2023年11月14日
20年後家族地方福祉国家崩壊が迫る (少子高齢化―未婚単身社会の老後)
2023年10月23日
老人は病気の話 70才でも働く時代 老人は病気の話 70才でも働く時代
2023年10月07日
認知症の介護の問題 【脳の障害で心と関係しているから難しいーでも人間として通じ合える】
2023年09月20日
「家事は全部妻まかせ」が招く認知症? 父の介護で気づいた「男を無力にする真の原因」
2023年09月15日
地獄の沙汰も金次第−墓の効用はなになのか? (金もなければ相手にされない老人)
100歳以上の高齢者 全国で9万2139人 53年連続で過去最多を更新 きょう「老人の日」
2023年09月02日
老人の健康格差が大きい (73才でも90才にも見え九三才でも70才に見える)
2023年08月03日
成仏するとはどいうことなのかーお盆に死者が帰ってくる (その人がどう生きたの方が大事)
2023年07月23日
今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている
2023年05月27日
人間が最後に欲しいものは何か それは健康である―金で健康は買えなくなる
2023年05月05日
清涼飲料水は体に良くないー栄養を吸収するにも時間がかかる (人間は何をするにも時間がかかる、即製できない)
2023年04月25日
家との格闘がつづく―断捨離は不可欠 (家は物理、化学、地質学ー文系的には歴史、心とも関係)
2023年04月20日
大人になっても知的興味を持ち遊べる人に (退職者またはブルカラーの老後の生きがい喪失)
2023年04月18日
なぜ栄える家があり栄えない家があるのか (家族に争いがあり離婚したり協力しないと栄えない)
2023年04月14日
人間は何らかで必ず生活習慣病になる (また生活習慣が人間をつくる老人になるとその結果は現れる)
2023年04月04日
熟年離婚で意気消沈する男性 (老人が無用化して迷惑老人となる深刻)
2023年03月30日
自己責任とは何なのかーなぜ他者を常に責めるのか (全ての人が自己責任があるとはならない)
2023年03月28日
近辺の高齢化社会の悲惨な状況 (増えるのは老人と病人で日本は改革できない)
2023年03月10日
リホームはいろいろむずかしい (老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)
2023年03月02日
リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない (老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)
2023年02月21日
精神障害者の虐待 (遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった- 家族が崩壊する介護問題)
精神障害者の虐待
(遂に母親も自分が病気になり施設に入れると言うようになった-
家族が崩壊する介護問題)
【精神科病棟】暴行や虐待は日常的に?身体拘束は?入院を望む家族の思いとは?ひろゆきと考える|アベプラ
発達障害の子供もった女性は施設に入れないと強く言ったいたが自分自身が脳梗塞になり気持ちが変わった
なぜなら弟に世話になるうよになって変わったのである
自分自身が元気ならそういうことはなかった、でも72歳にもなり病気になり自分自身のことで精一杯になった
子供と言っても50歳にもなっている、それでもうめんをとみれないとなったのかもしれない、やはり人間は子供より大事なのは自分自身だともなる。でも今までは強く子供を守るとしていたから意外だった。
人間の気持ちというのは常に変化している、何かこの世ではいろいろあり変わる、年齢でも変わってくる。
状況によっても変わってくる、やはり病気になって弟に世話になるようになって変わった、自分の世話をしてくれるのは弟と思うようになったからなのかもしれない、ただその弟は発達障害の兄には厳しいから施設に入れろとしきりに言っていたが母親は反対していたのである
アベマテレビ精神障害者が拘束されたことを問題にしている
虐待もされたとか病院が訴えられた、これは認知症にでもあったから意外とそれは今や高齢化社会で身近な問題になったのである
なぜなら認知症になる人が6人に1人とかなるとその数も多いのである、ではそれにどう対処するのか?
それは特殊な人ではない誰でもその問題をかかえる割合が増えたのである
ただ生まれつき精神障害者になっているのと親がなることは相当に違っている、親の場合いろいろあっても私の家の場合は家を支えて私に自由に何でもさせてくれた、だから功績が大きいものだった、それで実の母親がいたとしてももう一人の母親となった姉のことを大事にせざるえななかったのである
そういう家庭の事情はみんな違っているから対処も違ってくるのである。ただそうして精神障害者をかかえると家族も崩壊するということがある、だから施設に入れることにもなる
そこで虐待や身体拘束が起きる、虐待は病院でも起きる、特に今の若い人は看護師でも老人を嫌っている、大量の老人のめんどうを診るのが高齢化社会だからである
もし子供とか若い人だったら対処も血かったものになっているかもしれない、高齢化社会は老人が多すぎて病人でも老人がほとんどだからである、そこで老人に嫌悪感も持っている人が多いのである、だから老人は集団自殺しろとまで堂々と言わせるのはそういう社会風潮になっているからである
ただ発達障害というのは暴力になったりはしないようだ
その人は体はプロレスラーのようであり暴れたりしたら怖いとみる、私の家の場あいは一人の親は気丈夫であり男優りだから認知症になって暴力になったりしたら怖かった、だからもう一人の実の親は一藷に住めなくなったのである
でも私は家の事情があり死ぬまで良くしたのである、最後は病院で死んだ、そこで身体拘束などもあったから当人は辛かった
でも結果的には認知症になってから二年くらいで死んだのである
それで比較的終わってみれば楽だったのかとなる
このアベマのテレビでどうして家族でも施設に入れるのか?
これを問うたがその答えは家族で見きれないからだと言うのもわかる、家族だけで診るのは限界があり家族自体が崩壊してゆくともなるからである、これはニートとか引きこもりでもそうなっている、自分の家も家族崩壊になったからである
ただ私は二人の親に特別良くされたことでしょうがいなとあきらめていた、苦しかったけどしょうがいなとなっていたのである
それだけ特別良くされたのが自分だからそうなっていたのである
他の人はそうではない、知っている女性でも弟がいたとしても別にそんなに良くされていない、発達障害の息子にはいつも心配して愛情をかけていたとなる、そこで弟は母親に余り良い感情をいだいていないともなる、でも世話するのは今その弟だけなのである、そこで気持ちが変わったとなる
発達障害の人も母親を心配していても何かたいしたことができないからである、そこで自分自身が弟にめんどうみてもらうようになると発達障害の兄より弟を頼る他なくなったとなる
それで母親が非情とはならない、それだけ精神障害者をかかえることは負担が重すぎるのである、別に普通の人でも介護の負担が重すぎるのである
だからこういう問題は頻発する、特に認知症も精神障害だから同じことが起きるのである
そこで家族は引き裂かれ分断されて崩壊するともなるのである
ただ私の場合はなんとか一つの家族として継続させて守ったとなる、それは結局その功績が大きかったからである
他の人はそうならないからできないともなる
いづれにし精神障害者でもいろいろある、一くくりでは語れない、発達障害というのはどこかが異常なのかわかりにくいのである、でもそれだけ母親に世話になったのにそれを余り感じないとか何もしやれなんとかあり母親も見切りをつてけたのかともなる
ただこの問題の深刻さはもう一部の精神障害だけではない、認知症になる数が膨大になるのだからそれは他人事ですまされない
身体拘束でも虐待でも親が受けることになるからそれを放置できるのかという問題なのである
自分の親もそうされる確率が高いから問題なのである
2023年01月19日
発達障害者とか精神障害者でも社会からただ排除すべきものなのか (誰にでもなる認知症も排除できるのか)
2023年01月17日
精神障害者自身が生きる意味と世話する人のモチベーション (なぜ殺害が起きたのか?)
2022年12月28日
精神障害者を持ち苦しむ家族 (発達障害者と認知症の似ていること)
2022年12月27日
発達障害と認知症の共通性 (家族でも他者でも悪口を言う発達障害者は嫌われる)
2022年12月23日
介護は遠くになるとうまくいかない (近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)
2022年12月17日
意外と元気で退院した脳卒中の女性 (人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)
2022年12月11日
遺骨の物語 (人が残すものは何なのかー骨ではない―家族遺棄社会を読む)
2022年12月04日
なぜ脳卒中になる症状として見抜けなかったのか? (大事な医者の選択ーでも名医はめったにいない)
なぜ脳卒中になる症状として見抜けなかったのか? (大事な医者の選択ーでも名医はめったにいない)
2022年10月31日
専門家でなくても病気でも知識を持つことは可能 (オンライン診療は普及させるべき―田舎では特に必要)
2022年10月30日
なぜ脳卒中の前兆があったのに医者がわからなかったのか? (高齢化社会は健康な人と病気の人の差が大きい)
2022年10月22日
高齢化社会の地獄-大事なのは健康 (8050問題は始まっている-頼る人がいない恐怖の経験)
2022年10月17日
介護もカルマになっていた (誰が親の介護するのか?−8050問題はすでに起きている)
介護もカルマになっていた
(誰が親の介護するのか?−8050問題はすでに起きている)

【脳梗塞】人生が変わる知識、脳梗塞の初期症状7選+α
https://onl.la/vQMKGtn
札幌母娘餓死事件の中心にあるのは、ほんとうに「8050問題」か
https://www.hikipos.info/entry/2018/04/19/060000
その72歳の女性は脳梗塞で倒れた、その症状は明らかに脳梗塞であることを医者なら気づいたはずである、しきりに一方の手がしびれると言っていた
めまいがしてふらついていた、片目も悪くなって仙台の眼科でもみてもらっていた
これらはすべて脳梗塞の前兆だったのである
それで医者は実際脳梗塞かもしれないとして脳の写真をMRIでみてもらへとして二回もみてもらった、一回は埼玉県なのか遠い場所なのである
二回目は南相馬市原町区の方であった
でもそこで脳梗塞だということが見抜けなかった、だから機械は万能ではない
第一福島県で精巧なMRIの機械は二台しかないとしているしその機械でも診る医者がいなければできないのだと思う、そういう人材はこの辺でいないのかもしれない
ただ南相馬市立病院には脳梗塞の専門病棟がありそこには優秀な医者がいて近くの人が
早い治療でカーテルを脳に入れて助かった、その人は今も別に普通に生活しているのである、だからこうして早く脳梗塞を見つけて治療すれば軽くてすむことがあったのだ
今回はなぜそれができなかったのかわからない
なぜならその女性は医者に頼り医者には良く行っていたからである
そしたら片手がしびれいるとなればそのことで脳梗塞かもしれないとわかったからであるでも脳の写真をとれということは薄々気づいていたのかもしれない
でもその治療はしなかったのかとなる
でも息子と普通にしゃべれているし言語障害はないから軽いものらしい、だからリハビリをすれば回復する、ただ息子三人いるけど一番頼りにしているのが障害者の息子であり
それでも50歳になっている、その人はどこが障害者なのかわからない
話していてもどこが精神障害なのかわからない、まずスマホとかしているし知能は普通なのである、それより昨日知人宅に行って納屋で米をとりだせなくなっていたがその息子は取り出すことができた、ごちゃごちゃしてとりだせなかったのである
その米はその知人宅でもらえるものだったのである
自分もとりだそうとしたができなかった、何か自分は知的作業はしているがこういう体を使うことが不得意なのである、だからその息子のどこが悪いのかわからないのだ
そして母親もその息子を頼りにしている、他の二人の息子には病気のことを言うなとまで言っている、また兄弟は仲が悪いのである、二人は働いているし休む訳にもいかない
すると残されたその障害があるという息子が介護せざるをえない、その息子が介護ができないものではない、金銭的問題があるにしろ軽い症状だったらできる
ではなぜその息子が介護しろとなったのか ?
それはカルマだったと思う、このカルマのことを書いてきたけどやはりカルマはあるのだなとまた再確認した
なぜならとにかくその女性は自分の家に来ていても絶えずその障害者とされる息子のことを心配していたのである、それはおそらく子供の時から50になるまで心配していてその息子にばかり手をかけていた、それは三人の兄弟がいるにしろ他は余りかまわないがその息子は障害があるとして手をかけていて他はなおざりにしていたのかもしれない
だから一人とは合ってもあいさつもしないとかあったが最近仲直りしたようである
なかなか他人の家の事情はわかりにくいが共通していることは介護は必ず兄弟でも一番良くされた人がしろとなる、それがカルマなのである
その障害があるとされる息子はどこが障害者だかわからないし介護はできる
親もその息子をあてにしていて他はあてにしないのである、でもなかなか一人では困っているから相談に来たのである
だからつくづく介護もカルマだということを感じた、誰が介護するのか一番かわいがられた人がやれとなる、兄弟であっても姉妹であってもそうなる
それがカルマなのである
ただなぜ自分がそれにかかわるのかとなるとわからないが他人のカルマを背負うこともある、そのことは良くわからないにしろそういうことはある
人間は誰でもカルマを背負っているからだ、そもそも社会というとき一人では成り立たない、別に血縁とか家族でなくても社会を構成するのは他人だからである
すると誰かが働いてその恩恵をこうむるしまた恩恵を与える関係になっているからである人間のの人は互いに支え合うという字であることでもわかる
互いに支え合わなければ社会は成り立たないからである
つまり家族だけてはない何らか常に人はカルマがある、それは社会に対してもある
そのカルマから逃れらないもないということである
ある人は夫が若い時から病気になり大変な苦労をした、そして今度はその娘が夫で事業の失敗などで苦労している、これもカルマなのかとなる
なんらか人間はカルマを背負っていていつか苦しみとなって現れる
何か世話になったとかでもカルマになる、それを返さないとさらにカルマが重くなったりする、だから因果応報だとかなるのがカルマである
私自身は二人の親に特別良くされたから二人の介護と自分の病気で死ぬほど苦しんだ
誰も助けてくれないとかなった、それもカルマだったのである
人間はカルマから逃れられない、苦しんでカルマを解消するほかない
それでカルト教団に入ってもカルマは解消しないしかえってその集団自体が大きなカルマを背負っているのだからその集団のカルマも受けることになる
つまり集団でもカルマがありそれがいつか表面化して苦しみとなって現れるのである
集団の場合は社会自体がそのカルマを背負うことになるから怖いのである
いづれにしろ人間のカルマを解消できない、だからこそ最終戦争とかハルマゲドンになるとかなる、そうしなければカルマが解消しないからである
いづれにしろ8050問題はすでに始まっている、50くらいの人が70から80の人を親を介護する、その数も多いからいたるところにその問題が生じてきて社会全体に影響する、団塊の世代は数が多いから介護になる人も多いからである
そこで地獄の苦しみを受ける、介護地獄社会で家族崩壊や凄惨な事件も起きて来る
それは社会全体の問題であり家族だけでも解決しない問題だからである
2022年10月15日
脳梗塞の前兆を医者が見抜けなかった (医者の判断が致命的になる怖さ)
2022年10月12日
でんでんら野(蓮台野)と高齢化社会の老人 (老人が捨てられる社会)
2022年09月21日
医療費が国を破産させる? (でも簡単に医療費は減らせない矛盾)
医療費が国を破産させる?
(でも簡単に医療費は減らせない矛盾)
内視鏡検査機器やこれを使った治療機器、超音波診断装置、CTスキャン装置、MRI装置、PET装置などが医療で普通に使われるようになっていることに気付かれるでしょう。これらの新しい装置や機器は精密機器で大変に高価なものが少なくないのです。
病床数が多い、在院日数が長い
薬剤価格が高い、薬剤使用量が多い
医療材料価格が高い
検査が多い
受診回数が多い
https://www.ringe.jp/civic/medical/
厚生労働省は11月9日、2019年度の国民医療費の概況を発表した。国民医療費は44兆3895億円と前年度比9946億円(2.3%)増加、人口1人当たりの国民医療費も35万1800円と同8600円(2.5%)増加した
くすり-くそうばい【薬九層倍】
俺は十年前から高血圧治療の為に毎月通院しているが7月〜9月までの
暑い期間は血圧が上がらない事に気が付いたから、その間は通院と投薬を
止めても良いか医者に尋ねたら拒否された。俺のような患者は全国に大勢
いると思うが、医者がこう言う了見だから医療費が下がる訳が無い
一旦医者にかかったら患者は何も言えない、医者に従いとなる、それで無駄な治療があるとは言え自分の判断で病気を判断するのも危険なのである
私自身がなかなか病院に行く時間的余裕がなく勝手に判断して死ぬところだった
なぜなら腎不全になるところだった、そしてすぐに入院して一命をとりとめたのである
だから素人判断することは危険である
そこに病気の問題があり簡単に医者に自分の病気で勝手に判断できないのである
ただこの人は自分の病状をみてそう言ったからその判断が間違っているとは言えない
でも素人判断するのは危険なこともある
でも正直ここで言っているように無駄な治療も多すぎるし投薬も多すぎる
結果的にほとんど効かないとか副作用でかえって悪くなったりする
そもそもワクチンの効き目もわからない、ワクチンの金も膨大なものだった
でもこれが本当に効いたのかとなるとそれも科学的にもわかっていないのである
つまり病気にはそもそもこうして効くかどうかわからないものが実際は多いのである
でも素人判断は危険だし医者に命令されれば従う他ないのである
そこで問題になっているのはその金が国を破産させるほどの巨額な金となっていることである、これは国民全体にのしかかる問題であり国家的問題にもなっている
ある女性は目まいしたからと医者に行きMRI検査しろとなりした
でもそのMRI検査は実際は高価なのである、それも保険で負担するから安くなっているが
その検査の効用はあるのかとなるとほとんどない場合もある
認知症になった家族をMRIで見せたがそもそもそれは何の効用もない
認知症のことなどMRIではわからないからだ
ではなぜあえて検査したのかとなると金のためだったとなる
この検査はかなり金になるからである、だからその機械自体高いから医者では実際はわからないのに検査しろとなるのである
それも保険から出るからそうなる、もし十万するとなれば簡単には頼まない
そもそも検査してもわからないものもあるし相当に高いものでないと診れない
そうして脳の検査を本当にできるものは福島県には二台しかないとしている
となると普通の病院ではとても脳を精密に診れないとなる
でも何か検査しろと医者に命令されると断れないのである
ただ自分の場合は検査してすぐに医者に行かねば死ぬところだったのである
だから病気は緊急を要することがあり医者に逆らうことはできないとなる
自己判断では死ぬことがあるからだ、でも今問題なのは余りにも過剰診療が多いことなのである
そこに膨大な金がつぎこまれて国家破産にまでなる、その無駄を簡単に減らすことはできない、医者の権限が大きいからである、また現実に素人判断も危険になるからだ
ただ医が算術となっていることも確かである
外国ではあまり老人には手厚い医療はしないというときそうである
ただ最近は延命治療はしなくなっているという、どこで生きることをあきらめるほかないとなっている、ただその判断もむずかしいのである
この医療の無駄でもなくすことは簡単ではない、それは病気に人間は弱いからである
その弱さに医者がつけこむということもある、それで金を払わせられる
でもそうでない場合もあり何か無駄なのかなど判断できない、人間社会にはとにかく無駄が多すぎるのである、その無駄が膨大なものとなる
人間の無駄といえば軍事費でも無駄だといえばそうなる、兵士などいらないと言えばそうなる、つまり軍人とか警察とか医者とかは本来ない方がいいものなのである
軍人がいなければ戦争もないし警察がいなければ犯罪もないし医者がいなければ病気もないとなる
逆に軍人がいるから戦争が起り警察がいるから犯罪が起り医者がいるから病気もある
そういう逆説成立つ、天国には軍人とか警察とか医者すらいないからである
軍人とか警察とか医者とかは社会で権力を持つ職業である
逆らえない人達でもある、その人達は命令する権力を持っている
ただ軍人は自衛隊だと今は目立たない、むしろ自衛隊とかは表に余りでない、でも一旦戦争なったら主役になるのである、だから戦争の時は軍人が一番威張っていた
今でも墓には軍人の階級が一等兵だったとか記されているのは軍人がその時は価値あるものだったからである、威張ることができるものだったからである
でも今はそういう墓を見て軍人の位を見てその人がい偉いとか見ないのである
高齢化社会の問題は医療費の問題にもなる、その金を負担するのは現役で働いている人とかにもなる、ただ保険でも介護費用でも老人は年金からでも払っているのである
若い人だけが払っているわけでもないのである
でもその額が多すぎるから負担になる、社会が介護とか病気のためにあるのかとまでなる地方の仕事で眼につくのは確かに介護であり病院であり医者だとなる
60以上になると医者通い病院通いになっている人が多いからである
糖尿病は何か医療費の負担が多いことは確かである、金のかかる病気である
近くの人はそのために払う金が多い、それで親しい手伝ってくれる人に金を払えないとなっている、糖尿病は相当にやっかいな病気なのである
2022年09月20日
親の介護でもめる兄弟ーそして一人っ子の介護 (介護は死んで終わりにならない-恨まれて死んでゆくことの怖さ)
2022年09月06日
年金が月5万未満が四人に1人 (生活保護も平均7万とかもう国では支給できず捨てられる老人)
2022年08月25日
墓にまつわる話 (母の実家の墓と兄の墓の物語-金金金のこの世の地獄)
2022年08月20日
お盆の死者へのお供え物の意味 (実際の物を通じて心を通わせる)
2022年06月29日
人間の考えは老人になっても変わらない (世代間対立は常にあり避けられない、高齢化社会のマイナス)
2022年06月26日
NHKの一人で最期まで家で暮らしたいの感想感想 (一人暮らしは病気になると地獄になる)
2022年06月23日
歳には逆らえない (元気に見えた大工さんにも老いがあった・高齢化社会の暗黒)
2022年06月08日
長くなった人生の弊害 (老人の様々な問題が露骨になるー認知症の対処もある)
2022年05月15日
文系と理系とは何なのかー医者と看護師からみる (高齢化社会で老人と病人ばかりの社会になる異常)
2021年10月24日
介護する人がいない、回りで死ぬ人が増えて来る (8050問題ー78歳は鬼門の歳)
2021年10月15日
行き場のない老人 (人生百年時代に備えられていない)
2021年08月16日
墓はなんであるのか?(墓の効用-恨みを残し死んだ人の墓)
2021年08月15日
10代からの介護の過酷 (親戚でも回りでも誰も助けない―一人に押し付けられる介護))
2021年08月10日
お盆に人は死者を思い供養する (神道の神とは死んだ祖(おや)のことである-死者の二柱(母と姉))
お盆に人は死者を思い供養する
(神道の神とは死んだ祖(おや)のことである-死者の二柱(母と姉))
死者の二柱(母と姉)
人は確かに骨となり灰となり消える
しかし人間は動物とは違う
人は死んでも容易に消えない
その生はなお継続する
我が親なる二人の女性は死んだ
しかしかくも長くも我を支えた二人の女性
今も二本の木となりて支える
その木は長くもこの地に立っていた
その木は切られなくなったとしても
その根っこはやはり残っていた
二本の木は二本の柱のように残りぬ
その木の間にありてなお我は支えられぬ
我が右と左にいつもありぬ
まことに人は見えなくなっても
その生は継続されて消えぬ
我はその二柱に支えられぬ
今もの言わずとも力強くも支えられる
そこに充実あり我は一人ではない
死者一つの柱となり社となる
かくして後の人を支え続ける
我は見えぬ死者の二人の手をにぎる
その時なおも愛は通いあい
さらに強くも結ばれしことをしる
お盆には死者を想う、死者も死んで十年くらいすぎるとどうしても不確かなものになり忘れやすい、現実にいないなのだから去る者は日々に疎しと死者はなりやすい
でも死者を偲ぶというとき実は生前どうであったのか、生前の関係であり生前のことで
死者を想っているのだ、だから実の親子でも親にひどい目にあったとか毒親になると
死者のことは思わないのである
ただひどい目にあったという記憶しかないからである
そうして墓などに全然関心がなくなり放置される場合がある
やたら死ぬときにこだわる人もいる、カルト団体とか仏教関係だと成仏するというとき
死ぬときの相とかにこだわる、そもそも人間はどうして人間を見ているのか?
偉人になった人はやはり生前に功績を残した人でありでたらめに生きた人を評価しない
だから近くの人は誰からも嫌われていた、息子は毒親のために自殺させられたとか言われる
でもその人は死ぬときは簡単にあっけなく死んだ、介護されることなく死んだ
介護する人もいなかったが死ぬとき簡単に死んだのである
人にめいわくもかけず死んだのである、その死にざまは死んだ時の相はわからないにしろさほど苦しまずに死んだように推測するのである
だから死ぬときの相とかが問題ではなくどのように生きたかの方が大事なのである
それは偉人だからというのではない、普通の人でも親子がいたとして家族内で親を大事にするとき何か子供にとって親はいいものだったとなる、親は子供に尽くしたとなり評価して死後も手厚く供養して墓参りするともなる
ただ供養とかは義務だという人もいる、死んでも関係を継続させるためである
ただやはり死者を想うことは供養することは生前の関係で決まる
そもそも死んだら何もできないのだから当然そうなるのである
だから死んだら子供にすぐ忘れられる親もいる、意外とそういうことも多いとなる
つまり親だけでは子供うんだだけでは普通に育てただけでは親を思うことはないともなる何か親でも特別な親でないと供養がつづく死後も思われることはないとなる
実際人間は血縁であってもそれが人間関係を決めないのである
むしろ血縁ではない子供を養子にもらって愛情をそそぎ育てるとその子供は親を血縁の親より大事にする、逆に血縁でも親を嫌い親を親とも思わない子供も普通にいる
だから子供産み普通に飯を与えて育てても子供が必ずしもそれだけで親のことに感謝することもないのである
親でも親のエゴとか見栄がありそのために子供出しにすることが普通にある
親でも子供に無償の愛を注ぐわけではないとなる
私の場合は特殊なことで親を思っているのである、二人の母親がいたともなるからだ
それで私は無条件に愛されたのである、これもだから他者から理解しにくい
それは60歳までつづいた、引きこもりでも何も言われない、好きなことをしていいよとなっていたのである、結局それは特殊な家族でありそうなったのである
だから私は二人の親に支えられたし死んでからも支えられている
生前の関係が継続されて死後も二人の親のことを思いつづけているのである
ただそのために介護とかでは他の人より一人で苦しんだのである
すべてがいいものともならなかったのである
ただ死後のことは生前のことで決まるのであり死んだからと言って特別変わることはない生前の継続して死後もある、だから依然として二人の親は自分を支えているとなるし今度は自分が親を供養して支えるともなる
親でも死んだからすべて尊ばれるとかないのである、それは生前の関係で決まるのである私が親を思う時はそうして無条件に自分を支えてくれたことによっているのである
ただこのマイナス面もあったからすべていいものとはならない
でも二人の親は自分を60までも支えてくれたなとなりそれが理屈ではない、現実として実体として継続されているのである
それがこの詩になる、親でも死者が一柱とか二柱とか表現する
まさに二柱となって自分を支えてくれたから死後もやはり支え続けていると観るのである
こうして親を思うのは私の場合一緒にいた時間が長かったためである
娘でも結婚すると親から離れたり子供でも一緒に暮らさないと疎くなる
親でも子供でも忘れるようになる、結婚したら妻が大事であり子供が生まれたら子供が大事になり親のことより自分の家族が大事になる
すると親であっても家族は別であり離れて暮らすと余計に疎くなるのである
人間はやはり一緒に暮らすことで愛情が生まれる、それが不思議なのは例え憎んでいても一緒に暮らしていることが愛情をはぐくむ
一緒に暮らすことは助け合わないと生きていけないからである、何らか協力することになるからである
結局憎んでいることも愛していることだったとさえなる、愛がないというとき本当は無関心になることであり憎むということでもないということがある
憎むということは愛の反面だったともなる、それは片方が死んでみるとそれがわかるのである、60年とか一緒に暮らしていれば憎んでいても愛していたのだとなってしまうのである
『日本の助数詞に親しむ』中の、「神様の数え方 柱(はしら)」の項目に、「「柱」という字は「木」と「主」からできています。「主」は「そこにじっと立っている、支える」という意味です。
古く『古事記』や『万葉集』の時代から、日本では樹木に神様が宿ると考えていました。さらに、人間は土の中から植物のように生まれ育ったと考えられていて、「人間一人」の別称に「ひとつぎ木」という表現を用いて歌を詠んだりしていました。そこから、樹木が敬意を払う対象となり、ご神体、神像などを「柱」で数えることにつながりました。」と記載されています。
神なびにひもろき立てて斎へどもいはへども人の心はまもりあへぬもの
(二六五七・寄物陳思)
神奈備山に、ひもろきを立てて、大切にするようにしてはいても、人のと言うものは
守ることが出来ないものです。
巻11−2657
神奈備山→神の降臨する山や森
ひもろき→神の降り代として立てる木
日本神話の天孫降臨において、高御産巣日神(高木神(たかぎのかみ)とも呼ばれる樹神)は、天児屋根命と太玉命(祭祀を行う忌部氏の祖とされる)に、「天津神籬と天津磐境を起こし樹(た)てて、常にわが天孫のために斎(いわ)い祭りなさい」と命じたとされる[1]。
伊勢神宮において
神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)として、心御柱(しんのみはしら)を、伊勢神宮の正殿、床下中央部分に建てている
木をたてる時、その木とは死者のことである、神とは日本では死んだ人、親であれまた先祖なのである、つまり死者が一柱二柱というのはそのためである
ここに神道の深い意味があることを知った
こういうことは実感として知りえない、愛する人が死んだりしないと実感できない
神道とはわからないにしても神とは死んだ人であり死者を祭ることに由来している
死者はどうしても神になりやすいからである
死んでから十年もすると何か定かなものにならずまさに守られない、つまり墓でも守れないとなるのがこの世だからである
だからここには神道でも深いものがある、つまり人間は千年であれ古代からこうして死ぬ人がいて死者にどう対処したかが宗教ともなる
日本では先祖が神となるというときもそうである、たいがい死者は神になりやすいのである、八百万の神がいるとしてその神は死んだ人でありその死者を祭ることが信仰にもなっていたのである
常に言う家の柱さしこの家は我が建てにしと誇りけらしも
姉は家の柱は同級生の橲原(じさばら)のキコリだった人から提供されて建てたと常に自慢していたのである、まさに家の柱だったのである
何かやはり神道であれ深いものがあるのは人間として代々生きてきた歳月が長くそこで培われたものがありそれが伝統ともなり受け継がれたからである
ただその意味もわからなくなるし「心はまもりあへぬもの」ものとなる
日本に無数の神社があってもその由来がわからないものが多いからだ
それは千年もすぎれば伝えられないし何のために祭ったのかもわからなくなっているからだ
だから人間は伝統的なものに深い意味がありそれをたずねることでありそして今を観ることである、人間は別に親が死ぬとかは誰でも経験する、でもそうしたことは千年でもつづいたことなのである、そして人間は必ず親でも死ぬのだからその繰り返しでありその時思うことは大昔でも同じようにありそこに残されたものを知り理解を深めるのである
連理木。(れんりぼく・れんりぎ)
http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/blog/2020/04/post-4025.html
この木の写真はいい、まさに二つの木が結ばれている木である