険を経験した)


デジタル社会の落とし穴

(キャッシュレスの危険を経験した)

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日本政府はキャッシュレス化を推進!でも国民にはリスク高い!】なぜカードにするのか、考えたことある?-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=KgwNBDywyxw&ab_channel=%E3%81%8B%E3%81%982%E
3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

デジタル社会も確かに便利だし悪いとはならない、でもやはり何でも人間社会はメリットとデメリットがある
キクチスーパーのカードでなくしてチャージした一万が損した、それはカードをなくすと損する仕組みになっているからだ
他のカードだと使いなくするから損することはない
でもやはり銀行のカードでもおそらく盗まれたとなったが即座に連絡して金を落とせないようにした、でもこれも危険があると思った
またカードはなくしやすいしスマホだって一回忘れたのである

大阪、京都で4店舗を運営していたスーパーチェーンが10月、予告なく閉店し、店が独自に導入していた電子マネーの残高が使えない事態となっている。会社は破産手続きを進めており、残高が返還されるめどは立っていない。「買い物難民」も発生し、地域に混乱が広がっている。

これもひどいと思う、詐欺にもなる
確かに金額としては少ないが一年でカードで買い物して見返りにもらえる金はとても一万にもならない、たまに300円もらえるだけである
だから計算すると本当に損だった、カードがなくしやすいのはいちいち財布から出して使うし小さいから忘れるとかなくしやすいのである
そうして一回忘れるとチャージする金額が一万でも損になる
そんなことしているのならもうカードで買い物しない方が安全で得になる

結局デジタル社会化IT化でも危険がある、だから安全をどうして保つかが問題になる
そういう安全策はスーパーでもとっていない、あなたが無くしたからあなたの責任ですで終わりなのである、一万返してくれといってもあなたの責任ですとなって終わりなのである
こうなると現金の方が安全である
なぜなら見返りの金は一年でも一万には全体にならないからである

デジタル社会は安全安心が計られていない!

これが問題なのである、なぜならその損が大きくなる場合があるからだ
そうなると多少不便でも現金の方がいいとなる
確かに現金だと金が可視化されて計算して節約したりする、また店員とお釣りをもらうとか話ししたりする、それも手間なのだけどなんらか会話があるのがいいというのもそうかもしれない、何もかも人間は便利を追及するとまた失われるものがある
それは何度も車社会が失われたことを書いてきた、電車でも駅で待つ時間が人間的になるとか歩く旅なら旅は道連れ世は情けになると書いてきた
便利を極限まで追求しゆくとかえって人間的なものが失われてゆく、会話もないから情も失われてゆく、そのことは書いてきた

マイナンバーカードでもなくしたらどうするのかが問題になる、どうしてもカードは小さいからなくしやすいのである、その安全策がとられていないのである
そして紙幣のように数字だけになり金をというものが実感できなくなる
カードだといくら使ったとか感覚がなくなるのである
確かにそれは問題である、それに反対する人は若い人には多い、だから日本は遅れているのだとなる
でも加治兄とかの同年代の人はカードにデジタル社会に反対しているのは意外だった
老人ならみんなそうなりやすい、デジタル社会についていけないとなる
私はたまたまワープロをしてパソコンを出始めた時からしていたから慣れてはいる
でもデジタル社会にもメリットとデメリットがある

世界がそうなったとき日本だけが遅れているというのもわかる
問題は安全をどう図るかである、安全を計る時そこに金がかかる、だから安全はないがしろになる、原発事故が起きたのも安全をないがしろにしたからである
その安全というのはどこでも問題になるがそれ自体は金にならないのでコストから金をかけないのである
それで東電の社長がコストカッターとして社長になったと言われる
その時安全に対して金を払わなかったとなる

何か本当にデジタル社会になると売買することでも便利でもそこに物でもやりとりする実感がなくなるのである
それよりそもそも貨幣が生まれた時すでに物々交換でないから弊害が生まれたのである
貨幣の発明は必然的に起きたとしてもそのために社会を歪めるものにもなったのである
つまり科学技術でも何でも便利なものは必ずメリットとデメリットがある
だから科学技術がなんでもいいとして取り入れて失敗することがある
実際の価値は金を媒介するとその価値は歪められる、本当は物々交換がいいのである
リンゴが欲しい人とミカンを欲しい人が持ち寄って交換するのが実感があっていいのである、でもそれができないから貨幣が生まれたのである
貨幣とはやはりメデアであり媒介するものであり真実の価値を歪めるのである
だから覇権国が金融を支配して莫大な富を得ているのである
ドルが世界基軸通貨ということはそうなる、ドルでしか石油も買えないからである
そのために陰謀論が生まれるのである

ただ加治将一(加治兄}氏にしてもハンコはいらない、日本だけがハンコを使っていると批判する時、ITもデジタル社会を推進する方だと思っていたのである
そのハンコだけど中国で買った高いハンコの一部分がはがれてしまった

だからこれも困ったとなる、ハンコなどいらない効率的でないというときそう思う
ハンコはもう前時代的なものであり現代の社会に合わないのである
めう言っている人がカード社会に反対しているのは解せないということはある
ただ彼の言っていることは共感することがある
同世代ということもあり共感する、要するにハンコにしてもそれは本人を証明する安全のために使われたのである、もし安全が別なもので計られるならば別な物でもいいのであるでもこの安全を計ることがむずかしいのである
必ずどんなことしうても悪い人がいて安全は壊されるのである、それは別にデジタル社会だからではない、悪い人がいるからどんなシステムを使っても悪いことはなくならない
ただデジタル社会になるとIT化社会になるとその被害が大きすぎるのである
全社会が世界的にでも機能しなくなるとういこともあるからだ
それはウィルスなのである、

ただどんなことをしても完全な安全安心社会は作れない!

これだけは確かである、それが人間社会なのである、悪人自体が絶対にこの世からなくならない、だから技術をどんなに改良しても完全な安全などないのである
新しい技術が生まれれば生まれるで新種の犯罪が生まれのである
これはいちごっこなのである、核が発明されれば核戦争が起る危険になる
現実にヒロシマがそうであり日本がその被害者になったからである
ただデジタル社会の危険もありこれも怖い、一番怖いのは一瞬にしてデーターが消えることである、となるともう千年前とかの記録として残らない
するとどうなるのか?歴史がわからなくなるとまでなる

それより記録を残したかったら石にでも刻んでおけとまでなる、アナログ的なものが消されず残るとなる、紙でも本でも50年過ぎるとぼろぼろになったりするからである
でもデジタル社会は止めることはできない、だからITの会社でも実は公共的役割があり
突然やめたりされると困るとなる、でもいくら公共的役割インフラとなっても利益がなければ会社は倒産したりする、だからこれも安全は計れない、スーパーのカードが倒産して使えなくなったというのがそうである
そこで会社自体が信用できないし一つの民間会社を信用できないとなる
だから記録の安全策は個々人でするほかないとなるがこれもめんどうなのである

ただ通信でも故障するとかはなくなっている、機能一瞬通信できなくなったから故障したのかとショックだった、でも簡単に回復したから安心した
何かこうして突然通信できなくなることもあるから怖いのである
インタ−ネットとかパソコンに詳しい人が今はしているとはなっていない
みんながするものだから何かしら安全を計ることが必要なのである
それは民間だけではできない、利益を上げなければできないからである
ただ人間は安全に投資したくないのである、それは原発でもそうだったし知床の観光船の事故でもそうだった、だからこの安全を計ることは国ですることが必要にもなる
でも原発では国の保安院が不安員と言われ飾りにすぎなっかたのである
何もしないで金をもらっていたのである
とにかくどうして安全を維持するのかこれが社会の大きな問題なのである
ただ完全な安全はありえないとなる、必ず人間にはミスがあり事故になったりする
そもそも地球自体に安全がない、絶えず自然災害があり安全安心は得られないのである
完全な安全は神の国でしかありえないのである、そこに人間の限界がある


2022年11月03日

財布を入れたジャンパーがなくなった謎 (盗難とは思えない?カードは銀行で止めた)


財布を入れたジャンパーがなくなった謎

(盗難とは思えない?カードは銀行で止めた)

ジャンパーを探したらいつものあるところにない、財布を入れていたのとそこにカードを入れていた、金はそれほど入っていない、これは盗まれたとは思えない
また忘れたとも思えない、なぜならジャンパーだったらどこかに忘れるとかないからである
そして毎日買い物に行ってそのジャンバーの置いた場所が決まっていた
だからどうしても盗まれたとか思えない
でもいくら探してもないのである、でも何か小さなものだったらひょいと後から出て来るこれは大きなものだしなくしにくいものである
いつも同じ場所にぬいで置いていたからである
ただ盗まれたものでなくても一瞬盗まれたと思い込むことがある
でもこれはどうしてなくなったのか見つからないのかわからない
ただその額は小さいからたいしたことがない、カードは銀行に連絡してとめてもらえばいいからである

何か自分は災難つづきであり終わっていない、震災津浪がありそれから泥棒も入って来たし大金も近くの人に盗まれたとかある
でも今回は被害はたいしたことかないからとても盗まれたと思えないのである
でもどうしてもジャンパーだけがなくなっている、そこに財布が入っていたということがあり不可解だとなる
盗まれたとしたら近くの人かもしれない、なぜならジャンパーから財布を取りだして買い物していたからである、それを見ていた人かもしれない
ただそれもわからない、後は荒らされたものはないからだ
前は金庫を開けられた、でも中には金は入っていなかったし家には金を置いていない

ともかくどうしてこうして災難がつづくなのか?

私自身に関してもまた自然災害でも起きる、今年起きた地震の片付けもしていない
また地震で被害が大きかったところは家そのものを壊したりしていた
家の屋根などをまだ直している人がいる
そして今年は円安になり物価高になりウクライナ戦争になりと災いの歳だった
寅年はやはり大きな災いの歳だったとなる

ただ確かなことは経済的に困窮してくると犯罪が増える、だからいろいろなことがあり
追い詰められた人達の犯罪が増えることはありうる
すでにそういう傾向が出てきているのかもしれない、別に田舎でも今は都会と変わりないのである、隣が何をしているかわからないとかある
田舎の人が素朴だとかない、むしろ今は田舎の人の方の何か非情だともなる
つまりどこでも今も金だけの世界であり金に困窮すれば犯罪が増える
だから今の日本は危険になってゆく

ただ正直どうしてもそのジャンパーが盗まれたとは思えない、でもそんなもの盗んでもしょうがいなとなる、財布が入っていたから盗んだのか、でも中味はカードくらいだったのである、それにしてもわからないのはジャンパーがなくなることはありえないとなる
その前の日に買い物に行って帰りいつもの場所に置いたからである
どこかにまぎれることもないともみる、置く場所を決めていたしそれは目立つ場所だったからである

しかしこれは謎であり本当のところはわからない
でも田舎でも都会と同じようになっているし金だけの世界となると金がねらわれやすいとなる、少額の金でも殺された人がいるからだ
つまり田舎でも今や安心できない、そして格差社会というのは危険なのである
人間余裕がなければ他者を省みたりすることはできない
つまり経済的困窮から犯罪が増えるのである
でもとても盗まれたとは思えないのである、だからこれは不明のままに終わる
たいして被害もないからである

ただなぜこうして一身上でも災いが起きて来るのか?

これがわからないのである、災いが多すぎるのである、今回は別にたいした被害ではないからいい、でも不安になる
確かなことは日本全体でも田舎であれこうして何か災いが増えてくる
日本全体が貧困化して盗難でも増えてくる、そして来年に関してもいいことを言う人はいないのである
今年も二カ月で終わりだが今年も災いの歳だった、そして来年にも期待できないのである
それは日本全体でそうだから都会でも田舎でも変わりないのである

とにかく現代は信用するというとき対面的ではない、システムとかを信用するとなる
グロ−バル化すれば外国からも買い物するから村社会のように対面的にはならない
するとそこにいろいろな問題が生まれてくる
何を信用するかとなる、カードは支払われないようにした
でもまた他に手続きがありめんどうになる、今の社会はネット社会になると手続きとかでもめんどうなのである、デジタル社会というのは何かめんどうなのである
老人にとっては特にそうである、デジタル社会の一番の問題は信用なのかもしれない
どうして逢ったこともない人を信用するのかとなる
そもそもグロ−バル化社会というのは何に基づいて信用するのかとなる
だからこそ株でも何でも何かそこで知らないうちに騙されていることがある
簡単に数字を変えたりすればわからないから巨額の金がいつのまにか銀行とかでも不正に引き出されたとか常にある、それはわかりにくいからである


今回のことは不可解である、でもカードを使われるとまずいから銀行に連絡して止めた
だから被害はない、でも後の手続きがめんどうなのである
デジタル社会というのは何か現実感がない、仮想空間のようになっている
そこで問題になるのが信用なのである
近くのスーパーでカードを無くした、一万ほど入っていたがカードが見つからず損したとなる、それは他人が使っても止めることができないからである
だからカードを使って一年に何千円かもらったとしても損だとなる
保険もないから損だとなる、それは結局安全の問題なのである
安全と信用が確保しにくいのである、そしてデジタル社会は操作されてだまされやすいことがある、それがわかりにくいからである
ただ今回のことは何かわからないから盗難だったと決めつけられない
二回の盗難ははっきりわかったが今回は実際は不明である

ネット社会だと相手を信用するのだろうか?そのことでネットでやりとりしてだまされたとか犯罪でも起きる、それは相手のことがわからないからである
でも田舎だからといって今や本当に隣でも何をしているかわからない
みんな村社会のようにつながりがわるわけでもない、匿名的社会にもなる
孤独死になるのも田舎であった、だから田舎で都会化しているのである
不特定のものが交わる社会でありそこに問題が起きて来る
でもそれが社会になっているのだから適応するしかないとなる
ネットで何か対話するにしても相手のことがわからないし対面もしていないからまず相手を信用できないことがある、何を求めているのかもわからない、それでプログでも今は対話していない、何かただケチをつけて面白がるとかありいちいち対応できないのである
ただ相手を貶めようとか真面目に話し合いできない、それはネット空間だとどんな人がいるかわからないし責任もないからである

それでも対話しているのはニュース記事とか読んで対話している、他のプログでも関連したものを探して対話している、そこではやはりその人なり意見がそれなりの文で出しているから対話できなるとなる、一行二行とかで対話しにくいのである
そこでは深い対話はできないのである
でもネットだからといって全部信用できないことはないし外部から来る人でも信用できないとはならない
むしろ内部の人達が信用できないこともある、そこで実際に犯罪があるからだ
仙台市から来た創優建というリホーム会社は百万でユニットバスを作ったがいいものだった、別にここに不正はなかった
安くていいものだったからである、だから人間が内部外部にかかちわず信用できるかできないかわからないのである

ただ広く人が交わる社会だから信用が問題になることは確かである、でもそれは別に内部でも田舎だからと今は信用ならない
江戸時代の村社会とは違うからである、江戸時代だと隣の村から来た人さえ信用しない、麦つきに若い人が蛇だったという伝説が残っているのもそのためである、それだけ隣の村の人とも交わらないからそうなった
でも今はその何千倍とか何万倍とか何億なのかグロ−バル化して人と交わる社会なのである
そうなると何を信用するのかということが問題になるのである、契約ということは見知らぬ人がするものであり村社会では日本でしていなかった、それは安全を計るものでありだから細かく損失があったとき賠償させるようにしたのである
そうしないと見知らぬ人を信用して取引できないからだからでア

今年も災難の年だった、もう災難はいつまでつづくのだろうか?

来年もいい年は期待できない、何か鬱になってくる、つくづくなぜこんなに災いが起きて来るのか、それがわからない、ただもともとこの世は火宅の世であり災いの世であり変わりなかったのである、人生70年とかあれば必ずこうして大災害でも小災害でも災難が必ずある、これを逃れることがてきなのが人間社会なのである

カードで一番怖かったのはレンタルサーバーの支払いができず消されるところだった
入院していて手続きをしていなかったからだ
電話が通じて助かった、余裕は一日もなかったからだ、危機一髪だった
もし電話が通じなかったら消されていた、その日は日曜日でも通じた、今はさくらでは電話予約であり一週間待たないとできない、チャットはしているがめんどうである
デジタル社会は何かこうして手続きとかめんどうであり何か不具合でも一瞬にして記録したものが消えることがある、それが一番怖いのである
ただ今回のことは謎である、でも小さいものだったら後で出て来ることがあるが今回はないとみる、ただ私はどうしても何かと不注意であるからわからない、何度も失敗しているからである




2022年09月19日

昭和33年の新聞記事(2) (貯金が奨励されていた、−映画館のこと)


昭和33年の新聞記事(2)

(貯金が奨励されていた、−映画館のこと)

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福島市の相互銀行で十月二十日から一か月間を貯蓄増強運動期間として映画会などを行っているが農村での効果がない、全国規模の銀行の福島支店でも農協の進出には手がでない東邦銀行でも貯蓄宣伝映画会に一千人近い観客がおしかけた

高度成長前は農民が主役であり農民から銀行に貯金させるために銀行が映画会をもよおして宣伝していた
この映画会というのは何かというと映画自体がめずらいしものだったのである
映画というのは簡単に見れないものだったのである


中学、高校時代、映画が好きで、映画評論家になりたかった。
だから、中2〜高2の4年間は年間200本以上の映画(洋画)を観た。
いい映画もつまらないものを知って初めて、良さが解るという理屈で、手当たり次第
お金が出来れば、映画館に行った。
そのころ、1年で公開された洋画は250本くらいだったから、成人向き以外は
殆ど観た年もあった。

小遣いがたくさんもらえる訳も無いので、親から昼食代(パン代)を貰い
お昼を抜いて、お金を作った。
親の財布から千円札を拝借したこともあった。(金沢市の映画館)

満員で扉を開けたまま伸びをしながら見た覚えがある。あれだけ大きな劇場がいっぱいになった映画は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。(東京の映画館)

映写スタッフの主な業務は、映画の上映作業でした。
人の身長ほどある映写機に、丁寧にフィルムをかけていき、定刻に上映を開始します。
映画のフィルムはとても一人では持てないくらい大きく、軽トラの荷台にやっと置けるくらいの大きさで、映画一本分となっています。

金沢市では映画館が多かった、でも原町区の朝日座とか鹿島にも駅前に映画館があった、そしてニュースは必ず普通のドラマが始まる前に放送された
そのフィルムは鉄道で運ばれたのである、その時蒸気機関車だったのである
鉄道で運ばれるということはリアルタイムではない、何日遅れて放送されていたとなる
無線の時代ではない情報でも何か物として運ばれていたのである

要するに映画とか映像でも動画となるとなかなか見れないものだったのである
貸本屋から漫画を借りて読んでいた、人間はやはり映像を求める、だからデジタルカメラ時代になった、まず動画となると見ること自体が簡単にできない時代だった
動く絵を見ることは驚きだったのである
だからこそ金がない時代なんとか工面して映画を見たいとなっていたのである

そのフィルムを運ぶのに蒸気機関車だとどれくらい時間がかかったのか?
上野からでも相当に時間がかかった、一日かかりだったかもしれない、その頃情報は新聞が担っていたのである、だから古い新聞は今になると価値があると見た
つまり歴史の記録として価値があるものと見た、その頃一体どうなっているのかわからなくなっているからだ、ただ今だとインタ−ネットからでも昔を語る人がいるから当時のことがわかる場合がある

ともかく貯金が奨励されていたということは日本の経済が高度成長時代に向かう時代でありいくら資金があっても足りない時代だったのである
資本主義は資金が必要である、それで私の家で戦後店を始めた時その開業資金がなくて困った、それも数万だったのである
それでその数万でも銀行は貸してくれず知人に頼んだ話を何回も聞かされた
銀行は借りたい人が多い時必要であり価値あるものであった、今価値がなくなったのは借りたい人が減ったからである
その店といっても簡単なものでありただ商品を並べたようなものだったのである
でも物がない時代だから物を置けば売れたのである
昭和33年代はまだ農業中心の経済だった、だから農民から貯金を集めようとしていたのである

何か個々人でも記憶は時間がたつにつれてあいまいな希薄なものになってゆく
だから個々人の記憶だけではないみんな記憶を集約することが必要になる
ある人はその当時こういう経験していたとか私はこういう経験したとかを語る
すると当時の時代的な全体像が浮かんでくる、イメージできるようになるのである
映画館一つにししてもいろいろだからである
ただ映画館に対する熱気は今と違っていた、立ち見して見ていた、それもかなり疲れる
でも映画を見たいとういことでそうなっていたのである

人間は情報を得たい何かを知りたいということは変わらない、それでテレビ時代となったのは何かテレビに動画が写るだけで驚きだったのである、映画でもそうだが次はこうしてテレビ時代になった、このテレビに対する熱気も異常だった
みんなテレビに釘づけになったのである、それは昭和33年頃テレビが出てきたのである
でもどうしても高校までオリッピックの時蒸気機関車がこの辺を走っていたことが不思議なのである、そんなころまで蒸気機関車だったのかということが不思議なのである
蒸気機関車だったら上野までどれだけ時間がかかったのかとなる
東京とか上野は遠い所だったのである、そして考えられないのは原町紡績の中に引き込み線があり鉄道で生糸を運んでいた、それを横浜まで運びアメリカに輸出したとなる

それは戦前だが蒸気機関車だったということが何か自分の場あい思い出せないのである
というのは高校までは蒸気機関車に乗ったけど蒸気機関車で遠くに旅したことがないからだったともなる、その後鉄道マニアのようになったのは鉄道で自由に旅した結果だとなる
人間は本当に一時代が過ぎると時代のことがわからなくなる、その雰囲気もわからなくなる、今なら貯金など奨励しない、貯金しても利子もつかないとかもう貯金してくれるなとまで銀行ではなっている、貯金しただけでもう今度は逆に財産税として税金をとられるとまでなる、それが時代の変化なのである
だから農協でも銀行でも昔とは感覚的に相当に違っている、農協、銀行、公務員は安定した就職先だったからである、地方だとエリートとなっていたからである
今は銀行員は投資信託とか株とか売る証券会社にもなったのかとなる
銀行に金はあっても投資先がないとなり金余りとなっている
そういう時代の雰囲気はなかなかわかりにくい、でも高度成長時代は日本では相当に恵まれた時代だったのである




2022年08月19日

キクチスーパーのカードをなくして失敗 (何カ月かでポイントたまっても大損だった)


キクチスーパーのカードをなくして失敗

(何カ月かでポイントたまっても大損だった)

キクチスーパーのカードをなくして失敗した、三回くらいなくしている
ただこの前はなくしてもカードが後からでてきた
そのカードには実際金は使っていたのでわずかしかなかった

今回は一万入れたばっかりだった!

だから大損だった、ポイントたまって何カ月一回か300円もらえても一回落としたら
なくしたら何千円も損する、今回は一万近くだから大損になる

「カードなくしたんですが」
「見つかりません」
「一万入れたばかりだったんです」
「そう言われましても、私たちにはどうもできません
「責任は私たちにはないです、あなたに責任があるのです」
「・・・・・・・」

こうして結局何も言えないのである


今はキャッシュレスの時代である、でもこのカードもなくしやすい、キクチのカードは常に使うから出し入れしているとなくしやすい、三つくらい他に使っているから混同して
なくしやすいのである

そして他のカードのように使えないようできない!

他のカードだと銀行であれ郵便局であれカードはなくすと連絡するとカードが使いないようにできる、でもキクチのカードはできない、なくしたらそれっきりであり返ってこないそして常にカードに入金するチャージするからめんどうなのである
こうしてなくすことがあるから大きな金を入れにくいのである

ここで問題になったのは何か?

つまり保証とかの問題である、もしこうしてなくしてもすぐに使えないようして
またカードを作ることができればそんなに損はしないのである
確かに一万くらいだからたいしたことがないともみる
でも一万損したとなると日々の買い物で何か大きく思える
なぜならポイントがたまるからと300円もらえるからとカードを使っていても一旦なくすと大損になるからだ
結局奇妙だがキクチスーパーでは損しない、もうかるのである
一万分なくしても一万は入金していて返すこともないからである
落としたのはあなたの責任ですとなっているからである

でもここに問題があった、カードはなくしやすい、するとその保証が必要だとなる
保険が必要だとなる、その損は大きいからである
もちろん一万とかたいしたことがないと思っても何か今回大きな損を感じたからである
現金支払いはめんどうだとなるしキャッシュレスになるのはいいとしてもこれにも問題がある、そこでキクチスーパーのカードではない別のカードで支払うということを考えた
他のカードだと割引があるし無くしてもすぐに停止できる
ただ今他のカード支払いのことが良くわからない、でもキクチスーパーのカードはなくしたら保証がない、ポイントがたまり何カ月かに一回300円もらっても割りに合わないと思った

何が保険をかけるということはこういうことかもしれない、一万はたいしことがないにしても必ず人間は自然災害とか人身事故とか病気とか突然の災いにあう、その時の保険が必要になる、それは一万の損失とは違って命にもかかわる大損になるからである
だから東電ではそのリスクをさけるために原発でも国に保証されてしていたのである
事故の結果としてその後始末に20兆円もかかるともなっていたからである
時間的にも30年かかるとかの考えられない大損失だったからである
そのリスクがあるのでこれは国で保証して管理するものでもあったのだ

株式でもヨ−ロッパで資本主義が発達したというとき大航海時代に船の株主になり無事に帰ってきたら大儲けになり配分がある、でも失敗したら事故にでもなったら大損になる
それで株主を集めてリスクを分散したとなる、とても失敗したらその賠償ができないからである、そしてとても一人ではその損失を担うことができないから大勢が株主になり
リスクの負担を分散したとなる

車だと常に事故があるから自賠責が強制されている、それに入っていなかったら事故を起こして死んでもとても一人では払いきれないとなるからだ
それでみんなでそのリスクを負担するのである、保険はそういうことから生まれてきた
でもキクチスーパーとかで発行しているカードには保証がないし保険もない
それはカードをなくすことが客にあったとしてもそこに責任がないからである
一万くらいどうでもいいとかなる
でもそれが大きな事故とかなると必ず補償を要求されるから保険をかける必要がある
船の運航でもなんでも保険をかけている、知床の観光船でも結構高い方の保険に入っていたのである、それで船主が高い保険に入って良かったと言っていたのである

ともかくデジタル社会にもキャッシュレスでも問題が盲点があった、そもそも保険のことが良くわからない、それで毎年五万払っていた火災保険とかやめた
農協のものだったがたいして災害にあって家が壊れてももらえなかったのでやめた
でも保険はやはり人間生活で必要だから生まれたことがわかる
ただその金を払うことが損に感じるのである、何もなければ損しただけだとなるからである、病気の保険があるとしても結構毎月払ってゆくのは大変である
でも必ずしも病気になるとは限らないだ

ただ年金というのは保険の一種だったかもしれない、若い時から積み立てていて老後にもらうという保険の一種だったかもしれない、今になると自分は得している
20代からかけているからだ、それも自分が払ったわけではない、親が払ってくれていたのである、その間に空白もないからである、だから私の場合は特別に親に恵まれていたのである、遺産も入り生活にも困らないとなっているからだ

ともかく保険は無駄に思えるのである、それは不慮の事故とか災害でもめったに起らないでも起った時はカードをなくして一万損したということでも大損だと意識した
金も一万でも実感するのである、ところが余りにも金が大きなると人間は実感できなくなる、だから大きな金を無駄にすることがある
一万落とした千円落としたとか盗まれたとかでも意識する、でも大きな金になると意識できくなる、それは人間の日ごろの金の使い方が千円とか二千円であり大きな買い物でも
それほど使わないからである、だから小さい金は常に意識するし感覚的にわかる
だから一万でも大損だと意識したのである

ただ三回くらいカードをなくしてそれがまるっきり損になるとするか使いないなと思っただから対策をしようとしているが今のところわからない
スマホを始めたからその辺のことも調べないとわからない
でもどうしてもキクチスーパーのカードは使いたくないとなった
他のカードはいいのである、シシドスーパーのカードはいちいちそのカードで支払うのではない、ポイントがたまったらやはり何カ月に一回か300円とかもらえるものである
一万とか入金してチャージして使うものではないからいいのである
ツルハでもそうである、ツルハは少額でもたまったら使えるようになっているから損することはない、それでもキクチスーパーでは一番多く買い物しているから困るのである



2022年07月04日

auで丸二日通信障害 (公衆電話が見直される―無線は不安になる)


auで丸二日通信障害

(公衆電話が見直される―無線は不安になる)

私はauのスマホ買ったけど音声の電話は利用していなかった、でも一日でも電話ができないと困る人が多いと思った、それだけ携帯であれスマホであれ日常的に使っている
仕事でも使っているから深刻だった、復旧に時間がかかりすぎたのも問題だった

この無線障害はパソコンで経験している、マウスでもキーボードでも無線で操作していたが何かの調子でつながらなくなる、もう5、6台も使えなくなっている
それで相当に損している、無線だと使っている内必ず何かの調子で使えなくなる
その修復が私はパソコンにも詳しくないのでできないのである
確かに接続するためのレシバーに問題があり修復を試みたができなかった
それでそのまま放置していて今では線をついたものを使っている
これなら安心だと思った

つまり無線は何かめんどうであり安定しない、不具合が起きると直しようもないと見る
それで二階にルーターがあり下に線をつないでパソコンを利用している
無線にすればいいのだがこれも自分は機械に詳しくなくできないのである
YIFIの設定ができないのである
そして無線は安定しないのである、これは何でも通信でも無線化するけど実際は相当に高度になるから故障することがある
またクラウドなどでもそこに無線で情報を記録させておくのも不安になる
まだusbとかでも手元にあり物としてあれば安心だとなる
なぜかというと通信できなくなる、アクセスできなくなる不安がある
何かの不具合でアクセスできなくなる、例えばパスワードを忘れるとか大きな問題なのである、これでアクセスできなくなったことを度々経験しているからである
一瞬にして記録が消えてしまう恐怖にいつもかられるということがある

線で通信するのはアナログになるが安心だということはあり公衆電話が見直されたのである、緊急時でもやはり線でつながっていれば安全だともなる
つまりアナログ的なものでも人間にとって必要なものだと見直されたのである
でも公衆電話は激減している、だから使えなくなる
すべてデジタル化してゆくとそこに大きな問題が生じる
無線化してもアナログ的なものは安心のために残したいともなる
ただコストの面で維持できなくなっている

安心のために一社だけではなく二つの会社の通信を利用しているというのもわかる
一社がだめになってももう一社で安全を計る、でもコストがかかるとなる
仕事で使用している人はそうしている人もいる、仕事では相当に一日でも通信が途絶えると困る、それだけあらゆるところで無線通信化しているからである
ただデジタル化となるとそれも問題がある
何か安心できないのである、人間でも対面的でないとか相手の顔が見えないとかもある
そこで信用できないともなる、日本人はそもそも直接会ったりしないと相手を信用できないということがあるからだ
話せばわかるとか腹でわかるとか直接会うことで相手を見る信用するとなっているからだただ別に直接逢っても騙されることはあるし信用できるとは限らないことは確かである
その兼ね合いがむずかしいのである

だからパソコン通信で文章だけで会話しているのも不思議だった、なじめないことがあった、今でもそうである、面と向かって話しなければ何か違和感がありなじめなかった
これはやはりメデアが変わるとそうなる
ソクラテスは面と向かって話すこと対話することしかしなかった
文章にはしなかった、つまり文章すら信用していなかったとなる
ただ携帯電話とかだと声で話すから昔の電話とも変わらないことがある
つまり声の調子とか音声から相手のことを感じる、相手の体の調子とかでも声から感じることもある、それは文章だけのやりとりだったらできないのである

それでデルのパソコンを通信販売で買おうとして相談したら相手の人は中国人の女性だったのである、その女性が日本語が上手だったのに感心した
それも日本人相手にパソコンの相談できるとなると日本語に通じていないとできない
そのためにその中国人の女性に好感をもったのである
そしてデルのパソコンを買うことになったのである
そもそもデルのアメリカの会社に中国人が雇われているということもグロ−バル化している、中国人はどこにでもいるとなる
70代の女性は毎日親戚の女性と一時間くらい話ししている、やはりじかに声を聞くということで相手と通じる、女性は話し好きだからそうなるのである

それにしても一日くらい通信が途絶えてもこれだけ大騒ぎになる、一日くらいどうでもいいとなるがそうではない、それだけもう欠かせないものとなっているのだ
だから一旦今回のように故障すると大騒ぎになる、補償問題にもなる
それは電気でも同じである、一日でも電気が止まったらもう社会が回らない
血液の流れと同じになっている、電気社会になっている
それで30、40年前の推理ドラマを見ているとまだ電話の時代であり固定電話でやりとりしているのがなつかしいとなる,パソコンも普及していないでワープロだったとかなる
それだけ通信では進歩した、ロシアがウクライナとの戦争で通信技術が進歩していないので連絡がとれないとかあり不利になった

やはり通信というのはそれだけ影響すると見た
でも戦争とかなるとこの通信設備が攻撃されて破壊されるとお手あげになるかもしれないその怖さは通信にはある、でもインタ−ネットは軍事関係から生まれたもので一部がつながらなくてもつながるようになっている
今回のauの通信障害でもインタ−ネットとかメールは見れていたのである
ただ音声での電話が通じなくなったのである
いづれにしろ通信しろ電気の問題でもこれなくしてもはや社会が回らない、そのインフラの安全性を確保することは生死にもつながっている
現実に救急車も呼べないとかあったからである、それで大騒ぎになったのである


au通信障害の本質的な問題。総務省、自民党がNTTに接待されていた問題がボディブローのように効いてきた・・・日本のネット産業は自民党の利権と化したNTTの事-一月万冊

NTTが独占になっていてそれが政府と結びついていることが問題だとしている
auとか他の会社でもNTTのインフラにのっかかっている、競争がないので問題としている


三上)auが機器のメンテナンスをしておりました。ルーターと言われるネットワークの接続装置を、古いものから新しいものに取り換えたのです。その交換時に、設定などの人為的ミスがあったようです。

ルーターなら個人でみんな使っている、私の家のルーターは古いので変えようとしたができない、操作ができないからだ、でも十年前以上のものでも別に困らない
だから変える必要はない、ただ二階にルーターがあるので線を伸ばすので不便だとなる
こういうことを誰にも頼めないのである
電器屋でもこうした設置をしてくれないのである

ともかくルーターは変えない方がいいとわかった、何かへたにいじると電気関係は事故になったりパソコンでも不具合になるから簡単にできないのである
ソフトの不具合は再起動すると治るからスマホなどでも個人の不具合はそれで直ることがある、ただルーターとは電信会社でも使っていた、本質的には規模の大小だったのかとなる




2022年05月17日

老人は金あっても消費できない (でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)


老人は金あっても消費できない

(でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)

老人になると70以上になると消費するのが病気とかのために薬とか医療費になる
老人になると貧困化してそれすら苦しくなる人が多くなる
栄養をとれと医者に言われてもできないと言う、その人は4,5分働いても後はなにもできない、常にどこが痛いと苦しいというからである、そんな人は誰も雇わないだろう
もう働けない状態である、老人になるとそういう人が多くなる
もちろん元気な人は元気である
最近自分自身もそうなのである、自転車で運動した後、腰とか筋肉が痛くなるようになった、私はそれなり体は動く、ただ結構自転車で遠出すると体に負担になるようになった

そうなるとどうなるのか?

消費するものがあっても買いたいものがあっても買えない、それは金がないからではない消費する力がなくなったということである
今持っているヤマハの電動自転車は楽だから30キロくらいは楽に行ける、だからこれは意外と老人向きだった、もともと電動自転車は老人向きにヨ−ロッパで作られた
足腰と体力がなくなった老人向きに作られた、ユニットドライブという心臓部分の性能がいいと楽に走れるのである、だからこれがあるので一応遠出はできている
ただやはり筋肉が痛くなったり疲れるようになった
それで遠出するツーリング用の電動自転車がヤマハから出たので買おうと思った
でもそもそもツーリングとなればキャンプ道具も必要になる

それは相当に体にこたかえるしめんどうになった、それだけの気力もなくなったとなる
つまり何か老人がしたいと思っても金があってもできなくなるのである
それも30万くらいだがもしまだ体力があり若かったらできたからすぐに買っていたのである、それは今持っているユニットドライブと同じものだからである
その性能は経験済みでいいことはわかっているからだ
でもこれがツーリングとかなったらもうできないとなる
こうして70以上になるとできていたことができなくる、ただ車などは80くらいまで乗れるだろう、体力がいらないからだ、バイクとかなるとこれも厳しくなる

またスマホとかも買ったがこれも使いこなすのがむずかしくなる、ただ私はパソコン歴が長いからできる、でも使いこなすとなるとなかなかできなくなる、スマホは応用範囲が広いと思った、前だったらいろいろ応用できていたのである
何か最近の電気製品は使いこなすのがめんどうになっている、テレビですらいろいろな機能がついていてわからなくなる、パソコン化しているからだ
こうして技術的に老人はついていけなくなる、そして老人が買いたいもの、老人に適した商品が開発されて売っていないというのもわかる
すると老人が持っている金が回らないともなる

では老人が金が使えないのか持っていても使いないのかとなると違う
金はいくらでも使えるのである、なぜなら老人でも日々の食すら事欠いている貧困社会になっているからだ、そういう人が来た毎日嘆いている、だから援助しているとなる
そんな老人は今はいくらでもいる、食べることすら事欠いている人がいくらでもいるのだその格差も大きいのである、だから別にいくら金持っていてもそうした窮乏老人に金を回せばいいとなる、他にもいくらでも使い方はある
ただ何か使うおとしても使いこなせないということが障害となっているのである
温泉回りしている老人は多い、だから何か老人に向いた消費の仕方はある
でも一般に貧困化しているから第一日々の食べることと後は電気、水道ガスを月ごとに払えない人もいる、そしてこれらが上がっているからまた物価でも上がるとこうした貧困化した人達や年金生活者にはひびいている
だから貯金のある老人はない人に金を回せというのもわかる、金の使い道がないということなばありえないのである

意外と有効に消費することは生産することにも通じている、そもそもパソコンでもスマホで使いこなすことが難儀だからである、老人になればあらゆることが使いこなすことが難儀になるのである、認知症になったらテレビをつけるリモコンのボタンすら押せなくなっていた、機械はもう操作できなくなっていた、今や機械時代になると機械の操作に追われる、パソコンとかスマホでも操作に追われているのである
本だったらそういうことは全くないのである、それで老人は操作できない使いこなせなくなっている、こういうことは今の時代では特にそうなっている
すると老人は金があっても消費ができないので買わないとなるのである
すると経済は回らないとなる、せいぜい医療費に使うということで他のことに使わないからいろいろなもの開発して生産して売るということもなくなる
何しろ新しいものは若者は飛びつく、そして技術開発がある
パソコンでも最初パソコンマニア同士で通信もしていたのである
それが技術開発に役立ったいたのである、だからその時代はマニアしか活用できなものだった、不具合があると必ず一からセットしなおすほかなかったのである
まだおもちゃのような段階だったのである

要するに老人はどうしても消費意欲が衰退する、なぜなら木を植えようとしてもそれが成長するに十年とかかかるとなるともうしたくないとなる
すぐ結果があるもの成長した木を植えた方がいいとなる、老人は気長に待てないのであるそのうち死んでいるとかなる、それで原発事故で取り残されたのは老人が多いから復興しにくいものとなったのである、若い人は流出したからである
投資にしても長い目で見れば意外ともうかるものである
それでリーマンショックで半分になったのが10年くらいでもとにもどり今になると
倍にもなっていたのである、だから長い目で投資すれば意外ともうかるものなのである
でも老人は先がないし投資はめんどうだからしない人が多い、それで貯金だけ増えているとなる、その貯金すらない人が多い、平均は持っている人に左右されて高くなる
5人が50,50,50,50、100とするとき300÷5=60になる
でも実際は50持っている人が大多数だとなる、さらに30、30,30、50、50、50、50となると30から50の範囲が収入とみるべきだとなる
だから100持っている人が50持っている人に10をまわしてたせば60になる
そこで平均化する、そういうことが必要だともなる

いづれにしろ長い目で老人が見れないということを知るべきである
なぜなら毎日本当に明日死ぬのではないかとリアルに思っているのが老人なのである
ただそうなるとこの世からおさらばするとなるから気が楽なのである

なぜ若い人に自殺が多いのか?

それがこれから長い人生を生きる重荷のためである、その重荷から解放されたいからそうなっている、老人はもう死ぬだけだとなるとそうした重荷を感じなくなるのである
どうせ死ぬんだ、この世の嫌な人とも合わなくていいとかこの世の様々な嫌なことももう経験しなくてもいいとか何かこの世の苦しみから解放されるようもなる
極端な話、どうせ死ぬんだからこの世のことをいろいろ考えても無駄だとなる
それで最後に世間のことなど気にしないで大きなことをしてやろうという心境にもなるかもしれない、どうせ死ぬんだからとなるとそういう気持ちになる
もういちいち世間のことああだこうだと考えなくもなる、気にしなくもなる
それでプーチンがあんな思い切ったことをしたのかともみる
死期が迫って最後に大博打を打ったのかもしれない、 どうせまもなくこの世とおさらばする死ぬんだから世間のことなど気にしない、大きなことをしてやろうという気持ちにもなる、余りにも世間のことに縛られ過ぎて小心になっていたことでその反動がでてくる

核もろとも人類が滅亡しても俺の知ったことではない、どうせ死ぬんだから

核を使って核と心中して最後は果ててもいいと考えたら怖いことだとなる、でも老人はそうしてどうせまもなく死ぬんだからそれでもいいやとさえることも怖いとなる
そしてささいなことで汲汲として悩んでいたのが馬鹿らしくもなるのである

ただ若い人には老人の心境がわかりにくいのである、老人は意外とこうして精神的には気楽になる面があるのだ、もちろんいろいろ苦しい面はある、貧困で苦しんでいる人もいるでも何か老人はそうした世間のしがらみからもう死ぬんだから解放されるということで
精神的に楽になっているようにも見える、それはまた欲がなくなるとそうもなる
人間は様々な欲があるとこの世に執着するからだ、それで死にたくないとなる
そういう様々な欲から解放されないのである、好きな女性と一緒になれないなら死んだ方がいいとかまた一緒になれない殺すとかまで執着する、するとその欲のために苦しむのである

とにかく高齢化社会のマイナスも大きい、どうしてもこうして老人は消費すらできず保守的になる、新しいことに挑戦もしにくいから新しいものが生まれないことにもなる
団塊の世代が高度成長時代を築いたのはそれだけ若いからエネルギーがあったからだともなる、社会全体が若いからそのエネルギーが強烈なものとなってそうなったのかもしれない、それも幸運だったのかもしれないがやはり若いということと老人の差は大きいのである、ただ若いということがすべていいことにはつながらないのも確かである
年取ると何か今までわからなかったことがわかるようになる
本読んでびっしりと赤線をつけていたがそれも理解できていなかった
今になると深く理解できる、自分なりに理解できるのが不思議なのである
それで批評家に向いてくるのである、なぜなら何でも芸術でも深く鑑賞できるからであるこれは若いとできないのである、ごくわずかの天才はできたとしても普通の人はできないが老人になると洞察力でも鑑賞力でもついてくる、何でも深く理解できるということである、だから意外と老人の時間は充実している、黄金の時間になるのである
それもまもなく死ぬということでそうなっている、末期の眼で見るからそなっているのである



2022年04月13日

家事と機械と買い物 (機械の操作に追われる現代社会)


家事と機械と買い物

(機械の操作に追われる現代社会)

家事というのは相当に年期を経ないとできない、それが意外と広範囲になっているからだ特に料理はできない、十年していてもできない、それはすでに能力であり天賦の才とかないとできない、そして時間がかかりすぎるのである
用意するものが広範囲だからできない、そして何を買ったのか冷蔵庫にあるものを忘れて失敗している、結局人間はいろいろなことに頭が回らないのである
プログに記事を出すだけでも手間なのである

そしてわかったことは家事でも何でも今は機械と深く関係している
いい道具を機械を買うとそれで相当に助かる、でもいい機械を道具を使わないとうまくいかない
その一つが蒸し器だった、大きな蒸し器を買ったがそれが長く時間がかかりすぎていたのである、でも今回の安いものでは三分の一くらいに時間が短縮されていたのである
だからこれを長く使っていたのが失敗だった、時間の無駄だったとなる
料理をするにもやはり道具に左右されている
いかに機械を使いこなすかとで料理でも家事でも相当に違ったものになるし手間がはぶける

なぜ今そうなっいるのかというと戦前辺りは家事は手間だから東京の中産階級でも女中を二人雇っていたとかなる、なぜそうなのかとなるとそれだけ家事は手間だったのである
洗濯機がないから洗濯板でごしごし手で洗っていればそうなる
でも今なら洗濯機に入れればいいだけである
その相違も大きいのである
石油ストーブに灯油を入れるのに手で押して入れるのをしていたら手間だった
それを電気の自動式にしたら楽だった、手間が省けた、その差も大きかったと思う

いかに現代社会になると使う機械に左右される、あらゆる場所で機械を使っているからだ農業だってそうである、昔なら機械を使うより人力でしていたからである
田植えで稲刈りでも人力であり機械でしていないのである
そうなるといかにいい機械で使いこなせるかが問題になる
その機械の良し悪しで仕事もはかどるしそうでないと苦労する
昔なら雇った人間が問題になる、その人が仕事をうまくこなしてもらえばいいとなる
また人数を増やして人力で仕事をするとなる
でも今は人を雇うと金がかかるから極力人を雇わない
だから女中という仕事はなくなったのである、ただ極一部の金持が雇っているとなる
またども働きでも家事が機械化しているから妻でも外で働くことができる

ともかく昔の家事は手間がかかっていた、洗濯するにもそうだし風呂を沸かすのにもご飯を作る、料理をするにも手間がかかる、特に今でも天ぷらなどを作るとそうなる
それでお惣菜でも買うようになったのである
つまり家事はそれだけ手間だったのである

でも機械を使う時代になると今度は機械の操作に追われる、特にコンピュター系はそうである、テレビでふすらコンピュター化しているからだ
スマホを買ったのはいいとしてこの操作を覚えるのが大変だと思った
いくらパソコン歴が長いとしてもまたスマホは別なものだったからである
そうして遂にただ操作に追われる、それが現代社会の生活なのである
ただインタ−ネット化されたことにより通信は格段の進歩をした
雑誌でも新聞でも何でも出版となると印刷から配布するのに金もかかり個人ではできな
それでテレビ局と新聞社が独占して第三の権力となっていたのである
新聞社でもテレビ局でも会社の宣伝になるからマスコミは金になり力をもったのである
マスコミに出るだけでそれで有名になり力をもつこともできたのである

これも今ではメデアが変わった、個人でもyoutubeのようにテレビ局にもなれるしプログでも新聞のような機能があり金をかけずにだせる
いちいち印刷して一軒一軒配る必要はないのである
でも意外とプログでも操作がめんどうであり手間はかかるのである
なんとかワードプレスにしようとしているが未だにできない、つくづく技術は進歩しているから追いつけないのである
私は通信付きのワープロを使っていた、その時文章だけでもアップするのもめんどうだった、でも技術はこうして早い時期からなじんでいればできる
今になるとワードプレスでもできないようにめんどうでできないのである

人間と技術の関係は歴史が始まって以来あった、石器を作って以来あった
石器でも技術的に進歩しているからだ、それから鉄器の時代があり飛躍的に道具は便利なものになった、でもその速度は相当に遅い、今の技術の進歩は早いのである
すると人間の方が追いつけなくなっているのだ
老人になったらもう新しい技術になじむことがむずかしくなる、携帯までは私の母親が90才でもできた、でもスマホとなるとその難易度は格段に違うのである
だから今の老人の不利なのは新しい技術になじめないことである
テレビらただリモコンのボタンを押すだけではないからである

でも技術の進歩の恩恵も大きい、何度も言っているけどヤマハのYPJ-XCは優れものであり楽に走れるから遠出もできる、ドライブユニットが優れているからそうなっていた
それは実はヨ−ロッパで老人にも乗れるように開発された、マウンテンバイクだから
若者向きだと見ていたが違っていた、老人向きだったのである、乗っていて楽に走れるからだ
いづれにしろ技術機械道具の進歩は人間社会に大きな影響をもたらす、車社会になったことの影響は余りにも大きすぎた、社会そのものが変わった、街の通りがシャッター通りになったのもそうである、それは人間の人格までも変えた、車によって人間の人格まで変わったのである、車に人と人の出合いはなくなった、ただ車体が突っ走ってゆく
歩行者とか自転車は目障りであり邪魔なものになる、それだ馬鹿野郎とか叫んで走り去ってゆくだけである、もし江戸時代のように歩く旅だったら世は情けは旅は道連れとなっていたのである

ともかく現代社会は機械が不可欠である、戦争でもウクライナ戦争でもやはり技術の戦争でもある、より高度な技術を使った武器で戦うものが勝つとなる
ロシアが意外と旧式の戦車とか使っていてそれが狙い撃ちされたからである
またロシア軍は通信面でも遅れていて傍受されて位置が特定されて爆撃され被害が大きかったとなる
ただ技術が進歩するのがすべていい方面には働かない、それを象徴していたのが核である原発事故でありロシアが核兵器を使うと世界を脅したことで現実的恐怖となったからである

家事でも何でも現代社会は機械の操作に追われると思った
絶えず機械を操作しているのである、文章を書くにしてもパソコンでありそれも機械を通して書いているのである、だから私は富士通が開発した親指シフトをワープロで使っているから文章をスムーズに書くことができる、それは早い時期になれていたからである
でもスマホはしていないので慣れることが大変なのである
ただ一応パソコン歴は長いからなんとかやれたとなったのである

2022年04月09日

ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した (私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)


ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した

(私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)

米ワシントン・ポスト紙などの報道によると、3月20日、ブラジルとの国境付近にあるベネズエラ南部パリマで、ヤノマミ族の集団がベネズエラ軍の基地を訪問した。ヤノマミ族と軍はこの一帯でWiFiを共同使用する約束を結んでいたが、ルーターを持つ軍が無断でWiFiのパスワードを変更したことで、抗議しに行ったという。その後言い争いになり、軍が発砲。ヤノマミ族の4人が死亡した。
https://www.asahi.com/articles/ASQ496SQNQ49UHBI02G.html?iref=sptop_7_04

ヤマノミ族とかでYiFi使っているのか?
今日auに行ってスマホとアマゾンのfireHDをYiFiで接続できなくなった
それと今SONETで接続してたのをビッグローブに変えることにした
auでは自転車保険にも入った、どこかで故障しても運んでくれるサービスがあるからだ
他にも電気料金もauにまかせた、すると多少は安くなる
料金もいつでもauのスマホで見れる、結局いろいろなものが分散していると管理するのがめんどうになる、何かauの銀行もあるから一か所で帳簿があるようになると便利である

ただ自分の場合はネットをしていても機械類に詳しくないのである
何か今度はルーターを変えるとかなるとその設定がむずかしいのである
そして設定できないと使えないという恐怖になる
現実スマホとfireHDをYiFiで接続できなくなってそれを直してもらうのにめんどうだったからである
ただ近くに店があるので店員に操作してもらったから直すことができたのである

とにかく現代の問題は機械類の操作が複雑になりすぎた、テレビ自体がリモコンを押してチャンネルを選ぶだけのものとは違う、パソコン化している
そうするとこれは老人はこの操作に追いつけないのである
つまり金があってもそれを使いこなすことの労力が大きいのである
自転車ならそんな複雑な操作などない、携帯くらいなら私の母親は90歳でも使えたのである、でもスマホになるとパソコンにもなるからめんどうなのである
そして画面が小さいから自分はもともと嫌だった、小さい文字を見ていると疲れるのである、操作するにはやはり画面が大きくて字も大きい方がいいとなる
この画面の小ささが相当に脳に影響しているのである
視覚的に画面が小さいことは脳に影響する、それでアマゾンのfireHDは画面が大きいから使えると思ったのである、これはタブレットなのだがそれをしていなかったから失敗だった、こういうものは常に操作して慣れてゆくほかないからである

このジャングルの原住民なのか?、その人たちまでYiFiのパスワードでもめていたのは驚きである
なぜならパスワード自体が十個くらい使っていてそれが管理できなくなっている
そして一番苦労しているのがYIFIのパスワードである、これがうまくいかず通信できないことがあるからだ
ルーターのパスワードがそうである、それで未だにYIFIの設定ができずにいたのである
何かこういうのは簡単なようでできない人もいるのである
そしてこういう通信機器の使い方を教えてくれる人がいない、電器店も教えないのであるだから設定することとかで必ずつまづくのである
ただワープロの通信付きのを私は20年前以上から使っていた
そのワープロからパソコンを使うようになったのである、そうして早い時期からスマホでも使っていて慣れていれば良かったとなる

とにかくジャングルの原住民でもYIFI使っているのが現代である
意外とロシア軍が通信で遅れていて不利になっていた
通信というのは連絡するために不可欠でありそれも高度なものになっているから
ロシアはそういう面でも遅れていたのである

何かauで通信会社をプロバイダーとか変更するのはめんどうである
本当はしたくなかった、料金にしてもたいした差がないからである
でも変える時期があり自分でするほかないとも思った
つまり現代は通信環境を整えて置くことが必須であるからだ
何しろ原住民でもYIFIを使っていて勝手にパスワード変えたとして殺人までなったいうのも何か現代を象徴した事件である
パスワードがインタ−ネットの通信だと鍵になりこれを忘れたりするとめんどうになる
そのパスワードが鍵となると十個くらいパスワードの鍵をもっているとなってめんどうになるのだ

今日は半日AUの店にいて疲れた、明日はまた手続きに行かねばならない
桜はほとんど一気に満開になった、今日は暑いくらいだったからだ
今は地震で家の中が散らかっているのでも直していない、仕事が増えたのである
私はずっといろいろ整理に追われているのである
この事件で私もYIFIで苦労したので共感したのである

でも今日はアマゾンのプライムビデオで村田諒太とゴロフキン(カザフスタン)とのミドル級のボクシングの対決を見た、これをテレビで放映しなかったのである
ここにも通信がインタ−ネットに移っているからテレビ局でこの大一番を放送しないというのは相当に変わったのである
私は子供の時一番興奮してみたのはボクシングだった、その時は家にテレビはない、理髪店ととか電器屋とか特別な所にしか置いていなかったのである
それがテレビではなくアマゾンで放映しているのだ
その興業の金は20億とかでもアマゾンとか世界で出しているのである
その資金の出どころも変わったのである、この放送は世界で同時放送されたのである
生放送されたのである、生放送というのはネットで見ていなかった
これももうインタ−ネットなしでは人気番組でも見れなくなる
だからどうしてもネットになれておく必要がある、ただ今にるなと遅すぎたとはなる
私の場合はパソコンでも長くしているからなんとか追いつけるとなるが他の人は携帯まではやれるがスマホとか
通信関係になるとめんどうにはなる

2022年03月28日

アマゾンのfireHD10は使える (スマホとYIFIでつないでどこでも使えるから便利)


アマゾンのfireHD10は使える

(スマホとYIFIでつないでどこでも使えるから便利)

firehd10.jpg

アマゾンのfireHDは買った、買った理由は安かったことである
二万くらいなので試しに買ったのだ、失敗しても良いと思って買った
困っていたのはスマホの画面が小さいから見にくい
それでスマホからプログにアップすることがめんどうでできなかった
また通信でもYiFiだとどこでも通信はしにくい

それでauのスマホでデザリングとかありYiFiにして無線でつなげる
これは便利だった、それほどむずかしくなくできた
私は別にパソコンとか通信にも詳しくない
でもこれは意外と簡単にできた、これができればどこでもつながりやすい
YiFi どこでもつなげるわけではない、限られているからだ
これだったらどこでもつなげるというのは頼もしいとなる

デジタル社会になるとどうしても新しいことになじめない
老人は特にそうである、そうでもやはり技術というのは段階的に進歩してゆくから
パソコンをしていた人はなんとかできるとなる
私はワープロ通信からパソコンになり無線通信のパソコンも20年前とかにもしていた
ただスマホを使っていなかった、だからそこで相当に遅れをとったのである

やっとスマホを買いこれで問題だったのは小さい画面だと見にくいのである
このfireHDは画面が大きいのである、スマホの三倍くらいあるとすると感覚的に
全く違って世界になっていた、映像でも広く見れるから発見があった
この画面の大きさは相当に人間の脳に影響していたのである
狭いということは脳も疲れるのである、広いということは視覚が広くなり視界が広くなるこの効果は大きい、これは買いだと思う
ただ他にタブレットはあるからそういう人は持っている人はすでに経験している
でもこれは安いから試しでも買ってみるべきだとなる
二万くらいだとしたら安すぎる
でもスマホとつなぐと広い画面で見れるからいいのだ

ともかくデジタル分野では次々に技術革新がある、これに遅れると相当に損になる
自転車でもヤマハの電動自転車でエンジンのユニットドライブが進歩したので
軽快に走る、これだと楽だとして老人でも遠くに行ける、そうでないと遠くに行くとなると疲れるから行けない、ヤマハのYPJ-XCは実際は体力がなくなった老人向きにヨ−ロッパで作られていたのである

人間は技術の恩恵も大きい、また技術でも原子力のように事故になりその損害もマイナスも大きかった
技術が進歩すると老人でもなかなか病気になりにくいとか寿命が延びるとかなる
人間の脳でも老人になっても活性化することがある
だからデジタル社会についていけないと時代遅れになってしまう
私はもともと技術のことはうとい、たまたまワープロをしていたことからパソコンに入りスマホでもパソコンだから理解できたのである
つまりスマホでもパソコンを知らないと慣れていないと操作できないともなる
人間は技術の進歩で広がる世界がある、デジタル化は人間の世界を広げる
活性化する、これがすべてではないにしろこれを使いこなせないと相当に損だとなる



2022年01月20日

スマホはパソコンり使いずらい (画面が小さいのと操作が複雑、でも不可欠のものになる)


スマホはパソコンり使いずらい

(画面が小さいのと操作が複雑、でも不可欠のものになる)

小さい画面が苦手なのでスマホを買わなかった、でもスマホも緊急の時必要と思い買った携帯は意外と病院に入院したとき役だった
というのは一応インタ−ネットもできなたので暇なのでそれを見たりまた文章でも書いたりしていたのである
何かパソコンでもこれを覚えるのに時間がかかる、それで暇な人でないとできないと思った

私がそもそもパソコンになじんだのはその前提として通信機器がついていた富士通のワープロを使ったことによる
そこで親指シフトを覚えたことが大きかった、パソコンでも文章を書くことが中心になるからだ、ローマ字入力だスムーズに文章を書けないからである
その通信機付きワープロでパソコン通信までしていた
これをしていたのはパソコンマニアだったのである、素人が今のプロバイダーのようなことをしていたのである,パソコン一台でそれができていたのである
そのパソコンにつながり通信が文字でできていたのである

結局なぜこんなことをするようになったのか?

それは仕事もしていないし引きこもりであり時間があったからである
とにかく最初は通信で手間なのである、だから相当に自由時間がないと参加できないものだったのである、もちろんパソコン自体覚えるのも容易ではなかった
だから高いパソコンを使って金をかけて時間の余裕がある人がしていたとなる
そして理系の人が多かったように思う、それだけ文系とかなるとハードルが高いものだったともみる
パソコンという機械を知る必要があったからだ

私は文系であり機械に弱い、ただ通信がついていると富士通のワープロは親指シフトで文章を書きやすいものだったからである

ワープロ⇒通信機付きワープロ⇒初期のパソコン⇒パソコン

こんな順序で覚えてきた、技術的にはワープロが最初でありそれが進化したのがパソコンでけあったともなる
その後携帯が出てきたがこれはスマホとは違う、電話がちょっと進化したようなものだった、今ままでのように通話が目的でありこれは90歳の母でもできていたのである
なぜならそれは電話だったからである、だから難しくないから普及したのである

スマホとは何か実際に買って試してみてある程度は理解した
やはりスマホはその基礎としてパソコンに習熟していないとわかりにくいものだと思った小型化したパソコンだからである
でもグーグルドライブがあるとするとすでに私はこれをパソコンで利用しているから理解した、つまりパソコンをしていないとそうしたものを理解しにくいのである

ただこれは持ち歩きできるしどこにでも見れる、寝床でも見ている
そして緊急時には役たつと見た、それはどこでも持ち歩けるからである
そこで情報を得やすいからである
特に私に役だったのはメモ機能である、例えば大量の本を整理してようと苦労しているが本の一部を写真にとって記録していると便利である
常に記録したものを常時見るようになり頭に入る
デジカメは写真だけだが記録するのに写真だけではない様々な機能があるからこれはやはり知的作業をする人には欠かせないと見た
パソコンもそうだが今の機械は人間の頭脳の一部と化していると見た
人間と機械が合体しつつある、それがスマホなのである、それはやがて脳に埋め込まれ
人間の脳となる、サイバー人間にもなる
そういう未来がすでに見えている

これから試すのから遠出して旅したりして即座に写真とか文章をアップすることである
リアルタイムで遠隔から情報を送りプログとかに出すことである
それができればリアルタイムの遠隔からの報告ができるとなる
ただパソコンよりは手間になるし旅に出たりする々とそういう時間の余裕がないでしていない、でも前にパソコンではないがノートパソコンで通信できるものがあり
それを使って通信していたことがある、それが通信料が高かったのである
だから私はいろんなことを試しているのである
それが進化してきたのがスマホだとなる

おそらくスマホは画面が小さく見ずらいとか問題があるから欠かせないものになるかもしれない、すでになっているともなる
決済でもそうだしデジタルマネーにも使うとか必須になる
すると難しいから覚えられないとすまされなくなる、ただわかることは技術というのは
初期段階がありそれが進歩してゆく、パソコンの初期段階はワープロだったようにであるそこから今のスマホに進化したとなる
わかることは何らかスマホは頭脳の代わりとなり欠かせないものになる
つまり電車とか車とかは移動する乗り物である、それは人間の足の代わりになる
そしてスマホは頭脳の代わりになるしITとは頭脳と密接に結びついたものなのである
だから今までの機械とは違って頭脳の役割を担うのである
それで翻訳とかAIが進歩してゆく、翻訳機能はすでに高校レベルの先生より優れているかもしれない、英語の先生の代わりになりそれより優れているようにもなりますます進化してゆくのである

ただ老人は技術の進歩に合わせられないのだ、だから未だに新聞を見てテレビを見ているのである、今ならもうyoutubeは情報として勉強するにも欠かせなくなっている
なぜならそれぞれの専門家が直接放送しているからである
マスコミだったら専門家を選び専門家は脇役のようになりアナウンサーが主役だったのである
お前にしゃべらせるのはテレビ局だとなっている
アナウンサが主役であり専門家は脇役である
それで科学者の武田邦彦氏がアナウンサーをひどく怒っていたのである
それもわかる、専門家が主役ではなくテレビはアナウンサー主役だからである
専門家でもテレビに出してやるということでありテレビ局の許可があって少しだけ話せるとなっていたのである

ともかくスマホというのもワープロからパソコンからの延長として生れた
だからこれは継続したものとしてあるから最初からしているのはなじみやすいとなる
スマホでは音声入力で文字を出すのがやりやすい、とてもキーボードで文章を書くようにはできない、タブレットだとできるとはなる
スマホの欠点は致命的なのは画面が小さいから情報処理するのに限界がある、わかりにくくなるのだ、それでなじめないし老人にはめんどうだとなる
ただ技術はその内容を詳しく知らなくても慣れでできることがある
そしてあらゆることを覚えることはない、自分のしたいことに特化して覚えればいいとなる、とても全部は使いこなせないからである

とにかくこれは持ち歩きできる小型パソコンであり頭脳と一体化する
そういう未来を暗示している、やがて頭脳と一体化する
デジカメが眼の拡張であったようにスマホもそうなる、ちょっとメモするとか記録するとかに便利なのである、それが人間にとって大事なのはとにかく人間は忘れやすいのである本だって読んでも忘れる、でも重要な部分を記録して何回も気軽にスマホで見ていると記録したことが頭に入るのである
だからこれは明らかに頭脳なのである、頭脳の拡張したものである
だから知的作業する人には不可欠になると見た、また建築現場とかでも常に仕事で連絡するから仕事でも不可欠になるしなっている
写真を気楽に送れるということで仕事がはかどるとなるからである



2021年12月26日

技術はいつの間にか進歩して遅れてしまう (スマホを利用しないで失敗)


技術はいつの間にか進歩して遅れてしまう

(スマホを利用しないで失敗)


スマホを最近買った、携帯はやめてずっと利用していなかった
だからスマホもしなかった、別に利用もしなかったので困ることもなかった
ただ緊急の連絡のために買った
でもスマホが小型のコンピュターになっていたことで相当に進歩していた

一番驚いたのは音声に入力である、これが正確なのである、翻訳でも驚いたがこれは正確さが違っていた、個人差があるのに正確なのである、音声でテキスト化されることは便利である,キーボードがないから音声入力は便利である
ただまだまだ買ったばかりで使いこなせていないがスマホが現代人の必需品になったことは確かである
自分の場合パソコンの延長として買ったのである

スマホが嫌だったのは画面が小さいことと字が小さいので見にくいから疲れることで嫌だった、それは確かだった、試しにエロ画面とかみたが小さくてこれでは使いないと思ったやはり大画面でないと動画でも見にくいし迫力がないのである
まず何かスマホで創作作業とかするのがむずかしいと思った
ただ本体の家にあるパソコンと連携するのには便利である、ただまだそこまでやれていない、使い方がまだわからないのである

常に技術は日進月歩である、それを見逃していると社会から取り残される
それは老人になると特にそうである、すると今何か起きているのか社会がどうなっているのかもわからなくなる、そして社会から取り残されるとなる
自分はワープロで通信できるのを早い時期からしていた、そこからパソコンに移った
その時のパソコンは素人が作ったようなもので常に再起動ではなく最初からOSの初期設定しなければならないめんどうなものだった
パソコン通信などもしていた、なぜそんなことができたのか?
それは自分が引きこもりであり家に仕事もせずにいたからできたのである
パソコンとかは何か覚えるのに手間だからである

それからするパソコンの技術は日進月歩である、ハード面でもそうだがやはりソフト面でもそうである、それがAI社会になるということにもなった
このことで日本は技術の進歩に遅れとったのである、IT化もできず中国に先を越されたのである、技術は常に進歩しているからそれに追いついていかないと取り残される
そうして日本はIT後進国にもなったのである、経済でも落ちぶれたのである
韓国の方がITでは先んじていたのである、今日本で技術的に優れている分野はわずかである、その原因が最先端の技術革新ができず取り残されてしまったことである
失敗したのは早めにプログでもSSL化しなかったから検索でも取り残されたとなる、SSL化しないと検索すらされなくなるようになったからである、だからなんとかワードプレスに移行しようとしているがめんどうなのである

日本にそういう技術革新ができない訳ではなかったが何か現状維持でも豊かだからいいとかなっていたのである、そこに韓国でも中国でも猛追いしてきていたのである
中国には本当に驚いた、十数年前中国に行った時物価は日本の十分の一くらいだった
貧困国だったのにあんなに発展したことの驚きである、それだけ技術の進歩は早いことである
ここで日本が奢りになったということを書いている、日本は高度成長前にもどり謙虚にならねばならないとしている、日本人は高度成長時代を経て奢りになった
シャパンアズナンバーワンとかなり奢りになった、海外旅行ブームになりそこで日本は成金になって威張っていたとなる
それが今や東南アジアでも馬鹿にできない、貧乏国になった、ただまだまだ校と成長時代のことがあり日本は優れているとかという気分がぬけないのである
それは原発事故でもそうだった、日本は技術が優れているからロシアのチェルノブエリのような事故にはならないとかうぬぼれていたのである

日本の技術力はすごい、事故は起こらない

原発に関しては日本は後進国だったのだがそういう奢りがあり致命的な事故になったのである
何かスマホなどはやらなくてもいいとかスマホは子供に制限すべきだとか言う人がいる
それも一理ある、子供には害になることもある
でも何か技術というのはそうして両面がある、良くも悪くもなる
でも技術が日進月歩であり見逃していると遅れてしまい今の様な日本になる
ただ老人になるとスマホは使いにくいだろう、私はパソコンでなれているから使えるとなる、それでも画面が小さいから疲れるから嫌だったのである
スマホばかり一日見ていることは良くないことは確かである

何かスマホの不思議は武田邦彦氏が常に言っているように平安時代の人々がこれを使ったら無線で話ができるということは考えられないだろうといのもわかる
スマホは常時携帯している、すると何かある人が常にyoutubeなどで発言している
するとその人が憑依したようにどこでもついてくる感じになる
武田邦彦氏のyoutubeはいつも見ているからその人が憑依したような感覚になるのだ
何か洗脳されることにもなる、なぜなら何回も同じようなことを言うからである
それを聞いているといつの間にか洗脳されるともなる
それは場所を選ばず耳に入り眼に入ってくるからである
これは本とはまるで違ったものである
技術の進歩は常にそうして人間社会に意外な影響をもたらす、とにかく技術は社会を否応なく変えてしまう
車社会になったのもそうである、車によって社会そのものが替えられてしまったからである

「政府の施策と相まって先進国への道程における国民各位の協力もまた大きな意義を持っている」

先進国への道はけわしいのである」
「今後は先進国らしい姿に整えることにもこの活力を注ぐべきであろう」
 何と言う謙虚さだろう!  「姿を整える」と2度も言っている

日本人は1人当たりGDPで他国に抜かされまくる現実を知らない

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こういう意識だったのだが高度成長時代を経て日本は奢りになった、日本の技術は優れているとかなっていた、でもITでは遅れたのである
つまり謙虚さを失い遅れていてせ進んでいる国であり技術的にも優れているという奢りになったのが今日の日本の貧困化にもなった、人間が奢りが一番怖いということがある
奢りになると謙虚に努力することもなくなるからである
またもしかしたら日本人の高齢化が新しいものに技術でも挑戦しなくなったのかもしれない
高度成長時代は団塊の世代が主流であり若い人が多かったからてある
その高齢化社会になったことも影響したのかもしれない、年を取るとどうしても保守的になるからである
これからも老人ばかり増える日本で革新することがむずかしいとういことがある
ただそれは日本だけの問題でもない、中国でも高齢化してゆくからである
ただ本当に技術は日進月歩だからいつのまにか取り残されてしまうのである



2021年12月15日

ハンコの失敗 (中国で買った高いハンコの作りが良くなかった)


ハンコの失敗

(中国で買った高いハンコの作りが良くなかった)

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このハンコは中国で買ったものである、だから物はいいのだが名字を刻んだ所は直接彫り込んだものではなく彫った薄いものを張り付けてあった
だからそれがはがれたのである
そしてはがれたなかの端の方がとれてしまった
でも全体的には残っていた、なんとか名字の形が全体的に残っているから使えるだろう
でもこれは大失敗だった、中国製だからいいと思った
もし木に彫りこんでいたらこんなふうにはならない
中国はハンコの本場である、でも材質は良かったが作り方が良くなかったのである
まさかハンコがこんなふうになって使いなくなるようになると困る
結局ハンコもものだから劣化する、でもただ貼り付けるだけだったからこうなったのである

ともかくハンコというのは不便である、いちいちハンコを使用するのはめんどうでもあるそれで日本はデジタル社会に遅れをとった
もしこのハンコが使えないと本当にいつくもまたハンコを押し直しするからめんどうである、ハンコが前時代的なものなのに日本では残っていて中国ではハンコは使わない
それだけ日本ではデジタル化することに遅れているのである
ハンコはもう必要ないのである

要するに中国の方が今進んでいる、このハンコを作ってもらったのは十数年前に中国で作ってもらったのである、一万もしたのである
その時物価が十倍くらい違っていたのである
そして中国はあんなに発展していない、その急速な発展に驚いた
もうハンコの本元でハンコを使っていない、ハンコはもう価値がない
このハンコは材質は良くても作り方が悪かったのでこうなったのである
木に彫られたものだったらこうならなかったのである

2021年11月25日

電動自転車の修理は簡単にできない (都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)


電動自転車の修理は簡単にできない

(都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)

ヤマハの高価な電動自転車でチェーンがはずれた、それを直そうとしたができない
何か簡単に直せない所にうまい具合に入ってしまったのである
前は自力で直せていたからである、それで自転車屋に頼んだが今度は工具がないとか
それが入るために二週間以上かかるとなった
何か簡単に直せないものになった

電動自転車と電気系統とかなると簡単に直せない、でも幸い近くでそうなったから良かった、8キロ歩いて帰ることができたからである
もし遠くだったらどうにもならなくなった、それをイメージしたとき怖かった
第一マウンテンバイクだったらチェーンとかはずれたら困る
悪路を行くのだから本当は簡単にチェーンをはずれるように作ってならない
そこで動けなくなったらどうにもならなくなる

前にもエンジン部分をそっくり取り換えることがあった、電動自転車は簡単に直せない
だから通販はできない、必ず何か故障があるからだ
普通の自転車なら大丈夫である、なんとか直せるからである
ただ困ったのは通販だと自転車屋では受け付けない、金にならないから受け付けないのも困る、それで折り畳みの電動自転車を買おうとしてもヤマハでは売っていない
外国製でいいものが出ていても通販で買えても後のアフターサービスがない
すると怖くて買えないとなる、仙台市ですら売ってなかったからである
ここに田舎と東京とかの差がある
第一隣の街まで行って直してもらったりできないから困る
自分の住んでいる街では一軒しか自転車屋がないからだ、それはヤマハの専門店である
だからヤマハは今回のように故障しても連絡して直せることができる
他はできないのである

とにかく一軒しか自転車屋がないとしたら貴重になる
その一軒がなくなったら本当に困ったことになる、でもいづれなくなるかもしれない
跡継ぎがいないからである、普通の自転車だとさほど困らないが電動自転車だとなると簡単に直せないから困る
まず電気系統が壊れたら直せない、すると高いものだから損失が大きい
一万くらいの町だと足りないものがある
弁当屋がないことが苦しい、スーパーだけだと足りないからだ

都会と田舎の格差はある、でもかなり解消した、インタ−ネットでどんな本でも買える
情報でもいろいろアクセスできる、youtubeで無料で大学の講義すら受けられる
すると田舎でも知識的には格差がなくなった
でも依然としてこうした技術的な面になるとまだ格差がある
特に外国製のものは買えない、自転車は買えない、アフターサービスがないからである
それが安ければいいが高くなると大きな損失になるから買えないのである

最近はチェーンがない自転車とかパンクしないタイヤとかがでている
こういう最先端のものが入らないのも困る
どうしても田舎だと技術的な面では遅れるのである
そして田舎で困るのは移住するにもその人にあった仕事がないというのもわかる
多様な仕事がないし知識的な仕事もまれである、それで仕事が無いから移住しにくい
ただテレワークになりスキルをもった人は移住しやすくなったとはなる
でも田舎だと自転車は景色のいいところをいつでもサイクリングできる
街だって混んでいないから事故になりにくいのである
それで移住してきた若い女性が飯館村の方に行くとかサイクリングを楽しんでいたのである
私はまさに自転車人生であり自転車で好きなように走り回っていたのである
そして今度のヤマハのYPJ-XCは優れものであり楽だから遠く行けるのである
そうでないと倍の力が必要であり年取ると行けない、これだとまだ遠く行けるのである
ただチェーンがはずれたら簡単に直せないというのが弱点だった
どうも作り方でそうなることがあったということである

2021年10月20日

IT化が進まない理由 ( 日本文化がITとコンピュターと相性が悪い‐メデアの変化)


 IT化が進まない理由

( 日本文化がITとコンピュターと相性が悪い‐メデアの変化)

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●メデアの相違で感じ方が違ってくる

ただこのコンピュターになると頭脳と深く関係している
第二の頭脳のようになっている、AIとかもそうである、それで翻訳ではAIの方が優れていると感心した、学校の英語の先生より優れている、となると英語の先生も失業するともなる、AIは頭脳と深く関係しているからかえって事務とかはコンピュターに変わられて人間はいらないとなる

そしてメデアというとき仲介するもののことであり仲介するものによって表現するものが大きく変わる、今の時代の大きな変化はITとかAIによるメデアの変化に直面しているのである
これまでもいろいろな変化があり技術の進歩があった、現代を最も象徴する変化は通信の変化なのである、それにともなってメデアが変化したことの影響が大きいのである
メデアというとき仲介するものである、例えば乗り物も仲介するものでありそれによって感じるものが違ってくる
なぜなら人間が移動するときは歩くことしかなかったからである
馬とか馬車とか船でもあったにしろ基本的に移動するのは歩くことしかなかった
江戸時代の旅は歩くことでしか移動できないのである
すると歩く感覚から外界を自然でも何でも感じていたのである

菜の花や普通列車になまりかな

タンポポや一挙に着くや新幹線

電車でも急行があり普通列車がある、この普通列車は地元に根ざしているのが多い
通学とかに使うからである、そこで外を見ると菜の花が一面に見えた
高校生がその土地の訛り(なまり)で話していた、それが普通列車にふさわしいものだった、急行だというそれが感じないのである
さらに新幹線だともうその土地とは関係なくなる、一挙に遠くへと一瞬で行く感じにもなる、そしてタンポポが咲いていたのである、ただ途中は飛ばされて視界に入らないとまでなっている

また車だと自然を感じない、鋼鉄で覆われているから風を感じないし雨も感じない
時雨が降っていてもわからない、でも自転車だと必ず風を感じる、東風でも北風でも感じる、今年は早く北風が吹いて早く冬が来るのかと感じた
車だと風を感じないから風流がないとなる、それで私は自転車が好きなのである
それは自然を感じるからである、自然を感じなかったら俳句も短歌もありえないからである

●マスコミ支配の終わり

ともかくメデアの変化は大きい、通信の発達は現代を象徴するものである
通信でもメデアでも新聞がありテレビがありこの時代は長い、新聞だともう百年以上でありテレビでも50年もつづいている、テレビの影響は大きかった、テレビに映るだけでみんなテレビに食い入るようにしして見ていたのである、中味がなくてもテレビに映ることで見ていたのである、それが茶の間の主役となったのである
つまり茶の間に中心にあるということはいかに影響が大きいものだった
それにともないテレビを通じて番組を作るマスコミの影響がどれだけ大きいものだったかをふりかえる、テレビの時代はマスコミが教育者となり扇動者となり裁判官にもなり大衆を導くものとなっていたのである
だから第三の権力をもつようになりあらゆることで支配的役割を担ったのである
そこで相当に歪めれたものがあったがそれは見逃されたのである

メデアを持つということがどれだけ大きなことかインタ−ネットが生まれてホームページでも次にプログでもそれからyoutubeとかにもなりそこで個人発言でき表現できる時代になったとき発信者になったときみんな感じたのである
自分自身でも今はプログで発信しているけどこれは写真も絵でも載せられる、視覚的にも表現できるから表現力がある、それも簡単にできるということでこのことは大きいメデアの変化だったと感じた、何か表現するには必ず仲介がメデアが必要だったがそれは新聞であれ雑誌であれ本であれ簡単にはできない、そして不思議なのは必ずそうしたメデアは大きな権力をもっていて取捨選択するのはメデア側にあり発言する方にはなかったのであるでも直接発言することがてきるということが不思議なものになっていたのだ
そこに検閲もないのである、だから問題も起きたのである

ともかく個人の自由な発言とか表現は許されていなかった
本だったら出版社を通してしかできないし普通の人はできない、他でも同じである
それらはまた権力がないとできない、なぜなら出版するには金がかかるからである
また売れないと出版社では経営が成り立たないから売れるものを出したいからである
そこで出版する時は背後に大きな組織がないとできない
創価とか他の幸福の科学とか天理教とかなんかいろいろな宗教団体がありその団体の会員が買ってくれるとなるとある
インタ−ネットだとそういう団体に所属していなくても応援がなくても一応発言できる
ただそれに目をとめる人は極めて少ないというだけである
マスコミで顔を出すだけで百万人以上の人が見るということがありそこで顔が売れる
すると中味が何もないのに国会議員とか東京都知事になったりした芸能人がいたのである全国区になると顔を知られることが第一になるからである、中味より大勢に知られることが第一になるからそうなったのである

インタ−ネット時代は何なのか?それは個々の表現の時代になったのである
だからしきりにyoutubeでも表現力がないものはこれから役にたたないとか金にならないとかまで言う、今まではそうした表現力はマスコミが担っていた
そしてゲストとして呼ばれるコメンテーターも飾りのようなもので主体はマスコミにあった、それで武田邦彦氏とかがアナウンサーに怒っている
つまりマスコミのテレビの主役はあくまでアナウンサーだったのである
いつも真ん中にいてアナウンサーが全面に映る主役だったのである
そして呼ばれたコメンテーターの自由な発言を許されなかった

マスコミの言う通りに発言させられるだけなのである、だからこそ自分の言いたいことを言えないで怒ったともなる、マスコミとは単に仲介する機械のメデアではない
意志をもったメデアなのである、だからマスコミの主張を通すために番組を構成するのである、中立ではないのである、それでNHKでもそうだった
上の人達が番組の方針を決める、だから下の人は何も言えない、従うだけだと言っていたからだ、ただ一見中立のように装うのでわかりにくいのである
特にNHKはそれが中立のように見えるように構成するから簡単にわからないことがある
でもNHKの意志があってその意志を主張を通すために番組作りしているのである

●個々の多様な表現の時代へ

ともかくインタ−ネットでもこのITとかAIでも何か人間の頭脳と深く関係している
だから現代とはインタ−ネット時代とは個々の表現の時代だともなる
表現力を磨くことが要求されている、youtubeだと話しがうまい人が人気になる
その話し方もいろいろであり何か話し方がわかりにくいと見る方もいやになる
明確に言葉で話せないとまずいとなる、ただ人の話し方もいろいろあるからその話し方で見る人と見ない人もでてくると見た
これが文章ならそういうことはないのである、もちろん文体とかあるにしても話すのとは違ったいるからである

それでyoutubeを見ていてただ話すだけでは理解しにくいものがあると思った
人が話す時、youtubeだとテレビのように必ず顔を見るのである、すると顔の印象から話すことを聴くのである、ともかく話し方がみんな違っているのである
ただyoutubeが伝えるものとして万能かとなると違っていた
youtubeだと過去のものが記録したログがもう一度見る聴くということがあまりないのである、文章に記録されていればそれを読むとこういうことを言っていたのだとか再確認できる、また文章だとキーワードでその内容も検索できる
それがyoutubeではしにくい、不思議なのは自分は膨大なものを文章で書いている
プログで書いている、それを読み直すとこんなことが書いていたのかと自分で感心している、これも本当に不思議になる、自分の書いたものが自分が書いたと思えないことがあるからだ、いいこと書いていたな自分自身が書いたものに感心しているのである
それだけ人間は常に忘れやすいからそうなる
だから文章で残すということは大事になる、話すだけでは記憶に残らないとういことがあるからだ、それで文章の力は大きいと再認識したのである
自分の場合はそもそも話すのが下手だから余計に文章重視になる

いづれにしろ人間の感じ方はいろいろあるということである
だから歩いて感じることと自転車に乗って感じることと電車に乗って感じることは違ってくる,それはメデアが違っているからである、だから人間の感じ方はいろいろでありメデアによっても多様になる
インタ−ネットだと必ず編集して読むべきだとなるとき多様なものを結びつけることでそうなる、あることで様々な見方がある、一つの見方はないからである
それを一つにしたのがマスコミだったのである、だからそれは偏った見方であり多様な見方を許されなかったのである
第一人間は住んでいる場所がみんな違う、そこからして見方が違ってくる、感じ方も違ってくるからである、この辺では原発事故になってそのことから取り離してみることはできなくなったからである

このITとかコンピュターのインタ−ネット時代は世界中でも多様な見方がありそれに触れるという時代になる、日本国内でも多様な見方がある、マスコミのように一つの見方になることはなくなった
もう新聞は過去の物でありテレビのマスコミ支配も終わりつつある
多様な見方からそれぞれ感じたことで判断する、ただそうなるといくら個々人の発言が表現が自由になっても数が多いとどうしても見るのは限られてくるのである
見られない人は全く見られないとなる、それも問題になる
ただ自分にとっては自由に表現できることが魅力であり発信しつづけることになる
それができるのは金がかからないことである、ただ手間はかかる
またプログだけでは表現しきれない、でもワードフプレスになるとめんどうだとか前のホームページもそのままてあり放置してある、何かめんどうだからそうなっている
ホームページでは分類するのが向いている、それも手間でできていないのである
簡単にアップできればいいのだがそれがめんどうなのでできない
無料でも手間だけがかかるのが問題なのである

●日本文化がIT化を受け入れのを拒んだ

技術と文化は関係している、技術をとれいれるとき、その国の文化があり歴史があり
便利だからと無条件に取り入れることができない
文明でもそうである、西欧文明がキリスト教文明でありキリスト教を取り入れなければ
西欧文明を取り入れることができないと内村鑑三が指摘した
でも日本ではヨ−ロッパに行ってみてきたのは宗教ではない、様々な技術だったのである蒸気機関車であれ建築であれ医術であれ様々な科学技術に驚いた
それでその技術を取り入れることが文明を取り入れることだと見たのである
技術だけに注目したのである、この傾向は今でもつづいている

「テレワークの方がオフィス勤務より仕事がはかどる」と答えた人は、グローバルで平均69.1%だったのに対して、日本は42.8%と、調査対象国の中で突出して低く、7カ国中唯一、「テレワークだとはかどらない」人が多数派だった

一方、日本型企業が得意とする人的ネットワークによるインフォーマルなコミュニケーションは、過度に依存すると、簡単なやりとりで済むはずの日常実務においてすら、濃密な人間関係や地理的近接性、時間的同期性が要求されやすい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71fe114c7cbf59d1fcfa208135f733695c09322b?page=2

日本でITが進まないのは話せばわかるとか腹でわかるかとか狭い村がアイディンティティとなっていてそれが文化となった、属人的的であり直接人と合わないと信じられないとかなっていた、だから法律でも苦手である、理屈だからである
でも大陸文化は異民族と絶えず交わるから人種とは関係ない公平さとかを追求する
それを数式のように決めて判断して判決するともなる
そこに文化の相違がありそれが壁となってIT化がすすまないとなる
自分自身でもパソコン通信で文章で見知らぬ人が語りあうことがなじめなかった
そういうことを今まで経験していないからである
でも事務的なことなど別に直接合わなくても処理できるのである
ただ面と向かって合わないとできないこともある

そもそもITというとき英語になる、すると英語圏の人は有利なのである、プログラムでも英語だからである、そして英語は横書きであり日本語は漢字交じりで縦書きである
縦書き文化は漢字圏であるが他ではないのである
でも中国はいち早くIT化したから言葉の相違でIT化できなかったことでもない
中国には日本の様な村がないというときもそうである
そこからして中国大陸の文化と日本は同じようで相当に違っているからだ
ただ文化の相違がありそれは障壁となって日本ではITになじめず遅れることになった
技術と文化も一体だから取り入れることができなかったともみる
文明とはcivilzationでありそのcivilとは市民のことである、でも日本には市民というのはいないから理解できなかった
西欧文明を取り入れてもそもそもそうして理解できないものがありそれがIT化に遅れた原因にもなる、文化には根強く変わらないものがある変えられないものがある
便利な道具を取り入れても国々の文化が違っていてそれで受け入れられないということがある、文化には様々な要素があり風土なども関係している
そのために原発は地震とか津浪とかあり日本の風土に向かいないものだったのである
風土と文化も一体になっているからである

2021年07月19日

多様な多角的な視点からみるネットの情報 (マスコミでは視点は一つになりやすく偏る)


多様な多角的な視点からみるネットの情報

(マスコミでは視点は一つになりやすく偏る)
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インタ−ネットの情報は多様であり多角的になる、それは個々人が発信しているからである、マスコミはマスを対象として視点が一つになりやすい
コメンテ―ターとしても専門家でもしゃべらせるのはわずかしかない
すると実際はその話すことはマスコミでテレビ局のいいようにしゃべらせているとなる
必ず個々人が十分に言いたいことは伝えないのである
その一部を切りとったものをしゃべらせて局で編集するのである
それは取材でもテレビ局で報道したいものを取材して編集して放送する
つまりテレビ局が結局は報道することを決めて何かいいのか悪いのかなどを決めているのである、だから一方的であり多様な多角的な意見でも出ないのである

だからインタ−ネットだとこういう視点で話すこともあるのかとみる、それは個々人の視点でありマスコミの視点ではないのである
だから多様で多角的になるのである、例えば同じ景色でもカメラマンによって撮る角度が違ったりカメラ自体がいいものだったりその時の天候などで多様に見える
同じ景色をとっても違って見えるのである、それでこんなふうに見えるのかと感心するのである、同じ場所でも角度が違ってとると別な見え方をするからである
それで写真をとるときとにかくいろいろ角度から撮るといいとなる
その中からいいものを選ぶといいとなる、一枚だけいい写真を撮ろうとしてもとれないのである

この多様な多角的な視点というとき別に特別優れた人でなくてもいい、専門家でなくてもいいのである、人間はそれぞれ住んでいる場所も違っているし経験も違っているし生い立ちも違っているし世代をも違っているとみんな違った見方をするのである
だから若い人が老人に学ぶこともあるし老人でも若い人の見方とか情報でも取り入れることができる、ただ深い見方をするのは老人である

インタ−ネットはそういう多様性多角的なものを提供する、でも数が多くなると人気のものを見るがでも少数者のものでも眼にとまるのがインタ−ネットのいい所なのである
マスコミではそうした少数者のことは絶対に取り上げないからである
だから圧力団体から組織から推薦される人を取り上げやすい、また組織団体の批判はしないとなる、マスコミとはそうしてマス(大衆、大勢)相手にするメデアなのである
だから視聴率がすべてだというとき大勢の人が見れば宣伝効果があるとなり会社から宣伝費をもらえて成り立っていたのである

でもインタ−ネットはマスが相手ではない、極端になれば一人が相手でも成り立つとなる一人に語っていても成り立つとなる、なぜならテレビ局のように莫大な金がかかる装置などいらないし個々人で無料でもできるからである
それでそれぞれの発言に何か得られることが多いとなる
ただ数が多いからどうしても見られる読まれことが至難であり実際はほんとんどプログでも読まれたりyoutubeでも見られないとなる
それはそんなにいろいろなものを目に通す時間がないからである

とにかく映画でも一発勝負となると何十億とかかけるものはリスクが大きすぎる
何百億かけるものもある、それが失敗すると何百億の損になる
だから金をかけないで短編を作りyoutubeに出すとかする
またマスを相手だと映画会社とか本でも編集者とかがかかわりその人たちに何かしら本人が言いたいことが言えないとなる、youtubeではすでにそういうことが起きている
発言がおさえられている
そういうことがない世界がインタ−ネットで開けた、毎日こうして自分は部屋に籠もりプログを書いている、別に出版社もテレビ局もかかわらないである
本人が直接伝えたいことを伝えているのである
だからマスコミでは取り上げないことを発言できているとなる

いづれこにしろ今になると高度成長時代なら同じような商品を大量生産していれば売れていたのである、それは物でもそうだったが今やそうした大量の規格品はいらないとなる
それでテレビでも他の電器製品でも実は外国でも作れたのである
だから日本の電器製品は売れなくなり日本が貧困化したのである
同じものが作れるとしたら安い方がいいとなるからだ、その品質でも外国製品でも中国産でも見劣りしなくなったのである、つまり高品質なもので何か他では作れないまねできないものを作らないかぎりもはや日本の復活はないとなる
ただ日本は外国のものをまねて改良改善するのは得意でも新しいものを作りだすことが苦手である、アメリカとかはヨ−ロッパでも新しいものを作りだしてきたから先進国になりえたのである
だから欧米で発明したものが多いし天才でもヨ−ロッパに多いのである

ただこれからの社会は多様性であり多角的なものの見方をつける、それぞれの個性が重んじられる、多様性というとき人間はみんな住んでいる場所が違っている
見る景色も違っている、海側だと太陽は海から昇る、盆地だと太陽は山から昇る、その感覚が相当に違ったものでありそこにすでに多様な見方が多角的な見方が土地土地によって生まれるのである
海側に住んでいると朝日を山から昇るのを見ないのである、朝早いから旅行しても見ずらいということがある、また高い山というのがないと山というのがわからないのである
私の住んでいる場所には高い山がないからものたりないし山のことがわからないとなる

ともかく地理から見れば日本でも多様であり世界になればさらに多様になる
そして人の経験も多様であり語ることが違ってくる
それでそんなことがあったのとか新鮮になる、そして一人一人の生い立ちが家族でも違っていて多様なものになる
ただ現代はマス社会でありマスを相手にしていたのである、すべて数で決まる
民主主義自体が多様性があるとして自由な発言を許すとしても現実は選挙も数であり数を集めることで決まる
だから民主主義は数の民主主義であり結局一番全体主義に近く同じような顔をした大衆が数で決める、それがナチスにもなったのである
そこでは各人の個性を無視して多様性を無視したからである
報道もマスコミでありマスが大衆が相手だから一つの見方それもテレビ局で方向づけられた一方的見方がおしつけられていたのである

文化とは多様性である、でも国家とかなると国家内にある地域的国々の多様性を無視するまた世界でも国々の多様性を文化を無視して一つの色にそめる
共産主義だと全体主義だからそうなる、政治と文化は対立するのである
だから民族の言葉自体を抹殺して中国ならウイグルとかモンゴルでも漢語にしろとかなる言葉一番文化であるから言葉を否定されたらその国々の文化も喪失するとなる
ただグロ−バル化するとどうしても共通語が必要になる
でも民族独自の言葉を失えば文化も喪失するのであり生きる意味を失うとまでなるのだ
だから多様な文化を許容するのがいいのである
民主主義はそういうことがあったが民主主義の弱点はすべてが数で決まることである
最も全体主義になりやすいのである、だからナチスは合法的に選挙で生まれたのである

いづれにしろマスコミの時代は終わりつつある、youtubeとも同格とかテレビでなるとやがてマスコミは装置に金がかかるからやっていけなくなる
装置に巨大であり金がかかることが足かせとなり維持できないとなってしまうのである
youtubeだと一個人でも手間がかかっても放送局になれる
ただ問題は取材するにも限度があり個人の交際範囲とか経験とか見聞になる
そこにまた弱点がある、何か取材するとなると支援するものがありそれなりの権力を持たないとできない、ブロガーとか取材に来ても応じないとなるからである

2021年05月02日

マスコミテレビになぜ洗脳されるのか? (映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)


マスコミテレビになぜ洗脳されるのか?

(映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)

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【武田邦彦 5月1日】2日前にトンデモないニュースが放送された!
この衝撃的な映像の裏に隠された、奴らの恐ろしい正体を徹底暴露します!
https://www.youtube.com/watch?v=oiYpFquUOdM


子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった・・パヌンのかぼちゃ畑

ウルトラマンをどう心の中で昇華していいかわからないしモン族の世界では語りえないものだったのだ。テレビがいかに人間の心を惑わすものかわかる。モン族や昔の人が見ていた感じたのは風の精とか森の精とか花の精とか自然の中に息ずく精霊のことでありテレビとかに出てくる妖怪、偶像ではない、それはテレビに映るものよりリアリティあるものなのだ。現代はテレビとかゲームとか映画にでてくる妖怪である。人間は今かつてないバーチャル空間に生きていて現実味を失い妖怪化幽霊化しているのだ。湾岸戦争もゲームのように行われたし

現代の妖怪(メデアが育む妖怪)
http://www.musubu.jp/internetmedia.htm#youkai

テレビの特徴はいろいろあるが感情的メデアなのである。活字とかラジオとか文字と音だけのメデアだったら感情的にはならない、本や新聞を読んでもすぐに感情的にはならない、冷静にみる。

「なんだあいつの顔が気にくわねえ、もっと顔のいいやつを出せ、、、、」

顔とか表情がまず注目される、だからアナウサーは美人でないと勤まらないのである。
知性よりその顔をみるからそうなる。

そしてテレビは一方的洗脳メデアである。テレビは何か疑問に思ってもそれを追及できないようになっている、そんなことあるのと思っても追及できない、一方的にテレビ局に洗脳されるだけなのである。
http://musubu.sblo.jp/category/641983-2.html

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、
そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
http://musubu.sblo.jp/category/641983-3.html



海岸が侵食されているのではなく、波の作用によって、島の形が変わっているということです(面積としては上記から増えていることがうかがえる)

「地球温暖化により海面は上昇しているか否か」ではなく、リサイクルPETレジンのLCIデータの解明と、ツバルの問題を歪曲し、センセーショナルに取り上げ世論を誘導するというアプローチの違いです。
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1006/18/news007.html


武田邦彦氏がなぜNHKを批判するのか?それはNHKがあまりにも影響力が大きいからである、そしてNHKは公正な報道をしているわけではない、放送はすべて公正ではない
特にテレビの問題は映像が主体だからそれでだまされやすいのである
そのことを絶えず指摘している、意外とここが気づきにくいのである
人間は映像に目から入るものに一番だまされやすいのである

温暖化はないというとき南極であれ北極であれその土地は実際は広大でありそれを知ることなどできない、ただ常にほんの一部の映像によってきりとったわずかの映像だけ映されるからその影響が大きい、それは人間の心理として頭に刻印され洗脳効果が大きいのである、それで北極であれ南極であれ氷りは溶けないとオーストラリアでも氷づけになってしまうという、広大な氷原の端でも溶けないとそうなる
つまり人間の認識の弱点は常に大局的に見れないことなのである
テレビの小さい箱から見ても自然とか世界は理解できないのである
でも映像のインパクトは強力だからそれで誤解されやすいのである
だまされやすいのである

そういうことは常にテレビの放送である、イラク戦争で油まみれの海鳥がテレビ画面に映されてそれが世界で放送されたときイラクはひどいと感情的になりイラクは悪い奴だとされたのだからこれもあくどいとなる
実際はイラクには毒ガス兵器などなかったのである、それもアメリカによって大国によって強国によって力の強い者が報道でも操作できるからそうなった

地球温暖化でもツバルが海に沈むというときもそうである
確かに一部は海の水が入り込んでいたが全体ではない、またそれが温暖化の影響でもなかったのである
でもテレビでその水びたしになった映像を見るとそう思い込んでしまう、そういう影響力がある、だから人間は映像にはだまされやすいのである
そしてNHKは嘘をつかない、NHKはまるで聖人君子のように見られている
そのNHKを批判はできない、その影響力の大きさが問題なのである
だからNHKを見ている人はNHKを批判してもNHKの方を信じるのである

原発事故でも避難した人たちが相馬市にいた、その時津波の被害者も同じ仮設に住んでいた、一方は多額の補償金をもらっていた、でも相馬市の津浪の被害者はもらっていなかった、でも津波の被害者をトマト農家では雇った
そして飯館村の人は断られたとテレビに映りそのことを言わせた

でもその雇った人のいい分は言わせなかった!

ここにNHKによって操作された編集された映像が流されて誤解になった
それはNHKの上層部で原発避難者側に立つということで編集したのである
だから津波の被害者には何も言わせなかったとなる
それはいわき市でも起きていたのである
だから原発避難者が過度にかわいそうだと全国で見られるようになった
実際は津波の被害者の方がかわいそうな人たちだったのである
別に原発避難者が悪いというのではなく公平な報道がなかったことを私は指摘した
そこに別に悪意はないのである
ただその後はNHKでは公平に報道していた

でもこういうことは地元でないと気づきにくいのである
なんでもそうである、テレビで映し出すのは全体のほんの一部なのである
その一部がクローズアップされるから誤解しやすいのである
人間の認識は全体があってその全体のつながりの中で物事を理解する
土地はつながっているし一地域も全体の中で認識する

人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる

つまりテレビの映像は実際は非現実の世界でもある、なぜなら全体を知ることはテレビからはできないからである、そこに映像の錯覚が生まれる

子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった

原始的な部族で生活している人がウラトラマンを認識できない、奥深い自然に囲まれた中で閉鎖されて生活していればそれが何なのか認識できない
それは全く非現実の世界のものだから理解できない
むしろ自然の中では精霊とかがいてそれが現実的である、森の精霊とかが現実に感じるものである、それは非現実ではない、やはり森があって認識するものだからである
何か現代文明こそが非現実の世界、バーチャルの世界になったのである
第一一千万の都会とかなるととてもそれ自体が現実と思えないからだ
そこが人間が住む世界として現実に思えない、摩天楼でも幻想に見えてしまうのである
だからこそ文明人はロゴスを失ったとか、言葉が喪失した連関性のない世界に生きているとか言われる、つまり言葉と事物が結びつかなくなったのである
アイディンティティ化される自然の事物が喪失した
大都会では何とアイディンティティ化するのか、そういう場所からウルトラマンとかゴジラとか異様なものが生まれる
それはヒットラーにもナチスにも通じる不気味なものなのである
現代文明が膿む妖怪なのである

一つの例として

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先日私は阿武隈川をさかのぼり道に迷い丸森の大張村に出た
それは偶然だったがその大張村に一本の木があった
その木を見て短歌を作った

大張に一本の木の根付くかな春の夕暮れそを見て帰りぬ

その一本の木があったがこの木でもやはり全体の中にある、大張村がありさらにその周りの自然があり山に囲まれている、そこに到達したのは急な坂を七曲の坂を上ってきてその村に出たのである
その過程でその土地の地勢を体でしりその一本の木を見たのである
写真でみればただ一本の木だけが目立つ、でもその一本の木を人間が認識する時はこうして全体から認識する、その過程がテレビにはない、写真にもない

だからどうしても写真を見たりテレビの映像を見ても俳句とか短歌でも詩でも作れないのである、それは認識するということは部分ではない、全体から人間は認識するからだとなる
人間は見るということはカメラで見るのとは違う、心の中で見るともなる
人間は事物がある、それを見るということは心で見る、心で一体化することである
アイディンティティ化する、自己同一化する、それで物は物が憑くとかなり物は単なる物ではなくなる、人間の心がのりうつり人間化するともなる
それで原発事故で避難して人がいなくなった飯館村とかで一本の木があったがそれが人間に見えた、何か淋しく感じたのである、だから村とかにある木でも石でも人間化したからそうみえる、それは庭の石とかでも人間化している、木でもそうである
だから人が住まなくなったとき何か一段と淋しく思えるのである

人間存在はその土地から場から遊離して孤立して存在し得ない、土地の全体の中にあって活きてゆく、その場から何事も認識する
だから事件でも災害でもテレビでは切り取った一部分が放送される
するとそこに必ず誤解が生まれる、誤った認識になる、それで起こるとはtake placeであり場所から離れて事は起こらない、場所と結びついて事件でも災害でも起こる
その場から現代人は遊離しているからこれだけ情報があふれていても実際は認識力が深まっていないという逆説がある
テレビとか写真の映像はあくまでも一部分切り取ったものであり全体を知ることはできない、だからいくら世界の情報があふれても必ずしも世界の理解が深まったとはならないのである、むしろ世界となると誤解が大きくなってそれが問題を引き起こす
それがイラク戦争の油まみれの海鳥の映像だったのである
その一羽だけがクローズアップされて世界中が誤解したのである、回りの状況が映されなかったからである

武田邦彦氏が紹介した南極でも北極でも氷が崩れ落ちてゆく映像は衝撃的である
その映像を見た時、一瞬南極でも北極でも氷が溶けてなくなるのかと見る
でも広大な氷原の大陸がありその氷が崩れているのはその端のほんのわずかな部分なのである、でも一瞬氷りが溶けるということで恐怖を植え付けて温暖化してそうなった世界中の人を洗脳してしまうのである
そこにテレビの映像の報道の根本的な問題がありその映像を使ってNHKが主導的立場になり誤った方向に導く、それが怖いのはラジオからナチスが生まれたとかピカートが指摘したようにファシズムを誘導する、それが恐ろしいものを産むものとなる
ただでは映像の時代はその映像の洪水の中で生きる
私自身も映像に魅力を感じるからカメラにこるようになった
でも自分が撮った写真と他人が撮った写真は違っている
自分が撮った写真はその場の全体を記憶して撮っている、一部分だけを見ているのではない、全体がイメージされるものとして記録としても撮っているからだ
ただ他人の映像だとそこの場で自分が撮ったものではないから全体を認識できないから
誤解を生むのである


2021年04月19日

AI,コンピュター革命で変化すること (対応できないと失業して仕事がなくなる)


AI,コンピュター革命で変化すること

(対応できないと失業して仕事がなくなる)

AI社会でコンピュター化する社会で起きていることが実際にまだまだ実感する人は少ないだろう、これは相当な変化である
社会が大きく変化するとき技術の進歩がある、

捉老 7年の三世一身法から天平15年の墾田永世私有法まで,一般百姓が独力で土地を開墾した例が発見できないことを述べ,これを一般百姓の貧困に帰し,労役が多かったことが百姓困窮の原因であったとする。これに反し,鉄製牒具を豊富に所有していた勢力ある家では,貧弱な農具を不足勝ちにしか所有していなかった一般百姓をかくまい,思うままに躯使しうる好条件におかれていたので,農具の所有関係において貧しい一般百姓は墾田私有の制により一層貧窮に駆り立てられ,自活することさえ困難となって荘園化が進んだと述べている。

[書評] 鋳方貞亮著『農具の歴史』

これはその一例であり農業と農具の関係は密接である、なぜなら稲荷神社というとき稲荷とは鋳成りであり鉄の道具と関係しているからだ
つまり稲荷神社とは鉄の道具を祭ったからだともなる、それだけ鉄の道具は農業の進歩をもたらしたからそうなる

技術の進歩が社会を変えることは歴史を見る時わかりやすいのである、それはいろいろな方面にありわかりやすいのは鉄砲が外国から入ってきて信長が鉄砲を利用することにたけていて全国統一したとなる
最近では中国では麦を鎌で刈り取っていた、人力だった、刈り入れの時は出稼ぎ者きてしていた、でもコンバインが麦をかりとるようになるとそうした人力は必要なくなる
コンバインだと人力の百倍とか千倍との効率で麦を刈り取るからである
その差は歴然としている

このように技術の進歩は社会を変える、コンバインで人力がいらなくなる、するとその人力で働いていた人たちはどうてるのか、出稼ぎの麦刈りはいらないとなれば失業する
おそらくそういう農民は工業化したとき都会への出稼ぎ者となる
20年前には中国では出稼ぎ者の数が膨大に増えた、都会に仕事があるから地方から都会に人は流れた、それが流民ともなった
ある時中国では人の流れが怒涛のごとく起りそれが革命ともなる

その時私は中国を旅したが人間は家畜のように貨車につめこまれるように乗せられて移動していたのだ、実際に鞭で打たれて車輌につめこまれていたのである
それだけの人が移動していた時代があった
その時からすでに中国は高度成長時代へと向かっていたのだ

大きく時代が変わる時、技術も進歩して変わる
それが今はIT革命、コンピュター革命になっている、ただこれは頭脳と関係しているからみんな簡単に理解できないのである
なぜなら蒸気機関車とか飛行機とか車とかこういう道具は庶民でもすぐにどういうものか理解できる、でもコンピュターとかITはみんなすぐに理解できるものではない
おそらくそのためにこの革命はそれを使いこなせるものとこなせないもの、それに触れられないものとの差が大きな格差をうむ
でもスマホは誰でもしているからもうコモデティ化しているから普及したからみんなIT社会の中に組み入れられたとなる
ただ老人はついていけないとなっている

何かこのIT革命で大きな変化が情報分野で起きている
銀行すら実はメデアでありメデアは仲介するものという意味でありそうした仲介するものはいらなくなるのが現代のIT情報革命である
仲介するというときマスコミであれテレビであれそれも仲介するものでありその単に仲介するものが大きな力をもっていた、テレビで報道するのは六局した許可されなかったからである
でも今になるとyoutubeとかでテレビ放送している、無数のチャンネルがプログもあり生まれたのである
それはメデアを通さないで仲介者を通さないで直接報道している
仲介するものというとき出版社とかもそうである、本を出すには個人ではできない
出版社がなければできい、何か意見を言うにも新聞社とかテレビを通さないと言えなかったのである
するとその仲介するものが大きな権力をもつことになったのである

それは今でもグーグルとかがプラットフォームとなり巨大な世界の主要な企業となって利益を手中にしていることでわかる
これも明らかに新しく仲介するものである、だからトランプ大統領の発言まで禁止することができたからである
メデアをもつことは巨大な権力を持つことになっていたのである
それは今までは新聞とかテレビだったのである
テレビに出してくれるとなればそれでたちまち中味はどうであれ有名になったからであるそれで政治家はテレビに出たいとなる、また中味がない俳優でも議員になれた
それはメデアの力であり本人の実力とは関係なかったのである
東京都知事すら何かふざけたお笑い芸人がなったことでもわかる
私は選挙運動はしないとしても当選していたのである
それはメデアを通して知られていたからである 

いづれにしろ日本がこのIT革命に遅れをとったのはこれが何か理解できていなかったからだろう、ただ物造りだけではなくなった世界の変化をつかめなかったのである
私自身がこのIT革命で感心したのは翻訳である
80%くらい正確であることに驚く、英語力がない自分より優れている
英訳することはもっとも日本人にとってむずかしいからである
それが安易に自動翻訳する、それも詩だって80パーセントくらい正確に翻訳しているのである
するとAIの方が人間より優秀だなと思ってしまうのである
そういうことはいろいろな分野で起きて来る
そして人間は失業してしまう、人間の仕事はAIに変わるからだ

人間の仕事は機械化しAI化してコンピュター化すると人間のすることがなくなる
そういう社会になるということに備えねばならないともなる
現実に近くのスーパーのレジも自動化している、意外としてみると簡単なのである
つまりレジの女性はそうなると失業するのである
そういうことがこれからもいろんな分野で起きて来る
銀行がだめになったのはそれがメデアであり仲介するものだったからだというのもそうかとなる、金を集めてその金をためて貸す仲介業者だった
でもそれが機能しなくなったのはクラウドファンディングとかインタ−ネットで直接投資する投資形態が生まれたからである
それで百キロ走れる折り畳みの自転車が欲しいとなりそれに応募すれば開発して売っているそういうことは銀行がしていたともなる
何か有力な事業に金を貸してその利益を得るとなる、でもその仲介業は必要なくなったとなり銀行の役割りが問われる、銀行とはただ金を集めて利子もつけない
むしろ通帳を作ったら手数料をとるとか投資信託とかを売りつけるとかなる
何か地銀としての役割がなくなったのである

こういうとき時代の変化に取り残されるものが出てくる
馬車が鉄道ができて仕事がなくなったとかになる、銀行もそういうものになる
ただこのIT革命とかがわかりにくいのは頭脳と関係しているからだと思う
何か鉄道とか飛行機とか具体的なものとしてつかめないからである
情報社会とは何か直接かかわらないとわからないのである
たまたま自分はワープロ時代がありそこに通信機がついていて通信をしていた
それでその延長としてホームページを作りまたプログをするようになった
ただスマホはしていないから遅れてしまったとはなる

ともかくこれからの時代は教育でも何でも見直すことがせまられる
ITをコンピュターを使いこなすことが必要になる
それは文系でもそうである、図書館でいちいち調べると手間になる
福島県だと福島市に大きな図書館があっても離れていれば利用できない
でも電子化したらどこでも利用できる、図書館は別に場所と関係なくなる
中央電子図書館が一つに情報を集積すればいいとなる
すると専門家でもなくても学者の論文でも自由に利用できればそれなたのものを書けるとなるからだ

ただこのIT革命に日本が遅れをとったのは日本の文化と関係しているかもしれない
日本はもともと村社会がアイディンティティの場であり狭いのである
そこでは対面的に腹でわかるとか話せばわかるとかの社会でありじかに合わないと社会生活が成り立たない、そういう社会だと人と対面で合わないというのは苦手になる
ただ本当のことは心からわかりあえるにはじかに合わないと信頼関係も築けないとなる
自分自身でも何かある場で話しすると話しがはずむし理解が深まる
それで丸森の筆甫で枝垂れ桜がきれいなのを見てそこのばあちゃんにたまたま聞いたら50年過ぎてこうなったのですよと聞いて納得した

その場でじかに立って話する時、本当に理解するのである
それをテレビの画面とか写真とかだけでは理解できない、その場の雰囲気はその場に立たないと実感できないからである
だから情報というのはその場に立たないと実感できないことかある
だから何か起きることはtake placeであり場と関係していたのである
だから「かんながらの道」という場を重視した取り組みには共感するのである
警察の事件の操作でも現場に行けというときもそうである
人から聞くとかしてもその事件の起きた現場に行くことで実感するものがあるからだ
それは歴史でもそうである、その場に立たないと深く理解できないのである
地理は特にそうである、地図を見てもわからない、その場に立たない限りわからないのである

いづれにしろこのIT革命、情報革命は何かわかりにくい、でもそれが現実社会を変えることが起きてくるとき実感する、銀行がだめになったのは明らかに銀行もメデアだったからだとなるからだ、仲介するものであったからだ
その仲介するものメデアが今一番影響を具体的に受けているからである

2021年03月21日

パソコンのセキュリティが不安 (新しい技術は安全を確保することが大事)


 パソコンのセキュリティが不安

 (新しい技術は安全を確保することが大事)

  
 さくらのレンタルサーバーにアクセスできなくなった
こういうときあわてる、さくらのレンタルサーバーは会員とコントロールパネルからサーバーかさ入るから二つかあるから間違いやすい

何か不正侵入されるのが怖くなってパスワードを三つ変えた
だからめんどうになった、とにかくインタ−ネットは便利でも意外と操作とかに時間がとられるとかめんどうなのである
それで手間だけは省けないのである

まずパソコンで文章を入力するのが手間になる、その前にアップするために写真とかとりそれをアップするのも手間になる
たからいくら便利でも手間は省けないのである
プログにそれなりの記事を一つのせるだけで結構手間になる
半日くらいの時間がかかる、プログでも何か片手間でもやれない感じになる
動画をアップしたりするとさらに時間と手間がかかる

でも雑誌とか新聞とかよりずっと効率的である、いちいち朝早くから一軒一軒新聞でも配ることがインタ−ネットと比べると何か江戸時代の駕籠で人を運んでいたようにも見えるだからとても今の時代はそうした非効率的なことはつづかない
新聞は新聞紙を利用することができる、どうも子供のときトイレの紙として利用していた記憶がある、それも資源の無駄だとなる

まずプログのような弱小メデアと思ったが毎日写真でも動画でも文章でもいくらでも書けることがわかった、やはり写真の効用が大きいなとやってみて思った
つまり現代は映像の時代になったからそうなる
それでyoutubeが百万とか見られるようになるとテレビと変わりないのである
その内容はテレビと同じでありタレントのように各人があり俳優ともなったのがyoutubeである
視聴率をどれだけとるかとなるとテレビの手法と同じになるのだ
私のプログも震災から十年が過ぎたがそのことで津波原発事故のことでアクセスがふりかえると結構あった、それに気づいたのは何か最近アクセスが半分くらい減ったことでわかった、それだけアクセスがあったのは震災関連と原発事故があり全国で関心をもったからである、それが10年もすぎると関心がなくなっためにアクセスが減ったのである
第一俳句とか短歌でも興味をもつものは限られているからだ

このインタ−ネットで一番怖いのは不正侵入されてせっかく膨大なものを集積して書いてものせても一瞬にして消されることである
そしたら努力も水の泡となる、それより本なら30年でも50年でもまだ残る
でも50年くらいするとどうしても本もぼろぼろになり読めなくなる
そういう本が私が読んだ本にあったからだ
ただ50年くらいすぎるとやはり時間の中で価値があるものは残る
あとは一過性で終わってしまうだろう、古典のように残るのはわずかである

ただ今でも中味のあるものは毎日寝床で読んでいる
そしてやはり感心している、それだけ時間がすぎても色あせないのである
そうして何回もあきずに読めるのはそれだけ内容があるからである
時間が過ぎると時流的なものは消えてゆく、忘れられる
でも本当に普遍的な価値あるものは色あせず読まれる、それが古典なのである
ただそういうものは極わずかなのである

ともかく毎日整理がつづいている、それだけ膨大なものになったということである
それでDellの6万のノートパソコンを買った
これは安いと思った、最新式のものでありリュウゼンとかのものでありwin10である
何か5年くらいパソコンを買っていなかった
そのパソコンは8.1であり富士通ものでいいものだった、だから今も困らないが整理のために安いから買った
6万では安い、前は軽くこれなら15万以上していたかもはしれない、もう半額になっていいものなのである

そのDellで電話で注文したが答えたの中国人の女性だった、それが日本語が上手なのである、第一そうしてパソコンの相談にのれるには相当な日本語ができないとできない
日本人相手に差し障りなくしゃべる能力が必要になる
その女性は日本に住んでいたのかと聞いたらそうではないという
それでそんなに流暢に日本語がしゃべることに驚いたのである
こうなるとやがて日本人は中国語を覚えた人が有利になる
今でも英語ができる人が有利だったようにである
日本人はすでに中国の笠下に入り稼ぐには日本がだけではもうできないとなり中国に進出して中国語を話す人が稼げる時代になる、逆転現象が起きて来る
つまりまだ日本語で相手をしているがこの逆の現象が起きて来る
ただ漢字は共通だから中国人相手でも漢字を通じて何かをできるとはなる
日本だけが今や依然として漢字を使っている国だからである

いづれにしろパソコンの操作は疲れる、スマホでも眼が悪くなったりする
でももうテレワークとかにもなりパソコンはますます日常の道具となり今や必需品になる結局新しいものはあれやこれやと悩むより慣れることである
それしか方法がない、今回もさくらの操作するパネルが新しくなりとまどった
でもこれも慣れなのである、いったん覚えると使いやすいのである

ともかくパスワードを変えたから安心だとはなる、でも二段階認証とかもあり今やいかに安全を計るかがインタ−ネットの問題になった
パスワードの問題はあらゆるサイトでパスワードを要求されて管理できなくなることである
だからそこが一番の問題だとなる、つまりどうして安全を計るなのだがそなるとパスワードだけでは安全性が計れない
その辺がなんとか安全に使えるものにする技術が必要になる

何でも新しい技術は安全が実は大きな課題なのである
原発でもそうである、他の技術でも安全を計ることが実際は重要になりそれができないと新しい技術は応用できないのである
ワクチンだってそうである、それが副作用がありどこまで安全なのかわからないから不安になる、文字でも紙に印刷されたもの本でも簡単には消えないからである
何か新しい技術を望むが安全を確保できない技術は定着しないのである
それで原発事故になりもう原発の信頼は失ってしまったからである

2021年02月26日

テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた (情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)


テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた

(情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)

必殺仕事人を見ているとそこに悪役の俳優がでる、顔まで悪役として一目見てそういう役を演じている、いかにも悪い奴だという顔なのである
でも今回の大きな店の旦那の妻は別に悪役に女性ではない
役としては普通の女性役であり顔でも悪役ではない、女性はあまり悪役の俳優はでないしわかりにくい
でもその女性は店の旦那の妻となりその店をのっとろうとしていた
そこの番頭とか役人もからんでいた
それを見ていたらその旦那を裏切る妻の役をしている女性が悪人に見えた
顔までそうではないのに悪人に見えた不思議がある
その女性は役ではそうなっていてももともと顔にしても善人役でしか見ていない
それが合っているのである
でも悪役になったら回りが悪人でありその女性でも顔でも悪人に見えたのである
善人面しても悪人だと見えた不思議がある

それはあくまでもドラマであり架空のことである
でも人間をみると特に現代では常に事件が報道される、すると何かこの世は悪い人ばかりかともみる、子供への性の事件もありそういう悪いことばかり興味があり報道される
そういうことをまた知りたいというの視聴者にある
この人は善人で普通の人ですよという人は興味をもたないのである
だから常に報道するのは悪人であり犯罪人なのである

それがどういうふうに社会に影響するのか?

人間はみんな悪人だ、疑ってかかれとなる、人を見たら泥棒と思へとなる
それは確かに現実にある、だからこそ疑い警戒する、それで近くのコンビニに入ったら
手までとりあげられて盗んでいないか調べられた
そんな強引なことを大人にしていいのかともなる、それ以来そこのコンビニには入らないそこでは監視カメラをつけて警備会社が監視もしている
その店にすれば盗まれることが多いからそうしているのである
つまりそうしないと被害が大きくなり店もつづけられないともなるからだ

警官になればまず疑うことが商売なのだから人間はみんな悪い奴だ、犯罪人としてみる
だからみんな犯罪人と見て調べるのである
現代は情報社会になった時、テレビでも絶えず事件になること犯罪の報道する
すると何かみんな犯罪人に見えるのである
それが極一部でも全体が全員が犯罪者のように見えて来る
そして過剰に警戒するようになる、他のコンビニでもそういうことを経験しているからだまた駅でボランティアで案内したときも警察に通報されてみんなの前で職務質問されて
こいつは怪しい奴だと公衆の面前でされた

つまり今やこうしてみんな人は悪人だと見ている、犯罪者とも見ている
そういうことがテレビの報道とかで助長された時代である
犯罪や事件は報道する、それが狭い範囲で情報も噂くらいの時代なら全国に起きることはわからない、するとそんなに犯罪がないとなる
全国規模で世界規模で犯罪を報道していたら当然世界中の人が犯罪者なのかとまでなる
世界でも常に犯罪の報道はされるからである

また犯罪報道すると遠くても危険を感じる、自分の身に及んでくるのではないかと危険を感じる、実際は遠くならそういうことがないとしても危険を感じるのである
だから世界で起きる犯罪でも自分の身に及んでくるのかとまでなる
そのためにマクルハーンが世界が村になったと警告していた
世界で起きる犯罪も村で起きたのと同じように見てしまうのである
それはグロ−バル化して現実に外国人でもいくらでも入ってくるから、外国人労働者でもそうである、するとその外国人でも恐れるようになる
でも実際は日本人の犯罪の方が多いし怖いのである
そして犯罪率は実際は低下している、でもそういうことは全然感じないのである
人間は統計の数字とかで全体を見るより一人でも悲惨な犯罪に合えばそのことに注目するその犯罪によってベトナム人が犯罪を犯せばベトナム人全体が犯罪者集団のように見えて来る

幼児とか子供は人間をこのように犯罪者には見ないのである
悪を知らないから見ないのである、それは悪が心の中にまだ芽生えていないからだとなる大人になると中学生からでも悪が生まれてくる
心の中に悪い心が生まれて来る、その心の悪が生じるから人間はみんな罪人だともなる
現実に悪いことをしなくても心の中で悪いことを思っただけで実は犯罪者だというときそうである
悪は犯罪でもまず心から起きて来る、憎いとかまず心の中で起きて現実にそれが最悪は殺人となるからだ、だから人間はみんな善人を装っていても悪人だと見ることもできる
まず心で悪を犯さないことはないからである、だから人間をみんな悪人と見ることが間違っているわけではない、そして人間の欲は消えることがない、その欲からも悪が生じて犯罪にもなるからである

だから人間社会とはこの世とは罪の世界であり悪い想念に充ちている
それはそうであってもその悪に興味を覚え絶えず悪を犯罪を報道して興味をそそる
そういうことがテレビとか情報社会になって余計に過剰化したのである
だからみんな警官になってしまった、それが江戸時代とか戦前でもその情報は限られていた、今は悪でも犯罪でも全国でありグローバルになっている
すると世界になれば何十億も人口があるのだから世界は悪で満ちているとなる
そうなるととこかで何か犯罪が起きる、凶悪な犯罪が起きている
それをいちいち見ていたらきりがなくなる

だから本当は犯罪をすべて報道していいのかも疑問である、知らなければ犯罪はないともなるからだ、その時幸福だったともなる、人間の暗黒面ばかり見せられているとそもそも安眠もできないとなってくる
いつ犯罪に逢うかとなりまともに歩けなくもなる、でも情報化社会で流通するのは逆にそうした悪であり犯罪や事件なのである
当たり前に平和に暮らしていますとなると話題にもならないし見ないのである

ともかくこの世にいる限りこうしてそもそも心で罪を犯しているのが人間である
するとその想念で犯罪にならなくても汚れることになる
天国では一切そういうことはない世界である
何かを悪く見たりしないのである、それは幼子とか無垢の子供の世界なのである
だからそこで悪い報道は一切ないのである
犯罪者もいない、心で罪を犯す人もいない世界なのである
だからそこでは悪いことは起きない犯罪者もいないし報道もされない世界である
つまりそこでは善いことしか起きないのである
悪は生じることのない世界なのである、それが天国なのである、神の国なのである

ともたく引きこもりになっているとき不思議だが社会とかかわらないとき悪は見えないということがあった
どうして出家したりして社会から離れて生活する僧とかが生まれたのか?
それはこの世が悪でありそれにかかわらないためでもあった
とうしても社会にあれば悪とかかわるし自らはそうでなくてもかかわるし悪を見るからである
その後私自身も社会とかかわり社会のあまりにもどす黒い人間の悪に接する見たとなる
その悪は人間の欲望から起きる、その欲を人間はたつことができないからこの世は欲で滅びると言っている
人間の欲は本当に恐ろしいものである、自分の欲のためには簡単に他人を殺すからである
たとえ殺人でなくても心の中で殺人を犯すからである
それは技術が進歩しても変わらない、人間そのものの欲は消えることがないからである、個々人はエゴてありそれが消えないからである

2021年01月26日

インタ−ネットで情報摂取の変化 (マスコミニケーションから専門化、個人化、地域化)


インタ−ネットで情報摂取の変化

(マスコミニケーションから専門化、個人化、地域化)

netinformation1.jpg
情報は積み上げられたものがあり理解する
それは個人の経験であり地域に住んでいることであり専門化である
マスコミはこの三つを無視した情報なのである


情報の変化がインタ−ネットで変わった、情報というとき新聞とかテレビとかマスコミ中心だった、マスコミニケーションとはまさにマスを大衆を相手にして情報を与えていた
何百万人のさらに千万とかの大衆を相手にしていた
だからそこでは芸能人とかスポーツとかさまざまな個々の事件でもそれは娯楽の一つにもなっていた、別に自分に危険がふりかからなければ個々の事件でも娯楽になる
それで田舎で他人の不幸は蜜の味となる、楽しんでいるのである
ただそうなるのはかつてそうして苦しんでいる時同じことをしていたということもあるからだ、だから今度はあなたの番だと楽しむことになる

ともかくテレビの影響は本当に大きかった、テレビがでてきたときテレビがある理髪店とか電器店でも人が集まった、その時テレビがなかったからだ
テレビの影響がどれだけ大きいものだったか?
それはお茶の間にテレビがありテレビが家族の中心になっていたということでもわかる
そしてテレビとは家族みんなで見るものとしてあった、その影響が余りにも大きいものだった、だからテレビで有名になると参議院とかで選挙運動しなくても当選できた
青島なんとかという東京都知事などでもそうである
つまり政治家としての資質とかなんとか関係ない、名前が売れているから票になる
政治でもそれだけテレビの影響が大きかったのである

そもそもNHKが生まれたのはテレビを国民に普及させるためでありそれで受信料を強制的にとっていたのである、テレビ放送にはその装置のために莫大な金がかかるからである
そして娯楽もテレビ中心になったのである
テレビの影響はあらゆる面で大きかった、その影響が人間の精神まで影響して変えるものだった、それで林秀彦のテレビ批判があった、その人はテレビのドラマを作る方でありその体験からあれだけ批判した、一時は一億総白痴化とも言われたのである
新聞だとまだ考えることがあるがテレビは一方的になる
考えることをさせないのである、それは映像が中心だからである
映像のインパクトは大きいし映像は信じやすいのである

でもそのテレビの映像も真実を映して現していない、それでやらせとかでもだまされたのである、イラクの油まみれの映像で世界中がイラクに怒ったからである
テレビはエモーショナルなものになりやすい、即座に映像に反応するからである
NHKで地球温暖化で島が水没するような映像を流していたがそれはその一部分であり全体ではないのである、でもあたかも島全体が水没するような映像をとして流していた
それを見とていると本当にそう見えるのである
テレビの映像は一部分を切り取ったものであり全体を知るのはむずかしいのである
そこに錯覚が必ず生まれて誤解してしまうのである
なぜそうしてNHKが放送するかというとまず地球温暖化をしきりに言う、前提として地球温暖化ありでそれでそれにのっとって番組を編集するのである

この辺で原発推進で補償金問題で仮設住宅に入った人たちでもめていた
津波の被害者は補償金がもらえないので多額の補償金がもらえた原発避難者と争いとなった、仮設では口もきかなかったという
でもNHKではまず編集会議を開き原発避難者側につくことを決めてテレビ放送したのである、それで相馬市のトマト業者に津波被害者を優先的に採用して飯館村の人はしなかったのかと暗にテレビで批判していたのである
するとなんでそのトマト業者は飯館村の人を雇わないのかと怒りにもなる
自分自身でもなっていたのである、でも飯館村の人は補償金をかなりもらっていたから当面は困らない、でも津波被害者は補償金はなかったのである
だからそれは当然だったのである、別に飯館村の人が悪いというのではない
ほかでもいわき市でも原発避難者と津波被害者がいて争いにもなったが仲間に入れてくれないとか津波被害者を批判させる番組になっていたのである
ただそれがなかなか巧妙にできていて普通は外部の人がわからないのである
でも地元だからあれおかしいなと自分は気づいたのである

つまりテレビは別にありのままを事実を放送するとは限らない、テレビ局の意向にそって編集して放送している、まずテレビに出す人もテレビ局の意向に沿ったヒトでありそれに反する人は出さないのである、NHKはNHKの意志をもっていて民報でもそうである
メデアとは仲介するものであるとしても意志をもった存在なのである
だからトランプ大統領でも発言が永久に停止されたということでもわかる
何でも勝手に発言できるものではないのである、その影響は非常に大きい
現役大統領たるものでも発言を停止できるからである
それだけマスコミの影響はメデアは影響は大きいものだったのである
それで世論とはマスコミによって作られていた、マスコミが選挙でも左右する力をもっていた、ただテレビで名前を売った芸能人が議員になれたからである

それがインタ−ネットになり何が変わったのか?

情報が専門化、個人化、地域化したことである、テレビとか新聞でもマスコミでも専門性に欠けている、なぜなら専門化するとそんな人材がマスコミにはいない
それで専門家を呼び話させる、でもそうなるとマスコミのテレビ局の意向に沿ったことしか主張できないのである
それで武田邦彦氏などの科学者は常にテレビ局に司会者に怒っている
それは自分の主張ができないからである、司会者がそれをさえぎったり邪魔する
司会者中心になり編集されているともなるからだ、そして専門的になるとちょっと話ししてもコメントしても誤解されやすいのである
でも専門的なことはめんどうだし大衆は理解しないから適当にちょっとコメントさせるだけだとなる

何か物事というのは簡単に理解できない、事件でもそうである、何でそうなったのかその背景が複雑であり他者から簡単には理解できない、それが外国になるとさらにそうであるただ映像だとそれが誤解しやすいのである
アメリカで議会に侵入した映像は衝撃的だけどその真実はなかなかわかりにくいのであるただそれが刺激的であり暴力を起こした人が反発を受ける、それでかえってトランプ派が不利になったともなる
でもそもそも普通の人はアメリカがどうなっているのかその背景を知ることはむずかしいのである

だから人間は簡単に判断してはいけないとなる
でもテレビはマスコミは裁判官のようになっている、マスコミは何かあればまるで裁判官のように善悪を判定してこいつは悪い奴だとしてバッシングする
それで大衆はそれがわかりやすいから誤解して感情的になり責めるとなる
つまりリンチ的な機能がマスコミにありテレビにある、それが危険なのである
というのは何でもその背景が複雑でありわかりにくいからである
それで私自身がおかしいなと原発避難者と津波被害者のことで気づいたのである
それは地元に暮らしていたからわかったことであり外部からわかりにくいからである

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
(場所の現象学ーエドワード・レルフ)

情報と情報の発信する場とは密接な関係がある、その場を理解しないと情報も理解できない

マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

この指摘は重要である、イラクの油まみれの映像とか島が水没したとかの映像にだまされていることでもわかる、その場のことはわからないからである
テレビの映像だけからその場のことは理解することは不可能だからである
偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとするのがテレビなのである

ともかくインタ−ネットの情報はパーソナル化、個人化している
個人の経験を基に語る、個人化、地域化する、それがマスコミケーションとは相当に違っている、ただこれは大衆化しなから影響力が弱い、でもその人なりの地域とか個人の経験から語ることはマスコミケーションとはまるで違ったものなのである
でもそうして万人が情報発信すると今度は何を読んでいいのか見ていいのかわからなくなる、情報が細分化される、だから統一的なものとキー局が必要になる
それでヤホーのニュースが選ばれているから毎日読んでいる
でもこれも実はマスコミなのである、インタ−ネットでマスコミ化している
このニュースに選ぶのはやはりマスコミと同じようにヤホーで選んでいるからである
でもここに選ばれれば飛躍的にアクセスが増えることがある

私のプログは一時津波や原発事故のことでかなり読まれた、それが半分に最近になった
つまり津波や原発事故の関心が薄れためだと思う、その他の記事はあまり関心がなかったとなる
やはり大衆の大勢の関心はその時々のものであり今はコロナウィルス一色になったからである、そっちの方に関心が移ったからである
ただこうしてプログのようなものでも写真でも図でものせられるから結構な発信力があると思った、youtubeが見られるのはやはり映像でわかりやすいからである
でももっと深く考察するとなると文章だとなる
でもは長い文章はネットでは嫌われるとかでも大衆向きになると結局視聴率を上げることは無理なのである、本当に高度なものは少数者のものである

大衆向きになるとどうしても低俗化する、それがインタ−ネットでも利益中心になり芸能人とか参入してそうなってきた
百万とかの視聴者を得ているのはやはりテレビとマスコミと同じものとなっているからだただそれも一時的泡沫のように消えてゆく
本当に価値あるものは百年後にも読まれるのもである
私のプログでも何がここに起きたのか津波や原発事故を後世の人が探るとき参考になる
つまり歴史的価値あるものを残すということである
だから今だけに焦点をあてるのではなく長い目で価値をあるものを作ることである
視聴率だけに目を向けることではないのである 

問題としてプログにしてもワードプレスとかができればもっといいとなる
それが技術的についていけなくなっている、それで全体で膨大な量になるから調べにくいとかある、でも相馬地域を知るときその全体からわかるということがある
それだけのボリュームがある、自分自身でさえこんなにいろいろ書いていたのかと読み返して感心しているのも不思議なのである、自分の書いたことを忘れているからである
だから記録としての価値があるともなる






2021年01月08日

中立なメデアはない (アメリカも日本も左右に分かれるートランプ大統領を攻撃するメデア)


中立なメデアはない

(アメリカも日本も左右に分かれるートランプ大統領を攻撃するメデア)

メデアは媒介するものとか中立とかの意味がある
でもメデアは中立ではない、明らかに意志をもった存在である
そのメデアの意志を通すために放送する
まずトップで会議を開くどういうふうに放送するか決める
意志決定するのである
それで原発事故でもまず原発避難者側についた発言をすることを決めていたのである
津波被害者もいたが原発避難者が注目されていたのでそうした
それで何か相馬市のトマト業者が飯館村の人を雇わないのは冷たいと言わせたのである
それはNHKの意図をもってそう放送したのである
いわき市の団地でも津波被害者が原発避難者を冷たく扱い仲間はずれにしていると暗に非難させていた
それは原発避難者が多額の補償金をもらっていたからである
津波被害者はもらっていないかったのである
ただそこを無視した、最初から津波被害者側につくことをNHKは決めていたのである
ただ後から両者が和解する方向に放送した

このようにまずNHKはメデアをもっている、放送することができる、そのことで第三の権力ともなった、放送は必ず偏るのである、でもNHKとか他でも何か中立のように見えるのである
だからたいだいは気づかない、ただ私が気づいたのは地元だったからその背景がわかっていたからである
原発避難者は多額の補償金をもらっていた、だから生活に困らない、でも津波被害者は相馬市でもいわき市でも何ももらっていなかったからだ
その差が大きかったのである
もちろん原発避難者にも言い分があり当然だともなり批判したらお前は地元なのに情がないのかとまでなる、NHKでもそう言っているのになぜそうなのだとなる
つまりNHKがお墨付きを与える力をもっていたのである
NHKに取り上げられればそれで知れ渡りそれが正しいとまでなるし人物でも社会が容認するとなる

そしてトランプ大統領でも選挙の時、メデアから聞こえるのはとんでもない奴だとかメデアでは報道しなかった、マスコミはメデアはトランプを常に批判していたのである
だから日本でもNHKでも全部がトランプを批判する立場になったのである
あんな人が大統領になるわけがないとなっていたのである
それはメデアによってそう見せられていたのである
なぜならメデアは民主党側についていたからである、つまりメデアによって常に報道は歪曲されるのである

日本のマスコミでもメデアでも偏っている、左派系がマスコミを支配している
それでインタ−ネットとかyoutubeが生れてそこで放送しているのは右系統が多いのである,マスコミはテレビは右系統を排除することが多いからである
それはネットを見ていたらそのことが明確に対照化されたのでわかった
つまり赤ばかり見ていると赤に染まる、黒ばかり見ていると黒に染まる
マスコミは特にテレビ系統は赤であり左派系統なのである
そこては在日団体系統の支配とか中国寄りにもなる
それはアメリカでも同じである、共和党はナショナリストであり右系統であり民主党はリベラルとかである、また中国よりでもある
この辺は日本と似ているのである

右系統はマスコミから常に排除されて無視される傾向があった、右系統はマスコミではテレビでは発言できないのである
それでyoutubeで発言しているのはつくづく右系統だなと見たのである
この傾向は何かアメリカとも似ている、共和党は右系統だからマスコミから排除される
そしてなぜトランプ大統領が選挙は不正だとして抗議していた
そしてトランプ派の過激派が暴徒化した、死者まで出た
その経緯は良くわからない、でもテレビだと暴徒化させたのはトランプでありトランプは悪い奴だという選挙前と同じようになっている
一斉に攻撃されてまた日本でも同じである、トランプは悪い奴だということしかなくなったのである

そして暴徒がなぜ国会議事堂に侵入できたのか?

そき疑問をyoutubeで説明しているのを見た、アメリカ在住の人である
簡単には侵入できない、それを侵入させたのが警官だったとしている
それはわざわざ侵入させた、それは意図があってそうさせた
何かそれで悪者とさせるために侵入させたとしている
これは日本の戦争でも真珠湾攻撃はアメリカによって日本がそうさせられたとしているのとにている
つまりアメリカは真珠湾攻撃を知っていたけどわざわざ止めなかったのである
それは日本を悪者にして戦争へ突入させるためだったとかの陰謀だったとも言われる
イラクでもそうだった、油まみれの海鳥の写真を世界中が見てイラクは悪い奴だとなってしまったからである
一枚の写真がそれだけの影響を世界に与えたのである

いづれにしろ報道は必ずかたよる、それはメデアが中立ではないからだ
それでトランプがフェスブックでツイッターで別に暴力はやめろと言うことに対しても
その発言をさせなかった、アカントをはく奪までしたのである
つまりメデアをもっている社長がそういうことができたのである
これは大きなも問題だった、IT関係は民主党よりだからそうなったのである

アメリカで何が起きているのか?

それは日本とも似ていたのである、日本でも起こっていることでありメデアは中立ではないから起きて来る問題だったのである
メデアは赤一色にもできる、黒一色にもできるということである
それで偏るのである、だからインタ−ネットで相対化できる?うになったことはいいことである、なぜなら赤一色になることは全体主義になることだからである
相対的に見れなくなるからである、私は右でも左でもない、中立である
どんな団体にも属していないからである
何かの利権団体に属していたら中立ではなくなる、でもメデアはマスコミ自体が巨大な利権団体なのである
宣伝費をもらい利権を得る団体でありそこに公平さはありえないのである
それは報道するのに莫大な金がかかっていたからである
そうなるとどうしても宣伝費に頼らざるを得ないからさ金を出す会社に忖度するようになる
インタ−ネットだと報道するにしてもほとんど無料なのである
ただ手間は省けない、手間がかかるので前はホームページば出していたがまたワードプレスでもしようとしたができないのである
手間がかかりすぎるのである、技術的にもおいつけなくなっいたのである
そこにどうしても非力さを感じてしまうのである

【ワシントン速報G】世界中のワニがどんどん沼から浮かび上がっている。
タイガーもリン木もまだ諦めてはいない!!

2020年12月24日

本の整理に追われる (読んでいても忘れていたーでも本は集めておく必要があった)


本の整理に追われる

(読んでいても忘れていたーでも本は集めておく必要があった)

本の整理していたけどありすぎると読んだことさえ忘れている
線は無数にひいてあっても読んだ記憶もなくなる
それより自分の書いた文も忘れる、最近書いたのでも忘れる
プログで読み返してこんなんことを書いていたのかは自分自身が感心しているのも不思議である、それでまた読み直して書き加えたり新たに自分の文に答えるようにして書く
するとそれは終わりなき文章ともなってゆく

本もそうだった、本は読んでも活かされない、忘れている、こんなこと書いてあったのかと新鮮になる、一度読んでいてもほとんど忘れていた
本は整理しにくい、だから本を電子化して辞書のように引くことができればいいとなる
そうすると関連したものをまとめるとそこで一つの新たな文が書けるからである
本では関連したものを探すのがめんどうなのである
でも本の一部と他の本の一部とかが関連していてそれを結び合わせるとまた別なものとなって表現できるのである

とにかく年の暮だから掃除とか整理でありまた家の修理があり大工さんを頼んだ
家も50年過ぎていたんでいたし地震でこわれた所をまだ直していなかった
家は前から何回も直している、その度に相当な金がかかっている
今は大きな家に一人だけで利用している

知的生活をするには書庫が必要である

知的生活とか知的創作とかなるとそういう場が必要になる、画家ならどうしてもアトリエが必要になるし工芸でも創作する場作りが必要になる
書庫が私設図書館が必要になるのは引用するためである、また参考にするためである
だからプロの作家になると私設図書館をもっているのである
必ず何かを参考にして引用するからである
インタ−ネットでそれがしやすくなったのだがインタ−ネットにはまだプロの情報が蓄積されているのが少ないのである
だから本を利用するとプロの情報が蓄積されているからいいものに当たる
でも本はキーワードとかで探すことができないので一冊一冊になっているので面倒なのである、インタ−ネットのように全文検索して編集したらそれは新たな創作品となっている
とにかくもうこの年になると情報すら新しいものを吸収できない
でも古いものでも読んだ本でも忘れているのである
その努力が活かせていない、それは結局アウトプットしていなったからである
それができなかった、アウトプットしない限り情報でも本を読んでも活かせない
だからプログとか記録するという点でもいいツールなのである

まずこの年になるとあらゆるものが整理するとかなる、人生を整理するとかにもなる
自分のしてきたこと吸収した知識とか経験を表現することになる
それで表現するにしてもやはり経験が基になる、外国で15年も暮らしてそれで商売までしていたとなるとその経験を語れば訴えるものがある
それだけの経験は簡単にできない、留学はしたとしてもビジネスをしていたとなると別である
その経験というのは本を読むとかのレベルではなく実感として知る、肌で知るということである

今日も一日追われて終わる、家事とかも全部していると本当に追われる、それでプログのコメントもできない状態である
まずプログに書くことで追われる、それから家事で追われる、今回は家の修理がありそれで追われる
これも年の瀬だからともなる

我が家には私設図書館くらいの本がある、大規模ではいなにしろある、でも本があるというだけでその本の内容を消化していない、自分なりに消化していなかったのである
でも本は例え読まなくてもそろえておく必要がある、なぜなら自分なりの文章を書くとき自分の文脈で他人の文を活かすためなのである
それで時々インタ−ネットだけではなく本を読み返す必要がある
また図説とか写真とか絵も参考になる、そういうものを集めることが自分なりの情報発信に役立つのである

ただ正直人間一生でできることは限られている、あっというまに人生の時間が尽きる
もう詩文に残された時間はわずかになった、つくづくたいしたこともできなかったなと思う、ただ旅したことでも財産になる
何かしら経験は財産になる、読書もその一つだけでこれも忘れやすいのである

人生百年時代になると知的な仕事する人にはいいとなる、何しろ知識とかは膨大であり本の一部しか知ることもできないし経験もわずかのことしか経験できない
時間はたちまち過ぎる、30過ぎるとまだ若いとなるのが40になるとすでに白髪がでてきたりおっさんだとかなり氷河期世代が絶望を語るようになる
40才が分かれ目になる、それ以後はもう何か新しいことができない、追いつけないともなる   

焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火

こんなものになる、膨大な記録ともなるはずだが燃やしてみればわずかの灰となっているだけである、人生はみんなそんなものだともなる
そもそも普通の人は記録さえなくかえりみられず終わるだけである
歴史となれば名前とか一行でも何か残っていればその人の生きた証となるが実際はほとんどの人の記録は失われる、その人が何を生きたのか墓を見てもわからない、戒名を見てもわからない、記録がないからである
それで文章で記録を残すことは意外と大事だとなる、なぜならそこから死者を偲ぶことができるからである、語ったことは忘れやすい、消えやすいからである
エジプトの神聖文字とか粘土板の文字とかが二千後にでも残ればそこから過去をしることができるからだ、そこに文字の貴重さがある、記録することは文字が生れてできたことなのである

短日に仕事せかされはや暮れぬ

本あまた積まれて忘る年の暮

2020年11月17日

アクセスされた外国の謎 (少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)


アクセスされた外国の謎

(少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)                 


OrgName:        Massachusetts Institute of Technology
OrgId:          MIT-2
Address:        Room W92-167
Address:        77 Massachusetts Avenue
City:           Cambridge
StateProv:      MA
PostalCode:     02139-4307
Country:        US   → (アメリカ合衆国)

全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者を多数(2014年までの間に1年以上在籍しMITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名で、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回る[11])輩出している。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds(QS)による世界大学ランキングでは、2012年以来2019年まで、ハーバード大学及びケンブリッジ大学を抑えて8年連続で世界第一位である。 

ケンブリッジ市にマサチュウセッツ工科大学がある、そこからアクセスがあった、おそらく原発関係だろう
でもここは相当に優秀な大学である、ノーベル賞受賞者は81名というのには驚く
一時外国からも原発で注目されたようだ
ただ私は文系なのだから研究に役立つような知見が得られるのだろうか?
ただこういう大学からアクセスがあることはやはり私のプログがテーマとしていたからだろう
でも前からすると最近ページビューは半分に減った、ただ訪問者は300以上とかなんとか維持している

そしてなぜか世界中からアクセスが増えた、世界からのアクセスは必ず忍者の分析で出る
日本はもれるのが多い、ただedとあると教育関係のアクセスが多い
つまりアクセスが減っても良質な人の何か目的がある人のアクセスがあるとなる
その世界からのアクセスはここ何日かつづいている、それは原発関係ではない
抽象画関係しか考えられない、抽象画が認められて世界からのアクセスが増えた、その国も多様なのである
パナマとかウクライナとか今日はルクセンブルグとかからもアクセスがあった
それは一回限りではないことが特徴である、だから何か抽象画が注目されたのだと思う
抽象画とか絵画とか写真は言葉がわからなくてもわかるからだ

ここでわかったのはインタ−ネットは世界的な表現の場だということである、それは前からわかっていたがこんなにアクセスがあることで注目されていることを認識したからである

ただ正直アクセス数が相当数減った、半分以下とかなった、訪問者はそれほど減っていないにしてもこれだけ減った
その原因はこれまで津波とか原発関係でずっと増えていた、震災から十年過ぎて関心が薄れたのである
あとは俳句とか短歌だと関心があるのは少数者である、詩などでもそうである
こういうのはアクセスが増えない、ニュースとかは増えるがそれも新聞のようにテレビのようにならないのでアクセスが少ない
だからどうしてもアクセスが減ったのである、ただアクセス数は関係なく中味のある、代々読まれるようなものを出してゆく
たいがいyoutubeでもプログも一過性になるのは価値がないのである
その時その場限りになってしまうからだ、そういうものが膨大に多いのである
ニュース解説でそこに歴史的に考察して普遍性がある解説が必要なのである、それは相当に経験とか学識とかがないとできない
それができているのは五六人しかいない、それは自分が毎日アクセスしている、ただ他にいるがそれは自分はアクセスしていないのある

でも何か百万とかまでアクセスがあるのはそれは芸能人のようなつまらないものなのである
だからアクセス数からだけでyoutubeでもプログでも判断することはできない

正直特別関心がある人とか何か俳句とか短歌でも詩でも創作しているとか宗教なら求道心があるとかそういう人たちを対象にして発信する、ただ数だけを集めるのではない、中味がある、その場限りのものではないものを追及する
youtubeなどでもそれはその場限りで消えてゆくものが多いだろう、何か何度も読まれ代々読まれるものを目指す
そうなると少人数になる、そういう人たちを集めて内輪で研鑽すするというのも考える  
これからどうするかは来年のことになる、何とか詩集は出したいと思っている、これにしてもなかなか一般的には理解されない
でも膨大なものになったのでまとめたいとは思っている


2020年09月23日

読書の方法はまず記憶させること (場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)


 読書の方法はまず記憶させること

 (場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)



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寝る時に本を置いて何回も目を通す、部分的にでもぱらぱらとめくり読む
すると頭に記憶されやすい



どうしたら読書で本を読んでそれが効果的になるるのか?
本は私立図書館ができるくらい集めた、特にアマゾンで古本の安いのを集めた
でも何か積読になり読んだで印をつけていても読んだことを忘れている
ここを読んだのかという記憶もないのである
だから本を読むより本を集める蒐集家になっていた
そうなると本を読んでいるのではない、まるで古本屋のようになっている
書店とか古本屋では売る人は内容まで良く知らないからである

でも読書してその本の内容を理解すること自体が相当に努力が必要になる
またその方法もある、それは寝る時、二階の寝室で必ず本を読み目を通す
それも同じ本なのである、そこでその本を何回も寝るときに目を通して読んでいたらそれが頭に記憶されることがわかった
ただ全部を読むというのではない、その一部分でも読む、眼を通す、何かそうしているとその本の内容のことが頭に記憶されてくる

それは食べ物でも何かゆっくりと食べてその味を覚える、味わうというのに似ている
うまいものだったら何度も食べたい、そしてその味を深く味わうとなる
本はやはり作者の苦労した知識がつめこまれている、それは一生をかけた知識がまとめられている、すると読む方でもすぐには理解できない、ただ何回もそうして読んで目を通していると頭に記憶されて理解するようになり今度はその本についての感想を書き自らの文脈にとりいれるのである

だから知的仕事というのは大きな家が必要なのである、狭いワンルームも必要でもまた気分転換になる部屋だ必要になる、何か知的仕事をするとき家族でも邪魔になることがある第一家族がいると子供でも妻でも集中することができなくなるからだ
部屋の中でわたわたしたり妻でも気をつかうとしたら知的な仕事はしにくい
集中しにくいからである
私は結婚もしないし家族はいても別に干渉されることもなく自分の部屋があり引きこもって知的な仕事をしていたとなる
瞑想もしていた、この瞑想だって家族がいるとしにくくなるだろう
それで何か後世に作品として残したりした人は芸術家などでも独身が8割だったということが納得がいく、それだけ作品作りに集中しないとできないためである
ただそういうことがわかっていて助ける人が妻でもいれば別である
でも子育てとかありそうなると家で知的仕事に集中できないということがある

ともかく知的仕事には私立図書館になるくらいの本を装備してゆく必要がある
たとえ読まなくても必要なのである、必ず文書を書くとき引用したり必要になるからだ
そして何か自分の探求しているものを新たに発見する
白鳥省吾の詩は津浪とか原発事故とか大災難を経験したので自分にとってもこの辺の人にとってもぴったりの詩だったのである
でもそれは忘れていたし覚えていなかった
ただ寝室でそれを手にぱらぱらきランダムに読んでいて発見したのである
このように本は何かその人なりのものを追及している時、ぴったりなものが発見することがある
だから私は詩集でもある程度集めていたのである、それが役にたったとなる

本を読むことは本を読んだままにしては活きてこない、自分なりの説を展開する時の補強となるとき活きてくる、それぞれが探求して追及しているものがありその過程で補強するものとして活きるのである
ただ正直本は読むのではない、他者の説とか文脈の中に圧倒されて自分の説とか見解でも消失してしまう危険がある、やはり強力自説を展開する人ならそうはならないのである
でも何か本は内容があるとのみこまれてしまうのである
そしてただその本の著作者のコピーのようになる
そうなると読書が有効なのかどうかわからない、ただコピーしているだけになるからだ

それでインタ−ネットだと本の感想をでも気軽に書けるから書いてみる
すると何かただ一方的に読まされるだけではない、そこで自説を展開して協同作業のようになる、別にインタ−ネットでは気軽に他人の意見でも参考にできるから協同作業がしやすいのである
ともかく知識が膨大であり理解するのはわずかである、本は今いくらでも買える
別に書店がなくても買える、図書館に行かなくて本は買って読める
でも本を読むだけで終わったら読んだことにならない、その本を読んで自説を展開することが本を読むことなのである
なぜならどんな天才でも偉人でもキリストでもシャカでも先人が師がいて教えを説いたからである、キリストは聖書を読んでいたときそこに予言者がいてそれを学んだ
シャカもヒンズー教がありそこから学んだ、常に先人があって学んでいるのである
どこのく世界でも先人はいる、仕事するにしても必ず先人がいてそれで教えられて学んでいるのである、だから職人でも師弟関係ができるのである

いづれにしろ一冊の本を理解することは相当な努力が必要になる、そのコツは定期的に寝る時でもいいから何度も目を通す、それも全部ではない、一部でも理解する部分を目を通して頭に記憶させることが大事なのである
それで家が大きくて部屋がいくつかあるのがいいとなる
知的な仕事は才能があるにしても環境が大事だとなる
高校まで自分の家には一冊の本もなかった、子供の時は漫画だけを借りて読んでいた
子供部屋おじさんが話題になるがそもそも団塊の世代で子供部屋をもっていた人はまれだろう、ほとんどいなかったろう、そうなると自分の好きなことを探求できないともなっていた

私の場合は大学を出てから家で引きこもったとしてもそこで知的探求する場が与えられていた、それは大学の時大きな新しい家を建てたからそうなった
だからそこで知的探求する場が与えられていた、ただ本は田舎で買えなかったことは相当なハンディだった、仙台市に行かないと専門の本はなかったからだ
今ならアマゾンでも何でもいくらでも買える、この差は大きかった
本が読めないとしたら知的探求は不可能だからである
才能は確かに生まれつきがあるとしても何らか本を読むにしてもこのように努力しないと理解もできないのである 

そういう繰り返しが反復して理解するようになる
特に記憶することが先にあり記憶として定着させるために寝る時に本に何度も目を通すのである、するとそれが頭に記憶として定着する
この記憶するということが大事なのである、なぜならすぐに人間は忘れるからである
でも毎日そうして本を何度も全部ではなくても読んで目を通していると記憶される
すると記憶したことによって自説を展開する時、その記憶したものか活きてくるのであるつまり頭の中で構築されやすくなるのである
この方法は試ししてみるといい、ただ広い家がないとしにくいことはある
でも寝室で何冊か本を置いてランダムでもいいから読み記憶させることはいい方法なことを発見した

2020年09月22日

マスコミの印象操作にのせられる (連休の人出は京都くらいで他は増えていない)


マスコミの印象操作にのせられる

(連休の人出は京都くらいで他は増えていない)


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一月万冊

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宮崎と鳥取と京都と愛媛と神奈川で増えている
あとは10%-20%と減っている
つまり元にもどっていない、東京はもっと減っている
東京は警戒しているかことがわかる
なぜなら40%とか減っているからである
だからみんな警戒しないのかと見たがまだ警戒していたのである



ここのyoutubeで今回の連休の人出が増加して満員になっていると映像で見せた

するとテレビを見ている人はどう思うのか?

あんなに人が一気に出てきてコロナウィルスが増えなのか?それを自分自身も一番思ったただコロナウィルスがこれほど騒がれているのだからそんなに増えるのかという疑問だった、まだ用心してもいいとも見た
ある程度は観光と飲食で窮地にたたされているのだからしょうがないとも見ていた

でも一月万冊で詳しく分析していた、統計的に分析していた、その情報は官報で報告されていた、つまり前と比較して東京内でもまた地方でも20パーセントは減っている
元にはもどっていない、ただ京都だけは例外であり元のにぎわいになっていた
だからテレビを見る限りずいぶん増えた、何か感染者が増えないのかとと見る
つまりテレビの映像操作でそうなる、一部分をとりあげてそこだけをクローズアップするだからあたかも人が増えたと直感的にそう思う
その詳しい内容はテレビを見る人は検討しないからである

それで一月万冊というのも何かわからなかったがそれなり適格に現状を分析して指摘している、意外と最初youtubeはふざけているのかとも見た、でも真実をついているなと見方が変わった、マスコミはなぜ人が増えたとういことを示したいのか?
それは視聴率をとるためである、ただ人があまりでないとなると何も訴えるものがなく見ないからだという
確かに人があれだけ出ているのかとなればとにかくそのことを見てみんな自粛に疲れて
外に出るようになったのだと見る、でも東京内でも渋谷の交差点でも実際は増えていない20パーセント減っていて元に戻っていないのである
それは政府から統計で正確な数字がでているから間違えない、だからマスコミではある部分を誇張して報道する、それは放送局の意図があってそうしている
人は出ていますが前と比べるとまだ元にはもどっていません、20パーセントは減っていますとは報道はしないのである
そうなるとなんだ増えていないのかとなり注意して見ないともなる

とにかくテレビの問題は第一印象に訴えるメデアである、第一人でも顔が映る、するとまずその人が言うことより顔から第一印象から判断する
この人はこんな顔しているのかとなり顔を見るのである
でもプログだと顔が見えない文章だけだとなり文章から判断するのである
その相違も大きい、どうしても映像のインパクトが大きいからそれで判断する
イラク戦争でも油まみれの海鳥一羽を映しただけで強烈な印象操作があり世界中がイラクが悪い、フセインが悪いとなったからマスコミの影響は恐ろしいものである
それは油にまみれた海鳥は作られた映像だったのである
その周りは別に油に汚染されたわけでもなかったのである

テレビはマスコミは何か正確に事実を報道しない、事実より何か目をひくものを報道するインパクトのある映像を出して視聴率をとろうとする
ただそれはyoutubeでも行われている、何か人を恐れさせるとかのタイトルを常に出す、するとやはり人は怖くなり見るということがある
それが人間の心理である、安全ですよ何も心配ありませんよとなれば誰も見ないのであるだから視聴者にも問題がある
何か強烈な刺激を得るために見るということがあるからだ
そしていつもテレビを見ているわけではない、ほんの瞬間的に見て終わりだともなる
またその詳しい内容を検討する時間もないからしない
だからある程度暇がないとそういう検討ができないのである
だから瞬間的な映像の印象操作にひっかかりやすいのである

マスコミは事実だけを報道しない、マスコミの意図があって報道を編集しているのである日本中が観光客であふれ元にもどった、GO TO キャンペーンは大成功だったと政府に忖度した報道だともなる
でも実際は京都だけが成功したとなっていたのである
ただテレビの印象操作はわかりにくい、何が意図なのかわかりにくいのである
何度も取り上げるがNHKで原発事故の避難者が飯館村の人が相馬市に避難してトマト農家に雇われなかったと飯館村の人が語った時、瞬間的になぜそのトマト農家は雇わないのだ困っているのに雇わないのだと冷たい農家だと見ている人は怒るようになる
の理由は相馬市では津波で大きな被害を受けた、そのために津波の被害者を優先的に雇ったのである、それは人間として当然のことだったのである
別に冷たい農家でもない、でも視聴者は印象操作されてそう見ないのである
別に飯館村の人をどうこういうのではない、地元で公平に判断すればそうなる
その事情がわからないとテレビ局の意図通りに見ることになる
もともとNHKでは原発避難者側にたった報道をすると意図して決めていた
だから下の人は上の人が決めることですからと言っていた

とにかく今マスコミがインタ−ネットでyoutubeなども出てきて常に批判の対象にされるようになった、マスコミの報道が社会を歪めるからそれを是正しようとインタ−ネットで発言する、youtubeで気づいたことは簡単にテレビ局になれのだということである
プログなどはそうだがテレビ局に簡単になれるとは思わなかった
何か説明するのでもマスコミのテレビ局とたいして変わらない、政府の統計の数字を出して比較しているからわかりやすい、別にマスコミのテレビ局だけができると思っていたが一般の素人でもテレビ局になれるのたと見た
ただどうしても取材力がたりないのである、取材することは相当にむずかしい

マスコミ批判が噴出しているのは肝心なことを知らされないでそれが国民の命取りになる命まで失うということがあるからだ
それは福島原発事故でも肝心なことが報道されなかったからだ

東電の科学者が10数メートルの津波が来るから防波堤を作れ!

このように警告していたがそれも知っている人は地元ではほとんどいなかった
もしそれを大々的に報告していたからみんな津波が来るのかと警戒してそれが頭に入っていればすぐ避難した、でも相馬地域では津波は来ないと確信して逃げないで死んだ人がいたのである
それは肝心なことが報道されなかったからである、まず原発に関しては政府の隠蔽があり重大なことが知らされない、中に立ち入ることもできない
ただ全国でもそうだがマスコミは東電からまた電事連でも莫大な宣伝費が出されているから危険を報道しなかった、つまり本当は県民を国民を守るべきマスコミが宣伝費をもらうからと権力をもつものに忖度して報道しないのである
別に防波堤など作れたのである、今になって実際に作ったからである

それから漁業組合とか船主とか漁業権を東電に売り渡したことを何度も私は指摘してきたこれも一切報道されていない、これはやはり肝心なことだったから私は指摘した
なぜならもし漁業組合でも海が汚染されて魚がとれなくなると反対したら原発は建てられなかったからである、でも事故前も補償金をもらい原発御殿を建てていたかと後でわかった、ここも肝心なことでも報道しない、ただ事故前だったら報道はできない
漁業組合から抗議が来るからだ、それは他でも様々な利権団体がありそこから抗議が来るから報道できない、それで利権団体民主主義と私は批判した

ただ報道にしてもそこに住んでいる住民の民度が高くならない限り報道の質を高めることはできない、住民の命がかかわることがあり報道の役割りを住民も参加しないとできないただインタ−ネットとかでは別に金がかからない、手間はかかっても無料だから誰でもできる、ただ取材は簡単にできない、原発を取材させろといっても一個人はできない
権力がないとできない、それで政府では常に隠ぺいしている
書類でもすべて黒塗りにして隠蔽したからである
つまり必ず隠蔽があるのはやましいことがありそれを隠すためなのである
それは重大な事実も報道されないということになり住民でも国民でも被害を受けることになる、命を失うとか故郷に住めないとかなる
ただそれは住民でも国民でも民意が高くならないとそうなる
ただ利益になればいいとかなればとりかえしのつかない今回のようなことになる

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2020年08月28日

無責任民主主義 (一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)


無責任民主主義

(一票には百万分の一の責任しかない―誰も責任はない)

民主主義がなぜ機能しなくなっているのか?
選挙だって投票しても何もかわらないとかなる
それは結局一票の価値とか責任は百万分の一に過ぎないからだ
要するに百万分の一の責任しかないのである
それでも一人が十票分を投票できるとなれば10人分でありそれなりに力をもち責任を持つようになる
だから選挙の時は一票など当てにしていない、団体票を組織票を当てにしている
カルト教団であろうが何であろうがまとまった票を得ることが政治活動なのである
投票する方でも何か一票だからと何の影響もないとなり責任も生じない
要するに投票しても投票しなくても同じだとなっているのだ
だから有名な影響力ある武田邦彦氏などでも棄権している
その人が言論で影響力があるからそっちの方に熱が入る、言論の方が責任があるし影響力があるからそうなる

民主主義の発祥の地のギリシャにしても一万くらいのボリスであり一人一人が見えるような社会で起きた、それが巨大化すると民主主義が機能しなくなる
ただ民主主義は必ずしも選挙だけではない,社会システムとしての制度である
でもその最大の中核となる選挙がもう一票が百万分の一とかなると責任もなにもない
また選ばれる人も一人など相手にしない、マスを相手にする
それは様々な利権団体なのである、それで二階堂氏が観光業者の団体と関係していて
go to キャンペーンを政策にして実行した
そしてその団体から献金を受けるとしている

こういうふうに民主主義は利権団体と必ず結びつきまとまった票を得て当選する
民主主義というとき民が主だとしているけど実際はこうした利権団体が主となっている
そして利権団体化するとただ利権だけを得ようとする
それが民主主義では権利民主主義なのである
権利はもともと権理と明治に訳していた、それがただ権利となった
そこには正義もなにもないのである、利権を得ればいいしかなくなったのである

再三取り上げているけど船主とか漁業団体が漁業権を東電に売り多額の補償金を原発事故前も補償されて原発御殿とか建てていたということが事故後にわかった
だからここだけではない、民主主義とは利権団体の民利主義とかなる
つまりプライベートの意味が奪うという意味でありまさに自分たちの利権のために公の財産を私的に奪う権利なのである
それで公共的なものがそうして利権団体に奪われるものになったのである

例えば入会権でもそうである、それは村の共有地でありそこで山菜でも木を燃料とするにも家の材料にするにも共有であり誰かの土地ということはなかったのである
一個人の土地ではない、今でも観光客が勝手に山菜をとるなというとき資源保護とか村の財産を守るためにそうしている
それは漁業権でも本来はそういうものだったのである
それが明治以降に資本主義となり民主主義となったとき個々人の所有に分割された
そのために今になると無数にそうして個人の土地があり山全体を利用しようとしても
できない、もう誰の土地なのかわからないものにもなっている
つまりここでも公共の共有の土地がプライベートされ奪われてそうなったのである
こうしてかえって山は昔のように入会権があり共有であったのが私的所有にプライベートされて何もできなくなったという事情がある

民主主義が機能しないないというとき自治体でも機能してない
この辺で原発が作られるとしてもそのことについて市町村で議論されない
それがわかったのは小高町にすでに東北電力の原発が作ることが予定されていて事故が起きた年に工事が始まろうとしていたのである
でも小高に原発が作られることすら私自身も知らなかったのである
つまり広く知らされることも議論することもなかったのである
事故を起こした原発でも土地所有者と県の許可くらいで決められたのである
そこには何の議論もない、一方的にただ地元の人たちに「安全神話」を吹き込み一切の批判を許さなかったのである
ここにも民主主義など全然なかった

福島県の報道機関はマスコミとなるが何も機能していない、第一福島民報は出資比率で県が半分であるとしたら県の言うままになり国のいいなりになるだけである
これは日本全体でも報道はマスコミは民主主義が機能していない
何かマスコミはまた巨大な装置をもつ六局が独占していた報道の利権団体だったのであるNHK自体がそうだった、報道するということで巨大な権力、第三の権力となっていたのである、それで宣伝費とかで収入が入る、すると金をくれるところに忖度するとなる
それがわかったのはインタ−ネットとか特にyoutubeの影響が大きかった
なぜならこんな簡単に名もない個人がテレビ局のように放送できるのかと不思議だった
でもマスコミとたいして変わらないしかえって説明など新鮮だったとなる
そういうことはある程度の知識があれば誰でも一個人でもできるということだったのである

今までのテレビ局はマスコミが権力をもったのは莫大な資本がないとできない、それで権力をもったのである
民主主義が機能するにはやはり報道が大事になる、知らされなければそもそも何もわからないし判断しようがないからだ
だから知らないままに20キロ圏内に東北電力の原発ができるようになっていた
そしたら事故になったら住めなくなったのである
これも怖いことだった、でもなんら知らされないし議論もないままに建設が始まるところだった、小高の人でも誰も反対しない、ただ金になるからいいとしかないのである

重要なことが知らされない、議論もない

これでは民主主義も何もない、全体主義の独裁と同じだったのである
日本の報道の自由率はとても先進国とは思えない低さなのである

国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は21日、2020年の「報道の自由度ランキング」を発表した。調査対象の180カ国・地域のうち、日本は66位(前年67位)だった。

これが民主主義の自由の国かとなる、もう江戸時代との見ざる、聞かざる、言わざると同じではないか?
こうしたことから社会は歪められて悲惨な結果となった、戦後アメリカの民主主義を取れ入れてもそれは利権団体主義であり本来の民主主義ではなかった
ただ民主主義という言葉だけであり実質はともなっていなかったのである

要するに利権団体主義となるとき利権だけに金だけに目がゆく、その正当性とかrightに目がむかないのである、それが漁業権とか他の権利でもそうである
漁業資源の保護が本来の役割りとして権利が与えられている、入会権とかでもそうだった権利は権理だったのである、法律でもreasonを重んじる
ただこの理屈となるとめんどうになる、でも万人にでも納得する正当性があって成り立つ団体だからといってすべて通るとなるのも民主主義ではない
でも現実はそんな正当性は関係なく利権団体主義となり数が多いものが権力をもつ
そして一票を投じたとしても百万分の一の責任しかないから無責任になる

また選ばれた議員にしても別に責任を自覚しない、議員自体が利権を得ることを目的として政治家になる、そして何かあれば選んだ選挙民が悪いとまでなる
民主主義では選んだ人にも責任がるとなる
そうしして誰も責任をとらない無責任社会となった
それより侍だったら一心に責任を感じていたから切腹までしたのである
それで庶民は侍になりたくないというのもわかる
そんな責任をとてもとれないからである、原発事故では実際誰も責任をとっていない
官僚でも政治家でも東電の幹部でもマスコミでも御用学者でも何か月給を減らされたとかもないのである  

こうした無責任社会の弊害は大きい、大衆というものも全く責任とは関係ない匿名集団である、それで数学的にも集合にはならないという、駅とかに集まる不特定の集団は集合にならない、それは一時的に集まり離散しているからである
そういう大衆がやがてナチスのファシズムとなったのが現代である
ナチスはヒットラーはそうした無責任な大衆から生まれたとされているからだ
要するに大衆には責任がない、ただ騒ぐだけだとなる

ただデモになり死ぬこともあるからその時はやはり命がけだと責任をとっているとなる
すると投票よりそうしたデモが民主主義なのかとなる
でもそれは暴力になるから民主主義ではないとなる、それでもそうしなければもう社会は変えられないともなれば暴力にもなる
つまり投票では社会は変えられないとなるからだ
民主主義はすでに機能しなくなっている、アメリカでは数パーセントの人が半分の富を収奪しているとかありそれも変えられないとすれば民主主義は機能しない、デモで暴力で変えるほかないとなる、その時民主主義はもう成立しなくなっているのだ
だからそうしてデモが巨大化すると国自体がその暴力によって変えるとなり選挙は無駄だとなり否定されるようになる、民主主義はもう成り立たないのである

ただいくら無責任民主主義でも人間社会は必ず責任を誰かがとらされるようにできている
この辺では原発事故で故郷に住めなくなった、これが最大の被害だった
戦争でもやはり三百万人死んだとか必ず甚大な責任をとらされた
無責任民主主義でも責任から人間は逃れられないようにできている
だから最初から責任をとれるような社会にした方が間違いがないともなる
みんな無責任であっても結局誰かが大きな責任をとらされるからである
それで一人に十票の投票権を与えればそれだけ責任は自覚される
しかし結局平等主義になりそれがまた不平等になるのである
でも民主主義が機能しなくなっている、それを解決するにはどうするのか?
それが問われているのである

利権団体民主主義が社会を歪める
(GO TO キャンペーンもそうだった)

責任をとらされる人が一番真剣になる (責任をとらない人は信用できない)

2020年08月06日

高齢者の読書離れ (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)


 高齢者の読書離れ

 (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)

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週間文春-8月6日

ここで面白いのは読書していることではなく、蔵書を本をそろえることだとしている
本を理解しなくても読まなくても本をそろえる、書斎を作る
これもそうだと思った、私がそうだったからだ
本を読もうとして相当に本を買った、でもその本がたりなかったのである
本が買えなかったのである、田舎では都市があっても5万くらいの都市ではまず本が売っていないのである、専門書などほとんど売っていない
そうなると田舎で独学することはできない、本が読めないということはもう知的な刺激も得られないからだ
そしてくだらない本を読んで失敗することになる

子供の時には本が一冊も家になかった、第一子供部屋などなかった、だから今子供部屋おじさんと言われる人がいる、その人は子供部屋をもっていたのである
まず高校まで家が狭くて自分の部屋がもてない、また家に一冊も本がない
そういう環境は知的な発達には不利である
頼るのは学校であり教科書しかなかったからだ
知的な興味というのは学校ではなかなか培えないように思う
私は何か学校で試験のために勉強したが興味をもって勉強したことがないからだ
勉強は自発的にしない限り身につかないと思う

家庭に知的環境があるのとないのとは相当に差がある
なぜなら家庭でそうした知的環境があれば自分の興味あるものを追及できる
最も身近で追求できるとなるからだ
それで家庭に一冊も本がないということは相当に不利だったのである
戦後生まれの団塊の世代でもその時本は高かったから家に本がそろっている
知的環境がある人はまれだったろう
たいがい飯台一つしかない生活が普通だったからである 

なぜヨ−ロッパに天才が多いのか?
それは学校とかないとき家庭に教えられる環境があったからである
モーツアルトでもベ―トベンでも家庭で音楽を学ぶ環境があった
親が教師でもあった、まず音楽だと家にピアノがあるとないでは相当に違うからだ
音楽になると幼児の時から親しまないと身につかない
私自身は音楽は音痴でありクラシックでも知らない
ところが暇だったので何かクラシックを無理しても聞いていたのである
そういう環境が大学卒業した以後家にあるようになったからである
音楽だってそういう家庭環境がないと親しめないからである 
ヨ−ロッパの天才は貴族はそうした環境が備えられていて独学でも学びえたのである
その天才たちが実はヨ−ロッパ文明を作るリーダーにもなった
理系の分野でも本当に天才か多いからである
そうした天才を産むということでアメリカでも発明がありコンピュターなどを発明したりしたのである、それも二人くらいの天才がいて生れたのである

私がインタ−ネットにはまったのも引きこもりになり自宅で通信機能付きのワープロを始めたからである、だからその時からパソコン通信とかに親しんでいたのである
それをしていたのは相当に若い世代だった
でもすぐに時間すぎてインタ−ネットがされほど発達して日常に欠かせないものとなったのである,インタ−ネットはそもそも家庭で知的仕事ができる道具だったのである
家庭の中に図書館でもあるような感覚になる
図書館も利用していたが今はここ十年くらい行っていない
図書館は意外と不便なのである、むしろ古本の安いのを買って自分の家を図書館にした方が効率的だしそれが今できるのである
テレワークの時代になるというのもコロナウィルスで推進されるのも時代だったのである

私は大学を出てから正式に会社に勤めたことがなくアルバイトを渡り歩いて底辺になったそこでした仕事は流れ作業しかない、そのために仕事をしたくなくなった
その嫌悪感が強かったからそうなった
そののちは家に引きこもり本を読んだり旅に明け暮れたとなる
その時家を新しく建てたので書斎付きの部屋が用意されたのである
ただその時書斎には本は少なかったが、大量の本を置く場所が用意されていたのである
それでそれなりに本を買って集めた
でもその本が少なかったのである、近くにしょぼい本屋しかない、まともな本は仙台にしかない、すると一週間に一回でも仙台市に行ったのは本をみるために買うために行ったとなっていたのである
でもいまアマゾンで古本で何でも買える、キンドルとか電子本でも読める
今になると田舎でも本は本当に古本を集めるだけで書庫を作れる
それも安いし専門的な本でも買えるからだ

まず知的な仕事には本は欠かせないのだ、それも相当な量が必要なのである
ただ今になるとせっかく買っても読んだ本は理解した本は少なかった
だから本を買った、積ん読になっていた、ただ本を買って積んでいることになった
でも柳田国男全集とかは買っていた、やはりこうした全集は確実に必要である
それを感じたのはインタ−ネットでプログとかで書き発信するようになったからである
つまり読書は一方的になりやすい、そして何も記憶されないで理解しないで終わっている本とは実は対話である、著者との対話である
また別にインタ−ネット時代になるとニュースの記事の解説でも対話できる
それを私はプログで試みている、引用して自分なりの感想を書くのである
これが大事だったのである、ただ本を買って並べているだけでは身につかない
対話することが重要である

確かに老人になると新しいものが吸収できなくなる、となると今まで読んだ本や買った本がその人の知的教養となる
それで不思議なのはそうして買った本を読んでもいない、また理解してもいなかった本を読み直している、そして再認識している
人間は本を買っても深くその本について理解していないのである
だから必ずいい本は読み直す必要がある、それで再発見してい活かすのである
今なら本でも要点をつかみ自分の文脈で引用できる
これも不思議なのである、やはり老人になるということはどんな人でも経験をつみ何より先が短いということ死が迫っているということで人生をふりかえりその意味を否が応でも知らしめられるのだ
それでなにかしら老人は語ることがある

本についても読書についてもそうである、高齢者の読書離れというとき高齢者はむしろ他人の本を読むというより今まで読んだ本の理解を深め経験を語る方にアウトプットに向いているのである
だから本を買っても読まない理解しないとしても老人になると他者に何か書いて伝える時再び活きてくることがある、どうしても老人は読書より他者のものを読むより自らの思想を経験したものをアウトプットすることになる
その中で過去に買った読んだ本でも思い出したりして引用できる
それでイリイチの本がアマゾンで

「専門家時代の幻想」が古本でも7000円していた

これは高いと思った、古本でしかもう読めなくなっているからだ
それだけ歳月が過ぎたということである、この本が原発事故やコロナウィルスとかで専門家の問題を指摘したので役にたったのである
でも今7000円で買うとなると簡単に買えないとなる
私は要約して伝えることができる、でもやはり一冊読まないと理解できないとなる