2021年05月27日

証券会社(銀行)の営業マン・アナリストの話は信じるな (手数料商売になっていることが問題ー転売をすすめるのはそのため)


証券会社(銀行)の営業マン・アナリストの話は信じるな

(手数料商売になっていることが問題ー転売をすすめるのはそのため)

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最初に断言しておきますが、株式投資をする上で、 証券会社の営業マンと付き合う必要はありません。 ネットトレード全盛の今、なぜわざわざ証券会社の支店に電話をかけて、 高い手数料を払って株取引しなければならないのでしょうか? 「証券会社の営業マンはプロなのだから、相談するのは当たり前じゃないか」 というあなたは、証券営業という仕事を全く理解していません。 証券会社の営業マンは「株や投資信託を販売するプロ」であって、 「運用のプロ」ではありません。 彼らの仕事は、株や投資信託などの金融商品を買ってもらい、 手数料を稼ぐことです。 あなたが銘柄選択で悩んでいようが、 株取引で損していようが知ったことではありません。
https://bit.ly/2SA3huL

個人投資家については、特に投資の適合性への配慮が重要である。
したがって、投資推奨等の対象となっている証券、特に複雑な仕組
みの新しい金融商品については、リスクを含め商品特性が十分理解
できるよう情報を提供するという姿勢が必要である。
https://www.saa.or.jp/ethics/pdf/kiritsu.pdf

昨日来た大和証券の営業の人は名刺に証券アナリストとなっていた
何か確かに地銀の営業の人よりは専門的知識がある、でもこの専門用語を使う時煙にまかれるとなる、そこで素人は理解不可能となる
例えば原発などでも専門科学者と話ししたら専門用語がでてきたとき理解不能となる
するとあなたは何もわからないから従えばいいとなる
法律に関しても専門用語がありそれを理解することは不可能になる
そうして現代は専門家に支配された時代という指摘がある
専門家とはいたるところにいる、医者でもそうだし科学技術の職業となるとみんな専門家なのである、だから専門用語を使うのである
それだからこそイリイチが専門家のことをあれだけ批判したのである
人間は専門家によって無能にされている、結果的に専門家に支配されここでは原発事故で大被害になって住むことすらできなくなったのである

証券会社の営業マン・アナリストの話は信じるな

この説明は的を得ている、私の株とか投資信託とかの経験では地銀であれ銀行であれ証券会社は客から手数料をどれだけとるかが目的になっている

その例が何度も言っているけどリーマンショックの時、半分になった株を地銀の営業の人がJ=reitに勝手に回したことである

なぜそうしたのか?

とにかく売らせて別な金融商品を買わせればそこで手数料が入るからである
その手数料が額が大きくなると大きな儲けになる、決して損はしない、客が損しても
自己責任になるからである

証券会社の営業マンは「株や投資信託を販売するプロ」であって、「運用のプロ」ではありません

販売と運用は違うとなる、運用とはどれだけその人にとって有利な商品と運用をすすめることである、そこで手数料がとられるのはやむをえない
でも全く客のことは考慮しない、銀行と証券会社の利益を手数料を第一にしてすすめているからだ
だから何か常に一つの金融商品を売ったり買ったり転売をすすめる
つまりそうしていると必ず手数料が入るからである
リーマンショックの株を8年間くらいそのままにしていた
ところがそのことがかえって良かったのである、それが元にもどり上がりはじめたとき
J-reitに売りそのJーreitが暴落したのである
この時から私は銀行の営業の人が信じられなくなった
でもそのことがかえって次のもうかる株を買えなくさせた
ギャンブルでも必ずもうかるともっともうけたいからまた賭けるとかなる
でも最初から損すると賭けにくくなる
それでわざわざ最初に博打場の胴元はもうけさせるとかある
それが人間の心理だからである、だから株が人間の心理と深く関係しているというのはそのことでもあった

何が株でも投資でも歪めているのか?

そこに仲介者(メデア)を通しているからだ!

もし株でもパソコンとか使いデイトレだ―のように自力でやれる人ならもうけることは可能だしそれはすすめられる、それでも損することはある
それはその人のまさに自己責任なのである

ところがメデアを通すと仲介者(銀行、証券会社など)を通すと歪められるのである
情報にしてもマスコミから放送されるので真実が歪められるのと似ている
それでマスメデアがマスコミが報道する権力をもっているから支配できるともなるのだ
都合のいい情報のみを出して都合の悪い情報は出さないとなるからだ
その情報とは例えば何でも第一次の直接情報ではない、マスコミを通じて加工された編集された情報なのである

視聴者は直接その場面を見ていない

直接取材する本人と話ししていない、聞いていない

このことから歪められものとなる、それはNHKでもそうなのである、NHKの放送をすべて鵜呑みにはできないのである、そういう嘘の情報でも流していたことがあるからだ
だからインタ−ネットでも直接本人が話すことに真実があるともなる
ただここでも問題があるにしろ本人が直接話せるのがネットだからそこに真実があるともなる、ただこれでも直接面と向かって話すわけでないから信用できないことはある
でもそういうツールとしてインタ−ネットが生まれたということが大きい
私の言っていることで嘘はついていない、じかに接してそれを報告している
インタ−ネットの時代は一人一人が放送局にもなる
だからすぐに個々人が報道の対象にもなる、悪いことでも個々人に指摘されたり買い物でもすぐに評価されたりする、それは的を得ていることがある

それで銀行もメデアであり仲介者でありそういうメデアはなくなる

こう指摘する人がいた、銀行がメデアということがわからなかった、でもクラウドファンディングはまさに銀行とかが融資するのではなく直接融資だからそうなのかと見た
つまりもう銀行を通さない投資の世界が成立してきたのである
銀行の出番かなくなり窮地にたたされて銀行もこれからどうしていいのかわからず模索する時代となった
第一いくら貯金しても利子も得られないとしたら銀行とは何なのだろうとなる
何の役割りがあって存在するのかとなる、存在理由がなくなっているともなる

とにかくなぜ株とか投資信託とかを銀行でも証券会社でもすすめるとき危険なのかは
手数料をとることを目的にしているからである
そこでまともな運用を目的とてしいない、その人にあった適切な運用を教えるのではないし買わせることもない、そこが問題なのである、客の運用より販売で手数料をとることが優先されるのである
客が知りたいのはどうしたら適切な運用ができるからである
それは証券会社でも銀行でも教えないのである

ただそうはいってもそのすすめられたものがすべて悪いとかはずれるというのではない
そもそもの目的が手数料をとるということになっているからである
手数料をとるためには転売するのである、自分の成績をあげるのにもどうしても売り買わせる必要があったからでとなる
別にリーマンショックで上昇していたなら株を売る必要もなかったのである、チャートをみる力があるのだから銀行の営業の人は知っていたからである
そこが一番の問題点だったのである

だからといって今回のように株がこんなに上がるということもあり株とか投資をするなとは言えない、そのための条件を満たす人はしてもいいともなるし
銀行でも証券会社でもすすめられたものが全部損するということはないのである
ただそれをできる人はメデアに銀行と証券会社に頼らずに株のトレイドが売り買いができる人だとなる
結局それをするとなるとパソコンの画面を一日見ていることになる、するとその他のことは何もできなくなるから時間がもったいなとなる
時間の活用こそ最も人生で大事なことだからである
一生デイトレダーで大金持ちになったとしてもそれで人生が実りあるものとはならないからだ

いろいろ職業のことを考えるとどうしても今や銀行とか証券会社はいいものに見えないのである
それで建設会社とか住宅関係の人はまともだというときそうとも思った
その人は大工として庭師として優れている、デザイン力もあり力仕事もできるから何か自分には驚きである、その人に問題があるのだがそれで金をとられても無駄だとはならないしその人を評価できる
その人はアーティストだとも見た、仕事が芸術作品を作るのと共通していたからである
銀行とか証券会社の人はあまり評価できない、ただそういう仕事は資本主義社会は必要なのだから全部否定はできないのである
投資するとかは資本主義社会の基本にあるし株式会社ではみんなそうして投資して回しているからである

だから二回投資信託を株をすすめてきたときその時買っていれば大儲けしたのだから
銀行でも証券会社でも別に全部が悪いとならないし責めることはできない
ただ最初の失敗がありそれが自分の場合は脳にすりこまれて買うことができなくなったのである、ただ地銀でも証券会社でも途中でまた転売をすすめたかもしれない
何か一つの金融商品でも長く置かないのである、転売をすすめて手数料をとる
だから8年も株を放っておくことはありえなかったのである
そうしたらそこから手数料がとれないからである、でもわかったことはそうして長期的にみればいくら半分に下がったとしても株は必ず上がるものだということを知ったのである

でも銀行と証券会社はそういうことはさせない、必ず転売をすすめる
買わせては売らせて手数料をとるということは一番の問題だったかもしれない
でも株はそうして常に変動するものだからそう言われればまかせるほかない
そして自力でデイトレダーのようにできないのだからどうにもならない
すると老人は向かないし9割が貯金したままだとなるのである
それでも今は貯金自体が大きなリスクになっている、そのことでまた悩むのである
それも日本経済が衰退するばかりだからとなる、そうなるともう個々人の力ではどうにもならないともなる
原発避難区域では5000万の家を置いて600万の中古の家を買って小高から原町に移ったという人がいる、それだけの資産でもゼロになってしまったのである
これももし日本全国にあてはまると日本自体の価値が低下すると個々人の資産も低下してゆくということになるのとにている
そうなると日本自体の経済力を上げない限りどうにもならない問題だともなる



posted by 老鶯 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年05月24日

大貧困国家日本でも貧困が見えない (戦後10年とかの貧困との比較)


大貧困国家日本でも貧困が見えない

(戦後10年とかの貧困との比較)

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大貧困国家日本ー食費1日400円の日本人が1200万人!ーyoutube

https://bit.ly/3hQp3oO


なぜこれほど日本が貧困化しているのか、これが本当は現代日本の最大の問題になっている、ただ貧乏が目に見えるものとしてわからなくなっている
本当は貧乏なのだけど学校でも家庭が貧乏なのを隠しているとか言う
そうするといじめられるからだともいう、現代では貧困が目立つものとして現れていないとなる
でも高校生で学費がたりなくてアルバイトしている人が多いとか学校も続けられないとか紹介している

大学に入るのにも奨学金をもらう人が多いとかいうのもそうである
入学費用が80万とか払えないとかある
それは今の基準だとそうなる、半分は大学に入る時代だからそうなった
団塊の世代などでは大学に入ったのは二割くらいかもしれない、実際は地方だと一割とかなる

クラスが50人いたとして大学に入ったのは一割だった
その一割に自分は入っていた、高校すらみんなが入れたわけではない
中卒で集団就職した人がクラスで二割くらいいたのかもしれない、それは相当に貧乏な時代だった、それと比べるといくら貧困でも今の貧困はぜいたくな貧困なのかともみえる
ただ時代があり時代の標準があり貧困だとなる
電気も水道もない炭の暮らしとは比べようがないとなる

だから何か貧困が見えにくいの現代である、例えば田舎で家をみていると何台かの車を持っている、一人一台とかもっている、それを見ていたらどこで貧困なのかともなる
ただ田舎だとどうしても車がないと暮らせないことがあるし仕事で使うから車を持つのはぜいたくではない、それで私は自転車だからどうしても自転車の人と出会いやすい
そういう人は貧困である、現代社会で車を持たないということは特殊であり貧困として見られる
私の場合は別に車をもてるけど持たないだけである
ただ確かに車を持たない人は貧乏として見られる、それが可視化された貧乏だとなる
でも他では可視化された貧乏は見えにくいのが現代である

でもコンビニとかスーパーのレジをしている人は高校生がいるみたいだ
高校生でも働かざるを得ないとかなっていることは家庭が貧困だからかもしれない
ただ自分の時代はそもそもそうしてアルバイトなどはしていないしアルバイトを受け入れる場所もなかったからまた時代が違うのでは比較できないのである
貧困というとき戦後十年くらいは農家の方が豊かだった、なにしろ食料を自家生産していたから豊かだった、それで農家の人は卵を食べていたけど町内では卵は食べていないのである、卵は贅沢なものだった、ケージで卵を大量生産しいないし放し飼いであった
それで自分の家で店を開いた時、私は農家に自転車で卵買いにやらせられていた
自転車にしてもいい自転車ではない、自転車でも一台あっても新しい自転車を買うことはなかった、修理して使い続けていたのである

その卵買いで不思議なのはあの真野川の橋が木の橋であり舗装もされてもない、だから揺れたりして怖い橋だった、そしてその卵買いに行った場所が小池でありそこにいたのは
戦争からの引揚者であった、そこに記念碑がある、そこは街内から近いのである
そんなところに引揚者が開墾していたというのも今になると理解しにくい
どこにでもそうしうて引揚者が開墾に入った場所がある、飯館でも山奥の辺鄙な場所がそうである、それは全国でもどこにでもある、どちらかというと小池のような場所ではない山の奥の辺鄙な場所になりやすいからである
つまり今高校生がアルバイトしているというとき貧困化すると子供でも働くとなる
農家の手伝いをさせられとか普通にあった
子供は学校で教育させるものより労働力として見ていたのである
私の母親は尋常小学校卒であり読み書きはでききたが原町紡績で十年間糸取りをして働いていた、つまりそもそも高校とか高度な教育を受ける人はまれだったのである
まず相馬女学校に入れたのは極わずかの金持ちでありそに入れた人は地域の有力者であり資産家だけだったのである

だから貧困というとき何が貧困なのか時代によって違うからわからない
絶対的貧困はもうアフリカとかの最低限の貧困である、水すら満足に飲めないような状態である
だから貧困というのが現代ではわかりにくいのである
ただ水道の水が飲めないという時、今電気ガス水道が必ず毎月止められる人がいる
そういう人が貧困だ言うことで目に見えて来ることは確かである
そこが貧困の一番深刻なものとして現れているのだ
本当に電気ガス水道が止められると死ぬこともありうるし現実にそうして死んでいた人もいたからだ、もちろんそういう貧乏になるとち医者にもかかれず死ぬ人が多くなる
ネパールでは医者もいないから死ぬとなる、それで医者になりたいという子供がいることがわかる

つまり現代の貧困が見えないからほかりにくくそれで切実なものとして感じないのであるまず見ただけでは外見からはわからない、ボロを着ているわけでもないし何が困っているのかわからないのである
田舎でもわからない、みんな車をもっているからそうなるとどこが貧困なのかとなる
例えばベトナムとかネパールから来る外国人労働者はみんな車をもっているのだから
田舎でも貧乏だとは見えないだろう
それと自分自身不思議に思うのはとにかく若くても働かないニートとかが本当に多いのである、これは全国的にも60万とかなんか数が多いのである
でも貧乏だったら働かざるをえない、そうして働かないで暮らしていける人がこんなに数が多いということは貧乏な社会ではありえないのである
だから団塊の世代ではそんな人はほとんどいないしみんな会社員となり猛烈な企業戦士として働いていたのである、また中卒でも集団就職で働かざるをえなかったのである

ただ本当に年収が200万以下は本当に厳しい、もう食べるのがぎりぎりだとなる
それでこのyoutubeの人は400円しか食費に使えなかったとか言う、第一食費が2万5000円というのはもう果物も食べられないレベルである、バナナくらいしか食べられない、私は果物は高くて食べれないという貧乏な人が言うからわかる
ここにも相当な貧乏を具体的に感じる
いづれにしろ現代の貧困が実感できないのは具体的に貧困が見えなくなっているからである
そして最低限電気ガス水道代がかかり携帯も必需品だからである
この出費が大きいしアパートを借りたりしたらそれも負担になる
それで今東京とかで大家族で生活する人が増えてきたというのもわかる
なぜならその人は貧困なのに家族がみんな別々に暮らしている、
そのために別々に電気ガス水道代がかかっている、その出費が大きいのである
もし三人一緒に暮らせば電気ガス水道代は三人分一緒になるから節約できるからである

でもしたくないとしてしない、実際はそうしないと毎月催促されて生活できなくなっている、でもしないのである
それが贅沢だともみる、ニートが数が多いとかこうしてぎりぎりに追い詰められているのに一緒に暮らさないとかある
これだけ貧乏人が多くなれば貧乏でも暮らしていけるようにするほかないのである
でも現実にはそういう貧乏が見えない、だからみんな深刻に見ないともなる
ただこれからますますこういう状態がつづくと耐えきれなくなり暴動でも起きるとか犯罪が増えてくるとかなる、そういう被害に自分自身もあったから貧困は怖いのである
まず老人も本当に貧乏な人が増えている、そもそも年金がもらえない、国民年金が6−7万では食うことさえでないからだ
そしてつくづく感じることは老後に大事なのは年金だと思った、悠々自適な老後を送れる人は二割くらいになっているだろう
これは定期的に入ってきて死ぬまでもらえるからである、それで自分自身は70からもらって高かったので年金のありがたみを感じたのである、それでも貯金がなかったらもう食べるのが精いっぱいであり何もできなくなっていたのである
posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年05月17日

日本への警告(無国籍人間ージムロジャースの批判)


日本への警告(無国籍人間ージムロジャースの批判)

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投資でもうけた人に人は興味がある、その理由は自分も投資でもうけて大金持ちになりたいからである
だからこうして投資でももうけた人が話題になる
この人はまさにグロ−バル経済の申し子のような人なのである
世界を渡り歩き金儲けのために投資する

この人には国はない!

国ってなんですか?、国と彼にとって金儲けの場所という感覚しかないのである
アメリカはだめだ、日本駄目だ、では次はどこに行く、金に成る場所は国はどこだとなるこの人にはそもそも国はない、国はなく金儲けできる場所が国なのである
だからシンガポールとか香港とかが金融センターと最適だとなる
今住んでいるのはシンガポールである

でも香港とかシンガポールとかは国ではない、金融センターに特化したものであり国ではない、この人は故国とか故郷とか国という感覚はない、ただ世界を渡り歩く人であり
投資先を求めて国を転々ともする、投資先として有望となればすぐに国を移る
有望でないとすればその国を捨てる、それはもしかしたら国土を失ったユダヤ人ともにているのかもしれない、まず国土とか故郷とかがないからである

ただ国とは何かとなるとやはり国土を持つということである
土がある場所だともなる、または日本だったら山があり森がありとかなる
国と意識されるのは国土があるからでありもし国土がなかったら国はない
そしてこの人に欠けているのは国がないのである
もちろん国がなければ故郷もない、あるのは投資先としての国なのである
この人こそグロ−バル経済の申し子ともなる
そうして巨額の金を投資でもうけているからである

こういう人には文化人ではない、この人には文化はない、生粋の経済人である
だから何かこの人には国も故郷もないのだから肝心の国を語ることもできない
アメリカ人でもない、それで安易に中国が経済的に伸びるから投資先となり
中国語を習へとか英語ができないようではもう世界で通用しないとか国々の文化を否定するのである
それは何かアメリカらしいとはなる、アメリカはそうして国々の歴史とか伝統とかを否定して金だけを価値の基準としてたからである
そしてグロ−バル経済とは多国籍企業が支配するシステムなのである

人間が生きるとはこうして国々を投資先を求めて国ももたず金だけを目的にして生きる
そんな人か人間として評価できるのだろうか?
だからこの人は成金であり成金趣味しかない、無国籍人であり国をもたないから要するにその人間としての中味もない、空っぽなのである
文化は長い時間をかけてその風土に国土の中でつちかわれてきたものである
そういうものがそもそもアメリカにはない、アメリカとかにあるのは広大な空間を移動することである、それを拡大するとグロ−バルに国境はなく投資先を求めて移動することになる
それで次は中国だとなりアメリカを捨てる、そして中国語を覚えるのは投資して金をもうけるためだとなる
日本語などはもうなくなるというのもそもそも国の文化など関係ないからである

つまりグロ−バル化とは空間の拡大であり空間人間になる、文化とは長い間にその国土風土のなかに培われたものである、言葉でもそうである
言葉と風土は一体化していることがあるからだ、それが英語に全部しろというとき文化そのものが失われるのである、その時人間は無国籍人間のようになる
その時宗教すらなくなる、なぜなら仏教でもキリスト教でもその国の独特の歴史風土から長い時間をかけて土着したものだからである
それで内村鑑三のキリスト教が武士道を基にしたというとき日本的キリスト教として受け入れたとなるからだ、そうしてその国の歴史と風土に一致して文化となるのである

いづれにしろこの人が崇められるはただ金をもうける投資してもうけるからだけである
それはアメリカ的だとなる、アメリカでもビルゲイツとかジョブスとかコンピュターを発明した人は違っている、それは本当に価値をあるものを産みだして人類に貢献したからである
巨万の金を得てもそれで人類に貢献するものを産みださなければ人類的には評価できないのである
でももしその巨万をの金を使って人類に貢献するものを産みだしたら評価できるとなる

ただ投資的にこの人の言っていることは正しい、ただそれは投資という経済に特化したものであり人類に世界に貢献するとかなると全く評価できないのである
そのことを自分自身でもわかっている、だから金融でもうけることはできなくなるとか農業が次の有望な産業だとしている
それは何か銀行員が農業して投資先にしたというのもわかる
投資的に見れば先見の明があるとなる、ただこの人は無国籍人間でありただ金だけを求めて世界を渡り歩く、だから文化をもたないし文化的には価値がゼロだとなる
日本人でも他の国でも文化がある、歴史がある、アメリカは若い国だからそうした長い歴史がないから文化でも底が浅いのである

ただアメリカが経済的に衰退して中国が覇権国になることは間違えない、だから投資の面からすると何かアメリカ一辺倒になっていることはおかしい見るのである
ただ人間をすべて金で価値を計ることはできない、でも資本主義だとそれが極端になる
てもそういう資本主義も終わりつつある
だからこの人自身が金融でももうけることは終わりだとか言っている、金融で巨万の富を築いても評価はされない、何かギャンブルで大勝ちしたとかなりそのために負けた人たちから命をねらわれるとまでなる
強欲金融資本主義はもう終わりつつある、とにかく無国籍人間とかはそもそも骨なし人間になる、バックボーンがボーン(骨)がないからである
そういう人間は国がないのだから文化を語ることもなにもできないのである

ただ人間の評価となるとむずかしい、この人の本をみんな読んでいるわけでもない
だから必ず人間を評価するとき偏った見方となる、でも基本的にこの人がグロ−バリストであり典型的な経済人としてあることは間違いないだろう
posted by 老鶯 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年05月13日

庭作りでコンクリートを壊すのに苦労 (人間は経験からしか学べない)

庭作りでコンクリートを壊すのに苦労

(人間は経験からしか学べない―石工のまねをする)

庭師、大工、壁塗り、デザインなど何かこのようにいろいろできる人がコンクリートを壊して木を植えるというのでそのコンクリートを壊すことで苦労した
自分も手伝った、コンクリートが結構厚かった、それで前は成功したのでもう一つ木を植えることにしたがそれが難儀だった
自分はそういうことに気付きもしなかったしできると見ていなかったのである
ただ何かそういう提案がありでるのかとなりまかせた
ただ正直金がかかるのでしたくないということはあった
ただ成り行き上でそうなったのである

それは玄関にもなっているから二つの木があると森の中に入るようにもなるからいいとなる、前植えた紅葉の木は成功したからである
それでコンクリートが大地を圧迫するとか言うので気になった
そしたらコンクリートの道路を作る造園会社のページがでてきた

呼吸するコンクリート駐車場をつくる。 
http://www.zoukinoniwa.biz/blog/2018/08/30811.html

コンクリートの下でも土を活かしている

通気口を作るとか何かそういう工夫をしている、だからコンクリ―トの下でも土が活きている
不思議なのはななぜコンクリートの一部の土から紅葉の木が伸びてまたノウゼンカズラの木が伸びて花が咲く、それは地中深く根が張ったためだと見ている
いかに根を張らせるかが問題になる
ただ石がでてきたり何か中は木を植えるにはいい感じではない
でもこのサイトだと土を活かす方法が書いてある
何か私は理系ではないから理解しにくいがなんとなく理解できる
コンクリートでも土を活かすために通気口とかいろいろしている
コンクリートの下だと土が圧迫されて死んでいるのかと見るがそうではない

土の中には、空気がたくさんふくまれている。土は空気から酸素(さんそ)を吸(す)って、二酸化炭素(にさんかたんそ)を出しているんだ。つまり、呼吸(こきゅう)しているってわけだね。

でも本当は、土自体が呼吸しているのではないよ。土の中の細菌(さいきん)や小さなカビなどの微生物(びせいぶつ)が、呼吸しているんだ。植物も土の中の微生物なども、土の中に新鮮(しんせん)な空気があるから元気に生きていける。作物を植える時、土をたがやすよね。これは、土の中に新鮮な空気をたくさん送りこむためにやっていることだよ。

土も呼吸(こきゅう)をしているの?
https://www.panasonic.com/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/011plant/plan008.html

コンクリートにおおわれると呼吸しにくい、だから通気口が必要になる
何か庭作りと農業は共通したものがある、植物を育てるから共通している
どうしても土を知ることが大事になる、土を知らなくては農業はてきないとなるからだ
だから農業は本当にむずかしい、素人だと必ず教える人がいないとできないのである

今は田舎にいても農業がわからないのだ、農業している人は一割にもみたないからであるただ私は理系ではないからこうして化学とかなると苦手でありわからないのである
化学記号などは学校の時一番苦手でありわからなかったからだ
でも何かわからないなりに現実の農業とかから学ぶものがあったが何も知ることなく終わったとなる
こうしてとにかく学ぶべきことが山ほどあるのに学ばないで終わっているのが人間なのである、それを老人になって死ぬ間際に痛切に知るということにもなる

ともかく何か今は若い人でぶらぶらして職につかない人が多い、ニートとか本当に田舎でも多いのである、だから時間を無駄にしている、それがとりかえしつかないものになる
なぜそうしたことで切迫感をもたないのか?
何か時間が永遠につづくように錯覚しているからだ、それは自分でも若い時はそうだったこんなに時間が早くすぎてもう死ぬのかということがショックなのである

今回は作られた庭の修理とかであった、塀とかの修理であった
でも新しく玄関の方にもう一本木を植えることが提案されて実行したがこれが思った以上大変な作業だったのである
コンクリートを壊すのが大きな仕事になった、それを手伝った
そして楔を入れるようにして部分化して割る
実は昔子供の頃近くに石屋いてそうしていつも楔(くさび)で石をたたき削り割っていたのである、ただその時は機械がないから手でしていたのである
自分でも楔(くさび)打ちコンクリートを割って捨てたのである
石屋とか石工のまねをしたとなる、それでも経験したことで必ず理解するものがあるのだ

何にしろ学問でも身につかないのは現実問題から出発しないからである
学問とはどうしても高校までは試験のためにあるとなり嫌になっていた
ただ私の場合、奇妙なことは大学出て無職だったが学問に興味をもったのである
それは旅すれば地理に興味をもつから自ずとそうなったのである
つまり人間は現実問題に直面してその解決のために学問が生まれたからである

一体どうしてこの辺の原発事故から復興できるのか?

これが最大の課題でありこれも学問と関係している、特に放射性物質に汚染された土どうなっているのかとか除染が可能なのかどうかということが生々しい現実の問題としてあるそれは理系であり文系となるとまた別な問題の解決があるともなる
原発事故の問題をモラルの退廃からその原因を追究するとなるとそうなる
それは自分自身が書いてきたことである
でも理系の専門家が最も重要なものとして事故前でも後でもそうなった
ただその理系の学者でも放射線がわかったわけではない、だから被爆の森というNHKの放送でもそれほど事故から十年すぎても影響がなかったとも報告していた
つまり実際にどういうふうに放射線が人間に影響するのかわからないのである
それはコロナウィルスと似ている、これも未知でありわからないから不安になる人はなる専門の科学者が学者がいてもその人たちもわからないのである
だから憶測で言っているからなんだ素人と変わりないのかとも見るのである

人間はなんでもいいから経験すると頭に関係なく悟る、知る
経験しない限り現実問題ではない架空の問題のようになってしまうのである
だからつまらないことでも経験することが大事である
本ばかりテレビばかり見ていてもわからないのである
神を知れとか言っても聖書を千回読んでもわからない
ただ過酷な経験から知るのであり聖書を一回も読んでいなくても神を知ることは可能なのである、自分自身がそうだったからである

posted by 老鶯 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年04月21日

エコノミーの原点は家政 (人間は家を中心にして世界をみる)


エコノミーの原点は家政

(人間は家を中心にして世界をみる)

オイコノミアは「オイコス」(Oikos)と「ノモイ」(Nemu)という2つの言葉が一つになった言葉です。オイコスは家庭、ノモイは法律やルール、規則といった意味があります。そこから、オイコノミアは家の管理や家政を指すようになりました。後年にはエコノミーに、国家を意味する「ポリティカル」(Political)という言葉を加えたポリティカルエコノミーという言葉が登場します。

経済の語源がエコノミーが家政だった、いかに家をきりもりするかが経済の原点だった
人間の生活はいろいろあるが基本的に家とか家族とかから波及したものとしてある
人間の原点は家にあり家族にありだからエコノミーでも家政だとなる

とにかく家を切り盛りすることが一仕事でありそれを上手にこなすことは相当なスキルも必要になる
自分のそれを具体的に感じたのは家族を介護するようになってからである
全部家のことをやることを強いられたからである
これまで家族が三人だったが二人は女性で自分の世話をしてくれたし家事もしないし家のこともしていない、だから楽だったのである
それが全部一手に一人でやるようになり家事にはいろいろあるし労力もかかると思った
それは介護を終わってもそうなのである

家があり庭がある、それが家庭だとなるが庭でも花を見たりして水をやるだけでも手間になる、花というのは庭に植えたりすると水をやったり肥料をやったりそのままに放っておけないのである、ただ牡丹だけは放っておいても何十年も同じ場所に咲いているのは不思議である
こうなっていると楽である、一旦今までの花は枯れて切った
でも同じ場所に種が落ちてまた咲いたのである、こんなに継続して咲く理由がわからない他の花は咲かなくなっているのが多いからである
ただ地中に深く根をはったものはやはり咲いている、それは木の花なのである

家を維持するには常に家でも庭でも目配りしている必要がある
あそこに一つの花が咲きまた他にも花が咲いている、それに肥料などやらなくても目配りしている、そこに花が咲いてることを確認することが必要である
だからそうして何もしないで花を見ているだけでも時間をとられるのである
家全体でも特に地震で傷んだ場所がありそれもまだ直していない、十年前の震災のまま壊れたままなのである、その修理を頼んだ今はそういう大工さんはいないから困る
金にならないからやめたとも言っているからである
それで今度は自分自身で日曜大工のようにやれることをしなければならない、これも手間なのである、ただこれは電器製品のように全く何もできないとはならない
それなりに自分自身でもできるものなのである

いづれにしろ家を一人で切り盛りすることは手間だと思った
家が大きいこともある、すると掃除も大変になり汚れたままになっている
そして家はこうしてなにかかにかすることがあり目配りしていなければならない
だからなんか家に使われている感じにもなる
アパートのようだと狭いから一時的な仮住まいのようになるが大きな家は住んでいい面もあるが負担にもなる
ただ人間と家は一体化する、家を活かすのは人間であり人間が住まない家は荒廃してゆくそして空家は幽霊屋敷のようになる、そういう家が増えている、全国で800万軒も空家となる時代である

家は常に目配りして活きてくる、そして人間が目配りできるのは家と庭くらいでその外になるとなかなか目配りできない、内と外があり家が内であり外になると目配りもできない何か人間というのは本質的にそういう生き物なのかもしれない
自分の家だったら目配りして気を使うが家の外になると無関心になってしまう
人間の関心がもてる範囲は狭い、隣すら目配りしない、関心をもつのは狭い家の中だけだとなる、人間はそういう利己的な存在だからエコノミーが実は家政だったとなる

それでグロ−バル化した広域化した経済というのは人間から離れたものとなる
家の外すら目配りできないのに世界となればもう自分自身の関心事とはならない
ただ何か外国と問題が起きたとき関心をもつ、また物でも何か物が入らなくなったら関心をもつ、バナナが入らなくなって困ったとかなる
それ意外は日常的には関心をもてないのである
それは全く自分の手の及ばない世界だとなってしまう、だからグロ−バル経済というのは家の範囲くらいしかじかに目配りできないのだからもうどうなっているのか理解できないのである、株でも何でももう理解できない、だから株でもギャンブルになる
それは機関投資家でもそうなのである、ただ当たりはずれがありそれはギャンブルになっているのだ
もしエコノミーが家政からはじまったときそんなことありえないからである

目配りできる範囲が家と庭くらいである、そこで自分自身が直接目配りできる範囲であり直接愛情をそそぐことができる世界である
それだけ人間の目配りできる直接関与できる範囲が狭いとなる
その他は何か抽象的なものになる、out of sightになってしまうのである
家にしても自分が住んでいる家だからこそ愛着があり所有する意味がある
でも他人の家となると何か無関係になる
そういうふうに人間は本来利己的であり目配りできる愛情をそそぐにしても狭い範囲でしかできないのである
だからグロ−バル経済とはエコノミーからすると全く想像も絶する経済規模でありもうそこには人間の心を通わせることは不可能なのである
そもそも自分の家と庭くらいしか目配りして愛情をそそぐ範囲だからである
その他は抽象的なになってしまうのである
だからこそ人間は家族単位が基本にある、そこで愛情でも培われる
広い範囲だとまた多人数だと愛情をはぐくむことができないからである

経済とはエコノミーのはじまりは家であり家計だったのである
家族単位のものでありそこが経済の原点だったのである
本当に家をやりくりすることは金銭的にもあるし家を維持するためにすることがいろいろあるからそうなる
それで自分自身が家族の介護からそのあとでも家政に追われているのである  

夫である里長は行政上の役割を負って郡衙に出向くことが多く、それに対して妻である里刀自は家を支配する主婦の尊称であったと同様に、里を統率する里長の妻は里刀自と尊称された」とみる
女性が農業労働力として大きな比重を占めたこと、農業経営・管理に従事していたことを認めながらも、 

家は人間関係としての家族、 「ヤケ」は経営拠点を意味する日本語である。 「イヘ」という語で表された古代の家族
吉田孝氏が解明したように、古代日本語の「イヘ」と「ヤケ」の双方を表記する文字として採用された。 

「刀自」からみた日本古代社会のジェンダー
――村と宮廷における婚姻・経営・政治的地位――
義江明子

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家刀自と里刀自かあり刀自とはとりしまるとか戸主とかからきている、とじるというときとりしきるが語源かもしれない、この刀自は単なる一家の妻ではなく共同経営者でもあり自立的女性の経営者とも考察している
そもそも日本の天皇の基が天照大神であり女性なのである
日本では女性が大きな力をもっていた、それは経済的にも夫に従属する社会と違っていたからである
だから刀自というのは何か家から発したとしても里刀自とかなり里をとりしきる役目となる、村の中で人を統率する大きな力をもった女性だったとなる

真木柱(まけはしら)頌めて造れる殿のごといませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず(坂田部首麻呂)

家と母か一体化した歌である、家というのはそれだけ人間と一体化するのである
だから前にも書いたが死者は家にいるともなる
母刀自こそが真木柱のように家を支えていたとなる
人間と家は一体化してアイディンティティ化してそうなる、嫁が女+家なのである
それで嫁とならない女性に何か存在感がないのである
アパートとかに住んでいると何か存在感がないのである

ともかく人間の目配りできるは狭い範囲である、その基本となるのが家なのである、その延長として公ュオやけょとなったり拡大してゆく、だから家刀自と里刀自となる、里と言ってもそれは家の延長した拡大したものてある
公(おおやけ)とは大きな家のことからである、一つの家が拡大したものが公となったことでもわかる
その範囲は目配りできる範囲なのである、それがグロ−バル経済とかなる目配りどころではない
それは全く視界の外になり抽象的なものとなりそこではもう人間の心は通じない世界になっているのである
物と心が完全に分離した世界である、ものというときモノが憑くとかにり心と一体化したもが物だったがそれが全く心と分離した物となることが問題のである、そこで異常化した経済となる、世界市場とかなるともう誰もそれを知ることはできない
そこで突然の経済破綻が起きたりする、もう統制できない、目配りもできないあまりにも広い範囲になったからである


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2021年04月02日

一人暮らしから考える、感謝なき社会 (自分が自分をサービスするしかないあとはロボットにさせる)


一人暮らしから考える、感謝なき社会

(自分が自分をサービスするしかないあとはロボットにさせる)


一人暮らしというのは何か、それも不思議だとなる、というのは私は何度も書いているように家族がしてくれた、食事の用意もしてくれた、でもそのことで感謝とかもしなかった何か当然のように思っていたのである
それが家族がみんな死んで一人暮らしになり全部家事からなにから自分一人ですることになり気持が変わった
確かに学生時代とか一人暮らししていたことがあった
でも食事つきなのでやはり提供されるだけだから一人暮らしとも違っていた

一人暮らしだと助けるのは自分自身しかないしサービスするのも自分自身がしないかぎり誰もしてくれない、つまり自助しかないのである
何かいたわる人もいないから病気なになったりしたら悲惨なのである
それで不思議だったのは食事を用意する、台所と居間が離れているのでトレーで運ぶ
これは何かレストランとか食堂でされことである
今は運ぶのが客がしているから多少違っていてもやはり他人にしてもらっている
他人にサービスしてもらっている

ではそうして食事の用意でも全部している、家事でも全部していることは何なのか?
それは自助でありそもそもサービスしてくれるのはもう自分しかないのである
何かうまい料理かが食べたいなといいうときそれもない、外で買うほかない
食堂やレストランに行くほかない、でもそれも飽きるのである
だからどうしても自分で料理をしないかぎりうまいものが食べられないのである
結局それがほとんどできないからできあいのものですましているだけである
もし料理にこったら時間がかかりすぎるからである

とにかく自分を愛するように他人を愛しなさいとキリストが言う時、そもそも人間はまず自分自身を愛すのであり他人は常に二の次である
他人のことを第一にして愛している人などいないしできないのである
そして一人暮らしとなると独り身となると家族がいないのだから愛する人は自分自身しかいなくなるのだ
だから毎日食事するでもなんでも家事でも自分を良くする愛することから始まっている
実際に自分自身が自分のために何かしなければもう食べることもできないからである

今日も食事の用意をしました、食卓まで運びました、どうぞ食べてください

それは自分自身がしなければ食事すらできないからそうなっている
でもなんかそうして食事の用意をしてありがとうという相手はいない、自分自身がサービスして自分自身が良かったとなる
でも自分自身に感謝するもの変なのである
ただ自分自身が自分にサービスしないかぎり食事も何もできないということである

では他人のサービスはどうなるのか?他人はただ金のためにサービスしているのである
まずその人のためにサービスするということはありえないのである
不特定多数の人にサービスして金をもらうことでそうしている
ただ常連客とかなると助かるので特別サービスするということはある
サービス=金なのである、でもいくら金をもらってもサービスする心はもていないのである、金もらえるから仕方がないなと嫌でもしているのである
嫌でも笑っているとかなる、心からサービスすることなどないのである
水商売の口先のサービスなど誰も信じないのである

ところが一人暮らしになるとサービスするのは自分自身だけであり自分自身を愛さないものはいない、だから心から自分にサービスするサービスしたいとなる
ただ料理などがめんどうであり手間でありできないともなる
そういいう心があっても今度はできないともなる
人間は自分を愛するように他人も愛しなさいというとき自分を愛することが先であり自分ならこうしてもらいたいということをする
でも他人はしない、ただ金によって強制されてしているだけである
それがわかるのは倍とか三倍の金を払う金持ちにはサービスをする
でも貧乏人にはサービスはしない、金によってすべて差別される
サービスが買いたいとしても金がなければ買えないのである
ただそうして金持ちにサービスするのもは心から自分を愛するようにするのではなく金のためにしているとなる

だから召使とか手伝さんとかいてもその人は粗末な風呂に入っている、一方で雇われてる家てユニットバスで大きな風呂に入っている、その時その風呂でも掃除する気になれのか?
もし自分もその風呂に入れるならきれい掃除しようかなる
でもそでないとした金で働きサービスするだけである、つまり掃除する動機がもてないである
ただそれは金の多寡で図られだけである

人間は実際他人のためには何もしたくないのである、箱一つも持ち上げたくない、それが経営している人を見てわかった、その人は借金しているからこともあったが自分が苦しくても何一つしたくなかった、ただ金をが欲しかっただけなのである
その人が経営者になったのも金が欲しいとか人に偉い能力ある人として認められたいしかなかったのである、会社を始めた動機がそうだったからである

要するに他人のためには何もしたくない、ただ金をくれ!

結局人間はみんな自分も含めてこれではないか、他人のために何もしたくないけど金がもらえるからいやいやながらしているとなる
そこでこうしてそもそも金が介在すること自体が人間を歪めるものとなっているのだ
人を雇ってみればわかる、ただ不満しかないだろう、なぜならその人は他人のために何もしたくないからである
すると雇い主が強制しないと本当に何もしない、雇われても働かなくても何もしない
ただ賃金だけは要求するとなる、これが人間なのである
他人のためには物一つも持ちあげることもしたくない、ただ金は欲しいとなるだけであるだからこの世は地獄だともなる、そこに愛など通わないのである

家族が出す食事は例え貧弱でもそこには愛がこもっているから違っている
ただそれでもそうした貧乏は嫌だとなることも確かである
愛では腹のたしにならないともなる、ただ人間は自助が先にあり共助とか公助は義務のようなものであり本来はない
家の中が汚れても命令しないかぎりしないのが雇われた人である
そこは自分の家ではないからである、自分の家だったら汚れた所に住んでいるのが嫌だからする、それは金とは関係ない、金もらったからするのではない
でも何か自分の家だったらそうだが一歩家から外に出るとそういう感覚がなくなる

要するに今働いている人は社畜だとか言ったり奴隷なんだよというときまさにただ金の力でサービスされているだけなのである、本来は他人のために箱一つでももちあげる気持がない、金をもらいたいということはあっても他人のために尽くすという気持ちはない
それが人間の社会を歪めているのである、つまり愛なき世界にしている
だから殺伐として弱肉強食の世界になる、他者を思いやるとかサービスするとかを心からしている人はいないからである
だから一見豊かな生活をしていても人間社会は不幸だとなる
人間は本質的に他人をおもいやることができない、エゴだからである
他人は自分のために利用するものであり金で使うものでありそれ意外の何ものでもないとなるからだ

だからキリストの使うより仕えないさいと弟子の足を洗うようなことは絶対にしない
その逆が人間の真実である、足を強制的に金の力であれ洗わされる
そして金をはらって感謝もしないのである、常に感謝しろというとき金を払っている方なのである、強い者が弱い者をそう強制させられる社会だから不幸だとなる
俺はお前に金を払って足を洗わせた、だから俺に感謝しろとなる
そういう社会であり人々の中に不満が鬱積している、そこに金持ちがいたとしてもその人たちへの怨嗟も大きいのである、そういう社会たからいつまでも平和はないのである
だから平和というとき戦争がないことではない、普通の日常の中に平和がないのである

結局なぜロボットなどがこれほど発達してくるのか?労働が機械に自動化されるのか?

それは誰も他人には心からサービスしない、気持がもてない、そうならばロボットに掃除でも料理でも何でもしてもらった方がいいとなる
雇う方でもロボットの方がいい、現実に雇っても自主的に何かサービスするということはない、ただ命令されてしかたなくしているからである
それならロボットの方がいい、不満も言わないからである
そして人間は働く場所がなくなる、でも金が必要だからベーシックインカムで生活するのがいいとかなる
それは誰も自主的に働きたくない、他人にサービスしたくないからそうなったのかと思うサービスしてもらいたいがサービスをしたくないからである

でも人間はお手伝いさんとか直接的に雇うというサービスでないにしろ複雑に他人からサービスを労働として与えられている
それは金を通してとか複雑でわからないが他人のサービスなしでは生きられないのである何か食べるもの一つでも苦労して作っているからである
ただそれでも金を払えばいいとしてその作った人に感謝などしないのである
心に感謝があっても金を媒介するときその気持ちは消失する、金払えばいいとだけなるからだ、何かそこで金というのが貨幣が発明されたときから社会を歪めるものとしてあったすべては金だということでギリシャでも嘆いていた、それもキリストが生まれる七〇〇年前とかにそうなっていたのである

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2021年03月24日

農業から考える資本主義 (現代で重要になったのは何でもノウハウである)


農業から考える資本主義

(現代で重要になったのは何でもノウハウである)

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資本主義とは何かとなるとこれも複雑だから理解することは難しい
これを農業を例にずると図のようになる
資本主義というからには資本が最も問題になる、資本がなければ何も始まらないからだ
でも資本という時いろいろある、土地はもちろん体が資本だよということもある
体が丈夫でないと資本にならない、それで農業では老人が多くなり継続できなくなる
その女性は土地を借りて農業をはじめた、まず土地という資本がなかったからだ
ただその借り賃は無料に近かった、今はいくらでも土地が余っている、耕作放棄地が膨大なものとなっているからだ、特にこの辺では震災以後、原発事故以後耕作放棄地が他より増えたからである

とにかく農業は土地がまず資本になる、土地がないと始められないのである
だから土地というものの価値が大きかった、戦前とかはそれで土地をもっている地主と土地を借りて働く小作がありその差が大きかった、土地をもたないものは資本がない者は
裕福にはなれなかった
農業が中心の社会では土地が大きな価値をもっていた、それでなぜ相馬藩で飢饉になり
越中の方から移民が来たのか?
三分の一の人口が減った、そこでやはり耕作放棄地とか荒地が増えた
そこにまた藩から出ることは禁止されていたのでもう命がけで脱出して相馬藩に入ってきた

その理由は何だったのか?

土地が無料で与えられるということだった

それだけ土地には価値があった、またなぜ満州とか寒い地域に日本は進出したのか?
それも広大な土地があるということでそこで農業をするためだったのである
そこで寒いのに北海道以上に寒い所で米まで作ろうとしていたのである
その時日本でも農民が多く農民は土地がないとできないからそうなった
資本主義が農本主義にもなっていたからである 

農業というのはまず土地という資本がないと始められない、でもそれだけではない、農業は労働力が必要である、その労働が農業の場合過酷であった、牛馬を使ったりしたがその労働はかなりきついから体が丈夫でないとできない、そこで価値あるものは力持ちだとなる、それで一人前に認められるのは力石とかありそれをもちあげることができる人とか一俵をかつげる人とかになる、それは女性でも力持ちが価値ある者と認められていた
この辺にある一石坂は一石の米を運べる女性がいて名付けられた
何か伝説でも力持ちはたたえられる者だったのである

また道具が農業に大きな影響があった、石の道具とか木の鍬とかと鉄の道具とでは大きな差があったからだ、それで鉄の道具になったとき鍬でも鎌でも生産力が格段に上がったのである、それで稲荷神社とは鋳成りのことであり鉄のことである
それだけ鉄は農業でも重宝されたのである
そして現代になると農業でも労働力が依然として必要でも重要でも機械とか道具が重要なものとなる、力仕事でも機械がすれば力かなくてもやれるからである
それより農業はノウハウが大事になってきた、どうしても育てる智慧が必要になる
肥料も必要になる、そうしたノウハウは農家だと代々伝えられるから有利である
もともと土地という資本もありノウハウも伝えられているから有利なのである

現代ではノウハウの方が大事になる、農業はノウハウがないとできない
それで市民農園でもノウハウを農業を教える人がいて成功したというのはそのためである土地が与えられても簡単にできないからである
資本主義というのは土地が資本とかあってもそれを活かすノウハウが技術がないとできない、そしてそのノウハウの比率が高くなったのが現代である
労働力があってもノウハウの方が大事になる、労働力は機械に道具にまかせる
でもノウハウは簡単に伝えられない、それで代々の農家の方が有利となる

ノウハウというとき私がしている抽象画がそうである
これは全く能力がなくてもしている、それはソフトの作用でできている
その使い方を知れば誰でもできるとなる
だから大量の抽象画を能力ではなく機械的に生産しているから大量生産できるのである
それは絵画の能力とあまり関係ないからである
現代では土地という資本をもっいるよりノウハウはか機械とか道具の方が大事になっている、それができれば商品化して売れるとなるからだ

いづれにしろ資本主義とは何なのか?
資本が基本だという時、資本とは土地でありまた労働力も資本である、あらゆるものが資本となる、その比重が機械道具とかノウハウに移行している
何かそれは成熟した資本主義になると今までのように土地だけ持っていてもそれで大地主とかなり裕福になれない、それを活かすものがないとなれない
ただ道路ができたとか土地が売れるとき金になる
では農業で利益になるかとなるとむずかしいのである
それで小農は成り立たなくなり大農であり今では企業が農業に参入して外国に売るとかなる、農業が今かえって有望な産業となり大企業とか商社とかがかかわってきている
農業がだめだというとき今までの小規模農業が駄目なのであり全体的に見た時農業は有望な産業となりつつある
日本ではそうした農業のノウハウの蓄積があり外国に売れる農産物を作れるとなっているからである 

現代で重要になったのはノウハウである、地銀でも役割りがなくなったというときでは新たなビジネスモデルを作るにしてもノウハウの蓄積がないからできないのである
これまでは金を集めれば借りる人が会社がいくらでもいて利子をつけてもうけることができた、今やそれができない、どうしたら会社を成長させて利子をもうけるのかとなると
相当にむずかしい仕事となりノウハウが必要になるからだ
現代の資本主義は土地とかの資本より労働力よりノウハウなのである
知識であり智慧が重要なものとなっている、それが今までの資本主義とは違ったものとなっている、それは土地とか具体的なものとしての資本とは違ってるし簡単にミニつかないからである

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2021年03月23日

空気を売っている銀行 (地銀の危機と貨幣の謎)


空気を売っている銀行

(地銀の危機と貨幣の謎)

この本で空気を売っている銀行と言っている、読んではいないが盛んにyoutubeなどで
「信用創造」のことを言っている
銀行には金がなくても金を作り出すことができる、無から金を作り出せるというのが信用創造である
でもこれはわかりにくいのである、何にも手元にないのに金を貸せるのかということである
ただ数字だけを通帳に記せばそれが利子がついて返ってくる
一千万が二千万になって返ってくる、そんなことがありうるのか?
それで空気を売っていると言うのである

人間は何か手に取ったり目に見えたものを信用する、小判であれ黄金であれ銀であれ何かそこに手に取り目に見えるモノが価値あるとみる
でもデジタル社会になるとただ数字として記されているだけになる
もう紙幣すらない、数字として記載されたものが金であり紙幣だとなる

でも紙幣の貨幣の金の謎はそもそも何なのかとというとこれも
わかりにくいのである
なぜ紙切れに価値があるのか、紙きれには価値がない、だから今盛んに紙幣は紙くずになるとか言われる
それでみんな不安になる、実際はそれは紙に記された数字と同じようなものである
実際の価値は現物にあり紙幣にはない

だから紙幣の価値は使ってみてわかる、一千万自由に使っていいとなるとき欲しいものを買ってみるのだ、その買ったモノに価値があるとなる
モノでなくてもいろいろ価値あるものがあり金を使った時、その価値を知るのである

なぜ今銀行が危機になり地域でも価値がないとなってきたのか?
まず戦後の焼野原になったとき日本には何もなくなった
だからあらゆるものを再び作り出すことをしなければならなかった
一から始めなければならなかった
その時、何かを始めるにも金が必要だったのである
それで私の家で店を始める時、5万とかの金を用意できなかったのだ
銀行で貸してくれなかったのである
それで知人から借りてやっと店を始めることができた
その苦労話を親から聞かされた

その時代は何かみんな商売であり何でも新しく始めなければならなかった
その時金がない資本がないとできなかったのである
金さえあれば小さな店でも始めればたいがい繁盛した
物不足時代であり物を置けば売れた時代だったのである
商売始めるのにも簡単なものであり今のような設備はいらなかった
何か駄菓子屋のようなものから店が始まったのであく
私の家の場合は道路の角にあり繁盛した
なぜならその時車もない時であり歩いて用をたしている時代だったからである
すると近くの店屋で買い物していたからである

ともかくその時以来高度成長時代は金を借りたいという人が多く、何もないときだから必ず成長して利益をあげていたのである、だから銀行には金を借りる人がいくらでもくる
ただ金を集めていればいいだけである、だから楽な商売だった
貯金しても7パーセントとくらいの利子がついたときがあった
これも信じられない高利だったとなる、今は利子はマイナスまでになっているからだ 
その時大企業というのは少なく工場でも中小企業が多かった  
その中小企業の劣悪な環境で集団就職の中卒が油まみれで働いていたのである
その人たちも小資本ではじめたのである、銀行で金を貸してもやはり景気がいいから利子をもらえていた、つまり銀行はなんら努力も工夫もいらない商売だったのである
みんなから金さえ集めていれば良かったのである                          

いづれにしろ銀行が空気を売っているというとき時代の変化で用がないものとなった
社会から必要ないものとされるようになった、だから銀行はいらない、地銀はいらない、何のためにあるのかと問われている
空気を売っているだけではもう商売にならない、何か銀行の社会的価値を新たに作りださねばならなくなっている
それで今いろいろな試みが行われる、ただ銀行はただ金を集めて貸していれば良かったのでありそれ意外の企業を成長させるノウハウはかないのである
それと日本が経済成長しない貧困化している中で銀行の役割りはなくなったのである

銀行にあづけても利子はつかない、かえって手数料がとられる

銀行に金をあづけて安全なのか?

銀行は統廃合してつぶれるとか預金封鎖で金はとりあげられるとか・・・

こういう不安が銀行にあるということが様変わりしたのである
何か銀行というのは「信用創造」金を作り出している、空気を売っている
そんな商売が成り立つのかとなるからだ

銀行は貸金庫なのか?

銀行は証券会社なのか

銀行の役割りがなくなっている、貸金庫など誰でもできる、投資信託とか株なら証券会社がプロである、銀行にはそのプロがいない、そういう知識の蓄積もない
だから投資信託でも適当に売りつけているだけである
それで営業の人がいつもチャートを見て教えていたのにリーマンショックら株を元にもどして上がり気味の時その株をJ=REITに回したのである、そのJ-reitが今年の一月に暴落したのである
それを一月に売ったはその銀行の営業マンを信じられなくなったからである
また地銀でも信じられなくなったということもある
普通プロならチャートが上昇気味の時は売らないけどその株を売ってJ-reitに売ったのは自分のノルマと成績のためであり銀行の都合でもうけるためにしただけである
客のことは二の次なのである

ただそもそも株とか投資信託でも何でも金融商品は自己責任なのである
だから自分で責任をとれないものはやるなとなる
ただ投資信託などの仕組みは複雑で客を煙にまくだますために作った商品だともなる
それはアメリカのハーバード大学のエリートの証券会社に勤めた人がそのからくりを知って良心の呵責に耐えられずやめたというのもわかる
人間は複雑になると理解できなくなる、それは科学技術社会の中でどこでも起きている
専門家しかわからないとなり専門家が支配者となる

でもその専門家でも全部を理解している人はいない、フクシマ原発でも所長が復水器のことを知らなかった、肝心のことすら知らなかったのである
それは他の大企業の社長でも同じである、そうして複雑だから原子力のことなど核のことなどわからないから地元民など簡単にだませるともなった
でも科学技術者にしては「安全神話」を虚構のものを作ってだましていたから許せないのである

つまりいくら科学技術でもペテンと嘘がまかり通っていたのである
銀行でもそうである、投資信託の複雑さとか金融商品のわかりにくさで客をだましやすくなるからだ、だから知らない人はやるなとなる
いづれにしろ銀行は危機である、役割りがなくなっている
それで空気を売ってもうけているともなる、信用創造でありもしないものをあるとしてもうけているとなる
例えば千両箱に小判がつまっていると言うことはできる

でもその中身が石ころだったとなっている
例えその中に金があったとしてもほとんどは石ころだったとなる
そんなものでも小判が詰まって千両箱をもっているというのと同じである
銀行には金があるというけど小判があるというけど実際は石ころかもっていない
そしてそこから信用創造で金を作り出しているのは詐欺だとなる
ただそれはグロ−バル経済の中でそうなっている、日本だけがそうなっているわけではない、だから国際金融資本家が大元締めがそうしてありもしない紙幣を作り出して世界を支配していると言われる

つまりドルは暴落して本当に紙切れになるということがありうるのだ
そういうことが今起りつつあるのはアメリカの覇権の時代が終わりつつあるからである
アメリカはもう衰退してゆくからである、その過渡期にあり資本主義自体が崩壊の危機になっている、だからといって共産主義がいいというわけではない
共産主義でも自壊すると言われるのもそこに大きな問題がひそんでいるからである





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2021年03月12日

貧困化して生活するのにはどうするのか? (大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


貧困化して生活するのにはどうするのか?

(大家族とかシェア経済などリサイクルとか生活を見直す)


困窮死と水道停止 停止前の訪問で防げるか

2019年12月、東京都江東区の集合住宅で72歳と66歳の兄弟が痩せ細った状態で死亡しているのが見つかった。電気やガスが止められ食べ物もほとんどなかった。料金の滞納で水道が止められる直前だったが、生活保護の申請はしていなかった。


毎月電気、ガス、水道がとめられると訴える人がいる
その対策は何になるのか?根本的には収入がないことであり老人になって働けないことがある
でも二人の息子がいて前は一人と一緒に暮らしていた
それが別々に部屋を借りて生活している
すると三人分別々に家賃がかかるしまた電気水道ガス代もかかる
何か対策があってもしない、それで毎月それほど困っているのだから何か対策を考えていいともなる

現代の生活は大家族から核家族から個人化した生活になった
私の子どもの時は電気ガス水道代は払う必要がなかった
電気があった年ても裸電球一つだったからである、水は近くの井戸水の水を無料でもらっていたのである
それから洗濯は近くの堀の水でしていたから信じられないともなる
それは原始的生活だったともなる、ただ近くの小川を利用して洗いものしていたことは普通にあった、水道がなければそうなるのである

それから子供部屋などはなかった、だから子供部屋で勉強していた記憶がないのである
それで団塊の世代は子供部屋おじさんとかはいないのである
子供部屋を持つことは相当に贅沢なことだったのである、個室をもつことは贅沢なことだった
戦後まもなくはみんな貧乏だったから同じような生活だったのである
ただ食べ物は農家にあり農家の方がましだったのである、第一食べ物がないのだから他は無くても食べ物があればたりるという時代だったからである

そして今日本が貧困化すると電気ガス水道代を払うことができない人が相当数増えたのである、全体の5パーセントがそうなっているというとき結構多いとなる
最悪は借りる部屋から出されるということになる
日本は貧乏が見えないけど実際は相当数が貧困化している
それが一番わかるのが電気ガス水道代が毎月払えなくても電気でもガスでも水道でも止められることなのである
金を払わないと止められる、張り紙さえ張られるとかある
だからこれを知った時その人は貧乏だと知るのである
もうぎりぎりの生活をしているのである
だから近くの人が夜は電気を消しているとか団地でも夜電気を消しているということがあると貧困化している日本を実感するのである
ただ現代の貧困はなかなか見えないからわからない人も多いのである

だからこれからはなんらか貧困対策をしなければ生活できなくなる、そのために生活保護があるとか福祉があるとかいうが実際生活保護でも最低限もらえていない人がいる
だからこそ電気ガス水道代が払えないのである
生活保護が最後のセーフティネットになっていないのである
これから福祉予算はますます削られる、国民年金とかなると6万だとかにもなる
それでどうして生活できるのか?
息子の世代も生活が苦しいから親の援助はできないとなる
そこで起きてくるのは家族遺棄社会だとなる、家族がもう経済的にも金銭的にも支援できないのである
福祉に金が回らないのは日本自体の経済力が下降しているからである
そして少子高齢化社会になり全体的に働き手がへりまた高度成長時代のように電器製品でも中国でも韓国でも台湾でも同じようなものを作れるようになったからである
最近では車さえ売れなくなると危機感を抱いている、電気自動車とかになると部品がへり大量の失業者が出ると言われる、基幹産業で輸出ができなくなりますます日本は貧困化して来る

だから今までのような感覚で生活していると借金地獄にもなる
つまりこれまでの生活状態を維持できない、でも維持しようとすると借金になる
そしてさらに苦しむことになる
だから最近若者でミニマリストとかがもてはやされる、なるべく物を買わない、車もいらないといろいろなものをいらない生活を実践する
それは若者でも貯金がないとか貧困化しているからである
そうせざるをえなくなっているからである

ただこれまでの贅沢を維持できなくなる、でも依然として田舎でも一人一台車をもっているとかこれまでの生活をしようとするときどうしても無理が生じて来る
そういうことができなくなる、その時どうするのか?
それが問われることになる、日本は経済成長を目指すべきだとしてもそれもできないとなると貧困であっても生活できる方策が必要になる
その一つが個々に生活するのではなく昔の様な大家族で暮らす方法である
例えば餅でも一人暮らしで一つ焼くのと三つ焼くのでは電気代が一人だと一人分とられるでも三人分を焼けば三分の一でたりるのである

だから実際一人暮らしは本当は贅沢なのである
ただ一人暮らしが増えるという時、売る方にすると一人分をテレビでも電気製品でも何でも買う、すると企業にとっては消費が増えるからいいとはなる
大家族で消費すると何でも一台でまにあうが三人分となり五人分となるとその分の電気製品でも売れるとなるからだ
でも貧困化するとこういうことはぜいたくだとなる
そして今や家族でもプライバシーにうるさくなったりい一緒に暮らしたくないという人も増えている、人間の生活が孤化している、そして孤立化して孤独死とかも増える
これはやはり豊かな時代だからありえた
でも今や貧困化する昔の生活形態を知りそれに習うということ必要になる
三人別々に電器製品でも使い電気ガス水道代を払っているのはぜいたくだとなるからだ

それからみんなそれぞれ別々に電器製品でも買うのではなくみんなで使う、シェアして使う、だから一人車一台もつのは今や贅沢なのである
長屋での共同生活みたいなものにもなる、つまり個々人で個々の家族でも生活することは金がかかるからである
確かにプライバシーは失われるにしてもそれよりそういう生活ができなくなる
それは贅沢なことであり貧困化すればできないのである
ただそういう貧困にあっても依然として今までのようにそれぞさがプライバシーを守り
親子でも一緒に暮らすのを拒否している
もちろんそうして個別化して生活する人もいるしそれが必要な人もいる
でも貧困化したらみんなそんな生活がてきなくなるしなっている

貧乏になったら貧乏に適応した生活にならざるをえないのである
そんなこと嫌だと言って借金してまで贅沢な暮らしをするのは迷惑だとなる
金を貸す方にするとそんなに要求されてもできないとなるからだ
ただまだそこまで深刻に考えていない、でも現実はそうせざるをえないぼと追い詰められている人が相当数いる、毎月電気水道ガス代が払えない人がいる
そういう人たちがどうするのかとなるとミニマリストのような生活を強いられるのであるそれが変人でもなんてもない、そうしなければ生活できなくなっている
ただそこまで追い詰められているのに深刻に考えないのである

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2021年03月01日

金は具体的責任でありカルマとなる (そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


金は具体的責任でありカルマとなる

(そのカルマは苦しみとなり現象化するー世界恐慌にもなる)


武田邦彦】ついに特定!メディアが一切報じないSTAP細胞事件の真犯人が判明しました!
やはり小保方さんは…


武田邦彦氏が小保方さんには責任がないと言っている
その理由は無給だったからだとしている、研究者として無給で参加させていた
だから小保方さんには責任がない、雇った方に責任があるとしている
それで上司の人が自殺したというのはそのことだったのかとなる

何か責任とかカルマとなると金でみるとわかりやすいのである
借金は明らかにカルマとなる、カルマとは何かとなるといろいろあり複雑だからその人のカルマを知ることはむずかしい
でも金から見るとわかりやすいのである、カルマとは借金を背負っていると同じだからである、だからその借金(カルマ)を払うことを強いられるのである

親戚で叔父にあたる人から墓を守ってくれと300万もらった人がいる
私でも叔父になるが交渉はなかった、でも今になるとそんなこと頼まれなくて良かった
墓を守れというけどそれも簡単なようでそうでもない
墓とは何か良くからないからである、そこに何もないとなればない
でも何かあるのかもしれないとかなりわからない
でもいづれ墓を捨てることにはなる、墓を捨てても別に誰も何も言わない

でも墓を守ってくれと言って死んだ人から呪われるかもしれない
「300万墓を守ってくれと頼んだ、あなた守りませんでしたね、私はあなたを呪うでしょう」何かこんなふうになったから怖いとなる
もし半分づつで分けて墓を守ることを自分がしていたらその責任が生じていたのである
だからそんなこと頼まれなくて良かったとなる
ただその頼まれた人は育ての親すら生前に捨てたような人である
だからそういう人がどうして墓を守れるのかとなる
世話になった親すら捨てた、その墓は別にある
いづれにしろそれもカルマとなってその身にりかかる

一見金をもらうことは無条件でいいように見える、でもそれがカルマとなる
ただそういうことを意識しないのである、後でなんらかカルマとなり災いとなる
弁護士に何もしないのに相談するだけで百万を払ったというのもそうである
それは何のとかめられることもない、しかしそれが具体的な金としてもらったことで後でカルマとなって苦しみとなって現れる
金は具体的なカルマとなるからである

原発事故にしても漁業組合の船主などは多額の補償金を事故前からもらっていた
もし金をもらわなかったら責任はないし東電でも政府でも責められる
でも金をもらったことが責任となる責められないのである
事故周辺ではそうして金をもらい恩恵を受けていたから東電を責められないというのもそのためである
ただ事故後に補償金でももらうのは当然だとなり批判はされなかったである

それでドラマでたいした金でもないのに江戸時代のヤクザが殺人に手をかしたとかある
それは金をもらった責任を果たすためにそうなったとなる
そこまでしなくてもいいとなるがそれでもそこまでしなければならないとなるのがカルマだともなる、だから借金を軽く考えるのは疑問なのである

また借金した人はすでに負い目をもっているのだから人を愛すことはできないとしているだから私が介護て苦しんでいる時来た親戚は助けることもできない
借金で苦しんでいるからまず金を要求してくる
負い目をもっているのだからその時点で何も助けることはできないとなる
借金は大きなカルマなのである
そのために自分は苦しめられただけなのである、ただ相手はそのことを意識していない
でも多額の借金で苦しんではいる、たいだい犯罪の動機は借金が多いのである
それがカルマとなって苦しみ犯罪になる
だから借金することはすでに犯罪に近いともなるのである
ただ借金にもいろいろあるから一概には言えないにしろ借金そういうふう怖いものなのである

いづれにしろ金の怖さは具体的なカルマとなるから怖いのである
そして親のカルマが子に残されるという時何か不正であれ子に残された金は得た金はまたカルマとなり子を苦しめる、それが自分にあったと思う
遺産にしてもどうしてその金が残されたかが問題になる
それで金のことで親の介護から死で問題になり苦しんだとなる
だからどうしてもコロナウィルスで苦しんでいる時株が上がりもうけて笑っているという経済の仕組みは必ずカルマとなりそのもうけた金が呪いともなる

つまりそもそも今の資本主義のシステムはもうまともなものではない、だから巨大なカルマとなって恐慌とか起きて破綻する運命になる
国際金融資本家がギャンブルのようにして世界から金を集めている
その金がカルマとなり呪いとなってゆくのである、そのカルマが巨大な重荷となりそれで破綻してゆくのである
金には責任が課せられている、もしそうした巨額な金をもっている人がいたとしたらそれを世界的に有効になるように使わないとカルマとなり呪いとなってゆくのである
だからアメリカは衰退してゆく、世界から過剰に金を集めて豊かになったからである
ただ何かを世界の利益になるものを与えたということもある

そういう責任が大国には覇権国になると課せられている
そのために金が集められるからである、でもそれができないときカルマとなりその国に責任がのしかかりそれが果たせないとその国は衰退してゆく
それがアメリカの超格差社会の現実でありアメリカはもう衰退するほかないとなっているそれは中国でも同じである、覇権国となると世界から金が集まるからである
すると世界的責任が生まれるからだ、それが一部の支配階級のみに金が集まりすぎる格差社会になると中国では必ず革命が起きてきたのである
つまりカルマが積み重なりそれで自壊してきたのである

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2021年02月23日

読めない株の変化ー経済は壊れている (自分で判断できる人が株をやるべき)


読めない株の変化ー経済は壊れている

(自分で判断できる人が株をやるべき)

banker11.jpg

なぜ自分自身が株をしておかしくなったのか?

それは銀行の仲介者に営業の人に頼ったからだ

株も投資信託もわからないが地銀の営業の人にまかせた、まためんどうだし時間もないからそうした、それでもともと株は複雑なものでありまたその営業の人を頼った結果としてさらに複雑になり混乱した

最初石油があがるからカナダ国債を買った
実際その頃石油が上がっていて石油がとれる国の株は高くなるとふんでいたのである
でもこれも
急激に石油が急降下したように下がったのである
つまり石油が下がるということを見込めなかった
営業の人は適当にカナダ国債をすすめただけだったのである

次にUS-reitを買った、それがトランプ大統領になったとき急激に円安になりもうかった
その時すぐに売ったからである
でも為替差益がありこれが怖いと言うので日本のJ-REITを買った
これは安全志向でそうなった

でも一番の問題はその時、もっていたリーマンショックで半分になった株が上がって来たのに銀行の営業の人が売ってJ=REITに回したことである
これは一番の失敗だった、その時上がっているのに売ることに疑問だったが説明もなく売ったのである
それ以来銀行の営業の人を信じられなくなった
つまりなぜそうしして銀行では転売するのかというと売ったり買ったりして手数料が入るからである、その手数料金も額が多いと大きなものになる
こうして私の場合は株自体よりそれを仲介した銀行の営業の人に左右されて失敗したとなる

結局株自体複雑で予想できないものでありそれが銀行の仲介が入って余計複雑になり失敗したとなる
だから株はとにかく自分でもうけるにしろ損するにしろ自分で判断できる人がやるべきだとなる、それができる人がやるべきだとなる
だから若い時から株で少額でもいいから訓練していることである
でもまたその時間もかかるからめんどうだからまかせることになる
そこに落とし穴があった、これだけ変化するとなるともはうついていけないのである
さまざまな条件で株は変わるからである、最近その変わり方が激しいのである
確かなことは地銀とかは株の専門家ではない素人と同じである
支店長でも株のことは知らないと言っていたからである

では銀行の営業の人がすべて悪いものかとなるとそうでもない

なぜなら数か月前に株のチャートを見せて上がった時、買わないかと言われた
でもコロナウィルスとかいろいろありその営業の人を信用できなくなったし買わなかったそしてJ-REITを去年の一月に売った、それからコロナウィルスが増えてJ-reitは急激に下がったのである
その判断をしたのは銀行の営業の人が信じられなくなったからである
でも実際は別にその営業の人が悪いというのでもない、そもそも株は自己責任の世界だからである、でもその自己責任になるにしても仲介が入るとその仲介になる人が責任者にもなる、だからその責任を問うことになる、ただ銀行では一切責任はとらない
まず銀行の利益を優先するから転売をしたり銀行の都合で売買するのである

でも素人でもわかるのはチャートである、上り調子の時はやはり上がってゆく
そういう時売るべきではない、だからリーマンショックの株が元にもどして上がった時売るべきではなかったのである
ここから営業の人を信用できなくなったのである
それは株を冷静に見て判断したのではない、銀行のもうけのためにそうしただけだからである
だから自分で判断できない人は株はするべきではないともなる
結局自分の判断なら自分の責任だからである
そこに仲介者が入るとどうしても仲介者が責任にもなる
でも一切銀行では責任はとらないから頼るべきではないとなる

そして株でもうけるには長期的にみろということである、リーマンショックから8年すぎたくらいで元にもどりこんなに上がるとは思わなかったからである
倍にもあがりそのまま株をもっていたら大儲けしていたのである
株でも十年単位くらいで見ているともうかりやすいことである
そうなると若い時から株はしていた方が良いとなる、老人なると株は向いていないのである、つまり先がないから向いていないのである、十年後となると死んでいるかもしれないからである

でも昨今貯金は資産として危険であるということが常に言われる、でも老人は投資する
株でもうけようとすることは危険である
だからといって貯金でももっていても今は不安になる
いろいろ投資があっても理解できないしわからないから貯金しているほかないとなる
そもそもなぜコロナウィルスでこれほど騒いで苦しんでいる人がいるのに株が上がるということがどうしても理解できないからである
その理由は金が余っている、資本主義とは常に投資が必要である、投資先があって発展する、これまではグロ−バル経済が遅れた国でも中国のように巨大な投資先があると発展する、それも行き詰まると投資先がなくなり金が世界的に余ってくる
その金がバブルになる、資本主義はそうしてバブルが崩壊して恐慌になる歴史がある
つまり今は余っただぶついた金が株に回っている、株バブルである
何か特別成長している会社があって投資されているわけではない、政府でもコロナウィルスでも金をつぎこんでいる、それで景気と関係なく金が株に回っているだけだとなる
だから株が暴落すると言われるのである

いづれにしろアメリカは衰退する、金をもつことも巨大なカルマとなる
その金は世界から集めたものであり独占したものである
それを国際金融資本家が一手に集めるとかなる、つまりその金には世界の人々の労苦の賜物なのだがそれが極わずかの人によって独占されている
アメリカの富は数パーセントの人が50パーセントももっているというときそうである
それが巨大なカルマとなってアメリカ自体が衰退してゆくのである
一見金をもつことはいいように見える
ところがその金がカルマとなり悪く作用することがあるのだ
それは自分自身が経験している、なんで金のことでいろいろな問題が生まれ苦しんだからである、たいした金ではないにしろ金をめぐって争うことになる
遺産争いもありまた原発事故では補償金をめぐってこの辺はもめて分断された
それも金が悪く作用したからなのである
つまりアメリカは巨大なカルマを背負って自滅してゆくともなる
中国も同じである、中国の歴代王朝がつぶれたのも必ず貧困に苦しみ格差社会となり農民が主体となり反乱して王朝は倒された歴史がある
つまりやはたここでも大きな格差が生まれそれがカルマとなって王朝が倒れるのである
中国共産党もその歴代の王朝と同じであり倒れる危機になっている
それで社会は70年くらい過ぎると社会に歪が生まれ制度疲労が生まれ時の政権でも倒れる、そういう時期が今なのである

常識的にコロナウィルスでみんな苦しんでいる時なぜ株が上がってもうけているのか?
このこと自体経済が歪んでいる、経済の意味は

「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉を聞いたことがある方もいるのではないでしょうか? これは、6世紀ー10世紀頃にいくつか残された中国の古典に記載のある語句で、「世を経めて(治めて)民の苦しみを済う(救う)」という意味があります。

これが経済の意味であるけどそうなっていない、株はそれを反映していない
苦しむ人がいて株で大儲けして笑っている人がいるというのはまさにもう経済そのものが壊れているとなる、だからこそ何か大きな破綻が株の暴落が起きて恐慌が再現されるともなる、そしてその巨大なカルマは苦しとなって現象化するのである
それは個々人でも同じであり社会でも世界情勢でもカルマがかかわっているのである
つまりカルマにより大きな苦しみを受けるのである

中国・習近平が恐れている、米中貿易戦争より「ヤバすぎる現実」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59597

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2021年02月16日

チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった (銀行の営業に頼ってしまい失敗)


チャートは正しかった、株が上昇する時買っていれば良かった

(銀行の営業に頼ってしまい失敗)

私は株のことなど全くわからないから銀行の営業の人にまかせた、銀行員だからプロだったと思っていた、本人も東京の証券にかかわり働いていたというから詳しいと思いまかせた
それがそもそも失敗だったのである、その人は株式についてのプロではない
そもそも株は機関投資家のプロでも運営がうまくいかないのである
ギャンブル的なものがあり訳わからないのである

銀行の営業が一番気にしているのは自分のノルマを果たすことである
銀行の利益を上げることである、それが常に頭にあり客をもうけさせることではない
第一に客のことは考えていない、自分のノルマを果たすことと銀行の利益をあげることが第一なのである
でもそのことで客は損するのである

それが象徴的だったのは一旦半分まで下がったリーマンショックの時の株が元にもどしさらにこれだけ上がったことに驚く、その理由がわからない、景気はコロナウィルスで停滞しているしとても株が上がるとは思えない状況だからである
実体経済と離れているからである、だからこんなとき株が上がるとして買う人は普通いないのである

でも確かなことはその営業の人はチャートを常に見せていた
でもそのチャート通りに投資していない、それより自分のノルマと銀行の利益を優先するだからリーマンショックで半分に下がった株を元にもどしチャートで上昇しているとき
それをJ=REITに回したのである

なぜそうしたのか?

チャートでみれば上昇しているのだからそのままにしているのがいい、上昇している時は売らないからだ、ただ営業のノルマを果たすことと銀行の利益を計ることしか頭にないから転売して手数料とるとなる、自分の利益と銀行の利益が優先されるのである
だからその営業の人はチャートを常に見せるがそのチャートに従うわけではなかったのである、もしそのチャートに従っていたら損しなかったしこんなに株が上がっていたら大儲けとなっていたのである
ただ自分のは場合は不安になるから途中で売っていたともなる
たた上り調子の時は売るべきではないことは確かだったのである
それはただ営業の人と銀行の利益を優先するからそうなったのである

その後J-reitはコロナウィルスで急激に下落した、でも損しなかった

それは銀行の営業の人を信じられなくなったからだ!

そのために一月に売って損をまねがれたのである
ところが何カ月か前にその営業の人がチャートをみせて株を買わないと来た
私はコロナウィルスでとても景気が良くなるとは見えなかったら買わなかった
その営業の人も信じられなくなったからだ
つまり自分の場合自分の判断よりその営業の人に頼ったことが失敗だったのである
そうしたらその営業の人の判断ですべて決まってしまうからである
そして営業の人は自分のノルマと銀行の利益を優先するからもうかることは少ないともなる

ただチャートを見せることは正しい方法である、ただ銀行側でも営業ではそのチャートと通りにはしないのである、そこに誤算が生じる
だから銀行の営業マンよりかAIの判断の方が株ではもうけられるともなる
そうした私的なことは機械には働かないからである
銀行をもうけさせようとか自分のノルマを果たすとか機械は考慮しないでただ株の上昇を冷静に計算して答えを出すからである
ただコレかすべてに正解とはならい、常に不測の事態が起きるからAIは万能ではない
でも銀行の営業の人のように私的な都合が働かないので公平だともなる
ただ株はチャートが大事でありそれを見ていると何か間違えない方法だとなる
ただその銀行員はチャート通りにしなかったということである

銀行員の営業には頼るな!

それで判断が誤る、そしてその営業の人を恨んだりするし裁判にもなる
銀行というのが今危機になっているのはメデアとなるもの仲介するものは必要なくなっている
それでマスコミの新聞とかテレビが衰退しているという、銀行も仲介業者であり苦しくなっているという、新聞でもテレビでもまた出版でもメデアは仲介するものだからそうだという

今は別に新聞社に頼まなくても自らインタ−ネットでも発信できる
出版さえアマゾンで電子化すればできる、ただ出版社とか書店ではできない
そういう会社はメデアなのだがこれまでは力をもっていたのである
でもインタ−ネット化して衰退して新聞などは十年後に消失すると言われている

つまり今このメデアを発信する人がもつことは大きな変化なのである
このプログなとほとんど無料である、でも表現がこれだけできるものだと自分自身がかかわって理解した
自らメデアを持つことはそれだけ情報社会にとって大きなことになっていたのだ

だから既存のメデアに頼らずとも自分の創作をプログですら展開できる
それは個々人がメデアを持ったことによるのである、それでこれだけプログで書いてきたのである

投資でも最近わかったことは個々人が物を作ったり売ったりする人に直接投資する
それがインタ−ネットでしている

クラウドファンディングとは、「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」ことを指しています。

資金調達といえば、一般的に金融機関からの借入や関係者・ベンチャーキャピタルによる出資などがあげられます。クラウドファンディングは、そういった資金調達にはない「手軽さ」や「拡散性の高さ」、「テストマーケティングにも使える有用性」といった点が魅力的な新たな資金調達の仕組みとして近年注目されています。

中でも、「こんなモノやサーヒ゛スを作りたい」「世の中の問題をこう解決したい」といったアイデアや想いを持つ人は誰でも“起案者”として発信でき、それに共感し「応援したい」「モノやサービスを試してみたい」と思った人は誰でも“支援者”として支援できる、双方にとっての手軽さがクラウドファンディング最大の特徴といえます。

これが新しい投資なのである、これこそ投資の原点だったともなる
そこに仲介するメデアがないからである、銀行は仲介するメデアだったとなる
みんなから金を集めそこで銀行がその金で投資して利益をだす
でもこれだと直接物を作る売る人に投資できる、これはグロ−バル経済の世界的市場でもない、何か小規模の個々人の人を支援するものである
こういうのが本来の投資だったのかもしれない、そこでは投資する人と物を作り提供する人と直接結びつくからであるこれが新時代の投資形態となりメデアー仲介業者はいらないとなるから銀行は役割を失い危機となっている
でも新しいビジネスモデルを銀行は作れるのか、それができないと銀行はなくなるという危機なのである
これもインタ−ネットで変化したことなのである

そして今銀行は福島銀行もSBI証券に合併させられその配下に入ったように大東銀行も
SBI証券が株を20パーセント近くもっているのは驚きである
だからこそSBI証券と合併してその配下に入ると雑誌で書かれたのである
銀行は新しいビジネスモデルとか投資方法を作らないと瀬う経営はできなくなっている
時代に合わず消えてゆくともなる、何か時代が変わる時それを良く理解できないのである金融でも複雑だから理解できない、自分自身も理解できない、ただインタ−ネットにかかわっていたからそれで全般的に社会をインタ−ネットがかかわり変えられていることを知った、技術の変化は進歩はそれだけ影響が大きいのである

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株主を見ると東北電力が東邦銀行の株主になっているのはいかにも東北らしいとなる
東北では一番大きな会社となるからだ
そして大東銀行の株主が東邦銀行になっている
やはり東邦銀行と大東銀行は合併しやすいとなるのか?

一番の問題はSBI証券がすでに20パーセントの株主になっていることである
だから将来的に大東銀行はSBI証券に買収されてその配下に入る
SBI証券は外資でありそき資金がアメリカに流れるとかその仲介者が竹中平蔵だともしている
ただ金融の仕組みは複雑である、カステデイ日本銀行というのはわかりにくいからである金融が常に陰謀論になるのはこうしう金がどう操作されているのかわからないからである

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クラウドファンディングの例

走行距離が短いのが問題である、でも50キロだと長いともなる、もっと長いのもある
そうういものが欲しいというときこのように直接インタ−ネットで投資して買うとなる


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2021年02月07日

都会に出る人と田舎に残る人 (原発事故からも考える)


都会に出る人と田舎に残る人

(原発事故からも考える)

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである



東北だと仙台市に住みたいという人が多い、一つの憧れになっている
仙台市に住めば一人暮らしだと金はかかるにしても食事では困らない、いくらでも多様な食事のものもが提供されているからである
私の住んでいる所は弁当さえ売っていないので困る、つまり都会に需要があるからいろいろなサービスが生まれる、田舎では需要がないからサービスが生まれない
花屋にしてもそうである、クラウンオブダイナスティとかのチューリップとかを売っていて仙台の駅で買ったのもそうである
そして買い物にしても通販はあるが直接多様な商品に触れられないのである
直接説明も聞けないことが問題なのである
ショッピングの楽しみは仙台市だったら十分だとなる

ただ田舎と都会の差が本当になくなった、田舎でも十分に快適に過ごせるというのは本当である、第一贅沢したらきりがない、欲望にはきりがないからである
そういう欲望を全面開放して追求したのが現代の資本主義である
つまり欲望を抑えろということがないのである
そのことが意外と危険なものでもあったのだ
この辺ではある人を見ると限りなく欲望を追求している、いい家が欲しい、車が欲しい、うまいものを食べたい・・・・無限に欲望が拡大する
そこで何が起きたのか?

原発で豊かになれる、誘致しろ!

原発はこうして地元の人によって積極的に誘致されたのである
とにかく第一次産業は衰退していた、農林漁業は衰退して跡継ぎもないなとかなっていたそれで漁業組合は東電に漁業権を売って補償金で事故前も贅沢な暮らしをしていたのである、ただそれは農業でも林業でも衰退して金にならないからそうなった
だかち飯館村ですら原発で働ていた人がいたのである
三倍くらいの金がもらいるからそうなったのである
欲望を無限に拡大して是認することは実際は危険なことだったのである

この記事で言っていること資産をもっていると田舎に住みやすいというのは確かである
また東京とかに出なくなったのはむしろ都会に出て東京に出て行けるのは学歴とか何かもっているものであり普通の人は田舎に残っているという
高度成長時代は中卒が金の卵として迎えられたが今は何かかえって大学出て優秀な人でないと東京では働けないという事情があるというのもそうかもしれない
そして東京に出て行った昔の世代はすでに東京で資産を築いているというのもそうである東京でも資産をもてたとものと持てないものの差が生じている

それで都会へ東京などへ出て行ける者は恵まれた人だとしている
田舎だと一億円もらえたら都会に出て行くのになという人がいた
それが原発事故で多額の補償金をもらったときこれ幸いと仙台市とかに移り住んだ人が結構いる、それでその資金で成功した人もいる
つまり田舎を出るにしても金が必要になる、その元手があれば都会に出れるとなる
田舎から出れる人はかえって恵まれた人だとしているのもわかる
田舎から出れない人はそこで安住しているのではなく出る能力もないとなる

田舎では本当に資産家であり地位がある人はボスになり住みやすいのである
でも資産家ではない人は地位もない人は住みにくい、その差が目立つから階層社会になりカースト制になりやすいのである、だから公務員とか土建業とかの社長とか農協職員とか銀行員とかは安定した職業である、特に医者などは一番威張っていられる職業なのである前は地主などいたが農家となると今は資産家にはならない
銀行員も最近は貯金しても利子もつかないから田舎でももう安定していない
                        
田舎と都会の差がなくなっても田舎で暮らすとなると階層化されて暮らしにくいとなる
でも都会に出るには資金があったり学歴があったり能力がないと出れないともなる
それは全般的に階層化する格差社会になっているからだともなる
いづれにしろ田舎の階層社会で縛られて生きるのも嫌だとなっても都会にも出れないというのが現実なかもしれない、田舎ではその人にあった職業などわずかである
東京辺りだと多様な職業があり知的な職業もある、田舎にはない、それで最近はニートなど田舎でも必ずいる、親に食わせてもらっているから田舎でも不自由でも自由に生きているという奇妙さがある、実際は自分自身がそうだったのである
田舎では親が資産家だと楽なのである、親の威光で楽できるとなるからだ
階層社会格差社会では親の資産でも地位でも受け継がれるとなるから田舎ではそうなると住みやすいとなる

いづれにしろ人間は二つの世界に住むと豊かになる、田舎だけではそうはならない
都会的なものが必要になる、でも現代は田舎でも都会的になっている
別に隣の市に行けばそれなりのものがそろっている、車があればいつでも行ける
田舎に住む不便はなくなっている、それでもたりないというのは贅沢である
その贅沢が危険になる、過度の富を求めるのは危険なのである
結果として原発事故になったのもそのためである

とにかく金になればいいしかなかったからである、そして際限なく富をもとめ贅沢をもとめた結果なのである
ただ家族がばらばらになっても故郷に住めなくなっても何かそういうふうに反省している人は少ない、原発事故の被害にあった人でも依然として際限ない欲望を追求している
それが悪かったなど反省している人はまれなのである
だから今度は補償金をとれるだけとって楽な暮らしをしようとしかない
何か故郷を復興せせるとかなんとかないのである
それより多額の補償金を得た人は東京とか仙台市に移り住んで帰ってこないのである
それは放射能被害があるということでとがめることもできないのである

つまり一旦贅沢を覚えた人はもう荒廃した故郷を復興させようとかはない
戦後の戦争の引揚者のように開墾して苦労するようなことはしない
ただ補償金をもらい他に移り住めばいいとしかないのである
だから何か復興ははかどらないし無理だとなる、それは時代の影響でそうなった
ともかく都会と田舎の関係も時代によって変わる
コロナウィルスでも変わってくる、東京脱出組が多くなる
ただそれも東京周辺だとなる、そこには意外と田舎的風景があるからだ
東京の通勤圏とかにもある、だから田舎でも東京からあまり離れた所には移らないとなる


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2021年02月05日

2010福島県過疎地域 (震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)


2010福島県過疎地域

(震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)

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過疎化という時、山村は過疎化していた、この辺だと飯館村とか葛尾村とか浪江の津島とかがそうである、霊山周辺でもそうである
山村が過疎化しているのは全国的である、全国の過疎地域は山村に多いからである
その原因がヤマの木材を利用しなくなったことである
エネルギーを炭に頼っていた時代は山村はかえってにぎわっていた
長野県辺りでも炭焼きをして炭を運ぶ人が大勢いたというのもそうである
炭焼きは一大産業でありまた養蚕も大きな産業だった、それでいたるところに養蚕をした兜作りの家が残っている、それは山村だけでも平地でも残っている

それだけ養蚕が輸出産業であり農家の生業となっていた
絹はアメリカに輸出されていた、それで外貨を稼ぎ日本の国力を増大させたのである
日本は資源がないから輸出産業がないと貧乏になる
それは戦後の高度成長を作ったのが電器製品を世界に売って豊かになったのと似ている
現在日本の経済が停滞しているのは世界に売るものがないからである
石油もなにもないならそうなる、木材自体がカナダとか外材を輸入して日本の山村地域は過疎ともなったのである
もともと山村には山持ちがいて金持ちもいたのである
それで大倉の女性が相馬女学校に親戚の家から通ったというのもそうである
相馬女学校は簡単に入れない、エリートしか金持ちしか入れなかったのである

山村が過疎化したのはグロ−バル経済になり肝心の森の木があってもそれを利用しない
それが致命的だったのである、豊富な木材があったとしても利用されないからである
燃料は炭から石炭となり石油から原発とかに変わったからである
それで飯館村など原発が遠いから関係ないと思っていたが飯館村の人も原発で働いていたのである、それだけ原発は金になるからこの辺では働いていた人が多いのである
その前は戦争の引揚者が不便な地域に開墾に入った、その数も多い
だから戦後でも人口が一万以上もあったときがある
そんな時になぜそんな人口を養えたのかとなる
木材とか石材とかを原町機関区から明治から戦後でも運んでいた
それで森林鉄道の跡が葛尾村まである、それは全国に網の目のようにあった
それで山村でも活気があったとなる

そして福島県では双葉町とか大熊とか原発のあったところは過疎地域になっていない
浪江は津島などの山をかかえていたから過疎地域になっていたのか?
そこでも原発で働く人が多かった、第一二万とかなると人口としては多いからである
とにかく山村であれ戦後の焼野原の時、団塊の世代が生まれその数が多かったのである
だからなぜそんな貧乏の時、何もない焼野原から子供が大量に生まれたのか不思議だとなる、そんなとき子供を産む気になるのか?
今は貧しいから子供を育てられないというとき何か理解できなくなる
ただ昔から貧乏人の子だくさんとなっていた
子供はまた労働力として必要だった、教育して大学まであげることなど考えていない
農家だったら労働力として子供を見ていたのである
すると子供に労力を金をかける必要もなかったのである
今でも東南アジアの貧しい国ではネパールとかベトナムでも親に仕送りしているとかなる
だから親子関係も時代の変化で変わる、親に孝行が子に親が尽くすとなるのが当たり前になった、すると子育ては金がかかるか苦労が多いとなり少子化の原因にもなったのである別に貧乏でも子供育てていたからである

ともかく山村の過疎化は深刻である、でも活性化する方法がない、もしかしたら日本がの貧困化がもっとひどくなると外国から木材を変えなくなったり石油でもガスでも買えなくなったりとかすることもありうる、そうなるとき日本にあるものを利用して生きるほかなくなる、そうなるとまた農山村でなんとかあるものを活かして生きようとするかもしれない、ただ時代は逆戻りしない、逆戻りするようでも同じものとはならないのである
でもなんらかで山村を活かすことが起きてくる
それは日本が外国から木材でも何でも物資でも買えなくなるときそうなる
炭を使いとは言えないが何か日本にある資源を活かすほかなくなる

今大きな時代の変わり目でありそこで何が起きてくるかわからない
社会の根本的見直しかあり改革が成される、そうしないと日本自体が成立たなくなる
明治維新とか戦後の焼野原からともに70年過ぎて起きた
だからそういう大きな変化が起きて来る、それが世界的にも起きて来る
そういう兆候がこの辺だと震災以降原発事故など極端なものとして現象化したからである資本主義でも民主主義でも崩壊の危機にもある
株式などは実際はギャンブルだとしているのもそんなことが許されるのか?
それでヘッジファンドに対抗して一般投資家が空売りを許さなかったというのもそうである、そのからくりに気づいたからである
自由な市場などグロ−バル経済では成り立たないのである
国産金融資本家に金が集められる、収奪されている、ヘッジファンドに対抗したのもそうである、だだ一般の投資かも損するというから株の世界はわからないのである

とにかく今は時代の変わり目であり何起きてくるかわからないのである
コロナウィルスもその一つでありこれがどうなるかも予測できないのである
そもそも未知だから予測できない、大きな時代の変わり目には予測できないことが起きるだから様々に不安があり不安の時代になる
ただこうしてまた社会は変わり新しい時代を迎える、その時に産みの苦しみがある
それを乗り越えると新たな社会に変わり新しい時代を迎える

世界的にはアメリカは衰退する、もう社会自体が分断して崩壊しつつある
その反乱としてヘッジファンドに株の不公平を正すために一般投資家が戦ったともなる
それはわからないにしても何かこうして変化が起きている
コロナウィルスでも生活の仕方を変えるニューノーマルとかが言われる
これも時代の変化で起きている、社会全般が変わる
ただ自分の場合は何か現代社会でも文明でもなじめなかった
おそらく資本主義であれ民主主義であれその根幹のモラルが崩壊している
もう金になればいいしかない、そういうモラルが消失したとき何が起きるのか?
アメリカのような混乱と分断が起きて中国でもまた大きな分断が起きるともなる
中国はもともとモラルがない、金になればいいとしかもともとなかった
商売の国でありそのために何でも盗み利用する、それが国是ともされる
そういう国だというときモラルの消失からやはり退廃してゆく

このモラルの観点からすると日本は比較してだがあまり嘘つかないとか信用するとかとなっていた、それは日本国内で身内だという感覚があったからである
日本人は外国人からも信用されるというのがそうである
もちろん日本人には様々な欠点がある、ただ日本人は商売でも信用されているということは確かだとなる
そもそも戦争でも敵味方塚など作る国はないからである、殺すか殺されるかが大陸であるそして敵はみな殺しにされたのが歴史である
中国では墓まで暴くということで敵は死んでも許さないとなるからだ

いづれにしろ今年の経済も波乱含みだとなる、株価が上がっているのはもう限界であり大暴落が来るというのは一致した見方である
それは三月になるとか言われる、そのころコロナウィルスの大量倒産が現象化するからだという、すると今年一年はやはり波乱がつづく、コロナウィルスでも収まらない
そして今年中に株の大暴落は来るのが一致した見方なのである
2020年も波乱の年だとしていた、それがコロナウィルスだったということは当てた人はいなかった、でも波乱の年だったというのは当たっていたのである

確かなことはグロ−バル経済は終わる、国内回帰に向かう、それよりコロナウィルスでデスタンスをとれと言うのが合言葉になった
デスタンスをとれとはグロ−バルに人,物が行き来することを止めることなのである
また国内的にその地域地域を見直すことや回帰することにもなる
まずグロ−バル経済ではもうモラルはない、世界がギャンブル場のようにもなる
自由市場などない、国際金融資本家に操作されているとなる
それに気づいたからヘッジファンドに一般資本家が対抗したのである
グロ−バル経済が山村を疲弊させたことも確かである
だから山村の過疎化でも国内の経済でも見直すときであり変革の時なのである
ただそれはかなりの痛みをともなうから心せねばならない、それを乗り切った時新たな時代を見ることになる


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2021年01月23日

女性の人口が減っている―独身社会 (福島県は原発事故で一番減っている?)


女性の人口が減っている―独身社会

(福島県は原発事故で一番減っている?)

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世相のうっぷん晴らしチャンネル

女性の人口の減り方が福島県が一番多い、男性も減っている、それは原発事故とかで若い女性でも流出しからだろう、全体的に減っているとしてもなぜ福島県だけが一番減っているのか理解できないからだ

日本全国では女性でも男性でも増えているのは千葉県とか神奈川県とか埼玉県とか東京周辺である、それ意外はほとんど減っている、ただ大阪が減らないにしても増えていない
東京周辺にそれだけ人口が集中しているということなのか

ここのyoutubeでは結婚したいなら東京周辺の都市に行けというのはそのためである
若い女性がそれだけ少ないからであり男余りになっているからだ
そしてもう結婚しない人が増えて独身社会になる 

女性にとっては地方は田舎は魅力がないとなっている
ただ福島県が一番減ったのは原発事故の影響である
ただ全般的に女性が減るとさらに結婚しにくい

なぜ独身者になるのかというと結婚というのがわずらしい、そして負担が大きいとなるからである
隣に人がいるだけでストレスになるというのもそうである
だから今一人暮らしが多いのはそのためである
そして一人暮らしがしやすい社会に変わっている、別に家事は機械化して買い物でもできる、多少めんどうにしても一人でできることが大きい

昔は結婚するという時、家事が女性の仕事でありそれがないと男性は生活できない
家事をしてもらって何とか仕事ができるとなるからだ
それで普通の中産階級でも女性二人を女中に雇っていたという時代があったからだ
それだけ家事が大変だったのである、
そうなると女性でも一緒にいても男性にとって必ずしも不可欠ののでなくなる
かえっていろいろとストレスになるというのもわかる 

そういう社会に変わったのである、団塊の世代はまず子供部屋とか個室がなかった
だから子供部屋おじさんは存在しないのである
今は個室の時代であり個で過ごす時代になったからである
結婚のメリットが少なくなったのである
結婚すると子供でも負担が増大してゆく、今は日本が貧乏なるときその負担を負いきれないとなる

だから日本がから日本人がいなくなるというのも笑い事ではない
ただ世界的にも女性の人口は減っている、男性余り社会にもなっている
女性の人口が減っていることは子供を産む数が少なくなる
それで世界的に人口が減少してゆく、それが天の采配だというとき
やはりもう地球の人口は限度になった、それでコロナウィルスなどが生れて世界全体の人口を減らす作用をしているのかともなる

ただ日本の人口の減り方は極端でありその影響が大きすぎるのである
いろいろなものが継承できなくなる、膨大な耕作放棄地とか空家とかの問題もある
拡大増産する社会から縮小する社会というのは経験していない
江戸時代から明治から戦後でも人口は増えてきて成長しつづけてきたからである
そのショックは相当なものになる
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2021年01月11日

商業の歴史をふりかえる (商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


商業の歴史をふりかえる

(商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


経済という時、例えば商業の歴史も牧畜とか農業があるとするとそれと同じように古い
人間の歴史がはじまって以来商業は貿易ははじまっていた
なぜならある地域だけであらゆるものがあるわけでもない、また生産もできない
だから自ずと貿易が起こり物々交換も起こる、貿易は何かと交換することである
それで物々交換となるとめんどうだから必然的に貨幣が生まれたのが人間の歴史である
宝貝というのは珍しいから貨幣になった歴史があり漢字で貨幣とか財とかに貝の字が使われたのはそのためである、つまりそれだけ貨幣の歴史が古いのである
それはどうしても人間は一地域だけだと限られた物しか得られないからそうなった
縄文時代ですら貿易があった
ヒスイが発見されているからだ、それは日本海側の糸魚川からとれたものであり
青森の三内遺跡から発見された、つまりそういう遠くからも運ばれていたのである
すでに貿易があったという証拠になる

第一聖書にも記されている神との契約というとき商業がなければその言葉もありえない、商業には契約が欠かせないからである、するとそれだけ商業の歴史が古いということである、契約の虹というのもそうである
そして商業は交通と密接に関係している、遠くに行くとなると交通が発達しなければできないからだ、それで砂漠とか平原とか草原とか川とか海が交通路になり商業が発達した
そこは自然の交通路になっていたからである
日本では山が多いからそれが障害となり交通が妨げられて商業が盛んにならなかったともなる
そしてそういう草原と砂漠とかは遊牧民がいて移動して暮らしていたのである
すると遊牧民は自ずと商業民族となるというのもわかる
それで遊牧民が航海民になった、地中海のフィニキア人は遊牧民だったというのもイメージしやすいのである

歴史家ヘロドトスは、その著書「歴史」の序文で「ペルシア側の学者の説では、争いの因をなしたのはフェニキア人であったという。それによれは、フェニキア人は、いわゆる紅海からこちらの海に渡って来て、現在も彼らの住んでいる場所に定住するや、たちまち遠洋航海にのりだして、エジプトやアッシリアの貨物を運んでは各地を回ったがアルゴスにも来たという。」

紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[7]。紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている

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これだけ古いのである、ソロモンの栄華というときまさに貿易があった商業が盛んになっていたからだとなる、、テュロスは今のシリアでありイスラエルの隣なのである
誤解しているのはイスラエルは半分は砂漠であり商業の国でもあった
だからラクダとともに泊まる宿がある、交易の国でもあった
イスラエルは遊牧民の国であり農業の国ではない、農業はイスラエルが建国して砂漠を畑とか果樹園に変えたのである
そもそも砂漠は遊牧民の世界であり自ずと商業が発達する
その延長として海が交通路になるのは自然だとなる、この辺が地理的に理解しにくいのである、私は実地にイスラエルに行って理解したのである
地理は実地にその場所に立たないとわからない、そのイスラエルからギリシャに船で渡った、それはまさにフェニキア人と同じだったとなる
途中船はキプロスに寄り6時間くらい停泊したのでそこで買ったのがイギリスのコインだったというのもそこはイギリス領に一時なっていたからである

いづれにしろ商業は人間の歴史がはじまるとともにあった、日本の縄文時代でもあった
ヒスイが青森の三内遺跡に日本海から運ばれた、日本海は冬をのぞいて穏やかだから交通路になったためである、太平洋洋側は海が荒いから交通路になりにくくかった

斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。

飽田・渟代(秋田、能代)となっている、つまり日本海側の歴史はそれだけ古いということになる

ともかく経済を理解する時、商業とか貿易でもこれだけ古い、そこで必然的に交換の道具として貨幣も生れた、聖書でもキリストが神殿で商いの場所にするなと起こった時、神聖な場所が商売で汚されていたからだとなりまたそれだけ商売が盛んになっていたからである
その商業か貿易が盛んになることは必ず経済戦争に発展する
川が交通路になるとその通行のために税金をとるとかなったりする
それで戦争になったりもする、それは現代のグロ−バル経済になってもそうである
米中の覇権争いとなるのはそのためである、商業には政治と軍隊がからんでくるのである商業から戦争が起こり安いのである

商業でも貿易でも本来悪いことではない、貿易して富が増大することである
互いに利益を得ることである、でもそれも全面的にいいものとはならないのが人間の歴史だったのである、それは富の奪い合いとかなり戦争の原因になったからである
まさにグロ−バル経済というのもそうである
それが一見いいように見えても実際は必ず争いになる、富をめぐる争いになる
それが米中の対立となる、政治がからんできて政治とはまた軍事力となりその力で商業の利益を得るとなるからだ

すべての道がローマに通じるというときすべての富がローマに集まるという意味にもなる今ならすべての富がアメリカに集まるともなる、だからドルが世界で通用する
そのドルが世界の基軸通貨共通貨幣になっているのはアメリカが覇権国であるからである第一ドルでなければ石油も買えないのである
それに中国とかが反発するものわかる、そこで対立して戦争までになる

商業の発展には交通が基本にある、だから常に移動して暮らしていた遊牧民は自ずから商業民族にもなる、そして商業は貿易は必ず他国を通る時、盗賊に襲われる
それから守るために軍事力が必要になる、安全が保証されないとできないのである
それで政治力と軍事力が必要になる、また関税が生まれるのもそのためである
それは安全を保証するのものでありやむをえないとなる
だからローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときその帝国内では安全に商業もできるとなった、そして富がローマに集まったのである
モンゴル帝国でもそうである、あれだけ広い地域を治めたと安全に商業を貿易ができるようになり貿易が発展したとなる

第5代皇帝クビライによって元が成立すると、1260年(中統元年)に諸路通行中統元宝交鈔(中統鈔)が7万3千錠(365万貫)発行されて通貨が統一された

中統鈔の材料は桑の樹皮であり、繊維状にした内皮にニカワを混ぜて薄くのばして縦長に裁断し、銅版画で印刷して皇帝の御璽を押印した。中統鈔には皇帝の権威を表す龍や銅貨の図柄、額面金額、発行所、発行所の役人の名前、製造所、そして偽造者を惨殺刑とする文言が印刷された

貨幣が紙幣ともなり統一されたのはモンゴル帝国が成立したからである
それはアメリカ帝国が成立したと同じである、こうみると歴史は繰り返されている
ドルが世界の基軸通貨となったのはアメリカ帝国が成立しているからである
でもその覇権が奪われると中国が新しい通貨を発行して世界を支配するとなる
つまり経済の上に政治力があり軍事力が関係している、それは変わらないのである
つまり民主主義だとか自由経済だとか言っても結局その上に現実的な力として政治力があり政治の力の背後には軍事力があるとなる、だから人間の歴史は本質的に変わりがなく
同じようなことをカルマとして繰り返しているとなる
グロ−バル経済は一見自由であり公平にみえてもそうではない、やはり政治力とその背後に軍事力があって成り立っているのである

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2021年01月10日

何に本当の価値があるのか? (紙幣は紙きれになり価値がなくなる)


何に本当の価値があるのか?

(紙幣は紙きれになり価値がなくなる)


何に価値があるのか?土地があるとする、その土地を活かすことは容易ではない
土地そのものに価値がある訳ではない、ただ住宅地になったり道路ができたりとかで土地を利用されるとき高く売れる
それで近くにスーパーができて田んぼだったところを貸した人には定期的に金が入る
金持ちになったとかある
でも土地を活かすことは農業するなら土地があってもそこに労働力とかノウハウが必要になる、土地から価値を生み出すのはその労働力とノウハウだとなる
それが簡単にできないから膨大な耕作放棄地が生れている
機械で労働力省くにしてもその機械のために金がかかり機械貧乏になってやめた人もいる都会の人が農業をしようとして500万かけたが実りがなくやめたとかなる

本当に農業は労働力とノウハウである、それで近くで農業していた人が一人は病気でやめて一人は高齢化でやめたとかなる
そこは草ぼうぼうの耕作放棄地となっている、それが全国で膨大に増えている
だから農業というのは実りをもたらすことがいかに大変かわかる
そして紙幣とかは価値を生み出すとはならない、紙幣は紙切れだから紙切れになってしまう、それで預金封鎖とかが騒がれる、それはもともと紙切れだからである、小判だったから違う、その金自体に価値がある、紙幣は紙切れにすぎないのである
だからいくら紙切れ所有していても本当に紙切れになるという不安をぬぐいきれないのである

今膨大な耕作放棄地がある、また原発事故でこの辺は田畑をする人がいないから草ぼうぼうの荒地となっている、でもそれを活かしようかないのである
それを活かすには労働力とノウハウが必要だからである
うまい梨を作るのに十年かかったとかあり簡単に実りをもたらすことができないからである
何か今年は梨は不作であり馬鹿高く食べたことがなかった、農業はこのように天候とかにも左右されて実りをもたらすことが容易ではないのである
それで原発事故前から農業をしたくないとなり原発が誘致された経緯がある
原発の方が金になるからそうなったのである
実際親に農業はやるなと殴られた人もいる、それだけ農業で苦労しているからそうなる

ただ本当の価値は紙幣にはない、だから預金封鎖で紙幣は紙切れになるとされる
例えば金があってもつくづく年取ると消費すること自体が容易でなくなる
パソコンを買う金がある、でもそれを使うのノウハウを覚えるのが何倍も大変なのであるそれで老人はスマホでも利用できないとなる
何か今の時代は消費することは生産することに通じている
30万以上で荷台のついた電動自転車がでた、それはユニットエンジンが優れていることを経験して知っている、若いならそれを買って旅に出たいとなる
それも体力がなくなりできない、海外旅行をしたい、ヒマラヤにもう一度行きたいとなっても金はあっても体力がなくなりできないとなる
だからそもそも老人は消費ができなくなるのである、その老人が金をもっていることで社会に金が回らないという問題も生れている

おそらく何かコロナウィルスでもエッセンシャルなものが見直された、飲食とか観光とか娯楽関係の仕事が大打撃になった、それは別にエッセンシャルなものではない、なくても困るということもない、それも人間に必要だということはわかる
でもそれがなくても社会は回ってゆく、でも食べるものがないとか食料がないとかなると社会が成り立たなくなる
それで銀行が窮地にたたされるのは銀行に貯金してもそれが預金封鎖されるとか紙切れになるというときその金を活かせないからそうなる
銀行から金を借りてそれでビジネスでも何かを企業してもうけてくれる人がいないからそうなる
つまりいくら金があってもそれが活かせないのである

紙幣自体には価値がない、紙切れに過ぎない、銀行にいくら紙幣を貯えても紙切れを貯えているだけだとなる、、だから飢饉とかがあったら紙切れは役立たない
もし米でも貯えていたら役立つ、戦後は焼野原になり預金封鎖があり本当に紙幣は紙きれになった、それで私の母は前の夫が事故でなくなり一生困らない金をもらった
でも預金封鎖で残ったのはわずかの買った土地だけだったのである
だから本当に紙幣は今や危険なものになっているのだ
ただ何かを貯えるにしても現物だと限界がある
だからこういう時代は次の時代は本当に価値あるものを持っている人が有利になる
若い人は金がなくても働ける体力があるから有利になる
何もなくても働ける体力があるからである
老人はそれがないからいくら金が紙幣があっても価値がないとなってしまう恐怖である
それで銀行員が農業するようになったのも理解できる
銀行はいらないとなってきたからである

とにかく年金頼りの老人とかはこういう時代に不利になる、年金は自分でも国民年金が一か月で一万も減額されている、何か保険にも回されている
そもそも年金は下の世代が働いて税金として納めてくれないと成り立たない
ただもらうだけの老人ばかり増えたら成り立たないのである
ただもう老人には労働する体力もないから価値がないとなる
ただ精神的なものなら老人でも経験があり産みだすことができる
どんな人でも老人になると人生はこんなものだったのかとかふりかえりわかるからである老人はそういうことで価値があるとなるが現実生活では価値を生みだしにくい
でも農業でもこういう肥料をやるといいとか指導はできなる、自ら労働するのではなく
ノウハウを教えることはてきる、だから老人も何も価値がないとはならないのである
ただ現実社会では老人は無用化されるのが多い、それが高齢化社会の問題なのである

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2020年12月13日

金の貸し借りの不思議 (借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)


金の貸し借りの不思議

(借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)

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金を貸したり返したりすることの不思議がある
ここでAがCに金を貸したのだが実際はBが仲介者であり
Aの貸した金はBに一端払われてAに返ってくる構図になっている  

実際はBが金がない、Cは返す能力がある、だからBはCを通じてAから金を借りた
AもBなら金を返してくれると貸したのである
つまりCの信用を通じてBはAから金をCへ借りさせたのである

その借りた金は今度はC⇒B⇒Aと回って返ってくる
これはAとCとの貸し借りなのだがそこに仲介者が入りややこくしなった
何もAとCとのやりとりだけで良かったのである
でもCはBを通じてAから金を借りた結果ややこしくなった

つまりCは金を返す能力がある、Bはない、だからCに頼んで借りたとなる
もしBが直接Aに金を貸してくれと頼んでも貸せない、Bはもともと支払い能力がないからである

もともとはCがAに金を直接借りてBに与えればいいものだった、それがBが仲介者になったことでややこしくなった
ただ金を貸すということは信用がない相手には貸さない
Cは信用があるから貸した、Bは信用がないから貸せないのである
返すあてもないからである

となると金の貸し借りでも信用が大事になる、信用がないものには貸せない
返すあてがないものにも貸せない、金をくれるならいいけど返すことを前提にしていたらそうなる

何か不思議なのはここでBは金を返す信用もない、でもCは信用がある
それでCを通じて借りたとなる
それで不思議なのはCが金を返すからとしてまたAから金を借りる
もともとその金はAのものだった
でも金を貸した結果、AからCへそしてBへと回りややこしくなった

何か金を貸すことは損なのである、金を貸すことはくれるともなる
金は他者に一端与えられるとそれがその人の金のような感覚になる
借りた金でもそうである、物でも借りるとそれが自分のもののような錯覚にもなる

つまり金を借りるのでもまた物を借りるでも借りた方が優位になる
貸す行為は何か貸す方が損になることがある
だから借りた方は金でもそれが自分のもののような錯覚になる
借りたことで所有権が移動した感覚にもなる
それは理屈ではなくそうなるのである
だから金でも借りた方が優位になり貸した方が低姿勢になりなんとか返してくださいと頼むことになる、それができないときは強制するために暴力にまでなる
金を貸すことはそれだけリスクがあるとなる

例えば銀行にあづけた金でもそれが銀行のもののようになる感覚になる
もしタンス預金が危険でも自分で金を所有していればそういうことはないのである
一端他者に金を保管してもらうだけで金が他人のもののようにもなる
実際に借りた金を返さないというのはそういう人間の心理が働いているからだとなる
金を貸したらかえって不利な立場になる、一端借りた金は人は返したくなくなる
借りた金は自分のもののように思うからである

ところが銀行は金を貸すことが商売である、でも金を貸して利子をつけるが金を借りて何か事業でも商売でもしてもうけてれる人がいなければ金は活きてこないのである
それは銀行に貯金しても利子が今はつかないのは金を借りてでももうけくれる人がいないからである

そもそも資本主義は常に投資して利益をだすということを前提にしている
ただ銀行に金があっても何もならない、利益を出さないからだ
今銀行に金をあずけても利子もつかない、するとただ金の安全な保管場所になっている
そうならそうした貸金庫のようなものに銀行はなるだけであり誰でもできるとなる
そこで安全保証すればできる、盗まれた場合などは保険をかけるとかになる

ともかく金を貸すことが優位になるようでそうではない、なぜなら貸した金を返さない人がいると取り立てるためにものすごく苦労する
遂には暴力でとりたてるほかなくなる、それが犯罪人にされてしまうのである
だから一概にサラ金とか消費者金融とかが悪者にされるが貸した方にすれば貸した金を利子をつけて返してほしいとなるだけである、それは約束だからである
まず親しい仲とか友達同士だと金の貸し借りがあるともう返してもらうことはできなくなる、法的な縛りもないし裁判にするのもめんどうになるからである
金をくれるならいいが金の貸し借りはしない方がいいというのはそのためである

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2020年12月04日

貧困とは何なのか? (エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)


貧困とは何なのか?

(エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)

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戦後の焼野原から何が変わったのか?
それをエンゲル係数で見た時、食費の割合が戦後十年とかは極端に大きい
70パーセントくらいになる、でもどんどん食費の割合が低くくなって25パーセントとになっている
戦後十年の暮らしのは不思議は子供の時の体験であり大人としては体験していない
確かに食費に70パーセントを使っていたというのが実感である
家にあったのは飯台一つでありそれはどこでも同じだったからだ
もしかしたら燃料代はやはり炭だから高くついていたのかもしれない
今でもガス、電気代が払えないとかなるからだ
ただ風呂は木材の廃材とかを使っていた
それを新聞紙でたきつけるのが自分の仕事だった
大きなエネルギーとなると石炭だった、蒸気機関車が走っていたからである
そもそも鉄道は石炭を運ぶために作られていた、それは北海道をみればわかる
この辺でも常磐炭田がありそこから東京へ石炭を運んでいたのである

今日本全体が貧困化しているというとき貧困とは何か?
それが問われる、私が団塊の世代か経験した貧困と今の貧困は違うからである
まず街では水道がないのだから井戸水を使っていた
でも自分の家とか他でも井戸がない家があったがそれは無料でもらっていたのである
それで子供の時、近くの井戸から風呂の水をバケツで運んでいたのである
それを自分もしたからわかる、ふりかえれば風呂の水をバケツで一杯にするのは結構な量が必要であった、でもバケツで運んでいたのである

その時、水道もなければいろいろな物もなかった、その時の生活は食べることが第一でありその他に金をかけられなかったのだ、だからその時、電気はあったにしても裸電球一つであり外の道は舗装もされないない、土埃りのたつ道だった
そしてやはりまだ農業中心の社会だった
それで近くの農家の人が汲み取りにきていた、便所は外にあり肥料として糞尿はくみとられていたのだ、だから農家の仕事は汚い仕事にもなっていた
でもそれを汚いとは言えないものだった、なぜなら肥料となるものは貴重だったからである

要するに貧困の問題を考える時やはり歴史をふりかえる、貧困とはどういうものなのか、それを歴史的に比べてみる、それは自分自身の経験からすると70パーセントは食費に費やされあとは何も物は家にもない、本も一冊もない、それから新聞紙は風呂のたきつけとか便所紙として利用価値があった、紙は貴重なものだったのである
戦前になると鉛筆は貴重であり短くなって書くことができないくらいまで使っていた
大正生まれでは学校に通えないで小説読んで字を覚えたとかいう人もいた
つまりまともに学校にも通えない人がいたのである
ネパールとかなるとボールペンもないからくれとなっていた、書くものがないからそうなる

そもそも貧困とは何なのか?最悪の貧困は食べるものがないことだろう
まず食べるものにしても戦前だと私の母は原町紡績で糸取りをしていた
その時のオカズはタクワンとと味噌汁くらいである、そんなもので良く働けたと思う
今いくら貧困でもそこまでにはならない、何かしらのオカズは食べている
貧困を歴史的に比較すると食べることに費やされる、だからエンゲル係数でも70パーセントがその時食費に消える、現代では25パーセントになるというときその差が歴然としている

また私の家では家を貸していた、部屋を何人かにアパートのように貸していた、それで毎日家賃をとりにまわっていたと聞いた、それは戦前のことである
毎日家賃とりにゆくのはその日暮らしだったからなのか?
それも手間である、そは江戸時代の長屋暮らしのかともなる
貧乏な時代は酒でも計り売りであり酒樽から必要な分を買っていたのである
御菓子とかでも計り売りでありバラ売りだったのである
袋は新聞紙で作っていたのである、新聞紙にはこういう別な用途があった
情報を得るというだけではない用途があったのである
それは新聞紙でも紙が貴重だったからである

それでどういう状態が貧困なのか?

それは必ず電気、ガス、水道が月末に止められる人が貧困になる、なぜならその時料理すらできない状態に追い込まれるからだ
昔でも炭を使っていたから炭がないと料理もできないとなるが後は水は無料であり洗濯でも裏の堀の川でしていたのである
金がかかるのは炭代だったとなる
その時だったら電気,ガス、水道代が払えないと追い込まれることはなかったとなる

現代の貧困は電気、ガス、水道代とかあとは携帯も必需品でありその金が払えなくなる
そして田舎だと車が必需品でありこの出費が大きい、それは相当に家計の負担になっている、それが田舎の出費で大きいとなる
別に車がなくても暮らせる、自分は暮らせているからだ、ただ仕事とかなると車が必需品になる 

現代の貧困は電気、ガス、水道代や携帯や車代、冬にるなと暖房の石油代とか・・・食費意外のエンゲル係数が大きくなっている、それが負担になった貧困だとなる
それを払う金がない貧困になる、月末になるとこれらが払えない所帯が70万とかいるとなりそこが最低の貧困者だとなる
それで近くの人が電気を消して暮らしているとなる、風呂にも入らないとかなる
昔は銭湯があり自宅に風呂がなかった家も多かった

いづれにしろ何か現代の貧困の矛盾は例えば大学生が学費を払えないで奨学金とか風俗とかで稼いで学校に行っているというのも何か変である
苦学生が昔からいたにしろそれとも違う、風俗とかで楽して金を得て大学に通う
そんなことまでして大学に通うというのも疑問になる
親の生活苦とか借金で娘を身売りしたという追い詰められたものでもない
それほどまでして大学で学びたいのかともみる
そもそも大学などは戦前ではほんの一握りの人しか入っていない
今五割も大学に行っているというのも時代である
だから大学生が特別な価値をもっているものでもないのである
一部の有名大学をのぞいてはそうなる

ともかく貧困とは何か、それが問われている、高度成長時代から日本では貧困がわからなくなった、でもその貧困に大勢が直面するからとまどうとなる
それは豊かな暮らしの中で豊かに暮らすものが負担になってきたのである
電気、ガス、水道代とか携帯代とか大学の学費とか・・・食費意外のものに払う金が枯渇してきたのである
それは確かにエンゲル係数のグラフを見れば一目瞭然だとなる

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2020年12月01日

なぜ山村の人口が減っていったのか? (石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)


なぜ山村の人口が減っていったのか?

(石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)

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飯館村の人口をみると戦争が終わりそこで引揚者などが開墾に入り人口が増えた
6000人の人口が倍にも増えたのである
不思議なのはどうしてそれだけの人口を養うものが飯館村にあったのかとなる
それは飯館村だけではない、日本全国で同じなのである
戦後は団塊の世代が生まれ人口が急激に増えたのである
でもその時は日本は戦争が終わり焼野原であり戦地から帰って来た人の働く場所もない
だから困難でも開墾に入ったのである
飯館村の木戸木となると峠を越えてさらに飯館村の中心地の草野までまた七曲の峠を越えねばならない、そんな不便な所になぜ住んだのか?
そういう土地しか住む場所がなかったということである
そこは無人の地だから開墾に入ることができたのである
でもそこをみるとわずかな田畑があるだけである、平地が少ないからである
だからそこでどうして暮らせたのかというと不思議になるが農業だけではない林業があったからだとも思う、その頃まだ炭焼きなどをしていたから木材を利用していたからである燃料は炭だったからである

木材だけではない、石材とか資源が山にあり鉄道が全国に伸びてさらに伸びた
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国にできた、常磐炭田でもそうである
北海道でも石油をエネルギーとする前は石炭だったのである
石炭を運ぶために鉄道が作られたのである、だから北海道の市町村は石炭をとるために作られた所が多い、でも石炭から石油に変わった時、廃れたのである
つまり戦後まもなくは日本は日本がの資源を利用していた
石油を輸入したとしても石炭が主なエネルギー源だったのである
それで原町機関区から森林鉄道があり浪江だと高瀬川から葛尾村の落合まで森林鉄道が伸びていたのである、全国的に網の目のように森林鉄道が張りめぐらされた山の資源を石材でも木材でも運んだのである
それが東京に運ばれたのである、また戦前になると原町紡績がありそこにも鉄道がひかれていて引き込み線があり横浜に生糸が運ばれていたのである

だから飯館村でも6000人の倍の人口を養えたのかとなる、それだけの数があるいうことは山村でも相当ににぎわっていたということである
それは日本全国で団塊の世代の子どもたちが増大して子供の遊ぶ声がいたるところに木霊していたのである、それはうるさいくらいだった
不思議なのはその時はみんな貧乏だったのである、電気製品も一つもない、家にあるのは飯台一つだったとなる、それはみんな同じだったのである
だからそんなに貧乏なのに良く子供が育てられたと思う、私の父親がミルクをもらうために並んでいたとかあり子供にまともに食料を用意されてもいなかったのである

そうした生活が戦後十年くらいで急速に変わった、日本は工業化して電気製品を輸出するようになった、その時山村の生活も変わった、人手は工業製品、電気製品を作るために必要となり中卒が金の卵として集団就職で東京に流れた
その時、下町の中小企業でも人手を必要としていたからである
その時から炭焼きの時代は終わり三種の神器の電気製品が人気になりもつようになった
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫 この時から電気の時代になり炭の時代は終わったのである
そこで山村でも人手が必要とされなくなり人口が減っていった
産業構造ががらりと変わった、養蚕も消失していった
それとだんだん農業も機械化した結果が余計に人手がいらなくなったのである

何かこれまでの農村風景は村総出で田植えしたり稲刈りした風景が見られた
それは江戸時代からの光景である、それが機械化すると消えていった
何かそれでも人の活気が感じられなくなった 

稲作の国、日本の神事。住吉大社の「御田植神事」の田楽

村人の総出で田植え赤々とツツジの映えてにぎわう時かな

田植え自体が村人総出の祭りのようになっていたのである、そこで民謡が生まれた、共同で仕事することでそうなった、それで村には活気があった、早乙女が田植えの中心になるということはまさに若い人が中心であり活気があるとなった
今やそういう風景が消えてしまった、田があったとしてもそこに祭りはない、ただ米をとる場所としてある、村の共同は消失したのである
そこで文化も消失していたのである

とにかく飯館村とかどこの山村でも人口が今の倍とかありにぎわっていた
それだけの人口を養えていたのである、もちろん貧乏ではあるけどそれだけの人口があれば活気がでてくる、それも子供が多いから余計に山村でも活気があったとなる
それは産業構造とか機械化とかグロ−バル化による外材とか石油の利用とかがあり山村が衰退した

日本がなぜ衰退しているのか?また山村とか地方が衰退しているのか?
産業構造の変化でそうなった、そもそもなぜ原発事故でこの辺が住めなくなったのか?
それも産業構造の変化だった、電気社会になれば電気が一番重要な産業となるからだ
現実に事故になったと原発で千人の電気関係者が働いていたというのもそうである
つまりそのことが産業構造の変化を示していたのである
今度はロボット化とかAI化とかで人手がいらなくなり人手不足も言われたが人手を極力省くとなり失業者がふえるとなる
第一銀行などは相当に無駄でありAI化しやすいものだった
営業の人がプロだと思ってまかしたがまずAIに頼んだ方が良かったともなる
AIの方が人間より優秀なのである、翻訳でもAIの能力には驚いたからである

ただ山村とか地方に活気をとりもどすにはどうしたらいいのか?
やはり早乙女踊りのように何か若い人中心となった祭りとがあり子どもが多いとなれば活気がでる、今や少子高齢化でありもう原発事故周辺の避難区域になったところでは老人しか残っていないのである、それで町や村が維持できなるのかとなる
飯館村でも貧しくても人が倍以上いたしそれも若い人たちが多かった
すると村自体に活気が生まれていたのである
何か変だけどネパールに行ったら山の上でも若い人が多いなとみた
何かそこに仕事する若い女性がいて万葉時代のようにすら思えたのである
第一靴もなく裸足で歩いているのだからそういう時代がつづいているともなる
ただそういう場所でも若い人が多いということは活気があるとなるのだ

老人だととにかく病気の人が多い、その治療代とか薬代とかそういう費用がかかる
それが負担になる、仕事もできない、あとは介護してくれとかなる
自分自身も何か最近足が痛くなったり不自由になった、そんな人ばかり増えたら何であれ活気もなくなるし衰退するのは当然なのである
ベトナムなどはまだ若い人が多い、だからそういう国は伸びるのである
日本では東京すら今や老いる社会なのである、集団就職で集中した人たちも今や老人になっているからだ、日本全体が於いてく、老大国になってしまうのである
このこと自体が最大の問題でありいくらいろいろ言ってもここが解決しないと日本は衰退するばかりだとなる
ただ飯館村が1920年(大正9年)に6000人であり原発事故前も6000人だった
そもそも日本全国でも日本の国土の適正人口は6000万から8000万くらいなのかもしれない大正時代は東京でも三百万とかだったからである
つまり今からすると相当に閑散としていたが何か空間的には人工的にも余裕がある社会だったともなる、日本は狭い国土に密集しすぎたとなるからだ





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2020年11月25日

大東銀行の危険 (SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)


大東銀行の危険

(SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)

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大東銀行もかなり危険である


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竹中平蔵とかこれらは仲間だとしている

オリ―ブの木


youtubeのオリーブの木という新しい政治団体の説明がわかりやすい、まず金融を理解するのは至難である
福島銀行がSBIに買収された、島根銀行もそうである
零細な地銀はもう経営が成り立たなくなっている、結果的にどうなっているかというと
そうした地銀でも外資のSBI証券に買収されて合併してその持っている金が使われという

それはすでに農林中金でもゆうちょでも危ないCLOとかのジャンク債とかに投資している
その巨額のマネーが消失するとも警告している
それは優良な投資先がなくなった結果としてそういう危険なものに投資する
それは巨額な年金でもそうなのである
それはまた国際金融資本の餌食にされているともしている
国際金融資本とは何か?ロックフェラーとロスチャイルドと言った大財閥だとしている

そして現代の経済の矛盾は労働所得と不労所得があり金融など利子を得る不労所得が倍以上に増大している、つまり金利とか株で稼ぐことが増大している
それで不可解なのはこれほどコロナウィルスとかで経済的に困窮している時なぜ株が上がっているのか?
それは景気がいいからではない、何かここに現代の資本主義の矛盾が現れているのだ
要するに弱肉強食の資本主義でありそれで国際金融資本家が莫大な富を得るとなる

こういうことができるのはアメリカという覇権国家があってできることである
覇権国家というときドルが基軸通貨であり石油でもドルでしか買えない、するとドルの価値が高くなる、ドルが世界中で欲しいとなる、それでエジプトの端でロバに乗った少年がワンド―ラーくれとなるのだ、それはアフリカの果てまでそうなっているのだ
それだけドルは世界で通用しているのである

でも今やアメリカの覇権は怪しくなってきた、大統領選挙でもそうである、アメリカは分断しているのである
第一数パーセントの人がアメリカの富の50パーセントを持っているというのも異常である、そんな国が一体感をもくのかとなるからだ
確かに奴隷はいないにしろ実質的に奴隷にされていると同じだからである

アメリカは何かそうした矛盾があり内部分裂して国が衰退してゆく
それはやはりカルマなのである、これまでは日本がと戦争に勝利したとかアメリカの世紀だったのである、でもアメリカは間違えなく衰退してゆく
それはカルマの法則でもある、アメリカは世界に富をもたらすというより世界からの富を収奪して貯えすぎたともなる、だから本当はそうした金は世界に放出して世界を豊かにするべきものである、そういうこともあったが国際金融資本家とかはそうではなかった
金融を操作して巨額の金を得ていたからである
つまりそれがカルマとなり自らがそのカルマのために崩壊してゆくとなる

みんて金を欲しいというのはわかる、でも金がありすぎるのもカルマとなりそれが個々人でも家族でも国家でも災いをもたらしてゆくのである
たいした金ではないにしろそういうことを自分でも経験したからである
遺産で金が入りそこで大金を奪われたとか災いが生まれた、その金は家族の一人が公務員であり公務員は特権がありそれで金を残していたとなる
家族にとって自分にとってはいいものではあったがそれがみんなのためになったとはならなかった、その金でもみんなのために使うものとしてあったとなる
そのことは天文学的な金を集めた国際金融資本家にも言えるのだ
その規模があまりに大きいからそれが国家を圧迫して災いを生み大きな国家破綻でも起きてくるのである
みんなが苦しんでいる時株価があがりもうけて喜んでいることが人間としてまともな経済なのかとなるからである
経済とは経世済民であ民を救うものだからである
たた私的には株をもっていれば良かったとはなる

ともかく今起きていることは資本主義崩壊前夜として起きているのかもしれない、そして確実にアメリカの覇権国家の役目は終わりアメリカは衰退国家になる
アメリカは世界から富を収奪しすぎたからである、それがカルマとなり衰退してゆく
それがやはりカルマであり逃れることはできない

アメリカの時代は終わりつつある!

これを日本も自覚するべきである、では中国がアメリカに変わる覇権国家になるのか?
それもわからない、共産主義は過去に失敗したものでありその亡霊がまだ生きているとなるからである、それで世界を指導できるとは思えないからである
一応ヨ−ロッパであれそこに世界を主導するものがあった、アメリカでも民主主義とか世界を主導するものがあった、でもそれも消失しつつある
では中国の共産主義がその代りになるのかというとそれは過去に失敗したものでありその犠牲も死者が何千万とか粛清されたとか危険なものだった
だから中国にはついていけないとなる

では次に来るべきものは何なのか?

それはわからない、ただ資本主義は限界にきてアメリカは衰退する、基軸通貨のドルも信用されなくなる、次に代わるものが模索される時代になる
そういうときにコロナウィルスが世界に蔓延したのである
これによっても世界が変わる、グロ−バル経済は後退するしオリンピックは商業主義オリンピックであり平和の祭典などではない、だからこれも中止させられるのは神意だとなる
何か時代が変わる時人間だけの力ではない自然災害とか天変地異が起こり大きな変化が易姓革命が起きる、それに人間は逆らうことはできない、この世は人間の力だけで成り立っていないからである、それは津波で原発事故が起きたように原発をやめろという神の意志が現れたともなるからだ

ともかくアメリカの時代は終わりつつある、これを日本は自覚すべきである
だからアメリカは日本から軍隊でも撤退する、アメリカに日本を守る力がなくなっているからだ、そうなるとき日本はかなり厳しい状態になる
でもアメリカに頼ることはできなくなる、これは止めることはできない
アメリカは分断して衰退してゆく
希望的観測としては中国も分断して国力がそがれるとなると日本にはいいとなる
そういうことが神意として起きるかもしれない、ただ確かなことは資本主義は限界でありアメリカが衰退することは明らかである
そこから金融でも経済でも軍事でもあらゆるものを見なければならないとなる

なぜならSBI証券とか外資に日本の富が奪われるということはアメリカに富を奪われることでもある、それはアメリカが覇権国だからそうできた
でもアメリカが衰退することは経済でも頼るべきではない国となる
だから日本がの富を外資に売り渡すことは危険だとなる
それはただ大損になるだけだとなるからだ、金融でもアメリカに頼らない日本連合が必要だともなる
ただSBI証券とかまた竹中平蔵とかは外資のエージェントでありそれで私腹をこやすものとしてオリーブの木では批判している
そういう事なのかとyoutubeで理解した、説明がわかりやすいので百万以上見ている人がいる、それはマスコミでは一切報道されないのである

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2020年11月17日

消費と節約ー緊縮財政の失敗 (金は天下の回りもの)


消費と節約ー緊縮財政の失敗

(金は天下の回りもの)


お金を貯蓄に回すのではなく、買い物でお金を使うことは、お金が滞ることなく回ることになりますので、みんなにお金が回りますから、社会経済全体にとっていいことですよ。
経済を理解することは本当にむずかしい、例えば消費という言葉が翻訳が良くなかった
消費には消すということで悪いイメージとして使われた
それは江戸時代は物不足で節約、倹約の時代がつづいたから消費ということが悪いものとしてイメージされてこういう漢字を当てたのか?

消費というとき前は生協から伊達の醤油とか買ったことがあった、生協はやめたのでヤクルトでも売っているので買った
別に醤油など安いものでもいいとも思った、でもこれはいいものだから買うとなる
するとそれを生産している伊達市とか生産地に金が回る、売れるということで励みになるまた売る方でもヤクルトでももうけになる、つまり消費することで金が回るということである
もし節約して贅沢しなくてもいいとかなると金が回っていかないのである

金は天下の回りもの

こういうとき節約ではなく消費して金を回すということかもしれない、また金は一か所にとどまること個人でも貯めることは良くないものとしてこの諺が生まれたのかもしれない第一天下というとき日本全国から世界をイメージする、世界に金が回ることで世界が栄えるともなるからだ

消費することは何か非生産的イメージがまとわりついている
それで日本人が貯蓄好きというのは江戸時代からの継続としてすりこまれてそうなった
人間は意外とそうした習慣は歴史で作られたともなる
だから江戸時代が今と関係ないということはない、お上に従順だというのも江戸時代の継続として日本人の国民性を作ってきたからである
現代にも江戸時代の影響があり国民性を作ってきたとなる、それはいい面にも悪い面としても継続されている
消費が悪くて節約、倹約がいいというのは江戸時代に培われたてものだからである

そして徳川幕府が明治維新で倒幕派によって変わられたのは経済政策の失敗だった
そういう理論も成り立つのは政治と経済は密接に結びついているからである
つまり緊縮財政による節約、倹約の精神により経済が停滞してそれが幕府が行き詰まった原因とされる見方がある、経済というものが何かわからないからそうなったとなる
でも庶民の中では「金は天下の回りもの」という諺が生れていたのだから必ずしも節約、倹約をいいものとしてはいないともみれる
お上による節約、倹約が奨励されていたのであり庶民はそう思っていなかった
お上により贅沢が禁止されていた、いい着物を着るなとかいろいろ贅沢が禁止されたことがあったからだ、そこで贅沢は良くないものだ、消費は悪いものだとということが日本人に刷り込まれたともなる

消費というとき実際は生産と結びついている、パソコンを買うということはこれは使いこなすことが苦労である、でもこれによって知的生産が飛躍的に増大したのである
インタ−ネットができてから情報は膨大に流通するようになった
知識の量は江戸時代の一億倍とかにもなったかもしれない、情報洪水の中に日々いる時代である
パソコンを買うことでもカメラを買うことでも消費ではない、知的なものでも情報でも芸術としても生産することである、生産するために消費するのである
ギャンブルなどは消費になるが他は何かかえって消費は生活を向上するためにある

節約、倹約するのはやむをえずそうしている、もうぎりぎりの生活をしている人は節約も倹約もない、食べるものすら減らしている、電気を使わない人もいる
そういうのは節約でも倹約でもない、貧困を強いられてそうなっているだけである
余裕があれば人は消費する、生活向上のために消費するのである

資本主義社会では貯蓄というものをいいものとみていない、必ず投資することで経済が回るようになっている、第一銀行に貯金していても必ず銀行でも投資しているのである
なぜ高度成長時代に7パーセントとかの高い利子がついたのか?
それは金を貸す投資する会社がいて利益を出して利子を払っていてくれたからである
その時銀行はただ金を集めるだけで良かったのである
いくらでも借りて利子を払ってくれる会社があったからだとなる

でも今何が起きているのか?金あまり状態である、金があっても銀行だと貸す会社がないとかなり金をもうけられない、その余った金はどこに行っているのか?
株式に回ってコロナウィルスでが大量の失業者が出るとか餓死者が出るとか言う反面
株だけは上がっているのはなぜだろうとなるからだ
みんな苦しんでいる時になぜ株だけが上がり株を持っている人だけが得しているのかとなるからだ、それは何か不条理になる
経世済民が経済だとすると全く反しているのが現実なのである
ここにも資本主義社会が行き詰まっていることが現れている
つまり資本主義社会では投資先がなくなるとどこかでバブルが起きる
オランダでぱチューリップバブルが起きたり日本だと土地バブルが起きたり絵画バブルが起きたりする、余った金が投資先がなくなりバブルが起きる、今は株のバブルが起きているのかとなる、会社が景気が良くて株が上がっているのではないからだ
そしてこのバブルはすべていつか崩壊する、泡のように消えるとなる

経済は江戸時代は米中心の社会であり石高制であり米が貨幣にもなっていた
それが社会に適合できず封建制の徳川幕府が崩壊した
明治からは輸出産業として生糸が絹織物が輸出産業となりアメリカなどに売れた
それで経済が回り富を蓄積して戦争の武器などを作り太平洋戦争になった
次にアメリカに敗れて今度は電器産業が興隆して輸出産業になり高度成長時代になった
ジャパンアズナンバーワンの時代になった
それもバブル崩壊で終わり失われた30年になって日本は衰退した
辛うじて自動車産業が輸出産業となり日本の経済を支えているとはなる

日本はITに遅れて次の時代のイノベーションができなかったのである
物つくりはしてもこのITは別なのだった、情報社会についていけなかったのである
つまり経済成長するには節約でも倹約でもない新しい時代の産業を作ることだったのである、それに後れをとったから日本は停滞して衰退したとなる
今は物作りだけではない、情報化社会に日本が遅れたためだとなる
結局消費が悪いとかではなく節約、倹約しろというのは江戸時代からすりこまれた思想である、そういうものが歴史的に作られていて心の態度をマインドを作る
それは簡単に変えられないものだということである
ただ庶民から出た諺には何か普遍の真理がある
「金は天下の回りもの」ということがそうである、金は貯めるのではなく回さないと豊かになれないということである 

高齢化社会の問題は老人が金をもっていても使えないことなのである
何か新しいもの、機械を買ったが使いこなせないのである
また老人用の商品がないというのも消費できないことになる
スマホなども字が小さくて使いにくいとか何か老人は新しいものを使いこなせないのである、パソコンは長年しているから使いるがスマホはまた別なのである
だから老人が金をもっていても消費しないから金が回らないということがある
それで日本でも経済が停滞するとなる、高度成長時代は生産も増大したが消費も旺盛だったのである、だから高度成長経済になったのである
電機製品が欲しい、車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたいと消費も旺盛だったのである、その団塊の世代などが老人になると消費できないとなったのである
また老人自体が貧困化していることもある、高齢化社会では何か経済も停滞してしまうのである

ただ意外だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだったのである
最初マウテンバイクで若者向きと見ていた
でも乗ってみると平地でも走るのが楽なのである、それで病気になった人が運動に買ったそれだけ楽なのである、だからこういうものは高いにしても金がある老人なら買うとなる他の物は何か使いこなせなくなっている、それが高齢化社会の問題なのである

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 ヤマハ-YPJ-XC

これは老人向きだった

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2020年11月05日

1000万人が孤立状態 (孤立社会を生んだ背景)


1000万人が孤立状態

(孤立社会を生んだ背景)

「社会的孤立」の問題が横たわっている。筆者の推計では、わが国では1000万人が孤立状態にあるが、今後ますます社会的弱者が放置され、置き去りにされつつある世の中に進んでいるのは間違いない。

二週間両方の足が腫れて苦しかった、その原因はわからない、両方の足が悪いと立つにもひどいのである、立つことが一苦労になる
それで買い物とか食事の用意をしなければならない、もしこれができなかったら動けなくなったらどうなるのか
そのまま孤独死ということもありうる
だから現代社会は一千万人も単身者がいることに驚く

足が悪くなることはたいしたことではないと思っていた、でもは足が悪いと立つことが容易でなくなる、どうしても家事をするには立たなければならないし食事の用意をしなければてぱないから辛いと思った
それで近くの人が脳梗塞で足が悪くなったのを身て他人事だった
でも一旦自分がなってみると足が悪くなることは本当に動物だったら致命傷になる
なぜ足の悪い猫が別な猫に襲われ逃げ回っていたのを見たからである
つまり動物の場合こうした弱者化すると襲われて食べられてしまう
つまり生きていけなくなる、でも何らかで動物でも足を悪くすることはありうる
鹿が温泉で悪くなった足を治していたとかの由来があるのもそのためである

両方の足が腫れて悪くなったが今度はどうも足をくじいて片方が痛くなった
これも立つに容易でなくなった
今度は片方の足だから前よりは楽である、でも立つことと歩くことが苦しいのである
足が悪くなると立つことや歩くことができないことは人間の基本的動作ができなくなることである
そして車椅子にもなる、これも辛いとなるが自分がならない限り他人事である
人間は他人の苦しみに他人事なのは自ら苦しんでいないからである
もし苦しんでいれば自分自身が苦しんだからその痛みがわかるとなる

ともかく一千万人も孤立状態の人がいるということは何なのだろうとなる
なぜこうした孤立を生んだのか?そこに現代社会の問題がある
そういう状態になり安い社会なのである、無縁社会というのもそうである
人間の関係が希薄して金でしか結ばれないとかあり孤立する
助け合うということもなくなっている

自分が介護になったときもただ金を要求してくるだけだった、大金も盗まれたし事業に失敗した人はこれも借金で追われているから金を要求するだけである
お前が助けてもらいたいなら金を出せとか脅迫するまでになる
それだけあらゆる人が金に追われている、金,金、金、でありそれ意外何も見えなくなっている
金がないと人間関係もできないとかまでなっている

なぜこういう社会になったのか?日本人はもともとそういう人達ではなかったともある
貧乏でも助け合うとかあったとなる、日本人が育んだそういう社会は喪失した
結局戦後はアメリカに習いアメリカと同じになったのである
アメリカがなんでもいいとなった、それはギブミーチョコレートからはじまった
アメリカから何かをもらう、物欲社会となったのである
金になればいいとしかならなくなったのである
どんな人でも金、金、金・・・なのである
それ意外何も見えないのである

だから相手が苦しんでいても見えない、ただ金になるかどうかを見ているだけなのである
でもそんなことで事業などできるものだろうか?
他者のことを全然思わない、ただ金をとるものとして他者がある、そういうことで事業が成功するものだろうかとなる、慈善事業ではないというのはわかる
でも事業の基本として社会のために社会を豊かにするとか他者のために尽くすとかがあるとしたら相手から金をとることだけを考えていたらそういう事業が成り立つのかとなる

結局日本社会が荒廃したのはなぜなのだろうか?
それはアメリカ一辺倒になり金だけの社会になったことである、そこでもともとあった日本人の良さは失われた
そして孤立者一千万人が放置される状態になった
みんなばらばらの社会になりただただ金を求める社会になった、それは原発事故だって金になるからと目の色変えて積極的に誘致したのである
それに反対したらこの地には住めなくなっていたのである
つまりみんな金に狂ってしまったということである

本当に金のない社会で金から解放されて生きたいとなる、皮肉なのはそうなるにも金が必要だとなる、相当な金があれば金に困らないから余裕が生まれるからだ
金がなければ金を求めざるを得ないとなる、そこに矛盾がある
ただギリシャ時代から貨幣が生まれた結果、すべて金だとなっていたのである
貨幣にはそういう働きが内在していてそうなったのである                     

いづれにしろ人間がアトム化して無数に分化してそれが孤立化にもなる
共同体もない、そういうことでカルト教団などに所属したりする
人間のつながりが消失してアトム化してあとは金だけの世界になってしまったのである
金があっても今度は金のない人が金を要求してくる、日本が貧困化すると余計にそうなり犯罪も増えてくるのである、もう末世である
人心は乱れ人の情は希薄化してただただ金を求める社会である
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2020年10月30日

通帳に給付金の十万が記されていなかった (数字社会とコンピュター社会からブロックチェーンが生まれた?)


通帳に給付金の十万が記されていなかった

(数字社会とコンピュター社会からブロックチェーンが生まれた?)
gassannn1.jpg


通帳は記載されないで別紙に郵送されていた


brockcheen1.jpg

通帳を見たら10万円の給付金が記帳されていなかった
市役所に確かめたら記録に残り支給されている
それはどうしてかとなると「合算」とあり通帳にすべての支出は記されていなかった
一瞬記帳されていないのであせった

つまり今や金は数字でありコンピュター化されて記録されている
ところがそうなると簡単に数字だからごまかすことも可能なのである
おそらく銀行員とかはそういうことを熟知しているから数字をごまかすことができる

それをさせないようにするにはゆうちょとか地銀とかいろいろ金融機関があっても
一つの銀行などを信用しない、数字として記録するとき別な銀行でも機関でも記録させておく
するとABCDEとありA(10万)B(10万)C(10万)D(10万)E(10万)・・・
記録されて信用となる、それがブロックチェーンなのか?

何もわからないにしてもどうしたらコンピュター時代の信用を作るかとなりブロックチェーンが生まれた、それはもう金が数字でしかないからである
そしたら数字を改ざんされたら信用はない
今の銀行などの信用はそこに勤める人の人間の信用で成り立っている
ところがその人間だけを信用するということは危険になる
その人間がごまかせばごまかせるからだ
でも実は人間は信用できないものである、必ずそこに犯罪が生まれる
それで銀行であれ会社であれ内部の人のごまかし犯罪が絶えることがないのである

ただ今回と記帳されていない、金が入っていない、それであせったのである
つまり通帳に入金したとなれば安心である、何か金でも受け取ったとか支払ったという証拠が必要になる、それで常にその証拠として領収書をとる
でもコンピュター時代になるとコンピュターに記録されているのでありではその保証はどうなくのかとなる
その数字はかえって簡単にごまかすことができる、第一百万と一千万を私は間違っていた一けた違って計算していた、そういうことは普通にある
数字はそうして覚えにくいし計算間違いが生じる

私の失敗は自転車の鍵を買ってもダイヤルを数字を合わせるのだがその数字を忘れる
それで十個以上数字を忘れて使えなくした
数字は覚えにくいのである、でも今は数字が重要になる、絶えず数字を使う社会だからである
そのダイヤルを合わせるのは暗証番号は年号を覚える受験のやり方が良かった
数字では覚えにくい、だから語呂合わせで覚える
でもそれは他人のものではない自分で作りだしたものでないと覚えにくい
18が人はとなるのはわかる、その後がめんどうである

いづれにしろ現代社会は数字社会なのである、絶えず数が問題になる、数に左右されるのである、放射線量なども常に数字で計り判断する
それも数字の世界であり数字によって補償額も決まったり危険度が決まる
コロナウィルスでもやはり数字なのである、それで専門家が40万人死ぬとか言ったので糾弾されたのである、つまりこうして数字に踊らされて数字に一喜一哀しているのが現代なのである、選挙でもこれも全く数字の世界である
人間はただ数字として一票としてありどれだけ数を集めるかが問題になる
ただ一人一人は誰が特別なものにはならない、みんな一票で平等であり人間は数でしかないのである

だからまとまった数を集めれば数は権力となるだけである
その内容など政治家にとってどうでもいいとなる、数は権力なのである、カルト教団でもそうである、どれだけの頭数を集めるだけかが問題であり宗教的良心とか改悛とか本来の宗教とは一切関係ないのである
そんなこと言っていたらそんな数が集まらないからである、なんでも心のことは関係ないどんな人格でもいい、どんな性格でもいい、欲深い根性悪いとか一切関係ない
そんなこといちいち言っていたら数が集まらないからである 

株の世界も日々数字の世界である、すべてのものが債権化されて数字化されているからだそれで常にその数字を読みこむことが大事になる
ここも数字に左右されているのである、だからこれだけ数字化されると数学ができないと現代社会に適合できないとなる、それで文系でも数学が受験科目になるというのもわかる経済学部でもまずこれだ社会が数字化していると数学が必要になる
ただ自分自身は数学が苦手だから銀行なども向いていなかったとなる   

ともかく何かA−Bだけの関係だと保証しにくい、そこに第三者機関が入り保証する
遺言でも公的機関として遺言をあづかる第三者機関として公証人役場とかがある
保証するにはそうして第三者機関がどこでも必要になる
会社の不正でも政治の不正でもそうである、裁判所とか司法はそういう機関である
それが多数で保証するのがブロックチェーンの仕組みなのかともみる
ただ私の意見はブロックチェーンを知らないのだからそれについて言えない
でも何かその基本的な思想というかその根底に保証するということでみんなで保証するという仕組みなのかとなる




普通の銀行の台帳は、銀行と預金者しか使えません。

ブロックチェーンの台帳は、誰でも使うことができます。

インターネットに繋がっていれば世界中どこからでも使えます。

簡単なアカウント発行さえすれば、誰でも使えるようになります。

身分証明なんて入りません。

いつでも始められます。


ブロックチェーンの台帳は、常にみんなにみはられています。

まず、台帳へ書き込む前に、みんなで取引が正規のものかチェックします。

チェックの結果正規のものだけが台帳に書き込まれます。

正規であるとチェックできた参加者に対し、御礼の報酬が支払われます。

一度書き込まれたものは、後で書き換えられていないかもチェックされ続けます。

こうやって、最初から最後まで正しい取引の記録だけ残るようになっています。

ブロックチェーンの仕組み 初心者のためのわかりやすい解説



何か私の感じたことを書いているからブロックチェーンを知る手がかりになる
つまりいかに保証するかが問題になり不正を防ぐことが問題になる
そのために生まれたものだとなることは確かである



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2020年10月13日

田舎では格差が眼に見えて大きくなる (田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)


田舎では格差が眼に見えて大きくなる

(田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)

その人は歯医者だけど今日見たらキャンピング―カーがあった、新しいものである
それはその本人のものかわからなかった、でも何回も見ればそうらしい
新車でそれなりに大きいから一千万近くかもしれない、第一私の町でキャンピングカーを持っている人を見たことがない、たいがい駐車しているのをみればわかるからだ
だから車は目立つからそれであそこではいい車をもっているとかみる
それは車を持っている人ならわかるのである
一時何かこの辺は原発補償金が入りレクサスとか買ったとか常に噂されたのである

その家のことは自分の家で店をしたときから知っている、店で関係していたからである
でも医者の家とかではない、金持ちでもない、でも歯医者になり今は立派な家に住んでいるから成功者だとなる、評判もいいらしいとなる
これは別にもともと何の後ろ盾もなかったが息子が頭が良かったからだとなる
ただその資金についてはわからない、借金だったのかどうかわからない
でもそうであってもすでに返しているのだろう

田舎ではかえって格差が大きく目立って現れる
こうしていい息子をもてばいいが障害者の子ども持っている人もそれなりの人数としてどこでもいるのだ、その差が大きすぎるのである
一方は日雇い労働者となり非正規だとかにもなる、コンビニで働いている中年はそうだろう
都会と違って田舎だと金持ちでも貧乏人でも目立つのである
それは目に見えるからである、都会だとあれだけ密集して住んでいればわからなくなる
その人が贅沢をしていてもどこに住んでいるかもわからないし目に見えないからである

だから田舎の方が格差が現れやすい、第一家を見る、家からその家を判断できる
まず田舎で市営住宅に住んでいる人たちは最低限クラスである
生活保護者も多いだろう、その市営住宅も50年以上過ぎて老朽化しているから最低クラスだとなる、でも家賃など5000円とかもあり三つくらい部屋があるから一人なら都会より恵まれているとなる
田舎は住居費は安いのである、収入が少なければそうでないとやっていけない

ともかく田舎の方がこうして格差が目立って現れやすいから外面を気にする
それで親戚も医者だとかなり自分自身も事業で成功した人として認めてもらいたいと必死になり嘘をついたり隠したりしていた
そういう人は必死なのである、田舎で失敗者となるとみじめである
それも都会だと周りにわからないことがあるが田舎だと隠すことができない、いくら隠していてもわかってしまう、知っている人の工場は倒産して更地になったりする

ただ正直人間の浮き沈みが常にありいつまでも栄えているものもない
時代によって浮き沈みがあるからだ、ただ事業に向く人と向かない人もいる
不思議なのは自分の母方の実家の父親は警察署長だったけど機織り工場の経営で失敗した次に私の父親は双葉の新山で酒造り屋に勤めていたが倒産した
また父方の親戚も工場が倒産して今は更地となった
次にやはり父方になるのか会社を経営して事業に失敗した、そのことで自分もひどいめにあった
だからこれだけ事業に失すずる人がいるということなのか?それは普通のことなのか?
実際に事業で成功している人は20人一人だというのもそういうことなのか?

ただ歯医者とか医者とかは成功しやすい、事業としてはそうである、それもこれまではでありこれからはわからない、歯医者も増えすぎたからである、すると過当競争になるからだ、ただ別に腕がいい医者には人が来ることは確かである
でも田舎はなにかとこうして格差がかえって目立つから下の方になると住みにくい
どんな家に住んでいるからわかるし隠しようがないからである
都会だったらどんな家に住んでいるからわからないとかなる、格差が見えないのである

田舎だとこうして差別化されやすい、田舎で暮らしやすいのは田舎で地位とか財産とか何か既得権をもっているとかなると暮らし安い、そういう場に雇われる人だったりするとさらにその地位はゆるぎないものとなる
つまり殿様のようにもなるのである、そういう人は田舎でぱ威張っていられるから住みやすいのである、田舎でぱ誰でも一目置くからである
警察だってそうした田舎の有力者には手を出せないとか犯罪すら隠すこともできるとかなる、田舎だと警察すら土地の有力者のご機嫌をうかがわないと仕事ともできないとなる

開業医とかも土地の顔役になったりするから住みやすい、第一田舎だと医者を選べない、少ないから選べない、都会だったらいくらでも選べる、ただ歯医者は隣の市でもあり多いから不便とはならない、他の病気はそうはならないのである
耳鼻咽喉科は南相馬市では一軒しかないしむずかしい病気はこの辺では診れないということもあるからだ
そうなるとお医者様に何かたてつくことはできないのである、診てもらえないということが診療拒否されることが現実にあるからだ、都会だったら別な医者がいくらでもあり優秀な医者を選べばいいだけである、田舎ではそうはいかないから不利なのである

また田舎では平等性も求めてくる、だからよそ者で金があるとしたら分けてくれとか図々しく要求される、それはこの土地の仲間になるにはそれが当然だとなるからだ
もともと住んでいる人なら違う、ある人が金をもち豊かに暮らすとなればうらやましいとなるからだ、たた土地の有力者がそういうことはない、それはその土地で認めているからだともなる、公認されているからだともなる、そうなると田舎でぱ住みやすいとなる
別にその人は贅沢してもかまわないとなるからだ
ただ周囲の眼が常にあるのが田舎である、だから田舎は常に監視された社会だとなる

とにかくあいつはいい家に住んでいるなとかいい車に乗っているとか話題になる
それは隠しようがないからだ、その目から逃れることはできないのである
スーパーでさえどなものを買っているのか籠の中までみている
高いものを買っているなと女性はこまかいから見ている、それで相馬市の女性は原発避難者が高いものを買っているとスーパーで見て不満を言っていたのである
だから田舎では見てないようでも見ているのである、監視されているのである
こうなると息詰まるようになり嫌になる、だから必ずしも自分は故郷とか田舎は嫌な面があった、ただまた反面田舎の静寂と自然に没入するに性格的に向いていたので詩を書いていたのである 

どこにでもいい面と悪い面がどこにでもありこれはどうにもならない、田舎の人間が素朴だと人がいいとかは今はないのである、むしろ人間の悪質が眼に見えて露骨に現れやすい場でもあるそれで私が常に言っているのは「神のその暮らしを隠した」ということが実は桃源郷だったのである、そこに人も自然の中に隠されて見えない人の顔も見えない、それが理想的な状態だったのである、人間の顔が現れる時、そこに醜いものが隠しようがなく現れるからである   
もしかしたら人間は蛇なのかもしれない、藪とか草叢に隠れていればいいが姿が現すときもっとも嫌悪するものだからである
そこまで言うのもなんだが自然の中に隠されていればそれが見えないからである 
ただ別に田畑で働く人間はどういう人かわからない、それが醜いとはならない、自然と調和して労働しているから一つの絵なのである

故郷の片隅生きる我なりき虫鳴き幽かここにとどまる



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2020年09月29日

ピーターの法則の実例ー経営の失敗 (人間はあることに優秀でもすべてに優秀になれない)


ピーターの法則の実例ー経営の失敗

(人間はあることに優秀でもすべてに優秀になれない)


工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる。このようにして「仕事は、まだ適当な地位にまで達していない人材によってなされる」こととなる。

実社会での組織では技術を持った人々は、その技術ゆえに無能な管理職よりもずっと価値があるとも言えるので、ほとんどの組織では、管理職のための賃金や役職を優れた技術者に与えるような、事務系と平行した昇進の道を技術者に対して用意している
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なぜこういうことが起きるのだろうか?

人間の能力が万能ではなく極めて限られているからである、人間の能力というとあまりにも多様なのである、たいして付き合う人もない私でもそういうのを知った
その女性はとにかくしゃべるのがうまいのである、それは女性ならそうだがただ他の女性よりなにかとしゃべるのがうまい、それには感心する
別に老人であり学歴は中卒である、だから学問した知識などないのである
でもいろいろ経験しているからしゃべるのがうまいのである
ただそこには大きな欠点がある、何かしゃべるのだが実行力がないとかなる
でも男性の気づかないことをしゃべる、それが参考になるのである
それで最近孤独な老人の話し相手が商売にもなる
その話相手に向いている、また同年代ということでも話しが合うとなる
若い女性だと話しがかみ合わないことがあるからだ
若い女性の方がいいということがあっても話し相手には向いていないのである

とにかく人間の能力は限られている、全能なものは神しかいない、その限られた能力の集積が人間社会だともなる、個々には優秀な人はいくらでもいる
それはあくまで個別的に優秀なのである、ある分野で優秀なのである
ある人はある分野で一級の免許をとっているから優秀だとされている
技術的に優秀だと他者からも見られていて会社にいたときは月給も高かったのである
それで自分は優秀だとして事業を起こした
でも失敗して借金になった汲汲するようになった
技術者として優秀なのだから会社も経営しても成功する、優秀だとなると思っていたのである

つまりある分野で優秀な人はそう思い込みやすいのである
そして経営者になったのがその経営と技術とはまた違ったものなのである
機械を操作するのと人間に対するのとは違ったものになる
何か経営とはそうした技術だけでぱ対処できない、全人間的なものが要求されている
もちろん技術的に詳しいのは有利になる、ただそれだけではない、理系が何か経営ではうまくいかないというとき経営とは文系とも深く関係しているからである
理系だと物質とか機械と技術と人に対する対処方法とかモラルまで関係してくる
そうすると機械いじりだけが好きで人とは付き合わない、オタクになっていることもできない、それで武田邦彦氏は理系の技術者だから大学生を指導しているから機械マニアの人には英語は必要ないとしている、なぜなら英語の勉強をするより機械についてマニアのようなオタクの人が日本の製造業を支えているとしているからだ
だから人との交際とか英語などに労力を費やすべきではないとしている

これにも一理あると思った、第一武田邦彦氏自体が理系だけではない文系の知識に詳しいそれでyoutubeでも毎日見ている、もし機械のこと科学のことだけなら見ないのである
そういうふうにトータルな知識とかまた人格をもっている人は現代ではまれである
なぜなら現代文明は無数にパーツ化した社会に生きているからだ
もうどんな人も優秀な人でも部品化しているのである
もう複雑すぎて誰もこの社会の全体を知る人などいないのである
それで例えば原発を見ればわかる、これも恐ろしく複雑なものであり社長するその全体を知ることできない、吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったということでもわかるそんな人が所長になれるのかとなるが社長でも全部知る人などないのである

東電の当時の社長は資材係でありコストカッターとしてのしあがったとしている
そのコストカッターの社長のために安全がないがしろにされたのである
高い場所に原発を作る予定だったのに高くした土地をわざわざ削ったのである
原発がいかに総合的なものとして作るものだったか今になってわかった
日本だったら地震があり津浪もあり自然災害が多いからその対処も必要だった
本当にそれは総合的に見て建てねばならないものだった
でも総合的に見れる人などいない、ある部分だけを見ているしまた見れないのである
それを成しえるとなると全能の神のようなものになる
そこに個々に優秀な理系の技術者がいたけどそれを総合的な視点で使用するのが社長だったともなる、でもそんな人がありえなかったということである
そこからして破綻する運命にあったともなる

だからピーターの無能化する法則というのがあてはまる、ある地位でも職業でも担当でも優秀だとしてもそこで優秀だからして別な高い地位について優秀になるとは限らない
かえって無能化する、それは理系の技術者として優秀でも経営者として優秀とはならない理系と文系の相違は理系は物質とか機械とか道具とかそういうものに関心があり追及する文系は社会とか人とか人間の心とかに関心がある
それでその人は何か理系の技術者としては優秀でも人間のことを知らなかったのかとなるその人は自分は理系の技術者として優秀だった、これは間違えない、でもそれが自慢になり奢りになっていたのである
何か経営方針もなにもない、自分は優秀だから経営者になっても成功する、自分の優秀なことを見せてやる、何かそれが経営する動機になっていたのである
その人はだから他人のために尽くすとういう心などない、他人のために一つの荷物も持ちたくないという人だったのである
それは自分が苦しんでいる時それを見てわかった、人の苦しみなど関係ない、自分が優秀だとして自慢して他人に対して優越感をもつというだけなのである

経営とは何かということは自分は経験もないだから言わない、でも人間として何か傲慢になり問題があった、ただ別に理系の技術者として会社に雇われていれば問題なかったのである、ただこういうことはこの世には多い、だから特殊なことではないからピーターの法則が成り立つのである
人間の能力は限られている、全能ではありえない、そこから問題が起きる
あることに優秀でもあることになると無能になる、だからいくらある部分で優秀でも職種とか仕事の内容が変わると途端に無能化するのである
学者がいくら経済学者でも株のことを知っているからと株でもうけるわけでもない実業家として成功するわけでもい、かえって成功しない、実業家と理論家は違っているからだ
自分自身のことを言えば理論家であり実業家にはなれない性格である
家にとじこもって理論的研究をしているのが向いているのである

とにかく人間の能力の問題はあることに優秀でも他のことには優秀になれない、それであることに優秀でもそこで奢りになると必ず奢れるもの久しからずになる
人間の失敗は必ず奢りからきている、これも本当に歴史の法則であり人間の法則である
奢りが滅びに通じている、夜郎自大国のように漢帝国を甘く見て戦争に敗れた
日本でもアメリカを知らない井戸の中の蛙で戦争に負けて三百万人も死んだとなる
そういう例が歴史にはいくらでもあるから法則になる

これもまた私の親戚であり祖父にあたる人も警察署長だった、でも機織り会社をはじめて失敗して家族離散になる悲惨な結果になった、そのために私の母は苦しめられたのであるそして父親は威張っているばかりだったと言っていた
つまりこの祖父でも警察署長となるとそこまで地位をのぼりつめた、何か優秀な面はあったとなる、でも機織りなどは畑違いのことであり経営などできないのである
警察所長だからできる、そういう奢りが結果として悲惨なものにしたのである
その被害は子供たちに及んだ一家離散になったのである

こういうことは人間社会に常に起きている、ある分野で優秀でも他の分野では優秀でありえない、でもある分野で優秀だと他のことでも優秀だという思い込みになる
それで人間は無能化される、そもそも人間は結局いくら優秀でも無能化される
家族のことだが最後の言葉が「俺は優秀だった」と言って姉は死んだ
そう言ったのは認知症になり馬鹿になったということでそれが悔しくて言ったとなる
つまり人間は無能化する、無能にされる
原発でもそうである、そこに様々な人が社会の選ばれた優秀人たちが理系の技術でも科学者でもいた、でも結局は原発事故で崩壊ししてまったのである
それはまるでバブルの塔だったのである、人間の全員の意志で能力で天まで届く塔を建てようとしたががらがらと崩れてしまった
神が砕いたのである、そしてそこにいる科学者でも技術者でも政治家でも官僚でも無能化されたのである
その原因は人間には総合的に優れたものになれない、能力は無数に分化しているからである、それを統一することもできない、そこから破綻してゆくのが運命だとなっていたのである

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2020年09月16日

貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える (グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)


貨幣の謎を解明するには狭い社会で考える

(グロ−バル化経済の通貨は巨大な詐欺の経済)

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貨幣が何なのか?これか本当にいろいろ考えてみてもわからない
今の社会がどういう仕組みなのかもわからない、それがわからないのはあまにも巨大なグロ−バルな世界経済だから知りえようがないのである
もうとても人間的なスケールからはるかに越えたものとしてある
株でも為替でもそれを知りうるものはない、だからプロの機関投資家ももうけていなというのでわかった、誰も知りえないものであり株式市場とは博打場なのである

カナダ国債が石油とれるからいいと買った

アメリカのリートがいいと買った

為替変動があるら今度は日本のJ-reitを買った

その時リーマンショックで上がった株を勝手に売った

それで地銀の営業マンを信じられなくなりJ-reitを一月に売った

そしたらコロナウィルスで半分くらいまでJ-reitが下がった

次にコロナウィルウィルスで一旦落ちた時、買うことを奨めてきた

本当にコロナウィルスで株が上がった


これだけの変化があり結局何がなんだかわからないとなってしまう
別に損しなかったけどもうついていけないとなる
株は機関投資家のプロでも儲けられないとしたら普通の人はもうけられいとみるのが普通である、つまりプロすらわからないのが株の世界なのである
まさに博打であり何か世界情勢とかなんとかいろいろ考えても勉強しても無駄だとなる
そんなことよりただイチカバチカ賭ける、何も考えることなく運まかせでもいいとなる
また銀行がすすめるものなどもその営業の人をあてにしても無駄である
それよりAIの方がもうける確率が高くなる
とても株では世界情勢とかいろいろ分析してもわからないからだ
要するに運だとなってしまうのである
これはなぜそうなるのかとういうと人間が未来を予測できないということからきている
その一番いい例がコロナウィルスだった、2020年は大きな変化が起きるとはみんな言っていた、でもコロナウィルスで世界がパニックになるとか予想した人は一人もいないのである
有名な大投資家も航空会社に莫大な金を投資して大損したのもそのためである

ともかく資本主義であれ共産主義であれ民主主義も崩壊したというのは本当である
何かそこには理想がありそれを目指して世界が動かされた
資本主義とはもともと修道院からはじまったキリスト教から起きたとウェバーは説いた
他人を助けるための経済である、東洋だと経世済民になる
共産主義でも世界を席巻したのはそこに理想があり平等社会が実現するということがあった、それらはことごとく失敗した
共産主義はどれだけの人間を虐殺したか?これも空恐ろしいとなる
権力争いとなり反対派を暴力で殺す、結局暴力主義だったのである
ヤクザの抗争とたいして変わらなかったのである、ただ理論だけは理想があってもマルキシズムでもそれはあくまでも理想であり結果は惨憺たるものだったのである
どっちにしろ格差社会となり富は極一部の人が一人占めする、資本主義でも他人の労働を食い物にするものとなった、それはキリスト教の精神と全く反する世界となってしまったのである

結局この世に理想社会は絶対に生まれない、その理由は人間の欲が消えないからである
共産主義にも資本主義に理想がありはじまったが結果的には強欲主義となり格差社会となった、一部のものが莫大な富を得て階級社会にもなった
自由主義とか民主主義がいいようでもそれももう機能していない
選挙にしても暴力で決めるよりはいいにしてももう一票投じたところで何も変わらないとなる、百万票の一しかの影響力がない、数によって決まるからシルバー民主主義とかカルト宗教団体民主主義とかなりみんな無力感をもち投票率は50パーセントとかいうときすでに民主主義も成り立たなくなっているのだ

第一民主主義が成り立つのはギリシャのポリスのような一万くらいの直接投票の場で成り立つものだったのである、それが百万とかの単位となるともう成り立たないのである
社会というのは狭い範囲で生活して見るとわかりやすいのである
だから貨幣のことを考える時狭い範囲で考える
地域通貨のようなものを考える
すると例えばベーシックインカムとかMMT理論とか狭い地域で考えるとわかりやすくなる

貨幣でも紙幣でも特に紙幣なら紙なのだからいくらでも作れる
地域に銀行があり日銀のようなものがあって紙幣を刷って分配したら裕福になるのかとなる
決してならないことは確かである、なぜならそれは狭い地域でしか通用しないからである何か買いたいものがあっても狭い地域でしか買えない、すると狭い地域では足りないものがあり外から買うにはその地域通貨を紙幣を広い世界で通用する紙幣と交換する必要がある、するとそのレートがいくらになるのか問題になる
それはその地域での価値なのである、その地域で何か売れるものがあればそのレートは高くなる、つまりその地域通貨は紙幣は高くなるのである
でもその地域で何か価値あるものが作れない、資源でもないとしたら技術もないとしたら高くならないのである

これはグロ−バル化経済でそうなっている、石油がとれるとか車が作れるとか技術があるとかでその国の価値がありその国の貨幣や紙幣が高くなるのである
資源もない、技術もない、あるのは労働力だけだとなるとその労働力を外国人労働者のように他国に売る他ないのである
そしてベーシックインカムとMMT理論だと金は紙幣はいくらでも作れるから配分すればいいとなる、でもそんなことが可能なのか?
それは狭い地域で考えるとわかる、紙幣ならいくらでも作れる
でも現物を何かを食料品でなんでも生産して作り売るとなると簡単にはできないのであるだから一地域にいくら紙幣を作りばらまいてもそれで豊かになれないのである
狭い地域げベーシックインカムも行ったらもう生活は成り立たなくなる
紙幣などいくらでも作れる、それで働かなくても紙幣で物でもなんでも買えばいいとなるからだ、もしその紙幣がその地域だけてはない、外部でも利用できるなら別である
そもそもが外部には通用しない紙幣だから価値がないのである
そし狭い地域だったらみんなが気づく

紙幣なんか紙にすぎない、こんなもの持っていても何のたしにもならない
蔵に米でも積んでいた方がいいとなる、物を貯えていた方がいいとなる
紙幣など銀行にあづけても価値がない

そういうふうになってしまう、狭い地域だと経済でも何でも見えるものとなりわかりやすくなるのである、経済の規模が国家規模なり世界規模になると見えなくなりわからなくなる、それで国家自体が政治家とか官僚が詐欺集団だということが言われるようになる
それがわからないのはあまりにも経済でも巨大化して見えないからである
その仕組みでも庶民になるともう理解することは不可能である
それは知識あるものでもそうである、だから機関投資家とかプロでも株ではもうけられないのである

そういう社会自体に問題がありだからグロ−バル経済というのは市場でも株式でも世界的カジノのようなものになっているのである
不正が見えない、そこで大儲けしているのが巨額の金を動かししている一部の人たちだとなるのである、そこで極端な格差社会になっているのはギャンブルで馬鹿勝ちしている人がいるということである
それが狭い地域なら見えるからそんなことは続けられなくなる
つまりこの博打はペテンだとなり誰も参加しなくなる、もうグロ−バル経済はそうなってゆくと思う、今一人勝ちしているドルだって信用しなくなる
なぜ一人勝ちしているのだとなり中国でも他でも反発するからである

これからの経済はブロック経済になる、そしてあらゆるも物の交換より狭い地域での人間を重んじる、人間関係を重んじる経済になる
それは江戸時代の封建制社会にあった、なぜ主従関係があり君主のために命までささでたのかということである、そこには長い年月で育成された人間関係があったからである
それは確かに俸禄もあったにしろ人間関係が優先された社会だったのである
人間関係の絆が強固に作られていた社会だったのである
なにか東北の震災以後に絆が言われたが実際の社会に絆がなくなったからこそ言われたのである
絆というとき物を得るための絆ではなく精神的絆なことでありそれが消失したから盛んに言われたのである

いづれにしろ資本主義であれ共産主義であれ民主主義であれ崩壊している
もうそこには人間のモラルもない、ただ強欲主義があるだけである
共産主義はただ権力を得るための闘争でありそれが暴力主義なのである
第一毛沢東は銃口から革命が生まれるというときもそである
暴力なくして革命はありえなかった、それで中国は欧米に暴力で軍事力で屈服されたからそれを根にもっていた、それで軍事力で負けない国を作ろとした
だから核兵器でももつしアメリカに軍事力でも対抗することを進めて来たとしている

ともかく資本主義とか民主主義とか共産主義の理想主義は崩壊しているのである
その次に来るのものは何かとなると地域的文化的ヒューマン社会だとなる
それは狭い地域で社会で成り立つ、それを基本とした社会である
そこに人間性の回復もありうるとなる
そもそもルネサンスもヨ−ロッパの都市共同体から生まれたものであり例え富がフィレンツに集中したとしてもそれが浪費されなかったのは狭い都市内での富の流通だったからだともなる

アメリカに富が集中してもそれが巨大なる故に実を結ばない、極一部の金持ちによって富が浪費されるだけとなってしまう、地域だったら等分に配分されることがありうるからだまず田舎でも突出した金持ちは住めない、そんなことしていたら住めなくなるからだ
必ず周りにもその富を配分しないと住めないからである
それはグロ−バル経済と違って近くで見えるからである
グロ−バル経済になればそんな人がどんな暮らしをしているかわからないからである
そこでそんな人が存在していてもわからないから見えないからありえる
それで太宰治の生家は田舎であり大地主でありどうっなったかというと煉瓦の高い塀を作って小作から襲われる
ことを恐れて作ったのである、相当に恐怖していたことがわかる

これからの時代はそうして共産主義とか資本主義とかグロ−バル的なものではない
狭い範囲でも足りる世界、ミニマム社会とか節制社会とかなり物欲を求める社会ではない心を大事にする、心とはココのことなのである、その住んでいる場所から発想するアイディンティティを求める社会である
もろちん昔の村ではない、やはり広域的なものになるがその範囲は狭くなる
大きくなってもせいぜい道州制のようなものになる
そうなると社会を見えるものになりその問題でもわかりやすくなり不正はできない
だれか世界市場でギャンブルで馬鹿勝ちするようなことはなくなるのである
そて封建社会のように人間関係こそ人間の絆こそ物より金より大事にされる社会である
Human scale economyとかなる 、economyの起源が家政だったとから原点に戻るともなる  

無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)





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無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察 (金の切れ目が縁の切れ目)


無縁化社会の生まれた原因の歴史的考察

(金の切れ目が縁の切れ目)

昔から「金の切れ目が縁の切れ目」ということがあったのだから今でも継続されているとなる、でも何かそれは現代では極端化した
具体的な例だと親戚でももともと遠く離れていたから関係が薄い
そもそも地元から遠く離れて住むようになったとき縁が薄かったし遠ざかったのである
人間はやはり地縁、血縁とかがあり日本では狭い村とかの範囲で共同で生活していたからこそ必ず姓の由来が土地の名前から発している地縁となっている
だから姓をたどるとどこどこの村とかの地名にたどりつく

その人との関係は兄でも静岡とかに行ったとき兄との関係は薄れてしまった
それだけ遠いとまず何しているかもわからなくなっていたのである
その子供にしても子供の時一回だけ接しただけだった
だから縁が薄い、というよりは住んでいた土地から離れた時、縁が薄いものとなっていたのである
まず遠く離れていると何をしているかもわからなくなる
近くだと行き来があり何かあっても事情がわかるがもう遠くなると日ごろの付き合いがないからわからなくなる

ただそうなったのは自分の家の問題もあったたから相手だけを責めるという訳にはいかない
もともと金の関係しかなくなっていたのである
だから自分にしても金をくれるものとしてか意識されていなかった
それはわかるにしても親まで金で縁が切れた
墓参りするからと相手が金がないので金をくれたが墓参りは口実であり金が欲しかっただけである、そもそも親にひどいめにあったから親を恨んでいるとかそうなっていたので
親を供養するという気持ちがなかったのだと思う
親でも日本人は特に親でも死んだ人を供養する心が篤い、でも時代が代わり親との関係ですらそうして希薄化した

だから現代は簡単に縁でも切れる、人と人の関係は金しかなくなる、常に人は金になるかしか見ていない、自分が介護とか自分の病気のときその時助けるという気持ちもない
ただ金が欲しいというだけなのである、だから盗まれもした
また困っているのを見て脅迫までしてくる、それは相手も金で困っていたからである
現代はあらゆる面で人間の関係も金銭のやりとりであり金ですべてが計られる社会であるそれで「金の切れ目が縁の切れ目」になりやすい、それも呆気なく親の縁さえきれる、ましてや他人になるとそうである

何かそれでマルクスが商品と人間の関係を説いた、人間が商品化される社会である
人間疎外である、人間は一つの物でありまた金として計られる
それがグロ−バル化社会となれば余計にそうなる、世界中の物が入ってくる
でもそこで別に人間と人間の関係が生まれるわけではない、ただ物を通して金を通して人間がいるというだけになる
第一外国となれば遠いのだから普通は関係しない、ただ物を通して金を通して関係しているだけなのである
だから本来は助け合うなどないのである、それで国同士が争い戦争にもなる
貿易戦争にもなる、それは物を通してか金を通してしか関係していないからである
互いに利益があるときは協力してもそれがなくなれば「金の切れ目が縁の切れ目」になる
でも何かこういうことは人間としてあるべき姿なのかとも思う

なぜなら江戸時代などみれば人間と人間の関係は物とか金だけでは計れないものがあったなぜそもそも強固な主従関係が結ばれたのか?
第一今なら主人のために死ぬなどありえないのである、ただ金による雇用関係になった
つまり雇う者と雇われる者は一時的な金銭関係として結ばれているだけである
それも時給いくらかとかで計られているだけである
雇う方もすぐにやめさせることもできるし雇われる方も給料が多い方があればすぐにやめるとかの関係になる
そこの人間関係は金であり人間関係でも一時的なものになる
ただ会社になると長いから何らか人間関係が生まれる、でもその関係も会社を退職すると切れる、継続しない、でも不思議なのは農村社会では先祖が山にいて春になると田植えの時期に山からおりてくるとかの信仰がある
ということは死んでも先祖はその土地に生きつづけているということなのである
現代では工業社会とか商業社会になるとそういうことない、長く継続される関係がないのである、すべては物を通した金で計られる一時的な関係なのである

結局無縁社会とか孤独死とかが現代を象徴している、現代社会は無縁化しやすいのである東京のような大都会だったら土地との縁はない、漂流者のようになる
ただ金があって人がある、人は物ののように処理されるとなる
ただ不思議なのは無縁化というときいかにそれが過去を見ればありえないことだったかを知る、なぜなら誰か外から来た人が村とか商売するとき無縁の場をもうけてそこで市を開くとなっていたからである、わざわざ無縁の場をもうける、そこが神社だったとのである神社というとき縁を結ぶ場だからそれも変だとなる
でも簡単に村によそ者が入り商売はできなかったのである
おそらくそういうよそ者は村の人間関係を壊すということがありそうなった

今はあらゆるものが自由でありむしろそういう社会は田舎でもない、何をしているのか仕事でもわからない、家を建てるにしても大きなハウス会社が遠くから来てプラモデルのように一週間くらいで組み立てるだけだとなる
その土地とは関係ない人が自由に出入りできるのである
そうなると土地との関係も希薄になる、固定しない流動化する社会になる
それはまた遊牧民的社会にもなる、常に人は移動する、定着しないからその土地で濃密な人間関係を結ぶ必要はないのである
それで欧米人は狩猟遊牧民だから自分を主張して喧嘩もじさない、議論でもする
そこでうまくゆかなけれは別な土地に移ればいいとなるからだというのもわかる
日本が和を尊ぶというときまず狭い範囲の村で生活するとなると争うことはできない
何かちょっとした争いでもいつも一緒にいるのだからきまづくなるからである
嫌な人がいても離れられないというデメリットもある
嫌な人が合わない人がいるからと離れるわけにいかないからだ

ただ何でもいい面と悪い面が生じる、現代はもう人間関係は索漠としている、物と金でしか計れず人間関係はすぐに「金の切れ目が縁の切れ目」となることが日常的になる
それは田舎でも同じである、第一田舎でも農業とかに従事しているのは一割くらいだとなる社会だからである、あとは会社員だからである、その会社ですら一時的な関係だとなる会社は変わり安い、時代の変化を受けやすい、グロ−バル競争社会になると余計にそうなる
ところが農業中心の社会はその土地に根ざすから変わらない、だから江戸時代では農民だけでは職人でも十代くらいつづいているのである
職業自体が変わりないというときそうなりやすい、親の跡を継ぐ人が多かったからだ
そして誤解しているのは長屋でも実際はその住民は変わらなかったという
何かふいと見知らぬ人が浪人のような人が来て住むような時代劇があるがそういうことはなかったのである
今のアパートとかとは違っていたのである、こうして常に過去は歴史は誤解されるのである

江戸時代の封建制とかヨ−ロッパの中世とかでも主従関係があり人間関係は継続的であり貴族でも何代でもつづいていた、農民社会では三代つづかないと土地の人に認められないというときそういう社会だったのである
つまり人間関係は三代くらいつづかないと作れないということである
長さが関係していたのである、物とか金のやりとりはその場その場で終わるが人間関係はそうはならない、家族自体が子供の時から長い関係でありそこで人間関係結ばれる
血縁でも子供の時離れたとか一緒に暮らさないと兄弟ですら兄弟とは思えない他人になってしまうのである
例えば家にで雇う手伝いさんとかでも信用するために十年とか必要だとされる
特に家に入って働くからそうなる、今はまず十年も長く働くことは普通はない、十年も働けばその家の一員のようにすらなるだろう、だから今の雇用関係とは違っていた、つまり人間の信頼関係を結ぶには長い時間がかかるということである
それが現代でぱできないから家に入って働く人は一番危険だとなっているのである

封建制が成立したのはそういう濃密な主従関係とかが成立したのはその土地に根付き長い一代だけではない、人間関係の故である
だから現代社会を見直すとき常に歴史をふりかえり過去との比較が必要になる
つまり現代社会を理解するには江戸時代を知る必要がある
するとなぜ現代の無縁化社会と江戸時代を比較してその相違が見えて来る
もちろん江戸時代はすべていいとかではない、何が失ったのかということが見えて来る
失われたものが実は過去にあった、過去の社会にありそれが現代で失ったと見えてくるのである

ともかく今の社会は何か人間の関係が希薄である、そこで何が起きて来るのか?
簡単に市町村でもばらばらになる、一応家族の絆があっても市町村自体のつながりは希薄である
そして金さえあればどこに住んでもいいし受け入れられるし別にそうなら原発事故の復興などめんどうだと他に移った人たちがいる、それで仙台で補償金をもらった金を資本金にして成功した人もいる
つまり土地に縛られた社会とは違うからそうなる、もちろん放射線が怖いということで批判はできない
でも土地の縁でも人間の縁でも切れやすいのである
そういうものより金が優先される社会である、そういうことが無縁化社会となり孤独死となりまた継続性のない一時的な人間関係になる、だから江戸時代の封建制社会が果たしてただ遅れていた社会なのかどうかもわからない
それは物とか金とかではない、人間関係を重視した社会だともなるからだ
その人人間関係の方が人間にとっては大事なものだともなる
だから何でも進歩したとか社会はならない、ただ社会は変わっただけであり進歩したとはならない
ある面でぱ人間全般から見れば後退したともなる、無縁化社会とか孤独死とか人間は物のように捨てられるとなるからだ


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2020年09月08日

プロの投資家ももうかっていない、失敗している現実 (グロ−バル経済は公平な市場ではない、国際金融資本家に吸い上げられる富)


プロの投資家ももうかっていない、失敗している現実

(グロ−バル経済は公平な市場ではない、国際金融資本家に吸い上げられる富)

確実に不労所得を増やす「投資信託」の選び方

「機関投資家」は、市場平均よりも成績が悪い?
まず、「機関投資家(投資信託の資金を運用するプロの投資家)」の言うことを信じる必要はありません。なぜ、こんな話をするのかというと、「プロのファンドマネージャー(機関投資家)の運用成績は、市場平均にすら勝てない」という事例が多数確認されているからです(1)。                                   

そういうことだったのかと私の投資経験から納得した
大東銀行の営業の人は証券市場で株の売買を経験していると言っていたからプロなのでまかせられると思った
その人でも地銀とかでも証券会社のプロでも投資のことはわからない、当てていないとなるといかに投資でもうけることが至難かがわかる
そもそもそグロ−バル経済市場など天文学的数字の経済でありそれを理解できる人はいないと思う

適当にその時石油が生産されているからカナダ国債が買ったが石油の値段が下がり大損失になるところだった、次にUS=REITがいいとか買った、これはトランプ大統領が選ばれて円安になりもうかった
次に円高とか為替差益が怖いということもありJ=REITがいいだろうということで買った
その時営業の人はリーマンショックの時半分に下がった株が元にもどしあがった時J-RERIその株を売りまわしたことから疑問をもつようになった
何か売ったり買ったり転売するとまた手数料が入るからそうする

それより機関投資家であれ本物の投資のプロでも当てていないしもうけていない!

これは意外だった、プロがいてもうけているのかと見ていたからである

このようになぜなるのか?プロだったら知っていて投資していると普通は思う
ところがプロさえ当てていないもうけていない、もうけられないとなる
ただ今度はコロナウィルスでチャートを見せて一時下がったので上がって来た時買いだと営業の人がすすめたとき本当に買いだったのである
でも私はJ-REITを営業の人が信じられなくなり一月に売った
そしたらコロナウィルスで半分まで下がったのには驚いた

このうよ株式の世界、投資の世界は予想もつかない、訳の分からない世界なのである
それはプロでもわからない世界だったのである
その原因はそもそもグロ−バル経済自体が誰も理解できるものではないからだ
その市場自体も天文学的数字であり第一世界を理解すること自体不可能だからである
本当はそこでもうけているのは国産金融資本家であり銀行だというのもわかる

なぜなら世界で金を作りだしているのはFRB、世界中央銀行である、それはアメリカの国ではない、民営の会社であり銀行なのである、その銀行が金融を支配しているとされている、金を作り出すことができるということは最大の権力を握っているともなる
そこにロスチャイルドとか加わっているともされる
そしてなぜコロナウィルスで世界でも日本でも経済的苦境にあるとき株だけは上がっている不思議である、好景気にわいているのは何なのだろうとなる
それはそうした金融を支配する上層部が金を作り出して回しているだけだとしている
それは経済の実体とは違っている

こうしてなぜ経済がもう理解をはるかに越えたものとなり世界市場はギャンブル場のようになってしまっている
金は紙幣が世界市場にばらまかれている、でもそれで景気が良くなっているのか景気が良くなるのか?そんなことがありえないだろう
だって紙の金は紙でしかないからである
例えば江戸時代などはいくら金がやはり力をもったとしてもその金を金あらしめたのは米である、だから藩でも石高でその経済力を示して指標にしていたし侍でも石高でその収入を決めていた、だから金の価値は石高であり紙幣ではない
実際の金でも小判と銀貨であり今の金とは違っていたのである
そういう経済では何か実態経済と金は物の値段と価値はグロ−バル経済のようにはならない、ある程度理解できる経済である

日本語の「経済」は英語の"economy"の訳語であるが、この語は古典ギリシャ語の οικονομッα(家政術)に由来する[3]。οικοツ は家を意味し、νομοツ は規則・管理を意味する[3]。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方である

経済とはこういうものであり家政だ基になっている、それだけ狭い範囲での経済である
でもグロ−バル経済となるともはや誰もわからない天文学的な数字の世界の経済である
だからプロの機関投資家でも経済のことは素人並みでありギャンブラーにすぎないとまでなる、だからこの意見は意外だったのである

それで機関投資家、プロの投資家でも詐欺的になるということはそもそもグロ−バル経済があまりに巨大すぎて理解できないからである
そこに最大の問題があったのである、そこに中国だと経済は経世済民で民を救うものとしての経済だがそうはなりえない、だからなぜコロナウィルスでみんなが苦しんでいる時
株だけが上がって株をもっている人たちは特に金持ちは得しているというのも異常だとなる
困った人など関係ない、株で儲ければいいとしかなっていないのである
むしろ喜んでいるということきにもなっているのが現代の異常な金融支配なのである
修道院から始まった資本主義はもう悪魔の強欲資本主義と化している
「道徳無き経済」でもある
だからもうグロ−バル経済は世界を破滅させるとまでなる、一握りの人間が世界の富を収奪しているとなるからだ、それが銀行などでありそこが金を作り出している世界経済を狂わせる元凶だともしている
ただそれだってあまりにも巨大だからわからないとなる、ただ憶測だけになる

こうしてわからないということ自体が問題なのである、なぜならちょっと考えてみればわかる、狭い範囲で10万くらいの都市に中央銀行のようなものがあり紙幣を発行するとする景気良くするからと金をその範囲内の住民にばらまいたとする
それでみんなその金を使うとする、そんなことで地域住民が豊かになるだろうか?
そうなると金は別に紙幣を刷ればいいだけだとなるからだ
でもなぜそうなっているのかというとグロ−バル経済とか金の力は遠くから物が入る時
力を発するからである、金で何でも買えるというときそれは世界中から物が入ってくるからこそである、全国規模で金を入ってくるからである
すると地域の狭い範囲の経済など関係なくなる、米でも日本中のあらゆる米をうまい米を買えばいいとしかない、地域の米がまずいならうまい米を他から遠くでとれた米でも買えばいいとなる、でもそこで問題になるのが金なのである
金がなければ買えないということである

ではもし地域で金を作りだしたとしたらそうした食料でも働かなくても買えるから生活できるとなる、でも地域では金を作れない、地域貨幣を作ってもそれはうまくいかず通用しない、それより中央銀行ではそうした国の紙幣発行をつぶしている
何か独自の紙幣を通用させようとするとつぶされるとしている
第一地域通貨など狭い範囲でしか通用しない、そうなるとその通貨の意味は今の国際通貨とは違ったものである
ただ物々交換ではめんをとだから地域通貨を利用するということである
だからそもそも貨幣とか通貨とかが広い規模で生まれたのは外国との貿易で贅沢品を買うために必要としたからだとされている
それで貝が装飾品としてもあり宝貝が貨幣の役割りをした、要するに宝石とかと同じものとして貨幣があったとなる

世界の富を得るにはどうするのか?

世界通貨を持つことである、それがアメリカでは民間の国際金融機関のFRBとがである、巨大な国際銀行が紙幣を発行できる
特にドルを発行できる、ドルが世界の基軸通貨だからドルをもてば世界の富を手に入れることができる
その後ろ盾がアメリカという覇権国家があってのことである
そして超格差社会となり数パーセントの人たちが富を一人占めしているのである
それはアメリカ国内でもそうなのである

つまり紙幣は金を握るものは権力を握るからである、権力があって金もありえる
ローマ帝国があってローマの皇帝の硬貨がローマ帝国内で通用するのである
アメリカという強力な国家があってドルは世界の基軸通貨となっている
だからアメリカでは世界通貨として使用されるともなる、でも中国でも他の通貨を使用するとなると反対するのは金の力で支配できない大きな地域が生まれるからである
そういうことはローマ帝国内でも地方を支配する統治者がその人物像を彫らせて貨幣を作りだした時中央政府から攻められて殺されたともなっているからだ

いづれにしろ貨幣とは何かとなると一概には言えない、その背景は複雑にしても一つの支配形態であり政治的なものであり決してアダムスミスが言う、見えざる手に導かれる市場などではないのである、政治的支配形態として紙幣がありその発行権をもっている上層部が経済を国をも支配するとなっているのである
だからこそ世界の富が数パーセントの金融をあやつる人たちで巻き上げられて収奪されているとなる、ただあたかも公平なように装うのである
あまりにもこれも原発のように複雑すぎるし規模が大きすぎるからそうなっているのである、そこに最大の問題がありだからこそグロ−バル経済は問題なのである
貿易とかは必要である、ただ現代の計り知れないグロ−バル経済はサタンが操作する経済ともなっているのである
それでプロの機関投資家でも株で当てていない、もうかっていなとなっていたのである
それこそが現代のグロ−バル経済を象徴していたのである  

現実投資で素人がもうけるとしたらインデックスの株の投資である
引用したサイトで説明しているとおなりである
私自身もリーマンショックの時もっていたインデックスの投資信託が元にもどりそれから上がったのには驚いたからである
ただ銀行の営業の人が来てその時、J-reitに回したからもうけられなかったのである
銀行では次々に売ったり買ったりすると手数料が入るからそうしていただけである
その営業の人自体分散投資のことを言って自らまもらなかったのである
ただコロナウィルスで営業の人がチャートを見せて今上がっているというときそれは当たっていたのである
でも信用できなくなり買わなかった、そもそも機関投資家のプロすらもうけていない当たっていないというからこの世界でもうけるのは至難だとなっているのだ




posted by 老鶯 at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年08月30日

未来を見通せないで株でも失敗 (パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)


未来を見通せないで株でも失敗

(パソコンも最初はオタクのオモチャだった-日本は先を見誤り衰退)

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1995年秋にWindows 95が発売された、ところがこの前にパソコン通信が行われていた
前哨戦としてあった、その時私はたまたま富士通のワープロで通信機がついたのを買ったそれは偶然だったのである
でもその時パソコンをしていたのはマニアであり理系のオタクが多かった
だからかえって選ばれた優秀な人たちがしていたのである
そこで前哨戦として開発に協力していた、なぜならその時パソコンは高価であり一台40万くらいしていたからである
私は理系でもないけどそんなことをしていたのはたまたまだった
そして引きこもりで一日部屋にいて暇があるからできたのである
それでワープロで富士通の親指シフトを覚えて親しむようになった

そもそもパソコンを発明したのはビルゲイツとかジョブズとかでありその人は理系のマニアのような人でありそれがこれだけの世界に拡散して不可欠のものとなった
ただその時こんな通信が主流となる世界になるとは予想できた人はいないのである
日本はなぜITで遅れてしまったのか?
科学者が言うには先を見通せなかったとしている
その時アメリカで二人の天才が先を見通していたから今日がある
技術でも先を見通せないと遅れて後進国になってしまう

でもこの先を見通すことが本当にむずかしいのである
例えば時代が変わると産業も変わる、戦前は絹織物が輸出品でありいたるところに養蚕が行われていた、それで今でも養蚕をした家は一目でわかる、兜屋根の家だからである
2階で養蚕をしていたからである
絹織物が主要産業であり私の母は原町紡績で10年間糸取りをして働いていた
それでその原町紡績の工場の敷地内まで引き込み線がしかれていて横浜の方まで運ばれていたのだ、その時原町は平と並んで機関区になっていてこうして絹織物とかまた木材とか石でも資源が運ばれていた、平機関区からは常磐炭田があり石炭が運ばれていた
石炭がエネルギーをまかなっていたからである

戦後は産業が全く変わってしまった、電器製品となりそれが日本で輸出できて高度成長時代を築いた、でもこれもまた産業がITに変わった時日本は遅れることになった
つまりこの先の産業が何になるのか見誤ったとしている
最初はおもちゃのようなものでオタクがしていたようなものが全世界に普及するとは思っていなかったのである
だから先を見誤ることは致命的になるのだ
投資でも先を見込んで投資する、でも必ずリスクがある

それを私は別に投資とか株などする気もなかった、何にも知らなかった
たまたま親が死んで遺産が入ったことで貯金に利子がつかないとかで始めただけである
私は何にも勉強もしないし知らないで銀行の営業マンが投資のプロだと思ってまかせたのである
でもその人は別にプロでもなんでもなかった、素人並みだったのである
第一地銀は株とかにはそもそも経験もしていないし知識の積み重ねとかもないのである
だから支店長が株のことはわからないと言っていたのである
銀行は今まで金を集めればいいだけの仕事だったのである
それが株に手を出して投資信託とかで手数料をとる商売になったのである

株でわかったことは先を見通すことがどれだけ大事なことかであった
なぜならなぜカナダの国債を買ったら急激に石油の値段が下がった
それは今もつづいている石油とかは高いものだっから石油のとれるカナダの国債は安全だと思っていたのである
それがあんなに下がるとは思いもよらなかった、そこでかなり損した
ただアメリカに投資したリートはトランプ大統領になり円安になりもうかってとんとんになった
このうよに急激なにかある株は急落するリスクが怖いのである
ただリーマンショックの時買った株が上がったときそれを今度は銀行の営業マンは勝手にJ-reitに回した、それは自分のノルマがあり売買する度に手数料が大きいからである
その時自分は株が上がっているのに売るのはどうかとも思った
ただ自分で判断せずに営業マンにまかせたのである
結局素人の場合、こうして営業マンによりけりとなってしまう
その人は親身になりまかせる人だったらこうはならない
でもそういう人は滅多にいない、ほとんどいない、銀行のもうけを自分のノルマとか優先するからである
あくまで投資は自分で判断するものであり他人まかせではできない、第一銀行などでは
リスクをとらなから真剣にもならない、ただ適当に売って手数料とればとしかないからである

それでも今度はコロナウィルスでJ-reitが急落した、半分に下がったのもショックだったところが私は一月に売ったのである、それはなぜかというとコロナウィルスで判断したのではない、地銀の営業マンが信じられなくなったのである
それは株が上がっている時勝手に売ったからである
そのことで信用できなくなったので売ったのである
そしたら二月から急激にコロナウィルスで下がったのである
株も下がったのである、その時地銀の営業マンはチャートを見せて今買いだとして株を買うことをすすめてきた、でも営業マンを信じられなくなったからのらなかったし第一コロナウィルスで混乱して景気が悪くなっている時さらに下がるとも見たからである
そんな話しかなかったからである

でもその時買っていたら相当にもうかったのである
このように株式の世界は変化が激しすぎるのである、もうついていけないともなった
そして素人の場合は営業の人によりけりでありいい人にあたればもうかる
でもそういう人はめったにいないし営業の人自身も株の世界はわからない
リスクがわからない、誰もコロナウィルスのことを予測した人など一人いなかったからである、ただこのリスクは営業マンがすべての責任を負うことではない
なぜなら株とういものを理解している人が判断すべきでありその責任は客にあるからだ
だからちゃんと説明することが必要なのである
勝手に株が上がっているのになぜ売ったのかということが納得できなかったからである
それで信頼できなくなったのである、でもそのことがかえってJ=reitを売り損をまねがれたとなるのも皮肉である

株で確かなことは下がった時が買い!

これだけは確かである、なぜならリーマンショックでもあれだけ下がったのに上がったからである、10年単位くらいで上がり下がりがある、だから下がった時は買いなのである
これは法則に近いのである、でも老人になると先がないから投資には向いていないとなる庭に木を売るにしても成長するのに6年だとか8年だとかなると待てないからである
それより成長した木を植えるようになるからだ
先を見越すと言いう時どうしても時間をみなければならない、最低でも10年は必要になるとなると老人には先がないから投資は向いていない
ただ先を見通すことが成功することなことは確かである
それが日本ではできなかったから衰退して没落するとまでなったのである
それで盛んに今政治家は未来を語る、未来のビジョンを示すべきだという
それがないから日本はますます衰退すると科学技術者は言っている
技術に関しても未来を示されないから日本はITで遅れて衰退したとしているからだ

ただ未来を見通すことがむずかしいのは株だったらコロナウィルスを予想した人は一人もいなかった、ビルゲイツなどはウィルスに研究費を出していたからある程度見通していたとなる、未来を見通すという時、例えば米中戦争になるといってもそういう兆候があっても本当に戦争になるか判断できない、未来はどう展開するかわからないのである
つまり必ず未来は思わぬ展開になる
これだけは間違えない、何か私自身のことでもそうだった
引きこもってワープロで通信していたり旅ばかりしていて遊戯三昧の人生だった
でも今になると本当にベーシックインカムでみんなアーティストになれということが信じられないとなる、なぜなら団塊の世代は猛烈な企業戦士として会社のために働いたからである、すると私などはその正反対でありそんな人はその時まれだった
でも今になるとなぜ引きこもりとニートが百万単位でいるのかとなる
それは仕事になじめない人がひきこもる、私の場合は底辺になり流れ作業などばかりさせられから仕事嫌悪症になり旅ばかりするようになった、それも家族に恵まれたからできたのである
でもそうしたことでも今になって役立っている、ところが会社一筋の人は退職すると何が残ったのかとなる?
何か語ることがあり社会に示すものがあるのかとなるとないともなる
それで退職すると妻についてゆくだけで何もやることがないとかなっている
だから人間とはつくづく近い将来でもさらに遠い未来となると見通すことはできない

未来には何が起きるかわからない!

これは銀行が硬い職業で地域ではエリートだったのがもう必要なくなるとかもなるのもそうである、このように社会は変化なのである
自然も変化である、近くの川も去年の洪水で大幅に流れが変わった、砂地が増えた

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中に本当に常なるものはない、自然も常ではない、それは津波の被害をみればわかる村自体がいくつも消滅したからである、これほどの変化はなかったからだ

posted by 老鶯 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月29日

大航海時代からグロ−バル資本主義の終わり (江戸時代的価値観や東洋の思想の復活した社会へ)


大航海時代からグロ−バル資本主義の終わり

(江戸時代的価値観や東洋の思想の復活した社会へ)


遠くへ遠くへ

早く早く

より多く多く

効率的に無駄をなく


これまでの時代は西欧的価値観がグロ−バルに支配した、遠くへ遠くへというとき
交通が飛躍的に発展した、現代文明はグロ−バル化は交通の発達がなければありえなかった
歴史で見れば大陸だと騎馬民族がいてモンゴル帝国のように拡大する
それは馬があってできたことなのである
それから産業革命になって鉄道ができて車社会になり航空機が生れ飛躍的に交通が発達した
ただ馬の前に大航海時代がありこれは船の時代だった、船の技術がなければだ大航海時代はありえなかったからだ
大陸ではどうしても陸つづきなのだから遠くへ遠くへと実際に行ける
だから大帝国が生れやすいのである
つまり空間に生きるとなる、日本は島国であり時間に生きていたというとき季語が無数にあり季節の変化に敏感でありそれがあいさつにもなっている
日本の空間は狭いのである、そして日本人のアイディンティティが狭い村でありそこでの人間関係とかになり窮屈になる

日本人がなぜ景観に無関心でありかえって自然を大事にするということが欠けている
おそらく日本人は景観といってもそうした大きなものをとらえる感覚がない
狭い地域で村で生きていたとき森全体とかを見ない、木を見て森を見ないとなる
森となると大きなものだから意識しにくいのである
大陸では天を意識するが日本人にはそういう感覚はないのである 
日本人には戦略がないというとき戦術のみにとらわれるというときもそうである
戦争でも大陸になると広大であり兵士をどう編成するとか戦略的になる
日本人だとそうした大編成部隊を作ることが苦手である、そういう広い土地がないからである、たから大東亜戦争ではそういう大きな戦略がない、ただ拡大してゆくだけだった
だから西安の方まで日本兵が行ったのには驚いた
その時、鉄道でも発達していない、どうしてそんなに遠くへ行ったのかとなる
ただ馬で行軍していた、馬を利用して遠くへ行っていた
だから第二次大戦までは馬が重要な役割りを果たしていた、南京に日本軍が入場したとき騎馬隊だった、
第二次世界大戦でも馬が活躍していたのである
それで死んだ馬を供養する寺があった、それは馬頭観世音と同じである、戦前までは馬が今の車と同じように荷物を運ぶものであり大事にされたからである、それでいたるところに馬頭観世音がある
馬を供養していたのである

とにかく大航海時代から20世紀までは交通の発達が共通の文明をグロ−バルに形成したのである、それが西欧文明の普及となり世界が西欧化したともなる
それでアジア的停滞とかヨ−ロッパから見ればそうなった
つまりアジアは東洋が遅れたものとして認識されたのである
そして資本主義が世界を席巻してグロ−バル経済になった
資本主義も常に遠くへ遠くへと志向する、空間の拡大である
資本主義は常にフロンティアを求め投資してゆく、それが時代を作った

でも今なぜ資本主義がゆきづまっているのか?

銀行でも金余りであり世界でも金余りである、一時は中国は投資先となってグロ−バル
資本主義を導引した、でもそれも飽和状態になり成長が望めなくなった
世界にはもうフロンティアがない、残されたのがインドとかアフリカだとなる
そこが中国のようになるかどうかはわからない
それよりコロナウィルスが時代を変える、これまでのグロ−バル経済とか資本主義の思想が通用しなくなる
なぜなら遠くへ遠くへとか交通の発達がウイルスを拡散するものとして止められたからである
それで大打撃だったのは観光業だったのである、ばったり100からゼロにもなったという驚きである、こうなると早く早くという技術革新でもリニアでも無駄だから停止しろともなる、その投資すら無駄だとなる、時代に合わないとなるからだ

人間は何か科学技術は無限に進歩する、科学技術にはバラ色の未来しか見ないのである
科学技術が人間のすべての夢をかなえてくれると見ている
科学技術信仰が現代の文明である、それは止まることを知らないのである
それに歯止をかけたのが福島の原発事故でもあった
その事故のために生態系が汚染されて住めなくなったからである
そこに科学技術を万能化することの夢は打ち砕かれたのである
人間には核を操作する技術はなかったのである
その被害はあまりにも甚大だったのである、未だに山菜とかの放射線量は減っていない
むしろ増えているのもあるのだ
森は汚染されて放射性物質が循環しているだけであり減らないからである

いづれにしろこれからの時代は科学技術信奉の限界でありそれがすべてバラ色の未来をもたらすわげではないことを知った、そして早く早くという限りない追及もまた資本主義の効率の追求もより多く増やすという思想も限界に達した
何かこうしたヨ−ロッパの思想には止めるとか減らす思想がないのである
ただ早く早く多く多くとか増大する思想しかないのである
そして資本主義が効率を追求する時、肝心の人間の幸福が何かを追及しない
資本主義にとって

人間が一番のコストであり人間はいらない

効率を追求するとそうなる、現実にお手伝いさんをなどを簡単な仕事でも雇うと大変なことになることを経験した、その家族とかなにやかにやと世話することまでになる
福祉的なことでも人を雇うとコストがかかるのである
だから人間一人を雇うこと自体最もコストなのである
それでいかにこの人件費を抑えるかが資本家にとっての最大の課題となる
つまり労働を人間にさせないで機械にさせることが最も効率的なのである
皿洗いなら最近いいものができた、これまではうまく洗いなかったが3万くらいでいいものができたとかなるとその方がお手伝いさんを雇うよりいいとなるのだ
人間を雇うことは資本家にとって最大のコストになるからだ
だから機械の改良がつづけられているのである
頭脳労働ですらAIで代わりにしようとしているし現実化する
なぜなら人間こそが一番非効率的な存在であり資本家にとっては無駄なものなのである
それは資本家というより資本主義体制なのである
ただ経済システムとしてはそれが社会にとっていいものだから受け入れられたとなる

でも資本主義が終わりだというとき銀行でも投資先がないとかゆきづまるときこうした思想を見直すことが必要になる
人間が最もコストだとか人間はいらないという社会がいいはずがないからである
人間自体を幸福にしない社会体制がいいはずがないからだ
江戸時代まで人間は資本主義とは無縁の世界で生きていた、では人々が不幸だったとかというとそうでもなかった、日本人はみんな幸せそうに見えたと江戸末期に来た外国人が報告しているからだ
貧乏であっても日本人は幸福に見えたというのは何かそこに人間が必ずしも今高度な文明で生活してもそこに不幸が生れている
もちろ簡単に時代を比較はできない、ただ働いている人たちが俺たちは奴隷だ社畜だとか不満があるときやはり働くこと自体に生きがいを見出していないのである

だからより早く早くとかより多く多くとかより効率的に無駄をなくすとかの思想が限界にきている、人間はそこで時間を奪われ酷使されている
遠くへ遠くへと行くのでも経済面ではかえって労力がかかっている
なるべく身近な所で自給自足的な生活をするのがいいとなる
ただ村とかの範囲では無理である、それなりの広さは必要である
でもグロ−バルな経済は不自然なのである
そうしてアフターコロナの時代はそうした時代の変化がありグロ−バル経済も後退する
第一航空機でも利用できないとか外国人でも自由に行き来できないとなればそうなる
観光業が一番打撃を受けたという時、まさにそうなった
あれだけ京都で外国人であふれていたのがぱったりと来なくなったことの驚きである
そこにかえって日常の平穏な生活がもどったともなる

コロナの前でも良く中世に戻るとか言われてきた、日本なら江戸時代にもどるともなる
もちろん同じようにはならないにしてもそういう傾向になる
江戸時代の不思議はなぜ駕籠のようなもので人を運んでいたのかということである
技術的に開発できなかったというよりそうした生活でよしとしていたのかもしれない

遠くへ遠くへ

早く早く

より多く多く

効率的に無駄をなくす

この逆だったのが江戸時代なのである、より近く近く、より遅く遅く、 少なくまた効率的でなく人間的だともなる
少ないというときそれだけの資源もないし貧乏だから当然あらゆるものを近くにあるものを活かすほかないからそうなった
だから江戸時代がすべていいというわけではない、ただそうした停滞社会というのは逆に人間的だったということがあったからみんな幸福そうな顔していたともなる
現代の人間はみんな不幸そうな顔しているというときうつ病の時代だというときもそうである、資本主義でもグロ−バル経済になっても機械で便利になっても必ずしも人間を幸福にしたとは限らないのである
あまりにもまた金がすべてとなった社会でありそれですべての優劣が判断される
そして金融はマネーゲームとなりグロ−バル経済の中でモラルも消失した
だからこうした社会をコロナウィルスが止めたということで不思議なのである
時代の変革がコロナウィルスで成されるということが不思議なのである
つまりそんなことを簡単にできないからである、いくらそういうことを言ってもできないからである

ともかく価値観の変化の時代である、思想的にもまた西欧文明の資本主義でも変化する時代である、東洋的価値観とか思想の時代にもなる
ただこれも明確ではない、でも宗教となると仏教でも老子の思想でもキリスト教ですらアジアからオリエントから生まれたものである
そこが誤解しているのである、時代的に象徴するものとして馬の時代があり船の時代がありそれは空間の拡大だった、でもこれからは牛の時代になる
牛は大地と一体化したものであり遠くへと行くものではない、土地に根ざしている
木とか石でもそうでありそれは土地に根付いている時間的存在である

posted by 老鶯 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年07月25日

資本主義社会から変わる社会は何か (役割で人を評価する、金では評価しない社会)


資本主義社会から変わる社会は何か

(役割で人を評価する、金では評価しない社会)

●資本主義が機能しなくなった

今コロナウィルスでも何かおかしいのは職をなくしたとかいろいろ困窮している人がいるのに株が上がっている、景気が悪いのに株が上がっている
それでさらに格差が広がる、人が苦しんでいるのに株主はもうけている
人々が苦しんでいるのに株主社会である資本主義では株主に影響はない
その金を国からの国債から株に流れてきた金だとしている
実態経済とは関係なく金が右から左に流れて利益を得る、それがグロ−バル社会で行われる、そこに巨額の金が流れてコロナウィルスでも巨利を得た国際資本家もいたのである
そこには道徳なき経済になり弱肉強食の経済である

こういう資本主義社会はもうこれ以上つづけるとどうなるのか?
アメリカのような暴動が起きて来る、贅沢品を売っていた宝石店が壊されてねらわれたりする、黒人だけではない、不満分子が格差社会で増大して暴動になったのだ
アメリカでのコロナウィルスの被害は大きかった、それでさらに底辺層は困窮していたからである、富裕層は別荘に逃れて優雅に暮らしていたとか言われる
またこういうときでも大儲けできるのがグロ−バル経済である

アメリカ型の資本主義がありそれは株主優先である、そこに働いている会社員や労働者は重視されない、ただ時給いくらかで働かさせられるシステムの中で奴隷化された人たちである、それはシステム機械の部品のうよなものでいつでも取り外されて補うことができるとみている
そもそも時給労働自体が人間を安く部品のように使う労働なのである
そしてアメリカ型資本主義では株主優先であり会社は労働者のものではない、株主のものなのである
だから現実を生きて得するには株主にならないと資本主義社会では裕福になれない仕組みになっているのだ


ただ資本主義社会はもう金があっても金余りであり投資先がないから行き詰まっている
中国が投資先になったがそれももう発展したので投資先にならない
日本でも高度成長時代が終わり投資先がないから銀行でもつぶれるとかなる
金を貸す先がないのである、それだけ新しい起業がないのである

銀行の役割が喪失した

これが根本的な原因なのである
それでコロナウィルスで銀行は資金がないとして融資を頼まれるで政府では奨励しているが銀行ではそういう会社に投資しても見返りがない、高度成長時代だったら金を貸しても必ず見返りがあった、利子をつけてももどってきたのである

●江戸時代は役割社会

だからこれから社会はどうなってゆくのか?
もう旧来の資本主義グロ−バル社会は継続できない、一応継続しても別なものに変わる他ないのである

What's your responsibility?「あなたのやるべきこと(役割)って何?」という使い方もできます。日本語だと「役割」と一言で済ませることはできますが、英語だと、roleやresponsibilityだけでなく、chargeも使います。In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます。

働くという時、最近job型になるという、日本の社会はメンバーシップ型であり仲間内で協同を共同を重視したものとなっていた
それは農耕型でもある、みんなで村人が田植えしたり稲刈りしたり草刈りをする
それは今でも草刈なとはつづいている、農業とは人手がかかり共同するものだったのである、そういう感覚で会社が生まれた、なぜなら社(やしろ)に会すが会社だからである
会社のビルの屋上に社があったりするのもそうである
それは株主優先の資本主義社会の会社ではないのである
job型は英語で調べるとわかるがworkとは違う、何か一時的に仕事するとかある部分を担当して仕事するとかある、そのニュアンスが違うのである
欧米人はjob型でありそれぞれの専門性の仕事を重視する
仕事でもある特定の仕事をできる人をjobとして雇うのである

ただjobという時、そこにも専門性があるとししてもworkとは違う、workにはいろいろな意味がある言葉である
workは働くというとき機械が働くとかなれば機械が動きワークする、作用する、機能するとかなる、つまりワークには社会の中で機能するとか作用するとかの意味になる
そして作品の意味があることが重要である
何であれ製品を作品を仕上げるとういう意味がある
つまりワークにはlifeworkとかあり一生を通じて作品に仕上げるとういことがある
それは芸術家だとわかりやすい、画家だったら自分の作品をしあげることが仕事でありその仕事は死ぬまで継続されるのである
それは途切れることはない、会社で退職して途切れることはないのである

そしてworkには社会に機能するとか作用するというとき役割があるというふうにもなる
役割とは責任のことであり社会で責任ある部署を担当することである
また役割はroleというとき人間の役割はrollする、回ってくる、同じ役割でなくて役割が回ってくるということがある、だから人間の仕事は必ずしも固定されていないのである

そして役割というときまずその共同体であれコミニュティであれ自治体であれ役割を持つことである、株主になるとか会社員とかではない、それぞれの役割を社会でもちそれで評価されることである、金を第一とする前にそうして社会で役割がありその役割で評価するそういう社会が江戸時代だったと思う
侍には侍の役割があり農民には農民の役割があり職人には職人の役割があり農民には農民の役割があった、そして限度を重んじたのはその役割を果たすことが第一であるためである、それが封建社会だとなりそんな社会は不自由だとかなる
でも古いものでもそこには何かしら参考にすべきものがある
それで歴史から学ぶというときそうである、なぜこんなに資本主義社会は乱れるのだろうか、弱肉強食であり経済とかでもその意味は経世済民なのにまるで違ってただ金あるものだけが威張る社会に疑問になる

役割というときその役割に責任がありその役割を誠実に果たす勤めるということが職業倫理になる、その人の役割があり責任がありそれを果たすことで評価される
金で評価されるわげではない、まず社会の中で役割がありその役割を果たすことでその社会の一員となれる
そこでは人は役割で評価されるのであり金で評価されるわけではない、江戸時代なら庄屋でも村人をまとめる役割があり侍がいて米を税として納める役割がある
それは階級社会で格差があるとかなり否定される
でも江戸時代はそうして役割で評価されたのであり金があるかないかではない 

●AI化と機械化で人間の仕事がなくなる社会では役割社会になる

こういうことはAIで仕事がなくなり仕事をもつ人は特権階級になるという
なぜ仕事がもてなくなるかというと仕事が機械化されAI化されてなくなるからだ
すると社会で仕事ができている人は例えば給料が高いとか金で差別化しているが仕事をもっている人と持っていない人で差別される
別に給料はベーシックインカムで仕事しなくても払われる一応食べていける
でもそういうふうにして仕事がない人は社会に役割がない人として尊敬も何もされない
あの人は仕事ができるということは社会にとって必要不可欠の人であり尊敬されるとなるそれを感じるのは退職した時、何の用もなくなるとにている
一応年金で暮らせるのだが社会にとっては用のない人になるからだ
それで妻もそういう人と長い老後を暮らすのは苦痛になる

だからそれぞれに役割があり仕事する、でもその役割を果たしていない、その責任を果たしていない、マスコミにもその役割があったが果たしていない 
そもそも男性には男性の役割があり女性には女性の役割があって社会は成り立っていた
男性と女性が能力を競うことではない、それぞれの役割りをこなすことであった
だから男女平等社会とは役割社会ではなく男女が能力を競うとなり歪なものとなったのだだから役割社会ではまず与えられた役割に忠実であることが望まれる
科学者も専門家でも役割があったが果たしていない、ただ金を政府から得ようとするだけだとか言われる、予算をとるためにだけに働くとかなる 
つまり金融資本主義になると金だけを追及する、金を得たものが勝ちだとしているからだ何か役割をもつことではない、金をまず得ることが優先される
そして金を多く持つ人が資本主義では主導権をにぎる、役割でももしそれがたいして金にならなければ評価しないのである

そうしてたいして役割もない、責任もない人が巨万の金を得て富を一人じめするようになる、それはすべて資本主義では金で評価するからである
その役割は社会で大事です、だから勤めてくださいとかならないのである
金になるかならないかで重要度を決めているからである
もし役割を重視するならそこで働く人もその役割を果たすために勤める
そこに職業倫理も生れる、なぜならその役割を果たすことが仕事になるからである
医者には医者の役割がありその役目を果たすことが先決になる
でも実際は金にならないとしてコロナウィルス患者を拒否したとなるとその役目を役割をはたしていないのである

役割が先にありその役割を果たすということで金がもらえる、金がついてくるというのがいいのである、そこで医者の役割は重要だとして評価される
でも医者が金が得られないとしてコロナウィルスの患者を拒否するのは役割を否定したのである
役割というとき先に役割があり役割が与えられて人は働く
役割とは天職かもしれない、天職を役割として与えられたのである
そこにミッションが使命が生れるのである
それでこれからAIとか機械化とかロボットが働くようになる時社会で役割をもって働いている人はエリートになり優秀なのものとして評価されるという

他の者は仕事を失いベーシックインカムで生きるとしても社会では評価される者とはならない、確かに一応基本的な生活はできてももし社会に役割がないなら生活はできても劣等民とされてもしかたがないとなる
それは差別でも格差でもない、社会にその役割を見出されない、担うことができない
だから別に格差社会からそうなったのではなく、役割をもった仕事がない人となり劣等民とされるのである
そういうふうに時代とともに働き方とか価値観が変わるのである
ただ正直どんなことしても人間の理想社会など作れない、そこに暗黒が生れ矛盾が生まれるのである、神の国でしか理想社会などありえないのである
だから神が作り与える御国でしかそうしたことは実現しないのである
ただ自然がなぜ調和しているのか、人間だけがなぜ調和しないのか?
自然は神の業(わざ)によって調和している、それもそれぞれに様々なものが生物から無生物から無機物から宇宙があって調和している、それは何かそれぞれが役割りが課せられていて調和しているとなる

地理にしてもその土地土地の役割りがある、それは恵みである、グロ−バル化とはそうした外国でもいろいろな土地の産物の含みを得たとういことである、ただそれは度を越したものになり問題になったのである
恵みとはめぐることでありそうした土地土地の恵みがめぐってきたのである
またそれぞれの土地には国にはその国が果たすべき役割がある、例えば日本だとどうしても中国という巨大国家がありアメリカに日本は征服されたがその中間にあってその仲をとりもつという地理にあり地政学になる
それは明治維新の時、アジアを代表するものが日本になりヨ−ロッパ文明とアジアを代表する国になった
そして今また中国が巨大化してアメリカと対立するとその仲をとりもつ役割を担っている
そういう地理にあるのが日本なのでありそこに役割がある
だから地政学的役割がありそれを果たすことが政治的使命だともなる
いづれにしろ人間は国でもそうだし役割を神から課せられているのだ、それがミッションともなる
とするとそのミッションを果たすことが人間の役割りだとなる

In charge of A「Aの担当で」の用法です。What are you in charge of?で「あなたの役割は何?」と使うこともできます

つまり役割りとはchargeのことでもある、それは責任でもありまたカルマだともなる
生れたときからすでにそうした役割を課せられているchargeされているのだ
長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違うそれは生まれた時からそういう役割を課せられている、
責任も課せられた人なのである、長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである

国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

長子は特別の役割りを課せられているから家での待遇も違う
それは生まれた時からそういう役割を課せられている、責任も課せられた人なのである
長子は常にどこの国でも重んじられてきたからである
国でもその地理からchargeされたものがある、それが中国とアメリカの仲をとりもつ、ヨ−ロッパとアジアの仲介者として日本があったことでもわかる

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2020年07月22日

貧困化する日本で治安が悪くなる (コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)


貧困化する日本で治安が悪くなる

(コロナウィルスでさらに悪化するー大量失業の恐怖)

社会が大きく変わる時、大量の失業者がでる、明治維新では侍が失業して困った
その中でその中で恵まれた人たちは教育関係に入り教師とかになった
あとは官僚とかなになったりした
でも江戸時代から明治に変わっても農業が主産業のとき、やはり農業につくことになったそれで北海道に開拓に入った、その仕事は厳しいものだった

そして戦後と一千万人とか引揚者が日本に帰ってきた
その人たちも失業者になった、それまでは兵士として職をもち食料は国から供給されていたからである

お前たちは外地散々贅沢な暮らしをしたのだから少々苦しい目をみてもあたりまえだ

こんなことがありうるのか?戦争していて贅沢な暮らしがありえたのか?
でもそれだけ日本が貧しいとなると食べることもできないとなれば戦争でもしてし兵士でも食べられるのいいともなる、御飯が食べられるのらいいともなる

そういうことがあったのかもしれない、人間は食えなくなればなんでもする
それで不況とかが深刻になり失業者が大量に増えると社会不安になる
治安が悪くなる、犯罪が増える

そして追い詰められた人間が一番怖い!

犯罪になるのは追い詰められ人間である、たいだい推理ドラマでも犯罪は借金した人が多い、それは借金に追い詰められているからだ
そういう人たちは善悪もなくなる、追い詰められるとまず人のことを考える余裕がなくなる、だから相手を襲うということになる
そういう経験を介護十年で自ら病気にもなり経験して来た
相手の苦しいことなど関係なくなる、金をとることしか頭にないからである
それで盗難にもあっているし責められるだけだった

考えてみると戦争の原因は何かとなると失業が関係している
ドイツでも第一次世界大戦で国が借金して不況になり失業者が増えた結果として社会不安になり戦争になった
戦争に踏みきるというのはその国が相当に追い詰められているからである
日本でもアメリカに経済封鎖されて石油が入ってこないとかなり追い詰められたから戦争に突入した
戦争に意義あるというのもあったとしても日本がそんな崇高な目的があったとは思えないのである、何か経済的に追い詰められて戦争に突入した
それで中国でも国内が苦境にたたされると戦争をしかけてくると言われる
対外的にかえって強硬になり国外に不満をぶつけて戦争になる
それで為政者は責任をとらない、悪いのは外国だとなるのが楽だからである

いづれにしろコロナウィルスでも大量の失業者が出る、その人たちが就職できないことが大問題になる、では侍が北海道に開拓に入ったり戦後の引揚者が近くの荒地の開拓に入ったりするようなことができるのか?
確かに耕作放棄地が膨大だから土地があるからできないことはない、でも時代が違うから無理だともなる
農業は簡単にできない、肥料やら道具代やら天候とかのせいで収穫は簡単にできない
そこに金をつぎこんでも何もとれない、農業の苦労の話を聞いただけで終わりだった

それで猪狩満直のように戦前に北海道に開拓に入って病気になり若くして死ぬようにもなる、引揚者でも半分は撤退したし北海道開拓でも厳しいから撤退する
ただ人間は追い詰められると嫌でも強いられてもそうなる他なかった
働く場所がないからである

高齢化社会でも貧困者が増えている、50パーセントがぎりぎりである
年金だけではやっていけない

そして5パーセントが水道電気をとめられる!

ここに現代の貧困が一番現れている、ボロを着ている人はない、一応食べられてはいる
でも現代の生活で欠かせない水道電気代が払えなくなるのが現代の貧乏なのである
復興住宅の浪江の人が電気をつけていない、節約しているというとき補償金もらったのだからそんなことはないと見ていたが結構苦しい人もいる
つまり苦しくなるとそうなるのである

知っている人は月末に必ず電気をとめられるとか水道とめられると泣きついてくる
そういう人が5パーセントもいる、これは少ないようで多いともなる
なぜなら一万の町があるとして500人がそういう人達がいるということになる
一千万だと50万人にもるなるからだ
それで電気料金をとりたてる人が催促するのが嫌になってやめたという
取り立てる方も相手が払わないから苦労して嫌になったということである
実際老人で余裕あるのは4パーセントくらいだというときいかに悠々自適な老後を生活する人が少ないかである
それで70になっても働くほかなくケガする老人が増えているのだ
やはり肉体労働になると老人はケガしやすいからだ

これから貧困がさらに厳しくなる、コロナウィルスで拍車をかけて厳しくなる
観光業は地方では収入として大きい、それで中国人が北海道に来なくなったりしたら厳しいとなる、福島県だと会津の方は観光業のしめる割合が大きい 
近くの人は水産業で魚を旅館とか飲食業におろしていたがコロナウィルスで影響して売り上げが減ったとなる、ただこの辺では観光業でも松川浦はそうだったが震災で津波で被害になりそもそも観光に来る人はなくなっていた、それと原発事故で放射性物質の汚染で
アサリ取りとかもできないから観光客が来ていなかった
全体的に観光業はこの辺では盛んではない、第一温泉がないからである
ただ野馬追いでも中止になったからその影響もある
ただ復興事業はまだ小高とか浪江とか原発の近くでつづいているからそういう仕事の人たちが来たのでやたらとホテルが多くなったのである
その象徴が原町駅前の十階建てのホテルが建ったことである、この辺では一番高いホテルである、それもコロナウィルスで影響する
猪苗代には千人も収容するホテルがある、これも客が来ないのだから影響が大きい

ともかく地方でもコロナウィルスでももともと苦しかった経済がさらに苦しくなる
そのしわ寄せが老人にくる、まともに年金をもらっている人は少ない
せいぜい二割くらいしか余裕ある生活はできていない
生活保護でも自治体によって差がある、知っている人は5000円しかもらっていない
医療費でも半分が負担である、それより生活保護はこれから支給されなくなる
それだけの財政の余裕がないからだ
だから市町村がつぶれてゆくとかさらに集約して自治体をなんとか維持するほかないともなっている

その人は70であり息子が援助する余裕がない、青森に父親が施設に入っている
それで必ず必要なものがあり金を払っている、つまり今の親世代の息子なども余裕がないから援助できない
するとどうなるのか、もう飢え死ににもなってしまう、なぜなら自治体も生活保護でめんどうみきれないとなっているからだ
だから高齢化社会ではもう介護でも病気でもめんどうみれなくなる
つまり弱い者は捨てられる、そこでまた犯罪が増えてくる
刑務所は高齢者の介護施設のようになっているというときもそうである
そういう人たちは行く場所がないからだ、特養などには簡単に入れないからである

こうして日本が貧困化してくるとどうなるのか?

本当に治安が悪くなり犯罪者が増える、そして金持ちでも安泰ではない、犯罪にあう確率が高くなるのだ、塀を鉄条網で囲って私兵を雇い守らねばならなくなる
格差社会というのはそれだけ金持ちにとって生きずらい危険なものとなる
枕を高くして寝れなくもなる、この貧困化に追い打ちをかけたのがコロナウィルスだったのである

そしてこういうふうに窮迫している人にとっていかに十万を給付されることが助けることになるかわかる
なぜなら10万もらえるとなればそれでその十万をあてにして電気水道代でも払えるとなるからだ、この人は10万がもらえるとなればとる方もあてにする
だからベーシックインカムも考えるようになったのである
生活保護はすぐに供給できない、それで困る人たちがいるしいろいろ問題があるからだ
いづれにしろ日本は冬の時代に入っていたがそこからさらにぬけだせなくなる
地方創成も言われたが観光業が頼みの綱でもそれもたたれた
そしてどこに光明を見出してゆくのか?それがまた問い直されているのである 

コロナによる経済的ダーメージが長期化すると
高齢者の悲惨さが際立つことになる (鈴木傾城)


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2020年07月06日

SBI証券が大東銀行の株を取得 (福島銀行と同じようになるのか)


SBI証券が大東銀行の株を取得

(福島銀行と同じようになるのか)

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週刊東洋経済7月11日の記事にこれが出ていた
これは予測されたことだったかもしれない、福島銀行がSBIの笠下に入ったからである
SBI福島銀行となり福島銀行の支店がSBIとなれば証券には詳しいのだから当然SBIの証券を売りやすくなる

そもそも今地銀がしていることは証券会社と同じようになっている
そのことを私自身が大東の営業の人がきて金融商品を外国の国債とかUS-REITとかJ-REIT
などを買った経過などを報告した
何か今地銀は証券会社と変わりないのである
様々な証券を売って手数料を稼ぐことだからである
その収入が意外と大きいのである、なぜなら手数料が3パーセントということは額が大きくなると大きな収入になるし確実にもうけになる
そして地銀では絶対に損しないいい商売なのである
みずから投資すれば株を買っても損があるが客に買わせれば別に損することはないからである、損したとしても

客が悪いのであり銀行が悪いとはならない

なぜなら様々な状況で株が上がったり下がったりするからそれは銀行のせいではないとなる
でもどうしても地銀を通して営業するからその営業する人を信頼できなくなる

つまり証券とか株を知らないのだから営業の人に頼る、ところが営業の人が客にもうけさせることを考えているわけではない
また適切なアドバイスをしてくれるとは限らないからだ

結局株でも証券でも自己責任になる

地銀では一切損しないし手数料だけはもらう

だからこの商売は銀行にとってはいいものなのである

それでリーマンショックの時買っていた株が元に戻したで上がりつつあったとき売った
それ以来不信になった、J-reitにその金を回したからだ
その時分散投資と言っていたがそれを守らなかった
ただ株でも証券でも金融商品は売ったり買ったりして手数料が入るのが商売になる
その手数料が高いと客では困るのである

それで奇妙なのはこういう経過がありJ-reitを地銀の営業の人を信用できなくなり一月に売った、何か人が介在するとその人が問題になる
実際は責任は客が負うのだが地銀でもかかわればそこに責任があるとも見てしまうのである、それはもともと銀行は信用できるものとしてあったから今までの見方ではそうなっていたのである、それでゆうちょでも地銀でも経営が苦しくなって保険でも人をだますようなものまで売るようになって問題になった
また収益が得られないからアメリカのCLOとかの危ない金融商品を大量に買っている
それが失敗すると大損になる、農林中金が一番危ないとしているからだ

ただ今回のコロナウィルス騒動で地銀でも積極的に融資しているという、銀行はバブルの時期にあこぎなことをしていた、それで評判を落とした
今回は政府でも支援するから融資しているという、でもそれが不良債権になることを心配している

いづれにしろ地銀のしていることは証券会社と変わりなくなっていた
それならSBI証券の笠下に入り指導された方が証券でも売り安いとなる
なぜなら手数料が安くなるからである、そして証券の専門だから地銀より詳しいからである、地銀はそもそも支店長すら証券のことは知らないと言っていたこからである
それでどうして経営できるのかとなっていたのである

ただ何か銀行でも預金封鎖があるとか財産税があるとか貯金するなとかいろいろ言うので心配になる、それだけ日本の経済が逼迫しているからそうなる
でも何か方法があるのかとなるとなかなかないのである
それで金と銀の投資熱が高まる、それはなぜだろうとなると単純に考えれば紙幣はしょせん紙切れでしかない、金と銀は紙切れではない、貨幣でも紙きれではないから価値になるそもそも貨幣とは貨幣自体に小判のように価値があるものだった
だからそういう貨幣の原点にもどるのくかともみた

もともと金が一番貨幣として価値がありその金があってこそ担保になり銀行が生れた
でもとうして紙幣が生れたかとなるとその金自体を貨幣にするのではなく、金がただあるということでそれを信用にして金との交換証書を作る、それが紙幣になったといういきさつがある
だから金こそが一番貨幣としてふさわしいものだったのである
銀もそれとにているがこれはかなりの量になるから問題がある
でもこれも銀自体に価値があるから今人気になっている

とにかく大東銀行には貯金しているから不安になる、ただSBI証券と共同になることは予測されていた、第一実際今大東銀行のしていることは証券会社と同じになっているからだただ投資先が地元だといっても客からみれば証券会社と同じでありそれなら専門の証券会社の方がいいとなってしまうのである
結局もう地銀の役割は喪失していた、ただコロナウィルスで積極的に地元の会社に融資しているということで株が上がった、頼りにされる存在となった
でもそれでもうけがでない、不良債権化するとなるとさらに苦しくなる
だからSBI証券と共同するようになるというよりその笠下に入って当然だったとなる
それが金融庁が後押しするとなれば余計にそうなる
だからもうこれは避けられないとみる
ただ一面に大東銀行が出て来た記事には驚いたのである

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2020年07月04日

投資は一貫性とルールが必要? (リスクが多く素人はついていけない金融世界)


投資は一貫性とルールが必要?

(リスクが多く素人はついていけない金融世界)


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J-REIT

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私は一月に売ったから損しなかった
トータルでは損しなかった


私は全く投資など素人であり知らない、ただ貯金していてもしょうがないから利子もつかないから投資したのである
だから銀行員の営業の人にまかせた、また自分にはそこにかかわる時間がないからそうなった
でも何だかわかないけど最初は分散投資すればいいと言ったしそうれはいいのかと素人でも納得した

それでカナダの国債が石油がとれるのでいいとして買った、だか石油の値段が下がり急激に評価が落ちて大損するところだった、実際は損した
ただUS-REITはトランプ大統領になったとき円安になり上がったもうけた

そして一番の失敗はリーマンショックのとき半分になった株が元にもどりあがっているとき営業の人がJ=REITにその株を売って回した
そのまま持っていれば株は上がっていたのである

それ以来営業の人を信用できなくなった                            

それでJリートを一月に売ってくれと言って売った
そしたらコロナショックで急激にJリートが下がったのである
これには助かったと思った
だからトータルでは損はしていなかった

ところが今度は営業の人が株が上がってきたからチャートを見せて買いと言われた
そしたら株が今度は上がってきたのである
こんなコロナウィルス騒動の中に株だけは上がっているのも理解できないのである
でもこれまでの経過でその営業の人が信頼できなくなり断った
なんかこのようにいろいろあってめんどうになったしリスクがありすぎる世界だと思うようになったからだ

結局この経過をみると何かここには投資のルールも一貫性もないのである
分散投資はルールにしてもそれなかった、ゆきあたりばったりで買わせているだけなのかとも見た
なぜそうなるのかとなるととにかく営業している人にはノルマがあり売ったり買ったりさせるのがいいからだともなる
営業の人が何か金融商品を買わせればその時手数料が大きいのである
だからいろいろな商品を買わせるしまた転売もさせる

でも分散投資がルールとなれば悪いということにはならないのである
でもこんなにリスクをる世界が投資だとすると普通の人は簡単にできない
そして最近もってきたのが外国のアメリカの保険だったのである、これも為替の影響が大きいとかなり批判的であり金融庁でも警告していた
だからこうしていろいろな金融商品をもってきても普通の人は素人は理解することがもうできないのだ

ただ常にリスクの恐怖だけがある!

ここにルールも一貫性もないのである、では貯金が安心なのか?
その貯金が今一番安心がないという、インフレになるとか預金封鎖とか財産税がとられて一番危険だとかいう、また国債も安全資産だと思ったらそれも一番危ないとしている
ゴールドを買いとか銀を買えとも言う
つまり紙幣は紙きれになり実物資産が価値がある、不動産も価値がある
でもその実物資産にしても食料を備蓄しろといっても限度がある
だから安全資産はない、方法がないというのが現実なのかとなる

ただ銀行とか証券会社の人に頼むにも頼めないのである
なぜならその人たちは自社の利益優先であり客の損になるものでも銀行が利益になればいいとなるからだ

一体こういう世界は何か誰も信用できない!

普通は何か物を買うにしても製品を買うにしてもその製品がいいとか壊れないとか信頼して買う、日本製品はそれでせれで世界から信用されて高度成長時代を築いたのである
何かリスクがあってその製品の価値がなくなるということはないのである
電器製品でも車でもカメラでも何でもその価値はリスクに作用されない
それより今の住宅は地震に強くなったとか価値がリスクに強くなり高くなっているのだ
だからこれほどリスクに左右される世界についていけないともなる

ただ思わぬリスクはコロナウィルスのようにあるからそれをさけることができない
津浪や洪水や原発事故や何かとリスクはある
でもこうしてめまぐるしいリスクに左右され翻弄される金融市場についていけない
ただ不安と不信と心配ばかりの世界であり精神不安を増大させるだけである

リスクというとき農業には天候に左右されるからリスクがある、何かしらリスクがある
だからリスクのない世界はないともなる
でも金融の世界は天候のようにやむをえないものでなくて人為的に作られたリスクにもなる
株価なども人為的に操作されている、グローバル株式市場は世界をの博打場だというときもそうである
株の上げ下げを操作して莫大な利益をあげている一部の国際金融資本家がいるとしてしいるからだ、そこに莫大な富が集中するシステムである

それでそもそもそういうグロ−バル経済の金融資本主義社会がそうしたリスクを作り出すのであり真面目にこつこつと働いて技術でも改良に改善をつづけているのだから景気が悪くなったり株が上がったり下がったりはしないという人もいる
つまりそうした場は偽りの場であるとみられる
そして陰謀論になって終わるのはそこは巨大すぎてそれを知ることもできないからである

ともかくもうこうした世界市場化しているグロ−バル資本主義経済はつづかない
偽りの経済であり真面目に改良改善と働いている人たちが馬鹿見る世界でもある
富を得るべき人でない人に回って行く世界である
だからやがてそうした金融の世界を信じなくなる
そういうことにかかわる人も信用できなくなる
銀行でも信じられなくなる、そして金すら紙幣すら信用できないとなりインフレになり
紙くず同然になる、そうしてグロ−バル経済は崩壊する
資本主義も終わりとなる、その次は何なのか?
それがこれから模索される、その前に大きく激変するときコロナウィルスとかがあり
その前に津波があり原発事故があった
そういう激動があり次の時代に変わる 



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2020年06月29日

人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


人間の心理の不思議(少なく要求すると多くもらえる)


金には私は全くかかわらなかった、第一金を稼いでいないし金は最低限親からもらっていたからである、金を人に呉れたり与えた経験がないからだ
でも金を他人に与えることを経験して不思議だった

その人は最低限の生活である、いつも電気水道がとめられるような最低限の生活である
だからいつも金がたりない、でも要求する時は一万とか二万とかになる
そして5000円とか一万でなく一万5千円とか半端になるときがある
その人はまずその時々に必要な金を要求する、だから高いまとまった金は要求しないのである
今日食べるものも買えないから何千円くれとかにもなる

それで不思議なのはそうしてその時々少なく要求する、5000円だとすると何か私は一万与えたりする、1万5千円だと二万になったりする、それはこまかがないこともある
でもそのくらいいいやとして与える
これは何か人間の心理と関係している
そうして少なく要求する、控えめに要求すると多く与えたい気持ちになる
もし最初から大きい金を三万でも四万でも一気にくれというと与えたくないのである
こまめに少ない金を要求するからこれくらいならいいやとなっている

ところが事業している人で失敗した人の要求する金は百万でもはした金のようになる
軽く一千万でも要求してくるしそれより怖いのは自分の全財産まで世話したから当然のように要求するというより脅迫してきているのである
こういう人とつきあえるのはやはり一千万でもたいした金ではないとなる事業家しかいないのである
だから自分が入院したときその人は近くに住んでいたけど頼らなかったのである
怖くて頼れなかった、事業で失敗しているし多額の借金していたからである
そしたらどれだけの借金を要求されるかわからない恐怖になったからである

でも入院して家を留守にしたとき大金を留守を頼んだ人に盗まれた、それは大金だった
でも全部ではなかった、盗んだ人も全部盗むことを控えたのである
おそらくその人はそうした大金を手にしたことがなかった
実際自分自身も大金を手にして使ったことなどなかった
だから金についてはわからなかったのである

人間は欲深くなることは怖い、欲を控えめにしろ!

これがやはり人間の基本的な教訓なのである、現代はいくらでも欲しいとなる
金でもモノでもなんでもそうである、欲が限りなく増大して歯止がないのである
もちろん最低限の生活している人はただ日々の生活ができればいいというだけである
でも金持ちでもさらに金持ちになりたいとか欲が増大してゆく
それで十億円あっても安心がないという、それが金の性質でありまた人間の欲なのである株などももう何に投資しているかなど関係ない、ただ欲が刺激されて投資する
株が上がるとして金が欲しいというだけで投資している
何かを会社でも何でも育てるという感覚もないのである
ただ欲だけがそこにあるだけなのである、だからかえって損したりすることになる
歯止がきかなくなるからだ

人間の欲は抑えることができないのだからそれを全部おさえろとは言わない
ただ限りない欲を抑えないと危険になる
それは原発事故などの補償金で起きたことである、実際いくらでも欲しいとなり軽く億の金をもらった人がいる、それでも足りないとなり要求する
いくらでももらえるだけもらえとなってゆく
補償金は権利でもらえるのは当然でもその要求がきりなくなるのである

とにかく人間の欲はきりがないし怖い、それが制御できなくなるからだ
原発がこの辺で作られたのもそして事故になったのも欲と関係していたからである
つまり原発は金の成る木だったからである
だからこそ政治家でも官僚でもマスコミでも地元の人でもあらゆる人が群がったのである原発はものすごく欲を刺激するものだったのである
それはそこに黄金の山があると同じだったのである
だからそこに危険性があってもかえりみえることもなくなったのである
つまりその黄金の山に目がくらんでしまったのである

だから人間の欲は怖い、それに歯止めがなくなり遂には殺し合いまでなる
そういうことは人間の歴史が始まって以来繰り返されてきた
人間の基本的な業(カルマ)なのである
だから欲をおさえること控えることを宗教では常に説いてきたのである
でも資本主義の原理は欲を増大させることである
いかに人間の欲を刺激して物を買わせたりすることである
ただ欲というときいいものを作りいい商品を作り売るということは悪いことではない
でも欲には非常に危険なものがある、それが問題なのである
だからすべての欲は否定できない、でも控えめにする、欲を抑えることは必定なのであるそれをしないと人間の争いも問題も解決しないだろう
なぜなら人間の問題は根本的には様々な人間の欲から起きてくるからである 

現代の貧困の問題はいろいろなものがあっても買えないという貧乏になる
これも辛い、目の前にうまいものがあっても買えないという貧困である
前は貧困というときそもそも物がない買いたいものがないとなっていた
今はあらゆるものが欲を刺激するものがあても買えないという貧困になる
だから最低限の生活でも意外と食べものでも選んでいるのである

釣りしている人からカレイをもらった、それは身が厚いものでいいものだった
買ったら2000円くらいするものだった
その半分をくれると言ったら私は青魚が好きだから断った
食べるものがないとしたら普通は断らない、昔の貧乏だったら食べられるものは何でも食べるとなるからだ
その人は前はサシミでもスーパーではなく小売りの魚屋でいいものを買っていたのであるだから今は貧乏人でもそうして食べ物でもいいものを食べている場合がある
ただ最近は果物を食べられないとしているからさらに困窮してきたとなる
私は果物は好きであり贅沢しているからだ
ただ後は別に特別贅沢していることはない、カメラを買ったりしてもそれはプログとかにだすとか仕事の一環として買っているからだ
遊びと言えば遊びだが今や遊びが仕事にもなっている時代だからそれをとやかく言われ事はない時代である

とにかく欲は否定できない、でも私が言っているのはその欲全部を否定しているのではない、体験からもしここに一千万あったら半分の5百万は盗むとかにもなる
また十万を欲しいというとき5万を要求するとか控えめにすることが大事だということである、それが実はあなたの身を救うのである
この辺で起きた問題はきりなく金を要求することになったことである
補償金をきりなく要求してもらう欲が出たことである
それは権利だからまた外からもらうなとは言えないことにも問題があった
でも同じ市内でももらえる人ともらえない人がでてきてもめたのである
そしてそのために一体感はなくなりいがみあうまでになったのである
これはコロナウィルスの給付金でも起きて来る
それはみんな欲が刺激されるからそうなる、もらうことは当然にしてもそこに必ず不公平が生れる、そして争いにもなるから怖いのである

5千円ください⇒一万やってもいいか

二万ください⇒一万ならやる

これが何か人間の心理なのである、多く要求すると少なく与えられ少なく要求すると多く与えられる、それは人間の心理でありまた神に願うときも欲が深くなると与えられないということに通じている、この辺では原発などでとりかえしのつかなくなった事故の原因が原発があまりにも金の成る木であり欲を刺激するものだったからである
そのきりのない人間の欲に対しての罰として原発事故もあったのかともみて書いてきた
とにかく欲深くなった人間がこの辺で多くなっていた
ただそれはここだけの問題ではない、欲は限りなく増大してゆく性質がある
そうなると危険になってゆく、神から罰せられるともなる

資本主義とういのは何かそうして欲を刺激して増大させてゆく原理がある
だからその歯止が必要なのだけどそれがないから危険だともなる
それでコロナウィルスがそうした人間の欲に歯止をかけるものとして現れたのかともみた結果的に中国でも他でも空気がきれいにくなったとか水がきれいになったとかになった
それは人間の活動が極限状態に達していたからだともなる
だからそれをおさえるためにコロナウィルスが現れたのとかもみたのである
posted by 老鶯 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月06日

資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない (投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


資本主義は限界、銀行に金があっても投資先がない

(投資は株でももギャンブル化して経済の実体を反映しない)


この手数料は明確化していない、でも3パーセントとなると銀行にとってはいい商売である

絶対に銀行は損しない商売だからだ!

3パーセントというとき100万だと3万であり1000万だと30万になる
それで何かその1000万をあづけたものを投資信託としてでも国債でも株でも売ると売り買いするとき手数料が入る
だからずっと長くもっていていいものでも売る
それがリーマンショックの時もっていた株が元にもどり上がりはじめていたとき売って
J=REITに回した、その理由は東京の不動産とかオリッピックで上がるからだとしていた
でもリートは一時下がっていた、でも上昇してもうかるようになった
そしてコロナウィルスで半分にも下落したのである

これまでの成績をみるとカナダ国債が石油かとれるのでいいとして買った
なぜカナダなのかも私にはわからなかった
カナダで石油とれていたんだというくらいの認識しかなかった
それが石油が下がり急激に下がった、それで売った、これは失敗だった
ただ一つだけはアメリカのリードは為替差益でかなりもうけた、トランプ大統領になったとき円が安くなったからである

結局何もわからないで銀行にまかせた、第一そういうことが失敗のもとだった
だから自分にも責任がある、ただ銀行とは信用できるものだとばかり思っていたのでる
ところが今ではゆうちょでも農協でも金融となると信用できなくなったのである
だからこの変化も大きいものだった
それで地方のおばあちゃんでもおじいちゃんでも今までの感覚でゆうちょでも地銀でも見ているから失敗する、ゆうちょに銀行にあづけていれば安心だとなっていたからである
そういう時代は夢物語になっていたのである

ただ奇妙なのはコロナウィルス後一週間前だったか株が上がっているからどうですか?

チャートを見せて株をすすめた、でもいろいろあって買う気にもかかわる気にもならなくった
でもその株が上がったのには驚いた、こんな時期にどうしてあがったのか?
富裕そうにはコロナウィルスで庶民が苦しんでも株で大きな利益をプレゼントしたとかいうのもわかる
株は富裕層が大きくもっているからだ
そして株長者も生れる、株とか資本を多くもっている人はさらに大きくもうかるのが資本主義である、それは確かなのである
投資する額が小さいとどうしても利益も少ない、それはギャンブルとにているのだ
大金をかければ大金が入る、一気に大金をかけると百万二百万になり一千万が二千万になる、それはギャンブルなのであり株とかはギャンブルとにているのだ

そもそももうグローバル経済となると見えない世界だからである
ただ金が増えれるか減るかしかわからないからだ
だから運が作用しているとなる
どんなリスクがあるかも先が見えないからだ、石油が下がる、コロナウィルスで世界の経済が縮小する、こうしたリスクは予測できないからだ
そしてコロナウィルスから回復するというのも予測できない
でも回復すると見込んで株が上がったのかというとそうではない
日本で日銀が株を買っているとかアメリカでも国の機関が買っているとかで上がっていて景気とは関係ないのである
一種のマネーゲームと化しているのである

景気をみる指標は銀行にある、銀行に金があまっていても貸す先がない、投資する先がない、つまり新しい会社を起こすとか新しい事業をするとかで金を貸してくれとかないのである
私の家では店をはじめるとき戦後まもなくであり5万円だったかその資金がないので苦労した、それをやっと知人から借りた、銀行では貸してくれなかったのである
でもその後店は繁盛した、だから借りた金は利子をつけて十分に返すことができたのである、そういう時代に金を貸さないのは銀行では見る目がなかったとなる

ただその時は貧乏な時代だから慎重になっていたのかもしれない
高度成長の時代はとにかくそんな小規模の零細な店でも工場でも雨後の竹の子のように出てきた時代だったのである
それで労働力がたりなくなり中卒の金の卵が集団就職したのである
その時どこでも何か起業しても何でも作れば売れる時代だったのである
そういうときは銀行から金を借りて事業を起こすようになる、それで事業でも成功して銀行も貸した金に利子がついて返ってくる
結果的に銀行に貯金した金にも利子がつく、それも高かったのである
銀行ではただ金を集めるだけで良かったのである

つまり株だけでは景気をみれない、アベノミックスは政府に操作された作られた景気であり株しか上がっていない、コロナウィルスでも株が上がっていること自体異常なのであるだからみんなコロナウィルスで苦しんでいる時株だけは上がっているというのはもう経済が機能していないのである
要するに紙幣は紙なのだからいくらでも供給できる
それで景気が良くなったりしないのである、MMTとかの理論も成り立ちようがないというのもわかる
そこに現代の資本主義が限界にきていることを証明している

それで不思議なのはコロナウィルスである、これはグロ−バル経済をとめたことの驚きである、その一番の象徴が航空会社が大損して倒産したとかある
この航空産業こそグロ−バル経済では最も必要としたものだったからである
ばんたりとヒトの流れはとまったのである
それで有名な投資家が航空会社で大損したのである

そしてグロ−バル経済はもう元のように戻らないというときもそうである
国と国も分断される、自由なモノ、ヒトの流れがとまる、国内に回帰する
それとともに何か人々のマインドも変わる、外へ外へと向かったマインドが内へ向かう
鎖国とならないまでも何かそういう傾向になり家でテレワークしたり家で過ごすことが多くなる、外出すらままならいなともなる
そうなると禅僧のように家で瞑想しているともなる
それで家を住みやすくする心地よくする、家です過ごすためのものが売れるようになる
まず家で仕事するにも仕事場が必要であり家の中が快適でないとできないからである

そうなるとIT関係はさらに需要が増える、教育関係でも家で授業を受ける、今でもyoutubeでできる、するといかに効果的に教えるかということで競うことになる
それで人気になればテレビに勤める人のようにわずかでも高収入を得る社会となる
私も子供向けの番組を作りたいがめんどうでできない
それは教材を作ることと同じなのである、熟とかなると場所の問題から人間関係とかいろいろめんどうすぎるのである
ただyoutubeで教材を作るだけだでありそれで収入になるとしたら楽ともなる
ただそこで必要なのは創造力なのである、いかに教えるかは創造力なのである
テレビだとか動画だとわかりやすくなるからだ、それで大衆向きにもなっているからだ
だから専門外でも何かそれなりに知識がつくということがある

いづれにしろ資本主義はもう限界にきている、金融資本主義とかマネーゲームとか世界がギャンブルゲームになるような世界は退廃してくる
道徳無き経済は人間としてありえないからだ、経済は経世済民である
「経済」という言葉はそもそも中国の古典の中にある「世を經(おさめ)民を濟(すくう)」ことを意味している。つまり民を救うために様々な公的対策を行わんとすることが「経済」なのである。
まさに今コロナウィルスで苦しんでいる人たちがいるのに株が上がり富裕層だけが得しているというの世界は成り立たない、だからアメリカで暴動が起きるし日本でも中産階級が下級民に落ちてくるとき危険な状態になる
今までも格差が危険な状態にあった、さらに危険になり日本でも犯罪が増えて暴動が起きる、それを一身上でも経験したから恐怖なのである
そういう恐怖を富裕層も感じるべきなのである、政府でもそうである
それで自民公明政府も倒れる、そういう兆しが見えてきたからである
そういう大きな時代の変わり目にある、だから予断を許さないのである

posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年06月05日

地銀は証券会社となりモラル消失 (そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)


地銀は証券会社となりモラル消失

(そもそも法律に違反していた―担当の営業の人に左右される)

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こうなるとたいがい何か銀行でも証券会社でも違反している


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資産防衛の新常識-江幡吉昭


銀行そのものがもう成り立たなくなっていた、社会が変わりすぎたのである
銀行でもゆうちょでも金をあづけていれば利子がついた
一時は7パーセントとかついた時期があった
30年前とか40年前とかそうだった、だからみんな貯金して何の心配もなかった
貯金していれば利子が増えるから貯金の価値は大きかった
そしてその貯金の利率がかなり長く継続していたのである
それで保険ですら二十年前とか親が欠けていた保険がかけた金額より大きな金になって返ってきたのである

今ふりかえるとそれは本当に恵まれていた高度成長時代の夢物語になった
そのとき銀行でもただ貯金を集めれば良かった銀行員は土地のエリートであり公務員と同じだったのである、地方には安定した就職先がないから銀行員となれば固い職業として結婚相手としてはいいとかなっていた
それがまるで変ってしまったのだ
この変わり方も大きかった
どこでも地銀があり郵貯があり村にも郵貯がある、与那国島とかに行って最初に上陸して見たのがゆうちょの支店だった、それは全国津々浦々にゆうちょの支店がある
でもそのゆうちょすら苦境にたたされて詐欺的な保険を売って金融庁から注意された
そして今アメリカの証券会社、ゴールドマンサックなどの助言で危ないジャンク債に巨額の金をつぎこんでいる、一番危ないのが農林中金だとされる
地銀でも投資先がなくそこに金を回している
そこで損失になると日本の莫大な金融資産が奪いとられることになる

私自身は全く金融のことがわからなかった、銀行のこともわからなかった
大学の経済学部出てもなんの勉強もしていなかった
大学の先生が株だけはやるなというのを聞いたことがあったのを覚えている
つまり学者でも株でぱもうけられないからそういったのだろう
でも今は利子がつかないのだから株でも投資でもすすめられるし知らないでいらなれない時代になった、でも経験がないと株など簡単にもうけられないのである

それで十年前に買ったリーマンショックの株が元にもどしてそれから上がっていった
15000円で元にもどしそれから2万以上になり2万4000円にもなった
コロナウィルスでも今26000になっている
だからこれは何なのだろうとなる、景気は悪いのにどうして上がっているのか?
それはアベノミックスの金融の操作であり日銀が株を買っているからだという
実体経済と株が乖離しているからそうなる
つまり紙幣はいくらでも作れる、でもそれで富を産み出せないのである
結局世界で金余りになり投資先がなくなり金の価値が低下する
利子がつくということは儲ける会社がありそこに金を貸すことで銀行がもうかるからだ
そういう会社がないとしたら富を得ることはできないのである

いづれにしろ銀行は今やブラック会社である、その社員もブラック社員ともなる
だから銀行が大学生の就職先として人気だった時代は終わったのである
何かわからない投資信託とかをうりつける手数料商売になったとみられる
それでやめたくなるのもわかる
銀行員だったら信用されたり地位として安定して時代は終わったのである

地銀の営業マンを最初は信用していた、今は信用していない

まず東京の証券市場で働いたというのもわからない、なぜならその投資も何か知識があってしたわけではない、ただ分散投資は基本だとしてもそれすら守らなかった
勝手に説明もなくリーマンショックの時もっていたものをJ=reitに回した

それはなぜか?

転売して手数料をとりノルマを果たすためだったとなる
何回か売ったり買ったりした、すると手数料が入りその収入が大きいとなるからだ
3パーセントとかとると大きいのである
手数料が安い証券会社もあるが地銀とは高いのである

ともかく地銀の営業マンとか地銀そのものが金融の法律に違反していた

赤枠のようなことは普通に今は銀行員でも証券会社でもしているからこれはただ注意しろとかであり法律違反にはなりにくい

それで株が上がった時、何の説明もなくクライアントの承諾もなくJ-reitに回した!

これは法律違反だった、なぜ株が上がっているのに回したのか?
それも客に説明もなく勝手にそうしたのである
確かにオリンピック景気でオフィスとかインバウンド系が土地でも上がるという気分だったことはある
でも株を売ることで「売りますか」と聞くこともなかった
そのことで私はその地銀の営業マンを信用しなくなった
この人は会社のノルマを果たすのが至上命令であり客のことなど考えないことがわかったただ自分にも非があった、自分はめんどうだからその営業マンを信用して地銀を信用してまかしたからである
こうして銀行でも証券会社でもまかせたりしたら本当に危険である
なぜならそうした会社では会社と自分のノルマを果たすことした頭にないからだ

そして奇妙なことはその営業マンを信用しないことで今回助かった
コロナウィルスでJ=reitが半分ほどに暴落したからだ
別に私はその時予想したわけではない、その営業マンを信じられなくなったからである
それは地銀も信じられないとなった
銀行は信用商売だけど株とか投資信託とかreitでもすすめれば信用を失うことになる
ただ銀行はもう商売が成り立たないというとき余裕がない、そこで追い詰められた人間でも会社でもブラック化するのである
つまり銀行自体の役割が喪失してモラルも消失する
すでにそうなっている、だからそうなると地域での役割もないとなる
建築土木関係を見ると川が氾濫して土手が崩れたとかで復旧修理している
それは郷土のために働いていると目に見えている
地銀とか証券会社はなかなかそうして何の役割なのか目に見えてわからないのである
農家だったら食料を作って提供しているとか目に見えてわかるが金融関係はわかりにくいのである

ただ資産を守るにはプロに頼む、でもそれもまた専門化して誰に頼むかもわからない
私の場合は一億以上の富裕層には入っていない、でも頼むにしてもむずかしい
でも頼む人に左右されることは確かである、有能ないい人に当たれば資産活用はうまくいくのである
ただ株とかわかりにくい、今度は株がコロナウィルスでも上がってきたからとすすめにきた、でもそれに乗らなかった、ただその時は確かに買えばあがったのだからすぐに売れば利益になったとはなる
でももうめんどうだから頼まなかった、このように株とか投資信託とかリートとか買うにも売るにもタイミングなのである、それを逃せばもうけられないのである
だから奇妙だけど今回は買いのときにすすめにきたとはなる
このようにめまぐるしく株とか変わるから追いついていけないのである
そんな時間は私にはないからまかせたのである


結局人生は何に時間を費やすかでその人の価値が決まる、投資に時間を費やしていれば株でももうけられる、時間をかけて学び訓練するからである
老人はそういう時間がないのである、老人の問題は時間がないということである
死が迫っていて時間がない、やるべきことはその人の価値を追求したことである
それは私は芸術学問の創作だったとなる、別にこれで金にはならない
でもそこに自分の価値を追及して来たからそれを示すということになる

結局人間の価値は最後は金ではない、その人の価値は何だったのか?
その人の価値は貯めた金で計られるのか?
今ではそうなっているけど価値は多様でありすべて金銭に換算できないのである
一応金には余裕があるとして今それを使えないのである
自転車で長距離も行けないから長距離用の最新のもう一台30万以上で買ってもいいとかなるが第一それだけ旅行する気力も体力もなくなった
登山用の新しいバッグを買ったけどこれも登山できない状態になった
また他にもビデオカメラを買ったが編集とかめんどうだとかできない
youtubeでもしたいとなるがこれもめんどうでできない、ワードプレスも試したが時間がかかるしめんどうでできない、こうして新しいことができないのである

すでに40代のとき、偶然にワープロで通信していて今日に至っている
つまり30年間ITにかわっていたのである、でも通信世界が急激に発達した結果として追いつけなくなったのである
このプログとかでも文章を毎日アップすることが手間なのである
つまり老人なにるといろいろなことができなくる、限界症状が出て来る
だから退職して老後にいろいろなことをしようとしてもできないとなることが多いと思う若い時しかできないことがありその時しないとしたら後はできない
海外旅行などバックパッカーなど若い時することであった
それが50代で自分はした、遅かったのである、その後介護で旅行すらできなくなった
ただ今は人生百年時代だから人生の後半戦が長くなる
それでそこでその人の実力を発揮する人もでてくる、でも若い時にやるべきことやらないと後はできないのが普通なのである

いづれにしろ何かあらゆる仕事でモラルが消失している、それが社会を歪める、金になればいいが至上命令になるとき
本来の役割も使命もなにもない、金と利益の亡者になってゆく、まさにそれは滅びることに亡ぶことに通じている
posted by 老鶯 at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月31日

農業を知らなければ自然も田舎もわからない (今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)


農業を知らなければ自然も田舎もわからない

(今は田舎に住んでも農業を知らない人の方が多い)

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「鍬ハ国々にて三里を隔ずして違ふものなり」と述べ、各地の特色ある鍬を図示しているが、この中に「若州小浜辺之鍬」「越前敦賀ニ用ル中鍬」が含まれている。鍬は刃と柄の角度が大きく、頭上から打ち下ろして土中深く耕す「打ち鍬」、刃と柄の角度が小さく、土中深く打ち込むのではなく、土を浚え移動させるのに便利な「引き鍬」、その中間で、粘質土に適した「打引き鍬」の三つに分類される


乾田では土が硬くなっているので、まず深さ20cmくらいまでの土を細かく砕く「荒起こし」を行います。その後、深く耕すためには人力による鍬では対応できないため、牛や馬の力を用いる馬耕とセットで奨励されました。
「乾田馬耕」により、収量は倍近くになり、稲刈りの後に麦などを栽培する裏作が可能となりました。

明治後期に入ると馬耕用の犂が使われます。堆肥を田んぼ一面にまいてから、牛や馬に犂を引かせて土を起こします。


年内に全県の112万ムーの土地を「大きく生まれ変わらせる」計画であるという。そして、土地は深く耕すことにより、水と肥料の呼応化を充分に発揮させることができ、収穫量を数十%から100%、数百%も増加させることができると述べた。

これに対して毛沢東は、5月27日八期二中全会で以下のように述べて、全国に長葛県の経験を広めるように呼びかけた。

「一尺五寸の深耕は大きな発明である。長葛の経験は全ての各県に問題を投げかけている。もし長葛県が今年一年で全県の耕地112万ムーで深耕をおこなったとすると、別の県でできないということがあろうか?一年で無理なら二年、二年で無理なら三年、三年で無理なら四年、四年で無理でも五年ならできるだろう!」

《若干重大决策与事件的回~・t,薄一波著,中共党史出版社,2008-1 


今の機械では土は深く掘れない
牛馬で鋤で掘りおこしたとき深く掘れた
何か機械の方が深く掘れると思った、だから意外だった、土を耕す掘るということは土作りに不可欠である、土を掘ってまぜるとかで土作りになる
農業の基本は土作りである、それは花でもそうなのである、土が良くなかったら花すら咲かないのである
深耕という言葉が何かひびくものがある、文化がcultureでありcultivateが基である
つまり文化というのは農業から土を耕すことから生まれたのである
俳句の季語でも農業から生まれているからである
だから本当は農業を知らないと俳句すら理解できないとなる
つまりこうして文化の基は農業にあった、ところが肝心の農業を知ることは容易ではない田舎に住んでも今は農業している人は一割にもみたない
農業がいかに苦労が多く様々な技術も必要であり道具も必要であり知識の範囲も広いのである
だから農業の世界は奥深いし簡単に知ることはできないのである

ただ自然を知りたいなら農業を実地ですれば体で自然を知ることになる
私の場合はただそうして外から見ているだけであり実地に体で知りえないのである
ただ実地でわずかの畑で野菜作りしている女性から聞いた話で興味をもったのである
ただそこではほとんど何もとれなかった
そこで道具代から肥料代から苗代から薬から金ばかりかかっただけである
正直十倍の金はかかり収穫はほとんどなかった
ただ農業の苦労話を聞いただけである、ただそれでも農業とはどういうものか実地に知るということがあった、その知るために金を払ったともなる

私のように自然を実際の農業をするのではなく何か芸術的に精神的なものとして見る
それでは本当の自然がどういうものか体得することはできない
農業を実地にして実りを得ている人は実地に自然を体得している
ただ農業していたら何か文章書いたり知的なことはできなくなる
それだけ手間であり体力も使うからである、とても家事から何から一人ではできない
要するに人間はあらゆることに通じることができない

でも田舎に住んでいて農業を知らないということは肝心なことが欠けているのだ
それで浪江町の東電に電気関係で働いていた人が回りは草ぼうぼうでも何の関心もない
それで東電で働いて金を残したとか全く田舎に住んでいて農業に関心もない
それで周りが草ぼうぼうでもなんとも感じていない、東電の社員であり農業とは関係なく住んでいたからこの人は全くの都会人になっていたのである
だから田舎に住んでも今や仕事は農業ではないとしたら農業のことはわからない
戦前では8割が農民だったとかあり戦後も引揚者が農業するために開墾に入った
そういう場所がすぐ近くに残っていた、現実にそういう人を子供の時知っていた
つまり戦後焼野原になったとき仕事は農業するほかなかったのである
その後十年くらいして電器製品が売れて高度成長時代になったのである

例えば田んぼがあるとして田んぼに水を張ることで稲作が飛躍的に発展した
つまり田んぼに水を張るということが様々な効用があり稲をとるのに進化した形態だった水の効用でそうなった、その前は乾田であり陸田とか陸稲だったりしたからだ
つまり農業というのは道具でもそうだが絶えず進歩してきたのである
だから本当は人間は自然をしるためには農業を知ることが不可欠である
でも田舎に住んでいても田畑に囲まれていても実際に農業を知っている人は少ないのである、そもそも農業を仕事にしなくなったからである

毛沢東が農業を指導していたからこそ農民の心を知ったとなる
つまり農業の実地の指導者でなければまた国家の指導者でもありえなかったのである
そこに毛沢東の偉大さがあったがそれは農業をしていないと理解できなとなっていた
それは中国は農業国家だからそうなっていたのである
でもその後工業国家になったときやはり農業が軽んじられるようになった
それは世界的に共通している

とにかく深耕というとき何かこの言葉に魅かれる、深く耕すとはあるゆることに言える
あらゆるものは深く耕してその知識でも技術でも深めてゆく進歩させてゆくものだからである

富める者は、必ずといってもよいほど、その前から徳を積んだものである、もし麦を蒔かなかったら、来年は麦がまったく実らない。麦の実りは冬から力を入れてきたからである稲を仕つければ秋には実る。米の実りは、春から丹精して(心を込めて励んで)きたからである

こういう思考は農業を実地にしていなければ生まれないのである

音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経(きょう)を繰り返しつつ(二宮尊徳)

二宮尊徳には芸術的に見ていない、自然には音もあり香もある、天地の経を読むということは天地を知ること土を知ること自然を知ることが農業だったからである
人間とは絶えざる努力なのである、今あるものは田んぼすら水を張るということが先人の工夫として生まれたのである、だからそうした歴史を知ることがあらゆることで人間を知ることなのである

おそらく江戸時代から明治維新でも工業化しても戦後十年でも依然として農業が基本でありそこから文化が生まれていたのである、工業でも道具を作ることで農業と結びついていたのである
だから現代が農業から心でも離れたという時、小高の人は親が農業していたが金にならないので農業だけはするなと殴られたという、つまりそのことはいかに農業というのが農家自身で苦労が多いだけとなって捨てたのである
でもその時何が起きたのか?原発に農業を捨てた子供は働くようになった
そのことで空気も水も土を汚染されて故郷に住めなくなったのである
自然を守るとういが実は実際に自然で生活している人がいて守られるということがある
狩猟でも動物をとるのは殺生だとするがそこで動物とも自然とも深く交わる術を学ぶのは農業と同じなのである、そういう生活から人間は都市人間は離れすぎてしまった
自然という時何か自分自身がそうなのだけど表面の美だけを見たりしている   

実際は自然の中で食料でもいろいろ自然を活用したとき自然を知るのである
自然を守るとういうが森林でも外材に頼り肝心の自国の木材を利用しないとき枝打ちとかしなくなり森林は荒れてしまったのである
だから自然を守れとか景観を守れというが自然と深く交わるには自然の中で生活して自然を利用して活用する時自然を知るとなる
そういうことが第一田舎に住んでいる人さえなくなっていたのである
それは自分のように表面的にだけ自然を風流として見ているものも同じである
何かそういうことから自然を知るといってもそれは観念的になる
ただ正直農業をするということは体力的にきついから知的な仕事をするとなると両方を兼ねることはむずかしくなるのである

posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月30日

見えない貧困の問題―分断される社会 (ローマの奴隷の方が恵まれていた?)


見えない貧困の問題―分断される社会

(ローマの奴隷の方が恵まれていた?)

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絶望令和の貧困を語ります。(中村敦彦)

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クリック拡大、デュラント(世界の歴史)



あらゆることを考える時必ず歴史をふりかえり考えると見えてくるものがある
映画とかで見るとローマの奴隷など過酷だとみる
剣闘士にされて戦わせられたりただ残酷にしか見えない
でも現実はどうだったのか時代が過ぎるとわからなくなる
まず奴隷制度ができたのは人間の進歩だったとされる
なぜなら戦争に負ければ皆殺しにされた、でも奴隷として生かされたことは進歩だったとなる

だからこのデュラントの指摘も歴史の見方としてあるのかなと読んだ
なぜこのように主人と奴隷が同じ人間として遇されたのか?
そしてむしろ奴隷というより家族の一員のようになったのである
これに興味をもったのは人間の歴史では必ず富裕な者がいて貧しい者がいる
また地位の高いものがいて低いものがいる
強い者がいて弱い者がいる、今でも上級国民と下級国民がいる
それで上級国民のことを下級国民はうらやましがり責める
ただ社会が変化するとそうした差も変わるのでわかりにくくなる

現代では奴隷などいない、みんな自由であり差別はないとなりいい社会だとなる
ところがこのデュラントの奴隷について語ることにも共感するのである
それは人間というものがどういうものか?
いくらそこに金持ちとか身分の差があっても同じ屋根の下でまた家族のように生活していれば自ずと情愛が生まれる
それは別にローマだけではない、現代で不思議なのは江戸時代であれその前でもやはり身分差があって侍の家に仕える人たちがいた
また身分の高い者に仕える臣下がいた、でもそういう人たちでも一緒に生活することで
忠義の心が育まれていた、殿様の子供の乳母(めのと)となり家臣が育てることで家族のようになり忠義の心を育てることに役立った
そこには身分差があっても対立するだけではなかった
ここが現代で理解できなくなったのは現代というのはまずそうした協働性とか共同体が喪失したためだろう
それは封建制時代までであり日本でも明治維新からは資本主義になりそうした人間が情愛で結ばれるということが消失していった

ただ人間関係の歴史を外国でもヨ−ロッパでも貴族と召使階級があり召使が認められた仕事だった、それでチップ制が生れた、なぜチップを払わなければならないのか日本人に理解できないからである
ヨ−ロッパには明確な階級制がありそれが今日でもつづいているともなる
なぜこのことに興味をもつようになったのか?
それが自分の家に他人を入れて多少働いてもらうようになった経験からである
日本でも戦前は女中がいた、家事手伝いである
中産階級でも女中を二人も必要としていたと女中が女性の仕事であった
私の母は東京で女中の仕事をしていた
女中は女性の勤めさきとしてあった、そして今女中という言葉も死語となり差別語となった

今はお手伝いさんとかはいる、でもそもそも家の中で働くということはなくなった
その原因が家事が機械化したことである、それで私は全部家事も一人でしてこうして毎日プログに文を書いている
それを全部一人でできるのはパソコンとか通信の発達とか家事の機械化でできている
だから別に女中をお手伝いさんを雇う必要もないのである
ただ一人だから話し相手として来る女性がいる
それでその人が貧乏なので金だけ要求されるともなる
もし戦前のようだったらまず家事に追われて何もできない、勉強も文章書くことすらできない、家事に追われていた、第一米を炊くだけで洗濯するだけでどれだけの労力が必要だったかを知ればわかる
人間が電気を使いそういう労働から解放されたのである

ただではなぜ人間は必ずしもローマ時代の奴隷とかまた身分差があっても仕える人と比べて何か不幸なのか、かえって恵まれていないのか?
それは貧困とかが貧しい人が見えなくなったのである
それよりシステムで見えなくさせられたのである
だからこの貧困をテーマにして取材している作者でもそのことを言っている
つまり上層の人と下層の人は交わらなくなった
実は上層の人と下層の人はどうしてしも家事労働が重荷となっていたから下層の人を雇うことがあったが今は機械がするからなくなった
そこでかえって人間と人間のつながりが消失したのである
そこにかえって分断が生まれたのである

人間というのはいくら金持ちでも上層でも一緒に生活していれば必ず情愛が生まれる
その情愛があって忠義が生れたり奴隷でも家族のように扱われたとういことがある
現代はかえってな上層と下層は分離してそこに対立しかないともなる
そして貧困が見えない、貧しい人がいても見えない社会になった
生活保護者は生活保護者として区別されて分離されて隔離されて暮らしている
これは意外と危険なことになる、社会が分断されるとそこにかえって対立が露わになり
貧しい人たちが上層を襲う暴動が生れるとされるのもそうである
そして現代の価値観は金さえあればいいしかなくなった
だからたとえお手伝いさんとか雇ったとしても非常に危険なのである
戦前でも女中がいたし封建時代の江戸時代でも上の者と仕える者でも情愛で結ばれていたとかあり忠義の心があった、しかし今はない
それで金さえあればそんな上も下もない時代である
するとそうして家族の中に入ってくるとどうなるのか?
主人がいないとき金を盗むことしか頭になくなって屋探して盗むことしかないとなる
だから現代ではいかに家に入れることが危険なのかわかる
ただ裕福な家でももともとそうしてお手伝いさんを雇っていた金持ちの家はそうして家で働くことで信頼されていたからできる
それが普通の家ではできないのである

とにかく現代というのはまず情に欠けた社会である、そして貧乏が見えないという時、
機械が労働者となり奴隷というときシステム化された奴隷ともなる
いろいろな下働きでも時給いくらとかなるのは下働きでありでもシステム化してそういう人たちは奴隷ではない、でもその人たち現代の奴隷なのかもしれない
良く俺は社畜なんだよなとか言うのそうである
現代にも奴隷制があるがかえって過酷だともなる
なぜなら機械化ロボットのように扱われているからだ
むしろ戦前であれ江戸時代であれローマ時代であれ人間には情があるから情として通じるものがあり奴隷にも情愛が生れていたから奴隷が一概に不幸だったともならない
それはあくまでも比較でそうなる、ただ歴史の現実は今と比べてもわからない
むしろ現代の方が情が消失して過酷だともなっている

上層の人たちが下層の人たちと交わらない社会は社会が分断されることであり危険になる互いに人間として理解できなくなりそうしているうち対立が深まり不満が大きくなり暴動にもなる
そして現代は金が唯一の価値とするとき下層が成り上がるには株とかまたFXとかの博打のようなものにで一攫千金を試みほかないのである
でも株でも元金がないと資本主義ではもうけられない
意外と自分で株を投資信託でもしてわかったことは大きな金があれば増えやすいということである、失敗があるにしても大きな元手があると増える金も大きくなる
金が金を増やすのが資本主義のルールなのである
だから金持ちはより金持ちになり貧乏人はいつまでも貧乏から這い上がれないのである
それがいづれ限界にきて暴動が起きると予測できるので実は上層にとっても金持ちにとってもいいことではないのである
治安も悪くなり南米のように金持ちは子供が誘拐されて身代金を要求されるとか安心して暮らせなくなるのである

このyoutubeで貧困のことが実際の取材をして語っているからリアルである
何か不思議なのはyoutubeで語るのと本で読むのとは違っている
何かわかりやすくなる、だから本だけから人は理解できないと思った
その人の経験したことを語るには何かささいなことでもつまらないと見えることでもyoutubeでは語られるから身近になる
この人は本を相当だしている、でも読んだこともない、でもこうしてyoutubeで語ると身近になるのである
だからこれから本の作者もyoutubeで語る時代だとなる
ただそこで金をもらえるのかとなると相当数登録者を得ないと無理である
でも本だとなかなか読むことが抵抗があってもyoutubeだと気軽に見れるのである
ただ何か深く考察するには本を読むのがいい、私の場合は深く考察するから文章の方がいいししゃべるのが苦手なのでこうして毎日ブログで書いているのである

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2020年05月24日

資本主義の起源−日本人の勤勉さはなぜ (草刈のように農業は勤勉さが要求される‐怠けることが悪になる)


資本主義の起源−日本人の勤勉さはなぜ

(草刈のように農業は勤勉さが要求される‐怠けることが悪になる)


田舎はいわば運命共同体
手入れが悪くて害虫を発生させた場合
当人だけではなく周りの田畑までまで影響が及ぶ
最善を尽くして被害が出たならばそれはたまたまその家が出ただけであって自分から出たかもしれないので地域全体でバックアップするし助け合う
ただ最善を尽くさずむしろ怠惰によって周りに被害をもたらしたものは許されない

この意見は面白い、どこに書かれたかわからなくなった

農業は毎日草刈が仕事である、草は刈っても刈っても生えて来る

怠けていると雑草が生えて来る、それで困るのは自分の畑を持っている人だけではない
隣でなまけて草を刈らないと困る、だから隣の人が怠けることが許されないのである
この辺では畑をやめてそこが荒地になると草が生え放題でありそれで困る
日本はヨ−ロッパとか違って乾燥していない、絶えず雑草が生えてくる
湿潤だから雑草が生えてくる、そういう風土である

農業は怠けられないのである、まず脱穀機ができたのは戦後まもなくであり精米するにも手間がかっていた、米を作ることは田植えからはじまり草取りがありまた手間がかかっていた、つまり米を作ることでも怠けられないのである
だからみんな勤勉でないと農業は成り立たない、それで一人でも怠けることは責められることになる

一方で狩猟とか牧畜は根本的に違ったものである、そこにあまり勤勉さを必要としていない、牧畜でも羊を放牧して自由にさせる、羊飼いは何かじっと見守っている
何か手を加えなくても羊は勝手に草を食べる、ただ草のある所に移動する時羊飼いは働くとなる、つまり移動することが働くことになる
それで馬を使用したりする、馬が不可欠になる

何か稲作とか畑で仕事するのとは農業は根本的に違っている、そこから形成される人間の感覚でも人間自体も違ったものとなる
狩猟とかなるとこれも何か勤勉に働くことではない、獲物を一発でとらえる
そこに必要なのはその獲物を捕らえる道具である
弓矢であり槍であり鉄砲とかでもある、そこで自ずと道具が発達したとなる
それが戦争の道具ともなった、何か稲作とかだとその道具が戦争になりにくい
そういう差が文化の差となり文明の差となった

それをなぜ知るべきかとなるとそもそも人間社会を導いたのは狩猟民族であり牧畜民族であり遊牧民だとなるからだ
ただエジプト文明は麦を栽培して農業文明だった、なぜならビールまで作っていたからである、ピラミッドを作ったのも農業の定着文明だからである
それはマヤやインカの文明にも通じている
とうもろこしを主食とすることは農業文明だったとなるからだ

なぜ日本人は一様に行動したり規律的になり村八分にしたりするのか?

それは稲作とか集団的に組織的一様化する労働からそうなった
そこで誰か一人が勝手な行動はできないし怠けることは許されないのである
それが草取りに現れていたのである
つまり一区画の田でも畑でも勝手にするわけにはいかない、それが草取りに現れていた

ここで詳しくは探求できないがこのことを思ったのはそもそも資本主義の精神というのがなになのかである
それう知るためにこうしたその基本となるものが資本主義の精神を形成した原動力は何かということである
それは勤勉な農業とも違う、何かそれは狩猟や牧畜、遊牧民から生まれた精神でないかと思った
ただその両方もある、何かを食料でも貯えるということは農業にあるからだ
資本主義にも資本を貯えるこということがあるからだ

ただ一発大きな獲物を捕らえるということは農業にはない、それで大航海とかを農民だったらしない、それはまるで違ったものだからである
航海はやはり海で魚をとっていた漁民から発展したのかとなる
どうしても船を操作することにたけねばならないからである
だから漁民が商人ともなる、遠くへ海をわたり品物を運ぶことになるからだ
つまり狩猟でも遊牧民でも移動することで共通している
農業文明は土地に定着して移動しないのである

つまり狩猟とか遊牧民だと狩猟は獲物を得るために弓矢とか道具が発達する
遊牧民は移動する、それで馬を使うようになる
どれだけ効果的に移動できるかが問題になる
それは何か資本主義に通じている、資本主義はグローバル化したがそれはその根底に移動するということがあった、移動して富を得ることがあったからだ
狩猟民でも獲物を求めて移動するからだ、
人間は人種より白人だとかアジア人だとかで区別するのではなくその生活形態で分けるべきである、アーリア人が残酷で世界を支配したというよりそもそも狩猟民であり遊牧民であるということが根底にありそうさせたとなる

ただ二つの生活形態で簡単に分けられないという面はある
なぜなら狩猟民とか遊牧民は大きな文明を作れなかった、大きな文明は四大文明でも農業文明であり定着文明だったからである
モンゴルとかは遊牧民の大帝国を一時作ったとしてもそれはただ拡散しただけであり何か文明を作ったとはならない、ローマは文明を作った、ローマ人は農民だったのである
質実な素朴な農民がローマを作ったのである
これも農業文明だったのである

ただ資本主義の謎はあらゆるものを資本とする、資本蓄積してそれで投資して富を増やしてゆく、物でも土地でも資源でも債権化して商品化して投資の対象にする
だから大航海時代に船の株主となりもし船が無事に荷物を積んで帰ってきたら株主は大きな利益を得た、しかし船が沈没したらゼロになったのである
そういう冒険的なギャンブル的なものがあるのが資本主義である
常に市場では株は上がり下がりしているからである、そこに必ずリスクがあるからだ

いづれにしろ何かコロナウィルスでこの移動が制限された
それはグローバル化が止められたとなる
グローバル化が限界にきてもうこれ以上拡散できない、縮小を余儀なくされたのである
それは自然環境にしてもグロ−バルの負荷が大きくなった
経済成長を追及してゆくと自然環境が破壊されて原発事故のように住めなくなるからだ
そのためにコロナウィルスが神がばらまいたのかとまでなる

資本主義が限界に来たという時、銀行がもう投資先がない、貸す会社もないということに現れている、銀行は金を貸して利子でもうける、でも何か設備投資して新しく商売する新しいものを作るということでも限界に来た
AIとかがもてはやされるのはそれは頭脳のことであり何か今までのものとは違っている
だから不思議なのはすでに2000年前に仏教であれキリスト教であれその後のイスラム教であれ宗教が興隆したのは何か文明がすでに発達した結果として内面化の精神文明が生まれたとなる第一僧侶とか牧師とかでも生産にたずさわらない、ただ瞑想しているということは生産に寄与しない人間だとなる
そんなことは日本だったら絶えず草取りしているのとはまるで違ったものだからである
瞑想して働かないということはその瞑想している人に食料を与える人がなければできないのである

いづれにしろ資本主義であれグロ−バル経済でありそれはコロナウィルスを契機として見直される、限りなく経済成長することは世界の自然環境を破壊することである
そもそもコロナウィルスはその土地の風土の自然環境を壊した結果としてそこからウィルスが生まれたということになるとまさに自然破壊がコロナウィルスでも産んだとなるからだ、自然からの警告だったともなるからだ

これから資本主義でももう投資先がない、それで銀行の役目もなくなる
そして宗教てあれ哲学であれ何か内面志向、物質ではない人間の精神を重視する文明に変わる、それはローマ帝国の後の中世時代とかにもなる、日本なら江戸時代の国風文化への回帰なのである、ただそれは同じものにならない、21世紀にふさわしい精神の内面化であり文化の創造となる
パソコンとかAIとかは何か物を作るというのではない、人間の脳とか心とか精神に働きかけるものをもっているからだ
通信というのもそうである、物の移動ではない、何か情報の移動であり物ではない
物の移動はもう限界にきていたのである

だからコロナウィルスで移動できなくなったことがそのことを象徴していた
移動から定着化とか縮小化とかステーホームとかは新しい生活様式だというときそうである、それは個々人が宗教のように内面化することにもなるからだ
コロナウィルスは三密を嫌う、集団的な行動を嫌うというのも不思議である
テレワークは何か個々人化するコミ二ケーションにもなる
なんらかコロナウィルスは世界を社会を変える作用したのも時代を変える作用をしたのもやはり人間社会は人間だけでは変えられないものがあり自然の作用で神が働きかけてそうなったきかと見たのである

posted by 老鶯 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年05月19日

避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)


避けられないリスク(石油、J-reitの暴落)

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株式投資というときリスクが避けられない、そもそも投資するというときリスクが必ずともなう、そのリスクの分散ということで株主制度が生まれた、みんなで株をもち何かあった場合みんなで負担を負うというのが会社である
それで船会社に投資たとき航海で船が沈没したら利益はゼロになるがもし沈没もしないで航海が成功したらその利益が大きくなる、それでオランダはもうけて一時富裕国になったそれが投資なのである

私自身は株とか投資について経験もないし知識もない、ただ地銀の人がプロだというのでまかせてやらせた、ただ地銀は投資には株とか投資信託には素人と同じだったのである
だから証券会社のようになってしまったことが合わないのである
それで福島銀行は自力で経営できなくなりSBI証券と合併してその配下に入った、島根銀行などもそうである

ただ本当に株とか投資信託でもリートでも国債すら安全ではない
なぜならカナダ国債は石油が下がり急落したからである、カナダは石油産出国であり石油に頼っていたからである
でもその時は60ドルくらいだった、今驚くのは石油が20ドルくらいになった時がある
今でも25ドルとかである、これだけ下がることに驚く
するとそのリスクは大きい、投資しても半分以上損失をだす
つまりこんなに急激に下がるということは予測できなかった
石油の値段は高止まりしていたからである
何か石油は売れるし安全資産のように思っていたのである
これはコロナウィルスショックでそうなった

J-reitも半額ほどに暴落したのにも驚いた、それを一月で売ったから助かった
別に下落するのを見込んで売ったのではない、何かリーマンショックの時買った株が元にもどしたとき地銀の営業の人が勝手に売ってJ-reitに回したことで信用できなくなったから売った
もし売らなかったら半分になっていた恐怖だった

このように投資には相当なリスクがある、それで日本の国債が安全だと思い買おうとしたが今度は日本経済が危機になったとき預金封鎖のようになるとき最初に国債が没収されてゼロになるという、預金は90パーセントが没収されるとかいう
すると国債が一番危険なのかとなる
何故ならカナダの国債が石油の価格の急落で急激に下落したからだ
国債も格付けがあり急に下がるリスクがありその価値がなくなる
国債とはその国の価値であるからだ
カナダとかは石油の資源をもっているのでそれが価値を決めていた

では日本の価値とは何なのか?

経済的な面からだけみれば資源もない、何か価値なのか、電機製品も今や中国でも韓国でも同じものを作れる、それも安いとなれば日本の価値はどこにあるのか?
自動車産業だけは技術力があり一応持ちこたえて輸出しているからそれが主な価値なのかとなる
世界から見たとき日本の価値は何なのか、技術力なのか?それは今は中国になっている
新幹線などは技術力があり世界に売れるとかまだある
それで日本がの経済力は低下してインバウンドの観光に頼ったのである
それもコロナウィルスで頼れなくなった、電車はがら空きであり空港も飛行機が飛ばないただ貨物輸送は続けられている、鉄道の場合は貨物輸送が極端に少なくなったから人が乗らなかったら商売にならないのである
そうしてアメリカの航空会社に投資していた有名な投資家が何兆円とかの大損を出した
航空は花形産業だったのである、それが一転してしまった驚きである

とにかくこの世に生きる限りリスクはさけられない、そのリスクがどこにあるのかわからないのである、それは津波と原発事故で経験した
町や村が一挙にゴーストタウンになることが信じられなかった
もちろん津波でも村自体が消失したことは信じられないことだった
そういうリスクがこの世にはある、つまりこの世を生きることはリスクを避けられないことなのだ
だから完全に安全な投資はありえないのである

だから

投資も運だ!

こうにもなる、本当はそうでないにしても運が作用しているともなる
誰も先を見ることができないからである
この先を見ることができれば投資でも成功するからだ
それは突然のこうしたリスクを事前にすることができないからである
ただ長い目で見ればリスクはあっても経済は一般的には回復する
リーマンショックでも戦争でも終われば鰻上りに経済は回復して日本は高度成長時代になったからだ
それでリーマンショックの時半分になった株でも元にもどりそれをもっていたら私は相当な利益になった、でも売られたので損にはならないがもうけを得られなかった
それも結局は自己責任だった、地銀は地銀のもうけを優先するからである
ただ自分で決めるべきものであり自分が責任をとらされる
それで地銀の営業の人を信用しないでJ=REITを一月に売ったことが損をまねがれたのである
ただトータルとしては損はしていなかった

要するにこのリスクだけは予測できないものとして起こる、だからこそリスクなのであるつまり船に投資する、その船が沈没することもある、でも無事にかえれば大儲けになる
それはギャンブルにもなる、その賭けに勝てば大儲けになるが負ければ大損失になる
だからこれも運まかせだとかなる
それはどんなプロでも予測できないことによっていたのである
それで財産がfortuneでありそれは運だったともなる

何か自分は大きな金をもったことがない、自由に旅していたとしてもホテル代に苦労していた、旅しても最低限しか使わなかったからだ
贅沢な旅などしたことがないのである、だから大きな金が入ったとしてもそれを使えないということがある、貧乏性が習慣になっていたからである

でも結局人間は親が生涯金をためていたけどその親は金を使わず認知症になった
そして銀行から金をおろせなくなった、これほど驚いたことはなかった
そうしたらその金が自分のものだとしても自分の金を銀行から下せないとしたら自分の金ではなくなったのである
これもショックである、認知症も病気もこういう大きなリスクなのである

とにかく人間にはつくづくリスクがつきものなのである、リスクないことはそもそも人生にありないのである、だから経済でも常にリスクがある
何かヒットして何がヒットしないかわからない
たまたまマスクの在庫があった人は百倍とかで売れたとかもある
でも市場に出回ればたちまち低価格になってしまったのである

いづれにしろ高度成長時代は金を銀行にあづけていれば利子がついた、7パーセントとかついた時もあった、今はもう利子はつかない、かえって利子をとられるともなる
でも地方の人に田舎の人に投資をすすめてもそれが成功する人は少ないだろう
まず投資をわかるのは複雑でわかりにくいし理解しにくいからだ
ただ今や預金封鎖だとかなんとか銀行自体がつぶれるとかなるとどうすればいいのかとなる
その方法をいろいろ調べてもわからないのである
紙幣は紙きれになるということが迫っているともいう、こういう状態なのだからそうかとなりでは他に安全資産がなにかあるのかというと見当たらないのである
ただ投資は長期的にみれば必ず下がっても上がる、今がどんなに悪くても必ず良くなる
そういう波があることは確かなのである、でも老人は先がないから投資に向いていないのである、この木を植えていつ育つのか、花が咲くのかと考える
早く咲く花を見たいとなる、それが育つ時間を待っていられないのである
それで老人は投資に向いていないのである

投資という時、将来へ投資するとしても

バフェット氏の投資会社、赤字5兆円超 航空株全て売却

このようにプロ中のプロで将来が未来は予測できないのである
第一航空会社は現代のグロ−バル社会の花形産業だったからである
それが一転して急降下してしまったのである
コロナウィルスを予測できなかったからこうなったのである
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2020年05月06日

コロナウィルスで問われたもの (投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)


コロナウィルスで問われたもの

(投資でもリスクの分散ー大都会も分散が必要)

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私が株とかリーととか始めたのは別に詳しいからではない、地銀の人が来てすすめたからである、全くの素人だから地銀の人がプロだということでまかせたのである
私にはまず時間がないからいちいち株のことを見ていられないからである
そこで投資とは分散投資だということを教えられた
この考え方は正しかった
それでUSリートとカナダの国債を買った、また8年前のリーマンショックで半分になった株をもっていた、その株が元にもどったとき今度はJ=REITにその株を売って回したのである、そのように別にそのままにしていいのでも転売するのはその時手数料が大きくなるからだ、3パーセントとかなれば額が多ければそうなる

結局カナダ国債が急激に下落した、石油が下がったからである
その時は石油の値段が高かったからだ、だからこんなに今も下がっていることに驚く
とにかく投資は分散投資が正しいとしてもその地銀の営業の人はそれを守らなかったのである

それでJ=REITを一月に売った、それは先を見込んだためではない、

その分散投資をすすめた地銀の人が信用できなくなったからだ!

そしたらJ-reitが暴落したのである、それは一重に地銀の営業が信用できなくなったことで売ったことでそうなった
つまり人が何でも媒介するから人を信用するかしないかが大事になる
もちろんそこにはリスクがあるからその人の責任が全部負うことはない
でもも自らのノルマを果たすために株が上がっていたのに売ったのが最大の失敗だった
それ以来地銀の人は信用できないとなった
そもそも地銀とかがアメリカの危険な金融商品に何兆とかつぎ込んでそれで大損になると言われる、つまり地銀でもゆうちょでも農林中金でも投資のことがわかっていないのである
まず投資のことをわかることは容易ではないからだ
ただわかりやすいのは分散投資なのである
それは今でも金とか銀とか外貨とかいろいろ分散投資して財産を守れというときそうである

この財産を守る分散投資の基本があらゆることに通じてしいる
一極集中が危険なのである、グロ−バル経済でもいかに中国に投資して工場でも移転して部品でも製造していたらその部品は建築関係でも入らなくなった,トイレも入らずに困っている、それは中国にあらゆるものが集中しすぎたからである
つまりABCDEF....とかあるときAだけに集中することは危険になる
もしAがだめならBでしのごうとかCがあればそこでしのごうとかなる
それが分散投資でリスクを回避することである

この分散投資というときコロナウィルスでわかったようにいかに東京のような一局集中が危険だったかである、それは名古屋市とか大阪とか福岡とか人口密集地帯からウィルスが拡散したことでもわかる
大都会に人口が集中することが危険だった、もし分散していればこうはならなかった
それで有利だったのがニュージランドとか台湾とかニカラグアとか即時にロックダウンできる閉鎖できる国だったのである
中国でも欧米でも大陸としてつながっているからそれができない、またヨ−ロッパもEUになり人の行き来が自由になったからできなかった
そしてコロナウィルスではやはり青森とか九州なら鹿児島とか辺鄙な地域は感染者が少ないのである

またグロ−バル経済がコロナウィルスでその危険性が露見したのは食料でも自国優先で輸出しないとなったのは外国はいざというときは自国優先であてにならないということである
だから基本的なものは自国で自給しているのが安全だとなる
それは常に私がグロ−バル経済批判でしてきたことである
グロ−バル経済とはまず天の理とか地の利とか人の和とかに合わないのである
グロ−バル経済は人の和を作る、貿易で世界が協力するように見えたが実際は今回のコロナウィルスでわかったように危険があれば自国優先になる

とするとまず自国で食料でも基本的なものは自給できる体制を作っておくことがリスクに備えることができる
自国にあるものをまず活かすことである、そうしたことは日本では江戸時代300年で経験しているのである
そもそも貨幣の成り立ちが実は外国から輸入する、贅沢品を輸入することから生まれたのである
貨幣の字が貝だというとき宝が貝だというとき宝貝が貨幣の起源だというときそうである貝は何か食料になるわけでもない、ただ珍しいものとして収集するだけである
だから貝が貨幣になることはそれは別にそれで腹の足しになるわけではなかったのであるだから実質の経済に貨幣が重要というのではなく贅沢品だったのである

いづれにしろ経済は自給自足が基本にあり国内でもまた大都会中心に人口でも密集することは危険なことがわかった、あらゆるものが東京中心になることは危険だったのである
つまり田舎のように田畑がありそこで食料があると意識する、地元から食料が供給されると自覚する環境である
森があり木材でも燃料でも供給されるという安心感をもつ生活である
百万都市江戸でも自給都市だった、回りは農村であり肥料として糞尿をくみ取りにきていたのである
回りは農村地帯でありそこから食料が供給されていたのである

第一野菜など生ものであり遠くから運べないからである、それで練馬大根とかがブランド品が作られたとなる、それはまた人口が多いから売れたからである
都会が近いことは野菜でも売れる、うまいものをそれで作る、改良が行われるからである浪江の農家の人は野菜を作り元の今のいわき市の平に野菜を売り子供三人を大学まで出したとなる、都市の近辺は農家でも需要があるから金持ちになる
でも江戸というとき運べる範囲にありかなり狭いのである
江戸前寿司とかあってもすぐ近くで新鮮なものがとれるから江戸湾でとれた魚で寿司が作れたからそうなっていたのである、冷凍庫もなければそうなるのである

ただ現代になると村落とはなりえない、それなりに広い地域の自給自足経済になる
東北ブロックとか九州ブロックとか広くなるが日本全国にはなりえない
そこで自給自足経済を作る、大都市には人口を集中させないようにする
分散型都市であり自給自足経済なのである、もちろん工業でも自給自足的工業になる
中国にかたよった経済が生産が危険なことを知ったからである

コロナウィルスでは悪いことばかり報道されるがこれを契機に社会が変わる
それは必ずしも悪いことばかりではない、地方に人が逆流する、それで地方が活性化することがありうるかもしれない、それをみんな感じたからである
地方には土地が余っているし空家も膨大である
原発避難区域など空家だらけであり土地は草ぼうぼうであり誰も利用していないからだ
そしたらそういう資産が無料だともなるからだ

コロナウィルスで見直すことはいろいろある、まずグロ−バル経済のリスクである
それから資本主義というのももともと限界に来ていたからこれも見直される
その思想自体が限界にきていた、どちらかというと新たな共同の世界が模索される
それが具体化されないにしても地域分散型経済の方向に向かうことは確かである
そもそも天の理というか人間というものを考える時とてもグロ−バル経済の論理は成り立たない
一体物が地球の裏側からでも入ってくるとしてもそこに住んでいる人間と情的なつながりはもてない、ある程度情的なつながりでも文化的つながりでもアイディンティティをもてるのは一定の狭い範囲である
グロ−バル経済ではそれができない、人間の情と物が分離する世界である
それは別に世界でなくても国内でも現実の文明社会でどこでも起きている
物と心の分離が起きて人間疎外が起きている、それは別にマルクスでも現代では思想家が指摘してきたことなのである

その例としてその人は東京に住んでいて金だけを要求する、一切離れて住んでいる自分が病気になろうが何になろうが金しか求めてこない、金の関係しかないのである
それはこちらにも責任があるから責められてもしょうがない
でもそういう関係が親戚でも成り立つのかとなる
「金だけは送れ」あとはあなたが何になろうと関係ありませんという人間関係が成り立つのだろうか?
それで遠くの親戚より近くの隣人が頼りになるとなる、近くだったら何がなくても一応駆けつけることができるからだ
だから今回のコロナウィルスでも世界の人々が国同士が助け合うということはなかった
食料でも自国優先になり輸出はしないとなったからだ
かえって中国ではコロナウィルスの危機に日本が混乱しているから好機だとして軍事力で侵犯している、別に協力するということはないのである
コロナウィルスではそういう自国のエゴがかえってむきだしになった
そしてマスクすら自国で生産できていないリスクも浮き彫りにされたのである
今近くの仕立て屋でマスクを作っているが高いのである
要するにこうして高いにしろ近くが緊急の時は頼りになるということである

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2020年04月19日

JーREITを一月に売って損失をまねがれた (それは地銀の営業マンを信用できなくなったからだった)


JーREITを一月に売って損失をまねがれた

(それは地銀の営業マンを信用できなくなったからだった)

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急落から反発してあがってはいる


JーREITを一月に売って良かった、急激にコロナウィルスで下がったからだ

ではコロナウィルスを見越して売ったのか?

それは地銀の営業の人を信じられないから売った

そもそもリーマンショックの時もっていた株が上がってきたときJ-REITに回した時から
不信感をもつようになった

その営業の人はまず何か資金運用をまかせられる人ではない
そもそも今やゆうちょでも農林中金でも地銀でも大手銀行すら投資先がなくCLOとかの怪しい所に莫大な金をつぎ込んでいてそれで大損失になるとしている
ゆうちょでも今や信用できないものとなった
地域の金融機関が信用できないものとなった
それは貸す先がなくなり金がだぶついているからだ
その金がゴールドマンサックスとかを通じして奪われているとしている

小泉首相のゆうちょの民営化はそうしたアメリカの銀行に金を貢ぐためだったということはそのことだったのかとなる

ともかく地銀でも売るとき買う時に大きな金が入るから手数料が入るからそうする
何も株が上がってきていたのだからそのままにしていれば良かったのだが自分のノルマを果たすためにJ-reitに株を売って回したのである

つまり自分がJ-reitを売ったのは地銀を信用できなくなった!

地銀にまかせられないと内心思っていたから売ってくれと言ったのである

コロナウィルスを予測したわけでもなんでもない

地銀は信用できない、営業も信用できない!

ただ株でも投資信託でもリスクはある、だからそのリスクを承知の上でやるべきだとなるそのリスクがあったからとして責めることはできない

でも地銀とかの営業の人はただ頭の中がノルマを果たすことになっている
地銀でも地銀のもうけばかりを考えている
そして投資のプロではない、銀行の支店長は株のことは知らないと言っていたからであるそういう知らない人が顧客の金を勝手に投資に回して利益を得る
そのこと自体が間違っている

ただ正直投資は株でもあくまでも自己責任である、だから結局知らないものはやるなともなる
地銀であれなんであれ金融機関にまかせるしかない人はやるべきではない
私の場合はいちいち投資のことばかりに時間をさけないからまかせたのである
人間はいろいろいなことはできない、だからどうしてもその道のプロにまかせることになる、でも地銀などは全く投資とか株とは無縁の所だったのである
素人と変わりないのに商売しているのは詐欺だともなる
そして責任は顧客がとらされるのである

大工さんでも庭師でも普通の仕事はその道のプロなのである、これも素人に頼んだら花は咲かないとかまともな仕事ができなかった、そしてこれも金ばかりとられたのである
ペンキ塗るにしても素人だとやり方が間違っていた、だからすぐにはげたおちたとなる
でもプロの人に頼んだらそのやり方から違っていたのである

要するに金融の投資のプロとなるとそういう人は地方ではいないと思う
第一地銀とかゆうちょとか信用組合とかそういう所は株とは投資信託でも仕事としては関係していない、ただ投資先がないということでもうけることができないのでそういう今までしていないことに手を出すようになった
それが顧客の金もそうした投資信託とか何か訳のわからない保険とかをすすめて問題になった
これまでは地方ではゆうちょとか地銀とか農協とかでも信用されていたのである
そこは常に通うなじみのある場だったのである
それが時代が変わり崩れてしまった

でも地銀とかは転勤族が多く地元の人ではない、ゆうちょとか農協は地元の人である
そうするともし投資信託などをすすめて損したら恨まれる、すすめた人もうらまれる
それが地元に住んでいるから余計にそうなる
そこに住んで生活することと遠くから來る証券マンとかの相違である
地域だと代々住んでいるとかで信用を築いていることがある
そもそも信用はなかなか簡単に築けない、時間がかかるからだ
それで農家は三代つづけてやっと農家の仲間に入れられるというのはそのことだろう

いづれにしろ地銀を営業マンを信用しない!

それでJ-REITを売った

そのことで損を防げたとなる、それは前から信用するべきではなかったのである
また知らない人はただまかせる人は株とか投資はすべきでないともなる
ただ貯金でもこれも安全ではない、目減りしたり預金封鎖があるとか貯金自体も今や安心ではない、そうした不安の時代にどう備えるのかとなると正直わからないとなる

ただトータルでは私の場合損しなかったことが助かった
これが大きく損したりしたら地銀とかを恨んだりするし営業の人を恨んだりする
それより今やゆうちょでも地銀でも農林中金でも信用できないとなる
このことが地方で大きな問題になる
そういう場所は最も信用されていた場所だったからである

そもそもこれからは金は信用できないものとなる、金は紙切れになる恐怖がある
インフレも心配になる、実際物価は食料品は上がっている
金の価値が下がっている、だから金自体の価値が下がる
物とかスキルとか技術とかの価値の実体となるものの方が金より有効になる
食料がなくなればもう金をいくら積んでも買えない、戦後の焼野原のとき食料を得るために都会の人が貴重な着物と食料を交換するために農家に直接頼んだようになる

ただ人間社会でもそれぞれの一生でも

悪いことは長くつづかない

楽なことも長くつづかない

幸運は長くつづかない

幸運も長くつづかない、阿部首相は幸運だったのでありコロナウィルスの危機で無能だったことが判明した、ただ幸運で長くつづいていただけなのである
なぜこの辺では自分自身にしても10年間くらい苦しみの連続だったのか
それも幸運は楽なことは長くつづかないということだった
コロナウィルスにししても長くつづかない、いづれには終息する、だから実際は今が株の買い時だとなる
リーマンショックで半分になった株が元にもどして上がり続けたことでもわかる
株は下がりつづけることはない、とこかで反転して上がるようになる
ただその周期が十年くらいになるとすると老人は先がないから株には投資には向いていないとなる
それで庭の夏蝋梅の葉が大きく木陰になっているので夏は良かった
でもそれを短く切ってしまった、そしたらそれが成長するまで長い時間がかかる
つまり老人は先の時間がない、木を植えたとしても成長に時間がかかるから時間のかかるものは植えたくないとなる
だから老人は復興に向いていなかったのである
10年と20年とか時間がかかることができないからである







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2020年03月22日

J-REIT暴落 (その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)


J-REIT暴落

(その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)

J-REITを一月に売って助かった、暴落したからだ
これは別に私が予想して売ったのではない
そもそも地銀の営業の人を信用できなくなってやめたのである

このJ-REITはアメリカのUS-REITをやめて為替で損しないものとして地銀がすすめて買った、私は地銀にまかせた、第一株でも金融のことがわからないからだ
それで一応地銀でもプロですからまかしてくださいというからまかせた

営業の人は分散投資をするのがいいとして

カナダの国債に投資⇒石油産出国⇒石油の値段下がる⇒損

US-REIT⇒一時円安で上がり売りもうける

日本の株⇒リーマンショックの時から元にもどったとき⇒売る⇒J-REITに回す

ここで一番失敗したのはリーマンショックの時に半分に下がった株を元にもどったところで営業の人がJ-REITに回したことである

最初から分散投資が安全

こういうっていたのになぜそうしたのか?

地銀がもうけるためにまた営業がノルマを果たすためにそうしたのである

なぜなら分散投資を言うなら株は売るべきではなかった

私はその時いい感じはしていなかった、でも私は投資に時間をさくことができないのでまかせたのである
そうなると地銀でもなんでもまかせることしかできない人は投資は株でも何でもやるべきではないともなる
てもどうしても地方だと田舎だと地銀とかゆうちょとか農協でも身近であり信頼していたのである

それがゆうちょでも民営化して詐欺のようにして保険を売りつけて問題になった
なぜそうなったのか?
金があっても高度成長時代のように投資先がないのである
何かゆうちょに親が保険をかけていた、それは20年前くらいなのかその保険金も利子がついて高くなって受け取ったのである
何か自分は金銭面でも親に良くされていて困ることがなかった

ともかく金融を理解することがほとんど不可能である、プロでさえその全容など知る人はいない、第一ゆうちょとか地銀とか農林中金とかは素人でありたいして自分が知ることと変わりなかったのである
それはこれまでそうした金融にかかわることがなかったからである
それが投資先がなくなりその巨大なゆうちょであれ農林中金であれ地銀の金がアメリカの金融関係の会社にねらわれていかがわしい投資先に金を投資している
CLOとかがそうである、その金が何兆円とか莫大なのである

なぜゆうちょを民営化したのか?小泉前首相がそれを売りにしたのか?

これも今になるとアメリカの金融資本会社に銀行や保険や証券会社に日本人が貯金した金を売るためだった!

つまり日本の金がアメリカに奪われるということだったのである 
それを推進したのが外資の顧問などをしている竹中平蔵だとか言っている

現代のグロ−バル金融資本主義は巨大でありその巨大なものを理解することが不可能である、そこに巨額の金が奪われてもそれも犯罪にもならないのである
何か巨大なものは複雑なものは犯罪にはならない、戦争とかなれば他国の富を奪っても犯罪にならない、かえって正義とだとかなるのである
10億円とか百億円盗んだ人は英雄になる、一人殺したら犯罪だが千人殺せば英雄になるのと同じである

そうしてグロ−バル経済の中で巨額の金がギャンブルのように株式市場で操作されてそこで莫大な富を得ているのが国際金融資本家だとされている
それがコロナウィルスでブレーキがかかった
だからこのコロナウィルスは何なのか不思議なのである、これだけの力をもつということが不思議なのである、これだけの力を一国でも中国でもアメリカでももてないからだ
とてもグロ−バル経済を止めることなどできないからだ
それはこうしたグロ−バル経済の欲望資本主義の暴走を止めるためだったのかともなる
もうグロ−バル経済でも資本主義でも限界に来ていたからである
巨額の金の投資先がなくなりゆきづまっていたからである

何か資本主義というのは日本人の体質に合わない、農耕民族に合わない、農耕民族に日本人にあっていたのは貯金なのである、貯蓄なのである
米を作ればそれを貯えるということで安心する
でも資本主義というのは何かそういう文化と根本的に違っているのである
農耕民族は定着文明でありなるべく争わないようにする
でも狩猟民族だと獲物をとって移動する、だからそこで争いになっても自分の主張を通すそしてまた別な地域に移動するから争うことを恐れないというのもそうかもしれない

狩猟民族は獲物を捕る、それをがつがつと食べる、そして獲物がそこになくなったら移動する、それだけ大陸は広いから移動する場所があるからそういうことができる
遊牧民もそれとにたものである
農耕民は基本的に一定の土地で作物を育て貯えることが基本である
だから資本主義に合わない、理解できないのかもしれない、アメリカ人は貯金はしない、投資している、貯金することは資本主義ではそもそも合わないのである
高度成長時代は貯金してもその金の投資先があったから利子がついていたから良かったのである、今はいくら貯金があってもその金を投資してもうける先がないのである
貯金自体は富を生み出さないのである
それで資本主義が行き詰まったとなる

いづれにしろ地銀でもゆうちょでも金融でも他人の金に責任はもたない、やはり責任をとらされるのは金を出す本人である
だから知らない人はやるべきではないとなる
でももう貯金しているだけではその貯金すら目減りしてもう預金封鎖だとかなんとか貯金自体を維持できなくなる
つまり貯金というのは資本主義では常に利子がつき増えない限り意味がなく消失してしまう危険がある
それにしてもリスクはさけられない、誰がコロナウィルスのことを予想していたか?
これをみても予想ができないのである、どういうリスクがあるから予想できないのである
コロナウィルスで世界がグロ−バル経済もブレーキがかかり世界自体が変わってしまうからである
そして世界恐慌がやってくるというからまさに恐怖だとなる

とにかく老人にはまた投資は向いていない、なぜなら投資は長期的にみないとわからないからである
それでリーマンショックに半分になった株が元にもどりさらに上がりつづけていた、その時売れば相当にもうかったのである
老人は先が短いから投資に向いていない、後は死ぬだけだとなってしまうからだ
それから老人になってからはその人の残すべきものに集中すべきである
私の場合は文学的創作とかに集中したいから頭も手も回らない、家事を全部しているからそれだけで時間をとられるのである
とてもあらゆることに頭もまわらないし時間もさけないのである




posted by 老鶯 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年03月13日

コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る? (政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)


コロナウィルスで貯金がない人が生活に困る?

(政府の補償は必ず差別される―非正規フリーランスは半分)

コロナウィルスでなぜ休業することでこれだけ騒いでいるのか?
それは日本人が貧乏になり貯金がない人が多くなった
その数が多すぎる、こんなに貯金がないのかと驚く
ただ不思議なのは江戸時代でも戦前でもその日暮らしだった
宵越しの金はもたないという江戸っ子がいたとしてもその反面は金をもてない
貯金できないということである
だから何か急に金が必要な時どうするのかとなる      

こういう時代は物でも何でも計り売りである、少量を買ったり売ったりしている
だから子供の時、酒屋にいって樽から量り売りをしてもらっていた
それをやらされていた、店でも計り売りである、飴一つとか子供は買いにきていたのである、私の家で家を貸していたときも毎日家賃をとりに行っていたという
毎日ということはその日暮らしだったということである
日銭稼ぎであり貯金もなにもなかったのである

生活保護だとそもそも貯金が禁止されている、貯金するとそれがわかると生活保護が停止されるから困る
ところが人間は必ず病気だとか事故だとか突然のことで金がいることがある
そうなると貯金がないと困るのである
貯金がない人が増えたというとき日本社会が貧乏な人が増えたとういことである
だからこういう緊急時には困ることになる
つまりその日暮らしが日雇いが変化した非正規とか何かフリーランスとか名前が変わったがそういう人が増えている
第一貯金があればすぐに暮らしに困ることはないからだ

団塊の世代になると高度成長時代でありな貯金した
貯金したのはその時利子が高かった、7パーセントの時すらあったから貯金した結果倍と三倍にもなった恵まれた時代だった
だから貯金していれば安心だとなっていたのである
今になると銀行に貯金しても利子がつかない、それよりゆうちょでも銀行でも高齢者から投資信託や保険をすすめる、これがわかりにくいのである
まず60以上になると株式や投資のこと自体を理解することがむずかしいのだ
でも高齢者では金をもっている人が多いからゆうちょとか地銀が地元で信頼していたからそういうことでものりやすい、つまりゆうちょでも地銀でも投資先がない、借りてくれる会社もないからそうなった

貯金するなとか言う人も今は多い、なぜなら貯金しても利子がつかないし目減りしているからである、金融資産はこういうときあてにならなくなる

でも何か困った時どうするのか?

貯金がなかったらどうするのか?それで借りるほかなくなるがこう言う人は返せないのである、だから貯金は必要なのである、でもその余裕が今はない人が多い
それでこういう緊急事態に困窮する人が増えたのかとなる
大会社だと休業補償が政府から8000円でも非正規とかフリーランスはその半分だとか不満になる、政府の政策では必ず割を食う人がいる
この辺の原発事故の補償でもそうである
30キロで区切られたからその内部の人は手厚いのである

医療費は10年間無料、高速も無料

30キロ以外はなし

この差別も大きかった、30キロ内は補償金でも三倍とかもらっていた
こうして必ず政府からの補償金は平等にならないのである
誰かが必ず損する、割を食うのである
これは別に南相馬市だけではない、相馬市とか30キロはずれたらほとんど補償金はもらえなかったのである、それで大きな不満が残ったのである
それで地域が分断されたのである

いづれにしろ貯金がない人が増えたという時、相当日本は貧乏になっている
そうなると昔のようにその日暮らしの人だって増えているから何か緊急のことがあったらたちまち窮するとなる、これも困ったことなのである

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2020年02月29日

中国は農業大国ではない? (中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


中国は農業大国ではない?

(中国の飢饉も日本と同じ原因があり人災だった- )


食糧を輸入に頼る中国は「土地が広大なので農業大国になれる」は誤解
(妙佛 DEEP MAX)

 大豆の自給率が94%から13%にまで落ち込むなど、急速な衰退をみせる中国農業。野菜果物に関してはすでに輸入量が輸出量を超えた。世界の穀物生産量の20%以上を占めるとあって、その影響は世界にまで広がる

 工場排水で農地が使えなくなっている、工場で一時的に収入を得るために農業より工業に重点をおいた、その農地を回復するには莫大な金がかかる
       
そもそも中国はあれだけ広いのだから農業中心の国と見ていた

では何で日本に野菜輸出しているのか?

それは毛沢東の時代は飢饉のとき外国に食料を外貨を得るために輸出していた

中国を汚染されても気にしない、農業より工業で外貨を得ることを優先した

それは原発事故でこの辺が放射性物質に汚染されて農業が衰退した 

これは中国だけではない日本のことである
原発事故でこの辺は土地も汚染されたし海をも汚染された
それは回復不可能なほどにもなった
まず生態系全部を除染などできないからだ
今でも溜池を除染している、その溜池でもいくつもあり泥をとったとしても周りから泥が流れてきてまた放射性物質が蓄積する
そして肝心の広いダムは除染していない、広すぎるからできないとなる
だから除染というのは途方もない労力がかかるし金もかかる
だから避難区域になった所では農業は回復しない、除染も焼け石に水だともなる
だからこの辺は中国と同じようになっているから中国だけを批判できないと思った

それから毛沢東が飢饉のときやはり人民のことを無視して食料を野菜でも輸出していたという、それで毛沢東は人民のことなど思っていなかったという
でもそういうことは日本の歴史にも特に東北にあったのだ 

津軽藩は大量のムダ遣いによって商人から多額の借金を抱えてしまいました。津軽藩は農民から徴収した年貢米を換金して借金を返済していました。

 そんな中に起きたのがこの天明の飢饉です。借金に追われた津軽藩は非常時の備蓄米すらもお金に換えていたため、餓えに苦しむ農民達に米を支給することが出来なかったのです。東北は本来、ヒエや麦が適した地域で、米の栽培には適していません。しかし、お米はお金になるという理由で、東北の多くの藩も商品性の高いお米の栽培を奨励していたのです

この天明の飢饉で相馬藩の三分の一が消失してしまった
その跡を埋めたのが越中などからの移民だったのである、だから相馬藩内の墓を見ると真宗が三分の一くらいあるから歴史の重みとして明確にわかる
このことは商品作物はグロ−バル経済でそうなりやすいのである
アフリカなのかコーヒーばかり作り外国に売っているとある時コーヒーが売れなくなったりすると安くなったりするとその土地の人が飢饉にもなる
それで他の食料も作っているべきだとなる
つまり外国のために売る商品作物を作るだけになると食料が確保できなくなる危険がある日本でもコロナウィルスとか何かあると中国から野菜でも入らなくなる
食料が入らなくなる、グロ−バル経済にはそういう危険がある

中国の歴史を知ることは密接に日本を知ることだから本当は中国の歴史をもっと学ぶべきなのだが明治維新後はヨ−ロッパとかアメリカ一辺倒になったので中国のことがわからなくなったのである
中国と交流があったのは唐の時代でありその時遣唐使が日本から送られてその文化を漢字や仏教を取り入れたのである
その後は交流があったとしても日本は日本の独自の歴史を作って来た
でも没交渉ではなかった、鎌倉時代には禅宗などを取り入れた、これは実践を重んじる中国的なものだった、鎌倉の五山文化が作られた
ただ江戸時代になると鎖国になり没交渉になった
そして今中国がグロ−バル経済で世界帝国を目指すようになった
それで周りで警戒するようになったのである
また中国とは何かを見直すようになったのである

ここのyoutubeは相当に人気がある、語りも面白いのである、それは中国に長年住んでいたからあれだけ詳しいとなる
youtubeにはアメリカで事業していた人とか外国生活している人も語っているからテレビと違った情報を提供している、それが新鮮なのである
つまり外国を鏡としてまた日本を見れるときその比較で明確に見えるものが生まれる
また歴史を知るというのはそういう過去の対比で現在を見る
すると今の時代が見えるということで過去を歴史を知るのである
そしてつくづく歴史は人間が生きることは継続でありカルマなのである、繰り返しなのである

洪武帝が土地が旱魃になり両親も死んで子供のときに一人になってしまった
それで僧になり乞食して生き延びてやがて流民化した農民の軍隊に入り皇帝までなったのである
その僧になったというとき何か乞食するには僧になるのがいいのである
僧になる理由は悟りを求めるとか求道だけではない、飢えて食えなくなったとき僧になり食料をもらう、逆に食料をもらうために僧になるのである
僧には日本でも過去にもそういう人がかなりいたことは確かである
そういう人が遍路にいた、何か最初わからなかったがその人に金をやった
その金は大きかったからその人はためらった
そしたらお経をあげるとしてあげたのである
こうなれば単なる乞食ではない、俺は御経をあげてやる、あなたは私を敬いなさいとなる
その人はプライドがありそうしたのである、にわか僧になったのである
こういう人も食うために追い詰められてそうなった、意外とカルト宗教団体の人にも多い
それは常にこうして食うことでも追い詰められて宗教にすがり宗教を利用するからである
上から下からそういう人たちが集まるからである


その人は僧だったの?

その人は仏教のことなど何も勉強していない、ただ遍路をしていて誰かをまねたのだろうその人はホームレスだったのである、四国ではホームレスが僧になりやすいのである
それは遍路で僧になっていれば食料でも恵む人がいる土地柄だからである
こういうことはだから人間の歴史として継続している
食うために僧になる人がかなりいたのである、今のカルト宗教団体などは何かそこで御利益を得るしかない、だから食い詰めて僧になった人とにている

とにかく中国の歴史は過酷なのである、その生活も過酷である
人民の数も多いからそこで競争も熾烈になる、食うか食われるかの世界にもなる
そこに情実が入りにくい、生き延びるために必死になる
中国でも飢饉が常にあったからだ、するとその数が多いから流民化する
その流民が軍隊化して洪武帝が皇帝になったのである
十数年前には蒸気機関車も走っていて鉄道の貨物列車のようなものに地方から都会の工場に出稼者が家畜のようにつめこまれていた
車掌は本当に鞭をもっていて打っていたというから過酷である

欧米と違って中国はやはりなにか中国の延長として日本がありリアルなのである
ヨ−ロッパとか中東でもアメリカでもなかなか理解しにくいが中国の歴史は日本にも通じているから理解しやすいとなる、でも同じ漢字でもその意味することは違ったものになっている、中国と日本の差も実際は大きいのである
中国人もまた日本人のことを理解できないのである

いづれにしろ中国を知ることは日本を知ることでもある、それは外国を知ることはまた日本を知ることなのである、だから中国に対する理解を深める必要がある
中国と韓国はもう一つである、李朝鮮時代は中国の属国としてあったからである
韓国を知るには中国の理解が不可欠である、韓国は中国の歴史の一部になっていることは確かである



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2020年02月18日

ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資 (ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者)


ゆうちょ銀行も危険なアメリカのCLOに投資

(ゴールドマンサックスは手数料をとる仲介業者) 

goldmansach.jpg

ゆうちょ銀行破綻の危機が来るか?日本が売られている可能性がある!?

youtubeの説明はわかりやすい、金融の専門家が話している
地方のゆうちょでも地銀とか相当にレベルが低い
そもそも地方では田舎では貯金していれば今までは利子ついていたのだから
預けておくだけで利子がつくから安心だったのである
いろいろ悩むこともなかったのである
だからそういう日本が成長する時代はゆうちょでも銀行でもみんな信頼していたし
そういう職業は地方でぱ公務員と同じでありエリートになっていたのである

自分自身も株のことなど投資のことなど皆目わからないのである
それを知るために経験と時間が必要である
それができないから地銀の営業マンに一切委託したのである
いちいち株でも一人でやるとなるとパソコンで取引していたら後は何もできなくなる
でもいろいろ勉強すると

ゆうちょでも地銀でも投資のことは理解していない素人だった!

日本が成長するときはそもそもゆうちょでももともと国営であり地銀でも投資する地域の会社を育てることをしていなかった、ただ担保だけを見ていたのである
だから担保がない人には貸さなかったのである
つまり楽な仕事だったのである

このyoutubeの説明でわかったことは

ゴールドマンサックスは仲介業者であり手数料をとるだけ!

こういうふうに説明している、これは地銀と同じだと思った
適当に投資信託を選らびそれを顧客に売りつければ手数料が入る
投資信託は銀行が絶対に損しない仕組みである
リスクは負わないのである、地銀自体が証券会社の商品を仲介して売りつけて手数料をもらえばいいとしかないのであ
その手数料が高すぎるのである、だからこそ地銀にとってゆうちょでも都合のいい商売だとなる

ただそれでもゆうちょでも地銀でもプロだと思っていた、ここが根本的に間違っていたのだゆうちょでも地銀でも素人であり自分とかわりなかったのである

それで今度は逆にゴールドマンサックスが売りつける怪しいものにCLOに巨額の金を投資している、それはアメリカの中小企業とかに貸し付ける金である
でもその中小企業が借金になり返せないとリーマンショックのようにバブルになり
リーマンショックの再現になる
それが近いとも言っている

ではなぜアメリカの株が上昇して下がらないのか?

日本の株もまだ下がらないのか?

下がっていいはずだというときそれは日本だったら阿部首相が政府が工作して下げないようにしている、アベノミックスで政権がもっているからである
それはアメリカでも同じだという、政府が介入して破綻を延期しているだけだという

とにかくゴールドマンサックスのような仲介業として手数料をとっているのが地銀だった
営業マンはリーマンショックの時もっていた株を投資信託に回して損しないにしろその株をもっていればかなりのもうけになったのにできなかった
その時自分自身で判断すれば自分の責任であり責任は言わないのである
でも地銀は手数料はもらうが一切責任はとらないのである
分散投資のことをしきり言っていたがそれすら自分のノルマを果たすために守らなかったからだ
結局地銀でもゆうちょでも金があってももう利子をつけて顧客に払うことができなくなったのである

だからこそ何かいかがわしいゴールドマンサックスのもってくる投資信託を買わされている、そしてゴールドサックスマは手数料をとるだけだから地銀と同じである
そして前の小泉首相が郵政民営化をあれほど政策としてかがげていたのは何だったのか?それは民営化してその金をゴールドマンサックスなどを通じてアメリカの中小企業に貸す金だったとなる
民営化すればそれがしやすくなるからだ、政府の責任にならないからである

グロ−バル経済というのは複雑である、その複雑さ故にだまされる
地銀とかゆうちょは地域に根ざすものでありそうしたグロ−バル経済の投資にかかわっていなかったのである、だから素人なのである
それで一番危ないのが農林中金の金がその怪しいCLOに投資して奪われるとういことが言われる
もう地方の人たちが苦労して働いた金がこうして奪われ無に帰するというのも無念だとなる

ただ今問題なのは資本主義がゆきづまっているというとき投資先がなくなったからであるアメリカでも金があっても投資して利益を得られる先がない
金の行き場がなくなっているのだ、金余りでありそれがバブルになる
古銭とかに古いコインに投資するとかもそうである
そんな一つの貨幣に一千万とかなるのも驚きである
それもバブルなのかと思う、金の値段が上がるのもわかる
カネ余りであり投資先がないからである
チューリップバブルも金余りになりバブルになりなったと同じである

いづれにしろグロ−バル経済の仕組みは複雑で素人にはわからない、でもなんか放射線とか核よりは勉強すれば情報が入ればそれなりにわかるのかとなる
youtubeの説明はわかりやすいから壺を理解できる
ただそれも深く知ることは至難である
今はこうして金がある人は金のことを心配する
預金封鎖があるとかなんとかそんな話しかないからである
預金も消えてゆくという不安があるからだ
紙幣とは紙にすぎない、だから古いコインはコインでも紙よりいいのかとなってしまうのである

私の母は前の夫は事故で死んで補償金をもらって一生楽に暮らせると言われていた
でも戦争になり預金封鎖になり本当に紙くずになった
でも実家の近くに買った土地だけは残りそれが金になったのである
だからこういうことがあるから一時は土地バブルになったしまた今は金が上がっているのだ

結局どんなことしたって完全な安全を計ることはできないのだ
突然コロナウィルス騒ぎになったり不測の事態が必ず起きる
それはそれぞれの個々人でも起きる、病気になったり何か不測のことが起きる
それは一生の中で必ず起きる、自分自身も60以降介護とか自分の病気とかで塗炭の苦しみになったからである

そしてまた母のことだが母は冒険などしない大人しい女性だった
家からほとんど出ない人だったのである

ところが

炬燵に入っていたとき突然近くの川が氾濫して床上浸水になった
私の家は街中で一番低い場所にあったからだ
そして母はあわてて米をもちだそうとしていた
その時水が家の中に入ってきて米をもちだそうとしてその炬燵の穴に入って骨折する大けがをしたのである                  

つまり家の中にいても安全はなかった!

こうしてリスクのない人生はない、安全を計っても必ずこうして不測のことが起きて大けがしたりするのである
だから火宅の世だとか言われるのである

ともかくグロ−バル経済にはからくりがある、株価はアメリカでも日本でも操作しているアベノミックスがそうでありアメリカでもゴールドサックスマンと政府が操作しているから株が下がらないがそれも限界が来てまたリーマンショックのようなことが起きるとしている
もう資本主義が投資先もなくなり成長が望めない、それで限界が来たとなる
だからゼロサム社会とか中世にもどるとか言われる

私が追求するのは内面的心であり真善美である、日本だったら国風文化の再興である
これ以上グロ−バル経済の発展はない、かえってマイナスになることが害になることが大きくなったのである
必要なものではない、不用なものも買わされる、不用だけではない害になる食料でもアメリカから買わされることになったり武器を買わされたりと日本は負担が増える
それもアメリカ様に逆らえないとなりそうなる
だから経済に公平などないのである
アメリカとか中国が冷戦状態、貿易戦争になるように覇権争いになり経済も政治に支配される、経済自体にもグロ−バル経済で国際金融資本が支配するとなり日本がの金が奪われる

そういうことにyoutubeを見て気づかされた、ただその奥ふかい所を理解することは至難である
それで陰謀論に必ずなる、結局その闇の正体が解明できないからである
そもそもこの闇の主とはロスチャイルドとかロックフェラーだとユダヤ人とかいろいろ言うけどそれは聖書で言う闇の主、サタンだともなってしまう
結局その主は具体的ものとして見えないからである
ただ中国でも共産主義でも極端な格差がありその格差がどうして生まれるのか?
それが現代経済の最大の問題なのである
それでアメリカで一万人もインフレインザで死んでいる
それは保険に入っていない貧困層が膨大にいて医者にも行けないからだとしている
つまり格差社会は階級社会になる時その上層部にもウィルスの蔓延が及ぶから無関心ではいられないのである、また犯罪を増えるから見過ごしてはいられない
それで南米の大金持ちは誘拐があるから警備員を私兵を雇っている

習近平でも独裁でしめつけ言論を封殺したのはいいがそれがかえって裏目にでた
ウィルスを蔓延させた、最初に警告した医師は言論封殺されて自らもコロナウィルスにかかり死んだ、つまり習近平体制がゆらいでいるのは言論の自由がないからだとなる
そのこと自体が共産党一党独裁が崩れていく原因ともなる
だから民主主義の第一のルールが言論の自由を守ることであり情報公開だとなる
それが原発事故でも証明されたのである
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2020年02月17日

貧困が見えない社会(車上生活者が増えている)


貧困が見えない社会(車上生活者が増えている) 

「家族3人で車で生活していた58歳の女が、死体遺棄の疑いで逮捕されました。」
「母親の遺体を車に放置したとして逮捕された58歳の女性。
家族と一緒に1年にわたって車で生活していました。」


現代社会の特徴は貧困でも見えない、昔だったら乞食がいたとしてその人はあからさまに貧乏であり助けがないと生きられないことを社会に訴えしいたのだ
なぜなら家もないし日々食べるものがないから乞食であり食を乞うものだったからであるそもそも乞食というとき食を乞う人だった
それで細菌アメリカでもフードバンクなどができて無料で食料を配ったりしている
ともかく団塊の世代では乞食がいたことを知っている
それも戦後10年以内に全く消えたのである

そうすると今はそうししてあからさまに乞食のように貧困になっている人が見えないのである
その人たちはどうなったかというと生活保護になる
生活保護だ頼みの綱となる、それで常に役所の福祉係と交渉することになる
生活保護でも医療費が無料くらいの人がいるし最低の生活すら維持できない人がいる
ここで紹介された人たちもそうである
つまり最後は電気水道代などが払えない、家賃が払えないとなり車で生活することになる基本的に最低の生活すらままならないからである

例えば貧乏な時代というものが現代ではわからなくなった
私は団塊の世代は戦後十年くらい経験しているのだ
水は近くの井戸水を無料でもらいトイレは外のトイレでその糞尿を農家の人が肥料としてもらっていった、燃料がないので風呂は材木屋のバターをいらなくなったものを利用していた、おそらく無料だったのだろう
それで私の仕事はそれで風呂をたくことであり新聞紙はトイレの紙に利用して風呂焚きにも利用した、その時米を炊くのに竈も使っていた
つまりこれは江戸時代なのである
そして私の家では戦前に家の部屋を長屋のようにして貸していたのである
それで姉は毎日その部屋代の金を集めていたという、なぜ毎日だったのか
一か月まとめて払う金がない、その頃は江戸時代のようなその日暮らしが多かったのである、宵越しの金はもたねえとか江戸っ子が言っているがそれはその日暮らしだったからである、燃料は炭であり江戸時代のつづきだったのである

そういう生活でも一応部屋だ借りられて水とかも無料であり金がほとんどかからないから生活できたとなる
現代の貧乏は家賃がかさみ、電気水道代ガス代とか燃料費がかかりそれで必ず不足して
生活できなくなる、その人は毎月そうなのである
だから車内で生活するようになるというのも現代的である
車というのは一つの家なのである、雨露でもしのぐことができるからだ
それでキャンピングカーがあったらあれなら家が移動していると同じでありうらやましいと見ている

現代の貧困者は露わに見えない、昔だったら醤油でも米でも味噌でも隣から貸してくれとかくれろとかあって分け合っていたときもあった
それは恥ずかしいことではない、みんな貧乏だからそうなったのである
そういう生活をみんなしているから助け合ったとういことがある
昨日書いたなぜ日本のもてなしがあり外国でも旅行者に対してホスピスがあったのかを欠いた、昔の旅人は歩いていたから疲れる、すると病気になる人だっている
それでケアしたり看護したりする、そこからホスピタルになった
そのことが余りにも便利になり車で移動する時代になるとわからなくなった
だから私が自転車で旅すると旅館でも泊まりにくい、歓迎されない、ホテルは余計に泊まりにくい、ふらふらになるほど疲れていてももてなしもないのである
「疲れたでしょう」とかの一言もない、何でいい年して自転車で旅しているのだ
胡散臭い奴だとしかならないのである
でも江戸時代なら一日40キロも歩いてやっと宿につく、すると迎える人もそのことを知っているからもてなす、癒しがありうる
こういうことでもつくづくその時代の社会がわからないと実感できないのである

まず自転車で旅する時良くテントを張ってねる、でも車でも人が泊まっていた
それがわからなかったのである、つまり自転車の人は自転車を利用する人と話する
でも車の人とは話もしないのである、車の人とは交流しないのである
昔だったら必ずみんな歩いているのだから旅は道連れとなりそこに人情が生まれていたのである
だからクルマで生活すると言いうのは現代ではそうなっても当然だとなる
車だと家賃も払わなくてもいいとか水道代とか電気代とかも払わなくてもいいとかなる
でも車自体に移動すればかかるのはガソリン代とかあり普通に車を使用すると一年に30万から50万かかるとかその額が大きいのである
ただ寝泊まりだけならそれほどかからないとなる

現代は本当に貧困化していて格差社会になっている、普通の生活すらできない人たちが増えている、ただそれが昔の乞食のようにあからさまに見えないのである
でもそういう人たちが車で生活していると知れば納得する
車は本当に家なのである、ただ住所がないとかなればいろいろと生活しずらくなる
貧困化すると家賃も払えなくなる、それが現代の貧困である
現代では醤油でも塩でも米でも分け合って生活するということがない、人情がなくなった社会である、あとは生活保護を受ければいいとかなり貧困者には無関心なのである
そうして格差社会になっている

今までは自己責任とかあったがそれが数が多くなると中産階級が没落してゆくとそういうことも言っていられない、アメリカでトランプ大統領が出てきたのは極端な格差社会になりアメリカの中産階級が没落してラストベルトとかが生まれたからである
日本も同じでありこれまでの中産階級が没落してゆく
そういう現象がすでに非正規とか就職氷河期とか20、30年前からバブルが崩壊してから徐々に進行していたのである
それが今から顕著なものとして現れてきたのである

私は恵まれたとしても何の贅沢な生活もしていない、旅したとしても最低であり食べるものも最低である、自転車だったら泊まるのも無料だとなるからだ
だからもともと私は旅館とかホテルとかは好きではない、そういう場所は現代では旅人をねぎらうところではない、金持ち用の保養の場所である
だから金持ちしか歓迎されないのである
格差社会になるとニセコとかは金持ち用のリゾートになり土地が高くなる
そこは階級社会を現実的に見る場所である、地元の人たちとは関係ない人たちである
でも貧困化するとそういう人たちをもてなす優遇する他ないとなる
それがグロ−バル経済でもある

でもそういうことは日本の文化を破壊するのである、日本は江戸時代でも特別の金持ちがいない、侍でも同じである、みんな貧乏だったからである
旅人でも殿様意外はみんな同じ部屋であり特別の部屋はない、金のあるなしで差別などしないのである
階級社会になると3万とか4万でも泊まる人は優遇される、すべて金で差がつけられる
それが日本の文化を壊してゆく、もてなしもそういう金持ちだけにされる
苦労して旅してきた人など目もくれない、なんで自転車などで旅ししているのだ
こいつは浮浪者かもしれないとか相手にされないのである
だからすでに車をもたないだけで階級差が生まれる
車すらもていないのは下級国民下層階級なのである
ところが不思議なのは車をもっていても最下層に落ちて車が家となって生活するほかなくなっている人たちが生まれてきたということである
これもつくづく現代的だと見たのである
ただこの放送は見逃していた、再放送で見たいとなる

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2020年02月02日

極限の貧乏の衝撃 (バックパッカーが見た世界の現実の紹介)


極限の貧乏の衝撃

(バックパッカーが見た世界の現実の紹介)

貧しい国と物乞いの現実に「貧しさ」と歪みを考えた:二宮祥平放浪時代

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これは江戸時代の長屋と同じだった
七輪で煮ていた

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私は五歳以下の時、何か病気になった
医者に行ったのだが注射が失敗した
その後でも傷が残り腿のところが大きな傷跡として成長した時残ったのである
おそらくその頃の医療技術は低かったかもしれない
でも一応医者がいたということである



貧乏もこの話聞くと悲惨である、もう極限の人間を見て来た
それはなかなかテレビとかでは伝えられないものである
子供を産んだら乞食にするために身体の一部を切り落とすとかある
それはインドにもあるとか聞いた
スラム街を見たらそういうこともありうるのかともなる

そして途上国はそんな食うや食わずでも子供がわんさと生まれているのかということである、そんな極限の状態で子供を産むのかとなる
でも日本の戦後の動画がでていた
それは昭和21年でありその一年後に自分が生まれた
その時政府から500円を配給されたのである
預金は封鎖されておろせなくなった、それでとてもじゃないがもう栄養失調になる
働く力もでないとビデオで写していた

私の母親は前の夫が事故で死んで一生食べていける保険金をもらった
でもこのようにその時預金封鎖になり金を消えた
でも故郷の実家に買った土地だけは財産として残ったのである

とにかく日本は本当の貧乏というものがわからなくなった
今も確かに貧乏化しているからそれを嘆いているしまた日本は貧乏になると騒いでいる
でも日本人は本当の極限の貧乏がどういうものかわからなくなっている

なぜ子供の体の一部を切りおしてまで乞食にするのか?

生活保護がない、国の福祉がない

そのために同情させるためにそこまで親がするとなる、親も子供にそんなことができるのか?
でも極限状態ではそうなる、娘で売ることもあると同じである
日本でも戦前はそうした貧乏があった、ただ戦後10年は江戸時代のようなつづきの生活だった
燃料は炭でありトイレは外のトイレであり風呂にたくものがなくバターとか不用の切れ端を使っていた、水道もなく家には何もない、裸電球一つだった
今の電気製品は何もなかった
そしてその映像で鍋も買えないとしていた、鍋すら買えない貧乏だったのである

不思議なのはなぜそうした貧乏なのに子だくさんで子供があふれていたのか?
それは途上国のスラムのような場所とにている
子供はそんな極貧の中でも生まれて多いのである
それで子供が親を裁判で訴える映画が紹介されていた
親を生んだことが悪いとして子供が訴えたのである
これも極貧になるとそこまでになる

つまり日本では確かに今貧乏化している、でも本当の貧乏がわからなくなったのである
私の父親は病気になり仙台からバナナを買って食べさせた
バナナ自体がなかったからだ、そして最後はサシミを食えるようになったけど
食えたくないと言って死んだ
なぜなら病気で食えなくなったからである
それは戦後10年くらいはそうだった、ただそれから急速に日本は高度成長したのでそういう貧乏が忘れられた
ただそういうとき子供だったが貧乏の苦しさを感じなかった
家にはなにもないとなっていたけど自分は特別愛されたからそこで苦しい思いでは何もないのである

人間は今だけを見ていると今はわからないのである
なんでもあるのが当然だとなってしまうからだ、それで貧乏でもこうした極限の貧乏のことは理解できなくなったのである
別にそうしろというのではなくやはり時代でもまた世界でもいろいろな国があり比較する時みえてくるのもがある

この人の言っていることはやはり生々しい経験をしているからこそそれが訴えるものがある
それもyoutubeとかの発言で今までにないものが発言されるようになったとみる
私はyoutubeのことはまだまだわからない、こした新しいものはメデアでも理解するまで時間がかかるのである
そうすると老人は最新のことが理解できないとなる
私はなんとか50代でバックパッカーになって世界旅行したからなんとか理解するようになった、でも世界旅行でもどこまで深く世界を見るかは違ってくる
私はまたそこまで深く見ていない
だから香港に2年住んでいいたということで中国をリアルに感じたもの発言している
香港は必死であり中国に逮捕されると獄死させられる
中国にその逮捕特権が奪われることで命がけで抵抗しているということもリアルにわかった

やはり何か訴えることはマスコミだと何かもう一つ深いところで訴えるものがない
抑えた表現になるからだ、すると真実が見えないのである
確かにyoutubeは新しい情報世界を作り出した
顔が見えるし何かその人となりがわかる、テキストだとその人となりがわかりにくい
そして部分を文章の一部を引用しているだけだった
プログは何か一部分をきりとったようなる
その人となりがかわりにくいのである
ただ毎日読んでいるようなプログはその人となりがわかるが私の場合はそれは一つしかない、それも貧困をテーマにして
ダークネス(鈴木傾城)というサイトである

とにかく今貧困が話題になるが本当の貧困が日本人はわからなくなったのである
それは高度成長で豊かな時代を経験してそれから経済は停滞してきた
でも本当の貧乏がどういうものかわからない、一応なんとか極貧にならない生活を維持しているからである

それからその人は物乞いする人には乞食には金を与えない

それはなぜか?

必ず他の人も金が欲しいと群がり争いになるからだという

それで気づいた、アフガニスタンで中村哲氏が殺された理由がこの地元の人たちの水をめぐる利権争いが原因だとしているからだ
つまり乞食でも金をほしさのために地元の人たちで争い、そしてその金をくれる本人まで殺したとなるからだ
そこに極限の貧困の中で暮らす深い闇があった
それはなかなか日本ではもう経験できない、ただ人間は本当の現実を真実を知るべきなのだがマスコミから放送されないのである
何でも常に隠される、すると現実が真実でもリアルにわからないのである

posted by 老鶯 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題