2017年08月05日

阿武隈山地の影(詩) (行政区域としての廃藩置県には無理があった)


阿武隈山地の影(詩)

(行政区域としての廃藩置県には無理があった)
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海があり森があり飯館の阿武隈高原がありかなたに
吾妻連邦が見える




阿武隈山地の影が覆っている
常に阿武隈高原がさえぎる
水鏡の峠を越えれば
安達太良山を望む
川俣はまた別な世界
いわきは東京に近い
通勤列車が東京へ出ている
いわきから複線になっている
相馬地域は仙台圏なのか
常に阿武隈高原地帯がさえぎる
その影が覆っている
中通りは遠い
その地理的障壁は消えることがない
人の心はその地理の中に閉ざされる
浜通りは常に海からの風が吹く
その風が開放的にする
しかし海は津浪のように恐怖をもたらした
阿武隈山地に閉ざされて
海は恐怖をもたらし閉ざされる
人間の運命は自然によって
あらかじめこ定められている
その定めを越えることはできない
その地の宿命の中に生きる

地理というのがいかに人間に影響するかである。人間は地理によって作られるのである。その地理の定めを越えることはできない
福島県は阿武隈山地で浜通りと中通りが分断されて中通りと会津も分断されている
そういう地理的宿命は帰ることができないのである。

人間の心もそうした地理や風土によって作られてゆくのである。
阿武隈川山地の不思議は日本列島が大陸から分離して形成される途上で古くから存在していた,古い山脈なのである。地層が相当に古いのである。
だから地盤が安定しているから飯館村に核廃棄物をの貯蔵庫を地下深く作るとかの意見も出たのである。

浜通りにとってこの阿武隈山脈の影響は相当に大きい
物心両面でさえぎられてしまう,その影が大きくのしかかってくるのである。
なぜ地理がこれほど影響するかというとやはりそこに住み生活していれば地理の影響を一番受けるからである。

日本は結局山国だからどうしても山にさえぎられる,その山の中に閉ざされる傾向が強いそういう地理である。どこまでも広がる大陸的平地はない,必ず山でさえぎられるのである。だから日本という国は本来は意思疎通がむかしい国である。
父なるラインとかドイツのように国土を象徴してまとめるようなものがないのである。

福島県でも広いから新潟県がどこなのかという話題になった
越の国の範囲となるが東北だという意見もある
どうもその新潟が相馬地域ににているのだ

東北開発促進法の中では東北地方の定義として「青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県及び新潟県の区域」と記されている。

福島県と新潟県が一体化してとらえている,相馬地域も福島県でもあり仙台圏の中にも現代では入っているから中途半端な地域だともなる
新潟県は会津地域にも入る,すると東北なのかともなる
結局は北陸となると富山県が中心でありその富山県は越の国であり大伴家持が古代に赴任してたように奈良か京都を向いている,さらに大阪を向いている
新潟県が向いているのは関東でり東京だとなる,それは福島県ににているのだ
つまりどっちつかずの地域になっているのである。

ただ米沢市は上杉家の藩であり上杉謙信の領地としてあった
それで今の玉野村で丸森の森の木材資源をめぐって伊達藩と上杉藩と相馬藩が三つ巴で争ったのである。だから上杉謙信から歴史的に越の国の影響も及んでいたともなる

ともかく廃藩置県は地理を無視したものであり歴史も無視したからそこで何か一体感をもてないものにしたのである。
会津と新潟は一体の県とした方がわかりやすかったかもしれないのである。
そういうことはいくらでもあるのだ
相馬地域が福島県になるのも何か不似合いだった,そういうことは全国でいくらでもありそれでいろいろもめてもいるのである。
行政区域と地理とか歴史とか風土の区分けは別物なのである。
行政区域としての廃藩置県が地理的歴史的文化的風土的区域化したものとは別物である。明治維新からの廃藩置県はそこで無理があったのである。
それは行政区域としての県という単位であったからである。

福島県は地理的に隔絶されて一体感がもてない


福島県は地理的に隔絶されて一体感がもてない


昨日は仕事できた郡山市の人が駅にいた,車を運んできたらしい,帰りは電車で岩沼を回り帰るという,そうなると結構遠い,直通だから途中乗り継ぎがないからいい
あとは墓参りにきた福島市のばあちゃんだった,墓参りに来る人は増える
お盆だから増える

駅には人の流れがある,郡山市は30万都市で福島県では一番大きい,だからここから仕事に来る人は多い,福島市はそれほどでもないのは県庁があり公務員の市だからとなる
経済活動を一番しているのは郡山市である。
だから郡山市を県庁にするということでもめている

福島県は大きすぎる,だから実際はいわき地域と郡山地域とか福島市地域とか会津とか相馬地域とかに別れいてる,郡山市と福島市は交通の便がいいからつながる
でも福島市は仙台福島区とか言われるのは新幹線で20分くらいで行き来できるからである交通の便がいいからそうなった。

相馬地方は仙台とのつながり深い,高速でもつながったからますますつながりが深くなる電車でも仙台を行き来する人が一番多いのである。
仙台の方の人と結婚する人も多いのである。仙台市相馬区のようにもなる

ただもし福島市と鉄道ができて30分くらいで結ばれれば福島市も近くなるのである。
会津でもそうである,交通の便が悪いから交流がないのである。
新幹線のようなもので結ばれたらそうした地理的障壁はなくなるのである。

郡山市が発展したのは原野であり何もないところから発展した,安積疎水で猪苗代湖の水を利用した結果として発展した,三春の方が城があるから古いのである。
でも三春は山の中であり発展しなかった。二本松は中世の山城から発展した。
ただ平地があるのは福島市と郡山市と会津若松市である。
やは明治以降は平地があると発展しやすいとなる

福島県は地理的に統一感がない,地理的一体感がないのである。
浜通りと中通りは阿武隈高原でさえぎられていて障壁となり遠い感覚になる
中通りと会津はやはり遠い感じになる
前にも書いたけど廃藩置県は地理とか歴史とかを無視して無理やり作られたことでそうなったのである。

だからそもそも福島県のアイディンティティなど作り得ようがないのである。
会津なら会津のアイディンティティは地理的歴史的に作りやすい
福島県になると作りえようがないのである。

福島県の地理は本当に複雑である,会津などで山が多くて深いからそこを知るだけで容易ではないとなる,そこに魅力もあるのだが福島県は地理的歴史的に一体化することは無理になる,福島県の特徴は地理的に断絶された県だとなる
例えば山形県だと最上川で一体感をもてるかもしれない,ドイツのライン川が父なる川としたように地理的に川で結ばれて歴史も作られてきたからそうなる

福島県に阿武隈川があったとしても確かに郡山市から福島市から宮城県の亘理まで流れている,その川から一体感を感じるということもない,相馬地方とは関係ないからである。会津磐梯山が福島県の象徴的山のように見えても相馬地方からは全く見えない
むしろ霊山からは吾妻山が見えるから吾妻山の方が親しいとはなる

会津県とか二本松県とか磐城県とかになる構想があったがその方がわかりやかったとなるでもそうなると磐城太田駅があるように磐城として相馬地方は組み入れられる
相馬だけでは小さいからそうなる
相馬地域は独自性を保てないとなる,何か仙台市相馬区であり磐城相馬区とかなってしまう,相馬地域が何かそうした中途半端な地域なのである。
ただ相馬藩としてあるときそれはそれで独自性を保っていた歴史があったのである。

ただ原発事故で相馬藩だった所が一番被害を受けたから全体的に縮小した。
そして衝撃的なのは少子高齢化で将来を見ると阿武隈高原地帯には人がいなくなる
今も飯館村などでも原発事故で極端に人口減少が起きているが別に原発事故がなくても
将来的に阿武隈高原地帯には人が住めなくなるような状態になることが予想されていたのである。

津浪とか原発事故はここだけではない,何か日本の将来を先取りした地域になったのである。三陸でも高齢化であり漁業だけではやっていけないとかなっていたのである。
後継者もいないとかなっていた,だからそんなところに今さら金をつぎこんでも無駄だと官僚が本音を言ったのである。じじばばしかいなところに金をつぎこんでも無駄だと本音を言ったのである。それはこの辺でも原発避難区域になった所に言える
じじばばしか残らない地域で復興できるのかとなったからだ
そこはうば捨て山になってしまう

自分としては村々が広範囲にありその地域独自の生活をしているとき魅力を感じる
でも今やインフラの維持に都市部の180倍もかかるとかなると無理になる
昔の自給自足だったらいいがそれだけ金がかかるから税金がかかるからその税金が地方交付税とかで東京都民でも払うから不満になってくるのである。
炭焼きしていたような時は違っていた,自分の生活を自分の村でまかなっていたから都会とは関係なかったからである。

そうなるとコンパクトシウティとかコンパクトタウンとかコンパクトビレッジにするほかないとなる,もう原発避難区域になった所はそうなっている
街から離れた周辺部には住めない,それは小高でも浪江でもそうである。
飯館村でもそうである。蕨平などは40軒あっても一軒しか帰らないとか周辺部にはもう人が住めないのである。

福祉でも医療でそういう広い地域は一軒一軒回るだけでも手間なのである。
人が集まり住んでいると回るのも楽だから医療でも福祉でもサービスをする側にとってはその方が手間も金もかからない,少ない人員でやれる
そして人手不足になっているからコンパクト化が必要になっているのである。

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20150年には阿武隈山地には人が住まなくなる
元の森林にもどってしまう

日本ではこの辺でもそうだが原野化するとそこに木が生えて森林化する


2017年08月04日

JR無人化基準は、1日の利用者が700人。  (この基準だと相馬市とか原町,亘理以外は無人駅になる)


 JR無人化基準は、1日の利用者が700人。


 (この基準だと相馬市とか原町,亘理以外は無人駅になる)


   鹿島駅
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この数字は2017年度は6年ぶりに常磐線が開通したので変わっている
2017年度の乗客数はかなり増えているようだ
なぜなら3倍に増えたと言っていたからである。
ただ震災前から乗客数は減っていたのである。

JR九州や北海道では、無人駅を大量創出することを決定している。九州では大幅に安価となったセキュリティドアが開発され、採用も決定している。
一方で、JRのホームから転落する事故も相次いでいる。上場したJR九州では、利益最優先政策から、現在の駅数566駅のうち、既に無人駅が281駅に達しており、さらに今後、最大で100駅弱も無人化する計画を有している。

国交省は14日、JR京浜東北線の蕨駅で、盲導犬を連れた男性がホームから転落し、電車と接触して死亡した事故を受け、鉄道各社に対し、1人でいる視覚障害者を見かけた際は声をかけることを駅員に徹底するよう指示する方針


JR九州

筑豊線7駅無人化 反対要望書提出へ 14日に直方市と鞍手町 /福岡


別の無人駅では、外国人が券売機の前で困っていました。片言英語で声をかけると、500円玉入れて290円のボタンおしても切符が出てこないようです。画面をよく見ると、10円が釣銭切れのようです。幸い私の財布に小銭が多く入っていたので、両替してあげたのですが、

名鉄瀬戸線を使っている友人は、向かいに座った客がおう吐したので車掌を呼んだところ、すぐ汚物を片付けたことや、その道具を持っていたことに驚いていました。
また、急病人発生で無人の清水駅に臨時停車して、駅員もいない中運転士と車掌で救急隊まで引き継いだことに対し、乗務員の対応に感心するとともに、もっとひどい心臓発作とかだったらどうするのか、

年配の方など、機械に弱い人にとって、券売機の操作が分からなければ、使いにくい鉄道になります。私のように機械の不備で待たされるような場合も同様です。ましてや国際化、高齢化が進む中、ソフト面のサービスも重要と考えます。

鉄道会社はワンマンや無人化で取りこぼす運賃よりも、人件費の方が高いのは分かってますからね

筑豊本線の無人化に反対するよりも、北九州市や自治会などで簡易委託駅として維持管理する方向に努力はできないんだろうか?
JR九州の駅員配置駅でも業務委託駅は多く、むしろ直営駅(その鉄道会社の従業員が駅員であるところ)は少ないでしょう。

一応の基準は、一日あたりの利用客数が700人以下であるということです


福岡)駅無人化計画に反対 視覚障害者ら1万人超の署名

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あすからJR吾妻線 2駅を無人化 利用者から不満の声 
更新日時:2017年3月31日(金)

昨年度の1日平均の乗車数は群馬原町が488人、万座・鹿沢口が205人で、記録が残る2000年度の3、4割程度。無人化は「駅の利用状況などを総合的に判断した」(同支社)という。 

美幌駅を無人化とする計画の撤回を求めた要望(北海道)

どの程度利用者数に減ると無人駅になるのか?
という点である。これまで散々、利用者数などの数値を出してきたが
利用者数だけでは無人駅化する、しないの目安にはならないのではないかと思う。
なぜなら、これらの駅よりも利用者が少ないのに有人の駅も日本中、あちこちにあるからである。
逆に、なぜ利用者が少ない駅なのに有人駅が存在するのか?


100段近い階段のある福吉駅は、無人になったら高齢者や障がい者は乗り降りできず、観光や親せきも来られなくなる。
 対応は?

福吉駅と一貴山駅の無人化   中止して下さい!


車イス等は、(乗る時も降りる時も)深江駅に連絡あれば、係員が出向いて対応する。
 車イス利用者には、JRが説明をする。

九州が無人駅化を押し進めている,その数も200以上とか多い,もうローカル線を維持できない状態になっているだろう。危機的状態なのかもしれない。
ワンマン化も進んでいる,そこでも車内で突然の自己とか事件があって困った
無人化は何か突然の事故の時に対応できない,人がいないのだから安全がない
確かに自動化の技術は進んでいるが安全が計れない

鹿島駅が自動化したことで乗車証明書をとることが意外とわからない,外から来た人はわからない。自動化しても何か必ずわからないことがあり駅員がいれば聞きたいことがある盲人の問題もある。一人の盲人が通っているが前は隣の駅員を呼んでいた,危険を感じていた,今日は補佐したら別にいいという,何か遠慮を感じたのと障害者でも自力でしたいということがあのかもしれない,自分は駅員でないから遠慮するということもある
駅員だったらこき使ういうことがある。ボランティアだと遠慮することがある
ボランティアと何かあいまいな存在なのである。
善意でやるのはいいがサービスを受ける方は嫌がることもある

いづれにしろ無人化に反対するのは全国的にある。それがインターネットでわかった
こういうときインターネットが力を発揮する
相互にリンクすれば無人駅化反対の運動が全国的に拡大するということがある。
ただその解決方法は自治体がかかわるべきだとも言う
つまりそれは市町村の問題でありJRだけの問題としては解決しないからである。

ただ一日平均の乗客数が700人以下が無人化の対象になるとき相当に厳しい
JR九州だと半分が無人化する,常磐線でも相馬市と原町と亘理をのぞいて無人化してしまうのである。それだけローカル線の状況は厳しいのである。
そういうことを市町村でみんな自覚している人は少ない
みんな車を利用しているから鉄道のことに関心をもたないからである。
それでますますJRでも無人化をすすめることになる
市町村の問題として問題意識をもつ人も少ないからますます無人化が増えるし
鉄道はこれからも危機的状態が加速してくる
ただ高齢化社会で高齢者が車に乗れなくなるとき鉄道が見直されるかもしれない
それより少子高齢化で人口が全国的に減るときもうローカル線はどこも維持できなくなる廃線になると予測している,インフラの整備に手間も金もかかるからである。

業務委託駅とかにして無人化を防ぐということはありその方向に向かうのか?
これもやはり住民が要望したり自治体がかかわらないとやはり無人化はすすむ
JRだけにまかせていればそうならざるをえないのである。
タグ:無人駅反対

秘境駅の詩(秘境駅は行くのが大変だ)


秘境駅の詩(秘境駅は行くのが大変だ)


秘境駅(詩)

その駅はどこにあるのか
そんなところをまだ電車が走っているのか
暗いトンネルをぬけると
駅舎もない駅がある
そんな駅から誰が乗るのか?
家があるのか
一体電車は来るのか?
待っても待っても来ない
忘れられたような駅
誰を一体乗せるのか?
まさか幽霊なのか?
誰も乗らない駅なら
それもありうる
何か草むらにひっそりと花が咲いている
一両の電車が来て去る
誰が乗っているのか?
電車は暗いトンネルぬけて遠くへ去ってゆく


秘境駅とは

列車到達難易度 は、列車本数が少なく、普通列車でも停車が少ない場合に高いポイントを得ます。

外部到達難易度は、駅までの道が無い、登山道、未舗装路など、外部からのアクセスが困難な場合に高いポイントを得ます

宗谷本線に多いことはわかる,そういう駅におりたことがあるからだ
常磐線とか東北本線とかにはない,秘境駅はあるようでないかもしれない
常磐線は一時間おきにでているから秘境駅はないことになる
でも人が一人しかのりおりないとかなる無人駅は結構ある
日立木駅などがそうである。でもこれは秘境駅ではない

秘境駅にはなかなか行けない,そこに行っても何時間も待たないと電車が来なくなる
すると相当暇な人しか行けないとなる,かつで自分は暇でそういう秘境駅におりたことがあった,小海線の山間の無人駅である。そこには郭公の声だけが木霊していた
駅の前には二三軒家があった,あんなとこに駅があること自体不思議だった
ただそういう駅にはなかなか下りることができない,帰りが何時間も待つことになるからだ。現代人は待つことが苦手になっているのだ

東京とかなる二三分おきに電車がでる,常磐線でもこの辺だと必ず待つ時間が生れる
その待つ時間が何か人間的な時間を生み出していた,話する時間が生れていたのである。普通駅では話などしない,ただ人が行き来するだけのものだと思っていた。
駅のボランティアをしていていろいな人が行き交う場所が駅だとわかった
ただ鹿島駅は無人駅でもそれなりに人が乗り降りしている
仙台と東京からも結構来ている
常磐線には秘境駅はない,末続駅がもしかしたら秘境駅ににている
崖があり海がのぞけるが山深い感じになるからだ
常磐線でも原町からいわき市の間はたいがい二両であり行き来が少ない
乗客も少ないのである。

ただ秘境駅となるともっと淋しい駅である。本当に電車が来るのかという感覚の駅であるだから全国でも少ないのである。自分も全国を電車で隈なく旅しても秘境駅には三つくらいしか行っていないのである。
奥羽本線の峠駅がそうなのか?あそこは新幹線も走っている,ただ回りをみれば警告がありそういう雰囲気がある,北海道が一番多いことは確かである。
もう廃線寸前の線があり駅が多いからだ,本州になると秘境駅となるとなかなかないだろう。

ともかく鉄道の旅が長いから鉄道にはいろいろ興味がある。ただ駅のボランティアを駅員のようなまねごとをしてみたことで鉄道とか駅とかの理解を深めた
鉄道とか駅を維持すること自体が結構手間とか金もかかるものだったのである。
そういう裏方の労働があって成り立っていたのである。
例えば待合室のホームの椅子があるがそこが蜘蛛の糞とかで汚れていて掃除していた
そんなことがあったのかとなる,掃除する人がいてその椅子がきれいになって利用できていたのである。ただそこまで駅を鉄道を利用する人は思わないのである。
自分でもそんなこと微塵も思わなかった,他でも何かサービスを受けるときはそうして働いている人がいるのである。
ただそれがそうして裏方でも働いてみないとわからないのである。
タグ:秘境駅

2017年08月03日

月見草(霧雨にぬれて咲く)


月見草(霧雨にぬれて咲く)


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霧雨や夕暮れの道月見草

霧雨やしとやかに咲く月見草

藪甘草咲きにしあとに月見草

数人の行き来す道や月見草


お伝えしたように月見草は、夕方から徐々に花が開き始めて夜になる頃には全開で咲き誇ります。
このように夜に開花することが由来となり、「月見草」と名付けられました。

月見草は夜開くから月見草になった,夜に月を見ている花となる
普通に見るのは待宵草である。宵を待つようにして咲くとあるからやはりにている
でもこの花は開いているのを見るより群生しているのを見る
田舎だと群生している,特にこの辺は荒地が増えた結果待宵草が一面に咲く

いつも行く道には最初藪甘草が咲いていた,次にしっとりと月見草が咲いた
この順序がいい,最初に赤い藪甘草が咲く,人生では青春は赤である
だんだん年取るとしっとりした月見草がふさわしいとなる

月見草には霧雨があっていた,今日は霧雨だった,日本では雨の種類も多い,
小雨となれば霧雨とは違う,霧雨はしっとりとぬれる
ふっているのかふっていないのかもわからない,音はしない,何かそれが待宵草,月見草にふさわしい

人間の性質にはいろいろある,激情的な人もいるしおとなしいおだやかな人もいる
激情的な熱情的な外交的な人は鬼百合とかにふさわしい,月見草の性格はおとなしく穏やかである。自分の母親はそうだった,だから自分も性格的にはそうである。

日本語のしとやかにというのがぴったりなのである。人間の性格はやはり親から受け継がれるのだろう。月見草の花言葉が無言の恋とかなっているのもそうである。
母も無口でありおとなしい性格である。自分も何かにている
じっとしていてあまり人とは接したくない,これは猫ににている,猫の性分があるとなる
田舎の道は数人しか歩まない道がいくらでもある,ほとんどそうかもしれない,今は車だから余計に歩く人を見ないのである。車には情緒がないのである。
そうしてただ歩いていることに情緒が生れているのも不思議なのである。
人間はそもそも歩くことで自然と一体となることがあったからだろう
それで浮世絵は歩くことで情緒をかもしだしているのである。

この辺は震災以後混乱状態になったけどそれまではどこにでもある静かな田舎だったのである。それは一身上でも介護や自らの病気などで乱されてしまった
後は静かに穏やかに過ごして死んでゆきたいというのが願いとなる


タグ:霧雨 月見草

原初の山々(mountains in the beginning)


原初の山々(mountains in the beginning)


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water and fire cool and hot

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moon and cliff



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 私の抽象画はソフトの操作による偶然の結果なのである。
 だから何が生れるかわからないのである。
 こんなものが生れたなと自分で驚いているのである。
 その元はインターネット上にいくらでもある
 その種が尽きないからいくらでもできるとなる


 My abstract picture is an accidental result by the operation of the software.
 Therefore I do not know what is created
When l such thing was born, I am surprised at oneself.
 When it is possible as many as one likes because the cause does not run out of the kind that is how much on the Internet, it is

2017年08月02日

蝉の声(はらまちユッサに行く) (話しかけることは心にかけること)


蝉の声(はらまちユッサに行く)

(話しかけることは心にかけること)

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一の旗使いの走る朝の蝉

原町になお巣を作る夏燕

合歓の花月のほのかに夕べかな


五六つ庭に石かな蝉の声ここにひびきつ夕暮れぬかも

のうぜんの熱くもも散りてそのうあとに鬼百合咲きて燃えにけるかな

藪甘草咲きにしあとに月見草さきてあわれも月のいずかな



話かけることは心をかけること」

ユッサの玄関にあったこの言葉は面白い,なぜこの言葉がいいと感じたのか?
それは駅で常に自分は話しかけるようになったからである。
駅だけではない,自分は何か一人になってから人に話しかけるようになった
家族がいるときは人に話しかけたりしない,家族がいたから淋しいということはなかったでも家族がいなくなると家でも一人でがらんとしている
それで家にいたくなくなり外に出る,そして話しかける
そればこでもいいということはない,話しかける場所がある
駅とかユッサとかくつろいでいるから話しかけやすいことがあった
でも誰でも話しかけることはできない,嫌がる人がいるし話たくない人もいるし
怒る人もいるからだ:その辺のタイミングとかがむずかしい

今日は山形の人であり山形では雪かきなどが大変だと言っていた,山形は相当雪が降るところだった,それは春になっても山形に入る面白山トンネルをぬけるといつも山に雪が残っているからやはり雪がふる場だった
それから盆地のようになっているから夏は暑いと言っていた。
ただこのユッサは七五〇円とか湯でとるのは高いと言ったら山形では温泉がどこにでもあり三〇〇円くらいで入れると言っていた
この辺は温泉はないからここは一応温泉だから高いのかもと答えた
この辺では温泉は貴重なのである。

山形でも前から常に言っているように地理がわからないと話が合わせられないのである。全国を隈なく自分は行っているから外部の人とと話を合わせられる,外部の人と話すときはまず地理を知らないとできないのである。

今日はユッサは野馬追いも終わり休みでもないのですいていた,あそこに食堂があり日替わりで出しているしオカズも出しているからいい,オカズの手作りがあるから自分にとってはいい,まずオカスが一人で作るのがめんどうだしまずいのである。
外の料理の方がうまいのである。ただ最近暑くて行けなかった
車がないから暑いと行けない,今日は秋のように涼しいから行けた

ともかく「話かけることは心をかけること」それは自分のことを思うときぴったりだった
人間が話かけるときは心をかけるのである,ただ単に話かける,機械とは違う,相手のことを察して心にかけて話するのである。
つまり人間が話かけることは相手のことを気にかけて思って話するのである。
話しかけることは単に話すのではない,人間の場合は心を通いあわすことなのである。
それは二言三言でもそうかもしれない,そで触れ合うも他生の縁となるの話しかけることなのである。
ただ話しかけられることを嫌う人がいる,それは自分もそうだったが駅でも話かけるのは何か役に立ちたいと思ってしているだけなのである。
別にプライバシーがあるから答えなくてもいい,第一あまり普通駅など話しかけない
大きな駅だったらそうなる,田舎の小さな駅だからこんなことができている
だから小さいことは人間的になるのである。

ただ日立木駅とか本当に一人くらいしかのりおりがない,まず外部から来る人かない
そうなると話しかける人もいないとなる
そういう駅も淋しいとなる,あそこは自転車でそう遠くはないから食事するにはいい
オカズが日替わりで変わっているからである。
水曜日はテンプラのあげたてを安く一五〇円でサービスしている
あれは本当にサービスとしてしているのである。
だから今日は得したとなる

野馬追いは終わった,原町で燕がなお巣を作っていたのも原町にふさわしいと思った
原町は街としてもともと大きいからなお燕が巣作りしている,それは人が多いから
何か大きな街だとふさわしい,まだ燕は巣を作っている,燕はまだ増えるとなる

藪甘草のあとは月見草がしっとりと咲き月がでていたのもふさわしい
なんか今日はすでに秋めいていた

駅のトイレから考える福祉の問題


駅のトイレから考える福祉の問題


鹿島駅の市で作ったトイレは立派である。特に身障者用のトイレは広いしきれいになっている,車椅子で入れるようになっているから広いのである。
一方隣の男女用のトイレは狭い,窮屈なのである。
でも車椅子で利用した人を駅にいて見たことがないのである。
ただそこは別に身障者でなくても利用できる,でも身障者用より健常者用を使っているみたいだ

盲人用の黄色のブロックを駅で直していた,そこはほとんど一人通っている盲人でも利用しない,第一駅の渡りの通路は階段が上り下りあるのだから使えない,危険である。
誰かが導かない限り使えない,そもそもそんなに黄色のブロックが必要なのかという疑問がある,通っている盲人も車で送り迎えさせられている
ただ乗る時は本当に危険である。他では死んだ人もいた
だから盲人団体では駅の無人化に反対している
実際に駅に通っている盲人が隣の原町駅の駅員を呼び出していたことでもわかる
盲人自身が危険を感じているからである。
駅員が常駐していれば安全であることは確かである。

でも何かトイレから福祉を考えると一度も車椅子で利用したこともない身障者用が広くとってあって健常者が狭く窮屈になっているというのも変だなととも思う
それは法律的に決まっているしそういうふうに社会がなったのだから仕方がないともなる
でも現代は福祉が弱者に対してあまりにも過剰化したのかもしれない
その不満が底辺にあること確かである。
要するに何か弱者化して集団化するとそれにたてつくことはできない
それで言葉狩りが生れた,盲人団体ならその団体から苦言がくる,だから何も言うこともできなくなる
カルト宗教団体でもそうである。団体組織化するとそれが権力化するから何も言えなくなる

原発避難者でも特権化したことがあった,いたりつくせりの補償があり金が支払われた
かわいそうな被害者だとなると特権化した,それが必要でも過剰化していたのではないか?
津浪の被害者と原発避難者はまた違っていた
でもこの辺でももめたけど自分もその時自分の病気とか介護で苦しんでいたけど普通なら個々人のことなど何があろうとほうっておかれるだけであてる。かえって弱者化したら金をとることしか考えない非情な人達しか来なかった
それは津浪でも原発避難者にもあった,火事場泥棒のようなことが実際にあったからである。
ただ一般的に手厚い援助があった,でももしそのことに文句を言うとものすごい反発があったのである。
現代は弱者でも集団化すると特権化するのである。

なぜこれを問題にしたかというと別に盲人のことではない,何か社会に本当はそうした不満が鬱屈しているのだ。それで障害者の大量殺人した人に共感する人さえでてきている
要するにその負担が社会で大きくなりすぎたからではないか?
健常者がかえって障害者より窮屈にしている,障害者のご機嫌をうかかって小さくなっている,そういう不満が鬱屈してそうなっている

自分が言いたいことはそれは老人に対してこそ一番不満が鬱屈している
福祉の費用が膨大化しているからだ,もう国がつぶれるという過剰な福祉の限界が来ている,そうなると自分も老人だからいいにくいとなる
それは結局自分自身が障害者側にたっているからだ
だから身障者のトイレがどうだこうだとは言えない立場なのである。
誰でも自分の損するようなことは言わない,そして老人が多いから圧力になる
障害者は全体からすれば数が少ない,だからそれほどの圧力にはならないのかもしれない老人は確実に票をもち政治を左右している,それは自分でも自分に不利なこと損なことはしないからである。そういう利己的なのが人間である。
いくらきれいごとを言ってもそうなのである。

ただ豊かな時代であれば福祉も手厚しても良かった,余裕があったからである。
それが社会になくなるとやはり福祉は厳しくなる
第一健常者の方が窮屈なトイレになるということがどうしてだともなるからだ
健常者が遠慮して生活しなければならないことの不満が大きくなる
別にそれは冷たいともいえない,なぜなら健常者の生活があって障害者の生活も成り立っているからである。福祉は必要でも過剰な福祉が限界になっている

それは医療でも延命治療はもうできないとかあまりにもそのコストが大きすぎるからだ。
ただ老人の場合は数が多いからいくら政治でどうにかしようとしても民主主義は数だから数できまるから矛盾が生れている
ともかく老人は老人で自己利益優先するから福祉のサービスを減らされることには抵抗する,でも限界にもなっている
鉄道を維持するにも金がかかる,それは福祉ではないのである。
収入がなければ無人駅にもするしサービスも減らされる
それはどうしようもないのである。
ただ駅は街全体が自治体がかかわっているからJRだけの問題ではなく市民全体の問題なのである。

駅からいろいろなことが見えてくる場だった,そこは鉄道だけではない,街全体とか外部でもかかわる場だったからである。そこから社会が見えてくる場でもあったのである。
それは世代を越えてかかわる場でもあった
必ず孫とか娘とか息子でも迎えに来たり見送りに来る場でもあるからだ
まず自分は駅をこんなふうに見たことがないのである。
ただ切符を買って電車に乗るということしかない
駅がどうして維持されているのかなど見ていなかったのである。

だから人間の問題はサービスする側にならないとわからないことが多い
サービスして働く側になると見えてくるものがある。
それはどこでもそうである,だからサービスする側にたたないと社会性が養われない
金持ちでサービスばかりされていたら社会のことがわからなくなるのである
それで退職した人がボランティアに精出すことがわかる
サービスするよりもサービスする側の方が社会を実際は生きているからである
そこに充実感がある,生きがいがあるとなるからだ
親の気持ちがわかるのには子供を育ててみないとわからないということがあるのと同じである。

ただキャリーバッグとか通路を運ぶのは無料ではやる気がしない,有料でもやる気がしない,荷物が重いし階段を上り下りするのが結構な労働になるからだ
乳母車をもちあげて来る女性もいた,だからエレベーターが必要なのだかそれも金がかかるからできない,JRではコストを減らすことをしているからだ
ただ新地とか山下駅は津浪があってエレベーターまでつくようになったのである。
それで良くこの辺に小高の人の引っ越しを手伝いにボランティアに来た人がいた
それは結構な労働であり力仕事なのである。それを74才の人がしていたのである。
自分だったらしない,そこまでやる力もないからだ
そこにボランティアの限界があるともなる

タグ:過剰な福祉

2017年08月01日

鹿島駅のトイレは市で作り運営していた (駅には常に点検とか修理とか見に来る人がいる)


鹿島駅のトイレは市で作り運営していた

(駅には常に点検とか修理とか見に来る人がいる)

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今日もいわき市の方からユニオンが来ていた,ここは前にも来ていた
盲人用のプロックが壊れていたので直していた
そこは改札口から離れている,一人盲人が通っているがそこまではこない,改札口くらすぐに乗るからだ

それからまた隣の原町駅の人がスプレーで蜘蛛の巣のあったところに吹きかけた
蜘蛛が来ないようにした,あとはポスターをはりかえた
時刻表はもうなくなっていた

駅前のトイレは市で作ったものだった,あそこのトイレは立派なのである。
掃除は近くの身障者の団体の「あさがお」の人たちが掃除している
市の方で金を払って頼んでいるのである。
要するに市の税金で維持しているのである。
建てたのも税金だし掃除して維持管理しているのも市だったのである。

誰かがあそこはJRで作ったものであさがおに掃除を頼んでいると自分は聞いた
だからてっきりJRで作り掃除も頼んでいるのかと思った
この間違いは大きな間違いだった
知らないのにそういう人がいてっきり自分もそう思っていたのである。

あそこは外から車で来る人も利用しているし農協の人も利用している
市で作ったものなら市民も外部の人も利用できる
公園のトイレのようなものになる,あそこのトイレは身障用もあるからいい
何か身障用のは広いのである。
隣の健常者用のトイレは狭いし窮屈なのである。
それは身障用は車椅子で入るから広くしている
ただあそこは別に健常者も使っている

ただ手を触れると押すとドアは開かないのである。
外から来た人はそれがわからない
外からはじめてくる人は無人駅だとわからないことがある
確かに無人駅でもわかるようにしてはいるがそれでもわかりにくくなる

そこに駅員がいれば聞けばわかる,それができないので困ることがある
だから無人駅は問題がある,鹿島駅はそれなりに乗り降りがあるからだ
新地駅より乗客数は多い,新地駅は無人駅になっていない
駅は新しくなりエレベーターもあるし冷房付きの待合室になった
駅前は広く駐車場や乗り場がもうけられた
これは津浪で流されたがかえって前より良くなったのである。

ともかく何か一つの駅でも知ることは蒸すかしいと思った
あそこのトイレが市で作り運営しているとは思わなかったからである。
それは誰かがそう言ったのをそのまま信じていたのである。
こういうことは人間にある
知らないのに適当に言う人が結構いるからだ
だからそれを鵜呑みにしないでJRであれ市の方に聞けばよかった
でもそんなことで嘘を言うとは思わなかった
嘘というよりそう言った人は確認もないのに言っていたのである。

情報は身近でもこういうことがある
噂話なんかそうである。そういうものでも信じる
そして嘘が広まってしまう
そこに悪意がなくてもそうなるのである。

今日市の方に聞いたら地域振興課とか産業企画課とかなんとかで扱うと言っていた
別に苦情ではない,そこまでは必要ないだろう。
ただ身障用トイレの開け方が問題なだけである。
これも別にそれほどの問題でもない
ただ現代はほとんど使わない盲人用のブロックとか身障用のトイレを整備するから金がかかる,それも法律で決まっている,そういう点でも福祉には金がかかる世の中になっている。それで反発する人もいるのもわかる
あそこの身障者用トイレを利用する人を見たことがないからである。
盲人は一人駅を利用してもこれだってこの辺ではほとんど利用しないのてある。

いづれにしろ駅は維持するのに手間もかかるし金もかかる
しょっちゅう来てみる人がいるからだ,管理するのに手間暇がかかり金もかかるのである第一ホーム自体広いから雪などふると雪かきだけでも大変になる
ここては雪は降らないからいいけど雪がふる駅では雪かきだけでも負担になる

いづれにしろ無人駅には問題がある,でもJRでは金をかけたくないから自動化して無人駅をふやしてゆく,収入がないのだからそうならざるをえないのである。
ただ鉄道や駅はJRだけがかかわるものではない,今回のように市でトイレを作り掃除を頼みそこが街の中心,ランドマークの役割を果たしている
街にはランドマークが必要だと訴えている人もいるのもわかった
つまり街には中心となるものが必要なのである。

それが駅となりトイレも利用するとなっていたのである。
駅は街の案内する場である,駅の場所がわかりやすいからである。
商工会が近くにあり観光案内していても場所がわかりにくいのである。
観光案内は駅が一番いいのである。ただ商工会は駅のすぐ近くにある
でも駅の方がいいのである。

相馬野馬追い終わる (祭りの意義とは何か?)


相馬野馬追い終わる

(祭りの意義とは何か?)

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旗取りで同じような旗が集まっている
これは同じ村の人なのだろう。
偶然ではこうはならないだろう
青色なのは宇多郷なのか?

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地域社会の人間同士のつながりの希薄化から、地域の力の減衰が叫ばれる昨今、
そのコミュニティを再構築するための絶好の機会に、ねぷた祭りは成り得る
のではないか、


祭りの意義というとき何なのか?野馬追いではその意義は何なのか?
それは相馬藩が一体となる祭りである。それと馬の祭りなのである。
馬を偲ぶ祭りなのである。馬はもう忘れられているからだ

相馬藩が一体となるというのは相馬市では市長が相馬市で出陣式が行うことで誇りをもてとか訓示した,その相馬市(宇多郷)と北郷(鹿島)が合流する儀式がある
野馬追いは地域地域が村々が一体化する祭りである。

でもそれは侍が戦争のために一体化するということが起こりである。
土地の農民はどうかとなると参加できないから一体化を感じるのかともなる
野馬追いは戦争が終わって江戸時代でもつづけられていた
その時戦争とは関係していない,戦争は終わっていたからである。
それでは何のためにしていたのか?

その時も相馬藩の侍が雲雀が原に集結して相馬藩の一体感をもつためということもあったその他に馬を放牧していたから馬を飼い馴らすためにしていた
戦争は終わったのだから馬を飼い馴らすためのものとしての方が役割として大きくなっていた

祭りというとき祀るは死者を祀ることであり供養することである。
だから何回忌とか家ごとにしているのは家の祭りなのである。
そして祭りはどこでも神社があり日本では無数にある。
すると神社ごとに祭りがある,そもそもなぜこんなに神社が建てられたのか?
それは神様を祭りその地域に根を下ろして生活したからだろう。
だから神社は先祖と関係している
先祖が移住してきて神も移ってきた

相馬氏なら千葉氏の系統であり千葉県から移ってきた
その神は妙見信仰である。これは北斗七星であり北極星なのである。
それは遊牧民がもたらした信仰である。遊牧民にとって北極星は移動するときの目印になるからだ
だからイスラム圏とか砂漠の民とかは国でも星印の国旗になっているのある。
最近では天皇にも妙見信仰があり遊牧民とか騎馬民族とかの信仰と関係していたという説がでている

野馬追いの見方としては宇多郷(相馬市)と北郷(鹿島)と合流する儀式があるように相馬藩が戦争のために一体化する祭りだった
だから野馬追いの見方としては5つの郷が雲雀が原に結集する祭りなのである。
飯館村も山中郷であり標葉郷は浪江とか双葉と大熊も入っていたのであり実際に出ていた
相馬藩の主な侍は城勤めではなく農業をしていた郷士でありそこに旗も残りほとんど農家から出ているのである。
つまり野馬追いは侍の祭りであり農民とかの祭りとも違うのである。
ただ相馬氏が土地土地に土着して先祖になったので村々とも関係している
村の代表ともなっているのが相馬氏の侍だったとなる

ただ歴史をたどれば霊山城が南北の争いで炎上して落ち延びたのが今の玉野で鹿島と中村(相馬市)に分かれて落ち延びた,山上に山王神社などがあるのはそのためである。
山王の神が霊山城炎上して落ち延びた武士によってもたらされたからである。
こういうのは由来がはっきりしている,只野姓も郡山近くの多田野村に由来していることは書いた,落ち延びた人たちが真野の中館に住んだからである。

ともかくこうして相馬藩が一体化する祭りであるとき津浪や原発事故では野馬追いが復興の行事としてみなおされた,だから相馬市長も南相馬市長もその旨を言っていたのである相馬藩が大熊,双葉,浪江とか小高でも避難区域になりばらばらになってしまった
それで今回小高から60騎くらい7年ぶりに出たということで話題になった
仮設からではなく帰還した農家からも出ていたからである。
それが小高の復興を推進するものとして小高の人たちも見ていたのである。

つまり小高でも北郷でもそれぞれの地域が一体化する祭りが野馬追いにはあった
ただ今になると社会が複雑化して人口も増えたしみんな会社員になったとき
相馬地域の一体感は希薄化したのである。
だから祭りとして地域の一体化を計ることがあるのだが今は成っていない
それで地元でも盛り上がらないとなる

ただ祭りの意義としたら歴史の伝統の保持でありその意義はある
ただ地元の人がみんな参加できないしみんなで盛り上がることはない
だから歴史と伝統の保持も欠かせないがみんなが参加できる祭りとしての工夫もひつようである。
ただそうなると歴史の保存としての祭りが乱されることもある
ただ前からそうだったが野馬追いは一回見て終わりとなっている
地元の人も参加できないから相馬地域がみんなで盛り上がるという祭りではない
その辺の兼ね合いだむずかしいが何らか新しいものも取り入れないとやがては祭り自体が維持できないとまでなる

そもそも祭りは限界集落では跡を継ぐ若い人がいなくなって維持できなくなっている
祭りとは次代の若者がになうものだろう。
威勢良く神輿をかつぐのは若者である。それはその地域をになう意気込みを示すものである。でも現実はみんな会社員なのだから地域の一員という感覚が今では希薄なのである。だから実際に雲雀が原の本陣山を神輿を担いでのぼるのは氏子ではなく会社員に頼んでいるのである。そういう時代に現実になっているのである。
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2017年07月31日

時刻表を見に来る人がまたいた (無人駅ではたりないものがある)


時刻表を見に来る人がまたいた

(無人駅ではたりないものがある)


鹿島駅虹のかかるや我のをり

虹残る電車の去りて駅にいる
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ボタン押すと乗車証明書がでてくる

外から来た人はここがわからない
ここが一番重要なのたけど・・・

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  切符を入れるものだがここも意外と外からの人はわからない

意外とはじめての人はわからないものなのである

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ごみ箱はホームにある

これも外から来た人はわからなかった


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ここはドアをあけるには押すとあかない

手を離してかざすと開く

ここに説明が必要なのである。

他ではコンビニなどのドアでは説明が書いてある



今日も孫が仙台に行ったからと迎えるに来る人がいた,その人は老人だからスマホをもっていない,デジカメももっていない,それで手で時間を書いていた
その人は良く会う人だったのである。
耳が遠くなっているとか言うけど車は運転できる
それでバチスロかなにか原町に行ったことを話していた
パチンコ屋も老人が多いというとき暇だからそうなる
学校の孫の送り迎えとかの人が良くくる

無人駅で困るということはある,特に外から来た人がわからない,乗車証明書があるのだけどそれがわからない,外にごみ箱があることもわからなかった
それからトイレの身障用のものが手をかざすとドアがあくのだけど
手を触れるとあかないのである。でもみんな手をふれて押しているのである。
これは何かその前に書いておけばわかりやすい,コンビニとかではそうしている

だから無人駅は外から来る人には困ることがある,説明が書いてあってもわからないのである。こういうことは外国だとあることだが日本でもわからないことがある
ここに住んでいる人はなれてきてわかるが外から来る人ははじめてだからわからないのである。

無人駅で何か用があるのか?やはり何か用があるときはある
掃除などもする必要がある,仕事とは何か?この世に仕事がないということはないのだ
まだ発見されない仕事が常にある,この駅では無人駅化して仕事が生れた
何でもこの世の中自動化,無人化できない,必ず人間で補うことがでてくる
英語だとわかりやい

need and fill

必要なものがあり満たすものがある,必要なもの足りないものが必ずどこの職場でもある職場でなくても地域でもある,ただ見いだされていないだけなのである。
だから満たさざるものを満たすというのが仕事になる
だから無人駅では満たされないものが生れた,それで仕事がかえって生れたのである。

今日は急に雨になった,これは局地的であり鹿島だけだった
そして虹がかかった,この辺で虹がかかるのは場所も時期も決まっている
にわか雨がふり夕方になると虹がかかる,これは法則のようなものである。
確率的に虹がかかる割合が高いのである。それは自然条件でそうなっているのである。
こういうのは偶然ではないから科学的にもわかる

駅には一日二回くらいしか行かない,でも何か用がある,それはやはり無人駅でたりないものが生じているということである。
だから駅の無人駅化は問題があるとみる,盲人とか反対しているのはわかる
ただコスト面では電車に乗る人が少ないのでやむをえないとなる
みんなが鉄道を利用して自治体でもかかわることが必要になる
トイレはJRで頼んで掃除していもらっている,でもそこは鉄道を利用する人だけではない車の人も利用しているのである。
つまり鉄道は自治体とか地区とかでもかかわり維持しないと保てないのである



タグ:無人駅

ボランティアにも動機がいる (介護でも犯罪でも動機が必要)


ボランティアにも動機がいる

(介護でも犯罪でも動機が必要)


仙台の松島の人が今回の九州の水害にあった所にボランティアに行っていた,そんな遠くまで行ったのかとなるがこの辺でも福岡市から来た人がいた
交通費だけでも大変だろうなと思っているがそれはどうなっているのかわからない
その人が言うには津浪で世話になったから恩返しだという
それが動機になっていることが災害の時など多くなった
もちろんこうした動機がなくてもボランティアしている人はいる
でもそうした明確な動機があるときボランティアも報酬無くてもできる

何か人間は動機がモチベーションが何するにも必要なのである。
働くにしてもそうである。ただ金をもらいたいというだけで働いているのはまさに奴隷なのである。何かしら動機があって働く意欲が生れる,その時人間は本当に働いているとなる
そういうことは介護では本当に動機がないとできない,肉親でもなんても介護は辛いから動機がないとできないものだろう。
自分がやれたのは動機があったからである。一番自分は親であれ家族に良くされたのである。だから恩返しだったから必死にした,介護のとき兄弟でもお前は一番かわいがられたからお前が介護しろとか言われる,それもそうだと思った
兄弟でも動機がないとできないからである。
遺産目当てが動機となるだけではなかなか介護もできない

動機というとき推理ドラマでは常に動機が重要なものとして追及している,人を殺すくらいだと恨みだとか何か強烈な動機があるはずだとなる,だからまず動機をさぐる
関係者を探して動機を探るのである。犯罪でも動機があって成り立つとなるから動機を探す

ボランティアは自由意志でするから報酬もない無償の労働だというとき動機がないとなかなかやれないだろう。水害の後片付けなど結構重労働になるからボランティアでも辛いとなるからだ,何のためにしているのかとなるからだ

ではなぜ自分が無人駅のボランティアをしているのか?
それはたいしたことではないし誰も別に自分が働いているとも認めていない
ではなぜそんなことをしているのだろうか?
暇だから生きがいを求めてというのもボランティアにある,それが60代以上が多いことでもわかる,生きがいを求めてするとういのも動機なのである。

自分の場合は鉄道旅行が長い,すると今になると鉄道会社には世話になったということを思うようになった,すると鉄道会社に対しての恩返しなのかと思うようになった
もう一つは駅は鉄道とだけ関係しているわけではない
その街とも関係している,そこに住む人々とも関係しているのである。
だから地元の人のためにするということが動機になる,地元に生きるならなにかしら世話になるから働くという動機になる
自分が駅でたいしたことでなくてもボランティアしていることは動機があった

要するになにかしら動機がないとボランティアもやれない,つづかない
ボランティアをしても報酬がないからそうなる,余計に報酬のある労働より動機が大事になる,趣味の畑をしている女性もボランティアである。
毎日嫌だ嫌だと言っているけど農業が好きだから自由意志でしているのである。
金銭的には損失になっているからそれはボランティアなのである。
でも農業が好きだからこそしている,それでとても生活の足しになるわけでもないからだ野菜でも何でも買っているからだ

いづれにしろ人間が60とかまで生きればなんらか世の中に世話になったことを自覚する
一番自覚するのは親には世話になったということを自覚する
それは人によりけりだか一般的にはそうなる,恩を感じるのである。
その恩は実は死んでからも感じる,意外と死んでからそういうことをその人のありがたみを感じる,その人がいるときはそういうことを感じないのである。
だから妻でも死んだときそういうことを感じる夫が多いのである。
それでいつまでも何回忌だとか毎日仏壇に祈っている男性がいる
それはやはり妻をなくしたショックがあり妻のありがたみを知ったからである。
それは宗教でも信仰でもないがそうなるのは死んではじめて妻のありがたみを知ったからである。

自分の場合もそうだった,60年間食事でもなんでもしてくれる人がいて自分はなにもしなかったのである。これほど恵まれたことはなかった
それが一転して介護となり自分が今度は世話する番になった
そして毎日今でも台所にたち料理して自分のことは一切自分でしなければならなくなったそのことは悲しいことであり自分を世話してくれた親に感謝したのである。
死んでからもその感謝の念が強まっているのも不思議である。
人間は死んでもやはりすぐに忘れるわけではない,自分を愛してくれた世話してくれた人のことは忘れない,かえって強まってくることがあるのだ

痛切に思ったことは自分のことを思う人が一人もいなくなったことである。
自分を思うとしても他人は金しかないのである。
それは本当に悲しいことである。皿二三枚あらうことさえ他人はしない,そのためになぜこんなに金を払わねばならないのか
と今も思う,人は他人を思うときもう金しかないのである
ただ今になるとそれも自業自得だったとなる
そういう非情を十年間経験したことで親のことをさらに思うようになったのである。 

ただ親を供養する気がない人もいる,それはあまりにも親のために苦しんだためである
それは親子でも恨みしかなくなっていたのである。
だから別に親子で恩を感じるとかみんなならないのである。
親でもよほどのことをしないかぎり感謝するとか恩を感じることはないかもしれない
自分の場合は特殊な事情で親に恩を感じて死んでも供養しているのである。
posted by 老鶯 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年07月30日

標葉郷(浪江,双葉,大熊)が野馬追いに出る

標葉郷(浪江,双葉,大熊)が野馬追いに出る


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北郷(鹿島)が来る

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風林火山ではないけど風の旗印である



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標葉郷の大将

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末森監物
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これは標葉郷

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これは大堀村

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田尻村の旗印は出ていた


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中浜村(大熊)

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両竹村
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吉田という人は出ていた


相馬 昌胤(そうま まさたね)

元禄2年(1689年)3月2日、将軍徳川綱吉に召し出されて、奥詰になった。同年6月4日、側衆に転じる。同年8月21日、側衆を辞職する。

千葉氏が源頼朝から奥州の小高に領地を受けた後、千葉氏族・相馬重胤が移り住み、南北朝時代の初期は南朝が優勢な奥州において数少ない北朝方の一族として活躍した。南北朝の争乱が収まるとやや衰退し、室町時代後期には標葉氏を滅ぼしたものの、それでも戦国時代初期には行方・標葉・宇多の3郡を支配するだけの小大名に過ぎなかった。

陸奥相馬氏は現在の浜通り夜ノ森以北を鎌倉開府から戊辰戦争終結に至るまで740年もの長期にわたって統治したため、相良氏や島津氏とともに世界史上にも珍しい領主として知られる。

中世の柏市を含む旧相馬郡を支配した相馬氏は、将門の子孫であるという伝承は良く知られています。

標葉郷(浪江)-末森村の謎

今回は標葉郷の旗印が目立った,標葉郷とは主に浪江だけど今の双葉郡や大熊町が入っている,ここは原発事故で最大の被害を受けたのである。
歴史をさかのぼると室町時代にすでに相馬氏の支配下に入っていたのである。
だからずいぶん古くから相馬氏の領地になっていた
ただ野馬追いというと小高と中ノ郷(原町)と北郷(鹿島)と宇多郷(相馬市)が中心として行われていると思った。
でも標葉郷も相馬氏に服属してから古いのである。

何か掛け軸があり竜の絵が描かれていたがそこに相馬 昌胤(そうま まさたね)と筆で書いてあった,相馬昌正胤は藩主であり元禄時代の人だった
こうした古いものが残っていることでも標葉郷は相馬氏に服属して古いのである。

標葉郷騎馬会は出陣式に先立ち、相馬家第二十一代当主の相馬昌胤(まさたね)公らの墓所がある浪江町の大聖寺を訪れ、

相馬昌胤(まさたね)はここに由来していた,聞いた人は若いから知らなかった
肝心の野馬追いに出る人が歴史を知らないのはまずい

その標葉郷は主に浪江であるが双葉郡も入っている,長塚村とか新山村とかある。
ここに自分の父親が酒屋の丁稚をしていて姉から話を聞いているので親しみがわくのである。何か両親とか祖父母に直接話を聞いたことは心に残る
だから歴史は祖父母から話を聞くことからはじまると書いたのである。

その中で末森村があり末森監物と名を記した人が出ていた,そのことは前にも考察した。泉田村に月に波模様の旗印がある,両竹村にもある。月に波模様の旗印が今回目立った
これは標葉郷のものである。
十字の旗印は大堀村のものである。大堀村はもう住めないとされている
そこから出ているのも歴史である。

野馬追いは歴史の保存だからこうして歴史をたどらないと鑑賞できない
だから外から来る人は地元でも旗印が何を意味しているか良くわからないのだから
何なのだろうとなる

それで威勢のいい60代なのか女性が声をかける,野馬追いは何か地元でも盛り上がらないなと言ったらその女性も同感していた
歴史の保存だからやむをえないが勝手に侍の家でもないものが出れないから盛り上がらないと言っていた。
この辺ではそのことをみんな思っている:ただ行列を見ているだけだからである。
歴史の保存だからやむをえないとしても侍の家でなくてもその後に分けてみんなが参加できるものにすれば盛り上がるかもしれない

今は村というのもだけではない,あまりにも社会が変わりすぎたからである。
すると会社の代表とかが出ればそこに勤めている人も知っているから盛り上がる
何か馬場がありそこをもっと利用して馬になれれば出れる
そして旗印をそれぞれの会社とか地区でもいいから作り出れば盛り上がる
ただたいだい祭りは歴史の保存だから勝手にやると乱れてしまうから拒否されるのかもしれない,でもそうすると盛り上がらない
小高で何か儀式があり女子高校生がその儀式をしていたとき高校生だとまとまって若い女性が確保できる,高校以上になると会社勤めでも別々になりまとまって今は若い女性はいない,早乙女踊りなどがあるがそれももう村だけでは若い女性を用意できないのである
すると祭りが継承できなくなる,現実にて中村神社の神輿は氏子だけではできないので
会社員の人に頼んでいるのである。
みんなが会社員の時代になれば必然的にそうなってしまうのである。

南相馬市の姉妹都市としてしてカナダのペンデルトン市がありその女性はそこに行ったという,そこも馬が縁で姉妹都市になった。
その馬はカーボイの馬であり荒馬を乗りこなすことであり牛をつかまえたりと荒っぽい祭りである,ロデオとかなると野馬追いで馬を乗る人より馬を巧みに使う人でないとできない,それはアメリカのカーボイでありインディアンも関係していた
もともとインディアンの土地だったからである。


オレゴン州ペンデルトン市(カナダ) 

いろんな人がいるが鹿島駅前の角が実家の人は千葉県の柏市から来ていた,そこは千葉氏とかかわり相馬氏が出た所だったのである。流山市とかとも姉妹都市になっているのもそのためである。
ともかく野馬追いは歴史を見ないとわかりにくい,旗指物もやはりどこの村から出たのかとかわかるとそうかとなる
今回は標葉郷に焦点をあててみることができたが後は曇っていて写真はきれいにとれていなかった。写真は場所にもよるし野馬追いではすぐすぎさるからいい写真が以前としてとれないのである。やはりいい写真をとれる場所が大事になる
撮り方もアップでとらないと映えない,今回は写真はきれいにとれてかった
神旗争奪戦は見なかった,天気は多少晴れた,でも曇りであり涼しいのは良かった
最近涼しいし風が気持ちがいい,だから熱中症にはならない
こういう気候の方がいいが写真はいいものが光の関係で撮れなかった
posted by 老鶯 at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2017年07月29日

相馬市の野馬追いの出陣式を見る


相馬市の野馬追いの出陣式を見る


出陣や法螺貝鳴りて朝の蝉

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去年見た疲れなのか何なのか倒れた馬



相馬市の野馬追いの出陣式を見てきた。
6時半き電車で行った:千葉県柏から何人か野馬追いを見に来る人がいた
その一人が駅前のすぐまえの角の家が実家だった
そこから学校に通った,便利な場所だった
相馬の出陣式ははじめて見た

和歌山県から来た夫婦がきた。

「和歌山県ですか,和歌山城には上りました,石段の坂が長い
いい城でした,ここは石垣しか残っていませんが・・・」

こうして日本はたいがい旅しているから話を合わせられるのである。
和歌山城の石段は長いのである。そこが印象として残っていたのである。
何かを旅では印象として残す必要がある
でも何が後で印象に残っているかはわからないのである。
和歌山城の特徴はあの城の石段だったのである。

出陣式には相馬市長と相馬市長が訓示した,鹿児島県とかの市長とかも他にも来ていた,挨拶はどちらも震災の復興と原発事故の復興を一丸として成すということを言っていた,まだこの辺はそうなっているのである。
復興のための野馬追いがつづいているとなる

雨が少しふっていた,それぼどの雨ではないから良かった
激しく馬が横転して落馬した,人の乗っていない馬が通りをはしりぬけた
こういうことは野馬追いに常にある,落馬するのは相当に危険である
この前は馬が倒れたりした
馬というのは実際に今はじかに見ることがない,競馬でくらいしか見れない
馬が何なのか実際はわからなくなっているのだ。
馬を使っていたとき落馬することは常にあった,馬はそれだけ乗りこなすのがむずかしいのである。へたすると大怪我をする

落馬止め天神

その安徳天皇の怨霊がずっと頼朝をつけ狙い、ようやく稲村ヶ崎で姿を見つけ、頼朝を落馬させたというのです。

毘沙門堂は南向きに建てられていましたが,東海道を通る大名が次々に落馬
毘沙門様を素通りしたためではないかと人々は噂しました

 上落馬橋(黒目川)

 「落馬橋」は旧小金井街道(鎌倉道)に架かっている橋です。
江戸時代、武士が橋のたもとで馬から落ちたのでこの名前がついたということです。

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交通事故にかからないように今なら祈る,落馬は常にあった,自分が見たのは馬と一緒に横転したのである。競馬でも落馬は常にある,それが致命傷になる場合もある
競馬でも9頭が落馬した記録もある,馬に乗った経験があれば本当に落ちることが怖い
モンゴルの馬は小型だからそれほどでもない,日本の馬は大きいし高いから落ちることが恐怖になる

これだけ落馬することは恐れられていたことがわかる,それが神様とか仏と結びつき罰だとしている,そういうことは今でもカルト宗教団体とか他でも言う
何か不幸があると仏罰だとなる,ところがカルト宗教団体でもいつも不幸は他より起きている割合が大きいのである。
ただ当時は神様とか仏様にその原因を結びつけることが多かったのかもしれないさ

「東大寺の大仏を焼いた平家の味方をするな」となときこれは寺側の勝手な解釈である。日本は無宗教だとかいうけどやたら神社や社や祠が多い,寺も多い,それはこうして何か縁起が悪いとかなり結びつくのである。
ただ今でも交通事故なども落馬と同じように縁起が悪いともされるから同じことがつづいているのだ。

ともかく馬というのは実際の生活から消えたとき何かわからなくなる,競馬くらいでしか馬に接しないからである。馬と人間が暮らした歴史は長いのである。
それがまるで忘れられたとき馬についてイメージもできないのである。
馬が糞したりするし道は汚れる,馬が頻繁にいななく,そういうことも実感としてわからないのである。だから野馬追いではあれだけの馬が出るから実感する
馬は大きいから500頭も行列すると迫力がある

戦争でも馬の力は大きかった,義経のひよどり越えとか馬にかかわることはいくらでもある,馬は明治以降もずっと活きていた,荷馬車としても農耕馬としても使われていたからである。太平洋戦争でも馬が活躍していたのである。
日本でも南京とかに入場するとき馬で行列して入場している,仙台の寺には戦争で死んだ馬を供養しているのである。
野馬追いは旗とか甲冑とか見ることもあるのだが馬が蘇る時でもあるのだ
それは競馬とは違うのである。馬があった時代を偲ぶ祭りでもあるのだ
馬にしても何か競馬だけにギャンブルだけに使われるのは本意ではない
野馬追いは本来の馬として活かされる時なのかもしれない

馬を扱うことに優れている→国の力が強くなる

だから相馬藩では雲雀が原で馬を放牧して軍事訓練をしていたのである。それは平将門からはじまっていたのである。 
現代は機械を扱うことに優れていることが国力になっている
馬を知らなければ生きていけない時代があったのである。

出陣式が終わり今度は鹿島に電車で帰ってきた,駅前でタクシーを待っている若い女性がいた。その人は海老原さんの所に行くという,宇多郷と北郷(鹿島)が個々て合流する儀式があるからだ,その人はなぜ海老原という姓まで知っていたのか?
その女性は前も来ていたのである。だから詳しくなった
京都ならいくらでも祭りがある,でも野馬追いに魅力を感じる人もいる
歴女なども増えてきた,そういう女性なのかもしれない,
ただ野馬追いは一回見ると終わりだとも良く言われる:何回も見る魅力がない
それは決まりきったことの繰り返しだからである。
地元でもあきるということがある

ただプログなどで紹介するときこれも一応紹介するとういことでマスメデアの取材とにてくる,何か絵になる写真が欲しいとなる
取材するとは見方がただ漫然と見ているだけではない,何かを訴えるものを写真として出し面白い記事を書こうとするのである。

野馬追いは確かに相馬の城跡から出陣するのだが盛り上がるのは原町の方である。
そこに全騎馬が集結するからである。今年は430騎出場するという。
500のときもあったから多少少なくなったいる
今日はこれから鹿島(北郷)に宇多郷と合流する儀式がある
これも何回も見ている,ただ海老原さん所から街へ行列する所では撮影ポイントがある
田んぼの中を通るから絵になまるのでそこにカメラを構える人が多い
他は街中になるのでてかなかそういう撮影ポイントはない。
posted by 老鶯 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2017年07月28日

野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家) (只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)


野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家)

(只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)

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ここになぜ旗が立ったのかわからない
勝手に旗はたてられないはずである
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ここはいつも立っている
ただ記録では鹿島村の旗印にはない
原町の北原に鷺の旗印があり他にもあるが鹿島村にはないみたい
だから他から移り住んで来た人かもしれない

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菊の紋が町内から出る
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これは霊山城炎上の時,落ち延びた者に由来する
桑折とかはの姓はそうだからである。
只野:桑折とか菊地の姓がそうなのかもしれない,南北朝の争いで落ち延びてきた
一団だった,杉の紋と天皇の菊の紋はそうだった



只野家について考察したが南北朝に由来して古い家系である。その元は郡山近くの多田野村だったのである。

平景政(鎌倉)までたどれる只野氏の由来
 (奈良の三輪山に野馬追いの杉紋は由来している)


南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎 (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)

この杉紋は古代の奈良の三輪山から生れたとするといかに古く由緒あるものかわかる
そしてこの杉紋を旗印とするのは鹿島村から他にも広がっている
この辺では電話帳を見ればわかるが只野姓というのが多いのである。
只野一族系統がこの地に根をおろして広がった,それは南北朝の霊山炎上から落ち延びた侍だった,その落ち延びたものが祭りとなったのが江垂(えたり)のお浜くだりき祭りである,只野家がその祭りで重要な役を受け継いでいたのである。

そのことは近くの同級生がいて教えられて知った,その人は脳梗塞になり九死に一生を得た,でも最近土手を歩いているのを見ないな,まだ生きているのだろうかともなる

杉の紋の出ている村

宇多郷(中村) 伏見

下栃窪村 只野六郎

岡和田村 只野津右衛門

小池村 只野三郎衛門

鹿島村 只野善衛門 只野仁右衛門

横手村 只野仁衛門

只野一族は鹿島区中心に広がった,宇多郷にもあったのは鹿島村を基にして広がったのである。

次に天皇の菊の紋が鹿島区の町内に旗がたった,これは何に由来するのか?
堀川忠三郎 菊地義兵衛 菊地重朗治 桑折利平治 遠藤八朗(北屋形村)が記録されている
これは天皇の御紋である,それはおそらく南北朝の争いのとき,天皇の旗印として使ったのもかもしれない,正当性を主張して旗印にしたのかもしれない。
なぜなら明治維新でも菊の紋の錦の御旗が作られたからである。
日本では動乱になると天皇の主導権争いになるからだ
そして桑折氏も霊山炎上のとき落ち延びた一族でありその系統も菊の旗印であることもつながる

つまり野馬追いの旗印は鎌倉時代にさかのぼり南北朝の争いからはじまっている
だから旗印を見るとき南北朝の争いも思い起こして見る必要があるともなる
相馬氏は南北朝の争いにかかわりこの地方を制覇したのである。

野馬追いの旗印は何を意味しているのか?また何に由来しているのかわかりにくい,一つの系統として南北朝の争いに由来しているものがある,それが一つの謎を解くものとなる

posted by 老鶯 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

日本人には外国人メイドを使えない (主従関係が作れない)


日本人には外国人メイドを使えない

(主従関係が作れない)


日本にバックグラウンドのない外国人メイドを雇うなら 
はっきり主従関係を作らないとお前の財産は奪われ 
下手したら殺されるかもしれない 
それぐらい外国で育った環境は日本のと違う 
それさえも周知しないで 
外国人家政婦を始めるなんて間違い 

責任の所在もあやふやのまま 
数件家政婦が主人を殺す事件が続いたころは 
一儲けした企業も撤退して終わり 
こんなの目に見えてる

日本人って白人みたいに移民を奴隷扱いできるわけがないのがよくわかる。 
むしろ日本人が奴隷になってるよ。


自分の家でお手伝いさんを使ってわかった。お手伝いさんといっても一時間もいないから家政婦とも違う,今だって皿二三枚洗うだけである。10分で終わる

むしろ日本人が奴隷になってるよ。

まさに自分の場合はこれだった,どっちが使われているのかわからないのである。
一人は本当に大金を奪われたしへたすると殺されるかもしれないというのは経験でわかった,経済的差がありすぎると人間は危険になる
そもそも人間だからなぜこの家はこんなに金があるんだと家に入ると実感する
その差が大きすぎるから不満が大きくなるのである。

主従関係がある社会なら通用する,江戸時代だったら侍階級がいて仕える者がいた
それはそういう社会の中で生きていたからできたことである。
戦前でも中産階級で二人も女中を雇っていたというとき家事労働が女性の働き口であり他にないからそういう社会で女中という仕事が一般化していたからできた

今は一般の家庭で家に入れて女中を雇うことはできない,大金持ちであるならばできる,でも30万くらい月給を払わないとできないしそういう家政婦を雇うことが習慣になっているような金持ちでないとできない,日本では外国人をただ安く使おうとしているだけである。

そして戦後は徹底して平等を教育で教えられてきたのだ,平等意識が極端化している
あらゆることが平等でないと不満になる,才能でもなんでも平等であり才能があったとしてもみんな同じでなければならない,突出したものは許されない社会である。
日本ではもともとそういう平等社会だったけど民主主義になって極端になったのである。家の中に入るとその差が目に見えてわかるから家の中に入れることは危険なのである。
なぜここの家はこんなに贅沢なんだとかなり不満が大きくなる
それが具体的に目に見えてそうなるから危険になる

日本では平等意識が強いというとき雇う方でもそうなのである。お手伝いさんが家族の一員のようになってしまうのである。それはいい面でもあるが外国人を雇うとしたらそうはいかない,外国人も人間だから家に入れば家事だけではない人間として扱うとなるとめんどうになる,日本人はやさしいから余計にそうなる
すると家事だけではないその他に負担が増えることは確かである。
危険も増してくる,外国人だといつでも国に帰るということもあり一時的だから余計にそうなる

ヨーロッパでは貴族がいて階級制度が歴史的に作られてきた,ローマでは奴隷を使っていたとかそういう歴史がある,スラブ民族のスレーブは奴隷の意味である。
奴隷になる民族がいたということである。そういう伝統があって召使を雇うことができていた。でも結局相手が人間だから黒人でも平等を要求してくるし今でもその問題は解決していないのである。
つまり人間は機械の部品ではない,その部品のように人間は使いないのである。

江戸時代の主従関係は歴史的に作られてきたものである。戦国時代に生死をともにするということで強い絆が作られてきた,それはもう現代のような金だけのつながりではない
精神的に強いつながりを歴史的に形成されていたのである。
それは家族ぐるみであり地域も一体化して作られてきたのである。
ヨーロッパではさらにそういう伝統があり言葉まで庶民階級とでは違っていた
ただ日本でも侍言葉がありそれを庶民が使うようになったこともあるからにている

いづれにしろ普通の家庭で外国人をお手伝いとして家政婦として雇うことは日本ではむずかしい,そういう伝統もなくなっているしそういう社会でもなくなっているからだ
ただ便宜的に金で雇えばいいとはならない,人間は何でも金では解決しないのである。
家事は機械化して今では一人暮らしでも困らないのである。
一人の人間が外国から入ってくることはその背景に国の歴史とか宗教とか様々なものがもちこまれるのである。そこに衝突が生れてテロにもなっているのがヨーロッパなのである

では人手不足をどう解決するのか?それは日本で別な方法で解決するほかない
外国人を安易に入れると日本社会そのものが変質してくる
それでも外国人を入れるとなると相当な覚悟が必要になる
日本社会が変質してもいい,外国人を許容する,そういう寛容さをもつ
でも本当に日本人がそれをできるのか?それに耐えられなくなるだろ。
外国人を入れるとすると簡単に安い労働力としてだけではすまなくなる
その覚悟があれば国民にあれば入れるということはできる
安易に外国人を入れることは危険になる
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年07月27日

原町駅の前で報道機関の人と出会う (野馬追いの取材で来た)


原町駅の前で報道機関の人と出会う

(野馬追いの取材で来た)


29日(相馬市:鹿島区)30日神旗争奪戦(原町雲雀が原)

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本陣山を上る

ここは急な七曲がりの坂を上るから力がいる

ここが一番祭りで迫力を感じた


 

どこの報道機関かはわからない,原町の駅前で野馬追いの報道機関用の用紙を読んでいたあれは雲雀が原で柵の中に入れる許可証である。
また必ず写真とる人がいてその人も一年前くらいから許可証もらっている
そして場所を確保する

でも今日は27日であり29日が中村神社から今の相馬市から出陣して北郷(鹿島区)で合流する,7月30日が雲雀が原で神旗争奪戦である
27日,28日ととまって帰るのかとなる

遠くから東京辺りから来ると交通費とか宿泊代がかかる,二人来ていたからそうした出費がある,報道には金がかかる,そしてどのように報道するのかとなるとそれも問題になるまず一応そ木土地の歴史をある程度知る必要がある,でも簡単には知ることはできない
報道となると結構手間がかかるしノウハウとか学も必要になる

ただ仕事として記者は面白いかもしれない,プロクで報道しているのは記者でもある
写真を撮って報告すればそれは記事である。
ただ報道機関の人は雲雀が原で柵の中にと入れるので特権がある
いい場所が与えられているからいい写真がとれるとなる

ただ野馬追いの写真は地元でもいいものがとれない,それは一回限りであり通りすぎて行くのが早いからいい写真がとれないのである。

中村神社と太田神社と小高神社が雲雀が原に集結して中村神社の神輿を雲雀が原の本陣山を上る時が見物である。ここで昔の相馬藩が一体化する感じになる
そしてあの坂が急なので神輿を上に上げるのが難儀する
馬でもそうだが神輿をみんなで担ぐとき何か相馬藩として一体感を歴史的に体験するのである,あれは氏子だけで担げないので会社員に頼んでいるらしい。
かなり力があり若くないとできない:そもそも祭りは若い人がその村をになって受け継ぐものとしてやっていたのだろう。
その若い者が村からいなくなくなるとき祭りの継承もできなくなるのである。

野馬追いには別に老人でもでている:でも甲冑も重いし暑いと楽ではない
旗取りにはだから若い人しか出れないだろう,40代でも50代でもでているかもしれないがきつい,鹿島区では二組でる:旗がたっていたからだ
街内ではほとんどでたのを見ない:それは相馬市でも原町市でもそうである。
ほとんどは農家からでる,もともと農業をしていた侍であり郷士と言われた人たちである中村に今の相馬市の城に移ってから城勤め人のが増えたのである。

野馬追いでは500人出るとしても全体の人数としては極めて少ない,10万くらいの人口があるのに五〇〇だとなれば少ないのである。
江戸時代はどのくらい出ていたのかもっと出ていた
飯館村が山中郷として出ていたし数は多かったろう,今でも飯館村で野馬追いに5騎くらい出ているという。

ただ地元でも参加できるのはそうした歴史的由緒ある者だけであり他は参加できない
野馬追いは歴史保存のためにある,だから何か相馬地方全員で盛り上がるふうにはならないでも相馬藩が一体となる祭りでありそこに意義がある

今日は涼しいので一カ月ぶりくらいに自転車で原町に行くことができた
原町駅にはやはり来る人が違っている,報道機関の人がくるのは原町である。
ホテルもあるからどうしても原町になる
ただ原町では話しかけにくいと思っていた,でも話しかけたら報道機関の人だったのである。他にも相当数報道機関の人がくる
再興に盛り上がったのは震災と原発事故で祭りが再開されたときだった
その時復興するという祭りとなっていたからだ

でも今となると何かもう外部からも忘れられるということがある
関心が薄れている:今でもまだボランティアは来ているが下火だろう
災害は各地にありそっちの方に移ってゆく
横浜から来た工事関係の人は見たいと言っていた
原町の行列は10時頃行かないとみれなくなると教えた
行列が早いのは五〇〇騎となると相当な長さになるから時間もかかるからである。
だから早めに行って見た方がいいとなる

ともかく震災から6年すぎてこの辺は一体感が失われた
相馬市だって補償金で不満が多いのである。そこにも仮設に住んだ人たちがいるからだ
また今は復興住宅などで浪江とか飯館村の人が住んでいる
そういう人たちとも一体感が失われる
だから野馬追いはそうした一体感をとりもどす祭りとしてはいいとなる

2017年07月26日

墓参りに来た人(ボランティアの意味)


墓参りに来た人(ボランティアの意味)


墓参りに来る人はいる,その人も墓だけしか残っていないという
江垂(えたり)だけど原町に墓参りする人はいる
その女性は80以上だろう,すぐに次の電車で仙台に帰ると言ってタクシーで行った

その人は小高の生れで鹿島と関係して新地とも関係している:そして仙台に移った
それで新地にも墓参りに行ってきたという。
何か近くの自分の墓地でも墓だけがあり仙台などから墓参りだけに来る人がいる
墓は家がなくなっても残っているのである。

自分の母の実家の墓は原町にあり家はとっくの昔になくなっている,50年前とかにすでになくなっていた,でも墓だけは残っている
それで福島市にいる人が墓参りにだけは来ている
つまり家の跡継ぎがなく空家が膨大化しているのと同じく墓も跡継ぎなく残されている
ただ墓は簡単に壊せないから最後まで残っている
これもまたまた問題なのである。

なぜこうなるかというというと広い地域に人が住むようになったからである。
まだ相馬地方内で住んでいればいいが仙台となると遠くなってしまう。
そういうことは今回の津浪や原発事故で親戚を頼り全国に散らばったことでもわかる
長男が家の跡を継ぎ守るということもなくなるとき家とか墓も一代限りとかになってしまうのである。

駅にはいろいろな人がくる,この土地に前に縁ある人もくる:今は外部からも仕事で来る
そういう何か人間的な出会いの場所でもあったことを発見した
今までは駅をこんなふうに見ていなかったのである。
ボランティアで駅員していたら見えてきたものがあった
だからボランティアは社会とかかわることだから退職した人はボランティアをするのがわかった

ボランティアとは

語源は英語の will の語源ともなったラテン語の volo で、意思や志願を意味した。
英語圏では、現在も本来の語義どおり志願兵あるいは義勇兵の意味で、この語が使われている。なお voluntary とは、自発的であるさまのことである。

ボランティア活動の原則として挙げられる要素は一般的に、自発性、無償性、利他性、先駆性の4つである。
B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2

ボランティアこそ本当の仕事だという人もいる,なぜなら仕事というとき強制的な面がでてくる:会社のためにもうけになることを追及するのが普通である。
それで金儲けのためには嫌なことでもしなければならない働くにしても金のためだというときそれは自由意志で望んで働いていないのである。
そこに労働の頽廃がある、俺たちは奴隷なんだよな,社蓄なんだよなとなる

ただ自発性、無償性、利他性、先駆性というとき,先駆性とは何なのだろう?
ボランティアには何かを見いだしてするということがあるからか?
何か仕事を発見するということがあるためかもしれない:,確かにそういうことはある
ボランティアは誰かが仕事を与えてくれるわけではないからだ。
ここが欠けているから補おうとか仕事を発見しないとできないからそうなっている

ボランティアはそうではない,自由意志なのである。それは金儲けのためではないから
その仕事そものものに意義と生きがいを見いだしてしているとなる
現代では逆説的にボランティアが本当の仕事ととしての生きがいになっているというのもに大げさではない:それだけ人間というのはそもそもそういう仕事も求めている存在だともなる
ただ金のために強制されて働くことは仕事として嫌だとなっていたのである。

知人が趣味でしている小さな畑もボランティアなのである。
文句は言ってもその仕事は好きだからしている
ただそれが人のためになっているとも思えない
なぜなら人に分けるほどのものは何も作っていないからだ
すると何のためになるのか?荒地にしておくよりはいいとなるのかもしれない。

高齢化社会はボランティアを求める人が増えてくる:現実に増えている,収入に余裕があれば生きがいのある仕事を求めるからである。
ただその人にあったものでないとボランティアもできないだろう。
たまたま無人駅になった結果,そこで何か役に立つことが生れて自分はしている
いなくてもいいがいないよりはいいというくらいだけどそれなりにworkしている
社会的に機能して働いているとなる

夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)



夏つばめ(梅雨はまだつづくのか?)


快晴の朝の空飛ぶ夏つばめ

駅前にふえて飛び交う夏つばめ

ひるがえる野馬追いの旗夏つばめ


しとしとと雨ふり
草むら深く
月見草群れさき
日陰蝶飛び
でで虫の歩む
いつもの道を
今日も行くかな


今日は快晴である。昨日は雨がふった,朝は快晴で気持ちいい,それほどの日ざしでもないかもしれない,紫外線を計る機械をなくしてしまった,体感的に日差しもそれほどではない,ただ熱中症は要注意である。そのために遠出ができなくなって困る
天気予報では注意となっているらやはりそれほどではない,体感的なものと一致していた警戒があり厳重警戒があるからだ

季語的には夏つばめがひったりである,今の季節らしい,こういうときでも外を自転車で走ればきもちいいだろう,本当に最近ずっと遠くに行っていない
仙台にも行っていない,自然とともかく気持ちいい,自然に生きるものはまさに自然だから気持ちいいのである。人間は不自然に生きているから気持ちいいとはならないのだ
人間は何か常に不健康なのである。タバコなど吸っているのもとがめはしないが何か不自然である。健康的に感じないのである。今は女性はタバコを吸う人が多い
ストレス社会になりタバコを吸う人が増えたのだろう。

ともかく家の中にとじこもりなのは良くない:これも不自然であり不健康だとなる。
ただ暑さで外に出れない,北海道に行きたいとかなる
でも外出しにくくなった

昨日は雨であり草むらに月見草が咲き黒い日陰蝶が飛ぶ,そしてでんでん虫がゆっくりと歩む,昨日は梅雨の感覚であり今日は梅雨が晴れたとような感覚である。
野馬追いの旗がひるがえっているからあと二三日で野馬追いである。
結構駅はにぎわうだろう。
天気予報ではまた曇りがつづくから梅雨は明けていないのだろう。
それでもこれまでのような暑さはなく一段落なのかもしれない
体調を壊したから暑さは嫌である。
自分は暑いところは苦手である。胃が必ず悪くなるからだ
また寒いところも苦手なのである。だから気候的にはここがいい場所なのである。

タグ:夏つばめ

金の価値がなくなる時代 (働く人に価値がでる-一時間の労働で一万五千円とられた)


金の価値がなくなる時代


(働く人に価値がでる-一時間の労働で一万五千円とられた)


雨漏りして困った、その場所が危険な場所で見えない、大工さんに頼んだがなかなかこない、その雨漏りが雨が強くふるとびしょびしょになる
一回みてもらったが高い所で危険な場な所であった
木の剪定をしてもらったが一時間くらいしか働いていない
だから一万で間に合うと思った

そしたら一万五千円要求された,高いなと思ったが払わざるえない
その人は危険だったからだという
ほかに頼む人がいないからしょうがない
今はこうした仕事する人がいなくなっている

今は人手不足であり人が集まらなくて建築関係では倒産したり会社でも新しく始められない、それほど人手不足は深刻なのである
そうなると賃金が高くなるのだ、つまり金をもっている人がいてもその金の価値は低くなる、第一利子もつかないし投資してももうからない、もうかるのは銀行だけなのである。手数料をひかれてもうかるより損する度合いが大きいのである。

何か技術が必要だったり危険な仕事は高くなる、もともとそうだったがこれからますます高くなる、ということは金の価値が減少してくるから金をもっていても価値にならなくなる、そういう時代であり働く人の価値は高くなる
老人はもう働けないかち金をもっていても価値がないとなる
でもそれが正常な姿なのかもしれない、働く人の価値が高くなることは悪いことではない利子とかでもうけることは働かないでもうけることはむずかしくなっているのだ

そして人のあまりできないことをする人は賃金が高くなる
このように一時間でも一万五千円とかなる
でも頼まざるを得ないのである。
こういう仕事をする人がいなくなっているからである。
供給する人が多ければいいがなければ高くなる
医者でも多ければいいが歯医者のように多くなると需要と供給の関係で賃金の格差がこれから生まれてくる、その時々で賃金も価値も変わってくるのである。

それはAIとか機械化しても同じである。人間にしかできないことが必ずありそれをできる人の賃金は高くなるのである。大工でも危険な仕事がある、屋根に上ったりするのは危険だから賃金が高いとなる、そうしてそういう人がいなくなるとその人の価値は高くなる、賃金も高くなるのである。
だからこれからどれだけとられるのか心配になる
でも直さないと雨がどんどんもれて家がだめになる
まず家というのは何かこうして修理代とかで金がかかるから資産がないと維持できないのである。
こういう点では借りている方がいいともなる、いづれにしろ人間の価値と仕事の価値は時代によって絶えず変わっている

自分の家は大きな家でも当時は50年前くらいになるが400万だったのである。
今だったら軽く3000万以上する建物である。
その時大工の賃金が安かったのである。すぐに何倍にも高くなったのである。
それでその前に建てろと言って建てたのが良かった
古い造りであり土壁で職人もいなくなっていたのである。
土壁の家はその後なくなったのである。

家にも歴史がある、この家は50年の歴史を刻んだともなる
他でも家には歴史がある、だから原発事故で避難した人たちは家に愛着をもつことはある特に老人はそうなる、思い出が家とともにあるからだ。
そのことが大きな精神的損害だったのである。
posted by 老鶯 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部