2022年09月22日

抽象画の紋様の変化 Variation in the pattern of abstract paintings


抽象画の紋様の変化

Variation in the pattern of abstract paintings


variation of city

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abstract flower pattern
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Cherry blossom

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bamboo
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2022年09月18日

昭和33年の新聞を読む (字が小さい、記憶をたどるのには有効で貴重)


昭和33年の新聞を読む

(字が小さい、記憶をたどるのには有効で貴重)

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昭和33年11月4日 福島毎日−写真を出すと著作違反になるーそれで暗くした
ここで囲炉裏を囲んで話し合っている
字は拡大してもこのくらい小さい、眼が悪くなるくらい小さいのである


昭和7年の新聞が出てきてびっくり。
87年前の新聞です。

内容は兎に角もフォントに注目。
現在の新聞のフォントよりも小さなフォントにも「仮名」が打ってあったり。
重要度によってフォントサイズを変更したり、当時は多分、鉛の活字だったと思われますがよくぞ紙面を構成しているなあ、と感嘆します。
https://blog.goo.ne.jp/n-ksgw/e/20c869c0d384975fe5dbef488cb9a290


古い新聞をもらった、昭和33年だから戦後13年後である
まず目についたのが余りにも字が小さくて読めないことである
こんなに小さいのかと驚いた、虫眼鏡がないと読めないくらいである
最近は老人が新聞を読むとかなり若い人は読まない、それで字を大きくしたのである
なぜこんなに小さく字なのか?おそらく紙面を充たすには字を小さくする必要があった
それと新聞を読む人は若い人が多いから小さくても読めたともみる
今ならこんな小さな字だったら読む気もなくなる
老人は今でも携帯を持っているが字を大きくできる携帯に代えたとかある
この字の大小は思った以上人間の脳に影響する
私がスマホとかしなかったのは小さい画面で字を読むと疲れるからである
パソコンは画面が大きいから俯瞰できる、スマホは画面が小さいからそれを見るのも疲れるのである、この差が意外と大きい、でも若い人は新しいものになれやすい
老人はなれにくい、それで老人は技術的に遅れのである

この記事で農家のことを書いている、「ふき変えに資金がかさむうえ火災で燃えやすい、かやぶきをトタンかカワラに直すこと
一袋生二百円もする化成肥料を使わないで単肥を自分で配合して土地にあった肥料をやることなど工夫する

農会の集まりで酒を一切ぬきにしてありあわせの菜のつけもので渋茶をすすりながらよもやま話しをする

そんなことを書いている、このころテレビが出始めた頃である、私の家でも囲炉裏であり炭を使っていた、この写真でも囲炉裏を囲んで話し合っている
戦後の経済は農家が六割でありまだ農民中心だった、ここで興味深いのは茅葺の家がまだありそれをトタンとか瓦にしようとして貯金していた
カヤ葺きの燃えやすいということも書いてある

私の家はトタンの家であった、それでいつもそのトタンから雨漏りして洗面器を置いたことを覚えている、その時トタンの家も多かった、家自体が粗末なものだったのである
むしろ農家の茅葺の家の方がどっしりとして貫禄があったともなる
何度も言っているが戦後13年くらいは戦前とか江戸時代のつづきの暮らしだったのである、それが急速にテレビが出たとか辺りからかなり変化したのである
でも不思議なのは原町の高校に通った時蒸気機関車であったことが信じられないとなる
なぜならその高校の時東京オリッピックが行われたからである
つまりその時まだ蒸気機関車の時代だったということである
だからこそその時はインフラを整えるとかオリッピックは必要だったから熱狂したのである

私の家で店をしたとき野菜とかは近くの農家から買って売っていた、今のように全国から入ることはなかった
狭い範囲の生活だったのである、それは車がなかったから歩く範囲で日常の生活をしていたからである
それはでただ自分の家は角にあったので繁盛したのである、今になると車もない老人とかは自転車で買い物するので近くに店がないということを常に訴えている、本当に近くの店は消失した、シャッター通りにもなったからである
それを市でも一応問題としてみている、街の活性化をどうするかでそれを問題とはしている
ともかく戦後十数年は農業中心の世界でありそれが急速に高度成長時代になり変化したのである
第一遠くから物などあまり来ない、近くでまかなうほかなかったからである

ともかく人間は忘れ安い、50年前とか60年前になるとその時何があったかわからなくなる、するとその過去をどうして思い出すのかとなる
その方法はいろいろあるが映像として残っているのは少ない、やはり文章として残っているのが多い、すると新聞が思い出すにはいいのかともみた
古い新聞の記事を検索できるが金がかかる
また引用でもめんどうになる、だからここで提供できない、著作権違反になる
それは新聞社でも警告している

ともたく人間の記憶はあいまいになる、するとやはりその時々に何があったのかを知るには記録をみる、新聞はやはり今になると有効である
もしかしたら新聞は今は読まないけどこうして記録したものが活用されるとなる
そこに新聞の価値があるのかとなる、また雑誌でも記録したものとして貴重になる
ただ問題は簡単に調べることができない、有料になると意外と高いのである
新聞は意外とこうして記録したことで価値がある、今の新聞は読まれなくなっても過去の新聞は歴史の記録として価値があるとなる

今はプログでも庶民が名もない人がプログとか書くと記録としてあとあと貴重になるかもしれない、ただインタ−ネットとかは消えやすいから問題なのである
でも印刷したものでも50年くらいするとぼろぼろになることがある
紙にしても保存には限界がある、でも電子化すると劣化しないのである
ただ電子空間でどうして保存するかとなるとむずかしい面があるのだ
ただインタ−ネットは庶民でもメデアをもったことであり何か記録として残すことができる、大きなメデアでなくても残すことができる、それで過去をふりかえることもできる
現実に老人でもプログだと簡単である、すると過去にあったことを書くとそういうことを経験していたなと共感する人がでてくる
また若い人にとってもそういう時代があったのかとなる

つまり過去というのは本当に記憶から消えてゆく、50年も過ぎてみるともうたとえ親しくあった人ても本当にその人と逢ったのかとまでなる、それくらい忘れるのである
一つ屋根の下に子供の時5年間暮らしていた人がそんな人いなかったと言っていたのには驚いた、その人は普通の人ではないからまた別だがそんなふうになってしまう、人間は忘れやすいのである
だからどうして記憶をたどるのかとなると自分だけの記憶だけではなく新聞とか何かに記録されたものを手掛かりにすることである
それは何千年前のものを発掘するのと似ている、そこで発掘されたものから何とか過去を呼び起こすのである、そういう作業が必要になる
一体その時何があったのかあいまいとなってしまうからである
そして個々人で経験したことも違っているからである、まず囲炉裏があったとか蒸気機関車だったとか今になると信じられない、それが生々しく浮かんでこないのである

また家族がみんな死んだ結果、その家族のことも死んだ時点で忘れてゆく
60年間とか一緒にいても忘れる、あいまいなものとなってゆく、でも死者は残されたもののなかに記憶として生きつづける、必ずしも何もなくなるということはない
その親にもよるが何か死んでもその人の記憶を反芻している感じになる
つまり過去を思い出すことが老人の役割でもある
だから認知症になると過去のことはありありと覚えている、特に若い時のことは覚えている、それで戦争のことを千回を聞かされたのでうんざりはしたのである

でもそれはやはり後世に伝える記憶であり記録であり貴重なものだったとなる
人間最後は記憶だけになる、記憶を生きることになるからだ
でもその記憶も忘れるので何から思い出す方法が必要だとなる
あの時代はこんなことがあってこんな状態だったのかと思い出すのである
そういう作業が郷土史とかでも必要になる
老人は過去に経験したこさと記憶したことを生きることになるからである

2022年09月08日

2022年08月25日

abstract painting-forest way


abstract painting-forest way

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way of volcano

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historic ruin

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Diverse flow of wind

2022年07月28日

写真の変形ー忍耐の岩


写真の変形ー忍耐の岩

Transforming Photographs - Rocks of Patience

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大きな岩は忍耐する
岩は踏ん張り動かない
雨の日も風の日も
どうどうと流れる音がひびく
山中に岩は動かず
そこに標と留まる


Big rocks persevere
Rocks stand firm and do not move
In rain or wind
the sound of flowing water echoes through the air
In the mountains the rock does not move
It stays there with its mark




写真の変形ー忍耐の岩

これは写真を変形したものである、写真を変形すると別なものに見えるしかえって見映えがすることがある、これも不思議だとなる、写真の価値は変形したら加工したらなくなるともなるからだ、でも加工するということが芸術になる

石とか岩でも山でも人間化するからだ、人間の精神がそこに入り一体化するのである
山は高いから崇高だというときそれは人間にも言える
石や岩は忍耐のシンボルなのである、それで石や岩が私は好きなのである

ただ問題なのは写真の加工は著作権違反になる可能性がある、でもこれもやはり創作なのかとも見る

Transforming Photographs - Rocks of Patience

This is a photo that has been transformed. When a photo is transformed, it looks different and sometimes it looks better.

Stones, rocks, and mountains are humanized because the human spirit enters into them and becomes one with them.
When a mountain is sublime because it is high, it is also a human being.
Stones and rocks are symbols of perseverance, and that is why I like them.

The only problem is that photo manipulation may be a violation of copyright, but I also see this as a form of creativity.

2022年06月23日

abstract mountains なぜ抽象画が大量にできるのか?

abstract mountains

なぜ抽象画が大量にできるのか?

Why do you make a large number of abstract paintings?


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私の場合抽象画ソフトを使うにしても三つくらいの機能しか使わない
でも大量に作れるのはインタ−ネットの中に無数の変化させて抽象画にするものがあるからである
それは自分自身の創造ではない、他人の創造したものを変化させいるだけである
それで大量に抽象画が作れるのである
つまり自分の才能というのではなくソフトで機械的に大量生産しているからである
今まではこんな芸術はありえなかった、コンピュターとインタ−ネットが生まれた新しい芸術なのである
だからartとは技術のことでもあった、その意味を抽象画を作り出すことで理解したのである

Why do you make a large number of abstract paintings?

In my case, I only use about three functions when I use abstract painting software.
But I can create a large number of abstract paintings because there are countless things on the Internet that can be transformed into abstract paintings.
It is not my own creation, I am only changing what others have created.
That is how you can make a large number of abstract paintings.
In other words, it is not my own talent, but a mechanical mass-production by software.
This kind of art was never possible before, and it is a new art born of computers and the Internet.
Therefore, art is also a technology, and I understood its meaning by creating abstract paintings.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2022年06月09日

abstract paris in spring


abstract paris in spring

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underground water way in paris


パリの俳句

パリなれやエッフェル塔に春の空

石により千年の都パリの春

セーヌの岸人々憩う春の暮

セーヌの岸きらめき合うや春の星

Haiku from Paris

Paris in the Eiffel Tower in the spring sky

Spring in Paris, the city of a thousand years made of stone

People resting on the banks of the Seine at spring  evening

The banks of the Seine, twinkling together, the stars of spring

2022年05月26日

abstract painting in Kyoto(京都の抽象画)

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京都の石畳の道(京都の抽象画)

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出合いの場ー落ちあう場所

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京都の石の道

静かに歩む石畳の道
石の心が体に伝わる
一歩一歩歩む道
千年の都、京都の道
もの寂びた古い堂塔
厳かに夕べ鐘鳴る
夏の夕暮れ路地裏の道
人と人はここに落合い
出合い別れぬ都かな
夕月の出て石畳みの道
石塀小路、石の道
寺の庭の石と石
黙して座禅の僧
伝える教えの厳かに
路地の奥なる家の床の間
花は活けられ伝統を守る
石の道に心は鎮まる


Walking Silently on Stone Paved Paths
The heart of stone is transmitted to your body
The path you walk step by step
The road of Kyoto, the capital of a thousand years
A deserted old pagoda
Evening bells ringing solemnly
A road in a back alley at dusk in summer
People meet here and there
People meet and part in this city
A stone-paved street with the evening moon
Stone walled alley, stone road
Stones and stones in a temple garden
silent, zazen monks
the solemnity of the teachings they impart
in the alcove of a house at the end of an alley
Flowers are arranged and tradition is preserved
on the path of stones, the heart is at peace

石塀小路ーstone way in Kyoto
https://cool-kyoto.com/ishibe-koji

2022年05月13日

抽象画とは何なのか-無限の変化である What is abstract painting - it is infinite change


抽象画とは何なのか-無限の変化である

What is abstract painting - it is infinite change

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isolated island

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シャガの花

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夕明かりーevening light


その時しだいでいろいろです
形を成す 形を変える
永遠の意味の、永遠のたわむれなのです−ファースト―ゲーテ

It depends on the moment.
form a shape, change a shape
It is an eternal flirtation with the eternal meaning of eternity


私のしていることはこれだった、他人の創作物であれ写真であれそれを変化させている
でもそれが第二第三の創作になっている、そこに著作権違反になるのもあるが
やはりこのうよに形を変えてゆく、それは創作でもある
そもそもある特定の人の創作でもそれは変化させられる
要するにこの世でも人生でも世界は変化である、常に変化しているのである
津浪とかでは凄まじい変化があった、村ごと消えた
また戦争などでも凄まじい変化があり街が一挙に廃墟化したりする
人間の世界はこうして常に変化してゆく
創作の場合でも固定されたものはない、変化してゆく、変化してゆくこが創作なのである

What I'm doing was this, I'm changing it, whether it's someone else's creation or a photograph.
But it is a second or third creation, and there is a copyright violation.
But it is also a creation that is changed in this way.
In the first place, even a particular person's creation can be changed.
In short, in this world and in life, the world is change, and it is always changing.
In Tsunami, there was a tremendous change, whole villages disappeared.
There are also tremendous changes in wars, when entire cities are suddenly in ruins.
The human world is constantly changing in this way.
Even in the case of creation, nothing is fixed.

2022年05月05日

Mystery Island


Mystery Island

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これは原画より迫力がある、でも著作違反になるだろう
ただならないものがある、原画がわからなくなるものはならない

This is a variation of the original drawing.
The changed image is more powerful.
However, it is a copyright infringement because it is an alteration of the original.
But I wonder if this is also a creative work.

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complexing and flowing water

2022年04月28日

2022年04月15日

2022年03月31日

A dream of flying butterflies?and abstract flowers

A dream of flying butterflies?and abstract flowers

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noble flower

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brain of woman

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Thistle-あざみ

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river in the space

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seaside

2022年02月17日

abstract mountains

abstract mountains

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mountains in SWISS

high tower in charch

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what is this ?
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tunnel into moutain




2022年02月10日

Abstract Oasis City and iced mountain and swallows


Abstract Oasis City and iced mountain and swallows


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Free from Virus

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abstract iced mountain

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Oasis City


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A hidden city of mystery


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vital carving earth

2022年02月04日

権力に支配されたマスコミ、メデアの問題 (東京のキー局が地方局を支配するー福島原発事故の原因にも)


権力に支配されたマスコミ、メデアの問題

(東京のキー局が地方局を支配するー福島原発事故の原因にも)


歴史的には、日本の民間放送は東京以外の地方から発展したが、番組製作にかかる莫大な資金やスポンサーの調達を経済が集中する東京が主に担うようになり、在京局がキー局の役割を持つようになった。テレビ放送においてはキー局は番組製作とスポンサー集めを一括して行い


吉野次郎(日経BP記者)は、キー局はその系列ネットワークの力を背景にローカル局を支配しているとしている。
堺屋太一(作家)は国会における参考人答弁にて、日本のキー局制度が東京一極集中の要因の1つになっているとしている




民主主義ではまず知らなければ判断しようがない、その知ることがマスコミにまかされている、報道するにも庶民はできない、権力を持たないとできなかった
だからマスコミがメデアが第三の権力となったのである
でもマスコミでもメデアでも放送するのにその装置から人員から金がかかるから東京一極集中、キー局支配になった、放送も東京により地方の支配になっていた
だから福島民報は県で50パーセント出資している、あとは聖教新聞を刷っている
そしたらそこに公正な報道はないのである
県の広報と同じである、また地方局でも地方の真実を知らせることもできない
東電とか政府の批判もできない、なぜなら中央のキー局の言いなりであり地方の問題を真剣に追求できないのである
そういうことから原発事故が起きた大きな原因でもあった

東京のキー局支配となればどうなるのか?

報道の自治がない、独立性がない!

つまり東京のキー局支配でありその東京支配だとなれば福島原発は容認される
東電が福島に作る危険性も指摘できない、なぜなら政府と東電が東京にあり東京の安全を計ることが優先される、キー局の新聞社でも宣伝費がもらえる仕組みになっている
だから原発が爆発したときマスコミの幹部が全員中国に招待されていたのである
このことが如実にマスコミでも宣伝費で成りたっているから公正な見方とか報道ができないのである
つまり何か大きな会社となるとその費用が大きくなるから巨大なバックが支援がないとできないとなる
そしてそのバックが東電であれまた政府だったら県だったら安泰だとなってしまう
すると必ず忖度するから原発の危険性も報道しないとなる
それは福島県民にとって重大な結果をもたらした、原発事故で故郷にも住めなくなった
県自体が放射性物質で汚染されて大被害になったのである

報道とかは常に反権力の立場にたたないと真実は追求できない、でもどうしても報道に金がかかるからおおがかりになるからできない、報道するものは本当は権力の監視機能としてあるべきものなのである、それが権力側に忖度して宣伝費をもらうことで曲げられる
それはひいては実際は県民であれ国民であれ大被害にもなる
そのことを市民でも県民でも国民でも考えないのである、実際に本当に真実を追求して
報道するテレビ局でも新聞社でもあればそれを支えねばならないとなるからだ
でもそういう意識がない、となると権力側にとりこまれた報道しかできないとなる
だから「政経福島」は確かに地元紙として真実を追求しているものであり読んでいた
でもなぜ裏表紙に相双リテックの宣言をしているのか?
それは相双リテックで除染で莫大な金が入りその何十億とかいう金を幹部で山分けした
その豊富な金が政経東北にも回ってきたのかとなる
つまり報道するにも金がかかる、調べる人員も必要だし金を払うとなると人件費にかかるでも雑誌を出したくらいでその金が得られないとなる
そこで宣伝費が大きくなりその宣伝費を出す会社に忖度するとなる

でもインタ−ネットで報道するなら雑誌を出版するように金はかからない
なぜなら自分自身が無料でプログで報道にかかわっているからである
これは手間がかかっても金はかからないのである、ただやはり記者のような人がプロが必要だとはなる、その人件費をまかなうことで金がかかる
またインタ−ネットでもそれなりの技術を習得しないとうまくいかない
ワードプレスにすればいいがそれもできていない、未だにHTTPSにもできないので困る
技術的なものとして備えられていないのである
またなかなかインタ−ネットだと読まれないのである、いい記事があってもわからないのである
ただこれまでふりかえると津波原発事故の時は相当に読まれていたことがわかった
その後ページ数としては半分に減ったからからだ、読む人の数は減ってないみたいだ
インタ−ネットの報道はなかなか知名度を得るのがむずかしいのである
でも今はスマホはみんな持っているから読む人も増えたのである

これからは報道はネット化する、今までの報道は金がかかりすぎるこたとで自主性を失っていたからである、それは市民でも県民でも国民のためにならなかったのである
一部の特権階級に既得権者にとっていいものでも国民全体になるといいものではなかっただから報道も操作されたものであり真実は報道されなかったのである
まず創価など批判したらどこでも受け入れない、巨大な権力をもっているから圧力でできない、でも結構ネットでは批判している人が多いなと見るのである
つまりネットは個々人が報道している、でも金がかからない、だからしているのだと思う金をもらっているわけでもないからだ、それがかえって強みだとなっている
そして実は県民だけではない、全国にも世界に報道する力をもっている
そのために地方だけに限定することでまた地方のテレビ局などが問題になる
ネットだったらその垣根がなくなるからだ

国境のないネットに県境をつくって自滅した民放
テレビ局を再編して日本にもネットフリックスを

JPPRESSというのもやはりネットの雑誌なのである、月刊誌ではなく日刊紙として出しているのである、それは個々人でプログとかyoutubeでしているのである
そこに多様性が生まれている、なぜ多様化するかというとそもそも人間の見方はその土地とかその職業とか生い立ちとか年齢とか男女でも見方が違ってくるからである
福島県でも浜通り地域と会津の方だと地理的に風土的に全然違ってくる
すると物の見方も違ってくるのである、だからあることについて見方がみんな違ってくるのである、それでグローカルという言葉が生まれた、グローバルとローカルが合体した言葉なのである、これも現代的だしまた地歴という言葉もそうである
地理は空間軸であり歴は歴史であり時間軸で見るのである
必ず何かを見る時空間軸と時間軸で見るからである、そこで多様な見方が生まれるのである

でもネットにも問題がある、今一瞬停電なり記事を書いていたら消えてしまった
これも怖いと思った、インタ−ネットの恐怖は何か一瞬に記録したものが消えることなのである、その恐怖がつきまとっているのだ
東北電力に聞いて見たらやはり一瞬確かに停電したのである、送電線とか中継の機器の関係でそうなることがある、でもそれは自動的に回復すると言っていた、特定の地域で一瞬電気が切れたのである
だから瞬間的でありすぐに一分もかからず回復したのである
パソコンの怖さは一瞬で記録したものか消える、その問題が大きいのである
その技術的な問題が大きなマイナス点なのである、でもどうしてもネットに移らざるを
えないだろう、そんなに金をかけてやれなくなるからだ

何かメデアとはなにかというときメデアとは中立であり媒介するという意味である
でも実際はマスメデアとかありメデアとは中立ではいなメデアという装置をもつものが
判断できる選ぶのである、人物でもマスコミがメデアが選ぶのであり選挙で選ぶのとも違うのである、マスコミの意向に沿った報道をするしマスコミの報道にそった人を選び発言させるのである、だから科学者でありる武田邦彦氏が温暖化はないというとき発言できなくなってネットで発言している
どっちかというと右寄りの人は発言させてくれないのである
つまり中立なメデアはないのである、インタ−ネットすらフェスブックでツイッターでもトランプ大統領の発言を禁止できたからである、まさか大統領までそうできたことなのである、だからGAFAが巨大な権力を世界的に持つことになったのである

何か媒介するものというとき銀行も媒介するものだとしてそういう媒介するものは終わるというのもそうだったのかとなる
また出版社とかでも媒介するものでありそれも終わる
というのはアマゾンで一冊でも本を出版できるようになったからである
電子本でなくてもできる、だからそれを私も試そうとしている、ただとにかく問題は手間がかかるのである、でもは実際はインタ−ネットは出版から販売から全部一人でもできているのである
だからコンテンツが大事でありコンテンツ勝負になるとしている
今テレビ局が面白くないのはコンテンツが作れないからだとしている
残るのはドラマだけだとなる、私もドラマはBSとかじ見ているからだ、時代劇が好きだからである、でもこれも時代劇専用のチャンネルでも見れるからその方がいいともなる
つまり今やこれまでのキー局支配の放送に頼る必要がないのである
問題はコンテンツ作りだとなる、これは個人でもある程度はできる
ただドラマとかなると簡単にはできない、他でもできないものがある、だからそこに生き残りの余地が残されているとなる

2022年02月03日

2022 abstract river


2022 abstract river


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なぜ抽象画大量にできるのか?

その謎は人間の能力があるようでないことかもしれない
そもそも人間がイメージできることは限られている
人間が能力があるようで思った以上ないのである
天才とかまれにいても普通はない
自分自身は全く絵の才能がないのである
でも絵を作れることが不思議になる

それはコンピュターの助けがあってできている
つまりAIがイメージを作り出しているのである
だからARTとは技術のことだと理解したのである
人間にない能力を技術力で発見したということである
そこには限度があるにしろやはり人間の創造だとなる

コンピュターの今まで違う特徴は人間の頭脳と深く関係している
だから頭脳を強化したり頭脳の代わりをしているのである
それがコンピュターの発明でできるようになったのである
人間の記憶力とかもコンピュターで補強される
とにかく人間は忘れやすいからである
そうして人間と機械が一体化する時代がくる

頭脳にマイクロチップが埋められて記憶の補強をしたりいろいろできるようになる
ただすべて機械でコンピュターでできる時代は来ない
なぜなら人間にかできないものが依然として残るからである
感情的なもの情的なものはコンピュターとか機械にはもてない
コンピュターに愛をもてなど言ってもできないからだ
するとコンピュターにはロボットでももてないもの人間にしかないものが価値あるものとなる

Why can we do a large number of abstract paintings?

The mystery may lie in the fact that we don't seem to be capable of it.
There are only so many things that we can imagine in the first place.
It seems that we are capable of so much, but not as much as we think.
There are rare geniuses, but usually no geniuses.
I myself have no talent for drawing at all.
But I find it strange that I can make pictures.

It is made possible with the help of computers.
In other words, AI is creating the image.
That's why I understood that ART is a technology.
It means that technology has discovered abilities that humans do not have.
There is a limit to this, but it is still a human creation.

A different feature of computers is that they are deeply related to the human brain.
That's why they enhance the brain or replace the brain.
The invention of computers has made it possible to do this.
Human memory is also reinforced by computers.
This is because humans forget easily.
The time will come when man and machine will become one.

Microchips will be implanted in our brains to reinforce our memories and do other things.
However, the time will not come when everything can be done by machines and computers.
This is because there will still be things that cannot be done by humans.
Emotional things, can't be done by computers or machines.
You can't ask a computer to love you, because it can't.
Then, what is valuable to a computer is something that even a robot cannot have, something that only a human can have.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2022年01月09日

2022 Happy New YEAR-abstract painting-abstract rivers


2022 Happy New YEAR-abstract painting-abstract rivers


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Google Chromeではクリックしても大きなサイズで見れないので注意
他のブラウザではクリックして大きなサイズで見れます

you can't click on it to see it in large size in Google Chrome
In other browsers, you can click to see it in a larger size.


なぜ抽象画をこうして私は作りつづけているのか?また続けられるのか?
これが自分でも不思議なのである
これは全く自分の才能ではない、他者の絵とか写真を利用して変化させているだけである何か創作的なものがないのである、機械的にコンピュターのソフトで作りだしているのである、要するにAIで作りだしたものを選んでいるというだけである
ただAIにはそれを評価することはできいない、評価するのはやはり人間なのである
川でも多様な川がある、実際に激流の川があるがそれは私はロシアのアムール川で見たのである、実際に見たことでイメージできるとなるからだ

ただこの私のしていることがどうしても著作権に触れる場合がある
何か変化してオリジナルなものとまるで違ったものになればわからない
ただ似ていて見抜かれることがあれば盗作となり著作権にふれる
でも変化することで別な趣のものとなっている

そうするとやはり創作になるのかともなる、音楽だったら編曲なのである
このコンピュターのソフトによる抽象画は大量生産できるのは全くソフトで機械的に作り出しているからできる
その材料がインタ−ネット上に無数にあるからだ、それで種が尽きることがないのであるただこうして新しい芸術はなかなか評価しにくいだろう
そもそも自分でも評価できないところがある、全く絵の才能がない人が絵を認められるのかとなるからだ


今年も抽象画を作り続けますので鑑賞してください


Why do I continue to make abstract paintings like this? And how can I continue?
This is a mystery to me.
This is not my own talent at all, I just use other people's pictures or photos and change them, there is nothing creative about them, they are created mechanically by computer software, in short, I just choose what AI creates. It's just that the AI can evaluate it.
However, AI is not capable of evaluating them, and it is humans who evaluate them.
There are various kinds of rivers, and there are actually rapids, which I saw in the Amur River in Russia, because I can imagine them by actually seeing them.

The only problem is that what I'm doing may violate copyright.
I don't know if it will change in any way and become something different from the original.
But if it's so similar that people can recognize it, then it's plagiarism and copyright infringement.
But if you change it and it becomes something different.

But if you change it, it becomes something else... If it's music, it's an arrangement.
The reason why this abstract painting using computer software can be mass-produced is because it is created mechanically by software.
This is because there are countless materials available on the Internet, and the seeds never run out.
In the first place, it is difficult for me to evaluate it, because I wonder if someone who has no talent in painting can appreciate it.


I will continue to make abstract paintings this year, so please enjoy them.



2021年12月02日

abstract stones and rocks


abstract stones and rocks


bidstoneriver1.jpg

pyramid stone

pyramidstone111.jpg


comlexed rock.jpg
united and comlexed stone

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stoneart111.jpg

unitedstone22.jpg

Oasis11.jpg

secret oasis

2021年10月21日

abstract mountain and vally


abstract mountain and vally


snowymmm3.jpg

vallydepth111.jpg


写真の合成も創作である、アレンジしたものでも創作になる
これも湖はそのままだが背景の山は創作だからである
全くオリジナルとは別なものだからである

Compositing a photo is also a creation, and even an arrangement is a creation.
This is because the lake is still there, but the mountain in the background is a creation.
This is because it is completely different from the original.

vallyroad222.jpg

cliffroad111.jpg

2021年10月14日

abstract mountains-closed mountain


abstract mountains-closed mountain


vallyab111.jpg

閉ざされた山々
深い渓谷
その奥処から
一すじ水晶の流れ
山々は高くせり上がり
人を寄せ付けず
一すじ水晶の流れが光る

Closed Mountains
Deep Valley
in the back of there
The flow of one-spling crystal
The mountains rise high.
Keep out people
The flow of the one-spled crystal shines

abmmmsnowm1.jpg

snowymmmab11.jpg

closedcliff1.jpg

abmmmmm11122.jpg

rivermouth11.jpg

2021年10月09日

デジタル社会になじめない高齢化社会 (でも適応できないと生活もできなくなる)


デジタル社会になじめない高齢化社会

(でも適応できないと生活もできなくなる)

darkness11.jpg

darkness-鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=10290

デジタル化は老人にとってはハードルが高い、ただ老人と言っても60代と70代ではまた別である、70代になるともうついていけないだろう、
自分自身すらスマホがしていないからこの人は老人でありもう時代の技術についていけない人だと見られる
ただパソコンだとすでにWindows 95(1995年)から出ていて自分もしていた
その前にワープロ通信までしていた、パソコン通信までしていた
だから私のパソコンにかかわった歴史は長いと思った
別に自分はパソコンマニアでもなかった、たまたまワープロ通信した結果としてそれで
パソコンの世界に入ったのである
自分は理系でもないしそういう技術的なことにうといからである
それからインタ−ネットが急速に発展したのである

とにかく技術は日進月歩の時代である、古いテレビのドラマで経理の人がソロバンをしていた、まだそういう時代があったのかとふりかえる
ソロバンは習ったけど何の役にもたたなかった

電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまうだろう。ランプに生活をかける巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。巳之助は逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた区長さんの家に火を放とうとする。

そして50個ほどあった全てのランプを池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、泣きながら石を投げつけ、その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A2%E3%
81%84%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97

これは時代の変化によってこうなった、ランプは電気になりいらなくなったからである
ソロバンでも文選とか活字拾いとかもなくなりそんな技術は役にたたなくなった
その人が職がなくなり犯罪者になったとかのドラマを見た
明治以降大井川の渡しもなくなり静岡では茶を作るようになった
侍が商売してもうまくいかず極貧になった人もいる
汽車が生まれて馬車もいらなくなる、こうして時代の変化で技術の進歩で今まで通用した技術が無用となり仕事がなくなる

社会のデジタル化もそうである、まず新聞でも雑誌でも売り上げが激減してゆく
もうやっていけなくなる、コストがかかりすぎるからである
ネットだと本当は数人でも新聞並みのものが作れる、一人ですら作れる
ただ取材などできないとか設備費はかからないにしてもそうしたもので人件費ではかかるプログでも手間なのである、ワードプレスをしようとしたりSSLしなかったのも失敗だった、何かめんどうでしていないうちみんなSSLになってしまったからである
httpsにしないと危険とみられてアクセスされないことがある
だからこうして技術が変わる時早く手を打たないと遅れたままになり損するのである
それがどういうことかわからないうちに技術が変わってしまっているからである
インタ−ネットの技術は変わり安いからである

だからデジタルになじめない老人はかなり現代社会では不利である
ところが金を持っているのは老人であり数も多い、だからここが足かせとなってデジタル化がすすまないとなる
つまり社会を変えられないでそれで日本は発展もしない取り残された世界の後進国に落ちてきたともなる
老人は新しいものを取り入れることができないからである
機械の操作だけではない、アナログ環境になじんでいるからデジタル社会に適応できないのである、現代では車社会であり車をもたないものは遅れた人、社会に適応できない人にされている
私は自転車を使う人と話が合う、でもそういう人は社会の底辺層になっているのである
車も持てない人は底辺層なのである
私はただ自転車が好きだから乗っている、別に車が無くても生活できるからである
でも車を持たない人は仕事もできないし現代の社会に適応できない人となる
それはスマホを持たない人が現代に適応できないと同じなのである
生活保護の人でも連絡用に携帯を持つことが命令されているからである
それでその費用が払えないと嘆くのである

とにかく否応なく技術は進歩してゆく、それができないと日常生活すらできなくなる
ただデジタルがむずかしいといってもこれも慣れの面がある
最初はむずかしくても操作しているうち慣れてくるのである
ただスマホと携帯は違っていてハードルが高いとなる
デジタル社会になるとそれに適応できないと日常生活すらできなくなる
社会がデジタル化すればどこでもそれを知らないと買い物すらできなくなるからだ
そういうふうに今なりつつある
でも日本では何かデジタル化に抵抗するのはなじめないのは日本の文化が原因しているのかもしれない、日本人は腹でわかるとか話せばわかるとか面と向かったコミニケーションをしてきた経緯がある、直接合わないと信用しないしコミ二ケーションにがとれない
そこでテレワークになってもうまくいかないとなる
それは日本の文化と関係しているからであり必ずしも技術の問題だけではない
AI化も遅れたのはそのためだともみる

ここで共感するのは日本が高齢化社会だということが新しい技術でも社会を変えることがむずかしいたとである
だから高齢化社会はイノベーションできないから遅れる
70以上になるとデジタル化した社会に適応できなくなる、でも団塊の世代とか人口が多いから金ももっているから社会の足かせとなる
もう新聞などは過去ものものである、新聞紙であり紙でしかなくなる、中味がないとそうなる、一軒一軒に配達すること自体もうどれだけ遅れているかとなる
ただ金だけがかかることをしているとなるからいづれは終わりになる

インタ−ネットだと特別のプロだけが報道分野にかかわることではない、別に一人でも新聞でも作ることができるのである
ただ手間になるからその時間を省くことはできない、やはりインタ−ネットだと速報性があるからそれが大きな武器となる
リアルタイムの交信もできるからである、ただインタ−ネットは検索とかで時間がかかるしわからないということがある、そこが手間なのである
でも新聞の記事でも対話的であり自分でプログでコメントして長い文でも書ける
すると相手が知らなくても共同作業しているのである
新聞とテレビは一方的メデアであり視聴者は何も言えない仕組みだったからである
でもNHKですら批判できるのである、そこが変わったことである

2021年09月24日

abstract painting -mountain and river-flower field


abstract painting -mountain and river-flower field

absyractmmmmmc1.jpg

currentv111.jpg

goldentunnel11.jpg

hokkaidouflower111.jpg


写真の一部と合成して作った、山は創作でありと花畑は他者の写真である
ただこういう似た写真があるからどれなのかわからなくなる
写真には似たようなものがあるからだ
これも著作権違反になるのか?一つの創作ともなる

The mountain is a creation and the flower garden is a photograph of another person, which was created by synthesizing a part of the photograph.
However, I don't know which one because there are similar pictures like this.
Because there are similar things in the photos
Is this also a copyright violation? It can be a creation