2013年09月13日

windows 8は使いやすい (あらゆる整理が自分の仕事になった)


windows 8は使いやすい

(あらゆる整理が自分の仕事になった)

windows 8は使いやすい、今回も富士通のパソコンだった。ブルーレイもできるしテレビ機能も優れている。これはまさにマクチメディアに対応した。
ニュースも横にスクロールできるので便利である。ワイドだから一覧しやすい。
ビスタだったがこれもさほど変わらないものだった。
バソコンは今や脳と直結しているからバソコンを通じて脳を働かせるから使い安いことが大事である。

自分の場合はワープロの時代から親指シフトを使っていたことがバソコンに親しむ結果となった。
まず文章がすらすら打てないと嫌になるからだ。やはりパソコンでも文章が基本なのである。

もう一つがどうしてもたまりすぎた情報を自分を含め本なども整理することが仕事になっている。まず整理というのはあらゆるものの整理がここ3年間くらいそうだった。
津波や原発事故以後の二年間くらいは家のかたづけもできなかった。
今失敗したのは貯金を定期預金にしておけば一年間でそさなりの利子がついていた。
これもただ忙しくて考える暇もなく放置していた。
家事でも介護から何からやると一人だと時間に追われている。

その中でプログを毎日書けたのはこれだけ便利だから3時間ほどあればアップできるからである。実際は書く内容があるから5時間くらいはかかるだろう。


整理というとき人間関係の親戚関係の整理も一仕事になった。還暦すぎると一生の整理が仕事になるのだ。これまでしたことのいろいろなものの整理なのである。
まず本の整理は一番むずかしい、自炊して本を捨てるにもこれもめんどうである。
本は何か整理しにくいのである。長い文章だからそうなる。
でも本というのは一部分を記憶して利用することが多々ある
ただその一部分は本全体と関連しているから捨てるわけにもいかず残される。
何でも着るものでも捨てることはむずかしい、また利用するのじゃないかと思うからである。

知的作業は本と密接にかかわっていた。知識人は本を持っている人だった。本に蓄積している知識は天文学的でありインタ-ネットはここ十年の歴史しかないのだからまだまだ本の知識を頼る。本はすでに2000年とかの歴史があるからだ。


脳というのは整理されていないとうまく働かない、自分が知識だけに集中していたときは良かった。今度は台所仕事もするとなるとこれも冷蔵庫などが整理されていないとうまくいかない、台所仕事は意外と整理が問題になるのだ。自分なりに整理しておくと使いやすい。だから他人が台所に入ると整理したものがまた別な所に置かれたり使いにくくなるのだ。

結局自分のやることが一人であり多くなりすぎたのである。知識も整理でありwindows8は知識が整理しやすいみたいだ。これが親指シフトを使えたから助かった。
クラウドなどもあるからさらに整理しやすいのかもしれない、パソコン上の記録は一瞬にして消えるがレンタルサ-バ-とかに記録しておくとかえって消えにくいのである。
専門の人が管理しているからだ。安全策もとっているからだ。

ただレンタルサーバーのさくらが一回プログの記録が消えたときはショックだったが回復したのである。バックアップしているから回復できたのである。プロの方が安全なのである。さくらは月額百円とか安い、メールは設定しにくいからレンタルサーバーのメールボックスを利用すると安全でありわかりやすい、ここなら確実に送受信できるのである。

バソコンが不具合になるとメールも使いなくなる。メールが意外とめんどうだった。
バソコンは今や自分のバソコンだけではうまく使えない、だからレンタルサ-バ-とかクラウドとか外部と連結することが必要になった。でもクラウドって何なのだということもわかりにくい、勝手に自分の顔の写真がクラウドにのっていた。これも設定していないのにわからないことだった。パソコンについているカメラでとったものがクラウドに自動で送信されていたのだろう。バソコンはいろいろな不思議がある。
遠隔操作でプロバイダーを移ったのも不思議だった。
バソコンはなかなか秘密を保つことがむずかしい、もう自分の情報がつつぬけになってしまう。どこかにつながり一括収拾されてアメリカのグ-グルなどが分析している。
メールだって一旦メールボックスに入るのだから他人にも見られるのである。
どうしても秘密がたもてないのがインタ-ネットなのである。


今度は整理のためにこれも富士通のSV600という最新式のスキャナーを買おうかと思っている。これはただ置くだけで上からスキャンしてくれる。これも整理には役立つと思った。ただ厚い本はできないので困った。結構厚い本があるからだ。ただ厚い本になると全部は読めないしただ飾ってあるのが多い、古典全集などがそうだった。それで全集とかは捨てた。どうせ読まないからだ。本にはただ飾ってあるものが多いが捨てられないのである。時々読み返してみると新たに発見するものが本にはあるのだ。

ともかく新しいバソコンも慣れるのに時間がかかる。ただwindows 8は二三日でも使って使いやすい、整理しやすいようだ。文章でも写真でも整理しやすいようになっているので買って良かったと思う。アプリを簡単に消せるのもいい、バソコンはいろんなものがたまりすぎるのである。


自分はこれまでしたことを整理することが大仕事である。旅したことも思い出して創作して整理しているのだ。旅でもどこまで記憶を蘇らせることができるからである。
なぜなら旅しても記憶がよみがえらないとものは書けないからである。
鉄道でも外国でも日本でもテレビで報道しても何かつまらない、必ず料理がでてくるがこれも面白くない。おそらく細部が放送されず専門的になっていないからだろう。

旅はやはり内面化して自分なりに消化したものになれば一つの創作となる。
芭蕉は見事に消化した。内面化して奥の細道が後世に残ったのである。
誰だって旅ができる時代だけど何かテレビでも何でもその報告が平凡なのはそれぞれの個性で内面化していないからである。内面化は深くコンタクトしないと印象深い旅をしないとできない。芭蕉は歩いた旅だったからあとから思い出すことができたのである。

2013年05月03日

新聞からテレビからインタ-ネット時代に (マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)


新聞からテレビからインタ-ネット時代に

(マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)

現代の変化は何かというとやはり交通手段の発達とメデアの発達であった。江戸時代は遠距離は船の交通が多かった。明治になって鉄道網が全国にしかれた。その交通の発達が江戸時代の閉鎖的封建時代の環境を変えてしまったともいえる。封建時代は移動の自由がなかったからだ。
街作りにても駅前通りが中心になったことである。原町だともともと昔の街道沿いに商店街などがあった。宿場町から発展した。そういう街が日本には多い。鉄道網がしかれて駅中心の街作りになった。ただ相馬市は城下町であり駅中心の街作りにはならなかった。古い城下町の形が残ったままだった。だからかえって原町が新興地域として無線塔などができていち早く近代化した街になったのである。原ノ町機関区になっこたとも鉄道を利用する拠点の街となった。相馬市は近代化に遅れをとった。会津でも明治以降発展したのは会津の北の喜多方だった。ここは商人の街として発展して多くの蔵が建った。会津の城下町は新しいものを受け入れることがむずかしかった。それは相馬市が城下町であったことともにている。


交通の変化とともにメデアの変化も大きかった。グ-テンベルグの活版印刷が社会を変えたようにルタ-の宗教革命を起こしたようにメデアも社会を変えた。明治以降は新聞の力が大きかった。それは
大政翼賛会となり政府の大本営発表の機関化してしまった。だから新聞では戦争に勝っているという報道しかしなかった。新聞の影響は戦争後も長くつづいた。正力松太郎が読売新聞社を経営して原発を自分の野望のため利用できたのは新聞社をもっていたからである。一人の権力者によって新聞社が操作されていたのである。新聞社からテレビに変化して50年くらいたつかもしれない、東京オリッピック辺りからテレビの影響が大きくなった。テレビ局が新聞社経営になっているのもまだ新聞社の影響が大きかったのである。


今またメデアの大きな変革期に突入した。新聞社はすたれテレビ全盛時代も翳りが見えてきてその主役がインタ-ネット時代に移りつつある。若い人はもうテレビすら見ない、インタ-ネットから情報を摂取しているのだ。新聞は団塊の世代で終わりになるという。インタ-ネットはパソコンから生まれたのでありこのメデアの変化も大きいものだった。これはまだ発展途上のものであるがすでに社会化ししてのが違っている。パソコンの情報の流通が個人レベルで可能にしたことである。この変化は大きい。メデアを個人がもつなどありえようがなかった。個人で写真でも動画でも自由に出せるしデジタルカメラで簡単になったことである。現代は写真とか動画の時代なのである。写真のインパクトが活字よりに大きい。アメリカのイラクの戦争で石油まみれの鵜が写されたけどあれはやらせだった。でもその一枚の写真が衝撃を世界に与えたのである。写真も動画も操作できるからだ。



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写真の時代というとき自分が前にとっていた六号線を走るサイクリストの一団の写真は迫力があった。むんむんとした熱気があふれだして六号線を走っていたのである。これを言葉で表現してもその迫力を伝えられない、一枚の写真が過去を蘇らせたのだ。これは津浪にも言える。これほど映像で津浪が記録して伝えられることが今までなかった。動画では全くなかった。その印象派あまりにも鮮烈なものとなったのである。自分も津浪の記録を写真でだしたら全国の人が相当見たのである。
津浪に対するリアルな情報はこの辺ではなかった。400年前に700人溺死と記録はされていたがそれ意外の記憶は何もない、せめて図とか何か拙い絵でもいいから残されていたらまたかなり違ったものとなっていた。400年前の津浪をリアルなものとして認識して記録されないから危機感もなかったのである。今回ほど津浪の恐ろしさを映像で記録された時はなかったのである。



美しい八沢浦がよみがえったとしてプログに写真と共にだしたとき、地元の人がお前はここで無惨に死んだ人のことをどう思うのだ、子供まで死んだだそと批判された。それは確かにそうだった。ただ比較的そこは人家が少なく被害が少なかった。海になったところにはほとんど家もなかった。被害はあったにひろ村とか街が壊滅するのとは違っていた。
まずマスコミだったかこういう表現もしない、ただ無惨だ無惨だと悲惨な津浪の光景しか写さないのだ。でも明かに八沢浦が奇跡のように浦としてよみがえったことは事実なのである。それは美しいものであることも事実だった。こういう報道ができたのもインタ-ネットで個人で写真でも方とをすることができるようになったからなのである。マスコミと地元の人と個人の見方はちがってくる。そこに多様な情報の真実が追求できるのである。

情報はすべてインタ-ネット化してゆく方向にあるのかもしれない、選挙にも活用されることでもわかる。インタ-ネットは仮想空間でなく現実空間となりつつある。インタ-ネットで写真と実名で主張している人も増えた。そのことは今までのメデアを通して新聞や雑誌やテレビで主張するのとは違う。これまではマスコミというメデアを通して主張してきたがそれはマスコミによって操作されたものとして情報は出されていたのである。マスコミに出る人は限られている。そしてマスコミは宣伝費が経営を支えているのだから金を出す大会社の方を大事にする。また巨大な権力集団の圧力に抗すことはできない。そこから金が入ってくるからだ。だから今回の東電の原発事故にしてもマスコミはすべて安全神話を戦争のときのような大本営発表になっていたのである。なぜなら政府と東電が一体化して莫大な金がマスコミに流れていたからである。情報は常にこれまでも権力によって操作されたものしかででこないのである。出版の本ですらそうだった。確かに原発を批判する本をほんの一部出ていたにしてもそれは何か空想的SFの小説のようなものとして見ていたというよりそういうふうに情報によって操作されていたのである。原発は絶対に安全だとまで操作されていたのである。


インタ-ネットではマスコミのメデアを通じないで直接訴える人がでてきた。


テレビも新聞も取材に来るけど、表面しか捉えていない。NHKにも抗議したんです。
 「表面の話はもういいから。裏で苦しんでいる人がたくさんいるんですよ」って。そしたら、「貴重なご意見、ありがとうございました」で終わり。
 裏を取材して下さい。住民の心の中を。「飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました・・・」。こういう話はもういいの。


帰りたい、帰れない 飯館村の苦悩
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-66.html


この人は飯館村の住人として本根で語っていた。村長が国の管理化に入って放射線量が高いのに避難させなかったとか除染は無駄だから金をくれ、金が大事だとか主張している。現実問題としてはもう住めないのだからそれが当然の主張だとも言っている。こういうことの是非はともかくなかなかマスコミではストレ-トには言えないだろう。補償金で避難民はパチンコで遊んでいるとかもマスコミを通じては言えない、きれいごとに終始しているから実体が外からわからないのである。


ともかくこの辺では原発問題で民主主義に目覚めたということもある。実際に深刻な被害を受けたのだから東北特有の無口なお上に従うという慣習だけではだめだとなる。そういうことを強いられた場にもなったからである。自分たちが主張しなければまた国や東電やマスコミや大きな団体のいいなりになり苦しめられるだけだと現実的になっているからだ。

写真の影響というとき自分のプログの奥松島を旅して写真にだしていたのがここのところずっとかなりの数が読まれている。毎日20人近くのアクセスがある。これもどうしてだかわからないがそれは

津浪以前に訪れた写真の影響だと思う。自分が写真に撮ったところは津浪で被害を受けて喪失したのだろう。そこで写真が貴重になったのである。それは六号線のサイクリストの一団の写真と同じだったのである。写真の影響、迫力は言葉より大きいのである。それが一番力を発揮したのはまさに今回の津浪原発事故でその風景が失われたときだったのである。


奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)
http://musubu2.sblo.jp/article/29414836.html


ここに行っていないのだけどこの風景が津浪で喪失した。被害状況はみていないにしろここに当時の風景が残っているからアクセスが絶えずある。他でも写真は残っていると思うけどどうしてかアクセスがつづいているのだ。これも明かに文章より写真の影響なのである。失われたものを回想するには写真の方がインパクトが大きいのである。

 

2013年02月22日

キンドルを買った (電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)


キンドルを買った

(電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)

●キンドルは文章を読むのに優れている

キンドルの説明
http://www.youtube.com/watch?v=NPTpTEVchY8


Kindle Paperwhite3Gは電子書籍を読むのに優れている。文字が読んで疲れない、外の光の中でも読める、軽いから文庫本のように持ち運びができて寝ころんでも読める。非常に読みやすいことである。眼はパソコンのように疲れない、電池は長持ちする。電子書籍に特化すればこれは優れている。
ソロ-の森の生活をダウンロ-ドしてみて読んだら読みやすい、本というのはそもそもこんなに手軽に読めないようになっている。書棚にあっけ取り出してペ-ジをめくり読むのだが何か本は一冊でもじっくり読むようにできている。本はまた厚いのも多く手にとると重く電子書籍のように簡単に読めない、書斎がありそこで瞑想にふけりつつじっくりと読むというのが本であった。だから一冊の本には重みがあった。本のル-ツをたどれば


修道院には専門的な工房があり、そこで制作された聖書を初めとする手写本は、修道院や教会の宝物庫にいつまでも保存されるべき宝でもあった。
やがて写本は、次第に装飾や彩色画を備えるようになる。この装飾や彩色画を託されたのは、修道士たちであった。
装飾手写本は当時の市民には高価きわまりない贅沢品で、6册分の価格で家屋が購入できるほどであった。

http://www.geocities.jp/petitpixy/page503.html


本はこのように気軽に読めるものではなかった。そういう延長のなかに本というのはあった。だから本は出せる人は特別の人だったのである。ロ-マ時代でも作者より本にする紙の方が高くついて紙を提供する人が作者よりずっと力をもっていた。これは現代でもメデアとか出版社とか取次ぎとか本を書くものではなくそれを作り流通するものが力をもっているのと同じだった。だから出版社では編集者とか印刷業とか本を出すにはいろんな人がかかわっていた。それだけ一冊の本を出すのは普通の人はできないし商業ル-トにのらないと本は出せない、それで権力あるものが出版で牛耳ることになった。原発を批判した本が出されてもまるでSF小説のように扱われていた。原発事故など起こることがありえないというように情報で操作されていたのである。

安全神話が出版でも巧妙に作られていたのだ。情報は今でも常に権力をもつものにより操作されているのだ。新聞でも本や雑誌でも出版するには相当な金がかかる。。すると権力側で資金を提供してその権力側にとりこまれるのである。だから巨大組織である創価であれ幸福の科学であれ何であれオウムさえ自ら出版する印刷機まであった。
そういう巨大組織でしか出版はできない、だから本を信用する人がまた多く癌が直るとか本に出してだまされた人が結構いる。株でも民主党の海江田党首すらもうかると本をだして今は訴えられている。本はインタ-ネットなどより信用される。もちろんマスコミでもテレビでもインタ-ネットよりは信用される傾向はまだつづいている。ただインタ-ネットというのは思った以上、普及している。


●パソコンやインタ-ネットは高齢者まで普及している


プララから二〇〇〇円安くするとかOCNから電話で連絡があった。簡単な操作で移れるというので申し込んだがそこで問題だったのはインタ-ネットをする高齢者が増えたので操作がわからなくなりその相談で会社でも悩んだらしい。ということはそれだけ高齢者でもインタ-ネットする人が増えたのである。でも六五才以上はできないと規約になっている。それは操作がめんどうだから高齢者の相談が多いからである。操作ができないとそういう乗り換えもめんどうになるからだ。初心者も多いからである。パソコンとかインタ-ネットはもう必需品になっている。インタ-ネットなしではもう社会参加するらできなくなる。参議院選挙からインタ-ネットで政治家が宣伝するのも許可される。インタ-ネットは日常生活のツ-ルとなっているのだ。ただ高齢者とかには操作がめんどうでアクセスできないのでそれだけ相談が増えたのである。

バソコンがこれだけ普及したのは人間の欲求が頭脳に知的なものに移ったからである。人間は建築であれ道路であれ水道であれ重厚なインフラ整備が終わると次はやはり知的な分野に精力を傾ける。

パソコンは明きらかに人間の頭脳の代わりであり補充するものであり人間の頭脳と密接にかかわっている。人間の記憶力は映像にして文章にしても極めて容量が少ないがパソコンやインタ-ネットは無限大なのである。だから最近家事など忙しく時間がなく新聞をとるのをやめた。読まないのに新聞紙は紙としてたまってくるから困るのである。バソコンとかインタ-ネットは無尽蔵に貯蔵しても困ることがないのだ。インタ-ネット化で一番早めに消えるのは新聞でありすでに電子化されていることでもわかる。次に本も消えてゆく、本は芸術作品のように豪華本として残される。流通するのは電子本になる。電子本とかインタ-ネットの弱みは一瞬にしてすべてのデ-タ-が消える恐怖がある。
そういう恐怖を何度も味わった。これが一番恐いのである。だから紙にも残す必要がある。それもオンデマンド出版で一冊から今は機械的に作れるのである。自分は書きためたものを今度は整理して本にして出そうと思う。出版社からではない、アマゾンのキンドルで誰でも出版できる。出版社を通さなくてもできるのだ。今や本など誰でも簡単に作れる時代なのである。ただそれが広く読まれかどうかはわからないし無理な面はある。出版できたらすでに出版社で評価されて世にでるからである。
出版社を遠さなければ出版はできない。すると出版社が力を持つことになる。本はやはりそういう権力をもったものしか出版できないということがあった。そこで情報が操作されて原発事故も起きたともなる。


●情報化社会は莫大な情報を処理する社会


現代が情報化社会というとき江戸時代などからした何万倍か億倍なのか凄まじい情報処理しなければならない、グロ-バルすれば世界の情報も日々入ってくるからもう処理しきれないくらいである。
そのためには新聞とか本とかの媒介では追いつかない、情報を早く処理する、膨大な情報を手早く処理することが必要になってくる。それで電子本であれインタ-ネットであれそっちの方が便利になる。ここにも問題はあるのだけどともかく本にしても自分の家が本で傾いたようにそれだけ本に頼るのが知識の世界だったのである。でも本は自分の文脈で利用するとき活きてくる。自分が主体にならない限り本を読んだことにはならないのだ。本を読むということは極めて創造的作業なのである。だから若い内はは本に読まれても読むことはできないのだ。自分でも最近本を読んでこれは何を意味しているのか即座にわかるしそれを自分なりの文にとり入れることができる。だから読書も楽しいものとなる。そしてイプットよりアウトプットの方が多くなるし面白いのである。


情報化社会はやはりそれぞれが普通の人でもアウトプットする量が膨大になるのだ。自分もすでに全集が作れるくらい書いている。詩集でも十冊くらい出せる量を書いている。それだけ書く量が増えたのも現代なのである。
作家でなくても普通の人でも今はアウトプットできる時代になった。それがすべてとるにたらないものとなるということでもない,なぜなら人間の体験は例え百年生きても極めて限られたものなのである。すると他人のどんな体験でもこんな体験していたのか、それでこんな考えもあるのかと参考になるのだ。人間はともかく話す相手でも主婦だったら夫と子供と隣近所くらいしかないというのが今でも普通である。インタ-ネットは問題があるにしろ広範囲の人の情報に接することができるのだ。
電子本も文庫本百冊持ち歩くことができるようになるのは便利である。通信だったらすでに無尽蔵なのである。IPADなどが普及したのもわかる。情報は本一冊でも持ち歩くとしたらできない、情報は電子化すると持ち歩く必要ないのである。


あとがき

Kindle Paperwhite3Gではテキストフアイルをパソコンで感嘆にドロップして本のように入れることができる
ただWI-EI通信はめんどうで簡単にできない、ル-タ-などヴ必要になる。
それでも通信料無料で本は読めるから便利である。ただ本の蓄積は極めて少ないのが問題である。
それでもソロ-などの本を手軽に読めるのは便利だった。
自分のテキストファイルは持ち運びびきるのも便利である。
電子書籍が何か知りたいならキンドルのKindle Paperwhite3Gからはじめるのがいいかもしれない・・・

2012年07月06日

今なぜ本が問われるのか(2) (インタ-ネットにはない本の特徴)


今なぜ本が問われるのか(2)

(インタ-ネットにはない本の特徴)

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冬日さしペ-ジをめくる厚き本


●本をテ-マにした短歌や詩


瓶にさす藤の花ぶさ一ふさは重ねし書の上に垂れたり 子規


売り売りて手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る夏の末かな 啄木


本を読むならいまだ
新しいをきりはなつとき
紙の花粉は匂いよく立つ
外の賑やかな新緑まで
ペエジにとじこめられているようだ
本が美しい信愛をもって私を囲んでいる
室生犀星


タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行って
あの黄色い外国製の鉛筆を買った
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずった木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ 明日はもう秋だ

ー西脇順三郎「秋」
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本に埋もれる老いの至福

寝ころびながら本をぱらぱらとめくる
自分が引用できそうな文をマ-クする
その詩に洞察に感嘆する
寝て座って立って所を変えて読む
時には廊下に冬の日がさして
分厚い本のペ-ジめくる
そのペ-ジに冬の日がさしている
随分この本も古くなったと
我が古い友のような本もある
我も古くなった本のよう老いる
何度も読んだ本は古酒のようになっている
夏の夕ぐれ日はまだ明るい
本は人類の知恵の宝庫
私は居並ぶ賢者と芸術家とともにいる
私は今やそうした歴史上の人物と対等
なぜなら即座に深く読める
その一文を自分の文のようにとりこめる
丁度オ-ケストラの指揮者のように
それぞれの楽器を深く理解できる
鑑賞力が増せば深まれば
その味わいはまるで違うものとなる
一なるものが十にもなる
くめど尽くせ知恵と美が本にあり
私の時間は至福に満たされる

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●物としての本と電子空間の本の相違


詩でとりあげたように本というのは電子本との相違はまだ良くわかっていない、本が何であったのかなどと問うこと自体それが電子の世界になったとき問われるようになる。本が最初は文字が作られたときからはじまったというときただ文字を印すものが煉瓦だったり粘土だったり竹だったりとしていただけであり紙に印されたとき今の本ににた形になってきた。本の前に文字が作られたことであり文字があって本がありえた。文字でも何か印されることによって残ることができる。すると木に印されるよりは石に記された方が後世に残りやすい、石に記されると何か文字に重みがでてくるというとき石の重みがそうさせているのだ。文字は別に何に記されても同じなはずだが石に記された文字は重みがでてくる。それは文字に重みがあるというより記された石に重みがあるからである。本でも装丁が美しく重い本だと中味もあるように思えるのと同じである。


鉛筆にバラモンのにおいがする・・・という詩でもこれは本にもあてはまる。紙の材質によっては紙の手触りから本を読むことはバラモンのような特権階級のように思えてくる。本は高いものがそういう感覚にもなる。文房具にこるのもわかる。筆がいろぽす発達したのはそのためである。本の世界はそれだけ特権階級的なところがあった。だから普通の人でも一生に一冊本を出したい、成功した人が大金を出して自費出版するというのが成功の証でもあった。それほど本というのは普通の人には高根の花だったのである。それを商売にしようとする出版社がふえた。今でも流通面では本は普通の人には書店に並べられない、でも本を作るのは今や素人でもパソコン上でもできる安上がりなものとなっている。本にもいろいろあり本の大きな価値は流通面にあった。本を作ることができても普通は流通はできない、大手出版社とかの許可がなければ近くの本屋でも置けない、そういう仕組みになっているのだ。だから情報が操作されるということがあった。原発の危険を指摘した本が隅に追いやられて何か特殊な奇人の空想的なものとして真面目にとりあげられていなかったのである。情報は権力あるものによって操作されている。それは本の世界でもそうである。

何故なら取次ぎなどは戦後アメリカが情報を検閲するために作られたのである。本と流通の問題は別なのである。グ-テンベルグ時代に本は簡易に作られ普及して流通したからこそ革命になったのである。その時代に流通した本は少ないにしても仏教寺院で修道院でしか仏典でも聖典でも読めない時代とはあまりにも違う社会となったのである。現代では逆に本は中世の写本のようにして残る。
装丁にこり一冊しかないような芸術品として残る。ただ中味は電子本で流通することになる。本とは普通の人には流通できないし本自体流通にはむかないので出版社も書店もなくなる。すると最後に残るのは本の芸術性を追求したものとなる。それは図書館に絵のように保存されたりする中味は電子本で読むのである。


●本と電子本との相違にまだ気づいていない


本とは何なのか?そう問うこと自体が電子の世界化、インタ-ネットで改めて問うようになった。だから本とは何かとなるとなかなかわかりにくいのだ。本は文字だけでなく物としてありだから材質にこだわったりする。物としてのフィテシズム、愛書家も生まれる。物だからそうなる。自分も本を読むというより本の蒐集家でもあった。20代から書斎をもっていたから恵まれていた。ただ若いときは本は集めても読んでも深く読めない理解できないのであるがでも相当集めた。郷土史関係の研究でもまず本を集めないとできないということがあったのだ。だからある程度手元に本がないと研究もできないし文章を書くこともできない。ものを書く人はどうしても書斎が必要だし思索の空間も必要である。それがわかったのは今まで狭い所で書き物して読書していたことでわかった。今は広い部屋で読書している。それで気づいたのが本というのは自然の外界の反映がある。インタ-ネットの空間にはそうした外界の自然の反映はない、分厚い本を開いたらそれで風がそよぎペ-ジがめくれたとか、冬の日がさしてきたとかない、ただ電子文字と写真やビデオの空間なのである。

このことは意外と大事だった。夏なので外がいつまでも明るいなと思って読書しているときその明るさは昔だったらその明るさが部屋の中に作り出されて書院作りができて障子ができて本も読めるようになった、書き物もできるようになった。襖とかでしきられていたら中は暗いからできなかったのである。電気がないのだから明るさは自然の光で自然の中でこそそうした本を読むとか書きものとかをすることができたのである。東雲(しののめ)はしのは竹であり昔の家は竹でできていてその篠の朝に上ってくる日がはじめにさすから東雲となったというのも家というのがやはり人間の中心にあった。知的作業にはこうして書斎とか家が必要なのである。そういうことは田舎ではしやすい。あとは庭があればいい、息抜きするためである。


平安中期から以降になるとさかんに書物を読むようになる。読むばかりではなくて昔のことですからそれを筆写しなければならない。そうするとこれはかなりの明るさをもたないとそれができません
しかも風が吹き込むような家では困ります。
そういう中から襖を薄い紙でもってはる、いわゆる明かり障子とういものが作られようになった
(宮本常一)


このように本というのは電子本とは相当に違ったものであり本とは何かというときそれが良く答えられないのはそのためなのである。その大きな特徴が本が物としてあるということなのだ。物としてあるから流通するには不便なのである。自分の家が本で傾いたというのはそのためである。本の不便さはいろいろある。本は手元に奥には限られたものである。すると知識も極限られたものとなってしまうのである。それは物だから置くには限度があるからだ。ところ電子空間では物ではないから無尽蔵に置ける、ゴミになっても一瞬にして消し去ることができる、それがかえって電子本は文字に重みを与えないものとなっている。電子の世界では書くということも違っている。書きながらキ-ワ-ドで書くことを追加したり書きながらアイデアが自然と生まれてくることがあるのだ。そういうふうに書き方も違ってきている。ともかくいくら書いても重さもないから誰の負担にもならない、誰の負担もかけていないということが不思議なのである。本一冊を流通させるには相当な負担がかかる、だからそれを商売にだけしにらうとするものは売れないものは扱いたくないとなる。こんな売れないものは置いてどうするんだとなる。でも知的なものの価値は誰かに何かを伝えるということでもあるから別な価値観を本の世界には知的情報の世界にはあるべきだったのである。それがインタ-ネットで開けたのである。


売り売りて手垢きたなきドイツ語の辞書のみ残る夏の末かな 啄木


本はこうして誰かが読んでいるものをまた読む、この本は誰かが使ったのだなと思ってよむ。しかし電子空間にはインタ-ネットには物ではないからそうしたものがない、電子本の世界には古本になることはない、物ではないから古くならないのである。本だったら必ず40年くらいすると表紙がはがれたり紙が汚れてきたりする。いんづれは読めなくなったりする。電子本にはそういうことがない、劣化することがない、でもソフトで読み出せないという恐怖がつきまとっている。一瞬にして消えるということがある。現実にレンタルサ-パ-でそういう経験をしている。復旧したから良かったが他では消えたらしい,そういう怖さが電子のインタ-ネットの世界には常にあるのだ。

本のことを語ったらきりがないだろう。それだけの歴史が本にはあるからだ。インタ-ネットの世界はここ十年とかしかないのである。だからインタ-ネット自体何なのかということもわからないのだ。ただ本は一か月で書店から消えるけど次々に別なものが置かれるけどインタ-ネットの世界では発見されないにしろそのまま残っている。一見消えやすいのだが記録として残りやすいのも電子空間だという不思議がある。いくら貯蔵しても検索で邪魔になるにしても電子空間では無尽蔵の蓄積が可能なのである。ゴミになるといっても週刊誌、新聞などはずいぶん紙の無駄だなとインタ-ネットとと比べるとみてしまう。過去の検索ができないのも効率的情報処理ではない、過去の記録を知ることも大事だからである。そういうことが紙の情報分野ではしにくいのである。どこかの書庫に図書館に貯蔵されていても見れないのである。福島市に巨大な図書館があってもそこを利用できないのだからないのと同じなのである。

2012年07月05日

なぜ今本が問われるのか? (電子化、インタ-ネット化の社会の急速な変化に対応できない)


なぜ今本が問われるのか?

(電子化、インタ-ネット化の社会の急速な変化に対応できない)


●本の歴史は文字の発明と共にはじまっていた


今本について盛んに書かれるのはなぜか?それは本に変わって電子書籍がというときパソコンとインタ-ネットによって本とは何かと問われたからである。本が何かなど今まで問われることはなかった。本の歴史は実際は文字の発明からはじまったとすると何千年にもなる長さである。楔形文字を粘土版に印されたときからはじまっている。文字の発明は商業と密接に関係していた。なぜならアルファベットはフェニキア人から発明されたというときまさにそのことを物語っていたのである。貿易のために簡易な共通の文字を必要としたから生まれた。その前に楔形文字があるけどそれも砂漠地帯では商業が古くから起こっていたためである。エジプトのヒエログリフは多少違っていた。それは広く共通あものとして発展しなかった。エジプト国内でしか使われなかった。それは王の年代記のようなもので商業のために異民族との貿易のために使われることはなかった。文字はフェニキア人のように異民族との商業のために共通化したものとして広まったのである。商業が世界のル-ルを作ったというとき基本的に異民族で共有する文字が必要だった。それがアルプァベットであり世界的共通の法律を作ったのである。世界的ル-ルが商業が作ったと前に書いたように文字もそういう面があったのだ。
アジアがなぜヨ-ロッパのような広範囲な共同体を作り得なかったというとやはりアルファベットのような共通な文字が作られなかったことにもある。


外国旅行するとアルプァベットの国は字を読むのにわかりやすいからいい。なぜなら音からは聞き取りにくいからであく。アルプァベットだと一応読めるということがある。中国で漢字を書いてなんとか意思疎通できるのもそのためだった。発音からは全くわからないのである。漢字はむずかしいのだけで中国というと一つの世界だから漢字を通じてアルプァベットの役割を果たしたということがある。それは日本でも文字がないとき漢字をとり入れたのと同じである。漢字を通じて世界化したのである。ただ漢字はむずかしいので世界化しなかった。英語が世界化したのはアルプァベットだったからである。日本がアジアの中でいち早く欧米化したときやはり日本語だけでは訳せない、漢字でもって約したというときやはり漢字にはそれだけの文化があったということである。例えばアイデインティティというのはどう訳していいかわからないものである。これは合一とか訳せばわかりやすくなる。合一というとコミュ-ンともなるがアイデインティティも自然にアイデインティティを見いだして同一化して合一することにある。合一という言葉は大和言葉では現せない、そういう言葉の応用ができたのが漢字だった。それで欧米化したものの翻訳を漢字でしてその漢字を中国では利用している。革命というとき中国ではもっとも頻繁に使われるが日本人が漢字から発明した言葉だったのである。


世界的には商人が世界のル-ルを作った
http://musubu.sblo.jp/article/56454399.html

●本が問われるのは車社会になり歩くことが見直されるのとにている


今なぜ本が問われるかというときそれは文字の電子化という発明が今までにないものだったからである。ワ-プロからパソコンで書くことがあたりまえになっているけどこのこと自体相当な革命だった。つまり活版印刷が発明されたと同じほどのそれ以上の革命だったのである。そのことがまだ良く理解されていないのである。インタ-ネットとかで文章を出しているけどそこでは素人でも別に大作家だけではない、簡単にいくらでも文章を出せる、それがゴミとしても別にゴミにならないというのも不思議なことなのである。無尽蔵のことがインタ-ネットでは蓄積できるし誰でも書けて発表できる世界なのである。何か書いて発表すること自体、紙を利用している時は選ばれたもののすることだった。今でも本とか雑誌とか新聞とかそういう媒体を利用できるのはほんの一部の特権者なのである。ロ-マ時代は紙はあまりにも貴重なものだったから作家がいても紙を所有している人が紙を提供している人が実権をもっていた。作家はただ紙を提供してくれるものに書かせてもらうというだけであった。何ら収入はそこにはない、これは現代でも出版できるのは出版社や新聞社の許可を得たものしかできないということと同じなのである。それだけコストがかかりすぎるからそうなっているのだ。


そして本と電子化された世界とはいろろいな面で相当な相違がありそれが本とは何かと問うようになったのである。奇妙な話だけど人間が車社会になり道路を歩かなくなったとき歩く世界がわからなくなったということを何度も書いてきた。歩くことから生まれた情緒性が失われた。江戸時代の浮世絵などは歩くということなしに鑑賞できない、自ら歩かない時代にはその情緒や文学も絵画も鑑賞できないのである。歩く時代は橋一つとっても人間と一体化していたのである。今でも歩いて見えるものがあり歩くことにより実際は五感が働き見えるものがある。歩くことと自転車では違っていても歩くことに近いから自転車だと見えるものがある。そしてどういうわけか自転車を乗っている人とは親しくなりやすい、車に乗っている人とはあまり話しもできないということがある。車が人間社会を根本的に変えてしまったのである。そもそも歩くことは人類が生まれて以来歩くことなしでありえない世界だった。その歩くことをふりかえり問うなどということも考えられなかったのである。

それと同じことが電子化されたインタ-ネットの世界で起こっているのである。車社会になって失われたものは余りにも多い、それは情緒的な面として人間の根幹にかかわる面で変わってしまった。例えばかえって過去をふりかえるとき牛とか馬を利用していた時代をふりかえるときいかに牛や馬というものに人間が影響を受けていたかということである。馬とか牛は人間と同じである。一つ家の中に住んでいて名前もあり家族と同じである。そういう感覚から情緒がはぐくまれていた。牛と一緒に暮らす働くということと機械を利用して働くことは根本的に違っている。牛は生き物だから牛の性質のようなものが人間に自然と伝わり牛とアイデインティティ化してくる。牛との合一化、アイデインティティ化してくるのである。だからこそ高村光太郎の牛の詩ができた。牛が心の中でも生きていた時代だから作れたのかもしれない、まだ車時代ではないからできた。戦前までは牛馬の社会だったからである。


●過去の牛と馬の役割とにている本の世界


昔の話で前に書いたけど上萱まで荷を積んで運んだ馬は暴れ馬だったけど力があるからあの坂を上ることができたという、馬にも暴れ馬がいて性質の荒いものがいる。野馬追いのときも実際はいろいろな馬がいる。御しやすい馬とそうでない馬がいる。馬には性格がある。牛はどうなのかというと牛は荷を運ぶには馬より便利である。なぜなら牛は道の草を食べるから馬のように飼料が必要でないから良かったという。それで塩の道で塩を運んだのは信州でも牛だった。牛はまた坂道にも強いから牛が荷を運ぶには便利だったのである。馬には注目しているけど牛はわからなくなっている。今では牛は牛肉であり乳牛の牛であり運搬している牛を知らない、牛肉の牛と運搬する牛は根本的に違っている。それでも飯館村辺りでは十頭もの牛に名前をつけて仮設住宅に住んでいる人がなつかしがっていたのは生き物だからそうなる。ペットが人間化すると同じである。牛との別れを家族のように惜しんでいるというのも相手が生き物だから情が移るからそうなる。機械だとそういうことはないから情緒的な面で人間は薄情になるともいえる。

こういうところに実は現代の人間が薄情化している原因もある。人間が切れるというとき車社会だとそうした牛馬と接することのない社会となっているという面もあるのだ。江戸時代との根本的相違はそうした環境にあったのである。江戸時代のモラルというのはそういう環境から農業基本の世界から作られていたのである。だからモラル的には安定していたのである。二宮尊徳のモラルもそこから作られた。今の時代にこの辺で二宮尊徳のことを言っても余りにも変わりすぎたので通用しない、現実に原発事故にどう対処すればいいのかなどわからないのである。人間は牛から学んできた。牛とアイデインティティ化してきて精神世界も作ってきた。老子が牛にのっている姿や牛は人間の精神のシンボルでもあった。そういうものが喪失したとき人間は根本的な所が変わってしまったのである。石のことを大分詩にしたけど牛と石は共通したものがある。忍耐性とか寡黙だとかでそうである。石で作られた建物と木で作られた建物はそもそも文明の相違にもなる。ヨ-ロッパと日本の相違はまさにそこにある、文明の相違となっているのだ。


本が何か問われているとき電子化によるインタ-ネット化によって問われているのは牛や馬がいなくなった社会とにているのだ。本は牛や馬とにた面があったのだ。電子化やインタ-ネットの意味していることは何か未だわからない、新しい技術は最初ただ便利というだけで受け入れる。でもその意味がわかるのはあとのことである。原子力にしてもこれが何なのか良くわからないけど便利だから効率的だからとはじめる、その安全性も確立していないのにはじめる、今回のように事故を起こして原発は危険だとかこんなことはやめるべきだとかなる。技術は便利だからそういう側面をみんなもっているのだ。ともかく本が何かと問われているのは何か過去の牛や馬の役割は何だったのだろうかと問うこととにている。何かそういう側面があったのである。

 


次回は本についての文学的考察をしてゆきます


プログはシリ-ズものがいい、次にどういうことが書かれるのか興味をもち読もうとするからである。これも本の世界とは違う。三国志をテレビでシリ-ズの番組を放送しているがあれは面白い。次がどう展開するかということで興味をもつのである。それにしても人を信用できないか、いかに相手もだますかということで絶えず疑心暗鬼になっている世界だった。だまされて殺されることが日常茶判事の世界で生きていたから過酷である。なぜならだまされることは即死につながっているからだ。
中国人はあういう過酷な世界に生きてきたということである。陰謀術数にたけてくるからとても日本はその点ではかなわない、平和だったということである。そして今の時代は金だけが頼りの疑心暗鬼の人を信用できない社会になってしまったとういことである。日本人のいい面は失われたから同じなのである。ある人は経済の基礎は道徳だといって日本人はその道徳が備わっているというけど今や違っている。金しか価値観がない道徳もない社会が現代の日本社会であり世界共通化しているのだ。
なぜそういう楽天的な見方になるかというとその人は犯罪にあっていないからである。犯罪にあった人は社会の見方が変わる、強盗や身内の殺人などにあった人は全く社会を違ったものとしてみるのである。日本人はかつての日本人ではない、全く金だけにしか価値を置かない日本人になっていることを体験しないからわからないのである。あらゆるところに金しか求めていない社会なのである。

2012年02月26日

家のもっている(家霊)の力 (NHK-家で死ぬということ-を見て)


家のもっている(家霊)の力

(NHK-家で死ぬということ-を見て)

今日のドラマでも家に執着して家で看取られ死んでゆきたいということをテ-マにしたドラマを見た。今どこで死ぬのか死にたいのかということが問題になっている。たいがいは今は病院で死ぬ。
このドラマでは病院で死ぬのがいやで自宅で死ぬことを望み自宅に帰り死んだ。その場所は白川郷でありドラマとして設定した。あそこの家は合掌作りで有名だから選ばれた。代々人は家で看取られ死んだ。だから家への思いが強い。家がそれだけ重みをもっていたのは養蚕などで家が生産の場になっていたからである。白川郷の合掌作りは二階、三階が蚕を置いた。そういう作りは今でも阿武隈山地でも残っている。家の重みは社会の変化と共にあったのであり家族関係も社会の変化によって変えられたのである。農家だったら江戸時代だったら前田とか門田が中心となり生活があった。だからこそ前田という地名が多くそこが家の中心であり村の中心であった。そうして代々生活してきたから家に重みがあった。今は働く場所がみんな家の外になったとき家の重みがなくなったのである。みんなサラリ-マンになってしまったのである。家の重みは家族だけでも作られなかった。村では屋号がついた家が多いのはそこが一つの会社のようになっていたからである。商人でなくても農家でも屋号が名前代わりになっている。ドラマでもそうだった。ただ白川郷は観光地として栄えているのだからその様子は今や現代社会を反映したものとなっているから現実は違っている。外からの人を大量に受け入れて成り立っているのだから変わらざるをえないのである。



家霊は、
住む人の思いで力が強まっていきます。

つまり、自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


住む場所の持っている運気と合わないときは心がソワソワして精神が不安定になる体がに不調を感じる・一人でいると誰かに見つめられているような感じがする・家の中に誰かがいるような人の気配を感じる・家に帰ると気持ちが沈む・極端な場合、家の中に誰かがいて姿が観えるような現象を訴える人もいます。これらの現象は前に住んでいた人の念の作用によることが多いものです


建てた家の階段を上り降りするとき人が横を通り抜けるような気配を感じると相談に来た人がいす。大工さんの両親が亡くなり家を建てているとき悲観的な念を家に込めてしまったのが原因でした。家を建てる大工さんと人間関係は良好にしておくと良いでしょう。
http://www4.ocn.ne.jp/~sti5mti5/toti/toti.htm




家というのには本当にその家に長く住んでいた人が以前としている。病院で死んだりしても病院にその人はいない、でも家には確かに死んだ人が以前として霊としてでも住み着いている感じがするのだ。自分の家は築40年以上すぎている。事情は複雑だけでこの家は姉が重に建てたものでありその思いがこもっている。柱は橲原の同級生のキコリの人が太い柱として材料を提供してくれたことを何度も言っていた。白川郷でもユイという組織があり家は村の人が全員で茅葺きの家を作っていた。とすると村人全員の思いが一つ一つの家にこもっている。村人全員の心がこもっていることになる。今日ニュ-スで二本松油井字中田とかあるがこの油井は結いであろう、鎌倉の海岸の由比もそうだろう。
千恵子の家も由比地域にあった。日本全国で村にはユイがあった。 ここで大工さんのことが出てきたが大工さんの念が影響したというのも確かに家作りにしても人間がするのだから大工さんの心の状態が影響するということがある。でも今は家はプレバブのように組み立てる家が多くなったからあまり大工さんのことは考えない、ただ人間のかかわりは単に物を買い売るという貨幣関係だけでいなものが必ず生じる。そこに心の問題が生じてくる。


自分の家に感謝したり、
自分の家を誇りに思ったりすることで、
力が増していくのです。


自分の家を誇りにもつとか感謝するとかそういうことが現代ではあらゆる所に欠けている。現代とは今しか生きていない、今がすべてなのである。だから白川郷のような家の物語はない、団地やマンションのうよな所に住んだりただ住むだけの家にはそれも40年とか住んで建て替えるとかなると家の重みがなくなる。それでも40年くらいでも家の重みはでてくる。ヨ-ロッパの家は200年とか300年とか継続して住んでいるから家の重みがあり歴史の重みを伝えることができる。日本では最近は特に家の重みがなくなった。昔だったら江戸時代だったら庄屋とかがあり村の中心がありそこから歴史がたどりやすかった。今はそうした村の中心となるべきものが希薄化した。農民すら全国民の一割しかいないとかなり農業が国の基でなくなった。それでこの辺では実際は原発が町村の中心になっていたのである。こういう生活の変化が家の重みを喪失させたのである。


だから死でも重みのない死となる。田舎の冠婚葬祭がわずらわしいしいいとはいえない、ただ代々伝えられる家の重みがあって人間も作られてゆく。漬け物のことを言っていたが家ごとに漬け物のつけ方や味が違っていた。そういうものも代々伝えられてきたのである。そういうものも喪失してゆく、文化が喪失してゆく、ではすべて新しいものとなったとき何かそこに重みのある意味あるものを作れたかとなるとそうはならなかった。代々伝えるべきものはなく病院の無機質的環境でモノのように死んでゆく、それは重みのある死ではないから不幸でもあったとなる。家からのパワ-ももらえないとなる。家なんか古いんだ、何でも古いんだというときでは新しいものに何か重みのある意味あるものが作り出されたかとなるただ破壊して喪失させただけだったともなる。

ただ人間社会は変わるのだから人間の生産の場は別なところ移っているのだからそこに思いが移る。それは一生働く会社になったとか別な場所に移った。それでも人間の基本は家に生きて家とともにありたいというのが本能的なものとしてあった。だから家の価値を見いだすドラマが作られたし看取りでも家で死にたいその思いをかなえたいという人がふえてきた。しかし現実的に国でもう金をだせないから在宅介護にシフトさせているのであり家で死ぬということ看取るということは家族自体少ないのだからそれを補う今回のドラマのような村人もいないのだからその重荷を背負わされた人は大変なことになる。ともかく社会の変化で家族も変わったのであり家族も社会によって構成されるということからまねがれないのである。


言えることは家の中には確かに死んだ人がまだいる感じがする。だから古い家などを借りた場合、そこにはそこで生活した人が死んでもいるという感じになる。その家と関係ない人でもそう感じるのはそれだけ家に執着しているのだ。もちろんそこに一緒に住んだ人は死んでもその家の中にいる感じが最も強く感じる。家には家霊が住んでいるというときそういうことなのだろう。家でもそうだが人間社会というのはあらゆるものがモノでもそこから何らかの気が発している。その気に影響を受ける。だから悪い気がでている家、家霊もありそういうところに出入りすると何らか影響を受けるということはさけられないかもしれない、そんなものは迷信だというけど誰も自殺したアパ-トとか古い家に
住めるかとなるとなりにくいというのはやはりそうした所から悪い気が発生するから本能的に嫌だとなる。そういうことを普通にあるとき人はむしろそうした気に左右されているのである。

近くの家は不幸な家族で絶えたがそのあとに若い女性が一人住んでいる。いつもいるという感じではない、でも家も住む人によって雰囲気が変わる。別にそこから悪い気が発しているとは今は感じない、やはり住む人によっても家の感じが変わるのである。
暗い陰気な不運な人が住むと家も暗い感じになり辺りにその悪い気をだすのである。ただそういう家はどこにでもあるからそういう場所をさけて住むことはできない、確かに家はモノでありそのモノも人間と関係しているから人間がモノとかかわりそのモノに影響しているのである。

2012年01月06日

本の読み方 (本は読むとは著作者の心を読み自分なりに解釈すること)


本の読み方

(本は読むとは著作者の心を読み自分なりに解釈すること)


●引用は極力すべきではない


繰り返すが、「自分の言葉」を使って、自分の疑問とその答えを中心にして要約文を書かねばならない。やってはいけないのは、本文の文章をそのまま使うこと。これは、やってはいけないよ。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~shakai/seiyosi/howtoread.htm


本は読むより読まれているということが多い。本を読んでもびっしり大事な所に線をつけたりしていたがそれも無駄だった。本は相手ののみこまれ読まれてしまうのが多い。若いときは結局、経験もないのだから相手の言いなりになる。知識の量も経験もある人にただ読まされることになる。それは別にすべて悪いことではない、いいことを言っていれば記憶に留めるのは悪いことではない。でも読書はカルト宗教団体に入るとにている。一方的になりやすいのである。引用することは相手の言っていることをそのまますることであり自分なりに解釈したものではない、自分の文脈で解釈していないのだ。引用は確かに効果的になることはある。自分も引用したが自分なりの解釈をしていない引用もあって失敗だった。インタ-ネットでは何でも軽く書いていいから書いたがもっと要約したこれこそ自分が言いたい核心だいうものを書くべきだった。それは今からでも手直してインタ-ネットでは書ける。読書も相手の書いたものを自分なり読むということが大事なのだ。相手のペ-スのままにすべてただ自分が読むのではなく読まれてしまうのが読書には多い。


●他者の基準が基準になり安いこと


古典でも絶対化してはいけない、古典にはどうしても読まれてしまい自分の解釈ができにくい。それだけ中味があるのだから自分のようなものには自分なりの解釈はできないと思ってしまう。人間は結局、すべてのものは自分なりの価値づけするほかない、どんなにベストセラ-で売れていようが知的分野や芸術とかの分野では自分が価値の基準になってしまうのである。そんな能力は自分にはないといっても現実的にはそうされてしまうのである。だから絵画でも詳しくない人は他人の基準に従うのである。ベストセラ-を読むのは他人の基準に従う人が多いからである。みんな買って読んでいるからいい本なんだよとなる。これはカルト宗教と同じである。みんな入っているあれだけの数の人が入っているのだからそれだけの価値があるとなる。数で判断されているのだ。それに疑問を抱いても考えたり調べるのがめんどうになるからそうなる。第一カルトなどは権力をもっているから批判した本が極めて少ない。批判した本を本屋に置かさせないのだ。それだけの力をもっている。

原発事故でも原発に反対する本はあっても隅に追いやられていた。反対の学者もマスコミに呼ばれて声高に主張できなかった。もっと創価でも真光でも幸福の科学でもこれはカルト団体で権力を操作することを目指しているとかそういう批判の本は出ない、出せないようにしているのだ。書店はまた売れない本は置かない、カルト宗教団体では金があるからその会員が買ってくれるからお得意さんだとなる。ある時大きな書店は「幸福の科学」の本が入り口に山積みになっていた。一番目立つところに置かれていた。一般人はなかなか買わないにしても会員が大量に買えば売れるものとして置かれている。


●時代が変わって理解しにくくなる理由


ともかく古典でもそれがどういう価値があるのか、解釈すればいいのかは自分で価値づけるほかないのだ。そういう作業がないかぎり古典も活きてこない、権威ある本となっていてもそうである。古典というときそれはなぜ古典になるかというと時代の影響がある。どうし現代では芭蕉のような深みのある俳句ができないのかと不思議であった。それは現代の環境と江戸時代の環境が余りにも違っていたからだ。第一車もない、電気もない世界だ、高層ビルもない、鉄道もない、音もほとんどしない世界だ。そういう世界で今とはまるで違った感受性が磨かれた。現代は感受性は自然に対しても歴史に対しても乱れ悪くなっている。「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇-芭蕉」どうしてこの笛の音が聞こえてくるのだろうか?芭蕉は自分の生きていたさらに過去の人に同情して深い俳句を作っている。現代は過去から聞こえるものも騒音とかで打ち消されているのである。古典は明治時代のもの古典になっているけどやはり明治時代は江戸時代の延長であり江戸時代の感受性がまだ残っていたから古典として残った。その時侍のことを具体的にリアルに理解していた時代だった。だから武士道なども書けたのである。武士が何であったのかまだ父とかが侍だったとかなればわかるのだ。

それが現代になると理解しにくい。司馬遼太郎は明治維新のことを書いているけどやはりまだ明治を知っている世代だから書けた。一時代あとの人は客観的にその前の時代を評価しやすいということがある。祖父母や両親の時代は具体的に理解しやすいからだ。時代が変わると団塊の世代すら理解しにくいものとなるだろう。あれだけの戦争のことをなかなか理解しにくいのもそのためである。時代に流されない人間の真実を書いたのが古典である。だから人間の不変のものとして残った。戦争が理解しにくいのは太平洋戦争などは参加した人ものちの人も否定的にとらえている面がどうしても大きいからだろう。明治維新については盛んに語られるのに語られないのは肯定的ではないからだろう。現実に80代でまだ戦争に参加していた人はかなりいてもなかなか語られないのは参加した人も否定的になっている面があるからだろう。人間は年取っても過去を語りたくない人はいくらでもいる。過去はみんないいものではないからだ。過ちと罪の悔恨だったのが普通だからである。ただ75才以上の人には日本人的な心情で共通したものがあり貧乏でも何かまだ誠実で素朴な人が多いようだ。70以下辺りになるともう日本人的心情の素朴さは喪失した。ギブミ-チョコレ-トの時代になり進駐軍からアメリカから物、金だけを要求して自らも追求する時代になったから団塊の世代と変わりない、金しか価値を認めない世代になったのである。


●本は読むより眼を通すという読み方が最善


本はじっくり確かに読む必要があるものもある。でも長い本は結局読めなかった。なぜなのだろうか、おそらく長い本はそれだけ労力がかかるからだろう。長い本は相手を読むことがむずかしく読まれることが多くなるのだ。相手のペ-スにのまれてしまう。あなたはこちらの言い分を全部読んでから何回も読んでから著者のことを語れよとなる。そういう本と人とつきあうことは骨折れるから全集などいろいろ買ったが積んどくで終わった。どんな本でもその本の全部を理解することはできない。部分的には理解できることがある。自分の今の本の読み方は読むというよりはさ-と眼を通して自分にとって必要なものをピックアップして利用するという感覚になっている。だから長い本はなかなかそうしにくいから読んでいない、でも一部が利用できなるなと思うとそこだけを記憶して利用する読み方である。だから一時にあるテ-マに関したことを十冊くらい手にとり眼を通している。それは読んでいるのとは違う。自分なりに新たに再構成するために読んでいるのだ。


ただあるテ-マで書くときどうしてもそれに関して深く知りたければある程度の多くの本を参考にせねばならない、なぜなら人それぞれに必ず詳しい分野があり専門家がいるからそうなる。とても自分だけでは解釈しきれないからそうなるのだ。でもいくら専門家が語っても自分なりに解釈しない限り本も宝の持ち腐れだった。家が傾くくらい本をもっていてもそうだった。本を買うだけで知識がふえた感覚になっていたのだ。本はもう装丁とかにこだわるより中味が大事である。装丁とか表紙の部分で重くなっているのだ。
本は重くなりすぎているのだ。本は写本のように秘密めいて情報を独占するようなものとしてあった。本はあくまでも知識を伝えるものであり紙に書いた活字で伝えるのと電子本でもインタ-ネットでも伝えることは変わらない、すると効率的に読書するには電子本でも電子化してもかまわないということである。それで内容には変わりない、内容の有る無しは決められない、その価値づけは読書する方がすることには変わりないのである。


最近ニ-チェとかマキャベリでも要点を書いて解釈している本がでているけどあういうのが受けるのは結局全部読めないからである。それでもある程度はその本の趣旨を説明しているので読書になる。でもそういう古典的なものは人によっていろいろ解釈できるのである。ある人がある部分をとりあげある人がある部分をとりあげる。自分でもニ-チェとかマキャベリでもそうした要点をとりあげて解説できる。10人いたら10人の解釈があるのだ。本になるとそれが何でも権威化して特権化するから偏るのである。ある人の解釈は参考になっても自分なりの解釈をしないかぎり本を創造的に読んだことにはならない。ただコピ-しているだけでは読書にはならないのだ。

2011年12月21日

年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)


年の暮(整理しきれない本-文章を書くコツ)



冬の暮電車通りぬ一区間


町中の墓所のそば冬椿


年の暮整理しきれぬ本の山

今日は電車が原町-相馬市間で開通した。八カ月ぶりだった。でも相馬市から仙台までと磐城までが開通するのはいつになるのか?磐城は原発事故で開通できない、津浪の被害は線路にはないから原発事故の放射能問題が解決すれば開通できる。それも先が長くなるのだろう。放射能問題は先が長いのである。三十年で廃炉とかなんとかその長さが問題になった。相馬市から先は津浪で駅も流されずたずたになったから別に線路を作るとなると五年はかかると言われている。これも先が長い、バスは相馬市から三十分おきにでているから電車で行けるから改善した。電車が通じないとやはり遠くには行きにくくなる。そもそも自分もの場合は遠くに行くことができない、誰も代わって介護などしてくれない,介護などでも人に頼むとなるとどれだけ大変なものか身をもってわかった。あとでいろいろ大変なことになる。だから簡単には頼めない、だからどうしても自宅で楽しむためにテレビを大容量で記憶するレコ-ダ-を今日買った。テレビもその時間でみるよりは記録したものを選択してみるようになった。ちょっとパソコン化している。テレビでもそうだが情報の整理に追われている。

テレビですら実は自分なりに編集するとそれが一つの意味をもってくる。編集というのは映像ですら必要だった。テレビの番組をただ一方的に見ていると洗脳されるのである。そしてテレビだけではもはや情報がたりない、もっと専門的に詳しく見ようとしたらインタ-ネットで調べたり解説が必要になる。自分の得意分野でテレビの解説ができる。テレビは大衆にわかりやすいようなものしか放送しない、もっと詳しく専門的になるとどうしてもインタ-ネットでも本でも解説をさらに加えないと深く知ることはできない、その作業がめんどうなのである。BSもテレビでは多少専門的になっているがやはり視聴率をとるということから逃れられないからどうしても大衆向きから逃れられないのである。


読書のコツは何かというと自分の経験では奇妙だが本を読むことではない、自分のテ-マとか自分の研究をすすめるためにはそれに関した本を集めることであった。一定数の本を集めない限り自分なりのものは書けない、たいがい本を出している人は小説家でも学者でも一定数の蔵書をもっている。有名な小説家だったら一軒の家を書庫にするくらいもっていた。司馬遼太郎みたいなるとしたらそうなっていた。図書館があるからいいではないかというと図書館でも自分の関心のあるものがあるわけではないのだ。そして思考しながら読むというなると自分の家が小さくても図書館になっていないと自分なりのものは書けない、本というのは一冊だけ読んでは自分なりのものは書けない、それに関してのかなりのボリュ-ムの知識の集積が必要になってくるのだ。

そして今近江商人というのに興味をもって知識を集積しようとしたら自分の集めた本の中にあった。それらを編集すれば自分なりのものが書ける。それを次にプログで紹介しよう。本というのは厚い一冊を全部読むのではなくその中の一部が自分なりに表現しようとするとき必要になってくるのだ。それを自分はインタ-ネットで引用して編集して発表してきたのである。ただインタ-ネットにはまだ専門的なものがそれほどでていない。

本には膨大な知識の集積があるのだ。ただどこにあるのか意外とわからない、だからそうしたそれぞれの分野でのテ-マをもって調べるときそれなりの本が必要なってくるのである。本の問題はキ-ワ-ドでは調べられないことなのだ。インタ-ネットだったらキ-ワ-ドで調べられる。でも近江商人を調べるならキ-ワ-ドで本を検索して集め読む必要があるのだ。何か研究する場合、本一冊をまるごと読む必要はないのだ。部分が編集のために必要なのである。だから本をぱらぱらとめくりこれは自分の文章に必要だというときマ-クしておくのでただのべつとなく本を読むことは効果的ではないのだ。


ともかくいろんな整理があり整理しきれない、家のことも全部自分一人でやっている。家事も一人でやるとなると大変である。家計から食事の用意から洗濯から掃除から全部自分一人でやることは大変である。だから整理がつかないのだ。そして知識は何かで活かさない限り活きてこない、原発とか津浪とかのテ-マで知識を活かそうとするとき知識が活きてくる。そういうことを津浪や原発事故で書いてきた。すでに原発事故のことだけで大変な知識が必要であった。とても一人では手に負えないものだった。でも現実問題として自分にもふりかかった問題だからなんとか知ろうとした。知識は何か切実なものとして知る必要ができたとき活きたものとなるのだ。病気だってわからないなりに自分の問題になればみんな真剣に知ろうとする。その時むずかしい医学でも科学でも法律でも知ろうとするのである。原子力発電は最初から科学者でも危険だと警告していた人はそれなりにいた。三十年前とかからいたのである。そういう本は残っている。でも大きな声とはならなかった。そこが一番の問題だったのである。

なぜ大きな声とならなかったのか?危険を警告しても大きな声にならなければそれは意味をもたなかった。本を出して警告しても大きな声とはならず見逃されていた。一般の人はむずかしいから関心がなかった。自分なども近くても30キロ圏外であり遠いと思っていたのである。それは事故になってはじめてこれだけ広範囲に影響することを身をもってしった。ともかく大きな声にならなかったのは結局情報は権力によって操作されたものしかでてこない、原発が危険だという声は大きくさせられなかったのである。それはすべてのマスコミも加担していた。福島県の新聞であれ雑誌であれ全く警告もしていない、だから前の福島県知事の佐藤栄佐久氏が原発村に逆らったのは重大なことだった今になって知ったのである。あとは原子力村によって情報は操作されていたのである。


ともかく今年も終わろうとしている。なにかやと疲れた一年だった。すでに五年間ふりまわされた。まあ、自分が病気にならない限りこんなことはなかった。健康ほど大事なものはない、健康でありさえすれば困難もなんとか乗り越えられるのだ。健康がなくなったときすべてが崩れてしまうのである。だからすでに健康ではないのだけどなんと健康でやっていけることを祈るほかないのである。

2011年07月07日

BS歴史館 発見!戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」


BS歴史館 発見!戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て

今回のNHKの番組は興味深かった。明治維新や戊辰戦争のことは良くわかっていない。会津では落城のさい資料を全部燃やしたというのも確かな証拠が消失した。その証拠の一つとしてドイツ-ビスマルク時代のプロイセンの資料が残っていた。プロイセンに北海道を植民地として会津と庄内藩が売り渡そうとしていた。目的は武器を手に入れるためであり薩摩長州軍に対抗するためだった。スネルは武器商人であり会津藩と接近した。それは日本が幕末に欧米列強に分割統治されるような危機にあった。それで攘夷運動が起こり外国人排撃が起こった。佐幕派も起こり勤皇派も起こりと混乱する。ここから日本の歴史は世界の歴史の中に参入した。そのことが後の大東亜戦争に通じていた。なぜなら高杉晋作は上海に言って中国の惨状を実際に見聞した。中国は欧米列強に食い物にされていた。分割統治されていた。日本も中国と同じにされると危機感をもったのである。阿片戦争もそうだった。中国はその後も欧米列強やあとで日本も参入することになった。世界の権益争いが中国で起こったのである。明治維新からの富国強兵とか欧米列強に対抗するという国造りは大東亜戦争までつづいたのである。そのはじまりが明治維新の時の戊辰戦争にあった。日本が中国のように欧米列強に食い物にされるという危機感が出発点でありそれは大東亜戦争までその根底に流れていた。だから今でも大東亜戦争を肯定する右派は欧米の植民地からアジアを解放する戦争だと理由づけている。


プロイセン人武器商人シュネルという武器商人が会津藩と接近したのも欧米列強との特にフランスとの対抗意識だった。実際にヨ-ロッパではフランスと争っていた。それは韓国の百済派と新羅派が日本で争ったという説が古代にあるようににている。明かに明治維新の時もそういうことが起きた。先進文化が欧米にあり特に武器は進んでいた。それで長岡藩の河井継之助が・ガットリング銃を買って薩長軍に抵抗できた。そして会津藩は山国の閉鎖された国際性のない藩だとされていたが実際は国際的視野をもっていた。プロイセンと外交交渉して薩長軍に抵抗しようとしていた。本当にこれは意外である。確かにロ-カリズムであり会津藩は遅れをとったということが言われてきた。今回の番組では会津藩は国際的視野をもって薩長軍に対抗していた。それがプロイセンと組んで薩長軍に対抗することだった。その説明が興味深いものだった。


ドイツ人のという人が北海道開拓に最初に入った人だったことも知らなかった。北海道の産物はドイツの食卓と同じだった。ジャガイモを主食としたものや麦はパンとビ-ルでありとかその食生活は酷似していた。北海道は日本では米作りできないから不毛の地と見ていたがドイツ人だった
アイルランドは牧畜やジャガイモ栽培では適地と見ていた。北海道産のジャガイモは男爵とかうまいものがある。ジャガイモは寒冷地に適していた。イギリスでもドイツでも寒い地域なのである。だからこそアイルランドではジャガイモ飢饉が起きた。ジャガイモばかり作って飢饉になったのだ。北海道の良さを見出したのは最初は外国人だった。アメリカのクラ-クはそのあとに入ってきた。その後も会津藩の人がアメリカに開拓のために移住していたことは驚きである。

ゲルトナ-ががワカマツコロニ-を作っていたが風土にあわずもっていった種が水不足で実らないなど失敗した。 湿潤の地の日本とは風土が違っていた。満州でも米を作ろうとしたように日本人はどこまでも米を作ろうとする発想になる。米にこだわるが欧米は米は念頭に全くない牧畜が主流だから発想が根本的に違っていたのだ。北海道にも田はあるけど異質な感じになる。北海道の風土には田はあっていないのだ。一面に咲いているジャガイモ畑の花がにあっているのだ。


蝦夷(北海道)を旅した「イザベラ・バード」は、「日本はどこもかしこも誰かの土地で、焚き火も自由にできない。しかし、北海道なら、どこでも焚き火ができる」と書き残しているくらいである。

これは面白い指摘である。日本を旅してキャンプして野宿することはめんどうである。誰かの土地に田か畑でも誰でもない土地はないのだ。北海道を旅して便利なのはキャンプする場がある。今は誰でもない土地ではないにしろそういう場所が比較的見つかりやすい、キャンプ場以外でもそうい場所がまだある。


明治維新と大東亜戦争は底流でつながっていた。欧米列強に対する対抗心が日本ではつづいていた。それが中国の権益争いとなり戦争に突入した。だから今でもアジアの植民地解放戦争だったとしている。それは明治維新の攘夷の思想がつづいていたためである。明治維新を見れば大東亜戦争も予測できたかもしれない、そういう大きな歴史の流れがつづいていたからである。欧米列強に対抗しようとしたとき背伸びをしなければならない、それが大東亜戦争の敗北に通じていた。今はヨ-ロッパは衰退して中国が大国化するときアメリカと連合を計る。でも中国が巨大化するとその圧力に日本は苦しむ。そういう大国との狭間で苦しむのは世界の歴史ではある。小国は分断され苦しめられるのだ。日本もまたそういう歴史の苦しみを経験したのである。これからもやはりそういう立場にあり今度は中国やロシアやアメリカの圧力に苦しむ。


会津藩・庄内藩による日本国ポーランド化計画
http://nakamura-syounika.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-9b41.html


これを読むと会津藩と庄内藩は藩意識が強すぎた。自分たちの藩ばかりを死守しようとしていた。それは明治維新の時は藩が国だったのだから藩という意識からぬけだせなかった。日本という大きな国の視野にたつことができなかった。北海道は会津藩とか庄内藩があづかったものでその藩のものではない、日本のものだったけどそういう意識がなかった。
明治維新を規定すれば藩なくすこと、侍の身分をなくすこと、この二代改革のための革命だった。だからこそ藩と侍身分を残そうとした西郷隆盛が率いる西南戦争が起きたのである。その時国民軍として加担したのが会津藩士だったということでもわかる。会津藩士も結局は侍身分を会津藩ということを捨てて日本国民軍として戦った。薩摩長州に対抗するという意識はその時なくなっていた。薩長に踏みにじられた会津藩士だから復讐の念があったというより国民軍として戦ったのである。

会津藩のヒロイズムは会津藩だけにとどまるもので日本全体を視野に入れたものではなかった。会津はただ薩長にふみにじられたとういい怨念だけでは歴史は語れない、何故なら西郷の西南戦争もやはり侍や藩を維持しようとするものと侍や藩をなくそうとするものの戦いになったからである。つまりロ-カルヒロイズムでありナショナルヒロイズムとはならない、そういう問題は国と地方の政治とかでも常に起きているし東北の復興問題でも起きているのだ。


武器にまつわる話(京都から遠かった長岡-会津藩の悲劇)
http://www.musubu.jp/jijimondai21.htm#weapon

2010年03月23日

インタ-ネットは編集で活きる(インタ-ネットの有効活用法)


インタ-ネットは編集で活きる(インタ-ネットの有効活用法)


インタ-ネットの世界は10年間くらい経過したけどやはり未知の部分が多いしどう対処していいかわからない面が以前として多い、ホ-ムペ-ジ制作して10年すぎている。その間に対話というのをしていなかった。発言されにくいのはわかるがただ一方的発言に終始して10年が過ぎた。なぜ反応もないのにこれほど書き続けたかというと自由に書ける発表できるという魅力が大きかった。ともかく自分の書いたものを創作したものを反応はないにしろ一応社会に発表できることは報道できることは報酬がないにしろ誰でも生きがいをやる気にさせるものである。本を出して発表するとなるとすでに社会的に有力な人でしかできないようになっている。本自体を作るのは今や電子化してそんなに金はかからない、ただではそれを流通させるとなるともはや普通の人にはできない仕組みになっている。だからそうした発表や報道の機会を失われたものはインタ-ネットでやるほかないのである。それが反応があるないにしろそこしかないから書き続けてきたのである。一応アクセス解析などをみるとこの記事が読まれているとかわかるから全く反応がないのとは違う。

それからインタ-ネットは必ず他のサイトとかの文を参考にすることが多い、インタ-ネットは必ず編集しつつ創作してゆくのである。ただ膨大な情報に接しても自分なりに編集しなければ活きてこない、インタ-ネットに欠けているのは編集作業である。膨大な情報と発言があっても編集がないからその場限りであり価値を帯びてこない、掲示板でも2ちゃんねるとかだと相手のことはほとんどわからない、どういう立場で発言しているのかもわからない、そしてその人の発言はその場限りで一回限りで終わりであり消えてゆくのである。そこに個人としての存在はない、断片化した部品化したものがあるだけである。つまり情報があっても人間個人は存在しないのである。ほかの掲示板では常駐している人がいて匿名ではこの人はこんな人だとわかってしまう場合がある。でも2ちゃんねるは大衆的発言の場であり個々人は全くその場限りで消えてしまうはかないものとなる。そういうものだとして発言している場でもはあるから批判もできない、実際にインタ-ネットはいろいろな利用方法があるからツイッタ-とかいろいろなものが次々に出てきて追いきれないのである。

そもそも見知らぬ人と文章で対話すること自体今までありえないことだった。そこからしてインタ-ネットは理解しにくい、でも明らかなことは編集作業がないと活きてこない、編集する人がいないと活きてこない、それは医療分野だったら医療に特別詳しい人が編集する必要があるのだ。俳句とか短歌とかでもやはりその分野に通じた人が編集しない限り活きてこない、この句はここが良くてここが悪いとか批評が編集が必要である。そうしたものでもなく日常的瑣末な会話でも編集するとそこに発見するものがある。誰かがその会話の価値の重要性を認めることがあるからだ。その価値を認めることが編集なのである。そうでないと価値が認識されないままにただ消えてゆくだけだとなる。こういうことはやはり今までのマスメデアでも出版社でも行われて来た。だからそうして出されたものは読まれるべき見るべきものとされていたのだ。でも一方でそれがかえって一方的に作られた偏向したものとされて批判されるようになった。マスメデアから出版界でも認められないものは全く価値がないとされたからである。だからマスメデアで報道されないものはなぜなのか?報道されないものに重要なものがあった。それは読者が視聴者が判断するものでありマスメデアが判断するものではない、それで誰でも発信できるようになってマスメデアの一方的偏向報道が批判されるようになったのである。しかしまたインタ-ネットでは玉石混淆でありやはりそこでは誰かが編集しないと情報の混沌の中にほうりこまれてしまった感覚になる。それは掲示板とかでもそうなのである。編集すると活きてくるものがある。

個人化(Personalization) 個人に最適化されていること
解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報
具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること
後援(Patronage) 作者との関係性

http://www.heartlogic.jp/archives/2008/03/8_2.html


この文も偶然に見つけた。なるほどと思った。個人化(Personalization) 個人に最適化されていることとはやはりその人が編集してその人にとって何が価値あるか提示することである。それは個々人によって価値あるものは違うのである。解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報・・・これもコピ-しただけではだめである。それにその人なりの価値づけが必要なのである。
後援(Patronage) 作者との関係性なども大事である。どういう人と人が会話しているのかわからないと他者もわからない、インタ-ネットでは老人と小学生か知らないで話してしいたとか女だったのに男と話していたとか現実にあるのだ。そういう異常なコミニケ-ションすら成り立つのインタ-ネットなのである。たいがい水平化して平行化するのもインタ-ネットである。誰かが特別優れたものとして認めないのインタ-ネットである。でも編集できるのはやはりそれなりに経験を積んだその道を究めた人でないとできない、その人が編集すれば専門家でなくても普通の人の発言も価値帯びることがあるのだ。

自宅に一人でいたのですがパニックに陥り、母に連絡する前に、近所で可愛がってくれていた独居のお婆ちゃんのところに駆け込みました。相手が認知症だという事も忘れて膝元でワンワン泣き崩れてしまいました。 (そのお婆ちゃんは、私が認知症だと分かり御家族に介護サービスの利用を勧め、今は機嫌よくサービスを利用しています。)やはり弱者に立たれた方は、人の痛みを自分の痛みのように感じて下さって、御自分の御主人や御子息が亡くなった時の痛みを何度も話ながら、私の背中をさすって一緒に泣いてくれました。


これは玉本様の発言にあった。助けてくれたのは個人でありカルトとかの宗教団体とも違う。自分の場合も一人の近くの老人がかわいそうだなと同情してくれたのである。徳とは愛とは個人的なものである。集団や組織には徳とか愛はない、集団や組織は権力組織であり個人は権力組織に利用されるだけとなる。個人的な徳とか愛はそこにはない、一見つまらないような何でもないようなことに愛があり徳があることを発見する。それは全くオレはオマエを助けてやるんだというとかの押しつけがないのである。このことに注目したことが具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること・・なのである。こういうことはやはり長い文章で相手のことを理解しないとできない、対話からはずいぶん遠ざかっていたが確かにインタ-ネットでも見知らぬ人でも対話が成り立つ、相手のことを知ることもできるし信頼関係も作ることができることを発見したのである。そのために断片的会話ではできないのである。

2009年02月27日

「おくりびと」「納棺師」が脚光をあびるのはなぜ


 

 
映画みていないし納棺師という職業があったことも知らないから語ることはできない、でもおくりびとになったのは葬儀したのは半年にもなっていないからまだ生々しい。まだ死者は身近にある。そのことをいろいろ書いてきた。死者とは何か、死んでも死者との交流はある。死人と接することは実際は気持ち悪いことである。一晩だけ一緒にいたけど気持ちいいものじゃない、ただわたしの家族はもともと太った人で陽気な女性だった。顔がやせこけていない、病院でも死ぬ前も死んでからもふっくらしていたのだ。でも死ぬと手をしばったところがぺこっとひっこんでいたのが気持ち悪かった。死者と接することは気持ちいいものではない、確かにあんまりなりたくない職業である。こういう仕事をしていた人は差別されたというのは確かだろう。特殊な仕事である。例えば豚の屠殺場のあとに老人の介護関係の施設ができる。だけどその場所が嫌なのである。そこでは大量の豚が殺されたし大量の豚の血が流れた。そこに豚の怨念がたまでいるのではないか?何かそうしたものを理屈ではなく感じてしまうのである。別な倉庫のようなものならいいが老人の施設にするのがあっていない、まだ屠殺場で使ったものがおいてある。なんとなく嫌なのだ。自殺したり殺人したりした部屋に入りたくないというのもそこになんとなく死者の怨念みたいなものを感じるからだろう。これは理屈ではない、人間なら誰でも感じることだからそれを否定することはできない。
 
でも死者をおくることは重要な仕事である。最後を見送ることは貴重な時である。なぜならすぐに骨になり形もなにもなくなって二度とあえなくなった。死人のときとまた灰となってしまったのとは違う。人間の死はあまりにも落差が激しいからとまどうのだ。死んだら灰となったら何も残らないからだ。その突然の落差がショックなのである。目に見えるものが突然二度と見ることのできないものとなる。その断絶があまりに大きすぎるのであとあとまで尾を引くのである。なぜこのような映画が話題になったりするが、これは極めて現代的テ-マとなってしまったからだろう。死者をおくる儀式とか文化の喪失である。共同体の喪失である。現代は何でも専門家に分業して頼むようになった。死は葬儀はこれまでは村全体のものとして死者を葬った。それは単なる儀礼ではない、村で心から死者をいたむことがあった。だから死者は死んで山の神となり村を守るとかの信仰になった。何かそこに今にはない死者を意味づける文化があったのだ。ただ正直そうした葬儀は手間暇と金がかかりすぎた。そして実際は儀礼的なものになっていた。おくりびととは本当に死者をいたむ人であるべきなのだ。私の家族は認知症になったときこれまで長年親しく人もよりつかなくなった。特殊な病気で嫌われるのはしょうがない、だから死んだときも関心をもっている人はなくなっていた。生きているときから捨てられていたのである。そういう人がおくりびとになれるだろうか、死者をいたむだろうか、生きているうちにすでに交流がたえた人が死んだからいたむことはない、ただ葬式でも義理で来るだけである。お悔やみをあげてあとは終わりである。
 
だから死んで丁寧に専門の人が納棺したり手厚く葬むってくれたのは感謝する、でもそれは仕事でしていることだし心からその人を葬るとはならない、第一全く死んだ人がどういう人か知らないから何かその人に対して親しみがないからだ。だから機械的に処理する、病院でも死んだら早く死者をかたづけてもらいたいしかなかった。手を合わせるようなしぐさもない、また一人死にましたよ、早くかたづけてくださいくらいなのである。病院でも葬儀社でも死は日常的だから特別なことではない、日常の一こまにすぎない、ただ家族は一生に一回のできごとであることの差がまた大きいのである。死者は死者とかかわることだけ死のときだけかかわることはありえない、生前からの延長として死もある。生前親しみを覚えない人にどうして死者をいたむ心が生まれるのか、ただ死者には畏れがあり粗末にはあつかえないことは当然だから手厚く納棺して葬るのは当然である。でも葬儀屋では機械的事務的に死者を処理する。そうしてもそれはしかたない、それでも死者を手厚く葬ってくれるから感謝するとなる。いづれにしろ今葬儀から墓の問題と社会が変化してそれに対応できなくなっているからいろいろな問題がでてくる。おそらく今回の「おくりびと」「納棺師」というのが脚光をあびたのは極めて現代的問題となっているからだろう。
 
映画も納棺師も読んでいないので正直批評はできません、ただ死者とかかわったのでその経験から書いただけです。
 

ここに批判が書いてある
 http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6bda58396361d97dbe36a85985909634

 
 

 近くにNPOの福祉(介護?)施設屠殺場跡に建つことの問題(差別はなぜ起こる)
http://musubu2.sblo.jp/article/27256139.html

 
郷土史とも差別の問題は深くかかわっている。それで別に差別の問題を調べて書いた。
 

2009年02月16日

沸騰都市-東京の未来の恐怖


沸騰都市というNHKの番組今見たけど地下に大都市が広がりマンションの50階に住んでいるとかなると人間は地下人間となり空中人間となり海底人間となりそういう人とは意志疎通できなくなると上野霄里氏が言っていたけど本当なのだろう。東京の地霊の作用で停電したとか物語を作っていたけど地霊が怒り地震が起きたらどうなるのだろうかと恐怖した。そんなに高層化したり地下を掘り起こしたら災害が起きたら壊滅的な被害を受ける恐怖である。東京大地震の恐怖である。地霊が怒り都市を滅亡させる、そんな恐怖を感じるのもそれはもうすでに人間的には把握しえない大都会となっているからだ。そしてそこに集まるのはビジネスだけが目的の無国籍人間たちである。ビジネスを通じて無国籍化してゆくのも現代である。国籍とはその国の文化をになった人であることに意味がある。その文化とはその土地からcultivate-cultureを作ってきた人たちなのである。


つまり今やその国の国土からも遊離してただビジネスのためにだけ集る無国籍都市は国際社会でもない、人間が無国化した会社の一員となり土地から遊離してただビジネスだけをアイディンティティとする。そこには文化が消失した経済人間しかいない、国際化すると新しい文化が生まれる場合があるがここでは生まれない、そこにはビジネスのやりとり経済至上主義しかない、経済に機能するだけ自然やその国の大地に機能する人間でなくなる。そして経済的優位から田舎は生産性がないとか効率が悪いとかそんなことばかり言われる、おとしめられる。だからそうした異常な沸騰都市に地霊が作用して都会を壊滅的に崩壊させるということがありうる。そういう恐怖がそこに住んでいる人も感じてしまうだろう。やさしいモンスタ-に育ってほしいとか言っているのもそのためだろう。怖いモンスタ-に育つことが見えるからそうなる。グロ-バル経済でも沸騰都市でもモンスタ-化している。さらなるモンスタ-化が進行してゆくとき一体人間はどうなってゆくのだろうという漠然とした不安をもつのは当然である。まあ、あと十年後20十年後になるがそのときはこの世にはいないだろう。そんなモンスタ-は別に見たくはない、でも東京と大阪がリニアで一時間で結ばれたどうなるのだろう。一時間だと日帰りになるからもう飛行機と同じである。ただ途中は何もみることできないだろう。ただ移動するというだけである。だから飛行機と同じなのである。仙台から大坂まで午前中についてしまう。そのとき移動はあるが旅はなくなっている。
 
日本では都は遷都したけどやはり一カ所に留まると腐敗するという地が汚れるという感覚があった。だから新しい時代には新しい都を新しい土地ではじめる必要があった。なぜなら長く同じ場所にいると人間も腐敗するのだ。人間にはフロンティアが常に必要なのである。そのフロンティがなくなり空中や地下や海底に広がってゆく、東京を遷都するという話も消えた。結局遷都するには東京は大きすぎる。だからもはや移動もできない、地下や空中や海底に伸びる他なくなっている。それがいづれ致命的な災害で崩壊してしまう恐怖を感じさせるのである。今でも限界を超えているのにこれ以上限界を越えたとき地霊の祟りが起きて大災害で崩壊してしまう恐怖を感じるのだ。


 


補足-2月20


沸騰都市についてちょっと書いたけど次の反応は私と同じようなものであった。シンガポ-ルは見ていないがシンガポ-ルはそもそも国ではない、一つの都市が遊離して隔離して浮いてしまった極めて人工的な島なのだ。頭脳だけを集める頭脳都市とかなるけど国は国土がなければ国とはならない、国土は身体なのである。頭脳だけで身体がない国は奇形国家であり国家ではない、国土は身体で感じるものである。頭脳だけでは国土を感じることはできない、日本も神から与えられた日本列島があって国が成り立っている。でもある意味で日本もその国土の力を無視して東京に頭脳を集め無国籍化して経済だけの価値がすべてとなり禿鷹ファンドとか金融でかせぐ株取引だけを生業とする者だけが巨額の富を得る、東京がシンガポ-ル化しているからシンガポ-ルを批判するとき東京も批判せねばならない、国家とは長い歴史とその国土から形成されるものでありシンガポ-ルは国ではない、奇形都市国家なのである。国とは総合的なものとして成り立つものであり経済だけに価値をおき一部分が突出して集中するのはバランスをかく、その見本がトヨタだった。トヨタに頼りすぎた結果不況で自治体が崩壊の危機にさらされる。自動車だけを作る国家はない、トヨタはそうなっていたからシンガポ-ルとにていた。国家とは農林水産から工業から商業から総合的なものとして成り立っている。もともとシンガポ-ルは商業的だけだからその国家の基盤は脆弱でありシンガポ-ルに見習う国造りなどありえないのである。このことは文化文明論になりこれまで相当量-時事問題の深層で書いてきたしこれからも書いてゆく自分のテ-マである。


参考になるプログ
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/222005/189455/56566863#top
http://geisyu.blog24.fc2.com/blog-entry-48.html
 
インタ-ネットはリンクで読まれる。ここに意外とアクセスあったからまた書き足した。インタ-ネットはいろいろあっても編集しないと読みにくいのだ。ばらばらになりすぎているのだ。部分的にしか読めない、つまみぐいであり総合的なものとして読めない、シンガポ-ルがいいとこどりのつまみぐい国家と同じである。部分は全体があって意味をもつ、その全体が総合性がシンガポ-ルにはないと同じようにインタ-ネットは無数の断片化だから意味ももちにくい、誰かが全体を考慮して編集するとわかりやすくなるのだ。
 

岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる(東洋、国風文化の回帰)
秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)-詩
http://www.musubu.jp/hyoronmorioka.htm#back

2009年02月11日

人生は長距離走である (NHK-双子の不思議に学べを見て)


●短距離は遺伝の作用が大きく長距離はそうではない

 
一卵性の双子で短距離と長距離を比べると短距離は遺伝しているから成績にばらつきがない、ところが長距離になるとばらつく、長距離は遺伝があまり作用しない、その本人の意欲とかが作用する、これはわかった、スポ-ツでも遺伝が強く左右するのとしないのがある。長距離は鍛えようによって成績をあげることができるスポ-ツなのである。短距離は脚力とかすでに決まっているから遺伝で決まる、黒人が短距離などでは抜群の成績をあげるのはそのためである。病気にしてもライフスタイルとかで変わるとか健康や寿命は遺伝ですべてが決まるわけではない、暴飲暴食したらいくら健康な人でも長生きできないし病気になりやすい、喫煙の習慣ある一卵性の双子の一方は早く肌などが老化していた。体力的能力であれ知的能力であれ後天的なものも大きく作用するのだ。動物は本能で生きるが人間は後天的なもの環境の影響力が大きいのである。一卵性の双子でも一方が日本で一方が外国で暮らしたら全然違った人になってしまうのと同じである。知的能力で数学の能力は遺伝が作用しないと言っていたがこれは嘘である。なぜなら文系と理系は全く違った人間のようにさえ思うからである。理系の脳の人は何事理系的に思考しているのだ。文系の脳と根本的に違っている。こっちのほうは明らかに遺伝しているのだ。
 
●人間は後天的環境の影響が大きい
 
短距離などは遺伝であり天才は短距離型である。凡才でも長距離ならそれなりに才能を開発できて能力を発揮できるのだ。知的な能力でも環境の影響が大きいのである。家庭で知的環境があるものはどうしても知的能力が発達しやすいだろう。学校より家庭の方が影響している場合もある。ヨ-ロッパに天才が多いのは貴族の家に育ち家庭教師に一対一で教えられたような人が能力を発揮している。学校は個性にあった個性的な教育はできない、だから学校教育では個性的な才能は発見されないし埋もれてしまう。人間は何事生まれつきの能力ですべて決まるわけではない、たとえばいくら能力があっても道徳に堕落した生活を青春時代にしているとほとんど良きものに向かうエネルギ-が喪失する。青春の浪費はだから恐ろしいのである。人間の能力は外部からも付け加えられる。なんらかその人の能力ではないものが外部から霊的に注入されることだってありうるのだ。そういう不思議が現実にあるのだ。そもそも遺伝子にないものが外部から加味されることがあるのだ。そして人生とは長距離だからその人の意欲、向上心とかが長い間に作用してくる。忍耐して勤勉に積み重ねてゆく人はやはり何らかの成績を出すことができる。天才的でないにしろやはり天才的な業績にも追いつくようなものがなし遂げることもありうる。この世のものはすでに生まれつきで決まり天才的なものも生まれつきだから凡人にできないことだとか言うのは間違っている。それは人生は短距離ではない、長距離走だからそうなる。確かに遺伝子の働きも大きいにしろそれだけですべてが決まることはない、結局多くの才能は歴史上埋もれさせられた。なぜならその一番の原因が貧困なのである。貧困のために頭を使う労働ではない肉体的労働が強いられ知的能力を発達させることができなくなったためである。それが一番の原因であり結局環境の影響が大きいのである。飢餓状態にあるアフリカから何か知的能力がある人がでてくることはむずかしいのもそのためである。腹を満たすことだけで精一杯だからだ。
 
●人生は長距離走だから積み重ねが成果をあげる
 
いづれにしろ人生は長距離走であり高齢化社会になったらさらにそうである。だから長距離を走りぬくことが大事になる。その人の意欲とか勤勉とかが大事になる。学問自体これは全く長距離ならば何か成果を出すことができる分野なのである。なぜなら膨大な知識は積み重ねの中でしか会得できない、短かったら知識の幅も狭いからそうなる。日本を知るにも外国の文化と相対的に見るとわかりやすい、でもそのためには相当外国を実地に踏んで理解せねばならぬとなるとまた時間がかかるのだ。「少年老いやすく、学成りがたし・・」これはまさに学問の分野があまりに広すぎる、知識が膨大なためにそうなっているのだ。いくら天才でもその一部しか極めていないのである。人生は短距離ではない、長距離だから逆転もありうる、相当前と差があっても縮められる場合がある。学校で劣等生でも社会に出て通用する、それなりのものになっている人はいくらでもいる。学校ですべてが決まるわけではないのだ。自分は学校で最下位でもそのあといろいろ学問に興味をもったから積み重ねたことがある。学校ではどうしても興味をもち得ない、自分の好きなことが見いだし得ないからそうなる。郷土史などは誰でもできる、積み重ねの学問である。人間は不可解であり生まれつきのものですべて決まらない、神の力が働き、新たな能力が加えられることもありうるのだ。 さらにこれだけ高齢化になると最後にどんな優秀な人も認知症になったら最悪であり人間脱落者になる。つまり人間はつくづく最後までどういう結果になるかわからないのだ。最後は認知症にならないだけで頭よくなくても普通の人でも何か認知症になった人よりは優れた人だなとつくづく見えたから不思議なのだ。つまりゴ-ル手前で倒れたらビリにさえなってしまうのである。それが認知症の恐怖だったのである。高齢化で長距離走になったからそういうことも起きてくる時代なのである。
 
 

2009年02月07日

仕事はwork(作品)することを継続すること(NHKの派遣問題の討論を見て)


 

●継続、積み重ねが価値を生む
 
仕事はwork(作品)とあり作品作りは一生つづく、これは別に芸術家だけではない、作品とは製造業でも同じだった。いい作品は商品-モノ-道具-部品などでありこの品質を保つためには人材が必要であり人材を確保していかねばならない、今不況で注文がないからかと切り捨ていたらまた注文がふえたら対応できない、会社も派遣を景気が悪いからと切り捨てたら会社の継続性がなくなる、グロ-バル化だから雇用は外国に求めればいいと言ったときA国からB国からC国へ移動してゆくならまた日本の国内と同じである。ただ世界へ派遣の切り捨てなのである。
どこの国でもやはりwork(作品)を追求している。ただ一時的なものとして使役されるのが労働ではない、つまりworkには継続性が必要なのである。一時的なものはただ手間仕事であり一時的JOBでありこれで急場をしのぐ、食うだけは確保するにしかならない、そしたら長期的な展望がないから生活設計を建てられない、終身雇用は理想的なものだった。その場稼ぎその場しのぎならそれはWORKにはならない、そこからいいモノ作りはできない、いい作品を作るには継続性、積み重ねが必要なのである。会社でも技能継承ができなくなるというのもそのためである。
 
●work(作品)は代々継続されもの(継続は力なり)
 
大きな視点視野から見れば長期的展望視野がないものは継続しないものは価値がないものである。それは一時的価値の追求になる。つまりwork(作品)する、いい作品作ることを目的としたらそれは一時的なものではない、継続が必要である、積み重ねが必要である。会社でも百年とかで作品、製品作りが追求されてゆくのが理想なのである。そんなことはこのめまぐるしいグロ-バル化の競争社会では理想論であり夢にすぎない、そんなことは通用しない、現実は厳しいとなる。現実に対応するにはその都度社員でも派遣でも切り捨て対応しなければならない、技術の分野では変化が激しいからそうなるのかもしれない、明治から欧米化した日本はあまりにも技術的なものでも変化が激しすぎたのだ。戦争でも戦艦大和が優れたもの、日本人の技術力を総結集したものでも何ら役立たず海に沈んだ。戦争でも役たたなければ技術も応用力がなければ巨艦もただむなしく海に沈んだだけである。ただそれでも技術の継承は応用は日本の戦後の発展のなかであった。技術はなんらか継承されてゆく、宮田は鉄砲鍛冶だったが明治になり自転車を作る技術に応用された。どこにか技術、技能の継承はある。
 
本来仕事がworkだとしたらそれは一代とかで終らない、ヨ-ロッパの石の大聖堂が何世代にもわたって作られてきた。何百年もかけて作られてきた。まだ未完成のものがあるとかそういうふうに継続されるものがwork(作品)なのである。大聖堂というwork(作品)を作るために職人の継続した仕事が行われてきたのである。そういうものが本来のworkであり仕事なのだ。価値あるものを追求するにはそうならざるをえない、一時的なものなら文学でもコマ-シャリズムにのってライトノ-ベルとか携帯小説とかその場稼ぎのものを作り大衆の暇つぶしに消耗されるものを作ればいい、それはまさにwork(作品)ではない、一時的消耗品である。いい作品を作るには時間がかかる、積み重ね、継続が必要である。つくづく最近この年になってわかったことは文学も哲学の作品などもこれは例えば2千年前のものを十分に今に通じて生きている。宗教ももちろんそうである。そういう息の長いものであり今に対話は継続して今の時代にも生きるのだ。そういうものが本当の作品であり仕事(work)したとなる。
 
●グロ-バルな価値の追求も継続が要求される
 
 時代を代表するような作品はその時代だけでは理解されないものが多い、しかしその作品との対話は次代にも継続され理解されるようになる。百年二百年と継続され読まれ検討されるものでなければ作品とは言えないのである。何の分野でも仕事で一番大事なのは継続であり積み重ねなのである。偉大な師に学ぶとしてもそれは生涯にわたる継続した対話でありそこから新たな作品が生れてくる。人間を部品としてとりつけ継ぎ足したりするところにworkはない、生涯workしつづけるのが仕事なのである。社会自体も長期的展望でworkを目指す社会であることが理想である。それが大聖堂の建設でありインフラの整備とかでもあった。明治から日本は余りにも変わりすぎた、めぐまるしい変化の中で何をworkすべきか見失いただ仕事を増大させるだけだということもあったのだ。それでも明治には国家百年の計とかあったが今は二三年後とか十年先を見ても長い、すべての問題は今に集中して過去千年の歴史からの継続的検討などない、未来もせいぜい二三年後が検討されるだけである。それがめまぐるしく変わった政党、政治の世界で顕著に現れたのである。グロ-バル化にしても何かそこで価値あるものを追求するとなると継続が要求される。つまり継続は力なりなのだ。確かに次々に労働力の安い所に企業が移転するのはその国のために長期的にはなっていない、派遣の使い捨てと同じである。グロ-バル化でもグロ-バルに価値あるものを追求しようとしたら継続と積み重ねと長期的展望が必要であり特に環境問題ではそれが要求されるのである。

NHKの討論を見ていて意外と派遣とか雇用問題が哲学的問題なんだなと思いその討論から書いた。
人間にとって仕事することが生涯にわたることだから大事なのである。仕事には様々な要素があり
人間を価値を決定してしまうような大きな問題だからそうなる。単なるその場稼ぎの派遣そのもので
仕事はいいのかとなる。現実はその日の食(職)にありつけばいいとなるがそういう一生は虚しい。
一方で企業価値、会社の価値とは何なのと意外と哲学的な問題がビジネスの問題にも提起されたので興味深いものとなった。派遣でも仕事の価値を追求すれば介護にはそれがあるかもしれない、ただ分野が違うし
経験がないから敬遠する、いづれにしろ派遣にしろ会社にしろ継続性が必要だったことは間違いない、

継続的価値の追求が仕事であり会社の目的だったのだ。