2017年04月15日

文明は必ず崩壊する運命にある 原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した


文明は必ず崩壊する運命にある

原発事故で専門家ではなく専門家集団機構が崩壊した

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江戸時代とか昔を万葉集でも参考にするのは別にその時代がいい時代だったとかその時代に暮らしたいというではない、そういう時代がありその時代の生活を今と比べてみると現代がどうなっているのか?
それが明確に対照化されてわかりやすいということである。
社会をみるとき現代だけをみているとわからないのである。
単純に比較すれば

学校がない

病院もない

会社もない

工場もない


鉄道もない

車もない

電気もない

電話も携帯もスマホもない


今当たり前にあるものが一切ないのである。そういう社会は現代では理解することがむずかしいのである。
そんなところで今なら生きていけるのかとなる、特に戦後十年の自給自足の生活を経験していない高度成長などに育った人は理解できない社会である。
例えば飛脚などがいて走って郵便を届けていた,それが人を継いで東京から大阪まで走った、その間に70人の人が継いで走っていたのである。
つまり郵便一つ送るにもそれだけの手間が必要になる。今ならボタン一つでできるからだそして江戸時代の人口が3000万人にもみたない社会であった。

そういう規模の社会が今になるとイメージできないのである。辺りが森でおおわれて電気もないのだから真っ暗な世界になる。
原発事故の避難区域になったところか人が住んでいないので夜になると暗くて嫌だというがそれが当たり前の世界が江戸時代だったのである。
そういう世界に生きていると人間はどうなるのか?それはまず都会では東京のよう大都会ではとてもイメージすらできない社会である。
江戸があったとしてもその江戸ともまるで違った世界だからである。
江戸ですら電気がないのだから真っ暗闇であり草木も眠る丑三つ時になっていたのであるこれだけでも相当な違いである。東京などは大都会は眠らない都市となっているからだ。

だから江戸時代と比較するとき現代の問題もわかりやすくなるのである。
ピカートとイリイチのことを例にしてその本から引用して現代の文明を批判した。
でもどこが問題でどこが違うのかとなるとわかりにくい。

それで専門家とは何なのか?江戸時代の専門家とは何なのかとなるとやはり専門家はいた
医者という専門家もいたし学者という専門家もいたし職人という専門家もいた。
専門家というときそれは個々人としての専門家である。
でも現代の文明で問題にしたのは専門家という個人ではなく専門家集団機構のことである教育というとき寺子屋があり先生がいたとしてそれは専門家集団機構のことではない。
教育という分野は国家でも私立でも専門家集団機構となっている
寺子屋の先生のように一人で教えていたりしないのである。

職人という個々人の専門家はいたとしても専門家集団機構とはならない。
現代はあらゆるものが専門家集団機構となっている、第一会社がそうである。
そしてみんなが会社員の時代では個々人の職人はいない、大工などが例外的にあってもその人たちも会社に所属していれば専門家集団機構に所属することになる
医者でも個々人の医者であり病院がないのだから専門家集団機構とはならない
ここで問題なのはこうした専門家集団機構は一つの巨大な権力をもつことである。
それは素人が立ち入れない集団を形成して権力をもつことである。
それは国家でも官僚という集団があり東大閥を形成して法曹界を牛耳るとかある

今回の東電の原発事故でもそうした科学者技術者集団が専門家集団機構が起こしたものである。そこはさらに政府とも一体化して巨大な専門家集団機構として権力をもったからとても素人では太刀打ちできない、それよりそこに立ち入ることもできないものとなっていた、つまり文明社会はそういう仕組み、システムの上に成り立っているのである。
だから原発事故でもそういう文明自体のシステムが崩壊したとなるのである。
だから専門家集団機構が崩壊したとき文明の崩壊にもなる
そういうことが原発事故でこの辺で起きたのである。
現実に故郷にも住めなくなったことでもわかる

そういうことは例えばマヤ文明でも起きていた、カンボジアのアンコールワットのような文明でも起きていた。それも高度な技術をもった文明だったのである。
その遺跡を見ればわかる、マヤの場合は天文学を駆使してテクノクラートが支配していたから現代が科学技術者が支配していると同じ構造だったのである。
それが崩壊したのは科学が天文学が限界に達して崩壊した、世界が滅びる日にちを割り出してそれで破滅だとかカルト宗教にもなっていたのである。
そのカルト宗教というとき原発もカルト宗教のようになっていた。
安全神話を作り絶対に事故は起きないとして原発を神のように崇めることにもなったのである。それが事故で崩壊してその周辺が住めなくなった状態は文明の崩壊である。
アンコールワットでもマヤでも森の中に遺跡は捨てられたのとこの辺はにているのである原発事故で文明の崩壊現象が起きたのである。

専門家とは人間の社会では常に存在するしそれは否定できない有用な人としてある。
実際に自分はインターネットなどで病気になったとき調べてそれで死ぬところだった
だから自分で病気など判断するのは危険なのである。
民間療法を頼り自分と同じような目にあった人がいる、情報の迷路に陥りかえって体を悪くしたのである。だから専門家は必要なのであり有用である。
ここで問題のはそうした個々の専門家ではない専門家集団機構となったものを問題にしている。
現代文明の問題はその専門家が専門家集団機構となって権力をもちそれが崩壊したとき原発事故のように文明も崩壊するということである。

それはアンコールワットでもマヤ文明でも起きていたのである。
なぜそうなるのか人間の知能は神のように全能ではない、限界がありそれでいくら優秀な科学技術集団で専門家集団機構として権力をもってもその権力の基盤となる科学技術が限界に達して崩壊する、それはマヤ文明などでも起きていたのである。
そこに人間の限界があり崩壊して文明の遺跡は森に埋もれたのである。
それと同じような現象が原発事故周辺で起きたのである。

posted by 老鶯 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

無連関の社会がナチスを生んだ (分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)



無連関の社会がナチスを生んだ


(分断部品化された社会ーピカート、イリイチを読む)


人間は自動車や飛行機によってむやみに空間を奪いとったから、人間は空間に内包しているものを真に所有するだけの時間的余裕をもたなかった
人間は空間を縦横に走り回ったがしかし彼はもろもろの事物をかたわらを素通りしただけである。

もはや人間はいない、もはや自然もそして神も存在しない、存在しているのは連関性喪失そのものの機構だけである

言葉と事物は割れていたのである。言葉はもはやそれが名づけるところの事物と対応していなかったのである。
「われわれ自身の中のヒットラーピカート」

飛行機だと地球の裏側まで一日とかで行ける、しかし飛行機では空間を全く体験できないその点船であれ鉄道であれ空間を体験はできる、本当に空間を体験できるのは歩くことなのである。だから歩くことが新鮮なことであり人間回復に通じている
車社会になるとまず歩くことはない、また電車にも乗らないから乗り方さえわからない人が多いのである。車社会とは自然からも風や光も感じないから自然から遮断されているのである。
現代社会を作っているのは自動車だということが言えるとき車は単なる車ではない、社会そのものなである。だからこそ鉄道より車が利用されて鉄道は廃れるとなる

大地を歩くことがふみしめて歩くことは大地を感じることである。

一里ほど歩み大地に草萌ゆる

歩むことにより大地から草が萌える春を感じる、でも車だと大地の表面をかすめるというだけになる。大地の重みを感じないのである。
だから高村光太郎の牛の詩は大地自然と一体化した詩でありそういう詩は今は作れなくなる、牛というのも牛肉したり乳牛したりとするとき牛本来の自然の姿ではなく人口化された機械化されたものとなる、牛でも馬でも昔を農耕していたし荷物を運んでいた
すると動物でも奇怪ではない、動物本来の自然を生きていたとなる
鶏でもそうである。今は卵を生む機械にされている、そのことは人間も同じように一つの機械にロボットにされている社会なのである。
生き物を機械としてあつかうとき人間も同じようにされるのはやはりカルマの法則なのかもしれない。

存在しているのは連関性喪失のそのものの機構だけである。

機構というとなにのなか?一つの団体と組織とかであろう。それは社会全般でそうなっている、一見現代では当り前と思うものが異常なものの産物である。
それが現実社会を生きていれば気づかない、みんなその中で生きるために必死だから会社員になれば会社のために必死に働くだけだとなるからだ

分断され部分化、無数の部品化された社会というとき一見きづかなけどあらゆるものがそうなのである。
学校でもそうして分断分化された機構なのである。そして学年によって分けられているのもそうである。
学年ごとに分類されて同質のものとして分類され分離されて学年が年が違うと交流がなくなる、江戸時代には子供は子供社会がありそんな学年ごとに分化されていないのである。江戸時代の不思議は現代にないものがあったということである。
それは架空のものではない現実にあったから具体的なものとして比較できる

例えば農家というときそこは自給自足する一つの全体をになっていた。だから水でも裏山からとり木も利用して家の木材として利用したり動物でも牛でも馬でも農耕で使いとか鶏は庭を歩いているから庭の鳥となっていたのである。
ニワトリとはまさに庭と結びついていたのである。今はニワトリは籠に入れられ卵を産む機械とされている
昔の農家は自給自足の中で生きていた全体として生きていたのである。
だから納豆までも作っていたのである。
そういう世界では回りとの連関を無意識的に生活の中で実感しているから感覚的に相当に違ったものとなる
現代ではそういう世界を連関を意識できない社会である。水はどっから来るんだろうとなると裏山から来るのではない、ダムから来ているとなるとそれでも身近に感じられない
水というもののありがたさを感じるにはやはり自然そのものの水を感じる、裏山から流れる清水だったらそれを感じるのである。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも 

まさに万葉集にはそうして自然と密着して生きた人々の声が伝えられている
それは自然と共に栄えていた人間の姿である。
文明化するとそういうものがなくなる、水がどこから来るのか、
食糧がどこから来るのか?地球の裏側から来たりしているから意識できないのである。
ただその時必要なものは金であり金でなんでも買えるから金の方がありがたいとなってしまったのである。
とはいえ趣味程度の畑でも苦労が多くそこからごくわずかのものしかとれない、となると金があれば野菜でも果物でも手に入るとなりその地元の知っている人の畑は何の価値があるのだろうともなってしまう
その女性は農家の出であり自給自足の生活を実家ではしていた時があった。田舎では戦後十年くらいまではそうだった、だから遠い万葉集の時代のことではないのである。

いづれにしろ人間は学校だけではない、人間は分断され分化され分類されている
それはいたるところでそうである。まず会社が違うと何をしているかわからなくなる
そして人間は病院があるとするそこは医者や看護師がいて患者がいて分離隔離された機構なのである。それは学校は学年ごとに分離隔離されたものでるのとにているのだ。
老人ホームでもそうである。老人だけしかそこにはいないからだ。
子供は子供として老人は老人として病人は病人として隔離されているのである。
相互に分断され連関しない社会である。その連関がない社会故にヒットラーが生まれたというのもわかる。
カルト宗教団体がそれににているというとき宗教も分断分離されて隔離されているからだなぜそれほどの人間が集まるのか?それはナチスがヒットラーが生んだ構造と同じだからである。そこは真の共同体ではない即製されたインスタントな疑似共同体だという指摘があたっている。
真の共同体とは空間と時間の中で作られる、それは例えば相馬藩だったら江戸時代からその前からつづいていて形成されたものである。
そういう空間と自然の中でのアイディンティティを追求したのが自分であった。

だから原発事故でも実はこうした文明社会のなかで起きたことなのである。
原発の中には地元の人も立ち入れることはできない、それは病院が医者と看護師のもとに支配されているのともにているのである。
原発の中は科学者という専門家しか立ち入ることはできない、隔離されていたからである病院でも医者が薬剤師や看護師という専門家しか立ち入ることでできない、一般人はその中で無力化されているのである。
専門家というときそれも批判された、マスメデアも実は情報の専門家なのである。
だからマスメデアは情報の専門家として政府と東電と結託して「安全神話」作っていたのである。なぜなら何百万人に報道できるのがマスメデアでありマスメデアは大衆を情報で操作する力をもっているからである。その対抗として素人のインターネットメデアが生まれたのである。それはいいことだったのである。
でなければ情報まで専門家集団のマスメデアに牛耳られてしまうからである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりなきしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである(イリイチ)

専門家というときいたるところにいて分断された機構を作り支配するのである。
病院という空間では医者と看護師が学校では教育者が裁判所では法律家がとか原発では科学者がとかになり素人は立ち入ることができなくなる、カルト宗教団体も分断して隔離する機構である。それも文明批判として常にあった。
原発事故でもそうした文明という構造物から必然的に生まれたものである。
だから確かにアウトサイダーが言うように文明そのものの否定が拒絶によって人間回復するというのは言える、それを自分は田舎で追求してきたともなる
シュペングラーやニーチェやミラーとか上野霄里氏とか天才的な人はこうした部品化分類化した社会に耐えられないからそうなったのである。
ただそういう人は天才であり偶像崇拝になるから危険でもある。
またなぜ偶像化するというのも現代文明がヒットラーのようにそういうものを求めるているということもあるからなのだ。一人の人間なの中に人間を回復させようとするからそうなるのである。


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


posted by 老鶯 at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2017年04月14日

人間は70才まで老化しない? (百歳生きた母の例では・・・)


人間は70才まで老化しない?


(百歳生きた母の例では・・・)



本当は70才まで老化しない(武田邦彦)


これはまちがいないだろう、現代では栄養が十分であり70才までは老化しない、ただ60才以上は病気になる、なにかしら病気をかかえた人が多いのである。
それはいくら健康に注意してもその人の素質で病気になる
老化するというときスポーツ選手などが若いときのように体が動かないということであり普通の人はそんな激しい運動をしないから筋肉も衰えていないのである。
だから現代では70までは老化はしないというのは本当である。
ただ病気になるからそこで体が衰えるのは老化とは違うのである。

病気と老化は違う、老化は病気しなくても体が衰えることである。
例えば認知症は何なのかわからないけど脳の病気である。
それは老化ではないのである、老化による脳の衰えは記憶が悪くなることなどがある
腰が曲がったりすることもある、それは老化であり病気とも違うのである。
病気と老化は分けねばならない、認知症は最近発見された病気なのである。
認知症はこれまで病気とは認定されていない老化現象だとされていたのである。

老化と病気の相違は何なのか?それは老化は直らないが病気は直るということである。
だから認知症も病気だからいろいろ治療をためしているし薬も発明されている
病気だから直るとして研究されているのである。
もし老化だったら直らないのだから治療しても無駄なのである。

自分の母親は百歳まで生きたけど例えば血管に異常がなかった、病気がなかったのであるだから脳梗塞であり脳出血になっていない、それは病気なのである。
ただ腰が曲がった、90度に曲がった、それも病気とは言えずそれでも普通に生活していたからである。腰が曲がるとき苦しんだからそれは病気とも言えるが老化して曲がったのである。

老化とは脳だったら記憶が悪くなるとか誰でも起きてくる、耳も遠くなるとかもある
でも老化と病気は違う、病気は直るものとしてみる、だから研究しているのである。
老化は直らないから治療しても無駄なのである。
人間はたいがいは病気で死ぬ、病気で死なないものが老衰で死ぬのである。
それは正に寿命が来たから死ぬのである。動物でも何でもそうだが普通は病気で死ぬのである。老衰は病気で死ぬのとは違う、老化で死ぬから枯れるように死ぬのである。
だからさほど痛みも苦しみもないのである。
老衰の死に方が一番いい死に方である。百歳まで生きればたいがい老衰で死ぬ
その他はみんな病気で死ぬのである。

自分の母親が百歳まで生きたのはなぜか?体は細く重いものをもてるような女性でもなかった、まず激しい運動などできないのである。
ただ細く長く生きた女性だった、大正生まれで粗食であり苦労はしたが戦後から十年すぎて高度成長期になるとみんなと同じくいいものを食べていた
栄養は良くなったことも影響している
若いときは粗食だったということはそもそも細いのだけど体力がないのだけど基礎的に細くても生きる力があったとなる

ともかく何か過度に運動はしない、家事であり店などしていたが過重なことは無理はしていない、そもそもできないのである。体に負担をかけないことは確かだった
スホーツ選手が早死にするのは過度に体に負担をかけるからである。
母は平均的に毎日同じような生活をしていたのである。それも面白くない人生だったとけどそれが百歳まで生きた原因になる

大事なことは病気にならなかったことなのである。老化はしても病気にはならない
なぜならほとんどの人は病気で死ぬからである。
病気にならなければ老化してゆくが最期は老衰であり枯れるように死ぬ、痛みもなく自然な死になる、だからいつも眠るように死にたいと言っていたけどその願いはかなったのである。
老衰は仏教でいえば成仏することかもしれない、なぜなら苦悶も苦痛もないからである。
人間は自分でもそうだが60代で病気になったがその病気はたいしたことはなかった
だから自分は病気ではないし筋肉も衰えていない、ただ今は筋肉が衰えている、疲れるからだ。でも普通に生活できるから老化したともいえないのである。
忘れッぽくなっているのは確かであり人の名前などが覚えられない、でもそれで脳が退化したのか老化したのかとも思えない、なぜならあらゆることに理解力が深まっているからである。人間は脳が老化するということはなかなかないのだろう。
老人になってますます脳が働くということもありうるのである。

人間はこれからは70才ではない80才まで老化しなくなると思う
そういう環境に生きているからである。
60代で病気になってもならない人も多いし軽い人も多いから80才までは普通の人とたいして変わらずに生きられるかもしれない、ただ一番怖いのは病気なのである。
病気がなければ百歳まで生きて老衰で死ぬとなる、ただ百歳まで生きるとなるととうなるのかイメージできないのである。あと30年かとなるとその年齢がイメージできないのである。
ただ百歳もめずらしくなくなり人間は長寿になるから人生を長い目で見られるといういい面が生まれる、人間は仕事を完成しようとするとき百歳くらいまで生きないとできない
それで天才の北斎は

70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし

江戸時代の平均寿命となると人生50年だろう、そういう時代に90まで生きたとなると例外的な存在である。
このことは平凡な人でも現代だったら言えるのである。
自分は天才ではないけど時間をかければそれなりのものになるということである。
まちがいなく年を重ねれば理解力は深まるのである。
何か自分は若いときは詩でも何でもたいしたものが書けないというよりは若いとき詩でも何でも文学的作品を書いている人が多いがそういうものが書けなかったのである。
そういうものが書けることがありまた理解力が深まってるからたいだいのものは理解できる、鑑賞できる、若いときは鑑賞もできなかったのである。

脳とは何か?それは人生の中で積み重ねで経験で作ってゆくものである。
脳に回路を人工的に作ってゆくのである。脳とは誰の脳も完成されたものはないのである資質はあるにしても未完のものとして与えられているのである。
それを生かすも殺すも本人次第だとなる
ただ天才はそうした積み重ねで成すのではない、すでに作られているのが天才だともなってしまう。
だから北斎は天才だからこういうことを言うのは何なのか?
やはり天才でも年を重ねてしか自然でも絵の上達はないということなのである。
要するに何かを理解するにはそれだけ人間は時間が必要なのである。
認知症のことなども経験して書いてきたがあれはこういうことだったのかとかあとで理解するようになる。その時は夢中であり理解できないのである。
だから何でも理解するのには時間がかかる、人間でも死んでからその人のことを理解することがある、それだけ理解すること自体がむずかしいということなのである。



posted by 老鶯 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

朝桜(今年の桜は・・・)


朝桜(今年の桜は・・・)

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鳥の飛び海を望みて朝桜

東風(こち)吹きて海を望みて朝桜

誰か見る桜咲きそめ昼の月

雨ぬれて水々しかな春の草

春の日や山鳩待ちぬホームかな

一里ほど歩いて大地に草萌ゆる

浪江まで開通するや草萌ゆる

山一つ霞むや遠く暮れてゆく

金屏風桜の映えて大広間

政宗の60万石の夕桜


みちのくの桜さきそむ雲間より月いで光りまた隠る

咲きそめし桜やあわれ雨しととぬれてまれにし人の行くかな

たちまちに死してかえらぬ人にあれあといくたび桜見むかな

若くして死す人あわれ生きたしと咲きし桜にその思いかな

満開の桜の風に吹きゆれぬ亡きにし人もかくありしかも

満開の桜そ今し朝日さし輝きけるや鳥飛びわたる

広々と海の開けし満開の朝の桜の丘に映えにき

盲人のまた来たりしやみちびきぬ駅舎に我の今日もありにき


今年は何か気候が変則的である。昨日は冬のように寒く今日は夏のようにもなった。
こういう気候は去年からつづいてる、寒暖の差が激しいのである。
今日の一日はまず駅に行った、そしたらやはり前にあった盲人がいたので導いた。
外部からの人も来たが仕事はわからなかった

それからロードで金沢の方に向かい坂をおりるとき転んだ、そこは急な坂でもなかったが坂はロードだと危険になる、下り坂は自転車では危険になる
前にもそういうことがあった。ロードだとスピードがでているから余計危険になる
そこは転んでも転びやすいところであり草地でありケガするとは思わなかった
自転車はパンクしたのか傷ついたが自分は何の傷もなかったので良かった

そこでそこから歩いたから疲れた、でも歩くことで発見することがある
現代は歩くことが人間回復なのである。つまり歩くことが新鮮な経験なのである。
歩いて見える景色は感覚は違っているのだ
人間の感覚は歩いてみる景色と自転車から見える景色と電車から見える景色は違っている車から見える景色は自分にはわからない、ともかく歩くことが新鮮な経験になっているのだ。車社会になると本当に歩かない、大地をふみしめて歩むという基本的なことがないのである。だから車ばかり乗っていないで歩くべきだとなる。

街まで一里くらいあるいた、草萌える季節であり遠くに鹿狼山が霞んで見えた
歩くことによって俳句でも短歌でも詩でも絵心も生れる、歩くことは新たな発見することなのである。
峠だって歩いて越えたら感覚的に違ってくる、歩けば江戸時代にもどる、江戸時代にもどりたいとか自分は書いてきたが江戸時代にもどりたい、江戸時代を経験したいのなら歩いてみることである。歩いてみる景色が江戸時代になるのである。
戦前までは結構歩いていた、車も乗っていないから歩いていた。
鉄道も実際は高い乗り物だから庶民はそんなに乗っていない、リヤカーとか引っ張り馬を利用していた、鉄道は貨物も多かったのである。

人間を回復するというとき車社会を一時的に拒否することが必要になる
だから鉄道の駅が意外と人間的な場所だと発見したのである。
車社会というのは何か否定できないものでも人間的なものを失わせたことがある。
車には人の出会いとか人間のぬくもりとかを拒絶するものがあるからだ。

今年の桜はあまり感じるものがない、ただ家族がみんな死んだのでそれで桜をみると死んだ人を思い出す
満開の桜のように咲いていたときもあったなと思い出す、それも死んでしまえば昔のことになる
最期は無惨に死んだ、みんな輝くと時は短いのである。
結局それは貧乏人だろうが金持ちだろうが栄華を究めても同じである。
一時の栄えだったとなる 

秀吉であれ政宗であれ結局一時の栄華を究めたにすぎない、別に自分の家なども規模は小さくても栄華があったが死んで消えた、
今跡を継いでいるのが自分だとなる、自分は何もしていないけど受け継いだだけだとなるがやはり栄華がある
貧乏のままで終わるのもまたわびしいとはなる、いづれにしろ栄華は一時のことなのである。
人間は王様に生まれても寿命はみんなさほど変わらないからである。

今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)



今日の鹿島駅(人が集まり、様々な人が来る駅)


昨日は「関東鳶」と来ているものに記されている人が来た。その人は蒲庭(かばにわ)に泊まっていて仕事している、六号線まで買物に行って駅前の自転車屋でバイクを買ったのである。
蒲庭だと買物でも不便であり隔離されているようになっている、そのことを言っていた。それでバイクを買ったともなる、田舎では車がないと生活できないんだよとかも自分は言った
その人は大工もできるし鳶もできる、高いところ恐くないかと言ったらかえって自分はそういう場所、細い鉄骨のような所を歩くのが向いているというから驚く
そういう人は鳶に向いている、あの人はやせているがおそらく機敏なのだろう。
まだ若いこともある、ここでバイクを買うということは収入はいい方だろう
東京の方が一万くらい高くなると言っていた。それだけの差があるのもわかる

駅には別に鉄道を利用する人だけではない、いろいろな人がくる、鹿島区には一軒しか自転車屋がないというのも不便である。だからいづれそこもなくなると一軒もなくなるのである。そこではバイクの修理などもしているから不便になる
この辺で震災、原発事故で悪い面が多かったが多少いい面としては補償金が入ったことと外部から入ってくる人が多くそれで活気が出たことである。
駅にいるとやはりそうした外部から来る人と接することが多いのである。

この辺では来る人は決まっているだろう。昨日はイスズに仕事に来た人がタクシーで金沢に行った、食事する場所を聞いていた、あの人は食事する値段を気にしていた、イスズの向かい側に1500円くらいで食事できるよと言ったら高いと言っていた
あそこはこの辺では一番高給なレストランである。
あそこだと牡蠣のフライの大きなものが食べられる、それはうまいが高い
やはり料理は材料なのである。材料が良くないとどんなに料理を工夫してもだめである。でも出張だとしたらそのくらいの金が出るのかと思った
東京だとレストランも高いからそんなことを言っていたのか?それとも会社員も節約するようになった貧乏になったのかとも思う

わかったことはたまごやは菅野漬け物屋でありタニコウの人とかも見送りにきている、東北サッシのことも書いたが鹿島では目立った会社である。
九州からホンダの友達を頼ってボランティアに来た人も自動車関係である。
どうしても今は自動車関係の人は多くなる
東北電力の火発があるからあそこにもタクシーで行く人がくる
昨日はかえるという介護タクシーが来て車椅子で老人を下ろしていた。
駅にいると何か社会の動きがわかり面白いと思った
小さな町だとすぐ関係もわかるからまずいこともあるが社会を知りやすいとはなる

何か街には中心が必要なのだろう。外部の人も内部の人も交流する集まる場が必要なのだろう、駅はその玄関口なのである。なぜなら別に鉄道を利用しない人も来ているからである。そこに店があれば利用することになる
鹿島の駅前には一軒食堂があり食事したいという人は結構いる、だから利用することがある、でも駅前に店を集中して作れば活気が出るというのも本当だろう。
そういうことを30年前に計画したができなかった
今回も鹿島区に100億円も補償金がおりたのだからその半分を資金にして開発ができたかもしれない、それは小高とか原町とか浪江とかでも言えるだろう。
再開発が望まれているからである。原町だってスーパーが駅から離れてばらけてしまっている、道の駅はあるがあそこが街の中心とはなっていないみたいだ

図書館を建てたがあれが駅前にあり街の中心にふさわしいかとなると疑問である。
図書館は街の中心から離れた閑静な森とかある場所がいいように思える
本を読むとしたらそうなる、街の中心にはやはり店とか別なものが向いていると自分は思う。そして今の情報社会はスマホだとインターネットになり本はあまり読まないからである。自分は電子書籍で今は読んだりしているからである。
だからあそこに図書館を作ったのは失敗だったかもしれない、ただ賛否両論はある。

ともかくこの辺は本当は津浪や原発事故で急激に大変化したから新しい街作りを模索するべきだった、それが六年過ぎてもできなかった
人間の最大の弱点は急激な変化に弱い、対応できないのである。
それで自分の一身上でもいかに苦しんだかを書いてきた、認知症でもどう対応していいかわからなかったからである。
それが暴力になったときショックであった、でも認知症という病気がどういう病気を知っていれば対応がそれなりにできたのである。
インターネットに冷静にさせるこさとが大事だというときそうだった
相手の目を見て落ち着かせろというのもそうだった
自分はそれをインターネットで読んだ、家族の一人は急激な変化に対応できなかった
目を見ないでそらしたからかえって攻撃されたのである。
認知症は記憶障害であり忘れると興奮状態になるから危険になるからだ
認知症に対応するにはともかく興奮したら落ち着かせることが大事なのである。
それは精神病の対応ともにているかもしれない、ただ認知症は精神病とも違っていたのである。

まず今回のような大災害になると対処方法もわからなくなるから混乱するから何もできなかったともなる、まず補償金がもらえるとなると個々の安全を計るために補償金をできるだけ多くもらい安全を計るとなったのである。
第一自分は病気であり介護であり回りのことをなど考える余裕もなかったのである。
自分は津浪と原発事故が起きたとき身体障害者だったのである。
それでも介護せねばならないし震災前に一回は入院して震災後も入院して手術したのである。そういう状態ではとても回りのことなど考えることもできなかったのである。
今になると介護もないし余裕ができたから毎日駅に行ってボランティアしているのである



2017年04月13日

話し合いが意思疎通ができない社会 (原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


話し合いが意思疎通ができない社会


(原発事故でも話し合いの住民自治がなかった)


山梨から来た人の言っていることはまともだった、経営に失敗した人だけどその教訓を学んでいた。

「人間は信用できなくてもまず信用するほかないんだよ、それで自分も失敗したんだけど」
「それもそうですね、信用しなければ人も使えないから」
「もっと話し合いすべきなんだよ、相手のことを知るべきなんだよ、今は政治家でも話し合いしなくなったんだよ、選挙民とも話し合わないんだよ」

これは言えるだろう、経営するにしても人を使うにしても最初は信用しなければ何もできない、でもその人は裏切られた、自分もそうだった
話し合いしないとだめなんだよはというときこの辺でも原発事故でも補償金問題でも良く互いに話し合っていない、相手のことも知らない
話し合いといっても日頃から話し合っていないと気持ちを通じ合わせていなとできない

その人が言うには今は政治家でも何でも話し合いをしないと言っていた
政治家は信用できない、ただ利権だけで自分を得することしか考えていない、政治家はあてにならないと言っていた。
この辺では渡辺恒三とかも自分の利権だけを考えていたのだろう。
息子はアメリカの原子力会社のGEに勤めていたし原発は自分の利権として考えていた
それは地元でもみんな金になるものとして誘致していたから同じとはなる

地元で話し合いができていないと結局こうした利権政治家とかマスコミとか政府の権力で自治体が破壊されることにもなった
つまり自治体とは議員とか行政とかの自治体ではない、基本的には住民の自治のことだからである。

補償金とかで市民みんながばらばらになったというとき住民自体に話し合いができていなから国の言いなりになり対抗もできないのである。
だから住民自治が問われたのである。
ただそうした住民自治といっても日頃からしていなと何かあったからと簡単にはできないだろう。

むしろ江戸時代の方が住民自治があったというのも不思議である。封建制で身分制で住民の自治などない社会だと思われているがそうでもない
村という自給自足の社会では互いに親密な話し合いが常に成されていただろう。
そうしなければ生活もできない、みんな農民だとすると利害が一致しているからである
水を使うことでも自然と共生する社会である。

現代が話し合いができないというとき職業も無数に分かれて広域社会であり会社員社会であり会社が違うと相手との交流もなくなる、農業社会とは違う、農民だとやはり常に自然と密接に密着して生活しているから生活感覚も一致している
アイディンティティが一致しているのだ
村社会だと鍛冶屋があってもそれは農民の鍬とか鎌とかを作っていたから農民と一体化する、個々の農民に応じて道具を作っていたりしたのである。
だから村自体がみんな何をしているか知っているし関係しているから話し合いもできるとなる

現代のように広域社会となりグローバル社会になると地球の裏側からチリとかメキシコとかから野菜でも果物でも入ってくる、そうなるともうその人たちとの話し合いなどないのである。そこに介在するのは金だけだとなる
そこで金が重要になってくる、金さえあれば食料でも何でも手に入るとなるからだ
そこには互いの交流もない、話し合いもない、ただ金があればなんでも手に入るという社会になる、つまり金が話し合い、交流する媒介するものとなり生身の人間が交流することはないのである。

そういう社会は民主主義といっても何かその根底に話し合う素地がないから日頃から互いに知らないものとしてあるから話し合いができないとなる
だから皮肉なのは住民自治は江戸時代の方があったともなる
庄屋とか大家でも村の人々を熟知していたから話し合いもできたのである。

原発だって誘致するにしてもただ政治家は利権であり地元の人たちも金になるとして積極的に誘致した、補償金でも個々人ができるだけもらえばいいとしかならない、そこに話し合いはない、その金を市町村の復興に使うことはなかった
個々人に配られそれは一過性のものとして使われて終わるだけだともなる
そもそも自分たちの市町村でもどうするべきかなど考えられないだろう。
その範囲が広すぎると考えられなくなる、村社会とはあまりにも規模が違うからである。

現代とは話し合いとか意志疎通が会社社会とかグローバル社会になれば一番むずかしい、ただ金を通じて経済が結びあっているだけである。
だから金が神のようになってしまう。それはマルクスが指摘したことである。
でも実際は趣味程度の畑を作っている人は何かあったら食料が高くなって買えないとかいうけどそこでとれるものはごくわずかであり一人分にもならない、他人分けるものなど全くとれない、それが地元にあるとしても全くあてにならないのである。

だから金をもっていて買った方があてになる、でも確かに金は紙屑になることはある
でも現実にその畑からとれるものは全く期待できないのである。
そこに金をつぎ込んでもネギ一本すらもらえないのである。
ただ聞いているのは草むしりの苦労から鳥に食われるとか虫にやられたとか
モグラに荒らされるとか盗まれたとかそういう話だけなのである。
だからこれも矛盾だと思った、そんな畑は無駄ではないにしろ全くあてにできないのである。

いづれにしろ現代は連関性なき無数に部品化した社会でありそれがナチスを生んだというといピカートの思想もわかる、ファシズム化しやす社会である。
それは相互のつながりがない社会であり話し合いのない社会である。
ただ金を通じて社会が維持されている社会なのである。
カルト宗教団体もそういうナチスとにているのである。
そこでは一人一人相談になどのらない、何百万もいたらできるわけがない
だから指導は何かあれば題目を唱えろ、一票を入れろ、念仏を唱えろとなるだけである。
それはハイルヒットラーと同じなのである。
それが指導するのには一番楽だからそうなっているのである。

そしまず金だとなる

原発も事故前もそうだし事故後もまず金だとなり補償金をもらうこだけになる
肝心の市町村の復興には使われなかったのである。
その前には話し合いができなかったのである。まず金だとなりそればかりになる
そういう社会だからそうなったともなる
もし江戸時代の村のような自治があれば話し合いがありそうなっていなかったかもしれない、だから何が進歩なのかもわからないのである。
社会は変化はしたが進歩したわけではないのである。

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2017年04月12日

溶岩の山(mountains of lava)

溶岩の山(mountains of lava)

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fire and stream

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rising mountain

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a piece of the earth
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地獄から天国へ(詩)



地獄から天国へ(詩)

 いづれの行もおよびがたき身なれば、 とても地獄は 一 定すみかぞかし (親鸞)

死は苦しみからの解放
心の病,脳の病
最後に断末魔の苦しみ、叫び
人と人は憎しみ争う
人間の恐るべきエゴ
弱者として責められた恐怖
自らの病気と他者の責め苦
非情な人間の社会
それは地獄だった
人間の恐るべき業(カルマ)
業の欲の炎が燃え上がる
この世に現れたまぎれもない地獄
人は人にとって狼
人間は悪鬼ともなり夜叉ともなる
しかし死はこの世の地獄からの解放
もはや苦しみはない
人と人は争わない
和やかに手を握りあっている
やさしさが顔にあふれている
業(カルマ)から解放された仏
己自身も身内の苦しみをになった
しかしその苦しみからも解放された
自らの病気で苦しんだが
それも今はなく他者に脅かされることはない
今他者に頼ることがない
頼られても頼ることない幸せ
人が人に頼るとき不幸になる
その時弱みがありつけこまれる
そういう悪質なるものが人間
だから今は死者も安らかであり
自分もまた安らかになる
平和とは何か?
自分の病気であれ家族の病気であれ
苦しみのないこと
弱者となりて責められないこと
人と人が争わないこと
その時人は平和を感じる
なぜなら人と人の争いは終わらないから
死は必ずしも悪いものではない
苦しみからの解放であり
他者に頼ることからの解放であり
他者に責められることからの解放であり
業と欲からの解放である
酷い戦乱を戦争を生きたものは
ただ戦争のない世界を望む
人と人の酷い争いを見たものは
ただ争わないことを望む
しかしこの世に争いは消えない
そういうふうに憎しみ争うのはなぜなのか?
それはこの世の地獄を身にしみて経験して
天国の平和を望むようになること
もう二度と争いたくない
そういう気持ちをいだき天に昇るとき
そこに真の平和が実現している
天国にあるためはにこの世の地獄を経験する
この世は試練の場であり地獄の場でもある
その地獄を生きぬいたものに真の平和が訪れる
灼熱の地獄から涼しいパラダイスに
もう人と人は争わない
その顔から苦しみはとりされらて
安らかな慈悲に満ちた顔になる
業の炎は消えて安らかになる
だから死は悪いものではない
死を持ってしか解決しないことがある
それは苦しみからの解放である
争いからの解放である。
責め苦からの解放である。
そういう苦しみと地獄を経験して
真の天国が訪れる時がくる


地獄というとき来世にあるのではなくこの世にある。地獄の世に生れてきたのが人間なのだ。親鸞の言っていることは親鸞自体が地獄を経験したから言っている。
地獄の世を生きたから言っている、とても地獄から逃れられないのが人間なのである。
そういう地獄を経験したのがこの十年間の家族の介護と自らの病気とかであった。
自分の家の状態がまさに地獄の状態になったのである。
一人は重傷の認知症になって一人は介護が5年ほどつづきとか今度はその間に自分が病気になり二回入院した、そして自分一人しかみるものがなく苦しんだ
その時助けはなかった、それよりその弱さにつけこまれて大金を盗まれたり借金の強要をされたり恐怖の時を過ごした
自分の所に来た人も余裕がない、金もないから自分を責めるチャンスになったのである。そのことはプログでずっと書いてきた

認知症というのも過酷である。それはその人だけではない、それをみる人も過酷になる
精神を病んだ人をみると自分も病んでくる、そして病気というのは本人も苦しい
だから苦しみから解放されたいというだけが願いとなる、でも死の病となると死ぬ意外解放されることがないのである。
認知症でも馬鹿は死ななきゃ直らないとなる、直ることがないのである。
老人の病気はもう直らない、死に向かっているからである。
だから最大の願いはその苦しみから解放されることなのだ
それは死しかないのである。だから死がすべて悪いものとはならない
そういう状態になったら死にたいと思うのが自然なのである。

人間は最後は断末魔の苦しみを受ける、それで業(カルマ)が消滅する、死んだら地獄に行くのではなく今世が地獄なのである。
そして現実にもっとむごたらしい地獄が生々しくこの世にある、アフガニスタンでもシリアでもまさに地獄そのものである。
そしてそういう地獄で生きている人は戦争のないことがどれだけ平和かと切に思うようになる
自分の姉も四年間シンガポールで今のマレーシアのジョホールバルで従軍看護婦で辛酸をなめた。だから死ぬときまでそのことにうなされつづけていたのである。
だから戦争は余りにも悲惨でありそのことが忘れられなかったとなる

いづれにしろ人間の恐怖は弱者になることである。弱者というとき金のないのも弱者だがその時江戸時代だったら借金で遊女にされたり今でも同じようなことがある。
その弱みにつけこまれることが常にある。それも自分も受けたし憤りを感じた
でもみんな最後は老人になると弱者化する、強いものでも弱者化してゆく
子供の世話にならざるをえない状態になったとき親でも弱者化するのである。
だから老人になることは病気とかになりやすいから怖いのである。

医者であれ看護師であれ他者に頼るとき地獄になる、なぜか他者は別に愛をもって接するわけではない、機械的に接するし患者が虐待されることもある、そういうことも経験した老人は特に老人ホームでも邪魔者として虐待されやすいのである。
でも自分が病気になったりしたらどうしても医者だけではない、他者に頼らざるを得なくなる、それが家族がいないことの最大の恐怖だと経験したのである。
それもまた自業自得、カルマなことは確かである

ともかくもし天国だけにいたら天国の価値はわからない、地獄を経験したものが本当の天国の価値を知るのである。戦争で苦しんでいる人たちは戦争のない世界がどれだけ平和なのか心から感じる、でもそういう経験をしていない人は天国にいても感じないのである。だからこの世は地獄でありそれは天国を行くために必要だともなるのである。

人間が業をカルマをもつというとき欲がありその欲が消えないからまた自らも苦しむ
男女でも愛憎の炎が燃え上がる、何かそこには平和がない、争いになる。
戦争がなくても普通の生活のなかでも平和がない、自分の家もずっとそうだった
争いがつづいていて死んで争いがなくなったのである。死んで平和が訪れたとなる
だからすべて死が悪いものではないと今では思う
死というのは一つの浄化作用なのかとも思う、つまり罪業が消滅するのかと思う

大難を得て罪障消滅するー日蓮

これは別に信仰とは関係ない、みんな最後は大難にあう、死は最大の大難だからである。まず創価のようなカルトは法華経を批判することは最大の罪だとかいうけどそれが政教分離していないから怖いのである。創価とか公明を批判するものは罰があたるとなり何もいえないから好都合になる。政治の世界に宗教をもってくるとどうしてもイスラムでもそうだが問題が起きる、要するに創価を批判することは誰もできなくなる
マスメデアがしないのは創価が権力をもっているからであり別に宗教が怖いからではない巨大な権力集団だから誰も批判しないとなるだけである。
そういうことはカトリックで嫌というほどヨーロッパで経験しているから政教分離の法律ができたのである。

別に宗教者でなくてもみんな最後は死という大難を経験する、それは誰も逃れることはできない、「大難を得て罪障消滅する」というとき死をもって罪障消滅するということなのだろう。死は救いだともなるのである。

死はあらゆる善きものの中で最高の善きものかも知れない


タグ:地獄と天国

2017年04月11日

publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった (補償金問題にもあり争いの元になった)


publicとprivateの対立が原発事故の根底にもあった


(補償金問題にもあり争いの元になった)


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明治以降は入会権とかの共同性は喪失した
privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、
「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、奪う、分離するという意味があるようです。

不思議なことは近代化というとき西欧文明に習えばprivateではなくpublicが社会の規範になりpublicの社会作りが行われるはずだった
しかし日本では明治維新後privateが私権が私益が追求される社会になった
日本では過剰に私的所有権を認める結果となったのである。
だから近代化が進歩したものとしてとらえることにも問題があった
江戸時代から明治となったとき進歩したというのではない江戸時代にあった文明が否定されて後退したということもあったのである。

なぜなら日本でもpublicがあった、農業社会だからそこでここの一画が自分の土地であり自由にしていいとかならない、村では共有の上に成り立つからである。
山から流れる水を利用するときも共有である。自然のものは共有なのである。
それを私的に奪いとるprivate社会になったのが明治以降の社会だったのである。
だから明治維新で社会が進歩したのではない、ただ変化したのである。
変化というとき悪く変化することもあるから変化がみんないいわけではなかった

江戸時代は一つの文明を形成していたしその中の価値観で生きていたのである。
この辺で葉山、端山信仰があるのは稲作と密接に結びついたものである。
山から水が供給されて田に流れて稲が実る、だから山の信仰があり山には先祖がいて
春には里におりてくるというときもそれは自然と密接に結びついた信仰となっていた
要するに一つの世界観が形成されていたのである。
エジプト文明でもマヤ文明でも必ず世界観が形成されて文明が成り立つのである。
だからそれらの過去の文明が現代から比べて遅れているとかならない、ただ文明は変わるのであり進歩するのではないのである。

江戸時代は農業中心の稲作文明だからそれは共有するpublicの社会である。それは西欧とは違ったものでも日本的publicなものである。入会権などもpublicなものだった
山の資源は共有されたものである。漁業権もそうである。それは自然の保護にも通じていた、ところが明治になったとき入会権はなくなり私的所有に無数に分割されたのである。そして山でも森でも土地でもつながっている、分割できないものとしてある
それがここが俺の土地だから売ろうとなにしようと勝手だという私的所有権を強固に主張できるようになった
この土地の公共性を無視した私的所有権を強固に認めたとき弊害が大きかった
公共的なものとして利用できなくなったからである。
今でも農地は勝手に宅地にできないとかあるがそれでも私的所有権がありpublicなものが土地の面では失われた

江戸時代は封建制の時代であり土地の上に成り立つ社会である。土地に依存して生きていたからである。土地から実りを得ていたからである。だから土地は共有するものであり私有はできないものだったのである。
土地の私有を強固にすると今度は個々人ではない大企業がその土地を買い占め私的所有権を強固に主張する、そしてその巨大な企業は漁業権でも買うことができたし現実にこの辺では東電に漁業権は売られたのである。
そして自治体すら買収された、入会権でも山林も森も土地も買い取られたとまでなっている、それがわかったのは原発事故で放射能で汚染されたからである
その時、木材も山菜も水さえ利用できなくなったからである。

巨大企業の権力はそれだけ大きいのだからその害も自治体を破壊するまでになる、江戸時代にはそんな大企業はなかったからである。そこが江戸時代とは根本的に違う社会である巨大企業がグローバルに進出するときそれは世界でこういうことが起きてくる
小さな部族社会など簡単に破壊されてゆくのである。
巨大企業が森を買い取ってしまい木材として伐採して森がなくなってしまうことも起きているからである。

要するに江戸時代は自然の生態系の中で生活していた、それが東電のような巨大企業がその生態系すら破壊したのである。地域というのは自然の生態系に生きていたしそれを越える生活はできなかった、しかしその生態系すら無視して破壊することができるのが巨大企業であり科学文明だったのである。
生態系というという時や弥生文明も稲作文明も実は生態系を破壊して成り立っていたのである。
海を入江などを干拓して田んぼにしてそれで人口を増やしてきたからである。
それが津浪で破壊されたことに驚いた、縄文時代は入江になった所には住んでいない
津浪が来た所には住んでいない、第一住めなかったからである。
稲作のために干拓した所が元の海に元の生態系に回復したとなったのである。
だから人間は生態系を破壊することは自然から復讐を受けるということもある
干拓したことがやはり自然破壊だったという驚きである。
なぜなら白砂松原の景色は実際は人工的の景色だったのである。それが根こそぎ津浪で破壊されたのである。

そしてこれらのprivateがこの辺では復興にも影響していたのである。
国であれ東電であれ莫大な補償金や復興資金でも除染費用でもみんな個々人の私的権利として主張されて市町村全体の復興資金に使われなかった
避難区域になって避難した原発避難者にはありとあらゆる補償金が支払われたのである。そして個々人の私的権利として主張されて莫大な資金が国からも東電からも支払われた
そして自分の家の前にも権利があるとか私道にもあるとか仏壇には40万とか補償されたりありとあらゆることに補償金が支払われたのである。
それは私的な個々人の権利として支払われた、そこで放射能量の多寡で補償金も多くもらったり少なくなったり全然もらえないとかこの辺では争いになったのである。
南相馬市は合併した小高,原町、鹿島で補償金の額が違って分断されたのである。

これも異常なほどにprivateが私的権利が主張されたためである
結果的に復興というとき市町村全体の復興とかにそうした資金は活用されなかった
個々人が故郷を出て家を建てたり個々人の復興に使われたのである。
肝心の市町村の復興には活用されなかったのである。
除染でもゼネコンから暴力団に一兆円もの除染費用が流れたとかなった
肝心の市町村の復興資金としては活用されなかった
もしその資金が市町村の復興資金に使われていればまたこの辺は違った状況になった

例えば鹿島区にはもともと30キロ圏外だから補償金はもらえない地区だった
それでは不公平になるとして市長が交渉して補償金を出した
その仮払金は100億円だった、この時だから原町区の人で強固に反対した人がいた
そんな金を鹿島に払うなとなったのである。
その後も今度は小高から避難して来た人たちとも争うようになった
ともかく原発避難者は何でも手厚い補償があり補償金をもらったからである。
ただそれはあくまでも個々人にでありそれを小高だったら小高の復興には活用されていない、原町でもそうである。

そのことが分断された原因でもある。もし小高でも私たちの補償金は街の区の復興に使うとなればまた違った見方が生れた、でも実際は個々人が勝手に補償金を私的に使い外に家を建てたりして帰らないということになった
それは小高の街や区全体の復興として活用されなかったのである。
もし小高全体の復興のためにその金が使われていたら他でもあまり文句は言わなかったかもしれない、なぜなら南相馬市全体をみたとき小高の土地も活用して復興してもらわないと市としては困るからである。
それは小高だけではない、原町でも鹿島でも言えたことだった
鹿島が仮払金百億円をもらったとき個々人に配布されたがもしそれが鹿島区の復興資金に活用すればまた違ったものとなった

そういう提案をする市の担当者もいないし商工会でもしない誰もしない、それは国からの東電からの金が県とか市町村で指導権をもたずゼネコンとかに一兆円の金は流れた
もし県とか市町村ですれば半分くらいの資金でまにあいあとの半分はそれでも5000億は市町村の復興資金、新しい街作りなどに活用されたかもしれないのである。
そういう指導とか提案さえなされなかったのである。
鹿島の仮払金は100億円というけどこれは大東銀行が所有している金と同じなのである。
大東銀行がもつ金か鹿島区に配布されたとなるのである。それはただ個々人に配布されて鹿島区の復興に例えば駅前の開発などには使われなかったのである。
だからその金は一過性のものとして消えたともなる、もし駅前でも開発がなされればその区域の繁栄が長くつづく資産として活用されたともなるからだ

いづれにしろprivateなことに終始してpublicなものが追求されなかった
それで市が分断されたり村も分断されたのである。
ただこのprivateなものとpublicなものの対立はどこでも起きている
大きく言えば国がpublicなものであり戦争とかなればpublicなものが優先され国のために死のことが犠牲になることが強いられる国なくして個々人もないとなるからだ。
ただ現代社会は私的な権利、所有権とか過剰に主張される時代でありその弊害が大きくなったのである。


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2017年04月10日

開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる


2017年04月08日

自治体とは何か? (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


 自治体とは何か?


 (原発事故で崩壊の危機に瀕する自治体ー文明の崩壊でもあった)


そもそも「自治」は前述のとおり「自分たちのことを自分たちで処理すること」です。であれば、処理するための会則なり、法則なり、理念なり、何なりを共有してしかるべきだと思うわけです。「自治体」というならば、その「自」が共有すべき会則等があってしかるべきだと思うわけです。共有とは自分達で決めることです

この辺で起きたことは本当に様々なことが具体的に問われたのである。
それは学問的な問題ではない、具体的にどう解決したらいいかが問われた
第一自治体が崩壊する、町が村がなくなるなどということは誰も想定していないからだ
でも現実に町や村がなくなるということに直面したのである。

そもそも自治体とは何かと問うとき相当にむずかしいテーマでありその解答は実は法律だけの問題ではない、それはむずかしくいえば人間の実存にかかわるものである。
自治体も歴史的に生れたものであり歴史をたどらなければわからない。
日本では村が自治体の基本としてありつづけたのである。それが明治時代で変わったが江戸時代は村中心の自治が行われていたのである。

そして江戸時代をふりかえるとき封建制の時代だとなる、封建制とは何かとなるとそれは土地を基本にした支配制度である。土地が領主から与えられることによって支配が成り立つ、なぜ土地が基本になるかというと農業中心の社会では土地が実りを産み出すものであり土地なくして農業は成り立たないからである。
だから江戸時代までは国単位でも農業中心だから政治でも政り(まつりごと)でも天皇は大嘗祭をして米の豊作を願っていた、豊作を祈ることが天に祈ることが政り(まつりごと)だったのである。

六年甲戌(ねんかふじゅつ)、海犬養宿祢岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)の詔(みことのり)に応(こた)ふる歌一歌一首

御民(みたみ)われ 生(い)ける験(しるし)あり 天地(あめつち)の 栄ゆる時に あへらく思(おも)へば

天地が栄えるときに民も栄えるというのは農業中心の社会だからその政りごと祭りがありえたのである。それは自然と調和する社会があって成り立つものである。

確かに自治体とは近代的概念として生れた、だから自治体というときヨーロッパの歴史をたどることも必要になる、ヨーロッパにも自治体がありその歴史は古い、それはギリシャのポリスにはじまる、それは城壁げ囲まれた都市のことである。
それがヨーロッパでは自治体体なのである。だからパスポートにあなたはどこの市民ですかと書いてある、citizenが記され、でも日本では村とか町があり市に住まない人もいる
だからなじめないものなのである。

自治体とはな何か問えばそれは人間の根源的な生存にかかわるものである。
なぜなら原発事故でその人間の根源的な生存基盤が破壊されたこともわかる。
水や土や森や山やその生存基盤が喪失したことでもわかる、そうなるともう人間はそこに生きられない、生存基盤が失われたのである。
だからこれほど深刻な問題はなかったのである。

自分のテーマは自然とアイディンティティ化する文化的なものとして故郷を追求してきたその文化すらcultivate(耕す)-cultureだからその土地と密接に結びついて作られてきたものである。ヨーロッパでも葡萄の種類が多い、その葡萄に土地の名前がつけられているそれはその土地で産み出されたものだからその土地の名前がつけられている、それが文化なのである。日本でも米などがそうである。土地土地の米がブランドとなり売り出されているのとにている
文化というときそういう土地土地の地盤があってそこから芸術でも生れてきている
芸術というときそれは個人的なものではない、トータルなものとしての文化であり文明にもなる

木があるとしてその木はギリシャなら神殿の柱となりドイツだとゴシックの大聖堂の柱となる、それはモミの木をイメージしたものでありドイツの森を象ったものとなる
自然を基にして文化文明が生れる、例えば言葉でも日本語は日本の自然から産み出されている、日本の自然と密接に結びついたものとして生れている
それがネティブの言語である。だから日本語がなくなると日本の自然と切り離されたものとなり日本の文明そのものが消失するともなる

ともかく自治体の基本はそうした自然と一体化したアイディンティティ化したものとして築かれてきた、それが人間の存在基盤としてあった、国自体もそういう日本の自然との
アイディンティティ化してあった、だから天皇の政り(まつりごと)があり二宮尊徳の思想が生れた、それは農業中心の社会だから生れたものである。

それが明治以降工業社会になったときそうした基本となる自然から離れたものとして社会が築かれるようになった、その変化があまりにも大きかったのである。
そのために公害が起きたり原発事故では自治体の基盤である水や土や木や森や山が海が汚染されたのだから生きることすらできなくなる
それは文化的なことだけではない、生存するできなくなる深刻なものとなった。

つまり自治体があるとしてその構成するものは基本に自然がある。海があり山があり森かあり水があり土があり空気があるとなる
そういうものが根こそぎ汚染されたときその土地でどうして生きていけるのかとなる
今でもこの辺では水はペットボトルで買うほかない、山の方では自然の水をとって生活していた所がまだあった、それは無料だった、それもできない。
企業が巨大化するときそうした自治体が買い取ることができる、現実に東電は国と一体となり漁業権を海を買い取り自治体の存在基盤である自然も買い取っていたのである。
そして企業は利益だけをみるから人間の存在基盤である海であれ土であれ木であれ森であれそういうものを無視して利益を産み出すことだけを考える
企業にはもともと自治体が成り立つ自然など見ていないのである。

そもそも東京を見ればわかる、そこには田畑がないし水でもどこから供給されているのか意識しない、山から水が供給されていることを意識しない、でもその山も実は放射能で汚染されていたのである。利根川の上流も放射能で汚染されていたのである。
ただ東京にいれば自然はじかに意識しないのである。
そういう社会に生活しているとき自然は意識されない、電気をエネルギーとするとき自然より電気があれば生活できるとなる社会である。
そうなると電気文明となり原子力文明ともなりそれに依存するのであり自然に依存する社会ではない、でも東京すら放射能で水は汚染された生きていけないのである。
大企業は今やそうして自然を無視して破壊する力をもった、それはソーラーパネル工場と化したこの辺でもわかる、それは太陽をエネルギーとしてもやはり森を破壊してそこで水が産み出されるがそれがなくなるとかも言われるからやはり自然破壊だった
それと同時に景観も破壊されるから文化は消失するのである

ともかく原発事故で意識されたのは巨大企業によるまたは科学文明による自然の破壊でありそしてそれが自治体の崩壊になったのである。
法律的に自治体と県と国の関係がありそこで原発事故の問題は処理されねばならないものだった、ただ根源的に歴史的に問う時、これは文明文化というか大きな問題としてクローズアップされたのである。
科学文明工業文明原子力文明の崩壊だったのである。
そういう大きな視点で見る必要もある問題だったのである。
だから個々の問題としていろいろあるがそうした文明論的観点からみて対処することも必要なのである。
そうなると確かにむずかしくてどうすればいいのかわからないとなるが原発事故はそういう人間の存在基盤をゆるがす問題だったのである。
だから文明の転換すら考慮する問題であり個々の問題だけを追求しても解決しないともなる


タグ:自治体とは
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2017年04月07日

ソーラーパネル工場と化した飯館村 (昔の牧歌的風景は失われた)


ソーラーパネル工場と化した飯館村

(昔の牧歌的風景は失われた)

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草野に建つ施設



もうこれ以上待てない」と、帰村を待ち望んでいる高齢者の切実な声だと聞いた。
村は、村民の声をとても大切にしてきた。

2015 年の終わり、7400 人のうち人口の約 6%に当たる 400 人しか戻っていない。さらに、その内訳は 60 歳以上が 69.1%を占め、20〜39 歳の層は 3.6%しかいない。「楢葉町の今」
を取り上げた NHK スペシャル「原発事故 5 年 ゼロからの町再建」(2016 年 1 月 26 日放送)では、周囲が空き家のなか、1

一部の村民からは、「復興拠点もそうだけど、ハコモノばかり作って維持管理費はどうするんだ」という批判があった。

復興復旧は国に頼らざるを得ない。しかし、国が用意できるのは公共事業である。ハード面などの事業が終われば「復興」が終わったことになってしまい、村民たちは置いてきぼりにされる。置いてきぼりにされた村民は、抗う力さえ残っていない。


危機に立つ住民主体の村づくり
飯舘村における「復興」計画と「村民の復興」の乖離 




世代間の分断
地域の分断

原発事故で起きたのは様々な分断であり争いでもあった、放射線量で色分けして補償金の差をつけたのもその主な原因である。
隣がちょっと高いから補償金を高くするとか隣は低いから補償金は低くするとか土地はつながっているのだからそんなこと簡単にできないのである。
放射性物質だって空間で土地でも境がないから流れて拡散するのである。
飯館村の70パーセントは森だからその森から放射性物質が流れてくる、放射性物質に汚染された泥も流れてくるとしたら田畑も汚染されるから深刻である。
飯館村は草野でも7マイクロシーベルとあった、だから飯館村は他よりは高いと思った
佐須で泥のかたまりが20マイクロシーベルとあったのには驚いた、そうしたホットスポットがあった。
だから飯館村の放射性物質の汚染は深刻だと思っていた。
例えば木材でも3マイクロシーベルとあったのだから木材すら利用できない、石すら汚染されているともなる

飯館村で除染していた人が石をぶつけられたのでショックだったという人がいた。
なぜそんなことになったのか?飯館村でも補償金が一様に支払われていない
放射線量で区分けしているからそうなった、自分の家は除染したところで補償金を他よりもらえないからは除染している人に石をぶつけた。
その家では除染してもらうより補償金をもらいたいかったのかとなる
こういうことは南相馬市でも起きていたのだ。
30キロ圏内で区切られたのが南相馬市である。その区切られた所が塩崎あたりでありそこで若い母親が泣いて訴えていた、30キロで区切られ隣がもらえて自分の家はもらえないとかなったからである、そういうことは原発事故以後争いの元になった
南相馬市では小高区と鹿島区はいがみあうようになった
ところが小高区内でも争っているし今度は小高は浪江がうらやましいとかなっているし浪江は浪江で区分けされているから争いになったのである。

そして地域間の分断があり世代間の分断も深刻である。家族は若い人たちと老人は分離した、そして若い人たちは避難している六年の間に生活が別になり既成事実となり帰らないとなったのである。
東京に避難した息子はその孫が東京の学校を中学、高校を出て就職したという、そして妻も息子の所に行き帰ってこないのである。
老人が一人災害復興住宅に住んでいる、老人だけが取り残されて住んでいるのが多いのである。6年の間に生活が別になりもう帰れなくなったのである。

「もうこれ以上待てない」と、帰村を待ち望んでいる高齢者の切実な声だと聞いた。
村は、村民の声をとても大切にしてきた。

老人は先がないし遠い先のことを考えられないのである。いつ死ぬのか死んだらどうするのかなど考えるが先のことをは考えられないのである。
前田の墓地の老木のようになっているのが老人なのである。
他にもその土地に根付いて離れない石ともにている、そこに長く住んでいれば人間は自然と石のようになってくるのである。
「ぽかぽかと春の日がさしてあったかいな、ここを動きたくない」とかなるのが老人なのである。

60 歳以上が 69.1%を占め、20〜39 歳の層は 3.6%しかいない。

楢葉町ではそうだが大内村だと70パーセントが帰るとか飯館村でも30パーセントが帰るということは老人が多いこともあるが老人が帰りたいのは切実なのである。
そこには土地に執着するものが他に強いのである。
他で新しい生活をはじめることはむずかしいのが老人でありそこに若い世代との分離が生れた

飯館村の復興とは何なのか?それがこの著者もわからないというとき元の暮らしにもどれないからそうなる、春になったら春田となりこれから田植えがはじまるのだという暮らしがあった、それも失われて荒地になっている、そしてソーラーパネル工場地帯になる
飯館村ではとにかく広いのである。比曽とか長泥とかは一回くらい何十年も前に行った記憶がある、そこも意外と古い村だったのである。
そしてまだ行っていない所があり飯館村は広いなとつくづく思う、すると牧草地になっていた土地もまた広いのである。そういう場所を活かすことができなくなったのが深刻である。

結果的にはソーラーパネル工場になってしまう、村自体がソーラーパネル工場を経営して成り立つような状態になる、そんな村になったらまでいな村とかとは関係ない、村自体が実はソーラーパネル工場地帯となる。
そんなところが癒しの場とはもうならない、森の風景もなくなる、ソーラーパネルが向いているのは平原とか砂漠でも何か人が住んでいないような大陸的広さの土地があるところに向いている。日本のような狭い場所には向いていない、景観が破壊されるからである。でも生活するためには村だって税金がないと成り立たない、すると村の役所が実はソーラーパネル工場を経営する会社と化していたのである。
それは結局双葉であれ大熊とか富岡が実は東電の会社員になっていたとにているのだ
自治体が巨大企業の下請けになり社員化していたのである。
実際に浪江町とか避難した人たちは東電の社宅のビルに避難して生活したからである

グローバル化社会になると多国籍企業が実は国家より力があり支配しているというときとにている。東電という国家と一体化した大企業によって小さな自治体など買収される、それだけ巨大な企業だったのである。
現実に漁業権を東電に売り渡して漁業者は贅沢していたのである。
要するにそれだけ巨大な会社でありその巨大さ故に小さな自治体などとりこまれてしまうだから飯館村が「までいな村」としての村作りをしていたというがそんな江戸時代の感覚とはまるで違ったものとして東電などが巨大企業がある。
それが今度はソーラーパネル工場となり村を経営するとなる
そこにはまでいなとか牧歌的なものはなにもない、飯館村は現代では牧歌的なアルカディアの風景があった、でもその飯館村でも比曽の人が原発で働いていたし大内村では三分の一が原発で働いていたのである。
だから原発地帯は東電の社員化していたのである。
それが原発事故後明確なものとして認識されたのである。

復興でもソーラーパネル工場が主流でありそれに箱物を作る工業事業であり除染しても実際は除染はたいして効果がない、森から放射性物質が流れだしてくるからである。
それで裏山の木を切って一億円かけて除染するより一億円もらった方がいいというのもその土地の人にとってはそうなる
飯館村のまでいな村作りはすでに喪失しているし不可能になっている
そもそもその基盤となる農業ができないからである。
ソーラーパネル工場の管理人となるのが役所の人でも村民でもそうである。
それが人間の生活する村なのかとなる、でも現実問題としてはそれしか方法がない
そして土地をもっている人は権利があり活かしたいとなるからソーラーパネル工場になる元の自然に環るわけではないのである。

ともかく人間が作る技術でも必ずいい面と悪い面が生れる、別に電気が悪いものではない石器でも発明したときそれは必ず人殺しに利用されたし鉄器でもそうである。
原子力でも核兵器にもなるが平和利用として原発は言いものだとされていたのである。
でも実際は原発は恐るべき害をもたらすものだった、石炭でも二酸化炭素を出すとか
石油でも温暖化するとかあるがではソーラーパネルが自然を破壊しないかというとこれも実際は景観を破壊するし消去できない廃棄物を出すのである。

そんなことを言うと炭とかをエネルギーにしていた時代が良かったともなる、それが一番自然と調和する生活だったと成る、現実に戦争の引揚者が飯館村に大量に入り一万人近くの人口があったことに驚くのである。
そんなに大勢の人間が飯館村にいたのか?飯館村で生活できたのかとなる
その時は本当に自給自足的な生活であり炭を燃料としていた時代だかである。
それで一万の人口を飯館村で養い生活していたということは今になるとイメージできないその時は木材があるからそれを売ったり石材は今でも売っている、何か地元のものが資源となり生活が成り立っていた、だから炭焼きの時代にもどればいいとかなる
そうすれば飯館村の牧歌的風景は貴重であり人々も訪れる、それは外からくる人には言える、でもそこで実際に生活するとなると収入がないとできないからソーラーパネル工場になってしまうのである。
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ここで死にたいんだ、執念の老木



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2017年04月06日

飯館村考(歴史をさかのぼり現状をみる)


飯館村考(歴史をさかのぼり現状をみる)


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●みなみそうま(南相馬)と記された古文書があった

真野川をさかのぼり真野ダムにでる、そこは大倉である。ここは岩松氏が相馬氏などが関係して岩松氏が滅ぼされてその奥方が逃げた場所であり湯舟とかの地名が残っている
奥方が妊娠してそうなったとかある。大倉に逃れてきて悲劇の死をとげた。
草野は岩松氏の所領にあった。ただ相馬氏の岡田氏とか伊達氏もかかわり所領争いがあった地域である。前は大館とかがあり中世の館があり飯樋問と大館が明治に合併して飯館になった歴史がある。

地名にも歴史があり由来がある。面白いのは相馬岡田文書に

ゆつりかわたすそうまの小次郎たねもりのあとの事

下総(しもつさ)のくに、みなミそうまのうちいつみ(泉)のむら、ならひのむつのくになめかたのこおりおかたのむら(岡田の村)、このところは五郎たねやすそうりょうしきとして永大知行すべし


しもつさの国ミなミそうまのむら、かなやま(金山)、かミやなと、ふなつ(船津)
ならひにミつの国なめかたのこおり(郡)おかたのむら(岡田)やつうさぎ(八兎)
いといのかりくら、(飯樋、狩倉)かのところはたねやすちうたい(重代)さうてん(相伝)のしりょう(私領)たる間・・・

ここにみなみそうま(南相馬)として出ていることである。すると南相馬市の由来はここにある、ただその領域は小高中心なのである。
もともと小高に相馬氏の城がありそこが相馬氏の中心であり拡大した、それで鹿島はその小高から北であり北郷となっていたのである。当時のみなみそうまとは小高中心であり原町の領域、中ノ郷は入っていないのである。
ただ歴史的にみなみそうまというのが古文書に記されていたことは重要である。
ではなぜみなみそうまなのか?この時むしろ北を意識してみなみそうまと記したのだろうか?わざわざみなみそうまと記すのはなぜなのか?
つまりみなみそうまとは今の南相馬市とは領域が違っている、原町(中の郷とか北郷(鹿島)は入っていないのである。小高を南相馬としていたのである。
ただすでに南相馬市(南相馬)という名称があったということである。
すると南相馬市は歴史的地名なのかとなる。ただこれがどうしてみなみそうまになっていたのか?その解明が必要になる

●伊達市になったとき感覚的その領域が拡大した

伊達市というとき

1898年(明治31年)1月19日 掛田村が町制施行して掛田町となった。
1928年(昭和3年)1月1日 小手川村が町制施行して月舘町となった。
1940年(昭和15年)4月1日 長岡村が町制施行して伊達町となった。

2006年(平成18年)1月1日 伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市となった。

伊達町があったとしてもその前に伊達町はなかった、長岡村だったのである。伊達市というとどうしても伊達政宗をイメージする、相馬市とか南相馬市だと相馬氏を意識するようになった。
それで佐須の峠を越えるとき伊達市に入るとなり感覚的に前とは違ったものとなる
前は霊山町だったから霊山神社があり南北朝の由来にもとづく地名として意識していた。た、伊達市になると南北朝時代から伊達政宗と相馬氏が争った戦国時代になる。
ここから伊達市に入るというとき伊達政宗の時代を意識するのである。
それが地名の大きな影響なのである。もともと

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

といわれたように境が意識されていたし現実に境があった。飯館村では岩松氏の所領ともなり相馬氏の所領ともなり伊達氏も領地争いにかかわっていた。

「草野通率一族」とあるように相馬一族のものが草野村の一部を所領していた

「草野通」とあるようにこの村を一筋の道があって行方郡と伊達郡(小手保9を通じて知られていた

これは地理的にも今でそうである。原発事故避難区域になっていてもこの草野通だけは交通として閉鎖されず通じていたのである。これはやはり地理がわからないと歴史も理解できないのである。

●前田は草分けの地、注意すべき戦後入植した人たちが多いこと

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前田 
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豊栄は戦後入植した地名


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ここに入植した人が住んでいた

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山津見神社から前田に出たが前田というときそこは必ず草分けとなった農家がありその前田から村が発展したのである。
前田には江戸時代の古い碑が並んでいたことでもわかる、他でも大原の前田という地域は大原の奥にありそこに南相馬市立病院で同室だった斉藤氏が住んでいた。
その家は代々つづいた古い家だったのである。その人はすでに死んだ
その前田からさらに八木沢の方へ遠田という地名があることでも前田を中心にして大原があり拡大したことがわかる

佐須というとき佐須は焼き畑の地名である。他にヒソとかもそうだった。最初に入ってきたのは焼き畑をする人たちだった。縄文時代から人は住んでいてもそのあとは焼き畑をしていた。飯館村というとき何か新しい感覚になるけど古い村から成り立っている

比曽村には氏神を祭る社があり中に古い鉦が下がっていて延亭2(1745)年の年号と先祖の菅野伝左衛門の銘がありました

比曽村にこんなに古い由来があったのかと驚く、ともかく飯館村は広いのである。
何十年も前に一回くらいか比曽村とか長泥村を通った記憶がありそこにも古い碑があったのである。
葛尾村にも元禄の碑があったからあそこも古い、草野になると鎌倉時代からはじまり館がありそれが今の飯館村になっている。

ただここでまぎらわしいのは飯館村の人口をみると

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戦後開墾に入った人たちが多くそれが混同しやすいのである。一万人近く飯館村の人口があったことに驚く、それは戦後引揚者が生活の場がなく農業で生活するために辺鄙な山村にも入ってきたからである。
例えば自分が知っている人でも小池でも町に近い所に開墾に入っている、菅野漬け物の倉があったところにである。そんなところが開墾する場だったのかとなる
それだけ戦争が終わり仕事がなく開墾に入った歴史がある。
それは全国的にそうであり浪江の津島でもそうでありそれで苦労したので団結力があると報道されていた。
第一一万人も飯館村に生活していたということが驚きなのである。どんな生活をしていたかとなると相当に貧しい生活である。炭焼きとかが主流となっていたのだろう。
それは現金収入にもなり豊になった人もいたからである。
あとは木材とか石材の供給地でありそれなりに生活できていた。その後は牛を飼うようになった。

この戦後入植してき来た人たちは山村に多いことを注意する必要がある。飯館村でもそういう場が多いからだ。豊栄とか共栄橋とかの地名は開墾に入った場であり昔からある地名ではないのであく。戦後開拓に入った人たちがなづけた地名である。
それで豊栄辺りで聞いてみたらやっぱり戦後開墾に入ってすみついた人であった
その人はそこに避難解除になり住んでいる、息子は川俣の会社に勤めているという。
もともとは農家であり牛などを飼っていた。
今飯館村で仕事しているのは菊地製作所とかの小さな工場である。他は仕事をしていない
牧場があり牛が放牧される広い土地がありそこは何にも使われていない、そこがこれから何に使うのか?ソーラーバネルとかになりやすいのである。
すると飯館村の景観は破壊されるし昔の飯館村とは違ったものとなる

飯館村のモニタリングポストでは佐須とかで0・6とかある、でもモニタリングポストの放射線量は実際の半分なのである。なぜなら土をけずりとって設置していたからである。
自分もその脇を計ったら倍だったからである。
そもそも名もあのヴらなモニタリングポストが必要だったのかとなる、放射線量をごまかすためにかともなる、それも本来の復興のために金が使われなかったということなのである。
ただ飯館村はもともと放射線量が高かった、草野で7くらいもあった、だから今でも0・6とあっても実際はその倍にもなるとなると今では相当高いともなるからそこに住むのが嫌だというのが理解できるのである。
それで裏山の木を切って除染したのに一億円かかったというときその一億円をもらった方がいいというのもわかる。除染してもまた山から森から放射性物質がでてきて減らないからである。だからなんのために除染しているのかとなる
無駄な金かゼネコンに流れただけだともなるからだ。

それで村に居残る派と補償金をもらい村を出る人に分かれ争いになった。
ただそうなると一体江戸時代からある古い村はどうなるのか?元の自然に環るのかとなると還らない、そこはソーラーバネルとか放射性廃棄物の処理場とかにされる
なぜなら土地をもっている人がいるしその人たちに権利があり金にしたいとなるからだ
ただ荒地にしていても金にならないからである。
小さな工場だけが仕事しているというとき農業ができないからである。
農業がない飯館村がイメージできない、ソーラーバネルを見るだけとなったら飯館村の魅力はなくなる。だからこれからの村造りをどうするかとなるとその解答は簡単に出ないのである。
でも何軒かは人が住みはじめたから人が住まないことには村も活きてこないのである。

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佐須で0・7は高い、この倍にはなっている
posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年04月05日

とある田舎駅の人間模様 (春の日に盲人を導くー短編小説)


とある田舎駅の人間模様

(春の日に盲人を導くー短編小説)


つくづく駅にはいろんな人が来るものだと思った。今日来たのは盲人だった、その人はヘルパーなのか若い男が助けて駅まで来た
それで聞いてみた

「どこへ行くんですか」
「浜吉田です」
「あそこも津波の被害がありましたので驚きです」
「駅も津波をかぶりましたよ」
「そうですか、早く復旧はしたようですが」
「2年目でした」
「浜吉田はやはり浜が近かったんですね」

そこで目について失礼とは思ったが聞いて見た、何か駅というところは見知らぬ人でも話やすいことに気づいたのだ

「目が見えないのは一番辛いでしょう」
「30才になって見えなくなったんです」
「そうですか、30才までは見えていたんですね、じゃ社会のことがわかってから見えなくなった」
「ぼんやりとは見えることは見えるんですけど」
「全然見えないのとは違う」
「目が見えないと音には敏感になりますよ」
「そうでしょうね、でも目が見えないのは一番辛いと感じる」
「まあ、外にも辛いことはあるでしょう」
「電車にのるのは怖いでしょう」
「まあ、なれていますから」

まず盲人などと話したことがない、ただどこでもがある視覚障害者誘導用ブロックはあるのでここを盲人が歩くということは知っている、でもそんなに盲人が歩いているのを見たことがない

2種類あって誘導用のものが線状ブロック、一時停止、注意を促すものが点状ブロックです

そういえば確かにそうなっている、ここまで普通の人は注意していない、良く見るとその誘導用ブロックはホームのトイレまで導いている、つまりいたるところにあるのだ
普通だと電車に乗るのは危険だし怖いと感じる、ヘルパーが必要にも見える
それで自分が電車が来て誘導したのだがその時杖でたたいて乗るのだが結構危険だった
ただ車掌が見ていたから安全ということはあったのかもしれない
なぜか自分に車掌が挨拶して去って電車は去って行った。
駅員なら車掌も安全確認とかするのかもしれない、なぜ無人駅のボランティアの自分にしたのか、それは盲人を導いていたのでそうしたのかもしれない。

ともかく意外と田舎駅でもいろいろな人が乗り降りするものだと思った。
一番多いのは仙台へ行く人と来る人である。

「この駅には花がさしてあっていいじゃない」
「あれは自分がさしたんですよ、金盞花とか万寿菊という花でしょう」
「気がきいてるんじゃない」
「この花は長く咲いているんで好きなんですよ」
「花があるのはいいことよ」
「無人駅なんたけどやはり人がいないと困ることあるんですね、それで近いもので駅を見に来ているんですよ」
「常磐線も仙台まで開通して良かった、電車のありがたみがわかったね」
「そうですね、バスは不便だったから」

駅では良くホームで見送りするけどここは無人駅なので出入り自由になっている、それで見送りすることが自由にできるのもいい、駅で見送りすることが人間的な光景なのである今日は春の陽気であたたかった、それでまた一句作る

春日さし盲人導く田舎駅

万寿菊駅に明るくまたおいで

自分でもこの駅で毎日人と会って話しているのも奇妙である。なぜそうなったかというと家族がみんな死んでから家にいるのが淋しくなったからである。
だから今までは家族がいるときは介護していても淋しいことがなかったのである。
家族がいなくなると家ががらんとして淋しくなるのである。
妻をなくした一人暮らしの人がそのことをしきりに言うのもわかった。
そして一人暮らしの人が人ごみのなかにデハートなのかスーパーなのか行って淋しさをまぎらわしているという気持がわかった

駅前にはいつもタクシー会社の人がいる

「タクシーも歩合制ですか」
「まあ、おいしい商売ではないよ」
「歩合制でもある額を越えないともらえないよ」
「近くだと600円くらいだからな、数をこなすのも大変だ」
「基本給はもらいるけどいい商売ではないよ」

このおいしいというとき暴力団風の人が国から受注する仕事はおいしいと言ったのでタクシーの運転手がおいしくないというときそういうことがある。
おいしいというとき株とかなにか労せずにもうけることである。
でも何か一般的には仕事は地道であり目だたないし大きな収入にはならない
でも駅で見ていたら9人乗りのタクシーがありそれで小中学生を送迎している
すると一見タクシーは人を運ぶだけのものであり何の役にたっているのかと思うが実は
そのことは教育という仕事にもなっていたのである。
教育は先生だけが知識を教えるものばかりと思っているが違っていた
つまり裏方としてタクシーの運転手でも給食を作る人でも協力しているのである。
要するに仕事とはみんな部分をになっているからそれでタクシー運転手ならただ一区間を運ぶだけの仕事だとなり仕事の生きがいが感じられないともなる
何かこれだけ複雑な社会では人間の仕事はどうつながりあるのか見えないのである。

だから駅に来てみてそれが見えたということがあった、いろんな人が出入りしているのが駅なのである。いろんな人と接するのが駅なのである。
遠くの人とも接するからそれは外部とのつながりのある場でもある。現実に外国人も来ていたからである。
もともと鉄道の旅が長いから鉄道好きである。でも駅で別に話したりしなかった。駅はただ一時よる過ぎ去る場所にすぎないのである。
でも駅にはいろいろな人が出入りするものだと思った。高校生などは毎日通学しているし通勤している人もいる、でもこうして盲人なども来るということが違っていたのである。

避難解除した飯館村の春をめぐり短歌十首と俳句


避難解除した飯館村の春をめぐり短歌十首と俳句

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真野川の上流
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根元石
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根付き石-ここには人は住まなくなった

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滑の残雪
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クリック拡大ー残雪の吾妻嶺
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森につつまれ一軒一軒ある家
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クリック拡大
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前田の古い碑ー江戸時代のもの 

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前田の墓地にあった老木、

俺はここに残って死にたいんだ

そんな執念のような木に見えた


 


大倉や春の日さして根元石
飯館にまた人住まむ春の雲
春北風(はるきた)や峠を肥えて伊達に行く
前田には古き碑並び残る雪
春日さし老木の墓地に残るかな
飯館に春田のなしも悲しかな
春日さし石あたたむる動かざり


川上の春の流れの清しかも瑞枝の影のやわらきかな
清流の磐打ちひびき流るかな残れる雪のここに清しき
天上に浮かびしごとく残雪の吾妻峰仰ぐ神々しかも
山津見の社や遠く奥深し残れる雪に住む人ありぬ
知られざる道に誘われ春の日や遠くに行かむ山を望みて
八石山石切り場かな飯館に営みありて春の日さしぬ
前田より開けし土地や古き碑のここに並びて梅におい散る
広々とと飯館めぐり春の日や深く息して帰りけるかな
飯館の広々として春の鳥さえづりつつもわたり飛ぶかな
根付く石ここ離れじも淋しか春は来れど人住まぬ家
飯館に春の灯ともれ人影にほのぼのとして村も活きなむ

飯館の佐須から霊山に行きまたもどり山津見神社から八つ石をめぐり前田に出て臼石から草野を回り大倉から真野川に出て帰ってきた
つくづく山津見から前田の方には行ったことがない、飯館村は本当に広いからまだ行っていない道がある。
前に阿武隈高原の魅力が道にあると書いた、道が縦横にありどこまでもある。
その道を春の日がさしてきままに誘われ自転車で行くとき気持いいのである。
ただ介護十年で自由が奪われたので行けなかった、三食用意するとなるといつも追われていてゆっくりできないからである。
いつ帰ってもいいなと思うと楽であり追われることもなくなったのである。

飯館村は奥深いからところどころまた雪が残っていた、やはり寒い所なのだと思った。
あたたかくなったから雪は残っていないと思ったからである。
ただ最近まで寒い日があったから雪が残っていても不思議ではない
佐須から峠を越えて伊達市に入り霊山から望む吾妻峰は雪が厚く最高の景色であった
山は見る場所によって相当に印象がちがう、季節によってもそうである。
福島市から吾妻嶺を見てもそんなに美しく見えないのである。それも富士山でも同じである。場所や季節によって山の見え方は相当に違うのである。

今回は大倉の奥に木の根元にあったから根元石とか草野から大倉に出る所の石は根付き石とかなづけた。ぽかぽかと春の日がさしていた、そして石はそうして春の日がさして気持ちよく動きたくないとなる、老人になると特に動きたくなくなるのだ
「ここがいいな、ぽかほか春の日にあたたまって」とかなる
老人になるとそうして慣れ親しんだ所がいいのであり移動するのが不幸になる
だから大内村とかで70ハーセントも帰るとか飯館村でも30パーセント帰るというとき老人が多いからだろう。老人は慣れ親しんだ所に帰りたいのである
原発事故の酷さはそういう場を奪ったことにもあった。老人に過酷だったのである。

ともかく飯館村は何軒か避難解除になって住む人がいた、でももう住まない人もいて空家になっている、根付き石の所にある家も壊されていた、人が住まないということはどういうことになるのか、そして普通だったら春田になっている、春田というときこれから田に水が流れて田植えがはじまるという時期の田であり単なる荒地ではない
今はその春田がなく荒地になっている、そういう暮らしが消えるときそこは何なのだろうとなる、飯館村は広いから牧場とかあり土地が広いからそこをどう利用するのかとなる
ソーラーパネルとかになりやすいのである。

次回も飯館村に行って感じたことを書く
posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2017年04月04日

原発事故周辺の怖い話 (飯館村にも骨が埋まっている?)


原発事故周辺の怖い話

(飯館村にも骨が埋まっている?)


いわき市と西郷村で死体が埋まっていた、いわき市では借金のことでもめごとがありそれで争いになり殺されたと報道した
西郷村も放射性廃棄物場に死体が発見されたから除染とかの関係者だろう
なぜ殺されたのか?
山梨の除染員が言うには飯館村にも骨が埋まっているという
その人は除染していて石ぶつけられてショックだったと言っていた

飯館村で除染というと裏山などを除染して木を切ったりすると一億円かかったとか言われる、
除染の費用も莫大なものなのである。
だからそんな金を除染などしないで個々人でもらった方がいいというのもわかる
その金は実際はゼネコンとか暴力団とか利権化して地元の人に有効に使われていないのである。
結局自治体で有効に使うべき金がゼネコンだとか政治家だとか暴力団に流れて地元の復興には役に立たないとしきりに言うのもわかる
自治体で除染でもとりしきれば相当な莫大な金が浮く、それが復興資金になる
それもしなかったので肝心の復興のために金が回らなかったという。

何かこの辺は除染関係者や工事関係者とともに暴力団関係も入ってきた、郵便局に若い人が腕に入れ墨をした人が堂々とそれを見せて窓口にいたのは驚いた。
そういう人もかなり入ってきたのがこの辺だったのである
韓国系だかなんだかわからないが売春婦も入って来たとか言うのはそれだけの需要が生れたのがこの辺ではありそれとともに治安も悪くなったのである。

ともかく飯館村などというとそんな話題もない、平和な村だったのである。
今は村を二分して補償金でもめていたりする、原発周辺はみんなそうである。
その巨額な金のために政治家が官僚が利権化してゼネコンとか暴力団に金が流れて肝心の復興のためには使われていないともなる

この辺は正常ではない、異常化した世界にもなった、それは原発誘致してから東電は金のなる木だったから政治家から官僚からマスメデアから地元の人たちも群がったのである。漁業権者は一番金が入っていた。漁業権を売り渡したからである。
そういうふうに原発は巨額な金を生むものであり事故後もそうだった
かえって事故後の方が巨額な金が補償金として支払われたのである。
それで水俣病になった所では補償金で村は破滅したとその経験を書いている
金がみんないいものとして働かないのである。
補償金もらったら働きたくないとかなったりして毎日パチンコとかギャンブルになったりしたのもそうである。

モラル的には相当にこの辺は荒廃した、かつての平和は失われた、前から別にこの辺の人たちがいい人だとか素朴な人たちだったということは今ではない、やはりどこでも今は金、金、金を求めているのは変わりないのである。
ただ飯館村などでも暮らしが隠されていたので見えなかっただけである
それが補償金のためにその醜い人間の欲がむきだしになってしまったのである。
でも除染も終わりになり工事関係者もすでに少なくなっゆくと今度は市町村自体が高齢化社会になり衰退してゆく、南相馬市でも高齢者が65歳以上の人たちが他より10パーセント増えている、災害復興住宅に浪江の人たちが移ってきたとしても老人が多いのである。
若い人は流出しているからだ。
その若い人たちも補償金もらったら仕事はしないとなる
そんなことで復興できるのかとなる、だから金だけでは問題は解決しなかったのである。国では金をやればいいとしてもそれを有効に復興のために活用できなければなににもならない、かえってその補償金のために争い復興の障害になってもいたのである。
posted by 老鶯 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年04月03日

春の息吹( breath of spring)


春の息吹( breath of spring)

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Korea and Japan
posted by 老鶯 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

原町のタクシー会社がつぶれた原因? (補償金もらって働く人がいなくなったから?)


原町のタクシー会社がつぶれた原因?

(補償金もらって働く人がいなくなったから?)


山梨の除染に来た労働者は元経営者だったらしい、その経営に失敗して除染員になったのか?
だからいろいろこの辺の事情を知り言えるのかもしれない
駅前を開発するには土地と家を持っている人にオーナー制にして補償する
そして駅前開発をやる、そんなことを言っていた

その人が言うには原町のタクシー会社がつぶれたのはタクシーに勤める人を確保できないからだという、補償金をもらった結果働くのが嫌でそうなったと・・・
これは事実関係がどうなっているのかわからないが現実にそういう状態がこの辺にはあった、多額の補償金をもらった結果、毎日パチンコとギャンブルになったのである。
だからありえていことではないが、これを聞いたときこの辺の荒廃が深刻なんだと思ったそこまでなっているのかそこまで補償金が悪い方に作用しているのかということである。
この辺は特に人手不足といわれ、スキヤでは自給1200円で全国一高いと言われた、それだけ復興事業で外から来る人が多かったからである。
特に若い看護師が流出したとかで不足して病院が維持できないとか深刻な状態になった
介護士も不足している、人を募集しても人が来ないということがある
それは実は補償金のためだともなる、補償金をもらったら働かないとなっているからだ
そしてタクシー会社までつぶれるとなると異常事態なのである。

その人がなぜ飯館村で石ぶつけられたのか?そのことがショックだと今回も言っていた。
それは飯館村でも放射線量が高いところと低い所がありそれで補償金の差が大きいから低い所の家では除染している人に石をぶつけた、でもなぜ除染している人にそんなことするのか?それは除染してもらっても金にならなからやつあたりしたのかとなる
飯館村は一般的に放射線量が高いからみんな同じように補償金をもらったと思っていた
でもやはり差がありその差が大きい所で不満が大きくなっていたのである。

いづれにしろもめごとのあるところに入ると危険になる、NHKの放送で自分もなぜ原発避難民側についているのかと不満になったからである。
だから飯館村が村に残す村長派と補償金をもらって外に出る派と分かれて争っているというのは公平に報道していたのだろう。あからさまに争っているということは南相馬市では報道していないからである。
まずシリアみたいな紛争地に入ったらわけわからなくなり危険になるのとにている
事情が複雑でありわからなくなりとばっちりを受けるから報道機関も慎重さが要求される一方に味方したりしたら危険にもなるからだ

普通だったらこういう危機的状況になったら本当は率先して市町村のために働き復興しようという気持ちになる、それは金の問題ではない、市町村でもそうしてもらわないと困るからである。タクシーだってやはり外から来る人も多かったし必要だったからである。
9人乗りのタクシーで小中学生を小高に送迎するのもやはり学校を維持して教育のために尽力しているとなるからだ。
こういうとき何かそれぞれできることをしないと市町村が衰退して消滅する危機になる
それが小高とか浪江とかで起きているからだ。

自分もだからもともと働いていないが介護とかでできなかったが駅とかが無人駅になったのでボランティアしているとかプログで発言して方策を考えるとか提案し情報を伝えている、そんなこと復興に役に立つのとなるがまずいろいろな人の状況を知り話を聞くとういことからも復興がはじまる、だから役にたたないとはならない
何が問題で何をどうすればいいのかわからないからである。
だから外からの提案も参考になるから聞いているともなる

つまり実際は小高の人はお前は何もできないなら何も言うなとか言うけどこれも傲慢なのである。
南相馬市の一市民だったらかかわらざるをえない、財政負担にもなるからだ
そして補償金は国民が負担しているものなのである。なんでその補償金で遊んでいるだけなんだと批判されるのである。
補償金をもらったからタクシーの運転手などしてられるか、そしてタクシー会社がつぶれとなると一体補償金とは何なのだととなるからだ
もちろんその真偽ははっきりしないが現実にここでは補償金でそういうことが起きたからまるっきり嘘だとも言えないのである。

だから補償金で水俣病でもだめにしたというときにているのだ、補償金が必ずしもいい方面に働かない、その利用を誤るとかえってこのように荒廃して市町村自体が荒廃してだめになる、飯館村だってギャンブラーになったとかだめになるのだ
人心が荒廃してゆくときさらに危機的な状態になり市町村自体が衰退して消滅の危機にさえなってゆく、それが今回のタクシー会社が人手がなくてつぶれるということにもつながる、それは相当に深刻なのである。
でも原町ではそんなにもらっているとは思えないが山側でもらっている、また小高の人でも働いていたかもしれない、その辺の詳しい事情はわからないから明確に言えない
でもありえないとも言えないのがこの辺の状況なのである。
タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春時雨(原町の駅前通りを歩む)


春時雨(原町の駅前通りを歩む)

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原町の通り歩みて春時雨

春日さす通りに鳩や歩むかな

原町の通りを歩み柳かな店を見につつ帰りけるかな


昨日は浪江を歩き原町により食事をした、それは原町の駅前通りだった、ただその食事はエブフライとかだったが味は良くなかった、チェーン店で作るのとは違うプロが作るのとは違う味だった、それは家庭料理の域をでていない平凡なものだった
やはり揚げ方がうまくできない、料理は自分もしたがむずかしいしめんどうなのである。だから自分は未だにまともな料理ができない、これも結局才能だった、向き不向きだったどんな人でも何でもできるわけではないのである。
人間は何かができる得意だとしたらその他のものはできないともなっているのだ

原町の駅前通りはめったに歩かない、自転車で六号線の道の駅にある方に行くからであるそこで用をたしてしまうからである。
でも街に来る楽しみは通りを歩き季節を感じたり買物することである。
通りを歩むのとイオンとかで品物だけに囲まれるのとは違う
通りを歩むとやはりそこに自然を感じるのである。

昨日は晴れていて本当に春時雨だった、春時雨は結構経験している、なんか雨すら甘い感じがするのである。通りを鳩が歩いているのも平和である。
歩いて経験する、歩いて見えるのものが違ってくる
そして現代はこの歩くことが極端に喪失した時代なのである。
ただ通りでも車は通りすぎて行くだけだからである
歩くことは人間回復になる、本来の五感をとりもどすことにもなる

だから通りが廃れたけどこれからまた見直されるかもしれない、高齢化社会になると車を利用しにくくなるからだ
ただ原町の通りは狭いし歩きにくいのである。相馬市は歩き安いし新しい通りを作った
だから歩く楽しみが他よりはあるとなる
城下町の雰囲気がそれなりにあるともなる

本当は通りでも街でも改革しなかぎり人を寄せつけることはできないだろう
旧来の通りはもう時代にあわないからである。
でもそれには相当な改革が必要になりできない、だからかえって津浪で街全体が喪失したような所では新しい街が作りやすいということもある
新地駅周辺とかはそうなった
通りの復活は旧来のままではできないからである。

靴屋で買物した、いい安いぴったりの靴があったのは意外だった、品揃いもいいものだった、いつもイオンとかの靴屋で買っていたがあそこにはいいものが置いてあった
要するに買うつもりではなかったが通りを歩いているとのぞいたりするから買ったりもする、つまり街には人の流れが必要なのである。
そして歩く楽しみがある通りがあればいいとなる
図書館などが駅前にあるのはあっているかどうかわからない
図書館はかえって閑静な郊外とか森の中にあるような所がいいかもしれないからだ
第一じっくり勉強するには本を読むのでもそういう雰囲気が必要だからである。
ただ自分は図書館に10年くらいほとんど行っていない、その時間が今でも家事は追われなくなったからである。

それにしても朝日公園の通りの店の裏が廃屋化していたのはまずい
あんな街の中心があのようだと荒廃している感覚になる
正直駅前と通りは魅力がないのである。ただ春時雨とか自然を感じるというのは違っている、若い女性だったら街をさっそうと歩きたいとかあるだろう
イオンだとかただ買物ということしかないからである。
通りとは街とは商品だけではない、人を見せる場所でもあるのかもしれない
そういう機能が街にはある通りにはある、だからこれから見直されるかもしれない
人間は買物だけではつまらないとなるからだ。




タグ:原町 春時雨