2018年01月03日

明治維新は何だったのか? (侍が侍をなくすための戦いだった?)


明治維新は何だったのか?

(侍が侍をなくすための戦いだった?)

明治維新と幕臣


明治維新というときどうしても藩単位のロイヤルティで動いている,そのアイディンティティが藩なのである。だから何藩に属しているかで人を見る
薩摩か長州か,会津かとか藩に属して人がある
藩には殿様がいてその殿様に仕えて御家がある
その紐帯は強いのである。それは会社に属しているより強い絆で結ばれていた
だからこそ何かあれば命をかけて殿様のために御家のために尽くしたのである。
そもそも命をかけて戦って藩ができあがったからその成り立ちからして強い絆で結ばれていたのである。

明治維新というときそういう紐帯が侍のアイディンティティが根こそぎ破壊される,消滅する危機に直面した,だから明治維新は最初藩同士の戦いであり国を根本的に変える,侍をなくすという戦いではない,なぜなら国という意識をもてないからである。
ただ徳川家は全国を治めていた,統治していたから徳川家は国全体を治めるということをしていた,だからそれが明治になっても引き継がれて明治維新が成功したとなる

ただ徳川家といってもその家臣はやはり徳川家の家臣であり国という意識をもっていたわけではない,徳川家も薩摩藩だとか長州藩でも会津藩とも同じように徳川家に忠誠を誓うものであり国という意識はないのである。
明治維新ではドラマ的に活躍する人は派手である,切り合いとか殺し合いで活躍した人がドラマ化しやすい,だからそういう目立つ人が英雄化されてドラマ化されるのである。

そうなると一体明治維新はただそうした侍とかばかりが活躍して成したものであり庶民は関係なかったとなるのか?
ドラマばかり見ていたらそうなる,庶民は何にも関係なかった,傍観者だったとなる

だから明治維新は支配階級だった,侍同士の戦いでありそしてその侍という階級をなくした戦いだったとなる,ドラマだけを見ていればそう見えるのである。
だから会津が官軍に薩摩長州軍にふみにじられてもその周りの庶民は城が落城しても何にも感じていない不思議があるのだ
かえってこの際にと庶民の不満が爆発してヤーヤー一揆になったのである。
侍に対してもっていた不満がこの機に乗じて起こったのである。

明治維新でそこに庶民が日本国民と意識したのは西南戦争の時だったのである。
その時侍出身ではない庶民も参加して戦った,その時会津藩士とかも参加して戦った
つまりその時藩という垣根を越えて政府軍として国民軍として戦ったのである。
その時庶民が歴史の舞台に登場したのである。
それまで薩摩藩とか長州藩と会津藩とか徳川家とかの家臣として勢力争いしていたのである。
そして西南戦争で侍に勝ったということでその時侍はもう日本からいなくなったのである国民が主役になり軍隊も国民の軍隊となったからである。
そしてその国民の軍隊が日露戦争と太平洋戦争と戦い膨大な犠牲者として死んだのである西郷隆盛が天下のために命を捨てろとか言っても実際はそういう国民意識はもてなかった西郷は朝鮮への外交を開きそこに侍の活躍の場を見いだそうとしたのもそのためである。その時まで戦争とは侍がすべきものだとなっていたからである。
侍の中には侍意外は政治に口出すなということであり侍が戦争もするのであり庶民は平民は参加できないものだったからである。

つまり明治維新はあまりにも侍中心の歴史なのである。藩中心の歴史だから侍同士の戦いでありそこに庶民は無視されているのである。
だから日本の国は誰のものかとなれば侍のものだったともなる
その侍がなくなるということは日本がなくなるということにまでなる

でも日本には侍だけではない,農民も職人も商人も他にいろいろな人が住んでいたのである。そこには優秀な人もいたのである。
そして国をになうのは別にそういう侍だけではない,農民だって汗して働き侍を養っていたともとれるし職人でも商人でもそうである。
現代では政治家が常にこきおろされて侍のように尊敬もされない
それは庶民が平民の社会になったとき主役になったからである。

明治維新を論じる時も侍中心であり藩とか徳川家中心になるが庶民が平民のことは語られないのである。
明治維新は最初は藩同士の戦いでありそれが西南戦争で終わり国民皆兵となり国民が主役となった
でも侍しか明治維新は関係ないように見ている
侍意外の人もその下支えとして生きていた,侍は生産活動をしない人達だったからであるでも国を支えているのは侍だけとしてドラマだと見てしまうのである。

万葉集の価値は貴族の歌もあったが庶民の歌も納められていた,そこに大きな意義があった,防人などでも庶民の悲哀がありそれものせられていた
つまり庶民が参加してできあがっていたのである。天皇だけのものではない,庶民ものせられていて作り上げられていたのである。

明治維新にはそうういものが感じられない,侍中心に物語が展開されるだけでありそこに庶民は参加していないのである。
ただ長州の高杉晋作の創立した奇兵隊には侍意外の庶民が参加していた
それで後に伊藤博文とか侍でない人が首相になったのである。
そこを見ると庶民が首相までなった時代だとなり庶民の平民
も明治維新に参画したとはなる,でもそれは長州の中のごく一部なのである。
日本全国ではそうした庶民は明治維新に参画したということは見れないのである。

一方で薩摩長州軍に敗れた徳川家とか会津とか他の藩でも幕臣には優秀な人がいたことは確かである。その人たちが明治維新で参画して新たな国造りにをした
その中に幕臣もいた,榎本武揚は有名であるが他にもいた
だから幕臣の功績もあり新たな政府として日本を作り上げ西欧列強と対峙できたとなる
それで必ずしも薩摩長州だけではない幕臣でも新たな国造りはできたと言う人もいる
吉田松陰のような人は苛烈なテロリストとか今言われるのは明治維新が何かそうした人の功績で成ったとされるからである。
その歴史の見方は間違っている,なぜそんなに吉田松陰とか坂本竜馬が大きくされたのかその疑問はやはり司馬遼太郎などによってドラマ的に仕立て上げられた結果だったのである。

歴史はドラマ的に見れば面白いが実際の史実は違っている,どうしても明治維新は藩のために侍のために戦いそして侍自らをなくすためのものだったと見える
日本国をどうするかというより先はそういう藩や徳川家という所属したものから紐帯から離れることができなかったのである。
その絆をたちきられて国民国家となったのである。ただその国民国家も西欧的な国民国家ではない,天皇の臣民としての国家となった,それも矛盾していたのだかまず国民国家というのは何か?それを意識することができなかったからである。
ヨーロッパでも国民は存在しなかった,ハウスブル家とかがあってもフランス国民とかドイツ国民とかは存在しなかった,それは近代化した以降に生まれたものなのである。
日本でも国民国家を本当に意識したのは日露戦争と太平洋戦争だったのである。
鎖国から対外的に外国と対峙するようになって日本国民としての意識をもったのである。対外的に日本国内だけで内輪もめしたら対抗できないからである。

そもそも国とは誰のものなのか?侍が支配したときは侍のものだったともなる
明治維新後は庶民のもの国民のものとなった,でも以前として国人の関係を考えると国は誰のものなのか?
国とはもう侍のものではない,国とは国民のものであり国民が作り上げるものなのである民主主義になると国は国民が常につくりあげてゆくもの,その過程にある
国民一人一人が作り上げてゆくものなのである。
そういう意識をもつことが今でも大事だとなる
そんなこと言っても国は大きすぎる,家族のためとか会社のためとか何か小さい単位だと帰属意識をもつが大きくなるともちにくいのである。
アイディンティティというときどうしても家とかその地域とかから思考してゆくし実際にその土地に生活するのだから当然そうなる
だから現代は戦争に負けてから国意識は薄れた,会社意識とかに生きたのもそのためである。企業戦士と言われたのもそうである。戦争のときはまさに国の戦士だったがそれがなくなったとき企業戦士になったのである。

別に日本国民だから偉いともならない,そこにいろいろな人がいてくだらない人もいる
強欲な人もいる,悪人もいるし暴力団もいるからそれが日本国民となったときみんな偉いとはならないのである。
侍が偉いというとき国は関係していないのである。そういう社会で偉いとなっていたのである。だから国意識とは何なのか?愛国心とは何なのか?
そういうことに答えられる人は今は少ないだろう,みんなが納得する国民とは何かに答えるものがあるのか?それが右でも鼓舞しても戦争奨励するものだとかなったり
国民みんなが納得しないのである。
むしろ以前として江戸時代のように家意識とか地域意識とかが人間の根源にある
そして自然でもそこに美があれば故郷ととしてそういう美の中に住みたいというのが国意識よりある
だから人間の根源的なものは変わらないともなる
国というとき単位が大きくなるからどうしても無理が生まれてくるのである。



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2018年01月02日

正月短歌十首


正月短歌十首

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真直なる樹々の立ちにつ清しきや北風吹きてひきしまるかも

故郷の大地に深く根を張りつ未来はぐくむ人となれかし

元旦に満月光り新たなる年を迎えて心安けし

よする波荒々しかも津浪より六年過ぐも海を恐れぬ

年明けて姉母思ふ我なりき家を繕ふ仕事つづきぬ

とりどりの花活けにぎわふ年明けて忙しきなか花をいとしむ

誰なれや我が家の墓にみかん一つ置きにし人や年の明けにき

年明けてなお一輪の薔薇の咲き散らず残りて我は籠もりぬ

我が家に猫一匹のいつきけり餌やる仕事今年もつづく

近くにそ介護する人目につきぬ長々と垂る冬の雲見ゆ

我が側に仕える人のあれにかし石のごとくに信を置きしを


真直なるというとき日本語にあった古語にあった万葉集にあった言葉である。
この言葉が自分は好きである。まっすぐなとかなる,それは樹にやさわしいともなる
真直なる心が神道に通じているのである。
神社にお参りしてただ御利益だけを願い賽銭を入れるのでは心は清められないのである。神道は日本の武道の中にも活きている,剣道でも空手でも合気道でも柔道でも活きているでも空手とか合気道は明治以降に生まれたのである。
新しいのだが神道の精神が受け継がれている
大和言葉自体に神道がある,真直なるというのがそうなのである
ただこれも死語になったのである。

故郷の大地に根を張りといってもこの辺はその大地が失われた,放射能に汚染されてしまった,だからこの辺が風車とかドローンとかソーラーパネル工場のようになる
それは大地に根付くという感覚はない,何か再生エネルギーの工場地帯のようになっている,それがこの辺の未来なのかとなるとまた疑問なのである。
それは原発の時もみんな原発に未来を求めたのである。
それで双葉町では原子力とともにある未来という横断幕が街の入り口にかかげられていたその未来は故郷に住めなくなる無惨な結果になったのである。

今年の元旦も二日目も何か天気は穏やかである。元旦はスーパームーンだった,何か地震が起きるとか警告する人がいたがそうはならないと自分は思っていた
かえってスーパームーンは正月にふさわしいと思っていたのである。
自分はただその時の気分で言っているから科学的なものはない,でもこの世の中すべて科学だけでは理解できない,地震とかに関してと科学者もほとんどわからなからである。

今年も家の修繕とか整理とかがつづいている,家というのはいろいろ住みやすいようにするとなると自分流にすると手間になる,内装も変えると確かに気分は良くなる
でも次々に直すことができてくるので困る,家自体が築50年で古くなっているのだから本当はリホームが必要なのだが金がかかるのでしたくないのである。
リホームするとまた切りがなくなるからだ

家事で忙しいから花を活けるということも花を見ることもゆっくりできない
そういう生活もゆとりがないとなるが一人だと家事に追われるのである。
前は介護だから家のことを良くみていなかったし直せなかった
今は家全体を見て住みやすいようにしようとしている
家の中にいる時間が長くなった,だから家が住みやすくないと困る

家には猫一匹いついているが猫は忠実な下僕となるのか?
猫は下僕というより餌をやったり糞の始末をしたりとかえって猫に使われているのであるそもそも本当に信用できる人間がいない,そういう人間が側にいれば安心である
でも家族ならいいが他人では信用できない,それで痛い目にあったいるからだ

介護の番は今はみんな回ってくる,今知っている人が二三人介護している
10年介護して終わった人も知っている,自分も介護は終わった
そして介護は必ず次に回ってくる人が多いのである。
つまり高齢化社会は介護社会なのである。介護の重荷が冬の雲のように日本全国に垂れているのである。
今介護していない人でも親がいて介護の番が回ってくる
その確率が非常に高いのである。だからこれはよそ事にはならないのである。
自分は介護しなくていいなと思ってもその番が回ってくるからである。

津浪から七年にもなるがまだ津浪の傷跡は癒えない,そして今日も海に行ったが波が荒々しくよせる,それが怖いとなる,海への恐れは消えないのである。
津浪の前は海は怖いということがあったが津浪が来てからは海の見方は変わったのであるそれはあと何十年も変わらない,なぜなら津浪を経験した人はあと50年くらい生きているからである。
10才で経験したら80までいきたらあと70年になるが津浪は記憶されているのである。
要するに津浪のことを誰も経験しないで知らないとなったときようやく忘れられてゆくのかとなる,それほどの甚大な被害だったのである。

ともかく今年は穏やかな正月であり三が日である。

今年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

良いお歳を・・・・



タグ:正月短歌

メジロが庭に来た


メジロが庭に来た

めでたしや庭に二羽ほどメジロ来る


東京の都市部ではメジロは秋冬の鳥だった

鶯とまちがいやすいらしいけど目の周りが白いのでメジロだろう。鶯は来ないように思うでもメジロを自分が見たのははじめてである,四十雀は来るがメジロとか鶯は見たことがない,だからはじめて庭に来たのを見たのである。
それはめずらしいからめでたいとなる
ただメジロを現実この目で今まで見ていないことも不思議である。
鳥は興味があってもすぐに飛んでゆくのでとらえることがむずかしい
写真にとるにもすぐに飛んでいなくなるから撮ること自体がむずかしい
だから鳥を見たらその鳥の姿を記憶してあとで調べる他ない

目の周りがハッキリと白いし緑色でもあったからメジロだと思った
鶯は庭の方に来るとは思えないからだ
それでも鶯の目の周りも白いとしたら間違いやすい
直感的にはメジロだと思った
秋冬の鳥というとき冬でも見かけるとなるからだ
寒いところからあたたかい地域に移るとか山から平地におりてくるというのは餌の関係である。四十雀は良くみかけるのは山に餌がなくなるからである。

今年ははじめてメジロを見たとすると縁起がいいのかもしれない,悪いことがつづきすぎたから落ち着くのかもしれない,人間はまずあまりの変化した変動した激動した世界に適合できなくなる,平和で平凡な生活が普通であり異常な事態ばかりになっていたら
感覚的におかしくなってしまう
まず人間は狂人の中にいたら自分自身も狂人になる,この世の中が狂人の世界である。
なぜこんな人がいるのかと驚くし恐怖になる

田からこそ自分は秘境を求めそこで隠された石のように安らぐことを望んだのである。
こういう報告をすぐできるのがインターネットである。
記録としても後で役に立つ,写真はすぐに去ったからとれなかったのが残念である。
鳥は写真をとればあとで調べられるからである。
ともかく今年の元旦正月は穏やかである。元旦になってもそれほど寒くない
ただ今日は風は吹いている,外に遠くに行くのは風が吹いたのでやめた

タグ:メジロ 目白

2018年01月01日

JRはサービス業ではない (国鉄からの習慣ー武田邦彦氏の論)


JRはサービス業ではない

(国鉄からの習慣ー武田邦彦氏の論)

コンビニにぶちぎれ

車掌は検札するだけで座席をきれいにしない,乗客が座席をきれいしろとしている,
車内の清掃は下請けと乗客にさせる魂胆

下請けにさせないから乗客が座席をきれいにしろとなる

車掌→下請け→乗客

国鉄時代からJRに変わっても客は乗せてやっているという感覚

だから乗客が掃除しろとなる,それは国鉄時代からの習慣なのである。

このことを指摘していたけど面白いと思った
それはなぜか?自分が無人駅でボランティアのようなことをはじめて知ったのである。
駅に関心ある人も駅のことで何かしてもJRの人はありがとうとか言わない
自分も言われたことがない,そんなことするのは当然だよとなっているのだ
それは国鉄時代からの慣習なのである。

俺たちは乗客を乗せてやっている,だから掃除くらい自分でしろ

そういう感覚なのである。無人駅でもそこの掃除は乗客が地域の人が乗客になるのだから掃除しろとまでなっているのだ,それが当然だともなっている
つまりサービス業だという感覚はないのである。

国鉄はまさに今の公務員とにている,公務員だとサービス業とは違うが市民にサービスするのだからサービス業の側面があるが実際は威張っているだけだとなる
国鉄もまさに公務員だから線路を補修するとか点検するとか車両を作ると安全を守るとかには意識が高いがサービス業をしているという感覚がないのである。
だから接客でも上からの目線であり民間のサービス業とは違っていたのである。

ただここでは前から地区の人に商工会を通じて掃除を頼んでいて下請けしていて金も出していたのである。最近それが断られたとかで掃除してくれる人を探していると問題になり自分も書いたのである。
それは水戸管理局で決めることでありかかわることはできなかった
でも自分は無人駅のゴミを拾ったり掃除もしている
ただ原町駅の駅員が掃除には来ているしそれほど汚れないからいいとはなる

ただなぜJRでも駅をこれだけかかわってしているのに一言もありがとうとは言わないのである。それは国鉄時代からJRでも乗客は乗せてやっているのだという感覚だからである。そしたら乗客は座席でも駅の掃除でもするのは当然だとなる
それに例を言う必要はないとなる,サービス業というと日本のおもてなしが有名だけど
外国などは売るのにそっけない,売っている方が偉いとかまでなる
日本はそれに比べると消費者王様だとなりそれも外国から見れば異常に見えるかもしれない,そんなにコンビニでも丁寧に礼を言われたりするのは過剰なサービスになる
自分でもコンビニなんかそっけなくていいのである。

でも買う人は日本人はうるさいのである。そういうクレームを言う女性が身近にいるからわかる,底辺層にかえって多いかもしれない,底辺でこき使われた人だからこそそういうふうにクレームをつけてその時優位に立つとなる
自分などサービス業などしたことがない,頭を下げて物を売ったりしたこともほとんどない,だから本当は自分は人のことでとやかく言えないともなる
鉄道の人にも旅したから世話になったから恩返しであり礼など言われなくてもするとはなる

ただ一般的にはそうはならない,JRにはサービス業の側面もあるがその感覚はない
自分たちは職人であり電車を動かすプロだという職人気質はある
でも客と接する場もあるからそこはサービス業なのである。
駅の面白いのは何かそこで社会と実際にかかわる社会が見えるということで面白かったのである。別に自分は怪しいと通報されたり警官が来て職務質問とかされなければ何も文句は言わないし要求もしない
ただ何か社会の一般常識とJRがはずれているところがあったのかと思ったのである。
だって道を聞いただけでいちいちありがとうと言う人がいたし自分はありがとうと言われる立場にあったことは確かである。
それでも自分はそれよりJRの職員にありがとうと言う立場にあった
鉄道で旅できたのもそこで働く人たちがいたからである。
ただ社会でまともに働き地位が高いとかなると不満があるのはJRにはサービス業の側面があることを意識されていないからである。

タグ:JR 国鉄

穏やかな元旦


穏やかな元旦


初空の広く深きや息を吸う

初空を鳥一羽飛ぶ雲もなく

コンビニの雑煮を食べて一人かな

元旦や猫にあいさつ一人かな

初日さす穏やかなれや鴨よりぬ

元旦やつきたての餅を食いにけり


今日は寒くもなく雲もなく晴れわたり穏やかである。雑煮はセブンで注文して食べた,コンビニの雑煮を食べる人は家族で暮らしていないような人である。
わびしいことは確かだが前は食べることもできなかった
お汁粉は簡単だから食べるのである

あいさつするの猫だった,この猫は自分で飼ったというものでもない,いつのまにかいついたとなる,でも一カ月くらいいなくなったことがあった
もう帰ってこないかと思ったら尻尾が焼かれて帰ってきた
誰か悪戯して尻尾を焼いた,それは結構悲惨なものだった
野良猫は外飼いになると危険だというのは本当である。
他にもいろいろ危険があるからだ

ただ自分は猫を飼うのもめんどうなのである。部屋の中で便とか今でもされているから嫌になるのだ,汚れが落ちなくなる時もあるからだ
自分にはそもそも猫を飼うということもできない性分だとなる
ただ誰もいないよりいた方がいいとなる
声かけるの猫だとなる,もう一人も来ているが相手が人間になるとまたいろいろ不満が出てくるのであてる。

今日は原町の道の駅の方に行った,レストランはほとんど開いていた
道の駅も開いていてつきたての餅を売っていたので買った
前は家で餅をついてそれを切っていたことを思い出した
そういうことも何もなくなった,そのつきたてのもちを霊前にささげた

何か今年はもしかしたら今日の天気のように穏やかなのか?
風は吹いているが寒くもなく穏やかである。今年を占うとなると元旦の天候は大事かもしれない。
スーパームーンに今日なるとしてもかえって縁起がいいともとれる
第一地震の予想は当てにならないからである。

今年も書き続けますのでよろしくお願いします

良いお年でありますように・・・・
タグ:元旦

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2017年12月31日

年終わる


年終わる

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大晦日一人用意や担う家

何語る鵜鴨鴎や年終わる



今日はイオンの方に行った,イオンだと安いものがあった,品物も豊富である。
同じものでも安いのがあるから得である。
ここだとキクチとシシドがあっても同じ値段で高いし品物が少ない
だから何かとかえって買い物でも不便で損するのである。
ただ車がないから一週間に一回とかしか行けない
最近風が吹いて寒くてずっと行っていなかった

石鰈の切り身で売っていたのを買った,他にも品数が多い安いものがある
原町レベルだと買い物とか外食はいろいろあっていい
何か一万と四万くらいの人口の差が大きい,一万の町と格段と買い物など差がでる
医者でもここでは十倍くらいの差がでる
だから便利な時代は不便な所に住みたくないとなる
それで原発事故の避難区域には帰らなくなったのである。
人間は便利な生活贅沢な生活を覚えたらそのレベルを落すことがむずかしくなる

ともかく介護が終わっても何か生活に追われている,やはり家事が結構大変なのである。大晦日とか正月の用意するわけでもないがそれなりに用意があり忙しいとなる
意外と家のことにこるとやることが多くなる,何かいろいろ配置とか自分好みにしようとするとそれだけで時間がかかる
最近毎日ダイユーエイトに行って家に使うものを買っている
だからこんなに次々買うものがあるものだと思う
今の社会は金がかかるようにできているのである。

これからまた買い物がある,花を買って活けようとしている,でも生け花でも何か時間がかかる,するとそっちの方に時間が回らなくなる
一人で何でもやることに限界がある
今思い出した,セブンエレブンに雑煮を頼んでいた
雑煮は作れないからそれでまにあわせる

あとは正月の用意でもない,今年もこれで終わりだ
川には鵜とか鴨とか鴎がいた,それぞれに何を語るのか年は終わる

今年の自分のプログをふりかえるとずいぶん書いた,やはり余裕ができて書けた
でも家事は結構忙しいからこれだたけ書けたというのは意外だったともなる
来年はどうなるのか?それほど変わりない年になるのかもしれない

ただ一月一日がスーパームーンになり地震が来るとかyoutube に出ていたが不安になる
なぜなら3・11の地震と津浪は天体も関係していた,それから地熱が関係していたとかいろいろあるからだ,天体と熱は関係して地殻変動が起きる
特に本当は熱が相当に関係している感じになる
なぜなら津浪の前の年の夏が異常に暑かったからだ
異様な暑さでありそれで熱であたためられて地殻変動が起きやすくなっていたのではないか?何か素人的にもそれが納得がいくというか気になるのである。
月はどうかとなるとそういう記録があり地震が起きやすいと証明されてもいまいち危機感はない,ただ熱だけは関係していると思う

ともかく今年も終わりです,来年もまた書き続けますのでよろしくお願いします

タグ:年終わる

2017年12月30日

高瀬川の詩 (浪江の復興はいつになるのか?)


高瀬川の詩

(浪江の復興はいつになるのか?)


その上に渕なす淀み
碧々として静まりぬ
ごつごつの岩また岩の間を
激して轟きひびき流れぬ

その清流は山間深くも流れ
けたたましく翔る鳥の鳴く声
春の光に芽吹く樹々や風そよぐ
さらに流れは磐を打ち轟きぬ

重々しくも畳みかさなる巌
塔のごと千古の重み
紅葉の映えて神寂びぬ
誰か描かむこの仙境の地を

山の道一つの石ありぬ
その石の皺帯びて古り
春の日浴びてここに動かじ
梅の花咲き匂いのよしも

川は平地へと下りその岸辺
相馬焼の技を伝えぬ大堀
窯元並び新しき茶碗も作る
その一品の我が家にありぬ

高瀬川流れて二つの川は合流し
太平洋へとそそぐかな
かなた船の見え鴎群れ飛び
波は棚塩に打ち寄せひびく

請戸の港の春や船あまた
海の幸をここにもたらしぬ
田畑も広く実りも豊かに
健やかに子を育てし栄えし家

今浪江の人の散り散りに
故郷に帰らず荒れにけるかも
そこを訪ねる人もなしや悲し
高瀬川の流れは変わらざりしも

復興の日はいつになるや
情を育む家は壊され虚し
思い出も家ととも潰えしや
しかし心は故郷にあらむ



浪江というとき高瀬川はこの辺では景勝の地である。あれだけの急流で奥深く岩がありそこを激しく流れている,この辺では絵になる景色でありこれは外からきてみても誰でもわかる目立つ所なのである。
会津辺りだとこういう流れは多いがこの辺ではまれだからである。いわきの方の夏井川渓谷くらいである。
普通秘境を求めてきた自分のことを書いてきたが地元の人でないとそこはわかりにくいがこの高瀬川は別に外からきた人で車で来てもわかる
車で奥まで入って行けるからである。

浪江町はこの辺では相馬地方では自然の景観が一番いい場所になっている
確かに相馬市には松川浦があるし新地は海と山が迫っているとかあるから特徴はある
でも川になると平凡であり高瀬川は特別になる
高瀬川を下って請戸の港のあるのもいい,そして請戸は実際は港をイメージするが田畑が広いのである。だからそこで篤農家がいて野菜栽培して平(昔のいわき市)に売って栄えた家があった,三人の娘を大学まで出したのである。
その人が南相馬市の病院に入院したとき同じ病室だったのである。
その人は浪江から妻が通っていたが悲惨だった
やっと手をあげるだけで手をにぎりしめるだけでしゃべることも何もできなくなっていたからである。
いつも手をにぎりしめて去ってゆくのを自分は見ていたのである。

いづれにしろ自分の介護がはじまってから十年間は激動だった,こんなに人生が激動になるのは考えられなかった,それは津浪の被害や原発事故でもそうである。
浪江は未だに散り散りであり帰っている人もほんのわずかであり廃墟のようになっている3000軒の家が壊されたというのもそのためである。
そして浪江の人はもう帰らないと言っている,あれを見たら帰るのが何であれ正直帰りたくなくなるからだ

その原因はなんであったのか?まず浪江町は原発により依存していた町だった
三分の一はなんらか関係していたろう,だから原発で働いていた人は政府と東電から安全をたたきこまれていた,だから原発は安全だと他の人にも言っていた
まず浪江町とかなるともう原発が危険だと口にもできない状態だった
町自体が経済的には半場原発で成りたっていたからだ
そして漁業関係者は漁業補償で事故前も事故後も金には困らないのである。
それで船主は原発技御殿を建てたと周りではうらやましがっていた人がいたのである。
金の屏風を東京の職人に作ってもらったとかもきいた

津浪の被害だけだったらなんとか復興できたとみんな言っている,原発事故は致命的なったのである。だから二万もの町が廃墟化することはイメージもできないことだったのである。
ただ自然がなくなったわけでない,高瀬川はやはりか変わらず流れているし汚れたとも見えないし海も同じである。ただそこの魚が汚染されて食べられなくなったことはある
農業もできないことにもなった
でもそんな漁業より農業より原発の収入の方が町として大きなものだったのである。
つまり原発なしでは町すら成り立たないような状態と化していたのである。
双葉町とか大熊町とも事情は違うが浪江町はやはり原発に依存する割合が大きかったろうだから原発には反対した人はほとんどいない,もうできない状態になっていた

結局町自体が消失する廃墟化することになった,相馬の大堀焼の窯元も再建できなくなった,みんな各地に散って相馬焼の窯を作って移住したからである。
原発に依存する町は市でも一旦事故になったらこうなるのだということを見せつけたのである。その被害はあまりにも大きすぎたのである。
結果的には町民自体が町をみんな見捨てたのである。

それでも人間は技術をもっている人は強いと思った
移住しても相馬焼を焼き物を作れるから仕事として継続できるからである。
それは大工とかでも何か技術をもっている人は他の場所に移っても仕事ができる
小高のタンス職人とかも会津で仕事しているとかなる
何か技術をもっていて仕事ができればそこに定住できるのである。
何も技術ももっていない人は仕事もできないからあいつは遊んでいるだけで何の役にもたたないと見られるようになる
そしていつか補償金もなくなるから他に移っても苦しくなる
結局人間日頃していることがどこかで役にたつ,それもカルマだとなる

ただ高瀬川渓谷とかの景観は変わらないし海の景観も変わらない
だから外から見るとまた高瀬川を見たいとなる
だから観光としては人を呼び込めることは変わりない
ただ放射能汚染で今入れないのが残念なのである。

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相馬焼 ・ 緑釉そば猪口
  製作年代:江戸末期

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若草は大堀で買ったものである。
緑にしても多様な色合いがある

この色合いは草萌えるとか芽吹くとか春の感じがある,春の色合いを感じる
ただ新作でそうした春を感じさせる色の茶碗を買ったことがあったがなくなった
江戸時代にすでにこういうものがあったのである。
緑の色合いがなんともいえぬ,陶器にしか出せない色がありそれが多様なのである。
それは日本の文化なのである。

皺石の詩(浪江町の高瀬川近辺)

これは一回だけ春に見た石である。皺がよったようであり変わった石だと見た
これはまだ発見されていない石である。


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2017年12月29日

会社中心の社会が終わる? (個々人のスキルで仕事はプロジェクト型になる?)


会社中心の社会が終わる?

(個々人のスキルで仕事はプロジェクト型になる?)

金儲けは何か会社というものにしばれていた、銀行を考えると銀行という会社で仕事している、会社のために仕事している,会社があって自分がある,会社がなくなれば自分もなくなる,だから会社を優先させる,会社の一員として忠誠心をもって働く
新卒一括採用という日本の方法はそういう手法である。
まず何より会社への忠誠心が大事なのである。それを最初にたたきこむために新卒一括さいようなのである。忠誠心となると若い内は教育できる,たたきこめるけどだんだん年をとると打算的になったりと純粋でなくなるからできなくなる
カルト教団でも洗脳しやすいのは若い内である。何にもない白紙の状態だと洗脳しやすいのである。
そして会社は社会で信用がある,私は・・・・の銀行員ですというときこの辺だと東邦銀行などは大きいから信用度が増すのである。
それで孫は東邦銀行に入っていた人が近くで自慢していたのもわかる

一方で欧米では仕事は会社に入ることではない,どういう仕事ができるのか,その仕事をこなせるのか,それが大事になる,だから天職が多い,自分はこういう仕事ができる
だからその仕事をしたいとして転職する,そういうシステムもある
一つの会社で一生過ごすようなことはない,仕事について言っていたので面白かったのはプロジェクト型の仕事の仕方である,何か一つの目的があってプロジェクトがあってそのプロジェクトを達成するために仕事する人が集まる
テレビドラマだと仕置人が金をもらって何人か集まり悪人を殺すということともにているそれはプロジェクト型なのである。そういう仕事の方法は会社とは違っている

まずどんな仕事でも絶対に一人ではできない,多様な人がいて才能がありスキルがあってできる,それでコラボレーションというのが必要になる
コラボすると何か才能が引き出せるのである。
この前変わった陶器を売っている人と野草のアレンジしている人が道の駅で並んで売っていた,するとそこに相乗効果が生まれる,陶芸と野草とか花とか関係ないようで関係ある野菜でも農業とも関係ある,自分もそこで実は何か提供するものがある
プログで表現したようにいろいろなことをしているからである
自分は花屋で写真をとったりしてコンピュターで絵画化したりもしてきた
花屋も農業とも深く関係している,土で花を育てるから野菜を育てると共通しているからである。

自分の場合は美的なものを追及している,ただこの美的なものは食べ物と違うから普通は関心がないというよりセンスがないとなる
食べ物だったらうまもいものとうまくないものは誰でも区別できるからである。
だから価値としてわかりやすいのである。
でも美的なものとなると絵画を見てもどれが優れているのか判断しにくくなる
ただこの絵は一億円するんですよど言うと絵画に詳しくない人は驚きそんな価値あるものなのかとなる,まず値段がつかなっかたら判断しようがないからだ
抽象画なんか特にそうである。絵画に詳しい人でもその判断はまちまちになるからだ

銀行員であれ何であれまず会社があり会社の一員として会社のために働く
会社が増収になり会社が社会的に認められればその会社員も認められるとなる
でも会社が今の地方銀行のようにその価値が何なのかわからなくなるとその会社の一員であることにも価値がなくなる
もしその銀行員が優秀なら金持ちのフイナンシャルコンサルタントのようになり金持ちから会社を銀行を通さないでもらうことになるしそうしている人もいる

ただそうなるともうけたら金は分配されるがもうからなかったらもらいないとなる
そこにリスクを自らも負担せねばならなくなる
でも今の銀行は投資信託を売っても株を媒介して売ってもリスクを全くとらないのである手数料だけは必ずもらいます,損しても銀行では全くリスクをとらないのである。
リスクをとらないことはまたその個々人の銀行員でも真剣にならない
自分の金でもないし別にもうけたとしても俺たちに金が入るわけではない,銀行に入り同じ給料しかどうせもらえないとなるからだ

つまリスクがないことは真剣に仕事もしないということである。
金持ちの金を預かり自らももうければ何倍の収入を得るが失敗すれば得られない,かえってやめさせられたりとか収入もなくなるとなれば自分の金のようになんとかもうけようとするだろう。そういう真剣さが今の銀行になはい,ただ手数料をもらえばいい
後は他人の金だから適当に斡旋すればいいとなる

おそらく本当に能力ある人はスキルがある人はアメリカのような所だったら別に大企業に就職しなくても生活できる,そういうシステムになっている
もしフイナンシャルプランナーとかなれる人だったら銀行員でいる必要もない
むしろ種金が資本金がかなりあれば自分で投資してもうければ銀行員である必要もない
なぜなら地方銀行不用論になっているとき会社に頼れなくなくなる
会社自体が消滅したら会社のために尽くすという今までもの働き方も終わるのである。

だからネットでは盛んにそういうことを言う人がいる,AI化で仕事なくなるとかもう会社はなくなる,大企業でも安心してはいられないとかいろいろ言われる
自分で稼ぐ力を身につけろと盛んに言われる時代だとなる
ただどこの分野でもそれだけのスキルと能力がある人はまれである。
だからAI化であれ会社中心社会が終わっても今度はさらに格差社会になる
天才的に能力のある人は高収入になるけど何もスキルもない人は就職すらできない,AI化で失業してベーシックインカムで食うための最低の金は支給するからがまんしろともなる
そもそも陶芸などは自立して自営しやすいものだった,会社経営ではない,みんな自分の窯をもって生産しているからである。小規模でも独立して腕を磨くことができた
だから個々人で窯ごとに個性をだす作品を作っていたからこういう仕事は自分の技でスキルで生活していたのである。
ただほとんどの人か会社員時代に自分でスキルをもって自立できる人は少ない
そういう社会になるから備えろといってもなかなかできないことはある

でも以前として会社に新卒で一括採用はつづいている,そこで忠誠心をたたきこまれ会社に尽くすことを第一とされる時代が実は時代遅れでありそんなに忠誠心を若い人にたたきこんでも会社自体が地方銀行でも消滅したら何にもならないのである。
そういう会社自体が増えてきたら何をもって生きてゆくのかとなる
会社への忠誠心より自分のスキルを磨く,するとプロジェクト型仕事でもスキルさえあれば参加できる,この分野の仕事はまかせておけとかなればできる
でも私は大会社の一員ですとかの肩書は通用しなくなる
プロジェクト型だと会社の忠誠心とは別なものでありいかにそのプロジェクトを達成するかのために努力するからである。



posted by 老鶯 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

枯葉(介護は家でされるのが理想)


枯葉(介護は家でされるのが理想)

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日のさして枯葉愛しむあわれかな


この室(へや)に母を介護す窓の外に枯葉残りてなお散らじかも

窓の外に残る枯葉やあわれかなそを見つつも年の暮れなむ

残りたる枯葉に午後の日のさして一人部屋にこもりけるかな



母を介護した部屋から外を見ていると大きな葉が枯れて見える,まだ散っていない
ここで介護したときこの枯葉のように見て介護したとふりかえる
母は百才で枯れるように死んだからである。
人間も生物だからこうして体が衰えやがては枯れて死んでゆく
ただ違うのは葉は枯れて土に散るとき土の養分となるのである。
だから森ではそういう命のリサイクルがつづけられてきたのである。

人間も生き物だから老化する、衰えることがさけられないのである。
だからいくら女性でも若作りしても無理である
結局老いは老いとして受け入れざるをえなくなるのだ
死もそうである。いくらそれに抵抗しても無理だからである。

そして枯れてゆく葉に午後の日がさして短き日は暮れてゆく
それもあわれだとなる,これもただ枯葉を見ているだけの写生なのである。
俳句短歌はだから写生が基本なのである。

介護が家でされたほうがいいというとき家というのは何度も書いたがそこは単なる寝起きする箱ではなかった,長い時間を人生の記憶を刻んだ場所だからである。
人間は意外と家で生活する時間が長いのである。だからこそ女と家が嫁になった
嫁は家と一体化してしまうのである。

そして死んでも何か家にいる感じがする,何か物の怪を感じる
結局はそれはそれだけ長く同じ家にいたからそうなったのである。
60年間一緒にいるとやはり以前として一緒にその人がいるという感覚になる
だからこの辺では原発事故で家が浪江で三千軒,飯館で一千軒とか壊された
その時何か家とともにあったものが喪失したのである。
その精神的損害が大きいものだがそこはあまり注目されないのである。

家というのは単なる寝起きする箱ではない,家は60年一緒にいればそこに記憶として刻んだものが死んでも残っているという感覚になる
もし家が新しくなったり別な所に新しい家を建てると何か昔の記憶も喪失するかもしれない,なぜならこの部屋で母を介護したなとふりかえるときその部屋とか庭が残っていないとふりかえることができなくなるからだ

病院だと死んだ時すぐ死体をかたづけてくださいとかなる,それは物のように人がされるのである,番号で呼ばれて起こった人もいた
次がひかえていますから邪魔ですからかたづけてくださいとなるのも淋しい
家族だと何か死んだ後も偲んでいるからである。

そこには継続する時間がある,死んだからと物として片づけられるものではない
継続してやはり家に生きつづけるということがある
ただ墓にはそこに死んだ人が骨が埋まっていてもいるという感覚はない
家には以前としているという感覚をもつのである。
それは家で共に生活した時間の長さのためだったのである。

ともかく今年も終わりである。介護から死からその後の死者を偲ぶことは継続したものとしてあった,だから介護でも苦しいけど家でされて死んだ人は幸せだとなるだろう。
ただそれだけの余裕が今はなくなっている
でも百才生きた介護した母の部屋を今使っているけどこれもここに母がいる感じにもな
複雑だけど姉もまたいる感じになる
だから家とはそうして死んだ人でも以前としている感じになるから家のもっている重みはただの物ではない,寝起きする箱ではない,精神的なものがありそれで愛着が生まれ家から離れたくない,家で介護されたい家で死にたいとなるのである。

2017年12月28日

年の暮(短歌十首) (家とともに生きる人間の一生)


年の暮(短歌十首)

(家とともに生きる人間の一生)

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変わりやすかった今年の天候



大輪の白菊の映ゆ八畳の間姉の誇りし柱によりぬ

北風の唸り石垣反りにけり政宗ここに冬の月かな

北風の家にうなりぬ我今に主となりて守り住むかな

我が齢この家とあらむ北風の唸り吹きつも継ぎて生きなむ

我が母の面影石にしも宿りて見えむ冷える夜かな

我が街の駅の寒しも見送りぬ無人駅しも年の暮れなむ

誰を待つ我今日も駅に見送りつ年も暮れなむ

けたたまし鳥の飛びにつ風に舞い木の葉吹き飛ぶ今年も終わる

今年また荒々しくも時はすぐ夜のふけても北風唸る

志高くもあれな都築氏の齢の尽きて冬の星見ゆ

故郷に苦労したる女(ひと)もがな皺を帯びつつ北風唸る


今年は天候の変化が激しかった,それで体の調子を悪くした,熱射病になり体が震えたり吐いたり吐いたりもした,夏は紫外線が強くて昼間は外にも出れなかった
そして秋が短くまた急に冬が来て冷えたのである。
この天候も異常なのだろう。秋は長く感じたが短く急に冬になった

一年をふりかえると母が死んで三周忌とか姉が死んで8年とかなるけど残された家とともに死者を偲ぶ年でもあった
広い家でありそこに大輪の白菊が咲いているのにふさわしい
今や家に生きているのが自分である。
今年も仙台には一回しか行かないし半年以上相馬市にも行かなかった
家ですごすことが多かったのである。

プログの方は安定してきたので一カ月60とか記事を書いた,自分の場合一記事が長いから60となると相当な量になるのである。
それだけ余裕ができたともなる

何か政宗の青葉城は石垣の反りが急である。城も家であり今になって家の主となったのが自分だったのである。
この家に本当に住んだと感じたのも不思議である。この家の全体に住んだという感じはなかったのである。今は全体に自分一人で住んでいるから家と一体化しているのである。
姉が自慢した柱によるときもそうである。母の面影を庭の石にみるときもそうである。
だから死者は長年暮らした家にとどまっているというのを感じる
だからその家がなくなると死者も感じられるなくなるかもしれない

それから駅でボランティアしたことも成果だった,一時通報されて警官に職務質問されたり嫌なことがあった,その時駅に長くいたときだった
長くといっても買い物帰りにちょっと寄る程度だったのである。
その後はさらに短い時間しかいないからボランティアとも言えない
でも駅のことについてプログで書いたようにいろいろあったなと思う

何か別に誰かを待つというのではないが見知らぬ人が来て見送っていることが不思議なのである。そこが自分の一つの働く場になっていたというのも不思議である。
働くというのでもないが何かそこがworkingする場になっていた
無人駅には確かに別にそれでもまにあうのだが足りないものがあった
それを自分は何か多少でも補ったという感覚がある
この町に生きるものとして何か働くことがあったのかとも思う
それは誰も認めないものでもあったが自分は感じたのである。

都築詠一氏の部も作り書いただしばらく書いていなかった
なかなかふりかえることがしにくくなった
ただ10年間くらい毎日読んでいたからそれで死んだのに驚いた
同世代でもあり共感することが多かった
文学に造詣が深いのでめずらしいなとも思った
なかなか文学となると芸術となると語り合える人は少ないからである。
別に語ったわけではないがあれだけのものを書ける人はそうはいない
それが死んで心の青雲のプログも閉鎖されてログが消えたことは残念だった
そこにインターネットの問題があった
本を出していたらその本は残るからである。
一部は残っていたが消えたのもあり残念だった

いづれにしろ何か今年は天気のせいなのか?荒々しくすぎたという感じである。
荒々しいということは実際は自分が介護になってから津浪とか原発事故になってから荒々しいものとなっていたのである。それが今年も天気で継続されたとなる
木の葉が吹き飛ぶように今年も死んだ人がいる
無情迅速である。ただ自分も後何年生きるのかと数える年になった
それでも人生百年時代はとなると先が長いのか?
それとも80くらいで終わるのかわからない,あと十年生きればいいと自分では思っているそのくらいまでなら金もなんとか尽きることはないし健康でいられるのかとも思っているからである。

いづれにしろ介護になってから家とともに奮闘し生きたとなる
家というのは実際は人間にとって寝起きする箱ではない,精神的なものが付与されているだから家という建物と家にまつわる家族とか精神的な場でもあった
だから家と共に死んだ家族を偲んでいるのである。
そして家は大きい家でないと心も広くならない,狭くなってしまうのである。
人間にとって家の影響は大きいなとつくづく思った
だから浪江でも3000軒の家が壊されているとか飯館でもそうである。
それは家という建物だけではなくそこにある精神的なもの思い出とかも消失することがある,家のもっている重みは大きいのである。
日本では家はイエというとき単なる建物だけのも意味ではないからである。

あをによし 奈良の山なる 黒木もち造れる室(むろ)は 座(ま)せど飽かぬかも
  〜聖武天皇 『万葉集』 巻8-1638
  
 「 はだすすき 尾花 逆葺(さかふ)き 黒木もち 造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに 」 巻8−1637 元正太政天皇

まさにこれを自分の家で感じた

奈良の山というとき故郷でありその木で作った室でありそこに住むと飽きないというのを感じる,そして万代までも住むとなる
  
常に姉誇れる柱我が家に寄りて頼もし北風唸る

この柱は橲原(じさばら)の木を使っているから万葉集の歌とにているのである。
そしてこの家の主となったのは家族がみな死んでからだったことに気づいた
家の主となるのとただ借りて住んでいるような感じとは違っていた
家全部をかたづけたり掃除したりしていると家の全部に眼を配らねばならないからである

その女性は苦労した,だから普通より老けて見える,その苦労を語る,でも問題は病院に金がかかったり仕事でも皿二三枚洗うのでも疲れたとかなり人を使うのはつくづく雇う方が大変だなと実感した
だから会社で人を雇いたくない機械化したいというのがわかる
雇う方の負担が人間の場合大きすぎるのである。福祉事業ではないからである。
ただ今の時代金がない人が多すぎる,それより金を何か自分からみると法事だとか病院でも無駄なものに使っているように見えるのである。
医者に通う金がかかりすぎるのである。
また本当に明日食べるものがないという貧乏ではなく贅沢のために貧乏している人も多いのである。そして借金している人も多いのである。

ともかく今年も終わった,比較的いい年だった,気力も体力も回復してきた年でもあった来年はどうなるのか?それほど変わりないのか?
創作の方に励むことができることは確かである。



2017年12月27日

死亡した都築詠一氏の評論を芭蕉の俳句から検討 (時代性社会性の理解なしで芸術は理解できないことについて)


死亡した都築詠一氏の評論を芭蕉の俳句から検討

(時代性社会性の理解なしで芸術は理解できないことについて)

芭蕉も、俳句だけから俳句を鑑賞しても、芭蕉の俳句の芸術性は理解できない、ことになる。
 文学を文学のみから見ては(読んでは)ならないのである。(都築詠一)

  芭蕉と一茶とでは生きていた時代も作風もまったく違います。いや「生きていた時代が違うから作風も違う」といったほうが正確でしょうか。

都築詠一氏は芸術についてこういうことをしきりに言っていた,芸術の時代性と社会性である,芭蕉の俳句を理解するのにはその時代と社会を理解しないとできない
ある人の個性はその時代の社会から作られるとなる
西欧の歴史はキリスト教の教会中心に社会が構成されていたから芸術と言ってもその社会の一部として存在したのであり個人の芸術家などありえないのである。
絵画でも建築の一部の装飾のようにあって絵画とか画家という芸術家は存在しないのである。画家が絵画が独立的分野として生まれたのはルネサンス辺りからだろう
レオナルドダビンチとか生まれたからである。

つまりこれまでは建築も音楽も絵画も一体のものとしてあった,ゴシック大聖堂と一体化してバッハのカノンがパイプオルガンとともに荘厳にひびきわたった,建築と音楽は一体化していたのである。
建築にしても音楽や絵でも教会というキリスト教という制約の中でありえた,そこから独立してありえなかったのである。
そういう時代と社会でありその時代と社会を理解できなければ芸術を単体として見ても鑑賞すらできないとなる

でもその時代と社会を理解するのは本当にむずかしい,元禄時代とはどういう時代だったの?まず自分は相馬地方で古い碑とか墓を見てあるっているが元禄とあればこの辺では相当に古いのである。だから元禄の碑は貴重である
ただこれも葛尾村とかに発見したのは意外だった,それから相馬市の松川浦に近い新田村でも元禄と刻まれた碑があった
では相馬地方の相馬藩の元禄時代はどういう時代だったのか?それもわからないが葛尾村にあったというとき新田村にあったとき開拓が開墾が全国的に進んで人口が増大した活気ある時代になっていたことは確かなようだ

それまでは戦国時代がありそうした開墾開拓はされなかったが戦国時代が終わったとき
平和な時代になり日本全国で開墾開拓が進んだ時代であり豊かな層が生まれた時代となり俳句でも商人とかが参加して普及した時代だとなる
それで芭蕉は「奥の細道」で頼ったのはそうした俳諧をしている富裕層,商人の家を頼って旅したのである。
芭蕉のような人はすでに有名になっていて迎えられて俳句の連句の座がもうけられたのである。そういう連句とかの座が行われたのはそういう文化が生まれていたことである。
それは音楽でも貴族のサロンが生まれてそこで室内楽が発達してモーツアルトのような天才の才能が開花したのとにているのである。

涼しさをわが宿にしてねまるなり 芭蕉

清風:鈴木道祐。尾花沢(この時代には「おばねざわ」と呼称していた)の豪商。紅花の流通業や貸し金業で財を成した。島田屋八右衛門とも称する。芭蕉とは旧知の間柄。しばしば江戸と出羽とを往復していて世間の事情に精通していた。芭蕉の評価の高かった門人の一人。 この時39歳。

みちのくの旅でもそうした富裕な門人がいたから旅ができたともなる、第一江戸時代とかでは何かツテがないと旅もしにくいからだ,知人を頼って旅をしていたのである。

時代性というとき平泉の「五月雨に降りのこしてや光堂」という芭蕉が句を作った時代をふりかえると1189年に平泉が頼朝に鎌倉幕府に滅ぼされてから500年も過ぎている 

1185源頼朝が全国に守護、地頭(じとう)を置く(名目は源義経を捕縛)
この頃には鎌倉幕府が成立する
1189奥州合戦で奥州藤原氏、源義経、武蔵坊弁慶が滅亡
1318後醍醐天皇が即位する(初代南朝天皇)
1331-09光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)
1333鎌倉幕府の滅亡
1333-05-22新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時、北条一族)へ攻め込み滅亡させる。

建武の新政 1333–1336
南朝(大覚寺統)初代:後醍醐天皇、奈良の吉野、新田義貞・楠正成・北畠顕家。
北朝(持明院統)初代:光厳天皇、京都、足利尊氏・足利直義・高師直。

南北朝時代 1336–1392

1701元禄赤穂事件 - 忠臣蔵
1702松尾芭蕉の俳諧・紀行文「奥の細道」ができる

鎌倉時代からすでに光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)しているからすでに南北朝の時代にさしかかっていた
では時代性をみるとどうして500年もすぎて平泉の栄華をかえりみることができたのかともなる,それは距離の感覚が今と違っていたこともある
果てなる地がみちのくであり平泉だったからだともなる、その前に西行が来て平泉で歌を残している

ゆきふり、あらしはげしく、ことのほかにあれたりけり。いつしか衣川みまほしくてまかり向ひてみけり。河の岸につきて、衣河の城しまはしたることがらようかはりて物を見る心ちしけり。汀凍りてとりわきさえければ

とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも (西行)

平泉堂塔伽藍炎上すその後雪に凍りつくかも(自作)

芭蕉の句は五月雨に残っていた金色堂のことを俳句にしたけど500年すぎたら実感が湧かなくなるだろう。
西行が生きていたときは平泉は栄えていた,でも凍りついた衣川が歌われた
むしろ自分は近いから冬に平泉に行ったけどまさに雪に凍りついていたのである。
みちのくの都の跡と言ってもほとんど何も残っていない,金色堂だけだとなる
そしてさらに元禄の500年前からまた300年以上も過ぎているのである。

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凍りつきただ一つ映ゆ金色堂

平泉礎石残りて雪の降る

こんなふうになる,礎石などは残っているから栄えた跡を残していることはいる
ただみちのくとなるとき栄華は炎上してたちまち消えて今も雪に凍りついているとなる

俳句でも当時の時代性,社会を理解して鑑賞することはむずかしい
当時は時代性もあるが地域性もある,地域地域は閉鎖されて別個にあり交流も少ない
元禄時代といっても江戸とみちのくではその差も大きいのである
つまり八百八町の繁華な江戸から平泉に来たからその落差から芭蕉の俳句は生まれた

ききもせず たばしねやまのさくら花 よしののほかに かかるべしとは

とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも 西行

この二つの短歌は対象的だけど平泉を如実に物語っている
そしてその栄華を桜に見たがあとは衣川が凍りついていたのである

ともかく時代性というときその時の社会というときどう見るのかそれには相当なイマジネーションを働かせないとできないのである。

今日は特別寒いし雪もちらちら降ったし今も北風が唸っている

平泉栄華の跡や北風の唸り雪ふり凍りつくかも

こんな感じになる天候だった

都築詠一氏の評論はいろいろ示唆するものがあったが深く検討できなかった

ただ同世代の人でありそれで共感するものがあったことは確かである。
同世代というときすでにバブルの世代とか氷河期世代とか団塊の世代とかあり世代感覚でも十年違うと感覚的に違ってくるのである。
5年違っても時代の変化が激しいときは感覚的に違ってくる
ギブミチョコレートの世代は5年くらいの差があってそうなった
進駐軍が日本にきたとき5才だったらその言葉を覚えていたとなる
自分は子供のとき遊びで兵隊の帽子をかぶって戦争ごっこをしていた
その頃戦争終わったばかりだから戦争ごっこがはやっていたとなる
すでに5年の差で時代性が生まれそれが理解しにくいとなるから百年とかでも歴史はめまぐるしく変わるから時代性とかその社会を理解することは至難なのである。

例えばなぜ雪の中で女性が裸足で雪だるまを作っていたのか、また裸足で真冬の家にいたのか?それもなかなか理解できなくなる,でもネパールの山岳では裸足で歩いているのである。そういうふうにその時代を理解することは至難なのである。

足袋を履かない事が流行っていたのですから、遊女はもちろん、深川芸者や町人のオシャレさん達も足袋を履かなかったそうです。

おしゃれで素足というのも江戸時代が今より寒いというときできるものなのかと今の時代からすれば考えられなくなるからだ

例えば人物でも現代の知性とか代表するような人物が出てくることは確かである。
それがインターネットから出てくるというの時代である。
団塊の世代だと武田邦彦氏などがそういう現代という時代を象徴する人物かもしれない
なぜなら科学者であり文系の知識の洞察も深いからである。
現代は科学なしでありえない,科学の時代というとき科学を知らないものは現代の時代を知り得ないとなるからだ
その象徴として福島の原発事故が起きたからである。これこそ時代を象徴したものだったのである。
そしてその場に生きていたのが自分であったともなる

都築詠一氏が今年死んだがこれも自分にとっては大きなことだった
ただその評論などがまだ深く検討されずに終わった
評論も一つの大きな文学の分野である
評論がむずかしいのはその人より上から見ないと深く理解しないと書けないからである。それで人物の評価とか文学作品でも評価がむずかしくなるのである。

参考にした都築詠一氏の文です

そのままここに文を全部のせたのはどこに書いたのかわからなくなっているからです
リンクできなくなっているからです
それでインターネット上で書いたものが著者が死ぬとどうなるのか?
それも大きな問題として浮上したのが都築詠一氏の死だったのである。

都築詠一氏の全文を参考

刑事たちが歩くということにはどんな効用があるか。それは歩くことで刑事のカンが発達することである。
 犯人が辿ったあとを歩くことで、犯人の像ができてくる。犯人の感情がわかってくる。
 そうやって認識が創られるとともに、足を使うことによって頭が良くなるという二重構造があるのだ。
 つまりカンとは実体的ありかた(歩く)で創ったもので、それは二重構造になっている。

 松尾芭蕉も歩きに歩いたから、俳句の認識が創られるとともに、足を使ったころで頭が良くなり、前人未到の俳句を芸術の域にまで高めたのだった。
 カントもヘーゲルも歩いたことがプラスになったはずである。


  中学生の子が芭蕉を勉強しているという。
 私に、どんな句が好きかと尋ねるので、いくつか有名な句を暗唱してみせた。
 例えば、

 むざんやな 兜の下の キリギリス
 夏草や つわものどもが 夢のあと
 あかあかと 日はつれなくも 秋の風

 とか、いろいろ。そしてなぜこれらが名句なのかも少し解説してやった。
 さらに、俳句とは何か、どう発生したかも中学生向けにミニ講義をすることとなった。
 そのミニ講義を簡単にここに書いてみる。

 そもそも俳句は、王朝貴族のすなる短歌(連歌)を短縮した庶民の文芸である。江戸初期に始まった。俳句も、連歌と同じく、端的には「座の文芸」と呼ばれる。一人で個室に閉じこもって、ひねりだすものではなかった。
 座、つまりサロンのような場所で、何人かが集まって歌を詠みあうのである。
 ところが最近は、短歌にしろ俳句にしろ、たいていは一人で考えて一人で創って、一人で発表するといった形になっている。座の文芸ではなくなっている。
 稀に連歌、連句を試みるグループもあるけれど、それはむしろ珍しい部類に入る。

 だからどうだと言えば、社会性が希薄になりがちになる。
 座で詠まれるから、それだけで個人で呻吟して創るのではなくて、互いの認識の交流、すなわち社会性を帯びることができてくる。

 これは小説家もそうだし、作曲家や絵描きも同じようなことになっている。
 絵画の巨匠とされるレオナルド・ダ・ヴィンチを例にすれば、彼は単なる画家が絵を描いたと思っている人がいると思うが、そうではないのだ。

 ダ・ヴィンチは周知のように、ルネッサンスを代表する画家であるが、単に芸術家だけだったわけではない。
 彼はイタリア・トスカーナ地方から14から16歳の間にフィレンツェへ移り、画家見習いとしヴェロッキョの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に修行したとある。
 つまり単独で絵の技法を学んだのではなく、多数の人間がいる工房で学んだのである。
 ここが現在の美術大学みたいなあり方と違うところである。現在の美大は集団で学んでいても、結局は極私的状態で絵を勝手気ままに(それを個性としょうして)描いているだけだ。

 何が違うかといえば、まず認識の形成が社会性を帯びるかどうかである。
 ダ・ヴィンチの場合でも、あるいは他の昔の画家でもそうだが、単なる画家が単なる絵を描いたのではない。工房、とあるように原基形態は絵画ではなく、後にダ・ヴィンチの絵画に発展したのであった。
 当時の上質の社会性といえば、貴族階級や僧侶らが社会をリードしていたのであり、その彼ら上質な認識を受け取り、あるいは育てられて、芸術家は見事になっていった。

 だからダ・ヴィンチの絵、「モナ・リザ」でもそうだけれども、絵画から絵画を見てはいけないのである。ダ・ヴィンチの認識とともに、どんな社会が「モナ・リザ」を描かせたか、ということも見てとらねばならない。


 同様に音楽でいえば、ベートーヴェンやモーツアルトの音楽の才だけに酔っていたのでは、彼らの音楽はわかったとは言いがたい。

 話を芭蕉に戻せば、だから芭蕉も、俳句だけから俳句を鑑賞しても、芭蕉の俳句の芸術性は理解できない、ことになる。
 文学を文学のみから見ては(読んでは)ならないのである。

 だから時代性のない芸術はあり得ず、時代性を捉えぬ鑑賞もあり得ない。創造者も鑑賞者も、どれほど時代性、社会性を掴んでいるか、作品から掴めるかで、芸術の質が決まる。
 よって、時代性、社会性をいまだ掴めていない小学生や中学生には芭蕉の俳句の良さなどは理解できないものだ。

 さはさりながら、冒頭の俳句などは小学生でも理解はできるのであり、そこを社会性とからめて学校の先生が説けるかどうかである。
 個性任せでは、とうてい子どもには(大人も)俳句の芸術性は将来の教養の礎にはならない。

 冒頭に紹介した俳句などは、有名ではあるが、どれほどの芭蕉の「歴史性」への認識が込められているかを、小学生にには小学生なりに、中学生には中学生なりに説けてこそ、教師という称号を与えてもよかろう。

 ここで

 刑事たちが歩くということにはどんな効用があるか。それは歩くことで刑事のカンが発達することである。

 現場に行って考えろというのは推理ドラマでは良く言っている,現場で感じることとただ頭でイメージするのは違ったものとなる
 子規の写生もまさにイメージではない現場をリアルに見たものをそのまま俳句にするということがそうだった,つまり百聞は一見にしかずということがそうなのである。
自分は外国に行ったのは50代だから遅かったのである。
それで外国について書いているとき理論だけであり実感がともなわないからおかしなものとなっていた,はずかいしものとなっていたのである。
要するに実感の世界を時代が違うと得られない,そこにいくらその時代の社会を理解しようとしてもできなくなるのである。 

タグ:平泉 西行 芭蕉

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2017年12月26日

鹿島駅のイルミネーション


鹿島駅のイルミネーション

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青色が幻想的である

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鹿島駅のイルミネーションはそれなりにきれいだった,青色が幻想的である
海の色のような感じがして海が近いからあっていた

8時頃だったが外人がいた,英語で話しかけたら「日本語でしゃべってください」と言われた,日本語は本当に上手であり日本語で日本人と普通に話できるレベルの人だったのである。どこの人かわからないが前にドイツ人が3人来ていたからドイツ人かもしれない
すぐ近くに風力発電の事務所がありそこに来ていたからだ
あの時のドイツ人は日本語はしゃべれなかった

あの時間でも他に仕事に来ていた人が仙台行きにのった,まだこの辺は外から来る人がそれなりにいるのである。
二日前だったか橲原(じさばら)に18才まで住んでいたという人が東京へ帰る所だった
右田の松原が津浪で流されて残念だったというとその人はトラックにのせられて海水浴に右田まで来ていたという,橲原(じさばら)から東京へ住んだのもまた大きな変化である
今は小高でも浪江でもイルミネーションをしている,ただ駅だと電車が来て余計にファンタジックになる,これはいいものだった

駅は寒いと言ったので駅の中にで待っていろと言った,電車が来てからでもここは無人駅で乗れるからである。
ストーブがあればいいと思ったがそこまではできない,駅員がいないと管理できないしそこまでJRではサービスできない、ただ今日は寒い,新地駅はエアコンになっているからこの辺では特別であり津浪の結果、かえって良くなった駅だったのである。
原町駅でもエアコンをしていないし相馬市の駅にもエレベーターもていからである。

とにかく駅は自分にとって今年はいろいろと関係した場であり面白かった
やはり秘境を求めてきた自分だが人の出入りもないと淋しいとなる
特に家族が死んでから自分は人と話しかけるようになったのはそのためなのである。
家族がいないことの影響は本当に大きいものだったのである。

自分が求めたのは秘境だった (ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)


自分が求めたのは秘境だった

(ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)

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 ワーズワース

 1770年4月7日 - 1850年4月23日

 1830年、やはりスチーブンソンの手によるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した

湖水地方までは鉄道は通っていない,湖水地方は何かまだ孤絶した地域だった,都会でも相当に離れていた,そこで相手にするのは農民とか羊飼いとかであり工業にたずさわっている人などもいない,工場などないからである。
だからこそ純な自然が保全されていた,それを飯館村とかと比べると原発事故以後に残ったのは菊地製作所であり他でも仕事しているのは製作所とか工業関係なのである。
なぜなら工業は土とか水でも放射能に汚染されないから仕事ができているのである。

イギリスの鉄道は相当に古い,イギリスで最初に蒸気機関車が発明されたから当然だとなる,それが今は日本の日立で特急の車両を作り運行しているのだから明治維新から150年でそれだけ変わってしまったのである。
イギリスに行って日本製の車両に乗るのも不思議だとなる

ワーズワースがほめたたえた湖水地方の住人
達が生活を営む場は、集約農法や製造業の発展といった産業形態の変化の
中で失われつつあった。

この時産業も家内工業から工場や会社形態と変わりゆく時代だった,江戸時代から明治時代に変わるのとにている,ここで人間的なものは失われた。
それは世界的に産業化工業化するなかで同じ経過をたどってきたのである。
アメリカでもソローが生まれたように鉄道すら拒否されていたのである。
文明の発展が確実に自然を破壊することは人間の歴史をふりかえればわかる
森林の破壊なのである。木材は船でも炭にしたりエネルギー源になるから伐採されて破壊されるのは古代からはじまっていてレバノン杉の森は喪失したのである。
湖水地方でも自然の多様な樹々が失われ一様な杉のようなものが植えられたことを嘆いているのもそうである。日本だって杉林の前は多様な種類の木がまじる森だったのである

相馬地方の自然の特徴は何か、丸森とか阿武隈高原があり森と海が特徴である。高い山はないが森が意外と深いのである。丸森は名前のごとく森の世界だった
そこで迷い入り出れなくなったときは恐怖だった,それだけ森が深いのである。
原町の高倉からとかでも飯館村に行く道は細い道が一本通じているだけで森におおわれている,一番印象的だったのは飯館村の大倉から坂を越えた所だった
そこに小川が流れていて森におおわれていて細い道が森の中に通じていた
そこはほとんど人が通らないのである。一日一人も通らない道だったのである。
ただそこにも戦後入植した人達があり十軒ほど家があったのである。
それに気づいたのは最近だった,二三軒はあるなと思っていたけど実際は十軒くらいあったのである。「共栄橋」とかありそこは戦後に入植した人達の村だったのである。
それまではそこは森におおわれていて人は住んでいなかったのである。
そういう場所は日本には結構ある,戦後引揚者が働く場所がなくそうした辺鄙な場所に入ってきたからである。それは浪江の津島とかにもあり山の奥地にも多いのである。
飯館村でもここだけではない,入植者が入ってきた所が結構ある。
佐須などとというときそこは山津見神社があり焼き畑の地名であり相当に古いが戦後に入植者も入ってきているからまぎらわしいのである。

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ただ自分が一番神秘的に感じていた手つかずの自然の森につつまれた所は道路になり失われた,それは原発事故前のことであり今はどこでも車が通り自然が破壊されるのである。原発事故の影響はあまりにも大きいものだった,村は荒廃してしまい人が住めなくなった飯館村の不思議は高原でありそこが別世界のようになっていた
何か花でも高山の花のように高山植物のように純なものとして見える不思議があった
そういう原始的な雰囲気が残されてそうなっていたのである。
ただワーズワースが求めていたように羊飼いとか純朴な農民がいるのとも違う
牛の村だったがにているところはあってもまたやはり現代の村だったのである。
ただ違っていたのは一軒一軒の家が広い庭をもって森につつまれてあった
それが他とは違って贅沢に見えたのである。

迷える足のほか踏みしことなき
人住まぬ谷間や奥深き山中を
いと古き代より汚れを知らぬ地域を
思いのままにさまよいる自由こそは
定命もてるかよわき人間にとり
いかばかり神聖なものぞ!

冬の日にワ−ズワ−スを読む

こういう場所がそこにはあった,ワーズワースが求めたものは何か?それは自分と共通したものがある,自然と人間の精神のモラルの一致でありアイディンティティ化することである,自然こそ真の聖堂であり教会とかの建物に神は存在しない,神は大自然の中にこそ存在する,森は神殿でありそれを模したものがゴシック建築となった

この辺はそれほど純な自然というものが目立たない,それは高い山がないし温泉などもないから外から見ると平凡なのである。
でも平凡に見えるところでも実際はどこでも知られざる秘境はまだ存在している
原町の高倉から森に分け入り飯館村に行く所や鹿島でも水無川をたどって上流の大古林道などに知られざる岩がある
それから丸森の川を上った所にも秘境があった,他にもまだあるがそれは道のない道を分け入ればある
自分のテーマは石であり岩であった

隠された大岩

深い森の影なす一すじの道
それが隠された村に通じていた
その山陰の森の道を一日誰通らない
大きな岩がどっしりとある
その岩の回りに春になると
キクザキイチゲが残る雪のように咲く
それを見た者はいない
そこはまだ開かれていない
分厚い本のいち一ページである。
自分一人のみがそのページを開いて見た
そして閉じていたのである
清らかな流れがひびき
夕べ聞こえるのは小鳥の鳴く声
神秘の蝶がそこに羽根を休める
そこはなぜか日影になりやすい場である。
木暗い場でありしんとして夕ぐるる場である
その大岩は村の人さえ知らないもの
しかしその大岩は今はない
ただ私ははその大岩のように眠りたい
患いもなく千歳眠りたい
その眠りを覚ましてくれるな
ああ 災いの地となってしまった
でも私の心にその森と大岩がある
そしてもう一すじの森の径は消えた
そこに行くことはもうできない
ただ騒乱の日を過ぎ去ることを願う
そして再びそこに千歳の大岩として
私はありて休らぎたい
そこは再び深い森におおわれる
樹々は風のさやぎ森は鎮まる
耳をすませばただ小鳥の呼び合う声が聞こえ
平和なる山鳩はその森に眠る

失われた森の聖域

そは久しくも隠されてありぬ
卑しき人の眼に触れざる所
千歳の岩は威厳を保ちぬ
その岩を飾るは可憐な花なり
清らかに小川は流れ花はうなだれ咲きぬ
さえづる純真な小鳥の声はここにひびき
そのソロの音色に酔わしめぬ
天然の歌人はここに養われぬ
純白の木の花は天に向かい咲き
神のみぞ天より見るのみ
森は深く影なしおおわれぬ
花を探し求めて追いて疲れし
一羽の揚羽蝶舞いきて羽を休めぬ
家々は森につつまれ隠されありぬ
ここに家ありとも知らじ
石はただ黙して千歳動かじ
卑しき人の眼に触れざる所
人の踏み入らざる所
あらかじめ神の定めし座に岩のあれ
純なる自然の聖なる神域にこそあれ
森は黒々としてつつみかくしぬ

the fixed rock is a deep seated place of my homeland

人間の座はどこにあるのか?それはもともと自然の中にありそこで安らぎとその場を得て安定する、自然に育まれて精神もモラルも一体化して養われる
そういう場がなくなったとき精神もモラルも荒廃したとなる
displacementが疎外でありまさにそのfundamentalな場所を失ったからこそ人間の存在が消失してただ統計的数字のようになってしまったのである。

ワーズワースの詩よりヘルダリーンの詩が思想的には深いと今読んで気づいた
彼の詩はライン川ときってもきれずに結びついている

雪の峰は大地にそそぐ
この上もなく清い水を 生まれながらに
あなたが純一なのは そのためなのだ
根源の近くに住む者は その場を離れない

しかしラインは夢に忘れない おのれの出自を
かりにも彼が 根源を忘れ
若き日の純粋な声を忘れようものなら
住む家も消え,掟も消え
人間たちの生きる日は
異形の幻に帰するに違いない

根源を忘れるというとき原発事故でもそういうことがあったのかもしれない
根源の地を失ったからである。根源に生きることからはずれて生きるようになり原発事故になり根源の地に住めなくなったともなる

いづれにしろ芸術の霊感の源は自然でありそこから離れて芸術も宗教も哲学もありえないのである。都会ではだから経済とか工業とか商業はあっても宗教とか芸術とか哲学とかありえていのである。
富岡八幡神社とかカルト宗教団体の巣窟になっているのである。
ただそこでは膨大な人が集まり金が集まる,賽銭が集まるのである。
それで繁華な所だから人が集まる所だからそうなっている
でも本来の宗教とは全く無縁な場所となっていたのである。
神道だって本来は日本の純な自然の中から生まれたものだからである。

then last wish
My last and favourite aspiration!then
I yearn towards soma philosophic Song
Of Truth that cherishes our daily life
With meditaitions passhinate from deep
Recesses in man,s heart ,inmmortal varse
Thoughtfully fitted to the Orephean lyre

かくして最後の望み
我が愛するいやはての熱望!
われが日々の生をいたわる真理を語る
哲理の歌を憧れるなり
人の心の深き奥よりいずる
幾たびの熱情的瞑想を含み
オルペウスの竪琴に思慮深く合わせたる
不滅の詩句を綴らむ
(ワーズワース)

philosophic Song,Thoughtfully とかはdeep Recessesから起きてくる

隠れ場所,隠遁いんとん所;((recesses)) 人けのない奥まった所,奥地,隠所,奥底,隅;(心の)奥;(学問などの)奥義

これは秘境のことなのである。

要するにワーズワースとかでも追及したのは自然との一体化でありそれは詩だけではない哲理であり宗教までにもなる、自然の事物を人間の精神とアイディンティティ化して一体化して表現することだったのである。
ただ今は田舎でも素朴な人間はいない,金,金,金に追われているだけなのである。
だからこそ飯館村でも原発で働いていたことは意外だったのである。
自分にしてもエアコンの部屋でこの文を書いていることも矛盾しているのである。
囲炉裏とかであたたまり書いていればいいが現代ではそうはありえないのである。
石油も使っているからである

ただワーズワースの時代は日本の江戸時代であり街とはかけ離れた場所にあった
そこは確かに風光明媚でも辺鄙な場所でありそこに住むことは今田舎に住んでいる感覚とは違う,今は田舎ではみんな車をもっているし都会と生活そのものが変わりないからである。田舎の人でもどれだけ金を贅沢を求めているかそれは都会より欲深くなっているともなる,純朴な羊飼いなどありえない世界である。
ただワーズワースの時代のような羊飼いがギリシャの山奥でスパルタの方に行ったとき山岳地帯で見た,そこの山の岩場にそういう羊飼いがいたしモンゴルなどにも今でもいるし中国の草原地帯にもいるしまだそういう人はいる
ただヘシオドスのように人間の暮らしが生活が隠されていたというとき人間を意識しないときそこは自然につつまれて理想郷のように桃源郷のようになっていたのである。
どんなところでも人間が住んでいれば必ず汚れるし嫌なものとなるのである。飯館村でも別に自分は人間とは交わらないから良かったともなる,今や飯館村原発事故後に南相馬市と同じく村が補償金とかで分断されたからである。

往来する旅人の顔というものを一度も知らぬ
あの隠者の家の戸口には・・・・(ワーズワース)

その丘の岩場に羊飼いが休み
去り行くも人影の見ず
雲は淋しく流れてゆく
湖水は山の影を写して
風は岩に鳴り
人の跡をとどめざらむとす
・・・・・・・・

なんかこんなふうに人が踏みいらない,旅人すら来ない場所であり時代だった
別に自分の住んでいる場所はそんな淋しい場所ではない,鉄道も通っている知らない人も頻繁に来ている場所なのである。現代では世界中で旅人の来ない所もないから車も通っているからそういう場所は探すのがむずかしいとなる






posted by 老鶯 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年12月25日

2017年自分の一年をふりかえる(十大ニュース)



2017年自分の一年をふりかえる(十大ニュース)


●駅で案内のボランティアをはじめる
●駅であやしいと通報され警官に職務質問される
●駅で掃除のことなどJRの会社と相談
●ロードに乗り転ぶ
●「心の青雲」のプログの著者,都築詠一氏死亡
●母の三周忌で家族の死を偲ぶ
●姪子が東京より来て兄の墓を自分の家の墓の脇に新しく作る
●家の修理を頼む
●歯医者に二回行く
●ケンチン汁と鰈の煮物の料理を覚える


こんなところかもしれない,駅のボランティアは去年の12月から常磐線が開通して無人駅になったのではじめた,一番わからなかったのはここで乗ったという証明書が出てくる所だった,はじめての人はわかりにくかった
それからはじめての人には原町行きが高架橋をわたって向こう側なことがわからない人が多かった,それでJRの原町駅にそのことを言ったら看板を設置した
それは一つの成果だった,他にもいろいろあった
自分は鉄道旅行が長いから鉄道好きである,でも不思議なのは鉄道員のまねごとをしてみたら鉄道の仕事は生きがいになるのだと実感した
一人盲人が通っていてその人を案内して車掌に合図したとき奇妙なJRの職員との連帯感を感を感じた
そもそも仕事は簡単にできないのである。仕事してもその経験は限られている
だから仕事のことはわからないのである。

駅でわかったことはともかくしょっちゅう点検にきていることである。
鉄道の仕事でいかに点検が多いかということである
それは安全にかかわることだから電気系統もあり点検が大事になる
ここは水戸の管轄にあり水戸からもしょっちゅう来ていたのである。
なんでも東日本のJRで点検だけで4000億円とかかかるというから点検は欠かせないのである。それで新幹線の台車がひびわれて大事故になるとか報道された
あれだけの破損したものを見逃していたのだから怖いとなる

無人駅で掃除を金をだしてJRが頼んでいるということはわからなくなった
確かに頼んではいるが決めるのはJRの水戸管理局でありわからない
商工会だとか市だとか商工会とか関係して複雑だった
NPOも関係していたとかなにかわからなかった
今日はまた風が朝から強いから運休になる,これからこの辺は風が吹くから遅れる
新地から山下とか高架になり風を受けやすくなったから遅れるから困るのである

あやしいとして通報され警官が来て職務質問されたのもショックだった
その時イベントが大勢の人が来ていたからである。
自分は結構駅ではボランティアを長くしていたらかである。
ただ回りの人は全く認めていない,あの人何しているの,怪しい人だとしたか見られていなかったのである。
ボランティアは身分の保証がないというのは確かである。
ただ高齢化社会はつくづく生きがいを求めてボランティアをしたい人がいるのである。
でもなかなかしにくいのがボランティアだったのである。

20数万で買ったヤマハのロードのJPYはロードとしても軽いから使えるのでいいが早いので危険があった、それで転んだとき危険だった,転ぶ場所が芝生のような草地だったので助かった,もし坂道の下りだったからそのまま坂を下った大怪我をしていた,
自転車も危険なのである。一度は近くでなんでもない場所で転んで前の歯を三本折った
その時頭を打っていたら死んでいたのである。そのことを忘れていたが思い出して冷や汗をかいた
今年は歯医者に二回通った,まだ歯が残っているので入れ歯にはならない
自分の母は60代で入れ歯になった,でも百才まで生きていたのは不思議である。

自分は最初鉄道の旅であり全国ほとんど乗った,次にものたりなくなり40代ころから自転車旅行になった,その間に登山などもしたが体力がなくつづかなかった
自転車旅行は体力がなくてもやれた,それは自分のペースで走り疲れたら休めば良かったからである。一日休んでまた走りとかしていたからできた
今度出たパナソニックの電動アシストマウンテンバイク「XM1」はいいものらしい
なぜならヤマハのJPYについてはこんなロードは必要ないとか悪評があったがパナソニックの電動バイクにはないからだ
悪評が全くないのである。自分でもヤマハの前の電動自転車は走りは遅いが悪路に強くマウテンバイクだった,馬力があり山の悪路を上れたのには驚いた,馬力が凄いのである。JPYはバッテリーはアクセサリーのようなものであり全く急な坂道では上れなかったからだ,そしてマウテンバイクがいいのは安定しているからいいのである。
転んだ時あったが足がつくのとで坂道で転んでも安全だった,でもその時も実際は危険だったのである。
パナソニックのは33万とかなるから高い,でもそれだけの価値がある自転車なことは評価がいいからわかる

今年一番驚いたことは「心の青雲」のプログの著者の都築詠一氏が突然死亡したことだった,これは信じられなかった,体の調子が悪くてプログに書き込めないと書いてあったがそのあとすぐ死んだのである。
なぜ驚いたのか,それは透析はしていたとか書いてあったがそんな病気のように見えなかった,わからなかった,書いていることは元気そのものだったのである。
だからとても死ぬとは思えなかったのである。
でも透析を十年以上とか17年なのかしていたことには驚きである
そんなに透析していて生きれるものだというのも驚きである。
都築詠一氏に関心をもったのは同世代であり言っていることが実に歯切れがいいのである

ユダヤ人陰謀説とか陰謀論とかネットに蔓延しているけどそこはついていけなかった    それがもまた異常ともなる,逆にカルト宗教的になる
カルトというのも異常な誤った信仰でも狂信的になるからでてある。
イルミナティがどうだこうだというのも逆にそうして陰謀論もカルト的になる
陰謀論は陰謀が陰謀を生みなにがなんだかわからなくなるのである。
もう一つ都築氏の死亡で問題になったのがログが消えたことである
一部保存されていたが全部が読めなくなっていた,そしてインターネットではそうして死んだらその後のログとかがどうなるのか?
死んだ時点で閉鎖しないと荒らされるということがあるのでそめうしろといわれる
でも突然死んだりしたらどうなるのか?
ただ「心の青雲」のプログは死んだ時点で閉鎖された
いろいろ検討するものがあったが一時はしていたが残されたものが少なかった
ただ10年近くだったか毎日のように欠かさず自分は読んでいた
だからその人なり思想に親しんだともなる

「文は人なり」というがそういうものを文章から感じた
残念だったのはあれだけのものを書けるのに突然中途で中断して終わってしまったことである。
でも死に方としては良かったとかなる,なぜなら介護とかそうした福祉のことを批判していたからである。
それを貫いて死んだというとき言行一致の人だったから感心したとなる
死を考えるとき仕事しながら死ぬのが一番いい感じである。
農民なら農作業してて死ぬとか医者でも一週間前まで90才でも患者を見ていた人が入院したら死んだとか前の自転車屋も一週間前に仕事して体が具合悪いと言って入院したら死んでいたのである。そういう死だと誰にもほとんどめいわくをかけないからいいのである。だから都築氏はそれを実行して死んだとなるから言行一致の人だったとなる

人間は死んでからでもなにもかも消えるいうことではない,死ぬと墓の問題とか遺産の問題とか具体的なものとしてもかたづけるものがある。
これらは意外とはやっかいな現実的な問題なのである。
それで兄の墓は実家の墓に骨も入れていたが土になってわからなくなった
それで墓標のようなものを自分の家の墓の脇に建てた,8万で石の道標なようなものでも墓として立派だとも思った
墓はこういうものでいいと思った,なぜなら跡継ぎがいないとか墓を継承することができなくなっているからだ,すると墓は簡単にかたづけられないとかあり困るのである。
道標のような墓だと簡単にかたづけられるから残された人が困ることがないからである。ともかく人間は死んですぐなんでも終わらない,死者を偲ぶことはつづくのである。
それは郷土史でもあった,老人は回想することが仕事となりみんな語り部となるからだ

料理はほとんどしていない、それでケンチン汁が袋に入っていてすぐにできるものがうまかった,その味は家で食べていたものと同じだった,自分はけんちん汁が好きだったからである。なぜそれを言うのかというと介護して10年の間とか今まで食べられていたのもが食べられなくなった,その一つにケンチン汁があった,だからそれを自分で作ったとき
味が同じだったので元にもどったと感じたのである。
それから鰈の煮物でもツユがうまく同じ味でありその味を思い出したのである。
それはお袋の味だったともなる,自分はそういう味も味わえなくなっていたからである。
結局自分の30年間は何事もなくあまりにも恵まれた結果として家族が死んで悲惨なことになったのである。

それは今のフリーターとか氷河期とかニートとかそういう人達が結婚もしないで親が死んだときどうなるのか?
金もないとしたら信じられない悲惨な運命になるかもしれない,その具体的な例が自分だった,そのことをいろいろ書いてきた
まず他人はもう金しかない,同情など全くない,相手が病気とか介護しているとか関係ない,金を盗ればいいしかない,それで現実にそうなった
他人は相手が死のおうが何になろうか関係ないのである。
特に現代では金がすべてであるから余計にそうなる,そしたら金もない,親もいない,身寄りがないとなったらどれだけ悲惨になるのか?
それを今のフリーターとか氷河期とかニートはイメージしていないのである。
でも否応なくそういう悲惨の末路が待っているいことは覚悟すべきである。

今年一年は家のかたづけとかあった,修理もあった,まず介護でもそうだが家自体と格闘してきたのが介護はじめてから十年とかそうだった
家は修理とかもあり維持するのが大変なのである。たからある程度の資産がないと維持できなくなる
それでつくづく姉が何度もこの柱は橲原(じさばら)のキコリから同級生だったので頼んで用意してもらったと言ったことを思う
この家を建てるのは相当に苦労だったし家を建てたことが誇りだったのである。
その時はあまり考えなかったが今になるとこの柱が姉のようにさえ思うようになった
家を維持するために自分一人がおしつけられた結果そうなったのである。

ともかく母も死んで三年とかなりまた心境が変わる,心境というのは常に年ごとに変わっているのである。今年はなにか死者を偲ぶとういこともあったが正常に精神的体力的にも回復してきた一年だったともなる
介護というのはそれだけ負担だし回復するには時間がかかる
でも老々介護になるともう力が尽きてしまうとなる
それで旅行する気力もなくなったとかなる,仙台にも今年は一回しか行っていない
なかなかかえって家を留守にすることがむずかしい
家を留守にすると誰もいないから不安になる
それで実際に電気の暖房機を一週間くらい電気をつけたままにしていた
それが気づかなかったのある。700ワットくらいであり相当に電気が使った
これも大失敗だった,一人暮らしにはそういうことがある
なにか家を留守にすると危険がある
ストーブでも消し忘れが良くあるからだ,だから外に出にくいのである。

ともかく今年も終わりである,来年はどうなるのか?
ちょっとまた遠くに旅行するのか?
なんかいろいろと家族の死後のことなども一段落したから正常化してくるのか?
やっぱり健康が一番である,一部悪いが自分が良かったのはやはり自転車に乗っていて運動していたからかもしれない,自転車に乗っている時間が多い人は長生きするとオランダで研究があったからである。
やはり自転車でなくても運動している人は体力が維持できる,それが積もり積もって老人になると60代以降現れるのである。
内蔵でも酒を飲みすぎると時間の中で疲労して磨耗する機械とにているのだ
人間の体も長い間使用していると機械のように磨耗して錆び付いてくるからだ
とにかくあと十年くらい元気に過ごせれば自分は人生を全うしたとなるだろう。
だから健康が老後は一番大事なのである。
posted by 老鶯 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年12月24日

情報化社会は説明が大事になる (でも説明責任は果たされず情報は無料だと思っている)


情報化社会は説明が大事になる

(でも説明責任は果たされず情報は無料だと思っている)


作業員とか使う丸形の大きなストーブ買って石油入れるのに二回失敗した,石油があふれて大量にこぼした,手で押すものだったが石油がとまらなく出てきたのである。
上から押すものでありそれがこんな危険なことになるとは思わなかった

缶で入れるのと手で押したりして入れるので安全性に問題があった
ただそんなこと売る方では何の説明もない,第一今は商品が多すぎて売っているほうでも知らないのである。
買ってる方が買って使った方が知っている
それでアマゾンのレビューが役立つのである。

ともかく説明責任というのがある,なぜなら今回のように石油入れるのにも缶とは違うのだから危険があったからである。ただそんなこと売る方では考慮しない
売れればいいとしかないのである。
それも買う方の自己責任なのである。
レンジでもそうだった,3万していろいろな機能があるようでもそれは使いないものだった,説明責任を果たしていなかったのである。

ただ通販でも失敗はあるが量販店でも普通の店でも買い物には失敗がつきものである。
ソニーの小型のビデオカメラはyoutube で説明していたが不良品だったのである。
それで4万は損した,ソニーで不良品を出すとは思っていなかったからだ

何でも説明責任がある,どこでもそうである。医者でも手術するとか治療するのでも説明責任がある,そしてわかったことは現代のような複雑な社会では何でも知りえることはない,わからないことが多すぎるのである。
だから専門家の時代となり消費者は無力化されている

原発だってほとんど地元の人に説明されていない,最初から「安全神話」を作り出されて地元の人達はそれに従っただけである。そもそも放射能のことを説明されてもわからないからだ,危険性もなんにも説明されていなのに契約されたとなる
地元では金になればいいとなり許可したのである。

要するに複雑な現代社会は説明することが逆に多すぎるということがある
銀行でも投資信託などで老人にリスクの高い商品をうりつけたと訴えられた
その商品について良く説明されていないとしてその高齢者の息子に訴えられた
そうした証券とかは説明されてもわからないから簡単にだまされる

投資信託なども理解するのにむずかしいのである。ただそれでも説明することが大事になる,現代とはいかに説明能力を磨くかということもある
つまりむずかしいものでもわかりやすく説明するという能力が大事になる
法律だってむずかしく言われると専門用語を使われるとわからなくなる
でもわかりやすく説明する方法はある,すると素人でもある程度はわかることはあるのだ
だからそもそもそも80才の高齢者に知識がない人に投資信託とか外国の債権とか保険をすすめること自体間違っていた
でも今厳しいノルマが銀行員に課せられていてそうなったと内部告発された
銀行にしてももうける方法がなくなり追い詰められていた,そのしわ寄せが若い銀行員に押しつけられたのである。
そして説明責任を果たしていないと訴えられる,それは訴訟になると訴えた方が勝つというのもそうなのか?それが法律違反になるのか?
そうなると売る方も慎重さを要求される

つくづく今の社会は説明ということが大事な社会である。その説明とは情報社会だから余計にそうなっている,情報を自由に流通していて判断ができる
説明されていて判断ができる,説明ということ自体,情報社会だということなのである。情報があってその情報を説明する,わかりやすく説明する,それが主な仕事ともなるのが情報社会である。
銀行などは証券とか株とかは情報なのである。絶えず様々な情報によって左右される世界である。インサイダー取引とかありまさに特別な情報を得たりすると大儲けすることができるのが株の世界だからである。

いかに説明能力を説明責任を果たすか?それはどこでも求められている
今回買った盆栽のような手のこんだものも水やりはどうだ,日にあてるのはどうだとかどうしてこれが作れたのかとか,いろいろ説明すべきことがあったが聞いたのは一部だったそしてやはり焼き物を売っていた人もいろいろ聞かれるという,それに答えるとまた買ってくれるとかいう,つまり情報社会とはそうして何でも説明能力が必要とされているのである。
説明すること自体に価値が生まれ社会である。
みんな商品を買えば売ればいいと思っているが商品についての説明が大事になる
そこに実は価値が生まれている社会なのである。

パソコンなどまず買っても使いこなせないからその使い方を教える方にかえって時間と金がかかる,それでそれを商売にする,パソコンでも今や使い方は金を払っているしそれもうなづける,使い方に金を払うというのは何か抵抗があるが情報社会とはそうした説明してくれることに金を払う時代だという認識が必要である。
まずソフトなども使い方がめんどうで簡単に使いこなせないのである。
ただ使いこなせると芸術家でなくてもそのスキルで自分がしている抽象画などができるのが情報社会なのである。自分は全く絵の能力かないのに絵を描いているという不思議があったからだ

だから商売としては別に本当は小さな小売店でも今は電器店でも高齢化社会になると使用するのが複雑になる,でも量販店では説明してくれない,すると親切に説明してくれる,使い方を教えてくれる街の電器店でも商売できるとかにもなる,そういうことでなんとか維持している店もある
ただ情報化社会がどういうものかわからないから品物は買ってもそれに対しての説明とか使い方を教えないしそれに消費者も金を払うという意識がないのである。
ただこれだけ複雑な社会になるとどうしてももう個々人では対応できないのである。
それで自己責任にされるのは無理なのである。
ただ情報に金を払うという意識が未だにないことが問題なのである。
みんな情報がただと思っている,インターネットだとまたそういう意識がある
最先端のインターネットでも情報に対して無料だということになった
情報化社会とは情報に価値が生まれそれが利益となる社会なのである。
それが過渡期であり理解されていないのである。

2017年12月23日

相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた


相馬市の道の駅で初野で窯を持つ人が焼き物と野草を売っていた

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初野窯ではなく自遊窯となっていた

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木を植えて花も咲くとかイワヒバも根付いている
これは相当に手がこんでいた,手入れもして時間かかって育てた
だから7000円では安いと思った
これを東京などにもっていったら相当高く売れるだろう。
なかなかこれまでのものは作るのが手間だからである。


相馬市の道の駅で相馬市の初野で窯をもっている人が作品を並べて売っていた
変わった器であり芸術品として売っていた,ただそれほど高いものではない

「ここでは高く売れないんだよな,東京では高く売れたな,東京では金持ちがいて
平気で高く買う,ここではみんなそんなに高いものは買わない」
「芸術品は値段があって値段がないようなもんだからな」
「仙台の卸町などでも売ったが高く売れたな,ここではだめだ」
「こういうものは芸術品となるとやはり大きな市場にもっていかないと売れないな」
「私は眼が悪くして車にものれなくなっているんだ,それで行けなくなっているんだ」
「車は年になると危ないよ」
「ここでまた正月に売る,それから高速道路などのセディティでも売る」
「あそは遠くから来るからいいんだよ」
「近くの人だと何回も買ってもらえるところがいいんだよ」

その人は芸術品として展覧会にも出品したが認められなかったという
何か師匠とか弟子がいて序列があり入りこめなかったとか言っていた
芸術にもそういうことがある
俳句とか短歌でも結社があって師匠がいるというのも窮屈なのである。
正直そういうところから大物は生まれないだろう。
師匠がいるのがいいのだが師匠がいるとかえってそれにつくと小さくされるのである。
師匠のことをほめることが要求されて付属品のようにされるからだ
俳句の師匠なんか特にそうである。そういうところで師匠面していてもとても俳句くらいでは芸術家とは今はなりえない,グローバル化しているし俳句ではとても表現しきれない時代だからである。

隣では野草とか置いてあった,全部の鉢に苔をはやしている,苔にもいろいろあるんだと言っていた,ある人がイワヒバが茶色に丸まっていたので死んだのかと聞いた
冬にはそうなるんだ,死んでいるわけではないと言った
自分も茨城県の太子町にイワヒバを買ってもらったことがある,一つ一万とか高い
でもブームだったが下火になったという
福寿草が咲いて岩があって苔がはえている鉢を1500円で買った人がいた
それは安いと見た,ただこの辺の価格だとどうしてもそうなってしまう。
この辺では高いとまず買わないからだ

最初から目立ったのが自分が買ったものである。枯木に苔をはやしてイワヒバを植えたり花を植えたりしたものである。木には花が咲くというからこれは生きているのである。
死んだ木ではない,木を栄養分として生きている,ただ肥料をやる方法がある
カプセルの薬のようなものを入れるらしい,ここからだけで栄養がとれかと思ったからだイワヒバはほとんど栄養をとらなくても水をとらなくても生きているからその生命力には驚くのである。

この盆栽というか相当にこっている,手間もかかっているし時間もかかっている
これを作った人はやはりこの道で趣味ではなく商売にしているから技術をもっているのである。何か高く売りたいのだけどここでは売れないとどっちもなげていたのである。
こういうものはインターネットでセリに出すと高く売れるかもしれない,ただ送るとかそれを運営するのがむずかしくなる
インターネットでは実際は花でも盆栽でも売っているのである。
結局地元だけでは芸術というのはなかなか認められないだろう。

ここで面白かったのは野草と焼き物とかが一緒にコロボしたことである。
これは関係ないようで関係ある,園芸とか花屋は深い関係にあり畑をしている人とも関係ある,花は自然のものであり野菜栽培ともにているからである。
土が関係しているからそうなる,焼き物も素材となる土が関係している
だからこの取り合わせは全然別個のものではなくつながりがあるものである。
それが並べたことで興味深いものとなったのである。
他にも何か別なものでも店を出せば市となり人が集まることはありうる
人を集めるにはこういうのは面白いかもしれない
一つだけではやはり人は集まらないのである。
仙台辺りだと品物でも人も集まるから売れるしにぎわうとなるのである。


自分のパソコンで作っている抽象画でもアメリカの人の一定数が見ている,なんらかそこでは注目されている,でもそれがどれほどの芸術性があるのか,その辺は見る人の眼が必要になる
初野窯の人の作ったものはいろいろめずらしい手のこんだものを作っているけどそれがどれほど芸術性があるのかとなるとわからない,変わったものなので苦労したんだよとは言っていたからそういうことはあるのだろう。
ただ「初野窯」とか聞いたこともなかったのである。
初野という場所は知っているがそこに窯があることは知らなかった
今は個人的に何か窯をもってい焼き物をしている人が結構多いのである。
ただ相馬焼のように知られていないのである。

田代焼の相馬藩の窯と指定された人は死んだ,跡継ぐ息子も死んだという,孫がいるがどうなのかと言っていた
相馬焼の大堀焼きの窯元がなくなったことは大きな損失だった,相馬の伝統としてあったからである。窯元があるとそこが集落化していると商売しやすいことは確かである。
一軒だけだと人を集めにくいと言っていたのはわかる
窯元の町になっているところなどは観光客を呼べるからである。

今日は天気がいいので道の駅まで行った,相馬市の街までは行けなかった

初めて見た相馬市の小野の里(初野)

ここに初野があり小野があった,城から離れて丸森に近い方だった
街中には窯は作りにくいから枯野の風景があっているとなる

自己責任は弱者に対して言われる (権力もっているものこそ責任は問われるべき)


自己責任は弱者に対して言われる

(権力もっているものこそ責任は問われるべき)

民主主義社会というとき自由と個々の権利とかを追及する社会である。ただ権利をもつと責任をもたされる社会でもある,権利というのは明治に翻訳されたが元は権理だったのである。理があり権利が生まれるということである。
リーゾナブルなものとして権利が生まれた,でも翻訳すると日本では利だけが強調される権利はライトだから正しいということでもそうである。
戦後民主主義は利だけを個々が極端に追及してそれにともなう責任とか義務はないがしろにされたのである。
権利が与えられれば義務も責任もともなうのである。

自己責任はそこからもともと発しているのである,例えば政治でも江戸時代なら庶民は「見ざる,聞かざる,言わざる」だから権利もないが責任もない,それで政治には必ず不満があるから一揆が起きた,それは命懸けだったのである。
すべてお上の命令のままに生きていた時代である。そこには権利も責任もなかったとなるその権利を実現するには命懸けの一揆であり暴力革命しかなかった
世界史は暴力革命の歴史である。不満分子が暴力でしか政治を正すことができなかったからである。選挙などないからである。

だから庶民に一票が与えられたとき庶民に権利が与えられたから責任と義務が生じた
それで政治家のことをいろいろ文句言ってもそれはお前たち選んだ政治家だから政治家が悪いわけではないとなるのである。
その政治家を選んだ庶民が市民が悪いのだとなる
つま権利が与えられると責任が生じるのである。

そして責任は権力をもつものがとらねばならない,なぜなら権力をもつことは大きな責任をもつことなのである。権力がもたなかったら何もできないからである。
権力というときいろいろあるが金は資本主義社会では最大の権力である
金を持つだけで資本主義社会では大きな権力でありあらゆるものを得ることができる仕組みになっている

自分は何の権力ももっていなかった,ただ遺産相続して金を自由にできたとき権力をもったのである。そこでもめたというのも権力に対して金だけを一人じめにするなとなるからである。お前だけの遺産ではないとか兄弟間とかでもなって骨肉の争いとなる
逆に金を自由にできないものは権力がない,だからかえって責任がないともなる
その金を自由にできる使うことができる人は大きな責任をになっていることになる
だから金に対して周りでもうるさいのは金をどうその人が使うかと見ているからである。
自己責任というとき権力がないものに自己責任をおしつけるのは問題である。
金を多くもてばそれを何に使うかで責任が問われる,放蕩して遊ぶだけに使ったりしたらいくら自分の金だからといって周りでは許さないということもある
金を見る眼はみんな厳しいからである。
なぜなら働いても働いても金にならない人が膨大にいる,するとその人たちは金のある人に対して不満になるからだ,金はその人だけでは稼げないものだからである。


だから資本主義社会では金がもつ度合いに比例して権力をもつことによって責任がある
10億円もてば10億円の責任が生まれ一億もてば一億の責任が生まれる
その金のないものは責任はないのである。江戸時代では十両盗んだら首が切られたと同じである。
自己責任論となると何か貧乏な人は貧乏になったのは自己責任だと弱者に対して必ず言われる,それも一理あるのだが強者に対しては自己責任論は言われないのである。

原発事故でも国の官僚とか政治家,科学者とか東電の幹部とか大きな責任があったけど
何の罰も与えられていない,その人たちこそ罰せられるべきだけどされない
そして地元の人達も原発で金が入ったのだから自己責任だとしきりに言われるのも変なのである。もちろん地元では金,金,金・・・だったということもあり責任はあった
でも本当の責任は権力をもっていたものにある,原発を作ったものに責任がある

自己責任は弱者について言われることが多いのである。もちろん例えば麻生大臣が老人で健康でないものは自己責任があるというのもそうである。
自分も不摂生するからそれには明かに自己責任がある,それで国の金を国民の金で援助するのは理不尽だという,つまり自己責任というとき自己責任だけで完結しないから他者の迷惑になるから自己責任を言うのである。
健康とかもただ自分自身のためだけではない,家族のためでもあり社会のためにも健康には気をつけろとなる

そして弱者とは何かというときこれも例えになるがそれは卑近な日常の生活にもある
買い物すると失敗が多い,家電量販店でレジを買ったときもそうである。
いろいろなレンジが並んでいたがどれを選んでいいかわからない,でも店の人は良く説明しないのである。そして選ぶのは自己責任になり3万の買ったけどそれは一万のと何ら変わりなかった,どれがいいかは選ぶのは自己責任ですよとなる,それを買って失敗したとしても誰も責任はとらないのである。
でも通販だとレビューがありその品物の評価がでているから情報が与えられているから選ぶとき失敗しない面はある,店だと店の方で売りたいものを売るとなるからである。
銀行だと銀行のもうけになる投資信託を売るとなるからである。
そこに売る者と買う者のは対等ではないのである。

情報でも対等だったら自己責任論は生まれない,マスコミが今まで責任があったのは六局しか報道できなかったからである。それで第3の権力と言われたのである。
それがインターネットが生まれたとき情報の平等が生まれた,個々人でも発信できるからである。情報も自由に与えたり発信できなければ自己責任といってももち得ようがないのである。知らないのだからもち得ようがないのである。

原発事故でも知らされないからこそ責任は上の支配者層にあったとなる,また専門知識となると放射能のことなど説明されてもわからないからまた専門家によって支配される

「あなたは核のことがわかるんですか」
そう問われるとわからないから専門家の言う通りにされる
「あなたは法律のことがわかるんですか」
これも同じで専門家の言う通りにされる
「あなたは医学のことがわかるのですか」
こういわれて無力化される
「あなたは株や投資信託のことがわかるのですか」
これもまた同じである。

でも逆に

「あなた方専門家は核のことをすべて知っているのですか」
これに自信をもって言える人は実際はなかったのである。
「株や投資信託のすべてわかるのですか?」

銀行員でも専門家でもわからないですよといっているのだから実際はこれもリスクがあり専門家がすべてわかっているわけではないのである。
もし全能の神のようにすべてわかっていればそんなことを問わないのである。

だから何でも自己責任は確実にある,でも全部が全部自己責任にはなりえないのである。すでに権力を持つものと権力をもたないものでは自己責任は相当に差がある
権力ももつものこそその責任を厳しく問われるはずだが弱者に対して自己責任が問われる正されるのは本末転倒だとなる
ただ健康とか個々の生活で人生で自己責任はあるし問われる
でも自己責任論はそうして権力もつもつものには問われず弱者に対して問われるのであるそれは権力者にとっては好都合になるからだ,金があるものは金のない貧乏人は自己責任だと言っていればいいし責められずにすむからである。

ともかく人間は全能の神ではないのだからすべての責任をもちえようがない,
必ずミスもある,だからミスを前提にしてしか責任はもてない,だから原発の「安全神話」は神のように事故は起きないと言っていたから問題だった
そして誰も責任はとらずただ地元の人は被害を受けて責任をとらされたのである。
そこにも自己責任はあったとしても一番の責任は原発を運営した人達だったのである。

2017年12月22日

銀行の役割と価値の喪失 (投資信託も株も銀行を通してもすべて自己責任で終わるのか?)


銀行の役割と価値の喪失

(投資信託も株も銀行を通してもすべて自己責任で終わるのか?)

●銀行は今ただの貸し金庫なのか?

銀行が今なぜ問題になっているのか?AI化で一番影響を受けるのか銀行だという,事務的なものでAI化しやすいからだろう。
そして銀行は今までは何か社会で金を持ち貸す,会社に後ろ楯となりその会社の財政の支えとなる,会社を育てるとかしして社会に役立っていた役割があった
だから銀行に金を預けていれば高い利子がついていたのである。
銀行は会社を育てそのリターンもあった,それは高度成長時代だからできた
社会が資金を必要としていたしその資金をつぎこんでも会社は成長していたのである。
だから会社がもうけて利益を得ていたのである。
会社を育てるとか何か資金をつぎこんで社会に役立てるもの成長させるものを作ることがなくなったとき銀行は何する場なのか?

不思議なのは銀行はただ金をあづかる貸し金庫なのかともなる,金をあづけても利子はつかない,そしたらただ金をあづけている貸し金庫だとなる
もしそうならそんなこと銀行員がいなくてもできる,ただ金を安全に保管するという仕事は別に銀行員でなくてもできる
金の出し入れも別に自動化しているしAI化でさらに銀行木役割は消失する
だから一時サラ金の後ろ楯が銀行になっていたとか言われる
つまり貸し出す先がなくなりサラ金会社に実質銀行が金をまわしてもうけていたとなる
それはただの金貸しであり金を貸して新しいものを会社でも育成するということがない

ただ銀行も社会の必要性があり生まれた,役割があり生まれた,その役割が見いだされなくなったら銀行は何している所なのだ,金をあづけても利子につかない,貸し金庫なのかそんならタンス預金でも何か金を安全に保持する方法があるとなる

そして今銀行が弱小の地方銀行が証券会社化している,株とか投資信託とかを売る証券会社の仲介業となったとき銀行は一体何の役割なのか?
自分も投資信託をしても実際はもうからない,手数料とか常にリスクがあり一時的にもうけても損する時の額が大きいからもうけることがむずかしいのである。
手数料が高すぎるというのも問題である。だからこそ貯金しても利子がつかないから投資信託をすすめる,その手数料が一定して銀行に入るから銀行にとっては利益の面からみればおいしいとなりすすめるのである。
それで金融庁からそういう投資信託の手数料をとるのは銀行業としてふさわしくないと通達があった
だから今銀行とは何なのか問われているのである。

●銀行は今どのうような価値を社会に提供しているのか?

人間はなんらか価値あるものに金を払う,食料でも家を建てるにしても価値あるから金を払う,そういう価値について厳しいのである。料理でもレストランでもまずはっきりと料理がよければ払う,それは金の額によって決まるのである。
まず千円の料理だったらその分の料理であり文句と言えない,値段をごまかせない,高ければやはりいい材料を使っているとなる,自転車だと高ければ必ずいい部品を使っている値段ではっきり差がついているからごまかせないのである。
値段のいいものはいい自転車なのである。
一般的に品物とか家でもたいがい値段どおりのものしか買えない,値段と金が一致していてごまかせないのである。

ところが銀行は何の価値を提供しているのか?今までは利子を提供していたから問題なかった,利子をつかないとしたら銀行は何を提供するのか?
ただ金を安全に保管する貸し金庫なのか?それが銀行の役割なのかとなる
すると銀行は必要なのしかとなってメガバンクでも大量にリストラされたのである。
つまり銀行の事務員とか店舗をかまえるとコストがかかる
そのコストを払うためにはどうするのか?それよりコストを減らすために窓口をなくすとか事務所を減らすとか事務員を減らすとかするようになる
それは銀行を利用する方にとってもそうしてもらった方がいいとなる
なぜならそもそも人間は価値あるものに金を払っている
銀行は何の価値を提供しているのか?それが明確でなくなるとき銀行に金をあづけても利子もつかないし何の役割があるのだとなる

要するにこの世の中価値を提供できないものは廃れる,銀行は何の価値を提供しているのか?証券や株や投資信託で証券会社の仲介業なのか?それが銀行の役割なのか?
そして利子はつかないからとすすめられ高い手数料をとられる
「今利子がつかないですから,株でも投資信託をしてください」
いつでもこういうけどそもそも利子がつかないということで銀行の役割が消失しているのではないか?銀行は貸し金庫業となる

自分でもそうだが利子がかつかないということで株とか投資信託をすすめられてする,そして投資信託でも株でも理解しにくい,その理解しにくいことで専門家の銀行にまかせるでも手数料だけ高くとられてリスクがありたとえそれで金が減ったとしても銀行は株とかはそういうものでありリスクがあるといえばそれで何の責任もとらず手数料だけはいただきあとは知らないとなる
それが固い職業の銀行だったのかとなる

逆に客から利子をとっているのは銀行だった

投資信託でも手数料は確実にもらいます

リスクは銀行ではとりません

それは銀行が客から利子をとっていると同じなのである。

ただ別に銀行が証券会社化してもその道のプロであり投資信託でももうけてくれるなら誰も文句は言わないのである。
でも証券会社のプロとは違うから金融庁から苦言がでる
銀行の金は株や投資信託にまわすものではなく地方銀行だったら地方の産業を育てるために支援するとか投資するとかあった
その資金を集めて投資してリターンを金をあづけた人に与えるとなっていた
でももうそれができないからただ金を安全に保管する場となり証券会社の仲介業にすぎないとなれば銀行の役割は消失したのだから銀行はいらないとまでなる

●結局すべて自己責任で終わるのか?

人間はともかくなんでも何らかの価値を与えないものは社会で必要ないとなる
金は価値あるものに払っているのである。
人間はなんらかの価値を追及している,その価値が認められなくなったらそれは社会にとって必要ないものだからである。
銀行は社会にどういう価値を与えるのか,ただ金を集める貸し金庫なのかとなる
ただ何であれ例えば消費者金融とかブラックであれ金を預けている人は増えれば文句を言わないのである。いちいちそうした金がどうしても入っているかなど考えない
消費者金融のようなあこぎな商売でももうけた金が預金者に利子となって入ってくればいいとなるからだ

そこまで考えると預金者にも同罪だともなる,それはモラルに反するから銀行ではそんなことをするなとなる,預金者でもそんなしてもうけた金は得たくないとなるのか?
金は貸した方にも責任があるように金を預ける方にも責任があるとなる
それは銀行だけの責任ではない,預金者も銀行に責任があるとまでなる
要するにそうなら銀行に預けるなとなるし別に銀行を通さないで投資信託でも株でもすればいいとなる,それは銀行の責任ではないともなる

そうなると株でも投資信託でも理解しにくいからしないともなる,なぜなら一日株式のことを見ていたら何もできなくなる,みんな他に仕事をもっているからである。
だからこそプロがいるならまかせているのである。
つまり他の人は時間を別なものに使いたいからプロにまかせているのである。
ただ結局自己責任として個々人も問われるとしたら株とか投資信託はしない
自己責任となると株とか投資信託でもそこに相当な時間をさかないとできないからであるそしたら結局銀行を貸し金庫として利用して文句言うなとなるかもしれない
そしたらリスクもないから利子もつかないが目減りしてもまた自己責任だとなる

銀行が投資信託でも株でもすすめると銀行との信頼関係が喪失するということもある
銀行は固い職業とこれまで見られてきたからである。
証券会社とは違ったものとして見られていたからである。
だから銀行もそうだが銀行を見る眼をも預金する方で変わってくるしまた預金する方も問われていることになる

一体銀行はただの貸し金庫なのか?

銀行は証券会社になったのか?

結局銀行はリスクをとらない,手数料だけとって株でも投資信託でも損しても銀行とは関係ないとなる,それは楽な仕事だとなる,一切リスクをとらないからだ
金を貸すとその金が返せなくなり銀行が損することがあるがここではないのである。
手数料をとるだけのおいしい商売だとなる

損したら

「株でも投資信託でもリスクがるある,誰もわからないんですよ,株のことは,専門家でもわからないんですよ」

こういって終わりである。

そもそもそんな人が専門家なのか?医者だってそんなこといわないだろう。

手術にはリスクがあります,死ぬことがあります」

これはありうる,でも医者とか病院では専門家であり株とか投資信託とかとは違う,それなりの技術があり専門知識があり患者を消費者に対応しているのである。
それはどこでもたいがいそうである。
何か銀行員はそうした社会の職業からすると今は社会に対して客に対してどういう価値を与えているのかあいまいであり詐欺的にもなっている
だからこそ金融庁からおしかりがありまた預金者からも銀行は何なのだと問われる
一方で預金者でも問われているのである。
別に投資信託をすすめられても断ることもできるし証券会社に頼むこともできるし自己責任ですよとなる
ただ人間の知識や経験は限られているからあらゆることに自己責任はとれないのである。

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小さな町の医院の跡(詩) (これも郷土史の一片だった)


小さな町の医院の跡(詩)

(これも郷土史の一片だった)

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こんなもので医者が往診していた

その医院には
何かあたたかみを感じる
こじんまりとした
昔の小さな町の医院
90すぎた母が通っていた
ここのお医者さんはやさしいと
母が通っていた
冬の日がさして
庭には石が並んでいる
山茶花もまだ咲いている
まるで肩を寄せ合う
老人のように見えた
人が住んだ所に何かが残っている
小さな町の医院
そこには何かあたたかみを感じる
それはなぜなのか?
ここに住んで地域の人とともに生きる
そういう気遣いが開業医にはある
それが病院とは違うあたたかみをかもしだす
それで今でも何かその跡に残っている
しかしこの医院も壊されるとき
そうした過去は消える
でもここにある内は偲ぶことになる
毎日ここを自分は通っているからだ

たびたび夜間に患者さんから電話があって、当時は自家用車を持たない家が多かったから、往診することが多かったのだ。
交代で当直ができる勤務医のほうが楽だと思っていた。
今どきの開業医のほとんどは、自宅と医院が別である。

父の時代でも、「ふとんが温まる暇がないくらい往診が多かった」といっていたから、祖父の時代はもっとすごかったのではないだろうか。しかし、往診が多くて儲かったという生易しい問題ではない。道路事情が現在と全く異なり、往診そのものが大変だったのである。

当時は往診が多い,往診が多いというとき車もない時代だから苦労になる,姉は看護婦であり保健婦として役場に勤めた,その時一軒一軒自転車で回っていたのだ
下駄をはいていたような時代に自転車で回って歩いていた,姉は気丈夫であり体が強いからできたのである。
昔の自転車は今の自転車とは違いいいものではなかった,でも自転車で一軒一軒回っていたのである。医者も往診が多かったというときそうである。
昔の医者と今の医者も相当に違ったものなのである。
医院といっても今のように機械などはない,聴診器中心にみる,何か手作りの医者の感じになる,だからかえって人間的になりえたという逆説がある。

江戸時代になればなぜ医は仁術になったのか?そもそも医者にかかっても直せないと患者も思っていたから直らなくても恨んだりしないのである。
それよりやさしいとか思いやりあることが医者にも望まれていたのである。
塾の先生にしても人柄がいい人が選ばれたというのもそうである。
そこでは人を見る基準が全く違っていたのである。

今はみんな技量を見るし腕に重点を置くし先生でも高い知識をもつ人が選ばれる,人柄など関係ないのである,ただ医者でも口が悪くても医者として技量の高い医者はいる
近くの医者はずいぶん自分の家では世話になったが口が悪いので母は嫌って行かなかったやさしさがなかったのである。人柄としては良くなかったのである。
でもその医者のことは誰かが話して話題になっていたのである。
それが死んでからその医者のことを誰も語らないというのが不思議なのである。
死んでからすでに十数年とかたっているのか時間がたつのが早い
そしてたちまち忘れられるのがこの世の常である。

開業医と勤務医の相違は開業医は家族をもち地域に住んで生活をともにすることである。だから近くの医者とは何か病気意外でつきあいがありもらいものしたりあげたりと頻繁にあった,その辺が勤務医とか大きな病院とは違っている
それで原町の産婦人科の医院長がそういう医者であり癌になっても最後まで地元の人に尽くすべき奮闘したのである。
それは勤務医でないからである。勤務医の人は原発事故があり南相馬市立病院をやめた人を知っているからだ,あれだけの混乱とかで嫌になりやめた
勤務医の人はそうなりやすいのである。開業医の人は土着しているからやめることができないのである。その相違も大きいと思った

何か死んでから人はいろいろふりかえるものだと思った,ささないことでも何かそれが一つの生きた証となりふりかえる,そのふりかえり語ることが老人が生きる意味だともなる老人は何らかでみんな語り部になる,ただその語り部でもうまい人とそうでない人はいるでもみんなどんな人でも人生を生きてきたのだから何かしら語ることがある
それが郷土史にもなっているのである。

自分もそうだが自分の家のことには一番関心がある,だから郷土史とは自分のじいちゃんとかばあちゃんから聞いた話からはじまると書いたのである
むずかしい歴史もあるが基本的にはそうなるのである。だから誰でもともかく一番郷土史は身近なものとしてある
何かしらみんな違った人生を生きているからそれが郷土史になるのである。

人間の不思議は必ず自分であれ家族であれ他人であれ一生をふりかえる
そこに意味を見いだしてゆく,それが基本的には歴史になる
それが日本史とか大きな歴史ではなく家族でもそうだし個々人でも平凡な人でもある
自分にとって身近なのは姉と母なのである。それが死んでからいろいろふりかえることになる
なかなか生きているとき本当にふりかえるのがむずかしい
それは家族でなくても生きている人を冷静に客観的には見れないのである。
死んだとき何か冷静に客観的に見れるのである。
家族でも他者でもこの人はこういう人だったのかと再発見が常にあるのだ

そして不思議なのはそうしてふりかえり死んだ人でも語る時,その死んだ人が生きているように思えるのである。自分はプログで語っているが誰かに語ればそうなるのである。
でも何も語らないとするときその人は死んだ人のことを語りたくないのである。
それは親でも毒親としてひどい目にあった人は親のことを語りたくないしふれたくもないとなる,だから死んでも人間はそうしてあとあとまで影響があるからおろそかに生きられないともなる

いつも自分はなんか他者にとって嫌になるかもしれないが母と姉のことが浮かんでくるのである。それだけ六十年間一緒に住んでいたことで一体化していたということの裏付けにもなる,一緒にいた歳月の長さが関係していたのである。
だから長年連れ添った人が熟年離婚になるのはもったいないと思う
その長い歳月を一緒に暮らしたことが苦い思い出なるとことは何なのだろうと理解しかねるのである。
そして一緒に墓に入りたくないというのも何なのだろうと思う
そんなら確かに早く離婚した方がいいともなる,一方で昔をふりかえり思い出を分かち合う老夫婦などは幸福だとなる

いづれにしろ何か人が歴史というとと大仰になるが思い出を刻んでいるのである。
そして最後はその思い出に生きるのである。だからいい思い出をもった人は老後は幸福だともなる,そのいい思い出とは何なのか?
それは個々人にとって違うから他者にはわかりにくいのである。
例えは苦難を乗り越えたという経験は後で悪い思い出となるとは限らない
あのときなんとか苦しいけど耐えた,今は楽だとかなりそれで幸福感に充たされる
でもそういう苦難のない人は老人になってもそういう幸福感にはひたれないのである。
だから最後に何が幸福をもたらすかも人間はわからないのである。

インターネットのプログではそうして今度は昔を語る人が増えてくる,そういう場としては向いている,それを本にして売り出そうとすると簡単にはできないからである。
これも商業主義には向かないものがあるからだ,ただこれからインターネットでも老人化してくるから思い出話に花が咲く時代がくる,
ただどれだけそこで思いで深く語られのか?浅薄な生だったら語るべきものもないとなり淋しいものとなる
大正生まれとか戦前生まれは激動を生きたから語るものがあり重いものをもっていた
現代は何か物質的には恵まれて浅薄なになっているから語るべきものがさほどないとなるかもしれない,語って面白い人とはそうして激動を生きた人だからである。


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2017年12月21日

弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子 (富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)


弟に刺殺された厚生労働省幹部・北島智子

(富岡八幡神社との深い関係-縁戚関係にあった)

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週刊現代%202017年12月30日号

こういうのは何か怖い,縁戚関係になるとやはり因縁がカルマがかりり強いものとして影響する,まず富岡八幡神社の土地をもっていたということが土地の因縁としてカルマとしてあったことである。
そして弟に姉が殺されたことも共通している

弟が姉を殺した

弟が姉を殺した

そういうことが自分の縁戚でもあった

親が事故で死んだ

その子も事故で死んだ

これも何なのだろうとなる,こういうことには何かカルマがあり影響しているのか?

カルマは何かわからないけど怖いものがある,カルマは似たようなことをくりかえすことである。それがインドから生まれたというのはそれだけ人間をインドで長い歴史のなかで見ていて統計としては見ていなくても結果として現れるからそうした思想が生まれたのである。

ただカルマにはいろいろある。

親が子供を育てられない

その子供を子供まともに育てられない

それがカルマとなっている人もいる,カルマとはいろいろあるからわかりにくい
ただ同じようなことをくりかえすことである。

殺された北島さんは優秀な人であり富岡八幡神社の宮司の人とは違っている
そういう人でも縁戚関係とかでつまづき事件が起きる
だから縁戚関係とかカルマには怖いものがあるのだ

カルマとは別に縁戚関係だけにあるのではない,例えばある人が給料が未払いだった,そこは暴力団関係で支払われなかった,その額も大きかったのである。
その分を自分が払うようになった,なぜか他人のカルマが自分に回ってきて解消したともなる

まだ逆に他人のカルマが回ってきて背負わされることがある,犯罪などがそうである。
なぜ犯罪にあうのか?そこになんの因果関係があるのか?
全くないようでもあるのかもしれないのがカルマである。
自分が大金を盗まれたこともカルマだったとなる,なぜそんな人が自分の家に来たのか?
それはただの偶然だったのか?何か因果関係があってそうなったのかとなる

なぜまた事業に失敗した人が借金を自分に要求してきたのか?それは他人のカルマを自分に回ってきて背負わそうとしたのである。
犯罪とは他人のカルマを受けることであり背負わされることなのである。カルマはめぐりまわっているのだ

そしてこの事件が2017年に起きているということは一年前だったことも驚きである。
富岡八幡神社の土地をもっていたということ自体カルマになっていたともなる
宗教団体とかに入っていて指導者だった祖父母がいたというのも何かカルマとなっているそうしたカルト宗教団体ではカルマが積まれているのである。
そういうカルマが積り積もって事件となって現れる,苦しみとなって現れるのである。

ただどんないい家庭でも家系でも負の部分をもっている,そのカルマが苦しみや事件となって現象化する
北島さんの場合は優秀な人だったから惜しまれた,そういう人でもカルマから逃れられない怖さがあった

いづれにしろ日本人の宗教はみんな現世利益しかない,御利益追及である。
それは日本人には宗教心がなくただ金を求めているだけの怖いものとなったというときそうである。宗教によるブレーキがきかないからひたすら金だけをご利益を追及する
それにやましいものを感じないのである。
神社でも何かみんな求めているのはご利益しかないのである。
千円賽銭投げたら二千円くれ一万くれとかなる富クジと同じである。
日本人にとって神様とはそんなものなのかとなる
カルト宗教団体もみんなそうした神社と変わりないのである。

金しか求めていない人間が本当は怖い,自分はそういう怖さを経験した
自分の病気も家族の介護でもただ金をとればいいしかない
もうこいつが死ねば金が入るとまで心ではなっていたのである。
保険金殺人のような状態になっていたのである。
借金した人は犯罪予備軍である。その借金でも贅沢するための見栄のための借金が現代では多いのである。もう病気で困ったからとかではないのである。

そういうふうに日本人がモラルもない金だけを求める社会と化したとき本当にこの世は地獄である。金のためならなんでもする,もう相手を人とも思わないのである。
金をとるものとしてあり金がとれないなら関係もなにもなくなる
それは富岡八幡神社のように兄弟間でもそうなる
それほど社会が荒廃してしまっているのだ
だから震災とか津浪とか原発事故とかが起きてきた,それが関係ないようで関係ある。
原発事故だって人間の限りない欲から生まれているからだ
そしてもう人が住めなくなるような悲惨な状態になったのである。

ともかくカルマはどこかで清算が強いられる,自然に消滅することはないのである。
本人が苦しみ苦しみようやくそのカルマから解放される,dischargeされる
最悪なのは事故とか事件になりそれでカルマが消滅するともなる
そのための犠牲が強いられる,死なねばならぬとなればそうである。
親とか先祖とか縁戚関係でもそういうのは避けようにも避けられない
そしてそのカルマによって殺されるという犠牲を払わされることにもなる
posted by 老鶯 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

Cosmos of forest


Cosmos of forest


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forest in the water

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Japanese ancient pillars

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あるソフトの一部の機能から抽象画ができやすい,だから定型化して抽象画ができる
それは機械的作用であり何がそこから生まれるかわからない
つまり人間がイメージして作るのとは違っている
だから人間がイメージしないものが生まれる,AI化というのはとそういうことがほかにあるらしい,人間がイメージできないものが生まれる

それはなぜなのか?例えば小説すらAI化で作られている
そこで意外なものが生まれる,それは人間より膨大なデーターから作られるからである。そのデーターの膨大さから組み合わせから作るから人間では作れないものを生み出すのである。
人間が本でもなんでもそうだけど頭に記憶しているのは極わずかであるからだ
そこに人間の限界があるがAI化するとそれがないから人間では作れないものが生まれてくるのである。

抽象画というのは形にとらわれないから創造する範囲が無限に広がる,でも具象画から離れられない,森をテーマにして抽象画を作ってきたが抽象画でも森にしようとしていることでもわかる,森として見たいのである。
現実にある森をイメージしているしそれから人間は離れてありえないのである。



It is easy to create abstract images from some functions of certain software, so it can be stylized and an abstract picture can be created
It is a mechanical action and I do not know what will come from it
In other words, it is different from human beings making images
So, something that human beings do not imagine is born, there are other things like AI, there is something that human beings can not imagine

Why is that? For example even a novel is made by AI conversion
So an unexpected thing is born, because it is made from huge data than a human being. Because it makes from combinations from the enormous size of the data it creates what can not be made by humans.
Everything human beings do in books, but because they are remarkably few in their heads
There is human limit there, but when it is converted to AI it is not there, so something that human beings can not make is born.


Abstract paintings are boundless in shape, so the scope of creation extends infinitely, but you can not get away from the concrete painting, you can see the abstract painting made with the forest as the theme, but also by the abstract painting trying to be a forest, I would like to see it as a forest.
I imagine a forest in reality and human beings can not be apart from that.

タグ:abstract forest

2017年12月20日

丸森の春(詩と俳句)


丸森の春(詩と俳句)

丸森の全体的な写真

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桜花夕日に映えて山の里

春の暮水面に夕日映えるかな

鶯や岸辺に鳴きつ日の暮れぬ

川岸の砂地に春の日碑の古りぬ

蛇行する流れや遠く春の暮

丸森に河口想うや春の暮

丸森の峠越え去る夕桜

(金山城)

山吹や峠を越えて丸森へ

木の根古り石垣残りシャガの花

橋渡り水面に秋の夕日影

川下りいわれの石や秋の暮

石の風呂栄し家や冬の暮


丸森の春

新地より峠を越えて丸森へ
広らかに流れる阿武隈川
その岸辺の砂地碑の古りぬ
春の日さして我がそぞろ歩めり

川は悠々と流れゆく
その長々とした川も遂にかなた
波立つ太平洋にそそぐかな
港に船や海にい出るも

金山城の石垣古りて残りぬ
伊達と相馬の攻めぎあい
城主も変わり境の城かな
蔵王はなおも厳しく雪に閉ざしぬ

流れの岸に謂われを語る岩々
船は下るや岸に鶯の鳴く
橋を渡りて丸森の街並
斉理屋敷の栄えし跡かな

丸森を去るやまた越ゆ峠かな
伊達と相馬の境かな
夕桜の色濃く心にしみぬ
我が通いし道の親しも

写真を見ればわかるけど丸森は地形的に景観的に魅力がある,山間を阿武隈川が流れてくる,その山の向こうに厳しく威厳のある蔵王が聳えている,春でも雪が厚くとおっている新地も景観的に海と山が迫りいい,丸森は阿武隈川と山々と蔵王が映えるから景観的にいい,新地の峠を越えると景観が一変するのである。

日本では川というと短いし船も行き来しないから川が景観として映えない
外国では川がなければそもそも文明すら起こらなかったのとは大違いなのである。
ラインは父なる河というときそうであり四大文明が大河から生まれたのでもそうである。川なくして文明もありえなかったのである。川が文明を作ったのである。

阿武隈川はそれなりに長いし大きい川としてある,だから丸森辺りでは舟下りがあり楽しめる,川では東北では阿武隈川とか北上川とか最上川がある
阿武隈川でも一応船運があって荒浜に出て江戸へ物資が運ばれた,でもそれほどでないから知られていない,阿武隈川とかでも途中船の通りにくい場所がありそこを工事したので有名になる,最上川だってそういう場所がある,日本の川は外国のように舟運に適していないのである。

ただ丸森辺りから川は広くなってすでに海が近くなっているのである。
丸森まで来ると海も近いなと感じる,でも亘理からでも河口まで自転車で行ったが遠い,相馬市から丸森までも自転車で行けばそれなりに遠い
でも自分は何度も丸森には行ったのである。
最近の発見では森の中へ入る川がありそれをさかのぼった処は秘境だった
そしてその森の中に入って出れなくなったのは恐怖だった
それだけ丸森は地名のごとく森が広く深いのである。杉林だけどその木材資源は江戸時代から豊富だった,それで米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材資源をめぐって争っていたのは有名である。

丸森は石でも有名であるがそこまで自分はわからない,丸森は地形的にまだわからないところがある。だからこそ森に入る川がありそこに秘境を発見したのである。
秘境は飯館村にもあった鹿島にも橲原(じさばら)を上った奥にある,そういう場所がまだこの辺ではあるし他でもあるから外からきたときそういう場所には入りにくいのである
ある地域を知るときたいだい常磐線とか六号線にそって行く,でも福島県は会津まで横断しないとその魅力がわらないのである。福島県はそれだけ広いかである。
ただ六号線にそって行くと行きやすいから自転車でも飯館村とか丸森の方へは行かない人が多いのである。
ただ最近は六号線を自転車で通れないから飯館村とか遠回りして行く人が増えた
でもあの八木沢峠を自転車で上るとなると辛い,電動自転車だと上れるからいいが人力となると容易ではない,そういう処があるので自転車旅行は問題なのである。

いづれにしろ自分は丸森へは何度も坂を越えて帰ってきた,それが記憶となっている
それは自転車で行き来したからそうなっているのである。
自転車だと坂が記憶に残りやすいのである。あそこを苦しいけど上ったなとかが記憶として残るのである。丸森はあの峠を境に景観が一変するからそれが魅力である。

丸森の秘境へ

2017年12月19日

安らかなことが家では一番大事 (恨みが残された家には災いが起きる)


安らかなことが家では一番大事

(恨みが残された家には災いが起きる)

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冬の雲四五片垂れこめ田舎町

我が家に安らかにあれ七十年嫁ぎて死にぬ母の見守る

我が姉の自慢したる柱かなそを受け継ぎ家を守りぬ

我が家に幸のあれかし恨まれず終わりに和して安らぎにけり

田舎を象徴しているのが,この四五片の冬の雲だった,なんか陰鬱であり街にたれこめているのである。
そのあとはいろいろイメージするのが写生俳句である。

ここ十年は介護とか自分の病気とか犯罪にあうとか災難つづきだった
他のサイトでも書いてあったがカルマの清算時が来てそうなった
カルマは本当に厳しいものがあるし逃れられないものがある
人は誰しもカルマを積んでいるが自覚できないのである。
知らずにカルマを積んでいるのである。それが周り回ってくるのである。
ただ苦しみとして現れたとき自覚するのである。

何か自分はずっとこうして家のたとに追われていた,三十年間は家にいても楽だった,何もすることがなかったのである。それが介護になり追われるようになったのである。
家族がみんな死んだがやはり以前として家と格闘している感じになる
毎日家のためにすることがある,新しい石油ストーブを買った,大きなもので作業している人などが使う丸形のものである。

どうしてもあたたまらないので部屋全体をあたためるために買った
でもこれは石油を前より倍くらい使う,そして石油を缶で入れるのではないのでかなり]あふれてこぼしてしまったのである。このれも後始末も大変だった
次に絨毯を敷いたがそこにも鍋物をして油をこぼしてしまったのである。
何かこういうことが家事では結構ある,道具でも慣れればそういうことはないのである

今日はあと自転車屋に三千円でクリーンセンターにもってゆくものを頼んだ
大きなテーブルとブリキ制の衣服入れだった,車がないのでこうしたものをもっていけない,処理する車が来るが高くとられるので頼めないのである。

いづれにしろ家族が死んで感じたことは説明しようがないものである。
何かほっとするとか安らかに感じるのである。
認知症になった姉のときは家は大混乱した,でも意外と早く死んだ,そのあとすぐまた母の介護だったのだから二人が同時に介護になっていたらもうもたない,共倒れになっていた,自分も病気になりそうなっていた,そこをきりぬけて楽になった

そして不思議なのは家にいても安らかに感じる,死者も安らかに感じる,死者も別に恨んでいないからである。
それで呪われた家とか本当にあるのだと思う,自殺したとか殺人事件とか何か嫌なことが起きた家に住んでみたら悪いことが起きるというのはあながち迷信でもない
何か成仏しない恨みを残した人の霊がさまよっているのかもしれない
そんなこと自分は今まであまり考えなかった

でも家族死んでみて安らかに死んでいない人はそういう家では何か悪いことが起きる
それは理屈ではない,そういう物の怪を感じるのだ,一方で安らかに感じるときはその家は一時的に悪いことが起きたのだがそのカルマが清算されて浄化さされてそうなったのかともなる,遺産相続とかにはそうしたカルマの清算が起きると他のサイトで書いてあったが本当だと思う,カルマを清算させるために苦しみが災いが起きてくるのである。
最悪になると富岡八幡神社のように凄惨な結末になる。
金があまりにありすぎるのもその家にその団体とかにはカルマとなっているから吐き出さないと凄惨な事件も起きてくるのだ

親戚の女性の親は恨みを残して死んでいった,自分の家ともつきあいがなかったが母の実家は不和分裂の家だったのである。そしてあんなに凶暴な女性と変化したことに驚愕したし憤りを越えて恐怖だった,何かとりつかれたような形相になっていたからである。
人間は恨みとかで悪霊とかに取り殺されるということもありうる

怨霊信仰があるのもうなづける,なぜ怨霊を恐れるのか?それは良心が傷むから恐れるのである。何かやましいことがあるから恐れのである。
それは家族の間でもある,家族でも恨んで死んだ人は結構いるのだ
親戚の人はそうだった,事情は複雑でも一番世話した母親は恨んで死んだからである。
ただ一緒に住んだ家は空家であり誰も住んでいないし一緒に暮らしたこの街にも住んでいない,一年に何回が墓参りにくるだけである
でもその墓参りでも苦しいくなるかもしれない,あんな凶暴化した女性だからすでに何かにとりつかれたような恐怖を感じたからである。

その家が安らかな状態にあるかどうかは本当に大事である

なぜそうなのか?そうでないと災いを受けるからである。そういう家にかかわると災いを受けるから見逃すことができないのである。
もしそういう家に家政婦でも金をもらえるからと雇われると危険になるからだ
その家から発する物の怪が怖いのである。

これは別に人を脅かしているのではない,自分は家族を看取って感じたことだから言っている,自分が安らかに感じたから死んだ後でも何か家には影響するものがある
物の怪として家にいる感じになるからだ
こういうことは精神的なものだから説明しにくいのだ,安らかな気持ちになっている
それはどういうふうに安らかなのとなるとそれは死者を見送り死者が安らかにいるという感じなのである。そこに恨みをもって死んだりしたらそうはならないのである。
そうした家には圧迫されるようなもの平安はないのである。
だから家とは人間にいろいろに影響する場だなとつくづく思った
家はただの人がいて寝起きする箱ではない,いろいろな人間的に精神が作用してくる場なのである。

2017年12月18日

冬の暮俳句十句 (家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮俳句十句

(家の考察-家は自然空間を模したものとしてもある)


冬の暮六万石の城下かな

五本松残る三本冬の暮

乱れじや物音もせず冬日没る

石一つ村の境や冬の暮

故郷の古りにし家や冬の暮

冬の暮我が眠るは奥座敷

我が家を一人守りて冬の暮

古き家に昔を思い冬の暮

古き家や昔を想うスト-ブの火

もの言わぬ岩の重みや冬深む

奥深く岩の動かず冬の暮

冬深む奥処に岩の鎮まりぬ


半年くらい相馬市には自転車で行っていない,道の駅のところの五本松の二本の松は枯れた,松は何か一番人間に親しい,人間に見えるのである。
だから松にまつわる伝説とかいろいろ残されているのである。

冬の暮となると冬が暮れるということで12月でもいいが冬深むとなると一月からだろう。い,冬には冬の良さがあり冬は物思いにふけるのにはいい,
冬は岩と石にふさわしい季節でもある,冬に石とか岩の重みをより感じる
田舎だとそうした石と岩は近くでもある
だから自然とアイディンティティ化しやすいのである。そういう作業をしてきたのが自分だった

そして石とか岩を想う場合でも家が関係していた,家の不思議は一つの安定した場を与えることである。家があると精神的に安定するのである。
それも持ち家である程度の広さが必要である。
もしこれが借りているものだと狭い住宅だと何か精神の安定が得られないのだ
ただ一時的に借りて住んでいるというだけになる,それもまたこの世は借りの場だからという感覚になるので日本人はもともとそうして大きな家に住んでいなかった
また貧乏で住めなかった,ただ農家では家と仕事が一体化しているから家の重みがあった

昔の旧家だと奥座敷とかある,座敷は普通にあった,小高の人が50畳の家に住んでいたというのも驚きである。そういう屋敷のようなものがあった,そこは一つの城のようにもなっていた,なぜそんな家が必要だったのか?昔はみんな家に集まって法事とか行事をしていたからである。
ただ家というのは維持するのに大変だと家族がみんな死んでつくづく思った
直したりするのに金がかかる,するとある程度の資産がないと大きな家は維持できなくなる,また広い家だと掃除するにも大変になる
そして古い家は今回の地震とかで傷んだ,ひび割れしたり戸があかなくなったりした
それを直すとなるとまた金がかかり大変なのである。
だから家をもつのはいいにしても負担になるのである。

家を考えるとき奥座敷とあれば田舎だと奥座敷という場がある,この辺だと橲原(じさばら)とかはそんな感じになる,さらに奥に入ると人も住んでいない場があり岩がある
家としてイメージされることが田舎ではある,大きな家となるとそこがただ寝食するだけのものではない,精神的な場であり精神に影響するなと思った
大物は大きな家から育つと言う人がいたがそういうことはありうる
広い家に住んでいれば広い気持ちもなるが狭い家に住んでいると心も狭くなる

広い廊下は心を広くする
それは広い道路もイメージする
冬の光りが一杯さしこむ
そこでおもむろに古書をひもとき
長椅子に座り読む
八畳の奥座敷があり
そこは隠されて眠りにつく場
家は閉じた空間の中に
密なる場を与え精神を醸成する
・・・・・・

家というのは良く有名な旧家の家を紹介しているけど実際にそこに住んでみないとわからないのである。
それはどこでもそうである。住んでみないと深いことはわからない,住んでみてその土地のことがわかるのである。
家は細い廊下とか曲がりくねっているとそれは迷路のようになりそれは森の小径を歩いている感じになる,大きな庭があれば都会でもそういう感覚が生まれる
ただ都会では自然と結びつかない,田舎では生の自然と結びつくのである。
自分の家の特徴は二階の広い廊下にあった,それが外の景色と結びついていたのである。ただ自分は家に住んでいても自分の家のことがわからなかった
家族が死んで家を自分一人で住んで管理するようになってわかってきたことがある
なぜなら家族が死んでから残された家を管理するようになり家が傷んだり直すことで否応なく家に前より関心をもたざるをえなくなったのである。

細い廊下がある,廊下を曲がる
広い庭があり石がある
そこに冬の日がさしている
木の葉が散りつもり
池がありそれは森の中の沼に見える
それはより親しい空間である

家は広ければそうして一つの自然的空間を模したものとなっているのだ

住もうことのなかでのみ人間はその本質を実現することができる
住もうことは一つの確固たる位置を空間のなかにもつこと,つまりそこに属して根付いていることなのである。
しかし人間がこの位置にとどまりここを快適と感じるためには住もう「場所」はさきに我々が「体験されている空間」の自然な中心点,--]そこにこの空間のすべての道が関連づけられている
「人間と空間」オットー・フリードッヒ・ボルノウ

この本では家のことを哲学的に考察している,これは一読の価値がある
自分は実際はこの家に住んでいたとはならなかった,なぜなら家族が住んでいると自分の住んでいる場は割り当てられた部屋には住むが全体に住むということはない
自分の家で特徴なのは広い廊下と奥座敷だったからである。

家とはまた新しい家と旧家とは違っている,古い家には50年としても歴史がある
代々住むとなると家には歴史がある,一代だけでない何代かの記憶が家に詰まっているから違っているのである。そこに家の重みが生まれてくるのである。
だから原発事故など避難されて家を失った人達,大きな家に住んでいた人達がいたしその精神的損害が実際は大きなものだったのである。
それは家というものだけではない,それに付随する精神的なものを失ったからである。
故郷を失うということもそうだったのである。

2017年12月17日

新地駅俳句十句 (新地から海が見えて景観が良くなった)


新地駅俳句十句

(新地から海が見えて景観が良くなった)

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桜咲き海を望みて新地かな

船の行く山より望み朝桜

草萌ゆる電車の行きて望む海

耕やしや海を望みて新地かな

山鳩や海を望みて春の畑

海の青染まりて新地春の暮

新地より高架になりて夏の海

鴎飛び電車の行くや夏の海

文禄の碑伊達領なれや秋深む

時代毎碑の古り並ぶ秋の暮

新地駅雪の蔵王の迫るかな

新地駅おりたち二本の冬木かな

金華山牡鹿半島望めるや津浪の後の新地駅かな

相馬地方の景観は変化がある,外から見た人は電車などで通りすぎてもわからない,複雑な地形には実際はなっている,その土地のことはやはり長く住んでいないとわからない
新地と相馬市と原町とかで何が変わっているか一回くらい来てもわからない
新地は地勢が浜通りでは同じようで違っている

海と山が近く迫っているのである。海が近くすぐ岡になり山が迫っている
それで手長明神の伝説が生まれた,鹿狼山(がろう)から巨人が手を伸ばして貝を食べていたという伝説である。これは裏付けのある伝説である。
貝塚も丘にあり海に近いからである。地形を見れば納得するのである。
この地形は簡単にはわからないのである。

まず春になると鹿狼山の麓まで上ると太平洋が一望できて牡鹿半島とか金華山が見える
そこに桜が咲いていてあそこは本当に見晴らし良く春は一番眺めがいい
新地駅も高くなり同じように見えるようなったので新地駅におりて一見する価値がある。
ただ快晴にならないと見えないから注意である。

そして新地が津浪で海岸部の村が消失したけど景観的に良くなったという不思議がある。高架橋になり電車が走っている風景はなんともいえぬ海にマッチした風景となったのである。
今まで海は浜通りなのに常磐線では見える場がほとんどなかったのである。
新地から坂元から山下と海が見えるのである。
だから景観的には前より良くなったという不思議がある
松原はいいものだったが海をさえぎり見えなくしていたことがあった

この辺の景観でいいのは新地でもそうだが新地から丸森に入ると丸森も森であり秘境のような所が川を上っていったらあった,その深い森林に迷い入り出れなくなったことがある丸森は森が深くおおっていたのである。だからそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩で森林資源の木材をめぐって争っていたのである。
丸森も阿武隈川があり森が深く景観的にいい場所である。
この辺にはまだ人があまり踏みいらない土地が残されている
飯館村にもそういう場所があったが道路ができて消されたりはした
でも森が深くつづいて森につつまれている地域という感覚はある

ただ山下から亘理までは景観的に見るべきものがない,山は低くなり変化がないのである亘理に来て阿武隈川をわたるとき蔵王が見えて変化をみることができる
だから山下とか浜吉田とかあるが景観的には魅力を感じないのである。

この辺の景観の弱点は高い山がないことである。鹿狼山でも400メートルくらいなのである。あとは高い山がないのである。それがものたりないのである。
日本はここだけではない,狭いのだが地勢が変化に富んでいるからあきないということがある。
まず大陸だ満州でもどこまでもトウモロコシ畑でたまに大きな泥川が流れているくらいで変化ないからあきるのである。
だから日本は旅行するには地形に変化があるから面白いと思う
海あり山あり川あり森ありであきないのである。季節の変化もあるからそれであきないということがある。日本は地形でも季節でも変化が激しいのである。
今年は特に暑かったり寒かったりと変化が激しい年だった

歴史的には新地には文禄の碑がある神社があった,伊達領だったのが新地だから検地のための記念の碑らしい,その神社には時代毎に碑が残されていて興味深いものがあった
新地は伊達領だったということがわかりにくい,なぜなら明治以降は相馬郡に編入されたことでわかりにくくなったのである。
蔵王も新地駅からまじかに見えた,蔵王は相馬地方だと鹿島の八沢浦からも見えていたのである。

俳句も連作でないと一句だけでは文学となりにくい,それで自分は連作を試みてきたのである。四季がありそれを連作にすると一連の作品として鑑賞できるのである。


タグ:新地駅

2017年12月16日

人間の不可解 (有能でも成功しない-神が関与しているためか?)


人間の不可解

(有能でも成功しない-神が関与しているためか?)

人間はそもそも不可解である。普通だったら有能な人間が成功するはずなのである。みんな有能なことを望んでいる,有能になるために努力している
では世の中で本当に有能な人が成功しているかとなるとしない
かえって有能すぎて失敗している人もいる

一人親方だった人は有能である。大工でも優秀である。庭仕事もできる,あの人はなんでもできる,体力も柔道の有段者のように強い,しゃべるのもうまい,だから人と接するのがうまいから営業で成功するから事業したら成功する
その他いろんなアルバイトもできる,焼き芋売りとかもしたとか何でもできるのである。だから自分は感心して見ていたのである。

でもこの人はあらゆる面で有能すぎていろいろなものに手を出しすぎていたのである。
ブラックなものにも手を出していた,そういう方面でも有能だったのである。
とにかく交渉力もあるから何でもできる,でもなんでもできることがいろいろなことをしすぎることでブラックなことにも平気で手を出す
ただもうければいいというだけになる,それだけ有能だったらブラックなものに手を出す必要もないのにさらに金儲けのためにやる
原発が建つとなると景気良くなると賛成していたのである。
その人は金儲けのことしか見ていない,だからいくら有能でもその人は有能なのかともなる

器用貧乏の特徴

なんでもそつなくこなす,対応力がある,でも一つのことを守り通すことなどができない何でもできるから手を出さなくてもいいものまでする,能力がありすぎてそうなっ,ているのも皮肉である。

有能だというとき時と所によっても違ってくる,戦場では戦争がうまい人を平気で殺すような人が有能とされる,それは非日常の現場でありそういう所で力を発揮する人はまた有能なのかともなる
人間はあらゆる面で有能な人はいない,人間が有能だというとき何かに限定して有能なのである。事業を起こした人は電気関係では有能だった
でも自ら事業を起こしたとき失敗した,経営とかまた別な能力が必要だからである。
経営は商売人になることでもある,経営と機械関係に詳しいとかは別な能力なのである。でも理系で電気関係で有能だから経営もできると自分では思って失敗した

何かそうして人間の有能さは神のような万能ではない,ある一分野でしか有能になれない天才だってそうである。生まれつき恵まれた天分をもって生まれてきたからといってそれが社会で有能にされるとは限らないのである。
なんかそれだけ天才であっても十分に能力が発揮されなかったなともなる
例えば英雄だってまず平和な時代だったらいくら有能でもその能力を発揮できない
そういう場を与えられない限り発揮できないのである。

家康が天下をとったのは別に家康が有能というわけではなかった,天才だったのは信長と秀吉だった,家康は平凡だったとされる,ただ長生きしたことと運が作用してそうなったといわれる,信長は本能寺の変で死に秀吉も死んで残されたのが家康だけだったからだと言われる,そういう運に恵まれていたからだともなる
武田信玄も病気で死んだとかいろいろ家康の時代になるまでにあって最終的に家康が天下を治めたとなる
家康が別に特別の天才でもなかったのにそうなったのである。

人間有能であることにこしたことはない,みんな有能になりたいのである。体力で強くありたいのである。自分も無能だから体力もないから有能でありたいと願って来たのであるただ人間は何か強いと思ってももろいなとつくづく思った
一人の身内は本当に女性でも男が恐れるほど強かった,でも認知症になり信じられない弱者と化してあえなく死んだ,これも信じられない死だった
最後の言葉は「俺は優秀だった」と言って死んだのも悲惨だった

人間は例えどんなに有能であっても無能化される恐怖を感じたのである。
人間が有能だというとき原発を作ってそれを運営した人達は科学者であり今の世の中では一番優秀なエリート集団だったのである。
でも事故で無能化されたのである。
そもそも人間の有能さとは賢さとは何なのか?それ自体が疑問になる
人間は賢いから原子力を作り核兵器を作った,でも核戦争で滅びたとなると最高に馬鹿だった愚かだったのが人間だったとなる

人間は神から離れて絶対に賢くも有能にもなれない宿命がある

全能の神なら賢くなれる,有能になれが人間はなれない,いくら有能だと思っても極一部のことで有能にすぎないのである。
そして何でもできる器用な人も器用貧乏とかなる,なんでもできるからとブラックなことにも手を出すのは疑問なのである。なぜならそんなことしなくてもその人は有能なのだから稼ぐことができるからである。
ただその人は金をもうけることしか考えていないのである。
そんなことみんなそうではないといえばそうなる,でも何が欠けていたのか?
肝心なモラルが欠けていたのかもしれない,いくら有能だってモラルが欠けていたらそれは人間として大きなものを欠けることになる
核を発明して原発を作り核兵器を作る有能さがあるがそれで人を殺すのにつかったら科学者は有能だったのかとなる,人類は核戦争によって滅亡させるからである。

人間は有能であることが無能に通じている
人間は強いことは弱さに通じている

人間はいくら有能になろうとしてもなれない,有能だと思ってもそれが無能に通じている認知症になれば人間は無能化される恐怖をまざまざと見たからである。
いくら体が強くても病気になれば全くはかなく死んでゆく
人間はどんなことをしても絶対的に有能な人間になりえない,超人を唱えてもニーチェは無能人間になった,つまりなんらかで人間の奢りは神によって砕かれる運命にあるのだ
人間は神なしでは有能になれないのである。
人間はいかにもろいものか様々な死を見ていたら実感するからだ

そういうことは聖書で説かれている

『旧約聖書』「コヘレトの言葉(伝道の書)」(9・11)に見られることば。「足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない」。まじめな人が報われるとは、限らない。善人が、幸福をつかめるとは限らない。知恵のある者が、勝利をつかむとは限らない。

見よ、主、万軍の主は/エルサレムとユダから/ささえとなり、頼みとなるもの――すべてささえとなるパン、すべてささえとなる水――を取り去られる。

 すなわち勇士と軍人、裁判官と預言者、占い師と長老、 五十人の長と身分の高い人、議官と巧みな魔術師、老練なまじない師を取り去られる。 わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。 

あなたを導く者は/かえって、あなたを迷わせ、あなたの行くべき道を混乱させる。 (イザヤ)

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする 者は高くされるであろう。
( 箴言16)
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ 。 ダニエル
高ぶり歩む者は低くされる。

これは何を意味しているのか?現代に合わせればやはりこの言葉を活きている

すなわち勇士と軍人、裁判官と預言者、占い師と長老、 
 五十人の長と身分の高い人、議官と巧みな魔術師、老練なまじない師を取り去られる。 わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。

 なぜこんなことが言われるのか?要するに上に立つものは有能とされてもあてにならない有能だからこそあてにならない,軍人とか裁判官とか予言者でも偽りの予言者がいる
身分の高い人はあてにならない,その人たちが民を守ってはくれない
今は政治家などは自分のことは考えても民のことは考えない
偽りの予言者はカルト教団なども取り去られる,現代なら科学者もこの中に入ってくる
科学者が今の世の中では一番有能とされているからだ

そしてみどりごに治めさせる

これはなんなのだろうか?みどりごにどんな能力があるのかとなる
神が指導者にしたのはみどりごだということである,それは最も無能なものなのである。その意味するものはなになのか?
人間はいくら有能でも有能でありえない,だから人間が有能だと思うとき無能にされるのである。みどりごは何の有能さもない,無能だから治められるともなる逆説がある
みどゃごは高ぶることはない,この世で高き地位あるものは卑くくされる
だから意外とこの世で地位ある者は天国に行けないという逆説がまたある
天国にはこの世で卑くくされた者がいるとなるのである。

こういうことは老子とか荘子の思想にもあった,無用の用というとき有能なものを否定していたのである。無用の中にこそ用があるという逆説である。
だから老子は政治を否定したアナキーになったのである。
人を治めようとする有能なものがかえって害になる,かえって治めない方がいいというときその逆説を語っているのである。
だからここには東洋思想との共通性がある。そもそも宗教は東洋から生まれた
イスラエルまでは東洋なのである。アジアなのである。
宗教の淵源はアジアにあるから共通性があるとなる
インドの思想でもなぜ座禅とかするのか,無用者になっているのか?
禅宗では大愚とか愚かなることを悟りのように見るのも不思議だとなる
禅宗とかでもヨーロッパのキリスト教から見ると理解しがたいものになる
ヨーロッパのキリスト教だと修道院から資本主義が生まれたというとき常に勤勉なもの働くものとしての思想があったからである。
瞑想があったとしてもそれはアジアのものでありヨーロッパでは勤勉に神のために働くという思想になったのである。

ともかく人間はどんなに有能だと思っても無能化する,どんなに体でも何でも強いと思っても弱者化する,それは国でも同じである。アメリカが大国が強いとは限らない
いつも大国が強いものが勝つとは限らない,だからそこに世界史にも神が関与していると聖書では見ている
国も栄枯盛衰がありいつまでも栄えた国はないからである。

人間が不可解だというときそこに人間だけでは解きあかせないものが必ずあるからだ
それは科学的なものでも人体でも何でも科学者が解きあかしたわけではない
常に不可解なものが残る,塩分が悪い高血圧になるというのもその説も嘘だったとかなる個々の人生でも不可解なのである。自分なども危険な所で死んでいたかもしれない
でも生きていたのは神の関与があったからだったとのかともなる
それでも死んでいる人は死んでいる,それはなぜだろうとなる
ふういう不可解は個々人ではいくらでもあり解明されないのである。
神の関与があるとするときそれとは結局神しかわからないかそうなる
来世のこともわからない,それは神のみぞ知るとなるからである。
タグ:有能と無能

冬薔薇五句 (芸術も修行者として真善美を追及する)


冬薔薇五句

(芸術も修行者として真善美を追及する)
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塵つかず一輪静か冬薔薇

冬薔薇ことに美し籠もるかな

冬薔薇今日も散らずや石に映ゆ

冬薔薇黄色にほのか赤み帯ぶ

冬薔薇待つ人あれや田舎駅


冬の日や墓を並べてここに終ゆ故郷あわれ我も眠らむ

薔薇は夏の季語であっても春にも咲くし秋にも咲いているし冬にも咲いている
意外と秋の薔薇もおもむきがありいい,冬薔薇はさらに季節で花が凍るような美しさがある,空気が澄んで塵もつかないとなる
芸術は俳句でも似たような類似俳句がある

白菊の目に立て見る塵もなし 芭蕉

これとにているのが塵つかずになる,知らずと覚えていて参考にして俳句は作られる
これまで作った薔薇の句だけをまとめると一つの薔薇の連作の作品となる
ただプログではどこに書いたのかもわからなくなる
だからそれをまとめようとしているのだかめんどうになる

自分はここ何年かも家のあとかたづけに追われている,片づけても片づけても片づかないのである。本を整理して片づけるのも容易ではない,本もなかなか捨てられないのはまた参考にして利用すると思うと捨てられないのである。

いづれにしろ俳句とか芸術でも一つの修行にもなる,芸術にもいろいろあるが本来は身を清めるための修行の要素がある,純な自然を見るには心も純なものを保たなければならないからである。
それは宗教にもなる,でも今の宗教はそういう場ではない,この世ではかえって汚れた場所になっているのだ。

金でも大きな金を賽銭に投げるのは欲深いやつだ

1000円賽銭入れるから神様お願い
2000円,3000円,一万にして福を与えてくれ

宝くじをねらうようにして願いをかける,神様は銀行でもない,利子つけて金を返してくれるわけではない,実はその金は放蕩する宮司とかくだらない人に入っていたのである。

要するにカルト教団でも神社でも人間の欲にまみれたところなのである。
そんなところで宗教を追及しているのは暴力団に入って宗教を追及しているのと変わりないのである。人間の様々な欲望が肥大化して集まる場所が宗教の場になってしまったのである。またそういう人を受け入れるからこそ選挙の票にもつながるのである。
まず人間の欲を否定したら人は集まらないからである。
それで面白いのはやはり大都会の神社が賽銭が多くなるのはまさにねそうである。
人が多いからそれだけ欲望もふくれあがり賽銭が集まるのである。
だから都会の宗教は経済と政治しかないのである。

本来なら山に籠もり節制して身を清め修行するのが宗教だったからである。
今の宗教にはそういうものがほとんど一切ない,ただ欲望の無限の追及しかないのであるそれは神社でも仏教でも同じである。
だからそんなところに行くのは世俗の欲深いやつでありそういう所に交わる人もまた汚れるし汚れているからそういう場に行くのである。
そんなところにもし心を清めるとしたら行かないからである。
賽銭にはこの世の欲がこびりついているのである。
その賽銭もただ今回の富岡八幡神社の事件のように放蕩して消尽されたとなる
そんなところに賽銭を投げる人も同類だともなってしまうのである。

墓を並べて眠る場はやはり因縁深い場だったのか?ふるさとはやはりそうなるのか?
自分もあの墓地に墓に眠るのかともなる
冬の日はやはりしんみりとして墓も鎮まる
毎日自分は自分の家の墓地の前を通っているから供養していることになるのだ
故郷から離れたいと思っていたが故郷は因縁深いから離れられない宿命にもある
ただこの辺では原発事故で避難して故郷さえ失った人が多いのである。
タグ:冬薔薇

2017年12月15日

15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡 (危険な高所の仕事)


15歳の少女がアルバイトの作業中、13メートル下に落下して死亡

(危険な高所の仕事)

警察によりますと、茨城県古河市の工場で14日午前、秋山祐佳里さんが屋根に取り付けられた太陽光パネルの点検などをしていたところ、天窓のガラスが割れて13メートル下のコンクリート製の床に転落し、死亡しました。

こんなことがなぜ起きたのか?

人手不足のためだという人もいる,日本はそれだけ人手不足で追い詰められてこんな人まで雇っているのか?まず法律違反になるのに雇っているのはなぜだったのか?

ただ前にもアルバイトで60くらいの人がアンテナとりつけでやはり屋根から落ちて死んだだからなぜそんな危険なことをアルバイトにさせるのか?
今は何かと人を雇うのに厳しい時代だからである。まるでアジアの貧乏国なのかというのもわかる,中国人などはそうして建設中にビルから落ちているのか多かったからである。
アルバイトになぜそうした危険なことをさせることがわからない,普通の雇い主だったらさせない,でもさせている,これは明かに法律違反なことはいくらなんでもわかるだろう
なぜ自分が屋根から落ちるとか興味をもっているのかというと20代の時自分も同じ経験をしているからだ
ビルの四階から本当に危機一髪で落ちなかったが落ちるところだったのである。
だからそれを時々思い出すと良く落ちなかったなとふりかえる
明かにそれで一貫の終わりになっていたのである。

なぜそんなところで働かせられたのか?それは働く場所がなくてそんなところに行った結果なのである。雇い主は危険なことでもさせていたのである。
普通だったらもし事故が起きた責任を問われるからそんなことをアルバイトにはさせないのである。

まず屋根に上がるとか高所で仕事できる人はなれた人でありそれに向いた人である。
ただ中学生は軽いからと選ばれたなのかと言う人がいる
それもありうるが女性なのにそんなことをさせるのかとなる
この雇い主の責任は重い,まず法律違反だからそれだけで罰せられる

なぜそんな場所で働いた事情はわからない,そもそもアルバイトにそんな仕事をやらせることが理解できないのである。中学出たばかりの人を雇うこと自体わからない
だからそこまで今日本が人手不足に追い込まれているのかともみる
建築関係では人が集まらなくてつぶれている会社が報告されているからだ

80才の人が東京から除染の仕事に来ていたのも人手不足のためである。
人手不足になると人を選んでいられないのである。
だから介護関係などはいつも人手不足だから変な人でも雇っている
そうなるとそういうところで世話になる老人も怖いとなるのだ

人間はなんらかの危険を経験していない人はいない,ただその時は一番危険だった
ただ近くの岩場を登っていて下に落ちて頭を打ったときも実際は危険だった
高さがそれほどないので軽傷ですんだのである。
自転車でもすぐ近くの危険な場所ではない普通のところで起きた
車輪が大きい新しいもので乗りなれていなかったのもあったかもしれない
強く顔をうちつけた,それで前歯三本を折った,それを忘れていたが抜け落ちたので思い出したのである。
この時は本当に頭打っていたら死んでいたのである。自転車も危険なものがある,この前は急な坂道がつづくところで転んだが助かったのは
その自転車はマウテンバイク風の電動自転車であり足が地につきやすいので助かったのである。やはり高くなる,足が地につかなくなるととっさのとき危険になる
ロードは早いから危険なことを知った

いづれにしろ人間は誰でも危険な目にあっている,それで死んだ人もいる
別に交通事故でも死んでいるのだから人間の死ぬ確率はある
同世代でももう一割は死んでいるからだ
これも運不運があるのか?それよりそうした危険な場所で働くというのは自重すべきである。そんなことをやらないと自分で言わないとやらせられるから困るのである。
アンテナとりつける若い人は機敏でありスイスイと屋根を歩く,恐くないと言っていた
それから船乗りも漁船がゆれても機敏に動ける,体が小さいのだけと向いていたのかとなる

ともかく人間は自分に向かないことは本当にやるべきではない,仕事でもするべきではない,させられるのも困るのである。若いときは自分の適性がわからないのである。
学校では失敗したのは自分は体力がないから体力仕事ができないから本当は頭を使う仕事をするべきだったということを自覚すればもっと勉強していた
でも勉強嫌いになっていたから就職もせずそうした危険なアルバイトをさせられたのである

だから家の職業の跡を継ぐというときは親の仕事を見ていいてそれがどういう仕事なのかわかるからいいのである。電器屋だったらアンテナとりつけで屋根に上るのを子供が見ていてその仕事を身近に知るからいいのである。
そして屋根に上ったら危険でありそのことを親から言われるからいいのである。
全然そうした経験もない理解もない人が突然屋根に上げられて仕事させられるのは危険なのである。

そのアンテナとりつけではないがはずすために手伝わされた,そして屋根に上った
そしたらアンテナが落ちたのである。それが反対方向に落ちたから良かったのである。
もし自分の方に落ちてきたら大怪我をしたかもしれないのだ
だからなぜそんなことを自分にさせたのかということがある
たいした危険がないとその人は見て自分にさせたのである。
だから何でも頼まれたからと仕事をするのも危険なのである。
怪我しなかったから良かったがもし怪我したらもうその人とはつきあえなくなっていた
それもその人にとっては苦しいことになっていたのである。
なぜなら自分はずっとその後その女性を援助してきたからである。

人間は危険はどこにでもある,毎日のようにこの辺でも交通事故が起きている,だから歩いていても自転車でも安全だということはないのである。
知り合いの女性は自転車だが安全に相当に気を使っている
自転車の危険は車から死角になりやすい,ダンプとかの陰に隠れて見えなくなる
それでまきこまれて事故になる
この辺は外部から人がかなりまだ入ってきていてダンプが通るから危険なのである。
ともかく建設現場は危険な場所である,物でも上から突然落ちてきたりするからである。だからなれていないと危険なのである,ただそういう場所はだから誰でも雇う,履歴書などいらない,ヤクザ関係の人が連れてくるからである。
原発でも危険だからそういう人を連れてくる,そして犠牲になっても責任をもたないともなる,保証されないということもある

結局そんな危険な場所にゆく奴は馬鹿だともなるがそういう人がいないと成り立たないのも建設現場である。それで確実に一定数が死んでいるのである。
タグ:危険な仕事
posted by 老鶯 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層