2020年07月06日

SBI証券が大東銀行の株を取得 (福島銀行と同じようになるのか)


SBI証券が大東銀行の株を取得

(福島銀行と同じようになるのか)

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週刊東洋経済7月11日の記事にこれが出ていた
これは予測されたことだったかもしれない、福島銀行がSBIの笠下に入ったからである
SBI福島銀行となり福島銀行の支店がSBIとなれば証券には詳しいのだから当然SBIの証券を売りやすくなる

そもそも今地銀がしていることは証券会社と同じようになっている
そのことを私自身が大東の営業の人がきて金融商品を外国の国債とかUS-REITとかJ-REIT
などを買った経過などを報告した
何か今地銀は証券会社と変わりないのである
様々な証券を売って手数料を稼ぐことだからである
その収入が意外と大きいのである、なぜなら手数料が3パーセントということは額が大きくなると大きな収入になるし確実にもうけになる
そして地銀では絶対に損しないいい商売なのである
みずから投資すれば株を買っても損があるが客に買わせれば別に損することはないからである、損したとしても

客が悪いのであり銀行が悪いとはならない

なぜなら様々な状況で株が上がったり下がったりするからそれは銀行のせいではないとなる
でもどうしても地銀を通して営業するからその営業する人を信頼できなくなる

つまり証券とか株を知らないのだから営業の人に頼る、ところが営業の人が客にもうけさせることを考えているわけではない
また適切なアドバイスをしてくれるとは限らないからだ

結局株でも証券でも自己責任になる

地銀では一切損しないし手数料だけはもらう

だからこの商売は銀行にとってはいいものなのである

それでリーマンショックの時買っていた株が元に戻したで上がりつつあったとき売った
それ以来不信になった、J-reitにその金を回したからだ
その時分散投資と言っていたがそれを守らなかった
ただ株でも証券でも金融商品は売ったり買ったりして手数料が入るのが商売になる
その手数料が高いと客では困るのである

それで奇妙なのはこういう経過がありJ-reitを地銀の営業の人を信用できなくなり一月に売った、何か人が介在するとその人が問題になる
実際は責任は客が負うのだが地銀でもかかわればそこに責任があるとも見てしまうのである、それはもともと銀行は信用できるものとしてあったから今までの見方ではそうなっていたのである、それでゆうちょでも地銀でも経営が苦しくなって保険でも人をだますようなものまで売るようになって問題になった
また収益が得られないからアメリカのCLOとかの危ない金融商品を大量に買っている
それが失敗すると大損になる、農林中金が一番危ないとしているからだ

ただ今回のコロナウィルス騒動で地銀でも積極的に融資しているという、銀行はバブルの時期にあこぎなことをしていた、それで評判を落とした
今回は政府でも支援するから融資しているという、でもそれが不良債権になることを心配している

いづれにしろ地銀のしていることは証券会社と変わりなくなっていた
それならSBI証券の笠下に入り指導された方が証券でも売り安いとなる
なぜなら手数料が安くなるからである、そして証券の専門だから地銀より詳しいからである、地銀はそもそも支店長すら証券のことは知らないと言っていたこからである
それでどうして経営できるのかとなっていたのである

ただ何か銀行でも預金封鎖があるとか財産税があるとか貯金するなとかいろいろ言うので心配になる、それだけ日本の経済が逼迫しているからそうなる
でも何か方法があるのかとなるとなかなかないのである
それで金と銀の投資熱が高まる、それはなぜだろうとなると単純に考えれば紙幣はしょせん紙切れでしかない、金と銀は紙切れではない、貨幣でも紙きれではないから価値になるそもそも貨幣とは貨幣自体に小判のように価値があるものだった
だからそういう貨幣の原点にもどるのくかともみた

もともと金が一番貨幣として価値がありその金があってこそ担保になり銀行が生れた
でもとうして紙幣が生れたかとなるとその金自体を貨幣にするのではなく、金がただあるということでそれを信用にして金との交換証書を作る、それが紙幣になったといういきさつがある
だから金こそが一番貨幣としてふさわしいものだったのである
銀もそれとにているがこれはかなりの量になるから問題がある
でもこれも銀自体に価値があるから今人気になっている

とにかく大東銀行には貯金しているから不安になる、ただSBI証券と共同になることは予測されていた、第一実際今大東銀行のしていることは証券会社と同じになっているからだただ投資先が地元だといっても客からみれば証券会社と同じでありそれなら専門の証券会社の方がいいとなってしまうのである
結局もう地銀の役割は喪失していた、ただコロナウィルスで積極的に地元の会社に融資しているということで株が上がった、頼りにされる存在となった
でもそれでもうけがでない、不良債権化するとなるとさらに苦しくなる
だからSBI証券と共同するようになるというよりその笠下に入って当然だったとなる
それが金融庁が後押しするとなれば余計にそうなる
だからもうこれは避けられないとみる
ただ一面に大東銀行が出て来た記事には驚いたのである

posted by 老鶯 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月04日

投資は一貫性とルールが必要? (リスクが多く素人はついていけない金融世界)


投資は一貫性とルールが必要?

(リスクが多く素人はついていけない金融世界)


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J-REIT

jreitcc1.jpg

私は一月に売ったから損しなかった
トータルでは損しなかった


私は全く投資など素人であり知らない、ただ貯金していてもしょうがないから利子もつかないから投資したのである
だから銀行員の営業の人にまかせた、また自分にはそこにかかわる時間がないからそうなった
でも何だかわかないけど最初は分散投資すればいいと言ったしそうれはいいのかと素人でも納得した

それでカナダの国債が石油がとれるのでいいとして買った、だか石油の値段が下がり急激に評価が落ちて大損するところだった、実際は損した
ただUS-REITはトランプ大統領になったとき円安になり上がったもうけた

そして一番の失敗はリーマンショックのとき半分になった株が元にもどりあがっているとき営業の人がJ=REITにその株を売って回した
そのまま持っていれば株は上がっていたのである

それ以来営業の人を信用できなくなった                            

それでJリートを一月に売ってくれと言って売った
そしたらコロナショックで急激にJリートが下がったのである
これには助かったと思った
だからトータルでは損はしていなかった

ところが今度は営業の人が株が上がってきたからチャートを見せて買いと言われた
そしたら株が今度は上がってきたのである
こんなコロナウィルス騒動の中に株だけは上がっているのも理解できないのである
でもこれまでの経過でその営業の人が信頼できなくなり断った
なんかこのようにいろいろあってめんどうになったしリスクがありすぎる世界だと思うようになったからだ

結局この経過をみると何かここには投資のルールも一貫性もないのである
分散投資はルールにしてもそれなかった、ゆきあたりばったりで買わせているだけなのかとも見た
なぜそうなるのかとなるととにかく営業している人にはノルマがあり売ったり買ったりさせるのがいいからだともなる
営業の人が何か金融商品を買わせればその時手数料が大きいのである
だからいろいろな商品を買わせるしまた転売もさせる

でも分散投資がルールとなれば悪いということにはならないのである
でもこんなにリスクをる世界が投資だとすると普通の人は簡単にできない
そして最近もってきたのが外国のアメリカの保険だったのである、これも為替の影響が大きいとかなり批判的であり金融庁でも警告していた
だからこうしていろいろな金融商品をもってきても普通の人は素人は理解することがもうできないのだ

ただ常にリスクの恐怖だけがある!

ここにルールも一貫性もないのである、では貯金が安心なのか?
その貯金が今一番安心がないという、インフレになるとか預金封鎖とか財産税がとられて一番危険だとかいう、また国債も安全資産だと思ったらそれも一番危ないとしている
ゴールドを買いとか銀を買えとも言う
つまり紙幣は紙きれになり実物資産が価値がある、不動産も価値がある
でもその実物資産にしても食料を備蓄しろといっても限度がある
だから安全資産はない、方法がないというのが現実なのかとなる

ただ銀行とか証券会社の人に頼むにも頼めないのである
なぜならその人たちは自社の利益優先であり客の損になるものでも銀行が利益になればいいとなるからだ

一体こういう世界は何か誰も信用できない!

普通は何か物を買うにしても製品を買うにしてもその製品がいいとか壊れないとか信頼して買う、日本製品はそれでせれで世界から信用されて高度成長時代を築いたのである
何かリスクがあってその製品の価値がなくなるということはないのである
電器製品でも車でもカメラでも何でもその価値はリスクに作用されない
それより今の住宅は地震に強くなったとか価値がリスクに強くなり高くなっているのだ
だからこれほどリスクに左右される世界についていけないともなる

ただ思わぬリスクはコロナウィルスのようにあるからそれをさけることができない
津浪や洪水や原発事故や何かとリスクはある
でもこうしてめまぐるしいリスクに左右され翻弄される金融市場についていけない
ただ不安と不信と心配ばかりの世界であり精神不安を増大させるだけである

リスクというとき農業には天候に左右されるからリスクがある、何かしらリスクがある
だからリスクのない世界はないともなる
でも金融の世界は天候のようにやむをえないものでなくて人為的に作られたリスクにもなる
株価なども人為的に操作されている、グローバル株式市場は世界をの博打場だというときもそうである
株の上げ下げを操作して莫大な利益をあげている一部の国際金融資本家がいるとしてしいるからだ、そこに莫大な富が集中するシステムである

それでそもそもそういうグロ−バル経済の金融資本主義社会がそうしたリスクを作り出すのであり真面目にこつこつと働いて技術でも改良に改善をつづけているのだから景気が悪くなったり株が上がったり下がったりはしないという人もいる
つまりそうした場は偽りの場であるとみられる
そして陰謀論になって終わるのはそこは巨大すぎてそれを知ることもできないからである

ともかくもうこうした世界市場化しているグロ−バル資本主義経済はつづかない
偽りの経済であり真面目に改良改善と働いている人たちが馬鹿見る世界でもある
富を得るべき人でない人に回って行く世界である
だからやがてそうした金融の世界を信じなくなる
そういうことにかかわる人も信用できなくなる
銀行でも信じられなくなる、そして金すら紙幣すら信用できないとなりインフレになり
紙くず同然になる、そうしてグロ−バル経済は崩壊する
資本主義も終わりとなる、その次は何なのか?
それがこれから模索される、その前に大きく激変するときコロナウィルスとかがあり
その前に津波があり原発事故があった
そういう激動があり次の時代に変わる 



posted by 老鶯 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月29日

人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


金には私は全くかかわらなかった、第一金を稼いでいないし金は最低限親からもらっていたからである、金を人に呉れたり与えた経験がないからだ
でも金を他人に与えることを経験して不思議だった

その人は最低限の生活である、いつも電気水道がとめられるような最低限の生活である
だからいつも金がたりない、でも要求する時は一万とか二万とかになる
そして5000円とか一万でなく一万5千円とか半端になるときがある
その人はまずその時々に必要な金を要求する、だから高いまとまった金は要求しないのである
今日食べるものも買えないから何千円くれとかにもなる

それで不思議なのはそうしてその時々少なく要求する、5000円だとすると何か私は一万与えたりする、1万5千円だと二万になったりする、それはこまかがないこともある
でもそのくらいいいやとして与える
これは何か人間の心理と関係している
そうして少なく要求する、控えめに要求すると多く与えたい気持ちになる
もし最初から大きい金を三万でも四万でも一気にくれというと与えたくないのである
こまめに少ない金を要求するからこれくらいならいいやとなっている

ところが事業している人で失敗した人の要求する金は百万でもはした金のようになる
軽く一千万でも要求してくるしそれより怖いのは自分の全財産まで世話したから当然のように要求するというより脅迫してきているのである
こういう人とつきあえるのはやはり一千万でもたいした金ではないとなる事業家しかいないのである
だから自分が入院したときその人は近くに住んでいたけど頼らなかったのである
怖くて頼れなかった、事業で失敗しているし多額の借金していたからである
そしたらどれだけの借金を要求されるかわからない恐怖になったからである

でも入院して家を留守にしたとき大金を留守を頼んだ人に盗まれた、それは大金だった
でも全部ではなかった、盗んだ人も全部盗むことを控えたのである
おそらくその人はそうした大金を手にしたことがなかった
実際自分自身も大金を手にして使ったことなどなかった
だから金についてはわからなかったのである

人間は欲深くなることは怖い、欲を控えめにしろ!

これがやはり人間の基本的な教訓なのである、現代はいくらでも欲しいとなる
金でもモノでもなんでもそうである、欲が限りなく増大して歯止がないのである
もちろん最低限の生活している人はただ日々の生活ができればいいというだけである
でも金持ちでもさらに金持ちになりたいとか欲が増大してゆく
それで十億円あっても安心がないという、それが金の性質でありまた人間の欲なのである株などももう何に投資しているかなど関係ない、ただ欲が刺激されて投資する
株が上がるとして金が欲しいというだけで投資している
何かを会社でも何でも育てるという感覚もないのである
ただ欲だけがそこにあるだけなのである、だからかえって損したりすることになる
歯止がきかなくなるからだ

人間の欲は抑えることができないのだからそれを全部おさえろとは言わない
ただ限りない欲を抑えないと危険になる
それは原発事故などの補償金で起きたことである、実際いくらでも欲しいとなり軽く億の金をもらった人がいる、それでも足りないとなり要求する
いくらでももらえるだけもらえとなってゆく
補償金は権利でもらえるのは当然でもその要求がきりなくなるのである

とにかく人間の欲はきりがないし怖い、それが制御できなくなるからだ
原発がこの辺で作られたのもそして事故になったのも欲と関係していたからである
つまり原発は金の成る木だったからである
だからこそ政治家でも官僚でもマスコミでも地元の人でもあらゆる人が群がったのである原発はものすごく欲を刺激するものだったのである
それはそこに黄金の山があると同じだったのである
だからそこに危険性があってもかえりみえることもなくなったのである
つまりその黄金の山に目がくらんでしまったのである

だから人間の欲は怖い、それに歯止めがなくなり遂には殺し合いまでなる
そういうことは人間の歴史が始まって以来繰り返されてきた
人間の基本的な業(カルマ)なのである
だから欲をおさえること控えることを宗教では常に説いてきたのである
でも資本主義の原理は欲を増大させることである
いかに人間の欲を刺激して物を買わせたりすることである
ただ欲というときいいものを作りいい商品を作り売るということは悪いことではない
でも欲には非常に危険なものがある、それが問題なのである
だからすべての欲は否定できない、でも控えめにする、欲を抑えることは必定なのであるそれをしないと人間の争いも問題も解決しないだろう
なぜなら人間の問題は根本的には様々な人間の欲から起きてくるからである 

現代の貧困の問題はいろいろなものがあっても買えないという貧乏になる
これも辛い、目の前にうまいものがあっても買えないという貧困である
前は貧困というときそもそも物がない買いたいものがないとなっていた
今はあらゆるものが欲を刺激するものがあても買えないという貧困になる
だから最低限の生活でも意外と食べものでも選んでいるのである

釣りしている人からカレイをもらった、それは身が厚いものでいいものだった
買ったら2000円くらいするものだった
その半分をくれると言ったら私は青魚が好きだから断った
食べるものがないとしたら普通は断らない、昔の貧乏だったら食べられるものは何でも食べるとなるからだ
その人は前はサシミでもスーパーではなく小売りの魚屋でいいものを買っていたのであるだから今は貧乏人でもそうして食べ物でもいいものを食べている場合がある
ただ最近は果物を食べられないとしているからさらに困窮してきたとなる
私は果物は好きであり贅沢しているからだ
ただ後は別に特別贅沢していることはない、カメラを買ったりしてもそれはプログとかにだすとか仕事の一環として買っているからだ
遊びと言えば遊びだが今や遊びが仕事にもなっている時代だからそれをとやかく言われ事はない時代である

とにかく欲は否定できない、でも私が言っているのはその欲全部を否定しているのではない、体験からもしここに一千万あったら半分の5百万は盗むとかにもなる
また十万を欲しいというとき5万を要求するとか控えめにすることが大事だということである、それが実はあなたの身を救うのである
この辺で起きた問題はきりなく金を要求することになったことである
補償金をきりなく要求してもらう欲が出たことである
それは権利だからまた外からもらうなとは言えないことにも問題があった
でも同じ市内でももらえる人ともらえない人がでてきてもめたのである
そしてそのために一体感はなくなりいがみあうまでになったのである
これはコロナウィルスの給付金でも起きて来る
それはみんな欲が刺激されるからそうなる、もらうことは当然にしてもそこに必ず不公平が生れる、そして争いにもなるから怖いのである

5千円ください⇒一万やってもいいか

二万ください⇒一万ならやる

これが何か人間の心理なのである、多く要求すると少なく与えられ少なく要求すると多く与えられる、それは人間の心理でありまた神に願うときも欲が深くなると与えられないということに通じている、この辺では原発などでとりかえしのつかなくなった事故の原因が原発があまりにも金の成る木であり欲を刺激するものだったからである
そのきりのない人間の欲に対しての罰として原発事故もあったのかともみて書いてきた
とにかく欲深くなった人間がこの辺で多くなっていた
ただそれはここだけの問題ではない、欲は限りなく増大してゆく性質がある
そうなると危険になってゆく、神から罰せられるともなる

資本主義とういのは何かそうして欲を刺激して増大させてゆく原理がある
だからその歯止が必要なのだけどそれがないから危険だともなる
それでコロナウィルスがそうした人間の欲に歯止をかけるものとして現れたのかともみた結果的に中国でも他でも空気がきれいにくなったとか水がきれいになったとかになった
それは人間の活動が極限状態に達していたからだともなる
だからそれをおさえるためにコロナウィルスが現れたのとかもみたのである
posted by 老鶯 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月06日

資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない (投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない

(投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


この手数料は明確化していない、でも3パーセントとなると銀行にとってはいい商売である

絶対に銀行は損しない商売だからだ!

3パーセントというとき100万だと3万であり1000万だと30万になる
それで何かその1000万をあづけたものを投資信託としてでも国債でも株でも売ると売り買いするとき手数料が入る
だからずっと長くもっていていいものでも売る
それがリーマンショックの時もっていた株が元にもどり上がりはじめていたとき売って
J=REITに回した、その理由は東京の不動産とかオリッピックで上がるからだとしていた
でもリートは一時下がっていた、でも上昇してもうかるようになった
そしてコロナウィルスで半分にも下落したのである

これまでの成績をみるとカナダ国債が石油かとれるのでいいとして買った
なぜカナダなのかも私にはわからなかった
カナダで石油とれていたんだというくらいの認識しかなかった
それが石油が下がり急激に下がった、それで売った、これは失敗だった
ただ一つだけはアメリカのリードは為替差益でかなりもうけた、トランプ大統領になったとき円が安くなったからである

結局何もわからないで銀行にまかせた、第一そういうことが失敗のもとだった
だから自分にも責任がある、ただ銀行とは信用できるものだとばかり思っていたのでる
ところが今ではゆうちょでも農協でも金融となると信用できなくなったのである
だからこの変化も大きいものだった
それで地方のおばあちゃんでもおじいちゃんでも今までの感覚でゆうちょでも地銀でも見ているから失敗する、ゆうちょに銀行にあづけていれば安心だとなっていたからである
そういう時代は夢物語になっていたのである

ただ奇妙なのはコロナウィルス後一週間前だったか株が上がっているからどうですか?

チャートを見せて株をすすめた、でもいろいろあって買う気にもかかわる気にもならなくった
でもその株が上がったのには驚いた、こんな時期にどうしてあがったのか?
富裕そうにはコロナウィルスで庶民が苦しんでも株で大きな利益をプレゼントしたとかいうのもわかる
株は富裕層が大きくもっているからだ
そして株長者も生れる、株とか資本を多くもっている人はさらに大きくもうかるのが資本主義である、それは確かなのである
投資する額が小さいとどうしても利益も少ない、それはギャンブルとにているのだ
大金をかければ大金が入る、一気に大金をかけると百万二百万になり一千万が二千万になる、それはギャンブルなのであり株とかはギャンブルとにているのだ

そもそももうグローバル経済となると見えない世界だからである
ただ金が増えれるか減るかしかわからないからだ
だから運が作用しているとなる
どんなリスクがあるかも先が見えないからだ、石油が下がる、コロナウィルスで世界の経済が縮小する、こうしたリスクは予測できないからだ
そしてコロナウィルスから回復するというのも予測できない
でも回復すると見込んで株が上がったのかというとそうではない
日本で日銀が株を買っているとかアメリカでも国の機関が買っているとかで上がっていて景気とは関係ないのである
一種のマネーゲームと化しているのである

景気をみる指標は銀行にある、銀行に金があまっていても貸す先がない、投資する先がない、つまり新しい会社を起こすとか新しい事業をするとかで金を貸してくれとかないのである
私の家では店をはじめるとき戦後まもなくであり5万円だったかその資金がないので苦労した、それをやっと知人から借りた、銀行では貸してくれなかったのである
でもその後店は繁盛した、だから借りた金は利子をつけて十分に返すことができたのである、そういう時代に金を貸さないのは銀行では見る目がなかったとなる

ただその時は貧乏な時代だから慎重になっていたのかもしれない
高度成長の時代はとにかくそんな小規模の零細な店でも工場でも雨後の竹の子のように出てきた時代だったのである
それで労働力がたりなくなり中卒の金の卵が集団就職したのである
その時どこでも何か起業しても何でも作れば売れる時代だったのである
そういうときは銀行から金を借りて事業を起こすようになる、それで事業でも成功して銀行も貸した金に利子がついて返ってくる
結果的に銀行に貯金した金にも利子がつく、それも高かったのである
銀行ではただ金を集めるだけで良かったのである

つまり株だけでは景気をみれない、アベノミックスは政府に操作された作られた景気であり株しか上がっていない、コロナウィルスでも株が上がっていること自体異常なのであるだからみんなコロナウィルスで苦しんでいる時株だけは上がっているというのはもう経済が機能していないのである
要するに紙幣は紙なのだからいくらでも供給できる
それで景気が良くなったりしないのである、MMTとかの理論も成り立ちようがないというのもわかる
そこに現代の資本主義が限界にきていることを証明している

それで不思議なのはコロナウィルスである、これはグロ−バル経済をとめたことの驚きである、その一番の象徴が航空会社が大損して倒産したとかある
この航空産業こそグロ−バル経済では最も必要としたものだったからである
ばんたりとヒトの流れはとまったのである
それで有名な投資家が航空会社で大損したのである

そしてグロ−バル経済はもう元のように戻らないというときもそうである
国と国も分断される、自由なモノ、ヒトの流れがとまる、国内に回帰する
それとともに何か人々のマインドも変わる、外へ外へと向かったマインドが内へ向かう
鎖国とならないまでも何かそういう傾向になり家でテレワークしたり家で過ごすことが多くなる、外出すらままならいなともなる
そうなると禅僧のように家で瞑想しているともなる
それで家を住みやすくする心地よくする、家です過ごすためのものが売れるようになる
まず家で仕事するにも仕事場が必要であり家の中が快適でないとできないからである

そうなるとIT関係はさらに需要が増える、教育関係でも家で授業を受ける、今でもyoutubeでできる、するといかに効果的に教えるかということで競うことになる
それで人気になればテレビに勤める人のようにわずかでも高収入を得る社会となる
私も子供向けの番組を作りたいがめんどうでできない
それは教材を作ることと同じなのである、熟とかなると場所の問題から人間関係とかいろいろめんどうすぎるのである
ただyoutubeで教材を作るだけだでありそれで収入になるとしたら楽ともなる
ただそこで必要なのは創造力なのである、いかに教えるかは創造力なのである
テレビだとか動画だとわかりやすくなるからだ、それで大衆向きにもなっているからだ
だから専門外でも何かそれなりに知識がつくということがある

いづれにしろ資本主義はもう限界にきている、金融資本主義とかマネーゲームとか世界がギャンブルゲームになるような世界は退廃してくる
道徳無き経済は人間としてありえないからだ、経済は経世済民である
「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「世を經(おさめ)民を濟(すくう)」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。
まさに今コロナウィルスで苦しんでいる人たちがいるのに株が上がり富裕層だけが得しているというの世界は成り立たない、だからアメリカで暴動が起きるし日本でも中産階級が下級民に落ちてくるとき危険な状態になる
今までも格差が危険な状態にあった、さらに危険になり日本でも犯罪が増えて暴動が起きる、それを一身上でも経験したから恐怖なのである
そういう恐怖を富裕層も感じるべきなのである、政府でもそうである
それで自民公明政府も倒れる、そういう兆しが見えてきたからである
そういう大きな時代の変わり目にある、だから予断を許さないのである

posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月05日

地銀は証券会社となりモラル消失 (そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)


地銀は証券会社となりモラル消失

(そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)

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こうなるとたいがい何か銀行でも証券会社でも違反している


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資産防衛の新常識-江幡吉昭


銀行そのものがもう成り立たなくなっていた、社会が変わりすぎたのである
銀行でもゆうちょでも金をあづけていれば利子がついた
一時は7パーセントとかついた時期があった
30年前とか40年前とかそうだった、だからみんな貯金して何の心配もなかった
貯金していれば利子が増えるから貯金の価値は大きかった
そしてその貯金の利率がかなり長く継続していたのである
それで保険ですら二十年前とか親が欠けていた保険がかけた金額より大きな金になって返ってきたのである

今ふりかえるとそれは本当に恵まれていた高度成長時代の夢物語になった
そのとき銀行でもただ貯金を集めれば良かった銀行員は土地のエリートであり公務員と同じだったのである、地方には安定した就職先がないから銀行員となれば固い職業として結婚相手としてはいいとかなっていた
それがまるで変ってしまったのだ
この変わり方も大きかった
どこでも地銀があり郵貯があり村にも郵貯がある、与那国島とかに行って最初に上陸して見たのがゆうちょの支店だった、それは全国津々浦々にゆうちょの支店がある
でもそのゆうちょすら苦境にたたされて詐欺的な保険を売って金融庁から注意された
そして今アメリカの証券会社、ゴールドマンサックなどの助言で危ないジャンク債に巨額の金をつぎこんでいる、一番危ないのが農林中金だとされる
地銀でも投資先がなくそこに金を回している
そこで損失になると日本の莫大な金融資産が奪いとられることになる

私自身は全く金融のことがわからなかった、銀行のこともわからなかった
大学の経済学部出てもなんの勉強もしていなかった
大学の先生が株だけはやるなというのを聞いたことがあったのを覚えている
つまり学者でも株でぱもうけられないからそういったのだろう
でも今は利子がつかないのだから株でも投資でもすすめられるし知らないでいらなれない時代になった、でも経験がないと株など簡単にもうけられないのである

それで十年前に買ったリーマンショックの株が元にもどしてそれから上がっていった
15000円で元にもどしそれから2万以上になり2万4000円にもなった
コロナウィルスでも今26000になっている
だからこれは何なのだろうとなる、景気は悪いのにどうして上がっているのか?
それはアベノミックスの金融の操作であり日銀が株を買っているからだという
実体経済と株が乖離しているからそうなる
つまり紙幣はいくらでも作れる、でもそれで富を産み出せないのである
結局世界で金余りになり投資先がなくなり金の価値が低下する
利子がつくということは儲ける会社がありそこに金を貸すことで銀行がもうかるからだ
そういう会社がないとしたら富を得ることはできないのである

いづれにしろ銀行は今やブラック会社である、その社員もブラック社員ともなる
だから銀行が大学生の就職先として人気だった時代は終わったのである
何かわからない投資信託とかをうりつける手数料商売になったとみられる
それでやめたくなるのもわかる
銀行員だったら信用されたり地位として安定して時代は終わったのである

地銀の営業マンを最初は信用していた、今は信用していない

まず東京の証券市場で働いたというのもわからない、なぜならその投資も何か知識があってしたわけではない、ただ分散投資は基本だとしてもそれすら守らなかった
勝手に説明もなくリーマンショックの時もっていたものをJ=reitに回した

それはなぜか?

転売して手数料をとりノルマを果たすためだったとなる
何回か売ったり買ったりした、すると手数料が入りその収入が大きいとなるからだ
3パーセントとかとると大きいのである
手数料が安い証券会社もあるが地銀とは高いのである

ともかく地銀の営業マンとか地銀そのものが金融の法律に違反していた

赤枠のようなことは普通に今は銀行員でも証券会社でもしているからこれはただ注意しろとかであり法律違反にはなりにくい

それで株が上がった時、何の説明もなくクライアントの承諾もなくJ-reitに回した!

これは法律違反だった、なぜ株が上がっているのに回したのか?
それも客に説明もなく勝手にそうしたのである
確かにオリンピック景気でオフィスとかインバウンド系が土地でも上がるという気分だったことはある
でも株を売ることで「売りますか」と聞くこともなかった
そのことで私はその地銀の営業マンを信用しなくなった
この人は会社のノルマを果たすのが至上命令であり客のことなど考えないことがわかったただ自分にも非があった、自分はめんどうだからその営業マンを信用して地銀を信用してまかしたからである
こうして銀行でも証券会社でもまかせたりしたら本当に危険である
なぜならそうした会社では会社と自分のノルマを果たすことした頭にないからだ

そして奇妙なことはその営業マンを信用しないことで今回助かった
コロナウィルスでJ=reitが半分ほどに暴落したからだ
別に私はその時予想したわけではない、その営業マンを信じられなくなったからである
それは地銀も信じられないとなった
銀行は信用商売だけど株とか投資信託とかreitでもすすめれば信用を失うことになる
ただ銀行はもう商売が成り立たないというとき余裕がない、そこで追い詰められた人間でも会社でもブラック化するのである
つまり銀行自体の役割が喪失してモラルも消失する
すでにそうなっている、だからそうなると地域での役割もないとなる
建築土木関係を見ると川が氾濫して土手が崩れたとかで復旧修理している
それは郷土のために働いていると目に見えている
地銀とか証券会社はなかなかそうして何の役割なのか目に見えてわからないのである
農家だったら食料を作って提供しているとか目に見えてわかるが金融関係はわかりにくいのである

ただ資産を守るにはプロに頼む、でもそれもまた専門化して誰に頼むかもわからない
私の場合は一億以上の富裕層には入っていない、でも頼むにしてもむずかしい
でも頼む人に左右されることは確かである、有能ないい人に当たれば資産活用はうまくいくのである
ただ株とかわかりにくい、今度は株がコロナウィルスでも上がってきたからとすすめにきた、でもそれに乗らなかった、ただその時は確かに買えばあがったのだからすぐに売れば利益になったとはなる
でももうめんどうだから頼まなかった、このように株とか投資信託とかリートとか買うにも売るにもタイミングなのである、それを逃せばもうけられないのである
だから奇妙だけど今回は買いのときにすすめにきたとはなる
このようにめまぐるしく株とか変わるから追いついていけないのである
そんな時間は私にはないからまかせたのである


結局人生は何に時間を費やすかでその人の価値が決まる、投資に時間を費やしていれば株でももうけられる、時間をかけて学び訓練するからである
老人はそういう時間がないのである、老人の問題は時間がないということである
死が迫っていて時間がない、やるべきことはその人の価値を追求したことである
それは私は芸術学問の創作だったとなる、別にこれで金にはならない
でもそこに自分の価値を追及して来たからそれを示すということになる

結局人間の価値は最後は金ではない、その人の価値は何だったのか?
その人の価値は貯めた金で計られるのか?
今ではそうなっているけど価値は多様でありすべて金銭に換算できないのである
一応金には余裕があるとして今それを使えないのである
自転車で長距離も行けないから長距離用の最新のもう一台30万以上で買ってもいいとかなるが第一それだけ旅行する気力も体力もなくなった
登山用の新しいバッグを買ったけどこれも登山できない状態になった
また他にもビデオカメラを買ったが編集とかめんどうだとかできない
youtubeでもしたいとなるがこれもめんどうでできない、ワードプレスも試したが時間がかかるしめんどうでできない、こうして新しいことができないのである

すでに40代のとき、偶然にワープロで通信していて今日に至っている
つまり30年間ITにかわっていたのである、でも通信世界が急激に発達した結果として追いつけなくなったのである
このプログとかでも文章を毎日アップすることが手間なのである
つまり老人なにるといろいろなことができなくる、限界症状が出て来る
だから退職して老後にいろいろなことをしようとしてもできないとなることが多いと思う若い時しかできないことがありその時しないとしたら後はできない
海外旅行などバックパッカーなど若い時することであった
それが50代で自分はした、遅かったのである、その後介護で旅行すらできなくなった
ただ今は人生百年時代だから人生の後半戦が長くなる
それでそこでその人の実力を発揮する人もでてくる、でも若い時にやるべきことやらないと後はできないのが普通なのである

いづれにしろ何かあらゆる仕事でモラルが消失している、それが社会を歪める、金になればいいが至上命令になるとき
本来の役割も使命もなにもない、金と利益の亡者になってゆく、まさにそれは滅びることに亡ぶことに通じている
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2020年05月31日

農業を知らなければ自然も田舎もわからない (今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)


農業を知らなければ自然も田舎もわからない

(今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)

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「鍬ハ国々にて三里を隔ずして違ふものなり」と述べ、各地の特色ある鍬を図示しているが、この中に「若州小浜辺之鍬」「越前敦賀ニ用ル中鍬」が含まれている。鍬は刃と柄の角度が大きく、頭上から打ち下ろして土中深く耕す「打ち鍬」、刃と柄の角度が小さく、土中深く打ち込むのではなく、土を浚え移動させるのに便利な「引き鍬」、その中間で、粘質土に適した「打引き鍬」の三つに分類される


乾田では土が硬くなっているので、まず深さ20cmくらいまでの土を細かく砕く「荒起こし」を行います。その後、深く耕すためには人力による鍬では対応できないため、牛や馬の力を用いる馬耕とセットで奨励されました。
「乾田馬耕」により、収量は倍近くになり、稲刈りの後に麦などを栽培する裏作が可能となりました。

明治後期に入ると馬耕用の犂が使われます。堆肥を田んぼ一面にまいてから、牛や馬に犂を引かせて土を起こします。


年内に全県の112万ムーの土地を「大きく生まれ変わらせる」計画であるという。そして、土地は深く耕すことにより、水と肥料の呼応化を充分に発揮させることができ、収穫量を数十%から100%、数百%も増加させることができると述べた。

これに対して毛沢東は、5月27日八期二中全会で以下のように述べて、全国に長葛県の経験を広めるように呼びかけた。

「一尺五寸の深耕は大きな発明である。長葛の経験は全ての各県に問題を投げかけている。もし長葛県が今年一年で全県の耕地112万ムーで深耕をおこなったとすると、別の県でできないということがあろうか?一年で無理なら二年、二年で無理なら三年、三年で無理なら四年、四年で無理でも五年ならできるだろう!」

《若干重大决策与事件的回~・t,薄一波著,中共党史出版社,2008-1 


今の機械では土は深く掘れない
牛馬で鋤で掘りおこしたとき深く掘れた
何か機械の方が深く掘れると思った、だから意外だった、土を耕す掘るということは土作りに不可欠である、土を掘ってまぜるとかで土作りになる
農業の基本は土作りである、それは花でもそうなのである、土が良くなかったら花すら咲かないのである
深耕という言葉が何かひびくものがある、文化がcultureでありcultivateが基である
つまり文化というのは農業から土を耕すことから生まれたのである
俳句の季語でも農業から生まれているからである
だから本当は農業を知らないと俳句すら理解できないとなる
つまりこうして文化の基は農業にあった、ところが肝心の農業を知ることは容易ではない田舎に住んでも今は農業している人は一割にもみたない
農業がいかに苦労が多く様々な技術も必要であり道具も必要であり知識の範囲も広いのである
だから農業の世界は奥深いし簡単に知ることはできないのである

ただ自然を知りたいなら農業を実地ですれば体で自然を知ることになる
私の場合はただそうして外から見ているだけであり実地に体で知りえないのである
ただ実地でわずかの畑で野菜作りしている女性から聞いた話で興味をもったのである
ただそこではほとんど何もとれなかった
そこで道具代から肥料代から苗代から薬から金ばかりかかっただけである
正直十倍の金はかかり収穫はほとんどなかった
ただ農業の苦労話を聞いただけである、ただそれでも農業とはどういうものか実地に知るということがあった、その知るために金を払ったともなる

私のように自然を実際の農業をするのではなく何か芸術的に精神的なものとして見る
それでは本当の自然がどういうものか体得することはできない
農業を実地にして実りを得ている人は実地に自然を体得している
ただ農業していたら何か文章書いたり知的なことはできなくなる
それだけ手間であり体力も使うからである、とても家事から何から一人ではできない
要するに人間はあらゆることに通じることができない

でも田舎に住んでいて農業を知らないということは肝心なことが欠けているのだ
それで浪江町の東電に電気関係で働いていた人が回りは草ぼうぼうでも何の関心もない
それで東電で働いて金を残したとか全く田舎に住んでいて農業に関心もない
それで周りが草ぼうぼうでもなんとも感じていない、東電の社員であり農業とは関係なく住んでいたからこの人は全くの都会人になっていたのである
だから田舎に住んでも今や仕事は農業ではないとしたら農業のことはわからない
戦前では8割が農民だったとかあり戦後も引揚者が農業するために開墾に入った
そういう場所がすぐ近くに残っていた、現実にそういう人を子供の時知っていた
つまり戦後焼野原になったとき仕事は農業するほかなかったのである
その後十年くらいして電器製品が売れて高度成長時代になったのである

例えば田んぼがあるとして田んぼに水を張ることで稲作が飛躍的に発展した
つまり田んぼに水を張るということが様々な効用があり稲をとるのに進化した形態だった水の効用でそうなった、その前は乾田であり陸田とか陸稲だったりしたからだ
つまり農業というのは道具でもそうだが絶えず進歩してきたのである
だから本当は人間は自然をしるためには農業を知ることが不可欠である
でも田舎に住んでいても田畑に囲まれていても実際に農業を知っている人は少ないのである、そもそも農業を仕事にしなくなったからである

毛沢東が農業を指導していたからこそ農民の心を知ったとなる
つまり農業の実地の指導者でなければまた国家の指導者でもありえなかったのである
そこに毛沢東の偉大さがあったがそれは農業をしていないと理解できなとなっていた
それは中国は農業国家だからそうなっていたのである
でもその後工業国家になったときやはり農業が軽んじられるようになった
それは世界的に共通している

とにかく深耕というとき何かこの言葉に魅かれる、深く耕すとはあるゆることに言える
あらゆるものは深く耕してその知識でも技術でも深めてゆく進歩させてゆくものだからである

富める者は、必ずといってもよいほど、その前から徳を積んだものである、もし麦を蒔かなかったら、来年は麦がまったく実らない。麦の実りは冬から力を入れてきたからである稲を仕つければ秋には実る。米の実りは、春から丹精して(心を込めて励んで)きたからである

こういう思考は農業を実地にしていなければ生まれないのである

音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)を繰り返しつつ(二宮尊徳)

二宮尊徳には芸術的に見ていない、自然には音もあり香もある、天地の経を読むということは天地を知ること土を知ること自然を知ることが農業だったからである
人間とは絶えざる努力なのである、今あるものは田んぼすら水を張るということが先人の工夫として生まれたのである、だからそうした歴史を知ることがあらゆることで人間を知ることなのである

おそらく江戸時代から明治維新でも工業化しても戦後十年でも依然として農業が基本でありそこから文化が生まれていたのである、工業でも道具を作ることで農業と結びついていたのである
だから現代が農業から心でも離れたという時、小高の人は親が農業していたが金にならないので農業だけはするなと殴られたという、つまりそのことはいかに農業というのが農家自身で苦労が多いだけとなって捨てたのである
でもその時何が起きたのか?原発に農業を捨てた子供は働くようになった
そのことで空気も水も土を汚染されて故郷に住めなくなったのである
自然を守るとういが実は実際に自然で生活している人がいて守られるということがある
狩猟でも動物をとるのは殺生だとするがそこで動物とも自然とも深く交わる術を学ぶのは農業と同じなのである、そういう生活から人間は都市人間は離れすぎてしまった
自然という時何か自分自身がそうなのだけど表面の美だけを見たりしている   

実際は自然の中で食料でもいろいろ自然を活用したとき自然を知るのである
自然を守るとういうが森林でも外材に頼り肝心の自国の木材を利用しないとき枝打ちとかしなくなり森林は荒れてしまったのである
だから自然を守れとか景観を守れというが自然と深く交わるには自然の中で生活して自然を利用して活用する時自然を知るとなる
そういうことが第一田舎に住んでいる人さえなくなっていたのである
それは自分のように表面的にだけ自然を風流として見ているものも同じである
何かそういうことから自然を知るといってもそれは観念的になる
ただ正直農業をするということは体力的にきついから知的な仕事をするとなると両方を兼ねることはむずかしくなるのである

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2020年05月30日

見えない貧困の問題―分断される社会 (ローマの奴隷の方が恵まれていた?)


見えない貧困の問題―分断される社会

(ローマの奴隷の方が恵まれていた?)

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絶望令和の貧困を語ります。(中村敦彦)

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クリック拡大、デュラント(世界の歴史)



あらゆることを考える時必ず歴史をふりかえり考えると見えてくるものがある
映画とかで見るとローマの奴隷など過酷だとみる
剣闘士にされて戦わせられたりただ残酷にしか見えない
でも現実はどうだったのか時代が過ぎるとわからなくなる
まず奴隷制度ができたのは人間の進歩だったとされる
なぜなら戦争に負ければ皆殺しにされた、でも奴隷として生かされたことは進歩だったとなる

だからこのデュラントの指摘も歴史の見方としてあるのかなと読んだ
なぜこのように主人と奴隷が同じ人間として遇されたのか?
そしてむしろ奴隷というより家族の一員のようになったのである
これに興味をもったのは人間の歴史では必ず富裕な者がいて貧しい者がいる
また地位の高いものがいて低いものがいる
強い者がいて弱い者がいる、今でも上級国民と下級国民がいる
それで上級国民のことを下級国民はうらやましがり責める
ただ社会が変化するとそうした差も変わるのでわかりにくくなる

現代では奴隷などいない、みんな自由であり差別はないとなりいい社会だとなる
ところがこのデュラントの奴隷について語ることにも共感するのである
それは人間というものがどういうものか?
いくらそこに金持ちとか身分の差があっても同じ屋根の下でまた家族のように生活していれば自ずと情愛が生まれる
それは別にローマだけではない、現代で不思議なのは江戸時代であれその前でもやはり身分差があって侍の家に仕える人たちがいた
また身分の高い者に仕える臣下がいた、でもそういう人たちでも一緒に生活することで
忠義の心が育まれていた、殿様の子供の乳母(めのと)となり家臣が育てることで家族のようになり忠義の心を育てることに役立った
そこには身分差があっても対立するだけではなかった
ここが現代で理解できなくなったのは現代というのはまずそうした協働性とか共同体が喪失したためだろう
それは封建制時代までであり日本でも明治維新からは資本主義になりそうした人間が情愛で結ばれるということが消失していった

ただ人間関係の歴史を外国でもヨ−ロッパでも貴族と召使階級があり召使が認められた仕事だった、それでチップ制が生れた、なぜチップを払わなければならないのか日本人に理解できないからである
ヨ−ロッパには明確な階級制がありそれが今日でもつづいているともなる
なぜこのことに興味をもつようになったのか?
それが自分の家に他人を入れて多少働いてもらうようになった経験からである
日本でも戦前は女中がいた、家事手伝いである
中産階級でも女中を二人も必要としていたと女中が女性の仕事であった
私の母は東京で女中の仕事をしていた
女中は女性の勤めさきとしてあった、そして今女中という言葉も死語となり差別語となった

今はお手伝いさんとかはいる、でもそもそも家の中で働くということはなくなった
その原因が家事が機械化したことである、それで私は全部家事も一人でしてこうして毎日プログに文を書いている
それを全部一人でできるのはパソコンとか通信の発達とか家事の機械化でできている
だから別に女中をお手伝いさんを雇う必要もないのである
ただ一人だから話し相手として来る女性がいる
それでその人が貧乏なので金だけ要求されるともなる
もし戦前のようだったらまず家事に追われて何もできない、勉強も文章書くことすらできない、家事に追われていた、第一米を炊くだけで洗濯するだけでどれだけの労力が必要だったかを知ればわかる
人間が電気を使いそういう労働から解放されたのである

ただではなぜ人間は必ずしもローマ時代の奴隷とかまた身分差があっても仕える人と比べて何か不幸なのか、かえって恵まれていないのか?
それは貧困とかが貧しい人が見えなくなったのである
それよりシステムで見えなくさせられたのである
だからこの貧困をテーマにして取材している作者でもそのことを言っている
つまり上層の人と下層の人は交わらなくなった
実は上層の人と下層の人はどうしてしも家事労働が重荷となっていたから下層の人を雇うことがあったが今は機械がするからなくなった
そこでかえって人間と人間のつながりが消失したのである
そこにかえって分断が生まれたのである

人間というのはいくら金持ちでも上層でも一緒に生活していれば必ず情愛が生まれる
その情愛があって忠義が生れたり奴隷でも家族のように扱われたとういことがある
現代はかえってな上層と下層は分離してそこに対立しかないともなる
そして貧困が見えない、貧しい人がいても見えない社会になった
生活保護者は生活保護者として区別されて分離されて隔離されて暮らしている
これは意外と危険なことになる、社会が分断されるとそこにかえって対立が露わになり
貧しい人たちが上層を襲う暴動が生れるとされるのもそうである
そして現代の価値観は金さえあればいいしかなくなった
だからたとえお手伝いさんとか雇ったとしても非常に危険なのである
戦前でも女中がいたし封建時代の江戸時代でも上の者と仕える者でも情愛で結ばれていたとかあり忠義の心があった、しかし今はない
それで金さえあればそんな上も下もない時代である
するとそうして家族の中に入ってくるとどうなるのか?
主人がいないとき金を盗むことしか頭になくなって屋探して盗むことしかないとなる
だから現代ではいかに家に入れることが危険なのかわかる
ただ裕福な家でももともとそうしてお手伝いさんを雇っていた金持ちの家はそうして家で働くことで信頼されていたからできる
それが普通の家ではできないのである

とにかく現代というのはまず情に欠けた社会である、そして貧乏が見えないという時、
機械が労働者となり奴隷というときシステム化された奴隷ともなる
いろいろな下働きでも時給いくらとかなるのは下働きでありでもシステム化してそういう人たちは奴隷ではない、でもその人たち現代の奴隷なのかもしれない
良く俺は社畜なんだよなとか言うのそうである
現代にも奴隷制があるがかえって過酷だともなる
なぜなら機械化ロボットのように扱われているからだ
むしろ戦前であれ江戸時代であれローマ時代であれ人間には情があるから情として通じるものがあり奴隷にも情愛が生れていたから奴隷が一概に不幸だったともならない
それはあくまでも比較でそうなる、ただ歴史の現実は今と比べてもわからない
むしろ現代の方が情が消失して過酷だともなっている

上層の人たちが下層の人たちと交わらない社会は社会が分断されることであり危険になる互いに人間として理解できなくなりそうしているうち対立が深まり不満が大きくなり暴動にもなる
そして現代は金が唯一の価値とするとき下層が成り上がるには株とかまたFXとかの博打のようなものにで一攫千金を試みほかないのである
でも株でも元金がないと資本主義ではもうけられない
意外と自分で株を投資信託でもしてわかったことは大きな金があれば増えやすいということである、失敗があるにしても大きな元手があると増える金も大きくなる
金が金を増やすのが資本主義のルールなのである
だから金持ちはより金持ちになり貧乏人はいつまでも貧乏から這い上がれないのである
それがいづれ限界にきて暴動が起きると予測できるので実は上層にとっても金持ちにとってもいいことではないのである
治安も悪くなり南米のように金持ちは子供が誘拐されて身代金を要求されるとか安心して暮らせなくなるのである

このyoutubeで貧困のことが実際の取材をして語っているからリアルである
何か不思議なのはyoutubeで語るのと本で読むのとは違っている
何かわかりやすくなる、だから本だけから人は理解できないと思った
その人の経験したことを語るには何かささいなことでもつまらないと見えることでもyoutubeでは語られるから身近になる
この人は本を相当だしている、でも読んだこともない、でもこうしてyoutubeで語ると身近になるのである
だからこれから本の作者もyoutubeで語る時代だとなる
ただそこで金をもらえるのかとなると相当数登録者を得ないと無理である
でも本だとなかなか読むことが抵抗があってもyoutubeだと気軽に見れるのである
ただ何か深く考察するには本を読むのがいい、私の場合は深く考察するから文章の方がいいししゃべるのが苦手なのでこうして毎日ブログで書いているのである

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2020年05月24日

資本主義の起源−日本人の勤勉さはなぜ (草刈のように農業は勤勉さが要求される‐怠けることが悪になる)


資本主義の起源−日本人の勤勉さはなぜ

(草刈のように農業は勤勉さが要求される‐怠けることが悪になる)


田舎はいわば運命共同体
手入れが悪くて害虫を発生させた場合
当人だけではなく周りの田畑までまで影響が及ぶ
最善を尽くして被害が出たならばそれはたまたまその家が出ただけであって自分から出たかもしれないので地域全体でバックアップするし助け合う
ただ最善を尽くさずむしろ怠惰によって周りに被害をもたらしたものは許されない

この意見は面白い、どこに書かれたかわからなくなった

農業は毎日草刈が仕事である、草は刈っても刈っても生えて来る

怠けていると雑草が生えて来る、それで困るのは自分の畑を持っている人だけではない
隣でなまけて草を刈らないと困る、だから隣の人が怠けることが許されないのである
この辺では畑をやめてそこが荒地になると草が生え放題でありそれで困る
日本はヨ−ロッパとか違って乾燥していない、絶えず雑草が生えてくる
湿潤だから雑草が生えてくる、そういう風土である

農業は怠けられないのである、まず脱穀機ができたのは戦後まもなくであり精米するにも手間がかっていた、米を作ることは田植えからはじまり草取りがありまた手間がかかっていた、つまり米を作ることでも怠けられないのである
だからみんな勤勉でないと農業は成り立たない、それで一人でも怠けることは責められることになる

一方で狩猟とか牧畜は根本的に違ったものである、そこにあまり勤勉さを必要としていない、牧畜でも羊を放牧して自由にさせる、羊飼いは何かじっと見守っている
何か手を加えなくても羊は勝手に草を食べる、ただ草のある所に移動する時羊飼いは働くとなる、つまり移動することが働くことになる
それで馬を使用したりする、馬が不可欠になる

何か稲作とか畑で仕事するのとは農業は根本的に違っている、そこから形成される人間の感覚でも人間自体も違ったものとなる
狩猟とかなるとこれも何か勤勉に働くことではない、獲物を一発でとらえる
そこに必要なのはその獲物を捕らえる道具である
弓矢であり槍であり鉄砲とかでもある、そこで自ずと道具が発達したとなる
それが戦争の道具ともなった、何か稲作とかだとその道具が戦争になりにくい
そういう差が文化の差となり文明の差となった

それをなぜ知るべきかとなるとそもそも人間社会を導いたのは狩猟民族であり牧畜民族であり遊牧民だとなるからだ
ただエジプト文明は麦を栽培して農業文明だった、なぜならビールまで作っていたからである、ピラミッドを作ったのも農業の定着文明だからである
それはマヤやインカの文明にも通じている
とうもろこしを主食とすることは農業文明だったとなるからだ

なぜ日本人は一様に行動したり規律的になり村八分にしたりするのか?

それは稲作とか集団的に組織的一様化する労働からそうなった
そこで誰か一人が勝手な行動はできないし怠けることは許されないのである
それが草取りに現れていたのである
つまり一区画の田でも畑でも勝手にするわけにはいかない、それが草取りに現れていた

ここで詳しくは探求できないがこのことを思ったのはそもそも資本主義の精神というのがなになのかである
それう知るためにこうしたその基本となるものが資本主義の精神を形成した原動力は何かということである
それは勤勉な農業とも違う、何かそれは狩猟や牧畜、遊牧民から生まれた精神でないかと思った
ただその両方もある、何かを食料でも貯えるということは農業にあるからだ
資本主義にも資本を貯えるこということがあるからだ

ただ一発大きな獲物を捕らえるということは農業にはない、それで大航海とかを農民だったらしない、それはまるで違ったものだからである
航海はやはり海で魚をとっていた漁民から発展したのかとなる
どうしても船を操作することにたけねばならないからである
だから漁民が商人ともなる、遠くへ海をわたり品物を運ぶことになるからだ
つまり狩猟でも遊牧民でも移動することで共通している
農業文明は土地に定着して移動しないのである

つまり狩猟とか遊牧民だと狩猟は獲物を得るために弓矢とか道具が発達する
遊牧民は移動する、それで馬を使うようになる
どれだけ効果的に移動できるかが問題になる
それは何か資本主義に通じている、資本主義はグローバル化したがそれはその根底に移動するということがあった、移動して富を得ることがあったからだ
狩猟民でも獲物を求めて移動するからだ、
人間は人種より白人だとかアジア人だとかで区別するのではなくその生活形態で分けるべきである、アーリア人が残酷で世界を支配したというよりそもそも狩猟民であり遊牧民であるということが根底にありそうさせたとなる

ただ二つの生活形態で簡単に分けられないという面はある
なぜなら狩猟民とか遊牧民は大きな文明を作れなかった、大きな文明は四大文明でも農業文明であり定着文明だったからである
モンゴルとかは遊牧民の大帝国を一時作ったとしてもそれはただ拡散しただけであり何か文明を作ったとはならない、ローマは文明を作った、ローマ人は農民だったのである
質実な素朴な農民がローマを作ったのである
これも農業文明だったのである

ただ資本主義の謎はあらゆるものを資本とする、資本蓄積してそれで投資して富を増やしてゆく、物でも土地でも資源でも債権化して商品化して投資の対象にする
だから大航海時代に船の株主となりもし船が無事に荷物を積んで帰ってきたら株主は大きな利益を得た、しかし船が沈没したらゼロになったのである
そういう冒険的なギャンブル的なものがあるのが資本主義である
常に市場では株は上がり下がりしているからである、そこに必ずリスクがあるからだ

いづれにしろ何かコロナウィルスでこの移動が制限された
それはグローバル化が止められたとなる
グローバル化が限界にきてもうこれ以上拡散できない、縮小を余儀なくされたのである
それは自然環境にしてもグロ−バルの負荷が大きくなった
経済成長を追及してゆくと自然環境が破壊されて原発事故のように住めなくなるからだ
そのためにコロナウィルスが神がばらまいたのかとまでなる

資本主義が限界に来たという時、銀行がもう投資先がない、貸す会社もないということに現れている、銀行は金を貸して利子でもうける、でも何か設備投資して新しく商売する新しいものを作るということでも限界に来た
AIとかがもてはやされるのはそれは頭脳のことであり何か今までのものとは違っている
だから不思議なのはすでに2000年前に仏教であれキリスト教であれその後のイスラム教であれ宗教が興隆したのは何か文明がすでに発達した結果として内面化の精神文明が生まれたとなる第一僧侶とか牧師とかでも生産にたずさわらない、ただ瞑想しているということは生産に寄与しない人間だとなる
そんなことは日本だったら絶えず草取りしているのとはまるで違ったものだからである
瞑想して働かないということはその瞑想している人に食料を与える人がなければできないのである

いづれにしろ資本主義であれグロ−バル経済でありそれはコロナウィルスを契機として見直される、限りなく経済成長することは世界の自然環境を破壊することである
そもそもコロナウィルスはその土地の風土の自然環境を壊した結果としてそこからウィルスが生まれたということになるとまさに自然破壊がコロナウィルスでも産んだとなるからだ、自然からの警告だったともなるからだ

これから資本主義でももう投資先がない、それで銀行の役目もなくなる
そして宗教てあれ哲学であれ何か内面志向、物質ではない人間の精神を重視する文明に変わる、それはローマ帝国の後の中世時代とかにもなる、日本なら江戸時代の国風文化への回帰なのである、ただそれは同じものにならない、21世紀にふさわしい精神の内面化であり文化の創造となる
パソコンとかAIとかは何か物を作るというのではない、人間の脳とか心とか精神に働きかけるものをもっているからだ
通信というのもそうである、物の移動ではない、何か情報の移動であり物ではない
物の移動はもう限界にきていたのである

だからコロナウィルスで移動できなくなったことがそのことを象徴していた
移動から定着化とか縮小化とかステーホームとかは新しい生活様式だというときそうである、それは個々人が宗教のように内面化することにもなるからだ
コロナウィルスは三密を嫌う、集団的な行動を嫌うというのも不思議である
テレワークは何か個々人化するコミ二ケーションにもなる
なんらかコロナウィルスは世界を社会を変える作用したのも時代を変える作用をしたのもやはり人間社会は人間だけでは変えられないものがあり自然の作用で神が働きかけてそうなったきかと見たのである

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2020年05月19日

避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)


避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)

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株式投資というときリスクが避けられない、そもそも投資するというときリスクが必ずともなう、そのリスクの分散ということで株主制度が生まれた、みんなで株をもち何かあった場合みんなで負担を負うというのが会社である
それで船会社に投資たとき航海で船が沈没したら利益はゼロになるがもし沈没もしないで航海が成功したらその利益が大きくなる、それでオランダはもうけて一時富裕国になったそれが投資なのである

私自身は株とか投資について経験もないし知識もない、ただ地銀の人がプロだというのでまかせてやらせた、ただ地銀は投資には株とか投資信託には素人と同じだったのである
だから証券会社のようになってしまったことが合わないのである
それで福島銀行は自力で経営できなくなりSBI証券と合併してその配下に入った、島根銀行などもそうである

ただ本当に株とか投資信託でもリートでも国債すら安全ではない
なぜならカナダ国債は石油が下がり急落したからである、カナダは石油産出国であり石油に頼っていたからである
でもその時は60ドルくらいだった、今驚くのは石油が20ドルくらいになった時がある
今でも25ドルとかである、これだけ下がることに驚く
するとそのリスクは大きい、投資しても半分以上損失をだす
つまりこんなに急激に下がるということは予測できなかった
石油の値段は高止まりしていたからである
何か石油は売れるし安全資産のように思っていたのである
これはコロナウィルスショックでそうなった

J-reitも半額ほどに暴落したのにも驚いた、それを一月で売ったから助かった
別に下落するのを見込んで売ったのではない、何かリーマンショックの時買った株が元にもどしたとき地銀の営業の人が勝手に売ってJ-reitに回したことで信用できなくなったから売った
もし売らなかったら半分になっていた恐怖だった

このように投資には相当なリスクがある、それで日本の国債が安全だと思い買おうとしたが今度は日本経済が危機になったとき預金封鎖のようになるとき最初に国債が没収されてゼロになるという、預金は90パーセントが没収されるとかいう
すると国債が一番危険なのかとなる
何故ならカナダの国債が石油の価格の急落で急激に下落したからだ
国債も格付けがあり急に下がるリスクがありその価値がなくなる
国債とはその国の価値であるからだ
カナダとかは石油の資源をもっているのでそれが価値を決めていた

では日本の価値とは何なのか?

経済的な面からだけみれば資源もない、何か価値なのか、電機製品も今や中国でも韓国でも同じものを作れる、それも安いとなれば日本の価値はどこにあるのか?
自動車産業だけは技術力があり一応持ちこたえて輸出しているからそれが主な価値なのかとなる
世界から見たとき日本の価値は何なのか、技術力なのか?それは今は中国になっている
新幹線などは技術力があり世界に売れるとかまだある
それで日本がの経済力は低下してインバウンドの観光に頼ったのである
それもコロナウィルスで頼れなくなった、電車はがら空きであり空港も飛行機が飛ばないただ貨物輸送は続けられている、鉄道の場合は貨物輸送が極端に少なくなったから人が乗らなかったら商売にならないのである
そうしてアメリカの航空会社に投資していた有名な投資家が何兆円とかの大損を出した
航空は花形産業だったのである、それが一転してしまった驚きである

とにかくこの世に生きる限りリスクはさけられない、そのリスクがどこにあるのかわからないのである、それは津波と原発事故で経験した
町や村が一挙にゴーストタウンになることが信じられなかった
もちろん津波でも村自体が消失したことは信じられないことだった
そういうリスクがこの世にはある、つまりこの世を生きることはリスクを避けられないことなのだ
だから完全に安全な投資はありえないのである

だから

投資も運だ!

こうにもなる、本当はそうでないにしても運が作用しているともなる
誰も先を見ることができないからである
この先を見ることができれば投資でも成功するからだ
それは突然のこうしたリスクを事前にすることができないからである
ただ長い目で見ればリスクはあっても経済は一般的には回復する
リーマンショックでも戦争でも終われば鰻上りに経済は回復して日本は高度成長時代になったからだ
それでリーマンショックの時半分になった株でも元にもどりそれをもっていたら私は相当な利益になった、でも売られたので損にはならないがもうけを得られなかった
それも結局は自己責任だった、地銀は地銀のもうけを優先するからである
ただ自分で決めるべきものであり自分が責任をとらされる
それで地銀の営業の人を信用しないでJ=REITを一月に売ったことが損をまねがれたのである
ただトータルとしては損はしていなかった

要するにこのリスクだけは予測できないものとして起こる、だからこそリスクなのであるつまり船に投資する、その船が沈没することもある、でも無事にかえれば大儲けになる
それはギャンブルにもなる、その賭けに勝てば大儲けになるが負ければ大損失になる
だからこれも運まかせだとかなる
それはどんなプロでも予測できないことによっていたのである
それで財産がfortuneでありそれは運だったともなる

何か自分は大きな金をもったことがない、自由に旅していたとしてもホテル代に苦労していた、旅しても最低限しか使わなかったからだ
贅沢な旅などしたことがないのである、だから大きな金が入ったとしてもそれを使えないということがある、貧乏性が習慣になっていたからである

でも結局人間は親が生涯金をためていたけどその親は金を使わず認知症になった
そして銀行から金をおろせなくなった、これほど驚いたことはなかった
そうしたらその金が自分のものだとしても自分の金を銀行から下せないとしたら自分の金ではなくなったのである
これもショックである、認知症も病気もこういう大きなリスクなのである

とにかく人間にはつくづくリスクがつきものなのである、リスクないことはそもそも人生にありないのである、だから経済でも常にリスクがある
何かヒットして何がヒットしないかわからない
たまたまマスクの在庫があった人は百倍とかで売れたとかもある
でも市場に出回ればたちまち低価格になってしまったのである

いづれにしろ高度成長時代は金を銀行にあづけていれば利子がついた、7パーセントとかついた時もあった、今はもう利子はつかない、かえって利子をとられるともなる
でも地方の人に田舎の人に投資をすすめてもそれが成功する人は少ないだろう
まず投資をわかるのは複雑でわかりにくいし理解しにくいからだ
ただ今や預金封鎖だとかなんとか銀行自体がつぶれるとかなるとどうすればいいのかとなる
その方法をいろいろ調べてもわからないのである
紙幣は紙きれになるということが迫っているともいう、こういう状態なのだからそうかとなりでは他に安全資産がなにかあるのかというと見当たらないのである
ただ投資は長期的にみれば必ず下がっても上がる、今がどんなに悪くても必ず良くなる
そういう波があることは確かなのである、でも老人は先がないから投資に向いていないのである、この木を植えていつ育つのか、花が咲くのかと考える
早く咲く花を見たいとなる、それが育つ時間を待っていられないのである
それで老人は投資に向いていないのである

投資という時、将来へ投資するとしても

バフェット氏の投資会社、赤字5兆円超 航空株全て売却

このようにプロ中のプロで将来が未来は予測できないのである
第一航空会社は現代のグロ−バル社会の花形産業だったからである
それが一転して急降下してしまったのである
コロナウィルスを予測できなかったからこうなったのである
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2020年05月06日

コロナウィルスで問われたもの (投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)


コロナウィルスで問われたもの

(投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)

riskcity11.jpg


私が株とかリーととか始めたのは別に詳しいからではない、地銀の人が来てすすめたからである、全くの素人だから地銀の人がプロだということでまかせたのである
私にはまず時間がないからいちいち株のことを見ていられないからである
そこで投資とは分散投資だということを教えられた
この考え方は正しかった
それでUSリートとカナダの国債を買った、また8年前のリーマンショックで半分になった株をもっていた、その株が元にもどったとき今度はJ=REITにその株を売って回したのである、そのように別にそのままにしていいのでも転売するのはその時手数料が大きくなるからだ、3パーセントとかなれば額が多ければそうなる

結局カナダ国債が急激に下落した、石油が下がったからである
その時は石油の値段が高かったからだ、だからこんなに今も下がっていることに驚く
とにかく投資は分散投資が正しいとしてもその地銀の営業の人はそれを守らなかったのである

それでJ=REITを一月に売った、それは先を見込んだためではない、

その分散投資をすすめた地銀の人が信用できなくなったからだ!

そしたらJ-reitが暴落したのである、それは一重に地銀の営業が信用できなくなったことで売ったことでそうなった
つまり人が何でも媒介するから人を信用するかしないかが大事になる
もちろんそこにはリスクがあるからその人の責任が全部負うことはない
でもも自らのノルマを果たすために株が上がっていたのに売ったのが最大の失敗だった
それ以来地銀の人は信用できないとなった
そもそも地銀とかがアメリカの危険な金融商品に何兆とかつぎ込んでそれで大損になると言われる、つまり地銀でもゆうちょでも農林中金でも投資のことがわかっていないのである
まず投資のことをわかることは容易ではないからだ
ただわかりやすいのは分散投資なのである
それは今でも金とか銀とか外貨とかいろいろ分散投資して財産を守れというときそうである

この財産を守る分散投資の基本があらゆることに通じてしいる
一極集中が危険なのである、グロ−バル経済でもいかに中国に投資して工場でも移転して部品でも製造していたらその部品は建築関係でも入らなくなった,トイレも入らずに困っている、それは中国にあらゆるものが集中しすぎたからである
つまりABCDEF....とかあるときAだけに集中することは危険になる
もしAがだめならBでしのごうとかCがあればそこでしのごうとかなる
それが分散投資でリスクを回避することである

この分散投資というときコロナウィルスでわかったようにいかに東京のような一局集中が危険だったかである、それは名古屋市とか大阪とか福岡とか人口密集地帯からウィルスが拡散したことでもわかる
大都会に人口が集中することが危険だった、もし分散していればこうはならなかった
それで有利だったのがニュージランドとか台湾とかニカラグアとか即時にロックダウンできる閉鎖できる国だったのである
中国でも欧米でも大陸としてつながっているからそれができない、またヨ−ロッパもEUになり人の行き来が自由になったからできなかった
そしてコロナウィルスではやはり青森とか九州なら鹿児島とか辺鄙な地域は感染者が少ないのである

またグロ−バル経済がコロナウィルスでその危険性が露見したのは食料でも自国優先で輸出しないとなったのは外国はいざというときは自国優先であてにならないということである
だから基本的なものは自国で自給しているのが安全だとなる
それは常に私がグロ−バル経済批判でしてきたことである
グロ−バル経済とはまず天の理とか地の利とか人の和とかに合わないのである
グロ−バル経済は人の和を作る、貿易で世界が協力するように見えたが実際は今回のコロナウィルスでわかったように危険があれば自国優先になる

とするとまず自国で食料でも基本的なものは自給できる体制を作っておくことがリスクに備えることができる
自国にあるものをまず活かすことである、そうしたことは日本では江戸時代300年で経験しているのである
そもそも貨幣の成り立ちが実は外国から輸入する、贅沢品を輸入することから生まれたのである
貨幣の字が貝だというとき宝が貝だというとき宝貝が貨幣の起源だというときそうである貝は何か食料になるわけでもない、ただ珍しいものとして収集するだけである
だから貝が貨幣になることはそれは別にそれで腹の足しになるわけではなかったのであるだから実質の経済に貨幣が重要というのではなく贅沢品だったのである

いづれにしろ経済は自給自足が基本にあり国内でもまた大都会中心に人口でも密集することは危険なことがわかった、あらゆるものが東京中心になることは危険だったのである
つまり田舎のように田畑がありそこで食料があると意識する、地元から食料が供給されると自覚する環境である
森があり木材でも燃料でも供給されるという安心感をもつ生活である
百万都市江戸でも自給都市だった、回りは農村であり肥料として糞尿をくみ取りにきていたのである
回りは農村地帯でありそこから食料が供給されていたのである

第一野菜など生ものであり遠くから運べないからである、それで練馬大根とかがブランド品が作られたとなる、それはまた人口が多いから売れたからである
都会が近いことは野菜でも売れる、うまいものをそれで作る、改良が行われるからである浪江の農家の人は野菜を作り元の今のいわき市の平に野菜を売り子供三人を大学まで出したとなる、都市の近辺は農家でも需要があるから金持ちになる
でも江戸というとき運べる範囲にありかなり狭いのである
江戸前寿司とかあってもすぐ近くで新鮮なものがとれるから江戸湾でとれた魚で寿司が作れたからそうなっていたのである、冷凍庫もなければそうなるのである

ただ現代になると村落とはなりえない、それなりに広い地域の自給自足経済になる
東北ブロックとか九州ブロックとか広くなるが日本全国にはなりえない
そこで自給自足経済を作る、大都市には人口を集中させないようにする
分散型都市であり自給自足経済なのである、もちろん工業でも自給自足的工業になる
中国にかたよった経済が生産が危険なことを知ったからである

コロナウィルスでは悪いことばかり報道されるがこれを契機に社会が変わる
それは必ずしも悪いことばかりではない、地方に人が逆流する、それで地方が活性化することがありうるかもしれない、それをみんな感じたからである
地方には土地が余っているし空家も膨大である
原発避難区域など空家だらけであり土地は草ぼうぼうであり誰も利用していないからだ
そしたらそういう資産が無料だともなるからだ

コロナウィルスで見直すことはいろいろある、まずグロ−バル経済のリスクである
それから資本主義というのももともと限界に来ていたからこれも見直される
その思想自体が限界にきていた、どちらかというと新たな共同の世界が模索される
それが具体化されないにしても地域分散型経済の方向に向かうことは確かである
そもそも天の理というか人間というものを考える時とてもグロ−バル経済の論理は成り立たない
一体物が地球の裏側からでも入ってくるとしてもそこに住んでいる人間と情的なつながりはもてない、ある程度情的なつながりでも文化的つながりでもアイディンティティをもてるのは一定の狭い範囲である
グロ−バル経済ではそれができない、人間の情と物が分離する世界である
それは別に世界でなくても国内でも現実の文明社会でどこでも起きている
物と心の分離が起きて人間疎外が起きている、それは別にマルクスでも現代では思想家が指摘してきたことなのである

その例としてその人は東京に住んでいて金だけを要求する、一切離れて住んでいる自分が病気になろうが何になろうが金しか求めてこない、金の関係しかないのである
それはこちらにも責任があるから責められてもしょうがない
でもそういう関係が親戚でも成り立つのかとなる
「金だけは送れ」あとはあなたが何になろうと関係ありませんという人間関係が成り立つのだろうか?
それで遠くの親戚より近くの隣人が頼りになるとなる、近くだったら何がなくても一応駆けつけることができるからだ
だから今回のコロナウィルスでも世界の人々が国同士が助け合うということはなかった
食料でも自国優先になり輸出はしないとなったからだ
かえって中国ではコロナウィルスの危機に日本が混乱しているから好機だとして軍事力で侵犯している、別に協力するということはないのである
コロナウィルスではそういう自国のエゴがかえってむきだしになった
そしてマスクすら自国で生産できていないリスクも浮き彫りにされたのである
今近くの仕立て屋でマスクを作っているが高いのである
要するにこうして高いにしろ近くが緊急の時は頼りになるということである

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2020年04月19日

JーREITを一月に売って損失をまねがれた (それは地銀の営業マンを信用できなくなったからだった)


JーREITを一月に売って損失をまねがれた

(それは地銀の営業マンを信用できなくなったからだった)

j-erit.jpg

急落から反発してあがってはいる


JーREITを一月に売って良かった、急激にコロナウィルスで下がったからだ

ではコロナウィルスを見越して売ったのか?

それは地銀の営業の人を信じられないから売った

そもそもリーマンショックの時もっていた株が上がってきたときJ-REITに回した時から
不信感をもつようになった

その営業の人はまず何か資金運用をまかせられる人ではない
そもそも今やゆうちょでも農林中金でも地銀でも大手銀行すら投資先がなくCLOとかの怪しい所に莫大な金をつぎ込んでいてそれで大損失になるとしている
ゆうちょでも今や信用できないものとなった
地域の金融機関が信用できないものとなった
それは貸す先がなくなり金がだぶついているからだ
その金がゴールドマンサックスとかを通じして奪われているとしている

小泉首相のゆうちょの民営化はそうしたアメリカの銀行に金を貢ぐためだったということはそのことだったのかとなる

ともかく地銀でも売るとき買う時に大きな金が入るから手数料が入るからそうする
何も株が上がってきていたのだからそのままにしていれば良かったのだが自分のノルマを果たすためにJ-reitに株を売って回したのである

つまり自分がJ-reitを売ったのは地銀を信用できなくなった!

地銀にまかせられないと内心思っていたから売ってくれと言ったのである

コロナウィルスを予測したわけでもなんでもない

地銀は信用できない、営業も信用できない!

ただ株でも投資信託でもリスクはある、だからそのリスクを承知の上でやるべきだとなるそのリスクがあったからとして責めることはできない

でも地銀とかの営業の人はただ頭の中がノルマを果たすことになっている
地銀でも地銀のもうけばかりを考えている
そして投資のプロではない、銀行の支店長は株のことは知らないと言っていたからであるそういう知らない人が顧客の金を勝手に投資に回して利益を得る
そのこと自体が間違っている

ただ正直投資は株でもあくまでも自己責任である、だから結局知らないものはやるなともなる
地銀であれなんであれ金融機関にまかせるしかない人はやるべきではない
私の場合はいちいち投資のことばかりに時間をさけないからまかせたのである
人間はいろいろいなことはできない、だからどうしてもその道のプロにまかせることになる、でも地銀などは全く投資とか株とは無縁の所だったのである
素人と変わりないのに商売しているのは詐欺だともなる
そして責任は顧客がとらされるのである

大工さんでも庭師でも普通の仕事はその道のプロなのである、これも素人に頼んだら花は咲かないとかまともな仕事ができなかった、そしてこれも金ばかりとられたのである
ペンキ塗るにしても素人だとやり方が間違っていた、だからすぐにはげたおちたとなる
でもプロの人に頼んだらそのやり方から違っていたのである

要するに金融の投資のプロとなるとそういう人は地方ではいないと思う
第一地銀とかゆうちょとか信用組合とかそういう所は株とは投資信託でも仕事としては関係していない、ただ投資先がないということでもうけることができないのでそういう今までしていないことに手を出すようになった
それが顧客の金もそうした投資信託とか何か訳のわからない保険とかをすすめて問題になった
これまでは地方ではゆうちょとか地銀とか農協とかでも信用されていたのである
そこは常に通うなじみのある場だったのである
それが時代が変わり崩れてしまった

でも地銀とかは転勤族が多く地元の人ではない、ゆうちょとか農協は地元の人である
そうするともし投資信託などをすすめて損したら恨まれる、すすめた人もうらまれる
それが地元に住んでいるから余計にそうなる
そこに住んで生活することと遠くから來る証券マンとかの相違である
地域だと代々住んでいるとかで信用を築いていることがある
そもそも信用はなかなか簡単に築けない、時間がかかるからだ
それで農家は三代つづけてやっと農家の仲間に入れられるというのはそのことだろう

いづれにしろ地銀を営業マンを信用しない!

それでJ-REITを売った

そのことで損を防げたとなる、それは前から信用するべきではなかったのである
また知らない人はただまかせる人は株とか投資はすべきでないともなる
ただ貯金でもこれも安全ではない、目減りしたり預金封鎖があるとか貯金自体も今や安心ではない、そうした不安の時代にどう備えるのかとなると正直わからないとなる

ただトータルでは私の場合損しなかったことが助かった
これが大きく損したりしたら地銀とかを恨んだりするし営業の人を恨んだりする
それより今やゆうちょでも地銀でも農林中金でも信用できないとなる
このことが地方で大きな問題になる
そういう場所は最も信用されていた場所だったからである

そもそもこれからは金は信用できないものとなる、金は紙切れになる恐怖がある
インフレも心配になる、実際物価は食料品は上がっている
金の価値が下がっている、だから金自体の価値が下がる
物とかスキルとか技術とかの価値の実体となるものの方が金より有効になる
食料がなくなればもう金をいくら積んでも買えない、戦後の焼野原のとき食料を得るために都会の人が貴重な着物と食料を交換するために農家に直接頼んだようになる

ただ人間社会でもそれぞれの一生でも

悪いことは長くつづかない

楽なことも長くつづかない

幸運は長くつづかない

幸運も長くつづかない、阿部首相は幸運だったのでありコロナウィルスの危機で無能だったことが判明した、ただ幸運で長くつづいていただけなのである
なぜこの辺では自分自身にしても10年間くらい苦しみの連続だったのか
それも幸運は楽なことは長くつづかないということだった
コロナウィルスにししても長くつづかない、いづれには終息する、だから実際は今が株の買い時だとなる
リーマンショックで半分になった株が元にもどして上がり続けたことでもわかる
株は下がりつづけることはない、とこかで反転して上がるようになる
ただその周期が十年くらいになるとすると老人は先がないから株には投資には向いていないとなる
それで庭の夏蝋梅の葉が大きく木陰になっているので夏は良かった
でもそれを短く切ってしまった、そしたらそれが成長するまで長い時間がかかる
つまり老人は先の時間がない、木を植えたとしても成長に時間がかかるから時間のかかるものは植えたくないとなる
だから老人は復興に向いていなかったのである
10年と20年とか時間がかかることができないからである







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2020年03月22日

J-REIT暴落 (その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)


J-REIT暴落

(その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)

J-REITを一月に売って助かった、暴落したからだ
これは別に私が予想して売ったのではない
そもそも地銀の営業の人を信用できなくなってやめたのである

このJ-REITはアメリカのUS-REITをやめて為替で損しないものとして地銀がすすめて買った、私は地銀にまかせた、第一株でも金融のことがわからないからだ
それで一応地銀でもプロですからまかしてくださいというからまかせた

営業の人は分散投資をするのがいいとして

カナダの国債に投資⇒石油産出国⇒石油の値段下がる⇒損

US-REIT⇒一時円安で上がり売りもうける

日本の株⇒リーマンショックの時から元にもどったとき⇒売る⇒J-REITに回す

ここで一番失敗したのはリーマンショックの時に半分に下がった株を元にもどったところで営業の人がJ-REITに回したことである

最初から分散投資が安全

こういうっていたのになぜそうしたのか?

地銀がもうけるためにまた営業がノルマを果たすためにそうしたのである

なぜなら分散投資を言うなら株は売るべきではなかった

私はその時いい感じはしていなかった、でも私は投資に時間をさくことができないのでまかせたのである
そうなると地銀でもなんでもまかせることしかできない人は投資は株でも何でもやるべきではないともなる
てもどうしても地方だと田舎だと地銀とかゆうちょとか農協でも身近であり信頼していたのである

それがゆうちょでも民営化して詐欺のようにして保険を売りつけて問題になった
なぜそうなったのか?
金があっても高度成長時代のように投資先がないのである
何かゆうちょに親が保険をかけていた、それは20年前くらいなのかその保険金も利子がついて高くなって受け取ったのである
何か自分は金銭面でも親に良くされていて困ることがなかった

ともかく金融を理解することがほとんど不可能である、プロでさえその全容など知る人はいない、第一ゆうちょとか地銀とか農林中金とかは素人でありたいして自分が知ることと変わりなかったのである
それはこれまでそうした金融にかかわることがなかったからである
それが投資先がなくなりその巨大なゆうちょであれ農林中金であれ地銀の金がアメリカの金融関係の会社にねらわれていかがわしい投資先に金を投資している
CLOとかがそうである、その金が何兆円とか莫大なのである

なぜゆうちょを民営化したのか?小泉前首相がそれを売りにしたのか?

これも今になるとアメリカの金融資本会社に銀行や保険や証券会社に日本人が貯金した金を売るためだった!

つまり日本の金がアメリカに奪われるということだったのである 
それを推進したのが外資の顧問などをしている竹中平蔵だとか言っている

現代のグロ−バル金融資本主義は巨大でありその巨大なものを理解することが不可能である、そこに巨額の金が奪われてもそれも犯罪にもならないのである
何か巨大なものは複雑なものは犯罪にはならない、戦争とかなれば他国の富を奪っても犯罪にならない、かえって正義とだとかなるのである
10億円とか百億円盗んだ人は英雄になる、一人殺したら犯罪だが千人殺せば英雄になるのと同じである

そうしてグロ−バル経済の中で巨額の金がギャンブルのように株式市場で操作されてそこで莫大な富を得ているのが国際金融資本家だとされている
それがコロナウィルスでブレーキがかかった
だからこのコロナウィルスは何なのか不思議なのである、これだけの力をもつということが不思議なのである、これだけの力を一国でも中国でもアメリカでももてないからだ
とてもグロ−バル経済を止めることなどできないからだ
それはこうしたグロ−バル経済の欲望資本主義の暴走を止めるためだったのかともなる
もうグロ−バル経済でも資本主義でも限界に来ていたからである
巨額の金の投資先がなくなりゆきづまっていたからである

何か資本主義というのは日本人の体質に合わない、農耕民族に合わない、農耕民族に日本人にあっていたのは貯金なのである、貯蓄なのである
米を作ればそれを貯えるということで安心する
でも資本主義というのは何かそういう文化と根本的に違っているのである
農耕民族は定着文明でありなるべく争わないようにする
でも狩猟民族だと獲物をとって移動する、だからそこで争いになっても自分の主張を通すそしてまた別な地域に移動するから争うことを恐れないというのもそうかもしれない

狩猟民族は獲物を捕る、それをがつがつと食べる、そして獲物がそこになくなったら移動する、それだけ大陸は広いから移動する場所があるからそういうことができる
遊牧民もそれとにたものである
農耕民は基本的に一定の土地で作物を育て貯えることが基本である
だから資本主義に合わない、理解できないのかもしれない、アメリカ人は貯金はしない、投資している、貯金することは資本主義ではそもそも合わないのである
高度成長時代は貯金してもその金の投資先があったから利子がついていたから良かったのである、今はいくら貯金があってもその金を投資してもうける先がないのである
貯金自体は富を生み出さないのである
それで資本主義が行き詰まったとなる

いづれにしろ地銀でもゆうちょでも金融でも他人の金に責任はもたない、やはり責任をとらされるのは金を出す本人である
だから知らない人はやるべきではないとなる
でももう貯金しているだけではその貯金すら目減りしてもう預金封鎖だとかなんとか貯金自体を維持できなくなる
つまり貯金というのは資本主義では常に利子がつき増えない限り意味がなく消失してしまう危険がある
それにしてもリスクはさけられない、誰がコロナウィルスのことを予想していたか?
これをみても予想ができないのである、どういうリスクがあるから予想できないのである
コロナウィルスで世界がグロ−バル経済もブレーキがかかり世界自体が変わってしまうからである
そして世界恐慌がやってくるというからまさに恐怖だとなる

とにかく老人にはまた投資は向いていない、なぜなら投資は長期的にみないとわからないからである
それでリーマンショックに半分になった株が元にもどりさらに上がりつづけていた、その時売れば相当にもうかったのである
老人は先が短いから投資に向いていない、後は死ぬだけだとなってしまうからだ
それから老人になってからはその人の残すべきものに集中すべきである
私の場合は文学的創作とかに集中したいから頭も手も回らない、家事を全部しているからそれだけで時間をとられるのである
とてもあらゆることに頭もまわらないし時間もさけないのである




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2020年03月13日

コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る? (政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)


コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る?

(政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)

コロナウィルスでなぜ休業することでこれだけ騒いでいるのか?
それは日本人が貧乏になり貯金がない人が多くなった
その数が多すぎる、こんなに貯金がないのかと驚く
ただ不思議なのは江戸時代でも戦前でもその日暮らしだった
宵越しの金はもたないという江戸っ子がいたとしてもその反面は金をもてない
貯金できないということである
だから何か急に金が必要な時どうするのかとなる      

こういう時代は物でも何でも計り売りである、少量を買ったり売ったりしている
だから子供の時、酒屋にいって樽から量り売りをしてもらっていた
それをやらされていた、店でも計り売りである、飴一つとか子供は買いにきていたのである、私の家で家を貸していたときも毎日家賃をとりに行っていたという
毎日ということはその日暮らしだったということである
日銭稼ぎであり貯金もなにもなかったのである

生活保護だとそもそも貯金が禁止されている、貯金するとそれがわかると生活保護が停止されるから困る
ところが人間は必ず病気だとか事故だとか突然のことで金がいることがある
そうなると貯金がないと困るのである
貯金がない人が増えたというとき日本社会が貧乏な人が増えたとういことである
だからこういう緊急時には困ることになる
つまりその日暮らしが日雇いが変化した非正規とか何かフリーランスとか名前が変わったがそういう人が増えている
第一貯金があればすぐに暮らしに困ることはないからだ

団塊の世代になると高度成長時代でありな貯金した
貯金したのはその時利子が高かった、7パーセントの時すらあったから貯金した結果倍と三倍にもなった恵まれた時代だった
だから貯金していれば安心だとなっていたのである
今になると銀行に貯金しても利子がつかない、それよりゆうちょでも銀行でも高齢者から投資信託や保険をすすめる、これがわかりにくいのである
まず60以上になると株式や投資のこと自体を理解することがむずかしいのだ
でも高齢者では金をもっている人が多いからゆうちょとか地銀が地元で信頼していたからそういうことでものりやすい、つまりゆうちょでも地銀でも投資先がない、借りてくれる会社もないからそうなった

貯金するなとか言う人も今は多い、なぜなら貯金しても利子がつかないし目減りしているからである、金融資産はこういうときあてにならなくなる

でも何か困った時どうするのか?

貯金がなかったらどうするのか?それで借りるほかなくなるがこう言う人は返せないのである、だから貯金は必要なのである、でもその余裕が今はない人が多い
それでこういう緊急事態に困窮する人が増えたのかとなる
大会社だと休業補償が政府から8000円でも非正規とかフリーランスはその半分だとか不満になる、政府の政策では必ず割を食う人がいる
この辺の原発事故の補償でもそうである
30キロで区切られたからその内部の人は手厚いのである

医療費は10年間無料、高速も無料

30キロ以外はなし

この差別も大きかった、30キロ内は補償金でも三倍とかもらっていた
こうして必ず政府からの補償金は平等にならないのである
誰かが必ず損する、割を食うのである
これは別に南相馬市だけではない、相馬市とか30キロはずれたらほとんど補償金はもらえなかったのである、それで大きな不満が残ったのである
それで地域が分断されたのである

いづれにしろ貯金がない人が増えたという時、相当日本は貧乏になっている
そうなると昔のようにその日暮らしの人だって増えているから何か緊急のことがあったらたちまち窮するとなる、これも困ったことなのである

posted by 老鶯 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年02月29日

中国は農業大国ではない? (中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


中国は農業大国ではない?

(中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


食糧を輸入に頼る中国は「土地が広大なので農業大国になれる」は誤解
(妙佛 DEEP MAX)

 大豆の自給率が94%から13%にまで落ち込むなど、急速な衰退をみせる中国農業。野菜果物に関してはすでに輸入量が輸出量を超えた。世界の穀物生産量の20%以上を占めるとあって、その影響は世界にまで広がる

 工場排水で農地が使えなくなっている、工場で一時的に収入を得るために農業より工業に重点をおいた、その農地を回復するには莫大な金がかかる
       
そもそも中国はあれだけ広いのだから農業中心の国と見ていた

では何で日本に野菜輸出しているのか?

それは毛沢東の時代は飢饉のとき外国に食料を外貨を得るために輸出していた

中国を汚染されても気にしない、農業より工業で外貨を得ることを優先した

それは原発事故でこの辺が放射性物質に汚染されて農業が衰退した 

これは中国だけではない日本のことである
原発事故でこの辺は土地も汚染されたし海をも汚染された
それは回復不可能なほどにもなった
まず生態系全部を除染などできないからだ
今でも溜池を除染している、その溜池でもいくつもあり泥をとったとしても周りから泥が流れてきてまた放射性物質が蓄積する
そして肝心の広いダムは除染していない、広すぎるからできないとなる
だから除染というのは途方もない労力がかかるし金もかかる
だから避難区域になった所では農業は回復しない、除染も焼け石に水だともなる
だからこの辺は中国と同じようになっているから中国だけを批判できないと思った

それから毛沢東が飢饉のときやはり人民のことを無視して食料を野菜でも輸出していたという、それで毛沢東は人民のことなど思っていなかったという
でもそういうことは日本の歴史にも特に東北にあったのだ 

津軽藩は大量のムダ遣いによって商人から多額の借金を抱えてしまいました。津軽藩は農民から徴収した年貢米を換金して借金を返済していました。

 そんな中に起きたのがこの天明の飢饉です。借金に追われた津軽藩は非常時の備蓄米すらもお金に換えていたため、餓えに苦しむ農民達に米を支給することが出来なかったのです。東北は本来、ヒエや麦が適した地域で、米の栽培には適していません。しかし、お米はお金になるという理由で、東北の多くの藩も商品性の高いお米の栽培を奨励していたのです

この天明の飢饉で相馬藩の三分の一が消失してしまった
その跡を埋めたのが越中などからの移民だったのである、だから相馬藩内の墓を見ると真宗が三分の一くらいあるから歴史の重みとして明確にわかる
このことは商品作物はグロ−バル経済でそうなりやすいのである
アフリカなのかコーヒーばかり作り外国に売っているとある時コーヒーが売れなくなったりすると安くなったりするとその土地の人が飢饉にもなる
それで他の食料も作っているべきだとなる
つまり外国のために売る商品作物を作るだけになると食料が確保できなくなる危険がある日本でもコロナウィルスとか何かあると中国から野菜でも入らなくなる
食料が入らなくなる、グロ−バル経済にはそういう危険がある

中国の歴史を知ることは密接に日本を知ることだから本当は中国の歴史をもっと学ぶべきなのだが明治維新後はヨ−ロッパとかアメリカ一辺倒になったので中国のことがわからなくなったのである
中国と交流があったのは唐の時代でありその時遣唐使が日本から送られてその文化を漢字や仏教を取り入れたのである
その後は交流があったとしても日本は日本の独自の歴史を作って来た
でも没交渉ではなかった、鎌倉時代には禅宗などを取り入れた、これは実践を重んじる中国的なものだった、鎌倉の五山文化が作られた
ただ江戸時代になると鎖国になり没交渉になった
そして今中国がグロ−バル経済で世界帝国を目指すようになった
それで周りで警戒するようになったのである
また中国とは何かを見直すようになったのである

ここのyoutubeは相当に人気がある、語りも面白いのである、それは中国に長年住んでいたからあれだけ詳しいとなる
youtubeにはアメリカで事業していた人とか外国生活している人も語っているからテレビと違った情報を提供している、それが新鮮なのである
つまり外国を鏡としてまた日本を見れるときその比較で明確に見えるものが生まれる
また歴史を知るというのはそういう過去の対比で現在を見る
すると今の時代が見えるということで過去を歴史を知るのである
そしてつくづく歴史は人間が生きることは継続でありカルマなのである、繰り返しなのである

洪武帝が土地が旱魃になり両親も死んで子供のときに一人になってしまった
それで僧になり乞食して生き延びてやがて流民化した農民の軍隊に入り皇帝までなったのである
その僧になったというとき何か乞食するには僧になるのがいいのである
僧になる理由は悟りを求めるとか求道だけではない、飢えて食えなくなったとき僧になり食料をもらう、逆に食料をもらうために僧になるのである
僧には日本でも過去にもそういう人がかなりいたことは確かである
そういう人が遍路にいた、何か最初わからなかったがその人に金をやった
その金は大きかったからその人はためらった
そしたらお経をあげるとしてあげたのである
こうなれば単なる乞食ではない、俺は御経をあげてやる、あなたは私を敬いなさいとなる
その人はプライドがありそうしたのである、にわか僧になったのである
こういう人も食うために追い詰められてそうなった、意外とカルト宗教団体の人にも多い
それは常にこうして食うことでも追い詰められて宗教にすがり宗教を利用するからである
上から下からそういう人たちが集まるからである


その人は僧だったの?

その人は仏教のことなど何も勉強していない、ただ遍路をしていて誰かをまねたのだろうその人はホームレスだったのである、四国ではホームレスが僧になりやすいのである
それは遍路で僧になっていれば食料でも恵む人がいる土地柄だからである
こういうことはだから人間の歴史として継続している
食うために僧になる人がかなりいたのである、今のカルト宗教団体などは何かそこで御利益を得るしかない、だから食い詰めて僧になった人とにている

とにかく中国の歴史は過酷なのである、その生活も過酷である
人民の数も多いからそこで競争も熾烈になる、食うか食われるかの世界にもなる
そこに情実が入りにくい、生き延びるために必死になる
中国でも飢饉が常にあったからだ、するとその数が多いから流民化する
その流民が軍隊化して洪武帝が皇帝になったのである
十数年前には蒸気機関車も走っていて鉄道の貨物列車のようなものに地方から都会の工場に出稼者が家畜のようにつめこまれていた
車掌は本当に鞭をもっていて打っていたというから過酷である

欧米と違って中国はやはりなにか中国の延長として日本がありリアルなのである
ヨ−ロッパとか中東でもアメリカでもなかなか理解しにくいが中国の歴史は日本にも通じているから理解しやすいとなる、でも同じ漢字でもその意味することは違ったものになっている、中国と日本の差も実際は大きいのである
中国人もまた日本人のことを理解できないのである

いづれにしろ中国を知ることは日本を知ることでもある、それは外国を知ることはまた日本を知ることなのである、だから中国に対する理解を深める必要がある
中国と韓国はもう一つである、李朝鮮時代は中国の属国としてあったからである
韓国を知るには中国の理解が不可欠である、韓国は中国の歴史の一部になっていることは確かである



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2020年02月18日

ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資 (ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者)


ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資

(ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者) 

goldmansach.jpg

ゆうちょ銀行破綻の危機が来るか?日本が売られている可能性がある!?

youtubeの説明はわかりやすい、金融の専門家が話している
地方のゆうちょでも地銀とか相当にレベルが低い
そもそも地方では田舎では貯金していれば今までは利子ついていたのだから
預けておくだけで利子がつくから安心だったのである
いろいろ悩むこともなかったのである
だからそういう日本が成長する時代はゆうちょでも銀行でもみんな信頼していたし
そういう職業は地方でぱ公務員と同じでありエリートになっていたのである

自分自身も株のことなど投資のことなど皆目わからないのである
それを知るために経験と時間が必要である
それができないから地銀の営業マンに一切委託したのである
いちいち株でも一人でやるとなるとパソコンで取引していたら後は何もできなくなる
でもいろいろ勉強すると

ゆうちょでも地銀でも投資のことは理解していない素人だった!

日本が成長するときはそもそもゆうちょでももともと国営であり地銀でも投資する地域の会社を育てることをしていなかった、ただ担保だけを見ていたのである
だから担保がない人には貸さなかったのである
つまり楽な仕事だったのである

このyoutubeの説明でわかったことは

ゴールドマンサックスは仲介業者であり手数料をとるだけ!

こういうふうに説明している、これは地銀と同じだと思った
適当に投資信託を選らびそれを顧客に売りつければ手数料が入る
投資信託は銀行が絶対に損しない仕組みである
リスクは負わないのである、地銀自体が証券会社の商品を仲介して売りつけて手数料をもらえばいいとしかないのであ
その手数料が高すぎるのである、だからこそ地銀にとってゆうちょでも都合のいい商売だとなる

ただそれでもゆうちょでも地銀でもプロだと思っていた、ここが根本的に間違っていたのだゆうちょでも地銀でも素人であり自分とかわりなかったのである

それで今度は逆にゴールドマンサックスが売りつける怪しいものにCLOに巨額の金を投資している、それはアメリカの中小企業とかに貸し付ける金である
でもその中小企業が借金になり返せないとリーマンショックのようにバブルになり
リーマンショックの再現になる
それが近いとも言っている

ではなぜアメリカの株が上昇して下がらないのか?

日本の株もまだ下がらないのか?

下がっていいはずだというときそれは日本だったら阿部首相が政府が工作して下げないようにしている、アベノミックスで政権がもっているからである
それはアメリカでも同じだという、政府が介入して破綻を延期しているだけだという

とにかくゴールドマンサックスのような仲介業として手数料をとっているのが地銀だった
営業マンはリーマンショックの時もっていた株を投資信託に回して損しないにしろその株をもっていればかなりのもうけになったのにできなかった
その時自分自身で判断すれば自分の責任であり責任は言わないのである
でも地銀は手数料はもらうが一切責任はとらないのである
分散投資のことをしきり言っていたがそれすら自分のノルマを果たすために守らなかったからだ
結局地銀でもゆうちょでも金があってももう利子をつけて顧客に払うことができなくなったのである

だからこそ何かいかがわしいゴールドマンサックスのもってくる投資信託を買わされている、そしてゴールドサックスマは手数料をとるだけだから地銀と同じである
そして前の小泉首相が郵政民営化をあれほど政策としてかがげていたのは何だったのか?それは民営化してその金をゴールドマンサックスなどを通じてアメリカの中小企業に貸す金だったとなる
民営化すればそれがしやすくなるからだ、政府の責任にならないからである

グロ−バル経済というのは複雑である、その複雑さ故にだまされる
地銀とかゆうちょは地域に根ざすものでありそうしたグロ−バル経済の投資にかかわっていなかったのである、だから素人なのである
それで一番危ないのが農林中金の金がその怪しいCLOに投資して奪われるとういことが言われる
もう地方の人たちが苦労して働いた金がこうして奪われ無に帰するというのも無念だとなる

ただ今問題なのは資本主義がゆきづまっているというとき投資先がなくなったからであるアメリカでも金があっても投資して利益を得られる先がない
金の行き場がなくなっているのだ、金余りでありそれがバブルになる
古銭とかに古いコインに投資するとかもそうである
そんな一つの貨幣に一千万とかなるのも驚きである
それもバブルなのかと思う、金の値段が上がるのもわかる
カネ余りであり投資先がないからである
チューリップバブルも金余りになりバブルになりなったと同じである

いづれにしろグロ−バル経済の仕組みは複雑で素人にはわからない、でもなんか放射線とか核よりは勉強すれば情報が入ればそれなりにわかるのかとなる
youtubeの説明はわかりやすいから壺を理解できる
ただそれも深く知ることは至難である
今はこうして金がある人は金のことを心配する
預金封鎖があるとかなんとかそんな話しかないからである
預金も消えてゆくという不安があるからだ
紙幣とは紙にすぎない、だから古いコインはコインでも紙よりいいのかとなってしまうのである

私の母は前の夫は事故で死んで補償金をもらって一生楽に暮らせると言われていた
でも戦争になり預金封鎖になり本当に紙くずになった
でも実家の近くに買った土地だけは残りそれが金になったのである
だからこういうことがあるから一時は土地バブルになったしまた今は金が上がっているのだ

結局どんなことしたって完全な安全を計ることはできないのだ
突然コロナウィルス騒ぎになったり不測の事態が必ず起きる
それはそれぞれの個々人でも起きる、病気になったり何か不測のことが起きる
それは一生の中で必ず起きる、自分自身も60以降介護とか自分の病気とかで塗炭の苦しみになったからである

そしてまた母のことだが母は冒険などしない大人しい女性だった
家からほとんど出ない人だったのである

ところが

炬燵に入っていたとき突然近くの川が氾濫して床上浸水になった
私の家は街中で一番低い場所にあったからだ
そして母はあわてて米をもちだそうとしていた
その時水が家の中に入ってきて米をもちだそうとしてその炬燵の穴に入って骨折する大けがをしたのである                  

つまり家の中にいても安全はなかった!

こうしてリスクのない人生はない、安全を計っても必ずこうして不測のことが起きて大けがしたりするのである
だから火宅の世だとか言われるのである

ともかくグロ−バル経済にはからくりがある、株価はアメリカでも日本でも操作しているアベノミックスがそうでありアメリカでもゴールドサックスマンと政府が操作しているから株が下がらないがそれも限界が来てまたリーマンショックのようなことが起きるとしている
もう資本主義が投資先もなくなり成長が望めない、それで限界が来たとなる
だからゼロサム社会とか中世にもどるとか言われる

私が追求するのは内面的心であり真善美である、日本だったら国風文化の再興である
これ以上グロ−バル経済の発展はない、かえってマイナスになることが害になることが大きくなったのである
必要なものではない、不用なものも買わされる、不用だけではない害になる食料でもアメリカから買わされることになったり武器を買わされたりと日本は負担が増える
それもアメリカ様に逆らえないとなりそうなる
だから経済に公平などないのである
アメリカとか中国が冷戦状態、貿易戦争になるように覇権争いになり経済も政治に支配される、経済自体にもグロ−バル経済で国際金融資本が支配するとなり日本がの金が奪われる

そういうことにyoutubeを見て気づかされた、ただその奥ふかい所を理解することは至難である
それで陰謀論に必ずなる、結局その闇の正体が解明できないからである
そもそもこの闇の主とはロスチャイルドとかロックフェラーだとユダヤ人とかいろいろ言うけどそれは聖書で言う闇の主、サタンだともなってしまう
結局その主は具体的ものとして見えないからである
ただ中国でも共産主義でも極端な格差がありその格差がどうして生まれるのか?
それが現代経済の最大の問題なのである
それでアメリカで一万人もインフレインザで死んでいる
それは保険に入っていない貧困層が膨大にいて医者にも行けないからだとしている
つまり格差社会は階級社会になる時その上層部にもウィルスの蔓延が及ぶから無関心ではいられないのである、また犯罪を増えるから見過ごしてはいられない
それで南米の大金持ちは誘拐があるから警備員を私兵を雇っている

習近平でも独裁でしめつけ言論を封殺したのはいいがそれがかえって裏目にでた
ウィルスを蔓延させた、最初に警告した医師は言論封殺されて自らもコロナウィルスにかかり死んだ、つまり習近平体制がゆらいでいるのは言論の自由がないからだとなる
そのこと自体が共産党一党独裁が崩れていく原因ともなる
だから民主主義の第一のルールが言論の自由を守ることであり情報公開だとなる
それが原発事故でも証明されたのである
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2020年02月17日

貧困が見えない社会(車上生活者が増えている)


貧困が見えない社会(車上生活者が増えている) 

「家族3人で車で生活していた58歳の女が、死体遺棄の疑いで逮捕されました。」
「母親の遺体を車に放置したとして逮捕された58歳の女性。
家族と一緒に1年にわたって車で生活していました。」


現代社会の特徴は貧困でも見えない、昔だったら乞食がいたとしてその人はあからさまに貧乏であり助けがないと生きられないことを社会に訴えしいたのだ
なぜなら家もないし日々食べるものがないから乞食であり食を乞うものだったからであるそもそも乞食というとき食を乞う人だった
それで細菌アメリカでもフードバンクなどができて無料で食料を配ったりしている
ともかく団塊の世代では乞食がいたことを知っている
それも戦後10年以内に全く消えたのである

そうすると今はそうししてあからさまに乞食のように貧困になっている人が見えないのである
その人たちはどうなったかというと生活保護になる
生活保護だ頼みの綱となる、それで常に役所の福祉係と交渉することになる
生活保護でも医療費が無料くらいの人がいるし最低の生活すら維持できない人がいる
ここで紹介された人たちもそうである
つまり最後は電気水道代などが払えない、家賃が払えないとなり車で生活することになる基本的に最低の生活すらままならないからである

例えば貧乏な時代というものが現代ではわからなくなった
私は団塊の世代は戦後十年くらい経験しているのだ
水は近くの井戸水を無料でもらいトイレは外のトイレでその糞尿を農家の人が肥料としてもらっていった、燃料がないので風呂は材木屋のバターをいらなくなったものを利用していた、おそらく無料だったのだろう
それで私の仕事はそれで風呂をたくことであり新聞紙はトイレの紙に利用して風呂焚きにも利用した、その時米を炊くのに竈も使っていた
つまりこれは江戸時代なのである
そして私の家では戦前に家の部屋を長屋のようにして貸していたのである
それで姉は毎日その部屋代の金を集めていたという、なぜ毎日だったのか
一か月まとめて払う金がない、その頃は江戸時代のようなその日暮らしが多かったのである、宵越しの金はもたねえとか江戸っ子が言っているがそれはその日暮らしだったからである、燃料は炭であり江戸時代のつづきだったのである

そういう生活でも一応部屋だ借りられて水とかも無料であり金がほとんどかからないから生活できたとなる
現代の貧乏は家賃がかさみ、電気水道代ガス代とか燃料費がかかりそれで必ず不足して
生活できなくなる、その人は毎月そうなのである
だから車内で生活するようになるというのも現代的である
車というのは一つの家なのである、雨露でもしのぐことができるからだ
それでキャンピングカーがあったらあれなら家が移動していると同じでありうらやましいと見ている

現代の貧困者は露わに見えない、昔だったら醤油でも米でも味噌でも隣から貸してくれとかくれろとかあって分け合っていたときもあった
それは恥ずかしいことではない、みんな貧乏だからそうなったのである
そういう生活をみんなしているから助け合ったとういことがある
昨日書いたなぜ日本のもてなしがあり外国でも旅行者に対してホスピスがあったのかを欠いた、昔の旅人は歩いていたから疲れる、すると病気になる人だっている
それでケアしたり看護したりする、そこからホスピタルになった
そのことが余りにも便利になり車で移動する時代になるとわからなくなった
だから私が自転車で旅すると旅館でも泊まりにくい、歓迎されない、ホテルは余計に泊まりにくい、ふらふらになるほど疲れていてももてなしもないのである
「疲れたでしょう」とかの一言もない、何でいい年して自転車で旅しているのだ
胡散臭い奴だとしかならないのである
でも江戸時代なら一日40キロも歩いてやっと宿につく、すると迎える人もそのことを知っているからもてなす、癒しがありうる
こういうことでもつくづくその時代の社会がわからないと実感できないのである

まず自転車で旅する時良くテントを張ってねる、でも車でも人が泊まっていた
それがわからなかったのである、つまり自転車の人は自転車を利用する人と話する
でも車の人とは話もしないのである、車の人とは交流しないのである
昔だったら必ずみんな歩いているのだから旅は道連れとなりそこに人情が生まれていたのである
だからクルマで生活すると言いうのは現代ではそうなっても当然だとなる
車だと家賃も払わなくてもいいとか水道代とか電気代とかも払わなくてもいいとかなる
でも車自体に移動すればかかるのはガソリン代とかあり普通に車を使用すると一年に30万から50万かかるとかその額が大きいのである
ただ寝泊まりだけならそれほどかからないとなる

現代は本当に貧困化していて格差社会になっている、普通の生活すらできない人たちが増えている、ただそれが昔の乞食のようにあからさまに見えないのである
でもそういう人たちが車で生活していると知れば納得する
車は本当に家なのである、ただ住所がないとかなればいろいろと生活しずらくなる
貧困化すると家賃も払えなくなる、それが現代の貧困である
現代では醤油でも塩でも米でも分け合って生活するということがない、人情がなくなった社会である、あとは生活保護を受ければいいとかなり貧困者には無関心なのである
そうして格差社会になっている

今までは自己責任とかあったがそれが数が多くなると中産階級が没落してゆくとそういうことも言っていられない、アメリカでトランプ大統領が出てきたのは極端な格差社会になりアメリカの中産階級が没落してラストベルトとかが生まれたからである
日本も同じでありこれまでの中産階級が没落してゆく
そういう現象がすでに非正規とか就職氷河期とか20、30年前からバブルが崩壊してから徐々に進行していたのである
それが今から顕著なものとして現れてきたのである

私は恵まれたとしても何の贅沢な生活もしていない、旅したとしても最低であり食べるものも最低である、自転車だったら泊まるのも無料だとなるからだ
だからもともと私は旅館とかホテルとかは好きではない、そういう場所は現代では旅人をねぎらうところではない、金持ち用の保養の場所である
だから金持ちしか歓迎されないのである
格差社会になるとニセコとかは金持ち用のリゾートになり土地が高くなる
そこは階級社会を現実的に見る場所である、地元の人たちとは関係ない人たちである
でも貧困化するとそういう人たちをもてなす優遇する他ないとなる
それがグロ−バル経済でもある

でもそういうことは日本の文化を破壊するのである、日本は江戸時代でも特別の金持ちがいない、侍でも同じである、みんな貧乏だったからである
旅人でも殿様意外はみんな同じ部屋であり特別の部屋はない、金のあるなしで差別などしないのである
階級社会になると3万とか4万でも泊まる人は優遇される、すべて金で差がつけられる
それが日本の文化を壊してゆく、もてなしもそういう金持ちだけにされる
苦労して旅してきた人など目もくれない、なんで自転車などで旅ししているのだ
こいつは浮浪者かもしれないとか相手にされないのである
だからすでに車をもたないだけで階級差が生まれる
車すらもていないのは下級国民下層階級なのである
ところが不思議なのは車をもっていても最下層に落ちて車が家となって生活するほかなくなっている人たちが生まれてきたということである
これもつくづく現代的だと見たのである
ただこの放送は見逃していた、再放送で見たいとなる

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2020年02月02日

極限の貧乏の衝撃 (バックパッカーが見た世界の現実の紹介)


極限の貧乏の衝撃

(バックパッカーが見た世界の現実の紹介)

貧しい国と物乞いの現実に「貧しさ」と歪みを考えた:二宮祥平放浪時代

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これは江戸時代の長屋と同じだった
七輪で煮ていた

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私は五歳以下の時、何か病気になった
医者に行ったのだが注射が失敗した
その後でも傷が残り腿のところが大きな傷跡として成長した時残ったのである
おそらくその頃の医療技術は低かったかもしれない
でも一応医者がいたということである



貧乏もこの話聞くと悲惨である、もう極限の人間を見て来た
それはなかなかテレビとかでは伝えられないものである
子供を産んだら乞食にするために身体の一部を切り落とすとかある
それはインドにもあるとか聞いた
スラム街を見たらそういうこともありうるのかともなる

そして途上国はそんな食うや食わずでも子供がわんさと生まれているのかということである、そんな極限の状態で子供を産むのかとなる
でも日本の戦後の動画がでていた
それは昭和21年でありその一年後に自分が生まれた
その時政府から500円を配給されたのである
預金は封鎖されておろせなくなった、それでとてもじゃないがもう栄養失調になる
働く力もでないとビデオで写していた

私の母親は前の夫が事故で死んで一生食べていける保険金をもらった
でもこのようにその時預金封鎖になり金を消えた
でも故郷の実家に買った土地だけは財産として残ったのである

とにかく日本は本当の貧乏というものがわからなくなった
今も確かに貧乏化しているからそれを嘆いているしまた日本は貧乏になると騒いでいる
でも日本人は本当の極限の貧乏がどういうものかわからなくなっている

なぜ子供の体の一部を切りおしてまで乞食にするのか?

生活保護がない、国の福祉がない

そのために同情させるためにそこまで親がするとなる、親も子供にそんなことができるのか?
でも極限状態ではそうなる、娘で売ることもあると同じである
日本でも戦前はそうした貧乏があった、ただ戦後10年は江戸時代のようなつづきの生活だった
燃料は炭でありトイレは外のトイレであり風呂にたくものがなくバターとか不用の切れ端を使っていた、水道もなく家には何もない、裸電球一つだった
今の電気製品は何もなかった
そしてその映像で鍋も買えないとしていた、鍋すら買えない貧乏だったのである

不思議なのはなぜそうした貧乏なのに子だくさんで子供があふれていたのか?
それは途上国のスラムのような場所とにている
子供はそんな極貧の中でも生まれて多いのである
それで子供が親を裁判で訴える映画が紹介されていた
親を生んだことが悪いとして子供が訴えたのである
これも極貧になるとそこまでになる

つまり日本では確かに今貧乏化している、でも本当の貧乏がわからなくなったのである
私の父親は病気になり仙台からバナナを買って食べさせた
バナナ自体がなかったからだ、そして最後はサシミを食えるようになったけど
食えたくないと言って死んだ
なぜなら病気で食えなくなったからである
それは戦後10年くらいはそうだった、ただそれから急速に日本は高度成長したのでそういう貧乏が忘れられた
ただそういうとき子供だったが貧乏の苦しさを感じなかった
家にはなにもないとなっていたけど自分は特別愛されたからそこで苦しい思いでは何もないのである

人間は今だけを見ていると今はわからないのである
なんでもあるのが当然だとなってしまうからだ、それで貧乏でもこうした極限の貧乏のことは理解できなくなったのである
別にそうしろというのではなくやはり時代でもまた世界でもいろいろな国があり比較する時みえてくるのもがある

この人の言っていることはやはり生々しい経験をしているからこそそれが訴えるものがある
それもyoutubeとかの発言で今までにないものが発言されるようになったとみる
私はyoutubeのことはまだまだわからない、こした新しいものはメデアでも理解するまで時間がかかるのである
そうすると老人は最新のことが理解できないとなる
私はなんとか50代でバックパッカーになって世界旅行したからなんとか理解するようになった、でも世界旅行でもどこまで深く世界を見るかは違ってくる
私はまたそこまで深く見ていない
だから香港に2年住んでいいたということで中国をリアルに感じたもの発言している
香港は必死であり中国に逮捕されると獄死させられる
中国にその逮捕特権が奪われることで命がけで抵抗しているということもリアルにわかった

やはり何か訴えることはマスコミだと何かもう一つ深いところで訴えるものがない
抑えた表現になるからだ、すると真実が見えないのである
確かにyoutubeは新しい情報世界を作り出した
顔が見えるし何かその人となりがわかる、テキストだとその人となりがわかりにくい
そして部分を文章の一部を引用しているだけだった
プログは何か一部分をきりとったようなる
その人となりがかわりにくいのである
ただ毎日読んでいるようなプログはその人となりがわかるが私の場合はそれは一つしかない、それも貧困をテーマにして
ダークネス(鈴木傾城)というサイトである

とにかく今貧困が話題になるが本当の貧困が日本人はわからなくなったのである
それは高度成長で豊かな時代を経験してそれから経済は停滞してきた
でも本当の貧乏がどういうものかわからない、一応なんとか極貧にならない生活を維持しているからである

それからその人は物乞いする人には乞食には金を与えない

それはなぜか?

必ず他の人も金が欲しいと群がり争いになるからだという

それで気づいた、アフガニスタンで中村哲氏が殺された理由がこの地元の人たちの水をめぐる利権争いが原因だとしているからだ
つまり乞食でも金をほしさのために地元の人たちで争い、そしてその金をくれる本人まで殺したとなるからだ
そこに極限の貧困の中で暮らす深い闇があった
それはなかなか日本ではもう経験できない、ただ人間は本当の現実を真実を知るべきなのだがマスコミから放送されないのである
何でも常に隠される、すると現実が真実でもリアルにわからないのである

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2020年01月30日

時給で雇われる人はモチベーションがもてない (金だけでモチベーションが持つことができるのか?)


時給で雇われる人はモチベーションがもてない

(金だけでモチベーションが持つことができるのか?) 

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このソファーの良かったのは一人分だと窮屈になる、二人分だと広いからゆったりとする
これは一人分の用があるということだけでは十分ではない
一人分だけの有用さを作るとしてもそこにさらに二人分となると無用となってもそこに老子の言う無用の用が生まれるのである
だから一人分の椅子とかソファーがあるがこの二人分のソファーはゆったりと座れるのである
通販だと大きさと座り心地とかわからないことがある
それで失敗している、確かに寸法が書いてあっても全体の大きさとか直感でわからないのである
だからすべて通販がいいとはならない
でも通販だと配達が無料である、そこが矛盾なのである


イオンに行ってソファーとか棚のようなものを買った
配達料が千円とられる、そこに消費税もとられる
だから実際は高くつく、車がないから配達してもらほかない
でも通信販売だとソファーでも大きさとか座り心地とかわからない
それから着るものでも体にヒットするとは限らないので失敗した
それでソファーはいいものだと言った
でもその人はイオンに雇われる人であり何か売る気がないし
買ってもらって喜ぶということもない

要するに時給で雇われる人はそういうふうにモチベーションがもてない
ここで雇われているのはただ時給いくらであり他でも百円高いなら他で働くとかなる
何かコンビニでもそうだが時給で働く人はモチベーションが低いだろう
結局いくら働いても時給で決まっているからである
そして何かあなたはこの会社で特別な人だとかならない
雇う方でも時給いくらだとしかならないから誰でもいいとなる
それは誰でもできるものだから今度は安く外国人を使った方がいいとなる
外国人の方がベトナム人でもはネパール人でも為替差益で高くなるからである
それを家族に仕送りしているのである
そういうモチベーションがかえって外国人にある、日本人にはないのである

要するに時給いくらとかなるとそれはAIでもロボットでもいいとなるのだ
だからこそ雇う方ではAIの方がロボットの方が自動化した方がいいとなる
人件費が最大のコストだからである
JRではだから無人化して無人駅を増やしているのである
コンビニでも自動化してゆく、時給で雇われる人はロボットにAIに代わられる安いのである

でも人間は働くという時、今は金だけである、金がいくらもらえるかでモチベーションが決まる、これしかもらえないのかとなるとモチベーションが低下する
それが今の働き方でありそこではただ金だけがモチベーションになる
また非正規だとモチベーションが下がる、時給いくらで安く雇われるだけだとなる
同じ仕事しても正社員と比べると差別されるからだ

基本的に金が給料でも時給でもモチベーションになる、こんな給料でやっていけるかとなるからだ
でもモチベーションというとこれも実際は人間の価値観として重要である
なぜなら資本主義がウェバーのキリスト教の他者に奉仕するというモチベーションから始まったという説があるからだ
他者に奉仕するために修道院から資本主義がはじまった
そういう思想が最初にあったということからモチベーションが重要なのである
社会主義にも平等にするというモチベーションがあり人間のすることにかかわるのがモチベーションである

例えば江戸時代とか戦前とか戦後まもなくとか家族経営とかあった
そこでは家族がみんなで働き家族を守る、家族が共同して豊かな暮らしをするということがあった
そこで自ずとモチベーションが言わずとも強制せずともあった
だから自給いくらで働くのとは違ってモチベーションがあった
売れれば家族の利益となるからだ
今は時給で働いていたらモチベーションが上がらない
ただあなたが売ったらいくらとか会社からその人が売った分が金として払われることがある、そこでモチベーションをあげるということはある
それはあなたの営業力とかを評価するシステムである
ただ家族経営のようにはいかない
それで働くことが端を楽にするということから来ているように家族経営だったら家族を楽にさせたいというモチベーションが働くのである
ベトナム人とかネパール人は貧乏だから家族を助けたいということで働いているのと同じである

いづれにしろこのモチベ―ションは大きな問題である
なぜなら戦争のようになる時死ぬとなるともう金の問題ではない
国のために死ぬというモチベ―ションをもたないとできないからである
とても金だけで戦争して死ぬとなると断る人もでてくる
そんなことで死にたくない、十億円もらっても死にたくないとなる人もいるからだ
だからそういうぎりぎりになるとモチベーションがないとできない

何か人間社会にはこのモチベ―ションがあらゆるところで問題になるのだ
youtubeするにしてもプログにしても何か一か月一千万稼いだとかなんとかになると
そんなにもうかるのかとやる人もでてくる
でも金にならなかったらやらないとなる
でも私の場合は自分の創作したものを文章でも発表できるということでつづけている
それは他に発表する場がないからである
それで別に金にならなくてもしているのである

芸術家とかなると金がもらえるから創作しているのではない、画家だったら自分の納得のいく作品を作りたいというだけでありそれが金になるかならないかは二の次なのである
芸術家に十億くれるからいい絵を描けと言われても簡単にはできない
十億やるから技術者に科学者に発明しろと言われても簡単にはできないのである
そこにはやはりモチベ―ションが必要になる
十億もらえるのかとモチベ―ションになっていい絵が描けたり何か発明したりはできないそこには金だけではないモチベ―ションが必要になる
だから人間の働く基本にモチベ―ションがないとつづかないし店員でも時給いくらだと売る気もないのである、売れても売れなくても時給で同じだからである

例えばお手伝いさんでもそうである、もし子供がいて家族のためなら掃除でも料理でも積極的にする、雇われる人はしない、まず本当に何もしたくないのである
命令して強制しないと何もしない、ただ目的は金をもらいたいだけだからである
もし家族だったらモチベ―ションがあるから家をきれいにしたい子供を育てるとかの目的がありモチベ―ションがあるから自ずからする
雇われる人にはそういうことはないからなおざりになる
ただ金だけを要求してくるのである
そうなると機械で皿洗い機械とか何でも自動化してやれればいいとなる
それは雇う方が人経費を減らすの同じである
つまり今の社会が会社がそういうふうになっている
だからこそ何でも自動化して機械化した方がいいとなっているのだ

働く方もモチベ―ションがない、雇う方も誰でもいい、時給いくらだとか人件費をコストを減らそうとする                

そして会社で求めているのは何か?

AIやIT技術者でありまた機械でありロボットを操作する人である

時給とかで雇う人はいらない→ITにAIに機械にロボットにやらせる

こういう近未来の社会になるとどうなるのか?
コストのかかる人間はいらない、IT技術でAIで機械でロボットにまかせる
でも奇妙なのは別に機関もロボットも何のモチベ―ションもない
その機械がロボットがAIがもうけたいとかほめられたいとか家族のためとか地域のためとか何かそうしたモチベ―ションはない
つまりモチベ―ションをもてるのは人間だけなのである

戦争するにしてもなんらかモチベ―ションがなければできない、生きるか死ぬかとなる余計にそうなる
ところがAIとかロボットとか機械時代にはモチベ―ションはない
何をするにもモチベ―ションはないのである
実はAIでもロボットでも機械でもモチベ―ションをもって動かしているのは人間なのである
ここが人間とAIとかロボットとか機械の根本的相違なのである


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2020年01月24日

中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土 (中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国ではどうしてもウィルスが繁殖しやすい風土

(中国はなぜ汚いことに無感覚で日本人は異常に清潔なのか?)


中国というときなぜか三回も行った、中国は汚いことに無感覚である
一方日本は清潔さでは異常なほぎ敏感である、塵一つでも嫌がる
清潔民俗である、その相違は何から来ているのか?
これもやはり風土からそうなったのではないか?
そもそも中国は清潔に保つにも保ちようがないのである
黄砂とか飛んできて汚れるのが普通である
その汚れを気にしていたら住むことさえできない国である

そして川は大きくてみんな汚い、あらゆるものがそこに流れているのだ
それはインドのガンジス河でもそうである、川は長大でありなんでものみこんでしまう
そしてその川は海にそそぎ海まで濁っているのだ
それで中国でも海から行くと白水といって海が濁ってきたら中国大陸が近い
中国に来たということを意識できるのである
つまりだから中国に入るということは海まで汚くされる国に入ったとなる

中国はそもそも汚いことに無感覚になるように風土的になっていたのである
日本と比べると川はきれいであり透明である
そういう場所にいれば何か少しでも川が水でも汚れると嫌だとなる感覚が身につく
だからこそ禊(みそぎ)とか川で水で洗って浄めることが神道になった
神社でもゴミ一つない、静粛な清浄な場にしている
これも中国と日本の相違なのである
だからその国民性とか文化でもその風土と密接に関係して作られている

そもそも砂漠を見たらどうなるのか?そんなところに住んでいたらどうなるのか?
砂漠では砂が浄めるのである、砂にすべてが埋まり隠されてしまう
その広大な砂漠に穢れはないのである、だからそこに神が住んだのである
日本では水がきれいだし水で浄める、大陸では砂漠が砂が浄めるとなる
日本では砂漠がないのだから砂漠を知ることはできない
また草原もないし大陸のような広大な土地がない、だからそこから生まれる感覚が理解できないのである
つまり日本という風土で育まれた歴史と文化があり大陸で育まれた歴史と文化は違ったものになる

だから中国であれヨ−ロッパであれインドであれその国を歴史と文化を理解するのは本当にむずかしい、ただ比較すると日本はどうしてこれほど清潔なのか?
また中国が汚いことに無頓着なのかわかる
だから中国ではどうしてもウィルスなどが増殖しやすいのである
今回の武漢のコロナウィルスもそうである、ネズミを食べていてそこから感染したともしている、中国人は何でも食べる、飢饉で土まで食べたということもある
人肉も食べる、中国は常に飢饉があると膨大な数が流民化して革命も起きる
何かイナゴ民族のようにも見える、何でも食いつくしてしまう勢いである
それだけ人間が広くでも多いからそうなっている
だから中国の政治ではまず人民を食わせることが第一だとされている
そうでないと反乱が起きてくるからである

いづれにしろなぜ自分が中国に三回も行って被害にもあわなかったのか?
一回はあっている、カメラをとられたが後はそれほどなかったのも不思議である
自分自身は海外旅行に慣れていない、それで三回も行ったのである
その理由を後で考えると何か自分も清潔さがなく中国人と同じようになっていた
中国人の中にまぎれこんだのである、顔でも日本人と中国人は区別がつかない
結果として被害にあわなかったのだと思う
白人だったりすると見ただけで見分けがつくからである

とにかく中国と日本の相違はその風土にある、日本は中国の広大な大陸国家を理解できない、小日本になる、中国人は日本の歴史や文化を風土を理解できないことにある
でも不思議に漢詩がありその漢詩の詩語が日本語化して短歌や俳句に利用された
でも根本的には大和言葉がありそのなかに漢語が入って日本文化になった
漢字も日本化したものなのである
それで中国の西安に前の長安に行った時、柳が垂れて雨に濡れたとき何かほっとしたのだ砂埃が街中でもたち何か汚い、でも雨に濡れたとき柳でも新鮮になる
何か汚れが洗い流されるという感覚になった
まさにこういうことを経験しないと文化も経験できないのである

送元二使安西 王維 

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人

元二の安西に使するを送る
渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西のかた陽關を出ずれば故人無からん

ここは砂漠に近い所だからこうなった、

渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新

これを実感したのである、だからまず風土を知らないと詩でも文化でも理解できないのである、軽塵を潤すというときどうしても中国は砂漠が近いから黄砂とか埃りがたつ
砂で汚れるのである、だから雨がふったときその砂が埃が雨でぬれてたたなくなる
それが本当に気持ちいいということを実感してこの漢詩でも理解することになるそ
それは俳句でもそうである、時雨とか台風とか日本にしかない天候があるから日本の天候を理解しない限り季語も理解できないから俳句でも理解できないのである

グロ−バル化するとこうして様々な国と歴史でも文化でも交わることになる
そこでウィルスでも入ってくるし様々な軋轢が異民族で異なる国家で起きて来る
それもいい面と悪い面がある、中国の悪い面がこうしたウィルスとかが広がり安いことでありそれが世界に影響することである
それがまたグロ−バル化のリスクなのである
ただ日本の歴史とか文化の欠点を補うものとして大陸文化も歴史もある
だから常に外国で生活した人は日本人をその歴史でも文化でもこきおろすのである
それだけ比較することによって日本が対象的に見えるからそうなるのである
日本人は細かすぎるとか何か大局的に判断したりするのが苦手である
日本は自主性がなく同調圧力が強すぎるとか様々な日本人の欠点もそうである

日本はヨ−ロッパとか欧米に明治維新以来習ったけど中国のことがわからなくなっているでも漢字を日本化して漢詩からとか中国の文化を深く学んでいる
でも実際の所は中国は最近貿易の面だけで物質の面だけで交流している
唐の国と交わった時は文化的な面での深い交流があった
それが現代との大きな相違である、文化面で日本は中国文化を深く学び取り入れたのである
その時日本と中国が争うようなこともなかったのである

だから歴史をふりかえれば今のグロ−バル化というのは本来の国と国が民族が交わるのとは違っている、文化という時、労働者など入れないからである
あくまでも文化面で特別なエリートしか入れていない、鎌倉時代の禅僧でも中国からいろいろ文化を伝えた、お茶でもそうである、それはモノがとして入ってきても文化として入ってきた、それが今とは違っている
日本は物だげではない、文化を取り入れたのである
だから国が違うとき歴史文化が違うのだから何でも取り入れるのはかまくいかないのである、その国にあったものを取り入れるべきだとなる

それで日本がでは今なんでも食べているが日本人には肉食があっていなかった
それは身体でもそういうふうに風土と文化と歴史から作られたものだったのである
なぜなら日本人の腸が長いのは穀物などを消化するために長くなった
そして欧米とかでは肉食が主流だから肉を消化する酵素が出るという
肉食に適した身体として作られていたのである

魏志倭人伝に、「其の地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し。」とある
日本文化の特徴はこうした動物と関係していない、漁労民族であり縄文人でも狩猟をしていても森の国だから採集民族だったとなる
そういう風土から日本の文化が作られたのである、神道にしても日本の風土から生まれたのである
日本という風土はもともと自然に恵まれて清潔な場所だったのである
そこから日本人の精神も育まれたのである

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ(万葉集)

日本の自然は砂浜でも清浄だった、原初の状態を見たらその美しさふれたらこういう心になるのが自然なのである、だから中国の自然と日本の自然はにているようで全然違っている、こういう砂浜がおそらく中国にはなかったと思うからである


chinaproblem1.jpg
人が死滅する中国汚染大陸 超複合汚染の恐怖 (経済界新書) (新書)
澁谷 司

目次だけ読んだが中国はこんな状態なのである

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2020年01月23日

資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し


資本主義はもう成り立たない―銀行の役割の見直し

(多様化多極化ー思想、哲学、学問、ローカル、価値変換の時代)

「銀行業のあり方」大西つねきの週刊動画コラムvol.85


youtubeでいろいろ主張する人が増えてきた、この人も年配である
この人の主張も現代の矛盾、資本主義の限界現象を語っている
金がすべての価値から新しい価値観の社会を提唱している
それを具体的に令和新選組の政党で主張している
いろいろい語っているが触りだけ見た

この人は鉄道でも銀行でも国営化すべきであり銀行は国営化して利益を追及すべきではないとしている
それは銀行とかかわったからそういうこともあると見た
一方で国営化はタテ社会を推進させるものだからすべて民営化すべきだいう意見もある
なぜなら国営化はどうしても税金主体となり縦社会の維持につながり既得権者の利益になるだけだとなるからだ
国営化は大きな政府であり小さな政府がいいとしたとき民営化がいいのである

ただそもそも今なぜ社会はゆきづまり資本主義はもう成り立たないというのは誰しも実感しているのだ
その象徴が銀行なのである、銀行に金が余っていても貸す相手がいない
そのことから銀行は歪んだものになり社会を歪めていることは確かなのである
銀行は何か外国に投資して株でも変な危険な金融に金をつぎこんでいる
それで農林中金が6兆円とかつぎこんでカモにされているとか言う
農林中金はそうしたアメリカの金融機関に金を盗まれるとなる

それだけ銀行に金が余っていてもそれで増やすことができない、利益をあげることができない、これだけはわかりやすい現実なのである
今銀行に金をあずけるともう利子はつかない、これからは利子をとられるし投資信託とか何かわからないものに金を使わさられる
そして手数料がとられる
そして銀行は前のように金を貸すと返してもらいたいとなるからその貸す相手を吟味するしかし債権だとそれを他に売ればいいからそれもない
貸す相手を見ないというのもこれも人間としてまずい
なぜなら金を貸す相手はやはりどういう人物なのかとか何をしするために金を使うのかということを知って貸すからである

ここで知っておくべきは銀行業と証券会社は別物であった

これは大事なのことだった、この役割は別物であり銀行では株式とか証券関係とか投資信託でも売ることができなかったのである
それができるようになりそれがもともとあった銀行の役割をなくした
特に地銀となると地域を良くする地域の経済を良くすることにあったからである
その役割も喪失した、これは日本だけではない、世界的にも銀行が返すこともできないのにくサブプライムローンで金を貸してその貸した金が返せないのでリーマンショックになったからである
銀行の金の使い方が誤ると世界恐慌になるのである
銀行は資本主義社会の要のような役割を担っていることでそうなったのである

だから銀行がただ他の私企業と同じく利益優先主義になるのは疑問であり国営化すべきだというのも経験からわかる
それは社会の公器だからというのもわかる、それが土地バブルのときおかしくなった
土地自体に価値がない、右から左に土地を転売しているだけであり土地自体には価値がない、日本は土地にあまりにも価値をおきすぎたのである

現実農業をやればわかる、土地よりそのノウハウとか道具を買うとか毎日草刈りとか肥料をやるとか天候の影響はある、鳥に食われるとかネズミに食われるとか虫に食われるとかそうした害虫の被害も大きいし天候に左右される
それでその話を聞いただけでやる気もなくなった
それだけ土地にではなくその労働の方が大変だから耕作放棄地が膨大になっているのである、土地自体にはそれほど価値がないのである
だから地主だけに金が入っていたというのはおかしなことだったのである

いづれにしろ今銀行が大きな問題になっているのはやはり資本主義の根幹がゆらいでいる金を株式で右から左に流して巨万の富を得ている人たちがいる
こんなことをどうみても許されない、それは世界の人たちの労働があって富になっているとき盗んでいるのである、大盗賊なのである
だからそういう人たちから奪いという闘争が起きている
下手すると反乱が起きてそういう人たちが殺されるかもしれない時代になった

本当に資本主義は行き詰まっている、金があまっていても投資先がないのである
それはモノも余っているようにな時代にそぐわないものとなった
だから金は変な所に投資先に流れて外資に流れてただ奪われているだけだという主張もわかる、アメリカの金融機関に金が流れて日本の金が奪われている

そしてもう銀行でもそうだが利益をあげることができない、金があっても利子はつかない利益をあげることができない、会社にも留保する金が膨大でもそれが労働者にまわってこない、金は株主に資本家にすいとられるだけである
だからなんらかで社会主義的方向にも人々の心は向いている
社会主義と分配を重視するからである、分配が金融資本家とかに偏って流れ過ぎているからである

今金の投資先がないからだろう、なぜコインに一つの古いコインに一千万とかの値段がついているのか?これも貧乏人にはわからないことである
たかがそんなコインにそんな値段がつくのか理解できないからだ
それも金余りになり金だ、銀だとか安全資産を求めているからそうなる
チャーリップバブルと同じである

だからもう利益はあげられない

利益があがらなくても社会に役立つものに金を分配すべきだ

こんな思想になってくるのはそういう現実が生まれているからである

そして何か何のために生きているのかとか何のために金を使うのかとか何のために働くのかとか問われる時代になった
それは結局モノ余りであり金余りの時代になったからである
するとどうしても宗教とか哲学とか思想とか学問とか芸術の時代になってゆく
もはや金余りになれば物余りにもなれば価値になるものはとそういうものだからである
だからそういう時代の変わり目であり価値観の変わる時代だからそこを見なければならない
今までのように利益をあげる金が金を産む時代ではなくなっている
それができない時代になった、するとどうするのか?
金にならなくても価値があるのは宗教とか哲学とか学問とか思想とか芸術の分野になるのである
内面性の追求とかの時代になる、ある意味でそれは中世に返るともなる
何か閉塞した時代だともなるがこれから日本は江戸時代的国風文化の再生になる
何か江戸時代というのを否定的に見ていたが良く江戸時代がわからなくなっていたのである

それは明治維新で西洋文明を取り入れたときそうだった
でも明治が偉大なのは江戸時代があり新しい西洋文明が入ってきて両方があったからこそ偉大な時代になったのである
武士道もありそれで内村鑑三のような人が出たりした
明治維新が成功したものは侍がいたからこそであった、幕臣が明治維新を推進したからである
現代の問題はその過去を捨ててしまった、戦前の価値観を捨ててしまった
アメリカ一辺倒になってしまった、それは明治でも起きていた
でもその時まだ江戸時代の価値観とか侍の武士道精神とか残っていたのである
そこで二つの時代を生きたからこそ明治が偉大だったのである

とにかく資本主義はもう成りたたない時代になった、何でもそうだけど一時は資本主義は世界にとって有効に働いていた、でもそれが行き詰まるというとき時代がそうしている
そこで新たな時代を作る模索がはじまっているのだ
それは政治でも経済でも宗教でも哲学でも思想でもあらゆる分野でそうなる
数だけを集めて権力を操作しようとするカルト宗教団体もそれも通用しなくなる
何か数の時代も終わる、またと既得権の上に胡坐をかいていたマスコミでも官僚でも力を失う、そういう時代の変わり目に来ている
youtube自体がもうテレビを凌駕する時代はそこまで来ているからだ
その一角も確実に崩壊しつつあるからだ
多様な情報世界と多様な個々人の場が生まれている、地域から発信するとその地域地域の場が注目される、私の相馬郷土史でもそうである
郷土学でもそうである、地域地域から新しいものを見出して発信する時代になったのである、マスコミのような巨大な一極集中時代は終わったのである


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2020年01月17日

格差社会の生まれる原因は技術の差 (歴史でも階級制は継続してなくすことができなかった)


格差社会の生まれる原因は技術の差

(歴史でも階級制は継続してなくすことができなかった)

格差がなぜ生まれるのか、そしてなぜ極端な格差がグロ−バル化社会で起きているのか?歴史をふりかえると平等な社会などこれまでなかった
わずかに日本の縄文時代が階級制がなかったとかいわれるし日本は階級制があっても
侍階級はヨ−ロッパの貴族とは違う、食べるものでもたいして変わらない
それは日本自体が平均すれば貧乏だったからである
日本はそうした極端な格差を作らない社会だったのである
日本の特徴はまた民族同士が絶滅させるような熾烈な戦争はしない
それで中国人が来て敵の墓まで作っている、敵味方塚があるのを理解できない
中国でぱ墓まで暴いて敵を罰しているからである

日本だけが世界からみて特殊な歴史を島国で作ってきた民族だったのである
大陸国家はみんな階級制社会である
そうなるのは民族同士の戦争となり負ければ奴隷にされるからそこに極端な階級制が生まれる、そしてどこの国でも奴隷がいる、奴隷は近代になっても黒人奴隷がいたようにアメリカという民主主義の国でもキリスト教国でも是認されていたのである
その奴隷をめぐってリンカーンが廃止することで南北アメリカが戦争になったのである

ただ人間社会に根強く階級制が金持ちと貧乏人がいるのか?
この階級制を生む原因は何なのか?
それは民族同士の争いで戦争になれば負ければ奴隷にされるということからも起きているそれで今の東欧はスラブというときそれはスレーブであり奴隷から来ていたとされる
ローマ帝国の辺境にあるからそういう名がついたのかもしれない。

階級制は必ずしも民族同士の争いから起きたとは限らない
人間が存在したときから何らか階級制を生むものをはらんでいた
例えば石器時代があるとする、その石器でも武器になる、石器をもたない民族はその石器をもつ民族に戦争して負ける、すると階級制を作る原因は技術力だとかなる
また騎馬民族が世界を席巻したのは馬を操作するのにたけていたからである
また鉄を作りだしてその鉄をハミを馬に装着して強くなった
そして青銅器時代があり鉄の時代になり青銅器は刀でも鉄の刀が強度が強いので負ける
ここに人間の階級制を作る原因が技術力にあることを証明している
日本の戦争でもアメリカが空軍が飛行機が主力となっていたとき軍艦主義で日本は負けたのである

現代型新人は石器の大量生産をはじめて以来、息てく上で必要以上の食料を得るために
殺戮を行います、実際は十頭程度した食べないのにもかかわらず、何百頭のバイソンを
谷に一気に落としているのです
こうした必要以上の平気で行うことができるのが現代型新人の特徴であるのです
(地球文明の寿命ー安田、松井)

何かヨ−ロッパとは大陸は戦争のために技術が発達して来た
それだけ戦争が多いからそうなった
まず戦争があれば奴隷が生まれるからそこで必ず階級制になるのである
そして戦争でも技術力は核で頂点に達した、核兵器をもてば北朝鮮のようなとるにたらない小国でもアメリカと対等になるからだ 
それで怖いのは石器時代にすでに大量の動物を殺す術をもっていた、それが技術が発達すると人間をも大量に殺戮されたのである
鉄が発明されたときもそうであり第二次世界大戦では何千万人が殺戮されたのである
遂に核兵器で日本は一都市が絶滅の危機になった
つまりゼウスからプロメテウスが火を盗んだ罰を自らカルマとして受けたのである

こういう歴史を人間が終わることなくつづけてきた
そして今のグロ−バル化による格差社会もまた国内の格差社会も階級社会もやはり歴史としての継続なのである
アメリカは一時はそうしたヨ−ロッパの貴族がいない平等の社会だったがやはりもうアメリカンドリームはない階級社会化している
そこでは学歴が階級を示すものとなってたりする

人間の歴史をふりかえれば格差とか階級制が不可避なのである
農民だと土地をもつものと持たない者で格差が階級社会が生まれる
戦前の地主と小作がそうだった、そういう格差は戦後はなくなった

でもなぜ格差は階級社会はなくならないのか?

現代のグローバル資本主義の格差社会はなぜこんなに極端になったのか?

金融資本主義で株を操作して極端な格差をうむ、またやはり技術力の差で格差をうむ
ITに通じていればアメリカの GAFA(ガーファのように富を独占する
アマゾンなどの会社が富を一人占めにしてしまうのである
つまり人間の歴史では技術力が格差を生んできたのだからここでも同じだったのである

一見現代社会は奴隷など生まないとみる
でも歴史は形は変わるのだが繰り返しだとなる、階級制とか奴隷とか格差社会はなくならないのである
グロ−バル化するとやはり技術力により世界的格差が生まれる
米中の貿易戦争もまたIT技術の競争でありそこで優位に立つための争いである
これに負ければアメリカはその世界を支配する地位を失うから必死になる

そして人間は民族同士の争いも継続している、それが武器をもった戦争ではなく経済戦争になっている、ここでもやはり技術力の競争なのである
グロ−バル経済になると人件費が極力省かれる、それはコストでありだからアメリカですらロストベルト地帯とか取り残されて格差が生まれる
日本でも国内から労働力の安くつく海外に工場をもち競争するのである
そうなると国内空洞化してゆく、そうして遂には日本人はあと何十年かしたら中国に出稼ぎに行くようになるというのもそのためである

人間社会から格差は階級制はなくならない

その原因は技術をもつものと持たない者の差だとなる
だからAIだと盛んに言われるときもそうである
人間よりAIが優れているから人間はコストだからいらないとまでなる
おそらくSF的未来はAIが人間を支配する、人間はAIのロボットの奴隷になるとまでなる
技術力が格差や階級制を作るとなるとそうなっても不思議ではないのである

マルクスの言った生産手段を持たないプロレタリア―トは資本家の奴隷になるというのもそうである、生産手段とは技術力なのである            
人間をただコストとして人件費のかかるものとしてそれを省くものとしてみる
それでなければ人間を奴隷としてみる、それが現代社会であり奴隷がなくなったのではない、形を変えた奴隷社会格差社会階級社会なのである

SF的未来になると人間はコストだからいらない、人間は無用だともなる、そしてそんな人間は抹殺しろとかまでなる、障害者は役にたたないからコストだから殺してしまいとまでなる、それがナチズムにもっていた
AI社会が人工頭脳社会がいいように見えてもそこにも恐ろしい暗黒が待っていたとなる
人工頭脳が無用な無能な人間はコストだから抹殺しろという命令を出してそれが実行されるかもしれないからだ

つくづくそうなると人間社会とは何なのだろうとなる
それを2000年前に予言してたのが老子だったのである

鍬とか鎌とか道具をもつことを否定した

小国寡民はグロ−バル社会の批判だった

つまり技術を否定してまたグロ−バル社会を否定していた
確かに日本でも江戸時代は中国とも朝鮮とも友好的だったのである
それは貿易は出島でしたとして現代のような極端なものではなかった
あくまでも自国の生産主体の社会だったのである
国と国はこんなに干渉しないから平和が維持できたのである
AIでもやはりバラ色の未来とはならないのである
何より人間はロボットではない、人間自体が幸福にならない社会はどんな社会であれ理想的な社会とはならないのである
そこに技術に対する科学に対する異常な過信が生まれたのが現代だったのである




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2020年01月15日

SBI証券と福島銀行の支店が郡山に開店 (地銀としての役割は消滅)

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SBI証券と福島銀行の支店が郡山に開店

(地銀としての役割は消滅)


ゆうちょ銀行は資金運用の高度化と多様化のため、外資系金融機関などから専門家を多く採用してきた。それに伴い、外貨建ての有価証券などのリスクの高い、いわゆるリスク性資産の保有を積極的に増やしている。

ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/2018/06/post_23851.html
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そもそも大東銀行でも私がかかわってこれが銀行なのかと疑問だった
証券会社と変わりなかった、現実に大和証券との人も来た
つまり銀行はすでに証券会社化していてその証券会社の投資信託などの商品を売っていたのである
そこで証券会社と銀行で二重の手数料がとられる
そして投資信託など銀行自体がわからない商品だったのである
それでその大元の作り主であるゴールドマンサックスに勤めるハーバード大学の出の人がその仕組みを作ったのだがそれは詐欺に等しいとして良心の呵責に耐えきれずやめたりした
それだけこ投資信託とか月ごとの分配金はわかりにくいし詐欺的だったのである

ともかくSBI証券は伸びている、野村證券とがが伸びないのは経営も危うくなったのは個人の投資家が金をもっている人たち高齢化してきているからそこで伸びない
またIT化してくるからその対応もできない、それは地銀でも同じである
それで外資のSBI証券がやがて一局になってしまうのかとなる
手数料無料とかしているから別に地銀をとか通さないでできるから手数料の面では有利だからである

ただここで大事なのことは地銀はもその役割を終えたということである
支店の会見で福島銀行の対面販売が強みだ頭取が言っていた
地銀とかゆうちょとかは地元密着で対面販売で信用を得てきた
でもその対面販売でそうして築いてきた信用を失墜することになる
銀行はこれまで信用第一でありそれができたのは貸す先が探さなくてもあしり利子もとれていたからである
だから銀行は安定した就職先として地方だは公務員と同じだったのである

それが貸す先も投資する先もない、それでグロ−バル経済の中に組み入れられて証券会社とか化して信用を失う
でも背に腹は代えられないとして投資信託とかで手数料を稼ぐほかなくなったのである
でもそうなれば本来の地銀の役割は喪失する
まさに福島銀行が僧である、対等の合併ではない、SBI証券に吸収されてこれまでの銀行の対面で築いた信用を基に証券が売られるのである

地銀は地(地元)のことであり地元のために尽くす金融だった
それがグロ−バル経済に組み入れられて地域の金融資産がグロ−バル化してゆく
その金はアメリカに吸収されるとしている
それで農林中金の金が6兆円も危ない投資につぎ込まれてなくなると言われている
そうなったのは農林中金では上にいる人は天下りのような役得の人であり証券について知らないからだという、それと同じようにゆうちょの金でも年金でも投資として使われている、それがアメリカの証券会社など外資に奪われことになるという
それは日本がアメリカに戦争に負けた植民地だから小泉首相のゆうちょの民営化があり
それでその金がアメリカに貢ぐためだったとなる

地銀は信用組合より地元に密着していない、信用組合だときめ細かに地元に融資しているし関係を築いているという、地銀はそこまでしていないしそういうノウハウももっていない、だからSBI証券のようなグロ−バル証券会社に吸収されやすいものだったのである
そして地銀の生き残り策として江戸時代の金融を参考にしろというのもまた日本回帰の例なのである
無尽とか頼もし講とか金融があった、近くの同級生は古い家でそういう書類が残っていたという、何か主催者のようになっていた
ただそれは規模が極めて小さい、10人とかの規模だった
でも逆にそうした地域金融の小規模金融に返り金融を見直すということにもなる
そして地域創成のために農業を銀行員がじかにしていたりするのも時代の変化である

またクラウドファンディングもそうである、それは個人を全国の個人が賛同して金はわずかでも投資する仕組みである
何か起業するにも金が必要になるからインタ−ネットで金を集める
そういう小規模事業である、まずそうした小規模事業はインタ−ネットとかでやりやすいそもそもメデアになるとマスメデアでありテレビと新聞とか出すのは個人などできなかった
今なら無料でプログでもできる、せいぜい有料になっても一年で一万も満たない
そんなことでテレビ放送自体がyoutubeでできるのである
それで外国に住んでいる人が報告していたがあれは外国の特派員だと見た
そういうふうに報道とかでは変化している、巨大な会社とか資本はいらないのである

いづれにしろ福島銀行のようにもう地銀としての役割は終わった
銀行員は証券の会社員となったのである、そして銀行の半分は消えるというときまさに
そうなってきたのである
銀行が必要がなくなった、その役割が消失した
その象徴的な出来事がSBI証券と福島銀行の合併だった、吸収だったのである

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2020年01月06日

貨幣が紙幣がなぜ今問われているのか? (キャッシュレス社会とかグロ−バル経済で通貨を何にするか問われている)


貨幣が紙幣がなぜ今問われているのか?

(キャッシュレス社会とかグロ−バル経済で通貨を何にするか問われている)



貨幣とは何なのかということを追及するとそれが不可解になる
いろいろな人が貨幣について述べても何かわからないのである
簡単なところでは金本位制というのはわかりやすい
金自体に価値がありその金が基となり現実にあるからそれで紙幣で発行される
その裏付けはその紙幣で金と交換できるということである
だから金の額が決まっているから発行される紙幣は制限される
現代は金本位制ではないから紙幣は紙なのだからいくらでも作れる
でもそれが大量に出回るとその紙幣の裏付けがない、金と交換できないのだから紙くずになるのである

つまり大量の紙幣を刷ってもそれ自体には何の価値もない、紙くずにもなる
だからこそバブルが起きる、オランダのチューリップバブルでもそうである

そういうものになぜ高価な値段がついたのか?

それは大量の紙幣を紙をもっていてもそれ自体に価値がないからである
金余りが高じるとそうなるのは何か簡単に理解できる
本当の価値は紙幣にはない、紙幣は紙に過ぎないからである
だから貯金していたとしてもその貯金しているのは紙幣であり数字にすぎないとしたら
紙幣は紙屑になるし数字は一瞬にしてゼロになる
数字に価値があるはずがないからだ

そして現代は金余りだというときバブルになるというとき大量の紙幣が土地とか建物でもまた前は絵画とかが投機商品となった、ゴッホの絵が百億円とかで買った実業家もいる
それはその絵画に価値あるというより投機商品として買った
いくら金をもっていても紙幣なら紙くずになり数字ならゼロになるからである
それよりはましだとしてチューリップの種であれ何でも実物と骨董品でも何でも持っていた方が価値があるとなるからだ
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金融資産は3.4倍に増えている
つまり世界的に金余りなのである
日本は金融資産ではアメリカよりも大きいとかある
日本は金は持っている、でも活かされていかないのである

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島の人たちがみんなこの石貨どこの家にあり誰の者か認めている
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銀行の場合は銀行だけが特定の個人の金があることを認めている
他の人はわからないのである


不思議なのは石の貨幣がヤップ島である、それは重いから移動できない、いつも持ち主の家の前にある、それがなぜ貨幣としての機能があるのか?
わかることはいつもその石の貨幣を島の人たち見ている

その石の貨幣を島の人たちがみんな認めている

ここに貨幣と同じ役割がある、それは交換できないのだがその石の貨幣をもっていることはみんなが認めている、だから立派な石の貨幣をもっている人は信頼される  

このみんなが認めるということが石の貨幣として価値をもたらしている
このみんなが認めるということが大事なことを銀行のことで気づいた


例えば金というのはタンス預金として持っているとその人が持っているかどうかもわからないのである、だから盗まれたとき盗まれたと認識するのはその持っている人しかいないから証拠がなくなる

この人はいくらの金をもっていましたと証明する人がいなくなる

ただ預金通帳を見れば日にちが記されていていくら引き出したかわかる
それを手がかりとして証拠として盗まれたことを証明できるかもしれない
でも証拠がないと盗まれたということを証明できないのである
だからタンス預金は盗まれたとき警察に訴えても返ってこなくなる
証拠がないからである、常に犯罪を証明するには証拠が大事になるからだ

あなたは本当にその金をもっていたのですか?

それを証明できますか?

こうなって立証することがむずかしくなる

だから金というのは何かというとき本来は島の人たちが石貨でもある人の家にあることを認められて存在しているともなる
その石貨は重いし盗むことができないから安定した貨幣だとなる
ただそれ自体で交換はできないのである
ただそこに金があるということを常に示している、それをみんなが認めているのである

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日本経済新聞1月6日号

一方で今の金は紙幣はそれ自体で匿名性でどこでも何でも買える、交換性が抜群なのである、それが誰の金でなくても金さえあれば例え盗んだものでも使えるのである
その金をつかっても誰が使ったなどわからないのである

でもキャッシュレスになるとカードで買うとその本人のことが個人情報がわかる
斎藤という人がいくらいくら使ったとか記帳されるからわかるのである
それでここで問題にしているのは銀行預金がないとカードが使えないということである
とすなると銀行なしではありえないということで問題にしている
銀行がつぶれたりするとかいろいろ銀行だけに頼ると問題が起きたとき使えなくなる
現実に銀行がつぶれるとか騒いでいるからである

金というのは銀行にあづけるとこの人がいくら持っているとかわかる
銀行がいくらあづけられたかと証人になるからである
それはタンス預金とは違うのである、それは盗まれることはないのである
ただ預金した人の金があることを知っているから投資信託とか売りつけにくるのである
そして遺産相続の時も銀行がかかわるのである
別に親族でもないのに金がおろせなくなるのである
つまり銀行がその人の金を操作するようにもなるのである
だから金を銀行に預けることは権利を委任するような感覚になる
銀行がその人の金に口出してして操作するとまでなる
だから銀行とは何なのか?これもわかりにくいのである

石の貨幣だと島の人たちが貨幣として認めるものだった、それはもし現金をもっていたらあの人はいくらもっているとかなる、大きな石なら大きな金をもっていると認める
でもそれは交換に使用できないのである
でもみんながあの人には大きな石貨があり金持ちだと認められるのである
ところがタンス預金にはいくらもっていもみんなが知らないから認められないのである
第一そんな金をもっているとなると周りからいろいろ言われる
だから隠すことになる
一億円見せびらかして殺された人もいたからである
もし銀行にあづけていれば盗まれることも殺されることもなかったかもしれない
現金を見せびらかして現金が家にあると思われたから盗まれて殺されたとなる

でも銀行にあづけるといろいろ銀行側で今は苦しいから投資信託とか損するものがすすめられる、それはゆうちょでも同じなのである
金が余っているけど投資してもうける先がないからである
だから日本は貧乏になっているというとき金は紙幣は貯金は多いのである
でもその金があっても有効に使えない、会社だと内部留保であり投資に使わないとか
金が全体に回らないのである

ともかく今貨幣を紙幣をどうするのか、グロ−バル経済にもなり混乱している
それは金というものが何なのか?それ自体が問われるのもそうである
そもそも金というのが一定したものではない、金が単なる数字であり情報だという人もいる、通信がこれだけ発達するとまた金がもう紙幣ではなくキャッシュレスになり数字になり情報になる、でも依然として銀行に貯金がないと使えないという指摘もある
そうしてブロックチェーンとかが生れて来る素地ができている
これはわからないにしてもやはりその人が金をもっているということを銀行という民間会社だけではなくみんなで認め合うということかもしれない
それは石貨とにているのである   

つまり金でもそれ自体で通用していたがキャッシュレスとなるとその本人の個人情報がはっきりしていないと使えなくなる
そしてカードから金がどれだ何に使ったかとか把握される
それを銀行がするとなると銀行が潰れたりすると使えなくなるから困るとなるのもわかるキャッシュレスだと匿名でなくなる、個人の情報があって信頼されて金が使える
もう金を盗んで使えなくなる、それは誰の金か登録してあって他の人は使えないからである

いづれにしろ金について紙幣についてどうするのか転機に来ていることは確かである
それでそもそも金とは紙幣とは何かを世界で問われるようになったのである
ただ正直金が何なのかわかりにくい、金には多様な面があり多様な機能がありそれがなかなかわかりにくいのである

第一国で預金封鎖するとかなぜできるのか?
個々人の貯金をゼロにすることもできる、そんな権限が政府にあるのかとなる
すると金とはあくまでも政府の国のものであり個々人にはないともなる
だから金は紙幣は国で管理して民間銀行で管理してはならないともなる
なぜならそんな権限を持ちえるのは国であり国の都合で意のままになる
国が借金しても預金封鎖で金をとりあげて払えばいいとかなる
個々人に金をもつ権利はないとまでなる

とにかく金であり貨幣であり紙幣でありこれがグロ−バル経済になると大きな力をもつ
金で世界を支配できるとかなり問題になる、ドルが世界基軸通貨になっているからアメリカが世界を支配するとなる
それでいいのかとなりユーロが生れたり中国でも反発しているのである
posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年12月28日

大東銀行の収支決算をみる (危険度は103行で83位)


大東銀行の収支決算をみる

(危険度は103行で83位)

daitoubank11.jpg



収益率がROAで順番を決めている
0.12ということは1億円から0.12パーセントの収益は120万となる
10億だと1200万になる
この比率は総資産額が多くその金の大きさ比例して大きくなる
だから総資産額が大きいと有利になる

それは株でも投資でも金が大きければ大きいほど世うける率も大きくなる
一億で一パーセントでも百万になり百万の収益ともなる
だから金の量に比例して例えもうける比率が低くても大きな収益になる
ただ損も大きくなる、でも株式だとそうして大きな金をもっていないとまずそもそも大きくはもうけることはできない、だからその元金が多くためないと株でもなんでも金融では大きくもうけられないのである
大東銀行の総資産は少ない、東邦銀行から比べると一けたも少ない
総資産が少ない銀行は危険度が高くなる、それで福島銀行と島根銀行がSBIに外資に買収されたのである

そして収益を見る場合、そこに勤めている社員の頭数をみる
つまり収益に対して勤めている人の頭数で割ると一人当たりの収益もわかる
それでその収益に対して人が多すぎると負担になりスリム化したり人を減らさざるを得ないのである

従業員数515名 
※従業者数は就業人員数であり、出向受を含み嘱託および臨時従業員を含んでおりません。
店舗数58

515人の従業員がいる、515÷58=8・8人である
この人数だとすると鹿島区の従業員はそのくらいかもしれない、ただ臨時従業員とかもいるからその内訳はわからない、臨時従業員はスーパーとかコンビニのように銀行では雇いないと思う、なぜなら金を扱うから信用が第一になるからだ

福島県の市町村の数は

13市 31町 15村 / 計 59市町村 

南相馬市だと原町区は人口が多い、鹿島区は一万くらいである、南相馬市内に二つ店舗がある、だから市となると広いから二つあるのも普通である
また町となると一つくらいがあるのか?村となるとないようにも思う
つまり13×2=26であり一つの町に一行あれば26+15=41になる
会津市とか郡山市とかになると三つくらい天保がるのかもしれない
そんな店舗の数がある
そしてこの店舗の負担が今になると大きいのである
その維持費が負担になるのである

そして大事になるのが収益があったとしてもそこで大事なのは一人一人でその収益を割ることだと説明している
なぜなら従業員に給料を払うにしても収益に左右される、収益率が下がれば従業員の数が多ければ負担になるからだ

10億の収入があるとして収益があるとして従業員の数で割れば
1000000000÷515=194174になる

つまり約20万は一人頭の給料として払えるとなる、ただそこに店舗の維持費などを計算するとそれだけではすまないから今では店舗を維持することが問題になる
インタ−ネットだと店舗がないから費用を節約して手数料とかを安くできるのである
ただこれは高齢者になると通信だと苦手になるから問題がある
なぜなら今金をもっているのは60以上だからである
私もインタ−ネット預金したが何かアクセスするのに暗証番号とか複雑でできなくなってやめたからである
だから対面であり店舗があると安心であり信用につながっているのだ
それは高齢者にはいいのであるがこれからそうでなくなるら店舗営業を減らさざるをえなくなるのである

何か自分は大東銀行には投資信託とかで一番かかわった
だから地銀の経営が苦しくて倒産するとかいろいろ言われると不安になったのである
そして銀行の社会的役割というのも良くわからなかったのである
社会では銀行は一番わかりにくいのである
それでこれがグロ−バル経済の金融資本主義になったとき本当にわかりにくくなる
その仕組みの複雑さで投資関係は人をだましやすいのである
だかち農林中金が6兆円もの金をアメリカの国際資本家にだまされて投資したと警告されている、それはゆうちょ銀行でもそうであり地銀でもそうである

投資とか株とか何かそれがだまされやすいのはそもそも複雑で理解しにくいからなのである、それは原発ともにていたのである、原子力のことを説明されても理解できないからである、あなたは核のことがわかるのですかと言われれば何も言えなくなるからである
私は文系だから科学のこと技術のことはわからないからである

ただ文系でも銀行となると数字が大事になるから理系でもありまた文系的要素もある
何か政治とかそれぞれの国の事情とかいろいろもものが関係しているからである
株が上がったり下がったりするのはいろいろな要素がある
その要素を見るということは国際政治とかいろいろなものが関係してくる
そういうものは文系なのかとみたのである
ただ銀行は数字を扱う会社だから数字に強くないと仕事はできない、もう金は数字になっているからだ

そして金が数字になったとき良く数字を見ていないので自分の金を把握できなかったのである、いろいろ利率とか関係して数字で混乱したのである
それは投資信託などは毎月分配型となるとそれは元金から引かれていたから収入にはていなかったのである、投資信託などはまず素人には理解できない
農林中金でもゆうちょでも地銀でもアメリカの国際資本家にだまされてCLOとかの危険な商品を大量に買って警告されている、農林中金では6兆円も買った
その金が吹っ飛んでしまうというのも怖いことである
それはら預金者に返ってこないともなる、他にも投資で失敗すれば巨額の金が返ってこなくなるということがある、それは日本の年金でもそうなのである

そして何百兆の金がアメリカに日本でつぎ込んでいて為替差益でドルの価値が低下してゼロになるということを言っている
アメリカの経済は落ちてゆくだけでありドルの基軸通貨の時代は終わったとしている
そうなると外貨建ての保険なども危険なのかとなる
そしてなぜ日本ではゆうちょでも小泉首相の時民営化したりしたのか?

それは国際資本家にまたアメリカの圧力でそのゆうちょの金を国際金融資本家にまたはアメリカにさしだすためだったとなる
つまり日本は独立国ではない、アメリカの疑似植民地であるからアメリカの意向に従わざるをえないのだ                                                
だから中国に朝貢したように貢がねばならないのである
結果としてアメリカによって日本が汗水たらした働いた金が百兆円がゼロになったというのも悔しいとなる
ただ額が大きいから実感できないのである

なぜ自分がこんな大東銀行が気になったのかというと自分の金がそこでゼロにもなるという恐怖を感じたからである、自分の利害と密接に結びついたからなのである
科学技術となる理解できないがなんとか銀行だと文系でも理解できる範囲にあるのかと思った、ただ細かい数字になると理系の分野なのである
銀行と数字は切り離せないし今の社会は数字化した社会だから数字に強くないと生きてもいけないとなっているのである 

とにかく最下位の島根銀行が外資のSBIに合併吸収されたとか福島銀行もそうなった
つまり大東銀行もそうなるのかという不安である
総資産額が低いのはどうしても危険になる、福島県では東邦銀行が安定しているからこの一行しか残らないとされているからだ


週刊ダイヤモンド】全国地銀 余命ランキングから見る 銀行・企業の見方

youtubeはわかりやすい、そしていいものがヒットしやすいのである
テキストの検索だと数が多すぎで目当てものものに当たるのが大変なのである

預金封鎖その2 欧州初の預金封鎖の凄まじい事実、ドイツ、フランス、そしてロシアの裏にあのIMFの圧力があった!

スペインに住んでいる人も金融について預金封鎖について語っていた
スペインに若い時からずっと長く住んでいたので詳しい
実感で語っている、個人的ボランティアの特派員になっている
こういう人は見る人も多くなる、まず外国は旅行したくらいではわからない
住んだ人しか深いところがわからないのである 

youtubeは相当に情報世界を変えている、テレビとなっているから見る
テキストだと検索で読まれるのは少ないがyoutubeだといいものに当たり安いのである
そしてわかりやすいから要点を理解できるのである
第一一つのテーマで一万人も見ればすごいと思うからだ

ただこの世界も子供が見ている、何百万の登録者がいることに驚く
それは軽い娯楽としての子供向けのyoutubeなのである
でもこういう人達が大人になればもうテレビは見ない、だから大人になったらユウチュバーになりたいというのもこの数字からわかるのである






posted by 老鶯 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

金融資本主義の限界を語るyoutube (2020は確実に経済でも大きく変化する年)


金融資本主義の限界を語るyoutube  

(2020は確実に経済でも大きく変化する年)

「金融資本主義支配と搾取の構造」

経済の仕組みがわかりにくいのは貨幣とか紙幣とかの問題が基本にある
貨幣が生まれたことで便利になったのだがその貨幣によって人間の社会が変質してしまった
それはギリシャのボリス時代からすでにそうなっていたのである
つまりすべての価値が貨幣で計られる、貨幣が生まれたことのマイナス面がすでに紀元前から始まっていたのである
だから貨幣のない社会と貨幣のある社会を対比で考える必要がある
でも貨幣の歴史そのものがそれだけ古いのだからもう貨幣のない社会がわからなくなっている、エジプト文明には貨幣がなかった?、マヤ文明とかにもなかった
中国で始皇帝の時代に貨幣は統一されていた

何か金融資本主義と本来の資本主義が違う、そのことをわかりやすく説明するyoutubeがあった
これも何か理解を深めたがそれでもむずかしいと思った
このサイトでは金融資本主義だと必然的に極一部の人に金が集中する
世界で六人の人たちが金をにぎる、それはそういう仕組みでありその仕組みをかえなければ格差はなくならないというのもわかる

金とは銀行が作り出す借金でありその借金は幾何数級のように増えてゆくという
そして返せなくなりその借金は次代にもちこまれる、子供たちがその借金を払うことになる
つまり借金は消えないのか?それはやはりカルマとなってゆくのか?
親の因果が子に報えてゆくという
でもまた不思議なのは政府通貨を百兆円だすと借金は消えるとかもいう
これも不思議だとなる
まるで手品ではないか?そんな簡単に借金とは消えるものなのか?
個人で借金すると借金を返せないために自殺する人が普通にいる
その負担はそれだけ大きいのである

政府通貨を百兆円だせば国の借金は消える?

これもなんなのだろうとなる
国レベルになると金というのもを理解することが不可解になる

金はもともとない、金は数字としてはゼロだというのはわかる
金自体には何の価値もないからだ
金の力を実感するのはそれで買ったもの得たものによってである
家一軒でも建てればその力を実感する
でもその他で金の力を実感できるのものがあるのか?
いろいろ遊ぶということもある、旅行もある
そういうものはしてきたから今はしたくない、本当は山でも上りたいが体力がなくなりできなくなった、年取ると金だけではできなくなる

金融資本主義が国際資本家によって富が強奪される仕組みだという
それは日本の銀行でゆうちょから地銀でも特に農林中金が6兆円の金をあやしげな投資先に金をつぎこんだから破産の危険があると警告されている
これも投資先がないためである、それは国際資本にだまされて買ったという
するとそうして農林中金に貯金した日本人の金が奪われるとなる

それはもう金を投資して利益をあげる会社もないからだ

そこで資本主義がゆきづまっていると学者も言う
そんな変な危険な場所にアメリカの国際資本にだまされて金をつぎ込んでいるからである
金が行く先がない、投資する先がないというとき米余りともにているのか?
米をいくら作っても売れない、米が余るから値段も安くなる
そしてかえって減反して補助金を出していたのである
なにか今も金余りでそれと似ているのかもしれない、ただ最近はブレンド米は結構高いからそれが売れれば農家も成り立つとなる

米をいくら作っても価値がない

金がいくらあっても増やせない

そういう社会になっている、米は実体経済でありブランド米とか酒に利用したりして外国に売ったりもしている
でも金はどうなるのか?それはあくまでも紙に過ぎないのである
いくら貯えても紙でありそれが紙くずになる危険性が常にある
だから今数パーセントの大金持ちがいろいろな権利を買っているという
土地とか水と水道経営の権利とかいろいろな特許とかもそうである
必ず生活に欠かせないものを資源でも買っている
金でもっていても紙幣は紙きれにすぎないからである
それは本当に紙切れになるがこうした実体経済の権利を取得していれば他者を支配できるという、そして国際資本家は国より政府より力をもっているのが現代の金融資本主義だという、それがグロ−バル化の金融資本主義なのである
このyoutubeを理解するのはむずかしい

今の格差を作る金融資本主義、国際資本家による富の強奪をふせぐには政府通貨の発行とかベーシックインカムとかを政策として提示している
とにかく世界でなんらかでこうした極端な格差を止めようとする運動が活発化してきたのである、それも当然なのである
そんなわずかの人に世界の富が集中して支配されることを誰も望んでいないからである
ただその仕組みがわかりにくい、戦前だと地主が大きな力をもって小作は苦しめられた
その時地主は憎悪の対象になった、それは誰が苦しめているから近くで目に見えていたからである

グロ−バル経済になるとその苦しめているものがアメリカだったりイギリスだったり見えないのである
グロ−バル経済を理解できる人はいないと思う
それだけ世界の市場になると巨大でありとても理解できない、すると本当は憎むべきもの地主のような人が見えないから必ず陰謀論になるのである

国際資本家とかを世界で攻撃すべきだとなる、その六人の名前はあがっている
そういう人たちは犯罪者と同じである、もしかしたら本当は死刑に値するような人かもしれない、そんな莫大の富をもってどうするのだとなるからだ
それには借金だらけの国も勝てないとしているからだ、そこに世界的な革命さえ必要にもなる、でもそれが共産主義ではない
結局と共産主義も一部の幹部が富を強奪したのであり同じだったからである
「世界のプロレタリアー斗、団結せよ」それは通じなかったのである

ともかく2020年は激動の年になるのか?

何かのけじめの年である、だから何かわからないが自然災害なのか政治なのか経済変動が起きる、その規模も大きく世界が変わる、日本だけではない世界が変わる年になる
そういうふうに変わる時大きな痛みがともなうのである
その後に戦後復興のように新たな世界が生まれる
ただ未来は予測はできない、経済活動が社会のすべてではない
文化的な価値もあり物質的豊かさの後にはどうしても文化的な価値を追求するようになる文化的な価値となるとそれは精神性を追求するものであり物質的な価値をもたらさない
でも物質的な価値から文化的精神的価値の追求の時代になる
インパウンドでも最初は爆買いだけで次は事の消費だとか日本の文化をするものへと変わる

ただこの文化的精神的価値は物質的な価値とはなりにくい、金を産むものとはなりにくい要するに減反してその土地を何に活かそうかとなる時、どうするのか?
そこを花畑にしようかとかなる、でもそれが金になるとは限らないのである
花畑にして菊畑にして花を売れるとなればそれが金を産んだとはなる
でもただその花を観賞して楽しむということもある
金にならないとしてもそこに価値を作りだしたのである
もしかしたらそんなふうにして金を使うようになるのかもしれない
オランダのチューリップバブルがそうだったのである
その後にヒヤシンスバブルがあったからくりかえしていたのである
ただ花に価値がないというものではない、花には価値がある
それは美として文化的価値がある、一時は絵画がゴッホの絵とかが100億円とか値段がついたことがあった、それとにている
何に価値があるか、明らかなことは紙幣には価値がそのものにはない
だから金は仮想であり仮想通貨が生まれても不思議ではないのである

価値はいろいろありただそれがもう金を産む利益を産むということにならない
だから銀行は利益にならないのだから投資先がないのだから消失するとなる
要するに資本主義が金融資本主義になりグロ−バル化して極端な格差社会になり
人々は苦しめられる、そういう世界の終わりが来ている

ただ次なる世界は何になるのか?

それは当分模索中となるがただ確実にそういう大変化が起こり強いられて戦後のような状態になる
それで銀行の無用論とか倒産とか預金封鎖とか言われるようになったのである
そういう傾向は何かで変わりえようがないと思う
下降トレンドから何かの調子で上昇トレンドになるとは思えないのである
それは日本の株で官製のものであり実体経済を反映していないからである
だからどうしても悲観的な見方が大きいのである 

時代が変わる時、江戸時代から明治になった時、江戸時代にあった仕事がなくなった
大井川の渡しの仕事はなくなり茶畑を作るようになった、それで静岡は茶で有名になった職種転換が起きて来る、産業の変化が起きて来る
戦前は養蚕農家がどこにでもありそれが兜屋根として残っている
絹織物が主用産業であり石炭産業がエネルギー産業になり蒸気機関車の時代だった
それは戦後十年くらいまでつづいたのである

時代が変わる時職種が変わる、だから銀行が半分なくなるとかいらなくなるとなる
何か地銀でも一万くらいの人口なのに店舗を構えて十人以上も働いているとなると多いと思った、そこにかかる費用を想像するとかなりのものになると思ったからだ
つまりそれだけの費用維持できなくなる
そして投資先がなくなり銀行員が農業を実地にして投資していることをテレビで写していた、youtubeでは銀行員がやめて実際に農業をしていた
ここで紹介した証券会社で金だけを扱っている仕事がいやになり実際に店を開いたりした何か金ばかり扱っていて生きがいを見いだせないとなった
そして金はもともとないとかゼロなのだということを言うのもわかる
金は実際に引き出して使う時金の力を発揮する
特に紙幣になれば金本位制でないということはもう実質金の価値はゼロなのである
それは数字だとなりゼロになる

いづれにしろ来年は2020は大きな変化の年になる
特に経済の変化がもうさけられない、それはほとんどの人が言っている、良く言っている人はないからだ、要するに経済が良くなる要素がないからそう言っている
ただ時代の変化に老人は対応できないのである
技術に関しては非常に不利なのである、新しい技術に対応できないからである




posted by 老鶯 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年12月25日

人を見たら泥棒と思え (国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)


人を見たら泥棒と思え

(国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)


銀行・証券・政府が「低リスク商品だと勧めたから」という理由で投資するなどというのはばかげている。投資先(金融商品)のリスクが高いか低いかを判断することこそ投資家の最大の仕事なのに、それを他人任せにするべきではない。

「銀行・証券等の金融機関は決して責任をとらない」と法律で明記(損失補てんの禁止)されているのだ。

「新NISA」への違和感…結局、儲かるのは「銀行」だけという真実

本当は帰れるのにダラダラと会社に残る「残業泥棒」、決められたことしかできない「マニュアル人間」…。日本企業を見渡せばそこら中にいる「非生産的」なビジネスパーソン。彼らは今後世界から必要とされなくなります

会社内でも会社で働いて有用な人でない人がいる、その人たち有用な有能な人から盗んでいるともなる
なぜなら無駄な残業しているだけだとしている、盗むということは多様なのである


人見たら泥棒と思へという格言も全く今も同じである
ただ泥棒というときそれは個々人のことではない、政府までが泥棒であり国民の金を盗むのである、国家自体が盗賊国家だったということを書いたがこの世の中官僚でも泥棒なのである
外国でも他国の金を盗む、アメリカは強い巨大な国だから日本から金をまきあげているというのも泥棒だということである
国自体が政府が自国国民の金を盗んでいるし外国では他国の富を金を盗む
これが政府と証券会社と銀行がグルになって盗む、盗賊化していたのである
ニーサとか非課税商品だとして政府がすすめた理由は投資の方に国民の金をまわしたいからである
そして利子がつかないのだからただ金を集めても増えない、地銀でも地方は衰退して金を貸してももうけくれる会社がない
すると証券会社のすすめる投資信託を売る
それは確実に手数料が入るものでありリスクをとらないから銀行にとってはいいものなのである

そもそも人間が盗むというとき安藤昌益が侍を批判したのは働かないで農民から税を搾り取って暮らしていくということで批判した
だから盗むとなっていたのである、他人の労働を得たものを何もしないで盗んでいるのが侍だとしていたのである
盗むということは小銭でも何でも金を盗むとかでもない
他人の労働を盗む、他人が工夫して苦労の上に作り上げたものを何の労苦もまた智慧も発明もないのに盗むということがある、著作権などがそうである
この盗む行為は日常的に社会でしている

弁護士でもそうである、相談料として事前に百万とるというのも盗みだった
その金は交通事故で死んだ人の金でありその遺族に入るものだけど盗まれたとなる
遺産で何か正当な理由があれば受け取れる
でもその金で盗むということがある、多分に自分自身にも盗むということを知らずにしていることがある、つまり誰でもなんらか盗むとういことをしているのである  
それが自覚できないことがある、百円から盗むとなぜかひどく自覚しているが大きな金になると自覚できないのである、ここに人間の盲点がある、何かリンゴ一つでも盗むと良心の呵責を覚える
ところが政府でも銀行でも会社でも横領する金が一億となったりする、でもその時リンゴ一つ盗むような良心の呵責も覚えないのである、それは単なる数字のように思えるからかもしれない、金はもう現代では数字だからである
良く一桁のゼロを間違えることがある、1000000を100000と見間違いることもある、その額は大きいのだけど数字では間違いやすいのである、その額を間違えたら大きなことなのだけど自覚できないことがあるのだ
それはすでに物ではないからである

人間は罪を指摘されて自覚されないとわからないことがあるのだ
だからたいがい人間はみんな善人だと思っているのだ
だからこれは悪いことだと自覚することはその人はまだいい方だとなるのである
それで人を見たら泥棒だと思へとなっていたのである
そこに格言に変わらぬ人間の真理があり人間社会が技術が進歩しても常に盗むことが起きる、ただそれが複雑な社会で見えなくなっているだけなのである
第一政府が盗むとなるともう盗むということはどこでもありうる
第一政府がそうなのだからそれに習へとなるからだ
共産党幹部でも中国国民からその労働の成果でも盗んで巨万の富を得ているとなる
共産主義革命は何なのだろうとなる

盗むというとき不思議なのはそもそも火を神からゼウスから盗んだプロメテウスのようにエネルギーはもともと神のものでありその神から人間が盗んだのである
だから科学技術でもそこに呪いが隠されていたのである
そして過酷な罰を受けたのである、それが原発事故として現代に事実として現れたのである
それで風力発電でも水力発電でも太陽光発電でも自然のエネルギーを盗んでいるものだからいいものではないというときなるほどなと思った
そういうふうに盗む行為は何か災いが隠されていたのである
だからこそ過酷な罰をプロメテウスは受けたのである
そして逆説としてシンホシスがただ転がり落ちる石をもちあげる、終わりなく持ち上げる労働を課せられた罰はこれも何か意味あることしない、働かない罰だったともなる
それはもしかしたら他人の労働を盗んだ罰だったかもしれないのである

だから社会を見る時不思議なのはみんな泥棒である

では誰が泥棒ではないのか?これを見れば何か人間を社会をみる糸口が開けるのではないか?
するとまず政府の官僚とか政治家とか士業と言われるもの、弁護士でも銀行員や証券会社はみんな胡散臭い奴らだなともなってしまうのである
それらはうまく操作して市場が公平のように装いグロ−バル経済で金を右から左に流して巨万の富を得ている、それは世界から盗んでいるのである
そのことを知ったゴールドマンサックスの会社員は自らそうした仕組みを頭いいからITとかで作ったから良心にさいなまされてやめたとしている、日本の富を奪うために仕組んだからである
ただその人はましだった、悪いと感じていたからである、もう現代では感じないからである
盗み稼業でも現代ではその人自身が気づかない
盗んでいるとなど思わないしむしろ正規の仕事をしているだけだとなる
なぜなら決してそれをとがめられることもないからである
だからそんなのいかさまのギャンブルだとして民衆がデモを起こしたら怖いことになるでもそういう人達はかエリートとしてのうのうとして公然と人も国も会社もだまして外国の富も奪っているとなる、なんかそうすると悪魔的になっている

いづれにしろ今や銀行そのものが地銀でも社会に害を及ぼすだけであり必要なのか問われている、社会の不思議は人間の不思議は社会の害になっても生きねばならい
日々の糧を得なければならない、だからきれいごとを言っていては生きられないとなる
それでマフィアは麻薬をやめられない、その栽培をアフガニスタンではやめられないとしていたのであく
何かそれがアフガニスタンだけではない、現実世界でも日本でもそういうことが日常的に行われていたのである
原発マフィア村というのもそうだったのである、原発は何兆円とかの金に鳴る木だからそこに利権がありみんな食い物にした、それは政府でも政治家でも官僚でもそうであり検察も官僚であり東電に天下りしていたからグルだったとなる
マスコミもみんな原発村の一員であり巨額の宣伝費が東電や電気連合からもらっていたのである

ではみんなそうして金で汚れてしまったのか?汚れていない人はいない

その対比から見ると貧しく社会の底辺で呻吟している人はそうした金が入らないのだから汚れてないないのかとなる
まず土建業とかになるとそこで下働きなどしている人は金は入らない
でも原発の除染の仕事では会社の幹部には何億の金が入っていた、それで奪われた盗まれたとして逮捕されたりする
でも下の方で現場で働く人にはそうした恩恵がないのである
でもその人たちは心は汚されないとなる、それも何か理解できないのである

もちろん上に立つ人がすべて盗むというのではない、重責をになって仕事している人はいる、ただ社会のためにとか政府でも官僚でもまた銀行員とかでも何か社会の害悪にもなるそれで地銀の頭取が地域のため副業するのがいいとか奨励している
野球の監督とか塾の英語の講師とかして地域に尽くせとしている
それは本業で地域に尽くすことがてきなくなった
ただ貯金を投資信託にまわして金を奪うようなことをしているからそうなる
それもだから銀行員は今何のために地域にあるのかと問われる
ただ地域住民をの金を奪うだけのものなのかとまでなる
それで老人と貸した団塊の世代がねらわれているというのもわかる
月々分配型などは貯金に利子がつくような感覚になっていたからである

でも元本も保証できない危険な商品だったのである
銀行は損しても一切責任はとらないうまみのある商品だったのである
それが政府ぐるみで奨励しているというのはグルで盗賊化していたのかとなる
ただ人間はこのように知らず盗む行為をしている
遺産とかになるとただ親の労働をその子が盗むとなる
それは自分の場合に言えたのである
最後に介護したので遺産を受け取る権利は生まれたとはなる
むしろ親族でも子供で介護が別な他人がすればその人に権利がでるのは当然なのである
それは盗むと同じになっていたのである
自分の場合は一応介護したから権利があったとなる

いづれにしろ人間社会とは何なのだろうとなる
弁護士まで猛勉強してもそれが社会のために尽くすかとなるとただだますために盗むために法律を学んだとまでなる
政府の官僚になっても国民から税金を盗むためだったとまでなる
それは何なのだろうとなる、そのために勉強してきたのか?
実際団塊の世代の受験勉強はそういうものだった
他者を蹴落としても点数をとりそれでいい暮らしをしたい、官僚になれば高い地位につけば実入りが良くなるというたげの教育である
それも私の経験から納得することはある
なぜなら底辺になると悲惨だからである、流れ作業をロボットのようにしていなければならなかったり建築現場でも危険と隣り合わせだからである
そこは汚い場所でもあり誰もそんなところで仕事したくないとなる
そのために勉強しなければならないという動機にもなる
ただそれが盗むという地位に就くということではない
設計とか事務になれば楽だとなるから勉強しないというのはわかるのである

銀行は高度成長時代とかは楽だった、ただ金を集めれば良かった
そして金を貸す会社でもいくらでもあった
だからほとんど審査する必要もなかったという、そしてそこから利子がとれて顧客にも利子が回っていたのである
つまりそれは高度成長時代でありどこでも金回りが良かったからそうなっていたのである金さえ集まれば借りてくれる人や会社はいくらでもいる、それも高度成長時代だから投資も盛んになっている成功している人も会社も多いから不良債権にならなかったのである
審査する能力すら必要なかったのである

銀行がいかに楽な商売だったかわかる
これからの時代は銀行は半分なくなるとか銀行自体必要がなくなってきたのである
ただ訳のわからない投資信託とかうりつけて手数料だけはとるとなったりもう顧客から
いかにだまして金を奪うかとかなればそうである
そのターゲットに団塊の世代がなっているというのもわかる
高度成長時期に貯えた金融資産があるからそれが奪われるとまでなったのである
月々分配型などが何かうまい仕組みである、それが利子がもらえると勘違いするものだったのである、実際は利子がとられる商品だったのである

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2019年12月22日

2020年以降の日本の社会の恐怖 (すでに自分が経験したことだった)


2020年以降の日本の社会の恐怖

(すでに自分が経験したことだった)


2021年 団塊ジュニア世代が50歳に。介護離職が増加
2022年 団塊世代が75歳になり、超高齢化社会が加速
2025年 東京都の人口が減少に転じる。全国で介護職員が37万7千人不足
2026年ごろ 認知症患者が800万人に
2031年 18歳人口が100万人を割り込む。経営が悪化する大学が続出
2035年 日本の人口の4割が60歳以上になる
2040年 自治体の半数が消滅の危機
2040年ごろ 孤独死が年間20万人発生
2053年 日本の人口が1億人を切る
2055年 75歳以上の人口が2446万人に。4人に1人が後期高齢者になる
2056年ごろ 現役世代の社会保障負担が重くなる。海外に移住する若者も
2065年 日本の人口が約8800万人に
(取材をもとに編集部作成)

※週刊朝日  2017年8月4日号

この表で2026年ごろ 認知症患者が800万人に

これも怖い、現実に私の家では自分が重症の認知症患者を介護した、そのことをプログで書いてきた
800万人となればどうなるのか?そこらじゅう徘徊する老人であふれるのか?
認知症の介護は精神的にも相当な負担になる
そして認知症は精神的障害だかさ回りでも援助などしない、馬鹿になったと笑われるだけであり後見人制度も金をとることしか考えないとして問題になっている
つまり金のことがわからない、銀行からも金を下ろせないのだから他人だとそうなる
そして今は近隣の助けは得られない社会である
認知症だけではない精神障害者でも肉体障害者でも一千万とかいる負担も大きい
その息子をかかえた母親は毎日そのことばかりいって心配している
でもすでに50歳近くになっている障害者なのである
障害者は生涯めんどうを見なければならないのである
その負担は並大抵のものではない、最近我が町に立派な障害者用の学校ができたのであるそれも立派なのである
でもその負担も大きいなとつくづく思う

2040年 自治体の半数が消滅の危機

これも原発事故周辺では現実化したのである
避難区域になった所は田畑は草ぼうぼうであり若い世代は流出して帰らないのである
残ったのは老人である、でも小高などでは浪江でも原町が大きいからそこに住んでいる
それで不便は感じないとなる、でも若い世代が住んでいないのだからやがて老人だけになり町自体を維持できなくなる
そしてそういう場所に予算を金をつぎ込んでも無駄だともされる
官僚がジジババしかいない所に金をつぎこんでも無駄といか本音を言ったことでもわかるただいい面として耕作放棄地が全体に広がったためその土地を利用しやすくなって外から来た若者がその土地を手に入れて農業をはじめたとかある

そして農業が次の時代にかえって有望な産業として見られるようになったことである
それは日本の経済がグロ−バル競争に敗れた結果そうなったのである
ただ農業は土地だけあってもできない、人手が必要でありその苦労が並大抵ではない
だから知人の畑ではただその苦労だけを聞いて収穫はゼロだったとなる
それだけ農業は労力も大きい、だから土地だけあっても簡単にはできないのである
農業は親の後継ぐ職業としてあったことでもわかる

ともかく限界集落というとき小さな村だがここでは津波原発以後大きな村でも町でもそうなった、第一津波でぱいくつもの村が消滅したからである
そこはもう人も住んでいないからである
もうこれからは限界集落のようなのが増えてくるしもう今のレベルの生活は無理だから都市部に移れという人もいる、インフラも維持できなくなるからだ
つまり電気すら利用できなくなるかもしれないからだ
そうでも昔なら自給自足で生活していた、その昔には戻れないとなると都市部に移れとなる
そういうふうにこの辺では原町区はもともと5万以上の都市だったから小高の人はそこに住んでいる、浪江の人や双葉でも大熊でも移り住んでいる
とても原発避難区域になったところはもう回復できないようにも思う
最初は回復復興してもらいたいと思ったが今はそれよりもう維持できないとなり
かえって移り住み集約化した方がいいのかともみる
ただそこは限界集落とは違う、浪江でも二万人とか小高でも一万人とか住んでいたのだからそれが全部なくなることはどうなるのか?それが問われる
でも現実的にはすでに原町区に相当数移り住んでいるし帰らないともなっているのだ

2040年ごろ 孤独死が年間20万人発生

ロスジェネ世代も深刻である、結婚しない人が20パーセントとか独身のまま老いるのだが貯えもないから生活保護化するとかなる、でももう国では支援できないとして捨てられるその最後は捨てられて孤独死だとなる
それは自分にも身近である、結婚しない人は頼る人がいないのだから悲惨になる
ロスジェネや非正規とか未婚社会となりこれも深刻なのである
この世代は負の遺産となり社会を圧迫する
団塊の世代も高度成長時代は人口が多くても社会にとってプラスの人口増加だったのである、それが今になると負の遺産になって社会を介護とか認知症とか病人社会になり負担となる
ただ2040年となると団塊の世代でも90歳以上になれば死ぬ人が多くなる
すると団塊の世代の負担はへる、代わりにその子供時代のロスジェネ世代が大負担になってくるのだ
つまりロスジェネ世代が死ぬまで日本は負担に苦しむ社会となる

ただ長期的にみればこれらの負担が消えればどうなるのか?
そこにまた新しい未来が開けるのか?
結局未来はどうなるかわからない、戦後の焼け野原から何もなくなっても戦後は復興したそれは戦争によって負の遺産をかえって一掃して新生日本になったからだったのである
それだけの衝撃があっても復興したということは戦争は日本にとって次の時代を作るのにかえって貢献したとまで長期的にみればなる、全体的に見ればなる
だからかえってもし団塊の世代とかロスジェネ世代でも戦争で戦死するようなことになれば若い人達の負担がなく新生日本が生まれるとまでなる
だから後30年後とか40年後には日本は新生日本として蘇るとなる
ただ未来が予測できないのは必ず不測の事態が国際政治でも自然災害でも起きるから予測できないのである

人生でもみんなそれぞれの一生をふりかえると何か意外な結果だったなとなる
つまり個々人の人生も予測できない、そして結果的に人生でも幸不幸が何だったのかわからなくなる
不幸だと思ったのが実は幸福の基だったとか幸福だったのが災いの基になっていたとかある、まず一生楽な人生などないのである
いくら恵まれていても一生の間には何が起きるかわからないからだ
そして何か損だったのか得だったのかもわからない
ただ戦争時代に生まれ人は損だった、若くして死なねばならなかったからである
ロスジェネ世代も損な世代だったと今では言われる
こういう時代のめぐりあわせはどうにもならないのである
運不運でありどうにもならないのである

いづれにしろ団塊の世代も一つの歴史となってゆく
老人の強みはこうして長い一生をみて歴史をみる、それが若い世代にはできない
つまり人間はいくら本を読んでも知識を積み重ねても経験から学ぶことが一番多いからである
それで何か学問なくても経験した人は肌で知っているのである
学歴よりその人の経験が人を作るのである
それはつまらない経験でもそうなのである、経験が教えることは忘れないのである
私自身はたいした経験をしていない、結局底辺労働者と引きこもりとわずかの教育体験だったとなる、だから経験としては貧弱だったのである
それでも人間はふりかえると経験から学ぶ方が大きいのである

それで50歳でバックパッカーで大失敗したけど海外旅行して良かったとなる
その経験は確実に活きてくる
その時海外旅行しなかったら遂にできなかったともなる
団塊の世代では同世代でも海外経験した人はわずかだろう
そういう時代ではなかったからである
なんであれ経験が人間を作るのであり本だけ読んでは作れない
そこで本を読んでいてもつくづく印や線をびっしり引いてあるのだがほとんど理解していなかったのである、これでもいくら本を読んでも経験に優らないことがわかる
経験したことは体で覚えているからだ、これは外国だけではない日本でも地理をわかるには本を読む前に実地にその地を踏まない限りわからない、日本の場合は隈なく旅行しているから地理を理解したのである

ただ本を読むことが無駄だとはならない、それも後で活きてくる
雑学でもしないよりはした方がいいのである、知識でも経験と合わせて必ず役にたつようになるからである
それでも外国の旅行の本を読んでいるより海外旅行を実地にした方が外国は表面的でもわかる外国は本を読んだだけではわからない、そのことがいかに経験が大事なのか証明しているのである、百聞は一見にしかずなのである、百聞とは外国のことを百回聞いても本で読んでも理解できない、本を読まなくても一回でも外国に行った人の方が知っているのであるだから行動が先で知識や理解は後からついてくるというのが順序なのである

今年も終わりだけど今年は結構youtubeを見た、これも新しいメデアであり知識を得られた
youtubeだと短いにしろ要点がわかる、それで大勢の人に見られるのはテレビに似ている
何かこれからテレビの代わりになるのがyoutubeなのかとなる
テレビはマスコミでありそれが情報を独占したいた時代は終わった
マスコミの力は六局が動画で放送できる権利をもって権力をもったのである
それが個人レベルでもテレビのように放送できることは大きな変化だった
これからはテレビを見ない時代が来る、六局の放送局でも別に安価にyoutubeで放送できる
ただコンテンツを作るのはむずかしい、その能力があればyoutubeでも有料で放送できる
youtubeはまだそうした人材を集めたり特派員をもっていない
それはだけのい収入が得られないからである、でも放送局のように金が入ればそういうことはできるのである

2020年は時代が大きく変化する、区切りよく2020年となり元号も令和に変わったからである
その変化は日本にとっては厳しいものとなる、日本自体はこれから厳しい冬の時代になる
自分自身ももう冬を生きる老人となり過去を回想して引きこもるともなる





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2019年私が選んだサイト お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ


2019年私が選んだサイト

お金のために働く人が、「起業家」に向いていないワケ

人間はどうしても目の前の利益にとらわれる、これは逃れようがない、なぜなら毎日生活する金が糧がなければ生きていけないからである
するとまずは利益だ、金だとなりブラックにでもなんでもなる
それが現実社会であり甘いことなど言っていられないとなる儲けがなければ客が来なければつぶれてしまうからである

ただこの人の言うようにただ金のためだけではない、もちろん金を得るために働くことはあるが何か仕事にはそれだけのものではないものがある
何でもできる大工さんを見ているとその人は根っからの大工なのである
また庭作りもできる、単なるハウス会社の組み立てやではてい
修理とかもできる大工なのである
だから楽しそうに仕事をしているのである、そして自分で作ったものを誇示する
それは別に奢りでもなんでもない、自分の作ったものに満足している、仕事に満足しているのである
ただその人は実際は大工ではない別なしなくてもいいブラックな仕事をしている
それは本当に金のためだけの仕事である

つまりその人を仕事でも見ている時、金を得ることが仕事ではあることはいなめない
でもその他に何かある、自転車屋ですら何かある、その仕事に誇りをもっている
ただ誇りを持ち過ぎて人との対応が悪くなる、技術屋ならいいが客と対応することで
商売ができない、それは医者だって技術があっても患者と対応することがありにている
駅前で商売しているから街を良くしようとする気持ちがある
ただ駅の見守り役はそういうことがなかった
それは同じ市内でも区域が違ってそうなった、やはりそこに住んでいる人はその住んでいる場所を良くしようとする、同じ市内でも気持ちが違ってくるのだ

経営者にはただ金だけではないものがあってできるというのもわかる
自分は技術者として優秀だから優秀な所をみせてやるとかそんな動機で会社を初めて失敗した人もいた、その動機自体がただ金になり社長として成功したいというだけだったのである
その人は雇われて技術者としてやっていれば何の問題もなかったのである
経営者となると違った動機とか経営理念とかでも必要になる
理系だとそういうことが不得意だともなる、そういう点では文系が経営者に向いているから文系が経営者になっていたのもわかるのである

塾を経営していた人も何か教育などに何の関心もない、生徒を集めて金になればいいというだけである、教育はただ金儲けの手段なのである
自分自身も教育のまねごとをしたが失敗だった
でも何か自分には能力がないにしろ教育を楽しいもの学びを楽しいものにしようする動機があった、だから経営者のように全然動機がない、金だけの動機とは違っていた
ただそれは自分も失敗だった
でも流れ作業しか仕事とししていないものにとってそういう仕事は全く違ったものだったのである、そこにはある程度創造性も発揮できる仕事だった
ただ矛盾は金にならないとかもあり挫折したともなる
自分にとって仕事は流れ作業くらいしか経験していない、だから何でもいいからそれ以外の仕事をしたかったとなるができなかったとなる
それだけの能力もなかったとなる

でも自分は依然としてホームページでもプログでも創造性を追及している
天才でもなんでもないのだけど創造性を追及していることは理解されるだろう
その一つはソフトによる抽象画だったのである
他でもいろいろなことを探求して来た
それは「郷土学」というものである
郷土を一つの全体として多角的に考察してゆく、アイディンティティ化してゆく作業である、いわば今はやりの地域創成学部とでもなる
これは地域全体の学でありまた地域を改善することである
そのささやかなものとして無人駅の案内にかかわった
これも怪しいと疑われただけだったともなるが何かふるさとの一員としてかかわるものだったのである
つまり何か成功するとか金になるとかの前にそうした気持ちが動機が必要になる
それがそこに住んでいれば自ずとそうなるのである

結局あからさまに金だけを求めて経営者になっている人はやはり経営者にふさわしくないとなる                                    

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

そうすれば糧は神から与えられるだろうとしている、でも現実世界はまず糧をくださいとなる、それが先だとしているのである、まず金を与えてください、さすれば与えられるとなる
人間の矛盾がここに一番現れている、それはあらゆる仕事でもそういうことで葛藤する
それは本当にみんな働いているとしてそういう問題をかかえているとなる
何を求めるのか神はその心を見ているというとき動機を重んじている
でも現実社会ではまず利益であり金だとなっている
人間はみんなその葛藤で苦しんでいるのである
そのためにこの世ではサタンのささやきが優っているからこの世は腐敗して乱れるのである

特にグロ−バル経済とか資本主義社会では修道院から生まれ動機とまるで正反対になったその求めるものは金だけであり極わずかの国際金融資本家たちに世界の富が吸い上げられる、日本の富もアメリカに吸い上げられる、それが日本貧困になった原因だという人も多いのである
つまり金が利益がまず先だ、そのためには手段を選ぶなとかいうことでサタンのささやきに従ったのが現代のグロ−バル資本主義になった
ガンジーの言う道徳無き経済となってしまったのである


人間はとにかくジキルハイドになる、善と悪との二面性がありアメリカ人がアングロサクソンがその二面性が極端だというのもそのためである
善を言うのだがその善と裏腹に本当にどす黒いものを平気で実行してくる
人をだますのも平気なのである、敵に笑顔を見せてその裏では相手を平気でだまして殺す善悪の二面性が極端なのである
そういう二面性を日本人はなかなか理解できないというとき日本は島国で平和だったからそうなる、熾烈な民族同士の争いを経て来た人たちはそうはならない
契約は正義を実行するためのものでもない、相手をだますものとして法律もある
法律もその利用する人によってどうにでも解釈できるからである

裏を見せ 表を見せて 散るもみじ 良寛

裏表を見せる人はいない、表だけを見せて装う、それが現実の社会であり人なのである
だから人間はその行動だけから判断できないのである
どうしてそういう行動をするのか?それが問題になる
経営でもあからさまに金だけを求める人も多いしそれが現実社会だともなるからだ
まず金をもらわなければ一歩も動かない、何かそういう人は金だけが目的であり仕事そのものをするにふさわしい人ではないだろう
例えばここに倒れた人がいる、その時まず金を出せば助けるでは仕事にならない
まず助ける、そういうことは医療関係者に望まれている
何か仕事というとき金をもらうことはいいとしてその前に仕事そのものに生きがいを見出すことも必要である

それでworkとなっている、仕事は作品なのである
大工が作ったものは本当に作品だった、だからその作品に満足するのである
それは芸術家なら特にそうなる、金が欲しい得るにしてもまず自分が納得いく作品を作りたいのである、その動機も目的もまず金になるのではない、その人の創造性を個性を発揮したものを作りたいとなるのである
ただ仕事でも多様だから本当に好きな仕事をできる人は限られている
でもそういう人が仕事するときいい仕事はできないし社会にとっていいものではないのである、適材適所で働いていたらその社会は活気がありいいものとなっていることは確かなのである
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2019年12月20日

日本の戦後経済の復興した理由 (預金封鎖が再び来る!)


日本の戦後経済の復興した理由

(預金封鎖が再び来る!)

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第25話・地獄の財産税法預金封鎖と預金税【後編】

これは連載であり長いから読み応えがある
一冊の本と同じである
なぜ戦後復興できたのか?それが今の日本のヒントになる
そういう大改革が痛みがともなってもその後に復興するということを説明している

J-reitを売った、全体的には損しなかった
でも株が倍くらいにあがったからもしその株を売っていたら相当な利益になった
分散投資と言っていたのに銀行員自身がそれを守らなかったのである
自分の都合でノルマのためにJ=REITに回した
だから投資の基本は分散投資だし財産を守るのも分散させることだと思った

なぜなら2020年に預金封鎖とか株価暴落とか悪いことしか専門家が言っていないからだ
中国の経済状況も悪い、アメリカの株価もバブルだし日本でもそうである
めのために何か給料が上がらないのに景気の良さを感じないのに株だけが上がっているのは危険な兆候だとしている
グラフで分析しているから何か納得する

預金封鎖がある!

これが心配になってきたしそれも単なる憶測ではない、専門家がそう言っているからだ
経済は金融のことを知らないと理解できないという

ここのサイトでは経済はエネルギーと金融だという、日本が戦後復活したのはエネルギーとして石炭があり金融政策がうまくいったからだとしている
金は血液と同じでありこれがまわらないと経済は死ぬから金融が要になるとしている
そういうことで国際金融資本家がグロ−バル経済の要にあり富を総取りするようなことが起きていることが納得する
それで銀行はつぶれないとしている、なぜなら国の税金が投入されるからだという
それだけ金融が国家にとっても大事だから銀行を守るといっている

エネルギーが国家を支えるという時イギリスでも炭鉱があり蒸気機関車を発明して運営できた、石炭がなければできなかったからだ
日本でも福島県だと常磐炭鉱が有名である
炭鉱という時何か戦後まもなくはいたるところで炭鉱を探していたのである
私の町でも探していた、それだけ石炭を必要としていたのである
そしてたいがい鉄道は石炭を運ぶものとして開かれた
乗客ではなく石炭を運ぶために開かれたのである、小樽とかもそうである
北海道は石炭のために鉄道が開かれたのが多いのである
乗客を乗せるためのものではなくまず貨物輸送であり石炭を運ぶためだったのである
私の学校時代でも石炭を使ったストーブであり蒸気機関車を利用して学校に通っていたのである

戦後なぜ日本が復興したのか?

それはあらゆるものが焼野原になりそこから新たな再生があった
既得権者が財閥とか地主とかが力を失った、結果的にそこで新しい企業が生まれて活躍して高度成長時代を築いた
農地改革も行われて小作が土地をもてるようになったことも大きい
なぜなら地主と小作の格差が大きかったからである、だから小作の恨みがどこでも大きかったのである、農業は土地が資本だからそもそも土地がないことには豊かにはなれないからである

結局日本の戦後は幸運だったのである
一見最悪の状態だったが復活したのは既得権者が解体されたり政治的にはソ連との冷戦になり共産主義に世界が赤に染められるとしてアメリカが対抗して日本がその防衛の最前線になったためである、政治的に保護されて経済的にも有利に働いたのである
このサイトでは朝鮮戦争の特需で日本経済が復活したのではないというのもそうだったのかとなる

こういう歴史は団塊の世代の親が経験しているから身近なのである
私の母親は原町の原町紡績で10年間糸取りしていた、それから女中として東京で働いた
そこで結婚したのだがその夫は事故で死んだ
その時かなりの額の金を会社からもらった
でも戦争で預金封鎖になり残ったのはその金で故郷に買ったわずかなの土地だけだったのである、その時みんな金をもっていても本当にそれが紙切れになったからである
だから預金封鎖は金がある人にとっては恐怖である

でも預金封鎖が全部悪いというのではない、荒治療だけど効果も大きい
つまり戦後のように大改革になり結果的に格差も解消されるということにもなる
いくら格差を解消しようにも戦後のような荒治療をしなかぎりできない
ただ戦後はそもそもみんな焼野原で何もなくなったのだからそうした荒治療する前に
戦争によって荒治療された状態になっていたからやり安かったのである
反対することもできない状態だったのである

でも今は安定社会であり一億円以上もっている人は相当に不安になる
また反対するだろう、下層階級でも影響が大きい、預金封鎖の結果どうなるか誰もわからない、ただ金を持っている人は持てるがために恐怖になる
金持ちは常に金が減るという恐怖にさらされている、人間の心理として一旦金をもつと減らしたくないのである、それが億とかさらにそれ以上の金でもそういう心理が働くのだ
金はあるはあるでそれが不安の種になる、なければないでまた苦しむ
人間に何であれ完全な安心を得ることはできないのである

とにかく預金封鎖は金持ちにとっては税金が80パーセントとかかけられたりそもそも金が国によって没収されるのだから恐怖である
ただそれによって法外な金を持つ人から金は奪い平均化できる
だから貧乏な層にとっては苦しいにしろ悪いことともならい、何より格差が解消するからである

だからこういうことは世界的にして極端な格差を解消させる、国際金融資本とかから金を奪い貧乏な層に金を回すということで今の資本主義が守るともなる
ベーシックインカムより有効になるのかとも見る
何かそうした荒治療をしないかぎりもうグロ−バル経済は資本主義はもたなくなっているからだ、自由主義でも自由市場にまかせることは限界に来ているのである
もうグロ−バル経済は格差を拡大してとても公平さを保てないのである
すると強権で預金封鎖とかしない限り破綻してゆく
そういう岐路が今来ているのだと思う



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2019年12月10日

国家自体が盗賊集団から起きた (追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


国家自体が盗賊集団から起きた

(追い詰められると個人も会社も国も盗賊化する)


中華人民共和国は最後の「盗賊王朝」だ

個々人で盗んだり強盗すれば厳しく罰せられる、でもそれが大集団になって盗賊集団になると罰することかできない、むしろそれが正義となり国をのっとることになる
それが中国では常に起きてきた
中国とは常にそうした盗賊集団によって国ごと乗っ取られてきたのである
王朝はその度に変わる、今の共産党も王朝でありだからこそあれだけの格差になった
王朝になればそこに仕えるものは上層部は共産党幹部には莫大な富が入ってくるからである

つまりマルクス主義とはただ美名にすぎない、現実は盗賊国家なのだけでそれを隠すために理論でごまかしているともなる
中国という国柄がそういう歴史であったのだ
モンゴルでも満州でも周辺国に遊牧民がいてそれらも盗賊と化して襲ってくる
そして遊牧民では砂漠でぱ奪うことが正当化されているのである
奪って当然だとして罪の意識がない、関税のようにして奪ったとなる
女性まで略奪婚であり奪うのである、それが正当化されているのである 

中国だけではない、ヨ−ロッパでもスペインなどは本当に盗賊国家だった
それは南米でインカとかを亡ぼしたけどそこに侵略したのは本当に盗賊集団だったのである、国家というのはなかった、そこで馬と銃でわずかの人間でインカ帝国を亡ぼしたのである、そして黄金を奪い自国にもちかえりキリスト教会を黄金で飾ったのである
これも矛盾である、それでキリストが喜んだのだろうか?
そして異教徒は人間ではないとして殺戮したりした
それはスペインだけではない、ヨ−ロッパ全体が大航海時代にアジアの富を奪った
植民地化して奪ったのである、アメリカはイギリスなどの移民によってインディアンを滅ぼして根こそぎ広大な大陸を奪ったとなるからこれも盗賊集団だったともなる
オーストラリアでもアボリジニとかいてそれもイギリスの移民によって奪われた
その人たちは囚人だったともなるから荒っぽい人たちだったともなる
またイギリス国家の成り立ちが海賊から始まったというのもそうである
海賊もまた奪うことが正当化される
国が違えばもう法律は通用しないからである、力をある者が富を得るだけだとなる

盗賊とは個々人では罰せられる、でも大盗賊は罰せられないのである
むしろ崇められるのである、それは日本だって上級国民とかになれば警察も手を出せないと交通事故を起こして殺した人をみんなで言っている
社会というのはそういうものである
例えば戦国時代があるとする、それは何だったのか?
一種の盗賊集団の争いだったのか?権力を得るための殺し合いであり盗賊集団同士の戦いだったとなる
天下をとるとはまさにそういう盗賊集団の最も強い頭領だったともなる

そういうことは現代では社会が変わったからありえないとみる
でも人間は本質的に変わらないのではないか?
人間が富を得るというとき盗賊として他者の富を奪って富を得る
世界の富がなぜ数パーセントの大金持ちがもっていることでもわかる
それは巧妙な資本主義の制度の中で合法的に奪っているのである
だからいづれそういう人達が襲われて殺されたりするともなる 
株式市場が暴徒によって襲われるかもしれない、アメリカではデモでそれとにたことがあった
つまりそのわずかな人たちがそんなに富を得ているのか?
それがなぜ許されているのか?
これを世界の人がアメリカでも中国でも許すことはないと思うからである
そこで戦国時代のような内乱状態になってゆく
世界では今なぜデモとかが命がけで起きているのか?
それはそうした極端な格差に対して怒りはじめて抗議するようになった

そして日本も格差か階級社会になっているというとき底辺層は追い詰められて暴動化して盗賊化するかもしれない、革命という時、そうした不満層を集めることだからである
それが共産主義革命ともなっているが実質はこれも盗賊集団なのである
それは中国を見ればわかる、黄巾族とか宗教集団がもあったがこれも同じだった
盗賊集団なのである、今の創価とカルト集団もそうである
権力を狙い富を得よとしているからである  
要するに権力を得てその富を分配する御利益として分配する
そのために徒党を組んで毎日祈り選挙活動がすべてとなっているのである
仏教など何の関係もないのである、そんな人がいたら奇跡だというのがこの世である

それは戦国時代は念仏宗とかでもありそれが信長と対立したのである
島原の乱でもあぶれた浪人が集結して幕府と戦った
つまり失業しているということは侍でもそうなるのである 
アメリカでイラク戦争の時も下層の人たちが黒人が仕事を得て上の階層に入るために従軍した
だから人間社会で失業することは食べることができなくなるのだから一番深刻なのである
浪人は戦争がなくなれば失業する、すると戦争があった方がいいとまでなる
第一僧侶から侍になった人も多かった、寺という領域は一つの支配体制であり権力を有していた、僧兵もいた、無防備の集団ではない武装集団だったのである
だから信長が敵として認識したのである
人間が集団化するのはなぜなのか?利害とか利益で御利益を共同で得ようとする
それは盗賊集団でもいいとなる、ただ現代で権力を得るためには選挙でしかできないから戦国時代にならないというだけなのである
実質は変わっていないのである

そして今格差がこれだけ世界的日本でも大きくなると盗賊集団化する
金持ちを襲うこともありえる、金持ち自体も盗賊だと見るからだ
俺たちの富を奪っていると見るからである
そして日本でも貧困化すると生活が追い詰められると個人だけではない会社も盗賊化する富を奪うようになる
銀行でも地銀でも堅い職業として見ていたが今は違う、利益が得られないから投資信託とかゆうちょでもまやかしの保険を売り込んだりしてだまして金を奪う
人間は別に個人だけではない、追い詰められると会社でも盗賊集団と化すのである
だから追い詰められた個人も怖いが集団も怖い
国家自体が追い詰められれば盗賊集団と化す、遊牧民のように他国を攻めてくるのであるそのために万里長城ができたのである
それは別に南米とかでも大金持ちはガードマンを雇い高い塀をめぐらして富を盗まれないようにしている、強盗が入らないようにしているし金持ちがだけ住んで門を作りよそ者は入れないようにもしている
社会がそこでて分離して分断されている、アメリカなどでもそうなっているところもある  
生活保護あくまでも金持ち層でも犯罪を犯さないように最低限を供給するシステムである
でも氷河期世代とかロスジェネ世代が大量に高齢化すると生活保護ができなくなる
その時また危険な状態になる、追い詰められた老人でも何するかわからないとなるからだ

国家でも追い詰められれば盗賊集団と化して他国を攻める、その盗賊集団によって王朝が変わったのが中国だったのである
アメリカにしても今でも世界を支配するから富が集中するのである
ドルが世界の貨幣になっているのもそうである、金融でも世界を支配する
それでゴールドマンサックスがむずかしい投資信託を作りそれを地銀でもゆうちょでも農協にも売りつけて富を吸い上げているというのもそうである、アメリカは日本の富で容易に奪える、戦争に負けたらそうなっている  
アメリカに従わなければどうなるのか?日本はやはりアメリカに貢がないと自らの国すら守れない国はとなっているからだ
だから独立するにはアメリカと起き、中国とも距離を起きバランスを計ることだとなる
でもそれが日本が独立国で強国となればできることである、日本は敗戦でそれができなくなったのである
つまり地銀でもゆうちょでも農協でもそういうことで庶民の貯金がアメリカに奪われているのである
自分も投資信託を地銀から買って損した
それは地銀自体が証券のことをわからない、投資信託のことをわからないでアメリカの証券会社から買って庶民が貯金した金を投資して損していたのである

だからこの世とは何なのだろうとなる
人間の歴史とは何なのだろうとなる
ただ盗賊により政権の交代があり王朝の交代がある、ただ選挙制度ができて武力でそういうことがなくなっただけだともなる
そうなっても格差はなくならないからかえって増大しているからなんらかで革命が別な盗賊集団が台頭してくる
それが共産党でも公明創価でも同じである、それらの人たちは富を奪う集団だからである、そして仲間に分配するだけだだとなる
仲間に入らなければ奪った富は分配されないとなる  
罰当たるとか地獄に落ちるとか言うがその人間がそもそも地獄人間なのである、やはり本質的に変わらない人間の欲と業をもった人間でありその地獄人間がそんなことを言っているのだから異常だとなる
自分自身が親鸞のように地獄は一定の住処なりというならいい、それを他者に対して言うのは異常なのである
だからカルトでありファシズムともなる
いづれにしろ人間の社会は結局そんなものだったのかとなる
そこに主義主張とか何か大義名分と宗教とかかかわっても現実は富を得るための奪うための闘争だったとなる

そういう食うか食われるかの弱肉強食の世界である、だから格差社会とか貧困化は追い詰められ人間を大量に作り出すから怖いのである
そして失業がナチスが生まれた原因だったとか国が盗賊化する原因になる
他国に侵略する原因にもなる、日本が貧しい農民国家の時土地が欲しくて満州に浸出したそれも何か盗賊化してゆく原因である
それは世界中で同じなのである、それが世界の歴史だともなる

相馬藩の歴史でも野馬追いがあるように相馬氏が進出してこの土地を奪ったともなる
それは馬を操るのが得意でありまた強かったからである
だから地元の土着していた豪族も従うようになったのである
それはやはり奪ったとなる盗賊集団だったともなる、それは世界史でもみんなそうだったのである
ただその後に平和的な法的な支配体制が生まれたとなる
もともとの起こり侍でも盗賊集団だったとなる、それはみんなそうだったのである
結局これが人間の真実であり歴史だったともなる

維持維新でも革命でもそういうことがあった、富を奪うとは権力を奪うことでありそこで富を得ることである
薩摩長州が権力をとりそうなったからである
政治がもともと武力闘争で権力を得ることだったが選挙で決めるようになったのはそのためである
ただ選挙だって今や公平ではない、だから不満が鬱積している
それが暴動となり金持ちでも襲ってくる、そういう革命前夜にあるのが世界的にあり日本でもそうなのである
追い詰められ人間がそこらじゅうに増えてくるとそれがいつか爆発してくる
そういう恐怖の時代に突入しているのである

だから金持ちはむしろ戦々恐々としていなければならない、その不公平で得られる富に安住はできない
ただ下層階級を見下していることはできない、いつ襲ってくるかわからないからだ
日本が貧困化するとますますそうなってくる
だから消費税など上げてはならなかったのだ、何か買い物で10パーセントは大きいと思った
100円買って十円とられるのは日常的に大きいのである
毎日買い物しているから実感した、こうしたことで今度は自民党への不満が大きくなってゆく
これはもうさけられないのである

経済的に成功した層が激しい憤怒をもったアンダークラスに襲撃される日

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2019年12月08日

新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない (停滞社会、中世社会へ逆行か?)


新しい産業が起こらない、フロンティアがない、投資先がない

(停滞社会、中世社会へ逆行か?)

世界史をふりかえると大航海時代とかアメリカ大陸発見からフロンティアがありヨ−ロッパは栄えた、オランダで航海するには危険であり沈没すると大損になる
でも成功すれば大儲けになる、それで株式会社として共同で出資して成功すれば株の配当でもうかる、オランダそうして栄えた
東インド会社とかを作り成功した
大航海時代はそうした世界がフロンティアとなっていた
その最大のフロンティアがアメリカ大陸だったのである

スペインは略奪国家だったけど南米で富をえた、ただそれが継続しなかったのはただ奪う国家、海賊国家だったからである
次にイギリスは自ら産業革命を起こして七つの海を支配した
それはただ奪うだけではない技術革新があった、今のITの技術と同じである
アメリカが開発したのでありそれで世界を支配する
鉄道の発祥の地はイギリスだったのである

日本では江戸時代までは新田開発でありそれで人口を増やした、一番栄えたの元禄時代だったのである、それは地方でも同じだったのである、葛尾村にも元禄の碑があったし相馬市の新田にも元禄の碑があった、この辺ではめずらしけど元禄の碑があるということはやはりこの辺で盛んに新田が作られたということなのである

明治になると個々人の家で零細な絹織物などの手仕事が大規模な産業となった
絹織物は養蚕農家を日本全体で作りだした
今でも兜形の家はいたるところに残っている、そこは養蚕がされた場所なのである
その絹織物はアメリカに輸出されたのである
原町の原町紡績(原紡)はこの辺では有名である
私の母はそこで糸取りとして十年働いた、それまでは農業が中心で現金収入は得られなかった

特に女性はそうだった、だから女性に働く場を与えたということで大きな変化だった、女工哀史とかあるけど全部がそうではない、そういう面はあったにしろ農業しか働く場がない時代から脱出したのが養蚕と絹織物産業だったのである
その後私の母は東京で女中になった
この女中もその頃女性の働き場だった、電化製品などないかである
それで中産階級でも二人も女中を雇ったいたのである
それだけ家事自体の労力がかかっていたのである
第一洗濯板で洗濯するだけで手間なのである、それはフランスのセーヌ河でも選択する女性がいた、それがルーブル博物館に絵として残っている
インドでは洗濯するカーストがあった、洗濯自体一仕事だったのである

戦前まで依然として農業に従事する人が8割とかの社会だった
そこでいかに農業で苦労したか?農民詩人を見ればわかる、食うや食わずであり小作が過酷でありその恨みが残った
その後戦争に負けて日本は焼野原になった、そして引揚者が開墾者となりやはり農業で生活しようとしていた、それも過酷で半分はやめた
でも戦後十年くらいから電機製品が世界で売れて高度成長時代になった
その後日本は電器製品から自動車産業が輸出産業となった
でも失われた30年となり日本が経済は停滞した
IT化にもおくれてスマートフォン時代にも乗り遅れた
そして新しい産業が起こらない、そして今は株が上がっていても好景気感はない
それはなぜか?歴史をみても新しい産業が起こらないとういことである
日本はITでは後進国だからである

そして自動車産業も衰退しつつある、そもそも自動車が自動運転化すると車の使い方が根本的に変わり車自体の数は必要ないという、車を実際に利用しているのは4パーセントであり家で使わないのである、ただ高い車を使わずに置いてある度合いが高いのである
ここでもAI化とかでかえって雇用する人が減ってゆく、人はいらなくなってくる
新しい産業は雇用を増大させるがAI化はかえって雇用する人を減らすのである

そして今金はどこでも余っている、その使い先が投資先がないのである
大企業でも膨大な金を留保している、それを社員の給料にもまわさない
保留しているだけで金が回らないのである、それだけ投資できない、保守志向になっている、銀行でも金が余っている、でも投資先がないのである
それで投資信託などを売りつける、それはゆうちょでも農協でもアメリカのゴールドマンサックスなどの餌食になっているという、投資信託とはそういうアメリカの頭脳となる人達が作り出したものでありそれで日本の金融機関から金を奪われるだけだとしている
金融とは金を右から左に回して差益でもうけている詐欺のようなものである
投資ではなく投機なのである、円高差益でかせぐFXのようなものである
だからもう地銀とか金融機関は必要なくなっている
かえって追い詰められているからそうした詐欺商品を売りつけるから害毒になる
それは医者がいらない薬を患者に与えて製薬会社と結託してもうけているのとにているのである
つまり社会に有効に働かない時、その人間は害になってくるのである
会社でも害悪として社会に働く、むしろそこで働くことは社会に害悪をもたらすだけだとなるから怖い存在になる

その仕事が害悪になるというとき例えばアフガニスタンで大麻を売らざるを得ない、栽培しなければならないのは食べるためにそうなっている
職がないからそうなったのである、メキシコで大麻でギャングがいるのはそれしか仕事がないからだとなる、それを簡単にやめさせることができないのである
だからそうして戦争でも失業者のために兵士にさせて仕事を与えるとまでなる
ナチスは失業者救済のため兵士にして戦争したとかなる
失業者が大量に出ると戦争にもなるのである
なにしろ追い詰められた人間は一番怖い、何でもするようになるからである
今日食べるものがないとしたらわずかの金でも殺す、そういう人に出会ったら最悪だとなる、でもそういう人が増えることはその社会はアフガニスタンやメキシコの麻薬社会にもなる、食べるために善悪もなにもなくなってしまうのである

だからこうして新しい産業も起こらないとか日本でも衰退してゆくばかりとなると非常に危険な状態になってゆく、それが金融機関にも現れているし社会が不安定になり犯罪も増えて来る
でも日本の場合は米が余っているとかとても食料不足になるとは思えない
アフガニスタンなどは食料すら確保できないから絶望的だからテロ国家になっている
ただ世界的に見て新しい産業はもう起こらないのかもしれない
AI化があってもそれは人力をますます減らすのであり今までの産業とは根本的に違うからである

するとどうなるのか?中世のような停滞社会、ゼロサム社会になる
そこでは何か内面性が追求される、精神世界の開発になる
第一パソコンとかITとかAI化は頭脳と関係して物つくりではないからだ
それに日本では追いつけなかったのである、物つくりが得意でもそうした頭脳となると苦手になる
ただ未来はどうなるかわからない、必ず予測しえないことが起きるからだ
津浪とか原発事故でもそうだった、予測し得ないことが人生では起きる
まず70年生きたら必ず戦争であり大災害であり何か大きなことがそのサイクルで起きているからだ
明治維新から70年後に太平洋戦争があり次に70年でまた大きな変化に見舞われている何か2019年も終わるけど2020年は本当にその節目であり大きなことが起きる
そうして時代が変わるのかと思う





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2019年12月05日

店が見せる(魅せる)になっている (常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店が見せる(魅せる)になっている

(常に新しい価値を提供しないと生き残れない)


店というのは見せるからきている、売る物をまず集めて並べる、そしてまず見てもらうことが売ることに通じている
だから店(みせ)がもともと見せるから来ていたのである
棚というときはそこに在庫があるということである

でも最近ただ店で買うのではなく見るということが多くなったのだろうか?
原町のスポーツ関連の商品を売っていた大きなチェーン店がようやく原発事故から8年も過ぎて開店した、それにニトリの家具店だった
だからそこでまず商品を見る、店に入って見る、買うとういのではなくまず見る
ここから商売がはじまる、だからこそ店は見せるだったのである

そして街全体を考えるとそうして大きな店が廃墟になっているようなことが何か街がさびれた感じであの前を通ると嫌だったのである
それが8年もつづいたかからである、でも新しい店ができてそういう感じはなくなったから良かったと思い入って見たのである
でも買ったものは意外と高かった、あそこは高いと思った

ダイユーとかの方が安いし品物も同じでありかえって買った短い絨毯はいいものではなかった、それが長いと思って買ったが失敗だった
ふりかえれば通販だったらそこで寸法が出ているから自分の家で長さがわかったのであるすると通販の方がいいとなる
とにかく通販が多くなった、特に私が通販になるのは車がないからである
原町の店で運送費がとられるから損なのである
この辺も変だなと思って量販店でそのことを言ったら無料で配達してくれた

ただ初めてできたから最初はものめずらしくて入る、買う人もいる、何か多少高くても買っている人はいるだろう
それは悪いことではない、どうも通販だけだと街自体がさびれてしまう
シャッター通りになってしまうのが嫌なのである
原町も駅前通りはそうなっている、だから店はあった方がいい、街自体が活気が出てくるからだ

ただ問題は

店が本当に見せるだけになったこと

売る側にしたらただ見せるだけでは商売にならないのだ
買ってもらわなければ店を維持できないのである
書店にしても今はただ見るだけである、専門書は置いていないからである
本というのは天文学的量があることに驚いた
こんな本があるのととても読み切れない買い切れないのである
ただ安いものを古本化したものを買っている、それで十分だともなる
要するに本でもただ見るために店に入っているとなる

その店で見るにしてもその量が通販と比べると比べようがなく少なすぎる
だからとても通販にはかなわない
そして本当に東京辺りで店が見せるだけになり後は通販で買ってもらうようになった店がある、これまでの店というのがデジタル化で通販と結びついたのである
一応それで商売が成り立つ、そこで買ってもらわなくても通販と結びついて買ってもらうとなる

まさに店は本当に見せるだけで魅せられて買う場となった

ウィンドウショッピングとかあったからそうなったともなる
店は見せるであり街はそうして商品を見せることだともなってしまう
見せることは現物を見るのと通販のように写真で見るのとは違う
手触りとか何か大きさとか現物にふれる魅力がある
だから現物を見るということはそれなりの価値を提供している
つまり通販だけではすべての価値は提供できないのである

とにかく価値は様々なものがあり多様化したのである
だから今までの小さな商店でも勝機はある、街の電気店でも高い値段でもその操作とかアフターサービスを充実した結果成り立っているとかある
何か老人になると簡単なことでも操作できないのである
その操作することを教えてくれるのは助かるからそのサービスに対して金を払うのであるそれも大きな価値なのである
価値というのは本当に多様でありあらゆる価値を提供はできない
いくら通販でも提供できない、だから小さな商店でも勝機がでてくる
それを島倉とかのyoutubeでしきりに訴えている、あれも説得力がある
そもそもyoutubeは新たな価値を提供するツールとなっているからそれ自体新しい価値を提供している、それはテレビとかマスコミではできないものの価値を提供して金をもらっているのである

レストランでも食堂でもそこに料理だけの価値ではない、その食堂であれレストランでも何か店によって雰囲気がある
そこに仲間が集う場になって価値があるとか内装がいいとか広いとかある
私の気に入っているのは原町の高見ホテルの高見食堂である
それはホテル内にある、そこは広々して広いという価値がある、そこでは広いからゆったりできるのである
料理としてはいまいちだというとき何か決まりきっているからである
ても味噌汁はいつも同じではない、魚のアラとかアサリ貝とか蟹とかの味噌汁を大鍋で提供している
自分が一番気にいっているのは広いから気持ちいいとういことである
その広さが私が一番価値を認めているのである
ただ料理は決まっていてイマイチである、ただサシミ料理などはお得な感じがする
ただ料理は決まっているのであきるのである、それで日替わりでカレーを出している所が繁盛しているのもわかる
あきるから毎日変わるものを出すことが価値を提供していたのである
ただそうなるとそれだけのものを毎日提供するとなると大変な労力が必要になる
でもそれが新しい価値を提供することなのである

まず価値は無数にあり価値はいくらでもあり見出されていないのである
故郷にしても田舎にしてもその価値と魅力をそこに住んでいる人すら知らないのである
最近秘密の小径を発見した、それは地元の人もほとんど通らない場所でそこは魅力ある場所だった、しかしその価値を発見して見出している人はいない
それを私は詩にしたりしている
美的な詩的な芸術的価値も無数にあり近くの平凡な場にもある
しかし地元の人すら発見していないしその価値を認めていないのである

いづれにしろIT化して多様な価値がまた発見される、でも旧来の価値もまた活きてくる
それは店が見せるからきて魅せるになることでもわかる
その言葉の成り立ちをみれば昔に帰ったともなるからだ
つまり見せるということ店はそれなりに価値を持っているのである
でもただ見せるだけでは商売にならない、そこでデジタル化した通販と結びついたのである

ただあまりにも商品の種類が増えすぎた、とても店だけでは展示できない
そうなると通販はどうしても有利になる、でもまだ小さい店でも勝機はあるとなる
第一チェーン店でも商品を展示するには限られる、ニトリでもそうである
そこでは通販もしている、通販でも買えるとなる
通販だと大量の商品から選べるとなる、どうしても通販なしでは成り立たなくったのである
でも旧来のものがすべてだめかというとそうではない、何かそこに勝機がかえって逆に出て来る


この人の説明は説得力がある


starcicle111122.jpg

鹿島駅前の星自転車屋は他店で買った自転車でも修理を受け付けている
そういう表示を店前にしている
今日は休みで写真がとれなかった
必ず病院に行くとき休みなのである

原町の自転車屋では自分だけではないそこで買わないと修理を受け付けないのである
だから自転車屋は困る、また近くにないと困るのである
今は鹿島には一軒しか自転車屋がないからなくなると困るのである
でもいづれはなくなる、なぜなら跡継ぎがいないからである
何かこうして高齢化と少子化で跡継ぎがいなくなり中小企業でも大量に廃業化してゆくのもまた耕作放棄地とかと同じように問題なのである

ここはヤマハの販売店でありヤマハだと買いやすい
そしておすすめが老人向きでもあるYPJ-XCなのである
ただ高いから買うとなるとむずかしい、でも同級生がすすめたから買ったのである
そして喜んでいた、なぜなら脳卒中になり一命をとりとめて運動のために自転車にのるようになったからである
つまり走した人でも乗り安い自転車だったのである







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2019年12月04日

経済活動には本当は動機が大事になるのでは? (目先の利益にふりまわされている、老人になってみんな人相まで悪くなる)


経済活動には本当は動機が大事になるのでは?

(目先の利益にふりまわされている、老人になってみんな人相まで悪くなる)

●まずは利益だ

経済活動は金を得るためである、仕事も金を得るためである、会社も金を得るためであるだから最優先課題はいかに利益を出してもうけを出すかであり
そもそも儲けがなかったら利益がなかったち社員に給料すら払われないからだ
社長でもそして第一に利益を出すことを考える
会社は利益を出さなかったらつづけられない、社員にも給料も払われないからである
福祉事業でもないのだからまず利益を出すことだとなる

でもそこから何か経済活動が歪んたものになっている
それがあらゆる職業に及んでいるのだ、それは一番尊敬されている医療関係者、特に高給取りの医者でもそうである
今の社会で…様と言われるのはお医者様くらいだろう
そのくらい尊敬されているのに医者も金になっている
患者にとって有害な薬を出しているのは金になるからである
そして製薬会社と結びつき金が入る仕組みになっている
そういうことが慣習にもなる
ところが江戸時代は医療技術も貧弱だから医は仁術になっていた
医者に望まれたのは人徳であった、だから貧乏人からは金をとらないということもあったそれで医者はやはり尊敬されていた

そもそも医者になる動機はなんなのだろうか?
給料がいいとかが第一になる、それはみんなそうである、また医者だけは尊敬されるということもある
まず現代では尊敬されるということはほとんどない、平等社会だからである
ただ給料が高いということが一番の目的になる
それがみんなそうなっているとき社会自体が歪んでくる
もう頭の中が金しかないのが現代である

まず利益だ、金だ

これしかない、でもそれで社会の賛同が得らるのか?
利益があって当然でありそうしなければ会社が成り立たない
でも社会的有効性とか利益を得るにしてもそういうものがなければ果たして消費者が支持するだろうか?
何かその人が例えば経営者であり社長だとする、するとその人の頭の中が利益だけなのか、金だけを考えているのか?それがその会社全体に影響する
学習塾を経営するにしても経営者は何か蘊蓄を言っていたけどその人の中には金のことしかない、教育自体に何の興味もなかったのである
だから生徒を獲得させるばいいと思っていたのである
それで営業をさせてただ生徒を獲得して金になればいいと思っていた
そういう人に教育者となる資格があったのだろうか? 

●会社はただ金儲けの手段

もちろん自分自身は仕事も会社に勤める経験もないのだからたいしたことは言えない
でも私が教育に関心をもったのはもちろん金が欲しいということがあった
それは同じである、でも何か面白い教育をしたい、何か子供に創造的なものを喚起したということがあった、それも実際は頓挫していたし経営能力もなにもなかった
それで失敗して終わった
でも何か多少はそういう動機があったことは確かである
じも経営者でも社長でも教育自体になんら興味がない、ただ教育というのは金儲けの手段とういう人も多いのである

会社は仕事は金儲けの手段である

何かそういう人が現実に多いのではないか?
それが何か社員でもそうなる、まずは売ることであり銀行なら貯金を増やすことであり
今なら投資信託を売りつけることだとなる
それはゆうちょでは保険だったのである
ゆうちょまでそんなことしているのかと社会の顰蹙をかった
でもそれもまた利益を出せない時代だから追い詰められているからそうなったのである
本来の仕事とは関係なくなっていたのである
銀行とか金融関係がもうけを出る会社に金を貸せないからそうなったのである

地銀とかは元来地域の会社を育てる、地域に貢献することを第一として仕事があった
でも地域に金を貸して利益を出せなくなり投資信託とか売りつけるようになった
社員はそのためにノルマを課せられて顧客のことなど関係なくなった
もはや銀行は客から金を奪うことを目的にしているとまでなる
それも高度成長時代は恵まれていたのである
顧客に貯金するだけで利子をつけられていたからである
今は顧客から投資信託などをすすめられて手数料という利子をとられる時代になったのである、だからめうう時代だからいちがいに責めるということもできないことある

でも頭の中がとにかく金をとれば利益をだせばいいんだということしかなくなることは異常ではないか?
何か個人でも会社でも社会の役割があり仕事する動機がある
それか金だけになって頭の中が社会的役割社会に貢献するとか全くなくなり金を引き出し奪うという感覚にすらなっている
医者でも地銀でも他の会社でもそういうことが多くなる
でも利益を出さなければどうにもならない、給料を支払えないとなっているのだからしょうがないとしてあきらめ働くとなる
それはでも社会にとって有害になり社会の人々に損害を害を与えるものにならないか?
医療関係でもいらない薬を与えてかえって病気が悪くなり薬を減らしたら良くなったというのが結構あるからだ
そこに金しか動機がなくなったらもう社会の害毒になっている
そういう人たちを容認していたら害毒がありいつかみんな被害者になる

●人間の日々の仕事や生活がその人を作る

資本主義社会がウェバーの言うようにキリスト教の精神から修道院ではじまったという分析がある、つまりキリスト教の愛の精神で他者に尽くすということから始まったのが資本主義だとしている、でも今はそんなことは全くない、ただ強欲資本主義になった
金さえ得ればいいという資本主義である、株式でも何か本来の投資ではない
ただ投機なのである、FXとにている
株が上がったり下がったりする、だから巨額の金があればそこで買ったり売ったりしていればもうかるのである、その上下しているから必ず上がったら利益確定すればいい
そしてまた上下するらか安い時に買い高い時に売ればいい 

これは単純なのである、だから資金がある人はそうしてこまめに株の上下を利用すればもうかるのである、ただ一億以上とかの資金がないとたいしてもうからないのである
まず素人はそういう株の世界にはのれない、一日パソコンを見ていなければならなとなるからだ、一億でもたりない、会社だったら百億とかで売り買いして利益をあげている
それでも投資信託でアメリカのゴールドマンサックスのような世界銀行に投資信託をうまくうりつけられてゆうちょでも農協でも地銀でも投資して大損しているというから
普通は株では素人はもうけられないのである

いづれにしろ経済活動には動機が必要だけどそれが失われた
その時この社会の根底が成り立たなくなっているのではないか?
もうあらゆる人が頭の中が金しかない、他所でも別なものが動機があればいいのだが全部金が動機になっているのである
そこに現代の資本主義の退廃が極点に達しているともなる

それで面白かったのは「安曇の白い庭」で丸山健一が言っている

彼は間違いなく肉体は若者のようにひきしまり、贅肉などかけらもなく、肌にしみひとつなく、黒髪でふさふさしててその目はきらきらとかがやいていた
それより、何より、精神が全く穢れていないことに驚いたという

その人は蜂家でミツバチとともに花を求めて北から南まで移動する日々を送っているという
同級会で集まった人はみんな肉体も老いていた、それより心がみんなけがれて人相に現れていたという
丸山健一と私は年齢的さほど差がないのである

これは何を意味しているのか?その日々の性格の結果が肉体に心にも集積して現れたということである
だから人間とは何でも日頃の日々の生活が体でも心でも作ってゆく
だからこそ職業とは大事なのである、職業によって人間はかえって作られてゆくからだ
しかしみんなおかしくなっていたというときそれだけ現代の社会は体でも心でも歪めてしまう社会なのである、それが何か恐ろしいとも思った
第一株でも一日パソコンで株のことを見ていて億万長者になってもその人がどんな人になってゆくのか?何か人格的におかしくなってゆく、そしてその結果が老人になると現れる本当に老人になるとあらゆる結果が現れてくることが怖いのである
つまらないことでも老人になると結果として現れるのである
でも資本主義社会ではどんなことしても金にけがされる人が多いのである

つまりみなんその顔が金だけを追求する社会では悪相になっているというのだ
それこそが今の社会を如実に示していると思った
そういう会社で働いていたら自ずと悪相になってゆくのである
それが社会全体がそうだというとき生き苦しいものとなってくる
そういう社会ではモラルが失われていてもうまともにも生きられくなる  

ただお前の言っていることは甘いだよ
世の中そんなものじゃない、食うか食われかなんだよ
そうしなければ生きていけないんだよ

そういう反論になる、でもそうした社会がどうなってゆくのか?
社会が結局そうして金ばかりの悪相の人間を増やしてゆく

それは地獄社会になってゆくのではないか? 

●みんなが善人だと思っていることが間違いを産む

ただこの世はそもそも地獄だという人も普通にいた、親鸞などがそう言っていた
「地獄は一定すみかぞかし」と言っていた
人間はみんな悪人だとも言っていた、それが世の中の変わらぬ真相である
資本主義がもともとキリスト教の奉仕の精神で始まったのだが結局金だけを追及する
強欲資本主義になったり共産主義が大格差を産んだりとなっている
だから社会は変わらない、世の中は変わらない、変えられないとなり無常だとなる
みんな悪人だというときそうだとなる、ただ悪人だと自覚していないのである
親鸞は悪人だと自覚していたし他の優れた宗教者も自覚していた
その差が大きいのである                
たいがい善人だと思ってしているのである、だからかえって扱いにくいのである
カルト教団とか宗教関係者がかえってそういうのが多い
善人だと思ってすすめているけどそのすすめている人間が大悪人なのである
だからこそ善人は扱いにくいのである
俺たちは善人だ、全部善人だ、だから善人の言うことを聞けとなるからだ

地獄への道は善意で舗装されている

内的な確信が、間違った政策や行動によってなされた危害を正当化することがある。善意あるものは、その行いが集団に対して良いと信じている。それはかれらにとっては自明である。かれらはよりよい善をなしたためと信じた結果の巻き添え被害を正当化する。

善意だいうことで善人だとなりそれが災いとなる、善意なら通るべきだと従うべきだとなり強制される、そういうことが歴史上に常に人間には起きて来ていたのである
カルト教団になるとナチスもそうだけど善意が強制されて人殺しまでさせられるのである俺たちは善人で正しいから反対するならボアしてもいい殺してもいいとなるからだ
それはまず人間は親鸞の言うように悪人だとしないからである
そういう個々人で反省がないからである、そして集団の善意は一番恐ろしいものとなったのである、善意だから相手を殺ししてもいいとまでなったからである 
結局この世自体がダンテの地獄編だったのである
地獄人間の中に生きているということである
そういうことは人生をふりかえり老人になると不思議にわかるのである 

動機が大事だという時そもそも宗教というとき動機を一番重んじている、それはキリスト教でも仏教でも同じである
「神はあなたの心を見ている」とかいう時その動機を見ているのである
「心の清い者は神を見るだろう」というときもそうである
だから資本主義が修道院から始まったとしてもその逆になってしまったのである
共産主義でも同じだったのである

例えば宗教というときどうして生まれたかというと法華経になると飢えた虎にその身を与えたという故事がある、それは親のトラが植えて子供を殺そうとしたからだとされているその生まれ変わりが釈迦だとしている
なぜそういうことになったのか?それはインドでは動物を大事にする、動物を人間のように見ている、今でも牛でも猿でも大事にする
それから牧畜社会では動物を扱う、羊でも牛で豚でも飼っていて食べることがある
すると動物を殺して食べることに罪悪感をもつ、血を流して殺されてゆく動物を見る
そこで動物に対しての罪悪感を自ずともつ、動物を殺して自分は生きているのだという
ことになりそこで動物に悪い感じがする、動物の命を殺して自分は生きている

だから動物に感謝しなければならないとかなる、ただ植物だと野菜だけならそういう感情をもたないのである、魚でもやはり多少はもつが動物だと羊とかなるとより人間に近い感情になるからである
だから罪の意識が牧畜民族からより強く生まれて宗教になったともなる
現代の人間はそういう感情をもたない、ただ肉を貪り食うだけなのである
その動物を殺している現場を知ったらそうはならないのである
何か動物の接点がなくなる、するとただ肉の断片を買って食うだけになりそめういうことを感じないのである、命がどうして維持できるのかをやはり知ることが必要なのである

結局この世はダンテの地獄編なのである、そこにいるのは地獄人間だった
その地獄がこの世で現実にあるのだ、地獄編の人間のようにみんななってゆくことが怖いのである、でも本人はそういうことを自覚しないのである
そして老人にてったときみんな地獄人間となりその人相がダンテの地獄編にいる人と同じになっていたのである、宗教にかかわっている人もそうだったのである
だから日々生活する仕事が大事になる、それが結果的にその人を作ってゆくからである
でもそういう職業が資本主義では汚されているから大問題なのである






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2019年11月23日

貨幣の謎 (貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)


貨幣の謎

(貨幣の前にそれを通用させる王国や帝国などの共同体が権力が必要)

貨幣はそもそもいろいろ考えてみても謎である
それが生まれたのは今のトルコのリディア王国である
そこはホーマーのホメロスの舞台となった古い場所である
そこにトロイアの遺跡が埋もれていたのである
そこはもともと要衝の地であり港だった、私自身が行ったことがあるけど何か遺跡にして小さいのに驚いたのである、こんな小さいのがホメロスの舞台だったのかとなる
何か日本だと古墳の方が大きいから大きい国を想像してしまうがここは小さいのである
場所としてこれは陸地にあってもその時代は海が迫っていた場所である
つまり港の機能があった場所であり要衝の地であり貿易の港として機能していた
そういう場所から人類最初の金貨が生まれたともなる
また砂金がとれたとか資源があり金属加工技術がありとかいい条件があり生まれた
そしてそこにミダス王の杖で触れるとなんでも金に変化したという伝説が生まれた
それだけ金がとれた場所だったともなる

そこから今度はギリシャに貨幣が広がった、まずリデアにしても一つの王国があり共同体があり貨幣が生まれた、次にギリシャは大きな国としてのまとまりがありそこで壺などを売る貿易が地中海を通じて起きた、植民都市を地中海沿岸に作った 
ベニスとかフランスのニースとかでももともとギリシャがで新しい都市という意味であり植民都市から始まった
その植民都市にギリシャの貨幣が使用された、つまりギリシャがそうして貿易とか通じて拡大化されると貨幣もその中で通用するようになる
貨幣だけが単独で通用しないのである、その前に王国であれ帝国であれ大きな共同体が政治組織が生まれないと貨幣は通用しないのである
共通の貨幣が通用するにはそうして共通の土台となる連合であれ共同体ができないと通用しない、それはローマ帝国でもそうだったし最近ではユーロ―がそうである
ヨ−ロッパを統合するものとて新しく生まれた貨幣だからである
中国でも始皇帝が統一国家を作った時共通の貨幣が生まれた

そして今ドルが世界基軸の貨幣になっているときそれはアメリカが世界を支配している
アメリカが軍事力でも支配して経済でも支配しているからそうなる
それでアフリカの果てまでロバに乗った子供までワンドーラ―くれと言っている
ドルは世界中で通用するのである、例えば石油でも売買できるのはドルなのである
それはアメリカが世界を支配しているからドルが世界で通用している
何か交換するに便利だからとして貨幣は生まれない、経済の前に政治があり軍事力がありそれで共通の貨幣が通用する
外国に行ってカンボジアとかベトナムの紙幣とかもってきても何の価値もない
交換しても利息三文なのである、ただの紙切れと同じなのである
しかしドルだったら十分な価値があり円と交換できて物を買うことができる

だから今なぜ中国で元を共通貨幣にしようとしているかとなると中国がアメリカと対抗できるような大国化したからそうなる、単に便利だからとして貨幣が通用するとはならないなんかトルコにいってエフェソスというローマ帝国の遺跡は立派である
そこでローマの貨幣だとだまされて買った、それはどうしてかというとその遺跡が立派だからその偽貨幣でも高いとも思ったのである
貨幣の背後にはそうした実質となるもの価値あるものがなければ効用がないとなる
しょせん貨幣でもそれ自体には価値がないからだ
その貨幣でもたらされるものが買えるものに価値がある
その金で何が買えるかということである、アメリカからドルで何が買えるのか?
日本から何が買えるのか?ヨ−ロッパから何が買えるのか?中国から何が買えるのか?
それが問題になる、その手段として貨幣があるのであり貨幣とか紙幣自体に価値はないのである

ただ世界でドルが基軸となっていてもアメリカの国力が衰えればドルの価値も下がり通用しなくなる、つまり貨幣の価値はその国の力に作用されて決まる
その国の力とはいろいろある、資源とか軍事力とか技術力とか政治力とかいろいろ要素がある、国力とは総体的であるからだ
アメリカはそういうふうに総合的力がありドルが依然として基軸通貨になる
でもそろそろその地位もゆらぎつつある、アメリカがいつまでもその力を維持できない
それはイギリス帝国が七つの海を支配したときボンドが世界で一番通用する基軸通貨となっていた、エジプトボンドとかもあった、それはイギリス帝国が支配したからである

オスマン帝国で部下がエジプトに派遣されてそこでその部下はその地方長官となり王のように君臨する、そして自分が王として貨幣を鋳造しようとしていた  
それでスレイマンという王によって征伐された
何か貨幣はそうして権力と関係している、権力を誇示するものとして貨幣がある
ローマでもそうして地方長官とかが反乱する、そして自らの像を貨幣に刻むことがある
ローマ皇帝の像は刻まれるが地方長官の像を刻んだ貨幣がある 
                        
硬貨鋳造の権限についてカッシウス・ディオは「各都市は独自の造幣権や度量衡の制定権を持つべきではない。彼らは我々のものを使うべきだ」と記している。共和政期から帝国期前半においては、ローマだけで金貨や銀貨が造幣されていた。

貨幣の発行権は権力をもつものがもつ、それでGHQに戦争に負けた日本は天皇の菊の紋様の貨幣の発行を禁じたのである
つまり貨幣には権力がかかわる、これを見ても戦後日本は独立国ではない、貨幣の発行まで自由にできなかったのである
実際は様々な自由が奪われていたのである、それは敗戦国になったからである
だからトルの基軸通貨にロシアとかは反対している、IMFとかに入らない管理されないということで今も対立している
中国でもアメリカに対抗するのにドルの基軸通貨から離れようとする
だから貨幣には政治権力が常にかかわっている、貨幣を発行できるのは権力を持つものだからである
例えば地方通貨などが話題になって実行されてもその範囲は狭すぎるから普及しない、江戸時代だと仙台銭とか地方通貨があっても
それは藩内でありその外では通用しない、大きな権力下で幕府が公認しないと通用しないのである

いづれにしろドルに不満をもつ時、アメリカが富を独占している、世界から搾取して独占している、グローバル経済で株式で富を不法に集めて何兆円もの富をもつ数パーセントの大金持ちがいる、それはドル基軸のアメリカの世界支配の下でそうなっている
それはアメリカ帝国があってそうなっている、でもアメリカ国内でも格差が激しい
アメリカ帝国があってもアメリカ人は食べることが満足にできない底辺層がまた多いのである
それでこうした富の独占を許すことはできないと貧困層から社会主義者のサンダースとかが人気になっている
ローマ帝国でも常に権力争いがありそれが貨幣に影響していた、二頭政治だと二人の権力者が貨幣に刻まれていたり四頭政治とかにもなる   

日本でも宋銭の資金力が平家を台頭させたと考える「反平家」の人々や宋銭の流通によって経済的に不利益を受けるようになった荘園領主、地方武士も、宋銭とこれを流通させようとする平家に強い不満を持つようになった。
ただこの宋銭は民衆単位で便利だから権力と関係なく流通したと言う人もいる

この宋銭は青森の一三湊とか函館から大量に発見されている、それだけ日本の広範囲に流通した、この宋銭が日本の貨幣経済の端緒になった、ここでも宋銭を牛耳る平家に対して対立が生まれた

つまり貨幣が経済的合理性はないのである、だから中国であれ世界でドル一極支配、アメリカ一極支配に対抗するためユーロ―が生れたり中国でも対抗してくるのはそのためである
日本でも天皇の菊の紋の貨幣の発行をGHQが禁じたというのも本当に理不尽なのである
ただ中国の元が紙幣が基軸通貨になったらこれも不満になる、でも通貨の背後には政治が大きな権力がかかわるから従うのである
そして貨幣が金がこれほど力をもつのは貿易が盛んになるときである、外部から多くの物を買いたいとなれば貨幣が金が力を持つ
現代はまさにグロ−バル経済だから外国から無数の物が入る時代だから金が必要になる
もし江戸時代の自給自足の村だったら外部から買うものもない売るものもないとなり金の力はそんなにないとなるからだ 

とにかく海外旅行すると常に貨幣を両替したりとか貨幣に興味をもつ、ヨ−ロッパでもユーロ―になる前は国ごとに貨幣が違っていたのである、だから国を変わる旅に貨幣を交換するからめんどうだった、でもユーロ―になるとそういうことがない
でも貨幣を通じてそれぞれの国を意識することがありそこでその国の歴史に興味をもつことがある
だからお土産として自分は貨幣を記念にもってきたのである



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2019年11月19日

農業は自然のリズム、工業は機械のリズム (風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)


農業は自然のリズム、工業は機械のリズム

(風力発電がとまり刈田となり山眠るとなった)

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久しくも風車のとまる刈田かな

山眠る風車のとまり田舎かな

台風で電源装置が水につかった、それで風力発電の風車もとまった
それも奇妙な風景だった、田んぼの稲が刈られてそこは刈田となる
それが俳句だと季語になる、つまり農業だとやはり自然の一環として成り立つ
だから冬になれば刈田になり冬田となり田んぼも休むのである

ところが工業は休むことはない、休むことなく働きつづける、それで機械でもロボットでも疲れることがないのである、工業社会は自然のリズムとは違うのである
機械に人間でも自然のリズムに反して合わせる
だから冬でも休まないし機械は休むことなく稼働つづけるのである
そして人間も休むことがない、機械のリズムに合わせるのである
もう一秒単位で機械のリズムに合わせて人間も働かせられる
江戸時代までは時間は寺の鐘で知らされた、それは今の一分刻みの時間とは違う、おおざっぱなものである
第一チクチクと時計が動くのとゴーンと鐘が人間の手でつかれるのとは感覚的に相当違っている
時間はゆっくりと進んでいたのである
江戸時代と明治時代では時間の感覚も根本的に変わってしまったのである

それは明治以降人間でもそうなったのである、工業化機械化して精密な時計が作られて
その時間の単位は一分単位とかになり人間は工場で機械のようにロボットのように働かせられるようになった
その工業社会に合わせて近代的な学校ができたのである
学校とは工業社会になった時、その社会に適合させるために生まれたシステムである
だから学校は世界でもどこにでもある、それは工業社会に不可欠だからそういう集団を一律に教育するシステムが作られた

だから社会をみるとき江戸時代と明治になったときその相違を見るとわかりやすくなる
対象的にわかりやすくなる、寺子屋だと机があったとしてもばらばらなのである
学校のように並んでいないのである、先生にしても何か個別指導のようなことをしていたかえって江戸時代には自由があったとなる
それは教える科目も少ないとか明治以降の近代化とは全く違った教育だったからである
読み書き算盤ができればいいという時代だったのである
今になると私は算盤を習ったけど何の役にたたなかったとなる
教育も時代に合わないと後で何の役にもたたないとなる
それは時代が技術が変わりそうなる
今やパソコンやITの進歩で変わってしまったように技術革新がすすむと例えば銀行はもうキャッシュレスになりいらないとまでなる
つまり銀行は時代に取り残された過去の遺物となるかもしれない
そういう変化が激しいから老人はついていけなくなる

とにかく工業化とか情報社会とか社会自体が変化する、そこでまた様々な問題が生まれる現代人文明人がなぜ鬱病とかいろいろ不適合症状が生まれるのか?
それは農業社会だったら自然のリズムとともに生きていた
だから一分一秒刻みで時間に追われことがなかった、だからストレスも少なかった
現代人は体の不調と精神の不調になりやすいのである

江戸時代は仕事でも大工などでも午後二時頃までしか仕事しなかったとかなるとのんびりしていたとなる、仕事に追われてはいないのである
近代化して人間は働く機械にロボットにされたともなる
つまり機械というのは自然のリズムとは関係ないものである
すると機械は休むことなく夜でも働きつづける、電気でも送りつづける
すると昼も夜もなくこうこうと電気がついて明るく人間は眠らずに働くともなる

人間はもともと生物だからやはり自然の産物だから自然のリズムに合わせて生きるのが自然なのである、だからこそ機械のリズムに合わせるから体でも心も不調になってくる
例えば山眠るという季語は冬の季語であり山も冬に入ると眠りに入る
それが田舎だと冬は休息の時であり山が深く静まってゆくことで心の安らぎを覚える
でも都会になると冬でも眠らない、延々と働き続ける
不夜城のように人々は働きつづける、それで人々は心も不調になってくる
そういうこと文明生活自体に反逆して天才的な人はアウトサイダーになった
ニーチェとか上野霄里氏とかである、そういう人は強力な並外れたエネルギーの持ち主だから文明的機械的非人間的非自然的な生活に耐えられないのである

私の場合は平凡な人間だけど何かそうした文明生活に適合できずに遂に無職で人生を終える、それはニートとかともにている、その人たちも文明生活に適合できないから無職になったともなるからだ、ただアウトサイダーのように強力なエネルギーはない人たちである人間が自然のリズムに合わせることが本来の生である
夜は人は本当は休止すべきで眠りに入る、朝は日の出とともに働くのが心身ともにいいことでありそこに鬱病とかにはならない、自ずと自然からエネルギーをもらい元気になる

そして冬には冬の役割がある、冬は作物も育ち安いというは意外だけど実際に畑で野菜を作っている人がそのことを熱心に言っていたのでそうなのだと思った
冬はふゆー増えるだったとは知っていた、でも現実に冬は土がかえって働くのである
つまりそれも自然のリズムから生まれた言葉である
第一季語はほとんど農業から生まれている、だから冬という言葉自体が農業を実地にしている人から生まれた言葉だったのである

ただ人間は冬は休んでいいかとなると別に江戸時代でも休んでいない、どうしても毎日遊んでいることはできないから出稼ぎとかに行ったり夜なべ仕事とかもしていた
藁で草履を作ったり縄を作ったり何か金になるための仕事をしていた
農閑期は戦後も出稼ぎをしていた、どうしても金が必要な時代になったからである
それで双葉とか大熊辺りは出稼ぎ地帯で地元に住んで働きたいということで原発を誘致したのである、出稼ぎ時代というのはここだけではない全国的にあったのである
原発は二三倍の金をもらえるからこの辺では働いた経験のある人が多いのである

そもそも人間は自然から離れて東京のような大都会に住むことはもう人間でありえなくなっている、それは人工化した荒野ともなる、そこで人間は働くロボットとされる
そこで心身共に不調になるのは当然なのである
自然のリズムから離れた生活でありストレスが自ずとたまるからである
それは動物でも工業化すると休むことなく卵をケージのなかで生まされつづける
夜まで電気をつけて産まされ続けて鶏の寿命が10年あるとして二年で廃用になり肉にされて始末される、そういうことを動物にするとき人間も同じことをされるのである
だから放し飼いの鶏の卵を食べる方がいいというのもわかる
そうして産まされた卵は体に悪いというのは本当だと思う
相当なストレスをためて産まされているからだ

何か近くに鶏が庭鳥が庭の鳥がまさに放し飼いされて自由に歩いていた、そこで庭鳥が鳴く時なんともいえない解放感とか自由を感じた
ニワトリも本来はそうして自然の中で自然のリズムの中で飼われるべきでありケージで飼われるべきではない、機械にロボットにされるべきではないばのである
ニワトリはそうして卵を産む機械としてその生でも十年あるのに二年で廃用になる
そういうことは人間に跳ね返ってくる、人間もニワトリと同じように働かせられる
機械のリズムに合わせて働かされるのである
そうしてニワトリをケージに入れて玉子を産ませる業者でも嫌悪感をいだく、それは鳥籠に鳥を飼っているのともにている
そういうことは動物だけではない、人間にも適応されている、文明人は何らかでこうしてケージに入れられて飼育されて卵を利益をあげるロボットにされている

だから現代では働くことを否定する人が多くなる、それでニートか増えているのかとも思う、また働かなくてもいい環境があるから食べることができるからそうなっている
私自身も我がままだったとしても社会に文明に適合できなかったのである
だから遂に死ぬまで無職だったとなる
ただ自然のリズムに合わせて生きてきたことは確かである
その結果としてわからないにしても体が弱くてもまだ病気になったにしろ元気でいるのかもしれない、無職になることの効用としては自然のリズムの中に生きることができる
ただ危険なのは社会性を失いニーチェのようになる
社会性はやはり人間の生活で基本的に必要なのものである
自然の中で社会を離れて仙人のように人は生きることはできないし人格も形成できないのである

ただ現代文明に適合している人たちはニートとか無職を常に優越感で攻めているけど
異常である、普通だったら現代文明に適合できなくなるのが正常だからである
それで適合している人は異常化しているとなる
そういう異常な人と合ってひどい目に合ったのも自分だった
そんな人がいるのか、そんな夫婦がいるのか、何か結婚しない人が常に責められるけど結婚している人がそれほど称賛できるのか?
奇形のようになっている夫婦もいる、その人は文明社会では正常であり責められないのである、確かにニートとか無職は異常である
でもまた社会に適合して正常と思える人も異常だったのである
異常人格が形成されていたのである
だから何が異常か正常かもわからなくなるのである
文明そのものが異常として批判するのも理解できるのである

人間の価値は多様である、でも金になることしか価値あるものとして見れない
金を産まない人は無価値とされる、農業だと都会の人だったら米でも野菜でも果物でもそれがどれだけうまいかとでその価値を判断する
ところがその米や野菜や果物がとれる背景とか基盤とか自然とかは考慮しないのである
農業の本当の価値を知る者はそこに住んでいる人である
そこに住まない限りただ米でも野菜でも果物でも食べれても本当の農業の価値はわからないのである
農業という暮らしがありそれはそこに住んでみないとわからない、実感てきない
だから田舎では農業をしている人がいればその価値観を共有できるとはなる
ただ田舎でも農業をしている人は一割とかなるとまるで都会人の価値観に生きている人も普通なのである、だから原発事故で田畑が草ぼうぼうになっても全く関心がない
かえって補償金で年金のようにもらったから良かったと喜んでいるのも異常なのである

いづれにしろ自然から自然のリズムから離れて生活することは人間を奇形化する
奇形人間を作り出しているのである、それでアウトサイダーは徹底してそれを批判したのである、ただ社会性がなくなりその本人も狂気したとはなる
自分自身も社会性が喪失していて介護になり社会とかかわり苦労したことでもわかる
とにかく冬はどうしても休む時期であり山眠る時期である、だから風力発電の風車もとまっているのがふさわしいとまでなる
でも自分自身だって夜も電気なしでは暮らせないのである、こうして文章を書いたのは蛍光灯の光の下でパソコンでしているからである

農業には基本的に農作物を作るというだけではない、農業から生まれる暮らしの価値がある、でも金が払われるのは農作物である
都会の人が手に取るのは米であり野菜とか果物だけである
その農作物をとれる場所て生活していないのだからそこでの暮らしは関係なくなっているその暮らしに金を払う人はいなのである
その暮らしの価値を知るのはそこに住んでみないとわからないからである
でもその暮らしの価値に金を払われることはない
それで生業を失ったということで東電に生業を返せと裁判を起こしたのである
でも地元の人でもその農業がその暮らしを尊重していた人はまれである
戦前辺りだと本当に農業が貧乏でも苦しくても農業の価値に生きていた人はいる
それは過酷だったのである
だからこそ親に農業だけはするなとして殴られてその子供は原発や建築現場で働くようになったのである








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2019年11月18日

私はこうして田舎が嫌いになりました (農業の価値を追求してもできない時代)


私はこうして田舎が嫌いになりました

(農業の価値を追求してもできない時代)

縦書き小説
https://pdfnovels.net/n4463ce/main.pdf

これは小説というよりドキュメントである、ここは本当の限界集落であり老人しかもういない場所である、もう消滅する村である
もう跡継ぎになる子供のいる世代もいないからである
だからなんとか若い子供のいる人に来てもらいたいとしてその若い人を招いた
でも実際その部落になじめず出て行った
「村八分」にもあった、すでにそこで二組が新しく入ってきたが定着できなかった
それが生々しく語られている
縦書きだと読みやすくなっていた

農業を歴史的にふりかえれば文明そのものが農業から始まった
エジプト文明3000年も小麦中心の農業文明であり、中国文明も農業文明でありマヤ、インカの文明もトウモロコシを主食とした農業文明である
牧畜文明はあったがそれは大きな文明とはなちなかった、モンゴル帝国は文明とは言えないからだ
ローマ帝国はもともと農民から発したというのもそうである、その人たち貴族の名前に野菜の名をつけているのが多いというときもそうである
農民だから最初質実であり堅実だったが豊かになって贅沢しすぎて弱体化したとされる
そもそも人間の歴史は産業革命が起きるまで農業が主体だったのである
漁労というものがあっても農業が主体でありそれに牧畜が交じったのである
だから人間の歴史は農業を知らなければわからないとまでなる

明治維新で確かに日本はヨ−ロッパの文明を取り入れて工業化したが戦前までは8割が農民だったのである、それも小作などが多く貧乏な農民国家だったのである
それは江戸時代のつづきだったのである
戦争が終わってもそうだった、戦争の引揚者は働く場所がないからいたるところで開墾に入った、すぐ近くの小池にも開墾に入った入植者がいたのである
いくらかの土地があればそこで農業するほか生活する方法がなかったのである

そもそもてぜ満州のような所に日本が新天地を求めたのか?
それは農業するためだった、農業には土地が必要である、そこには広大な土地があり農業ができるということで満州が憧れの地となったのである、そこは寒いから農業の適地ではなかったがとにかく土地が広大だから農業的価値観だといい場所となっていた
それで日本人は米すら作っていたのである
戦争終っても今度はブラジルとかに南米とかに移住したのは仕事がないから土地を求めて農業するために移住したのである

そういう歴史をふりかえると高度成長時代から工業社会になった、農業している人は一割にも田舎でもいないのである、その女性は古い農家に野馬追に出た郷士の家に嫁いだとしても土地があっても夫は会社員であり女性もそうである
その女性はだからなんら農業の話ができない、土地は貸している、農業に一切たずさわらないのである、紙漉きもしていたというがそのことも何も伝えられていない、それを伝えてくれる人も死んでいるからである
だから何かその人と話ができない、農業に興味があっても一切農業のことは知らないのである、農家に嫁ぐことは昔は相当に嫌がられてみんなサラリーマンに憧れて嫁いだのである、その家には姑もいないから楽なのである

ただ私が農業のことを言う時、農業を実地にすることではない、農業を通じた農業の暮らしがありその暮らしの価値を求めているのである
それは何か限界集落に田舎に住みたいという人に共通している
都会は東京などは嫌だとして田舎の自然の中で暮らしたいというときそうである
農業には確かに米と野菜を作りそれで生活するということがある
それと同時に農業から生まれる暮らしがありそれが価値となるのである
その価値は工業から生まれる価値とはまるで違ったものなのである
自然に密着したものになるから自然に通じるものだから都会の工業社会商業社会で暮らすのとは全然違ったものになる、その人も最初は星がきれいだとか田舎の風景に都会にないものを感じて良かったと思っていたのである
ただ姑息な田舎特有の人間関係とかに嫌気がさしてまた都会に帰ったのである

結局はそれは自分自身の矛盾でもある、農業的暮らしの価値をもとめてもそこで実地に農業することは別なのである、田をするにしても水をひくにしてもそこに人が必ずかかわりその人の関係があまりにも濃密になるのでうまくいかない
第一若い人が必要だとして招いてもよそ者を嫌っているからだ
田舎ではよそ者を嫌う、そして農業だと三代つづいて一人前とかされる、それで仲間になれる村の一員になれるとか旧弊な世界なのである
そこで幅を利かすものはそこに代々住んだ人であり草分けとかである
その人の指導がないと農業はできないからである、だからそういう人達の機嫌をそこねては暮らしていけない、それでこの辺では越中とかから来た真宗系統の移民が悪い土地を開墾して苦しんだ、その人たちはなぜ飢饉の後に来たのか?

そこには飢饉のために放置された土地があったから

農業社会では土地が最高の価値あるものだったからそうなった
そしてわざわざなぜ命がけでも来たのか、土地が与えられて農業できるからだとなる
越中から命がけ移住する理由がありそれは強いられたものだったのである
それで相馬藩内に定住するようなったとき相当に苦労した、
苦しくて加賀泣きということが伝えられている、泣いていたということである
この限界集落に来た人もないていた
でも別に今はそんな苦労する必要ないのである、その人たちはもう故郷には帰ることができない、だから我慢すぴる他なかったのである、帰ったら藩から罰せられて死刑にされるかもしれないからだ
つまり簡単に限界集落で田舎の生活がてきるとして移住したとしても嫌だったら都会に帰ればいいとはなちなかったのある
なぜ田舎に定住できないのか?それは別に強いられないからである
人間はあえて苦しい方を選ばないのである、苦しい方を選ぶのはそう強いられたからである

ただ今になるとそうして都会の若者でも田舎に憧れる、それは都会的生活が嫌になっているからである、農業とか田舎を求めるのもは自然と密着しているからそこに憧れる
農業の暮らしの価値を求めているのである
農業の田舎の暮らしの価値は都会の価値とは違う、収入は少なくても時間がゆっくりとすぎてゆくとか自然とともに暮らすとかある
そういう暮らしの価値を求める、農業というのは何も米とか野菜を作るだけではない
それにともなう田舎の農業の暮らしの価値がある
だから飯館村では山菜料理が定番でありそれは山から山菜をとってそれを食べる
その山菜は無料なのである、それが都会に出て行ったときその暮らしが失われたから淋しいとなっている、つまり生業を返せとして東電を原発事故で訴えたのはそういうことがあった

ただそういう農業の田舎の暮らしの価値は具体的に金になったりしないから農業だけだと貧乏になっているから農業はしたくないとなっていたのである
私が知っている援助している畑で野菜を作る女性は実際はそこで何もとれない
ただ農業の話を聞いているだけである、なぜか勝手に草むしりされた金を要求されたとか何にもそういう人がいる、そして金を払わされる、一年でなんだかんだで10万とか払わされている感じにもなる、実際そこでは何もとれないのである
これは本当である、そこで聞かされるのは周りとのいざこざである、盗まれたとか鳥に虫に食われたとかネズミに食われたとかキジに食われたとか農薬だ肥料にかかる、種にかかるとかそういう話を聞いているだけなのである
ただ畑をするにしても実際は周りとの関係が必要なのである
趣味のようなものでも必ず畑で仕事することは隣がありその人間関係がめんどうなのである
だから隣の人が嫌だとしてその人が死んだ時喜んでいたのである
田畑は本当に孤立してはできない、密接な人間関係があってできるのが農業なのである
だからもう限界集落のような場所ではとても都会で暮らしていた人は適合できない
それよりもうそこには子供もいないし跡継ぎもいないからまさに限界がきて廃村までになる

ただ田舎という時農業の暮らしの価値があることが見逃されている、現実に田畑がなくなったら田舎ではない、そこに田畑があり暮らしがあって田舎なのである
ただ自然の中に家があるだけだったら田舎ではない、その農業の暮らしの価値があり
ただ田畑で米を作ること野菜を作るだけではない価値がある
だからそういう暮らしがなくなったら田舎の価値もなくなる
だから飯館村で山菜料理が定番となるとそれが山の村の暮らしなのである
それがなくなったとき淋しいとなるのである
でも原発事故以後飯館村は福島県で収入も最低だったが公務員の給料でも上がっている
補償金などで財政が豊かになって学校とか施設は立派なものができてもそこに今までの山菜をとるなどの生業としての暮らしがなくなった
そこは外から見ても価値がなくなった、残念だとなる
ただその土地に住む人はかえって金が入って新しい家も建てた人がいて良かったと思っている人もいる、だから外から見るのと実際にそこで生活するのとは違っているのである
ただ正直飯館村の価値はかなり失われてしまったことは確かであり残念だとなる

とにかく農業の暮らしの価値を知らない関心がないというのは田舎に住んでいておかしいとなる、浪江の原発で働いていた人は全く農業に関心がないから事故後でも年金など老人はもらえないのに金をもらって良かったとしているのである
回りが草ぼうぼうになって田畑がなくなっても関心がない
それはすでに田舎に住んでいても都会人になっていたのである
今は農業社会でないから田舎でもそうなっても不思議ではないのである
今は電気社会でもある、電気がエネルギーとするときそれが重要になる、仕事も電気関係が多くなる、原発で千人も電気関係の人達が仕事をしていたことでもわかる
そういう社会では田舎でも農業の暮らしの価値を認める関心がある人は少ない
ただうまい米を食いたい野菜を食べたいとか果物を食べたいとかあってもその暮らし自体の価値を認める関心がある人は少ないのである

ただ原発事故以後耕作放棄地がこの辺では増えたというよ小高と浪江だと元の原始の状態にもどった、草ぼうぼうの荒地化した、その土地を利用する人はいない
するとその土地をかえって外から来た人でも利用しやすい、土地を集約して大規模農業にしやすい、それだ小高では農業会社ができて会社員として雇う、そうなると限界集落で一家族が入って苦労することはないとなる
農業はやはり土地を得ることが最初の関門だからそうなる
だから原発事故周辺は何か新しいことをしやすいとういこと反面ある



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2019年11月15日

日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である


日本はモノマネ国家であり中国もパクリ国家である

(独創的な創造的な人間が育まれない国)

パナソニックという会社は、かつて松下電器産業という社名だったが、昭和の時代には、よく「マネシタ(真似した)電器」と揶揄されていた。トヨタも今でこそ、レクサスといったブランド商品を出せるようになったが、米ゼネラル・モーターズの自動車を参考に製品の開発を続けてきたのは有名な話である。

パナソニックに限らず、日本企業の多くは、欧米企業がヒット商品を出すと、すぐにそれを真似して(今の言葉で言えばパクって)、より安い価格の製品を出すというのが定番商法だった

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/08/post-78_2.php

良く日本では中国をパクリ国家だと攻めているけど日本もそうだったのである
ただマネシタ電気と松下電器が言われていたというのは知らなかった
何か日本の電器製品が売れたのは日本の技術力が高いから売れたとされていた
それで日本を誇る人がいた、技術者とか科学者は今でもそうである
日本は技術力で優秀だとしている、それが疑問なのである
戦争の時もアメリカのことを知らない、どれだけ巨大な国なのかもしらない
それで日本がはアメリカに負けないとして戦争になった

その時庶民はアメリカのことなど情報も入ってこないのだから知らない
テレビも何もないのだから知らない、ケネディ大統領が暗殺されたときようやくテレビが普及して外国の情報が映像で入るようになった
つまり映像で情報が入るとインパクトが強くなる、アメリカではすでに戦前でも車が普及していたとかその生活ぶりがテレビで写されればアメリカの見方が違ってくる
外国は実地にその国を踏んで見ないとわからない、だから今でも知識人となる要件が
外国で暮らした人であり学んだ人なのである
そこで日本という国を客観的に見れるからである

日本は科学技術でノーベル賞もとっているから優秀なのだという奢りがある
そのことで何か日本が画高度成長時代を築いたのもそうして科学技術が優秀だったからだとしている
それはマネシタ電器というように欧米のマネであり日本独自のものではなかった
それが日本独自のものと奢るようになった
それが明らかに原発事故に通じていたのである

原発を操作する技術は日本にはなかった、それで湯川博士がまだ時期が早いと反対していた、原発を操作する技術は日本になかったけど無理して導入したのである
そしてアメリカも安全性を無視して古い原子炉のマーク1を売りつけたのである
たいがい後進国には武器でも古いものがお古が売りつけられる
明治維新でも南北戦争で使った古い銃がアメリカから入ってきたとか中国だとロシア製の古い銃とかか売りつけられるのである
そこに武器商人が活躍する素地があった

日本は科学技術に関してはみんな欧米とかから学んだものであり独自のものはない
ただ文明は必ずその国にとどまらず伝播する、ギリシャ文明にエジプト文明の影響があったとかヨ−ロッパ文明にイスラムの文明の影響があったとかなる
日本では中国文明のコピーだとか言われる、だからものまねが別に悪いことではない
そういうふうにして文明はグロ−バル化したからである

日本の高度成長は運が良かったのである、戦争に負けて軍備に金を使う必要があまりなかった、外交でもアメリカに守られて楽な立場になっていた
それで経済のみに集中できたのである、そして電機製品が売れたという時それは日本独自で造りだしたものではない、モノマネだったのである
ただそのモノマネが悪いということではない、外国のものを改善したということもそれなりに日本的優秀さを発揮したとなる

ただ日本人には何か発明能力には欠けている、イノベーションが苦手である
アメリカを見ればわかる、エジソンをはじめ発明の国だからである
ヨ−ロッパでも本当になぜあれだけ天才が多いのか?
それがアジアとの大きな差である、科学技術でも欧米が発明したものでありアジアで発明したものではない、だから中国の経済発展も日本の高度成長と同じだったのである
欧米をまねて日本をまねて発展した、そこに独自に発明したものはないのである

それで今になると日本の電器製品を韓国でも中国でも作っていることをみればわかる
そうなれば日本の製品は売れなくなる、そして日本はまた貧乏国にもどったというのもわかる、もし真似できない日本独自の製品だったらこうはなっていなかったからだ
ただマネすることが悪いことではない、学ぶとはまねることだったからである
ただそこから創造する力に日本は欠けていたのである

その創造する力がどこから生まれてくるのか?
それが問題になっているのは最近盛んにそうした創造力が大事になると言われるからだ
AI化でも機械化できるものは機械化されて仕事がなくなるというのはその仕事がコンピュターでもできるからである、事務でも法律でもできるとなれば一体人間の価値はどこにあるのかとなるからだ
そこで問題になるのが創造力だとなる、その創造力をどうして育まれるのかとなる
日本でもモノマネ国家だというとき国自体にそうした素地がない
天才とか独創力のあるものを育てる素地がない、同調圧力が強く平均的人間を作のは得意でも独創的な人を育てることができない社会なのである

だから教育にしても平均的な人間を作るには効率的だったが独創的創造的人間は作れないシステムである、だから欧米の教育と日本の教育では教育の仕方が違うとなる
ただでは欧米のように独創的創造的人間を作れるのかとなると簡単にはできない
それは歴史的伝統の中で育まれたからである
それに宗教も関係していてキリスト教だから科学技術も発展したとも言われる
その関係は詳しくわからないにしろ何か総合的なものとして文明が生まれているからである

日本にもそうした歴史文化伝統があるとして何か美的な分野ではある
日本語が外国語と比べてそういう独自なものがあるとして訴えたのが林秀彦である
日本語には美的な要素が感性的に優れたものがあるというのは日本の風土とかに育まれたからだろう、それで短歌とか俳句のような独特なものが生まれたのである
ただ科学技術面ではもともとそうした素地はなかった
第一科学技術という時西洋文明がギリシャ文明が生まれたことでもわかる
そこが基となり科学技術が生れて来たからそれが発展して現代のアメリカ文明まで通じているからである

いづれにしろ日本が再生するにはそう創造力独創力だとするとき平均的な大量生産に適した規格化された人間を作ることではそうした力を生みだせない
ただそういうことは一朝一夕にはできない、では中国があれだけの大国だからできるかとなるとそれもできない、やはりアメリカのパクリであり独自のものがないからアメリカが怒るのである、それで結局中国も日本のよに高度成長があったが今では行き詰まっていというのは同じなのである
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2019年11月11日

外国人と協力して働かざるを得なくなって苦悩する新大久保 (日本は子供も減る一方で働き手がいなくなる)


外国人と協力して働かざるを得なくなって苦悩する新大久保

(日本は子供も減る一方で働き手がいなくなる)

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東京・新大久保。国内最大規模のコリアンタウンにアジア各国からの移民が急増。住民の40%は外国人だ。2年前、日本、韓国、ネパール、ベトナム出身者が集まり「4か国会議」が発足。言葉も生活習慣も考え方も異なる“隣人”たちは、さまざまな葛藤を乗り越え、共生の糸口を見つけ出すことができるのか。

Love & Freedom 暗い日本の現状
https://www.youtube.com/watch?v=YaKnPrxtlys

これからの日本はどうなるの?
https://www.youtube.com/watch?v=7dIbGzkFONU

ここのyoutubeで常に日本の暗い現状を語っていた、田舎だと東京の事情がわかりにくい
私自身ももう十年以上東京に行っていないから余計にわからなくなった
ただNHKの新大久保で多国籍会議というのを見てそうなのかこの人が言っていることが現実化しているとわかった

そこで一番苦労しているのが外国人と一緒にやっていこうとする50くらいの女性だったのである、その人は仲をとりもつために一人苦労している

そこでは日本人が少数派になっている!

その日本人も60以上で店で働いている

なかなかこうなると60以上では若い外国人に溶け込めないとなる
それよりなぜ60以上でも働かざるを得ない状況がある、自営業だから働くことができるにしてもまず若い人が都会でも減っている
若い働き手が減っている、東京でも高齢化になっているのだ
それで非正規で転々と渡り歩いて仕事していた人がどこでも底辺では建築とか土木とかの現場では外国人が多数をしめて日本人がいない、そこで日本人がコミ二ケーションできない、言葉がわからないのでできない、日本人はのけものにされている
そこでマネジメントするのが仕事になるが言葉が通じないので苦労する
新大久保では50くらいの女性がまさに外国人と日本人をまとめるために苦労しているのを見てもうそこではそれが現実化していたのである

高度成長時代というのは何だったのか?
ふりかえると江戸時代だと元禄時代とにていたのだろう、新田開発が全国的に行われたのである、それで葛尾村のような辺鄙な所にも元禄の碑があった
それは新田開発した検地した記念碑があった
石高も全国的に急成長していたのである、それは高度成長時代とにていたのである
子供とか若い世代が東京にもおしよせ地方でもあふれていたのである
地方の人口もその時多かった、そんなところになぜ大勢の人が住んでいられたの?
なぜなら今からするとそんな人口を村とかで養われていたのとなるからである
戦後は引揚者が開墾に入って住んだ、それで人口が増えたのである
でもそこでは貧しかったのである

団地でも高度成長時代は若い所帯でありにぎわっていた、創価が団地の宗教だったというとき団地に住むということは一つの目標としてあった
そこで地方から出た人たちがコミニュティを作ったのである
その団地に住む人たちが老いていく時代になった、団地に老人がまた取り残されたとなる地方でも子供がわんさと集まり近くの神社で子供の遊ぶ声が木霊していたのである
それが今は一人も遊んでいない、組では一人も子供がいないとかなる
子供は学校くらいでしかみかけないのである

つまり人口で見ると少子高齢化はアンバランスになっている
人口でもトータルでみるとき一本の柱のように見ると本当は土台となる下の若い世代が分厚くなっていれば国として未来があるとなる
老人が少なく若い人が多いということは国の未来にとってはいいとなる
それが老人ばかりふえて子供は減る一方なのである
そして氷河期世代とかロスジェネ世代が柱を支える中心的存在となるべきなのが細い柱となり空白化したことが全体からみると日本の国力の衰退になっのである

日本はこうして世代でも国土全体でもバランスがとれないとトータルには不調和になり
国自体の力を失う、東京一極集中というのもアンバランスになり国力を失う
なぜならヨ−ロッパとかで一千万の都市はない、都市でも人口は分散しているからであるパリだって200百万くらいの人口であり東京は異常に人口が集中している
それで少子高齢化で地方に若い世代が減ったのである

いづれにしろ日本は買い物すらしない、高価な買い物をしているのは外国人旅行者だという、日本人は高価なものは買わないので馬鹿にされている相手にされていないという
旅行に行っても北海道旅行でも外国人ばかりで日本人が少ない
日本人は旅行する余裕もないのかとなる
高度成長時代はスキーとか外で遊ぶことが多かったが今はない
ゴルフをする人も減ったとかともなる

ただ旅行というとき日本のホテルとかは高すぎる、貧乏旅行者だった自分はそれで苦労したのである、日本のホテルは今でも外国と比べても高すぎるのである
ヨ−ロッパの方が安く旅行できるようになっている
宿が安いのがあるからだ、ユースホステルでも老人が利用していたからである
温泉宿は高いから泊まらない、一度だけ自転車で行って辺鄙な宿に泊まったことがある
それは一二回だけだった、日本の旅館は高すぎる
金持ちは3万とかのを用意しているが安くても一万とか高すぎるのである
それに交通費も高いのである、だから日本人が旅行していないというとき当然だと思う
家族で旅行したら10万とか軽くかかってしまうからだ
それで引きこもりになっているというのも当然だとなる
私のようにテントで泊まるような旅を普通はできないからである
旅行は別に金なくてもできる、むしろ金がない方が本当の旅になりやすいのである
歩く旅とか自転車旅行とかがそうである、テントで泊まれば金はかからないのである
ただ時間が必要なだけなのである

いづれにしろ日本の未来が暗いという時また保守的になっているというときそれはトータルで見たときアンバランスになっているからだろう
人口が東京とか都会に集中すぎるとかある
世代でもアンバランスになり国力を弱めているのである
ただこうして全体を構築するとか見るのは本当は国の役割だけどそれができなかった
自由主義資本主義社会では会社の力は増大しても国の力は弱まるからである

日本という国がこれからどうなるのか?
外国人を入れない方がいいという右の意見もある、でも現実として日本人が若い世代から減る一方なのである、生れる子供も減り日本人がいないななるとまでなる
地方でも必ずベトナム人とネパール人がいる、原発の関係でこの辺は目立つのかもしれない、でも裁縫関係で女性は働いていたしスーパーでも外国人の女性が働いていた
結局人手不足で日本が働かないからそうなっている
それは東京だけの現象ではない、日本全体でそうなっている
それで外国人が多数となって日本人が少数派となり新大久保で外国人と一緒に協力してやろうとする女性がマネジメントするのに苦労している
それが日本の将来だというのも実感できた

つまり日本人に子供も減って若い世代が減るということは外国人なしで国すら成り立たなくなる、その外国人すら日本が貧困化すると来なくなる
今はベトナムとかネパールとか来ている
ここはまだ遅れているから来ている、為替差益で来ている
でもベトナムだって他のタイとか東南アジアの国のように豊かになれば来なくなる
ネパールはあれだけ過酷な山だらけの国土だから何か豊かになれないように見える
それで4000メートルの高地に住んでいる人が地元のホンダで働いている
その人は奥さんを日本に呼ぶと言っている
つまり日本でそうして外国人が暮らして永住する、その人たち子供を産む
そうして日本人に同化させるというほか国を維持できなくなるかもしれない
それは外国人が嫌だとか移民はべきではないというのはわかる
でも現実問題としてそれができなくなる、第一出生率が減る一方で日本人がいなくなるというのも怖いのである

ただ日本はこれから経済的には衰退しても文化的には成熟してくる、必ず経済が成長した後に哲学とか思想とか芸術とか文化面で興隆しているからである
自分自身にしても何かふりかえるといい時代に生まれたとなる
ほんのわずかの差で戦争中に生まれて戦場の露と消えていたかもしれないからだ
だからどういうう時代に生きるかも大事である
氷河期世代とかロスジェネ世代はそういう割を食った世代なのである
それは戦争に生まれあわせた世代と通じている
これはどうにもならないのである、ただ正直そうした高度成長時代もとっくに終わり

これからの時代は日本は相当に苦難の時代になる
だからこれからの人は苦しいとなる
銀行にしたってか安定したエリートと思っていたがもう銀行はいらないとかなっている
それはあらゆるもので安定した職業がなくなることである
公務員ですら非正規で成り立っているとか月給が安いのである
公務員すら安定の時代は終わったとなる
だから日本は何らか大きな変革が明治維新とか戦後のような大きな変革をしないかぎり
もう衰退国家となり後進国になる、すでになっているというのも現実なのである

posted by 老鶯 at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年11月04日

なぜ氷河期,ロスジェネ世代が生まれたのか? (国家百年の計がもてない、ただ時々刹那に生きているのが現代)


なぜ氷河期,ロスジェネ世代が生まれたのか?

(国家百年の計がもてない、ただ時々刹那に生きているのが現代)

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なぜ氷河期世代とかロスジェネ世代とか不遇な世代が生まれたのか?
これはなぜ大企業でもその世代を採用しなかったのか?
それは不景気とかコストの関係もあった、個々の企業にしてみればその時その時の経済の状態で判断する
それが自由主義社会であり資本主義社会だから自由競争社会だから企業でもっと採用しろとは言えなかった

ただそこに資本主義社会自由主義社会の欠点があったともなる
つまりその時々の情勢によってしか動かない、景気が良ければ採用するし景気が悪ければ採用しない、というよりは採用できないとなる
それは企業側の一方的判断なのである
企業というのはいくらでもある、個々の企業の判断なのである
利益が出なければ人も採用しないし給料を安くするほかないのである

資本主義の弱点は国家百年の計とかをもてないのである
企業の寿命はせいぜい20年とか30年だとかなる、技術革新が速いと十年ももたないとなればとても長期的計画をもてない、だから人を採用したくないときはしないのである
その時々に対応しているだけなのである

でも今なぜ人手不足なのか?それは一時期に人を採用しなかった、人を育てることもできなかった、結果として氷河期世代とかロスジェネ世代が生まれた
その人数も多かったから問題になった
そして今頃になって氷河期世代とかロスジェネ世代を国で応援するといってももう手遅れでありこの世代が放置されて割を食ったとなる
これだけ人手不足の時代でも正規として採用できないとなる
それは時代と言えば時代だから仕方がないとされる

つまり少子高齢化とか氷河期世代とかロスジェネ世代の問題は資本主義の欠点として現れたのかもしれない、それより現代の問題は何でも長期的展望をもって計画できないし全体を国でもみることができない
資本主義とか自由主義はその時々の熾烈な競争でありグロ−バルに争いそれに負けれは会社自体が存続できなくなるからそうなる
グロ−バル経済になると国内だけを見ているわけにはいかない
それで国家というものが弱体化して多国籍企業が国を越えたものとして力をもつことになる

でもグロ−バル経済とか資本主義とか自由主義の欠点は社会を長期的視野で展望で見れないことである
第一次産業主体になると自然を相手だから長期的にみる
第一森林でも木が育つには50年かかるとなるとすでにそのことで長期的に見ない限り維持できない、それは一代でも維持できない、だから農家では三代つづかないと仲間に入れてもらえないとういうときそうなる
その土地に根づくには農業だったら三代くらいかかるということである

もし氷河期世代とかロスジェネ世代でも国家がこれではまずいと考えて手を打てば違っていたかもしれない、
でも今国家にはそうした力をもっていない、自由主義社会だとそうなる、では共産主義国家だったら強制的にそうした不遇の世代を救うことができたのかとなるとそうもならない共産主義国家は資本主義のように古い体質の企業が残りそれが足かせとなったまま変えられないという弱点がありこれも逆にかえって全体が窮乏するとなる
現実そうなって崩壊したのである

ただ長期的展望の上に政治も経済も計画できないというときそこに問題が起きる
人間はそもそも空間軸と時間軸で何でもあるとして時間軸で長期的に観ることができないし全体として空間を俯瞰的に見ることができないのである
それで津波に関してはこの辺で400年前に700人溺死とあった記録も忘れていた
まず400年という間隔で見ることはできなくなっている
会社でもせいぜい十年くらいの先しか今ならさらに一年先すら見ないとなる
政治でも一寸先は闇だとなるのもそうである

そして現代の欲望資本主義は何か非常に短絡的になっている
目先の金だけを追っている、すぐに大金を得たいという心境にみんななっている
まずこつこつ働くということが馬鹿らしいという心境にみんななっている
だからそうして一攫千金を狙うようになる、株とかでもそうだし極端になると盗めばいいとなる、そういう心境にみんななっているのだ
長期的展望の中で生きることがないのである
刹那的快楽主義にも陥っている、それが道徳的には退廃することになる
目先の利益であり金が得られるとういことしか頭にないのである
その金になることに飛びつき消費して終わりだとなる
刹那的快楽主義となり堅実な生活が失われている

国家の政策にしても長期的、百年安心年金とか言うのもその時々の付け焼刃的なものであり適当に言っているだけなのである
国家の仕事としては防災とかなるどうしても国家百年の計なのである
本当に今は国家百年の計とかがない、国家はめまぐるしく変わる社会に適応できない
ただ国家のすべきは防災のように国家百年の計を成しうることにある
国家は千数百年とか日本だとつづいている、するとそれだけの長さがあり国が作られているのだからそういう長期的な展望をもつべきなのが国家だとなる
だから私企業の視点と国家の視点は分けるべきだとなる

国家のすべきことは何か?
それは防災だと国民の安全を計ることでありわかりやすい、これはどうしても長期的視野を展望をもって国家百年の計がないとできないからだ
氷河期世代でもロスジェネ世代の不遇もそれが少子化にもなっていた
その世代がベビーブームを生むというのも期待外れだった
その世代は一人が生活するのに精一杯で結婚できなかったからである
それも国の方で長期的に見ていればこれは将来大きな問題になると見ていればこうはならなかった、でも資本主義自由競争社会ではどうにもならない問題だったとなる
個々の企業は競争であり無駄なコストはかけたくないからである
無駄なコストをかけて長期的に政策を実行できるのは国家しかないのである

とにかく人間は人生百年時代というけどこれも長期になると見れない
そもそも人間は未来を自分の未来を見れない
まず若い時は年取ることをイメージできないのである
それでたいがい若い人は60くらい生きればいいやとかしか考えないのである
それくらいしか生きないと考えている
また老人になることがどういうことなのかイメージできないのである
それは老人になることはあまりにも遠い先だと見ているからである
まるず老人にならないようにも見ているのである
ところが青春はあっというまに過ぎ去る、そして老人になっている
玉手箱を開くと白髪の老人になっているのだ
40ですでにおっさんだとかなっている
その速さに驚くのである

人間の弱点は時間軸になると長期的に見れない、長期的展望をもって生きられない
ただその時々に懸命に対応して生きているだけだとなる
そしてみんな意外な結果として人生をふりかえり後悔して終わっているのである
個々人ならいいが全体社会になると国家百年の計をもたないと国家そのものが崩壊してゆくともなる、少子高齢化というのがそうである
国家自体がもう維持できなくなるとも言われるからだ
ただ国家が関与しにくいから手をこまねいてそうなってしまうのである
氷河期世代のでもロスジェネ問題でもそうだったのである

ただ教育とかに国家百年の計というとき何か自由が束縛される、そもそも学校が果たして国家百年の計でそのままでいいのか?
そういう疑問がある、今の学校はもう行き詰まっている、IT化がすべてではないにしろもう学校という旧弊なままの組織化は
国家百年の計にふさわしくないともなる
そこでモラルとかなんとういうと国家の強制だと見られるのもそうである
教育というときこれは教育するから伸びるのではない、かえって教育過剰になっているから才能が伸ばせないのである
自分のように会社に行かず30年間自由なことを追及できればその人の才能は伸ばせるのである
モラルでも教育しようとするとカルト教団のように強制された集団化されてかえって自由な精神は失われて奴隷化されるのである
つまり上の人の支配者のいいなりにするのが教育だともなるからこれも注意が必要なのである
posted by 老鶯 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年10月06日

身近な経済(地方の生活ーそこにも発見がある)


身近な経済(地方の生活ーそこにも発見がある)

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原町の道の駅で買った白い茄子




経済という時、グロ−バル経済に地方でも巻き込まれている、身近な生活というとき私は一万の町で暮らしている
とにかく買い物が仕事である、毎日二回くらいスーパーに行くことがある
そして買い物は種類が多いからむずかいしわからないのである
何があり何を利用していいかわからない、料理だけはだから今でもまともにできない
そして買い物でも失敗が多いのである

どういうわけかツルハのドラッグストアーで着るものでいいものを売っていた
パンツでも肌触りがなめらかなものであり気持ちいいのである
次に長袖のTシャツとかもなめらかで着やすいのである
それからポケット付きのスポーツタイプの長いパンツも着やすいのである
なぜポケットがないと困るかというとサイフが重いからである
そしてこれにはチャックがあるから落ちないので安全なのである
それが今まで発見できなかった
それで通販で買うことが多かったが手にとったりできないとかで失敗も結構あった
着るものはやはり実際に見て手に取ってみないとわからないことがある
だから通販がすべていいとはならないと思った

ツルハでは品物が少ない、本当に少ない、でも選ばれたものを着るもので置いてあった
そこで今は種類が多いからこうしていいもので安いものを選ばれてあると買いやすいと思った、一万の町では常に品物を見ていられないことが問題だったからである

今日は道の駅販売店で地元の野菜を売っていた、それも白い茄子を売っていたのに驚いた農Tube委員会チャンネルで小規模農業が生き残るにはこうした大量規格品でないものを栽培して売ることだと言っていたのこはこのことだった
現在の農業は実際は8割が一千万以上の収入がある大農家で生産して規格品を大量に出している、中小の農家はもう補助金農業とかなるから退職金を与えてやめさせるのがいいという人がいる、現実にそうした農家は高齢化でやめざるをえなくなっているのだ

それで知っている人の野菜を作る畑の前は病気になり死んだ、その隣も老人が車にのせられて這ってしていたが力尽きて放置された
それで土手の道の前の畑は半分が荒地化している、原発事故以後放置されるようになったのである
第一草刈るだけで頼んだら何万とかうなってもらのうにいくらだとか金食い虫になっているのがその畑である
その金を自分が払っているからそんなことしなくてもいいとなってしまう
小さな畑とか趣味でやるにも金がかえってかかり収穫はほとんどないのである
それでキュウリ一本一万にもなる、もらったのは数本のキュウリだけだったからである

それで奇妙なのはその川岸の土手の道にウサギを見た
そこは街が近い場所だから普通は出ない、ただウサギはちょっと街から離れた所でもみかけた
ではなぜウサギが出て来たのか?
それは川岸の前の畑が半分くらい荒地になってその草ぼうぼうの荒地は隠れやすいからなのかと見た
また川岸は草ぼうぼうになって隠れやすいからそこに身を隠して出てこなかった

うさぎ追いしかの山・・・というとき昔はウサギは結構街の近くに出没していた
でも私は子供の時そういう経験はないのである
田舎の生活ではそうして自然の中で生活することがいいのである
土手の道をでんでん虫がまだのっそりと歩いていた、そこは車が通らない

不思議なのは田舎で生活していても退屈で平凡になるから嫌だとなる
でも発見することがある、そのウサギを写真にとれなかったことが失敗だった
何か見慣れた光景でもこうして変化がある
何かしらの発見がある、ただそれは見る人によるのである

ただこの辺は限界集落とかではない、隣にも4万の市があり南相馬市となると原町はもともと5万くらいの都市だったから違っていた
ただ正直田舎というのは地方には金持ちになるチャンスが非常に少ない
それはなぜか?
田舎には金持ちにする機会がないのだ、地銀の人が来て投資信託などして損したことでもわかる
その営業の人は銀行でも株とか投資信託も知らなかったのである
素人同然だけで手数料が入るから適当に自分の金をつぎこんで手数料とるだけだった
なぜなら株が上がっているのにそれを投資信託に回して損したからである
その営業の人は株とか投資信託に何の知識もない
分散投資が基本としてある時それすら守らなかった、株とかも分散投資にしてもっていれば良かったのである
ただ自分は忙しいからみんなまかせたのである   

もし都会だったら仙台でも住んでいたら選択する所が多くなる、すると相談できる場も増える
田舎では地銀でも町に一つしかないからだ
それから都会だといろいろ選択できる、医者でもそうである、田舎では選択もしようがないからだ
そもそも医者がいればいいとなっているからだ
それでむずかしい病気になると仙台と福島の医大に行くほかないのである
金儲けでもビジネスをするにしても田舎では不利である、まず需要がないからである
現実に田舎の市場でトマトが一個400円したとかなる、それを買う人がいるのか?
都会だったら金持ちがいるから買うからすると田舎でも金持ちになる農家が増えるとなる
それは中国で都会に野菜を売って金持ちになった村があったからである
田舎では需要がなんでも限られているからである

今田舎とか地方の生活は苦しくなっている、常に明日食べる食料が買えないとくる70歳近くの女性がいる、国民年金の額が少なすぎて基本的に生活できないから常に水道をとめられるとか電気を止められるかと騒いでいるのである
その息子もいても余裕がない、その息子は建築関係でも正社員なのである
仕事で怪我して労災をおりるとか社長は社員のめんどうみがいいのである
でも親が青森に介護に送られていて何か介護用品の請求で金を払わされている
それも苦しいと思った、介護というのは長いし金もかかるのである
私の場合は介護に金はかからなかった、でも施設に入れたりしたらかかっていたかもしれない、その点は救われたのである
ただ一人で苦しく大金を盗まれたとかの被害があったからやはり金はかかったのである

家族がみんな死んでわかったことは一人暮らしというのが老人にとってどういうものかわかりつつある
一人というのは良くない、一日しゃべる人がいないということは精神的に良くない
孤独がいいということはある、でも人間は一人だと良くない
その女性とはただたわいもないことを話すだけで何か孤独でなくなる
そのために金を払っているともなってしまう
話がうまい女性だからである
だからわかったことは女性でも男性でもこうして家族がいなくても友達とかいれば孤独にはならない、たわいもないことを話していてもそうである
孤独死とか孤立死とか現代では成り安い、でも何かそうした人が回りにいれば家族がなくても孤独を感じないのである
私はとにかく人付き合いをしなかったし今もしない、それが異常化していたのである
今でも人付き合いその女性としかしていないのである
ただ家族が死んでから介護になってから人とは話すようになった、もともと話せないというわけではない、話すことが面白いという面もあった、ただ基本的に人付き合いが苦手なのである

田舎暮らしを老人は憧れる、実際老人は田舎の方が向いている、
でも辺鄙な田舎で生活すべきではない、近くに都会がある方がいいのである
やはり買い物とか楽だからである
私自身が今や仙台にすら今年一回行ったとかで遠くに行っていない、それはやはり人ごみとか嫌になり騒々しい所に行くことが疲れるからだとなる
それも年になったせいだと思う、前からそういう気質があり都会を嫌うようになったのが自分だたからである、それで旅行は世界まで60までつづけていたからこれも異常だったとなる
そして今ではそうした経験を記憶したものを文や詩とかにして書いているのである

でで虫の歩みの遅くこの道にウサギの出るや草深きかな


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2019年09月28日

経済を民俗学から考える (自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)


経済を民俗学から考える

(自由な市場とか交換は共同体の和解の祭りとして始まった)

経済とは何かというときこれは総合的なものであり社会全体のことであり人間全体のことである
だから経済学となれば一つの分野のことではなくなる
科学技術でも深く関係している、産業革命とかなれば科学技術が発達して生まれたからである
だから経済を語っても世界でも社会でも一部分しか語れないのである

経済と民俗学が関係しているのか?

これも深く関係していた、文化人類学が関係していた

インドネシアでもクジラをとる民と山の民がいて山の民にクジラの肉をもってゆき豊漁を祈る、そこで山の民と海の民が和合する祭りが行われていた
つまり経済とはもともとそうした異なる地域に民族が和合するものとして貿易でも行われていた、現代のような金だけを紙幣だけを唯一の交換の手段として用いることはなかった貿易は交易にはまず民の融合が和合を計ることが先である
現実にグローバル化しても必ず国と国は対立してうまくいかなくなるからである 

これはおそらくクジラという食料がある前に物がある前に何か共同体がある
クジラをとることを生業とする海の共同体があり山で暮らす共同体がある
その違った生業の共同体が和解するために祭りがありクジラが媒介となっていた
ここで重要なのはクジラは共同体を結ぶものであってもその前に共同体がありその共同体同士が和解するために山の共同体がクジラをとれるように祈りクジラの肉も分けてもらうとなっていたのである

海彦と山彦の物語もそうである、ここにも綿津見(わたつみ)の神がかかわってきている海彦と山彦は暮らしが違うので対立しやすいことをここで語っている
その和解のために何かクジラでも同じように和解の祭りが必要になる

顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。マタギは古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている。

日本神話では大山祇(大山津見)などが山の神として登場する。また、比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比盗_など、特定の山に結びついた山の神もある。

だからなぜ綿津見神社と山津見神社が対になっているのか、相馬地方だと飯館村まで綿津見神社があり山津見神社があり一番古いのである
それは海と山で暮らすものたちが実は一体だったからである
海彦山彦の国が日本がだったからである
おこぜがなぜ山の神に供えられているのか?
それは一種の海で暮らすものと山で暮らすものの和解のための儀礼と化したものである
第一山に海でとれた魚を献げることはありえないからである

これは今なら物を交換することであり海で暮らすものと山で暮らすものが和合することで祭りとなったのである
共同体と共同体が交わる時、そこで魚であれ何か物を媒介となる、それは互いの有効の印として交換されたのである
古墳から発見される三角神獣鏡でもこれは大和王権に服属したから与えられたというのではない説がある、それはただ友好の標として土地の有力者に与えられた
この辺の古墳でも金銅双魚佩が古墳から発見されたけどこれもそういうものなのだろう

つまり貨幣がない時代は物と物を直接交換する、その物は友好の印であり今の経済とは違っていた、中国と朝貢となるがそれとにていた、国と国が友好のために物があった
それが貿易の始まりであった
商業、貿易の始まりはそういうものだった
だから第一不思議なのは村で市が許されたのは神社内でありそこを無縁の場所として許されたのである、よそ者が商売することはそうした村の共同体から特別許可された無縁の場所でしかできなかったのである
つまり有縁なものは村の共同体の一員であり外から来る商売に来る人たちは無縁だから
神社の境内とかで商売をさせていたのである
これも矛盾しているが神社とは縁を結ぶものとしてあるがまたそこが無縁の場所にもされたとなる

現代の経済がグロ−バル経済とか広域社会でもこうしてもともとあった共同体を破壊する無縁化することがあった、また海彦となるとこれは海に通じているから広い世界と通じることがあった、貿易も漁民が船でしやすいからである
ただ商売とか貿易の始まりには祭りが必要だった
物があるからとしてそれを自由に売買はできないのである
共同体の許可なくしてはできない、それが人間社会なのである

それでなぜ人間社会がグロ−バル経済が人間をアトム化してばらばらにしてしまった
なぜならそこにある貨幣を通じて金を通じての交換にはもう祭りもなにもない
共同体が和解するものとして始まった交換の儀式がない
そういうややこしいものを全部省くことによって成り立つのが現代の経済だからである
つまり人間は個々人がアトム化して経済的一単位としてみる、そして商品を自由に流通させる、世界市場とすることがグロ−バル経済であり広域経済である
そうすると無縁化して神社の中だけでよそものを受け付けていたことが逆に村でも共同体でも無縁化されるのである、それで無縁化社会になったともなる

ここで人間とはなにかというとき人間は経済の一単位ではない、何かしら別な価値観が働く、もともと海でも山でも共同の暮らしがありそこで培ったものは違っている
それず海彦と山彦が共同するためにはまず祭りが必要である
そこで互いに和解して共同することである

でも現代はそういうものを全く無視してこそグロ−バル経済でもありえる
世界市場の原理だけがある、そして交換するときも金だけがすべてとなる
そして金が万能となり金を極一部のものが数パーセントの者が独占してしまう社会になるだから不思議なのは前近代的と思えるものが実はそこに人間の存在がそもそもどういうものかをふりかえるものとなる
人間が何か物を交換することはまず共同体がありそこで共同体と共同体が交わる儀式が祭りが必要になっていた

結局今でもグロ−バル経済がうまくいかない、うまくいかないと貿易も韓国とのように途絶える、そして戦争になりかねない、国々でも自由に貿易して交換することが行われたが逆にそれがうまくいかないと貿易も途絶えて戦争にもなる
つまり経済合理性というのはそもそもが人間社会では成り立たないのである
世界市場化することが一見理想のようでもそうならない
それは人間の存在がそういうものではないからである
経済だけで利益になるからだけで成り立たないからそうなっていたのである
そのことは世界の歴史が証明している、経済でも相手を武力で屈服させて支配して植民地支配のように欧米が人を奴隷化したりする
貿易でも経済でも強者だけが莫大な利益をあげる仕組みである
アジアの富を吸い上げたのはヨ−ロッパ列強だとなっていたからである

グロ−バル経済でも一旦競争に負けるとその国は貧困化する、それが今の日本である
グロ−バル経済とは新たな国々の戦争でもある
負けたものは貧困化する、別に昔の共同体と共同体の和解を目的として経済が貿易があるのではないからである、そこが根本的に違っているからである
経済とは共同体と共同体が和解する和合するものでもない、物は友好の印でもない
交換するための世界市場がありそこで金が万能化する社会である
それはマルクスが言ったことだが人間社会をふりかえるとそれはいいようでも人間がどういうものか人間存在とはどういうものかを問うとき経済でもその存立基盤を無視するから無縁化社会となり人は属する共同体もなくなる

共同体というとき国家自体がそうである、国家も無視されて経済的一単位化するのである日本が嫌なら外国に住めばいいと金持ちならなるしまた移民問題でもそうである
金をえるために外国で働けばいいとなるのである
でも外国人も人間だから国内に入ってくると機械でも物でもないから問題になる
文化的軋轢とかいろいろ生まれてくるのである
だからいくらグロ−バル経済でも人間を自国に入れることがいろいろな問題が生まれかわかる、うまくいかないことがわかる、それは人間の存在がもともと経済的利益だけで存在していた訳ではないからである
何かこの辺で原発事故で一挙に大勢の人たちが避難してゴーストタウンになったけどそれも今なら人は共同体に属していない、金さえあればどこでも暮らしていいとなっている
すると多額の補償金をもらったからとみんな町から流出して人がいなくなったのである
もちろん放射能汚染のためだともなるが何かそれだけではない現代社会の反映だったのかとも見たのである、そこには強固な共同体の絆は昔のようになくなっていたからだとなる

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2019年09月14日

日本の農業は成長産業! (兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)


日本の農業は成長産業!

(兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)   
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日本の農業の生産を支えているのは1000万以上の大規模農家

【誤解】農業人口激減で日本沈没?!新規就農するなら今でしょ 

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全農家対象の農業補助金はおかしい。農協利用の農家は、ほとんど兼業あるいは農地放棄農家、それに自家用栽培農家であり、単なるバラマキに過ぎない上、日本農業の再建にマイナス効果しかないように思う。補助金を配布するならば、低所得の専業農家に配るべきではないですか?

あいつら(農協のこと)は、税金も満足に払っていないのに、補助金を独り占めするのは絶対に許せん。こんな不平等を国が放置する限り、俺は税金を払いたくない。

補助金に頼らない理由は、まず第一に、農業者本来の「つとめ」を忘れてしまう心配があるからです。本来、生産者である私は、私のお客様に頭を下げるものですが、補助金に手を出すと行政に頭を下げることになり、自分の経営を見失うことになりそうです。

農業ビジネス


農業は誤解している、農業は日本の成長産業だった、なぜ銀行で農業に投資するようになったのか?それは農業が日本では唯一成長産業だったからである
なぜ農業がだめだ、だめだと言われていたのか?
それは兼業農家とか副業農家が多いからである
そこに税金を補助金を投入されているから非効率であり無駄なのである
それで民主党の政策は農業を復興させるためには

農家一軒ごとに補助金をだす

農協ではなく農家に一軒ごとに直接補助金を与える

農協が巨大な組織でありそこに補助金が注ぎ込まれ吸い上げられていたからである
でもこれは悪政だった、農業の生産高は兼業農家とか副業農家が背負っているのではない専業農家が生産の大部分をになっている、ただ兼業農家が数が多いから票になるから民主党ではそういう政策を打ち出したのである
何か民主党は経済政策とかでも不況にしたようにわかっていなかった面があった
もちろん自民党にも問題があった、ただ民主党がつづいていたらやはり日本の経済は危機的状態に今頃なっていた、なんとか持ちこたえているのは自民党になったからだともなる
ただどっちにしろ日本の経済は衰退して危機的状態になるのは遅かれ早かれなっていたのである
日本では今まで高度成長時代があり経済がいいときそうした補助金でも福祉とか無駄なことでも金を回すことを余力がまだあった
その金を回す余力がなくなり補助金政策はできなくなる

でも実は農業の場合は補助金政策が農業をだめにしていたのである
まもともに農業を考えて取り組んでいる人専業農家が農家の主役になっていた
でも兼業農家とか副業で農業している人たちは足かせとなる存在だったのである
例えば常に言われている農業の後継ぎがいないというとき68歳が農業している人の平均年齢だとか耕作放棄地のことを取り上げるがそれも違っていた
そういう人たちは兼業農家であり副業農家であり補助金農家だったのである
そこに農業に対する誤解があった、なぜそこだけが強調されているのかというと兼業農家の窮状を言うとき補助金を政府が投入されるからである
また数が多いから一票として計算できるからそうなる

また日本の自給率が低いとかはない、世界で5位の自給率であり狭い国土にしては高いのである、そして日本の農業は優れている、きめこまかい農業であり技術レベルが高いのである、だから輸出産業としてみこめる、果物はそうなっている
農業もグロ−バル化していて外国で日本人が農業している人がいる
そのグローバル化に日本の農業は競争力をもっているという

日本の経済は電機製品が売れて高度成長時代を築いたときは違って輸出するものがない
自動車産業がなんとかグロ−バル化で競争力をもっているとなる
だからこそインパウンドとか観光に力を入れたりして日本全体の経済が落ち込み貧乏化しているのである
そしてこれまで日本の農業の負の面が強調されすぎたのである
日本の農業はもともと五反百姓とか小農が多すぎたから貧乏なのである
また機械化もされていないから能率的ではなかった
機械化されて技術も向上して日本の農業はかえって成長産業となっていたのである
だから銀行で投資先がなく投資しようとしているのはそのためなのである

私が援助している趣味で農業している人はまず金がかかる、今は体が悪いとか暑いとか放っておいたから草ぼうぼうになっている
だからとれたものでキュウリ一本一万にもなるのは嘘ではない
ただそこで農業の話をじかにしてくれるからその情報に金を払っているとなる
まず肥料から種から道具からと農業は設備費と金がかかるものなのである
だから今では小農とか兼業農家では採算がとれないのである
ただそこに補助金が出るので老人が片手間にしているだけなのである

そして耕作放棄地が増えていると騒いでいるけどそれは新規参入者にとってチャンスだとしている、つまり土地が安く手に入るからである
もうそういう土地は無料でも貸しているからである
農業はまず土地が手に入らなければできない、土地が資本だからである
そして労働は機械がする時代である
農業が採算がとれないとか負の面が大きく語られたのは高度成長時代、工業化が進展してそれと比べると農業は時代に合わなくなっていたからである
今はかえって農業が成長産業として見直される時代になっている
ただ兼業農家と副業とか今までの小農では成り立たないだけなのである

私が農業について語る時は農業というそのものが持っている価値とか意味を追求したのである、農業は必ず自然と結びつくからそこが他の職業と違っていたからである
農業は生態系と密接に結びついているから共生の思想が自ずと生まれる
ただこれを経済合理性からビジネスとして見れば違ったものになる
農業を成長産業としてビジネスとして位置づけると違ったものになる
今や農業が有望な日本の成長産業になっている

だから趣味でしている畑と同級生が5人で組になっていしている畑を比べると趣味の小さな畑は肥料から種から道具から金がかかる、十倍をもかかる
でも広い畑でも専業農家がかかわりトラクターとか機械をもっているから草はいつも刈られている、生産する量も多くなる、それは専業農家が主導しているからそうなるのである趣味で畑で野菜を作るとかえって十倍とかの金がかかるのである
でも大規模にやれば農業の収入が少ないということはないし成長産業なのである

でもここでも同じだった、補助金農業になると国に頼り補助金をもらうことが主目的になる、補助金をもらえるから工夫もしない、ただ畑をもつということで補助金目当てになるでも補助金をもらわないで農業をするとなると工夫したりいろいろ自ら励むことになる
それは原発事故でも補償金だけをもらいそれで生活しようとすることとなったと同じである
結局人間は補助金とかが補償金でも必ずいい方面に向かわないのである
その補助金とか補償金でかえって人間は向上心を失う、そしてそこに税金を払うことは国民にとっても損になる、税金の無駄使いとなる、それで税金がたりないとなり消費税が政府であげたりしてまた国民の負担が増えて苦しむのである
そういう悪循環があったがもうそれもできない
なぜなら日本全体の経済か落ちこんできているのだからそんな無駄なことをしていられなくなったからである  

この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

ただ農業というのは複雑でありそう簡単に効率的だからとか合理的だからとすすめられないのはそれが自然と密接に結びついているからである
農業は他の産業とそこが根本的に違っているから合理的効率的にすすめることが合わないというこもでてくる
でも現実問題としては効率的農業を目指さないともう成り立たなくなっている
農業は別に68歳平均の人たちがしているのではない、専業農家はそうではない、若い世代もしているし新規参入者も増えてくる成長産業なのである 

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都市型公害農業

大規模農業

中山間農業ライフ型

この中山間農業ライフというのは農業自体に価値と意味を求めるのにふさわしい
農業体験して民泊するとか農業ライフを追及する
この辺でも蔵を改造して観光に利用するとかするために学生が来ていた
他でもそういう観光的なことをしている人はいる
つまり農業と自然は密接に結びついているから農業というのは観光のように景色を見るだけではない、自然をどのように活用するのかと深く結びついたものだからそうなる

それは田舎に住んでいても意外と農家のことがわからない、農業のことがわからない
それで趣味でも畑をしている人に直接その苦労とか面白さを聞いている
それは農業ライフを趣味としてしているとなる
趣味でしていると金がかかるのである、ただ都会の人が農業を食料を得るものとしてだけ見ている、でも農業は自然と深く結びついているからその背景が広く奥深いのである
自然に通じるには本当は景色だけみていてはわからないのである
それでその女性に冬(ふゆ)はかえって作物が育つと聞いた時、冬(ふゆ)であり増えるという意味を理解したのである
つまり日本語の由来そのものが農業を実地にしないとわからないし文化すらわからないのである
要するに文化的にアプローチするのが中山間農業ライフ型である
一方で経済合理性を追求するのが大規模農業なのである
時代で農業も変わってきていてその辺が誤解しているのである

大規模農業で経済合理形を追求するにはかえって原発事故で他より耕作放棄地が増えたこの辺は放射能問題があっても新規参入しやすい場所である
第一小高を見ればわかる、田畑が一面草ぼうぼうとなっているからだ
それだけ広い耕作放棄地を新規参入者が自由に利用されるとなればそこに新しい農業が生まれる可能性がかえってあるとなる、そこで会社経営として農業をはじめた人もいるのもわかる、もう個々人の農家ではどうにもならなくなっているからだ

つまりこの辺で兼業農家とか副業農家とかは一掃して会社経営の大規模農業にならざるをえないともなる、それが強いられている場所である
ただ小農として農業ライフを追求する分野も生じている、農業は実際は文化的なものが基になっている、cultivate-cultureだからである
そういう面でも新しい農業として成長産業だともなる

とにかく外から新規参入するのにはここはチャンスとなる場所なのである
そういうふうにすでに農業の新規参入者が外から入っている
つまり何かこういうふうになると大きな改革がしやすいともなる
一挙に広い土地を自由に使えるということにもなるからだ
そこで農業の復興がありそこを基幹として復興がありうるともなる
ただ農業というのは実際にしてみないとわからないものがある
それが田舎にいてもわからないのである
田舎でも実際は多様化しているからである
農業に従事している人は一割にもみたないとかなっているからである

ともかく農業が成長産業だという時かえって田舎が見直され成長してゆくともなる
時代が変わると必ず価値観が変わるからである
農業がだめだ金にならないという時代は高度成長時代でありその時は会社に入ると金になる時代だったからである
でも日本自体が会社が大企業でもグロ−バル競争で倒産したり終身雇用がなくなっている、銀行でもゆうちょでも農協といった国に関係しているものも国で保証できなくなっている

常に時代が変わるからである、ただ余りにも農業に負のイメージが国からでも植え付けられすぎたのである、それは兼業農家でも数が多いと票になるからである
それで意図的に負のイメージが植え付けられた、それでソフトバンクが農業にビジネスとして参画するとかITを利用するとか現代の時代の変化に適合した農業を提案する人がいたとなる
それでこの辺が第一次産業や農業が放射能汚染されたことが致命的だったのである
それさそ農業を根本的に破壊するものだったからである
農業をするなと親に子供が殴られたりした時代もあった、でも農業はまた見直される、その価値が多様だからである
そして農業の価値は工業のように変わらないのである、普遍的であり不変なのである
それは自然と密接に深く関係しているからその価値は変わらない、かえって農業ライフとか生産物だけてはない農業を通じて自然と触れ合うような農業も生れるとなる

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2019年09月02日

刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 (忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)


刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 

(忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)



何か現代人は刹那的になっている、刹那的快楽を求める、地道に働くということになじめない、長期的視野がもてない、その場限りであり宝くじのように大金を得たいというのが共通である
そうなるのはなぜなのか?
それは社会的環境が関係している、社会はもう金、金、金・・である
金さえあればいい、金があれば何でも満たされるという感覚になっている
金さえあればスーパーに行ってなんでも買えるし遊んで暮らせるではないかとなる
そして地道に働いても今は非正規とかが多く簡単に金にならないのだ
現実にこの辺で原発避難者が仮設に住んでも地元の人に世話になるという感覚がゼロだった、むしろ私たちここで消費して助けているのよねということしかなかった
それは消費者が王様だということでそうなった
金さえあればその人がどこでも王様になるのである
それで小高の人が仙台で200坪の土地を買い家を建てアパートまで経営している
それは何億の金が補償金として入ったからだと思う
原発事故で被害者というよりその補償金で成功者になったという現実である

例えば高度成長時代は貯金をすれば10年後には利子で倍になるというとき十年間ためて貯金しようという感覚になる
でも利子もつかないとかなると貯金することに励むということもしなくなる
10年間の長さに耐えられない、石にも三年とかにも耐えられない
忍耐力が欠如しているのである、そういう教えが通じなくなっているのである
それに比べれば私の親などは大正生まれであり本当に忍耐強いのである
貧乏で育ったから贅沢しなくても文句を言わないのである、それは大正生まれとかなるとみんなそうなのである、そういう環境で育ったからである
辛抱強い、だから文句を言わないことに感心する、辛いことがあっても文句を言わないのである
そこが今の人と社会と根本的に違っていたのである 

そもそもなぜ現代は何かせかされるとか忙しいとか刹那的になるのか?
それは多分に今の社会環境と関係しているのだ
まずともかく(待つ)ということを嫌う、待つということが時間の無駄に感じる
ところが駅だと必ず待つ時間がありその時間が無駄ではなく何か人間的時間なのである
電車を待つという時間が人間的なのである
だから私は鉄道が好きなのである
クルマには何か待つ時間がない、いつでもクルマに乗ってキレルように去ってゆくだけである、そこからキレル人間が必然的に生まれてくる
クルマが便利でいいとしても人格まで変えてしまうことが怖いことだったのである

戦前とかまで社会の環境が違っていた、そこでは何か今とは違うものが精神的にも育まれていたのである
例えば戦前でも戦後10年でも馬とか牛とか普通にいた、すると牛がいるとすると牛に忍耐の象徴であり牛がともに生活することで忍耐を学ぶとなる
それはおそらく牛とともに生活することで性急にならないとかあった

「のんきな父さん」とか言われたのもその時代はのんきなものが時間がゆったりとまだ流れていたのである  

何かわからないのだけど世界中から物が入ってきてスーパーにある
でもその物は何か魔法のようにそこにある、とても人が苦労して作り出した感覚がないのである、それは農家でもないしどうしてその野菜でも果物でも作り出されるのか?
それが実感としてわからない、わかるのは金を出せば何でも買えるということである
だから現代生活で常に意識されるのは金なのである
もし農家で米とか野菜を作って入れは金を意識する前に作物をいかにしてとれるかということを意識する
米だったら浜に田植えして秋に収穫する、その間に何か作業がありようやく秋に実りがあるとなる、そこにはやはり時間がかならずかかっているのである

20日大根でも40日大根でもそれだけの時間がかかる、種を植えてすぐに育つことはない
でも買うとういことは常にできあがったものを買っているのだからいつもそこに完成品が育ったものがあるという感覚になる
すると自分で育てる待つ時間もないのである、問題なのは金があればいい、金があれば食料でもなんでもすぐに手に入るとなる
それはまた世界中からなんでも食料が入ってくることによる
地域だけに頼っていたらこんな感覚にはならない、住んでいる場所でとれなくても他からいくらでも入ってくるとなると住んでいる場所に頼るということもなくなる

問題なのは常に金があることなのである
例えば昔は郷倉とかあって飢饉のために米とか貯えていた
でも今はその必要がない、常に外から入ってくるからである
そうすると何が大事なのか金だとなるのである
米など貯える必要がないとなるのである
だから地域に依存していないから地方に田舎に住んでもいても別に地域に頼ることがないのである
ただ津波や原発でこの辺で何もなくなったとき二週間くらい困った
その時古米をこの辺では配ったのである、その時助かったとなるから古米を貯えていたことはやはり郷蔵の役目があったのである
その一番の要因が

外から食料が入らなくなった

この辺では一時二週間以上食料が入らなくなったからである
これでわかるように現代の生活感覚が刹那的快楽とか刹那的に向くのはいつでも食料でもなんでも入ってくるという感覚でありそこで金さえあればいいとなる
それも忍耐して稼いで貯金するというまどろっこしいことをしたくないのである
貯金して利子が高くつくようだと高度成長時代のようにみんな貯金しようとする
でも今は貯金したら銀行から利子をとられる、投資信託とか買わされたりゆうちょで必要のない保険を買わされたりしてごまかされる
そういうことでこつこつ稼いで資本をためる、金をためるということがなじまない時代なのである

そこで起きてくることは何か?ともかく時間をかけてこつこつ貯めるのは無駄だとなる
一攫千金を狙う、FXとか投資がいいとなる、こつこつためてもたまらないからである
また稼げない時代だからである、それでそうした一気に稼げるばの一攫千金を夢見るのである
そして時間のサイクルが早いのである
例えばローマ帝国であれスペイン帝国であれイギリス帝国であれそれなりに長い時間をかけて作られてきた、でもエジプト文明三千年はさらに長い時間で作られてきたのである
そして徐々に衰退したのである、その時間の感覚が長いのである
でも今だと日本の経済成長が30年くらいで終わりとか中国でも二十年くらい成長して終わりだとかなる
世界的に交通が発達してそうなったのである、その成長の速度が速くまた衰退するのも早いのである、だから中国が10数年で宇宙に行ったり新幹線まで走らせていることが信じられないのである
それだけ時間の感覚が早くなっている、そこで刹那的になるのはとめられないのである
長い時間の感覚で社会でも人生でも見れないのである
だから欲しいものはすぐに手に入れるようとする、待つ時間がないのである

道徳にしてもそこで育まれことがないのは時間がないからである
「ローマは一日して成らず」という時間の感覚が喪失しているのである
現代は一日にして成ることを求めているのである
そこに道徳的退廃が生じる、刹那的快楽主義になる、これは一人の力ではどうにもならない
つまり時間というのも文明的時間がありそれがますます加速されて異常化しているのである、文明人はたえず時間に追われている、待つ時間も消失しているのである
無駄な時間も持つことともできない、時間を極限まで無駄なく使うとかなる
生産現場ではそうなる、何か時間すら脅迫的に支配される

そして刹那的なものを求める、時間をかけるものが否定される
そういうところで道徳の退廃が生まれて社会自体がもう維持できなくなる
何か人間は忍耐力がなくなり争いにもなる
それでなぜ産業革命がグロ−バルにはじまったとき戦争となり莫大な死者を出したのか?それも現代の文明と関係していた、刹那的なものを求めて戦争で解決しようとする
そこに忍耐する待つ時間がないのである
だから戦争も文明の結果だということを指摘するのもそういう社会環境が人間を作っているからだともなる
文明が罪を悪を作り出して増幅させるということもある、それが世界的に起きていることは世界が同じように文明化しているからである 
インドの一部をのぞいて馬と牛を使わなくなったりしているからである
そういうことでは共通しているからである

文明には遅らせるとか待つとか減らす思想がない、つまりそのことはもう止めることができず暴走もすることになる
何か現代に必要なのは遅らせるとか減らすとかの思想が必要になっている
そんなことしたら経済が停滞するとか反対がありできないとなるのがそれが資本主義が投資先がなくなりもうそうした思想が時代にマッチしたものになる、だからそんな思想は批判するより現実がそうなんているのだからむしろ現実的思想だともなるのだ
もう文明はいろいろなものが限界になってきている、原発事故でも何か科学技術の限界現象だったのである
経済成長とか無限の科学技術の発展とかも限界が見えてくる、その時こうしてもともと東洋思想だったものが現実社会に適応するものとなる、だから文明が西洋から東洋へシフトするというとき思想の面でも東洋的思想が現実にマッチしたものとなる
資本主義思想はもう現実社会にマッチしなくなったからである

忍耐力がない長期的視野がもていないというとき、現代社会が日本でも高度成長時代は団塊の世代でも若い人が多かった、すると社会は若い人中心の社会だった
すると何でも若者向きになる、でも今度はその団塊の世代が老人になると社会が変わる
少子高齢化社会であり老人向きの社会になる、そのマイナス面も大きいのだがプラスの面もある
老人は70年くらい生きるとそこで一時代を生きたという感覚をもつ、それがどういう人生でもそうである、一時代を生きたという経験が若い世代とは違う、そこで物の見方も違ってくる、その一時代の過去をふりかえり未来を見るということができる
それより団塊の世代の上野の世代は戦争を小学生の時代でも経験した人は違っている
戦争の見方が戦後の戦争を知らない人たちの見方と違っている
その差は戦争の時代を小学生でも生きたということなのである

その経験の差が大きいのである、そういう経験はどうしてもいくら本を読んでも聞かされても実感できないのである、だから戦後は左翼関係者の戦争を否定することばかりが戦前の戦争の実体だとなったのである、それは戦争を経験していないからそうなったのである戦争の現実は経験していないからただ頭で理論的に悪いとばかり言うだけなのである
戦争が悪いことはわかる、でも日本の戦争もその時代の状況で生まれたからその時代を知るべきだとなる、でも実感として知り得ないから一方的に頭で判断する
そういうことは別に戦争でなくても戦前の生活でも江戸時代とかなるともわからないので必ず誤解しているのである、現在から時代を見るからそうなる

ともかく一時代の区切りは70年だということはあたっている
なぜなら明治時代から70年して太平洋戦争になり戦後の高度成長時代から70年して今がある、つまり70年過ぎると時代が大きく変わる、大きく変わらないと遅れとり衰退するということである
そして人生百年という時それがいい面と悪い面があるにしろいい面としては長期的な展望で生きれるとういことでもある
自分の場合特殊でも60までは遊びだった、旅行ばかりして60になりその後介護十年とかなりそのとき一時代が過ぎたのである、そして人生も終わりだとなる
何かふりかえると人生かこんなに簡単にあっけなくあっというまに終わるとは思っていなかった
無常迅速だったことは変わりなかったのである
でも70年生きたということはなんでもあれ誰でも一時代を生きたのである
ただ今の80以上90歳とかなると二つの時代を生きたとなる






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2019年08月29日

人間何のために働くのか? (金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)


人間何のために働くのか?

(金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)

youtubeのlove and freedomの40くらいの人がなぜ自分が働いているのかわからないという
ただ毎日とにかく食べるために働いている
それも日銭稼ぎでありただ日々生きているだけだとなりなぜ生きているのかもわからないとなる
もし家族があったら家族のために働くとなりそこに生きがいもできるから結婚したいとなる
働く理由はまず最低限の衣食住の確保のために働くことが強いられている
でももし最低限の衣食住が保証されていたら働かなくなる人が多くなることは確かであるなぜなら労働自体に今生きがいを見出している人はいないからだ
文明社会は複雑化して無数のパーツになっている 

だからどういうふうに関連して働くことに意義が見出されるのかとなるとわからなくなるみんな巨大な文明社会の部品に過ぎないのである
それはどんな優秀な人でもそうなる、
何か発明でも科学者でも昔のようにニュートンとか天才が出ないというときもそねうなのだろう、何か一人ではもう複雑化した科学でもそこで傑出したものとはなりえなくなったノーベル賞でも何か昔の天才のように傑出したものではないという
確かにそれは地道な基礎研究であり何か世界観まで変えるような発明はないと科学に弱くても見る

働くという時、それは例えば雇う人がいる、働かせる上司がいる、幹部がいて資本家がいる、金を出す方がいてもらう方がいる
給料を出す方でもなぜこの人に金を出すのか?そういうふうに考える
それ相応に見合ったものが得られから給料を払うのである
それで別に効率化するには人間でなくてもいい、AI化したロボットがいいとなり無人化した店になり鉄道だと無人駅が増えてくる
それは雇う人が給料を払いたくないからコストでそうなっているのである

ところが別に人を雇う方でもその働く意義とか理由を与えない、ただ雇われる人は金が欲しいだけだとしか考えない、だから雇う方も金のことしか考えない
働く理由とか意義などは考えないのである
そもそも何か理由とか意義とか意味を考えるのは人間だけである
一体地球が何で存在しているのか?宇宙が何で存在しているのか?
そんなことを問うのは人間だけである
動物なら毎日今日の食べ物しか頭にない、植物でもなぜ自分があるのかなど考えない
木がなぜここに立っているのかなど考えないのである
つまり人間が自然でもその存在意義を考え価値を与えているのである
人間こそが宇宙であれ地球であれ自然の木であれ石であれ花であれ意味を与えるのであるすでに名前をつけること自体なにかしらの意味を与えている

なぜ現代は働くことに意味を感じないのか?ただ金の量だけで計られるのか?
そして金を使う方に重点があり金を使うことが生きがいになるのか?
それで原発避難者が補償金をもらってかえって仮設に住んでいたのに威張っていたのである、「私たちはここで消費して助けているのよね」と言っていた
これが現代人なのである、金のある者が王様であり金をもって消費する方が王様になっている、としたら働く方に価値がないとなってしまうのである
こう言った人が変わった人でもなんでもない、そういう社会に住んでいるからそう言ったしそれが常態化しているからそう言ったに過ぎないのである
つまりいくら労働しても感謝されるということは医者くらいでありほとんどないのである医者だけは命にかかわるから過剰にその労働が評価されて感謝されているのである

今私が金を払う立場にある、別に働いていもらっているからではない

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親(介護されるひと)−息子(施設に一部金を払う)−母親(私か金を払う)

青森の施設に入れても他にいろいろな介護に使うものがあり金を払っている
息子は建築現場で働いている、親は自力で生活できない、年でもある
でもなぜ私がこの人たちに金を払わねばならないのか?
でも払っているから母親のために息子のためにその親のために払うとなるとなぜその人たちに払う必要があるのか意味が価値があるのか?
それを問うことにもなる、それは金は誰しも無償で払いたくないからそうなる
なぜ金を払わねばならないのか?逆になぜ働かねばならいのかということもあるが何もしてもらわないのになぜこの人たちに金を払う意味と価値があるのかとなる

家族だったら自分の場合は特別良くしてもらったのだから介護することも当然であり意味と価値があった、今になると介護して世話して良かったとつくづく思った
恩返しができたとなり何か良心的に救われたのである
もし何もしなかったら後悔していた、なぜならそれだけ自分の場合は60まで世話してくれたからである、その特殊な事情で少しでも恩返したことで死んでから死者と話したり通じることができる、もしそれがなかったら死者とも通じ合えなくなることがあったと思うあなたは何もしてくれなかったとなると良心がいたむからである

でも赤の他人の介護のためになぜ金を払うのか、直接払っていなくても払っているとなるそれは福祉で世話になるとかでもそういうことが起きている
直接払っていなくても間接的に税金を払っているからである
その人に払う価値があるのかとなることはぬきに強制的に介護保険とかで払っているのである、でもその介護される人が介護される価値と意味があるのかとなるとわからないのである、そういうことは問わないが私的に間接的でも金を払うとなるとその価値とか意味を問うことになる

いづれにしろ何で働くのかということもあるが何で金を払うのかということも必ずある
何かしら価値と意味を見出すから金を払っている
みんな簡単に金を払わないからである、特に情報関係では日本人は金を払わない
情報は無料だと思っているからだ、でも情報提供する方でも苦労があり手間がある
するとなんらかその情報に対して金がは払われるべきだともなる
たたインタ−ネットだとプログだと発信するにしても手間がかかってもほとんど無料だということでしているのである

人間はパンのために生きるにあらずというとき何か必ずその意味と価値とかを追求しているのである、現代では働く意味も価値を見出せないという時資本主義とかの危機となる
モラルの崩壊でありそこで資本主義も崩壊してゆく
なぜなら資本主義がキリスト教の奉仕するということで修道院から始まったというウェーバーの説がある、その時は消費することではない働くこと自体に意味と価値を宗教的なものとして追求していたからである
それがなくなったときすでに資本主義のモラルが崩壊して金融資本主義とかギャンブル資本主義のようになりもう意味も価値もない、強欲資本主義となりモラルもなにもなくなるただ金を得て消費だけすればいい、消費する者が王様だとなってしまう

それでこの辺では何かそういうことで露骨なもの極端なものとして現象化したのである
いわき市では二万人が避難して多額の補償金をもらい飲み屋で札びらを切ったとか家を次々に建てた、この辺でも新しい街が二つくらいできたように次々に家が建ったのである
それも立派な家も多いのである
それで地元の人と軋轢が生まれたこともわかる
つまり消費者が王様であり金をもっているものが上になる、周りの事情など関係ないとなる、金が横暴に力をふるったからそうなったのである
第一家は地元の大工さんなど関係ないからである
ハウス会社が二週間くらいで組み立てるだけの家だからである
地元だ自分の家でも三か月以上建てるのにかかっていたが今は即席に建てられるし地元の大工とは関係ない、外から来た人が即席に建てるからである

そして社会がグロ−バル化して広域化すると金の力がますます強くなる
広域社会でありどこにでも金があれば住める、もし金がなければ慣れ親しんだ所でも住めない、だから避難区域に若い世代は帰らないのである
一億円やるからどこに住んでもいいよとなればみんな故郷でも出ていくのが現代である
そしてどこでも金がある人が威張ることができる、消費者は王様ごとなるからである
そういうことでこの辺では人々の絆は切れた
和合できなくなった、まだ補償金をいくらもらったとかでもめていてその後遺症がありうまくいかないのである
外との絆があってもいづれもう今はない、すると残されたのは昔から住んだ人たちでありその人たちで絆を作っていかねばならないとしてもできない
後遺症があり簡単にできないのである 

そして新しく入ってきて住んでいる人たちが金をもっているから威張っているということが依然として起きているのである
そういうことはグロ−バル化広域化社会で起きたことなのである
それで復興を考えるには広域化して考えねばならないという時そうなる
現実は今や原発事故で避難した人たちが仙台辺りまで広域化して住んでいるからである
残された老人にしても南相馬市とか相馬市とかに新地でも住んでいて若い世代は仙台の方に住んでいるからである
それで老人はかえって避難区域に住まわせるより原町とかに集めた方がいいともなる
分散すると世話しにくいからである
コンパクトシティ化するということである、広域化社会だからかえって人を集中させて維持させるとなる





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2019年08月03日

損して得取れ (本当に得したことが得で損したことが損だったのか?)

損して得取れ

(本当に得したことが得で損したことが損だったのか?)

一時的には「損」しても、その損が将来の「得」になるのであれば、当初の損を厭うな、
という意味だと解釈している。目先の損得だけを考えて行動しても、トータルで(長い目で)考えれば損になることがある、ということを示唆しているのだろう。商売でよく言われる言葉だ

人間はとにかく複雑なのである、商売となるとこれも通じることはむずかしい
そもそも自分に商売とかビジネスを語る資格などない、経験もないし、実際失敗もしているから語る資格がない、だいたい芸術とかなる浮世離れしているところがあり語る資格がないとなる
ただここ十年いろいろ経験してそれで語っているのである
まず諺はこれは本当に真理のように普遍的であり人間の経験から生み出された教訓である、では今でもなぜ通用するのか?
それは人間というものがいろいろ変わっても本質的に変わらないものだからである

人間はまず損しようとしない、損するのが嫌なのである、損する人とは付き合いたくないのである、でもなぜ損して得を取れとなっているのか?
そこに経験から生まれた深い意味がある
ある人は事業を始めたが技術系であり商売のことは知らない人だったと思う
その家自体の家風がまたその人を染めたのかもしれない
ともかく一円でも絶対に損しないようにと身構える家だったのである
そして事業をはじめてもまず他人のために一つの物を運ぶこともいとう
ただでは何もしたくない、箱一つさえもたない、一円すら損することはしない
そういう家だったのである、そういう所で事業を始めたらどうなるのか?
何か嫌になるだろう、誰も接したくないともなる

別に損しろというのではない、とにかく相手のためにするというとき一円でも損したくないという身構えているのである
そういうことで商売が成り立つだろうか?
誰も確かに損して商売はしないしできない、でも何か損することがどうしてもある
でもその損することがまた得することに通じることもある
だから一概に損することにこだわると何もできなくなる
その辺の兼ね合いがむずかしいにしろ一円も損はしないぞという構えになると付き合いたくないとなるだろう
ただこの世の中損得に一喜一憂しているのが現実である
それはわずかの金でもそうである、だから誰も損したくない得したいと毎日必死になっている、それから逃れられないことは確かである

でも人間の不可解は「損して得とれ」という諺に現れていたのだ
つまり何が損か得がその時々で計れないことがあるからだ
その時得だと思ったことが損になりその時損だと思ったことが得になったということを経験しているだろう
例えば地銀で苦しいから投資信託を売るのはわかる、それで一時的会社はもうけたとかなる、だから得したとなる
でも銀行は信用を失うとかある、ゆうちょでも保険でそういうことがあった
今までゆうちょとか銀行は信用されていた、それで投資信託をすすめられても銀行がすすめるのだから間違いないと思って大損したばあちゃんがいたのである
銀行とかゆうちょはまず地域で信用を築いてきたのである
でもそれが時代でもうからなくなり変わった時一時的には会社の利益になり得しても
その次から信用がなくなる、銀行とかゆうちょはそんなものだったのか?
もう信用できないな、金をあずけることはできないなとかなることが怖いのである
それで一時的に得してもあとあとは損したとなっていたとなる

ただ損する行為は誰もしたくないのである、自分自身がなぜ働かないのに金を出しているのか?それが嫌になっている、まるっきり損しかないと思うからである
第一商売するにしても損していたら続かない、赤字になり倒産してしまうだろう
だから商売は多少の損を覚悟して資金の余裕をもってするものかもしれない
最初からぎりぎりの資金でしていたら一円でも損しないと身構えるからである
そうなるとかえって客もつかないとかなるからだ

例えば仙台から来たユニットバスを百万で作った会社は優創建は得させた
何か会社自体が損しているのではないか?
第一ガス会社では二百万かかると言っていたし地元の人に頼めば三百万にもなったかもしれない、だから本当に安かったし悪いものでもなかった
だからここだけは得したとなる
あとはみんな損することだけだった、金をむしりとられた奪われたとしかない、現実に盗まれたりもしたからである
その人たちはただ損することより奪うということだったのである
金に苦しんでいるからそうなった、相手が苦しいからこの際脅迫しても奪ってやろうとしかなかったのである
損も得もない、相手から奪おうとするときそれはすでに犯罪者だったのである
実際に罰せられるべきだったのだかそうはなっていない

でもとにかく人間の不思議は不可解は一見確かに得したと思っている、でもあとになると損していたとなる、これは今でもそういうことがある
何が得で損かわからないのである、例えば大きく歴史でも日本の戦争は負けたが三百万人も死んで負けたから国にとっては大損だったのである
でもその後の復興をみればそれが得に変わっていたのである
高度成長ができたのは既得権者を戦争に負けて一掃できたからだという人もいるからだ
国自体でも損したと思うことが得に変わることがある

そして人生そのものもがまた何が損か得かわからないのである
人生をふりかえって誰でも何か得だったのか、損だったのか?
それがわかるだろうか?美人と結婚したから得だったかなっているのか?
金持ちと結婚して得だったのか?それも最後になって見ないとわからない
人生の損得も計れないのである、損だと思ったことが得になり得だと思ったことが損になる、そんなこといくらでもある
得したとやったと思ったことが後で大損だったとかなる
結局人間は小さな損得に一喜一憂しているはかない存在だったともなる
達観すれば所詮この世の損得はどうでもいいことだったともなったりするからである
要するに死んだら損も得もない、一巻の終わりだとなるからだ
いくら富を積んでも来世にはもってゆくことができないことでもわかる
この世で宝を積んでもその宝も腐るし天に持ってゆくこともできないとなっているのだ

要する人間はどんなに得しようとしても結果的に得にならない
損しして得をとれというとき損が得になることがあるから経験でそう言っているのである得ばかり追求しても得になると思ってもならない、かえって損することにもなる
一時相手をだまして得しても結果的には損していたとかなる
つまり長い目で損得をみればそうなる、ただ人間は日々目の前の損得に追われているのである、だから本当に大きな得とか損をわからないのである
人生を総決算すれば本当に何が得だったのか損だったのかわからないとなってしまうのである

あの時損したとことが実は大きな得だったとかなりあの時得したと思ったことが損だったとなることなどいくらでもあるからだ
結局この世の損得は計れないともなる、だから損して得をとれという逆説が成り立つのである、そういう逆説が人生に必ずある、もしかしたら非正規とかロスジェネは割を食った損な世代だったとか言っているのもわかるがまだわからない
最終的にどうなるのかわからない、個々人でもわからない、結局何が損なのか得なのかわからないからである

正直自分の家にきて苦しい時、得しようとした人は絶対に成功はしない、自分自身のカルマであったにしろ相手も成功はしない
銀行ももう地銀とあれば地域に尽くすものだったかこれももう終わりなのだろう
北銀で農業に投資しているとか何か地域に役立つをことをしないと終わりになる

ともかく本当に損して得とれというときそれができない人は成功はしないともなる
一円でも損しないぞとか商売していたら人と接していたらその時点で失敗している
そういう人は事業するべきではなかった、雇われていれば良かったともなる
結局第一損得勘定からはじめる、絶対に一円でも損しないとしてはじめる
それより事業を始める目的は何なのか?それが大事だともなる
ただ得したい金を得ることだということがすでに失敗しているのではないか?
ただ得したいとなれば相手から金でも財でも奪えばいいとしかなくなるからだ
そもそも相手のために何か物一つもつこともしたくない、そういう人が果たして事業などできるだろうか?

社長として偉く見せたいというだけで事業ができるだろうか?
事業のことがわからないにしてもそのこと自体がもう事業する資格がないとなる
最終的にはそういう会社は消えるのではないか?
一時的なものとして泡沫のように消える、ただ事業自体が20人一人とか成功していない6パーセントくらいしか成功していない、だから何か動機があり真面目にやる人でも失敗している、でも最初から絶対に一円でも損しないとか何も動機がない、偉く見せたいためとか、そして他者のために物一つ持ちたくないという人が成功するものだろうか?
その人が技術系でありその技術だけに集中してやれば問題は起きなかった
そこで利を追及していれば何も損しないし問題も起きない、でも事業となると違っていたのである、結局事業起こすこと自体むずかしいからそうなったのである
そういう人は事業を起こすべきではなかった、社会の迷惑になるだけだった
その後借金して周りに迷惑をかけている

人間は日々目先の損得勘定で生活している、でもそれはいいとして大きな事業となるとまた違っている、損得を勘定しないで始めることも必要になる?一円でも損しないということで始めることはできないだろう
長期的視野をもたないとやれないのではないか?そういうことを言っているのもわかるのである、でも現実問題として利益があがらなければつづかない、だからある程度資金的余裕がないと事業ができないともなる
そこで大企業は豊富な資金があるから資本があるから有利だとはなる
一時的に損してもまた資金と資本があるから立ち直れることがあるからだ
個人事業主とかなるとそれがないからである
いづれにしろ(優創建)は安い、で損している感じにもなる、仕事もいい、だから成功するかもしれない、ただそれにしても事業自体がむずかしいからわからないとなる




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2019年07月31日

公務員の退職金も減らされている、給料も減っている (田舎の価値は金だけでは計れない、安定した職業も必要)


公務員の退職金も減らされている、給料も減っている

(田舎の価値は金だけでは計れない、安定した職業も必要)


公務員も苦しいとかやはり日本全体が落ち込んでいる
公務員でも正社員でなく臨時とかでも多くしている、その給料ではやっていけない
公務員はAI化しやすい事務的なものが多いからそういうことでも減らされる
公務員も安泰でなくなっている
この辺では原発事故で避難区域になった所では浪江とかでは激務でやめたいというのもわかる、こうなると公務員も楽な仕事ではないのである

公務員に興味をがあるのは家族が公務員だったからである、役所に勤めていたからであるそれで高度成長時期に退職した、その時2300万など退職金をもらっていない
一千万くらいだった、でもその退職金が貯金しただけで倍以上になっていた
7パーセントとか利子がついているからそうなったのである
その頃貯金していた人は本当に得だった、十年くらいで倍になったからである
今は銀行に貯金すると投資信託とかすすめられて利子をとられる
財産を奪われる、それはゆうちょでも同じだった
保険で金が奪われていたのである
こういうことは今までありえなかったのである
郵便局とか銀行は地域で最も信頼されていたからだ
公務員とにたようなものだった、公務員と郵便局と銀行と農協が地方で安定した職業だったのである

今例え2300万もらったとしても貯金してもその価値はない、価値が減ってくる
だから相当もらっているようでももらっていないのである
金の価値は時価であり物価とかいろいろな状況で変わっているからである
それて積立式の年金はだめだというとき今いくら金を積んでも年金をもらうとき数十年後には物価が違って金の価値もなくなる
100万積んでも30万とかなったりする、だから積立式の年金はだめだというのがわかる

公務員というとき年金は最初18万もらっていたから高かった、地方では最も高い
でもやがて16万になったからそれほどでもなくなったのである
ただ公務員は何かと得する仕組みがあったのである
それは高度成長時代は公務員ても民間が良ければ公務員もその水準になるからいいのである、もう今はこういう状態だと公務員もやはり民間と同じようになる
安泰ではなくなったということである

日本は本当に貧困化している、やがて発展途上国並みになるとも言われる
そしてまともに福祉サービスも受けられなくなる
老人ばかり増えてそうなる、それで衰退国家となってゆく恐怖がある
地方の就職先でもこうした安定した場所が奪われるとどうなるのか?。
何か地方で落ち着いて生活できなくなる

地方とは田舎の役割は何なのか?食料生産基地なのか?

地方は田舎は自然との共生の場であり例え米が売れなくても金にならなくてもそういう生業(なりわい)維持すべき所なのである
だから矛盾していたのは東電に生業(なりわい)を返せと裁判化したことである
でもこの辺では漁業者でも農民でも東電にその生業を売り渡したのである
生業というときその土地に生まれたときからある仕事のことであり受け継がれる仕事である、それは自然と共生として長い間千年以上つづけられてきたものである

それで田んぼがなくなったとき蛙もいなくなった、そして鷺もいなくなった

この時田んぼは米をとる場所だけではなく、蛙も鷺も活かす共に生きる場所だと自覚したつまり蛙も鷺も田んぼがあって餌となる場があって生きていたことを知ったのである
だから蛙の鳴き声が田舎の夜空に木霊した時、復興したと感じたのである
そういう場所が田舎なのである、それは食料とか生産するだけではない、金にならないとしても田畑が荒れるとそこは荒廃してしまう
現代はすべて金で価値を計るが金だけですべての価値は計れないのである
すべて金で価値を計ると原発でもなんでもいいとなってしまう
結果的にこの辺が生業でも自然との共生も自然も汚染されたとういことでそのことが現実になった、あまりにも原発に電気に価値を置き過ぎた結果だともなる
                                                              
公務員の役割はなになのか?
実はその住んでいる場所全体、自然にもかかわる仕事だったともなる
漁業でも農業でも林業でもそういう自然とかかわることも仕事だったのかとなる
何か全体のバランスを計るというのも公務員の仕事だったのかもしれない
だからこそ民間のように利益第一主義ではないものを追求できるとなるからだ

ともかく都会の人だと東京でも食料は外国から入ればいいという
だから日本の地方はいらない、田舎はいらない、金がかかるだけだとなる
地方交付税でも東京の人が払っているからだとかなる
これは暴論である、日本の国土形成からした全く日本の自然でも無視した危険なものとなる、そして原発は本当は東京に造ることが一番向いていたのである
でも事故になると困るからフクシマに離れた場所に造り安全を計ったのである
そして地方では自然と共生するものが漁業でも農業でも林業でもだめになり原発は歓迎されたのである

そしてまた地方の田舎の価値は経済的なものだけではない、精神的なものとして地方が田舎がはぐくむものがある、文化が生まれるのは都会のように見えて地方なのである
ヨ−ロッパでは地方都市が国家となりそこが栄えてルネサンスとか生まれたことでもわかる、小規模の地方都市が文化をはぐくむにはいいのである
cultureはcultivate(耕す)である、地方でこそ田舎でこそ文化が育まれるのである
何か最近銀行員が農業の育成にかかわるというのも苦しいけど農業にかかわり余った金を投資して地方を活性化するというのはいいことである
でも農業は金にならないのである、でも農業にはそれだけではない付加価値が大きいのである、でもそれは金として評価されないことが問題なのである
東京とかの人にすれば安いいい食料が入ればいいとしかないからである

例えば価値とはいろいろありストリーも価値となる、アセリプトを発明した人の話はそうだった、あんなに苦労して作り出したものだと知る時価値あるものとして意識するからだでもスーパーに並ぶ食料を刈っても安いかの高いのかとしか意識しないのである
そうなれば外国産でもいいとなってしまう
価値を計る尺度を変えることも必要である、金で計れない価値にこそかえって大きな価値がある、例えば景観などがそうである、それは金にならなけどその景観がなかったら索漠としたものになる、それが都会のビルの谷間で暮らしている人なのである
そこになごみも美もないからである
とにかく田舎の価値は食料基地だけではないのである

だから何か地方は田舎は安定した職業が必要だとも思う、あまりにも競争にさらされると地方の田舎の良さが奪われるのである、そして原発事故は田舎の良さを本来の価値を根こそぎ奪ったのである、生業を奪ったのである
私の場合は芸術的に田舎の価値を追求してきたのである
ただ私の問題は畑があるとする、すると畑の野菜とかに注目しないで花が咲いていていいなとか見ている、でも現実に野菜を作るとなると毎日草取りであり汚い仕事にもなる

でも花だけを見ていいなと見ていると都会人的だともなる
都会の人が田舎に来ていいと思うのは自然があり花が咲いていていいなとなるからであるでもそこで農業するとなるともうやっていけないとなっていたのである
それは農業とかの価値が食料にだけあると見ているからなのである
それ以外の景観とか自然の共生とかは省かれて野菜の値段とか米の値段ですべてを計っているからそうなる
ジントルマンというとき田舎に住んでいる貴族だった、田舎こそ文化を育むジントルマンが住む場所だったのである、ただ矛盾しているのはそのジントルマンも都会にロンドンとかに住まいがあり田舎と行き来していたのである
ただ田舎を本拠地として生活していたのである

人間生きるというとき何らかの価値を追求しているのである、その価値をすべて金で計ることはできない
金を得るにしても金を使うにしても価値を追求している、その価値が何なのか?
本当にそこに金を得るために使うための価値があるのか?
だからこそ東京とかには田舎と比べて価値は無だとさえなる、そこに自然の美とかが全くないとしたらそうなるのである







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2019年07月26日

資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ


資本主義が終わりー国々の文化力の再発見開発の時代へ

資本主義では金を増やすことを望む、金を増やすためにはどうするのか?
投資する、投資するとはそこでもうけて利益を増やして金を得ることである
その金を運用するのが銀行であり資本主義の中核としてあった
銀行が金を生み出していたからである
銀行はゼロから貸し付けてその借用書が紙幣になったというとき何もないのに金を増やすことができる
でもその金が増えすぎると使われないと経済は停滞する
でもなぜ今銀行がつぶれるとかいうのだろうか?
銀行には金はある、金が余っている、その金の使い道がない
投資先がないのである

それは世界的に起きていることである、世界で金が余っている、でももう世界経済が成長しないというとき金余りでありその金が活かされない、投資先がないからである

日本の海外債務が主にアメリカにありドルとして

対外純資産残高は328兆4470億円と3年連続で減少したが、27年連続で「世界最大の対外債権国」という座を維持した。

対外純資産がたくさんあるという事実は、見方を変えれば「日本国内に投資機会がない結果、外に出るしかなかった」ことの裏返しでもあるため、日本を語る上で憂うべき論点も多く含んでいるだろう

民間に米ドル相当の資産が150兆円以上あることも大変な強みだ。国の外貨準備高を合わせて300兆を優に越える。これらは一気に換金するとドルを始めとした通貨が暴落するし日本の信頼性の問題が問われるから実行する事はないものの、いざというときには換金出来る。言うまでもなく米国は世界最強の国家で、ここより安全で安心できる投資先はない。

アメリカの強みは軍事費が世界で突出している、軍事国家なのである
日本は経済国家である、アメリカの信用は軍事国家であることでドルが基軸通貨になっていることである
でもドルが紙屑になるというときそのドルの裏付けのアメリカ経済が弱体化しているからである
つまり金は資本主義での金は常に増大することを望む、金が金を生むことを望むのが資本主義なのである

でも世界経済の成長は頭打ちとなりもう成長しない、とすると金の行き先投資する先がない、だから銀行に預けても利益を生まない、利子が払われないのである

つまり銀行の用がなくなる→銀行はいらない→銀行員の大リストラ

こうなったときもう資本主義は機能しない、投資先がない、それで資本主義が終わりだとされる
その行き詰まりを打開するのに軍事力で突出した軍事産業の占める割合が多いアメリカは戦争を起こす、するとそこで戦争が投資となりアメリカ製の武器が売れる
景気回復するとか怖いことになり実際そういうことが行われてきたとされる
そこで人命も失われたのである

経済が行き詰まる→戦争になりやすい

それはドイツのナチスでも失業者が増えたとかなり戦争に突入した
失業者を戦争が吸収したとなる、日本でもアメリカの経済制裁で追い詰められて戦争に突入したとされる
経済的に追い詰められた国は人間でもわずかの金でも奪うし強盗でもするし人を殺す
借金していると借金を返すために犯罪を起こす、借金が犯罪の動機になっていることが多いのである
そういうことをこれまで嫌とういほど自分自身が経験したので恐怖となった
経済的に追い詰められた人たちが介護とか病気になったとき弱者化したとき襲ってきたからである

今やどこも経済不況とか停滞に陥り危険だとされる
アメリカもそうだし中国も韓国も日本もそうなのである
世界同時不況、世界恐慌前夜のような様相を呈している
つまり資本主義自体が機能しなくなり崩壊しつつある
世界的に経済成長は見込めないのである
それで資本主義の終わりだとみんなが言うようになる

つまり経済成長がない資本主義はありえないのである
だから資本主義は終わりだとなる
では次に来るのは何なのか、経済成長がない投資先がない社会である
だからこういう時代は文化の時代にもなる、文化の価値は物を増やすとか生産するとかとも違う、例えば日本でインパウンドで外国旅行者が増えたというとき旅行は文化的な価値を求めるのでありそれは何か物を生産するとか技術を開発するとかとは違っているのである、その国の文化を見るのが観光だからである

国を見る時確かにGDPとかでみる、でもその中身は技術力でありもう一つは歴史文化力がある、歴史ある国はヨ−ロッパでも中国でもインドでも文化力がある
オーストラリアなどは歴史がないから文化力がない、アメリカでもそうである
資源があり国が広大であり経済力技術力があったとしても文化力に欠けているのである
おそらくこれからの時代は世界で経済成長が望めないとしたら文化力の時代になる

だから一方でこれからますますグロ−バル化するから英語は不可欠だとしている
でも文化力にシフトするとき英語のように商業語だけでいいのか?
そこには文化力がない、確かにそれで経済力を高めることはできる、でも文化力は英語にはない、日本語あって日本の歴史と文化がありその価値が高まる時代になる
明治維新からは開国の時代であり富国強兵とか経済力の時代だった
それは太平洋戦争までつづきその後も経済成長の時代でありそれがバブルで日本は崩壊した
経済成長はあるところで限界にきてとまる、それが今は中国でそうなっている
そして世界的にももう経済成長はできないのである
そして資本主義が機能しなくなる、銀行が不用なることがまさに資本主義の終わりを象徴しているのである

何かだからこれから中世の時代のように内面化する、宗教とか哲学とか芸術の時代になる経済成長は世界的にもうできないからである、するとその国々に住んで文化力を高める時代になる、文化力はその国の風土と歴史から作られる
ただ文化というとき幅広いから必ずしも芸術とは限らないのである
農業に回帰するというとき農業は文化の側面がある
なぜならcultureはcultivate(耕す)から出た言葉だからである

なぜそうなっているのか?
つまり農業はその土地土地の地味に作用されたり風土と密接に結びついているからであるワインでもその土地土地の名がついていたり日本の米でもそうである
味が違ってくるからである、日本酒が世界で売れるという時もそれは日本の風土と歴史で培われたものであり文化力なのである、単なる物の販売ではないのである
とにかく文化とは幅広いものでありそれを風土に根ざして再開発再発見してゆく時代なのである

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2019年07月18日

ロスジェネ氷河期世代(40才前後)の苦境 (金がなく結婚もできない、将来に夢も希望もない底辺)


ロスジェネ氷河期世代(40才前後)の苦境

(金がなく結婚もできない、将来に夢も希望もない底辺)

その人は建築関係の会社に勤めている、正社員なのか?派遣とも違う、一つの会社に勤めて現場に派遣される
今は青森に行っている、青森というとこの人の父親が介護のために南相馬市から送られた場所だったのである
その人が嘆いているのは安い施設に入れてもその後にたりない分が要求されることであるでも親だから金を出している
そしてもう一人その母親も困窮している、だから金をせびる
でもその人はそんなに収入がないのである
でも親に金をだしていることで感心するとはなる
自分は介護しても親に働いて金をやったことがないからだ
実際は結婚して子供をもっている兄弟がいるがその人は父親にも母親にもかかわらないのである

この人は40代でありロスジェネとか氷河期世代である
ただこの人は別に建築現場があっているからしている
他のサービス業を嫌っているからである
だから必ずしも不本意にその職業についているわけではないから事情が違う
一方でlove and freedomの「底辺労働者」テーマにして訴えているyoutubeの人は不本意についた職業だから派遣だから不満なのである
貧しくても結婚したいができないとしているからだ
この世代は現代の日本社会のブラックでありそれが社会を歪めている
世代によって運不運が大きいのが人間である
まず戦争中だったら特攻隊で20代で死なねばならなかった
それが嫌でもどうにもならなかったのである

つくづくこのyoutubeに私が関心があるのは人生をふりかえると40才が最後の転機だったことである、自分の人生は参考にはならない
普通の家庭環境では違うし何か特別恵まれていたからである
この人は不幸な家庭環境で育ったからである、でも大学を出ているからインテリなのである、子供の時親に特に母親に承認されない人は一生自信がなく育つというのは本当であるなぜこの世代が問題なのかというと将来60以上になると年金ももらえないとか今のままに貧乏をひきづるからである
そして独身が多いから頼る人がいないで孤独死となる、この人も身寄りがないから同情する、誰も助けてくれないというのは本当である
現代とは情が喪失した社会である、日本人にあった人情などなくなっている
それで金さえあれば未来を開ける、結婚もできると嘆いているのだ

この人がなぜこうした重圧感にあえぐのか?
それは40という年なのである、もう人生は決まったとなり将来がないと見る年代だからである、40というのはその人がもう何でも見える、決まるという年である
その年で結婚していないとか子供もないとかなると会社でも社会でも信用されないとなるこの世からはずれた人ととなる
私が言っているアウトサイダーをあてはめることはできない、それは特殊な才能があり芸術家のことなどをさしているからである
これだけ数が多いということはその人たち普通に暮らしたいのである
結婚して子供をもち貧しくても楽しい我が家をもちたいのである
それができないから絶望的になっている

知っている人も結婚はしたくないというが本音は違っているというのもわかる
結婚したくても金がなくてできないのである
金がないから収入が低いから女性が相手にしないのである
結婚して子供を育てる金銭的余裕がない、経済力がないからである
それだけ日本社会は貧乏になっているとういことである
これはますます深刻になり治安も悪化する

何か今日はアニメ会社で放火があり10人死んだのか大被害が出た

この犯人は41歳だった!

この人も何か40才という年で事件を起こした
何かこの年に問題があったのか?
40歳で人生にキレタのか気になる
まず40才から50歳になったらもう結婚もなにもない、人生終わりだとなる
私の場合は50歳からバックパッカーになっていたから終わっていなかった
そこでやっと見聞を広めることができたのである
だから別に40歳で人生が終わるわけではない
私は60から十年介護してそれからこうして盛んにプログで発表するようになったからだ長寿の時代は鼻開くのは60以降とか70以降にもなる、人生百年となればそうなる
そうはいっても40歳は人生の分かれ目となる
一般社会ではもうその行く先とか評価は決まってしまのである

それで底辺労働者として一生終わり最後は孤独死だとなり夢も希望もないとなる
私の場合は別にそういうことはない、今自分自身の時間は充実している
今まで貯えたものがあり詩などの創作に熱中しているからだ
学問でもそうである、孤独ではあるが最後に実りがあるなとつくづく思う
人によってその時期が違う、早い時期に才能を開花する人も天才もいるからだ
いつづれにしろ40歳前後は社会にとって大きな問題をはらんでいる
これもニートとかと同じように数が多いからそうなるのである
数十人なのかアウトサイダーなどは放っておいても何の問題もない
でも数百万人もいるとなると放っておくわけにはいかないからみんなの問題になるのである

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2019年07月12日

 実力ある人のみ生き残る時代 (銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)


  実力ある人のみ生き残る時代

(銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)

何か頼むにしてもその頼む相手が問題になる、それか人間社会で日常的に起きてくる
大工でも修理を頼んだが直っていなかったが金ばかりとられた
一方で仙台から来たユニットバスを請け負った会社は百万で作ってくれた
それはいいものだったから得だった、ほとんど損した
小高の庭作りしてくれた大工さんは優秀だったから良かった

地銀に投資を頼んだがそれも損しただけだった、第一銀行自体証券会社でないから素人並みである、そんなところに頼んでももうけられはずがなかったのである
ただ適当に客のことなど考えないで投資しただけである
投資したら損しようが地銀では関係ない、地銀には手数料が確実に入るからだ
地銀は一切リスクはとらない、では本当にそうなのかとなるとそうでもない
銀行は信用を失ったしその後に影響してくる
銀行はそんなものだったのかとなり銀行にまかせたら金とられるだけだと警戒するようになる、これが高度成長時代だったら銀行も楽だったのである
銀行に貯金してもらえば利子がつきますよとなりみんなあずけたし銀行は地域では信頼された安定した職場だったのである

でももし銀行員の営業の人でも優秀だったら別である
証券のことを知っていれば儲けさせる確率が大きくなるからだ
でもそういう人は銀行にはいないのである
そうしたらもうけることなどできないのである
つまり証券に株式に通じている人はいないのである
そういう人に頼むことはできない
ただ金持ちはフィナンシャルプランナーとかを個別に雇い投資をまかせる
でもそのフィナンシャルプランナーにリスクがある
損したらもうけがないとかなる、もうけたら一割でも二割でもそのもうけたなから収入となる、だからそれは相当に投資にたけた人でないとできないのである
まず地銀クラスには一人もいない、そういう仕事が地銀の仕事ではないからである

地銀の仕事はyoutubeで今日見たようなことである

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これまで金融庁で中小企業をつぶれないように援助していた、でも限界に来た
そして地銀自体が収益が悪く倒産するということで援助しないとなった
これももう追い詰められているから大目に見ることができなくなったのである

このように中小企業が大倒産の時代になる、その数も多いのに驚く、こんな数の中小企業が倒産してゆくことは確かに地銀にとっても衝撃が大きく地銀自体が倒産してゆく時代だと言っている
それだけ今の地銀は厳しい経営状態にあり先がなくなっているのだ
そういうふうに追い詰められた個人でも団体でも会社でもかかわることは危険になる
もう生き残るために善悪もなにもなくなるからだ
銀行でもゆうちょでもブラック化してゆく、投資信託でも無理やり売りつける
そもそも素人の知識しかないのに売りつける、ゆうちょでも簡保でも不正をしていたというのがそうである
ノルマを果たすために行員に無理やり保険でも老人に売りつけていたのである
老人もゆうちょをもともと信用していたからである

今の経済は社会は身近なところ崩れてゆく、その時モラルもなにもなくなる
事業失敗した人がそうだった、追い詰められているからとても人のことなど考えていられないのだ、そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったとなる
銀行もまた同じだった、追い詰められて余裕がないから客のことなど全く考えられなくなっている
オレオレ詐欺のようになってしまう、堅い職業の銀行までがそうなっいることはやはり日本の経済は危機的状況にある、地域の経済でもそうである

交通事故でわからないから弁護士を頼んだ、でも最初に相談料として100万要求された何か事件を解決したわけでもない、裁判になったわけでもない、ただ相談料としてそれだけ要求されたのである
それは仙台の弁護士だったのである、それを頼んだのは親戚だったがこの人も全くあてにならない人だったのである
つまり頼んだ人があてにならない→その人が頼んだ弁護士もあてにならい、金を不法にとったともなる
こうして頼む先があてにならない、信用できないとかなると必ず損するのである

中小企業の大倒産時代にそれを引き受けてうまく倒産するというか事業を維持させることは相当に熟練した弁護士でないとできない、その計画を明確に提言できる人だという
そういう弁護士はまれだという、それだけその事業を倒産させるにもノウハウがあるが
それをできる弁護士は本当にまれだとなる
つまり弁護士の資格をもっていようが医者の資格をもっていようが本当にできる人はまれなのである
第一資格といってもそれは実際の社会で通用するわけではないのである
資格はとれても実際の社会で通用しないことが多いからどういう経験を積んだか履歴を会社でみるというのもわかる

いづれにしろ今や日本経済は厳しい状態に突入している
会社でも優秀でなくても年功序列で終身雇用で一旦会社に入れば安泰の時代は終わった
もう大企業でも不要な存在は容赦なく切り捨てられる、そうしなければ生き残れないのである、ただこういうときは本当に才能があり実力がある人はいい時代になる
高給で大企業でも若い人を待遇する、でも不用な45歳以上はリストラさせられる
会社にも余裕がなくなったのである
ただ銀行員でもフィナンシャルプランナーとかで個人的でもなれる人は生き残れるがそういう人はまれである、それだけのプロとなるとまれだとなるからだ
だから本当に実力社会になったら極少数の人しか生き残れない
特別優秀な人たちと多数の普通の人たちに分かれる、格差社会になる
そういう変わり目に時代は突入しているから厳しい時代になる
会社に入れば安泰だという時代は終わったのである
大卒だからだと学歴もあてにならなくなる、大学で評価されるのは理系の一流とかに準じる大学だけである、その他は文系だと評価されにくい、大学出ても実力社会では通用しない、学歴は通用しなくなる

こういう時代をどう生きるのか?
教育も見直される、暗記とか受験とかそうした勉強しても実力社会になると通用しない
資格をもっていてもそれでその人が優秀だともならない
医者でも弁護士ても選ばれる時代になるとそうなる
要するにでは選ばれる優秀な人になるのにはどうするのかということである
教育でも今までのやりかたでは通用しない、やはり何か創造力を鍛えるとか暗記ばかりではない、独自性を発揮させるものを追求することだとなる
既定路線にのって安泰な時代は終ったからである


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2019年07月09日

今を反映している一田舎の生活状態 (年金不足、介護、高齢化、外国人労働者 地銀の危機)


今を反映している一田舎の生活状態

(年金不足、介護、高齢化、外国人労働者 地銀の危機)

一人の困窮者がいる、その人の息子は40くらいで建築関係で働いている
独身である、非正規というのではなく会社に勤めているとはなる
その息子の父親は介護状態になり南相馬市では介護士不足で世話できず青森に送られた
その後も安いとしても金がかかり嘆いている
その母親はもともと困窮していた、だから余裕がない
そして腰が悪いとか体も悪く70近くになっている、でもどうして相馬市まで普通の自転車で行けたのか不思議である                   

草取りするとかがむので腰をいためることはある
その女性が畑をもっているがその前の人は腎臓悪くして死んだ
隣の畑は家の人に車で乗せられて這って畑仕事していたができなくなって荒地になった
隣と前は荒地になった、この辺は震災以後原発事故にもな耕作放棄地が増えた
多少は回復しても田畑を維持することをあきらめた人が多い、高齢化もある

何か不思議なのはネパールの女性が三人ほど福装で働いている
その人が良く土手の道を通る、ネパールの男性の人がホンダで修理工として働いていた
それげ日本に長いから奥さんを呼ぶと言っていた、4000メートル級の所に住んでいるから驚く
他にベトナムとかから来ている、仮設の食堂していた人は中国人の女性と結婚して店を切り盛りしていた
この辺は外国人が多いという時、まだ震災以後原発関係の仕事がある
それでベトナム人が知らずに除染関係の仕事をさせられて問題になった
中国人に連れられたきたベトナム人を駅でみかけた
中国人がそうした外国人労働者の手引きをしている

困窮している老いた女性がパンクした、そのパンク代が払えない、それで金をせびりにくる、今はつけで物は買えない、その人は昔のようにその日暮らしである
最底辺なのである、老人で年金をもらえずそういう人が増えている
その自転車屋にしても病気であり60越えていたから年だった
技術的には若い人が今に適応しているからいいという
でもどこでも年寄りが多くなっているのだ、そしてその人も跡継ぎがいない
娘はいても東京とかにいる、そういう人がまた田舎では多い、もう一人の人もそうだった跡継ぎは中小企業でもいなくなり農業でも漁業でもいなくなり続けられないとなっていた相当な中小企業が日本からなくなりGDPを引き下げるという

そうして同級生でも二人が脳卒中になった、一人は足が悪くなった
その人は一人暮らしである、弟が一週間に一回来ている
一人暮らしの人も増えている、自分自身がそうであり不安になる
団塊の世代は75以上になると病気になり介護する人が増大する、しかし世話する人手がたりない、いい施設があっても人手がないから青森に送られる

地銀がきたが地銀がすすめた投資信託はもうけることはできない、かえってリーマンショックのとき半分に減った株を元にもどして上がる時投資信託に銀行員が回して損した
銀行員はもう地域で用なくなってくる
投資先がないからそうして銀行では絶対損しない投資信託をすすめるのである
これは手数料が確実に入るおいしい商売なのである
また転売するとまた手数料が入ったり売ったり買ったりするとそこで額が大きいと手数料が入るのである、銀行はもうかつての銀行ではない、銀行員は大手もやめている
それは資本主義がゆきづまって終わりに来ている象徴でもあるのかとみる
大手のメガバンクの銀行員が仲間からやめる相談を多くの人から受けているという
銀行はもうその用がなくなりつつある
そうなると銀行自体が害になってくる、なんとかもうけを出そうとしてあこぎなこともしてくるから害になるのである
大企業でもリストラされる時代になっているからもう安心して終身雇用などなくなるのである

ともかくこの状態は現代の日本の状態を象徴して自分にも起きていることなのである
日本は閉塞感が強くなり外国に働きに出る人も増えているという
そして経済的には江戸時代にもどってくるのかもしれない
服のお直し屋さんがはやっているという、新しい服を買うのではなく直して使う
その技術も高いので直しても使えるという
それはリサイクルとか江戸時代にもどることである
そういう経済感覚が時代を変えてゆく、ミニマム生活とかもそうである
大量生産大量消費の時代は終わる

この情報をyoutubeで得たということが自体が情報環境でも変わったことなのである
もうテレビでも新聞でも雑誌でも情報の主流となる時代は終わったのである
youtubeでは個々人の経験を語っているからである
こうして自分自身が自分の状況を語っているのもそうである
そこに今の社会が如実に反映されている

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posted by 老鶯 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題