2025年06月01日
スマホは失くしたり使わなかった 【スマホは画面が小さく見づらいのが弱点―タブレットも使いにくい】
2025年03月06日
再起動要求でテキストが読めなくなった 【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】
再起動要求でテキストが読めなくなった
【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】
win11でワードパッドを使っていたが再起動しろとメッセージがでたのでしたら。ワードパッドでテキスト保存したのが読めなくなった
別な画像編集ソフトで開けとなるができない。
それで別なパソコンのワードで開くと開けた、メモ長帳でも開いても暗号になり読めない
それで別なパソコンのワードでは開けて読めた
一時は読めなくなるのかと焦った。パソコンは不具合があると直せなくなる。
通信はできるが文字が書けない、その原因はワードパッドにあったらしい、これは今マイクロソフトで廃止にするからそれで新しく再起動が要請されて邪魔だとして消えたのかもしれない、ワードパッドはマイクロソフトでは使用させたきないのか、でもワードだと開ける
だからワードを使いとなるがそうなると一か月2000円とかかかる
これも困る
今はグーグルのドライブでテキストを書いた、それしか方法がない
ともかくタブレットを2万で買ってもそれが英語表示でありYI=FIで自宅では通信できなかった。通信販売では失敗がある
パソコンは今でも必ず何か不具合があるから困る、それを簡単でも直せなことがある。だから再起動命令が来たのがしたくなかったのである
またソフトのインストールでもウィルスとか怖い、データーが破壊され使えなくなる。今回は他のパソコンのワードで使えた
やはりパソコンはいいものを買わないと失敗する、それが取返しつかなくなるから怖いのである
ともかく何らか安全に確保し備えてやらないといけないのがパソコンである。
何かかえってグーグルのドライブが安心である、なぜならそこは大会社であり安全でも計れるからである。とにかくパソコンは安全を計ることが大事なのである、データーでも一瞬にして消えるからである
パソコンは今のノートパソコンはdellの6万くらいのものである
パソコンの性能とも関係しているかもしれない、パソコンはやはりいいものが必要だともなる。
なぜならこうして不具合があると大損になりデーターが消えるからである
それが怖いのである、だからケチると大損になり取り返しがつかなくなる
確かなことは安いものは安全の面で問題がある。普通こんなことにはならないだろう
ただ再起動とかソフトでもインストロールのは怖いとなる、パソコンそのものを操作される危険がある
前からパソコンはやっかいなものだった。今になると年取ると何か面倒なことをしたくないしできないとなる
若ければいろいろ機械でも操作することでもできる。それが老人になるとめんどうになる
再起動要求でテキストが読めなくなった 【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】
再起動要求でテキストが読めなくなった
【ワードパッドが消えていた、ワードパッドは使えなくなる】
win11でワードパッドを使っていたが再起動しろとメッセージがでたのでしたら。ワードパッドでテキスト保存したのが読めなくなった
別な画像編集ソフトで開けとなるができない。
それで別なパソコンのワードで開くと開けた、メモ長帳でも開いても暗号になり読めない
それで別なパソコンのワードでは開けて読めた
一時は読めなくなるのかと焦った。パソコンは不具合があると直せなくなる。
通信はできるが文字が書けない、その原因はワードパッドにあったらしい、これは今マイクロソフトで廃止にするからそれで新しく再起動が要請されて邪魔だとして消えたのかもしれない、ワードパッドはマイクロソフトでは使用させたきないのか、でもワードだと開ける
だからワードを使いとなるがそうなると一か月2000円とかかかる
これも困る
今はグーグルのドライブでテキストを書いた、それしか方法がない
ともかくタブレットを2万で買ってもそれが英語表示でありYI=FIで自宅では通信できなかった。通信販売では失敗がある
パソコンは今でも必ず何か不具合があるから困る、それを簡単でも直せなことがある。だから再起動命令が来たのがしたくなかったのである
またソフトのインストールでもウィルスとか怖い、データーが破壊され使えなくなる。今回は他のパソコンのワードで使えた
やはりパソコンはいいものを買わないと失敗する、それが取返しつかなくなるから怖いのである
ともかく何らか安全に確保し備えてやらないといけないのがパソコンである。
何かかえってグーグルのドライブが安心である、なぜならそこは大会社であり安全でも計れるからである。とにかくパソコンは安全を計ることが大事なのである、データーでも一瞬にして消えるからである
パソコンは今のノートパソコンはdellの6万くらいのものである
パソコンの性能とも関係しているかもしれない、パソコンはやはりいいものが必要だともなる。
なぜならこうして不具合があると大損になりデーターが消えるからである
それが怖いのである、だからケチると大損になり取り返しがつかなくなる
確かなことは安いものは安全の面で問題がある。普通こんなことにはならないだろう
ただ再起動とかソフトでもインストロールのは怖いとなる、パソコンそのものを操作される危険がある
前からパソコンはやっかいなものだった。今になると年取ると何か面倒なことをしたくないしできないとなる
若ければいろいろ機械でも操作することでもできる。それが老人になるとめんどうになる
2025年02月26日
大衆社会のマスメデアによって作り上げられる虚像の誇大化 【人物の実像は何なのかわかりにくいーSNSで発言する権力を持った庶民】
2025年02月05日
生成AIとは何なのか 【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】
2025年01月21日
YOUTUBEは話すことと映像中心になり記憶に残りにくい 【文章化することで整理して記憶に残す】
2024年10月25日
中古のパソコンには説明書がない 【簡単なこともパソコン関係はわからないことがある】
2024年10月24日
アマゾンで買った中古パソコンが使えなかった 【アマゾンで全部点検していない、保証されていない】
2024年07月08日
本を集めるだけで後で役に立つ 【引用は創造的作業である】
2024年07月07日
さくらのレンタルサーバーの不具合が回復
さくらのレンタルサーバーで障害が発生した
2024年06月03日
神は人を偏り見ない―人は必ず人を偏り見る 【メデアはと何なのかーNHKでも偏り放送している】
2024年04月16日
大衆社会とは何なのか?過去には存在しないもの 【マスメイア、マスコミなど現代に現れたもの―ナチスが生まれた背景】
2024年02月16日
インターネットの怖さ―レンタルサーバーに支払いはできない 【新しいカード番号を登録できないーさくらの会社に連絡できない】
2024年02月09日
本は買っても読んでいなかった 【読むということは相手の心も読むことー記録することも大事 ードイツのボーデン湖の写真】
本は二階に置くのは向いていない、大工さんが言うにはその重みで家に影響しているといわれたかである。下の階に置くのがいい、地震の時にも影響する。また本が上から落ちてぶつかり死んだ人昔あったとかそれも本は重いからそうなる
2023年12月22日
私のカード番号は盗まれて不正に使われた 【でも大東銀行で停止して助かったー忙しい年末】
2023年12月13日
東電の追加賠償のこと 【死んだ人の賠償は実印も戸籍抄本も必要ー日本は効率化出来ない国】
写真がクリックして拡大して見れない 【MicrosoftEdgeでは見れないがFireFoxなどで見れる】
2023年11月11日
キタムラの中古カメラ店の対応がいい不思議 【実店舗で説明してくれるからいい−商売でも安心感が大事】
2023年07月17日
facebookを始めたーでもまだ使いこなせない
2023年07月05日
日本はなぜ衰退したのかItに遅れたのか? (2ちゃんねるの創設者ひろゆきは先駆者だった?)
2023年04月07日
デジタル社会は安全と信用が問題 (不正請求にだまされた損した)
2023年02月20日
win11のパソコンで苦労ーわかりにくく使いずらい (原町のケーズ電気に詳しい人がいてわかった)
2023年01月10日
金の管理からパソコンのWIN11の変化から家のリホームで苦労
2022年11月14日
デジタル社会の落とし穴 (キャッシュレスの危険を経験した)
【日本政府はキャッシュレス化を推進!でも国民にはリスク高い!】なぜカードにするのか、考えたことある?-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=KgwNBDywyxw&ab_channel=%E3%81%8B%E3%81%982%E
デジタル社会も確かに便利だし悪いとはならない、でもやはり何でも人間社会はメリットとデメリットがある
キクチスーパーのカードでなくしてチャージした一万が損した、それはカードをなくすと損する仕組みになっているからだ
他のカードだと使いなくするから損することはない
でもやはり銀行のカードでもおそらく盗まれたとなったが即座に連絡して金を落とせないようにした、でもこれも危険があると思った
またカードはなくしやすいしスマホだって一回忘れたのである
大阪、京都で4店舗を運営していたスーパーチェーンが10月、予告なく閉店し、店が独自に導入していた電子マネーの残高が使えない事態となっている。会社は破産手続きを進めており、残高が返還されるめどは立っていない。「買い物難民」も発生し、地域に混乱が広がっている。
これもひどいと思う、詐欺にもなる
確かに金額としては少ないが一年でカードで買い物して見返りにもらえる金はとても一万にもならない、たまに300円もらえるだけである
だから計算すると本当に損だった、カードがなくしやすいのはいちいち財布から出して使うし小さいから忘れるとかなくしやすいのである
そうして一回忘れるとチャージする金額が一万でも損になる
そんなことしているのならもうカードで買い物しない方が安全で得になる
結局デジタル社会化IT化でも危険がある、だから安全をどうして保つかが問題になる
そういう安全策はスーパーでもとっていない、あなたが無くしたからあなたの責任ですで終わりなのである、一万返してくれといってもあなたの責任ですとなって終わりなのである
こうなると現金の方が安全である
なぜなら見返りの金は一年でも一万には全体にならないからである
デジタル社会は安全安心が計られていない!
これが問題なのである、なぜならその損が大きくなる場合があるからだ
そうなると多少不便でも現金の方がいいとなる
確かに現金だと金が可視化されて計算して節約したりする、また店員とお釣りをもらうとか話ししたりする、それも手間なのだけどなんらか会話があるのがいいというのもそうかもしれない、何もかも人間は便利を追及するとまた失われるものがある
それは何度も車社会が失われたことを書いてきた、電車でも駅で待つ時間が人間的になるとか歩く旅なら旅は道連れ世は情けになると書いてきた
便利を極限まで追求しゆくとかえって人間的なものが失われてゆく、会話もないから情も失われてゆく、そのことは書いてきた
マイナンバーカードでもなくしたらどうするのかが問題になる、どうしてもカードは小さいからなくしやすいのである、その安全策がとられていないのである
そして紙幣のように数字だけになり金をというものが実感できなくなる
カードだといくら使ったとか感覚がなくなるのである
確かにそれは問題である、それに反対する人は若い人には多い、だから日本は遅れているのだとなる
でも加治兄とかの同年代の人はカードにデジタル社会に反対しているのは意外だった
老人ならみんなそうなりやすい、デジタル社会についていけないとなる
私はたまたまワープロをしてパソコンを出始めた時からしていたから慣れてはいる
でもデジタル社会にもメリットとデメリットがある
世界がそうなったとき日本だけが遅れているというのもわかる
問題は安全をどう図るかである、安全を計る時そこに金がかかる、だから安全はないがしろになる、原発事故が起きたのも安全をないがしろにしたからである
その安全というのはどこでも問題になるがそれ自体は金にならないのでコストから金をかけないのである
それで東電の社長がコストカッターとして社長になったと言われる
その時安全に対して金を払わなかったとなる
何か本当にデジタル社会になると売買することでも便利でもそこに物でもやりとりする実感がなくなるのである
それよりそもそも貨幣が生まれた時すでに物々交換でないから弊害が生まれたのである
貨幣の発明は必然的に起きたとしてもそのために社会を歪めるものにもなったのである
つまり科学技術でも何でも便利なものは必ずメリットとデメリットがある
だから科学技術がなんでもいいとして取り入れて失敗することがある
実際の価値は金を媒介するとその価値は歪められる、本当は物々交換がいいのである
リンゴが欲しい人とミカンを欲しい人が持ち寄って交換するのが実感があっていいのである、でもそれができないから貨幣が生まれたのである
貨幣とはやはりメデアであり媒介するものであり真実の価値を歪めるのである
だから覇権国が金融を支配して莫大な富を得ているのである
ドルが世界基軸通貨ということはそうなる、ドルでしか石油も買えないからである
そのために陰謀論が生まれるのである
ただ加治将一(加治兄}氏にしてもハンコはいらない、日本だけがハンコを使っていると批判する時、ITもデジタル社会を推進する方だと思っていたのである
そのハンコだけど中国で買った高いハンコの一部分がはがれてしまった
だからこれも困ったとなる、ハンコなどいらない効率的でないというときそう思う
ハンコはもう前時代的なものであり現代の社会に合わないのである
めう言っている人がカード社会に反対しているのは解せないということはある
ただ彼の言っていることは共感することがある
同世代ということもあり共感する、要するにハンコにしてもそれは本人を証明する安全のために使われたのである、もし安全が別なもので計られるならば別な物でもいいのであるでもこの安全を計ることがむずかしいのである
必ずどんなことしうても悪い人がいて安全は壊されるのである、それは別にデジタル社会だからではない、悪い人がいるからどんなシステムを使っても悪いことはなくならない
ただデジタル社会になるとIT化社会になるとその被害が大きすぎるのである
全社会が世界的にでも機能しなくなるとういこともあるからだ
それはウィルスなのである、
ただどんなことをしても完全な安全安心社会は作れない!
これだけは確かである、それが人間社会なのである、悪人自体が絶対にこの世からなくならない、だから技術をどんなに改良しても完全な安全などないのである
新しい技術が生まれれば生まれるで新種の犯罪が生まれのである
これはいちごっこなのである、核が発明されれば核戦争が起る危険になる
現実にヒロシマがそうであり日本がその被害者になったからである
ただデジタル社会の危険もありこれも怖い、一番怖いのは一瞬にしてデーターが消えることである、となるともう千年前とかの記録として残らない
するとどうなるのか?歴史がわからなくなるとまでなる
それより記録を残したかったら石にでも刻んでおけとまでなる、アナログ的なものが消されず残るとなる、紙でも本でも50年過ぎるとぼろぼろになったりするからである
でもデジタル社会は止めることはできない、だからITの会社でも実は公共的役割があり
突然やめたりされると困るとなる、でもいくら公共的役割インフラとなっても利益がなければ会社は倒産したりする、だからこれも安全は計れない、スーパーのカードが倒産して使えなくなったというのがそうである
そこで会社自体が信用できないし一つの民間会社を信用できないとなる
だから記録の安全策は個々人でするほかないとなるがこれもめんどうなのである
ただ通信でも故障するとかはなくなっている、機能一瞬通信できなくなったから故障したのかとショックだった、でも簡単に回復したから安心した
何かこうして突然通信できなくなることもあるから怖いのである
インタ−ネットとかパソコンに詳しい人が今はしているとはなっていない
みんながするものだから何かしら安全を計ることが必要なのである
それは民間だけではできない、利益を上げなければできないからである
ただ人間は安全に投資したくないのである、それは原発でもそうだったし知床の観光船の事故でもそうだった、だからこの安全を計ることは国ですることが必要にもなる
でも原発では国の保安院が不安員と言われ飾りにすぎなっかたのである
何もしないで金をもらっていたのである
とにかくどうして安全を維持するのかこれが社会の大きな問題なのである
ただ完全な安全はありえないとなる、必ず人間にはミスがあり事故になったりする
そもそも地球自体に安全がない、絶えず自然災害があり安全安心は得られないのである
完全な安全は神の国でしかありえないのである、そこに人間の限界がある
2022年11月03日
財布を入れたジャンパーがなくなった謎 (盗難とは思えない?カードは銀行で止めた)
2022年09月19日
昭和33年の新聞記事(2) (貯金が奨励されていた、−映画館のこと)
2022年08月19日
キクチスーパーのカードをなくして失敗 (何カ月かでポイントたまっても大損だった)
2022年07月04日
auで丸二日通信障害 (公衆電話が見直される―無線は不安になる)
2022年05月17日
老人は金あっても消費できない (でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)
2022年04月13日
家事と機械と買い物 (機械の操作に追われる現代社会)
2022年04月09日
ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した (私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)
ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した
(私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)
米ワシントン・ポスト紙などの報道によると、3月20日、ブラジルとの国境付近にあるベネズエラ南部パリマで、ヤノマミ族の集団がベネズエラ軍の基地を訪問した。ヤノマミ族と軍はこの一帯でWiFiを共同使用する約束を結んでいたが、ルーターを持つ軍が無断でWiFiのパスワードを変更したことで、抗議しに行ったという。その後言い争いになり、軍が発砲。ヤノマミ族の4人が死亡した。
https://www.asahi.com/articles/ASQ496SQNQ49UHBI02G.html?iref=sptop_7_04
ヤマノミ族とかでYiFi使っているのか?
今日auに行ってスマホとアマゾンのfireHDをYiFiで接続できなくなった
それと今SONETで接続してたのをビッグローブに変えることにした
auでは自転車保険にも入った、どこかで故障しても運んでくれるサービスがあるからだ
他にも電気料金もauにまかせた、すると多少は安くなる
料金もいつでもauのスマホで見れる、結局いろいろなものが分散していると管理するのがめんどうになる、何かauの銀行もあるから一か所で帳簿があるようになると便利である
ただ自分の場合はネットをしていても機械類に詳しくないのである
何か今度はルーターを変えるとかなるとその設定がむずかしいのである
そして設定できないと使えないという恐怖になる
現実スマホとfireHDをYiFiで接続できなくなってそれを直してもらうのにめんどうだったからである
ただ近くに店があるので店員に操作してもらったから直すことができたのである
とにかく現代の問題は機械類の操作が複雑になりすぎた、テレビ自体がリモコンを押してチャンネルを選ぶだけのものとは違う、パソコン化している
そうするとこれは老人はこの操作に追いつけないのである
つまり金があってもそれを使いこなすことの労力が大きいのである
自転車ならそんな複雑な操作などない、携帯くらいなら私の母親は90歳でも使えたのである、でもスマホになるとパソコンにもなるからめんどうなのである
そして画面が小さいから自分はもともと嫌だった、小さい文字を見ていると疲れるのである、操作するにはやはり画面が大きくて字も大きい方がいいとなる
この画面の小ささが相当に脳に影響しているのである
視覚的に画面が小さいことは脳に影響する、それでアマゾンのfireHDは画面が大きいから使えると思ったのである、これはタブレットなのだがそれをしていなかったから失敗だった、こういうものは常に操作して慣れてゆくほかないからである
このジャングルの原住民なのか?、その人たちまでYiFiのパスワードでもめていたのは驚きである
なぜならパスワード自体が十個くらい使っていてそれが管理できなくなっている
そして一番苦労しているのがYIFIのパスワードである、これがうまくいかず通信できないことがあるからだ
ルーターのパスワードがそうである、それで未だにYIFIの設定ができずにいたのである
何かこういうのは簡単なようでできない人もいるのである
そしてこういう通信機器の使い方を教えてくれる人がいない、電器店も教えないのであるだから設定することとかで必ずつまづくのである
ただワープロの通信付きのを私は20年前以上から使っていた
そのワープロからパソコンを使うようになったのである、そうして早い時期からスマホでも使っていて慣れていれば良かったとなる
とにかくジャングルの原住民でもYIFI使っているのが現代である
意外とロシア軍が通信で遅れていて不利になっていた
通信というのは連絡するために不可欠でありそれも高度なものになっているから
ロシアはそういう面でも遅れていたのである
何かauで通信会社をプロバイダーとか変更するのはめんどうである
本当はしたくなかった、料金にしてもたいした差がないからである
でも変える時期があり自分でするほかないとも思った
つまり現代は通信環境を整えて置くことが必須であるからだ
何しろ原住民でもYIFIを使っていて勝手にパスワード変えたとして殺人までなったいうのも何か現代を象徴した事件である
パスワードがインタ−ネットの通信だと鍵になりこれを忘れたりするとめんどうになる
そのパスワードが鍵となると十個くらいパスワードの鍵をもっているとなってめんどうになるのだ
今日は半日AUの店にいて疲れた、明日はまた手続きに行かねばならない
桜はほとんど一気に満開になった、今日は暑いくらいだったからだ
今は地震で家の中が散らかっているのでも直していない、仕事が増えたのである
私はずっといろいろ整理に追われているのである
この事件で私もYIFIで苦労したので共感したのである
2022年03月28日
アマゾンのfireHD10は使える (スマホとYIFIでつないでどこでも使えるから便利)
2022年01月20日
スマホはパソコンり使いずらい (画面が小さいのと操作が複雑、でも不可欠のものになる)
2021年12月26日
技術はいつの間にか進歩して遅れてしまう (スマホを利用しないで失敗)
日本人は1人当たりGDPで他国に抜かされまくる現実を知らない
2021年12月15日
ハンコの失敗 (中国で買った高いハンコの作りが良くなかった)
2021年11月25日
電動自転車の修理は簡単にできない (都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)
2021年10月20日
IT化が進まない理由 ( 日本文化がITとコンピュターと相性が悪い‐メデアの変化)
IT化が進まない理由
( 日本文化がITとコンピュターと相性が悪い‐メデアの変化)
●メデアの相違で感じ方が違ってくる
ただこのコンピュターになると頭脳と深く関係している
第二の頭脳のようになっている、AIとかもそうである、それで翻訳ではAIの方が優れていると感心した、学校の英語の先生より優れている、となると英語の先生も失業するともなる、AIは頭脳と深く関係しているからかえって事務とかはコンピュターに変わられて人間はいらないとなる
そしてメデアというとき仲介するもののことであり仲介するものによって表現するものが大きく変わる、今の時代の大きな変化はITとかAIによるメデアの変化に直面しているのである
これまでもいろいろな変化があり技術の進歩があった、現代を最も象徴する変化は通信の変化なのである、それにともなってメデアが変化したことの影響が大きいのである
メデアというとき仲介するものである、例えば乗り物も仲介するものでありそれによって感じるものが違ってくる
なぜなら人間が移動するときは歩くことしかなかったからである
馬とか馬車とか船でもあったにしろ基本的に移動するのは歩くことしかなかった
江戸時代の旅は歩くことでしか移動できないのである
すると歩く感覚から外界を自然でも何でも感じていたのである
菜の花や普通列車になまりかな
タンポポや一挙に着くや新幹線
電車でも急行があり普通列車がある、この普通列車は地元に根ざしているのが多い
通学とかに使うからである、そこで外を見ると菜の花が一面に見えた
高校生がその土地の訛り(なまり)で話していた、それが普通列車にふさわしいものだった、急行だというそれが感じないのである
さらに新幹線だともうその土地とは関係なくなる、一挙に遠くへと一瞬で行く感じにもなる、そしてタンポポが咲いていたのである、ただ途中は飛ばされて視界に入らないとまでなっている
また車だと自然を感じない、鋼鉄で覆われているから風を感じないし雨も感じない
時雨が降っていてもわからない、でも自転車だと必ず風を感じる、東風でも北風でも感じる、今年は早く北風が吹いて早く冬が来るのかと感じた
車だと風を感じないから風流がないとなる、それで私は自転車が好きなのである
それは自然を感じるからである、自然を感じなかったら俳句も短歌もありえないからである
●マスコミ支配の終わり
ともかくメデアの変化は大きい、通信の発達は現代を象徴するものである
通信でもメデアでも新聞がありテレビがありこの時代は長い、新聞だともう百年以上でありテレビでも50年もつづいている、テレビの影響は大きかった、テレビに映るだけでみんなテレビに食い入るようにしして見ていたのである、中味がなくてもテレビに映ることで見ていたのである、それが茶の間の主役となったのである
つまり茶の間に中心にあるということはいかに影響が大きいものだった
それにともないテレビを通じて番組を作るマスコミの影響がどれだけ大きいものだったかをふりかえる、テレビの時代はマスコミが教育者となり扇動者となり裁判官にもなり大衆を導くものとなっていたのである
だから第三の権力をもつようになりあらゆることで支配的役割を担ったのである
そこで相当に歪めれたものがあったがそれは見逃されたのである
メデアを持つということがどれだけ大きなことかインタ−ネットが生まれてホームページでも次にプログでもそれからyoutubeとかにもなりそこで個人発言でき表現できる時代になったとき発信者になったときみんな感じたのである
自分自身でも今はプログで発信しているけどこれは写真も絵でも載せられる、視覚的にも表現できるから表現力がある、それも簡単にできるということでこのことは大きいメデアの変化だったと感じた、何か表現するには必ず仲介がメデアが必要だったがそれは新聞であれ雑誌であれ本であれ簡単にはできない、そして不思議なのは必ずそうしたメデアは大きな権力をもっていて取捨選択するのはメデア側にあり発言する方にはなかったのであるでも直接発言することがてきるということが不思議なものになっていたのだ
そこに検閲もないのである、だから問題も起きたのである
ともかく個人の自由な発言とか表現は許されていなかった
本だったら出版社を通してしかできないし普通の人はできない、他でも同じである
それらはまた権力がないとできない、なぜなら出版するには金がかかるからである
また売れないと出版社では経営が成り立たないから売れるものを出したいからである
そこで出版する時は背後に大きな組織がないとできない
創価とか他の幸福の科学とか天理教とかなんかいろいろな宗教団体がありその団体の会員が買ってくれるとなるとある
インタ−ネットだとそういう団体に所属していなくても応援がなくても一応発言できる
ただそれに目をとめる人は極めて少ないというだけである
マスコミで顔を出すだけで百万人以上の人が見るということがありそこで顔が売れる
すると中味が何もないのに国会議員とか東京都知事になったりした芸能人がいたのである全国区になると顔を知られることが第一になるからである、中味より大勢に知られることが第一になるからそうなったのである
インタ−ネット時代は何なのか?それは個々の表現の時代になったのである
だからしきりにyoutubeでも表現力がないものはこれから役にたたないとか金にならないとかまで言う、今まではそうした表現力はマスコミが担っていた
そしてゲストとして呼ばれるコメンテーターも飾りのようなもので主体はマスコミにあった、それで武田邦彦氏とかがアナウンサーに怒っている
つまりマスコミのテレビの主役はあくまでアナウンサーだったのである
いつも真ん中にいてアナウンサーが全面に映る主役だったのである
そして呼ばれたコメンテーターの自由な発言を許されなかった
マスコミの言う通りに発言させられるだけなのである、だからこそ自分の言いたいことを言えないで怒ったともなる、マスコミとは単に仲介する機械のメデアではない
意志をもったメデアなのである、だからマスコミの主張を通すために番組を構成するのである、中立ではないのである、それでNHKでもそうだった
上の人達が番組の方針を決める、だから下の人は何も言えない、従うだけだと言っていたからだ、ただ一見中立のように装うのでわかりにくいのである
特にNHKはそれが中立のように見えるように構成するから簡単にわからないことがある
でもNHKの意志があってその意志を主張を通すために番組作りしているのである
●個々の多様な表現の時代へ
ともかくインタ−ネットでもこのITとかAIでも何か人間の頭脳と深く関係している
だから現代とはインタ−ネット時代とは個々の表現の時代だともなる
表現力を磨くことが要求されている、youtubeだと話しがうまい人が人気になる
その話し方もいろいろであり何か話し方がわかりにくいと見る方もいやになる
明確に言葉で話せないとまずいとなる、ただ人の話し方もいろいろあるからその話し方で見る人と見ない人もでてくると見た
これが文章ならそういうことはないのである、もちろん文体とかあるにしても話すのとは違ったいるからである
それでyoutubeを見ていてただ話すだけでは理解しにくいものがあると思った
人が話す時、youtubeだとテレビのように必ず顔を見るのである、すると顔の印象から話すことを聴くのである、ともかく話し方がみんな違っているのである
ただyoutubeが伝えるものとして万能かとなると違っていた
youtubeだと過去のものが記録したログがもう一度見る聴くということがあまりないのである、文章に記録されていればそれを読むとこういうことを言っていたのだとか再確認できる、また文章だとキーワードでその内容も検索できる
それがyoutubeではしにくい、不思議なのは自分は膨大なものを文章で書いている
プログで書いている、それを読み直すとこんなことが書いていたのかと自分で感心している、これも本当に不思議になる、自分の書いたものが自分が書いたと思えないことがあるからだ、いいこと書いていたな自分自身が書いたものに感心しているのである
それだけ人間は常に忘れやすいからそうなる
だから文章で残すということは大事になる、話すだけでは記憶に残らないとういことがあるからだ、それで文章の力は大きいと再認識したのである
自分の場合はそもそも話すのが下手だから余計に文章重視になる
いづれにしろ人間の感じ方はいろいろあるということである
だから歩いて感じることと自転車に乗って感じることと電車に乗って感じることは違ってくる,それはメデアが違っているからである、だから人間の感じ方はいろいろでありメデアによっても多様になる
インタ−ネットだと必ず編集して読むべきだとなるとき多様なものを結びつけることでそうなる、あることで様々な見方がある、一つの見方はないからである
それを一つにしたのがマスコミだったのである、だからそれは偏った見方であり多様な見方を許されなかったのである
第一人間は住んでいる場所がみんな違う、そこからして見方が違ってくる、感じ方も違ってくるからである、この辺では原発事故になってそのことから取り離してみることはできなくなったからである
このITとかコンピュターのインタ−ネット時代は世界中でも多様な見方がありそれに触れるという時代になる、日本国内でも多様な見方がある、マスコミのように一つの見方になることはなくなった
もう新聞は過去の物でありテレビのマスコミ支配も終わりつつある
多様な見方からそれぞれ感じたことで判断する、ただそうなるといくら個々人の発言が表現が自由になっても数が多いとどうしても見るのは限られてくるのである
見られない人は全く見られないとなる、それも問題になる
ただ自分にとっては自由に表現できることが魅力であり発信しつづけることになる
それができるのは金がかからないことである、ただ手間はかかる
またプログだけでは表現しきれない、でもワードフプレスになるとめんどうだとか前のホームページもそのままてあり放置してある、何かめんどうだからそうなっている
ホームページでは分類するのが向いている、それも手間でできていないのである
簡単にアップできればいいのだがそれがめんどうなのでできない
無料でも手間だけがかかるのが問題なのである
●日本文化がIT化を受け入れのを拒んだ
技術と文化は関係している、技術をとれいれるとき、その国の文化があり歴史があり
便利だからと無条件に取り入れることができない
文明でもそうである、西欧文明がキリスト教文明でありキリスト教を取り入れなければ
西欧文明を取り入れることができないと内村鑑三が指摘した
でも日本ではヨ−ロッパに行ってみてきたのは宗教ではない、様々な技術だったのである蒸気機関車であれ建築であれ医術であれ様々な科学技術に驚いた
それでその技術を取り入れることが文明を取り入れることだと見たのである
技術だけに注目したのである、この傾向は今でもつづいている
「テレワークの方がオフィス勤務より仕事がはかどる」と答えた人は、グローバルで平均69.1%だったのに対して、日本は42.8%と、調査対象国の中で突出して低く、7カ国中唯一、「テレワークだとはかどらない」人が多数派だった
一方、日本型企業が得意とする人的ネットワークによるインフォーマルなコミュニケーションは、過度に依存すると、簡単なやりとりで済むはずの日常実務においてすら、濃密な人間関係や地理的近接性、時間的同期性が要求されやすい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71fe114c7cbf59d1fcfa208135f733695c09322b?page=2
日本でITが進まないのは話せばわかるとか腹でわかるかとか狭い村がアイディンティティとなっていてそれが文化となった、属人的的であり直接人と合わないと信じられないとかなっていた、だから法律でも苦手である、理屈だからである
でも大陸文化は異民族と絶えず交わるから人種とは関係ない公平さとかを追求する
それを数式のように決めて判断して判決するともなる
そこに文化の相違がありそれが壁となってIT化がすすまないとなる
自分自身でもパソコン通信で文章で見知らぬ人が語りあうことがなじめなかった
そういうことを今まで経験していないからである
でも事務的なことなど別に直接合わなくても処理できるのである
ただ面と向かって合わないとできないこともある
そもそもITというとき英語になる、すると英語圏の人は有利なのである、プログラムでも英語だからである、そして英語は横書きであり日本語は漢字交じりで縦書きである
縦書き文化は漢字圏であるが他ではないのである
でも中国はいち早くIT化したから言葉の相違でIT化できなかったことでもない
中国には日本の様な村がないというときもそうである
そこからして中国大陸の文化と日本は同じようで相当に違っているからだ
ただ文化の相違がありそれは障壁となって日本ではITになじめず遅れることになった
技術と文化も一体だから取り入れることができなかったともみる
文明とはcivilzationでありそのcivilとは市民のことである、でも日本には市民というのはいないから理解できなかった
西欧文明を取り入れてもそもそもそうして理解できないものがありそれがIT化に遅れた原因にもなる、文化には根強く変わらないものがある変えられないものがある
便利な道具を取り入れても国々の文化が違っていてそれで受け入れられないということがある、文化には様々な要素があり風土なども関係している
そのために原発は地震とか津浪とかあり日本の風土に向かいないものだったのである
風土と文化も一体になっているからである
2021年07月19日
多様な多角的な視点からみるネットの情報 (マスコミでは視点は一つになりやすく偏る)
多様な多角的な視点からみるネットの情報
(マスコミでは視点は一つになりやすく偏る)
インタ−ネットの情報は多様であり多角的になる、それは個々人が発信しているからである、マスコミはマスを対象として視点が一つになりやすい
コメンテ―ターとしても専門家でもしゃべらせるのはわずかしかない
すると実際はその話すことはマスコミでテレビ局のいいようにしゃべらせているとなる
必ず個々人が十分に言いたいことは伝えないのである
その一部を切りとったものをしゃべらせて局で編集するのである
それは取材でもテレビ局で報道したいものを取材して編集して放送する
つまりテレビ局が結局は報道することを決めて何かいいのか悪いのかなどを決めているのである、だから一方的であり多様な多角的な意見でも出ないのである
だからインタ−ネットだとこういう視点で話すこともあるのかとみる、それは個々人の視点でありマスコミの視点ではないのである
だから多様で多角的になるのである、例えば同じ景色でもカメラマンによって撮る角度が違ったりカメラ自体がいいものだったりその時の天候などで多様に見える
同じ景色をとっても違って見えるのである、それでこんなふうに見えるのかと感心するのである、同じ場所でも角度が違ってとると別な見え方をするからである
それで写真をとるときとにかくいろいろ角度から撮るといいとなる
その中からいいものを選ぶといいとなる、一枚だけいい写真を撮ろうとしてもとれないのである
この多様な多角的な視点というとき別に特別優れた人でなくてもいい、専門家でなくてもいいのである、人間はそれぞれ住んでいる場所も違っているし経験も違っているし生い立ちも違っているし世代をも違っているとみんな違った見方をするのである
だから若い人が老人に学ぶこともあるし老人でも若い人の見方とか情報でも取り入れることができる、ただ深い見方をするのは老人である
インタ−ネットはそういう多様性多角的なものを提供する、でも数が多くなると人気のものを見るがでも少数者のものでも眼にとまるのがインタ−ネットのいい所なのである
マスコミではそうした少数者のことは絶対に取り上げないからである
だから圧力団体から組織から推薦される人を取り上げやすい、また組織団体の批判はしないとなる、マスコミとはそうしてマス(大衆、大勢)相手にするメデアなのである
だから視聴率がすべてだというとき大勢の人が見れば宣伝効果があるとなり会社から宣伝費をもらえて成り立っていたのである
でもインタ−ネットはマスが相手ではない、極端になれば一人が相手でも成り立つとなる一人に語っていても成り立つとなる、なぜならテレビ局のように莫大な金がかかる装置などいらないし個々人で無料でもできるからである
それでそれぞれの発言に何か得られることが多いとなる
ただ数が多いからどうしても見られる読まれことが至難であり実際はほんとんどプログでも読まれたりyoutubeでも見られないとなる
それはそんなにいろいろなものを目に通す時間がないからである
とにかく映画でも一発勝負となると何十億とかかけるものはリスクが大きすぎる
何百億かけるものもある、それが失敗すると何百億の損になる
だから金をかけないで短編を作りyoutubeに出すとかする
またマスを相手だと映画会社とか本でも編集者とかがかかわりその人たちに何かしら本人が言いたいことが言えないとなる、youtubeではすでにそういうことが起きている
発言がおさえられている
そういうことがない世界がインタ−ネットで開けた、毎日こうして自分は部屋に籠もりプログを書いている、別に出版社もテレビ局もかかわらないである
本人が直接伝えたいことを伝えているのである
だからマスコミでは取り上げないことを発言できているとなる
いづれこにしろ今になると高度成長時代なら同じような商品を大量生産していれば売れていたのである、それは物でもそうだったが今やそうした大量の規格品はいらないとなる
それでテレビでも他の電器製品でも実は外国でも作れたのである
だから日本の電器製品は売れなくなり日本が貧困化したのである
同じものが作れるとしたら安い方がいいとなるからだ、その品質でも外国製品でも中国産でも見劣りしなくなったのである、つまり高品質なもので何か他では作れないまねできないものを作らないかぎりもはや日本の復活はないとなる
ただ日本は外国のものをまねて改良改善するのは得意でも新しいものを作りだすことが苦手である、アメリカとかはヨ−ロッパでも新しいものを作りだしてきたから先進国になりえたのである
だから欧米で発明したものが多いし天才でもヨ−ロッパに多いのである
ただこれからの社会は多様性であり多角的なものの見方をつける、それぞれの個性が重んじられる、多様性というとき人間はみんな住んでいる場所が違っている
見る景色も違っている、海側だと太陽は海から昇る、盆地だと太陽は山から昇る、その感覚が相当に違ったものでありそこにすでに多様な見方が多角的な見方が土地土地によって生まれるのである
海側に住んでいると朝日を山から昇るのを見ないのである、朝早いから旅行しても見ずらいということがある、また高い山というのがないと山というのがわからないのである
私の住んでいる場所には高い山がないからものたりないし山のことがわからないとなる
ともかく地理から見れば日本でも多様であり世界になればさらに多様になる
そして人の経験も多様であり語ることが違ってくる
それでそんなことがあったのとか新鮮になる、そして一人一人の生い立ちが家族でも違っていて多様なものになる
ただ現代はマス社会でありマスを相手にしていたのである、すべて数で決まる
民主主義自体が多様性があるとして自由な発言を許すとしても現実は選挙も数であり数を集めることで決まる
だから民主主義は数の民主主義であり結局一番全体主義に近く同じような顔をした大衆が数で決める、それがナチスにもなったのである
そこでは各人の個性を無視して多様性を無視したからである
報道もマスコミでありマスが大衆が相手だから一つの見方それもテレビ局で方向づけられた一方的見方がおしつけられていたのである
文化とは多様性である、でも国家とかなると国家内にある地域的国々の多様性を無視するまた世界でも国々の多様性を文化を無視して一つの色にそめる
共産主義だと全体主義だからそうなる、政治と文化は対立するのである
だから民族の言葉自体を抹殺して中国ならウイグルとかモンゴルでも漢語にしろとかなる言葉一番文化であるから言葉を否定されたらその国々の文化も喪失するとなる
ただグロ−バル化するとどうしても共通語が必要になる
でも民族独自の言葉を失えば文化も喪失するのであり生きる意味を失うとまでなるのだ
だから多様な文化を許容するのがいいのである
民主主義はそういうことがあったが民主主義の弱点はすべてが数で決まることである
最も全体主義になりやすいのである、だからナチスは合法的に選挙で生まれたのである
いづれにしろマスコミの時代は終わりつつある、youtubeとも同格とかテレビでなるとやがてマスコミは装置に金がかかるからやっていけなくなる
装置に巨大であり金がかかることが足かせとなり維持できないとなってしまうのである
youtubeだと一個人でも手間がかかっても放送局になれる
ただ問題は取材するにも限度があり個人の交際範囲とか経験とか見聞になる
そこにまた弱点がある、何か取材するとなると支援するものがありそれなりの権力を持たないとできない、ブロガーとか取材に来ても応じないとなるからである
2021年05月02日
マスコミテレビになぜ洗脳されるのか? (映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)
マスコミテレビになぜ洗脳されるのか?
(映像は人をだましやすい、錯覚させるメデアだから-武田邦彦氏のNHK批判)
【武田邦彦 5月1日】2日前にトンデモないニュースが放送された!
この衝撃的な映像の裏に隠された、奴らの恐ろしい正体を徹底暴露します!
https://www.youtube.com/watch?v=oiYpFquUOdM
子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった・・パヌンのかぼちゃ畑
ウルトラマンをどう心の中で昇華していいかわからないしモン族の世界では語りえないものだったのだ。テレビがいかに人間の心を惑わすものかわかる。モン族や昔の人が見ていた感じたのは風の精とか森の精とか花の精とか自然の中に息ずく精霊のことでありテレビとかに出てくる妖怪、偶像ではない、それはテレビに映るものよりリアリティあるものなのだ。現代はテレビとかゲームとか映画にでてくる妖怪である。人間は今かつてないバーチャル空間に生きていて現実味を失い妖怪化幽霊化しているのだ。湾岸戦争もゲームのように行われたし
現代の妖怪(メデアが育む妖怪)
http://www.musubu.jp/internetmedia.htm#youkai
テレビの特徴はいろいろあるが感情的メデアなのである。活字とかラジオとか文字と音だけのメデアだったら感情的にはならない、本や新聞を読んでもすぐに感情的にはならない、冷静にみる。
「なんだあいつの顔が気にくわねえ、もっと顔のいいやつを出せ、、、、」
顔とか表情がまず注目される、だからアナウサーは美人でないと勤まらないのである。
知性よりその顔をみるからそうなる。
そしてテレビは一方的洗脳メデアである。テレビは何か疑問に思ってもそれを追及できないようになっている、そんなことあるのと思っても追及できない、一方的にテレビ局に洗脳されるだけなのである。
http://musubu.sblo.jp/category/641983-2.html
人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、
そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない
大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
http://musubu.sblo.jp/category/641983-3.html
海岸が侵食されているのではなく、波の作用によって、島の形が変わっているということです(面積としては上記から増えていることがうかがえる)
「地球温暖化により海面は上昇しているか否か」ではなく、リサイクルPETレジンのLCIデータの解明と、ツバルの問題を歪曲し、センセーショナルに取り上げ世論を誘導するというアプローチの違いです。
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1006/18/news007.html
武田邦彦氏がなぜNHKを批判するのか?それはNHKがあまりにも影響力が大きいからである、そしてNHKは公正な報道をしているわけではない、放送はすべて公正ではない
特にテレビの問題は映像が主体だからそれでだまされやすいのである
そのことを絶えず指摘している、意外とここが気づきにくいのである
人間は映像に目から入るものに一番だまされやすいのである
温暖化はないというとき南極であれ北極であれその土地は実際は広大でありそれを知ることなどできない、ただ常にほんの一部の映像によってきりとったわずかの映像だけ映されるからその影響が大きい、それは人間の心理として頭に刻印され洗脳効果が大きいのである、それで北極であれ南極であれ氷りは溶けないとオーストラリアでも氷づけになってしまうという、広大な氷原の端でも溶けないとそうなる
つまり人間の認識の弱点は常に大局的に見れないことなのである
テレビの小さい箱から見ても自然とか世界は理解できないのである
でも映像のインパクトは強力だからそれで誤解されやすいのである
だまされやすいのである
そういうことは常にテレビの放送である、イラク戦争で油まみれの海鳥がテレビ画面に映されてそれが世界で放送されたときイラクはひどいと感情的になりイラクは悪い奴だとされたのだからこれもあくどいとなる
実際はイラクには毒ガス兵器などなかったのである、それもアメリカによって大国によって強国によって力の強い者が報道でも操作できるからそうなった
地球温暖化でもツバルが海に沈むというときもそうである
確かに一部は海の水が入り込んでいたが全体ではない、またそれが温暖化の影響でもなかったのである
でもテレビでその水びたしになった映像を見るとそう思い込んでしまう、そういう影響力がある、だから人間は映像にはだまされやすいのである
そしてNHKは嘘をつかない、NHKはまるで聖人君子のように見られている
そのNHKを批判はできない、その影響力の大きさが問題なのである
だからNHKを見ている人はNHKを批判してもNHKの方を信じるのである
原発事故でも避難した人たちが相馬市にいた、その時津波の被害者も同じ仮設に住んでいた、一方は多額の補償金をもらっていた、でも相馬市の津浪の被害者はもらっていなかった、でも津波の被害者をトマト農家では雇った
そして飯館村の人は断られたとテレビに映りそのことを言わせた
でもその雇った人のいい分は言わせなかった!
ここにNHKによって操作された編集された映像が流されて誤解になった
それはNHKの上層部で原発避難者側に立つということで編集したのである
だから津波の被害者には何も言わせなかったとなる
それはいわき市でも起きていたのである
だから原発避難者が過度にかわいそうだと全国で見られるようになった
実際は津波の被害者の方がかわいそうな人たちだったのである
別に原発避難者が悪いというのではなく公平な報道がなかったことを私は指摘した
そこに別に悪意はないのである
ただその後はNHKでは公平に報道していた
でもこういうことは地元でないと気づきにくいのである
なんでもそうである、テレビで映し出すのは全体のほんの一部なのである
その一部がクローズアップされるから誤解しやすいのである
人間の認識は全体があってその全体のつながりの中で物事を理解する
土地はつながっているし一地域も全体の中で認識する
人々と場所からの疎外、帰るべき場所の喪失、および世界の非現実感と所属先の喪失感をともなう、そのような観点からは場所は意義ある存在の中心ではありえない
大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
つまりテレビの映像は実際は非現実の世界でもある、なぜなら全体を知ることはテレビからはできないからである、そこに映像の錯覚が生まれる
子どもの後ろにはおじいちゃんやおばあちゃんたちも座っていて、「へぇー、あんなのがいるのかねぇ」とつぶやきつつ、みんな口をぽかんとあけて画面に見入っていました。ウルトラマンの画面の前では、お年寄りたちは語る言葉を急に失ってしまった
原始的な部族で生活している人がウラトラマンを認識できない、奥深い自然に囲まれた中で閉鎖されて生活していればそれが何なのか認識できない
それは全く非現実の世界のものだから理解できない
むしろ自然の中では精霊とかがいてそれが現実的である、森の精霊とかが現実に感じるものである、それは非現実ではない、やはり森があって認識するものだからである
何か現代文明こそが非現実の世界、バーチャルの世界になったのである
第一一千万の都会とかなるととてもそれ自体が現実と思えないからだ
そこが人間が住む世界として現実に思えない、摩天楼でも幻想に見えてしまうのである
だからこそ文明人はロゴスを失ったとか、言葉が喪失した連関性のない世界に生きているとか言われる、つまり言葉と事物が結びつかなくなったのである
アイディンティティ化される自然の事物が喪失した
大都会では何とアイディンティティ化するのか、そういう場所からウルトラマンとかゴジラとか異様なものが生まれる
それはヒットラーにもナチスにも通じる不気味なものなのである
現代文明が膿む妖怪なのである
一つの例として
先日私は阿武隈川をさかのぼり道に迷い丸森の大張村に出た
それは偶然だったがその大張村に一本の木があった
その木を見て短歌を作った
大張に一本の木の根付くかな春の夕暮れそを見て帰りぬ
その一本の木があったがこの木でもやはり全体の中にある、大張村がありさらにその周りの自然があり山に囲まれている、そこに到達したのは急な坂を七曲の坂を上ってきてその村に出たのである
その過程でその土地の地勢を体でしりその一本の木を見たのである
写真でみればただ一本の木だけが目立つ、でもその一本の木を人間が認識する時はこうして全体から認識する、その過程がテレビにはない、写真にもない
だからどうしても写真を見たりテレビの映像を見ても俳句とか短歌でも詩でも作れないのである、それは認識するということは部分ではない、全体から人間は認識するからだとなる
人間は見るということはカメラで見るのとは違う、心の中で見るともなる
人間は事物がある、それを見るということは心で見る、心で一体化することである
アイディンティティ化する、自己同一化する、それで物は物が憑くとかなり物は単なる物ではなくなる、人間の心がのりうつり人間化するともなる
それで原発事故で避難して人がいなくなった飯館村とかで一本の木があったがそれが人間に見えた、何か淋しく感じたのである、だから村とかにある木でも石でも人間化したからそうみえる、それは庭の石とかでも人間化している、木でもそうである
だから人が住まなくなったとき何か一段と淋しく思えるのである
人間存在はその土地から場から遊離して孤立して存在し得ない、土地の全体の中にあって活きてゆく、その場から何事も認識する
だから事件でも災害でもテレビでは切り取った一部分が放送される
するとそこに必ず誤解が生まれる、誤った認識になる、それで起こるとはtake placeであり場所から離れて事は起こらない、場所と結びついて事件でも災害でも起こる
その場から現代人は遊離しているからこれだけ情報があふれていても実際は認識力が深まっていないという逆説がある
テレビとか写真の映像はあくまでも一部分切り取ったものであり全体を知ることはできない、だからいくら世界の情報があふれても必ずしも世界の理解が深まったとはならないのである、むしろ世界となると誤解が大きくなってそれが問題を引き起こす
それがイラク戦争の油まみれの海鳥の映像だったのである
武田邦彦氏が紹介した南極でも北極でも氷が崩れ落ちてゆく映像は衝撃的である
その映像を見た時、一瞬南極でも北極でも氷が溶けてなくなるのかと見る
でも広大な氷原の大陸がありその氷が崩れているのはその端のほんのわずかな部分なのである、でも一瞬氷りが溶けるということで恐怖を植え付けて温暖化してそうなった世界中の人を洗脳してしまうのである
そこにテレビの映像の報道の根本的な問題がありその映像を使ってNHKが主導的立場になり誤った方向に導く、それが怖いのはラジオからナチスが生まれたとかピカートが指摘したようにファシズムを誘導する、それが恐ろしいものを産むものとなる
ただでは映像の時代はその映像の洪水の中で生きる
私自身も映像に魅力を感じるからカメラにこるようになった
でも自分が撮った写真と他人が撮った写真は違っている
自分が撮った写真はその場の全体を記憶して撮っている、一部分だけを見ているのではない、全体がイメージされるものとして記録としても撮っているからだ
ただ他人の映像だとそこの場で自分が撮ったものではないから全体を認識できないから
誤解を生むのである
2021年04月19日
AI,コンピュター革命で変化すること (対応できないと失業して仕事がなくなる)
2021年03月21日
パソコンのセキュリティが不安 (新しい技術は安全を確保することが大事)
2021年02月26日
テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた (情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)
テレビの時代劇で善人顔の俳優まで悪い人に見えた
(情報社会ではみんな人を疑い悪い人に見られる)
必殺仕事人を見ているとそこに悪役の俳優がでる、顔まで悪役として一目見てそういう役を演じている、いかにも悪い奴だという顔なのである
でも今回の大きな店の旦那の妻は別に悪役に女性ではない
役としては普通の女性役であり顔でも悪役ではない、女性はあまり悪役の俳優はでないしわかりにくい
でもその女性は店の旦那の妻となりその店をのっとろうとしていた
そこの番頭とか役人もからんでいた
それを見ていたらその旦那を裏切る妻の役をしている女性が悪人に見えた
顔までそうではないのに悪人に見えた不思議がある
その女性は役ではそうなっていてももともと顔にしても善人役でしか見ていない
それが合っているのである
でも悪役になったら回りが悪人でありその女性でも顔でも悪人に見えたのである
善人面しても悪人だと見えた不思議がある
それはあくまでもドラマであり架空のことである
でも人間をみると特に現代では常に事件が報道される、すると何かこの世は悪い人ばかりかともみる、子供への性の事件もありそういう悪いことばかり興味があり報道される
そういうことをまた知りたいというの視聴者にある
この人は善人で普通の人ですよという人は興味をもたないのである
だから常に報道するのは悪人であり犯罪人なのである
それがどういうふうに社会に影響するのか?
人間はみんな悪人だ、疑ってかかれとなる、人を見たら泥棒と思へとなる
それは確かに現実にある、だからこそ疑い警戒する、それで近くのコンビニに入ったら
手までとりあげられて盗んでいないか調べられた
そんな強引なことを大人にしていいのかともなる、それ以来そこのコンビニには入らないそこでは監視カメラをつけて警備会社が監視もしている
その店にすれば盗まれることが多いからそうしているのである
つまりそうしないと被害が大きくなり店もつづけられないともなるからだ
警官になればまず疑うことが商売なのだから人間はみんな悪い奴だ、犯罪人としてみる
だからみんな犯罪人と見て調べるのである
現代は情報社会になった時、テレビでも絶えず事件になること犯罪の報道する
すると何かみんな犯罪人に見えるのである
それが極一部でも全体が全員が犯罪者のように見えて来る
そして過剰に警戒するようになる、他のコンビニでもそういうことを経験しているからだまた駅でボランティアで案内したときも警察に通報されてみんなの前で職務質問されて
こいつは怪しい奴だと公衆の面前でされた
つまり今やこうしてみんな人は悪人だと見ている、犯罪者とも見ている
そういうことがテレビの報道とかで助長された時代である
犯罪や事件は報道する、それが狭い範囲で情報も噂くらいの時代なら全国に起きることはわからない、するとそんなに犯罪がないとなる
全国規模で世界規模で犯罪を報道していたら当然世界中の人が犯罪者なのかとまでなる
世界でも常に犯罪の報道はされるからである
また犯罪報道すると遠くても危険を感じる、自分の身に及んでくるのではないかと危険を感じる、実際は遠くならそういうことがないとしても危険を感じるのである
だから世界で起きる犯罪でも自分の身に及んでくるのかとまでなる
そのためにマクルハーンが世界が村になったと警告していた
世界で起きる犯罪も村で起きたのと同じように見てしまうのである
それはグロ−バル化して現実に外国人でもいくらでも入ってくるから、外国人労働者でもそうである、するとその外国人でも恐れるようになる
でも実際は日本人の犯罪の方が多いし怖いのである
そして犯罪率は実際は低下している、でもそういうことは全然感じないのである
人間は統計の数字とかで全体を見るより一人でも悲惨な犯罪に合えばそのことに注目するその犯罪によってベトナム人が犯罪を犯せばベトナム人全体が犯罪者集団のように見えて来る
幼児とか子供は人間をこのように犯罪者には見ないのである
悪を知らないから見ないのである、それは悪が心の中にまだ芽生えていないからだとなる大人になると中学生からでも悪が生まれてくる
心の中に悪い心が生まれて来る、その心の悪が生じるから人間はみんな罪人だともなる
現実に悪いことをしなくても心の中で悪いことを思っただけで実は犯罪者だというときそうである
悪は犯罪でもまず心から起きて来る、憎いとかまず心の中で起きて現実にそれが最悪は殺人となるからだ、だから人間はみんな善人を装っていても悪人だと見ることもできる
まず心で悪を犯さないことはないからである、だから人間をみんな悪人と見ることが間違っているわけではない、そして人間の欲は消えることがない、その欲からも悪が生じて犯罪にもなるからである
だから人間社会とはこの世とは罪の世界であり悪い想念に充ちている
それはそうであってもその悪に興味を覚え絶えず悪を犯罪を報道して興味をそそる
そういうことがテレビとか情報社会になって余計に過剰化したのである
だからみんな警官になってしまった、それが江戸時代とか戦前でもその情報は限られていた、今は悪でも犯罪でも全国でありグローバルになっている
すると世界になれば何十億も人口があるのだから世界は悪で満ちているとなる
そうなるととこかで何か犯罪が起きる、凶悪な犯罪が起きている
それをいちいち見ていたらきりがなくなる
だから本当は犯罪をすべて報道していいのかも疑問である、知らなければ犯罪はないともなるからだ、その時幸福だったともなる、人間の暗黒面ばかり見せられているとそもそも安眠もできないとなってくる
いつ犯罪に逢うかとなりまともに歩けなくもなる、でも情報化社会で流通するのは逆にそうした悪であり犯罪や事件なのである
当たり前に平和に暮らしていますとなると話題にもならないし見ないのである
ともかくこの世にいる限りこうしてそもそも心で罪を犯しているのが人間である
するとその想念で犯罪にならなくても汚れることになる
天国では一切そういうことはない世界である
何かを悪く見たりしないのである、それは幼子とか無垢の子供の世界なのである
だからそこで悪い報道は一切ないのである
犯罪者もいない、心で罪を犯す人もいない世界なのである
だからそこでは悪いことは起きない犯罪者もいないし報道もされない世界である
つまりそこでは善いことしか起きないのである
悪は生じることのない世界なのである、それが天国なのである、神の国なのである