2021年09月05日

職業で形成される人格 (職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)


職業で形成される人格

(職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)

人間は学生時代でもいろいろ学んでも勉強してもその目的は何なのか?
その先に社会があり職業に就くことが目的となる
ただ学生時代はどういう職がありその職がどういうものがわからないのである
例えば農家だったらいつも働いている親とか視ているのだから自ずとその職業を理解するのである、それを日々見ているから反発して嫌だとして親に逆らい農業だけはやりたくないと事件を起こした人までいる
また親から農業だけはやるなと殴られた人もいる、その人は工事現場とか原発で働くようになった、その頃から農業は金にならない割に合わない職業にもなっていたからだ
つまり農業といっても外部から見ているだけではわからない
今になると農業はいいものだともみる、原発事故が起きたことで農業をしていればこうはならなかったとも見るようにもなる

なぜ今職業が問題になるのかというと江戸時代まではたいがい親の職業を継いだのである農家でもそうだし漁師でもそうだし大工とか陶器作りとかでもそうである
家業を継いだのが多いのである、だから職業選択にそれほど悩まないのである
侍は侍であり農民は農民であり商人は商人であり職人は職人である
そして結婚するにしても同じ職業の人なのである
すると互いに理解しやすいということがあった、何か経営者は商人の娘を嫁にしろというときもそうである、それは商人も経営者であり自営業であり金銭のやり繰りとかを身近で見ているからである、嫁ぐ先の職業がのちのち影響する
その職業に向かいない人がいるからだ

天皇家に嫁いだ雅子様は宮家とかに向いていなかったのでうつ病とかなった
宮家というものがどういうものがわからずに強制的に嫁にされたからである
第一天皇家のこと自体わかる人はいない、でも宮家とかで育てばそういう環境で育っているから適合できる割わいが大きくなる、ただ別に美智子様の場合は平民で天皇家に適合したとなる、普通はなかなか適合しにくいとなる
つまり育った環境が人間に影響する、血筋より育った環境の影響が人間は大きいからだ
どういう家に育ったのかそれがその人間を作るともなる
だからカルト宗教団体などで育った者は何か偏り結婚したりするとうまくいかないともなる、常識からはずれているからである

なぜ職業が問題になるかというと職業は人間に欠かせないものでありその職業によって人間でも作られる、職人気質とかなり人間を作る
だからその職業がどういうものか知ることが大事になる
ところが学生時代で勉強しても職業のことはわからないのである
そもそも様々な職業のことを今や複雑化して理解できなくなっている
もともと人間は職業が違うと意志疎通もてきなくなっていた
それで鉄を作る人とか山奥で曲げ物など木の椀などを作る人は神秘的な存在となった
それはその職業のことがわからないからである

ただ言えることは江戸時代の人達がみんないい顔して幸福そうな顔していたということを外人が見て言っているとかなりそれをしきりに言う
でもそうなっていたのは江戸時代ならほとど農民であり後は漁師とか職人であり職業の種類は限られていた、侍は侍の世界があり親の跡を長男が継いだ
だからあまり理解できない職業はなかったように思える
ということはそういう職業は何か人をだますようなことはない、商人とかなる口八丁手八兆で口先だけで物を売るとういことがある
商人は必要でもそうなりやすい面がある、でも第一次産業に従事する人がほとんどの時代は何か人をだますような職業がまれだった、すると貧乏でも嘘つかないとかで人々が良心を曲げることもないから精神的には安らかだったとなりそう言われるとなる
職人気質のように仕事に一途に励んでいたとなる

戦後の私の子供の時代の時、回りでは職業が見える社会だった、農民がまだ多かったし
職人も多かった、駕籠を作る人とか石屋とか漆塗り屋とか豆腐屋とか何か近隣の仕事がわかりやすかったのである、今は職業が多様でありわかりにくいのである
すると職業のことがわからないからその人に合った知っている職業に就くわけでないから適合できずにやめるという人も増える、おそらく親の仕事を見て受け継ぐとなるとそういう職業は子供の時から見ているのだからわかっているし適合する割合が大きくなる
もちろん適合しない人は常にいるけど割合的には適合しやすいのである
そこではあまり職業選択に迷わないとなる

現代は無数の職業がある、でも自分にあった職業に就く人はまれだともなる
だからこそニートとが膨大に増えたとなる、仕事に合わないとか辛いとかもある
そもそも何かその人にあった職業に就くことは簡単にできない社会である
ただ職業というとき文系は理系よりいい職業に就けない、それで理系は物作りでありいい顔になるというときそうだと思う
文系の仕事は何かいいものがない、営業とかなると何かそこで口先で騙す職業だともなるそして何か弁護士であれ証券会社であれ銀行であれこういう職業はいいとも見ていたが実際は騙すものだということがわかった
銀行など地域で硬い職業としてエリートとして見られていたが今や人をだます商売になっている、投資信託とか売り手数料を稼ぐ、投資信託が詐欺商品でありハーバード大学を出た人が良心の呵責になりそれを暴露したことでもわかる
弁護士でも何かそこに法律の知識で騙すということがある
もちろんみんなそうではないがそういう人も現実にいる
それで文系の仕事は何かそういう人をだますのが多いともみる

例えば官僚でも実際それは人をだますものであり犯罪者にあるというときそうである
帳簿でも数字でもごまかす、それでそれをごまかした官僚が良心に耐えられなくなり
自殺した人がいた、だから霞が関の官僚でもそうなる
官僚は技官は別にして文系が多いからである、文系はいい職業に就くことがむずかしいのである、何かごまかすことが多い職業だとなる
政治家となるともう政治家自身が言っている、嘘をつくのが政治家だと言っている
何か口先でいいことを言うだけだとなる
選挙の時だけいいことを言うが実行できないのに言うこと自体がそうである
それは政治家という職業がそうさせるのである、だからこそどういう職業に就くかが大事になる、その人がもともといい人でも職業によって心が歪められるからだ

銀行など地域で硬い職業と見られていた、今や高度成長時代になりITの発達とかで取り残されたもうけることができなくなった
貯金されたものを借りる人がいて自動的に利益が上がる時代が終わった時利子も貯金につけられない、銀行は今や必要ないともなってしまった
そうなると何とかもうけるために投資信託などを売りつける、そして手数料だけはもらうとなる、これも騙しなのである
ただ別に株などは自力でできる人はやればいい、銀行であれ証券会社を仲介にするとき
だまされるとなる、それも結局自己責任だとなる、銀行とか証券会社が罪に問われることはないのである

ただ職業が業となっいてるとい職業自体に何か罪なるものがありそうなった
だから農業でも焼畑とかなると森林を焼くから自然破壊だともなる
稲作でも森を破壊するからそれは人間の業だともなる
そういうことで仏教ではその業から逃れるために僧院に入り職業につかず修行したとなる職業に就くこと自体心が汚れるとしてそうなったのである
確かに今や銀行員とかはそうなる、それでアメリカの大銀行に勤めていたような人が
農業をはじめたとかある、銀行という仕事に嫌気さしてそうなったのである
金だけを操作してそれで大儲けする人を見ていたからそうなった
それが陰謀論になり批判するようになった、「つばさの党」でyoutubeで説明している人がそうである
紙幣とか貨幣とか何か架空的なものをあつかうより実物を扱う農業をするようになったのである、金融というときそれは今や数字てあり数字のゲームをしているようにもなっているからだ、何かギャンブルの世界のようにもなっているからだ
そういう仕事自体が心を歪め人格を歪めるものになっているからだ

とにかく現代は職業が無数にありその選択に悩む、ただ地方だと職業の選択は限られている、大卒だと更に限られていて自分に合った職業がないとなり都会に出るほかないともなる、私の場合は引きこもりであり職業にはついていない
でも郷土学とかを追求してきた、田舎で芸術でも学問でも追求して来た
ただそれが職業にはなっていない、一文の収入もならなかったからだ
そして自分に向いている職業はジャーナリストのなかと思うようになった
今ネットでしている「相馬新報」とかがそうである
ジャーナリストは相当な幅広い知識が必要だと思った、原発事故を追求するにしても多角的に追求する必要があったからだ、ただ文系だと理系ではないから原子力のことがわからない、そこが大きな障壁となり追求できなかった

でも郷土史とか歴史とか地理学とかこの追求はするにはあらゆることを総動員しないとできないものだったのである、そこに限界があった
ただ死ぬ頃になって自分の仕事がこれだったとかと自覚するようになった
つまり仕事は新たに作られるのである、youtubeとか意外とこれはテレビとも違って勉強になるものだとわかってきた、様々なことで経験している人が語っているからである
だから子供が一番なりたいのがユウチュウバーだともなった
テレビはこれまで一番の情報源であり親しいものである、それが個々人がテレビ局にもなるということでそうなった
仕事は新しい時代にそれに合った仕事が生まれる、ただ自分の場合はその仕事を発見することが遅すぎてとなる、今や死ぬ歳になっているからだ
それだけ人間の合った仕事というに就けないというのが現実なのである
ということでニートが引きこもりでも増えたともなる

いづれにしろ職業選択が大事なのはその人を職業が作るからである、だから人格を歪めるような職業につくと金になっても後でふりかえりいいものとはならない
苦いものとなって後悔する、さほど金にならなくても私はその仕事がその人に合っていいものならいい顔になる、それで江戸時代は外国人が見たとき幸福そうな顔していると見たのである、それは仕事はその時農業社会、第一次産業がほとんどでありそれが影響していたのである、現代は余りにも様々な職業があり選択に迷う、それより自分の合った職業に就けないとなる、そこでうつ病になっている人が多いのもわかる
つまりみんな不幸そうな顔をして不満なのが現代人なのである
そのことが社会全体を暗くしているともなる


高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うに彼らが到達したもの彼らのからだと魂に結果残すものではない限り
すべて彼らの身につかず波間に消える-ホイットマン(草の葉)

彼らの体だと魂に結果残すものではない限り

からだと魂に結果を残すというとき職人とかは仕事で体も作られ魂も作られるとなる
体もその仕事に適したものになる
そして魂が作られるということがある意味で怖いのである
その仕事が悪いものであれば魂も歪められるとなるからだ
ホイットマンの時代は職人とか農民とかあらゆる人が讃美されていた
その時代は開拓の時代であり知的な仕事より肉体労働が多い、知的な仕事は弁護士とかでもだますということがあるからだ
だから江戸時代とも似ていたのである、それであらゆるものが讃美されていたのである


体(からだ)は「殻(から)」に接尾語「だ」が付いた語。
古くは、魂に対してそれを宿している身体、生命のこもらない肉体を「からだ」と言い、魂を宿した肉体は「身(み)」と言った。

つまり職業によって魂の宿さないもの、殻(から)になってしまうことである
その一生さえ空虚なものになってしまうとなれば怖いとなる
金があってもその人の実体は中味は魂の無いからだになってしまうとなるからだ

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2021年07月27日

地銀、ゆうちょ、農協、信金などの破産危機の恐怖 (地方の安定を奪うことに)


地銀、ゆうちょ、農協、信金などの破産危機の恐怖

(地方の安定を奪うことに)


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地銀とか農協とか信金とかでもなぜ地方でこそ問題になるのか、それは地域と密着している金融機関だからである、また有力な安定した就職先になっていたからである
それは丁度公務員になると同じて安定していたのである
だからたいがいそこに就職すれば田舎でもそれなりの生活できる田舎の貴族だともなっていた、また地域の人は必ず地銀でもあれゆうちょであれ信金であれ貯金している
それでバブルで日本経済が高度成長していたときは7パーセントもの利子がついていたのである、つまり貯金していれば安心して生活できた
だからこそその頃みんな貯金に励んだのである
そこで今金を持っているという老人の九割は貯金している

投資に回せない、というより投資ということをしてないからわからないのである
それが老人になって投資をしろとか。すすめられてもわからないのである
それで地銀とかゆうちょでも経営が苦しいから投資信託などを売りつける
これも素人には仕組みもわからないし結局だますための商品としてアメリカの大銀行が作ったものである、その仕組みを作った人がハーバード大学出の人だったか良心の呵責になやまされてやめたとうかある
それは素人にはわからない詐欺商品だったのである
それはゆうちょの保険でもそういうことがあった

地銀でもゆうちょうでもなぜ苦しくなったのか?

それは日本経済が衰退して貸し付ける会社が減少した、金があってもその金を活かせないのである、金を借りて事業をする人がいなくなったのである
高度成長時代はいくらでも金を借りる人がいた、事業をする人がいた
その時また投資することは見返りがあった、事業を起こして成功する人が多かったからだとなる、今はそれがないから金があっても増やせない、そうなると金融業も何でも儲けていいかわからないので株式とか投資信託になり地銀はすでに証券会社の子会社のようになっているのだ

証券会社の指導のもとに地銀で信用を築いている地域の家を回るのである
でも証券とか株とか投資信託とか地方の老人はわからないのでしる
だからもうかるとか言いなりになり損するとなる
ただ別に客が損しても地銀とかゆうちょは手数料をとるから損することはないのである
だから前のようにゆうちょとか地銀は地方での安定した職業であり信用されていたという地位から脱落したのである
地元の客でもだましてもうけるとかみられる、ただそれはゆうちょとか地銀だけの責任ではない、日本全体の経済の衰退がそうさせたからである

ただ地方の人にとってもこれは困ったことなのである
地銀が証券会社になることは地方の人にはなじめない、老人でもそうである
でも様々な形で日本経済の衰退が地方にも押し寄せて来た結果なのである
地銀とかゆうちょとか農協でも何か地元の人が経営してそれは同じ地域に住んでいるのである、するとそこで何か詐欺のようなことをして客をだますとなるとその地域の信用も喪失する、、金融機関となると信用が第一になる、だからこそ信用するからこそ投資信託でも株でもすすめられれば買うとなる、そこに信用かあってこそ買うとなる

それが崩れた時どうなるのか?

地域での金融業が成り立たなくなるのではないか、詐欺をしているように見られるからだそれは前のようにただ貯金していればいいという時代ではなくなったせいもある
だから地銀でもゆうちょでも農協でも変革しなければならないというときそれも簡単にはできない、そのことは地銀とかゆうちょだけの問題ではない
地域の人は安心して金をあづけているし利子もついていたからである
それがなくなるとき今度は預金封鎖だとか騒がれるとき安心して生活できないとなる
ただ金融というとき金融で金でせかいを裏でロスチャイルドとかロックフェラーが支配しているというとき金が貨幣が紙幣が人間を支配できるという構造がありそうなる
それは紀元前のギリシャ時代からそうなっていた、そもそも貨幣を使うということ自体に不公平が生まれていたからである

物と物を交換するならそこに公平があり社会を金で紙幣を使う時そこに実際は矛盾が生まれて人間支配の道具となったからである
だからそういう仕組みがある自体この問題を解決しない、金の代わりに物品で供給するとかなれば解決するかもしれないがそれもできない
江戸時代辺りは近辺だけの経済でありそういうことはなかったのである
貨幣を使っていたとしても現代のようなグロ−バル経済とは違う地域経済だったからである、狭い地域での経済だったからである、基本は自給自足であり金にそれほど依存していなかったからである
広域グロ−バル経済になるとまるで違ったものになり金の力が百倍にも千倍にもなったからである、それで世界を支配できるとまでなってしまったからである

ただ地銀でもゆうちょでも中小企業でもつぶしてゆくというときグロ−バル化経済で世界が一部の者たちに支配される、それがロスチャイルドとかロックフェラーだとかなる
それはわからないにしても金融によって金によって紙幣によって世界が支配されるというのは確かなのである
日本がなぜ貧困化したかというとき製造業の衰退もあるがグロ−バル化して一部の金融業者に世界銀行とかにより実体の富が奪われているということもあるとされる
金は金融業は銀行でも世界を支配する強力な道具だからでしる
でも資本主義は投資とういうものを理解しないと分らないのである
それで実際に投資してみることが資本主義を実感することになる
貯金していただけではわからないものだったのである、でも高度成長の時代は投資のこと株のことをわからなくても良かったのである
第一大学の時経済学部の教授が株だけはするなと言っていたことがおかしいとなる
そしたら資本主義のことが何もわからないとなるからだ
それも時代の差だったとなる、その時は素人は投資のことを知らなくても良かったからである

いつれにしろ農林中金の金融機関でもアメリカの訳のわからないブラック会社のジャンク債に投資しているとかで大損になるとか言われる
その影響は地方の真面目に農家でも貯金していた人にくる、虎の子の貯金が損失になり消えるともなるからグロ−バル経済というのは実は地方の関係ない人もまきこんでいるのである、高度成長時代はそういうこと全くなかったからである
こうして地方の生活も安定していとなると安心して暮らせないともなっているのだ
そしてグロ−バル経済でこうして衰退すると今度は日本自体が土地でも今度は中国に買われるとか外資に買われるとかなりすでに日本は植民地化されていると指摘される
福島銀行と合併した証券会社のSBIは外資だからである
銀行だけではない、日本がの土地でも会社でも買われてゆき、戦争しなくても経済的に植民地化されているというのもわかる
ただこういうことは眼に見えて理解できないから困るのである
オリッピックにしてもやはり一部のオリンピック貴族の利権のためにされていたことが判明した、おもてなしされたのは二百万円のホテルに泊まったというから国賓並みの待遇だったのである、そこで日本の金が奪われているということもあった

ともかく日本経済の衰退は津波や原発事故やコロナウィルスとか様々なことで起きているそれが地方の経済にも深刻なダメージを与えている、それが地銀とかゆうちょとか農林信金などの金融業が危機にひんしていることなのである
そこは地域で最も信頼されている生活の要ともなっていたからである
それでおぱあちゃんが投資信託を買わされて2000万損したとか話題になる
そういう所が失われてゆくことはその影響は地方に生きるものにとって大きな影響を受けるのである


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2021年07月17日

老人に投資しろというのは無理 (老人の90パーセントは貯金の理由―地銀の役割がなくなる)


老人に投資しろというのは無理

(老人の90パーセントは貯金の理由―地銀の役割がなくなる)

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あなたは、貴方がお金を預けている銀行が大きく変わることに気が付く
https://www.youtube.com/watch?v=p_8JUFyFtZY

地場産商品の普及、生産、販売が可能になった
事業再生、始業譲渡などに100パーセント出資可能になった

これはまさにもともと銀行が企業家が作ったものでありその成り立ちに返ったということなのである、銀行自体が企業家になるということである
今までは5パーセントしか出資できなかったからである

ここのyoutubeでは今の銀行の問題をわかりやすく解説している



銀行のことでこうして語るのは貯金している人である
別に貯金もしない人は金に困っていても金融機関のことなど考えない
人間はやはり金のことが一番気にする
自分の金がどうなるのだろとうなり心配する
それで地銀でもゆうちょでも金をあづけているから心配になる
自分の預けている銀行はどうなるのだろうと心配になる
こういう心配がなかった高度成長時代は今になると特別恵まれた時代だった
利子は7パーセントもついた時もあったからだ
退職金が一千万だとしても二千万円に5年くらいでなっていたかもしれない
もう貯金していれば利子で十分に生活できた
それが今は預金封鎖だとか利子はゼロだとか地銀でもゆうちょでも投資をすすめる

でも投資のことは老人は簡単に理解できない、酷だ!

だから当然理解できないから損するのが多いし簡単に手を出せない、貯金で安心だという世代では投資は理解できないからだ
むしろ素人が手を出せないものとして見ていたからである

でもなぜこうなったのかというとそれは日本経済が衰退したためなのである
そのツケが金融機関に来て客に来ているのだ
地銀でもゆうちょでもなんとかもうけをださなければやっていけないとなりその窮地を責任を客まで及んでいるのである
お客さんが損しても会社を存続するためには投資をすすめるほかないとなっている
とにかく投資信託であれ株であれリートであれ手数料が額が大きいと利率として大きいのである、だからそれは銀行にとってもいい商売なのである
株が下がっても一切銀行損しないからだ、何か言われれば投資はリスクがあるで終わりでありただ手数料だけはもらえますよという商売なのである

ただそうなったのは地銀とかゆうちょだけの責任ではない、日本経済全体の衰退が金融機関に影響してなった
だから日本経済がまた成長しないと解決できない問題だともなる
それはもう簡単にできない、その金融機関に金をあづけている客が日本経済衰退の影響を受けて責任をとらされているとなる
投資、投資の時代だと盛んに言うけどそもそも老人は経験もない人がほとんどであり
その投資の世界に入ることは容易ではないから貯金しているのである
実際に投資で儲けている人はわずかなのである
そして何より老人は安全を安心を求める、だから投資に向いていないのである
でも金を持っている老人も多いから投資をすすめる、それは日本経済の衰退の結果であるその責任を客がとらされているのである

だから金の価値とは常に変動している、貯金しても変動している
預金封鎖でゼロになるとかもある、しょせん紙幣は紙きれであり今なら数字だからゼロにもなる、紙幣自体に数字自体に価値はないからである
価値になる本体は別なものにあるからだ、金が小判のように黄金だったらそのものに価値があるが紙幣は紙きれにすぎないのである

地銀はもう社会的に機能しなくなっている、要するに地銀でも地域の役割が喪失している地銀は単なる貸金庫なのかともなっている、金の保管場所である、それあるにしてもそれでは銀行は成り立たない、銀行の成り立ちがそもそも会社を起こして成功した人が銀行を作っていた、つまり企業家が銀行を作ったのである
養蚕とかで製糸工場でもうけた人がその中に銀行を作っていたのである
それは曽木資金であらたな起業をするためであった
だからもともと企業家がするものでありただ金を集める人が銀行になったわけではなかった、それが分化して銀行になったけどもともとの成り立ちは企業家が作ったものであった起業できる人が銀行を経営していたのだから当然会社経営する人であり通じた人であり
利益を出せる見込みを得られるとなる

何か今はそうしてそもそも会社でも何でもその成り立ちが問われる
どうしてその企業ができたのか、その由来が問われる、どういう意味があり意義がありはじまったのかということである
ただ高度成長時代にはそういうことは問われなかったのである
銀行でも金を客から集めればその金を借りに来る人はいくらでもいた、だから借りた人から会社から利子をとればいいだけだったのである
何でも成長する時代だと資金が必要でありそれを銀行に頼んだのである
その時預金している人も見返りがあったのである
それがなくなったのは日本経済が衰退したからである
そのツケが金融機関にのみ来ているように見えたが実際は国民全員に預金者にも来ているのである
つまり日本全体が経済成長しないかぎり過去のような利子もつかない、それより預金封鎖だとか金自体の価値がゼロになってしまうのである
だからこれはゆうちょとか銀行とか金融機関だけの問題ではない

日本全体の経済が衰退した責任を預金者にもとらされている!

投資を銀行であれ金融機関からすすめられても老人は簡単にできない、それで90パーセントが貯金したままなのである
銀行がそもそも企業家が作ったように会社を経営できる人が資金を得てまた新たな事業をはじめる、そういう人が銀行をもったのでありその成り立ちをみればそういうことが会社を経営できない人が金をもっても資金をもってもそれを有効に活かせないのである
地銀でもそういう経験がないから投資しろとなり手数料商売になったのである
そういうノウハウとか地銀にはないからである、ただ信用組合は地元密着で地銀よりはあるとしている
とにかくただ金を集める機関であり何か投資してもうけるというノウハウの積み重ねとかなかったのである

地銀は投資には素人だった!

その素人がすすめる商品のことなども知らない、知らないで客にすすめているだけだったのである、手数料をとるためにそうしていだけなのである
そして売らなくてもいい株を売り転売してまた手数料をとる楽な商売になっていた

つまり地銀にはもともと銀行の役割がノウハウがなかった

その成り立ちからして問題をかかえていたのである、それが経済の衰退で露見したのである、何か社会にとって意味があり意義があるものとしてノウハウとかあればこうはならなかった
それはオリンピックとも同じだったのである、オリンピックもただ利益利権のためでありコロナウィルスが広まるのに国民の安全を脅かすものでも強行する
それは一部の利権者のためであったが露見したのと同じなのである
実際の意味意義もなくなっていたからである
何か今社会全体でそうして社会にとっての意味とか意義が問われる時代になった
高度成長時代はそういうことがなかった、銀行でも金を集めればいい仕事だったからである、投資のことなどわからなかったのである
その投資のことがわからない地銀などが投資をすすめること自体が矛盾なのである
ただ日本全体の経済の衰退が地銀とかゆうちょとか金融機関の負担となり客もその責任をとらされているのである
だから根本的解決は日本経済が再び成長しないと解決しないとなる
でもそれは今や至難になる、ただ地銀であれもう社会にとって必要ないものとなる
社会に存在する意味と意義がなくなったからである
その意味と意義を見出すことは簡単にできない、ほぼ絶望的だとなるからだ
農業に投資して銀行員が農業しているのはまさに自ら投資をすることを始めたということである
だからただ金を集める楽な商売は終わったのである、そこで新たな価値を作り出すことは容易ではない、それでつぶれてゆくほかないとも見るのである


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2021年07月13日

貨幣の謎は深い(2)ー貨幣の成り立ちと貨幣で歪めれた世界


貨幣の謎は深い(2)ー貨幣の成り立ちと貨幣で歪めれた世界

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ポロス 古代インド英雄伝



金の謎は言葉と似ていて抽象化されたからである、言葉というのも実際は抽象化されたものであり現実ではない、太陽とか海とか山とか表現しても実物を表現などできない
それと同じように数字化することはさらに抽象化して実体を失うことになる
石があるにしても無数の形と色の石がある、それをただ石とするとき実体とは離れたものである、でも石と人間が表現した時、世界を自然でも表現したとなる
石と岩があり同じようでも違う、自然の認識が言葉によって生まれて世界を表現することになった

貨幣が紙幣がどうして生まれたのか?それは紀元前7世紀とかから生まれたのだから
その起源は古い、どうしても貨幣が生まれねばならないから生まれた
物々交換だとすると米一俵とか羊でも牛でも他の物でも市場に出すとなるとそれを運ぶだけで容易ではない、それで交換を容易にするために貨幣が生まれた
いちいち物を交換していたら自分の欲しいものを買うことがとんでもなくめんどうになるからだ
だから交換する媒介とて貨幣が生まれた、だからメデアでありメデウムとなる媒介するものである
でも貨幣が生まれた時すでに不公平になっていたのである
むしろ物々交換の方が公平だったともなる、なぜならその具体的なものから価値を感じるからである
米俵一俵とかあればこれで当分食べる米はあり心配ないとかなる
でも貨幣からそういう感覚を得られないのである
さらに紙幣になるともうこれはただの紙切れではないかとなりそこに富をあると実感できないのである

貨幣には黄金だったら貨幣自体に価値を感じる、それ意外貨幣には感じないのである
それで貨幣が黄金だったということは理解できるのである
別に貨幣でなくても黄金だったらこの黄金を分けるからその品物をくれとなり貨幣の役割をもつことができたからである
貨幣というのは持ち運び安いということも条件なのである
ただ貨幣の役割をしたのは塩とか米とかでありみんなが使用して価値あるものだとてる
田た塩でも米でも持ち運ぶことはできない、だから貨幣となるのには持ち運び安いものだとなる

中近東とかインドとか遊牧民系では金属で宝飾品で飾りつける
男まで飾りつけている、それはインド英雄伝、ボロスとかでその金ぴかの装飾品を見ることができる、絶えずそれを見せびらかしているからである
インドとかでそうした宝飾品が貨幣の役割を果たしていた、それは貯蔵したり持ち運びができるからである、それが宝となったことがわかる
遊牧民だと絶えず移動しているから富を貯えることができない、農業民族だと蔵に米を貯えたりする、麦でも貯える、でも遊牧民は移動するから貯蔵することができない
だから遊牧民では宝飾品が宝となり貨幣の役割も担っていた
金持ちだということは様々な宝飾品を飾りつけることだとなりあれほど体を飾っているのである

貨幣の不思議はトルコのエフェソスのローマの遺跡は立派である、図書館もあった
そこでローマの貨幣だとか売っていた、でもそれは贋金だった、でもそこで立派な遺跡を見たのでその貨幣が本物に見えたのである
貨幣自体には価値がないかが貨幣を価値づけるものはその背後にある
アメリカのドルを世界の基軸通貨としているのはアメリカが世界の覇権国であり軍事力がありドルが世界でどこでも通用する、エジプトの果てのスーダンに近い所で少年がロバにのりワンドーラーくれというのもそうである
アフリカの果てまでドルは通用している、またドルでしか中東の石油が買えない
それで中国が反発するものもわかる、そのドルが世界の基軸通貨になっていることで世界の富がアメリカに集まる仕組みになっているからだ
そこで数パーセントの金持ちが世界の何十億もの富を所有しているともなる

世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ資産を所有しているとの推計を発表した。

このようなことが可能なのはやはり貨幣が紙幣がまた基軸通貨としてドルがあり成り立つのである、第一そんな巨額の富を貯えることが不可能だからである
米俵にしても蔵に積むにしても限界がある、何か貯えるにしても貯えることに限界がある何兆円をもっていたとしてもそれを物で貯えることはできないのである
でも金なら貨幣なら紙幣ならまた黄金でも貯えることができる
そこで黄金が貨幣になったというのは米とか物ではなくても貯えられるからである
そして今や貨幣は数字になるときその数字はいくらでも増やすことができる
何兆円でも増やすことができる、ただゼロを増やすだけだからである
ここに大きな不公平が生まれたのである

それができたのは物々交換のようではない、物の価値を数字で抽象化できるようになったからである
その抽象化によって物の実感が消失してただ数字として計算されるようになり本来の価値が歪められるようになった
どうしても紙幣とかからは価値を感じないのである
それで自分の家のことを書いてきたが家には単なる建物ではなく様々な付加価値があり
それは他から価値とされないものだがそこに住む者にとっては大きな価値がある
それは具体的に目に見えないものとなっているがその価値は大きいのである

そもそも貨幣が人間社会を歪めたのは貯えることにもあった
神殿とかはもともと麦を貯蔵したとか貯蔵の役割があった
つまり倉庫でもあったとなる、食料でも貯蔵できればそれが貨幣の役割にもなり人民を支配できる、食料を貯蔵して配ることができるからである
貨幣で配るより現物がありそれを貯えていて配る、すると人民を支配する王が権力を持つとなるのである
権力は貯えることから生まれたという経過もある、そこで格差社会とか階級社会も生れた人間がどうして権力を得るのか権力が生まれたのかそれが歴史の大きなテーマなのである

自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい。そこでは虫と錆びで、
傷物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
自分の宝は、天にた蓄えなさい。そこでは、虫も錆びもつかず、
盗人が穴をあけて盗むこともありません。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

貯えることを戒めている、地上にいくら貯えても無駄だと説いている
貯えることは神から見れば堕落にも見える、貯えることによって格差が生まれ階級が生まれたりしたからである
でも貯える技術が生まれて人類は進歩したともなる
塩漬けにして腐食を防いだり乾燥したり食料でも貯えることができるようになり食料不足に苦しまないようにしたからである
貨幣には貯蔵することができるから富を貯えることができる

でも実際は貨幣をいくら貯えてもそれが実質的に富となるとは限らない
ましてや紙幣だったら本当に紙くずになったことがあるのだから安心などできないのである
預金封鎖があるというとき貯金に税金をかけられてもう利息三文にもなる
それなら米でも他の物でも貯えていた方が安心だとなる
そもそも貨幣でも紙幣でもそれ時代には黄金ではないのだから価値はないのである
株だったらその会社に価値があるのであり金にはない、だから会社が存続してその価値が低下しないなら株を持っていた方がいいとなる
ただ株式となると素人にはむずかしすぎるのである
でも株の方が会社に価値あるものとして持っているので紙幣で貯金しているよりは安心だとなる

要するに貨幣とか紙幣自体には価値がないからである
ここは抑えておく必要がある
何か価値あるというとき貨幣とか紙幣自体にはない、だから価値あるものに投資すべきだとなる、絵画でも貨幣や紙幣より価値あるとなる、その絵画によるにしろそうなる
貨幣と紙幣でももっているだけでは価値は生まれないのである
別に貧しい人がいたらその人にでも金を与えたら価値が生まれている
ただ貯金していても価値が生まれないのである
金に貯蔵の役割があるにしてもその貯蔵するということでも貨幣の価値は変動する
紙幣ならゼロになる、紙くずになるからである、現実そうなった人がいるからである
金は貯える点でも安心はない、インフラになり物価が馬鹿高くなったら物で持っていた方が良かったとなるからだ、でも物だと貯蔵するに限界がありできない
それで本質的に人間は貯えることができないともなる


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2021年07月11日

貨幣(紙幣)の謎は深いー金に物のような価値を感じない (親が残した家には具体的に価値をいつも実感する)


貨幣(紙幣)の謎は深いー金に物のような価値を感じない

(親が残した家には具体的に価値をいつも実感する)

貨幣とか紙幣とか何かという時それには様々な見方がありわからなくなる
ただ単純に考えれば貨幣でも紙幣でもそれ自体にはいくら金だとしても価値を感じない
確かに小判だったら金貨なのだからその金貨自体に価値がある
その金を加工し材料として使えるからだ、だから金本位制になったこともわかる
もし今でも江戸時代の小判だったら価値がある
それは歴史的価値と金そのものの価値が減少しないからである

貨幣とか紙幣の問題としてその物自体に価値を感じない、ここに紙として一億円積まれたとしてもそれは紙に過ぎないともなるからだ
ただ黄金の貨幣を積まれると違ったものになる
私の母は紡績工場で糸取りして働いていた、その時給料代わりに米を何俵かもらった
それを親に与えたら喜んだという
それは苦労して働いて米となってもらったからだ
もともと江戸時代が貨幣の紙幣の代わりをしていたのは米だったからそれがつづいていたともなる、石高で大名の力か計られていたからである
侍の給料も米で石高として与えられていたからである
そうなると具体的に価値が実感できる

だから貨幣ではなく紙幣ではなく物で給料でも何でも与えたりすればいいという人がいるというのは米を与えればその米が農民が苦労して作ったものとしてその重みを感じるからである、貨幣になると具体的な価値をとして実感しないのである
だから人間の労働を貨幣に代えるとその時点で別なものになっていた
貨幣とか紙幣自体に価値は感じないのである
だから紙幣を一億円積んでもそれ自体に価値を感じないのである
だから本当にただ紙くずになるという不安にさいなまされているのだ
それで最近預金封鎖があり本当に紙幣が紙くずになってしまうということで不安になる
実際に私の母親は前の夫が事故で死んだとき一生食べていける金をもらったのである
でも戦争が終わり本当にその紙幣が紙くずになったのである
ただわずかの土地を買ったものが残っただけだったのである
預金封鎖とか金の価値はそうなるから怖いのである

でも何か例えば家があるとする、今まではあまり家の価値を考えなかった
それがこの家を残した親が家族がみんな死んでこの家の主になったとき家のことを考えるようになった
この家は二回も床上浸水になった、最初は伊勢湾台風とかの時であり古い平屋のトタン屋根の家だった、それでその土地は私の父親が買ったものであり街の中て一番低い土地だったのである、でもそういう土地でも戦後まもなく小さな店を開き角にあり繁盛したのである、その時はスーパーもないし車もない徒歩の時代であり近くの店で買い物していたからである、私の家族は全然商売上手でもなかった、ただ場所がいいのと時代に恵まれて繁盛しただけなのである
こうして水害で大きな被害にあったため二階建ての家を作ることが悲願になりまだ回りでも貧乏な時代にいち早く大きな二階建ての家を作ったのである
だからこの家に今一人住んでみると家の価値をつくづく感じるのである
とくに知的仕事となると大きな家に住むことがいいことがわかった
狭い家で部屋だと窮屈になり思索に向いていないことがわかったからだ
広い部屋でゆったりして瞑想したり思索したりすると何かひらめくもなることがわかったからだ

いづれにしろ自分はこうして知的仕事をできるように親によって時間でも家でも与えられていたのである、引きこもりでもそうである
別に引きこもりでも何も言われず自分はこの家に籠もり自分の好きなことをしていたからである
ただ本当は20代でも30過ぎても実は留学することができた、それだけの金が実はあったのである、自分はないと思っていた、でも家族にはそれだけの金があった
でもないと思っていたから留学はしなかった
その頃海外旅行でも馬鹿高いものとなっていたし留学となれば特別な金持ちしか行けないものだったのである、そういう時代だからそこまでは恵まれなかったのである
現実にヨ−ロッパに行った人はシベリア鉄道で行っていたのである
飛行機代が馬鹿高いからそうっないたのである

とにかく老後になると家の価値が大きいとつくづく思った
コロナウィルスでもテレワークとなると広い家が必要なる、なぜなら家が仕事場になるからだ、知的な仕事をするにはやはり書斎とか大きな家が必要になる
でも日本では狭い家が多く恵まれていないのである
人間が価値として認識するのは貨幣とか紙幣とかからではない
実際の具体的なものからなのである、貨幣を紙幣を使って物を買ったりしたときなのである、貨幣や紙幣をいくら貯えていてもそれが価値あるものと思えないのである
だから蔵に米俵を積んであればそれで価値を実感できるのである

何か貨幣や紙幣の価値は本当に百からゼロにもなる、でも現物だったらそんなにはならない、ゼロにはならないのである
ただ本当の価値は現物にあり貨幣や紙幣にはない、だから金の価値は大きく変動する
一定した価値を持てないのである

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

家の価値は住んでみて飽きないものがある、それもその土地の材料で作られたものでありその土地の人々の力で作られたということで価値がある、奈良の山なるということで価値がある、それは外材ではないからである
何かここに一億円の紙幣を積んでいるよりこの大きな家の方が価値があるとみる
それは家には具体的にそこに費やされた材料とか労苦と技術とかを感じるからである
ここに何か貨幣とか紙幣の根本的な問題がある
紙切れかとコインでもそれ自体に価値を感じられないからである
何か価値あるものを持ちたいという時、貨幣とか紙幣と交換して具体的なものでもっていたいとなるのは当然だとなる
ただ米俵でも積んでおくこともできない、貯蔵できない、だから家とか具体的な実物で価値を感じる、そこに家を残してくれた親に感謝するとなる
それは具体的に家から親のこともありがたいと感じるからである
貨幣とか紙幣からは感じにくいのである、そこに貨幣と紙幣とかさらに数字だけとなる金についても価値を実感できないという問題がある

posted by 老鶯 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年07月06日

働かなくてもいい社会の未来 (ニート、引きこもりをすすめるひろゆき)


働かなくてもいい社会の未来

(ニート、引きこもりをすすめるひろゆき)

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無能な高齢者やニートは足手まといで邪魔なのでどうぞご自宅で待機なさって下さい
https://www.youtube.com/watch?v=-RIHYtJ7b_0

何か私がひやゆきに同感するのは私自身が引きこもりであり仕事しないで人生終わったようになったためである
団塊のの世代はほとんど猛烈社員、企業戦士となって働いた時代である
だから働かない人とかはほとんどいないからそんな人はいないと見られたし関心もなかったのである
なぜニ‐トとか引きこもりとかが問題視されるのか?
それは結局数の問題なのである、数が多ければ社会でも支障を来すからなんとかしようとする
別に少人数だったらそんなもの変わり者であり放っておけしかならないのである
社会とはなんでも数で決まる、なんでも数で計算している
それは科学的なものでも放射線量も数だったしコロナウィルスでも常に感染者数で数で判断されている
全体を動かすのは数なのである、カルト宗教団体でも数である、中味などどうでもいいのである、それだけの数がいるということで社会に影響を及ぼすから数を集めるのである
数が多いと何かあると社会ではみる、数が少なければそんなもの話題にしもしないとなる民主主義とは選挙でも投票数であり何でも数で決まるのである

能力ない人はかえって働かない方がいいとか言うのは有能な働いている人の足を引っ張るからだとか言う、また老人は働くべきではないというときかえって若い人の職を奪うからだとも言う、無能な人間は足手まといになるから働くなという
それでベーシックインカムを奨励する
働かないで金をもらえないと食べていけないから最低限は補償してやろうということである
そんなことしたら勤勉で成長した日本社会が崩壊するという旧来の人たちが年寄りがいるそこに世代の差が生まれている、そもそも60万以上とか働かないニート、引きこもりがいることが団塊の世代などからすると理解できないことなのである
私自身はそういう人達と違和感がない、というのは自分自身がニートであり引きこもりで遂に人生も終わるとなるからである
ただ自分は好きな勉強はしてきたし旅したことで見聞を広めてその経験を俳句や短歌や詩にしたりいろいろ書いているのである
だから旅したことでもそれが無駄だとはなっていないのである

ただ自分がニートとか引きこもりを見る時、それは何なのだろうと見る
なぜこんなに多いのかともみなる、そして許されているのかということもみる
団塊の世代にはまずそういう人はまれだから誰も気にとめなかったからである
変わり者としてあり社会全体でそんな人はどうでもいいし話題にもしないのである
話題にしているのは経済成長とかでありそんな人はいるか気にもとめなかったのである
ただ堂々と社会にニートだとか引きこもりだとか図々しく言って悪びれないのが違っている、おそらくそれは時代の差なのである
別に働かなくてもいいという余裕がある時代だからそうなった

もともと働くという言葉が端を楽にするということから起きている
家族でも懸命に働く人を見ていると少しでも楽にしてやりたいと家族なら見るからだ
それで貧しい家庭で育った後進国の若者は親を楽させたいということがあり出稼ぎして
仕送りしたりする
今でもそういうことがあるにしろそういう感覚は薄れて来た
たいがい戦前とかは親のために子が働くのが普通だったからである
子供は労働力となっていたのである、私自身も子供の時、店で配達をさせられていたからである、今子供の時カラ働かせるということはない、子供は勉強しろという時代だからである

時代が変わると価値観が変わる、かえって働くことは社会にとって害になる
老人は働くな、若者の職を奪うことになるから働くなということは何かただ働くことが肯定できない時代になっていたのである
それは機械化されたりまたAI化されたり人間以外の労働力が大きなものになると人間は自ずと働かなくてもいい、生産はできるとなる
でも食べていかなければならないから最低のものは与える
それがベーシックインカムだとなる
責任をもって有能な人が働く、あとは働かなくてもいいとう時代になる

老人なってひっこんでいればいい、社会に出るな、ボランティアなどされると働いている人の迷惑にもなる、かえってめんどうが増える、邪魔になるとみられる
仕事する人は仕事するルールがあったりお互いの了解があったりしてしている、そこに何かわからないボランティアとか入ってくるとかえって邪魔だとなる
それは私が駅で道案内したと駅長であれ常にけむたがられて叱責されたことでもわかる
お前は邪魔だから消えろしかなかった、そして回りの人もそこで何しているのかとうるさくてお前はやる必要がないとあからさまに言われた
つまり働く必要は無人駅でもないとされたのである

他の人も退職した人が地域の相談役のようになったときもめ事にまきこまれて裁判沙汰になったことでもわかる
要するに善意であってもすべては受け入れられない、かえってめんなことにかかわって
もめごとをかかえこみ目障りになっただけだとなる

要するに邪魔な老人はひっこんでいろ、何もするな

無能な奴は何もしないでいい、有能な人に仕事はまかせろ

老人は働いて若者の職を奪うな

仕事は機械にまかせろ、AIにまかせろ、人間はいらない

駅は無人駅でいい、コンビニも無人化しろ

こんなふうになる、そこで膨大な老人が無用化してうろうろする時代にもなる
ただ認知症になるのはボケるのは嫁に「ばあちゃんは何もしなくてもいいですよ、テレビでも見ていてください」と言われた人がボケるのである
それで私の家族では同い年親が二人いたともなるが一人は早くに退職して何もしなくなった、優秀な女性だったが何もしなくなりボケのかともみる
看護婦だったからそういう人の世話をする仕事をしていたけど退職してから何もしなくなった、趣味のようなものをしていてもそういう方面には向いていなかったのである
だから認知症になっともみる、その原因はわからないにしろ脳が不活発になって脳の機能が衰えたと見る

なぜならもう一人の親は趣味もなもにもない大正生まれで働き詰めの人生だったがボケなかった、94歳くらいまで家事をしていたからである
趣味はなにもない、庭には花はいらないというくらいで働くことしかなかった
でもボケなかった、家事の仕事がその年まであったからだったのかとなる
家で役割があったがもう一人の親は役割もなにもなくなってただ何もしないそのうち認知症になったのかと見る

確かに社会は有能な人が働く、それで回るようになるかもしれない
でもここでの最大の問題は人間の生きがいなのである
別に仕事をしなくてもいい、ベーシックインカムで最低限の生きるものは与えられる
でも人間にとって社会で認められるとか生きがいを持つことが欠かせないものなのであるそうして社会から何もしなくていい、仕事もするなとなったときそういう人たちが別な生きがいを得られるのか?
それでみんなアーティストになれというのが不思議なのである
自分自身はアートを追求しているにしろみんながそれができるわけではない

そうすると何の生きがいもない人達が増えてくるとどうなるのか?

住宅に住んでいる女性は何か金属のきらきらしたものをぶら下げて回りの人と付き合わない、それでそのことが目障りで嫌だと隣に住んでいる人が毎日訴える
でもその人をどうすることもできないのである
なんでそんなことをしているのかわからない、そんな迷惑人間になっているのかわからない、何かかまってもらいたいなら話しでも愚痴でも言えばいいのだかしないのである
その原因がわからないにしろそんな偏屈な何かわからない迷惑老人も増えて来る
老人でも何か役割をもちたい、社会で持てないなら家族でも持ちたいとなる
でもそれもできないという時代になると何をすればいいのかというのが問題になる
高齢化社会というのはなにかそういうことが問題にもなる
人間はいくらベーシックインカムで食い扶持を与えられて生きろと言っても動物と違うから何か社会で家族でもいい隣近所でもいい役割を持ちたいとかなる
それもできないとするとき何をすればいいのかとなる
そのことがボケになる認知症になるとするとこれも大きな社会問題になるのである

いづれにしろ自分にとっては働かなくてもそのことで責められない社会は望むところだとなる、そもそも働かずに稼ぎもせず遂に一生が終わりとなりつつあるからだ
でも大多数にとってはそうはならないのである
これは人類的問題なのかもしれない、何か戦うこともなくなり人間が惰弱化して怠け者となりそれが人食い人間に食われる、それも抵抗もしないでそうされるというウェルズの小説にあった、人間がもう戦うことがなく惰弱となりそんなふうになったのである

80万年後の世界では、作品が描かれた19世紀末に想像されていた未来の人間社会が描かれます。その社会では人間は仕事をしなくてもよく、遊んで暮らせる存在。しかし主人公はやがてその人間社会がエロイとモーイックという別々の種族で成り立ち、社会はエロイ族が仕切っていることに気づくのです。

本作は、社会主義派であったウェルズが、資本主義社会の行く末と考えられていた「格差社会」を予見して描いたとされています。ウェルズの科学的知識が本作でも抜群に発揮されており、タイムマシンという好奇心を駆り立てる存在と共に、文明に頼りすぎると人間が陥りやすい危険性を力強く描いています。「タイムマシンーウェルズ」

これは有能な働く人と働かない無力化した人間に分化する未来を描いている
それが現代の状況を予言しているともなるから慧眼の人だったともなる

人間が働かなくなり惰弱となり役割もなくなりそれでただ人食い人間に支配されて食われるだけだとなる社会も恐ろしいとなる、人間が二分化してそうなる
ニートとか引きこもりが増える社会はそうして無気力な人間があふれただ今度はそういう人間は食われてゆくだけだとなる
ただ無気力になるというときすべて悪いとはならない
中国の若者の寝そべり族とがでできたのはただ共産党の言うままに奴隷のように働かないということである
そういう若者はとても戦争などしないだろう、血気盛んで勤勉で上の命令に従うだけの人は戦争でもする、でもそれに抵抗する若者が増えることは悪いとも言えない
中国は巨大化して脅威であるからだ、でもがむしゃらに働かないとか、上の命令通りにならないとかなるのは日本にとってもいいことなのである
そんな若者が日本と戦争して中国の奴隷にしろとかならないからである
「戦争なんかやりたくない、、寝そべって方が楽だ」そうなれば戦争は起きないとなるからだ

ともかく高度成長時代が中国でも終わりになりある程度豊かさが充たされると同じ傾向が生まれて来る、そうなれば中国は脅威でなくなるともなる
出世欲がありもっと金持ちになりたいとか物でもなんでも欲しいとか戦闘的な若者が多ければ日本をやっつけろとなり危険になる
ただ寝そべっている若者を見る時変なのだけど安心だともなる
だから自分は自分自身の引きこもりの経験からそういうにもみる
ただ普通は働くことは義務であり働かない人間は非国民だとなるのが普通である
俺たちはこんなに苦労して働いているのにお前はなぜ働かないのだとなるからだ
そういう目で見られるからである
でも価値観が変わるとそういう人もいていいじゃないかとなるとき価値観が変わったためだとなりかえって引きこもりでも無職でもニートでも住みやすいとなるのである
ただそういう人達で社会があふれたときどうなるのかは予想がつかない
社会自体機能しなくなり崩壊するともなる
少数だったら問題ないがこれだけ数が多いということが社会に影響するこもまた大きくなることで問題になるのである

こういう問題が起きているのは現代が日本でも中国ですら高度成長時代があり物不足とか
インフラでもあらゆるものが不足している時代とあらゆるものが備わったしまった社会との相違である
戦後の焼け野原は何もない時代から始まったからだ、それでどこの家庭でも飯台一つくらいしか家になかったのである
道路も土の道路であり舗装もされていない、あらゆるものが整備されていない時代だったそこではだからみんなが働く必要があったのだ
でもあらゆるものが備えられた供給される時代に変わった
するとかえって道路が必要もないのに作られたりする、北海道では熊が通っているだけだとか揶揄された、本当に様々なものが必要なのかどうなのか疑問になる
新幹線は必要であったがリニアは本当に必要なのだろうか?
それは自然を破壊して危険なものになるとか原発でも事故になってそれが本当に必要なものだったのかとか問われる
また宇宙開発とか火星まで大金をつぎこんで行く必要があるのかともなる
そしてオリッピックは結局今や一部の人のためオリンピック貴族のための金儲けのためだと判明した、つまりオリッピックする意味が意義がないとなったのである

結局意味と意義を求める時代になるときそれは哲学とか宗教の問題になる
何もない時代ならそんなこと考えない、橋がなかったら不便だから橋を作れとなりそれに反対する人はいないからである
でもあらゆるものが供給されるとそれが必要なものかどうか問われる
あるべきかあらざるべきとかとか哲学の問題になる
宗教ももともとそういうものだったが現代のカルト教団などはやはり物欲の宗教だった
物欲を満たすものとして宗教があった、だから本来の宗教とは全く違ったものであり

やはり高度成長時代に適応したものでありそれで創価などが巨大化したのである
宗教でももともと現世利益が神道でもありそれが日本的宗教だともなっていたからである
どうしても時代が変わると価値観が変わる、だから戦後70年過ぎて価値観が変わるからとまどうことになる、確かなことは物欲一辺倒の時代は終わったのである
だから高度成長時代のようにがむしゃに働くことが奨励される時代は終わった
そこにニートとか引きこもりとかがこれだけ増えたり中国でも若者の寝そべり族が出てきたりしているのである
中国でも競争が激しく猛烈社員が国家のために働くことが若者に強制されたともなるからだ、いづれにしろ明らかに時代が変わり価値観が変わったことでこういう現象が起きていることは確かである
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2021年06月28日

広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化


広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化

こうした変化が全世界的に波及した場合、莫大なエネルギーを投じて広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化が進む可能性が高くなる。広域経済が縮小されれば、資材の単価は上昇するので、これも物価上昇を誘発するだろう。

莫大なエネルギーを投じて広域でモノや人が移動する経済構造から、地域集約的な経済構造への変化が進む可能性が高くなる

コロナウィルスの影響の不思議はこうして広域経済とかグロ−バル経済に歯止をかけたことである
それはもうグロ−バル経済とか資本主義が限界に来ていたこともあった
それはもう識者であれみんなそういうようになった、
グロ−バル経済は超格差社会を産んだからである
世界の数パーセントが世界の富の50パーセントを持っているとかになった

奇妙なのはグロ−バル化とは世界の人々が世界的に連帯する、世界的に協力するものとしてすすめれられた、しかし現実はあらゆる分断が生まれたのである
EUからイギリスが離脱したりアメリカの製造業が衰退してロストベルトが生まれたとかアメリカの富も数パーセントの人たちが50パーセントの富を持つという超格差社会になった、それでトランプがそういう格差社会になり中産階級からおちぶれて低所得者になる人たちが増えたからその支持で大統領になった
そこに超富裕層と下層階級という分断が生まれたのである
これをそのままにしておくとアメリカが内乱状態になりさらに衰退する

モノ、ヒトが自由に流通する、移動するというとき大量の移民が安い労働力として入ってくる、そこでまた移民と自国民との対立が生まれ分断になる
こうしてグロ−バル化とはかえってあらゆるところで分断を生じさせたのである
国内でも広域社会になると地方と都会とか東京と地方で分断が生まれる
福島原発も東京と地方の問題が顕在化したものとして見ることもでき生る
危険なものは地方に福島に作った方がいいとなったからである
それで地方でも金になるから歓迎された、でも事故後は分断された

原発事故ではフクシマの人は放射能うつるから来るな!

今度は逆に

東京の人はコロナウィルスをうつすから来るな!

こうなったのであある、コロナウィルスまた様々な分断を生んだ
原発事故でも地元でも補償金でもめて分断した
何かあらゆることで分断が生じてきたのである
まるで時代が逆行してきたようなのである

コロナウィルスがうつるから関所を作り他国のものを入れるな!

極端になれば江戸時代にもどれとまでなる、結局広域グローバル社会の負の面が増大して限界に来たのだと思う
人間社会とはそもそも基本的につながりを共同体を作れる規模は小さなものである
顔と顔を見合わすような範囲での社会なのかもしれない
そういう共同体から世界共同体など作りえないものだったのである
こうして世界規模の経済になると「金」が最大の力となりあらゆるものが金で計られる
本当は金で計りえないものまで金で計り金にならないものは価値がないとされる
金でなんでも買えるとなり何か大事なものが金で計れないものが無視される
ところが金で計れないものの価値がありその価値が見失われたともなる
原発事故では故郷に住めなくなった、故郷に住むということには金で計れない価値があったがそれも失われたとなる

資本主義が限界にきたというときもそうである、すべてがコストと利益で計られる
そのために安全がないがしろにされて原発事故にもなった
コストとか利益とか求め効率を求めてゆくとそこで肝心な安全とかがないがしろにされたりする
そしてそのコスト削減のため資本家が経営者は従業員をいかに安く雇うかとなりブラック化する、時給千円で雇うより900円で雇い製品でもなんでも安くすれば競争に勝てるとなる、だからブラック会社には勝てないともいう
そういう極限までコストを追求して人件費を省き競争に勝つしか生き残れない
それが広域的にグロ−バル化に行われたのである
でもそれは人間を疲弊させるのである
ただ消費者にもれば安い方いいとなるからどうにもならないともなる

それで今若者が中国ですら寝そべり族とかそういう競争社会でこきつかわれるのが嫌だとなりそんな人たちが出て来た、日本でニートとか引きこもりが出て来たのと同じである
ただ団塊の世代は企業戦士になった時代でありそういう社会からはずれた人間が極わずかだったのである、それが自分であった、でもみんなその時企業戦士になっていたのであるがむしゃらに働く人がいて高度成長時代があったのである
でもそれもバブルがはじけて30年も過ぎて日本経済は停滞したままなのである
その時は物もないし何もない時代だった、家に小さな飯台一つがあるだけだった
裸電球が一つとか何もない時代だったのである、だから物欲も強かったのである
道は舗装されていない土の道路だったのである、インフラも整備されていなかったのである

いづれにしろ何でも金で計られるということが人間を歪める、すべてを金で計れないからである、何がどれだけの値段になるか、それが公平になりえないのである
それが世界でドルが基準通貨になったとき一番得しているのはアメリカであり覇権国になる,アメリカに富が別に何も生産しなくてもドルを刷れば世界から物が買えるとなった
それも理不尽なのだけどアメリカが覇権国であり逆らうことはできないのである
中国を批判するけどアメリカもやはり貢物を要求しているのである
公平な市場などなくアメリカに富が収集してくる、覇権国になったら必ず世界の富がその国に集中して来る、そこに公平な市場の経済原理など成り立たないのである

この辺でも経営者になった人でも東京の金持ちのためにの別荘とかを建てる
地元の貧乏人相手では金にならないとしてそうなった
遠くの金持ちのためにそれも世界になれば見たこともない接したこともない大金持ちのために働いているともなる、それがグロ−バル経済だったともなる
そしてみんな頭に金のことしかなくなったのである
震災以後絆を盛んに言われたが内部ではかえって絆は消失していた、外部との絆は生まれたが内部の絆は消失していたのである
それは経済の構造が変わったからである、グロ−バル化することは一地域の経済規模とは天文学的な数字となり違っている
そこで経済の動きなど誰もわからないのである
だからこそ覇権国になったアメリカのそれも極一部の数パーセントに金が集まる、そこでアメリカ内部でも分断が起きている

要するに「道徳無き経済」にもなり情なき経済となりただ過酷な資本主義のルールだけが貫徹される、それは何か時代劇で相手が病人でも借金でもとりたてるとか娘は売られるとかなる、そして地域の絆は喪失した、あらゆるものが分断される社会になったのである
情がどうだこうだといえばもうからないと甘いとかされる
そんなことでは生きることもできないよともなる
本来のまともな経済は貨幣を介さないものであるがそれはできない
そもそも貨幣が発明した時から貨幣によって社会が乱れたことを嘆いていた
紀元前7世紀とかから嘆いていたのである
貨幣そのものが不公平をもたらすものだった、でもそれを否定して社会が成り立たない
確かなことは狭い範囲の村の様な範囲の経済だと貨幣は力はもたない
その住んでいる社会が拡大するに比例して貨幣の紙幣の力は強大になってくる
それが可能にしたのが運送する技術の発達だったのである

この辺で梨農家がありリヤカーで相馬市まで売りに行ってたという
そうなると苦労になる、それより近くの人に売った方がいいとなる
でも相馬市だと売れるとなるから苦労して運んだとなる
今なら車ですぐに運べれるからその経済の範囲が拡大する
それが世界的にグロ−バルに拡大したのが現代経済だとなる
ただそこに様々な歪みがもたらされたのである
コロナウィルスがそういう時に流行したというのも不思議である
時代の節目に流行したともなる
やはり人間だけの力ではないものによっても社会は変わる
原発も津波によって砕かれた、そのままだ日本中が原発に埋め尽くされてどうなったのか本当に日本崩壊になったからである、その歯止になったのが津波だったともなる
コロナウィルスもそうでありこれは自然の作用でありそこに神の関与があったともなる
つまり社会を見直して大きく変革する時期になったのである


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2021年06月27日

広域化グロ−バル経済の負の面の増大 (地域の絆は失われ遠くの金持ちのために働く社会)


広域化グロ−バル経済の負の面の増大

(地域の絆は失われ遠くの金持ちのために働く社会)

経済が生活が大きく変わったのは明治以降と戦後である
明治以降はそれでも第一次産業中心であり農民中心の社会である
それは絹織物でも生糸の生産、蚕を飼う農家が本当に多かったからである
それは今でも兜屋根の家がそちこちにあるからわかる
養蚕は農業でもあったからだ
すると農民共同体があり江戸時代からの継続でもあった
確かに侍とが支配していた江戸幕府の封建体制は崩壊した
でも生活の継続があり依然として農民中心の社会になっていたのである
すると農民共同体というのがまだ活きていたとなる

戦後でもやはりその継続があった、農民の割合が依然として多かったのである
でも電機産業に変わった時農民の役割は激減した
今だともう第一次産業は一割にも満たない生産しかない
漁業でも林業でも農業でもそうである
戦後まもなくは東京へまだ石炭とか木材とか石材でも東京に送っていた
それで網の目のように森林鉄道が張り巡らされていた
そのために原町機関区があり平駅についで大きな駅になっていたのである
その時はかえって農山村の人口が多かったのである
飯館村でも一万以上いたとかなる

でも一次産業は衰退の一途をたどった、電機産業工業中心の社会となったからである
そこからグロ−バル化経済になり工業製品を電気製品を外国に売ることで高度成長時代を築いた
でもそれも一時的な繁栄だったのである、日本の電器産業が中国や韓国と同等なり追いつかれた、それはまねすればどこでもできるものだったからである
それで日本人が特別優れていたということではなかった
そこで日本人は特別優秀だということは原発事故で「安全神話」が崩壊した
日本の技術力はそれほど優秀でもなかったのである
むしろ今や中国より貧困化しているという
中国の給料は確かに日本より安いというが中国では生活を安くできるのである
そもそも基本となるものが公共料金が安くされているとか日本の生活実感とは違う
この生活実感は数字だけではわからないからである
中国旅行したときその時は十分の一の物価にしろ何か朝食とかでもお粥とかでも本当に安いのである、だから今でもそういう基本となるものが安いから給料の差で判断できないのである

ともかく第一次産業が日本で衰退した時、グロ−バル経済となったときそこに現代の問題が生まれた
農業でも農業はやるなと親に子供が殴られたとかあったり山の林業は外材に押されて衰退した、それに変わったのがこの辺では原発だったともなる
漁業にしても実際はそれで生活できないと東電に漁業権を売りわたしたのである
つまり漁業も衰退産業になっていたのである
その経済の変化が実生活に大きな影響を及ぼした
これまでの産業は地元に地域に地方が生産したものが都会で利用するとなっていた
石炭があれば常磐炭鉱があり東京に石炭を汽車で送っていた
蒸気機関車でありそのエネルギーは石炭でもあったのだ
その時はかえって地方は地域は活きていたともなる
それがエネルギーでも石油となり木材は外材とかなりグロ−バル化するともともとあった地域の産物が無用化したのである
ただ電器製品を輸出して売れた時は高度成長となり問題なかった
でも売れなくなったとき日本は低成長時代となり低迷して今や大貧困国だとまで言われるようになったのである

そしてグロ−バル経済というのは人間の心を歪めるものとして働いた
何か遠くの金持ちの方が大事になり近くの金のないものは貧乏人は金にならないから相手にしない、そのことを書いた
漁業でも実際は零細でありそれで遠くの金持ちのために最高級品のマグロは青森でとれたとかしても東京の高級店に送られる、そこで3万の寿司店で食べる人がいるとなる
そして地元では漁師は食べたとしても回りの地元の人は食べられないとなる
それが昔だったら新鮮なものを輸送できないから地元で消費させるとなっていたろう
その時地元の人はありがたいとして漁師に感謝していたかもしれない
そこに地域共同体が機能していたかもしれない、ただやはり石鰈などは高いからみんなが食べられるというものではなかった
でも東京の金持ちのために漁をしていたとはならなかったのである
そこで地域の人は漁師を貴重な人として役割ある人として認めていた
だからそうして危険を犯してまでとれたものをとってくれた漁師に感謝していたとなる

でも広域化グロ−バル化するとそういうことはなくなる
むしろ遠くの金持ちの方が上客でありその人たちのために売るために魚をとるとなる
地元の貧乏人相手にしても金にならないとなる
すると漁師と地元の人との関係は希薄なものになる、むしろ遠くの金持ちのために働いているとなる、すると地域の一体感は失われるのである
震災以後盛んに絆、絆を言われたがそれはあくまでも外部との絆だったのである
外部の人がボランティアであり仕事でも来ていて復興のために働いたからである
内部の人は実際はパチンコとかギャンブルで遊んでいた人たち多かったのである
これも広域化グロ−バル化社会で起きたことである
そこにもプラスとマイナスの面が生まれた

今度は漁師にしても魚とるだけではやっていけないから原発を作る東電に漁業権を売りわたした、そして事故前も事故後も他より多額の補償金をもらい別に魚をとらなくてもゆうゆうと暮らすことができたし原発御殿が建っていてうらやましがられていたのである
もともと漁師は魚をとることで地域の人として役割がありそれで感謝されていたのであるただそれが衰退産業化したとき東電の原発に頼ることになった
それは漁業だけではない地域全体がそうなったのである
でも事故になったときその責任が漁師にも問われたとなる
それは地域全体の崩壊現象が起きて故郷に住めなくなったからである

いづれにしろ広域化グロ−バル化は地方に地域に大きな影響を及ぼした
遠くの人を大事にして遠くの人がお客様となりその遠くの金持ちのために働くのが地方の人だとなる
それを象徴していたのが東京で三万の寿司を食べる人がいてその素材はマグロでも青森とか遠くから飛行機でももたらされるとういことである
また観光にしても地元の人より外国人をもてなすのである

日本の貧乏人をもてなしても金にならない!

こうなったのも実は日本の物価が外国より安くなったからである
日本では給料もあがない、でも外国では上がっているのだ
タイすら物価が上がっている、私は海外旅行を十数年していないからわからないが
外国では物価が上がり日本では安くなったから外国人が中国人なら爆買するとかなる
そして貧乏な日本人は相手にしないとなる
これもグロ−バル化がもたらした負の面だとなる
その負の面が大きくなったのが現実に実感するようになったのである
そうは言っても日本人自身が十数年前海外旅行ブームであり安い物価の外国で楽しんでいたからこれもカルマだとなる
今度は日本人が物価が安くなり外国人をもてなすことになったのである

そこで日本の旅館でもホテルでも金のある遠くから来た外国人がもてなされる
金のない日本人は相手にされないとなった
それでコロナウィルスで外国人が来なくなったり東京の金持ちが来なくなったので地元の人を福島県だったら県内の人を安くしてもてなすともなったのである
もともと高級旅館がありそれは東京の金持ち用なのである
何にしろ金のない人は誰も相手にしないというのが現代である

でも江戸時代とか何か戦前でもまだ地元で経済が回っていた

それで芭蕉の俳句で

「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」

とあるとき湯治というのは農民が農作業で疲れをいやす場だったのである
それは地元の人たちをその労働の疲れをいやす場として提供していたのである
遠くの金持ちのためではないのである、それで東北には湯殿の碑とか本当に多いのであるそこは湯治の場だったのである
そういう所には百万都市江戸があっても来れない、だから地元の人たちが癒す場として温泉があり湯治があったとなる

とにかく広域化グロ−バル化経済というのは限界に来た
それは人間を歪めるものとして働くことが大きくなったのである
「隣人を愛せ」というけど「遠くの金持ちを愛せ」となったのが広域化グロ−バル化社会にもなったのである
隣人がもっともないがしろにするのが広域化グロ−バル経済なのである
ただ広域化グロ−バル化がすべて悪いとは言えない、ただそれが過度になりその負の面が大きくなりそれが人間を歪めるものとなったから問題なのである

都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会
(東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)
http://musubu.sblo.jp/article/188792157.html
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2021年06月26日

都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会 (東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


都会と地方の格差、広域グロ−バル化は分断社会

(東京の寿司が三万円ーひろゆきの体験談から)


1人〇万円の超高級寿司!「銀座 すきやばし次郎」を語るひろゆき 

日本のここが凄い!日本のある技術についてひろゆきがべた褒め

なぜひろゆきが人気があるのかわかる、まず海外で生活して働いていたのと幅広い経験をしていることである
もちろん最先端のIT技術者でもあり2ちゃんねるの創設者だったことである
ただなぜこれほどの広範囲な知識がそれも実体験からの知識があり経験を語れる
本読んだ知識とは違うのである
何かを語れる人物はたいがい外国に実際に仕事したとか暮らしたとか経験している人なのである
それが加治将一チャンネルとかもそうである、武田邦彦氏でもそうである
そこで現実に外国人と渡り合い仕事している
そうすると日本がどういう国か日本人がとういう国か見えて来る

ただそれでもやはり見方は相当に違ったものにもなっている
明治時代になるとやはり新し時代を築いたのは外国留学派とかである、たいがい外国で学んで大学で創始者になったりしているからだ
だから海外の留学経験がのちのち大きな遺産となる
ただ海外旅行だと表面的なことしかわからない、それでも地理を知るだけでもそのスケールの大きさを知るからいいのである

何か壁職人のような人が外国にはいないというときもそうなのかとその相違の説明に感心する、外国では壁塗りにこだわらない、コンクリートだとただ平面にするということだけであり日本の様な土壁のような丁寧な作り方はしないという
自分の家は古く土壁だった、その土壁にしたのも自分の家で最後だった
そしてその後は土壁職人いなくなったのである
土壁となると手間暇がかかるしめんどうになるからだ
だからこれを見て土壁とは壁塗り職人とは日本文化なのだとわかった

それはなぜわかったのか?つまり外国と比較してわかったのである
第一コンクリートの技術は相当に古い、ローマではコンクリートの技術があったから建築でも壮大なものが作れたし道も作れたしインフラを整備できたともなるからだ
ただコンクリートだとでこぼこになっても気にしないとか何か日本の壁とはまるで違った感覚になっていたのである、ペンキを塗るというのにはこだわるが壁を平面にするとか日本のように丁寧に壁を作るということにこだわらないのである
それがまさに文化の相違だったとわかった
いづれにしろこういう相違は身近でも外国で生活してみないとわからない、そこで外国で生活した者としないものの差が生まれているのである
それはささいなことでも日本との差に気づきそれで日本に住んでいる人より日本を外国と比較して知ることになる、だから外国での生活経験はあとで活きてくるのである

それから1人3万円の超高級寿司のことを聞いて驚いた
この人は相当な金持ちであり貴族なのだと見た
まず田舎で私自身は貧乏症であり千円でも料理は高いと思っている
だから千円以上のものを注文することができないのである
また田舎ではそんな3万の寿司など食べる人はいない、またフランス料理店などもない
たいがい千円くらいである、需要がないからだ
そこで気づいたのは東京と田舎の差だった
寿司の味はその素材で決まる、素材が良くなければいくら料理がうまくても基本的にうまい寿司は作れない、素材の差をごまかすことはできない、マグロでもいろいろあり安いマグロではうまい寿司は作れないというのわかる

でもここで考えたのはこの東京と田舎の格差である
田舎で地方で苦労してとった魚のいいものは東京の金持ちが食べているのである
そこでは輸送費もかかる、新鮮なものは飛行機で送るからである
寿司は新鮮でないとうまくない、魚自体がそうである
それで松川浦の漁師が私は二三日過ぎた魚は食べないと言っていた
それが魚をじかにとるものの贅沢だったのである
でもここで考えたのはこれはまさにグロ−バル化経済の格差を産みだしているのと同じだと思った

そこには百倍の差がとんでもない格差がある!

地元の人が漁師が苦労してとった魚は東京の金持ちが食べる、地元の人の漁師くらいは食べても地元の貧乏人は食べられないのである
それはタイとかで海老の養殖をしている人はその海老を食べられないとか放送されたこともある、何かそうして食べ物でも格差がある
そういう経済は実際は歪んでいるのである、そのことは前々ら指摘してきた
新鮮な魚をとったものは地元の人に回っていたのである
ただ地元でもまた金持ちの人がその魚を買っていた

松川浦でとれた魚を売りに来る人がいた、石鰈はこの辺で美味であった、でも高かったのである、ただ高いと言っても寿司を三万で食べるのとはせいぜい二倍くらい高いとなる
東京だと十倍以上にもなっていたのである
それは運送費がかかるのも加わったそれだけ高くなっていたのである
もともと江戸前寿司というのは江戸の海でとれた新鮮なものを食べるということでた始まったのである、その活きのいい魚が今は地方から田舎から運ばれるようになったのである
ともかくこういう広域経済とかグロ−バル経済というのは何か歪みをもたらしていたのである
地元の人は地元でとれる魚を満足に食べられずにいいものは東京の金持ちが食べている
それだけ価格差があれば当然漁師でも高い方に売ることが第一となるからだ

地方の地元の貧乏人など相手にしても金にならない!

こうした経済の歪みが実は原発事故の原因ともなっていたのである
近くの人は東京の金持ち相手にログハウスとか別荘とかを提供する事業を始めて失敗した
それはこれと同じだったのである、田舎の貧乏人を相手にしては金にならないということなのでる
漁業組合とかは船主とか漁業権を東電に売り渡して原発御殿を事故前にも建てていたのである、それで地元の回りの人たちはうらやましがっていたのである
私は知らないから漁師は危険な海で魚とるのが大変だなとか漁師で暮らすのは大変だなと見ていたのである
でも実際は全然違っていたのである、船主は悠々として金には困らない、事故後も立派な家をいち早く建てた、その補償金が他とは違って大きいものだったからである

なぜそういう矛盾が生まれたのか?

経済が広域化してグロ−バル化したからである、遠くから運ぶことができるようになったからである、どんなことしたって寿司の魚を江戸時代なら新鮮なものを運ぶことは不可能だからである、だから江戸前の魚になっていたのである
それがまた逆に経済の歪みを作り出していたのである

地元の貧乏人を相手しては金にならない!

その差は3万の寿司で十倍にもなっていたからである、これはグロ−バル経済となり同じようなことが世界で起きているのだ
数パーセントの人に世界の金が集められその人たちは贅沢し放題となっている
その人たち3万どころではない、10万でもそういうものを食べるのである
そこに具体的に現代のグロ−バル経済の歪みが見えて来る
ただ東京でその格差が大きいのである、コロナウィルスで物乞いも増えたというのもそうである
それは今までありえないことだったとしているが表面化しのである
だから東京でもみんな三万の寿司を食べていないのである、その格差も大きいのである

ただ私自身の価値観そもそも都会は性にあわない、ごみごみした密集した所に住みたくないからである、だから別に食べなどどうでもいい、腹を満たせばいいとしかない
だからうらやましいとも思わないのである、車も欲しいとも思わない
それは私はそもそもずぼらであり運転に向いていない、都会に住むのも向いていないからである
でもこのことを聞いて何か現代の経済の矛盾を感じたのである

つまり簡単に言えばこうである

漁師さんたちは東京の金持ちの方が優先で地元の貧乏人は相手にしないのですね

すべて金持ち優先であり地元の貧乏人のことなど関知しないとなっていたのである
結果的にとうなったのか?
今度は東京から東電が来て原発を建てるとなると多額の補償金をもらいるから漁業権を売りわたしたのである、そして大事故になった
それで今度はトリチウムを海に流すなというけどそもそも漁業権を売りわたしたのだから反対も本当はできないのである、金は具体的な責任でありカルマとなっていたからである
なぜそういうことになったのか?

それはまず地元の地域の経済で共同体をベースにした経済ではなくなっていたからであるそこに地域の繋がりとか絆というのはなくなっていた
地元のことをまず考慮することはない経済である、まずは金だ、金だ、すべてが決まってしまうのである
漁業が苦しいという時も金だ、東京の金持ちに魚を売れ、原発も金になるからいい
補償金ががっぼり入るからいい、それも金が第一だからそうなったのである
金が大事にしてもすべて金を求める時何か歪んでしまうのである
何か本来あるべきものが金によって無視され歪められるのである

それは今の資本主義とかグロ−バル経済で起きていることでありその矛盾が限界に達している、そこは道徳無き経済とかなって世界中が環境でも破壊されたり矛盾が現れて崩壊するともなる
そもそも世界的公平な市場などありえないのである、貿易とか商業とかが必要でもそれが度を越えたものとなり社会自体を歪めてしまったのである
その結果として地元に人が住めなくなって町や村が消滅してしまったのである
深く原因を考察すればそうなる

ともかく日本に住んでいても日本のことはわからない、また田舎に住んでいると都会のことはわからない、都会にすんでいるとまた田舎のことはわからないのである
そういう矛盾が広域経済とかグロ−バル化経済で矛盾が現れて是正する時が来たのであるコロナウィルスでもそうである、これもそうした世界の人々が自由に往き来するとか
モノ、ヒトが行き来するというのにも歯止めがかかったからである

本来人間がどうあるべきか、どういう生活をするべきなのか?

それが問われたのである、それでコロナがうつるから東京の人は来るなとなった
前は放射能がうつるから福島の人は来るなと言われた
この原発は東京の人にも大きな責任があったのにそういうことを言ったのである
だから今度は東京の人は来るなとなった、カルマとなったのである

結局広域経済とかグロ−バル経済とかが一見いいように見えても様々な分断を世界でもたらしたというのは本当である、移民が流入すれば人種差別となりまた金持ちと貧乏人の格差で分断が起きて都会と田舎の分断が起きたのである
だから今はその反省の時期となり社会の在り方を見直す時期になったともみる



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2021年06月19日

【ひろゆき】資本主義の限界について語る (価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)


【ひろゆき】資本主義の限界について語る

(価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)

https://www.youtube.com/watch?v=iWXlqJppEas

武田邦彦氏がひろゆきなどを労働を否定しているので批判している、労働は国民の義務だとしている、それが普通である、日本人はもともと労働することが強制というものでもなく労働自体に価値を見出してきたからだとしている
欧米系統になると聖書の教えで神からの罰として労働が強いられたとしている
だから労働はするべきではないということで奴隷にさせたとなる
またヨ−ロッパとかで奴隷階級が生まれたのは大陸では支配するものと支配されるものとに分かれた、常に大陸はつながっているのだから領地争いになり万里長城もできる
そこで支配する者と支配される者が生まれる
スラブ民族はスレーブは奴隷の意味なのである、それは東欧がそういう民族だったとなる日本ではそういう歴史がないから特殊な民族だったとなる

武田邦彦氏が旧来の労働を言うとき何か自分は反発する、それは結局人間は自分の経験から語るからである、一流の科学者技術者が労働について語るのと底辺労働者が労働について語るのとはそもそも根本的に違っているからだ
そういう人は労働はもう楽しいものであり苦痛ではないのである
でも底辺になると食べるための強制になる、私は底辺であり流れ作業や肉体労働などばかりさせられていたら労働自体嫌悪するのである
ただ肉体労働でも例えば職人を見ているとその人は生まれつき職人のようにみえる
仕事ができるし仕事が好きなのである、そういう人は別なのである

仕事というのは強いられたものと自ら望んでやる、適正があり興味があるのとは雲泥の差がある、でも一流の科学者技術者が労働を語るのと底辺労働者が語るのでは全然違ったものになる
だから武田邦彦氏がベーシックインカムは日本を滅ぼすというときもそうである
でもベーシックインカムは時代で言われてきたのである、機械化ロボット化する社会で言われてきたのである、特に知能労働でもAIが発達してきて言われたきた
ロボットというのは昔の奴隷の代わりになるものである
したくない仕事をロボットに機械にしてもらうのである、そして人間は人間にしかできないものを仕事とする、実はそれこそ理想なのである、実際ロボットではできないもの機械ではできないものAIではできないものがありそれをするのが人間的なものを追求する社会になるからだ

自分の場合は社会からはずれて旅ばかりするようになったのは底辺でしか働いていないからである、それで労働に嫌悪するようになった
たまたま家庭環境に恵まれてそれができたのである、だから親に感謝しているのである
どうしても自分にとって学校とか社会とか集団生活にてじめないからである
でも自分に興味あることを追求してきたのである
それは金がかかっても一銭の収入にもなっていない、社会から認められたこともない
でも遂にもう死ぬ時期になってその成果をプログなどで出すようになった
何か自分は自分一人でもこうして発言できるものに向いていたのである
ジャーナリストとかにも向いていたがそういう場に職を得られなかっただけなのである
まず人間は自分の向いている仕事などになかなか普通はつけない、不本意なものをさせられている、だからこそ会社員は自らを社畜と言っている奴隷と言っているのである
そういうふうに言うこと自体労働がすべていいものではないことを知るべきである
ただ人間は労働なくしてありえない、社会の存続もありえない、ただ本来は社畜とかではなく自ら選んで自分の適性ある労働するのが理想である、ただそれは本当にまれにしかないように思う

職人でもうまれつき職人のような人がいる、その人は仕事ができる、仕事を追求しているいい庭も作る、家のことも知っている、その人はだから仕事をするというとき金のためでもあるがその仕事が向いているし仕事ができるということでそれを他者に示したいのである、だからしきりに自分の仕事を自慢するのである
その人は自分が仕事ができて才能でも体力でもあることを示したいとういことで仕事している、だから単に金だけが動機ともなっていないのである
ただそれだけの仕事ができるのだから相応の金は欲しいとなっている
でもその人は仕事をするというときその仕事そのものに熱中するのである
だからいやいやながら仕事するのは違っているのである
おそらく本来の仕事は別に金をもらえなくてもやりたいことをすることである
確かにそこには訓練も必要だがそういう仕事はいやいやながら金のためにやらされる仕事ととは違ってるのである

ともかくなぜこういうことが今問題になるかのかというと本当に引きこもりとかニートとかが普通にいる社会である、それでそういう人と田舎で自分は逢う、なぜこんなに働かない人が多いのか、それも普通にいるのか、それが労働を強いられた高度成長時代と違っている、企業戦士として働いた時代とは違っている
そもそも老人がこれだけ多くて働いていない、おそらく日本では三分の一くらい働いていない、こういう社会はありえなかったのである
その数が多から社会でも困るとなる、団塊の世代などはまず働かないとか無職とかなると本当にまれである数百人とかの単位かもしれない、それが60万人とかそれ以上になるのは考えられないとなるからだ
それで社会でも困るからなんとかしろとなっているのである
本当は無職とかはアウトサイダーであり芸術家とかに多かったのでありそれは特殊な才能がある人でそうなったのである、だからそういう人は悲惨なことになった
ゴッホとかいろいろいる、それらの人は天才であり今のニートとか引きこもりとかは全然ちがったものである、ニートとか引きこもりは普通の平凡な人が今ではなっているからだ

いづれにしろ奇妙なことは時代が変わり価値観が変わったのである
戦後の焼け野原から始まった高度成長時代と今は違っている、物質的にはある程度満たされている、戦後十年は食べるものさえなかったのだからそういう時代とは違う
だからこそ好きなことをやれとか盛んに言う人が増えたのである
今までの労働観とは違ったものになっている、だから私はどちらかというと特殊であり
必ずしも無職であれニートとか引きこもりでもいいじゃないかということにもなる
ただこれも実際は相当な問題がある、社会性がなく将来厳しいものになる
それを親の介護でいやというほど経験したからである
だからいちがいにいいとはならないのである

人間はとにかくその人の経験から語る、その経験も限られているから偏見になる
また人間はその時代を生きて語るからその時代の価値観から逃れられない
また人間は一つの国で生活するからその国の価値観から逃れられないのである
それでひろゆきが外国旅行するならキャーバとかミャンマーとか北朝鮮がいいというときやはり広く外国を肌で知っている人は違っているなと思った
トルコのイスタンブールに滞在していたとき50歳くらいの会社をやめた名古屋の人が
シリアに行った、その人たちは純朴といいと何度も言っていた
シリアというと社会主義国だった、だからそんないい印象がない、でも実際そこに住んでいる人は純朴だったのである、それはラオスに行った人もそう言っていた
つまり資本主義国だとどこも同じ価値観になる、金が唯一の価値になる
でもそういう国ではない価値観に生きる人もある、そこで学ぶ方が多いというのもわかるだから先進国より遅れた国の方が学ぶことが多いというのも逆説である
必ず時代によって国によって価値観が変わってくるからである
これが地上から離れて天国に行けば全く価値観の違った世界に入る
この世にいればどうしてもこの世の価値観に染まるのである、これはもう絶対に脱することができないのである、死んで初めて脱することができるとなる

だから社会主義が必ずしも悪いとはならない、むしろ弱肉強食の資本主義はかえって人間をゆがめたともなる
資本主義は人間を幸福にするとはならなかったのである、民主主義も愚民主義になりいいものとは必ずもならない、とにかく人間社会はそもそもいろいろ体制があっても人間自身が変わらないから同じなのである
人間というのは決して欲から逃れられない、欲望から逃れられない、だから共産主義でも超格差社会にもなる、共産党幹部が富を一人じめとするとかなる
だから永遠にこの世は変わらない、いすいろ体制があっても機械化しても人間そのものは絶対に変わらないのである、それでなぜ宗教が生まれたかとなるとその欲をおさえるために生まれたのである
でもこれも今のカルト宗教団体とかみればわかる、かえって欲望は肯定されて欲望を満足させるものとして俗化したのである、そこであらゆる欲望は肯定されるというより欲望を強く持てとまでなっている、それがエネルギーがあっていいとまでなる
だからこそあれだけの何百万の会員にもなる、それはまたナチスとかとも似ている
要するに人間そのものは変わらない、欲から逃れられないからである
だから人間は欲で滅びるとされているのである

そもそもそうして宗教というのが仏教でも寺にこもって座禅して何もしない、働かないとういことがあった、それが修行なのである、ただ禅宗だと一日成さずば食わずとなって働くことを肯定しているが一面はただ沈黙の行をしている、働かないのである
そして人の喜捨に頼る、自ら汗して働かず恵んでもらう、これは反社会的なことである
資本主義はもともと修道院で生まれたという時労働に価値を置いていた
それは他者を助けるために働くとなっていたからだ、だから西欧的価値観だとその労働観も違っているのである、アジアは闇雲に働くということは肯定されていないのである
そしてプロテタンとが生まれたのはドイツとか北欧とか寒い地域なのである
そういう寒い地域ではどうしてもは働かざるを得ない、バナナなどがいくらでもとれる熱帯とは違うからである、そういう気候の相違でも価値観が違ってきていたのである
posted by 老鶯 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年05月27日

証券会社(銀行)の営業マン・アナリストの話は信じるな (手数料商売になっていることが問題ー転売をすすめるのはそのため)


証券会社(銀行)の営業マン・アナリストの話は信じるな

(手数料商売になっていることが問題ー転売をすすめるのはそのため)

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最初に断言しておきますが、株式投資をする上で、 証券会社の営業マンと付き合う必要はありません。 ネットトレード全盛の今、なぜわざわざ証券会社の支店に電話をかけて、 高い手数料を払って株取引しなければならないのでしょうか? 「証券会社の営業マンはプロなのだから、相談するのは当たり前じゃないか」 というあなたは、証券営業という仕事を全く理解していません。 証券会社の営業マンは「株や投資信託を販売するプロ」であって、 「運用のプロ」ではありません。 彼らの仕事は、株や投資信託などの金融商品を買ってもらい、 手数料を稼ぐことです。 あなたが銘柄選択で悩んでいようが、 株取引で損していようが知ったことではありません。
https://bit.ly/2SA3huL

個人投資家については、特に投資の適合性への配慮が重要である。
したがって、投資推奨等の対象となっている証券、特に複雑な仕組
みの新しい金融商品については、リスクを含め商品特性が十分理解
できるよう情報を提供するという姿勢が必要である。
https://www.saa.or.jp/ethics/pdf/kiritsu.pdf

昨日来た大和証券の営業の人は名刺に証券アナリストとなっていた
何か確かに地銀の営業の人よりは専門的知識がある、でもこの専門用語を使う時煙にまかれるとなる、そこで素人は理解不可能となる
例えば原発などでも専門科学者と話ししたら専門用語がでてきたとき理解不能となる
するとあなたは何もわからないから従えばいいとなる
法律に関しても専門用語がありそれを理解することは不可能になる
そうして現代は専門家に支配された時代という指摘がある
専門家とはいたるところにいる、医者でもそうだし科学技術の職業となるとみんな専門家なのである、だから専門用語を使うのである
それだからこそイリイチが専門家のことをあれだけ批判したのである
人間は専門家によって無能にされている、結果的に専門家に支配されここでは原発事故で大被害になって住むことすらできなくなったのである

証券会社の営業マン・アナリストの話は信じるな

この説明は的を得ている、私の株とか投資信託とかの経験では地銀であれ銀行であれ証券会社は客から手数料をどれだけとるかが目的になっている

その例が何度も言っているけどリーマンショックの時、半分になった株を地銀の営業の人がJ=reitに勝手に回したことである

なぜそうしたのか?

とにかく売らせて別な金融商品を買わせればそこで手数料が入るからである
その手数料が額が大きくなると大きな儲けになる、決して損はしない、客が損しても
自己責任になるからである

証券会社の営業マンは「株や投資信託を販売するプロ」であって、「運用のプロ」ではありません

販売と運用は違うとなる、運用とはどれだけその人にとって有利な商品と運用をすすめることである、そこで手数料がとられるのはやむをえない
でも全く客のことは考慮しない、銀行と証券会社の利益を手数料を第一にしてすすめているからだ
だから何か常に一つの金融商品を売ったり買ったり転売をすすめる
つまりそうしていると必ず手数料が入るからである
リーマンショックの株を8年間くらいそのままにしていた
ところがそのことがかえって良かったのである、それが元にもどり上がりはじめたとき
J-reitに売りそのJーreitが暴落したのである
この時から私は銀行の営業の人が信じられなくなった
でもそのことがかえって次のもうかる株を買えなくさせた
ギャンブルでも必ずもうかるともっともうけたいからまた賭けるとかなる
でも最初から損すると賭けにくくなる
それでわざわざ最初に博打場の胴元はもうけさせるとかある
それが人間の心理だからである、だから株が人間の心理と深く関係しているというのはそのことでもあった

何が株でも投資でも歪めているのか?

そこに仲介者(メデア)を通しているからだ!

もし株でもパソコンとか使いデイトレだ―のように自力でやれる人ならもうけることは可能だしそれはすすめられる、それでも損することはある
それはその人のまさに自己責任なのである

ところがメデアを通すと仲介者(銀行、証券会社など)を通すと歪められるのである
情報にしてもマスコミから放送されるので真実が歪められるのと似ている
それでマスメデアがマスコミが報道する権力をもっているから支配できるともなるのだ
都合のいい情報のみを出して都合の悪い情報は出さないとなるからだ
その情報とは例えば何でも第一次の直接情報ではない、マスコミを通じて加工された編集された情報なのである

視聴者は直接その場面を見ていない

直接取材する本人と話ししていない、聞いていない

このことから歪められものとなる、それはNHKでもそうなのである、NHKの放送をすべて鵜呑みにはできないのである、そういう嘘の情報でも流していたことがあるからだ
だからインタ−ネットでも直接本人が話すことに真実があるともなる
ただここでも問題があるにしろ本人が直接話せるのがネットだからそこに真実があるともなる、ただこれでも直接面と向かって話すわけでないから信用できないことはある
でもそういうツールとしてインタ−ネットが生まれたということが大きい
私の言っていることで嘘はついていない、じかに接してそれを報告している
インタ−ネットの時代は一人一人が放送局にもなる
だからすぐに個々人が報道の対象にもなる、悪いことでも個々人に指摘されたり買い物でもすぐに評価されたりする、それは的を得ていることがある

それで銀行もメデアであり仲介者でありそういうメデアはなくなる

こう指摘する人がいた、銀行がメデアということがわからなかった、でもクラウドファンディングはまさに銀行とかが融資するのではなく直接融資だからそうなのかと見た
つまりもう銀行を通さない投資の世界が成立してきたのである
銀行の出番かなくなり窮地にたたされて銀行もこれからどうしていいのかわからず模索する時代となった
第一いくら貯金しても利子も得られないとしたら銀行とは何なのだろうとなる
何の役割りがあって存在するのかとなる、存在理由がなくなっているともなる

とにかくなぜ株とか投資信託とかを銀行でも証券会社でもすすめるとき危険なのかは
手数料をとることを目的にしているからである
そこでまともな運用を目的とてしいない、その人にあった適切な運用を教えるのではないし買わせることもない、そこが問題なのである、客の運用より販売で手数料をとることが優先されるのである
客が知りたいのはどうしたら適切な運用ができるからである
それは証券会社でも銀行でも教えないのである

ただそうはいってもそのすすめられたものがすべて悪いとかはずれるというのではない
そもそもの目的が手数料をとるということになっているからである
手数料をとるためには転売するのである、自分の成績をあげるのにもどうしても売り買わせる必要があったからでとなる
別にリーマンショックで上昇していたなら株を売る必要もなかったのである、チャートをみる力があるのだから銀行の営業の人は知っていたからである
そこが一番の問題点だったのである

だからといって今回のように株がこんなに上がるということもあり株とか投資をするなとは言えない、そのための条件を満たす人はしてもいいともなるし
銀行でも証券会社でもすすめられたものが全部損するということはないのである
ただそれをできる人はメデアに銀行と証券会社に頼らずに株のトレイドが売り買いができる人だとなる
結局それをするとなるとパソコンの画面を一日見ていることになる、するとその他のことは何もできなくなるから時間がもったいなとなる
時間の活用こそ最も人生で大事なことだからである
一生デイトレダーで大金持ちになったとしてもそれで人生が実りあるものとはならないからだ

いろいろ職業のことを考えるとどうしても今や銀行とか証券会社はいいものに見えないのである
それで建設会社とか住宅関係の人はまともだというときそうとも思った
その人は大工として庭師として優れている、デザイン力もあり力仕事もできるから何か自分には驚きである、その人に問題があるのだがそれで金をとられても無駄だとはならないしその人を評価できる
その人はアーティストだとも見た、仕事が芸術作品を作るのと共通していたからである
銀行とか証券会社の人はあまり評価できない、ただそういう仕事は資本主義社会は必要なのだから全部否定はできないのである
投資するとかは資本主義社会の基本にあるし株式会社ではみんなそうして投資して回しているからである

だから二回投資信託を株をすすめてきたときその時買っていれば大儲けしたのだから
銀行でも証券会社でも別に全部が悪いとならないし責めることはできない
ただ最初の失敗がありそれが自分の場合は脳にすりこまれて買うことができなくなったのである、ただ地銀でも証券会社でも途中でまた転売をすすめたかもしれない
何か一つの金融商品でも長く置かないのである、転売をすすめて手数料をとる
だから8年も株を放っておくことはありえなかったのである
そうしたらそこから手数料がとれないからである、でもわかったことはそうして長期的にみればいくら半分に下がったとしても株は必ず上がるものだということを知ったのである

でも銀行と証券会社はそういうことはさせない、必ず転売をすすめる
買わせては売らせて手数料をとるということは一番の問題だったかもしれない
でも株はそうして常に変動するものだからそう言われればまかせるほかない
そして自力でデイトレダーのようにできないのだからどうにもならない
すると老人は向かないし9割が貯金したままだとなるのである
それでも今は貯金自体が大きなリスクになっている、そのことでまた悩むのである
それも日本経済が衰退するばかりだからとなる、そうなるともう個々人の力ではどうにもならないともなる
原発避難区域では5000万の家を置いて600万の中古の家を買って小高から原町に移ったという人がいる、それだけの資産でもゼロになってしまったのである
これももし日本全国にあてはまると日本自体の価値が低下すると個々人の資産も低下してゆくということになるのとにている
そうなると日本自体の経済力を上げない限りどうにもならない問題だともなる



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2021年05月24日

大貧困国家日本でも貧困が見えない (戦後10年とかの貧困との比較)


大貧困国家日本でも貧困が見えない

(戦後10年とかの貧困との比較)

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大貧困国家日本ー食費1日400円の日本人が1200万人!ーyoutube

https://bit.ly/3hQp3oO


なぜこれほど日本が貧困化しているのか、これが本当は現代日本の最大の問題になっている、ただ貧乏が目に見えるものとしてわからなくなっている
本当は貧乏なのだけど学校でも家庭が貧乏なのを隠しているとか言う
そうするといじめられるからだともいう、現代では貧困が目立つものとして現れていないとなる
でも高校生で学費がたりなくてアルバイトしている人が多いとか学校も続けられないとか紹介している

大学に入るのにも奨学金をもらう人が多いとかいうのもそうである
入学費用が80万とか払えないとかある
それは今の基準だとそうなる、半分は大学に入る時代だからそうなった
団塊の世代などでは大学に入ったのは二割くらいかもしれない、実際は地方だと一割とかなる

クラスが50人いたとして大学に入ったのは一割だった
その一割に自分は入っていた、高校すらみんなが入れたわけではない
中卒で集団就職した人がクラスで二割くらいいたのかもしれない、それは相当に貧乏な時代だった、それと比べるといくら貧困でも今の貧困はぜいたくな貧困なのかともみえる
ただ時代があり時代の標準があり貧困だとなる
電気も水道もない炭の暮らしとは比べようがないとなる

だから何か貧困が見えにくいの現代である、例えば田舎で家をみていると何台かの車を持っている、一人一台とかもっている、それを見ていたらどこで貧困なのかともなる
ただ田舎だとどうしても車がないと暮らせないことがあるし仕事で使うから車を持つのはぜいたくではない、それで私は自転車だからどうしても自転車の人と出会いやすい
そういう人は貧困である、現代社会で車を持たないということは特殊であり貧困として見られる
私の場合は別に車をもてるけど持たないだけである
ただ確かに車を持たない人は貧乏として見られる、それが可視化された貧乏だとなる
でも他では可視化された貧乏は見えにくいのが現代である

でもコンビニとかスーパーのレジをしている人は高校生がいるみたいだ
高校生でも働かざるを得ないとかなっていることは家庭が貧困だからかもしれない
ただ自分の時代はそもそもそうしてアルバイトなどはしていないしアルバイトを受け入れる場所もなかったからまた時代が違うのでは比較できないのである
貧困というとき戦後十年くらいは農家の方が豊かだった、なにしろ食料を自家生産していたから豊かだった、それで農家の人は卵を食べていたけど町内では卵は食べていないのである、卵は贅沢なものだった、ケージで卵を大量生産しいないし放し飼いであった
それで自分の家で店を開いた時、私は農家に自転車で卵買いにやらせられていた
自転車にしてもいい自転車ではない、自転車でも一台あっても新しい自転車を買うことはなかった、修理して使い続けていたのである

その卵買いで不思議なのはあの真野川の橋が木の橋であり舗装もされてもない、だから揺れたりして怖い橋だった、そしてその卵買いに行った場所が小池でありそこにいたのは
戦争からの引揚者であった、そこに記念碑がある、そこは街内から近いのである
そんなところに引揚者が開墾していたというのも今になると理解しにくい
どこにでもそうしうて引揚者が開墾に入った場所がある、飯館でも山奥の辺鄙な場所がそうである、それは全国でもどこにでもある、どちらかというと小池のような場所ではない山の奥の辺鄙な場所になりやすいからである
つまり今高校生がアルバイトしているというとき貧困化すると子供でも働くとなる
農家の手伝いをさせられとか普通にあった
子供は学校で教育させるものより労働力として見ていたのである
私の母親は尋常小学校卒であり読み書きはでききたが原町紡績で十年間糸取りをして働いていた、つまりそもそも高校とか高度な教育を受ける人はまれだったのである
まず相馬女学校に入れたのは極わずかの金持ちでありそに入れた人は地域の有力者であり資産家だけだったのである

だから貧困というとき何が貧困なのか時代によって違うからわからない
絶対的貧困はもうアフリカとかの最低限の貧困である、水すら満足に飲めないような状態である
だから貧困というのが現代ではわかりにくいのである
ただ水道の水が飲めないという時、今電気ガス水道が必ず毎月止められる人がいる
そういう人が貧困だ言うことで目に見えて来ることは確かである
そこが貧困の一番深刻なものとして現れているのだ
本当に電気ガス水道が止められると死ぬこともありうるし現実にそうして死んでいた人もいたからだ、もちろんそういう貧乏になるとち医者にもかかれず死ぬ人が多くなる
ネパールでは医者もいないから死ぬとなる、それで医者になりたいという子供がいることがわかる

つまり現代の貧困が見えないからほかりにくくそれで切実なものとして感じないのであるまず見ただけでは外見からはわからない、ボロを着ているわけでもないし何が困っているのかわからないのである
田舎でもわからない、みんな車をもっているからそうなるとどこが貧困なのかとなる
例えばベトナムとかネパールから来る外国人労働者はみんな車をもっているのだから
田舎でも貧乏だとは見えないだろう
それと自分自身不思議に思うのはとにかく若くても働かないニートとかが本当に多いのである、これは全国的にも60万とかなんか数が多いのである
でも貧乏だったら働かざるをえない、そうして働かないで暮らしていける人がこんなに数が多いということは貧乏な社会ではありえないのである
だから団塊の世代ではそんな人はほとんどいないしみんな会社員となり猛烈な企業戦士として働いていたのである、また中卒でも集団就職で働かざるをえなかったのである

ただ本当に年収が200万以下は本当に厳しい、もう食べるのがぎりぎりだとなる
それでこのyoutubeの人は400円しか食費に使えなかったとか言う、第一食費が2万5000円というのはもう果物も食べられないレベルである、バナナくらいしか食べられない、私は果物は高くて食べれないという貧乏な人が言うからわかる
ここにも相当な貧乏を具体的に感じる
いづれにしろ現代の貧困が実感できないのは具体的に貧困が見えなくなっているからである
そして最低限電気ガス水道代がかかり携帯も必需品だからである
この出費が大きいしアパートを借りたりしたらそれも負担になる
それで今東京とかで大家族で生活する人が増えてきたというのもわかる
なぜならその人は貧困なのに家族がみんな別々に暮らしている、
そのために別々に電気ガス水道代がかかっている、その出費が大きいのである
もし三人一緒に暮らせば電気ガス水道代は三人分一緒になるから節約できるからである

でもしたくないとしてしない、実際はそうしないと毎月催促されて生活できなくなっている、でもしないのである
それが贅沢だともみる、ニートが数が多いとかこうしてぎりぎりに追い詰められているのに一緒に暮らさないとかある
これだけ貧乏人が多くなれば貧乏でも暮らしていけるようにするほかないのである
でも現実にはそういう貧乏が見えない、だからみんな深刻に見ないともなる
ただこれからますますこういう状態がつづくと耐えきれなくなり暴動でも起きるとか犯罪が増えてくるとかなる、そういう被害に自分自身もあったから貧困は怖いのである
まず老人も本当に貧乏な人が増えている、そもそも年金がもらえない、国民年金が6−7万では食うことさえでないからだ
そしてつくづく感じることは老後に大事なのは年金だと思った、悠々自適な老後を送れる人は二割くらいになっているだろう
これは定期的に入ってきて死ぬまでもらえるからである、それで自分自身は70からもらって高かったので年金のありがたみを感じたのである、それでも貯金がなかったらもう食べるのが精いっぱいであり何もできなくなっていたのである
posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年05月17日

日本への警告(無国籍人間ージムロジャースの批判)


日本への警告(無国籍人間ージムロジャースの批判)

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投資でもうけた人に人は興味がある、その理由は自分も投資でもうけて大金持ちになりたいからである
だからこうして投資でももうけた人が話題になる
この人はまさにグロ−バル経済の申し子のような人なのである
世界を渡り歩き金儲けのために投資する

この人には国はない!

国ってなんですか?、国と彼にとって金儲けの場所という感覚しかないのである
アメリカはだめだ、日本駄目だ、では次はどこに行く、金に成る場所は国はどこだとなるこの人にはそもそも国はない、国はなく金儲けできる場所が国なのである
だからシンガポールとか香港とかが金融センターと最適だとなる
今住んでいるのはシンガポールである

でも香港とかシンガポールとかは国ではない、金融センターに特化したものであり国ではない、この人は故国とか故郷とか国という感覚はない、ただ世界を渡り歩く人であり
投資先を求めて国を転々ともする、投資先として有望となればすぐに国を移る
有望でないとすればその国を捨てる、それはもしかしたら国土を失ったユダヤ人ともにているのかもしれない、まず国土とか故郷とかがないからである

ただ国とは何かとなるとやはり国土を持つということである
土がある場所だともなる、または日本だったら山があり森がありとかなる
国と意識されるのは国土があるからでありもし国土がなかったら国はない
そしてこの人に欠けているのは国がないのである
もちろん国がなければ故郷もない、あるのは投資先としての国なのである
この人こそグロ−バル経済の申し子ともなる
そうして巨額の金を投資でもうけているからである

こういう人には文化人ではない、この人には文化はない、生粋の経済人である
だから何かこの人には国も故郷もないのだから肝心の国を語ることもできない
アメリカ人でもない、それで安易に中国が経済的に伸びるから投資先となり
中国語を習へとか英語ができないようではもう世界で通用しないとか国々の文化を否定するのである
それは何かアメリカらしいとはなる、アメリカはそうして国々の歴史とか伝統とかを否定して金だけを価値の基準としてたからである
そしてグロ−バル経済とは多国籍企業が支配するシステムなのである

人間が生きるとはこうして国々を投資先を求めて国ももたず金だけを目的にして生きる
そんな人か人間として評価できるのだろうか?
だからこの人は成金であり成金趣味しかない、無国籍人であり国をもたないから要するにその人間としての中味もない、空っぽなのである
文化は長い時間をかけてその風土に国土の中でつちかわれてきたものである
そういうものがそもそもアメリカにはない、アメリカとかにあるのは広大な空間を移動することである、それを拡大するとグロ−バルに国境はなく投資先を求めて移動することになる
それで次は中国だとなりアメリカを捨てる、そして中国語を覚えるのは投資して金をもうけるためだとなる
日本語などはもうなくなるというのもそもそも国の文化など関係ないからである

つまりグロ−バル化とは空間の拡大であり空間人間になる、文化とは長い間にその国土風土のなかに培われたものである、言葉でもそうである
言葉と風土は一体化していることがあるからだ、それが英語に全部しろというとき文化そのものが失われるのである、その時人間は無国籍人間のようになる
その時宗教すらなくなる、なぜなら仏教でもキリスト教でもその国の独特の歴史風土から長い時間をかけて土着したものだからである
それで内村鑑三のキリスト教が武士道を基にしたというとき日本的キリスト教として受け入れたとなるからだ、そうしてその国の歴史と風土に一致して文化となるのである

いづれにしろこの人が崇められるはただ金をもうける投資してもうけるからだけである
それはアメリカ的だとなる、アメリカでもビルゲイツとかジョブスとかコンピュターを発明した人は違っている、それは本当に価値をあるものを産みだして人類に貢献したからである
巨万の金を得てもそれで人類に貢献するものを産みださなければ人類的には評価できないのである
でももしその巨万をの金を使って人類に貢献するものを産みだしたら評価できるとなる

ただ投資的にこの人の言っていることは正しい、ただそれは投資という経済に特化したものであり人類に世界に貢献するとかなると全く評価できないのである
そのことを自分自身でもわかっている、だから金融でもうけることはできなくなるとか農業が次の有望な産業だとしている
それは何か銀行員が農業して投資先にしたというのもわかる
投資的に見れば先見の明があるとなる、ただこの人は無国籍人間でありただ金だけを求めて世界を渡り歩く、だから文化をもたないし文化的には価値がゼロだとなる
日本人でも他の国でも文化がある、歴史がある、アメリカは若い国だからそうした長い歴史がないから文化でも底が浅いのである

ただアメリカが経済的に衰退して中国が覇権国になることは間違えない、だから投資の面からすると何かアメリカ一辺倒になっていることはおかしい見るのである
ただ人間をすべて金で価値を計ることはできない、でも資本主義だとそれが極端になる
てもそういう資本主義も終わりつつある
だからこの人自身が金融でももうけることは終わりだとか言っている、金融で巨万の富を築いても評価はされない、何かギャンブルで大勝ちしたとかなりそのために負けた人たちから命をねらわれるとまでなる
強欲金融資本主義はもう終わりつつある、とにかく無国籍人間とかはそもそも骨なし人間になる、バックボーンがボーン(骨)がないからである
そういう人間は国がないのだから文化を語ることもなにもできないのである

ただ人間の評価となるとむずかしい、この人の本をみんな読んでいるわけでもない
だから必ず人間を評価するとき偏った見方となる、でも基本的にこの人がグロ−バリストであり典型的な経済人としてあることは間違いないだろう
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2021年05月13日

庭作りでコンクリートを壊すのに苦労 (人間は経験からしか学べない)

庭作りでコンクリートを壊すのに苦労

(人間は経験からしか学べない―石工のまねをする)

庭師、大工、壁塗り、デザインなど何かこのようにいろいろできる人がコンクリートを壊して木を植えるというのでそのコンクリートを壊すことで苦労した
自分も手伝った、コンクリートが結構厚かった、それで前は成功したのでもう一つ木を植えることにしたがそれが難儀だった
自分はそういうことに気付きもしなかったしできると見ていなかったのである
ただ何かそういう提案がありでるのかとなりまかせた
ただ正直金がかかるのでしたくないということはあった
ただ成り行き上でそうなったのである

それは玄関にもなっているから二つの木があると森の中に入るようにもなるからいいとなる、前植えた紅葉の木は成功したからである
それでコンクリートが大地を圧迫するとか言うので気になった
そしたらコンクリートの道路を作る造園会社のページがでてきた

呼吸するコンクリート駐車場をつくる。 
http://www.zoukinoniwa.biz/blog/2018/08/30811.html

コンクリートの下でも土を活かしている

通気口を作るとか何かそういう工夫をしている、だからコンクリ―トの下でも土が活きている
不思議なのはななぜコンクリートの一部の土から紅葉の木が伸びてまたノウゼンカズラの木が伸びて花が咲く、それは地中深く根が張ったためだと見ている
いかに根を張らせるかが問題になる
ただ石がでてきたり何か中は木を植えるにはいい感じではない
でもこのサイトだと土を活かす方法が書いてある
何か私は理系ではないから理解しにくいがなんとなく理解できる
コンクリートでも土を活かすために通気口とかいろいろしている
コンクリートの下だと土が圧迫されて死んでいるのかと見るがそうではない

土の中には、空気がたくさんふくまれている。土は空気から酸素(さんそ)を吸(す)って、二酸化炭素(にさんかたんそ)を出しているんだ。つまり、呼吸(こきゅう)しているってわけだね。

でも本当は、土自体が呼吸しているのではないよ。土の中の細菌(さいきん)や小さなカビなどの微生物(びせいぶつ)が、呼吸しているんだ。植物も土の中の微生物なども、土の中に新鮮(しんせん)な空気があるから元気に生きていける。作物を植える時、土をたがやすよね。これは、土の中に新鮮な空気をたくさん送りこむためにやっていることだよ。

土も呼吸(こきゅう)をしているの?
https://www.panasonic.com/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/011plant/plan008.html

コンクリートにおおわれると呼吸しにくい、だから通気口が必要になる
何か庭作りと農業は共通したものがある、植物を育てるから共通している
どうしても土を知ることが大事になる、土を知らなくては農業はてきないとなるからだ
だから農業は本当にむずかしい、素人だと必ず教える人がいないとできないのである

今は田舎にいても農業がわからないのだ、農業している人は一割にもみたないからであるただ私は理系ではないからこうして化学とかなると苦手でありわからないのである
化学記号などは学校の時一番苦手でありわからなかったからだ
でも何かわからないなりに現実の農業とかから学ぶものがあったが何も知ることなく終わったとなる
こうしてとにかく学ぶべきことが山ほどあるのに学ばないで終わっているのが人間なのである、それを老人になって死ぬ間際に痛切に知るということにもなる

ともかく何か今は若い人でぶらぶらして職につかない人が多い、ニートとか本当に田舎でも多いのである、だから時間を無駄にしている、それがとりかえしつかないものになる
なぜそうしたことで切迫感をもたないのか?
何か時間が永遠につづくように錯覚しているからだ、それは自分でも若い時はそうだったこんなに時間が早くすぎてもう死ぬのかということがショックなのである

今回は作られた庭の修理とかであった、塀とかの修理であった
でも新しく玄関の方にもう一本木を植えることが提案されて実行したがこれが思った以上大変な作業だったのである
コンクリートを壊すのが大きな仕事になった、それを手伝った
そして楔を入れるようにして部分化して割る
実は昔子供の頃近くに石屋いてそうしていつも楔(くさび)で石をたたき削り割っていたのである、ただその時は機械がないから手でしていたのである
自分でも楔(くさび)打ちコンクリートを割って捨てたのである
石屋とか石工のまねをしたとなる、それでも経験したことで必ず理解するものがあるのだ

何にしろ学問でも身につかないのは現実問題から出発しないからである
学問とはどうしても高校までは試験のためにあるとなり嫌になっていた
ただ私の場合、奇妙なことは大学出て無職だったが学問に興味をもったのである
それは旅すれば地理に興味をもつから自ずとそうなったのである
つまり人間は現実問題に直面してその解決のために学問が生まれたからである

一体どうしてこの辺の原発事故から復興できるのか?

これが最大の課題でありこれも学問と関係している、特に放射性物質に汚染された土どうなっているのかとか除染が可能なのかどうかということが生々しい現実の問題としてあるそれは理系であり文系となるとまた別な問題の解決があるともなる
原発事故の問題をモラルの退廃からその原因を追究するとなるとそうなる
それは自分自身が書いてきたことである
でも理系の専門家が最も重要なものとして事故前でも後でもそうなった
ただその理系の学者でも放射線がわかったわけではない、だから被爆の森というNHKの放送でもそれほど事故から十年すぎても影響がなかったとも報告していた
つまり実際にどういうふうに放射線が人間に影響するのかわからないのである
それはコロナウィルスと似ている、これも未知でありわからないから不安になる人はなる専門の科学者が学者がいてもその人たちもわからないのである
だから憶測で言っているからなんだ素人と変わりないのかとも見るのである

人間はなんでもいいから経験すると頭に関係なく悟る、知る
経験しない限り現実問題ではない架空の問題のようになってしまうのである
だからつまらないことでも経験することが大事である
本ばかりテレビばかり見ていてもわからないのである
神を知れとか言っても聖書を千回読んでもわからない
ただ過酷な経験から知るのであり聖書を一回も読んでいなくても神を知ることは可能なのである、自分自身がそうだったからである

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2021年04月21日

エコノミーの原点は家政 (人間は家を中心にして世界をみる)


エコノミーの原点は家政

(人間は家を中心にして世界をみる)

オイコノミアは「オイコス」(Oikos)と「ノモイ」(Nemu)という2つの言葉が一つになった言葉です。オイコスは家庭、ノモイは法律やルール、規則といった意味があります。そこから、オイコノミアは家の管理や家政を指すようになりました。後年にはエコノミーに、国家を意味する「ポリティカル」(Political)という言葉を加えたポリティカルエコノミーという言葉が登場します。

経済の語源がエコノミーが家政だった、いかに家をきりもりするかが経済の原点だった
人間の生活はいろいろあるが基本的に家とか家族とかから波及したものとしてある
人間の原点は家にあり家族にありだからエコノミーでも家政だとなる

とにかく家を切り盛りすることが一仕事でありそれを上手にこなすことは相当なスキルも必要になる
自分のそれを具体的に感じたのは家族を介護するようになってからである
全部家のことをやることを強いられたからである
これまで家族が三人だったが二人は女性で自分の世話をしてくれたし家事もしないし家のこともしていない、だから楽だったのである
それが全部一手に一人でやるようになり家事にはいろいろあるし労力もかかると思った
それは介護を終わってもそうなのである

家があり庭がある、それが家庭だとなるが庭でも花を見たりして水をやるだけでも手間になる、花というのは庭に植えたりすると水をやったり肥料をやったりそのままに放っておけないのである、ただ牡丹だけは放っておいても何十年も同じ場所に咲いているのは不思議である
こうなっていると楽である、一旦今までの花は枯れて切った
でも同じ場所に種が落ちてまた咲いたのである、こんなに継続して咲く理由がわからない他の花は咲かなくなっているのが多いからである
ただ地中に深く根をはったものはやはり咲いている、それは木の花なのである

家を維持するには常に家でも庭でも目配りしている必要がある
あそこに一つの花が咲きまた他にも花が咲いている、それに肥料などやらなくても目配りしている、そこに花が咲いてることを確認することが必要である
だからそうして何もしないで花を見ているだけでも時間をとられるのである
家全体でも特に地震で傷んだ場所がありそれもまだ直していない、十年前の震災のまま壊れたままなのである、その修理を頼んだ今はそういう大工さんはいないから困る
金にならないからやめたとも言っているからである
それで今度は自分自身で日曜大工のようにやれることをしなければならない、これも手間なのである、ただこれは電器製品のように全く何もできないとはならない
それなりに自分自身でもできるものなのである

いづれにしろ家を一人で切り盛りすることは手間だと思った
家が大きいこともある、すると掃除も大変になり汚れたままになっている
そして家はこうしてなにかかにかすることがあり目配りしていなければならない
だからなんか家に使われている感じにもなる
アパートのようだと狭いから一時的な仮住まいのようになるが大きな家は住んでいい面もあるが負担にもなる
ただ人間と家は一体化する、家を活かすのは人間であり人間が住まない家は荒廃してゆくそして空家は幽霊屋敷のようになる、そういう家が増えている、全国で800万軒も空家となる時代である

家は常に目配りして活きてくる、そして人間が目配りできるのは家と庭くらいでその外になるとなかなか目配りできない、内と外があり家が内であり外になると目配りもできない何か人間というのは本質的にそういう生き物なのかもしれない
自分の家だったら目配りして気を使うが家の外になると無関心になってしまう
人間の関心がもてる範囲は狭い、隣すら目配りしない、関心をもつのは狭い家の中だけだとなる、人間はそういう利己的な存在だからエコノミーが実は家政だったとなる

それでグロ−バル化した広域化した経済というのは人間から離れたものとなる
家の外すら目配りできないのに世界となればもう自分自身の関心事とはならない
ただ何か外国と問題が起きたとき関心をもつ、また物でも何か物が入らなくなったら関心をもつ、バナナが入らなくなって困ったとかなる
それ意外は日常的には関心をもてないのである
それは全く自分の手の及ばない世界だとなってしまう、だからグロ−バル経済というのは家の範囲くらいしかじかに目配りできないのだからもうどうなっているのか理解できないのである、株でも何でももう理解できない、だから株でもギャンブルになる
それは機関投資家でもそうなのである、ただ当たりはずれがありそれはギャンブルになっているのだ
もしエコノミーが家政からはじまったときそんなことありえないからである

目配りできる範囲が家と庭くらいである、そこで自分自身が直接目配りできる範囲であり直接愛情をそそぐことができる世界である
それだけ人間の目配りできる直接関与できる範囲が狭いとなる
その他は何か抽象的なものになる、out of sightになってしまうのである
家にしても自分が住んでいる家だからこそ愛着があり所有する意味がある
でも他人の家となると何か無関係になる
そういうふうに人間は本来利己的であり目配りできる愛情をそそぐにしても狭い範囲でしかできないのである
だからグロ−バル経済とはエコノミーからすると全く想像も絶する経済規模でありもうそこには人間の心を通わせることは不可能なのである
そもそも自分の家と庭くらいしか目配りして愛情をそそぐ範囲だからである
その他は抽象的なになってしまうのである
だからこそ人間は家族単位が基本にある、そこで愛情でも培われる
広い範囲だとまた多人数だと愛情をはぐくむことができないからである

経済とはエコノミーのはじまりは家であり家計だったのである
家族単位のものでありそこが経済の原点だったのである
本当に家をやりくりすることは金銭的にもあるし家を維持するためにすることがいろいろあるからそうなる
それで自分自身が家族の介護からそのあとでも家政に追われているのである  

夫である里長は行政上の役割を負って郡衙に出向くことが多く、それに対して妻である里刀自は家を支配する主婦の尊称であったと同様に、里を統率する里長の妻は里刀自と尊称された」とみる
女性が農業労働力として大きな比重を占めたこと、農業経営・管理に従事していたことを認めながらも、 

家は人間関係としての家族、 「ヤケ」は経営拠点を意味する日本語である。 「イヘ」という語で表された古代の家族
吉田孝氏が解明したように、古代日本語の「イヘ」と「ヤケ」の双方を表記する文字として採用された。 

「刀自」からみた日本古代社会のジェンダー
――村と宮廷における婚姻・経営・政治的地位――
義江明子

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家刀自と里刀自かあり刀自とはとりしまるとか戸主とかからきている、とじるというときとりしきるが語源かもしれない、この刀自は単なる一家の妻ではなく共同経営者でもあり自立的女性の経営者とも考察している
そもそも日本の天皇の基が天照大神であり女性なのである
日本では女性が大きな力をもっていた、それは経済的にも夫に従属する社会と違っていたからである
だから刀自というのは何か家から発したとしても里刀自とかなり里をとりしきる役目となる、村の中で人を統率する大きな力をもった女性だったとなる

真木柱(まけはしら)頌めて造れる殿のごといませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず(坂田部首麻呂)

家と母か一体化した歌である、家というのはそれだけ人間と一体化するのである
だから前にも書いたが死者は家にいるともなる
母刀自こそが真木柱のように家を支えていたとなる
人間と家は一体化してアイディンティティ化してそうなる、嫁が女+家なのである
それで嫁とならない女性に何か存在感がないのである
アパートとかに住んでいると何か存在感がないのである

ともかく人間の目配りできるは狭い範囲である、その基本となるのが家なのである、その延長として公ュオやけょとなったり拡大してゆく、だから家刀自と里刀自となる、里と言ってもそれは家の延長した拡大したものてある
公(おおやけ)とは大きな家のことからである、一つの家が拡大したものが公となったことでもわかる
その範囲は目配りできる範囲なのである、それがグロ−バル経済とかなる目配りどころではない
それは全く視界の外になり抽象的なものとなりそこではもう人間の心は通じない世界になっているのである
物と心が完全に分離した世界である、ものというときモノが憑くとかにり心と一体化したもが物だったがそれが全く心と分離した物となることが問題のである、そこで異常化した経済となる、世界市場とかなるともう誰もそれを知ることはできない
そこで突然の経済破綻が起きたりする、もう統制できない、目配りもできないあまりにも広い範囲になったからである


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2021年04月02日

一人暮らしから考える、感謝なき社会 (自分が自分をサービスするしかないあとはロボットにさせる)


一人暮らしから考える、感謝なき社会

(自分が自分をサービスするしかないあとはロボットにさせる)


一人暮らしというのは何か、それも不思議だとなる、というのは私は何度も書いているように家族がしてくれた、食事の用意もしてくれた、でもそのことで感謝とかもしなかった何か当然のように思っていたのである
それが家族がみんな死んで一人暮らしになり全部家事からなにから自分一人ですることになり気持が変わった
確かに学生時代とか一人暮らししていたことがあった
でも食事つきなのでやはり提供されるだけだから一人暮らしとも違っていた

一人暮らしだと助けるのは自分自身しかないしサービスするのも自分自身がしないかぎり誰もしてくれない、つまり自助しかないのである
何かいたわる人もいないから病気なになったりしたら悲惨なのである
それで不思議だったのは食事を用意する、台所と居間が離れているのでトレーで運ぶ
これは何かレストランとか食堂でされことである
今は運ぶのが客がしているから多少違っていてもやはり他人にしてもらっている
他人にサービスしてもらっている

ではそうして食事の用意でも全部している、家事でも全部していることは何なのか?
それは自助でありそもそもサービスしてくれるのはもう自分しかないのである
何かうまい料理かが食べたいなといいうときそれもない、外で買うほかない
食堂やレストランに行くほかない、でもそれも飽きるのである
だからどうしても自分で料理をしないかぎりうまいものが食べられないのである
結局それがほとんどできないからできあいのものですましているだけである
もし料理にこったら時間がかかりすぎるからである

とにかく自分を愛するように他人を愛しなさいとキリストが言う時、そもそも人間はまず自分自身を愛すのであり他人は常に二の次である
他人のことを第一にして愛している人などいないしできないのである
そして一人暮らしとなると独り身となると家族がいないのだから愛する人は自分自身しかいなくなるのだ
だから毎日食事するでもなんでも家事でも自分を良くする愛することから始まっている
実際に自分自身が自分のために何かしなければもう食べることもできないからである

今日も食事の用意をしました、食卓まで運びました、どうぞ食べてください

それは自分自身がしなければ食事すらできないからそうなっている
でもなんかそうして食事の用意をしてありがとうという相手はいない、自分自身がサービスして自分自身が良かったとなる
でも自分自身に感謝するもの変なのである
ただ自分自身が自分にサービスしないかぎり食事も何もできないということである

では他人のサービスはどうなるのか?他人はただ金のためにサービスしているのである
まずその人のためにサービスするということはありえないのである
不特定多数の人にサービスして金をもらうことでそうしている
ただ常連客とかなると助かるので特別サービスするということはある
サービス=金なのである、でもいくら金をもらってもサービスする心はもていないのである、金もらえるから仕方がないなと嫌でもしているのである
嫌でも笑っているとかなる、心からサービスすることなどないのである
水商売の口先のサービスなど誰も信じないのである

ところが一人暮らしになるとサービスするのは自分自身だけであり自分自身を愛さないものはいない、だから心から自分にサービスするサービスしたいとなる
ただ料理などがめんどうであり手間でありできないともなる
そういいう心があっても今度はできないともなる
人間は自分を愛するように他人も愛しなさいというとき自分を愛することが先であり自分ならこうしてもらいたいということをする
でも他人はしない、ただ金によって強制されてしているだけである
それがわかるのは倍とか三倍の金を払う金持ちにはサービスをする
でも貧乏人にはサービスはしない、金によってすべて差別される
サービスが買いたいとしても金がなければ買えないのである
ただそうして金持ちにサービスするのもは心から自分を愛するようにするのではなく金のためにしているとなる

だから召使とか手伝さんとかいてもその人は粗末な風呂に入っている、一方で雇われてる家てユニットバスで大きな風呂に入っている、その時その風呂でも掃除する気になれのか?
もし自分もその風呂に入れるならきれい掃除しようかなる
でもそでないとした金で働きサービスするだけである、つまり掃除する動機がもてないである
ただそれは金の多寡で図られだけである

人間は実際他人のためには何もしたくないのである、箱一つも持ち上げたくない、それが経営している人を見てわかった、その人は借金しているからこともあったが自分が苦しくても何一つしたくなかった、ただ金をが欲しかっただけなのである
その人が経営者になったのも金が欲しいとか人に偉い能力ある人として認められたいしかなかったのである、会社を始めた動機がそうだったからである

要するに他人のためには何もしたくない、ただ金をくれ!

結局人間はみんな自分も含めてこれではないか、他人のために何もしたくないけど金がもらえるからいやいやながらしているとなる
そこでこうしてそもそも金が介在すること自体が人間を歪めるものとなっているのだ
人を雇ってみればわかる、ただ不満しかないだろう、なぜならその人は他人のために何もしたくないからである
すると雇い主が強制しないと本当に何もしない、雇われても働かなくても何もしない
ただ賃金だけは要求するとなる、これが人間なのである
他人のためには物一つも持ちあげることもしたくない、ただ金は欲しいとなるだけであるだからこの世は地獄だともなる、そこに愛など通わないのである

家族が出す食事は例え貧弱でもそこには愛がこもっているから違っている
ただそれでもそうした貧乏は嫌だとなることも確かである
愛では腹のたしにならないともなる、ただ人間は自助が先にあり共助とか公助は義務のようなものであり本来はない
家の中が汚れても命令しないかぎりしないのが雇われた人である
そこは自分の家ではないからである、自分の家だったら汚れた所に住んでいるのが嫌だからする、それは金とは関係ない、金もらったからするのではない
でも何か自分の家だったらそうだが一歩家から外に出るとそういう感覚がなくなる

要するに今働いている人は社畜だとか言ったり奴隷なんだよというときまさにただ金の力でサービスされているだけなのである、本来は他人のために箱一つでももちあげる気持がない、金をもらいたいということはあっても他人のために尽くすという気持ちはない
それが人間の社会を歪めているのである、つまり愛なき世界にしている
だから殺伐として弱肉強食の世界になる、他者を思いやるとかサービスするとかを心からしている人はいないからである
だから一見豊かな生活をしていても人間社会は不幸だとなる
人間は本質的に他人をおもいやることができない、エゴだからである
他人は自分のために利用するものであり金で使うものでありそれ意外の何ものでもないとなるからだ

だからキリストの使うより仕えないさいと弟子の足を洗うようなことは絶対にしない
その逆が人間の真実である、足を強制的に金の力であれ洗わされる
そして金をはらって感謝もしないのである、常に感謝しろというとき金を払っている方なのである、強い者が弱い者をそう強制させられる社会だから不幸だとなる
俺はお前に金を払って足を洗わせた、だから俺に感謝しろとなる
そういう社会であり人々の中に不満が鬱積している、そこに金持ちがいたとしてもその人たちへの怨嗟も大きいのである、そういう社会たからいつまでも平和はないのである
だから平和というとき戦争がないことではない、普通の日常の中に平和がないのである

結局なぜロボットなどがこれほど発達してくるのか?労働が機械に自動化されるのか?

それは誰も他人には心からサービスしない、気持がもてない、そうならばロボットに掃除でも料理でも何でもしてもらった方がいいとなる
雇う方でもロボットの方がいい、現実に雇っても自主的に何かサービスするということはない、ただ命令されてしかたなくしているからである
それならロボットの方がいい、不満も言わないからである
そして人間は働く場所がなくなる、でも金が必要だからベーシックインカムで生活するのがいいとかなる
それは誰も自主的に働きたくない、他人にサービスしたくないからそうなったのかと思うサービスしてもらいたいがサービスをしたくないからである

でも人間はお手伝いさんとか直接的に雇うというサービスでないにしろ複雑に他人からサービスを労働として与えられている
それは金を通してとか複雑でわからないが他人のサービスなしでは生きられないのである何か食べるもの一つでも苦労して作っているからである
ただそれでも金を払えばいいとしてその作った人に感謝などしないのである
心に感謝があっても金を媒介するときその気持ちは消失する、金払えばいいとだけなるからだ、何かそこで金というのが貨幣が発明されたときから社会を歪めるものとしてあったすべては金だということでギリシャでも嘆いていた、それもキリストが生まれる七〇〇年前とかにそうなっていたのである

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2021年03月24日

農業から考える資本主義 (現代で重要になったのは何でもノウハウである)


農業から考える資本主義

(現代で重要になったのは何でもノウハウである)

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資本主義とは何かとなるとこれも複雑だから理解することは難しい
これを農業を例にずると図のようになる
資本主義というからには資本が最も問題になる、資本がなければ何も始まらないからだ
でも資本という時いろいろある、土地はもちろん体が資本だよということもある
体が丈夫でないと資本にならない、それで農業では老人が多くなり継続できなくなる
その女性は土地を借りて農業をはじめた、まず土地という資本がなかったからだ
ただその借り賃は無料に近かった、今はいくらでも土地が余っている、耕作放棄地が膨大なものとなっているからだ、特にこの辺では震災以後、原発事故以後耕作放棄地が他より増えたからである

とにかく農業は土地がまず資本になる、土地がないと始められないのである
だから土地というものの価値が大きかった、戦前とかはそれで土地をもっている地主と土地を借りて働く小作がありその差が大きかった、土地をもたないものは資本がない者は
裕福にはなれなかった
農業が中心の社会では土地が大きな価値をもっていた、それでなぜ相馬藩で飢饉になり
越中の方から移民が来たのか?
三分の一の人口が減った、そこでやはり耕作放棄地とか荒地が増えた
そこにまた藩から出ることは禁止されていたのでもう命がけで脱出して相馬藩に入ってきた

その理由は何だったのか?

土地が無料で与えられるということだった

それだけ土地には価値があった、またなぜ満州とか寒い地域に日本は進出したのか?
それも広大な土地があるということでそこで農業をするためだったのである
そこで寒いのに北海道以上に寒い所で米まで作ろうとしていたのである
その時日本でも農民が多く農民は土地がないとできないからそうなった
資本主義が農本主義にもなっていたからである 

農業というのはまず土地という資本がないと始められない、でもそれだけではない、農業は労働力が必要である、その労働が農業の場合過酷であった、牛馬を使ったりしたがその労働はかなりきついから体が丈夫でないとできない、そこで価値あるものは力持ちだとなる、それで一人前に認められるのは力石とかありそれをもちあげることができる人とか一俵をかつげる人とかになる、それは女性でも力持ちが価値ある者と認められていた
この辺にある一石坂は一石の米を運べる女性がいて名付けられた
何か伝説でも力持ちはたたえられる者だったのである

また道具が農業に大きな影響があった、石の道具とか木の鍬とかと鉄の道具とでは大きな差があったからだ、それで鉄の道具になったとき鍬でも鎌でも生産力が格段に上がったのである、それで稲荷神社とは鋳成りのことであり鉄のことである
それだけ鉄は農業でも重宝されたのである
そして現代になると農業でも労働力が依然として必要でも重要でも機械とか道具が重要なものとなる、力仕事でも機械がすれば力かなくてもやれるからである
それより農業はノウハウが大事になってきた、どうしても育てる智慧が必要になる
肥料も必要になる、そうしたノウハウは農家だと代々伝えられるから有利である
もともと土地という資本もありノウハウも伝えられているから有利なのである

現代ではノウハウの方が大事になる、農業はノウハウがないとできない
それで市民農園でもノウハウを農業を教える人がいて成功したというのはそのためである土地が与えられても簡単にできないからである
資本主義というのは土地が資本とかあってもそれを活かすノウハウが技術がないとできない、そしてそのノウハウの比率が高くなったのが現代である
労働力があってもノウハウの方が大事になる、労働力は機械に道具にまかせる
でもノウハウは簡単に伝えられない、それで代々の農家の方が有利となる

ノウハウというとき私がしている抽象画がそうである
これは全く能力がなくてもしている、それはソフトの作用でできている
その使い方を知れば誰でもできるとなる
だから大量の抽象画を能力ではなく機械的に生産しているから大量生産できるのである
それは絵画の能力とあまり関係ないからである
現代では土地という資本をもっいるよりノウハウはか機械とか道具の方が大事になっている、それができれば商品化して売れるとなるからだ

いづれにしろ資本主義とは何なのか?
資本が基本だという時、資本とは土地でありまた労働力も資本である、あらゆるものが資本となる、その比重が機械道具とかノウハウに移行している
何かそれは成熟した資本主義になると今までのように土地だけ持っていてもそれで大地主とかなり裕福になれない、それを活かすものがないとなれない
ただ道路ができたとか土地が売れるとき金になる
では農業で利益になるかとなるとむずかしいのである
それで小農は成り立たなくなり大農であり今では企業が農業に参入して外国に売るとかなる、農業が今かえって有望な産業となり大企業とか商社とかがかかわってきている
農業がだめだというとき今までの小規模農業が駄目なのであり全体的に見た時農業は有望な産業となりつつある
日本ではそうした農業のノウハウの蓄積があり外国に売れる農産物を作れるとなっているからである 

現代で重要になったのはノウハウである、地銀でも役割りがなくなったというときでは新たなビジネスモデルを作るにしてもノウハウの蓄積がないからできないのである
これまでは金を集めれば借りる人が会社がいくらでもいて利子をつけてもうけることができた、今やそれができない、どうしたら会社を成長させて利子をもうけるのかとなると
相当にむずかしい仕事となりノウハウが必要になるからだ
現代の資本主義は土地とかの資本より労働力よりノウハウなのである
知識であり智慧が重要なものとなっている、それが今までの資本主義とは違ったものとなっている、それは土地とか具体的なものとしての資本とは違ってるし簡単にミニつかないからである

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2021年03月23日

空気を売っている銀行 (地銀の危機と貨幣の謎)


空気を売っている銀行

(地銀の危機と貨幣の謎)

この本で空気を売っている銀行と言っている、読んではいないが盛んにyoutubeなどで
「信用創造」のことを言っている
銀行には金がなくても金を作り出すことができる、無から金を作り出せるというのが信用創造である
でもこれはわかりにくいのである、何にも手元にないのに金を貸せるのかということである
ただ数字だけを通帳に記せばそれが利子がついて返ってくる
一千万が二千万になって返ってくる、そんなことがありうるのか?
それで空気を売っていると言うのである

人間は何か手に取ったり目に見えたものを信用する、小判であれ黄金であれ銀であれ何かそこに手に取り目に見えるモノが価値あるとみる
でもデジタル社会になるとただ数字として記されているだけになる
もう紙幣すらない、数字として記載されたものが金であり紙幣だとなる

でも紙幣の貨幣の金の謎はそもそも何なのかとというとこれも
わかりにくいのである
なぜ紙切れに価値があるのか、紙きれには価値がない、だから今盛んに紙幣は紙くずになるとか言われる
それでみんな不安になる、実際はそれは紙に記された数字と同じようなものである
実際の価値は現物にあり紙幣にはない

だから紙幣の価値は使ってみてわかる、一千万自由に使っていいとなるとき欲しいものを買ってみるのだ、その買ったモノに価値があるとなる
モノでなくてもいろいろ価値あるものがあり金を使った時、その価値を知るのである

なぜ今銀行が危機になり地域でも価値がないとなってきたのか?
まず戦後の焼野原になったとき日本には何もなくなった
だからあらゆるものを再び作り出すことをしなければならなかった
一から始めなければならなかった
その時、何かを始めるにも金が必要だったのである
それで私の家で店を始める時、5万とかの金を用意できなかったのだ
銀行で貸してくれなかったのである
それで知人から借りてやっと店を始めることができた
その苦労話を親から聞かされた

その時代は何かみんな商売であり何でも新しく始めなければならなかった
その時金がない資本がないとできなかったのである
金さえあれば小さな店でも始めればたいがい繁盛した
物不足時代であり物を置けば売れた時代だったのである
商売始めるのにも簡単なものであり今のような設備はいらなかった
何か駄菓子屋のようなものから店が始まったのであく
私の家の場合は道路の角にあり繁盛した
なぜならその時車もない時であり歩いて用をたしている時代だったからである
すると近くの店屋で買い物していたからである

ともかくその時以来高度成長時代は金を借りたいという人が多く、何もないときだから必ず成長して利益をあげていたのである、だから銀行には金を借りる人がいくらでもくる
ただ金を集めていればいいだけである、だから楽な商売だった
貯金しても7パーセントとくらいの利子がついたときがあった
これも信じられない高利だったとなる、今は利子はマイナスまでになっているからだ 
その時大企業というのは少なく工場でも中小企業が多かった  
その中小企業の劣悪な環境で集団就職の中卒が油まみれで働いていたのである
その人たちも小資本ではじめたのである、銀行で金を貸してもやはり景気がいいから利子をもらえていた、つまり銀行はなんら努力も工夫もいらない商売だったのである
みんなから金さえ集めていれば良かったのである                          

いづれにしろ銀行が空気を売っているというとき時代の変化で用がないものとなった
社会から必要ないものとされるようになった、だから銀行はいらない、地銀はいらない、何のためにあるのかと問われている
空気を売っているだけではもう商売にならない、何か銀行の社会的価値を新たに作りださねばならなくなっている
それで今いろいろな試みが行われる、ただ銀行はただ金を集めて貸していれば良かったのでありそれ意外の企業を成長させるノウハウはかないのである
それと日本が経済成長しない貧困化している中で銀行の役割りはなくなったのである

銀行にあづけても利子はつかない、かえって手数料がとられる

銀行に金をあづけて安全なのか?

銀行は統廃合してつぶれるとか預金封鎖で金はとりあげられるとか・・・

こういう不安が銀行にあるということが様変わりしたのである
何か銀行というのは「信用創造」金を作り出している、空気を売っている
そんな商売が成り立つのかとなるからだ

銀行は貸金庫なのか?

銀行は証券会社なのか

銀行の役割りがなくなっている、貸金庫など誰でもできる、投資信託とか株なら証券会社がプロである、銀行にはそのプロがいない、そういう知識の蓄積もない
だから投資信託でも適当に売りつけているだけである
それで営業の人がいつもチャートを見て教えていたのにリーマンショックら株を元にもどして上がり気味の時その株をJ=REITに回したのである、そのJ-reitが今年の一月に暴落したのである
それを一月に売ったはその銀行の営業マンを信じられなくなったからである
また地銀でも信じられなくなったということもある
普通プロならチャートが上昇気味の時は売らないけどその株を売ってJ-reitに売ったのは自分のノルマと成績のためであり銀行の都合でもうけるためにしただけである
客のことは二の次なのである

ただそもそも株とか投資信託でも何でも金融商品は自己責任なのである
だから自分で責任をとれないものはやるなとなる
ただ投資信託などの仕組みは複雑で客を煙にまくだますために作った商品だともなる
それはアメリカのハーバード大学のエリートの証券会社に勤めた人がそのからくりを知って良心の呵責に耐えられずやめたというのもわかる
人間は複雑になると理解できなくなる、それは科学技術社会の中でどこでも起きている
専門家しかわからないとなり専門家が支配者となる

でもその専門家でも全部を理解している人はいない、フクシマ原発でも所長が復水器のことを知らなかった、肝心のことすら知らなかったのである
それは他の大企業の社長でも同じである、そうして複雑だから原子力のことなど核のことなどわからないから地元民など簡単にだませるともなった
でも科学技術者にしては「安全神話」を虚構のものを作ってだましていたから許せないのである

つまりいくら科学技術でもペテンと嘘がまかり通っていたのである
銀行でもそうである、投資信託の複雑さとか金融商品のわかりにくさで客をだましやすくなるからだ、だから知らない人はやるなとなる
いづれにしろ銀行は危機である、役割りがなくなっている
それで空気を売ってもうけているともなる、信用創造でありもしないものをあるとしてもうけているとなる
例えば千両箱に小判がつまっていると言うことはできる

でもその中身が石ころだったとなっている
例えその中に金があったとしてもほとんどは石ころだったとなる
そんなものでも小判が詰まって千両箱をもっているというのと同じである
銀行には金があるというけど小判があるというけど実際は石ころかもっていない
そしてそこから信用創造で金を作り出しているのは詐欺だとなる
ただそれはグロ−バル経済の中でそうなっている、日本だけがそうなっているわけではない、だから国際金融資本家が大元締めがそうしてありもしない紙幣を作り出して世界を支配していると言われる

つまりドルは暴落して本当に紙切れになるということがありうるのだ
そういうことが今起りつつあるのはアメリカの覇権の時代が終わりつつあるからである
アメリカはもう衰退してゆくからである、その過渡期にあり資本主義自体が崩壊の危機になっている、だからといって共産主義がいいというわけではない
共産主義でも自壊すると言われるのもそこに大きな問題がひそんでいるからである





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2021年03月12日

貧困化して生活するのにはどうするのか? (大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


貧困化して生活するのにはどうするのか?

(大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


困窮死と水道停止 停止前の訪問で防げるか

2019年12月、東京都江東区の集合住宅で72歳と66歳の兄弟が痩せ細った状態で死亡しているのが見つかった。電気やガスが止められ食べ物もほとんどなかった。料金の滞納で水道が止められる直前だったが、生活保護の申請はしていなかった。


毎月電気、ガス、水道がとめられると訴える人がいる
その対策は何になるのか?根本的には収入がないことであり老人になって働けないことがある
でも二人の息子がいて前は一人と一緒に暮らしていた
それが別々に部屋を借りて生活している
すると三人分別々に家賃がかかるしまた電気水道ガス代もかかる
何か対策があってもしない、それで毎月それほど困っているのだから何か対策を考えていいともなる

現代の生活は大家族から核家族から個人化した生活になった
私の子どもの時は電気ガス水道代は払う必要がなかった
電気があった年ても裸電球一つだったからである、水は近くの井戸水の水を無料でもらっていたのである
それから洗濯は近くの堀の水でしていたから信じられないともなる
それは原始的生活だったともなる、ただ近くの小川を利用して洗いものしていたことは普通にあった、水道がなければそうなるのである

それから子供部屋などはなかった、だから子供部屋で勉強していた記憶がないのである
それで団塊の世代は子供部屋おじさんとかはいないのである
子供部屋を持つことは相当に贅沢なことだったのである、個室をもつことは贅沢なことだった
戦後まもなくはみんな貧乏だったから同じような生活だったのである
ただ食べ物は農家にあり農家の方がましだったのである、第一食べ物がないのだから他は無くても食べ物があればたりるという時代だったからである

そして今日本が貧困化すると電気ガス水道代を払うことができない人が相当数増えたのである、全体の5パーセントがそうなっているというとき結構多いとなる
最悪は借りる部屋から出されるということになる
日本は貧乏が見えないけど実際は相当数が貧困化している
それが一番わかるのが電気ガス水道代が毎月払えなくても電気でもガスでも水道でも止められることなのである
金を払わないと止められる、張り紙さえ張られるとかある
だからこれを知った時その人は貧乏だと知るのである
もうぎりぎりの生活をしているのである
だから近くの人が夜は電気を消しているとか団地でも夜電気を消しているということがあると貧困化している日本を実感するのである
ただ現代の貧困はなかなか見えないからわからない人も多いのである

だからこれからはなんらか貧困対策をしなければ生活できなくなる、そのために生活保護があるとか福祉があるとかいうが実際生活保護でも最低限もらえていない人がいる
だからこそ電気ガス水道代が払えないのである
生活保護が最後のセーフティネットになっていないのである
これから福祉予算はますます削られる、国民年金とかなると6万だとかにもなる
それでどうして生活できるのか?
息子の世代も生活が苦しいから親の援助はできないとなる
そこで起きてくるのは家族遺棄社会だとなる、家族がもう経済的にも金銭的にも支援できないのである
福祉に金が回らないのは日本自体の経済力が下降しているからである
そして少子高齢化社会になり全体的に働き手がへりまた高度成長時代のように電器製品でも中国でも韓国でも台湾でも同じようなものを作れるようになったからである
最近では車さえ売れなくなると危機感を抱いている、電気自動車とかになると部品がへり大量の失業者が出ると言われる、基幹産業で輸出ができなくなりますます日本は貧困化して来る

だから今までのような感覚で生活していると借金地獄にもなる
つまりこれまでの生活状態を維持できない、でも維持しようとすると借金になる
そしてさらに苦しむことになる
だから最近若者でミニマリストとかがもてはやされる、なるべく物を買わない、車もいらないといろいろなものをいらない生活を実践する
それは若者でも貯金がないとか貧困化しているからである
そうせざるをえなくなっているからである

ただこれまでの贅沢を維持できなくなる、でも依然として田舎でも一人一台車をもっているとかこれまでの生活をしようとするときどうしても無理が生じて来る
そういうことができなくなる、その時どうするのか?
それが問われることになる、日本は経済成長を目指すべきだとしてもそれもできないとなると貧困であっても生活できる方策が必要になる
その一つが個々に生活するのではなく昔の様な大家族で暮らす方法である
例えば餅でも一人暮らしで一つ焼くのと三つ焼くのでは電気代が一人だと一人分とられるでも三人分を焼けば三分の一でたりるのである

だから実際一人暮らしは本当は贅沢なのである
ただ一人暮らしが増えるという時、売る方にすると一人分をテレビでも電気製品でも何でも買う、すると企業にとっては消費が増えるからいいとはなる
大家族で消費すると何でも一台でまにあうが三人分となり五人分となるとその分の電気製品でも売れるとなるからだ
でも貧困化するとこういうことはぜいたくだとなる
そして今や家族でもプライバシーにうるさくなったりい一緒に暮らしたくないという人も増えている、人間の生活が孤化している、そして孤立化して孤独死とかも増える
これはやはり豊かな時代だからありえた
でも今や貧困化する昔の生活形態を知りそれに習うということ必要になる
三人別々に電器製品でも使い電気ガス水道代を払っているのはぜいたくだとなるからだ

それからみんなそれぞれ別々に電器製品でも買うのではなくみんなで使う、シェアして使う、だから一人車一台もつのは今や贅沢なのである
長屋での共同生活みたいなものにもなる、つまり個々人で個々の家族でも生活することは金がかかるからである
確かにプライバシーは失われるにしてもそれよりそういう生活ができなくなる
それは贅沢なことであり貧困化すればできないのである
ただそういう貧困にあっても依然として今までのようにそれぞさがプライバシーを守り
親子でも一緒に暮らすのを拒否している
もちろんそうして個別化して生活する人もいるしそれが必要な人もいる
でも貧困化したらみんなそんな生活がてきなくなるしなっている

貧乏になったら貧乏に適応した生活にならざるをえないのである
そんなこと嫌だと言って借金してまで贅沢な暮らしをするのは迷惑だとなる
金を貸す方にするとそんなに要求されてもできないとなるからだ
ただまだそこまで深刻に考えていない、でも現実はそうせざるをえないぼと追い詰められている人が相当数いる、毎月電気水道ガス代が払えない人がいる
そういう人たちがどうするのかとなるとミニマリストのような生活を強いられるのであるそれが変人でもなんてもない、そうしなければ生活できなくなっている
ただそこまで追い詰められているのに深刻に考えないのである

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2021年03月01日

金は具体的責任でありカルマとなる (そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


金は具体的責任でありカルマとなる

(そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


武田邦彦】ついに特定!メディアが一切報じないSTAP細胞事件の真犯人が判明しました!
やはり小保方さんは…


武田邦彦氏が小保方さんには責任がないと言っている
その理由は無給だったからだとしている、研究者として無給で参加させていた
だから小保方さんには責任がない、雇った方に責任があるとしている
それで上司の人が自殺したというのはそのことだったのかとなる

何か責任とかカルマとなると金でみるとわかりやすいのである
借金は明らかにカルマとなる、カルマとは何かとなるといろいろあり複雑だからその人のカルマを知ることはむずかしい
でも金から見るとわかりやすいのである、カルマとは借金を背負っていると同じだからである、だからその借金(カルマ)を払うことを強いられるのである

親戚で叔父にあたる人から墓を守ってくれと300万もらった人がいる
私でも叔父になるが交渉はなかった、でも今になるとそんなこと頼まれなくて良かった
墓を守れというけどそれも簡単なようでそうでもない
墓とは何か良くからないからである、そこに何もないとなればない
でも何かあるのかもしれないとかなりわからない
でもいづれ墓を捨てることにはなる、墓を捨てても別に誰も何も言わない

でも墓を守ってくれと言って死んだ人から呪われるかもしれない
「300万墓を守ってくれと頼んだ、あなた守りませんでしたね、私はあなたを呪うでしょう」何かこんなふうになったから怖いとなる
もし半分づつで分けて墓を守ることを自分がしていたらその責任が生じていたのである
だからそんなこと頼まれなくて良かったとなる
ただその頼まれた人は育ての親すら生前に捨てたような人である
だからそういう人がどうして墓を守れるのかとなる
世話になった親すら捨てた、その墓は別にある
いづれにしろそれもカルマとなってその身にりかかる

一見金をもらうことは無条件でいいように見える、でもそれがカルマとなる
ただそういうことを意識しないのである、後でなんらかカルマとなり災いとなる
弁護士に何もしないのに相談するだけで百万を払ったというのもそうである
それは何のとかめられることもない、しかしそれが具体的な金としてもらったことで後でカルマとなって苦しみとなって現れる
金は具体的なカルマとなるからである

原発事故にしても漁業組合の船主などは多額の補償金を事故前からもらっていた
もし金をもらわなかったら責任はないし東電でも政府でも責められる
でも金をもらったことが責任となる責められないのである
事故周辺ではそうして金をもらい恩恵を受けていたから東電を責められないというのもそのためである
ただ事故後に補償金でももらうのは当然だとなり批判はされなかったである

それでドラマでたいした金でもないのに江戸時代のヤクザが殺人に手をかしたとかある
それは金をもらった責任を果たすためにそうなったとなる
そこまでしなくてもいいとなるがそれでもそこまでしなければならないとなるのがカルマだともなる、だから借金を軽く考えるのは疑問なのである

また借金した人はすでに負い目をもっているのだから人を愛すことはできないとしているだから私が介護て苦しんでいる時来た親戚は助けることもできない
借金で苦しんでいるからまず金を要求してくる
負い目をもっているのだからその時点で何も助けることはできないとなる
借金は大きなカルマなのである
そのために自分は苦しめられただけなのである、ただ相手はそのことを意識していない
でも多額の借金で苦しんではいる、たいだい犯罪の動機は借金が多いのである
それがカルマとなって苦しみ犯罪になる
だから借金することはすでに犯罪に近いともなるのである
ただ借金にもいろいろあるから一概には言えないにしろ借金そういうふう怖いものなのである

いづれにしろ金の怖さは具体的なカルマとなるから怖いのである
そして親のカルマが子に残されるという時何か不正であれ子に残された金は得た金はまたカルマとなり子を苦しめる、それが自分にあったと思う
遺産にしてもどうしてその金が残されたかが問題になる
それで金のことで親の介護から死で問題になり苦しんだとなる
だからどうしてもコロナウィルスで苦しんでいる時株が上がりもうけて笑っているという経済の仕組みは必ずカルマとなりそのもうけた金が呪いともなる

つまりそもそも今の資本主義のシステムはもうまともなものではない、だから巨大なカルマとなって恐慌とか起きて破綻する運命になる
国際金融資本家がギャンブルのようにして世界から金を集めている
その金がカルマとなり呪いとなってゆくのである、そのカルマが巨大な重荷となりそれで破綻してゆくのである
金には責任が課せられている、もしそうした巨額な金をもっている人がいたとしたらそれを世界的に有効になるように使わないとカルマとなり呪いとなってゆくのである
だからアメリカは衰退してゆく、世界から過剰に金を集めて豊かになったからである
ただ何かを世界の利益になるものを与えたということもある

そういう責任が大国には覇権国になると課せられている
そのために金が集められるからである、でもそれができないときカルマとなりその国に責任がのしかかりそれが果たせないとその国は衰退してゆく
それがアメリカの超格差社会の現実でありアメリカはもう衰退するほかないとなっているそれは中国でも同じである、覇権国となると世界から金が集まるからである
すると世界的責任が生まれるからだ、それが一部の支配階級のみに金が集まりすぎる格差社会になると中国では必ず革命が起きてきたのである
つまりカルマが積み重なりそれで自壊してきたのである

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2021年02月23日

読めない株の変化ー経済は壊れている (自分で判断できる人が株をやるべき)


読めない株の変化ー経済は壊れている

(自分で判断できる人が株をやるべき)

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なぜ自分自身が株をしておかしくなったのか?

それは銀行の仲介者に営業の人に頼ったからだ

株も投資信託もわからないが地銀の営業の人にまかせた、まためんどうだし時間もないからそうした、それでもともと株は複雑なものでありまたその営業の人を頼った結果としてさらに複雑になり混乱した

最初石油があがるからカナダ国債を買った
実際その頃石油が上がっていて石油がとれる国の株は高くなるとふんでいたのである
でもこれも
急激に石油が急降下したように下がったのである
つまり石油が下がるということを見込めなかった
営業の人は適当にカナダ国債をすすめただけだったのである

次にUS-reitを買った、それがトランプ大統領になったとき急激に円安になりもうかった
その時すぐに売ったからである
でも為替差益がありこれが怖いと言うので日本のJ-REITを買った
これは安全志向でそうなった

でも一番の問題はその時、もっていたリーマンショックで半分になった株が上がって来たのに銀行の営業の人が売ってJ=REITに回したことである
これは一番の失敗だった、その時上がっているのに売ることに疑問だったが説明もなく売ったのである
それ以来銀行の営業の人を信じられなくなった
つまりなぜそうしして銀行では転売するのかというと売ったり買ったりして手数料が入るからである、その手数料金も額が多いと大きなものになる
こうして私の場合は株自体よりそれを仲介した銀行の営業の人に左右されて失敗したとなる

結局株自体複雑で予想できないものでありそれが銀行の仲介が入って余計複雑になり失敗したとなる
だから株はとにかく自分でもうけるにしろ損するにしろ自分で判断できる人がやるべきだとなる、それができる人がやるべきだとなる
だから若い時から株で少額でもいいから訓練していることである
でもまたその時間もかかるからめんどうだからまかせることになる
そこに落とし穴があった、これだけ変化するとなるともはうついていけないのである
さまざまな条件で株は変わるからである、最近その変わり方が激しいのである
確かなことは地銀とかは株の専門家ではない素人と同じである
支店長でも株のことは知らないと言っていたからである

では銀行の営業の人がすべて悪いものかとなるとそうでもない

なぜなら数か月前に株のチャートを見せて上がった時、買わないかと言われた
でもコロナウィルスとかいろいろありその営業の人を信用できなくなったし買わなかったそしてJ-REITを去年の一月に売った、それからコロナウィルスが増えてJ-reitは急激に下がったのである
その判断をしたのは銀行の営業の人が信じられなくなったからである
でも実際は別にその営業の人が悪いというのでもない、そもそも株は自己責任の世界だからである、でもその自己責任になるにしても仲介が入るとその仲介になる人が責任者にもなる、だからその責任を問うことになる、ただ銀行では一切責任はとらない
まず銀行の利益を優先するから転売をしたり銀行の都合で売買するのである

でも素人でもわかるのはチャートである、上り調子の時はやはり上がってゆく
そういう時売るべきではない、だからリーマンショックの株が元にもどして上がった時売るべきではなかったのである
ここから営業の人を信用できなくなったのである
それは株を冷静に見て判断したのではない、銀行のもうけのためにそうしただけだからである
だから自分で判断できない人は株はするべきではないともなる
結局自分の判断なら自分の責任だからである
そこに仲介者が入るとどうしても仲介者が責任にもなる
でも一切銀行では責任はとらないから頼るべきではないとなる

そして株でもうけるには長期的にみろということである、リーマンショックから8年すぎたくらいで元にもどりこんなに上がるとは思わなかったからである
倍にもあがりそのまま株をもっていたら大儲けしていたのである
株でも十年単位くらいで見ているともうかりやすいことである
そうなると若い時から株はしていた方が良いとなる、老人なると株は向いていないのである、つまり先がないから向いていないのである、十年後となると死んでいるかもしれないからである

でも昨今貯金は資産として危険であるということが常に言われる、でも老人は投資する
株でもうけようとすることは危険である
だからといって貯金でももっていても今は不安になる
いろいろ投資があっても理解できないしわからないから貯金しているほかないとなる
そもそもなぜコロナウィルスでこれほど騒いで苦しんでいる人がいるのに株が上がるということがどうしても理解できないからである
その理由は金が余っている、資本主義とは常に投資が必要である、投資先があって発展する、これまではグロ−バル経済が遅れた国でも中国のように巨大な投資先があると発展する、それも行き詰まると投資先がなくなり金が世界的に余ってくる
その金がバブルになる、資本主義はそうしてバブルが崩壊して恐慌になる歴史がある
つまり今は余っただぶついた金が株に回っている、株バブルである
何か特別成長している会社があって投資されているわけではない、政府でもコロナウィルスでも金をつぎこんでいる、それで景気と関係なく金が株に回っているだけだとなる
だから株が暴落すると言われるのである

いづれにしろアメリカは衰退する、金をもつことも巨大なカルマとなる
その金は世界から集めたものであり独占したものである
それを国際金融資本家が一手に集めるとかなる、つまりその金には世界の人々の労苦の賜物なのだがそれが極わずかの人によって独占されている
アメリカの富は数パーセントの人が50パーセントももっているというときそうである
それが巨大なカルマとなってアメリカ自体が衰退してゆくのである
一見金をもつことはいいように見える
ところがその金がカルマとなり悪く作用することがあるのだ
それは自分自身が経験している、なんで金のことでいろいろな問題が生まれ苦しんだからである、たいした金ではないにしろ金をめぐって争うことになる
遺産争いもありまた原発事故では補償金をめぐってこの辺はもめて分断された
それも金が悪く作用したからなのである
つまりアメリカは巨大なカルマを背負って自滅してゆくともなる
中国も同じである、中国の歴代王朝がつぶれたのも必ず貧困に苦しみ格差社会となり農民が主体となり反乱して王朝は倒された歴史がある
つまりやはたここでも大きな格差が生まれそれがカルマとなって王朝が倒れるのである
中国共産党もその歴代の王朝と同じであり倒れる危機になっている
それで社会は70年くらい過ぎると社会に歪が生まれ制度疲労が生まれ時の政権でも倒れる、そういう時期が今なのである

常識的にコロナウィルスでみんな苦しんでいる時なぜ株が上がってもうけているのか?
このこと自体経済が歪んでいる、経済の意味は

「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか? これは、6世紀ー10世紀頃にいくつか残された中国の古典に記載のある語句で、「世を経めて(治めて)民の苦しみを済う(救う)」という意味があります。

これが経済の意味であるけどそうなっていない、株はそれを反映していない
苦しむ人がいて株で大儲けして笑っている人がいるというのはまさにもう経済そのものが壊れているとなる、だからこそ何か大きな破綻が株の暴落が起きて恐慌が再現されるともなる、そしてその巨大なカルマは苦しとなって現象化するのである
それは個々人でも同じであり社会でも世界情勢でもカルマがかかわっているのである
つまりカルマにより大きな苦しみを受けるのである

中国・習近平が恐れている、米中貿易戦争より「ヤバすぎる現実」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59597

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2021年02月16日

チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった (銀行の営業に頼ってしまい失敗)


チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった

(銀行の営業に頼ってしまい失敗)

私は株のことなど全くわからないから銀行の営業の人にまかせた、銀行員だからプロだったと思っていた、本人も東京の証券にかかわり働いていたというから詳しいと思いまかせた
それがそもそも失敗だったのである、その人は株式についてのプロではない
そもそも株は機関投資家のプロでも運営がうまくいかないのである
ギャンブル的なものがあり訳わからないのである

銀行の営業が一番気にしているのは自分のノルマを果たすことである
銀行の利益を上げることである、それが常に頭にあり客をもうけさせることではない
第一に客のことは考えていない、自分のノルマを果たすことと銀行の利益をあげることが第一なのである
でもそのことで客は損するのである

それが象徴的だったのは一旦半分まで下がったリーマンショックの時の株が元にもどしさらにこれだけ上がったことに驚く、その理由がわからない、景気はコロナウィルスで停滞しているしとても株が上がるとは思えない状況だからである
実体経済と離れているからである、だからこんなとき株が上がるとして買う人は普通いないのである

でも確かなことはその営業の人はチャートを常に見せていた
でもそのチャート通りに投資していない、それより自分のノルマと銀行の利益を優先するだからリーマンショックで半分に下がった株を元にもどしチャートで上昇しているとき
それをJ=REITに回したのである

なぜそうしたのか?

チャートでみれば上昇しているのだからそのままにしているのがいい、上昇している時は売らないからだ、ただ営業のノルマを果たすことと銀行の利益を計ることしか頭にないから転売して手数料とるとなる、自分の利益と銀行の利益が優先されるのである
だからその営業の人はチャートを常に見せるがそのチャートに従うわけではなかったのである、もしそのチャートに従っていたら損しなかったしこんなに株が上がっていたら大儲けとなっていたのである
ただ自分のは場合は不安になるから途中で売っていたともなる
たた上り調子の時は売るべきではないことは確かだったのである
それはただ営業の人と銀行の利益を優先するからそうなったのである

その後J-reitはコロナウィルスで急激に下落した、でも損しなかった

それは銀行の営業の人を信じられなくなったからだ!

そのために一月に売って損をまねがれたのである
ところが何カ月か前にその営業の人がチャートをみせて株を買わないと来た
私はコロナウィルスでとても景気が良くなるとは見えなかったら買わなかった
その営業の人も信じられなくなったからだ
つまり自分の場合自分の判断よりその営業の人に頼ったことが失敗だったのである
そうしたらその営業の人の判断ですべて決まってしまうからである
そして営業の人は自分のノルマと銀行の利益を優先するからもうかることは少ないともなる

ただチャートを見せることは正しい方法である、ただ銀行側でも営業ではそのチャートと通りにはしないのである、そこに誤算が生じる
だから銀行の営業マンよりかAIの判断の方が株ではもうけられるともなる
そうした私的なことは機械には働かないからである
銀行をもうけさせようとか自分のノルマを果たすとか機械は考慮しないでただ株の上昇を冷静に計算して答えを出すからである
ただコレかすべてに正解とはならい、常に不測の事態が起きるからAIは万能ではない
でも銀行の営業の人のように私的な都合が働かないので公平だともなる
ただ株はチャートが大事でありそれを見ていると何か間違えない方法だとなる
ただその銀行員はチャート通りにしなかったということである

銀行員の営業には頼るな!

それで判断が誤る、そしてその営業の人を恨んだりするし裁判にもなる
銀行というのが今危機になっているのはメデアとなるもの仲介するものは必要なくなっている
それでマスコミの新聞とかテレビが衰退しているという、銀行も仲介業者であり苦しくなっているという、新聞でもテレビでもまた出版でもメデアは仲介するものだからそうだという

今は別に新聞社に頼まなくても自らインタ−ネットでも発信できる
出版さえアマゾンで電子化すればできる、ただ出版社とか書店ではできない
そういう会社はメデアなのだがこれまでは力をもっていたのである
でもインタ−ネット化して衰退して新聞などは十年後に消失すると言われている

つまり今このメデアを発信する人がもつことは大きな変化なのである
このプログなとほとんど無料である、でも表現がこれだけできるものだと自分自身がかかわって理解した
自らメデアを持つことはそれだけ情報社会にとって大きなことになっていたのだ

だから既存のメデアに頼らずとも自分の創作をプログですら展開できる
それは個々人がメデアを持ったことによるのである、それでこれだけプログで書いてきたのである

投資でも最近わかったことは個々人が物を作ったり売ったりする人に直接投資する
それがインタ−ネットでしている

クラウドファンディングとは、「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」ことを指しています。

資金調達といえば、一般的に金融機関からの借入や関係者・ベンチャーキャピタルによる出資などがあげられます。クラウドファンディングは、そういった資金調達にはない「手軽さ」や「拡散性の高さ」、「テストマーケティングにも使える有用性」といった点が魅力的な新たな資金調達の仕組みとして近年注目されています。

中でも、「こんなモノやサーヒ゛スを作りたい」「世の中の問題をこう解決したい」といったアイデアや想いを持つ人は誰でも“起案者”として発信でき、それに共感し「応援したい」「モノやサービスを試してみたい」と思った人は誰でも“支援者”として支援できる、双方にとっての手軽さがクラウドファンディング最大の特徴といえます。

これが新しい投資なのである、これこそ投資の原点だったともなる
そこに仲介するメデアがないからである、銀行は仲介するメデアだったとなる
みんなから金を集めそこで銀行がその金で投資して利益をだす
でもこれだと直接物を作る売る人に投資できる、これはグロ−バル経済の世界的市場でもない、何か小規模の個々人の人を支援するものである
こういうのが本来の投資だったのかもしれない、そこでは投資する人と物を作り提供する人と直接結びつくからであるこれが新時代の投資形態となりメデアー仲介業者はいらないとなるから銀行は役割を失い危機となっている
でも新しいビジネスモデルを銀行は作れるのか、それができないと銀行はなくなるという危機なのである
これもインタ−ネットで変化したことなのである

そして今銀行は福島銀行もSBI証券に合併させられその配下に入ったように大東銀行も
SBI証券が株を20パーセント近くもっているのは驚きである
だからこそSBI証券と合併してその配下に入ると雑誌で書かれたのである
銀行は新しいビジネスモデルとか投資方法を作らないと瀬う経営はできなくなっている
時代に合わず消えてゆくともなる、何か時代が変わる時それを良く理解できないのである金融でも複雑だから理解できない、自分自身も理解できない、ただインタ−ネットにかかわっていたからそれで全般的に社会をインタ−ネットがかかわり変えられていることを知った、技術の変化は進歩はそれだけ影響が大きいのである

sbidaitobank11.jpg

株主を見ると東北電力が東邦銀行の株主になっているのはいかにも東北らしいとなる
東北では一番大きな会社となるからだ
そして大東銀行の株主が東邦銀行になっている
やはり東邦銀行と大東銀行は合併しやすいとなるのか?

一番の問題はSBI証券がすでに20パーセントの株主になっていることである
だから将来的に大東銀行はSBI証券に買収されてその配下に入る
SBI証券は外資でありそき資金がアメリカに流れるとかその仲介者が竹中平蔵だともしている
ただ金融の仕組みは複雑である、カステデイ日本銀行というのはわかりにくいからである金融が常に陰謀論になるのはこうしう金がどう操作されているのかわからないからである

erekbyecirkle1.jpg

クラウドファンディングの例

走行距離が短いのが問題である、でも50キロだと長いともなる、もっと長いのもある
そうういものが欲しいというときこのように直接インタ−ネットで投資して買うとなる


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2021年02月07日

都会に出る人と田舎に残る人 (原発事故からも考える)


都会に出る人と田舎に残る人

(原発事故からも考える)

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである



東北だと仙台市に住みたいという人が多い、一つの憧れになっている
仙台市に住めば一人暮らしだと金はかかるにしても食事では困らない、いくらでも多様な食事のものもが提供されているからである
私の住んでいる所は弁当さえ売っていないので困る、つまり都会に需要があるからいろいろなサービスが生まれる、田舎では需要がないからサービスが生まれない
花屋にしてもそうである、クラウンオブダイナスティとかのチューリップとかを売っていて仙台の駅で買ったのもそうである
そして買い物にしても通販はあるが直接多様な商品に触れられないのである
直接説明も聞けないことが問題なのである
ショッピングの楽しみは仙台市だったら十分だとなる

ただ田舎と都会の差が本当になくなった、田舎でも十分に快適に過ごせるというのは本当である、第一贅沢したらきりがない、欲望にはきりがないからである
そういう欲望を全面開放して追求したのが現代の資本主義である
つまり欲望を抑えろということがないのである
そのことが意外と危険なものでもあったのだ
この辺ではある人を見ると限りなく欲望を追求している、いい家が欲しい、車が欲しい、うまいものを食べたい・・・・無限に欲望が拡大する
そこで何が起きたのか?

原発で豊かになれる、誘致しろ!

原発はこうして地元の人によって積極的に誘致されたのである
とにかく第一次産業は衰退していた、農林漁業は衰退して跡継ぎもないなとかなっていたそれで漁業組合は東電に漁業権を売って補償金で事故前も贅沢な暮らしをしていたのである、ただそれは農業でも林業でも衰退して金にならないからそうなった
だかち飯館村ですら原発で働ていた人がいたのである
三倍くらいの金がもらいるからそうなったのである
欲望を無限に拡大して是認することは実際は危険なことだったのである

この記事で言っていること資産をもっていると田舎に住みやすいというのは確かである
また東京とかに出なくなったのはむしろ都会に出て東京に出て行けるのは学歴とか何かもっているものであり普通の人は田舎に残っているという
高度成長時代は中卒が金の卵として迎えられたが今は何かかえって大学出て優秀な人でないと東京では働けないという事情があるというのもそうかもしれない
そして東京に出て行った昔の世代はすでに東京で資産を築いているというのもそうである東京でも資産をもてたとものと持てないものの差が生じている

それで都会へ東京などへ出て行ける者は恵まれた人だとしている
田舎だと一億円もらえたら都会に出て行くのになという人がいた
それが原発事故で多額の補償金をもらったときこれ幸いと仙台市とかに移り住んだ人が結構いる、それでその資金で成功した人もいる
つまり田舎を出るにしても金が必要になる、その元手があれば都会に出れるとなる
田舎から出れる人はかえって恵まれた人だとしているのもわかる
田舎から出れない人はそこで安住しているのではなく出る能力もないとなる

田舎では本当に資産家であり地位がある人はボスになり住みやすいのである
でも資産家ではない人は地位もない人は住みにくい、その差が目立つから階層社会になりカースト制になりやすいのである、だから公務員とか土建業とかの社長とか農協職員とか銀行員とかは安定した職業である、特に医者などは一番威張っていられる職業なのである前は地主などいたが農家となると今は資産家にはならない
銀行員も最近は貯金しても利子もつかないから田舎でももう安定していない
                        
田舎と都会の差がなくなっても田舎で暮らすとなると階層化されて暮らしにくいとなる
でも都会に出るには資金があったり学歴があったり能力がないと出れないともなる
それは全般的に階層化する格差社会になっているからだともなる
いづれにしろ田舎の階層社会で縛られて生きるのも嫌だとなっても都会にも出れないというのが現実なかもしれない、田舎ではその人にあった職業などわずかである
東京辺りだと多様な職業があり知的な職業もある、田舎にはない、それで最近はニートなど田舎でも必ずいる、親に食わせてもらっているから田舎でも不自由でも自由に生きているという奇妙さがある、実際は自分自身がそうだったのである
田舎では親が資産家だと楽なのである、親の威光で楽できるとなるからだ
階層社会格差社会では親の資産でも地位でも受け継がれるとなるから田舎ではそうなると住みやすいとなる

いづれにしろ人間は二つの世界に住むと豊かになる、田舎だけではそうはならない
都会的なものが必要になる、でも現代は田舎でも都会的になっている
別に隣の市に行けばそれなりのものがそろっている、車があればいつでも行ける
田舎に住む不便はなくなっている、それでもたりないというのは贅沢である
その贅沢が危険になる、過度の富を求めるのは危険なのである
結果として原発事故になったのもそのためである

とにかく金になればいいしかなかったからである、そして際限なく富をもとめ贅沢をもとめた結果なのである
ただ家族がばらばらになっても故郷に住めなくなっても何かそういうふうに反省している人は少ない、原発事故の被害にあった人でも依然として際限ない欲望を追求している
それが悪かったなど反省している人はまれなのである
だから今度は補償金をとれるだけとって楽な暮らしをしようとしかない
何か故郷を復興せせるとかなんとかないのである
それより多額の補償金を得た人は東京とか仙台市に移り住んで帰ってこないのである
それは放射能被害があるということでとがめることもできないのである

つまり一旦贅沢を覚えた人はもう荒廃した故郷を復興させようとかはない
戦後の戦争の引揚者のように開墾して苦労するようなことはしない
ただ補償金をもらい他に移り住めばいいとしかないのである
だから何か復興ははかどらないし無理だとなる、それは時代の影響でそうなった
ともかく都会と田舎の関係も時代によって変わる
コロナウィルスでも変わってくる、東京脱出組が多くなる
ただそれも東京周辺だとなる、そこには意外と田舎的風景があるからだ
東京の通勤圏とかにもある、だから田舎でも東京からあまり離れた所には移らないとなる


posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年02月05日

2010福島県過疎地域 (震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)


2010福島県過疎地域

(震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)

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過疎化という時、山村は過疎化していた、この辺だと飯館村とか葛尾村とか浪江の津島とかがそうである、霊山周辺でもそうである
山村が過疎化しているのは全国的である、全国の過疎地域は山村に多いからである
その原因がヤマの木材を利用しなくなったことである
エネルギーを炭に頼っていた時代は山村はかえってにぎわっていた
長野県辺りでも炭焼きをして炭を運ぶ人が大勢いたというのもそうである
炭焼きは一大産業でありまた養蚕も大きな産業だった、それでいたるところに養蚕をした兜作りの家が残っている、それは山村だけでも平地でも残っている

それだけ養蚕が輸出産業であり農家の生業となっていた
絹はアメリカに輸出されていた、それで外貨を稼ぎ日本の国力を増大させたのである
日本は資源がないから輸出産業がないと貧乏になる
それは戦後の高度成長を作ったのが電器製品を世界に売って豊かになったのと似ている
現在日本の経済が停滞しているのは世界に売るものがないからである
石油もなにもないならそうなる、木材自体がカナダとか外材を輸入して日本の山村地域は過疎ともなったのである
もともと山村には山持ちがいて金持ちもいたのである
それで大倉の女性が相馬女学校に親戚の家から通ったというのもそうである
相馬女学校は簡単に入れない、エリートしか金持ちしか入れなかったのである

山村が過疎化したのはグロ−バル経済になり肝心の森の木があってもそれを利用しない
それが致命的だったのである、豊富な木材があったとしても利用されないからである
燃料は炭から石炭となり石油から原発とかに変わったからである
それで飯館村など原発が遠いから関係ないと思っていたが飯館村の人も原発で働いていたのである、それだけ原発は金になるからこの辺では働いていた人が多いのである
その前は戦争の引揚者が不便な地域に開墾に入った、その数も多い
だから戦後でも人口が一万以上もあったときがある
そんな時になぜそんな人口を養えたのかとなる
木材とか石材とかを原町機関区から明治から戦後でも運んでいた
それで森林鉄道の跡が葛尾村まである、それは全国に網の目のようにあった
それで山村でも活気があったとなる

そして福島県では双葉町とか大熊とか原発のあったところは過疎地域になっていない
浪江は津島などの山をかかえていたから過疎地域になっていたのか?
そこでも原発で働く人が多かった、第一二万とかなると人口としては多いからである
とにかく山村であれ戦後の焼野原の時、団塊の世代が生まれその数が多かったのである
だからなぜそんな貧乏の時、何もない焼野原から子供が大量に生まれたのか不思議だとなる、そんなとき子供を産む気になるのか?
今は貧しいから子供を育てられないというとき何か理解できなくなる
ただ昔から貧乏人の子だくさんとなっていた
子供はまた労働力として必要だった、教育して大学まであげることなど考えていない
農家だったら労働力として子供を見ていたのである
すると子供に労力を金をかける必要もなかったのである
今でも東南アジアの貧しい国ではネパールとかベトナムでも親に仕送りしているとかなる
だから親子関係も時代の変化で変わる、親に孝行が子に親が尽くすとなるのが当たり前になった、すると子育ては金がかかるか苦労が多いとなり少子化の原因にもなったのである別に貧乏でも子供育てていたからである

ともかく山村の過疎化は深刻である、でも活性化する方法がない、もしかしたら日本がの貧困化がもっとひどくなると外国から木材を変えなくなったり石油でもガスでも買えなくなったりとかすることもありうる、そうなるとき日本にあるものを利用して生きるほかなくなる、そうなるとまた農山村でなんとかあるものを活かして生きようとするかもしれない、ただ時代は逆戻りしない、逆戻りするようでも同じものとはならないのである
でもなんらかで山村を活かすことが起きてくる
それは日本が外国から木材でも何でも物資でも買えなくなるときそうなる
炭を使いとは言えないが何か日本にある資源を活かすほかなくなる

今大きな時代の変わり目でありそこで何が起きてくるかわからない
社会の根本的見直しかあり改革が成される、そうしないと日本自体が成立たなくなる
明治維新とか戦後の焼野原からともに70年過ぎて起きた
だからそういう大きな変化が起きて来る、それが世界的にも起きて来る
そういう兆候がこの辺だと震災以降原発事故など極端なものとして現象化したからである資本主義でも民主主義でも崩壊の危機にもある
株式などは実際はギャンブルだとしているのもそんなことが許されるのか?
それでヘッジファンドに対抗して一般投資家が空売りを許さなかったというのもそうである、そのからくりに気づいたからである
自由な市場などグロ−バル経済では成り立たないのである
国産金融資本家に金が集められる、収奪されている、ヘッジファンドに対抗したのもそうである、だだ一般の投資かも損するというから株の世界はわからないのである

とにかく今は時代の変わり目であり何起きてくるかわからないのである
コロナウィルスもその一つでありこれがどうなるかも予測できないのである
そもそも未知だから予測できない、大きな時代の変わり目には予測できないことが起きるだから様々に不安があり不安の時代になる
ただこうしてまた社会は変わり新しい時代を迎える、その時に産みの苦しみがある
それを乗り越えると新たな社会に変わり新しい時代を迎える

世界的にはアメリカは衰退する、もう社会自体が分断して崩壊しつつある
その反乱としてヘッジファンドに株の不公平を正すために一般投資家が戦ったともなる
それはわからないにしても何かこうして変化が起きている
コロナウィルスでも生活の仕方を変えるニューノーマルとかが言われる
これも時代の変化で起きている、社会全般が変わる
ただ自分の場合は何か現代社会でも文明でもなじめなかった
おそらく資本主義であれ民主主義であれその根幹のモラルが崩壊している
もう金になればいいしかない、そういうモラルが消失したとき何が起きるのか?
アメリカのような混乱と分断が起きて中国でもまた大きな分断が起きるともなる
中国はもともとモラルがない、金になればいいとしかもともとなかった
商売の国でありそのために何でも盗み利用する、それが国是ともされる
そういう国だというときモラルの消失からやはり退廃してゆく

このモラルの観点からすると日本は比較してだがあまり嘘つかないとか信用するとかとなっていた、それは日本国内で身内だという感覚があったからである
日本人は外国人からも信用されるというのがそうである
もちろん日本人には様々な欠点がある、ただ日本人は商売でも信用されているということは確かだとなる
そもそも戦争でも敵味方塚など作る国はないからである、殺すか殺されるかが大陸であるそして敵はみな殺しにされたのが歴史である
中国では墓まで暴くということで敵は死んでも許さないとなるからだ

いづれにしろ今年の経済も波乱含みだとなる、株価が上がっているのはもう限界であり大暴落が来るというのは一致した見方である
それは三月になるとか言われる、そのころコロナウィルスの大量倒産が現象化するからだという、すると今年一年はやはり波乱がつづく、コロナウィルスでも収まらない
そして今年中に株の大暴落は来るのが一致した見方なのである
2020年も波乱の年だとしていた、それがコロナウィルスだったということは当てた人はいなかった、でも波乱の年だったというのは当たっていたのである

確かなことはグロ−バル経済は終わる、国内回帰に向かう、それよりコロナウィルスでデスタンスをとれと言うのが合言葉になった
デスタンスをとれとはグロ−バルに人,物が行き来することを止めることなのである
また国内的にその地域地域を見直すことや回帰することにもなる
まずグロ−バル経済ではもうモラルはない、世界がギャンブル場のようにもなる
自由市場などない、国際金融資本家に操作されているとなる
それに気づいたからヘッジファンドに一般資本家が対抗したのである
グロ−バル経済が山村を疲弊させたことも確かである
だから山村の過疎化でも国内の経済でも見直すときであり変革の時なのである
ただそれはかなりの痛みをともなうから心せねばならない、それを乗り切った時新たな時代を見ることになる


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2021年01月23日

女性の人口が減っている―独身社会 (福島県は原発事故で一番減っている?)


女性の人口が減っている―独身社会

(福島県は原発事故で一番減っている?)

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世相のうっぷん晴らしチャンネル

女性の人口の減り方が福島県が一番多い、男性も減っている、それは原発事故とかで若い女性でも流出しからだろう、全体的に減っているとしてもなぜ福島県だけが一番減っているのか理解できないからだ

日本全国では女性でも男性でも増えているのは千葉県とか神奈川県とか埼玉県とか東京周辺である、それ意外はほとんど減っている、ただ大阪が減らないにしても増えていない
東京周辺にそれだけ人口が集中しているということなのか

ここのyoutubeでは結婚したいなら東京周辺の都市に行けというのはそのためである
若い女性がそれだけ少ないからであり男余りになっているからだ
そしてもう結婚しない人が増えて独身社会になる 

女性にとっては地方は田舎は魅力がないとなっている
ただ福島県が一番減ったのは原発事故の影響である
ただ全般的に女性が減るとさらに結婚しにくい

なぜ独身者になるのかというと結婚というのがわずらしい、そして負担が大きいとなるからである
隣に人がいるだけでストレスになるというのもそうである
だから今一人暮らしが多いのはそのためである
そして一人暮らしがしやすい社会に変わっている、別に家事は機械化して買い物でもできる、多少めんどうにしても一人でできることが大きい

昔は結婚するという時、家事が女性の仕事でありそれがないと男性は生活できない
家事をしてもらって何とか仕事ができるとなるからだ
それで普通の中産階級でも女性二人を女中に雇っていたという時代があったからだ
それだけ家事が大変だったのである、
そうなると女性でも一緒にいても男性にとって必ずしも不可欠ののでなくなる
かえっていろいろとストレスになるというのもわかる 

そういう社会に変わったのである、団塊の世代はまず子供部屋とか個室がなかった
だから子供部屋おじさんは存在しないのである
今は個室の時代であり個で過ごす時代になったからである
結婚のメリットが少なくなったのである
結婚すると子供でも負担が増大してゆく、今は日本が貧乏なるときその負担を負いきれないとなる

だから日本がから日本人がいなくなるというのも笑い事ではない
ただ世界的にも女性の人口は減っている、男性余り社会にもなっている
女性の人口が減っていることは子供を産む数が少なくなる
それで世界的に人口が減少してゆく、それが天の采配だというとき
やはりもう地球の人口は限度になった、それでコロナウィルスなどが生れて世界全体の人口を減らす作用をしているのかともなる

ただ日本の人口の減り方は極端でありその影響が大きすぎるのである
いろいろなものが継承できなくなる、膨大な耕作放棄地とか空家とかの問題もある
拡大増産する社会から縮小する社会というのは経験していない
江戸時代から明治から戦後でも人口は増えてきて成長しつづけてきたからである
そのショックは相当なものになる
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2021年01月11日

商業の歴史をふりかえる (商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


商業の歴史をふりかえる

(商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


経済という時、例えば商業の歴史も牧畜とか農業があるとするとそれと同じように古い
人間の歴史がはじまって以来商業は貿易ははじまっていた
なぜならある地域だけであらゆるものがあるわけでもない、また生産もできない
だから自ずと貿易が起こり物々交換も起こる、貿易は何かと交換することである
それで物々交換となるとめんどうだから必然的に貨幣が生まれたのが人間の歴史である
宝貝というのは珍しいから貨幣になった歴史があり漢字で貨幣とか財とかに貝の字が使われたのはそのためである、つまりそれだけ貨幣の歴史が古いのである
それはどうしても人間は一地域だけだと限られた物しか得られないからそうなった
縄文時代ですら貿易があった
ヒスイが発見されているからだ、それは日本海側の糸魚川からとれたものであり
青森の三内遺跡から発見された、つまりそういう遠くからも運ばれていたのである
すでに貿易があったという証拠になる

第一聖書にも記されている神との契約というとき商業がなければその言葉もありえない、商業には契約が欠かせないからである、するとそれだけ商業の歴史が古いということである、契約の虹というのもそうである
そして商業は交通と密接に関係している、遠くに行くとなると交通が発達しなければできないからだ、それで砂漠とか平原とか草原とか川とか海が交通路になり商業が発達した
そこは自然の交通路になっていたからである
日本では山が多いからそれが障害となり交通が妨げられて商業が盛んにならなかったともなる
そしてそういう草原と砂漠とかは遊牧民がいて移動して暮らしていたのである
すると遊牧民は自ずと商業民族となるというのもわかる
それで遊牧民が航海民になった、地中海のフィニキア人は遊牧民だったというのもイメージしやすいのである

歴史家ヘロドトスは、その著書「歴史」の序文で「ペルシア側の学者の説では、争いの因をなしたのはフェニキア人であったという。それによれは、フェニキア人は、いわゆる紅海からこちらの海に渡って来て、現在も彼らの住んでいる場所に定住するや、たちまち遠洋航海にのりだして、エジプトやアッシリアの貨物を運んでは各地を回ったがアルゴスにも来たという。」

紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[7]。紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている

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これだけ古いのである、ソロモンの栄華というときまさに貿易があった商業が盛んになっていたからだとなる、、テュロスは今のシリアでありイスラエルの隣なのである
誤解しているのはイスラエルは半分は砂漠であり商業の国でもあった
だからラクダとともに泊まる宿がある、交易の国でもあった
イスラエルは遊牧民の国であり農業の国ではない、農業はイスラエルが建国して砂漠を畑とか果樹園に変えたのである
そもそも砂漠は遊牧民の世界であり自ずと商業が発達する
その延長として海が交通路になるのは自然だとなる、この辺が地理的に理解しにくいのである、私は実地にイスラエルに行って理解したのである
地理は実地にその場所に立たないとわからない、そのイスラエルからギリシャに船で渡った、それはまさにフェニキア人と同じだったとなる
途中船はキプロスに寄り6時間くらい停泊したのでそこで買ったのがイギリスのコインだったというのもそこはイギリス領に一時なっていたからである

いづれにしろ商業は人間の歴史がはじまるとともにあった、日本の縄文時代でもあった
ヒスイが青森の三内遺跡に日本海から運ばれた、日本海は冬をのぞいて穏やかだから交通路になったためである、太平洋洋側は海が荒いから交通路になりにくくかった

斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。

飽田・渟代(秋田、能代)となっている、つまり日本海側の歴史はそれだけ古いということになる

ともかく経済を理解する時、商業とか貿易でもこれだけ古い、そこで必然的に交換の道具として貨幣も生れた、聖書でもキリストが神殿で商いの場所にするなと起こった時、神聖な場所が商売で汚されていたからだとなりまたそれだけ商売が盛んになっていたからである
その商業か貿易が盛んになることは必ず経済戦争に発展する
川が交通路になるとその通行のために税金をとるとかなったりする
それで戦争になったりもする、それは現代のグロ−バル経済になってもそうである
米中の覇権争いとなるのはそのためである、商業には政治と軍隊がからんでくるのである商業から戦争が起こり安いのである

商業でも貿易でも本来悪いことではない、貿易して富が増大することである
互いに利益を得ることである、でもそれも全面的にいいものとはならないのが人間の歴史だったのである、それは富の奪い合いとかなり戦争の原因になったからである
まさにグロ−バル経済というのもそうである
それが一見いいように見えても実際は必ず争いになる、富をめぐる争いになる
それが米中の対立となる、政治がからんできて政治とはまた軍事力となりその力で商業の利益を得るとなるからだ

すべての道がローマに通じるというときすべての富がローマに集まるという意味にもなる今ならすべての富がアメリカに集まるともなる、だからドルが世界で通用する
そのドルが世界の基軸通貨共通貨幣になっているのはアメリカが覇権国であるからである第一ドルでなければ石油も買えないのである
それに中国とかが反発するものわかる、そこで対立して戦争までになる

商業の発展には交通が基本にある、だから常に移動して暮らしていた遊牧民は自ずから商業民族にもなる、そして商業は貿易は必ず他国を通る時、盗賊に襲われる
それから守るために軍事力が必要になる、安全が保証されないとできないのである
それで政治力と軍事力が必要になる、また関税が生まれるのもそのためである
それは安全を保証するのものでありやむをえないとなる
だからローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときその帝国内では安全に商業もできるとなった、そして富がローマに集まったのである
モンゴル帝国でもそうである、あれだけ広い地域を治めたと安全に商業を貿易ができるようになり貿易が発展したとなる

第5代皇帝クビライによって元が成立すると、1260年(中統元年)に諸路通行中統元宝交鈔(中統鈔)が7万3千錠(365万貫)発行されて通貨が統一された

中統鈔の材料は桑の樹皮であり、繊維状にした内皮にニカワを混ぜて薄くのばして縦長に裁断し、銅版画で印刷して皇帝の御璽を押印した。中統鈔には皇帝の権威を表す龍や銅貨の図柄、額面金額、発行所、発行所の役人の名前、製造所、そして偽造者を惨殺刑とする文言が印刷された

貨幣が紙幣ともなり統一されたのはモンゴル帝国が成立したからである
それはアメリカ帝国が成立したと同じである、こうみると歴史は繰り返されている
ドルが世界の基軸通貨となったのはアメリカ帝国が成立しているからである
でもその覇権が奪われると中国が新しい通貨を発行して世界を支配するとなる
つまり経済の上に政治力があり軍事力が関係している、それは変わらないのである
つまり民主主義だとか自由経済だとか言っても結局その上に現実的な力として政治力があり政治の力の背後には軍事力があるとなる、だから人間の歴史は本質的に変わりがなく
同じようなことをカルマとして繰り返しているとなる
グロ−バル経済は一見自由であり公平にみえてもそうではない、やはり政治力とその背後に軍事力があって成り立っているのである

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2021年01月10日

何に本当の価値があるのか? (紙幣は紙きれになり価値がなくなる)


何に本当の価値があるのか?

(紙幣は紙きれになり価値がなくなる)


何に価値があるのか?土地があるとする、その土地を活かすことは容易ではない
土地そのものに価値がある訳ではない、ただ住宅地になったり道路ができたりとかで土地を利用されるとき高く売れる
それで近くにスーパーができて田んぼだったところを貸した人には定期的に金が入る
金持ちになったとかある
でも土地を活かすことは農業するなら土地があってもそこに労働力とかノウハウが必要になる、土地から価値を生み出すのはその労働力とノウハウだとなる
それが簡単にできないから膨大な耕作放棄地が生れている
機械で労働力省くにしてもその機械のために金がかかり機械貧乏になってやめた人もいる都会の人が農業をしようとして500万かけたが実りがなくやめたとかなる

本当に農業は労働力とノウハウである、それで近くで農業していた人が一人は病気でやめて一人は高齢化でやめたとかなる
そこは草ぼうぼうの耕作放棄地となっている、それが全国で膨大に増えている
だから農業というのは実りをもたらすことがいかに大変かわかる
そして紙幣とかは価値を生み出すとはならない、紙幣は紙切れだから紙切れになってしまう、それで預金封鎖とかが騒がれる、それはもともと紙切れだからである、小判だったから違う、その金自体に価値がある、紙幣は紙切れにすぎないのである
だからいくら紙切れ所有していても本当に紙切れになるという不安をぬぐいきれないのである

今膨大な耕作放棄地がある、また原発事故でこの辺は田畑をする人がいないから草ぼうぼうの荒地となっている、でもそれを活かしようかないのである
それを活かすには労働力とノウハウが必要だからである
うまい梨を作るのに十年かかったとかあり簡単に実りをもたらすことができないからである
何か今年は梨は不作であり馬鹿高く食べたことがなかった、農業はこのように天候とかにも左右されて実りをもたらすことが容易ではないのである
それで原発事故前から農業をしたくないとなり原発が誘致された経緯がある
原発の方が金になるからそうなったのである
実際親に農業はやるなと殴られた人もいる、それだけ農業で苦労しているからそうなる

ただ本当の価値は紙幣にはない、だから預金封鎖で紙幣は紙切れになるとされる
例えば金があってもつくづく年取ると消費すること自体が容易でなくなる
パソコンを買う金がある、でもそれを使うのノウハウを覚えるのが何倍も大変なのであるそれで老人はスマホでも利用できないとなる
何か今の時代は消費することは生産することに通じている
30万以上で荷台のついた電動自転車がでた、それはユニットエンジンが優れていることを経験して知っている、若いならそれを買って旅に出たいとなる
それも体力がなくなりできない、海外旅行をしたい、ヒマラヤにもう一度行きたいとなっても金はあっても体力がなくなりできないとなる
だからそもそも老人は消費ができなくなるのである、その老人が金をもっていることで社会に金が回らないという問題も生れている

おそらく何かコロナウィルスでもエッセンシャルなものが見直された、飲食とか観光とか娯楽関係の仕事が大打撃になった、それは別にエッセンシャルなものではない、なくても困るということもない、それも人間に必要だということはわかる
でもそれがなくても社会は回ってゆく、でも食べるものがないとか食料がないとかなると社会が成り立たなくなる
それで銀行が窮地にたたされるのは銀行に貯金してもそれが預金封鎖されるとか紙切れになるというときその金を活かせないからそうなる
銀行から金を借りてそれでビジネスでも何かを企業してもうけてくれる人がいないからそうなる
つまりいくら金があってもそれが活かせないのである

紙幣自体には価値がない、紙切れに過ぎない、銀行にいくら紙幣を貯えても紙切れを貯えているだけだとなる、、だから飢饉とかがあったら紙切れは役立たない
もし米でも貯えていたら役立つ、戦後は焼野原になり預金封鎖があり本当に紙幣は紙きれになった、それで私の母は前の夫が事故でなくなり一生困らない金をもらった
でも預金封鎖で残ったのはわずかの買った土地だけだったのである
だから本当に紙幣は今や危険なものになっているのだ
ただ何かを貯えるにしても現物だと限界がある
だからこういう時代は次の時代は本当に価値あるものを持っている人が有利になる
若い人は金がなくても働ける体力があるから有利になる
何もなくても働ける体力があるからである
老人はそれがないからいくら金が紙幣があっても価値がないとなってしまう恐怖である
それで銀行員が農業するようになったのも理解できる
銀行はいらないとなってきたからである

とにかく年金頼りの老人とかはこういう時代に不利になる、年金は自分でも国民年金が一か月で一万も減額されている、何か保険にも回されている
そもそも年金は下の世代が働いて税金として納めてくれないと成り立たない
ただもらうだけの老人ばかり増えたら成り立たないのである
ただもう老人には労働する体力もないから価値がないとなる
ただ精神的なものなら老人でも経験があり産みだすことができる
どんな人でも老人になると人生はこんなものだったのかとかふりかえりわかるからである老人はそういうことで価値があるとなるが現実生活では価値を生みだしにくい
でも農業でもこういう肥料をやるといいとか指導はできなる、自ら労働するのではなく
ノウハウを教えることはてきる、だから老人も何も価値がないとはならないのである
ただ現実社会では老人は無用化されるのが多い、それが高齢化社会の問題なのである

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2020年12月13日

金の貸し借りの不思議 (借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)


金の貸し借りの不思議

(借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)

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金を貸したり返したりすることの不思議がある
ここでAがCに金を貸したのだが実際はBが仲介者であり
Aの貸した金はBに一端払われてAに返ってくる構図になっている  

実際はBが金がない、Cは返す能力がある、だからBはCを通じてAから金を借りた
AもBなら金を返してくれると貸したのである
つまりCの信用を通じてBはAから金をCへ借りさせたのである

その借りた金は今度はC⇒B⇒Aと回って返ってくる
これはAとCとの貸し借りなのだがそこに仲介者が入りややこくしなった
何もAとCとのやりとりだけで良かったのである
でもCはBを通じてAから金を借りた結果ややこしくなった

つまりCは金を返す能力がある、Bはない、だからCに頼んで借りたとなる
もしBが直接Aに金を貸してくれと頼んでも貸せない、Bはもともと支払い能力がないからである

もともとはCがAに金を直接借りてBに与えればいいものだった、それがBが仲介者になったことでややこしくなった
ただ金を貸すということは信用がない相手には貸さない
Cは信用があるから貸した、Bは信用がないから貸せないのである
返すあてもないからである

となると金の貸し借りでも信用が大事になる、信用がないものには貸せない
返すあてがないものにも貸せない、金をくれるならいいけど返すことを前提にしていたらそうなる

何か不思議なのはここでBは金を返す信用もない、でもCは信用がある
それでCを通じて借りたとなる
それで不思議なのはCが金を返すからとしてまたAから金を借りる
もともとその金はAのものだった
でも金を貸した結果、AからCへそしてBへと回りややこしくなった

何か金を貸すことは損なのである、金を貸すことはくれるともなる
金は他者に一端与えられるとそれがその人の金のような感覚になる
借りた金でもそうである、物でも借りるとそれが自分のもののような錯覚にもなる

つまり金を借りるのでもまた物を借りるでも借りた方が優位になる
貸す行為は何か貸す方が損になることがある
だから借りた方は金でもそれが自分のもののような錯覚になる
借りたことで所有権が移動した感覚にもなる
それは理屈ではなくそうなるのである
だから金でも借りた方が優位になり貸した方が低姿勢になりなんとか返してくださいと頼むことになる、それができないときは強制するために暴力にまでなる
金を貸すことはそれだけリスクがあるとなる

例えば銀行にあづけた金でもそれが銀行のもののようになる感覚になる
もしタンス預金が危険でも自分で金を所有していればそういうことはないのである
一端他者に金を保管してもらうだけで金が他人のもののようにもなる
実際に借りた金を返さないというのはそういう人間の心理が働いているからだとなる
金を貸したらかえって不利な立場になる、一端借りた金は人は返したくなくなる
借りた金は自分のもののように思うからである

ところが銀行は金を貸すことが商売である、でも金を貸して利子をつけるが金を借りて何か事業でも商売でもしてもうけてれる人がいなければ金は活きてこないのである
それは銀行に貯金しても利子が今はつかないのは金を借りてでももうけくれる人がいないからである

そもそも資本主義は常に投資して利益をだすということを前提にしている
ただ銀行に金があっても何もならない、利益を出さないからだ
今銀行に金をあずけても利子もつかない、するとただ金の安全な保管場所になっている
そうならそうした貸金庫のようなものに銀行はなるだけであり誰でもできるとなる
そこで安全保証すればできる、盗まれた場合などは保険をかけるとかになる

ともかく金を貸すことが優位になるようでそうではない、なぜなら貸した金を返さない人がいると取り立てるためにものすごく苦労する
遂には暴力でとりたてるほかなくなる、それが犯罪人にされてしまうのである
だから一概にサラ金とか消費者金融とかが悪者にされるが貸した方にすれば貸した金を利子をつけて返してほしいとなるだけである、それは約束だからである
まず親しい仲とか友達同士だと金の貸し借りがあるともう返してもらうことはできなくなる、法的な縛りもないし裁判にするのもめんどうになるからである
金をくれるならいいが金の貸し借りはしない方がいいというのはそのためである

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2020年12月04日

貧困とは何なのか? (エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)


貧困とは何なのか?

(エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)

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戦後の焼野原から何が変わったのか?
それをエンゲル係数で見た時、食費の割合が戦後十年とかは極端に大きい
70パーセントくらいになる、でもどんどん食費の割合が低くくなって25パーセントとになっている
戦後十年の暮らしのは不思議は子供の時の体験であり大人としては体験していない
確かに食費に70パーセントを使っていたというのが実感である
家にあったのは飯台一つでありそれはどこでも同じだったからだ
もしかしたら燃料代はやはり炭だから高くついていたのかもしれない
今でもガス、電気代が払えないとかなるからだ
ただ風呂は木材の廃材とかを使っていた
それを新聞紙でたきつけるのが自分の仕事だった
大きなエネルギーとなると石炭だった、蒸気機関車が走っていたからである
そもそも鉄道は石炭を運ぶために作られていた、それは北海道をみればわかる
この辺でも常磐炭田がありそこから東京へ石炭を運んでいたのである

今日本全体が貧困化しているというとき貧困とは何か?
それが問われる、私が団塊の世代か経験した貧困と今の貧困は違うからである
まず街では水道がないのだから井戸水を使っていた
でも自分の家とか他でも井戸がない家があったがそれは無料でもらっていたのである
それで子供の時、近くの井戸から風呂の水をバケツで運んでいたのである
それを自分もしたからわかる、ふりかえれば風呂の水をバケツで一杯にするのは結構な量が必要であった、でもバケツで運んでいたのである

その時、水道もなければいろいろな物もなかった、その時の生活は食べることが第一でありその他に金をかけられなかったのだ、だからその時、電気はあったにしても裸電球一つであり外の道は舗装もされないない、土埃りのたつ道だった
そしてやはりまだ農業中心の社会だった
それで近くの農家の人が汲み取りにきていた、便所は外にあり肥料として糞尿はくみとられていたのだ、だから農家の仕事は汚い仕事にもなっていた
でもそれを汚いとは言えないものだった、なぜなら肥料となるものは貴重だったからである

要するに貧困の問題を考える時やはり歴史をふりかえる、貧困とはどういうものなのか、それを歴史的に比べてみる、それは自分自身の経験からすると70パーセントは食費に費やされあとは何も物は家にもない、本も一冊もない、それから新聞紙は風呂のたきつけとか便所紙として利用価値があった、紙は貴重なものだったのである
戦前になると鉛筆は貴重であり短くなって書くことができないくらいまで使っていた
大正生まれでは学校に通えないで小説読んで字を覚えたとかいう人もいた
つまりまともに学校にも通えない人がいたのである
ネパールとかなるとボールペンもないからくれとなっていた、書くものがないからそうなる

そもそも貧困とは何なのか?最悪の貧困は食べるものがないことだろう
まず食べるものにしても戦前だと私の母は原町紡績で糸取りをしていた
その時のオカズはタクワンとと味噌汁くらいである、そんなもので良く働けたと思う
今いくら貧困でもそこまでにはならない、何かしらのオカズは食べている
貧困を歴史的に比較すると食べることに費やされる、だからエンゲル係数でも70パーセントがその時食費に消える、現代では25パーセントになるというときその差が歴然としている

また私の家では家を貸していた、部屋を何人かにアパートのように貸していた、それで毎日家賃をとりにまわっていたと聞いた、それは戦前のことである
毎日家賃とりにゆくのはその日暮らしだったからなのか?
それも手間である、そは江戸時代の長屋暮らしのかともなる
貧乏な時代は酒でも計り売りであり酒樽から必要な分を買っていたのである
御菓子とかでも計り売りでありバラ売りだったのである
袋は新聞紙で作っていたのである、新聞紙にはこういう別な用途があった
情報を得るというだけではない用途があったのである
それは新聞紙でも紙が貴重だったからである

それでどういう状態が貧困なのか?

それは必ず電気、ガス、水道が月末に止められる人が貧困になる、なぜならその時料理すらできない状態に追い込まれるからだ
昔でも炭を使っていたから炭がないと料理もできないとなるが後は水は無料であり洗濯でも裏の堀の川でしていたのである
金がかかるのは炭代だったとなる
その時だったら電気,ガス、水道代が払えないと追い込まれることはなかったとなる

現代の貧困は電気、ガス、水道代とかあとは携帯も必需品でありその金が払えなくなる
そして田舎だと車が必需品でありこの出費が大きい、それは相当に家計の負担になっている、それが田舎の出費で大きいとなる
別に車がなくても暮らせる、自分は暮らせているからだ、ただ仕事とかなると車が必需品になる 

現代の貧困は電気、ガス、水道代や携帯や車代、冬にるなと暖房の石油代とか・・・食費意外のエンゲル係数が大きくなっている、それが負担になった貧困だとなる
それを払う金がない貧困になる、月末になるとこれらが払えない所帯が70万とかいるとなりそこが最低の貧困者だとなる
それで近くの人が電気を消して暮らしているとなる、風呂にも入らないとかなる
昔は銭湯があり自宅に風呂がなかった家も多かった

いづれにしろ何か現代の貧困の矛盾は例えば大学生が学費を払えないで奨学金とか風俗とかで稼いで学校に行っているというのも何か変である
苦学生が昔からいたにしろそれとも違う、風俗とかで楽して金を得て大学に通う
そんなことまでして大学に通うというのも疑問になる
親の生活苦とか借金で娘を身売りしたという追い詰められたものでもない
それほどまでして大学で学びたいのかともみる
そもそも大学などは戦前ではほんの一握りの人しか入っていない
今五割も大学に行っているというのも時代である
だから大学生が特別な価値をもっているものでもないのである
一部の有名大学をのぞいてはそうなる

ともかく貧困とは何か、それが問われている、高度成長時代から日本では貧困がわからなくなった、でもその貧困に大勢が直面するからとまどうとなる
それは豊かな暮らしの中で豊かに暮らすものが負担になってきたのである
電気、ガス、水道代とか携帯代とか大学の学費とか・・・食費意外のものに払う金が枯渇してきたのである
それは確かにエンゲル係数のグラフを見れば一目瞭然だとなる

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2020年12月01日

なぜ山村の人口が減っていったのか? (石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)


なぜ山村の人口が減っていったのか?

(石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)

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飯館村の人口をみると戦争が終わりそこで引揚者などが開墾に入り人口が増えた
6000人の人口が倍にも増えたのである
不思議なのはどうしてそれだけの人口を養うものが飯館村にあったのかとなる
それは飯館村だけではない、日本全国で同じなのである
戦後は団塊の世代が生まれ人口が急激に増えたのである
でもその時は日本は戦争が終わり焼野原であり戦地から帰って来た人の働く場所もない
だから困難でも開墾に入ったのである
飯館村の木戸木となると峠を越えてさらに飯館村の中心地の草野までまた七曲の峠を越えねばならない、そんな不便な所になぜ住んだのか?
そういう土地しか住む場所がなかったということである
そこは無人の地だから開墾に入ることができたのである
でもそこをみるとわずかな田畑があるだけである、平地が少ないからである
だからそこでどうして暮らせたのかというと不思議になるが農業だけではない林業があったからだとも思う、その頃まだ炭焼きなどをしていたから木材を利用していたからである燃料は炭だったからである

木材だけではない、石材とか資源が山にあり鉄道が全国に伸びてさらに伸びた
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国にできた、常磐炭田でもそうである
北海道でも石油をエネルギーとする前は石炭だったのである
石炭を運ぶために鉄道が作られたのである、だから北海道の市町村は石炭をとるために作られた所が多い、でも石炭から石油に変わった時、廃れたのである
つまり戦後まもなくは日本は日本がの資源を利用していた
石油を輸入したとしても石炭が主なエネルギー源だったのである
それで原町機関区から森林鉄道があり浪江だと高瀬川から葛尾村の落合まで森林鉄道が伸びていたのである、全国的に網の目のように森林鉄道が張りめぐらされた山の資源を石材でも木材でも運んだのである
それが東京に運ばれたのである、また戦前になると原町紡績がありそこにも鉄道がひかれていて引き込み線があり横浜に生糸が運ばれていたのである

だから飯館村でも6000人の倍の人口を養えたのかとなる、それだけの数があるいうことは山村でも相当ににぎわっていたということである
それは日本全国で団塊の世代の子どもたちが増大して子供の遊ぶ声がいたるところに木霊していたのである、それはうるさいくらいだった
不思議なのはその時はみんな貧乏だったのである、電気製品も一つもない、家にあるのは飯台一つだったとなる、それはみんな同じだったのである
だからそんなに貧乏なのに良く子供が育てられたと思う、私の父親がミルクをもらうために並んでいたとかあり子供にまともに食料を用意されてもいなかったのである

そうした生活が戦後十年くらいで急速に変わった、日本は工業化して電気製品を輸出するようになった、その時山村の生活も変わった、人手は工業製品、電気製品を作るために必要となり中卒が金の卵として集団就職で東京に流れた
その時、下町の中小企業でも人手を必要としていたからである
その時から炭焼きの時代は終わり三種の神器の電気製品が人気になりもつようになった
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫 この時から電気の時代になり炭の時代は終わったのである
そこで山村でも人手が必要とされなくなり人口が減っていった
産業構造ががらりと変わった、養蚕も消失していった
それとだんだん農業も機械化した結果が余計に人手がいらなくなったのである

何かこれまでの農村風景は村総出で田植えしたり稲刈りした風景が見られた
それは江戸時代からの光景である、それが機械化すると消えていった
何かそれでも人の活気が感じられなくなった 

稲作の国、日本の神事。住吉大社の「御田植神事」の田楽

村人の総出で田植え赤々とツツジの映えてにぎわう時かな

田植え自体が村人総出の祭りのようになっていたのである、そこで民謡が生まれた、共同で仕事することでそうなった、それで村には活気があった、早乙女が田植えの中心になるということはまさに若い人が中心であり活気があるとなった
今やそういう風景が消えてしまった、田があったとしてもそこに祭りはない、ただ米をとる場所としてある、村の共同は消失したのである
そこで文化も消失していたのである

とにかく飯館村とかどこの山村でも人口が今の倍とかありにぎわっていた
それだけの人口を養えていたのである、もちろん貧乏ではあるけどそれだけの人口があれば活気がでてくる、それも子供が多いから余計に山村でも活気があったとなる
それは産業構造とか機械化とかグロ−バル化による外材とか石油の利用とかがあり山村が衰退した

日本がなぜ衰退しているのか?また山村とか地方が衰退しているのか?
産業構造の変化でそうなった、そもそもなぜ原発事故でこの辺が住めなくなったのか?
それも産業構造の変化だった、電気社会になれば電気が一番重要な産業となるからだ
現実に事故になったと原発で千人の電気関係者が働いていたというのもそうである
つまりそのことが産業構造の変化を示していたのである
今度はロボット化とかAI化とかで人手がいらなくなり人手不足も言われたが人手を極力省くとなり失業者がふえるとなる
第一銀行などは相当に無駄でありAI化しやすいものだった
営業の人がプロだと思ってまかしたがまずAIに頼んだ方が良かったともなる
AIの方が人間より優秀なのである、翻訳でもAIの能力には驚いたからである

ただ山村とか地方に活気をとりもどすにはどうしたらいいのか?
やはり早乙女踊りのように何か若い人中心となった祭りとがあり子どもが多いとなれば活気がでる、今や少子高齢化でありもう原発事故周辺の避難区域になったところでは老人しか残っていないのである、それで町や村が維持できなるのかとなる
飯館村でも貧しくても人が倍以上いたしそれも若い人たちが多かった
すると村自体に活気が生まれていたのである
何か変だけどネパールに行ったら山の上でも若い人が多いなとみた
何かそこに仕事する若い女性がいて万葉時代のようにすら思えたのである
第一靴もなく裸足で歩いているのだからそういう時代がつづいているともなる
ただそういう場所でも若い人が多いということは活気があるとなるのだ

老人だととにかく病気の人が多い、その治療代とか薬代とかそういう費用がかかる
それが負担になる、仕事もできない、あとは介護してくれとかなる
自分自身も何か最近足が痛くなったり不自由になった、そんな人ばかり増えたら何であれ活気もなくなるし衰退するのは当然なのである
ベトナムなどはまだ若い人が多い、だからそういう国は伸びるのである
日本では東京すら今や老いる社会なのである、集団就職で集中した人たちも今や老人になっているからだ、日本全体が於いてく、老大国になってしまうのである
このこと自体が最大の問題でありいくらいろいろ言ってもここが解決しないと日本は衰退するばかりだとなる
ただ飯館村が1920年(大正9年)に6000人であり原発事故前も6000人だった
そもそも日本全国でも日本の国土の適正人口は6000万から8000万くらいなのかもしれない大正時代は東京でも三百万とかだったからである
つまり今からすると相当に閑散としていたが何か空間的には人工的にも余裕がある社会だったともなる、日本は狭い国土に密集しすぎたとなるからだ





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2020年11月25日

大東銀行の危険 (SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)


大東銀行の危険

(SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)

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大東銀行もかなり危険である


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竹中平蔵とかこれらは仲間だとしている

オリ―ブの木


youtubeのオリーブの木という新しい政治団体の説明がわかりやすい、まず金融を理解するのは至難である
福島銀行がSBIに買収された、島根銀行もそうである
零細な地銀はもう経営が成り立たなくなっている、結果的にどうなっているかというと
そうした地銀でも外資のSBI証券に買収されて合併してその持っている金が使われという

それはすでに農林中金でもゆうちょでも危ないCLOとかのジャンク債とかに投資している
その巨額のマネーが消失するとも警告している
それは優良な投資先がなくなった結果としてそういう危険なものに投資する
それは巨額な年金でもそうなのである
それはまた国際金融資本の餌食にされているともしている
国際金融資本とは何か?ロックフェラーとロスチャイルドと言った大財閥だとしている

そして現代の経済の矛盾は労働所得と不労所得があり金融など利子を得る不労所得が倍以上に増大している、つまり金利とか株で稼ぐことが増大している
それで不可解なのはこれほどコロナウィルスとかで経済的に困窮している時なぜ株が上がっているのか?
それは景気がいいからではない、何かここに現代の資本主義の矛盾が現れているのだ
要するに弱肉強食の資本主義でありそれで国際金融資本家が莫大な富を得るとなる

こういうことができるのはアメリカという覇権国家があってできることである
覇権国家というときドルが基軸通貨であり石油でもドルでしか買えない、するとドルの価値が高くなる、ドルが世界中で欲しいとなる、それでエジプトの端でロバに乗った少年がワンド―ラーくれとなるのだ、それはアフリカの果てまでそうなっているのだ
それだけドルは世界で通用しているのである

でも今やアメリカの覇権は怪しくなってきた、大統領選挙でもそうである、アメリカは分断しているのである
第一数パーセントの人がアメリカの富の50パーセントを持っているというのも異常である、そんな国が一体感をもくのかとなるからだ
確かに奴隷はいないにしろ実質的に奴隷にされていると同じだからである

アメリカは何かそうした矛盾があり内部分裂して国が衰退してゆく
それはやはりカルマなのである、これまでは日本がと戦争に勝利したとかアメリカの世紀だったのである、でもアメリカは間違えなく衰退してゆく
それはカルマの法則でもある、アメリカは世界に富をもたらすというより世界からの富を収奪して貯えすぎたともなる、だから本当はそうした金は世界に放出して世界を豊かにするべきものである、そういうこともあったが国際金融資本家とかはそうではなかった
金融を操作して巨額の金を得ていたからである
つまりそれがカルマとなり自らがそのカルマのために崩壊してゆくとなる

みんて金を欲しいというのはわかる、でも金がありすぎるのもカルマとなりそれが個々人でも家族でも国家でも災いをもたらしてゆくのである
たいした金ではないにしろそういうことを自分でも経験したからである
遺産で金が入りそこで大金を奪われたとか災いが生まれた、その金は家族の一人が公務員であり公務員は特権がありそれで金を残していたとなる
家族にとって自分にとってはいいものではあったがそれがみんなのためになったとはならなかった、その金でもみんなのために使うものとしてあったとなる
そのことは天文学的な金を集めた国際金融資本家にも言えるのだ
その規模があまりに大きいからそれが国家を圧迫して災いを生み大きな国家破綻でも起きてくるのである
みんなが苦しんでいる時株価があがりもうけて喜んでいることが人間としてまともな経済なのかとなるからである
経済とは経世済民であ民を救うものだからである
たた私的には株をもっていれば良かったとはなる

ともかく今起きていることは資本主義崩壊前夜として起きているのかもしれない、そして確実にアメリカの覇権国家の役目は終わりアメリカは衰退国家になる
アメリカは世界から富を収奪しすぎたからである、それがカルマとなり衰退してゆく
それがやはりカルマであり逃れることはできない

アメリカの時代は終わりつつある!

これを日本も自覚するべきである、では中国がアメリカに変わる覇権国家になるのか?
それもわからない、共産主義は過去に失敗したものでありその亡霊がまだ生きているとなるからである、それで世界を指導できるとは思えないからである
一応ヨ−ロッパであれそこに世界を主導するものがあった、アメリカでも民主主義とか世界を主導するものがあった、でもそれも消失しつつある
では中国の共産主義がその代りになるのかというとそれは過去に失敗したものでありその犠牲も死者が何千万とか粛清されたとか危険なものだった
だから中国にはついていけないとなる

では次に来るべきものは何なのか?

それはわからない、ただ資本主義は限界にきてアメリカは衰退する、基軸通貨のドルも信用されなくなる、次に代わるものが模索される時代になる
そういうときにコロナウィルスが世界に蔓延したのである
これによっても世界が変わる、グロ−バル経済は後退するしオリンピックは商業主義オリンピックであり平和の祭典などではない、だからこれも中止させられるのは神意だとなる
何か時代が変わる時人間だけの力ではない自然災害とか天変地異が起こり大きな変化が易姓革命が起きる、それに人間は逆らうことはできない、この世は人間の力だけで成り立っていないからである、それは津波で原発事故が起きたように原発をやめろという神の意志が現れたともなるからだ

ともかくアメリカの時代は終わりつつある、これを日本は自覚すべきである
だからアメリカは日本から軍隊でも撤退する、アメリカに日本を守る力がなくなっているからだ、そうなるとき日本はかなり厳しい状態になる
でもアメリカに頼ることはできなくなる、これは止めることはできない
アメリカは分断して衰退してゆく
希望的観測としては中国も分断して国力がそがれるとなると日本にはいいとなる
そういうことが神意として起きるかもしれない、ただ確かなことは資本主義は限界でありアメリカが衰退することは明らかである
そこから金融でも経済でも軍事でもあらゆるものを見なければならないとなる

なぜならSBI証券とか外資に日本の富が奪われるということはアメリカに富を奪われることでもある、それはアメリカが覇権国だからそうできた
でもアメリカが衰退することは経済でも頼るべきではない国となる
だから日本がの富を外資に売り渡すことは危険だとなる
それはただ大損になるだけだとなるからだ、金融でもアメリカに頼らない日本連合が必要だともなる
ただSBI証券とかまた竹中平蔵とかは外資のエージェントでありそれで私腹をこやすものとしてオリーブの木では批判している
そういう事なのかとyoutubeで理解した、説明がわかりやすいので百万以上見ている人がいる、それはマスコミでは一切報道されないのである

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2020年11月17日

消費と節約ー緊縮財政の失敗 (金は天下の回りもの)


消費と節約ー緊縮財政の失敗

(金は天下の回りもの)


お金を貯蓄に回すのではなく、買い物でお金を使うことは、お金が滞ることなく回ることになりますので、みんなにお金が回りますから、社会経済全体にとっていいことですよ。
経済を理解することは本当にむずかしい、例えば消費という言葉が翻訳が良くなかった
消費には消すということで悪いイメージとして使われた
それは江戸時代は物不足で節約、倹約の時代がつづいたから消費ということが悪いものとしてイメージされてこういう漢字を当てたのか?

消費というとき前は生協から伊達の醤油とか買ったことがあった、生協はやめたのでヤクルトでも売っているので買った
別に醤油など安いものでもいいとも思った、でもこれはいいものだから買うとなる
するとそれを生産している伊達市とか生産地に金が回る、売れるということで励みになるまた売る方でもヤクルトでももうけになる、つまり消費することで金が回るということである
もし節約して贅沢しなくてもいいとかなると金が回っていかないのである

金は天下の回りもの

こういうとき節約ではなく消費して金を回すということかもしれない、また金は一か所にとどまること個人でも貯めることは良くないものとしてこの諺が生まれたのかもしれない第一天下というとき日本全国から世界をイメージする、世界に金が回ることで世界が栄えるともなるからだ

消費することは何か非生産的イメージがまとわりついている
それで日本人が貯蓄好きというのは江戸時代からの継続としてすりこまれてそうなった
人間は意外とそうした習慣は歴史で作られたともなる
だから江戸時代が今と関係ないということはない、お上に従順だというのも江戸時代の継続として日本人の国民性を作ってきたからである
現代にも江戸時代の影響があり国民性を作ってきたとなる、それはいい面にも悪い面としても継続されている
消費が悪くて節約、倹約がいいというのは江戸時代に培われたてものだからである

そして徳川幕府が明治維新で倒幕派によって変わられたのは経済政策の失敗だった
そういう理論も成り立つのは政治と経済は密接に結びついているからである
つまり緊縮財政による節約、倹約の精神により経済が停滞してそれが幕府が行き詰まった原因とされる見方がある、経済というものが何かわからないからそうなったとなる
でも庶民の中では「金は天下の回りもの」という諺が生れていたのだから必ずしも節約、倹約をいいものとしてはいないともみれる
お上による節約、倹約が奨励されていたのであり庶民はそう思っていなかった
お上により贅沢が禁止されていた、いい着物を着るなとかいろいろ贅沢が禁止されたことがあったからだ、そこで贅沢は良くないものだ、消費は悪いものだとということが日本人に刷り込まれたともなる

消費というとき実際は生産と結びついている、パソコンを買うということはこれは使いこなすことが苦労である、でもこれによって知的生産が飛躍的に増大したのである
インタ−ネットができてから情報は膨大に流通するようになった
知識の量は江戸時代の一億倍とかにもなったかもしれない、情報洪水の中に日々いる時代である
パソコンを買うことでもカメラを買うことでも消費ではない、知的なものでも情報でも芸術としても生産することである、生産するために消費するのである
ギャンブルなどは消費になるが他は何かかえって消費は生活を向上するためにある

節約、倹約するのはやむをえずそうしている、もうぎりぎりの生活をしている人は節約も倹約もない、食べるものすら減らしている、電気を使わない人もいる
そういうのは節約でも倹約でもない、貧困を強いられてそうなっているだけである
余裕があれば人は消費する、生活向上のために消費するのである

資本主義社会では貯蓄というものをいいものとみていない、必ず投資することで経済が回るようになっている、第一銀行に貯金していても必ず銀行でも投資しているのである
なぜ高度成長時代に7パーセントとかの高い利子がついたのか?
それは金を貸す投資する会社がいて利益を出して利子を払っていてくれたからである
その時銀行はただ金を集めるだけで良かったのである
いくらでも借りて利子を払ってくれる会社があったからだとなる

でも今何が起きているのか?金あまり状態である、金があっても銀行だと貸す会社がないとかなり金をもうけられない、その余った金はどこに行っているのか?
株式に回ってコロナウィルスでが大量の失業者が出るとか餓死者が出るとか言う反面
株だけは上がっているのはなぜだろうとなるからだ
みんな苦しんでいる時になぜ株だけが上がり株を持っている人だけが得しているのかとなるからだ、それは何か不条理になる
経世済民が経済だとすると全く反しているのが現実なのである
ここにも資本主義社会が行き詰まっていることが現れている
つまり資本主義社会では投資先がなくなるとどこかでバブルが起きる
オランダでぱチューリップバブルが起きたり日本だと土地バブルが起きたり絵画バブルが起きたりする、余った金が投資先がなくなりバブルが起きる、今は株のバブルが起きているのかとなる、会社が景気が良くて株が上がっているのではないからだ
そしてこのバブルはすべていつか崩壊する、泡のように消えるとなる

経済は江戸時代は米中心の社会であり石高制であり米が貨幣にもなっていた
それが社会に適合できず封建制の徳川幕府が崩壊した
明治からは輸出産業として生糸が絹織物が輸出産業となりアメリカなどに売れた
それで経済が回り富を蓄積して戦争の武器などを作り太平洋戦争になった
次にアメリカに敗れて今度は電器産業が興隆して輸出産業になり高度成長時代になった
ジャパンアズナンバーワンの時代になった
それもバブル崩壊で終わり失われた30年になって日本は衰退した
辛うじて自動車産業が輸出産業となり日本の経済を支えているとはなる

日本はITに遅れて次の時代のイノベーションができなかったのである
物つくりはしてもこのITは別なのだった、情報社会についていけなかったのである
つまり経済成長するには節約でも倹約でもない新しい時代の産業を作ることだったのである、それに後れをとったから日本は停滞して衰退したとなる
今は物作りだけではない、情報化社会に日本が遅れたためだとなる
結局消費が悪いとかではなく節約、倹約しろというのは江戸時代からすりこまれた思想である、そういうものが歴史的に作られていて心の態度をマインドを作る
それは簡単に変えられないものだということである
ただ庶民から出た諺には何か普遍の真理がある
「金は天下の回りもの」ということがそうである、金は貯めるのではなく回さないと豊かになれないということである 

高齢化社会の問題は老人が金をもっていても使えないことなのである
何か新しいもの、機械を買ったが使いこなせないのである
また老人用の商品がないというのも消費できないことになる
スマホなども字が小さくて使いにくいとか何か老人は新しいものを使いこなせないのである、パソコンは長年しているから使いるがスマホはまた別なのである
だから老人が金をもっていても消費しないから金が回らないということがある
それで日本でも経済が停滞するとなる、高度成長時代は生産も増大したが消費も旺盛だったのである、だから高度成長経済になったのである
電機製品が欲しい、車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたいと消費も旺盛だったのである、その団塊の世代などが老人になると消費できないとなったのである
また老人自体が貧困化していることもある、高齢化社会では何か経済も停滞してしまうのである

ただ意外だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだったのである
最初マウテンバイクで若者向きと見ていた
でも乗ってみると平地でも走るのが楽なのである、それで病気になった人が運動に買ったそれだけ楽なのである、だからこういうものは高いにしても金がある老人なら買うとなる他の物は何か使いこなせなくなっている、それが高齢化社会の問題なのである

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 ヤマハ-YPJ-XC

これは老人向きだった

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2020年11月05日

1000万人が孤立状態 (孤立社会を生んだ背景)


1000万人が孤立状態

(孤立社会を生んだ背景)

「社会的孤立」の問題が横たわっている。筆者の推計では、わが国では1000万人が孤立状態にあるが、今後ますます社会的弱者が放置され、置き去りにされつつある世の中に進んでいるのは間違いない。

二週間両方の足が腫れて苦しかった、その原因はわからない、両方の足が悪いと立つにもひどいのである、立つことが一苦労になる
それで買い物とか食事の用意をしなければならない、もしこれができなかったら動けなくなったらどうなるのか
そのまま孤独死ということもありうる
だから現代社会は一千万人も単身者がいることに驚く

足が悪くなることはたいしたことではないと思っていた、でもは足が悪いと立つことが容易でなくなる、どうしても家事をするには立たなければならないし食事の用意をしなければてぱないから辛いと思った
それで近くの人が脳梗塞で足が悪くなったのを身て他人事だった
でも一旦自分がなってみると足が悪くなることは本当に動物だったら致命傷になる
なぜ足の悪い猫が別な猫に襲われ逃げ回っていたのを見たからである
つまり動物の場合こうした弱者化すると襲われて食べられてしまう
つまり生きていけなくなる、でも何らかで動物でも足を悪くすることはありうる
鹿が温泉で悪くなった足を治していたとかの由来があるのもそのためである

両方の足が腫れて悪くなったが今度はどうも足をくじいて片方が痛くなった
これも立つに容易でなくなった
今度は片方の足だから前よりは楽である、でも立つことと歩くことが苦しいのである
足が悪くなると立つことや歩くことができないことは人間の基本的動作ができなくなることである
そして車椅子にもなる、これも辛いとなるが自分がならない限り他人事である
人間は他人の苦しみに他人事なのは自ら苦しんでいないからである
もし苦しんでいれば自分自身が苦しんだからその痛みがわかるとなる

ともかく一千万人も孤立状態の人がいるということは何なのだろうとなる
なぜこうした孤立を生んだのか?そこに現代社会の問題がある
そういう状態になり安い社会なのである、無縁社会というのもそうである
人間の関係が希薄して金でしか結ばれないとかあり孤立する
助け合うということもなくなっている

自分が介護になったときもただ金を要求してくるだけだった、大金も盗まれたし事業に失敗した人はこれも借金で追われているから金を要求するだけである
お前が助けてもらいたいなら金を出せとか脅迫するまでになる
それだけあらゆる人が金に追われている、金,金、金、でありそれ意外何も見えなくなっている
金がないと人間関係もできないとかまでなっている

なぜこういう社会になったのか?日本人はもともとそういう人達ではなかったともある
貧乏でも助け合うとかあったとなる、日本人が育んだそういう社会は喪失した
結局戦後はアメリカに習いアメリカと同じになったのである
アメリカがなんでもいいとなった、それはギブミーチョコレートからはじまった
アメリカから何かをもらう、物欲社会となったのである
金になればいいとしかならなくなったのである
どんな人でも金、金、金・・・なのである
それ意外何も見えないのである

だから相手が苦しんでいても見えない、ただ金になるかどうかを見ているだけなのである
でもそんなことで事業などできるものだろうか?
他者のことを全然思わない、ただ金をとるものとして他者がある、そういうことで事業が成功するものだろうかとなる、慈善事業ではないというのはわかる
でも事業の基本として社会のために社会を豊かにするとか他者のために尽くすとかがあるとしたら相手から金をとることだけを考えていたらそういう事業が成り立つのかとなる

結局日本社会が荒廃したのはなぜなのだろうか?
それはアメリカ一辺倒になり金だけの社会になったことである、そこでもともとあった日本人の良さは失われた
そして孤立者一千万人が放置される状態になった
みんなばらばらの社会になりただただ金を求める社会になった、それは原発事故だって金になるからと目の色変えて積極的に誘致したのである
それに反対したらこの地には住めなくなっていたのである
つまりみんな金に狂ってしまったということである

本当に金のない社会で金から解放されて生きたいとなる、皮肉なのはそうなるにも金が必要だとなる、相当な金があれば金に困らないから余裕が生まれるからだ
金がなければ金を求めざるを得ないとなる、そこに矛盾がある
ただギリシャ時代から貨幣が生まれた結果、すべて金だとなっていたのである
貨幣にはそういう働きが内在していてそうなったのである                     

いづれにしろ人間がアトム化して無数に分化してそれが孤立化にもなる
共同体もない、そういうことでカルト教団などに所属したりする
人間のつながりが消失してアトム化してあとは金だけの世界になってしまったのである
金があっても今度は金のない人が金を要求してくる、日本が貧困化すると余計にそうなり犯罪も増えてくるのである、もう末世である
人心は乱れ人の情は希薄化してただただ金を求める社会である
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2020年10月30日

通帳に給付金の十万が記されていなかった (数字社会とコンピュター社会からブロックチェーンが生まれた?)


通帳に給付金の十万が記されていなかった

(数字社会とコンピュター社会からブロックチェーンが生まれた?)
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通帳は記載されないで別紙に郵送されていた


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通帳を見たら10万円の給付金が記帳されていなかった
市役所に確かめたら記録に残り支給されている
それはどうしてかとなると「合算」とあり通帳にすべての支出は記されていなかった
一瞬記帳されていないのであせった

つまり今や金は数字でありコンピュター化されて記録されている
ところがそうなると簡単に数字だからごまかすことも可能なのである
おそらく銀行員とかはそういうことを熟知しているから数字をごまかすことができる

それをさせないようにするにはゆうちょとか地銀とかいろいろ金融機関があっても
一つの銀行などを信用しない、数字として記録するとき別な銀行でも機関でも記録させておく
するとABCDEとありA(10万)B(10万)C(10万)D(10万)E(10万)・・・
記録されて信用となる、それがブロックチェーンなのか?

何もわからないにしてもどうしたらコンピュター時代の信用を作るかとなりブロックチェーンが生まれた、それはもう金が数字でしかないからである
そしたら数字を改ざんされたら信用はない
今の銀行などの信用はそこに勤める人の人間の信用で成り立っている
ところがその人間だけを信用するということは危険になる
その人間がごまかせばごまかせるからだ
でも実は人間は信用できないものである、必ずそこに犯罪が生まれる
それで銀行であれ会社であれ内部の人のごまかし犯罪が絶えることがないのである

ただ今回と記帳されていない、金が入っていない、それであせったのである
つまり通帳に入金したとなれば安心である、何か金でも受け取ったとか支払ったという証拠が必要になる、それで常にその証拠として領収書をとる
でもコンピュター時代になるとコンピュターに記録されているのでありではその保証はどうなくのかとなる
その数字はかえって簡単にごまかすことができる、第一百万と一千万を私は間違っていた一けた違って計算していた、そういうことは普通にある
数字はそうして覚えにくいし計算間違いが生じる

私の失敗は自転車の鍵を買ってもダイヤルを数字を合わせるのだがその数字を忘れる
それで十個以上数字を忘れて使えなくした
数字は覚えにくいのである、でも今は数字が重要になる、絶えず数字を使う社会だからである
そのダイヤルを合わせるのは暗証番号は年号を覚える受験のやり方が良かった
数字では覚えにくい、だから語呂合わせで覚える
でもそれは他人のものではない自分で作りだしたものでないと覚えにくい
18が人はとなるのはわかる、その後がめんどうである

いづれにしろ現代社会は数字社会なのである、絶えず数が問題になる、数に左右されるのである、放射線量なども常に数字で計り判断する
それも数字の世界であり数字によって補償額も決まったり危険度が決まる
コロナウィルスでもやはり数字なのである、それで専門家が40万人死ぬとか言ったので糾弾されたのである、つまりこうして数字に踊らされて数字に一喜一哀しているのが現代なのである、選挙でもこれも全く数字の世界である
人間はただ数字として一票としてありどれだけ数を集めるかが問題になる
ただ一人一人は誰が特別なものにはならない、みんな一票で平等であり人間は数でしかないのである

だからまとまった数を集めれば数は権力となるだけである
その内容など政治家にとってどうでもいいとなる、数は権力なのである、カルト教団でもそうである、どれだけの頭数を集めるだけかが問題であり宗教的良心とか改悛とか本来の宗教とは一切関係ないのである
そんなこと言っていたらそんな数が集まらないからである、なんでも心のことは関係ないどんな人格でもいい、どんな性格でもいい、欲深い根性悪いとか一切関係ない
そんなこといちいち言っていたら数が集まらないからである 

株の世界も日々数字の世界である、すべてのものが債権化されて数字化されているからだそれで常にその数字を読みこむことが大事になる
ここも数字に左右されているのである、だからこれだけ数字化されると数学ができないと現代社会に適合できないとなる、それで文系でも数学が受験科目になるというのもわかる経済学部でもまずこれだ社会が数字化していると数学が必要になる
ただ自分自身は数学が苦手だから銀行なども向いていなかったとなる   

ともかく何かA−Bだけの関係だと保証しにくい、そこに第三者機関が入り保証する
遺言でも公的機関として遺言をあづかる第三者機関として公証人役場とかがある
保証するにはそうして第三者機関がどこでも必要になる
会社の不正でも政治の不正でもそうである、裁判所とか司法はそういう機関である
それが多数で保証するのがブロックチェーンの仕組みなのかともみる
ただ私の意見はブロックチェーンを知らないのだからそれについて言えない
でも何かその基本的な思想というかその根底に保証するということでみんなで保証するという仕組みなのかとなる




普通の銀行の台帳は、銀行と預金者しか使えません。

ブロックチェーンの台帳は、誰でも使うことができます。

インターネットに繋がっていれば世界中どこからでも使えます。

簡単なアカウント発行さえすれば、誰でも使えるようになります。

身分証明なんて入りません。

いつでも始められます。


ブロックチェーンの台帳は、常にみんなにみはられています。

まず、台帳へ書き込む前に、みんなで取引が正規のものかチェックします。

チェックの結果正規のものだけが台帳に書き込まれます。

正規であるとチェックできた参加者に対し、御礼の報酬が支払われます。

一度書き込まれたものは、後で書き換えられていないかもチェックされ続けます。

こうやって、最初から最後まで正しい取引の記録だけ残るようになっています。

ブロックチェーンの仕組み 初心者のためのわかりやすい解説



何か私の感じたことを書いているからブロックチェーンを知る手がかりになる
つまりいかに保証するかが問題になり不正を防ぐことが問題になる
そのために生まれたものだとなることは確かである



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2020年10月13日

田舎では格差が眼に見えて大きくなる (田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)


田舎では格差が眼に見えて大きくなる

(田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)

その人は歯医者だけど今日見たらキャンピング―カーがあった、新しいものである
それはその本人のものかわからなかった、でも何回も見ればそうらしい
新車でそれなりに大きいから一千万近くかもしれない、第一私の町でキャンピングカーを持っている人を見たことがない、たいがい駐車しているのをみればわかるからだ
だから車は目立つからそれであそこではいい車をもっているとかみる
それは車を持っている人ならわかるのである
一時何かこの辺は原発補償金が入りレクサスとか買ったとか常に噂されたのである

その家のことは自分の家で店をしたときから知っている、店で関係していたからである
でも医者の家とかではない、金持ちでもない、でも歯医者になり今は立派な家に住んでいるから成功者だとなる、評判もいいらしいとなる
これは別にもともと何の後ろ盾もなかったが息子が頭が良かったからだとなる
ただその資金についてはわからない、借金だったのかどうかわからない
でもそうであってもすでに返しているのだろう

田舎ではかえって格差が大きく目立って現れる
こうしていい息子をもてばいいが障害者の子ども持っている人もそれなりの人数としてどこでもいるのだ、その差が大きすぎるのである
一方は日雇い労働者となり非正規だとかにもなる、コンビニで働いている中年はそうだろう
都会と違って田舎だと金持ちでも貧乏人でも目立つのである
それは目に見えるからである、都会だとあれだけ密集して住んでいればわからなくなる
その人が贅沢をしていてもどこに住んでいるかもわからないし目に見えないからである

だから田舎の方が格差が現れやすい、第一家を見る、家からその家を判断できる
まず田舎で市営住宅に住んでいる人たちは最低限クラスである
生活保護者も多いだろう、その市営住宅も50年以上過ぎて老朽化しているから最低クラスだとなる、でも家賃など5000円とかもあり三つくらい部屋があるから一人なら都会より恵まれているとなる
田舎は住居費は安いのである、収入が少なければそうでないとやっていけない

ともかく田舎の方がこうして格差が目立って現れやすいから外面を気にする
それで親戚も医者だとかなり自分自身も事業で成功した人として認めてもらいたいと必死になり嘘をついたり隠したりしていた
そういう人は必死なのである、田舎で失敗者となるとみじめである
それも都会だと周りにわからないことがあるが田舎だと隠すことができない、いくら隠していてもわかってしまう、知っている人の工場は倒産して更地になったりする

ただ正直人間の浮き沈みが常にありいつまでも栄えているものもない
時代によって浮き沈みがあるからだ、ただ事業に向く人と向かない人もいる
不思議なのは自分の母方の実家の父親は警察署長だったけど機織り工場の経営で失敗した次に私の父親は双葉の新山で酒造り屋に勤めていたが倒産した
また父方の親戚も工場が倒産して今は更地となった
次にやはり父方になるのか会社を経営して事業に失敗した、そのことで自分もひどいめにあった
だからこれだけ事業に失すずる人がいるということなのか?それは普通のことなのか?
実際に事業で成功している人は20人一人だというのもそういうことなのか?

ただ歯医者とか医者とかは成功しやすい、事業としてはそうである、それもこれまではでありこれからはわからない、歯医者も増えすぎたからである、すると過当競争になるからだ、ただ別に腕がいい医者には人が来ることは確かである
でも田舎はなにかとこうして格差がかえって目立つから下の方になると住みにくい
どんな家に住んでいるからわかるし隠しようがないからである
都会だったらどんな家に住んでいるからわからないとかなる、格差が見えないのである

田舎だとこうして差別化されやすい、田舎で暮らしやすいのは田舎で地位とか財産とか何か既得権をもっているとかなると暮らし安い、そういう場に雇われる人だったりするとさらにその地位はゆるぎないものとなる
つまり殿様のようにもなるのである、そういう人は田舎でぱ威張っていられるから住みやすいのである、田舎でぱ誰でも一目置くからである
警察だってそうした田舎の有力者には手を出せないとか犯罪すら隠すこともできるとかなる、田舎だと警察すら土地の有力者のご機嫌をうかがわないと仕事ともできないとなる

開業医とかも土地の顔役になったりするから住みやすい、第一田舎だと医者を選べない、少ないから選べない、都会だったらいくらでも選べる、ただ歯医者は隣の市でもあり多いから不便とはならない、他の病気はそうはならないのである
耳鼻咽喉科は南相馬市では一軒しかないしむずかしい病気はこの辺では診れないということもあるからだ
そうなるとお医者様に何かたてつくことはできないのである、診てもらえないということが診療拒否されることが現実にあるからだ、都会だったら別な医者がいくらでもあり優秀な医者を選べばいいだけである、田舎ではそうはいかないから不利なのである

また田舎では平等性も求めてくる、だからよそ者で金があるとしたら分けてくれとか図々しく要求される、それはこの土地の仲間になるにはそれが当然だとなるからだ
もともと住んでいる人なら違う、ある人が金をもち豊かに暮らすとなればうらやましいとなるからだ、たた土地の有力者がそういうことはない、それはその土地で認めているからだともなる、公認されているからだともなる、そうなると田舎でぱ住みやすいとなる
別にその人は贅沢してもかまわないとなるからだ
ただ周囲の眼が常にあるのが田舎である、だから田舎は常に監視された社会だとなる

とにかくあいつはいい家に住んでいるなとかいい車に乗っているとか話題になる
それは隠しようがないからだ、その目から逃れることはできないのである
スーパーでさえどなものを買っているのか籠の中までみている
高いものを買っているなと女性はこまかいから見ている、それで相馬市の女性は原発避難者が高いものを買っているとスーパーで見て不満を言っていたのである
だから田舎では見てないようでも見ているのである、監視されているのである
こうなると息詰まるようになり嫌になる、だから必ずしも自分は故郷とか田舎は嫌な面があった、ただまた反面田舎の静寂と自然に没入するに性格的に向いていたので詩を書いていたのである 

どこにでもいい面と悪い面がどこにでもありこれはどうにもならない、田舎の人間が素朴だと人がいいとかは今はないのである、むしろ人間の悪質が眼に見えて露骨に現れやすい場でもあるそれで私が常に言っているのは「神のその暮らしを隠した」ということが実は桃源郷だったのである、そこに人も自然の中に隠されて見えない人の顔も見えない、それが理想的な状態だったのである、人間の顔が現れる時、そこに醜いものが隠しようがなく現れるからである   
もしかしたら人間は蛇なのかもしれない、藪とか草叢に隠れていればいいが姿が現すときもっとも嫌悪するものだからである
そこまで言うのもなんだが自然の中に隠されていればそれが見えないからである 
ただ別に田畑で働く人間はどういう人かわからない、それが醜いとはならない、自然と調和して労働しているから一つの絵なのである

故郷の片隅生きる我なりき虫鳴き幽かここにとどまる



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2020年09月29日

ピーターの法則の実例ー経営の失敗 (人間はあることに優秀でもすべてに優秀になれない)


ピーターの法則の実例ー経営の失敗

(人間はあることに優秀でもすべてに優秀になれない)


工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。

実社会での組織では技術を持った人々は、その技術ゆえに無能な管理職よりもずっと価値があるとも言えるので、ほとんどの組織では、管理職のための賃金や役職を優れた技術者に与えるような、事務系と平行した昇進の道を技術者に対して用意している
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なぜこういうことが起きるのだろうか?

人間の能力が万能ではなく極めて限られているからである、人間の能力というとあまりにも多様なのである、たいして付き合う人もない私でもそういうのを知った
その女性はとにかくしゃべるのがうまいのである、それは女性ならそうだがただ他の女性よりなにかとしゃべるのがうまい、それには感心する
別に老人であり学歴は中卒である、だから学問した知識などないのである
でもいろいろ経験しているからしゃべるのがうまいのである
ただそこには大きな欠点がある、何かしゃべるのだが実行力がないとかなる
でも男性の気づかないことをしゃべる、それが参考になるのである
それで最近孤独な老人の話し相手が商売にもなる
その話相手に向いている、また同年代ということでも話しが合うとなる
若い女性だと話しがかみ合わないことがあるからだ
若い女性の方がいいということがあっても話し相手には向いていないのである

とにかく人間の能力は限られている、全能なものは神しかいない、その限られた能力の集積が人間社会だともなる、個々には優秀な人はいくらでもいる
それはあくまで個別的に優秀なのである、ある分野で優秀なのである
ある人はある分野で一級の免許をとっているから優秀だとされている
技術的に優秀だと他者からも見られていて会社にいたときは月給も高かったのである
それで自分は優秀だとして事業を起こした
でも失敗して借金になった汲汲するようになった
技術者として優秀なのだから会社も経営しても成功する、優秀だとなると思っていたのである

つまりある分野で優秀な人はそう思い込みやすいのである
そして経営者になったのがその経営と技術とはまた違ったものなのである
機械を操作するのと人間に対するのとは違ったものになる
何か経営とはそうした技術だけでぱ対処できない、全人間的なものが要求されている
もちろん技術的に詳しいのは有利になる、ただそれだけではない、理系が何か経営ではうまくいかないというとき経営とは文系とも深く関係しているからである
理系だと物質とか機械と技術と人に対する対処方法とかモラルまで関係してくる
そうすると機械いじりだけが好きで人とは付き合わない、オタクになっていることもできない、それで武田邦彦氏は理系の技術者だから大学生を指導しているから機械マニアの人には英語は必要ないとしている、なぜなら英語の勉強をするより機械についてマニアのようなオタクの人が日本の製造業を支えているとしているからだ
だから人との交際とか英語などに労力を費やすべきではないとしている

これにも一理あると思った、第一武田邦彦氏自体が理系だけではない文系の知識に詳しいそれでyoutubeでも毎日見ている、もし機械のこと科学のことだけなら見ないのである
そういうふうにトータルな知識とかまた人格をもっている人は現代ではまれである
なぜなら現代文明は無数にパーツ化した社会に生きているからだ
もうどんな人も優秀な人でも部品化しているのである
もう複雑すぎて誰もこの社会の全体を知る人などいないのである
それで例えば原発を見ればわかる、これも恐ろしく複雑なものであり社長するその全体を知ることできない、吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったということでもわかるそんな人が所長になれるのかとなるが社長でも全部知る人などないのである

東電の当時の社長は資材係でありコストカッターとしてのしあがったとしている
そのコストカッターの社長のために安全がないがしろにされたのである
高い場所に原発を作る予定だったのに高くした土地をわざわざ削ったのである
原発がいかに総合的なものとして作るものだったか今になってわかった
日本だったら地震があり津浪もあり自然災害が多いからその対処も必要だった
本当にそれは総合的に見て建てねばならないものだった
でも総合的に見れる人などいない、ある部分だけを見ているしまた見れないのである
それを成しえるとなると全能の神のようなものになる
そこに個々に優秀な理系の技術者がいたけどそれを総合的な視点で使用するのが社長だったともなる、でもそんな人がありえなかったということである
そこからして破綻する運命にあったともなる

だからピーターの無能化する法則というのがあてはまる、ある地位でも職業でも担当でも優秀だとしてもそこで優秀だからして別な高い地位について優秀になるとは限らない
かえって無能化する、それは理系の技術者として優秀でも経営者として優秀とはならない理系と文系の相違は理系は物質とか機械とか道具とかそういうものに関心があり追及する文系は社会とか人とか人間の心とかに関心がある
それでその人は何か理系の技術者としては優秀でも人間のことを知らなかったのかとなるその人は自分は理系の技術者として優秀だった、これは間違えない、でもそれが自慢になり奢りになっていたのである
何か経営方針もなにもない、自分は優秀だから経営者になっても成功する、自分の優秀なことを見せてやる、何かそれが経営する動機になっていたのである
その人はだから他人のために尽くすとういう心などない、他人のために一つの荷物も持ちたくないという人だったのである
それは自分が苦しんでいる時それを見てわかった、人の苦しみなど関係ない、自分が優秀だとして自慢して他人に対して優越感をもつというだけなのである

経営とは何かということは自分は経験もないだから言わない、でも人間として何か傲慢になり問題があった、ただ別に理系の技術者として会社に雇われていれば問題なかったのである、ただこういうことはこの世には多い、だから特殊なことではないからピーターの法則が成り立つのである
人間の能力は限られている、全能ではありえない、そこから問題が起きる
あることに優秀でもあることになると無能になる、だからいくらある部分で優秀でも職種とか仕事の内容が変わると途端に無能化するのである
学者がいくら経済学者でも株のことを知っているからと株でもうけるわけでもない実業家として成功するわけでもい、かえって成功しない、実業家と理論家は違っているからだ
自分自身のことを言えば理論家であり実業家にはなれない性格である
家にとじこもって理論的研究をしているのが向いているのである

とにかく人間の能力の問題はあることに優秀でも他のことには優秀になれない、それであることに優秀でもそこで奢りになると必ず奢れるもの久しからずになる
人間の失敗は必ず奢りからきている、これも本当に歴史の法則であり人間の法則である
奢りが滅びに通じている、夜郎自大国のように漢帝国を甘く見て戦争に敗れた
日本でもアメリカを知らない井戸の中の蛙で戦争に負けて三百万人も死んだとなる
そういう例が歴史にはいくらでもあるから法則になる

これもまた私の親戚であり祖父にあたる人も警察署長だった、でも機織り会社をはじめて失敗して家族離散になる悲惨な結果になった、そのために私の母は苦しめられたのであるそして父親は威張っているばかりだったと言っていた
つまりこの祖父でも警察署長となるとそこまで地位をのぼりつめた、何か優秀な面はあったとなる、でも機織りなどは畑違いのことであり経営などできないのである
警察所長だからできる、そういう奢りが結果として悲惨なものにしたのである
その被害は子供たちに及んだ一家離散になったのである

こういうことは人間社会に常に起きている、ある分野で優秀でも他の分野では優秀でありえない、でもある分野で優秀だと他のことでも優秀だという思い込みになる
それで人間は無能化される、そもそも人間は結局いくら優秀でも無能化される
家族のことだが最後の言葉が「俺は優秀だった」と言って姉は死んだ
そう言ったのは認知症になり馬鹿になったということでそれが悔しくて言ったとなる
つまり人間は無能化する、無能にされる
原発でもそうである、そこに様々な人が社会の選ばれた優秀人たちが理系の技術でも科学者でもいた、でも結局は原発事故で崩壊ししてまったのである
それはまるでバブルの塔だったのである、人間の全員の意志で能力で天まで届く塔を建てようとしたががらがらと崩れてしまった
神が砕いたのである、そしてそこにいる科学者でも技術者でも政治家でも官僚でも無能化されたのである
その原因は人間には総合的に優れたものになれない、能力は無数に分化しているからである、それを統一することもできない、そこから破綻してゆくのが運命だとなっていたのである

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2020年09月16日

貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える (グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)


貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える

(グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)

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貨幣が何なのか?これか本当にいろいろ考えてみてもわからない
今の社会がどういう仕組みなのかもわからない、それがわからないのはあまにも巨大なグロ−バルな世界経済だから知りえようがないのである
もうとても人間的なスケールからはるかに越えたものとしてある
株でも為替でもそれを知りうるものはない、だからプロの機関投資家ももうけていなというのでわかった、誰も知りえないものであり株式市場とは博打場なのである

カナダ国債が石油とれるからいいと買った

アメリカのリートがいいと買った

為替変動があるら今度は日本のJ-reitを買った

その時リーマンショックで上がった株を勝手に売った

それで地銀の営業マンを信じられなくなりJ-reitを一月に売った

そしたらコロナウィルスで半分くらいまでJ-reitが下がった

次にコロナウィルウィルスで一旦落ちた時、買うことを奨めてきた

本当にコロナウィルスで株が上がった


これだけの変化があり結局何がなんだかわからないとなってしまう
別に損しなかったけどもうついていけないとなる
株は機関投資家のプロでも儲けられないとしたら普通の人はもうけられいとみるのが普通である、つまりプロすらわからないのが株の世界なのである
まさに博打であり何か世界情勢とかなんとかいろいろ考えても勉強しても無駄だとなる
そんなことよりただイチカバチカ賭ける、何も考えることなく運まかせでもいいとなる
また銀行がすすめるものなどもその営業の人をあてにしても無駄である
それよりAIの方がもうける確率が高くなる
とても株では世界情勢とかいろいろ分析してもわからないからだ
要するに運だとなってしまうのである
これはなぜそうなるのかとういうと人間が未来を予測できないということからきている
その一番いい例がコロナウィルスだった、2020年は大きな変化が起きるとはみんな言っていた、でもコロナウィルスで世界がパニックになるとか予想した人は一人もいないのである
有名な大投資家も航空会社に莫大な金を投資して大損したのもそのためである

ともかく資本主義であれ共産主義であれ民主主義も崩壊したというのは本当である
何かそこには理想がありそれを目指して世界が動かされた
資本主義とはもともと修道院からはじまったキリスト教から起きたとウェバーは説いた
他人を助けるための経済である、東洋だと経世済民になる
共産主義でも世界を席巻したのはそこに理想があり平等社会が実現するということがあった、それらはことごとく失敗した
共産主義はどれだけの人間を虐殺したか?これも空恐ろしいとなる
権力争いとなり反対派を暴力で殺す、結局暴力主義だったのである
ヤクザの抗争とたいして変わらなかったのである、ただ理論だけは理想があってもマルキシズムでもそれはあくまでも理想であり結果は惨憺たるものだったのである
どっちにしろ格差社会となり富は極一部の人が一人占めする、資本主義でも他人の労働を食い物にするものとなった、それはキリスト教の精神と全く反する世界となってしまったのである

結局この世に理想社会は絶対に生まれない、その理由は人間の欲が消えないからである
共産主義にも資本主義に理想がありはじまったが結果的には強欲主義となり格差社会となった、一部のものが莫大な富を得て階級社会にもなった
自由主義とか民主主義がいいようでもそれももう機能していない
選挙にしても暴力で決めるよりはいいにしてももう一票投じたところで何も変わらないとなる、百万票の一しかの影響力がない、数によって決まるからシルバー民主主義とかカルト宗教団体民主主義とかなりみんな無力感をもち投票率は50パーセントとかいうときすでに民主主義も成り立たなくなっているのだ

第一民主主義が成り立つのはギリシャのポリスのような一万くらいの直接投票の場で成り立つものだったのである、それが百万とかの単位となるともう成り立たないのである
社会というのは狭い範囲で生活して見るとわかりやすいのである
だから貨幣のことを考える時狭い範囲で考える
地域通貨のようなものを考える
すると例えばベーシックインカムとかMMT理論とか狭い地域で考えるとわかりやすくなる

貨幣でも紙幣でも特に紙幣なら紙なのだからいくらでも作れる
地域に銀行があり日銀のようなものがあって紙幣を刷って分配したら裕福になるのかとなる
決してならないことは確かである、なぜならそれは狭い地域でしか通用しないからである何か買いたいものがあっても狭い地域でしか買えない、すると狭い地域では足りないものがあり外から買うにはその地域通貨を紙幣を広い世界で通用する紙幣と交換する必要がある、するとそのレートがいくらになるのか問題になる
それはその地域での価値なのである、その地域で何か売れるものがあればそのレートは高くなる、つまりその地域通貨は紙幣は高くなるのである
でもその地域で何か価値あるものが作れない、資源でもないとしたら技術もないとしたら高くならないのである

これはグロ−バル化経済でそうなっている、石油がとれるとか車が作れるとか技術があるとかでその国の価値がありその国の貨幣や紙幣が高くなるのである
資源もない、技術もない、あるのは労働力だけだとなるとその労働力を外国人労働者のように他国に売る他ないのである
そしてベーシックインカムとMMT理論だと金は紙幣はいくらでも作れるから配分すればいいとなる、でもそんなことが可能なのか?
それは狭い地域で考えるとわかる、紙幣ならいくらでも作れる
でも現物を何かを食料品でなんでも生産して作り売るとなると簡単にはできないのであるだから一地域にいくら紙幣を作りばらまいてもそれで豊かになれないのである
狭い地域げベーシックインカムも行ったらもう生活は成り立たなくなる
紙幣などいくらでも作れる、それで働かなくても紙幣で物でもなんでも買えばいいとなるからだ、もしその紙幣がその地域だけてはない、外部でも利用できるなら別である
そもそもが外部には通用しない紙幣だから価値がないのである
そし狭い地域だったらみんなが気づく

紙幣なんか紙にすぎない、こんなもの持っていても何のたしにもならない
蔵に米でも積んでいた方がいいとなる、物を貯えていた方がいいとなる
紙幣など銀行にあづけても価値がない

そういうふうになってしまう、狭い地域だと経済でも何でも見えるものとなりわかりやすくなるのである、経済の規模が国家規模なり世界規模になると見えなくなりわからなくなる、それで国家自体が政治家とか官僚が詐欺集団だということが言われるようになる
それがわからないのはあまりにも経済でも巨大化して見えないからである
その仕組みでも庶民になるともう理解することは不可能である
それは知識あるものでもそうである、だから機関投資家とかプロでも株ではもうけられないのである

そういう社会自体に問題がありだからグロ−バル経済というのは市場でも株式でも世界的カジノのようなものになっているのである
不正が見えない、そこで大儲けしているのが巨額の金を動かししている一部の人たちだとなるのである、そこで極端な格差社会になっているのはギャンブルで馬鹿勝ちしている人がいるということである
それが狭い地域なら見えるからそんなことは続けられなくなる
つまりこの博打はペテンだとなり誰も参加しなくなる、もうグロ−バル経済はそうなってゆくと思う、今一人勝ちしているドルだって信用しなくなる
なぜ一人勝ちしているのだとなり中国でも他でも反発するからである

これからの経済はブロック経済になる、そしてあらゆるも物の交換より狭い地域での人間を重んじる、人間関係を重んじる経済になる
それは江戸時代の封建制社会にあった、なぜ主従関係があり君主のために命までささでたのかということである、そこには長い年月で育成された人間関係があったからである
それは確かに俸禄もあったにしろ人間関係が優先された社会だったのである
人間関係の絆が強固に作られていた社会だったのである
なにか東北の震災以後に絆が言われたが実際の社会に絆がなくなったからこそ言われたのである
絆というとき物を得るための絆ではなく精神的絆なことでありそれが消失したから盛んに言われたのである

いづれにしろ資本主義であれ共産主義であれ民主主義であれ崩壊している
もうそこには人間のモラルもない、ただ強欲主義があるだけである
共産主義はただ権力を得るための闘争でありそれが暴力主義なのである
第一毛沢東は銃口から革命が生まれるというときもそである
暴力なくして革命はありえなかった、それで中国は欧米に暴力で軍事力で屈服されたからそれを根にもっていた、それで軍事力で負けない国を作ろとした
だから核兵器でももつしアメリカに軍事力でも対抗することを進めて来たとしている

ともかく資本主義とか民主主義とか共産主義の理想主義は崩壊しているのである
その次に来るのものは何かとなると地域的文化的ヒューマン社会だとなる
それは狭い地域で社会で成り立つ、それを基本とした社会である
そこに人間性の回復もありうるとなる
そもそもルネサンスもヨ−ロッパの都市共同体から生まれたものであり例え富がフィレンツに集中したとしてもそれが浪費されなかったのは狭い都市内での富の流通だったからだともなる

アメリカに富が集中してもそれが巨大なる故に実を結ばない、極一部の金持ちによって富が浪費されるだけとなってしまう、地域だったら等分に配分されることがありうるからだまず田舎でも突出した金持ちは住めない、そんなことしていたら住めなくなるからだ
必ず周りにもその富を配分しないと住めないからである
それはグロ−バル経済と違って近くで見えるからである
グロ−バル経済になればそんな人がどんな暮らしをしているかわからないからである
そこでそんな人が存在していてもわからないから見えないからありえる
それで太宰治の生家は田舎であり大地主でありどうっなったかというと煉瓦の高い塀を作って小作から襲われる
ことを恐れて作ったのである、相当に恐怖していたことがわかる

これからの時代はそうして共産主義とか資本主義とかグロ−バル的なものではない
狭い範囲でも足りる世界、ミニマム社会とか節制社会とかなり物欲を求める社会ではない心を大事にする、心とはココのことなのである、その住んでいる場所から発想するアイディンティティを求める社会である
もろちん昔の村ではない、やはり広域的なものになるがその範囲は狭くなる
大きくなってもせいぜい道州制のようなものになる
そうなると社会を見えるものになりその問題でもわかりやすくなり不正はできない
だれか世界市場でギャンブルで馬鹿勝ちするようなことはなくなるのである
そて封建社会のように人間関係こそ人間の絆こそ物より金より大事にされる社会である
Human scale economyとかなる 、economyの起源が家政だったとから原点に戻るともなる  

無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)





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無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)


無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察

(金の切れ目が縁の切れ目)

昔から「金の切れ目が縁の切れ目」ということがあったのだから今でも継続されているとなる、でも何かそれは現代では極端化した
具体的な例だと親戚でももともと遠く離れていたから関係が薄い
そもそも地元から遠く離れて住むようになったとき縁が薄かったし遠ざかったのである
人間はやはり地縁、血縁とかがあり日本では狭い村とかの範囲で共同で生活していたからこそ必ず姓の由来が土地の名前から発している地縁となっている
だから姓をたどるとどこどこの村とかの地名にたどりつく

その人との関係は兄でも静岡とかに行ったとき兄との関係は薄れてしまった
それだけ遠いとまず何しているかもわからなくなっていたのである
その子供にしても子供の時一回だけ接しただけだった
だから縁が薄い、というよりは住んでいた土地から離れた時、縁が薄いものとなっていたのである
まず遠く離れていると何をしているかもわからなくなる
近くだと行き来があり何かあっても事情がわかるがもう遠くなると日ごろの付き合いがないからわからなくなる

ただそうなったのは自分の家の問題もあったたから相手だけを責めるという訳にはいかない
もともと金の関係しかなくなっていたのである
だから自分にしても金をくれるものとしてか意識されていなかった
それはわかるにしても親まで金で縁が切れた
墓参りするからと相手が金がないので金をくれたが墓参りは口実であり金が欲しかっただけである、そもそも親にひどいめにあったから親を恨んでいるとかそうなっていたので
親を供養するという気持ちがなかったのだと思う
親でも日本人は特に親でも死んだ人を供養する心が篤い、でも時代が代わり親との関係ですらそうして希薄化した

だから現代は簡単に縁でも切れる、人と人の関係は金しかなくなる、常に人は金になるかしか見ていない、自分が介護とか自分の病気のときその時助けるという気持ちもない
ただ金が欲しいというだけなのである、だから盗まれもした
また困っているのを見て脅迫までしてくる、それは相手も金で困っていたからである
現代はあらゆる面で人間の関係も金銭のやりとりであり金ですべてが計られる社会であるそれで「金の切れ目が縁の切れ目」になりやすい、それも呆気なく親の縁さえきれる、ましてや他人になるとそうである

何かそれでマルクスが商品と人間の関係を説いた、人間が商品化される社会である
人間疎外である、人間は一つの物でありまた金として計られる
それがグロ−バル化社会となれば余計にそうなる、世界中の物が入ってくる
でもそこで別に人間と人間の関係が生まれるわけではない、ただ物を通して金を通して人間がいるというだけになる
第一外国となれば遠いのだから普通は関係しない、ただ物を通して金を通して関係しているだけなのである
だから本来は助け合うなどないのである、それで国同士が争い戦争にもなる
貿易戦争にもなる、それは物を通してか金を通してしか関係していないからである
互いに利益があるときは協力してもそれがなくなれば「金の切れ目が縁の切れ目」になる
でも何かこういうことは人間としてあるべき姿なのかとも思う

なぜなら江戸時代などみれば人間と人間の関係は物とか金だけでは計れないものがあったなぜそもそも強固な主従関係が結ばれたのか?
第一今なら主人のために死ぬなどありえないのである、ただ金による雇用関係になった
つまり雇う者と雇われる者は一時的な金銭関係として結ばれているだけである
それも時給いくらかとかで計られているだけである
雇う方もすぐにやめさせることもできるし雇われる方も給料が多い方があればすぐにやめるとかの関係になる
そこの人間関係は金であり人間関係でも一時的なものになる
ただ会社になると長いから何らか人間関係が生まれる、でもその関係も会社を退職すると切れる、継続しない、でも不思議なのは農村社会では先祖が山にいて春になると田植えの時期に山からおりてくるとかの信仰がある
ということは死んでも先祖はその土地に生きつづけているということなのである
現代では工業社会とか商業社会になるとそういうことない、長く継続される関係がないのである、すべては物を通した金で計られる一時的な関係なのである

結局無縁社会とか孤独死とかが現代を象徴している、現代社会は無縁化しやすいのである東京のような大都会だったら土地との縁はない、漂流者のようになる
ただ金があって人がある、人は物ののように処理されるとなる
ただ不思議なのは無縁化というときいかにそれが過去を見ればありえないことだったかを知る、なぜなら誰か外から来た人が村とか商売するとき無縁の場をもうけてそこで市を開くとなっていたからである、わざわざ無縁の場をもうける、そこが神社だったとのである神社というとき縁を結ぶ場だからそれも変だとなる
でも簡単に村によそ者が入り商売はできなかったのである
おそらくそういうよそ者は村の人間関係を壊すということがありそうなった

今はあらゆるものが自由でありむしろそういう社会は田舎でもない、何をしているのか仕事でもわからない、家を建てるにしても大きなハウス会社が遠くから来てプラモデルのように一週間くらいで組み立てるだけだとなる
その土地とは関係ない人が自由に出入りできるのである
そうなると土地との関係も希薄になる、固定しない流動化する社会になる
それはまた遊牧民的社会にもなる、常に人は移動する、定着しないからその土地で濃密な人間関係を結ぶ必要はないのである
それで欧米人は狩猟遊牧民だから自分を主張して喧嘩もじさない、議論でもする
そこでうまくゆかなけれは別な土地に移ればいいとなるからだというのもわかる
日本が和を尊ぶというときまず狭い範囲の村で生活するとなると争うことはできない
何かちょっとした争いでもいつも一緒にいるのだからきまづくなるからである
嫌な人がいても離れられないというデメリットもある
嫌な人が合わない人がいるからと離れるわけにいかないからだ

ただ何でもいい面と悪い面が生じる、現代はもう人間関係は索漠としている、物と金でしか計れず人間関係はすぐに「金の切れ目が縁の切れ目」となることが日常的になる
それは田舎でも同じである、第一田舎でも農業とかに従事しているのは一割くらいだとなる社会だからである、あとは会社員だからである、その会社ですら一時的な関係だとなる会社は変わり安い、時代の変化を受けやすい、グロ−バル競争社会になると余計にそうなる
ところが農業中心の社会はその土地に根ざすから変わらない、だから江戸時代では農民だけでは職人でも十代くらいつづいているのである
職業自体が変わりないというときそうなりやすい、親の跡を継ぐ人が多かったからだ
そして誤解しているのは長屋でも実際はその住民は変わらなかったという
何かふいと見知らぬ人が浪人のような人が来て住むような時代劇があるがそういうことはなかったのである
今のアパートとかとは違っていたのである、こうして常に過去は歴史は誤解されるのである

江戸時代の封建制とかヨ−ロッパの中世とかでも主従関係があり人間関係は継続的であり貴族でも何代でもつづいていた、農民社会では三代つづかないと土地の人に認められないというときそういう社会だったのである
つまり人間関係は三代くらいつづかないと作れないということである
長さが関係していたのである、物とか金のやりとりはその場その場で終わるが人間関係はそうはならない、家族自体が子供の時から長い関係でありそこで人間関係結ばれる
血縁でも子供の時離れたとか一緒に暮らさないと兄弟ですら兄弟とは思えない他人になってしまうのである
例えば家にで雇う手伝いさんとかでも信用するために十年とか必要だとされる
特に家に入って働くからそうなる、今はまず十年も長く働くことは普通はない、十年も働けばその家の一員のようにすらなるだろう、だから今の雇用関係とは違っていた、つまり人間の信頼関係を結ぶには長い時間がかかるということである
それが現代でぱできないから家に入って働く人は一番危険だとなっているのである

封建制が成立したのはそういう濃密な主従関係とかが成立したのはその土地に根付き長い一代だけではない、人間関係の故である
だから現代社会を見直すとき常に歴史をふりかえり過去との比較が必要になる
つまり現代社会を理解するには江戸時代を知る必要がある
するとなぜ現代の無縁化社会と江戸時代を比較してその相違が見えて来る
もちろん江戸時代はすべていいとかではない、何が失ったのかということが見えて来る
失われたものが実は過去にあった、過去の社会にありそれが現代で失ったと見えてくるのである

ともかく今の社会は何か人間の関係が希薄である、そこで何が起きて来るのか?
簡単に市町村でもばらばらになる、一応家族の絆があっても市町村自体のつながりは希薄である
そして金さえあればどこに住んでもいいし受け入れられるし別にそうなら原発事故の復興などめんどうだと他に移った人たちがいる、それで仙台で補償金をもらった金を資本金にして成功した人もいる
つまり土地に縛られた社会とは違うからそうなる、もちろん放射線が怖いということで批判はできない
でも土地の縁でも人間の縁でも切れやすいのである
そういうものより金が優先される社会である、そういうことが無縁化社会となり孤独死となりまた継続性のない一時的な人間関係になる、だから江戸時代の封建制社会が果たしてただ遅れていた社会なのかどうかもわからない
それは物とか金とかではない、人間関係を重視した社会だともなるからだ
その人人間関係の方が人間にとっては大事なものだともなる
だから何でも進歩したとか社会はならない、ただ社会は変わっただけであり進歩したとはならない
ある面でぱ人間全般から見れば後退したともなる、無縁化社会とか孤独死とか人間は物のように捨てられるとなるからだ


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2020年09月08日

プロの投資家ももうかっていない、失敗している現実 (グロ−バル経済は公平な市場ではない、国際金融資本家に吸い上げられる富)


プロの投資家ももうかっていない、失敗している現実

(グロ−バル経済は公平な市場ではない、国際金融資本家に吸い上げられる富)

確実に不労所得を増やす「投資信託」の選び方

「機関投資家」は、市場平均よりも成績が悪い?
まず、「機関投資家(投資信託の資金を運用するプロの投資家)」の言うことを信じる必要はありません。なぜ、こんな話をするのかというと、「プロのファンドマネージャー(機関投資家)の運用成績は、市場平均にすら勝てない」という事例が多数確認されているからです(1)。                                   

そういうことだったのかと私の投資経験から納得した
大東銀行の営業の人は証券市場で株の売買を経験していると言っていたからプロなのでまかせられると思った
その人でも地銀とかでも証券会社のプロでも投資のことはわからない、当てていないとなるといかに投資でもうけることが至難かがわかる
そもそもそグロ−バル経済市場など天文学的数字の経済でありそれを理解できる人はいないと思う

適当にその時石油が生産されているからカナダ国債が買ったが石油の値段が下がり大損失になるところだった、次にUS=REITがいいとか買った、これはトランプ大統領が選ばれて円安になりもうかった
次に円高とか為替差益が怖いということもありJ=REITがいいだろうということで買った
その時営業の人はリーマンショックの時半分に下がった株が元にもどしあがった時J-RERIその株を売りまわしたことから疑問をもつようになった
何か売ったり買ったり転売するとまた手数料が入るからそうする

それより機関投資家であれ本物の投資のプロでも当てていないしもうけていない!

これは意外だった、プロがいてもうけているのかと見ていたからである

このようになぜなるのか?プロだったら知っていて投資していると普通は思う
ところがプロさえ当てていないもうけていない、もうけられないとなる
ただ今度はコロナウィルスでチャートを見せて一時下がったので上がって来た時買いだと営業の人がすすめたとき本当に買いだったのである
でも私はJ-REITを営業の人が信じられなくなり一月に売った
そしたらコロナウィルスで半分まで下がったのには驚いた

このうよ株式の世界、投資の世界は予想もつかない、訳の分からない世界なのである
それはプロでもわからない世界だったのである
その原因はそもそもグロ−バル経済自体が誰も理解できるものではないからだ
その市場自体も天文学的数字であり第一世界を理解すること自体不可能だからである
本当はそこでもうけているのは国産金融資本家であり銀行だというのもわかる

なぜなら世界で金を作りだしているのはFRB、世界中央銀行である、それはアメリカの国ではない、民営の会社であり銀行なのである、その銀行が金融を支配しているとされている、金を作り出すことができるということは最大の権力を握っているともなる
そこにロスチャイルドとか加わっているともされる
そしてなぜコロナウィルスで世界でも日本でも経済的苦境にあるとき株だけは上がっている不思議である、好景気にわいているのは何なのだろうとなる
それはそうした金融を支配する上層部が金を作り出して回しているだけだとしている
それは経済の実体とは違っている

こうしてなぜ経済がもう理解をはるかに越えたものとなり世界市場はギャンブル場のようになってしまっている
金は紙幣が世界市場にばらまかれている、でもそれで景気が良くなっているのか景気が良くなるのか?そんなことがありえないだろう
だって紙の金は紙でしかないからである
例えば江戸時代などはいくら金がやはり力をもったとしてもその金を金あらしめたのは米である、だから藩でも石高でその経済力を示して指標にしていたし侍でも石高でその収入を決めていた、だから金の価値は石高であり紙幣ではない
実際の金でも小判と銀貨であり今の金とは違っていたのである
そういう経済では何か実態経済と金は物の値段と価値はグロ−バル経済のようにはならない、ある程度理解できる経済である

日本語の「経済」は英語の"economy"の訳語であるが、この語は古典ギリシャ語の οικονομッα(家政術)に由来する[3]。οικοツ は家を意味し、νομοツ は規則・管理を意味する[3]。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方である

経済とはこういうものであり家政だ基になっている、それだけ狭い範囲での経済である
でもグロ−バル経済となるともはや誰もわからない天文学的な数字の世界の経済である
だからプロの機関投資家でも経済のことは素人並みでありギャンブラーにすぎないとまでなる、だからこの意見は意外だったのである

それで機関投資家、プロの投資家でも詐欺的になるということはそもそもグロ−バル経済があまりに巨大すぎて理解できないからである
そこに最大の問題があったのである、そこに中国だと経済は経世済民で民を救うものとしての経済だがそうはなりえない、だからなぜコロナウィルスでみんなが苦しんでいる時
株だけが上がって株をもっている人たちは特に金持ちは得しているというのも異常だとなる
困った人など関係ない、株で儲ければいいとしかなっていないのである
むしろ喜んでいるということきにもなっているのが現代の異常な金融支配なのである
修道院から始まった資本主義はもう悪魔の強欲資本主義と化している
「道徳無き経済」でもある
だからもうグロ−バル経済は世界を破滅させるとまでなる、一握りの人間が世界の富を収奪しているとなるからだ、それが銀行などでありそこが金を作り出している世界経済を狂わせる元凶だともしている
ただそれだってあまりにも巨大だからわからないとなる、ただ憶測だけになる

こうしてわからないということ自体が問題なのである、なぜならちょっと考えてみればわかる、狭い範囲で10万くらいの都市に中央銀行のようなものがあり紙幣を発行するとする景気良くするからと金をその範囲内の住民にばらまいたとする
それでみんなその金を使うとする、そんなことで地域住民が豊かになるだろうか?
そうなると金は別に紙幣を刷ればいいだけだとなるからだ
でもなぜそうなっているのかというとグロ−バル経済とか金の力は遠くから物が入る時
力を発するからである、金で何でも買えるというときそれは世界中から物が入ってくるからこそである、全国規模で金を入ってくるからである
すると地域の狭い範囲の経済など関係なくなる、米でも日本中のあらゆる米をうまい米を買えばいいとしかない、地域の米がまずいならうまい米を他から遠くでとれた米でも買えばいいとなる、でもそこで問題になるのが金なのである
金がなければ買えないということである

ではもし地域で金を作りだしたとしたらそうした食料でも働かなくても買えるから生活できるとなる、でも地域では金を作れない、地域貨幣を作ってもそれはうまくいかず通用しない、それより中央銀行ではそうした国の紙幣発行をつぶしている
何か独自の紙幣を通用させようとするとつぶされるとしている
第一地域通貨など狭い範囲でしか通用しない、そうなるとその通貨の意味は今の国際通貨とは違ったものである
ただ物々交換ではめんをとだから地域通貨を利用するということである
だからそもそも貨幣とか通貨とかが広い規模で生まれたのは外国との貿易で贅沢品を買うために必要としたからだとされている
それで貝が装飾品としてもあり宝貝が貨幣の役割りをした、要するに宝石とかと同じものとして貨幣があったとなる

世界の富を得るにはどうするのか?

世界通貨を持つことである、それがアメリカでは民間の国際金融機関のFRBとがである、巨大な国際銀行が紙幣を発行できる
特にドルを発行できる、ドルが世界の基軸通貨だからドルをもてば世界の富を手に入れることができる
その後ろ盾がアメリカという覇権国家があってのことである
そして超格差社会となり数パーセントの人たちが富を一人占めしているのである
それはアメリカ国内でもそうなのである

つまり紙幣は金を握るものは権力を握るからである、権力があって金もありえる
ローマ帝国があってローマの皇帝の硬貨がローマ帝国内で通用するのである
アメリカという強力な国家があってドルは世界の基軸通貨となっている
だからアメリカでは世界通貨として使用されるともなる、でも中国でも他の通貨を使用するとなると反対するのは金の力で支配できない大きな地域が生まれるからである
そういうことはローマ帝国内でも地方を支配する統治者がその人物像を彫らせて貨幣を作りだした時中央政府から攻められて殺されたともなっているからだ

いづれにしろ貨幣とは何かとなると一概には言えない、その背景は複雑にしても一つの支配形態であり政治的なものであり決してアダムスミスが言う、見えざる手に導かれる市場などではないのである、政治的支配形態として紙幣がありその発行権をもっている上層部が経済を国をも支配するとなっているのである
だからこそ世界の富が数パーセントの金融をあやつる人たちで巻き上げられて収奪されているとなる、ただあたかも公平なように装うのである
あまりにもこれも原発のように複雑すぎるし規模が大きすぎるからそうなっているのである、そこに最大の問題がありだからこそグロ−バル経済は問題なのである
貿易とかは必要である、ただ現代の計り知れないグロ−バル経済はサタンが操作する経済ともなっているのである
それでプロの機関投資家でも株で当てていない、もうかっていなとなっていたのである
それこそが現代のグロ−バル経済を象徴していたのである  

現実投資で素人がもうけるとしたらインデックスの株の投資である
引用したサイトで説明しているとおなりである
私自身もリーマンショックの時もっていたインデックスの投資信託が元にもどりそれから上がったのには驚いたからである
ただ銀行の営業の人が来てその時、J-reitに回したからもうけられなかったのである
銀行では次々に売ったり買ったりすると手数料が入るからそうしていただけである
その営業の人自体分散投資のことを言って自らまもらなかったのである
ただコロナウィルスで営業の人がチャートを見せて今上がっているというときそれは当たっていたのである
でも信用できなくなり買わなかった、そもそも機関投資家のプロすらもうけていない当たっていないというからこの世界でもうけるのは至難だとなっているのだ




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2020年08月30日

未来を見通せないで株でも失敗 (パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)


未来を見通せないで株でも失敗

(パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)

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1995年秋にWindows 95が発売された、ところがこの前にパソコン通信が行われていた
前哨戦としてあった、その時私はたまたま富士通のワープロで通信機がついたのを買ったそれは偶然だったのである
でもその時パソコンをしていたのはマニアであり理系のオタクが多かった
だからかえって選ばれた優秀な人たちがしていたのである
そこで前哨戦として開発に協力していた、なぜならその時パソコンは高価であり一台40万くらいしていたからである
私は理系でもないけどそんなことをしていたのはたまたまだった
そして引きこもりで一日部屋にいて暇があるからできたのである
それでワープロで富士通の親指シフトを覚えて親しむようになった

そもそもパソコンを発明したのはビルゲイツとかジョブズとかでありその人は理系のマニアのような人でありそれがこれだけの世界に拡散して不可欠のものとなった
ただその時こんな通信が主流となる世界になるとは予想できた人はいないのである
日本はなぜITで遅れてしまったのか?
科学者が言うには先を見通せなかったとしている
その時アメリカで二人の天才が先を見通していたから今日がある
技術でも先を見通せないと遅れて後進国になってしまう

でもこの先を見通すことが本当にむずかしいのである
例えば時代が変わると産業も変わる、戦前は絹織物が輸出品でありいたるところに養蚕が行われていた、それで今でも養蚕をした家は一目でわかる、兜屋根の家だからである
2階で養蚕をしていたからである
絹織物が主要産業であり私の母は原町紡績で10年間糸取りをして働いていた
それでその原町紡績の工場の敷地内まで引き込み線がしかれていて横浜の方まで運ばれていたのだ、その時原町は平と並んで機関区になっていてこうして絹織物とかまた木材とか石でも資源が運ばれていた、平機関区からは常磐炭田があり石炭が運ばれていた
石炭がエネルギーをまかなっていたからである

戦後は産業が全く変わってしまった、電器製品となりそれが日本で輸出できて高度成長時代を築いた、でもこれもまた産業がITに変わった時日本は遅れることになった
つまりこの先の産業が何になるのか見誤ったとしている
最初はおもちゃのようなものでオタクがしていたようなものが全世界に普及するとは思っていなかったのである
だから先を見誤ることは致命的になるのだ
投資でも先を見込んで投資する、でも必ずリスクがある

それを私は別に投資とか株などする気もなかった、何にも知らなかった
たまたま親が死んで遺産が入ったことで貯金に利子がつかないとかで始めただけである
私は何にも勉強もしないし知らないで銀行の営業マンが投資のプロだと思ってまかせたのである
でもその人は別にプロでもなんでもなかった、素人並みだったのである
第一地銀は株とかにはそもそも経験もしていないし知識の積み重ねとかもないのである
だから支店長が株のことはわからないと言っていたのである
銀行は今まで金を集めればいいだけの仕事だったのである
それが株に手を出して投資信託とかで手数料をとる商売になったのである

株でわかったことは先を見通すことがどれだけ大事なことかであった
なぜならなぜカナダの国債を買ったら急激に石油の値段が下がった
それは今もつづいている石油とかは高いものだっから石油のとれるカナダの国債は安全だと思っていたのである
それがあんなに下がるとは思いもよらなかった、そこでかなり損した
ただアメリカに投資したリートはトランプ大統領になり円安になりもうかってとんとんになった
このうよに急激なにかある株は急落するリスクが怖いのである
ただリーマンショックの時買った株が上がったときそれを今度は銀行の営業マンは勝手にJ-reitに回した、それは自分のノルマがあり売買する度に手数料が大きいからである
その時自分は株が上がっているのに売るのはどうかとも思った
ただ自分で判断せずに営業マンにまかせたのである
結局素人の場合、こうして営業マンによりけりとなってしまう
その人は親身になりまかせる人だったらこうはならない
でもそういう人は滅多にいない、ほとんどいない、銀行のもうけを自分のノルマとか優先するからである
あくまで投資は自分で判断するものであり他人まかせではできない、第一銀行などでは
リスクをとらなから真剣にもならない、ただ適当に売って手数料とればとしかないからである

それでも今度はコロナウィルスでJ-reitが急落した、半分に下がったのもショックだったところが私は一月に売ったのである、それはなぜかというとコロナウィルスで判断したのではない、地銀の営業マンが信じられなくなったのである
それは株が上がっている時勝手に売ったからである
そのことで信用できなくなったので売ったのである
そしたら二月から急激にコロナウィルスで下がったのである
株も下がったのである、その時地銀の営業マンはチャートを見せて今買いだとして株を買うことをすすめてきた、でも営業マンを信じられなくなったからのらなかったし第一コロナウィルスで混乱して景気が悪くなっている時さらに下がるとも見たからである
そんな話しかなかったからである

でもその時買っていたら相当にもうかったのである
このように株式の世界は変化が激しすぎるのである、もうついていけないともなった
そして素人の場合は営業の人によりけりでありいい人にあたればもうかる
でもそういう人はめったにいないし営業の人自身も株の世界はわからない
リスクがわからない、誰もコロナウィルスのことを予測した人など一人いなかったからである、ただこのリスクは営業マンがすべての責任を負うことではない
なぜなら株とういものを理解している人が判断すべきでありその責任は客にあるからだ
だからちゃんと説明することが必要なのである
勝手に株が上がっているのになぜ売ったのかということが納得できなかったからである
それで信頼できなくなったのである、でもそのことがかえってJ=reitを売り損をまねがれたとなるのも皮肉である

株で確かなことは下がった時が買い!

これだけは確かである、なぜならリーマンショックでもあれだけ下がったのに上がったからである、10年単位くらいで上がり下がりがある、だから下がった時は買いなのである
これは法則に近いのである、でも老人になると先がないから投資には向いていないとなる庭に木を売るにしても成長するのに6年だとか8年だとかなると待てないからである
それより成長した木を植えるようになるからだ
先を見越すと言いう時どうしても時間をみなければならない、最低でも10年は必要になるとなると老人には先がないから投資は向いていない
ただ先を見通すことが成功することなことは確かである
それが日本ではできなかったから衰退して没落するとまでなったのである
それで盛んに今政治家は未来を語る、未来のビジョンを示すべきだという
それがないから日本はますます衰退すると科学技術者は言っている
技術に関しても未来を示されないから日本はITで遅れて衰退したとしているからだ

ただ未来を見通すことがむずかしいのは株だったらコロナウィルスを予想した人は一人もいなかった、ビルゲイツなどはウィルスに研究費を出していたからある程度見通していたとなる、未来を見通すという時、例えば米中戦争になるといってもそういう兆候があっても本当に戦争になるか判断できない、未来はどう展開するかわからないのである
つまり必ず未来は思わぬ展開になる
これだけは間違えない、何か私自身のことでもそうだった
引きこもってワープロで通信していたり旅ばかりしていて遊戯三昧の人生だった
でも今になると本当にベーシックインカムでみんなアーティストになれということが信じられないとなる、なぜなら団塊の世代は猛烈な企業戦士として会社のために働いたからである、すると私などはその正反対でありそんな人はその時まれだった
でも今になるとなぜ引きこもりとニートが百万単位でいるのかとなる
それは仕事になじめない人がひきこもる、私の場合は底辺になり流れ作業などばかりさせられから仕事嫌悪症になり旅ばかりするようになった、それも家族に恵まれたからできたのである
でもそうしたことでも今になって役立っている、ところが会社一筋の人は退職すると何が残ったのかとなる?
何か語ることがあり社会に示すものがあるのかとなるとないともなる
それで退職すると妻についてゆくだけで何もやることがないとかなっている
だから人間とはつくづく近い将来でもさらに遠い未来となると見通すことはできない

未来には何が起きるかわからない!

これは銀行が硬い職業で地域ではエリートだったのがもう必要なくなるとかもなるのもそうである、このように社会は変化なのである
自然も変化である、近くの川も去年の洪水で大幅に流れが変わった、砂地が増えた

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中に本当に常なるものはない、自然も常ではない、それは津波の被害をみればわかる村自体がいくつも消滅したからである、これほどの変化はなかったからだ

posted by 老鶯 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月29日

大航海時代からグロ−バル資本主義の終わり (江戸時代的価値観や東洋の思想の復活した社会へ)


大航海時代からグロ−バル資本主義の終わり

(江戸時代的価値観や東洋の思想の復活した社会へ)


遠くへ遠くへ

早く早く

より多く多く

効率的に無駄をなく


これまでの時代は西欧的価値観がグロ−バルに支配した、遠くへ遠くへというとき
交通が飛躍的に発展した、現代文明はグロ−バル化は交通の発達がなければありえなかった
歴史で見れば大陸だと騎馬民族がいてモンゴル帝国のように拡大する
それは馬があってできたことなのである
それから産業革命になって鉄道ができて車社会になり航空機が生れ飛躍的に交通が発達した
ただ馬の前に大航海時代がありこれは船の時代だった、船の技術がなければだ大航海時代はありえなかったからだ
大陸ではどうしても陸つづきなのだから遠くへ遠くへと実際に行ける
だから大帝国が生れやすいのである
つまり空間に生きるとなる、日本は島国であり時間に生きていたというとき季語が無数にあり季節の変化に敏感でありそれがあいさつにもなっている
日本の空間は狭いのである、そして日本人のアイディンティティが狭い村でありそこでの人間関係とかになり窮屈になる

日本人がなぜ景観に無関心でありかえって自然を大事にするということが欠けている
おそらく日本人は景観といってもそうした大きなものをとらえる感覚がない
狭い地域で村で生きていたとき森全体とかを見ない、木を見て森を見ないとなる
森となると大きなものだから意識しにくいのである
大陸では天を意識するが日本人にはそういう感覚はないのである 
日本人には戦略がないというとき戦術のみにとらわれるというときもそうである
戦争でも大陸になると広大であり兵士をどう編成するとか戦略的になる
日本人だとそうした大編成部隊を作ることが苦手である、そういう広い土地がないからである、たから大東亜戦争ではそういう大きな戦略がない、ただ拡大してゆくだけだった
だから西安の方まで日本兵が行ったのには驚いた
その時、鉄道でも発達していない、どうしてそんなに遠くへ行ったのかとなる
ただ馬で行軍していた、馬を利用して遠くへ行っていた
だから第二次大戦までは馬が重要な役割りを果たしていた、南京に日本軍が入場したとき騎馬隊だった、
第二次世界大戦でも馬が活躍していたのである
それで死んだ馬を供養する寺があった、それは馬頭観世音と同じである、戦前までは馬が今の車と同じように荷物を運ぶものであり大事にされたからである、それでいたるところに馬頭観世音がある
馬を供養していたのである

とにかく大航海時代から20世紀までは交通の発達が共通の文明をグロ−バルに形成したのである、それが西欧文明の普及となり世界が西欧化したともなる
それでアジア的停滞とかヨ−ロッパから見ればそうなった
つまりアジアは東洋が遅れたものとして認識されたのである
そして資本主義が世界を席巻してグロ−バル経済になった
資本主義も常に遠くへ遠くへと志向する、空間の拡大である
資本主義は常にフロンティアを求め投資してゆく、それが時代を作った

でも今なぜ資本主義がゆきづまっているのか?

銀行でも金余りであり世界でも金余りである、一時は中国は投資先となってグロ−バル
資本主義を導引した、でもそれも飽和状態になり成長が望めなくなった
世界にはもうフロンティアがない、残されたのがインドとかアフリカだとなる
そこが中国のようになるかどうかはわからない
それよりコロナウィルスが時代を変える、これまでのグロ−バル経済とか資本主義の思想が通用しなくなる
なぜなら遠くへ遠くへとか交通の発達がウイルスを拡散するものとして止められたからである
それで大打撃だったのは観光業だったのである、ばったり100からゼロにもなったという驚きである、こうなると早く早くという技術革新でもリニアでも無駄だから停止しろともなる、その投資すら無駄だとなる、時代に合わないとなるからだ

人間は何か科学技術は無限に進歩する、科学技術にはバラ色の未来しか見ないのである
科学技術が人間のすべての夢をかなえてくれると見ている
科学技術信仰が現代の文明である、それは止まることを知らないのである
それに歯止をかけたのが福島の原発事故でもあった
その事故のために生態系が汚染されて住めなくなったからである
そこに科学技術を万能化することの夢は打ち砕かれたのである
人間には核を操作する技術はなかったのである
その被害はあまりにも甚大だったのである、未だに山菜とかの放射線量は減っていない
むしろ増えているのもあるのだ
森は汚染されて放射性物質が循環しているだけであり減らないからである

いづれにしろこれからの時代は科学技術信奉の限界でありそれがすべてバラ色の未来をもたらすわげではないことを知った、そして早く早くという限りない追及もまた資本主義の効率の追求もより多く増やすという思想も限界に達した
何かこうしたヨ−ロッパの思想には止めるとか減らす思想がないのである
ただ早く早く多く多くとか増大する思想しかないのである
そして資本主義が効率を追求する時、肝心の人間の幸福が何かを追及しない
資本主義にとって

人間が一番のコストであり人間はいらない

効率を追求するとそうなる、現実にお手伝いさんをなどを簡単な仕事でも雇うと大変なことになることを経験した、その家族とかなにやかにやと世話することまでになる
福祉的なことでも人を雇うとコストがかかるのである
だから人間一人を雇うこと自体最もコストなのである
それでいかにこの人件費を抑えるかが資本家にとっての最大の課題となる
つまり労働を人間にさせないで機械にさせることが最も効率的なのである
皿洗いなら最近いいものができた、これまではうまく洗いなかったが3万くらいでいいものができたとかなるとその方がお手伝いさんを雇うよりいいとなるのだ
人間を雇うことは資本家にとって最大のコストになるからだ
だから機械の改良がつづけられているのである
頭脳労働ですらAIで代わりにしようとしているし現実化する
なぜなら人間こそが一番非効率的な存在であり資本家にとっては無駄なものなのである
それは資本家というより資本主義体制なのである
ただ経済システムとしてはそれが社会にとっていいものだから受け入れられたとなる

でも資本主義が終わりだというとき銀行でも投資先がないとかゆきづまるときこうした思想を見直すことが必要になる
人間が最もコストだとか人間はいらないという社会がいいはずがないからである
人間自体を幸福にしない社会体制がいいはずがないからだ
江戸時代まで人間は資本主義とは無縁の世界で生きていた、では人々が不幸だったとかというとそうでもなかった、日本人はみんな幸せそうに見えたと江戸末期に来た外国人が報告しているからだ
貧乏であっても日本人は幸福に見えたというのは何かそこに人間が必ずしも今高度な文明で生活してもそこに不幸が生れている
もちろ簡単に時代を比較はできない、ただ働いている人たちが俺たちは奴隷だ社畜だとか不満があるときやはり働くこと自体に生きがいを見出していないのである

だからより早く早くとかより多く多くとかより効率的に無駄をなくすとかの思想が限界にきている、人間はそこで時間を奪われ酷使されている
遠くへ遠くへと行くのでも経済面ではかえって労力がかかっている
なるべく身近な所で自給自足的な生活をするのがいいとなる
ただ村とかの範囲では無理である、それなりの広さは必要である
でもグロ−バルな経済は不自然なのである
そうしてアフターコロナの時代はそうした時代の変化がありグロ−バル経済も後退する
第一航空機でも利用できないとか外国人でも自由に行き来できないとなればそうなる
観光業が一番打撃を受けたという時、まさにそうなった
あれだけ京都で外国人であふれていたのがぱったりと来なくなったことの驚きである
そこにかえって日常の平穏な生活がもどったともなる

コロナの前でも良く中世に戻るとか言われてきた、日本なら江戸時代にもどるともなる
もちろん同じようにはならないにしてもそういう傾向になる
江戸時代の不思議はなぜ駕籠のようなもので人を運んでいたのかということである
技術的に開発できなかったというよりそうした生活でよしとしていたのかもしれない

遠くへ遠くへ

早く早く

より多く多く

効率的に無駄をなくす

この逆だったのが江戸時代なのである、より近く近く、より遅く遅く、 少なくまた効率的でなく人間的だともなる
少ないというときそれだけの資源もないし貧乏だから当然あらゆるものを近くにあるものを活かすほかないからそうなった
だから江戸時代がすべていいというわけではない、ただそうした停滞社会というのは逆に人間的だったということがあったからみんな幸福そうな顔していたともなる
現代の人間はみんな不幸そうな顔しているというときうつ病の時代だというときもそうである、資本主義でもグロ−バル経済になっても機械で便利になっても必ずしも人間を幸福にしたとは限らないのである
あまりにもまた金がすべてとなった社会でありそれですべての優劣が判断される
そして金融はマネーゲームとなりグロ−バル経済の中でモラルも消失した
だからこうした社会をコロナウィルスが止めたということで不思議なのである
時代の変革がコロナウィルスで成されるということが不思議なのである
つまりそんなことを簡単にできないからである、いくらそういうことを言ってもできないからである

ともかく価値観の変化の時代である、思想的にもまた西欧文明の資本主義でも変化する時代である、東洋的価値観とか思想の時代にもなる
ただこれも明確ではない、でも宗教となると仏教でも老子の思想でもキリスト教ですらアジアからオリエントから生まれたものである
そこが誤解しているのである、時代的に象徴するものとして馬の時代があり船の時代がありそれは空間の拡大だった、でもこれからは牛の時代になる
牛は大地と一体化したものであり遠くへと行くものではない、土地に根ざしている
木とか石でもそうでありそれは土地に根付いている時間的存在である

posted by 老鶯 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月25日

資本主義社会から変わる社会は何か (役割で人を評価する、金では評価しない社会)


資本主義社会から変わる社会は何か

(役割で人を評価する、金では評価しない社会)

●資本主義が機能しなくなった

今コロナウィルスでも何かおかしいのは職をなくしたとかいろいろ困窮している人がいるのに株が上がっている、景気が悪いのに株が上がっている
それでさらに格差が広がる、人が苦しんでいるのに株主はもうけている
人々が苦しんでいるのに株主社会である資本主義では株主に影響はない
その金を国からの国債から株に流れてきた金だとしている
実態経済とは関係なく金が右から左に流れて利益を得る、それがグロ−バル社会で行われる、そこに巨額の金が流れてコロナウィルスでも巨利を得た国際資本家もいたのである
そこには道徳なき経済になり弱肉強食の経済である

こういう資本主義社会はもうこれ以上つづけるとどうなるのか?
アメリカのような暴動が起きて来る、贅沢品を売っていた宝石店が壊されてねらわれたりする、黒人だけではない、不満分子が格差社会で増大して暴動になったのだ
アメリカでのコロナウィルスの被害は大きかった、それでさらに底辺層は困窮していたからである、富裕層は別荘に逃れて優雅に暮らしていたとか言われる
またこういうときでも大儲けできるのがグロ−バル経済である

アメリカ型の資本主義がありそれは株主優先である、そこに働いている会社員や労働者は重視されない、ただ時給いくらかで働かさせられるシステムの中で奴隷化された人たちである、それはシステム機械の部品のうよなものでいつでも取り外されて補うことができるとみている
そもそも時給労働自体が人間を安く部品のように使う労働なのである
そしてアメリカ型資本主義では株主優先であり会社は労働者のものではない、株主のものなのである
だから現実を生きて得するには株主にならないと資本主義社会では裕福になれない仕組みになっているのだ


ただ資本主義社会はもう金があっても金余りであり投資先がないから行き詰まっている
中国が投資先になったがそれももう発展したので投資先にならない
日本でも高度成長時代が終わり投資先がないから銀行でもつぶれるとかなる
金を貸す先がないのである、それだけ新しい起業がないのである

銀行の役割が喪失した

これが根本的な原因なのである
それでコロナウィルスで銀行は資金がないとして融資を頼まれるで政府では奨励しているが銀行ではそういう会社に投資しても見返りがない、高度成長時代だったら金を貸しても必ず見返りがあった、利子をつけてももどってきたのである

●江戸時代は役割社会

だからこれから社会はどうなってゆくのか?
もう旧来の資本主義グロ−バル社会は継続できない、一応継続しても別なものに変わる他ないのである

What's your responsibility?「あなたのやるべきこと(役割)って何?」という使い方もできます。日本語だと「役割」と一言で済ませることはできますが、英語だと、roleやresponsibilityだけでなく、chargeも使います。In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます。

働くという時、最近job型になるという、日本の社会はメンバーシップ型であり仲間内で協同を共同を重視したものとなっていた
それは農耕型でもある、みんなで村人が田植えしたり稲刈りしたり草刈りをする
それは今でも草刈なとはつづいている、農業とは人手がかかり共同するものだったのである、そういう感覚で会社が生まれた、なぜなら社(やしろ)に会すが会社だからである
会社のビルの屋上に社があったりするのもそうである
それは株主優先の資本主義社会の会社ではないのである
job型は英語で調べるとわかるがworkとは違う、何か一時的に仕事するとかある部分を担当して仕事するとかある、そのニュアンスが違うのである
欧米人はjob型でありそれぞれの専門性の仕事を重視する
仕事でもある特定の仕事をできる人をjobとして雇うのである

ただjobという時、そこにも専門性があるとししてもworkとは違う、workにはいろいろな意味がある言葉である
workは働くというとき機械が働くとかなれば機械が動きワークする、作用する、機能するとかなる、つまりワークには社会の中で機能するとか作用するとかの意味になる
そして作品の意味があることが重要である
何であれ製品を作品を仕上げるとういう意味がある
つまりワークにはlifeworkとかあり一生を通じて作品に仕上げるとういことがある
それは芸術家だとわかりやすい、画家だったら自分の作品をしあげることが仕事でありその仕事は死ぬまで継続されるのである
それは途切れることはない、会社で退職して途切れることはないのである

そしてworkには社会に機能するとか作用するというとき役割があるというふうにもなる
役割とは責任のことであり社会で責任ある部署を担当することである
また役割はroleというとき人間の役割はrollする、回ってくる、同じ役割でなくて役割が回ってくるということがある、だから人間の仕事は必ずしも固定されていないのである

そして役割というときまずその共同体であれコミニュティであれ自治体であれ役割を持つことである、株主になるとか会社員とかではない、それぞれの役割を社会でもちそれで評価されることである、金を第一とする前にそうして社会で役割がありその役割で評価するそういう社会が江戸時代だったと思う
侍には侍の役割があり農民には農民の役割があり職人には職人の役割があり農民には農民の役割があった、そして限度を重んじたのはその役割を果たすことが第一であるためである、それが封建社会だとなりそんな社会は不自由だとかなる
でも古いものでもそこには何かしら参考にすべきものがある
それで歴史から学ぶというときそうである、なぜこんなに資本主義社会は乱れるのだろうか、弱肉強食であり経済とかでもその意味は経世済民なのにまるで違ってただ金あるものだけが威張る社会に疑問になる

役割というときその役割に責任がありその役割を誠実に果たす勤めるということが職業倫理になる、その人の役割があり責任がありそれを果たすことで評価される
金で評価されるわげではない、まず社会の中で役割がありその役割を果たすことでその社会の一員となれる
そこでは人は役割で評価されるのであり金で評価されるわけではない、江戸時代なら庄屋でも村人をまとめる役割があり侍がいて米を税として納める役割がある
それは階級社会で格差があるとかなり否定される
でも江戸時代はそうして役割で評価されたのであり金があるかないかではない 

●AI化と機械化で人間の仕事がなくなる社会では役割社会になる

こういうことはAIで仕事がなくなり仕事をもつ人は特権階級になるという
なぜ仕事がもてなくなるかというと仕事が機械化されAI化されてなくなるからだ
すると社会で仕事ができている人は例えば給料が高いとか金で差別化しているが仕事をもっている人と持っていない人で差別される
別に給料はベーシックインカムで仕事しなくても払われる一応食べていける
でもそういうふうにして仕事がない人は社会に役割がない人として尊敬も何もされない
あの人は仕事ができるということは社会にとって必要不可欠の人であり尊敬されるとなるそれを感じるのは退職した時、何の用もなくなるとにている
一応年金で暮らせるのだが社会にとっては用のない人になるからだ
それで妻もそういう人と長い老後を暮らすのは苦痛になる

だからそれぞれに役割があり仕事する、でもその役割を果たしていない、その責任を果たしていない、マスコミにもその役割があったが果たしていない 
そもそも男性には男性の役割があり女性には女性の役割があって社会は成り立っていた
男性と女性が能力を競うことではない、それぞれの役割りをこなすことであった
だから男女平等社会とは役割社会ではなく男女が能力を競うとなり歪なものとなったのだだから役割社会ではまず与えられた役割に忠実であることが望まれる
科学者も専門家でも役割があったが果たしていない、ただ金を政府から得ようとするだけだとか言われる、予算をとるためにだけに働くとかなる 
つまり金融資本主義になると金だけを追及する、金を得たものが勝ちだとしているからだ何か役割をもつことではない、金をまず得ることが優先される
そして金を多く持つ人が資本主義では主導権をにぎる、役割でももしそれがたいして金にならなければ評価しないのである

そうしてたいして役割もない、責任もない人が巨万の金を得て富を一人じめするようになる、それはすべて資本主義では金で評価するからである
その役割は社会で大事です、だから勤めてくださいとかならないのである
金になるかならないかで重要度を決めているからである
もし役割を重視するならそこで働く人もその役割を果たすために勤める
そこに職業倫理も生れる、なぜならその役割を果たすことが仕事になるからである
医者には医者の役割がありその役目を果たすことが先決になる
でも実際は金にならないとしてコロナウィルス患者を拒否したとなるとその役目を役割をはたしていないのである

役割が先にありその役割を果たすということで金がもらえる、金がついてくるというのがいいのである、そこで医者の役割は重要だとして評価される
でも医者が金が得られないとしてコロナウィルスの患者を拒否するのは役割を否定したのである
役割というとき先に役割があり役割が与えられて人は働く
役割とは天職かもしれない、天職を役割として与えられたのである
そこにミッションが使命が生れるのである
それでこれからAIとか機械化とかロボットが働くようになる時社会で役割をもって働いている人はエリートになり優秀なのものとして評価されるという

他の者は仕事を失いベーシックインカムで生きるとしても社会では評価される者とはならない、確かに一応基本的な生活はできてももし社会に役割がないなら生活はできても劣等民とされてもしかたがないとなる
それは差別でも格差でもない、社会にその役割を見出されない、担うことができない
だから別に格差社会からそうなったのではなく、役割をもった仕事がない人となり劣等民とされるのである
そういうふうに時代とともに働き方とか価値観が変わるのである
ただ正直どんなことしても人間の理想社会など作れない、そこに暗黒が生れ矛盾が生まれるのである、神の国でしか理想社会などありえないのである
だから神が作り与える御国でしかそうしたことは実現しないのである
ただ自然がなぜ調和しているのか、人間だけがなぜ調和しないのか?
自然は神の業(わざ)によって調和している、それもそれぞれに様々なものが生物から無生物から無機物から宇宙があって調和している、それは何かそれぞれが役割りが課せられていて調和しているとなる

地理にしてもその土地土地の役割りがある、それは恵みである、グロ−バル化とはそうした外国でもいろいろな土地の産物の含みを得たとういことである、ただそれは度を越したものになり問題になったのである
恵みとはめぐることでありそうした土地土地の恵みがめぐってきたのである
またそれぞれの土地には国にはその国が果たすべき役割がある、例えば日本だとどうしても中国という巨大国家がありアメリカに日本は征服されたがその中間にあってその仲をとりもつという地理にあり地政学になる
それは明治維新の時、アジアを代表するものが日本になりヨ−ロッパ文明とアジアを代表する国になった
そして今また中国が巨大化してアメリカと対立するとその仲をとりもつ役割を担っている
そういう地理にあるのが日本なのでありそこに役割がある
だから地政学的役割がありそれを果たすことが政治的使命だともなる
いづれにしろ人間は国でもそうだし役割を神から課せられているのだ、それがミッションともなる
とするとそのミッションを果たすことが人間の役割りだとなる

In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます

つまり役割りとはchargeのことでもある、それは責任でもありまたカルマだともなる
生れたときからすでにそうした役割を課せられているchargeされているのだ
長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違うそれは生まれた時からそういう役割を課せられている、
責任も課せられた人なのである、長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである

国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違う
それは生まれた時からそういう役割を課せられている、責任も課せられた人なのである
長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである
国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

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2020年07月22日

貧困化する日本で治安が悪くなる (コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)


貧困化する日本で治安が悪くなる

(コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)

社会が大きく変わる時、大量の失業者がでる、明治維新では侍が失業して困った
その中でその中で恵まれた人たちは教育関係に入り教師とかになった
あとは官僚とかなになったりした
でも江戸時代から明治に変わっても農業が主産業のとき、やはり農業につくことになったそれで北海道に開拓に入った、その仕事は厳しいものだった

そして戦後と一千万人とか引揚者が日本に帰ってきた
その人たちも失業者になった、それまでは兵士として職をもち食料は国から供給されていたからである

お前たちは外地散々贅沢な暮らしをしたのだから少々苦しい目をみてもあたりまえだ

こんなことがありうるのか?戦争していて贅沢な暮らしがありえたのか?
でもそれだけ日本が貧しいとなると食べることもできないとなれば戦争でもしてし兵士でも食べられるのいいともなる、御飯が食べられるのらいいともなる

そういうことがあったのかもしれない、人間は食えなくなればなんでもする
それで不況とかが深刻になり失業者が大量に増えると社会不安になる
治安が悪くなる、犯罪が増える

そして追い詰められた人間が一番怖い!

犯罪になるのは追い詰められ人間である、たいだい推理ドラマでも犯罪は借金した人が多い、それは借金に追い詰められているからだ
そういう人たちは善悪もなくなる、追い詰められるとまず人のことを考える余裕がなくなる、だから相手を襲うということになる
そういう経験を介護十年で自ら病気にもなり経験して来た
相手の苦しいことなど関係なくなる、金をとることしか頭にないからである
それで盗難にもあっているし責められるだけだった

考えてみると戦争の原因は何かとなると失業が関係している
ドイツでも第一次世界大戦で国が借金して不況になり失業者が増えた結果として社会不安になり戦争になった
戦争に踏みきるというのはその国が相当に追い詰められているからである
日本でもアメリカに経済封鎖されて石油が入ってこないとかなり追い詰められたから戦争に突入した
戦争に意義あるというのもあったとしても日本がそんな崇高な目的があったとは思えないのである、何か経済的に追い詰められて戦争に突入した
それで中国でも国内が苦境にたたされると戦争をしかけてくると言われる
対外的にかえって強硬になり国外に不満をぶつけて戦争になる
それで為政者は責任をとらない、悪いのは外国だとなるのが楽だからである

いづれにしろコロナウィルスでも大量の失業者が出る、その人たちが就職できないことが大問題になる、では侍が北海道に開拓に入ったり戦後の引揚者が近くの荒地の開拓に入ったりするようなことができるのか?
確かに耕作放棄地が膨大だから土地があるからできないことはない、でも時代が違うから無理だともなる
農業は簡単にできない、肥料やら道具代やら天候とかのせいで収穫は簡単にできない
そこに金をつぎこんでも何もとれない、農業の苦労の話を聞いただけで終わりだった

それで猪狩満直のように戦前に北海道に開拓に入って病気になり若くして死ぬようにもなる、引揚者でも半分は撤退したし北海道開拓でも厳しいから撤退する
ただ人間は追い詰められると嫌でも強いられてもそうなる他なかった
働く場所がないからである

高齢化社会でも貧困者が増えている、50パーセントがぎりぎりである
年金だけではやっていけない

そして5パーセントが水道電気をとめられる!

ここに現代の貧困が一番現れている、ボロを着ている人はない、一応食べられてはいる
でも現代の生活で欠かせない水道電気代が払えなくなるのが現代の貧乏なのである
復興住宅の浪江の人が電気をつけていない、節約しているというとき補償金もらったのだからそんなことはないと見ていたが結構苦しい人もいる
つまり苦しくなるとそうなるのである

知っている人は月末に必ず電気をとめられるとか水道とめられると泣きついてくる
そういう人が5パーセントもいる、これは少ないようで多いともなる
なぜなら一万の町があるとして500人がそういう人達がいるということになる
一千万だと50万人にもるなるからだ
それで電気料金をとりたてる人が催促するのが嫌になってやめたという
取り立てる方も相手が払わないから苦労して嫌になったということである
実際老人で余裕あるのは4パーセントくらいだというときいかに悠々自適な老後を生活する人が少ないかである
それで70になっても働くほかなくケガする老人が増えているのだ
やはり肉体労働になると老人はケガしやすいからだ

これから貧困がさらに厳しくなる、コロナウィルスで拍車をかけて厳しくなる
観光業は地方では収入として大きい、それで中国人が北海道に来なくなったりしたら厳しいとなる、福島県だと会津の方は観光業のしめる割合が大きい 
近くの人は水産業で魚を旅館とか飲食業におろしていたがコロナウィルスで影響して売り上げが減ったとなる、ただこの辺では観光業でも松川浦はそうだったが震災で津波で被害になりそもそも観光に来る人はなくなっていた、それと原発事故で放射性物質の汚染で
アサリ取りとかもできないから観光客が来ていなかった
全体的に観光業はこの辺では盛んではない、第一温泉がないからである
ただ野馬追いでも中止になったからその影響もある
ただ復興事業はまだ小高とか浪江とか原発の近くでつづいているからそういう仕事の人たちが来たのでやたらとホテルが多くなったのである
その象徴が原町駅前の十階建てのホテルが建ったことである、この辺では一番高いホテルである、それもコロナウィルスで影響する
猪苗代には千人も収容するホテルがある、これも客が来ないのだから影響が大きい

ともかく地方でもコロナウィルスでももともと苦しかった経済がさらに苦しくなる
そのしわ寄せが老人にくる、まともに年金をもらっている人は少ない
せいぜい二割くらいしか余裕ある生活はできていない
生活保護でも自治体によって差がある、知っている人は5000円しかもらっていない
医療費でも半分が負担である、それより生活保護はこれから支給されなくなる
それだけの財政の余裕がないからだ
だから市町村がつぶれてゆくとかさらに集約して自治体をなんとか維持するほかないともなっている

その人は70であり息子が援助する余裕がない、青森に父親が施設に入っている
それで必ず必要なものがあり金を払っている、つまり今の親世代の息子なども余裕がないから援助できない
するとどうなるのか、もう飢え死ににもなってしまう、なぜなら自治体も生活保護でめんどうみきれないとなっているからだ
だから高齢化社会ではもう介護でも病気でもめんどうみれなくなる
つまり弱い者は捨てられる、そこでまた犯罪が増えてくる
刑務所は高齢者の介護施設のようになっているというときもそうである
そういう人たちは行く場所がないからだ、特養などには簡単に入れないからである

こうして日本が貧困化してくるとどうなるのか?

本当に治安が悪くなり犯罪者が増える、そして金持ちでも安泰ではない、犯罪にあう確率が高くなるのだ、塀を鉄条網で囲って私兵を雇い守らねばならなくなる
格差社会というのはそれだけ金持ちにとって生きずらい危険なものとなる
枕を高くして寝れなくもなる、この貧困化に追い打ちをかけたのがコロナウィルスだったのである

そしてこういうふうに窮迫している人にとっていかに十万を給付されることが助けることになるかわかる
なぜなら10万もらえるとなればそれでその十万をあてにして電気水道代でも払えるとなるからだ、この人は10万がもらえるとなればとる方もあてにする
だからベーシックインカムも考えるようになったのである
生活保護はすぐに供給できない、それで困る人たちがいるしいろいろ問題があるからだ
いづれにしろ日本は冬の時代に入っていたがそこからさらにぬけだせなくなる
地方創成も言われたが観光業が頼みの綱でもそれもたたれた
そしてどこに光明を見出してゆくのか?それがまた問い直されているのである 

コロナによる経済的ダーメージが長期化すると
高齢者の悲惨さが際立つことになる (鈴木傾城)


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2020年07月06日

SBI証券が大東銀行の株を取得 (福島銀行と同じようになるのか)


SBI証券が大東銀行の株を取得

(福島銀行と同じようになるのか)

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週刊東洋経済7月11日の記事にこれが出ていた
これは予測されたことだったかもしれない、福島銀行がSBIの笠下に入ったからである
SBI福島銀行となり福島銀行の支店がSBIとなれば証券には詳しいのだから当然SBIの証券を売りやすくなる

そもそも今地銀がしていることは証券会社と同じようになっている
そのことを私自身が大東の営業の人がきて金融商品を外国の国債とかUS-REITとかJ-REIT
などを買った経過などを報告した
何か今地銀は証券会社と変わりないのである
様々な証券を売って手数料を稼ぐことだからである
その収入が意外と大きいのである、なぜなら手数料が3パーセントということは額が大きくなると大きな収入になるし確実にもうけになる
そして地銀では絶対に損しないいい商売なのである
みずから投資すれば株を買っても損があるが客に買わせれば別に損することはないからである、損したとしても

客が悪いのであり銀行が悪いとはならない

なぜなら様々な状況で株が上がったり下がったりするからそれは銀行のせいではないとなる
でもどうしても地銀を通して営業するからその営業する人を信頼できなくなる

つまり証券とか株を知らないのだから営業の人に頼る、ところが営業の人が客にもうけさせることを考えているわけではない
また適切なアドバイスをしてくれるとは限らないからだ

結局株でも証券でも自己責任になる

地銀では一切損しないし手数料だけはもらう

だからこの商売は銀行にとってはいいものなのである

それでリーマンショックの時買っていた株が元に戻したで上がりつつあったとき売った
それ以来不信になった、J-reitにその金を回したからだ
その時分散投資と言っていたがそれを守らなかった
ただ株でも証券でも金融商品は売ったり買ったりして手数料が入るのが商売になる
その手数料が高いと客では困るのである

それで奇妙なのはこういう経過がありJ-reitを地銀の営業の人を信用できなくなり一月に売った、何か人が介在するとその人が問題になる
実際は責任は客が負うのだが地銀でもかかわればそこに責任があるとも見てしまうのである、それはもともと銀行は信用できるものとしてあったから今までの見方ではそうなっていたのである、それでゆうちょでも地銀でも経営が苦しくなって保険でも人をだますようなものまで売るようになって問題になった
また収益が得られないからアメリカのCLOとかの危ない金融商品を大量に買っている
それが失敗すると大損になる、農林中金が一番危ないとしているからだ

ただ今回のコロナウィルス騒動で地銀でも積極的に融資しているという、銀行はバブルの時期にあこぎなことをしていた、それで評判を落とした
今回は政府でも支援するから融資しているという、でもそれが不良債権になることを心配している

いづれにしろ地銀のしていることは証券会社と変わりなくなっていた
それならSBI証券の笠下に入り指導された方が証券でも売り安いとなる
なぜなら手数料が安くなるからである、そして証券の専門だから地銀より詳しいからである、地銀はそもそも支店長すら証券のことは知らないと言っていたこからである
それでどうして経営できるのかとなっていたのである

ただ何か銀行でも預金封鎖があるとか財産税があるとか貯金するなとかいろいろ言うので心配になる、それだけ日本の経済が逼迫しているからそうなる
でも何か方法があるのかとなるとなかなかないのである
それで金と銀の投資熱が高まる、それはなぜだろうとなると単純に考えれば紙幣はしょせん紙切れでしかない、金と銀は紙切れではない、貨幣でも紙きれではないから価値になるそもそも貨幣とは貨幣自体に小判のように価値があるものだった
だからそういう貨幣の原点にもどるのくかともみた

もともと金が一番貨幣として価値がありその金があってこそ担保になり銀行が生れた
でもとうして紙幣が生れたかとなるとその金自体を貨幣にするのではなく、金がただあるということでそれを信用にして金との交換証書を作る、それが紙幣になったといういきさつがある
だから金こそが一番貨幣としてふさわしいものだったのである
銀もそれとにているがこれはかなりの量になるから問題がある
でもこれも銀自体に価値があるから今人気になっている

とにかく大東銀行には貯金しているから不安になる、ただSBI証券と共同になることは予測されていた、第一実際今大東銀行のしていることは証券会社と同じになっているからだただ投資先が地元だといっても客からみれば証券会社と同じでありそれなら専門の証券会社の方がいいとなってしまうのである
結局もう地銀の役割は喪失していた、ただコロナウィルスで積極的に地元の会社に融資しているということで株が上がった、頼りにされる存在となった
でもそれでもうけがでない、不良債権化するとなるとさらに苦しくなる
だからSBI証券と共同するようになるというよりその笠下に入って当然だったとなる
それが金融庁が後押しするとなれば余計にそうなる
だからもうこれは避けられないとみる
ただ一面に大東銀行が出て来た記事には驚いたのである

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2020年07月04日

投資は一貫性とルールが必要? (リスクが多く素人はついていけない金融世界)


投資は一貫性とルールが必要?

(リスクが多く素人はついていけない金融世界)


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J-REIT

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私は一月に売ったから損しなかった
トータルでは損しなかった


私は全く投資など素人であり知らない、ただ貯金していてもしょうがないから利子もつかないから投資したのである
だから銀行員の営業の人にまかせた、また自分にはそこにかかわる時間がないからそうなった
でも何だかわかないけど最初は分散投資すればいいと言ったしそうれはいいのかと素人でも納得した

それでカナダの国債が石油がとれるのでいいとして買った、だか石油の値段が下がり急激に評価が落ちて大損するところだった、実際は損した
ただUS-REITはトランプ大統領になったとき円安になり上がったもうけた

そして一番の失敗はリーマンショックのとき半分になった株が元にもどりあがっているとき営業の人がJ=REITにその株を売って回した
そのまま持っていれば株は上がっていたのである

それ以来営業の人を信用できなくなった                            

それでJリートを一月に売ってくれと言って売った
そしたらコロナショックで急激にJリートが下がったのである
これには助かったと思った
だからトータルでは損はしていなかった

ところが今度は営業の人が株が上がってきたからチャートを見せて買いと言われた
そしたら株が今度は上がってきたのである
こんなコロナウィルス騒動の中に株だけは上がっているのも理解できないのである
でもこれまでの経過でその営業の人が信頼できなくなり断った
なんかこのようにいろいろあってめんどうになったしリスクがありすぎる世界だと思うようになったからだ

結局この経過をみると何かここには投資のルールも一貫性もないのである
分散投資はルールにしてもそれなかった、ゆきあたりばったりで買わせているだけなのかとも見た
なぜそうなるのかとなるととにかく営業している人にはノルマがあり売ったり買ったりさせるのがいいからだともなる
営業の人が何か金融商品を買わせればその時手数料が大きいのである
だからいろいろな商品を買わせるしまた転売もさせる

でも分散投資がルールとなれば悪いということにはならないのである
でもこんなにリスクをる世界が投資だとすると普通の人は簡単にできない
そして最近もってきたのが外国のアメリカの保険だったのである、これも為替の影響が大きいとかなり批判的であり金融庁でも警告していた
だからこうしていろいろな金融商品をもってきても普通の人は素人は理解することがもうできないのだ

ただ常にリスクの恐怖だけがある!

ここにルールも一貫性もないのである、では貯金が安心なのか?
その貯金が今一番安心がないという、インフレになるとか預金封鎖とか財産税がとられて一番危険だとかいう、また国債も安全資産だと思ったらそれも一番危ないとしている
ゴールドを買いとか銀を買えとも言う
つまり紙幣は紙きれになり実物資産が価値がある、不動産も価値がある
でもその実物資産にしても食料を備蓄しろといっても限度がある
だから安全資産はない、方法がないというのが現実なのかとなる

ただ銀行とか証券会社の人に頼むにも頼めないのである
なぜならその人たちは自社の利益優先であり客の損になるものでも銀行が利益になればいいとなるからだ

一体こういう世界は何か誰も信用できない!

普通は何か物を買うにしても製品を買うにしてもその製品がいいとか壊れないとか信頼して買う、日本製品はそれでせれで世界から信用されて高度成長時代を築いたのである
何かリスクがあってその製品の価値がなくなるということはないのである
電器製品でも車でもカメラでも何でもその価値はリスクに作用されない
それより今の住宅は地震に強くなったとか価値がリスクに強くなり高くなっているのだ
だからこれほどリスクに左右される世界についていけないともなる

ただ思わぬリスクはコロナウィルスのようにあるからそれをさけることができない
津浪や洪水や原発事故や何かとリスクはある
でもこうしてめまぐるしいリスクに左右され翻弄される金融市場についていけない
ただ不安と不信と心配ばかりの世界であり精神不安を増大させるだけである

リスクというとき農業には天候に左右されるからリスクがある、何かしらリスクがある
だからリスクのない世界はないともなる
でも金融の世界は天候のようにやむをえないものでなくて人為的に作られたリスクにもなる
株価なども人為的に操作されている、グローバル株式市場は世界をの博打場だというときもそうである
株の上げ下げを操作して莫大な利益をあげている一部の国際金融資本家がいるとしてしいるからだ、そこに莫大な富が集中するシステムである

それでそもそもそういうグロ−バル経済の金融資本主義社会がそうしたリスクを作り出すのであり真面目にこつこつと働いて技術でも改良に改善をつづけているのだから景気が悪くなったり株が上がったり下がったりはしないという人もいる
つまりそうした場は偽りの場であるとみられる
そして陰謀論になって終わるのはそこは巨大すぎてそれを知ることもできないからである

ともかくもうこうした世界市場化しているグロ−バル資本主義経済はつづかない
偽りの経済であり真面目に改良改善と働いている人たちが馬鹿見る世界でもある
富を得るべき人でない人に回って行く世界である
だからやがてそうした金融の世界を信じなくなる
そういうことにかかわる人も信用できなくなる
銀行でも信じられなくなる、そして金すら紙幣すら信用できないとなりインフレになり
紙くず同然になる、そうしてグロ−バル経済は崩壊する
資本主義も終わりとなる、その次は何なのか?
それがこれから模索される、その前に大きく激変するときコロナウィルスとかがあり
その前に津波があり原発事故があった
そういう激動があり次の時代に変わる 



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2020年06月29日

人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


金には私は全くかかわらなかった、第一金を稼いでいないし金は最低限親からもらっていたからである、金を人に呉れたり与えた経験がないからだ
でも金を他人に与えることを経験して不思議だった

その人は最低限の生活である、いつも電気水道がとめられるような最低限の生活である
だからいつも金がたりない、でも要求する時は一万とか二万とかになる
そして5000円とか一万でなく一万5千円とか半端になるときがある
その人はまずその時々に必要な金を要求する、だから高いまとまった金は要求しないのである
今日食べるものも買えないから何千円くれとかにもなる

それで不思議なのはそうしてその時々少なく要求する、5000円だとすると何か私は一万与えたりする、1万5千円だと二万になったりする、それはこまかがないこともある
でもそのくらいいいやとして与える
これは何か人間の心理と関係している
そうして少なく要求する、控えめに要求すると多く与えたい気持ちになる
もし最初から大きい金を三万でも四万でも一気にくれというと与えたくないのである
こまめに少ない金を要求するからこれくらいならいいやとなっている

ところが事業している人で失敗した人の要求する金は百万でもはした金のようになる
軽く一千万でも要求してくるしそれより怖いのは自分の全財産まで世話したから当然のように要求するというより脅迫してきているのである
こういう人とつきあえるのはやはり一千万でもたいした金ではないとなる事業家しかいないのである
だから自分が入院したときその人は近くに住んでいたけど頼らなかったのである
怖くて頼れなかった、事業で失敗しているし多額の借金していたからである
そしたらどれだけの借金を要求されるかわからない恐怖になったからである

でも入院して家を留守にしたとき大金を留守を頼んだ人に盗まれた、それは大金だった
でも全部ではなかった、盗んだ人も全部盗むことを控えたのである
おそらくその人はそうした大金を手にしたことがなかった
実際自分自身も大金を手にして使ったことなどなかった
だから金についてはわからなかったのである

人間は欲深くなることは怖い、欲を控えめにしろ!

これがやはり人間の基本的な教訓なのである、現代はいくらでも欲しいとなる
金でもモノでもなんでもそうである、欲が限りなく増大して歯止がないのである
もちろん最低限の生活している人はただ日々の生活ができればいいというだけである
でも金持ちでもさらに金持ちになりたいとか欲が増大してゆく
それで十億円あっても安心がないという、それが金の性質でありまた人間の欲なのである株などももう何に投資しているかなど関係ない、ただ欲が刺激されて投資する
株が上がるとして金が欲しいというだけで投資している
何かを会社でも何でも育てるという感覚もないのである
ただ欲だけがそこにあるだけなのである、だからかえって損したりすることになる
歯止がきかなくなるからだ

人間の欲は抑えることができないのだからそれを全部おさえろとは言わない
ただ限りない欲を抑えないと危険になる
それは原発事故などの補償金で起きたことである、実際いくらでも欲しいとなり軽く億の金をもらった人がいる、それでも足りないとなり要求する
いくらでももらえるだけもらえとなってゆく
補償金は権利でもらえるのは当然でもその要求がきりなくなるのである

とにかく人間の欲はきりがないし怖い、それが制御できなくなるからだ
原発がこの辺で作られたのもそして事故になったのも欲と関係していたからである
つまり原発は金の成る木だったからである
だからこそ政治家でも官僚でもマスコミでも地元の人でもあらゆる人が群がったのである原発はものすごく欲を刺激するものだったのである
それはそこに黄金の山があると同じだったのである
だからそこに危険性があってもかえりみえることもなくなったのである
つまりその黄金の山に目がくらんでしまったのである

だから人間の欲は怖い、それに歯止めがなくなり遂には殺し合いまでなる
そういうことは人間の歴史が始まって以来繰り返されてきた
人間の基本的な業(カルマ)なのである
だから欲をおさえること控えることを宗教では常に説いてきたのである
でも資本主義の原理は欲を増大させることである
いかに人間の欲を刺激して物を買わせたりすることである
ただ欲というときいいものを作りいい商品を作り売るということは悪いことではない
でも欲には非常に危険なものがある、それが問題なのである
だからすべての欲は否定できない、でも控えめにする、欲を抑えることは必定なのであるそれをしないと人間の争いも問題も解決しないだろう
なぜなら人間の問題は根本的には様々な人間の欲から起きてくるからである 

現代の貧困の問題はいろいろなものがあっても買えないという貧乏になる
これも辛い、目の前にうまいものがあっても買えないという貧困である
前は貧困というときそもそも物がない買いたいものがないとなっていた
今はあらゆるものが欲を刺激するものがあても買えないという貧困になる
だから最低限の生活でも意外と食べものでも選んでいるのである

釣りしている人からカレイをもらった、それは身が厚いものでいいものだった
買ったら2000円くらいするものだった
その半分をくれると言ったら私は青魚が好きだから断った
食べるものがないとしたら普通は断らない、昔の貧乏だったら食べられるものは何でも食べるとなるからだ
その人は前はサシミでもスーパーではなく小売りの魚屋でいいものを買っていたのであるだから今は貧乏人でもそうして食べ物でもいいものを食べている場合がある
ただ最近は果物を食べられないとしているからさらに困窮してきたとなる
私は果物は好きであり贅沢しているからだ
ただ後は別に特別贅沢していることはない、カメラを買ったりしてもそれはプログとかにだすとか仕事の一環として買っているからだ
遊びと言えば遊びだが今や遊びが仕事にもなっている時代だからそれをとやかく言われ事はない時代である

とにかく欲は否定できない、でも私が言っているのはその欲全部を否定しているのではない、体験からもしここに一千万あったら半分の5百万は盗むとかにもなる
また十万を欲しいというとき5万を要求するとか控えめにすることが大事だということである、それが実はあなたの身を救うのである
この辺で起きた問題はきりなく金を要求することになったことである
補償金をきりなく要求してもらう欲が出たことである
それは権利だからまた外からもらうなとは言えないことにも問題があった
でも同じ市内でももらえる人ともらえない人がでてきてもめたのである
そしてそのために一体感はなくなりいがみあうまでになったのである
これはコロナウィルスの給付金でも起きて来る
それはみんな欲が刺激されるからそうなる、もらうことは当然にしてもそこに必ず不公平が生れる、そして争いにもなるから怖いのである

5千円ください⇒一万やってもいいか

二万ください⇒一万ならやる

これが何か人間の心理なのである、多く要求すると少なく与えられ少なく要求すると多く与えられる、それは人間の心理でありまた神に願うときも欲が深くなると与えられないということに通じている、この辺では原発などでとりかえしのつかなくなった事故の原因が原発があまりにも金の成る木であり欲を刺激するものだったからである
そのきりのない人間の欲に対しての罰として原発事故もあったのかともみて書いてきた
とにかく欲深くなった人間がこの辺で多くなっていた
ただそれはここだけの問題ではない、欲は限りなく増大してゆく性質がある
そうなると危険になってゆく、神から罰せられるともなる

資本主義とういのは何かそうして欲を刺激して増大させてゆく原理がある
だからその歯止が必要なのだけどそれがないから危険だともなる
それでコロナウィルスがそうした人間の欲に歯止をかけるものとして現れたのかともみた結果的に中国でも他でも空気がきれいにくなったとか水がきれいになったとかになった
それは人間の活動が極限状態に達していたからだともなる
だからそれをおさえるためにコロナウィルスが現れたのとかもみたのである
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2020年06月06日

資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない (投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない

(投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


この手数料は明確化していない、でも3パーセントとなると銀行にとってはいい商売である

絶対に銀行は損しない商売だからだ!

3パーセントというとき100万だと3万であり1000万だと30万になる
それで何かその1000万をあづけたものを投資信託としてでも国債でも株でも売ると売り買いするとき手数料が入る
だからずっと長くもっていていいものでも売る
それがリーマンショックの時もっていた株が元にもどり上がりはじめていたとき売って
J=REITに回した、その理由は東京の不動産とかオリッピックで上がるからだとしていた
でもリートは一時下がっていた、でも上昇してもうかるようになった
そしてコロナウィルスで半分にも下落したのである

これまでの成績をみるとカナダ国債が石油かとれるのでいいとして買った
なぜカナダなのかも私にはわからなかった
カナダで石油とれていたんだというくらいの認識しかなかった
それが石油が下がり急激に下がった、それで売った、これは失敗だった
ただ一つだけはアメリカのリードは為替差益でかなりもうけた、トランプ大統領になったとき円が安くなったからである

結局何もわからないで銀行にまかせた、第一そういうことが失敗のもとだった
だから自分にも責任がある、ただ銀行とは信用できるものだとばかり思っていたのでる
ところが今ではゆうちょでも農協でも金融となると信用できなくなったのである
だからこの変化も大きいものだった
それで地方のおばあちゃんでもおじいちゃんでも今までの感覚でゆうちょでも地銀でも見ているから失敗する、ゆうちょに銀行にあづけていれば安心だとなっていたからである
そういう時代は夢物語になっていたのである

ただ奇妙なのはコロナウィルス後一週間前だったか株が上がっているからどうですか?

チャートを見せて株をすすめた、でもいろいろあって買う気にもかかわる気にもならなくった
でもその株が上がったのには驚いた、こんな時期にどうしてあがったのか?
富裕そうにはコロナウィルスで庶民が苦しんでも株で大きな利益をプレゼントしたとかいうのもわかる
株は富裕層が大きくもっているからだ
そして株長者も生れる、株とか資本を多くもっている人はさらに大きくもうかるのが資本主義である、それは確かなのである
投資する額が小さいとどうしても利益も少ない、それはギャンブルとにているのだ
大金をかければ大金が入る、一気に大金をかけると百万二百万になり一千万が二千万になる、それはギャンブルなのであり株とかはギャンブルとにているのだ

そもそももうグローバル経済となると見えない世界だからである
ただ金が増えれるか減るかしかわからないからだ
だから運が作用しているとなる
どんなリスクがあるかも先が見えないからだ、石油が下がる、コロナウィルスで世界の経済が縮小する、こうしたリスクは予測できないからだ
そしてコロナウィルスから回復するというのも予測できない
でも回復すると見込んで株が上がったのかというとそうではない
日本で日銀が株を買っているとかアメリカでも国の機関が買っているとかで上がっていて景気とは関係ないのである
一種のマネーゲームと化しているのである

景気をみる指標は銀行にある、銀行に金があまっていても貸す先がない、投資する先がない、つまり新しい会社を起こすとか新しい事業をするとかで金を貸してくれとかないのである
私の家では店をはじめるとき戦後まもなくであり5万円だったかその資金がないので苦労した、それをやっと知人から借りた、銀行では貸してくれなかったのである
でもその後店は繁盛した、だから借りた金は利子をつけて十分に返すことができたのである、そういう時代に金を貸さないのは銀行では見る目がなかったとなる

ただその時は貧乏な時代だから慎重になっていたのかもしれない
高度成長の時代はとにかくそんな小規模の零細な店でも工場でも雨後の竹の子のように出てきた時代だったのである
それで労働力がたりなくなり中卒の金の卵が集団就職したのである
その時どこでも何か起業しても何でも作れば売れる時代だったのである
そういうときは銀行から金を借りて事業を起こすようになる、それで事業でも成功して銀行も貸した金に利子がついて返ってくる
結果的に銀行に貯金した金にも利子がつく、それも高かったのである
銀行ではただ金を集めるだけで良かったのである

つまり株だけでは景気をみれない、アベノミックスは政府に操作された作られた景気であり株しか上がっていない、コロナウィルスでも株が上がっていること自体異常なのであるだからみんなコロナウィルスで苦しんでいる時株だけは上がっているというのはもう経済が機能していないのである
要するに紙幣は紙なのだからいくらでも供給できる
それで景気が良くなったりしないのである、MMTとかの理論も成り立ちようがないというのもわかる
そこに現代の資本主義が限界にきていることを証明している

それで不思議なのはコロナウィルスである、これはグロ−バル経済をとめたことの驚きである、その一番の象徴が航空会社が大損して倒産したとかある
この航空産業こそグロ−バル経済では最も必要としたものだったからである
ばんたりとヒトの流れはとまったのである
それで有名な投資家が航空会社で大損したのである

そしてグロ−バル経済はもう元のように戻らないというときもそうである
国と国も分断される、自由なモノ、ヒトの流れがとまる、国内に回帰する
それとともに何か人々のマインドも変わる、外へ外へと向かったマインドが内へ向かう
鎖国とならないまでも何かそういう傾向になり家でテレワークしたり家で過ごすことが多くなる、外出すらままならいなともなる
そうなると禅僧のように家で瞑想しているともなる
それで家を住みやすくする心地よくする、家です過ごすためのものが売れるようになる
まず家で仕事するにも仕事場が必要であり家の中が快適でないとできないからである

そうなるとIT関係はさらに需要が増える、教育関係でも家で授業を受ける、今でもyoutubeでできる、するといかに効果的に教えるかということで競うことになる
それで人気になればテレビに勤める人のようにわずかでも高収入を得る社会となる
私も子供向けの番組を作りたいがめんどうでできない
それは教材を作ることと同じなのである、熟とかなると場所の問題から人間関係とかいろいろめんどうすぎるのである
ただyoutubeで教材を作るだけだでありそれで収入になるとしたら楽ともなる
ただそこで必要なのは創造力なのである、いかに教えるかは創造力なのである
テレビだとか動画だとわかりやすくなるからだ、それで大衆向きにもなっているからだ
だから専門外でも何かそれなりに知識がつくということがある

いづれにしろ資本主義はもう限界にきている、金融資本主義とかマネーゲームとか世界がギャンブルゲームになるような世界は退廃してくる
道徳無き経済は人間としてありえないからだ、経済は経世済民である
「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「世を經(おさめ)民を濟(すくう)」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。
まさに今コロナウィルスで苦しんでいる人たちがいるのに株が上がり富裕層だけが得しているというの世界は成り立たない、だからアメリカで暴動が起きるし日本でも中産階級が下級民に落ちてくるとき危険な状態になる
今までも格差が危険な状態にあった、さらに危険になり日本でも犯罪が増えて暴動が起きる、それを一身上でも経験したから恐怖なのである
そういう恐怖を富裕層も感じるべきなのである、政府でもそうである
それで自民公明政府も倒れる、そういう兆しが見えてきたからである
そういう大きな時代の変わり目にある、だから予断を許さないのである

posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月05日

地銀は証券会社となりモラル消失 (そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)


地銀は証券会社となりモラル消失

(そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)

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こうなるとたいがい何か銀行でも証券会社でも違反している


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資産防衛の新常識-江幡吉昭


銀行そのものがもう成り立たなくなっていた、社会が変わりすぎたのである
銀行でもゆうちょでも金をあづけていれば利子がついた
一時は7パーセントとかついた時期があった
30年前とか40年前とかそうだった、だからみんな貯金して何の心配もなかった
貯金していれば利子が増えるから貯金の価値は大きかった
そしてその貯金の利率がかなり長く継続していたのである
それで保険ですら二十年前とか親が欠けていた保険がかけた金額より大きな金になって返ってきたのである

今ふりかえるとそれは本当に恵まれていた高度成長時代の夢物語になった
そのとき銀行でもただ貯金を集めれば良かった銀行員は土地のエリートであり公務員と同じだったのである、地方には安定した就職先がないから銀行員となれば固い職業として結婚相手としてはいいとかなっていた
それがまるで変ってしまったのだ
この変わり方も大きかった
どこでも地銀があり郵貯があり村にも郵貯がある、与那国島とかに行って最初に上陸して見たのがゆうちょの支店だった、それは全国津々浦々にゆうちょの支店がある
でもそのゆうちょすら苦境にたたされて詐欺的な保険を売って金融庁から注意された
そして今アメリカの証券会社、ゴールドマンサックなどの助言で危ないジャンク債に巨額の金をつぎこんでいる、一番危ないのが農林中金だとされる
地銀でも投資先がなくそこに金を回している
そこで損失になると日本の莫大な金融資産が奪いとられることになる

私自身は全く金融のことがわからなかった、銀行のこともわからなかった
大学の経済学部出てもなんの勉強もしていなかった
大学の先生が株だけはやるなというのを聞いたことがあったのを覚えている
つまり学者でも株でぱもうけられないからそういったのだろう
でも今は利子がつかないのだから株でも投資でもすすめられるし知らないでいらなれない時代になった、でも経験がないと株など簡単にもうけられないのである

それで十年前に買ったリーマンショックの株が元にもどしてそれから上がっていった
15000円で元にもどしそれから2万以上になり2万4000円にもなった
コロナウィルスでも今26000になっている
だからこれは何なのだろうとなる、景気は悪いのにどうして上がっているのか?
それはアベノミックスの金融の操作であり日銀が株を買っているからだという
実体経済と株が乖離しているからそうなる
つまり紙幣はいくらでも作れる、でもそれで富を産み出せないのである
結局世界で金余りになり投資先がなくなり金の価値が低下する
利子がつくということは儲ける会社がありそこに金を貸すことで銀行がもうかるからだ
そういう会社がないとしたら富を得ることはできないのである

いづれにしろ銀行は今やブラック会社である、その社員もブラック社員ともなる
だから銀行が大学生の就職先として人気だった時代は終わったのである
何かわからない投資信託とかをうりつける手数料商売になったとみられる
それでやめたくなるのもわかる
銀行員だったら信用されたり地位として安定して時代は終わったのである

地銀の営業マンを最初は信用していた、今は信用していない

まず東京の証券市場で働いたというのもわからない、なぜならその投資も何か知識があってしたわけではない、ただ分散投資は基本だとしてもそれすら守らなかった
勝手に説明もなくリーマンショックの時もっていたものをJ=reitに回した

それはなぜか?

転売して手数料をとりノルマを果たすためだったとなる
何回か売ったり買ったりした、すると手数料が入りその収入が大きいとなるからだ
3パーセントとかとると大きいのである
手数料が安い証券会社もあるが地銀とは高いのである

ともかく地銀の営業マンとか地銀そのものが金融の法律に違反していた

赤枠のようなことは普通に今は銀行員でも証券会社でもしているからこれはただ注意しろとかであり法律違反にはなりにくい

それで株が上がった時、何の説明もなくクライアントの承諾もなくJ-reitに回した!

これは法律違反だった、なぜ株が上がっているのに回したのか?
それも客に説明もなく勝手にそうしたのである
確かにオリンピック景気でオフィスとかインバウンド系が土地でも上がるという気分だったことはある
でも株を売ることで「売りますか」と聞くこともなかった
そのことで私はその地銀の営業マンを信用しなくなった
この人は会社のノルマを果たすのが至上命令であり客のことなど考えないことがわかったただ自分にも非があった、自分はめんどうだからその営業マンを信用して地銀を信用してまかしたからである
こうして銀行でも証券会社でもまかせたりしたら本当に危険である
なぜならそうした会社では会社と自分のノルマを果たすことした頭にないからだ

そして奇妙なことはその営業マンを信用しないことで今回助かった
コロナウィルスでJ=reitが半分ほどに暴落したからだ
別に私はその時予想したわけではない、その営業マンを信じられなくなったからである
それは地銀も信じられないとなった
銀行は信用商売だけど株とか投資信託とかreitでもすすめれば信用を失うことになる
ただ銀行はもう商売が成り立たないというとき余裕がない、そこで追い詰められた人間でも会社でもブラック化するのである
つまり銀行自体の役割が喪失してモラルも消失する
すでにそうなっている、だからそうなると地域での役割もないとなる
建築土木関係を見ると川が氾濫して土手が崩れたとかで復旧修理している
それは郷土のために働いていると目に見えている
地銀とか証券会社はなかなかそうして何の役割なのか目に見えてわからないのである
農家だったら食料を作って提供しているとか目に見えてわかるが金融関係はわかりにくいのである

ただ資産を守るにはプロに頼む、でもそれもまた専門化して誰に頼むかもわからない
私の場合は一億以上の富裕層には入っていない、でも頼むにしてもむずかしい
でも頼む人に左右されることは確かである、有能ないい人に当たれば資産活用はうまくいくのである
ただ株とかわかりにくい、今度は株がコロナウィルスでも上がってきたからとすすめにきた、でもそれに乗らなかった、ただその時は確かに買えばあがったのだからすぐに売れば利益になったとはなる
でももうめんどうだから頼まなかった、このように株とか投資信託とかリートとか買うにも売るにもタイミングなのである、それを逃せばもうけられないのである
だから奇妙だけど今回は買いのときにすすめにきたとはなる
このようにめまぐるしく株とか変わるから追いついていけないのである
そんな時間は私にはないからまかせたのである


結局人生は何に時間を費やすかでその人の価値が決まる、投資に時間を費やしていれば株でももうけられる、時間をかけて学び訓練するからである
老人はそういう時間がないのである、老人の問題は時間がないということである
死が迫っていて時間がない、やるべきことはその人の価値を追求したことである
それは私は芸術学問の創作だったとなる、別にこれで金にはならない
でもそこに自分の価値を追及して来たからそれを示すということになる

結局人間の価値は最後は金ではない、その人の価値は何だったのか?
その人の価値は貯めた金で計られるのか?
今ではそうなっているけど価値は多様でありすべて金銭に換算できないのである
一応金には余裕があるとして今それを使えないのである
自転車で長距離も行けないから長距離用の最新のもう一台30万以上で買ってもいいとかなるが第一それだけ旅行する気力も体力もなくなった
登山用の新しいバッグを買ったけどこれも登山できない状態になった
また他にもビデオカメラを買ったが編集とかめんどうだとかできない
youtubeでもしたいとなるがこれもめんどうでできない、ワードプレスも試したが時間がかかるしめんどうでできない、こうして新しいことができないのである

すでに40代のとき、偶然にワープロで通信していて今日に至っている
つまり30年間ITにかわっていたのである、でも通信世界が急激に発達した結果として追いつけなくなったのである
このプログとかでも文章を毎日アップすることが手間なのである
つまり老人なにるといろいろなことができなくる、限界症状が出て来る
だから退職して老後にいろいろなことをしようとしてもできないとなることが多いと思う若い時しかできないことがありその時しないとしたら後はできない
海外旅行などバックパッカーなど若い時することであった
それが50代で自分はした、遅かったのである、その後介護で旅行すらできなくなった
ただ今は人生百年時代だから人生の後半戦が長くなる
それでそこでその人の実力を発揮する人もでてくる、でも若い時にやるべきことやらないと後はできないのが普通なのである

いづれにしろ何かあらゆる仕事でモラルが消失している、それが社会を歪める、金になればいいが至上命令になるとき
本来の役割も使命もなにもない、金と利益の亡者になってゆく、まさにそれは滅びることに亡ぶことに通じている
posted by 老鶯 at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月31日

農業を知らなければ自然も田舎もわからない (今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)


農業を知らなければ自然も田舎もわからない

(今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)

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「鍬ハ国々にて三里を隔ずして違ふものなり」と述べ、各地の特色ある鍬を図示しているが、この中に「若州小浜辺之鍬」「越前敦賀ニ用ル中鍬」が含まれている。鍬は刃と柄の角度が大きく、頭上から打ち下ろして土中深く耕す「打ち鍬」、刃と柄の角度が小さく、土中深く打ち込むのではなく、土を浚え移動させるのに便利な「引き鍬」、その中間で、粘質土に適した「打引き鍬」の三つに分類される


乾田では土が硬くなっているので、まず深さ20cmくらいまでの土を細かく砕く「荒起こし」を行います。その後、深く耕すためには人力による鍬では対応できないため、牛や馬の力を用いる馬耕とセットで奨励されました。
「乾田馬耕」により、収量は倍近くになり、稲刈りの後に麦などを栽培する裏作が可能となりました。

明治後期に入ると馬耕用の犂が使われます。堆肥を田んぼ一面にまいてから、牛や馬に犂を引かせて土を起こします。


年内に全県の112万ムーの土地を「大きく生まれ変わらせる」計画であるという。そして、土地は深く耕すことにより、水と肥料の呼応化を充分に発揮させることができ、収穫量を数十%から100%、数百%も増加させることができると述べた。

これに対して毛沢東は、5月27日八期二中全会で以下のように述べて、全国に長葛県の経験を広めるように呼びかけた。

「一尺五寸の深耕は大きな発明である。長葛の経験は全ての各県に問題を投げかけている。もし長葛県が今年一年で全県の耕地112万ムーで深耕をおこなったとすると、別の県でできないということがあろうか?一年で無理なら二年、二年で無理なら三年、三年で無理なら四年、四年で無理でも五年ならできるだろう!」

《若干重大决策与事件的回~・t,薄一波著,中共党史出版社,2008-1 


今の機械では土は深く掘れない
牛馬で鋤で掘りおこしたとき深く掘れた
何か機械の方が深く掘れると思った、だから意外だった、土を耕す掘るということは土作りに不可欠である、土を掘ってまぜるとかで土作りになる
農業の基本は土作りである、それは花でもそうなのである、土が良くなかったら花すら咲かないのである
深耕という言葉が何かひびくものがある、文化がcultureでありcultivateが基である
つまり文化というのは農業から土を耕すことから生まれたのである
俳句の季語でも農業から生まれているからである
だから本当は農業を知らないと俳句すら理解できないとなる
つまりこうして文化の基は農業にあった、ところが肝心の農業を知ることは容易ではない田舎に住んでも今は農業している人は一割にもみたない
農業がいかに苦労が多く様々な技術も必要であり道具も必要であり知識の範囲も広いのである
だから農業の世界は奥深いし簡単に知ることはできないのである

ただ自然を知りたいなら農業を実地ですれば体で自然を知ることになる
私の場合はただそうして外から見ているだけであり実地に体で知りえないのである
ただ実地でわずかの畑で野菜作りしている女性から聞いた話で興味をもったのである
ただそこではほとんど何もとれなかった
そこで道具代から肥料代から苗代から薬から金ばかりかかっただけである
正直十倍の金はかかり収穫はほとんどなかった
ただ農業の苦労話を聞いただけである、ただそれでも農業とはどういうものか実地に知るということがあった、その知るために金を払ったともなる

私のように自然を実際の農業をするのではなく何か芸術的に精神的なものとして見る
それでは本当の自然がどういうものか体得することはできない
農業を実地にして実りを得ている人は実地に自然を体得している
ただ農業していたら何か文章書いたり知的なことはできなくなる
それだけ手間であり体力も使うからである、とても家事から何から一人ではできない
要するに人間はあらゆることに通じることができない

でも田舎に住んでいて農業を知らないということは肝心なことが欠けているのだ
それで浪江町の東電に電気関係で働いていた人が回りは草ぼうぼうでも何の関心もない
それで東電で働いて金を残したとか全く田舎に住んでいて農業に関心もない
それで周りが草ぼうぼうでもなんとも感じていない、東電の社員であり農業とは関係なく住んでいたからこの人は全くの都会人になっていたのである
だから田舎に住んでも今や仕事は農業ではないとしたら農業のことはわからない
戦前では8割が農民だったとかあり戦後も引揚者が農業するために開墾に入った
そういう場所がすぐ近くに残っていた、現実にそういう人を子供の時知っていた
つまり戦後焼野原になったとき仕事は農業するほかなかったのである
その後十年くらいして電器製品が売れて高度成長時代になったのである

例えば田んぼがあるとして田んぼに水を張ることで稲作が飛躍的に発展した
つまり田んぼに水を張るということが様々な効用があり稲をとるのに進化した形態だった水の効用でそうなった、その前は乾田であり陸田とか陸稲だったりしたからだ
つまり農業というのは道具でもそうだが絶えず進歩してきたのである
だから本当は人間は自然をしるためには農業を知ることが不可欠である
でも田舎に住んでいても田畑に囲まれていても実際に農業を知っている人は少ないのである、そもそも農業を仕事にしなくなったからである

毛沢東が農業を指導していたからこそ農民の心を知ったとなる
つまり農業の実地の指導者でなければまた国家の指導者でもありえなかったのである
そこに毛沢東の偉大さがあったがそれは農業をしていないと理解できなとなっていた
それは中国は農業国家だからそうなっていたのである
でもその後工業国家になったときやはり農業が軽んじられるようになった
それは世界的に共通している

とにかく深耕というとき何かこの言葉に魅かれる、深く耕すとはあるゆることに言える
あらゆるものは深く耕してその知識でも技術でも深めてゆく進歩させてゆくものだからである

富める者は、必ずといってもよいほど、その前から徳を積んだものである、もし麦を蒔かなかったら、来年は麦がまったく実らない。麦の実りは冬から力を入れてきたからである稲を仕つければ秋には実る。米の実りは、春から丹精して(心を込めて励んで)きたからである

こういう思考は農業を実地にしていなければ生まれないのである

音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)を繰り返しつつ(二宮尊徳)

二宮尊徳には芸術的に見ていない、自然には音もあり香もある、天地の経を読むということは天地を知ること土を知ること自然を知ることが農業だったからである
人間とは絶えざる努力なのである、今あるものは田んぼすら水を張るということが先人の工夫として生まれたのである、だからそうした歴史を知ることがあらゆることで人間を知ることなのである

おそらく江戸時代から明治維新でも工業化しても戦後十年でも依然として農業が基本でありそこから文化が生まれていたのである、工業でも道具を作ることで農業と結びついていたのである
だから現代が農業から心でも離れたという時、小高の人は親が農業していたが金にならないので農業だけはするなと殴られたという、つまりそのことはいかに農業というのが農家自身で苦労が多いだけとなって捨てたのである
でもその時何が起きたのか?原発に農業を捨てた子供は働くようになった
そのことで空気も水も土を汚染されて故郷に住めなくなったのである
自然を守るとういが実は実際に自然で生活している人がいて守られるということがある
狩猟でも動物をとるのは殺生だとするがそこで動物とも自然とも深く交わる術を学ぶのは農業と同じなのである、そういう生活から人間は都市人間は離れすぎてしまった
自然という時何か自分自身がそうなのだけど表面の美だけを見たりしている   

実際は自然の中で食料でもいろいろ自然を活用したとき自然を知るのである
自然を守るとういうが森林でも外材に頼り肝心の自国の木材を利用しないとき枝打ちとかしなくなり森林は荒れてしまったのである
だから自然を守れとか景観を守れというが自然と深く交わるには自然の中で生活して自然を利用して活用する時自然を知るとなる
そういうことが第一田舎に住んでいる人さえなくなっていたのである
それは自分のように表面的にだけ自然を風流として見ているものも同じである
何かそういうことから自然を知るといってもそれは観念的になる
ただ正直農業をするということは体力的にきついから知的な仕事をするとなると両方を兼ねることはむずかしくなるのである

posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月30日

見えない貧困の問題―分断される社会 (ローマの奴隷の方が恵まれていた?)


見えない貧困の問題―分断される社会

(ローマの奴隷の方が恵まれていた?)

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絶望令和の貧困を語ります。(中村敦彦)

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クリック拡大、デュラント(世界の歴史)



あらゆることを考える時必ず歴史をふりかえり考えると見えてくるものがある
映画とかで見るとローマの奴隷など過酷だとみる
剣闘士にされて戦わせられたりただ残酷にしか見えない
でも現実はどうだったのか時代が過ぎるとわからなくなる
まず奴隷制度ができたのは人間の進歩だったとされる
なぜなら戦争に負ければ皆殺しにされた、でも奴隷として生かされたことは進歩だったとなる

だからこのデュラントの指摘も歴史の見方としてあるのかなと読んだ
なぜこのように主人と奴隷が同じ人間として遇されたのか?
そしてむしろ奴隷というより家族の一員のようになったのである
これに興味をもったのは人間の歴史では必ず富裕な者がいて貧しい者がいる
また地位の高いものがいて低いものがいる
強い者がいて弱い者がいる、今でも上級国民と下級国民がいる
それで上級国民のことを下級国民はうらやましがり責める
ただ社会が変化するとそうした差も変わるのでわかりにくくなる

現代では奴隷などいない、みんな自由であり差別はないとなりいい社会だとなる
ところがこのデュラントの奴隷について語ることにも共感するのである
それは人間というものがどういうものか?
いくらそこに金持ちとか身分の差があっても同じ屋根の下でまた家族のように生活していれば自ずと情愛が生まれる
それは別にローマだけではない、現代で不思議なのは江戸時代であれその前でもやはり身分差があって侍の家に仕える人たちがいた
また身分の高い者に仕える臣下がいた、でもそういう人たちでも一緒に生活することで
忠義の心が育まれていた、殿様の子供の乳母(めのと)となり家臣が育てることで家族のようになり忠義の心を育てることに役立った
そこには身分差があっても対立するだけではなかった
ここが現代で理解できなくなったのは現代というのはまずそうした協働性とか共同体が喪失したためだろう
それは封建制時代までであり日本でも明治維新からは資本主義になりそうした人間が情愛で結ばれるということが消失していった

ただ人間関係の歴史を外国でもヨ−ロッパでも貴族と召使階級があり召使が認められた仕事だった、それでチップ制が生れた、なぜチップを払わなければならないのか日本人に理解できないからである
ヨ−ロッパには明確な階級制がありそれが今日でもつづいているともなる
なぜこのことに興味をもつようになったのか?
それが自分の家に他人を入れて多少働いてもらうようになった経験からである
日本でも戦前は女中がいた、家事手伝いである
中産階級でも女中を二人も必要としていたと女中が女性の仕事であった
私の母は東京で女中の仕事をしていた
女中は女性の勤めさきとしてあった、そして今女中という言葉も死語となり差別語となった

今はお手伝いさんとかはいる、でもそもそも家の中で働くということはなくなった
その原因が家事が機械化したことである、それで私は全部家事も一人でしてこうして毎日プログに文を書いている
それを全部一人でできるのはパソコンとか通信の発達とか家事の機械化でできている
だから別に女中をお手伝いさんを雇う必要もないのである
ただ一人だから話し相手として来る女性がいる
それでその人が貧乏なので金だけ要求されるともなる
もし戦前のようだったらまず家事に追われて何もできない、勉強も文章書くことすらできない、家事に追われていた、第一米を炊くだけで洗濯するだけでどれだけの労力が必要だったかを知ればわかる
人間が電気を使いそういう労働から解放されたのである

ただではなぜ人間は必ずしもローマ時代の奴隷とかまた身分差があっても仕える人と比べて何か不幸なのか、かえって恵まれていないのか?
それは貧困とかが貧しい人が見えなくなったのである
それよりシステムで見えなくさせられたのである
だからこの貧困をテーマにして取材している作者でもそのことを言っている
つまり上層の人と下層の人は交わらなくなった
実は上層の人と下層の人はどうしてしも家事労働が重荷となっていたから下層の人を雇うことがあったが今は機械がするからなくなった
そこでかえって人間と人間のつながりが消失したのである
そこにかえって分断が生まれたのである

人間というのはいくら金持ちでも上層でも一緒に生活していれば必ず情愛が生まれる
その情愛があって忠義が生れたり奴隷でも家族のように扱われたとういことがある
現代はかえってな上層と下層は分離してそこに対立しかないともなる
そして貧困が見えない、貧しい人がいても見えない社会になった
生活保護者は生活保護者として区別されて分離されて隔離されて暮らしている
これは意外と危険なことになる、社会が分断されるとそこにかえって対立が露わになり
貧しい人たちが上層を襲う暴動が生れるとされるのもそうである
そして現代の価値観は金さえあればいいしかなくなった
だからたとえお手伝いさんとか雇ったとしても非常に危険なのである
戦前でも女中がいたし封建時代の江戸時代でも上の者と仕える者でも情愛で結ばれていたとかあり忠義の心があった、しかし今はない
それで金さえあればそんな上も下もない時代である
するとそうして家族の中に入ってくるとどうなるのか?
主人がいないとき金を盗むことしか頭になくなって屋探して盗むことしかないとなる
だから現代ではいかに家に入れることが危険なのかわかる
ただ裕福な家でももともとそうしてお手伝いさんを雇っていた金持ちの家はそうして家で働くことで信頼されていたからできる
それが普通の家ではできないのである

とにかく現代というのはまず情に欠けた社会である、そして貧乏が見えないという時、
機械が労働者となり奴隷というときシステム化された奴隷ともなる
いろいろな下働きでも時給いくらとかなるのは下働きでありでもシステム化してそういう人たちは奴隷ではない、でもその人たち現代の奴隷なのかもしれない
良く俺は社畜なんだよなとか言うのそうである
現代にも奴隷制があるがかえって過酷だともなる
なぜなら機械化ロボットのように扱われているからだ
むしろ戦前であれ江戸時代であれローマ時代であれ人間には情があるから情として通じるものがあり奴隷にも情愛が生れていたから奴隷が一概に不幸だったともならない
それはあくまでも比較でそうなる、ただ歴史の現実は今と比べてもわからない
むしろ現代の方が情が消失して過酷だともなっている

上層の人たちが下層の人たちと交わらない社会は社会が分断されることであり危険になる互いに人間として理解できなくなりそうしているうち対立が深まり不満が大きくなり暴動にもなる
そして現代は金が唯一の価値とするとき下層が成り上がるには株とかまたFXとかの博打のようなものにで一攫千金を試みほかないのである
でも株でも元金がないと資本主義ではもうけられない
意外と自分で株を投資信託でもしてわかったことは大きな金があれば増えやすいということである、失敗があるにしても大きな元手があると増える金も大きくなる
金が金を増やすのが資本主義のルールなのである
だから金持ちはより金持ちになり貧乏人はいつまでも貧乏から這い上がれないのである
それがいづれ限界にきて暴動が起きると予測できるので実は上層にとっても金持ちにとってもいいことではないのである
治安も悪くなり南米のように金持ちは子供が誘拐されて身代金を要求されるとか安心して暮らせなくなるのである

このyoutubeで貧困のことが実際の取材をして語っているからリアルである
何か不思議なのはyoutubeで語るのと本で読むのとは違っている
何かわかりやすくなる、だから本だけから人は理解できないと思った
その人の経験したことを語るには何かささいなことでもつまらないと見えることでもyoutubeでは語られるから身近になる
この人は本を相当だしている、でも読んだこともない、でもこうしてyoutubeで語ると身近になるのである
だからこれから本の作者もyoutubeで語る時代だとなる
ただそこで金をもらえるのかとなると相当数登録者を得ないと無理である
でも本だとなかなか読むことが抵抗があってもyoutubeだと気軽に見れるのである
ただ何か深く考察するには本を読むのがいい、私の場合は深く考察するから文章の方がいいししゃべるのが苦手なのでこうして毎日ブログで書いているのである

posted by 老鶯 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題