2016年10月12日

途中下車宗谷本線(詩)ー宗谷本線が消える?



途中下車宗谷本線(詩)ー宗谷本線が消える?

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宗谷本線
一つの駅
おりたちぬ
夏の日の思い出
数軒の家あり
立葵明るく咲き
一軒の家の庭
花々に囲まれぬ
かしこ我がしばし
一人遊びてあり
今にして遠い記憶
一つの駅またおりぬ
その辺り歩みて
牧舎に牛のいぬ
のっそりとして
そこは湿原や
菖蒲の咲きにき
一両の電車あわれ
夏の夕ぐれ
ただ遠き日の旅の思い出
そ最果ての線路
一つの無人駅
おりたちて
いつ来るとてなし
電車を長々と待ちぬ
線路には恐ることなく
でんでん虫の一匹眠りぬ
その路線も消える時
まさにただ記憶とならむ



宗谷本線の存続がむずかしくなるらしい、稚内からは乗る人がまれである。ほとんど無人駅である。電車も一両だった。youtuneで延々と電車からの風景を写している
延々と森の中を走っている、家は本当に少ない、あんなに家がなかったのか?

人間は最後は記憶だけになる、記憶がそこにあったということを示すが例えそこにあっても記憶が消えたら存在しないと同じなのである。
ても旅でも今は騒がしいから忙しいから記憶に残らないのである。
すると旅したことにもならないしそこにあったということすらなかったともなるのである
自分は暇だったから一つの駅でおりてその辺をぶらぶらしていたのである。
電車は二時間くらい来なかったかもしれない、あの辺は無人駅が多い。
電車も一両だった。それだけ乗る人がいないというとき廃止になるのもやむをえないのかとなる、北海道の路線はすでに半分は消失した。これからも消失してゆく
ただ宗谷本線は違っていると思った、なぜなら急行が走っているし本州と最果ての地を結ぶ路線だと思っていたからだ。そういうことでなくなるとは思わなかった
ただ一両の電車がたまに走る路線だから日常的に地元の人が乗る人が本当に少なかったのである。

電車の旅はずいぶんした。北海道はずいぶんのった。でも電車の旅は意外と記憶に残らない、その車窓の風景でも早く過ぎて行くから記憶に残らない、ただ途中下車するとき何かそこが記憶に残っている、宗谷本線では途中下車して長い時間をいたから記憶に残っていたのである。
記憶は時間と関係しているのである。早く過ぎたりちょっと留まったりしただけでは記憶に残らない゛ともかくそこでは途中下車しても長い時間を過ごしていたのである。
それで記憶に残っていたのである。
現代の旅は何でも忙しくて早すぎて記憶に残らないのである。すると何か実際は時間の浪費しているのである。
効率的な時間で旅すること自体がかえって時間を浪費しているという逆説になる
なんか無駄な時間がかえって記憶に残りあとで宝となる

人間は老人になればわかる、体験したことが宝でありもう新しい体験ができないから体験した記憶が貴重なものとなる、人間の生きる時間は極めて限られたものなのである。
そこに人間の限界がある。老人になると新しいことを消化しにくくなる。
ただ今まで経験したことをふりかえりその意味を深化させるのに向いているのでてある。では旅した経験を書くというとき記憶に残っていなかったら書くこともできない
でも記憶に残ることはつくづく少ないと思う、とにかく人間ほど忘れやすいものはないのである。

自分の場合、介護だ自分の病気だ、津波だ、原発事故だとかあり十年がたちまち過ぎた、それで時間を消費してエネルギーも消耗した。旅する気力もなくなったともなる
そして新しいことを消化できないのである。
今まで経験したことを深化してゆくことしかない、だから老人は狭い範囲で生きてその場で意味を深めてゆくことに適している、新しい場で再出発することは向いていないのである。だから原発避難民でも老人は故郷に帰りたいとなるのである。
そこには生きた記憶の場所だからである。

タグ:宗谷本線
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2016年03月27日

北海道新幹線開業 (北海道には十回行ったー過去の記憶の街ー函館(詩)


北海道新幹線開業


(北海道には十回行ったー過去の記憶の街ー函館(詩)




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過去の記憶の街、函館


市電は過去の記憶を刻む
乗り場は駅でありその名に親しむ
老若男女が日々乗り合わせる
我は旅人なれば気楽なり
市電はゴトゴトコト街中を走る
その線路は刻まれた記憶の道
古い喫茶店が十字街にある
私はかつて函館の住人のようにあった
私は長く気ままにそこに滞在した
青函連絡船もその時あった
函館と本州は船で結ばれていた
白波が両側から打ち寄せる
立待岬に荒々しい波が打ち寄せる
エゾカンゾウが崖に咲き鴎が飛ぶ
ここに啄木の一族の墓がある
函館はその時青春の時代
榎本武揚が夢見た蝦夷共和国
日本の夜明けの熾烈な抗争の場
斬新な五稜郭に古風な見張りの屋根
ここに幕府軍は力を尽き船は沈みぬ
函館はその時開港して外国に開く先進地帯
今は秋から冬となり過去の記憶の街
ゴトゴトゴト市電は今も記憶の街を走る
私は冬の日もたずねた
入船町にロシア人などの異人が眠る墓
ハリスト正教会の屋根
カトリック教会の塔
トラピスト修道院も樅の木立ちて鎮まる
瞑想と祈りの日がこの北国にある
函館の市電の乗り場に凍てつく雪
その雪を踏みしめて歩みぬ
啄木の墓はここにありここに眠りぬ
そこはふさわしき奥津城なれや
明治の青春の日の形見なりしも


啄木の墓

立待岬の崖反りて暗し
荒波の大森浜に打ち寄せ
その波の音のひびき聞きにつ
啄木の墓の雪に埋もれありぬ
荒寥たるかなその一生
函館にその跡しばしとどめぬ
市電は路地を曲がり鈍き音
鴎とびきて冬にも旅人あり
坂を上り下りして暮らしあり
入船町に外人墓地や船は入りぬ
ハリスト教会や天主堂教会の塔
その鐘の音の海にそひびきわたり
ここに外国への門戸を開く
五稜郭に榎本武揚の蝦夷共和国
その夢は開陽丸の沈没とともに潰えぬ

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北海道というと十回は行っている、それも一カ月くらい一回で行っていた。
それほど自分は暇だったのである。
何故そうなったかというと梅雨の時期に家にいるのが嫌だったから北海道に行った
仙台から苫小牧までのフェーリーが便利だったのである。
電車で行くと新幹線すらないときがあったから遠かった。
青函連絡船の時から北海道に行っていたからずいぶんそれから月日が流れたと思う

函館にも何回も行った。函館から入るのと苫小牧から入るのは相当に感覚的に違っている函館は明治を象徴した街であり苫小牧はじかに北海道の大地を感じる
苫小牧に下りた時から北海道の大地を感じる、ルピナスとか北海道にしかない花が咲いていたりするからである。空気まで違って感じるのである。
最初は電車だったがそのあとはものたりなくなって自転車になった。
本当は最初は自転車でそのあと電車になるのが良かったが逆になった。
旅というのは意外と遊びのようにでもエネルギーが必要である。
特に自転車になるとそうである。旅をするというとき今は便利だから楽になりそれがかえって記憶に残らない旅になる。
旅とは峠があればそれを徒歩であれ自転車であれ苦労して上るときそこが記憶される


人生でも苦しみや不幸を経験しないと幸福が何かわからない、自分もここ十年間介護から何から苦しみの連続だった。でも今なにかその苦しみから解放されたなと幸福感がある
幸福とは苦しみがなければ不幸がなければありえないのである。
幸福ばかりだったら幸福はありえないとなるのだ。
今はだから旅をするというとき保養であり旅人はいないのである。
旅人になるというときそれだけの時間もないし便利だから二三日保養になる
江戸時代あたりだと歩いて行くとなるとそれだけで苦労だし旅になってしまう。


北海道の魅力はやはりそこが明治を象徴したフロンティアだったことである。
日本にもまだ耕すべき広大な土地が広がっていたのである。
その頃農業中心だから常に土地が求められてきた。それは満州にも求められてきたのである。それが戦争の原因にもなったといわれる。
農業中心だと土地が必要になるからである。戦後もブラジルとかに移住したのも農業するためでありそのための土地を求めていたのである。


北海道新幹線はそれぼどインパクトはない、それより青森まで新幹線が通ったときインパクトがあった、弘前から津軽鉄道に乗って終点の中里駅から十三湖にタクシーで行ったときはずいぶん近いと感じたのである。二時間くらいになると本当に近い。
ただ函館までは別にたいした距離ではないから新幹線の効用はそれほとない、現実にすでに開業したばかりでも空席がでていることでもわかる。
つまり札幌まで伸びない限りインパクトと効用はない、だから別に新幹線で函館まで行ってみたいとも思わない、松前には行ってないから行きたいとはなるか新幹線に乗ってみたいとも思わないのである。

ここ十年間介護に追われたりして旅はしていない、そして旅もできなくなる
自転車だと疲れるしなんか億劫になってしまったことである。
だからつくづく旅すら人間はできなくなる、これほど旅してもこれだけで終わりかとなるのが人生である。それは何でもそうである。
みんな終わってみれば人生はこれだけなのかとなるのに驚くのである。
もっといろんなことができると思ったが本当にできない、読書すらできない、せいぜい本でも100冊読んだらいい方である。その知識で書いているのである。
第一インターネットがないとまともな本が地方では読めないということが大きな問題だった。まず詩などとなるとどういうものがあるのかとかそれすらわからない
今は通販で詩集を集めて読んでいるがあのころはまずできない
それで仙台まで行って買っていたのである。それでも詩集など買いなのである。
だから田舎は知的なものを探求するには相当に不利だった
時代的に損得は必ずあるかちらどうにもならないのである。

いづれにしろ自分にとって北海道は第二の故郷である。十回も行ったからそうなる
新幹線は自分は山陽新幹線も乗っていないし北陸新幹線も乗っていない、鉄道が好きでも新幹線は敬遠してゆっくり普通の電車でわざわざ乗っていたのである。
だからこれも時間があるからこそできたことなのである。旅は金より時間がないとできないのである。暇人しかできないのである。
今回の北海新幹線にはそれほど魅力を感じないのである。

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2015年11月06日

心をつなぐ一本の線路(詩) (北海道の消えゆく線路)


心をつなぐ一本の線路(詩)

北海道の消えゆく線路

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北海道の果ての線路
一本のみが伸びている
駅舎も古りて単線のホーム
確かに一本の線は伸びている
広々とした野は枯れて
何かをつなぐように
一本の線は伸びている
でも果たしてその向こうに
駅があるのだろうか?
それも何かおぼつかない
それほど淋しい線路
北海道の路線は次々に消えた
この線もいづれは消える
野は枯れて霧の向こうに
寂寥とした枯野の向こうに
本当に駅があるのだろうか
町があるのだろうか
誰かが乗るのだろうか
誰かが下りるのだろうか
アメリカのアムトラックに乗った時
一人のみがその駅に下りた
駅の名はプリンスとか覚えている
王子様が住んでいる所
それも広大なアメリカであったのか
一本の線路は心をつなぐもの
でもそのかなたに本当に駅があるのか
誰かか待っているのか
ああ 家族はみな亡き人となった
故郷に帰っても誰も待つ人もいない
みんな墓の中だ
その駅には幽霊が待っているのか
良く帰ってきたなと
笑顔で迎えてくれる家族
その時自分は悲しく涙がでる
誰も待つ者もいない
人はみんな死んでゆく
ああ 一本の線路よ
それは心をつなぐ線路
それはかなたにつづき
人と人をつなぐ

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北海道には十回行っている、それは梅雨の時期に仙台港から苫小牧に船で行っていた。最初は電車の旅だった。二十年くらい電車の旅だった。だから日本の線路はだいたい乗っている。乗っていないのは関西など私鉄だけである。
ただ北海道の線路は今や半分は消えているだろう。
まず自分のように旅行した人もいないだろう。旅行が仕事だった。そんなことができたのも幸運だった、今なら遊んでいるニートなどいくらでもいるからめずらしくない
あのころはそんなふうにして遊んでいる人は少ない、一カ月も自由に旅する人は少ない
そのあとは物足りなくなって自転車の旅になった。
今になると自転車の旅もできない、筋肉が疲れてだめになったからだ。
遊びにしてもこれも簡単なようで時間がない体力がないとできなくなる


外国まで電車の旅をしていた。アムトラックで思い出したのはそれは深夜だった、一人の女性がおりた、それは一人だけだった。こんなところに駅があるのかと不思議だった。
さぞかし淋しい駅なのかと思ったらそうでもない、調べると写真もでているが「プリンス」という駅でありその名前で覚えていた。
外国でも名前で覚えることがあった。
アメリカは広くてこれも記憶に残りにくかった。外国の旅は記憶にのこりにくい。
でも旅はあとで思い出すことが意外と大事だった。景色も消えてその名前だけが印象に残ったからだ。アムトラックも観光路線であり冬でありがら空きだった。
アムトラックなどは座席が大きくゆったり座れることがよくそこでソァーのように眠れたから良かった。日本は座席が狭いから眠れないのである。


とにかく自分は鉄道にこれだけ旅行したのだから愛着がある。鉄道マニアというときいろいろある。撮り鉄とかいろいろある。実際に線路まで愛着を覚えるのが鉄道なのである。鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある。
バスだと何かそういうものがないというのも不思議である。
鉄道の旅とバスの旅は全然違ったものなのである。
インターネットで藻琴駅とかの写真を見ていた。あそこも駅はあってもバスが線路を走るそうなると全く違ったものになる、やはり一両でも車両が走らないと気分がでないし旅情がないのである。
鉄道というと音にも感じる、汽笛でも線路を走る音でもそうである。
それはやはり旅しているからその心があの音に感じる、駅もまた旅情がありバス停とは違っている。鉄道はそれだけ人間的である、新幹線になるとまた違っている
早すぎて旅情がない、ただ早く運ぶだけだとなってしまう。
鉄道が全盛期のころがなつかしくなるだろう。
それは団塊の世代でもそのあとでもやはり鉄道が生活路線だったときがなつかしい
駅だってそこが街の中心であり駅前通りがありそうしてにぎわっていたころがなつかしい車時代になり道の駅になったが何かそれで淋しいのである。


人間は最後は思い出だけとなってしまう。原発事故で故郷から離れた人も何かこの詩のような感覚になる。もう駅があっても双葉とか大熊はいつ電車が通るのかもわからない
それも想像もできないことだったし村ごと津波で消えたことも想像もできないことだったあまりにも変わりすぎたのがこの辺なのである。
ゴーストタウンになりゴーストステーションになっている。
こんな映画のようなことが現実になることがおもいもよらなかったきである。
ゴーストタウンを幽霊のように彷徨っている姿がある。
そしてすべて消えたのか、やはり思い出はみんな残っているのである。
死んだ人はなにもなくなったのか、思い出だけが今でも残っているのである。
一本の線路は心をつないでいる、それは死者とも通じている
それは自分が死ぬまで消えることがない、心の線路なのである。




タグ:北海道の駅
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2015年06月15日

電車(ディーゼル車)を待っている時間 (詩) (金のように計算できないから時間が節約できない)


電車(ディーゼル車)を待っている時間 (詩)

(金のように計算できないから時間が節約できない)

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春の雲がぽっかり浮いている
自由な気ままな旅
見知らぬ駅で途中下車
なかなか電車が来ない
遠い北の果ての鉄道
やっと一両のデーゼル者が来る
線路の脇にでんでん虫が眠っている
遠い見知らぬ駅におりたつ
そこには何軒かの農家があり
牛を飼い畑を耕し暮らしがある
そこにも駅があることがなつかしい
ああ、そういう自由な気ままな旅の日
それがなつかしい
今はただ日々家事に追われ介護に追われる
その時線路はどこまでもつづき
自由な時間がありふらりと途中下車
誰もとがめるものもなく
「どうぞゆっくり電車 (ディーゼル車)を待っていて下さい
その内電車も来ますよ」
夏の蝶が花々にとまり蜜を吸い
私は気ままに放浪していた
立葵の花が一際明るかった
私は延々と線路がつづく限り
自由な旅をしていた
そこに尽きることない自由な時間があった
しかしその時間も尽きたのだ
何事時間は尽きる
恵まれたものは自由な時間
それはもはや得られないことの衝撃
人に与えられる時間は限られている
何をするにしろ時間は限られている
そしてたちまち時間は尽きて老いる
そしてただ思い出すだけになる
そしてこの世から去ってゆく
私の時間は見知らぬ駅でなかなか来ない
汽動車(ディーゼル車)を待っていた時間
それは幸せな時間
その時間はもう二度と帰ってこない
人がこの世にいる時間は限られている
なかなかディーゼル車が来ないと思っていたら
本当にディーゼル車は来なかった
でも待つ時間に意味があった
待っている時間が人生の豊かな時間
そういう時間がない旅は記憶に残らない
ただあわただしく過ぎ去り
記憶に残らない旅となる


人間の盲点は常に時間を浪費していることである。
時間は金のように計れないから自ずとそうなってしまう。
金だったら物を買うのにもいつも意識して節約したりする
時間は節約するという思考が働かないのである。
時間をためるとか時間を一気に使うということもできない
金だったら多くたまったら一気にぜいたくして使ってしまうことができる
時間は一気に使ってしまったりできないしためることもできない
だから時間というのは常に不思議な理解できないものなのである。
ただ時間を理解できるのは老人になったときだけである。
これは誰でもはっきりと理解できる

人生の時間がなくなってしまったことを否応なく意識させられるからである
金だったらためることができるし老人になっても金は確かに有効に働く
ただ若いときの時間とかはもどってこない
青春という時間も二度ともどってこない
女性だったら若いときの美貌でももはや二度ともどってこない
ただ老人が若いときに失ったものの代わりとして経験から得たもの
知恵とかが備わってくる
若いときに読んだ本はいろいろあったが理解できない
今読んでみると理解できるのである。
人間の知恵とか理解力は老人にならないと身につかないようなっているのだろうか?

結局人間は何か失ってももまた何かを得るようになっている
ただ時間だけは失ったら取り戻せないのである。
それは巨万の富を積んでも取り戻せない
人生の時間は確実に切れるのである。
だから時間の謎は人間は何かを成しうるために時間が与えられている
その時間はそれぞれ限られている
時間とは刻々の時間であり日々の時間であり四季の時間であり一年の時間がある
人生の時間も子供から青春時代から壮年と段階があり
時間とはそうした日々の集積であり経験の集積である。
だかち人生は一挙に何でも経験できなようになっている
今日経験することと明日経験することは違っている
そういう経験された集積されたものがやがて実りとなる
だから老人はになるとその実りがいい方面でも悪い方面でも否応でも現れてくるのである時間が何に費やしたか確実に現れてくる

それは電車を待っていたのが自分の時間であり人生であったとなってもそうである。
つまり人生は何に時間を費やしたかで決まるからである。
何に金を費やしたかというより何に時間を費やしたかの方が人生を決める
つまりあらゆることに時間を費やすことはできないからそうなる
百億もっていてもあらゆることに時間を費やすことはできない
それで享楽に費やしても煙のように消えるし
また苦労してもその苦労した時間がありまたそれも人生だったとなる
それも無益とはならないしその苦役の時間もまた人生を作っていたのである。

時間はたいがい与えらるのは平等なのである。
金は不平等でも時間は公平なのである。
ただ金持ちだと時間を節約できることはできる
食事でもめんどうだから贅沢な外食ですませば時間がうく
高い金を払って家政婦を雇えば時間が浮く
自分はそれができないから時間が奪われているともなる
それでも家事は機械化されたとか外食もしているから時間を浮かしている
時間はいくら金があっても基本的にはある人が特別長い時間を得るということはできないのである。
そして時間を節約するということが金のように意識しないので時間は必ず浪費されているのである。
あなたが使う時間があなたの人生を決めているのである。



デーゼル車は北海道に多い、稚内とかへゆく線はそうだった
北海道の鉄道は廃線になったのが本当に多い

タグ:電車の旅
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2015年06月03日

函館の夏の短歌十首(お土産のガラスの壺に花をさす)


函館の夏の短歌十首(お土産のガラスの壺に花をさす)


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函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花 啄木

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これは函館のお土産ではない、安い壺である
でもこれが夏菊とあっていたのである。
フラワーアレンジメントは実際は簡単である。
様々な花を活けてみるとそれぞれの花が映えるのである。
それはなんら考える必要がないのである。
ただ意外と壺が関係している
壺と花を合わせることも必要になる
この夏菊は外でとってきたものである。

それから何か津軽ビイドロは津軽的なものがありその色合いが違ってた。
その地方の特色を出せば売れる
鎌倉彫りも武士がはじめたというのもで何か武士の感覚が伝えられている
相馬では大堀で相馬焼きの窯元があったが原発事故でなくなったのである。
その土地のカラーを出すことがこれから経済的な面だけではなく
地域創生にとって大事なのである。
もう経済的発展は日本には望めない
文化になるとそれは道路を造るとか建物を作るのとは違うソフトの面である
そういう面はいくらでも開発できるということがある
だから文化の面にエネルギーがシフトされてゆく
現実に釜石では工場があっても機械化して地元の人を雇っていないという
もの造りなどは機械化するから人は雇わないとなると
人間はどこで働くのかとなるからだ。


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矢車の花

様々に彩る花や函館の街に船よる夏の夕暮
函館の市電にのりておりる駅白波よせて夏の日の街
啄木の青春の日や明治の日海に響きぬ教会の鐘の音
函館の坂上り下り船とまり夏菊咲きて旅人行きぬ
榎本の五稜郭に陣とりて意気の高しも船は沈みぬ
函館に上陸してそ様々の思いや若き明治の日かな
北海道希望の地なり学びけれ働きにしや明治の青春
函館の交差する通り市電ゆく船も見えつつ夏の夕暮
函館に異人の墓やロシア人ここに眠るや厳かにして
函館に明治の夜明け様々の思い交差し夏の夕暮




北海道というと梅雨の時期に必ず太平洋フェリーで一カ月くらい自由に旅していた。
今考えるつくづく恵まれていた。
別に旅行しても金はそれほどかからない、最初は電車で旅していた。
それからものたりなくなり自転車で旅するようになった。
函館には何回も行った、青函連絡船の時も何回も行った
あんなふうに自由に旅できたのが今になると恵まれていた。
つまり旅に行ったらいつ帰ってこいという縛りがなかったのだ
勤め人だったら一カ月も旅できないだろう。
すでにその時から社会からはずれてしまったし普通の社会生活からもはずれてしまっていたのだ
ただ家庭環境でなぜか自由な旅ができた。
家の人は何にも文句いわなかったからである。
こういうこともあまりないだろう。
今になるとただ記憶をたどる旅になってしまった。

函館は何回も行ったから今でもそこを歩いている感じになる。
何回も行ってそこに深く親しむと何か旅してなくても旅のつづきがイメージの中でつづいているのである。
だから不思議なのは日本全国でも世界でも何か自分はあっちこっち旅していている
心が日本全国に浮遊して世界に浮遊してそこにあるという感じになるのだ。
だから今は全くすぐ近くにゆくのも容易ではないが
心は日本全国を浮遊して世界にも浮遊している不思議があるのだ。

旅したときはその場所がどういう歴史があるとかなかなかわかりにくい
でもあとからなぜかその場所について理解が深まることがある
それは全部ではない、旅したある場所が特別思いだす
函館は春にも夏にも行ったし冬まで行っていたのである。
北海道は冬にも流氷見るために行っていた。
だから自分はだいたい全国の人とあうと住んでいる場所を聞くとイメージできる
最近この辺では工事関係者とか除染の人が全国から来ている
時々その人のことを聞いてみてその人がどういう場所に住んでいるかイメージできる
ただ富士山を毎日見て暮らすという人の場所はイメージできなかった
全部ではない、イメージしやすい場所とそうでない場所がある
京都とかこみ入った所はイメージしにくい
ただ近江は自然環境があり琵琶湖中心にイメージしやい場所である。
だからそういうところは思い出して短歌や俳句や紀行文でも調べて書けるとなる

まずその場所についての地理的空間的なもの時間軸の歴史的なものを知るのが大事である函館には明治の青春が凝縮された場所でもあった。
あそこに上陸して北海道に開拓であれ向かったからである。
北海道の玄関なのである。
ただ新幹線が通るというとき地下から北海道に行っては旅情がそがれる
なぜなら函館は船がよる港として栄えたからである。
船なくして函館の価値はないのである。
だから青函連絡船がなくなったとき一つの歴史が終わり函館はさらに過去のものになった函館の今は一番生活保護者が多い
それは経済的に衰退している街だということである。
北海道全般がそうだが函館が今がそれだけ衰退しているのはやはり北海道全部がそういうイメージになる
新幹線が通ったら来年になるけど今度は観光客が来るという
青森の人は青森を通過してしまうから困るとかも言っていた。
それでも函館は船が欠けたら魅力がない
船でゆくとき港だったのだから函館の昔と今も感じるのである。

ともかくなんらかその場所について語るときはやはり相当にその場所とコミットメントしないと書けない
それだけの暇がある人はまれである。
そうなると旅行作家にもなるが旅行作家でも一生旅ばかりしても深いものはなかなか書けない
たいがい一つの場所なら何回も行きその度に感じるものが違って新たな発見がありいろいろあとで歴史的なものも時間をかけて知るようになる
つまり何かを理解することはその場所でも時間がかかるのである。
一番何でもそうだが理解が深まるのは60以降である。
その頃になるとたいがい本を読んでもすぐわかる
十冊の本を読んでもすぐ要点がわかるのだ。
自分はばらばらに本を積んで最近はアマゾンでも自分の書きたいことを調べるためにもそのつど買っているからまた本が増えた。
それでもつれづれなるままに本を手にとり要点だけを読んで利用しているのだ。
一冊をじっくりと読むのもいいが本はやはり知識はあることについて理解を深めるには多様な知識に接することも必要になる

それを理解する基礎はやはり旅などをして実感を多くもつことなのである。
肌で感じたことは忘れないし思い出すし血肉になるのである。
本だけを読んでもテレビを見てもインターネットでもその場所に行かない限り実感にはならない
でもそれだけ理解を深めるとなると旅するとなると一生が終わってしまうのである。
自分はいつのまにか旅しているうち人生も終わりに来ていたのである。
人生はそれだけ短いのである。
何するにも時間不足で最後はできない
あの時はあんなに暇だったのに今になると時間があっというまに過ぎたとつくづく思う
そして人間はいろんなことができるようでできない
何か一つのことを習得するにも時間がかかるからできないのである。
まず結婚したり子供をもったり他に何かしていたり無駄なことをしているとあることに集中できない、人間はそんな時間がないのである。
家庭をもって勤めて子供をもったりしたすでに自由な旅などできないのである。


タグ:函館
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2013年11月30日

北海道の地名(思い出す旅の不思議)


北海道の地名(思い出す旅の不思議)

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北海道は十回行ったから思い出深い場所である。最初は電車の旅だった。それから自転車の旅に変わった。電車ではものたりないと思って自転車になった。それも40歳くらいになってからだった。若い時に自転車で旅できると思っていなかったのである。
旅も今になると思い出す旅になる。その思い出す時不思議なのは何か記憶に残っているかということである。何が思い出すのか?それがまた旅だったのである。

老人になると何でもそうだけど思い出すことが仕事になるのだ。
別に旅だけではない、それぞれの一生がありそれが何だったか思い出すことが生きることにさえなる。だから夫婦でも人生でもどういう人生を送ったかが必ず老人になると否応なく思い出さされるのである。嫌なことを忘れたいと言っても思い出すことがある。
罪なことも例え刑に服さなくても罪として意識される。


ただ旅を思い出すという時忘れるものが実に多い、どこに行ったのかもわからなくなる。電車の旅は電車は早く過ぎ去るから思い出しにくくなる。それで「雄冬」という地名が気にいった。何か簡潔で地から強いしまさに秘境にふさわしい名前だった。ただここには行っていない。でも名前から人間はまず記憶するということがある。これは北海道らしい名前だと思った。


記憶して思い出したのは函館線の「黒松内」という駅である。なぜかそこに長く止まっていたような記憶がある。そこはこの名の通り黒い森林地帯だからその名とあっている。
そういう街も見えない森林地帯が延々とつづいていたみたいだ。そういう場所が北海道にはある。

それからなぜか「和寒」という駅も思い出す、これは字の通りに何か寒い感じになるから不思議である。稚内線に入ってゆく線だからそれも不思議ではない、何かこの辺からそうした奥地に行くという感覚になっていた。ただ電車の旅は時間がたつと忘れやすい、どこをどう通ってどういう景色だったか思い出せない、ただ黒松内という駅名を記憶していたときあそこは確かに黒々とした森林地帯だったなと思い出した。何らか記憶に残っていたのだ。


北海道の地名にはアイヌ語の当て字だから変わっているしアイヌ語より漢字でイメージする。美瑛とかなると美しい場所だとイメージして本当にそういう場所だった。
和寒などもこれもアイヌ語であるかアイヌ語には何か簡単すぎて実用的で漢字のイメージとは違っている。むしろ地名はそうした無味乾燥なものが多いのだ。だから漢字の当て字にしたのは全く別なものなのである。

記憶をたどる時何かたどるべきものがないとたどれなくなる。それで地名がその一つの印として記憶する。名は体を現すで名前から人もイメージする。だから名前が大事になる。「雄冬」という名前はその名前と実体が一致しているのだ。いかにも寒そうだし力強いし簡潔なのである。岩内までは行ったがその奥だった。北海道は広いからとても回りきれない、バイクなどだと一応回ることはできるだろう。自転車だとできない、電車でも通らない所があるから行けない場所がかなりある。特に北海道は廃線になっているのが多い。

街には昔の駅が記念にあるのが多い。歯がぬけたように鉄道路線は消えているのだ。


夏の暮黒松内の駅暗し

和寒の名のみ覚えて冬の暮
北海道雄冬のありや冬に入る
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2013年07月18日

残された北海道の一枚の写真 (写真はあとで貴重になる)


残された北海道の一枚の写真

(写真はあとで貴重になる)


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ここが北海道のどこかわからなくなった。最近ずといろいろなものを整理していた。ンも整理して半分くらいなげた。結局本も利用しなかったら何の価値もないのである。ただ集めて飾っていても野役目は果たしていない、ただ本が蔵書が必要だったのはどうしても辞書のように参考するものを置いていないと文章が書けないからそうなった。そこに図書館の意味もあった。参考にするを資料など全部揃えられないからだ。


それにしてもまずこの山はおそらく羊蹄山の麓の写真なのだろう。いかにも北海道らしい雄大な景色である。この写真をとった記憶も全くなくなっていた。この写真をみていい写真だなとつくづく思った。デジカメなどない時代だからこれは大きなプリントにしていたのはやはりいい写真だったからかもしれない、ただこれは本当に自分でとった写真なのか不明なのである。雑誌の写真を拡大化したのかもしれない、でも大きなプリントにするというのも解せないのである。


一枚の写真は実は多くのものを語って伝えることがあった。これは風景だけだけど人間が写っているものがそうであった。自分の家の子供の頃の写真を発見した。その写真は本当に不思議だった。
それから死んだ姉の写真もいろいろあった。とくに昭和15年にとった看護婦の写真は貴重である。なぜならその頃白黒写真だったからである。それもぼやけてくすんで汚くなっていた。

人間は死ぬと思い出すものは写真だけになる。その写真をみていると本当に不思議である。
こんな人だったのかとか思い出す、写真で問題だったのは日にちと場所がわからなくなっていたことである。これが意外と写真の盲点だった。日にちと場所と名前を書いておくと写真は貴重な記録になる。


現代はデジタルカメラで膨大な写真が記録されているからそれが50年後とかになるとかなり貴重なものとなり記録がよみがえる。人間にとって記録がいかに大事か、津波で思い知らされた。もし一枚の白黒の写真でもいいから400年前にあったらどうなったか?つたない絵でも残されていたらそんなことあったのと注目したに違いない、ともかく現代は写真で時系列にも記録される時代である。
人間ほどわすれやすいものはない、すでに母はぼけていて写真を見せてもわからなくなっている。

もう自分が経験したことも誰が誰なのかもわからなくなっている。たいがい90すぎたら認知症になってしまうからだ。記録が消えてゆくことは実は人間の死を意味していたのである。記憶していれば過去も生きているし一緒に生きた人たちも生きているのだ。忘れればもうその人たちも生きていないのである。


ただあまりにもくるしい人生だったというとき忘れることも必要である。嫌なことは忘れた方がいい、でもいいことも忘れるから困るのである。と
ともか北海道に十回も行ったからいろいろ記憶されているはずだが忘れてしまうのである。
だから思い出す作業をしているときこうした一枚の写真でも残っていると記憶がよみがえってくるからいいのである。

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2012年07月03日

北海道の海岸の詩 (旅では記録する写真が貴重)


北海道の海岸の詩

旅では記録する写真が貴重


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茫漠たる海
砂原に点々とつづくは
鳥の足跡のみ
波がよせてはひびく
流木の海岸
草原に風はわたり
茫々たる原野
蝶が一羽風にあおられている
人の跡はそこに印されない
わずかにアイヌの地名のみ残る
何を記憶に残すのか
波と風と砂に消される記憶
一両の電車がゆく
荒野の風に吹かれて
廃線の跡が草地に残される
烏がとまっている
自然の風化は地を清めることなのか
津浪の跡の砂原は草原は北海道になった
霧多布湿原にクシロハナシノブの星のよう咲く
丹頂鶴が優美な姿に舞いおりる
海岸には霧が流れキタキツネの足跡
渡り飛ぶ海鳥の声が砂原にひびく
荒々しくうちよせる波に
それは野生の歓喜の声か
人の跡の尽き果て
かなたに見えるのは海
日本列島はどこまでも海に洗われている

北海道シリ-ズになったけど現代は言葉より写真で伝えることが主流となった。写真で外国に伝えるというのは絵画でも世界的評価ができるからいい。詩は言葉のみだからむずかしいのだ。言葉ほどむずかしいものはない、特に詩はむずかしい。だから一般的に詩で伝えることはむずかしくなる。
旅行でもそうである。一枚の写真の方が詳細に細部を記憶していて訴える場合がある。
最近いろいろ整理していて写真でもそうだった。一枚の写真のもっている価値が旅では大きい。
ええ、ここどこだったのかとかこんなところに行っていたのかと思い出す、他の人の写真の価値が落ちるのは自分がその場にいなかったからである。自分の写真はその写真だけではない、その場にいたからその場の雰囲気から見れるから他人がとったように一部をきりとったものとはならない、そこに写真の大きな意味があった。他人の写真はビデオはどうしても感動しないのはその場にいなかったからである。自分の写真はその場にいたということが大きな相違なのである。

それにしても人間は忘れやすい動物である。次々に事が起こり忘却されてゆく、こんなに次々忘却されていいのかと思う、政治でもそうでありゆっくり記録される時間がない、何でもスピ=ドが早すぎるのである。車にのっていて新幹線でも記憶されない、歩いて自転車で行った時は記憶される。
それは雨風に打たれるから記録されるのだ。自然が体に刻まれるから記憶されているのだ。
つまり体に記憶されているのである。


北海道には十回も行っているのだから回想すれば思い出すものがある。それでも今や良く思い出せないのが多くなった。何十年前となってしまったからである。自分の場合はゆっくり旅しているから記憶されているものがある。そこで思い出してなんとか詩を書いたりしているのだ。その時デジカメがなかったから記憶されているのが少ない、今なら記録の面では格段の進歩をした。記憶というのは意外と大事だった。歴史は根本的に記録である。津浪のことでも400年前に同じ様な大きな津浪が相馬でもあった。それが一行しか記録されていないから誰も注意もしなかったのである。ところが今回のように生々しい映像として残されれば違っている。あまりにも生々しいから口伝えや文字で伝えるのとは違っている。その伝わり方は違っているからこれからの津浪は違ったようにみる。これまではあんなに生々しく記録されていなかったからだ。そういう点で将来への影響は大きいのである。


北海道では最初に20年前でも自分はいち早くビデオカメラを買ってとっていた。ところが写りがかなり悪いからぼやけている。でもそれすら貴重なものとなっている。記録は貴重なものなのである。
この辺では右田の松原が津浪で消失した。その一部の写真がホ-ムペ-ジの方に残っていた。いろいろ書いたから自分でも何がどこにあるのかわからなくなっていた。インタ-ネットは意外と消えない、本の方が消えなようでも本は書店に置けないし図書館に置いても全国の人は見ない、インタ-ネットは誰かがみるということがある。ただインタ-ネットの問題は見れた、読まれた感覚がない、アクセスを解析していない、ホ-ムペ-ジの方はそうなっているからあるのかないのかさえわからないような状態になっている。プログの方はどのペ-ジが読まれているから解析しているからこれは読まれたとか多少反応はあるとそれでみている。ともかく一度書いたものを整理する必要が出てきた。量が膨大なので整理すること自体大変である。

ともかく北海道は草原、原野、湿原の原初の状態が残っているからそこにあるのは野生の跡だけともなる。そういう世界は北海道にしかない、そこが魅力なのである。防波堤のない自然のまま砂原の海岸が延々とつづくところがサロベツ原野辺りにある。
あういう場所は本州ではないが津浪で原初の自然状態に帰ったのは驚きだった。

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2012年07月02日

美瑛の夏(詩)


美瑛の夏

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ポプラの木の丘に高きや風そよぎ
緑うるわし丘々や畑は耕されて
黄金のタンポポは天まで咲きつづくや
残雪の十勝岳は煙を吐き隆々と迫り
兀々(ごつごつ)として荒き肌に肩を組む
丘々をこえ郭公の声はひびきわたり
雪解けの水は清流となり大地を潤す
神殿の柱のごとく列なす針葉樹林
北の風雪に耐えてその樹々の列
ひしひしとその針葉樹の厳しさ
北方の風雪に鍛えられて立つ
その土、その岩、その樹、その草・・・
原始の精のここにありて息づく
オオバナエンレイソウの谷間に隠れ咲き
ここに光はしずかに人の歩みもまれなり
汝の足は今ひそかに忍び入るかも
ああ ポプラの木の高きや風そよぎ
神は花々をここに集め草原にしく
大地と山々と樹はあなたに答える
真直(まなお)なるあなたの心に答える
誠実なるあなたの心に答える
大地と格闘して倒れしものよ
汝はまたなおここに生きむ
汝の無念は受け継がれるべし
ここに大空に大地に峰々の調和しぬ
美瑛の夏よ、今蘇るかな
深々とここに息して爽快に癒されよ
日がな郭公の声は遠くへひびきわたれり


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写真ではこの光景は現せない
十勝岳に向かって咲いていたタンポポは圧巻だった
天まで咲き続けるようにまぶしかった
十勝岳は力強いものがありあれが風景をひきしてめていたのだ



美瑛は自転車で一回行って農家のライダ-宿に泊まった。その時、延々と農家なんかやっていられないとか聞かされた。最後は中国の方がいいとか言っていた。こんなところにも中国人がでてくる。
農家はみんなほとんどそうした農業ではやっていけないとかしか聞かない、この辺でもそうだった。機械には金がかかるしとかとてもやっていけなねい、やっていけないという話しか聞かない、北海道は本州よりもっと厳しい,なぜなら農業の他に仕事がないからである。本州では専業農家は少ない、兼業農家であり減反政策でも補助金が入る。わずかの田でも米を作ってもらえればそのう農家には金が入る。そういう矛盾が現代の農業である。結果として原発ができたのもこの辺では必然だったのである。第一次産業と農業に従事するものが一番賛成していたという皮肉があるのだ。そして一番被害を受けたのも第一次産業だったのである。


美瑛に行った時は郭公の声が丘々のかなたからひびき木霊していた。それは宗谷の方に行ってもそうだった。だから郭公の声は忘れることができない、今になると自転車旅行はできない、それを考えるともう行けない、思い出すだけだなとなる、遂にはみんなそうなるときが来る。時間は思った以上に早くすぎてゆく。美瑛はやはり独特の地形で魅力がある。丘の上にポプラの木が立っているのがいい、あういう風景はなかなかない、抽象画はこれはあるプログの写真を加工した。
加工すると原画がわからない、秋の方がいろどりが豊になる。9月ころが色の絨毯ができる。
今になると北海道は遠い。近くすら遠い、結局人間の与えられた時間は有限でありどんなに自由が与えられていてもその時間は有限だった。時間は尽きるのである。そして残ったのは思い出、記憶なのである。その記憶もあいまいとなるからあとでなかなか書けないのである。
それでも自分はかなり思い出す旅をしているから多少は書けるのだ。


美瑛にはプロの写真家が住んでいる。一人だけではない、何人も住んでいる。それで商売が成り立っている。開拓の時代は終わった。だから北海道も空家が目立つのだ。今いなくなったような家があった。それは飯館村の人がいなくなった家とにていたのである。他にも住宅のような家が空家になっていた。北海道は暮らしてみれば前もそうだが今も過酷である。ただ夏だけが最高であり天国になる。ここは北海道に行かなくても多少北海道化したから北海道にいる気分になるというのも不思議だった。


北海道を詩にしよとすると何かむずかしい、やはり伝統的日本的情緒の世界ではないからだ。大陸的でありつかまえどころがないからである。俳句でも短歌でもすんなり作れなかったのはそのためである。この詩もあまり成功したとはいえない、函館の詩はそれなりに特徴をとらえて成功したかもしれない、一回くらい行ってもその土地の特徴をとらえることはむずかしいのだ。十勝岳が圧巻であった。北海道に十回行っても本当の北海道の姿をとらえることはむずかしい。それでもこの頃思い出して結構いい詩ができるのは不思議である。自分でも言うのはなんだがやはり人間は最後になるといいものができる。正岡子規でも他の人でも若くして死んだ人がなぜあれだけのものを残したか不思議だった。それは常に死に直面していたからである。あと何年しか生きないとなるとどんな人でもいいものができなるのである。人生でも自然でも鮮明に見えてくるのだ。最近は詩でも大量に書いている。

発表しているのは一部である。こんなふうに書けることが自分では不思議である。なぜなら自分は才能がなく,40代でも俳句でも短歌でも稚拙なものであり鑑賞もでなきかった。今はたいがいのものが深く鑑賞できることも違っている。ここにきて何か自分なりのもの書けるしほかのも鑑賞できる。

こんこんと泉から湧きだすように創造できる。自分も死期が近いからかもしれない、どうも70くらいで最近死ぬ人が多い、人間死期が近づくとものが見えてくる。これは才能と関係ない、死期を前にして人は見えないものも見えてくるのだ。心眼で見えてくるのである。だからある人は本当に天国をありありと死期を前に見ることがありうる。そういう心境になってくることがありうる。心清らかに生きた人は最後にそうなってゆく。これは才能ではない、死期を前にしているからそうなってくる、
人間の神秘なのである。人間は最後にお迎えが来るというとき本当に天使でも観音様でもお迎えに来る。そして天国に連れ去るのである。その前にこの世のことが自然でも鮮やかに見えるようになるのである。こういうことは芸術家だけのものではない、ごく普通の人でもそうなりうるのだ。

posted by 老鶯 at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)

2012年06月30日

夏の日-函館(詩)


夏の日函館

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夏の日よ
白く波は砕けぬ
立待岬に波は砕け
北の海が吠える
エゾスカシユリの花は咲く
崖に吹き上がるしぶきに咲く
あわれ啄木の墓よ
函館よ
北海道の玄関口よ
船はまずここにつきぬ
青函連絡船の汽笛は鳴りにし
開拓の内陸の入り口よ
新天地を求めし新たな大地
夏の日よ
波は白く砕けちる
鴎は街の上をとびやまじ
函館の栄えし日よ
明治の日はここにある
学びに貿易に新しい風は起こる
異人の墓地に眠る人々よ
矢車草の青い花は咲く
坂に尖塔は高く教会の鐘が鳴る
函館よ
夏の日よ
白い波がおしよせ砕け散る
青春の時よ
今路面電車は古びし街路を
記憶をたどるように走る
北海道よ
火を噴く火山よ
荒々しい自然が息づく北海道よ
明治の日よ、若き日よ、夢の大地よ
北海道に挑む開拓者の若き挫折よ
汝の無念を深く心に刻め
そして再び燃え上がる熱情の大地よ
広大な地平線よ
函館より北海道ははじまる


北海道は十回くらい行ったから第二の故郷である。なぜそうなったのか?梅雨の時期に船で行きやすかったのである。だから苫小牧まで船で行き北海道をめぐることになった。だから意外と花咲く時期に行っていなかった。梅雨の時期には六月頃はそれほど咲かない、一面に原野に咲いている花をあまり見ていないのだ。なかなかいいときに見れることはない、でも自転車で苫小牧から稚内まで行った。自転車とかバイクのツ-リングには向いているのが北海道であった。


函館には最初の内何回も行っていた。北海道の入り口だからそうなる。あそこはやはり波が両方の岸から砕ける、独特の地形になっている。あそこては常に波を感じるのだ波がくだけているのである。啄木が東海の小島といったとき島のように感じたからである。回りに波がよせてくだける。常に波を感じる街だからあういう地形の所は世界でもめずらしいだろう。


函館は栄えたときは明治であり明治はやはり日本の夜明け、近代の開かれた時である。明治は青春だったのである。クラ-クとか内村鑑三がキリスト教を学んだ時であり日本が世界に開国して新鮮に外国を学ぶ時だった。その青春の舞台が北海道だったのだ。「明治が遠くなりにけり」といいうとき青春が遠くなったのである。明治はやはり日本の伝統と外国の文化が合体した時でありそこに人物も生まれたし新しい時代が生まれた。


もちろん猪狩満直のように北海道で開拓に挑み挫折した人も多い。でもやはり明治のとき北海道が一番輝いていたのである。アメリカだったらホイットマンのフロンティアだったのである。日本は時代的にはもはや欧米化してすでに老大国のようになっているのかもしれない、青年の時代は過ぎてその活力も衰えた老人である。確かに高度成長時代は物質的欲望を追求して充たされた時代である。それが今や経済も衰退して老人国と化してゆく、函館にしても偲ぶのはすでに今ではない、過去になってしまったのである。栄える場所は歴史的には常に変わってゆく。

ベネチアも衰退して過去の栄光のみがあり過去の栄光に浸っているだけである。函館ともにている。そういう場所はいくらでも世界にはある。

ただ自然は変わらないし北海道の魅力はある。ただ時代的に明治のようなフロンティアの時代感覚はない、それでも北海道は苫小牧から空気まで違った感覚になる。北の花々にいろどられる。それは本州の花々とは違っている。ルピナスの花が咲いていたりと違っている。水田がないことも違っている。一番の違いは水田がないことかもしれない、この辺が水田がなくなって草原化して北海道になったということを何度も書いた。水田がなくなると北海道化することを実感したのである。

 
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2010年08月30日

線路に眠るでんでん虫-「幸福駅」(詩)


線路に眠るでんでん虫-「幸福駅」

宗谷本線-稚内近くの無人駅

線路にでんでん虫が三匹ほど眠っている

いつ電車は来るのだろう

いつまでも待っている

故郷から遠く離れた稚内

そこに自由な時間が与えられていた

故郷を遠く離れて拘束されない時間

広大な澄んだ空気のなかで羽根を伸ばす

いつ電車は来るのだろう

無人駅には一人しか乗る人がいない

線路にはじっとでんでん虫が眠っている

ああ その幸福な自由な患いのない長い時

人には苦しみも必要だ

でも苦しみだけでは心も歪む

人には幸福な時間も必要だ

たっぷりと幸福な時間が必要だ

人生は短い、労苦ばかりが人生ではない

たちまち人は老いる

病気になったりして旅もできなくなる

自由な時間もなくなる

そしてただ思い出す、その患いのない幸福な時を・・・・

何でもないそんな時が幸福の時だった

その幸福の時間は帰ってこない

場所は変わらないかもしれない

でも時間はたちまち過ぎて元の時間にもどれない

日々の労苦が重なり自由は奪われた

稚内-遠き果て-ぶらり無人駅に一人

でんでん虫が線路に眠っている

いつ電車は来るのだろう

いつまでも待っている

やっとのこのこやってきた一両の電車

その駅はどこだった、遠い果ての駅

そこに自分の幸福の時間があった

「幸福駅」という駅も確かにあった

しかし今では幸福駅という切符が記念に残るだけ

まさに幸福駅に幸福な時間があった・・・・

でんでん虫は線路にいつまでも眠っている

宗谷本線の無人駅
http://musubu.sblo.jp/article/37318341.html

 

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2010年06月13日

函館(抽象画)

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函館と青森とでは印象が赤と白のように違う。江戸時代の北前線で栄えたのが青森であり
明治維新から北海道は開けた。ツガルとなればその名前さえどこからきたのか古い。
函館の魅力は函館から新しいものがはじまった。それが百年たったら青函連絡船もなくなり
ここも過去の歴史の街となったのである。
函館は地形的に両側が海でありこれは世界でも相当変わった地形であり魅力的であり坂の街でありそこから個性的な街となった。

 

函館で買ったガラスの花瓶と黄色の苧環は斬新でありあっていた。花瓶と花があうのはなかなかないだろう。花瓶は確かに種類が多いが花にアホせたものを買おうとしたらぴったりなものはないだろう。今回はぴったりだった。それでインタ-ネットで検索してガラスの花瓶を見たら「津軽ビイドロ」というのがでてきた。津軽でそんなもの作っていたのかと初めて知った。
それでガラスに白い雪模様の花瓶をアマゾンで注文した。津軽だと雪がにあう、インタ-ネットだとこうした土産となるようなものを選んで買える、かえって旅行したときじっくり選べないからつまらないものを買っているのだ。インタ-ネットはその地域の他では売ってない特産品を売るには向いている。津軽ビイドロなどはじめて知ったからである。

抽象画にすると絵らしくなる。ソフトで加工すると意外なものがでてくる。これは面白いと出しているのである。創作しているのはパソコンのソフトでありそれを評価しているのが人間だというのも不思議である。ガラスはやはり涼しい感じになるから夏に向いていたのだ。

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2010年04月23日

北海道(抽象画)

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海の紋様

 

 

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宗谷本線の無人駅(北海道夏の短歌十首)

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宗谷本線の無人駅(夏の短歌十首)



でで虫の線路に眠りなかなかに来ぬ車両を夏の日に待ちぬ

ようやくに一両の車両来るかも菖蒲の咲きぬ湿地帯行く

一時を無人駅に下りある家の花に囲まる夏の日の午後

その駅に一時のみや我が下りて夏の花咲く村を去るかな


立葵の花の明るくその通り家十数軒の無人駅かな



湿地帯の奥に牛飼う家ありぬ菖蒲の咲きて駅舎淋しき

はるかなる旅の駅かも一両の電車を待ちぬ夏の日の午後

北海道いづこの駅や我がおりて木陰に眠り電車待つかな

その駅に乗るは一人も一両の車両に去りぬ夏の一時

我が老いてまた行くことあれや無人駅北の果てなれ花美しき

その駅に一時遊びぬ夏の日や恵まれし我遠き思い出


前に書いたけど人間の不思議は記憶なのである。この駅はどこにあったのか?何十年前にもなると思い出せない、宗谷本線で稚内近くの天塩辺りなことは記憶している。そこの駅は無人駅であり駅の前には家がわずかにあるが本当にやっと家があったというくらいの所である。十軒もないのである。そんなところに気まぐれに下りてぶらぶらしていたのが自分だった。そこは何の特徴もない駅である。そこに咲いていたのは立葵だった。ただもう一回ここではないにしろ自転車で北海道を何回か行った。その時の記憶が湿地帯に菖蒲が咲いてそこに一両の電車が走るのを見たのである。その記憶がまじりあっているが北海道は十回くらい行ったからそれなりに記憶が残っている。どういうところが記憶に残るか?それは名所とは限らない、旅ではこうした何気ないありふれた時間が貴重なのである。追われる旅は記憶に残らない、旅はそもそも今では贅沢なものになった。こんなに忙しい時代は自分のようにゆっくり旅することはできない、旅で大事なのはそこで余裕をもって見ることである。そうでないと記憶に残らないのだ。旅で記憶に残らないことが多いのはそのためである。一体どこにいたのかあやふやとなってしまう。旅は記憶に残すことがむずかしいのだ。スケジュ-ル通りに行くのが旅ではない、道が二つに別れている、その別れ道をどっちに行こうか、こっちにするかとか自由に選べるのが旅なのである。決められた通りに行ったら旅ではない、旅にはそれだけ時間が必要なのである。その時間が与えられたのが自分だったのである。

その頃ニ-ト、フリ-タ-などいない、みんな正社員で企業戦士として働いていた。だんだん経済も下り坂になったがまだまだ上りの経済だった。そんなときみんな働いているときこうした時間をかけた旅をしていたのである。それが今になると記憶に残っていたのである。老人になると何が仕事かというと記憶をたどることなのである。線路はまるで記憶をたどるようにつづいている感覚になるのだ。それもあやふやであり駅名などを覚えていてかすかに浮かぶとかなる。老人になると時間が逆戻りしている、昔のフィルムの映写機を元に戻して回すように記憶をたどる旅になる。さらに70とか80なると全く記憶だけが人生になってしまうのである。自分が経験したことを語りつづけるのが老人なのである。認知症になると遂に千回も同じことをしゃべりつづけるようになる。それでもその人にとっては記憶していることが人生そのものになってしまっているのだそして記憶に残っていることが人生だとすると鮮明に記憶が蘇るとしたらそこが大事な場所だったことがわかる。たまたま何気なく下りた駅、夏の明るい日、そこは夢のような所であり貴重な場所だった。なぜならそこにもう二度と行けない、というより死ねばもうそこに誰も二度と行けないのだ。その地を踏むことができないのだ。とすればこの世で記憶した事は夢の世界だった。
特に一時下りただけの無人駅などはありふれていたとししてもそこで人に悩まされることもなく
自由の一時がありただ夏の花だけが映えていた夢の国にあったのと同じだった。大きな駅や都市は忘れやすいがこうした小さな駅を覚えていたというのもそこが小さいからこそ記憶しやすいということで覚えていたのである。

日永きやどっちに行こうか別れ道

posted by 老鶯 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)